「サイジャとアディンダ」


 サイジャの父は、水田での仕事のために水牛を一頭持っていた。その水牛をパランクジャンのドゥマンが取り上げたとき、父は何日もの間一言も発することなく悲しみにくれた。どうしてかといえば、もうすぐ田を耕す季節になるのでそれを手早く終わらせないと苗代作りの時期が過ぎてしまい、ついには取り入れ期に刈り取るべき稲がなく、家の中の米倉に一粒の米を蓄えることもできなくなるからだ。
 ジャワのことは知っていてもバンテンの事情に疎い読者のために説明すると、レシデンシ・バンテンには他地方では見られない土地の個人所有、つまり私有地制度が存在している。サイジャの父は、妻とまだ小さいサイジャ、そしてその弟妹たちの食べる米がなくなることを強く恐れ、また同時に地税の滞納をドゥマンが副レシデンに報告して法的処罰が下されることをも恐れた。収穫がなければ地税も払えないのだ。
 そのためサイジャの父はその父親から相続したクリスを取り出した。そのクリスは決してすばらしい出来のものではなかったが、鞘に銀が巻かれており、石突きの板も銀製だった。首府へ出かけたサイジャの父は、中国人にそれを売って24グルデンを手に家へ帰ってきた。そして、その金で新たに水牛を一頭買った。

 そのとき七歳くらいだったサイジャはその新しい水牛とすぐに仲良くなった。『仲良くなる』という言葉を筆者は意図せずに使ったわけではない。ジャワの水牛が、自分の番をし、また世話してくれる子供とどれほど仲良くなるか、それを目にするのはとても感動的なものだ。筆者の創作でない、水牛と子供の心の交流の実例をあとでお目にかけることになる。一緒に暮らす中でよくなじんだ子供の指先から出される指示の細やかな強弱をよく理解するこの巨大で力も強い獣は、その指示に従って大きな頭を左右に振り、あるいは下げるのである。
 小さいサイジャのほうももちろん強い愛情を抱いたので新しい水牛もすぐにそれを感じ取り、固い粘土を鋤き砕くときなど、水牛を駆るサイジャの幼い声だけでさえ水牛の頑丈な背には強い力が加わり、耕地には深く鋭い鋤きあとが残された。更に耕地の端に着くと従順に向きを変え、隣の鋤きあとと一インチの隙間すらあけずに再び鋤きはじめ、こうして耕地はまるで鋸で引っ掻いたように鋤かれるのだ。
 その田の隣にはサイジャの許婚であるアディンダの父の水田が広がっており、その二つの水田を隔てる畦にアディンダの弟妹たちが来てはサイジャの鋤いている田を見て互いに歓声をあげ、水牛の従順さや力強さを褒め合うのだった。でもどうやらサイジャの水牛がいちばん優れていたようだ。多分それはサイジャが他の子たちより上手に水牛に言い聞かせることができ、水牛もその言葉に敏感に反応したからだろう。

 その水牛をサイジャの父の手からパランクジャンのドゥマンが取り上げたとき、サイジャは九歳でアディンダは六歳だった。貧しいサイジャの父は舅が残してくれた蚊帳の吊りかぎ二つを中国人に売って18グルデンを手に入れ、その金でもう一度水牛を買った。
 しかしサイジャの心は深い悲しみに襲われた。アディンダの弟妹たちが、「前の水牛は首府へ連れて行かれた。」とサイジャに告げたためだ。「蚊帳の吊りかぎを売りに首府へ行ったときに目にしなかったか?」と父に聞いても何も答えてくれなかったので、ドゥマンが住民から取り上げたほかの水牛のように屠殺されてしまったにちがいないと心を痛めたのだ。二年間仲良く暮らしたかわいそうな水牛のことを思うと止め処もなく涙が流れ、食事ものどを通らなかった。食べ物を呑み込もうとするとのどが塞がれ、そんな状態が長い間続いた。サイジャはまだ子供だということを忘れてはいけない。

 新しい水牛もサイジャに馴れ、そのうちサイジャの心の中で前の水牛と交替した。それは早すぎると思うかもしれないが、わたしたちの心に記された筆跡は別のペンでそれほど容易に上書きされうるものなのだ。新しい水牛は前のほど力強くなく、その背は今まで使っていた鋤の柄には狭すぎたにせよ、前のと同じように従順であり、田の境の畦でアディンダの弟妹たちと力自慢ができなくてもサイジャは「こいつほど気立てのいいのはいないよ。」と褒め、鋤きあとが歪んだり鋤ききれない土の塊があってもサイジャは不平も言わず、できるかぎり自分で耕してやった。おまけにその水牛の背中には、ほかの水牛にはないような毛の渦があった。村の長老がみずからその渦毛を見て、「こんな特別な渦毛を持っている水牛はきっと幸運をもたらす。」と語ったものだ。

 ある日、水牛は水田の真中で立ち止まると動かなくなってしまった。サイジャの『動け』という指示のすべてが徒労に終わり、突然のその反抗にサイジャはついに腹を立てた。こんなふうに逆らうなんて、なんてだめな奴なんだ。口からは汚い罵り言葉が避けようもなくほとばしる。でもサイジャ自身は本気で罵ったのでなく、他の人が腹を立てたときにそう言うのをしばしば耳にしていたのでそう言ってみただけだったのだが、それすら何の効果ももたらさなかった。水牛は一歩も動こうとしない。まるで鋤の柄を放り出したいとでも言うように頭を振り、鼻で荒い息をし、身体を震わせ、青い目は恐怖を湛え、上唇はめくりあがって歯茎をあらわにしている。
「逃げろ!逃げろ、サイジャ!」アディンダの弟妹たちの叫び声が聞こえる。「逃げろ、虎だよ!」みんなは水牛の背から鋤の柄をはずしてその大きな背中に飛び乗ると、水田や畦を駆け抜け、ぬかるみや茂みを踏み越え、街道や空き地を通り抜けて、汗ぐっしょりでバドゥルの村にまっしぐらに駆け込んだ。そのとき、はじめてみんなはサイジャがいないことに気が付いたのだ。
 サイジャも鋤の柄をはずしてほかのみんなと同じように水牛の背に乗ったが、水牛の突然の一跳ねでバランスを失い、地面に落ちたのだった。虎はもうすぐそばまで迫っている・・・。
 サイジャの水牛は一跳ねしたあと、その勢いで駆け出し、小さい御主人が死の淵に臨んでいる場所から数歩離れたが、自分を駆るべき人がその背にいないことを感じた水牛は即座に振り向くと脚を泳がせてその身体で子供を覆い、虎のほうに角を向けて頭を突き出した。獰猛な野獣は子供めがけて飛び掛ったが、それが最期の跳躍となってしまった。水牛は虎の跳躍をその角で受け、虎はついに腹を広げて地面に横たわったのだ。水牛は首の肉を少し失っただけで済み、サイジャの生命は救われた。その水牛の毛の渦はほんとうに幸運をもたらしたのだ。

 その水牛がまたもやサイジャの父の手から奪い去られて屠殺されたとき、サイジャは12歳になっており、そしてアディンダはもうサロンを織り、バティックを描くことができた。サイジャのふさいだ顔に心を痛めたアディンダは、チャンティンに想いを込めて自分で織った布に巧みにサイジャへの慰めを描いた。 
 サイジャの父も哀しみに打ちひしがれたが、母のほうがもっと深かった。アディンダの弟妹たちから知らせを聞いて、息子はてっきり虎にくわえ去られたものと思っていた母は、息子を無事連れ戻してくれた忠実な水牛に狂喜し、その首の傷を治療してやった。母は頻繁に傷の様子を調べ、水牛の太い筋に虎の爪がなんと深く食い込んだのだろうかと驚嘆し、もしそれが息子の柔らかい身体に加えられていたら息子はいったいどうなっていただろうと恐怖を感じながら、傷口の薬草を取り替えてやるたびに牛を撫でたり優しい言葉をかけてやったりしたので、その従順で忠実な獣も母親の愛情の深さを感じ取ったに違いない。その水牛が連れ去られるとき、母は水牛に自分の言葉を理解して欲しいと心から思った。そうすれば、そのとき自分がなぜ泣いているのかを水牛にわかってもらえると思ったからだが、水牛はもちろんサイジャの母が屠殺を命じたとは思いもしなかっただろう。

 水牛を買うための財産はもう何も残っていなかったために地税をおさめられなくなるのは目に見えており、父はそのために罰せられるのをとても恐れた。父の両親は生涯をパランクジャンで過ごしたためにほんのわずかな遺産しか残せず、また母の両親もその地方で一生を終えていた。最後の水牛がいなくなっても、父は水牛をひとから借りてまだ数年間頑張ったが、仕事はつらく、それまで自分の水牛を持っていた人にとっては特にたいへんなことだった。母は悲しみのあまり世を去り、父はそのとき絶望して村から逃げ出した。ボゴールのほうに出て職を求めようとバンテンを後にした父は通行証を持たずにルバッを離れたためにバドゥルの警察に連れ戻され、籐棒による鞭打ちの刑を受けた。さらにそこで狂人と見なされ、錯乱して暴れたりあるいはほかの罪を犯すおそれがあるとして獄につながれた。父が獄内に長くいなかったのは、程なく世を去ったからだ。
 サイジャの弟妹がその後どうなったか筆者は知らない。竹の骨組みにアタップを載せただけの、かれらの住んでいた小屋はしばらく空家のままだったが、時経ずして崩れ落ちた。人間があれほど多くの悲惨をなめた場所が、わずかのごみとほこりをそこに残すばかりで跡形もなく消え失せてしまったのだ。ルバッにはそんな場所がたくさんあった。


 父がボゴールへ逃げたとき、サイジャは15歳になっていた。サイジャは雄大な計画を持っていたために父に同行しなかったのだ。ブタウィでは多くのトアンたちがベンディという二輪馬車に乗っており、二輪車に重さを加えることなくバランスを取るためにはまだ年若い少年をベンディの後部に立たせる必要があった。ブタウィへ行けばきっと容易にベンディ・ボーイの職に就けるだろう。そしてその仕事で勤勉に働けば、良い収入に恵まれるはずだ。三年間その仕事に就いてしっかり蓄えれば、水牛を二頭買うに十分な金がたまるにちがいない。ひとから聞いたそんな話しがサイジャの心を捕らえていた。父が去ったあと、偉大な理想を抱く男の足取りでサイジャはアディンダの家に向かい、その計画をアディンダに語って聞かせた。

 「想像してごらんよ。ぼくが帰ってくるとき、ぼくたちは結婚するのに十分な年齢になっており、水牛を二頭も持ってるんだ。」
「すごいわ、サイジャ。あなたが帰ってきたら、わたしはあなたと結婚する。そのときまで糸を紡いだり、サロンやスレンダンを織ったり、バティックを描いたりして一生懸命働くわ。」
「ああ、ぼくはアディンダを信じてるよ。でも、もしぼくが帰ってきたとき、おまえがもう結婚してたらどうしよう。」
「サイジャったら、わたしが他の人と結婚しないことをあなたは知ってるでしょ。わたしの父とあなたのお父さんがわたしのことを約束したんじゃないの。」
「おまえ自身は・・・?」
「わたしはあなたと結婚するわ。信じなさいな。」
「帰ってきたとき、ぼくは遠くから叫ぶぞ。」
「もし村で稲を搗いてたら、だれもあなたの声を聞かないわよ。」
「そうだな。でも、あ、そうだ、アディンダ。もっといい考えを思いついたぞ。チーク林でぼくを待っててくれ。おまえがぼくにジャスミンの花をくれた、あのクタパンの木の下で。」
「でも、サイジャ。わたしがいつあのクタパンの木の下であなたを待てばいいのか、どうすれば分かるの?」
サイジャはしばらく考えてから言った。
「月を数えるんだ。ぼくは12ヶ月の三倍ここを離れるんだ。今月は数えないで。ほら、アディンダ、月が新しくなるたびに臼に線を引くんだよ。三十六本の線が引かれたら、ぼくはその次の日にクタパンの木の下にやってくる。ぼくをあそこで待ってるって約束してくれ。」
「ええ、サイジャ、わたしはあなたが戻ってくるとき、チーク林のクタパンの木の下であなたを待っているわ。」
サイジャは頭に着けている、色褪せた青い布を少し引き裂いて形見に持っておくようにアディンダに渡すとそこから立ち去り、その足でバドゥルをあとにした。

 サイジャは何日も歩き続けた。まだルバッの都になる前のランカスビトゥンや副レシデンのいるワルングヌンを通り、翌日には庭園のようなパンデグランに達した。次の日にはセランに着き、石造りで赤レンガの家がたくさんある大きな都の美しさに感動した。そんな威容を目にしたのははじめての体験だ。疲れを癒すためにサイジャは一日そこにとどまり、夜の涼しい空気の中で再び旅路に立った。翌日は影が唇に届かないうちにタングランに到着した。サイジャは父が残した大きな被り物をしていたのだ。
 タングランでは川の渡しの近くで水浴びし、マニラから輸入されるようなわら帽子の編み方をかつて父に習った知り合いの家で休んだ。サイジャは一日をそこで過ごしてその編み方を学んだ。もしもブタウィでうまくいかなくなっても、この技術で金を得ることができるようにと考えたためだ。翌日、夕暮れの涼しさが増すころ、サイジャは自分を歓迎してくれたひとに深い感謝の言葉を伝えてからまた旅を続けた。とっぷりと日が暮れて誰の目にも映らなくなったのを確かめると、サイジャはクタパンの木の下でアディンダがくれたジャスミンの花を包んだ葉を取り出した。これから先、長い長い月日をアディンダに会わずに送るのだという想いがサイジャの胸を締め付けた。旅立った最初の数日は、二頭の水牛を買うために金をかせぐのだという大きな夢でサイジャの心は興奮していたため、自分がどれほど孤独であるかということを感じないでいたのだ。父でさえ水牛を一頭より多く持ったことはなかったじゃないか。

 思いはいまやアディンダとの再会一筋に向けられたが、その別離の哀しみを寄せることのできる場所はどこにもなかった。別離のときサイジャの心は希望に満ちており、その別れはクタパンの木の下での再会にそのまま結び付けられた。その希望がそれほど強烈なものであったため、バドゥルを去るときクタパンの木の下を通りながら、サイジャはこれからふたりを隔てる三十六ヶ月があたかももう過ぎ去ってしまったかのように悦びを感じていた。あとはただ戻るだけ。サイジャはその木の下で自分を待っていてくれるアディンダに会いに長い旅からもう戻ってきたように感じていたのだ。
 ところがバドゥルから離れるにつれて一日はますます長く感じられるようになり、これから通り過ぎねばならない三十六ヶ月という時間が気の遠くなるようなものに思えてきた。足取りを鉛のようにする何かがサイジャの心の中にあった。自分の膝に哀しみがまとわりついていた。絶望とまではいかなかったにせよ、それは絶望とかわらないような不安だった。戻ろうという考えが心をよぎったが、アディンダがこんな意気地のなさを見たらなんと言うだろう。だからサイジャは歩き続けた。一日目よりずっと遅い歩調になってはいたけれど。手に持ったジャスミンをサイジャは何度も胸に押し当てていた。
 その三日間でサイジャは年を取った。アディンダがあんなに自分の近くにいて、その姿を見たいときにはいつでも目にすることができたあのころの暮らしは、どうしてあんなに平安なものだったのだろう。いまこの瞬間、アディンダを自分の眼前に立たせることができたとしても、サイジャにもうその平安を取り戻すことはできなかった。そしてバドゥルを去るとき、もう一度アディンダを見詰めるためになぜ自分は引き返さなかったのだろうかと後悔した。


 そんな心の迷いをふりきってブタウィにやってきたサイジャは、とあるトアンに仕事を求めた。サイジャの言うことがよく分からないそのトアンは、喜んですぐにサイジャを雇ってくれた。というのは、ブタウィではムラユ語が普通使われるのだが、スンダ語しか話せないサイジャがヨーロッパ人ずれしていないことは誰の目にも明らかだったからだ。
 そのトアンの家に勤めるようになったサイジャは、毎日の食事が保証されて身体も大きく強くなった。それは、バドゥルにいたのでは決して保証されないことなのだ。二頭の水牛を買い、アディンダのもとへ帰るのだ、というはっきりした目標を抱くサイジャは、善良で勤勉に下男としての仕事を果たしたためにその家の誰からも好かれ、給金のほかにしばしば褒美すら与えられた。
 こうして三年近い歳月がまたたく間に過ぎ去り、サイジャがいとまを願い出たときには、その家のみんなに落胆を与える結果になってしまったものの、サイジャの固い決心は結局かなえられ、自分がかせいだすべての財産を持って故郷へと旅立ったのだ。

 サイジャは持ち帰る財産を心の中で何度も何度も数えなおした。竹の筒には通行証と素行証明書が収められている。革紐で縛った竹筒の中には何か重そうなものが入っており、歩くたびに揺れて肩に当たるが、サイジャはそれを楽しんでいるようだ。その中にスペイン銀貨三十枚が入っているなんて、信じられるだろうか。それで水牛を三頭も買うことができる。アディンダは何と言うだろう。でもそれだけじゃない。背には腰帯にさしたクリスが見える。鞘には銀がかぶせられ、柄はきっと細かい彫刻のほどこされたクムニンだろう。なぜそんな言い方をするかと言えば、そのクリスは絹で丁寧に包まれているからだ。そしてそのほかにもまだたっぷりある。腰に縛った帯には金飾りのついた銀鎖のベルトが隠されている。このベルトは確かにすこし短いかもしれないが、でもあの娘はあんなにほっそりしているんだから、・・アディンダは。
 そして首に掛けた紐の先には絹の袋が下げられ、その中には干からびたジャスミンの花が収められている。
 タングランに着いたサイジャが、帽子を上手に編む父の知り合いを訪ねて少々長居をしたのも無理はない。その地方の習慣で、道ですれ違う娘たちが「どちらへ?」「どちらから?」などと声をかけるのに対して必要最小限の返事しかしなかったのも無理はない。既にバタビアを知ったサイジャがセランの町をあまり美しくないと思ったのも無理はない。馬車に乗ったレシデン閣下を見て垣の陰に隠れた三年前のサイジャはもういない。かれはソロのススフナンなどよりずっと偉い、ボゴールに住む閣下を目にしているのだから。道中でしばらく道連れになった人がバンテン・キドゥルについて、『いろいろな努力がなされたが、結局利益が上がらないのでコーヒー栽培はまったく取り止めになったこと』『パランクジャンのドゥマンが公道で強奪をはたらいたため、舅の家で十四日間、謹慎の罰を受けたこと』『首府がランカスビトゥンへ移されたこと』『前任者が数ヶ月前に亡くなったので新しい副レシデンが赴任してきたこと』『副レシデンが最初の大会議で演説した内容』『ここしばらく、訴えによってだれかが刑罰を与えられたことがないこと』『奪われたものが返されたり、弁償されるようになるとの希望が民衆の間に生まれはじめたこと』などの話しを聞かせてくれたが、サイジャがまったく上の空だったのも無理はない。

 いや、サイジャの心の眼にはもっと美しい光景が映っていた。雲の中でクタパンの木を探すサイジャにとって、バドゥルはまだあまりにも遠すぎた。クタパンの木の下で自分を待っていたひとの身体をかき抱くように、かれは自分の周囲の空気をかき抱いた。アディンダの顔が、頭が、肩が、浮かび上がってきた。首にまでかかった黒光りする大きな髷が見え、黒い光を反射して光る大きな目が見え、サイジャがからかったとき(どうしてあんなことができたのだろう?)子供のように勇ましく持ち上げた小鼻と口の端にたたえられた微笑が見え、クバヤの下で既に膨らんでいるにちがいない乳房をその胸に見、腰にきつく巻いた、自分で織ったサロンが腿の曲線から膝に沿って降り、小さい足の上で美しく揺れているのが見えてきた。
 サイジャの耳はひとが話し掛けてくる言葉をほとんど聞いていなかった。かれの耳に聞こえているのはまったく違う響き、アディンダがサイジャを迎えて言う言葉だ。「お帰りなさい、サイジャ。わたしが糸を紡ぐとき、布を織るとき、わたしの手で三十六本の線を引いた臼で籾を搗くとき、あなたのことを思い出したわ。新しい月の最初の日、クタパンの木の下にいるのがわたしよ。お帰りなさい、サイジャ。わたしはあなたのお嫁さんになるわ。」サイジャの耳の中にこだましていたのはそんな響きであり、そのために道中の道連れが話してくれたことは何一つサイジャの耳に入って行かなかったのだ。


 ついにクタパンの木が見えた。いや、もっと正確に言うなら、夜空に散りばめられた星々を覆い隠す、大きくて暗い場所がサイジャの視野に入ってきたと言うべきだろう。それは、明日太陽が昇ったときアディンダと会うことになっているあの木に連なるチーク林にちがいない。サイジャは闇の中で木々を手探りし、その南側の樹皮に覚えのある切りあとを持った木を探し当てて、パンテがむかし鉈で造った溝に指を置いた。それは母に歯痛を起こさせた悪霊ポンティアナッのお祓いをするためにパンテが造ったもので、それからほどなくしてパンテには弟が生まれた。サイジャの探すクタパンの木はそこにあった。
 そう、その場所こそほかの遊び仲間に対するものとは別の眼でサイジャがアディンダを眺めたはじめての場所だった。そしてアディンダにとっては、男女を問わずあらゆる子供たちが交わっていた遊びに加わるのを拒んだはじめての場所であり、またアディンダはその場所でサイジャにジャスミンの花を捧げたのだった。
 サイジャはその木の根元に座って星空を見上げた。そして流れ星を見つけると、『あれは自分がバドゥルへ戻ってきたのを歓迎しているんだ。』と考えた。それから『アディンダはいま寝ているのかな?臼にしるしをつけるのを間違えたんじゃないだろうな。』という思いが頭をよぎった。もしアディンダがしるしを付け忘れるようなことがあったら、三十六ヶ月分の刻み目がまだ不足していたら、サイジャの悲しみはどれほど大きなものになるだろう。『サロンやスレンダンにバティックを描くのは上手になっただろうか?そうだ、父の家にはいま誰が住んでいるのだろう。』サイジャの脳裏に幼かったころの日々が、母の顔が、水牛が自分を虎の襲撃から守ってくれたときのことが、次々に浮かんでは消えた。水牛があのように自分を守ってくれていなければ、アディンダとのことはいったいどうなっていただろう。

 サイジャは西の空に沈んでいく星をひとつひとつ注意深く眺めた。そして星が山の向こうにひとつ沈むたびに、『太陽が東の地平線にまた一歩近付いたんだ。アディンダと再会する時間がまた近付いてきたんだ。』と心の中で唱えていた。『だって、アディンダは日の出の最初の光とともに必ずここへやってくるんだ。夜明け前には、きっともう、すぐそこに来ているにちがいない。ああ、どうしてアディンダは昨日からここに来ていなかったんだろう。』
 絵にも描けない美しい光で三年間サイジャの心を照らしてきたこの瞬間に、アディンダが自分に先んじてくれなかったことをサイジャは恨んだ。サイジャの愛には自分のことしかなく、そのために公正さが欠けていた。サイジャはまだその時間になってもいないのに『アディンダが先に来てくれていたら良いのに』と思い、アディンダを待たねばならない自分を嘆いた。だが日の出はまだで、太陽は地上に光の箭を放っていないのだから、嘆くにはおよばないのだ。


 山の稜線に見慣れない色が流れると、頭上の星々は支配権を失って恥ずかしげにかすみはじめ、山は色褪せはじめた背景の前に漆黒の姿を一層くっきりときわだたせた。東のほうではそこここで白熱光をほとばしらせる何物かが雲を横切って宙を飛び、黄金と火の矢が地平線と平行して諸方向に射られては消え、そしてサイジャの視野から昼を隔てる、秘密に満ちたカーテンの裏側に落下していくように見えた。
 周囲はますます明るさを増して自然の景観が眺望されるようになり、椰子の木の群落が見分けられるようになってきた。あの向こうにバドゥル村がある。アディンダはあそこで横になって眠っているのだ。
 いや、アディンダはもう寝てなんかいない。どうして寝てなどいられるだろう。サイジャが待っているのを知っているはずではなかったろうか。いやいや、アディンダは一晩中寝なかったんだ。きっと村の夜回りが扉を叩いて、家の中のランプをなぜまだ消さないのか尋ねたはずだ。アディンダは可愛く微笑んで、『いま織っているスレンダンを仕上げる約束をしたから寝られないの。』と答えるだろう。そのスレンダンは新しい月の最初の日には仕上がっていなければならないのだから。
 それともアディンダは暗闇の中で臼に腰かけて、『三十六本の刻み目が本当に間違いなくあるのね?』と心をときめかせ、それを指でまさぐりながら夜を明かしたのだろうか。『数え違いをしてないわね、まだ一本足りなかったなんてことはないわね?』と、何度も何度も指で刻み目をなぞりながら、それを確かめるたびにサイジャと別れてから十二ヶ月が三度本当に過ぎ去ったんだと悦びに心を震わせているのかもしれない。
 このよく晴れた日の朝、アディンダももちろん目を見開いて地平線の向こうに太陽を求めて視線をさまよわせているにちがいない。太陽は遅い。夜明けはまだ来ない。まだ来ない・・・・・・

 雲に青みがかった赤い線がからまり、雲の縁は明るく白熱して輝き出した。天空では再び火の矢が飛び交い、しかし今度はカーテンの裏側に落下しないで暗い地上にからみついた。時とともに広がっていく輪の中に熱気が満ち、それが互いに合体し、交差し、回転し、移動して火の束にかわると藍色の地上に黄金の光を輝かせ、あらゆるものが赤・青・銀・紫・黄そして黄金色に染まっていく。おお神よ、あけぼのだ。アディンダとの再会のときだ。
 サイジャは祈りを学ばなかった。だが、それを教わっていたとしても無駄になっただろう。なぜなら歓喜の心の中に沈殿しているものは、それより熱い祝福と更に神聖な祈りをもってすら、人間の言葉で言い表すことなどできないのだ。

 バドゥルへ向かう気は、サイジャには無かった。バドゥルへ行けば必ずアディンダと再会するはずだ。だがそれはあまりにも当たり前のことであり、サイジャにはそんな再会がすこしも美しいものとは思えなかった。サイジャはクタパンの木の下に座ったまま周囲を見回した。自然は帰ってきた子供を迎える母のように、『おかえりなさい』と言って微笑みかけているように思えた。そしてまるで母親のように、子供の不在中にしまっておいた思い出の品々を出してきて、過ぎ去った悲しみの想い出をよみがえらせながらも喜びを描き出し、サイジャもまだ短い自分の半生が記された多くの場所に再び接することができるのを喜んだ。だが、サイジャの目や心がどこまでさ迷おうと、その視線と熱い心は必ずクタパンの木とバドゥル村をつなぐ道に戻っていった。五感が見たり感じたりするもののすべてがアディンダという名に結びついていった。サイジャは左側に見える、地面が黄色く露出している谷を見た。そこはかつて若い水牛が穴に落ち込み、村人が総出でその水牛を助け上げようとしたところだ。若い水牛が一頭失われるというのはたいへんな問題なのだ。村人たちは頑丈な籐紐を使って崖を降りていった。あのときアディンダの父がもっとも勇敢だった。手を打ち鳴らす音のなんと大きかったことだろう・・・・、アディンダ!
 村の家々の上で葉をそよがせている一群の椰子の木の向こう側、ウナちゃんが木から落ちて死んだのはあそこだ。お母さんは泣いて泣いて、「ウナはまだこんなに小さいのに・・・・」と、まるでウナちゃんがもっと大きかったらそれほど悲しくはないとでもいうような言い方をして。でも、あの子は本当にまだ小さかったんだ。アディンダより小さくて、まだ力も弱かった。
 クタパンの木とバドゥルを結ぶ道に人影はひとつも見えない。あとで来る。まだあまりにも早朝過ぎるんだ・・・・・。


 ときおり心の中に湧き上がる疑惑に耐えながら、サイジャはひたすら待った。太陽はかなり高さを増し、サイジャにとってかけがえのないこの日の朝はもう過ぎ去ろうとしている。

 クタパンの木とバドゥルを結ぶ道にまだ人の姿はない。ああ、アディンダはきっと朝近くになって寝過ごしたんだ。毎晩毎晩の徹夜の疲れが出たにちがいない。アディンダはもう何週間も寝ていないんだ。きっとそうだ。

 サイジャは立ち上がり、バドゥルへ向かって歩き出すだろうか?いいや、もしそんなことをすると、まるでアディンダが来るのを疑っているみたいじゃないか。 水牛を引いて畑へ行くあの人を呼んでみてはどうだろう。でもちょっと遠すぎる。おまけにサイジャはアディンダのことを他人に話したくないし、また尋ねたくもない。アディンダに直接会いたい。もう一度アディンダを見たい。アディンダ自身を目の中にとらえたいのだ。ああ、アディンダはきっと、もうすぐにやってくる。
サイジャは待つ。ただひたすら待つ。
でも、もしアディンダが病気で・・・・・、それとも・・・死んでいたら・・・!

 手負いの鹿のようにクタパンの木から躍り出たサイジャは、アディンダの住む村めざしてまっしぐらに道を駆けた。目も耳も開いていたのに、目には何も映らず耳には何も聞こえていなかった。というのは、村の入り口にある門に近い道端に立っていた人の「サイジャ、サイジャ!」という呼び声にサイジャはまったく気が付かなかったのだから。
 しかし、・・・・・サイジャが慌てていたからなのか、それとも煮えたぎる熱情がその目をくらませたからなのか、アディンダの家を見つけることができずに集落のはずれまでサイジャは道を走り抜けてしまった。アディンダの家を見ないまま村を通り抜けるようなことがいったいどうして起こりえたのだろう。サイジャは狂人のように自分の頭を叩きながら道を戻ってきた。そしてバドゥル村の入り口の門に戻ってきた自分に気付いたとき、サイジャは愕然とした。おお、神よ。いったいかれは夢を見ているのだろうか。再びアディンダの家を見ずに通り過ぎるなんて。集落の中程まで駆け戻ったサイジャは、まるで頭の中に染み込んだ妄想を絞り出そうとでもするかのように両手で頭を抱えると強く強く叫んだ。「狂ってる。狂ってる。ぼくは狂ってるんだ。」
 バドゥルの女たちは家の外へ出てくると、道の真中で棒立ちになっている青年を憐れみの目で眺めた。そして、ひとびとはそれがサイジャであることを知ると、すぐに何が起こっているのかを悟った。サイジャがアディンダの家を探しているというのに、アディンダの家はもうバドゥル村に存在していないのだから。


 パランクジャンのドゥマンがアディンダの父の水牛を取り上げたとき・・・・・・

 そのときアディンダの母は悲しみのあまり世を去り、末の子供も乳がもらえなくなって死んでしまった。そしてアディンダの父は地税を納めないことで処罰されるのをたいへん怖れた。そのため、父は故郷を捨てる決心をし、アディンダと弟妹たちを連れてバドゥル村を去ったのだ。だがアディンダの父は、かつてサイジャの父が通行証を持たずにバドゥルを去ったためにボゴールで捕らえられてどんな刑罰を受けたかを知っていた。だからアディンダの父は、カラワンやプリアガン、あるいはブタウィさえもその目的地には選ばなかった。
 父はルバッ地方の海岸部にあるチランカハンへ行き、ジャングルに隠れて、パント、パロンタ、シウニア、パアンシウ、アブドゥルイスマなどパランクジャンのドゥマンに水牛を取り上げられた人々がくるのを待った。かれらはみんな、地税を滞納することで科される罰を怖れていたのだ。
 集まった人々は夜を待ち、漁師の船を一隻盗むと闇の中へと漕ぎ出した。船は海岸を右手に見ながら北西に進んでウジュンクロンのタンジュンジャワに達し、そこから白人水夫がプリンセンエイランドと呼ぶパナイタンまで北上した。そうして東に迂回するとランプンの高い山頂を目印にスマンカ湾をめざしたのだ。水牛の強奪と地税の滞納という災厄に襲われた農民がたどるべき「道」について人々の口から口へと囁き継がれたのがその路程だった。

 サイジャは、しかしそのときみんなが何を語っているのかが十分理解できず、ましてや父の死の知らせも夢の中だった。まるでゴングが頭の中で打ち鳴らされてでもいるかのようにサイジャの耳はこだまし、こめかみは張り裂けんばかりの勢いでどくどくと血管の脈打つのが感じられた。かれは周囲を見回したが、光を失ったかれの目には何ものも映じていなかった。そしてついに背筋を凍らせるような虚ろな笑い声がサイジャの口からはじけた。
     一人の婦人がこの不幸な狂人を家へ連れ帰って手当てした。ほどなくして、サイジャはぞっとするような笑い声を出さなくなったが、依然としてひとことも口を聞かなかった。夜になると節をつけずに「ぼくはどこで死ぬのか知らない」と唄う声にその家のだれもが驚かされたが、それ以上のことは何も起こらなかった。
 バドゥルの村人はサイジャが狂人になったと考え、早く直って正気に戻るようにと金を出し合ってチウジュンのワニに供え物をした。だがサイジャは本当に気がふれていたのではなかったのだ。
 なぜなら月が煌々と輝く、とある夜、サイジャは寝台から起き上がるとそっとその家を出てアディンダの住んでいた場所を探したのだから。多くの家が崩れ落ちているためにそれは容易な仕事ではなかったが、灯台や陸地や山の形から現在位置を決める水夫のように、木々から洩れる光の線が形造る大きな角度がかれの目に捕らえられたとき、サイジャはアディンダの家があった場所を見つけ出していた。そう、そこにアディンダの家があった。あのこはそこに住んでいたのだ。

 腐った竹や崩れ落ちた屋根板のかけらの中を足を引きずって歩きながら、サイジャは長い間求めてきた聖なる場所を探して回った。そしてついにかれは見つけたのだ。アディンダの部屋の仕切りの一部がまだ崩れきらずに立っているのを。その仕切りにつけてアディンダの寝台が置かれ、仕切りの上のほうには竹のくさびがあってアディンダは寝るときそこに着物をかけていた。その竹のくさびがそこにあった。しかし寝台のほうは家と同じように朽ち折れて土に帰ろうとしていた。その朽ち果てた残骸を片手でつかみ取ると、サイジャは半開きの口に近づけて深く深く息を吸い込んだ。
 翌日サイジャは自分を手当てしてくれた老婦人に、アディンダの家の庭に置かれていた臼はどこにあるのかと尋ねた。老婦人はかれが口を聞いたことを大いに喜び、村中を回ってその臼を探し、新しい持ち主を探し出すとサイジャに見せるためにかれをそこへ連れて行った。サイジャは黙ったままその後ろに従い、臼を前にしてそこにある刻み目を数えた。サイジャは三十二本の線を数えることができた。
 サイジャはその老婦人に水牛を一頭買うのに十分なスペイン銀貨を与えてからバドゥルを去った。チランカハンで漁師から船を買うと数日かけて海を渡り、ランプンに入った。ランプンではオランダの支配に反抗する叛乱者たちが闘争を続けていた。サイジャはそんな叛乱者の中でバンテン人の集団に身を投じたが、かれの目的は戦うことではなくアディンダを捜すためだった。サイジャの性質はあくまでも優しく、そして苦難に怒りを燃え立たせるよりも哀しみに心をうち震わせるほうがはるかに早かったのだ。


 あるとき、叛乱者側がまた戦いに敗れ、サイジャはオランダ軍に奪われたばかりの、まだ燃え盛っている村の中をさまよっていた。その村で壊滅した叛徒の大部分はバンテン人なのだ。サイジャはまだ燃やし尽くされていない家々を亡霊のように徘徊し、その一軒の家で胸をサーベルで深々と刺されたアディンダの父の死骸を見出した。そのまわりに横たわっているのはなんとアディンダの弟たちの死体ではないか。若者、いやまだ子供といっていいような年齢だ。ふと少し離れた場所に横たわっているもうひとつの死体に目をやったサイジャは、それがアディンダのものであることに気付くと顔を歪めて目をそむけた。素裸にされ、目を覆いたくなるようなやりかたで惨殺されて・・・・。胸にあけられた傷口の中に差し込まれたひときれの青い布片が長かった格闘の最期を示しているようだ・・・・・。
 敗残の叛徒を掃討するために撃鉄を上げたままの剣付き銃を構えてまだ燃えている家の中に突然入ってきた数人のオランダ兵をサイジャは迎えた。サイジャはとっさにかれらの幅広い銃剣を自分の胸に引き寄せてかき抱くと、つかまで通れとばかり力いっぱい自分の身体でオランダ兵を押し戻した・・・・・・・