「トゥラガワルナの伝説」


 スンダの地の、北の海につながる大湿地原からおよそ一日の距離。内陸の丘陵地帯を超えて、いくつかの山が連なる一帯にクタタングハンの王国がありました。スワルナラヤ王の賢明な治世のもとで、領民は穏やかで平和な暮らしを送り、肥沃な土壌が差し出す豊かな実りをだれもが楽しんでおりました。衣食住に事欠く民などひとりもいない、豊かな王国がこのクタタングハンだったのです。


 ところが、この王国の将来に暗い影を落としている瑕瑾がありました。スワルナラヤ王の善政が領民にとってすばらしいものであるだけに、ひとびとはこの幸福と繁栄がいつまでも続いてほしいと願わないはずがありません。王の後継者にもこの善政をひきついでもらいたい。王がまだ元気なうちに、後継者への教育をほどこしてもらいたい。領民の希望はささやかなものでした。しかし、領民のそんな希望は希望のまま取り残され、定まらぬ将来への不安は拭い去ることができません。そんなことを知らぬはずもない王でさえ、こればかりはどうしようもありませんでした。そう、王と王妃の間には、いまだに子供がなかったのです。


 血統を絶やさないことが王として最大の努めだったのは、世界中どこの国でもちがいはなかったようですが、スワルナラヤ王はとりわけ王妃を愛していたのでしょう。それとも妾腹の子供をつくることで陰惨な王位継承の争いが起こるのを、王は知り尽くしていたのかもしれません。時がたつにつれて、宮廷の側近や市井の年寄りたちから王と王妃への意見具申が頻繁になってきました。
「王国の守護のために戦争で生命を捧げた兵士や指揮官たちが残した子供たちの中から養子を選んではいかがでしょうか。世継ぎがなければ王国はたち行きませんぞ。いつかは国が乱れるのは必定。王様、とくとお考えください。」
しかし、王も王妃も決して首をたてに振ろうとはしません。自分の血肉を分けた子供と養子とでは、愛情の濃さは比べものにならないのでしょう。
「養子をとったあとでもしもわが子ができれば、それこそ国が乱れるもとになる。」
そんな理由を述べて、王と王妃はそのつど諫言をしりぞけていました。


 愛する王妃との間にわが子を持ちたいと願う王の心に、日増しに哀しみがしのびこみます。ある日、王はふと思い立つとわずかな供回りを連れ、山奥の庵をさして王宮を出ました。庵にこもって瞑想三昧にふけり、王国の将来に想いをいたそうというのです。
 瞑想の日々が続いてすでに十日。前日と同じような瞑想のさなかにいる王は、どこからともなく自分に語りかけてくる声を聞きました。
「プラブ・スワルナラヤよ。おまえは何を求めて瞑想しているのか?」
「わたくしは、わが子が授かることを求めているのです。」
「孤児を養子にとり、世継ぎにすえることはしないのか?」
「どんな子であろうと、わが子にまさるものはありません。」
「そうか、よくわかった。それでは今すぐ王宮に帰れ。」
 王の近くにはべっていた供の者は、静かに瞑想にふけっていた王が相好をくずして立ち上がり、「王宮に帰るぞ。」と言うのを聞いて驚きました。一行は急いで荷物をたたむと、王宮さして山を降りていきました。

 それからおよそひと月、ある日王妃がそっと王にささやきます。
「王様、どうやらわたくし、身ごもったようにございます。」
王は、「ほっ」と吐息をつくと歓喜をあらわにし、いたたまれずに立ち上がると「宰相を呼べ!」と叫びます。
駆けつけてきた宰相に王は命じました。
「王妃が身ごもったぞ。この慶事を全領民に知らせよ。」

 王宮をよろこびが包み、そこから波のように知らせが王宮の外へとこぼれ出て行きました。宰相がおふれを回すより早く、噂は口伝えに領国内を駆け巡ります。華やかな気分が国に満ち、領民は祝いの品々を手に祝詞を述べようと、続々と王宮にやってきました。



 時が満ち、王妃は輝くような女の赤ちゃんを産みました。ひとびとが待ちに待っていたこの王女は、プトゥリ・ギラン・リヌッミと名付けられました。領民たちはふたたび続々と王宮におしかけます。祝いの品々が届けられ、だれもが待ち望んでいた世継ぎの誕生に、ひとびとは国をあげて祝賀に酔いしれるのでした。


 年々歳々、王女は成長を重ね、王国で一番可愛い少女から王国で一番美しい娘へと成長しました。老境にさしかかりはじめた王と王妃は、リヌッミ王女を目の中に入れても痛くないほど可愛がります。宮廷の中でも、美しい世継ぎの姫はみんなの誇りです。そして、領民さえもが、王国の未来を託す美しい世継ぎの成長をよろこび、見守ります。しかしそんな幸福な日々の中に、困ったことがひとつありました。
 なにひとつ不自由なく育てられた王女の辞書の中には、我慢するという言葉が見当たらなかったのです。自分が望むことは、周囲の人間がそれを満たさなければ気がすみません。言うことをきかなかったり、さからったりすれば、王女は怒りくるいます。おまけに、自分があたかもこの王国の主であるかのようにふるまい、国王と王妃にすら畏敬を示してへりくだるということをしないのです。そして、自分の気に入らないことをする周囲の人間には怒りと憎しみを降り注ぎました。

 年を追って成長する王女がますますあらわにする人もなげな性格に、王と王妃は後悔の思いをかみしめます。
「あんなに甘やかし、わがままいっぱいに育てたのは誤りだった。大きくなれば自覚が芽生えるだろうと思ったが、そんなけはいもない。将来この国を治める人間になるのだから、もうすこし厳しくしてもよかったかもしれないが、今となっては厳しいしつけも困難だ。これまで17年近くにわたって築き上げられてきたリヌッミ姫の性格を一朝一夕に変えることなど不可能に近い・・・・・」


 王も王妃も、王女の性格をなんとかしなければならないことは知っていましたが、どうすればよいのかわかりません。でも、機嫌の良いときに王女が見せる笑顔や、愛らしい態度はそんな欠点を補ってあまりあるように両親には思えるのです。ふたりは、王宮の中にできるだけ楽しく幸せな雰囲気が維持されるよう、宮廷の女官や召使いたちに命じました。
「王女の怒りに火をつけてはならぬ。できるだけ機嫌をとり、王宮を楽しい雰囲気で満たすのだ。王女にはさからわぬようにするのだ。」

 どんなに腫れ物にさわるように気を使っても、少女から娘へと成長する過程で自分自身の中に起こる心の揺れを止めるすべはありません。機嫌の良いときは太陽のように素敵な笑みをこぼす、美しく愛らしい王女も、機嫌の悪いときには鬼女にでも変身したかのように、ほんの些細なことで怒りをまき散らし、国王と王妃にさえ悪態をつくのでした。



 17歳。大人への門口に立った敬愛するリヌッミ王女への祝福のため、領民はこぞって祝いの品を王宮に届けます。王国に並ぶ者とてない、美しく愛らしい王女への領民の思慕のあらわれなのです。
 王領のあらゆる村々から、ひとびとはきそって高価な品、珍しい品を届けて来ました。金貨、宝石、宝飾品・・・・。王は領民に感謝の言葉を伝えます。
「すべての領民よ。リヌッミ王女への、そしてわが王家へのみんなからの愛情を、わたしは喜んで受け取ろう。これほどうれしいことはない。しかし、ここに集まった祝いの品々は、王家だけで使うには多すぎる。この中の一部を使って王女の首飾りを作ろう。それを身に付けた王女が、いつも領民の思慕に触れることができるように。そして、残りは宰相が率いる行政所の倉に蓄えることにする。民の暮らしを改善するための資金が必要になったときにそれを使うのだ。みんな、ありがとう。」
 王の言葉に、王宮前を埋めた領民の拍手喝采が付近の山あいにこだましました。


 王女の首飾りを作るのに必要なだけの金銀とさまざまな宝石が、王国随一の宝飾細工師に渡され、王女の成人の祝いの日までに完成させるようにと注文が出されました。


 待ちに待った日がついにやってきました。その日は早朝から、クタタングハンの領民が、切り立った山の斜面を背にして建っている王宮の前に集まってきました。王宮の正面に張り出している会堂には王と王妃の玉座が並べられ、王家のひとびとや宮廷の高官の登場を待っています。

 太陽が峰の上で高さを増しました。ほどなくして、着飾った王と王妃、貴族や高官たちが登場して座に着きます。領民たちから歓声が上がり、王は手を振ってそれに応えます。続いて、王女が十数人の乳母や官女たちを従えて登場しました。その美しい姿は、まるで天女が下界に降りてきたかのようです。ひとびとはその姿に声もなく、ただうっとりと見惚れるばかりでした。
静けさを破って王の声が響きます。
「クタタングハンの忠実なる領民よ。ギラン・リヌッミ王女の成人を祝うこの佳き日に、王女はみんなからの敬愛のしるしを受け取るのだ。そして、王女は終生、領民の思慕を身につけ、領民の愛情に守られて、クタタングハン王国の繁栄をともに築いていくのである。」
そう語りながら、王は細かい彫刻のほどこされた白檀の箱を開きました。ひとびとの視線がその箱の中のものに集中します。王は、領国随一の細工師が腕によりをかけてこしらえた首飾りを取り出して、高く捧げ持ちました。さまざまな色の宝石で作られた植物、花、果実に黄金や銀の葉や蔓がからみつき、それはそれは豪華で美しい工芸品です。ひょっとすると他の王国にも、ましてやパジャジャランの王宮にすら匹敵するもののないほど豪奢なものだったかもしれません。その首飾りこそ、クタタングハンの豊かさを象徴するものだったにちがいありません。


 ひとびとは、朝の光を受けてさまざまな色にきらめくその首飾りに見惚れました。脳裏には、それを身につけた輝くように美しい王女の姿が像を結んでいたことでしょう。あと数分の後に、それを現実に目にすることができる。ひとびとの期待はいやが上にも盛り上がります。

 領民たちは歓喜に興奮しながら、拍手喝采を送りました。王はそれが静まるのを待ってから、王女のほうに向き直って言葉を続けます。

「わが娘、王女ギラン・リヌッミよ。これはおまえの成人を祝福する王国の全領民が、おまえへの敬愛と思慕のしるしとしておまえに捧げたものだ。この首飾りはおまえと領民を結ぶ象徴であり、将来わたしに代わってこの国を治めるおまえは、この首飾りを終生肌身はなさず、いつも領民のことを思い、領民の幸福を願ってまつりごとをおこない、領民とともにクタタングハンを栄えさせていくのだ。さあ、それではこの首飾りをかけて、領民にその姿を見せてやってくれ。」

 王は手ずからその首飾りを王女に手渡しました。それを受け取った王女は手にした首飾りにしばらく見入ります。ところがその直後、その場に居合わせたひとびとのだれひとりとして想像もしなかったことが起こったのです。

 手にした首飾りに見入っていたリヌッミ王女は、しばらくしてから顔を上げると父王に向かって言いました。
「なによ、この不細工なものは。あたし、こんなものなんかほしくないわ。」
そう言いながら、王女は手にした首飾りをあたかも王の顔面に向かってぶつけるように放り上げたのです。驚いた王は一瞬、顔を後ろにそらしました。スワルナラヤ王の顔を朱が染め、王の視線は宙にさまよいます。首飾りはさすがに王の顔には当たりませんでしたが、そのまま床に落ちると、宝石はばらばらになって飛び散りました。
 居合わせたすべての人間が、この予期せぬ出来事にあっけに取られ、声をのみ、身じろぎもせず、凍りついたように動きません。


 どのくらい時間がたったでしょうか。静寂の中に王妃のすすり泣きが聞こえてきました。王妃の頬をつたって涙が会堂の床へとしたたり落ちていきます。涙はいつまでも、いつまでも、とめどもなくしたたり落ちていくのです。

 王妃のすすり泣きに和すかのように、官女たちの、そして領民の女たちのすすり泣きがあちらこちらから湧きあがってきました。男たちもその雰囲気に呑まれ、ある者は涙をこぼし、あるいは顔をゆがめてこらえています。


 そのとき、世にも不思議なことが起こりました。王女の立っている近くの地面が割れ、そこからとてもきれいに澄んだ水が噴き出してきたのです。『おお、大地さえもが、われらの心の痛みに応えて涙を流すのか。』ひとびとはそう思いました。

 泉から噴き出る水は見る見る水かさを増し、あっという間にその場に集まっていたひとびとを呑み込んでいきます。王女も王も王妃も、宮廷の高官たちも、領民たち老若男女もすべて、あれよあれよという間にひとり残らず水の中に没していくのです。水はさらに増えて、王宮の屋根までが水没しました。

 水は、言うまでもなく、あふれて広がります。王国の隅々にいたるまで、水に襲われないところはありませんでした。山間の丘や谷間に寄り添うように集まってたっていた集落も水の中に沈みます。建物が、そしてひとや家畜も、あらゆるものが水に呑まれました。こうして、クタタングハン王国は水の底に沈んでしまったのです。

 王国の全土を覆った水は、一昼夜過ぎるとひきはじめました。ところが、水がひいたあとの大地には、破壊された建物の残骸ひとつ、人や家畜の死骸ひとつ残されていないのです。水はじわじわと王宮めざして戻ります。ひいていく水の下から、緑の自然が姿をあらわします。そこには自然のままの木が、草が、花が、洪水のあとさえ示さずに存在しているだけ。あの洪水はいったい幻だったのでしょうか。

 あの悲しいできごとが繰り広げられた王宮のあった場所だけを残して、クタタングハンを覆いつくした水はひきました。そして王国は跡形もなく消え去ったのです。王宮のあった場所には大きな沼ができました。沼の底にある泉から湧き出る水のおかげで、乾季にもその沼の水が涸れることはありません。




 とつぜん日が陰ったかと思うと、霧雨が雲と一緒に駆け抜けて行きました。眼下には見渡す限り茶畑が広がり、その中を縫うように一本の道が下界に向かってくだって行きます。刺すように照りつける熱帯の太陽はジャカルタと変わらないものの、爽やかな高原の風は、時に肌寒ささえ感じさせてくれました。


 ジャカルタとバンドンを結ぶ街道がパンラゴ山を越えるときのもっとも高い峠がプンチャッです。昔からジャカルタ都民にとっての最大の高原避暑地だった、海抜およそ一千五百メートルのこのプンチャッの頂には、大きなレストランが建っています。数十年このかた、プンチャッの目的地として、プンチャッパスホテルと双璧をなしてきたリンドゥアラムからジャカルタ方向に自動車道を下っていくと、野菜を売っているスタンドがたくさん集まっている場所を上り車線の向こう側に見出します。駐車スペースも十分広くとられており、この街道沿いの他の類似の場所のように車を路肩に止めなくて良いので、交通の激しいこの自動車道では安全なところと言えるでしょう。リンドゥアラムで食事したあと徒歩でそこまで降りるのも、べつだんたいした距離ではありませんが、交通の激しいその道路を横断しなければならないので、車で直接乗り付けるほうが安全にはちがいありません。


 野菜スタンドと駐車場のあるその場所の右手の一角には店舗家屋が建っており、その建物の並びの前を奥のほうへと上がっていく狭い坂道があります。ここがトゥラガワルナへの入り口です。

 その坂道を徒歩でどんどん上がっていくと、右へ回りこんだあたりで眼前に茶畑が広がります。茶畑の中の一本道を奥の森へとさらに進めば、管理事務所。その間およそ百五十メートルの、ちょっとしたティー・ウオークですね。入園料を払って森の中へ入ると、正面の切り立った山の斜面を背にひっそりと横たわる、静謐な沼の姿を見出します。


 広さ五ヘクタールのトゥラガワルナを周遊しながら、水面に映る周囲の景観を楽しむのがここの醍醐味でしょう。あるいは気に入った場所を見つけて心をからっぽにさせ、悠然たる大自然に浸りきるのも楽しき哉。山と森、青空と白雲、それらのすべてを織り交ぜながら、水藻をたくわえた水面が見せてくれる色の変化には見飽きることがありません。風が水面を波立たせれば、また別の変化が生まれます。


 古来、この沼を訪れたひとびとは、その平安に満ちた沼のたたずまいに心うたれ、安らいだ心で水面を見つめるうち、周囲の木々や草花、そして切り取られたような空を映す水面に思いがけない色を見出して不思議の念に襲われるのでした。たとえば、対岸に近い水面が対岸の情景を映しているはずなのに、水面にはその情景にはない色が混じるのです。そしてひとびとはクタタングハン王国の昔話を思い出し、『リヌッミ王女がぶちまけた首飾りの宝石の色がああして混じるにちがいない』と考え、またそう語り継いできたのです。この沼がTelaga Warna(色の沼)と呼ばれるようになったのも、そんなわけがあったからなのでしょう。

 沼の周遊を右手からはじめるもよし、左からでもよしですが、右手からスタートすると、対岸の中ほどまでの間に少々通りにくいところもあるのでご用心。


 左側の岸をずっと進んだいちばん奥に近いあたりでは、水の透明度が他の場所とすこし違っているように思えます。水面下に水藻がたくわえられているのはどの場所でも違いはありませんが、それにもかかわらず、そのあたりの水はまるで透明アクリルのブロックのようにわたしには見えるのです。意識は『そこにあるのは水だ』と告げているのに、視覚はそれを液体とはとらえていません。そして水面に映っている周囲の木々や草などが、まるでアクリルブロックの向こう側で実際に息づいているように思えてきます。そう、水中にもうひとつの世界が、しかもわたしのいるこの世界とは異なる別の空間がそこに広がっているのです。

 そこに存在している別世界に手を伸ばしたい。アクリルブロックの向こう側で美しく輝いているその世界に入っていきたい。向こう側には永遠にたゆたう『至福の時』が流れているのだ。そんな誘惑がわたしの心の中に忍び込み、半催眠状態にとらえられたわたしは茫然とそんな幻想体験の中に沈んでいきます。


 トゥラガワルナでわたしは生まれてはじめてそんな体験をしたのですが、もし読者のみなさんがこのトゥラガワルナにお越しになって、惚けたように水面を覗き込んでいる妙な人間をご覧になったら、それはひょっとしてわたしかもしれません。しかし、どうかみだりにお声をかけないよう、ご注意いただくほうが賢明ではないでしょうか。なぜなら、トゥラガ・ワルナに魅入れらたのは、もしかして、わたしひとりではないのかもしれませんので ・・・・・・