インドネシア地理気象情報2013〜16年


「史上最大の首都水没」(2013年1月26日)
2013年1月16日ごろから本格化しはじめた今回の首都水没はどうやらバタヴィア開闢以来の370年間で最大規模のものになったらしい。もちろんその370年間の比較ができるのは、ヤン・ピーテルスゾーン・クーン総督が築いたチリウン川河口のおよそ105Haとその周辺に限定されるわけで、水没したメンテン地区やタムリン通り、あるいはプルイッ地区などを370年前の様子と比較する術はない。
1月17日昼ごろ、ゴッホの作品に登場するような1630年製吊橋のあるコタインタン地区では、カリブサールの水位がもう20センチ上がればその川をはさんでいるふたつの通りの見分けがつかなくなる状況になった。VOCの記録によれば、バタヴィアの街は1640年以来何度も水をかぶったものの、水の溜まった深さはせいぜい30センチ程度だったようだ、とジャカルタ史料保存館長は昔の絵や写真を見せながら物語る。
バタヴィアの街割をデザインしたのはシモン・ステヴィウスで、かれはカリブサールをはさんで両岸に類似のふたつの街割を描いた。チリウン川の河口に形成された洪積洲の治水をかれはカリブサールとカリスムッおよびカリジラケンの三本の運河で行なおうと考え、街割の中に掘られた排水溝はそれら三本の運河に流れ込むように設計された。
そのころのバタヴィアの街は、その時代に一般的な都市構造を反映して巨大な城壁の中に築かれた。都市行政の上からは、バタヴィアは大きく四つに分けられ、カスティルと呼ばれたバタヴィア要塞を擁する北海岸部、カリブサール東岸でカスティルの南側に連なる市庁舎や諸官庁あるいは教会を中心とする街区、カリブサール西岸街区、そして城壁南縁の外側に大別された。北海岸部は海防と貿易の基地、その南側は行政センターとエリート居住区、西側は中国系やポルトガル系住民居住区、南側は当初菜園農園地区として開墾され、更に運河が掘られてチリウン川上流からの物資輸送の便宜が高まり、バタヴィアの産業地区として発展していった。この運河を建設したのは中国系住民ポア・ベンハムで、かれはその功績によってタナアバン地区の広大な土地を与えられた。その運河はいま、ガジャマダ通りとハヤムルッ通りにはさまれた運河として残っている。当時その運河はモーレンフリートと呼ばれ、両岸のいたるところで水車が回り、製材活動の重要なエネルギー源になっていた。しかし1740年の中国人大騒乱事件のあと中国人が城壁外に移住させられたため、その後このエリア一帯は中国系大商業地区の観を呈するような姿に移り変わっていったのである。
しかし1810年にダンデルス総督がバタヴィア城市の大変革を命じた。一昔前の構想で築かれているバタヴィアではイギリスとの間で対等な戦争はできないとかれは考えたようだ。行政機能をもっと南側のウエルトフレーデンに移し、バタヴィア旧市街を包む城壁は取り崩された。そのウエルトフレーデンの中心が今の大統領宮殿とそれが面しているモナス広場であり、今年の首都水没ではいまだかつてなかった規模でその地区一帯までもが浸水するという事態を招いた。オランダ時代の総督庁舎そして独立以降の大統領宮というこの国最高の威信を持つ場所は国防要綱の中で最大級の防衛対策が敷かれているわけだが、メンテン地区南部を流れる西バンジルカナルの堤防決壊までは想定外だったようだ。
370年間の歴史を通じて最大級の規模となったバタヴィア旧市街の今回の水害は、プルイッ地区にある巨大なダムの水があふれたことが最大の要因だ。大量の雨水が上流のボゴール丘陵から下ってくる一方で、ジャカルタ湾が満潮になれば水は低きに就くのがものごとの道理となる。カリジラケンから氾濫した水はパサルアセムカ〜パサルパギ〜パンチョラン〜グロドッ一帯を覆った。もっとも深い水溜りになったのはクニル通りで、地面は80センチの泥水の底になった。バタヴィア旧市街に残る284ヶ所の史蹟文化建造物の状態が水害のために悪化することのないよう祈るばかりだ。


「首都洪水のリスクはまだ続く」(2013年1月26日)
前代未聞の規模になったジャカルタの水害は、各所での出水が引き始めているが、依然として類似の災害が再発するリスクが無くなったわけではない、と地学気候気象庁が警告している。
ランプンの北西インド洋からアチェのインド洋側に至る海上で暖かい気団が低気圧をもたらしており、それがいつ発達して暴風雨や熱帯サイクロンになるかは予断を許さない。その低気圧はランプン西岸からバンダ海にかけて集束する強風を生みだしており、それがジャワ島で濃い雨雲を生む傾向が高い。
またレーダー観測によれば、ティモール海からオーストラリアのカーペンタリア湾一帯にできた熱帯サイクロンがシベリアからのコールドサージを南シナ海〜カリマタ海峡に引き寄せており、ハルマヘラ海からスマトラ島中央部にかけて集束しつつ転回する強風が作られて雨雲の生成が高まり、一部で雨量を増加させる結果をもたらす。その影響を受けるのは、スマトラ島中部と南部、ジャワ島南部と東部、カリマンタン島中部、スラウェシ島北部、パプア島北部であり、そしてジャカルタ湾もその影響から無縁でない、と気質気象変化センター長は述べている。


「2013年乾季予報」(2013年3月22日)
インドネシアの乾季の激しさに強く関わっている要素のひとつであるエルニーニョは2013年7月ごろまで平常レベルだろう、と地学気候気象庁が予報した。反対にインドネシア海域では弱いラニーニャの影響で海面温度はまだ高めが続いているため、四月末ごろまで雨は降るものと見られている。エルニーニョに関するもっと詳細な分析は4月末に行なわれる予定であることを地学気候気象庁は表明している。
バンドン工大気象学部研究者は、インドネシア海域の海面温度が依然として高いため、エルニーニョの影響はまだあまり顕著に現れていない、と語る。「雨雲の形成はまだ活発で、全国的にまだ雨の降る可能性が高い。旱魃現象はインドネシア海域の海面温度が低下すると起こる。太平洋の海面温度が高ければ対流が起こり、作られた雨雲は太平洋地域に雨を降らせる。最近、日中の暑熱の高まりが強く感じられているが、それは太陽が赤道に移動しつつあるために日射が激しさを増しているためであって、この乾季が激しいものになるということを意味するものではない。乾季の予報はエルニーニョの強さに関わっていることだ。」
熱帯地域の気象天候は急速にしかも大きく変化するため将来の予報は遠くなればなるほど困難になると前置きして地学気候気象庁気候部門デピュティは、この乾季はラニーニャとエルニーニョのバランスの変化によっては激しい旱魃が起こる可能性もあるため、食糧生産分野に携わっているひとびとは節水をメインにした水管理を行なうように、と勧告している。


「長引く雨」(2013年6月5日)
熱帯には雨季と乾季しかないというのが定説だが、実際には移行期があるため四季が形成されている。インドネシアでその移行期はパンチャロバ(pancaroba)と呼ばれる。その言葉は元々ジャワ語だったのだが、今ではインドネシア語として認められている。
つまり、雨季⇒パンチャロバ⇒乾季⇒パンチャロバ⇒雨季というサイクルだ。中緯度〜高緯度の地域は暑さ寒さを規準にして春夏秋冬の四季を感得しているが、春と秋を寒い季節と暑い季節の間の移行期と見なせば、低緯度地域の乾湿を規準にした四季と相似になっていることが見えてくる。
インドネシアは今、乾季に向かうパンチャロバの季節だ。ところが地学気候気象庁の発表によれば、いくつかの地方で今年の乾季到来は平年より10日から一ヶ月遅れることになる見込みである由。これはインドネシア西部地方海洋部の表面温度が摂氏0.5〜1度高めになっているためで、スマトラ〜ジャワ〜カリマンタンの海洋では海水が盛んに蒸発して雨雲を作り、いまだ各地に雨を降らせていることから、乾季入りが遅れる地方がかなり出ているとのこと。全国的に、雨の多い天候は6月まで続きそうだ。
地学気候気象庁は全国をそれぞれの地域の気候特性に沿って342の季節ゾーンに分けており、単純に地理的あるいは行政区分を規準にした対象区分よりもっと緻密に観測を行なっている。地学気候気象庁が発表した乾季入り予報では、5月に2013年乾季が始まる季節ゾーンは110、そして6月までずれこむ季節ゾーンは77ある。過去30年間の平均と対比して見た場合、平年並みが147季節ゾーン、平年より早い乾季入りは78ゾーン、遅いのは117ゾーンとなっている。
ジャワ島は150季節ゾーンに分割されているが、そのうちの62ゾーンで乾季入りが遅れる。6月に乾季入りするのはバンテン地方、西ジャワ地方の中部と南部、バニュマス、プルバリンガ、バンジャルヌガラ、ジャワ島東部はトゥマングン、サラティガ、マラン、ルマジャン、バニュワギとのこと。


「プティンブリウン」(2013年6月12・13日)
災害対策国家庁広報データ情報センター長は、プティンブリウン(puting beliung)の発生が年々増加していると語る。同庁の記録によれば、2012年に発生した水文気象災害中のプティンブリウンによるものは36%にあたる259件でトップを占め、洪水によるもの193件(26%)そして地滑り・土砂崩れが第三位の138件(19%)だった。2002年から2011年までの間にプティンブリウンの発生は28倍となり、その被害を受けたのは全国404県市で、1億1千5百万国民がプティンブリウンの襲来する不安にさらされている、とのこと。
昨今の異常気象によってスマトラ島東部と南部、カリマンタン島東部と北部、ジャワ島の大半、バリ・ヌサトゥンガラ・スラウェシ・北マルク・マルク・西パプア・パプアで雨雲の成長が今後活発化するだろうと地学気候気象庁は予測している。そんな状況下にプティンブリウンが発生すると、地上にある家屋や施設などが破壊され、住民の暮らしに大きい被害がもたらされる。局地的ならせん状に巻き上がる風によって屋根が飛ばされたり壁が破壊され、ひどい場合は家屋や建物が全壊する。そして、そんな強風に猛雨と雷が付随するのが普通のスタイルだ。
puting beliungを辞書で調べると、旋風という訳語が出てくる。ところが、さる和イ辞典の旋風あるいはつむじ風の項目にはputing beliungが出てこずangin puyuhという言葉が登場する。グーグル翻訳では、angin puyuhとつむじ風、竜巻とputing beliungあるいはangin topanが対応させられている。topanは台風に対応する言葉なので、これは除外しておこう。
つむじ風と竜巻はどう違うのだろうか?ウィキによれば、一般的な日本語で「旋風」(せんぷう、つむじかぜ)や「辻風」(つじかぜ)と呼ばれるものの学術用語は塵旋風(じんせんぷう)なのだそうだ。このじん旋風というのは、地表付近の大気に上昇気流が発生し、これに水平方向の強風が加わるなどして渦巻状に回転しながら立ち上る突風の一種であり、対流混合層がよく発達した晴天で強風の日中などに砂漠・荒地・空き地・田畑・運動場・駐車場などのある程度の広さがある場所で発生しやすいものと説明されている。
一方の竜巻は、発達した積乱雲で上昇気流を伴う高速の渦巻きが発生して地上付近にまで伸びたものだとされ、日本気象庁の定義は「激しい空気の渦巻で、大きな積乱雲の底から漏斗状に雲が垂れ下がり、陸上では巻き上がる砂塵、海上では水柱を伴う、と説明されている。この説明を読む限り、上空に積乱雲があって漏斗状の雲が地上と上空をつないでいれば、竜巻だと言うことができるだろう。じん旋風はそうでないものというふうに限定できる。
ところがputing beliungの画像を集めてみると、上の定義による竜巻とじん旋風の両方がputing beliungという解説を伴って出現する。さらにangin puyuhの画像を集めても、puting beliungで見たものと類似の画像がたくさん出てくる。インドネシア版ウィキでputing beliungを調べると、米国国立気象局はputing beliungのことを「水域を渡る竜巻」と表現しているそうだ。熱帯・亜熱帯の海域で積乱雲に向けて吹き上がっていく雲の塊が形成する中規模の竜巻は破壊力を持っているとはいえ、通常の竜巻やじん旋風のダイナミックさには及ばないと説明されているらしい。一方のangin puyuhに関するインドネシア版ウィキの説明では、その言葉は熱帯サイクロンの世界各地で異なる呼称のひとつと定義されており、狭い地域で突発的に発生する竜巻やじん旋風とは別物にされている。
こうして見てくると、puting beliungは竜巻であり、angin puyuhが竜巻やじん旋風の意味で使われるのは誤用である趣が強い。すると今度は竜巻とじん旋風に関する用語の使い分けへと疑問が移る。インドネシアにおける実態を見る限り、どうやらインドネシア人は渦巻いて吹く風のことをputing beliungと呼んでおり、その上空に積乱雲があろうがなかろうが区別はしていないように見える。
そういう見方でわれわれは、インドネシア人がputing beliungやangin puyuhといった単語を使用したとき、話者筆者が何を意図して述べているのかを推察しなければならないようである。


「火山の性質に変化」(2013年7月29日)
ここ数年、インドネシアの火山活動が活発化している。それはあたかも、これまで長い休眠状態にあった野獣が突然起き上がり、あたりかまわず暴れはじめた、という雰囲気だ。たとえば、北スラウェシ州トモホン市のロコン(Lokon)山は、1800年以前は4百年間眠り続けていたそうだ。ところが2011〜2012年では8百回を超える噴火を起こしており、2013年に入っても鎮まる気配がない。北スマトラ州のシナブン(Sinabung)山もそうだ。この山も4百年間眠っていたのに、2010年8月になって、突然目覚めた。
中部ジャワ州クディリ県にあるクルッ(Kelud)山は、昔から噴火のたびに溶岩流を押し流してくる危険な山であり、流れ出た溶岩が周辺のあらゆるものを一掃するため、箒を意味するクルッという名をつけられていた。過去一千年に渡って溶岩流を心配し続けていた周辺地域の住民たちは、2007年10月の噴火で溶岩ドームが作られたのに当惑した。その後、この山はおとなしくなったままだ。
ヨグヤカルタ特別州の北端にそびえるムラピ(Merapi)山もビヘイビアが変わった。およそ5年おきに爆発を繰り返して噴出物を降らせていたムラピ山がやたらと煙を噴出すように変わってきたのだ。2010年までは、溶岩が盛り上がって堆積し、できたドームが火口を塞いで休止状態に入るパターンだったのが、2010年以来溶岩ドームは小型のものしか作られず、塞がれない火口からは煙が吹き上がるスタイルに変化している。
それら一連の変化はいったい何が原因なのだろうか?2004年にアチェを襲った9.3リヒタースケールの大地震が原因だ、と火山学自然災害減災センター長は語る。「大規模地震は必ず地球プレートの動きと圧力に影響を及ぼし、それは順繰りに火山活動に影響をもたらす。ただし、地震と火山活動の直接の関係はいまだに議論がわかれている。ましてや、あの地震ですべての火山に変化が起こったわけでないのだから。」
バンドン工科大学地震学研究者は、すべての火山がテクトニクス地震に敏感に反応するわけでなく、火山の位置やその火山自身が持っているオリエンテーションにも影響される、と言う。マグマが地層の深いところにあり、火山活動が活発でない山はあまり影響されないそうだ。一方、マグマが地表から近いところにあれば、地震の影響は強くなる。「火山も動物や星のようにライフサイクルを持っている。生まれ、成長し、休眠し、死んでいく。最近の例では、フローレス島に1987年に出現したアナラナカ(Anak Ranakah)が火山誕生の例だ。」
どの成長段階にあるのか、そしてそれぞれがユニークな独自の性質を持っているため、地震が火山に与える影響は異なったものになって当然であるにちがいない。


「2013年雨季入り予報」(2013年09月23日)
2013年は全国342の季節ゾーン中56.1%で過去三十年間の一番早い雨季入りになるだろうと地学気候気象庁が発表した。平年並みの雨季入りが起こるのは31.3%、12.6%は平年より遅くなる見込み。乾季から雨季への変わり目には強風や竜巻が発生しやすくなるため雨季入りが早まる地区ではその対策を早めることと、農業セクターは作付けパターンへの適用を怠らないように、との警告が伴われている。
スマトラはおおむね雨季入りが早まる見込みで、アチェのサバン(Sabang)はおよそ20日、ランプン州北部中部西部はおよそ30日、ジャワではウォノギリやパチタンがおよそ10日前後早まりそう。ところがジャワの多くは雨季入りが過去三十年間の平均より遅れる見込みが高く、中部ジャワのスマラン(Semarang)、クンダル(Kendal)、ウォノソボ、トゥマングン(Temanggung)や西ジャワのバンドゥン、スバン(Subang)、スムダン(Sumedang)、クニガン(Kuningan)、スカブミ、プルワカルタなどはおよそ30日ほど遅くなるとの予報。
インドネシア東部地方の中でもマルク周辺の雨季入りは西部地方と逆の現象が起こる見込みで、次の雨季入りは2014年3月になるだろうと同庁は見込んでいる。


「首都ジャカルタのバンジル予報」(2013年10月14日)
また乾季から雨季への移行期がやってきている。今や都民にとって年中行事になってしまったバンジル(水害)の動向が気になるところであり、地学気候気象庁がその初期予報を発表した。
今回やってくる雨季で、降雨のピークは11月半ばと1月末の二回発生すると同庁は予想している。最初のピークは乾燥しきった地面や涸れかかっている川などが水を貯えてくれるためにそれほど大きなバンジルになることはないが、二回目のピークは地面や川が貯水能力一杯になっているだろうから、その時期を乗り切るためにバンジル対策を十分に行なわなければならない、との警告だ。1月の雨は、満潮時に重なった場合や、夕方プンチャッで激しく降った雨がチリウン川を経由して早朝ジャカルタに届くkiriman Bogorと呼ばれるものと重なったとき、都内に深刻なバンジルが発生する可能性が高い。1月の降雨予報は10日前から開始されるとのこと。
とはいえ、それは概況についてのことであり、今現在の10月ですら雨が降れば小規模なバンジルが発生する可能性も十分にある。10月のバンジル発生警報は、南ジャカルタ市のCilandak, Jagakarsa、西ジャカルタのGrogol Petamburan, Cengkareng、中央ジャカルタのSenen, Tanah Abang、東ジャカルタのCakung, Cipayung、北ジャカルタのKelapa Gading, Penjaringan, Tanjung Priokの諸郡に出されている。更に11月のバンジル発生警報では、南ジャカルタと東ジャカルタの9郡に中規模バンジルが発生するおそれがある、との予報が述べられている。


「大きく狂った乾季と雨季」(2013年10月25日)
2013年の乾季は平年よりもはるかに短い乾季で終わりそう。インドネシアの乾季は普通4〜6ヶ月続くのだが、この乾季は2〜4ヶ月しかなかった。例年、乾季の始まりとなる5月に多くの季節ゾーンで乾季入りが報告されるというのに、今年はそのタイミングが7月末に繰り下がったのである。2013年10月第二週目の状況では、ジャワからヌサトゥンガラにかけての季節ゾーンはまだ乾季の状態にある。
この異常気象の原因はまず第一に、インドネシア近海の海水温が平常より1〜2℃高いことがあげられる。地学気候気象庁の観測では、ジャワ海や南シナ海の赤道以南の海域でその現象が顕著であり、特にスマトラ島南部、カリマンタン島西部と南部の海がその代表になっている。インドネシア海域における海水温の上昇については、平均100年間に0.76℃のピッチであるとのこと。
今年の異常気象を引き起こした海水温上昇の原因について技術応用研究庁地質工学課長は、西太平洋の暖かい海水がインドネシア海域に流入してきているためだ、と述べている。同時にインド洋でも同じことが起こっており、インド洋東部の暖かい海水が同じようにインドネシア海域に流入してきている。ふたつの大洋から流入してくる海水が形成しているインドネシア通過流の状況を見ると、西太平洋側のほうがインド洋側より水位が16cm高いことから、海流は全般的に東から西に向かって進んでいる由。
暖水塊のそんな状況に対してやはり暖気団が上空を覆っている。オーストラリアとアジアの両大陸にできる気圧配置を見ると、アジアとオーストラリア間の気圧差はあまりなく、インドネシアの気圧がアジアより高めになっているため、オーストラリアから噴出されてくる気団がインドネシアで阻まれてアジアまで達しない。乾季から雨季に向かうパンチャロバの季節に見られる現象はまだ始まっておらず、オーストラリアからの東風は依然として強い状態であり、西から北西に向かって吹く風に移り変わっていく気配がまだ見られない。しかしインドネシア近海の海水温は低下が始まっており、次に来る雨季が激しい異常気象を呈する可能性は薄い。
地学気候気象庁の雨季入り予報では、342季節ゾーン中の192ゾーンで過去三十年間の平均よりも早い雨季入りとなりそう。2013年10月には120季節ゾーン、11月には98季節ゾーンで雨季が始まる見込み。しかし変り種では、2013年7月はじめに3ゾーンが雨季に入っており、反対に2013/2014年の雨季がもっとも遅れてスタートするゾーンでは2014年5月がその雨季開始時期になるとの予報だ。


「ジャワ島水没」(2014年1月27〜31日)
雨季の出水が年中行事になっている地区に住む首都圏住民にとって、2014年1月11日の新年二度目の週末は、長い夜をハッピーに楽しむどころでなくなっていた。降り続く雨で近くを流れる川や水路の水かさが急速に高まっており、堤防が決壊するか水位が堤防を越えるかすれば、居住地域一帯は泥水の沼地と化す。そして翌12日には西ジャカルタ市ポスプグンベン地区でそれが現実のものになった。プサングラハン水路が氾濫し、濁流は容赦なく近隣の住宅地区一円を水中に浸したのである。浸水は50センチに達し、数百軒の家屋の床が水中に没した。
チリウン川が通っているカンプンムラユ地区も出水常習地区だ。ここも水が出て、住宅や幹線道路を水が満たした。そのような、例年水が出る地区だけで済んでいれば、首都ジャカルタの洪水は平年並みというレベルで終わったはずなのだが、今年の状況は違っていた。数日すれば水は引くはずなのに、引くどころか水かさは日ごとに増している。降ったりやんだりの雨がいつまでもあがる気配を見せてくれない。
そしてその翌日には、パサルジャティヌガラを含むカンプンムラユから東側の広範な地域が泥水で埋まった。低地にある住宅地では、地面から2メートルの高さまで水没し、もう十センチくらいで二階の床も浸水するといった状況に見舞われ、大勢の住民が生活できなくなった自宅から避難した。とは言っても、火事場泥棒が少なくないインドネシアだから、妻子を非難させただけで主人はそんな家の中にとどまるという家庭も少なくなかったわけだが。
海岸部に位置するジャカルタを貫通するチリウン水系はボゴール県の高原保養地プンチャッにあるトゥラガワルナを水源にしている。海抜1千5百メートルのプンチャッ峠周辺は雨が多い。地面に浸み込んだ雨は地下の水路を経てトゥラガワルナの泉から地上に出てくる。それがもっと下の流域に集まってくる雨水や細流と一緒になって、遠路はるばるとジャカルタ湾に面したパサルイカンまで旅をする。オランダ人がやってくるよりもずっとずっと昔から、そこがカラパと呼ばれる小さな寒村でしかなかった時代から、雨季になるとチリウン川はいつも氾濫した。だから今や、高層ビルが立ち並び、高架道路がビルの谷間に二階建てのトラフィック網を築きあげているこの時代ですら、一部為政者の頭の中に「チリウン川氾濫〜ジャカルタ洪水」は伝統的な現象であるにすぎないという意識が化石のように残されていたとしても不思議はないのである。公職高官のポジションを公僕でなく支配者という位置付けにしているひとたちにおいてはなおさらのことだろう。
チリウン川がボゴールの高原地区を経てジャカルタに流れ込んでいることが、都民に「ボゴールからの送り物」という言葉を作らせた。ジャカルタにまったく雨が降っていないにもかかわらず、川や水路の水かさが増し、最終的に氾濫が起こる現象をそれは意味している。もともとは大自然の中での水の循環現象の一部だったわけだが、昨今はプンチャッの山地が切開かれて住宅やビラに変身する場所が増加し、中には自然保護地区に指定されている場所もお構いなしに無許可でビラが建てられる結果、地表水のまま川に流れ込む雨水の量が大幅に増加しているため、悪魔的な「ボゴールからの送り物」の鉤爪はジャカルタにとって一層鋭さを増しているのである。一旦地中に吸い込まれる雨量が多ければ多いほど、豪雨がすぐに川の水量の急上昇につながりにくくなり、そのワンクッションが置かれることによって川の氾濫が抑制されることになるというのに。
そんなチリウン水系の水位を観測するポイントはオランダ時代から数ヶ所に設けられ、バタヴィアの洪水を予測する根拠に使われるシステムが作られていた。また水門も設けられて、ボゴールからの送り物を少しでも手なづけようとする努力も払われていた。その中では、ボゴール市にあるカトゥランパ水門がそのキーポジションに置かれており、さらに都内マンガライの水門がムルデカ広場を中心にする国政センターの守護者という位置に置かれている。
首都ジャカルタに洪水を引き起こす要素が三つある。直接ジャカルタに降る雨、ジャカルタの南にあるグデパンラゴ山系からボゴール高原一帯に降る雨がもたらす「ボゴールからの送り物」、そしてジャカルタ湾の潮位だ。何らかの原因でジャカルタ湾の潮位が平常より高まれば、海水は陸地側へ浸入してくる。まず河口を逆流し、さらに溢れた水が陸地を浸す。そんな状態のときに都内で大量の降雨があり、あるいはボゴールからの送り物が送られてきたら、都内に洪水が起こるのは明らかだ。ボゴールからの送り物は、水量がチリウン水系に設けられた諸水門の能力以下であるときに限って制御できるのであり、能力を超えてしまえば自壊や地元の洪水を抑制するために水門を開かざるを得ない。そのあたりの決定は各自治体の地方災害対策庁が協議しながら決めていることであって、水門管理者の自己判断でなされるようなものではない。
その一週間で出水常習地区は通常の浸水よりはるかに高い水位を記録し、めったに水に襲われない地区まで出水が広がって行った。一週間後の1月18日は、カンプンムラユ地区のアブドゥラシャフェィ通りが最深部で水深120センチに達したほか、西ジャカルタ市グロゴル地区でもトリサクティ大学前が水深50センチになり、都心部タムリン通りのサリナデパート前で水深20センチ、またチキニラヤ通りが20センチ、サレンバラヤ通りは30センチ、コタ鉄道駅南のパゲランジャヤカルタ通りは15センチなど、都内幹線道路が随所で浸水し、交通が分断された。
そして、1月21日にやってきたボゴールからの送り物は、東ジャカルタ市チャワン地区を水没させた。チャワン地区で観測されたチリウン川の水位は18日のものよりはるかに高く、浸水地区は一挙に拡大して、都庁災害対策庁が設けている住民救援連絡センターまでもが水没する始末だ。
2014年の首都水没が例年にない激しさになったのは、もちろん気象にその原因がある。地学気候気象庁は1月21日に発表した気象概況の中で、ジャカルタに大洪水が発生したのはスマトラ島西部のインド洋海域であとからあとから雨雲が形成されて続々とジャワ島に向けて送り込まれている状況が原因であり、インド洋を東進してきているマッデンジュリアン振動とケルビン波がその状況を生み出す引き金になっている、と説明した。マッデンジュリアン振動による雨雲の生成をケルビン波が一層活発化させているということで、その状況は何日にも渡って降雨が継続する異常気象を発生させ、各地に洪水や土砂崩れなどの災害をもたらしているとのこと。そのマッデンジュリアン振動とケルビン波のパッケージは既にインドネシアを越えて太平洋に入っており、異常気象は軽減されて来週にも降雨は低下するだろう、とその報告では予報されている。このような広域的な気象による雨は通常夜中から明け方にかけて降るものであり、日中の雨は狭い地元地域内の局地的な要因によるものだ、とも予報官は付け加えた。
1月12日以来、首都の洪水被害が今後大きくなっていくことが予測されたとき、状況を多少とも軽減させるべく雨雲が含んでいる水分を海上に放出させる努力が払われた。
災害対策国家庁は地方災害対策庁と共にジョコウィ都知事に対して災害緊急事態宣言を出すよう進言した。そうすることで、ジャワ島に押寄せてきている雨雲に対する降雨促進作戦が可能になる。その作戦には飛行機が必要であり、さらに的を射た技術上のサポートも必要になる。技術応用研究庁と空軍の支援を得た降雨促進作戦班は15日朝も、空軍機を飛ばして6トンの食塩を空中散布した。
計画では42トンの食塩を散布することになっていたものの、空軍が回せる飛行機に限界があったため使用できたのは一機に限られ、、なかなか計画通りには運ばなかったようだ。それでもインドネシアで気象操作と呼ばれているこの作戦は連日続けられ、降雨量は22%減少できたと作戦班はその効果を見積もっている。都庁はこの気象操作のために200億ルピアの予算を計上し、2014年3月半ばまでの期間、必要に応じてこの作戦を繰り返すことにしている。
ともあれ、そのようなジャカルタ大洪水の被害がメディアで喧伝されているため、ジャカルタがたいへんな事態に陥っているという印象を強く受けるものの、ジャカルタひいては首都圏だけが気象に狙い撃ちされるわけがない。
地方部でも被害は続出している。外島の状況を見ると、北スラウェシ州都マナド市の水害は同市の歴史に残る大きなものになった。他にも中部スラウェシ州パリギモウトン、トリトリ、ドンガラ、南スラウェシ州バッル、スマトラはジャンビ州ムアロジャンビ、東カリマンタン州はパスルなどで水害が発生した。しかしジャワ島内の地方部に比べれば、外島での被害はまだまだ小さいという印象が強い。
1月第3週、首都とその周辺部で浸水地区がどんどん拡大しているころ、西ジャワ州スバン県パマヌカンで出水があり、街道は50センチも冠水した上、チアスム地区で道路が崩壊したためジャワ島の経済大動脈であるジャワ北岸街道が不通になってしまった。街道が4メートルに渡って崩壊し、文字通り道路が切断されたのである。すぐさま、パマヌカンからチアスム方面行きは11キロ、インドラマユからチアスムに向かう車線では40キロの車列が形成された。インドラマユ県が集めたデータによれば、1月18日から四日間にこの西ジャワ州の米どころを襲った雨のために、31郡で35,469ヘクタールの農地が水没したとのこと。
ジャワ島北岸街道の分断は西ジャワ州だけで起こったのではない。中部ジャワ州スマランに近いプマランでも洪水が発生し、クドゥスやドゥマッでも広範に水の被害が出た。北岸街道で通行不能になった場所では随所に動かない長い車列が路上を埋めた。東ジャワ州シトゥボンドでも洪水が報告され、バリ州ブレレン県では鉄砲水と土砂崩れで四人が死亡し、ギアニャル県やバドゥン県の山岳部でも土砂崩れが報告された。
ジャカルタやバンテン州での洪水被害が大きく報道されてから、スバン〜インドラマユそしてプマランからスマラン一帯、さらにはクドゥスやドゥマッなどへと、洪水被害報道がジャワ島北岸街道沿いに西から東へと移って行った印象がテレビのニュース報道から感じられたが、どうやらそれは外れていなかったようだ。
地学気候気象庁が1月24日に出した気象概況では、23〜24日の雨雲の位置は東にずれてきており、それがジャワ島北岸街道に大きい被害を与えた原因であることが報告された。そのため、この先2〜3日の雨予報では、スマトラ島南部と西部、西ジャワの西部と北部、中部ジャワの北部と南部、東ジャワ、バリ南部地区、カリマンタン島南部、パプア島西部と南部で降雨が激しくなりそうで、また南スラウェシと東南スラウェシの南部、マルク、西ヌサトゥンガラ、東ヌサトゥンガラ東部と南部は強い雷雨のおそれがあるとしている。
さらに今後の気象状況への大きい要因として、オーストラリアのカーペンタリア湾に新たにサイクロンの芽が生まれており、この先1〜2週間の気象はその影響を受ける可能性が大きいとも報告された。熱帯低気圧であるサイクロンが西進してくれば、ヌサトゥンガラ〜バリ〜ジャワはその影響下に陥る。
ところで、ジャワ島北部全域にわたる水害のためにインドネシア全国の物資集配のメインルートになっているジャワ島北岸街道が機能をほとんど停止したことで、国家経済にもたらされる影響が懸念されている。
ジャカルタ周辺の工業団地からタンジュンプリウッ港へ送り出す輸出貨物の一部は、都内随所で交通が分断された期間、工場内や倉庫で数日間動きが止まるという現象が起こった。さらに北岸街道で交通の流れが止まったことから、通常の時間と距離とは比べ物にならないほどコスト高になる迂回路を回って目的地に向かう輸送車両が激増した。輸出物資や製品も多数その中に混じっていることは疑いない。
工業大臣はジャカルタの洪水が始まって一週間後に、その一週間で産業界は1千億ルピアを超える損失を蒙ったと表明したが、今ではそれが何倍に膨れ上がっただろうか?
国有郵便会社は、北岸街道が麻痺したために、郵便物の輸送は南ルートを経由せざるを得ず、平常は12時間で届くものも48時間かかるようになっている、と述べている。
豪雨が峠を越えたいま、ジャカルタもジャワ島地方部も冠水が引き始めているが、いまだに地面が見えない場所も少なくない。1月23日現在のジャカルタの水害避難者は62,819人と報告されたが、水が引いて自宅に戻れるひとは幸いであり、いまだに戻れないまま避難所で皮膚病や下痢に罹って難渋しているひとたちもいる。
生活環境省大臣デピュティは、今回の大災害は政策決定者を含めて百パーセント人災であり、洪水や土砂崩れを気象のせいにしてはならない、と苦言を呈した。
「ジャカルタでの損害は7.5兆ルピアと見積もられ、ジャワ島北岸部の水害でも損害は数十兆ルピアに達するだろう。道路の崩壊や路面破損などのインフラ修復にも巨額の出費が必要になる。規模の差こそあれ、毎年同じ場所で水害が起こっているのに、政府はそれを克服するための対策を採っていない。」
ボゴール農大森林学部教授は、ジャワ島がこんなことになるのは前々からわかっていたことだ、と政府の無策を批判した。「2000年から2008年までのデータを分析して経済統括省が天然資源経営政策評価と遂行能力検討が行なわれ、その提言が下まで降ろされてきたとき公共事業省はその実施に関して個別項目の実行計画を作成した。ところが地方自治体の現場レベルで生活環境保護の視点があっさりと無視されてしまった。検討の過程で278件の地方条例や州規則が環境保護に対立する内容を含んでおり、そのうち118件は自然環境破壊に向かう天然資源搾取を優先するものになっていた。植樹運動や河川流域氾濫対策など環境保護を指向する対策は都市部でしかうまく行なわれておらず、ジャワ島地方部ではそのようなことがほとんど着手されていない。」
教授はそうコメントして、地方自治システムが抱える問題点を浮き彫りにしている。
少なくとも民主的な政治運営が行なわれている国において政府が行う国内行政は、国民の姿を映し出している鏡でもある。チリウン川を世界最長のゴミ箱にし、洪水が起これば行政に援助をねだるばかりの住民であるのなら、そんな国民に政府がどのような政策を用意してくるかも想像がつきそうだ。経済動脈路で規定重量をはるかに超える貨物を積んだトラックを毎日走らせている運輸業界が、穴だらけの道路を苦情して路面修理をせっついても、政府がどんな反応を心中に抱くかは想像にあまりあるにちがいない。地方自治体首長が経済開発と称してところかまわず業者に土砂や鉱物資源の採取を許可し、農園事業者が保護林の境界を破っても業者を保護する姿勢を示すなど、自然搾取に物怖じしない行為は枚挙にいとまがないくらいだ。今回の大規模災害がそんな状況の転回点になることを期待したいものである。
(この記事は2014年1月26日までの情報にもとづいています)


「水禍は続く」(2014年2月3日)
2014年1月28日夜から翌朝までジャカルタに降った大量の雨で、また都内で洪水が起こった。都内の全水路の能力を超える6千5百万?以上の雨量に達したための氾濫であり、降雨量は平均100mmを超えた、と都庁公共事業局長は説明している。チリウン川を除くすべての水路で流水が堤防を乗り越えたとの由。
ふたたび都内の幹線道路が随所で冠水し、深い場所では60センチの水深となって交通が分断され、通れる道路に車両が集中したがために普段の交通渋滞は輪をかけた状態になり、ジャカルタでよく聞かされるインドネシア語macet total(完全膠着渋滞)があらゆる場所で語られた。
一般道の状況を避けようとして多くの車が普段使っていない都内環状自動車道に乗り入れたことで激しい混雑が起こり、かれらはチャワンインターチェンジで一般道に下りようとしたためにパンジャイタン通りでも普段の混雑に輪がかかって身動きのたいへん困難な状況に陥った。都内を通って首都圏周辺に散っていく車が局所に集中したため対向車線の一部までが埋められてしまい、周辺部から都内に逆方向に入ってくる車さえもが一部車線を奪われて車一台分の通行幅しか得られず、これも大渋滞のおすそ分け状態になってしまった。29日の激しい交通混雑は夕方になってやっと軽減された。
地学気候気象庁が予報している首都圏の天候と洪水に関する情報によれば、雨季のピークは2014年2月中旬であり、その時期が通り過ぎるまでは忍耐の日々を覚悟しなければならないようだ。2014年2月の降雨予報では、月間降雨量は150〜500mmで、ジャカルタとブカシは月間400mmを超え、ボゴール・デポッ・タングランは150〜400mmの見込み。雨は局所集中型でなく広範に平均的に降り、北ジャカルタを除く首都全域は平年並みの雨で、ブカシは平年並みをオーバーする異常な量になりそう。対策として、気象操作と呼ばれる厚い雨雲への食塩散布を行なって海上にある雨雲の降雨を促進させる手法が続けられることになっている。
また都内各地域における洪水予報も出されており、住民に警戒を持続させるよう呼びかけている。2014年2月の都内地域別洪水予報は次の通り。
中規模洪水
北ジャカルタ市: パドマガン(Pademangan)、タンジュンプリウッ(Tanjung Priok)、コジャ(Koja)、クラパガディン(Kelapa Gading)
西ジャカルタ市: タマンサリ(Taman Sari)、クブンジュルッ(Kebun Jeruk)、グロゴルプタンブラン(Grogol Petamburan)
中央ジャカルタ市: サワブサール(Sawah Besar)。クマヨラン(Kemayoran)、チュンパカプティ(Cempaka Putih)、ガンビル(Gambir)、タナアバン(Tanah Abang)、メンテン(Menteng)、スネン(Senen)
東ジャカルタ市: プロガドゥン(Pulogadung)、ジャティヌガラ(Jatinegara)、クラマッジャティ(Kramatjati)、マカッサル(Makasar)、チパユン(Cipayung)、チラチャス(Ciracas)
南ジャカルタ市: トゥブッ(Tebet)、クバヨランバル(Kebayoran Baru)、マンパンプラパタン(Mampang Prapatan)、パサルミングPasar Minggu)、チランダッ(Cilandak)
小規模洪水
北ジャカルタ市: プンジャリガン(Penjaringan)
西ジャカルタ市: カリドルス(Kalideres)、チュンカレン(Cengkareng)


「首都水没が年中行事になる理由」(2014年2月10〜12日)
首都ジャカルタは毎年雨季になると洪水に見舞われる。チリウン川デルタという湿地帯に作られた都市の宿命だという声がもちろんあり、首都を移転するしかないという結論に向かうのが普通だが、その一方でオランダ時代からバタヴィアの水害対策が実施されてきたことも事実だ。
ボゴール丘陵に降った雨が怒涛のように押寄せてくる前に、バタヴィア市の外側にバイパスを作ってジャカルタ湾に流してやれば市内の洪水は大幅に軽減されるだろうという、オランダ人がバンジルカナル構想と名付けた企画にもとづいて、まずバタヴィアの西側に水路が作られた。バンジルカナルという語は現地語を採り入れたオランダ語構造のものなのだが、現地人も固有名詞として同じようにインドネシア語文章の中でそれを使ったためDM法則にしたがわない奇妙な単語が定着した。カキリマやエステ(アイスティー)のように外国人がもたらしてインドネシアに定着した言葉のひとつがそれだ。バンジルカナルだけは、最近になってDM法則に従うカナルバンジルと変えられてインドネシア語の中で使われるようになっているが、カキリマもエステもそういうナショナリズムからはいまだに無縁なまま取り残されているようだ。ともあれ、あれから半世紀以上も経ってインドネシア人がその構想を引き継ぎ、ジャカルタの東側にもバイパス水路を作ってカナルバンジル構想は完結したわけだが、ジャカルタは相も変わらず洪水に襲われている。
ジャカルタの洪水問題に対しては巨額の公共費が支出されていることをあらためて指摘するまでもないだろう。インフラ関連土木工事費用だけでなく、洪水が発生して避難民が出るとかれらのために衣食住費用が公共費でまかなわれるのは当然だが、それだけで済んでいると思ってはならない。
インドネシアには戦略資金と呼ばれる公費を役職者に持たせる慣習がある。その公費はその役職が持っている職務や使命を流動的に完遂させるために緊急事態に応じて出費されるためのものであり、ビューロクラシーのプロセスを踏んで金が下りるのを待っていれば時宜を失してしまうという事態をカバーすることが第一の目的になっている。この資金は最初から渡し切りの形で支給され、本来あるべき管理責任的見地から言えば、その使途はすべて証憑が付されて記帳され、責任の一切が明らかにされるべきものであるはずなのに、公私の弁別が希薄な上に責任という観念すら希薄な社会であれば、その制度がどのように運用されているかは想像にあまりあるだろう。大勢の公職高官たちが自分の手駒に使える暴力集団を飼っているのは公然の秘密であり、かれらの経済負担をその制度が軽減していることを指摘する声もある。
もともとビューロクラシーの非能率を肯定した上でその弱点を補うものという機能を持たされたこの資金が公職高官の秘密活動を下支えしているわけだから、ビューロクラシーの能率改善をかれらが本気で着手するとは考えにくいにちがいあるまい。
都庁地方災害対策庁長官代行は、都庁予算の中に都内各町役場に配布する災害対策戦略資金がそれぞれ5千万から1億5千万ルピアの金額で計上されていると語っている。もしそれが年間の洪水対策活動資金として町長に先渡しされているのなら、使途責任をそれほど追及されていない環境を思えば、たとえ町長としての役職活動に最低限沿っていたとしても本当に洪水対策に使われているのかどうか、おまけに洪水が完全に克服されればそういう資金が減らされるかもしれないと思えば、本当に洪水全廃に本腰が入るのかどうか・・・?
たとえば、今回の首都水没で南ジャカルタ市パンチョラン郡プガデガン町は住民3千人が避難した。この水害難民対策として住むところや衣食を公費でまかなわなければならないが、一回の食費割当をひとり1万ルピアとした場合、一日で一億ルピア近い金が出て行く。町長に渡された戦略資金は一日も経ずになくなってしまうだろう。本当にそうしたかどうかは別にして、町長は追加資金を要求するに決まっており、そして対策庁も緊急事態であるため追加はいくらでも用意する、と発言している。
その難民対策として支出される巨額の金は、洪水が引くまで金額の増減はあるにせよ、毎日だれかのビジネスを潤わせているのである。その公費を支払う者と受け取る者にとって、ジャカルタの年中行事である洪水は本当に撲滅されなければならないものになっているのかどうか・・・?
もうひとつ話題になっていることがらに、難民たちの常軌を逸した態度がある。インドネシア人は困っている者を助けることが好きだ。他人を助けて感謝されることで自己の存在意義を確認するというその行為はかれらが持つ依存性文化に深く依拠しており、伝統的慣習と宗教から来る原理に支えられているもので、TVなどで困っている人間のニュースが流れると寄付金が続々と集まってくるのはインドネシアならではのことだろう。
今回の首都水没でも、被害を受けなかった地域の住民たちが金を出し合って難民に食材などの援助物資を提供しようとした。東ジャカルタ市チピナン住民のサルトノ氏は物語る。
「ここから近い浸水の激しい地区の難民に食材を持って行ったら、拒否されました。『すぐ食べられるものを持ってきてくれ。そのほうが実用的だから。』と言われ、しかたなく近所で相談して共同台所を設けてその食材を料理し、飯やおかずを清潔な箱に見映えよく並べてまた持っていきました。すると難民たちは『おかずは何か?』と尋ねるのでそれに答えると、かれらはわれわれが持って行ったものを完全に無視しました。だれひとり、それに触ろうとする者がいないのです。作ったわれわれが言うのも変ですが、味もけっして悪くないし、栄養面も考えた上のものだというのに。」かれらは腹の中に煮えくり返る怒りを抑えて、何も言わずにそこから立ち去ったという。
都民のひとりはたまたま水没した東ジャカルタ市チャワン地区の難民収容所近くで、社会省が設けた公共台所で用意された食事を難民のひとりが捨てたのを目にして驚いたと物語る。「そのひとは飯とおかずを取り、ほんのちょっとだけ食べ、そしてまだたくさん残っているものを全部その近くに捨てたのです。よく見たら、その周辺には食べ物がいっぱい捨てられているじゃありませんか。あんなことをするひとが一杯いるんですね。食べもしないものを手にして、あげくのはてに所かまわず捨て散らかすんだから。ボランティアのひとたちはこれの掃除までさせられるんですよ。ほんとにひどいったら・・・」
着るものも同じ運命だ。寄付された衣服の中で、着古されたものや魅力的でないものは最後までそこに投げ出されたままになる。それをもらって着ようとする人間はだれひとりいない。
ブキッドゥリ難民収容所にいるひとりはこう語った。「何日も何日も収容所にいて、インスタントラーメンや卵やナシブンクスばかり食べさせられ、他人の古着や似合わない服を着せられていりゃあ、うんざりするに決まってるじゃないか。」
もともと出水しやすい場所に、往々にして所有地でもない場所に、住むようになった上京者たちが洪水難民になっていると指摘するひとがいる。東ジャカルタ市オティスタ通りの住宅地に住むタウフィック氏は言う。「わたしの住んでいる住宅地はチリウン川から近いが、昔から一度も浸水したことがない。しかし、この住宅地で女中や庭師などの仕事に雇われているひとたちが1960〜70年代にチリウンの川床や堤防の空地に住み着くようになった。最初はほんの数軒しかなく、川の水位が上がって家に浸水が起こると、かれらは住宅地内のテニスコートに避難していた。ところがその後、かれらは故郷の親戚や隣人の上京を助けてその周辺に住まわせ、その結果そこに住宅密集地区が出来上がっていった。かれらの職業はいまだに大半がオフィスボーイやオジェッ運転手、洗濯人などインフォーマルセクターだ。」
洪水が発生して多数の難民が出ることをシンプルに失政と見ることの難しさが前提条件の中に存在している。そして洪水温存が一部のひとびとに利益をもたらす体質が存在していることは、この問題の前途多難さを推測させるに十分な理由になるかもしれない。


「クルッ火山が噴火」(2014年2月17日)
火山警戒ステータス第3度Siagaの山が四つあったが、そのひとつ東ジャワ州クルッ(Kelud)山が2014年2月13日22時50分ついに噴火し、噴出された火山灰はおよそ2百キロ離れたヨグヤカルタ〜ソロ一帯をはるかに越え、もっと遠くの西ジャワ州バンドン南方にまで及んで一円の空港が暫定的に閉鎖された。東ジャワ各地やマドゥラ島でも多くの住民が火山灰降下を報告している。遠く離れているにも関わらず火山灰が厚く積もった地域もあり、住民たちは灰の除去に大わらわの態。
噴火に伴って災害対策国家庁はクルッ山の火口から半径10キロ域内住民に対し、域外に避難するよう警告した。ブリタル・クディリ・マランの三県にまたがるクルッ山の避難警告域内には9郡35村58.341世帯人口201,228人が居住している。半径15キロ域内では火山灰が厚いところで数十cm積もり、交通事故予防のために住民が道路や居所一帯の掃除を自発的に行なっていた。
クルッ山の最後の噴火は2007年で、この山の噴火はたいてい強力な爆発性を示す特徴を持っており、半径10キロ程度まで火山物質を撒き散らすのが普通で、域内で噴火に遭遇すればきわめて危険な状況に陥ってしまう。今回の噴火では、火口から7キロの村で老人が二人呼吸困難のために、もうひとりは火山振動で壁が崩れて下敷きになって死亡した。
クルッ山の火山活動は15日夕方には沈静化してきており、その間に起こった噴火で1億2千5百万立米と見積もられる大量の火山物質が噴出され、半径10キロ以内のエリアでは大量の岩・砂・灰が降り積もっていることから、雨による二次災害が懸念されている。
また14日には降灰のためにスラバヤ・スマラン・ソロ・ヨグヤカルタ・マラン・チラチャップ・バンドンの七空港が閉鎖され、再開は翌週になると言われていたが、空港施設の清掃が完了したためスラバヤ・スマラン・マラン・チラチャップの四空港は15日に再開された。2月15日時点の情報では、バンドン空港は16日、ソロ空港は17日、ヨグヤカルタ空港は18日に再開される予定。ただし空港が使用可能になっても航空会社の対応はまた違っており、特にそれらの空港で駐機中に降灰を受けた機体のメンテナンスは確実を期さなければならず、各社とも保有機体の運用の都合上運行スケジュールはまだしばらくイレギュラーな形になりそう。そのため、空港閉鎖期間中の搭乗予約客はすべて鉄道を主体に他の公共輸送機関に移ったが、空の便の運行スケジュールが完全に復旧するまで、特に鉄道便は継続的な混雑が予想される。
もうひとつの問題として中部ジャワと東ジャワにある観光遺跡のメンテナンスがあり、ボロブドゥル・ムンドウッ・パウォン・プランバナン・プナタラン・シゴサリなどのチャンディは閉鎖されて観光客の立ち入りが禁止された。それらの歴史遺産は火山灰を除去して清掃する必要があり、早いところで7日、もっとも作業のたいへんなプランバナンは45日の日数が必要と報告されている。ちなみにボロブドゥルは7〜10日後に再開される見込み。
クルッ火山は既にSiagaから危険度最高のAwasに引き上げられたが、Siagaステータスの他の火山は北スラウェシ州のロコン(Lokon)とカラングタン(Karangetan)そして東ヌサトゥンガラ州のロカテンダ(Rokatenda)で、それらも火山活動が活発化しており、いつ噴火するかわからない状態になっている。
ロコンは半径5キロ以内に入らないこと、カラングタンは標高5百メートルより上のエリアに入らないこと、ロカテンダは熱雲の噴出が懸念されるために半径3キロ以内に入らないこと、といったそれぞれ異なる警告が出されている。 鉱エネ省地学庁火山地質災害対策センターのデータによれば、インドネシアには127の活火山があり、それらの火山の頂上から半径10キロ以内には350万人が居住している。


「一部地方で激しい乾季」(2014年3月12日)
2014年の乾季は一部地方で厳しい乾季になりそうだと地学気候気象庁が予報した。その要因として、5〜8月に弱いエルニーニョ現象が現われるだろうとの予測が挙げられている。強い乾季に襲われるのは、国内の主要穀倉地帯である東ジャワ州と南スラウェシ州。同庁はそれらの州政府農業局に対し、今年の作付けは乾燥に強い品種を選ぶようアドバイスしたとのこと。それ以外にも全国で平年未満の降雨量になりそうな季節ゾーンが54あるそうで、北アチェ・中部アチェ・ナガンラヤ・ベンカリス・プカンバル・ロカンフル・南タパヌリ・OKU・OKI・ランプン・バンカ・ルバッ・カラワン・スカブミ・チレボン・チラチャップ・クンダル・トランガレッ・パチタン・シトゥボンド・バンカラン・ジュンブル・バニュワギ・クパン北部・ベル西部・ゴワ・ソッペン・ピンラン・シデンレンラッパン・スラヤル・クンダリなどがその中に含まれている。
農業海洋気候センター長はこの乾季予報に関連して、上であがっているような地方の農家に対し、水を大量に必要とする米よりも雑穀類の栽培に適しているこのような季節をうまく乗り越えるために、農家は臨機応変の対応をとって収穫の失敗を防ぐようにしなければならないとアドバイスした。
乾季入り予報は多くの地方で平年並みの4〜5月とされているが、スマトラでは1月から乾季入りしている地方もあれば、北スラウェシのように9〜11月まで乾季入りが遅れると見込まれる地方もあり、バラつきは激しくなっている。全国342季節ゾーンのうち151は過去三十年間の平均と同じタイミングで乾季入りし、そのうち67%は平年並みの乾季となるだろうが、25%は平年より激しい乾季になりそう。


「スマトラに異常乾季」(2014年3月18日)
2014年1月以来、ほとんど雨の降らない天候が続いているスマトラ島では、この状況が3月一杯継続するだろうと地学気候気象庁が予報した。雨が降らないのは、上空3キロを超える高さに乾燥した冷気団が層をなしているためで、この冷気団は北方の中国上空から流れ込んできており、大量の湿気を含んだアジアモンスーン季節風が遮られているために起こっている異常気象であるとのこと。
西カリマンタンからリアウ島嶼部という南シナ海沿岸部や、リアウ州、西スマトラ州からジャンビにかけての一帯では、2014年1〜2月にほとんど雨が降らなかった。タイやベトナムも類似の気象に襲われている。リアウ島嶼部では、雨のない日が継続した日数は過去20年間で今年が最大のものになった。乾燥が激しいためにリアウ陸地部では火災が発生して煙害が地元住民を苦しめている。幸か不幸か、風が南北に吹いていることからシンガポールやマレーシアなどの隣国はこの煙害から免れており、煙は西スマトラ、ブンクル、南スマトラなどを襲っている。
もうひとつ、この雨のない気象状況を悪化させている要因として、マナド北方と東ヌサトゥンガラ南方に熱帯性低気圧が生まれており、スマトラ上空に流れ込んできた冷気団が東に向けて引っ張られるという形が新たに生まれている。
しかし、スマトラ島に雨をもたらす要素がまったくないわけでもなく、インド洋を東進してくるマッデンジュリアン波動の影響が3月後半から始まるだろうと地学気候気象庁は予測しており、その影響が強まればスマトラ島は雨季の再来を迎える。平年の季節推移では、3月末から4月に雨量が増加し、5〜6月と雨量が低減して行くというパターンが普通で、今年は異常気象になったとはいえ、概ねそのパターンに沿った展開になりそう。スマトラ島はジャワ島と違って乾季と雨季が一年に二回繰り返される特徴を持っており、降雨量のピークは3月と11月にやってくる。


「ジャカルタ大震災」(2014年4月28〜30日)
メガスラスト地震(megathrust earthquake)は一方のテクトニックプレートが他方のテクトニックプレートに引きこまれている収束型境界の沈み込み帯で発生する。プレート境界部の沈み込み角度が浅くて広範な領域に圧縮力がかかると、モーメントマグニチュード(Mw)が9.0を超える地球上で最大級の強さの地震を発生させる。
スンダ海溝を断層が走っている。北はミャンマーからスマトラ島西側に沿い、そしてジャワ島・バリ島の南側を通ってオーストラリア大陸の近くまで続くおよそ5千5百キロの断層がスンダメガスラストと呼ばれている。そこはインド・オーストラリアプレートがユーラシアプレートにもぐりこんでいく境界になっており、地球上で屈指の地震発生構造をなしている。スンダメガスラストはアンダマンメガスラスト、スマトラメガスラスト、ジャヴァメガスラストに細分され、バリ〜スンバワ地域はそれらほど活発でないため、メガスラストと称されることはあまりない。
そのスンダメガスラストの名前が示す通りのスンダ海峡が巨大地震の震源地になる可能性について、諸方面からの注目が集まっている。スンダ海峡は地震空白帯になっており、プレート境界部で蓄えられたエネルギーがいつ放出されてもよい状態にあると見られている。もしそこでMw9規模の地震が発生すれば、バンテン州とランプン州の海岸線を高さ20メートルの津波が襲い、ジャカルタは地震のために大規模な被害が出るものと予測されている。「2004年のアチェ、2011年の仙台、その次は沈み込み帯のどこで巨大地震と津波が起こってもおかしくない、と科学者の多くは考えている。」インドネシア科学院ジオテクノロジー研究センター研究者はそう語る。
インドネシアでは、沈み込み帯のムンタワイ群島、スンダ海峡、バリ島南方沖、フローレス島、アンボン一円、パプアなどの地域で巨大地震の発生する可能性が高い。西ジャワ州パガンダラン(Pangandaran)のチクンブラン(Cikembulan)川一帯で行なわれた調査で、4百年前に起こった津波の跡が発見されている。一方、スンダ海峡を洗い去った有名な津波は1883年のクラカタウ火山大噴火が起こしたもので、巨大な山が吹き飛んで海に崩れ落ちたのが高さ40メートルに達した津波の原因であり、津波・熱雲・火山性物質の噴出などのために死亡した人数は36,417人と記録されている。
消え去ったクラカタウ火山の跡地海底からアナクラカタウ(Anak Krakatau)と名付けられた新火山が出現し、新島は直径4キロ高さ273メートルの火山島に成長していることが2008年の調査で明らかになっている。
そのアナクラカタウが母山と同じ運命をたどったら何が起こるかというシミュレーションが行なわれた。45分後に津波はスンダ海峡の両岸を洗ってジャワ海に進出し、また西方のウジュンクロンは高さ9メートル、アニエル・チャリタ・ラブハンは高さ4〜7メートルの津波が襲い、スマトラ島海岸部は18〜66分の間に1.5〜4メートルの津波に洗われるという結論が出された。このシミュレーションから、バンテン州沿岸部の被害がスマトラに比べてはるかに大きいことが予想されている。
アナクラカタウは火山活動がたいへん活発であり、一回の深層地震の間に浅層地震は53回起こっている。今現在火山学自然災害減災センターはその警戒ステータスをレベル2のWaspadaと定めており、火口から1キロ以内への進入は禁止されている。ところが、アニエルやチャリタ海岸へ来た観光客が漁船をチャーターしてアナクラカタウに上陸することを行なっており、それを禁止する者がいない。2013年11月のある日、アナクラカタウでの観測業務を行なったパサウラン村アナクラカタウ観測所職員は、およそ10隻の漁船がその火山島にもやっているのを目にしたと述べている。一隻に10人の観光客を乗せてきただけでもそのとき百人がアナクラカタウにいたということだ。突然にアナクラカタウが動き始めたら、無事では済まないだろう。
バンドン工大地震専門家によれば、多数のマイナー要素はさておき、スンダ海峡で発生する地震に大きい影響を与える要素は三つあるとのこと、。その三つの中の筆頭は、スンダ海峡に達しているスマトラ大断層の動きだ。
「スンダ海峡で横ずれ断層による地震の可能性が考えられる。スンダ海峡での断層の動きは、当初見込まれていたものより三倍も活発になっていることがわかった。年間6〜8ミリと見込まれていたにも関わらず、最新データを見ると年間19ミリになっている。これはMw7規模の地震がスンダ海峡で起こる可能性がきわめて高いことを意味している。二つ目の要素はクラカタウの火山活動だ。地下およそ10キロの深さに、たいへん大きなマグマ溜まりがあると思われる。そしてプレート境界部の沈み込み帯がスンダ海峡を通っているのが三つ目の要素だ。そこがセイスミックギャップになっていることにわたしは同意する。最大Mw8.4の地震が3百年周期で起こる可能性がある。ただ、その周期はスンダ海峡での過去の地震データが貧弱なために、確信を伴っていないのが残念だ。」
スンダ海峡でいつ大地震が発生するのかについてはいささか曖昧だったとしても、Mw9規模の地震がスンダ海峡で発生することを想定して対策を立てなければならないのは言うまでもない。沈み込み帯が震源地だったとして、そこから250キロ離れたジャカルタでは、数分間激しい揺れが継続するだろう、とインドネシア科学院研究者は語る。「ジャカルタは堆積土の上に乗っている。地震の揺れは増幅され、建物は強い破壊力にさらされて倒壊する可能性が高い。地震の影響を予想するためにミクロゾーン方式での分析を行なわなければならない。地震の強さ自体はバンテンとランプンのほうが凄まじく、津波のリスクも高い。この規模の地震が海溝に近い浅い位置で起これば、震源地周辺での津波の高さは10〜15メートルになる。この津波がジャカルタの北海岸に達するときは高さ5メートルになっている。これまでの経験に従えば、平坦な海岸で5メートルの津波は内陸部へせいぜい5キロほど進入するだけだ。津波がジャワ島南部海岸からジャカルタに押寄せてきて、スディルマン通りが水中に没するという噂はまるで根拠のないものだ。ジャカルタのビルやジャカルタ湾巨大防波堤あるいはスンダ海峡大橋などのインフラ建設はこの地震と津波への対策を考慮して行なわれなければならない。」
耐震構造の欠如したジャカルタの高層ビル類はそのとき、大崩壊をきたすかもしれない。250キロ離れたスンダ海峡の沈み込み帯で起こるMw8.7〜9規模の地震はジャカルタに震度8MMIの揺れをもたらす。ところが震度7MMIにも耐え切れないビルがジャカルタに満ちているのだ。一方、ジャカルタ湾から押寄せてくる津波が5キロほど内陸部まで進入するとするなら、波をかぶるのは大統領官邸〜モナス〜ガンビル駅一帯から以北ということになる。インドネシア科学院研究者はジャカルタ大崩壊の懸念を強く抱いている。耐震構造を施しているホテルや高層ビルが増加してはいるのだが、堆積土というジャカルタの土地で大きな揺れが起こったとき、土地自体が移動する可能性がある。その要素はビル建設時に耐震構造の中で想定されているのだろうか?おまけに堆積土の下に古い断層が走っているのだが、その詳細な調査研究はいまだに停滞したままだ。「たとえばスカブミ沖のような南海の海底で起こった地震をジャカルタ住民のほうが強く感じており、バンドンではジャカルタよりも感じ方が弱い。ジャカルタの地底に活断層があるかないかを早急に判定し、あるのならその測定を開始しなければならない。」
ジャカルタ大崩壊の懸念を強く抱きながらも、なされなければならないことが多すぎることを研究者たちはもどかしく思っているにちがいない。


「今年のエルニーニョはまだ弱い」(2014年6月23日)
この2014年も1997年のようにエルニーニョ現象が高まることが予報されているが、地学気候気象庁はインドネシアの気象に関して、エルニーニョはまだ弱い状況であるためその影響が感じられるのは7月に入ってからになり、乾季のピークは2014年8〜11月ごろになるだろう、と報告した。
今現在、インドネシア近海の海水温はインド洋側も国内島嶼部一帯も比較的高いため雨雲が潤沢に形成されており、激しい旱魃が広範に及ぶような状況ではないとのこと。
1997年の気象は1998年1月まで続く強い乾季をもたらし、森林・原野火災を発生させて近隣諸国に煙害をもたらした。2014年の乾季がそれほど深刻なものにならないだろうとの予測は、スマトラ島に接するインド洋東側とアフリカに接するインド洋西側の海水温が平常の範囲ではあるが高めになっていることなど、いくつかの要因にもとづいている。そのため、乾季が厳しくなるのは7月に入ってからで、2014年の乾季は標準よりひと月ほど長くなるだろうとの見込みになっている。
7月に乾季が徐々に強まれば、8月にインドネシア東部地方は乾季で覆われることになる。そんな状況下に森林・原野火災が起これば、またマレーシアとシンガポールに深刻な煙害がもたらされる可能性は小さくない。7月上旬に乾季入りすると見込まれている地方は、スマトラ島東海岸部、ジャンビ東部、バンテン、西ジャワ、中部ジャワ、東ジャワ、ヨグヤカルタ、バリなどとのこと。
ところが、地学気候気象庁の話とは裏腹に、森林・原野火災を示す火点の数が標準上限値を超えて多発していることが報告されている。西カリマンタン州では上限値の8倍、リアウ州は上限値の7割増しというのが実態だ。
エルニーニョはインドネシアに旱魃をもたらす。降雨が大幅に減少するため、地上の草木は燃えやすくなり、ちょっとした火が広範なエリアに火災をもたらすことになりがちだ。森林省は、リアウ・ジャンビ・北スマトラ・南スマトラ・南スラウェシ・西カリマンタン・東カリマンタン・中央カリマンタン・南カリマンタンなど10州を森林・原野火災危険地区に指定した。
更に6月17日までに、リアウ州とジャンビ州に各22ヶ所、南スマトラ州に7ヶ所の火災が発見され、いずれも上空からの散水消火が行なわれた。今後も泥炭地の火災発生が懸念されることから、森林大臣はそれら三州の知事に対し、特別警戒を行なうよう指示している。


「インドネシアの気象まとめ」(2014年9月9日)
日本は四季があるが、インドネシアには乾季と雨季の二つしかない、という常識を考え付いたのは誰だろうか?ふたつのまったく両極端な天然現象がいきなり交代するとそのひとは考えたのだろうか?それとも、インドネシア語の中にその移行期が日本語の春と秋のような固有名称を持っていないから、言葉がないから実体もないと思ったのだろうか?あまりにも観念的すぎる人間は、自分の実体験に対してすら感受性が働かないのかもしれない。
日本の四季は多雨と干天という雨に関わる基準でなく気温を基準に取っているから、寒い冬の季節から少しずつ暖かくなりながら次の暑い季節へと移っていく、その移行期を春と名付けているのではなかったろうか?そして暑い夏の季節から、まただんだんと涼しくなって寒い冬の季節に向かうのを秋と呼んでいたはずだ。つまり、春と秋は暑い季節と寒い季節の間に起こる移行期なのであり、多雨と干天の季節の間の移行期も同じように二度起こるのだから、たとえ基準は異なっても同じ原理を当てはめるなら、ふたつの季節しかないという結論を表明することに疑念すら抱かなかったのは、それが一民族の常識と化したことを思えば、たいへん遺憾な気持ちになるのはわたしだけではあるまい。
インドネシア語で季節の移行期をmusim pancaroba と称する。ただし、多雨から干天への季節変動も、干天から多雨への移行期も同じ名称で呼ばれるから、高緯度地方の季節名称の付け方と趣が異なっているのは確かだ。
次いで常識のその二は、4月から9月までが乾季で雨季は10月から3月までという区分に関するもの。雨季と乾季の間の移行期は普通2〜3ヶ月起こり、3〜4月および9〜10月の境目プラス前後ひと月くらいがパンチャロバの季節になる。雨季が早くやってくる場合は、8・9・10月ごろから多雨の傾向に入り、乾季が長引く場合は9・10・11月ごろまで雨が少ないというスタイルになる。この移行期は天候がきわめて不順になり、また変化が激しくて安定せず、風も強まって海が荒れることも多くなるため、各地の漁民は出漁ができなくなって陸にあがり、また航海中の船舶に事故が発生することも少なくない。パンチャロバという言葉はどうやらそういう天候の不安定なことを言い表しているように思える。
ところが、このカレンダー上での区分の話はきわめて大雑把なものでしかなく、広大なインドネシアの国土がどこへ行っても同じタイミングで乾季になったり雨季になったりするようなことなどありえない。
インドネシア地学気候気象庁は気象管理や天候の予報に関して、全国すべてのエリアを季節ゾーンという呼称で区分した。雨季と乾季がはっきりと区別できるエリアは季節ゾーンと呼ばれ、それは全国に342存在する。そのほとんどはモンスーンの影響を受けているエリアだ。ところが地域特性に影響されて、一年中多雨であったり、あるいは常に少雨であるという地域がある。このエリアは非季節ゾーンと命名され、全国に65存在している。
ならば、342ある季節ゾーンはカレンダー上の同じタイミングで一斉に乾季と雨季を繰り返しているのだろうか?そんなこともありえない。そこにも地域特性が影響を与えており、モンスーン型季節ゾーンが速い遅いの違いはあっても同一方向に動いていく中で、9季節ゾーンは時期的に正反対の動きを示す。つまり乾季は10月ごろから始まり、4月ごろに雨季に入るというパターンだ。
太平洋とインド洋というふたつの大洋にはさまれたインドネシアの島々は、太平洋で起こるエルニーニョとラニーニャのふたつの現象の影響を受けている一方、インド洋で起こるダイポールモードという現象の影響も蒙る。更には、アジア大陸とオーストラリア大陸でできる気圧パターンの変動に影響され、且つまた赤道周辺で形成される熱帯集束帯にも影響される。こうして多様で複雑な気象要因が広大な地域のあちこちに個別の気象現象をもたらすことになる。乾季や雨季の同一シーズンの中でさえ、気象要因はころころと変動し、そして年が違えばまたそれぞれの要因が異なる原因で違う現象を引き起こすため、毎年似たような気象パターンを期待することさえ無理になる。インドネシアというひとつの広大な国にひとつの代表的な気象パターンをあてはめているために、日本人はインドネシアの気象に関する正しい理解を持てないという実害を蒙っているのではあるまいか?


「2014年雨季入り予報」(2014年9月10日)
地学気候気象庁が2014年雨季入り予報を出した。342季節ゾーンの三分の一は平年並みだが、およそ5割は平年実績から10〜30日遅れて雨季に入るとのこと。残る17%は雨季入りが平年より早くなる。雨量については、大半が平年並みであり、25%は平年以下で10%弱が平年をオーバーする。
雨季入りはスマトラ島北部から南部にかけて進み、ジャワ島まで下って西から東に進み、東ヌサトゥンガラに至る。ただし、その概略の動きに外れて、7月から既に雨季に入った季節ゾーンもあれば、来年4月ごろから雨季に入るところもある。モンスーン地帯にかかっているスマトラ島南部からジャワ島〜ヌサトゥンガラ地区、そして中部〜南部カリマンタンは10月から11月にかけて雨季入りする由。しかし中央スマトラや西カリマンタンのような赤道型気候エリアは一年中降雨が頻?で大洋が赤道上に近付く4月と10月が降雨量のピークとなる。中部から南部スラウェシにかけての東部エリアやアンボン地区などの局地型季節ゾーンでは、ジャワ島が乾季最盛期の6〜7月に雨季入りする。
雨量に関しては、2014年12月まで太平洋のエルニーニョは弱いか中庸のレベルのまま継続するものと見られており、たとえ12月にそれが強まったとしても、既に雨季入りが終わっているために大きな影響を与えることはなさそう。またインド洋ダイポールモードも平常と見られ、インドネシア西部地方に降らせる雨が極度に増加することもなさそう。一方、内海の海水温は平常期から摂氏1度ほど高めになると予測されているため、今年の雨季に降る雨の主流は内海からやってくる模様。
しかし9〜3月のモンスーン季節風はアジアからオーストラリアに向かって西あるいは北西よりの風が吹き、湿った空気をインドネシア南部に運ぶため、雨量が大きくなる可能性は小さい。
ジャカルタの雨については、11月まで続く乾季の中でも降雨はあり、ジャワ島西部とスマトラ島南部の海水温が高めになることから、局地的な降雨は十分予想される。しかし2015年2月までの予想では、ジャワ海を除いて海水温はどこも平年並みであると見込まれており、雨季のピークの豪雨を心配する必要はなさそうだ、と地学気候気象庁は予報している。


「厳しい乾季はもう終わる」(2014年9月29日)
乾季が厳しさを増して、各地から水不足の便りが増加している昨今、この気象はそろそろ峠を越すという情報を地学気候気象庁が出した。2014年10月に入れば一部地域で雨季が始まり、10月から11月にかけて雨季入りする地方が増加していくとのこと。そのタイミングで国内の72%のエリアが降雨を見ることになる。
モンスーン型気候地域が最初に雨季入りし、スマトラ島北部から南部へ、そしてジャワ島西部から東部、さらにはバリからヌサトゥンガラの諸島へと雨季入り前線が進行していく。中部〜南部カリマンタンもその枠の中にあり、前線の進行は10月から11月にかけて上述の地域を順繰りに通過することになる。それら以外の地域は雨季入りが一足遅れるものと見られている。
現在、多くの地域で水枯れの悲鳴が上がっているのだが、地学気候気象庁はそれに関連して、今年の乾季は特に異常なものでなく、まだまだ平常レベルのもので、悲鳴をあげている地域の天候を細かく見れば、量的には少ないが降雨は依然として発生していることがわかる、とコメントした。昨年の状況に比べればまだマシな状況にあり、決して異常乾季と呼べるものではないとのこと。農業省R&D庁長官も今年の水枯れが農業生産に与える影響について、被害を受ける水田はせいぜい11〜13万Ha程度であり、全国1,350万Haの農業用地のほんのわずかな部分でしかない、と行政側の判断を述べている。
ところで地学気候気象庁は、個人が持っているスマートフォンやタブレットからグーグルプレイストアのアプリケーションを使って乾季における降雨予報を見ることができるサービスを開始した。それを見ると、インドネシアの国土地図がいくつかの色に分けられており、この先60日間降雨がないと予測される地域から、現在も降雨がある地域まで、一目で分かるようになっている。


「厳しい乾季は貧困を招く」(2014年9月30日)
元来がサヴァンナ性気候である東ヌサトゥンガラの島々は、乾季が厳しくなると緑がますます減って褐色に覆われていく。生活用水の減少は地元民の暮らしを過酷なものに変えていくが、緑が減ればかれらが飼っている牛・馬・水牛なども餌が足りなくなって過酷な生活を強いられる。おかげで地元民の資産は縮小し、貧困がかれらを脅かすことになる。もともと自然環境が豊かでないため、東ヌサトゥンガラは貧しい地域であるのだが、せっかく育てた家畜が商品価値を低下させるのである。
スンバ島スンバティムル県ンガハオリアグ郡住民のひとりは、馬87頭、水牛59頭、牛72頭を飼育しているが、放牧地から緑が消えてしまい、家畜の餌が十分に与えられなくなっているため、一頭あたり50〜100kgも体重が減少していると物語る。乾季のピークが11月になることが予想されており、その時期に向かって家畜の体重低下はますます激しくなっていく。
放牧エリアの中には水源がいくつかあり、家畜はそこで水を飲んだり水浴びしたりするのだが、それが今や全滅しているありさまだそうだ。乾季が厳しくなる前は体重3百kgだった牛は今や2百kgに痩せ、成牛の販売価格はキロ当たり3万ルピアだから、体重が百kg減れば3百万ルピアが霧消することになる。
ワイガプ市に住む牧畜事業者のひとりは馬210頭と水牛270頭を保有している。餌が不足して体重が減少している状況は、かれにとって事業経営に吹き付ける逆風だ。かれが住んでいる地区の牧畜事業者たちが持っている家畜頭数は3千にのぼっている。
ティモール島でも類似の状況下にある。ティモールトゥガウタラの牧畜業者は、小屋で飼っている牛の体重は比較的安定しているが、放牧されている牛の体重は悲惨な状態になっている、と語っている。
厳しい乾季は淡水魚の養殖事業者にも襲い掛かっており、川の水量が減って生け簀の網が川底につきはじめている。魚が大量に死ぬ時期が近付いている、と業者の一人は述べている。


「いまジャワ〜バリは酷暑下」(2014年10月16日)
インドネシアは熱帯に位置しているから「年中暑い」というのはイメージの中での話。インドネシアに住んでみれば、決してそんなことはない、というのが実感されるにちがいない。雨季と乾季があることを知っているひとはもうその想像がついているだろうが、その想像が「雨季は涼しく、乾季は暑い」というものだったら、やはりそれも想像の中の話だよと一蹴されるにちがいない。
大雑把な雨季と乾季の二分論で見るなら、10月〜3月が雨季、4月〜9月が乾季となる。季節の移行は徐々に変化するから各季節の両端の月は特徴が不安定になるが、それには触れないでおく。
さて、ここから天動説的表現に入るのだが、太陽は北回帰線北緯23度26分と南回帰線南緯23度26分の間を一年かけて往復している。その両回帰線の中にある地域が熱帯と呼ばれており、太陽は一年に二回各地の頭上を通る。太陽が頭の真上から地上を照らすときに地上の単位面積当たりの太陽光エネルギー量が最大になるのだそうで、つまりそのときが日射のもっとも激しい日になるということが言えるように思える。その仮定を元にして、太陽がインドネシアの上をいつ通るかということを算出してみると、次のようになる。
とりあえずジャワ島とバリ島全域をカバーする範囲で見てみよう。ジャワ島最北端を大型発電所のあるバンテン州スララヤ地区とすると、そこは南緯5度52分。
最南端はバリ島最南部で高級ビラ、カルマカンダラのある地区とすると、そこは南緯8度50分。
秋分の日9月22日から冬至の日12月21日までの約90日間に太陽は23度26分動くから、1日当たりの移動速度は15.6分となる。秋分の日からその速度でジャワ島北端に達するのに22.6日かかる。つまり9月22日から22.6日経った日は10月15日。更にバリ島最南端に達するのはもう11.4日後だから、10月26日ごろだ。つまり10月の後半に太陽はジャワ〜バリの頭上にあるわけだ。
そして太陽はもっと南に向かって下っていき、南回帰線に達してからまた北上してくる。冬至から春分の日というのが、その帰路にあたる。春分の日は3月20日だから、これも90日間で23度26分を動く。バリ島最南端までは14度36分の距離だから、冬至から56日後となり、2月15日がカルマカンダラで影ができない正午を迎える日となるという計算だ。あとはスララヤ地区まで11.4日だから2月26日ごろとなり、2月の後半も太陽が頭上にある日々がやってくる。
10月と2月はいずれも雨季の真っ只中だ。その二週間、密雲がジャワ〜バリを覆ってくれれば救われるだろうが、経験則では毎日そんなことが続くわけがない。
で、2014年10月に入ったいま、ジャワからヌサトゥンガラにかけての一帯は乾季の最後の締めくくりという無水状態に陥っており、各地から貯水池が干上がったという便りが続々と届いている。そしてジャカルタ住民の多くが、昼日中の酷暑に悲鳴をあげた。10月11日にソーシャルメディアに書かれた悲鳴の中に、乗っている自動車の車内温度が42℃になったというものさえ登場した。ジャカルタでは雲のない頭上から照らされる直射日光に炙られ、都市に起こるヒートアイランド現象のために、地方部よりはるかに強い酷暑が都民を襲う。
ところが日中は耐え切れないほどの暑さだというのに、夜になると22℃くらいまで気温が低下するから、健康保持に留意しなければならない。地学気候気象庁はそれについて、ジャワ〜バリ〜ヌサトゥンガラが猛暑に襲われているこの時期の気候は三つの要因が原因だ、と次のように説明した。
その第一は太陽の位置で、今ちょうど日射は頭の真上から地上を照らしていること。ふたつ目はオーストラリア大陸から北西に向かって流れてくる大気で、暑く乾燥した大気がジャワ〜バリ〜ヌサトゥンガラに流れ込んできていること。三番目は海水温で、ジャワ島南部インド洋海域の海水温が低めになっているため、蒸発が不活発で雲があまり作られていないこと。おかげで、ジャカルタもデンパサルも、日中は酷暑に炒られる毎日になっている。


「水不足の被害があちこちに」(2014年10月31日)
乾季もどん詰まりで、いよいよ雨季への移行が始まろうとしている昨今、各地で激しさを増した水不足のためにさまざまなトラブルが発生している。多くのダムが干上がり、田畑に水が流れない状況は言うに及ばず、上水道も原水が細々となって都市住民への給水ができなくなっている。中部ジャワ州クブメン県では雨水が得られなくなった7月以来、上水道に水を流さなくなり、給水車で住民に上水配給を行なってきた。4千リッタータンク車1千5百台がその間毎日県内各所に上水を配給し、総量は600万リッターにのぼっている。そして待ちに待った雨がやってきたことから、同県はやっと上水道給水停止を解除した。
南カリマンタン州バンジャル県では、川で魚の養殖を行なっている地元民が、川の水が涸れたために魚が大量死し、数十億ルピアの損害を蒙った。その地区では、2014年9月にも養殖魚の大量死が発生しており、今回で二度目。
東ヌサトゥンガラ州南中部ティモール県では水不足のために数百頭の飼育牛が死んだ。子牛を飼育して成牛にし、食肉用に販売するという畜産業が主体のこの地方では、牛の飼育は放牧スタイルが一般的だ。ところが水不足のために牛の餌となる植物が枯れ果ててしまい、牛は餌が得られなくなって肉のない痩せこけた牛になり、そしてついに死んでいったというのがこの悲劇。
水不足は上水道だけでなく、ビン詰め飲用水生産者をも容赦なく襲った。上水道が供給する水の水質が飲用に不適であるため、インドネシアでは普段からビン詰め飲用水の需要が高い。ところが飲用水生産者が入手している原水も乾季の水不足の影響で減少しており、生産量が減っている。当然生産量が減れば市場での需給関係に影響が出て商品は値上がりする。
タングラン市ではガロン瓶入り飲用水(中味だけ)の価格が14,800ルピアだったというのに、5百〜1千ルピアの単位で値上がりが続き、今では1万7千ルピアに達している。


「11月中に雨季入り」(2014年11月11日)
10月が去って11月に入り、いよいよ雨季が始まると干天に慈雨を待ち望んでいた一部国民をがっかりさせる予報を、地学気候気象庁が出した。雨季入りはもう一ヶ月遅れそうだと言う。
降雨と風向のパターンは依然として雨季に向かう移行期のもののままであり、移行期から雨季のパターンに変化しなければ雨季は始まってくれない。風はオーストラリア大陸から吹き出してアジア大陸に向かう東寄りの風が相変わらず強く、インドネシアに雨季をもたらすアジア大陸からの西寄りの風は勢力が弱いままだ。平常年のパターンは東寄りの風の勢力が衰えて西寄りの風に交代し、水蒸気を含んだ西風がインドネシアの各地に雨を降らせるというものだ。オーストラリアからの風は低温で乾燥しており、バリ島でもこの酷暑の時期に日中では炒られるような思いを味わいながらも、夜になるとひんやりする風のおかげで屋外では人心地がつけるという日々が続いている。同庁熱帯サイクロン課長は現状について、インドモンスーンあるいはアジア大陸からの西風が弱いために、オーストラリアからの東風が衰えないという表現をしている。
雨季がはじまってくれないもうひとつの要因として、インドネシア海域の海水温度が低めになっていることがあげられる。雨季乾季の移り変わりが昔からの定型パターンから逸脱しているのは近年少しも珍しいことでなく、地球温暖化がもたらす異常気象の影響で通例の気象推移は予想外のパターンを示すことが増えている。結局多雨地域はますます雨量が増え、乾燥地域はますます雨が少なくなるという状況に陥りつつあるようだ。
とは言っても、上の話は概況に関するものであり、スマトラ島北部では風向きが変化して降雨量が増加している。たとえばバンダアチェでは11月2日に175ミリの雨量を観測した。雨季への移行はスタートが切られているように見える。
雨季はインドネシアの西部から東部へ向かって徐々に進行して行くパターンが通例であり、11月半ばにはジャワ・カリマンタン・スラウェシ西部まで雨季に入り、バリ〜ヌサトゥンガラ〜パプアは11月末ごろ雨季が訪れるだろうと地学気候気象庁は予測している。


「皆既日食観測ツアー」(2014年12月31日)
インドネシアでまた皆既日食が観測できる。ただし時期はまだ遠い2016年3月9日で、アメリカのNASAが発表している情報によれば、観測地点は西スマトラ州ムンタワイ諸島〜南スマトラ州パレンバン市〜バンカブリトゥン島〜カリマタ海峡〜中部カリマンタン州パランカラヤ市〜中部スラウェシ州パル市〜マルク海域〜北マルク州〜ハルマヘラ海域と続く。皆既日食は60秒から161秒の間継続するとのこと。
前回インドネシアで皆既日食が観測されたのは1983年のことで、当時インドネシア国民の多くは皆既日食を神話がらみで理解しており、時を司るヒンドゥ神バタラカラが太陽を呑み込むために起こると大勢が信じていた。バタラカラ神は人間を死に至らしめるために怖れられており、日食が始まると人間は地上でさまざまな物を打ち鳴らして太陽を早くバタラカラの口から解放してやろうとする。しかしやはりバタラカラに生命を奪われるのを怖れる者もたくさんおり、皆既日食が始まると家の中に隠れてしまう人間も少なくなかった。
1983年の皆既日食の際に政府は、迷信深い国民の不安を考慮し、また太陽を裸眼で見つめないようにさせる効果も考え、国民に家の外に出ないようにという通達を出した。次回の皆既日食に政府は、完全に世代代わりして曲がりなりにも科学教育を受けている国民に同じようなことを繰り返すことはないだろう。
次回の皆既日食観測ツアーを政府観光省は国民にプロモートし、観測ポイントに連れ出そうとしている。ところが、外国人観光客はそれより数歩先んじて、早々と観測ポイントにあるホテルに宿泊予約を入れ始めている。たとえば中部スラウェシ州パル市観光局によれば、市内有力ホテルに日本から55室、イギリスからは75〜100室の予約が既に入っているとのこと。パル市内にあるスイスベルホテルは90室を稼動させているが、その日の予約に限ってはもうほとんどフルブッキング状態だ。2013年のこのホテルの利用者は年間に7万4千人で、ほとんどがマナド市やトゲアン国立公園に向かうトランジット客だった。
現在インドネシアの天体観測施設のトップはバンドン市郊外にあるボスカ天文台になっているが、周辺地区の開発が進んで夜間の光源が増加し観測に障害をもたらすようになってきている。そのため政府は2015年に東ヌサトゥンガラ州クパンに新たな天文台の建設を決めた。交通の便が良いボスカ天文台は既に観光地と化したが、クパンでは首都圏やバンドンなど都市部住民もなかなか容易に遊びに行くことが難しいにちがいない。


「タンクバンパラフ火山登頂禁止」(2015年1月7日)
地学庁火山地質災害対策センターが2015年1月1日時点で出している火山警戒ステータスによれば、第三級警戒ステータスSIAGAになっている山は次の六つ。
ソプタン(Supotan)、ガマラマ(Gamalama)、スラムッ(Slamet)、シナブン(Sinabung)、カラングタン(Karangetang)、ロコン(Lokon)
そして第二級警戒ステータスWaspadaは十五もある。
タンクバンパラフ(Tangkubanparahu)、ラウン(Raung)、サゲアンガピ(Sangeangapi)、ロカテンダ(Rokatenda)、イブ(Ibu)、レウォトビプルンプアン(Lewotobi Perempuan)、ガムコノラ(Gamkonora)、パパンダヤン(Papandayan)、ブロモ(Bromo)、スムル(Semeru)、タラン(Talang)、アナクラカタウ(Anak Krakatau)、ムラピ(Merapi)、ドゥコノ(Dukono)、クリンチ(Kerinci)
シアガステータスの中で、ソプタンは昨年12月26日、ガマラマは12月18日にステータスがワスパダから引き上げられ、依然として活発な火山活動が継続しており、火山性地震と鳴動が不安を掻き立てている。ガマラマ山は山頂から半径2.5キロ以内への進入が禁止、ソプタンは山頂から6.5キロが進入禁止区域になっている。
もうひとつ懸念されているのは12月30日に警戒ステータスが平常からワスパダに引き上げられたタンクバンパラフで、今回の活発化はこれまでとパターンが異なっており、エネルギー蓄積量が増大している懸念を感じさせている。そのため火山地質災害対策センターはこの山の最大の火口であるカワラトゥ(Kawah Ratu)から半径1.5キロ以内への一般市民の進入を禁止した。
タンクバンパラフ火山はバンドンからおよそ30キロという近い距離で毎日大勢の観光客が訪問する西ジャワ州有数の観光地であり、また周辺に居住する人口も小さくないこの火山の活動が激しくなれば、被害の大きな災害になる可能性が高い。ワスパダステータスが発令されてからは、タンクバンパラフ観光地区管理者が警察の支援を得て入山客の登頂を1.5キロのラインで制限しており、観光客はその指示に従っているとのこと。
1829年から1994年までにタンクバンパラフ火山が引き起こした噴火は噴煙が2キロまで達したマグマ型のハワイ式噴火が3回、そして水蒸気型噴火が4回発生している。火山地質災害対策センターは国民に対し、観光先を火山にする場合は最新の警戒ステータスに常に留意するように呼びかけている。


「年末年始から多雨の気象」(2015年1月8日)
ジャワ島を主体にしてインドネシア南部は雨の多い気象状況になっていると地学気候気象庁が発表した。北半球の気団が南下してジャワ海で南半球の風と衝突する熱帯収束帯にできた前線が西オーストラリアにある低気圧に引かれて南下傾向にあるため、多雨が更に密度を増しているのがその主要原因であるとのこと。
「北からと南からの大気団が衝突して高空へと上昇すると大量の雨雲を作り、それが雨を降らせる。衛星画像を見ると、中層雲や積乱雲が南に移動している状況がはっきり観測される。熱帯収束帯が北や南に移動するのは太陽の見かけの位置に関係しており、太陽は2014年12月23日に南回帰線に達したあと今は南半球を北上しつつある。太陽は南半球の海水温を高めている。熱帯収束帯の動きは太陽の動きから八分の一フェーズ遅れる。この状況にオーストラリア北方海域でサイクロンが発生すると、天候はますます悪化する。12月から3月までの期間はインドネシア南方海域にまだ低気圧が頻繁に発生するために、過剰な降雨量による災害の懸念は付いて回ることになる。サイクロンが起これば対流雲の形成が強まり、ランプン東部からジャワ〜バリ〜ヌサトゥンガラ一帯に大量の雨を降らせて水害や土砂崩れなどの災害を誘発する。海上にできた熱帯低気圧はおよそ2日かかってサイクロンに発達し、形成されたサイクロンは消滅するまでおよそ7日間荒れ続ける。それがインドネシアの気象に与える影響はほぼ10日間継続する。」地学気候気象庁担当官はそう説明している。
同庁が持っている過去三十年間のデータ統計を見ると、ジャボデタベッ地区で降雨量が最大になるのは1月の中旬と下旬であるとのことで、首都圏住民は1月後半の水害発生に警戒するように、と同庁は呼びかけている。


「台風第一号のおかげで雨量が低下」(2015年1月20日)
ニューギニア島北方海上に発生した熱帯暴風雨がアジアからの湿った大気を引き寄せているため、2015年1月インドネシアの降雨量は昨年より少なくなりそうだ、と地学気候気象庁が報告した。メッカラ(Mekkhala)、あるいはローカル呼称アマン、と名付けられた熱帯暴風雨は西北西に移動してフィリピンを直撃しており、1月19日午前2時ごろには中心部がルソン島のマニラ市から北北東に2百キロ離れた海岸に達している。日本気象庁はこれを台風第1号と呼んでいる。
平常はこの時期、南半球を直射している太陽が海水温を高めることで低気圧が発生し、アジアからの湿った大気がそこに引き寄せられるために、オーストラリアを目指す気流の通路にあるインドネシアは西風と雨季のシーズンになるわけだが、メッカラのおかげで大気団の一部が流れの方向を変えているため、インドネシアに降るはずの雨が別の場所で降っているという変化が起こっている。1月16日20時現在で985ミリバール(hPa)だったメッカラは1月19日午前2時ごろには1,004ミリバールに勢力が弱まっており、数日中には消滅すると見られている。
地学気候気象庁によれば、例年11月から4月までの期間の熱帯低気圧発生は南半球で起こるのが普通であり、今回のメッカラは特殊なケースに該当するとのこと。「太陽が南半球を直射し、海水温が26〜27度を超えるほど上昇すると熱帯低気圧が生まれやすくなる。だからと言って、北半球の海上で生まれないということにはならない。南太平洋海域の海水温は28℃くらいまで上がっており、熱帯低気圧が生まれる下地は備わっている。そこにマッデンジュリアンオシレーションおよびロスビー波やケルビン波が影響を与えると北半球でも熱帯低気圧が発生する。そのようなケースでインドネシアが自然災害を蒙ることはほとんどない。」
2015年1月16日のインドネシア地学気候気象庁発表の気象状況報告では、メッカラの影響はスラウェシ北部海域・スラウェシ海・ビトゥン〜マナド海域・セラム海・ラジャアンパッ〜ソロン海域で2〜3メートル、サギヘ〜タラウッ海域・マルク海北部・ハルマヘラ北部で3〜4メートルに波が高まるおそれがあると述べられている。
しかし水害が年次定例現象になっている首都圏では降雨量が平年以下になったとしても警戒を怠ってはならないとの警告を出すことも同庁は忘れていない。短時間に大量の雨が集中的に降る可能性は常にあり、ジャカルタで起こる2時間の豪雨とパプアで起こる同じ豪雨の生み出す影響は天と地ほども違っているのだと地学気候気象庁は首都圏住民に呼びかけている。


「2014年は史上最高の暑さ」(2015年3月3日)
世界気象機関(World Meteorology Organization)が最近公表した2014年の世界の気温に関するレポートで、陸上と海上の世界平均気温は1961〜1990年の長期平均気温である14℃よりも0.57℃高かったことが明らかにされた。2010年は0.55℃高かったから、温度上昇は疑いなく起こっていて2014年は過去最高の暑さだったと言うことができる。
その世界トレンドはインドネシアにもぴったり当てはまる。インドネシア地学気候気象庁の発表によれば、2014年の平均気温は27.25℃で、1980〜1990年の長期平均気温から0.68℃高く、2013年の27.1℃を凌駕した。その長期平均気温は平年の気温として規準値にされているもので、正確には26.57℃となっている。
全国のほとんどの州に地学気候気象庁は観測所を設けて気象データを採っている。その州別の2014年平均気温と平年規準気温との差は下のようになっている。
アチェ 0.94
北スマトラ 0.47
リアウ 0.71
リアウ島嶼 0.89
西スマトラ 0.48
ジャンビ 0.59
南スマトラ 1.02
バンカブリトゥン 0.92
ブンクル 0.82
ランプン 0.61
バンテン 0.67
ジャカルタ 0.96
西ジャワ 1.00
中部ジャワ 0.83
東ジャワ 0.75
西カリマンタン 0.76
中部カリマンタン 0.66
南カリマンタン 0.39
東カリマンタン 0.78
北カリマンタン 0.35
西スラウェシ (−)0.12
南スラウェシ 1.01
東南スラウェシ 0.59
中部スラウェシ 0.36
ゴロンタロ 0.32
北スラウェシ 1.11
バリ 0.14
西ヌサトゥンガラ 0.17
東ヌサトゥンガラ 0.65
マルク 1.60
北マルク 0.90
西パプア 0.60
パプア 0.40
上の数字は温度差で単位は℃。
数値が小さいように見えるが、その影響はたいへん大きいものであり、たとえば海水表面温度が0.5℃違うだけでエルニーニョがもたらす旱魃はたいへん深刻なものになる、と地学気候気象庁担当官は語っている。
もちろん上の数値は2014年に観測された一時的なものでしかなく、さまざまな変動要因がからんでいるため、恒常的な暑熱が進行しているという見方も正しくない、と担当官は述べている。エルニーニョ、モンスーン、サイクロンなどの広域気象要因、植生の変化やビル・道路建設、自動車の増加など生活環境面からくる要因、それらの諸要因がからみあった結果として観測された数値でしかないのだから、固定的にとらえる必要はないのだというのがその説明だ。


「もうすぐ乾季」(2015年3月16日)
インドネシアの多くの地域で、2015年4月から乾季に入る、と地学気候気象庁が発表した。全国342の季節ゾーン(ZOM)のうちのほぼ44%を占める150ZOMが4月に乾季入りし、続いて29%を占める99ZOMが5月に、6月には84ZOMが乾季入りする見込み。
乾季はジャワ島北岸・カリマンタン島南部・スラウェシ島南部・パプア島のジャヤプラ南部一帯から始まって、周辺エリアに広まっていく。2015年のこの予想はノーマルパターンに沿っており、今年はエルニーニョやラニーニャの影響があまり強く起こらないだろうと予測されている。ジャワ島の大半は5月いっぱいかけてすっぽりと乾季に覆われ、更に6月中にスマトラ島からジャワ島にかけての広範なエリアが乾季に入る。2015年8月までは、異常気象の起こる気配はないとのことで、その先の予報については今後の変化を読みながら公表されることになる。
地学気候気象庁は今年2015年から、乾季判断のインジケータとしてこれまで使われていた十日あたり降雨量50mmというとらえ方を月間降雨量150mmという形に改定した。いずれも一日の地表水蒸発量を5mmとして出された規準値ではあるが、規準を月間のものに長期化させたのは、十日単位だとブレが大きくなる傾向が出やすいことをその理由にあげている。降雨量より蒸発量のほうが大きくなれば旱魃の発生に向かうのが明らかであり、農民に乾季を強く意識させることが乾季予報の農業対策に対する意義を強く持っていることが今回の変更の主要因であるようだ。


「雨季型の移行期」(2015年4月28日)
雨季から乾季への移行期に入った今、また雨の多い天候になっている。先週はジャワ島内の各地で雨が多く、ジャワ島中部のソロ市一帯やヨグヤカルタ特別州でも出水が起こった。ソロ市に隣接するスコハルジョでは112ミリの雨量が観測されている。先週はジャワ島南部地域での日射が激しく、インド洋の海水温は平常の30℃から1.5度も上昇したため、大量の雨雲が形成されて雨を降らした。
雨季から乾季への移行期には、雹が降ったり、瞬間的な突風が吹くことがしばしばあり、それが時には強風を伴う豪雨となったり、あるいはプティンブリウンの発生に至る。午前中の激しい日射で蒸発が活発化して雨雲が作られ、それが午後に風を伴う雨を引き起こす。先週のソロの豪雨は、そうやって形成された雨雲が、折からジャワ島中部から東部にかけての上空で吹いている風が弱まったために厚い雲の層となって積み重なり、異常な雨量に達して洪水を起したものであると地学気候気象庁は説明している。
バリ島南部でも、先週から時おり吹く突風と曇り空が続き、西風に乗って雨雲がやってきては多量の雨を降らせている。夜の豪雨はこの雨季にもなかったような激しいものだった。もう雨季は通過したと思ってはいけないようだ。


「洪水だけでないジャカルタの水危機」(2015年6月2日)
首都ジャカルタの地盤沈下はとどまるところを知らない。2011〜12年の地表面沈降年間平均値は5センチで、もっとも激しい地区はパンタイインダカプッの9.89センチだと地下水環境技術センターは公表している。
そこに関わっている人間の行為の代表的なものは、地下水汲み上げだろう。水なくして人間の生活は成り立たないから、大勢の人間が居住しているジャカルタにおける水の需要はきわめて大きく、上水道事業がその需要をまかないきれないなら都民が生きていくために井戸を掘って地下水を汲み上げるのは当たり前だと言える。そしてインドネシア全国に渡って、地方自治体が運営しあるいは監督している上水道事業がきわめて劣悪で、住民の生活を支える要素になっていない事実も周知のことなのである。ジャカルタでもそれは例外でない。
インドネシアでも、地下水汲み上げが住民の自由意志に任されているわけではなく、井戸を掘る際の許認可と汲み上げる地下水の量に応じた課金徴収制度は設けられており、まったく放任されていた時代から規制を受ける時代への過渡期は終わったとしてジャカルタでは徴収される課金のタリフが大幅に引き上げれらている。上水道供給の効果拡張と地下水課金規制の強化によって、住民の地下水利用を低下させていく方針がそのように組まれているものの、上水道供給の改善は遅々としてはかどらないのが実情であるため、住民も課金規制を踏みにじるという反応がいまだに顕著だ。
都庁水資源管理局の最新データによれば、地下水汲み上げ管理制度に即して井戸認可を受け、使用した地下水の量に応じて課金を納めているのは2014年に4,431地点あり、それは2011年の4,231地点から増加している。それらの地点で汲み上げられている地下水量は年間880万立米で、2011年の720万立米から大幅に増えた。つまり、地下水から上水道利用に切り替える傾向はまったく見られず、おまけに地点当たりの利用地下水量も顕著に増加しているのだ。
法規への服従が日常生活のパターンを構成していないインドネシアで、不法地下水汲み上げがなされていないなどと考える人はいないだろう。一般庶民は行政管理の目から完璧に逃れた状態で自由に井戸を掘り、地下水を汲み上げ、自分はわざわざ届出をして課金を納めような「損」なことをする愚か者ではないと確信している。行政管理の目から逃れるのが困難なのは事業体であり、必然的に大量の地下水を汲み上げる事業体は法規に従わざるを得ない。ところが事業体もお人よしではない。都庁水資源管理局によれば、既に地下水課金タリフが大幅に引き上げられたというのに、大半の事業体はそれを知ってか知らずか、引上げ前の廉いタリフに従って課金を納入しているとのことだ。
年々の地表面沈降から、汲み上げられている地下水量が推定できる。そこから行政の管理下にあるデータを差し引けば、行政管理外の不法汲み上げ地下水量が想定できる。インドネシア科学院ジオテクノロジー研究センター長は、不法利用されている地下水量は年間1千2百万立米にのぼると述べている。
大量の地下水汲み上げを止めなければ、土地の陥没、地表面沈降、地中の海水浸透、そして地下水の水質それ自体の劣化や汚染がひどくなる。水に関わるミドルクラスの生活クオリティは、井戸も掘れずに汚染した地表水を使っている下層クラス住民のレベルにどんどん近付いていく可能性が高いのではあるまいか。


「今年のラマダンは灼熱地獄?」(2015年6月15日)
暑いのに水分補給ができないのは、生き物にとって実に苦しい状況だ。インドネシアの今年のラマダン月は乾季の真っ只中であり、日中のカンカン照りに炒られながら断食しつつ平常の活動を行うのは例年にも増して苦行になること疑いもない。おまけにイスラム御本山のサウジアラビアも焦熱の季節であり、ラマダン月にメッカに小巡礼(ウムロ)を行なう者はもっとたいへんなことになるだろう、という話がムスリム界で話題になっている。
サウジアラビアの気象専門家が予想した今年のラマダン月の気温は65℃に達するそうだ。それは太陽が北回帰線に達して逆戻りする時期の温度の上昇と、インドからの高温多湿の気団が西へ流れてくることの影響、そして更に深刻化している炭素ガスによる地球温暖化が加わって、激しい温度上昇が起こるだろうとの予報になっている。しかしインドネシア地学気候気象庁は65℃という高温に達することは考えにくく、6月7月のサウジアラビアでは45〜50℃のレベルが一般的な気温になるだろうとの見込みを表明した。サウジアラビア王国国土環境気象センターが出している気象報告によれば、1985〜2010年間で6月の最高気温は2010年6月21日の49.6℃、7月の最高気温は1989年7月10日の49.8℃となっていることを同庁はその見解の根拠にしている。
しかし30〜34℃という気温レベルに慣れているインドネシア人にとっては、45℃であってもたいへん大きい負担になることは明らかであり、その時期にサウジアラビアを訪れる者は十分な警戒を払わなければならない、とも警告している。
インドネシアでも、乾季には雲の発生が低下して日照が直接地上に降り注いでくる。おまけにこの乾季はエルニーニョ現象が強まるだろうとの予報が数ヶ国で既に出されており、エルニーニョはインドネシア海域で海水温の低下をもたらすために雨雲ができにくい状態を作り出すことから、エルニーニョがおとなしくしている年に比べれば、今年の乾季ははるかに身にこたえるものになりかねない。
世界気象機関のデータによれば、ジャカルタにおける過去三十年間の6月の最高と最低の気温平均は、最高が31.4℃で最低が24.8℃となっており、また7月は最高が32.2℃、最低は25.1℃となっている。気温が高まり、大気中の湿度も80%くらいまで高まれば、人間の身体は容易に暑苦しさを感じるようになるものの、湿度がそこそこなら、日陰に入ればかえって壮快感を人体に与えてくれるだろう。これもラマダン月のシャウムの行に加味されるアッラーの「愛の鞭」かもしれない。


「寒い乾季」(2015年7月29日)
平常10〜11月に始まるジャワ島の雨季は、この2015年は11〜12月へとひと月遅れることになりそうだ、と地学気候気象庁が予報している。ジャワ島内にある季節ゾーンのうちの80は11月、30は12月から雨季が始まる見込みであり、全国的にも非季節ゾーンの7割で雨季入りが遅れるだろうとのこと。その最大の原因はエルニーニョの影響で、今はまだ中レベルとされているエルニーニョのために全国的に乾燥度合いが2014年より激化している。
2015年6月の観測では、ジャワ島内の大半の地域で月間降水量が50mmを下回った。2014年6月には見られなかった現象だ。その乾燥レベルは相当に激しいものであり、「今は乾季中だからその激しさはあまり感じられないかもしれないが、雨季入りが遅れていくことでそれが実感されるだろう。」と地学気候気象庁気象情報分析課長は述べている。乾燥状態は7月に入っても継続しており、7月上旬のジャワ島の降雨量は0〜10mmしかなく、多くの地域が長期に渡って雨が降らない状態が続いている。21〜30日間雨のない地域が多く、31〜60日間雨のない地域もかなりあり、中には60日以上雨が降らない地域すら出現している。ジャワ島内でのこの状況は8月9月まで持続する可能性が高く、島内のほとんどのエリアで月間降水量は50mmを下回ることが予想されている。
エルニーニョはパプア州プンチャッ県にも猛威をふるっている。高所にあるこの地方では例年6月から8月にかけて雪やみぞれが降るのが普通だが、2015年はそれが特に激しくなっており、食用植物が育たない天候のために県内に飢餓が広がりつつある。「全国的に気温が低めになっているのはエルニーニョのせいだ。」と地学気候気象庁R&Dセンター長は述べている。
ジャワ島南部地域も低気温に襲われており、ヨグヤ特別州グヌンキドゥル県や西ジャワ州パガンダラン県では、最低気温が12〜13℃まで低下した。パプア州北部海域には温水塊があって温度低下はあまり起こらないのだが、エルニーニョが温水塊を散らして東方に移動させた結果、パプア州北部海域は平年より冷たくなっている。そのために、高気圧が発生して冷気がパプアの北から南に拭きぬける現象が起こる。プンチャッ県は標高4,884mのプンチャッジャヤ山を擁する高所にあり、人口約1万人。高地に打ち当たった風はそこを乗り越える際に多量の降水を起し、暖かくなって乾燥した風が高地を下っていくという現象が発生する。降水は温度次第で雪やみぞれになるということだ。プンチャッ県およびその周辺地域での降雪は例年のことだが、今年はそれが特に激しく、食糧が欠乏する事態に至ったためにジャカルタ中央政府が緊急事態として食糧援助を行なっている。


「雨季の真っ只中の乾季」(2016年1月12日)
雨季の真っ只中にもかかわらず2015年12月末ごろから16年1月上旬にかけて、首都圏、マグラン、ヨグヤカルタなど国内一部地域で晴天と強烈な日射が炒りつけるという異常気象が起こっている。雲の生成がきわめて少なく、空気は乾燥し、ちょうどインドネシア領土の上あたりに戻って来た太陽の直下型日照のために、灼熱地獄に陥っているありさまだ。
この異常気象はエルニーニョが原因ではない、と地学気候気象庁が明らかにした。全国的に乾燥した広域気象になっているのは、マッデンジュリアンオシレーション(MJO)のせいであるとのこと。エルニーニョは16年3月まで継続すると見られているが、既に全国的な影響をもたらすだけの勢力でなくなっており、今インドネシアは10日程度の日数で循環的に気象変動をもたらすMJOの影響下に陥っている。
MJOは赤道周辺地域で風・海水温・雲・雨などの気象に異常現象を発生させるものだ。ある地域に対してMJOが上昇フェーズで通過する場合は多雨になる可能性が高く、反対に下降フェーズなら降雨が抑えられることになる。この新年前後にMJOが下降フェーズでインドネシアを通過した結果、全国的に暑く乾燥した気象が発生した。
ジャワ島に「雨季の真っ只中の乾季」現象をもたらしている要因はそのほかにも、カリマンタン島西側のカリマタ海峡に大きい低気圧ができているために、アジア大陸から南下してくる湿った気団が足止めを食っているという要因がある。そのために北からの風と南からの風がジャワ海上空で衝突し、そこで降雨を起こさせている。しかしカリマタ海峡の低気圧は徐々に弱まっているため、アジア大陸からの湿った空気がジャワ島に達するのは時間の問題であるとのこと。
エルニーニョが原因で乾いた気象が続く心配はもうなくなり、これからは多雨と洪水の心配をしなければならないだろう、と地学気候気象庁は国民に解説している。


「異常気象はそろそろ終わる?」(2016年1月18日)
全国の多くの季節ゾーンは雨季に入っている時期だというのに、雨のない乾燥した天気が15年12月後半から続いている。特にジャワ島を含むインドネシア南部地域で雨が降らなくなっており、エルニーニョが強い影響を及ぼしている、と地学気候気象庁地学情報広報責任者が発表した。インドネシアに雨季をもたらしているモンスーン季節風をエルニーニョが邪魔しているのだそうだ。
エルニーニョというのは赤道付近の海面温度が中部から東部太平洋一帯で上昇する現象で、インドネシアには乾燥気象をもたらすために、雨季の自然現象が障害を受けることになる。インドネシアの雨季はモンスーンがアジア大陸からオーストラリアに向かって吹くために西寄りの風に変わり、湿った空気が多雨をもたらすのが特徴だが、エルニーニョのためにモンスーンの勢いが弱まりジャワ島からインドネシア南部地域一帯にかけてはオーストラリアからの乾燥した空気が流れ込んで来て乾季と同様の東寄りの風が優勢な気象になっている。
それに加えて、カリマンタン西部のカリマタ海峡にボルネオの渦(Borneo Vortex)と呼ばれる強い低気圧が発生しているため、諸方面から大気がそこに吸い寄せられ、大陸モンスーンがジャワ島に達することが障害を受けており、反対にオーストラリアの大気がジャワ島に引き寄せられる現象が起こっている。
エルニーニョは現在軟化傾向に入っており、16年3〜4月にかけて終息するものと予想されている。首都圏をはじめ、ジャワ・スマトラ・カリマンタン・スラウェシ島南部と東南地区では1月18日の週にまた降雨が再開されるだろうと地学気候気象庁が発表した。さらにマッデンジュリアンオシレーション(MJO)が1月末に到来して降雨を確実なものにするだろうとも予測されている。
1月下旬から2月上旬に各地の降雨量は10日間に100ミリを超えるだろうとの予測にもとづいて、この2015/2016年の雨季のピークは1月末から2月にかけてになる見込みであり、3月いっぱいまで月間降雨量は150ミリを超えると目されているため、雨季は全国的に3月まで継続する。4月に入れば、ジャワ島東部から徐々に乾季へ移行するだろうとのこと。


「2月前半がこの雨季のピーク」(2016年2月4日)
首都圏はいよいよ2015/16年雨季のピークに突入する、と地学気候気象庁が2月1日に発表した。この先、一〜二週間の降雨は密度と雨量が大幅に増加する可能性が高く、中でもボゴール丘陵地帯の降雨が河川を経由して首都圏内に流入するタイミングと首都圏内での降雨、さらにジャカルタ湾での潮位が高まるタイミングが重なると、都内での出水は激しいものになるおそれが大であるとのこと。
北方の気団が南下してインドネシア上空に押し寄せてきており、一方インドネシア南部のインド洋からインドネシアへ向けても風が吹いている。そのため、インドネシア南部地域では、通例の西風が雨雲を運んでくる傾向が少し南よりに傾いており、南からの突風に驚かされることもある。
二月第一週から中旬まで、インドネシアは雨季のピークに入る見込みであり、今年のピークは昨年にくらべて少し遅れたタイミングでやってきた。ピーク時には短時間に大量の降雨が起こって、地上の排水能力を上回ることが懸念される。
地学気候気象庁タンジュンプリオッ海洋気象センターのデータによると、北ジャカルタ市域の16年1月降雨量は156.7ミリで、雨の日は14日あった。一日平均は11.2ミリだ。しかし昨年1月22日に起こった大雨では、降雨量が111.4ミリに達し、北ジャカルタ市域の8割が水に浸かった。更に、昨年2月1日にも100ミリを超える大雨が降り、そして大打撃を与えたのが2月9日で、その日の雨量は361.4ミリに上った。
今年は2月半ばごろまで、水に悩まされる毎日になりそう。


「ニュピ祝祭日に皆既日食」(2016年2月11日)
2016年3月9日朝に起こる皆既日食はインドネシアの12州で観測することができる。特に地上で皆既日食観測ができるのはインドネシアだけで、その便利さが世界各国から観光客を招き寄せるにちがいないと政府は考えており、観測可能ポイントでの外国人観光客受け入れ態勢の向上がいま進められている。中部スラウェシ州のポソ・シギ・パル、バンカブリトゥン州ブリトゥン、北マルク州のテルナーテなどでは、地元自治体と観光業界が準備に大童といったところ。中部スラウェシ州は5千人の観光客が訪れるだろうと予測し、地元芸能や文化の紹介などのプログラムも準備中だそうだ。
西スマトラ・ブンクル・ジャンビ・南スマトラ・バンカブリトゥン・西カリマンタン・南カリマンタン・中部カリマンタン・東カリマンタン・西スラウェシ・中部スラウェシ・北マルクがその12州だが、言うまでもなくその州内ならどこでも見えるということでは決してない。各地で観測できる皆既日食はだいたい2〜3分程度の時間。もっとも長時間日食が持続するのは北マルク州東ハルマヘラのマバで3分17秒、一番短時間は西スマトラ州南パガイ島セアイの1分54秒。
インド洋からハワイ諸島までの間で観測できる今回の皆既日食はパプアニューギニアの北方海域で4分9秒というもっとも長時間の持続が起こる由。日食の始まりは、インドネシア西部時間帯エリアで午前6時20分、中部時間帯エリアは7時25分、東部時間帯エリアは8時35分。皆既日食が起こるベルトの外側は部分日食になる。部分日食ならインドネシア全土で観測することができる。
この日はちょうどバリヒンドゥ教のニュピ祝祭日に当たり、静寂のバリ島につかの間のページェントが彩りを添えることになりそうだ。国内のさまざまな大学や天文学研究機関は皆既日食ベルトの各地に散らばって観測を行う予定で、韓国の研究者も中部スラウェシ州ポソで観測を行うことになっている。バンドン工科大学とボスカ天文台は皆既日食の実況中継をライブストリーミングで流す計画にしており、全国のどこにいようがその画像を愉しむこともできる。
各地でのタイムスケジュールは次の通り。
場所; 部分蝕開始/日の出   皆既蝕開始   皆既蝕終了   部分蝕終了  
パガイ島; 06.25     07.18   07.20   08.25
パレンバン; 06.20    07.20   07.22   08.31
ジャカルタ; 06.19     −−−     −−−    08.43
バンドン; 06.19      −−−     −−−    08.31
ヨグヤカルタ;06.20     −−−     −−−    08.35
スラバヤ; 06.21      −−−     −−−    08.39
デンパサル; 07.22     −−−     −−−    09.42
パル;   07.27     08.37   08.39   10.00
マナド;  07.34      −−−     −−−    10.15
テルナーテ; 08.36    09.51   09.54   11.20


「この雨季は長引きそう」(2016年2月18日)
2016年の乾季は始まりが平年より20〜30日遅れそうだと地学気候気象庁が発表した。エルニーニョとアジアモンスーンが相互に影響しあうため、降雨が標準より長期間継続する可能性が高いことがその遅れの原因となる由。そのため、ジャワ島は5〜6月から乾季が始まりそう。
2015/16年のエルニーニョは2℃以上の強さをもたらす強力なものだが、1997/98年のときのような高下が起こらず、比較的平坦な様相で、降雨量のピークにブレーキをかける結果をもたらしている。この雨季ピーク時にジャワ島で昨年のような激しい水害が起こらなかったのも、その影響がもたらした現象だ。
一方、アジアモンスーンの影響が強い地方では、激しい水害に見舞われている。アジア大陸から吹いてくるモンスーンはカリマタ海峡で渦をなし、バンカブリトゥン州パンカルピナンに前代未聞の水害をもたらしている。パンカルピナンでの降雨量は過去5年間で最大の数値が観測され、16年2月8日には一日で421ミリの降雨量が報告された。
地学気候気象庁の予報にもとづいて災害対策国家庁は、雨季の災害のメインは洪水・土砂崩れ・プティブリウン(竜巻)の三つであり、16年2月の降雨量増大によって西スマトラ・ジャンビ・南スマトラ・ブンクル・ランプン・ジャワ島全土・バリ・西ヌサトゥンガラ・東ヌサトゥンガラ・南スラウェシ・西スラウェシ中部スラウェシ・北スラウェシ・パプア・西パプアの各州でその三大災害が発生する確率が高い、と表明している。雨季が長引き、更に湿った乾季になれば、農民にとっては植付けの頻度が高まって有利になるものの、多雨は病害虫が増えやすくなるため、その良し悪しは一概に言えないとされている。


「2016年乾季予報」(2016年3月29日)
全国342か所の65.8%にあたる283の季節ゾーンで2016年乾季の開始は5〜6月になる見込みであり、次の乾季のスタートは遅くなりそうだと地学気候気象庁が予報した。エルニーニョが強まったあとに通常起こる現象がそれだとのこと。エルニーニョは16年2月第一週まで強まり、それから軟化した。またラニーニャが影響をもたらすなら、つぎの乾季は湿った乾季になるだろうとも述べられている。
地学気候気象庁データベースにある1981〜2000年乾季開始月平均に対して2016年は49.7%の季節ゾーンで乾季入りが平均より遅れる。平均より早まるのは22.8%、平均並みは27.5%。平均より遅れる季節ゾーンがもっとも多いのはジャワ島で、117か所が遅れると予測されている。
この現象を起こす大きい要因はアジアモンスーンがオーストラリアに向けてきわめて安定的に湿った空気を送り続けていることで、西風の季節というのはインドネシアの雨季を象徴する気象であり、つまりは雨季の基本要素が遅れてやってきていると言うことができる。反対に乾季のベースであるオーストラリアからの乾燥した冷たい空気がインドネシア上空へ流れ始めるタイミングも遅れ気味になるというのが今年の乾季開始の遅れをもたらす構図である由。加えてマッデンジュリアン波動のウエットフェーズがインドネシア領域にまだ残っていて、湿った空気はまだまだ供給されている。
ラニーニャは16年10〜12月に50%の確率で現れ、乾季を終わらせて雨季をスタートさせるだろうから、この乾季の雨量が平均値を上回る季節ゾーンは少なくないと見込まれる。地域を列挙するなら、アチェ中部・南スマトラ東岸・ランプンの一部・西ジャワ北岸・スラウェシ南部マカッサル周辺・カリマンタン島東部などであるとのこと。


「乾季入りは遅れ気味」(2016年5月20日)
地学気候気象庁の観測によれば、全国342季節ゾーンの中で、13.2%が4月までに乾季入りした。以前の予報では、4月までに乾季入りするのは16.1%、5月末までには52%が乾季入りし、6月末には87.7%で、100%になるのは11月となっている。
元の予報と現実との食い違いは、オーストラリアからの乾いた東風は吹いてきているものの、インドネシア上空では北からの湿った気団が依然として優勢で、降雨傾向が継続していることが主要因に挙げられている。米国コロンビア大学気候と社会に関する国際調査機関は、今年6〜8月にラニーニャ現象が52%の確率で発生すると予測しているが、太平洋の海面温度に関して、年内の顕著な低下は起こらないだろうと見られている。その予測が実現するなら、インドネシアではラニーニャの影響が次の雨季とぶつかる可能性が高い。ラニーニャは最初弱く、時間をかけて強まって行く。1998年の例を見るなら、強まるまでに6か月が経過している。
ラニーニャの太平洋熱帯地域における特徴は海面温度が通常より低下することで、それより高温のインドネシア海域に大平洋から湿った空気が流入してくるため降雨量を増やす効果を持っている。
昨今の気象については、北からの湿った気団が西部インドネシア地方で優勢なために、スマトラ島全域からジャワ島西部にかけて軽い降雨が続いている。地学気候気象庁の定義では、一日の降雨量が5〜20ミリは軽い降雨、20〜50ミリは中程度、50〜100ミリは濃い雨、100ミリを超える場合は極度の濃雨と呼ばれている。
過去数日間、首都圏では軽度から中程度の雨が連日降っており、この先一週間はアチェ・北スマトラ・西スマトラなどスマトラ島北部の沿岸部からスマトラ島南部地方、そしてジャワ島西部で軽〜中度の降雨が予想されている。
西ヌサトゥンガラ〜バリ〜東ジャワは既に乾季入りし、中部ジャワから西ジャワは乾季に向いつつあるとのこと。


「17年初は水害が深刻化しそう」(2016年6月14日)
ラニーニャの到来がはっきりしてきた。インド洋双極(ダイポール)モードネガティブ相の出現でインド洋東部/スマトラ島西岸部からインドネシア海域一帯の海面温度の上昇が観測されているからだ。地学気候気象庁の過去からの観測結果に従えば、双極モード現象が起こってから三か月後にラニーニャが始まるパターンになっており、エルニーニョ現象が終息したあとの定常的パターンとして同庁はとらえている。1997年にきわめて強いラニーニャ現象が起こったとき、インドネシア海域は二年間に渡ってラニーニャに支配された。現在の海面温度は1℃以上上昇している。
双極モードネガティブ相は海水蒸発を活発化させて降雨を増やす効果をもたらす一方、ポジティブ相では雨が少ないという特徴がある。ネガティブ相が出現して多雨となり、三か月後にはラニーニャがそのあとに続くことになりそうだ。
5月23日の気象衛星写真では、南シナ海・カリマタ海峡・ジャワ海からスラウェシ海域まで海面温度が高めになっており、インド洋側はスマトラ島西岸部からジャワ島南部海域も高めになっている。
インドネシアは既に乾季に入っているが、いくつかの地域では依然として降雨がある。それは1〜2月に降雨が阻まれた結果、蓄えられていたエネルギーが今頃になって放出されているためだそうだ。平常のパターンでは、1〜2月に降雨量のピークが訪れるのだが、2016年はエルニーニョのために降雨が阻まれて平年以下の雨量になった。今になってエルニーニョはほとんど消滅しており、そのために降雨が増えていると地学気候気象庁は説明している。
エルニーニョの影響が消滅しても気象への影響要因が絶える期間は長くない。今やラニーニャが8月に発生することが確実視されたため、雨季〜乾季という季節変動に対して異常気象がもたらされることも推測される。ラニーニャは西太平洋の海に温水塊が生じる現象であり、降雨を増加させる結果をもたらす。乾季にラニーニャが起これば乾季の開始は遅れ、また期間は短縮され、雨の多い湿った乾季となる。
しかしラニーニャが8月に発生するなら、降雨の増加が顕著になるのは年末であり、つまりは12月末から17年1月にかけての降雨が大幅にアップして、水害が深刻化することが懸念される。


「震度表示変更」(2016年7月18日)
地学気候気象庁は、これまで地震の震度表示に使われていたメルカリ震度階級(Modified Mercally Intensity (MMI))を簡素化して、インドネシア独自の震度階級を使用していくことを決めた。名称はSkala Intensitas Gempa(SIG)で、同庁の基準、つまりインドネシア式という意味をこめてSIG BMKGという使い方がなされる。
MMIは12段階になっていて、地震の激しさが細かく分類されているのだが、インドネシアの現状について考慮するなら、マジョリティ国民にとってはまだそこまでの細かい区分はフィットしておらず、かえって「よくわからない」という印象を与えて来た。大まかに5段階にすればもっと判りやすいだろうということで、SIG BMKGは次のような内容になっている。

I SIG BMKG: 地震測定機器で把握されるレベル
II SIG BMKG: 少数のひとが人体に感じるレベル
III SIG BMKG: 軽度の被害を与えうるレベル
IV SIG BMKG: 中程度の被害を与えうるレベル
V SIG BMKG: 重大な被害を与えうるレベル

それとは別に地震災害軽減対策として、危険地域の指定、通報体制、住民避難訓練と対策、建築物耐震性、等々の深化と強化の努力が続けられている。その中で行政と学界が共同で進めて来た国土地震地図の内容が大きく書き換えられた。最新調査とその分析結果から、これまで震源予測の対象から除外されていたいくつかのエリアがその可能性を持っていることが明らかになるとともに、地震の強さもこれまで考えられていたものより大きくなる可能性を関係者は認めている。中でもジャカルタやスラバヤをはじめ各地の大都市に地震被害発生のおそれが強まったことで、災害が起これば被害が大型化することが予測され、対策強化が早急に着手されるよう求められている。
改訂地震地図に追加されたものには、バンダ〜フローレス地区、スマトラ断層、ジャワ断層、ジャワ島南方沈み込み帯、バリ島北方海底からジャワ島北部陸地に達する長距離断層などがあり、バンダ〜フローレス地区は南方海底の沈み込み帯が最大の脅威になっている。またバリ島北部海底からウエタル島に至る断層はきわめてアクティブであり、マグニチュード(M)8を超える強い地震の発生が懸念されている。中部ジャワ州スマラン南部から東ジャワに至るクンデン断層は年間5ミリの規模で動いており、それがバリ島北部海底まで伸びて地震巣を形成している。その関連で、スラバヤは大型地震の被害にさらされていると認識されるようになった。
西ジャワ州のレンバン断層は1450年に大型地震を発生させたことが判明しており、再発生の際の最大規模はこれまでM6.4と見られていたが、それがM7に引き上げられた。スマトラ島については、アチェ内陸部の断層が従来は年間2ミリの動きとされてきたが、それが20ミリであると訂正された。ランプン内陸部の断層も同じように、従来の8倍に数値が訂正されている。
ジャカルタは1699年に地震のために粉砕された歴史がある。またブリビス断層が1780年に地震の大きな被害をもたらした。ジャカルタに地震は起こらないという言葉は、いまや神話でしかない。そして、ジャワ島南方海底にある沈み込み帯がもたらす地震はこれまで予想されていた最低M8.1より強いと分析された結果、最低M8.5に改められている。


「オーストラリアモンスーンが強まる」(2016年7月29日)
湿った乾季どころでない雨だらけの日々が数週間続いた後、雲は依然として多いものの降雨は減少し、風が強まってきた。この東からの風は冬のオーストラリア大陸から?吹き出す乾燥した冷たい気団で、この風が強まったことで赤道南部に位置するスマトラ島南部からジャワ〜バリ〜ヌサトゥンガラにかけての上空を覆っていた湿った大気が北に押し上げられはじめている。
その結果、この先数週間はそれらの地方で降雨量が低下するだろうと地学気候気象庁が予報した。雨は降るだろうが、散発的で短く軽い雨になるだろう、とのこと。反対に、スマトラ島中部から北部、カリマンタン島北部、スラウェシ島・マルク〜パプアなど赤道の北側は雨雲の形成が盛んになりそう。
大平洋とインド洋に発生しているふたつの低気圧がその状況にさらなる影響を与えることになる。フィリピン東部の太平洋に大型低気圧があってオーストラリアからの風を吸い寄せており、乾燥した冷たい風の一部はインドネシア上空を通ってカリマンタン〜スラウェシ〜パプア方面に流れて大気の衝突を起こす。衝突すると一方の大気団は上に乗り上げようとし、雨雲の形成を活発化させる。インドネシアの海水温はいま28〜30℃に上がっているため、雨雲の形成は容易に煽られる。
もうひとつ小型低気圧がインド洋のスマトラ島北西位置にあり、こちらのほうは湿った大気を吸い寄せるために、インドネシア上空から雨雲を減らす効果をもたらす。地学気候気象庁の7月26日〜8月1日週間予報では、南スマトラ〜バンカブリトゥン〜ランプン〜カリマンタン〜スラウェシ〜マルク〜パプアで中級から激しい雨となっている。
ラニーニャは8月まで強まって行くが、9月には弱まり、そのまま12月まで持続すると見られている。今年のラニーニャは2010年のときのような勢いはなく、中くらいの強さで終わるだろうと予想されている。


「雨季が早まりそう」(2016年9月1日)
次の雨季は平年より早く始まる見込みであることを地学気候気象庁が予報した。
全国342の季節ゾーンのうちで7割を占める231ゾーンが前倒しになるとのこと。平年よりひと月以上早まるのが71ゾーン、ひと月早まるのが43ゾーン、20日早まるのは59ゾーンで、10日早いのは58ゾーンというのがその内訳。
全体として前倒しが顕著なのはジャワ島で、ひと月以上早まるのは22ゾーン、ひと月が35ゾーン、20日40ゾーン、10日29ゾーンとなっている。
それらは乾季に入っている季節ゾーンについてのものであり、インドネシア全土にはまだ乾季に入っていない季節ゾーンがある。ジャワ島西部とスラウェシ島にある12季節ゾーンはいまだに続いている雨季から乾季に替わることなく次の雨季に入ってしまいそうだ。
その状況を生み出す要素として、ラニーニャ、インド洋双極モード(IOD)ネガティブフェーズ、弱風のオーストラリアモンスーン、インドネシア海域の海面温度が高めであることなどが影響している。
1981〜2010年の気象データによれば、ラニーニャとIODネガティブフェーズが重なった場合、6月から10月までの間インドネシアは全国的な多雨になっている。今年の湿った乾季もそのケースに該当している。今年は6月以来ラニーニャとIODネガティブフェーズが抱き合わせ状態に入り、それは17年1月まで継続すると予想されている。ただ今回のラニーニャは消滅するまで弱めが持続すると見られていて、中程度の強さになることはなさそうだ。
IODネガティブフェーズは今年11月ごろに終わると予測されているが、その時期に乾燥した風をもたらすオーストラリアモンスーンも多湿なアジアモンスーンに取って代わられることになる。つまりいずれも雨勝ちを作り出すIODネガティブフェーズからアジアモンスーンにバトンタッチするということになりそう。


「この雨季は平年並みか?」(2016年10月14日)
全国的に雨季の門口に立ったインドネシアで、ラニーニャの影響はむしろ弱まっており、ニュートラルレベルに向かっている、と地学気候気象庁が発表した。ラニーニャ現象はインドネシア海域の海水温を高めにするために降雨量の多い気象をもたらすものと理解されている。
16年10月9日の地学気候気象庁気象変動情報センターからの情報によれば、ラニーニャが弱まっている結果、2016/17年の雨季は平年並みの降雨量になりそうであるとのこと。
ラニーニャは弱まってニュートラルに近づき、16年11〜12月に再び弱いラニーニャが現れたあと、17年1月にまたニュートラルに戻るというのがその予報の根拠。しかし月間降雨量は小さくなるにせよ、短期間集中的に大きな降雨が起こる可能性がなくなるわけではないため、突発的な豪雨への警戒を緩めないように、と同庁は国民に呼びかけている。
というのは、ラニーニャだけが雨量の多寡を決めるわけではないからだ。インド洋双極モード(IOD)ネガティブフェーズは依然として顕著であり、湿った空気がインド洋からスマトラ島西部からジャワ島西部地域に渡って流れ込んでくるため、その影響を受ける地方では大雨が降る可能性は依然として残されている。
10月第一週の海水温が高めな海域は、スマトラ島南部沿海部、ジャワ・バリ・ヌサトゥンガラ周辺、スラウェシ島南部、マルク、パプア一帯で、雨の降りやすい環境になっている。
波浪については、アンダマン海、ジャワ島南部から東ヌサトゥンガラ州スンバ島にかけて、スマトラ南部インド洋、タニンバル諸島南部、アラフラ海で2.5〜4mの強い波が立つことが予想されている。必然的に、船舶渡航、出漁、海岸での行楽などは警戒する必要がある。
毎年10〜11月はオーストラリアモンスーンが弱まってアジアモンスーンに移行する季節であり、またサイクロンの発生も増加する。10月第一週を見ても、東シナ海にある台風に続いてフィリピン東方に別の台風が北西に向けて移動している。インド洋でもスマトラ島南西海域に強い低気圧ができており、ジャワ海にも強風循環パターンが作られている。
それらの現象はジャワ海〜マルク北部海域〜パプア北部海域で気団の流れに衝突を起こさせ、スマトラ島中部、ジャワ海、マカッサル海峡、マルク、西パプアからパプア北部海域の一円で風向を変化させる。こうして、湿度の高い気団で作られた雨雲が風向きの変化に伴って降雨地域を変える結果をもたらすことになる。


「南中国海」(2016年10月26日)
2016年7月28日付けコンパス紙への投書"Laut Tiongkok Selatan"から
拝啓、編集部殿。South China Sea(南シナ海)に関する報道には、Laut Tiongkok Selatanの名称を使わないように提案します。どうしてか?
ティオンコッというのはチュンクオ(中国)という国の国名を意味しているのです。海洋の名称に国名を使うのは、その海の一切が中国のものであるということを正当化するチャンスを開きます。
ナトゥナ諸島海域で盗漁中国漁船が拿捕される頻度や隻数が増加していることが、ナトゥナ海域に対する中国政府の主張、かれらの表現によれば伝統的漁場、を物語っているのです。
拿捕された中国漁船の船内で見つかった中国政府の公式地図にはナトゥナ諸島周辺の全海域が中国の伝統的漁場と表示されており、その中にポツンとインドネシア領土であるナトゥナ諸島が浮かんでいるのは異様さに満ち満ちています。(コンパス紙記事6月15〜27日)
その中国製地図帳はナトゥナ海域が中国の海洋権の中に含まれているという理解を誘います。中国の海洋利害は東南アジアの海域すべてからマラッカ海峡にまで及んでいるのです。
かれらの主張はかれらが伝統的漁場と呼ぶ海域に置かれた仮想上の9本の破線で作られる9段線を根拠にしている、と中国側は言っています。9段線は公式に世界が承認しているインドネシアの排他的経済水域にかかっています。インドネシアはその9本の破線を認めておらず、国連にこの問題を訴えています。
だからこそわれわれは断乎として、Laut Tiongkok Selatanの名称を使うのをやめるよう提案しているのです。South China Seaに対して使用されるべきもっとも妥当な名称はLaut Cina Selatanでしょう。なぜなら、ここで使われるCinaという単語は国名でないからです。Cinaという単語の使用に関してためらいを持つことはもうやめましょう。
これは2014年3月12日付けインドネシア共和国大統領決定書第12号に反することでは決してない、とわたしは確信しています。[ 南タングラン市BSD在住、RGプジョ・ハルソノ ]


「スンダメガスラスト大地震???」(2016年11月22日)
ヨグヤカルタ南方海底を震源とするM4.8の地震が16年11月18日午前9時19分に発生した。震源は南緯8.93度東経110.49度のヨグヤカルタから129km南東のインド洋海底深度56kmのポイントで、ヨグヤカルタ市内をはじめ、バントゥル、ワテス、マグラン、クラテン、ウォノサリなどでBMKG震度II(MMI震度III)の強さが感じられた。
この地震もジャワ島南方を走っているインド=オーストラリアプレートとユーラシアプレートの境界部で生れたものであり、インド=オーストラリアプレートが年間70mmの速さでユーラシアプレートに沈み込んでいくことで起こる歪が作り出したもの。
その2日前の11月16日夜には、東ジャワ州マランの南方海域を震源とするM5.8の地震が発生して、マラン県では22軒の家屋が全壊、42軒が中程度、41軒が軽度の損壊という被害を受けている。そのときの地震はバリ島でも揺れが感じられた。
更に11月15日はチラチャップ南東の海底でM4.7、11月11日にはパチタン南東でM4.9、11月10日にもそれに近い場所を震源とするM4.9の地震、11月9日はバンテン州ルバッ県バヤの南方海域でM5.8、11月8日にはバンテン州ウジュンクロン南方海域でM5.8と、11日間に7件の地震がプレート沈み込み帯に沿って連発している。それらの地震で共通なのは、震源の深さが浅層あるいは中層のものという特徴だ。過去の記録では、この地震帯での地震発生は月に1〜2回という頻度でしかなかったことから、地学気候気象庁はこの連発地震をどのように分析してよいのか戸惑っている。


「8日ごろまで荒天が続きそう」(2016年12月6日)
強風を伴う豪雨に見舞われた16年12月4日のジャカルタは、東ジャカルタ市の三ヵ所で巨木が倒れて物的損害が出たものの、人的被害は免れたようだ。ともあれ、雨が降れば必ず起こる交通渋滞が、倒木のため一層悪化したのは言うまでもない。
その三ヵ所とはチパユンのラヤセトゥ通り、チパユンのビナマルガ通り、チラチャスのブグル通りで、径40cmの巨木が食べ物ワルンのテントを破壊したが店主は無事だった。損害は2百万ルピアと見積もられている。東ジャカルタ市防火救援課長は市民に対し、強風と豪雨のときに路上にいる運転者や市民は大きな木が近くにあればよくよく警戒するように、と呼び掛けた。
ジャボデタベッ地区では午後から夜にかけて強い風が吹く可能性が高いので警戒するとともに、タングラン・デポッ・ボゴールでは雷雨に警戒するように、と地学気候気象庁は注意を促している。
去る12月2日に同庁は、大気の状況から豪雨と雷そして強風がもたらす荒れた天候が首都圏だけでなく、アチェ・北スマトラ東部・西スマトラ・ブンクル・ランプン西部・バンテン・西ジャワ・中部ジャワ・ヨグヤカルタ・東ジャワ・バリ・西ヌサトゥンガラ・東ヌサトゥンガラ・中部カリマンタン・南カリマンタン・東カリマンタン・中部スラウェシ南部・西スラウェシ・南スラウェシ北部・パプア中部と北部という広範なエリアをこの先数日間襲うだろうと予報した。12月8日まで全国的に荒れた天候は続くだろう、とのこと。
荒れた天候は住民の日常生活に、洪水・土砂崩れ・鉄砲水・水没・倒木・路上でのスリップなどといった被害をもたらすことになる。また、海運サービスオペレータや漁民および海岸部住民は全国各地で、2.5〜3mに達する高波が発生するおそれがあるため十分警戒するように、とも警告している。
気象の変化は時々刻々移っていくため、最新情報を求める国民は地学気候気象庁から情報を得ることができる。同庁は24時間気象情報サービスを開始しており、電話番号021-6546318、http://www.bmkg.go.id、ツイッター@infobmkg.、プレイストアinfo BMKG などにアクセスするよう勧めている。


「今週の天気予報は豪雨」(2016年12月13日)
スマトラ島全域とジャワ島およびカリマンタン島の一部を含むインドネシア西部の天候は、今週、雨量が増大するだろう、と地学気候気象庁が予報した。ただし首都圏一円はあまり影響を蒙らない由。雨量の増大は洪水・土砂崩れ・竜巻などの災害をもたらすことにつながる。
アジア大陸モンスーンが南シナ海を経て赤道に南下してきているものの、カリマンタンに生じるボルネオ渦のために進行が弱められて威力は低下している。一方、西方から東に向かって進んでくるマッデン・ジュリアン振動(MJO)は既にインドネシアの赤道帯に達したと見られ、それらふたつの冷気団がインドネシアの降雨量を増大させる要因になっている。
そのふたつの要因はまだ強いものになっていないが、インドネシア西部は雨量の増大が予測され、豪雨・強風・雷という自然の猛威が襲い掛かって来る可能性が高い。特に警戒を要する地区は、スマトラ西岸部・スマトラ島南部・リアウとバンカブリトゥンの島々・ジャワ島西部中部地方・カリマンタン島北部西部地方・スラウェシ島南部中部北部地方とのこと。
国内に5つできている気流の渦は依然としてその形を保っている。その5つとは、アンダマン諸島〜アチェ北部・カリマンタン島北部・パプア北部・バンテン南西・東ジャワ〜バリの南部。それら気流の渦巻きは各地に異常気象をもたらしている。
スマトラ島中部の強風はアチェ北部の渦が西風の勢いをさらにあおっているためであり、また東ジャワ〜バリの南部に中心を置く渦は先週のサラティガの竜巻と東ジャワ各地での豪雨を引き起こした。しかしアンダマン諸島の渦は熱帯性低気圧(サイクロン)に育って西へ移動し、インドネシアへ与える影響は弱まると予測されている。また東ジャワ〜バリ南部の渦とパプア北の渦も今週中に勢力が弱まり、アジアモンスーンに場を譲る結末になりそうとのこと。


「16火山で登山禁止」(2016年12月30日)
インドネシアにも新年の初日の出を山頂で拝む習慣がある。拝むと言っても日本人のように手を合わせて拝むということでなく、初日の出を目と心で味わうというスタイルだ。それを行うのは体力のある青年層がもっぱらで、かれらは大晦日に山に入り、都会の喧騒と新年カウントダウンなどとは縁を断ち、夜の闇の下をひたすら山頂に向かって歩む。
高い山ほどチャレンジのし甲斐があり、そして初日の出の味わいもいや増しに深まるという寸法だ。かれらが選択する山の中には、今も生きている活火山すら含まれる。そのため、鉱エネ省地学庁長官が火山警戒ステータス2以上の火山には登らないよう、国民に警告を出した。
火山警戒警報は火山活動に応じて出されているが、初日の出登山は普段あまり火山情報に関心を持たないひとでも行うために、念押しの意味で出されている。
インドネシアには活火山が127あり、国民の活動に影響が大きいと判断された69の火山で観測が行われている。火山警戒ステータスは4段階で表示され、4がもっとも危険な状態を意味している。明細は次の通り。
ステータス  呼称
4     Awas (危険)
3     Siaga (警戒)
2     Waspada (注意)
1     Normal (平常)
現在警戒ステータスが4の山は北スマトラ州のSinabung山だけ。AWASに指定されたのは2015年6月2日。
他には警戒ステータス2の山が15ある。明細は次の通り。
G. Bromo Waspada 20-10-2016
G. Rinjani Waspada 27-09-2016
G. Lokon Waspada 22-08-2016
G. Soputan Waspada 21-04-2016
G. Karangetang Waspada 16-03-2016
G. Gamalama Waspada 10-03-2015
G. Sangeangapi Waspada 17-06-2014
G. Rokatenda Waspada 07-04-2014
G. Ibu Waspada 10-12-2013
G. Gamkonora Waspada 01-07-2013
G. Semeru Waspada 02-05-2012
G. Anak Krakatau Waspada 26-01-2012
G. Marapi Waspada 03-08-2011
G. Dukono Waspada 15-06-2008
G. Kerinci Waspada 09-09-2007