インドネシア事件簿2004〜05年


「建築中のアパートでクレーンが倒壊」(2004年5月4日)
5月3日午前10時半ごろ、SCBDスディルマン・セントラルビジネスディストリクトに建設中のSCBDスイートアパートメントの工事用タワークレーンが倒壊し、作業者3人が即死しほかの3人も負傷した。
この27階建てSCBDスイートはスマンギ立体交差の東南角にある首都警察本部の東南隅に隣接して建設されているもので、建物の11階までの建築が既に終わっていた。事故の発生はクレーンのかさあげをするためのジャッキング作業中のことで、被害を受けたのはその作業に当たっていた6人。作業員たちは適正な保安具を装着せず、平服で高所作業を行っていたが、クレーンの上部構造が崩れたために全員が落下した。三人は地面に達する前に振り落とされて即死し、ほかの三人は手当たり次第のものにしがみついために一命を取り留めたもよう。
作業者たちはこの建設工事を請け負っていたPTプルウサハアン・プンバグナンに2万5千ルピアの日当で雇われていた。警察は4日から工事関係者を呼んで事情聴取を行うことにしている。


「高速道路に設置されている表示板の下敷きとなってふたりが死亡」(2004年5月13日)
かつては泥棒のターゲットとなっていた高速道路の表示板。大寸法の金属板が使われているため、廃品業者に持ち込めば売れることから、当時高速道路を走ると『行先表示』や『出口表示』の文字が欠けている表示板をあちらこちらで目にしたものだ。今でもまだ盗難が完全に姿を消したわけでもない。そんな表示板の下敷きになってふたりが死亡するという事故が起こった。
12日午前7時半頃、ジャゴラウィ有料道路ボゴール方面行き車線のチブブル料金所アクセス路の手前を走っていたミニバンが、倒れてきたオーバーヘッド表示板の下敷きになり、乗っていた一家四人のうち両親が即死し、子供ふたりが負傷して病院に担ぎ込まれている。そのオーバーヘッド表示板が倒壊したのは、その不運な一家の前を走っていた牽引トラックのタイヤがパンクし、トラック運転手がコントロールを失って表示板の柱にぶつかったためで、ミニバンはかなりスピードを出していたために倒れてくる表示板を避けることができなかった、と目撃者は述べている。この事故のおかげでジャゴラウィ有料道路南行きは道路がふさがれておよそ1時間渋滞した。


「ジャカルタの火事。4月の被害は344世帯」(2004年5月14日)
首都ジャカルタの火災事件は多く、数日に一度は消防自動車のサイレンを耳にする。 3月の火災発生件数は64件で焼失面積12,220平米、家を失った人214世帯1,041人だったが、4月は60件、家を失った人344世帯で人数は5,267人に上った。それら火災の多くは貧困密集居住地区で発生しており、火災原因は漏電、こんろ、照明器具、タバコの順だと都庁消防局は述べている。


「生徒間タウラン、今年度のしめくくり」(2004年5月17日)
5月15日土曜日、学年末修業国家試験が終わった。卒業生には、あとくされなくこれで高校生活とおさらば。一年生二年生はおよそ二ヶ月間の解放生活が待ち受けている。この快感、至福感を態度で表さなければ若者とはいえない。こうして、ペンキスプレーを隠し持ってきた生徒たちが、制服に名前を書きあい、制服から髪の毛にまでペンキをかけあってはしゃぎまわる。それだけで終わるのは良い子たちだが、世間には良い子でない人間もいる。開放感に舞い上がったかれらは、荒れ騒ぐ血を抑えようもなく、敵を求めて路上に出る。
数年前は都内バスの乗っ取りまで行ったかれらも、今年はいまやジャカルタの年中行事と化した生徒間タウランに突き進む。
15日の昼から夕方にかけて、都内の数箇所で生徒間タウランが起こった。南ジャカルタ市レンテンアグン、中央ジャカルタ市ラワサリ、東ジャカルタ市プムダ通りのアリオンプラザ前などで、大勢の生徒たちが入り乱れての集団喧嘩が展開された。レンテンアグンの社会学政治学学院キャンパス前で起こったタウランでは、鉈や釜刀などを手にした高校生たちの乱闘が展開されたが、中のひとりがピストルを振り回したために敵がみんな逃走し、そのあとやってきた警察がタウラン参加者の大部分を逮捕した。ピストルを携帯していたのは16歳の高校1年生。この生徒は、通称ブラックという身元のよくわからない『ダチ』からその手製拳銃を10万ルピアで買ったと自供しており、実弾は入っておらず、40人ほどの敵が襲撃してきたので脅かすために振り回しただけだ、と述べている。
プロガドン工業団地から市内に向かうプムダ通りでは、アリオンプラザ近くの道端にしゃがんでいた大勢の生徒たちが突然集団でラワマグンバスターミナルの方に走り出し、別の学校の生徒たちとの追いかけあいを展開した。乱闘がはじまったが、パトロール中の警官がやってきたためにタウランは短時間で終わった。
インドネシア大学社会学者パウルス・ウィルトモ教授はこの生徒間タウランについて、「中下級経済層の子供たちが、学校生活という日常性から逃れて慰安や楽しみを求めようとしても、金持ち子弟のようにホテルでパーティもできず、モールやプラザに暇つぶしに行くにも金はなく、街中の緑地や公園、運動グランドなども減少する一方であり、結局騒ぐ男の血を発散させる場がタウラン以外になくなってしまっているからだ。」とコメントしている。


「国家諜報庁がNGOの治安撹乱計画を報告」(2004年5月27日)
ヘンドロプリオノ国家諜報庁長官が25日の国会第一委員会で述べた、国内外20のNGOが7月5日の大統領選挙に向けて治安撹乱の引き金となる正副大統領候補者に対するネガティブキャンペーンを企てている、との報告に関連して、ダイ・バフティアル国家警察長官は「警察はその報告を警告と受け止め、国内の治安を撹乱するようなイシューに備えるとともに、ほかの煽動的な動きにも警戒するよう、対応準備に入っている。」と26日の閣議のあとで述べている。
一方,法律援護会のヘンダルディ会長は、治安を乱すNGOの危険という国家諜報庁長官の報告は使い古されたネガティブプロパガンダであると同時に政治状況の実態把握を誤らせようとする策謀である、と批判した。「NGO、中でも人権分野で活動する団体に対する敵対表明はオルバ専制統治の得意芸だったが、いまでもそれがリサイクルされているのはきわめて皮肉だ。人権分野の活動家に対するこのようなネガティブプロパガンダはそれ自体、国家諜報庁の弱さを隠蔽するためのすり替えが行われていることを示している。いくつかの地方で発生したような社会擾乱や政治暴力の潜在性を探知するという主要任務の遂行能力を国家諜報庁は持っていない。」ヘンダルディ会長はそう発言している。


「首都近郊地域ではタングランが犯罪多発」(2004年6月15日)
マクブル・パドマヌガラ首都警察長官は、「犯罪発生率は首都が最大だが、周辺のボデタベッ(Bogor, Depok, Tangerang, Bekasi)エリアの中ではタングランが一番多いので、タングラン警察は取り締まり活動を強めるとともに市民も地域の治安や犯罪対応面で警察への協力を高めてほしい」と、メトロタングラン地区警察が14日朝開催した地区環境保安番所長集会でスピーチした。この集会は7月5日の大統領選挙投票日における保安を主テーマとしたもので、警察職員ならびにタングラン地区警察管区の宗教名士や市民、警備員なども参加した。
タングラン県および市での多発が顕著なのは暴力行為を伴う盗難(強奪)事件。過去三ヶ月で銃器や刃物を使った12件の強盗事件が発生し、捜査終結はわずか6件で半数がまだ捜査中。それ以外にも警官を装って行なわれた犯罪事件がポンドッアレンの縫製工場、チルドゥッのアクア飲料水ディストリビューターなどで三件発生したが、犯人は既に逮捕されている。長官は「タングランは首都に隣接するサポート都市であり、治安の乱れが首都の秩序安定に直接影響を与える重要な位置にある。人口は既に430万人に膨らんでいるが、配備されている警察職員数は9百人で、これは警官ひとりあたり4,778人の市民を保護しなければならないことを意味しており、その負担が過剰であるのが実態だ。ともあれ、メトロタングラン地区警察は最善を尽くして保安と秩序の維持を推進するべく、管区内パトロールを強化するように。また市民も自分の生活環境を守るべく、地区警察署あるいは分署レベルで警察に協力し、地元のパトロールを強化していただきたい。」と述べた。


「結婚式のビュッフェで中毒か?ふたりが死亡」(2004年6月23日)
インドネシアで庶民は、結婚したことを世間に知らせて認知してもらうために、近隣住民や親族を招いて祝宴を開く。余裕があれば会堂を借りるが、余裕のない人は自宅で行う。場所が広いとそれだけ大勢の人に来てもらえるが、庶民の自宅だと家の表の道路を占拠するのが限度。
招かれて新郎新婦を祝福にやってきた人たちは、○一封を渡して新郎新婦や列席している一族にお祝いを述べ、用意されているビュッフェテーブルに向かう。食事が終わり、他の参会者たちとのバサバシも終われば、後はさようなら、という筋書き。
さて、さる19日にタングラン県ルゴッ町ボジョンカマル村でそんな庶民の結婚式が催された。新郎ズルキフリ25歳と新婦ジャオジャ20歳の華燭の宴だ。町内隣近所や地区の知り合いなど数百人がお祝いにやってきて、ビュッフェテーブルに並べられている鯖、鶏、ビーフン、ジャガイモ、野菜カレドッ、スープ、卵、麺などを食べて帰った。
その後で異変が起こった。家に帰った数十人の人々が頭痛を訴え、突然嘔吐したのだ。パルンパンジャンにあるプスケスマスには類似の症状を訴える村人が25人もやってきた。患者は下は8歳から上は60歳までさまざま。そして新婦の義母80歳が翌日亡くなった。21日にはまた、7歳の小学生が二人目の犠牲者になった。
警察は保健所と協力して料理を手伝った三人の婦人を調べたがその女性たちは、自分たちはただスパイス作りを手伝っただけで、食べ物の調理は新郎新婦の家族が行った、と供述している。一方で、村の中に妙な噂が広まっている。美人の新婦ジャオジャの元恋人たちの中のだれかが、かの女の結婚を嫉妬して毒を盛ったというのだが…・。ジャオジャの妹アチ18歳も「大いにありうるわね。だって姉さんは美人だもの。」と証言しており、警察はその線も頭の片隅に置きながら、事件の解明を進めている。


「オートバイ同士の衝突でふたりが焼死」(2004年6月24日)
タングラン県パムランで22日23時ごろ、オートバイ同士が衝突するという事故があった。一方の日本ブランドオートバイ、ジュピターに乗った青年25歳は友人を後ろに乗せ、共通の友人をファトマワティ病院に見舞いに行った帰り道を飛ばしていた。パムランのパグユバンパチュアンクダ通りに差し掛かったとき、街灯もほとんどない真っ暗な状況下で、かれは道路の中ほどに停めてあったミニバスを追い越した。道路の右寄りを走っていたちょうどそのとき、前方のカーブから一台のオートバイが高速で飛び出してきたではないか。やはり日本ブランドのオートバイRXキングに乗っていたのは、仲間ふたりを乗せて飛ばしていた22歳の青年。
ミニバスでせばめられた場所には逃げ場もなく、2台は正面からぶつかった。ファトマワティから来たオートバイの同乗者はぶつかったショックで放り出されたが、運転していた青年と反対側からやってきた三人は車体にはさまれてしまった。ほどなくRXキングの燃料タンクが燃え上がり、運転していたふたりを炎が包んだ。
こうしてふたりは事故現場で死亡。三人乗りのもうひとりも全身やけどで重態。残るふたりは比較的軽い怪我で済んだ。


「マンガライのパサラヤで火事」(2004年7月2日)
7月1日正午過ぎ、都内マンガライ地区にあるパサラヤデパートで火事があり、1階の一部が燃えたがおよそ1時間半で鎮火した。人的被害は出ていない。
火が出たのは1階のハンバーガーショップに近い位置にある靴店の倉庫で、失火原因は漏電と見られている。店員たちが気が付いたときには大量の黒煙が一階と地下に充満し、来店客と店員がパニック状態で避難する中で警備員や店の職員の一部が消火にあたり、駆けつけてきた21台の消防車とともに火を消し止めた。火災発生とともにパサラヤはメインゲートを閉鎖し、警備員を出して警備を固めたが、これは火事場泥棒に対する対応とのこと。


「ぬすっとを捕らえてみればわが社員」(2004年7月20日)
メトロブカシ警察東ブカシ分署にタレコミがあった。ブカシ県ボジョンラワルンブでたくさんの新品カムコーダーを安売りしているやつがいる。分署刑事課の職員がひとり、買い手に扮して売っている男にコンタクトした。
「カムコーダーが安いんだって?」
「ああ、サムスンのVP-D590i、VP-D33i、VP-D97iなどがある。1台百万から2百万ルピアまで、モデルによりけりだ。」
「そりゃ安いな。ほんとに新品か?」
「ハコ入りのばりばりだ。」
「じゃあ一番高い機種を5台買う。9百万でいいだろう?」
「オッケー。」
取引の時間と場所を決めて、警察の一隊は現場に向かった。

こうして19日に捕らえられたイニシャルKRDの供述で、ほかの共犯者三人がそれぞれ自宅で捕らえられた。警察はかれらが持っていた88台のカムコーダーを証拠品として押収したが、カムコーダーはまだ5台入れカートンに手付かずで収まっており、2台だけが姿を消していた。その2台は既に売られたあとだった。
警察の取調べで犯人たちはなんと、全員が北ジャカルタ市スンテルにあるPT AECの社員であることが判明した。かれらはサムスンブランド家電品のディストリビューターである勤め先の倉庫から商品を盗んで、それをたたき売りしていたのだ。盗品販売を受け持ったKRDはその日会社を休み、他の共犯者たちは何食わぬ顔で出勤していた。そしてかれらの供述から、犯行の一部始終が明らかになった。
土曜日の退社時間前に、KRDともうひとりが倉庫の中に隠れた。全員が退社したと見た警備員は倉庫の鍵を外から閉める。日が暮れるのを待ってふたりは、倉庫内の見えにくい場所の窓をふさいでいる鉄格子を切りはじめた。鉄鋸は持ち込んである。朝にはひと一人が通れる穴があけられていた。
普段配送係りをしている共犯者は,翌日曜日に出勤してくると、いつも使うボックス車を洗いながら仲間が倉庫から出てくるのを待っていた。そして別のひとりが周辺状況の見張りに就いた。倉庫から90台のカムコーダーを担ぎ出してきたふたりは、ひっそりとボックス車の中に入る。外から錠前をおろした配送係りは、助手席に見張り役の仲間を乗せ、警備員が詰めている表門から堂々と出て行った。会社側は警察からの連絡を受けるまで、盗難の事実をまったく知らなかった。


「都民に火の用心を呼びかけ」(2004年7月20日)
今年首都では既に347件の火災が発生し、死者11人、怪我人25人を出している。火災発生は住宅密集地区で多く、原因は漏電がメインだ。これから8月に向かって乾季がピークに達する時期でもあることから、都民はくれぐれも火の用心を励行するように、とジョニー・パガリブアン都庁消防局長が語った。
局長によれば、今年発生した347件の火災の内2百件が電気系統の故障によるものだそうだ。火災が発生すれば消防車を出動させるが、火災現場への急行が困難で、その要因が被害を大きくしている。ジャカルタの交通渋滞、おまけに住宅密集地区の道路の狭さなどが、消防車の迅速な動きを阻んでいる。最近起こったタナアバン地区クブンムラティの大火はその典型例だ。
西ジャカルタ市ではこの7月中旬までに80回の火災発生があった、とフアド・サイド西ジャカルタ市消防副局長は語る。「火災の大半が漏電によるものであり、都民の住宅の電気系統敷設状況は腐食が激しく安全性が不適切だ。規則では10年ごとに電気系統を一新しなければならないとなっているが、住民でそれを行っている者はあまりない。ビルの防火設備や火災対応はお寒い状況で、これはこれで対処していかなければならないが、消火活動でもっと困っているのが水利問題だ。西ジャカルタ市に設置されている消火栓135ヶ所のうち、適正に水を供給してくれるのは30%しかなく、他は水が涸れているか、水があっても水量が不十分。おかげで消火活動には近くの川を探すことになるが、いたるところに川があるわけじゃない。」との談。同副局長のもうひとつの悩みは消防隊員の高年齢化で、西ジャカルタ市の隊員414人は大半が52歳を超えている、とのこと。


「この先、警備会社はかきいれどき?」(2004年7月26日)
大統領選挙第二ラウンドに向けて保安警備のオーダーはアップするだろう、と業界者が語った。PTセキュリコールインドネシアのクリス・ライト取締役は、同社の三部門に対する注文が投票日に向けて増加するだろう、と予測している。まず警備部門は30%増、電子保安部門は20%増、そして現金護送部門は50%増加するだろうとのこと。特に外資系企業で、不測の事態を心配するところや、犯行ターゲットになっていると考えている企業は必ず対抗予防措置を取るために、保安警備の強化を要請してくる。それに応えて同社は、人が集まって衝突が起こる可能性のある地区や時間などを専門的に予測していくことを行っている。「8月から9月20日に向けて、注文は高まることが予想されており、もう既に早々と注文を出してきているところもある。弊社の保安要員2千5百人の中で通常は20%が休んでいるが、その時期には10%におさえることになる。」と同取締役は述べている。


「首都警察捜査ユニットがオートバイパトロールを開始」(2004年7月28日)
首都警察本部捜査ユニットは27日からオートバイによる市中パトロールを開始した。新任のフィルマン・ガニ首都警察長官はこのオートバイ捜査隊の意義について、事件現場へ急行して保全をはかることの大切さは増しており、従来現場到着のスピードはあまり問題にされていなかったが、これからは道路渋滞やさまざまな状況を克服してそれが行えるようにすることも重要な任務のひとつである、と警察職員に対して行われる現場処置対策訓練セミナーのオープニングで語った。パトカーで行動するとリラックスしがちだが、オートバイだと常に周辺に意識を張りめぐらせるようになる、とオートバイによる行動がこれまで偏重気味だったパトカーによる現場行動を補完する意義を長官は強調している。
現在首都警察にはパトロール用オートバイが112台あり、51台は警察機動旅団が使用し、61台は捜査ユニットが使っている。長官は、8月にはそれを3百台に増やしたいと考えている。このオートバイパトロールに出動する警官は必ずしも制服姿とはかぎらず、私服で出動する場合もあるが、いずれの場合でも必ず拳銃、携帯電話、ハンディトーキーを携帯しているとのこと。
26日には市中パトロールの予行演習が行われたが、クラパガディンのガソリンスタンドに押し入ろうとして集まっていた6人組強盗グループとチャクンで恐喝を行っていたひとりの合計7人を逮捕するというお土産がついた。このオートバイパトロールは27日からデイリーのオペレーションに入ったが、東ジャカルタ市と南ジャカルタ市を集中的にパトロールすることになっている。


「大統領宮近くの橋もアブナイ」(2004年7月30日)
7月23日に通行車両の荷重を支えきれずに落ちたチプナガラ橋事件のあと、スナルノ地域インフラ居住担当国務相が全国の危ない橋を調査せよとの指令を発したが、意外にも大統領のお膝元、首都のど真ん中の橋が危ないとの報告が上がってきた。
古くからある橋の多くは耐久力が既に適正さを欠いているという状況の中で、大統領宮に近いベテラン通りの橋とイスティクラルモスク傍の橋が特に危ないという報告がそれ。同省交通インフラ開発調査センターの調べでは、オランダ時代に作られたイスティクラルモスク傍の橋は、自動車の通行に対してリスクをはらんでいる。鉄製の梁は腐食のために継続的にたわんで橋の舗装面が低下するという現象を引き起こしており、そのたわみは最終的に梁が折れるという事態に達することは言うまでもない。橋の下部構造は耐荷重能力が当初の70%以下に落ちていると見られている。ベテラン通りの橋も似たようなもの。ましてこのチリウン川をまたぐ全長14.6メートルの橋は、毎日渋滞の中でノロノロ運転の車の波を迎えている。
スバギオ都庁公共事業局長はそのふたつの橋について、それらの古い橋は言うまでもなく改修が必要であり、都庁は丸ごと新しい橋に取り替えるという方向で検討している、と語る。しかし毎日その橋の上を通る都民は、それが危険な状態にあるとは露知らないし、そこに橋があるということすらほとんど意識していないようだ。


「スマンギ立体交差でパンク強盗事件が発生」(2004年7月31日)
往来激しい都心の目抜き通りの真っ只中で、パンク強盗事件が発生した。
7月30日午後3時ごろ、都内各所の道路交通状況がピークに向かって昇りつつあるころ、ガトッスブロト通りチャワン方向のスマンギ立体交差橋の上で、一台の車が路肩に寄って停まった。車を運転していたムハマッ・ベニーと同乗者のバンバン・スンタヌはすぐに車から降りて左側のタイヤを見た。パンクだ。タイヤはペチャンコ。さあ早くタイヤ交換をしなければ。こんな混雑している場所で渋滞の元凶になってはたいへんだ。
ふたりは西ジャカルタ市ジョグロにある建設工事会社の社員で、翌31日に従業員と工事現場作業者に給与支払いを行うため、国会議事堂前にあるBNI銀行から現金2千4百万ルピアを引き出してきたばかり。
パンクしたタイヤを調べると、ドライバーで突き刺したような痕がある。ともあれ、早くタイヤを交換してここから立ち去らなければ、と作業に没頭していたふたりは、ふと自動車のドアが開く音がしたように思って頭をあげた。しかしそのときには、ドアがまた閉められたあとだった。そのときベニーの目は、自分の車の前のほうで、オートバイに乗ったふたり連れの相乗り者が黒いかばんを運転者と自分の身体の間に置き、運転者の背中と自分の胸ではさみこんで立ち去ろうとしている姿をとらえていた。だがベニーは、そのかばんがついさっきBNI銀行でおろした現金を入れたバンバンのかばんだとは夢にも思わなかったのだ。
大汗をかいてタイヤ交換を終えたふたりが車内に戻ってバンバンの黒いかばんが消えうせているのに気付いたとき、さっきの二人乗りオートバイはガトッスブロト通りのはるか前方を豆粒のようになって走っていた。


「白昼アイルランド人の自宅に強盗が侵入」(2004年8月3日)
シンガポール籍の観光客船ララサティ号の船長をしているアイルランド人ジョン・クリストファー51歳がマカサル出身の妻ネティ46歳、6人の子供、女中二人、運転手一人と一緒に住んでいる南ジャカルタ市ビンタロジャヤ・セクトル1のムライラヤ通りにある邸宅で白昼、強盗事件が発生した。
8月2日の午前10時ごろ、運転手のワワン32歳はエスクードをガレージで洗っていた。家の前の大通りは休み明け月曜日のいつも通りのにぎわい。ふと気がつくとワワンの傍にひとりの男が立っている。ピストルを突きつけて…。周りを見ると、それぞれピストルを手にした5人の男たちが他にいる。ワワンは家の中に入るよう命じられ、6人の強盗団も続いて家の中に侵入した。出会う家人のひとりひとりに、「声をたてたり、逃げようとすると命はない。」と小声で脅し、両手と口をガムテープで封じて主人夫婦と子供一人は寝室に、ワワンと女中二人、子供二人は浴室にそれぞれ閉じ込めた。他の三人の子供たちは学校へ行っていて留守。もうひとり、フィリピンから遊びに来ていた親戚のリサ17歳がこの家にいたが、とっさの機転でかの女は食堂の大テーブルの下にもぐりこんだ。そのテーブルはテーブルクロスが床近くまで垂れていて、外からは見通せない。
強盗団は収穫にとりかかる。主人のジョンを脅して金目のものをすべて吐き出させようというのだ。ジョンは雄雄しく抵抗したが、多勢に無勢。強盗のひとりが銃把でジョンの頭を殴ったために多量の出血。強盗団は結局シンガポールドルとマレーシアリンギッ2千万ルピア相当、黄金やダイヤなどの宝飾品や装身具1億ルピア相当を奪い、エスクードに乗って表門から出て行った。
事件は南ジャカルタ市警プサングラハン分署に届けられたが、捜査は市警本部が担当することになる。


「雇い主を刺殺した社員に対する判決は入獄5年」(2004年8月11日)
8月9日に南ジャカルタ国家法廷で開かれた被告コドリ・アジジ23歳に対する判決言い渡しで判事団は、被告に対し入獄5年の刑を宣告した。
コドリは2004年2月20日、自分が勤める会社PT Golden Pilar Internationalの社長デデン・スリアナをナイフで刺殺した現行犯として逮捕された。ラスナサイッ通りのビルにあるゴールデンピラーインターナショナル社は海外出稼ぎ者派遣事業を行う会社で、その日11時ごろデデン社長はコドリが出稼ぎ者から受け取った25万ルピアを会社に納めていないことをコドリに叱責した。コドリはその直後にビル外に出て、外でふだん営業しているソト屋台の主人からナイフを借りると会社に戻った。デデン社長に対してこんどは、かつて自分が出稼ぎ者として派遣されるために同社長に渡した230万ルピアに関して詰め寄り、ふたりは激昂して口論したあげく、コドリが持ってきたナイフでデデン社長の首の右側を刺した。デデン社長は急きょ、チプト・マグンクスモ病院に運ばれたが、その日のうちに死亡した。
判事団の判決文は、「被告は自分の犯行を悔いており、また法廷審議の進行を困らせることもなかった。被告が被害者に対して約束されたことに関する自分の権利を要求しているときに、今回の殺人事件が起こった。」という内容で、与えられた入獄5年という判決は検察公訴人が求刑した入獄7年よりも軽いものになっている。弁護士の付添いを求めなかった被告も検察側も判事団のその判決を受け入れて、この事件は閉廷した。


「今年も大量の囚人に独立記念恩赦」(2004年8月18日)
8月17日はインドネシア共和国独立記念日で、大統領宮では国家レベルの式典が催され、各町内でも賑やかに趣向を凝らした競技会でお祭り気分が盛り上がったが、刑務所にも例外なくお祭りは訪れた。
東ジャカルタ市チピナン刑務所では、きっかり12時半にユスリル・イーザ・マヘンドラ法相から1,725人の服役中の囚人に対して恩赦を与える式典が行われた。ジョコ・マルジョ刑務所長によれば、同刑務所で服役しているのは3,431人で、これは1,789人という規準収容能力を大幅に超えているとのこと。それらの囚人に対して特定の規準に基づく評価を与え、それに合格した者に対して恩赦が与えられるが、1年以上の刑期を残している服役者がその対象となる。恩赦の内容は1,591人に減刑、134人に即時放免が与えられた。
一方タングラン刑務所は、収容している3,336人の囚人のうち2,459人に減刑、248人に即時放免が与えられた。しかし即時放免恩赦を受けた者は50万から300万ルピアという赦免金を納めることが条件になっており、それを納めれば即刻娑婆の空気が吸えるが、納められなければ更に数ヶ月間くさい飯を食ってはじめて放免となる。


「歓喜のダンドゥッ・ステージをぶち壊せば、生命がない」(2004年8月23日)
週末の深夜になると、郊外のあちこちでダンドゥッ・ステージが催される。平日の夜中に行われることもあるが、その場合は深夜12時が終了時間。週末だと深夜1時や2時になる。そんな真夜中にステージ前に集まった若い衆が踊り狂うのを、ステージ上のバンドと歌手がディスコよろしく大音量で陶酔に誘うのだから、眠りを阻害されること間違いなし。
インドネシアでダンドゥッ歌手は層が厚く、明日のクリスティナやアラムを夢見て精進している草の根歌手は数知れない。そんなかれらが夜中にあの独特のノリを聞かせてくれるが、どこからともなく夜風に乗って流れてくるバンドの音と女性歌手の歌声が微妙にピッチがずれていたりすると、寝苦しさもいやましてくるというもの。
8月22日には多くの場所でトゥジュブラサンと呼ばれる独立記念日を祝うお祭りが催された。8月17日に儀式ばった記念式典を行って庶民のお祭りを行えなかった町内は、たいていその次に来る日曜日が庶民の祭典日となる。
ボゴール県グヌンプトリ郡トラジュンウディッ村でも21日の夜にトゥジュブラサンを祝う歓喜のダンドゥッ・ステージが催された。四人の女性新進歌手が招かれ、その一帯の村の衆が夜っぴてGO!とばかり、会場に集まってきた。夜はますますふけて、会場はますますホット。ステージ前で踊り狂う観客の中から数人がステージ上に登ってバカ受け踊りを見せれば、仲間たちが拍手喝采を浴びせる。そんな中にムモノッ集落住人モハンマッ・サアニン32歳も混じっていた。このサアニンは手癖が悪く、ステージ上で歌っていた二人の女性歌手の身体を触りまくる。不愉快さを募らせている歌手に気付いたほかの男たちがサアニンに止めるよう注意するが、まるで馬耳東風。怒った二人の歌手は歌を止めるとステージ裏に引っ込んでしまった。この状況の変化に、オルケス・ダンドゥッも演奏をやめて帰り支度を始めるありさま。
予定では閉演2時となっているのに、零時半にはこの歓喜のダンドゥッ・ステージも解散してしまった。夜っぴて踊り狂うつもりだった村の衆の憤りは天を衝く。家へ帰ろうと舞台を降りたサアニンに、群衆の怒りの声が降り注いだ。そしていったい誰が始めたのか、会場からまだ20メートルも離れていない場所で、サアニンへの制裁が繰り広げられた。数十人の群衆がサアニンに襲い掛かり、サアニンの頭は何度も何度も壁に向かって打ちつけられた。それが一段落するまで、警官を含めて村の乙名たちの中にそれを止めようとする者はいなかった。サアニンは病院へ運ばれる途中で死亡した。


「16人の乗客が首都近郊電車の屋根から飛び降りて負傷」(2004年8月24日)
8月23日午前8時10分頃、首都近郊線のブカシ〜ジャカルタ間普通電車がスネン駅に入ってきた。
ブカシ、ボゴール、タングランの三方面からジャカルタに集まってくる近郊電車は、朝夕のラッシュ時間には積載能力を超えた乗客が乗る。供給能力が限られているために大幅な需要超過となっており、このラッシュは日本の大都市の比ではない。いきおい乗客は電車の連結部など普通はひとが乗らないところへも入り込む。一方車内は人間がびっしりと詰め込まれ、身動きも容易でない状況で、それを狙ってスリがそして痴漢が堂々と仕事をする。終点に着いて客がみんな降りた後の車内の床には、からになった財布が散乱しているという話を誰もがしている。一方乗客の側も、そんな車内で乗務員の検札など行われようもないことを知っているから、切符など買わないで駅構内に入り、そしてやってきた電車の中になだれ込む。
そんなありさまだから、電車の屋根に登るのも自然の成り行き。屋根上乗車族の中には、電車の車内を使うから金を払わなければならないのであって、屋根に乗る分には払わなくてよい、というロジックを展開する者も多いが、鉄道公社は言うまでもなくそんなロジックを否定している。
公社のデータでは、2000年以来、屋根上乗車族の死者が19人あったことが記録されている。走行中に落下して死亡する者がほとんどだが、中には橋桁に当たって落ちた者の数もかなりある。公社は数年前から屋根上乗車全廃のキャンペーンを始め、パンタグラフの高さを下げてみたり、廃油を屋根に塗ったり、逆さ釘を植えてみたり、とさまざまな対策を講じたが、屋根上に乗りたいというかれらの根性には勝てなかった。今でも駅では屋根上に登らないように注意するが、そのときは車内にいたかれらも電車が動き出した途端するすると屋根上に登っていくのだ、と駅員たちは物語っている。屋根上に登るルートは窓や扉、そして車両連結部などが使われる。
さてスネン駅に到着したその電車のパンタグラフのひとつが揺れて火花を発した。その近くにいた屋根上乗車族はパニックになった。逃げようとして後ろの車両に飛び移ろうとする者、逃げ場を失って地面に飛び降りる者。一瞬のうちに屋根上でひとの押し合いが起こり、19人が転落した。転落者は病院に運ばれたが、16人が治療のために病院に残された。そのうち数人はいまだに人事不省。
この事故で電線がたるみ、またパンタグラフも修理が必要となったために、その電車はスネン駅で留め置かれた。後続の電車はホームを替えて乗降させたために、ダイヤに大きな乱れは起こらなかった。パンタグラフの修理は4時間近くかかり、正午前にはこの電車もスネン駅を離れた。


「トラック運転手、痛恨の逆襲」(2004年9月2日)
9月1日午前8時半ごろ、都内チャワンインターチェンジのタンジュンプリウッ方面からチカンペッ有料道路に入るランプで、一台の大型ボックストラックが大きく振れて道路フェンスにぶつかり、そのまま数メートルの段差を落下してインターチェンジ内の緑地に墜落した。大破したトラックの中からふたりの死体が発見されたが、ふたりとも手足を縛られ、口をガムテープでふさがれており、このふたりはトラック強奪の被害者であることが明らかになった。
この事故を目撃した近隣住民の証言では、トラックの運転席部は荷台からはずれてしまっていたが、そこから負傷した男がひとり這い出してはさまれていた仲間を引きずり出し、トラックの後ろを伴走していた乗用車に乗っていずこともなく走り去った、とのこと。
警察の調べでそのトラックは、東部ジャワ州パスルアンにあるPTネスレの工場から粉ミルクをボゴールにある倉庫まで配送するために同社がオーダーした運送業者のもので、ふたりの運転手が乗ったトラックは8月30日早朝にパスルアンを出発していたことがわかった。運送業者のジャカルタ事務所は、通常パスルアンからジャカルタへは24時間で到着し、道路状況いかんに関わらず大きくずれることはなかったことから、このトラックが8月30日夕方からコンタクトが途切れたことを憂慮していた。ネスレ社広報責任者は、そのトラックは同社製品Dancowミルク890箱、約9トン相当を運んでいたが、この製品は中級下級所得層向け商品であるため、賊はそれを奪ってジャボタベッのトラディショナル市場で売り捌こうとしているのではないか、と推測している。
コンタクトが途切れた30日夕方は、このトラックはまだチカンペッ有料道路には入っていなかったと見られており、賊に襲われたのはそれ以前の可能性が高い。トラック内で見つかったふたりの死体は運転手で、ひとりは死後一日は経過しており、もうひとりはトラック墜落時に死亡した、との検死報告から、このトラックが強奪されたときに運転手のひとりは殺され、さらに積荷をジャボタベッのどこかの場所で下ろしたあと、チカンペッ有料道路にある休憩所のいずれかに置き去りにして警察捜査の時間稼ぎをしようとして、タンジュンプリウッ方面からチカンペッ有料道路に向かって走行しているときに、生き残っていたもうひとりの運転手が犯人に襲い掛かったのではないか、との推測を警察側はしている。
警察は現場から逃走した車の追跡捜査とともに、盗品粉ミルクをローカルのパサルで発見し、その流通経路を追跡する方針で捜査に乗り出している。


「都内リングロード第一スマンギゲートで火炎瓶襲撃」(2004年9月10日)
9日深夜1時半ごろ、都内循環高速道路第1スマンギゲートにやってきたシルバー色のトヨタキジャンカプスルから火炎瓶2本が投げつけられ、1本は道路上で爆発炎上し、もう一本はどうしたことか、火は出なかった。現場から道路を隔ててすぐそばにある首都警察本部が集めた情報によれば、この事件はそこでおよそ1時間前に起こった喧嘩に関連したものと観測されている。
夜半過ぎ、1台のコロナがゲートの手前でオートバイと接触した。コロナは現場から去ろうとしたが、オートバイはそれを拒んでコロナの前にまわり、コロナの道をふさいだ。そこで両者に間に喧嘩が起こったが、コロナの方は早々に立ち去った。それを根に持ったオートバイ運転者が行った犯行ではないかと警察は見ており、そのシルバー色のトヨタキジャンの行方を警察は追求している。


「ジャカルタでまた爆弾テロ」(2004年9月10日)
2002年10月12日のバリ(クタ地区)、2003年8月5日のジャカルタ(マリオットホテル)に次いで、ふたたびジャカルタで2004年9月9日に爆弾テロが発生した。
9月9日午前10時25分頃、都内南ジャカルタ市ラスナサイッ通りにあるオーストラリア大使館入り口ゲート付近で高性能爆薬による爆発が起こり、大きい被害が出た。同大使館入り口ゲート近くには大使館の警備に就いている警察部隊のトラックが低速車線に駐車していたが、爆発が起こったのはそのトラックの3メートル先、大使館入り口ゲートからはほぼ2メートル手前の位置。爆発地点では道路上に直径2メートルほどの大きな穴があき、そこから近い大使館の緑色フェンスは広範囲にわたって大破し、大使館内庭園にある植木は何本も焼け焦げ、また入り口ゲート近くのテント張り警備員警察官詰め所も跡形もなくなっており、道路に面した大使館建物の外壁も破壊されて爆発の強さを示している。 爆発地点には低速車線を走行中だったと見られる自動車の残骸があり、警察はそれが犯行に使われた可能性が高いとしている。高性能爆薬を使った過去二回の国内爆弾テロ事件と状況が似ていることから警察は自爆テロではないかとの心証を抱いており、これまでのテロ事件に関与した現在指名手配中のドクトル・アザハリとヌルディン・トップに関連付けうるものではないか、と推測している。オーストラリア大使館両側にある建物もおよそ3百メートルにわたって爆発の被害を蒙り、建物が破壊されけが人が出た。また現場からおよそ1キロ離れたパルメラやブンチッ通りでも、爆発の振動が感じられた。
爆発現場から少し離れた場所にいた目撃者のひとりは、メンテン方面から走ってきた二人乗りオートバイが爆発地点を通り過ぎてから轟音と共に火の玉と白煙が上がり、オートバイに乗った二人の身体は粉々になった、と証言しているが、爆発を起こしたのがその二人がどうかははっきりしない。
人的被害は9日夜時点で死者6人、けが人161人と報告されているものの、その中にオーストラリア人はおらず、ほとんどがインドネシア人とのこと。オーストラリア政府外務省はジャカルタとバリの大使館を当面閉鎖することを決め、またインドネシア滞在中のオーストラリア人にインドネシアを至急離れるようにとの勧告を出した。またアレキサンダー・ダウナー外相が急遽インドネシアを訪問してメガワティ大統領と会見し、今回のテロ事件捜査に対する支援を申し入れている。シドニーモーニングヘラルド紙は今回の爆弾テロに関して、ジュマアイスラミヤが犯行声明を出したと報道している。
ところで今回のテロ事件が経済市場に与えた影響は瞬間的なもので、ジャカルタ証取ではニュースが流れたあと総合株価指数が31ポイントダウンしたが、その後のセッションでは盛り返して総合株価指数782.65で9日の商いを終えた。これは前日から6.5ポイントの低下でしかない。注目された外国資金の動向は、買いが8,613億ルピア、売りが6,264億ルピアの2千億ルピアを超えるネット買いで、外国投資家にはこの事件がたいした影響を及ぼさなかったと証券界は受け止めている。またジャカルタ外為市場も事件直後は1ドル9,405ルピアまで下がったが、午後にはふたたび9,292.5ルピアに回復している。
大統領選挙投票第二ラウンド前に起こったこの事件に関連して、現政府の治安維持に手抜かりがあったことを証明したこの事件のおかげで、9月20日に行われる第二回投票では現職候補がこうむったダメージがその結果にどう作用するのかに関心が集まっている。一方小売業界では、マリオット事件の前例を考慮し、今年の業界売り上げが低下する可能性が高まったことを示唆した。一般消費者はテレビなどで捜査状況の情報を取ろうとし、また事件に巻き込まれることを懸念してショッピングセンター等に出かける回数を減らすことが考えられ、また購買力を持つ外国人はそれ以上に外出を控えるだろうから、売上高は大きく減少するだろうと業界は見ている。マリオットホテル事件のときにはその影響が二週間続いた。ちなみに今年の小売業界売上高は前年から10%増しの330兆ルピアと見込まれている。
都庁は今回のテロ事件を重大視し、行政機構を通じて全都民に、外来者がある場合は字役、隣組長への報告義務を励行して都内の治安を向上させるよう、指導する予定にしている。


「第一級警戒態勢が発令される」(2004年09月14日)
首都警察は担当管区におけるシアガ1(第一級警戒態勢)を発令した。この警戒態勢は9月20日の大統領選挙投票第二ラウンドが終了するまで続けられる。
パイマン国家警察広報部長によれば、シアガ1では保安担当要員が総力を挙げて配備および待機態勢にはいり、休暇は許可されず、平常時より多くのユニットが警戒配備につくと同時に緊急動因に対応するために待機する。
国家警察は各州警察に指令して、その総力に当たる30万人の三分の二を全国配備に動員した。
経済界は、この警戒態勢が安全感をもたらして好況を示す業種がある一方、不測の事態を懸念するひとびとが経済活動を手控える影響を受けて沈滞化する業種もあるとし、これから選挙投票日までの情勢の展開を見守っている。


「話題になった防犯カメラも売れ行きには直結せず」(2004年9月16日)
首都クニガン地区のオーストラリア大使館を標的にした自爆テロの捜査プロセス展開の中で、テロに使われた銀色ダイハツボックス車の動きを捉えた数ヶ所の防犯カメラが話題になったが、そのニュースを見聞きしたコタ地区グロドッの電気製品商人たちの胸の内に需要創造の火がともった。「ひょっとして爆発的な売れ行きに…」と期待したが、待てど暮らせど購買客が札束を手に商品を奪い合うシーンはまぼろしのまま。
この防犯カメラはインドネシアでCCTV(Closed Circuit Television)と呼ばれており、安いのは中国製韓国製からいろいろあって千差万別。カメラのお値段は17万5千ルピアから60万ルピア、画面分割装置は50万、レコーディング装置は90万、カメラロータリー装置は20万から30万前後、日射や雨からカメラを守るカバーが7万5千から15万ルピア。グロドップラザ、オリオンプラザ、ジュンバタンミレニウム・グロドッなどに陣取っている商店では、よく売れて一日に1〜2台。買っていくのは自宅の表や商店の表を見張るため、あるいは工場の職工の作業を見張るためで、レコーディング設備までそろえる客はめったにいない、とのこと。これではお値段が1千8百万ルピアもする最新型デジタルビデオレコーダーの在庫もいつになったらはけることやら。「このマシンは二ヶ月間画面を記録し、そのあと自動的に消去していく優れものなんですがねえ…」防犯安全意識がまだまだ低いと世の中を愚痴る商店主たち。


「ポストテロでの警備員需要の増加は部分的」(2004年9月17日)
イギリス系警備会社PTセキュリコールインドネシアのクリス・ライト取締役によれば、去る9日に発生したクニガンのオーストラリア大使館自爆テロ以後、特に顕著な需要増は見られないとのこと。同社に対して現金輸送をメインに警備を要請しているのは、銀行界、航空会社、外資系企業、地元大企業などだが、受注はほんのわずか、10%ほど増加した程度で特に大きな変化は見られず、多分短期にではなく長期的に緩慢な増加を見せるのではないか、と同取締役は語っている。
一方首都のホテル業界は、警備員の増強を始めた。「これまでたとえば警備員を15人雇用していたホテルは20人から30人に増やすようになっており、5星級のあるホテルはいまや警備員60人を配備させている。ホテルでは、警備員の制服を着て建物外の警備にあたる警備員と、スーツやホテル内従業員の制服で建物内を担当するハウス・デテクティブに分かれているが、ホテル警備のために警察官の派遣も頼んでいる。昔は制服警官がいることで顰蹙を買うこともあったが、いまでは制服警官がいることで安全感が生じるのを顧客も望んでいる。」インドネシアホテルレストラン会のハリサントソ常任会長はそう述べている。
ところでイ・グデ・アルディカ観光文化担当国務相は、9月9日の爆弾テロ事件による観光客の訪問キャンセルは特に顕著ではない、と表明している。「インドネシア訪問を取りやめたのは初めてインドネシアを訪問しようとしていた人たちで、国が渡航中止勧告を出したのでそれに従ったようだが、それ以外の人たちは予定通りインドネシアにやってきている。もちろんこれから10月11月に向けてローシーズンに入るとはいえ、予約がキャンセルされたのは微々たるものだ。」との大臣の談。


「パサラヤで火事騒ぎ」(2004年10月20日)
南ジャカルタ市ブロッMにあるパサラヤグランデで19日夕方、火が出た。おりしもプアサ開けにやってきた夕方の買い物客でごった返す店内に黒煙が広がったために、パニックを起した客は各階から出口へと殺到して混乱が起こったが、人身事故は報告されていない。「爆弾!爆弾!」と口走る客もいて、パニック心理に油を注いだ格好。煙が充満した地下の駐車場からも、車が先を争って外に出ようとしたためにいっとき渋滞が起こった。夜7時半頃には隣接するバスターミナルからも黒煙がはっきりと目視できた。
ハルン・クスワルドノ、パサラヤグランデ副社長はこの事件について、火元は地下三階に置かれている冷房装置のキャパシターにある配電盤がショートして火が出たものと思われる、と語った。夕方6時15分頃火が出たが、6時半には鎮火し、その後はビル内にたまった煙が広がったようだ、との談。この事件で同店は、整理が終わるまで閉店する、としている。


「強盗タクシーにご用心」(2004年10月20日)
17日夜、強盗タクシー事件があった。南ジャカルタ市タマンスティアブディに借家しているふたりの女性ハイリワティ36歳とイルマ23歳は、都内クニガン地区のモールアンバサドルに礼拝に行ったあと、家に戻ろうとして路上でタクシーをひろった。ラスナサイッ通りに入った後、タクシーは突然道路脇に停車し、道端にいた男がふたり、タクシーの中に入ってきた。ひとりは助手席に、もうひとりは後部座席に乗り込むと、ナイフを向けて脅かし、その間運転手はのんびりムードでドライブを続ける。ハイリワティは持っていた現金47万5千ルピアやカード類を奪われ、イルマもATMカードを奪われた。タクシーはそのうちITCチュンパカマスに着く。イルマのカードで70万ルピアをATMから引き出したあと、男のひとりは姿をくらました。四人の乗ったタクシーは再び出発し、都内をぐるぐる回ったあとカリマラン通りをブカシ方面へ。
ブカシ市に入ったカリマラン通りの一角で二人の女性はやっと下ろされた。「タクシーの方を見たら生命がないぞ。」と脅かされたふたりは、タクシーの走行音が聞こえなくなるまで後ろを向いたまま。頃合よし、と見たふたりは「助けて!」「強盗!」と悲鳴を上げる。すわ何事?と寄ってきた群衆に事情を話し、ブカシ警察まで連れて行ってもらった。ブカシ警察は、事件発生が中央ジャカルタ市であったことから捜査を中央ジャカルタ市警察に移管した。捜査は始められている。


「毎月10人以上の乗客が首都近郊電車で死亡」(2004年10月28日)
首都圏近郊電車の運行に関連して発生した乗客側の事故について、国有鉄道会社PT.KAIが今年7月までの状況を報告した。まず死者は84人で、死亡原因としては衝突によるもの62人、感電5人、屋根からの墜落17人という内訳。感電や墜落は乗客が電車の屋根に乗るために発生するものだが、KAI側の説明では朝夕の通勤ラッシュ時に用意できる車両の収容能力が乗客数にマッチしないため、車内が満杯になると無理やり屋根にのぼる乗客がおり、駅職員はできるかぎり制止するが、かえって車両を用意しない方が悪いと非難を受ける始末だとのこと。しかし乗客の中には、屋根に乗るぶんには車内でないので運賃を払う必要がない、と思っている者もおり、屋根上乗車の理由はひとつだけではなさそうだ。
死亡者とは別に負傷者もあり、屋根からの転落43人、プラットフォームに接触した者18人、また進行中の電車への投石やその他の原因が5人となっている。事故死亡者に対してはKAI側が保険をかけており、保険金が支払われている。KAI側はまた事故の減少をはかるために、連結車両を増やしたり、便数を増やすことで対応に努めている。


「営利誘拐犯のひとり、逮捕!」(2004年10月29日)
北ジャカルタ市クラパガディンにあるジュビリースクールに通う中学二年のヨハネス13歳はスンテルジャヤにある塾からスンテルガーデンの自宅へ帰宅途上に姿を消した。同じ学校に通うニコ13歳は、学校帰りにモールクラパガディンに散髪のため立ち寄っている間、モール内で見知らぬ男数人が近寄ってきて父親の友人だと名乗り、父親がトラブルに巻き込まれたので一緒に来てくれ、と言われてそのまま付いて行った。ふたりはビンタロにあるホテルに拉致され、8人組の犯人はふたりの両親にそれぞれ4千万ルピアの身代金を支払うよう要求し、その金をBCA銀行のある口座に振り込むよう指示した。10月26日にそれぞれの親は要求された金額の一部を送金してから、警察に届け出た。その日午後になって、子供たちふたりはスネン地区ブグルブサール通りのニコの自宅にタクシーで送り返されてきた。犯人一味が指示した口座に入金されたのは全部で2千5百万ルピア。警察は届け出のあった犯人指定口座番号の監視をBCA銀行に依頼した。
27日午前9時ごろ、BCA銀行タマンサリ支店のATMで、問題の口座から金を引き出そうとしている者がいるとの連絡がBCAから警察に入った。即時出動だ!
現場に急行した刑事たちは、1千万ルピアを既に引き出したあと同支店にまだいた中年女性ひとりを逮捕した。そのリディア39歳を警察は取調べ中で、共犯者を一網打尽にしようと供述を求めている。
金持ち子弟の多い有名私立学校生徒の営利誘拐事件は数ヶ月前にも発生しており、プロマスのドンボスコスクールに在学中の生徒が誘拐され、クラパガディンに住む親は2千万ルピアの身代金を払って子供を取り戻している。


「ルバランに向けて、犯罪発生が増加」(2004年11月8日)
ルバランを前にした今年10月の犯罪発生状況に関して、首都警察チプトノ広報部長が警察活動月次記者会見の場で報告した内容によると、首都の犯罪発生総件数は3,691で昨年10月の2,838件から大幅な増加。解決件数は前年同月の829件から今年10月は997件に増えている。犯罪内容は70種類もあるが、メインは重暴行、強盗、侵入盗、自動車盗難で、この四種で三割近くを占めている。昨年10月は1,450件、今年10月は1,870件という統計。中でも侵入盗は610件から688件に増えたが、それ以上に増加したのが自動車盗難で昨年575件が今年は842件と、犯罪のトップに躍り出ている。
広報部長は「犯罪の増加は住民の増加と失業者が依然として多いという社会の状況を反映するもので、必然性をもっている。犯罪はあくまでも社会の産物なのだから。しかし警察は手をこまねいて傍観しているわけでなく、今年のルバラン期には1万8千名の警察官を動員して首都の治安維持にあたり、総戦力の三分の二が11月7日から15日まで都内パトロールと検問を中心とするクトゥパッジャヤ作戦に従事することになる。特にイドゥルフィトリ前夜は大統領がタクビランを行うので、スナヤンの屋内競技場(Istora)が警備の焦点となる。またルバラン帰省交通警備は交通の要所要所をカバーし、バスターミナル、鉄道駅、空港や有料道路のパトロールが励行される。帰省で家が空家になる家庭は戸締りを十分行うとともに、地域共同体での警備を高めるように呼びかけている。」とコメントしている。


「また強盗タクシー事件」
6日夜、西ジャカルタ市クブンジュルッからメガモールプルイッへ買い物に行こうとしてタクシーに乗った女子大学生ふたりを災厄が襲った。災難に遭ったのはエレン20歳とブンガチャンドラ17歳で、ふたりは夜7時ごろ拾ったタクシーでプルイッへ向かった。乗ったタクシーはオーシャンブルー色をしたソルナ。ところが走っているうちに、タクシーがプルイッに向かう大通りからそれて行くのに気がついた。
「バン、これってメガモールへ行くのと違う道じゃない。なんでこんなとこを通るの?」とブンガが運転手にクレーム。すると運転手からは怒声が返ってきた。「おい、おめえ。命が惜しけりゃ黙ってろ!」
ジュンバタンティガ地区に着いたタクシーは、とある暗い四辻に車を止める。その車に近寄る四つの影。ひとりは助手席のドアを開けて滑り込む。三人は後部座席にいる二人の娘を両側からはさみ、狭い中に無理やり乗り込んできた。カッターナイフを突きつけ、低い声で威嚇する。「怪我したくなかったら、うつむいてろ!」顔を覚えられないようにするための賊の作戦だ。
タクシーは動き出し、プルイッの有料道路に上がってしばらく走った後、金目の物を全部出せ、という賊の命令がふたりに投げつけられた。携帯電話2個、黄金製ブレスレット20グラム、アンクレット5グラム、指輪9グラム、三つ揃いペンダント7.5グラムと鎖5グラム、現金35万ルピアが娘たちの手から賊の手に渡る。ゆきがけの駄賃とばかり身体中を撫で回されて、ふたりは生きた心地もない。タクシーはチャワンインターチェンジまで来るとチカンペッ有料道路に折れる。ブカシティムール料金所で有料道路から出ると、助手席にいた男がすべての獲物を手にして車から降りた。タクシーはUターンしてふたたび有料道路に。今度はジャカルタ方面に向かい南に折れてタマンミニ方面へ。ジャゴラウィ有料道路をチブブル料金所近くまで来たあたりで、娘たちはやっと解放された。賊はふたりに7万ルピアを渡して車から降ろすと、タクシーはボゴール方向に走り去っていった。ふたりはその金でプンジャリガンまで戻り、地区警察署に届け出た。


「警官がひったくり犯人を射殺」(2004年11月11日)
中央ジャカルタ市ITCチュンパカマスから買い物帰りの38歳の主婦が、オートバイに二人乗りしたひったくりの被害にあった。事件発生は9日20時半頃で、被害者はチュンパカマスの警備員詰所にただちに駆け込んだ。たまたまそこに、中央ジャカルタ市警犯罪捜査ユニット機動捜査サブユニットのアズワル二級警視が立ち寄っていた。賊はオートバイRXキングでスネン方面に逃走したとの被害者の訴えで、二級警視はスプラプト中将通りの第二ガルル高架橋で勤務についているふたりの部下に連絡を取る。ひったくり犯はそこを通る可能性が高い。
命令を受けたふたりの機動捜査班員は、持ち場で容疑者逃走阻止の態勢に入る。しばらくすると二人乗りのRXキングが高速でやってきた。後ろに乗っているのは、ブルージーンのジャケットを着てヘルメットをかぶっていない。特徴は一致した。警官ふたりはそのオートバイの進路をふさいで停止を命じる。オートバイは止まり、後ろの男が降り立つ。警官の一人が容疑者に歩み寄ると、オートバイ運転者は仲間を置き去りにして逃走した。近付いたルッフィ・ハヤタ二級副巡査部長が容疑者を捕らえようとしたところ、男はいきなりナイフを出して斬りつけて来た。避けたルッフィはのけぞって地面に倒れる。男は警官への攻撃をさらに続けようとする。生命の危険を感じたルッフィは、拳銃を抜いて男の胸に2発撃ち込んだ。男は路上にくずおれた。
背中のジャケットの下から、被害者のものと思われる女性用ハンドバッグが発見され、被害者の住民証明書と現金10万8千ルピアが確認された。
ふたりは次に容疑者の処置に取り掛かる。クラマッジャティの警察病院に、胸に銃弾をくらった容疑者を移送したが、男はその道中で息を引き取った。ルッフィ二級副巡査部長は中央ジャカルタ市警本部で、拳銃使用に違反がなかったかどうかについて取調べを受けている。


「ポンドッバンブ拘置所の少年たち」(2004年11月20日)
東ジャカルタ市ポンドッバンブ拘置所。ここには犯罪を犯した少年たちが収容されている。バスの中での強盗を常習にしていたアリ18歳は、それで捕まったことなどない、と言う。「一日に四回もやって全部成功したこともある。百万ルピア近い稼ぎになった。オレが捕まったのはダチと大麻をやってたときだ。あと5ヶ月でここを出るけど、金なんか1ルピアも持ってない。スマトラの親のところに帰るんだって、何千キロも離れてるんだから、まあちょっとやそっとで帰れるってもんじゃない。ここを出たら、建設工事現場に行こうと思ってる。」そう語るアリは、出たらまた手っ取り早い稼ぎに戻るんじゃないのか、と問い掛ける記者に、「本当だよ。じゃあ教えてやろう。バスの中で強盗に会っても、怖がっちゃいけないんだ。刃物を持ってるのは脅かすためだけで、本気で刺す度胸なんかない。だから怖がってる顔なんか見せちゃだめで、反対に相手の顔をにらむんだ。すると強盗は気後れする。ましてや強盗がオレみたいな子供ならなおさらだよ。」と付け加える。アリのダチで、一緒に捕まったジュフリ18歳も、アリの言葉を裏書する。「まずバスに乗ったら、周りを見回すことだ。自分に注目してるやつ、特にカバンや装身具をじっと見てるやつは要注意。奪われるか、すられるか、どっちかになりかねない。」
首都のワルを集めるのは簡単だ、とアリは広言する。都内に何ヶ所もかれらの溜まっているエリアがあり、そこへ行って呼び集めれば数百人が来る、とかれは言う。仲間のアントン16歳もふたりの兄貴分と同様、スマトラ出身者。みんな故郷を離れて異郷に生活の場を求めに出ている若者たちだ。故郷の村からランタウと呼ばれる離郷生活にジャカルタへ来ている者は多く、大勢が一人前の暮らしを行っている。「でもオレたちみたいなワルになるのもたくさんいるよ。」アントンは衒いもなくそう言う。
サムフディ20歳のストーリーは少し違う。かれの家は金持ちだ。父親はバンテンでアンコッ(小型乗合自動車)の元締めをしている。父親が若い女を第二妻にしたことに反抗し、かれは他人の携帯電話を盗んで捕まった。「チピナン刑務所に6ヶ月入った。出たら今度はモナスで駐車してあったオートバイを盗んだ。モナスはフェンスで囲われてるから逃げられない。オレもそんなことは知ってたよ。何十人もがオレを袋叩きにしようと集まってきた。殴られてるうちに何も判らなくなってしまった。」その後この拘置所に入ったサムフディは、刑期が終わったら家に帰って来い、と言う父親と和解したようだ。家に帰ったらアンコッを一台もらえることになっている、とかれは語る。
それらはこの拘置所にいる少年たち266人がそれぞれ背負っているストーリーのほんの一部にすぎない。84人は服役中で、182人は裁判待ち。家庭が壊れているから、将来を考えて襲われたストレスに耐えかねて、金が必要だったから。犯罪を犯す少年たちの事情もさまざまだ。そして、しでかしたのは強盗、窃盗、恐喝、暴行。同時に違法薬剤使用にも関わっている。
「毎週20人の新入り少年があると、そのうちの15人は違法薬剤使用者だ。でもここのところ、それが一人二人程度に減っている。」エディ・クルニアディ同拘置所保安総監はそう述べている。経済クライシスが多次元クライシスに深まり、ストリートチルドレンはいまや4万人近い。3万3千人の少年と7千人の少女が、メダン、パダン、パレンバン、バンダルランプン、ジャボデタベッ、バンドン、スマラン、ジョクジャ、スラバヤ、マタラム、マカッサル、アンボンの路上に散らばっている。それ以外に全国で13万6千人の少年少女が法的措置の対象者になっており、加えて中央統計庁のデータは、子供たちが犯す犯罪が年間4千件あることを示している。犯罪を犯す子供たちは加害者であるとは言うものの、同時に被害者であることは否定しようもないにちがいない。


「中学生営利誘拐犯人グループが逮捕される」(2004年11月23日)
今月初めにデポッのワルネットで中学生二人を誘拐した犯人グループ5人が警察に逮捕された。デポッのチャクラブアナ中学生マイケルとファジャルが誘拐された際、子供たちの仲間ギリも誘拐ターゲットになっていたが、ギリは父親が失業中だと言ったために誘拐されなかった。この犯人グループはビンタロにあるビンタロプラザでも、スカブミのプサントレン生徒ナウファル・ハサン12歳を誘拐している。
警察の取調べで、このグループは北ジャカルタでの中学生誘拐事件を起した犯人とつながりがあることが明らかになっており、大規模な誘拐シンジケートが存在しているのではないか、と警察では見ている。


「ごろつきとベチャ引きが秩安職員を襲撃」(2004年11月30日)
タングラン市ダアンモゴッ通りの大モスク前にあるロビンソン歩道橋は、近くのアニャル市場から溢れ出してくるカキリマ商人が道路脇を占拠しないよう、毎日タングラン市秩安局職員が現場に出張って周辺地区の秩序維持にあたっている。勤務に就くのは制服に身を固めた35人。そのかれらを11月29日午前10時半頃、手に手に刃物を持った17人あまりの男たちが前触れもなく襲った。予期せぬ事態にパニックになった職員たちはてんでに逃げ惑い、逃げ遅れたサバル・シトゥモラン市秩安局管理課長が捕まって男たちのリンチの的になり、右大腿部を鉈で斬られ全身に怪我をする重傷を負った。もうひとりの職員も左腿にナイフの切傷を受けている。
現場に居合わせたタングラン市警の警官と交通警官に向かって襲撃者たちのひとりがシャツを脱ぎ、不死身のお守りを示して「撃てるものなら撃ってみろ」と挑発したが、警官たちは事態の進展を見極めようとしてすぐには行動を起さなかった。パニックが治まった秩安職員たちの中には反撃に移る者がおり、襲撃者ふたりから刃物を奪い取ったがその仲間に襲われ、警官に助けを求めたが警官は動かなかったために刃物はまた奪い返されている。現場から数十メートル離れたタングラン市警本部から警官隊が現場に駆けつけてきたため、その襲撃劇は幕を閉じた。
タングラン市側はこの事件の背景を、11月26日に起こったベチャの交通違反に関連するものと見ている。26日16時ごろ、ベチャ乗り入れ禁止区域であるその地区で交通の流れに逆らって通ろうとした一台のベチャを秩安職員が禁止した際、ベチャの乗客が怒り狂い「明日は秩安職員の5人が生命を落とすぞ」との捨て台詞を残して去っていったという事件があり、17人のごろつきやベチャ引きはその男に雇われたものだろうと推測している。タングラン市警は、襲撃者たちを追跡している。


「ライオンエアー事故は滑走路の中ほどに着陸したため」(2004年12月3日)
交通安全国家委員会はソロ空港でのライオンエアーMD−82機オーバーラン事故の調査を進めていたが、事故機の後輪が全長2千6百メートルの半ばあたりの1千2〜3百メートル地点で接地し、またその時点で機首が浮き上がっていたという事故時の状況を初期調査結果として発表した。視界は2千メートルと良好で、雨が滑走路を2ミリから5ミリの深さで覆っていた。風も強風でなく、気象条件はノーマルだったと判断されている。
ところで国有保険会社PT JASINDOは、ライオンエアーは壊れたMD−82の機体にかけられている保険金820万米ドルを入手することになる、と公表した。保険契約は2004年9月7日に行われている。それとは別に機内乗務員と乗客に対しても、かけられている保険契約にのっとって死亡者にはひとりあたり5千万ルピアが支払われる、とジャシンドのデウィ・プジアストゥティ広報室長は述べている。しかし別ソースから得られた情報によると、ライオンエアーの機内乗務員は1.8億ルピア、パイロットには10万米ドル、コパイロットは7万5千米ドルが支給されるとのこと。デウィ広報室長はまた、被害者の中でプランギ保険加入者には1億ルピアが支払われる、とも述べているが、この保険に加入する際に支払う保険料はわずか1万ルピア。
一方、国有交通保険会社PT ジャサラハルジャは、この事故の死亡者には5千万ルピア、負傷者には2千5百万ルピアが支払われる、と表明した。同社は事故発生後ただちに資金手当てを行ったので、遺族には一週間程度で現金を渡せるだろう、と語っている。
これまで廉価料金と積極的な経営戦略で国内航空旅客爆発的増加の牽引車と自他共に認められてきた同航空に起こった今回の事故で、大量の予約客の心理に不安と動揺が生まれている。一部旅行会社にはライオンエアーから別の航空会社に替えて欲しいという予約客からのオーダーが頻発し始めており、ある代理店は予約客が半減したと語っている。別の業界者も、世間がこの事故を忘れるまで少なくとも一ヶ月間はライオンエアー離れが起こるだろう、と予言している。


「チカンペッ有料道路で撃たれる」(2004年12月6日)
ブカシ警察所属のサントサ警部補46歳が4日深夜、チカランからポンドッグデの自宅に妻子と帰宅するためチカンペッ有料道路をいすゞパンサーで通行中、KM18−19地点で銃撃を受けた。警部補の妻が割れたガラスで擦過傷を負った以外に人的被害はなかった。警察は狙撃者を追跡している。
5日早朝には、チビトンで開かれた誕生日パーティからブカシティムールへの帰途にあった6人が乗ったキジャンがトラックを追い越そうとして追突し、二人が死亡するという事故が起こった。他の同乗者も大怪我。この事故もKm18地点周辺で発生している。
更に5日昼には、やはりKm18地点あたりで、1台のボックストラックが横転するという自損事故が起こった。このトラックは右後輪のダブルタイヤがふたつとも外れたために、バランスを失って転倒したもの。好運にも、事故の巻き添えはなかった。


「クラパガディンの闇賭博場が摘発される」(2004年12月6日)
北ジャカルタ市クラパガディン住宅地区内にあるオフィス・商店ビル内の一隅で闇賭博場を開いていた韓国人ひとりとその使用人であるインドネシア人ふたりが、首都警察に逮捕された。1981年度第9号政令をはじめ、多くの法規が賭博行為を犯罪と規定しており、違反者は最高10年の入獄もしくは1千万ルピアの罰金が科されることになる。ユンと名乗る韓国人経営のこの闇賭博場の摘発では、ミッキーマウスと呼ばれるジャックポットマシーンで遊んでいた4人の韓国人も首都警察に連行されたが、単なるプレーヤーでしかない、ということで条件付で釈放されている。かれらは一ヶ月間、毎週火曜日と木曜日に首都警察に出頭しなければならない。
ミッキーマウスでは、プレーヤーは10万から百万ルピアまでの金額でコインを買わなければならず、ゲームに勝てば90万から1千2百万ルピアまでの現金を手にすることができる。首都警察は賭博場摘発作戦を意欲的に展開しているが、賭博場オーナーが一緒に捕まったのは今回がはじめて。警察は同時に現金1百万ルピアとミッキーマウス2台を没収している。


「近郊電車の電線が切断される」(2004年12月7日)
タングラン〜ジャカルタコタ間近郊鉄道電車のポリス駅とカリドラス駅の間で、およそ250メートルにわたって高架給電線が無くなっているのが5日朝4時50分に判明した。これは当日タングラン始発のエコノミー電車を発車させようとして電源を入れた際にパワーが来ていないことがわかり、調べた結果電線が切り取られていることが明らかになったというもの。この修理は9時から15時20分までかかり、その間に運行が予定されていた14便の列車がキャンセルされた。運行が再開されたのは15時26分タングラン発の便から。
国有鉄道会社PTKAIのラフマディ、ジャボタベッ事業所長は、1千5百ボルトの高圧電流が流れている給電線を盗んだ犯人は、電気の専門技能を持っているにちがいない、と見ている。しかし約7キロの重量がある250メートルの電線を盗んだのは使われている銅素材を売り払うのが目的だったと考えられ、その程度のものではたいした金額にならないために、わざわざ公共施設を襲った賊の意図にPTKAI社は首をひねっている。その後の警察の捜査で、盗まれた電線の一部は現場から程近い水田で発見されたが、銅素材は消滅していた。
キャンセルされた14便のために足を奪われた乗客数は5千人前後とPTKAIは見積もっている。


「ブキッスントゥル住宅地に初の強盗事件」(2004年12月8日)
7日早朝、ボゴール県ババカンマダン郡ブキッスントゥル住宅地で、帽子とハンカチで顔を隠した10人の強盗団が携帯電話販売業を営んでいる住人の自宅に押し入るという事件があった。ブキッスントゥルの高級住宅地区に住むクルニアワンの家の台所口から、刃物を手にした10人の男たちが朝5時ごろ侵入した。家屋内に入った賊はまず女中二人とベビーシッターひとりを縛り上げ、刃物を示して「騒ぐと殺すぞ」と脅かして沈黙させたあと、クルニアワンと妻が寝ている寝室のドアをノックした。事態を露知らぬクルニアワンがドアを開いて出てきたのを賊たちはすぐさま縛り上げ、更に妻と子供も縛り上げて寝室に閉じ込めた。クルニアワンは「家内の誰も傷付けないで、なんでも好きなものを持って行ってくれ」と賊に要請し、賊は心得たとばかり、現金5百ドル、3百万ルピア、高級時計、携帯電話4台、VCDプレーヤーとテレビ1セットなどを掻っ攫って逃走した。
賊が去った気配にクルニアワンはいましめを解き、隣組長とババカンマダン警察に事件を届け出た。サリム隣組長は、住人と賊が直接対面した強盗事件は今回が始めてであり、ブキッスントゥル住宅地区の警備を強化するよう要請する、と述べている。


「小学6年の女生徒が誘拐犯の魔手から脱出」(2004年12月14日)
12月2日にジャカルタでタルマヌガラ大学生を誘拐した犯人グループのひとりが5日には逮捕されていた。11日にその出来事が報道されたばかり。この事件は営利目的の犯行で、同大学経営学部1回生のハルトノが夕方5時ごろ、その日の講義が終わってキャンパス内駐車場にいると、見知らぬ男が寄って来て「あんたはオレの親戚をはねたから責任を取ってもらう。一緒に病院に来い。」と言われ、さらに三人の若者が問答無用でかれをキジャンの中に連れ込んだ。キジャンの中に入ると男たちは本性をあらわし、ハルトノを床に押し付けて外が見えないようにしつつ「学費はだれが払っているのか?」などと経済状況を聞き出すことに努めた。結局デポッのアジトに連れ込まれたハルトノは自宅に電話し、1千万ルピアの身代金要求を伝えたところ、家族はすぐに警察に通報して警察の指導下に時間稼ぎを始めた。警察の関与を感じ取った犯人はハルトノをパサルミングで解放して足取りをくらまそうとしたが、警察は犯人グループのひとりをパサルミングの自宅で捕まえることに成功した。警察はこのグループを、中学生を狙って営利誘拐事件を起したグループとは別だとしている。このグループはスリ上がりの犯罪者で、金持ちに見える大学生や青年を狙って営利誘拐を行っており、かれらが行った最新の仕事はグロドップラザで民間企業会社員を誘拐し、3百万ルピアを手に入れた事件。
ところが今度は、東ジャワ州マラン県の住宅地で小学校6年生の女児に対する誘拐未遂事件が起こった。営利誘拐犯罪は地方部にも広がっている感がある。
ルンバディエン住宅地に両親と住むオフィナ・アユ・サプトリは小学校6年生。13日月曜日、制服に身を固めたオフィナは母親の言いつけで、住宅地内の雑貨ワルンへドーナツと授業で使う紙を買いに午前6時ごろ家を出た。買い物を済ませて家に帰ろうとするオフィナに、まるでテレビから脱け出してきたようなカッコイイ女がひとり近寄ってくると、片手でオフィナの口を押さえ、別の手で身体を抱きかかえた。まだ12歳のオフィナの軽い体を楽々と抱えると、近くの白塗りジープの中に押し込む。なんとカッコイイ女はジープの中にもうふたりいた。この高級住宅地の早朝は閑散としており、拉致事件の目撃者もいない。三人の拉致者はあっさりと仕事を終えると、ジープを発進させた。車の中にはオフィナとは別に男女ひとりずつ同年代の子供がいる。その子たちも拉致の被害者だ。子供たちは縛られもせず、猿ぐつわもなく、目隠しもされず、まるで自然のまま。
「逃げなきゃ。」制服に刺してある大き目の安全ピンに気付いたオフィナは、脱出を考えた。まだ二十代と思われるモデル然としたカッコイイ拉致者たちに警戒の色は見えない。住宅地からまだあまり離れていない街道を、混雑する交通状況の中でそのジープは徐行している。安全ピンの針が隣に座っている拉致者の手に思いっきり突き立てられた。悲鳴が上がる。オフィナはドアを開くと車の外に転げ出た。ジープが止まる。オフィナは後ろも見ずに一目散に駆け出した。店がならび、人通りのある街道だから、追手はすぐにあきらめたようだ。オフィナは近くの店に飛び込むと、訳を話して自宅まで付添ってほしい、と頼んだ。商店主は驚きながらもその頼みを聞き入れた。
一方自宅では、買い物に出たきりいつまでたっても戻って来ない娘を心配した印華人の両親が、捜索をはじめた。父親のウィボウォ34歳は、娘の足取りをたどって手当たり次第あたりのひとに聞いて回るが、思うような返事は得られない。そして住宅地のかなりはずれまで来たとき、猛然と駈けてきた娘に飛びつかれた。オフィナのおよそ二時間に渡る冒険談を聞いたあと、一家は事件を警察に届け出た。警察は白いジープとモデルのようなカッコイイ女たちを追っている。


「トランスTV三周年記念ショーで暴動」(2004年12月16日)
トランスTVが15日夜、開設三周年を記念して特別ショーを南ジャカルタ市スナヤンの屋内競技場で開催した。このショーは同テレビ局が顧客や関係者などを無料招待して行った非公開のものだが、このショーにイワン・ファルスやスランクが出演すると聞いて19時ごろからファンが詰め掛け、その数は1千人を超えた。集まってきた大半は若者たちで、会場の表で中へ入れろと会場警備側と押し問答をしたあと、20時半頃しびれを切らした群衆から建物に向けて石礫が飛び始め、群衆は暴徒と化して駐車場に止めてあった高級車に襲い掛かった。屋根に登って踏み叩き、あるいはボディを打ち、ガラスを割る、といった破壊行動の標的になった高級車は11台を数えた。警備側は緊急動員をかけて暴徒に対抗し、21時15分ごろには暴動を沈静化させ、暴徒15人を逮捕した。暴動が収まると、群衆は散り散りにその場から去って行った。
主催者側はこの事件に関して多くを語らず、招待状を持たない外の人たち用に大型スクリーンテレビを置くことまでしたのに・・・と言葉少なにコメントしていた。会場から全国のお茶の間に実況中継されたこのショーは会場外の暴動には少しも影響されず、テレビを見ていた視聴者もニュース報道を見るまで何も知らなかった。


「クリスマス・年末、首都の保安」(2004年12月17日)
クリスマスから新年にかけてのホリデーシーズンにおける首都の保安に関して、首都警察は総力の三分の二にあたる1万4千人を動員して警備に当たる。一つのポイントは、クリスマスに教会でミサに集まった人々を狙って爆弾テロが行われる可能性で、12月12日の中部スラウェシ州パルでの教会爆弾テロ事件をその警告と警察側はとらえている。他にもショッピングセンターやレクレーション施設など都民が集まる場所での警備も強化される。
警察の動きと呼応して、都内5市の秩序安寧局も管区の秩序保安維持に当たる予定。中央ジャカルタ市では市内の126教会に対する警備に職員を派遣する計画で、中でもカテドラル、イマヌエル、パウルスなどをはじめ信徒が多数集まる教会には特別警戒態勢を敷くことにしており、そのために5百人の行政警察ユニット職員が動員される。個々の教会には警官10名行政警官5名がチームを組み、特別警戒対象の教会には人数を増やし、警備ポストを設け、メタルデテクターが装備される予定。この警備シフトはクリスマス当日の三日前から二日後まで継続される。また年越しの夜は、ホテルインドネシア前ロータリーとモナスを重点警備地区として特別交通規制を行う予定であり、人を大勢乗せた自動車の乗り入れは禁止される見込み。


「スカルノハッタ空港に強盗タクシー」(2004年12月21日)
北ジャカルタ市にあるPMA企業PTフアシンに勤める中国籍のリン・チエンフォン32歳が12月15日21時ごろスカルノハッタ空港から乗ったタクシーが、強盗タクシーに豹変した。ブルネイからロイヤルブルネイ航空635便でジャカルタに戻ってきたリンは2Fターミナルを出ると、外で客待ちしているブルーのタクシーに乗った。
リンは運転手に北ジャカルタへ行けと指示する。タクシーは発進した。空港有料道路スディヤッモ通りの最初の料金所に来たとき、思いもよらず突然三人の男がそのタクシーに乗り込んできた。車は比較的空いている夜の有料道路を飛ばす。男たちは刃物をリンに突きつけて要求した。2百香港ドル、3百中国元、5百シンガポールドル、5十万ルピアが手から手へ。更に腕時計、黄金指輪、ノキアとパナソニックの携帯電話、パスポートも忘れない。リンの財布からクレジットカードが3枚見つかった。中国で発行されたそのカードを持って一味は最寄のATMへと走った。近いのはモール・タマンアングレッ。ところが正しいPINを入力しても、中国製クレジットカードをジャカルタのATMは受け付けない。腹を立てた一味は車に戻るとリンを小突き回し、別のATMでやってみるべえ、と行き先をタングランのスルポンにあるプラザBSDに変えた。
再度のトライにもかかわらず、ATMからは一ルピアの金も出てこない。怒り狂った賊たちは車に戻るとリンにその怒りをぶちまけた。殴る蹴るの暴行を受けたリンは意識を失う。死んだ、と思った一味はジャカルタ方面へ戻る途中、スルポン有料道路にリンを捨てた。時間は16日午前2時ごろ。しばらくしてハイウエーパトロールがリンを拾った。まだ息がある。パトロール車はスルポン警察へと直行し、正気付いたリンから一部始終を聞く。とはいっても、英語は話せず、インドネシア語も片言のリンが語るストーリーにはさぞ時間と忍耐が必要とされたことだろう。
警察の捜査が即開始された。そして南ジャカルタ市プサングラハンに住むアスリル40歳とウルファミ33歳の兄弟およびその仲間のリソン・ケネディ29歳が24時間もたたないうちに逮捕された。アスリルとウルファミは普段タクシー運転手を生業としている。ウルファミはスカルノハッタ空港Dターミナルで客待ちしているところを逮捕され、アスリルは自宅で捕まった。この強盗タクシー一味は5人組で、もうふたりの仲間ジョン・ケネディとトトを警察は追っている。リンに対する犯行に使われたタクシーはアスリルのもので、ボディにはタクシーナンバー4863とPrestasiのロゴがはっきりと読み取れた。


「CPUを狙った強盗事件がふたつ」(2005年1月17日)
コンピュータのCPUだけを奪う火器と刃物を持った強盗団が16日朝、離れた二ヶ所に出没した。中央ジャカルタ市チュンパカプティで旅行代理店業、カーゴ取次業、ワルテルを営むムリアルティ所有の店に朝7時半ごろ、タクシー車種ソルナで三人の男が乗り付け、中のひとりがすぐに拳銃を出して従業員を脅し、おびえて机の下に隠れた従業員を尻目に三人はコンピュータシステムのケーブルをはずし、事務所にあったCPU4台を奪って逃走した。既に人通りがしげくなった時間帯だったが、強盗団は易々として仕事を果たし、同店が蓄積していた顧客情報のすべてがCPUとともに消滅した。一方、やはり同日朝、南ジャカルタ市クマンスラタンにあるイワン・ブディ・イラワン所有のワルネットに四人の男がシルバー色のダイハツエスパスで乗り付け、刃物を振り回して従業員を脅かし、店内にあったコンピュータモニター10台とCPUを奪って逃走した。


「首都警察の犯罪対応システム充実に進展」(2005年1月18日)
都民へのサービス向上をはかるために犯罪緊急対応態勢を整備した、と首都警察が公表した。警察が用意したのは三つの新サービスで、まずSMS1717、次にWe Track、三つ目は緊急対応システム別名パニックボタン。
SMS Polisi1717は、警官がすぐに来て欲しい状況に遭遇したとき、市民はSMSを1717番に発信すればよい、というもの。すべてのSMSオペレータはその番号を認識して警察の専用サーバーに回送してくることになっており、直接オペレータのサーバーと結ばれているので、ビジー状態にはならない、とのこと。二つ目のWe Trackはグローバルポジショニングシステムを使ってパトカーのいる場所を把握し、最寄の位置にいるパトカーに現場への急行を命じようというもの。トラッキングシステムを完備したこのシステムでは、パトカーの移動状況がわかるので、待っている市民に適宜情報を流すことができる。三つ目のEmergency Response System別名パニックボタンは無線機器を使って緊急信号を発信するシステムで、その機器に付いているパニックボタンを押すと、警察がその機器のある場所に緊急出動するというもの。実業界や重要な民間施設あるいは一般市民でも、必要なら首都警察テレマティカ部門にお問い合わせをどうぞ、とウィリアルディ・ウィザル首都警察テレマティカ部長は述べている。


「街道にかかる橋からボルトが盗まれる」(2005年1月26日)
ダアンモゴッ通りの西端でムルデカ通りと結んでいるチサダネ川を渡る橋が崩壊する危険があるため、重量のある車両はそこを通らないように、とタングラン市公共工事局が警告している。1983年に建設された現在の橋は依然頑丈で、決して老朽化したわけではない。鉄骨構造のこの橋はおよそ1万個のボルトで鉄骨が結び合わされているが、その大型ボルト5百個が消えてなくなったのである。25日に判明した大量のボルト紛失のために、同局はすぐさま都内の業者を当たって補充を求めたが在庫がなく、急遽バンドンに補充分を発注した。来週にはそれが届いて補修工事にかかることになっている。
タングラン鉄道駅から近いこの橋は、雨季でチサダネ川が水かさを増しているため、泳いだり魚を採るふりをして橋の下のボルトを盗むことが可能。同市公共工事局長は、「橋はみんなが使う公共施設であり、共同体の利益のために市民みんなでその保全に注意しなければならない。それを損なう者を見かけたら、そんな行為を阻むよう協力していただきたい。」と述べている。
当面タングラン市は職員を現場に配置して重量車両がその橋を通らないよう交通整理を行う予定だが、深夜などに事情を知らない重量トラック運転者がその橋に乗ると橋の崩壊はほぼ確実であるため、その対策を更に検討している。


「自動車盗難処理は安くない」(2005年2月9日)
2004年11月、ハルトノ40歳は西ジャカルタ市の自宅ガレージに停めておいた自動車が夜の間に消失したため、翌朝警察に届け出た。かけてあった自動車保険を請求するのに、警察が発行する紛失証明書が必要なのだ。「5百万ルピアでどうだ?」ハルトノが手続きを依頼した警察職員はそう言った。早く証明書をもらいたければ無料ではすまない。普通にやれば2ヶ月かかる、とその職員は言う。ネゴ交渉がはじまり、ハルトノは280万ルピアで合意した。しかし12月が10日過ぎても、書類はいまだにできてこない。
9月にキジャンを盗まれたファリッはすべての手続きを自分で行おうとした。かれは首都警察本部内をあっちへ行ったりこっちへ来たりして2ヶ月の時間と150万ルピアの経費を費やし、どうにか紛失証明書と自動車登録番号凍結指示書を発行してもらうまでにこぎつけた。「友人が警察の上級職員と知り合いなので、普通の人より安くしてもらったよ。」と体験を語るファリッ。
警察の市民に対するサービスは本来無料であるにもかかわらず、そのようなことが起こっている現実を批難する声は絶えない。オートバイの盗難に間する事務手続きは50万から100万ルピア、乗用車の場合は5百万ルピアを下らないが、高級車になると相場は高くなる。それは犯罪捜査部で作成される紛失(盗難)証明書のためだけであり、交通警察に出してもらう自動車登録番号凍結指示書のための金はそこに含まれていない。更に盗難車発見捜査を依頼すれば、それらとは別の財布が必要になってくる。1億ルピアの車を取り返してくれと警察に頼めば、警察は2千5百万ルピアを要求してくる。
捜査を行うにも、盗難に関する事務手続きにも金が必要だ、と警察職員は語る。しかし首都警察のチプトノ情報部長は、盗難被害者に金を要求するようなことを警察はしていない、と否定する。「もしそのようなことを行っている警察職員がいれば、氏名と証拠を揃えて当方に提出していただきたい。」との例の弁。


「警察が路上で法廷外裁判」(2005年2月10日)
面倒なことがお嫌な人々は、なんでもさっさと片付けてしまいたい。「金がいるのなら、払えば良い。金で片付くならやすいものだ・・・・・」
交通違反を警察にとがめられると、違反切符を切られて免許証を取り上げられる。それを返してもらうために、決められた出頭日に裁判所へ行けば、たった5万ルピアの金を払うためにまず半日はつぶされる。ひどいときには午後になってやっと終わるから、もうその一日は仕事にならない。罰金はたいしたことはないが、一日つぶされたら明日は釜のふたが開かない・・・・・
そんな人々に対して、首都警察が1997年から違反現場で法廷外裁判システムを始めた。これは実に素晴らしい警察の人助けだ。警官が違反車を摘発すると、「違反切符が良いですか、それとも法廷外裁判?裁判所は能率が悪いですよ。」と法廷外裁判を勧める。法廷外裁判だともちろん免許証は取り上げられないから、その場を切り抜ければ後は面倒なし。「その金はおまえが着服するだろうが・・・」と猜疑心に満ちた人は違反切符を要求するが、慣れたドライバーはたいてい法廷外裁判を希望する。すると警官はメニューを取り出し、あなたの違反はどのような場所でどのような行為を犯したから、罰金はこれです、と説明してくれる。裁判所へ行くよりは割高だが、それでけりがつくのはたいへんありがたい。
その金がBRI銀行のある口座に積み上げられている。数十億ルピアにのぼるその口座残高のうち、交通違反罰金は数百万だそうだが、その金を首都警察は何に使おうというのか?
しかし首都警察の知恵者は新たなアイデアを出した。法廷外裁判による交通違反罰金をATMから振り込んでもらおうというのだ。当然ながら支払い期限を付け、ずるを決め込む違反者はその免許証と自動車登録番号証明書を無効にすればよい、と新たな戦略を練っている。


「お抱え運転手採用にはご用心」(2005年2月12日)
首都警察は、最初から自家用車の乗り逃げを目的にして運転手を供給するという新しい組織的自動車窃盗手口が行われている、と公表した。これは10日に逮捕された犯罪者がその犯罪グループのひとりであったことから明らかになったもので、容疑者の自供によればこのグループはまず西ジャワ州などで運転手の募集を行うとのこと。運転手になりたい者に出会えば、その者を誘い込むことも頻繁に行っている。優秀な運転手候補者が採用されると、ジャデボタベッ地区の道路に詳しくなるように一二ヶ月の訓練が与えられ、また虚偽の住所が記された偽造KTPが与えられる。運転手候補者はそれらを持ってお抱え運転手を求めている雇い主を求め、うまく採用されれば1〜2日勤めたあと、頃合を見計らって車ともども姿を消すという段取り。雇い主は預かっておいたKTPを持って警察に届け出ても、探し出した住所にそんな名の者はいないという寸法になっている。
そんな手口に対抗するため首都警察では、お抱え運転手を雇うときにはその者の身元を知っている人間があること、また運転手の居所に行ってみることを励行し、一方中古車購入の際にはジャカルタ、タングラン、ブカシの警察統合サービスセンターに買おうとしている車のステータスを問い合わせて盗難車を避けるようにと都民に奨めている。
その事件とは別に首都警察はまた、自動車リースを受けてから自動車とともに姿を消すという犯行を繰り返していた5人組をも摘発した。このグループの4人は既に逮捕され、もうひとりは警察が追跡中。この犯罪グループも偽造書類を使っており、中でも土地建物税納税証書やその他資産所有に関連する公的書類を偽造していた。盗品としてヒュンダイAtoz、スズキBalenoやKarimun、いすゞPanther、トヨタKijang、BMWやベンツが警察に押収されている。


「首都の強盗事件ふたつ」(2005年2月16日)
15日白昼、南ジャカルタ市チランダッのファトマワティ通りにあるBCA銀行の前で、客が持ち込もうとした現金1億ルピアが強盗団に奪われた。PTブリティッシュアメリカンタバコ社の従業員、ニ・マデ・サラスワティ31歳は同僚のヘレナ、オフィスボーイのカシオと共に、ウチ・サヌシが運転する白のスズキキャリーで事業経費の出金のために銀行を回った。これはかれらが毎週行っているルーチンの仕事だ。
かれらはまずファトマワティ通りにあるBNI銀行を訪れて1億ルピアを出金した。ふたたびキャリーに乗り込むと、そこからおよそ2キロ離れたBCA銀行に向かう。ところがBCA銀行の駐車場は一杯で、車を停める場所がない。「じゃあ道端に停めましょう。ちょっとの間だから。」サラスワティはそう言って車から降り、仲間がみんな降りるのを待って銀行に入ろうとした。そのとき事件が起こった。銀行前の歩道に立っているサラスワティを突然二台のオートバイが襲ったのだ。それぞれ二人乗りの二台のオートバイのうちの一台が、サラスワティが持っているバッグを引っ手繰ろうとした。それを放すまいと咄嗟に握り締めるサラス。その綱引きの最中に、別の男が鉈をサラスの背に打ち込んだ。会社の金1億ルピアとサラス個人の金40万ルピアが入ったバッグはこうして消え失せた。サラスワティはファトマワティ病院に収容されている。
やはり南ジャカルタ市チランダッのチプテスラタン地区にあるアングル通り?/5番地の邸宅。イギリス人スティブン・ルパート・グレイミ54歳が住むその家に強盗団が侵入した。13日午前1時45分頃に同邸内に侵入したその強盗団は四人組み。休息中のグレイミを鉈と鎌刀で脅して電気コードで縛り上げ、口には毛布の端を突っ込んで声が出ないようにした。邸内にあっためぼしい物をあらいざらいかっさらうと、四人は家の前に停めてあったミニバスで遁走。奪われたのは、現金160ポンド、ローレックス、電気製品など。このグレイミはイギリス大使館で働いている、と警察に述べたが、同大使館プレスオフィサーは報道界からの問い合わせに対し、そのような職員はいない、と否定している。グレイミは相当なショックを受けたらしく、警察への届出は14日になってやっと行っている。南ジャカルタ市の住宅地区で凶器を持った強盗が侵入する事件は増加傾向にあり、数日前にはルバッブルスの医薬品ビジネスマン宅が襲われて現金と物品が奪われている。


「エクセルコミンドの度数買い足しバウチャー購入にご用心」(2005年2月17日)
PTエクセルコミンドプラタマ社の度数買い足しバウチャー総額4.8億ルピア相当が西ジャカルタ市ジュランバルの倉庫から盗まれた事実が15日に公表され、同社はその盗品が市場に出回った場合、盗品の利用はお断りし、善意の利用者に対しても補償は一切しない、との姿勢を明らかにした。盗まれたバウチャーは額面3万5千ルピアのものが2,549枚、額面5万ルピアもの3,349枚、額面10万ルピアもの2,224枚の総数8,122枚総額4.8億ルピア相当で、同社のプリペイドカード利用者にとっては、たいへんな事態となった。同社のコーポレートコミュニケーション担当部長によれば、犯行が行われたのは全国的連休ムードの最中だった2月9日から10日にかけてのこと。利用者に対して同部長は、身元の明らかな販売店でのみ買い足しバウチャー購入を行い、いくら値段が安くとも怪しい販売者からは決して買わないように、と呼びかけている。同社は盗まれたバウチャーのコードをすべてブロックしたため、利用者からのリフィルはリジェクトされることになるが、もしお買上げのバウチャーでのリフィルがリジェクトされた場合は、そのバウチャー購入ルートの追跡にぜひご協力いただきたい、とも要請している。この事件に関連して消費者保護財団は、XLプリペイドカード利用者は買い足しを行なう際にバウチャー購入をせず、エレクトロニック方式でリフィルを行なうように、とアドバイスしている。
ところでプリペイド方式携帯電話利用者にとっての買い足しバウチャーマーケットは年間20兆ルピアという巨大なものになっている。12年前にGSM方式携帯電話が世に出現したときプリペイド方式は存在せず、後になってPTテルコムセル社が始めたSimpatiカードがプリペイド方式のアジアにおける初代カードとなった。その後オペレータ各社はインドサットのMentari、エクセルコミンドのPro XL、そして廉価版As, Smart, Bebasカードなどで研を競うようになり、その結果今では携帯電話利用者の95%がプリペイド方式を使っていて、必然的に買い足しバウチャー市場は巨大なものになっている。当初はすべての買い足しバウチャーが10万ルピア以上していたものの、価格競争と廉価版カードの出現などが買い足しバウチャーの額面低下を招き、今では最低2万5千ルピアでリフィルすることができているが、しかしそんな金額ではバウチャーの流通コストに合わないのは言うまでもなく、こうしてバウチャー現物を使わず、販売店がオペレータのサーバーに直結させて利用者にリフィルを行い、購入者から料金を受け取るというエレクトロニック方式が登場してきた。エレクトロニック方式の最低金額は一回の額面が5千ルピアから可能になっている。
16日、エクセルコミンド社は更に、ジュンポルカード利用者に対して1万ルピア相当の度数ボーナスを与える、ト公表した。ジュンポルカード利用者がリフィルを行なうと1万ルピア相当が自動的に上乗せされるというこのサービスは以前にも行なわれたことがあり、バウチャーのアクティベート、エレクトロニック式リフィル、ドンペップルサのどれを使っても同じように扱われる。このサービスは2月15日から開始されており、1ヶ月間継続されることになっている。


「血まみれの若い女性が・・・」(2005年2月19日)
17日夕方、実車中のブルーバードタクシーが一台、マトラマンラヤ通りのチリウン川橋に近いあたりで止められた。止めたのはまだ若い女性だが服の上から血まみれで、付き添い者はだれもおらず、ただひとりっきり。運転手は「困るなあ」とひとりごちたが、中年の乗客が「乗せてやれ」と言った。乗客は、自分は医者だと名乗ってその女性の傷具合を調べ、運転手にマンガライのアグン病院に立ち寄らせ、病院でその女性を下ろすと自分の目的先であるイマムボンジョル通り方面に向かった。
この女性、ロサ・アルディノ26歳、ロンドンスクールオブパブリックリレーション第5スメスター在学中の学生、は右胸に深い刺し傷を負っていた。アグン病院はやってきたロサにチプトマグンクスモ病院(RSCM)へ行くように奨め、ロサはそこを辞し去ったがRSCMへ行く途上で死んだ。ロサはその間、だれにもその傷についての事情説明をしていない。
警察の調べによれば、ロサは当日、大学へ行こうとして家を出たが、普段はオートバイで通学しているかの女が、どうしたことかオートバイを使わず、都内バスに乗った。東ジャカルタ市ウタンカユスラタンの自宅からクブンシリのキャンパスまでコパジャバス502で行ける。そしてどうやらバスの中で災難に遭ったようだ。ロサが死んだとき持っていた網状のハンドバッグの中には、4万ルピアの入った財布、オートバイの自動車番号証明書、学生証は残されていたが、携帯電話だけがなくなっていた。
何者かがロサの携帯電話を奪ってバスから降りる。「返せ」と叫びながら追いかけるロサ。場所はマトラマンラヤ通りのチリウン川橋の近く。そしてうるさく追ってくるロサの右胸にナイフの一突きが・・・・
夕方のマトラマンラヤ通りの混雑を知らないひとはジャカルタにいるまい。そして、血まみれの若い女に手を貸してやろうとする者もいなかったようだ。たまたま止めたタクシーに乗っていた医者が見かねて病院へ届けたが、それもロサへの救いにはならなかった。その日もジャカルタは、何事もなかったかのように暮れていった。


「ふたたび近郊電車の電線切断」(2005年2月19日)
首都近郊鉄道のスルポン〜タナアバン線で18日午前2時ごろ、高架給電線が切断されるという事件が起こった。それがわかったのはマンガライにある操車コントロールポストに先週設置されたばかりの通電観測機が警報を発したためで、職員はさっそく切断箇所の探索を開始し、タングラン県チアテル村ムカルジャヤ部落地区内の二ヶ所でフィーダー線がおよそ1.5キロ、メッセンジャーケーブルとトローリーケーブルがそれぞれ4百メートルにわたって切断されているのを発見した。切断された電線は巻き取られていたが持ち去られておらず、また犯人の姿もその近辺に見られなかったことから、国有鉄道会社職員がやってきたため犯行途中で慌てて逃走したのではないか、と推測されている。
この事件のために同路線の電車はタナアバンからスディマラまでの区間を折り返し運転したが、スルポン〜スディマラ間は運行不能となり、その区間の乗客はランカスビトゥンからタナアバンに向かうジーゼル電車を利用するようにと鉄道会社側は駅にやってきた乗客に対してひっきりなしに案内を続けている。18日は朝から切断されたケーブルの復旧工事が行われているが、回復は夜になるものと見られている。
首都近郊電車で使用されている電車用電線の盗難事件は過去4ヶ月でもう6回を数えている。昨年11月にポリス〜カリドラス区間で2件、スルポン地区で12月に1件、1月はじめにタナクシル公共墓地近くで1件、そしてこの2月はじめにまた1件となっており、今回の事件で6回となる。鉄道会社は鉄道の全区間を見張ることなど不可能であり、公共資産を盗もうとする者を見かけたら、必ず官憲に通報するようにと市民に呼びかけている。


「都内目抜き通りの電柱が一キロにわたって盗まれる」(2005年2月24日)
都内スディルマン通り北詰の首都近郊鉄道ドゥクアタス駅前からスティアブディ地区のチェースプラザまでおよそ1キロ。その道路脇の歩道に建てられて夜間は目抜き通りを明るく照らしていた街燈がいつのまにか姿を消していた。街燈柱は高さおよそ7メートルで30から40メートルおきに建てられており、250ワットの電燈が夜間こうこうとあたりを照らしているもの。近郊鉄道駅と住宅地区のスティアブディ間を徒歩で往来する人の数も決して少なくなく、歩行者はいつのまにか暗くなったその通りを、なかば不安と恐怖を抱えて毎日通っていたにちがいない。
中央ジャカルタ市街路照明ユーティリティ網施設課は先週すでにこの事件を警察に届け出て捜査を要請している。しかし都庁の関係部門はほとんどみなこの事件を知らず、記者の問い合わせに驚きをもらしていた。犯罪者が人目からかくれてこっそりと行えるような仕事ではなく、ましてや深夜まで交通の絶えない都内最高位の儀典道路で起こった今回の事件に、都庁の公共資産管理監視体制の甘さが浮き彫りにされている。


「強盗団のひとりが逮捕される」(2005年3月3日)
首都警察は、ボゴール、セランからジャカルタ一円にかけて悪名を轟かせていた強盗団メダングループのひとりを逮捕した。この逮捕劇は2月22日に西ジャカルタ市チトラランドモール前で展開され、お尋ね者のソフィアン・バトゥバラ45歳が首都警察機動刑事班職員に捕まった。このメダングループは5人組の強盗団で、そのうち3人は4ヶ月前に逮捕されており、残る二人が警察の追跡ターゲットに上がっていたが、今回ソフィヤンが逮捕され、もうひとりのターゲット、シパユンの追及も続けられている。
このグループの犯行手口は、狙いをつけた邸宅を時間を掛けて調べ、チャンスをつかんで押し入るというやりかたではなく、偶発的に見つけたターゲットを即座に襲って犯行を繰り広げるというものであり、被害者を傷付けたりレープすることも辞さない荒っぽい犯罪集団として警察は特に目を付けていた。かれらの犯行として明らかになっている2004年7月10日の事件では、かれらはチュンカレンのアジトからホンダアコードに乗って出発し、南ジャカルタ市バンカ通りの住宅地区に獲物を求めた。バンカ8Aの18番地にある家の前で警備員が眠りこけているのを目にしたかれらは、即座にターゲットをそこに定めた。家の塀の前に車を停めると三人が下車し、とある住所を探しているふりをして警備員を起す。寝ぼけまなこで門から出てきた警備員を縛り上げて車の中に放り込むと開いている門からその家に侵入し、寝ていた家人を全員浴室に閉じ込めて、ハンディカム1台、携帯電話3台、ラップトップ1台、デジタルカメラ1台、黄金製装身具、現金1千3百万ルピア、1千1百万ルピア相当の外国紙幣(シンガポールドル、日本円、マレーシアリンギット)、高級腕時計3個、ATMカード3枚、クレジットカード2枚を掻っ攫って逃走した。
ソフィアンは、犯罪は一度しか行なっていない、と供述しているが、警察は他の強盗事件との関連を追究している。


「倉庫の商品と新婚さん」(2005年3月8日)
インドサットの携帯電話買い足しバウチャーを盗んでいた同社従業員が警察に逮捕された。額面10万ルピアのMentari買い足しバウチャーを盗んだのは西ジャカルタ市チュンカレン地区ラワボコルのダアンモゴッ通りにあるインドサット社倉庫に勤務していた6人で、2004年4月に3千枚、2004年6月に1千2百枚と合計4千2百枚を勤務先の倉庫から持ち出し、職場ではつじつま合わせの帳簿操作を行なっていた。持ち出したバウチャーは西ジャカルタ市ITCロキシーマスの商店数軒に1枚10万ルピアで売り渡し、総額4億2千万ルピアを手に入れて、仲間6人の間で分配していた。
事件が発覚したのはインドサット社が2005年1月に行なった社内監査からで、出荷数と入金の間に大きい差が見られたために調査が行われ、盗難の疑いが濃厚になったことから首都警察に対して1月12日に捜査が依頼された。首都警察一般犯罪刑事局は、その倉庫に勤務していたが昨年6月に退職したエサ・インダ・プラウィラの身辺を洗って心証を深めた上で、プロマスアパート4階のエサの自宅で本人の身柄をおさえた。事件の主犯格だったエサの自供によれば、その犯行には同じ倉庫の同僚5人を引き込んで2度に渡って商品を盗み出し、足取りをくらますために二回目の犯行後にエサは退職したが、共犯の仲間たちは誰一人として同じ行動を取る者がいなかったという。犯行に加わったのは倉庫オペレーター3人、倉庫監視員1人、倉庫事務職員1人で、警察はその自供に基づいて共犯者を次々に逮捕した。
エサを含めてその6人は全員が23歳から25歳という年齢層で、犯罪で得た一人あたり5千万から7千万ルピアの金はどうやら結婚資金に使われたらしく、警察が逮捕したとき、かれらの全員が新婚さんだった。


「首都の犯罪通報はSMS1717に」(2005年3月8日)
去る1月17日、首都警察は都民に対する保安警備の新サービスを開始した。新機軸は「We Track」「Panic Button」そして「SMS1717」。既に一月半が過ぎたが、それらの新サービスの効果はどうだろうか?どんな事件でもよいから、見聞き体験した犯罪を警察に知らせてほしい、という警察の希望に対する都民の反応は今のところかなりポジティブなものであるようだ。SMSPolisi1717に既に届いた情報は14,181件にのぼっている。
今年2月24日時点で首都警察がまとめた犯罪統計によれば、総犯罪件数は3,229件で2004年の3,145件から微増。首都の主要犯罪は侵入盗、重暴行、自動車盗難がビッグスリーをなしているが、侵入盗は2004年の1,199件から2005年は1,218件に、重暴行は281件から292件に、自動車盗難は1,300から1,546件に、といずれも対前年同期比でプラスを示している。あらゆる犯罪カテゴリーが多少は別にして増加している中で、唯一減少を示しているのは強盗事件で、365件から173件に激減状態。
首都警察は以前、都民からの電話通報にラジオ放送をからませたラディオスアラメトロ911を実施したことがある。都民が112番に電話で事件を通報すると、FM911Hzのスアラメトロ放送で聴取者への情報提供要請が流され、それに応じてまた都民から112番に情報が入ってくると、その経過をまたラジオから通報するといった仕組みだが、アイデアは秀逸だったものの、電話が通話中という伏兵が足を引っ張り、都民はそのうち馬鹿馬鹿しくなって反応するのをやめてしまった。噂では、112番で受信を担当する警察職員が頻繁に私用電話をかけまくっていた、というオチもあるのだが。
さて、費用は全額着信人払いの112番電話がそうなったのと裏腹に、費用は全額発信人負担のSMSが勝ち残れるのだろうか、という疑問は誰しもが感じている。1717番へのSMSは一件Rp.1,100であり、勘定高い都民が「それでも・・・」と警察の犯罪に対する闘いを信じてバックアップを続けるのかどうか、その答えは警察がこれから出していくことになりそうだ。


「レストラン客が強盗に襲われた?!」(2005年3月12日)
レストランで食事中の客が強盗に襲われた。10日昼過ぎ、北ジャカルタ市ヨッ・スダルソ通りにあるレストラン「ブンドキト」にやってきたブルーのキジャンからティタ・スティアニンシ46歳が降りた。ティタは運転手のマルズキを誘って昼食を取ろうと店内に入った。店内の三つのテーブルには他の客が着いて食事中であり、ティタとマルズキは残っている空いたテーブルに座った。実は、かの女はこの店の出資者のひとりであり、店員とは顔なじみだ。店のシェフ、アラン37歳がティタの注文品を厨房で作り始めたとき、ヤマハRXキングとホンダスプラの二台のオートバイが店の前で停まり、若者が三人どやどやと店内に入ってきた。ところがその三人は店内に入ったというのに、ヘルメットを脱ごうとしない。店員が応接しようとするのを尻目にその三人はまっすぐティタのテーブルに近づくと、山刀を抜いてティタとマルズキに突きつけ、ひとりがテーブル上に置いてあるティタのバッグを奪った。そのとき他のテーブルから悲鳴があがったが、三人のうちのひとりが即座にそちらに近づくと山刀を突きつけて、「うるせえ。騒ぐと殺す!」と低く一喝したために店内には沈黙が戻った。三人はティタのバッグだけを手にするとすぐさま店の外に出、こうして二台のオートバイは爆音を残して去って行った。
ティタはタナアバンのBNI銀行で1,550万ルピアの現金を下ろしたあと、ブンドキトに立ち寄ったのだ。それが明らかにされると、店内にいた全員が納得したようだ。ティタの被害はバッグと中に入れていた現金、携帯電話、そしてKTPなどの証明書類。


「ポルノVCDネット販売はサイバークライム」(2005年3月12日)
首都警察特殊犯罪捜査局サイバークライムユニットがコンピュータ犯罪を摘発し、おとり捜査のあげく3月7日に犯人を逮捕した。
アセップ・アワルディン別名アジ・ウィボウォ別名イスマイルはアメリカのTucows Incにウエッブサイトを持った。契約は2003年3月から2006年3月まで年間70ドルで契約し、www.Hiperseks.comというサイトを作って登録した。アセップはそのサイトにポルノVCD販売広告を載せ、一枚1万3千ルピアで販売した。カバーの写真は他のポルノサイトやグロドックで手に入れていた。かれは6枚のKTPを持ち、BCA銀行ではアセップ・アワルディン、マンディリ銀行ではアセップ・アヒルディンといった名前で口座を持ち、入金が確認されると宅配サービスのTiki JNEを使って発送していた。
首都警察は、ご禁制のポルノを扱うそのサイトの運営者がインドネシアにいることを嗅ぎつけた。おとり捜査の手始めは、ポルノVCDと海賊版ソフトの発注だ。振込みをし、送られてきた品物を調べる。犯人がいくつかの町に散らばっていないことを見極めるために、警察はなんと20回もの取引を行った。発送はすべてバンドンから。発送人の住所はバンドン市内の5ヶ所。サイバークライム班に捜査チームが編成され、さらに捜査の網を絞るためにバンドンに向かった。犯人をおびき寄せるための最後の発注が問題のサイトに出された。5人の捜査員が昼夜交代でその5ヶ所の張り込みを行う。3月7日午後6時ごろ、宅配サービス会社Tiki JNEのプルナワルマン通り営業所にVCDが15枚入った小包を持ち込んだ男がいた。発送者の住所は警察が手配中のものと一致する。Tikiの担当者はすぐに警察に通報した。
こうしてアセップは逮捕された。警察がアセップの自宅を捜索すると、DVDプレーヤーからコンピュータ一式、スキャナー、プリンターそしてポルノVCDの入ったバッグ9個、海賊版コンピュータソフト入りバッグが3個、ATMカード3枚、携帯電話などが発見され、警察はそれらを押収し、また今回の事件はアセップの単独犯行であることを断定した。


「盗品自動車再販グループが捕まる」(2005年3月29日)
盗品四輪自動車をたくみな手口で再販していたグループが警察に逮捕された。かれらは2003年からその犯行を続けており、盗品と知らずに購入した被害者は26人にのぼる。
自動車の由来がまっとうなものか、わけありのものかは、自動車所有証書(BPKB)の有無とその記載内容で判断する。この証書は普段、家の奥にしまわれているので、路上での自動車盗難ではまず犯人の手に入らない。だからこそ盗難車には偽造のBPKBが必要とされるところだ。そして毎年の納税を証明する自動車番号証明書(STNK)も欠かせない。
警察に捕まったこの四人組は作業チームで、かれらに対して盗品を流してくるミスターXがこの犯罪の頭脳役と見られており、警察はそのミスターXを追跡中。捕まった四人組は、ひとりが書類偽造を受け持ち、他の三人は売買を行うという業務分担になっていた。盗品の四輪車が手に入ると、書類担当は中国ブランドの安いオートバイを買う。こうしてBeijingやJialingが一台売れることになる。オートバイを購入するとBPKBが手に入る。これは正真正銘の公正なもの。オリジナルBPKBに書かれた文字は根気よく消される。車種、メーカー、型番、排気量、車体色、車体番号、エンジン番号、ナンバープレート・・・。所有者名は変える必要が無い。消されたそれぞれの欄には、元のものとよく似た書体で、盗難車のデータが書き込まれていく。STNKの偽造については警察がその手口をまだ調査中。
そうやって商品の用意が済むと、販売チームが動く。マスメディアに広告を載せる手法がメインで、高価下取りを約束して買い替えを煽る。顧客が決まると取引はわざと土日を選ぶ。購入者が首都警察統合管理システムで盗難車データをチェックするのを遅らせるためだ。購入者が「念のために」と首都警察にチェックを入れて事実が判明しても、もう後の祭りという寸法。被害者の中には、1.06億ルピアのキジャンクリスタを相手に渡し、2千4百万ルピアを払ってスズキエスクードを手に入れたが、盗難車と判ってほぞをかんだ人もいる。またスズキキャリーに7百万ルピアを添えて、6千8百万と値付けされたホンダゲニオと取り替えた人もいる。犯人グループは下取りした車をカリマランにある小規模中古車ディ−ラーに売り捌いていた。


「護身用スタンガンはいかが?」(2005年4月2日)
中国製護身用スタンガンが販売されている。充電電池を内蔵したこのスタンガンは懐中電灯にもなるため、販売店ではセンテルストゥロム(senter setrum)あるいはセンテルリストリッ(senter listrik)という名前で売られている。全長20センチ、30センチ、50センチの三種類があり、20センチは25万ルピア、30センチは30万ルピア、50センチは35ルピアというお値段。20センチ型と30センチ型には安全ピンが装備され、スタンガンとして使用する際にはピンを押し込まなければならない。50センチ型にはピンがなく、オンオフスイッチがついている。販売者は中央ジャカルタ市ロキシースクエア内のトセルバスワラヤンで、卸販売も行うとのこと。スタンガンを使う場合には、犯罪者に触れた後離さなければならず、触れたままにしておくと相手が死亡するおそれがある、と販売者側は説明している。


「高校生、下級女生徒へのお仕置きは・・・」(2005年4月7日)
中央ジャカルタ市ブディウトモ通りにある国立第1高校で、三年生の女生徒7人が退学処分を受けた。古い伝統を持ち、都下で優秀校として知られる国立第1高校での不祥事だが、二年前にも類似の事件があったとラティヨノ校長は語っている。
去る3月17日に同校キャンティンで、三年生の女生徒7人と一年生の女生徒ふたりの間で事件が起こった。三年生はガンをつけたとして一年生ふたりをトイレに連れ込み、仕置きをするためドアに鍵をかけた。7人はそのふたりの服をむりやり脱がせ始めたので、ふたりは泣きじゃくりながら赦して欲しいと訴えた。たまたまそのトイレの前を女性教師が通りかかり、泣き声を耳にして不審を抱いた。ドアをノックして「どうしたの?」と尋ねると、三年生の一人が中から「オシッコしてるだけです。」との返事。疑惑を感じた教師はドアを押し開け、中へ入って驚いた。ふたりの女生徒が半裸の姿で泣いているではないか。教師はすぐに服を着せるとふたりの女生徒を校長室に連れて行き、事情を説明させた。上級生の仕置きが行われたことが判明し、7人の三年生を呼んで尋ねると、全員が事実を認めたので、校長は7人の三年生の保護者と話をし、退学処分を言い渡した。
ラティヨノ校長によれば、7人の女生徒が犯した行為は校則の重度違反に該当しており、厳格に処分を下さなければ校内規律が保てないばかりか、培ってきた学校の名誉を損なうことになるとの判断から退学処分にふした、とのこと。生徒同士の間で圧力をかけて反倫理的行為を行うことは、校則で重度の悪行とされている。
同校では上級生女生徒と下級生女生徒の間でのギャング争いがあり、そんな状況が今回の仕置き行為に発展したようだ。


「4月17日からの一週間、ジャカルタはシアガ1」(2005年4月13日)
アジアアフリカ首脳会議を前に、首都警察は期間中の治安維持オペレーションの一環として、路上でのパトロールや検問、特に借家をメインにした個人住宅への訪問調査を計画している。チプトノ首都警察広報官によれば、4月10日から17日までの間、住民指導、パトロール、検問などが行われているとのこと。住民指導は各町・字・隣組などの行政機構内で、民生の治安と秩序を維持することを目的に問題早期発見の仕組みを構築すること。パトロールは都下全域及びスカルノハッタ空港地域をはじめとするタングラン地区での巡回警戒の強化。検問は道路上で疑わしいと見られる自動車や人に対して、火薬や凶器の所持をチェックし、また借家をメインに警察官が住居を訪問して治安妨害の要因を早め早めに見つけ出していこう、というもの。マレーシア人テロリスト、アサハリ博士とヌルディン・トップが行動を計画しているという噂もあるだけに、首都警察も息が抜けないところ。人に対する検問は所持品検査が主で、着衣の上から手で触れるというチェックが行われるので、都民にはご理解ご協力をお願いしたい、と同広報官は要請している。
4月5日現在、151ヶ国からの来賓が見込まれ、国家元首の来イ_アが決定しているのは51ヶ国、そして18ヶ国から観光団もやってくるという一大イベントとなったこの首脳会議は、4月17日18日が各国使節の入国、19日が上級高官会議、20日21日が外相会議、22日23日がジャカルタコンベンションセンターでの首脳会議、24日がバンドンでの50周年記念式典という日程。首都警察はそれにあわせて、4月15日に動員全部隊の合同大集会を行った後、首都警察職員10,854人と国軍その他からの応援を加えた24,701人が警戒地区に配備され、917人は外国ゲストの交通路の警戒、109人はゲスト宿舎となるホテルの警戒、スカルノハッタ空港192人、ハリムプルダナクスマ空港162人、国家宮殿や宿舎668人が重点警戒にあたる。またコンベンションセンターと宿舎から会場への交通路の保安も数百人の要員が配備されることになっている。


「ジャカルタの厳戒態勢入りは17日からか?」(2005年4月14日)
アジアアフリカ会議に向けて警戒が高まっているジャカルタの各ショッピングセンターの様子はどうなっているだろうか?
13日に見た都内各所の様子は、モールタマンアングレッでは構内に入ってくる車両に対する金属探知機での検査、モールロビーに入ってくる客のバッグへの検査が励行されている。各フロアやリフト・エスカレータ近辺には警備員が配置され、シアガ1期間に備えて態勢を整えている。モールクラパガディン、プラザインドネシア、プラザブロッケムなども大同小異。
ところがアトリウムスネンは普段と同じ警戒態勢で、警備増強の雰囲気はまだないし、それはサリナデパートも同じ。サリナへは、まったく何のチェックも受けないで中へ入ることができる。
首都警察は4月11日から25日まで二週間にわたって特別警戒体制を取るが、ショッピングセンターは17日からで良いということなのだろうか?確かにあまり早くから始めると、中だるみがこわい。


「日本人ツーリストを強請ったのは現職警官」(2005年4月14日)
去る8日に、日本人旅行者を脅かして現金を巻き上げた三人組は、現職の警察官だったことが明らかになった。
報道によれば今月8日朝9時半頃、都内南ジャカルタ市トゥベッバラッダラムにある22歳の女性の借家に警官と自称する三人の男が訪れ、そこで宿泊していた56歳の日本人ツーリストを偶然発見し、職務質問と取調べを行ったあげく「ツーリストビザで入国した外国人は宿泊場所がホテルと定められており、ホテル以外で宿泊する場合は許可が必要で、そのツーリストは違反を犯したので罰せられる」と脅かした。かれらは借家内を捜索してツーリストが3千万ルピアと40万円を持っていることを知った上、日本人とその女性に警察への同行を促した。三人組は車内で、この犯罪は懲役二年だが、1億ルピアを出せば見逃してやると示談を持ちかけ、まず3千万ルピアを取り上げたあと首都警察本部へ行き、ひとりが車から降りて建物内に入り、しばらくして出てくると上司が了承したのであと40万円もルピアに換えろと命じた。車は今度はクバヨランバルのブロックSにあるマネーチェンジャーに行き、女性が3千4百万ルピアに両替して戻ると、三人組は金を取り上げた上でそこからほど近い場所に二人を下ろして姿を消した。
被害者の届出でこの事件を捜査していた南ジャカルタ市警捜査ユニットは12日、その三人ならびに情報提供者である住民ひとりを逮捕して取調べを行っている。逮捕されたのは国家警察保安諜報庁勤務のジャサ・シアギアン警部とムジ二級警視補、首都警察本部勤務のバンバン巡査部長、そしてかれらに外国人が宿泊しているとの情報を提供した一般市民のロニの四人。逮捕の糸口はかれらがその犯行に使った自動車の番号からで、そこから現職警官がその恐喝事件に関与していることが明らかになった。しかしかれらが首都警察交通局駐車場に入り、ジャサが建物内に入って上司に了承を取ったというのはただの芝居であり、ジャサはただ車から降りて建物に入るとしばらく時間をつぶしてから車に戻っただけだ、と説明している。国家警察は今回の事件を、市民が違反を犯したことにつけこんで金をゆすり取る悪徳警官の典型的な手口であり、警察の顔に大きな泥を塗ったものととらえて厳しい処分を行うかまえ。


「女性は乗ろうとするタクシーにもっと注意を」(2005年4月18日)
強盗タクシー事件がふたたび増加している。4月に入ってから首都警察への強盗タクシー通報が3件あり、その被害者がすべて女性であることから、警察は女性のタクシー利用者に対して十二分の注意を払うよう呼びかけている。
警察のデータによれば、4月4日夜西ジャカルタ市ロカサリへ行こうとした若い女性ふたりが被害に合い、金品を奪われてブカシのポンドッグデに放り出されるという事件があった。次に起こったのは4月14日の夜7時ごろで、クバヨランバルのチプテウタラに住む民間企業社員が乗ったタクシー番号SS576というS社タクシーが強盗に早替わりし、シシガマガラジャ通りを走行中突然停車した際にふたりの男が後部座席の左右のドアを開けて侵入してきた。被害者は大声で叫んだが賊がハンカチでかの女の口をおさえ、タクシーは都内を行方定めず走り回り、そのルートはスディルマン〜タムリン〜ガンビル〜トゥグタニ〜スネン〜シンカロルス病院を回って最後にラワマグン地区まで行った、と被害者は述べている。かの女はラワマグンでタクシーから放り出された。被害者が失ったのは携帯電話、東芝ラップトップ、BCA銀行ATMカード、現金20万ルピア。三つ目は南ジャカルタ市タンジュンバラッの自宅に帰ろうとしてタクシーに乗った妊娠7ヶ月の女性が被害者。ファトマワティ通りを走行中のタクシーが突然停車すると、三人の男がそれぞれ三ヶ所のドアを開いて外から侵入してきた。そして被害者は数百万ルピアを失った。
被害者のひとりは自分が乗ったタクシーを覚えていたが、ほかの二組はブルーのタクシーということしか覚えていない。首都警察チプトノ広報部長は、特に女性がひとりで、あるいは女性だけでタクシーに乗る場合は、運転手名、タクシー番号、ナンバープレート番号を覚えておくよう、注意を呼びかけている。また強盗タクシーの被害にあった際、車が停車したときにはすぐに車から降りて、大声で助けを求めるようアドバイスしている。強盗タクシー運転手はそのタクシーの正規運転手でない場合が多い。一台のタクシーが正規の運転手から別人に委ねられる、通称テンバッと呼ばれる行為が行われ、極端な場合は一日に5人も運転手が入れ替わることがあるが、正規運転手は最初のひとりしか認知していない。犯罪者はそんな仕組みを強盗行為に利用するので、警察はタクシー会社に対しても、車両と運転手管理を励行し、会社規則に違反すれば容赦ない措置を取るように要請している。


「シンパティタクシーは悪くないっ!?」(2005年4月19日)
14日夜にクバヨランバルのチプテウタラに住む民間企業女性社員が乗ったタクシー番号SS576というS社タクシーが強盗に早替わりしたという事件に関連して、テレビ局SCTVが流した報道の中にSimpatiタクシーの画像が使われ、それ以来同社タクシーの売上が激減したことから、シンパティタクシーの運転手や関係者が同テレビ局に対し抗議デモを行った。普段は30万ルピアを超える売上があり、会社に毎日ストランの22万5千ルピアを渡したあと、8万から10万ルピアの手取りを持ち帰れていたが、その報道以来ストランに7万5千ルピアの借りを作らなければ生活できない状況になったと運転手たちは怒りをぶちまけていた。路上では利用者から乗車拒否をくらい、マンガドゥアのあるショッピングセンターではタクシー乗り場から追い出されたという運転手の報告も会社にあがっている。シンパティタクシー側はその強盗事件に使われたタクシーが同社のものでなく、第三者が同社のものを装って儀装を施した可能性が大きく、その証拠に警察が同社のタクシープールを調べた際、タクシー番号SS576を見つけることができなかったのは、同社の管理台帳に登録されているのがSS574までしかないのであたりまえだ、とコメントしている。
一方首都警察北ジャカルタ市警本部は、3月23日に発生した強盗タクシー事件で車両を運転した犯人テオドルスを逮捕した。この事件は、3月23日21時半ごろ、北ジャカルタ市クラパガディンモールからタクシーでチリンチンに帰宅しようとしたユリアニが黄金装身具、携帯電話、現金15万ルピア、BCAのATMカードを奪われたというもの。タクシーがチリンチンラヤ通りのボガサリ工場の前を通りかかったとき、助手席にいた男が後部座席に飛び込んできて、ひとりで座っていたユリアニにナイフを突きつけて金品を奪った。強盗タクシーは被害者を乗せて有料自動車専用道路を往来し、最後にブカシのジャティブニンで被害者女性を放り出した。自動車のプレート番号を覚えていた被害者の届けで、警察はスルポンにあるその会社のタクシープールを調べ、運転手のデニー・マリオを取調べた結果、デニーがテンバッ運転手に車を貸したことが明らかになったので、そのテンバッ運転手捜索の結果テオドルスが逮捕された。その犯行の際助手席にいたフィルマン・ダヌを追跡中。


「首都圏近郊鉄道に乗ったら警戒を」(2005年4月21日)
首都圏近郊鉄道では毎日12件の犯罪が起こっている、と国有鉄道会社第一操車区広報の報告書は物語っている。アフマッ・スヤディ広報員は、もし被害者が全員報告してくれば、実態はその数倍にのぼるだろうと語った。犯罪のほとんどは、スリ、引ったくり、財布や携帯電話の強奪で、リスクの高い駅はサワブサール、マンガブサール、ジャヤカルタ、パサルミング、トゥベッ。
犯行のタイミングは駅に停まっていた電車が動き出すときで、被害者が身動きし難いことが多いため、犯罪者には都合がよい。ひったくりや強奪は人の少ない駅でも発生するが、スリや、中にはかみそりでバッグを切り裂いて中味を抜き取る犯行は客の乗降が激しい賑やかな駅でよく起こっている。犯人の多くは会社勤め人のような服装をし、切符もちゃんと持っていて、一見犯罪者風というなりをしていないため、犯人逮捕はきわめて困難だ、と同広報員は説明している。車内でひとが密着してきたような場合、窓際に座っている場合、装身具を身に着けたままの場合、携帯電話や財布を手で持ったままの場合などは周囲を十二分に警戒するように、と鉄道会社はアドバイスしている。
列車内や駅での犯罪が増加し、またグナダルマ大学女子大生が携帯電話をひったくられまいとして生命を落とした最近の事件のように凶悪化傾向を示していることから、鉄道会社は19日全地区で車内検問を実施し、切符不保有者、屋根上乗車者、物売り、プガメン、乞食など158人を不正乗車として捕らえ、矯正指導を行って罰金を科した。最近のデータからは三日にひとり乗客が死亡するという統計が得られており、屋根上からの転落や高圧電流に接触して無駄に生命を失うことを減らすため、乗客検問は継続して行っていく方針であることを鉄道会社は強調している。19日に捕まった物売りたちは強制的に1ヶ月有効の定期券を買わされ、以後検問時に定期券を提示できなければそのたびに捕まることを言い聞かされて解放されている。


「ジャカルタ近郊電車内で格闘一騎打ち」(2005年4月25日)
23日昼、南ジャカルタ市チランダッに住むヤンディ23歳は、コタへ行こうとしてポンドックランジ駅から電車に乗った。ランカスビトゥン〜スタシウンコタ線のその電車はかなり混んでいて、ヤンディは車両の中まで入れないため、ドアの近くに立った。ジャカルタ近郊鉄道のエコノミー電車はドアを開けたまま走る。通風や開放感やさまざまな要素を求める乗客によってそうなっているのであり、鉄道会社の本意でそうしているのではないことをお断りしておこう。
さて、コタに向かって電車は走る。クバヨランラマ駅を発車したあたりでヤンディは、背負ったバックパックが外からまさぐられているのを感じて振り向いた。ヤンディの真後ろにいたのは、ちょうどその種の稼ぎをするために電車に乗ったティヤス。言うまでもなくその二人の間に面識はない。ティヤスはバックパックの中にある携帯電話を奪おうとしていたのだ。気付かれたことを知ったティヤスはさっそく服の下からナイフを取り出す。対抗するヤンディは素手。こうして、進行中の電車の開いたドアの前で、まるで映画もどきの、ふたりの若者による一騎打ちシーンの展開とあいなった。それを遠巻きにして見ている乗客たち。くんずほぐれつの格闘が行われている間、それに手を貸そうという乗客はいない。そして結局ティヤスがヤンディをドアから押し出し、電車から蹴り落として決着はついた。落ちたヤンディは線路脇を二転三転。所はパサルビンタロ駅の近くで、運良く電車もあまりスピードを出していなかったため、ヤンディは軽傷で済んだ。
事態の進展を見守っていた乗客たちの出番がやってきた。ヤンディとの一騎打ちでエネルギーを消耗したティヤスは、刃物を持っているとはいえ、多勢に無勢。乗客たちは思う存分ティヤスをぶちのめしたために、ティヤスは瀕死の態。着いた駅で群衆はティヤスを引き摺り下ろすと、警察に突き出した。駅からプサングラハン警察署に連行されたティヤスは、すでに届出に来ていたヤンディとそこで再会。警察の取調べはあっさりと終わった。


「盗品二輪車はスカブミで探せ」(2005年4月25日)
ジャボデタベッ地域で盗まれた二輪車がスカブミに売られるというのは有名な話だ。もう十年以上も前から、盗品二輪車はスカブミに持ち込まれ、故買屋に1台2百万から3百万ルピアで引き取られている。ところがこれまで、スカブミ警察署はこの問題にほとんど手をつけないまま今に至ってしまった。
STNKやBPKBなどの公式書類のない二輪車を地元ではSepeda Motor Bahro(バフロオートバイ)と呼ぶ。スカブミ警察が県下のバフロオートバイの手入れに本腰を入れはじめたのは今年1月。路上を走っている盗品オートバイを警察が押収するのに、かつて起こったようなオジェッ仲間が集団で警察に反抗し、暴力をふるった事件が再発しては困るので、警察は県下全域に盗品オートバイ検挙作戦を告知し、また県民には盗品二輪車を使用しないというキャンペーンも実施し、更にはオジェッ引きが盗品二輪車を押収された場合は、保証金頭金なしで新車を割賦購入できる制度を用意したりなどしてから大作戦を開始し、1月から4月初めまでに1,146台を押収した。その大半はカブタイプで、スカブミ警察は、正式なSTNKとBPKBで所有権が証明できれば、費用一切なしに持ち帰って結構、と市民に呼びかけている。押収されたオートバイはプラブハンラトゥにあるスカブミ警察本部に収容されており、既に30人ほどが引き取りにきた、とのこと。


「また出た、赤斧団!?」(2005年4月27日)
25日夕方、グヌンサハリ通りにあるマンガドゥアスクエア前の交差点で信号待ちをしていた車を三人組強盗が襲った。被害者はトヨタソルナをひとりで運転していた35歳の女性。信号待ちで混んでいる交差点の中で、フロントガラスを斧でノックする男に気がついたかの女は動転した。男は恐ろしげな形相で「ハンドフォン、ハンドフォン!」と叫んでいる。恐怖でどぎまぎしながら、かの女は窓を開けて携帯電話を差し出した。それを奪って男たちはその場を去ろうとする。しかしその付近にいたパドゥマガン署の警官三人がそのシーンに気付いた。現場から去ろうとする三人組を警官が制止すると、斧を構えて逆襲しようとして来る。規則に従って、まず空に向けて警告射撃。しかしおとなしくお縄にかかろうとしない三人組は、撃てるものなら撃ってみろとばかり近付いてくる。じゃあ撃ってやろう、と三人の大腿部に一発ずつ鉛弾丸が撃ちこまれた。この三人はクラマッジャティの警察病院に送り込まれて治療中。


「灯油タンクローリー略奪事件」(2005年4月28日)
26日夜8時ごろ、タングラン市パヌンガガンウタラ町サワダラム村のラスナサイッ通りで、4千リッター入りタンクローリー2台が住民に襲われ、積んでいた灯油が数百人の住民に略奪されるという事件が起こった。
事件の発端は「KKNをほじくり出す」と自称する民間団体がその日、同村住民に対して無料灯油の配給がある、とスピーカーでふれて回ったのが起こりで、口伝えでそれを聞いた村民や近隣住民が手に手にバケツ、石油缶、洗面器などを持って集まってきた。そのころ二台のタンクローリーがそこへ来合わせたので、スピーカーの声は今度は「あのタンクローリーの中味は水増し灯油だから、みんなが取っても構わない。さあ、取りに行こう!」と叫んだため、婦人や子供が主体のその群衆はパニック行動を始め、アリのようにタンクローリーに群がってバルブを開き、あらそって手にした容器にその中味を満たし始めた。町役や地元有力者たちの耳にこの知らせが入ったころには住民たちの略奪行動は終わっており、警察が現場に到着したときには空のタンクローリーと居残った群衆の一部が現場に見られただけだった。
同村一帯ではここのところ灯油が手に入りにくい状況が続いており、供給不足を憤る声が広がっている中で発生した事件であることから、住民たちも煽動に乗せられた被害者であるとの見方をベースに、誰が何のために起こした事件かをタングラン市警察は捜査している。住民の中には、公式の無料灯油配給と思っていたところ、ためにする者によって騙されたことが分かり、せっかく手に入れた灯油を捨てる人もあらわれている。
このような事件が起こる背景には、政府の石油燃料価格政策の失敗があると一部有識者は指摘している。灯油は一般的に貧困と見られている民衆の家庭用燃料の筆頭に置かれており、政府は貧困国民保護を目的に、そこで使われる灯油に補助金をつけて安い市場販売価格を設定している。一方産業界が灯油を買う場合には、補助金なしの市場販売価格で買わなければならない。今年3月1日から政府は石油燃料市場小売価格を値上げしたが、一般家庭用灯油はリッター700ルピアで据え置かれ、産業用灯油はそれまでから22%アップしてリッター2,200ルピアとなった。価格差が広げられ、横流しすれば大きい利益が得られる構図がこうして連綿と続けられている。
その3月1日の値上げを推し進めた要因のひとつに、国内での補助金付き軽油・ガソリン価格と国際相場との差の拡大というものがある。国内市場向けに出荷された燃料を隠匿して量をまとめ、外国に売れば大きい利益が手に入る構図ができあがり、そのおかげで折にふれてどこかの地域でガソリンや軽油が欠乏状態になるということがひっきりなしに起こっていたのではなかったろうか。だから補助金を撤廃するという理由で石油燃料の大幅値上げが実施された。だが貧困国民への援助として一般家庭用灯油だけは補助金が撤廃されなかった。これはパラドックス以外のなにものでもない。政府の施策の裏をかいて、隠匿灯油を会社工場に売ればリッターあたり1千5百ルピアという濡れ手に粟。頭の黒いネズミたちがそれをしないはずがない。更にネズミたちは他の手も考え出した。oplosanと呼ばれる水増し行為がそれだ。
ジャワ島北岸街道を走るトラックは、道路脇に置かれたドラム缶や積み上げられたガソリン缶を買って燃料補給を行う。ireksと立看板に記されたそれらの燃料が水増しであることを知らぬドライバーはいないだろう。ireksとはちなみにirit dan ekonomisを略したものだが、その水増しにやはり補助金たっぷりの家庭消費向け灯油が使われる。軽油価格がリッター1,600ルピアに上がったときから、トラック運転手は車の燃料タンクに補助金付き灯油を加え始めた。それが去る3月1日に2,100ルピアに上がったことは、ireks軽油ビジネス拡大の道を開いたにほかならない。ここでも据え置かれた家庭用灯油価格が利益の源泉になっている。トラック運転手たちは、自分が運転するトラックのエンジンのことより、雇い主から燃料費として渡された現金のほうが重要事なのだ。牽引車やトレーラーなどの大型車両運転手は一回の燃料補給にireks石油缶を8本から10本ほど車の燃料タンクにぶちこむ。
陸上だけではない。水上でも船外機を改造して灯油で走れるようにしたものが使われている。更にタバコ農民がタバコ葉を熱するさいに家庭消費向け灯油が使われ、貧困層への援助を目的にした補助金がタバコ産業のコスト上昇抑制に利用されている。


「動き出した列車の外から乗客の装身具をひったくり」(2005年5月2日)
車内の乗客が身につけているネックレスをプラットフォームからひったくるという事件が30日、中央ジャカルタ市スネン駅で発生した。被害にあったのは東ジャワ州ジュンベルのタングル住民ワティ20歳で、身に着けていた7グラムの黄金製ネックレスが奪われた。
ワティは夫のナウィ・アブドゥラ23歳と隣人のティアナ20歳といっしょにジャカルタのチプリル地区に住む母親に預けた子供に会いに上京し、用が終わって故郷へ帰る道中だった。三人はスネン駅からスラバヤ行きガヤバルウタラ号のエコノミー車両に入って座席に座っていたが、列車が動き始めたとき、車両の外から破れている窓を通して手が伸びてきてワティのネックレスを引きちぎった。ワティは咄嗟に「ひったくり!」と叫んだが、列車のスピードが上がり始めたためになす術がなかった。ジャティヌガラ駅に着いた三人は、ひったくりにあった乗客は犯人が捕まったのでスネン駅に戻るように、との構内アナウンスを聞き、奪われたネックレスを売って滞納している家賃や借金を返済しようとしていたワティは急いでスネン駅に戻った。ところがスネン警察に出頭して事件を届け出た三人の「ネックレスが取り戻せる」という希望の火は残念ながら消えてしまった。
警察には、リンチされたのが一目瞭然の若い男が捕まっていたが、かれはワティのネックレスを持っていなかった。その若い男リフキ17歳の自供によれば、普段タンジュンプリオッ港で担ぎ屋をやっているかれは、スネン駅に来て遊んでいて、インドラという男とダチになったという。夜遅くなってプリオッに戻る足がなくなったため、リフキは駅に泊まった。翌朝インドラがひったくりをやろうと言い出し、自分も合意した。そしてインドラは犯行を行い、ネックレスを持って逃走したが、インドラと一緒にいた自分は群衆に捕まってリンチを受けてこのざまだ、との話。当然、リフキはインドラの身元を知らない。


「海賊が輸出錫素材を奪う」(2005年5月11日)
4月22日夜8時前頃、シンガポールのパシルパンジャンに向けて錫素材573トン450億ルピア相当を運搬していた国有海運会社PT PELNI所有船イナブクワ号がリアウ州リンガ島海域で海賊に乗っ取られるという事件があった。海賊の襲撃を受けたのはプラウハントゥの手前で、10人を超える賊が船を横付けすると乗り込んできた、とシャムスリア船長は語る。賊は銃や長刀で武装し、17人いる乗組員をすべて抑え込んでしまった。全員が縛られた上で部屋に閉じ込められたという。その後船はマレーシアのパシルグダンに入港して積荷をおろし、出港した後プラウアヤム海域で乗組員を解放してから去ったとのこと。船員たちが解放されたのは4月25日で、同船はすぐにシンガポールに向かい、ジャカルタからの指示に従ってマレーシアの代理店に報告した。海賊は、かれらが話していた言葉から、インドネシア人であることが推測されている。
リアウ州警察は職員をマレーシアに派遣して共同捜査を行い、陸揚げされた錫素材は暫定的に警察の監視下におかれている。イナブクワ号は数年前にも海賊の被害にあっており、今回で二度目の災難。


「ブカシで少女誘拐未遂事件」(2005年5月12日)
5月10日昼12時半頃、ブカシ市ポンドッグデ郡ジャティマッムル町バンクオブトーキョー住宅区にあるジャティマッムル第3小学校の表に、三年生のエカ・ユニ・レスタリ、メスク・メリンダ、アジェン・トリアナの三人がいた。早めに学校に着いた三人の少女たちは13時の開門を待ちながら、表の路辺にいる物売りからおやつを買い食いしている。そのとき、ばりっとした服装の婦人がひとり、赤児を抱いて現れ、三人に近寄った。婦人の傍には三人と同じ年代の少女がひとりついている。
「ねえ、みんな。今日はうちの娘の誕生日で、いまパーティをしてるんだけど、おばさんの家へ来ない?プレゼントもあるのよ。」
最初はためらっていた少女たちも、顔を見合わせてうなずきあい、ついにはその婦人が誘うままに従った。みんなはポンドッグデ〜ルバンブアヤ路線のアンコッに乗る。しばらく乗ったあと、婦人はみんなをうながしてアンコッから降りた。たまたまそこはピナンランティ第48高校の近く。そしてその高校に通っている女子生徒が、隣人のメスクを認めた。「あれっ、メスクがなんでこんなところに?」その女子生徒はすぐメスクの自宅に携帯電話で連絡する。
感づかれた雰囲気を悟ったか、婦人は三人をその場に残して立ち去った。だが手ぶらで逃げたわけではない。エカが身に付けていた黄金のネックレス、アジェンの指輪と腕輪、メスクの腕輪が持ち去られた後だった。メスクの親からの通報で警察が来るまで、少女たちは道端で途方にくれていた。
警察はこれを誘拐未遂事件と判定しているが、誘拐犯の人相風体に関して少女たちは、「背が低かった」というだけで細かい特徴などは何も説明できないでいる。


「ふたたび強盗タクシー事件」(2005年5月14日)
クルリソ・クリスマ24歳とインダ・プスピタ27歳は、12日夜19時ごろ都内スディルマン通りのラトゥプラザから、東ジャカルタ市ウタンカユのプラムカ通り地区にある借家に帰るため、タクシーを拾った。タクシーはそこからおよそ250メートル走って国民教育省の建物近くまで来ると、停車した。運転手が小用をたすようなふりをして車を降りる。再び戻ってきたとき、後部座席の両扉が同時に開き、両側から男が無理やり中に入ってきた。助手席にももうひとりが入る。タクシーは動き出し、密室の中で三人の男が刃物を突きつけて金目の物を奪いはじめても、ふたりの女にはなすすべもなかった。ノキアとシーメンスの携帯電話、黄金指輪二個、腕輪一個、耳飾二対、腕時計、KTP、マンディリ銀行のATMカード。タムリン通りまで来るとタクシーはATMのある場所で停まる。金を引きおろしに賊たちがおりる。戻ってきた賊は、怒り狂って被害者の頭を殴りつけた。「嘘のPIN番号を教えやがって!」
そのあと一味はタクシーを走らせ、ジャゴラウィ有料自動車専用道路を通ってチブブルへ出た後、被害者を道端に置き去りにして姿を消した。ふたりの被害額は210万ルピア。


「バスウエー乗り場の床板が盗まれる」(2005年5月17日)
プロガドン〜ハルモニ間を東西に結ぶバスウエー第二期工事は緩慢に進められているが、すでに建設されたバス乗り場の床に敷かれている鉄板が盗まれていることが明らかになった。盗難が発見されたのは中央ジャカルタ市プジャンボン通りに設置されたバス乗り場で、高床になっているバス乗り場の床に一度敷かれた1x1.2メートルサイズの鉄板6枚が消失している。
このバス停の建てられた場所は夜間の交通もあまりなく、照明は道路の向かいにあるホテルボロブドゥル脇の歩道にひとつあるだけで、バス停建物自体はほとんど闇の中にあると言っても過言でない。そこは外務省ビルの隣で、同省の職員のひとりは12日夜23時ごろ7人ほどの男が床の鉄板をこじりあけて6枚の鉄板を運び去るのを目撃している。外務省で送水ポンプ工事が行われていることから、水ポンプを盗みに来たかと最初その職員は疑ったが、ポンプのダンボールしか盗むことができなかったそうだ。
ルスタム・エフェンディ都庁運輸局長はその件に関する問い合わせに答えて、盗難報告は受けていないが、工事中のバス停は24時間警備体制下にあるため、床板が盗まれる可能性はとても小さい、とコメントしている。


「ボディガードをお探しで?」(2005年5月18日)
PT Brigass Tri Lanang Securityのピウス・ルストリ・ラナン社長は、個人のフルタイムガードは警備員ひとりにつき月額250万から350万ルピアで、契約は3ヶ月タームになっている、と言う。政治家や国会議員のおとくいさんが何人もいるそうだ。党大会が何日間も開かれるようなときは、受注が増える、とバンドンの学生活動家でオルバ期にコパッススに拉致された体験を持つかれの談。
一方PT Group 4 Falk Indonesiaのユスワジ取締役は、個人のガード依頼はめったにお目にかからず、同社が受けているのはほとんどコーポレート向けだ、と述べる。カルテックスのCEOが来イ_アしたときは、同社から本人の24時間警護が注文された。同社はカルテックス、エプソン、BPなどの企業警備を受注している。個人対象の場合、一日3百から5百米ドルというタリフは、当然ながらまだネゴがきく。
PT Global Security Consultantのクリスティアン・シャ、オペレーション担当取締役は、夜間だけなのか24時間なのか、どのレベルの警護を必要としているのか、などによって料金は大いに違う、と語る。料金は月に6百万から1千5百万ルピアといった範囲。
1999年からこの業界に参入したPT Putratama Bhakti Satria (Protecom)は、12時間のボディガードに150万から300万ルピアのタリフを設定している。注文はときどきあるが、常にそのオペレーションがあるわけではない、とトト・トリハムトロ社長は説明する。クライエントは普通、ボディガードがついていることを公には知られたくないようだ。オーダーは事業家、外国企業のCEO、アーティストなどから入る。外国企業のCEOは移動時の警護要請がほとんどで、ジャカルタの交通渋滞や混雑の中で犯罪者に襲われたさいの最悪の事態が会社にもたらすリスクが天秤にかけられているらしい。一方この業界の中では、アーティストが大きな潜在マーケットだとささやかれているとのことだが、しかし大型音楽ショープロモーターのジャヴァムシキンドは、外タレであってもアーティストのボディガードサービスをつけたことはない、と言う。外タレからのガードマン要請はまだない、と同社のアドリ・スボノは語っている。プログラム実施のさいの警備は同社のクルーがヒステリックになった観客の対応を行っている程度だそうだ。
一方、Yayasan Rajawali Wawasan Nusantara Jayaは、同財団の警備活動は常に国家警察本部との連携下にある、と言う。警察から教育訓練や装備の供給を受け、活動報告も三ヶ月に一度警察がチェックしている。この財団のボディガードサービスは一月1から5百万ルピアというタリフになっている。


「卒業試験の季節、タウランの季節」(2005年5月28日)
高校生の全国卒業試験が5月30日31日6月1日の三日間予定されており、例年試験が終わると生徒たちの暴力行為が多発することから、ボゴール市では市生徒補導タスクフォースが、警戒を高めるよう関係諸方面に呼びかけている。このタスクフォースは、市内全校から4百人の教師と校長が集まって編成されているもの。
同タスクフォースは関係諸方面に対し、試験終了時間以後市内の要所での監視と予防措置を厳重にして、市民生活の秩序が乱されないように警戒せよと指示している。ロヒヤニ・アトマクスマ同タスクフォース会長は、2000年の試験終了時には生徒の着ていた制服で落書きだらけになったものを6袋回収したし、2003年はボゴール在住生徒がスカブミの生徒との間で起こしたタウランで、鋭利な刃物で刺されてひとりが死亡している、と語っている。
ボゴール市内で生徒が集団で暴力破壊行為を行う可能性の高い場所として、ラマヤナ、ボゴール市場、エカロカサリプラザ、ワルンジャンブ、ジュンバタンメラサークル、グヌンバトゥなどがあげられている。またボゴール駅周辺も、生徒たちが他校生徒と出会う可能性の高い場所であるとして要警戒地域にあげられており、そのためそこへは各学校が教師を派遣して生徒の行動を監視し規制する体制を組んでいる。駅職員や周辺住民へも、生徒たちの不穏な動きに注意し、おかしいと思えばすぐに連絡をするよう協力を要請している。
高校の次には中学校で6月6日から8日まで全国卒業試験の日程が組まれている。こちらも高校と同じで、中学生だからおとなしいということはまったくないそうだ。かれらも高校生の先輩にならって同じような行為をしたがるので、高校中学の一連の卒業試験が終わるまで、関係者は息が抜けない。


「スカルノハッタ空港で着陸事故」(2005年6月2日)
5月31日夜20時半メダン発ジャカルタ行きアダムエアーKI227便が22時15分にスカルノハッタ空港に着陸した際、B737−400機の右側メインホイールがロックされず、タッチダウンからおよそ1.5キロの間機体が右に傾いたまま滑走路を走って滑走路中ほどで停止した。機体の右翼と右エンジンが滑走路との摩擦でひどく損傷しており、事故の原因となったホイールの状態確認に時間がかかるものと見られている。空港施設側の損傷は、スポットライト二基が壊れ、また滑走路が深くえぐられただけ。
アダムエアー側の説明によれば、タッチダウン後少しして減速状態に入ったとき機体が右に傾き、右ホイールが格納状態に戻ろうとしていることがわかったので、すぐにエンジンを停止し滑走路の途中でストップさせた、とのこと。その際客室乗務員は非常脱出スライドを開いたが、既にパニック状態になっていた123人の乗客は先を争って脱出しようとし、一斉に非常口に殺到したため5人が怪我をした。重傷者が一人おり、それはスライドを通らず、機体出口から飛び降りたための骨折。
この事故で同機を移動させるために南滑走路は閉鎖され、その間北滑走路にすべての離着陸が移された。6月1日午前5時に撤去と保全作業が完了したために、空港管理会社は南滑走路の再開を宣言した。交通安全国家委員会は原因究明のための事故調査を既に開始している。


「大阪行きガルーダ便で怪我人」(2005年6月2日)
5月31日のガルーダ航空GA882便が、飛行中のエアポケットによる空中落下で乗客と乗務員合計10人の怪我人を出した。デンパサル発大阪行きのこのフライトは、関西空港までまだ1時間45分の地点を166人の乗客を乗せ、高度4万1千フィートで飛行中、突然エアポケットに入ったために急激な落下に見舞われた。パイロットはそれまで気流の悪い場所を避けて飛行していたが、レーダーで発見されなかったエアポケットに入ってしまった、とガルーダ側は説明している。怪我をした乗客5人、乗務員5人は、同便が7時55分に関西空港に到着するとすぐに病院に運ばれ、およそ1時間後に退院が許可されている。
同機に損傷はなく、この飛行機は6月1日に予定通り大阪を11時に立ち、デンパサルには17時10分に到着している。


「銃砲所持許可取得条件」(2005年6月6日)
一般市民でも警察の許可を得れば銃砲所持ができる。ただしここにも肩書きが顔を覗かせる。許可の対象となる人間は、政府高官の場合大臣、国会・国民協議会議長、総局長・官房総局長・監督総局長、内閣官房長、正副州知事、州官房局長、州監督局長、地方議会議長、国会・国民協議会議員等であり、民間企業だと取締役社長、監査役社長、監査役、代表取締役、経理担当取締役などの高位職者でなければならない。許可を得るための条件は次のようになっている。
国家警察長官令第Pol;Skep/244/II/1999号で定められた銃砲所持許可取得手続きによれば、心身ともに健康な年齢22歳から65歳までの者で、国家警察認可を有する射撃訓練機関が発行する第三級射撃技術サーティフィケートを持ち、銃器を取り扱う際に困難をもたらす身体障害がなくまた正常な視力を持っていることを証明する医師のサーティフィケートがあり、犯罪に関わったことがないことを証明する居住地を管轄する警察の証明書を有し、警察保安諜報局長と銃砲監視保安次局長が行うテストにパスしなければならない。更に国家警察心理局が行う心理テストがあり、申請者は感情的な性格でないことを証明しなければならない。
しかしそれらの警察が行うテストは形ばかりのもので、金さえあればそれらの条件は容易にクリヤーできるとの声もある。ただし銃砲所持許可を手に入れたところで、一般市民が持てる銃器は限られており、拳銃は口径32・25・22インチのものだけ、長銃は12口径ショットガンと22口径ライフルに限定されている。


「都市の金持ちから盗んだ金を村の貧民にバギバギする現代ロビンフッド」(2005年6月10日)
ボゴール市のビラドゥタに住むロムジからボゴール警察に盗難届けが出された。ユーロ、米ドル、シンガポールドル総額2億ルピア相当が邸内の自室から消失した、と言うのだ。ボゴール市警捜査課が捜査員をロムジの自宅に派遣し、こうして捜査が開始された。雇い人が全員集められ、指紋を採取され、取り調べを受けた。そのとき震えている者がひとりいた。雇い人の間から、シンガポールドルの交換レートを尋ねた者がいたとの情報が入った。ロムジの部屋の箪笥の扉に残されていた指紋が、ある雇い人のものと酷似していた。それらの状況証拠はすべてその家の番人、イペン・ぺぺン20歳を指していた。
捜査員は更にイペンの身辺を洗った。そして明らかになったのは、ボゴール県ナングン郡ナングン村住民イペンが突然大金持ちになり、ここ数週間、村で親族や隣人にロビンフッドよろしく金をばらまいていたという事実。村役もイペンの振る舞いに不審を抱いていた、とのこと。
こうしてボゴール警察はイペンの身柄をおさえて追及したところ、イペンはあらいざらい自供した。ロムジが週末ごとに家をあけるというチャンスをとらえてイペンは、ロムジの自室の引き出しから少しずつ現金を抜き出し、そ知らぬ顔で仕事を続けていたのだ。イペンの犯行はおよそ二ヶ月に渡って続けられていた。イペンは兄弟たちと使うためにオートバイ4台やヤギ3匹を盗んだ金で買っていたが、警察はそれらを証拠品として押収した。


「海軍兵のお手柄」(2005年6月16日)
15日白昼、都内クマヨランで、両替を約束した外国人が金を奪って逃げるという事件が発生した。しかし犯人は通りかかった海軍兵士に捕らえられ、首都警察に引き渡された。 15日、チレボンのある会社の三人がレートの良い両替を行おうとしてホンダCRVでジャカルタまで来た。かれらはカメルン人のジョンソンと名乗る男と既に交渉を済ませ、あとは現物の取引を行うばかり。取引場所は最初グヌンサハリ通りのホテルシェラトンメディアが指定されていたが、ジョンソンはその後クマヨランに場所を移させた。13時過ぎ、ベンヤミン・スエブ通りの指定場所まで来た三人の車に、アフリカ人がひとり近寄った。ラウレント・ソッモワズと名乗るそのカメルン人をジョンソンの部下だと思って信用した三人は、金を見せろというラウレントの言葉に素直に従い、7億ルピアの入った黒色バッグを渡した。受け取ったラウレントはその足で自分の車スズキバレノに入ると、挨拶もなく車を発進させたではないか。驚いたのは三人。顔をひきつらせてバレノの追跡をはじめる。かつてのクマヨラン空港を南北に貫通するベンヤミン・スエブ通りでカーチェイスが始まった。
インドネシア海軍西部方面艦隊コマンド営繕ユニット所属のスミラン二級軍曹以下5人のチームは、たまたまそのときキジャン公用車を運転してベンヤミン・スエブ通りを走っていた。そしてカーチェイスする二台が自分の前に割って入ったとき、「ランポッ、ランポッ!(強盗の意味)」という追いかけている車からの叫び声を耳にした。「すわ」と海軍公用車もスピードをあげる。カーチェイスの果ては通りの北端にある有料自動車道ランプのゲート前。キジャンはスズキバレノを追い抜くと、その前方をふさぐ格好で停止した。兵士たちは車からおりてばらばらとスズキバレノに駆け寄る。ラウレントは抵抗するが、5対1ではどうしようもない。こうして関係者全員が西部方面艦隊本部に連行され、そのあとで首都警察に引き渡された。


「アディグナ・ストウォに入獄7年の判決」(2005年6月17日)
16日中央ジャカルタ国家法廷で、殺人事件被告アディグナ・ストウォに対する判決が下された。今年新年の年明けにジャカルタヒルトンホテルのバー「フルイド」従業員が勤務中に射殺された事件で、その犯人と立証されたアディグナ・ストウォに対して検察側は終身刑を求刑していたが、判事団は予想外に軽い判決を下した。アディグナ・ストウォはかつてプルタミナ帝国と呼ばれる一時代を築いたイブヌ・ストウォ総裁の息子で、ヒルトンホテル経営者ポンチョ・ストウォの実弟にあたる。
アディグナが犯したと検察側が主張する、刑法第338条の故意の殺人と緊急事態に関する1951年第12号法令第1条1項の権利のない銃火器爆薬の所有に対する違反を判事団も認めたものの、故意の殺人が最高入獄15年、銃火器爆薬不法所有が最高死刑という刑罰条文をもとに検察側が求刑した終身刑を判事団はきわめて軽い刑罰に変えた。おまけに被告がすでに拘置されていた期間はその入獄期間に含められる。リリッ・ムリヤディ判事団主司はその判決について、従来類似の犯行に対して下されてきた刑罰からあまりかけ離れたものにしないという点を斟酌した、とコメントした。銃火器や爆薬を隠匿していたトミー・スハルトは入獄15年の刑、スハルト元大統領の孫アリ・シギッは銃器不法所有で入獄1年。庶民の犯した故意の殺人事件でも入獄5年や6年といった判決が下されており、それら先例に見合った判決を下した、とのこと。
判事団の下した判決文の中では、被告の行為は社会に不安を招くものであること、社会的著名人であるためにマスメディアで報道されたことが別途の罰となっていること、公判中慎ましい態度であったこと、被害者の遺族が被告を赦すとともに刑罰を与えなくともよいと表明していること、まだ比較的若い年齢でありこれから模範的社会人になれる見込みかあること、前科がないこと、などを総合的に考慮したうえでの判決であるとうたわれている。
アディグナは被告弁護団の勝利の握手にすすり泣きを見せていたが、被告弁護団はその判決に満足せず、これから控訴手続きを行う構え。一方の検察側はまだ態度を決めかねている。


「子供たちへの麻薬蔓延は消費面だけではない」(2005年6月25日)
ILOが推進しているIPEC(児童労働撲滅国際計画)のナショナルプログラムオフィサーが、ジャカルタの子供の50%が麻薬違法薬剤ビジネスに関わっていることを明らかにした。同プログラムが東・西・中央の三ジャカルタ市で92人の子供を対象にサーベイを行ったところ、そのうち48人はパッキング、包装、小分け、さらには販売といった麻薬の生産販売に関与していることが判明した。明細は、パッキング27人、小分け42人、包装31人、プリント2人、粉砕2人、増量3人、混合9人、材料購入2人といった内容。
また92人中90人は13歳になるまでにそのビジネスへの関与を始めており、12〜13歳で大麻、13〜15歳でヘロインの流通に関わっている。子供たちにもっとも手に入りやすいのが大麻で、続いてエクスタシーに代表される錠剤とのこと。同プログラムは子供たちがその道に入っていく要因として、絶対的貧困、ピヤープレッシャー、家族からの圧力、密売ボスの影響、ドロップアウトなど学校関連問題などをあげている。


「汚わい槽での悲惨な死」(2005年6月28日)
下水道がほとんどないに等しいインドネシアでは、人間の排泄物は(1)川に流す、(2)空き地のくさむらの陰に放置する、(3)セプティタンに貯える、のいずれか。最近ニュースになったタングラン県のムンタベル大流行は(2)の地域で起こったもの。しかし都市部はいまでは、ほとんどの家屋にセプティタン(Septik Tank)が造られ、トイレから深いタンクに流し込まれる方式が一般的。
そんなセプティタンに落ちて人が死亡するという惨めな事件が、ボゴールで発生した。ボゴールのムアラサリにあるウマルの家の前庭を土盛するため、ウマルは建築物を崩した際にできた瓦礫を取り寄せた。26日正午前、トラックから下ろされた瓦礫を、ウマルに賃雇いされたガンディ40歳とヌヌッ35歳が家の表で片付けていた。ところがどうやら、トラックは瓦礫をウマルの家の表に埋められていたセプティタンの上に下ろしたらしい。重さに耐えられなくなったセプティタンのふたが壊れ、ガンディとヌヌッのふたりは瓦礫とともにたっぷり貯えられていたセプティタンの中にもんどりうって落ち込んだ。深さ10メートルほどもある汚わい槽の中に沈んだふたりをウマルや近隣住民が引き上げたが、ガンディは息を引き取った。ヌヌッはかなりの怪我をしており、急遽チアウィにある病院に担ぎ込まれた。


「首都クマヨランで爆弾」(2005年6月30日)
中央ジャカルタ市クマヨランのウタンパンジャン?通りにある空家で29日午前3時ごろ、爆発物が炸裂した。低性能爆薬を使ったこの爆弾は少なくとも45個の銃弾が中に仕込まれていたらしく、爆発現場のあとから警察は黒い粉末、紙片や布片,バッグの一部、そして三種類の銃弾45個を発見している。警察が収集した目撃者の証言では、爆発の前に黒色のホンダスプラに乗ったふたりの男がその空家に接近し、ひとりはエンジンをつけたまま仲間が戻るのを待っていたこと、さらに爆発の一時間後にヤマハRXキングに乗った黒ジャケットの二人組みが現場に群れていた住民の中に混じりこみ、警察に証言をした三人の住民を威嚇したことなどが報告されている。
首都警察は今回の事件について、去る6月8日に起こったタングラン県パムランのイスラム団体幹部自宅での爆発事件、6月14日南ジャカルタのタンジュンバラッ駅前で発見された爆発物などとの関連性を否定している。


「偽ブルーバードにご用心」(2005年7月6日)
ブルーバードタクシーが実は強盗タクシーだったという事件が7月4日夜、都内で発生した。
都内タムリン通りの会社に勤めるエライダ・ルミアティ・タンプボロン37歳はその日夜9時過ぎ、サリナデパートの表でいつものようにブルーバードタクシーをひろった。ブルーバードなら安全という話を信じているかの女は、ほかのタクシーを利用したことがない。エラと友人たちから呼ばれているかの女は、そこから南ジャカルタ市バンカ通りの自宅へ帰ろうとしていたのだ。やってきた青色のブルーバードの車体にはJJ4434と記されている。ブルーバードしか乗ろうとしないかの女がタクシー会社を見まちがえるはずもなかった。
ひとりでタクシーに乗り、運転手に行く先を告げる。タクシーはタムリン通りを南下してチリウン川を越え、スディルマン通りに入った。そしてインドセメントビルの前辺りでゆっくり走っている車の後ろについた。「右車線は空いてるのに、どうして追い越さないのかしら?」そんな疑念がふっとエラの中に湧きあがったとき、タクシーは停車し、間髪をいれずに両扉が開いて左右からひとりずつ二十歳台前半の男が乗り込んできた。エラは蒼白と化す。タクシーはすぐに走り出した。帽子をかぶりジャケットを着た男たちはナイフやドライバーをエラに突きつけて、身に付けている装身具やハンドバッグの中身を奪いにかかる。タクシーはスマンギ立体交差を左折して都内リングロードに入る。エラは奪われないように抵抗するが、男の暴力に勝てる女は少ない。財布の中にATMカードを見つけた賊は、PIN番号を教えろと迫る。言うことを素直に聞かないエラに男の手がでる。タクシーはチャワンに達すると方向を変えてグロゴル方面に逆戻りだ。ATMブースを見つけた賊たちは再度エラに番号を教えろと迫る。エラは嘘の番号を言う。タクシーは停まって賊のひとりがATMに入り、憤慨した面持ちで戻ってくる。エラはまた男の暴力を受ける。男のひとりが今まで運転していた男から制服をもらって運転席に着く。選手交代だ。車はまた走り出し、リングロードに入る。「本当の番号を言いな。」暴力におびえたエラは仕方なく本当の番号を教える。タクシーはグロゴルに着くとまた一般道に出て、そこで待っていた男のそばに停まった。エラのATMカードは手から手へ。そのときだ、男たちの欲望が頂点に達したのは。ひとりがエラのブレザーを脱がせ、ブラウスのボタンをはずしはじめる。もうひとりはズボンのファスナーを引きおろす。エラは動転した。「お願い。レープしないで。」そのとき賊のひとりがエラに尋ねた。「あんたの出身はどこだね?」エラは北スマトラ州のある地方の名を言う。そのとき携帯電話が鳴り、賊たちはエラが教えたPIN番号が嘘でなかったことを知った。男が仲間に言う。「じゃあもういいな。5百万が手に入ったぜ。ボスに1百万、車の借り賃を引いても利益はばっちりだ。もうその女をやることもあるめえ。」タクシーはチュンパカプティ方面に向けて北上し、コカコーラ交差点で無一物のエラをほうり出すと闇の中に消え去った。エラが奪われたのは、507万ルピアと1百米ドル、腕時計、ダイヤのペンダント付き純金ネックレス、携帯電話など。
エラはその足で近くの警察に届け出た。届け出がなされた時間は23時45分。警察はブルーバードタクシー社を呼んで事情を調べたが、同社の話では、車体番号JJ4434はビンタロの同社タクシープールに22時17分帰着し、運転手は22時20分に売上を納めているとのこと。またエラが放り出されたとき、タクシー料金メーターは12万7千ルピアを表示していたとかの女は述べているが、ブルーバード社のJJ4434に備えられている料金メーターの記録には、10万ルピアを超える売上は一件もなかった。


「夜間検問」(2005年7月12日)
夜半前後あたりから早朝にかけて首都警察は都内で頻繁に検問を行っているが、中には本来の警察活動ではないものが混じっているので、都民はご注意ください、と首都警察チプトノ広報部長が語った。夜間検問を首都警察が始めてから、多くの麻薬所持者や売人が逮捕されているが、どうも中には悪徳警官グループの不法稼ぎの罠に落とし込まれた人も混じっているというのが市井のもっぱらの噂。
こんな話を被害者が新聞社に投書した。今年4月27日日曜日午前3時半ごろ、タクシーに乗ってファッマワティ通りの自宅へ帰ろうとしていた男性が、クマン通りで警官に止められた。警官がその男性の身体検査をしたところ、ポケットから大麻タバコ一巻きが出てきた。本人にはまったく身に覚えのないことだ。しかし警官たちはかれの言葉を聞く耳を持たず、パサルミングー署に連行して拘置所に拘留した。かれはそれ以来7週間拘留されたまま。一方かれが逮捕された二日後にひとりの男がかれの家族にコンタクトしてきた。自分は首都警察高官の親族であるE夫人と親しい人間であり、E夫人がかれを早く自由の身にしてあげたいと考えているので、3億ルピアを払ってほしい、と持ちかけた。家族がそれを拒んだところ、その男は怒りを爆発させ、E夫人と警察高官の心を傷つけたお前たちの振る舞いのせいで、かれはそれ相応の扱いを受けることになるだろう、と捨て台詞を残して帰ったという。
似たような話は数多く、数人の若者男女が乗った車が検問を受けたさい、車の中から麻薬が見つかり、全員が警察署に連行されたあとでその家族に連絡が入り、数千万ルピアの金を持って来れば釈放されると言われて、翌日金を持って子供を引き取りに行ったという親の話は折に触れて耳にする。このような悪徳警官グループは警察内組織ぐるみで不法稼ぎを行っており、上長が一晩何千万ルピアというノルマを与えて下っ端警官を動かしているというのも市井でささやかれている噂。
チプトノ広報部長は夜間検問実施の規準として、検問中の立て札が出ていること、担当警官は「テロ予防」「麻薬捜査」「自動車盗難」などと検問目的を明らかにしなければならず、また市民からの目的を尋ねる質問に答えなければならないこと、車内検査を行う場合は市民が検査活動を監視してよいこと、警官の横暴な振る舞いやでっちあげがあった場合は、警官の名前を控えて警察監察部隊に届けてよいことなどを市民は知っておくべきであると述べている。


「デポッで爆弾騒動」(2005年7月25日)
24日早朝、デポッ市場で爆弾騒ぎがあった。深夜2時ごろ、市場内の鮮魚商人の隣の陳列台に黒いビニール袋に入ったなにかが置かれているのを、周辺の商人たちは見ている。しかし店開き前のその売り場はビニール袋などを売っている雑貨店であり、商人たちはだれかの忘れ物だろうと思って不審を抱かなかった。朝になり、市場が混雑を始めるころ、そのものはまだそこにあった。そしてそれに興味を引かれる者が数人それを取り巻いた。ビニール袋の中には、目覚まし時計、鉄パイプ、電線などがつなぎ合わされているように見え、そして鉄パイプが暖かい。
こうして早朝の市場内を端から端までパニックが貫いた。デポッ警察に連絡が行き、首都警察爆弾処理班グガナチーム本部から担当員が派遣されてきた。そして明らかになったのは、爆発の危険はまったくないが、人を驚かすことを目的にしたことが明白な、爆弾の姿をしただけのもの。「長さ30センチ、直径2インチのパイプの一端には黒炭の粉が詰められており、もう一方の端はセメントが詰め込まれて固められている。両端はプラスチック製のふたで覆われ、一方の端には電線がつながれて目覚まし時計と連結している。しかし爆発性のものは何も入っておらず、デトネーターもない。」との警察発表。人騒がせなこのただのかかし爆弾を現場に置いた犯人を警察は捜索中。


「胎児を青田買い」(2005年8月2日)
養子縁組は建前で、実態は生まれたばかりの赤児売買ビジネスという犯罪を行なっていた一味が社会省と首都警察に摘発された。この一味は、貧しい夫婦や意に反して妊娠してしまった女性らにアプローチし、外国のお金持ちが養子を欲しがっているので、何も心配しないでお腹の子供を産み、産まれた赤児はこちらにまかせてくれればよい、と子供を委ねさせる約束をし、外国で育てられ、健康で利口な、たくましいあるいは美人の青年に育つのだから、と安心させていた。本人の出産はホテルのようなエアコン・テレビ・冷蔵庫つきの病院で行い、必要であれば帝王切開手術もこちらで面倒を見るし、また産後の療養の足しにしてもらうためになにがしかの現金も支給されるなどと夢もどきの甘い話が妊娠した女性たちを説得するテクニックに使われていた。この一味に子供を委ねた母親たちが実際にもらったのは25万から50万ルピア程度。この一味はこれまでに60人から80人くらいの赤児売買を行なったと見られている。
この一味の犯行が明るみに出た発端は、去る5月9日にボゴールのイマヌエル孤児院で見つかった捨て子事件。この事件を調べていた社会省と首都警察は、その裏に養子縁組絡みだが手続きがまともでない行為が行なわれているのを発見し、捜査を進めた。その捨て子はタングラン県パムランに在住のロスディアナという中年女性の仲介でアイルランド人ジョセフ・ダウズの養子にされたことになっていた。その子がなぜ孤児院に置き去りにされたのかはまだ不明。母親がその子を出産すると、ロスディアナはすぐに社会機関の悪徳職員と一緒にやってきて赤児を連れていったとのこと。その悪徳職員は外国人との養子縁組に関する行政手続きを担当していた。
このロスディアナと養子を求めている外国人を結びつけるポジションにもうひとりの人間が登場する。それがこの一味の犯行の筋書きを書いたと言われているジューン・ウォーテンで、夫はアメリカ人。ロスディアナは直接外国人と取引することもあったが、ジューンに赤児を渡すことも少なくなかったらしい。かれらは養子を求める外国人から1件あたり、裁判所での手続き料に1千5百万から3千万ルピア、赤児が出国できるように外務省での手続き料として2千5百万から5千万ルピアを手に入れていた。またそれとは別に、産みの親への慰謝料として養親から金を要求していたが、実際に母親の手に渡っていたのは、上述のような金額だった。


「マネーチェンジャーに強盗」(2005年8月8日)
8月1日白昼、東ジャカルタ市クラマッジャティのボゴールラヤ通りにある両替商の店が、二人組みの強盗に襲われた。二人の賊は店内に客のいない、そして店の男性従業員が出払っている時間にやってきた。店内にいたのは従業員のスシアナ42歳とデデ28歳のふたりだけ。
ふたりの男が店内に入ってくると、バッグを持ったひとりがカウンターに近づき、並んで座っているスシアナとデデのふたりに向かって「悪いが、叫ばないでくれ。」と言いながら、飲料水容器に入れてあったガソリンをスシアナの顔めがけて振りかけた。同時に左手に持った鉈をデデの首筋めがけて振り下ろす。咄嗟にデデはそれをよけたあと、叫びながら狭い通路を走って建物の裏手に入り、隣の美容院へと逃げ込んでから大通りに出て助けを求めた。
ひとりが逃げたのを目のあたりにした賊のひとりは、やはり逃げようとしているスシアナの首を締めにかかったが、スシアナは全力をあげてその男を店のドアに向かって押し返した。デデの叫びを聞いた周辺の人々が両替店に集まってくる雰囲気が明らかになると、二人の賊はやはり狭い通路の方に逃げ出し、トイレに入って中から施錠した。そのトイレの扉が開かれたとき、中はもぬけの空で、壁の上に張られていた鉄条網が破られ、トイレの中には賊の一人が持っていた黒色のバッグが残されているだけだった。バッグの中にはナイフ、おもちゃのピストル、ガムテープ、ひもなどが入っていた。


「デットコレクター殺害」(2005年8月18日)
南ジャカルタ市スティアブディ地区のムナラインペリウム裏にある空地の番人へルマン22歳は、15日午前3時ごろオートバイに乗った二人の青年の来訪を受けた。「その空地にオートバイが一台止めてあるが、人の姿がまったくない。」とその二人は言い、不審だから一緒に調べよう、とヘルマンを誘った。三人は徒歩で空地に止めてあるオートバイまで行き、そのカワサキブリッツの周辺にだれかいないかと見て回った。そしてかれらのひとりが、空地に捨てられているゴミたまりの上に、男の死体が横たわっているのを発見した。暴行を受けた無惨な死に様をさらしているその死体に近づく気力もなく、ヘルマンはすぐに地区保安チーフに報告し、チーフから首都警察スティアブディ署に届けが出された。警察の調べでは、ブルーのジャケットにストライプのワイシャツを着たその男の所持品は2万ルピアの入った財布、ノキア携帯電話などだったが、身元を明らかにするものは何ひとつ持っていない。
警察は遺棄されたオートバイの持ち主を割り出した。南ジャカルタ市トゥベッのメンテンダラムに住むカマルディンがそのオーナーで、死体はその本人であることが家族の証言で明らかになった。カマルディンの実弟フスヌルの話では、カマルディン47歳はデットコレクターが職業で、マンガライ〜パサルミングルート62番のメトロミニオーナーに対する借金回収の仕事が一件あると話していた由。警察では、職業がらみの怨恨による殺人と見て捜査を進めている。


「オーストラリア人が殺害される」(2005年8月19日)
ジャカルタのカサブランカ地区でコンサルタントとして働いているオーストラリア人が16日早朝、デポッの自宅で殺害された。オーストラリア人フランス・ルイス・マリー70歳は、デポックのチマンギス郡トゥグ町トゥグインダ住宅地に5年前から住んでいる。かれは子供好きで、スミアティとアレアンティのふたりを養女にしていた。その家には女中のワルシニも同居している。
スミアティの姉ロシダ25歳はしばしばフランスの家に来て掃除や洗濯を手伝い、手間賃をもらっていた。ロシダの夫タルミジは無職で、フランスともよく知り合っていた間柄だ。そして7月終わりごろ、ロシダがまたその家で洗濯の手伝いをしていると、やってきたタルミジにフランスがきつく意見した。「ユーには心がないし、考えもない。ロシダや子供らに対する責任を果たさない。ほんとはロシダじゃなくて、ユーが一生懸命働かなきゃいかんのだ。」そのときタルミジが怨恨を抱いたふしは見えなかった、という。
16日午前2時半ごろ、タルミジはその家の裏扉をこじあけて侵入し、鍵のかかっていないフランスの部屋に入った。スミアティは騒ぎを耳にして飛び起き、タルミジがaritでフランスの首に斬りつけているシーンを目にして驚いた。タルミジはその家から逃げ、フランスは顔や頭、首などに重い傷を受けて死亡した。警察はロシダの協力を得てタルミジを追跡しており、バンテン州セランまで捜査の網を伸ばしているが、逮捕はまだ。警察はフランス殺害の動機を怨恨によるものと見ている。
またフランスはこの事件が起こるしばらく前から、養女二人を親戚に託したので、いつ死んでも心配ない、と洩らしていたとのこと。


「路上での恐喝にご注意を」(2005年8月22日)
かつて日本でも流行った『当たり屋』もどきのビジネスがジャカルタに戻ってきている。一年ほど前にこの手口はジャカルタで流行したが、ここしばらく下火になっていた。最近増えているこの手の事件は、ひとりが自動車にぶつけられたふりをして姿をくらまし、しばらくしてオートバイに乗った仲間がその車を追いかけて金を脅し取るというもの。『当たり屋』のように自分からぶつかってくる者は少ない。
都内プジョンポガンの下層アパート横の道路の左端を運転していた女性は、突然車がドンという音を発したので驚いた。かの女はそのときあまり周囲に注意を払っていなかったので、何が起こったかよくわからない。かの女がそのまま車を走らせていると、2百メートルほど行った先で二台のオートバイが近寄ってきた。警戒したかの女は、付近の商店の前で車を止める。オートバイのひとりがかの女に、人をはねた、と非難し、群衆が集まっていて怒っているので戻らない方が良い、と言い添えた上、ここで穏やかに解決しよう、と交渉に誘った。そして治療費として15万ルピアを要求し、何も誠意を見せないと何が起こるかわからない、と嚇かした。サイドミラーが確かにゆがんでいるのにかの女は気がついており、確信はないまま男たちに金を渡した。別のケースでは、25万ルピアを脅し取られ、携帯電話を気付かないまますられていた被害者もいる。ところがまた別のケースでは、運転者が警察で話をしよう、と誘ったところ、男たちは言葉を濁して去ったという。 首都警察本部チプトノ広報担当チーフは、路上でそのようなことが起こった場合は、相手の言うことを簡単に信じないで、警察に誘うのが一番安全だ、とコメントする。現場に戻って本当にひとをはねたかどうかチェックするのは不可能に近いからだ。チプトノ警部正は、市民は次のように対応するように、とアドバイスしている。
1.運転する際はぼんやりせず、神経を集中すること。
2.何者かに路上で停められた場合、納得できる理由でなければ無視すればよい。
3.仕方なく相手になる場合、人の目がある安全な場所で行うこと。
4.人をはねたと非難されたら、すぐ信用せず、警察へ相手を誘えばよい。
5.もし相手が嫌がるなら、相手のアイデンティティを調べてメモすることをトライしてみるのがよい。相手がそれも嫌がるなら、もう恐喝に間違いない。


「コンパス紙への投書から」(2005年8月22日)
拝啓、編集部殿。8月4日、わたしは一日で二回、ごろつきの恐喝被害者になるところでした。午後一時ごろ、南ジャカルタ市チルドゥッラヤ通りのプラザビンタロ前は比較的空いていたので、わたしは時速40キロほどのスピードで車を運転していました。すると突然道路脇からひとりの男が飛び出してきてわたしの車に近寄り、サイドボディを叩いたのです。ボコッという音がはっきり聞こえました。その男はそのあと遠ざかり、どこかへ去りました。わたしがそのまま車を走らせていると、2百メートルほど行ったあたりで二人乗りオートバイが近寄ってきて、わたしの車を止めました。わたしが車から降りるとその内のひとりが、仲間がわたしの車にはねられたので金を出せ、と言うのです。わたしは拒否しました。大勢のひとが集まってきて周りに群らがったので、その二人は逃げ去りました。
そのあと15時半ごろわたしはチルドゥッラヤ通りのラタックス・タクシープールの前を通っていました。するとわたしの左側を走っていた二輪車が突然わたしの前に飛び出し、車の前に倒れ込んだのです。わたしは停車して、車内でじっとしていました。そのときゴリッという音が聞こえました。そしてその男は立って二輪車を起こすと走り出しました。2百メートルほど走ると、その二輪車の男がわたしを止めます。今度は、わたしは立ち回りを覚悟していました。しかしその男は、二輪車がわたしの車に接触して転倒したから、修理代をめぐんでくれと下手に出るではありませんか。わたしが怒鳴り散らすと、その男はさっさとどこかへ去りました。わたしが車の様子を調べたところ、ヘッドライトのカバーガラスが消え失せていました。[ 南プトゥカガン在住、ジョセフ ]


「ドイツ人が殺害される」(2005年8月24日)
16日に殺害されたオーストラリア人に続いて、こんどは南ジャカルタ市マンパン地区バンカ?通りの借家に住むドイツ人ヘルムート・クライネン62歳が自宅で殺害された。クライネンは二年前からその家に使用人のスラメッと住んでおり、9月にはインドネシアでの勤め先であるNKT Cableの勤務を終えてドイツに帰国する予定になっていた。その借家が属している第18RT(隣組)の組長は、その家は以前インド人が借りて住んでいたが、ひと月ほど前からドイツ人に代わっており、そのドイツ人はまだ居住届けを出していなかった、と語っているが、他の情報ではクライネンはその家に一年以上住んでいるとされている。
22日午前7時ごろ、クライネンの家の通い家政婦ヌルが慌しく家から出て来てオートバイで帰って行ったのを隣の家の主が目撃している。次いで使用人スラメッの友人ユディがやってきたが、表門に鍵がかかっていないのを不審に思いながらユディは家屋内に入り、スラメッの部屋で、縛り上げられ、口にガムテープが貼られているスラメッを見つけて驚き、すぐにかれを解放した。そのあとふたりは二階のクライネンの寝室に駆け上がった。そしてクライネンが手・足・首を縛られ、頭はベッドカバーに包まれた状態でベッドの上で事切れているのに仰天し、警察へ通報した。クライネンは頭を鈍器で殴られ、背中、左胸、左腕をナイフで刺されていた。部屋の中は荒らされていたが、なくなったものはラップトップ、カメラ、携帯電話だけとのこと。スラメッが警察に語ったストーリーでは、22日朝スブのアザンが聞こえる中でドアが開く音を聞き、その直後、スラメッの部屋の扉が開いて、入ってきた三人の男に縛り上げられたと言う。しかし警察はスラメッの証言に不審を抱いた。その家のどの扉もこじ開けられた形跡がない。盗まれたのはわずかなもので、クライネンが乗っていたベンツボクサーもガレージにある。内部者の手引きがあったことは疑いない、と南ジャカルタ署はスラメッを締め上げにかかった。警察の鋭い追及にスラメッはついに自白し、日曜の夜に二人の男をその家に泊めたことを認めた。クライネン殺害はかれら三人のしわざで、クライネンの所有物を自分のものにしたかったのがその動機らしい。警察は主犯格のその二人の足取りを追っている。


「日曜はスリの日」(2005年8月29日)
満員列車にスリはつきもの。朝夕の通勤ラッシュ時に終着駅で乗客がみんな降りたあとの車内の床の上には、実にさまざまなゴミに混じって中身を抜き取られた財布がいくつも転がっているらしい。首都近郊鉄道パルメラ駅の駅長はその実体験から、スリはグループ乗客をあまり狙わず、一人で乗っている客をターゲットにするから気をつけるように、と警告している。スリだって安全に仕事をしたいにちがいない。
「ウイークデーは乗合バスを稼ぎ場にしているスリの多くが、日曜になると列車に稼ぎ場を変える。日曜の乗客はたいてい列車で通勤している人ではないし、そんな列車に不慣れな乗客で車内が混雑するとスリはたいへん仕事がしやすいから。」と語る駅長。首都近郊鉄道では、『日曜はスリの日』になっているそうな。


「コンパス紙への投書から」(2005年8月29日)
拝啓、編集部殿。2005年7月30日土曜日16時30分ごろ、わたしは南ジャカルタ市にあるポンドッキンダモール(PIM)1階にあるファンワールドで、ふたりの子供を遊ばせていました。そのとき会場はかなり混雑していて、切符を買うのに長い列ができていました。その列に並んでいるとき電話がかかってきたので、ハンドバッグから携帯電話を出して使い、終わった後またバッグの中にしまいました。
中に入って子供たちを遊ばせているとき、若い女性がひとりわたしの近くに立っているのに気付きましたが、服装もきちんとしており、不審な感じは抱きませんでした。でもわたしが子供をコイン自動車に乗せるために移動しても、そのひとは一緒についてくるので、疑心がわたしの中に膨らみます。ひょっとして、子供に何かしようと(誘拐かも)しているのではないかと。
子供が汽車に乗っているのを待っているとき、わたしのバッグが引っ張られたのを感じて振り向くと、やはりきちんとした服装の別の若い美人女性が二人連れでそこにいたので、さっきのひとではないため少し安心しました。でもふと心配になり、バッグを調べると、バッグの口は開いており、携帯電話がありません。そして二人連れの女性たちも姿を消していました。わたしがすぐに警備員のいるところへ届出に行くと、別の奥さんがやはり携帯電話の紛失を届けに来ていました。警備員は、多分モールでよく稼ぎをしているパレンバン・シンジケートの仕業だろう、と言うのです。わたしがファンワールドの遊戯具のひとつを操作しているオペレータに、「ここはスリがいるの?」と尋ねると、「スリはいっぱいいますよ。」というのがその返事でした。
子供を連れてファンワールドに遊びに行く親御さんは気をつけてください。スリは、わたしたちが忙しかったり、ぼんやりしたときを狙って待っているのです。ファンワールド側にも、土日には警備を強化するよう要請します。わたしが被害にあったとき、会場に警備員の姿はまったくありませんでした。スリはひとりではなく、グループで仕事しているように思えますし、また美人できちんとした服装をしているので、怪しい雰囲気はありません。[ タングラン在住 ドゥリマN ]


「ガンビル駅のプレマンたち」(2005年9月6日)
中央ジャカルタ市のガンビル駅は、行政の中心地に近いことから大型メイン駅になっている。ところがこの駅が、首都のごろつき・やくざの行う経済活動の縮図を見せてくれている。
ガンビル駅でタクシーに乗ると、ブルーの制服を着た男が寄ってきて、タクシー運転手から2千ルピアを取る。かれらはパグユバンワルガガンビル(ガンビル住民互助会)を名乗っているが、いったいそれがどんな組織で、何を目的に金を集め、集めた金をどうしているのかなど誰も知らない。運転手の話だと、陸軍のある部隊がバックについており、上納金が動いているらしい。2千ルピアを取りこぼしたタクシーを、ブルーの制服の男がオートバイで追いかける図は、もう珍しいものではないそうだ。
チャロ(仲介斡旋)行為に関しては、三種類ある。鉄道切符チャロ、タクシー乗客チャロ、そして闇トラベルチャロだ。鉄道切符チャロはさておき、タクシー乗客チャロを見てみると、かれらはタクシー会社の制服を複数持って、使うタクシーに応じて着用する。そして車のキーを手にぶらさげ、乗客にまるで自分が運転手のように振舞うが、実際に運転はしない。乗客と料金交渉を行い、合意に達して支払いが終わると車のキーを本物運転手に渡して、さあどうぞ出発を。しかし乗客が払った金が全額本物タクシー運転手に渡されることはありえない。一方タクシー運転手があとで追加を請求することは大いにありうる。 メーターを使いたい客に対しても、抜かりはない。駅構内にある公式メータータクシーデスクとプレスタシタクシーがつるんで行うものがそれだ。まず3千ルピア払えば、メーターを使うタクシーに乗せましょう、とオファーする。制服を着用し、チケットを切り、目的地をメモし、乗るべきタクシーのボディ番号を示してくれるので、客は最初信用するが、そのタクシーに乗るとたいへんだ。客が乗り、タクシーが動き出す。そして運転手が言う。「お客さん、いまメーターが壊れてるんだ。目的地までxxxルピアでどうかね。」高い料金をふっかけられ、値切れば「じゃあ降りてくれ。」
闇トラベルというのは、非合法タクシーのこと。バンドンまでのチプララン自動車専用道路開通で楽になったバンドン行きを狙う白タクビジネス(いやインドネシアでは黒タクと言うべきか?)。「2時間でバンドン駅まで着きまっせ。料金はひとり5万ルピア!」と列車に乗りに駅までやってきた乗客を黒タクの方へ引っ張っていく。この客引きチャロに誘われて黒タクに乗り換える人も多いとのこと。


「誘拐被害者見張り役の日当は一日5万ルピア」(2005年9月7日)
7月21日、マレーシア国籍者ロー・フイコン別名リチャードは、ビジネス取引の話をしたいという電話を受けてジャカルタの自宅を出た。そしてそれっきり消息がぷっつり途絶えた。数日後、まったく知らない男から留守宅に電話が入った。「リチャードの身柄は押さえてある。無事に帰してほしかったら5億ルピアを払え。」
家人は少しずつ送金した。最初に4千5百万ルピア、二回目は5千万ルピア。8月8日、家人は警察に営利誘拐事件を届け出た。首都警察一般犯罪捜査局の秘密捜査が開始された。そしておよそ二週間の捜査の果てに、リチャードが南ジャカルタ市スワダヤ通りの借家に幽閉されていることを突き止めた。警察はその家を急襲してリチャードを救い出し、見張りをしていたシモンとハルリを逮捕した。このふたりは取調べの中で、自分は誘拐犯グループとは関係がなく、男が逃げないように見張ってるだけで一日5万ルピアもらえると言われてそれを行っていただけだ、と自供した。しかし首都警察は、犯罪グループは普通、強い団結力で結ばれ、苦楽を共にし、得た稼ぎは均等でなくとも山分けをするのが常識になっており、アルバイトに犯罪の片棒を担がせるなど聞いたことがないと半信半疑でいる。


「盗人社員の逆恨み」(2005年9月8日)
9月6日午前11時ごろ、ボゴール鉄道駅からレールを盗もうとしていた5人組を、偶然通りかかったボゴール市警パトロールが現行犯逮捕した。この一味の犯行は一ヶ月も前から続けられており、主犯格は国有鉄道会社元社員のヌル・ムルディヤント44歳。ヌルは鉄道会社線路保全係りで働いていたが、三年前にレール盗難事件を起こしてクビになっている。ヌルはそれに懲りず、反対に信号工事部門で日雇いのアセップ43歳を誘ってレールの盗みを行っていた。かれらが盗んだのは老朽化して集積されていたレールで、それをはずしてボゴールのサラブンダ地区にいる故買屋に1キロ1千2百ルピアで売り渡していた。
ボゴール市警拘置所でヌルは、以前会社をクビになったとき、自分が間違ったことをしたと思ったが、会社は自分にチャンスを与えてくれなかったので恨みを抱き、その後レールを盗むことを行っていた、と供述している。ボゴール市警はサラブンダの故買屋を逮捕したが、他にも盗品を引き取った者がいると見て、捜査を続けている。


「また営利誘拐事件」(2005年9月12日)
スマランのプルマタジンガ住宅区ブロックLに住む高校1年生のロビー・グスタリカ15歳は、9月8日登校するためにいつものように午前7時に家を出た。ロビーは自らホンダジャズを運転して通学している。ところが、まだ学校にいると思ったロビーから父親のエディ・スシアントに電話が入った。自分は誘拐されていて、すぐにマンディリ銀行のある口座番号に1億ルピアが振り込まれないと自分の身の上は保証されない、と犯人が言っている。驚いた父親は急いで銀行に走った。その後、チレボンのとある場所まで子供を引き取りに来いという犯人からの連絡を最後に、コンタクトは途絶えた。その夜8時半ごろ、ロビーが言われた通りの場所で発見された。重度のショック状態で、首には傷があったため、ロビーはすぐにスマランの病院に運び込まれた。
9日になって、ロビーの家族が警察にこの事件を届け出た。警察はすぐに捜査を開始し、銀行口座の閉鎖や犯人の特徴を頼りに追跡を行っている。ロビーの話では、8日朝登校途中に、ラデンパタ通りで見知らぬ男に止められたらしい。男はボウォと名乗り、あるテレビ局の記者をしているがシネトロンに出演する役者を探していると持ちかけた。そして最終的にロビーを脅かして連れ去ったとのこと。


「現金3万ドルが強奪される」(2005年9月13日)
ラトゥ・イフォンヌ・フェレシア52歳は、長い間自分に仕えてくれた秘書のハジ・エミに家を買い与えてその労に報いようと考えた。そして、売値が3億ルピアの良い物件がブカシのチビトン郡チブントゥ村にあるとの話を耳にし、もし気に入れば即金で話を着けようと現金を用意した。用意したのは3万ドルのキャッシュと1千万ルピア。
9月9日昼、ブローカーと東ジャカルタ市ハリムプルダナクスマ地区のレストランで待ち合わせたイフォンヌの一行はハジ・エミとその兄ムハンマッの三人連れ。そこへ約束したブローカーのアレックスが現れ、レストランで一段落したあと、物件を見にチビトンへと出発した。
その家に着くと、アレックスは家のオーナーと名乗るフレディに一行を引き合わせてから姿を消した。フレディは一行を案内して家中を見せた後、仕事部屋に全員を案内して商談にかかった。そして3億ルピアを現金で、という条件で商談が成立した。ところがそのとき、思いがけないことが起こった。イフォンヌが持ってきたバッグから3万ドルと1千万ルピアの入った茶色封筒を出そうとしたとき、なんとフレディがそのバッグを引っ手繰ったのだ。バッグを奪われまいと三人の手が伸びる。しかしフレディの手はバッグから茶色封筒へと滑り、その封筒を手にすると部屋の外へ飛び出した。扉が閉まり、鍵がカチャンと鳴った。三人は一瞬呆然としたが、すぐその部屋から出ようと努めた。窓ガラスを割ってみたものの、窓には鉄格子がはまっており、外に出ることはできない。助けを求めて叫び声をあげるが、誰かがそれを聞きつけてくれる気配もない。結局最後に、部屋の扉を押し破って外に出たときには、フレディが逃げてからもう数時間の時が経過していた。


「また強盗タクシー事件」(2005年9月13日)
9月10日土曜日未明、中央ジャカルタ市ガンビルの北プトジョ地区に住むスサン・バユ・アジ32歳が、強盗タクシーの被害者となった。スサンは南ジャカルタ市のスマンギエクスポで金曜の長い夜をエンジョイしたあと、自宅へ帰ろうとしてタクシーを止めた。止めたのはManuk MiraタクシーでボディにはMM 114と書かれている。このタクシーはこれまでも使ったことがあり、スサンは不安を感じなかった。ところが走っているうちに運転手は車を道路わきに止め、外に下りてフロントガラスを拭き始めたのだ。スサンが「えっ?」と思ったそのとき、左右のドアが外から開かれてふたりの男が乗り込んできた。「騒ぐと殺すぞ。」押し殺した声。運転手は再び車内に入ると、車を発進させた。タナアバンを回ってスディルマンへ、ベンヒルで折れてプルマタヒジャウへ、ポンドッキンダまで進んでからルバッブルスへ。こうしてスサンはやっとルバッブルスの道路わきに放り出された。その間スサンの身の回りから奪われた物は、黄金ネックレス4.5グラム、黄金ブレスレット3.5グラム、黄金指輪2.5グラムと5グラムが各一個、携帯電話一個に現金75万ルピア。
現金が奪われたとき、おかしなエピソードが起こった。男のひとりがスサンに、おまえの携帯電話でxxxx番に電話して、自分は30万ルピアしかもっていないと言うんだぞ、と命じたのである。そのときスサンは実際に90万ルピアの現金を持っていた。言われるがままにスサンがそれを行うと、男たちはスサンの金から15万ルピアを返してくれた。だから奪われた現金は75万ルピア。
事件を警察に届け出たスサンは、例によってタクシー会社Manuk Miraボディ番号MM114と対面することになった。そして警察の立会いで自分の目の前に来たボディ番号MM114を一目見て、自分の乗った車はこれではない、と断言した。運転手もまったくの別人だ。こうして、かつてブルーバードタクシーに乗って被害にあったエライダ・タンプボロンのときと類似の事件であることが明らかになったのである。
首都警察は、中古乗用車をタクシーに改装して強盗タクシーとして使っている一味があることを確信しており、街中を走っていたり、客待ちでタクシー溜りの中にいるタクシーに対して、本物か贋物かを調べる検問を強化することにしている。


「レンタカー横領70台」(2005年9月15日)
70台ものレンタカーを借りては質入しあるいは売り払っていたグループが首都警察に摘発された。主犯は南ジャカルタ市チプタッに住むアリフ35歳で、他に自動車の売却や質入を手伝っていた三人の共犯者も逮捕されている。このアリフは、PTテルコム、ブミスルポンダマイ支店職員と身分を偽り、会社の業務で借りるという名目で、東ジャカルタ市チョンデッの二軒および南ジャカルタ市チプタッの一軒のレンタカーショップから次々に新車を借り出していた。アリフ自身もテルコム社の従業員身分証明書を保持しているが、それは偽造されたもの。各レンタカーショップでの借受者はPTテルコムになっている。 かれらは2004年〜2005年製新車を狙ってレンタルしており、既に売却・質入されたものはキジャンイノバ、ビオス、アルティス、ゼニア、カムリ、スズキAPVからBMWまで多岐にわたっている。その70台もの車はすべてがレンタカーショップの所有物ではなく、一般市民が自分の車をレンタカーショップに貸し、それを店が客に貸してマージンを取るというブローカー方式のものも相当数混じっている。レンタルは月ぎめになっており、レンタル料はさまざま。
この事件は首都警察捜査員の故買囮捜査の網にかかったもので、2004年製トヨタビオスをBPKB(自動車所有者謄本)なしで5千万ルピアで売るというそのグループのひとりからのオファーに捜査員が乗り、交渉の末に4千万ルピアで手が打たれ、取引の場で犯人逮捕となったもの。ところがこの一味は定期的にレンタル料金を支払っていたため、かれらが行っていた犯罪に気が付いたレンタカーショップはひとつもなかった。このグループは犯罪開始後7ヶ月で摘発されたが、その間に売却・質入された70台のうち19台がやっと回収されたばかり。残りは広範囲に散らばっているとのこと。


「強盗タクシー事件は今年10件目」(2005年9月27日)
9月24日22時ごろ南ジャカルタ市ムラワイ通りからKostiタクシーに乗った20歳の女性が、強盗に襲われた。被害者は東ジャワ州トレンガレッ出身のレイサ20歳で、事件は中央ジャカルタ市ブンドゥガンヒリルのかの女の下宿にあとすこし、というところで起こった。
その日、ムラワイでの美容師養成コースが終わった後、かの女はひとりでタクシーに乗った。タクシーはレイサに何の疑惑も抱かせないまま、順調にスディルマン通りをひた走る。ブンドゥガンヒリル市場の近くまで来たとき、運転手は道路わきに停車した。そのときだ、左右の後部ドアが開いて男が両側から侵入してきたのは。ふたりはレイサの身体にくっつくようにして座り、刃物を突きつけて脅かした。身にまとっている装身具と手持ちの金目のものを奪う。銀行カードも奪ってPINを教えろと威嚇する。24時間ATMのある場所へ行って、レイサのリッポとBRIのカードで現金を引き出したが、残高があまりにも少ないのに怒り出し、被害者を更に締め上げにかかった。
結局レイサは、下宿に3百万ルピア隠してあることを明かし、犯人はそれを友達に持って来させろ、と命令した。レイサは友人に電話して、その金の受け渡し場所を指定し、そこまで持って来てもらった。金とレイサの装身具や携帯電話を手に入れた男たちは、レイサをカサブランカ通りに放り出すと、姿をくらました。
警察の取調べにレイサは、強盗タクシーのナンバープレートはB2873AGだったと供述した。ところがそれでまた、捜査は暗礁に乗り上げた。コスティタクシーで末尾がAGというものはない、と同社が表明したのである。コスティの末尾はKX,GXなどであり、AGがついたものはないのだ。こうして、今年10件目の強盗タクシー事件はまたまた迷路に入ってしまい、どの事件もすべて捜査はまだ闇の中。


「ラマダン前の宿泊客大掃除」(2005年9月27日)
スカブミ警察チサアッ署は24日、チサアッ〜カドゥダンピッ街道沿いにあるビラなどの宿泊施設10ヶ所に宿泊しているカップルに対する一斉検問を行った。宿泊していた若いカップルの中で、正式な婚姻関係が証明できない十数組がその網にかかり、警察署に連行された。中には、既婚者だが相手が違っているというカップルも含まれている。またマレーシア人が三人、事情聴取のために連行された。
連行されたカップルの多くはスカブミ外の住人で、スカブミに休日を過ごしに来ていた者が多く、また三人の外国人はチサアッ署管区に事前の届け出なしに滞在していたという外国人管理規則違反が問われている。スゲン・クンチョロ、チサアッ警察署長はこの一斉検問について、ラマダン月に入る前に地元の環境をクリーンなものにして社会障害を減らすのが目的であり、このような努力でラマダン月が平穏に、背教行為なしに過ごせるよう期待したい、とコメントした。警察に連行された非合法カップルは、署内で記録が残され、また倫理指導が与えられてから釈放された。このオペレーションはこの先も継続されるため、もし再犯をおかせば次はもっと重い罰が与えられることになる。スゲン所長は、24日のオペレーションで、シャブとその吸引器が発見されているが、持ち主がまだ捕まっておらず、この犯人は更に追及していく、とも述べている。


「正義の制裁!?」(2005年10月4日)
ムジブロ21歳は無職だ。東ジャカルタ市カンプンマカッサルのピナンランティにある借家に住み、プガメン稼業で暮らしている。そんなムジブロがなんと3百万ルピアの携帯電話をクレジット購入した。といっても、インドネシアではありふれた個人商人が行う割賦販売のこと。売ったのはハサン・パンジャイタン。ところがこれもありふれた話で、ムジブロは15万ルピアをハサンに払ったあと、姿をくらました。大家のムニル45歳にも断りなしに。ハサンが頻繁にムニルの借家にムジブロを探しに来るので、ムニルの怒りが燃え上がった。「なんてえ野郎だ。借金を踏み倒して行方をくらますなんざあ、店子の風上にも置けねえ。ただじゃ済ませねえぞ。」ムニルは別に家賃を踏み倒されたわけではないのだが、これが正義感というものなのだろうか?
噂でムジブロがチアンジュールにいるということを聞き、ムニルは仲間二人を誘ってオートバイでチアンジュールまでムジブロを捜し求めた。そして苦労のあげく見つけたムジブロには鉄拳制裁が飛んだ。別の言い方をすれば、三人がひとりに加えたリンチ。そして三人はまたオートバイでジャカルタへ戻った。半死半生のムジブロを連れて。
ムジブロが借家の自分の部屋に放り込まれたのは夜の8時過ぎ。ほかの借家人たちはムジブロが戻ってきて寝ているとしか思っていない。ところがそのあと様子を見にきたムニルは、既に事切れているムジブロを見出した。こりゃてえへんだ。ムニルはまた仲間二人を誘って、深夜2時ごろ死体の処理にかかった。近くのモスクの裏にあるマンゴの木にぶら下げちまえ。こうして見せかけ首吊り自殺が仕組まれたが、そんな狂言にだまされるほど首都警察は甘くなかった。短い捜査のあと、ムニルが警察に逮捕された。


「男性も強盗タクシー被害者になる」(2005年10月5日)
10月1日午前5時半ごろ、59歳の韓国人男性がブロッケムからタングランに向けてタクシーに乗った。ところがタクシー運転手は1キロほど走ったあと別の道に入って道路わきに停車し、後部座席の扉が同時に開かれて左右から男が車内に入ってくるというお定まりのシーンとなった。タクシーはサワガン地区に向かい、サワガンのチュルッにある運転手の下宿に着くと、被害者はそこに監禁されて暴行を受けた。・・・・
犯人であるそのタクシー運転手はその下宿に住んで16日目の犯行で、犯行後そのまま行方をくらましている。被害者の届け出で首都警察は捜査を開始したが、下宿オーナーもその犯人のアイデンティティを示すものを何一つ取っておらず、近隣住民もほとんどつきあいがなかったために、捜査官は犯人についての情報収集に難儀している。


「路上強盗が1万5千ドルを奪う」(2005年10月7日)
10月4日昼頃、タングランのタムリン通りでバンクしたタイヤを交換中に、車内に置いてあった貴重品の入ったバッグが盗まれるという事件があったばかりの6日、こんどは南ジャカルタ市トゥベッ地区で銀行からおろしてきたばかりの1万5千ドルが強奪されるという事件が発生した。
4日の事件はスカルノハッタ空港でレンタカーを借りたオーストラリア人ジェニファー・プレスコット52歳が被害者で、重要書類などが入ったバッグが盗まれた。被害額は5億ルピアだと被害者は述べている。6日の事件は、スディルマン通りのBNI銀行から現金1万5千米ドルをおろしてきた会社員が、事務所へ戻る途中の13時半ごろ、トゥベッでオートバイに乗った強盗の襲撃を受けた。
同僚の運転するオートバイの後ろに乗っていた被害者は、現金をジャケット裏の胸に抱えていたところ、突然二台のオートバイが接近してきたのに驚いた。そして賊が刃物を振り回したので被害者は道路脇に転落し、起き上がってから近くの建材店に逃げ込もうとしたが賊は拳銃を発射した。そして被害者のジャケットを破ると、抱えている1万5千ドルを奪い取ろうとして被害者ともみ合った。結局現金は奪われ、賊はもう一回発砲してから逃走した。
高額の現金を運ぶ際に、市民は遠慮なく保護を要請してよい、と首都警察は述べている。石油燃料値上げ以降の物価上昇の激しさから貧困化が進行中で、ラマダン月に入ったとはいえ犯罪は今後もますます増加するだろうと警察では見ており、市民に警戒を呼びかけている。


「パサルミングの道路工事で電話線切断」(2005年10月13日)
パサルミング鉄道駅から南へ、パサルミングラヤ通りを少し行くと、三叉路がある。万年渋滞のこの三叉路の、交通の流れを改善しようと、都庁は立体交差工事を進めている。三叉路の信号の下をくぐるトンネルを掘っているのだ。そのおかげで車両の通行には一車線しか使えなくなり、かつての状態に輪をかけた渋滞が発生している。
工事業者がトンネル掘削を進めていたが、10月11日、工事機器がテルコムの地中ケーブルを切断してしまった。このためタンジュンM住宅地、ランチョインダ住宅地、タンジュンバラッ、TBシマトゥパン通り、ガンスラトゥス通り、ナンカ通り、スワダヤ通り、バウン通り、ポルタガンラヤ、レンテンアグン、ラワバンブなど広範な領域で電話が不通となっており、通話不能となった電話局番は780−、781−、782−、783−、784−、7883−、7884−の七つで、3千回線に影響が出ている。。
PTテルコムはただちに復旧作業に入ったが、復旧完了は10月19日が予定されている。工事を請け負っている国有建設会社PTワスキタカルヤ社は、工事前にテストピットを掘ってユーティリティに問題が出ないことを確認してある、と説明している。テストピットは作業標準規定によると、1.5メートル四方を深さ2メートルまで手作業で掘って電気電話水道などのユーティリティが走っていないことを確認するものだが、今年7月に行われたテストピット確認にはテルコム、PLN、水道会社などが列席している。切断された電話ケーブルは工事場所のもっとも南側の鉄道線路よりに位置しており、設置規準では地下2メートルより深い場所に埋められることになっているが、それより浅い位置に敷設されていた。


「強盗タクシーが使った車両は本物タクシー」(2005年10月20日)
18日に逮捕された強盗タクシー一味は、今月一日にブルーバードグループのタクシー車両を使って韓国人を襲ったグループ(「男性も強盗タクシー被害者になる」(2005年10月5日)を参照)であり、被害者と容疑者の証言から首都警察はタングランのタクシープールに置かれていたボディ番号EL816のプサカリンタスタクシーを犯行に使われた証拠品として押収した。警察の取調べで、犯行に使われたブルーバードグループタクシーとディアンタクシーは偽装ではなく本物のタクシーだったことが明らかになっており、正規の運転手が犯罪グループに荷担して悪事を行った事実が浮かび上がっている。今回の事件に関してブルーバードグループは、運転手採用時点からはじまってさまざまな運転手教育や犯罪予防を行っているが、発生したことは事実として受け止めるとコメントしている。また被害者には精神的物質的に蒙った損害を補償する予定にしていることも表明している。


「ブカシで現金輸送車盗難」(2005年10月25日)
PT Cisco Mas社は銀行の外に置かれているATMに現金補給を行う代行業をしている。10月24日15時ごろ、南ブカシのプラザへローで、そのシスコマス社の現金輸送車が盗まれるという事件が起こった。コルトを現金輸送用に改造したその車はその日、2億から3億ルピア入った現金袋を11個積んで出動した。数ヶ所にあるATMで現金補給を終えたあと、車はプラザへローに到着。そのとき車内にはまだ現金入り袋が6つ残っていた。かれらは作業を行おうとしたが、そのときプラザへローにあるATMはたいそうな混雑であり、同社社員のふたりと同乗警察官ひとりは人ごみが減ってから作業しようと合意し、時間待ちをするために車を止めた場所から百メートルほど離れた食堂に入って食事することにした。
およそ20分後、三人は食事を終えて車に戻ってきたが、駐車したはずの場所にあるのは別の車。「えっ!?」と思って周囲を見回す三人の目に、自分たちの業務用コルト車の姿は影も形も映らない。辺りにいた駐車場整理員に尋ねても、「わかりませんなあ〜。」という返事。駐車場職員の話ではその車、同プラザ駐車場に入るときに駐車券を受け取ったことがないらしい。当然ながら、出るときも料金所を素通りして行くそうだ。駐車場内を探したが見つからず、結局ブカシ警察に報告が入った。警察は即刻現場検証に出張る。警察の目撃者探しで、その車は国家公務員風の格好をした男が運転して駐車場から出て行ったことがわかった。ブカシ警察からはすぐに市中捜索の指令が飛ぶ。
現場検証に来ていた警官隊はほどなくして一斉に現場を後にした。容疑車両発見の報告が入ったのである。シスコマス社の現金輸送車はプラザへローからおよそ1キロ離れたブカシスポーツセンターの駐車場に乗り捨てられていた。そして車内に6つあった現金入り袋は、なぜかただひとつだけが残されていた。
その周辺でワルンを営業している店主の目撃談によると、現金輸送車の中には男がふたりいて、そのうしろにオペルブレーザーが付き、サッカー場を二周してからそこに止まったとのこと。オペル車には男が二人、女が一人乗っていた。その店主はかれらが運転の練習をしているのだろうと思って、あまり注意して観察しなかったとのこと。気が付いたらコルト車が置き去りにされ、オペル車の姿が消えていた、とその店主は証言している。


「コンパス紙への投書から」(2005年10月29日)
拝啓、編集部殿。わたしは携帯電話をなくしました。思い出深い品だったので、悲しくてわたしは途方に暮れました。XL利用者に対する『Where R U ?』というサービスがあることを知り、わたしの心は天にものぼる気持ちでした。これできっと、なくした携帯電話がわたしの手元に戻ってくるに違いない、と。そしてXLのカスタマーサービスに連絡したところ、わたしの希望はついえました。本人がいる場所を探すというそのサービスは、本人の了承なしには行えないという決まりなんだそうです。もし事情が事情であれば、本人の了承なしにでも、その場所の捜索はできてしかるべきではありませんか?わたしのケースのような場合、いったいどこの泥棒が自分の居場所捜索に了承を与えるでしょう。
『Where R U ?』サービスを特例的に行ってもらうよう、わたしは警察に頼んだ方が良いのでしょうか。わたしの携帯電話はパスワードを使っているので、まだ売ることができないようです。なぜならわたしがそれに電話すると、いつも応答があるので。[ タングラン在住、アグスティアン ]


「また電車動力架線どろぼう」(2005年11月17日)
11月15日、首都近郊鉄道線ボゴール〜ジャカルタ線で電線盗難未遂事件が発生した。電車の動力用電気を供給する架線が切断されたのはデポッのインドネシア大学駅から少し離れた場所で、同大学の正門に至る高架道路の下。動力架線が一ヶ所切断されて垂れ下がり、付近にはそれを切断するために用いられたと見られる金ノコがひとつ転がっており、そのハンドルは古タイヤから取ったゴムで覆われていた。銅素材が高く売れることから、犯人は高さ5メートルの鉄柱によじ登って1千5百ボルトの電流が流れているその銅線を切断したようだが、どうして途中でやめてしまったのかは憶測の域を出ない。
鉄道施設管理側は、15日午前5時半ごろ架線切断に気付き、午前9時10分から10時40分までジャカルタ行き上り線の送電を止めて修理を行った。11時ごろまではデポッ〜パサルミング間で下り線だけを使っての交互運転が行われ、その結果15日午前中のダイヤ運行に大きい混乱が発生したが、11時を過ぎてからは上下線ともに使用できるようになり、平常運行に戻った。
16日にはブカシ〜ジャカルタ線でケーブルが盗まれ、朝5時50分から8時22分までチャクン〜クレンデル間の運行に障害が出た。こちらのケースは、アイソレータケーブルが切り取られて消失しているとのこと。


「ピストル強盗事件発生」(2005年11月23日)
デポッ市プソナカヒヤガン住宅地に住むエリア37歳は22日、都内南ジャカルタ市ドクトルサハルジョ通りにあるBCA銀行から2千1百万ルピアの現金を引き出して、自宅への帰途をたどっていた。自らひとりでスズキバレノを運転し、サハルジョ通りからパンチョラン交差点を越えてパサルミングラヤ通りを南下する。この道路は渋滞個所が多い。ドレンティガ通りとの三叉路を越えたあたりで、また渋滞にひっかかった。その三百メートルほど先にカリバタ英雄墓地北側の三叉路があり、普段から信号待ちで車の列ができる。事件が起こったのはそのときだった。
スズキバレノの両側にオートバイが止まった。運転席の横の男が拳銃を取り出し、窓の外からエリアに向けて発砲したのだ。割れたガラスの開口部を広げるために、その男は更に拳銃を振るった。銃弾がエリアの身体に当たらなかったのは、幸運以外のなにものでもない。エリアは賊の銃口が火を吐き、煙がたなびくのを目に収めながら、ただ呆然としていた。銃弾のひとつはハンドルのクラクション部にめりこんだ。
「銀行からおろした金をさっさと渡せ。」銃口をエリアに向けたまま、賊は急き込んで言う。周辺で異変に気付いた人々に賊たちは拳銃を示してみせる。余計なことをするな、という意思表示だ。ちょうどそこへ首都警察交通局のキジャンが通りかかった。中に乗っているのは婦人警官ばかり四人。異変に気付いたキジャンは停止し、婦警がふたり車から下りて現場に近付こうとした。賊たちは拳銃を高く掲げて振る。近づくな、という意思表示だ。婦警ふたりはキジャンに戻り、サイレンを点けた。白昼の街中にサイレンが鳴り響く。潮時と感じた賊は、エリアのハンドバッグから財布を引っ手繰ると、オートバイのエンジンをふかして逃走した。財布に入っていた30万ルピアが、銀行からおろしてきた2千1百万ルピアの身代わりとなった。
この道路では9月23日にも類似の事件が起こっており、やはりBCA銀行から現金を引き出してきた被害者が5千万ルピアを奪われている。


「スカルノハッタ空港で反テロ警備態勢」(2005年11月23日)
インターネットサイトにアンチョル海岸がテロ襲撃目標に上がっていると書かれていたために、アンチョルドリームランドでは警備を強化し、特に深夜から翌朝までの警戒を強める対応を取っている。他にもテロ襲撃目標としてラグナン動物園、タマンサファリ、スナヤンゴルフレンジ、ジャカルタコンベンションセンター、クニガンのマリオットホテルからモールアンバサドルにかけての一帯、オーストラリア大使館からスティアブディビルにかけての一帯などが取り上げられ、枚挙に暇が無い。
空港はバリのグラライ空港が第二次バリ爆弾テロ事件以来警備を強化しているが、ジャカルタをはじめとする10空港が遅まきながら警備強化態勢を整えた。国有空港管理会社アンカサプラ?は、スカルノハッタ(ジャカルタ)、ハリムプルダナクスマ(ジャカルタ)、ポロニア(メダン)、バハルディン(パレンバン)、ミナンカバウ(パダン)、イスカンダルムダ(アチェ)など管下10空港の警備を強めるが、その内容は空港の個性に合わせたものとなっている。特にインドネシアの表玄関であるスカルノハッタ空港では、空港警察に加えて国家警察からスコーピオンと名付けられた反テロ部隊10個分隊が出動し、24時間警備に就く。警察捜査犬や逃走者追跡用大型オートバイなどの特別班がその中に含まれている。更には空軍特殊部隊と警察機動旅団も別系統で警備に就き、毎日5百人以上の保安要員がスカルノハッタ空港をテロリストから保護することになる。


「コンパス紙への投書から」(2005年11月25日)
拝啓、編集部殿。2005年8月14日、わたしは西ジャワ州チパナスのTaman Bunga Nusantara駐車場で、1994年製トヨタキジャンを盗まれました。それも園内で行楽を愉しんでいた1時間半の間に。盗まれた車は借り物だったので当方が弁償しなければならないのですが、同園にもその損害の一部に対して責任を取ってもらおうと考え、同園経営者に申し出ました。その駐車場は同園自身が運営しているものであり、この事件に対して多少とも責任があると考えたからです。少なくとも駐車番や警備員を配置すれば、犯罪者たちへの多少の抑止効果があるのではありませんか。ところが残念なことに、そのとき駐車場にはひとりの駐車番や警備員の姿もありませんでした。いたのは物売りだけがたくさんでした。
わたしが同園に要求したわけは、わたしが弁償しなければならない損害額の一部でも園側に補償してもらい、わたしの負担が軽くなるように期待したからです。ヌサンタラ花園のオーナーはARラムリ氏やブスタニル・アリフィン氏など元政府高官の夫人たちで、当方の災難に同情してもらえると思ったのです。三回手紙を送りましたが、まったく反応はありません。車はちゃんとロックし、同園駐車場の中の入場券売り場のすぐ前に止めました。それ以上に安全なポジションはないはずです。駐車料金として5千ルピアも払いました。ところが同園経営者はあたかも、盗まれたのは当方が百パーセント悪いとでも言うように、まったく反応を示してくれません。同園経営者は訪問客に安心感も与えないでただ金だけを集めることしか考えていないように思えます。[ ブカシ在住、サフダリ・ヒダヤッ ]


「首都のビルに監視カメラ設置義務付け」(2005年12月8日)
フィルマン・ガニ首都警察長官が、宿泊外来者報告義務に関する首都警察長官規則を定めたあと、二弾目としてビルへの監視カメラ設置義務付けを定める規則を制定した。
首都圏のビルに対して監視カメラを設置する首都警察長官の指示はラマダン前に推薦の形で既に出されており、そのときは長期休暇のために多くのビル内入居者がいなくなる間、テロを含む諸犯罪に対する警備や事故の早期発見を目的に監視カメラを設置するように、との呼びかけの形式だったが、それが11月30日以来義務付けに変更された。カメラ設置はビル内外の双方をカバーしなければならず、また設置ポジションを警察に届け出ることになっている。そして録画記録は警察が捜査のために必要とする場合、警察に差し出さなければならない。この規則に違反した場合は、1991年都条例第7号第271条および刑法第216条第1項にもとづいて罰せられる。この規則の対象となるのはホテル、アパルトメン、モール・ショッピングセンター、オフィスビル、貸しホールなど。


「現金30万ドルひったくり!」(2005年12月9日)
中央ジャカルタ市バンテン広場の東南側にある静謐なホテルボロブドゥルで8日夕方、突発事件が勃発した。エジプト、スーダン、パキスタン、ナイジェリアなどいくつかのイスラム諸国から個別に到着したラビタアラムイスラミ(世界イスラム連盟)役員たちは、スカルノハッタ空港に到着した後、空港近くのホテルに集合し、そして全関係者がそろったあと、この一行は都内のホテルボロブドゥルに移動した。ところがその夕方、一行が持参した現金30万ドルが同ホテルのロビーでひったくりの被害にあったのである。犯人は正体不明で、すぐに逃走した。事件が警察に通報されると、首都警察中央ジャカルタ署から捜査員が多数駆けつけてきたため、いつもは静かな同ホテルロビーが騒然たる雰囲気に変わった。この一行は9日、SBY大統領と会見し、またアチェ被災者への救援ならびにインドネシア国内にあるプサントレンへの資金援助のために寄付金授与を行う予定にしていた。たまたまホテル内監視カメラに引ったくり現場が録画されていたが、犯人はカメラに背中を向けたかっこうで犯行を行っているため、犯人の顔は記録されていない。


「銀行客を強盗が襲撃」(2005年12月14日)
13日13時半ごろ、デポッ市マルゴンダラヤ通りにあるBCA銀行前で、同銀行に入金するために会社の金1億3千2百万ルピアを現金で持参してきた客がふたりの強盗に襲われた。この日ヘンドゥリ39歳とリズキ25歳は会社の業務でBCA銀行からあまり遠くないマンディリ銀行へ行って現金を引き出したあと、その金をBCA銀行に入金する予定だった。マンディリ銀行を後にしてから、つけられていないかと警戒してみたが、それらしい者はいなかった。ところが実際は、かれらの警戒の目をかいくぐって、ふたりをマークした強盗団が尾行していたのである。
キジャンを運転してBCA銀行まできたヘンドゥリとリズキは、銀行駐車場がいっぱいのため、隣の公証人事務所前に車を止めた。現金を持って下りたヘンドゥリが銀行に向かって歩き出すと、突然後ろから鎌刀を持った大柄な男がかれをつかんだ。それを見たリズキが賊の後ろから蹴りを入れる。賊は刀を振るってリズキの足に斬りつけ、ヘンドゥリをも逃がすまいとして斬りかかった。その立ち回りを目にしたBCA銀行警備員が駆け寄ってくる。ヘンドゥリは現金の入った茶色い厚紙の袋を警備員のほうに投げ、これを守ってくれ、と叫んだ。警備員がそれを抱えて銀行建物内に駆け込もうとすると、後方から銃撃音が3〜4回聞こえた。警備員は銀行にやってきた自動車の陰に伏せ、そのあと脱兎のごとく建物内に駆け込んだ。犯行が失敗したことを悟ったふたりの賊は、拳銃と鎌刀を周辺にいた群集に誇示しながらオートバイで逃走した。
BCA銀行周辺は交通量も人通りも多い繁華な場所だが、賊の拳銃に威嚇されたために被害者を助けようとした通行人はひとりもいなかった。リズキは、マンディリ銀行から車に戻ったとき、車近くの鉢植えのそばにしゃがんでいる男がいたが、あれが賊のひとりだったとは夢想もしなかった、と述懐している。全身の数ヶ所に刀傷を負ったヘンドゥリは手首を深く斬られており、筋肉と神経系が切断されているため、バクティユダ病院で手術を受けている。


「首都圏の歳末特別警戒」(2005年12月22日)
今年の歳末は治安当局が17,350人を投入して、例年のごとく首都圏の特別警戒にあたる。リリンジャヤ作戦と例年呼ばれているこの歳末特別警戒は12月23日から1月2日まで、国家警察と国軍の要員を要所要所に配備して治安の維持に当たることになっている。配備される場所は首都圏一円にある1,350ヶ所の教会、海港、空港、バスターミナル、ホテル、ショッピングセンター、ナイトスポット、在外公館や外国人居住地区など。
それに加えて都庁は、都内にある住民組織を動員して居住地付近の警戒を行わせる計画を立てており、すでに11団体が参加の意思を表明している。都庁からも1,080人が動員されて、現場に出動する。警戒ポイントは、クマンやチランダッ地区、マンガブサールやハヤムウルッ地区、モナス周辺、アンチョル地区などが上げられている。


「また銀行客が襲われる」(2005年12月23日)
ふたたび武装強盗グループが銀行客を襲った。前触れもなくターゲットを銃撃するエスカレートした犯行手口は、犯罪が一層凶暴化していることを示している。
12月22日午前10時半ごろ、南ジャカルタ市トゥベッティムルダラムラヤ通りにあるマンディリ銀行前で、同銀行に7千5百万ルピアを入金するために訪れた銀行客が、車から出たとたんに突然何者かに銃撃された。この被害者は先に同じトゥベッ地域内のグダンプルルにあるBCA銀行からその現金を引き出してきたところだった。
この被害者は左大腿部を撃たれ、また同銀行ATMで出金するために並んでいた女性ひとりも流れ弾を背中に受けて怪我をした。銃声を聞いて警備中の同銀行警備員が駆けつけ、犯人を捕らえようとしたが、犯人グループは2台のオートバイに二人乗りした四人組で、かれらは二つの拳銃から警備員に銃弾を浴びせ掛けたため、右こめかみを撃たれた警備員はしばらく後に病院で死亡した。犯人たちは、状況利あらず、と見て、現金強奪には失敗したまま逃走した。


「鉄道線路盗難」(2005年12月30日)
中部ジャワ州スマランのスマラングダン駅。ここは乗客の乗降しない駅。昼間は、鉄を打つ音、切る音、溶接する音などさまざまな作業音が、駅の方から聞こえてくる。そして人が寝静まった夜半にも、やはり同じ音が聞こえてくる。家の中にいると良く聞こえないが、家の外に出れば作業する物音が夜空の下を響いてくる。怖れる風もなく公然と犯罪を繰り広げる線路泥棒の存在は、駅周辺で知らない者はいない。駅側は自分の資産を守ろうとしないのだろうか?この駅で夜勤に就く者は二人から三人だけ。駅員たちは言う。警備体制はないも同然だ、と。30年間国有鉄道会社に勤めてきたカルヨノは回想する。「わしが勤め始めたころから線路泥棒はあったよ。それでも、泥棒が持って行ったのは使われなくなった古い線路だけだった。本当はそれでも国有資産なんだから、泥棒させてはいけない。ところが、いまはどうだ。泥棒は現に鉄道運行に使っている線路や設備を力ずくで奪っていく。およそ三ヶ月ほど前、スマラングダン駅の方で銃声がした。そのあとかなり大勢の人間が散り散りになって逃げてきたよ。あいつらは線路泥棒だったんだ。」 スマラングダン駅周辺は、スマラン市内でも有名なスラム地区で、犯罪が日常茶飯事のブラックスポットとされている。港に近く、密集したスラム住宅地区であり、鉄道線路の両側に暮らしている住民たちはたいてい前科を持っていて、警察沙汰には慣れきっているという印象だ。最近同駅で表ざたになった事件は11月9日の盗難事件で、線路百メートル、枕木42本、連結切り替えモーター1個がなくなった。
公共設備の強奪が盛んになってきたのは1980年代からで、スマラングダン駅周辺に限らず、他の線路区でも似たような事件が多発している。盗まれるのは鉄道線路のみならず、鉄道運行のための設備やら、はてはセメントを保管していた倉庫自体も、暫くの間放置されたあと現場に行ってみると倉庫ごと消え失せていた、という事件もある。スマラングダン駅には線路が8本あったが、そのうち5本は海水滲出で水をかぶり、また一部区間は盗まれたために、使われていない。残っているのは3本とタンジュンマス港に向かう支線が一本だけ。結局鉄道会社の施設部門が残っていた線路を引き上げてしまった。
国有鉄道会社PT KAは、政府の資産である鉄道設備を用いて鉄道運行業務を行っている。だが、PT KAと政府との間にはインフラマネージメントオペレーション契約が結ばれていて、鉄道設備の維持がPT KAに委ねられている。問題は、鉄道会社の設備保守に政府が与える予算がバランスしていないことだ。鉄道会社はその責任を政府と国民に求めている。「バス会社が、交通信号や道路標識の保守整備を行っているだろうか?安全な鉄道運行のための設備は政府が完備し、その維持は国民に協力してもらわなければならない。」と語る鉄道会社高官の言葉は、鉄道設備盗賊団が暗躍しているのを知りながら、目と口を閉じて官憲に通報すらしない非協力的な地元民に向けられたものでもある。
食うために泥棒たちが公共設備を盗む。鉄道設備はオープンスペースに置かれ、24時間監視は行われていない。公共物を私物化できる誘惑が口を開いている。


「大使館関係者は敬遠するのが無難」(2005年12月30日)
スカルノハッタ空港とジャカルタを結ぶ空港自動車専用道路で、アメリカ大使館所有のトラックと市民が運転するホンダシティとが接触事故を起こした。そのとき、大使館のフソートラックは空港で大使館宛の書類や小包をピックアップした後、ジャカルタ方面に向けて、空港自動車道に入ったところだった。一般市民であるシナトラ・トゥグ29歳は、強引な運転をするトラックに接触されて、頭に血が上った。かれは普段からプラスチック弾丸の出るモデルガンを持ち歩いている。頭に血が上って見境がなくなったシナトラは、その拳銃を窓から出し、トラックの運転席に向けて撃った。FN拳銃に似たモデルガンから出たのはただのプラスチック弾丸だったが、大使館トラックの運転手は一瞬背筋を冷や汗が走り、それが玩具だとわかったとき、頭に血が上った。ホンダシティは拳銃を発射した後、高速でトラックを引き離して姿を消したが、プレートの番号をトラック運転手は記憶した。「あいつはきっとテロリストだろう。・・・」
トラック運転手は警察に届け出た。「テロリストではないだろうか?」との言葉に警察は鋭敏に反応した。捜査指令が発せられ、それから二時間半後には、サワブサールのとあるホテルにいたシナトラ・トゥグを警察が逮捕した。警察はまだシナトラを取調べ中。