インドネシア事件簿2006〜07年


「2005年首都の犯罪は横ばい」(2006年1月5日)
2005年の犯罪発生状況を、フィルマン・ガニ首都警察長官が公表した。警察が記録した件数は54,390。地区別に見ると、南ジャカルタ市が最大の10,353件だが、犯罪発生のメインは南ジャカルタ市内ではなく、チプタッやジャガカルサなど周辺部とのこと。それに続く西ジャカルタ市8,227件、東ジャカルタ市8,159件、中央ジャカルタ市7,008件というのがトップ4。その下はぐっと下がって北ジャカルタ市4,937件、デポッ市4,488件、ブカシ市3,594件、ブカシ県2,326件、タングラン市2,325件、タングラン県1,563件と続く。2005年の総発生件数は2004年に比べて0.9%増であり、解決件数は8.7%増加した。
犯罪の種類ではやはり路上犯罪が大多数で、中でも強盗が顕著な増加を見せ、銃火器を使った悪質なものが増えている。自動車盗難も前年から13.8%増加している。また麻薬犯罪も増えており、対前年比で132%という大きい増加となっている。


「鉄道保守とは・・・・」(2006年1月6日)
「グロボガン県グブッ地区で、枕木と釘を盗んでいた三人を捕らえ、グブッ警察に引き渡しました。もう疲れました。操車区長殿」国有鉄道会社スマラン第四操車区長の携帯電話に昨年11月のある日、そんなSMSが飛び込んできた。かれらの気持ちは痛いほどよくわかる、とスプラプト操車区長は語る。鉄道設備保守の仕事は、それだけで神経をすり減らすものだ。線路の接点、枕木、釘、ボルトなどが正しく装着され、そして機能しているかどうかを、夜中に線路上を歩きながら目視でチェックする。保守点検員は灯油ランプ、懐中電灯、レンチ、赤旗を持って出発する。点検は1キロを15分で終わらせなければならない。そうして、線路周辺に設置されているさまざまな設備を5人から10人の盗賊たちが盗んでいる現場に出くわすのも稀でない。刃物を持つ多勢の盗賊にただひとり素手で立ち向かおうとする者はいない。むしろ盗賊たちが口封じをしにくるのから逃れる方が先決だ。
東部ジャワ州ボジョヌゴロから中部ジャワ州ブレベスまでをカバーする第四操車区管内で発生する設備盗難は増加の一途をたどっている。2003年までは、信号設備盗難は年間10件に満たなかったというのに、2004年は22件、そして2005年は11月までで23件発生している。他の操車区も似たような状況だそうだ。もちろん、盗まれるのは信号設備だけではない。枕木や釘、線路連結切り替えモーター、そして客車のトイレに設置されている蛇口まで、さまざまなものが盗まれている。線路を枕木に付ける止め釘はジグザグに抜いて盗む。数本の枕木の同じ場所から連続して抜くことはしない。どうやら賊たちは、人命にかかわるもっとも危険なことは避けている、という印象を鉄道側に与えている。多少とも鉄道設備に関する知識を持っているようだ。その一方で信号ケーブルが盗まれ、列車が接近中なのに踏み切りの遮断機が下りず、警報も鳴っていないために自動車が踏み切り内に入り、やってきた列車にはねられるという事故の発生も少なくない。
スマラングダン駅はスリウィジャヤ肥料会社の製品積み出し駅であり、乗客が乗り降りしないので人の目もそれだけ少ないために、盗賊が暗躍する絶好の舞台となっている。かつてあるとき、同駅職員が盗難現場を目撃して鉄道特別警察に通報した。後日、警察は盗賊団のひとりを逮捕してその職員に面通しさせたところ、その男は職員に対し「殺してやる」と啖呵を切った。怖くなったその職員はできるだけスマランから遠い別の地区に転勤を願い出て、グブッ地区に移った。ところが移って一週間したある日、盗賊団からの電話がかれを奈落の底に突き落とし、その職員は早期退職してしまったという。
さまざまな盗品の例に洩れず、新品はとても高価なものを盗賊たちは二束三文で故買屋に売り渡す。スマラングダン駅では連結切り替えモーターがもう5個も盗まれているが、そのモーターはドイツ製で購入価格一個2億ルピア。捕まった盗賊の自供によれば、そんなモーターでも一個10万ルピア以上の金にはならないそうだ。80本の銅線で編まれた信号用ケーブルも、廃品市では一本2万から5万ルピアにしかならない。PT KAのマクブル・スユディ・スマディラガ技術担当取締役は、鉄道設備盗難はこの国でいくつも起こっている公共設備盗難の一例にすぎない、と語る。「鉄道設備、特に安全設備の盗難、高圧送電鉄塔の鉄材盗難、川にかけられた一般道路を結ぶ橋の鉄材支柱盗難など一連の社会公共設備に対する盗みは1998年レフォルマシの生んだ帰結だ。そして同時に、従来の民衆経済文化から個人主義的で労働効率へのテクノロジー活用を強調する傾向にある資本主義経済文化への移行が生んだものでもある。鉄道設備盗難問題の対策として、国家警察との間で鉄道警察新設の検討を進めている。」同取締役はそのように語っている。


「村民タウランは中部ジャワ州名産品?」(2006年1月12日)
観光資源を間にして、そこからあがる収益をふたつの村が奪い合っている。奪い合いの方法は喧嘩出入り。互いの村の若い衆が徒党を組んで相手の村を襲撃し、暴力をふるう村戦争だ。襲われた村は、投石、破壊、放火で住居が失われる。また刃物出入りであるだけに、相手村の住民にも暴力をふるうため、時に死人が出ることもある。
ヒンドゥジャワ王朝期の遺跡があちこちに残されているディエン高原。中部ジャワ州バンジャルヌガラ県とウォノソボ県の境に作られた観光客用駐車場から上がる利益がシティエン村とパタッバンテン村の反目の基盤をなしている。敵対関係にある隣村との間では、何かことがあればすぐに暴力沙汰に発展する。祝日の夜中に催されるお楽しみダンドウッの夜で、ガンをつけた、手が触った、などの些細なことが、タウランと呼ばれる集団喧嘩の引き金になる。おらが村の15歳の花を、隣村の野郎が誘惑しに来た。その野郎をたたんじまえ。リンチが行われ、命からがら逃げ帰った隣村の若者の恨みを晴らそうと、別の夜に一群の暴徒が仕返しに相手の村を襲う。
州庁と州警察は、出入りが起こるたびに実行犯を捕らえて獄舎につないでいるが、いつまでたとうが反目敵対の感情を和解させる糸口は見当たらない。州観光局は、村戦争の噂が観光客離れを招くだろうし、戦争抑止に警官が厳戒態勢を敷いても観光客は寄ってこないだろう、と観光産業の衰退を懸念して頭を痛めている。
中部ジャワ州では1999年に村落間タウランが頻繁に発生した。オルバ態勢崩壊とその後の総選挙が、レフォルマシのユーフォリアがもたらした昂揚感の中で簡単に暴力行為に進んでいったとの分析がある。暴力は暴力を呼ぶとのセオリー通りで、互いにお返しをしあう喧嘩出入りの繰り返しが、ひとびとの感覚を麻痺させて行く。タウランの引き金のトップは何かという問いの答えは『復讐』。統計ではタウランの43%が仕返しのために行われている。次いで『誤解』が38%。この『誤解』には、たとえば「ガンを着けた」「身体に触った」などという因縁着けも含まれており、客観的には『誤解』と言えるかもしれないが、因縁を着ける側はもともとその意図を持ち、たまたまチャンスをつかんだということなのかもしれない。その他の要因は低率でしかあがっていないが、それらの要因の多くは本来、上の二つの中に通奏低音として流れているものではないだろうか。「互いに相手を侮蔑する」「土地の争奪」「村領域の拡大」「異端信仰」「賭博」「煽動」などがその低率要因リストに並んでいる。


「ピザハットに強盗」(2006年1月17日)
南ジャカルタ市ファッマワティ通りで店舗に強盗が侵入した。事件があったのは1月16日午前3時ごろで、被害を受けたのはD’Bestプラザに近いピザハット。一味はまず同店の警備員にしのびよって後ろから殴りつけ、警備員が失神して倒れたところを縛り上げた。店にはもうひとり、配達係の従業員がいたが、こちらは拳銃を突きつけて縛り上げた。銀色のリボルバーを突きつけられた配達係は、賊の求める表扉と金庫の鍵をしかたなく渡し、そのあと賊の三人が表のフォールディングドアを上げて店内に入り、そのまま二階に上がって金庫を開けようとした。ところが金庫を開けるのがうまく行かず、賊は金庫を運び出すと乗ってきたキジャンに積み、そのまま行方をくらました。その間、およそ一時間のできごと。配達係の証言によれば、一味のうち犯行を行った三人は顔を隠しておらず、三人の会話にはバタッ訛りがあったとのこと。だが人相はあまりよく覚えておらず、中のひとりが首までのストレートなロングヘアーをしていたことを覚えている、と語っている。


「久方ぶりの強盗タクシー事件」(2006年1月20日)
1月18日午前3時の西ジャカルタ市ハヤムウルッ通りにいた三人の若い女性たちに、強盗の魔手が爪を立てた。被害にあったのはY20歳、K19歳、A17歳の三人で、KとAは姉妹。三人がコタのハヤムウルッ通り道路脇で乗合自動車を待っていると、ひとりの男が近寄ってきた。男はアセップと名乗り、三人に声をかけて会話に誘う。世間話のあとアセップは、自分のボスも皆さんとお近づきになりたいから、一緒にプジャセラでお話しよう、と三人に申し込む。紳士的で態度のよいアセップの誘いに乗って、三人は近くに停車している「ぺ」タクシーにも乗った。タクシーの中にいた男フセン19歳を、アセップはボスだと紹介し、Kはタクシー前部の助手席に座り、YとAが後部座席に入ってフセンとアセップにはさまれる格好になった。「プジャセラへ行け。」と言われてタクシー運転手が車を発進させる。プジャセラへ着いたとき、フセンが言った。「アドゥー、サンダルが切れてる。ちょっと家に帰って来る。金も一緒に取ってくるから。」と言って、誰も下りないうちにタクシーをそのまま走らせた。アセップもフセンも最初は行儀正しく振舞っていたので、三人の娘たちは一点の疑いもさしはさまなかったが、タクシーはいつまでも走り続け、あたりは暗く人里はなれた、物寂しい光景に変わっていったために、やっと事の本質を悟ることになる。男のひとりが小用をしに下車し、Aは暗闇の中で「ボジョン−ブカシ」と書かれた標識を見てショックを受ける。男が戻ってきて、タクシーはまた発車。その後チャチン自動車専用道路に入ったところで、男たちは強盗に早変わり。運転手は強盗たちとは無関係な風を装い、助けようなどと口では言うが、何もしないで強盗の言うがままに従う。強盗はナイフを突きつけて、現金と金目の物を全部渡せ、と迫る。Yが32万ルピアと携帯電話を渡す。Aも10万ルピアを差し出す。車を止めてフセンがYの身体を車内から押し出すと、Yは駆け出したが途中で失神。その間にKは助手席から逃げ出して一目散。男たちは逃げた娘たちを追いかけようともせず、ひとり残ったAの身体を慰みものにしようと、ふたりがかりで襲い掛かった。上着はめくりあげられ、ズボンも脱がされてしまう。しかしAはそれにもめげずに、必死になって暴れまくる。とうとう男たちの方があきらめてAを車の外に放り出し、アクセルをふかして逃走した。
三人の娘たちは地元住民に助けられてチャクン警察に。警察官の調書作成が終わって、さあ帰ろうかと署内を見渡すと、なんとさっきのフセンがそこにいる。三人は喚声をあげてフセンに飛びつき、警官に言う。「おまわりさん、こいつよ。こいつが強盗なのよ!」 フセンをチャクン警察に連れてきた住民の話では、フセンは運転していたタクシーを他の車にぶつけたとのこと。ふたりの友人を誘って犯行を計画し、そのためにタクシーを仲間から借りたとフセンは取調べに対して供述している。


「コンパス紙への投書から」(2006年2月15日)
拝啓、編集部殿。わたしはタングランのスルポンにある会社に勤めており、毎日クブンジュルッからグロゴルに向かう自動車専用道路を利用しています。西ジャカルタ市クブンジュルッにあるクドヤ・ゲートを出たあたりで、わたしと同僚はもう二回も強盗に襲われました。一番最近体験した事件は、ゲート周辺の渋滞に巻き込まれて自動車が進めなくなったとき起こりました。若い男がひとり車に近付いてくると、窓ガラスを叩いて携帯電話と財布を出すようおどしたのです。そのときはたまたま男性の同僚が一緒に乗っていて、その強盗が武器を持っていないのを見定めてから、対決するために勇気を奮って車から出ました。するとその強盗は電光石火の早業でその場から逃げ出し、北側にある道路沿いのフェンスを乗り越えて消えてしまいました。道路沿いには竹やぶがあって、整頓されずに伸びるにまかせているために視界がきかず、またフェンスもあって見通しが悪いのです。
ほとんど毎日クブンジュルッからグロゴルに向かうルートが渋滞になることを思えば、犯罪予防のために自動車専用道路管理者としてのジャサマルガはそこにある竹やぶを刈り取り、また何のためかよくわからない塀を取り払ったらどうでしょうか。自動車専用道路が渋滞するときに犯罪を行おうとする者のために、隠れ場所や逃げ場所が用意されていることのないようにしてほしいものです。[ 西ジャカルタ在住、リム・ピッサン ]


「腰抜け犯罪者には困りもの」(2006年2月17日)
「コンパス紙への投書から」(2006年2月15日)では、渋滞で動けない自動車の運転席にいる女性を威嚇して金目のものを出させる強盗の話が紹介されていた。武器も持たず、女性に金目のものを出せと威嚇し、被害者は怖がってその言いなりになる、というパターンが大半のようだが、たまたま抵抗する人間が出現すると、強盗は怖がって脱兎のごとく逃げ去ったというのがそのストーリー。
2月13日14時ごろ、学校教員をしている50代の女性が、そんな腰抜け犯罪者の被害にあった。この女性はプタンブラン通りから西ジャカルタ市グリーンガーデンの自宅へ戻るため、都内バスのメトロミニに乗った。車内は混みあっている。かの女は奥へはいれないので、後部扉のステップに立ったまま。すると、いつもと同じだ。車内にごろつきが乗り込んできて、乗客に金をくれ、とねだる。頼まれると断りづらいのがインドネシアの価値観で、かの女もそのごろつきに1千ルピアを渡した。ところが車内には、ごろつきの上を行く『おあにいさん』がいた。ごろつきが車内の混雑の中に無理やり身体をねじこませ、金を無心して回っているのを、ひとりの男がとがめた。金を渡さないどころか、そのごろつきに怒鳴りつける。びびったごろつきは、やばいと思ったか、慌てて車内から逃走にかかった。人間の壁を押しのけて車の後部に行き、扉をふさいでいる乗客を突きのけて後ろのドアから飛び降りた。ステップにいたかの女はそのごろつきに押されてバスから転げ落ちた。打撲と擦り傷、そして歯が一本折れた。肩の骨もどうやら折れたか、ひびが入ったみたいだ。通行人がかの女を助けて、近くの病院に連れて行った。腰抜け犯罪者に出会うと、被害はかえって膨らむものかもしれない。


「スナヤン競技場にレーシングサーキット?!」(2006年2月20日)
2005年10月10日午前1時、首都ジャカルタはプラザスナヤンの西側からホテルムリア前の三叉路に至るアジアアフリカ通り。街灯に照らし出された深夜の大通りは、車の往来もまばら。街中の草カーレースを行うにはもってこいの状況に、血の騒ぐ若者たちが吸い寄せられてくる。リスキヤナ・アディ・プトラ22歳が愛車バレノを駆ってやってきたとき、そこにはもう何人かの草レーサーが集まっていた。かれは他の連中に、勝負しないか、と誘いかけたが、受けて立つ者がいない。『なんだ、この腰抜けどもが。じゃあそこで、指でもしゃぶりながらオレの腕を拝んでろよな!』と眼で凄んだが口には出さず、胸を張って愛車に乗ったリスキヤナ。ブンカルノスポーツコンプレックスメインゲート南側の赤信号からホテルムリアまでの直線コースをぶっ飛ばすと、ホテル前の三叉路でUターンしてまた戻ってくるという爆走を何回か繰り返した。ところがそのソロデモンストレーションを悲劇の結末が待ち受けていた。
何回目かのターンのあと、車はコントロールを失って暴走した。歩道に乗り上げると、そこに駐車してあったキジャンにぶつかっていったのである。そのキジャンは、そこで違法のアルコール飲料販売を行っていた者が乗ってきた車。そしてたまたまキジャンの後ろで雑談に興じていた四人の若者が暴走車の犠牲となった。ふたりは即死し、もうふたりは重傷でチプトマグンクスモ病院に運ばれた。更にその近くにいたタバコ売り屋台と軽食売り屋台、そして植木売りの商品などが続々とこの自損事故の被害者となった。
メインゲート近くにいた物売りの話では、リスキヤナは男二人女二人の仲間と一緒にやってきたとのこと。全員が車から降りて、その辺りでアルコール飲料を売っている車から飲み物を買って飲んだあと、リスキヤナは女友達と二人だけでバレノに乗り、ソロデモンストレーションを始めた。暴走車の犠牲となった四人のうち三人は、一緒にやってきた仲間だったようだ。


「アパートの隣は何をする人ぞ」(2006年2月22日)
深夜を過ぎると、首都ジャカルタは怪しい者たちの跳梁する舞台となる。警察が麻薬違法薬品の検問や手入れを行うのもその時間帯であり、悪徳警官が麻薬不法所持の罠に市民を陥れて金を搾り取るのもその時間帯だ。深夜の路上で警察の検問にあい、身に覚えのない麻薬が車の中から発見されたために拘置所に入れられ、見知らぬ者からの『釈放の労を取ってやるからX千万ルピアを』というオファーを家族が受ける話は、数え切れないほど世間に流布している。
2005年9月20日午前1時、都内マンガブサール通りのタマンサリで、首都警察麻薬局麻薬第一課第5ユニット職員がデウィ・コマラ・サリを逮捕した。デウィはシャブ2グラムを所持しており、アティアンという男から手に入れたと自供した。次いで警察は、北ジャカルタ市パドゥマガン地区アンペラ通りに住むカルトノ・アヒンとルスティ・エラ・カミサリを逮捕し、家宅捜索の結果シャブ100グラムとエクスタシー1,600錠を発見した。ふたりはそれらをトミーから入手したと供述した。続いて警察はアパルトメン・プルイッラグナに住むボルリ・ラティフを逮捕して7,380錠のエクスタシーを発見した。ボルリはそれをボイから入手したと自供した。今度はリッキー別名ジョニの番で、貧困者向けのクマヨラン・アパートの前にいるところを警察が逮捕した。持っていたエクスタシー9錠はジミーから入手したものだ、とかれは警察に話した。9月24日昼過ぎには、北ジャカルタ市プンジャリガン地区ムアラカランにあるアパルトメン・ムティアラの水泳プール駐車場でチョン・ブンジン別名ビリー別名アペンとユディタン別名ジョンが逮捕された。ジョンの住んでいるアパルトメン・ムティアラのかれの部屋からは、シャブ225グラム、エクスタシー8百錠、そしてエクスタシー錠剤成型機とその成型に使われる原料が見つかった。ふたりは、それらの品物は自分たちの持ち物ではない、と言い張った。 その後警察は捜査を進めて、シンジケートの一員であるアシッ・スワンディを西ジャカルタ市クンバガンにあるプリインダモールのレストランで逮捕した。エクスタシー3千錠が発見され、アシッはそれをジミー別名シム・ケンベン別名ピーターから入手したと自供した。上であげられた者たちに違法薬品を渡したアティアン、トミー、ボイ、ジミーそしてエロンの5人を警察は指名手配して追求している。見つかったエクスタシーは同一の成型機で作られたように見えることから、警察はひとつのシンジケートが行っているものと見て捜査を続けている。このシンジケートはナイトスポットから離れた場所で流通を行っており、警察の目の届きにくい活動をしていること、またアパートが物品の製造や保管場所に使われていることなどから、悪質な知能犯との見方が強い。かれらが利用したアパートは、中央ジャカルタ市インドゥストリ通りのアパルトメン・ラジャワリクリサンウタラ、北ジャカルタ市のアパルトメン・プルイッラグナ、スカルノハッタ空港裏のアパルトメン・マリナ、ムアラカランにあるアパルトメン・ムティアラなど。


「自動車売ります強盗」(2006年2月23日)
「自動車売ります」の新聞広告は、どの新聞にも見ることができる。オーナー本人、仲介者なし、住宅地区の住所などが書かれていれば、うまい買い物ができるかもしれない、と興味をかきたてられる人が多いようだ。ところがそんな心理を逆用しようという悪人もいるから、警戒をおろそかにするとたいへんな目にあうことになる。
三行広告を見て電話でコンタクトし、あとは車を見てOKならその場で取引だ、と即決を目論んで現金を持ってきたら、車を売ってもらうどころか、金を奪われて逃げられたという事件がブカシで起こった。バンドンの実業家ジョコ・サントソ63歳が従業員のアブドゥラ・アンソリ28歳を伴ってブカシにやってきた。ふたりと一緒に来たカシランは、売り手とコンタクトして商談をまとめた仲介者。三人はブカシ市アフマッ・ヤニ通りのイスラミックセンター近くを取引の場に選んだ。もう着いて現場で待っているから、すぐに車を持って来てくれ、とカシランが売り手に連絡し、ほどなく一台のキジャンがやってきた。やってきたのは四人の男たち。
ジョコは疲れており、またズフルの礼拝をしたいために、「車を調べるのはおまえに任せるから。」とアブドゥラに言ってモスクへ向かった。キジャンの男たちは、「さあ、車の調子を見てくれ。」とアブドゥラを車内に誘う。車を発進させてゆっくり走らせた。そして世間話の合間にアブドゥラが金を持っていることを聞き出した男たちは、突然態度を豹変させた。車はもう、さっきのランデブー地点からかなり離れてカラワンに入っている。男のひとりがピストルをアブドゥラに突きつけて、金を渡せと命じる。車がゆっくりと走っているので、アブドゥラは車から飛び降りたが、残念なことに腰に焼けた鉛弾丸を受けてしまった。男たちのひとりが降りてきて金を奪うと、全員がキジャンに乗って姿を消した。1億5千万ルピアの現金を奪われたアブドゥラはジョコに電話したが、ジョコとカシランはそれを聞いてただ驚くばかり。ふたりはアブドゥラを助けにやってきてかれを病院に運び込むと、ブカシ警察に届け出た。警察は捜査を進めている。


「自動車盗難は解雇した運転手のせい?!」(2006年2月24日)
首都警察が、自動車窃盗団を絡め取った。捕まったのは陸軍下士官ひとりを含む10人で、2月16日に南ジャカルタ市パサルミングのポマッ地区にあるホランドベーカリー周辺で首都警察が行った囮捜査の成果だった。この一味から警察は、日産テラノ2台、トヨタキジャン5台、アバンザ1台、スズキキャリー5台、スズキアエリオ1台、ホンダCRV1台、ホンダジャズ1台、スズキカタナ1台、ダイハツゼニア1台合計18台の盗難車輌を押収した。この一味は二年前から組織を組んで活動をはじめ、仕事はもっぱらジャカルタで行い、合鍵で駐車している車を開けて盗む以外に、個人オーナーの元運転手を抱きこんでスペアキーをもらい、オーナーの癖やよく駐車する場所の情報を入手して獲物を盗むといったことも頻繁に行なっていた、と警察は公表している。この10人はそれぞれ役割を分担しており、車を盗む担当、盗んだ車を保管する担当、自動車用書類を偽造する担当、盗難車を売り捌く担当などに分かれていた。書類偽造担当は、車一台あたり50万ルピアをもらっていた、と自供している。盗難車はジャカルタで一台3千万から4千5百万ルピアで売り払っており、取引は土曜日あるいは日曜日に行っていた。買い手が警察で書類のチェックをすぐに行えないようにするのが目的だった。


「宅配便小包の中にシャブ」(2006年2月24日)
中国の広州から送られてきた宅配便小包の中に4.5キロのシャブが隠されているのをスカルノハッタ空港税関が発見し、宅配業者DHLと警察の協力を得てその受取人を逮捕した。宅配便小包の輸入通関チェックは、スカルノハッタ空港税関職員が行う。北ジャカルタ市クラパガディンのアパルトメン・ガディンメディテラニア、ブロックCを住所とするPTブアナスクセスジャヤ社宛ての小包三つを調べた税関職員は不審を覚えた。中国広州のKawaiti Co.Ltd を発送者とするその小包三つをX線透視にかけたところ黒い影が映っていたので、税関担当者は内容物検査を行った。中にあったのは飛行機、自動車、船、戦車の模型だが、詳細に調べたところ、それらの模型の中からアルミフォイルに包まれた粉末が出てきた。その粉末はひと包み325から375グラムで、全部で13包みある。税関職員はすぐにその粉末のチェックを行い、それがシャブであることを確定した。
続くアクションは、その受取人の逮捕。税関は空港警察およびDHL社の協力を仰ぎ、受取人の逮捕にクラパガディンへと向かった。DHLの配達人が宛先住所に小包みを届け、受取人を確認したところで警察の登場となる。空港税関事務所に連行された受取人アルウィ・プトラ36歳は、自分は西ジャワ州チアンペア住人で、玩具販売を生業としており、受け取ったシャブについては、自分で消費するためだったと述べているが、当局側はアルウィが流通網を抱えている疑いを捨てていない。


「チカンペッ自動車道は事故多発道路」(2006年2月27日)
自動車専用道路での事故の中に、歩行者の事故が意外に多い。ジャカルタから東のチカンペッ、南のボゴール・チアウィ、西のタングランの三方向に伸びている三つの長距離自動車専用自動車道路で昨年1月〜7月に発生した交通事故内容を見ると、チカンペッ自動車専用道路が事故最多発道路であることがわかる。道路管理会社PTジャサマルガが公表したデータでは、ジャゴラウィ自動車道(JB)が147件、ジャカルタ〜タングラン自動車道(JT)が171件、ジャカルタ〜チカンペッ(JC)は567件と段違い。歩行者事故はJB7件、JT1件、JC9件で、12日間にひとりが自動車専用道路で車にはねられている計算になる。各道路でもっとも事故件数が多いのは見込み運転によるもので、JB55件、JT62件、JC304件となっている。次に多いのが居眠り運転。JBは44件、JT34件、JC146件。三番目はパンク事故でJB28件、JT42件、JC68件。スリップ事故はJB9件、JT14件、JC15件。わき見運転JB3件、JT8件、JC25件など。
自動車専用道路での歩行者事故についてジャサマルガは、バスの乗客が自動車専用道路で乗り降りすることが事故の原因である、と説明している。バスは自動車専用道路で乗客を乗り降りさせてはいけないと法規で定められているが、乗客が無理強いするため仕方なく行っているとのこと。特に都内循環自動車道はゲートで乗り降りする乗客がかなりの数にのぼり、ゲートでバスに乗ろうとした三人がそのバスにはねられるという事故も発生している。また都内循環自動車道でも長距離自動車道でも、往来の激しい道路を歩いて横断しようとする人が時おり出現し、高速で走ってくる車にはねられるという事故も発生している。
自動車専用道路内でのバス乗降で大きい問題になったのは、チカンペッ自動車道ジャティブニンゲートで行われていた闇バス停に対する規制で、ジャサマルガ側がそれを排除しようとしたが闇バス停利用者の強い抵抗にあい、その闇バス停で客を得ていた一般道側のアンコッやオジェッによるゲート前封鎖といった物理的抵抗にまで発展したことから、ジャサマルガは方針を転換して本物バス停を用意し、その周囲を金網で囲って安全を確保するようにし、みんなが法規に違反する方向に収束して今日に至っている。


「キャッシャーが万引き幇助」(2006年3月2日)
ハイパーマーケットのカルフルで、仲間が行う万引きを手伝ったキャッシャーが現行犯逮捕された。北ジャカルタ市プンジャリガンにある巨大モール、メガモールプルイッに入居しているカルフルの従業員アプリリアヌス23歳の職務はキャッシャー。西ジャカルタ市プリインダにあるダンキンドーナツ従業員のドゥイ・プルワント25歳とマルディアンシャ24歳は仲間。仲間二人がカルフルにやってきた。ふたりは粉ミルク、練乳、砂糖、即席麺、スナック菓子などを8個から10個トローリーに放り込む。更にフライパン1個、干し物ハンガー1個、ヘルメット1個もトローリーに入れた。そのあとふたりは、アプリリアヌスが立っている支払いカウンターへとやってきた。そしてふたりの順番になったとき、かれらは知り合いであるということをおくびにも出さず、口もきかないでアプリリアヌスの作業が終わるのを待った。アプリリアヌスはと言えば、粉ミルクが10箱もあるというのに、赤外線読み取り機にあてるのは1箱だけ。すべての商品で同じ事がなされたあと、合計が打たれた。請求金額は30万ルピア。支払いが終わり、ふたりは店を出ると駐車場に向かった。ところがアプリリアヌスの行動を不審の目で見ている者がいた。警備員が即座にふたりを追う。警備員はふたりとアプリリアヌスの身柄を拘束し、その後プンジャリガン警察に三人を引き渡した。この三人が万引きした商品は140万ルピア相当で、それを30万ルピアで手に入れようとして失敗したのだ。アプリリアヌスはその犯行について、自分はふたりのアイデアに従って行動しただけであり、犯罪を計画したのはかれらふたりだと述べている。


「コンパス紙への投書から」(2006年3月4日)
拝啓、編集部殿。停年生活に入ったわたしと妻は、別の町に住んでいる子供や孫と暮らすために、これまで住んでいた家を売ることにしました。新聞広告を載せ、また不動産エージェントにも声をかけました。不動産エージェントの中には、三ヶ月間だけの契約でコミッションは3%を要求したところや、前金30万を要求したものの新聞広告は一回しか出さず、そのあとコンタクトがぷっつり途絶えたところ、あるいは何回か新聞広告を出したところなどさまざまです。
電話が鳴り、値段を尋ね、家を見に行くから、と言った人はたくさんでしたが、本当に見に来るひとはほとんどいません。値下げも何回か行いました。駆け足で交渉する人もいます。電話で、「値段はオーケーだが、前金を振り込むのに一週間あるいは10日間の時間をくれ」。ところがいつまでたっても、なしのつぶてです。そんな中で、面白い事例がありました。2006年1月26日、ダイハツタルナに乗って四人の人がやってきたのです。ひとりは運転席でスタンバイし、三人が車から降りてくると、アサラムアライクムと礼儀正しい挨拶をします。ふたりは上背があり、色白で、優しい手をしており(握手のときにわかりました)、話し方も丁寧で魅力的です。もうひとりは小柄でやせていました。かれらは家を見、質問をあれこれしましたので、わたしと妻がその相手をしました。ふたりのうちのひとりは、銀行に勤めていて、子供が生まれたばかりだと話します。ところがもうひとりの小男は、ゲリラだったのです。
夕方になり、4時半前くらいに、今度奥さんを連れて見に来るから、と言って暇乞いをしました。とても礼儀正しく、サラムを唱えます。かれらが去った後、わたしと妻は部屋に入り、そこで携帯電話と現金がなくなっていることをはじめて知りました。つまり乗用車に乗り、上等な服を着、礼儀正しく、魅力的に話し、サラムまで行っても、その人が善人であることの保証にはならないということです。そしてわたしが耳にした話では、そんな犯罪の手口はブカシでも何ら目新しいものではないそうです。家を売るために新聞広告を出そうとしている皆さんは、十分警戒されますように。かれらは整然と組織立って犯罪を行いますので。[ ブカシ在住、ASヌル ]


「プンチャッ街道で自動車強奪事件}(2006年3月6日)
自動車リース会社の従業員アントンが3月2日、知り合いのケニーと一緒に商談のため会社の車スズキAPVでボゴールへ行った。プンチャッ街道を上がり、タマンサファリ三叉路でターンしたところ、一台のキジャンに行く手を阻まれた。キジャンには7人の男たちが乗っており、大勢が車から降りてくると、自分たちは警察諜報部門職員で、麻薬の運び屋と思われる車を検問している、と言い、すぐに車内を調べ始めた。しかし車内から怪しい物は何も見つからない。すると今度はアントンに金を出せ、と迫った。和解金として20万ルピアを渡せば放免してやる、と言う。アントンは仕方なく要求に従い、金を渡した。放免されて走り出したとき、ケニーが気付いた。「あっ、オレの携帯電話を盗まれた。」ふたりは走り去ったキジャンの後を追った。プンチャッ街道を下り、ジャゴラウィ自動車専用道路チアウィゲートの数百メートル手前でやっとキジャンに追い着いた。アントンが車から降りてキジャンに近付くと、男たちのひとりが拳銃を出した。アントンにキジャンの車内に入るよう命令し、入ったアントンの手に手錠をかけ、口にガムテープを貼った。一方別の男たち数人が、スズキAPVに乗り込む。ケニーはAPVの中でかれらに拘束された。二台の車はジャカルタへ向けて走り、タマンミニインターチェンジで右に折れるとチラチャスのクラパドゥアウエタンまで来てアントンとケニーを車から放り出し、いずこともなく姿を消した。
自動車道路の道端に倒れているふたりは、チラチャス警察ハイウエーパトロールに発見され、チラチャス署で事情聴取されたあと、事件現場がボゴールだったため、ボゴール警察まで送り届けられた。事件はボゴール警察が捜査している。


「優しい強盗タクシー」(2006年3月7日)
3月2日、女性客ふたりが強盗タクシーに襲われた。ウリ27歳とララ18歳はポンドッキンダモール?の道端でタクシーを拾った。最初ふたりは、そのタクシーが常連のタクシー会社のものだと思ったが、近くに来たとき、それが似て非なるものであることを知った。「キャンセルすると悪いと思ったの。気の毒だわ。ブルーバードタクシーの運転手だけが稼ぎが必要なわけでもないんだし。」ウリは後になってそう語った。ふたりが後部座席に座ると、タクシーが発車した。前を見ると、ダッシュボードに貼り付けられている運転手の写真や名前が白紙を貼られて隠されている。突然不安がふたりの頭をかすめた。タクシーはチネレ方面に向かう途中で道端に停車し、男がふたり左右から乗り込んできた。あとはお定まりのプロセス。金目の装身具と現金、携帯電話機を取り上げ、ATMカードを取り上げてPINコードを言わせ、カードを道端で待っている仲間に渡し、金が手に入ったのを確認してから、被害者を寂れた路上に放り出す。
しかしこの強盗たちは、ふたりにとても優しかった。「悪いね、おねーちゃんたち。名前は何?住所はどこ?オレたちは3ヶ月前に会社をくびになったんだ。借家の家賃は月35万ルピアで、もう二ヶ月も滞納してる。金に困ってどうしようもなくやってるんだ。許してくれよね。」
そんな話をしながら、タクシーは南ジャカルタからデポッにかけてをうろうろ走り、最後に深夜のTBシマトゥパン通りでふたりを放り出した。ふたりを下ろすときに、強盗たちは10万ルピアをふたりに渡し、「これで家まで帰りな。」と言って姿を消した。2百万ルピアの現金、携帯電話3台、ATMカード4枚を奪われたふたりは、住所まで知られてしまったから警察には届けたくないわ、と供述に消極的だった。


「ジャカルタでもお金持ちが万引き」(2006年3月15日)
アッパーミドルクラスを対象にした首都圏のスーパーマーケットでも、万引きが激しさを増している。万引き犯人は往々にして裕福な階層の者であるケースが多く、店側もかれらの犯行を厳しくとがめたてる気を挫かれることが稀でない。そごうスーパーマーケットや、ランチマーケットあるいはクラブストアなどの中上流階層顧客をメインの利用者に持つスーパーマーケットの現場責任者たちは、こんな話を物語ってくれる。
万引き犯人は三つのカテゴリーに分類できるそうだ。興味本位というのか刺激を求めて行う者、盗癖者、そしてプロの万引きシンジケート。「万引き現行犯が裕福な人だと、こっちがどきどきする。きつくとがめると、向こうの方がこっちに文句を言い出すことになるかもしれないから。かれらを相手にすると頭が痛い。」そう打ち明けるのはランチマーケットの副管理責任者。西洋人、セラブリティから果ては元大臣の奥方まで、万引き現行犯摘発の戦歴は豊かにある。ぱりっとした一張羅の服装で店内をまわり、欲しい物を買い物篭に入れないでポケットに入れる。飲食品を万引きするケースはあまりなく、化粧品などが多い。見つかるとかれらは「忘れていた」と言い、「商品の売値の何倍かを払うから」と穏便に済ませてもらうための交渉に入る。クラブストアではそんな場合、表示価格の10倍を払ってもらうことにしているそうだ。ランチマーケットの女性従業員は、かれらの悪事に直面するのを怖がっている。「見ないほうがいいのよ。だってあたしの方が怖いんだから。髪を結ったおば様たちを相手にしたら、もうお手上げよ。」
プロの万引きたちも活動はますます盛ん。狙いをつける商品も最新流行のもの。ミルクや特定の化粧品や高価な人工甘味料。かれらはグループで行動し、必ず女性をその中に含めている。最新の手口は、ある廉価な商品の中味を高価なものとすりかえるという手法で、たとえば廉価なカートン入り粉ミルクの中味が高価な別の粉ミルクにすりかえられていたりする。店の現場責任者たちは、犯人を警察に突き出すことを好まない。というのは、警察を関与させてもその事件が決着しないことを経験から理解しているためだ。店側は定期的に最寄の警官詰所や警察署に付け届けをしているというのに。


「コンパス紙への投書から」(2006年3月17日)
拝啓、編集部殿。わたしは2006年1月29日日曜日、ディスカウントセールに惹かれて南ジャカルタ市ポンドッキンダモール2のZaraのお店に妹と出かけました。モールに着くとその足でZara店に直行し、セール商品の品定めをしていると、だれかがわたしのバッグを引っ張ったのです。まわりにはまるでパサルのようにたくさん人がいて、ハイクラスなポンドッキンダモール2の中で、今人気上昇中の国際ブランドZaraの店内にスリや泥棒のたぐいがいるなどと、わたしは夢想だにしませんでしたので、そのときもバッグにあまり関心を払わず、ほとんど警戒しませんでした。おまけにバティックを着てハンディトーキーを手にしたセキュリティ係員が店内を右往左往し、また表入口には警察の制服に身を固めた警官がガードしていたのですから。
わたしは買い物を済ませて店の外へ出てから、バッグの中にあったデジタルカメラがなくなっていることに気付きました。Zaraの店内にいるときに被害にあったとしかわたしには思えません。保安措置がまったく取られていなかったわけでないのに、こんな結果になったことはとても残念です。スリの被害にあったことに気付いたわたしは、すぐに店内に引き返しました。そして従業員とセキュリティに事件を訴え、監視カメラに犯行現場が映っていないかどうかチェックしてほしいと頼みました。ところが、わたしが得た返事は、店内に監視カメラは一台も設置されていないというものでした。[ 南ジャカルタ在住、ニナ・シルファナ ]


「セキュアパーキングが敗訴」(2006年3月20日)
2000年3月1日に中央ジャカルタ市チュンパカマスのコンティネン(現在はカルフル)駐車場に置いたキジャンが紛失した事件で、車を失ったアニー・グルトムとその車を運転していた息子のホンタス・タンブナンがセキュアパーキング駐車場運営者PT Securindo Packatama Indonesia を相手取って損害賠償の訴えを起こしていた。ホンタスは駐車してから、駐車券、STNK、キーを持って売り場に入ったが、その後出てきたとき、最初駐車した場所には自分の車がなかったので、駐車場管理者側の不注意と怠慢を理由に車の損害賠償6千万ルピアならびに慰謝料1千5百万ルピアを請求した。一方セキュアパーキング側は駐車券の裏側にプリントされている「駐車場内にある間に起こった車あるいは車内の物品の紛失、および車輌の破損は自動車オーナーの責任に帰す」という約款条項を盾にしてその請求を拒んでいた。駐車場側は、その約款は駐車に関する1999年都条例第5号第36条(2)項に基づくもので、州政府の規定に従っているだけという見解を示している。
中央ジャカルタ国家法廷はこの告訴に関して、民法第1366条と消費者保護法第4条に基づいて原告側に勝訴の判決を下したが、被告側はそれを不満として最高裁に上訴した。ところが3月15日、最高裁は中央ジャカルタ国家法廷の判決を支持し、被告側の上訴を破棄した。最高裁判事団は、駐車場の中に入ったカーオーナーにはもはや選択の自由がなく、駐車券の裏にある約款は一方的な表明でしかないため法的に無効な合意であり、駐車場側には自動車の保全義務がある、というもの。
原告側は中央ジャカルタ国家法廷に対し、被告側に賠償を行う誠意が見られないので、強制執行を正式に要請した。一方駐車場側は、最高裁の判決に不服を示しており、再審請求を行うことにしている。


「ジャカルタで少女人買事件」(2006年3月21日)
西ジャワ州インドラマユに住むウピは小学校を出たばかりの12歳。ジャカルタへ行けば月給30万ルピアでレストランのウエートレスの仕事にありつける。やはりインドラマユ出身のふたりの男、ソニーとデディの話に、ウピの心が動いた。「あたし、働いて家計を助けたい。だってここじゃ仕事なんかないし。」そう言われて母親も決心した。「じゃあ、ふたりでジャカルタへ行こう。」
3月6日、ふたりの男を道案内に、ウピと母親は上京して西ジャカルタ市クブンジュルッの下宿屋に落ち着いた。母娘ふたりが必要とするものは、男たちふたりが調達してくれた。母と娘はそのふたりを善い人だと思っていた。一週間が瞬くうちに過ぎ、3月14日朝、ふたりのうちのひとりデディがウピを迎えに下宿屋に来た。「働き口が見つかったから、今から一緒に行こう。お母さんは家で待っててくれ。」ウピは出かけたきり、午後になっても戻らない。午後2時ごろになって、もうひとりの男ソニーが140万ルピアの現金を母親に渡しにきた。「うちの娘はどこにいるの?」「デディと一緒だから大丈夫だよ、おっかさん。」 夕方になって、デディがひとりで下宿に来た。ウピを迎えに行こう、と言う。デディはウピの母親を連れて、コタはハヤムウルッ通りのメルキュールホテルにやってきた。「ウピがいる場所をお母さんがあのひとに聞いてみてくれ。」デディはホテルのリセプションカウンター内にいる従業員を指差す。母親がカウンターに向かっている間にデディはそこから姿を消した。ホテル側は少女を連れた男が訪問した部屋を特定した。その部屋は外国人客が泊まっていたが、もうチェックアウトしている。ホテル従業員と一緒にその部屋に入った母親の口から悲鳴が漏れた。ウピは、あられもない姿のまま、放心状態でベッドの上に横たわっていたのだ。警察はソニーとデディを追っている。


「チブブル街道でも当たり屋の恐喝」(2006年3月30日)
2006年2月21日15時ごろ、フランスはボゴール県チレンシ方面に向かってチブブル街道を走っていた。鉄橋をすぎてコタウィサタ住宅地区の手前あたりまで来たとき、フランスの車のサイドミラーがバシッと音をたてて内側に曲がった。何に当たったのかよくわからない。フランスはバックミラーで左側の状況を確認したが、何か事故が起こったような気配はまったくない。
かれはそのまま走り続けた。そのまま1キロあまり走っただろうか、突然一台の車が追いすがってきたかと思うと、フランスの車の横を追い越しながら止まれと合図し、フランスが止まるとその前に回って停車した。その車から太った背の低い男がひとり下りてきて、運転席の横に立って窓ガラスを開くよう手まねで合図した。整った服装をし、礼儀をわきまえた雰囲気のその男の様子に、フランスはついうっかり、警戒を怠ってしまった。窓ガラスを下げると、思いがけないことに、その男は手を車内に差し入れてセントラルロックをはずしたのだ。
すかさず助手席側のドアが外から開かれ、男がひとり中に入ってきた。
「あんたはさっき車を人にぶつけた。仲間が怪我をした。病院に行くから費用を出してくれ。」助手席の男はそう言ってフランスを非難する。財布の中の金を全部出せと言うのだ。その男はフランスの携帯電話に手を伸ばした。フランスは反射的に運転席のドアを開く。ドアの外には男がひとり見張っていたが、どうやらチンピラだったようだ。フランスはドアを押し開けながら「強盗だ!強盗だ!」と叫んだ。不意に開いたドアに押されてよろめいたチンピラは、もう犯意を失っていた。なだれ現象が起きた。助手席に入っていた男までが、一度つかんだフランスの携帯電話を放り投げて逃げ出した。フランスの車の周辺から三四人の男たちが、道路を横切って向こう側の対抗車線に逃げて行く。さっきフランスの車の前に止まったはずのパンサーが、いつの間にかUターンして道路の向こう側で仲間たちを待っていたのだ。九死に一生を得たフランスは難を逃れてほっとしたが、この事件が始まってからの数分間に警察のパトカーは一台も通らず、そして通り過ぎるほかの車もフランスの車の横で徐行しながら様子を窺い、そして何事もなかったかのようにスピードを上げて遠ざかって行った。交通の繁華なその街道で、フランスのために停止する車は一台としてなかった。


「強盗犯射殺」(2006年4月1日)
銀行から巨額の現金を引き出した者を尾行してその金を奪い、時によっては相手の生命を奪うことさえ辞さない凶悪な強盗グループが、北ジャカルタ市警捜査班員に逮捕された。逮捕されたのは四人で、他の三人のメンバーは逃走中。この7人から成る強盗団は四人の自供によれば、2005年12月13日に南ジャカルタ市トゥベッにあるBCA銀行支店の客から4千万ルピアを強奪し、2005年12月22日にやはりトゥベッのマンディリ銀行支店前で犯行に失敗したが警備員を殺害。2006年3月1日、北ジャカルタ市クラパガディンで2千8百万ルピアを奪い、3月14日にはやはりクラパガディンのドラリンド前で2億ルピアを手に入れ、もっとも最近では3月29日に北ジャカルタ市スンテルでスンテルモール内のBCA銀行支店から7千5百万ルピアを引き出した会社社員を路上で襲撃して殺害するという犯行を行っていた。そのほかにもこのグループは中部ジャワで犯行を行い、総額で10億ルピアを手に入れていた。
29日にスンテルで犯した犯行では、オートバイで会社に戻ろうとしていた23歳の会社員を襲って現金の入ったバッグを奪い、オートバイから落ちて倒れた会社員を車上から拳銃で胸を撃って殺すという残忍な行為を示した。しかし、事件発生から30時間たたない間に、北ジャカルタ市警捜査班は犯人四人を次々と逮捕して行った。最初に逮捕したのは中央ジャカルタ市タナティンギに住むユダ39歳で、警察はユダが自白した三人の仲間を東ブカシのタンブンや中央ジャカルタのクラマップロで捕らえた。3月31日午前3時ごろ、逮捕した四人に証拠品を隠してある場所へ案内させていた際、その四人が捜査員の拳銃を奪って反攻に出たため警察は四人に発砲し、二人は射殺され、他の二人も病院に運び込まれたが危篤状態。逃走中の三人はメダンとモジョケルトに向かったとのことで、警察がかれらの足取りを追っている。
北ジャカルタ市警察署長は、大量の現金を引き出す際には警察に護衛を依頼するように、と市民に呼びかけている。北ジャカルタ市では各町にパトカー1台を配備させており、護衛は無料で引き受けるとのこと。もし警察官が護衛を嫌がるなら、直接わたしに報告してほしい、とムシャファッ署長は述べている。


「イギリス人宅で朝食時間中に強盗が侵入」(2006年4月3日)
武装した強盗団が朝食中の家庭を襲い、金品を奪って逃走するという事件がブカシで発生した。4月1日土曜日朝9時半ごろ、ブカシのビンタラ地区にある住宅地グリヤビンタラインダに住むイギリス人ポール・コーナーの自宅に突然賊が侵入した。家の中に押し入ってきたのは5人の男たちで、ひとりは拳銃一丁、他の4人は刃物で武装していた。凶器を突きつけて「声をたてると殺す。」とポールと妻のクスミラの動きを制したあと、賊はふたりの手を靴紐で縛り、ふたりを寝室に入れ、しゃがませてから毛布を頭からすっぽりかぶせた。15分ほどしてから家の中が静かになったので、ふたりは靴紐を解き、ポールが隣人の家に駆け込んで事件を知らせた。その事件が起こった時、ポール宅周辺はきわめて閑散としていたとのこと。隣人は急遽警察に電話し、10分しないうちに数人の警察署員がポール宅に現れた。警察はコーナー夫妻とその事件があったときその家で庭仕事をしていた庭師に警察署への同行を求め、警察で事情聴取を行った。
ポールの家から盗まれた物は、黄金製装身具、DVDプレーヤ、腕時計十数個、携帯電話、航空券、ハンドバッグ、ATMカード、現金6百万ルピアおよび米ドル、シンガポールドル、イギリスポンドなど。ブカシ警察犯罪捜査ユニット長は、犯人はもう面が割れた、と語っている。既にブカシ署管内で数回にわたって類似の犯行を重ねている犯人グループの顔写真を被害者夫妻に見せたところ、一味の中にその者がいた、と被害者夫妻は証言したとのこと。


「飛行機事故は週末に起こる!?」(2006年4月5日)
航空機事故の発生と週末とはどのような関係にあるのだろうか?2006年第一四半期に起こった飛行機事故のデータを調べると、なんとその大半が週末に起こっているのだ。ジャカルタ発マカッサル行きアダムエアーDHI728便がいつの間にやら東ヌサトゥンガラのタンボラカ空港に緊急着陸したのは、2月11日土曜日のこと。航行システムと通信設備が機能しなくなり、迷走飛行を続けたあと、マカッサルとはまったく方向違いのスンバ島まで行ってしまった。人的被害が出なかったのを好運としなければならないだろう。バタビアエアーが東カリマンタン州バリッパパン空港に着陸してからストップウエーをオーバーランしたのは2月19日、日曜日のできごと。そして3月4日土曜日にはデンパサル発スラバヤ行きライオンエアーIW8987便が、これも着陸後に滑走路から草地に滑り落ちて動けなくなってしまった。それらの大型旅客機事故は幸いなことに人的被害がほとんどなかったが、小型機が墜落して死者を出した事故もある。バンドンのフセイン・サストラヌガラ空港からバリのブレレン空港に向かったセスナ練習機が西ジャワ州スバンの山中に墜落し、二人が死亡、ふたりが重傷を負うという事故が起こったのは2月25日土曜日だ。
航空機事故が起きると忙しくなる行政官僚たちは、週末になると事故が起きるという事実を身をもって体験している。運通省空運総局航空適性許可局長は、休みの日に家へ電話がかかってくると『また事故かな?』と思うそうだ。この現象を分析したことはないが、休日という雰囲気が影響しているのかもしれない、と同局長は語る。交通安全国家コミッションのスティオ・ラハルジョ長官は、週末に事故が起こるメカニズムを次のように推測している。週末に乗客が激増するが、それを捌くために航空会社は週末の便数を多くする。第一四半期は天候不良が多い傾向にある。航空機整備や航空機運行に携わる人たちが集中的な繁忙さの中で疲労する。そのとき天候不良に出会うと、安全航行に対するリスクが高まる。
国内航空会社が加盟している空運協会INACAの事務局長は、週末の便数増加は金曜日と月曜日がピークになる、と状況を物語る。確かにその期間、パイロットの疲労は蓄積されていくようだ。そして休日という雰囲気がパイロットの心理に影響を与えている可能性を、同事務局長も指摘している。


「ユニークな手口の二輪車窃盗団」(2006年4月7日)
駐車券を偽造して駐車場に預けてある二輪車を盗むというユニークな手口で犯行を行っていたグループを西ジャカルタ市警察が摘発した。警察が逮捕したのはザイナル・アビディン別名ブラム36歳。そのとき一味は西ジャカルタ市ジュンバタンブシのミトラ市場地区で犯行におよぼうとしていた。四人の男が駐車場で不審な動きをしているのをそのとき警官が目撃し、調査しようとして現場に近付いていくと、近寄ってくる警官を見てその四人が逃げ出したため警官がその中のひとりに発砲した。大腿部に弾丸を受けて倒れたのが逮捕されたブラムだった。まず空に向けて威嚇射撃を行ったが一味はそれに構わず逃げようとしたので、逃亡を阻むために足に向けて発砲した、とその警官は述べている。ブラムの自供で仲間のルスナディ24歳とタタ29歳がバンテン州パンデグランのマリンピンで逮捕されたが、一味の頭脳だったンダンともうふたり別の仲間は逃走中。ルスナディとタタは盗品ブローカーと故買屋とのこと。この一味は警察に捕まるまで、過去半年の間毎月25台以上の二輪車を盗んでいた。このグループの犯行手口は、ブラムの自供によれば、まずコンピュータ化されていない駐車場に狙いをつけ、そこに預けられている二輪車のロックを合鍵で外すと、偽造の駐車券を渡して出口から公然と出て行くというやり方を取っていた。そのとき仲間のひとりが故意に出口の職員に話し掛け、駐車券を細かく調べないように注意をそらせる役割を行っていた。盗んだ二輪車はルスナディやタタが150万から200万ルピアで買上げ、四人はその金を均等に分配していた。手に入れた金は贅沢三昧をするために使っていたとのこと。


「無責任社会〜コンパス紙への投書から」(2006年4月7日)
拝啓、編集部殿。ジャカルタのプラザスマンギ駐車場は危ないところです。2006年2月18日、わたしはスズキカタナを運転してプラザスマンギへ行きました。駐車場に入ったのは14時16分で、ベースメントB5黄色のエリアに車を止めました。近くに大勢の警備員が群れているのを見たわたしは、そこは安全だろうとそのとき思いました。買い物を済ませて駐車場を出たのは17時58分。地下駐車場は暗く、照明もほとんどなかったので外に出るまでまったく気がつきませんでしたが、わたしの車に何が起こったのかを外に出たあとではじめて知りました。テープ、カセット、ジャケット、現金など、車内にあったものがなくなっていたのです。
わたしはすぐに駐車場管理者であるセキュアパーキングの係員を探しました。事件を訴えたわたしにその係員は関心のない様子で、「ここではもう普通のできごとだよ。」と言うのです。それでわたしは、ショッピングセンターの警備員にクレームしたのですが、警備員も「仕事がいっぱいあって、とても車を一台一台見張り番をするのは不可能だよ。」と言って責任を取ろうとしません。別の警備員も、「ここは盗難事件がしょっちゅう起こっている。」と言います。とりあえず調書を作り、調査した上で明日わたしに連絡をくれるとかれらは約束し、わたしの車の写真撮影までしました。ところがいつまでたっても、プラザスマンギからの連絡はありません。
プラザスマンギへ行くときは警戒するよう、読者のみなさんにお勧めします。今回のような事件は保安システムがまったくないために起こっていることで、誰にでも起こる可能性があります。そしてもっとひどいことに、セキュアパーキングとプラザスマンギの経営者は客がどんな目にあおうと関心を払わないようです。[ 西ジャカルタ市在住、フィクトル・カルタウィグナ ]


「路上は戦場〜コンパス紙への投書から」(2006年4月13日)
拝啓、編集部殿。2006年3月4日土曜日18時30分ごろ、ジャカルタからチカランへ戻る途中のチカンペッ自動車専用道路KM29地点で、何者かが陸橋の上から投石しました。石はエンジンフードに当たって傷をつけただけに終わりましたが、それがフロントガラスに当たっていれば事故になったかもしれません。チカンペッ道路利用者は、KM29地点を通るときに十分警戒されるよう忠告します。
この事件をわたしは、たまたまレストエリアにいた道路管理会社のパトロール職員に届けました。その職員の話では、KM29地点の陸橋からの投石は頻繁に起こっており、それで事故が起こると、投石者はその車を襲って金品を強奪するそうです。警察機動旅団が投石者を捕まえようとしたそうですが、陸橋の上から道路を走る自動車に向けて行われる投石はなくなりません。道路利用者の安全と投石犯罪者の被害を受けないようにするため、道路管理会社はもっと頻繁に投石者の監視を行うようお願いしたいと思います。[ カラワン在住、バンバン ]


「強盗事件発生」(2006年4月14・15日)
ジャカルタアウターリングロード(JORR)ポンドッグデ方面行き車線の一番右側を走っていたアウディが左に車線変更した。その後車はカーブを描きながら道路左端に寄って行き、カンプンランブタン?ゲート近くのフェンスに激突して止まった。車のエンジンフロント部左側がぐしゃぐしゃに潰れ、助手席側の窓ガラス粉砕された。しばらくすると運転席から降りてきた男がひとり、ふらつく足取りでフェンスを乗り越え、JORRの外側を通る道路に出てからそこを横切り、通りかかったタクシーに乗って去った。男の背中は血にまみれているように見えた。4月11日午後2時ごろの出来事。
現場を通りかかったJORR保安ユニット職員が事故状況を調べた。アウディの車内で発見されたのは、胸に2発の銃弾を浴びた男がひとり虫の息で横たわっており、22口径のFN型拳銃が1丁男の近くに転がっていた。車内に残された黒いバッグの中にはレノアジ・トリ・ユディアント27歳名義の国家諜報庁(BIN)発行の身分証明書、同じ名義のA種自動車運転免許証があり、いくつかの銀行が発行したクレジットカードとSTNK(自動車番号証明書)も見つかったがやはり同じ名義になっていた。更に携帯電話がふたつ、ルピア紙幣16万ルピア分、米ドル紙幣2,061ドル分そして500フラン相当のフランスフラン紙幣も車内に遺棄されていた。
警察の調べでは、男の胸に埋まった銃弾はFN拳銃から至近距離で発射されたものと推測されるが、薬莢が車内からは発見されていない。男は東ジャカルタ市パサルボのハラパンブンダ病院に搬送されて治療を受けており、意識不明の状態が続いている。この男は警察の調べで、南ジャカルタのウィジャヤ通りにあるマネーチェンジャーPT Samefil Wijaya 職員のルディであることが判明した。
この日夕方遅い時間に、南ジャカルタ市警察本部に家族に伴われたレノアジ・トリ・ユディアント通称レノが出頭して事件を届けた。レノは自動車販売ブローカーを職業としている。かれが警察に供述した話はこうだ。
レノはウィジャヤ通りにある行きつけのマネーチェンジャーに両替を依頼した。
「1万2千米ドルを買いたい。」金額は1億1千万ルピアで手が打たれた。
「取引は自分の車の中でやりたいから、人を送ってくれ。」こうして両替商従業員で顔見知りのルディがもうひとりの男と一緒にレノの車に入った。レノがはじめて会ったもうひとりの男が1万2千ドルをレノに渡した。レノはその金を一枚一枚数えはじめる。数分後、レノがまだ全部数えきっていないときにその男はレノの手にあった米ドル紙幣を引っ手繰り、レノが持参した1億1千万ルピアも奪って車から逃走した。レノが驚いたのは、その男を追おうとした自分に顔見知りのルディが拳銃を向けたことだ。
『こいつら仕組んでいやがった。』苦虫を噛み潰すレノに、ルディは車を発進させるよう命じた。ウィジャヤ通りを後にして南ジャカルタをうろうろ走り、タンジュンバラッ地区でJORRに入った。アクションシーンが始まったのはそれからしばらくして。
車を高速で走らせていたレノは、突然反撃に移った。ハンドルから両手を離し、ルディの持っている拳銃を奪い取ろうとした。虚を突かれたルディはレノを撃とうとしたがうまくいかず、揉みあいの中でレノが反対にルディを撃つのに成功した。だがそのとき車はフェンスに激突した。しばらく朦朧としたあとレノは現場を離脱して自宅に帰り、家人に付き添われて警察に届け出た。
南ジャカルタ市警はレノが供述した話の中にいくつか辻褄の合わない点があるのを見逃さなかった。取調官がストーリーの弱点を追及して行くと、逃れようがなくなったレノはそれが狂言だったことをついに自供した。借金でビジネスが二進も三進も行かなくなったリノが考え出したのがこの強盗事件だったのだ。
リノは親がよく利用していたウィジャヤ通りのマネーチェンジャーに狙いをつけた。マネーチェンジャー側はレノがなじみ客であることから、かれの言葉を頭から信用して警戒を怠った。ルディが1万2千ドルを持参してレノの車に入ると、レノは即座にルディに銃口を向けて発砲した。胸に銃弾を二発受けたルディは昏倒した。相手が死んだと思ったレノは死体を遺棄する場所を求めて南ジャカルタをさまよい、カンプンランブタン地区まで来た。そのとき思いがけないことが起こった。死んだはずのルディが息を吹き返したのだ。パニくったレノはルディを殴る。ハンドルから手が離れて、車はゲート近くのフェンスに突進して行った。
死体処理に失敗した挙句の狂言強盗事件は、わずか24時間足らずでその全貌が明るみに出された。


「新手口の強盗タクシー」(2006年4月27日)
4月16日夜、これまでタクシーを使った強盗事件に見られなかった新たな手口の犯行がジャカルタで発生した。その手口とはタクシーを運転する者とその乗客を装った二人が路上にいる者を襲ってバッグを強奪するというもので、タクシー乗客が場所を尋ねる振りをして被害者に近付くため、被害者はついうっかりして警戒を怠るという心理の盲点を衝いている。
16日夜、南ジャカルタ市トゥベッの住人フィトリヤニ通称フィトリ20歳は、クラパガディンでの勤めを終えて恋人のスルヤと一緒に東ジャカルタ市ジャティヌガラのパンジャイタン通りにあるタマンフィアドゥッの道路脇にいた。ふたりが選んだ場所は周囲にあまり人のいない、少し寂しい場所。ふたりの目の前にタクシーが一台止まり、後部座席からふたりの男が降りてきた。ひとりがスルヤに話し掛ける。「プルサハバタン病院へはどう行けばいいかね?」しゃがんでいたスルヤが立ち上がり、フィトリも立った。すると突然もうひとりの男がフィトリのハンドバッグを引っ手繰った。奪われまいとしてフィトリは手に力をこめるが、男はフィトリの身体を突き飛ばした。身体のバランスを取ろうとしてフィトリは手を放す。バッグは男の手に移り、ふたりの賊はすぐ近くに待っていたタクシーに駆け込んだ。「強盗だ!」スルヤの絶叫が暗がりの中ではじけ、住民たちが駆け寄って来てタクシーを止めようとしたが、間に合わなかった。フィトリのバッグには現金35万ルピアとATMカードが入っていた。スルヤとフィトリはタクシーのナンバープレートを目に焼き付けた。番号はB2819MK。
それからおよそ30分後、東ジャカルタ市マトラマン通りの道路脇にあるワルンのベンチに座ってコーヒーを飲んでいたウタンカユの住人アグン・シスワント31歳が次の被害者になった。そのときワルンにはアグンの他に店主しかいなかった。そのワルンのすぐそばにタクシーが止まり、運転手を含めた三人が車から降りてきた。三人は座っているアグンに近寄ると、「ちょっと用があるんで顔を貸してくれ。」とアグンに言う。拒むアグン。するとひとりがアグンの襟首をつかんで引っ張った。立ち上がって抵抗するアグンの顔面にパンチが飛び、鼻血が散る。別の男がアグンのバッグをつかむと三人は急いで車に戻り、タクシーは発車した。被害額は現金20万ルピア。ふらつくアグンもタクシーのナンバープレートをしっかり目に焼き付けた。番号はB2819MK。
ふたつの届出を総合したジャティヌガラ警察署は、同一犯人の犯行と断定した。捜査員が急遽、犯行に使われたタクシー会社の車輌ブールに急行する。しかしB2819MKという番号のタクシーはそのタクシー会社の登録リストに記載されていなかった。警察では、タクシーでない車輌をタクシーに偽装したもの、あるいは犯行時だけナンバープレートを取り替えたもののいずれかだろうとして、捜査を続行している。


「ジャカルタの暴力団〜コンパス紙への投書から」(2006年4月28日)
拝啓、編集部殿。2006年3月5日15時ごろ、わたしは妻と5歳の娘といっしょに車の中にいました。そのときわたしはティモール車を運転して南ジャカルタのアンタサリ通りをブラウィジャヤ方面からチランダッに向けて走行中で、娘はそのとき寝ていました。インプレス市場の赤信号で停まっていると、FBR(ブタウィ協議フォーラム)と書かれた黒ベストを着用してシンボル旗をなびかせた二輪四輪のコンボイがやってきたのがわたしの目にとまりました。
わたしの前には黒色カムリがおり、わたしは道路の左車線にいて、右側は空いていました。FBRメンバーのひとりがわたしの車のボディを叩き、少し前に出るよう要求しました。わたしの後ろにはFBRメンバーを満載したブルーのスズキピックアップトラックが続いています。わたしは前のカムリを指差し、カムリを少し前進させるようかれらに言いました。トラックが通り過ぎるとかれらはカムリの鼻先を抑えてから、わたしの車を取り囲んでボディを叩き始めました。かれらはわたしに車から降りるように言うのです。妻が運転席の後ろの窓を下ろすと、5人がわたしと妻を殴ろうとしています。わたしたちは丁重に、車を叩かないようかれらに頼みました。すると突然、中のひとりが木の棒でわたしの車のフロントガラスを強打したので、ガラスの左側にひびが入りました。わたしと妻はかれらに何も言わないようにし、警察に事件を訴えるためにそのままチランダッ警察署に向かいました。
FBRはブタウィ社会を汚す恥さらしです。ブタウィ社会は暴力団と同義語のFBRの存在を本当に望んでいるのでしょうか?[ ジャカルタ在住、アミラント・アディ・ウィボウォ ]


「タクシー強盗は捕まり、強盗タクシーは逃走」(2006年5月1日)
4月24日23時30分ごろ、ムリディン30歳が運転していた車体番号PC038のコンコルドタクシーを、中央ジャカルタ市の農夫の塔ロータリーで二人連れが止めた。ひとりは助手席に、もうひとりは後部座席に乗り込んだ男たちは、ムリディンにトマン地区へ行くよう命じた。車がトマン通りに入ったとき、助手席の男がいきなりナイフをムリディンの腹に突きつけて金を出せと迫った。後ろに座った若い男はムリディンの背中をぐいぐいと押す。ムリディンは車の速度を緩めると、窓をあけて「強盗だ!強盗だ!」と叫んだ。周りを走っていた車が不審を抱いて近寄ってくる。そんな状況にビビリ始めた若い方の男はついにドアを開けて車から飛び降りた。助手席でナイフを突きつけていた男も、仲間が逃げたのに釣られて車から飛び降りた。おりしも車はトマン陸橋の上。近辺にいた男たちが犯罪者をリンチしようとして集まってくる。先に逃げた若い男は脱兎のごとく走り去って姿をくらましたが、逃げ遅れたもうひとりはリンチを恐れて陸橋から飛び降りた。結果は脚を骨折して逃げることができず、群衆に踏みつけにされるという結末。警察に突き出されたこの男はヘルウィン30歳で、普段はトマン市場で荷物運び屋をやっており、かつてはメトロミニの車掌を恐喝したことがある。今回の犯行は逃げた若い方の男ママン17歳の発案だ、とヘルウィンは警察に自供している。今回のタクシー強盗の手口は去る2月19日午前3時ごろにミトラタクシー運転手が襲われた事件と酷似しており、そのときも運転手トゥルス・トビンが二人組みの強盗に抵抗したため、犯人は捕まっている。
一方4月25日18時30分ごろ、南ジャカルタ市クニガンの事務所から帰宅しようとしてブルーのタクシーにひとりで乗った女性が、強盗タクシーの被害者となった。この女性マルセリア・デスティアニ27歳はその日、タングランの自宅へ帰ろうとして車体がブルーの色をしたタクシーに乗った。タクシーはカサブランカ通りに降りてスディルマン通りに向かい、スマンギ立体交差を経てスリピ方面に向かった。スリピで有料自動車道路に入りそのままタングランまで走ってからゲートを出たあと、近くの道端に突然停車した。そのときだ。運転席以外の三つのドアが一斉に開いて男が三人入ってきたのは。マルセリアは左右から入ってきた男にはさまれ、声をたてるな、と威嚇されたので身の危険を感じておとなしくした。タクシーは方向転換するとふたたびジャカルタ目指して走り出した。その間、男たちはマルセリアから金目のものを奪う。携帯電話、装身具、ATMカード、そしてPIN番号。タクシーはジュランバルのマンディリ銀行へ走り、男たちはマルセリアの口座から250万ルピアを引き出すのに成功。その後タクシーは北ジャカルタ市スンテル地区まで走り、夜中23時ごろ寂れた場所でマルセリアを放り出した。警察は捜査を開始したが、強盗タクシー一味はまだ逃走中。


「路上には危険がいっぱい」(2006年5月8日)
2006年4月15日土曜日午前7時ごろ、アリはジャゴラウィ自動車専用道路チビノンゲートから一般道に出た。二つ目の赤信号を超えたあたりで、運転している車の左後方で何かがぶつかったような音がした。左のサイドミラーに見えたのは転んだオートバイの姿。どうやら勝手に転んだようだ。深刻な事態ではないと判断したアリは車を走らせ続けた。ところがしばらくすると、二人乗りオートバイがアリの車を追い上げてきた。運転席の横に並んで走りながら、「ぶつけたぞ。停まれ。」と叫んでいる。アリは無視した。しかし次の信号に近付いたあたりで渋滞に捕まった。二人乗りオートバイは執拗にアリにからんでくる。窓ガラスを叩いて道路端に寄れと命じているが、アリはますます意を固くして突っぱねた。車が流れ出し、アリはまた走り出す。二人乗りオートバイはしつこくアリに停車を命じる。あくまでそれを無視して走り続けたアリはパルン方面への分かれ道を曲がった。二人乗りオートバイは諦めたらしく、もうその姿は消えていた。
目的地に到着して周辺の安全を確認してから、アリは急いで車の左後部を調べた。だがへこみも擦り傷も一切なく、ボディはすべすべの状態。ふっと下を見たとき、ホイルキャップが無くなっていることに気が付いた。アリは結局、ホイルキャップ泥棒の被害にあったのだ。では、ぶつけたと言って追尾してきた二人乗りオートバイはいったい何だったのだろうか?停まったが最後、そのふたりに金を強請り取られただろうことは間違いないにしても、かれらが何を理由に強請ろうとしていたのか、アリはいまだに想像もつかないでいる。


「おそるべし、怒れる子供たち」(2006年5月12日)
5月10日昼過ぎ、西ジャカルタ市ダアンモゴッ通りで路上にいたコンテナトレーラーが燃えた。これは事故でなく純然たる放火事件。
インドネシアでは各都市にサッカーチームがあり、全国選手権大会やら都市対抗戦やらがよく行われる。そして地元チーム応援団がチームと同色のユニフォームをまとって大きな旗を振り、チームを勝たせようと声援する。だが勢い余って、気に入らない審判の判定やら相手チームのプレーやらがあるとグランドに投石したり乱入したりしてゲームをぶち壊すのは、大群集にふくれあがったときのデモ隊と同じ。ゲーム終了後のサッカー競技場周辺がアブナイのも、ごひいきチームがゲームに敗れた腹いせの暴動が時おり発生するからで、応援団同士の暴力衝突は昔からあるサッカー風物詩のひとつだった。
ジャカルタのサッカーチームPersija とメダンのPSMS対抗戦が5月10日、南ジャカルタ市ルバッブルス・スタジアムで開催された。都内でPersija が出場するゲームがあるとJakmania と呼ばれるかれら応援団が都内を示威行進する。行進すると言っても、バスやミクロレッなど公共交通機関をチャーターし、その屋根に大勢が乗って大旗を振りながら路上をわがもの顔に走るのがかれらの示威行進で、屋根の上に乗っているマニアたちがいつ落ちてくるかわからないから、かれらの傍に寄ってはならない。そんなジャックマニアの多くはまだローティーンの子供で、かれらは20代30代の幹事に統率されて示威行動に参加する。
5月10日午前中にタングランのバトゥチェペルに20フッターコンテナを積んで走ったトレーラーは、積荷の樟脳を下ろしたあとで空になったコンテナを北ジャカルタ市チリンチンのデポに戻すため、都内に向かって走っていた。そのトレーラーがダアンモゴッ通りのチュンカレン交差点で信号待ちをしているとき、大勢のジャックマニアがトレーラーにぶら下がってきたではないか。およそ60人ほどのローティーンの子供たちがいきなりフロントバンパーやら、運転席や助手席の横にあるステップやら、コンテナを載せているシャーシの隙間やらに座ったりしがみついたりした。運転者に許可を求めるそぶりなどまったくない。ルバッブルス・スタジアムの近くまでただ乗りしようという寸法だが、運転していたスダルマン27歳はかれらに「だめだ、危ないからやめろ」と何度も注意した。しかし、しらんぷりを決め込む子供、反対に怒りを向けてくる子供などまちまちで、一致しているのは誰一人として降りようとしないこと。
信号が変わったので車の流れが動き出し、スダルマンもトレーラーを発進させた。3百メートルほど走っただろうか、かれは車が何かをひいた感触を得た。ぶら下がっていた子供たちが「停まれ!停まれ!」と叫んでいる。ボディをガンガン叩いている子もいる。子供たちは強い怒りの衝動を向けてきているのだ。身の危険を感じたスダルマンと助手のヤディは車を停めるとすぐにドアを開いて脱兎のごとく逃げ出した。子供たちの一部がふたりを追う。路上は突然大混乱の場と化した。近くにある警官詰所では、何があったのかを最初から目にしていた。むりやりコンテナトレーラーに乗ったジャックマニアの中で、フロントバンパーに座った13歳の子供が落ちたのだ。その子はすぐに車輪の下敷きとなって即死。そして仲間たちの逆恨みが即座にコンテナトレーラーに向けられたとき、警官たちは飛び出して行った。スダルマンとヤディは警官に保護され、警官はふたりをオートバイに乗せるとチュンカレン警察署へと急行した。まごまごしていては、警官も含めて60人のリンチに会わないともかぎらない。しかしジャックマニアの全員がトレーラーを離れて運転手と助手を追いかけていたのではなかった。トレーラーに残った一部の者は、燃料タンクの蓋を取るとその中に火を投じた。路上に停めてあったコンテナトレーラーが燃え上がった。


「バラエティに富む路上の危険」(2006年5月17日)
北ジャカルタ市スンテルに住むリアントは自ら四輪車を運転して出勤している。その日も午前6時半ごろ、かれはクマヨランの滑走路通りを走っていた。かれの右側を追い越したオートバイがかれに向かって叫んだ。「タイヤから火が出てるぞ。後輪が燃えてる。」そう言ってからスピードをあげてそのオートバイは走り去った。
リアントは不安になり、道路の左端に寄って車を停め、後輪を調べるために車から出た。すると別のオートバイがそばに寄ってきてリアントの車の傍に停車し、「さっき左の後輪から火が出てるのが見えた。」と言う。リアントはしゃがみこんで左の後輪をじっくりと調べた。しかし異状はまったく見られない。傍に停車したさっきのオートバイはもう姿を消している。きつねにつままれた思いでリアントはまた運転席に入り、発車させた。するとまた別のオートバイに乗った男が近付いてきて、「さっき近くにいたオートバイの男があんたのバッグを盗んで行ったよ。」と言う。振り返ると、後部座席に置いたリアントのバッグが確かに無くなっていた。その三人目の男は続けてリアントに告げた。「さっきのオートバイは西に向かったよ。」
リアントはアクセルを踏み込み、西に向かう道路に曲がった。しかしその道路はがら空きで一台の車もオートバイも通っていない。これは罠だ。リアントは咄嗟にそう気付いてすぐにUターンすると、さっきの大通りに戻った。夕方になってリアントの電話にSMSが入った。『バッグをあんたの手に戻すのは可能だ』。まさか無料で戻ってくるとも思わないリアントはそのSMSを無視した。
パンク強盗もあれば、当たり屋もおり、そしてリアントが遭遇したような火を噴くタイヤ強盗もいる。いや路上を走っているときだけではない。ガソリンスタンドで給油するため、ガソリンタンクのふたを開けようと運転席から降りたすきに車内に置いたバッグを盗まれるケースもある。生き馬の目を抜くジャカルタ。油断は禁物。


「新手のインターネット賭博」(2006年5月18日)
射幸心の強いひとびとの間で昔から賭博が絶えたためしがない。インドネシアで賭博は昔から禁制だったが、アリ・サディキン都知事の時代に限って都内数ヶ所にカジノがオープンし、競馬、ドッグレース、ハイアライなども加わって一時期賭博大流行時代が訪れたことがある。ただしそれらの賭博事業は特定興行主に限定してライセンスを与え、巨額の税金とロイヤルティを課して都庁収入の向上を図り、道路・橋・ビル建設や河川改修などインフラ整備の資金源にするためのものだった。イスラムは賭博をハラムとしているため宗教勢力から強い反対を浴びたが、同知事は任期中、頑としてその方針を崩さなかった。夜の大人の慰安がカジノだけで事足りるはずもなく、そのころはやはりナイトクラブやスチームバス、マッサージパーラーなども多数がオープンして夜のジャカルタを彩った。そのころはまだモナス広場にあったジャカルタフェアにパチンコ屋までもが開店したが、景品などはつかなかったように記憶している。
アリ・サディキン都知事の時代が終わると、ジャカルタの夜を彩っていた赤い灯青い灯が手のひらを返したように消されてしまい、大勢のひとびとがしばし茫然としてしまった時期がある。ともあれ、アリ・サディキン時代でも興行許可を得ていない賭博は厳禁で、麻雀は賭博とされているから当時駐在員が集まって麻雀していると警官が踏み込んでくるといった事件もあったし、闇のカード賭博やサイコロ賭博が摘発されて新聞ダネになることも頻繁だった。しかしどれだけ規制され、摘発されようとも、賭博が絶えたためしはない。
スタント将軍が国家警察長官に就任したあと、賭博撲滅を宣言した。賭博業者が警察に金を渡して目こぼししてもらうという構図が作り上げられていたが、長官の宣言は警察内部者にも向けられた宣戦布告だったようで、闇カジノや偽装したゲームセンターがどんどん摘発されて行った。偽装ゲームセンターではスピードボール別名ミッキーマウスと呼ばれる機械を使ったゲーム賭博が行われていたが、警察が押収したゲーム機は山のように積み上げられて行った。闇賭博がどれだけ盛んだったかをそこに見ることができる。そんな時期を通り過ぎて次に登場したのがインターネットを使ったバーチャルリアリティの世界におけるスピードボール賭博。www.tangkasnet.com、www.mmtangkas.net、www.royaltangkas.net その他もうふたつほどこの賭博サイトがあり、プレー希望者はメンバーに登録されなければならない。あなたがメンバーになるためには、別のメンバーのリファレンスを必要とする。つまり既にメンバーになっている人のニックネームとパスワードがなければ、あなたはメンバーになれないということだ。メンバー登録には、BCA銀行の口座番号、自分で決めるニックネームそして携帯電話番号を提出する。すると胴元側がその携帯電話にSMSでコンタクトし、ニックネームの承認とパスワードを知らせてくる。もちろん登録時に書いたニックネームが承認されなければ、それを変更しなければ仕方がない。そしてプレーを始めるにあたっては、まず自分の口座から胴元側の口座に送金しなければならない。送金がなされると、プレーヤーと胴元側はチャットで金額を確認し、ポイントがすぐにプレーヤーに与えられる。百万ルピアなら1万ポイント、50万ルピアなら5千ポイント。そしてプレーヤーはゲームを始めるテーブルを選択する。現実に場所を構えて行われていた賭博がバーチャルな場所に引っ越しただけなのだが、賭博そのものが違法行為ならバーチャルであろうと取締まられなければならない。それとも、取締り自身もバーチャルになっているのだろうか?


「強盗事件ふたつ」(2006年5月19日)
東ジャカルタ市警管区で5月17日、白昼わずか二時間半の間に二ヶ所で家宅内に強盗が侵入し、数億ルピアの被害が出た。午前10時ごろ東ジャカルタ市マトラマンのクブンシリ8通りにある北ジャカルタ市庁管理課長の自宅が泥棒に襲われた。そのときこの家の家人は留守で、50歳のプンバントゥが二回で洗濯をしているときに家の表戸の錠が破られた模様。そのプンバントゥは、家の中が泥棒に荒らされていることにまったく気が付かなかったと述べている。事件が判ったのは、近所の別の家のプンバントゥがその家にコーヒー粉を借りに訪れたので洗濯をやめて階下に下りたため。隣人プンバントゥは表戸が開いているので家の中に入っていたが、その家のプンバントゥはかの女がどうやって中に入ったのかに不審を抱いて家の中を調べたところ、普段施錠されている主寝室の扉も破られ、室内のタンスも鍵がかかっていない状態だったために盗賊の侵入を確信したとのこと。警察に届けられた被害は、現金1千5百万ルピアと5千米ドル、黄金棒百グラムと1億5千万ルピア相当のダイヤ装身具や1億ルピア相当の真珠の装身具などで、被害総額は3億5千万ルピアにのぼる。フェンスの表門は施錠されていなかったために破壊されておらず、家宅内への侵入は表戸のロックをこじ開けただけであり、警察ではその家に関係を持つ者の犯行ではないかと見ている。
続いて12時半ごろ、東ジャカルタ市チピナンチュンペダッのクブンナナススラタン通りにある陸軍退役将校の自宅が強盗に襲われた。その家もプンバントゥだけが留守番している状態で、こちらの事件では20歳のプンバントゥが手足を縛られ、口にガムテープを貼られて浴室に閉じ込められた。その家をふたりの男が訪れたとき、プンバントゥが不審を抱かずに玄関の扉を開いたところ、男たちはいきなりプンバントゥを羽交い絞めにして家の中に押し込んだとのこと。そして主寝室を開いてタンスから黄金棒、ダイヤや真珠、ヒスイなどの装身具総額2億ルピア相当を盗んで逃走した。その家の主人はそのときガトッスブロト陸軍中央病院に出かけており、家の玄関がノックされたのをプンバントゥはてっきり主人の帰宅と思い込んで扉を開いた、と語っている。


「マドゥラグループの強盗手口」(2006年5月24日)
北ジャカルタ市警察はマドゥラグループと呼ばれる強盗団のメンバーふたりを逮捕し、残る三人を捜索中。警察の調べによれば、このグループは過去二ヶ月ほどの間に少なくとも5回の強盗事件を起こしており、得た金額は1.3億ルピアにのぼるのではないかと見られている。捕まったひとりはラフマディ40歳で東ジャカルタ市クレンデルのカンプンパブアランにあるガンマドゥラ(Gang Madura)に住んでおり、普段はくず鉄業を営んでいた。ブアラン地区を通るイグスティグラライ(I Gusti Ngurah Rai)通り沿いにはマドゥラ人廃品業者が軒を連ねており、あらゆる物がそこで廉価に手に入る。
このグループの犯行手口は、まず仲間のひとりが銀行から預金を引き出す者の列に並び、大金を引き出す者を見つける。その後4人の仲間にSMSを送ってターゲットの詳細を連絡する。ターゲットがオートバイかオジェッに乗って銀行を離れると、仲間4人は2台のオートバイに乗ってターゲットを追跡し、寂れた場所でターゲットに二輪車を寄せて停車させたあと、力ずくで現金を奪うというのが通常の手口だった。かれらは全員がマドゥラ人で、SMSや犯行時の会話はマドゥラ語の文章や暗号を使っていたためマドゥラグループという名前で有名になったもの。犯行時に抵抗すると容赦なく刃物を振るってターゲットを傷つける残虐な面を持っており、かれらに斬りつけられて怪我をした被害者も数多い。


「押し込み強盗を撃退した正義漢」(2006年5月30日)
東ジャカルタ市チピナンチュンプダッ(Cipinang Cempedak)地区のタナマニサン(Tanah Manisan)通りで飯屋を営んでいるモッ・アリ35歳が29日早朝、不審な男たちと対決した。その朝、アリの息子が路上に挙動不審のオートバイに乗った男ふたりがいるのを見てアリに異状を告げた。その男たちは通りにあるPT Albi Bravo Abadi の事務所の前で何かを待っているようだ。こいつらは押し込みの仲間にちがいない。そう判断したアリは、護身用に手にした大きめの空き瓶をぶら下げてそのふたりに近付いて行った。アリが男たちを誰何し、そうして口喧嘩が始まる。アリはそのうちのひとりが乗っているスズキショーグンのエンジンキーを抜き取った。男たちの怒りが爆発し、ひとりが拳銃を抜くとアリに向けて撃った。三発のすべてが外れた。そして四発目がアリの右胸にめり込んだ。アリは助けを求めて叫びながら現場から遠ざかる。そしておよそ50メートルほど走ったあと、力尽きて崩れ落ちた。手には奪い取ったオートバイのエンジンキーをしっかり握ったまま。
周囲にいた20人くらいの群衆は、銃撃で気勢をそがれた。そのとき、事務所に押し入っていた強盗団の仲間ふたりが、外の騒ぎに気付いて事務所から出てきた。群衆は勢い付く。身構えながら強盗団に迫る者が何人かいる。今度は強盗団がパニックになった。1台のオートバイになんと四人が乗って、慌てて現場から逃走し去った。アリは病院に担ぎ込まれ、身体の腋で止まった弾丸の摘出手術を受けたあと、いまは療養中。事務所から強盗団が盗んだものは現金20万ルピアとテレビのリモコンだけだった。
その事件の少し前、南ジャカルタ市チプタッ(Ciputat)の民家に拳銃と鎌刀で武装した四人組強盗が押し入った。その家の主人は抵抗したが、賊のひとりに頭を斬りつけられて大怪我をした。盗まれたのは携帯電話ふたつと腕時計ふたつ。もっと早い午前1時ごろ、デポッ市チマンギス(Cimanggis)のビリヤード場前で24歳のオジェッ引きが拳銃で射殺された。犯人はがっしりした身体つきの男ひとりで、犯行現場を何人もが目撃しているが男は逃走した。殺人の動機は不明。ブカシでも44歳のオジェッ引きが死体で発見された。普段タンブン(Tambun)市場をショバにしているそのオジェッ引きは、スンベルジャヤ(Sumber Jaya)の空き地で全身刺し傷だらけの死体で発見されている。この事件は目撃者が現れておらず、動機もまだ不明。


「長期間の修理には警戒を」(2006年5月31日)
2005年8月31日、スリヤナは故障したパナソニックミニコンポを西ジャカルタのプリクンバガン(Puri Kembangan)にあるエレクトロニックシティに持ち込んだ。持って行ったのはメインユニット、リモコン、サラウンドスピーカーで、修理には二週間から四週間かかると言われた。相手は修理が終わったら電話で連絡すると約束したが、二ヶ月過ぎても電話はこない。三ヶ月目に入ってから、待ちくたびれた電話がカスタマーセンターから届いた。250万ルピアを支払い、パナソニックのディーラーに出して部品を交換すれば修理は完了するという話だ。スリヤナの口から即座に「ノー」の言葉が出た。高すぎる。エレクトロニックシティのエンジニアが修理するという方向で話がまとまった。その後スリヤナは折に触れてエレクトロニックシティに電話を入れるが、修理はいつ終わるかわからない。今年三月になってエレクトロニックシティに問い質したところ、修理は取り消しになっている、と言う。そしてあのとき修理すると言ってくれたエンジニアは既にエレクトロニックシティをやめていることが明らかになった。おまけに踏んだり蹴ったりがスリヤナを襲った。持ち込んだミニコンポを引き上げようとしてスリヤナの目の前に出されたのはメインユニットだけ。リモコンとサラウンドスピーカーがあるはずだ、と探させたがどうしても出て来ない。前のエンジニアが紛失させたのではないかとの話になって、エレクトロニックシティ側はどうしてもその責任を取ろうとしない。スリヤナは結局泣き寝入りをすることになってしまった。これはあまりにも長期にわたって相手に預けっぱなしにしたことが招いたリスクだが、修理に出した電気製品の費用が高いためにキャンセルすると、中の高価な部品を抜かれることも良く起こる。受け渡しの際に機能チェックができない部分はそのリスクが特に高いので警戒しなければならないだろう。


「女スリにきついお仕置きを」(2006年6月5日)
6月2日昼、東ジャカルタ市ジャティヌガラ(Jatinegara)にあるジャティヌガラトレードセンターでちょっとした騒ぎがあった。大勢の男たちがふたりの女性をかついでトレードセンタービル内を三階とも練り歩いたのだ。ふたりの女性それぞれの胸にはポスター大の紙がぶらさげられている。そこに書かれている文字はこうだ。『わたしはこの市場で泥棒をしました。どうかお見知り置きを』。女性のひとりは北ジャカルタ市クブンカチャン(Kebun Kacang)に住むサリ・アグスティ二36歳で、もうひとりはチピナンムアラ(Cipinang Muara)に住むその叔母のヤンティ46歳。 その日、トレードセンタービル1階で買い物していた女性が叫び声をあげた。ブカシから買い物にきたシティ・ロフマ37歳は自分のバッグがかみそりで切られているのに気付いたのだ。おまけに自分の財布が床の上に転がっている。そして見知らぬ女が屈みこんでその財布を拾っている。その女がサリ・アグスティ二だった。たちまち男たちが集まってきてサリとヤンティを警備員詰所に連行した。詰所で尋問がはじまり、サリが『間違ったことをしてしまった』と罪を認めた。田舎から子供が病気だと言う連絡があったために、子供に会いたい一心で罪を犯してしまったと涙ながらに言う。そしてその犯行は自分ひとりで考えたことであり、叔母には全然関係ないことだ、と語ったが警備員や他のひとびとは信用せず、ふたりとも同罪だとして警察に突き出す前にお仕置きを与えた。警備員はふたりを殴り、手をひもで縛った後はさみとナイフで髪の毛を不様な形に切った。そしてそのあとポスター大の紙を首からつるさせると、大勢がふたりを担ぎ上げてセンタービル内を練り歩いたというストーリー。警備員のひとりは、泥棒が捕まったら同じようなことをするのがそのトレードセンターの習慣になっている、と語っている。


「不屈の追跡行、車内スリ逮捕にお手柄の娘」(2006年6月6日)
あるファーストフード店のキャッシャーを毎日務めているデウィ19歳は6月5日が非番だった。友人宅に遊びに行く約束をしていたかの女は北ジャカルタ市西パドゥマガン(Pademangan)の下宿を出たあと、カンプンムラユ(Kampung Melayu)からブカシ(Bekasi)行きミクロレッ(Mikrolet)に乗った。乗客が一杯になってから、そのミクロレッはやっと動き出す。ジャティヌガラ(Jatinegara)あたりまで来たとき、デウィの向かいに座っている男が小銭を床の上にこぼした。その若い男はそれを拾おうとしゃがむ。乗客の関心は一様にその男の動きに注がれる。デウィの隣に座っている男がデウィの方に身体を押し付けてきた。デウィは乗ってからハンドバッグをしっかりと胸の前に抱えている。ミクロレッに乗るときの常識だ。そして車内はまた平静に戻る。デウィは車が発車した後、運転手に自分が降りる場所を知らせておいた。その場所はまだなのに、隣の男が突然デウィに話しかけてきた。「ねえちゃん、そろそろ降りる場所だよ。」そして運転手に言う。「おい、降りるから車を寄せろ。」デウィは面食らった。自分の降りる場所はもう少し先なのに。でももうあまり遠くもないから、このあたりでもいいわ。デウィは見知らぬ男がしつらえたステップを踏んだ。
ミクロレッから降りて金を払い、友人に電話するためハンドバッグの中から携帯電話を取ろうとしたが、ない!そして携帯電話を入れてあったバッグのポケットが鋭利な刃物で切り裂かれているのをかの女は目にした。{あいつだ!」怒りとともに、さっき隣に座っていた男の顔がデウィの脳裏に浮かんだ。しかしミクロレッはその男を乗せてもうはるかかなたを走っている。デウィは傍を通りかかったオートバイの男を止めた。「ねえ、お願い。助けて欲しいの。」男はふたつ返事でデウィに応じる。デウィを後ろに乗せて、オートバイは疾駆した。カリマラン(Kalimalang)方面に向かっているはずのミクロレッを追っていたデウィの目が、まだ記憶に生々しいスリ男の顔を道端に発見した。隣に座っていた男と車内で小銭をこぼした男が一緒に歩いている。デウィはオートバイから降りるとそのふたりに駆け寄って行った。携帯電話を手にしていた男が走って来るデウィを見つけ、手にした電話機を仲間の手に渡す。しかしデウィはその男たちの手から携帯電話を引っ手繰った。
「おい、ねえちゃん。何するんだ。それはあんたのものじゃねえよ。」デウィは電話器をオンにするが、SIMカードは抜き取られている。テレフォンブックのメモリーを呼び出してみたが、データはすべて消されている。「ほら、な。こりゃあんたのじゃねえんだよ。さあこっちへ返してくれ。」そんな言葉に耳も貸さず、さまざまなメモリーをチェックしていたデウィのこわばった顔がほころんだ。スクリーンセーバーに入れてあったデウィの顔写真がそこに浮かび上がっている。最近の若者たちは臆せずにとても高価な高級フィーチャー付き電話機を買っているが、それが幸いしたようだ。ふたりの男は咄嗟にデウィに背を向けると、やってきたミクロレッに飛び乗った。それを捨て置くデウィではない。「マリン(maling=泥棒)!マリン!」ミクロレッを指差しながら叫ぶデウィの声に、あたりにいた男たちが動いた。ミクロレッが止められる。ふたりのスリはミクロレッから飛び出したところを群衆に捕まった。お定まりのリンチシーンが展開される。最近は石油をかけて焼き殺すスタイルが減っており、せいぜいサンドバッグ代わりに殴られて膨れ上がったあとで警察に突き出されるスタイルが一般的だ。ジャティヌガラ警察署でスリ役の36歳の男は、ジャカルタに来てまだ二日目だがダチに誘われて食うためにやった、と自供している。そのダチの男27歳は、床に小銭をこぼしたり反吐を吐くふりをして被害者の注意をそらす役割を何度も行っているとのこと。


「壮絶!タングラン自動車道でカーチェイス」(2006年6月15日)
6月14日、パーム油を積んだタンクローリーがランプン(Lampung)からチレボン(Cirebon)に向かって出発した。このタンクローリーはスンダ海峡を渡るとムラッ(Merak)〜ジャカルタ自動車道を抜けて都内内環状からチカンペッ(Cikampek)自動車道に入り、チカンペッターミナルゲートを出たあと一般道をチレボンに向かおうとした。そのとき、ランプンを走っているときに乗せてくれと言って乗り込んできたふたりの男が運転手と助手を脅してそのタンクローリーを乗っ取ったのだ。運転手と助手は縛り上げられ、乗っ取り犯のひとりがハンドルを握るとふたたびチカンペッ自動車道へとUターンする。タンクローリーは来たルートを逆戻りしてムラッへと向かった。後ろには乗っ取り犯の一味と思われる男二人が乗った別の車が伴走している。
チカンペッ自動車道を巡行していた警察のハイウエーパトロールが不審なタンクローリーの尾行を始めた。タンクローリーは都内を抜けてタングラン方面に向かう。ムラッ〜ジャカルタ自動車道チクパ(Cikupa)地区で縛られたふたりの男がタンクローリーから下ろされた。パトカーがサイレンを鳴らして追跡を始めるが、タンクローリーを運転している男の技術はなかなかのもの。パトカーが仲間を呼ぶ。進路を阻もうとして他のパトカーが路上を塞いだが突進してきたタンクローリーに跳ね飛ばされて側溝に激突し、車は大破して乗っていた警官は重傷を負う。映画ではおなじみのカーチェイスシーンがムラッ〜ジャカルタ自動車道で展開された。追跡中のパトカーから何度か銃撃が行われたが、そんな状況で当たるものではない。セラン(Serang)ゲートを突き抜けて一般道に出たタンクローリーはついに逃げおおすことができず、二輪車をハネたあと民家の塀に衝突して止まった。運転席から飛び降りて逃げようとするその男を警官の銃撃が見舞った。腿と脚に弾丸をくらった乗っ取り犯ふたりはこうして御用。警察は伴走していた別の車のふたりを追跡している。


「強盗タクシーが誕生日プレゼント?」(2006年6月16日)
南ジャカルタ市クニガン(Kuningan)地区のムナラカディン(Menara Kadin)ビルに入居している会社に勤めるヌルマワティ26歳が14日夜、強盗タクシーの被害者となった。その日はヌルマワティの26回目の誕生日にあたり、かの女はパーティを祝ってもらうために会社から近いホテルシャングリラへ行くことになっていた。
終業後ヌルマワティは会社の前からひとりでブルーの色のタクシーに乗った。そのタクシーはドゥクアタス(Dukuh Atas)経由でホテルに向かう。ところがドゥクアタスのトンネルで運転手が車を止めた。「タイヤの空気が抜けた。」そう言いながら運転手は車の外へ出る。何の不審も抱かなかったヌルマワティは、突然自分が座っている後部座席の両扉が開いて両側から男がひとりずつ入ってきたのに、心臓が飛び出るほど驚いた。男のひとりが刃物を突きつけて金目のものを出すよう要求する。かの女はしかたなくルピア現金と百米ドル紙幣を3枚、そして携帯電話をふたつ差し出した。携帯電話のひとつがノキア9300なのを見て、賊はにんまり。しかしそれだけで満足するような強盗ではなかった。腕時計をはずせ、ATMカードを出せ、と要求が続く。賊の手がヌルマワティと一緒にハンドバッグの中をかき回す。BCAとプルマタ銀行のATMカードが賊の手に渡った。すると、PINを教えろ、と来る。ころあい良しと見たか、もうひとりの賊が自分の携帯電話から仲間に連絡した。運転手がまたハンドルを握ってタクシーを発進させた。車はスディルマン(Sudirman)通りに合流する。ランドマーク(Landmark)ビル前の道路脇に立っていた男に向かって、賊のひとりが手にしていたATMカードを投げた。タクシーはそこを去ると、市内をうろうろ走り続ける。クマヨラン(Kemayoran)地区まで来て、ジャカルタフェア会場周辺の空き地にタクシーが止まった。賊はヌルマワティに「ここで降りろ。」と言う。降りたヌルマワティに賊のひとりが「これで家まで帰りな。」と言って11万ルピアを渡した。ボディに書かれた車体番号を上からガムテープを貼って隠したそのブルーのタクシーは、人気のないクマヨランの闇の中へとその姿を消した。
中央ジャカルタ市プンジュルニハン(Penjernihan)通りのベンヒル(Benhil)第二アパートにある自宅に帰ったヌルマワティは母親や親族に伴われて警察に届け出た。自宅に戻ったかの女は情報を求める新聞記者に対して、強盗一味に自分の住所が知られているので細かい説明をすると後の仕返しが怖い、と語って詳細を話すのを避けている。


「強盗団の心理作戦勝ち」(2006年6月21日)
6月19日白昼、ブカシ市ポンドッグデ(Pondok Gede)のジャティワリギン(Jati Waringin)に住むネルソン・シホタン宅に四人組強盗団が侵入し、金庫を運び出して逃走した。その家のプンバントゥの証言によれば、その四人組は家の主人に命じられて修理にやってきた作業者のふりをしたとのこと。プンバントゥがかれらに門を開けようとしなかったため、四人のうちのひとりは携帯電話を出して家の主人に電話する芝居までしたようだが、しかしプンバントゥがそれでもすぐに門を開けないために四人は塀の外で待っていた。するとそんな風に扱っているのを悪いと思ったのか、およそ30分くらいしてプンバントゥは主人に確かめることもせずに結局かれらに門を開いた。四人は敷地内に入ると急いで家屋の中まで入り、一人を応接に残して三人は主人の部屋に入る。そのとき、その家はまだ十代のプンバントゥふたりだけが留守番をしており、家人はみんな仕事や外出でひとりも家にいなかった。
強盗団はプンバントゥに飲み水を所望し、その後でやおらふたりにナイフを突きつけて、騒ぐと生命がない、と脅かした。そしてプンバントゥふたりを別の部屋に入れて外から鍵をかけ、ネルソンの部屋から金庫を運び出して逃走した。金庫の中には米ドル紙幣3千5百ドルとシンガポールドル紙幣5千ドル、黄金製装身具100グラム、土地証書、自動車所有証書、その他の証書類が入っていた。ブカシ警察ポンドッグデ署はその四人組を追っている。


「麻薬が子供に拡大」(2006年6月22日)
インドネシアの麻薬使用者は増加の一途をたどっている。しばらく前に国家麻薬庁が公表した2005年度の状況を見ると、麻薬に関連する違法事件は12,256件が摘発され、16,702人が容疑者指名を受けた。ところが2006年度の最初の三ヶ月で、警察は4,140件を摘発し、8,005人を容疑者指名している。二年前の全国調査では、麻薬中毒者の増加と麻薬使用者の若年化傾向が目立っており、子供の麻薬使用が目立って増えている。
2005年に国家麻薬庁はイ_ア大学調査機関の協力を得て全国16州の16都市と7ヶ村でのサーベイを行った。調査対象は4,355世帯20,303人で性別は男47%女53%。その調査から明らかになったのは、麻薬使用者は概して10歳から19歳までの間にその使用を開始し、20歳から29歳の年代が最大の使用者ブラケットで、使用者は都市部より農村部に多く、下宿での使用が13%と最大で家庭では2.4%しかなく、また使用者が学生を中心としているために高学歴者の方が低学歴者よりはるかに多いといった内容。2004年の別の調査では、7歳から18歳という年代の麻薬使用者が30%という油断できない数値に膨れ上がっている。また2005年のジャボデタベッ(Jabodetabek)地区麻薬常用者5百人対象の別の調査では、その50%が9歳から15歳までの間に麻薬を始めている。9歳ごろから薬に親しみはじめた子供の多くは最初睡眠薬からこの世界に入り、そうでなければ大麻が入門に使われている。理由は極楽、カッコ、人まねなどだが、その使用と裏表の販売という要素も見逃すことはできず、麻薬の売人になれば楽をして巨額の金を手にすることができるため、多くの人間をこの世界に誘う別の魅力になっている。エクスタシーのコストは一錠2万5千ルピアだが、市場相場は15万ルピアだ。どれほどの巨利がこのビジネスから生まれているかが想像できる。
2004年の統計はインドネシアの麻薬使用者は326万人で総人口の1.5%だった。そしてかれらが形成する麻薬市場は23.6兆ルピアにのぼった。市場規模の推定には、試用者の年間麻薬購入支出が6万8千ルピア、常用者150万ルピア、中毒者780万ルピアという試算が算出根拠として使われた。麻薬マーケット自体は20兆ルピアの規模を持ち、そして麻薬使用者が犯す犯罪行為は4.2兆ルピアもの社会損失をもたらしている。
国連薬物犯罪事務所は麻薬使用者の若年化傾向について、いくつかの推進要素を指摘している。教育が低レベルであったり自分自身の内面に植え付けられた倫理ファクターが低いために麻薬への興味を抑制できないという個人的ファクター。麻薬が交友関係の中でいつでも手に入り使用できるようになっており、仲間からの誘いかけが頻繁に行われるという環境ファクター。法規では医者の処方箋が必要とされている睡眠薬が近所の小規模売店でいつでも手に入るというイ_アの状況も煽動要因のひとつだ。麻薬使用者の88%は大麻を定常的に使っており、36%は注射器を使う麻薬摂取も行っている。そして注射器を使った麻薬摂取から罹患したAIDS患者は総罹患者数の51%にのぼっている。家庭、学校、キャンパスなどはAIDSリスクの啓蒙振興にほとんど何の働きもしていないことも明らかになっている。そしてその家庭、学校、キャンパスが麻薬使用者にとってもっとも安全なパラダイスなのだ。
そのような国内市場の巨大化と同時に、インドネシアはいまや世界に有数な違法薬品輸出国として名前をあげている。各国の警察がインドネシア国家警察に続々と麻薬シンジケートに関する捜査協力を申し込んできているのがその証拠だ。かつてはただの輸入国でしかなかったイ_アが生産拠点に変質していったのは、海賊版メディア生産にせよ、違法薬品生産にせよ、かれら犯罪者にとってイ_アは生産活動がやりやすい国であるからにちがいない。一般産業界の状況と比較して、これはきわめて興味深い現象であるように思われる。


「自動車盗難百八手」(2006年7月4日)
国家警察本部犯罪捜査庁のデータによれば、2003年の四輪二輪自動車盗難件数は22,036件、2004年は20,765件で、2005年は45,316件、2006年1〜4月は8,695件という結果になっている。マクブル・パドマヌガラ同庁長官はこの現象について、「たくさん売るからたくさん買う。そのため盗みもますます盛んになる。しかしどうしてあれほど簡単に盗まれるのか。メーカーはもう少し盗まれにくい工夫を、特に二輪車に対して、もっと行っても良いのではないか?」と語っている。
二輪車盗難の手口はさまざまに変化してきた。盗む側の工夫と盗まれる側の工夫の追いかけっこが展開されたわけだが、どうも盗む側の方が上を行っている雰囲気がある。1998年には運転者に催眠術をかけて盗むという手口が広がった。被害者の話しでは、背中を三回叩かれた後意識が朦朧とし、5〜10分後に気が付いたら自分が乗っていたオートバイがなくなっていたという話しが多い。そして催眠術にかからないような意識を持つことが社会的に求められた結果、催眠術による被害が減少した。すると今度は、駐車してあった二輪車が消えてなくなるという盗難が増加した。賊たちはT字キーと呼ばれるものでエンジンキーの穴を壊し、無理やりエンジンをオンにする手口に切り替えたのだ。そのため二輪車オーナーたちはブレーキ板の穴に南京錠をかけ、あるいはギアーと鎖でつなぐといった防衛策に出た。すると賊はハンマーで南京錠を壊し、あるいは鉄切りはさみで鎖を切った。するとオーナーはU字型ロックで車輪をしばったが、鉄切りはさみの敵ではなかった。アラームメーカーがそこに市場を見出して、四輪用二輪用のアラーム設備を売り出した。すると賊はアラームのコードを切る。二輪車メーカーはエンジンキーを円筒形のものに変えて付加価値をつけたが、賊は小型ドリルで穴をあける。盗みを確実に防止できる方法が見つからないまま、市民は盗人との攻防戦に疲れ果ててしまった。
もうひとつ盛んに行われてきた手口は、パンク強盗と呼ばれるもの。これはイ_ア語でranjau pakuと称されている。ranjau とは忍者が地面に撒く鉄ビシのことで、イ_アでは戦争や狩猟に使われてきた歴史を持つ。時代が下って爆薬を地中に埋める地雷も指すようになったが、バンク強盗に使われているのは古代ながらの鉄ビシと理解すればよい。この鉄ビシは傘の骨を曲げて座りを良くし、上に突き出た端を鋭くカットしてあるもので、これがタイヤに刺されば、チューブレスであろうとせいぜい百メートルほど走る間にペチャンコになる。この鉄ビシ攻撃を行う賊はさらにカモフラージュをしかけ、鉄ビシをタバコやマッチの空き箱に潜ませて路上に放り出すので、いくら眼の良い運転手でも用心を怠れば賊の手中に落ちる。鉄ビシ攻撃は四輪と二輪の双方に有効だが、四輪が掛かった場合は車内のアタッシュやバッグあるいはラップトップなどがターゲットとなる。では二輪が掛かったら何をターゲットにするのだろうか?奪われるのはオートバイ本体なのだ。都内スマンギ立体交差下の低速車専用脇道や東ジャカルタ市警ドレンサウィッ署近辺では二輪車をターゲットにしたバンク強盗が仕事をしている。かれらは2人から5人程度のグループで小型ボックストラックを近くに置き、掛かった二輪車を強奪するとボックストラックの中に担ぎこんで逃走する。
アントン・バフルル・アラム国家警察本部広報副部長は、経済ファクターがその状況を煽っている、と言う。「自動車盗難の増加は盗難車に対する需給ファクターと無縁ではない。盗難車は合法的な新車・中古車よりもっと安い価格で売られる。盗難車には公的書類がついていないが、それでも需要が高い。特に地方部で盗難二輪車はあっという間に売り捌かれる。買い手の多くはオートバイオジェッで生計の資を稼ぐために買うケースが多い。」そう説明する広報副部長の言葉は、不法行為が当たり前のように行われている実態をほのめかすものでもある。
盗難二輪車の行き先はもうひとつある。完成車をばらして部品を売り捌くキャニバル行為だ。盗品をもっぱら扱う部品市場があちらこちらに誕生して隆盛をきわめたが、警察の手はそこまで届かない。これまで警察が捕らえてきたのは盗みの実行犯でしかなく、かれらはほんのわずかな金のために盗みや強奪を行っている。盗難車流通ルートの中で大儲けしているのは故買屋の方だ。そして故買屋や不法に公的書類を作成する交通警察悪徳分子はまだぬくぬくとそのビジネスにいそしんでいる。


「ボゴール植物園で子供が事故死」(2006年7月6日)
ジュアンダ通りの表門からボゴール植物園に入り、およそ2百メートルほど進むと芝がきれいに刈りこまれた斜面が眼前に開ける。その丘の上には建物があり、カフェ・デダウナンという看板が見える。大人8人と小学生以下の子供17人のグループが歓声を発しながら丘を登った。子供たちの学校休みを利用して、故キヤイハジ・イリヤスの親族大ファミリーが親睦ピクニックのためにジャボタベッ一円からボゴール植物園に集まってきたのだ。7月4日午前11時半ごろ、かれらはカフェ・デダウナン手前斜面の左側芝生の上にござを敷いてお弁当タイムにしようとした。しかし快晴の日射を受けては楽しい食事も楽しめるものではない。みんなは日陰を探した。カフェ建物の左脇の空き地にカポックの巨木がある。差し渡し1メートル半以上はあろうかという太い幹にはたくさんの枝が豊かに葉を茂らせ、カポックの実がはじけて白い綿毛が散っている。かれらはその緑陰に向かった。そこにござを敷きなおし、持ってきた食べ物を出して楽しいピクニックのランチが始まった。ところが人間の運命はわからないものだ。誰に命じられるでもなくわざわざそこに移ったかれらの中のだれがそんな災難を予想しただろうか。お弁当を食べている一群のひとびとの頭上に、大きな枝が一本降ってきたのである。直径40センチ、全長およそ10メートルほどのその枝は、自らの重みで折れた。グループの中にいた10歳の少女は、メキッ、メキッという割合大きな音に気が付き、上を見上げたときには枝が落下し始めていた、と述べている。かの女は慌てて駆け出し、そこから遠ざかったために難を免れた。枝に頭を強打された8歳の少女ひとりは多量の出血で生命を失った。他にも11人が重軽傷を負ったがそのうち10人は子供たちだった。
一行は食事のあと子供たちを主体にゲームで楽しみ、他の親族たちが集まったところで開花し始めたブンガバンカイを見に行く予定だったとのこと。楽しい行楽が一転して惨事に変わったこの事故についてボゴール植物園側は、入園者には保険がかけられているので、ボゴール市内の病院に運ばれて治療を受けている怪我人の治療費と死亡した子供に関する措置の費用は植物園側が責任を持つ、と表明している。突然枝が折れたカポックの木は樹齢80年から100年のもの。


「プラザスナヤン駐車場で車上荒らし」(2006年7月7日)
2006年6月13日付コンパス紙への投書"Rawan, Parkir di Plaza Senayan"から
拝啓、編集部殿。2006年5月26日、わたしは家族連れで南ジャカルタのプラザスナヤンを訪れました。夜8時ごろ買い物を終えて駐車場に向かったわたしたちは、車の助手席の窓ガラスが割られてバッグが盗まれているのを見つけました。現金や品物、重要な証明書などが入っていたのです。いつもは駐車ブロックごとに担当者がいてやってきた車の番号をメモし、いつもそこにスタンバイしているのですが、わたしたちが帰ろうとしていたそのときはセキュアパーキングの担当者の姿がありませんでした。
ジャカルタの最も華麗なショッピングセンターのひとつで、買い物する消費者の安全と快適さを優先しているプラザスナヤンと『駐車する車の安全を保証する』ことを意味しているセキュアパーキングがその名称に応じた機能を果たすことができない事実をわたしは想像もできませんでした。一時間2千ルピアの料金に一日の利用車台数をかければ、駐車場利用車からどれだけ巨額の金を毎日手に入れているか想像がつこうというものです。ほとんどすべてのプラザやオフィスビルで独占駐車事業を行っているセキュアパーキングは、その巨大な収入からほんのわずかを被害を受けた車の持ち主に弁償できないことはないはずです。ところが被害を届け出た顧客にセキュアパーキングは何をしてくれるのでしょうか?かれらは常に、駐車券の裏に印刷された無敵のおまじない文句の陰に隠れるだけなのです。「損壊や紛失は当方の責任外です」わたしの問題についてはどうなのでしょうか?[ ジャカルタ在住、エディ・スラディ ]


「13歳の少女を9人が・・・」(2006年7月14日)
タングラン(Tangerang)県パムラン(Pamulang)郡ポンドッチャベ(Pondok Cabe)の自宅に近い畑跡地で、13歳の少女が9人の若者たちにレープされた。19歳から26歳のその若者たちは言わば村の若衆組みで、これまでも支配者気取りで村人を抑圧してきており、かれらにレープされた娘は今回の少女がはじめてではない。ところが村の若衆組みの中に兄弟が軍人になっている者がおり、後難を恐れる村人たちは誰一人としてかれらが繰り返してきた悪行を官憲に訴えた者がいない。今回表沙汰になったこの事件は、言ってみれば家族愛が燃え上がらせた勇気のたまものにちがいない。
7月8日21時ごろ、ルキは友人のラニを誘って家から少し離れたワルンに揚げ豆腐を買いに行った。ところがワルンはもう閉まっており、ふたりはすぐ家に戻ることにした。その帰途、倒産したワルテルの近くでふたりは若衆組みのひとりMと出会い、Mはルキに「ちょっとおしゃべりして行かないか?」と誘ったためにラニはひとりで先に帰った。ルキは前からMとは顔なじみだったが、ラニが去るとMはルキをワルテルの裏に誘った。ルキは嫌がったがMは無理強いして暗いワルテルの裏にルキを連れて行き、そのあと若衆組が9人も続々とその場所に集まってきてルキの口に布切れを押し込んだためにルキは観念した。
夜遅くなって、ふらつく足取りで帰宅したルキの姿に両親は驚愕し、母親は大きいショックを受けた。父親は股間から出血している娘を連れてすぐにパムラン警察署に事件を届出た。警察医によるルキの診断結果でレープ行為が行われたことが確認されたため、警察は9人のうち7人を7月12日までに逮捕した。9人中のひとりはその母親がルキの母親と親しく、先方から2百万ルピアで示談にしてくれないかと言ってきたが拒否したとルキの母親は語っている。まだ中学二年生のルキは今回の事件で受けた精神的傷害を癒すためにジャカルタの親戚の家にしばらく預けられることになっている。ジャムゥ販売を職業にしている父親は娘に高学歴を持たせることで一家の経済状況が向上するのを夢見ていたが、突然襲ってきたこの災難で娘の学業が挫折するかも知れず、これまで育んできた夢の崩壊に直面している。また娘を村から遠ざけるのは仲間を逮捕された若衆組みの他のメンバーからの仕返しを懸念してのものでもあり、同じことはルキの両親にも言えることだが、ルキの父母はまだ村を離れる考えを持っていない。


「荷降ろしクーリーが1億ルピアをせしめる」(2006年7月25日)
西ジャカルタ市警は犯罪行為を行っていた40人のごろつきを逮捕した。中でも目立って多かったのは、住宅地で荷降ろしクーリーを名目にして金を脅し取っていた行為。これは工事業者や家のオーナーに対して、運ばれてきた建築資材や家具をトラックから降ろす力仕事を自分たち以外の誰にもさせるなと命じ、更に物が運ばれてくると荷降ろし作業を実際に行うがそのあと2百万から1千5百万ルピアまでの法外な謝礼を要求するという手口で金を搾り取っていたもの。暴力を背景に相手を抑圧して言うことを聞かせるというかれらの被害を蒙った、と西ジャカルタ市クブンジュルッ(Kebun Jeruk)のインテルコン(Intercon)住宅地にある10軒の住民が警察に届け出ていた。40人のごろつきは大物から雑魚まで雑多入り混じっており、行為の内容としては(1)住宅地の荷降ろしクーリー(2)空き地保全用心棒(3)デットコレクター(4)公共運送機関就業者へのたかり、の四種に区分される。その中の荷降ろしクーリー業を行っていたグループの首領各42歳の男は荷降ろしをする品物毎に料金が記された価格表を持っており、「オレらはここに書かれた料金を請求してるだけだが、向こうが金をくれると言うもんでもらってるだけよ。」と嘯いている。警察はかれらが既に1億ルピア以上の金を集めたものと見て余罪を追究している。


「都内中心部で昼日中に銃撃戦」(2006年7月27日)
7月25日15時半ごろ、中央ジャカルタ市クブンシリ通りにあるダナモン銀行前で強盗団と警察との間に銃撃戦が展開された。強盗団はトヨタビオスとトヨタアバンザの二台に分乗していたが、現場に急行した10人の警察官との間で銃撃戦となり、賊のひとりは胸と腹を撃たれて死亡、他の4人は足を撃たれて逃げられずに逮捕された。もうふたりはトヨタビオスに乗って逃走しており、警察が行方を追っている。
この強盗団はダナモン銀行を襲ったのでなく、かれらが企んだのは、外貨両替を餌にして被害者をおびき出し会合場所への途上で持ってきた金を強奪しようとしたもので、この手口はこれまであまり例がない。被害者35歳はこの一味から電話で米ドルへの大変有利な両替オファーを受けた。相場よりも15%も得をするという内容で、被害者は取引場所に指定されたフランボヤンホテルに向かう前にBCA銀行カランアニャル店に立ち寄って13億ルピアの現金を引き出した。だが被害者は強盗団が尾行していることに気が付かない。一方被害者は大金を引き出したあとで不安を感じ始めた。米ドル紙幣と交換したはいいが、それが偽札でないとどうやって判断できるだろうか?かれは首都警察に携帯電話で連絡を取った。暴力犯罪ユニット本部からただちにクブンシリ通り周辺で勤務に就いているふたつのチームに指令が飛んだ。
ダナモン銀行近くで、被害者が運転していた車に二台の乗用車が接近してきて進行を阻んだ。ダナモン銀行前で停車すると車から数人の男たちが降りてきて、ひとりが手にした拳銃を被害者に向けて発砲した。被害者は運良くその銃火から免れた。少し離れて被害者を追尾していた警察車がその中に突っ込むと、拳銃を持っている男に警告する。男は銃口を警官に向けて発砲した。すかさず警官たちも応戦する。そして銃撃戦は短時間に終了した。あとは逃げようとする4人の足をめがけて銃弾をお見舞いするだけ。足を撃たれて逮捕された4人は警察病院に運ばれて治療を受けているが、その中にパトリックと名乗るカメルーン人が混じっている。


「アルゴアングレッ車内で盗難」(2006年7月28日)
ジャカルタでの会議が終わったのでイルマはスラバヤへ帰るためにガンビル駅から特急列車アルゴアングレッに乗った。そのとき、飛行機に乗れない状況だったために、かの女はあえて夜行列車を選んだのだ。2006年6月12日21時15分に列車はガンビル駅を発した。イルマが座ったのは2号車の座席番号6D。手荷物は衣服を入れたトラベルバッグがひとつとラップトップやさまざまな小物を入れたバッグがひとつ。衣服のバッグは座席上の棚に置き、もうひとつは座席の脇で壁にくっつけ、紐は腿の下に敷いた。それが盗難に対処するためにかの女が考えた対策だったのは言うまでもない。ところがそんな努力も水泡に帰したのである。
座席に座って列車が動き出すと、イルマは深い深い眠りに落ちた。後で思い起こせばまるで催眠術にかけられたみたい、とかの女は述懐している。そしてスブの礼拝のために午前4時半にセットしておいた目覚まし時計が彼女を起こすまで、完全な白河夜船だった。列車はチュプ駅でかなり長時間停車した。礼拝を終えて朝5時ごろ白粉を出そうとしたイルマは自分のバッグからラップトップが消えているのに気付いた。しかし二つのバッグはどう見てもガンビル駅で置いたままの状態だ。そして奇妙なことに、財布、デジカメ、CDMA携帯電話はそのままの状態でバッグの中から出てきたし、ラップトップと一緒にしまったパンフレットやニュースレターなどもまったく乱れがない。まるで千里眼のようにラップトップがどこにあるのかを見透し、バッグを開きもしないでそれを抜き出した手品のようなこの泥棒にイルマは驚嘆を禁じえなかった。その一方でイルマの理性は、きっと長い時間をかけてこの泥棒は仕事をしたに違いないという推論を語ってもいた。
アルゴアングレッでラップトップが消える事件をイルマが知らなかったわけではない。およそ一年程前、友人とふたりでアルゴアングレッに乗ったとき、ラップトップを持っている友人に向かってほかの乗客が、「エグゼキュティブ車輌内でラップトップの盗難が多いから気をつけるように」と注意したのをかの女は覚えている。ジャカルタ〜スラバヤ間長距離列車の中で料金がもっとも高く、飛行機代ともそれほど違わないこの列車にラップトップを持ってひとりで乗ったのは間違いだった、とイルマは悔やんでいる。


「ヘロ駐車場での車上荒らし」(2006年8月1日)
2006年6月20日付コンパス紙への投書"Parkir Hero Gatot Subroto"から
拝啓、編集部殿。5月26日金曜日17時ごろ、わたしはジャカルタのガトッ・スブロト(Gatot Subroto)通りにあるヘロ(Hero)本店を訪れました。警備員による車のセキュリティチェックのあと、わたしは地下駐車場の出口上り坂の列に車を留めました。そのとき駐車場は混雑しており、セキュアパーキング従業員も大勢駐車場にいました。19時ごろわたしが車に戻ると、助手席側の窓ガラスが割られてカバンが二つ無くなっていました。それらのカバンをわたしはクッションで隠して目立たないようにしてあったというのに。そのひとつにはラップトップコンピュータ、もうひとつにはわたしのアイデンティティ書類が入っていました。わたしはすぐにヘロの警備員にこの事件を届け出ましたが、最初の反応は8人くらいがぞろぞろと集まってわたしの車の様子を見るだけであり、セキュアパーキングを非難する言葉を吐くばかりなのです。被害者への同情などまったく感じられず、届出のためにトゥベッ(Tebet)警察署へ案内しようと奨めることしかしません。かれらは、盗難の責任は百%運転者/自動車オーナーにあるということだけを主張し、おまけにヘロの駐車場からわたしと一緒に行った者がいるのではないか、と疑う始末です。ヘロ経営者にこの問題を届け出たいと言うと、警備チーフははじめて既に帰宅した建物管理責任者に連絡を取るありさまです。ヘロスーパーマーケット本店でこんなことが起こるなどわたしにはまるで信じられません。なぜなら駐車場は決して広くなく、警備員も駐車場従業員もたくさんいるのですから。
車の窓ガラスを壊さないで盗難が行われたのならかれらの反応はまだ理解できますが、助手席の窓ガラスを粉々に割った上での盗難です。その仕事をするのに5分以上は時間がかかったでしょうし、アラームの音だって聞こえたはずですから。[ 東ジャカルタ在住、ボイク ]


「デポッでメーター盗難と再取り付け強要が多発」(2006年8月7日)
デポッで頻発している水道メーター遮蔽器盗難とその後の再取り付け強要事件に関連してボゴール市水道会社Tirta Kahuripan が、この問題の調査が終わるまで消費者は急いでメーター遮蔽器再取り付けを行う必要はない、と表明した。ここ二週間ほどデポッ?のナショナル住宅地区でこの問題が脚光を浴びている。被害者の中にはメーターも遮蔽器と一緒に消え失せたと語る住民もいる。別の空家になっている家でも、家屋の外に置かれている水道メーターと遮蔽器が無くなっているし、近隣の住民も同じ被害を受けているとその住民は述べている。他の住民のひとりは、これは水道会社が行っている策謀で、メーターや遮蔽器を盗んでおいてその再取り付けを強要し、新しい器具を売りつけるほかに取り付け料を住民から搾り取るのが目的だ、と推測している。水道会社職員がやってきて、取り付け料として20万ルピアを支払うよう要求しているそうだ。別の住民も同じ目にあい、新しいメーターの購入に27万5千ルピア、取り付け料として7万5千ルピアの合計35万ルピアを支払わせられた、と語っている。メーター盗難多発は7月中旬から始まっており、水道会社は利用者に対して盗難に注意するよう呼びかける回状を配布している。水道会社はこの問題の捜査を警察に委ねており、その捜査の進展を待っている。


「海底ケーブル泥棒」(2006年8月11日)
ジャカルタ北部のプラウスリブ海域にあるパニキ島北東沖のジャワ海で漁をしていた中部ジャワ州ブルブスの漁船が機関の故障で漂流していたのを、首都警察水上警察が拿捕してタンジュンプリウッの水上警察本部に連行した。警察がその漁船を捕らえたのは船内に不審なケーブルが大量に積まれていたためで、このケーブルはおよそ2トン、全長2千メートルに達するものであることが判明した。直径0.5インチのケーブルは、細い繊維状の銅が束ねられたものが中心にあり、その周囲を白い透明のプラスチックホースが固く包み、さらにその外側を柔らかい銅繊維で編んだ筒がカバーし、それら全体が黒いゴムホース状の筒中に納められ、その上から二層に編まれた鋼鉄で保護されている。
水上警察の取調べに答えた漁師たちの話では、かれらがジャワ海で網を打ったところそのケーブルが引き上げられて来たとのこと。最初は切れ端だと思ったが調べても端が見つからず、結局そのケーブルを切って引き上げたところ2千メートルにも達した。漁船に乗り組んでいたのは8人で、かれらはなんと12時間もかけてそのケーブルを引き上げたらしい。かれらはそれを売り払うために船に積んで持ち帰ろうとしていたことから、盗難現行犯としてその8人は処理されることになる。
警察はこのケーブルをジャカルタとバンカブリトゥンを結んで敷設されたものだろうと推測しているが、ケーブルがカットされてからもう何日もたっているというのにそのために損害を受けたと名乗り出た会社がひとつもなく、そのケーブルを誰が何のために敷設したのかがいまだに不明。警察はケーブルオーナーに関して五里霧中の捜査を行っている。


「はぐれ凧が高速道路で車を襲う」(2006年8月15日)
2006年7月16日、バンドンに出かけていたデフィは東ジャカルタ市ウタンカユの自宅へ戻るため、17時ごろ車を運転して有料自動車道路に入った。パダララン自動車道ゲートを入っておよそ2キロほど走ったとき、十分に大人と見られるひとりの男性が自動車専用道路の上り下りを隔てている分離帯の中に入って凧を追いかけている姿を目にして、デフィはドキッとした。そしてなんと、糸の切れたかなり大型のその凧はデフィの運転している車目がけて飛んで来るではないか。時速100キロ近いスピードで疾駆している車に急ブレーキをかけては事故の元だ。デフィの動悸は高まり、一瞬一瞬が無限とも思える時間が過ぎ、そうしてその凧はデフィの車の鼻先にへばりついた。デフィはスピードを落として路肩に寄り、停車した。エンジンに何かが引っ掛かっている音がする。デフィはすぐにエンジンを切って車外に出た。同乗している仲間も降りてくる。
およそ1メートルほどあるその凧はフロントグリルに巻き込まれており、ラジエータの裏にあるファンの羽根が四本とも折れてしまっている。ジャカルタで予定があるため、デフィは道路管理者への届出を諦めて再び帰路についた。エアコンは止めて窓を開け、注意深く運転してジャカルタを目指す以外に方法はない。ブカシを抜けるころにはみんな排気ガスで頭が痛くなった。ともあれ、何とか無事に家までたどりついたデフィは翌日、車を修理工房に持ち込んだ。はじき出された修理代金はなんと180万ルピア。
場所柄もわきまえず凧揚げに興じていた大の大人がその損害の犯人だが、いまとなっては責任の取らせようもない。今回は車の損害だけだったが、下手をすれば交通事故が発生して人命が犠牲になったかも知れない。「これが飛行機だったらたいへんなことが起こったにちがいないわ。」とデフィは背中に鳥肌が立つ思いだった。
スカルノハッタ空港周辺でも、一時凧揚げが離着陸に障害を及ぼしたために大勢の保安関係者が動員されて周辺の村々を説得して回り、時間をかけて監視・説得・処罰が繰り返されてやっと飛行空域での凧揚げがなくなったという実績がある。有料自動車道路管理会社もそれと同じことを行わなければならないのかもしれないのだが・・・・。


「麻薬に生きる子供たち」(2006年8月16日)
国家麻薬庁のデータによれば、麻薬に関わっているインドネシア人320万人のうちで80万人は18歳未満の未成年であり、かれらの多くは麻薬常用者であると同時に流通販売者でもある。流通販売網に関わっていく子供たちの多くは貧困家庭あるいはストリートチルドレンだ。ILOインドネシア支部が東ジャカルタ市で行ったサーベイ結果によると、貧困家庭の子供254人中46人、ストリートチルドレン255人中41人が麻薬の流通販売に携わっていた。アッマジャヤ大学の調査結果はもっと悲惨なもので、未成年麻薬常用者および回復者500人中の466人が流通販売に手を染め、そのうちの40%は就学児童だった。
そのような麻薬問題とは別に、ILOは非就学児童問題に警鐘を鳴らしている。15歳未満の子供4百万人以上が学校に通っておらず、そのうち150万人は未成年労働者になっている。10.4%という全国失業率が示す膨大な失業者数の中で、学校をドロップアウトした17〜18歳の若年層がその三分の二を占めている。ILOは、未成年に労働をさせても貧困から逃れることはできず、貧困を克服するためにはかれらに教育を与えることがその鍵であり、子供たちの教育を受ける権利をおろそかにしてはならない、と強調している。


「テロ襲撃予報」(2006年8月23日)
イ_アにおける西洋の拠点に対する攻撃計画が新たな段階に入ったことを示す情報を連続して入手しており、テロリストの襲撃が実施される可能性が高まっているのでイ_アへの渡航は当面控えるようにという内容の渡航勧告をオーストラリア政府が8月18日に公表した。襲撃対象は例によって西洋勢力の拠点と目される場所や外国人が頻繁に訪れる場所となっており、この8月から年内一杯の間にジャカルタ・バリ・バタムなどで実施される確率が高いと想定されるものの、いつどこで起こっても不思議はないと考えるべきである、とオーストラリア政府は表明している。
イ_アにおけるテロリストの爆弾攻撃は2002年10月のバリ、2003年8月のジャカルタ・マリオットホテル、2004年9月のジャカルタ・オーストラリア大使館、2005年10月のバリと、ほとんど年中行事と化した観がある。


「道中の手荷物泥棒」(2006年8月24日)
2006年7月15日付コンパス紙への投書"Bajing Loncat di Bus Malam"から
拝啓、編集部殿。2006年5月9日、わたしはパハラクンチャナ夜行エグゼキュティブバスで東ジャワ州ポノロゴへ向かいました。13時半ごろバスは南ジャカルタ市ルバッブルスターミナルを出発し、プロガドンターミナルに寄って乗客を乗せてからチカンペッ有料道路に入りました。有料道路を出たあとバスは切符販売店に立ち寄り、そこで二三人の男たちが乗ってきました。そのあといつものように、バスは夕食のためにレストランに停車しました。
ポノロゴの実家に着いた後、親に渡すために兄弟から預かった150万ルピアをバッグから取り出そうとしたところ、それが無くなっているのが判りました。バッグの中をよく調べてみると、衣服もいくつかなくなっているのです。そのバッグは大きいものでなく、バスのトランクに預ける必要がないので道中わたしはそれを座席の下に置いていました。わたしがその事件をバスプールにあるパハラクンチャナの代理店に届け出ると、バス会社も乗客の荷物の安全は保証出来ないとの返事でした。バス会社の運行クルーの話では、泥棒はターミナルからバスに乗らず、チカンペッ有料道路を出てから切符販売店に立ち寄ったときに乗って来て、ほとんどの場合がひとりでなく複数で仕事をするのだそうです。バスのクルーがかれらの顔を知っているのでターミナルから乗ろうとすれば乗車を拒否される、とバスのクルーは言っていました。普通、泥棒はスマランのアラスロバンで降りるが、遠くまで乗ったとしてもサラティガから先へは行かないとのことでした。
かれらが仕事するのはレストランでみんなが食事のためにバスから降りたときの可能性が高いようです。クルーもバスから離れるのでかれらにとって仕事しやすい状況になるのは明らかです。あるいはほかの乗客がぐっすり寝込んだときかも知れません。似たようなことは鉄道列車のエグゼキュティブクラスでも頻繁に起こっています。列車の場合は普通5人組だと聞きました。かれらは乗った後すぐに寝たふりをし、ほかの乗客が寝込むと起きだして仕事をします。飛行機の場合はスチュワーデスや機内乗務員と組んで行うケースがほとんどで、乗客が機内に持ち込んだ手荷物を乗務員がありとあらゆる理由をつけて荷物置場に移すよう言い張ります。その手荷物バッグの中に金目のものが入っているのをかれらは先刻ご承知なのです。飛行機から降りるとき、手荷物バッグの外面に何ら異状がなくとも中味の金目のものが姿を消している可能性は小さくありません。その問題を飛行機会社にクレームしても、あっちやこっちの部署に話を回されてその事件が結局蒸発してしまうのが落ちのようです。
どこかへ旅行するさい、われわれみんなはこの教訓を忘れないようにしたいものです。望まざることが起こるのを防ぐために、大切な物は常に自分の身辺から離さないようにしましょう。[ ボゴール在住、ムハンマッ・ファリッ ]


「テロサイト制作者を警察が逮捕」(2006年8月25日)
国家警察本部がインターネットテロサイトを制作したふたりの男を8月12日に逮捕していたことを明らかにした。このふたりはモハンマッ・アグン・プラボウォ別名マックス・フィデルマン別名カリンガ別名マックスハセルとアグン・スティヤディ。マックスはスマラン大学電子工学部学生でアグン・スティヤディはスマランのクバンコンピュータ情報経営高等学校の教官。
このふたりはwww.anshar.netというウエッブサイトに関連して逮捕されたもので、このサイトはこれまで行われてきたテロ行為を賞賛し、テロ活動を煽る内容を掲載していた。有料道路ゲートにできた車の行列、道路上での交通渋滞、オフィスビル・モール・スポーツや娯楽センターあるいはホテルや展示会場の出入り口などをどのように利用してテロを行うかといった手ほどきから、アンチョル・プラネットハリウッド・スナヤンゴルフドライビングレンジ・ジャカルタコンベンションセンターなどがジャカルタでのテロターゲットだといった情報をそこに見ることができる。
そのふたりをスマランで逮捕した国家警察本部犯罪捜査庁サイバークライムユニット長は、現指名手配中のノルディンMトップからの命令を受けたバリ爆弾事件犯人のひとりイマン・サムドラがアグン・スティヤディに依頼し、アグンがコンピュータに優れた能力を持っているマックスに制作を頼んだもので、マックスはそのwww.anshar.net というサイトを2005年6月から8月の間に作った、と説明している。マックスはハッキングやカーディングの高い能力を持っており、カーディングを行ってラップトップを1台手に入れたことが明らかになっている。そのラップトップコンピュータは警察がふたりを逮捕した際に押収されたが、中に入っていたデータは裁判関係のものばかりでテロ組織に関する情報は何も発見されておらず、警察関係者を失望させている。


「貴金属商が交差点で襲われる」(2006年9月4日)
8月29日朝、貴金属商を営んでいるナタン32歳は商売仲間のフェンディ25歳を乗せてキジャンで東ジャカルタ市のイグスティグラライ通りを走行中だった。都内のあちこちにある貴金属店に商品を卸しているふたりは、普段から護衛もつけずに自分で車を運転してその仕事を続けてきた。その朝もクレンデルのペルムナス地区にある貴金属店数軒に商品を届けた後、ジャティヌガラ方面の別の顧客に商品を届けるためにグラライ通りを走っていたのだ。赤信号で車が停まったとき、男が車に近付いてきた。最初は物乞いだと思ったが、運転席横まできて手に持った拳銃を示したとき、ふたりは状況を理解した。四人の男が手に手に凶器を持って車の左右を取巻いている。左側の賊は助手席のフェンディにドアを開くよう命じたが、フェンディは無視した。ふたりの賊は気色ばむ。ナタンも運転席横で拳銃を示している賊の命令を無視した。すると突然その男は拳銃を車内に向けて三回発砲した。窓ガラスが割れる。ほとんど同時に、後部座席両扉の窓ガラスを別の男たちが割った。あっという間もなく、誰も乗っていない中座席の足元に置いてあった茶色のカバンふたつが賊たちの手に渡る。ナタンは両腿に血をにじませて痛みに喘いでいる。左右の腿に一発ずつ弾丸が食い込んだのだ。フェンディには何をなす術もない。
全員がフルフェースのヘルメットをかぶっている賊たちの顔はまったくわからない。最初はひとりが一台ずつオートバイに乗って来たその四人の賊は、カバンひとつを抱えた仲間を後ろに乗せて二台に二人乗りで逃走した。そのふたつのカバンの中にはその日配達することになっている1キログラム以上の貴金属装身具が入っていた。被害金額は10億ルピアに達する。
賊が去るとフェンディはタクシーを止めてナタンを病院に連れて行き、キジャンは犯行現場に置き去りにした。通報を受けた東ジャカルタ市警察は現場検証を行い、すぐに捜査を開始した。警察では、いつも走行ルートを変えて移動しているナタンとフェンディの車を襲撃しやすい場所で捕捉したこと、商品の入ったバッグが車内のどこに置かれているのかを知っていたことなどから、この強盗団は行きずりではないと見て捜査を進めている。犯行に使われた拳銃はFN型9ミリ口径のもので、警察は犯行現場で薬莢を三個発見している。


「麻薬密売組織のリクルート網」(2006年9月5日)
首都警察麻薬捜査局捜査官がおとり捜査でヘロインの売人を逮捕した。売人は四十代の女性で名前をテティという。テティはおとり捜査官に売り渡すためにヘロイン25グラムを持参していた。麻薬所持現行犯。警察はテティを取り調べてあっさりと仲間の名前と住所を聞き出し、逮捕に向かった。やはり三十代と四十代の女性リリとハリニ、そして三人の男たちが逮捕され、タングラン第一級男子刑務所の中から麻薬販売を操っているこのシンジケートの全貌が明らかになった。
テティは販売係であり、指令を受けて購入者と接触し、ヘロインを渡す。販売係が購入者に渡すヘロインは運び屋が持ってくる。その運び屋に品物を渡すのがリリであり、リリに指令を出していたのがハリニだった。リリがこの仕事を始めたのは10日ほど前からで、もう三回もヘロインを運んでいる。仕事があるとハリニからリリに電話がかかってくる。会話は短い。「リリ、ホテルプリメガ603号室のテレビの下に隠してある封筒を取って来るのよ。」「わかったわ。」 リリはホテルを訪れ、フロントで603号室の鍵をもらい、部屋に入る。室内にはだれもいない。それがいつものパターンだ。かの女が封筒を手に入れるとき、他の人間に会うことは絶対にない。そうやって手に入れた封筒を指示された場所に持って行く。どこそこのショッピングセンター二階の上りエスカレータ脇に今夜7時半に持って行け。言われたようにしていると、その時間に突然見知らぬ人間が声をかけてくる。封筒をその人間に渡せば仕事は終わる。そうしてハリニから50万ルピアの報酬を手に入れる。だったらハリニがこのシンジケートの元締めなのだろうか。いやそうではない。元締めは有刺鉄線の張られた別荘の中にいるのだ。それがハリニの夫なのである。かれはタングラン刑務所の中にいて、離れた場所から麻薬密売組織を操っている三人の男のひとり。ムショ入りした夫から生活費が与えられることはなく、三人の子供を抱え、そして夫に面会のために刑務所へ行くたびに支払わなければならない不法徴収金を用意するためにも、ハリニは働かなければならない。そしてハリニの仕事は刑務所の中にいる夫が用意してくれた。
テティはどうだろうか?かの女は夫と11年前に離婚した。子供を三人も作ったというのに夫は別の女に乗り換え、テティと子供たちをかえりみなくなった。夫からの生活費が途絶えた時、テティは自活の道を探さざるを得なくなった。夫が子供を二人取り、テティはひとりの子供と二人暮しを始めた。家賃、食費、子供の学費、家庭の諸経費・・・。かの女はいろんな仕事をした。商売もしたし工場で働いたこともある。何でもいいから、とありとあらゆることをしたが、生活を維持するために十分な金を得ることはできなかった。その果てにたどり着いたのがいまの仕事で、法に触れる犯罪であるとは知りながらも高収入に魅せられて止めることができなくなっていた。ヘロインは1グラム34万ルピア、シャブは1グラム36万ルピア。1グラム売るだけで1万ルピアが手元に残った。
リリは二年前に結婚した。夫はアンボン出身で、マンガドゥアのITCで荷物運びクーリーをしていた。リリは同じエリアでサンダルの売り子をしていた。月給35万ルピア。そして妊娠したが、リリは働き続けた。夫がリリに金を渡したことはほとんどない。夫は自分の収入を何に使っていたのかリリには見当もつかない。そうしてそんな夫にリリは愛想をつかした。離婚。だが夫は二歳の子供を引き取る気がなかった。子供の養育がリリの双肩に乗り、そしてサンダルを盗んだという讒言が職場を居心地の悪いものにした。結局いたたまれなくなったリリはその仕事を辞めたが、他に行くあてなど何もなかった。そうして麻薬シンジケートが張った網の中に落ちていったのだ。


「銃があれば役に立つ」(2006年9月8日)
東ジャカルタ市マラカサリに住むイワン44歳は現金が必要になったために妻のヤナ39歳と一緒にブアランにあるBCA銀行に出かけた。車は運転手が走らせ、イワンは銀行で275万ルピアを引き出して妻に持たせた。その金はかれが所持している拳銃ワルサー9ミリ口径PPKEの所持許可延長手続のためのものだった。車は家まで戻って門前に止まり、運転手とイワンが先に下りた。すこし間をおいてヤナが後部座席から下りたところ、二人乗りの二台のオートバイが車の近くで止まり、それぞれのオートバイの後ろに乗っていた男が荷台から降りてヤナに迫ってきた。手にはナタを持っている。ヤナは驚き、現金を入れたバッグをつかんでいる手がおろそかになった。賊がそのバッグを引っ手繰る。ヤナが悲鳴をあげた。
妻の悲鳴にイワンはとっさに車に戻ろうとし、そして現場の状況を見てとると愛用のワルサーを抜いた。空に向けて一発撃つ。今度は四人組の方がパニックになった。下りた男たちのひとりは慌てて仲間のオートバイの後ろに乗り、現場から逃げようとする。イワンのワルサーがかれらに向けて火を吐いた。背中に命中したが、負傷した仲間を乗せたままそのオートバイは逃走した。バッグを引っ手繰った男はもう一台のオートバイの荷台に乗ろうとしたが、そのオートバイは仲間がまだ乗っていないにもかかわらず慌ててアクセルをふかして逃走してしまった。ひとり残された賊は現金の入ったバッグを抱えて逃走をはかり、通りかかったオートバイを強奪しようとしたところを群衆に取り押さえられた。


「都内で発砲事件」(2006年10月3日)
都内中心部で9月25日夜9時半ごろ、また発砲事件が発生した。中央ジャカルタ市スネン地区クナリのジャムルッ通りでふたつの集団の間で闘争があったが、一方は首都警察一般犯罪捜査局捜査官で、もうひとつの集団は銃器密売者グループだった。警察はその銃撃戦後民間人3人と軍人1人合計4人を逮捕し、その場から逃亡したもうひとりの軍服姿の男の足取りを追っている。その発砲事件では、弾丸に当たった者はひとりもいなかったようだ。逮捕された軍人の階級は二級軍曹で、逃亡した軍服姿の男の名前も警察はつかんでいるが、陸軍首都管区行政管理司令部憲兵司令官は今回の事件に関して、まだ調査段階にあるため発表できることがらは何もない、と表明している。
現場付近に居合わせた住民の目撃談によると、ホテルジャムルッインダ脇に4〜5人の男たちが集まっていたところ、突然銃声が二回響いた。集まっていた男たちはすぐに逃げようとしたが、ひとりは動顛して転んだところを襲撃してきたふたりの男に引っ立てられてクラマッ通りの下宿屋に連れて行かれた、とのこと。その襲撃者は首都警察の私服刑事だったようだ。


「電話線の盗難が多発」(2006年10月9日)
西ジャワ州バンテン州を管轄するPTテルコム第3地区事業部は、辺鄙な場所における電話線の盗難が増加していることを明らかにした。盗難は所轄地区のほとんど全域で発生しており、盗まれた場所は発見後早急に架線作業を行って電話利用者の便宜を図っているが、こちらで線をつないだらあちらで盗まれたといった「いたちごっこ」の様相を呈している、と同事業部ジェネラルマネージャーは述べている。「これが国のインフラの混乱を狙ったサボタージュなのか単なる経済上の動機によるものかはっきりしないが、住宅地から離れた場所で通信回線を狙うシンジケートが行っている疑いが強い。」との弁。いったいどれだけの盗難件数があり、その代替架線作業でテルコム側にどれだけの損失が発生しているのかについて同GMはデータを明らかにしなかった。
またテルコム以外のGSM携帯電話オペレータが持っているBTS通信塔のアース線もその盗賊団のターゲットにされているとのこと。テルコム社は警察との連携を強めて電話線保全に万全を期す所存であるが、一般市民もその努力に協力して欲しいと同GMは呼びかけている。


「水道会社から水を盗む」(2006年10月9日)
公共インフラに対する盗みは電気だけでない。実は上水道も盗みのターゲットになっている。ボゴール県の上水道事業は県有会社PDAM Tirta Kahuripan が行っているが、自社の給水ネットワークのメインパイプに分岐パイプが接続されているのが今年8月、不慮の事故で発見された。ところがその事実を同社が秘匿していたために県議会で物議をかもしている。
今年8月27日、ボゴール県チビノン地区にあるYKKジッパー工場前のボゴール街道でガスパイプ敷設工事を行っていたコントラクターが水道パイプを過って壊し、水漏れが起こったとティルタカフリパン社に連絡してきた。職員が対応処理に出かけたところ、水漏れが起きているパイプは23.5センチ径のもので、本来その地区を通過している同社のパイプは55.5センチ径鋼管のはずであるため職員は不審を抱いた。職員が水流の上流に向かって調べて行ったところ、なんとその端は計量メーターなしで同社のメインパイプにつながっていた。「すわっ」と今度は下流に向かって調べて行ったところ県境を越えてジャカルタに入って行ったため、それ以上の調査がその職員レベルではできなくなり、調査はそこまでで終わっている。
ボゴール県政府の不経済と非効率を糾弾する民間団体がこの事件をすっぱ抜いて県議会に報告したため、県議会は急遽ティルタカフリパン社経営陣との事情聴取会合を持った。イナ・アグスティナ、ティルタカフリパン社代表取締役はその事実を認めたが、その行為を行った者が首都水道会社もしくはジャカルタ北部東部を受け持っているPT Thames PAM Jaya であるとは限らない、と述べている。告発した民間団体は、ティルタカフリパン社はその違反行為が見つかって以来210億ルピアの損失を県の財政に与えている、と非難している。


「交通事故の7割以上が二輪車によるもの」(2006年10月10日)
路上走行する二輪車の増加にあわせて二輪車の事故が激増していることを国家警察の報告が示している。運通省が明らかにしたそのデータによれば、路上走行している自動車の中で70%が二輪車である由。2005年に警察が記録した道路事故20,623件の中で二輪車が関係したものは1万4千件を超えている。2005年の交通事故死亡者数は11,610人で、これは2004年実績の11,204人より増えており、事故件数も2004年の17,732件から増加している。ジャカルタだけを見ても、2005年の二輪車事故件数は3,227件で、2004年の2,745件から大きくアップしている。
事故発生のトップは二輪車だが、二位はミニバスが2005年は1,246件で前年の540件から倍増した。三位はトラックで、これも366件から800件に増えている。


「強盗タクシー事件がまた発生」(2006年10月13日)
北ジャカルタ市クラパガディン地区でまた強盗タクシー事件が発生した。10月6日夜、モールクラパガディンからタクシーに乗った27歳の女性ふたりがその強盗タクシーの被害者となった。このふたりはBNI銀行に勤めるヨランダ・ケゼアと社会活動家のフェロニカ・ディアナで、それぞれがATMカード、クレジットカード、装身具、携帯電話、現金15万ルピアなどを奪われた。
ふたりが乗ったタクシーはプガンサアンドゥアの第3ゲート近くで止まり、運転手が「タイヤがパンクした。」と言って車から出た。その直後、タクシー後部座席の左右の扉が同時に開かれ、両側から男がひとりずつ入ってきてヨランダとフェロニカを挟み、金品を脅し取った。その男たちはタクシーの後ろをつけて走っていたキジャンから降りてきたもので、この強盗タクシーグループは4人組と見られている。
クラパガディン地区では9月22日夜に類似の強盗タクシー事件があり、24歳の女性ふたりが類似の手口の被害者となっている。その事件ではヨッスダルソ通りで犯行が行われたが、警察は被害者の供述からそれらの事件は同一グループが犯した可能性が高いとしている。


「ラマダン月に犯罪が増加」(2006年10月16日)
首都警察は10月17日から31日まで、イドゥルフィトリ大祭に関連してクトゥパッ警戒作戦を実施する。首都の治安に関して首都警察は今年のラマダン月の犯罪が激増傾向にあることを明らかにした。ラマダン月に入ってからの16日間とラマダン前のサンプルとして今年8月一ヶ月間の犯罪発生件数を比較してみるとその増加の様子がよくわかる。自動車盗難事件は8月が987件だがラマダン月は16日間で910件が記録されている。侵入盗は8月の708件がラマダンの16日間は570件、重暴行は8月215件ラマダン166件といった数字。陸軍首都行政管理司令官は首都警察に対し、厳格な姿勢で犯罪撲滅に集中的に取り組むよう提案した。リスクの高い場所を予測して早めに対応を取ることが必要であり、犯罪者が10人地面に転がればそこでの犯罪は減るにちがいない、との弁。


「道路工事中に露出した埋設水道管が盗まれる」(2006年10月17日)
バタビア旧市街活性化の一環としてジャカルタのピントゥブサル通りで大通りを遊歩道に作り変える工事が行われているが、舗装道路の下に埋まっていた鉄材を屑屋が盗むという事件が続いている。先にオランダ時代の路面電車線路が掘り起こされ、工事作業の傍ら地面に露出したままの状態にしておいたところ夜中にそれが盗まれるという事件が起こった。今度は現在使用されている上水道パイプが出てきたがこれも一部が地面から出たままの状態にしておいたところ、屑屋が地上に出ている部分を切り取って持ち去った。
工事業者には、アスファルトをはがして地ならしを行い、排水路を整備して路面に舗装ブロックを敷き詰めるという仕事がオーダーされているだけで、その際に掘り起こされた地中の資材に対する保全責任は特に与えられていないため、出土したレールや水道パイプが屑屋によって切り取られ盗まれるのを目にしていながら放置したきらいがある。工事人足頭の話では、電車のレールは四つの地点で掘り出されたが、夜になると屑屋がピックアップトラックでやってきてそれを切り取りいずこともなく運び去ったとのこと。工事作業者が勝手に売り払ったように言う人があるが本当は屑屋が盗んだのだ、とかれは力説している。
北ピントゥブサール通りにはVOC時代の遺物が埋まっている可能性があり、VOC造船所の整備の際に出土したような史的遺産が入手されることがありうるのではないかと期待されている。道路のアスファルト舗装の下には昔バタビアの街を走っていた路面電車のレールや枕木が埋まっており、再使用に耐える状態であるが今回の改装工事ではそれを再び埋めなおし、チレボンから持ってきた安山岩の舗装ブロックで覆うことになっている。掘り返された道路の下から出てきた鉄材を、今使われている公共設備であろうとお構いなしに切り取って持ち去る屑屋の行為に水道会社は強く抗議しており、道路工事業者に対しては水道パイプが露出した場合は即刻同社に連絡して二度と盗まれないよう協力するように要請している。


「ルバラン期の首都特別警戒に警察が特殊部隊を編成」(2006年10月19日)
首都警察は10月17日から開始されたクトゥパッ作戦の前に、凶悪犯罪増加が著しいラマダン月の首都治安警戒態勢の増強を図って高い機動性を持つ特殊部隊を編成している。首都警察一般犯罪捜査局、機動旅団、警備局から選抜された精鋭306名を擁するこの部隊は、オートバイを使って機動性を高め、実弾の入ったライフル銃で武装して凶悪犯罪に対処することになっている。都内で犯罪の多発している危険地区のパトロールと事件発生の通報に応じて現場に急行し犯罪に対処するのがこの部隊の任務で、現場の状況如何で独自に発砲判断を行う許可が与えられている。24時間態勢を取るこの部隊は都内を縦横に駆け巡って任務にあたることになる。国家警察は従来一般市民に与えていた銃火器所持許可の見直しを行っておよそ5千丁の銃器を没収保管しているが、拳銃を使用する凶悪犯罪はここ数週間増加傾向にあるため首都警察は密輸や不法手製銃火器の取り締まりと流通ルートの摘発にも力を注ぐことにしている。


「ブロッケムのナイトクラブを警察が急襲」(2006年10月23日)
10月15日日曜日早朝、ブロッケム(Blok M)地区パレテハン(Paletehan)通りにあるナイトクラブ2軒を首都警察と行政警察の合同パトロール班が急襲し、ホステス18人と客4人をクバヨランバル警察署に連行した。警察の手入れが行われたナイトクラブはTop Gun とMy Bar の2店で、説明によればその2店はラマダン期間中のナイトスポット営業規制で定められている22時半から1時半までという営業時間に違反したので摘発したとのこと。1時半には閉店しなければならないその2店が2時を過ぎても閉店する気配がないため、パトロール班は2時半ごろまで様子を見てから店内に踏み込んだ。警察はその2店からホステス女性18人と店内にいたアフリカ人4人を警察に連行したが、国内著名サッカークラブのメンバーだと自称するアフリカ人4人は警察の尋問を拒み、非協力的な姿勢を露わにしたので警察は4人を逮捕した。4人のアフリカ人はナイジェリア国籍で、かれらは首都警察本部外国人監視部の取調べを受けたあと釈放された。18人のホステスはクバヨランバル警察で取調べを受けたあと、西ジャカルタ市クドヤにある社会問題者保護院に収容された。
クバヨランバル警察署はラマダン月の社会疾病作戦パトロールを活発化させており、既にホテル4ヶ所で検問を行って売春婦を50人近く検挙している。他にも爆竹作戦6回、アルコール飲料作戦を5回行い、ごろつきを5人逮捕している。パトロール班はまたブロッケム地区で発生したひったくり事件を2回現行犯逮捕しており、他にも管区内で発生した外国人住居への侵入盗犯人を二組逮捕している。


「また強盗タクシー事件」(2006年11月4日)
10月30日18時30分ごろ、南ジャカルタ市ラスナサイッ通り(Jl Rasuna Said)のパサルフェスティバル(Pasar Festival)からタクシーに乗った女性二人連れが、強盗タクシーの被害にあった。女性二人はパサルフェスティバルで買い物したあと青色のタクシーを拾い、チュンパカプティ(Cempaka Putih)地区にある自宅へ帰ろうとしていた。ふたりは最初、自分たちが乗った車はブルーバードタクシーだと思い込んでいたようだ。タクシーはラパガンロス通り(Jl Lapangan Ros)のホテルハリス横まで来て停車し、そのとき後部座席の両扉がいきなり開いて男がひとりずつ両側から入ってきた。51歳の女性は抵抗を試みたが、男がナイフを抜いたのでそれ以上抵抗するのはやめた、とのこと。ふたりは結局携帯電話、デジタルカメラ、黄金装身具、現金50万ルピア、マンディリ銀行とBNI銀行のATMカードなどを奪われた。その後タクシーは都内をぐるぐる回ったあと21時半ごろガトッスブルト通り(Jl Gatot Subroto)でふたりをおろし、夜の街中へ消えた。
ルバラン前にもやはりパサルフェスティバルからタクシーに乗った女性が強盗の被害にあっており、また去る8月にはパサルフェスティバルで客を拾ったコスティタクシーの運転手が強盗に殺害されている。


「ウジュンクロンで住民暴動」(2006年11月10日)
バンテン州ウジュンクロン国立公園周辺の三ヶ村住民数千人が11月4日夕方、ウジュンクロン国立公園管理事務所所有の事務所と宿舎4ヶ所、ボート2隻、オートバイ3台その他の施設や設備を破壊しあるいは放火した。この事件は同日14時ごろ、同公園管理事務所の森林警官パトロール班と村民ふたりがブロッバジョ(Blok Bajo)の森で遭遇したことに端を発する。
四人のパトロール班は住民ふたりがそれぞれ森から木を担ぎ出しているのを目撃し、ふたりにフリーズを命じた。ひとりは木を持ったまま森の外に走って逃げたが、もうひとりは木を投げ出すや腰の長鉈を引き抜いた。警官たちはその男に抵抗をやめるよう命じたが、男は長鉈をふるって警官たちに攻撃してきたため警官は空に向けて威嚇射撃を5発行った。しかし男は攻撃をやめようとせずに鉈で切りつけてきたため、パトロール班長はその刃先をかわしながら男に向けて発砲し、弾丸は左胸に命中した。男は身をひるがえして逃げようとしたが数歩進んだだけで地面に崩れ落ち、息を引き取った。
パトロール班は警官ふたりが現場に残り、もうふたりは応援を呼んでくるために現場を去ったが、それからほどなくして村人数百人が現場に押し寄せ、現場の保安に残っていた警官のひとりを捕らえてリンチし射殺された男の遺体と共に村に連れ帰った。警官は深夜2時ごろ解放されたが頭から全身にかけて刃物傷を浴びており、その後病院に運び込まれて治療を受けている。警官に射殺された村民はパンデグラン県スムル(Sumur)郡ウジュンジャヤ(Ujung Jaya)村のコマルディン45歳で、その事件が周辺のウジュンジャヤ村・タマンジャヤ(Taman Jaya)村・チゴロンドン(Cigorondong)村に伝わると住民数千人がいきり立ち、憤りに駆られて17時ごろからウジュンクロン国立公園管理事務所に向かって押しかけ、同公園の施設や保有設備機材などを破壊して火をかけた。タンジュンラメ(Tanjung Lame)にある管理事務所ハンドロム(Handeuleum)第2セクションコンプレックスが主要ターゲットとされ、7つの建物が全焼し使い物にならなくなった。ウジュンクロンWWF駐在事務所は幸いにも村民の襲撃目標から免れることができた。ルゴンパキス(Legon Pakis)部落に新築されたばかりの事務所も破壊されて屋根が崩れ落ちたし、タマンジャヤとブロックタパン(Blok Ketapang)の管理事務所分室もそれぞれ破壊行動のターゲットにされた。この住民暴動は17時から始まり、19時ごろには沈静した。管理事務所側の被害総額は20億ルピアと見積もられている。
今回の事件に関して村民の多くは、森林警官の実力行使が目に余るものだったという意見を表明している。住民によれば、これまでこのような事件は起こったことがなく、森林警官が住民の違反行為を発見した場合は、警告を与えせいぜい体罰を科しそして州警察に引き渡すということで終わっていたのに、住民の生命を奪うというのはやり過ぎであり傲慢な姿勢を示す以外のなにものでもない、とのこと。問題があればムシャワラをまず優先するのがあるべき姿であり、すぐに措置を取るようなことは控えるべきだ、というのが住民たちの心情であるようだ。バンテン州警察長官は5日、現場に赴き、三ヶ村住民を集めて自省を呼びかけた。暴動現場は州警察が出動して警備にあたっている。


「強盗用レンタルタクシーのレンタル料は30万ルピア」(2006年11月10日)
去る10月22日に都内南ジャカルタ市クニガン地区のモールアンバサドルで拾ったタクシーが強盗タクシーに変身した事件を捜査していたスティアブディ警察署は、容疑者ふたりを逮捕して事件の全貌を明らかにした。この事件では被害者の乗ったMMタクシーがパサルミング地区ポルタガンまで来たとき運転手が「靴に砂利が入った。」と言って車を止め、そのとき後部座席両側から男がひとりずつ侵入して被害者から金品を奪った。被害者はBCA銀行のATMカードを奪われ、口座から失われた金額を含めて6,720万ルピアの被害を受けた。
賊は被害者の口座から全額をマンディリ銀行に送金したことが警察の調べで判明したため、警察はマンディリ銀行に協力を求めて送金先の口座を凍結した。ブカシのマンディリ銀行に男が現れ、口座の状態を確認してから新しい口座を開く手続きをはじめたのでマンディリ銀行側はその間に警察に連絡し、しばらくしてやってきた警察捜査官に男は逮捕された。36歳のその男の自供で仲間のひとり、やはり36歳、も逮捕され、取調べの中で犯行の詳細が明らかになった。それによれば、強盗タクシー用にタクシーのレンタルが行われているとのこと。そのタクシーはナンバープレートも車体番号も別のものに変えられており、レンタル料金は30万ルピアでそのタクシー会社の運転手用制服がセットになっている。10月22日の事件では、客を乗せたMMタクシーが走る後を強盗仲間が乗ったもう一台の強盗用レンタルDタクシーが尾行し、MMタクシーが止まると少し距離を置いてDタクシーも止まり、後ろからふたりが降りて前のタクシーの後部座席の両側から中に入った。Dタクシーにはまだふたりの仲間が残っており、かれらの任務は奪ったATMカードで金を引き出すことだった。そうしてそのひとりが被害者の金を送金して手がかりを残すという結果となった。
このグループは2005年以来数十回も首都圏で強盗タクシーの犯行を重ねていたが、折に触れて仲間が逮捕されても逮捕者の家族への経済保証を行ない、一方逮捕された者は仲間のことについて絶対に口を割らないという強い団結で結ばれていたようだ。


「ブッシュ米大統領来訪を前に首都で爆弾」(2006年11月14日)
11月11日土曜日11時45分ごろ、東ジャカルタ市南部のクラマッジャティ地区にあるプラザクラマッジャティインダ内で爆弾による爆発事件が発生した。爆発の標的となったのはアメリカ系ファーストフードフランチャイズチェーンのA&Wで、爆発は同プラザ1階にあるそのレストランの客席のひとつで起こった。そのとき店内は閑散としており、また爆弾は爆発力の弱いものであったために店内の設備などが破壊されただけにとどまった。人的被害は怪我人がひとり出たが、この怪我人が爆弾犯人であることを警察はほぼ確信している。同店従業員の目撃談は次のようになっている。
11月11日11時過ぎにひとりの男が黒いビニール袋を手にしてA&W店内に入ってきた。その客は入ってくるときからかなりためらい勝ちな雰囲気でぎこちなくやってきたために、店員はその様子を強く印象にとどめている。男は注文カウンターまで来ると、6千5百ルピアを払って飲み物だけを買った。カウンター内の女店員の動きが遅いことを叱責したあとその男は5万ルピア紙幣を払って飲み物を取り、キャッシャーに近い椅子に腰掛けた。しばらくしてから男は店員を呼び、7千3百ルピアのフライドチキンを買った。食事が終わってからその男は失神したように椅子から床に崩れ落ちたので、4人の男性従業員がその男を店内いちばん外れにあるソファーの並びに運び、そこに寝かせて水と薬を与えた。男の持ち物である黒いビニール袋も従業員がその座席のテーブルの下まで移した。従業員のひとりが男の様子を見守るためにその近くに残り他の従業員は元の持ち場に戻ったが、その男は突然目をさましてソファーに座りなおした。従業員が「だれかに連絡しましょうか?」と尋ねたが男は何も言わず、ズボンの右ポケットを手探りした。そのとき爆発が起こった。それからおよそ10分して警察が現場に急行してきた。
警察の調べによれば、その男はムハマッ・ヌー36歳独身で、ジャティヌガラ地区ビダラチナの実家に姉夫婦一家と同居している。その爆発は本人ヌーの腿から腰にかけて重傷を負わせたため、ヌーは同プラザから5百メートルほど離れた警察病院に収容されて救急処置を受けているが人事不省であるとのこと。怪我をしたのはヌー本人だけで、近くにいたA&W従業員を含めて怪我人はほかにひとりも出ていない。警察はヌーが爆発物を自分の身体に密着させていなかったことから、これは自爆テロではない、と表明している。警察はすぐにヌーの自宅を家宅捜索し、爆弾に使われたと同じ素材のポタシウムや電線、ビニール管、電池などを発見した。手製爆弾の製造手法は旧来型のものであり、また爆破作動も手動式が用いられ、さらにヌーの行動が確信のない弱々しいものであったことなどから、警察はこの事件がヌルディン・トップ率いるテロ組織と直接的に関連していないのではないかとの印象を拭えないでいる。ヌーの隣人たちの話では、工業高校を出たヌーは家電品修理業を営んでおり、客に呼ばれてその自宅で電気製品を修理するという仕事をしていた。ふだんから無口で、同居している家族とも必要なこと以外ほとんど口を聞かない性格だったようだ。


「インドネシアの人身売買」(2006年11月15日)
ムティア・ハッタ女性活力化担当国務相は、インドネシアの人身売買被害者の正確な数はわからない、と語った。人身売買は注文内容と納入方式だけでそう断定するのが困難なものが多く、そのため何人という数字を明確に述べるのは難しいとのこと。同省の持っている人身売買に関するデータは国家警察犯罪捜査庁をソースにしており、それ以外のケースを人身売買と判定することはしていない。おまけに反人身売買犯罪法がまだ成立していないために統一的な用語の定義ができないでおり、各方面が独自の定義に基づいて用語を使っているため統計上で混乱しているのが実態。この法案は2002年に国会に提出されたが、国会審議はいまだに完了していない。
IOM(国際移住機関)のデータによれば、イ_アにおける2005年3月から2006年7月までの人身売買被害者数は1,231人で、成年女性852人、未成年女性236人、幼年女性9人、成年男性95人、未成年男性32人、幼年男性7人という明細になっている。被害者の出身地明細は西カリマンタン州27%、西ジャワ州26%、中部ジャワ州と東ジャワ州が各9%、西ヌサトゥンガラ州6%といったところ。また売られた先はマレーシアが75%、国内の他地域へは20%、残りはサウジアラビア、シンガポール、日本などとなっている。買ったほうが何に被害者を使っているかといえば、家事のためが50%、売春15%、農園労働者6%、接客業5%、残りは工場労働者、商店の売り子、建築労働者、マッサージ、またそれ以外では赤児の売買といったところ。IOMの調べでは、被害者の25%は抑うつ症にかかり、自己嫌悪、不眠、体重低下や不活発などの症状を呈している。ほかの21%はストレス症候群を呈している。


「24時間営業ワルネッが強盗に襲われる」(2006年11月24日)
東ジャカルタ市で強盗団が24時間営業のワルネッ(Warnet とはインターネットレンタルショップ)を襲った。襲われたのはラワマグン地区プムダ通りにあるワルネッ、シルバーストリーム。もう数時間で夜明けという時間帯、そのとき店内には四人の客がインターネットに興じていた。そして店員もキャッシャーデスクに近いコンピュータでお遊びの最中。とそのとき、店の表ドアが開いて男がひとり入ってきたかと思うといきなり拳銃を店員に突きつけた。続いて別の男がひとり店内に入り、「騒ぐな!」と四人の客を威嚇する。店の奥のトイレにいたもうひとりの店員が、表のざわめきに気付いて怒鳴った。「おーい、どうした。何があったんだ?」ほかにまだひとが店内にいたことを知った賊は、すぐにトイレに向かう。トイレで怒鳴った店員はそのまま手足を縛り上げられ、さるぐつわをかまされてトイレの中に閉じ込められた。そのあと賊は店内の5人にも同じ処置をしてから全員を奥の一室に閉じ込めた。
店内にあった21台のコンピュータはCPUをすべて持ち去られ、キャッシャーに置いてあった現金1百万ルピアと来店客のポケットから総額280万ルピアがこの強盗団に奪い去られた。


「首都でまた白昼の銃撃戦」(2006年12月1日)
東ジャカルタ市ブアラン地区で11月27日14時ごろ、オートバイに乗った強盗団と警察官の間で撃ち合いがあった。目撃者の話によれば、ブアラン地区のラデンインテン通りとデルマガ通りが交わる交差点で赤信号で停止したキジャンイノバにRXキングとカワサキニンジャ各一台に二人乗りした男が左側から近寄り、オートバイを運転していた男がピストルを抜いて窓ガラスを撃った。弾丸はそのまま貫通して右側の窓ガラスも割れた。男たちはキジャンイノバから何かを奪い取ろうとしているようだった。現場に程近いところにいた首都警察ドゥレンサウィッ署の警官ふたりが銃声を聞きつけ、すぐに拳銃を抜くと空に向けて警告射撃を行った。すると賊は銃口を警官に向けて発砲してきたので白昼の銃撃戦となり、警官の撃った弾丸が賊のひとりの胸を貫いた。賊の弾丸のひとつは警官のズボン左側をかすっている。
仲間が被弾したため四人の賊はオートバイで現場から逃走した。それからしばらくして、現場から少し離れたポンドッバンブの陸橋で脚を撃たれて道路脇に倒れている男が通りかかったバジャイ運転手に発見され、病院に担ぎ込まれた。警察の調べでは、撃たれた男はオートバイホンダカリスマでその陸橋を通過中、近寄ってきた別の二人乗りオートバイにいきなり脚を撃たれたらしい。その二人組みはホンダカリスマを奪うと自分たちが乗っていたカワサキニンジャを現場に置き去りにして去っていったとのこと。その二人組みは14時ごろキジャンイノバを襲った一味の片割れと警察では見ており、その行方を追っている。


「ブロッケムで強盗タクシー」(2006年12月5日)
女性の二人連れが南ジャカルタ市ブロッケム(Blok M)から乗ったタクシーは強盗タクシーだった。11月29日夜、レニ・アングライニ25歳と妹のハユニンティヤス・ラマダニ23歳はブロッケムで買い物したあとブカシの自宅に帰るためタクシーに乗った。タクシーはブロッケムから北上してスディルマン通りをスマンギ立体交差に向かい、ガトッスブロト通りに上がる。姉妹は運転手に自動車専用道路を通るよう依頼するが、道路が混んでいると言って運転手はそれに応じない。クニガン交差点まで来て運転手は「ションベンしたい」と言って車を道端に停止させたが、車から降りようともしない。そしてお定まり、突然後部座席の両扉が開かれ、両側から男が入ってきて女ふたりをはさみ、凶器を突きつけて嚇す。今回威嚇に使われたのはねじ回しドライバー。タクシーはまた走り出し、しばらくしてまた道路脇に止まり、別の男が乗り込んできた。男は姉妹に金目のものを出させる。姉は携帯電話、BCAのATMカード、現金5万ルピア、妹は現金105万ルピアとマンディリ銀行・プルマタ銀行のATMカードを奪われた。姉妹はタクシーの中で写真を撮られ住所をメモされたあと、チュンパカプティ地区で強盗団から20万ルピアをもらって解放された。賊はふたりに「獲物を間違えた」と語った由。


「今年ドラッグで検挙された学校生徒は1万5千人」(2006年12月19日)
麻薬が中高生徒に蔓延しており、国の将来を憂う声が高まっている。国家麻薬庁が公表した今年10月までの麻薬事件検挙数は8,406件に達している。中でもドラッグで検挙された中高生徒は15,101人おり、中学生が4,012人、高校生は11,089人という数字になっている。ちなみに小学生は皆無ということではなくて中学生の半数ほどおり、一方大学生はほんの一握りしかいない。大人では、会社員6,833人、労働者3,046人、無職3,885人で、同庁常勤セクレタリーは「麻薬使用者は地域、性別、社会ステータス、年齢、位階や地位を問わない」とコメントしている。また麻薬使用者の死亡も嘆かわしいありさまで、同庁のデータでは毎日40人が麻薬を使用することで生命を失っており、そのような生命の浪費に強い遺憾の意を表明している。
国家麻薬庁首都事務所長はその状況に関して「アメリカでは中学一年生のときに麻薬に関する指導を受けているにもかかわらず中学三年生の麻薬蔓延が激化しているとのことだ。」と学校生徒への教育指導は効果が薄いと語る。もっとも重要なのは予防教育であり、子供の生活を親が注意して見守るよう、親に対する教育を広げていかなければならない、と所長は訴えている。麻薬の第一の防波堤は家族だ、との弁。


「自動車泥棒団81人を警察が検挙」(2006年12月22日)
2006年11月16日深夜、さるタブロイド紙の写真編集長は自宅でテレビを見ていた。サッカーの放送が始まったばかりだ。ちょうどそのころ、家の表に車が止まった。車から下りてきた5人の男たちは表門に向かう。静かに南京錠を切った賊は邸内に侵入し、ガレージに向かった。ガレージの扉も南京錠を切って開く。かれらの行く手を阻む錠前はないのだ。ガレージの中でひっそりとうずくまっているトヨタアバンザの下にひとりが潜り込んだ。懐中電灯の明かりをたよりにその男の作業が始まる。ほんの数分でその男はアバンザの下から這い出してきた。仲間に合図をすると別の男が合鍵でアバンザの運転席のドアを開く。エンジンがかかり、車はガレージを出て表門に向かった。編集長はみんな寝静まった邸内で車のエンジン音がしたために部屋から出てきた。そして愛車が表門を出て行く後姿を目にしただけだった。編集長は「泥棒!」と叫びながら家の表に走り出た。町内警備員が駆けつけてくる。しかし二台の車はスピードを上げてその住宅地区を後にした。「どうしたんですか?」警備員が尋ねる。「自動車泥棒だ。」「ああ、やっぱり犯罪者だったか。」「えっ、なんだって?」「いやね、お宅の表に不審な車が止まっていたのでナンバープレートの番号を控えておいたんですよ。」「それはでかした。あんたはバグース。」
編集長は西ジャカルタ市警クブンジュルッ署に盗難事件を届け出た。犯人の車の番号も忘れずに。それから4日後、チレボン警察が自動車窃盗団の一部を検挙した。この一味はチレボングループと呼ばれる自動車窃盗団だが、必要に応じてオーナーを殺傷することも辞さないから場合によっては窃盗が強盗になることもある。この一味に対する警察の捜査がそのうちに別の自動車窃盗団にも広がっていった。チレボングループは22人が捕まり、他にもブカシ、セラン、タングラン、パントゥラ等と呼ばれているグループが検挙されて総勢81人が警察のお縄をちょうだいすることになった。かれらが盗んだ車は四輪が41台二輪が47台で、四輪はアバンザ、キジャン、APVなど人気の高い車種がメインを占めている。自動車窃盗団の手口はいくつかあり、レンタカーを借りて乗り逃げするもの、個人宅に侵入して盗み出すもの、遠く離れた町への貨物配達注文を受けて自動車ごとドロンを決め込むものなどさまざま。


「強盗タクシーメンバーが警察に捕まる」(2007年1月9日)
1月2日、首都警察は強盗タクシーグループメンバーのひとりを逮捕した。逮捕されたのはズル・ヘムディ別名ウディン33歳で、首都警察一般犯罪捜査局暴力犯罪ユニット職員が西ジャワ州チカンペッ(Cikampek)で捕物劇を展開して容疑者を捕まえた。その際容疑者は抵抗して刑事を刃物で刺そうとしたために脚を銃で撃たれている。南ブカシのマルガジャヤ(Margajaya)を住所とするウディンはパダン(Padang)シンジケートの凄腕として闇の世界で名が売れており、8人組のパダンシンジケートを背負って立つ男だった。パダンシンジケートは都内カサブランカ(Casablanca)通りからクニガン(Kuningan)地区をメインに強盗タクシー犯罪を2006年だけで50回以上行っている。これはウディンの自供から判明したもので、いかに警察に届け出ていない被害者が大勢いるかということがそこからわかる。ウディンはタクシー運転手から車を借りて運転手になりすますソピルテンバッ(sopir tembak)の仕事を主に行い、被害者の金をATMから引き出してメンバー間で分配することもしていた。被害者が持っているATMカード、携帯電話、身につけている装身具などを奪った後、ATMのPINを聞き出す際に被害者に対して「正直に言わないとシンジケートのアジトに連行して拷問にかける」と脅かしていたらしい。ウディンが獲物を狙うのは17時半ごろの退社時間帯で、オフィスから女子会社員が一斉に退社してくる過密時間を好み、必然的に客待ち場所もカサブランカ通り、アトリウムスネン(Atrium Senen)、クニガンなどのオフィス街をもっぱらにしていた。ウディンは多くの場合Celebrity タクシーかIndo タクシーを借りて犯罪を行っていた。
首都警察は強盗タクシー犯罪を行っていたシンジケートを三つ把握しており、ひとつは今回メンバーのひとりを逮捕したパダンシンジケート、ほかのふたつはパレンバン(Palembang)シンジケートとバタッ(Batak)シンジケートとのこと。パダンシンジケートの他の7人はまだ捕まっていない。警察は首都のオフィス勤めの女性に対し、強盗タクシーに対処するためのティップスを次のように指導している。
要注意地区:カサブランカ通り、ラスナサイッ(Rasuna Said)通り、プラザスマンギ(Plaza Semanggi)、ラトゥプラザ(Ratu Plaza)
要注意時間帯:17:00〜19:00
被害者:オフィス勤めの女性がほとんど。タクシーに乗る場合は現金やATMカードを必要なだけ持つようにし、装身具もあまり派手に人目を引くものは身につけないこと
タクシー:客待ちをしているのに男性客には乗車拒否をするタクシーには警戒するように
車体の色:色にだまされて乗ろうと思っていたタクシー会社ではないものに乗った場合、家族にSMSで現在位置とタクシーのアイデンティティをすぐに知らせること


「宅配便で送ったカメラが紛失」(2007年1月9日)
2006年10月7日付けコンパス紙への投書"Kamera Hilang Lewat TIKI"から
拝啓、編集部殿。宅配便TIKI JNE のサービスにわたしはたいへん不満を感じています。2006年9月11日、わたしは包装箱に入ったカメラを二台、ジャカルタからロンボッに送りました。その二台はまとめて包装しており、送付数は一個口にしてあります。ティキの受付窓口でその内容を確認し、受領証には中味二台と注記をつけてもらいました。ところがどうでしょう、送り先に届いたのはカメラが一台だけで、もうひとつの箱は中身が空っぽなのです。もちろんティキ側からその弁償がなされましたが、送料の10倍(1万7千ルピアx10=17万ルピア)では失われたカメラの代金80万ルピアとは比べ物になりません。西ジャカルタ市トマンのティキは、発送前に保険をかけていれば全額が弁償されたのにと言いますが、でも宅配便は預かった品物を届け先まで安全確実に届ける義務を負っているのではありませんか?もし保険をかけなかったら届け先に安全確実に届く保証はないとでも言うのでしょうか?[ ジャカルタ在住、サンティ・クリスナ ]


「強盗殺人未遂犯は16歳の少年」(2007年1月10日)
タングラン市カラントゥガ郡カラントゥガ町で1月5日深夜、強盗殺人未遂事件があった。捕まったのは無職の少年ソリヒン、16歳。容疑者が深夜忍び込んだ隣人宅は未亡人の一人暮らしで、被害者スリ・スハルニ38歳は衣料品の販売を職業としていた。ソリヒンはその夜スリを殺害してから金品を盗むつもりでナイフを持参し、深夜1時半ごろスリ宅の壁をよじ登った。屋根に登って瓦をはずし、家の中に忍び込む。そしてソリヒンは白河夜船のスリの顔に枕を押し付けたがスリは異変に気付いて眠りからさめ、叫びながらソリヒンに抵抗した。ソリヒンはナイフを出してスリに斬りつけたが、スリは手のひらと腿に傷を負っただけでソリヒンの攻撃をよけながら悲鳴を上げ続けた。そのうちに他の隣人がスリ宅の表に集まってきたためソリヒンは何も取らずに逃げ出した。スリが表のひとたちに犯人がソリヒンであることを知らせると隣人たちはソリヒン宅に入って家捜しし、ついに屋根裏に隠れていたソリヒンを捕まえて警察に突き出した。


「日本人が強盗タクシーの被害者に」(2007年1月16日)
1月12日深夜1時半ごろ都内ガジャマダ通りからタムリン通りのニッコーホテルに戻ろうとして日本人TN42歳が乗ったタクシーは強盗タクシーだった。首都警察一般犯罪捜査局長によれば、TNがガジャマダ通りで拾ったタクシーはSepakat タクシー車体番号841で、そのタクシーはタムリンに向かう途中のムルデカバラッ通りで停車し突然男がひとり車内に入ってきた、とのこと。走行中の車内で賊はすぐに被害者を脅して財布・めがね・薬などを取り上げ、それが終わると被害者を下ろして逃走した。被害者はちょうど通りかかった警察のパトロールカーに通報してその強盗タクシーを追跡し、33歳のタクシー運転手を逮捕したが他の犯人は逃走した。


「超絶技巧、夜行バスの泥棒」(2007年1月17日)
2006年10月18日付けコンパス紙への投書"Bus Malam Pahala Kencana"から
拝啓、編集部殿。2006年9月17日、わたしどもはマラン発バンドン行き夜行バスに乗りました。パハラクンチャナ社のバスがマランのアルジョサリターミナルを出発したのは14時ちょうどです。この行程の中でわたしどもはソニーDVDハンディカムを盗まれてしまいました。この泥棒は卓絶した技巧の持ち主だったようで、なんとケースはそのままにしてカメラ本体とチャージャーだけを抜き出し、バス会社がサービスにくれたビン詰め飲料水をカメラケースの中に置いて行ったのです。ですから、中を調べないかぎり持ち主は見た目も持った感触も完全に騙されてしまうわけです。
盗難が判明したのは家に着いてからで、カメラとチャージャー、そして現金が盗まれていました。わたしどもはバス会社に対し、バス運行中のバス内保安を向上させるよう要求します。わたしどもはパハラクンチャナ社バンドン代理店に対し損害賠償を求めましたが、警備員が応対したその苦情の処理は満足できるものではありませんでした。バス会社の責任はいったいどうなっているのですか?夜行バスに乗る皆さんはゆめゆめ警戒を怠らないように。[ サマリンダ在住、ハルタディ ]


「アンチョルドリームランドで誘拐未遂」(2007年1月23日)
2007年1月6日付けコンパス紙への投書"Penculikan di Pasar Seni Ancol"から
拝啓、編集部殿。まだ四歳のわたしの孫娘が北ジャカルタ市アンチョルのパサルスニで開催された全ジャボタベッ地区イスラム幼稚園発表大会で誘拐されそうになりました。これは孫娘の父親であるわたしの息子から聞いた話です。
事件が起こったのは2006年12月12日昼12時半ごろでした。その発表大会は午前8時から13時までというスケジュールで、孫はアルクルアンの章句アルファティハの読誦で舞台に立ちました。参加者全員が昼食を取ったあと、息子は孫を連れて帰宅するため孫が通っている幼稚園の先生方に挨拶しました。そのとき孫は父親の後ろに立っていました。ところがほんの四五秒してから振り向くと孫の姿は消え去っていたのです。息子はびっくりしてしまいました。孫の近くにいたパサルスニの警備員に、子供がどこへ行ったか見なかったかと尋ねましたが、警備員は非協力的でした。孫が通っている幼稚園の先生方はすぐにパサルスニのあちこちに散らばって孫を探してくれました。そして運良く先生のひとりがパサルスニの販売ブースが並んでいる通路でふたりの男に叱られている孫を見つけてくれたのです。そのふたりは幼稚園生の親というふうにはまるで見えなかったそうです。そのふたりの男は泣かないようにと孫を叱りつけていたのでした。先生はすぐに孫の名前を呼びました。するとふたりの男はその先生に攻撃的になりました。先生がすぐに孫を抱えてそこから逃げようとすると、男たちはそうさせまいと乱暴な振る舞いをします。しかしその女の先生は動きが敏捷だったので、男たちの手を逃れてみんなのところへ戻ることができました。孫が誘拐されていた25分間のその出来事はほかの幼稚園生の親御さんにすぐに伝わり、大勢がトラウマを抱えることになりました。幼稚園生が大勢集まる催しに保安体制がどれほど必要とされているかがこれではっきりしました。アンチョルのパサルスニには子供誘拐者が獲物を狙って徘徊しているため、たいへん危険です。わたしの息子は35歳で身体もがっしりしており、やさ男タイプではありませんが、誘拐者はそんな人間の子供にすら照準を向けてくるのです。パサルスニの警備員がアンチョル入場客の子供誘拐というたいへんな事件にセンシティブでなかったのは遺憾です。[ 東ジャカルタ在住、モフタルモノ ]


「麻薬と贋造ドル紙幣」(2007年1月26日)
2007年1月21日、中央ジャカルタ市ハジアグッサリム(H Agus Salim)通りで国家麻薬庁がパニキ作戦を実施した。麻薬流通の一端を多くの外国人、特にアフリカ人が担っていることから麻薬庁は麻薬流通ルートに関与している外国人に焦点を当てて摘発作戦を展開しており、そのオペレーションがパニキ作戦と命名されている。
都内では中央ジャカルタ市にあるサリナデパートの裏を通っているハジアグッサリム通りがかれら外国人犯罪者のショバのひとつになっており、警察もハジアグッサリム通りとワヒッハシム通り一帯がアフリカ人を主体とする外国人の犯罪活動エリアになっているとして捜査活動の重要ターゲットに位置付けている。1月21日に行われたオペレーションではカメルーン人5人がハジアグッサリム通りにあるレストランで検挙された。麻薬捜査員がそのレストランに入って取調べを行ったところ、いきなりレストランの電気が消された。真っ暗な中で捜査員は店内にいた者をすべて外に出し、再び点灯して店内を捜索したところ不審な持ち主不明の包みが発見され、中に1万枚を超える米ドル紙幣が入っていることがわかった。こうしてカメルーン人5人がその贋造紙幣に関する重要参考人として検挙された。金種の大半は額面百ドルのものだが、まだ最終仕上げがなされていない半製品。そのレストランでは過去にも贋造米ドル紙幣が発見されており、警察はそのレストランがたまたま犯罪者に場所を利用されただけのことではないのではないかとの疑惑を強めている。
アフリカのある国の人間は昔からインドネシアで贋造紙幣に関わってきたことが都民の間で通り相場になっている。およそひと月ほど前にも、その地区で数万ドル相当の贋造米ドル紙幣が発見されている。そのとき発見された贋札は一見して仕上がりが粗雑であることがわかるもので、それが半製品だったのかそれともそのまま市場に流されようとしていたのかは不明。その事件は、参考人であるオーストラリア人が帰国し、また容疑者のナイジェリア人は逃亡したため、警察の捜査は行き詰まっている。ほかにも麻薬捜査で検挙されたカメルーン人2人から贋造米ドル紙幣が明るみに出たケースもあり、麻薬と贋札の二刀流がいまや外国人犯罪者の常套活動になっていることを思わせる。尚、1月21日のパニキ作戦ではカメルーン人5人以外にも11人の外国人が入国滞在許可関連書類に関する違反で拘留された。


「銀行利用者強盗グループを警察が逮捕」(2007年1月30日)
銀行から大金を引き出した一般市民をターゲットにして数百回も強盗犯罪を行っていたパレンバングループがついに南ジャカルタ市警に摘発された。警察が把握しているこのグループの最新の犯行は、2006年11月27日にドクトルサトリオ通りのサンプルナスクエアビル脇で銀行帰りの市民を襲って3億1千5百万ルピアと1万米ドルを奪った事件で、捜査の結果マンガライ地区のパサルンプッで一味のひとりがまず逮捕され、逮捕者に仲間の居場所を教えさせるという伝統的な捜査手法で11人からなるパレンバングループの5人までが警察の手中に落ちた。リーダー格のひとりクレスナ別名アチョン27歳は南ジャカルタ市ジャガカルサ地区にいる仲間を教えるために捜査官に連れられて現地に向かったが、隙を見て逃走しようとしたために捜査官に射殺された。また一味のひとりアバス36歳も捜査官に抵抗してきたために左腿を撃たれている。
銀行帰りの市民をもう数百回も襲ったと自供しているこの一味の犯行手口は、メンバーがそれぞれ役割を分担して行われてきた。まず銀行に入ってカウンターやATMから大金を引き出した者を見つけ出し、その人間をマークする担当。通常その担当は怪しまれないように自分もその銀行で金銭の出し入れを行っている。ターゲットが決まるとほかのメンバーが二台のオートバイにそれぞれふたり乗りしてターゲットのあとを尾行する。赤信号でターゲットが乗った車が停止すると、オートバイのうしろに乗っていたメンバーがターゲットの車の後輪タイヤにナイフを突き刺してパンクさせる。ターゲットが自動車のタイヤを交換しているときに、ほかの仲間が車内に置かれた大金を奪って逃走する。これが通常かれらが行ってきた犯行のシナリオ。南ジャカルタ市警は証拠品としてこの一味からタイヤをパンクさせるのに使われていたナイフ、T字型ツール、オートバイ2台を押収した。警察は逃走中のほかのメンバーを追っている。


「スカルノハッタ空港で飛行機が衝突」(2006年2月15日)
2月1日13時半ごろスカルノハッタ空港で、ガルーダ航空スマラン行きGA238便とメッカ巡礼者をサウジアラビアから運んできたサウジアラビア航空機が衝突して機体の一部が破損した。ガルーダ航空のB737−500型機がF−51ゲートから出発しようとしてエプロンから滑走路に動き始めたところ、駐機ポイントR−75にいたサウジアラビア航空のB747−300型機も同空港内のメンテナンス施設への移動を開始したため、双方がバックしながら衝突した。この衝突でB737機の垂直尾翼にあるラダーとB747機の右側水平尾翼のエレベータがぶつかってそれぞれ1メートルほど破壊された。それぞれの機長の証言によれば、双方がほとんど同時に管制塔からプッシュバックを了承する指示を受けたとのこと。交通安全国家コミティ委員長は、初期調査からは通信上の問題が事故原因であるように思える、とコメントしている。スマラン行きガルーダ航空は急遽機体を変更して出発した。衝突した双方の機体の修理は3ヶ月ほどかかる見込み。


「タマンミニ大モスクはスリの稼ぎ場」(2007年2月15日)
2007年1月12日付けコンパス紙への投書"Copet di Masjid Agung TMII"から
拝啓、編集部殿。2006年12月31日、わたしども一家は東ジャカルタ市タマンミニインドネシアインダにあるアッティン大モスクでイドゥルアドハの礼拝を行いました。わたしどもは二階でもいいから少なくともモスクの中で礼拝をしたいと考え、早朝にモスクに向かいました。ところがその日はスブの時間から雨が降り出し、わたしどもがモスクに到着した時は6時15分になっていました。そのときそこはもうひとで一杯になっており、モスクの脇の入り口はひとであふれていました。たいへん遺憾なことに、入り口の前でひしめいていたひとびとの中にスリがたくさん混じっていたのです。かれらに礼拝する意思はなく、入り口の前で人ごみを作って中へ入りたいひとが通るのを邪魔し、スリ仕事をしやすい状況を作り出していたのです。実際にモスクの中はまだ空いていました。
モスク脇の入り口の混雑を通り抜けるとき、わたしの息子はポケットを探られて携帯電話をスられたことに気が付きませんでした。他の入り口から中に入った父親と連絡を取ろうとしてはじめて携帯電話がスられたことに気が付いたのです。礼拝が終わってから息子は、モスク内をバティックの制服を着て役員と書いた札をクビから下げて行ったり来たりしているひとに届け出ましたが、そのひとは「だから気を付けなきゃいけない。ここはスリが一杯いて、盗難は頻繁に起こっているのだから。」と息子に言っただけで行ってしまいました。
あんなに大きく素晴らしいモスクで多くのスリがうろついているなんて、とても残念です。アッティン大モスク運営者はモスクからスリの悪行を一掃してください。警備員を配置して、悪人や犯罪者がアッティン大モスクのイメージを壊すのを赦さないように。スハルト元大統領もそこで礼拝したと聞きました。治安は維持されなければならないのです。[ 東ジャカルタ市チブブル在住、スリ・ムルティアナ ]


「インターネット闇賭博開催は田舎町で」(2007年2月16日)
国家警察犯罪捜査庁サイバークライムユニットが東ジャワ州ラモガン県の小さな田舎町を根拠地にして行われていたインターネット賭博を摘発した。ラモガン県ババッのババッラモガン街道236番地の住宅が闇賭博主催者の根城で、国家警察はその民家を急襲して11人を逮捕し、またコンピュータ4台、ファックス機十数台、テレビ4台、賭博台帳などを証拠品として押収した。警察はこの賭博の胴元を逮捕者の中にいたスラメッ・チョクロディナルジョではないかと見ている。
この闇賭博一味は3年前から活動を続けてきたが今回やっと警察の網にかかった。賭博の上がりはひと月150億ルピアで、賭博参加者は1百人おり、賭けの対象はテレビで一般に放映されているサッカーゲームを主体としていて、賭博参加者は10万ルピアから2千万ルピアまでの金額を賭けるためにEメール、ファックス、電話などで申し込んでいた。この闇賭博は賭けに勝てば賭けた金額が二倍になって戻ってくるというシンプルな賭博だった。警察側は、インターネットの普及によってもはや大都市で闇賭博を開催する必要がなくなり、むしろリスクの高い大都市を避けて小さな田舎町でひそかに行うのを犯罪者が選択しはじめたことの実例だと今回の事件を評している。国家警察は2006年にバンドン、スメダン、スバン、スマランの四ヶ所でインターネット闇賭博を摘発している。


「Eメールの罠」(2007年2月20日)
パキスタン人ムハマッ・シャフィイはインターネットを介してインドネシア人と知り合いになった。ミズハルという名のそのインドネシア人はなかなかのインテリで、ムハマッはミズハルに尊敬を抱くようになった。ミズハルはgerajage***@yahoo.comというEメールアドレスからメールを送ってくる。二人の間でメールのやりとりが続き、ある日ミズハルはムハマッをジャカルタに遊びに来るよう誘った。ムハマッはそれに応じた。ミズハルはスカルノハッタ空港に迎えに来てくれると言う。行き違いになったときのために08561747XXXという携帯電話番号も教えてくれた。はじめてのジャカルタ旅行。そして観光案内をしてくれる友達もいる。ムハマッの心は弾んだ。
ジャカルタのスカルノハッタ空港に着いたムハマッをミズハルは約束通り出迎えた。そして東ジャカルタ市チラチャスにある自宅に泊まるようムハマッを誘った。車は一路チラチャスへ。ところがチラチャスのガンダリアガソリンスタンド近くまで来たとき、安心しきっていたムハマッにミズハルは突然牙をむいたのである。ミズハルはムハマッを殴り、持っていたバッグを取り上げた。心服しきっていたムハマッはミズハルに聞かれて2千米ドルの現金をもってきていることを正直に話していたのだ。ミズハルは更に暴力をふるってムハマッに危害を加えようとする。ムハマッはたまらずミズハルの車から逃げ出した。ミズハルはそれ以上ムハマッを追いかけようとせず、車を駆ってそこから去ってしまった。はじめて訪れた外国、見知らぬ土地。そこへ着のみ着のままで投げ出されたひとりぼっちのムハマッ。まるで悪夢のようなその体験に、ムハマッは茫然として何をしてよいのかわからない。
しかしジャカルタには悪人もいれば善人もいる。通りかかったマルコ・サヘルティアンが挙動不審な外国人に注意を向け、事情を尋ねた。かれは国境を越えて仕掛けられた罠に落ちたそのパキスタン人をチラチャス警察署へ連れて行った。チラチャス警察署は外国人関連犯罪であるため首都警察本部に届け出るようムハマッに勧め、南ジャカルタの首都警察本部へかれを案内した。首都警察はムハマッの証言を更に掘り下げているところだ。


「都内マトラマン通りで銃撃戦」(2007年2月26日)
2月20日早朝3時ごろ、東ジャカルタ市カユマニス第6通りで白色のキジャンを押している不審な6人組みを私服警官ふたりが職務質問した。すると男たちのひとりが即座に拳銃を抜いた。私服警官ふたりもすぐに拳銃を抜いて対抗する。相手が警官だったことを覚った6人組はキジャンを放り出してすぐ逃げ出し、自分たちが乗ってきたトヨタアバンザに乗って逃走した。警官ふたりもオートバイでそれを追跡する。四輪と二輪のカーチェイスが展開され、追跡行の間に賊が三発、警官も三発銃弾を発射したが死傷者は出なかった。結局トヨタアバンザは有料自動車道路の中に逃げ込み、行方をくらましてしまった。2月15日早朝にもチョンデッ地区で拳銃を持った6人組が自動車を盗んだ事件が起こっており、同じ一味の犯行ではないかと警察では見ている。。


「夜行バスに泥棒」(2007年2月26日)
2006年11月1日付けコンパス紙への投書"Pencuri Beroperasi di Bus Malam"から
拝啓、編集部殿。2006年10月5日、わたしどもはソロ発バンドン行きラジャワリ夜行バスのエグゼキュティブクラスに乗りました。座席番号は1,2,3でした。17時15分にソロのバスターミナルを出発したとき、乗客はわたしども三人しかいませんでした。その後サラティガとスマランでほかの乗客が乗ってきました。最前列に座っていたことと乗ってきた乗客が10人ほどで少なかったために、わたしどもはほかの乗客を全員覚えています。
自動車が走っている間、おかしなことは何一つ起こりませんでした。ましてやわたしどもは運転手と車掌に一番近い場所にいたので、少々のことは大丈夫だろうと安心していました。早朝4時半ごろバンドン市内に入り、わたしどもは下車の準備を始めました。そのとき手持ちバッグの中味が消え失せていることに気付いてたいへんなショックを受けたのです。ソニーDVDハンディカムとケーブル一式、そして携帯電話とメガネがなくなっていました。
わたしどもはすぐ運転手に知らせました。運転手は犯人のめぼしがついていたようで、バンドン市内に入る前のタンジュンサリ地区で下車した男の特徴を説明してくれました。わたしどももその大柄な男の顔は覚えています。どうやら夜行バスでの盗難事件は珍しいものでなく、泥棒一味はいつもタンジュンサリ地区でバスを降りるのだそうです。もはやわたしどもにできることは何もなく、盗まれたものを諦める以外にどうしようもありません。問題は、夜行バス内のしかも乗客数の限られたエグゼキュティブクラスでいつも泥棒が徘徊し、それをわかっていながらバス会社も警察も何の対策を取ろうともしないのはどうしてかということです。盗みにかけては達人であるかれら泥棒たちからバス会社はどうして乗客を保護しようとしないのですか?警察がかれらを罠にはめることだって難しくないではありませんか。少なくとも夜行バスの中に「手荷物に注意するように」という警告を貼り出してもいいではありませんか。そんな注意書きはエコノミーバスにだって貼り出されています。[ バンドン在住、ヨセファ ]


「闇賭博場が摘発される」(2007年3月7日)
西ジャカルタ市警は2月26日午前2時にプタンブラン地区にある闇賭博場を急襲して賭博胴元ら45人を逮捕した。この闇賭博場は西ジャカルタ市グロコルプタンブラン地区ジュランバル通りブロックA20を住所とする店舗住宅で、一階から三階までを使って終日賭博が催されていた。西ジャカルタ市警はできるかぎり極秘にこの摘発作戦を準備し、何層にも構築された賭博場側の警戒線を突破してこの深夜の摘発作戦を実施した。ところが、普段は三階のすべてを使って行われている賭博が、警察がその店舗住宅に踏み込んだときには二階のワンフロアでしか賭博が行われていなかった。この闇賭博場は一日中ひとの出入りが絶えることがなく、賭博場の収入は一日で数十億ルピアにのぼるのではないかと警察では推測している。


「ポルノがかれらをそうさせた」(2007年3月13日)
東ジャワ州トレンガレッの田舎町を住民たちがこれまで夢想だにしなかった事件が襲った。インドネシアでレープ事件は珍しいことではない。しかしまだ小学校6年生の子供たちがレープ事件を起こしたことに大人たちは大きなショックを受けたのだ。しかもそれはシンプルなレープでなく、11歳と12歳の男児4人がクラスメートの女子生徒ひとりを輪姦し、おまけにその女子生徒に対する輪姦が何回も繰り返されていたことが判明したのである。教室で、図書館で、校内のマンディ場で、そして被害者の自宅で、2006年5月から何度となく子供たちの性的暴力行為が繰り返された。年端も行かない子供たちが犯したこの事件は地元社会に大きな波紋を投げかけた。子供たちはいまトレンガレッ社会更生院に収容されて法の裁きを待っている。
アリス・ムルデカ・シライッ児童保護国家コミッション事務局長は、明るく純朴な子供の世界が荒んで恐ろしげなものに変わった原因のひとつに子供たちが見聞するものの影響があげられる、と言う。子供たちが本来的に持っている模倣性向が見聞するものをお手本にしてしまう。同コミッションのサーベイによれば、マスメディアで放送されている番組の62%は暴力性向を呼び起こしまた植え付けるものだそうだ。物理的暴力、精神的暴力、そして性的暴力を。
2005年には激増するわいせつがかった出版物に関する調査が行われ、その消費者の72%が18歳未満の若者たちであるという予想もしなかった事実が明らかにされた。子供たちにそんな出版物を買う十分な資金力はない。ところが子供たちは金を出し合ってそれを買い、みんなで回し読みしていたのだ。子供たちの性欲はポルノVCDやDVDでさらに刺激される。都内グロドッ地区のようにそんな媒体が簡単に手に入る場所も、法の手がいつまでたっても粛清できないでいる。グロドッでは1万ルピアでポルノVCDが3枚手に入る。ワルネットでは4千ルピアでポルノサイトを思う存分楽しめる。何歳であろうと性的空想に浸った頭は邪悪な手を猥褻行為に駆り立て、少女たちがその犠牲者となる。ここ数年性的暴力行為による被害の届け出は急増しており、同コミッションは426件の性的暴行事件を2006年に記録した。そのうちの20%は子供が犯したものだ。
トレンガレッの例でも、事件を起こした少年たちはテレビ番組、ポルノビデオ、わいせつ印刷物などからヒントを得たと語っている。年端も行かない年齢なのに性的欲求を大人なみに肥大させた子供たちはむしろ増加の傾向をたどっている。子供にそのような性的刺激を与えるものを世の中から追放してほしいという大人たちの声はますます膨らんでいる。


「盗みの新手口」(2007年3月14日)
2007年2月10日付けコンパス紙への投書"Maling HP Membagi Koran"から
拝啓、編集部殿。2007年2月5日午前10時ごろ、わたしが店で新聞を読んでいるとひとりの男が入ってきて、ジャカルタで発行されている新聞を無料でくれました。わたしはその男をプロモーションのために新聞を無料で配っている新聞配達人だと思ったのです。その男はわたしに新聞を開いて2ページ目の記事を読むよう強く奨めました。水害に流されて死んだ人についての重要な記事があるとその男は言います。新聞を開くよう強く奨めたのでわたしは油断してしまいました。そのとき男はわたしが机の上に置いた携帯電話を左手でつかんでいたのです。その男の特徴は中肉中背で40歳前後、薄茶色のジャンパーに同じ色の帽子をかぶり、新聞をたくさん持ってオートバイに乗っていました。
そのときわたしは子供からのSMSを待っていたため携帯電話を机の上に置いていたのですが、それがわたしの失敗です。ひと気のない状況下に店や事務所をひとりで番している人間が犯人のターゲットです。西ジャカルタ市ピントゥクチルにあるわたしの店はそのときまだひと気がなく、駐車している自動車は一台もありませんでした。この手口はまったく新しいもので、おまけにわたしが店番をしている場所で起こったのですから。携帯電話の価格はたいしたものではないでしょうが、商売上の関係者、顧客、ファミリー、友人たちのデータがたくさん入っており、それらをわたしはまた集めなければなりません。無料で分けてくれる新聞や雑誌に油断してはいけません。[ 西ジャカルタ市在住、チャルリ・ブディマン ]


「恐るべき子供たち」(2007年3月15日)
刑務所で服役中の子供と犯罪容疑で拘留されている子供の数は2006年に激増した。下の表がその実態を示している。
年 / 子供服役者数 / 子供拘留者数
2004 / 994 / 2,057
2005 / 802 / 2,179
2006 / 1,325 / 4,130
2004年の子供服役者のうち16人は女性、2005年では7人が女性、2006年は34人が女性となっている。
子供たちが犯した犯罪行為のうちの40%は麻薬関連、20%が賭博、そして残りは強姦,殺人、強盗など一般的な犯罪行為だ。2006年の子供犯罪者急増で全国16ヶ所の少年刑務所は既に定員オーバーになっており、一般刑務所とよく似た状況になってしまった。法務省の統計を見ると、未成年者が犯した犯罪の9割は入獄判決が下され、入獄した犯罪者は更生するどころか凶悪さを深めて再犯者になるのが普通という結果が示されている。その状況に関して児童保護活動家たちは一様に、未成年を監獄で服役させるのはより凶悪な犯罪者を養成していることにほかならない、と批判する。監獄は犯罪者製造工場だ、とかれらは言う。
アリス・ムルデカ・シライッ児童保護国家コミッション事務局長は、少年法曹システム法がいまだに実施されていない現状に対して警鐘を鳴らす。「いま子供たちは少年裁判所でなく一般裁判所で裁かれている。少年留置所、児童担当警察官、子供法廷での検事や判事など少年法曹システムを形成する要素を早く整えなければならない。そして子供を裁くのにいま用いられている刑法の条項でなく子供を対象にしたものを、また服役させるときに大人と一緒に監獄へ入れることも変えていかなければならない。」
そのような声の強まりに対して警察も配慮を示しはじめた。国家警察本部は2006年末に全国の警察機構に対し、少年の取扱いに注意を払うよう指示する文書を送った。拘留された少年の坊主刈り禁止、洗車や署内の掃除命令禁止、怒鳴りつけてはいけない、大人拘置者との同房禁止。捜査員に対しても、子供犯罪に関しては大人の養育の失敗による子供の反抗という要素をベースに置いて捜査活動を行うように、と指示している。


「銃で落命する警察官たち」(2007年3月21日)
3月14日午前8時前、スマラン市警本部副署長室に闖入した者があった。室内にいたリリッ・プルワント副署長は驚いた。総務課女性職員に拳銃を突き付けて規律向上苦情サービスユニット職員ハンチェ・クリスティアント一級副巡査部長32歳(軍階級呼称では一級軍曹にあたる)が入ってきたのだ。しばらく副署長と押し問答がなされ、そうしてハンチェは副所長室のドアに鍵をかけた。8時ごろ、二階にあるその副署長室から銃声が数発轟いた。丁度そのとき、中部ジャワ州警察本部からグガナチームと警察機動連隊隊員らが到着し、銃を手にして副署長室を取り囲んだ。署内の親しい友人や上司が説得し、ハンチェの親や妻も呼び出されてハンチェへの説得に努めたがハンチェは頑なに篭城を続ける。それどころかハンチェは室内で闇雲にピストルを発射した。それがハンチェの最期だった。州警察機動連隊員が通風孔からハンチェを狙撃したのだ。部屋を押し破って副署長室内になだれ込んだ州警察職員たちの前に胸を撃ち抜かれたハンチェの死体が転がっており、その向こうにも6発の弾丸を受けて息絶えている副署長の姿があった。
ハンチェは問題児だった、と市警本部署長は語る。かれは不倫を犯したとして署内規律委員会で制裁を受けた。処分は州内クンダル署への転勤。そうして14日朝、朝礼に出ないで遅れて出勤して来たハンチェは総務課に直行し、女子職員に自分への転勤命令がどうなっているのかを尋ねた。それが午前7時半ごろのこと。女子職員はハンチェに転勤命令書を示した。するとハンチェは拳銃を抜いてその女子職員を人質に取り、二階の副署長室に上がって行った。同僚たちは茫然とハンチェの行動を見守っていたという。この事件について警察オブザーバーのひとりは、実入りのよい部署に置かれていた悪徳職員が実入りのない部署に移動を命じられたとき、きわめて感情的で粗暴な振る舞いを取ることが多い、とコメントしている。
3月12日には西ジャワ州警察麻薬局第4ユニット職員ひとりが自分の拳銃で落命した。ソフィヤン副巡査部長(軍階級呼称では軍曹)32歳が机で報告書を書いていたところ、自分の拳銃コルトデテクティブスペシャルを落した。しかしその拳銃が床に落ちる前にかれの手はそれを捉まえた。上司が銃の扱いには気をつけるようにと注意した。ソフィヤンは手にした拳銃の弾倉を調べた。そのとき拳銃が火を噴いたのだ。弾丸はソフィヤンの首から頭に入り、かれは即死した。
3月8日、マドゥラ島バンカランの警察署員リファイ・ユリアヌス一級副巡査部長は妻アリアニ、義母アスマ、同僚プジヤント、妻の不倫相手(とリファイが思い込んでいた)サトリオ・プラボウォを射殺したあと、自分の頭を打ち抜いて死んだ。この事件のしばらく前、リファイとアリアニ・ウィディアストゥティの夫婦関係は急速に悪化した。ふたりは床別れをし、離婚寸前となった。しかし一度夫婦になった男女を離婚させないようにしようという世間の傾向はここにも作用し、ふたりは一度は仲直りをした。ところが妻の素行にリファイはふたたび不信を抱くようになり、ある日思い余って行動に出た。
市中には11,894件の銃火器所持許可が出されており、それだけの銃が市井にある。加えて想像もつかない量の不法製造銃火器もある。それらの取締りを強化しても、警察官の私的な発砲事件がそれに取って代わるだけでは市民の不安は拭えない。


「警察へのイセンSMSは22件」(2007年3月22日)
3月1日から15日までで首都警察SMS通報1717番宛てに送られてきた爆破予告SMSは22件を数えた。警察はやっとそのうちの5件を解決しただけ。まずアンチョルジャカルタベイシティのドゥニアファンタシが爆破されるというSMSを送った西ジャワ州カラワン住民ヤントが検挙されたが、かれは自分の携帯電話を登録するさい名前をOsama bin Laden 住所はアフガニスタンと書いて届け出ていた。北ジャカルタ市モールアルタガディンの爆弾予告は女子大学生が容疑者として検挙されている。インドネシア銀行へのテロ予告は中央ジャカルタ市の農民。モナスの爆破は小学三年生の男児。イギリス大使館についても容疑者が挙げられた。いずれも爆発物処理班が出動して現場を捜索しているがそれらしい物は見つかっていない。それらのイセンSMS発信者は刑法違反とテロ犯罪防止法で裁かれることになる。


「また搾取レッカー車の被害」(2007年3月29日)
2007年2月22日、エペンは運転手が走らせるキジャンに乗ってチカンペッ有料自動車道をジャカルタ方面に向かっていた。ジャティブニン料金所にさしかかる。交通状況は順調に流れているが道路は混雑している。ところが意外にも、左側車線を走っていたエペンの車にコルトジーゼルのボックス車が突然右から近寄ってきて体当たりを食わせた。おまけにその体当たりは何回も行われたのだ。エペンは驚ろいた。キジャンは右側のヘッドライト、エンジンフード、バンパーがひどく壊された。
運転手はすぐにキジャンから下りてボックス車に近寄り、運転者と話をする。ボックス車の運転者は自分が責任を取ると明言し、携帯電話で誰かに連絡した。インドネシア東部地方の人間特有の訛りがある。およそ10分後、道路管理会社のものでないレッカー車がやってきた。レッカー車に乗っている数人の男たちもボックス車の連中と同じ種族のようだ。かれらは一言の挨拶もなしにキジャンの連結作業に取り掛かった。エペンが何か言うと、決着はUKIにある事務所でつけるから、ともかく自動車道から早く出なければいけない、と言う。ぐずぐずしていると問題にされるからと言われて、エペンも悪徳警官にたかられてはたまらないと思った。
レッカー車の乗組員がひとりずつ、エペンの車とボックス車に乗り込んだ。ボックス車が逃げないようにするためだろうとエペンは思った。レッカー車はUKI前の広い道路の脇に来て車を止めた。事務所のような建物は何一つない。そして一緒に来るはずと思っていたボックス車も、影も形も見せないではないか。そんなことにはお構いなしに、レッカー車乗組員のチーフ格の男がやってきてエペンに170万ルピアを要求した。その間、自動車専用道路管理会社の車は一度も目にしなかった。そしてどうやら、管理会社とは無関係のレッカー車でも自由に道路を出入りできることにエペンはやっと気がついた。道路に入るレッカー車はすべて管理会社の監督下にあるものとエペンは思っていたのだ。
エペンはもちろん、この事件を警察に届け出た。そしてコルトジーゼルのボックス車についていたナンバープレートのB9130Rという番号がニセモノであったことを知らされた。エペンが体験した一連の出来事は百%仕組まれたものであることが判明した。搾取レッカー車ビジネスは、エンストしている車だけを餌食にするのでなく、問題のない車を餌食にすることにまで手を広げるようになっていたのだ。そしてエペンの失敗は、意表をついた事故と見た目の大きな被害に心理状態を撹乱され、そしてそんな被害者に考える隙を与えずにあれよあれよと言う間にキジャンをレッカー車に連結してUKIまで牽引した一味の策略に乗せられてしまったことだ。なぜならエペンのキジャンはエンジンも足回りも異常がなく、自力走行できる状態にあったのだから。


「ネパール麻薬ルートが暴かれる」(2007年4月2日)
国家警察と国家麻薬庁がチピナン刑務所の中をキーにしている麻薬流通ルートを暴いた。3月12日、国家麻薬庁は、チピナン刑務所で服役中のトーマスという名の囚人が麻薬売買を刑務所内から操っているとの情報を入手した。調べたところ、トーマスというのはオーストリア国籍のトーマス・ボルジスキーでヘロイン所持現行犯で入獄18ヶ月の判決を受けた男であることが判明した。トーマスはすでに6ヶ月服役している。国家警察が囮捜査を開始した。翌日、私服捜査官が刑務所を訪れてトーマスに面会を申し込む。そしてシャブ650グラムを6.5億ルピアで買う話がまとまったが、商談の中でトーマスはシャブのサンプルを捜査官に提示している。そのサンプルは同じ刑務所で服役中のネパール人ブディから借りたもので、麻薬が刑務所内を自由に出入りしている事実がそこからもうかがえる。商談成立後トーマスと囮捜査官との間で電話によるコンタクトが続き、ついに26日、物が用意できたという連絡が入ってきた。捜査官は西ジャカルタ市ホテルサンティカ304号室を取引場所に指定し、トーマスはエリサという名前のインドネシア女性が物を届けると言って取引のアレンジが終了した。エリサ26歳はトーマスの女だったことがあとで判明したが、エリサは26日に物をジャカルタまで運んできたネパール人ゴパル・シェルパ35歳とかれの宿舎で落ち合い、翌日の取引の準備を行っている。そして27日午後4時前、エリサとゴパルはホテルサンティカ304号室を訪れた。捜査官が2億5千万ルピアを渡すと、エリサはシャブを捜査官に示した。そのときふたりは麻薬捜査班に逮捕された。
関係者が一網打尽にされたあと、かれらの自供からそのシャブがホテルまで届けられたルートが明らかになった。捜査官との商談成立後、トーマスはブディに注文品をジャカルタまで運び屋に持ち込ませるよう指示した。ブディはシンガポールにいるシンジケートの一員アマル・グルンに指令を飛ばした。アマル・グルンはナイジェリア製のシャブをネパール経由でシンガポールに運ばせた。ゴパル・シェルパはシンガポールでアマル・グルンという名のネパール人からホテルロイヤルインディアへ面会に来るように言われ、アマル・グルンと会った。アマルはゴパルにナイジェリア製シャブを渡し、インドネシアへ持ち込めば1千2百米ドルの報酬を与えると約束した。アマルはその足でシンガポールからタイに出国した。3月21日、ゴパルは物をトランクに入れるとバタム行きフェリーに乗った。インドネシアに入国したゴパルはブディという名のネパール人から電話で指示を受け、その指示通りに従った。ゴパルはブディと一面識もない。ゴパルはバタムから飛行機でジャカルタに飛んだ。スカルノハッタ空港に着いてから、ブディが指定する宿舎に入る。そして26日、エリサと名乗る女がゴパルの宿舎にやって来た。それがその間の物の動きだ。国家麻薬庁は、ナイジェリアルートはもう割れているが、ネパールルートが明らかになったのは今回がはじめてだ、とコメントしている。


「なりすましPLN職員は泥棒」(2007年4月5日)
2006年12月18日付けコンパス紙への投書"Karyawan Gadungan PLN Jadi Pencuri"から
拝啓、編集部殿。2006年12月2日、わたしの家で電力追加工事が行われました。PLNに申し込んだ通りの作業です。その作業者が帰ったあと、今度は別のPLN職員がやってきました。PLN職員のかっこうそのもので電気器具を持ち、屋内の電圧を調べると言うのです。電力追加工事が行われた後は電圧がよくおかしくなるから調べなければならないとその職員は言いました。その二人目の職員も作業を終えて帰ったあと、わたしは家の寝室で充電中だったノートパソコンが無くなっているのに気がつきました。12月4日、わたしは電力追加工事を依頼した西ジャカルタ市カプッのPLN事務所にその事件を届け出ました。苦情受付担当者は、電力追加工事のあと紛失届がよく来ると言い、なりすまし職員を家の中に入れたわたしが悪いと非難するのです。
わたしはPLN職員になりすました泥棒とPLN内部の人間が共謀して行っているのではないかという疑惑を抱いています。その泥棒は、どの家が電力追加工事を申請したのかを実によく知っており、おまけに本物職員が帰った後あまり時間をおかずにやってきているのです。そのため泥棒が家の中に入る理由に対して住人はほとんど不審を抱きません。
この事件が頻発していることをPLNが知っているのなら、自社の顧客に損害を与えるこのような手口を放置して黙っているような態度をPLNはどうして取っているのですか?それどころか、PLNの名前も汚されているのです。[ 西ジャカルタ市在住、ティアラ・チャンドラ ]
2007年1月11日付けコンパス紙に掲載されたPLNの回答
2006年12月2日に電力追加工事を行ったティアラさんからの12月18日付けコンパス紙に掲載された投書についてお答えします。その問題についてカプッサービスエリアから弊社の担当者が状況を明らかにするためティアラさん宅に伺いました。その際に弊社は電力追加工事のプロセスについて説明し、また現場で電力利用者と直接接するPLNの外注職員の特徴をもお知らせしました。外注職員たちの個人データと顔写真も持参しましたが、電力追加工事の直後にティアラさんのお宅を訪問した者はその中に見出すことができませんでした。
当方は全PLN顧客に対し、PLN職員を名乗って各家庭を訪問する悪人たちの詐欺の被害から免れるよう、常に用心深く警戒して対応されるよう警告いたします。[ PLNジャカルタタングラン配電所、アズワル・ルビス ]


「殺し屋のご用命は当方に」(2007年4月6日)
首都警察は3月26日ごろから国内に出回り始めた殺人請負Eメール広告の捜査を進めている。この殺人請負広告では、だれかに恨みを持つ人間や倒したいビジネス上の敵を持つ人間はだれでも注文でき、殺し方も在来型からモダンスタイルまでお好みのままだ、と宣伝している。爆薬、毒薬、あるいは普通に行われている殺人方法などよりどりみどり。請負者の技能はプロのもので、殺害を思わせるような証拠は何も残さずあたかも事故で死んだかのように殺しを行うことができる。注文主に関する情報は完全に秘匿することができる。
首都警察はこの広告がホンモノの殺し屋なのかあるいは話を進めておいて金をもらった時点で姿を消す詐欺なのかまだ見極めがつけられないでいるが、ともあれ社会に犯罪を誘発させる行為は放置できないとして慎重に捜査を進めている。問題はこのEメールの主が国内にいるのか国外にいるのかが捜査進展の鍵を握っており、もし国外にいる場合はできることが限られてしまうと首都警察広報部長は語っている。


「女子大生を拉致した誘拐犯が逮捕される」(2007年4月11日)
ビナヌサンタラ大学2年生のフェラワティ21歳を拉致して身代金をその親から奪おうとしていた三人組を西ジャカルタ市警察が4月1日夜、西ジャワ州プンチャッで逮捕した。その事件の主犯であるマイケル・インドラ・クルニアワンはフェラワティの親友の夫で、マイケルは最初西ジャカルタ市クマンギサンの下宿にいるフェラワティに電話をかけてきた。マイケルは妻と喧嘩しているのでフェラワティに仲を取り持ってほしいと依頼してきた。しかしフェラはかれを相手にしなかった。するとマイケルが仲間の男ふたりを連れてフェラの下宿に現れ、むりやりフェラを拉致した。それが3月30日夕方のこと。フェラはマイケルに背中を三回叩かれたと語っている。緑色の乗用車に乗せられてそこからジャゴラウィ自動車専用道路に向かったフェラは、自動車道に入ったあと手足をビニールひもで縛られ、目と口をガムテープでふさがれた。そんな状況になったからこそ、フェラはおびえた姿を見せてはいけないと自分に言い聞かせた。三人兄妹の末っ子のフェラは気丈にも、落ち着いた様子を保った。狼たちの目の前でおびえたり怖がった様子を見せるとかれらはそんな被害者をなぶり者にしようとしてかえってちょっかいを出してくる。そんな犯罪者のメンタリティをフェラは知っていたのだ。
チパナスのビラに着くと一味はフェラの父親に電話で1億5千万ルピアの身代金を要求した。拒めば娘の命はない、と。タングランのブミスルポンダマイで鉄材商を営んでいるフェラの父親は3月31日、西ジャカルタ市警に誘拐事件を届け出た。そして娘の身になにかあっては一大事だと考え、マイケルの口座に5百万ルピアを振り込んだ。チパナスのビラ「ジョニ」の裏部屋に押し込まれてナシブンクスやパン、ミネラルウオーターなどをあてがわれていたフェラはそこで恐怖の時間を過ごした。
銀行に網を張っていた警察はほどなく、ホテルチアンジュルの表にあるBCA銀行のATMでフェラの口座から現金が引き出されたという情報を入手した。一方、31日正午ごろ、フェラをひとりで見張っていた三人組のひとりアセンはフェラに同情し、フェラを逃がしてやることに決めてフェラとふたりでバスに乗ってジャカルタに向かい、フェラの実家まで送ってやった。警察はその間に、誘拐犯が使っているビラを監視下に置いていた。そして4月1日20時ごろ、ビラに戻ってきたマイケルとアチェンを逮捕した。そのときマイケルは逃走しようとしたため脚に銃弾を受けた。また同じ頃、フェラを戻してやったあとで自宅に戻っていたアセンにも警察からお迎えがやってきた。


「バンドンで銃撃戦」(2007年4月19日)
4月12日の日没。バンドン市内アスタナアニャル通り一帯は小雨に濡れていた。小規模商店が並び、カキリマ商人が徘徊し、通行人の流れが途切れなく続く。「Toko Mas ABC」と書かれた店舗の中でも、多数の買い物客がショーケースの中の黄金製装身具の品定めをしていた。雨合羽を着てヘルメットをかぶり、ショールで顔を半ば包んだ姿勢の良い男が三人店内に入ってくると、そのうちのひとりが叫んだ。「開けろ!」
そのとき三人の賊は一斉に銃を身体の前に構えた。ひとりがショーケースの上に飛び上がった。70歳の店主が反射的に立ち上がる。轟音が数回とどろき、店主は血に染まって倒れた。男の手には拳銃が握られている。店内を即座にパニックが包んだ。もうふたりの男たちも長銃の銃口を店内にいるひとびとに向ける。「手出しをするんじゃないぞ!」
店の前にしゃがんでいた大柄な男に、賊のひとりが銃口を向けたまま歩み寄った。頭の禿げた大柄な男はそのまま両手を頭の高さにあげた。ところが思いもよらず、一言の挨拶もなしに銃口が火を噴いた。弾丸はしゃがんでいた男の右のこめかみから左のこめかみに抜けたあと、左手に突き刺さって止まった。被害者は即死した。
店内に入った三人の賊のひとりが表に出てくると、少し離れた方向に向かって長銃を連射した。賊は事件を知って駆けつけてきた警官を銃撃したのだ。その周辺にも通行人や店員やカキリマ商人たちがいるというのに、酷薄な賊は情け容赦もない。路上にいた何人もがその場にくず折れた。しかし賊は銃の連射をやめようとしない。店の表でそんな銃撃戦が展開されている中、店内の賊は落ち着いてショーケースの中の黄金装身具をかき集めている。獲物を一つ残さずかき集めた賊は店を出ると近くにいたオートバイ三台に分乗して薄暗がりの中をばらばらな方角に向かって逃走した。賊の仲間が三人、それぞれオートバイを用意して待っていたのだ。警察の現場検証で賊は20発以上の弾丸を発射していたことが明らかになった。賊が強奪した黄金は8キログラムにのぼる。銃弾を身に受けたのは警官4人と市民6人で、バンドンに戦慄をもたらした強盗事件はこうしてその日の幕を閉じた。


「14人の強盗団がバスを乗っ取る」(2007年4月23日)
4月12日の白昼11時半ごろ、中央ジャカルタ市サワブサールのパゲランジャヤカルタ通りを走行中だったコタ〜グロゴルを結ぶ路線番号02番のコパミジャヤバスが強盗グループに乗っ取られた。そのときバスの中にいた12人の乗客のひとりジオファニ51歳の証言によれば、そのバスに十数人の男たちが乱入してきたとのこと。4人がバスの出入り口をガードし、中に入った賊たちは乗客一人一人を脅かして現金、携帯電話や金目のものを無理やり奪った。ジオファニはナイフを突きつけられて190万ルピアの現金が入った財布と携帯電話を奪われた。賊たちは仕事を終えるとさっさとバスから降りて行った。それはほんの数分間のできごとで、またたく間に強盗団の姿はバス内から消えた。賊がみんな外へ出たので、ジオファニは大声で叫んだ。「強盗だ、強盗っ!」
現場の周辺にいた住民がたくさん近寄ってきて、バスから降りた男たちの何人かを捕まえた。住民たちが捕まえた賊は4人にのぼる。ジオファニもバスから降りて住民たちと一緒に賊をマンガドゥア警察官詰所に連れて行った。警察はすぐにこの事件の捜査に乗り出し、捕らえた4人から仲間の名前や住所を聞き出して12日の夜、共犯者を4人逮捕した。このバス強盗を行った一味は総勢14人で、15歳から35歳までのその一味はほぼ全員が前科者で定職を持っておらず、金を手に入れるために集団でバスを乗っ取ったもの。逃走中のあと6人も警察が追跡している。


「貧困・無職・低教育が麻薬の温床」(2007年4月23日)
中央ジャカルタ市の44町で麻薬の激しい流通が見られる、とムハヤッ中央ジャカルタ市長が語った。麻薬の汚染が深化した町内では、現役高校生や高卒で大学入学に失敗した者、そして広範な年代層の失業者たちが麻薬常用者となり、さらに麻薬流通ビジネスに手を染めて安易な金稼ぎの道に入っている。かれらに共通して見られるのは、貧困と教育レベルの低さというバックグラウンド。市内で麻薬汚染のひどい町は、メンテントゥングルン、メンテンスカブミ、プガンサアン、チキニ、ドゥリプロ、クブンムラティ、特にバトゥラジャやカンプンバリといったところ。
国家麻薬庁中央ジャカルタ市事務所は、中央ジャカルタの麻薬流通機構を殲滅するのはたいへん難しいと語る。ある地区を集中的に粛清すると、麻薬組織は他の入り込みやすいところへ潜入していき、結果的に麻薬汚染地区が拡大して行く。いずこも、貧困・無職・低教育という三要素に浸された階層が容易に麻薬ネットワークを受け入れ、そしてその中にリクルートされていく。それらの麻薬組織はほとんどが外国人を核にしており、外国人ボスが地元住民をリクルートして自分の周囲に配置し、そのような組織で麻薬流通ビジネスを進めていくために麻薬庁や警察が手入れを行ってもお縄にかかるのは地元民ばかりで、組織の根元にまでメスを入れるのはむつかしい。
ムハヤッ中央ジャカルタ市長は、RT(隣組)RW(字)組織を動員して麻薬撲滅運動を展開するプログラムを進めている。麻薬汚染が深く進行した町内ではRT単位で地元有力者、宗教者、警察などから成る麻薬パトロールチームを編成し、学校や教育機関に協力を求め、あるいは各家庭に啓蒙を進めて麻薬常用者を更生させたり麻薬の害を教育したりする活動を行うようにしている。


「二輪車の交通事故が減少」(2007年05月01日)
ジャカルタで行われている二輪車の左車線走行と日中の点灯走行が交通事故を35%も減少させていると首都警察交通局長が報告した。2006年10月15日から2007年1月7日までの交通事故被害者数は1,209人で、2007年1月8日から3月31日までの被害者数は785人だった。これは35%の減少に相当する。ジョコ・スサント首都警察交通局長はそう語った。そのふたつの期間の二輪車を運転していて事故にあった被害者の内訳は、死亡が258人から170人へと34%減、重傷者536人から370人へ31%減、軽傷者595人から452人へ24%減となっている。都内の路上を通行する車輌は二輪車が1,035台四輪車が296台毎日増加しているとも交通局長は言う。
都内には多数の二輪オジェッ運転者が毎日路上を走っている。警察はかれらが道路交通秩序を高める一助となるよう毎週木曜日に交通指導を実施しており、平均2〜3百人のオジェッ運転者がその講習に参加している。4月25日には、首都警察は二輪オジェッ運転者5千人を集めてスリピの交通局からチャワンまで行って折り返すという交通安全パレードを実施して交通安全意識の向上促進活動を行っている。


「人助け、それとも赤児売買?」(2007年05月01日)
中部ジャワ州トゥマングン県に住むラニは恋人があり、そして妊娠した。外聞を憚ったラニはアンバラワでお産ドゥクンをしているスリ・ウミニンシ56歳を頼って行った。スリは不慮の妊娠をした若い娘たちを収容して出産させ、体調が回復するまで面倒を見てくれるという情報がラニをそこへ導いたのだ。出産後しばらく身体を休めたラニは赤児の世話をスリに委ねて一旦自宅へ帰った。ラニはすべての費用を清算するために資金を用意し、1月半ばにスリの産院を訪れた。お金を払って赤ちゃんを返してもらおう。ところが思いがけない運命がラニを待ち構えていたのだ。
スリは、赤ちゃんを返すことはもうできない、と言い張る。ラニが問いただしたところ、スリはとうとう打ち明けた。ラニの赤ちゃんは売られていたのだ。ラニは生みの母に無断で赤児を他人に売ったスリをスマラン警察に訴えた。スリに対する警察の取調べが進められ、意外な事実が浮かび上がってきた。赤児を売買するビジネスルートがそこに作られていたのである。
「あたしゃ、人助けをしてるんですよ。赤ちゃんを育てる余裕のない家庭や、子供を作るつもりがないのに妊娠してしまった未婚女子大生たちのお産を手伝ってあげるんです。妊娠5ヶ月目くらいになって身の置き場がなくなった未婚の娘さんたちは家に来て生活し、お産してしばらく養生したあと元気になってから帰らせています。たいていみんな赤ちゃんを育てることができないから養子に出すんです。あたしゃ2000年以来もう20人の赤ちゃんを養子に出しました。今じゃもう小学校に上がってる子もいるんですよ。あたしゃ人身売買をしてるんじゃありません。費用を払えず、赤ちゃんを育てることもできない人たちを助けてあげてるんです。」スリはそう物語る。しかし無料奉仕でそれがなされてきたわけではない。スリはスマラン市の産婆デウィ53歳とパートナーを組んできた。デウィが養子先を探し、報酬をもらってくる。赤児ひとりに150万から225万ルピアが支払われると、デウィは手数料に10万から20万ルピアをもらい、スリは出産費用、赤ちゃんの養育費用、母親の生活費用や養生費用として既に出費したものを補填し、さらになにがしかの金額を生みの母親にも渡す。赤児やその母親がスリの家で生活した期間の長さに応じてその金額が変わる。2001年にデンパサルの住人に赤児を渡した際には150万ルピアが手に入り、2007年3月にジャカルタの住人に渡された生後1ヶ月の女児のときは4百万ルピアを入手している。警察の取調べにふたりはそのように自供した。
スリの逮捕劇もドラマチックなものだった。ラニの訴えを捜査したあと確信を得たスマラン警察は、人身売買の確定証拠をつかむために囮捜査を行った。ふたりの婦人捜査官が養子を求めているふりをしてスリを訪れ、生後9日の赤児の引渡し証を作ってそこにスリのサインを得た。合意金額は225万ルピアで、その金をスリに渡して引渡し証を入手し、その取引は終わった。それから15分後、スマラン警察がスリを本署に連行した。その赤児の母親もスリの家に滞在していたが、警察の取調べに対して自分は1ルピアの金もスリからもらっていないと供述している。
さてラニの赤ちゃんはといえば、デウィはソロに住むタントに金をもらってその子を渡したのだが、このタントもカランアニャルの人間に人売を行った。さらにカランアニャルからマディウンまでラニの赤ちゃんは人の手を転々としており、今はまだ行方がわからないままになっている。一方ラニの実家にスラメッと名乗る男が現れ、ラニの父親に対して150万ルピアを出せば赤児が戻ってくる、と申し出たらしい。ところが150万ルピアを渡すとスラメッはそのまま逃走した。これは単なる詐欺師だったようだ。警察の調べでそのスラメッはデウィと組んで赤児の養子先を探す仕事をしていたらしい。スマラン警察はラニの赤ちゃんがマディウンからどこへ連れて行かれたのか、その先を追って捜査を続けている。この一連の赤児転売事件はシンジケートが行っているのか、それとも個々の人間がビジネスとして関わっただけのものなのか、警察はまだその確信をつかめていない。


「ひとさらい!」(2007年05月09日)
3月25日日曜日のラグナン動物園は混雑していた。豊かな緑陰に包まれた広大なエリアでさまざまな動物を見物できるこの南ジャカルタ市パサルミングにあるジャカルタ最大の動物園は廉価な入園料のおかげで中下層所得者にとって家族連れで楽しめる行楽スポットであり、おかげで土日休日は大勢の人出で賑わうのが常だ。ホッニダはその日、夫と5人の子供たちと一緒に動物園に遊びにやってきた。暑い人ごみの中をあっちに歩きこっちに歩き、数時間後ホッニダに疲労がまとわりついてきた。しかしずっと一緒に歩いてきた末っ子のフェンディ6歳はまだまだ元気いっぱいで、動物への好奇心を旺盛に示して「次へ行こう、次へ行こう」と母親をせかせる。ひとの流れに従って歩いてきたホッニダは、コンクリートの枠で作られた植え込みを目指して流れからそれた。「フェンディ、ママは疲れたからちょっとひと休みよ。」自分の横を歩いていた末っ子にそう言ってホッニダは植え込みのそばまでやってくるとそこに腰をおろした。ところが、一緒についてきていると思っていたフェンディの姿がない。周囲を目で追ってみたが、息子の姿はどこにも見当たらない。ホッニダの疲労は吹き飛んでしまった。フェンディはそのままひとの流れに乗って進んで行き、離れ離れになってしまったにちがいない。次のワニの檻に早く行きだがっていたフェンディはきっとワニの檻の周辺にいるにちがいない。急いでそこへやってきたホッニダはその周辺をしらみつぶしに調べたものの、息子の姿はやはり見つからない。ホッニダはすぐに夫とほかの子供たちを探してフェンディが迷子になったことを告げた。全員で手分けして園内を探したが見つからない。夫は園管理事務所に届け出て場内アナウンスをしてもらったが、成果はなかった。夕方になって人ごみがおさまり、園内は閑散としてきたがそれでもフェンディは見つからない。園側は「見つかったら連絡しますから」と言ってくれたが、ホッニダは家へ帰ることができなかった。ひょっとしたら夜中にでも見つかるかもしれない、と一縷の希望を抱いてホッニダはひとり管理事務所に残った。
パサルミングから南に下ればデポッ市に至る。3月26日月曜日デポッ市クアディラン通りで、泣いている幼児を連れて歩いているひとりの中年の男の姿が目をひいた。嫌がる幼児の手を引きながら歩いているその中年の男の姿が住民たちの疑惑を呼び起こした。大人の住人が何人か近寄ってくる。
「その子はあんたの子供かね?」
「そうだよ。」すると幼児が喚き出した。
「違うよ、違うよ。ボクのパパじゃないやい!」
住民のひとりが幼児の手を中年の男の手から引き離した。幼児はすぐにその住民の背にまわる。中年の男は逃げようとしたが多勢に無勢だった。住民たちはムリヨノと名乗るその中年の男をパンチョランマス警察署に突き出し、一緒に警察署に連れて行かれたその幼児も警察に保護された。警察の調べに幼児は自分の名前をフェンディと言ったが、自宅の住所を言えない。フェンディは前日からの恐怖の体験を警察官に話した。
動物園でママにはぐれたので人の波の中で泣いていると、汚らしい男が寄ってきてママのところに連れて行ってやると言った。ところが動物園から外に出て乗合に乗せられ、知らない場所で下ろされた。それからアヤムゴレンとテボトルを買ってくれたのでそれを食べ、ムショラ(イスラム礼拝場所)で寝た。汚らしい男はあちこちに電話を掛けまわり、子供を売るという話をしていた。
警察はさっそくラグナン動物園に連絡し、迷子の届出がないかどうかを問い合わせた。そのとき、灰色にしぼんでいたホッニダの心がふたたびピンクに染まったのは言うまでもない。


「子供も商品」(2007年05月10日)
子供も盗めば売れる商品となる。幼児を狙う「ひとさらい!」の大半は人身売買を目論んだものだ。それ以外にも営利誘拐がある。子供を親の手から奪い、返してほしければ金を出せというのがこの営利誘拐だ。さらわれるのは幼児から大の大人までさまざまなので、第三者にとって商品価値がない人間でも被害者となりうるから年寄りは安全だなどと思わないほうがよい。
人売の手口として使われるものに金を貸すという方法がある。昔日本では年頃の娘を持つ親に金を貸し、返済できなくなったとき「娘の身体で返してもらう」と言って娘を連れ去り、売春宿に売り飛ばすということが行われたそうだ。現代インドネシアでは子供本人に金を貸す。小学校を出ただけの貧しい家庭の娘たちに携帯電話を持たしてくれる者がいる。「金は分割で払えばいいから。先にこれを使っときな。」と言って憧れの携帯電話を手渡してくれた優しいおじさんが、しばらくたつと鬼に変身する。返済が滞ってしばらくたち、金額がかさんで工面がますます難しくなったころに鬼の顔が出現する。「なにー、払えねえ?じゃあおめえ、身体で返さなきゃいけねえよ。」と言われて連れて行かれる先が売春宿であるのは昔も今も変わらない。


「危険がイッパイ」(2007年05月24日)
ジャカルタ住民は生きていく上でたいへん重要なものを失っている。オフィスで、ショッピングセンターで、ファーストフードレストランで、都バスの中で、いやそれだけでなくタクシーの中でも、自分の家においてもだ。それはいったい何か?安全で平穏な暮らしができるという『安心感』。
スリたちはいまや高級プラザやモールをエレガントでみめ麗しい美女の姿で徘徊している。乱雑で汚い都バスにはシャツの裏に釜刀を隠した高校生ギャングが入り込み、郊外に住む都民が持ち運んでいる財物をいつでも奪い取ろうと身構えている。タクシー運転手は強盗と二股をかけ、おとなしく金品を差し出さなければ生命を保証しない死刑執行人と化す。泥棒や強盗は、一般市民、将軍、元大使などだれの家であろうとお構いなしで、真昼間でさえ家の中のあらゆる財産を根こそぎかっさらうことに躊躇しない。もっと怖いのはプロから雑魚クラスまであるテロリストで、オフィスビルや大使館、ひとで混み合うファーストフード店をいつでも吹き飛ばそうと手ぐすねひいている。汚染ジャングルのジャカルタでは一歩一歩の歩みの陰に疑いようのない不安が潜んでいるのだ。歩行者に快適な歩みを提供するはずの遊歩道の植木の間から突然ナイフを手にした強盗が出現しないともかぎらない。キャンパス裏の林の中で山刀を手にした強姦者が夜遅く下宿に帰ろうとする女子大生を待ってにんまりとほくそえんでいるかもしれない。多数の車で満ちた繁華な交差点の赤信号に引っ掛かったとき、突然赤ペンキで背を塗られた斧が窓ガラスにへばり付き、そのうしろに唇を歪めてにんまりする斧の持主の顔が出現するかもしれない。
ジャカルタはもちろん、どうしようもない所だ。一般市民に奉仕と保護を与える警察なんていう話しはパトカーに貼り付けられたカッコ良いステッカー程度のものでしかない。国軍の腐敗軍人が大型強盗劇の糸を裏で引く。ジャカルタ都民の毎日は、まるで熾き火の上を歩いているようだ。危険がイッパイ。
強盗だけでもナイフを手にした田舎っぽいスタイルから最新鋭のホンモノピストルを使うものまで、レベルは多岐にわたっている。いま一日平均6件の強盗事件が起こっているジャボデタベッ地区というのは、インドネシア共和国の首都に治安警備の執行が本当は存在していないということを意味しているのだろうか?それさえ警察が捜査を行った事件だけを数えたものであり、町内隣組長や字長レベルでの報告に終わっている事件を加えれば、強盗・盗難事件はその何層倍にのぼることだろう。治安警備の恩恵に浴せない都民にとって、自分の家のベランダに強盗がたたずんだときいったいどうすればよいと言うのだろう?自分の身を自分で守るために、都民はみな格闘技を学び武装してかれらと戦わなければならないのだろうか?市民生活のすみずみまでが弱肉強食原理に支配されている。
超ハードな街、それがジャカルタ。異常な失業者数と稀な就職チャンスを奪い合うハードな競争がジャカルタ住民のプロフィールを特異なものに変えている。同類はみんな飢えたコンペティターだから、ひとはだれもが狭量なスーパーエゴイストに変身する。ジャカルタでの競争に敗れた者はつらい絶望に打ちのめされ、憎悪心に満ちた確信犯集団に変わっていく。かれらはリスク計算そっちのけで近道思想に従った復讐を準備する。その復讐は、口と腹を満たし安定した生活が営める状況というかれらが最初抱いて上京してきた夢の実現を方向性として持つ。
一方の警察はどうだろうか。都民は遠い昔からこの治安警備機関に全幅の信頼を置くことをやめてしまった。中にはきわめてシニカルにその機関の性質を語る者もいる。ヒューマニズム的威厳はもはやか細いものでしかなく人権思想に手足を縛られてしまったその警察を犯罪者たちはなめている。ましてやアーバン現象で急増している都民の人口に対して警察官の数は年々その比重が小さいものになっているのだから。ミスタープレジデントが住んでいるこの首都の治安警備がいまのような状態でどうするのだろう。大統領に対する治安警備は大統領警備隊が守っているからよいというのであれば、都民がかわいそうだ。そしてそんな都民を見なければならない大統領も実にかわいそうな境遇なのではないだろうか。


「自動車盗難の手口」(2007年5月29日)
2007年4月12日に首都警察が自動車泥棒団を摘発し、二輪車45台四輪車61台を押収したのは近来稀な快事だった。警察のその成果は都民からの脱帽を得るに値する功績だ。警察の事件解決は2005年22%(229件中52件)、2006年は32%(204件中66件)と向上しており、事件への取り組みが真剣に行われていることを想像させる。しかしそれらは首都警察本部に届出がなされた事件をカウントしたものであって、各市警への届出は含まれていない。つまり首都圏での自動車盗難が減少しているというわけでは決してないのだ。ますます盛んになる自動車盗難に不安を抱く都民も少なくない。
自動車盗難のもっとも一般的な手口は賊が家の中に入り込み、自動車のキーと登録証などを奪ってガレージを開け、置いてある自動車を盗んで逃げるというものだ。
首都警察一般犯罪捜査局自動車盗難対策第5ユニット長は、その手口が盗難事件の半分以上を占めていて盗賊たちにもっともポピュラーなやり方だ、と語る。だから自分の家であろうとも、自動車のキーや証書類は他人にわかりにくい、手の届かない場所に保管するように、と同長は都民に警告している。次に多いのは自動車レンタルがらみのもので、自動車レンタル事業者が外部者個人の自家用車を利益折半で受け入れてレンタルに利用する中で、自家用車オーナーの知らない間にその車が質入されたり売却されていたというような手口が使われている。三番目の手口は、賊が路上通行している車に接近し、停止を命じてから武器で威嚇してその車を奪取するというやり方で、その強奪の際にあっさり車を渡さなければ賊は運転者に暴力をふるうことを辞さないため、ヘタをすると生命を失うことも起こり得る。
自動車盗難への対応として、警察捜査員の業務効果を高めるためのことがらがまず優先されるべきだ。捜査員に生命保険をかけることを含めて捜査員の待遇の改善や捜査費用の確保などがなされなければならない。次に駐車場の盗難保険問題がある。警察と駐車場事業者および駐車番の間の協力関係が高められなければならない。駐車場事業は収益が大きい事業分野であることから、盗難保険自体の経済的負担は大きなものにならない、と専門家は見ている。そして駐車番の責任感涵養のためにかれらの収入に対する配慮がなされることも自動車盗難事件を減少させるための大きな要因となりうる。なぜなら現在、駐車番が自動車盗難事件の片棒を担いでいるということがないという保証がどこにもないからだ。さらに期待されているのは警察と市民の間の情報交換を含む相互連携があげられる。それらのミクロレベルの対応に加えて住民行政の整備というマクロレベルの問題もある。東ジャカルタ市警クラマッジャティ署の警官が自分の車を盗もうとした一味に発砲してひとりを逮捕した。そのとき逮捕された賊はなんとKTP(住民証明書)を3枚持っていた。1枚はジャカルタ、1枚はバンテン、もう1枚は中部ジャワで発行されたもので、それぞれは別の名前と生年月日になっていたが写真は本人の同一のものが貼られていた。


「催眠術強奪」(2007年5月30日)
催眠術をかけてオートバイオジェッ運転手からオートバイを奪う事件が2006年から増加の傾向を見せている。中央ジャカルタ市バトゥチェペル一帯で営業しているオジェッ運転手は、同じ手口に二度引っかかってローン返済の終わっていないオートバイを二台盗まれたと言う。かれはガジャマダプラザの角で客待ちをしていたところ、公務員の制服のような衣服を着た男が現れてチュンパカプティまで送るよう頼んだ。言われた場所まで送るとそこでの用事が終わったら次のところへ行くので待つように言われ、テボトルとタバコを勧められた。テボトルを飲みタバコを一服したときその男が突然運転手の背中をポンと叩き、運転手は意識を失って眠り込んだ。かれが目覚めたときかれのオートバイは姿を消していた。他のオジェッ運転手も類似の経験をした者が少なくなく、犯人は催眠術を使い、また犯人が行った先のどこかにその仲間が潜んでいたにちがいないと被害者たちは語っている。
オジェッ運転手の多くはまだローンが完済していないオートバイを使っており、警察に被害届を出すと警察からは嘘ではないかと疑われ、またローン返済期間中はそのオートバイに保険がかけられているものの返済者の不注意による損害は適用対象外とされているためオジェッ運転手たちは踏んだり蹴ったりの目に会っている。


「バイクは熱い」(2007年6月4日)
「そのバイクはまだ熱いかい?」
「いやあ、もうひと月越したから充分に冷えてるぜ。」
「そうかい。じゃあ多少割高でもそっちを買っとこう。安全なほうが安心だ。」
バンテン州ルバッ県の寒村でそんな会話がオートバイをはさんでなされている。「熱い」とか「冷たい」って、いったい何の話なのだろうか。かれらはひと月を越えればもう冷えていると言う。熱いオートバイは1台1〜2百万円と廉いが、冷めればそれが2〜3百万ルピアになる。つまりほとぼりが冷めたかどうかの話をしているのだ。そこで売買されているのは盗品なのである。
インドネシア語でmotor bodong と呼ばれる盗品オートバイは地方部の寒村で飛ぶような売れ行きだ。かれらが盗品を好む理由はいくつかある。ともかく廉いこと。新型車であってもせいぜい3〜4百万ルピアで手に入る。ナンバープレートがついているのでそのままオンザロードですぐに使用でき、またSTNK(自動車番号証明書)の更新や自動車税の支払いなど手間と金のかかることをする必要がまったくない。首都圏でますます盛んな二輪車強奪や盗難は地方部に巨大な市場を抱えているため、下火になる気配などどこにも見当たらない。
バンテン州ルバッ県やパンデグラン県の村々を徘徊しているそんなモトルボドンに対して地元警察は何をしているのだろうか。それら盗難二輪車を持ち主は警察に届け出る。5万ルピアを支払ってKTA Ojeg Kamtibmas と書かれたMPTLと呼ばれるカードを交付してもらう。MPTLとはMasyarakat patuh tertib lalu lintas の頭字語で、普段警察は二輪車運転者がそのカードを所持しているかぎり運転免許証やSTNKについて問いただすことはしない。ただしこの慣習は地元警察と地元民との間の約束事でしかなく、地元民が別の警察管区にその二輪車を持って入ればすぐに槍玉にあげられることはまず疑いようのないことだろう。
ところが今年4月半ばにルバッ県チリンテン郡で住民が地元警察署を焼き討ちするという暴動事件が起こった。類似の事件はパンデグラン県チクシッでも2006年5月に発生している。そのいずれもが、MPTL二輪車が地元警察の悪徳職員に検挙されたことを原因にしている。国法に従えばモトルボドンは検挙されてしかるべきものだが、地元警察と住民の間では黙約にしたがって目こぼしされているのが実態だ。ところが悪徳警察官が国法を盾に取ってSTNKのない盗品二輪車を路上で押収した。そして押収した盗品二輪車をどうしたかと言えば、最低でも1万ルピア、高い場合は十数万ルピアという保釈金を二輪車オーナーに要求したのだ。中には60万ルピアを搾取された盗品二輪車オーナーもいるらしい。「そんな不正は赦せない」とばかり地元の盗難二輪車オーナーたちが悪徳警察職員に鉄槌を下そうとして行われたのがそれらの警察署焼き討ち事件だった。
村の中を徘徊している二輪車のナンバープレートを見れば、それがどこから持ち込まれたものか一目瞭然だ。ジャカルタ・タングラン・ランプン・ボゴール・セラン・チレゴンなど都市部で盗まれたものが大半を占める。村民のひとりは語る。「ジャカルタからオートバイを運んでくる者がいる。かれらは村人と個々に直接売買する。卸を受けて小売するような仕組みはない。」
盗難車が好まれる市場があり、だれもが容易にその流通に参加できるという状況がどうやら都会での車両盗難を根強いものにしている元凶であるようだ。


「ゴミはポイ捨て、銃弾もポイ捨て」(2007年6月21日)
首都警察は6月11日、中央ジャカルタ市サワブサールのグヌンサハリ8通りに住むベチャ引きのアグス・ビンブディ20歳を逮捕した。逮捕容疑はアグスが自宅で手製銃を作っていたというもの。アグスはレボルバー3丁とピストル1丁を製造しており、11日にそのひとつをテストしたところ2発の銃声を聞いた住民が警察に通報したため、警察はクマヨランのアンカサ通りでアグスを捕らえて連行した。その後警察がアグスの自宅で行った家宅捜索で実弾68発、グラインダー、旋盤、その他工具に加えてまだ製作中の複数の拳銃が発見された。拳銃を作ったのは実弾を偶然入手したためだ、とアグスは警察の取調べに答えている。アグスがジャティヌガラ地区でチリウン川に入って川底を漁っていたところ、使用済み薬莢と弾丸の入った実包が見つかった、とアグスは自供している。警察の調べでは、その銃弾68発はアクティブだが新品ではなく発錆していて形も完全なものでないことから、捨てられた不発弾だろうと警察では見ている。アグスは「拾った弾丸を利用できるようにしたかっただけだ」とその拳銃製作の動機を述べているが警察側は、既に売られたものがあるかどうか、また別の動機を隠しているのではないか、といった疑惑に対する捜査を続けている。38口径と32口径の二種類あるアグス手製のレボルバーはホンモノに近い出来上がりで、警察側はよくできているとコメントしている。ただし仕上げは荒っぽく、またところどころの錆びが落とされていない。
不発弾と見られる拳銃弾は東ジャカルタ市チブブルの陸軍国防省住宅地区にある射撃場の側溝でも66発が発見されているし、ボゴール市内を流れるチリウン川で川底を漁っていた屑拾いもパイナップル型手榴弾を発見している。


「自動車盗難の傾向と対策」(2007年6月22日)
首都警察一般犯罪捜査局自動車捜査第5ユニット長が、いつまでも下火にならない自動車盗難や強奪事件の手口とそれに備えて自動車オーナーが注意すべき傾向と対策を披露している。同ユニット長は一般的な犯罪手口を分類して、それに対する対応策を次のようにアドバイスした。
1)家のフェンス等をロックしてある南京錠を切断して個人の住居に押し入り、ガレージ等に置かれている自動車を盗んで逃走する手口
  隠しイグニションロックを、できれば二三個、車のたいへんわかりにくい場所に設置してはどうか。そのようなロックは一個2万5千ルピアで手に入る。この対策は泥棒たちが車を盗むのに時間をかけさせるのが目的であり、3分以上時間が稼げれば泥棒たちは車を置いて退散する。一般的に泥棒グループは3分以内に仕事を終わらせるよう計画しているので、時間が長引けばかれらは獲物を手に入れないまま逃走するのが普通だ。
2)道路上で取締り係官のふりをして接近してくる手口
  まず本当の警官の姿を熟知しておくこと。本当の警官は完全な制服姿で執務し、警察官の徽章や名札などが隠れるジャケットを着用せず、明るい場所で車の停止を命じる。ジャカルタでは、夜間に勤務する交通警官は大きく見やすい発光文字でPOLISIと書かれたベストを着ている。必ず二人以上の警官が検問に当たる。もし市民が疑念を感じたなら、警官に警察官証(kartu tanda anggota polisi)あるいは業務命令書(surat tugas)の提示を求めて内容をチェックすればよい。もし捜査官が車を止める場合、かれは捜査章を手にしてそれを高く掲げる。捜査章というのは黒革の財布様のベースに真ちゅう製の徽章が乗っているもの。もしそれでもまだ不審なら、市民は最寄の警察署での取調べを求めることができる。そして最後は、もしその人間がニセモノ警官であったとき、最期の抵抗を試みるばかりだ。
3)自動車強奪者の車が異常接近し、車を止めさせて強奪する手口
  予防はまず、後を走っている車を注意深く観察すること。怪しいと感じたら、明るい賑やかな場所、あるいは警察署構内、もしくは警備員がいるビル敷地内に入って車を止め、警官や警備員の方に歩み寄ること。
4)個人お抱え運転手に多い手口に、車のキーを自動車窃盗団に売るというものがある
  運転手は窃盗団に車のキーを貸して合鍵を作らせる。車が盗まれたあと、運転手は無実の顔をし巧みに芝居する。この対策としては、運転手に雇う人間の身元を、その居所や親族関係まで見知っておくこと。つまり雇い主に示すアイデンティティを現場で確認しておくことだ。
5)石鹸使い
  この手口はカーウォッシャーでよく起こる。車のキーを預けておくと、かれらは石鹸やロウでその型を取る。その型を鍵職人のところへ持っていけば、複製の出来上がりだ。
5)番の対策をユニット長は述べていないが、車のキーを容易に他人の手に委ねるな、ということであるにちがいない。


「空巣専門盗賊団を検挙」(2007年6月25日)
6月16日夕刻、タングラン市ブンダにあるドゥタガーデン住宅地の一軒の家から数人の男たちが家財道具を運び出して家の表に止めてあるトヨタアバンザに積み込んでいる姿が見られた。その家の主アントニウス35歳の一家は不在で、それを知っている隣人が不審に思って警察に通報した。ブンダ警察署員がすぐに現場に急行する。そしてたまたま、スカルノハッタ空港に近いその住宅地近辺に本署の捜査員も居合わせていた。警官たちが現場に着いたとき、盗賊団はすでにその家をあとにしていた。警官隊はその行方を追う。盗賊団はどうやらその住宅地内の地理に暗かったようだ。かれらは空港自動車専用道路を目指して逃げたが、住宅地のはずれで道路が盛り土で遮断されている場所に出くわしてしまった。後から警官隊が追ってくる。一味はアバンザのアクセルを踏んだ。
ところがどっこい、盛り土を乗り越えて逃げようとしたものの、車は横転して大破。乗っていた5人の賊はその住宅地とスカルノハッタ空港構内のスワルナゴルフ場を隔てる水路に飛び込み、上着を脱ぎ捨て追っ手の目をくらまして逃げようとしたが、警官隊はひとりまたひとりと一味をお縄にしていった。
この5人はアガム・プラストウォ30歳を首領とするジョクジャグループと呼ばれる空巣専門窃盗団で、他にはジョクジャ出身の29歳、27歳、26歳の男とクドゥス出身の29歳の男がそのメンバーになっている。警察はこの一味から盗品を買い取る故買屋をも検挙して犯罪ルートを究明しようとしたところ、故買屋の家を教えるふりをしていたアガムが突然連行していた警官を突き飛ばして逃げようとしたため、規定通りに警告を発したあとそれでも止まろうとしないアガムに銃口を向けた。
アガムは足と背中に銃弾を受け、背中から入った銃弾が左胸に貫通したためスカルノハッタ空港スワルナゴルフ場の一角でその生涯を閉じた。


「卒業テスト不合格生徒が大挙して学校を襲撃」(2007年6月26日)
中央ジャカルタ市アブドゥルムイス通り44番地にある中央ジャカルタ第1職業高校では、今年4月17〜19日にかけて全課程修了国家試験が行われて231人の生徒が受験した。そしてその生徒たちは6月12〜15日の間、学校が企画した卒業生お別れ旅行でジョクジャへ教員たちと一緒に旅行した。ところがその6月15日に国家試験の結果が学校宛てに通知されてきた。なんと合格者はわずか87人でほかの144人は不合格だったというのである。学校側は試験結果を早く生徒に知らせてやろうとして、学校警備員に指示して生徒の家を回らせ試験結果を届けさせた。そして6月16日土曜日、事件が起こったのだ。
その日の午後、数十人の生徒たちが学校にやってきた。憤りをあらわにさせたかれらは叫び声をあげながら校内になだれこんできた。手にしたペンキスプレーで校舎の壁に猥雑な言葉を殴り書きし、校舎の一部を殴り足蹴にし、掲示板や数ヶ所の窓ガラスを割って暴れまわった。生徒の一部は教室内まで侵入したが、授業設備を壊すことはしなかった。この暴動に加わった生徒のほとんどは男子生徒だったとのこと。
憤怒の嵐がおさまったころ、校長と教員たちは生徒たちを集めて試験の判定プロセスを説明した。合格不合格は学校側が決めたのでなく国が規定に従って決めたものであり、試験科目の数学・英語・インドネシア語のそれぞれが4.26ポイントに達していなければ自動的に不合格となるのだ、と。そして合格しなかった生徒たちにも国家試験Cパッケージを受験するチャンスがまだあるのだから、とかれらにその試験を受けるよう勧めた。Cパッケージに合格すれば高校卒と同程度という学力評価が与えられる。
警察はこの学校襲撃事件を調べたが、生徒たちの中で拘留された者はいない。