インドネシア事件簿2012〜15年


「十四歳の刺客」(2012年8月21〜9月4日)
2012年7月18日昼ごろ、ボゴール県ボジョングデ郡ラガジャヤ村のサトリアジンガ住宅地内にあるラトゥロモン家にその家の末娘ケジア13歳が帰宅した。ケジアは入学したばかりの中学校で行われた泊りがけ新入生オリエンテーションに出席してきたのだ。表門に南京錠がかかっていたため、ケジアは「みんなどこへ出かけたのかしら?」と思った。家の中に人気はない。ところが表門を開けて玄関口まで来たとき、玄関の扉には鍵がかかっておらず、扉の内側に鍵が差し込まれたままになっているのにケジアは気付いて「おやっ」と思った。これまで体験したことのない奇妙な違和感と冷たい不安がケジアを襲った。
玄関を入った先の応接間にはカーペットが敷かれている。それは親しい来客があったときだけ広げられるものだ。ケジアの父親、ジョルダン・ラトゥロモン50歳は親しい人間と接するとき、床に座り込んだり寝転がるほうがリラックスできることから、自宅ではそのようにする習慣にしていた。ところがそのカーペットの一部に血痕が飛び散っているのをケジアの目がとらえた。床の上にも血痕があった。そして血痕の筋が浴室に向かって伸びているのに気付いたケジアが浴室に駆け寄って扉を開いたとき、その口から強い叫び声がほとばしった。浴室の中にケジアが見たのは、最愛の父親ジョルダン・ラトゥロモンと兄のエドワル・ラトゥロモン22歳の血にまみれた死体だったのだ。
通報を受けてボジョングデ署捜査班がラトゥロモン家に急行し、現場の状況を調べた。ケジアは気丈にも、警察が必要とする情報を細大漏らさず話した。ここ数ヶ月というもの、その家に住んでいたのは殺された父と兄、そしてケジアの三人だけだったのだから。家の中から盗まれたと思われるものは緑色のヤマハオートバイ1台、宝石のついた装身具、ノキアの携帯電話、ラセボの腕時計、そしていつもカーペットの折り目にはさみこんである現金1千万ルピア。
警察捜査員はラトゥロモン家の内情についてケジアに尋ねた。そして父親のジョルダンが一年ほど前から金貸しをしていたという話を聞いたとき、捜査員の目が光った。「だれにいくらくらい貸していたのかね?」
ケジアはすぐに父親の部屋に行き、一枚の紙を持ってきた。そこには5人の名前と金額、そして借金の抵当にされた品物が書かれている。カスマン1千6百万ルピア、ドド150万ルピア、ペペン100万ルピア、デニー500万ルピア、アディ100万ルピア。ジョルダンは末っ子のケジアを可愛がり、外出するときにはたいていケジアが一緒だった。ジョルダンの金貸し商売はオジェッ運転手など下層の事業主をターゲットにしていたから、この父娘がいつも出かける先は首都圏近郊電車ボジョングデ駅前のオジェッ溜まりで、そこのワルンに座り込んではオジェッ運転手が差し出してくる稼ぎを借金の返済金として受取り、ケジアにその記録を紙に書かせていたのである。
警察はただちにその紙に書かれた5人のうちで金額の一番大きいカスマンを重要参考人として押さえにかかった。その日の夕方、ボジョングデ署に連行されたカスマン25歳は犯行を自供した。5人全員が組んで行った犯行であるというカスマンの自供で警察は即座に残る4人の逮捕に向かい、19日の未明までにデニーを除く全員をその居所で捕らえた。デニーだけが行方をくらましていた。警察が驚いたのは、アディがまだ14歳の少年だったことだ。
カスマンとドド20歳そしてペペン35歳は全員がボジョングデの住民で、ジョルダンの家からそれほど遠くない場所に住んでいた。一方アディとデニー20歳はデポッ市サワガンに住んでおり、隣人の間柄だ。アディとデニーは屑拾いを生業にしており、集めた廃品をドドの集積場に持ち込んで金をもらっていた。つまりドドはふたりのボスだったのである。
カスマンとドドとペペンの三人はジョルダンから金を借りてオートバイオジェッ運転業や廃品回収業を営んでいたとはいえ、ジョルダンの返済督促に一様に胸糞を悪くしていた。奥ゆかしさも遠慮もなく、露骨にしかも粗暴な態度で掛かってくるジョルダンに対し、かれらは嫌悪と憎悪の熾り火を心の奥底に隠しながら、仕方なく笑顔で接していた。かれらはジョルダンの家に頻繁に出入りしていたし、ジョルダンの家に住んでいるエドワルやケジアとも顔なじみだった。
三人は犯行の一週間ほど前、胸糞の悪いジョルダンを始末して借金をなくしてしまおう、と一決した。それをどのように行うのか、そしてそれを行うのはだれか?ドドはそれをデニーとアディにやらせようと考えていた。そして三人は自分たちが考えたシナリオをデニーに指示し、実行のときはアディを誘って行えと命じたのである。報酬は600万ルピアだ、という言葉もだれかがデニーにささやいたようだ。
デニーは犯行の前日、アディを自宅に誘って殺人計画を打ち明けた。アディはあまり乗り気にならなかったようだが、報酬300万ルピアとオートバイという言葉に乗せられてしまった。おまけに借金が帳消しになるのだから、絶対に得だとデニーはアディを説得した。そして7月17日の深夜23時ごろ、ふたりはジョルダンの家を訪れたのである。デニーは殺しのための金づち・斧・包丁をショルダーバッグに入れて肩にかけ、アディをホンダオートバイの後部に乗せてジョルダンの家を訪れた。
真夜中にふたりの客を迎えたジョルダンは喜んだ。すぐにカーペットを出して床に広げ、ふたりを座らせた。そして四方山話から話題は家出したジョルダンの妻を探す方法に関するものになり、透視術のできる優れたオランピンタルを探してほしい、という依頼までジョルダンはふたりにした。2時間ほどたったとき、ショルダーバッグを抱えたまま座談していたデニーが立ち上がってジョルダンの後ろに回った。ジョルダンはそれを気にも止めず、アディに向かって話を続けた。ジョルダンの後ろに立ったデニーの動きはアディの目にあからさまに映っていたものの、アディはまるでそ知らぬそぶりでジョルダンの相手を続けた。
デニーはショルダーバッグから金づちを出すが早いか、即座にジョルダンの後頭部を一撃した。ジョルダンは何も言わずに崩折れた。それを見届けたアディは一度目を閉じた。しかしデニーの一撃は致命傷にならなかったようだ。自分を殺しにきたふたりの刺客に見守られていることを知ってか知らずか、しばらくしてジョルダンの体が動き出した。それを見たデニーは斧を出してジョルダンの体を手当たりしだいに切りつけ、最後に包丁で喉を掻き切った。
ジョルダンが息絶えると、デニーはアディに命令した。「こいつを浴室に放り込むんだ。」ふたりしてジョルダンの死体を浴室に引きずったあと、ふたりは屋内にいるはずのジョルダンの息子と娘を探した。自分たちが来たことを知っている者を生かしておけるわけがないのは明らかだ。ケジアの新入生オリエンテーションが泊りがけのものでなかったなら、という人生の不思議さは実に驚嘆するべきものがある。
デニーはエドワルが自室で眠っているのを発見すると、すぐに襲い掛かった。金づちで頭を撲られたエドワルは目を覚まして抵抗した。デニーは刃物をふるってエドワルの抵抗力を奪い、喉を掻き切った。エドワルの死体も浴室に引きずられて行った。
デニーがエドワルの生命を奪おうとして争っているとき、部屋の中での騒動が外に洩れたため、隣人が苦情してきた。「こんな真夜中に騒ぐんじゃない。何をしてるんだ。もっと静かにしろ!」
エドワルを殺した直後であるにも関わらず、デニーはしゃあしゃあとした声で苦情の主に返事した。「はい、兄貴。ちょっとふざけてただけなんだよ。」
ジョルダンとエドワルを殺害してからしばらくしたあと、住宅地の警備員がその家の表門を叩いた。家の外に停めてあるふたりが乗ってきたオートバイについて「無用心だから家の中に入れるように」という指示に、ふたりはまるで何事もなかったかのように表の道路に出て、表門のそばに停めてあったオートバイを家の中に入れた。そのとき警備員はふたりの顔を見ている。
それからデニーは庭に置いてあった緑色のヤマハオートバイに乗り、1千万ルピアをはじめとして邸内で手に入れた金目の品を全部自分が持ってその家を去った。アディはそのときデニーから10万ルピア札を一枚もらっただけだった。あとにもさきにも、アディが刺客の片棒を担いだ報酬はただそれだけだったのだ。ふたりが乗ってきたホンダオートバイはアディのものになったが、後でそれは盗品だったことが明らかになっている。アディはそれから低内で一眠りし、4時半ごろオートバイでその家から立ち去った。
2012年7月19日未明、カスマンの自供にもとづいてラトゥロモン父子殺害事件容疑者の逮捕に赴いたボゴール県警ボジョングデ署とデポッ市警の合同捜査班は、デポッ市サワガン郡パシルプティ町のアディの住居を包囲してから隣組長を起こして逮捕状を示した。近隣に住むデニーがいなくなっていることはそのときもう判明していた。隣組長立会いのもとに捜査員がアディの家に入ってアディを逮捕し証拠品を押収するのを、アディをはじめ一家の者は抵抗することもなく漫然と見ていた。母親のアルファ50歳は「何かの間違いに決まっている。」と主張し泣いて懇願したが、アディが連行されるのを止めることなどできるものでもなかった。
5人兄弟姉妹の三番目アディは小学校を終えると日銭稼ぎをはじめた。中学校に行きたかったが、家庭の経済状況が許さなかった。母親は家庭を切り盛りするだけで金稼ぎはせず、父親は定職がなく、毎日どこかへ出向いては手に入れた金を家に持ち帰ってくるが、どちらかと言えば金を持ち帰らない日のほうが多かった。アディはデニーに誘われて屑拾いを始めた。デニーが集めた廃品を納めている廃品集積場にアディも廃品を持ち込むようになった。その経営者ドドへの顔つなぎはデニーがした。ドドの仲間であるカスマンやペペンとも知り合いになった。
あるときアディはひとから借りたオートバイに乗って往来を走っていた。すると警官がアディに停止を命じた。アディは運転免許証など持っていないが、それは和解金でどうにでもなるものだ。ところがその警官の目当ては小銭の和解金などではなかった。アディの乗っているオートバイは盗品であり、アディはオートバイ盗難犯罪容疑者だとして逮捕されたのである。自動車納税書類も自動車所有者謄本も持っていないアディに申し開きなどできない。アディはドドを頼った。ドドは保釈金100万ルピアを用意してくれた。アディはその借りをどうすればいいのか、デニーに相談した。「すぐに返したいんだったら、ほかから借りりゃあいい。」デニーはアディに借金の付け替えを薦め、ジョルダンを紹介した。アディとジョルダンの関係はそのとき始まった。
ところがアディの小さな稼ぎは一家の生計費に使われ、借金の返済に充てるべき貯えを持つことなど不可能だった。こうしてずるずると月日が経ち、デニーが借金帳消しの話をアディに持ってきたのだ。それが金を借りているジョルダンを殺すことだと解ったとき、アディは躊躇した。他人の生命の重みに対する倫理観というようなものではなかったものの、この先の自分の一生が閉塞された世界に落ち込んで行って二度と元の世界に戻って来れなくなるという不安がアディにからまりついたのだ。自分のまだ知らない閉塞された世界にアディは恐怖の視線を向けた。
「オム・ジョルダンを殺すなんて。」オムというのは年上の男性につける敬称で、『おじさん』を意味している。世間での人間関係を親族関係に擬する拡大家族主義が生み出した社会慣習のひとつであり、女性にはタンテという言葉が使われる。
アディのつぶやきにデニーがたたみかけてきた。「金貸し連中はみんな他人の生き血を吸って生きてるダニと一緒だぜ。怖がるこたあねえよ。ダニを一匹潰しゃあいいだけの話だ。この仕事をうまくやりゃあ、おめえには300万ルピアとオートバイが一台もらえる。おめえだって金がほしいだろう?」
アディはこれまでも、ドドとデニーの立場を比較して廃品集積場ビジネスが楽で儲かる事業であることを知っていた。資金さえあれば集積場を持つことができる。そうなれば、日中汗水たらして廃品を集めてきた者からそれを廉く買い上げ、やってくるトラックにそれを渡して桁違いの金を手に入れることができる。そのための資金をアディは喉から手が出るように欲していた。その欲がアディをデニーの側につかせた。アディはデニーに協力することを約束したのだ。
殺害実行犯のひとりとして逮捕されたアディは警察の取調べに対して次のように供述した。
犯行当日の夜中23時ごろ、デニーとアディはホンダオートバイでジョルダンの自宅を訪問した。深夜だったにもかかわらず、ジョルダンは自分で表門の錠前を開き、喜んでふたりを邸内に招じ入れた。応接間にカーペットを広げ、ふたりを座らせて世間話をはじめる。対話はほとんどジョルダンとデニーの間で展開され、アディは時々対話に加わるだけで、寝転がってあいづちを打つ程度だった。話はあちこちに飛んで、ジョルダンが妻の居場所を発見できる透視術に秀でた超能力者を探したいと言うと、デニーがそれを引き受けた。その夜の会話の中に借金の返済に関連して口論が起こるようなことは全然なく、三人はリラックスして話を続けた。
夜中の1時を過ぎたころ、デニーがいきなり立ち上がってジョルダンの後ろに回った。アディはジョルダンの注意を自分に向けさせるために、ジョルダンに向かって話し続けた。その間に手早く金づちを手にしたデニーがジョルダンの後頭部に一撃を加えた。ジョルダンはまったく抵抗せずにその場に倒れた。ところがしばらくして身を起こしたので、デニーは斧を出してジョルダンの身体をところかまわず切りつけた。ジョルダンが動かなくなると、ふたりはじっとして外の気配に耳をすませた。外に異変がないことを確認したデニーは即座にジョルダンの子供たちを始末するための行動を起こした。そして自分の部屋で寝入っているエドワルを襲った。
ボゴール県ボジョングデ郡サトリアジンガ住宅地内にあるラトゥロモン家の主ジョルダン・ラトゥロモンと次男のエドワル・ラトゥロモンを殺害した犯人一味が捕まってデポッ市警ベジ署に拘留されていることを知ったラトゥロモン一族十数人がオートバイに乗ってベジ署に押しかけてきた。2012年7月20日朝のことだ。リーダー格の若者がアディとの面会を要求した。しかし取調べの終わっていない容疑者と被害者遺族を警察が対面させるわけがない。怒りと憎悪をあらわにした十数人は大股でベジ署内に入り、父子を殺害した実行犯とされているアディの居場所を探した。ベジ署側は気が立っている若者十数人の闖入に驚いたが、強い態度に出れば不測の事態を招きかねないと考え、警戒を強めながら闖入者の行動を見守った。銃を持った警官たちが要所要所を固めた。
若者たちはヒステリックな声を張り上げて署内を徘徊した。その中にはジョルダンの長男で23歳のヴィッキーも混じっていた。ヴィッキーはアディの名前を大声で呼びながらその居場所を探し、そして拘留房の奥にうずくまっているアディを見つけて怒りの感情をぶつけた。
「おい、殺したのはおめえだな?歳は何歳だ?」アディがかすれた声で14歳と答えると、ヴィッキーは続けた。「おやじがおめえにひどいことをしたってえのかい?そりゃ悪かったなあ。人殺しをしといて、自分のほうが悪いと思わねえのか?おめえに警告しといてやるぜ。出てきたら、それが最期だってな!」
別の若者もそこへやってきて、アディに怒りをぶちまけた。被害者のファミリーの怒声罵声にアディはただうなだれて耐えているばかりだった。
ベジ署長はその十数人の一番の年長格の男に近寄って行った。わたしがここの責任者だと名乗ると、その男も自分はジョルダンの甥のロベール・レオナルド・ラトゥロモン29歳だと自己紹介した。何も悪いことをしていない者が謀殺された一族のうらみつらみを犯人にぶつけるために来ただけであって、ここで法に背く行為を起こす意図はまったくない、とロベールは落ち着いた声で署長に語った。「みんなまだ歳若い甥たちであり、叔父貴が殺されたことを受け入れることができずに感情を激昂させている。かれらをコントロールすることなんかできはしない。」 闖入者たちは激しい感情を吐露してやっと精神の安定を見出したらしく、次第に騒ぎは沈静化していった。
燃え盛っていた感情が鎮まるにつれて、若者たちはベジ署から去って行った。復讐劇が発生することを警戒した警察は、アディをベジ署からデポッ市警本部に移した。
ロベールの話によれば、ジョルダンが下層庶民相手の金貸しビジネスを始めたとき、一族の全員が反対したそうだ。「叔父貴のやってるビジネスはリスクが高すぎると何回も注意したんだが、叔父貴は聞こうとせず、こんな結末になってしまった。抵当に取ったオートバイだって、盗品かもしれない。おまけに借金が焦げ付いたら取り戻す方法なんかありゃしない。オジェッ運転手や屑拾いから身ぐるみ剥いだところでいくらにもなりゃしないし、かえって恨みを買うのがオチだ。相手が相手だから、借金を踏み倒そうとして何をしてくるかわかりゃしないじゃないか。」
ジョルダンの妻もジョルダンが下層庶民相手の金貸しを始め、ボジョングデ駅前でオジェッ運転手たちと毎日仲間付き合いをしていることを蛇蝎のように嫌っていた。夫婦の口喧嘩が増加し、三ヶ月前に破局を迎えた。妻は行く先を告げずにその家を後にしたのだ。
しかしどうやらジョルダンには、自分なりの考えがあったようだ。オジェッ運転手に金を貸して商売道具のオートバイを借金のかたに取り、そのオートバイを本人に使わせて日々のストランを取り立てる。ストランは借金の返済に充てる。そのような形に追い込むことで、甘えよう怠けようとする下層庶民の怯懦な精神を生産的なものに変質させることをジョルダンは実践していたのではないのだろうか。下層ステータスであるがゆえに怯懦な精神にとり付かれるのでなく、怯懦な精神であるがゆえに下層ステータスから這い上がれないのだという原理を読めていたのがジョルダンであるとするなら、かれが近親の者たちから見放されてまで手を差し伸べようとしていた下層庶民がかれを殺したこの事件は救いようのない悲劇にも見えてくる。
その日ベジ署に押しかけたラトゥロモン一族の行動についてロベールは、デポッ・アンボン・パプアにいる一族の全員が今回の事件で激昂しており、今日やってきたのはほんの一部の者でしかない、と語った。「一族の年寄りは、すべてを神の御心にゆだねて、罪を犯した者は赦してやらなければならないと言っているが、それは簡単にできるものではない。警察の犯行再現のときには、もっと大勢がやってくるだろう。犯人には相応の罰が与えられるべきだ。全員が死刑になって当然だ。」復讐のために一族の団結を強固にすることを伝統文化として伝えてきたかれらにとって、法に服することは屈辱に甘んじることだという考えがないと言えばきっと嘘になるにちがいない。


「噴水池に飛び込む車たち」(2012年9月3日)
首都ジャカルタの第一級道路であるタムリン通り。儀典道路とも呼ばれ、国家的なパレードなどが行われる通りでもある。そういう国家の顔・首都の顔であるため、普段からよく整備清掃されており、秩序維持も厳格になされる。このような第一級道路で交通違反を犯すと、他の場所でまったく同じ違反を犯した場合よりも高い罰金を科されるから、通行する庶民は警戒心を高めるという寸法だ。
そういう第一級道路だから、北端ではムルデカ広場の南と西を周回する通りと接する交差点にアルジュナウィワハの物語から取られた馬車を引く白馬の像を伴った噴水池があり、南のほうにはホテルインドネシア前ロータリーに歓迎の塔を取り巻く噴水池が設けられている。ところが、深夜、それらの噴水に飛び込む自動車があとを絶たない。
2012年8月26日午前1時ごろ、白馬の像噴水にヒュンダイアヴェガが飛び込んだ。30歳の男性が運転していたその車は南ムルデカ広場通りを東から走ってきたが、そのまま噴水を取り巻く歩道に乗り上げてから噴水の中に突っ込んだ。運転者から薬物は検出されず、居眠り運転だったと首都警察は判定している。車の運転速度は平常だったらしい。
その一週間近く前の8月20日未明に、フォードフィエスタがホテルインドネシア前ロータリーの噴水に飛び込んだ。1月にも同じルートを高速で走ってきたキジャンイノヴァが午前3時半ごろ、同じ噴水に突入している。
首都警察はそれらの事故の状況が類似していることから、なんらかの対策を採る必要性を感じている。深夜の交通量が少ない時間帯に幅広い直線道路をスピードを上げて走ってきた車が、ロータリーに沿って左に車の向きを転じていかなければならないにもかかわらず、眠気あるいはアルコールや薬物の影響で運転者の運転感覚が鈍っていたことで発生した事故だろう警察は見ている。
2011年にも1月5月6月の払暁に、スディルマン通り方面から高速で走ってきた車がホテルインドネシア前ロータリーの噴水に突入する事故がそれぞれ一回発生している。


「憐れ、狂った父親に首を斬られる幼女」(2012年9月14〜18日)
2012年8月25日(土)21時過ぎ、東ジャカルタ市チラチャス郡クラパドゥアウエタン町ラヤPKP通り10番地の家で、女の鋭い悲鳴が上がった。
その日の夜、居間にいたシティ・ファトナ61歳のところに息子のイファン・レザ・パフレヴィ33歳が顔を出した。イファンの右手に鎌が握られているのを目ざとく見たシティは、息子をきっと見据えて言った。「あたしを殺す気かい?」
しかしカタルシスに浸っているイファンは穏やかな声であっさりと母親に言った。「カイサを殺したよ。」
思いがけない言葉に驚いたシティは即座にソファーから立ち上がるとイファンの部屋に向かった。扉を開いたシティの目に飛び込んできたのは、頭を不自然な方向に向けたまま血まみれで横たわっているまだ3歳と10ヶ月の孫娘カイサの死体だった。家の中をシティの悲鳴が切り裂いた。異変に驚いたイファンの父親エディ・スギヤディ70歳とイファンの兄アリフ・エフェンディ41歳が飛び込んできて、現場を目にして顔をしかめた。イファンが家の外に逃げ出そうとしたため、ふたりは表扉に施錠し、イファンを取り押さえてひもで縛った。イファンの姉エリも惨状を目にして悲鳴をあげた。隣組長を呼ぶよう父親に言われたエリは家の表に出たが、そこから進めず、しゃがみこんで大声で泣き叫んだ。隣人たちが集まってきて事情を知り、隣組長に協力してイファンを首都警察チラチャス署に連れて行った。
イファンは2009年に妻のヌルバエティ29歳と離婚した。何度もビジネス換えをしては失敗し、挙句の果てに麻薬に溺れたイファンにヌルバエティが愛想をつかしたためだ。ふたりの間にできた女児ふたりはヌルバエティが連れて出たが、子供たちは頻繁に父親のイファンに会いに来て、やってくれば数日間その家に泊まった。子供たちは「パパ、パパ」とイファンにべったりで、泊まるときはイファンの部屋で寝るのがふつうだった。
イファンはこれまでも親に資金をねだっていろいろなビジネスをはじめてみたが、長続きしなかった。数ヶ月前もビジネス資金をねだったが、父親に拒絶されている。父親は自宅で箱物家具を作っており、イファンは毎日その販売の手伝いをしていた。学歴は高卒だが、かれにできる仕事はそれに見合わないレベルでしかなく、毎日が手元不如意になるのも当然だった。そんな情況がイファンの心の襞に暗い影を刻んでいたようだ。離婚前ですら一家の生計を支える力のなかったイファンに、離婚後も子供の養育費をヌルバエティに与える力があるはずもなかった。
そしてヌルバエティが2ヵ月後に再婚するという話を耳にしたとき、イファンの心は嫉妬で煮えたぎった。自分のものだった女が別の男のものになるということが許せなかったのにちがいない。
しかしヌルバエティにしてみれば、子供の養育を担ってくれる男を、そしてつまりは夫を必要としていることは言わずもがなであるにちがいない。だがイファンはそれを自分の顔に泥を塗る行為と見なしたのではあるまいか。イファンが強い怒りをヌルバエティに向けたことを家族の全員が知っており、また往き来の頻繁な親族の間でもそれは周知のことになっていた。
2012年ラマダン月が始まる数週間前、イファンは一度自分の手首を切る自殺未遂を犯している。そしてかれは相変わらず自分が世間に認められるべき一個の人間になろうとして家族に支援を要請したが、家族はもうイファンを見限ってしまったようだ。
首都警察チラチャス署でイファンの取調べが行われた。イファンの供述は二転三転した。そして警察は取調べ結果を次のように公表した。イファンは自分と子供たちの心中を計画したというのである。8月25日にカイサは南ジャカルタ市マンパンのヌルバエティの居所に戻されることになっていた。しかしイファンはそれを一日遅らせた。一方、カイサの姉のナイラ5歳は一族の親戚の家に泊まっていた。最初はカイサとナイラを殺して自分も死ぬつもりだったイファンは、その計画を変更してカイサだけを道連れにしようと考えたようだ。
「カイサと寝ているとき、『カイサを殺せ』というささやきが耳の中に聞こえました。『殺せ、殺せ』というささやきが、何度も何度も聞こえたんです。その声は『これはおまえの決心がどれほど固いかを試す試練なのだ』とも言いました。それで、とうとうその声に従うことにしました。引き出しにしまってあった鎌を出して、カイサの首の左側を切りました。カイサは目を覚まし、痛がって泣きながら『パパ、パパ』と呼んだんです。早く殺さなきゃ、と思って、今度は右の耳の付け根から後頭部に鎌の刃を当てました。するとカイサはまた痛がってわたしを呼ぶんです。でもそのうちに泣き声も小さくなり、息をしなくなりました。動かなくなったカイサを抱き上げて、頬にキスしてやりましたよ。」
イファンはそのあとカイサの死体を下に置くと、部屋を出て母親にそれを告げに行ったということのようだ。母親に別れを告げてから今度は自分が自殺する考えだったようだが、イファンが考えていたように簡単にことが運ぶわけがなかった。自殺するつもりだったというイファンの言葉は、イファンの部屋の天井の梁にサルンがかけられていた事実が裏付けている、と警察は表明している。
警察はイファンの取調べを続ける前に、イファンの精神鑑定を行うことにした。鑑定結果を見た上で取調べの方向性が決まることになりそうだ。首と胴がほとんど離れそうになっていたカイサの死体はチプトマグンクスモ病院に検死のために送られている。


「バイトゥラフマン小路の血煙」(2012年9月24〜26日)
2012年8月31日夜、バンテン州タングラン市チポンドの住宅街のど真ん中で、山刀を手にしたふたりの男が斬りあいを演じた。ふたりの男はいずれも西ヌサトゥンガラ州スンバワ島のビマ県から上京してきた同郷者で、日ごろから筋肉痛などのために身体塗布薬を行商していた同業者でもあり、普段は親しい間柄だった。そのひとりウディン40歳がアルコールの臭いを芬々とさせながら、山刀を手にして仲間ジュナエディン28歳の借室にやってきたのだ。
バイトゥラフマンモスク小路の奥に立て込んだ借室地区の中にジュナエディンは2012年初から妻と二歳半の子供の三人暮らしをしていた。ウディンもそこからあまり遠くない場所に住んでいる。
頭から炎でも吹き上がらんあるばかりに猛り狂ったウディンはジュナエディンの家に乗り込むと、ジュナエディンに向かってお国言葉で罵り倒した。ウディンが妻と子供に暴力をふるうことを怖れたジュナエディンは表へ出てウディンに相対した。しばらく罵り合いが続き、近隣住民が「すわ何事?」と集まってきたが、事情が判る者はいない。憤怒の感情に全身を焼き尽くされたウディンはついにジュナエディンに斬りかかる。
近隣住民たちにとって、事情がわからないからその喧嘩を仲裁するのに躊躇が生じるのも当然だ。ましてや酔っ払って怒り狂っている男が手に刃物を持っているのだから、下手に口をはさもうものならどう矛先を向けられるかわかったものではない。結局住民たちはただ遠巻きにして事態の推移を見守るばかりとなる。
ジュナエディンは右腕に重傷を負いながらも、素手でウディンに向かっていった。酔っているウディンの斬り込みはなかなかジュナエディンに致命傷を与えられない。するとウディンはジュナエディンの借室に入ってかれの妻から子供を奪い取ろうとしたから、ジュナエディンも堪忍袋の緒が切れた。
ジュナエディンは自分の借室の壁にかけてあった山刀に飛びつくと、それをぎらりと抜いてウディンに反撃を始めたのである。
最終的にジュナエディンの山刀がウディンの右腕を使えなくし、さらに首にも重い山刀が叩き込まれた。ウディンはもはや戦闘力を完全に失い、噴き出る血にまみれて倒れる。倒れているウディンに向かって、ジュナエディンは近くに転がっていた大き目の石を持ち上げると、それでウディンの頭蓋を割った。とどめの一撃が加えられたのである。
果し合いを終え、自分も体の数ヶ所に深手を負ったジュナエディンは周囲でその決闘を見守っていた隣人に、警察を呼んでくれと依頼した。警察が現場に到着したとき、ウディンは既に事切れていた。
ジュナエディンは病院に運ばれて治療を受けており、警察はまだ詳しい取調べを行っていないが、どうやら諍いの原因は塗布薬の利益30万ルピアの分配をめぐってのもので、ウディンがジュナエディンに不公平なことをされたと思ったためらしいと警察側はもらしている。
30万ルピアの分配にどんないかさまをしたところで、せいぜい5〜10万ルピア程度の問題にしかならないと思われるが、金額よりもコケにされたことに対して命を張るのがかれらの面目というものなのだろう。インドネシア人にもさまざまな種族があるが、かれらの喧嘩は最終的に命のやり取りに向かうケースがあまりにも多い。生命を損なうことなく喧嘩を終える、という現代文明にはぐくまれた作法とは異質のものをわれわれはインドネシア人が行う闘争行為の中に感じるのである。つまり、かれらの持つ生命観はわれわれのものとは異なっているのではないか、ということを。


「天使にも野獣の本性」(2012年9月24・25日)
2012年9月10日(月)21時ごろ、34歳のシャフワンディは自分の人生がその夜尽きることなど夢想だにしなかったにちがいない。
ジャカルタと周辺の郊外地区を結ぶ国鉄コミューターラインの電車は、そんな時間帯でも勤め帰りのひとびとで満員状態だ。タナアバン発ボゴール行きの電車がデポッバル駅に着いたとき、電車から降りようとするひとが扉付近で押し合った。デポッ市はジャカルタへの通勤者が多いところであり、電車の扉付近が混雑するのはいつものことだ。電車の停止時間は乗降客の多さと釣合っておらず、ひとがまだ乗降しようとしているにもかかわらず電車は発車する。3号車のその扉が閉まらないまま電車はゆっくりと動き出した。まだちらほらと飛び降りるひとの中にどうしたことか、ひとりの男性が飛び降りざまに転倒して顔面をプラットフォームに打ち付けたのである。血が流れ、その男性は人事不省に陥った。駅員は迅速にその男性をバクティユダ病院救急治療室に送り込んだが、2時間後に死亡した。駅側は事故と判断して警察に届け出たため、単なる死亡事故としてかれの死は処理された。
ところがインターネットのソーシャルネットワークサイトに、それは強奪殺人事件だったという手記が出たのである。
「その夜、わたしは見た」という手記を書いたのは、デポッバル駅構内で携帯電話とアクセサリーの売場を店番しているリアン25歳だった。デポッバル駅保安警備班はリアンから供述を取った。それによれば、電車がデポッバル駅のプラットフォームを離れ始めたとき、扉近くにいたシャフワンディの手から携帯電話をひったくった男がシャフワンディを車外に突き落としたのだ。
いきなり押されて開いている扉から外に転げ落ちたシャフワンディはフォームで頭を強打し、それが原因で死亡したのである。まだ若いひったくり男も扉から飛び降りて逃げた。
そのひったくり男の人相風体をリアンから聞いた駅保安警備班はそれに基づいて捜査を開始し、程なく犯人の目処がついた。デポッバル駅周辺でうろついているストリートチルドレンのAPではないかと目星をつけた保安警備班は、APを追った。そして9月11日14時ごろ、ポンドッチナ駅で身柄を捕らえて取り調べた。APは犯行を自供した。
シャフワンディの携帯電話機をAPがまだ持っていたため、駅側はそれをシャフワンディの遺族に返した。APは犯行の前にその電車の3号車の扉を壊して閉まらないようにしておき、扉付近で携帯電話機を持ち、あまり警戒していない人間を物色していたのだ。
インドネシアの公共運送機関で扉が閉まらないものに乗った場合は、できるだけ扉から離れているほうが安全だ。それは本人がバランスを失って落ちるということよりも、他の人間に突き落とされるケースが稀でないためだ。犯罪者は被害者に生命の危険が生じるようなことを平気でする。オートバイに乗ったひったくりが、歩行者がつかんでいるバッグをひったくりざまに刃物で切りつけるということも普通だ。斬られどころが悪ければ被害者が死ぬこともあるし、腕や指を切り落とされた被害者も少なくない。
そのように凶暴な犯罪を大人だけがしているわけではない。シャフワンディを突き落としたストリートチルドレンは若干11歳だったのだから。子供は天使などと、いったいだれが言い出したのだろうか?


「新生児誘拐事件」(2012年10月2日)
病院で生まれたばかりの赤児が何者かにさらわれた。2012年9月15日、西ジャワ州ブカシ県西チカランのガンダムカル村に住むシファ・マイシャトゥル・ホイロ20歳は県下南タンブンにあるシティ・ザフロ母子病院で退院の準備をしていた。
チェロ・アディティヤと名付けたはじめての子供の出産と入院の費用710万ルピアは夫のジャジャ31歳が14日の夜に支払いを済ましており、シファは15日昼に子供を連れて帰宅するばかりになっていた。
手回りの品をまとめたシファは、退院する前にトイレに行った。チェロは病院で知り合ったウチン夫人に預けた。ウチン夫人は娘の出産に付き添って数日前からシファの病室で起居を共にしており、気心の知れた間柄になっていたのだ。
シファがその場を去ると、ほどなく白衣を着て被り物をした女性がウチン夫人のところにやってきて看護婦だと名乗り、新生児室のドクターの指示で検査を行うために今からチェロを連れて行くと言ってウチン夫人の手から赤児を取り上げ、病室の外へ出て行った。
シファは5分くらいで戻ってきた。ところがウチン夫人に抱かれていたチェロの姿がない。シファがウチン夫人に、「今から病院を後にします」と言うとウチン夫人は「チェロちゃんは新生児室のドクターに診てもらっているよ。」と言う。「えっ?」とシファはおかしな事の成り行きに不審を抱いた。退院してベッドを空けるだけになっているのに、どうしてまた検査を・・・・
シファはすぐに看護婦詰所でチェロの状況を尋ねた。顔なじみの看護婦がチェロは来ていないことを断言した。念のために担当医にも尋ねてもらったが、検査の指示はまったく出されていないことが明らかになった。するとチェロはいったいどこに?
赤児がひとり行方不明になった話しは即座に病院内を駆け巡った。ウチン夫人は看護婦と名乗る女性の言う言葉を信じてチェロを渡したわけだが、病院側が赤児をさらった女性の捜索を開始したときはもう時間が経ちすぎていた。それ以後チェロがどうなったのかは杳としてわからない。
この事件で病院側はパニックになり、急遽院内の要所要所に監視カメラを設置し、警備態勢の強化をはかり、病院従業員への心構えを高める動きを示したものの、シファにとっては既に遅すぎた対応だった。病院側の新生児誘拐事件届け出で警察の捜査が開始されたが、最重要証人であるウチン夫人はチェロを連れ去った看護婦と名乗る女性の顔をよく覚えていなかった。警察はその近辺にいたひとたちの協力を得てモンタージュ写真を作ったが、捜査の進展はまだ見られない。


「チアテルで観光バスが横転」(2012年10月5日)
2012年10月1日午前11時20分ごろ、観光バス会社ディアン・ミトラ所有のメルセデスベンツバスが西ジャワ州タンクバンプラフからチアテルに向かう山道で横転し、乗っていた台湾人観光客20人の中で4人が死亡し、多数の重軽傷者が出た。一行はタンクバンプラフで火口観光をしたあと、チアテルに向かう途中だった。バスが横転したのはスバン県チアテルのエメン坂で、崖と茶畑にはさまれた場所。バスを運転していたジュニアント32歳の証言によると、坂道でブレーキが効かなくなり、オートバイを一台ひっかけたあと崖に衝突して横転したとのこと。オートバイ運転者は軽い怪我をしただけだった。


「水溜りに突入して死亡事故」(2013年1月8日)
舗装された一般道にできた深さ50センチの水溜りに突入した四輪自家用車が大きく跳躍したあと数回横転を繰り返し、運転者が激しく頭を打って死亡するという事故がマナド市で起こった。
2012年12月30日日曜日朝、北スラウェシ州マナド市の外を循環するリングロードをマウンビ方面から高速走行してきた銀色のアヴァンザが一台、ガソリンスタンドの前にできた水溜りに突っ込んだ。車はスリップして大きく跳ね飛び、ひっくり返った形で着地し、勢いあまって数回転がった。大破した車内に運転者と同乗者ふたりが発見されたが、同乗者は重傷を負ったものの生命は取り留めることができた。
マナド市のリングロードは全長20キロで、マナド市の外側と北ミナハサ県マウンビを結んでいる。およそ10年前に韓国系資本が建設したこの道路は路面の状況も良く、そして直線コースが多いため、運転者がついついスピード上げる誘惑に駆られる魔の道路になっている。ところが排水システムがあまりよくできておらず、雨が降るとあちこちに水溜りができる道路になっており、土曜日の夜降った大雨でリングロードには随所に大きな水溜りができていた。
この道路では、去る11月初旬にも水溜りに突入したタクシー一台が同じような事故を起こし、運転手が死亡している。


「国内交通事故が激減!」(2013年1月9日)
インドネシアの交通事故は顕著に減少している、と交通安全国家委員会が発表した。陸上・海上・航空・鉄道の全モードに渡って2007年から2012年までの6年間で50%以上という目をみはるような減少が起こったとのこと。
事故発生率はrate of accident (RoA)という指標で測られる。航空事故は2007年のRoAが4.12だったが、2012年は1.43で65%低下した。海上の事故は0.26から0.12に54%ダウンし、鉄道は0.302から0.046に85%も下がっている。陸上つまり路上事故はデータが警察をはじめきわめて多数の行政機関に散在しており、その集計とデータの同期化が困難なためにまだ全国データとして公表できる段階に至っていないのだが、感触であるとしながらも顕著な減少が起こっていると委員会は推測している。 運輸省は多発する交通事故に頭を痛めて交通事故半減方針キャンペーンを開始し、さまざまな対策を実施してきた。2014年が方針達成目標期限に設定されていたが、2012年でそれが達成されたことを委員会は賞賛している。交通安全国家委員会は2007年以来、256件の事故原因調査を行い、956件の改善勧告を出している。


「5歳の娘を犯す父親」(2013年1月16〜18日)
2012年12月6日、タングラン市警に実父が7歳の娘をレープしたとの届出があった。届け出たのは娘Aの生みの母であるN34歳で、夫のE34歳が2012年11月28日から行方をくらまして家に戻らず、12月5日に借家に戻ってきたEはAがひとりでいるのを見定めてからAを浴室に連れ込んで犯した上、ふたたび行方をくらましたというもの。
EとNは2003年に正式に結婚し、幸福な結婚生活に入ったものの、2005年に娘が生まれたときからEの振舞いがおかしくなった。Eはわが子に触れることも、抱くこともしなかった。Nが夫にどうしてそんな態度を取るのか尋ねると夫婦喧嘩に発展し、それ以来夫婦の心が離れていった。喧嘩になると夫が妻に暴力を振るうのが常で、Nは夫に撲られて青あざを作ったり、時には頭を壁に打ちつけられるようなことさえ起こった。
娘が父親に犯されたとき、それを母親に訴えた。Nが夫を詰問すると、Eは「この娘を産んだお前が悪い。この娘は災いの元だ。」と妻を責めた。Aが小学校に上がる年齢になると、主婦でしかないNは娘の学校の費用をEに要求したが、Eは一度も娘のための学費を妻に渡したことがない。結局Aは小学校を退学してしまった。
Eは4年前からNの伝手でタングラン市内にある私立小学校の体操教師として勤めており、無職の貧困者ではない。ところが家計は夫が必要最小限の金を妻に渡すだけであり、11月28日にEが家に戻らなくなってからはNとAが必要とする金の出所がなくなってしまった。そのため隣近所や知り合いに食べ物を恵んでもらいに回るのがNの日課になり、12月5日にEが自宅に来たときNがAのそばにいなかったのはそんな事情のせいだ。
EがAをはじめて犯したのは2年前で、それ以来合計8回父親に挿入されたとAは述べている。この一家の生活は3x4メーターの一部屋に父母と娘が一緒に寝る毎日で、Aはよく母親に「夜は眠らないで・・」と頼んでいた。父親の手がAの性器をまさぐってくることがその原因だが、娘からそんな訴えを聞いたNがEを責めても夫婦喧嘩になり、暴力が振るわれて・・・ということの繰り返しだったようだ。
児童保護国家コミッションが2012年12月21日に公表したところによれば、子供の権利を大人がないがしろにする事件が増加傾向にあり、中でも子供に対してふるわれる性暴力の増加は痛ましい状況を示しているとのこと。同コミッションへの訴えはホットライン・eメール・SMS・直接の来訪などで届けられるもので、2012年は12月20日までで累計2,637件に達し、そのうちの48%にあたる1,266件が性的暴行だった。2011年の年間総数は2,508件。
性的暴行は男児女児を問わずに行なわれるレープや性的いたずら、あるいは親が子供をレープするといった内容で、加害者の多くは被害者の身近な人間だ。
また子供に対する暴行事件にはカウントされていないが、捨て子事件も増加している。赤児をその母親や父親が捨てるというのがその内容で、2012年は162件の発生があり、赤児が二日にひとり捨てられているという勘定になる。正式な婚姻関係にない男女の間で生まれた子供、あるいは貧困のために扶養できない、といったことがその原因であるようだ。
インドネシア家族計画の会のデータによれば、国民の15〜19歳年齢ブラケット人口中の1千5百万人が毎年出産している計算になるそうだ。また年間230万件の妊娠中絶で上の年齢層は2割を占めている。妊娠中絶ではその処置が安全でなかったために90万の母体が死亡している。国内で27万人と言われている女性セックスワーカーのうち6割は青少年だ。
HIVの蔓延についても、1987年から2012年までの間に発見されたHIV罹患者を職業別に見ると、主婦が3,733件で際立って多く、多いように思われる売春婦は776件しかない。主婦は職業別ランキングで第4位、売春婦は第9位となっている。
保健省は青少年子女に対する性教育および生殖教育の必要性を強く主張しており、セックスと妊娠に関する科学的情報がもっと一般国民の手の届くところに用意されるようできる範囲での努力を行なっているものの、国民の間になかなか浸透していかないのが実態だ。


「少女を好む男たち」(2013年2月4〜18日)
東ジャカルタ市チャクンのラワベベッ地区。字01隣組02の一帯は下層庶民がひと月35万ルピア程度で狭い借家に住み、住民たちは屑拾いや運転手あるいは屋台を引いて住宅地を回る巡回物売りなどの仕事をして暮らしを営んでいる。妻子もクルプッの袋詰めなどを家の中で行い、わずかながら生計の足しにしているような地区だ。狭い空地にはゴミが積まれて山をなし、空地の端に屑拾いが掘立小屋を建てて住んでいる。借家の並びの裏に回れば、たいして広くない養殖池が連なり、釣堀商売に使われている池もある。半ば放置された養殖池には水草が繁茂し、目を転じれば空地の中に小さい水田を見出すこともできる。
リサが生まれ育ったのはそんな環境の中だ。2002年4月21日に生まれたリサはまだ10歳で、東ジャカルタ市プログバンの国立第22小学校の午後校5年生だ。1キロほど距離のある学校への通学は徒歩。夜になれば、リサの家に近付くほど薄暗さが増してくる。リサは午後校だから、放課後学校で何かしていれば家に帰りつくころはとっぷりと日が暮れる。だがそんな薄暗い家路をリサは怖がりもせず、嫌がりもしたことがない。
そんなリサがふた月ほど前から暗い家路を怖がるようになった。夜がふけても帰宅しないリサを家族が探しに出ると、リサは学校で迎えが来るのを待っていた。リサの性質が突然変わったことを、隣人たちも感じ取っていた。下層庶民の暮らしにプライバシーの壁はないに等しい。隣近所のだれがどんな日常を送っているか、その土地に住むひとびとの目と耳にはほとんどのスペースが筒抜けになっているのだから。
リサはこれまで普通の少女がだれしも持っていた明るさを失い、怖がりで引込み思案になり、自分の内側に閉じこもるようになった。ふた月ほど前に恥部の痛みを訴えはじめたころ、それが始まった。母親のアスリ50歳もその変化を感じていたが、あまり深く気にとめていない。リサの制服の白いスカートに血痕があるのを見たこともあるが、そういう汚い場所に座ったのだろうと考えてリサにそのわけを尋ねることはしなかった。そのうちリサは毎日自分の下着を自分で洗うようになったが、下着に付いた血のあとをきれいに落とすための洗剤も技術もリサは持っていなかった。母親はそれらをすべて知っていたが、尋ねても心を開かないリサに真実を語らせる術を持っていなかったにちがいない。隣人の夫人たちでさえ、リサが自分でパンティを洗うようになったことを知っているというのに。
リサはその借家に父親のスノト54歳と母親のアスリ、そして兄のリオ18歳と姉のスミトリ15歳と5人で住んでいる。リオの上に兄と姉が三人いるが、既に一家をなしてそこからあまり遠くない別の家に住んでいる。スノトは屑拾いが稼業だ。
2012年12月20日過ぎになって、リサの容態が悪くなった。高熱を発し、嘔吐し、全身に痙攣が起こるようになったのだ。家族は最初保健所にリサを連れて行き、何の効果もなかったため開業医を二度訪れたものの、容態は悪化する一途であり、そして破局が12月29日にリサを襲った。意識不明になったリサは東ジャカルタ市プルサハバタン総合病院の救急治療室に運び込まれて医師団の治療を受けた。高熱は39度に達し、呼吸が弱まったために呼吸器が使われ、頻発する痙攣を鎮めようとして薬品を肛門から投与しようとした医師たちが、リサに何が起こったのかを他のだれよりも先に知ることになったのである。
リサの性器は壊れていた。壊れてから感染症が起こったらしく、見るも無惨な様相を呈していた。報告を受けてその様子を目にした病院長も、重度の負傷に目をそむけた。傷の様子は新しいものでなくかなり時間が経っていることをうかがわせるもので、ひどい炎症と腐敗がこの少女をさいなんでいたことは疑いようもない。病院側は節度のない憶測を避けて、鈍器様のものによる破壊という表現をしたが、何を想像させるかは問わずもがなであるにちがいない。リサは、女性器だけでなく肛門も平常の状態ではなくなっていた。
リサが入院してから、小学校の級友たちが見舞いに訪れた。子供たちは母親のアスリに、自分たちの学校には休み時間に女生徒たちをキスしてまわる教師がいるという話をしていた。大人の男たちが持つ少女嗜好はインドネシア社会のいたるところに転がっている。
2013年1月6日午前3時半、リサの血圧が急激に低下し、心拍が弱まった。病院側は手を尽くしたが、午前6時ついに死亡を宣告した。入院する前から意識不明に陥っていたリサは、一度も意識を取り戻すことなく世を去った。リサは死亡時に脳の炎症と性器部の感染症を起こしていたと病院長は表明したが、死亡原因については言明を避けた。脳の炎症は性器部の感染症が引き起こした可能性があるが、死因は治療履歴と検死報告をチェックしなければまだ言えないと説明している。リサの遺体は中央ジャカルタ市チプトマグンクスモ病院に移されて検死が行われ、その日夕方には西ブカシの墓地に埋葬された。
「医師団と被害者の母親の話を総合すると、被害者の性器部に起こった感染症は鈍器様のものを被害者の性器に無理やり押し込んだために発生したものと思われる。」リサの遺族に付き添うために指名された法定弁護士はそう記者団に語っている。
リサの死に関する事件は増加の一途をたどっている少女強姦や性暴行事件のひとつとしてマスメディアのトップページを飾り、東ジャカルタ市警の捜査活動に期待する市民や有識者の声が盛り上がった。少女に対する性的いたずらや暴行事件は、被害者が日常生活の中で親しく接していた人間が犯人であるケースが大半を占めているという定理に従って、警察はリサの日常生活をなぞり、家族から事情聴取した。普通、このような事件は被害者やその親族からの被害届があってから警察の捜査が開始されるのだが、被害届を待つことなく警察はこの事件の捜査を自主的に開始した。この例は、それだけ市民の声に敏感な警察が生まれつつあることを期待させてくれるものだ。
警察はこの事件に関して17人の参考人から調書を取り、そのうちの5人を重要参考人にしぼりこんで署内に拘留し、さらに綿密な取調べを続けた。リサの兄のリオが仕事仲間の隣人に疑惑を抱いているという話から、警察は42歳のその男をボゴール県パルンまで追って逮捕したが、リオ自身も警察の重要参考人の中に置かれたままだ。
決め手がつかめないまま捜査を続けていた東ジャカルタ市警は、リサの死から10日経った16日夜、ついにこの事件の解決を迎えることができた。これまでも、警察の捜査員でさえその可能性を薄々とは感じていてもまったく確信がなく、また決め手となる証拠も証言も手に入らない状況という五里霧中の中で、本人が言い出さなければいつまでもその状況が続いたはずなのに、いったいその心中に何が芽生えたというのだろうか、ついに本人が自白したのである。
捜査の初期段階から、警察はその一家に違和感を覚えていた。スノトとアスリの夫婦、そしてふたりが作った6人の子供たち。その家族内の人間関係のあり方が、自分の文化の中にある一般的な家庭の様子とかけ離れている匂いを捜査員たちは早々に嗅いでいたのだ。家族主義の色濃いインドネシア文化の中では、家族は生まれてから死ぬまで助け合い、愛し合い、睦みあい、依存しあって一生を終えるというあり方が理想とされ、そのようなあり方を実践しようと努める中で家族構成員間の人間関係の形が築かれていく。ところがこの一家の構成員はまるで血のつながっていない他人のように親子の間で相手に向ける関心が薄く、家族主義社会が善として定めている家庭のあり方からすれば、まるで異様な一家としか見えないのだ。
それが原因というわけではないが、リサの日常生活の様子をなぞっていた警察は、リサに対する性行為が行なわれた可能性がある場所はかれらが住んでいた自宅以外にほとんど考えられない、という結論に達していた。だからこそ、その一家に対する事情聴取が頻繁に行なわれ、リオの拘留がなかなか解かれなかったのである。
16日夜、警察はスノトとアスリの夫婦、そしてリオの三人に対する事情聴取を行なった。そのときスノトが、「実はあれはわしがやったんです」と犯行を自供したのだ。最初はその場にいる全員が耳を疑い、半信半疑で顔を見合わせ、捜査員がスノトにその言葉を確認させたとき、烈火のように怒ったリオが父親に殴りかかった。警察はそれをなだめてアスリとリオを帰宅させ、スノトの取調べにかかった。
ラワベベッの借家の留守番を頼まれてその家にいたリサの叔父は、三人出かけたのに二人しか帰ってこなかったのはいったいどういうことかと東ジャカルタ市警本部から戻ってきた二人に問い質し、一部始終を聞いてから警察に確認の電話を入れてリサを犯したのが父親のスノトに間違いないことを確信し、この叔父が記者たちへの情報ソースとなった。ほどなく、少女を悲惨な死に追いやった性暴行事件解決のニュースがマスメディアを走った。
スノトの自供によれば、かれがリサを犯したのは2012年10月16日と19日の二回で、16日は夜中に自分の隣に寝ているリサを犯した。リサは嫌がりもせず、抵抗もしなかった、とスノトは述べている。この一家は普段から、中央の部屋に5人が一緒に並んで寝ていた。一番奥のテレビに近い位置にスノト、隣がリサ、そしてアスリ、スミトリ、リオという順番で。
二回目の19日には登校前のリサを昼間に自宅内で犯した。このときはリサが痛がったので、肛門を使ったとスノトは自供している。スノトの性癖がその両方であったことは、妻のアスリも認めている。アスリは10月14日から19日まで、腋の下の腫瘍の手術をするために入院しており、家にはいなかった。それがリサの運命の決定要因となったにちがいない。欲望を抑えることを知らない保護者の存在は別にしても。
警察の調べでスノトは淋病を病んでいることが明らかになった。そしてアスリ、スミトリ、リオの一家全員が同じ病気にかかっていることが判明している。
近親姦行為、中でも父親と娘の間で、しかもレープの形で行なわれるものは世界中で例外のないくらい頻発しているが、インドネシアにも実例は多い。それもリサのケースのように娘がまだ幼い時期にその行為が開始される。
一般的に父娘姦は男尊女卑の感覚が強い父権的な家庭で起こりやすく、母親は能無しで単なる召使のように見なされ、父親の性に関しては娘が母親の座にとって替わるような見方が一家の中に漂うというこの現象に関する西洋人の観察と分析は、西洋文化とはかけ離れたインドネシア社会であるにもかかわらず十分にフィットしているように思える。おまけにインドネシアにあるのは、その社会学的な分析に加えてインドネシア人男性の少女嗜好が上乗せされているものではないかという気がわたしにはするのである。
2012年10月25日、東ジャカルタ市チャクンで似たような事件が起こっている。その日午前3時、東ジャカルタ市警は被害者の叔父から受けた届出を元に、一家の主J43歳を自宅で逮捕した。
警察の調べによれば、Jは今20歳の長女を14歳のときから、いま18歳の次女を15歳のときから、いま17歳の三女をここ1〜2年間、それぞれ4〜5回自分の性行為の相手にさせたとのこと。
インドネシアの法制度上で近親姦行為に刑事罰が適用されるのかどうかという点について見てみると、まず刑法に乱倫を禁止する条項があり、近親姦が倫理を冒涜するものであるという観念があってはじめて成立する形になっている。近親姦のニュースがマスメディアに流れる時ほとんど「野蛮!」「背徳!」といった呪い文句が付いて回るので、民衆が持っている慣習法宗教法などで近親姦が倫理上の禁忌にされていることが十二分に想像され、その構造が現実的な機能を果たしていることに頷かれるのである。
他の法律としてあがっているのは家庭内暴力抑止法で、これは同じ家に住む者に対する暴行(強制的性行為を含む)に刑事罰が適用される内容を定めているものの、同一家庭内の近親者同士が双方合意で行なう性行為は違反に該当しない。法律の目的が違うのだから当然だと言えよう。次いで児童保護法では、威嚇や強制を伴って18歳未満の者を性交の相手にさせた者はだれであれ刑事罰が適用されるし、また性的搾取や性暴行ももちろん禁止されている。ただしこの法律には子供に暴力を振るう者がだれかという斟酌はなく、万人に同じように適用されるものであるため、この法律の中に近親姦の概念は出てこない。そんな様相を見るかぎり、近親姦そのものを禁止する法律条項はインドネシアに存在しないように思えるのである。
民法では、不倫と近親姦によって生まれた子供は認められないという条文があるが、近親姦という行為そのものに対する否定や禁止は見られない。婚姻法にも親等や親族関係について婚姻を禁止する条件があるが、もちろん性行為にまで言及するものではない。だから18歳未満の娘を犯した父親が逮捕された場合、警察はたいてい児童保護法違反で送検しているのが実態だ。
ここまでは父娘姦の話だったが、他人であっても大人の男が少女を慰みものにしたり、あるいは性行為を行なって逮捕され、やはり児童保護法違反で送検されている実例は数知れない。
2012年12月に66歳の男が近所に住む5歳の幼女を何度も犯していた事実が判明した。ボゴール県チゴンボンに住むその幼女の家では、親が娘の様子に不審を抱き、ある日娘の下着に血が付いているのに驚いて娘を問い質したところ、近所の66歳の男に何をされたかを娘が打ち明けたので、すぐにその男の住んでいる借家に怒鳴り込んで相手を非難し、そのまま警察に届け出た。
66歳の男はその借家に自分の娘と婿と暮らしているが、娘も婿も仕事が忙しくて日中は自宅にいない。最初、男は近所で遊んでいる幼女を飴玉とお金をご褒美に使って自分の家に遊びに来るように誘い、遊びに来た幼女に身体をもんだり背中を踏ませたりし、そのあとその幼女を押さえつけてレープした。
幼女の親に怒鳴り込まれたその男はすぐに家から逃走してバンテン州パンデグランに住む息子の家に隠れたが、警察の捜査で発見されて2013年1月14日にボゴール警察本部に連行されている。
続いて、2013年1月25日、ボゴール市内に住む小学校5年生のF13歳が近所に住むY50歳に女性器を何度も弄ばれていた事件が明るみに出た。Fの家庭は両親が離婚した母子家庭で、母親は家長として生計の資を得るために働きに出ており、毎日日中にFを保護監督する者はいなかった。そんな背景を利用したYがFに接近し、褒美の5千ルピアと威嚇の言葉でFを自宅内に連れ込んでその身体を自分の性的な玩具にしていた。FはYを怖れて母親にそのことを一言も言わず、母親がそれを知ったのはFの学校友達にその事実を告げられてのことだった。母親はボゴール警察に被害を訴え、Yは逮捕されている。
これもやはりボゴール県での事件だが、同県ナングンに住むN4歳を16歳の従兄が慰みものにするという事件があった。2013年1月21日、甥のR16歳が娘のNを遊びに誘ったので、Nの母親は喜んでNをRに委ねた。Nもたいへんうれしそうな様子だったと母親は述べている。ところが「庇護に当たるべき人間が安全をはかるべき対象物を食ってしまう」というインドネシアの諺通りのことが起こった。この諺はインドネシア人が持っている性向を的確に指摘しているとわたしは思っている。
ともあれ、しばらくして母親がNを探したところ、ふたりは人目のない場所にいてRがNの女性器をいじくっていたので母親は激怒し、この学校をドロップアウトしてぶらぶらしている甥を警察に訴えた。
「ただイセンでやっていただけであり、Nと性交する気はなかった」とRは警察の取調べに答えているが、取調べ官は「Nのヴァギナに擦過傷があり、気が付かないまま放置されていればどこまでエスカレートしていたかわからない」と語っている。インドネシア語のイセン(iseng)に関する説明はトップページのグーグルでこのサイト内を検索下さい。
2012年11月にはボゴール県チアウィで身内の少女をなぶりものにしていた40歳代の男が逮捕されている。離婚した女性を妻にしたその男は、今19歳の連れ子Zを12歳のころから、今20歳の自分の姪を13歳のときから、そして今15歳の実の娘を11歳のときから、その身体をいじりまわして玩具にしていた。それが明るみに出たのは連れ子のZが実の父親に義父の行状を訴えたからで、Zが自分の日常の環境から遠いポジションにいる実父にそれを訴えた理由がおぼろげながら見えてくるようだ。
それらの事件はすべてボゴールでのものだが、ボゴールだからということでは決してない。2013年1月9日には東ジャカルタ市クラマッジャティで7歳の少女の母親が警察に娘が性暴行を受けた事件を届け出た。犯人はその家から二軒ほど離れた倉庫に寝泊りしている番人が連れている17歳の息子で、その一家とは顔なじみだった。顔なじみどころか、その17歳の少年Rはその家の子供たちと頻繁に遊んでくれるため、母親は自分がいないときに子供を見てくれていると考えて信頼していた。被害者となった少女の家庭も母子家庭で、41歳の母親は毎日仕事に出ているため、日中は自宅にいない。この母親には子供が4人あり、一番上の子供は家を出て借室住まいしており、二番目のまだ小学生の子供、被害を受けた小学一年生の少女、そして末っ子は4歳の男児という家族構成になっている。事件の推移はこうだ。
1月9日朝、母親が少女とマンディしているとき、少女は恥部が痛いと母親に訴えた。何があったのかを母親が尋ねても、少女は口を固く閉じて話さない。すると4歳の弟が母親に告げた。「このまえの昼間に母ちゃんの部屋で姉ちゃんは裸にされ、のしかかられたんだよ。だからボク、台所のほうきであいつの頭を撲ってやった。」
母親は驚いて少女に「何があったのか言いなさい」と詰め寄ったが、少女は依然として何も語らない。激した母親は娘を二度つねり、ようやく少女は泣きながら話し出した。最初に少女が暴行されたのは1月はじめで、その日母親がいない昼間に少女と弟は母親の部屋で寝ていた。表扉に鍵はかかっておらず、末っ子のおもちゃである木製トラックがドアストッパーに使われているだけだった。子供たちは近所に住む叔父の家によく遊びに行っていたから、昼日中に表に鍵をかける習慣はなかったようだ。そしてRがいきなり家の中に入ってきた。
Rはベッドで寝ている少女を捕まえて裸にすると、少女の頬にビンタを張って「大声を出すなよ!」と威嚇し、おびえている少女にのしかかって行った。4歳の弟は姉がいじめられていると思って武器を探し、台所のほうきでRを攻めた。Rはその家を立ち去った。Rにのしかかられたのは、別の日にもう一回あったと少女は語っている。Rの暴力を怖がっていた少女はその出来事を誰にも話そうとしなかった。
Rの父親はその倉庫にもう10年近く住んでおり、R以外の子供はあちこちの親族に預けてあるそうだ。Rはそのエリアで札付きの不良少年で、素行は悪く、大人がどう注意しても効果がない。いまだに小学校6年生で、クラスメートをそそのかして路上に停めてある車のドアをこじ開けて中の品物を盗ませるようなことを行い、何度か警察の世話になっている。警察はRが自分の年齢を13歳だと偽っていたことを知らずにその言葉を信用し、この少女の性暴行事件の訴えがあったときも、Rはまだ子供なのだから保護されなければならないという理由でRの逮捕に向かわなかった。少女の母親はRが13歳だという警察の話に不審を抱き、小学校の生徒管理資料からRの家族登録書を複写してもらい、内容をチェックした。Rの生年は1995年となっており、13歳だという話は偽りであったことが証明されている。
警察に暴行の被害届が出される数日前にRは倉庫から姿を消しており、またRの父親もそれに遅れてチリリタンの親族の家へ行くという理由で休暇を取っており、警察がRを捕らえるためには捜査を開始しなければならない状況になっている。
インドネシアで少女に対する性暴行事件は数多いが、マイノリティであるにしても、少年も一部大人の男たちの性的欲望の対象になっている。ここで少年少女と呼ばれている者の年齢は児童保護法に定められている18歳未満であることを再確認しておこう。児童保護法違反として記録された事件の数は2010年が2,456件、2011年2,509件、2012年2,637件となっているが、レープを含む性的暴行事件が占める比率は年々上昇している。件数でも、2010年1,178件、2011年1,304件、2012年1,634件と急成長しているが、比率のほうも2010年は48%、2011年52%、2012年62%とうなぎのぼりだ。
首都警察法医学心理学専門家はここ数年増加している少女へのレープや性暴行事件について、たいていのケースでは予想外の人物で被害者の身近な人間が犯人になっており、たとえば義父・教師・運転手・庭師・その他の親族などだと解説する。「犯人は被害者より高位のオーソリティを持つ人間であり、世の中で尊敬を得ている人間だ。そのため被害者は世の中から指弾されるのを怖れて口を閉じる。宗教師などが関わってくると、真実は闇の中に溶け込んでしまう。」
アンチ女性への暴力国家コミッションの女性コミッショナーは、ここ数年はペドフィリアとインセストが顕著になっており、インセストは父娘姦と兄妹姦がメインを占めている、とコメントしている。その様相をわたしはインドネシア文化が内包している弱点に合致するものだと考える。つまりインドネシア文化が持っている男尊女卑の価値観と家族主義という構造の中にある弱点を加害者がたくみに利用しているということだ。女子供と呼ばれる弱者階層の中にいて女であり子供である少女たちは最下層の社会ステータスに置かれており、その結果、大人の支配に服従するのが当たり前という観念を本人を含めた社会構成員全員が持つことになる。年上の男に対する反抗抵抗は悪だという倫理観を負わされた少女たちは、底意を持つ男たちにとってこれほどおいしい好餌はないということになるにちがいない。人間が善であることを前提にしている社会原理は、悲劇を予防しようという意図を常に薄弱なものにしている。


「ナルコバ送り込みの新手口」(2013年2月5・6日)
フェイスブックで知り合いになり、ヴァーチャルワールドで親密になり、更にリアルワールドで地上コーヒー(kopi darat)して相手を手中に取り込もうとする腹に一物ある男たちは数多いが、ヴァーチャルワールドで親密になり、結婚の約束をして国外からインドネシアに住んでいる相手を意のままに動かそうとする男も少なくない。
まだ実物に会ったこともないのに結婚の約束を信じ、早くもその気になって相手の頼みごとを叶えてやろうと努力するインドネシア女性たちは、かの女たちにとって結婚というものが何なのかという基本的なコンセプトを赤裸々に示しているように思えてならない。そんな手口でインドネシア女性を引っ掛けるのはこれまで詐欺師が多かったが、いまや国際麻薬シンジケートもそんな手口を利用するようになってきた。
国外からインドネシアに麻薬禁制薬物を送り込むのに、運び屋の手を借りるより安上がりで、且つ成功する確率が高いというところにシンジケートが目をつけたようだ。もちろん昔から、郵便や宅配便で麻薬禁制薬物や銃火器などさまざまな禁制物品がインドネシアに送られてきているが、官憲の対応も昔よりはるかに高度化されていて、品物が発見され受取人一味も逮捕されるというシンジケートにとって被害が大きくなる傾向が強まっていたことから、この一般市民を矢面に立たせておいてその裏で目的を達成するという手口が盛んになりはじめた印象が強い。
2013年1月、スカルノハッタ空港でクーリエ会社が不審な小包みを発見した。インドから中部ジャワ州ウォノソボに住む女性宛に送られてきた自動車部品を税関が調べたところ、ピストンシリンダーの中にシャブ2.98キログラムが隠されていた。国家麻薬庁捜査員がさっそく捜査を開始する。
受取人の45歳の未亡人は、外国の知り合いが送ってくる品物を預かって他の人間に渡すよう頼まれていたらしい。かの女は取調べの中で、その相手が結婚の約束をしたことを明らかにしている。もちろんかの女はその小包みの中にシャブが隠されていることなどまったく知らず、相手の男が言うことを頭から信じていたようだ。国家麻薬庁はその女性の自供の裏を取るため、女性を容疑者として拘留し裏付け捜査を進めている。
捜査員は最初クーリエ会社配達員に扮装して送り先住所にアプローチし、名宛人をマークした。すると別の男が捜査員に電話をかけてきた。その小包みはいつ宛先の住所に配達されるのか、と尋ねる。そして自分は家の表で待っているからすぐに配達してほしい、と要請した。捜査員がすぐに現場に赴いて小包みを渡し、受取りサインがなされた直後にその男は逮捕された。名宛人女性はその男にまったく面識がない。どうやら国内のシンジケート一味は時間を惜しんだのか、それとも名宛人女性に顔を見られてリスクを増やすことに配慮したのかもしれない。
国家麻薬庁のデータでは、類似の手法で送られてきた麻薬禁制薬物がバリ・マグラン・ジャカルタのルバッブルスの三ヶ所で摘発されている。ルバッブルスの事件では、その送り先住所の主人がアメリカから小包みがわが家に送られてくる心当たりはまったくない、と言って小包みを受け取らなかった。国家麻薬庁広報担当は、一般市民もみんなそのような姿勢を持つようにして、麻薬事件との関わりあいを避けるよう努めてほしい、と賞賛している。
一般に郵便配達夫が宛先住所の異なる家に間違って郵便物を配達してすら、それを受け取ったまま放置する家がインドネシアには意外に多い。小包みだと中味は品物だから、誤配がなされると得をしたように思うのかもしれない。そんなルーズな姿勢が続けられる限り、シンジケートにとってインドネシアは便利なマーケットであり続けるにちがいない。


「無法の町ジャカルタ」(2013年3月4〜7日)
未明に住宅からオートバイを盗んだ二人組みに被害者と近隣住民が対決し、犯人の攻撃でふたりが死亡したが犯人のひとりを取り押えることに成功した。犯罪の増加に対する抑止力を持っていない警察の姿は、首都ジャカルタを無法の町に変えつつある。
2013年2月25日午前4時ごろ、東ジャカルタ市チラチャス郡カンプンランブタンの住宅エリアにあるタナムルデカ通りの小路で、騒動が起こった。そのエリアの一軒の借家の庭からふたりの男がオートバイを一台盗み出したのである。その借家にはヘストン・フタガルン氏の一家が住んでおり、ヘストン氏の妻ノルマさん52歳が犯行を目撃した。
自宅の庭からオートバイを道路に出そうとしていた男たちふたりにノルマさん一家が追いすがり、オートバイを引き止めて「泥棒!」「強盗!」と大声で叫び続けた。オートバイを守ろうとしたのはヘストン氏とノルマさんの夫妻、そして18歳と17歳のふたりの息子たちだった。叫び声を聞きつけた隣人のイヤン氏36歳が現場に駆けつけてヘストン氏一家に加勢した。賊の一人は持っていたピストルをノルマさんの腹に向けて発射し、さらにヘストン氏目がけてもう一発撃った。しかしヘストン氏の方はポケットに入れてあった携帯電話がかれの身代わりになった。
ピストル男はひとりひとり順番に銃口を向けて威嚇したが、三発目を撃とうとせずに仲間と交代した。弾丸がもう切れていたのだ。もうひとりの男はナタを手にしてふたりの息子たちに切りかかった。17歳の高校二年生の息子が胸を深くえぐられて絶命し、18歳で高校三年生の兄も胸を切られて重傷を負った。
被害者が上げている「強盗!」の叫び声に他の隣人も集まってきて、トリッ氏40歳とヘリ氏35歳が加わって逃げようとしたナタ男を攻撃した。ピストル男はナタ男が凶器を振るっている間に姿を消していた。賊を攻めるとは言うものの、ナタを振り回す男を素手で取り押えるのは至難の業で、反対にみんながナタで手傷を負わされるありさまだ。そこに隣人のジャムハリ氏36歳が鎌を持って登場した。普段、カンプンランブタンのバスターミナルでチャロ業を営んでいるジャムハリ氏は鎌を手にしてナタ男と決闘した。かれは鎌で賊のわき腹をえぐったが、賊もそのときジャムハリ氏の腹にナタを突立てており、ジャムハリ氏はその場で失命した。わき腹をえぐられた賊は動けなくなり、ついに住民たちに取り押えられて警察に引き渡された。言うまでもなく、警察に引き渡される前にナタ男には凄絶なリンチが加えられている。小路には、盗まれなかったヘストン家のオートバイと、ふたりの賊が乗ってきたオートバイが転がっていた。
警察の取調べで二人を殺したナタ男はデニ・サプトラ25歳と判明。逃げたピストル男を警察は追跡している。ヘストン氏一家はヘストン氏が数ヶ所に切り傷、妻のノルマさんは腰に銃創、そしてふたりの息子たちはたいへんなことになってしまった。隣人たちはジャムハリ氏が死亡した以外、切り傷だけで終わっている。首都警察広報部長はこの事件について、身を張って強盗と対決する勇気を持ち、犯人逮捕に協力してくれた市民に感謝の意を表する、と記者発表で表明した。昔から警察は、被害者が強盗と対決するたびにその勇気を賞賛する発言を行なって犯罪者との対決姿勢を勧誘しているが、主客転倒の感は免れないように思えてしかたない。
最初から問答無用で人間に危害を加えようとする強盗も増えてはいるものの、潔く自分の財を手放す者は自分の身体の安全が維持されるケースがいまだにマジョリティを占めている。強盗に抵抗し、対決して反攻し、結局賊に殺されたということになれば、いくら警察が褒めちぎってくれたところで何になるのか?インドネシアの一般市民たちはみんな『命知らず』なのだろうか?そう思うのはわたしだけだろうか?
インドネシア大学犯罪学教官はこの事件に関して、市民が強盗と直接対決したこの事件は犯罪者に対する警察の姿勢が生ぬるいことを反映するものだ、とコメントした。「汚職者からストリート犯罪者に到るまで、警察が採っている措置が生ぬるいものであることは明白に現れている。警察がそんな姿勢を続ける限り、市井の治安に対する悪影響が積み重ねられて無法の町が深刻さの度合いを増し、市民生活への不安と暴動による秩序崩壊の危険が高まって行く。」教官はそう述べて警察の犯罪抑止努力を更に強化させるよう求めている。
犯罪の多発する国あるいは社会というものが世界に紛れもなく存在している。それを人間の性質の善し悪しに関連付けたところで、ことの本質は見えてこない。犯罪多発社会に住んでいる人間は悪人だという定義を据えてみても、その社会に入ってみれば善行を示す人間をそこここに見出すことができるのである。善悪というのはその社会を構築している文化の中に築かれた価値観に従うものであるため、文化が違えば善悪規準も異なってくるのは世間周知の原則だ。ならばどうしてわれわれの常識となっている犯罪が、あるいは悪事がその社会で多発するのか?それはわれわれから見た犯罪や悪事の発生を完全に否定しきらない社会原理がその文化の中に存在しているためだ。
その原理を踏まえて生きている人間たちにとって、犯罪や悪事を行なうべき状況に自分が置かれたなら、罪悪感なしにそれを行なう可能性が高い。つまりその文化の中では、人間の生きる姿がそのような形を採っており、かれらにとってはそれが当たり前のものになっているのである。そんな社会では、人間性の善し悪しとは無関係に、状況がもたらす必然性によって誰でもか犯罪者になり、また悪人になれるということだろう。それを個人の人間性に帰すのは的外れな見方だと言えないだろうか?
インドネシアはホモホミニルプス原理が強く社会を覆っている国であり、家族主義社会あるいは拡大家族主義社会の外の世界に対して冷徹に適用されている。そのために、ソトの世界はジャングルの様相を深め、力の支配がジャングルにおける秩序を形成する。力ずくで他の生物を殺して肉を食い、また力ずくで他人の所有物を奪うのは、ジャングルで生きるための原則だ。無法の町もジャングルもそんな類似の原理に支えられている。ジャングルの中で出会う一番怖ろしいものは獰猛な野獣でなくて同類のしかし見知らぬ他人だという言葉は、そんな社会が持っている真理を物語っているとわたしは思う。


「盗人のいる情景」(2013年4月22〜25日)
自分に所有権のないモノを盗んで自分のモノにする泥棒という行為は、自分のモノも他人のモノも区別しないで自分のメリットのために使おうとする自己中心性と隣り合わせだ。それらの行為はいずれも、『他人』の『所有権』に対する鈍感さあるいは無視に由来するものであり、『他人』ならびに『所有権』ということがらに対する軽視あるいは侮蔑や攻撃性がその根底に横たわっている。
世の中では盗むということを、その行為者が抱いた欲望の充足手段という観点からばかりとらえる傾向が強いようにわたしには感じられるのだが、現代文明の基本コンセプトのひとつである人間の対等性、さらには対等な他人が自己のモノに対して持っている主権といったことがらへの尊重というポイントを抜きにしては、この問題への的確なアプローチに至らないのではないかという気がわたしにはする。
「インドネシアで暮らし始め、あるいは仕事し始めたころ、いたるところでさまざまなものがなくなり、この国は盗人の巣だと思われた方もきっと多いにちがいない。だがかれらの貧しさを思い、指が曲がるのも貧困の故と自分を納得させ、仕方ないこととして目をつぶってしまった方々も多いのではないだろうか?」
15年ほど前にわたしが書いたエッセーのひとつは上のような出だしで始まったいたが、これこそが欲望充足手段という観点からそれを見ている人間のあからさまな姿であるにちがいない、とわたしはいま深く反省している。
どんな先進国にも、他人の所有権を尊重しない人間は山ほどいる。雨の降る日に傘をさしてとあるビルへ行き、ロビーの傘立てに傘を置いて用事を果たしに行き、済ませて戻ってきたらロビーの傘立てに自分の傘が見当たらない、というありふれた話はそのひとつだ。
インドネシアでも、靴を履いて礼拝をしにモスクへ行き、手足を清めるために靴を脱いで履物棚に置き、礼拝を済ませて戻ってきたら靴が見当たらないということは日常茶飯事で、傘の話と何ら違うところがない。インドネシアのモスクで稼ぐ靴泥棒ははだしでやってきて靴を履いて帰っていくから、傘泥棒とちがっているのはきっとそんな程度なのだ。あえて傘泥棒と書いたが、「泥棒と呼ぶほど大げさなもんじゃねえよ」と思った読者がいらっしゃるかもしれない。だが、権利の侵害は金額の多寡で決まるものではないということを思い出していただきたいと思う。
ある国へ行けば、他人の所有権尊重はかなり行き渡っていて、盗みは比較的非日常の姿を呈しているものの、自分と見知らぬ他人(あるいは見知っているが仲間意識が介在しない他人)との間の対等感に根ざす尊重は形ばかりで、他人を見下し侮蔑することに熱意を燃やす人間が、これも山ほどいる。
文明度の高い社会というのは、見知らぬ他人であっても一緒にひとつの時空を共有して共同体を築いている仲間だという観点からその他人の存在を受入れ、そんな他人との間に友愛感情を育み、社会善を実現させるために協働する人間の集まりだろうとわたしは思う。そんな社会の構成員は社会の中で居心地の良さを感じ、他人が自己のメリットのために自分を利用したり搾取したりしないという信頼感を抱いて安心して日常生活を営むことができる。そこでは、対等性をベースにした他人への尊重がすべてのものごとの枠組みを作り出しているはずだ。
それに反して、ホモホミニルプス社会が文明度スケールのどのあたりに位置付けられるかは、おのずと明らかだろう。友愛感情は地縁血縁顔見知りの中にしか存在せず、自分が共同体と認識している封建色に満ちたファミリーイズム社会のウチとソトを鋭く区別し、自分の住む世界のソトにいる人間は搾取しようがリンチしようが殺そうが自分たちとは無関係なエイリアンであるという認識で構成されている社会に、他人への尊重など求めるすべもない。
いや、わたしは日常社会生活の中で盗みや犯罪があまり見られないから文明度が高いのだという速断をするべきではないと言いたかっただけなのだが・・・・・
長い前置きになってしまったが、甘えの中ではぐくまれた突出する自己中心性がどれほど他人への尊重という文明度ファクターをないがしろにしているか、という事例が新聞で報道された。
2013年2月16日、中部ジャワ州スマラン県ジャンブ郡のとあるパサルで若い男がひとり、籾米を二袋持ち込んで売っていた。見かけない男がパサルで米を売るのを、同業者たちが見過ごすわけがなかった。その二袋を売った男は21万3千ルピアを手に入れ、パサルからオートバイで出ようとしたところ、数人の私服刑事がかれを取り囲んだ。
同業者たちの抱いた疑惑は大当たりだった。アフマッ・クサエリ22歳と名乗った男は、警察の取調べで籾米5袋を盗んだことを自供した。何日か前にアフマッはスマラン県アシナンの自宅から当てもなくぶらぶらとバニュビル方面に徒歩でやってきた。もちろん、何か金になるモノゴトに行き当たらないかなという期待と二人連れで。
そして一軒の脱穀所の脇に脱穀するための籾米がたくさんの袋に入って置かれているのを見つけた。脱穀所にひとの気配はまったくない。アフマッはそこに近付くと、袋のひとつを持ち上げ、急ぎ足で自宅に向かった。それを自宅に置くと、かれはまたその脱穀所に引き返した。三回・四回・五回とアフマッは同じことを繰り返し、かなり疲労した。これだけあればいいだろう、とかれは考え、5袋盗んだことに満足した。そしてそれを金に換えるために、かれはパサルで売ったのである。
パサルまで袋を運ぶために使ったオートバイをも警察は調べた。「これも盗品じゃないのか?」「いや、おらあオートバイは盗んじゃいねえ。」しかし当人が何を言おうが、警察はその裏を取る。そしてそのオートバイとアフマッの自宅に置いてあったもう1台のオートバイもアフマッが知り合いから無断で自宅に持ち帰っていたことが明らかになった。
警察の追及にアフマッは申し開きをする。「おらあ、友達からこのオートバイを借りたんだよ。友達には何も言わずに。返そうと思ってたが、そのひまがなかった。おらあ、このオートバイを絶対に盗んでいねえ。その証拠に、このオートバイをまだどこにも売り払ってねえじゃねえか。」
その感覚は借金申込みをする女中や従業員のものと瓜二つではなかろうか?!ともあれ、盗品を故買屋に持っていく度胸がなかっただけの話だろうが、と取調べ官に言われてアフマッはうなだれる。
籾米を売った金を何に使うつもりだったのかと聞かれてアフマッは、今幼稚園と小学校に通っている弟妹の学費のためだ、と答えた。親は子供の学費の金をまったく持っていないのだそうだ。そりゃ殊勝で親孝行な心がけだなあ、と果たしてなったのかどうか?
警察はアフマッの窃盗行為がまったくの単独犯行であり、組織犯罪の影はまったく見られない、とコメントした。ただし後になって、アフマッには5年ほど前にやはり籾米を盗んで捕まり、45日間の入獄刑を受けた前科があったことが判明している。


「首都警察推奨、安全なタクシーの利用法」(2013年4月30日)
タクシーを利用する際には、まず評判のよいタクシー会社を選択し、その会社の公式業務場所で乗車すること。道端でタクシーを拾うようなことは絶対しないように。夜の場合は、タクシーを直接電話で呼ぶことのできるタクシー会社を利用し、自分が今いる場所までタクシーに来てもらうのがよい。そのとき、タクシー会社が派送してくるタクシーの運転手の名前やタクシー車体番号を必ず聞いておくこと。タクシーに乗ったら、ダッシュボード上にある運転手の名前と写真を確認して、運転手のアイデンティティが間違いないことを確かめておく。もし名前や写真が隠されていたり異なるものであった場合は、すぐにそのタクシーから降りて利用しないように。街中では、都民は常に注意深くまた十分な警戒をもって行動しなければならない。
首都警察はタクシーの仮面をかぶって都民を襲う犯罪者一味をいくつも逮捕しているが、強盗タクシー犯罪は止むことなく繰り返されている。これは服役した者たちが前非を悔いて足を洗うのでなく、強盗タクシービジネスが手っ取り早い金儲け手段として魅力があるとかれらが考えているためだ。当方は強盗タクシー一味を捕らえ、また都民の安全を確保するために、今後もパトロールを強化することにしている。首都警察広報部長はまた発生した強盗タクシー事件に関連して都民にそう警戒を呼びかけた。
2013年4月10日、歌手のディアンサ・ブタルブタルさん32歳が23時ごろ強盗タクシーに襲われる事件が起こり、現金60万ルピア、携帯電話一個、身に着けていた黄金20グラムなどがタクシー運転手を含む三人の男に強奪された。ディアンサさんは職業上、仕事が深夜にわたるため、帰宅はタクシーを使うしかない。かの女はいつもなじみのタクシーを使っているが、その日は別の客が先にそのタクシーを使ったため、いつもと異なるタクシーを使わなければならなくなった。
かの女はやってきたタクシーを仕事場の表道路で捕まえたのだが、そのタクシーは車体が全体に白っぽい色でタクシー会社の名称やロゴマークが車体に見られず、奇妙な印象を受けた。おまけに窓ガラスには濃いフィルムが貼られていて、外から中がよく見えないようになっている。乗ってしまってからディアンサさんは不審を抱いたが、そのときはもう遅かった。自宅の住所を行き先として運転手に告げていたものの、運転手はそこへ向かわず、クマヨランのムルパティ航空事務所に向かい、事務所前で車を停めると後部トランクのロックを開いた。ふたりの男がトランクから出てくると、後部座席のディアンサさんを左右から挟んで威嚇し、金目の物を奪った。そしてまったくひと気のないジャカルタフェア会場まで車を走らせてディアンサさんを下ろし、そのまま立ち去ったのである。


「引っ掛け恐喝」(2013年5月7日)
2013年1月14日付けコンパス紙への投書"Penipuan dengan Modus Menyenggol Sepeda Motor"から
拝啓、編集部殿。2012年11月10日(土)17時ごろ、南ジャカルタ市マンガライ(Manggarai)地区でボックストラックに貨物を積んだわたしと助手は、その車を運転して帰途についていました。突然わたしの車はトゥブッ(Tebet)のスポモ通りでストップをかけられました。ヤマハヴェガオートバイの運転者はあいさつもなくいきなりわたしに怒りかかってきました。
その男が言うには、わたしがかれの乗っていたオートバイを引っ掛けたので、マンガライトンネルの近くで転倒したのだそうです。わたしはそんな事故を起こした覚えがないため、言い合いになりました。その男はヘルメットを一度も脱ごうとせず、おまけに自分は治安要員だとまで言いました。
わたしも助手も、背が高くて体格のよいその男が恐くなりました。その男は車の登録書とわたしの携帯電話を保証に取り、損害を弁償するよう要求しました。そして最寄の修理工房を一緒に探すようわたしを誘い、助手には車で待つよう命じました。わたしたちは一帯を探し回りましたが、修理工房は見つかりません。最終的にわたしはその男の仲間たちが集まっている場所に連れて行かれました。その曖昧ワルンのようなスラムっぽい場所の名前をわたしは知りません。わたしはそこで弁償しないと袋叩きにあうぞと暴力で脅かされ、修理代として120万ルピアを要求されました。わたしの上司がわたしの携帯電話でかれらと交渉し、70万ルピアをジョセフ・ロドガフ名義のBCA銀行口座番号3423135308に振り込みました。
そのあと、かれらはわたしに徒歩で帰るよう命じました。わたしはこの事件を当局に届け出ています。届け出たとき、あの地区では類似の事件が頻?に起こっていることを知らされました。だからわたしは、南ジャカルタ市マンガライトンネルからスポモ通りまでの区間を通る運転者の皆さんに、特に注意するよう呼びかけたいと存じます。[ 西ジャカルタ市在住、バフルンシャ ]


「祖母が新生児を誘拐」(2013年5月13日)
生後まだ二日の赤児を義理の祖母が誘拐するという事件が2013年5月8日に中部ジャワ州クドゥスで起こった。アユッ・トリスナワティはまだ28歳だがスカルミン45歳の二人目の妻で、いま妊娠8ヶ月の身重な身体。そのアユッがスカルミンの息子アディル26歳の家に遊びに来た。
アディルの妻アティッ23歳ははじめての子供を出産したばかりだ。アユッはアディルの義理の母親になるから、アディルの子供からすれば祖母になる。しばらくしてアユッは自分の携帯電話に入れたニセSMSをアディルとアティッに見せた。そこにはスカルミンがアディルとアティッに早急に会いたいので家に来るように、と記されている。アディルとアティッはびっくりして、さっそくオートバイで父親の家に向かう。そのときふたりはアユッに向かって、赤ちゃんを見ててくれと依頼し、アユッは快諾した。
赤ちゃんとふたりきりになったアユッはさっそく動き出した。持ってきた長さ40センチ幅12センチ高さ23センチの茶色合成皮革バッグに赤ちゃんを入れ、その家から出て行ったのだ。アユッは乗り合い小型バスでパティのジュワナへ向かった。
一方、自宅から7キロ離れた親の家に二輪車で向かったアディルとアティッは、呼んだ覚えはないとスカルミンから言われて狐につままれたような顔で自宅に戻ってきた。ところが預けて行った赤児とアユッの姿がどこにも見当たらない。ふたりは8日21時半にクドゥス警察に連絡して、赤ちゃんがかどわかされたと届け出た。捜査員がさっそく動き出す。容疑者の足取りを探すには、ベチャ引きや乗り合い小型バス運転手から情報を集めるのが一番。そしてアユッとおぼしい女性がジュワナに向かったことが判明し、クドゥス警察はパティ警察に捜査を要請した。パティ警察はその日23時にアユッを発見して赤児とともに保護した。捜査開始後わずか1時間半の大手柄だった。
クドゥス警察に引き渡されたアユッは取調べを受け、赤児の誘拐は認めたがそれは自分で育てるためであって、決して赤児売買のためではない、と強く主張している。赤児を合成皮革バッグに入れたのはアディルの家から出るときの近所の目をくらますためであり、乗り合いバスに乗る前から赤児はバッグから出して抱いていた、とアユッは述べている。
アディルとアティッは、家族だと思って信用して赤ちゃんを預けたのに、とんでもないことをしてくれた、とアユッに憤慨している。クドゥス警察はアユッの自供がいまひとつ腑に落ちないため、取調べを続けている。自分がまもなく赤児を産む立場なのに、どうして他人の生後まだ二日の赤ちゃんを自分で育てようなどと考えることができるのだろうか?それともこれは、妊婦の異常行動という範疇に入るものなのだろうか?


「ムム?ムカッ!グサッ!!」(2013年5月16・17日)
普通の一般市民の中に、いつも刃物を携帯している者がいる。どうやら種族によって、その比率の高低があるようだ。知り合いのブタウィ人の話によると、パレンバンでは男がみんな刃物を持ち歩いているそうで、かれがパレンバンで地元の同僚にそのことを尋ねたところ、刃物を持っていないと丸裸で街中を歩いている気分になる、と言われたそうだ。
そんな男たちはもちろん喧嘩早いし、刃傷沙汰は日常茶飯事らしい。喧嘩になれば、せっかく持っている刃物を使わないわけがないのだから。そういう社会の人間観、というより生命観はきわめて軽いものだろうし、そういう人間たちはたいてい命知らずになるにちがいない。
だからインドネシアで暮らすかぎり、外国人は地元民に強い屈辱感を与えないようにして、かれらの激怒の対象にならないように気をつけなければならない。ただでさえ情緒的なかれらは自尊心が敏感であり、つまらないことであっても自尊心を傷つけられたと感じれば激情に包まれる。かれらが激怒すれば喧嘩になり、そしてかれらの喧嘩では生命のやり取りが普通なのだから。
2013年5月11日23時半ごろ、西ジャカルタ市チュンカレンのカプッ町でトパン32歳が隣人に刺されて死亡した。トパンを刃物で刺したのは隣人のスプリ30歳で、スプリは刺した後そのまま逃走し、トパンは病院へ運ばれる途中に出血多量で死亡した。
そのとき、トパンとスプリの間で喧嘩があった。スプリがトパンを詰問し、言葉の売り買いが行なわれて口論になり、そのまま手が出て足も出た。トパンは素手の喧嘩と思ったようだが、ところがどっこい、スプリは普段からアーミーナイフを持ち歩いている男だった。怒り心頭に発すれば、だれしも相手を殺してやりたいと思う。そしてスプリは、自分の武器を取り出すと、その思いを実行した。腹を深く刺されたトパンは血を流してその場にくずおれた。
どうして喧嘩になったかと言えば、トパンが親しくもないスプリの噂話を隣近所にしていたことが発端だ。スプリの妻29歳は夜の勤めに出ている。夫婦の間に子供がひとりあるが、スプリは頻?に妻に対して暴力をふるっていた。仕事も定職がなく、家計は妻の収入に負うところが大だった。そんなスプリの家庭内の状況は近隣に筒抜けで、町内では誰もがそれを知っていたから、スプリは嫌われ、隣人の同情は妻のほうに集まっていた。そしてどうやら、スプリの妻は店の客の中に気持ちの通じ合う男を見つけていたようだ。
トパンがスプリの妻に過大な同情を寄せていたということなのだろう。トパンは隣近所に「スプリの妻は気の毒だ。仕事先でいい男と知り合いになったらしいから、どうしていつまでもスプリみたいな男とくっついているのだろうか。さっさと離婚すりゃいいのに。」などとひそひそ声で噂話を振りまいていた。
そんな噂話がスプリの耳に入る。スプリは噂話の元凶がだれなのかを調べ始める。そしてその元凶がトパンであることがはっきりした日の夜中、スプリはトパンの家を訪れた。口論が起こり、「表へ出ろっ!」となり、肉弾戦がはじまり、そしてトパンの腹にグサッ!となったのは、上に書いてあるとおりだ。
翌日、スプリは逃走先で逮捕され、チュンカレン署で取調べられた。チュンカレン署犯罪捜査ユニット長はこの事件について、スプリは普段からナイフを常に研ぎ澄まして携帯している習慣であり、トパンを殺すためにナイフを用意したのでないことから、計画的殺人に該当しない、との判断を取ったと公表している。
わたし自身はこの種の殺人事件を「激情殺人」というカテゴリーに区分しているが、つまり激怒がその標的に対する破壊衝動を招いて、憎しみと殺意の塊と化した人間がわれを忘れて標的の破壊を実行するという殺人の方式である。衝動殺人という言葉を使わないのは、明らかに感情がカッと激昂してわれを忘れさせる情況に包まれているからだ。衝動という言葉の間口はもっと広いような気がわたしにはする。
一般に、冷静に他人の生命を奪う計画殺人が激情殺人よりも悪質であるという評価になっており、きわめて人間的と見られている激情殺人よりも重い刑罰が科される傾向が高い。文明が要求している自制(セルフコントロール)のレベルを比べた場合、より文明的な人間の殺人と野蛮で獣的な人間の殺人がそのように比較評価されていることにあまり釈然とできないのは、わたしだけだろうか?


「ジャカルタの治安を改善せよ」(2013年7月18日)
2013年4月22日付けコンパス紙への投書"Orang Asing Keluhkan Keamanan di Jakarta"から
拝啓、編集部殿。外国人のわたしは、泥棒やスリなどの犯罪が頻?に起こっているジャカルタがあまり安全でないと感じています。
わたしはもう三回もバッグをひったくられたり盗まれたりしました。最初の被害は午前5時ごろジャカルタからバンドンへ行く列車にガンビル駅で乗ったときのことです。わたしはバッグを自分の頭のすぐ上にあるハンガーに引っ掛けていました。すると突然後ろから男がひとりそのバッグをひったくって逃げたのです。車内にはひとが大勢いましたが、みんなはただじっとしたままで、だれひとり泥棒を捕まえる手助けをしようとしません。泥棒が車外に飛び出したらやっと人々は「泥棒。泥棒!」と叫びだしました。それ以来、わたしは鉄道を利用することをやめました。
二回目の被害は、中央ジャカルタ市サリナデパートの付近でした。有名なレストランがサテの販売に使っていたので、歩道が狭められていました。外国人の二人連れとすれ違ったため、歩道を歩いていたわたしは道を譲って車道に下りました。そのとき、半ズボンで古いオートバイに乗った男が高速で走り抜けざまにわたしの肩からバッグをひったくったのです。それ以来、わたしはサリナデパート付近にバッグを持って近寄らないようにしています。
三度目の事件は2013年3月2日(土)北ジャカルタ市クラパガディンのモールオブインドネシア内にあるカルフルで起こりました。モールオブインドネシア内のカルフルでバッグが盗まれるなんて、わたしは夢想だにしませんでした。買物するときわたしはたいていトローリーを使います。そのときも、自分のバッグをトローリーに置いて、商品を見て回っていました。そしてレジで支払いする段になって、バッグがなくなっていることに気付いたのです。この泥棒はスペシャリストのプロでした。わたしはすぐにセキュリティ職員に届け出ましたが、バッグをなくしただけの客に対する反応は鈍いものでした。
わたしはとても残念に思います。どうか、ジャカルタの治安をもっと向上させてください。[ 北ジャカルタ市クラパガディン在住、マセネロ・コラード ]


「アブナイ世の中」(2013年10月09日)
2013年5月22日付けコンパス紙への投書"Korban Kabel PLN Terjatuh di Pondok Kelapa, Jakarta"から
拝啓、編集部殿。去る5月15日(水)午前4時半ごろ、わたしは東ジャカルタ市ポンドックラパ通りをオートバイで通っていました。ポンドックラパKSM塾の表で、わたしは垂れ下がっているPLNの電線に引っ掛けられたのです。ゆるんで垂れ下がった電線が電柱から道路を横切って電力利用者の家につながっていました。道路を走行中だったわたしはその電線に首を引っ掛けて転倒し、路上に投げ出されました。
ヘルメットは吹っ飛び、アスファルト舗装で頭を打ったわたしは意識不明になり、東ジャカルタ市ポンドッコピのイスラム病院に担ぎ込まれました。電線が首に当たったためにわたしは深い傷を負い、縫合処置を受け、二日二晩その病院で治療されました。この手紙を書いている5月19日(日)現在も、ポンドックラパ通りのゆるんだ電線は日常の光景になっており、他の犠牲者が生まれることが懸念されます。
わたしを襲ったこの事故に対する補償をいただけるよう、PLNの責任者にお願いします。この問題が都庁の公共施設公共サービスにおける責任の一部の該当するのかどうか、わたしにはわかりません。[ 東ジャカルタ市在住、ロベール・シマヌンカリッ ]
2013年6月17日付けコンパス紙に掲載されたPLNからの回答
拝啓、編集部殿。ロベール・シマヌンカリッさんからの2013年5月22日付けコンパス紙に掲載された投書に関して、ご本人が蒙った事故の被害に対しお詫びと同情の気持ちをお伝えしたいと存じます。
ポンドックラパ通りでゆるんで垂れ下がっていた問題の電線はPLNのもので、その事実を当方が知ったのはロベールさんの投書と住民からの連絡によってです。ゆるんだ原因は2013年5月15日未明にコンテナトラックがそれを引っ掛けたためだったことがわかりました。
当方はロベールさんの住所を訪問しましたが、ご両親にお会いできただけで、ご本人とはまだお会いしていません。ご両親とは再訪をお約束しており、そのときにはご本人にお会いできることを望んでいます。
もしPLNの電気配線に安全を損なうような異常が見られたら、市民の皆さんは早急に当方宛連絡するようお願いします。連絡先は コールセンター123、ウエッブサイトwww.pln.co.id、フェイスブックPLN123、twitter@pln_123です。[ PLN(株)大ジャカルタタングラン配電部広報環境育成マネージャー代理、ロクシー・スワグリノ ]


「命知らずの死」(2013年12月12日)
町中を車で走っていると、同じ方向に向かって大勢走っている二輪車の中に、スピードを緩めにし、顔をうつむけながら走っている者を頻?に見かける。かれらは走行しながら片手に持った携帯電話でSMS通信をしているのである。受信したメッセージを読むだけでも危険極まりないというのに、さらに発信するためにメッセージを片手で打ち込んでいるありさまを見るにつけ、インドネシアというのは命知らずが溢れかえっている社会であることをまざまざと見せ付けてくれる。
もちろん、かれら自身もめくら蛇で動いているわけではなく、警戒と注意を張り詰めながらそれをしているのは明らかで、路上の交通が『流れの法則』にしたがって動いているかぎり、人命に関わる事故が起こることは稀なようだ。『流れの法則』については、「これがインドネシア」内の西祥郎ライブラリーにある「ジャカルタ・ドライバー考」をご参照ください。
しかし人間の行動には限界がある。現代文明が生命尊重・危険予防を推進するのは、千や万に一つの限界を超えるリスクさえ避けようという意図に起因するものであり、生命が無条件で重要なのだという思想に支えられているわけだが、それを理解して従おうとしない人間というのはそのレベルでの生命の重要性に同意していない人間だということなのだろう。つまりは命知らずなのだとわたしは思う。
レオ・チャンドラ18歳も命知らずのひとりだった。2013年11月29日、レオは東ジャカルタ市プロガドンに向かってプムダ通りをオートバイで走っていた。SMS通信に没頭していたかれは、路上に開いている比較的大きい穴に気付くのに遅れてしまった。前輪を穴に落ち込ませたオートバイは大きくひねり、レオは座席から投げ出されて道路上に落ち、頭部を強打した。後ろから走ってきたメトロミニT47は避けようもなくレオの身体を蹂躙して止まった。
バスの下から引きずり出されたレオは、既に死亡していた。死因はコンクリート道路で頭部を強打したためで、バスは単にそれに追い討ちをかけただけであったことを東ジャカルタ市警が明らかにしている。


「スラバヤで爆弾テロ未遂」(2014年1月27日)
2014年1月20日夜、東ジャワ州警察と反テロ88特殊分団はスラバヤ市内クンジュラン地区でテロリストと見られる男ふたりを逮捕した。このふたりはポソグループ所属メンバーであることがはっきりしており、スラバヤ市内の警察施設やナイトスポットの爆破を計画していたと州警察は発表している。東ジャワ州警察長官はふたりを逮捕したあと、このふたりはポソグループのリーダーであるサントソの手下であり、まずそのふたりが行なおうとしていた計画について動機を明らかにさせることから始めたい、と報道陣に語っている。
20日19時55分ごろ、スラバヤ市クンジュラン郡クドゥンチョウェッ大通りにあるガソリンスタンドでテロリストふたりの逮捕作戦が行なわれ、武装した反テロ特殊分団員に包囲されたふたりはまったく抵抗しなかったために流血の事態にいたらなかった。そのふたりはプロボリンゴ住民のイスナイニ・ラムドニ30歳とクンジュラン住民のアブドゥル・マジッ35歳で、警察は早くからこのふたりをマークしており、機が熟したために逮捕に踏み切ったとのこと。イスナイニは2013年12月にポソで行なわれたテロ訓練にリーダーのサントソと共に参加しており、イスナイニは聖戦行動としてナイトスポットへの爆弾攻撃と警察施設に対する刀剣による襲撃を計画中だったと見られている。
かれらがターゲットを決定するために下見を行なったのは、クンジュランのクプティ警官ポストとタンジュンぺラッのジャカルタ通り警官ポスト、またナイトスポットはクスマバンサ通りの民衆娯楽園、ドリー売春隔離地区、パンデギリン通りのナイトスポット『ギャラクシー』、スマトラ通りの『カラーズ』など。
ふたりを逮捕してから警察はすぐにクンジュラン郡タナカリクディンディン町タナメラサユール?通り17番地のアブドゥル・マジッ宅を家宅捜索し、直径5cm長さ20cmの釘が多数入ったパイプ爆弾2個を発見した。爆薬とタイマーも見つかっている。
警察はふたりのテロ行動に関係すると思われる証拠品として、アラブ文字の書かれた黒旗、バックパック、シャツ、携帯電話機3個、デジタルタイマー、組立済み電子部品、ヒューズ、トランジスター5個、デトネータ、LEDランプ12個、導火線、5cm釘、鉄パイプ、金属用接着剤、電気テスター、ハンダ器具、ライター、475万ルピアの入った財布などを押収した。
プロボリンゴのイスナイニの自宅もプロボリンゴ市警が出動して厳重な警戒態勢を敷いた。だれが何をしにやってくるかわからないため、現場を保全するのが目的であるとのこと。そのだれかの中には、住民によるテロリストへの制裁行為もふくまれているようだ。
このテロリスト二名の逮捕に関連して、スラバヤから3百キロも離れたバニュワギ県の県境で、県警が県内に入ってくる車両の検問を1月21日0時から12時間以上実施したとのこと。


「自然災害難民救援ボランティアの犯罪」(2014年2月27日)
長引いている北スマトラ州シナブン火山の噴火のために近隣住民の避難生活は長期化しており、困窮している住民を援助するためにボランティアの人間が集まり、公的なものばかりか私的な援助物資もどんどんと集まってくるというのは、人助けを通して個人の存在意義という自己実現をはかることが文化のひとつの柱になっているインドネシアならではのことにちがいない。
だがしかし、そういう人助けは人助けとして賞賛されるべきことではあるのだが、他人と自分あるいは公と私という権利に関わるものごとの弁別と尊重意識が希薄なインドネシアならではのことも付随して起こるのである。
カロ県カバンジャヘ市に設けられている避難者救援ポストに相次いで救援物資の不法取扱に関する訴えが届いた。カバンジャヘ大モスクのポストに詰めているボランティアのAが救援物資をひそかに故買屋に売り払ったというのがひとつ。Aと故買屋のBは警察の取調べを受けており、Aはその横領で506万ルピアを受け取ったことが明らかになっている。
次の事件はティガビナガのポストで起こったもので、同ポストに詰めていたボランティアのGが大統領名で寄付されたカバンと中身を倉庫から盗んだ。Gはそのとき現行犯で仲間に捕まり、警察がGの居所を捜索したとき、毛布やサルンなどGがこれまで盗んでいた品物が見つかっている。警察の取調べに対してGは、その他にも即席麺・魚の缶詰・食用油などを三回盗んでいたことを自供した。
やはりティガビナガのポストで行なわれていた、別の不正行為疑惑を呼んでいることがある。救援物資を避難民に分配したあと、それを売却して現金を入手するお手伝いをしますよ、という名目で何度もある店まで避難民と物資を車で送り届けることがなされていたというのだ。避難民の中には拒みきれずに従った者もおり、中には6回もその店へ連れて行かれた者もいる。ボランティアのその行為は氷山の一角に過ぎず、救援物資が一部悪徳ボランティアの私利のために使われていた可能性を避難民たちは疑っており、物資の入出荷の監査が行なわれることを希望している。しかし避難民からの証言の中には、その店に物資を売って金をもらったのでなく、欠乏している飲用水とバーターしたのだというものもあることから、警察はこの事件の実態を把握するために捜査を続けている。


「逮捕者は毎日45人」(2014年3月17日)
北ジャカルタ市警が20日間に渡って実施したプカッジャヤ(Pekat Jaya)作戦は2013年3月13日に終了したが、この作戦で898人が逮捕された。pekatというのはpenyakit masyarakatからの造語で、社会生活の中にある病弊を意味している。
案件としては467件あり、ゴロツキ行為190件、賭博89件、飲酒117件、盗み33件といった内容。この作戦は、チリンチン・コジャ・タンジュンプリウッ・クラパガディン・パドゥマガン・プンジャリガンの6警察署で一斉に行なわれ、それらの案件から盗難車両・刃物・現金1,470万ルピア・合鍵・その他犯罪行為で得た物品多数が押収された。
逮捕された898人のほとんどは取調べのあとで釈放されており、市警と各署の拘置所に留められているのは84人で、その中には18歳未満の学校生徒が多数含まれている。かれらが逮捕されたのは恐喝・暴行強奪・集団暴行などの犯罪を犯したためで、かれら学校生徒は青少年を教導する政府機関に身柄が引き渡され、適切な指導が与えられることになっている由。
北ジャカルタ市警本部長はこのプカッジャヤ作戦について、市中の一般社会生活が2014年の総選挙で混乱する可能性に鑑み、少しでもそういう要素を軽減させておくためにこの作戦が実施された、と説明した。今後も、総選挙が滞りなく終了するまで、この作戦は何度も繰り返されることになっている、とのこと。


「清純無垢な少女?!」(2014年4月1日)
まだ高校生の少女A16歳が自分を慕っている少年マイケル15歳からオートバイを強奪した。マイケルとAはもう体の関係ができている。2014年3月18日夜、ふたりはデートした。Aはマイケルが運転するオートバイ、ホンダヴァリオの後ろに乗って、マイケルの体にしがみつく。そして東ジャカルタ市チャクンの国会議員官舎地区にやってきた。この地区は物寂しいエリアで、あまり人の目もうるさくないから、若い恋人たちにはもってこいの場所。そしてそんな恋人たちを獲物にしようとする悪人にも、もってこいの場所。
あまり人目につかない場所まで来ると、Aはマイケルに「待ってて。ちょっとオシッコ。」と言って少し離れた暗闇に隠れた。すると、青年がひとりマイケルのほうに近寄ってきたかと思うと、いきなり手にした鎌でマイケルに斬りつけたのだ。頭部に傷を負ったマイケルは血を流してその場にしゃがみこんだ。そこにAが戻ってきた。ところがAはマイケルの期待に反して、思いがけない行動を示したのである。
マイケルのオートバイに乗って逃走しようとしている青年の後ろに回ると、一緒にオートバイに乗ってその青年の体にしがみついたのだ。「おいおい、そいつはオレじゃないよ。オレはここにいるんだぞ。」とマイケルが言ったが、Aはそ知らぬふり。
マイケルの傷は深く、しばらくしてその地区の住民が気絶しているマイケルを発見して病院に担ぎ込み、マイケルの親に連絡した。マイケルの親は即座に警察に通報し、数時間後に犯人とAが逮捕された。犯人の青年はサンディ17歳でAとは以前から恋人関係にあることが判明した。ふたりの仲は古く、Aがマイケルを二人目の恋人にするよりもっと前から肉体関係が続いている。しかしサンディは無職でただ遊びまわっており、収入などなにもなかった。
しばらく前にAが学校費として親から渡された15万ルピアをサンディが無心した。恋人の頼みを断るにしのびず、必ず返すからというサンディの口約束で金を渡したものの、所詮は口約束だ。学校費の支払期限が来てAは学校から督促を受けた。このままでは、親に督促が行くにちがいない。そうなったらたいへんだ。
Aはサンディに何とかしてくれ、と迫った。するとサンディは提案した。「おまえのもうひとりの男が乗ってるオートバイをいただこうぜ。」「そうねえ、まっしょうがないわ。」
Aとサンディは手はずを打ち合わせ、そして3月18日が決行の夜となった。おお、そんな若さで毒婦に弄ばれた可哀想なマイケル君!


「今年の婦警新規採用は7千人」(2014年4月22日)
国家警察は今年、警察官増員を目指して警部級職員2万人のリクルートを行なう。その2万人のうち7千人は女性職員に割り当てられており、増加している少年犯罪に対する戦力強化をこの7千人で行なう意向。これまで婦警新規採用は年間に全国で5〜6百人程度だったので、今年の警察上層部の意気込みがその数字から感じられる。
警察機構の末端で地域国民社会と直に接している警察分署の対少年犯罪体制はこれまでたいへんな手薄状態であり、分署には婦警がふたり常勤することになっているものの、現実にはそれが満たせていなかった。この7千人は全国の分署に配置されて主に少年犯罪や家庭内暴力などの事件を取扱うことになる。新規採用の婦警たちにとっては分署での勤務がキャリアーはじめとなり、その後の進展いかんで交通課など他の部署への転属が行なわれるようになる。婦警は男性職員よりも規定を忠実に順守しようとする傾向が高く、その厳格さを警察上層部は期待しているとのこと。
今年の警察職員リクルートも、各州警察が地元の高校あるいは同等の教育機関卒業者から募集し、必要な教育訓練を与えた上で州内各地の警察分署に配属することになっている。


「ハッカーは工業高校生徒」(2014年5月1日)
州内のいくつかの企業でインターネット上のセキュリティシステムを突破して1千7百万ルピアもの金が盗まれる事件が起こり、東ジャワ州警察は捜査の果てに東カリマンタン州サガッタ(Sangatta)の工業高校11年生をその犯人として逮捕した。被害を受けたのはスラバヤの携帯電話プルサ販売会社二社とゲームオンラインサービス会社一社で、三社の被害総額は1千7百万ルピアとのこと。
逮捕されたA18歳は学業のかたわらサガッタでインターネットワルンの店番をしており、犯行にはそのワルンのパソコンが使われた。携帯電話のプルサを盗んだ最初の犯行は2014年2月8〜21日に渡って行われ、そのあとゲームオンラインサービス会社のサーバーも破られた。Aは1千7百万ルピアを手に入れるために30回もの取引を不法侵入したサーバーとの間で行なっており、緻密で慎重な性格が反映されている。犯行で得た金の一部をAは携帯電話の購入と学費に支払いに当てていた。
東ジャワ州警察サイバークライムチームは三社のコンピュータシステムへの侵入がサガッタのインターネットワルンからなされたことを突き止め、東カリマンタン州警察サガッタ署の協力を仰いで犯人の割り出しに成功し、2014年4月2日にサガッタに赴いてサガッタ署と合同でAを逮捕し、そのままスラバヤに連行した。
4年前からインターネットワルンで働き始めたAは、まったくの独学でコンピュータを勉強し、最終的にセキュリティシステムを突破して企業の入出金管理システムにまでアクセスする手法を身に着けたわけだが、この事件に驚いたのはAの家族で、自宅にコンピュータすら持っていないAがそのような技術を身に着けたことを、最初は信じられないでいた。
Aの家庭は裕福でなく、父親は通学する子供たちを送迎するオートバイオジェッの運転手を職業にしている。Aの一家はAが起こした犯行にただただ平身低頭の態で、Aの将来のためにできればこの事件を穏便に処理していただきたいと県教育局に嘆願した。教育局長は被害を受けた二社と接触して家族の要請を伝え、被害者側もそれに応じる姿勢を示していると教育局長は述べている。


「警察はみんなの憧れの的」(2014年5月22日)
2013年11月22日付けコンパス紙への投書"Penyisiran Kendaraan di Pantai Indah Kapuk"から
拝啓、編集部殿。北ジャカルタ市パンタイインダカプッ地区をよく通る皆さんに、警戒するようお勧めしたいと存じます。2013年10月11日(金)23時ごろ、地区の警備員が自動車検問を行なっていました。場所はカフェブガワンソロ〜プルタミナガソリンスタンドの前です。
停車しない車にかれらは投石してガラスを割ります。そのときわたしの車は時速60キロで走行中であり、警備員側の振舞いは無茶苦茶なものでした。検問を行なっているのが警察でないため、運転手は止まろうとしませんでした。よからぬことの被害者になるかもしれないのですから。すると、石つぶてが飛んできました。
ガラスを割られたために苦情すると、警備員側は謝罪し、50万ルピアの弁償で済ませようとしましたが、わたしと運転手はそれを拒みました。そのとき、警備員の中にピストルを持っている者がいるのを、わたしは目撃しています。また、自動車のエンブレムを折られた車があったのも、そのときわたしは目撃しています。[ 中央ジャカルタ市在住、クルニア W ]


「一流紙投書欄でインネン付け?」(2014年8月4日)
2014年2月11日付けコンパス紙への投書"Isi Bensin di SPBU Sidoarjo, Sepeda Motor Terbakar"から
拝啓、編集部殿。2014年1月9日午前6時半ごろ、わたしは東ジャワ州シドアルジョ県ワル郡カタムソ准将通りブルベッガソリンスタンドで給油しました。プレミウムガソリン2万5千ルピア分を給油するとき、エンジンは止めてありました。
ほどなく、タンクからガソリンがこぼれだしたのです。これはガソリン注入ノズルの自動センサーが働いていなかったことを意味しています。普通は、タンクがいっぱいになれば給油は止まるのです。わたしはこぼれたガソリンをできるかぎり拭き取りました。ところがエンジンをかけたとき、エンジン部分で火花が飛び、小さい範囲で火がついたのです。
わたしはその火を消そうと努めましたが、うまく行きません。小型消火器を使って火を消すよう、わたしはガソリンスタンド従業員に頼みました。しかし給油ポンプ付近に消火器は置かれていません。わたしはトイレの近くに置かれているものを使うよう叫びました。しかし従業員たちは、その使い方を知らなかったのです。
従業員が小型消火器をどこからか持ってきて消火をはじめたとき、オートバイは既に9割がた火に包まれていました。2本目の消火器を使ってやっと火が消えたとき、わたしのオートバイはフレームだけになっていました。ガソリンスタンド側はわたしとオートバイのデータを求めました。しかしそれは、わたしのオートバイの弁償をするためではありませんでした。給油はもう終わっていたし、ガソリンスタンド側は消火の手伝いをしたのだから、と理由でかれらはわたしへの弁償を拒否したのです。[ シドアルジョ在住、ムー・シャウキル・ムバロッ ]
2014年3月1日付けコンパス紙に掲載されたプルタミナからの回答
拝啓、編集部殿。2014年2月11日付けコンパス紙に掲載されたムー・シャウキル・ムバロッさんからの投書について、次のように説明いたします。当方は2014年1月13日にムー・シャウキル・ムバロッさんから事故の報告を受け、翌14日に事故現場で検証を行ないました。
検証結果報告によると、給油時にガソリンがこぼれた事実はなかったという結論です。現場で起こったことは、エンジンをかける際になかなか成功しなかったので本人がオートバイを揺すり、そのあとふたたびエンジンをかけようとしたところ、火が飛んで火災になったとのことでした。そのためガソリンスタンド従業員は即座に9キロ入り小型消火器を2個使って消火を手伝いました。
1月15日、当方はムー・シャウキル・ムバロッさんにコンタクトし、蒙ったできごとに慰謝を申し上げると共に、オートバイの修理のお手伝いを申し出ましたが、本人は拒否されました。
事件が起こったガソリンスタンドに対しては、顧客に対して常に安全快適な状態を提供するよう、ガソリンスタンド運営における安全面での諸相を確保し、警戒を怠らないように指導を与えました。[ プルタミナ企業広報担当副社長代行、アグス・マスフッ・アスガリ ]


「新たなスリの手口」(2014年8月19日)
2014年5月23日付けコンパス紙への投書"Tiga Ibu Mendorong, Gadget Raib"から
拝啓、編集部殿。2014年4月18日(金)、バンテン州タングランのスンマレコンモール内グラメディア書店で中学生のわたしの子供と友人ふたりがガジェットを盗まれました。子供たちが本棚で背表紙のタイトルを読みながら本を選んでいたとき、突然押されてから三人の婦人が身体をくっつけてきました。そのあとで、バッグの中に入れてあったサムスンノートがなくなっているのに気付いたのです。
被害に気付いた子供たちはすぐに書店の警備員に届け出ましたが、残念なことに、良い反応がもらえませんでした。警備員は子供たちにその三人を探すように言い付けたのです。子供たちはモール内を探し回り、緊急避難扉にまで調べに回りました。
子供たちが届け出たときに良い対応をしてもらえなかったのがとても残念です。子供たちだけが届け出たからそんな対応になったのですか?スンマレコングラメディアとスンマレコンモールの経営者にこの問題に注意を払うようお願いします。監視カメラをチェックして犯人を見つけることだってできたでしょうに。[ 南タングラン市在住、レニ・スザナ ]
2014年6月20日付けコンパス紙に掲載されたグラメディア書店からの回答
拝啓、編集部殿。レニ・スザナさんからの2014年5月23日付けコンパス紙に掲載された投書について、お知らせします。レニ・スザナさんのお子さんが体験された不愉快にできごとについて、お詫び申し上げます。当方は類似の事件が再発しないよう、警備体制の充実をはかりました。当方は問題解決のためにレニ・スザナさんにeメールを送りましたが、まだご返事がありません。
今回の問題を適切に解決するためにレニ・スザナさんにお願いします。スンマレコンモール内グラメディア電話番号(021)5464699に10時から22時の間に電話してください。あるいはeメールをgam78@gramedeiabooks.comにお送りください。[ グラメディアスンマレコンモールショップマネージャー、ハルヨノ・ウィダルタ ]


「恐喝レッカー車の餌食にされる道路脇駐車」(2014年9月9日)
2014年4月26日付けコンパス紙への投書"Derek Mobil Liar Mengintai di Kawasan Tebet"から
拝啓、編集部殿。2014年4月8日、わたしの所有するボックス車が南ジャカルタ市トゥブッ地区の道路脇に停車していました。警官がやってきて、車にトラブルがあるのかと運転手に尋ね、運転手は何も問題ないと返事しました。
それから10分くらい経った後、プレート番号B9206XIのレッカー車がやって三人が降り、ひとりはすぐに車の下にもぐりこみました。ふたりは運転手のそばに来て、驚いている運転手に「故障車を牽引する」と言い渡したのです。運転手は「故障していない」と言い張ったというのに。
ボックス車はすぐにレッカー車に連結され、ふたりの男はボックス車のエンジンキーを奪い取り、左右のドアから中に入って運転手を両側からはさみました。そしてそのままボックス車を無理やり、東ジャカルタ市チリリタンにあるかれらのプールまで運びました。かれらはそこで運転手を威嚇し、95万ルピアを支払うよう会社に連絡しろと強要したのです。
結局わたしは人をそこへ送って、かれらとネゴさせました。アサブリビルの向かいにあるそのレッカー車プールでの話し合いの結果、ボックス車のエンジンがかかる状態に戻すことを条件にしてわたしが送った人間は20万ルピアの支払いを了承しました。するとかれらは、ボックス車のスターターケーブルをつなぎました。かれらが道路脇のボックス車にやってきたとき、最初に行ったのがスターターケーブルをはずすことだったのです。[ 西ジャカルタ市在住、アディ ]


「市民を巻き込む集団暴力スリ」(2014年9月22日)
2014年6月9日付けコンパス紙への投書"Teror di Metromini 07"から
拝啓、編集部殿。2014年6月3日午前7時半ごろ、わたしどもはスンプル〜スネン間ルート番号07のメトロミニ小型バスの中で、戦慄する光景を目撃しました。場所は北ジャカルタ市モールアルタガディンのちょうど前です。バティックシャツを着こなした四人のスリのひとりが、あたかもこのバスに乗ろうとするかのように、追いかけて走っていました。一方、仲間の三人はバスの乗降口にいる乗客のひとり(ハイティーンの男性)に密着していましたが、突然その乗客が「携帯!携帯!」と叫んだのです。するとその三人は乗客を威しました。「この酔っ払いが・・・。さっさと降りろ!」
その乗客はスリのポケットを上から探りましたが、その前にスリは盗んだ携帯電話をわたしの前の座席に座っていた若い女性に投げていたのです。その乗客は怒りながらバスから降りて行きました。スリたちはこれから職場に出勤するようなふりで声高に話し続け、そのあと大っぴらな態度でわたしの前に座っている若い女性に携帯電話を渡すよう要求しました。
車内に居合わせた十数人の乗客はほとんどが女性であり、眼前で繰り広げられた出来事に驚き、呆然とし、なす術を知りませんでした。ジャカルタで公共運送機関に乗るときには、不愉快さを免れることができません。スリが稼ぎをしている地区でかれらをバックアップしている不良役人や軍人警官のボスに上納金を納める仕組みはもう何度も耳にしています。粛清に着手することを当局にお願いします。[ 北ジャカルタ市在住、デーンペ ]


「国内過激派の動きに変化」(2014年10月6日)
この4年間、国内での過激派の活動は大きな転換を示している。かつては大勢の市民を巻き込む自爆テロが主流の座を占めていたが、ここにきてもっと小規模な活動が選択されるようになった。かれらの犯行は強盗・毒薬・サイバー・銃撃などの小型犯罪にシフトしている。過激派のリクルート活動は広範囲に網を張ってさまざまなバックグラウンドの青少年を集めるようになっており、その面での警戒をもっと強めなければならない。
インドネシア大学心理学部テロリズムと社会コンフリクト研究センター調査員のひとりは、2014年のテロ活動は減少傾向にある、と語った。2014年9月までに発生した全国のテロ活動は5件しかなく、2013年の21件から大幅に減っている。メインターゲットは警察で、かれらの運動参加者を逮捕し拘留して大きな障害をもたらしている警察に一矢を報いることがかれらの行動選択の優先度を高めているようだ。だが、かれらの理念とするイデオロギーのひとつはインドネシア統一国家コンセプトを破壊することにあり、警察をテロの標的にすることによって威嚇と不信および恐怖を社会に撒き散らす効果も狙っている。
国内の過激派勢力は大きな組織機構を擁してオペレーションすることをやめており、個別の地域的な細胞が独立して活動を繰り広げる傾向にある。情報通信技術の発展で他地域の同志の活動情報は容易に得られるし、また新しい要員の補充もソーシャルメディアを通して盛んに行われており、かれらの人的戦力は増加傾向にあると見られている。かれらの間では、イスラム国(ISIS)を縦軸にして連立する形を取っているところが増加している。それが表面化したのは2014年2月に首都圏にあるアリフ・ヒダヤトゥラ国立イスラム教大学で起こった事件がきっかけだ。
一方、ジャカルタ国立大学社会学部教官は、世界的にも過激派運動にパラダイムの変化が起こっていることを指摘する。旧来のラディカリズムは世俗的集団が特定の目的を掲げて事件を起こし、政府との交渉でその事件が終わるパターンが一般的だったが、9/11以降のラディカリズムにはあたらしい容貌が添えられるようになった。宗教ドクトリンを従えた新たな理念が世界各国に拡散し、新たな文明の形成を呼びかけるものになっている。それを本流と見るなら、現実に起こっている諸活動が必ずしも宗教基盤の上に載っているとは限らない姿もそこに混じっている。
「ここ数年起こっている世界的な過激派運動をモダンラディカリズムと呼ぶのが妥当なのかどうか?メンバーのリクルートを含むかれらの運動のすべてが宗教ドクトリンによるものとは限っていないのだから。かれらはもうアフガニスタンにはおらず、シリアやイラクのような政治的に不安定な国々に活動の場を移した。そしてヨーロッパやアメリカの諸国に同志リクルートの矛先を拡大している。インドネシアにもその矛先が食い込んできているのだ。」
過激派運動の抑止のために、その種の活動が高まっている国に出国し、あるいは帰国するインドネシア国民の動きを制限することが必要であり、全国家機関は一体となって対応をはからなければならない、とテロリズム抑止国家庁穏健化局長はコメントした。


「暴力は男の生きる道」(2014年10月6日)
2013年8月3日付けコンパス紙への投書"Arogansi Pendukung Sepak Bola"から
拝啓、編集部殿。インドネシア国内でにせよ海外でにせよ、サッカーは面白いチームゲームであり、その観戦はわれわれを夢中にさせてくれます。各イレブンのファナティックなサポーターはたくさんいます。
そのファナティズムには、感情がコントロールされているひともいれば、まったくコントロールの効いていないひともいます。ノーコントロールのファナティズムの典型はバンドンのペルシブやジャカルタのペルシジャに見ることができます。バンドンペルシブとジャカルタペルシジャの各サポーター間のいがみ合いは、昔行なわれた両チームのオフィシャルや選手間のいがみ合いの延長線上にあるのです。それは1960年代から始まっています。わたしはそのころ、まだ国民学校の生徒でした。年を追って両チームサポーター間のいがみ合いは暴力的になり、犯罪がかってきたのです。なんという傲岸さでしょう。
その両チームの暴力的ないがみ合いの被害者はサッカーを知らない、あるいはファンでないひとびとを含む一般大衆です。しばらく前に起こった最新のできごとは、2013年6月22日西ジャワ州バンドンのパスツール通りで繰り広げられたジャカルタナンバー(Bナンバー)自動車に対する破壊行為でした。
ジャカルタでバンドンナンバー(Dナンバー)の自動車が復讐されることが心配されます。治安要員がそのようなことを計算に入れないなら、最期には死者が出るかもしれません。もし治安責任者がそのようなサポーターの暴力行為を阻止しきれないのなら、サッカーの試合は許可されるべきではないでしょう。
それは現場の治安要員の威厳を維持するために必要なことがらであり、治安要員がかれらに蔑視されたらたいへんなことになるのは明らかです。治安部隊がかれらサポーターを抑えこめると考えているのなら、厳戒態勢を敷いて市民の安全快適な生活を守ってください。[ バンドン市チチェンド在住、シンディアント ]


「空軍のエースはスホイ戦闘機」(2014年11月18・19日)
インドネシア空軍はロシアからのジェット戦闘機購入を続けており、スホイSu−27とSu−30が合計16機マカッサル空軍基地に置かれている。最近続発している外国機の領空侵犯に大活躍しているのが、そのスホイ戦闘機だ。
2014年10月22日、インドネシア領空を通過中の外国機一機がレーダーで捕捉された。インドネシア側に通過承認をまったく求めてこないその飛行機はルール違反が明らかであるため、さっそくマカッサル空軍基地からスホイ戦闘機が飛び立ち、その民間航空機を強制着陸させた。飛んでいたのは、オーストラリアのダーウィンからフィリピンのセブに向かっていたセスナ機で、オーストラリア人が操縦していた。必要な手続きが行なわれてから、その侵犯機は解放された。
2014年10月28日午前11時ごろ、今度はカリマンタン上空を無許可で飛行していたビーチクラフト機の情報が国家航空国防司令部からポンティアナッのスパディオ空軍基地に連絡された。この飛行機はサラワクのシブからシンガポールに向けてポンティアナッの北100海里地点を時速200ノットで飛行中だったもので、その不法侵入機に措置を取るため、バタム空軍基地からスホイ戦闘機二機が飛び立った。空軍機はシンガポール国籍のビーチクラフト機に対してまず即時インドネシア領空外に退去するよう命じたが、その飛行機は退去の意思がないことを表明したためスホイ機はスパディオ空軍基地への着陸を命じ、最終的に逃れる術のないことを悟ったシンガポール機が南に進路を変えて13時半ごろ着陸した。シンガポール機に乗っていた三人はそこからポンティアナッの空軍本部に連行されて取調べを受け、機内にあった航行機器も取り外されて内容が調査された。乗っていた三人は中国籍の飛行訓練生ふたりとシンガポール国籍のインストラクターひとり。領空侵犯機を強制着陸させるために緊急発進したスホイ機は、たまたまその日バタムで行なわれていた訓練に参加していた二機だった。
ポンティアナッ空軍本部の話によれば、そのビーチクラフト機はシンガポールの航空管制本部と連絡を取って航行を続けていたことを理由にして正しい航路を飛んでいたと主張していたが、ここはシンガポールでなくてインドネシアなのであり、主権の異なる国の領空を侵犯していたのだということが理解されていなかったというのが、どうやらその事件の真相であったらしい。
インドネシアの国内法ではあっても、その国の領土内にいる者にはその国の法律が適用されるのは国際常識になっている。インドネシア共和国2009年法律第1号航空法第418条によれば、インドネシア政府の許可なくインドネシアの空域を侵犯した者には最高2億ルピアの罰金が科されることになっている。しかし実際にこのようなケースに対しては、飛行承認実施細則に関する2008年空運総局長決定書第195号に定められている6千万ルピアの罰金が徴収され、そのまま国庫に納められるパターンが通例になっている。オーストラリア機もシンガポール機も、6千万ルピアの罰金で解放されたようだ。
2014年11月3日、ガルフストリーム4型機がインドネシアの上空通過の許可を求めないままシンガポールからオーストラリアのダーウィンに向けて飛行中であるのが発見された。マカッサル空軍基地ではさっそくスホイ戦闘機の給油と武装が行なわれ、13時13分に二機が基地を発進した。
航空管制司令部はその領空侵犯機と交信をしていたが、そのうちに侵犯機が時速700キロから920キロに速度を速めたため、司令部はスホイ機に侵犯機の捕捉とクパン空軍基地への強制着陸を行なうよう厳命をくだしたのである。
スホイ機は時速1千4百から1千7百キロの音速飛行を行なって急速接近し、クパンの南150キロ地点で侵犯機との交信を開始した。サウジアラビア国籍のそのガルフストリーム機を操縦していたパイロットは観念したのか、態度が協力的になり、クパンのエルタリ空軍基地への着陸命令に素直に従った。14時25分にサウジ王家所有のそのジェット機はエルタリ空軍基地に着陸し、続いて二機のスホイ戦闘機も着陸した。
サウジアラビアの侵犯機運航クルーは6人、乗客は7人で、空軍の取調べによれば、その一行はアブドゥラ国王のオーストラリア訪問準備を行なう目的でダーウィンに向かっていたとのこと。空軍の取調べが完了して、単なる過失という結論にならなければ、同機は無期限で足止めを食うことになる。
これまでも、領空侵犯機に対する強制着陸措置は毎年何回か起こっていたが、空軍情報によればすべての事件発生に対して必ず措置が取られていたわけではないとのこと。スホイ機を一機飛ばすと、一時間に4億ルピアが消えてなくなるそうで、そういう予算がらみの問題がひょっとしたら足に鎖をはめていたのかもしれない。しかしここにきてたて続けに領空侵犯機に対する措置が取られているのを見るなら、空軍の姿勢に変化が起こっていることも想像できないわけでない。空軍関係者の中には、インドネシアの軍事力は世界のトップ16に入るものであり、国軍の軍事力自体の維持強化はもとより、それを世界に常時示すことの重要性も忘れてはならない、とコメントする声もある。
ちなみに2014年3月時点のインドネシア共和国軍が擁する軍事力は次のようになっており、かつて数はあっても老朽装備と言われていた時代を脱して新鋭装備への転換を進めている現在の姿は、侮りがたい軍事力と言えるだろう。ただし国土があまりにも広いため、防御のためにそれを分散しなければならなくなった際の弱点は否定できないにちがいない。
兵員総数 47万6千人
戦車 374
装甲戦闘車両 1,172
野戦砲 91
対空砲 94
MLRS 84
空軍航空機 381
ヘリコプター 149
海軍総艦艇数 197
フリゲート 6
潜水艦 2
沿岸警備艇 84
掃海艇 12
コルベット 26
新内閣国防大臣は、アジア太平洋地区で第9位にある現在のインドネシア共和国軍の軍容を2019年までに世界トップ10に入るべく強化に努める意向であることを表明している。


「密輸出者が国家権力に挑戦」(2014年12月3日)
2014年11月21日、リアウ島嶼州ビンタン島北部海域で国外を目指して航行中のインドネシア船「ジュンバルハティ」号をカリムン島に本部を置くリアウ島嶼地区税関の警備艇が臨検し、輸出制限がなされている籐素材3百トンを発見した。船舶運航者は、その輸送を承認するオーソリティの書類を提示できなかったことから、税関はジュンバルハティ号を拿捕して本部に曳航した。すると翌22日早朝、税関の埠頭に係留されているジュンバルハティ号を奪取しようとして、180人もの人間が武器を手にして税関本部を襲撃したのである。
ジュンバルハティ号が拿捕されてから数時間が経過した夜中に、一体どこから動員されてきたのかわからないが、180人の男たちがバタム島スンクアン岬に集まってきた。そして、その集合場所にやってきた高速ボートに刃物を手にして乗り込むと、ボートはバタム島の西隣にあるビンタン島のカリムンを目指したのである。夜明け間近いカリムン税関地区本部埠頭に上陸した男たちは襲撃を開始した。
カリムン税関地区本部の警戒に当たっていた国軍一個小隊と警官隊は税関職員と協力して応戦し、陸上の襲撃者を逮捕した。また海上に残っていた者たちは、急を聞いて応援に駆けつけた国軍部隊に追い散らされ、海上を逃走した。陸上で逮捕された襲撃者たちはカリムン警察本部に連行されて取調べを受けたあと、バタム島に護送された。警察はこの襲撃事件の首謀者としてバタム島の海運業者プルマタと、それに協力したほかの11人を逮捕し、刑法典第160条と214条の違反として送検することにしている。対応する刑罰は最高8年の入獄である由。


「公共の場で気を緩めたら負け」(2014年12月9日)
2014年9月17日付けコンパス紙への投書"Laptop Hilang di Bus"から
拝啓、編集部殿。わたしは去る8月27日に、トゥガルからジャカルタまでシナールジャヤバス(プレート番号B7906IS)に乗りました。バスはトゥガルのパシフィックモール前から20時に出発しました。乗車券の乗客名・住所・KTP番号などが記載される欄はブランクのままで、乗車券に記載されたのは、目的地と8万ルピアの料金受領済みということがらだけです。そのとき車内にはまだ空席が目立ち、わたしは15番の座席に座りました。わたしはスマランでの講義に使うラップトップを入れたバッグを隣の空席に置きました。
バスに乗っている間、わたしは一度もそのバッグを置き去りにしたこともなく、バスから外にも出ませんでしたし、時おりそのバッグが確かにあることを目で確認していました。ところがバスの中で、わたしはうっかり眠ってしまったのです。ふと目覚めて、バッグがまだあることを確認しました。ところがバッグの中にあるはずのラップトップは姿を消し、5冊の雑誌と入れ替わっていたのです。
わたしはバスの運転手と車掌にそのことを届け出ました。かれらは乗客がふたりバスから降りたことを教えてくれました。車掌は、自分の荷物は自分で注意してください、と言いました。このバス会社に対するわたしの意見は、バス乗客の名前・住所・KTP番号と指定座席を正しく管理することと、車掌も車内の保安にもっと注意を払うべきだと思います。[ 西ジャカルタ市在住、ハディ・アラミルファリ ]


「外国密漁船の爆沈が始まる」(2014年12月12・15日)
外国漁船の領海侵犯と密漁でインドネシアの海産物が不法に略奪されている状況を正常化させるべく、そのショック療法として侵犯外国漁船を爆沈してしまえ、とジョコウィ大統領が海軍に発破をかけたのはしばらく前のこと。その政府の意向に沿って、海上保安機構がその実行に動き出した。2014年11月初旬にインドネシア海軍艦艇イマムボンジョル号が南シナ海南部のインドネシア領海内で拿捕したベトナム漁船3隻の爆沈が、リアウ島嶼州アナンバス島タレンパ港沖合いで12月5日に実施されたのである。
国境線から1.6キロも領海内に入って漁労していてイマムボンジョル号に拿捕されたベトナム漁船三隻は、その後タレンパ港に抑留されていた。そして今回政府の意向に則した処刑実施の皮切りとしてその三隻に白羽の矢が立ったということだ。80GTのベトナム漁船三隻は乗組員が操船して沖合いまで運んだあと、乗組員は爆沈実行担当艦バラクダ号に乗り移らされ、フロッグマン部隊員が整列した三隻にそれぞれ爆薬をしかけて爆発させたため、三隻は火炎に包まれながら沈没して行った。
この作戦にはインドネシア海軍西部方面艦隊司令官が立会い、数隻の海軍艦艇が勢ぞろいしたことで、いかめしい作戦行動の様相を呈することになった。旗艦となったミサイル護衛艦スルタンハサヌディン号をはじめ、トダッ号、ステディセナプトラ号そしてバラクダ号がその爆沈作業を見守った。ベトナム漁船三隻の乗組員たちは押し黙ったまま、自分の船が沈没していくありさまをバラクダ号の甲板から見つめていた。
今回の機会を利用して、スルタンハサヌディン号が国境の島アナンバス住民への親善を目的に、タレンパ港で住民への公開を行なった。娯楽の乏しい住民たちは大勢が家族連れで港を訪れ、係留されているスルタンハサヌディン号にあがって、初めて目にする軍艦の内部や、後部甲板に搭載されているヘリコプターの見学を愉しんでいた。とかく国家への帰属心や愛国心を問われる国境地帯住民へのナショナリズム高揚という効果は小さくなかったようだ。
11年間の海上パトロール経験を持つバラクダ号艦長は、南シナ海のインドネシア領海内に侵入してくる外国漁船はマレーシア・タイ・ベトナムが大半を占めていると語る。かれは船を見るだけで、それがどの国の漁船なのかをあてることができる。マレーシア漁船はインドネシアの漁船に形が似ているが、塗装に黄色と青をメインに使っている点に違いがある。タイの漁船は大型で、遠くから見るとカタツムリのような形に見えるそうだ。パトロール艦艇に発見されると、逃げないで反対に向かってくるような者が少なくない。ベトナム漁船は形がタイのものに似ているが、サイズが小さく、常に数隻で集団行動を取る傾向が高い。
外国漁船はたいてい夜間にインドネシア領海に侵入して仕事し、夜明けごろになると領海外へ逃走する。インドネシアのパトロール艇がそれを追跡しても、公海に逃げられたら捕まえることができない。インドネシアの国法はインドネシアの領海内でしか有効でないのである。インドネシア側が拿捕するのは、領海内にあまりにも深く入り込んだ外国漁船だ。
しかしインドネシアの領海はあまりにも広い。総面積350万平米の警備に当たっているインドネシア海軍戦闘艦とパトロール艇は143隻しかない。水上警察の保有艦艇数は34隻で、海洋漁業省資源監視局は27隻、そして海上防備と監視の任を取りまとめる海上保安調整庁のパトロール艦艇で12マイル以上の航行が行なえる船は2隻しかない。専管水域境界線まで進出できる船は全海軍艦艇と海上保安調整庁のその2隻だけであり、海洋漁業省と水上警察の船はそんな沖合いまで出て行くことができない。そんな程度の戦力しかないのに加えて、領海侵犯した船舶に対する断固とした措置を政府が常に支持するとは限らないという要素が存在している。
かつて、密漁中の外国漁船にパトロール中の海軍艦艇が発砲したことがある。そして何が起こったかと言えば、その艦の艦長が左遷されたのだ。そんな事例が作られたら、外国密漁船に発砲し、ひいては撃沈させるようなことを命じる艦長などひとりも存在しなくなる。その結果が、5千4百隻もの密漁漁船の領海侵犯を放置するという事態を招いていたわけだ。だから、大統領みずからが撃沈せよ、と海軍に命令を下したのである。そして海軍はおそるおそる、今回それに反応した。海軍スポークスマンはその行動を、国家主権の維持と国内海産物産業の保護が目的であり、政府の方針に沿って行なっていることがらである、と説明した。
外国密漁船への対応についての法規の定めによれば、インドネシア海上保安機構は領海侵犯船舶を拿捕して没収し、船長に最高20億ルピアの罰金を科すというのが第一義的に行なわれるべき手続きになっており、その上で船を沈めるという対応が認められている。海軍は政府の方針を順守するという姿勢を採りながらも、現行法規を盾に取られて過剰行動と断定されるリスクを強く懸念しており、政府に対して現行法規の改定を求めている。
インドネシアの海上保安は多数の行政機関が混在してそれぞれが独自の行動を取ってきたことから、単一指揮系統の不在が問題視されており、そのために海上保安調整庁が関係諸機関の間を調整するという役割を負わされていた。それを更に進めた海上保安庁構想が年内に軌道に乗せられる予定だ。この海上保安庁が単一指揮系統の頭脳部分に就いて、海軍や水上警察などの実戦部門をその手足に位置付けるという形が年内に開始されることになっている。


「イスラム国への渡航者を逮捕」(2014年12月30・31日)
スカルノハッタ空港でカタール航空QR959便の出発を待っていたインドネシア人男性6人が、2014年12月27日午前3時ごろ、出発ターミナル搭乗待合室で警察に逮捕された。シリアに渡ってイスラム国(ISIS)に加わることを計画していた容疑による。
その6人は年齢が48歳、38歳、34歳、19歳、17歳、10歳と多岐に渡っており、全員がスラウェシ出身者で、かれらはカタールのドハに到着後トルコのイスタンブールへ移動し、そしてシリアに潜入してイスラム国支配地域に達し、イスラム国の一員になるという計画だったと首都警察は発表している。
6人を取り調べた警察は、かれらの渡航をアレンジした男をその日のうちにチブブルの自宅で逮捕した。6人のパスポート作成から航空券購入まで、出国のための準備をすべてその男が行なったとのこと。その男は今回のものが初めてでなく、その前に既に10人をイスラム国に向けて送り出していたことが明らかになっている。チブブルの自宅からは、反テロ特殊分隊解散に関する書物、住民証明書、パスポート、預金通帳、武器となる刃物数本などが証拠品として押収された。
首都警察はその6人の背景を更に明らかにするべく、捜査員をスラウェシに派遣した。現地警察と共同でかれらのスポンサーを逐一たどり、その人脈を掘り下げるのが狙い。警察は今のところ6人の拘留ステータスを参考人としており、7x24時間内に罪状を確定させる必要がある。
インドネシア最大のイスラム民間団体ナフダトウルウラマは、ISISがイラク領土の一部を席捲した上、指導者がカリフを名乗り、暴力によるイスラム世界の高揚とパンイスラミズムの連帯を全世界に呼びかけてその野望遂行のための戦闘要員を募るという方針を強めたことを警戒し、何ヶ月も前にはやばやとISISを拒否する姿勢を固めた。ナフダトウルウラマの青年フロント組織「バリサンアンソルスルバグナ」略称バンセルもISISと対立する立場に立ち、イスラム国の宣伝に応じて血を沸き立たせている青年層を中心とする好戦的ムスリムの抑えこみに動いており、その結果、既にイスラム国のメンバーとなったインドネシア人ムスリムテロリストの正面にはだかる敵と目されるようになった。こうしてイスラム国はインドネシア国軍とバンセルを名指しでイスラム国の敵であると宣言し、攻撃対象に据えたことを宣告した。
それに対してバンセル首脳部は、インドネシア国民であるムスリムにとっての最高理念はNKRI(インドネシア統一共和国)とそれを支えるパンチャシラであり、それを別のものに置き換えようとする者たちの動きを許すことはできない、とISISテロリストからの宣戦布告に応じた。全国に総勢2百万人のメンバーを擁するバンセルは、昔から社会秩序の混乱や暴力衝突が発生する状況が起これば戦闘部隊に似た制服を着て出動し、ムスリム社会の分裂抗争をミニマイズする使命を果たしている武器を持たない民兵組織の一種だ。全国のバンセル各支部には、宗教を超えた国家と国民の一体性を破壊しようとする動きに対して十分な警戒と対応を取るようにという指令が既に出されている。
一方ナフダトウルウラマ前会長は、依然として多数のインドネシア人ムスリムがイスラム国の宣伝に心引かれて暴力と戦争の渦中に身を投じようとしている傾向が持続している点を重視し、軍隊や警察による力でのアプローチでその根本解決ははかれないことを表明した。コンフリクトやテロリズムを生んでいる宗教ラディカリズム運動は誤った宗教イデオロギー観念に根ざしているのであり、そのイデオロギーに修正を加えるために正しいイデオロギーをそこにぶつけていかなければならない、というのが前会長の見解だ。かれは全国各州のウラマ界上層部4百人を集めたナフダトゥルウラマ親睦界で次のように語った。
「われわれはテロ事件が起こってからそれに反応するほうが多い。しかし、どうやったらテロ事件が起こらないようになるかということに努力するほうが良いのではないか?テロ事件や宗徒間コンフリクトの原因のひとつが宗教イデオロギーに関する間違った理解に根ざす宗教ラディカリズムであるのは疑いもない。警察や軍隊に成り代わって宗教界賢者がテロやコンフリクトを一手に引き受けようということではなく、ウラマ階層もそれらの治安機構と手を携えて、中庸で正しい宗教理解を宗徒の中に構築し宣伝していくことが必要とされている。正しい姿勢と考え方は宗徒たちの心に落ち着きを与え、過激思想に容易に呑まれなくなり、過激思想が社会に浸透するのを困難にする。宗教テロリズムというのは単なる保安問題なのでなく、宗教を正しく理解してそれを用いることに関わる問題なのだから。」
出席したウラマのひとりは次のように意見を表明した。
「イスラム教は暴力を奨めるものでなく、平和を愛する宗教だ。歴史の中で宗教による戦争はあったが、それは自衛を目的としたものなのだ。イスラムは宗徒に対し、宗教の名において「戦争をせよ」「罪もない人間を殺戮せよ」などとは少しも命じていない。その見解を宗徒一般に諭して強化をはかり、昨今イスラム国が広めているラディカルな思想を社会が安易に受け入れることのないようにしなければならない。このような宗教イデオロギーの理解を世間一般に広げていく方法によって、インドネシア国内でISISが勢力を広げていくことを阻止しなければならないのだ。ラディカリズム運動から生まれるテロリズムはイデオロギー戦争なのである。正しくないイデオロギーは正しいイデオロギーで対抗しなければならない。ISISが行なっているような暴力志向のラディカル運動は、真のイスラムの中には含まれないものだ。」出席したウラマのひとりはそう意見を表明して、前会長のスピーチを支持した。


「漁民が密漁外国船を拿捕」(2015年1月5日)
インドネシア領海内に侵入してくる密漁船に対する明確な対決姿勢を打ち出した現政権に元気付けられたか、漁民までが外国の密漁船を捕らえる動きを示しはじめた。
2014年12月29日13時ごろ、北スマトラ州アサハンのタンジュンバライにある漁村に住む伝統式捕獲漁を生業にしている漁民が海上で、マラッカ海峡のインドネシア領海内でトロール網漁を行なっているマレーシア漁船を発見した。その一帯では昔から、外国船が大手を振ってインドネシア領海内で漁をしている。マレーシア漁船は70GTで、漁民の乗ったヌラヤンジャヤ号はわずか7GTという大違いのサイズ。しかし、乗り組んでいる6人は、「あの盗っ人らをなんとかしてやれねえものか?」と考えた。そして、ともかく相手の様子を見てやろうということで意見が一致し、ヌラヤンジャヤ号は密漁船に接近して行った。口実は、「捕った魚を分けてくれ」だ。接舷してからマレーシア船に乗り移って様子を見たところ、その漁船にはミャンマー人が4人しか乗り組んでいないことがわかった。「おい、みんな上がって来い。」と即座に仲間に指示する。手に手に棒切れを持って6人が4人を押し包むと、ミャンマー人乗組員たちはほとんど抵抗せずにおとなしくなった。海賊に襲われたと思ったにちがいない。まず通信機を壊して船主や仲間の船に連絡できないようにしてから、6人はその船をタンジュンバライ港海軍埠頭に向けさせた。
インドネシアの民間人である漁民が外国密漁船を拿捕した事件ははじめてのことで、インドネシア伝統漁民ユニオンタンジュンバライ支部事務局長はそれについて、現行犯を捕まえたので法的な問題はない、と述べている。「漁民が海上での国家主権を確立させたのは前代未聞の快挙であり、国家機関による海上パトロールはもっと効果的に行なわれるようわれわれは要請する。できればパトロール艇でないように偽装して、違法行為を行なっている国内外の船を一網打尽にしてほしい。」との事務局長の談。


「ロンボッ島で路上強盗」(2014年1月9日)
西ヌサトゥンガラ州ロンボッ島の南部海岸地区は静かなエリアだ。観光センター地区になっているクタ一帯は昼間でも交通量があまりない場所があり、そういう場所を通る際には、犯罪者の襲撃に警戒しなければならない。特に観光客が宿舎からサーフィンスポットへ行くときに通るルートは交通が途絶えて寂しい魔の時間帯が出現しやすい。魔の時間帯には強盗一味が登場する。2014年12月27日午前11時半ごろ、一台のオートバイに相乗りしてクタの道路を走行中だったベルギー人夫婦が強盗の被害者になった。
ロンボッ島のクタで事業を営んでいる息子さんのところに遊びに来たミヒエルス・クリスティアン・アンリさん56歳と妻のフランシーヌ・ファン・エイクさん56歳はその日、滞在場所からトゥルッアワン港にオートバイで向かっていた。東プラヤのキダン村まで来たとき、別のオートバイが近寄ってきて進路を妨害し、三人の男たちが無理やりミヒエルスさんを停止させた。ミヒエルスさんが仕方なくオートバイを停めると、三人の男はミヒエルスさんのオートバイのキーを強引に抜き取った。
ところがそのとき、路上を他のオートバイがやってきたため、三人はキーを投げ捨てて逃走した。夫婦がクタに戻ることにして逆方向に走り出したところ、路上にひと気がなくなったのを幸い、三人の賊が夫婦を追いかけてきた。三人は刃物で夫婦を脅し、オートバイを奪い、また夫婦のバッグと財布を取り上げた。そのときミヒエルスさんは抵抗したため、刃物で傷を負わされている。バッグと財布から携帯電話と40万ルピアの現金を奪った三人は夫婦に向かって投石しながら逃走した。
この事件の前にホテルノヴォテルに近い路上で類似の強盗事件があり、警察の捜査で容疑者が捜査線上に浮かんでいた。ミヒエルスさんの被害届を受けた中部ロンボッ県警は更に捜査を絞り込み、12月30日未明にムルタッ村住人D16歳、ビレランド村住人K15歳、バンケパラッ村住人H20歳をそれぞれの自宅で逮捕した。警察はこの三人の余罪を追究している。路上強盗事件被害者がすべて警察に届けを出しているわけでもなく、実際に起こった強盗事件はもっと多いかもしれないという警察の予想が裏付けられる可能性は小さくない。しかし反対に、判明している事件がすべてこの三人組によるものかどうかはまだわからないため、他の犯罪グループがその地区一帯に潜んでいる可能性もある。
観光振興をはかっているロンボッ島でのこのような犯罪事件は地元行政と観光業界に障害をもたらすものであり、警察の犯罪者抑えこみが期待されているのだが、交通量のあまりないロンボッ島南部の路上犯罪は今後も不安をもたらすものだ、と州警察長官はコメントしている。


「ふたたび漁民が密漁船を捕らえる」(2015年1月14日)
インドネシア領海内で違法操業を行なっていた4,306GTの大型漁船が海洋漁業省と海軍の合同パトロール作戦で拿捕された。この漁船はHai Fa 号でパナマ船籍になっており、船内で働いていた23人は全員が中国人だった。インドネシア政府が拿捕した違法船や密漁船の中では過去最大の大物になる。ハイファ号は海運会社PTアンタルティカスガララインに所属しているが、アラフラ海で無許可操業を行い、鮮魚800トンと冷凍エビ100トンをパプア州メラウケ県ワナム港に運んでいたものと見られている。漁労活動の許可や外国籍船舶ならびに乗組員が外国人であるといったことがらに特別裁量を与える証明書などが一切ないために違法漁労現行犯として捕えられたもので、漁船監視システムに所在地を知らせるトランスミッターをオフにして航行していたことも官憲からの強い疑惑を招いている。
ところで、昨年末に漁民が外国密漁船を領海内で捕まえた事件が北スマトラ州アサハンで起こったが、今度は北カリマンタン州で漁民の同じような行動が発生した。2015年1月10日に地元漁民が領海侵犯してトロール漁を行なっていた10GTのマレーシア漁船をタラカン沖3海里の海上で捕え、その漁船は密漁現行犯として北カリマンタン州水上警察に引き渡されている。


「不法レッカー車の犯罪」(2015年3月9日)
2014年11月24日付けコンパス紙への投書"Awak Derek Liar di Lingkar Luar Taman Mini Berulah"から
拝啓、編集部殿。2014年11月11日16時ごろ、わたしのトラックが不法レッカー車一味の罠に落ちて恐喝されました。場所は東ジャカルタ市タマンミニ地区の外環状自動車道を走行中のことです。かれらの手口は、まずトラックやボックス車に近付いて、トラックから何かが落ちたと運転手に知らせることから始まります。
トラック運転手が調べるために車を止めて降りたら、レッカー車の一味も降りて運転手を取巻きます。そのとき、かれらのひとりが車の下に入ってエンジンへの燃料供給パイプを外すのです。運転手はまた車を走らせますが、百メートルも走ればエンコします。するとレッカー車が近寄ってきて問答無用でトラックを連結するのです。運転手がどんなに抗議しても、聞く耳など持っていません。
かれらは運転手に、エンコ車両をタマンミニにあるジャサマルガ本部に運ぶだけだと言いますが、実際には東ジャカルタ市チリリタン地区にあるかれらの基地に運び込み、トラックと運転手を拘束してトラックオーナーに電話するよう運転手に命じるのです。ラエラ・ムロ名義のBCA銀行口座番号2731727602に450万ルピアを振り込めば、解放してやるという内容を。
かれらの基地には同じような運命の車両が10台ほどいて、レッカー車サービス従業員の衣をまとったやくざ者やゴロツキたちに恐喝されていました。トラックやボックス車のオーナーは車の運転手に、くれぐれも警戒するようよく言って聞かせ、自動車専用道では警官や道路管理会社職員の制服を着た人間がいる場所で停車しても決して気を緩めないよう、注意を与えるようにしましょう。[ バンテン州南タングラン在住、ラフマッ ]


「白昼の路上拳銃強盗事件」(2015年4月1日)
ナスルディン32歳は、西ジャワ州ボゴール県チビノンのトゥガルブルイマンラヤ通りにあるガソリンスタンドの従業員だ。その日もガソリンスタンドの売上金を銀行に納めるため、同僚のニスマンを助手席に乗せてキジャンイノバを走らせていた。バッグには売上金2億6千万ルピアが入っている。車がスカハティラヤ通りに入って間もなく、この白昼に思いもかけなかった事態が起こった。
オートバイ三台に乗った6人の男たちが、走行中のイノバを取り囲んだのだ。フルフェースヘルメットの男たちは、ナスルディンに停車を命じる。ナスルディンはそれを無視した。賊は力ずくで停めにかかる。イノバの後部扉のガラスが割られた。
ナスルディンの右側を走っているオートバイの後ろに乗った男がピストルを出してかれに銃口を向けた。銃撃音がして、ナスルディンは左胸に強い痛みを感じたが、意識ははっきりしている。かれは賊を振り切ろうとしてスピードを上げた。
スカハティラヤ通りで交通検問を実施していた警官たちは、一台のキジャンイノバを三台のオートバイが襲撃している光景に気付いた。警官数人がすぐにオートバイに乗ってその方向に向かう。警官がいることを知った賊たちは、即座に方向転換して逃走した。警官たちはしばらく追跡したが、賊の行方を見失った。
ナスルディンは検問場所まで来てイノバを停めた。血まみれになっているナスルティンを見た警官は、ぐったりしたかれをチビノン地方総合病院に護送した。緊急処置が行なわれて、銃弾は摘出され、ナスルディンの生命には別状がなく、かれは病院で治療を受けている。チビノン警察署長は、強盗の言いなりにならず、力ずくの無法行為に立ち向かったナスルディンの勇気を賞賛した。
ガソリンスタンドの売上金額がいつごろ、どういうルートで銀行へ運ばれているのかを賊の一味が前もって調べた上で行なった犯行であり、ナスルディンを撃った拳銃は手製銃だった、と署長は述べている。2015年3月30日白昼のできごとだった。


「なんでオレが撃たれるのか?」(2015年4月6日)
ボゴール住民のグスティン・ヘルマワン24歳は玩具販売ビジネスをしている。2015年3月31日夕方、グスティンはボゴール市マヌンガル通りの玩具店に、商品を仕入れにやってきた。ところがついうっかりして、かれは自分の二輪車ホンダビートの鍵を抜かないまま店の前に駐車して店内に入った。
かれはそこで友人のアフマッ・マルクス24歳と会い、話に花を咲かせた。そして店から出たグスティンは、自分のオートバイが無くなっているのに仰天した。
「しまった。盗まれた。」
「なんだって?じゃあ、すぐに探しに行こう。まだその辺にいるかもしれない。」
友人思いのアフマッはグスティンを自分のオートバイ、ヤマハミオの後ろに乗せて近隣を探しはじめた。そして盗まれた場所からおよそ4キロ離れたタナサレアルのプルイカナンダラッ通りの道路脇で、グスティンが自分のオートバイを発見したのだ。そこには4人の男たちが集まっており、オートバイが3台あって、4人のひとりがグスティンのオートバイを我が物にしていた。場所はちょうどチマングレジデンスに入っていくアクセス路の向かいだ。時間はもう19時になっていた。
アフマッがオートバイを停めると、グスティンは降りてその4人の方へ歩いて行った。「おい、そりゃオレのオートバイだ!」
そのとき、アフマッも「泥棒!泥棒!」と叫んだ。4人の中のひとりがいきなり拳銃を手にしてアフマッの方へ走り寄り、撃った。思いがけない展開にグスティンもアフマッも驚いた。いや、もっと驚いたのアフマッの方だろう。どうしてグスティンでなく自分が撃たれるのか・・・?
アフマッの首を銃弾が貫通した。アフマッはオートバイと一緒にその場に倒れ、しばらくして息を引き取った。グスティンはその成り行きに呆然とその場に立ち尽くし、4人の男たちはすぐにオートバイに乗ってその場から逃走した。
グスティンや他の目撃者の証言とマヌンガル通りの玩具店に設置されていた防犯カメラの画像から警察はアフマッを殺害した犯人のモンタージュを作り、捜査員の聞き込みのほかに、新聞・テレビ・インターネット・ラジオそしてフェイスブック・ツイッター・パスなどのソーシャルメディアにも掲載して情報収集に努めている。アフマッ殺害犯の人体は、身長160〜165cm、やせ型、長髪、赤い網のコピアをかぶり、尖った顎で頬骨が高く、目は異様に大きくて視線は鋭い。
アフマッの首を貫通した銃弾はまだ発見されていないが、警察は手製銃の疑いが濃い、とコメントしている。


「怪傑タクシードライバー」(2015年4月9日)
エクスプレスタクシー、プレート番号B1410BTE、は2015年4月4日午前2時ごろ、西ジャカルタ市トマン地区で三人の男性客を拾った。南クンバガンへ行ってくれと言われた運転手エディ30歳は、車をスタートさせた。
しばらく走ってプリインダ地区のCNIビル前まで来たとき、客が「車を停めろ」と言った。エディが車を停めると、首筋に冷たい刃先が触れた。ちょうど真後ろに座っている男がナイフをエディの首筋に当てている。すると突然、エディの体がバネ仕掛けのように敏速に動いて、ナイフを握った男の手を捻りあげた。刃先の向きが変わり、切っ先がその男の顔前すれすれのところに移動していた。男の顔色は蒼白になり、小さい悲鳴が上がった。他の男ふたりがいきなりドアを開いて逃げ出し、ナイフ男もナイフを手から放してよろめきながら車外に転げ出た。
逃がしてなるものか・・とエディは犯人を追う。そこで起こったのがタクシー強盗事件であったことを知った周辺の路上にいた住民たちも犯人を追う。夜間警戒の任に当たっていた警官ふたりもオートバイで犯人を追う。残念ながら一網打尽にはならず、ナイフ男は逃亡し、仲間二人が逮捕された。それにしても、インドネシアの路上を徘徊している住民たちの事件に巻き込まれたい精神傾向は特筆すべきものがある。それが嵩じると犯罪者へのリンチとなり、撲殺や焼殺に発展することが起こるのだが、警察はそういう過剰行為は減少傾向にあると表明している。
お手柄のエディ氏は、賊の手を捻り上げたときアッラーへの赦しを願う気持ちが湧き上がった、と述べている。その気持ちが湧き上がらなければ、賊の顔を切り裂いていたにちがいない、とかれは述懐している。
警察に逮捕された仲間二人はザエナル22歳とゼンディ18歳で、逃亡したナイフ男レンディ19歳に誘われて犯行に加わったことを自供した。4月3日夜23時ごろ、パルメラ地区のトマン堤防でアルコールを飲んでいた三人は、レンディが思いついた金儲け仕事を実行することで一致した。タクシーを襲って金と車両を奪い、車両は故買屋に売り払うというのがその仕事だ。ザエナルは奪った車両を運転する役、ゼンディは運転手を見張る役、レンディは故買屋に車両を売る役。
タクシーがあふれかえっているジャカルタでタクシー強盗はありふれた事件でしかない。だから、酒の勢いで軽く犯罪を犯そうとする人間が現われる。刃物を怖れる人間が大半だから、犯罪の度胸さえあれば成功の確率は高い。もちろん、警察の網から逃げおおせられるかどうかまでは計算していないようだ。そして、度胸だけあった犯罪者が凄腕の闘士と出会ったとき、予想外の結末に至ったのである。


「爆薬盗難事件」(2015年4月14日)
西カリマンタン州ブンカヤン県モンテラド郡にある爆発物倉庫が破られて、デトネータ65個、硝酸アンモニウム150キロ、ダイナマイトパワージェル13本などが盗まれた。
破られた倉庫はPTトゥナスアラスカという民間会社のもので、爆発物倉庫は警備員がガードしていなければならないことになっているのだが、この会社は2013年末に倒産したため従業員はひとりも出勤しておらず、倉庫の番をする者がいない状態になっていた。
盗難は会社オーナーが見回りに来たとき明らかになり、盗まれたものが爆発力の大きいものだったために、急遽西カリマンタン州警察ブンカヤン署に届けがなされた。すわ、テロリストのしわざか・・・という不安をよそに、警察の捜査は着々と進められ、実に意外な事件の背景が明らかになって、一件落着した。
警察の調べによれば、盗賊が倉庫の表門を破って侵入したのは2015年4月8日21時ごろ。侵入したのは近郷の農民ふたりだったことが判明した。捜査員が倉庫周辺を細かに調べたところ、近くのゴム農園に向かう小道に硝酸アンモニウムの袋が落ちていたのが見つかった。ゴム農園を調べたところ、硝酸アンモニウム粉末が土の上に散布されていた。さっそくゴム農園の持ち主を探し出して取り調べたところ、仲間の農民もうひとりと組んで行なった犯行であることが明らかになった。
爆弾を作るために盗んだのでなく、肥料のために盗んだというわけだ。では、デトネータやダイナマイトパワージェルは何のためか?実は、ふたりはそれらの品物が何なのかを知らないまま盗み、現物をじっくり調べてみたが、何に使えるのかよくわからない。しかたなく、「まあ保管しておこうや」ということになって、結局それらの品は警察の手に渡ったのが一部始終。
おりしも、中央ジャカルタ市タナアバン郡クブンカチャン地区の空地で2015年4月8日白昼に爆弾事件があったばかりだ。クブンカチャン地区というのはジャカルタの目抜き通りであるタムリン通りの裏手とも言える、西側に広がる中下流経済層の住宅地区になっている。
その日、空地に建てられている大きい仮設建物の中を掃除していた近在のひとびとのうちのひとりがゴミと思って投げたものが爆発して、その場に居合わせた者数名に重軽傷を負わせた。警察の調べによれば、爆発物はテニスボール大のサイズで、中に2cmほどの釘が大量に仕込まれており、爆発すると散弾のように釘が周囲に飛んで人間を傷つける仕組みの手投げ弾であったことが判った。同じものがその建物の一帯に49袋見つかっているので、何者かがそこでその種の武器を大量に用意していたことが推測される。
警察はそのとき、その場所で掃除に関わっていた者たちをまず取り調べたものの、近隣住民のひとりがスラマタンを行なうのに自宅が狭いのでその仮設建物を使うことにし、隣近所のひとびとがそれに協力していただけということが明らかになった。学術界テロオブザーバーのひとりはこの事件に関連して、国内テロリストが戦術を変えたことを示しているのではないか、との発言をしている。つまり、初期にはバリ爆弾テロ事件のような大きい爆発力を持つ爆弾によるターゲット襲撃が行なわれていたが、その後はかれらの組織を壊滅させようと攻撃してくる警察をメインにする治安機構に対する小規模な襲撃に移行していた。それが今回の手投げ弾の出現によって、テロリストは群衆が集まっている場所で大勢の人間を傷つけることを次の戦術として選択したのではないか、という意見だ。
首都警察は3月下旬に行なわれたISISに関与していると見られる5人を逮捕したあと、ジャカルタ・デポッ・ブカシ・タングランにある七ヶ所を重要警戒ポイントに指定し、治安要員750人をその7ヶ所に配備した。警察の反テロ警戒態勢は根拠のないことではないにちがいない。


「犯罪の餌食になりたくなければ・・・」(2015年4月22日)
2014年11月28日付けコンパス紙への投書"Jalan Tembus di Tangerang Rawan"から
拝啓、編集部殿。バンテン州タングラン市からチュンカレンのスカルノハッタ空港に抜ける道路は、空港鉄道建設プロジェクトに関連して空港M1ゲートが閉鎖されたために犯罪リスクが高まっています。2014年10月17日24時半ごろにその道路を通過中だったわたしの車を、無灯火のオートバイ二台が追いかけてきて、かれらはわたしに停車するよう合図したのです。
わたしは停車するどころか、スピードを上げてかれらを振切りました。うかつに停車すれば、どんな犯罪がわたしを襲ったかわかりません。監督行政機関はその道路を通らなければならない住民のために安全な代替路を用意してください。その道路は暗く、治安が悪く、たいへん鋭い急カーブが多く、そして警備ポストすら設けられていないのですから。[ 北ジャカルタ市プンジャリガン在住、エルウィン・スチャヒヤ ]


「麻薬漬けが進行するインドネシア」(2015年4月27日)
国家麻薬庁(BNN)が発表した2015年の全国ナルコバ(麻薬禁制薬物)中毒者推定数は510万人にのぼる。特に、若者世代のライフスタイルの中にナルコバが価値を伴って位置付けられてしまった結果、その使用者が急増しており、年齢15歳の少年層では使用法を誤った過剰摂取による年間の死者が10.4万人にものぼっている。年齢64歳の階層では26.3万人がナルコバで死亡しているそうだ。
ナルコバ使用者は年々増加の一途で、小学生から大人、家庭の主婦から会社や工場勤めの勤労者、果ては公共運送機関の運転士や行政サービスに携わる者たちから取締りを行うはずの法執行者に至るまで、国家国民の間にナルコバが深く静かに浸透しているありさまだ。BNNデータでは、2007年の小学生ナルコバ使用者は4,138人だったが、2011年には5,087人にアップした。しかしインドネシアのナルコバ市場を形成している最大ポーションは30歳代の年齢層であり、BNNは過去5年間の実態分析にもとづいて、インドネシア国民の30歳代年齢層ブラケットの52.2%がナルコバを使っている、との結論を下している。
おかげで、インドネシアのメディア報道にはほとんど毎日、ナルコバ関連のニュースが登場する。外国からインドネシアに入ってくるものの摘発、国内で生産されているものの摘発、販売網・流通網に関与している人間の摘発、逮捕された胴元が死刑判決を受けて入獄していながら、監獄内から自分が使っていた流通網にビジネスの指令を出し続けている多数の実例など、枚挙にいとまがないありさまだ。
中でもインドネシア国内にある金の7割以上が集中している首都ジャカルタは、ありとあらゆるビジネスの集中する国内経済のメッカであり、犯罪ビジネスも例外ではない。住民の購買力が高い首都圏では、高額商品も飛ぶように売れる。たとえば西ジャカルタ市。市警ナルコバユニット長は、管下地区住民の中の220万人がナルコバ中毒者だと述べている。同ユニットは二週間に6件のナルコバ流通網を摘発して、シャブ510.9グラム、エクスタシー4,025粒、大麻555キログラム、ハッピーファイブ1千個の商品を押収した。それらが地区住民のナルコバ中毒者を一層増加させる役割を果たすところだったことは、火を見るより明らかだ。
ジャカルタでは、犬も歩けばナルコバ流通者にぶつかるにちがいない。首都警察犯罪捜査局向精神性薬物次局がシャブ2キログラムの所有者と見られるふたりを逮捕した。東ジャカルタ市ジャティヌガラ郡オティスタ通りにある24時間営業のミニマーケットでナルコバの取引が行なわれるという市民からの密告をもとに、捜査チームが現場に出張った。14時15分ごろになって、長髪にピンクのジャケットを着た女性がひとり、そこへやってきてミニマーケット前のテーブルに座った。それからちょっと後に、店内のトイレから出てきたひとりの男がその女性に近寄って何かを言い、立ち去った。女性は立ち上がるとトイレに入り、そして出てきたところを捜査員に逮捕された。女性は案の定、透明ビニール袋に入ったシャブ10グラムを所持していた。一方、女性に近付いた男も店の前から見えない場所で捜査員に逮捕された。男も、シャブ100グラムを所持していた。
それとは別に、最近マリーンリゾートとして脚光を浴びているプラウスリブでも、ナルコバ犯罪者の逮捕が行なわれている。ティドゥン島住民で観光ガイドを職業としている19歳と21歳の男性がプラウスリブ警察署員に逮捕された。ふたりは乾燥大麻30袋を所持していた。


「大麻入りブラウニーケーキはいかが?」(2015年4月30日)
大麻入りドドルの話題の次は、大麻入りブラウニーということらしい。その大麻入りケーキが一個20万ルピアでネット販売されている事実をつかんだ国家麻薬庁はその事業主を東ジャカルタ市で逮捕した。その事業主、男性IR38歳、が大麻入りブラウニーケーキの生産販売者で、タングラン市内のアパートメントを借りてケーキやチョコレートを作っていた。そのアパートメントからは、大麻4キログラム、ケーキに混ぜ込む状態の大麻葉がケーキ型4個分、たくさんのケーキ作り器具やケーキ材料、大麻入りチョコボールが15個入った発送直前の包装箱などが発見されている。ちなみに、そのチョコボール一箱も20万ルピアの価格だった。そのIRの事業を手伝っていた二人も共犯者の容疑を受けて逮捕されている。
その事実が明るみに出たのは、ひとりの中学生が二日間ぐっすり寝込んで目を覚まさなかった事件が発端で、大麻入りブラウニーケーキを食べたのが原因であったことが明らかになり、国家麻薬庁がその生産販売ルートをたどりはじめた。そして麻薬捜査員は去る2月7日にブロッケムプラザ駐車場で21歳のふたりの青年が持っているブラウニーケーキが大麻入りであることを発見してそのふたりを逮捕し、捜査を絞り込んだ結果、4月13日にIRを逮捕した。IRを手伝っていた23歳のYはケーキ作り、37歳のHはブロッケムプラザの店番をしていた。
IRはブロッケムプラザ一階のカウンターを借りて、大麻入りブラウニーやチョコレートあるいはシャブ吸入器、大麻タバコ用紙、大麻繊維で作ったサンダル、Tシャツなどを販売していた。サンダルはスーベニアとして人気が高く、また販売されているTシャツには「Pngguna Ganja Bukan Kriminal 」という文字が躍っていた。その売場にかれはToko Hemp という看板を出し、ネット販売サイトもwww.tokohemp.com と命名をしている。IRは半年ほど前からその事業を始め、既に国内多数の都市に商品を送り出していた。
国家麻薬庁の取調べに対してIRは、自分はHIVとC型肝炎の罹患者であり、食欲増進のために大麻を常用していたと答えている。最初は大麻タバコを使っていたが、逮捕されるリスクが高いために大麻入りケーキやチョコレートの形に変えて摂取するようにしたとの話だ。麻薬庁麻薬撲滅局長はIRの食欲増進の話について、大麻摂取による幻想が生んだ思い込みでしかないとIRの話を否定している。
IRの事業内容の捜査を進めている国家麻薬庁は、いくつかの意外な事実を公表した。そのひとつは大麻入り食品送り先の記録に6つの大学キャンパス名が記されていたことで、大学内にナルコバが蔓延している事実を裏付けている。もうひとつは、大麻と言えばアチェがすぐに連想されるのが社会常識となっているが、大麻栽培はアチェやアチェと州境を接する他州地域に限定されておらず、異なる州でも栽培が行なわれていることが立証された。IRが使っていた乾燥大麻はジャンビ州から送られてきており、国家麻薬庁はアチェ州以外のジャンビやブンクルでも栽培が活発化していることを確信している。
ブロッケムプラザ管理者のPTパクウォンセントサアバディGMはトコヘンプのテナント賃貸について、IRは1.5x2メートルのカウンターをひと月前から契約し、そこではTシャツやアクセサリー類を販売していたと説明している。「そこでブラウニーケーキが販売されているのを見たことはない。販売商品と売場ロケーションはプラザ管理者の管理下にあり、食品が販売される場合ははるかに厳格な検査と審査が行われる。」
トコヘンプのカウンターを愛顧する客は少なくなかったようで、IRとアシスタントらが逮捕され、カウンターの商品はすべて黒幕でカバーされたあとも、その出来事を知らない顧客が幾人かカウンターが開かれるのを待っていた。聞き込み取材を行なっていた記者に、そのひとりが「カウンターはいつ開かれるのか?」と尋ねてきた男性がある。西ジャカルタ市カリドルス地区在住のその男性は記者が「何のために・・・?」と尋ねると、男性は首を振ってそそくさと立ち去ったとのこと。


「信頼した出入りの職人に裏切られる」(2015年5月18日)
インドネシアの巨匠のひとり、画家のアファンディ氏の作品「自画像」を盗んだ男が警察に逮捕された。アファンディ氏のそのオリジナル作品は経済統括相や開発企画庁長官など国政の要職を歴任した故ウィジョヨ・ニティサストロ氏の自宅に飾られていたもので、犯行は2006年に行なわれたが、家族はすり替えられたニセモノに気付かないままでいた。
ところが2014年にウィジョヨ氏の娘がインターネットでその作品が競売に付された情報を見つけて調べたところ、自宅の壁にかかっているのは贋作であることが判明した。香港のサザビーで2010年に競売に付されたアファンディ氏の作品「自画像」は、きせるをくわえたアファンディ氏の顔が130x100センチのキャンバスに油絵で描かれているもので、2010年に420,212米ドルで落札されている。
ウィジョヨ氏の娘婿が首都警察への届出者となったその事件を捜査した一般犯罪捜査局は、その一家が自宅住居設備の修理職人として絶大な信頼を置いている西ジャワ州デポッ市住民男性60歳をその盗難事件の主犯として逮捕した。その男は一家に重宝がられ、南ジャカルタ市ポンドッキンダにあるその家に自由に出入りすることが許されており、一家の信頼はものの見事に裏切られたと言える。
2006年に犯行を計画したかれは、まずデポッ市に住む画家Rに「自画像」の模写を作らせた。そしてその一家の家庭車運転手Aを抱きこみ、実行に取り掛かる。その家のジョグロルームに掲げられている作品を額から外してニセモノと入れ替え、ホンモノはカートンで包んで運転手のAにその家から持ち出させた。その後犯人はAAなる人物にそれを11億ルピアで売却した。絵画はそれから二度転売されて所有者が替わり、最後の所有者が2010年に香港で競売に付したという流れになっている。
犯人はデポッ市の自宅で、また運転手Aは故郷の西ジャワ州クニガンで、警察のお迎えを受けた。


「パンク強盗は健在」(2015年5月21日)
かつては道路上に大量の釘を撒き、だれかれかまわず被害を受けた車を餌食にしようとする大雑把なパンク強盗が大半だった。しかしそういう時期はもう山を越え、いまではその手法がはるかに緻密な犯罪計画の中の一技法として使われるようになっている。つまり犯罪は日進月歩しているということだ。
昔は、パンク強盗以外にも道路沿いのベンケルや道端パンク修理屋が客を増やそうとして釘を撒く行為が盛んに行なわれていたが、その熱はもう下火になったように見える。パンク強盗とパンク修理客拡大活動は内容が全然異なるものの、似たような現象を起して世の中に迷惑をかけるということは同じだから、社会安全という見地から同じような措置を採ってもらいたいと思うのだが、法執行者の待遇はまるで違っている。
2015年5月5日朝、北ジャカルタ市プンジャリガン住民リドワン氏56歳は、ラヤカリマラン通りのBCA銀行で2千5百万ルピアを引き出した。銀行を出てカリマラン通りを自分が運転する車で走行中、かれは後ろをつけてくる二台のオートバイに分乗した三人組がいることに気付いた。そうこうしているうちに、一人乗りオートバイの運転者が運転席に近付くと、「タイヤがパンクしてるぞ!」と大声でリドワン氏に知らせてきた。パンク強盗の手口を知っているリドワン氏は、『そんな手に乗るものか』と心中で罵ったが、たしかに左後ろのタイヤの空気がぬけている。であっても、車を止めればやつらの餌食だ。リドワン氏は勇を鼓して走り続けた。そのうちに、尾行していたオートバイも見えなくなった。『やつらはもう諦めたのかもしれない。』
BCA銀行から7百メートルほど離れた場所でベンケルを見つけたかれは、近寄って道路脇に車を止めた。車を降りてドアをすべてしっかりロックしてから、リドワン氏は左後部のタイヤを調べに回った。タイヤの空気は完全にぬけている。かれがタイヤの空気漏れの原因を調べているとき、車の前方でガラス窓が割れる音がした。ほとんど同時に「マリン!」という叫び声がベンケルの中からあがった。そして急速発進するオートバイの爆音・・・
自動車の名義変更や納税手続きの代行エージェントをしているリドワン氏のカバンの中には、銀行からおろした2千5百万ルピアのほかに、これから西ブカシ交通警察統合サービスセンターで手続きをするために持ってきたBPKB(自動車所有謄本)10冊、STNK(自動車番号証明書)12部、新車購入インボイス7通、更に土地売買証書2冊と、それらの個々の書類に添えてあった手続き費用現金が入っていた。手続き費用総額は2千万ルピアにのぼる。オートバイの爆音と共に、かれのカバンは行方をくらました。


「受刑者を人違い釈放」(2015年5月28日)
バリ州バドゥン県クロボカン2A級刑務所で、受刑者の人違い釈放が起こった。間違って釈放されたCAは東ジャワ州出身で、ナルコバ犯罪で9年間の服役判決を受け、やっと2年が経過した者。本来、刑期満了で釈放されるべき者は、やはり東ジャワ州出身のCAだが、こちらは盗みで7ヶ月の服役期間を終えたばかり。
刑期を満了したCAが「自分はいつ出所できるのか?」と質問してきたことから、釈放を終えているとクロボカン刑務所側が思っていたCAがまだ所内にいるのに驚き、既に実行されている釈放内容を再チェックしてやっと人違い釈放が明らかになった。
その釈放を担当した職員は免職措置を受けて取調べられている。どうやら、名前が酷似していたことが、その職員の誤りを誘ったということらしいが、人ごみの中で名前を叫べば何人も「自分のことか?」と思って集まってくるインドネシアで、名前が酷似しているどころか、まったく同じ名前の者が服役者の中にいないはずがない。指紋等を使った人物特定システムがあって当然なのだが、かつて備えられていたコンピュータシステムは二年前にクロボカン刑務所で起こった所内暴動で使えなくなっており、その後はシステム機器を使わないマニュアル方式に変更されていたとのこと。
しかし刑務所内の取調べに関する続報によれば、その釈放を取扱う職員が仲間の職員に仕事を委ね、その依頼された職員が釈放プロセスSOPを忠実に実行しなかったということが明らかにされている。
間違って娑婆に戻されたCAは行方不明になっており、警察はまだ再逮捕できないでいるようだ。なにしろクロボカン刑務所も全国の刑務所と同様、収容能力をはるかに超える服役囚で満ち満ちている。3百人という能力に対して1千人が刑務所内に詰め込まれており、それをわずか60人の看守と職員が世話しているという状態だ。過誤を犯した職員の処罰はまだ明らかにされていない。


「西洋人が海賊一味の中にいる?!」(2015年6月4日)
リアウ島嶼州バタム島にあるインドネシア海軍西部方面艦隊基地所属の海上パトロール隊は2015年5月29日、海賊行為を働こうとして獲物を狙っている姿をありありと示している高速艇をバタム島ブラカンパダン群島のひとつプラパッ島近海で発見し、その船を捕らえた。船の中にはなんと、西洋人がふたり混じっている。総勢11人が乗っていたその船内でパトロール隊員は、海賊行為に欠かせない鉈状の刀パラン(parang)や覆面を発見し、この一味が海賊グループであることを確信した。しかし奇妙なのは、同船している白人ふたりと多数のカメラやビデオ撮影機材がそこにあることだ。
ともかくパトロール隊は、この海賊グループを基地に連行して取調べを行なった。特に強い関心が向けられたのはふたりの西洋人だ。ひとりはNB31歳、もうひとりはBP30歳と名乗り、イギリス人で映画制作者であるとその身分を明らかにした。かれらが語ったのは、こういうストーリーだ。
西洋人ふたりはインドネシアのバタムまで、マラッカ海峡の海賊の実態をカメラに収めるためにやってきた。既に数日間バタムに滞在して通訳を雇い、通訳を通して地元民の間で海賊を探した。すると、その仕事に応じる者が何人か出てきた。もちろん、通訳がコンタクトした地元民の数ははるかに多い。はっきりしないのは、かれらが本気で海賊行為を行ない、その姿をカメラにさらそうとしたのかどうかという点で、どうやら映画出演のつもりでこの話に乗ったように思われる。
29日、海賊になる地元民8人と通訳、そしてNBとBPの11人は調達した高速艇に乗って撮影現場に出動した。そして海賊たちが侵入する獲物の船が通りかかるのをプラパッ島近海で選別していたとき、海軍のパトロール艇がその船の動きを封じたということらしい。カメラは高速艇がそこに至るまでの様子を適宜撮影していた。
海軍バタム基地司令官はこの事件について、西洋人ふたりの行為はイミグレーション法・労働法・放送法に抵触するものであり、入国資格を悪用しているのが確実である、と語った。インドネシア人9人については、海賊行為が未遂であるためそれは別にして、通訳を除く8人が凶器を持参していたことは法規に違反するものである、と海軍がかれらを捕らえた法的根拠を説明している。更なる取調べと措置については、西洋人はバタム移民局に、インドネシア人9人はバタム警察に身柄を移管される予定。
マラッカ海峡は従来から航行船舶にとってブラックエリアとして悪名が高く、その原因のひとつである海賊行為の頻発を抑えこむためにインドネシア・マレーシア・シンガポール三国は協力してイメージ改善に努めており、今回のような映画作製はその努力を台無しにするものだ、と基地司令官は憤懣を述べている。
ただ、マラッカ海峡で頻発する海賊行為というのは、船を乗っ取ったり、あるいは船を運び去って積荷をごっそり奪うといった、いわゆる海賊という言葉のイメージとは違い、船にこっそり忍び込んで船内にある金目の品物を盗んでいく窃盗行為がマジョリティを占めている。ホンモノの海賊行為はごくたまにしか起こらない。


「オケケが割腹」(2015年6月8日)
ナイジェリア人オケケ・オーステイン・チュッウマ25歳は2015年5月30日午前6時にジャカルタのスカルノハッタ空港2Dターミナルで入国し、そのまま空港周辺地域にあるアイビスバジェットホテルに投宿した。かれはケニヤのナイロビ空港からインドネシアに向かい、ドゥバイで乗り継いでエミレート航空EK368便でジャカルタへ来たのだ。
スディヤッモ空港自動車道に近いアイビスバジェットホテルの105号室に入ったオケケは、しばらくしてからなんと腹を血で濡らしながらホテルの地下駐車場に駆け下りたのである。ホテル側はすぐに警察に連絡し、緊急出動したパトカーがホテルへやってきた。そのときオケケは地下駐車場にある一台の乗用車の窓ガラスを割ったばかりで、警察がやってきたことに気付いたオケケはその車のスターターを回す余裕もなく、たちまちきびすを返してホテルの外に飛び出して行った。ホテルの表を通っているスディヤッモ自動車専用道を空港に向かって走るオケケを追って、警官数名がその後を走る。そしてオケケの速度が緩み、そのまま自動車道の路上に崩れ落ちた。空港へ向かう車の流れは一部塞がれ、時ならぬ交通渋滞が発生した。
警察はオケケをタングラン県地方総合病院へ運んだが、死は避けられなかった。腹に刃物傷があって内臓に達しているというのに、かれは警察から逃げようとしたのだ。何故なのか?その謎の答えは、警察がホテルのかれの部屋を調べた結果、明らかになった。部屋からは、カプセル入りシャブが三つとガラスの破片が見つかった。そして病院からは、オケケの腸内にカプセル入りシャブが8個見つかったとの連絡があった。
それらの事実から警察は、オケケはナイジェリア麻薬シンジケートの一員であり、呑みこんでいたシャブを発見されずにスカルノハッタでの入国を終えてホテルに投宿したものの、部屋でシャブを取り出そうとしたがうまくいかず、結局自分の腸を割いて取り出そうとしたあげくこの結末に至ったもの、と事件の流れを推定している。普通かれらは、空港から出てくるとすぐにシンジケートの仲間に出迎えられてそのまま現地シンジケートの庇護下に入るものだが、出迎え人が来なかったのかあるいは接触に失敗したのか不明だが、どうやらオケケはパニック心理状態に陥って奇矯な行動を採ったのではないか、と警察は見ている。重傷のオケケが車を盗んで向かおうとした仲間がどこのだれなのか、警察の仕事はまだ終わらない。


「ガルーダ航空機内で爆発」(2015年8月26日)
2015年8月22日のメルボルン発ジャカルタ行きGA717便が飛行中、機内で爆発が起こった。エアバス330−200型機の機内はたちまちパニック状態になる。爆発が起こったのは機体中央部のパントリーだった。たまたまそこにいたスチュワーデス一名が顔面に深い傷を負い、たくさんの機内食が床一面に飛び散っているだけで、火災も、ましてや機体に穴もあいておらず、しかも機の運航には何の影響も出ないで順調に飛行していることが乗客たちを安心させた。スチュワーデスの負傷は、乗客の中にいた医師ふたりが応急手当てを行い、機内も徐々に落ち着きを取り戻していった。
機長は爆発の状況を見に来たあと、飛行への影響は皆無と判断し、ジャカルタへの飛行を続けて定刻にスカルノハッタ空港に降り立った。到着後、ガルーダ航空技術陣が事故状況を検証した。既に報告されているように、爆発したのはパントリーの機内食カートの間にあるワインチラーで、爆発の結果その扉が吹き飛んでスチュワーデスの顔面を襲ったようだ。報告には、電流がショートしたためではないか、という推測が記されていたが、技術陣は正確な原因を見つけ出すためにもう少し時間が必要だと述べている。
航空評論家ゲリー・スジャッマン氏は、電流のショートなどではあるまい、と語る。「電流のショートだと、火が出る。あそこに火の形跡はなかった。起こったのは、設備が弾け飛んだことだ。つまり、たいへんな高圧がかかってそれが起こったように思える。ワインチラーの中がたいへんな高圧になったのではないか?となれば、ドライアイスの可能性が考えられる。ドライアイスは固体二酸化炭素であり、マイナス78.5℃という氷よりも冷たい温度であるため、利用価値は大きい。そのドライアイスに水や結露がかかると、ドライアイスは温められて気化する。それが密閉された容器の中で起これば、容器内の圧力はたいへんに高まる。密閉された容器のふたを弾き飛ばすようなことも起こりうる。機内でドライアイスを扱う人間は、そのような知識を持っていなければならない。少なくとも、ワインチラーの中に置くのであれば、プラスチックなどの容器に入れて、水が絶対にかからないような工夫が必要だろう。キャビンクルーやケータリングスタッフにそのような教育は行なわれているのだろうか?キャビンクルーはドライアイスを頻繁に取扱っているアイスクリーム屋ではないのだ。
もし、上の仮定が当たっているのであるなら、今回の事件は航空安全問題よりもむしろ労働安全問題の色合いが濃厚だ。空運産業はドライアイスを危険物に区分しているが、機内持ち込みは許されている。その種のものは、取扱いが的確になされなければならない。危険物は危険物なのであり、それの取扱いが的確にできることを前提として機内に持ち込めるのだということを忘れてはならない。機内に持ち込める危険物全般について、見直しがなされる必要があるのではないか?労働安全問題という切り口からの見直しが。」
インドネシアの日常生活で一般庶民は日本ほど頻繁にドライアイスに接触するわけではない。かれらの日常で使われる冷凍剤はまだまだ水で作った氷が普通だ。だからドライアイスを機内で扱うのであれば、それに関する知識をキャビンクルーに持たせる必要があるのは間違いないだろう。


「強盗の新手口」(2015年8月31日)
強盗の手口も日進月歩。かれらはいかにターゲットを罠に陥れてわが術中のものとし、被害者を逃げられなくして成果をあげるかということに知恵を絞っている。結局最後は力ずくとなるにしても、その最後のシーンにいかにしてターゲットを引きずり込んでいくか、という知恵比べの要素がそこに出現する。暴力だけで強盗が成立していた時代の犯罪者は力と度胸さえあればよかったのだろうが、強盗はしたいし度胸もあるが、暴力の能力については今ひとつ、という悪人が増えているということなのだろうか?。
8月17日午前1時半、リアウ州カンパル県タプン郡パンタイチュルミン村民家の表で騒ぎがあり、「助けてくれ」という声が聞こえたので家の主人が外へ出たところ、表にいた連中は強盗に早変わりして屋内に乱入し、家人らを威嚇して邸内の金目の物を奪い逃走した。
8月4日にブカシ市内で起こった事件では、別の新しい手口が使われている。エリカノさん34歳は8月2日に市内ハジアスワン通りでIMO携帯電話器を一個拾った。すると翌日、その携帯電話器に電話がかかってきた。「自分はあなたが持っているその携帯電話の持ち主で、是非返して欲しい。多少のお礼はします。」と電話の主は言う。そして、深夜の午前3時に市内ハジアスワン通りの多目的広場で会おうという約束をして電話は切れた。
善意のエリカノさんは約束を守って、ひと気のない深夜の多目的広場を訪れた。すると大勢の怪しげな男たちがかれに近寄ってきたではないか。数えると12人もいる。中の一人が「エリカノさんかね?携帯を返してもらおう。」と言う。携帯電話を返すと、男たちがいきなりかれに襲い掛かってきた。多勢に無勢ではなすすべもない。
十分に痛めつけたあと、12人はエリカノさんが乗ってきたオートバイとかれが持っていたブラックベリーや財布を奪ってからそこを去って行った。携帯電話で携帯電話が釣られたようなものだ。警察はこの事件を捜査し、5人を翌日逮捕した。27歳のオートバイ強奪前科者と19歳の暴力行為前科者、そして16歳の未成年者3人だ。あとの7人も追跡中。
被害者はいずれも善意で犯人が仕掛けた罠に落ちている。人間好きのインドネシア社会も、徐々に変容せざるを得ないのかもしれない。


「ジャカルタの新たな不安」(2015年9月10日)
まだ若い父母にとって、これから自分たち家族が築いていく人生の一角を占めるべき幼い子供が突然姿を消すことは、悲惨で、それ以上に悔しいことであるにちがいない。ジャカルタで最近多発している子供誘拐は、営利目的のケースがあまりない。つまり、親が金持ちであるかどうかを誘拐者は問題にしておらず、それだけに、経済階層がどれであれ、都民は一様にその危険にさらされているということが言えると思われる。
2015年7月に発生した6歳女児の誘拐事件では、たまたま犯人が女児の手を引いて連れ去る様子が防犯カメラに撮影されており、そのシーンがマスコミで報道されたために犯人は女児をタクシーに乗せて自宅に送り返してきた。それで事件がなかったことになるわけでもあるまいが、被害者が出なかったことが警察の追及の手を緩めさせると見た犯人の思惑は果たして当たったかどうか?
更に、8月にはボゴール県チブブルのレゲンダウィサタ住宅地で奇妙な事件も起こっている。そのとき小学校4年生(11歳)男児は母親と一緒にモスクへ行った。用足しをする間、母親は子供をモスクの前で待たせた。母親が戻ってきたとき、子供はモスクの前から姿を消していた。母親は必死で子供を探し回り、同情した周囲の人間が手伝った結果、およそ40分後に子供はモスクからあまり離れていない場所で見つかった。奇妙なのは、子供の身体に暴力がふるわれており、しかも子供は酩酊して自分が誰に何をされたのかはっきり自覚していないという状況だったのである。警察の調べの結果、子供は大麻抽出物を飲まされて酩酊していたことが明らかになっている。犯人の動機や意図などはまるで闇の中だ。
それら報道ネタとなる奇妙な事件とは別に、児童保護国家コミッションによれば2015年7月には子供が姿を消した事件が全国で40件発生している。2013年の年間111件は2014年に196件に増え、2015年は更にそれをオーバーしそうな勢いだ。
ただし、営利誘拐や復讐のために子供を奪う誘拐、あるいは経済的利益を目的に子供を人身売買しようとして誘拐するというような犯罪と並んで、離婚した夫婦の子供争奪が混じっている。そのようなケースが子供誘拐事件として官憲に届け出られ、誘拐事件としてカウントされているというわけだ。
コンパス紙R&Dが2015年6月29〜30日に17歳以上のジャカルタ住民526人に対して電話インタビューを行なった。多発している子供誘拐事件に関する都民の意識調査が目的だ。
質問1.過去6ヶ月間に起こった子供誘拐事件に鑑みて、既に猶予ならない段階になっていると思いますか?
回答1.思う93.5%、思わない5.7%
質問2.子供の安全を確保するための治安体制は十分だと思いますか?
回答2.思う18.4%、思わない77.9%、
質問3.子供を誘拐から守るために、どうするべきですか?
回答3.
子供の他人との接触を監視する30.0%
他人に誘われても断る勇気を持たせるよう、幼児期から子供に躾ける23.8%
学校や塾での生徒の監視強化20.2%
常に子供とコミュニケーションをとるよう努める11.6%
隣近所や地域で子供保護に対する関心を高める8.0%
子供を他人に委ねない6.1%
回答者の中には、子供誘拐対策を励行しているひとたちが少なくない。知らないひとが子供をどこかに行こうと誘ったとき、それを断ること。プレゼントをくれたり、何かを買ってあげようというような場合は、必ず親の許しを得てからにすること。家に見知らぬ人が来て家の中に入ろうとしたとき、子供だけでそれを許すようなことをしてはいけない。家の外へ出るときは、必ず身内の大人と一緒に行動すること。キッズトラッカーウオッチを子供の腕に装着させている親もいる。子供の居場所がグーグルマップで確認でき、また子供との通信も行なうことができる。


「単身女性殺害事件」(2015年9月14・15日)
南ジャカルタ市カサブランカ通りに面したスーパーブロック「コタカサブランカ」は2012年8月にオープンした。その一角を占めるコンドミニアム「カサグランデレジデンス」で住人の変死体が発見されたのである。
2015年9月7日朝、コンドミニアム10階2号室の住人、日本人女性28歳を東ジャカルタ市プロガドンにある日系企業オフィスに送るために社用車が到着したが、いつも6時20分にはロビーで車を待っている女性の姿がない。待てども待てども女性は姿を現さないので、運転手は仕方なく車を駐車してからロビーに入り、女性の部屋に連絡するようリセプションに頼んだ。ところが、いつまで経っても応答がない。運転手はコンドミニアムスタッフに部屋の様子を見に行くよう依頼し、警備員と管理者が運転手と一緒に部屋を訪れた。応答がないため合鍵で扉を開いたところ、ベッドの上に腐乱が始まった女性の遺体が仰向けに横たわっているのに驚かされた。時ならぬパニックが午前9時の冷めたく華やかな高級マンションを襲った。
連絡を受けた南ジャカルタ市警トゥブッ署が遺体と室内を調べ、遺体は運び出されて検死のために中央ジャカルタ市スネンのチプトマグンクスモ病院に送られた。変死体は検死解剖が行われて死因を確認することが定められているが、遺族にそれを拒否する権利もある。
警察が公表した調査結果では、「女性の喉に首を絞められた形跡があるが身体に目立った外傷はなく、下着姿でベッドの上に横たわり、毛布で足から頭まで全身が覆われていた。室内にも浴室にも血痕はなかった。遺体は死後数日が経過している模様。室内は荒らされておらず、携帯電話と部屋の鍵が見当たらなかった。他に無くなったものがある可能性もある。」と述べられている。警察は調査の中で、室内から中味が5〜6本残っているタバコの箱を見つけている。被害者女性が総務経理マネージャーを務めている日系企業は、かの女がタバコを吸わないことを証言しており、殺人事件ではないかとの印象を警察は強めた。
警察はまた、コンドミニアムロビーの監視カメラ映像を分析し、被害者女性が9月4日夜に帰宅して部屋に向かい、またすぐにロビーに降りてきて、身体つきのがっしりした男性とふたりでエレベータに乗った事実をつかみ、それ以後かの女の映像がまったくないことから、犯行日時と容疑者を特定した。当初、警察の発表は身体つきのがっしりしたミステリアスな男性という表現を使っていたが、そのとき警察は既に犯人はカサグランデレジデンスの警備員であることを確信していたようだ。警察は、9月4日夜に職場から姿をくらましたカサグランデ警備員ムルサリム25歳を追った。ムルサリムは一年ほど前からそこで夜勤警備員の職に就いていた。
女性の社用車運転手53歳の話では、普段は会社のスタッフと一緒にクラパガディンで夕食を摂ってから帰宅しているが、9月4日の夜は西ジャカルタ市のタマンアングレッモールでマレーシア人女性の友人と会い、23時半ごろカサグランデに送ったのがかの女を見た最後だったそうだ。普段から土日に車の用を言い付かることはあまりなく、月曜の出勤時間まで異変があったことを知る機会がなかった。かの女を乗せているときに言葉をかけても、日本語で返事がかえってくることが多く、意思疎通があまりできなかったというようなことを運転手は語っている。
ムルサリムは東ジャカルタ市チラチャスで妻と暮らしている。ところが捜査班がその家を訪れたとき、ムルサリムの姿は無かった、妻の証言からムルサリムが両親と一緒に故郷のランプン州タンガムスに向かったことを知った捜査員はすぐに本部に報告し、本部からランプン州警察に連絡が飛んだ。捜査員はその家で、被害者女性の携帯電話やムルサリムが妻に渡した9百万ルピアの現金を証拠品として押収している。そのルピアは被害者女性の部屋から盗んだ日本円をマネーチェンジャーで両替したものだった。
ムルサリム逮捕のためにランプンに飛んだ首都警察機動捜査班はランプン州警察の協力を得て、9月10日に両親と一緒にバスに乗っているムルサリムをランプン州プリンセウで押さえた。ムルサリムは逃げようとしてバスから飛び降りたが、捜査員の銃弾を左ふくらはぎに受けておとなしくなった。ムルサリムはその場から即座にジャカルタに連行された。
11日から始められた取調べでムルサリムは、金目当ての計画的犯行を単独で行なったことを自供した。ムルサリムの供述内容はこうなっている。
およそ三ヶ月ほど前にコンドミニアムの10階に入居した日本人女性の日常行動をムルサリムは最初、どうということもなく見ていた。出勤日は朝6時過ぎに会社から迎えの車がやってきて、夜7時〜8時ごろに帰ってくる。そして、コンドでの生活を見ているかぎり、男の気配がまったくない。「これは楽な獲物だ」という意識がかれの胸中に湧いてきたのはいつのことなのだろうか?
コンドの室内でふたりきりになれば、簡単に息の根を止められる。そしてこの女が持っているたくさんの外貨を自分のモノにできる。外貨はどんどん値上がりしており、時期もちょうどよい。そんなおり、故郷のランプン州タンガムスから両親がやってきた。金を無心に来た両親の期待に応えるのが親孝行だ。しかし、警備員の薄給でムルサリムにそんな経済的余裕はない。そうだ、コンドミニアムのあの女だ。
ムルサリムは方策を練った。あの女の室内でふたりだけになるにはどうすればよいのか?そしてムルサリムが考え付いたのが、部屋の扉の鍵穴に細工をすること。あの女が仕事から帰ってくるのは常に夜だ。そしてそのとき、自分はロビーにいる。部屋に入れなければ、かの女はロビーに降りてきて扉を開くように要求するだろう。そのとき、自分が助力を買って出る。こうすれば、必ず目的が達成できる。
ムルサリムはその週二回、扉の鍵穴に紙を挿し込んだ。一回目は予想通りに運んだ。女性はロビーに降りてきてリセプションに苦情し、近くに居たムルサリムが助力を申し出て扉を開いた。しかし、そのときはまだ決行せず、様子見で終わった。二回目は、強く挿し込みすぎたようだ。ムルサリムの腕では開くことができず、コンドミニアムの技術者が出てきてやっと解決した。これでは決行は無理だ。そして9月4日、いよいよ決行の夜が来た。女性の帰宅は深夜だった。かの女はロビーに降りてくると、直接ムルサリムに助力を依頼した。
扉を開いて女性を中に入れたムルサリムは、自分も室内に入ると扉を閉めてロックし、室内の灯りを消した。暗闇の中で叫び声と格闘の音が響き、すべてが終わった。ムルサリムは頭からの出血で濡れた女性の衣服を脱がし、衣服はビニール袋に入れ、絶命した下着姿の女性をベッドに寝かせると、全身をすっぽりと毛布で覆った。そして、女性が持っていた携帯電話器と現金7百万ルピア、そして1千9百万ルピア相当の外貨を奪って、コンドミニアムから密かに姿を消した。
この事件は決してジャカルタの治安が悪いことを証明するものではない。金品を奪うために他人の生命をいとも簡単に破壊するという生命軽視観念に強く覆われている社会であることこそがそこに証明されているのだとわたしは見る。それが社会の中を歴然と流れているのは、財貨を奪うことを目的にして計画的殺人を行なったムルサリムに対して死刑を求刑しようと首都警察が構えていることからも窺える。
もうひとつ、東南アジアや南アジアあるいは中東を単身で訪れる女性の多くが忘れているものを指摘しておきたい。それは、身辺に男の影を漂わせておくこと。女性は男性に所有されて所有者に保護される、という女性観がいまだに強く残っている社会で、保護者のいない単身女性をその地の男たちがどのように見なしどのように扱うか、ということを念頭から外してはならないとわたしは思う。


「ある囚人の脱獄」(2015年9月16日)
西ジャカルタ市チュンカレンのカンプンアンボンはナルコバ地区として警察がマークしており、麻薬捜査員が頻繁に捜査活動を行なっていた。2014年10月に手入れが行なわれたとき、ソフィヤン37歳はカンプンアンボンにいて、シャブ四分の一グラムを40万ルピアで売人から買っていた。逮捕されたソフィヤンは12月に開かれた裁判で5年3ヶ月の拘留を言い渡され、サレンバ拘置所に入獄した。
2015年4月7日早朝、かれは拘置所の受刑者仲間たちと一緒にスブの礼拝のために拘置所内モスクに向かった。みんなはモスクでまずウドゥの場に向かったが、ソフィヤンはその中に混じらず、そこから離れて近くのパイプ工事現場に向かった。モスクの近くで給水パイプ工事が行なわれており、建物上部に水を送るために直径20センチのパイプが設置されている。ソフィヤンはそこをよじ登って拘置所の梁を目指し、誰にも見つからないで拘置所キャンティンの屋根に出ると、そこから拘置所の塀の外を通っている道路に飛び降りた。脱獄だ。そして暗闇に身を隠しながら、北ジャカルタ市バンドゥガンの陋屋を目指した。かれの兄がそこに住んでいる。
兄から5万ルピアを借りたソフィヤンは、州間長距離バスで中部ジャワ州プルウォクルトの自宅に向かった。そこには妻イスティ22歳が祖母と一緒に暮らしている。孤児である妻が妊娠してたいへんな時期にソフィヤンは逮捕され、長期の入獄を命じられたのだ。ソフィヤンがサレンバ拘置所にいる間も、イスティは頻繁に電話してきて、「早く帰ってきてお産を手伝ってよ」とかれをかき口説いた。4月6日にイスティが電話してきたとき、「もう産まれそうだけど、お金が無いから医者に行けないので、ベッドで寝ているだけなの。」とソフィヤンに語った。それがソフィヤンに脱獄の決心をさせた。
4月7日にソフィヤンがプルウォクルトの家に着いたとき、イスティはベッドの上でぐったりしており、その傍らに男の赤児が全身を動かしながら泣き声をあげていた。産まれてから三時間が経過していた。ソフィヤンはわが息子をムハンマッ・ナスウィルと命名した。
ソフィヤンはそれからの4ヶ月間、妻とわが子の傍らでかれらを見守り、その世話をした。そして妻が体力を取り戻すと、ふたたびジャカルタに稼ぎを求めて上京した。兄の居所に居候して、二輪車整備の仕事をした。と言っても、客はその隣近所の住人だけだったのだが。
しかし、インドネシアの警察とて脱獄犯を放置しておくほど悠長ではない。西ジャカルタ市警タンボラ署捜査員10人にソフィヤン逮捕チーム編成が命じられ、4月の脱獄犯捜査逮捕の動きが始まったのが6月のこと。ソフィヤンがターゲットにされる順番が回ってきたということだ。
9月1日、北ジャカルタ市バンドゥガンのソフィヤンの兄の家を目つきの鋭い男たちが取巻いた。午前9時、ソフィヤンがマンディを終えて家に戻ってきたとき、男たちがかれを出迎えた。ソフィヤンの手には手錠がかけられ、かれは男たちにはさまれて覆面パトカーの中に入り、タンボラ署に連行された。
タンボラ署はサレンバ拘置所に囚人を引き取りに来るよう連絡した。脱獄して出戻ってきた囚人には刑期が追加され、また恩赦を受ける権利が剥奪される。かれが刑期を終えて妻子のもとに戻ったとき、息子はきっと大きくなっていることだろう。
そのソフィヤンのストーリーを耳にした犯罪心理学者が「かれは父親の鑑だ」と絶賛した。「ソフィヤンはきっと、家族を心から愛してその保護と福祉に努力した父親の姿を見て育ったにちがいない。理想的な父親の役割モデルをわれわれはソフィヤンの姿の中に見出すことができる。妻と産まれてくる子供のために身体を張って脱獄したことは、かれがその父親から植え付けられた家族愛のたまものであり、貧困がソフィヤンの人生を混乱と紛糾の中に落とし込んだにも関わらず、その家族愛が厳しい生活苦にもめげずにひとりの男の心中に生き残っていることが証明された。これは素晴らしいことだ。」
こんなコメントが世の中に出されてくること、きっとこれがインドネシアなのだろう。


「息子が家業を継ぐ」(2015年9月25日)
2015年9月17日夜、ボゴール県チルンシで逮捕劇があった。首都警察ブカシコタ署捜査班が強盗犯三人を逮捕したのだ。首領格の男43歳は逃走しようとしたため、足に銃弾を撃ち込まれて走れなくなった。この一味はブカシ市内をメインにしてパンク強盗を過去二年間に13回行なっていた。
一味の手口は、まず首領格の男が銀行客を装って銀行内ロビーに入り、大量の現金を引き出した銀行客をマークする。そして手下に連絡して、その銀行客が乗ってきた車のタイヤの空気を抜かせる。銀行客はしばらく走ってからタイヤがパンクしていることに気付き、車を道路脇に停めてタイヤをチェックする。一味はオートバイでそこに近付き、隙を見て車内に置いてある現金入りバッグを奪って逃走する。
この一味の首領格の男の手下ふたりは、まだ20歳と21歳の若者で、おまけに20歳の若者はその首領格の男の実の息子だった。かれらは刑務所に入るだろうが、刑務所内で犯罪道の諸先輩の薫陶下に道を究め、刑期を終えれば数段上の達人となって元の家業に舞い戻るのがインドネシアでは一般的な姿だ。
別件で、9月20日午前1時半、西ジャカルタ市警タンジュンドゥレン署は駐車している四輪車のサイドミラーを常習的に盗んでいた三人組を西ジャカルタ市グロゴルプタンブランのジュランバルバル通りで一網打尽にした。
かれらは2015年6月から9月までの間に中央ジャカルタ市と西ジャカルタ市で45回犯行を行なったことを自供した。「盗む」と言っても、折り取るほうが早ければ破壊するのにやぶさかではない。盗んだサイドミラーはクブンジュルッの廃品市場の故買屋に一個25万ルピアで売り渡し、得た金はかれらの日々の出費の資金となっていた。この一味は首領格が19歳、仲間は16歳と15歳の少年三人組。2002年法律第23号「児童保護法」の施行が徹底されるようになってから、少年犯罪者が法廷を経て少年刑務所に服役させられる例はたいへん少なくなり、犯罪少年たちは親の監督下に戻されることが一般化している。
オルバ期後半の時代、交通渋滞が発生するとサイドミラー泥棒が出現した。かれらがメインターゲットにしたのはベンツ車のサイドミラーで、ベンツ車はあらゆる部品からメカニックの作業料金までが日本車よりも高いことがその理由だった。他のヨーロッパ車も同じ傾向下にあったから、狙われる確率は日本車より高かった。かと言って、トヨタキジャンでさえ、郊外の田舎道の道路脇に置いたまましばらく目を離し、そこへ戻ってきたらサイドミラーが消えていたこともあるし、トヨタセダン車のホイールカバーが消滅したこともある。
交通渋滞が起こると、どこからか怪しげな青年あるいは少年が出現して渋滞車両の間を縫って徘徊する。そしてベンツの脇を通り過ぎざま、サイドミラーを折り取るのである。運転者が騒ぐと、かれらは建物の方角に走って逃げる。普通の運転者は車を路上に放置してまで追いかけてこないことをかれらは知っているのだ。
サイドミラー強奪が行なわれなくなったのは、昨今のジャカルタの路上では交通渋滞が起こると交通警官が大勢出てくるようになったのが原因だろう。たとえサイドミラー泥棒でも、逃げれば警官が銃を撃つ可能性が高い。どうせ生命を張るのなら、もっと高額なものに張るに決まっているのではあるまいか。


「卓絶的空巣稼業」(2015年10月6日)
北ジャカルタ市クラパガディンにあるガディンニアスアパートメントで空巣事件が頻発した。北ジャカルタ市警クラパガディン署は、この中流層向け大型アパートメントの住人から盗難届けが多数出ているのに気付いていた。ダリアタワー7階の3軒をはじめ、全部で25軒の住人が、頻繁にものが無くなることを訴えていたのである。どの被害者も、ドアはちゃんとロックして出かけたはずだと言い、また被害のあったユニットのロックが外からこじ開けられたり、穴をあけられている形跡もない。おまけに、そのアパートメントのダリアタワーにはセキュリティ確保に不可欠な防犯カメラが設置されていない。
警察はそれらの状況からいくつかの可能性を導いて、そのアパートメントの監視を強化した。そしてついに挙動不審な男が網にかかったのである。捕らえられた男はダリアタワー7階のユニットを借りて住んでいるM35歳だった。
Mの住んでいるユニットを家宅捜索した警察は、ラップトップコンピュータ・携帯電話器・カメラ・腕時計などMがこれまで盗んだ品物およそ30個を発見した。腕時計が21個でもっとも多い。そしてさらに驚くことに、このアパートメントにあるさまざまなユニットのオリジナルキーが150個も発見されたのだ。オリジナルキーを持った空巣は、容易に留守中のユニットに侵入できる。玄関ドアの外でドアロックを解除する作業など行なう必要がない。
警察の取調べに対してMは、一年以上前から空巣稼業に精出していたことを自供した。Mが盗んだ品物の多くは家電品がメインに扱われている廃品パサルの商人に売却し、また盗品を自らオンラインショップでも販売していた。そのようなやり口で、Mは一回空巣仕事をするたびに1千万から1千5百万ルピアの金を手に入れていた。
警察に対してMはまたオリジナルキー獲得手法をも明らかにした。それによれば、Mが住んでいるブロックにこのアパートメントを開発したデベロッパーの管理事務所がある。アパート住人がその管理事務所に出向いて、あれこれと苦情を言ったり、修理を依頼したり、情報を仕入れたり、さまざまな話をしても、それをいぶかしがる者はいない。管理事務所従業員の話によれば、Mはそこへ頻繁にやってくる常連のひとりだったそうだ。そして事務所内で隙を見出すと、Mはその管理事務所で取扱われているユニットのドアキーオリジナルを盗み出していたのである。
つまり、管理事務所の杜撰なユニットキー管理がMの犯行を助けていたという言い方もできるにちがいない。


「果てない盗漁取締り」(2015年10月8日)
フィリピンに隣接するスラウェシ島北部海域で、フィリピン大型漁船が運んできた小型船をインドネシア領海に放ち、小型船は毎日イエローフィンツナ3〜4匹を捕獲して母船に運んでいる。市価では8千万から1億ルピア相当だ。
インドネシア官憲の検問を受けると、小型船乗組員は非インドネシア人だが、インドネシアのKTPを示してこれはインドネシア船だと言い張っている。官憲はそれらの小型船を拿捕し、北スラウェシ州ビトゥンやタフナで発行されたものと推定されるKTPがホンモノか贋造かを調査中。
一方、インドネシア領海内を運航中だったタイの漁船をインドネシア海軍と海洋漁業省合同チームが15年8月12日に拿捕したが、タイ側船主が不当行為であるとして海軍と海洋漁業省を告訴した。インドネシア国内法規では海上での貨物積み換えが禁止され、すべての貨物積み換えは港で行なわなければならないことになっている。ところがタイの漁船は国内漁業会社が行なった違法捕獲漁の獲物を海上で買取り、そのままタイへ運び去ろうとしていたとの容疑で拿捕された。
海洋漁業相にしてみれば、盗人猛々しく反撃してきたということになるのだろう。外国船がインドネシアの領海を通過するのに、インドネシア政府の許可が必要であるのは言うまでもなく、それだけでも違反行為なのだから、今後は領海内で拿捕した不法外国漁船は裁判などしないでその場で撃沈せよ、と海軍に激を飛ばしたそうだ。
ちなみに、2015年1〜9月の不法漁業取締り活動の統計数値が発表されている。この統計では、船籍がどこであるのかは問わず、違法漁業活動に関する取締りが対象とされているようだ。
海洋漁業省: 検問数2,225隻、法執行115隻、沈没措置46隻
水上警察: 検問数2,000隻、法執行250隻、沈没措置7隻
海軍: 検問数1,577隻、法執行143隻、沈没措置45隻
痛快女性海洋漁業相の奮闘はまだまだ続きそうだ。


「いじめ教師は殺してやる!」(2015年10月21日)
私立職業高校生徒F16歳は、台所の包丁を手にすると寝静まった家から忍び出た。2015年10月6日ももう深夜に近い。家からあまり遠くない一軒の家の前で足を止めると、かれは覆面をし、その家の二階にほとんど接している木によじのぼって行った。場所はバンテン州タングラン県パノガン郡ムカルバクティ町カンプンブブラッのサミルン通り。その家はパノガンダルッサラム財団所有の住宅で、その財団が運営する職業高校の教員が住んでいる。Fが通っている私立職業高校というのはその財団が運営しているものだ。
家の二階の扉をだれかがこじ開けようとしているのに気付いたムリヤナ23歳は、すぐに跳ね起きると寝室を出て母親の寝室に入った。女ふたりだけのその家で、強盗の恐怖が住人を襲う。ムリヤナはパノガンダルッサラム職業高校の教員で、同じ学校で教えている母親のトリハルタティ42歳の勧めにしたがい、ふたりして同じ道を歩むようになった。
ムリヤナの寝室のドアが開かれる音が聞こえた。母と娘は背筋が凍りついた気がした。ほどなく、ひたひたと人の足音がトリハルタティの寝室に近付いてくる。そしてドアの前で止まると、ドアがノックされた。ふたりは息を殺し、震えながらベッドの上で抱き合った。ドアにはしっかりと鍵をおろしてある。早く夜が明けてほしい。だが無情にも、時計は0時40分過ぎを指しているのだ。
しかし賊は諦めない。ドアの取っ手を動かしていた賊は、ドアに体当たりしはじめた。次第にドアが緩んでいく。ふたりの女は気が気でないが、何をして良いのかわからず、ただおろおろするばかりだ。
ドアの鍵が破壊されて、取っ手が弾け飛んだ。そして覆面した男がひとり、室内に飛び込んでくると手にした包丁を振るってムリヤナに襲い掛かった。ムリヤナがターゲットにされていたのだ。刃が頭や手に当たって血しぶきが飛ぶ。トリハルタティがそれを止めようとすると、刃がかの女をも襲った。
そのとき、ムリヤナは賊の正体に気付いた。「あんたは一年生のFね?!」
後頭部に5ヶ所の傷を負い、指もほとんどちぎれそうになったムリヤナは床に崩れ落ちる。それを見た賊はきびすを返してその家から逃げ出した。トリハルタティは左側頭部と頭頂部の二ヶ所に切り傷を負っていたが、すぐに隣近所に走って助けを求める。隣人が駆けつけ、ふたりを病院に運んだ。
急報を受けたタングラン県警パノガン署は、まず現場を調べてそれが物取り目的でなかったことを確信した。トリハルタティは賊がムリヤナの教え子であるFのように思われると警察に証言した。ムリヤナは重傷のため証言を得ることができない。
警察は学校側と連絡を取り、夜明け前には容疑者の筆頭にあがったFの自宅を訪れて、重要参考人として連行した。Fは犯行をそのとき、既に自供している。
警察の取調べに対してFは犯行の動機を、教師に対する恨みと憎しみだと語った。「遅刻すると自分には特に厳しく叱り、授業の中で理解が悪いといっては叱る。大勢の級友たちの目の前で恥ずかしい思いを何度も味あわされた。体操服の金は全額払い込んだのに、体操服をもらおうとしても、いつまでもくれない。そして中間テストの日程さえ、教えてくれない。」
Fは明るいやつだったが、しばらく前に父親が亡くなってからあまり口をきかなくなり、性格が暗くなった、と話す級友がいた。学校側も、Fはふだんから口数の少ない不活発な生徒だったが、決して素行のよくない問題児ではなかった、とコメントしている。警察はこの事件を、未成年による計画的殺人未遂として処理する方針のようだ。


「乗合車内で携帯電話機を人目にさらすと・・」(2015年11月18日)
アンコッを稼ぎ場にするその5人の引ったくりグループは、一日25万ルピアのレンタカーを借りて稼ぎを行う優雅な一味だ。四人が客待ち駐車しているアンコッに乗り込み、レンタカーを運転する役の一名はアンコッの進行方向に数百メートル離れて駐車する。アンコッが動き出すと、レンタカーがそのあとを尾行するという仕組みで、仲間がアンコッ乗客の携帯電話機をひったくって車から飛び出すと、レンタカーは仲間を拾って逃走するというのがその一味の手口。被害者はほとんどが女性だ。
2015年10月28日午前9時10分ごろ、西ジャカルタ市ラトゥメテンラヤ通りでアンコッの車内から女性の金切り声があがった。アンコッから飛び出した男を女性が指差す。男は仲間が運転するレンタカーに走りこんだが、路上は渋滞しており、逃げるに逃げられない。路傍の群集がそのレンタカーを取り囲み、中のふたりを引きずり出すと、鉄拳制裁が始まった。35歳と30歳のふたりはボコボコにされてから、その騒動現場にやってきた警官に引き渡された。
5人組の他の三人はどこへ隠れたか、仲間がやられるのを遠目に見ながらゆっくりと姿をくらましたにちがいないが、捕まったふたりは警察にすべてを自供しており、三人の身元はもう判明している。
西ジャカルタ市警タンボラ署長は都民に対し、特に女性はアンコッに乗ったら携帯電話機をバッグに入れて使わないように、と警告を発した。十数年ほど前にそういう時代があり、都バスやアンコッに乗った乗客はみんな携帯電話機を隠すのが常識になっていたのだが、決して安全度が高まったとは思えないのに、いつの間にやら乗り合い車内でみんなが携帯電話機を使うように変化してしまった。どうやら、わたしは臆病者のひとりらしい。


「首都警察の路上犯罪撲滅方針」(2015年12月3日)
2015年11月21日(土)16時半、南ジャカルタ市ルバッブルスのカルフルに近い場所にある歩道橋を渡っていた23歳の女性会社員がレイプされた。
夕方、帰宅の途上にあったこの女性が歩道橋を渡っていると、背の高い男がひとり近寄ってきた。男はいきなり女性の身体を引き寄せて首を絞め、金目の物を渡せと要求した。女性が20万ルピアとアイフォン5を男に渡すと、男は女性をレイプしてから立ち去った。
事件発生の通報で警察が出動し、捜査活動が開始された。中でも、歩道橋の周辺で商売している物売りたちから目撃証言を集めることが、犯人割出しに効果的だ。物売りたちはこれまでも、その犯人が何度も歩道橋の上で犯罪行為を行っているのを目にしていたが、警察に届け出ることは後難を恐れてだれもしなかった。犯人がその歩道橋を常習犯罪の場所にしていることが判明したため、警察はその地区にたむろしている怪しいと思われる男たちの写真を隠し撮りし、何枚もの写真を被害者に見せた。被害者はその中のひとりを示して「この男です」と言った。
その男は29歳の前科者だった。暴力行為と虐待の罪で一年間の入獄判決を受け、2014年11月に娑婆に復帰してきた人間だ。そして、バスターミナルでバスの入出時間を記録する仕事をしながら、その地区のゴロツキのひとりになり、他人から金品を脅し取る渡世をしていた。
11月27日、首都警察機動捜査班は犯人逮捕の動きにかかった。犯人は西ジャカルタ市スリピ地区にいるとの情報を得た捜査班は現場に向かう。警察の追っ手がかかったことを知った犯人はオートバイで逃走をくわだてた。逃してなるものか、と機動捜査班が追跡する。真昼間の街中で追跡ドラマが展開された。
犯人は南ジャカルタ市ウィジャヤ地区まで来て、ついに行く手をはばまれ、警察の包囲下に落ちた。手錠をはめようと包囲網を詰めてくる機動捜査員に向かって、男は鉈をふるって抵抗した。結末は、焼けた鉛玉による決着だった。警察は犯人を路上で射殺したのだ。
首都ジャカルタの路上犯罪は、何十年も前から同じレベルが持続している。首都警察は数週間前に、路上犯罪者に対して宣戦布告した。公共スペースと公共施設での犯罪抑止と安全確保が現在首都警察の優先課題となっており、都民がさまざまな活動を行う公共空間で都民の安全を脅かす犯罪者に容赦することはならず、かれらに厳格な対応措置を採る方針が定まっている。今回射殺された男も、公共空間で強盗とレイプという野蛮な犯行を行ったのだ、と首都警察スポークスマンは強調した。そして野蛮な路上犯罪者は警察の厳格な措置を受けたのだった。


「電車内でスリの被害に」(2015年12月4日)
2015年5月18日付けコンパス紙への投書"Masih Ada Copet di Kereta Komuter"から
拝啓、編集部殿。2015年5月5日朝、わたしは首都圏コミューターライン電車を使ってオフィスへ行きました。南ジャカルタ市トゥブッ地区のオフィスを目指して、7時40分にポンドッランジ駅から電車に乗りました。切符売場窓口係員によると、わたしはタナアバン駅で乗換えしなければなりません。タナアバンで3番線のマンガライ行きに移るのだそうです。やってきた電車の車両は、勤め人で立錐の余地もないありさまでした。
タナアバン駅に着いて8時10分のマンガライ行きに乗換えてから、災難が訪れました。カレッ駅に電車が着いたとき、ズボンの前ポケットから携帯電話がなくなっていることにわたしは気付いたのです。そのときわたしは、ポケット部分はぴっちりしていてあまり余裕のないペンシルジーンズをはいていたというのに。
わたしはオフィスへと急ぎ、オフィスからわたしの携帯電話番号に電話しました。スリがわたしの電話に出たら、何十万ルピアか払って買い戻す交渉をし、絶対にそれを取りかえそうと考えたからです。結果は、ゼロ!わたしの電話番号はウンともスンとも言いません。つまり、わたしのSIMカードはきっともうどこかに捨てられたのでしょう。
コミューター電車にわたしは猛烈な失望を味わいました。イグナシウス・ジョナン氏に始まる国鉄経営陣の事業体質改善はスリを完璧に閉め出していると思ったのですが。
ところが電車を使った初日にトラウマに見舞われたわたしは、コミューター電車を利用する気を完全に失ってしまいました。サービス改善・車両若返り・クリーンな駅構内などがいったい何の役に立つというのでしょうか?電車に乗っている間、安全感を脅かされ続けるのであれば。[ バンテン州南タングラン市チプタッ在住、アリ・アウリア・ラフマン ]
2015年5月29日付けコンパス紙に掲載された国鉄からの回答
拝啓、編集部殿。5月5日にジャボデタベッコミューターラインを利用されて不快なできごとに遭遇されたアリ・アウリア・ラフマンさんにまずお詫び申し上げます。
国鉄と国鉄ジャボデタベッコミューターラインはサービス向上に真剣に取り組んでおり、乗客の安全感を高めることもその重要なポイントのひとつです。鉄道保安の予測と実践を国鉄は毎日ルーチンで行なっています。列車内がすし詰め状態でなく、巡回が可能である場合、保安担当者が必ず列車内を巡回しております。もちろん、車内がすし詰めになる朝夕の通勤時間帯にそれを行なうは困難です。そのため、わたしどもは乗客の皆さんに、ご自分の持ち物に警戒していただくよう、呼びかけております。
列車内や駅構内でのスリ犯罪に関しては、2015年は今日までに23人のスリ実行犯を逮捕しています。2014年は年間で14人しか逮捕できなかったのに較べれば、保安活動の成果が上がっていると言うことができます。
スリの動ける余地を狭めて乗客の安全を高めている効果がその成果につながっているのです。スリの逮捕は現場での鉄道保安担当者の的確な対応と乗客の皆さんのご協力のたまものであります。逮捕したスリは国鉄がそのデータを記録してから、最寄の鉄道駅を所轄地区にする警察署に引き渡します。
ところが、すべてのスリの被害者が警察に被害届を出すわけでもありません。そのようなケースでは、鉄道保安担当者が逮捕したスリに国鉄は社会制裁を与えることにしております。利用者の多い、人通り繁華な駅にスリを懲らしめのために立たせて、赤恥をかかせるのです。
捕まったスリが釈放されてから、また犯行を繰り返す問題に対して、国鉄は私服鉄道保安担当者を車内の乗客の中に混ぜて、保安活動を行なわせております。[ 国鉄コミュータージャボデタベッ企業広報課長、エファ・ハイルニサ ]


「無法が横行するバタムの海」(2015年12月9日)
バタム島をはじめとするリアウ島嶼州は食糧生産があまりないため、他州からの供給に頼っている。しかし全国的に食糧生産が一年中平均的になされているわけでもなく、供給量が変動するため消費者価格も上下する。そんなとき、隣国から密輸入することで大きな利益を得る状況が出現することもある。そんな状況を活用しようとするインドネシア人は必ず出現するものだ。
ジョコ・ウィドド大統領は、国内産業の健全な発展のために国内市場を荒らす不法輸入品を撲滅せよ、と宣戦布告した。おのずと、リアウ島嶼州税関総局地方事務所は、海上パトロールに力を入れることになる。リアウ島嶼州は一衣帯水の間にシンガポールを臨み、更にその向こう側にはマレーシアがある、という国境地域だ。そして工業地帯として巨大な胃袋を持つバタム島には、密輸入品が頻繁に入ってくる。
2015年11月3日夜、税関総局高速パトロール艇は、闇に紛れてバタム島センクアン岬の埠頭に近づきつつある民間船舶に不審を抱き、臨検するために停止を命じて接近した。しかしその船ワヒユ5号は命令を無視して進行を続ける。パトロール艇が接近すると船の乗組員たちはビン詰め飲用水をはじめとして、ありとあらゆる物品をパトロール艇に向けて投げつけてきた。税関捜査官の中に負傷者が出る。ワヒユ5号の船上は騒乱状態で、銃撃音まで聞こえた。さらに、パトロール艇に乗り移ろうとする動きを示す男たちもいる。まるで海賊船映画の一シーンのようだ。
税関捜査官は規定通り警告射撃を発したものの、ワヒユ5号は怖れもしない。パトロール艇への襲撃が始まりそうになったため、射撃の的を人間に移した。仲間のひとりが脚を撃たれたのを目の当たりにしたワヒユ5号は、おとなしくなった。しかし埠頭に集まっている群衆は、ワヒユ5号を乗っ取り、パトロール艇を攻撃しようという意図をあからさまに示している。
埠頭に集まっている群衆というのは普通、密輸入品オーナーに命じられて貨物を船からトラックに移す仕事をするため船の到着を待ち受けているやくざ者たちであり、密輸入品が積み込まれたトラックは密輸入品を隠匿するために指定された倉庫に向かう。
税関からの連絡で警察が出動し、埠頭にいる群衆を追い散らした。事態は収拾され、パトロール艇はワヒユ5号を連行してカリムン島の税関専用埠頭に向かう。船内の検査と船長以下主要乗組員の取調べがそのあとに続く。ワヒユ5号の船内からは、100トンの米と砂糖50トンが発見された。
密輸の取締り活動を行う税関パトロール艇に密輸船が攻撃してきた事件は15年10月にも起こっている。バタム島海域で接近してくるパトロール艇にスルヤプラタマ号とチトラ号が攻撃を仕掛けてきた。更に、バタム島からその二隻を救出するために群衆が船で現場に乗り出してくるという噂が流れたため、税関側もほかのパトロール艇を現場に送ってそれに対抗させようとした。結局、密輸入品奪還部隊が陸地からやってくる事態は起こらず、二隻の密輸入船はカリムンの税関専用埠頭に連行された。


「百台以上の盗品車両を押収」(2015年12月16日)
2015年11月第二週から12月第一週までのひと月間に、首都警察は7つの四輪自動車窃盗グループを摘発し、14人を逮捕した。そして、犯人らの自供をもとに多数の場所で押収した車両台数は100台を超えた。窃盗の手口はさまざまで、タイヤの空気を抜くものから駐車場にあるものを盗み出すものなどいくつかの手段が使われ、自動車書類とナンバープレートの偽造は当然のごとく行われている。警察は盗難防止にエキストラロックが不可欠であることを強調した。
警察は13の窃盗グループを発見しており、それぞれのグループのボスは別々の人間だが、メンバーの中にはあちこちのグループに顔を出して仕事している者がいる、と首都警察自動車第4次局長は語っている。残る6グループの内容を洗い出し、メンバー容疑者を逮捕し、またかれらがストックしている盗品車両を押収する仕事が残されている。警察は既に、もう20〜30台の盗品車両の存在をほぼ突き止めている。
それぞれの車両窃盗グループは、盗みの実行部隊、盗んだ車両のアイデンティティを隠滅する担当、故買屋という仕事の分担がなされ、故買屋は盗品車両の販売を担当する。自動車書類偽造屋へのオーダーから購入者探しと商談などが仕事だ。
故買屋は盗品車両を保管し、同時に購入者に見せる展示の場を用意しなければならない。だから、借家・店舗住宅・ビルさらには農地や空き地などを必然的に持っている。特に、首都圏で盗んだものは、他の都市へ持って行くほうが発見されにくい。だから、ジャワ島内の地方都市からスマトラ島の都市まで、故買屋のビジネスは広域に渡る。
盗みの実行部隊も、売れ筋車種の構造からセキュリティシステムまで、貪欲に勉強する。こうしていざ実行に取り掛かれば、車は10分以内に駐車場所から姿を消す。
窃盗グループが狙う車種は、市場で人気のある車種が第一優先になる。それは購入者を得るのが容易であると同時に、路上にあまりにも多くの同型車が走っているため、盗品の発見が困難であるという理由もある。こうしてトヨタアヴァンザ、ダイハツゼニア、トヨタイノヴァなどが窃盗車両の多数を占めることになる。
インドネシアで盗品は常に、驚くほどの低価格で売り渡される。アヴァンザの場合、故買屋は購入希望者に1千5百万から2千5百万ルピアの価格帯で売り渡す。偽造自動車書類作成料は3百万ルピア。
あまりにも廉い中古車が盗品ではないかと疑われる場合、自動車書類を警察交通局でチェックすることを警察は奨めている。また盗難防止のためには、必ずエキストラロックを装着し、駐車場所をよく吟味してから自動車を置き、また個人で運転手を雇う場合は、運転手が車を乗り逃げできるような状況にできるだけしないようにするのが大切だ。自動車窃盗グループはメンバーを個人のお抱え運転手にし、雇われてから二三日後に車もろともドロンさせるような手口をも使っているのだ。