インドネシア事件簿2016年


「2015年反テロ作戦報告」(2016年1月11日)
国家警察は2015年中にインドネシア国内で計画されたテロ行動を9回阻止し、テロリストと疑われる者を74人逮捕した。その74人中の65人は実際にテロリストであったことが既に立証されたが、他の9人は証拠不十分として釈放され、居住地に戻された。その9人の中には、2015年12月18〜23日に行われた反テロ作戦で逮捕した10人のうちの数人が含まれている。その反テロ作戦はダエシュ(ISIS)所属グループとジュマアイスラミヤメンバーが計画したテロ行動を阻止するためのものだった。
2015年に国家警察が行ったテロ計画抑止作戦の中には、中部ジャワ州ソロで独立記念日を目標にして実施されようとしたもの、西ジャワ州タシッマラヤでクリスマスを目標に実施されようとしたもの、大晦日の夜に首都圏で実施されようとしたものなどが含まれている。
さかのぼれば、2000年から2015年までの15年間に国家警察はテロ容疑者を1,064人逮捕した。そのうちの451人は刑期を終えて既に出獄している。テロ容疑者の逮捕は、容易なものではない。2004年から2015年までの12年間に35人の警察官が殉職し、67人が負傷した。殉職の大半はテロリストグループとの間の銃撃戦が原因だった。
ダエシュ所属者の最新情報について国家警察長官は、シリアでダエシュの一員として活動しているインドネシア国籍者は408人おり、インドネシア国内でダエシュ所属組織の中核になっている者543人、サポーター246人、シンパが296人いると報告している。政府反テロ国家機構と国家警察はかれらに対する監視を継続的に実施中だ。
2015年クリスマスから年末と2016年新年にかけて、全国的に平和で穏やかな季節の祝賀と賑わいが繰り広げられたが、その舞台裏を国家警察の反テロ活動が断固として支えていた事実はあまり語られていない。国家諜報機関と諸情報の収集と分析を行う反テロ国家機構および現場実働班であるデンスス88警察反テロ特殊部隊の早め早めの動きが、これまでのところはテロリストグループの計画を抑止することに成功している。警察がこの年末の治安維持作戦の柱としたのは、テロリストグループに対する監視、現場の警備体制充実と検問の強化、テログループ実働要員の事前逮捕の三つ。
大晦日の夜に首都圏での爆弾テロ実施を計画していた三人をブカシで逮捕した後、警察はかれらの関係者ふたりを12月29日にソロで逮捕した。そのときの警察のターゲットは三人であり、ターゲットのひとりに逃げられている。
かれらはシリアにいるインドネシア国籍者バフルナイムなる人物からテロ実行資金を受取っていたことが明らかにされており、かれらの計画が実現していれば、ダエシュが再び声高々に犯行声明をあげていたにちがいない。
12月30日に警察はソロで逮捕した容疑者のひとりの住居を家宅捜索した。ソロ市ラウェヤン地区カランガスムの月額20万ルピアの借室(コス)で爆弾が作られていると見ていた警察の予想ははずれた。爆発物を作るための素材はそのコスからは発見されなかったのだ。ただ、番号の異なる自動車用ナンバープレートが何枚も発見されている。容疑者はその家に3ヶ月近く住んでいたが、RT(隣組長)をはじめとして、容疑者の素性を知っている者はいなかった。容疑者は誰にもKTPのフォトコピーすら渡していない。
一方、中部スラウェシ州ポソ一帯では12月31日も、サントソを首魁とする東インドネシアムジャヒディン(MIT)壊滅のための国家警察と国軍の連携作戦が展開され、組織の支援者と見られる6人が逮捕された。かれらは戦闘要員でなく、組織の外に居て組織のための補給をサポートしている者たちだ。かれらの中にはサントソを自宅にかくまった者すらいた。MIT組織壊滅は近い将来に実現するのだろうか?。


「パリ方式のジャカルタテロ」(2016年1月18〜20日)
中央ジャカルタ市サリナデパートはタムリン通り、ワヒッハシム通り、ハジアグッサリム通り、スンダ通りで方形に切り取られた敷地の中にある。北側のワヒッハシム通りを超えたブロックにあるのがムナラチャクラワラビル別名スカイラインビルで、ムナラチャクラワラビルの東側は映画館ジャカルタシアターやロータスデパートにつながり、北側は塀を隔ててホテルサリパンパシフィックが並んでいる。それらのホテルもビルもデパートも、正面はタムリン通りに面している。時間帯にもよるが、ワヒッハシム通り南側のサリナデパートエリアの人通りに比べて、北側ムナラチャクラワラ〜ジャカルタシアターのブロックは格段の差があり、雑踏という印象のあまりない場所だ。
ワヒッハシム通りとタムリン通りが交差する大きい交差点の南側中央分離帯の先端にはコンクリート製の警官詰所があり、位置的にはサリナデパートの向かいという表現が正確なところだろう。この交差点はタムリン通りに珍しい横断歩道が南側を通っており、サリナデパートから警官詰所前を通って向かい側の国連ジャカルタ支局が入っているバワスルビル角地まで徒歩で渡ることができる。
ムナラチャクラワラビルは1974年の着工で、最初はスカイラインビルという名称でオープンしたが、オルバ期に会社名や施設名の外国語使用禁止方針が後になって出されたため、改名された。このビルはオフィスビルであり、ジャカルタジャパンクラブ事務局がそこに入っているので、ジャカルタ在住日本人にはなじみのある場所にちがいない。世間一般のオフィスビルの例にもれず、このビルにも飲食店がいろいろ入っている。バーガーキング、ピザハット、そしてスターバックスも。
2016年1月14日午前10時40分、スターバックスコーヒー店内のテーブルは客でほぼ埋まっていた。そのとき、バックパックを背負った男がひとり、店内を歩き回っていた。何かを注文するためにカウンターに近づく気配はまったくない。そして次の瞬間、店内で爆発が起こった。爆発はカウンターとトイレの間あたりで起こったようだ。来店客や従業員がほうほうの態で店の外へ脱出する。天井や窓ガラスが吹っ飛び、けが人が多数見られた。しばらくしてまたどこかで爆発音が聞こえ、それから遠くで銃声がした。
10時50分、サリナ交差点南側の警官詰所に二人乗りのオートバイがやってきて、詰所の近くで止まるといきなり自爆した。爆発は二度起こり、詰所にいた警官5人が負傷した。すると、交差点の雑踏の中から拳銃を手にした30代の男がふたり路上に現れて、周囲の人間にだれかれかまわず、発砲しはじめた。爆発で破壊された警官詰所に負傷者の救助に向かった警官が銃弾を受けて負傷する。この地区一帯の警備に就いていた制服私服の警官が集まってきて、拳銃でふたりの銃撃者に応戦した。
ふたりの男は発砲しながらタムリン通り路上からムナラチャクラワラビル敷地内駐車場に移動し、そこにいたふたりの外国人を拉致した。そのひとりカナダ国籍の外国人は銃撃戦の犠牲となって死亡した。
モナスで陳情デモが行われるため現場整理のために出動してきたオートバイ交通警官隊が、最初の爆発音を耳にしたとき即座に行き先を変更し、銃撃戦現場に到着した。交通警官隊も拳銃を手にして銃撃戦に加わる。
銃撃戦のさなかに、黒塗りフォーチュナー1台が間に割り込んできて、警官隊の盾になった。既に交通が閉鎖されているそのエリアに入ってこれるのは治安関係者しかいない。もちろん、その車を運転してきたのは、中央ジャカルタ市警業務部長本人だった。
襲撃者ふたりは爆弾を車に向かって投げた。10時58分の炸裂はまだ離れていたが、11時の爆発はかなり近かった。市警業務部長は車を盾にして応戦している5人の警察員に下がるよう指示し、自分も運転席に寝た形で車をバックさせた。
駐車場で車の陰に潜んだ襲撃者ふたりは11時3分に少し大きめの爆弾を破裂させ、地面に倒れた。その衝撃的な映像がTVニュースで全国的に報道されている。だがふたりはそのとき死んだわけではなかったらしい。
首都警察本部業務部長と中央ジャカルタ市警メンテン署長および私服刑事ひとりが、ムナラチャクラワラ南扉近くにいた。ふたりの襲撃者の逃走経路は断たれている。三人はおよそ5分間状況把握を行い、襲撃者に接近するためスターバックスの横を通って駐車場に向かった。そのとき11時3分の爆発が起こった。一旦、難を避けた三人は、再び襲撃者に接近する。倒れていた襲撃者は接近する人間を感知して銃口を三人に向けた。三人の拳銃が火を吐いた。
情報によれば銃声は11時20分ごろまで聞こえていたとのことで、多分それが銃撃戦の総仕上げだったにちがいない。爆弾の破裂は10時40分から11時3分までの間に6回起こった。そしてこのテロ襲撃も、およそ40分の間に鎮圧された。テロ実行チーム5人は、ひとりがスターバックス店内、ふたりが警官詰所で自爆死し、ふたりは警察に射殺された。被害者には気の毒だが、膨大な人数の殺傷を免れてこのテロ襲撃が抑え込まれ、あたかも小手先調べのような印象で幕を閉じたのは、警察の即応体制が円滑に機能していることを証明するものだと言えよう。
襲撃者5人はすべてインドネシア国籍者で、その中にテロリストとしての前科を持つ者が混じっていた。襲撃が鎮圧されてから警察は現場一帯を捜索し、アクティブな小型爆弾5個とひとまわり大型のもの1個を発見して押収した。タムリン通りは11時に現場付近が閉鎖されたが、16時半に閉鎖が解除され、都民の活動は平常に復した。
夕方になって国家警察本部は、このテロ事件での死者は襲撃者5人を含む7人、負傷者は24人あったことを公表した。死者のあとふたりは一般市民で、そのひとりはアルジェリアから移住したカナダ国籍者、もうひとりはインドネシア国籍者。負傷者24人には警官5人が含まれており、15人がインドネシア国籍一般市民、4人がオランダ、オーストリア、ドイツ、アルジェリア国籍の外国人だった。
国家警察副長官はこのテロ襲撃事件について、インドネシア人テロリストで服役の前科を持つムハンマッ・バフルン・ナイム・アンギ・タムトモが裏で糸を引いたものであることを明らかにした。ダエシュの中核としてシリアに在住しているナイムは、しばらく前からジャカルタで年越しコンサートを行うと称してジャカルタでの大晦日のテロ襲撃計画をほのめかしており、政府反テロ機構が抑止作戦を進めて各地で容疑者14人を逮捕したため、大晦日から新年にかけてのテロ襲撃は起こらなかった。それが、14日のテロで一矢を報いられた形になった。
ナイムは中部ジャワ州スラカルタで2010年11月に銃器弾薬不法所持で逮捕され、2年半の入獄判決を受けて服役し、出所してからダエシュへの忠誠を誓い、2014年にシリアに渡った。
今回のテロ襲撃実行犯5人は同じセルに属す者たちで、かれらはシリアのナイムと国内のアブ・ジュンディグループに連絡を取ってからこのテロ行動を起こした、と国警副長官は語っている。
アブバカル・アルバグダディをカリフに戴くダエシュは2015年中盤から方針を転換させ、対外活動の活発化に注力するようになった。イスラム世界の各地に居る反乱者を支援してその国内に独立地域を作らせ、その独立地域の支配者がダエシュに忠誠を誓うことでそこをダエシュの一州となし、その自治を認めながらダエシュのカリフがその上に君臨するという形にもっていくのがその構想であり、往時の栄光を誇るカリフ世界帝国のパンイスラミズム構造がそこに再現されることになる。
その構想を東南アジアに実現させてダエシュ東南アジア支国の支配者になろうというのがどうやらナイムの野望であるようだ。そのためにインドネシア国内に独立地域を構築するのが第一の目標であり、それを成し遂げた上でマレーシア・フィリピン・タイに拡張させていく。マレーシア・フィリピン・タイのイスラム系反乱勢力に影響力を持つためには、インドネシアでの反政府活動がそれら他民族から見てよほどの感銘を与えるものでなければならず、たとえば既に長い活動の歴史を誇るフィリピン勢の頭上にかぶさっていけるだけの威力を持たなければフィリピン勢は足元を見るにちがいない。
インドネシア国内にいるダエシュに忠誠を誓った諸グループをナイムは既に傘下におさめており、国内でのかれらのテロ活動の資金としてナイムはかなりの金額をインドネシアに送金しているようだ。今回のジャカルタテロ事件も、ナイムはアブ・ジュンディを通して資金と作戦計画を実行グループに渡していると政府反テロ機構は判断している。
事件のあと、ダエシュは犯行声明を出し、外国人と外国人を保護しているインドネシア警察をターゲットにした、と発表した。しかしオフィスビルに入っているアメリカ系コーヒーショップの看板と外国人を結びつけるのは無理があるし、事件の展開を見てもテロ実行グループが外国人を狙った印象はあまりなく、警察との戦闘がもっぱらだったように見える。巻き添えになったカナダ国籍者はアルジェリアからカナダに移民したひとであり、インドネシアに家庭を持っているようだ。それはそれとして、テロ襲撃者がムナラチャクラワラの駐車場でわざわざ外国人を選び出して拉致するような余裕があったのかどうか?偶然という要素が大きいウエイトを占めているように思えるのは、わたしだけではあるまい。それよりも、銃撃者ふたりは最初、周囲の一般市民に向けて発砲しているのだ。一般市民とはインドネシア人なのである。
15年11月13日にパリで起こったテロは一般市民に対する自爆と無差別銃撃を組み合わせたもので、130人の死者と3百人を超える負傷者が出た。今回のジャカルタテロも自爆と銃撃という同じようなパターンが使われたためにパリ方式に倣ったものだと警察は述べている。それはそれで良いのだが、白人社会でできるかぎり多数の一般市民を殺傷するために行われたテロ襲撃とジャカルタでのそのパターンによる襲撃は、果たして同じ目的だったのかどうか。つまり、類似の手法が使われたにせよ、企画されたシナリオとロケーションの選択しだいで結果が類似のものになるとは限らない、という原則をそれは意味しているように思われるのである。
雑踏の中から拳銃を手にしたふたりのテロリストが出現したとき、ふたりは周囲にいる一般市民に発砲した。物見高い群衆はその事実を知って、逃げ惑ったという。だがふたりのテロリストの関心は応戦してくる警官隊にすぐふり向けられた。警察の応戦が遅れたなら、一般市民にもっと多くの被害者が出ていた可能性は高い。だが、サリナ交差点一帯のあの地区に普段から十分な警備体制が敷かれていることは、テロリストたちも十分に承知していたはずだ。つまり、襲撃現場をあの地区に設定したことで、一般市民に対する襲撃のウエイトは最初から低いものにされていたように、わたしには思えるのである。
事件の直後、インドネシアのネティズンの間で猛然と湧き起こった「テロを怖れない」の大合唱は、もしも百数十人の死者が出ていれば、同じ反応になったかどうか?もちろん、雰囲気に呑まれやすいインドネシア人の国民性がそこに影を落とすのは言うまでもないだろうが・・・
ナイムを首魁とするインドネシア反政府テロリストの狙いは、国家・政府の転覆だ。イスラム教は通奏低音でしかなく、その上に載っているメロディには国家経済と治安を揺さぶる目的が声高らかに歌われている。テロを怖れて国民生活や経済活動が萎縮することをテロリストが狙っているとすれば、「テロを怖れない」と宣言して即座に平常の市民生活を再開したジャカルタ都民は反政府テロリストとの対決を態度で示していることになる。
政府観光省は事件直後、都内の諸ホテルや予約取扱いセンターに対して、悪影響が出ていないかどうかを問い合わせた。そして、ホテルからのエクソダスも、宿泊予約の取り消しも、目立つようなことは何も起こっていないという回答を得た。地方部の観光地区からも同じような情報が入ってきた。インドネシアへのクルーズ船の寄港予定に続々とキャンセルが起こったことだけが、ネガティブな影響だったそうだ。今回のジャカルタテロ事件に対するサバイバルにインドネシアは成功したように思われる。


「故買人が強盗団のスポンサー」(2016年1月27日)
自動車専用道で物資運搬トラックを襲う強盗団が逮捕された。この強盗団は工場で生産される包装済み飲食品を専門対象にしており、一味が三回行った仕事の被害総額は1億3千万ルピアにのぼった。
ボゴールに住む故買人アメッ30歳はカプテンと呼ばれる男に強盗仕事を奨め、仕事に際して資金と自分の所有する四輪車アヴァンザを提供しようと好条件を出した。カプテンは5人の手下をリクルートし、自動車専用道で貨物運搬トラックを襲う手法を考案した。
2016年1月12日午前1時、飲み物と粉末唐辛子を満載した一台のトラックが都内環状自動車道をチカンペッ自動車道に向かって走っていた。運転手32歳がふと気付くと、右側車線にいる黒塗りアヴァンザの男が激した口調で「止まれ」と叫んでいる。威嚇を怖れたトラック運転手は車を路肩に寄せて止まった。
6人乗っていたアヴァンザから数人が降りてくると、怒りを満面に浮かべて「妹を妊娠させた」とがなり立てる。そして運転手をトラックから引き摺り下ろすと、暴力をふるった。別の数人が荷台に上って積荷を調べている。
運転手は男たちの隙を見て逃げ、ちょうど走ってきた警察のハイウエイパトロール車に事件を届け出た。パトカーは東ジャカルタ市警本部に運転手を連れて行って、事件の届出をさせた。
そのあと、現場調査のためにパトカーが事件現場に急行すると、現場にはまだ被害者のトラックがあり、ふたりの男がそのトラックを走らせる準備をしていたから、警察は即座にふたりを逮捕した。強盗団の首領カプテンがそこで逮捕されたのである。
ふたりの自供で他の四人の身元が明らかになり、警察はその後の数時間で全員を逮捕した。更にかれらのスポンサーだった故買人もボゴールで逮捕された。
一味の初仕事は15年7月にジャゴラウィ自動車道で行われ、次いで11月にスントゥルのレストエリアで二度目の仕事、そして今回のチカンペッ自動車道が三度目で最後の仕事になった。これまでの仕事では、トラックの積荷はすべて故買人の手に渡され、故買人は包装済み飲食品を闇ルートで売りさばいた。トラックは強盗団がスカブミとチルンシに隠していた。


「カイロプラクティック殺人事件」(2016年2月1〜4日)
ブリスベンのクインズランド工業大学で学んだシスカは、三年半勤めていた今の仕事をやめて、フランスに渡航する計画を進めていた。フランスのビジネス学院でMBAを取得する意欲に燃えていたのだ。
2015年8月18日にパリに向けてジャカルタを飛び立つ予定だったその計画は、かの女を襲った突然の死がご破算にしてしまった。愛娘を誰よりも可愛がっていたPLN元副社長の父親の嘆きはいかばかりだったろうか。
1982年12月28日生まれのシスカは、まだ独身だった。何事にも真剣に取り組むタイプで、いくつかの大手企業で働き、最後は2012年3月からPTブミリソーシズのPRコーディネータをしていた。2011年にはバリのパドマリゾートレギアンでマーケティングコミュニケーション係長を勤めたこともあるし、また種々の国際活動にも熱心に参加し、ヨルダンやチュニジアに半年くらい滞在したこともある。
ジャカルタでの勤めをかの女は熱心に、かつ楽しみながらこなしていた。しかし、ほとんど終日コンピュータに向かう仕事は、かの女の健康を冒しはじめていたようだ。首筋の凝りと痛みを訴える日が増えていた。
フランスでの学業に支障が起こらないよう、健康状態を整えてからフランスへ出発してはどうか、という父親の奨めと、首筋の凝りや痛みだったら、カイロプラクティックはどうだろうか、という叔父の奨めにしたがって、シスカはポンドッキンダモールI内で操業しているカイロプラクティックファーストを訪れた。
このクリニックは二年前から操業を開始し、手術なしに身体メカニズムと神経系の障害を取り除いて自然な身体機能を復元させるセラピーを行うことを大々的に宣伝し、都内あちこちのエリート地区のみならず全国主要都市に支点を開き、また中国・シンガポール・マレーシアでも諸外国の施術医を集めて治療活動を行っていることを売り物にしていた。
8月5日の最初の訪問で、シスカはカイロプラクティックファーストポンドッキンダ支点の施術医であるアメリカ人のランドール・カファティ医師と面談し、カイロプラクティックなるものの詳しい説明を聞き、自分の症状やスケジュールなどを相談した。医師は40回の施術を受けることができるアジャストメントセラピーをシスカに奨め、シスカもそれを了承して1千7百万ルピアの治療費を納めた。
セラピーは8月6日から開始された。その日の13時と18時半の二回、シスカは施術を受けた。シスカに付き添ってクリニックを訪れ、施術室の外で待っていた叔父は、シスカはうつぶせに寝て、セラピストがシスカの頭を左右に動かし、首の骨をギーッと鳴らしていた、とそのときの様子を後になって語っている。
その夜、ビンタロの自宅に戻るとき、シスカは何の異常も感じなかった。事態が急変したのは23時ごろになってからだ。首の一帯にかけて激しい痛みを訴えはじめ、耐え切れずに泣き叫んだ。家族はシスカを急いでポンドッキンダ病院救急治療室に運び込んだ。
病院側の対応処置もシスカの状態を好転させることができず、7日午前6時15分、シスカはこの世を後にした。その日、シスカの父は首都警察一般犯罪捜査局にこの事件を医療過誤として訴えた。どうしたことか、警察の捜査はすぐに開始されなかった。捜査員が手一杯だったということかもしれない。
2016年1月7日、ポンドッキンダモールIで操業しているカイロプラクティックファーストの表に警察の立入り禁止ラインが張られたことで、シスカの事件が報道界の水面上に浮かび上がってきた。しかし、シスカの事件がどう展開していくのか、ということとは別の問題が、いくつか同時に浮上してきたのだ。
まず、カイロプラクティックファーストが事業許可を取得していなかったこと。その関連で、ポンドッキンダモールI、スナヤンのFXモール、グランインドネシア、エンポリウムプルイッ、タマンアングレッ、コタカサブランカ、クラパガディンの7高級モール内にあるカイロプラクティックファーストを首都警察がすべて封印した。この種のクリニックの操業はその内容いかんで、都庁保健局・観光局・文化局のいずれかの認可がなければならない、と首都警察は述べている。都庁保健局長によれば「カイロプラクティックはアメリカでトラディショナル医療のカテゴリーに入っている。ジャカルタでは、トラディショナルマッサージ・スパ・サロンは観光局が認可を与え、トラディショナル医療は保健局が認可する」とのこと。
もうひとつの問題は外国人医師の無許可医療活動だ。インドネシアで外国人医師に医療活動の許可が与えられたことはない。国内での医師の医療活動はインドネシア医療カウンシルの承認を得ることが条件とされている。カウンシルに登録されることがその承認を意味しており、登録証明書(Surat Tanda Registrasi)が医療活動に従事することの認可証となるわけだ。この条件はインドネシア人医師であろうが外国人医師であろうが、変わらない。カウンシルによれば、外国人医師に登録証明書が交付されたのは、学習のため・社会奉仕のため・技術移転のため、という三つの目的に限られており、医療活動のための登録証明書というのはいまだかつて存在しないそうだ。医療過誤の訴えは、インドネシア医療規律名誉評議会に提出すれば、取調べの上で職業倫理上の処分が下されることになる由。
カイロプラクティックファーストでは、医師として承認されていない人間が治療活動を行っていたということになる。ランドール・カファティ医師の人物情報について得られたものとして、カリフォルニア州カイロプラクティック検査委員会のネットサイトに、職業上のプロ的でない行為で犯罪事件の容疑者になっているため、三年間の処分が与えられているという記事が見つかっている。
カイロプラクティックファースト側の説明では、カファティ医師は契約期限が切れたためにそこを去り、その交代者としてポーランド人マレック・マグノウスキー医師が雇用されているが、マグノウスキー医師もインドネシアで医療活動に従事するための認可書類は何ひとつ提示できなかった。
そのふたつの問題に関して、首都警察はカイロプラクティックファーストに類似する都内にあるクリニック9院に対する取調べを行うことを予定している。
今回起こった事件に関連してインドネシア医師会は、整形外科医療には物理療法とリハビリテーションが補完分野として存在しているだけであり、カイロプラクティックは認知されていない、との表明を出した。医学との連携が取られない状況でカイロプラクティックの施術を独立して受けるのは患者にリスクが発生するということを意図しているようだ。
医師会本部事務局長は、カイロプラクティックは筋肉の弛緩と関節への施術が主体をなしており、関節への施術に行過ぎが起こると部位によっては致命的な結果にいたる可能性が高いとコメントした。「カイロプラクターはカイロプラクティックの基礎講座を学ぶが、カイロプラクターはクリニシャンではない。インドネシアでカイロプラクティックの公的教育は行われていないため、インドネシアのカイロプラクターは外国でそれを学んでくる。」
トラディショナル治療の催行に関する2003年保健大臣決定書第1076号には、カイロプラクティックはマッサージ・整筋・接骨・割礼・お産ドゥクン・つぼ押し・指圧・鍼針その他同種のメソッドを使うトラディショナル治療の中に区分されている。トラディショナル治療は生命を危険にさらさないこと・倫理と宗教規範に違背しないことが実施の条件にされている。
医師会会長はシスカの事件について、「カファティ医師はモダン医療を行ったのではないため、医療過誤には該当しない。かれが行ったのは犯罪である。」とコメントしている。
カイロプラクティックファーストの無許可操業と無免許外国人医師の医療活動という違反事件が業界の別業者で行われていないかどうかを取り調べている都庁保健局・首都警察・南ジャカルタ市イミグレーションから成る捜査チームは、南ジャカルタ市ガトッスブロト通りカルティカチャンドラコンプレックス内で操業しているクリニックメディカプラザの取調べを行い、クリニックで働いていた四人の外国人を拘留した。その四人はマレーシア人で、整形外科専門医だと自称する者も混じっている。この日までに首都警察は既に10ヶ所の無許可操業カイロプラクティッククリニックを封印している。
既に拘留された5人の外国人医療従事者に関連して中央政府保健省医療人材活性化開発庁長官は、外国人医療従事者がインドネシア国内で働く場合、外国人医療従事者活用に関する2013年保健大臣規則第67号に従わなければならない、と語る。その規則には、インドネシアで働く外国人医療従事者は職業能力条件を満たすこと及びインドネシア医療カウンシルが発行する暫定登録証明書を有し、また自国の保健省が発行するリコメンデーションを提出しなければならない、と記載されている。ただしカウンシルは、医療活動のための登録証明書を外国人に交付した例がまだない。
その規則に違反した5人の外国人医療従事者は、インドネシアの滞在許可を取得しているものの、許可された活動とは異なること(つまり医療活動)を行っていたことをイミグレーション事務所が明らかにした。かれらが取得している滞在許可は訪問ビザを踏まえたものになっている。
ジャカルタのカイロプラクティッククリニックを取り調べている警察・都庁・イミグレの調査チームは、今度はガンダリアシティで開業しているカイロプラクティックインドネシアを抜き打ち訪問した。ここもカイロプラクティックファーストと同じように、事業許可を取得しておらず、また外国人施術者を10人擁していることが明らかになった。調査チームが訪れたとき、そのクリニックではオーストラリア人のトーマス・ドーソン医師が患者を診察していた。この医師ももちろん、インドネシア国内で医療活動を許可する証明書を持っていなかった。オーストラリア政府保健省からのリコメンデーションも持っていない。
かれら外国人医師たちはたいてい、マネージャーやコンサルタントとしてビザを取得し、インドネシアの滞在許可を得ているが、実際に行っている活動が就労許可に記載されているものと違っているという違反行為を冒している。
2016年1月13日、首都警察はシスカの死因究明のために、8月に埋葬された遺体の司法解剖を実施した。南ジャカルタ市タナクシル公共墓地を訪れた司法医チームは、墓地の中に日よけテントを張り、掘り出された遺体を墓の傍らで解剖した。午前7時半から13時まで行われた解剖の所見は、そのあと首都警察司法医学責任者が発表した。それによれば、首の筋肉とスポンジ状部に血液の浸透が見られ、頚椎上部に出血が確認されたとのこと。カイロプラクティックの施術が行われた部位にそれは該当している。更に首から下の部分にかけて血液が浸み込んだ形跡が明白で、その範囲は肋骨の下部にまで及んでいた。死後5ヶ月が経過しているため、それらの現象をすべて同一原因に帰せられるかどうかはまだ不明だとしても、出血の源が施術の行われた部位であることは、死因の推定に大きい可能性を与えるものだ、との結論が出されている。
カファティ医師の所在に関する情報を求めていた捜査班は、イミグレーションからまだ国外へ出国していないとの連絡を受けたため、即座に出国禁止措置をイミグレーションに要請した。だが、その情報が誤報であったことがあとで判明する。
続出する外国人医療従事者の違法活動について保健省医療人材活性化開発庁長官は、警察・検察・保健省・法務人権省などで編成される外国人監視チームの業務が徹底して行われていないことがその現象を生んでいる、とコメントした。
「外国人医療従事者の監督は保健省のドメインであり、外国人医師がインドネシア国内で医療活動を行う場合、その活動場所を指定してリコメンデーションを与えるわけだが、その前にインドネシア医療カウンシルが発行する登録証明書を本人が取得していなければならない。カウンシルは外国人医師に対して、まだ登録証明書を発行したことがないので、保健省もその後続プロセスを行ったことがない。しかし現実に外国人医師の非合法活動が多数行われているので、国民は治療を求める際に、外国人医師から処置を受けるようなことはよくよく警戒してほしい。」
医療従事者だけでこれだけ多くの違反者がいるのだから、他の分野での違法就労者はもっとたくさんいるにちがいない、とも長官は述べている。
インドネシアへやってきて、医師の顔をして医療活動に従事していても、その医師の職業資格を政府が監督していないのだから、問題が起こった場合に責任の所在が不明確になること。さらには、その医師が本当は本国で何屋を職業にしていたのかだれにもわからないため、そのような人間に国民の健康ひいては生命を託すようなことは、たいへん危険であること。そういったリスクを避けるためにも、外国人医師に医療処置を取ってもらう場合には、まずその医師がインドネシア政府から認可を得ているのかどうかを問いただすように、というのが長官の国民に対するサジェスチョン。
外国人医師の非合法活動についてここ数年判明しているのは、インドネシアに在住している外国人を対象にしているということを言いながら、インドネシア国民をも医療処置の対象にしているケースや、インドネシア人医師の名前の影に隠れてインドネシア国民に医療処置を与えているケースなどがある。
保健大臣は全国地方政府に対し、外国人医師の非合法活動に対する取締りを実施するよう指令を発した。ジャカルタだけでなく、地方都市にもこの種の非合法活動は行われているはずだとの大臣の見解だ。
さて、事件の焦点となっているアメリカ人ランドール・カファティ医師に対する警察の措置はどうなっているのだろうか?首都警察は国内にいるはずのカファティ医師に対し召喚状を送ったが、それに対する本人と本人を取り巻く社会環境からの反応はまったくなし。そのため、警察はアメリカFBIにカファティ医師の捜索を依頼した。そしてFBIは2015年12月22日にカファティ医師がロサンゼルス空港経由で帰国し、サンディエゴに住んでいる事実を連絡してきた。FBIは事件の詳細情報を要請したため、警察職員が詳細情報を携えてアメリカに飛んでいる。
インドネシアとアメリカの間には犯罪容疑者引渡し条約が結ばれていないため、カファティ医師に対する措置はアメリカ司法当局の決定如何になる。首都警察はアメリカ司法当局に対してカファティの身柄を引き渡してもらえるよう要請しているが、FBIは会議を開いて対応措置を決めるとしながらも、カファティに対してアメリカ国内での裁判を行う可能性を示唆してきている。
カファティがアメリカからどこかの国に逃亡して身を隠そうとする事態も予想されることから、首都警察は国家警察の協力を得てインドネシアと犯罪容疑者引渡し条約を締結している国々に対し、インターポール経由でカファティが入国したら身柄をインドネシアに引き渡すよう既に要請した。
カイロプラクティッククリニックに関わっている外国人に対する非合法行為の追及は厳しさの度を増している。首都警察は16年1月27日夜、カイロプラクティックインドネシアの支点6ヶ所をジャカルタとバリに所有しているアメリカ人兄弟ふたりを逮捕した。アンソニーとトーマスのふたりの兄弟は、首都警察捜査班がかれらの自宅に踏み込んだとき屋根を伝って逃げようとしたが、結局逃げおおせずに捕まった。ふたりには医療行為に関する2004年法律第29号第77条が適用され、最長5年の入獄もしくは最大1億5千万ルピアの罰金が科されることになる。


「病院は泥棒の巣」(2016年2月1日)
家族主義の色濃いインドネシア文化では、病院で家族の誰かが患者に付き添って世話することが習慣化している。そのために、入院患者に泊り込みで付き添う親族が大勢おり、病棟にも患者でない人間が多数そこを出入りしているため、群衆に埋もれて仕事する泥棒の天国になっている。
個人病室内で携帯電話や財布が紛失し、果ては赤ちゃんが誘拐されるような事件まで起こるのだから、油断すれば生き馬の目を抜かれてしまうことになる。同じことは救急治療室でも言える。緊急事態に陥って運び込まれてきたひとの家族が治療室の待合室に必ずいる。救急処置が何時間もかかれば、待ちくたびれて眠ってしまうひとも出る。特に深夜から未明にかけての時間帯は普段眠っている時間帯だから、待合室のソファーの背もたれに顔を埋めて眠るひとがほとんどを占める。そんなとき、あたかも付き添い家族のひとりという雰囲気で待合室の片隅に座っていた男の目が光るのである。
12月のある日曜日の午前4時、西ジャカルタ市ダルマイス病院の一階玄関ロビーにリフトが下りてきた。そこから出てきたふたりの男に警備員のひとりが近づいた。その一帯に警備員は総勢5人いる。男の一人は痩せ型の中背で、もうひとりは背が高く太っていて巨体だ。ふたりとも暗い色のジャケットを着ている。
警備員が接近してきたので、大柄の男が腰から拳銃を抜いた。警備員たちは一斉に身構えてふたりを包囲する。男は銃を構えて撃つ動作に入らず、単にそれを見せ付けただけだった。自分は警察だ、とその男は言う。「どこの署だ?身分証を見せろ。」と警備員に言われて、銃を持った男は沈黙した。警備員たちは拳銃を取り上げて、ふたりの身柄を拘束した。拳銃はエアソフトガンだった。
警備員はそのふたりの男が患者の付添い人ではない雰囲気で病院内をうろついているのを監視カメラで発見し、監視を強めた。案の定、救急治療室の待合室で、眠っている付添い人のポケットから金目の物を抜き取っている姿がカメラに写った。ふたりが下りてくるのを警備員たちは待ち受けていたのだ。
ふたりの衣服の中から携帯電話器や財布あるいは現金が出てきた。救急治療室の待合室にいた付添い人たちが下りてきた。テーブル上に並べられている盗品の中から自分のものを見つけ出して、口々に警備員に訴える。
泥棒のひとりがトイレに行きたいと言った。警備員に伴われてトイレに入る。その直後、警備員はトイレブースの扉を蹴破った。泥棒はまだ隠し持っていた携帯電話や財布をトイレの中に捨てようとしていたのだった。
警備員は西ジャカルタ市警パルメラ署に通報した。警察の取調べで、泥棒は三人組であることが明らかになった。もうひとりは盗品を持って逃走したのだ。警察は即座に手配を行った。
この病院専門泥棒は、一年くらい前からその稼業に入ったそうだ。あちこちの病院の救急治療室に付添い人の風を装って入る。待合室にいる付き添いの家族たちとの我慢くらべがはじまる。身体と精神の疲労、そして悲観的な心理状態が、待合室にいるひとびとの警戒心をこそぎ落としていく。インドネシア人は概してそういった人間の状態を読むのに長けている。対人接触を社会性と考える文化の申し子たちは、人間好きにならなければその社会で場を得ることができないのかもしれない。
インドネシア大学犯罪学者は、すべての泥棒はターゲットの人間と周辺状況を読みきった上で仕事をするのが普通だ、と語る。
「更に加えて、かれらが仕事をする際、ターゲットとその場所に対する警戒心をターゲットよりはるかに高いレベルに持っていく。」そうでなければ、すぐに捕まってしまうにちがいない。
病院を稼ぎ場にする泥棒に関しても、「患者の家族がだれか必ず付き添うような仕組みになっているのはインドネシアだけであり、この種の犯罪が起こるのもインドネシアだけだ。その対策として、病院側は付き添い家族のためのロッカーを用意する必要があるし、もしできるなら付き添い家族用の宿泊施設があるに越したことはない。VIP待遇患者の付き添い者用宿泊施設は、いくつかの病院が備えている。」と犯罪学者は付け加えた。投薬にせよ、診察・検査や治療にせよ、先に支払いをしなければ何も進まないのが通常のシステムになっており、体調が弱っている患者本人にそんなことをできるわけがない。
待合室に監視カメラを設けるのはたいへん適切な対策であり、問題はその画像の監視が付随するかどうかだ。監視することによって現行犯逮捕が可能になる。あとになって記録画像を見るだけでは即応効果が得られず、犯罪抑止にあまり効果がない、ともかれは述べている。


「トランスジャカルタバスにスリが」(2016年2月1日)
2015年8月14日付けコンパス紙への投書"Copet di Bus Transjakarta"から
拝啓、編集部殿。しばらく前に電車内でスリの被害にあった読者からの投書があり、国鉄から真摯な回答がありました。今度はわたしが、トランスジャカルタバスにスリが出始めていることをお知らせする番です。スディルマンからラグナンに向かう第6ルートのバス内でのできごとでした。
事件が起こったのは去る5月です。16時45分ごろ、マンパンプラパタン停留所に接近中のバス内は超満員で、われわれの前にひとりの中年男性が立っており、身体を動かしていたので他の乗客が迷惑を感じていました。われわれはただ黙っていました。おかしな事態になっても困ります。その隣には、高価な携帯電話機に一心不乱の若者がいました。
マンパンプラパタン停留所にバスが着くと、降りる人たちで押し合いへし合い。すると突然最後尾の椅子に座っていた女性が若者の脚を押し、「携帯電話機をスリが盗んだよ」と言って降りる人の流れの中にいる茶色の服を着た男を指差したのです。追跡劇が始まり、バスは一旦止まって車掌を下ろすと、また発車しました。
ラグナンへ向かって進行中のバスの中で乗客の一人が「政府は最初からドイツやスエーデン製の良いバスを買うべきなんだ。そうすればたくさんの乗客が入ってもこんな押し合いへし合いはないし、あんなスリ事件も起こらないのに。」と言っていました。
第6ルートを走っているトランスジャカルタバスの最近の状態は、実になげかわしいものがあります。都庁はバス事業者に貸付金を用意して、もっと良いバスを買わせることはできないのでしょうか?バスキ・チャハヤ・プルナマ都知事の善処を期待しています。[ 南ジャカルタ在住、スゲン・ハルトノ ]


「詐欺そして恐喝」(2016年2月17日)
2015年8月12日付けコンパス紙への投書"Penipuan Berkedok Undian Hadiah"から
拝啓、編集部殿。しばらく前、わたしはガジャマダ通りのサワブサール歩道橋の上で進行を阻まれました。
わたしを止めた男は、住所西ジャカルタ市ジュンバタンブシのラトゥメンテン通り33にあるシーズンシティ店舗住宅ブロックA18、電話番号021 2961−7974のPTミトラジャヤアバディ(MJA)社従業員だと名乗り、小さい封筒をくれました。賞品が当たったなら、ミトラジャヤアバディの事務所へ行って賞品を受取ってください、と言うのです。
そしてわたしを信用させるために、自動車・オートバイ・黄金延棒・現金などの写真が載っている新聞の切抜きを見せました。
MJAのオフィスへ行くと、今度は大きい缶の中から封筒をひとつ引き出すように言われました。ふたりの従業員の前で引き出した封筒を開くと、ふたりは中の黒い紙に1千1百万ルピアを超える賞品が書かれている、と言い立てました。折りたたまれているその黒い紙を開こうとすると、広告料金として1千1百万ルピアを納めなければ開いてはならない、とかれらは言うのです。
そんなお金はないと言うと、前金として150万ルピアだけでも納めろと強要します。金額交渉の結果、20万ルピアをわたしは納め、受取証をもらいました。当局に訴え出るために証拠品を手に入れるのがわたしの狙いだったのです。
MJA側はそこにやってきた全員に対し、その日は前金だけを納め、指定した日までに1千1百万ルピアの広告料金を完納しなければ、前金は焦げ付くと言いました。なんという巨額な金をMJAは総ざらえしようとしているのでしょうか。
この恐喝じみた詐欺行為をかれらはもう何ヶ月間も行っています。警察、特にジュンバタンブシ署と社会省に要請します。MJAの犯罪行為をストップさせ、被害者がこれ以上増加しないよう、ただちに捜査のメスを入れてください。[ マカッサル市ドンバ通り在住、ムハマッド・ハッタ・アブバカル ]


「早朝の自動車泥棒」(2016年2月22日)
トロピカルなインドネシアで、四輪自動車ドライバーはほぼ例外なく朝一番の暖機運転を実行している。車が最新車種であっても、その習慣は止まらないようだ。バリ島のわが家から近い空家のガレージに古いベモを置いている運転手も、朝の仕事前と夕方の仕事終わりに車をアイドリングさせている。時に一時間をはるかに超える長時間にわたってアイドリングを続け、風向き如何でわが家に一酸化炭素が押し寄せてくることがある。プラスチック物の焼却といい、この排気ガス責めといい、バリ人の大気汚染感覚〜もっと素朴に言い換えれば、臭い有毒ガスに対する感受性〜がいったいどうなっているのか、わたしには不思議でしかたがない。
ともあれ、インドネシアの四輪ドライバーたちは朝、ガレージから車を家の表に出し、アイドリングさせた状態で本人は車を放置し、ちょっとした用事を片付けに家の中に入る。自動車泥棒には絶好のチャンスが大きな口を開いているのだ。
北スマトラ州メダン市内で16年2月16日朝6時20分、州議会副議長もそれをしていた。かれは毎朝、三人の子供を自家用車いすゞパンサーで学校へ送っていく。そのとき、末娘のフェリシア6歳は早々と登校の用意を済ませて家の前庭にある車に乗り込んだ。他の子供たちはまだ家の中で用意をしている。父親はガレージの扉を施錠するため、車を置き去りにした。そして、ガレージの扉を閉めているとき、かれは表の車のエンジン音が高まるのを耳にしたのだ。
前庭が見渡せる位置に急いで移動したとき、車は既に表門を越えて路上を走り去ろうとしていた。かれは既に遠のいた車を追って走ったが、もはやどうしようもない。かれは家の中に戻ると、メダン市警本部に電話した。かれの携帯電話は4個とも車の中だ。車内にはあと、子供たちの学校かばんと、現金2百万ルピア、数枚のATMカード、身分証明書などがかれ自身の貴重品入れバッグに。
出動してきた市警パトカーに伴われてかれは当てもなく捜索してみたが、成果はない。7時25分になって、フェリシアを保護しているという市民からの電話を受けた。家からおよそ3.5キロ離れたヨッスダルソ通りにつながる狭く寂れた小路の入り口で、しゃがんで泣きじゃくっていたそうだ。
父親は家に取り付けてある防犯カメラの画像をチェックした。それによれば、三人が乗った黒色アヴァンザが家の表に止まり、中からふたりが降りると、ひとりはピストルを持って周囲の警戒にあたり、別のひとりがいすゞパンサーの運転席に乗り込んだ。そしてエンジンのかかっている車を発進させると、ピストル男はアヴァンザに戻り、その後を追った。
フェリシアの話では、賊はフェリシアに暴力をふるうことはせず、後部座席にいたフェリシアを助手席に移動させただけだったそうだ。それからガソリンスタンドで給油したときに別の男が乗り込み、フェリシアをヨッスダルソ通りで下ろしてから走り去った。
メダン市警はこの事件の公表に当たって、車にエンジンをかけたら決して車から離れないこと、子供を車の中にひとりで放置せず、必ず大人が付き添うようにすること、を市民に対して警告した。


「都バス内のスリ対策」(2016年3月7・8日)
都バス内は路上犯罪者が跋扈する場所だ。あまりにも多くの人間が簡単に犯罪を犯す社会であるため、路上にいる市民の数に近い治安要員を配備しなければ路上犯罪を抑え込むのは難しいにちがいない。警官を無限に増やすことは予算の関係上できないのだから、結果的に、警察は起こった犯罪を追いかけるスタイルを採るようになり、不運なやつが捕まるだけだ、と犯罪者は豪語するようになる。
集団スリあるいは暴力スリグループは、特定バスルートを稼ぎ場にするケースが多い。だから毎日そのバスルートを利用している勤め人や学生は、スリグループメンバーの顔を見知るようになる。バスの車内で自分の近くに来た人間がスリメンバーかどうかがわかるようになれば、難を避けようとして相応の対応を採るのが人間の常であり、そうなるとスリ側も仕事がやりにくくなるから、矛先はそういうことのわからない人間に向けられることになる。
毎日クニガン地区の事務所にPPDバスルート番号213(カンプンムラユ〜グロゴル)で通勤しているニアさん25歳は、2月17日朝、自分が乗ったバスの中にスリグループがいて犯行を展開しつつあることに、被害者になりかかってから気付いた。かの女がバスから降りようとすると、四人の男がすり寄ってきてかの女を取り巻いたのだ。ひとりが昇降口への進路を邪魔し、もうひとりが退路を断ち、ふたりが左右から身体を密着してきた。その四人が集団スリであることに気付いたニアさんはすかさず叫んだ。「スリよ。助けて!」他の乗客の視線が集中し、四人の男は散った。そのときドギマギして抵抗姿勢を示さなければ、かの女は被害者のひとりになっていただろう。
シティ・ファディラさん30歳も通勤に使っているコパジャバス502の車内で、何度もスリの犯行を目にしている。二週間で三人も、かの女が乗ったバス内でスリの被害者が出た。
あるとき、シティさんは車内で集団スリがひとりの中年女性をターゲットにしているのに気付いた。その中年女性は自分が置かれている境遇がまったくわかっていない。スリが手をその女性のバッグの中に入れようとした瞬間、シティさんは女性に声をかけた。「さあ、ここよ。降りましょう。」
まるで連れのようなふりをしてその中年女性を毒牙から救い出そうとしたシティさんの進路を、別の男が憎々しげな表情でさえぎろうとした。集団スリのメンバーであることを自己紹介しているようなものだ。それをかわして、シティさんと中年女性はバスから降りた。シティさんの説明を聞いて、その中年女性は驚くやら、喜ぶやら。まるで命の恩人のように敬われて、シティさんも人助けの喜びをかみしめた。
バスに乗るときは自分の持ち物に常に神経を集中し、財布やガジェットはバッグの中にしまって出さないようにし、バッグは自分の身体の前面にあるようにすること。またバスの後部は集団スリの仕事場になる傾向が高いので、バスの後部へはできるかぎり行かないようにすること。スリはたいてい、後部扉をバスの出入りに使っている。「スリは目立つ人間をターゲットにします。ノートパソコンの入ったバッグを持っていたり、車内でガジェットを使いまくったり、財布やガジェットをポケットに入れていたりすると、スリの目が注がれるのです。」というのが都バス利用者へのシティさんからのアドバイス。
メトロミニ640の利用者、エティさん28歳は、スリメンバーの特徴が感覚的にわかる、と言う。車内でどのような振舞いをしているのかを観察すれば、スリかどうかは想像がつく。そして、いつも乗っている車内で、どの男がスリなのかということも、何度も乗り合わせていればわかるようになる。その男が自分のいるバスに乗り込んできたら、ともかくすぐにバスから降りるのが、被害を避ける最善の方法だ、とエティさんは語る。
集団スリの犯行に対して、運転手も車掌も、そして他の乗客たちも、被害者が出ているというのに見て見ぬふりをするのがほとんどだ、とニアさんもシティさんも、エティさんも口をそろえる。
犯罪者が刃物を持ち歩くのはインドネシアの常であり、そしてかれらは人命をこぼつことを毛の先ほども躊躇しない。相手を殺すのは強者の業であり、そこに絶対的な勝利が出現する。強い人間は勝つ。そこに男の価値がある。そういった前世紀の価値観を信奉しているかれらは、他人の生命に羽毛ほどの重みすら感じないし、他人の生命を破壊する自分の雄々しい姿が相手の死で証明されることに深い満足と陶酔を感じるのである。優れた人間(男)は強い人間(男)だ。強いことは勝つことで証明される。優れた人間であればこそ、世の中で上位に立ち、尊敬を集め、下位者を支配し、世の富を貢がせるよう人間のクズたちに命令することができるのである。
都バス運転手も車掌も、野獣のようなかれらに殺されるのはいやだ。だからおとなしくしている。せいぜい乗客に注意を呼びかけるのが関の山だし、その注意も犯罪者を露骨に刺激するような言葉は使えないから、様子のよくわからない乗客にはほとんど効果がない。コパジャ502の車掌32歳は、バスの後部扉付近に立つのは絶対にやめるほうがよい、と語っている。
都バスの乗客は好きな場所でバスに乗り、また好きな場所でバスから降りる。バス停は、場所にもよるが、ほとんど使われないところも少なくない。その状況が都バス車内への犯罪者の出入りに便宜を与えている。どこでも好きな場所で開けっ放しの昇降口から飛び乗り、また飛び降りて逃げることができるのだから、犯罪のやりやすさはこの上ないにちがいない。都民のわがままと都バス運行クルーの集客競争が生んだこの無停留所システムは、都民のわがままに爪を立てる諸刃の剣だったようだ。


「スリを野放し・・・?」(2016年3月14日)
ライター: コラムニスト、アグス・ヘルマワン
ソース: 2016年2月19日付けコンパス紙 "Pembiaran Copet"

かれらは普通、三人以上の集団を組んでいる。都内でメトロミニやコパジャの同じルートを頻繁に利用しているひとは、その集団を容易に認識できる。かれらはバスに乗り込むとすぐに自分の持ち場に散開するのだ。たいてい、いつも同じ場所でバスに乗り込み、仕事が終わればバスから降りる。仕事とはスリ稼ぎのこと。
かれらが何者かを知っている乗客はふつう、かれらの行動を妨げる度胸を持たない。自分の目でかれらの犯行を目撃した場合でも、まるで何も見なかったようなふりをするほうが上策なのである。人ごみの中でスリの犯行を目撃した場合でも、「スリだ!」などと叫ばないほうがよい。へたをすると、スリだと言われた人間があなたを指さして「スリだ!」と叫び、あなたは群衆リンチの対象にされてしまう。集団スリはどこにでもいて、いつでもスリ稼ぎを行う。
ジャカルタの公共運送機関を長期にわたって利用してきたキャリアを持つ一都民であるわたしは、三〜四回スリの被害者になりかかった。その三回はスリの犯行にわたし自身が気付いたため、かれらの仕事は失敗した。そんなとき、わたしとスリの間で現物の争奪戦が展開されたこともある。当時の最新型携帯電話機が奪われたことが一回あった。口惜しさ、怒り、無念の感情に断腸の思いをしたが、できることは何もなかった。
田舎からジャカルタに出てきたばかりの仲間がいれば、かれらへの最初のメッセージは公共運送機関内のリスクについての講義になる。「公共運送機関内ではスリに気を付けろ。大切な物を保護するためによくよく警戒しろ。」しかしそんなメッセージだけで、仲間をスリの襲撃から保護しおおせるものでないのも確かだ。
いま、都内の道路運送における安全性快適性を高めるための請願が、都民の間を巡っている。change.org が主催する「安全快適な公共運送実現を支持しよう」と題する請願は、都知事と首都警察長官に対して公共運送の安全性快適性向上を実現させるよう迫るものだ。この請願が出現したのは、PTテルコムのサービス部門マネージャー氏のトラジェディが引き金になったようだ。41歳のマネージャー氏は四人の集団スリにメトロミニから突き落とされて死亡したらしいと2月15日付けコンパス紙に報道された。
後になって、その報道内容はバス運転手の自供で修正された。マネージャー氏がバスから降りようとしたのにバスはスピードを緩めなかったため、かれは路上で転倒して頭を強打したというのがその死の原因だったのだが、集団スリの残虐性に焦点をあわせる結果となったその誤報は、首都の公共運送機関に常にまとわりついている事実を浮き彫りにする効果をもたらした。
首都の公共運送機関利用者に安全と快適さを提供するという約束は、いまだ果たされていない。帰宅するために公共運送機関を利用しなければならない夜間就労者の恐怖は想像に余りある。そんな路上のリスクを抱えて帰宅するよりも、職場で仮眠して翌朝を待とうとする者が少なくない事実は、決して耳新しいものではないのだ。
公共運送機関利用者の安全性快適性というのは、スリや強盗などの犯罪行為に関するものだけではない。公共運送機関クルーの中に、礼儀をわきまえず、狂ったように猛進し、乗客の安危など念頭にない者が大勢いるのも確かなことなのだ。プロフェッショナルで乗客への礼儀をわきまえた公共運送機関クルーを育成することも、都庁の宿題のひとつなのである。
公共運送機関内でのスリ捕縛作戦はもう長い間行われていない。警察治安担当にとって、それは決してむつかしい仕事ではないはずだ。訓練されたかれらの捜査能力は、現行犯でなくとも一味を容易に一網打尽にすることができるにちがいない。ましてや都民に顔を覚えられている者なら、造作もないことだろう。
6年前に首都警察は犯罪総ざらえ作戦を展開した。恐喝・威嚇・暴行などのごろつき行為、ひったくり・スリ・サイドミラーもぎとり・自動車ボディえぐり・オートバイ強奪等々の路上犯罪、種々の賭博行為など、都民の安全感を逆なでする、町中で行われているありとあらゆる不法行為がそのターゲットであり、何百人もの人間が警察にしょっぴかれた。都民生活にも、いささかの安全感が漂った。
首都警察が再度、総ざらえ作戦を実施するなら、それは素晴らしいことだ。スリや強盗たちにショックセラピーを与えるのは必要なことなのだ。少なくとも、最近ソーシャルメディアで弄ばれている不良警察官のおかげで評価が低迷している警察のイメージ回復にはうってつけだろう。都民も停車と駐車の違いを論争するより、犯罪に立ち向かう警察の姿を話題にすえるほうが良いに決まっているのだから。


「浮浪児候補がまたひとり」(2016年3月15日)
北ジャカルタ市マンガドゥアのパサルパギの裏手にあたるカンプンダオも一月末の大火で焼けた。ディアンさん29歳は乳飲子のスチちゃん4ヵ月を抱えて、ほとんど身一つで難を避けたが、住む場所も財産のほとんども失ってしまった。かの女は毎日赤児を抱えて、ファタヒラ公園でコーヒーを売って生計を立てている。
そんなある日、ファタヒラ公園でデシと名乗る女性がコーヒーを買ってくれた。よもやま話を交わす中で、デシさんはディアンさんの身の上に同情し、友達になろうと誘った。ディアンさんがそれを拒む理由は何もない。そして2月23日に、パサルスネンのアトリウムモールで一緒に買い物しようと約束した。
約束の日、ふたりは約束した場所で会い、アトリウム内を巡って衣料品をいろいろ買った。ディアンさんの分はデシさんが支払った。デシさんはディアンさんに、自分の知っているケーキ屋で働けるよう、今話を進めているところだ、と語った。ディアンさんはとても喜んだ。
いろいろと買物し、食べたり飲んだりしたため、デシさんの財布が心もとなくなったので、デシさんはディアンさんにモール内のATMへ行ってお金を下ろしてきてほしいと頼み、スチちゃんはわたしが抱いて待っているから、と言って赤児を預かり、近くのベンチに腰を下ろした。ディアンさんはデシさんの銀行口座のPIN番号を教えてもらてATMへ向かった。
ディアンさんはATMでお金を引き出そうとしたが、何度行っても成功しない。係員に尋ねてみたが、PIN番号が違っている、と言われた。首をかしげながらディアンさんはデシさんのところへ戻ったが、さっきスチちゃんを抱いてデシさんが座ったベンチはもぬけのから。
トイレへでも行ったのかしら、とその周辺をぐるぐると探し回ってみたものの、デシさんの姿は見当たらない。デシさんに電話してみたが、電話にはだれも出ない。デシさんの住所を教えてもらっていなかったことを思い出して、ディアンさんの夢見心地の幸福感は一瞬にして消え去った。わたしの愛娘がかどわかされたのだ!
ディアンさんはアトリウムの警備員に事情を話し、警察に訴えが飛んだ。警察はディアンさんからの事情聴取と、モール内に設置された防犯カメラの画像を手がかりにして、デシと名乗った女性の捜索にとりかかった。
警察の捜査が展開され、3月1日未明にスチちゃんの身柄が発見されて保護された。スチちゃんは五体健全な状態ではあったが、ほとんど反応を示さず、身体を動かすことさえあまりしなかった。どうやら鎮静剤を与えられていたようだ。そして警察の捜査結果によれば、その間にスチちゃんは三人の女性の手から手へと受け渡されていたそうだ。
デシはスリに買い手を探させ、スリはココム経由で買い手を見つけた。スチちゃんを買ったのはミミンという寡婦で、ミミンはスチちゃんを育てて路上稼ぎ、いわゆるストリートチルドレンとして働かせるつもりでいた。ミミンがココムに支払ったのは250万ルピアであり、ココムはその仲介手数料に15万ルピア、スリも同様に15万ルピアを受け取り、デシは残る220万ルピアを手に入れていた。
デシとスリとココムは日雇い家政婦で、同業者としての人脈がどこかでつながっていたようだ。デシはディアンさんの身の上を十分調べたうえで赤児の誘拐犯行を仕組んでおり、警察は一介の日雇い家政婦がそこまでできるものだろうかとの不審から、デシの後ろに赤児売買組織がいるのではないかと推測して背後関係を追及している。


「中国警備艇が領海侵犯」(2016年3月28日)
2016年3月20日に海洋漁業相が公表したところによれば、2百GT前後の中国漁船が3月19日にナトゥナ海域に侵入して盗漁を行っていることが判明し、不法漁業撲滅タスクフォースの警備艇ヒウ2号がだ捕に向った。現場に到着してだ捕すると通告したが、中国漁船はひたすら逃げる。警告射撃をしたというのにジグザグ走行して逃走しようとしたため、ヒウ2号が接近して船体をぶつけ、やっと停止させた。ヒウ2号乗員3人が中国漁船に乗り移り、漁船の作業員8人をヒウ2号に移乗させて監視下に置き、最寄りの港に連行していたとき、1千GTの中国警備艇が接近してきた。そして中国漁船に体当たりして漁船を破損させたため、危険を感じたヒウ2号乗員3人は漁船から本船に戻った。ヒウ2号が大破した中国漁船を曳航するのは困難であり、仕方なく中国漁船のだ捕をあきらめると、中国警備艇は中国漁船を曳いて外洋に姿を消した。
中国側は中国漁船がインドネシア側に捕まって沈められることを嫌ったためにあのようなことをしたのだ、と海洋漁業相はコメントしている。
翌日、インドネシア政府外務省は在ジャカルタ中国大使館に抗議文書を渡して本国政府に伝えるよう要求した。南シナ海の島と海域の領有権をめぐって中国が東南アジア諸国と角突き合わせているのからインドネシアは免れていると安心していた政府にとって、今回の事件は太平の眠りを覚ますに十分なショックをもたらしたにちがいない。中国側はこれまでも、南シナ海の奥のほうまで、中国人民が歴史の古くから漁労を行ってきた場所だと主張して、現代世界を形作っている国際法を無視する姿勢を垣間見せている。中国の覇権主義の刃を目の当たりにしたインドネシアにとって、南シナ海の領有権抗争はもはや他人事ではなくなったのではあるまいか?


「子供を誘拐して乞食稼ぎ」(2016年3月29日)
ワルネッで遊んでいた10歳の子供を27歳の男が誘拐した。「一緒に来ればこの金をあげよう」と言って、現金を見せながら優しくアプローチをかければ、子供はひとたまりもなかったようだ。時は2016年2月24日、所は東ブカシ郡マルガハユ住宅地。
ふたりはそこから徒歩でボゴール県チビノンに向った。10日をかけた行程の中で、男は子供に乞食稼ぎをさせ、上りを取り上げた。チビノンに着いてまた乞食稼ぎに出された子供は、路上で親切な巡回コーヒー売りのおじさんに出会う。子供はおじさんに自分の身の上を語り、助けてほしい、と頼んだ。
自分を誘拐した男の家に戻ることを強く恐れている子供を見て、コーヒー売りのおじさんは子供をボゴールの自宅へ連れて帰ることにした。そうして、子供を5日間自宅に隠したあと、チビノン近辺で子供を探している者がいないことを確認した上で、おじさんは子供をブカシのマルガハユ住宅地にある子供の自宅に送り届けた。自宅に着いたとたん、子供はトラウマと抑うつ状態に落ち込み、家族は精神状態が少し回復するのを待ってから警察に誘拐事件を届け出た。子供は誘拐者の家で性暴力をふるわれたようだ。しかし子供は男から逃げて大声で泣き叫んだため、レープは未遂に終わっている。
警察は誘拐者をおびき出すために罠をしかけ、3月11日にクバヨランラマ駅で27歳の男を逮捕した。子供は警察に、自分以外にもうひとり誘拐された子供がいて、その子が男に弄ばれていたことを話しており、警察はもうひとりの被害者の発見を急いでいる。


「赤児を1千4百万ルピアで売る母親」(2016年4月4日)
2016年3月24日に南ジャカルタ市警が管区内の路上で行った乞食やプガメンなど社会福祉障害者に対する手入れで保護された赤児に関わっている大人たちの背景を捜査していた警察は、赤児人身売買グループのルートが発見されたため、おとり捜査で関係者三人を逮捕した。
捜査員が赤児を買いたいと仲介者に罠をかけ、南ジャカルタ市モギンシディ通りで最終交渉が行なわれたあとの逮捕劇だった。逮捕されたのは仲介交渉役女性46歳、生後三か月の実子を売ろうとした母親30歳、母親と仲介交渉役をつないだ42歳の女性で、おとり捜査員との価格交渉は4千万ルピアで合意され、仲介交渉役が最大ポーションの2千3百万ルピア、実の母親は1千4百万ルピア、その間を結んだ42歳女性は3百万ルピアという分配がなされることになっていたそうだ。
子供を売ろうとした母親は警察の取り調べに対し、経済的に生活が完全に行き詰まってしまい、しかたなく子供を売ろうとした、と語っている。


「自動車盗難」(2016年4月5・6日)
首都圏の四輪二輪自動車盗難事件はとどまるところを知らない。インドネシアの自動車盗難(強奪も含む)は、まず盗人がおり、ひとりもしくは数人グループで盗品を手に入れると、故買屋に品物を持ち込む。故買屋が看板を出すはずがなく、盗人たちは口コミで故買屋の情報を得る。故買屋は盗品が再販できるよう形を整えて、仲介者に買い手を探させる。
しかし四輪と二輪では形を整えるという部分が大違いになる。四輪はナンバープレートやSTNKあるいはBPKBがなければ、普通の人間はまず買わない。だから、そういったものを偽造する人間が必要とされる。そういう公文書偽造者が看板を出すはずも絶対ない。蛇の道は蛇で、そういう闇活動を行っている者たちの間の情報はたいへん密度が高いようだ。一方、二輪車が四輪車ほど厳密でないのは、二輪車の大半が交通法規に違反している事実を見れば明らかだろう。ノーヘル・ナンバープレートなし・道路逆走・夜間無灯火をはじめ、ありとあらゆる違反行為を行っても警察がほとんど捕まえないというのが実態であるなら、Bナンバープレートだけはずして廉く売れば、田舎の村々では買い手がたくさんつくはずだ。
実際、かつては、首都圏の盗品二輪車がカラワン・チレボン・インドラマユなどの北岸街道沿いの村落部やバンテン州パンデグランの山里に運び込まれ、農民たちが続々とそれを買い、村人たちがナンバープレートのない二輪車に乗って田舎道を行き交っていた。
それについては、地元の駐在警官が地道に村民を説得し、「村へ持ち込まれるそのような二輪車は盗品だから、盗品の受け皿になるようなことはやめようじゃないか」と辛抱強く説いて盗品市場を狭くするのに成功したという話を聞いている。
近場のマーケットが狭まれば、盗人たちはもっと遠くに送るしかない。こうしてジャワ島外に流れるものが増えているという話しで、国境を越えてティモールレステに流れているという話しもある。
2010年以来、ティモールレステにインドネシアから密輸入された四輪二輪の車両は3千台にのぼっており、そのメインはコンテナに詰められてディリー港に陸揚げされ、機械類などに偽装して虚偽申告し、ティモール国内に入っているそうだ。
しかし西ジャカルタ市警は、管区内やタングランでビジネスのスタイルが変化していると、昨今の状況を明らかにした。二輪車盗人新世代が、昔ながらのスタイルを塗り替えはじめたというのだ。新世代として登場してきたのは、学歴が小中学校どまりの18〜25歳の若者たちで、旧世代は窃盗団を組んで仕事をしていたものが、新世代は必要に応じて集まり、終われば解散するというつながり方に変わった。盗品の売りさばき方も変化し、ジャカルタで入手したものはタングランへ送り、タングランで得たものはジャカルタへ送って、早く金にする。
夜明け前に盗んだものはその日の昼頃もう金になっている。逮捕された盗人青年のひとりは、「午前1時に盗んだものは、3時ごろになれば寝ているベッドに現金がやってくる」と豪語したそうだ。金額は車種によって異なり、ヤマハミオだと40万ルピア、スズキサトリアFuだとひとりずつ200万ルピアになる。
その25歳の青年は、逮捕時に逃げようとしたため、足に鉛玉をくらった。23歳の仲間と二人組が週三回くらい仕事し、四ヵ月で25台を手に入れたそうだ。盗みに成功して盗品を手に入れると、すぐSMSで買い手に情報を流す。それが早く金になる秘訣のようだ。
しかし、精出して盗人がどんどん盗んでいくオートバイのすべてが本当に右から左に売れて行くのだろうか?それについて、盗人青年はこう語った。「だいたい半分くらいが辺縁部に暮らしている連中の手に渡って、かれらの生活費稼ぎの用に使われてる。あとの半分は俺たちがストリートレースに使うんだよ。」
首都警察が2015年1〜11月間に管区内で起こった自動車盗難(強奪を含む)事件の分析を行っている。その内容は次の通りだ。
< 発生場所 >
一般住宅 1,212件 55%
公道 349件 16%
雑踏 235件 11%
低所得層向け住宅 224件 10%
高級住宅 4%
オフィス 2%
在来パサル 1%
スーパーマーケット 1%
中央市場・卸マーケット 1%未満
バスターミナル 1%未満
新設パサル 1%未満
鉄道駅 1%未満
港 1%未満
< 発生時間 >
3〜6時 489件
6〜9時 287件
18〜21時 287件
12〜15時 252件
15〜18時 240件
9〜12時 226件
24〜3時 191件
21〜24時 171件
なお四輪車については、リモコン式ロックやGSPを装備したからと安心しているオーナーの心理的盲点を突く手法がここ二年間ほど盗人の間で行き渡るようになっている。特にリモコン式ロックは使わないようにして、マニュアルでロックするのが一番確実だ、と西ジャカルタ市警はアドバイスしている。
つまり、リモコン式ロックで電波を飛ばすとき、盗人はその電波をかく乱させて自動車のロックがかからないようにするのだそうだ。だから駐車場で車から降りて、しばらく歩いてからリモコンのスイッチを押すようなことをしているひとは、盗人たちにとっておあつらえ向きのカモだということになる。
運転者はロックされたと信じているのに、実際にはロックされていない車に滑りこだ盗人は、GPSの電波かく乱機のスイッチをオンにする。するとGPSは沈黙したままとなり、オーナーにとっては自分の車がいまどこにいるのかを知る手段がなくなってしまう。
その二つの電波かく乱機を手にした盗人は、悠々とひとりで仕事するのも可能になる。警察が逮捕した四輪車専門盗人のひとりは、そのやり方で三か月間に四輪車を30台手に入れている。


「アチェの海で観光客潜水事故」(2016年4月11日)
ロシア人女性観光客が2016年4月3日、アチェ州サバンの海でダイビング中に死亡した。44歳のこの女性は16年3月23日にサバンの町にひとりで現れ、ホテルなどの宿泊施設にはあまり泊まらず、たいていは野外でキャンプをしていたそうだ。そしてダイビングを行うときには、自分の荷物が入ったバッグを近在の住民に預けていた、とかの女の周囲にいた住民らは証言している。
4月4日朝、サバン市スカカルヤ郡ガンポンバテソエッの海岸へタコ獲り来た住民が、海岸に打ち上げられているかの女の死体を発見した。死体は水着にボンベを背負い、足ひれを着けたままの状態で、頭にアクションカメラが装着されていた。
カメラ映像を調べたサバン市警は、その映像ではかの女が4回潜水したことを示しており、3回は無事にダイビングを楽しんでいたが、4回目に災難にあって最期を迎えたことが明らかになった、と報告した。その最期の映像では、海中で突然痙攣を起こしたことが手の画像から読み取れ、そのあと身体は海面に浮上して波の間に間に漂い、海岸まで運ばれてきたことが記録されている。
サバン市警本部長はかの女の死因に関して、3日の昼にかの女が潜水した海域には海底火山があり、噴出した熱湯を見に受けた可能性が考えられるが、死因をはっきりさせるために司法解剖が行われることになっている、と述べている。


「犯罪、刑務所、われわれ」(2016年4月19〜21日)
ライター: 犯罪学者・インドネシア大学修士課程教官、トーマス・スナルヨ
ソース: 2016年4月9日付けコンパス紙 "Kejahatan, Penjara, dan Kita"

犯罪防止と犯罪者更生に関するさまざまな国連の会議では、自国の国家建設に関して起こる社会・政治・経済上の変化が犯罪を増加させることを予想するように、という参加国へのアドバイスがいつも行われている。
日本は犯罪増加を抑制するのに成功した国のひとつだ。数年前に日本はある刑務所の建設を中止した。犯罪が減少したためだ。
< 刑務所 >
刑務所の生活は異常な生活のひとつである。自由な社会において「選択の自由」原理に対するアンチテーゼをなしている生活のひとつだ。そのような状況下では、服役者同士あるいは看守および環境との間のコンフリクトが発生する傾向を避けることはできない。ましてや、刑務所内の状態がひどいものであれば、なおさらだ。
外部者の目に映る刑務所の穏やかな状態は、本当は脱獄や暴動などの社会不安をもたらす事件として外目に見えているものよりはるかに恐ろしい次元での数あるヒューマントラジェディを覆い隠しているものでしかないのだ。脱獄には、物理的な逃亡もあれば、娑婆での暮らしを夢想して服役者がふるまう心理的な逃亡もある。服役者の更生指導が単なる想像にもとづいて与えられ、本人が知識や技能を向上させるために求めているものにフィットしなければ、問題はもっと深刻化する。
それらの問題を前にして、犯罪者に関する注意・研究・政策の多くが、より人道的な刑務所システムへの改正を目指している。インドネシアでは、服役者の更生指導は53年前にサハルジョ博士が提唱した社会復帰コンセプトに沿って展開されている。
社会復帰コンセプトは復讐に焦点を当てるのでなく、人間同士の統合関係に基盤を置いている。そうすることによって社会との再統合プロセスが、世間と服役者間でトータル的な適合性を持つことになる。
サハルジョ博士が表明した「国は人間を入獄前の状態より邪悪な、あるいは劣悪な者にする権利を持たない」という観念は、社会復帰ビジョンの中の柱のひとつになっている。その言葉を突き詰めるなら、いくつかの新たな思想の次元が浮かび上がってくる。社会復帰面のみならず、犯罪の防止や抑制、あるいは法と正義の確立における刑事裁判の面でも同じだ。
< 国家問題 >
インドネシアでは、1997〜98年の通貨危機以後、犯罪が急激に増加した。現在、インドネシアの刑務所と留置場に投獄されている人数は、収容能力を超過している。その人数の50〜60%はナルコバ使用者だ。皮肉なことに、刑務所内ですら、ナルコバの使用をストップさせることができない。
かつては泥棒・詐欺師・強盗・強姦者・殺人者などが収容者のほとんどを占めていた刑務所は、今ではナルコバの使用者・運び屋・売人・胴元・賭博者・賭博胴元・コメディアン・俳優・汚職者・テロリストらが大勢混じるようになった。元国政高官・銀行経営者・インテリ・専門職者・銀行家・事業主・元判事などのプロフェッショナルや高い能力を持つ者たちも混じっている。こうして服役者の学歴も、文盲から博士やプロフェッサーまで多岐にわたり、年齢も18歳から70歳超まで広がった。服役期間も3か月から死刑まで広範囲で、おまけに外国人の姿もちらついている。
このきわめて幅広い服役者のスペクトルは刑務所の管理運営を複雑にし、包括的な調整や変化を要求している。刑務所が期待されたように運営されていない原因が不十分な施設や予算のせいだということばかりでなく、看守の創造性もルーチン化した職務の中に埋もれてしまっている。人工的小宇宙の心理面での影響は服役者にのみ浸透しているのでなく、看守のメンタリティにも影を落としている。「刑務所内に『客』が増えれば増えるほど、落ちる金は厖大になる」という見解の出現だ。
たとえば、刑務所内で金がなければ、家族訪問仮出獄、社会適応措置、釈放前仮出獄、保護観察などの服役者の権利が削られてもよいのだろうか?保護観察措置を与えられるために、服役者は自分の金を積まなければならない。家族保証金(隣組長・字長・町長の同意が必要)、服役者更生指導院による保証人宅査察、刑務所内での素行証明書、医師診断書、地元検察庁の措置実施会議などの費用に加えて、インドネシアに特有のありとあらゆるものごとのためにばらまく金を用意しなければならないのだ。
今、首都圏一円で保護観察措置のための『普通』のプロセスをクリヤーするためだけであっても、4〜6百万ルピアの金がかかる。だから、その恩典を享受している服役者は、そのレベルの資金力を持っている者に限られているわけだ。金がなければ、保護観察措置を受けて服役期間内なのに娑婆に舞い戻ってくることはまず不可能だ。
服役者が自動的にそういう権利を与えられているのは、刑務所内に収容されている人数を減らす方法のひとつなのである。一方、刑罰や入獄期間の平均値が作られていないために、服役者数と入獄期間のカーブを描くことができず、どの刑罰の服役者が溜まっているのかということの詳細がよくわからない。その結果、刑罰と恩赦の関連性を探ることができないでいる。それを無理に作ったところで、統計的な整合性に対する責任は持てない。
犯罪を繰り返す前科者に関する統計データも存在しない。そのため、刑務所がどれだけ犯罪者を更生させているのかということの証明が手に入らない。窃盗犯罪と失業率(経済生活における困窮度合い)が正比例関係にあるという仮説にしたがえば、窃盗犯罪者が服役しても、釈放されたあとまた同じ社会状況の中に戻って行くなら、かれはまた同じ犯罪を繰り返す傾向を持つだろう。その分析には、他の社会科学分野との統合がきわめて重要になる。
既に批准されている国連の「服役者取り扱いルールの最低基準」では、刑務所管理従事者に関する項目に、まず刑務所管理運営機構は各レベルの従事者の包括的選択基準を用意しなければならない、と記されている。つまり、適切な刑務所運営は奉職する従事者の誠実さ・人道性・専門能力・個人の適性に負うところが大きいことをそれは意味しているのである。
次に、刑務所管理従事者はできるかぎり、精神医学者・心理学者・社会奉仕家・教師・ビジネスインストラクターなどのような、十分な専門能力を身に着けなければならない。
更に、刑務所管理従事者は素行が良好で、効率性を重んじ、高い精神的能力を持たなければならない。給与はそれらの専門性を持つ職業にふさわしいものでなければならない。
わたしの知っているかぎりでは、刑務所に奉職している者の大部分は刑務所に関する知識を刑務所学院(現在の名称は刑務所学ポリテクニック)在学中に学んだだけだ。それらが、共に解決していかなければならない問題のいくつかの例なのである。
< 帳を脱ぎ捨てる >
刑務所コンセプトが成功するかしないかは、他の政府機関や社会がどれだけそれに協力するかどうか次第である。イギリスでは1944年の教育法で、服役者に教育を与える義務を地元教育局に負わせる権限を教育大臣に与えている。他にも1910年には、服役者の更生に役立つ書籍を刑務所に供給するための省内委員会が作られている。
服役者の更生に社会がどこまで参加するかについても、刑務所に対する法的位置付け次第だ。本質面にせよ手続き面にせよ、もし刑法が現在のような拘禁性重視の刑罰よりももっと社会性の強い観念に立脚して社会的オリエンテーションを指向するものになっているなら、それは起こりうるのである。
対立する価値システム、明示的でない組織や政策などは新たなコンセプトの存在・不適切な施設・制度化された矛盾を含む古い価値観・時代遅れの法規等を映し出している鏡であり、刑務所に新たなコンセプトを与えることを遅らせている原因だ。その新たな方法の合法化は天から降ってくるものなのでなく、最も深い関係を持つ政府機関が理想の実現を求めて、グッドガバナンスに即して努力しなければならないものなのである。その政府機関が帳を脱ぎ捨てるとき、それが可能になるだろう。


「差押え手続きは命がけ」(2016年4月19日)
差押通知書を届けに訪れた国税職員を激昂した滞納者が殺害するという事件が起こった。北スマトラ州シボルガ国税事務所職員ふたりは管区内のニアス島グヌンシトリのヒリハオ村でゴム売買事業を行っているAL45歳の自宅を2016年4月12日11時半ごろ訪れた。国税職員ふたりのうちのひとりはP30歳で、かれは差押え執行員としてのキャリアを歩んできた。もうひとりのS35歳はシボルガ国税事務所警備員で、執行員の身辺警備が第一の任務だ。
ALによれば、通知書に記載された2010〜2011年の滞納税額に対する請求金額は147億ルピアにのぼっていた由で、予想外の巨額な請求金額に驚いたとのこと。PはALに通知書を提示し、24時間以内に請求金額を納めなければ全資産を差し押さえると通告した。あまりにも厖大な金額に頭を痛めたALは、ふたりにゴム倉庫近くのガゼボで待っていてくれと言って自分は家の中に入った。
家の中に入ったALは、自分がこれから何をするのかを決心していたようだ。ナイフを手にすると、国税職員ふたりが待っているガゼボに向った。ALはガゼボで即座にSに襲い掛かり、何度もSを刺した。生命の危険を感じたPはその場を逃げ出した。ところがALに雇用されている者たちがPの逃亡を阻んだ。17歳・18歳・22歳・43歳の四人の男たちがPを捕らえて暴力をふるい、やってきたALが倒れているPの頭蓋を石で割った。
ふたりを殺害したALはその足でニアス警察署に自首して出た。衣服は血まみれだったという。ALは殺害の動機について、あまりにも巨額の請求に目の前が真っ暗になり、分別を失った、と取調べに供述している。
国税総局始まって以来、差押えプロセスで納税者が差押え執行員を殺害するという事件はいまだ起こったことがなかった。この前代未聞の事件を前にして国税総局長は全国のすべての税務職員に対し、意欲を持って職務遂行に励むように、との訓示を与えたとのこと。


「8年間、姪の身体を・・・」(2016年4月22日)
北ジャカルタ市クラパガディン郡プガンサアンドゥア町ラワ部落の一軒の家で2015年12月14日20時ごろ、諍いが起こった。外出先から帰宅したその家の主婦が浴室に入ろうとしたところ、鍵がかかっている。中に複数の人間がいる気配がする。主婦は扉をノックした。しばらくして夫のS35歳が扉を開き、妻であるその主婦を浴室から遠ざけようとして表のほうへ誘ったが、妻はそれを振り払って浴室内に入った。中に、まだ15歳の姪Nがいた。
妻は動顛しながらも、夫に詰問した。「あなた、ここで何をしてたの?」
夫のSはとってつけたような答えをあれこれ言って、まともに返事をしない。妻はしかたなく姪を連れて夫のいない場所へ行き、姪に疑問の答えを求めた。夢想だにしていなかった話しが姪の口から明らかにされた。
Nは幼児のころに両親を失って孤児になり、それ以来祖母に育てられてきた。その祖母はSの妻の母親だ。祖母の家はSの家から二軒置いた近所にあり、祖母が用事で外出するとき、NはいつもSの家に預けられた。
定職を持たないSはたいてい家にいた。だからSがNとふたりだけになる機会は山のようにあったということだ。SがNの肉体をはじめておもちゃにしたのは、Nが6歳で小学校へ行くようになってからのことだった。妻が外出したとき、Sは学校の宿題をしているNを無理やり膝の上に乗せて欲情の中にのめりこむ。Sの男を受け入れるのを嫌がってNが避けたり暴れたりすると、Sは容赦なく暴力をふるった。Sは事を終えると、2千ルピア紙幣一枚をNに与え、「このことは婆さんに絶対言うんじゃねえぞ。もし言ったらお前の喉笛を鉈で切り裂いて、お前を殺すからな。」とNを脅かしていた。
Sの妻の一族は、明るみに出たその事件をどうしようかと相談した。Sを弁護する者などひとりもいなかった。Sの妻も、夫との関係をご破算にする決意をしていたにちがいない。
こうして北ジャカルタ市警クラパガディン署に届出がなされ、身の危険を感じたSはしばらく身を隠していたが、2016年3月に逮捕された。児童保護法では未成年者との性行為が禁止されており、またSの犯行は刑法にある威嚇下に行う性行為にも該当しているため、警察はそれらを合算して最長15年の入獄および50億ルピアの罰金刑でSを送検することにしている。


「クロボカン刑務所でまた暴動」(2016年4月25日)
バリ州バドゥン県のクロボカン刑務所で、2016年4月21日夜、また暴動が発生した。21日18時ごろ、州検察庁は去る12月17日に起こった同刑務所内での対立するオルマスのメンバー間衝突とデンパサル市内で起こった衝突で殺人を冒した者11人を未決囚としてクロボカン刑務所に留置するため連行した。
2015年12月17日の事件は、
「デンパサルでやくざ出入り」(2015年12月22〜24日)
を参照ください。
これまでの成り行きから検察庁連行責任者もその11人の収容で不測の事態が起こることを懸念し、服役囚代表者らからその11人に対するトラブルは起こさないとの言質を取った。
ところが、その言質はほんの数時間で反故にされた。だれがそれを反故にさせたのかはまだわかっていない。少なくとも、かなりの数の服役囚がその11人と一緒に生活することを拒否したことは疑いがない。11人が同じ獄舎内にいることを拒む囚人たちは、獄舎内ブロックの仕切り扉や窓あるいはその他の設備を破壊し、刑務所管理従事者に向って投石した。刑務所管理従事者たちは被害を避けるために刑務所から出て、警備にやってきた警察部隊員と交代した。また拒否の対象となった11人も21時半にクロボカン刑務所からデンパサル市警本部の留置場に移された。
暴動は4月22日も刑務所内を荒れ狂い、バドゥン県警本部長の辛抱強い説得で22日夜にやっと下火になった。刑務所管理者もバドゥン県警も、その状況を収拾するには11人をクロボカン刑務所でない別の場所に移すしかないと考えており、公判が終わるまでかれらを警察の留置場に収容する措置を採るようバリ州検察庁に対して求めている。
検察庁が未決囚11人をクロボカン刑務所に収容する計画を立てたことについて、法曹関係者の中に既にきな臭いにおいを嗅いだひとびとが何人もおり、検察庁に対して考慮するよう忠告がなされていたが、検察はオルマスメンバーだから他の犯罪者と別扱いすると見られることを嫌って、やや硬直的に刑務所にかれら11人を入れた。そして案の定という結末に至ったわけだ。
バドゥン県警本部長はクロボカン刑務所内の暴動が刑務所管理問題を超えて、バリ州観光事業に悪影響をもたらすことを懸念しており、検察側は県警本部長の意見に従う姿勢を見せている。また今回の暴動で被害を受けた者はいなかったようだ。
バリ州観光業界は今回のクロボカン刑務所内暴動が刑務所の外での衝突事件を招いて、昨年12月に起こったような繁華街の中での流血事件を再発させることを強く恐れている。バリ州経済の大黒柱である観光事業に与える影響は、たとえ刑務所内での暴動で済んだとしても、観光地としてのイメージを傷つけるのは疑いがなく、刑務所管理者も検察も警察もそういうことがらに関して細心の注意を払ってほしい、との要望を述べている。


「思慮分別はどこにある?」(2016年4月27日)
西ジャカルタ市マンガブサールのプラザロカサリで、2016年4月23日5時半ごろ4階駐車場から降りようとしていたホンダシティがスロープの2階に飛び降りて転覆し、乗っていた男女各ひとりが重傷を負った。
このふたりはディスコ「マイルズ」から出てきて帰宅するために車に乗ったが、ブレーキが利かなくなってフロアのガードレールを突き破って落下した、と語っていた。しかし警察の調べによれば、その女性23歳と女性の運転手である男性30歳はふたりでディスコに入ってアルコールを摂取し、同時に筋弛緩薬で抗不安薬でもあるリクロナをそれぞれ2錠服用したとのことで、アルコールと薬の影響で意識がもうろうとしていたための転落事故であるとの結論を警察は下している。
このリクロナはいわゆるクロナゼパムで、医師の処方は一回の服用を1錠とするのがふつうになっている。警察はリクロナがナルコバに該当するかどうかを調べており、国家麻薬庁のナルコバリストに該当する場合はかれらふたりとかれらにリクロナを販売した者が逮捕されることになる。
一方、4月24日7時半ごろ、日曜日のために閑散としている西ジャカルタ市ダアンモゴッ通りで死亡事故が発生した。そのとき、道路上を通行している車はあまりなく、時折二輪車や四輪車が通過していくだけという状態だったが、突然大型バイクの爆音が急速に接近してきた。グロゴル方面からカリドゥルスに向って2台のハーレーが高速で突進してきたのだ。道路脇で物売りをしていた目撃者は、その2台のハーレーはまるでレースをしているようだった、との印象を述べている。
先行する1台を追尾していたもう1台は、前の車を追い越そうとして左に車体を傾けたが、突然コントロールを失ったようで、バス停の柱に激突し、ガードフェンスを突き破って1.5m幅の側溝に飛び込んだ。先行車はそのまま視界から消えた。
警察に連絡が飛び、事故現場が収拾され、事故被害者が病院に運ばれた。ハーレーを運転していた38歳の男性は現場で死亡し、後ろに乗っていた41歳の女性は腰骨を折る重傷で、治療のために病院に収容された。


「TVに熱中していると、後ろから・・」(2016年4月28日)
バンテン州タングラン県クロンジョ郡チルンパッキリルの民家で、一心にTVを見ていた10歳と6歳の兄弟がいきなり鉈で切り付けられ、こめかみと耳の下に傷を負った。言うまでもなく兄弟は自宅にいたのであり、一家の城であるはずの自宅でTV番組に意識を集中して楽しむのはまず普通の人間ならだれでもそうすることで、警戒心を自宅の中で持ち続けるのは、やはり異常なことと言えるにちがいない。
そのとき、一家のみんなも顔を知っている同じ部落民30歳が突然その家の中に上がり込んできたのだ。その男は鉈を手にして知らぬ間に家の中に入ると、素早い動きをして叫びながら子供たちに鉈をふるった。子供たちが倒れたのを見た母親29歳が悲鳴をあげ、近隣部落民に助けてくれと叫んだ。犯人は早々にその家から姿を消した。隣人たちが集まってきて状況を目にし、警察に連絡が飛んだ。
出動して来た警察と部落民たちが犯人を捜索し、1時半ごろ田の畔に座り込んでいる犯人を見付けて逮捕した。この犯人は5年前に妻に離婚され、それ以来精神に異常をきたしていた。


「インドネシア警察をなめるな!」(2016年5月9〜11日)
バリ島に滞在して無法の限りを尽くしていたアルジェリア生れでアルジェリアとフランスの二重国籍者であるアモクラネ・サベット46歳が、かれの強制連行に来た警察とイミグレーションの合同部隊に刃物をふるって抵抗したため、警官隊に射殺された。事件発生は2016年5月2日で、場所はバドゥン県北クタ郡チブブネン村のビラ「ハルモニー」表の路上(パンタイブラワ通り)。
イミグレーションのデータによれば、アモクラネはフランスのパスポートを使ってビザフリー観光目的で入国したが、滞在許可期限は2015年9月27日に切れており、それ以後不法滞在を続けていたとのこと。法務人権省イミグレーション総局は滞在許可期限を超えている在留外国人のデータがすぐにわかるようシステム化を行っているものの、その外国人の居所がわからなければ措置がとれないため不法在留者を網にかけることに困難を抱えており、そこだけ見るなら多数の不法在留者が野放しになっている点への改善はなかなか進んでいないということになる。
その対策として法務人権省イミグレーション総局長は、昔から定められている24時間以上滞在する外来者についての届出を励行するよう国民に求めた。その規則は全国民への義務として定められているもので、居所を持っている戸主がその住所で登録されている者以外の外来者を24時間以上滞在させる場合はRT(隣組長)に届け出なければならない。RTはその届出を管区警察に提出する。イミグレーションが期待しているのは外国人がその届出に登場することであり、そのメカニズムが完全遂行されれば外国人の足取りは容易にフォローすることができる。
この届出制度は個人の私宅だけが対象になっているのでなく、借家・借室からビラ・ホテルに至るまで、人間の宿泊に適した場所はその所有者もしくは管理者がその義務を負わされており、現実に一般のホテルなら客がある日は宿泊客名簿の所轄警察への届出を励行している。だが事業許認可手続きや税務署との関わりを嫌う闇ビラや闇コスがそんな届けを出すはずもなく、ましてや面倒を厭う一般国民が、自分に何の得もなく、へたをすれば宿泊させた知人に迷惑が及んで恨みを買うかもしれないようなことをするはずがない。だから、ほんの一部の領域を除いてこの規則はまったく励行されていないというのが実態だろうとわたしは見ている。
わたし自身、数十年居住しているインドネシアで、日本から知人や?ファミリーがやってきたり、インドネシア人縁者が泊まるときに、そんな届出を行ったことは一度もないし、隣人やRTの様子を見ても、どうやらそんなことが地域コミュニティ内で行われている感触もないように感じている。
だからこそ、イミグレ総局長がそれを励行せよと国民に表明しているわけだ。おまけに総局長は、地域内で同じ外国人の姿を何日も目にする場合は、地域住民が届出を出すように、と密告を奨励した。
イミグレーション総局の関心は外国人の入国後の活動と入国許可の整合性、つまりは不法就労や無届研究調査活動、あるいは政治宣伝や国民への扇動といったことがらとオーバーステイなどがメインを占めており、書類上で正当な立場であることが証明されるなら、あまり心配はいらないようにも思えるが、そう単純に割り切れないところがインドネシアのインドネシアたるゆえんだろう。
バリ島に滞在して以来、アモクラネの素行がきわめて悪質であることを地元民は恐怖とともに思い知らされた。地元食堂の警備員が語ったところによれば、アモクラネが初めて来たとき飲食した末に金も払わず立ち去ったため、二度目にやってきたとき食堂マネージャーがかれを追い払おうとしたところ、アモクラネは怒ってマネージャーに暴力をふるう寸前となり、マネージャーは近隣に響き渡る大声で助けを求めるという事件があった。
それ以外にも、その地区のレストランで観光客が食事をしていると故意に怒らせるようなことをし、あるときは通りを歩いている白人観光客夫婦の前に立ちはだかって、「おまえのワイフは美人だなあ。ちょっとオレに貸してくれよ。」と夫に面と向かって言うなど、札付き不良外人としての本性を存分に発揮していたそうだ。
言うまでもなく、スミニャッからチャングのブラワ海岸一帯にあるホテルやビラなどの宿泊施設、レストランや食堂ではこの男がブラックリストに載せられており、事件を起こすたびに地元民から北クタ署に届けが出されていた。
4月7日にも、アモクラネはパンタイブラワ通りを自動車で高速運転し、路上にいる地元民に危険をもたらしたという届けが出されている。北クタ署は届を受けるたびに、事情説明を求めるためアモクラネに召喚状を送ったが、アモクラネは中をも見ずに破り捨てていた。
実は、このアモクラネは世界総合格闘技界のファイターで、ロンドンケージファイターズクラブに所属して1999年から2011年まで活動した。その時期、かれはキアネ・サベットという名前で知られている。情報では、その世界でかれは1勝3敗という戦歴だったそうだ。1999年の初戦では勝ったものの、2009年に行った対戦で敗れ、それから2010年・2011年と毎年敗れたという記録が残されている。
ともあれ、2メートル近い筋骨隆々たる巨体に全身刺青だらけ、格闘技で鍛えた攻撃力は言ってみれば「歩く凶器」そのものであり、暴力で他人を威嚇し支配しようとするのは凶器を持つ人間の常だから、そんな凶器(狂気?)人間が地元ソサエティの中に住み着いたら、地元民にとってはたまらないだろう。
2016年5月2日、北クタ署とデンパサルイミグレーション事務所は、数回行われた召喚に応じないアモクラネを強制連行するため、かれの居所に合同部隊を派遣した。連行対象者の逃亡を防ぐために家の周辺に捜査員を配置してものものしい警戒態勢が取られたのを見たアモクラネのアドレナリンが燃え上がったようだ。バリのへなちょこ警察など追い払ってやる、とかれは思ったのかもしれない。アモクラネはナイフを手にして屋外に出た。
そして強制連行状を渡すために近寄ってきた捜査員に向ってナイフをふるった。その犠牲になったのは北クタ署犯罪捜査課の警部補だ。警部補の身体にナイフは8回突き刺さり、そのひとつが心臓を襲ったため、警部補は病院へ運ばれる途中で死亡した。
その状況を目の当たりにした捜査員たちは銃口をアモクラネに向ける。アモクラネはナイフを片手に持ったまま両手を広げて「Shoot me, I'm Psycho...Shoot Me, let's witness if I am gone」と叫び、そのあと再び別の捜査員に襲い掛かった。
警察は最初ゴム弾をアモクラネに対して使ったが、本気で捜査員を殺傷しようとしている姿を目の当たりにして、実弾射撃に切り替えた。記録映像を見ると、15発ほどの銃声が聞こえるが、実弾が何発使われたのかはよくわからない。
インドネシア警察が普段から人間を簡単に射殺する姿は、[これがインドネシア>事件簿>人命秤針ー他自殺編]を見ればよくわかるはずだ。インドネシア警察をなめてはいけない。
インドネシア社会に流されている情報を見聞するかぎり、5月4日まではそういうストーリーになっていた。ところが4日に公表されたアモクラネの検死報告によれば、アモクラネは射殺されていない、という驚くべき展開が起こった。
アモクラネの身体に見つかった外傷は、ゴム弾の痕跡24か所、そして刃物による傷が12か所あったと報告されている。バリ州警長官は、「普通の人間はゴム弾を身体に受ければ立っていられなくなるが、アモクラネはものともせずに向ってきた。あの強さはただものではない。」と驚嘆をあらわにしている。たとえそれがどれほどの悪人であろうとも、インドネシア人は強い者を尊敬するという民族文化がここにも表れている。
それはともあれ、実弾は一発もアモクラネの身体にめり込んでいなかったということであり、つまり実弾を撃った捜査員はひとりもいなかった可能性が出てきたわけだ。
検死報告では、アモクラネの死因は首にできた刃物傷で気管が切断され、血が肺に入って死亡したという所見になっている。そのようなことが起こる可能性はただひとつしかない。アモクラネが警部補にナイフをふるったとき、警部補もおとなしく殺されたのでなかったということだろう。そのときふたりはもみあって側溝に落ちた。その日出動した捜査員たちはだれひとり刃物を形態していなかったから、アモクラネが受けた刃物傷はかれが自分で持ち出してきたナイフによるとしか考えられない、と州警長官は述べている。


「盗漁中国漁船に発砲して拿捕」(2016年6月6日)
南シナ海南部に位置するインドネシア辺境の領土ナトゥナ諸島近海の排他的経済水域内に侵入して操業していた中国漁船クイペイユ27088号をインドネシア海軍艦艇が拿捕した。拿捕する過程で、インドネシア艦艇は中国漁船に発砲している。
5月27日に海軍レーダーはパトロール海域内に中国沿岸警備艇2隻に護衛された中国漁船1隻が侵入したことを示した。即座に、その海域をパトロールする任務を与えられているインドネシア海軍フリゲート艦オスワルシアハアン号がレーダー画像を確認するために当該ポイントに向った。
当該ポイントに接近したオスワルシアハアン号が目視で3隻の中国船を確認したとき、中国船もインドネシア艦艇の接近を知って逃走を開始した。漁船は8ノットでジグザグ走行する。オスワルシアハアン号艦長は総員戦闘配置を下知し、16ノットに速度を上げて漁船の後を追った。
距離がつまったところでオスワルシアハアン号は漁船に向けて警告を無線と拡声器で発したが、中国漁船はそれを無視して逃走を続ける。オスワルシアハアン号は漁船船首に向けて警告射撃を行った。それすら無視されたから、あとは強硬措置をとるしかない。次の射撃は船橋に向けられた。着弾が観測され、漁船は停止した。
オスワルシアハアン号に曳航されてナトゥナ海軍基地に着いたクイペイユ27088号の船腹には、ナトゥナ海域で獲れる魚種が多数見つかった。海軍はこの漁船を盗漁現行犯として法的措置を取る意向。
この事件に対して北京の中国政府は5月30日、インドネシア政府に抗議声明を出し、その漁船はこれまでと同じようにその海域で漁労を行っていただけであるので、インドネシア側が拿捕した船と逮捕した8人の漁船乗組員を即刻解放するよう要求した。
これは去る3月19日にナトゥナ海域で起こった不法漁業撲滅タスクフォース警備艇ヒウ2号による盗漁中国漁船拿捕と中国警備艇による拿捕漁船奪還事件に続く第二弾と言えよう。
3月の事件では、インドネシア政府外務省が中国政府に対して、中国警備艇の領海侵犯を非難する声明を出したが、中国政府は領海侵犯をしていない、という反論を出して議論は主張のすれ違いに陥ったままだ。


「ITに強ければ救われる」(2016年6月15日)
アーティストのソーシャルメディアアカウントを乗っ取り、6ヵ月以内に返してやるから5千万ルピア払えと強請った17歳の青年を、首都警察特殊犯罪捜査局が逮捕した。
被害を受けたのは、元アーティストで現国会議員であるヴェンナ・メリンダの子息で、アーティストの道を歩んでいるヴェレル・ブラマスティヤ20歳。犯人の青年は学業がお粗末で、修業国家試験に落第するような成績であり、コンピュータの知識も、公式な教育機関で学んだことがない。そんな人間が21歳の姉のサポートを受けて、まったくの独学でコンピュータプログラミングを習得し、ハッキングを行ってインスタグラムアカウントのひとつに侵入した。
犯人はヴェレルのアカウントに侵入してeメールアドレスを変えてしまい、ヴェレルは自分のアカウントへのアクセスが不可能になった。そして犯人がヴェレルにコンタクトしたというのが事件の内容だ。
ヴェレルはその交渉に応じて5百万ルピアの金を犯人に与え、同時に警察に被害を通報した。警察は捜査を進めて態勢を整えた上で、犯人おびき出しにヴェレルを協力させ、6月3日にヴェレルが南ジャカルタ市のモールで犯人と会っているときに捜査員が逮捕した。
未成年者の犯罪が増加している中、警察はこの青年の頭脳の良さに目を留め、善悪をわきまえた正しい道にかれを導き、もっと生産性のあることを行わせるほうが国家民族のためである、という結論を出した。警察はこの事件を法的プロセスの対象とせず、青年の生活環境内のひとびとに対してその意図を仲介し、青年の更生を推し進めることにしている。


「ひとを見たら、悪人と疑え」(2016年7月5日)
ランプン州中部ランプン県タンガムス郡タランパダンに住むサディオ氏50歳の一家は中部ジャワ州スマランにトヨタキジャンでルバラン帰省するため、スンダ海峡渡海フェリーでジャワ島に入り、ムラッから自動車専用道で西ジャカルタ市クブンジュルッまで来た。そしてクブンジュルッ料金所から一般道に出てしまったのだ。ところが、そこからどのようにしてチカンペッ自動車道まで行ったらよいのかよくわからない。
キジャンに乗っているのは妻のアニサさん48歳と、娘のミラティさん16歳だけ。男は運転しているサディオ氏ただひとりだ。
道がよくわからないため、サディオ氏はゆるゆると車を走らせた。トマン地区にあるモールタマンアングレッの前でプガメン稼ぎをしていたふたりの男にサディオ氏は道を尋ねた。「チャワンまでどのように行けばよいかね?」
そのふたりは、自分たちもこれからチャワンへ行くので、一緒に乗って道案内をしますよ、とサディオ氏に売り込んだ。渡りに船とはこのことだ。
都内環状自動車道をチャワンに向って走り、ワスキタカルヤビル前まで来たとき、ふたりの男はいきなりナイフを手にしてサディオ氏一家を威嚇した。「金目のものを全部出しな!」
妻と娘の身の安全を考慮して、サディオ氏は2百万ルピアと自分の携帯電話を差し出した。しかしそんな不甲斐ない自分にサディオ氏は腹が立ったのかもしれない。かれはいきなり、ナイフを突き付けている男に反撃を試みたのだ。驚いた男はナイフをサディオ氏のみぞおちに突き刺した。そして手に入れた金目のものを持ってキジャンの扉から飛び降り、インドネシアキリスト教大学の方向に逃げ去った。
車の中の三人は、何をどうすればよいのかわからず、互いの身を案じて励まし合うばかり。そうこうしているうちに、都内環状自動車道の路肩に停まったままの車に不審を抱いたハイウエーパトロールと自動車専用道管理会社のパトロール車がやってきて停まった。
サディオ氏は急遽最寄りの病院に運び込まれて治療を受けたが、刺されてからおよそ1時間後の午前1時半に息を引き取った。警察は強盗殺人犯の捜査を開始する。
犯人の足取りを追跡した警察は、48時間も経過しないうちに、犯人ふたりをチビノンで逮捕した。32歳と37歳の男はそれぞれがチビノンの親戚の家に隠れていた。


「トランスジャカルタバス内スリの新手口」(2016年8月15日)
2016年1月27日付けコンパス紙への投書"Modus Baru Kejahatan"から
拝啓、編集部殿。去る1月15日にわたしはピナンランティターミナルからトランスジャカルタバスに乗りました。車内は乗客でいっぱいでした。わたしは最後尾の座席の左端に座りました。バスの進行方向に向いたわけです。
疲れていたので、わたしはついうとうとしました。ところが、だれかの大きな叫び声がわたしを現実に引き戻したのです。そのときバスはジャゴラウィ自動車専用道をタマンミニ料金所に向って走っていました。時間は21時ごろです。聞こえて来たのは、「煙だ。煙だ。火が出ている!」という叫び声でした。
車内の乗客は一斉に色めき立ち、避難しようと押し合いました。そして運転手に向って「ドアを開けろ!」「ドアを開けてくれ!」という叫び声があちこちから起こりました。パニックが車内に充満したのです。
運転手は路肩に車を寄せて停車しました。乗客がドアをこじ開けようとしましたが、開きません。そのうちに、運転手がドアを開いたので、ドアの近くにいた乗客たちから争って地面に飛び降りました。妊婦までもが飛び降りました。そして車内は空っぽ。そこは自動車専用道の真っただ中なのです。
わたしは車掌に尋ねました。「本当に火か煙が出たんですか?」
「わからない。乗客が勝手に騒いだんだ。もし本当に出火したり煙が出れば、運転席のパネルにある警告灯が必ず点灯するはずだ。」というのが車掌の返事でした。
わたしはトランスジャカルタバスがマトラマン地区で煙を出したのを見たことがあります。
そこからタマンミニ料金所が前方に見えたので、わたしは他の初対面の乗客ふたりと一緒にそちらへ向かって歩くことにしました。他の乗客の中には、後からやってきたトランスジャカルタバスに乗せてもらったひともあり、また元のバスに戻ったひともありました。一緒に来たわたしの兄弟も、元のバスに戻りました。
後でわたしの兄弟に会ったとき、かれはバスの状況を教えてくれました。
バスでは火も煙も出ておらず、乗客の財布が無くなっただけだったそうです。もし財布が無くなったひとが何人もいたという話が本当なら、これは公共運送機関内で行われる犯罪の新手口ではありませんか?車内をパニックに陥れて、警戒心を失って騒ぐ乗客から財布を盗み取るのですから。わたし自身、うとうとしていたとはいえ、あのとき車内には煙も火も見えず、また臭いもまったくなかったことを記憶しています。
車内の保安と快適さを確保するよう、当局にお願いしたいと存じます。不審なグループが乗車したときは、かれらの監視を怠らないようにしてください。[ 東ジャカルタ市在住、アブドゥル・カディル・ソレマン ]


「ポケモンゴー殺人事件」(2016年8月19日)
南カリマンタン州タナラウッ県タンバンウラン郡で高校生が小学生を殺害する事件が発生した。小学校5年生の男児イタブ11歳が、16年7月24日に村のムソラで行われた夕方の礼拝集会に行ったまま帰宅しない。イタブの家とムソラはおよそ百メートルくらいしか離れていないのだ。そしてその日20時ごろ、イタブの姉ユスリナ21歳のスマートフォンにイタブから通信文が入った。「三人に誘拐され、バンジャルマシンの方角に運ばれてる。助けて!」
家族はすぐに警察に届け出た。州警察・県警察・郡警察の合同チームが捜査を開始する。
イタブの友人たちにも同じ文面のSMSがイタブのスマートフォンから届いていたことを知った警察は、電話オペレータに協力を求めてイタブのスマートフォンの所在を追跡した。
イタブのスマートフォンはタンバンウラン郡グヌンラジャ村にある。捜索の輪を詰めていった警察は、そのスマートフォンを持っていたJHを8月9日23時10分に逮捕した。JHは18歳の高校12年生だ。警察の取調べにJHは素直に自供した。イタブは自分が殺したのだ、と。
7月24日、礼拝集会が終わると、JHはポケモンゴーを一緒に遊ぼうと言ってイタブを誘い、ムソラから百メートルほど離れた空き地に連れて行った。前もってそこに隠しておいた除草剤入りの飲み物を取り出して、JHはイタブに勧めた。5分もしないうちにイタブは激しく嘔吐し、そして気を失って倒れた。それを見たJHはすぐに自宅へ戻って鍬を取って来た。
イタブは地面に横たわっていたが、まだ絶命していない。JHは鍬の柄でイタブの頭を殴り、息の根を止めた。そして死体を大袋に入れると、適当な場所に穴を掘り、袋ごと死体を埋めて土をかぶせ、わからないようにしてからその場を去った。イタブがまだ生きているかのように偽装しようと考えて、JHは20時ごろ、イタブのスマートフォンに入っているいくつかの電話番号にSMSを送った。
JHはそれからも普段と同じ暮らしを続け、毎日学校へ行通い、イタブの失踪にかれが関わっているという疑惑を誰にも抱かせなかった。イタブ殺害の動機についてJHは、イタブのスマートフォンにポケモンゴーのアプリが完璧に入っているため、それが欲しくてイタブを殺した、と述べている。


「独立記念日の犯罪」(2016年8月24日)
8月17日の独立記念日。トゥジュブラサンと呼ばれて、大統領から一庶民に至るまで官民あげての一大祝祭が行われるこの日も、犯罪者たちは稼ぎに精を出している。とはいえ報道された犯罪は祝日の夜明け前に行われており、陽が上がれば全土を埋める紅白旗の下で記事にもされない犯罪がどれだけ行われたのかはっきりしない。コンパス紙が報道した、その日起こった犯罪事件のいくつかをかいつまんでご紹介しよう。
深夜3時45分ごろ、西ジャカルタ市カリドゥルスに住む33歳の男が南ジャカルタ市クバヨランバルのブロッケムに近いファレテハン通りのフットサル場にやってきた。そしてまず目に付いた男ロフマッから携帯電話機を奪った。見知らぬ男が近寄ってきていきなり自分の持ち物を強奪しようとしたのだから、ロフマッが抵抗しないわけがない。一緒にいた友人シディッも加勢する。するとその男は折りたたみナイフを出して二人を刺し、獲物を奪って逃げた。
犯人は普段からプレマン稼業をしているごろつき男であり、そのときはアルコールが入っていたので怖いもの知らずになっていたようだ。男はファッマワティ通りのゴールデントゥルーリー商業地区に移動して、サファルとデディに出会った。かれらはプレマン稼業の同業者だが、敵対関係にあった。
男は即座に路上に転がっているコンクリートブロックを手にしてサファルの頭に打ちかかって行った。サファルは激しい脳震盪を起こして倒れ、運び込まれたプルタミナ中央病院で13時間後に死亡した。サファルを介抱しようとしたデディをも男はナイフで刺し、そこから去った。警察はその日のうちに、餓狼のようなその犯人を逮捕している。
やはり未明のころ、ブカシ県クルタサリにあるBRI銀行ATMブースに挙動不審な男がいるのに警備員が気付いた。ひと足の絶える時間帯に人間がブース内に長居しているのは怪しい。そこからちょっと離れた場所に自動車が一台駐車しており、運転席には人影がある。警備員は警察に通報した。
パトカーがやってきたのに気付いたATMブース内の男はそそくさと駐車している車に乗り込み、車はすぐに発進した。警備員がATMブースを調べたところ、中には3キロ入りガスボンベと溶接機が残されており、ATM機に穴が開けられる寸前だった。監視カメラには黒色のペンキスプレーが噴射されていた。
パトカーは逃げ出した車をそのまま追いかけ、停止を命じる警告射撃を行った。それが無視されたので、次にフロントガラスと車体に向けて発砲する。カーチェイスが展開され、およそ1キロほど走ったところで犯人の車は街路樹に激突し、大破して止まった。街路樹は倒れて傍らの店舗住宅建物一部を損壊させた。
車内のひとりは衝突のために死亡し、もうひとりも重態で警察病院で治療を受けている。死亡したのは15歳の現役高校生だった。もうひとりの男は22歳の現職警官で階級は二級警部補。大破した車内からは、エアソフトガン、台所包丁、鉈が発見されている。
やはり未明に南ジャカルタ市カレッにある一軒のコスで、二輪パトロール警官が二輪車盗難現場を目撃した。ひとりの男がコスの敷地内から後ろ向きに二輪車を押して路上に出ようとしており、近くでもうひとりの男が二輪車に座ってそれを見ている。ふたりのパトロール警官が近寄って行くと、二輪車に座っていた男がいきなりピストルを出して警官に発砲した。もうひとりの男もピストルを抜く。警官ふたりは即座に応戦し、銃撃戦が展開されたあと、二輪車の男は地面にくずおれた。
ひとりの警官がもうひとりの犯人と格闘に入る。しかしこの犯人は巧みに警官の腕をすり抜け、オートバイで逃走した。逃すまいと警官は脚と腰に発砲したが、犯人は転倒もしないで逃走してしまった。射殺された犯人は36歳の男で、左こめかみから右側に銃弾が貫通していた。


「ナルコバ隆盛の四原因」(2016年8月26日)
2016年2月6日付けコンパス紙への投書"Empat Alasan Narkoba Marak"から
拝啓、編集部殿。逮捕者が増えれば増えるほど、ナルコバの流通も増大しています。ナルコバ流通を阻止するミッションを背負っている国家麻薬庁と国家警察はそんな状況に直面しているのです。わたしが見るところ、ナルコバ隆盛の原因は四つあるようです。
まず、逮捕されたナルコバ流通者のニュースには、ナルコバ重量と金額の情報がいつも添えられます。1月26日の最新ニュースでは、中部ジャワ州ジュパラで国家麻薬庁と警察が8人を逮捕し、中国から密輸入されたナルコバ100kg金額3千億ルピア相当を押収したとTV・ラジオ・印刷メディアが報じていました。そのファンタスティックな金額は、精神の頑健でない人間をこのハラムなビジネスに飛び込ませようと常に誘惑し続けるのです。給料がかつかつの不良刑務所看守や運に恵まれない各地に住む市民がこの大儲けできる商売に関わろうとするのも当然でしょう。
ナルコバに公式価格はありません。どうして3百万ルピアとか6百万ルピアといった金額にしないのでしょうか?
次に、覆面です。現行犯逮捕されたナルコバの輸入者・流通者・使用者たちのアイデンティティを隠す必要はないにも関わらず、記者発表など公共の場に引き出されるとき、犯人たちはみんな覆面をつけています。現行犯逮捕された野蛮人たちが、どうして推定無罪原理を適用され、礼節を尽くして取り扱われるのでしょうか?
三つめ、証言。テレビ局が制作するナルコバ常習者の実態ルポ番組(一般にアーチストが主人公)はたいてい犯罪捜査ドラマ仕立てで作られます。しかしテレビ局はこの種の番組もレーティングアップに貢献させようと考えていて、視聴者に懲罰効果を与えて同じ道をたどることを戒めるべきこの機会も、お楽しみ要素を盛り込んだ教育性からほど遠い仕上がりになっています。主人公たちはあまり後悔の念を示さないどころか、反対に自慢を示す傾向が感じられます。
四つめ、リハビリ。ボゴール県リドのリハビリセンターは、法の網から逃れるための新たな避難港になっています。リハビリプロセスを終えたナルコバ常習者はほとんど全員が、再び常習者に戻っていると報道されています。つまり政府は、もっと適切な新しい方法を開発しなければならないのです。リハビリセンターから戻ったナルコバ経験者の生活環境を変えることを含めて。[ ブカシ在住、ズルキフリ ]


「フェイスブックプレイボーイの失敗」(2016年8月29・30日)
ソーシャルメディアでナンパしようと構えている男の中に剣呑な者がいささか含まれている。かれらにとってそれは例によって男と女が行う狐狸ゲームの場だから、本質はどちらがマトレ(matre)勝負に勝つかということであるにちがいないが、その種の剣呑な男が敗れて引き下がるはずがない。そうなったとき、女の生命は風前の灯と化す。
南ジャカルタ市チプリールのチルドゥッラヤ通りに面したホテルブティックチプリールの301号室を掃除するため、ハウスキーピング係員が合鍵でドアを開いた。2016年8月2日の昼過ぎだ。チェックアウトタイムは過ぎている。しかし室内は散らかっており、ベッドの上にはひとがひとり寝入っている。係員は慌ててドアを閉め、同僚にその話をした。
その係員は301号室の様子に気を配っていたが、室内から何の動きも伝わってこないことが係員の不審を濃いものにした。1時過ぎになって、もう一度301号室を訪れた。今度は同僚とふたりだ。ドアをノックしても反応がない。宿泊者名簿から泊り客の名前がわかっているので、「ベラ・オクタヴィアニさん」と大きな声で名前を呼んでみたが、それでも反応がない。不審を抱いたふたりは上司に報告した。
前夜23時過ぎにひとりの男性とチェックインしたベラ・オクタヴィアニは、胸にBellaというタトゥーを刻んだ全裸の姿を上掛の下に秘めて、ベッドの上でうつむけに死んでいた。被害者の身元は、チェックインの際にフロントに示したKTPからすぐにわかった。警察の捜査が始まる。
被害者は南タングラン市ポンドッカレンに住む20歳の大学生で、幼い頃からかの女を育てた叔父とふたりで暮らしていた。つい最近も、ベラの就活のためにあちこちの会社に連れて回ったばかりだった、とその叔父は物語る。かれによれば、ベラは8月1日に女友達の家に泊まりに行くと叔父に言い、許可をもらって家を出た。ところがその女友達の家に泊まっていないことがわかり、叔父は心配し始める。そしてポンドッカレンのベラが殺害されたというニュースがメディアに飛び交いはじめたから、かれは市警本部を訪れ、そして仰天することになった。
ベラは普段から、ソーシャルメディアにのめりこんでいた。インスタグラム・フェイスブック・ツイッターのすべてにアカウントを持ち、またライン・パス・ウイチャットの三メッセンジャーアプリをも使い分けでいた。フェイスブックだけでもアカウントを三つ作り、その中でタングランのヤスピタスルポン高校卒業生であるとか、リッポカラワチのインペリアルクラブゴルフでキャディをしたことがあるといった経歴を披露していた。
警察は8月1日夜にベラと一緒にホテル客室に入った男の監視カメラ映像と、そしてベラのソーシャルメディアやメッセンジャーに残っている通信などから、容疑者を割り出した。8月3日16時半ごろ、警察が割り出したその男ファジャル・フィルダウス・プルサダ24歳が西ジャワ州東ブカシ地区で逮捕された。逮捕されたとき、ファジャルはベラのスマートフォンと現金60万ルピアを持っていた。
ファジャルとベラはバーチャル世界でおよそ一年前から交際を始め、初対面がホテルへの直行だったようだ。ファジャルはフェイスブックプレイボーイで、ソーシャルメディアで女性を篭絡することに熱心だった。ベラの前にも、何人もの女性を陥落させている。もちろん、陥落させるのはセックス目的だけでなく、物質的利益の二股がかけられていたのは言うまでもあるまい。
検死報告書によれば、被害者の死因は酸素欠乏であり、要は扼殺である。その際に被害者は激しく抵抗したようで、首・頬・腕などに打ち身のあざがいくつか作られていた。
逮捕されたファジャルは太り気味の身体で身長165cm前後、そしてかなりのイケメンだったと警察は記者発表で明らかにしている。ファジャルは取調べの中で犯行を認め、殺害時の状況を物語った。
ファジャルは二度結婚して二度離婚し、そして女を食い物にする道に入った。警察はファジャルを無職と言っているが、イリーガルだから職業と認めないという姿勢は本当に論理的なのだろうか?
生贄の女を求めるファジャルに、チャンスが飛び込んで来た。メッセージのやりとりをしているベラが、金の無心をファジャルにしたのだ。ファジャルはほくそ笑んだにちがいない。「オレが用立ててやるよ。どっかで会おう。」という返事をしたのが目に見えるようだ。
初対面のベラとファジャルは初デートのあと、ホテルへ直行した。もちろんベラは、ファジャルが用立ててくれている金を期待してファジャルの要求のままに従ったのだろう。性的潔癖さは、ここでは神話でしかない。
ファジャルはアルコール飲料を持ち込んで、ベラを酔わせた。アルコール飲料など存在しない世界で育ったベラには、効果てきめんだったにちがいない。ふたりは男と女の関係を結んだ。アルコールの影響で二度も桃源郷に踏み込んだ。ことが終わってベラが夢とうつつの間をさまよっているとき、ファジャルのスマートフォンがメッセージの着信音を鳴らした。ファジャルがメッセージを開く。ベラがその画面をのぞき込み、それが別の女からのものであることを知って、いきなりファジャルに背を向けた。嫉妬して拗ねた女をどう扱えばよいのか、ファジャルが知らなかったわけでもあるまい。かれはスマートフォンを置いてベラの身体を後ろから抱いた。そして右手をベラの顔に当てがったとき、ベラがファジャルの指を本気で咬んだ。そして喧嘩が始まる。ベラの首を絞めるのが、ファジャルのそのときの事態収拾方法だったようだ。
ベラは抵抗したが、そのうちに力が弱まった。ほとんど身動きしなくなったが、まだ右脚が動いている。ファジャルは浴室に入って水を溜め、ベラの顔をそこへつけた。ベラはまったく動かなくなった。ベッドの上にベラを横たえたファジャルは身づくろいすると、ベラの持ち物を全部奪い、8月2日午前3時ごろにホテルを立ち去った。
ベラ以前にファジャルの生贄になった女性のひとりが22歳のDという人物のようだ。ファジャルは数年前にこの女性を篭絡し、デートしてからボゴールのホテルに連れ込み、その肉体と持ち物を奪った。DのKTPをファジャルはいまだに持っており、必要に応じてそれを使っている。KTPが必要とされる場面で本人のものでないKTPが提示されても、多くの場合それで通るという形式主義がインドネシア文化なのである。
その事件についてDは被害届を出しておらず、ファジャルの罪状をより完璧なものにするため警察はDを捜索した。しかしそのKTPの住所にもうDはおらず、警察は行方を追求している。Dが被害届を出さなかったのは、世間の外聞を怖れてのことであるにちがいない。だから警察がDを探し出し、それがメディアに書かれたら、Dにとっては迷惑至極だろう。もちろん被害届を出す出さないは本人の意向次第だから、Dがファジャルなどに会ったこともないと言って押し通せば、それまでのことなのだが。


「夜行列車に泥棒の影」(2016年9月5日)
2016年4月18日付けコンパス紙への投書"Tas Hilang di Kereta Api"から
拝啓、編集部殿。去る4月8日、われわれ5人はブリタルからヨグヤカルタへ、21時55分発の夜行列車マリオボロエクスプレスを利用しました。その日に撮影を行ったので、撮影機材がいろいろありました。
深夜1時に列車はマディウン駅に停車しました。列車が動き始めたとき、われわれはそのときやっと、バッグがひとつなくなっているのに気付いたのです。そのバッグには、録音機材とデータの記録された外部ハードディスクが入っていました。
われわれは列車内の保安係員に事件を届け出ましたが、係員はたいしたことができません。ヨグヤカルタ駅に到着してから、われわれは駅の係員に事件を届出て、駅長にも面会しました。ところが駅長さえもが、「捜索します」という約束をするだけです。
われわれは尋ねました。マディウン駅で乗降した乗客名簿はあるのですか、と。かれらは乗車した者の名前を示すことはできましたが、降車した者については何の情報もありませんでした。
鉄道警察職員のひとりは、マリオボロエクスプレスのマディウン駅での盗難事件はたくさん発生している、と言いました。それは、マディウン駅で列車乗務員の交代がなされるため、列車内での保安監視機能に空白時間が発生する要因が影響しているようです。
泥棒はそのあたりの事情を熟知しており、そのチャンスを利用しているにちがいありません。ましてや、マディウン駅到着は深夜であり、乗客はみんな寝入っているでしょうから。残念なのは、列車内に監視カメラが設置されておらず、犯行現場の画像がなかったことです。盗難事件があった場合でも、事件の発生した車両内で鉄道警察が乗客の荷物を検査することはできないそうです。だったら、国鉄側は乗客が乗車するときにアイデンティティカードをひとりずつ調べていますが、それが社内保安に結び付けられているわけではないわけです。一体何のためにそんなことをするのですか?[ 南タングラン市ビンタロ在住、FXハルソノ ]
2016年4月26日付けコンパス紙に掲載された国鉄からの回答
拝啓、編集部殿。16年4月18日付けコンパス紙に南タングラン市ビンタロ在住のFXハルソノさんからの投書が掲載されていました。4月8日にマリオボロエクスプレスをご利用いただいたとき、不愉快な体験をなされたことにお詫び申し上げます。
届出がなされたとき、当方職員はただちに事件の捜査を行いました。しかし今現在に至るも、紛失されたバッグは見つかっていません。
国鉄保安職員は列車内を警備する使命を負っていますが、乗客の皆様もご自分の荷物に積極的に警戒してくださるよう、当方は希望していることを付け加えたいと存じます。[ 国鉄マディウン第7事業区広報担当、スプリヤント ]


「再び、夜行列車に泥棒」(2016年9月6日)
2016年5月21日付けコンパス紙への投書"Kehilangan Tas"から
拝啓、編集部殿。わたしは去る5月1日(日)にスマランのタワン駅からジャカルタ行きの夜行列車アルゴアングレッに乘りました。翌朝ガンビル駅に到着したとき、ノートパソコン、重要データを記録してあるフラッシュディスク3個、重要書類、衣服、靴、メガネその他を入れた背負いバッグがなくなっていました。
わたしはすぐにガンビル駅の鉄道警察に届け出ました。ところが、そこではただ顛末書が作られただけで、その後なにひとつ音沙汰がありません。エグゼクティブ列車はエコノミー列車よりも安全でなければならないはずです。[ スマラン在住、アブ・ソフィアン ]


「夜行バスに泥棒」(2016年9月7日)
2016年5月20日付けコンパス紙への投書"Keamanan Bus Malam"から
拝啓、編集部殿。わたしは16年5月9日にサラティガからジャカルタ行きのトゥンガルダラ長距離エグゼクティブバスを利用しました。
座席数24のエグゼクティブバスを利用したのは旅が安全快適であり、翌日の仕事のために睡眠が取れることを期待したからです。ところが、わたしが寝ているとき、座席の上の網棚に置いたわたしのバッグが泥棒の被害を蒙りました。バッグの中からパソコンと財布が消えていました。バスがジャカルタに到着してから、わたしはそれに気づいたのです。
わたしはバスの運転手と車掌にその事件を届け出ましたが、かれらの返事は「気付かなかった。」でした。車掌は眠っていたそうです。わたしのほかに、前の方に座っていたご婦人も財布を盗まれた、と運転手は言いました。
わたしはトゥンガルダラ社に被害を訴えました。乗車券に苦情先電話番号が記載されているのです。電話に応対したバス会社職員は、バス内の犯罪手口はいろいろあり、どのバス会社もみんな被害を受けている、と言いました。わたしは尋ねました。「だったら、どんな対応を取っているのですか?」それに対する明確な返事はありませんでした。[ 西ジャカルタ市在住、オクトヴィアン・ プトラ・ドゥイ・サクティヤ]


どうにも止まらない性犯罪」(2016年9月13・14日)
2016年9月1日、バンテン州タングラン県コサンビ郡でレイプ事件があった。というよりも、これは詐欺かも知れない。詐欺の獲物が女子高生の肉体だったということだ。
被害者は女子高校生D15歳。Dは数日前に知らない男性からのSMSを受け取った。「あなたに送られた呪いを癒し、わたしはあなたを助けることができる。」
Dはそれを信じてしまった。発信人に返事を送ると、またSMSが来た。会う日時と場所が指定されている。出会うと、男は自分をドゥクンだと称し、祈祷すると言いくるめてDをタングラン市ネグラサリの一軒の家に連れて行った。そして一晩のうちに10回もDにわいせつ行為を行ったと報道記事は書いているが、その10回のうちの何回が性交であったのかは明示されていない。それとも全部が・・・?
満足したのか、それとも疲れ果てたのか、そのわいせつドゥクンはDを出会った場所まで送ったあと、姿を消した。Dは帰宅してその事件を両親に告げたため、両親から警察にレイプ事件の被害届がすぐに出された。
同じようなことを別の娘にもしたことがあると男はDに話しており、警察はそのわいせつドゥクンの捜査とともに、別の被害者の発見に努めている。
中部カリマンタン州カプアス県カプアスフル郡ムルイ村にある金山で黄金採掘をするために村を出た24歳の男が、ひと月ほど付き合っていた14歳の少女を自分の世話をさせるために誘い、道中でセックスの相手にしていたことが判明し、男が逮捕された。セックスするとき男は「おまえと結婚する」と約束していたそうだ。
失踪した娘を探して父親はムルイ金山まで行き、そこで娘を見つけ、娘の話を聞いた上で、男を性暴力犯として警察に訴えた。拉致誘拐犯罪としてではない。
やはり中部カリマンタン州の西コタワリギン郡カランタバ村で、14歳の少女に何度もわいせつ行為を行っていた20歳の男がとうとうその少女を家から連れ去ったために、家人の訴えで16年9月2日に逮捕された。何度もわいせつ行為の被害を受けながら警察に届けず、連れ去られたためにわいせつ行為の被害届を出した親の心理も興味深い。
リアウ島嶼州バタム島ノンサで16年8月28日、イルハム(23歳男性)が6人の少年たちの集団暴行を受けて重傷を負う事件が起こった。
数人の子供たちが集まっているところに通りかかったイルハムに、顔見知りの13歳の子供が1万ルピアの金をねだった。トゥアッ(ヤシ酒)を買いたいと言う。イルハムは金を与え、そこで子供たちと一緒に飲んだ。イルハムが子供たちに「もっと飲みたいか」と尋ねると、だれも嫌とは言わない。イルハムが男色を条件にして飲ましてやると言ったが、ただの冗談だと子供たちは思った。
酒盛りが続き、機嫌よく飲んでいたイルハムが酔いにまかせてひとりの少年の股間を撫でた。すると子供たちが一斉に憤激してイルハムに襲い掛かった。周りにいた子供たちもそれに加勢し、トゥアッの瓶を打ち割ってイルハムを刺した。
イルハムが血を流して地面に倒れると、子供たちは一斉に逃げた。警察は一日でその6人を逮捕したが、ひとりだけ18歳で、他のものはすべて18歳未満であり、最年少が13歳だった。
この事件についてバタム警察は数年前に摘発されたイギリス人ペドフィリアの事件を引き合いに出し、バタムに世界中から男色相手の少年を求めて少年性愛者がやってくるようになっており、男色の被害者になった子供は大人になって加害者に変身するため、この違法行為を徹底的に抑え込まなければ民族の将来を危うくする、と表明した。未成年者との性行為は児童保護法で刑罰の対象になっている。
バタム島内には少年性愛者の秘密コミュニティがあって、地元の少年を漁ってはセックスの生贄にしているとの情報があり、警察はその被害を受けた子供に事件を訴えさせて犯罪者を一網打尽にしたいと考えているものの、この種の事件に関して被害を届け出た者がなく、イルハムを暴行した子供たちに性的被害届を出させようとして説得している。
一方、インターネットを使った売春も活発さを増しており、西ジャワ州警察はソーシャルメディアで売春をオファーしているアカウントを探し出しては、ソーシャルメディア上でのやりとりと携帯電話通話を対象にした捜査を行っている。既に暴かれた事件としては、ツイッターのバンドンエージェンシーというアカウントを運営していた25歳の男性ふたりが逮捕されている。
このふたりは一年前からそのビジネスを始め、女性の写真をアップロードして注文を取るということを行っていた。バンドンだけでなくメダン・スラバヤ・ジャカルタ・スマラン・マランなどいくつかの都市にもネットワークを広げ、女性を売春婦にリクルートして買春者に斡旋し、バンドン地区では一回の取引が180万から800万ルピアで、取引高の30%が犯人らの取り分になっていた。
買春者はまず50万ルピアを納めて会員になり、そのあと女性の写真がワッツアップやブラックベリーメッセンジャーで送られてくる。売春業を希望する女性は19歳から25歳の会社勤め・セールス・学生・無職などの女性で、全員が例外なくコスなどに親と別れて住んでいる。そのうち19人の身元を警察はすでに掌握しており、更に他の女性たちの身元が判明するのも時間の問題のようだ。
かの女たちが自分の意志で売春業に参入したのは明らかだが、例によって警察はかの女たちを犠牲者と位置付け、すべての悪を売春サイト運営者に背負わせている。
去る7月半ばのある夕刻17時20分ごろ、東ジャワ州シドアルジョ県タマンシドアルジョに住む女子中学生Mに、2カ月前に付き合い始めたFからデートに誘うSMSが届いた。返事すると、ほどなくFがオートバイで迎えに来た。ふたりで家を出る。FはMをスコドノ郡マサガンクロン村に連れて行った。部落から少し離れた建物に入ると、中に12人の青少年が集まって酒盛りしている。FがMを連れて中に入り、みんな最初はMに優しく当たり、酒を飲ませた。Mが酔ってくると、中のひとりがMを押さえつけて服を脱がせ、レイプした。13対1では、Mの抵抗は何の効果もない。別の男に交代するとき、Mは全力を振り絞って逃げたが、ほんの数十メートル走っただけでまた捕まってしまった。そして13人が順繰りにMの身体に乘った。
というのが警察の取調べ調書に書かれた内容だが、被害者のMは、自分が入ったときは酒盛りはもう終わっており、自分は飲んでおらず、またセックスは16回行われた、と述べている。FがMを自宅に送り届けたのは深夜で、父親にきつく叱られ、まだ恐怖に凍えていたMは事件のことを何も言わなかったが、一週間後に明らかになって母親が即座に警察に訴えた。
警察は7月25日深夜までに13人全員を逮捕した。この13人のうち9人が未成年者で15歳ひとり、16歳7人、17歳ひとり。他の4人はすべて19歳だった。
その未成年9人に対する判決公判がシドアルジョ地裁で16年9月2日に開かれ、検察公訴人が求めた入獄7年より少し軽い6年6ヵ月の入獄判決が9人全員に下された。


「やはり止まない暴力犯罪」(2016年9月15日)
16年8月31日から9月1日にかけて、首都警察一般犯罪捜査局暴力犯罪次局が二輪車泥棒グループを逮捕した。逮捕されたのは19歳ふたり、21歳4人、25歳ひとりの6人で、そのうち19歳のひとりは武器を手にして抵抗したために射殺され、21歳と25歳の各ひとりも逃げようとしたために脚に弾丸を受けた。
この一味は6か月間に南ジャカルタ市の25カ所で止めてある二輪車のロックをT型キーで破壊して盗み、盗みに際しては目撃者や被害者に手製拳銃を突き付けて威嚇する暴力的な手口を使っていた。
この一味は全員がランプン州出身者で、ランプン出身者は暴力犯罪に長けており、首都警察は過去数か月間でランプン出身の犯罪グループを三つ逮捕している。
警察はこの一味の中で北ジャカルタ市クラパガディンのガディンニアスアパートメントに住んでいる者数名を逮捕し、一味の首領である19歳の男を追った。首領の隠れ家へ向かった捜査班はその男が路上でオートバイに乗っているのを発見し、「止まれ。警察だ!」と叫んで包囲した。男が拳銃を手にしたので、捜査班は警告射撃を行ったが無視され、捜査員の銃口が男の身体に向けられて火を吐いた。
この一味は盗んだオートバイを使って更にオートバイを盗み、故買屋に売り渡すことを行っていた。盗んだオートバイは国鉄カリバタ駅の駐車場に置き、そこからガディンニアスアパートメントに帰宅していた。
射殺された首領は前科者で、他のメンバーはリクルートされた新人であり、ランプン出身犯罪者がそのような形で都内に増殖しているようだ。

16年8月20日にタングラン市内で発生した高校生タウランで、、16歳の職業高校生ひとりが首を刺されて死亡し、その15歳の友人が重傷を負った事件で、警察は31日に別の職業高校生ふたり(いずれも17歳)を殺人犯として逮捕した。凶器に使われた鎌も押収されている。

南ジャカルタ市ジャガカルサ署が、オートバイギャングの抑え込みに躍起になっている。三か月ほど前から、十代の若者数十人がオートバイに乗って徒党を組み、理由もなく暴力や破壊をほしいままにし、強奪事件も頻繁に起こっているため、住民の間で社会不安が高まっている。警察の聞き込みでは、その一味は15〜19歳の若者80人くらいがメンバーになっているようだ。かれらは普段少人数で行動しており、それが路上で出会うと集団行動に移り、アナーキーな行動に向うことが多い。
中高生タウランが社会的な圧迫によって低下傾向にあり、タウランがやりにくくなった若者たちがオートバイギャングに転身している可能性も考えられる。

中部マルク県ヌサラウッ島で16年5月16日に銃撃事件が起こった。撃たれた18歳の青年ひとりがそのとき死亡している。
そのときカルビン18歳とウィレム17歳は一台のオートバイに二人乗りしてティタワイ村からアブブ村に向っていた。街道の中ほどまで来たとき、道路の真ん中にヤシの大きな枝葉が道をふさぐように横たわっているのに気が付いた。カルビンがオートバイから降りてその枝葉を道路脇によけようとして持ち上げたとき、突然拳銃をかまえた見知らぬ男が出てきてカルビンを数発撃った。明らかに射撃に手慣れた人間のようだ。
驚いたウィレムはオートバイから飛び降りて藪の中に逃げ込んだ。見知らぬ男はウィレムをも銃撃し、一発がウィレムの左腕に当たった。ウィレムは一時間くらい藪の中に隠れて殺人鬼が去るのを待ち、通りかかった村人に助けを求めた。カルビンは路上で死んでいた。
同じ事件はヌサラウッ島内で今年2月にも起こっており、そのときはアブブ村の住民74歳男性が生命を奪われている。


「オートバイ泥棒が捕まる」(2016年9月16日)
2016年9月8日の昼前、東ジャカルタ市クラマッジャティ郡バトゥアンパル町の一軒のミニマーケットの表で、ひとりの男が何台もとまっているオートバイの中の1台に馬乗りになってスターターキーをいじくりまわしていた。
すると向かいの家からひとりの主婦が「泥棒!」と叫びながら走り出てきて、その男の服をつかみ、引きずり降ろそうとして揺さぶった。男はついにそのオートバイから転げ落ちた。
近くの別のオートバイに乗っていた男がナイフを構え、その主婦に「向こうへ行け。殺すぞ!」と脅した。その瞬間、やはりその家から走り出て来たふたりの男たちがナイフ男を襲った。襲った側のひとりは、後ろからナイフ男に飛びかかり、一緒に地面にもんどりうった。
盗まれようとしていたオートバイはその向かいの家のものだったのである。最初に走り出た主婦はマルハニさん55歳、続いて走り出たふたりの男はマルハニさんの夫アブドゥルさん65歳と息子のアブディさん40歳。
ナイフ男に組み付いたのはアブドゥルさんで、残念なことにすぐに反撃された。ナイフ男はアブドゥルさんの左腰に何度もナイフを突き立てた。父親が危ない。アブディさんはナイフ男の右手をつかんで父親への攻撃をやめさせようとした。そのときかれも右手右脚に傷を負っている。
後から出て来た末娘のプトリさん25歳もその格闘に加わる。しかしナイフ男はすごい力で立ち上がると、傷を負ったふたりの男と無傷だが非力の若い娘の妨害などものともせずに、オートバイに飛び乗って逃走した。
マルハニさんがひきずり落とした男は、すぐに集まって来た近隣の群衆のリンチにあい、なぶりものにされてボロボロに痛めつけられてから、やってきた警官に引き渡された。
捕まった男N25歳はオートバイ窃盗グループのリーダーで、警察はおよそ一年前にその一味の9人を逮捕したが、Nは逃亡したため捜索手配がかけられていた。Nは手製拳銃を所持していたが、群衆リンチはNにそれを出す暇を与えなかったようだ。


「インセスト事件がふたつ」(2016年10月5日)
南ジャカルタ市ペラマンパン町バンカラヤ通りの狭い路地の奥にある小さな借室でその事件は起こった。乗合バス運転手を職業にしているS43歳が17歳のわが娘をレープしたのだ。Sの一家はその狭い空間の中で、Sと妻そして三人の子供が寝起きを共にしている。インドネシアで起こる父と娘のインセストはたいていがそういう生活環境に起因している。
父親が娘の肉体に手を伸ばしたのが16年8月26日で、それ以来何度かペッティングが繰り返されたあと、自分を抑えきれなくなった父親が9月12日に嫌がる娘をついにレイプした。
警察への届け出がなされ、Sは9月17日に南ジャカルタ市警本部に連行された。そのあと、隣近所の住民が衆議一決して、残されたその一家を居所から追放した。母と子供三人は仕方なく、親戚を頼ってその町から姿を消した。
ランプン州バンダルランプン市パンジャン郡南パンジャン町に住むSR44歳は、わが娘M15歳の肉体を何年も前からわがものにしてきた。最初にMを犯したのは三年前のことで、Mはそのとき中学一年生だった。SRが自宅にいるときに妻が外出すると、SRが娘の肉体に手をつけるチャンスとなった。「このことを母親に告げ口したら、お前を殴り倒すぞ」と父親に脅され続けたMは精神に強い抑圧を抱かされてきた。
そんな生活に耐えられなくなったMは、16年9月27日に意を決して母親に洗いざらい物語った。娘の告白を聞いた母親はすぐに娘を連れて警察署に走った。届出を受けたバンダルランプン市警本部はただちに捜査員をその自宅に送って、SRを逮捕した。警察はこの事件に児童保護法第81条1項と3項を適用する方針。刑罰は最大15年の入獄刑となっている。


「果てない少女への性犯罪」(2016年10月10日)
南ジャカルタ市プサングラハンの住民12歳の少女が知り合いの16歳の少年に誘われてジャランジャランしたあと、少年の仲間がたむろしている場所に連れて行かれ、そこでアルコール飲料を飲まされてから、複数の男たちに犯されるという事件があった。警察は16歳の少年を逮捕して取り調べており、少女を犯した他の男たちも逮捕されるのは時間の問題と見られている。
別の事件で、市警プサングラハン署は、お粥を買いに来た10歳の少女に性的いたずらを働いた26歳の男をも逮捕している。

10〜15歳の少女のヌード写真やビデオを150件も集めていた42歳の男が首都警察に逮捕された。男はまずその年代の少女が作ったようなアカウントをフェイスブックに設け、「あなたのネガティブなオーラを消してあげる」と謳って素裸の姿の画像を送るように誘った。それに応じて集まって来た画像は自分のスマートフォンに収蔵し、更に犯人は送って来た少女に性的な声や言葉を電話や文字通信で送るよう強制し、「拒めばおまえのヌードが世の中に出回る」と言って被害者を強迫していた。
東ジャカルタ市チピナン地区に住む犯人は警察の取調べに対して、一年程前に妻と離婚してから独身で失業者生活を送っており、イセンで行っていたことであり、また少女ヌード写真やビデオは自分のコレクションとして持っているだけだと供述しているが、警察はそれらの画像を犯人が売って金に換えていた可能性が高いと見て、更に追及している。
児童保護国家コミッション長官はこの事件に関連して、親が少女たちの日常生活を監督できていれば防ぐことのできた事件であり、親が娘のスマホやガジェット使用をいかに野放しにしているかということが実証されている、とコメントした。子供がソーシャルメディアでどのような相手とどのような会話を行っているのかを、親はもっと子供の身近にいて指導監督せよというのがインドネシアの児童保護活動のコンセプト基盤に据えられている。

西カリマンタン州サンガウ県タヤンフル郡では、学校から帰宅中の小学校1年生の少女6歳がレープされたと見られる事件が起こっている。というのも、学校から帰宅する小学生たちが通り過ぎた後、かなり後になってその6歳の少女が道端を歩いている姿が大勢の住民に目撃されているからだ。そのとき少女は血の付いた上着と体操ズボンを着て、呆然としたありさまで歩いていた。
激しいショック状態にあるため、警察はまだ少女から何も聞き出せないでいる。


「また少女の肉体を狙う詐欺師が出現」(2016年10月11日)
超能力などないのに祈祷ドゥクンを自称し、あなたに送られてきた呪いを解き癒してあげます、とソーシャルメディアに宣伝を乗せ、それを信じてやってきた女性患者にわいせつ行為と性交を行っていた43歳の男がタングラン警察トゥルッナガ署に逮捕された。この男の詐欺セックス被害者になった女性患者は未成年者ふたりと成人女性ひとり。
被害の届けがなされたのは15歳の少女の親からで、ニセ祈祷ドゥクンは少女への祈祷と称して付添者を退け、治療の一部という触れ込みで性行為を働いていた。
届けを受けたトゥルッナガ署は婦警を患者として送り込み、ニセドゥクンが不埒な行為に出たところを現行犯として逮捕した。署に連行して取り調べたところ、旧悪を洗いざらい白状したとのこと。
ニセドゥクンは普段、土地家屋など不動産の売買ブローカーを本業にしていた。


「マンディリ銀行に強盗」(2016年10月12日)
東ジャカルタ市プロガドン地区のタルナラヤ通りにあるマンディリ銀行支店が16年10月7日13時14分に四人組の強盗に襲われた。ヘルメットと布で顔面を覆った四人組は、店内に入るとピストルを手にして分散し、ひとりはそのままテラーカウンターに近付いて担当女性25歳にピストルを突き付け、威嚇した。
賊はテラーカウンターにある現金をすべて集めさせ、さらに銀行金庫の数字ロックを開くよう命じたものの、テラー担当女性たちは金庫の開け方を知らず、知っている店長および幹部数名は全員外出していたため金庫の中味には手が届かない。そのため強盗団は宝の山を諦め、カウンターにあった現金7千万ルピア、携帯電話機6個、監視カメラ1基を奪って逃走した。
強盗に応対した担当女性ともうひとりのテラー担当女性、そして警備員一名ならびに店内に居合わせた4人の男性銀行客の全員が事務所内休憩室に閉じ込められ、ビニールひもで手足を縛られた。警備員には手錠がかけられた。
銀行客のひとりは、ピストルを突き付けられて休憩室へ行くよう命じられたとき、そのピストルには弾丸が入っていないように見えた、と述べている。とはいえ、かれも賊にはまったく抵抗せず、言われるがままに従っていた。警察は被害者の証言と監視カメラの画像からこの強盗一味の見当をつけ、犯人と思われる男たちを追っている。
この事件に関連して首都警察一般犯罪捜査局長は、銃器を所持する強盗団の捜査に際しては、犯人が抵抗する場合、迷うことなく即時発砲せよ、と捜査員に檄を飛ばした。「重要なのは警告プロセスを踏むことであり、かれらが明らかに捜査員の安全を脅かす挙に出てくるなら、射殺してかまわない。かれらが発砲して来るのであれば、即時応射するように。凶悪犯罪捜査員は相手より速く動かなければならない。一番良いのは犯罪者が抵抗する前に抑え込んでしまうことだ。」
局長はまた強盗団のターゲットになりやすい銀行・貴金属店・ミニマーケット・ガソリンスタンドなどに対し、事業所の周辺環境の定期的警戒と監視を怠らないように忠告した。「リスクの高まる時間帯を明確にし、防犯システムを定期的にチェックし、そのメンテを忘れないように。周辺環境の変化に合わせて警備員の質と量を対応させることも重要だ。」
街中を行き交う男たちの大半が刃物を持ち歩いているこれまでの時代から、今や刃物は銃器にとって替わられる時代になりつつあるようだ。


「小学生が幼女を輪姦」(2016年10月24日)
東ジャカルタ市ジャティヌガラ町プルンプンの密集住宅地区の中で、7人の小学生が5歳の幼女を輪姦する事件が起こった。
ある日、幼女G5歳が小用のときに「ひりひりして痛い」と親に告げた。都内カリバタ地区のビル清掃人をしている父親は、悪い事態を想像はしたものの、具体的に自分がどう動けばよいのかわからない。考えた末に、31歳の隣人に相談した。隣人は父と娘をすぐにジャティヌガラ警察署に連れて行った。クラマッジャティの警察病院でGの診察が行われ、その所見はGの性器に性行為が原因と思われる傷があることを明らかにしていた。
最初は口をつぐんでいたGも、親の説得で何があったのかを話しはじめた。最初のできごとは3週間前に起こった。
同じ地域内に住む小学校5年生の男児S11歳が、Gを遊びに誘った。Gは四人の子供の三番目で、人見知りせず普段から快活な性格をしており、すぐに他の子供たちの仲間に入って遊ぶのが大好きだった。SはGの自宅からおよそ40m離れた寂しい路地の奥にある一軒の空き家にGを連れ込んだ。その空き家は売り物の札が表に貼られ、誰でも中に入って見ることができるよう鍵はかけられていない。二人だけでそこに入ったSはGを説得した末にレイプした。Gはその話をだれにもしなかった。
そして10月2日14時ごろ、Gが7人に輪姦された。その日SはまたGを遊びに誘ったが、そのときSはひとりでなく、同じ地域に住む小学生男児6人(5歳ふたり、6歳ひとり、7歳ふたり、10歳ひとり)を連れていた。Gと7人の男児たちはまたあの寂しい路地の奥にある一軒の空き家に入って行った。それを見た地元民がいたとしても、無邪気な子供たちの集団遊びだろうとしか思わなかったにちがいない。
Sは空き家の表に仲間のひとりを見張りに立たせ、ひとが来たら知らせるよう指示した。空き家の中では男児たちがGの服を脱がせて、その身体をもてあそび、そして男と女の行為を順繰りに行っていた。輪姦を終えた子が外で見張っている仲間と交代し、全員がその輪姦の宴に参加した。大人の秘め事を自分たちも体験したのだという誇りが、さぞかし男児たちを有頂天にさせたことだろう。
警察と隣組長はすぐにGをレープした7人の小学生を補導した。事件加害者が子供である場合、昨今の警察はまず標準プロセスに従って本人の教導と更生を織り込んだ捜査活動を行っている。そのために社会省と社会更生館の担当者を捜査に招かなければならない。警察としては手のかかる部分だ。
そしてまた、このような事件が起こると、警察を関与させずにコミュニティの中で処理してしまうことを善と考える人間が出現する。今回の事件では、最初から警察がかりの進展が始まったことを快く思わない人間が地元コミュニティの中で不協和音を吹き鳴らしているそうだ。自分の息子が加害者であったことを知った親は、むしろそういう姿勢を取りたがるにちがいない。
激化する児童犯罪とバランスのとれていない児童保護や教育、そして法規不服従をベースに踏まえた社会協調と融和観念。この社会はどこへ行こうとしているのだろうか?


「牛泥棒をリンチ処刑」(2016年10月25日)
リアウ州カンパル県カンパルキリヒリル郡ランタウカシ村で牛を飼っている住民51歳の家の畜舎から、牛が2頭盗まれた。2016年10月20日朝、牛の所有者が家の裏手にある畜舎へ行くと、畜舎の扉は開けっ放しになっており、畜舎内は乱れていて、牛の姿がない。
牛の所有者は妻と一緒に牛の足跡をたどって行方を追った。足跡は農園会社が所有するアカシアの森の奥へと続いている。所有者はいったん村へ戻り、村長や牛飼い組合に盗難事件を報告した。牛やヤギなどの家畜が盗まれるのは、今回がはじめてではない。過去に何度も起こっており、村人たちの盗賊に対する怒りと憎しみはたいへん強いものになっている。
村長は村人を集めると、牛の捜索チームを編成してアカシアの森の奥を探索するように命じた。夕方15時半ごろになって、数十人の捜索チームの間から牛を発見したとの報告が届いた。だが、人間の姿はない。
牛を連れ帰るよりも牛泥棒を捕らえることを優先した村人たちは、作戦を練った。泥棒が牛を連れにやって来ることは疑う余地がない。村人たちは牛を遠巻きにして物陰に隠れた。
翌朝、ふたりの男が牛に近寄って来た。そしてふたりは、自分たちが完全に包囲されていることを知った。数十人の村の男たちが包囲の輪を狭め、ふたりを捕らえるために襲い掛かる。その乱闘の中で、ひとりは捕らえられたが、もうひとりには逃げられてしまった。捕らえられたのはカンパル県グヌンサヒラン郡サヒラン村住人のブユン32歳、逃げたのはサフリアル39歳だった。
怒り狂ったランタウカシ村の男たちは、ブユンの言葉など一切聞かず、牛泥棒と決めつけてブユンを村に連行し、制裁を加えた。何十人もの手や足と、手に握られた凶器がブユンの身体を襲い、ブユンの生命の火はほどなく消えた。
次ぎは逃げたサフリアルだ。カンパルキリヒリル郡のスガイパガル町やムントゥリッ村プタイ村などランタウカシ村に隣接する村々から牛泥棒の裁きを見るために大勢の人間が集まって来た。そしてサフリアルを捕らえてリンチするために、およそ2百人もの男たちが山狩りを始めたのである。
地元警察はこの異変を知ってすぐに動き出していた。しかしランタウカシ村で起こったビレッジジャスティスには間に合わなかった。11時ごろ、山狩りのあげくサフリアルが発見され、近くにいた者たちが集まってその場でリンチが始まる。だがサフリアルがかなり痛めつけられて生命の灯が陰り始めたとき、警察が現場に急行してその暴力行為を止め、サフリアルを病院に運んだ。
サフリアルをリンチしていた群衆は警察に牛泥棒を渡せと要求したが、結局説得されて解散した。果たして、ブユンとサフリアルは本当に牛泥棒だったのだろうか?警察はその牛泥棒事件の真相解明とともに、集団狂気が起こしたリンチ殺人事件の処理もしなければならなくなっている。


「ひったくり被害者が死亡」(2016年10月27日)
ボゴール県チグドゥッ郡チポンド部落のチグドゥッ街道で16年10月17日朝、チグドウッ市場へオートバイの三人乗りで買物に向かっていた一家に災難が起こった。31歳の夫が運転し、3歳の娘をはさんで26歳の妻が後ろに乗っている。そのオートバイに近寄って来た別の二人乗りオートバイの後部席の男が、26歳の妻が持っている財布を引ったくったのだ。スピードを上げて逃げるひったくりを夫は反射的に追跡する。
しばらく走ってから、同じ街道の家具屋の前で夫はひったくり犯に追いついた。ところがひったくりオートバイに乗っているひとりが、追跡して来た三人乗りオートバイを蹴倒したのだ。高速走行中の転倒の恐ろしさは言うまでもあるまい。惨事が起こった。周囲にいたひとびとに助けられて、三人は病院へ急送されたが、妊娠4ヵ月だった26歳の妻は帰らぬひととなった。夫と娘は重態で入院したまま。
惨事が起こったとき街道にいたボゴール県警チグドウッ署員は逃げようとした二人乗りオートバイを捕らえ、ひったくりだという民衆の声に従って所持品を調べたところ、鉈一丁と被害者女性のKTPが入った財布を発見したので現行犯逮捕した。ただし、捕まえたのはタングラン県ルバッ住民の18歳の男ひとりだけで、もうひとりの仲間は逃走したため、手配がかけられている。
妻がひったくりの被害を受けたため反射的に追跡した31歳の夫は、追い着いたあとでひったくりをどうしようと考えていたのだろうか?昨今の路上犯罪者が凶悪さを増していることを、夫はどのようにとらえていたのだろうか?警察に捕まりそうになれば、刃物をふるって警察員を襲い、射殺される者があとを絶たないのが昨今の状況なのである。
夫は多分、ひったくり犯に追い着いたあと、自分が相手をどうするという方針を立てていなかったのではないか、という気がわたしにはする。相手の出方を見てから、という考えだったのかもしれないし、ひょっとすれば頭の中は追いかけ・追い着くことでいっぱいだったのかもしれない。
凶悪な路上犯罪者、あるいは路上で腕力・暴力をちらつかせるインドネシアの男たちとは、もし対決するなら、それなりの覚悟と作戦が不可欠だろう。かれらは対決相手を殺すことを意に掛けないどころか、それを男らしさ、つまり自分の強さの勲章だと見ているふしがある。この種のインドネシアの男たちは常に刃物を携帯しており、対決が起これば相手の生命を奪いにかかる。相手が死ぬことが、自分の絶対的な勝利なのだ。これがインドネシア>事件簿>人命秤針ー他自殺編からはその原理が強く漂って来る。
もしも追いかけ・追い着いたなら、その先に待っているのは対決なのであり、先制攻撃がいかに有効なものであるかは、古今の兵法書に頼るまでもあるまい。おまけに妻子を伴っての追いかけ・追い着きは対決がまるで夫の脳裏になかったような印象をわたしは受けるのである。この惨事が他山の石になることを望んでやまない。


「他人をやっつけるのはわが悦び」(2016年10月28日)
2016年7月2日付けコンパス紙への投書"Mohon Kembalikan SIM Saya"から
拝啓、編集部殿。わたしはマウラナ・ヒダヤッという名前の一介のタクシー運転手です。住所はヴィラヌサインダ1、RT004RW004、ボジョンクルル、ガンスブルで、携帯電話番号085718842717、Eメールアドレスhidayatmaulana@yahoo.comです。わたしからA種運転免許証を取り上げたドライバーにそれを返してくれるようお願いするため、この手紙を書きました。
そのできごとは2016年6月14日、タンジュンプリオッ自動車専用道に向かってチャワン料金所から入ったときに起こりました。わたしが運転するタクシーの前バンパーが白塗りスズキエルティガの後ろバンパーに接触したのです。
スズキエルティガのドライバーはすぐに車から降りてくると怒りまくり、わたしの説明も謝罪も聞く耳を持ちませんでした。わたしは乗客を運んでいる最中であり、また交通の流れを阻害するのもいけないという気持ちから、そのドライバーが要求するわたしのA種運転免許証を、言われるがままに渡してしまいました。わたしの運転免許証を取り上げたそのドライバーは、そのまま自分の車に乗り込むと、走り去ってしまったのです。困惑の最中にあったわたしはその車のプレート番号を記録することすら忘れてしまっていました。
わたしはこの手紙であのできごとについてオープンに謝罪し、同時にエルティガのドライバーのあなたにわたしの運転免許証を返すため、わたしにコンタクトしてくださるようお願いしたいと思います。わたしの車はまったく擦り傷がありませんでしたから、あなたの車も何ら問題がなかったことを祈っております。
この神聖にして恵みに満ちた月にあなたの心の扉が開かれますように。あなたの善意はわが家の妻子の救いとなることでしょう。[ ボゴール県在住、マウラナ・ヒダヤッ ]


「嫉妬する妻をハンマーで撲殺」(2016年11月9日)
インドネシア人女性を妻にした外国人男性は、ときどき妻が自分を色情狂のように思っているのではないかという推測をして、気が滅入ってしまうそうだ。そういう推測が起こるのは、夫の身辺に別の女が関わっているのではないかという疑惑を妻が抱いているようだと夫が感じるような妻の言動に由来している。
話しでは、インドネシア人同士の夫婦でも、妻が夫の携帯電話機を勝手にチェックして怪しいSMSが残されていないかどうかを調べるのは、至極当たり前のことになっているらしい。また会社でインドネシア人社員を遅くまで残業させると、必ず奥さんが電話して来るという事例もある。そういうときの奥さん方のせりふはほとんど定型パターンで、「あなた、どこにいるの?何をしてるの?誰といるの?」という質問になっているそうだ。
妻を持っていても、夫が女性の友人と性的関係なしに親しく交際することはあっておかしくないわけだが、それは異文化の世界にある現象であって、どうやらインドネシア文化における男女関係というのはそれがありえないこととされているらしい。つまりインドネシア人男性がそうだから、インドネシア人女性の持つ男性観がそうなってしまうということなのではあるまいか。だから夫の女性関係を統制したい妻は、ついついイロキチガイが破目をはずさないように夫に働きかけることになる。非インドネシア女性は、インドネシア人女性を妻に持っている男性に接する場合の姿勢に気を付けた方がよいかもしれない。
この種の妻は、親切心を出した夫が急用のできた近所の奥さんをふたりだけでその用先に送って行くようなことが起こると、猜疑心をむきだして夫に詰め寄る。浮気とか不倫とか、そういう後ろめたいところはまったくないというのに、あたかも不倫の現場を突き止められたかのように妻からなじられたら、「オレはそこまでイロキチガイじゃねえよ!」と怒鳴り返したくなる夫がインドネシアにもいた。
ブカシ県南タンブンのトリダヤサクティ村にあるトリアスエステート住宅地に住む47歳の夫はオートバイオジェッの運転手だ。10月31日13時ごろ、近所に住む女性を送って帰って来た夫と妻の間で激しい口喧嘩が起こった。ブチ切れた夫はハンマーを持つと、49歳の妻を殴打した。ハンマーは6回振るわれ、妻は血だらけになって崩れ落ちた。
夫は妻の死体をビニールシートで包んでからシーツでくるみ、庭に深さ10センチ程度の穴を掘って死体を置き、上から土をかけて盛り土にした。
16歳の子供が学校から帰って来ると、母親の姿が見えない。「ママはどこ?」と父親に尋ねると、「チレボンへ行った。」という返事。腑に落ちないその子は家の周りを探して回った。すると昨日までなかった盛り土がある。土の間から布の端が出ていたから、土を払った。
顔色を変えた子供は隣の家に駆け込んだ。数時間後、警察がやってきて庭にある妻の死体を回収して検死処理に回した。検死報告書によれば後頭部や顔面に強い打撲の痕跡があるとのこと。
警察が来たから夫は家を出て、住宅地の中の家からちょっと離れた場所で事態の推移をうかがっていた。検死報告の所見にもとづいて警察は殺人事件と断定し、家の外にいた夫を探して捕まえ、重要参考人として連行した。
この夫婦は結婚生活30年を経過しており、妻が激しくなじってきたので激情に呑まれ、見境がなくなってしまった、と夫は取調べに供述した。


「トラック強盗団が摘発される」(2016年11月10日)
チパリやプルバルニの自動車専用道でトラックを専門に襲っていた強盗団を西ジャワ州警察が摘発した。警察が逮捕したのは5人で、ひとりずつ個別に逮捕している。この強盗団は2016年の10ケ月間に12回犯行を繰り返した。かれらは西ジャワ〜バンテン〜中部ジャワ〜東ジャワにまたがる広域シンジケートの一部をなしており、捜査はすでに他州にまで広げられている。
犯行手口はまず乗用車で街中を遊弋し、目をつけたトラックやコンテナ車の後を追って自動車専用道に入ると、寂れた道路脇に一旦車を停めると。一味のひとりがそこで警察の制服に着替え、もうひとりはナンバープレートを警察のものと取り替える。
終わるとすぐに目を付けたトラックを追い、接近すると車を寄せ、警察の制服に着替えた男がトラック運転手に路肩に停止するよう命じる。トラックが止まると車をその前に停め、警察の制服を着た男が車から降りてトラック運転手に近寄り、拳銃を構えてトラックから降りるよう命じる。拳銃はエアソフトガンだ。
トラック運転手は車に移され、目と口をガムテープでふさがれ、手には手錠がかけられる。一味のひとりがそのトラックを運転して一般道に下り、示し合わせた場所で待機しているトラックに積荷を移すと、被害者のトラックはまた自動車専用道に戻り、寂れた道路脇に乗り捨てられる。
一方、囚われのトラック運転手を乗せた乗用車は一般道に下り、そのままどこか遠くの寂れた場所へ行って運転手を置き去りにするというスタイル。一味が盗む積荷はタバコ・携帯電話機・衣料品・医療器具類などが多く、その盗品はバンテン・ジャカルタ・スラバヤにいる故買屋に卸して闇市場に流すという寸法だ。
西ジャワ州警察副長官は、警察の制服を売っている店はいくらでもある、と言う。「制服を見てすぐに警察業務だと信じてはいけない。警察が停車を命じたなら、寂しい場所で停めないで、レストエリアのようなにぎやかな場所に停め、不審を感じたら任務指示書を見せるよう要求すればよい。市民にはそうする権利があるのだ。また警官が乗っている車にも注意を払うように。パトロールカーでない場合は簡単に信用してはいけない。」
州警察一般犯罪捜査局第1次局長は捜査状況について、既に三週間かけてブカシ・バンテン・モジョクルト・シトゥボンドまで捜査の手を広げている、と語る。「このシンジケートには類似の犯罪で逮捕され、入獄した前科者がたくさん混じっている。前科二犯や三犯はざらだ。」
どうやら一度その道に入ると、たとえ場所を替え、仲間を替えても、かれらはそれを飯のタネにすることに執着するようだ。これも先例主義のひとつなのだろうか?


「深夜の賊を討ち果たす」(2016年11月28日)
深夜に家の中に忍び込んだ賊をその家の主人が討ち取ったが、主人も重傷を負い、病院で生死の境をさまよっている。
16年11月22日23時半ごろ、リアウ州カンパル県バンキナン郡ラボイジャヤ村の自宅で眠っていたシャムシオノさん39歳を妻のスリワティさん39歳が起こした。台所で変な物音がすると言う。シャムシオノさんは警戒しながら物音の根源を突き止めるために台所へ向かった。
そしてかれは、まだ若い男がひとり台所で盗人稼ぎをしている現場を目撃したのだ。賊とシャムシオノさんは同時に相手につかみかかって行った。だが、賊の手にはナイフが握られている。シャムシオノさんは徒手空拳だ。
台所から激しく暴れる音が聞こえて来たから、スリワティさんも台所へ向かった。すると夫も賊も血まみれになりながら格闘している。夫に加勢しなければ、と思ったスリワティさんは、これも徒手空拳で賊の後ろから殴り掛かったが、賊は少しもダメージを受けず、反対にスリワティさんの髪の毛をつかんで引きずり、かの女の身体に向けてナイフを横にはらった。スリワティさんは左腕に鋭い痛みを感じた。ほどなく左腕から血がしたたり落ちて来た。かの女は台所をあとにすると、家の表に出て、「強盗!強盗!助けて!」と叫んだ。
隣人たちが続々と集まって来た。事情を聞いた隣人がすぐに家の中に入る。だがそのときには、台所の格闘は終わっていた。隣人が目にしたのは、床の上に血まみれで横たわっているふたつの身体。シャムシオノさんは左胸を刺されている。一方の賊は腹部に大きな傷を負い、瀕死の状態になっていた。
すぐに警察と救急車を呼ぶ。警察が到着したとき、賊はすでにこと切れていた。警察が賊のポケットを調べると、KTPが出て来た。KTPにはカンパル県タプンヒリル郡キジャンマッムル村住民のザエナル24歳とある。警察はザエナルの家族を呼んで遺体の確認をさせ、間違いなくそれがザエナル本人であるとの証言を得た。シャムシオノさんは病院で救急治療の真っただ中にある。


「家出?誘拐?詐欺?人買?」(2016年11月30日〜12月2日)
イスラム教徒の国で、少女たちがミニスカートに生足をさらし、舞台の上で歌い踊っている姿に驚くひとが少なくないそうだが、田舎へ行くと、とてもそんなものなど足元にも及ばない現実を認識することができる。
たとえば、ユーチューブで「dangdut kampung vulgar」「dangdut kampung hot」などのキーワードで検索をかけ、出て来た動画を見ていただければ、きっと納得していただけるにちがいない。そう、それがインドネシアなのだ。
インドネシアには、そのようなダンドゥッステージのドサ回りがたくさんいる。そういう環境の中で歌唱力に磨きをかけ、都に上って大スターになったひとも少なくない。もちろん、都のスターとして勝負するときは、あのセクシーな振りはご法度になるのが普通だが。
ドサ回りのダンドゥッステージに若い女のダンサーがたくさん登場すれば、村の青年たちの人気が高まり、ステージのショーへの観客動員力も倍増し、熱狂的な雰囲気の中で観客の金遣いも荒くなろうというものだ。観客が大いに金を使ってくれなければ、ステージ主催者の持ち出しになってしまうかもしれない。それではこの商売を行う意味がないではないか。
しかし若い女のダンサーをリクルートするのはむつかしい。若い身空のかの女たちには、まだまだ恥じらいや外聞への躊躇心がたっぷり残されている。自分がそんなことをして、もしも両親がそれを知ったらどんなに怒られるか、ましてや親不孝者の烙印を捺されたなら、近所に顔出しすらできなくなってしまう。
こうしてダンドゥッステージ主催者は詐欺犯罪と呼んでもおかしくない騙し行為を若い娘に仕掛けていくようになる。それと同じことはおぼこな娘たちを騙して売春宿に売り飛ばす人売行為での常套手段にもなっているのだ。
2016年11月20日、リアウ島嶼州サグルン警察署に住民から届出があった。13歳・15歳・17歳・18歳・19歳の、それぞれ家庭が異なる5人の娘の親たちからの、娘が行方不明になったという届出だ。
サグルン署員はすぐに捜査を開始し、情報を集めてその5人がどこで何をしているのかを突き止めた。娘たちを連れ去った関係者三人(18歳・28歳・41歳の男)も11月23日に逮捕されている。
この事件は決して誘拐・拉致・かどわかしといった内容のものではない。犯人は貧困家庭の娘たちに焦点を当て、食堂や食べ物売り場で働く仕事があって、勤務時間は短く、給料は高い、というでっち上げ話をして娘たちを誘った。5人の娘たちはそれに飛びついてきたというわけだ。娘たちが親の承認を取ろうとしなかったのがそもそもの間違いの元なのだろうが、言えば反対されるに決まっていると娘たちは考えたのかもしれない。
インドネシア文化では、金があるかないかが人間の優劣を決める。どのようにしてその金が手に入ったかはあまり問題にされず、たっぷり金を持ち、他人に大盤振る舞いできる人間が成功者として世間から見上げられるのである。婚期を逸したインドネシア人女性がヨーロッパ人の伴侶探し機関に登録し、相手を得て何度もかれの国に招かれ、結婚を約束してもらい、かれからさまざまな生活援助を得ている実例をわたしは知っている。
残念ながらそのヨーロッパ人男性の娘が「発展途上国の女を母と呼びたくない」と駄々をこねているため結婚できないでいるらしいのだが、かれはその障害がそのうちなんとかなるだろうと考えて関係は継続したままにしているようだ。老齢になったとき、自分の介護・世話をしてくれる人間を持つことがきっとかれの目標なのだろうし、発展途上国の誠実な女のほうが夫に尽くすすべはクオリティが高いに決まっている。そんなものの見方を失礼と感じる読者がいらっしゃるかもしれないが、その男女の関係を遠くから見聞しているかぎりでは、色恋沙汰の感じられない、たいへんビジネスライクでクールな関係という雰囲気が強い。男と女の関係はすべからく愛情関係であり、金や物品とセックスだけという男女関係は不純でいやらしいものという価値観は、それを抱く者の人間観を狭めているだけという風にわたしには思えるのだが・・・。
で、その女性の口座には、インドネシアではかなりの金額と見られる金がうなっており、かの女は一族の中で成功者として一目置かれているのである。インドネシア文化が持っている価値観のひとつを赤裸々に示せば、そういうことになる。だから汚職が世の中に広がるだけ広がり、闇ビジネスやバッドガバナンス、あるいは犯罪行為が世間にあふれ、それらの悪事の主体者は社会に富の還元を行うことで一大成功者として世間から受け入れられているというその形を見るにつけ、日本人の脳裏にある「正義」なるものがここの風土とはまったく無縁であることをひしひしと感じるのである。
だからその5人の娘が親に黙って家を去っても、稼ぎをたくわえた上で家に戻れば、成功者になった娘に親は無碍な扱いをしないだろう、という思わくが娘たちにあったのではあるまいか。
しかしやはり世慣れしていない娘たちの甘さだろう。楽で金になる仕事のために、どうしてこんな田舎の寒村にまで人探しをしにやってくるのだろうか?その点に怪しさ危なさを感じ取れるだけの能力が、その娘たちにはきっとまだ育っていなかったとしか思えない。
さて、簡単に自分を信用し、家出して自分についてきた5人の娘を、誘い出した者は宿に収容してから、嘘の上に嘘を重ねていくことになる。食堂や店番の話などそっちのけで、ダンドゥッステージ主催者は5人の娘たちに「ちょっとこんな仕事でもしてみろや。食堂の仕事はそれからだ。」などと言ったのではないだろうか。
かの女たちにはミニスカートとかなりタイトなシャツやステージ衣装が与えられ、音楽にあわせて踊っているだけでいい、と言われて楽な仕事を開始した。ただ、高額の報酬は期待のしようもなかったようだ。
警察の記者発表によれば、警察に保護されるまで、娘たちはバタム島南部海岸地区の村々で開催されるダンドゥッステージに数回出演していたとのことだ。もちろん肉体のラインを浮き立たせるような衣装を着せられたものの、一応上半身はすべて覆われており、決して乳房の一部やへそ、あるいは背腰などの肌を露出するようなポルノチックなものではなかったという警察の説明だったが、肉体のラインをくっきりと浮き出すものはポルノチックでないというのがインドネシア人の感覚なのだろうか?
かの女たちのダンサーの仕事は歩合制だ。固定給などもらえるわけがない。ドサ回りダンドゥッステージは、広場や野原でも屋内でも開催され、場所を問わない。
さて、ダンドゥッステージに集まって来た客の全員から入場料を取ることは不可能なのである。それがどうしてかは、ユーチューブのビデオをご覧になれば、理由が想像できるはずだ。
それが商売になるのは、歌をリクエストしたり、歌手と一緒に踊りたい観客に一回(一曲)6千ルピアのチケットを販売するという仕組みになっているためだ。だから野原のダンドゥッステージで、大勢の男ばかりの聴衆の間の入って何時間も踊り狂い、1ルピアも使わずに帰宅する者もいれば、ステージに上がってセクシーな歌手やダンサー相手に踊り狂い、女たちの胸元にサウェラン(saweran)と呼ばれるご祝儀を差し込んで、何十万ルピアもの金を使って帰宅する者もいる。
お気に入りの歌手や踊り子ができると、何十万どころか、何百万もの金を惚れたかの女に注ぎ込む男も現れる。大枚の金を女に与えるのは、その女の価値をその金額で評価していることなのだそうだ。男が値踏みする自分の価値が気に入れば、女が男に自分を与えることも起こりうる。決して自分のセックスを金で男に売り渡すのではないという判りにくいロジックがそこに介在する。互いに家庭を持ち、伴侶がいても、一夜の親睦は起こりうるものだったらしい。
一方で、男の妻たちは夫のそんな行動を快く思うはずがない。だからドサ回りステージ女性歌手や伝統芸能の踊り子たちは、かの女たちの心意気とは裏腹に、世間から半ば売春婦扱いされてきた。きっと、日本に昔あった河原者の世界に通じると思われるそんな環境が、インドネシアの地方部にはいまだに存在しているということなのかもしれない。
で、ドサ回りステージのダンサーにされた5人の娘たちは、6千ルピアで売れたチケット販売収入から、チケット一枚につき2千ルピアが支給されたそうだ。一日のステージでいったい何枚のチケットが売れるのか、わたしにはわからないのだが・・・・。


「女をレイプするのはビアサの行為」(2016年12月7日)
タングラン県クラパドゥア郡ベンチョガン町住民女性S15歳が6人の若者にレイプされた。
16年11月24日深夜1時ごろ、遊び帰りのSは帰宅するために街道でぺルム〜チココル間ルート番号R11のアンコッを停めた。運転手は17歳、助手は21歳の男。他に乗客はいない。アンコッは深夜の寂しい街道をひた走る。
家が近づいてきたため、下りようとしてSは停車を求めたものの、運転手は反対にスピードを上げてSが下りれないようにし、ふたりが住んでいるクラパドゥアの借室にSを連れ込んだ。そしてその借室の浴室にSを押し込めると、ふたりは仲間を呼んだ。4人の男たちが続々とその借室へやってきた。
Sを強姦したのは6人のうちふたりだけで、他の4人はSの身体を弄んだり、性交している仲間に手を貸したりした。
そうしてその強姦パーティが終わると、運転手と助手はSをアンコッに乗せてSが降りようとした場所まで行き、その街道沿いの道路脇で下ろしてから走り去った。
Sと両親が27日に警察に被害届を出したので捜査がはじまり、犯人のうち4人があっさりと逮捕された。逮捕されたのは運転手と助手そしてその仲間ふたりの17歳・18歳・19歳・21歳の若者。あとのふたりは逃亡したため、警察が追跡中。
逮捕された4人は事実を認めたが、悪びれる風もなく、「あんなことでどうしてオレがしょっぴかれなきゃいけないのか?」と不審な表情を警察捜査員に向けて来た。
アンコッを運転していた男は、昼間LPGボンベ用のホースやレギュレータを販売し、夜にはソピルテンバッの仕事をして収入を増やしていた。ソピルテンバッで得られる収入は一日5万ルピア程度だったそうだ。そしてソピルテンバッの余得がきっと女をレープすることだったのだろう。
警察は取調べで4人に対し、犯行の経過と動機を尋ねた。運転手はまったく罪の意識を示さず、取調べ官の質問に応じなかった。そして反対に、あんなごく当たり前のことをしただけなのに、警察は何でそれを問題にするのか、と逆質問してきたそうだ。
4人とも、女をレープするのは普通で当たり前のことと考えており、犯罪を行ったという意識が微塵も感じられなかったと警察取調官は述べている。このような文化の下で、レープ事件が後から後から発生して来るのは当然だと言えるにちがいない。
そこに見られる観念をもう一歩推し進めれば、「強い者が弱い者を打倒し、勝者が敗者に君臨して、強く優れた人間であるのを誇示するのは当たり前の行為だ」という広がりに至るようにわたしには思われる。女をレープするのは強く優れた男にとって普通で当然の行為であるにちがいない。そこに見られるのは正邪善悪の問題なのでなく、きっと文明と野蛮の対比問題なのだろう。


「ジャカルタで女性自爆テロ計画」(2016年12月12日)
ジャマアアンサルヒラファダウラヌサンタラを名乗るテロ組織が女性を使う自爆テロをモナス北側の大統領宮殿前で行う計画を立てていたことを国家警察が明らかにした。その計画では、2016年12月11日(日)午前8時に大統領宮殿の表で大統領警護隊が任務交代の儀式を行うとき、それを見物するために集まった市民の間に紛れて、死の花嫁に選ばれたその女性が持参した高性能爆弾を爆発させることになっていた。大統領警護隊の任務交代儀式はイギリスのバッキンガム宮殿における衛兵交代イベントに倣って、新しいアトラクションをジャカルタ市民に提供することを目的に今年から毎月第二日曜日に催されている。
警察の発表によれば、この自爆テロを事前に阻止するに至った経緯は次のようなストーリーだった。
中部ジャワ州ソロ市の過激派活動家の監視を行っている警察反テロ特殊分団デンスス88は、監視対象者のひとりヌル・ソリヒンが同乗者アグス・スプリヤディと共にジャカルタナンバーの車を運転してジャカルタへ向かったことから、尾行を開始した。車は東ジャカルタ市ポンドッコピ地区でひとりの女性を拾った。その女性が死の花嫁になるはずだったディアン・ユリア・ノフィ27歳だ。
車は段ボール箱をひとつ持ったディアンをブカシ市ビンタラ地区にある郵便局に運んだ。ディアンはそれをチレボン県ジャンブラン郡バクンロール村の実家に郵送した。ディアンが去ると、捜査員はディアンが郵便局に委託した段ボール箱を押収して中を検分する。中には衣類やこまごまとした品物と一緒に両親に宛てた封書が添えられていた。手紙の内容は遺書であり、自分はイスラムの善行を行うのだという文言が読み取れた。
ヌル・ソリヒンが運転する車はブカシ市ビンタラジャヤ通り8番地にあるコスでディアンを降ろすと、そこから去った。ディアンは車の中にあった黒色バックパックを持って104号室に入った。
ヌル・ソリヒンとアグス・スプリヤディの車を尾行していたデンスス88は15時40分にブカシ市カリマランの高架道路下でふたりを逮捕し、続いて15時50分にはディアンが入ったコスの104号室に踏み込んだ。
ディアンが部屋に持ち込んだ黒色バッグには3kgの高性能爆弾が入っており、破壊能力は3百メートル四方に及ぶと警察は述べている。爆弾はいわゆる圧力鍋に納められており、密閉容器を使って爆発力を高める工夫がなされていた。この爆弾はソロで作られ、ヌル・ソリヒンが6百キロ近い距離を日中に運んできた。TNTをしのぐ破壊力を持っており、80℃で爆発するとのこと。警察はその爆弾を作った者のひとりを10日18時過ぎに逮捕している。
今回の事件はISISのインドネシア人グループリーダーのひとりバフルン・ナイムの率いるジャマアアンサルヒラファダウラヌサンタラが計画したもので、ディアンを含めて関係者は全員ISISに忠誠を誓っている。2016年1月14日のジャカルタ都心部サリナデパート周辺で行われたテロ事件もバフルン・ナイムが首謀者であることが確定している。
女性を使う自爆テロは中東やアフリカで何度も行われているが、インドネシアでははじめてのことであり、大統領宮表のアトラクションを見物に来た女性が圧力鍋を持って歩いていても怪しまれないだろうとの思惑が犯行者一味の側にあったことが推測されている。


「メダンで赤児人身売買」(2016年12月15日)
北スマトラ州メダンのブラワン港警察が赤児売買シンジケートを摘発した。この一味は1年半前から赤児売買活動を行っており、自供によればその間5人の赤児をひとり5百万から1千5百万ルピアの値段でジャカルタに向けて売ったとのこと。
警察が捕らえたのは35歳と40歳のふたりで、かれらの家から生後3週間・2ヵ月・2歳の四人の赤児と幼児が保護された。メダン一円でかれらのターゲットにされていたのは新生児を売り払いたい貧困家庭がもっぱらで、生後ひと月経たない赤児を買い上げるのが普通だった。
そういうターゲットを探すために、一味は産院や貧困地区への調査を頻繁に行っていたそうだが、警察はこの一味が赤児誘拐も行っていたのではないかと見て、捜査している。
警察がこのシンジケートを暴いたのは、かれらの住んでいる家の隣人が疑惑を届け出たためで、普通の民家なのにその家から複数の赤児の泣き声がときおり聞こえてくるために不審を抱いたとのこと。届けを受けた警察はその家の監視を開始し、未明の時刻に複数の赤児の泣き声が聞こえたため、その家に踏み込んだ。
その家で警察は四人の赤児と幼児を発見し、家で赤児を世話していた35歳の犯人を逮捕した。2歳の幼児はやせ細って病気になっていた。そしてもうひとりの犯人も別の場所で逮捕されている。どうやら40歳のその犯人が商品である赤児を調達し、35歳のほうがその世話をしながら販売を担当していたらしい。
児童保護国家コミッション北スマトラ支部長は、経済的動機のために実の子を売る行為が増加しているように思われる、と今回の事件に関連してコメントした。「赤児は州内だけでなく州外へも、更には国外へも売られているようで、赤児の売買は他の人身売買よりも容易な面がいくつかあることがその犯罪行為を盛んにしているように思われる。」
警察は四人の赤児と幼児をメダン市内の病院に委託し、自分の子供であることを証明できる親に引き渡す、と広報告知している。


「子供レイピストが増加」(2016年12月20日)
世界中でレープ犯人がハイティ―ンであるのはビアサのこと。インドネシアではそれがローティ―ンに下りているのがビアサだったが、いまや10歳未満のレーピストが続々と出現するようになっている。
児童保護国家コミッションが16年12月初旬に行った年次報告によれば、子供が犯した暴力事件の届出が2015年は4百件あり、そのうち14%がレープ事件だったが、2016年は届出件数が914件に倍増してレープ事件も26%を占めている由。つまり子供レープは4倍増しているということだ。
少年が行うレープの被害者は一般に幼女から少女の年代で、都市部や村落部の貧困住宅密集地区で発生するケースが多い。中でも、ひとりの被害者を集団でレープする事件が増加しており、国家コミッション長官はそれについて次のようにコメントした。
「集団レイプは戦争や国内暴動で起こるのが普通だ。それは征服の証として優位に立った者が行うものである。ところが最近増加している集団レイプは、安全平穏な社会の中で起こっている。われわれはそのポイントに注意を向ける必要がある。政府が適切な対策を講じなければ、子供によるレイプ事件は38%に増加するものと予測される。
この状況は家庭と学校が子供の教育に十分な機能を果たしていないためだと推測される。子供が手本とするべき人間像が子供の生活環境内から消え失せ、そこに情報技術の洪水が日常生活を一変させ、全員がバーチャル世界での交際や情報取得で大忙しになっている。
家庭内での人的接触は薄まり、学校では相変わらず知識競争が重視されて子供の人格教育には手が回りきらないありさまだ。教員は子供との接触だけでなく、管理の仕事をも背負わされている。家庭も学校も幸福をもたらす場所でないと感じる者が子供たちの中に増加している。」
長官はさらに、インドネシア社会が持っている性的分野における態勢が、子供たちがガジェットから得る、ポルノを含む性的情報に拮抗しきれていないという問題を指摘する。そこには大きなギャップが生じており、子供たちを保護育成する立場にあるおとなの側に、無力感と腰砕けが充満している。
そんな状況に陥っている子供たちを救済するのは、政府・教育機関・社会・家庭の全員に与えられた使命だ、と児童保護国家コミッション官房局長は強調した。「政府は児童保護女性活性化庁を地方行政機構の局に格上げし、各州警察の女性児童保護ユニットは課に昇格させる必要がある。そういった体制の整備によって、子供暴力問題はその核心部に迫ることができるのであって、現状のままでは付帯環境からのさまざまな干渉によって、本質をつかみとることはいつまでもできない。
社会と家庭はもっと子供の日常生活に注意を払わなければならない。子供が暴力の加害者や被害者になるのは、子供を取り巻く環境がそこに関心を寄せていないからだ。学校も同じであり、この問題に関する態勢を整備し、またパラダイムも変えていく必要がある。」
コミッション官房局長はそう述べている。


「クリスマス爆弾テロを阻止」(2016年12月23日)
中央ジャカルタ市モナス公園北側の大統領宮殿前で女性による自爆テロを計画していた中部ジャワ州ソロのテログループであるジャマアアンサルヒラファダウラヌサンタラのリーダー、ヌル・ソリヒンと自爆志願女性をはじめとして、デンスス88は2016年12月10日以降、10人を超える関係者を連行して取調べと捜査を発展させ、そして12月21日に広域をカバーする次の作戦行動を行った。
バンテン州南タングラン市セトゥ郡ババカン町チュルッ部落の借家にひと月ほど前から住み着いた4人の青年たちに対する私服捜査員の監視は一週間ほど前から開始されていた。そして21日午前8時ごろ、デンスス88のテロリストグループに対する逮捕作戦が開始されたのである。
4人のひとり、アダムはその朝借家を出ると、オジェッを数回乗り継いで尾行をかわすことに努めたものの、ラヤスルポン通りで逮捕された。続いて残る3人を捕らえるために、8時半ごろ武装した反テロ部隊が借家を包囲した。
ところが3人は爆弾を包囲部隊に投げるなどして激しい抵抗姿勢を示したことから、全員が部隊員に射殺された。警察はその借家の中で、起爆状態になっている爆弾3個を発見している。
アダムが取調べに対して自供したところでは、それらの爆弾はクリスマスの日に南タングラン市BSDシティの病院エカホスピタルに近い道路脇に設けられた交通警官待機ポストを襲撃する際に使用されることになっていたそうだ。襲撃計画では、まず警官をナイフで刺し、異常事態に気付いて市民が現場に集まってくるのを待ち、十分多数の見物人が近くに集まってから爆弾を破裂させる手順だったとのこと。
一方、西スマトラ州パヤクンブ市では、爆弾の材料を調達したジョン・タナマルがデンスス88に逮捕された。ジョン・タナマルはアビ・サイッが率いるテロリスト細胞に所属している。
また北スマトラ市デリスルダン県ではシャフィイが、リアウ島嶼州バタム市ではアビシャが逮捕された。このふたりは去る8月にシンガポールをロケット砲攻撃しようと計画していたカティバゴンゴンルブスのメンバーだ。
21日の広域一斉逮捕作戦でデンスス88が捕えた(一部は射殺)者たちはダエシュ/ISISのインドネシア人グループリーダーのひとりバフルン・ナイムが統率するジャマアアンサルッダウラ(JAD)の下部組織メンバーと見られている。
今回もテロ行動の前にテロリストが爆弾と共に捕まるというデンスス88の大手柄が示されたわけだが、しかしバフルン・ナイムはJADの下部組織を完全な縦割りで統御しており、各下部組織間の横のつながりはほとんどないために、芋づる式のテロリスト逮捕はその細胞グループでしか実現できず、また他の共闘グループの情報すらつかめないありさまだ。
バフルン・ナイムのテロネットワーク内で有力なグループが警察に摘発されても、この24〜25日、そして31日〜1月1日といったターゲットチャンスに警察のまだ把握していなかったグループがテロ行動を起こす可能性は残されている。国家警察は全国民に対し、警戒度を高めるように警告している。


「大晦日深夜の爆弾テロを阻止」(2016年12月26日)
2016年12月25日のクリスマスの朝午前9時ごろ、デンスス88は西ジャワ州プルワカルタ県ジャティルフル郡チビノン町ウブルッ通りで29歳と28歳のテロ容疑者ふたりを逮捕した。そのあと13時に攻撃部隊がジャティルフル湖の水上ハウスを襲ってもうふたりの仲間を逮捕しようとしたが、激しく抵抗されたために射殺した。
その水上ハウスに爆弾は見つからず、ダウライスラミヤバキヤからの手紙や女性自爆テロ者「死の花嫁」を指名する手紙、またジャマアアンサルダウラ(JAD)のメンバーであることを認定する手紙などが見つかっている。
このグループはJADバンドンの下部組織に当たり、バフルン・ナイムのネットワークに属している。
警察はこのグループが新年のカウントダウンに時をあわせてジャティルフルダムの堤防を爆破する計画だったと見ており、そのように公表している。