インドネシア「人と文化」情報2004〜06年


「夢のお告げで財宝ざくざく」(2004年5月26日)
ボゴール県ランチャブグル郡バンタルサリ村の住民サイフディン26歳が、自宅付近で井戸を掘っているときに金塊と首飾りや腕輪を発見した。サイフディンの話しによれば、これは夢のお告げだとのこと。「最初はうちの庭の大きな木の下に井戸を掘る予定だった。ところが5月20日の夜11時半頃、夢を見た。夢の中で、『家の中に井戸を掘れ。3メートル掘ると財宝がある。』と言われた。それで台所の近くに井戸を掘らせた。朝7時半ごろからはじめて10時過ぎ頃になると、人足の鍬がなにかに刺さった。それを取り出したら金塊が二個現われた。もっとあったから全部取り出して調べたら、金塊の四本にはスカルノの肖像とIR Soekarnoという文字、他の5本には稲と藁の絵にLondonという文字、もう一本には星の絵。全部側面には24KとGoldという文字が入っていた。他にも首飾りが四つ、腕輪7個、宝飾チェーンが5本とペンダントが1個あった。本物かどうか調べるのに、ランチャブグル警察に金塊を一本渡してある。ほかは全部家にある。」との談。しかし近所に住むスラフマンの話はまた違う。「最初金塊が見つかったのはボゴール県ボジョンのパサレアンだ。サイフディンとかれの三人の仲間がボジョンの長老に祈祷をしたところ金塊十本を見つけ、それからサイフディンの家の中に財宝がある、というお告げをもらった。それで掘ったところもう5本の金塊を見つけたんだ。」という隣人の話し。サイフディンに確認したところでは、見つけたのは十本だけで、お告げのもう5本はまだだ、との返事。


「ユーロ2004サッカーをみんなで見物」(2004年6月17日)
インドネシアではサッカーが、往時日本のプロ野球のような人気。試合のある日はテレビを見てごひいきチームを応援し、さらにごひいきプレーヤーに声援を送る。まだ若ければ、自宅の町内会チームに入ったり、勤め先のチームに入ったりして、空き地コートでボールを蹴って走り回る。
さてヨーロッパのサッカー界は、今年は6月12日からポルトガルに各国代表が集まってユーロ2004サッカー欧州選手権大会を開催。それを待ちかねていたのがインドネシア国民。ヨーロッパの実況中継がインドネシアで見えるのは真夜中から翌朝にいたる時間帯だが、ファンはものともしない。自宅でひとりで見ていてもつまらないので、ひとびとはカフェやホテルに集まってノントンバレン(nonton bareng=みんなで見物)を楽しむ。大勢が同じシーンを前に一喜一憂し、興奮して感情をほとばしらせる。人間の集団の中に入って大きな感情の波にもまれるのは、現代人を疎外から解放するセラピーでもある。
一方のノントンバレン主催者は大型プロジェクションスクリーンを設置しておけば、どんどんお客が入ってきて飲み食いしてくれるので、これは願ってもない稼ぎ時。バンドを雇って経費を使う必要もないというもの。いまや都内のほとんどのカフェやホテルがこのノントンバレンで客寄せをしており、まるで不夜城の態。いやジャカルタばかりか、ジョクジャでもスラバヤでも、全国各地でノントンバレンの灯りがインドネシアの夜を照らし、明るくて犯罪の少ない国に変身している。
サッカーファンは一度ノントンバレンに加わって、眠い目をこすりながら付近に座ったインドネシア人と国際交流をしながらカタルシスを味わってみるのも一興ではありませんか?


「頭の痛い新入学シーズン」(2004年6月22日)
インドネシアの下層庶民には健全な金融機関がある。質公社がそれだ。街中を車で通っていても、ときおり秤のロゴマークにPerum Pegadaianと記された看板を目にすることがある。一般庶民にとって銀行は敷居があまりにも高く、かれらにとっては高利貸しの方がまだまだ身近にいるものの、踏み倒されて黙っている高利貸しはおらず、返済できなくなったときに一家に悲惨な結末がもたらされるという話も多い。質公社はその点、質流れさえ覚悟すれば、という安心感がある。
さて、毎日の生計をなんとかやりくりしている下層庶民にとって、日々の収入を大幅に超える支出には頭が痛い。それが子供の教育問題ともなれば、なおさらだ。学年末休みは、子供たちには羽を伸ばせる楽しい時期だが、上級学校へ入ろうとしている子供たちには不安な時期であり、入学金の工面をしなければならない親にとっては頭の痛い時期なのである。
質公社スネン支店に中年の婦人がやってきた。手にしたハンドバッグから青色のハンカチを取り出す。いやそのハンカチには、指輪、ネックレス、腕輪など黄金装身具が包まれていた。窓口の職員と言葉のやり取りをした後、装身具は窓口の中へと消えていった。「わたしの装身具も学校へやるわ。子供の学校のためだから。」質入をまるで寄宿舎にでもたとえたような洒落を言って、その婦人は店内から出て行った。
別の婦人がやってきた。クイタンに住むルスミニさんは亡夫が残した黄金のネックレスとブレスレットを質入する。子供のひとりがこんど中学に入るので、2百万ルピア必要だ、と言う。おまけに小さい子も幼稚園に入れるから、お金のやりくりがたいへんだわ、とこぼす。「去年は親族から借りたんだけど、毎年毎年はとても。好い気がしないもの。10%もの利子をつける高利貸しからも、とても借りる度胸はないわ。」
質公社に持ち込まれてくる品物は装身具、携帯電話、オートバイ、テレビ、コンピュータ、ラジカセからはては四輪自動車まである。質公社タナアバン支店では、朝から数十人もの来店客が店内で思い思いにかたまって世間話に花を咲かせながら、持ち込んだ品物を評価人が値付けするのを待っている。21日の業務が終わった後、同支店担当者はその日の貸し出しが2億1千8百万ルピアだった、と語った。前週の金曜日は1億1千8百万で、ほぼ倍増している。「新入学シーズンだからね。このシーズンは他の月より30%くらい増加する。」との談。
ジャカルタ、バンテン、ボゴール、スカブミ地区にある82の支所を統括する質公社ジャカルタ地方事務所は、平均月間1,480億ルピアの貸し出しがあるが、この新入学期には1,520億に増加すると見込んでいる。持ち込まれる品物は黄金が8割を占めている。従来はプアサ・ルバラン期が最大のピークで、その次にこの新入学期が貸し出しの大きい山を作っていたが、最近では医療費用調達や小規模事業開業のために質公社を利用する人も増えているとのこと。


「プトゥリインドネシア、念願のミスユニバース出場なるか?」(2004年7月29日)
ヤヤサン・プトゥリインドネシアとPTムスティカラトゥが毎年行っているプトゥリインドネシアの第9回大会が8月6日にジャカルタコンベンションセンター本会議場で開催される。
ヤヤサンのプトゥリ・クスウィスヌワルダニ会長は、今回の優勝者はミスユニバース世界大会出場が大いに期待されている、と語る。過去のプトゥリインドネシア優勝者は個人の成熟度が不十分なために世界の桧舞台に送り出される機会を逸している、とのこと。「コンテストのステージに上がる前にもう泣き出すんですよ。あれでどうやって観衆の前に立てますか?もうひとつ、世間からミスユニバースに対するネガティブな意見が持続的に出されているため、あの娘たちへの心理的影響が避けられないこともわかりますが。頭脳明晰さという点では、インドネシアの娘たちは諸外国に決してひけを取りません。問題は個人としての成熟度にあり、諸外国では高校生くらいから、親から離れて生活し、独立した個人の形成を学びますが、インドネシアの習慣ではまだまだ親にべったりですから。」会長はインドネシア娘の精神面をそう解説する。
そのような背景からか、今年のプトゥリインドネシア本選会に出場する娘たちのほぼ全員が大学卒で、また25%はS2在学中。諸外国の代表者に負けない、聡明なインドネシア美人を世界のステージに送り込みたい同会長の希望が今年は実現されるだろうか。女性の身体を公然と見て楽しむわいせつの場だとして宗教界から強い反対と非難を受け続けてきたインドネシア娘の世界ビューティショー出場に、果たして突破口が開かれるかどうか、期待しよう。


「ミスユニバース着用のクバヤに4千万ルピアの値が付く」(2004年8月13日)
インドネシアを公式訪問中のミスユニバース2004、ジェニファー・ホーキンス嬢は今年のプトリインドネシア優勝者アルティカ・サリ・デフィ嬢とともに、ジョクジャでボロブドゥル寺院の訪問をはじめ、いくつかの公式行事をこなしたが、ジョクジャでの最終プログラムである12日夜シェラトン・ムスティカ・ヨグヤカルタ・リゾート&スパで開かれたチャリティ・ガラディナーの中で催されたチャリティオークションでは、ホーキンス嬢が公式行事に着用したクバヤが競売にかけられ、4千万ルピアで落札された。
このガラディナーに来場したのはおよそ三百人のジョクジャ地区在住貴顕実業家たちで、このクバヤのオークションは2千万ルピアから始められ、最終的にジョクジャの実業家ラニ・アングライニさんが4千万ルピアの値を付けて手に入れた。フレンチレースと天然絹布のバティックをコーディネートしたこのクバヤはスマラン在住のデザイナー、アンネ・アファンティ女史の手になるもので、インドネシアのセラブリティのために花嫁衣裳を数多くデザインしているかの女は、「そのクバヤは通常価格だと2千万ルピアで、それが4千万ルピアもの評価を得たことは、たいへんうれしい。」と語っている。このオークションで得られたチャリティは、ジョクジャで老齢者養護とエイズ撲滅対策活動をそれぞれ行っている二つの財団法人に寄付されることになっている。


「まじない子授け師を患者が警察に訴える」(2004年9月3日)
子孫それも男児を残すことが結婚の第一目標となっている社会では、夫婦にとって子供が出来ないことは、身を切られるほど肩身の狭い、罪悪感をすら抱かせる事態を招く。そんな社会構造の中に、まじない子授け師ビジネスを成立させる土壌が存在する。
ブカシのボジョンラワルンブに住むスリダ・シアントゥリ40歳は有名なドゥクンハミル(まじない子授け師)で、毎日自宅には何十人ものイブイブ(主婦)たちがやってくる。もともとはドゥクンウルッ(あんま師)として自宅開業したスリダ通称オプンは、いつの間にやらドゥクンハミルとしてのほうで名を知られるようになり、その高名にひかれてメダンやバタムをはじめ遠隔地からも患者が訪れるようになった。オプン側は宣伝など一度もしたことがなく、毎日やってくる30人を超える患者たちはみんな、口コミ情報でそこへ通うようになったひとたちだ、と主張している。
初診患者はたいてい腹をウルッしてもらいにやってくる。患者の腹を触診しながらオプンは、「この腹はまだ三人子供が生める。みんな男の子だ。」などと口走る。言われたほうは、「どうすればそれができますか?」とわらにすがる。「じゃあ毎週うちへ来なさい。治療をしましょう。」ということで顧客ができあがる。
患者が治療に訪れると、オプンはシリをかみながら患者の腹をマッサージし、そのうち老婆の声に変わってバタッの古語でしゃべりだす。そして何か呪文を唱え出し、面食らっている患者にオプンの娘ロマがその内容を通訳する。終わると、呪文をかけた水を患者に飲ませて治療は終わる。治療費は別に決まっておらず、患者のお好みで、と言われるから、自分の財布と相談して金を渡す。今の相場は、5万ルピアあるいは10万ルピア紙幣1枚というところ。
そんな治療を10ヶ月も受けたあと、だまされたと言って数人の患者がオプンを警察に訴えた。訴えたのは6人の患者で、その中心となった結婚歴19年でいま40歳の女性は、昨年7月からオプンのもとに通い始め、三日目からこぶ蜜柑をオプンから買って日の出前にそのジュースを飲み、7日目からは自分で粉にした米で作った粥とサツマイモの葉を食べ、肉食は禁じられるといった処方を忠実に守ってきた。しばらくすると腹が大きくなり、二ヵ月後に家の近くの産婆で検査してもらうと、妊娠1ヶ月と言われた。
患者はたいていオプンの治療を受けると、数ヶ月して妊娠の徴候を感じるようになる。腹が大きくなり、腰が広くなり、からだ全体に肉がつき、そんな患者に夫や家族から祝福の笑顔が向けられる。しかし奇妙なことに、毎月メンスはやってくる。オプンにそれを問うと、胎児を清めるためだ、と当たり前のように言う。妊娠数ヵ月後に病院で超音波検査を受けると、医師はけげんな顔で「子宮内に胎児の姿は見えない」と語るが、それをオプンに問うと、超医学の秘法でできた胎児がふつうの医学で見えるわけがない、とこれも当たり前のように言う。
そして10ヶ月が過ぎたというのに、出産の徴候はいつまでたっても来ない。結局オプンのところへ通うのをやめたとたん、大きかった腹が縮み始めた。医者に診てもらうと、大きい腹の中味は脂肪だ、と言う。騙されたと知って怒り心頭に発した患者たちが、ついにオプンを告訴したという顛末。
女性心理学者サフィトリ・スパルディは、「結婚すると子供を持つのが義務だと感じる人が多い。その結果、女性の多くは子供を作りたいために、不合理かどうかとは無関係に、できることは何でもしようとする。もっと科学的に物事を見なくてはいけません。」とコメントしている。


「チャロ」(2004年10月22日)
市民生活の中で役所の手続きが必要なものがある。その手続きを行いに役所へ行くと、まず例外なくチャロがいる、というのがインドネシアの常識。運転免許証更新にダアン・モゴッの警察交通局統合サービスセンターへ行っても、チャロだらけ。
チャロとは、口利き屋であり、周旋屋であり、便利屋のこと。要するにそれを必要としている本人のためにその手続きをやってくれて、必要としているものを手に入れてくれる。当然ながらそのサービスは有料で、利用するときは事前に価格交渉が必要となる。しかしチャロの中には押し売りもおり、また役所窓口の者とつるんでやってきた人から搾り取ろうとする者もいるので、チャロは世間で鼻つまみ者になっている。
運送機関や催し物の切符販売所にもチャロがおり、昔はチャロが販売窓口の中に自由に出入りして切符を持ち出し、売場は客に売り切れと言い、その客にチャロが自分の切符をあなたに譲ってあげようと持ちかけて定価に上乗せした価格で売り、利益を窓口係りと山分けするようなダフ屋行為も行われていたが、会社が売場職員の不正行為に目を光らせるようになったので、減少はしているが、絶滅したとはまだ言えない。
そんなチャロはブカシ市労働局にもいる。そこは市内のたくさんの企業からの求人をとりまとめ、市民への就職斡旋を無料で行っているところでもある。就職希望者は登録のためにイエローカードを作成し、求職のためにそこへ行く都度、そのカードを携帯することになるが、そんなカード作成のためでさえ、チャロが群がり寄ってくる。今はたまたまブカシ市で地方公務員募集が予定されており、求人は325人で受付は10月27日から11月6日までという日程。そのために毎日イエローカード作成窓口には百人を超える求職者がやってくるが、窓口に長蛇の列を作って並ばなければならない。そこにチャロの稼ぎ場が生まれる。
「イエローカードを作るの?おれがやってやるよ。長い時間並ばなくてもすぐ終わること請け合い。書類は揃ってる?おれは安いよ。5万ルピアでいい。あそこにいるあいつは止めといた方がいい。あいつは10万も取るから。」それに乗る人、乗らぬ人。チャロのおかげで、金さえあれば面倒なことをする必要がないというのがインドネシア。


「質公社の営業は急上昇」(2004年10月29日)
質公社への来店客増加が始まった。高価な資産を持って行けば簡単に現金が手に入る質公社は力強い庶民の味方。毎年ルバラン前には、この年間最大の現金需要シーズンを乗り切ろうとして、庶民がさまざまなものを質入れにやってくる。世間のイメージは、質入れを行う人間は中間から下の経済層というものになっているが、金持ちはまったく足を向けないというものでもない。質公社ジャティヌガラ支店が高級車を持ち込んだ顧客に対して3億ルピアを貸し出したという情報は早くも都内を飛び交っている。ジャティヌガラ支店のマネージャーによれば、質入商品は装身具、家電品、四輪二輪自動車がメインで、家電品はテレビ、ラジオ、携帯電話、ラップトップなどが主流を占めているとのこと。その一方で、既に質草にした品物をルバランのために請出そうとやってくる顧客も少なくない。ジャティヌガラ支店では、ルバラン前に請出しに来る人の増加は平常期の10%アップほどらしいが、タンジュンプリオク支店では請出す人のほうが圧倒的に多いそうだ。請出す人はイドゥルフィトリの7日前から2日前までの期間に集中する。
今年プリオク支店では10月初め頃から貸し出し金額が通常の一日1億6千万ルピアから10%ほど上昇したが、そのほとんどは商人がラマダン月に向けて仕入れを増やすための資金入手を目的にしたものだったとのこと。商人たちは手に入れた利益を使って質草を請出しにやってくるので、タイミングはイドゥルフィトリ直前に集中する。タンジュンプリオク支店では、預かっている質草4千点の91%が黄金と装身具で、残りは家電品が多い、と述べている。質入れも請出しもイドゥルフィトリ直前がピークとなるが、頂点に向けて質公社来店客はいまや右肩上がりで増加中。


チャロ(続)」(2004年11月1日)
いま行われているブカシ市の地方公務員募集は求人が325人で、教員194人、保健要員63人、専門職68人という内訳。その応募のために市労働局にやってくる人たちへのチャロ行為は、10月22日の記事にある通り。そんな手続のためのチャロ行為より、ズバリ本命を狙うチャロたちが行動を開始した。
駐車場の労働局寄りの場所から駐車場出口にやってくるオートバイ運転者に、出口で駐車カードを回収している行政警官が声をかけている。「代用教員か?」エンジンをふかしてすぐにそこから立ち去ろうとしない者は、その行政警官の売り込みの対象者だ。脈があれば、正面ゲート脇にある空っぽの警備ポストに連れ込まれて、口説かれることになる。ある国立高校の代用教員をしていると自称する女性が連れ込まれた。
「市庁の人事課に友達がいて、代用教員を地方公務員候補者に通してくれる。もしあんたに興味があれば、その友達と会うお膳立てをしてあげるよ。オレは興味ある人がいたら紹介してくれと頼まれてるんだ。その友達があんたに、どんなことをして上げられるか話してくれる。決して後悔させない。保証付きだよ。」自信に満ちた言葉にその女性は逡巡する。
申し込みにやってくる人々でごった返すブカシ市庁の雰囲気は、チャロの手も借りたいと応募者に思わせるのに十分。ほんのしばらくの間に、その行政警官は次々と四人を釣り上げた。チャロサービスを受けたかれらは、申し込みに必要な書類とともになにがしかのチップをその行政警官に握らせると警備ポストをあとにした。
記者はその最初の女性を追ってインタビューを申し込んだ。かの女はブカシ市庁の不良職員が提供するチャロサービスに乗った経験がもう何度もあると認めた。しかしいまだに地方公務員の資格を得ていない。かの女はその人事課職員に今度会ったとき、11月24日に行われる地方公務員候補者選考を通ったら金を払うように交渉するつもりでいる。
チャロ行為はインドネシアの暮らしの隅々にまで行き渡っている。チャロ行為がどうして豊かに繁茂しているのだろうか?利用者がいるからだ。そして内部者の手を借りて大勢の競争相手を出し抜き、利用者が望む結果をもたらしてくれるからだ。現実に大勢の人間がそれを信用し、金をかれらにつぎ込むことを辞さない。
記者はその人事課職員にコンタクトした。かれは、金さえ用意してくれれば候補者選考を通してやることができる、と言明した。金額は交渉次第だそうだ。かれが条件にしているのは利用者の銀行通帳を預かることで、利用者がどこまで本気なのかそれでわかる、と言う。いざ鍵を握る担当官に金を渡す必要が出たとき、利用者に依頼して必要な金額を引き出してもらうことになる。
10月22日の記事にあるように、ブカシ市地方公務員募集に関連するチャロ行為は、市労働局でイエローカードを作成する場面からもう始まっている。応募者の数が多いためにその手続は7日もかかっているが、チャロに5万ルピア渡せばその日の内に出来上がる。申し込み書類には警察記録証明書を添付しなければならないことになっていて、そしてブカシ市警でも同じようなことが起こっている。証明書作成申請に管理費あるいは「ありがとう金」を添えれば、欲しい書類はすぐに出来上がる。しかしそのようなチャロ行為を、高官職の方々は一様に否定する。ンダン・スハルヤディ、ブカシ市広報部長は「金を払えば公務員にしてやる、などと言う者がいれば、それは詐欺だ。公務員採用は、いまは中央政府が決めているから、金をもらった者が払った者を公務員採用合格にしてやれる保証などない。だから応募する市民は定められた手続に従うことだ。応募者が金を払う必要は一切ない。候補者選考にパスし、採用試験で合格すれば、晴れて公務員だ。」と語っている。


「スカルノハッタ空港はチャロがいっぱい」
イドゥルフィトリに向けてH−7日を切ったいま、帰省の波のうねりが始まり、そして交通機関のチケットを求める人を相手に、チャロ商売が佳境に入っている。ガンビル鉄道駅でチャロをXX人捕まえた、などという記事が目を引く時期になってきたが、スカルノハッタ空港も例外ではない。国内線切符売場窓口の近辺に待ち構えていて、小さいバッグを持っているのですぐわかる。オジェッ引きですら、チャンスがあればダメもとで売りオファーを仕掛けてくる。料金は平常価格の40万から50万ルピア上で、そこからタワルムナワルがはじまる。チャロの中には空港内の警備に当たっている警官や空港職員の目の前で堂々と商売を行う者もいるが、警官たちは見て見ぬふり。国有空港管理会社PTアンカサプラ?のエディ・ハルヨト社長は、チャロたちはネットワークが広く、また携帯電話で連絡を取り合っているので、取締りが難しい、と語る。おまけに航空会社がチャロに空チケットを大量に販売するので撲滅はむつかしいが、空港内でチケットを持っている者のKTPとチケットを突き合わせれば、チャロかどうかわかる、とも述べている。
一方バリのグラライ空港は、イドゥルフィトリに向けてエクストラフライトが百便も増加しており、乗客数では2万5千人の追加となっているため、混雑に拍車がかかっている。


「こんどはミス・アセアン」(2004年11月5日)
美人女性にまたひとつ、桧舞台に登るチャンスが増えた。アセアン商工会議所の企画でアセアンメンバー国から代表者を集め、美女コンテストを行ってビューティフルアンバサダーになってもらおうというものだが、求められている美女はアセアン共同体のビジネス、通商、観光のプロモーションという仕事に当たるので、水着やらビキニやらといった肉体的魅力の審査は重要でなく、ファッションやメーキャップのセンスが重視され、自分をどう美しく見せるのかにポイントが置かれる。そのためコンテストの審査ポイントは、インテリジェンス、美しさ、パーソナリティの三つだとのこと。
優勝者に与えられるミッションはアセアン発展のために貿易、工業、観光などの産業振興のお手伝いをすることで、そのためにアセアンが抱えている問題や長所、そして今後世界の中でアセアンが進んで行く方向などについて深い知識と広い視野が求められることになる。
ミス・アセアンコンテストのステアリングコミティ委員長に就いたタントウィ・ヤヒヤは、「今回始めて行われるこのコンテストはアセアン諸国の代表者が集うページェントであると同時にアセアン各国の文化を堪能できるショーケースでもある。またアセアン友好国である中国、日本、インド、韓国、ニュージーランド、オーストラリアからのゲスト・ミスたちもステージをにぎわしてくれる。本選大会は2005年3月4日が予定されている。」と述べている。


「恵み豊かなラマダン月」(2004年11月11日)
靴の底革、糸、縫い針などが入った木の箱を地べたに置いて、ソレは背を垣根にもたれさせながら薄汚れた帽子を手にして扇いでいる。そこは木陰になっているが、照り返しは暑い。西ジャカルタ市グロゴル地区の一角だ。「こんなルバラン前は下宿人がみんな帰省して誰も残ってない。直す靴なんかどこにもないよ。」タバコに火をつけるソレに、「あれっ、プアサしてないの?」と質問が記者の口を突いて出た。深く煙を吸い込んでから、43歳のソレは語る。
「プアサはほとんど毎日だ。一日に朝飯が一回。そのあとはずっとプアサだよ。」プルウォクルト出身のソレが言っているのは、ラマダン月のプアサのことではない。二人の子供が小学校をドロップアウトしないよう、夫婦の需要を徹底的に切り詰めているのだ。昼飯は妻が作った衣をつけたウビゴレンが数切れ。靴直しの商売で手にできる金は一日1万5千から2万ルピア。大繁盛してもせいぜい3万ルピア。ルバラン前には巨額の金が回転する階層がある一方で、下宿人が帰省して顧客を失ってしまった靴直し屋に回ってくるおこぼれは普段にまして少ない。
ソレは今年も帰省しない。去年やったことを今年もやろうというのだ。計画しているのはイドゥルフィトリ日のにわかクズ拾い。朝、都内のいたるところで行われるイードの礼拝が解散した後、打ち捨てられた新聞紙、飲料水のプラスチックボトルやコップなどを拾い集めて売れば、普段の商売よりも金になる。ソレは去年、おかげで5万ルピアを手に入れた。
ラマダン月は聖なる月。普段バスの中でプガメンをしているリリッ・カリアナ30歳は、ラマダン月にはイスラム音楽を歌っており、収入も他の月に比べて大きい、と言う。歌うのはマレーシアの歌唱グループ、ライハンのオリジナル曲がメイン。20代の三人の仲間たちと組んでバスの中でイスラム的色彩の濃い歌を歌えば、四人で一日20万ルピアほどの稼ぎとなる。四人は自分の役割とは関係なく、それを均等に分配する。他の月だとせいぜい一日に一人あたり2万から3万ルピアしか手に入らないのに比べれば、ラマダン月は実にありがたい月なのだ。かれらも故郷へ帰省する気はない。ルバランの日もまたかれらの姿をバスの中に見ることだろう。


「Jスタイルただいま人気急上昇」(2005年3月5日)
全般的に保守的な文化の中にいるインドネシアの若者たちは、これまでも奇抜なファッションのモロ真似に走る人は少なく、一端を軽く取り込んでの流行お洒落を楽しむ傾向が強かったが、最近のヤングのブラニ度は上昇一途。
都内のいたるところにフランチャイズチェーンが看板を掲げている有名な美容サロンのひとつに入ったニヌは、店内に待ち構えていた店員がいきなり雑誌を開いて話し掛けてきたのにどぎまぎした。雑誌に目を落とすと、とてもまともとは思えない奇妙なヘアスタイルが満載だ。「モデルジュパンにカットしてみたら?いまはやってんのよ。」近くで客の頭をあたっていたヘアドレッサーがその雑誌を指差して言う。「ン〜〜」とニヌは絶句した。
昔からあるカッコよい健康美女のイメージは輝く長い黒髪。枝毛、ノー。フケ、ノー。黒くきらめく艶のある長い髪、イエス。テレビのシャンプーCMは競ってそんなイメージを煽り立ててきた。ところがそれに反発するかのように、アシンメトリーで均整を重視しないカットに、まるで絵の具箱をぶちまけたようなカラリング、『モデルジュパン』と呼ばれる日本式ヘアスタイルが、ジャカルタの若者たちのあいだで人気を集め始めている。
特に決まった形はなく、個性重視で時間のかからないスタイリング。色もますますエクストリームへと突き進む。緑、紫、赤、青、ゴールデンブロンド、灰色、シルバー、ピンク。そんな色に染めるためにはブリーチングも欠かせない。一ヶ所のハイライトどころか、髪全体をエクストリームカラーにすることさえ辞さない。オー、ブラニ!
このモードはその名の通り日本から始まり、韓国・香港へと広がった。エイシアン・ファッションのメッカであるその三国で流行する新モードがインドネシアを含むアジア諸国に広がらないはずがない。西ジャカルタ市のモールタマンアングレッ内にあるハブヘアギャラリーには韓国から招かれたヘアドレッサーのロミー・キムが最新流行のモデルジュパンヘアスタイルに腕をふるっている。韓国や日本のようなエクストリームを望む客はあまりおらず、インドネシアの客はみなさん大人しい、と意見を述べる。だからこそ、エクストリームヘアカラーは大手スーパーや有名化粧品店でも売られておらず、個人で手に入れるのはたいへん困難。そのためにハブヘアギャラリーではそれらの素材を韓国から直輸入している。お値段は国内で売られているヘアカラーとあまり違わないようにしてありますからご心配なく、とロミー・キムはプロモーションを一発。


「インドネシア人は寝不足!?」(2005年6月7日)
インドネシア人は早寝早起きで、睡眠時間は短めであることがサーベイ調査で明らかになった。ACニールセンがアジアパシフィック、アメリカ、ヨーロッパの28カ国で1万4千1百人を対象に面談調査を行ったオムニバスサーベイの結果を見ると、インドネシア人の起床時間はアジアパシフィック諸国の平均よりかなり早い。インドネシア(AsPas平均)を比較対照して見ると、起床時間が午前5時以前の人は22%(5%)、5時から6時は50%(20%)、6時から7時19%(35%)7時から8時6%(24%)という内容で、インドネシア人の四人のうち三人は朝6時にもう起きているが、アジアパシフィック全体だと四人のうち三人が起きているのは朝8時前。
一方就寝時間は、21時から22時13%(7%)、22時から23時32%(21%)、23時から24時28%(30%)、0時から1時18%(24%)、一時以降7%(16%)という情況で、インドネシア人の二人に一人は午後10時台に寝てしまうが、アジアパシフィック全体はそれが午後11時台になっていて一時間違っている。ミッドナイトを超えないとまぶたがくっつかない深夜族は、インドネシアの人口比はAsPas全体の6割程度でしかない。かつてインドネシアの青年たち(男だけ)は深夜に居住地区の道端に出て、ギターを抱えながら雑談して夜更かしをするブガダンを盛んにしていたが、どうやら自分の部屋の中で深夜ラジオ放送やインターネットでブガダンをするライフスタイルへの変化も起こっている模様。ちなみにこの統計によると世界最大の夜更かし国はポルトガルで、ミッドナイトを超えるまで起きている人は75%、1時を超えなければ寝ない人は28%にのぼる。二位は台湾で、深夜を超えなければ寝ない人が69%、1時以降に寝る人は35%を占めている。
こうして見ると、インドネシア人の睡眠時間はAsPas全体よりも短めであることがわかる。統計数値からそれは一目瞭然で、一日の睡眠時間5時間は12%(3%)、6時間は26%(19%)、7時間40%(37%)、8時間20%(31%)、9時間2%(10%)という結果が示されており、アジアパシフィック全体だとマジョリティが6時間から8時間のブラケットに集まっているが、インドネシア人はそれが一時間短い方にずれている。ちなみにこの統計で明らかになったAsPas地域の長寝国民はニュージーランド人とオーストラリア人で、9時間以上寝るニュージーランド人は31%、オージーは28%という数値。他の各国でそのブラケットは20%に達しない。一方睡眠時間の最短国民は日本人で、6時間以下が41%を占めている。


「亡骸を抱えて電車に」(2005年6月8日)
ひとりの中年の男が黒ずんだサロンに包まれた大きなものを両手で抱きかかえている。ぼろを着たみすぼらしい姿の男の脇には、まだ小さい子が影のようにしたがっている。トゥベッ駅にボゴール行き電車が滑り込んできた。電車に乗り込むために並んでいた人の列が扉位置に密集する。男のそばにいた物売りがかれに声をかけた。「抱えている大きなものは何だね?」「こりゃ娘の亡骸だ。」突然そのみすぼらしい姿の男を中心にして人の輪ができた。その輪から数人の男が出てきて、みすぼらしい姿の男を駅から連れ出した。かれらはトゥベッ警察署に向かったのだ。その亡骸が自然死によるものでないとひとびとは考えたにちがいない。老齢にせよ病気にせよ、自然死の亡骸は霊柩車で墓地へ直行するのがあたりまえで、街中をうろついたり、電車に乗せられたりするのは、かれらの想像を絶することなのだろう。
男はスプリオノ38歳で、中央ジャカルタ市チキニ地区でくずひろいをしており、6歳の息子と3歳の娘を抱えてその日暮らしを送っていたが娘がコレラで死亡した、と言うのだ。そのときスプリオノの所持金は6千ルピアだけで、かれはその金で電車に乗り、ボゴールまで行ってクラマッに娘を埋葬しようとしていたところだった。しかし警察はその一家をチプトマグンクスモ病院に連れて行き、遺体の法定解剖をするよう要請したが、スプリオノは嫌がった。娘は病死したのがはっきりしている。病院の法定解剖部門職員も亡骸を調べて、不審な死ではない、と言明した。
スプリオノが屑拾いで得る収入は一日せいぜい1万ルピア。最近妻と離別したかれは、コレラにかかった末娘を一度保健所に連れて行ったきりだ。かれには、それ以上何かをしてやれる金がなかった。そうして6月5日朝7時、娘はマンガライ近くに停めてあった父親の荷車の中で息を引き取った。
チプトマグンクスモ病院のその職員は、気の毒に思ってスプリオノに1万ルピアを与えた。その周囲にいる者たちも話を聞いてこころづけを差し出した。総額およそ20万ルピアほどが集まった。しかしチプトマグンクスモ病院の霊柩車をボゴールまで使うには45万ルピアの金が必要だ。「トゥリマカシ」を善意のひとびとに返してスプリオノは、ふたたび亡骸を抱えて病院を立ち去った。そしてその一家は姿を消した。ボゴールのクラマッ墓地を調べても、それらしい幼児の墓はない。
イ_ア大学社会学部パウルス・ウィルトモ教授は、スプリオノに関わったひとびとみんなが示したのは、インドネシア人が持っているミニマリスト的勤労エトスそのものだ、と分析する。ミニマリスト的勤労エトスとかれが呼ぶものは、つまり義務を果たせばそれで十分だと感じ、義務の外にあることがら、ましてやイニシアティブや自己犠牲をたくさん必要とすることがらは避けようとする姿勢のこと。ジャカルタの住民は毎日たくさんの問題に直面しており、そして困っている人間も周りにたくさんいる。自分より困っている人間に手を差し伸べなければならないのなら、その相手は多過ぎて手に負えない。結局大きい面倒を抱え込むよりも、それを無視する態度に出る。社会全体がミニマリスト的勤労エトスで動いているから、自分がそうされるように他人を扱うようになる。そして限定された範囲の中での責任しか与えられないから、その外側のことまで考えていられない。こうして『オレの知ったこっちゃない』風土が進行する。「自分の責任範囲外のことをどうしてしなきゃならないのか。それは他の人間の責任だろう?他にそれをやる人がいるんじゃないか。だからそれはその人間にやらせればいいじゃないか。」こうしてみんなが他人を指差し、それをやる人は誰もいないという状況になる。インドネシアにある勤労エトスがそれだ、と同教授は指摘している。


「人間は見てくれが大切」(2005年6月14日)
インドネシア人は外面を飾りたがるという意見がある。中身よりも見てくれが大切で、外面がばっちり決まっていれば本質は問われない、と語る意地悪もいる。たしかに会社の中でも、形式を整えるのは巧みだが中身に首をひねるというケースはざらだし、れっきとした奥様が普段着で庭や表をうろうろしていたら、通りかかった屑拾いに女中扱いされた、という話もあるくらいだ。だから奥様方が、数回しか身に着けない高価な衣装をたんすの中のハンガー掛けがたわむくらいせっせと買い込むのも、そんな事情が一因をなしているに違いない。ニールセンメディアリサーチがインドネシアの12都市で行ったサーベイ結果はしかし、それほど突出したデータを示していない。
質問「あなたにとって、素敵な衣装を持つことは重要ですか?」
重要と答えたのは47%、重要でないと答えたのは33%、ビアサつまり重要というほどではないと答えた人20%。「ビアサ」回答者が、素敵な衣装を持ってはいるが、それを重要だと思っている人ほど精神的に縛られていない、という意味であるなら、これはYesカテゴリーに入れてしかるべきで、そうであるならイエス組はノー組の2倍いることになり、なんとなく序文の印象がフィットする。男女差を見ると、「重要だ」と答えた層は言うまでもなく女性の方が高比率。
質問「魅力的な服装をすると、あなたは他人の前で自信が持てますか?」
インドネシア人がよく言う「ペーデー」とはPercaya Diriつまり自信のことだが、日本人が言うプライドという言葉にニュアンスが近い。これはなんと65%がイエスと答えており、ノーはわずかに11%。薄汚い服、かっこ悪い衣装に身を包むと、どうやら心もいじけてしまう模様。人間の値打ちは『裸一貫から何を築き上げられるか』であり、身にまとったもので値打ちが計られるのはどうも・・・という気がするのだが。
質問「あなたは流行ファッションを追いかけますか?」
イエスは24%、ノーは45%。「ビアサ」回答者が31%と大きい比率を占めている。最先端ファッションを密着追跡はしないけれど、世間がみんなそれに乗るころにはわたしも・・・・という人が「ビアサ」回答者なら、これはやはりイエス組ではないだろうか。そしてイエス回答者は女性の方が高比率。


「インドネシア人の週末は家庭サービスの日」(2005年6月20日)
ジャカルタ、バンドン、スマラン、スラバヤ、メダンの5大都市で15歳以上の1千7百人を対象に行ったニールセンメディアリサーチのサーベイの中に、週末をどのように過ごしているかというものがある。
インドネシア人はとても家庭的で、まず何よりも家族を大切にする、という印象を語る外国人は多いが、かれらにとって週末は家族のための日であり、日々の勤務先でのお勤めで疲れたあと、週末は家族へのお勤めでまた疲れるという人は少なく、週末は愛する妻子とどこかへ遊びに出かけて日ごろの鬱憤を晴らし、身体は疲れても心は幸福に浸ってストレスを昇華する人が大部分のよう。
さて調査結果を見るとそのとおりで、5大都市住民の82%が家族とともに週末を過ごしており、友人など家族以外の人と過ごしているのはわずか18%。しかし過ごし方はお手軽な人が多いようで、家族組みのトップは家でテレビを見るのが64%、モールへお出かけ19%、動物園やタマンミニなど都内行楽地が7%、外食7%、郊外へ遠出が4%。非家族組みもその順位は変わらない。


「ショッピングは幸福への扉?!」(2005年6月25日)
一昨年の経済成長をリードしたのは消費。インドネシア人は物つくりよりも今ある物を売買する方が得意で、しかも手にした金は惜しげもなく消費行動に使う、と意地悪は語る。飲食に使う金額はどう引っくり返っても巨額にはなりえない。一国の経済成長をリードする消費は、だから耐久消費財や付加価値のつきまくった高額イメージ商品に向かう。人間は見てくれが大切であるため、高額な品物を所有してそれを他人に顕示する人間は世間での評価が高くなる。そんな背景にのって国民の消費行動が向かう先は「shop till you drop!」。
ニールセンメディアリサーチが国内12都市で行った調査のひとつに、インドネシア人のショッパホリック度情況がある。
質問「あなたは買物をしているときに幸福を感じますか?」
イエスが46%、ノーは24%。30%はビアサという統計。イエスの中を男女別に見ると、女性は48%、男性は32%で、想像通りのウエート比だ。女性のふたりにひとりは、お買物をしている間中法悦感に浸っている。女を幸福にしてあげる秘訣は、どうやらこの辺りに潜んでいるのではないかという気がする。女が幸福であれば連れ添う男も幸福でいられる。問題は資金がどこまで続くかにあり、『金の切れ目が不幸のはじまり』というのは女よりもむしろ男の方に与えられるべき言葉かもしれない。
質問「あなたはその商品が必要というわけではないが、大きいディスカウント率だとそれを買わずにいられないですか?」
イエスが42%、ノー37%、ビアサは21%。イエスの中を男女別に見ると、女性は44%、男性は39%で、ディスカウントに惹かれる女性は思ったより少ないようだ。国民総中流社会であるどこやらの国より、やはりインドネシアの高額所得層はお金持ちであるということかもしれない。豪邸に住む奥方は数千万のお買物をプラスチックマネーひとつで眉も動かさずに行い、中高生の娘息子たちも大手企業のマネージャーが手にする給与レベルの一月のお小遣いを毎日友人たちと惜し気もなく散財している。「ディスカウントに惹かれるなんて、きっと下層の出の人たちざますわね。」という声が聞こえてくる気がする。


「買物の決定権は圧倒的に女性側」(2005年6月29日)
ニールセンメディアリサーチが国内12都市で20歳以上の既婚者を対象に行ったサーベイの中で、買物をする際の決定権が家庭内の男女どちらにあるのかを問う設問がある。男が買物の内容を決定する家庭は全体の16%で、残りは完全な女性優位。
男は生計の糧を得てくる役目、女はその糧で家政を司る役目というインドネシアコンセプトが忠実に反映されているようだ。女性が決定権を持つ家庭を社会経済階層区分で見ると、A1は85%、A2は81%、B88%,C1とC2は同率の84%、Dが81%,Eは85%という内訳で、A2とD区分が男が買物にいろいろと口をさしはさんでいるようだ。


「指示要請の好きな部下への教育は」(2005年7月6日)
「指示してください」文化の罠にリーダーは落ちないように。経営会計コンサルタント会社Andrew Tani & Co,のチーフテクノロジーアドバイザーであるアンドリューEBタニが「Artful Delegation」なるものを提唱している。
「企業リーダーはふたつの主要コンディションを認識する必要がある。つまり部下が、?問題の存在を関知しない、?ハルモコ現象つまり「指示してください」文化に浸っている、かどうかということだ。もしそうなっているのであれば、部下への権限委任は順調に進展せず、また会社に新たなリーダーが育つこともない。会社に新たなリーダーを作り出すためには、部下に対する段階的で適正な権限委任の実施が組織内のマネージャー=リーダーに要求されている。委任というのは黒を突然白にするものではない。まず灰色になり、やっと白になる。たとえば、あるコングロマリット経営者が会社の経営をすべて部下に一任し、一切を見なくなるということは起こりえない。最終的にフルデレゲーションに至った場合でも、報告しなくてよいものもあるが、特定のことがらについて部下は報告をしている。ことがらによっても、フルデレゲーションができるものとできないものがある。アートフルデレゲーションコンセプトは批判的な思考と責任を持つことに関する部下の能力向上にポイントを置いている。」との説明。このコンセプトは目標設定、テクニック、システムあるいは方法論から成っており、テクニックではスタッフ業務の完遂が取り上げられる。部下の苦情や要望を聞くのではなく、問題の分析、適切なデータの収集、問題解決の代替案を探すことに重点が置かれる。もうひとつのポイントは24時間ごとに部下に報告させるということで、これはまだ問題があるかもしれないために、ミスが起こった場合の影響やリスクを最小限に食い止めることを目的にしている。その先はミニストリアル・デレゲーションへとつながって、部下の定期的な報告をもとに、ミスが発生した際の対応を容易にしている。「指示してください」文化の中でデレゲーションを行うのは、罠にはまる可能性が高い、と同アドバイザーは警告している。


「インドネシア人はオプティミスト」(2005年7月8日)
ニールセンメディアリサーチが国内12都市で15歳以上のインドネシア人を対象に行ったサーベイの中に、自分の将来に関する見解を問うものがある。
質問「あなたの将来は明るく輝いていますか?」
イエスは58%、ノーは9%、ビアサは33%という回答者比率。男女別にはイエスの比率が女性の方が高かった。学歴別には、高学歴者ほど自分の将来を明るいものと見ている傾向にある。かれらの日々の明るい笑顔を裏で支えているのが、この自分の将来に対する確信にちがいない。自分が生きていることを楽しむのはやはりこうでなくっちゃあ!


「新学期、質屋が繁盛する時期」(2005年7月15日)
東ジャカルタ市クラマッジャティにある質公社の店舗にひとりのおとうさんがプレステ?を抱えてやってきた。店にいる評価人が35万ルピアと言う。緊張した面持ちのおとうさんは、ほっと息を抜く。「末っ子が小学校に入るのに、26万5千ルピア必要だ。マトラマンのムハマディヤに入れる予定で、隣近所から借りられなかったからこれを使うことにした。売ったらもったいないよ。二度と買えないかもしれないから。」26万5千ルピアは建設費という名目で学校が新入生から徴収している金。おとうさんはそれ以外にも末っ子のために制服や本を買わなければならない。その金はまた別だ。
かなりお年を召した夫人も、子供の学費を工面しに質公社にやってきた。まだ大学生のふたりの子供のために4百万ルピアいる、と言う。先月ブレスレットを質入したが、まだ足りないので、今度はネックレスを置くそうだ。言うまでもなく先月入れたブレスレットはまだ請け出されていない。
学校の新学期には、子供を持つ家庭に必ず非ルーチンの出費が起こる。どの家庭もその金の工面をせざるを得ないが、中流から下の家庭にとっては、親族隣人から借金するか、さもなくば手持ちの品物を質公社に持ち込むことでそれを乗り切ろうとする。だからこの時期はルバランに次ぐ質公社の繁盛期となるのである。クラマッジャティ店マネージャーは、6月以来平常月の10〜15%取引がアップしている、と語る。質公社の黄金24K評価額はグラム当たり13万3千ルピア。質の抵当に持ち込まれる物品は、市場相場の6〜7割で評価される。持ち込まれる物品は台所用品から家電品、装身具、果ては自動車までさまざま。


「富は物に集まる。インドネシア式資本主義」(2005年7月20日)
ボゴール市内で植物園の西側を囲んでいるジュアンダ通りが南に回りこんだところに、スルヤクンチャナ通りとの三叉路がある。その角に毎晩夜市が立つ。一昔前までラマヤナ市場周辺で商っていた百人を超える商人たちが、野菜、オンチョム、イカンピンダンなどを持ってきて、路上に店開きする。ラマヤナ市場は7年前に火事で焼失し、廃墟のままだ。この夜市は21時半ごろから店開きし、翌朝6時ごろに解散する。商人たちは歩道を占拠し、さらに路上にまであふれる。
ちらほらと商人たちがやってくる21時ごろ、スプリヤディは荷車といっしょにもうその場所にいる。荷車の上には60個のペトロマクスや14個の置き秤が乗っている。ペトロマクスというのは、灯油を使う照明ランプだ。かれはそれらを商人にレンタルして日銭を取る。ペトロマクスは一晩3千ルピア、秤は吊り秤も置き秤も一晩2千ルピア。この商売を始める前、スプリヤディはこの市場のポーターをしていた。近隣の農村からトラック山盛りの野菜が運び込まれると、それをおろして小売商人に渡したり、大量に仕入れた野菜を商人の売り場に運んでやったりといった力仕事で、チップ代わりに渡されるこころづけだけが収入だ。ある商人に野菜売りを手伝えと誘われ、元手を借りて始めたが、一晩の手取りは1万5千ルピアにしかならず、続かなかった。
「今は一晩で18万ルピアくらいになる。灯油50リッターで5万5千ルピア、酒精1リッターが5千ルピア、手伝い人に2万5千ルピア、食費に5千ルピア、壊れた器具の修理用に2万ルピア。それらの費用を引いてもまだ十分手元に残るよ。」スプリヤディはそう語る。2004年の断食月が始まったとき、かれはこのビジネスを始めた。初期投資は30万ルピア。その金でペトロマクス3個を購入した。ほぼ半年が過ぎたとき、かれの事業はペトロマクス60個、吊り秤50個、置き秤14個にまで発展していた。吊り秤は150個まで増えたが、ボゴール市秩序安寧局の手入れがあったとき、多くが失われてしまったという。
商人たちは自分でペトロマクスや秤を所有しようとしない。長期的にその方が経済的であるにせよ、品物に投資して金を寝かせることをせず、毎日小額の金を払ってレンタルする。投資した資本財にはリスクがつきまとうし、品物の管理に長けた人間を生み出している社会でないことも確かだ。このようにして、底辺経済層の中でまたひとり、資本家が作り上げられて行く。


「オーストラリア大使館前でクラクションを鳴らせ」(2005年7月20日)
2004年9月9日、南ジャカルタ市ラスナサイッ通りを衝撃が走った。そして通りの南行き低速車線で起こった爆発ではあったが、そこにあったオーストラリア大使館のフェンスをはじめ、道路側に面した大使館建物の壁や窓ガラスに無残な爪あとが残された。
その後改修工事が大掛かりに開始され、道路に面したフェンスの補強を伴う建設工事のために、低速車線が閉鎖されてしまった。ただでさえ通勤時間帯のラッシュが都内全域でその渋滞度を増しているとき、ラスナサイッ通りのオーストラリア大使館前にできたボトルネックは、南行き車線に過剰な渋滞を引き起こす。毎日朝晩、その道路を通行するクニガン地区オフィス街に勤めるコミューターたちの間で、怨嗟の思いが根を張った。
「オーストラリア人はなぜ早く工事を終わらせて都民にそこを通行させるようにしないのか?」
「傲慢なオーストラリア人は、インドネシア人が苦労していることを気にもかけていない。」
「いや、オーストラリア人だけじゃないぞ。モナスのアメリカ大使館も、HIロータリーのイギリス大使館も、保安を理由にして大使館が面している道路の一部をインドネシア人が通れないようにしている。」
「そうだ。大使館内は外交特権だから仕方ないにしても、その外の道路はインドネシアの主権領土だ。かれらはインドネシア国民の権利を略奪している。」
「政府は国民の権利が犯されているのを、なぜ放置しているのか?」
「政府は先進国を友邦だと位置付けてかれらの言いなりになるばかりであり、自国民を保護しようという意識に欠けている。」
「われわれは抗議の声をあげなければならない。道路を占拠しているオーストラリア大使館に向けて、あのボトルネックを通る車はみんなクラクションを鳴らそう。」
こうして、「クラクション抗議提案」がインターネットを飛び交った。メーリングリストの中ではその議論が活発になされ、賛成派反対派が意見をぶつけあう。賛成派はSMSで仲間を増やそうと、ネットワークにメッセージを流す。
ところがそのアイデアも、思わぬ伏兵に出会って立ち往生した。オーストラリア大使館から遠くない道路沿いに、MMC病院があったのだ。病院付近でのクラクションは禁止されている。こうして抗議の声は腰砕けになったか、オーストラリア大使館前のボトルネックでは、散発的なクラクションが聞こえるものの、そこからインドネシア国民の抗議の声を感じ取るのはむつかしい。


「ブカシバラッで捨て子」(2005年7月25日)
7月13日夜、ブカシバラッにあるハラパンインダ住宅地区の道路脇に赤児が捨てられているのが発見された。生後間もないその赤児は警察に届けられた後、ブカシ総合病院に送られ、最後にチプトマグンクスモ病院に移送された。一方、その赤児を捨てた者を探して、警察の捜査が始まった。
7月21日、南ジャカルタ市スティアブディ署は、下宿屋に同棲しているリア・ワルヤニ16歳とファレンス・ダルマ17歳を赤児遺棄の疑いで逮捕した。警察の取調べに対してふたりは、仕方なく行なったことだと自供している。特に母親のリアは、我が子の排泄に苦しむ姿を見るのが耐えられなくて、と涙ながらに語っている。
リアとファレンスは結婚を誓い合ったが、親の許しが得られない。「子供ができれば、しかたないとあきらめて許してくれるだろう。」そう考えたふたりは子供を作った。ところが体重1.8キロ、身長48センチで生まれてきた美しい女児には肛門がなかった。職のないふたりにはそれをどうすることもできない。最初は生まれた子供を養子にしてよい、と約束していた人も、肛門がない赤児に首を横に振った。こうしてふたりは相談の上、高級住宅地のお屋敷の近くに捨てれば、だれかが拾って育ててくれるだろうと考えて、7月13日夜オートバイでブカシに走ったというのがこの事件の顛末。
この女児にMaria Angelと命名した若い両親は、どのような人生を夢見たのだろうか?


「週末帰省列車族」(2005年8月5日)
毎週末になると帰省するコミューターは多い。かれらは6百キロの道のりも苦にせず、金曜の夕方には故郷に向かう長距離列車に飛び乗る。かれらは「東へ西へ」族と呼ばれている。
「東へ西へ」はジャワ語でngetan-ngulon。そんな「東へ西へ」族が金曜の夕方になるとジャカルタコタ駅、ガンビル駅、いやもっと小さいタナアバン駅やブカシ駅にも集まってくる。かれらはトランクや大きなかばんなど持たない。たいてい普段持ち歩いているバックパックや小型のバッグ、いや中には手ぶらの者もいる。とはいえ手には必ず新聞紙。
大きい荷物を持ち運ばないのは、そのほうが検札を避けやすいため。そう、「東へ西へ」族は無賃乗車者なのだ。中部ジャワ州ソロ出身のラフマッ33歳は、携帯電話と財布をポケットに、手には新聞紙といういでたちで、ソロ行きスンジャウタマ号に乗る。駅で切符を買ったことがない、とかれは言う。だから正規の料金をかれは知らない。「8万ルピアくらいだろう。検札で見つかったら2万から3万の金を渡す。それで終わりだ。その方が安あがりだから。」ラフマッのそんな言葉は、やはり「東へ西へ」族のひとり、ジョクジャ出身のガンディが裏書きする。かれは帰省するのにジャカルタ〜ソロ〜ウォノギリを走るエコノミー列車ブガワン号に乗る。片道は3万8千ルピアで決して高くない。しかしガンディは言う。「でも一月で15万ルピアを超える。家で子供らと遊ぶのに使うほうがマシだよ。」だからかれも車内で金を払うのを選ぶ。エコノミー列車だから1万5千ルピアで済む。
無賃乗車者にはシートに座る権利がない。それでかれらは通路など床の上にすわる。かれらが乗る列車は夜行に決まっているから、床の上で寝る。新聞紙はそのためのもの。この「東へ西へ」族が男だけだろうと思うのは大間違い。ジョクジャ行きやソロ行き列車の床の上には、女性もいるのだ。もう子供がいるというひとりの婦人は、スンジャウタマ号の床の上で寝るのに慣れていると語る。新聞紙を敷き、そして慎み深くサロン布を一枚身体の上にかける。
知らない同士でも何度か顔を合わせるとすぐに親しくなるのがインドネシア人の特技。毎週同じ列車に乗って顔なじみになり、同じ目的地で降りるのがわかると、仲間の輪ができる。友達の友達は友達で、こうして同郷コミュニティが車内に作られる。ジョクジャ行きならスントログループ、ワテスグループ、あるいはソロ行きならクラテングループ、プルウォクルトグループなど、目的地の異なる車上コミュニティが同じ列車にいくつか乗っており、かれらはよほどのことがない限り、同じ場所にたむろする。そんなふうにして作られたコミュニティは、検札員に対して組織力を使うようになる。15人から20人のメンバーのひとりが仲間から金を集め、検札員とネゴする。一度に大きな金をつかめる検札員も、あまりケチなことは言わない。こうしてなにがしかの金がグループの共同資金として残るようになり、その金はグループの親睦に使われる。故郷で家族ぐるみのピクニックに行ったり、食事に集まったり、あるいはアリサン!病気の際には治療費の援助、そして亡くなったメンバーには香典。
どんな状況に直面しても、仲間を作って楽しむしたたかさがそこにある。家族をジャカルタに連れて行っていっしょに住む予定がかれらにあるのだろうか?そんな考えはない、とかれらは言う。ジャカルタが妻子にとって良い環境であるとは思っていない。安全で平穏で、そして物価も安い故郷の方が、妻子が暮らすにははるかに良い。ジャカルタで職住近接は金がなければ無理だ。そのため郊外に住めば通勤費用がばかにならない。子供の教育も、医療も、そして何より生活費が格段に高い。どれだけ稼いでも限度があるし、一方オアシはものすごい速さで駆け去っていく。それを計算すれば、経済的将来性が楽観視できるものでないことを、かれらは十二分に理解している。


「スマランのストリートチルドレン」(2005年8月6日)
ストリートチルドレンの存在は国の将来に関わる大きい問題だ。なぜなら、子供たちは国の未来そのものであるからだ。ところが経済的要因、社会的要因でインドネシアのストリートチルドレンは増えこそすれ、減少の兆しは見えない。1998年の経済危機のおかげで、ストリートチルドレンは5倍に増えたとの論評もあれば、社会省の1998年報告では、全国のストリートチルドレンは17万人という数字も出されている。国の未来を憂う人々が、民間にせよ行政にせよ、さまざまな努力を続けているものの、一度ストリートチルドレンの境遇に落ちた子供たちを、そうでない子供たちのような環境に戻してやるのは至難の技だ、とその活動に従事しているひとびとは物語る。ストリートチルドレンには二つの区分が行なわれている。ひとつは家族とともに暮らしているが、路上での経済活動を行なうChildren in the street、もうひとつは家族との関係が断絶し、路上で人生を送っているChildren of the street。そのいずれも年齢は6歳から15歳まで。
スマランのストリートチルドレンシェルターを運営している活動家は、子供たちはほとんどが大人のやくざ者の支配下にあり、平均して1万2千から1万5千ルピアという子供たちの一日の稼ぎはかれらの懐に納められる、と物語る。それだけ大勢の子供たちがいるということは、子供たちの稼ぎを収奪している大人がそれだけ大勢いるということでもある。そしてそれが大人たちの暮らしの糧に関わっている以上、大人たちは容易にその形を放棄しようとはしない。いくら子供本人の将来、そして国の未来がかかっているのだと説得されても。
かれらにとって、ストリートチルドレンの男女別の価値の差はきわめて大きい。裏返せば、路上に暮らす少女たちが背負わされている重荷は、少年たちの比ではないということだ。スマランのディポヌゴロ大学女性研究センターが2003年に行った調査では、そんな少女たちの28%がセクハラ、レープ、売春強要、ポルノ制作、セックス商品として売買されるなどといったことがらを体験している。
別の民間団体ドゥタアワン財団が1998年に行なった調査では、スマランの路上にいる子供たち5百人の中で、12.9%が一月に8回以上性交を行なっており、48.4%は不定期な性交を行い、6.5%は月一回で、16.2%は一月2〜3回のセックス習慣を持っているとのこと。少女たちのセックス相手は固定されていない。その調査では、少女たちの平均年齢は12歳で、内訳は11.4%が小学5年生、14.6%が小学6年生、25%が中学2年生、8.6%が中学3年生。子供たちが路上での日常を営むようになった理由についてこの調査では、80%が家庭内不和、20%が経済問題だと子供たちは答えている。
ディポヌゴロ大学女性研究センターの調査も同じような状況を描き出しており、特に少女たちがその境遇に落ちた背景には家庭環境が強い動機を与えている。頻繁に親から叱られ、そして親とのネガティブな先入観に彩られた接触が、家にいれば少女たちに精神的抑圧を加える。中にはまだ小さいうちから親の路上稼ぎに同行させられ、かの女たちは習慣化した路上暮らしに対して躊躇も抵抗も抱かない。スラムの中、親のアテンションも最小、ハードで荒くれた環境、そんな中に育つ子供たちには怠惰、受動的、劣悪、自己卑下、戦闘的、強奪的、他人を非難し勝ちで怒りっぽいといった性格がはぐくまれる。そんな子供たちは、活動性、自信、主体性といった感覚を持っておらず、そんな社会善を植え付けるのは困難であり、容易に貧困シンドロームと原始メンタリティの中に沈んでしまう。
ストリートチルドレン、中でも少女たちをその境遇から救い上げるために、少女たちへの授産教育、女性に関連する保健サービス、女性市民としての権利に関する教育やその法的指導と保護を行なうといった活動が続けられているが、やはりその障害となっているのは少女たちを私物化し、支配している大人たちだ。路上から子供たちを人間らしい環境に戻してやろうという努力は、子供たち自身の拒否と子供を取り巻く大人たちの抵抗で、遅々たる動きの中にある。


「市庁高官職者が不品行」(2005年9月5日)
フランス・シララヒ中央ジャカルタ市社会保護秩序安寧次局長が9月2日早朝都内マンガブサール地区で、泥酔状態でタクシーを運転しようとしていたところを警察に逮捕された。西ジャカルタ市警タマンサリ署に連行された同課長は完全な制服着用のまま泥酔状態で、タクシーを自分が運転しようとする前には、別のタクシーに対して乗ってきた料金の支払いを拒んで運転手と争った。
タマンサリ署プジアルト犯罪捜査ユニット長は、「タクシー料金支払い拒否は署内で金を払ったので落着した。タクシーを奪おうとした事件を今調査中だが、シララヒは拘留する必要がないので帰した。」と述べている。この事件に関してかれの上司にあたるスバギオ社会保護秩序安寧局長は、「制服着用のまま事件を起こしたシララヒに落ち度がある。多分かれはナイトスポットの調査中にアルコールを勧められて泥酔し、帰りぎわに自分の車かどうかがわからなくなって犯した事件ではないだろうか。」と語っている。
泥酔状態で車を運転しようとしたことについての批判警告はどこからもない。


「許容民族」(2005年9月7日)
インドネシア人はどんどんパーミッシブ(許容的)になっている。違反や逸脱があっても問題にしようとしない。そのような姿勢はプリヤイ文化特有のものだ。8月22日に87回目の誕生日を迎えたサルビニ・スマウィナタ教授はスピーチの中でそう批判した。イ_ア大学経済学教授のこの誕生パーティには、アブドゥラフマン・ワヒッ、アクバル・タンジュン、ウィラント、HSディロン、アリ・サディキン、ヤコブ・ウタマ、デリアル・ヌル、スラストモなど政治家や知識人が多数列席して、華やかにとり行われた。
同教授によれば、パーミッシブな姿勢はあらゆる誤りを容易に赦し、欠点を脳裏から容易に消失せしめ、ついには厳しい姿勢をなくして、誤りを罰することを忘れ去ってしまう。「われわれはそれを目の当たりにしている。いわんや、経済金融面で異常な攻勢にインドネシア民族がさらされているこの時期に。あらゆる機関が弱体化したために、政府も民間もそれに立ち向かうことができない。そんな状況を放置するだけで、それどころか利用しようとさえする者もいる。外からの攻勢に反抗したり、抵抗しようとする姿勢が少しも見られない。」オルラ期経済建設コンセプトを組んだ一人である同教授の弁を受けてアブドゥラフマン・ワヒッは、インドネシア民族は誤った生活システムの中に生きているため、変革を起こすのが困難だ、と言う。「われわれのシステムは『何かを行動する』ということを不可能にしている。われわれの国民生活の中で、そんなシステムをみんな毎日、目にしている。」との談。HSディロンは、すべてのラインにわたってリーダーのレベルが低いことが問題の本質だと見ている。「われわれはまだ、民族の利益を図ることにおいて、自分自身、家族、グループ、階層、宗教などといったより狭いレベルでの利益を重視し、その枠を超えることができない。」
サルビニ教授は、「民族没落から抜け出すためには、西洋と手を携えること、狭義には資本主義を柔軟に取り込むことが必要だ。資本主義を信奉し、資本主義者の手先になる必要はまったくないが、すくなくともインドネシア民族の文化はもっと合理的にならねばならず、世界の発展や実態に適応しなければならない。」と、このパーティの中でそう結論付けた。


「インドネシア民族主義の再活性化を」(2005年9月30日)
グローバリゼーションがインドネシア社会に個人主義観念を植え付け、その結果インドネシア人はいまや個人の利益を何より優先するようになってしまった。加えてグローバリゼーションは、物質ベースの利害という、勘定高い社会関係を生育させた。そんな状況を前にして、イスラム学生会卒業生団は、国と民族への政治責任として社会モラルを共に立て直そうと国民の全階層に呼びかけている。
「インドネシアのナショナリズムが強化されるよう、われわれは社会的連帯を高め続けなければならない。いま国内を蝕んでいる個人主義は、物質主義社会をはぐくんでいる。現状は、連帯の価値、ゴトンロヨンの価値が失われ、仲間への一体感が消滅した社会を映し出している鏡だ。クリティカルポイントにおいては、個人主義と物質主義は民族のコミットメントを打ち立てる意欲を失った社会を作る。民族意識は伝統遺産で時代の流れにそぐわないと見なされ、腐食して行く。だから同じ民族の子として、社会的連帯向上の努力を続けよう。なぜなら社会的連帯はインドネシア人としての人間性を養うことができるから。そうすれば、国民統合の質的向上すら期待することができる。民族意識とコミットメントが継続的に高揚できれば、民族としての統合が実現する。インドネシア国家にとってナショナリズムは、維持され、再活性化されるべき絶対条件である。インドネシアナショナリズムの本質は、歴史、文化、プロフィール、理想によって規定されている。インドネシア民族の成長発展は植民地支配への抵抗の中ではぐくまれた。そこが西洋や日本のナショナリズムと違うところだ。西洋のナショナリズムは資本主義・植民地主義を先駆けとしたが、インドネシアのナショナリズムはそれへの反抗を基盤にしている。インドネシア民族主義の特徴は、信仰と宗教を持つ民衆ナショナリズムであり、宗教は神の教えに背かないことを教えている。一方植民地主義は神の教えに背くものだ。だからインドネシアのナショナリズムは拡張主義的な西洋ナショナリズムの持つ、国家の栄光と偉大さという方向性を持っていない。」イスラム学生会卒業生団創設記念実行委員会のマスフディ委員長は、式典の中でそのようにスピーチした。


「ラマダン月の施しを路上の乞食に与えないように」(2005年10月7日)
ことしもまた、数千人がジャカルタで乞食ビジネスを行うために上京してくる。都内いたるところの交差点で終日乞食活動を行っているかれらは一種の季節労働者であり、かれらの宿泊から稼ぎ場所への送り迎えなどを組織的に世話しているグループがいる。乞食が抱えている幼児はほとんどが実の子供ではなく、金を払って借りている。いざりや盲目者などもすべてが本物というわけではなく、それら小道具の世話もそのグループが面倒を見る。それらの小道具を使えば、グループの親方に納める金額も高くなろうというもの。
ラマダン月になると地方からジャカルタにやってくるかれらはゲペンと呼ばれる。gelandangan(浮浪者) dan pengemis(乞食)をくっつけた言葉だ。管区の秩序を守るべき行政側は、そのゲペンを社会福祉障害者と定義して、規定の措置を取ろうとする。社会福祉障害者は社会保護院に収容して、対象者に応じた更正措置を与えることになっている。社会福祉障害者とは、売春婦、浮浪者、乞食、3イン1ジョッキーなどが該当しており、社会保護院で職業訓練を行ってから社会復帰をさせることになっているが、警察や秩安の手入れの網にかかって社会保護院に収容された者を引き取ろうと親族がやってくると、多くは金銭問題へと変化する。
ラマダン月に地方部からやってくる数千人の季節労働者は社会福祉障害者なのだが、かれら全部を収容する余裕は首都の社会保護院にはない。だから捕まった地方出身者は故郷へ強制送還されることになる。都民の税金はそんなところにも使われている。北ジャカルタ市秩序安寧社会保護次局は、行政警官百人を動員して9月から始めた社会福祉障害者補導作戦で、すでに80人を保護している。明細はゲペン30人、交通整理屋27人、路上物売り8人、プガメン4人、寄付金集め1人、交差点の自動車拭き屋1人、屑拾い1人などとなっている。行政警官百人は毎日北ジャカルタ市管区の障害者が集まる地点に出張って、ラマダン月中補導を続けることになっている。北ジャカルタ市庁は市民に対し、ラマダン月の施しを交差点を徘徊しているかれらに与えないように、と呼びかけている。


「運転免許証取得周旋屋37人が逮捕される」(2005年10月21日)
10月19日首都警察は、ダアンモゴッ通りの首都警察運転免許管理ユニット構内で、免許証取得周旋屋37人を逮捕した。そのうち13人は女性。
周旋屋たちは、手続きがよくわからないためにうろうろしている申請者や、手続きそのものを面倒がって避けたがる申請者にアプローチし、自分にまかせて金を払えば、本人は何をすることもなく約束した期日に運転免許証が受け取れる、と仕事を請け負う。普通かれらは役所内の悪徳職員とつながっており、客を捕まえて金を手に入れると、悪徳職員が業務手続にそむいて免許証を作り、客との取引を終える方式が過去から連綿と続けられてきた。しかし首都警察運転免許管理ユニットではここ数年、組織内浄化の動きを徐々に強めており、職員の不法徴収金強要やチャロ(周旋)行為締め出しの効果が少しずつ上がってきていた。
この周旋屋大量逮捕で、かれらに金を渡していた市民は結果的に免許証を手にすることなく、金を騙し取られた格好になってしまった。タングラン県ルバッにあるダンボール製造会社の19歳のボックストラック運転手は、B1種免許証取得をリタという名の周旋屋に45万ルピアを払って依頼したが、いつまでたっても免許証ができあがらず、頻繁にその周旋屋を運転免許管理ユニットに探しに来るが、毎回その仲間からリタは病気だからと言われて、すごすごと帰っていたとのこと。C種免許を周旋屋に依頼した31歳の男性は、47万ルピアを払ったのに、結局詐欺にあったと漏らしている。またB2種免許のために90万ルピアを払った男性も、騙されたと憤慨している。


「バギバギ・ドゥィッ」(2005年11月7日)
Bagi-bagi duit. 現金を分配することを意味するインドネシア語。10月1日に行われた石油燃料価格大幅値上げの救済措置としてSBY政府は、貧困家庭に対して補助金を現金の形で直接分配するバギバギ・ドゥィッ政策の実施を決定した。中央統計庁の従来のデータにもとづいて4千万人とされていた貧困者数は、どうしたことか、国民がわれもわれもと貧困者の名乗りをあげたために、5割増に膨れ上がった。一昔前までは、貧乏人と定義付けられるのを自己尊重心と『金持ち=偉い人』観から拒否していたかれらも、時の流れと共に、外面を整える価値観からなりふりかまわず「得をしたい」病をあからさまに示す姿勢へと移り変わっていったようで、いっとき有識者からの『民族精神の貧困化』を嘆く声がマスメディアをにぎわした。従来、貧困ライン規準の定義は、最低生活費を満たすだけの出費ができない家庭を貧困ライン下とするもので、最低生活費とは食費・住居費・衣料費・燃料費・教育費・医療費・交通費の最低必要度を満たすための費用のことを言い、特に食費はひとり一日2千1百カロリー摂取が最低必要規準とされている。しかし中央統計庁はより具体的に絞り込んだ14ポイントのクリテリアをもって貧困家庭認定を行っている。
1.居所の床面積が家族構成員一人につき8平米未満
2.居所の床素材が、土間、竹、廉価樹種
3.居所の壁素材が、竹、サゴヤシ、低質木材、生地のままのレンガ
4.便所設備が、ない、他の家庭と共同
5.照明ソースが、電気以外
6.飲料水ソースが、カバーなし井戸や泉、川、雨水
7.日常炊事の燃料が、薪、炭、灯油
8.牛肉・ミルク・鶏肉の週当たり消費が、まったくない、週一回だけ
9.個々の家族成員につき年間の新しい衣服購入が、まったくない、年一着だけ
10.個々の家族成員につき一日の食事が、一回だけ、二回だけ
11.保健所・診療所での治療支払いが、できない
12.世帯主のメインの収入源が、0.5ha農地農家、農業労働者、漁師、建設労働者、農園労働者、月収60万ルピア未満のその他の職業
13.世帯主の最高学歴が、不就学、小学校中退、小学校卒業
14.保有資産・貯蓄が、ない、オートバイ・黄金・家畜・モーターボートのような即売可能な物品50万ルピア相当以上を持っていない
このうち9ポイント以上に該当すれば、その家庭は貧困家庭と認定される。今回のバギバギ・ドゥィッから除外されたのは、上の14ポイント中8ポイントまでしか該当しない家庭、公務員・軍人・警察・年金受給者、政府の管掌下にある難民、居所を持たない者。
しかし貧困家庭認定をし、登録し、証明カードを発行し、カードを本人に渡し、本人が全国の郵便局まで三ヶ月に一度30万ルピアを取りに来る、というこのシステムは、そのすべてのステップでさまざまな話題をまいている。
6千万人という規模感でのバギバギ・ドゥィッは世界で例のない試みだということで、世界は興味津々とこの成り行きを見守っているという話だが、資金流通に行政官僚機構を使わず、国有逓信会社にそれを委ねたことで、すでに50%は成功しているのかもしれない。とまれ、政府が国民の貧困救済のための支出として現金を直接渡すというこのやりかたから、インドネシア庶民が持っている価値観と、それに対してどうふるまうことが為政者にとって好都合なのか、といったいくつかの民族文化的ポイントが炙り出されているように思えないだろうか。


「コンパス紙への投書から」(2005年11月18日)
拝啓、編集部殿。わたしの母はナングランのドノムリヨ村に住んでいます。母は老齢のため、わたしは四年前から母をジャカルタに来させて一緒に住んでおり、故郷の空家は親族が管理しています。その家にだれもいないとき、だれかが電力メーターをはずし、押収書を残して持ち去りました。翌日わたしの親族がワテスのPLN事務所をその処理のために訪れると、係員は「250万ルピア払えば電気はすぐ点くよ」と言いましたが、そのときお金を持っていなかったので、滞納額明細をもらって帰りました。その総額は1,856,570ルピアとなっていました。
電気が切られているので9月の支払いを行わないでいると、電力供給暫定停止通知書をもらいました。わたしは10月4日にワテスに行き、滞納している9月分を支払いましたが、電気はまだ来ません。それで10月6日にまたワテスに行って、居住者の許可も立会人もなく電力メーターをはずしたことについて尋ねると、メーターボックスまでの送電設備はPLNの所有だから、との答えです。それがPLNのものなら、利用者はどうして151,890ルピアを支払っているのか、と尋ねると、それはレンタル料金だと言います。わたしが1,856,570ルピアを納めると、その日の午後係員が来て給電のための接続をしてくれましたが、MCB−4Aが壊れている(壊された?)と言うのです。仕方なく係員から1万9千ルピアで買わざるをえませんでした。もちろんタバコ銭とはまた別に。
わたしが不満なのは、家人が誰もいないとき、立会人もなく、送電を一方的に止めて、電力メーターを持ち去ったそのやり方です。電力メーターをレンタルしている電力利用者は物の数にも入っておらず(たいへんな侮蔑ではありませんか)、そのため居住者の許しもなく勝手にそのようなことを行うのですから。愚かな庶民である電力利用者は、指導もされず、通知もなく、そしていつも悪者にされるのです。[ 南ジャカルタ市在住、スナルヤノ・エコ ]


「わが暮らし楽にならず、じっと・・・」(2005年11月21日)
ジャカルタ〜チカンペッ有料自動車専用道路を東に向かうと、ブカシ県、カラワン県そしてプルワカルタ県を抜ける。ここがインドネシア最大の工業ベルト地帯。有料道路の両脇に散在する工業団地からさらに奥地に入れば、西ジャワ州の穀倉地帯が織り成す大自然の景観と人間の営みを目にすることができる。そして同時に、狭い村道を往来するアンコッの姿や村道の両側に並ぶ農家を見るにつけ、そこから貧困というイメージを引き出すのは少し骨が折れるという印象を受けてしまう。
カラワン県トゥルッジャンベ郡プスルジャヤ村に住むある一家は、石油燃料価格大幅値上げ以後の物価上昇で毎月の生活費が大変だと語る。このお宅はプルタミナを定年退職した高齢の夫と奥さん、そしてまだ高校生の娘さんがひとりの三人暮らし。他の子供たちはもう家庭を構えて独立している。家計簿をつけているわけてはないが、その家の奥さんの頭の中にある生計費分析は下のようになっている。
米30キロx3千ルピアで9万ルピア
おかず食材やその他必需品30日分x2万ルピアで60万ルピア
灯油1.5リッターx3千ルピアx30日で13万5千ルピア
電気代平均ひと月9万5千ルピア
子供の学校費用ひと月4万ルピア
家から学校までの往復、各アンコッ乗り継ぎ一回(4回)x1千5百ルピアx26日で15万6千ルピア
子供の小遣い一日5千ルピアx26日で13万ルピア
これで合計124万6千ルピアとなる。
ところが夫がプルタミナからもらう年金はひと月46万8千ルピア。高齢の夫婦の稼ぎで年金の二倍という不足を埋めるのは、ほとんど不可能と言ってよい。奥さんのシティさんは、年金がもうちょっと何とかなったら、とこぼしているのだが・・・


「スヤッナ」(2005年11月28日)
1957年、タングランに生まれる。幼名はコー・スンキム。少年期から陶器に魅了され、ジャカルタ国立博物館が憧れの地となる。1982年IKJ(ジャカルタ芸術学院)を終業後、1983年に国際交流基金奨学生として日本に留学し、和歌山県の陶芸家、森岡成好氏に師事。帰国後タングラン県チュルッに工房を設け、陶芸活動を開始。2004年11月28日、47歳の若さで死去。
その一周忌を記念して、国際交流基金がジャカルタ日本文化センターで11月25日から12月3日まで、スヤッナ作品展を開催している。インドネシアコンテンポラリー陶芸界のパイオニアのひとりだったかれの作品は、インドネシアという風土の中にかれが日本で体得した技術と思想を持ち込んだもので、簡潔さと機能美が作品の中に浮き出ているのが特徴。そのため日本人から高い評価を得ており、かれの作品の99%は日本人のコレクションになっている、と言われている。インドネシア陶芸界でもかれの制作姿勢に対する評価は高く、勤勉で高いエトスを持った優れたアーティストだった、とその死を惜しむ声は強い。80年代に噴火したガルングン火山の噴出物を釉薬に使うといった実験的なことも行っている。
都内スディルマン通りスミットマス第一ビル内ジャカルタ日本文化センターのホールには50の作品が展示され、またチュルッにあるかれの工房もそこに再現されて、生前のかれの日常をしのぶセッティングがしつらえられている。ちょっとどこかへ出かけた制作者が、またすぐそこへ戻ってきて、制作活動を続けるにちがいない。"Ars longa vita brevis"


「コンパス紙への投書から」(2005年12月3日)
拝啓、編集部殿。わたしはPLN電力利用者です。10月5日6日とわが家の電圧が乱高下したので、安全のためにブレーカーを切りました。6日午後になって隣の住人から、電圧は安定している、と言われてブレーカーを上げました。6日の夜中、停電したので調べたところ、ブレーカーが落ちていたので、またそれを上げました。するとその瞬間また明りが一斉に消えてブレーカーが落ちました。調べたところ、家の中のたくさんの電気製品が壊れているではありませんか。エアコン三台、洗濯機、コードレス電話機、パラボラレシーバー、電球が五つ。
7日、わたしはPLNの事務所に出向き、状況を話して責任を取るよう求めました。すると明朝技術者を見に行かせるから、と担当者は言うのです。そして翌日。でも待てど暮らせど技術者はやってこず、夕方またわたしはPLN事務所へ出かけました。ところがその日は土曜日で、支払い窓口担当者以外、PLN職員はみなお休みだったのです。
10月10日月曜日、わたしは再びPLN事務所へ行き、別の担当者にまた一部始終を話し、そして14日金曜日に技術者を行かせるという約束を得ました。技術者のスケジュールはびっしり詰まっているそうです。ところがそれも肩透かし。その後現在にいたるまで、PLNの人間はひとりとして姿を現しません。わたしは何度も電話で、調べに来る日が決まったらわたしの家に電話してくれ、と番号を教えて頼んでいますが、なしのつぶてです。わたしが思うに、PLNの問題解決方法というのは、苦情者を何回も何回もピンポン玉にし、嘘の約束を積み重ね、最後に苦情者が疲れて、もうどうでもいいと諦めるように仕向けるやり方にちがいありません。PLN経営陣は、早く、正しく、的確に問題解決を行う方法を職員に指導するよう、わたしは求めます。


「年末の風物詩はトロンペッ」(2005年12月17日)
2005年もあと2週間。年越しの夜の風物詩のひとつは、厚紙製のラッパをみんなしてブーブー吹き鳴らして祝うこと。このラッパ、インドネシアではトロンペッと呼ばれている。昔はファンファーレトランペット型と相場が決まっていたこの紙製トロンペッが数年前から多様化の波に襲われ、サキソフォン型、ホルン型、ビューグル型などとバラエティに富むようになった。ところが、形はサキソフォンなのだが、地元の人々は相変わらずトロンペッと呼んでいる。
トロンペッ生産地がボゴールやブカシなど、首都近郊の農村にある。今月に入って、その生産地にオーダーが相次いで入っており、生産者たちは多忙な日々を送っている。注文主はジャカルタやスラバヤなど大都市のスーパーマーケット、カフェ、ホテルなどで、ボゴール市スンプル町では注文数量がすでに1万個を超えた。ジャカルタのあるスーパーマーケットは4千個を注文してきたし、都内スナヤンにあるホテルは1千6百個、スラバヤのホテルは5百個で、ジャカルタの四つのカフェはそれぞれ150から200個の注文。12月に入って早々にジャカルタからなんと3万個の引き合いが入り、同町の生産者はあまりの短期間にあまりの数量ということで丁重にお断りした、と語っている。なにしろ販売時期は年一回、そしてほとんど手作りの家内工業であるだけに、生産能力は限られている。
昨年はインド洋津波大災害のおかげで多くの年越しパーティがお流れになり、トロンペッ生産者は生産量の半分程度しか売り捌けず、大量の在庫を抱えてしまった。今年もあと2週間。平穏な歳末を迎えたいもの。


「コンパス紙への投書から」(2006年1月16日)
拝啓、編集部殿。わたしは2005年12月2日、PLN西ジャワ支社チトゥルッのグヌンプトリ・トゥラジュンウディッ営業所に電力利用申請を出しました。新規電力供給にあたってPLNは、電線引き込み料、顧客保証金、電力メーター保証金などから成る申し込み費用を請求しました。わたしは、当然のことだと思いました。ところが、それに加えてPLNは、わたしに毎月の使用料金を387,780ルピア前払いしなければならない、と言うのです。わたしの申し込み電力は2,200VAなので、PLN側はその前払い使用料金を次のように計算しました。281kWh掛ける1,380ルピア。電力料金は変更される予定なので、新タリフが確定するまでわたしは毎月その料金を納めなければならない、という説明です。
わたしはそれが公式に決定されているものかどうかを尋ねましたが、示されたのは「検討の結果」を記した一枚のフォトコピーで、署名すらありません。12月5日、わたしは同営業所長にその疑問について問い合わせました。そこで得た答えは、たしかに同営業所は上からそのように指示を受けている、というものでした。PLNという巨大な国有企業が、公式な決定でない、根拠の曖昧な規定を、そのように顧客に対して実施することにきわめて遺憾の意を表します。言うまでもなく、その規定は顧客に少なくない損をさせるものであり、それに対して誰がどのように責任を取れるというのでしょうか?
PLNマネージメントはこの規定の処遇を明らかにし、正当なものにしてくれるよう期待しています。[ ブカシ在住、ムハンマッ・エルヤニ ]


「恭喜發財」(2006年1月26日)
今度の日曜日、1月29日は中国正月。インドネシア共和国国民の休日を定めた大臣令では、中国暦2557年新年の休日と記されている。中国暦新年を在イ_ア華人はチュンチエ(春節)と呼ばずにイムレッ(陰暦)と呼ぶ。あちこちのショッピングセンターやホテルなどでは、ことしもお祭り気分たけなわで、当日はきっとバロンサイが練り歩き、アンパオが飛び交ってにぎわうに違いない。恭喜發財の文字がいたるところで目に付くが、漢字の横に添えられたアルファベットが二種類あるのに気付いた人はどのくらいいらっしゃるだろうか?
「Gong Xi Fa Cai」は多分北京語読みだろう。綴りもピンイン通りになっている。もうひとつあるのが「Gong Xi Fat Choi」。ファッチョイと言われると広東発音のように聞こえるのだが、そうすると恭喜の発音はどうしてクンヘイとならないのだろうか?だれかに謎解きを頼みたいもの。
イムレッの祝いに欠かせないのがクエクランジャン(Kue Keranjang) 。もち米と砂糖、そしてアレン椰子から作った茶色いグラメラ(gula merah) 別名グラジャワから作られるこのクエは、日本人にとってのお正月のお餅。サイズの大きいものから小さいものへ段々に積み上げるところなどは、もちろん色形は違っていてもまるで鏡餅の感覚。かれらは積み重ねたクエクランジャンをお寺に持って行ってお供えする。
中国人の伝統信仰のひとつに、かまどの火の神信仰がある。かまどかまどにこの神がいて、一家の繁栄と息災を守ってくれるが、年に一度天に昇って天上神に報告をするという。かまど神が一年間見てきたわが家の不行跡不始末をあらいざらい天上神に告げられては没有面子なので、かまど神にベタベタネチャネチャの甘い餅を食わせておけば、口がうまく動かせず、報告を諦めるだろう、という人間どもの悪知恵がこのクエクランジャン伝統を生んだとか。実用面から見れば、クエクランジャンは緊急用保存食でもある。なにしろ2ヶ月は問題なく保存がきくのだから。新しいうちはやわらかいこのクエクランジャンも、何週間かたつうちに固くなってくる。固くなった円筒型の甘い餅は、薄切りにして揚げたり、あるいは蒸してから椰子の果肉を削ったものを上にかけて食べる。
かつてオルバ期、華人たちが陰暦の祝いを禁じられていたころでさえ、クエクランジャンを買うことはできた。グスドゥルによる華人の復権以後、陰暦は年々盛んになり、そして華麗さをいや増している。今年はクエクランジャンの注文がたいへんな量になっている、とタングラン市ネグラサリ郡カランサリ町の生産者のひとりは語る。普段の生産量は一日のもち米使用量が30キロ程度なのに、今年の陰暦はてんてこまいの忙しさで、もち米はストックを15トン用意した、と言う。別の生産者も、今年の注文はものすごい、とこぼす。注文の多くがスカルノハッタ空港の倉庫へ納入となっており、空港からいったいどこへ送られているのか見当もつかないようだ。生産者の中には、機械で搗き、プラスチック包装をして、というのが多い中にあって、いまだに手搗きと昔ながらの製法で作った餅をバナナの葉に包むという伝統的スタイルを維持しているところがあり、むしろそちらの方が人気を集めている。


「職務から私利を得る社会〜コンパス紙への投書から」(2006年3月25日)
拝啓、編集部殿。わたしは水道会社PT Thames PAM Jaya の利用者として、わたしの家に来ている水道パイプの水漏れ修理サービスのひどい対応に大きい失望を感じています。2006年2月9日、わたしはコールセンター(電話番号021-5772010) に水漏れを電話で連絡し、担当者はすぐに対応すると言いましたが、いまだに修理がなされていません。2月13日、水道会社職員ふたりが家へ来て、水漏れパイプ修理料金として50万ルピアを要求しました。しかし漏れているのは水道会社のパイプであり、わたしの家の側のパイプではありません。領収書が発行できないということで、その職員は水漏れ修理をしないまま帰りました。「無料をお望みなら、根気良く待っていてくださいよ。」というのが捨て台詞です。
その日わたしがもう一度水道会社のコールセンターに電話すると先方は、その修理は無料であり、すぐにフォローしますと言ってくれましたが、その後なにの音沙汰もありません。水道会社の利用者あしらいとはこのようなものなのでしょうか?
水道料金値上げにともなって、サービスは改善されなければならないのではありませんか?わたしは水道会社のフォローアップを求めます。また水道会社のサービスのひどさに苦情した最後の利用者になりたいと思っています。[ ジャカルタ在住、アンディ ]


「女性の美のお値段」(2006年4月26日)
「自然が最初に美を与えたのが女性であり、そして自然は自分が与えた美を女性から最初に取り上げる。」という格言は、女性たちが競って美しくなろうとする心のベースに横たわっているものを言い表している。しかし人間の美というものは単に外見的な形だけにあるものでなく、心身ともに清く温かい精神的人格的なもので裏打ちされることによって個人の美しさがはじめて光彩を放つわけで、更には心身の健康さ健全さがその基盤を支えている。ところがそれらの一番外側に表れているフィジカルなものが他の人間の五感に最初に訴えかけてくるために、実に多くのひとびとが外見的な美の追究に優先権を与えている。コスメティック製品やボディケア製品産業を支えているのがそれだ。
インドネシアでも例外ではない。美しくなりたいと希求するインドネシア女性は年々増加の一途をたどっており、それに応じてクチャンティカン市場はどんどん巨大化している。宗教の影響からか、身を繕い装うよりはあるがままの人間として評価されることを好んだ自然派女性たちはいまやマイノリティとなり、異性を引き付ける美しくて魅力的な女性になりたいと望むひとびとが圧倒的に増加しているように見える。かの女たちは化粧品やボディケア製品をそろえ、お肌のケアのために医者に通い、クリームバスのために美容院に行き、ルルールをしにスパへ行き、肌の若返りに病院にまで行く。美容整形はまだその他にある。おかげでクチャンティカン製品は売れに売れ、美容クリニックが雨後のたけのこのように看板を連ねるようになった。美しくあろうとしてかの女たちはどれだけの支出をしているのだろうか?
この地の女性たちにとって、自分が美しいと認識できることは自信を確立させることにつながる。自信はペーデー(PD)と呼ばれるが、そのペーデーを抱いた女性たちは、溌剌颯爽とした立居振舞ができ、行動に怖気をふるわず、それだけパフォーマンスを生み出すことができる。ステージに立つ女性たちも自分が美しいことで出演契約が増加する。銀行・証券・保険などビジネス業界のエグゼキュティブたちは、自分が美しいことで商談やビジネス契約が円滑に進む。かの女たちは毎月数百万ルピアに達する金を美しくなることに注ぎ込む。それはビジネス投資なのだ。
インドネシアには美しい女性の規準がある。色白、長い髪、背が高く鼻筋が通っている。要するにこれはインド(Indo)と呼ばれる欧亜混血者の身体的特徴なのだ。広告宣伝の大半が欧亜混血者を起用し、欧亜混血者に憧れるプリブミ女性があのようになりたいと思ってその商品を買っている。広告宣伝主は単に欧亜混血者が美人の標準だから使っているのでなく、消費者の心理をつかんだ上でそれを行っているのだ。そこからだけでも、いかに多くのインドネシア女性があるがままの姿の自分にペーデーを持てないでいる事実を見出すことができる。さてそんなインドネシア女性はひと月にどのくらいの支出を自分の美に当てているのだろうか。一概にそれを語るのはむつかしいとしても、いくつかの調査からひとつのモデルが浮かび上がっている。これはあくまでも平均的インドネシア女性の一モデルだ。
1.日常ボディケア製品(石鹸・歯磨き・シャンプー・マウスウォッシュなど)5万〜15万ルピア
2.日常手入れ用品(フェイスクレンザー・ファンデーション・ローション・クリーム・白粉など)20万〜35万ルピア
3.メーキャップ用品(口紅・アイシャドウ・ブラッシュオン・マスカラなど)30万〜40万ルピア
4.香水 10万〜35万ルピア
5.美容院等でのお手入れ(クリームバス・フェイシャル・ルルール・ピーリング・ミルク風呂等)10万〜50万ルピア


「黒髪も女の宝石」(2006年5月11日)
髪は女のいのちとか。それはともあれ、インドネシアで女は古代から宝石だった。プラムディア・アナンタ・トゥルは書いている。「女は神であり、女はいのちであり、女は男の宝飾である」と。これはイスラム渡来前の、インドネシアがインド文明に覆われていた時代の言葉だから、ひょっとしたらインドにも類似の観念があるのかもしれない。女は男の宝飾であるがために、太古から男たちは美しい女を奪い合ってきた。美しい女を自分のものにすることで男にもうひとつ別の価値が添えられたわけだ。ひょっとしたらこの思想はDNAに刻み込まれて現代に生き残っているかもしれない。女性宝飾論はジェンダー差別に満ち満ちているので、そのような文明レベルにおける思想なのだということでその点をご容赦いただくとして、美しい女の奪い合いを生殖本能をベースに分析している論とは別の、社会存在としての人間が作り出した、次元の異なる価値観がそこにあるようにわたしには思える。
だからインドネシアの女たちは太古から、男に崇められ、生命を宿し、男を飾る存在になろうと努めてきた。これもDNAに刻み込まれて現代に生き残っているのかもしれない。女たちの努力がジャワの宮廷で集大成され、大きな発展を示していることは知らぬ人とてない。しかし王宮界隈でだけ女が自らを磨いたわけではない。今やサロンやスパで自分を磨いている颯爽たるインドネシア女性たちのお婆さんも美に憧れ、女のたしなみとして自分を磨いていたに違いない。そのひとつに、美しい女の黒髪をはぐくむというものがある。なにしろ、女はかみなのだ。
インドネシア女性が昔から伝統的に、おぐしのお手入れに使っていたのは下のようなもの。これさえ知っていればどんな田舎へ行っても大丈夫・・・・かな?!
1.タマリンドの実(biji asam jawa)
熟したタマリンドの実を水でこねたクリーム状のもので頭皮をマッサージすると、脱毛防止に効果的。終わったら水でよくすすぎ、シャンプーで洗っておけばバッチリ。
2.アロエとセロリ(lidah buaya dan seledri)
このふたつは、髪を黒くそして豊かにする力を持っている。このふたつを同時に使うと、抜けやすい細い髪に効果抜群。油脂分過多の髪にはセロリの葉を絞った汁で頭皮を優しくマッサージするとよい。
3.ククイノキの実とわら(kemiri dan merang)
ククイノキの実は髪を黒くし、また髪の色艶を良くして輝きを持たせる力がある。わらを焼いた灰は昔から髪を清めるのに使われた。このふたつを砕いて粉にし、それで頭皮をマッサージするとくすんだ色や赤っぽい色の髪がみどりの黒髪に。
4.シキキツとニンジン(jeruk nipis dan wortel)
シキキツの絞り汁は髪や頭皮の過剰な油脂分を吸い取ってくれる。ニンジンは頭皮にビタミンを補給してフケをなくすのに効果的。脂性でフケの多い髪にはこのふたつを組み合わせてどうぞ。
5.アボガド(alpukat)
アボガドの果肉をつぶしてクリーム状にし、頭皮に塗る。乾燥した髪にはこれがいちばん。
6.ココナツミルク(santan kelapa)
ココナツミルクは普通の髪にとって適度な湿り気を保持し、また黒く豊かな髪にしてくれる。髪にココナツミルクをかけ、30分ほどそのままにする。そのあとぬるま湯できれいになるまですすぐ。
これで貴女も美しい黒髪の宝物。


「不法建築物撤去とオーナー女性のストリップ」(2006年5月22日)
ボゴール県チサルアのトゥグウタラ通りにある宿泊施設ホテルシュガを県庁行政警察ユニットが取り壊した。5月18日に行われたこの強制執行で、プンチャッ街道はおよそ2時間にわたって渋滞した。ビラスタイルのこの宿泊施設は建築許可(IMB)を取得しないで建てられたもので、県当局は1年ほど前から許可を取得するように警告していたが、ビラオーナーはそれを無視したまま営業を続けていたので強制取り壊しに至ったと強制執行チームリーダーは語っている。この宿泊施設は住宅地区の中に建てられており、不純な行為のために利用されていたため住民の間から非難の声があがっていたとも同リーダーは述べている。
40人から成る強制執行チームが現場に着くと、ビラの表入口は既にキジャンが横付けされて閉鎖されていた。そのキジャンの排除作業が始まるとビラオーナーのエミー・イフォン34歳は怒り出し、ヒステリックに叫びながらブラウスを脱ぎ捨てて上半身裸になり、執行員の前に立ち塞がってビラの取り壊しを妨害しようとした。更にはいていた黒色のキュロットスカートも脱いで全裸になろうとしたが、その行動は阻止された。結局エミーは業務執行妨害で逮捕され、ユニットチームによるビラ取り壊しが遂行された。強制立ち退きや強制取り壊しなどで住民やオーナーの女性がわざと自分から全裸になって抵抗する行動は昔からも盛んに行われており、これは無一物にされる自分を相手の前に投げ出して抗議を表明するシンボリックな行為だと心理学者は説明している。


「まじめ人間が苦しむ無責任社会」(2006年6月19日)
2006年5月11日付けコンパス紙への投書"Tagihan PAM Melonjak Drastis"から
拝啓、編集部殿。二年間住んでいる北ジャカルタ市パドゥマガン(Pademangan)の借家で支払っている水道代は毎月5万ルピアを超えたことがありません。2004年11月にわたしは引越ししたのでその家は空家になり、水道代は月2万5千ルピア程度になりました。ところが奇妙なことに、2005年3月の請求書には12,204,440ルピアと記されたのです。空家でどうしてそんな巨額の請求になるのか、理解に苦しみます。わたしは水道会社にクレームしました。調べた結果、水道メーターが動かなくなっていることが判明しました。だったら、メーターが止まっているのに1千2百万ルピアの請求がなされるなどということは、あってよい話なのでしょうか?水道会社がメーターを交換した後、わたしはその請求を消してもらうように依頼しました。しかしその金額の書かれた請求書が毎月わたし宛に送られてくるのです。それどころか、給水停止状を持って水道会社職員が何回かやってくるありさまです。わたしがすべての証拠を示して見せるとかれらは給水を止めないで帰るのですが、給水停止命令が出されないようにこの問題を解決してくれとわたしに頼むのです。
わたしはもう何回もパドゥマガンの水道会社事務所に足を運びましたが、苦情受付証明をもらうばかりで問題の解決は何もありません。苦情のフォローがなされているのだろうかとわたしが水道会社の本社にチェックを入れたところ、わたしの苦情は何一つ届いていませんでした。そして巨額の請求は毎月請求書の中に現れて来るのです。家主はわたしにその問題を早く片付けるよう言うのですが、わたしはこれ以上何をすればいいのかわかりません。水道会社に体よくあしらわれることにわたしはもう疲れました。簡単であるべきものをどうして難しくするのでしょうか?なんとかしてください。[ ジェン・ホワ・チュレント ]


「理不尽でも払えるなら支払っておくか」(2006年6月27日)
2006年5月29日付けコンパス紙への投書"Biaya untuk P2TL PLN"から
拝啓、編集部殿。わたしはもう何十年間もPLNの利用者で、北ジャカルタのPLNマルンダ(Marunda)地区サービス所の所轄です。2006年5月1日、ガンビル(Gambir)の電力利用取締り職員(P2TL)がメーター、ブレーカー、封印などを調べにわが家へやってきました。9百ワットの電力メーター、ブレーカー、封印はスンテル支店のラボで検査しなければならないというので翌日わたしはその検査に立ち会いましたが、不正行為は何もなされていないことがはっきりしました。およそ1時間その検査に立ち会ったあと、わたしはブレーカー21,340ルピア、封印21,000ルピア合計42,340ルピアの請求書を受け取りました。支払はマルンダ地区サービス所で行うようにとのことでした。2006年5月3日にわたしが支払いにPLNを訪れると、窓口で担当職員に会うように言われましたがその職員は不在でした。夕方そこに戻るとなんと利用者保証金がわたし宛に請求されており、2日以内に支払えというのです。
何と言う奇妙なことでしょうか。利用者保証金は新規にPLNから電力接続を受けた場合にだけかかるものであり、またブレーカーや封印はPLNの所有物だというのに、利用者に請求されるのですから。[ 北ジャカルタ在住、フィルダウス・タイブ ]


「アジア人は礼儀知らず」(2006年6月27日)
社会生活における個人行動がどのくらい他人に対する礼儀に叶っているかをリーダーズダイジェスト誌が世界35カ国2千人を対象に調査し、その結果を発表した。名付けて礼儀テスト(courtesy test) 。これは調査員が35カ国の筆頭都市を訪れ、そこの地元民が社会生活の中でどれだけ他人との間に礼儀をわきまえた行動をしているかを検分したもので、この調査では三つのポイントが設定された。まずドアを開けて中へ入るとき、自分の後ろにいる人間のために自分が開いたドアをおさえてあげるかどうか。次に、販売員が品物を買ってくれたすべての客に「ありがとう」を言っているかどうか。最後は、雑踏の中でたくさん書類が入っている紙バサミを落としたひとのために、通りかかったひとが路上に落ちて散らばった紙をひろってあげるかどうか。調査員は自分が目にしたポジティブな行動件数を数えてパーセンテージを出し、それを持ち寄って国別比較をするという方法が用いられた。
同誌によればこれは世界最大の礼儀に関する調査だということだが、フィリピンの学生のひとりは「他人のためにドアを抑えてあげたというだけでなんでその人間が礼儀正しいことになるのか?」と疑問を投げ掛けている。同誌アジア版編集長は、調査の三ポイントは人間の対人行動の異なるアスペクトを示すもので、ドアを抑える行動は自分の周囲にいる他人の存在を個人対個人という関係で認識しているかどうかという意味合いを持っており、アジア地区ではそれを行った人間が40%しかおらず、自分の周囲の人間に対する行為の影響に関する認識が低い、と述べている。このドアを抑えるテストに関しては、アジア諸国は香港を除いてすべてがボトム10位に入っている。ムンバイで客に「ありがとう」を言う店員の調査をした女性調査員のレポートには、デパートでヘアピンを買ったところ、金を渡したらすぐに客に背を向けたのでどうしてそんな態度を取るのか尋ねるとその男性店員は悪びれた様子もなく「マダム、わたしは教育のある人間じゃない。品物を買った人に渡したらもうそれでいいんじゃないのか?」と返事したことが報告されている。
国別の総合番付を見ると、なんとトップはアメリカのニューヨークで、その後をスイスのチューリッヒ、カナダのトロントが追っている。4位はドイツのベルリン、ブラジルのサンパウロ、クロアシアのザグレブが並んでいる。ボトムを見ると35位はインドのムンバイ、34位はルーマニアのブカレスト、33位はマレーシアのクアラルンプル、32位は韓国のソウルといったところ。インドネシアのジャカルタは28位におり、落とした紙を拾ってあげるひとは20%いてこのカテゴリーでは27位、ドアを抑えてあげるひとは30%いてこのカテゴリーでは29位になっている。


「水道管を替えたら水が出なくなった」(2006年6月29日)
2006年6月5日付けコンパス紙への投書"Pipa Diganti, Air Macet"から
拝啓、編集部殿。2006年3月初め頃、水道会社が新しい給水パイプを埋設し、町内のほとんど1ブロックがそのパイプに付け替えられました。古いパイプはもう使わないということでしたが、一部の家はまだ新しいパイプに付け替わっていません。ところが新しいパイプに替わって以来、午前5時から深夜1時まで水が出なくなりました。深夜1時を回るとはじめて水が出るのです。しかしわが家では朝から夕方まで水道水が必要なのです。海水が混じっているため、地下水を汲み上げて使うわけにはいきません。翌日は仕事があるというのにほとんど毎晩(もう二ヶ月以上です)、わたしは水をためるために徹夜しているありさまです。もちろんコールセンターに電話し、実地検証が行われましたが、その日に限って日中に水が出ました。しかし三日と続きません。そのあとはまた元の木阿弥で、わたしは電話したり届け出たりするのにもう飽き飽きしました。少しも改善されないのですから。水が出ないのはわが家だけでなく、新しいパイプに接続した家はみんな同じようです。古いパイプに接続したままの家はいつでも水が出ているようです。このようなことになるのなら、また古いパイプを使うようにしてもらいたいと思います。PT Thames PAM Jaya の責任者に善後策を取るよう要請します。[ 北ジャカルタ市西パドゥマガン在住、ヘルミンタティ ]


「老齢者政府補助金トライアル」(2006年7月5日)
政府社会省は一部国民に社会保障援助金を毎月与えるトライアルを実施することを決めた。対象者として選ばれたのは、身体障害者、身寄りのない老齢者、独立戦争貢献者で、総勢3,750人になる。このトライアルは5州でのみ行われることになっており、西スマトラ州(651人)、南スマトラ州(753人)、西ジャワ州(760人)、中部ジャワ州(760人)、ヨグヤ特別州(826人)という内訳。
このトライアルは身体障害者社会保障向上に関する政令第43号の59条に沿ってのものであり、また同時に1996年5月29日に定められた全国老人の日の今年10周年を記念してのものでもある。対象者には一年間毎月30万ルピアが政府から支給され、国有郵便会社職員と地元行政機関の付き添い者が本人に現金を届けることになる。
社会相は老齢者に援助金を支給するこのトライアルに関連して、この事業は家族生活や社会生活の中で常に老齢者の地位と役割に尊敬と評価を与えている高貴な民族文化を反映するものだ、と次のように語った。長命は祝福すべき神の恵みである。同時に広い経験や深い知恵を持つ老人は人的資源として社会建設に役立てることができる。価値ある知恵や経験は長い人生を経る中でしか体得されないものであるため、われわれは老齢者を次世代の者にとってのお手本と位置付け、かれらにふさわしい場を用意しなければならない。そうすることは将来われわれ自身がそうなるという意味でも、たいへん意義深いことである。


「一度請求されたら逃げ道なし」(2006年7月7日)
首都の水道事業は都営上水道会社の独占事業だったが、1997年に外資導入による事業とサービスの向上を図って合弁会社が作られた。イギリスのテームズウオーターインターナショナルとの合弁会社PT Thames PAM Jaya はチリウン川の東側、フランスのリヨネーズデゾーとの合弁会社PT PAM Lyonnaise Jaya (通称Palyja)はチリウン川の西側を担当地域として都民に対する上水供給サービス事業を行うことになったが、役所と組んで行う公共サービス事業はいずこも大変なようだ。
西ジャカルタに住むイメルダの家はPalyja から水道サービスを受けている。2004年2月にその家の水道メーターが盗まれた。イメルダはすぐに警察と西ジャカルタ市タンジュンドゥレンのパリジャにその盗難を届け出た。すると窓口担当者は、新しいメーターを取り付けるからメーターの代金を払え、と言う。仕方なく言われた金額を払ったが、もらった領収書にはそれより小さい金額が書かれている。水道会社は会社と言いながらも役所の延長のようなものだ。役所がどんなところか知っているイメルダは、特にことを荒立てることもせずに帰宅した。ところがいつまでたっても、メーターを取り付けにやって来るパリジャ職員はひとりもない。一方水道メーターの検針は毎月やってくるから、検針員は必ず「メーターはどうした?」と尋ねる。事情を説明すると職員は報告書を作ってイメルダにサインを求める。同じことが毎月毎月繰り返され、イメルダはうんざりしてしまった。こんなことをしている間に、さっさとメーターを取り付けるようにしてくれたら良いじゃないの、とイメルダは思うが、検針員に事態を改善しようという気は爪の先ほどもないようだ。おまけに、毎月やってくる請求書には26M3相当分の使用料がチャージされていた。大人4人と赤ん坊1人が住んでいる店舗住宅での水道の使用料は微々たるものだ。過去の請求書を調べても、二桁になったことはほとんどないというのに。
7ヶ月たった9月20日、メーターを取り付けにパリジャ職員がやっとイメルダの家にやってきた。メーターが取り付けられ、これでこれまでのごたごたからやっと解放されたと思い、イメルダはホッとした。ところが、そうは問屋がおろさなかったのである。10月に受け取った請求書を見て、イメルダはあっと叫んだ。なんと使用量は348M3と記されているではないか!イメルダはすぐにまたパリジャの事務所を訪れて苦情した。今度は比較的早く職員が調べにやってきた。そうして判明したのは、新しいメーターの取り付けの際に作業不注意で水漏れを起こしていたという事実だ。ところがそんな事情とは無関係に、パリジャが既に出した348M3の請求を引っ込める気配はまったくない。11月に受け取った請求書も、水漏れのために97M3の使用量になっていた。イメルダはまた直談判をするためにパリジャの事務所を訪れたが、パリジャ側が支払い軽減措置を与えると言い、そして話を分割払いに持っていったとき、イメルダは開いた口がふさがらなかった。その水漏れが故意か事故かは何とも言えないにせよ、それを取り付けたパリジャ職員の不注意で起こったことだ。ところがそのためにメーターが回転したことだけを取り上げて、支払い責任が消費者にあるとパリジャ側は主張する。イメルダはあくまでも自分の側に支払い責任はない、と突っぱねた。その日は物別れに終わったが、その後この問題を解決しようというアプローチはパリジャ側から何一つない。問題は不確定のままで宙ぶらりん。請求書には毎回未払い金額として登場し、経理上それが未収入金に計上されているのは明らか。そしてイメルダがパリジャに苦情を申し入れるたびに「解決を協議しましょう」と相手は言うが、そんな状況をなにひとつ変えようともしない。間違いであれどうであれ、一度経理が記帳した金を消すことのできる人間はどうやらこの国にはいないようだ。


「オランインドネシア、ヘピヘピ」(2006年7月17日)
インドネシア語で記事タイトルを書けば Orang Indonesia hepi-hepi. となる。hepi をお手元の辞書で調べても出てこないと思うが、いかがだろうか?実はこれ、英語のhappyがインドネシア語化されたもので、英語の単語の第一音節の子音にくっついて出てくる[a]をインドネシア人は例外なく[エ]と発音しているのはもはや周知のことになっている。ここで言っている英語の[a]、というより米語の[a]はbad やcatなどのようにあの[エア]が一緒になった特徴的な発音を指しているのだが、インドネシア人の口にはその再現が困難なようで、だからインドネシア語の音韻体系で一番それに近い[エ]という音にしているのではないかとわたしには思える。
街中のあちこちに看板が出ているオカルト鈑金屋ketok magicはみんな「メジッ」と言っているし、thank youはたいてい「テンキュー」と発音される。tea bagもいまやインドネシア語が作られており、tibek という似ても似つかないスペルに置き換えられている。Maggi ブイヨンをスーパーマーケットで探したが見つからず、店員に「マギーはどこにあるの?」と尋ねても返事は「Tidak ada ya.」。それで上の母音変化を思い出し、「メギーはどこ?」と尋ねるとすぐにその場所に案内してくれたりする。
さてタイトルに戻って、これは日本語に直すと「インドネシア人はとても幸福」という意味だ。実際にインドネシアに暮らしてみると、外国人の目からはいろいろと問題が見受けられるにせよ、かれら自身はいたって幸福に人生を生きているように見える。エピキュリアンであるかれらは享楽ということに強い指向性を抱いているようで、だから必然的に人生を楽しむというオリエンテーションにあり、経済的な貧しさや社会生活の不整然あるいは非効率、ましてや腐敗や搾取などをものともせずにひたすら快楽目指して突き進み、瞬間瞬間の幸福感に浸っているように思えるのである。公開ショーやコンサートなどに出かけると司会者の口から「Para hadirin yang berbahagia!」という言葉がひっきりなしに飛び出し、幸福でない人間はわが民族構成員にあらずといった雰囲気を感じさせてくれるので、ヘピに生きることはインドネシア民族にとって強迫観念に似た根源的なものではないかとも思えてくる。それほど強い価値観によって個人を包んでいる社会のあり方が個人個人をそんな方向に押しやっているにちがいない。憂鬱な顔をして押し黙っている人間はほかの人たちが一生懸命チアアップさせようとする。憂鬱な顔や笑顔を見せないきまじめさはこの社会の中では異分子でしかない。どれほど仕事ができたり責任感に満ちて作業をやりとげることができても、笑顔を見せず、他人と笑いをシェアしない人間はヘピ共同体から浮き上がってしまう。何をする能力もなく、無責任でだらしない人間だと外国人の眼に映っても、他のみんなと楽しい時間を共有することが巧みでありさえすればその者は立派な社会構成員として遇されるのである。そんなインドネシア社会のヘピ共同体的性格に魅入られ、とりこにされてしまう外国人も数多いようだ。そして実際にインドネシア人は日本人に比べてはるかに幸福であるという調査結果をハッピープラネットインデックスが示してくれている。
ロンドンに本拠を置くNew Economics Foundation が出したHappy Planet Index の最大指数はバヌアツの68.2ポイントで、その島の民が世界でもっとも幸福であるという結果が示された。その下には中南米の10カ国がひしめきあい、更にその下第12位のベトナムを筆頭に、ブータン、西サモア、スリランカとアジア太平洋の諸国が並ぶ。世界178カ国中インドネシアはなんと第23位を占めており、世界で最も豊かな国民日本は第95位、続くアイルランドは113位、アメリカ合衆国は150位というありさまだから、金と権力は幸福の構成要素ではどうやらないらしいということがそこから見えてくる。このハッピープラネットインデックスの詳細はNEFのホームページをとくとお読みください。URLはこちら ⇒ http://www.happyplanetindex.org/
しかしこの「ひとの世」は自分だけが幸福感に浸っているあり方が真の幸福なのかということも言えるわけで、ここはひとつわたしの持論である「他人に自分を幸福にしてくれと求めても幸福を得られることはなく、他人を幸福にしてあげようと自分が努める中で真の幸福を得ることができる」という幸福のパラドックスも含めてじっくりとお考えいただきたいものである。


「今年のミスキャンパスは22歳の美女」(2006年8月8日)
国産化粧品ブランドのサリアユが毎年行っているミスキャンパスコンテストで、ジョクジャカルタの大学生イカ・ファジャル・ロスマが今年の栄冠を獲得した。サリアユ化粧品を製造販売しているPT Martina Berto 社が毎年開催している美しく聡明な女子大学生を選び出すこのコンテストはBintang Kampus Sariayu と名付けられたプログラムで、今年のコンテストにはジャカルタ・バンドン・ジョクジャ・スラバヤ・メダンにある108のキャンパスから1,069人が参加した。各地で行われた審査を潜り抜けてきた139人のセミファイナル出場者も14人にふるい落とされ、ジャカルタでの最終審査に残った14人は7月26日から29日まで缶詰にされて審査員6人からの評価を受けた。こうして7月29日にジャカルタ郊外チブブルにあるタマンウィラディカで最後のひとり、つまり優勝者が発表された。今年の優勝者は1984年7月22日チラチャップ生まれのイカ・ファジャル・ロスマで、かの女は優勝トロフィーと賞金1千5百万ルピアを獲得した。ジャワ舞踊を趣味とするロスマはジョクジャのYKPN経済学院で経営学を学んでおり、今年が最終学年。
PT Martina Berto のマルタ・ティラアル代表取締役はこのコンテストについて、学術的な面で業績を持ちまた外見的にも魅力的な若いインテリの間から優れた人材を見つけ出すのが目的であり、優勝者はサリアユの宣伝広告に起用されることになる、と語った。「スマートで美しく、また常に魅力的で優れた姿を示すのが世界中の女性の憧れであり、会社の重要なポジションで成功しあるいは自営業で成功することがかの女たちの目標になっています。そんな女性たちにインドネシアの美に関する文化と天然の豊かさを理解してもらい、女性の本源を自分自身の中に構築することをお手伝いするのがサリアユの目標です。」と同社のオーナー社長であるマルタ・ティラアル代表取締役は述べている。


「外人ペドフィリアが逮捕される」(2006年8月14日)
オーストラリアとイギリスのパスポートを持っている英語教師ピーターWスミス48歳が8月5日、南ジャカルタ市トゥベッ・ダラム(Tebet Dalam)通りの借家で逮捕された。ピーターの逮捕容疑は未成年者との性行為で、首都警察によればピーターは1999年にイ_アに入国して以来、ジャカルタ、パダン、バリ、ロンボッでおよそ50人の少年と性行為を行い、そのシーンをハンディカムで録画していた。ピーターはIndonesia for Australia Language Foundation に雇用されて英語教師として働いていたが小児性愛ポルノの副業も行っていた模様。ピーターはインドネシアの50人とは別に、ベトナムで5人、インドで7人の子供をも毒牙にかけていた。
ピーター逮捕のきっかけは中央ジャカルタ市プルチェタカンヌガラ通りに本部を置くNGOのJakarta Center for Street Children が首都警察に届出たためで、8月4日に同団体役員二人に付き添われて7人の少年がその届出を行った。首都警察は迅速にその白人の身元を洗い出し、勤め先のIALFに身元照会を行ってその借家に青少年女性捜査ユニットの婦人警官4人を差し向けた。ピーターはおとなしく4人の婦警に連行されて首都警察本部に出頭した由。ピーターの取調べは続けられているがその供述によれば、ピーターは一回4万ルピアで少年と性行為を行い、ハンディカムでの撮影に応じる子供にはもう5万ルピアを追加して与えていた。
ピーターはストリートチルドレンの集まるシェルターを頻繁に訪れ、親のいない子供たちに慈善を施すという名目で10〜12歳の子供をピックアップすると自分の車に乗せて借家に連れ帰っていた。ただし別の情報では14歳から18歳となっている。借家では子供の服を脱がせて水浴させたあと、その子供を自分の性欲を満たすための道具に使い、それが終わると4万ルピアを与えて帰らせていたとのこと。警察はピーターの借家を家宅捜索し、ハンディカム、コンピュータ、自分と子供が写っているセックスポルノのVCD、そして少年たちの写真アルバムなどが証拠品として押収された。
ピーターが年間4千万ルピアで借りたトゥベッ・ダラム通りの借家は、いつも外部者を寄せ付けない閉鎖的な家として町内で知られており、二ヶ月ほど前にみすぼらしい身なりのストリートチルドレンが頻繁にやってくるので隣人たちは警戒の目を向けていたが、ピーターが子供たちを迎えて家に入れる姿を目にしてからはあまり疑惑を抱かなくなっていた、と隣人のひとりは述べている。
しかし今回の事件が公になってから、ストリートチルドレンの中からピーター以外で相手をさせられた白人が他にいるとの声が出されるようになったのをJCSCが捉え、そのNGO創設者で役員でもあるアンドリ・チャヒヤディが首都警察に届け出た。子供たちの話によればまだほかに5人の白人がいるとのことで、判明している名前はアダムスとフィリップであるとのこと。このふたりはピーターの仕事の同僚である由。オーストラリア連邦警察もピーターのアイデンティティ照合を行うために首都警察を訪問している。オーストラリア連邦警察によれば、同じ名前の人間がやはり小児性愛違法行為で国内で投獄された記録があり、今回のピーターと同一人物であるかどうかの鑑定を行っている。ピーターは自分と少年たちとの性行為を撮影した画像を納めたVCDをインターネット販売して趣味と実益を上げていたのではないか、と警察では見ている。


「国旗掲揚しなければ罰金」(2006年8月21日)
2006年8月17日、61回目の独立記念日が例年通りに国中で祝われた。被災地では例年通りとはいかなかったかもしれないが、それでも震災前に行われていたことはほぼつつがなく行われたようだ。ところが今年の独立記念日ではこれまでになかったことが南ジャカルタ市で行われた。イ_ア国民の中で既にそこまで意識変化が進んでいるのだということを示す現象がそれだと言えるのかもしれない。
都内では、独立記念日の一週間前に字長・隣組長から各世帯に対して独立記念日祝典を通知し、国旗掲揚を指示する回状を回している。これまではあってもぽつりぽつりといった感じでしかなかった国旗を掲揚しない家庭が、今年はどうしたことかかなり目立つようになってきた。町役場ではおかげで例年にない多数の社会保護課職員や行政警察官を動員して記念日前に町内を巡回させ、国旗を掲揚していない家庭に対して掲揚を命ずる措置を取らせた。町役場職員はまず掲揚していない事実を証拠立てるために写真を取り、そのあと家庭訪問を行って国旗を掲揚するように要請する。たいていの家庭は「忘れていた」を理由にあげ、「後で出しておくから」と言うが職員はそのまま引き下がらず、今すぐに出してくれと命じてそれがなされるまでその家を去ろうとせず、その家の家人がしぶしぶと国旗を出してきて表に掲揚するとやっと立ち去った。その際にまた、掲揚しなければ罰金が科されると巡回した職員たちは表明しており、実際に南ジャカルタ市内の一部地区では国旗を掲揚しなかった家庭や事務所から2万ルピアの罰金が徴収されていた。特に大通りに面した建物や家屋で国旗が出されていないところが目立ったため、町役場はかなり深刻になって対応を取っていたようだ。
町役場のそのような対応に対して17日まで国旗を掲揚しなかったために役場職員の訪問を受けたビンタロの住民は、「あんな強制を行うなんて、もうそんな時代じゃないよ。今の御時世は本人次第、自由だってことよ。訪問検問から罰金まで行って、こんなやり過ぎはもうご免だぜ。」と抗議している。チネレ町長は、「去年までこんなことはなかった。国民として独立記念日を祝うという気持ちを示すための国旗掲揚をおろそかにする国民が増えている。どうして無関心を示す住民がこんなに増加したのかわからない。」と述べている。


「実るほどふんぞり返るお偉いさん」(2006年8月24日)
2006年7月8日付コンパス紙への投書"Perlakuan Pilih Kasih AdamAir"から
拝啓、編集部殿。ある種のことがらに関して、特に国のための公事については、政府高官たちは優先されたり特別扱いを受けても当然です。たとえば国務のために海外に出るような場合に公務パスポートや外交官パスポートが与えられても国民はそれを承服するでしょう。
2006年6月10日土曜日、わたしは地震災害の被害者となった親族を見舞うために9時55分ジャカルタ発のアダムエアーKI0122便でジョクジャに行こうとしていました。10時10分ごろ搭乗案内があり全乗客が座席に着きましたが、一番前の二列は空席のままで扉も閉まる気配がありません。きっと要人のグループを待っているのだろうとわたしは推測しました。そしてその推測は大当たりでした。国民に知名度の高い国会議員と大臣経験者である政党要人のグループがしばらく遅れてから乗り込んで来たのです。
スチュワーデスは規定に従って離陸前のデモンストレーションを行い、インドネシア語と英語で公職高官たちへの歓迎の辞とかれらが乗っていることを他の乗客に知らせるアナウンスを行いました。離陸後しばらくしてからスチュワーデスは乗客に飲料水を配り、それが終わるとお盆に菓子やフルーツを載せて通路を行ったり来たりしましたが、その届け先は最前列のグループだけでした。機内の乗客はみんなおとなしく座っていたのに、一番前の二列だけがとても騒々しく、機内の雰囲気を独り占めしていました。
そのフライトはたまたまビジネスクラスのない全席エコノミーの定期便であり、ましてやチャーター便でもないことをアダムエアー乗務員も最前列グループも理解していたのでしょうか?アダムエアーはどうしてあのような特別扱いをかれらに与えたのでしょう。三列目から最後尾までの座席に座っていた乗客は外国人も含めてその面白くもないお笑い劇を一目瞭然に見物することになったのです。要人ともなれば特別扱いを得るのは自然でもあるでしょうが、もっと自覚と主体性を持ってもおかしくないのではありませんか?スカルノハッタ空港にはVIPルームがあって一般市民の目の届かないところで特別サービスを受けることができるし、ジャカルタ〜ジョクジャ間はわずか50分のフライトですから現地に着くまでほんの暫く自分を抑えることもそれほど難しくないのではないかと思われます。かれらがどうしてビジネスクラスのあるフライトを使わなかったのか理解に苦しみます。国政の指導者たちへの尊敬は保ちつつ、われわれみんながより自覚と主体性を持つように努めませんか?[ ブカシ在住、プラムディヤスヌ ]


「国民それとも民族?」(2006年9月23日)
mencerdaskan bangsa という言葉は、インドネシア独立宣言のはるか以前から植民地支配下の住民の現状と将来を憂うる一部の人たちによって語られてきた言葉だ。その時代は国としてのイ_アがまだ存在せず、このテリトリーはHindia Belanda という名称で呼ばれていたころであり、その意味からすれば「民族を賢くする」という訳が適切であるようにも思える。民族とは血縁地縁といったベースの上で同じ文化を共有する人間の集まりを指す言葉であり、国民教育省言語センターが編纂したイ_ア語大辞典(Kamus Besar Bahasa Indonesia)でもbangsa の意味を「血縁・慣習・言語・歴史を共有する社会集団で自身の政府を有するもの」と定義付けているので、何世代もこのテリトリーに住み着いていようがインド・アラブ・華僑系のひとびとが原住民の持っているbangsa 意識から排除されるのは当然だったにちがいない。異民族による植民地支配の歴史の中で、支配者が連れてきたりあるいは支配者の手足となって植民地を動かすのに手を貸してきた第三国民族が独立後も大勢このテリトリーに残った。かれらの中にはこのテリトリーの原住民が展開した独立闘争に手を貸した者も多い。そのような功罪は別にして、イ_ア共和国が成立したとき、このテリトリーにいるすべての人間を共和国の国籍を持つ国民と認めるようなことがなされなかったのも事実なのである。独立闘争を繰り広げた原住民が植民地支配から脱して作り上げようとしたのは民族国家(negara bangsa)だったのだから。
独立後60年を超えた今になって、ノンプリと呼ばれてきたかれら移住民の子孫を同じ仲間として包含しようという国籍法の改定がやっと実現し、またオランダ時代に行われていた民族差別主義的住民管理政策を廃止しようとする動きもはじまった。イ_ア共和国は移住民の子孫に対して、ある手続きを経た上でイ_ア国民という法的地位を与えることは行ってきたが、同じイ_ア国民なのに不平等な扱いを与えることも続けてきた。それが「独立はしたけれど植民地構造をいつまでも引きずっている」と言われるシーンのひとつだ。
国民とは国家に強く結び付けられている概念であり、民族的に異なる人々であっても国家がかれらを国民であると認めるなら、文化的な差異は別にして同じ平等な権利と義務を与えられた多様なひとたちが自分たちの共有する国家を担って肩を並べることになったはずだが、ところが住民管理行政の中では出自民族による差別が連綿と続けられてきた。60年も、いや植民地時代から数えれば数百年にも渡って築かれてきたその差別意識は、共和国独立後も変化しないまま生き長らえている。同じ国民として平等に権利と義務を与えられ、全構成員が互いに同じ仲間として他者を受け入れるということがどうして実現しなかったのだろうか?SARAと呼ばれる種族・宗教・民族・階層間の敵対意識をこのテリトリーの住民たちはいまだに強く持っている。だからこそ、そんなプライモーディアルな意識を啓蒙するためにmencerdaskan bangsa が必要とされているのである。そのような始原的対立意識とは別に、わたしはbangsa という言葉自体にその責の一端を着せることができるのではないかと考えている。bangsa は上で述べたように「民族」英語ではa race に対応するが、同時に「国民」a nation にも対応している。イ_アのひとびとがbangsa と言う場合に、「民族」という語感で話しているのかそれとも「国民」という語感で話しているのか、という疑問をわたしは往々にして抱いてきた。かれらの国家意識・国民意識を観察するかぎり、どうもそれらの意識はかれらの持つ旺盛な民族主義意識の上に出ないように感じられ、そんなことからbangsa という語の用法に原因があるような気がしてならないのである。国家という概念に結びつく「国民」を意図して語られたbangsa という言葉を聞き手は社会集団としての「民族」という意味で受け取っているとすれば、その両者の意思疎通に意味の不整合が起こるのは避けがたい。1960年に出版されたプラムディア・アナンタ・トゥルの作品「インドネシアの華僑」の中で、国民という意味を表す際にbangsa atau nasion という限定的表現が使われており、わたしにはそれがこのポイントに関する解答であるような気がしてならないのである。


「国民を賢くする」(2006年9月30日・10月7日)
愚昧は後進性と貧困のサイクルを生む。数百年も植民地支配を永続させてきたものがそれだ。ナショナリズム運動は、何世代にもわたってヌサンタラに繁茂してきた愚昧と後進性に対する無念の思いに始まる。そして独立戦争は、賢い民族になろうとの決意に始まる。
六十数年前、タン・マラカはMadilogと題する書を著した。materialisme, dialektika, logikaを縮めた造語だ。インドネシア民族を賢くするための思考法則と唯物弁証法を説く539ページからなるその書は、1942年から1943年にかけてジャカルタの掘立て小屋で書き始められ、かれが硫黄鉱山人夫として働いた南バンテンで書き上げられた。当時は大日本帝国軍がオランダを降した勝利のユーフォリアに活動家たちが酔っていた時期だ。
革命家タン・マラカにとって、愚昧は災厄の源泉にほかならない。それは神秘なる天然自然がもたらすものだ。因果関係立証思考を知らない暗闇の世界なのである。たとえば、植民地支配は人間が人間の生き血を吸い取る行為だという見方でなく、ジョヨボヨの予言した運命なのだと見なす。そういった迷信だらけの思考パターンからの解放が、将来インドネシア民族が先進民族と肩を並べることができるかどうかの鍵を握っている。そうでなければインドネシア独立は見せかけでしかない。ならば独立後60年経った今、賢い民族はヌサンタラに生まれたのだろうか?
タン・マラカは思考法則を教えた。しかしかれはインドネシア社会の実相を読み間違え、また革命はわが子を食い滅ぼすという革命活力法則を無視した。タン・マラカをはじめとする一群の運動家が政治抗争の頂点で捕らえられたのが1946年7月1日。その後かれは処刑されたが、国外追放された20年間のミステリーに満ちた暮らしと同様、かれの処刑も闇に包まれている。処刑が誰の命令でいつ行われ、かれがどこに埋葬されたかを正確に知っている者はいまだに出現しない。この革命家の生涯が本当に潰え去ってから、愚昧との闘争をうたうマディログやその他の書物は図書館の棚から姿を消した。オルバ期の32年間を通して、マルキシズムの香りを放つかれの書に発禁措置が加えられたのだ。それは国家を危うくする毒だったから。
そのはるか以前、1932年に香港でかれを捕らえた英国警察官マーフィーに対し「墓穴からの方が、わたしの声はもっと強いだろう。」とタン・マラカは言ったが、問題はかれの墓がどこにあるのかさえはっきりしないことだ。
タン・マラカの弁証法もインドネシアの将来を予見するのに失敗した。将来インドネシアを先進国と対等の位置に押し上げる革命の大黒柱とかれが呼んだ労働者階級は、ふたを開ければ大違いだった。
ヌサンタラの地に、労働者階級という意識形態は一度も生まれなかった。あっという間に生涯を終えたインドネシア共産党自体がその十分すぎる証拠だ。労組とのハネムーンは終わり、労働者は産業ロボットにして政治賎民という暗黒時代に代わった。愚昧との抗争というテーマははるか昔に埋葬された。それは賢い国民が生まれたからではない。なぜなら、自国の資産を争って掠奪するような賢い国民はこの地球上にはいない。反対に愚かな国民だけが、銀行破りやコラプターが自由にうろつきまわるのを野放しにする。賢い国民は、世界最大の腐敗民族のひとつと呼ばれるのを恥じ、いつまでもそのままにしてはおかない。
賢さは不断にイノベーション、競争意欲、効率などを産む。ところがインドネシアに出現しているものはその反対に、ほとんどあらゆるセクターにおける不効率、商業規制を通してのモノポリ、そしてR&D意識の欠如。例をあげよう。インドネシアと韓国は1976年にそろって自動車産業開発をはじめた。知識とテクノロジーはほぼ同レベル。1990年になって韓国からは自国製自動車の生産と輸出がはじまったが、インドネシアはいまだ忠実に自動車組立国の地位を守っており、国内で自製できる自動車部品は座席、タイヤ、車内カーペットその他数品目に限られている。要するに、29年間もの保護期間を通して国内自動車産業にはたいした進歩のひとつももたらされなかったということだ。自動車価格が金持ち国の何倍も高いということを除いては。事業主とスハルト大統領ファミリーが巨大な利益を鷲づかみしただけなのである。 そして独立60年のいま、インドネシアは世界最大の女中輸出国として名をあげている。民族の芳名を高めるような職業とは言えない。ましてや、海外で雇用主から虐待され、祖国でも搾取のターゲットにされているのは周知に事実。でも、だからといってそれが海外出稼ぎ者爆発に水をかけるようなことにもならない。なぜなら、田舎で見つけることができるのは飢餓水腫だけなのだから。
世界第四位の人口を誇る大国インドネシアの治安は、世界でも有数のアブナイ国だ。自爆テロリストは、いつ国民や西洋インベスターが被害者になるかわからない状況を生んでいる。国際海上航路では、インドネシア海域は世界でもっとも危険な海域に区分されており、マラッカ海峡からジャワ海までを世間は『死の航路』と呼んでいる。世界の海賊事件暴力事件の40%がそこで発生している。
とはいえ、政府行政機構がそこまで衰亡し、高官職者たちの民衆搾取や国家資産掠奪の道具と化したとしても、それは現世代のモラル堕落の結果でないことは明らかだ。ナショナリズム闘士や1945年闘士が腐敗し、汚職の膿に冒された国を遺してくれたのである。
1997年に一人当たり国民所得が1,100米ドルだったのに、8年後には750米ドルまで落ち込んだ賢い国民はいない。あふれんばかりの天然資源を持ちながら、30%以上の国民が貧困にあえぎ、外国からの資金がなければ立ち行かない政府。独立60年を経過した民族の姿がそれだ。この民族は成功、それとも失敗?


「質公社はビジネス繁盛」(2006年10月12日)
イドゥルフィトリが日ごとに近付く今日この頃、質公社利用者の取引が急増している。質公社西ジャカルタ市タンジュンドゥレン支店では一日の取引高が平常期の5割増になっていると同公社支店長は語る。ルバラン前に財産を預けようというひとが増加しており、8月の取引高41億ルピアは9月に45億まで増加した。10月にはそれがさらに増加するはずで、この動きはルバランの1週間前をピークにして大祭の前日まで続くものと見られている。質入される品物は貴金属装身具が多いが、家電品や自動車も少なくなく、中にはカイン布を預けるひともいる。一方既に預け入れてあった質入品を請け出そうとするひとも増加していて、このシーズンに引き出される品物はほとんどが黄金装身具とのこと。
質公社を利用する人が増えているのはルバラン帰省で現金を必要とする庶民がたくさんいるためで、かれらのほとんどは金融機関からの借入れが手間と時間を要することを嫌い、スピーディに現金が手に入る質公社を選択している。ところが同支店にテレビとDVDセットを持ち込んだ利用者のひとりは、金が欲しくて質入するのではない、と語る。「一家みんな帰省して家が留守になるので、空き巣に入られる恐れが高い。盗まれないように電気製品を預けて帰省することにしている。請け出す時の金利は預け賃と思っている。」かれは電気製品以外に貴金属装身具も持ち込んでおり、質公社を保管金庫の代用に使っている。別の利用者は先月質入した装身具を請け出しにきたと言う。この女性は中部ジャワのスラゲンに帰省するので、ルバラン時に身を飾るために装身具を持って帰るのだ、と語っている。


「賢いってどういうこと?」(2006年10月14日)
cerdas にするとはどういうことなのだろうか?既出のKBBIによれば、cerdas とはakal budi が完璧に育った状態を指していると説明されている。akal とは知、budi は知と情を統合させて善悪を計る力を意味しており、いずれにせよ思考思弁の力を持ち、自ら物事を判断して結論を出せる人間の姿がそこに描かれているような気がする。辞書ではakal budi を英語のcommon sense に対応させているが、知的レベルの差と価値観の違いが千差万別のひとたちを相手にcommon という言葉を使って共感が得られるケースは少ないようにわたしには思える。実際に何人もの日本人駐在員の口から「ローカルスタッフに "Itu common sense, ya." と何回言っても、こっちの意図が理解された雰囲気がまったくない。」というぼやきを聞かされている。英語のcommon sense はむしろイ_ア語ではpengetahuan umum に対応しているように思われ、これはたとえば「ネッタイシマ蚊に刺されるとデング熱にかかる」というような社会に広く流通している知識を意味しているが、「文房具が床に落ちたら拾ってまた使う」というある種の社会的価値観がその中に含まれているようには見えない。現代グローバル社会では経済合理性にもとづく価値観がたいへん優勢だが、イ_アで金銭は自分が楽をするために存在するもの、自分にヘピーな暮らし(へピーについては「オランインドネシア、ヘピヘピ」(2006年7月17日)http://indojoho.ciao.jp/060717_1.htm を参照ください)をもたらすためのものなのである。金銭は外見を飾るために湯水のごとく使うものであり、他のだれよりも豪奢に外見を飾る人間が社会的な有力者として見上げられる。そんなイ_ア社会によその世界のcommon sense を持ってきても、それを学んで実践しようとするひとは少ないにちがいない。きっとグローバル世界から隔離されてはならないと認識したcerdas な人間だけが行うものなのではあるまいか。イ_ア社会で金銭は人間関係の潤滑油であり、また持てる者が持たざる者を手なずけるための道具であって、小額でよいから金をばら撒く姿勢になじめない人間は社会生活の中で油の中の水滴にならざるを得ない。金銭に執着しないという生活態度の極端な形がここにあり、それが文化の中で大きい価値を持っている。金銭はイージーカム・イージーゴーで、だから貧困の中でみんな生き延びることができている。イージーカムの典型はコルプシであり、あるいは他の人間から搾り取ること、さもなければ借金だろうか。アグレッシブに金銭を求める姿勢はアグレッシブに使う面とバランスしている。つまり巨額な金のフローを自分の周辺に構築できる人間が社会的に優れた人間なのだ。それは個人にも、企業にも、役所にまであてはまる。大きなフローはしぶきをあげて流れる。そこに発生するのがkecipratan rezeki というものであり、そのしぶきを浴びたいひとびとを砂糖に群がるアリのように誘い寄せる。そんなフローを構築できる人間が社会的評価を受けないはずがない。だからそのようなひとびとは世の中で人気を集め、社会的要人としてひとびとから見上げられる地位に置かれることになる。
話がそれてしまったが、cerdas とは知が情と意を統合して正しいことをなすという能力を持つ人間を形容する言葉のようだ。「正しい」とは言うまでもなく社会が持つ価値観によってその内容が定まるため、それがcommon であるとは限らない。ともあれ、cerdas な人間の中では知と「正しさ」が整合性を持っている。ところが最近のイ_ア人は知の向上つまり「悧巧な」「頭脳優秀な」人間が増えているが、「正しいことをなす」ということがらとの間に断絶がある、と嘆くひとたちがいる。エッセイストのヤコブ・スマルジョ氏もそのひとり。次回はかれの論説を読むことにしよう。


「伝統芸能は衰退の道を歩む」(2006年10月18・19日)
1970年代までは、子供に伝統芸能の習い事をさせるのは普通だった。ところがいまや子供や若者たちはモールで遊ぶことを優先し、伝統芸能を習おうという子供は減少の一途。かつては街中のあちらこちらにサンガル(sanggar)と呼ばれるお稽古事教室が看板を出し、習い事が催される曜日になると親に手を引かれた子供たちの姿がたくさんサンガルの中に吸い込まれて行ったものだった。当時でも伝統芸能を教養のひとつとして子供に習わせようという家庭はたいてい経済的に余裕のある家だったようだが、今や子供たちにとって(いや親にとってかもしれないが)教養は多様化しており、伝統芸能を志向する階層は大きく減少している。
RRI(国営ラジオ局)では昔から一般市民に対する伝統音楽教室を開いてきた。かつては毎週大人も子供もそこに集まってきたというのに、今や子供の姿はそこから消え失せた。RRIで教えられる伝統音楽にはガムラン(gamelan)のような器楽とシンデン(sinden)と呼ばれる伝統歌謡ボーカルがある。プシンデンコースの生徒は7人だけで、年齢も30歳以上。ガムランはカラウィタンジャワ(karawitan Jawa)が12人、カラウィタンスンダ(karawitan Sunda)が10人。
南ジャカルタ市スノパティ(Senopati)通りにあるルマガムラン(Rumah Gamelan)でも同じような状況だ。小中学生はひとりもおらず、20人足らずの生徒は全員とも30歳以上。いや正確には子供がふたりいるが、それは家族で習いに来ている外国人。イ_アの伝統芸能の将来はどうなるのだろうか、と講師の先生は懸念を表明する。
都庁は都民の文化活動の拠点としてユースセンター(Gelanggang Remaja)を5市に作らせた。それらのユースセンターでも教養講座としての伝統芸能教室が開かれてきた。そこでは活発な活動が行われ、伝統芸能の新しい芽を発掘して育てるということがなされてきたが、時代は既に変化してしまったようだ。東ジャカルタ市ユースセンターでスンダ舞踊を教えている64歳の講師は、「昔は生徒がわたしの来るのを待っていたが今ではわたしが生徒の来るのを待つようになってしまった」とその変化を語っている。1995年ごろまではその講師のレッスンに百人もの希望者が集まったそうだ。いま登録されている生徒は20人ほどだが毎回全員が揃うことはなく、一回のレッスンではせいぜい5人を教えるだけ。東ジャカルタ市ユースセンターはオティスタ(Otista)通りにあり、交通の便は良い。スンダ舞踊のレッスンも広いオーディトリアムが使われる。そこまで好条件であってさえ今の子供たちの気持ちを引き寄せるのがどれほど難しいことであるか、講師の嘆きは深い。
しかしレッノ・マルティ(Retno Maruti)が主催するサンガル・パドネスワラ(Sanggar Padneswara)でジャワ舞踊を教えている講師のひとりは、伝統芸能に興味を持つのは大学生や勤め人だ、と言う。ところが大部分の生徒は芸をマスターすることよりも身体の運動や呼吸法を訓練することを目的にしているのだそうだ。「ジャワ舞踊は一見柔和で繊細な動きに見えますが、相当に汗をかくものなのです。踊り手は特定のポーズを維持しなければならないので身体は消耗します。」
健康を求めて舞踊を習うかれらのきっかけはたまたま、ということらしい。だから生徒には一生懸命習熟して芸をマスターしようとか伝統芸能を守ろうといった意識はなく、外国へ行くので伝統芸能のひとつも演じなくては、という理由で練習に精を出す。ただし後者の場合、生徒はたいてい個人レッスンを求めるようだ。このサンガルで7歳の娘にジャワ舞踊を学ばせている母親は、最初はバレーを習わせたと語る。「最初はバレーを習いたいと言うのでバレーのサンガルに行かせました。ところが1年間通った後でジャワ舞踊に変わりたいと本人が言うのです。実は娘がそれを言い出す前に、中部ジャワのプランバナン寺院へ一家で出かけたときみんなでラマヤナダンスを見たのです。娘はそれに強い印象を受けたらしく、『美しい踊りで踊り手もバービーみたいにきれいだ。』と言うんですよ。娘はいま一週間に二ヶ所へジャワ舞踊を習いに行ってます。土曜日は南ジャカルタのトゥベッ警察署で、日曜日はここ。娘がジャワ舞踊を習い始めてから素晴らしいことが起こりました。土日にすることがないと、決まって『モールへ行こうよ』だったのが、今はモールへ行く回数が大きく減りました。コンシューマリズムに子供をどっぷり漬けるのはどうかと思うし、子供をそんなふうにさせれば親も貯蓄ができませんもの。習い事はジャワ舞踊以外にピアノ、絵画、英語、クルアン読経に行かせてます。」サンガル・パドネスワラには他にその年代の生徒がいない。娘が挫折しないようにとその母親は自分もジャワ舞踊を習いはじめた。今では母娘が一緒になってジャワ舞踊の練習に励んでいる。
東ジャカルタ市ラワマグン(Rawamangun)にあるサンガル・ティルタサリ(Sanggar Tirthasari)は舞踊に才能のある子供を求めている。このサンガルは優秀な生徒に公共の場で舞踊を演じる機会を頻繁に用意する。結婚式、国賓歓迎パーティ、建物落成式、文化交換会、CMから宗教行事まで、バリやジャワなど伝統舞踊上演の機会を捉えては生徒に出演させている。子供たちは公衆の前で演じることに慣れ、自信が涵養される。おまけに謝礼の一部がお小遣いとして子供に渡されるから、出演者たちは大喜び。お小遣いは5万とか10万ルピアだが、金額が問題ではない。以前は生徒の終了テスト会をアンチョルやタマンミニで行っていたが、今は会場がモールにシフトした。モールにとっては客寄せプログラムのひとつに使えるし、サンガル側にとっても公衆に対するプロモーションになる。サンガル・ティルタサリの主催者であるサリ・ムルジャナはトラディショナルスタイルの結婚式イベントオーガナイザービジネスを営んでおり、新郎新婦のステージなどインテリアのレンタルに主要各地のガムラン、そして伝統舞踊の上演をパッケージにしている。そんな発展性を持たせた舞踊教室であるだけに、このサンガルの経営基盤は固い。しかしこのようなサンガルは稀だ。社会からの伝統芸能に対する関心が減少するにつれて多くのサンガルが経営に破綻をきたしている。発表の機会もなく、自分がマスターしたかどうかをただ先生に決めてもらうだけというやり方では、ただでさえ集まらない生徒がさらに減って行く。
今の子供たちが伝統芸能にあまり関心を惹かれないのは、それが身近に感じられないからだ。子供たちはテレビの影響を強く受けている。踊りに限定してみても、テレビの歌番組には必ずバックダンサーが登場する。だから子供たちにとってはモダンダンスの方がはるかに身近なものになっているのだ。自分もあんなバックダンサーになって芸能界に入り、シネトロンに出演し、広告モデルになれたらどうだろう。ダンスの好きな幼い子供たちが見る夢かもしれないが、そんな道を歩もうと子供たちが考えたとき、伝統芸能サンガルの扉をその子たちが叩くことはないにちがいない。


「正しいか、それとも頭脳優秀か?」(2006年10月21・28日)
いまやイ_ア人類は「正しい」と評価されるよりも「頭脳優秀」と見られる方を好む。「頭脳優秀」は思考の次元にあるために限られたひとしか所有できないが、「正しい」は良心の次元にあるために万人共通のものだから。頭脳優秀な人間にはさまざまな称賛が与えられ、正しいだけのひとびとは頭脳優秀者の世界に間違って生まれてきたような雰囲気だ。頭脳優秀とは涵養されるものであり、精神活動なのである。一方正しいということは天然自然のものであり、生まれながらに備わっているものだ。 現代世界は頭脳優秀者の世界だ。頭脳優秀な者が正しい。頭脳優秀者の正しさとは思考が構築したものだ。思考の構造物が秩序立ち、理路整然とし、論理法則に合致していれば、すべて正しい。頭脳優秀者の正しさは自分の構築物の中でだけ正しいので、それは排他的隔離的正しさだ。頭脳優秀者は同一あるいは類似の思考構築物の中でのみ正しい。

正しいかどうかということが常に頭脳優秀という角度から見られるがために必ず論議を呼ぶ。正しいか正しくないかは意識上にあり、思考によって評価される。一方、正しさは実存であり、生命化であり、体験であり、客観的現実である。人間は幼児の頃から何が正しく何が正しくないかを学ぶ。正しいということはその人間自身が持つ感受性に適合し、ぴったりくるように感じるものだ。正しさは明白に存在し、感じ取られるものなのだ。すべての人間がそれを見ることができる。一方論議のまな板に乗せられる正しさは、常にその中に思考が進入してくる。子供は正しさの存在をかぎ取るのがもっとも敏感な人間であり、だからこそ、子供は天国に迎えられることが保証されている。
人間同士間の混乱は思考ツールである言葉から始まる。正しさを意味する言葉は限られていてユニバーサルだ。ああ、おお、いい、ふう、ふん。ああ、おお、ふん、は見たり聞いたりしたことが正しいことを意味する印であり、いい、ふう、はそれが正しくないことを意味する印だ。それは子供の言葉であり、生命の吹き込まれた言葉、飾りのない、精神からの、思考の混じらない、良心の言葉だ。
テレビ、ラジオ、印刷物、演台や舞台にますます多くの頭脳優秀者が登場する。かれらは舌戦がたくみで、毎日新しい言葉を生産している。空中を言葉で満たし、ひとは言葉を信じる。ひとは言葉に自らをゆだね、論議は一層支離滅裂になる。混乱は頂点に達し、あらゆることが起こる。なぜならひとは頭脳優秀者の思考ツールである言葉を神と崇めるからだ。ひとはますます正しさを見る目を失い、正しさは生命を与えられず、体験されず、感じ取られず、心の中に納められることがない。正しさをひとは言葉を操る巧みさの中に見ようとするだけで、目の前にそれが具体的に現われていても頭脳優秀者が否定するのを許してしまう。頭脳優秀さはこの世界をひっくり返すことができる。正しいものは悪く、そして悪いことを正しいと言いくるめてしまう。人間の赤裸な心はどこへ行ったのか?
正しい人間はいまや愚か者と評価されている。頭脳優秀でなくとも正しい人間であるほうがよい。もちろん正しくて頭脳優秀であるほうが、頭脳優秀だけど正しくない人間であるよりも良い。イ_アにおける実態は、正しくなくそして同時に頭脳優秀でない人間がますます増えている。それがわが民族の悲劇なのだ。頭脳優秀者の多くは正しくなく、そして正しくない大勢の人間は頭脳優秀でもない。
正しさの存在に対する感受性が今のイ_アではますます低下している。正しさに無知な民族になっていないことを願うばかりだ。頭脳優秀を知らない民族である方が、正しさを知らない民族であるよりましだ。頭脳優秀でなくともひとは生きて行けるが、正しさが欠けていれば人間は滅びる。正しさは頭脳優秀より価値が高い。頭脳優秀はひとを現世の繁栄に導くが正しさはひとを安寧に導く。頭脳優秀と正しさのコンビネーションは公平で豊かな社会にひとを導く。正義と真理が不在している繁栄が何の役に立つというのか?
正しさに欠けた民族は滅亡するだろう。理想的合理的な意味での正しさよりも客観的に実現するそれ自身の質的意味における正しさは、すべてのひとが同じように感じ、体験し、生命を持つ。いつでもどこでも人間の良心にフィットして感じられる正しさはひとを欺かない。正しさは明らかに、あるがままに、はっきりと実存している。ひとがどのような論理を使って正しさをひっくり返そうとしても、正しいものはあくまでも正しいのだ。ところが昨今では、頭脳優秀さの舌を用いてひとは恥ずかしげもなく正しさをひっくり返そうとする。正しくないことはイ_アで当たり前のことなのだ。検察官に贈賄したのに検察官は相応の見返りをしてくれなかったと恥ずかしげもなく告白する有罪者。コルプシは正しくないものというのは昔語りで、いまやイ_アでコルプシは当たり前のものになっている。いやそれどころか、万人に腐敗するチャンスが与えられていないためにコルプシは一種の特権にすらなっている。自分は大物コラプターでそのへんの雑魚とは違う、と判事の前で、公衆の面前で、ひとは胸を張る。自分に国費をちょろまかす頭脳優秀さがあることを示したかれは鼻高々だ。雑魚コラプターは愚か者だ。小銭しかちょろまかすことができず、おまけに見つかってしまうのだから。一方、超大物コラプターのわたしは何十年もそれをしてきて、いまはじめてそれが露見してしまったのだ。わたしのコルプシが見つからないように人の目をくらませてきたわたしがどれほど優秀だったかをその事実が示している。
ジャワの古代文学者ロンゴワルシトの嘆きは今日いまだに続いている。かれはこう述べているのだ。「狂気の時代に国は頭脳優秀な大臣を擁するが、狂気に陥り正しさを忘れ警戒心を放棄した役人たちを排除することはかれにできない。」今のこの狂気の時代の中で、正しさを常に意識し警戒を怠らず感受性を忘れない人間は幸いなるかな。(完)

良心と頭のよさという二要素の対立がヤコブ・スマルジョ氏のこの論説のテーマであり、これはイ_ア人類にとっても古くて新しいものであるに違いない。オランダ植民地支配に抵抗するため、ある時期、狡猾さはヌサンタラの地で称賛されるものになった。因幡の白兎説話の原形ではないかと思われるイ_アの民話「シカンチル」のエピソードの中に、対岸の島に鈴なりの果実を食べに渡りたいシカンチルがワニを欺いて水上を往復してくる話がある。因幡の白兎のケースでは皮をむかれて赤裸にされて「勧善懲悪」「因果応報」「正義は勝つ」「邪悪の栄えたためしなし」といった教訓を教えてくれるが、シカンチルは自己の望みを達成し、二度にわたって失敗もせずにワニを欺き、挙句の果てに欺かれたワニをあざ笑ってそこから去って行くのである。この話に関する感想を地元の優秀な青年に求めたところ、かれの返事はこうだった。「シカンチルはワニを欺く力を持っており、それは頭脳優秀であることを意味している。だからシカンチルは優れているのだ。」
一説では、シカンチルのこのエピソードは元々日本のような話だったものが、対オランダ独立闘争時代に今流布している形に変えられたという。異民族支配を打破するためにイ_ア民族はシカンチルのようにならなければならないことを独立期の先達が教えたもののようだ。だがそこで得たもの失われたものは、独立後のイ_アに何をもたらしたのだろうか?
ヤコブ・スマルジョ氏は、脳味噌を振り絞り舌を捩じらせて他人の「正しさ」を否定する現代イ_アの風潮に関しても論説を寄せている。複数の「正しさ」が並立して状況がオリエンテーションを喪失してしまうことが多発するイ_ア文化はわれわれを戸惑わせてくれるが、どうしてそうなのかという分析を示してくれるこの論説は一読に値するだろう。


「インドネシアが貧困国なんて、とんでもない」(2006年10月30日)
貧困者が大量にいる国のひとつとしてイ_アは名高い。統計のひとつによれば3,905万人が貧困ライン下の生活を送っている。だからイ_アは貧困国なのだ、というロジックはイ_アには通用しない。メリルリンチとキャップジェミニが報告したサーベイ結果を見ると、シンガポールでは5万5千人のリッチが2千6百億米ドルの資産を所有している。ところがその5万5千人の中になんとインドネシア人でシンガポール市民権を持つ者が1万8千人含まれており、かれらの保有資産は870億米ドルで全体の三分の一を占めている。これはルピアに直せば8百兆ルピアとなり、悠に国家予算をしのぐ金額だ。
シンガポールにかれらが届け出ている資産だけでそれなのであって、かれらがシンガポールをはじめオーストラリア、中国、香港、スイス、ケイマン諸島などに投資して行っている事業の資金がまだ他にあるのは疑いもないことであり、その総額は想像もつかない。貧しいはずのイ_アからかれらはいったいどうやってそんな巨額な金を手に入れたのだろうか。イ_アという国の内部環境を知る者にとってそれはすぐに答えが頭をよぎる質問であるにちがいない。腐敗官僚、ブラックビジネスマンあるいは汚れた政治家たちがイ_アでしこたま懐に詰め込んだあいまいな金を持って1997年以来続々と海を渡った。かれらにとってイ_アはもはや安全な場所でなくなり、金儲けビジネスを続けるには困難が増すであろう徴候が出現したからだ。絶対王権を振るってきた君主が没落の過程に入ったとき、君主に癒着して利権と恩典で潤っていた事業者たちが蜘蛛の子を散らすように乗っていた船から逃げ出したというのがそのドラマの筋立てである。
一方、かれらを受け入れたシンガポール側はどうだったのだろうか?どんな悪人や犯罪者でも、シンガポールに巨額の金を持ってきて投資してくれるならシンガポールの市民権を与えて国民と同様に保護することを厭わなかった。イ_ア政府がレフォルマシ以降シンガポール政府に対して何度も犯罪者引渡し協定の締結を要請したにも関わらず、シンガポールはいつまでも肩透かしを続けている。そして9年間続けてきたモルガンスタンレー社アジア担当チーフエコノミストとしての赫々たる履歴を叩きつけ、同僚宛ての一片のEメールに胸中を託して去る9月29日に辞職した謝国忠(アンディー・シエ)の「シンガポールの発展はイ_アと中国から腐敗政治家・行政官・ビジネスマンが持ってきた汚れた金を洗濯することで維持されてきた」という発言はどうやら随所で符合しているようだ。


「ゼロからの再出発」(2006年11月2日)
かつて日本でも行われていた大晦日の民族大移動さながらに、インドネシアでもルバラン帰省の伝統は古来絶えたことがない。艱難辛苦と耐え難きを耐える忍耐の果てに帰った故郷には懐かしいお袋の味と親族朋友の笑顔。離れ離れになった一族が一堂に会して祝う宗教行事としてのルバランにも、それ以外の動機や目的が複雑に錯綜している。
遠い都に上京した者は都で成功して故郷に錦を飾るものであり、ルバランはその晴れの舞台なのだ。もちろん成功の度合いはひとさまざまなれど、少なくとも金回りがよくなることを成功の指標と見なしている文化では、故郷に帰って金をばらまかなければ当人の面目丸つぶれになるどころか、親族一同の顔にも泥を塗りかねない。金はイージーカム・イージーゴーであるという文化がそれを後押ししているのは言うまでもない。自動車を持っていることが成功者の一指標であるため、ルバラン帰省時にはレンタカー商売が大繁盛する。一張羅を着て四輪車を乗り回していれば、金を持っていなくとも故郷のひとびとは金持ちと見てくれる。首都でかつかつの暮らしをしていても、1年かけてこつこつ貯えた金を持って故郷に帰り、惜し気もなくその金をばらまけば故郷では成功者と見てくれる。かれらはそのようにして自分のイメージを守ると同時に親族一同の間で故郷に作り上げられたイメージを壊さないようにし、調和を維持することに努める。
下級公務員のスリ40歳は今年のルバラン帰省のために1百万ルピアを費やして故郷に持ち帰るおみやげを調達した。なるべく小さい出費でできるだけ大勢に行き渡るように。特に衣料品は不可欠で、ひとでごった返すタナアバン市場に出かけてそれを実践し、多くの時間とエネルギーを消費した。なにごとによらず支出金額と時間とエネルギーの積は一定であり、どれかを小さくすれば他のものが膨らむという関係がどうやら成り立っているらしい。ラマダン月の1ヶ月をかけておみやげを準備したスリの努力はトゥガルに帰省したかの女に十分な成果をもたらしたようだ。
ジャムゥを背負って住宅街を渡り歩くジャムゥ売りのためにジャムゥ製造会社シドムンチュルが無料帰省バスを仕立てた。そのバスに乗っていた乗客のひとり、スティイェム42歳は、ウォノギリに向かっている車内で語った。金稼ぎはシャワル月からルワ月まで11ヶ月やれば十分だ、と母親が教えてくれた。ラマダン月はお休みの月だそうだ。確かに断食月にジャムゥ売りは姿を見せなくなる。スティイェムは夫とふたりで稼いだ金の中から生活やそれ以外のための費用を使った残りを毎日わずか2〜5千ルピアしかなくとも貯金してきた。そうして貯えた1百万ルピアを超える金をルバランのときに一気に使う。ルバランが終わればまたゼロからの再出発。ラマダン月の断食をやりとおして人間としての本源に戻るイドゥルフィトリも、過去一年の罪や悪や汚れを消滅させてゼロに戻る日。草の根庶民の大半はそんなサイクルの中にそれぞれの人生を紡いでいる。


「これぞインドネシア的光景」(2006年11月9日)
サムは入院した友人への見舞い品としてCDプレーヤーをプレゼントしようと考えた。音楽でもあれば多少とも無聊を慰めてやれるだろう。かれは別の友人と総合家電品デパートへ繰り出し、CDプレーヤー売場に直行した。陳列ケースの上のほうになかなかキュートなデザインのプレーヤーがある。値札を見ても「そんな馬鹿な!」という価格ではない。背の高いフェミニンな感じの女店員に、「あれを見たいが・・」と指差すと、その女店員はゆっくりとうなずいた。さて、陳列ケースの錠を開ける段になって、その女店員は手にした鍵で四苦八苦。サムと友人は涼やかな表情でそれを見ている。でも開かない。かの女は別の売場の仲間に尋ねに行く。別の売場にいた女店員がやってきて自分の鍵を差し込む。錠が開いた。サムが目を丸くした。プレーヤーを手にとって観察したあとで友人が言った。「オーケー。これでいいよ。でもテストしてみなきゃ。」サムが女店員に言う。「テストしてみたいけど・・・」「あら、電池がないのよ、マス。」「じゃあいいよ、ンバ。テストなしでそれを買うから。」すると女店員は愛らしい声で言った。「マス、これストックが切れてるの。」
いまや暑苦しい表情に変わったふたりは、その売場をあとにして店内を回る。別のブランドの売場にある陳列ケースの中にCDプレーヤーが置かれているのが目に入った。そうしてさっきのシーンの再現となった。陳列ケースの錠を開き、テストしようとしても電池がなく、そうして買うことに決めると、さっきの背の高い店員よりてきぱきしている小柄でむっちりのこの売場の女店員は「じゃあ一緒に来てください。」とサムに言う。通路近くにあるコンピュータまで行って、女店員はキーボードにカタカタと打ち込み、そして振り返るとサムに言った。「マス、ストックがもうないわ。これが最後の1個で陳列用なの。」
友人がけたけた笑いながらサムに言った。「さあ、帰ろうぜ。」サムの胸中は煙っている。『なんだ、こりゃあ。売る気があるんだかないんだかわかりゃしない。テストは電池がないと言って断るし、売り物がないのに陳列して何も知らない客に品定めさせ、いざ買おうとすると在庫がない、だ。いったい何を考えているのやら・・・?』
そのときサムは最近3万6千フィートの上空で体験したおかしな出来事を思い出した。これはきっと根が同じなんだ。これがインドネシア人類のもうひとつの性格であるのは疑いもない。
サムはナショナルフラッグキャリヤーのビジネスクラスに乗ってジャワ島の上空を飛んでいた。スチュワーデスがひとりひとりの客に尋ねて回る。「紅茶それともコーヒー?」美人スチュワーデスはサムの座席の横に来て、身体を折り曲げてそう尋ねた。サムは答えた。「紅茶をもらうよ。」するとマニュアルに即して訓練されたスマイルと礼儀正しい声でかの女は言った。「すみません。紅茶は用意してないんですよ。」「・・・・!?」サムは愕然として首を振り、そこにいない友人の声を耳の奥で聞いた。『さあ、窓から飛び降りようぜ。』


「正しさのパラドックス」(2006年11月11・18日)
正しさは単一であるという暮らしになれているわれわれ現代人にとって驚くべき現実がある。勝ち負けのパラダイムを基盤とする暮らしにおいて、勝者は多数派、権力保持者、金持ち、巧みに論理を操る者。勝った者は正しく、負けた者は正しくない。
人生とは力を競うことであり、闘争だ。闘争はコンフリクトを求める。コンフリクトとは相違であり、相違が生じるところにコンフリクトが生まれる。個々の相違が自分は正しいと主張する。個々の相違は基本的権利として生成発展を望むがゆえに、正しさにまつわる闘争が発生する。強い側の正しさが負ける側の正しさを圧迫して排除する。それが現代思想なのだ。
相違とはプルーラリズムであり、一種の多様性である。プルーラリズムは本源的であり且つ自然なものであって、人間の支配はそこに及ばない。天体を見るがよい。太陽があり、月があり、さまざまな星がある。この世界を見るがよい。山があって低地があり、陸地があり森があり、上流があって下流があり、昼があって夜がある。人間の文化の中にもプルーラリズムがある。極地に住むひとびとの考え方と赤道に住むひとびとの考え方には相違がある。サバンナに住むひとびとの考え方はジャングルに住むひとびとの考え方(そして暮らし方も)と相違している。四季の自然に涵養された考え方と二季のそれとの間には相違がある。商人の思考方法と農民のそれとは相違している。狩猟民族の正しさと農耕民族の正しさは正反対なのだ。

プルーラルであるということは単一の正しさを強制できない現実である。人間の苦難の歴史は、いまだかつて実現したことのない、この世で唯一の場を占めんがための「正しさ」闘争史なのである。多様な現実のせいで、それは一見実現したように見えても長続きしない。しかし人類は自分自身の歴史から学んだことがない。正しさのコンフリクトは正しさの闘争をいまだに発生させ続けている。同じ人類の中で人間は同属に対する敵だ。自分への障害であり脅威であるために、敵は滅ぼさなければならない。人類は他人の正しさを否定し、自分の正しさだけに拠って生きたいものなのだ。それが起こるとき、多数の正しさの中にある単一の正しさが結局は自己増殖していくことになる。人類史の中でそれは何度も証明されている。人間はどうしてそのように石頭なのだろうか?それは人間が自由を望むためであり、そして思考の自由のためだ。肉体を牢獄に閉じ込めて拷問と恐怖を与えることはできるが、その者の思考を消滅させることはできない。単一の正しさは人間の本性に反するものだ。単一の正しさというのは自由に反するものであり、それどころか自らを拘束さえする。単一の正しさは思考を凍結する。行き詰まりの袋小路で、閉塞的で狭隘だ。そんな閉塞的人間は世界を停止させ天空を失わせる。人間はもはや人間でなくなり、「正しさ」を所有する者の鞭に操られるあひるや水牛の群れになるしかない。
イ_アローカル、特に先祖代々農業を営んできたイ_ア人類、の知恵が持つ異なる考え方がある。イ_アはバラエティに富む生態系と地理に恵まれた赤道下の数千の島々だ。世界にあるものはすべてイ_アにある。森、山、川、湿地、海、湾、地峡、川床、サバンナ草原、砂漠、ツンドラ荒地、雪、地震、火山、地滑り、津波、地面の陥没。それらすべてがイ_アにある。イ_ア人類はそのすべてを目にしているが見ていない。しかしイ_ア人類の先祖たちは自然の生態系に依存して生活していたので、目にしたものを見ていた。かれらは単に自然の生態系を見ることができただけでなく、それを読むことができた。かれらは自然の中で自然と共に自然にしたがって生きていた。自らを自然と同列に置いたのだ。自然は人間が好き勝手に操れる無機物ではない。自然は人間と同じように、ときに優しく愛情に満ちていても、またときには怒り、破壊し、生命を奪うこともする。人間は愛と憎しみを知っており、自然もまったくそれと同じなのである。愛は生命を育み、憎しみは生命を滅ぼす。愛憎はふたつの対極をなしている。愛情は愛する者と愛される者の間に出現するし、憎しみもまた同様だ。イ_ア人の先祖はそのプルーラリズムを、差異を、コンフリクトの可能性を、自覚していた。イ_ア人類はそのプルーラルな暮らしの側にいた。プルーラリズムは現実であり、暮らしの中の多様性が停止すればそれは死ぬ。プルーラリズムは生それ自体だった。
「正しさ」が異なるためにあなたを敵視するひとびととの対立的な暮らしをあなたはどうやって営むのか?他者のいない場所で何のために勝とうとするのか?勝利は常に敗北を必要とする。単一の正しさの中の暮らしは他者が敗北し死滅することでのみ可能となる。イ_アのローカルの知恵は、生活原理を捧持するがために勝ち負けを拒む。ならば、原理原則を持たない風任せのオカマ体質なのか?いや、プルーラルな生活を尊重することこそが原理なのだ。他者の正しさを殺すことは罪悪であり、倫理に反する。そのようなことはどうして可能なのだろう?
「正しさ」のパラドックスがそれなのだ。わたしの正しさがあなたの正しさと対立するなら、わたしとあなたは互いに自らをパラドックス化しなければならない。わたしはあなたの正しさを認識し理解し、あなたもわたしの正しさに対して同じことをする。わたしはあなたを認知するがゆえに、わたしはあなたの好むことを行って好まざることをしない。あなたもわたしに対して同じことをするのだ。互いの原則を維持するためにそれが行われるのである。他者を理解する中で、互いが持っている自己は変化しない。わたしは相変わらずわたしであり、あなたは依然としてあなたなのだ。正しさのパラドックスの中ではそれが起こる。わたしはあなたが欲しているものを知りあなたもわたしの欲するものを知るために、そのパラドックスな状態がそれぞれの原理を守る。それゆえにわれわれは衝突を避けることを可能にする姿勢を持つことができる。

そのようなパラドックスな姿勢は、われわれが自らをオープンにしない限り実現しない。閉鎖的な人間は、盲目的であるがゆえにコンフリクトのない生活を得ることができない。目にしているが見ていないのだから。パラドックス人間はオープンでありながら自分の正しさを維持している。旧イ_ア人類は合成人間でもオカマでも支離滅裂人間でもない。わたしは自分の正しさが生き続けることを望むし、あなたも同様だ。もしあなたがわたしを滅ぼすかそれともあなたがわたしを滅ぼすかという衝突が起これば、生きること自体が危うくなる。わたしは死を望まないし、あなたも死を望んでいない。殺されるのも嫌だ。生存権は自分の正しさのためだけにあるというのだろうか?
だからイ_アの正しさの価値はパラドックスなのだ。Tepo sliro manjing ajur ajer(慮り、溶けあって一体化する)。主体は自らを客体化する。人間は他者の思考に浸入する。人間は自らを自然そのものに変化させる。自然がどのようにわたしに愛情を与えてくれるかをわたしは知っており、同時に自然がどのように怒ってわたしを滅ぼすかをもわたしは知っている。あなたがどのようにわたしに愛情を与えてくれるかをわたしは知っており、同時に何があなたを怒らせるかをもわたしは知っている。これこそが調和の知恵なのだ。パラドックス的姿勢を発展させることでのみ、その調和に至ることができる。他者に対して自らをオープンにすること。調和とは、互いの正しさを化合させて作った合成物ではない。個々の正しさを溶融させて新たな正しさを合成するようなものではないということだ。だからさまざまな宗教を寄せ集めて新たな宗教を作ろうとしてもうまく行かないのはそのせいなのだ。
調和というものは固定的永続的に存在しているのではない。コンフリクトや衝突が先鋭化したとき、パラドックスによって到達されるものなのである。そうしてそれぞれが自分自身に戻って行く。生きることは対立を潜在的に包含しているが、対立は常態ではない。継続的緊張は悪しきものなのである。


「空洞化の色濃い消費大国インドネシア」(2006年11月14・15日)
インドネシアではショッピングが娯楽になっている。モールを徘徊して目の保養をし、フードコートで何かを食べて帰宅するというようなのはまだしも、カルフルのようなマーケットでさえ庶民は娯楽として訪れている。ACニールセンの調査によればイ_アの消費者の93%はrecreational shopper であるとのことで、買い物に対しては暮らしに必要なものを買うという目的よりも娯楽としての意味合いの方が優先しているらしい。アメリカ人は消費指向が強いように思われているが、娯楽ショッパーは68%だとACニールセンは報告している。ただACニールセンが行ったデータ集計手法がEメールを用いたものであったことから、コンピュータを持ってインターネットにアクセスしている8%未満の都市部インテリアッパーミドルだけが対象になったのは明らかで、これはイ_ア国民の全体像を反映したものではないとの異論が提起されているものの、金を持ったらそうなるのだという点の違いだけではないかとわたしには思えるのである。
ここ数年間、製造業低迷などどこ吹く風、国内経済の牽引車になっていたのは消費であり、発展を示しているセクターはほぼすべてが消費関連産業だ。大勢の貧困者を抱え、国民総貯蓄レベルもアジア太平洋で底のほうにいるイ_アのこの旺盛なる消費文化には、たいていのひとが目を丸くする。中でも国民の消費傾向を煽っている要因がブランド品志向で、同じような品質の商品なのに著名ブランドであれば価格が数倍であっても躊躇せずに財布を開く。衣服や身の回りの品が値段の高い一流ブランド品であれば、それを持っていることが社会ステータスを決め、その本人のアイデンティティとなる。何を着て、何に乗り、何をポケットから出すかでその人間の格が変わる。たとえろくな知性を持たず人間的なレベルも低い、いわゆるIQ・EQ・SQ劣等人間であっても、美容サロンで磨き上げた身を一流ブランド品で包めば世間から賞賛のまなざしが投げかけられて下へも置かない待遇となる。そこにあるのは、中味など見ることなしに飾り立てた外見でクオリティを判断しようとする外観主義文化であり、それが一流ブランド品志向に傾斜して消費経済を膨らませている。ACニールセン報告では、ミドルクラスの10人にふたりはグローバルなデザイナーが作った商品を買うことを選んでいる。ところが10人のうち9人は他にも同じクオリティの商品はいくらもあり、著名ブランド商品は値段が目茶高いともコメントしている。ということは、10%は馬鹿げていると思いつつもそのブランドゲームに乗せられているわけで、かれらはその支出をステータスのために行っていると意識している。
植民地時代の何世紀にもわたって浪費文化が根付き、オカネモチ=エライヒトという従来からの社会ステータスが一層強固に定着してエライヒトは自分の財を顕示するために浪費を行ってきた。「お金は貯えるものでなく回転させるものである」という経済観はイ_アでたいへん強いものがあり、そこから生じているお金のイージーカムイージーゴーは社会常識となっている。経済階層の上下に関わらず同じ文化が全国民を支配しているようだ。
消費のすさまじさは経済危機以後のGDP中に占めたシェアを見ても判る。2004年の消費セクターのGDP貢献度は66.5%、2005年は74%。国民富裕家庭上位10%の消費金額は国民消費総額の30%を占め、反対に下位10%の消費金額は3.6%しか占めていない。消費指向が国内生産品を対象とするなら、それは第二次大戦後の数十年間に渡って自由主義経済世界の進展を支えてきたものと変わらないものの、消費指向が輸入品を目指しおまけに借金に頼って行われるとき、国家経済は大きな空洞を抱えたきわめて不健全なものとなる。クレジットカードによる消費はイ_アでまだそれほど大きなものになっていないが、国民の金銭に対するイージーカムイージーゴー感覚は大きなバブルを容易に発生させかねないリスク要因ではないだろうか。
輸入品志向はこの国でいまだかつて消えたことがない。オルラ期は言うまでもなく、外資に門戸を開いて国内製造業の開発に注力したオルバ期でさえ、国内工場で生産される商品の品質に不満を持つ多くの消費者のために近隣アセアン諸国から同等の商品が国内にたくさん流れ込んでいた。最近では低所得層の購買力凋落というこれまでとは異なる要因のせいで不法輸入品が猛烈に増加している。一説では、2004年に22%しかなかった不法輸入品は2005年に66%となり、今年は更に70%を超えているという声も聞かれている。合法輸入品も2004年の3%は2005年に9%に上昇し、2004年に75%あった国産品は2005年に25%まで落ち込んだ。国内市場向けに生産を行っていた製造会社が今では輸出マーケットを切り開くことに努めており、輸出がだめなら死活問題というほかの国から見ればいささか奇妙な状況が出現している。
政府当局の経済政策は、低金利誘導による実業活性化が国内消費行動のためにブレーキがかかっており、むしろ消費者の借金消費を促す現象へと向かっている。通貨当局はマクロ経済指標の維持向上を優先している趣が強く、実業がだめなら消費でという二股政策だから実業界の底上げに本腰が入らない。政府は国産品愛用運動のアドバルーンを折に触れて掲げるが、価格と品質がマッチしておらずまた著名グローバルブランドがあるわけでもない国産品を、しかも外国優位自国劣等という植民地意識をいまだに引きずっている国民があえて買うような姿を目にすることはあまりない。ましてや国産品の価格高が行政の搾取によるハイコストのせいだという通念を抱いてしまった国民が、政府のアドバルーンを無心に支持するようなことも期待しがたいのである。


「人間開発指数が上昇」(2006年11月16日)
国連開発計画(UNDP)が毎年発表している人間開発指数(HDI)に関して、インドネシアは今年0.711ポイントを獲得して世界第108位となった。域内トップはシンガポールの0.916ポイントで世界第25位、ブルネイは34位、マレーシア61位、タイ74位といったところだが、イ_アは昨年の110位から少しアップして109位のベトナムを追い抜いた。貧困者数について見れば、1990年から2004年までの統計によるとイ_アの貧困者比率は収入が一日1ドル以下で7.5%、2ドル以下で52.4%とされているが、イ_アの貧困ライン規準(ひとり一日当たりの食物摂取が2千1百カロリー)を下回る者は27.1%となっている。タイの情況をそれと比較してみると、1ドル以下は2%、2ドル以下で25%、貧困ライン規準未満者は13%となっている。他のファクターを見ると、40歳まで生き長らえることのできる国民は11%で15歳以上の非識字率は9.6%といった数字。
国内の地方自治体別に計った指数によれば、インデックス値がトップになったのは首都ジャカルタとジョクジャ特別州のスレマン県で、それ以外にも指数上昇が顕著だった南スラウェシ州、中部カリマンタン州、東ジャワ州ブリタル市、西スマトラ州パヤクンブ市、パプア州ナビレ県、北スマトラ州トバサモシル県が開発活動優秀地区として上位に就いた。国の大きな課題である貧困者数低下、失業者数低下、教育の普及、国民医療の向上などの取組みを政府は真剣に続けており、人間開発指数はその進展につれて上昇していくはずであるが、それらの努力にブレーキをかける要因が急激な人口増加であることにSBY大統領が言及した。大統領は地方部を回ると子供の数がたいへん多いことが眼につくと述べて国内の人口増に警告している。


「使い捨て文化民族」(2006年11月23日)
2006年9月14日付コンパス紙への投書"Bangsa Indonesia Hanya Pengguna"から
拝啓、編集部殿。わが民族はますます混乱の度を強め、前途に不安を抱かせています。法執行は相手を選び、国家政策は言行不一致で、コルプシはますます蔓延の一途。自分個人や所属集団の利益のために売国を企てる者は怖気もなく国民の前にその姿をさらし、罪悪感など爪先ほども感じていません。
SBY大統領は再起を図ろうとしているわが民族にとって適切なひとですが、将軍として期待されている厳格な姿勢がまだ反映されていません。その結果、大統領を補佐するひとびとがてんでんばらばらに動き、あらゆるチャンスを自分のために利用しようとしています。国産品利用政策は十分に国民の耳に響いておらず、技術移転に関してはもっとお粗末なありさまです。このままではインドネシア民族はいつまでたっても物を作り出すことのできない使うだけの民族で、資本と技術を持つ創造的な他民族の「お客さん」にしかなれません。国内でテクノロジーの発展を望むSBY大統領は、取引のたびに補佐役に邪魔されているのが実態です。
われわれは買い手だから十分なネゴの余地を持っているというのに、先進国から技術移転を受けるチャンスをできるかぎり避けて活用しようとしません。たとえば海軍の艦艇調達に関して、かつて行われた東ドイツからの中古艦船購入の際の馬鹿げた体験から何ひとつ学ぼうとしていないのは明白です。なにしろ修理や儀装の費用が新船購入よりも高いというのですから。国内の造船所、中でもPT PAL は高い造船技術を持っているので、国外から購入しなければならない理由はありません。たとえ外国から購入しなければならないとしても、国内の造船所に作らせれば技術移転も同時に行われるでしょうに。海軍が戦闘艦6隻の調達のために造船技術においてドイツ、オランダあるいは韓国などよりも低いスペインに発注しようとしています。船はスペインの造船所で建造されるために技術移転もありません。おまけに武器装備はアフターサービスを真剣に行わないことで知られた東欧から取り寄せるというのです。自分自身のためにすら買うだけで作らないイ_ア民族にはもはや、海洋民族の誇りはかけらも残されていません。[ バンドン在住、ヘンドロウィヨノ ]


「貧困は国民を愚かにする」(2006年11月25日)
国民を賢くするために全員をある期間学校へ来させればよいというものではどうやらないようだ。教育が重要であるのは明白だが、教育の内容が単に頭脳優秀な国民を作り出そうとしているのであれば、インドネシアの現実はいまとそれほど変わらないにちがいない。ヤコブ・スマルジョの言う「正しさ」は本源的なものかもしれないが、影をひそめていく一方のその本源性はそれこそ涵養されなければならないものになってしまっている。それをだれがどこで行うのか?
人間は肉体と精神と魂を持つ存在であり、健全な精神と魂は健全なる肉体に宿るものである。国民を賢くするためにひとは精神と魂をどうすればよいのかという議論が繰り返されているが、それは健全な肉体が存在していることを前提にした議論だ。ところが豊饒な国土を持つイ_アで国民は貧困にさいなまれている。貧困の海の中につかっている数十パーセントもの国民にも賢くなることが期待されているのは明白であるものの、賢い精神や魂を宿すべきかれらの肉体ははたして健全なのだろうか?2006年のユニセフ報告によれば、イ_アには栄養不良の幼児が230万人もいる。保健省の幼児に関するデータでは、5百万人が栄養不足、810万人が貧血症、1千万人がビタミンA不足となっている。栄養不良は三種類に分類されており、カロリー不足、たんぱく質不足、カロリーとたんぱく質不足がある。カロリー不足は老けた顔で腹はへこみ、皮膚はしわが多く、臀部に肉がなく、忍耐力がない。たんぱく質不足は脚・顔をはじめ体中が丸く膨れ上がり、髪の毛は細く赤みを帯び、筋肉は小さい。
栄養不足と栄養不良のために学齢児童1千1百万人は背が低く、大人になったときには平均身長から4.6センチも背丈に差がつく。在学中の学業成績も平均より0.7ポイント低く、そして同学年の他の学友に比べて平均7ヶ月年上だ。それら栄養不良の子供たちは幼児期に母乳が十分与えられず、また母乳を補完する食事も質量的に不足していたことの結果なのである。いやそれどころか、生まれ出る前の胎児の時期に母親が十分に栄養を得ていなかったところからかれらの運命が既に始まっていた。人間の脳は胎児でほぼ8割完成し、生まれてから5年間に残りの2割が完成する。子供の脳の発育に栄養がどれほど重要であるかは言わずもがなであるが、ただでさえ稼ぎの少ない夫が吸うタバコを買うために胎児と妊婦の栄養が後回しにされている現実がイ_ア社会に存在している。男性優位の家父長制社会では、女と子供、特に女児が多く食べることを卑しむ価値観があり、これも出産適齢期の女性や妊婦の多くに慢性的体力不足と栄養不良をもたらしている。出産時体重2.5キロ未満という未熟児は年間40万人にのぼっている。
それら栄養不良の子供たちはIQが平均値から10〜13ポイント低く、貧困が生み出す栄養不良によって多量の知能指数が国民から失われていることは明らかだ。それらの子供たちが大人になったときかれらが民族にもたらすものは、民族発展への寄与どころか同胞にとってのお荷物以外の何ものでもないのではあるまいかという危惧の声が散発しはじめている。
保健省によれば慢性的体力不足と栄養不良にかかり勝ちな女性層は15〜19歳で、社会省によれば女性の結婚年齢が年々低下しており、1999年には20歳の女性が全体のピークだったのに、2004人にはピークが17〜18歳に下がってきている。その要因に関して社会省は、2004年に17〜18歳で結婚した女性の多くは栄養不良が原因で学業についていけず、学校をドロップアウトした結果若年結婚に向かったもので、これは栄養不良の子供が再生産される傾向を生むものである、とコメントしている。新生児には6ヶ月間母乳だけを与えるようにすれば子供の栄養不良はかなり防げるとして保健省は国民への啓蒙を進めているが、2003年に行われた全国調査の結果によれば64%の母親は母乳保育を2ヶ月未満でやめており、6ヶ月間続けているのは8%弱に過ぎない。母親の多くはベビー用ミルクの方が優れていると思って高価なミルクを買い、しかしもったいないため規定分量より少なく赤ちゃんに与えるようなことをしており、子供に栄養不足を与えているような結果になっている。また裕福でない母親の多くは出産費用を捻出するために妊娠中の食事を減らして貯金にまわす者が多く、高額の出産費用が妊婦に栄養不足を強いている面もある。
貧困が招いているそれらの悪循環が何回転もすれば、虚弱な肉体を使ってしか稼ぐことのできないクーリー民族と見られているイ_ア民族はもっと劣ったクーリー手伝い民族にしかなれなくなってしまうのではないか、と保健政策関係者たちは警鐘を鳴らしている。


「イメージを踊るインドネシア人」(2006年11月27日)
さる高官夫人が海外に旅行することになって必要品の買物をした。何を買ったかというと、聞く人も目をむく国際一流ブランド品ばかり。トランクからハンドバッグ、服や靴やサングラスと、旅行中と旅行先で使うありとあらゆるものをジャカルタの高級ブランドブティックで買い揃えた。自分のためだけではない。同行する自分の親族や身の回りの世話をするプンバントゥにまで一流ブランドのハンドバッグを買い与えたのだ。一緒に行動するメンバーがマッチしているように見られるために。その買物に数千万ルピアを費やした高官夫人は、どうしてそんな超高級ブランドにしなければいけないのか、との問いに答えてこう言った。「海外に行って恥ずかしい思いをしちゃいけないでしょ。自信を持つためよ。」
国際的には貧困国で通っているインドネシア人が、香港にしろシンガポールにしろ、あるいはパリやローマで、地元民すらあまり足を向けない高級ブティックに出入りし、地元民すらあまり手を出さない高額商品を揚げピーナツでも買うかのごとくホイホイ購入する姿はその方面のビジネス界でつとに知られた話になっている。イ_アからの留学生が集まるオーストラリアでも、まだハイティーンのイ_ア人ヤングが地元のクラスメートすら滅多に買わない商品をホイホイ買っている姿もいまや有名な話。
メルボルン大学で教鞭を取っているアリエル・ヘルヤントは、「権威を持つ高価な商品を所有していることを示すためにイ_ア人の一部は超高級ブランド品を、それが世の中に稀有なものであればあるほど、巨額な金を費やして手に入れようとするアグレッシブな姿勢を見せる。そんな姿勢はミドルクラスがいちばん激しく示している。」と言う。低階層はそんなおかしな夢を見ているどころでないから、そんなものになけなしの金をはたこうとはしない。上流層も、ほかにいくらもそんな商品を持っているため、そこまでアグレッシブにはならない。金を持っているイ_ア人にとって、超高級ブランド商品を買うのを含めて贅沢をすることは、自分の経済面でのパワーを実証し、それを確認し、またそれをほかの人間に示すための行動であり、文化面でも自分のステータスがエリート階層に属し、高尚なセンスを持ち、そのへんの有象無象とは違っていることを宣言するための行動であるとヘルヤント教授は語る。
シンガポールでイ_ア人のイメージはふたつの極に分裂している。平気な顔で高級商品を買い漁り、市内一等地の高級アパートをホイホイと買うお金持ち。そしてもうひとつのイ_ア人の顔は、家畜のように扱われてもまるで家畜のような反応しか示さないハウスメイドや建築労働者。その両極の間にもイ_ア人の別の顔があるのだということが海外では認知されていない。海外で高級商品を買い漁るひとたちが行っているのは、必要なものを手に入れるための買物行為ではなく、超高級ブティックに出入りしてカッコ好い店員から王侯貴族のごとくかしずかれるのを楽しむ行動という意味合いの方が強いようだ。なぜなら、そうやって入手した高額商品を家に持ち帰っても、一度も使われたことがないものも少なくないのだから。コンシューマリズムは資本主義が生んだ。大量生産は大量消費に支えられなければならない。人間の消費志向を煽るためにマーケティングと広告宣伝が進化し、巨大な産業を形成した。そこから続々と打ち出されてくるイメージが度を超えた消費をあおり、消費者はそのイメージに向かってショッピングを行い、自分をそのイメージに重ねていく。
インドネシア大学の文化人類学者アフマッ・フェディヤニ・サイフディン教授は、イ_ア人の消費志向は古い歴史の中に根をおろしている、と語る。イ_ア人はその文化の中に宗教儀式や式典儀式への強い指向を持っているのが特徴だ、と同教授は言う。儀式は社会階層構造を正当化するために機能し、そこでひとは自分のアイデンティティを示すために自分をエクスポーズする。そのシンボルとなるのは宝石、土地、家畜あるいは家屋などの資産の規模だった。そのためにひとは資産をより大きく見せようとして実態をカモフラージュし、社会的ステータスを高く見せるために巨額の財物を消費する。結婚式がその典型例だと教授は語る。
現代になっても儀式指向は変わらず、外国からやってきたマテリアリズムという名の消費主義はイ_ア人の民族性向によってぴったりと捕捉された。上流階層は超高級ブランドの高額商品を購入顕示してそのポジションを維持しなければならず、その下の階層はそれに類似した商品を求めようとする。そこにニセモノに対する需要が発生する。この伝統は文化として定着しており、いまや生活用品のありとあらゆるものにニセモノが存在している。儀式オリエンテーションはイ_アにだけあるものではない。しかしイ_アでその影響がいつまでも強く残っているのは、国民のアイデンティティを変質させるための政策が明白に実施されないからであり、加えて政府の輸入品に対する規制もたいへん緩いためだ、と同教授は言う。
現代イ_ア人の儀式指向の便をはかるショッピングセンターは雨後のたけのこのように続々と開店し、政府からの方向付けはほとんどなくて実体は野放しに近い。都会人の外出先として、汚染や危険の比較的少ない、手軽で安価に楽しめる場所はいまやモールがトップの位置を占めている。本来、都市の中にあるべき公共スペースがすべて失われてしまい、その機能をモールが代替してしまった。いま、イ_ア国民の生活を楽しむすべは文字通りショッピングと一体化しているのである。


「6年前の水道料金が請求される」(2006年11月30日)
2006年9月15日付コンパス紙への投書"Tagihan Air Enam Tahun Silam"から
拝啓、編集部殿。わたしは水道会社テームズPAMジャヤ(TPJ)の管轄区域内にある北ジャカルタ市西クラパガディンに住んでいます。2006年6月、わたし宛に6月5日付けの給水停止通知がTPJから届きました。わたしが水道料金2,003,650ルピアを滞納しているので給水を停止するという内容です。その内容を調べたところ、2000年から2006年までの水道料金であることが分かりました。2000年の滞納がどうしていまごろ請求されることになるのでしょうか?これまで給水停止措置が取られなかったのはふたつの可能性があります。ひとつはこれまで滞納がまったくなかったこと、もうひとつは滞納請求があったとしてもわたしがすぐにそれに対応していたこと。
上水道契約者にも弱点があります。それは6年も前の古い支払証憑を保管するのが困難なことです。ましてや北ジャカルタのスンテル地区住民は2000年から2006年までの間に何度も水害に見舞われ、家の中まで1.5メートルほどの浸水に襲われているのですから。水道の支払証憑ばかりか、もっと重要な書類さえ破損したり紛失したりしています。今回の問題に関連してわたしはTPJに対し、もっと厳格な規定を作ってそれを執行するように要請します。つまり料金滞納については三ヶ月後に滞納請求を出し、その後一ヶ月間に支払われないなら給水をストップするというように。6年も前のことを給水停止の理由にするのはやめてください。それは水道会社が利用者の弱みにつけこんでいることに他ならないのですから。[ 北ジャカルタ市在住、イルハム ]


「スマックダウンをやっつけろ」(2006年12月1日)
アメリカのプロレスTV放送スマックダウンはインドネシアでも人気のある番組で、子供たちの間で多くのファンを獲得している。インドネシアでその放映権を購入したテレビ局Lativi はほとんど毎日21時からスマックダウンの放送を行っていたが、子供たちに暴力を植え付ける番組であるとの批判が高まったために放送時間を22時に延ばした。しかしこれまで21時になるとお茶の間のテレビの前に陣取って手に汗握りながら観戦していた子供たちが22時になったから自主的に観戦をやめようというようなことをするはずもなく、単に子供たちの就寝時間を遅らせているだけの結果にしかなっていなかった。
一方、子供たちの間でもスマックダウンごっこが流行し、ber-SmackDown (プロレスごっこをする)という新語まで誕生した。しかしイ_アの和気藹々文化の中では子供が取っ組み合いの喧嘩をする習慣が育まれていなかったために手加減を知らない子供たちのプロレスごっこ遊びで骨折事故が多発し、ついには死亡事故まで発生したことから保護者や教育界の間でスマックダウン放送に抗議する声が強まっていた。中でもイドゥルフィトリ前にバンドン県で中学生三人が9歳の小学生を相手にしてスマックダウンごっこを遊び、何度も床に叩きつけられた小学生がおよそ1ヵ月後に死亡するという事件が起こったために放送規制問題に発展していた。全国各地から報告されたスマックダウンごっこによる子供の怪我は10件にのぼり、骨折や捻挫、関節の障害など多くの問題を発生させているが、被害者は10人中9人までが小学生。
テレビ・ラジオの放送内容を監督するインドネシア放送コミッションはこの問題に関して、放送が犠牲者を生んだ以上対応措置は取られなければならない、とコメントしているが放送禁止となるのかどうかについてはまだ結論が出されていない。同コミッションメンバーのひとりは、子供がスマックダウンごっこで骨折したために親がコミッションに訴えてきた、と語る。「親は子供の治療費に1千1百万ルピアを費やした。子供をもっとよく監督しないからだと言って保護者に責任をかぶせることはできない。大人は働かなければならず、子供を教育しなければならず、子供の勉強に付き合ってやらなければならず、それ以外にもさまざまな義務を負っているのだから。一方テレビ放送は健全な教育・情報・娯楽を提供する義務を負っている。子供の暴力嗜好を煽るような番組を放映するテレビ局は放送の使命である公共メリットへの責任を放棄している。」同メンバーはそう語り、子供たちが自宅や学校でレスラーの名前や得意技を語り合い、すべてを暗記しているような状況は異常であるとの印象を表明している。
その後の続報によれば、Lativiテレビ局は11月29日からプロレス録画放送を自主的に停止したと報道されている。南ジャカルタ市ブロッケム(Blok M)のパサラヤとオーナーを同じくする同テレビ局は、World Wrestling Entertainment が主催するExtreme Championship Wrestling, Afterburn, RAW, Bottomline, Heat Experience などの録画番組を今後は一切放送しないと表明しているとのこと。


「スマックダウンは悪くない」(2006年12月6日)
「スマックダウンをやっつけろ」(2006年12月1日)で報道されたプロレス録画放送SmackDown! の放映中止に関連してWorld Wrestling Entertainment がインドネシア放送コミッションに対し放送停止決定の見直しを求めている。WWEはインドネシアのAPCOワールドワイド社を介してインドネシア放送コミッションにアプローチを続けており、イ_アにおける放送者が放送時間に関する国内法規を守っていなかったことを遺憾とし、今後はその法規を守らせるようにすると約束している。外国放送機関との間で放映に関する契約を結ぶ際には、その国の法規遵守条項が必ず契約の中に入っているとのこと。また子供たちの間で起こった事故についても、WWEは最初からスマックダウンの番組は大人向けのものであると言明していたことを主張している。バンドン県でスマックダウンごっこのために死亡した子供の親が死亡の原因はスマックダウンだと述べているが、バンドン警察はまだその事件を捜査中であり子供の死亡とスマックダウン放映との間に直接的な因果関係が立証されていないことから、イ_アでの子供たちの事故原因をスマックダウン放映に帰すような即断は避けるべきである、とイ_ア国内の諸方面に対しても理解を求めている。特に放送コミッションがその因果を結びつけて放送停止を決定したが、その決定は見直してもらいたいとWWEはインドネシア放送コミッションに要請している。


「インドネシアのシンデレラ」(2006年12月6日)
まだ18歳だというのに年齢不相応の成熟さを感じさせるその娘はタリと名乗った。女としての人生の哀しみをあまりにも深く見つめてきたためだろうか。タリが西ジャワ州インドラマユの田舎にある中学校の二年生のとき、突然親が「もう学校はやめろ」と言った。タリの学費はもう出せないと言う。タリは嫌だったがどうしようもなかった。親は米の収穫期にこぼれたモミを拾い集める労働者で、ほかの時期には十分な収入が得られない。長男は無職で頼りにならない。小学校すら卒業していないのだ。姉は家庭プンバントゥになっているが、未婚なのに子供を抱えている。
同じ郡の別の村に住むチャイディンという男がタリの父親に話を吹き込んだ。「あんたの末娘を日本に送って接客の仕事をさせりゃあ、あんたは楽ができるよ」。近隣の村では何人かの娘がチャイディンの伝手で日本に働きに行っている。父親がタリに言い含めた。「おめえはジャカルタへ行け」。タリはジャカルタへ連れて行かれて、よく似た境遇の娘たちと一緒に寮の狭い部屋に押し込まれた。ある日テストが行われ、やってきた日本人の前で露出度満点の服を着て立たされたがタリはその選考にパスしなかった。その後もタリはその寮にいて次の機会を待った。ときどきインドラマユの実家に里帰りしたが、タリが出稼ぎ資金として持って行った5百万ルピアはジャカルタでの寮の生活費、住民管理手続き、仲介業者への謝礼などで使い果たされた。8ヶ月の間、結局一度もテストにパスすることなく、資金が底をついたのでジャカルタを去った。すると父親に5百万ルピアを貸した親戚が父親を追いかけはじめた。借金の抵当に入れた祖母の水田を売って末娘のための資金をもっと作れと迫る。タリが日本へ行けば仲介した者たちも相当に潤うに違いない。父親はその圧力に抗しかねて、タリに金を稼いでこいと頻繁に言うようになった。身体を売ってでも、と言外に。近所には遠くの町に出稼ぎに出た娘がいる。その娘が身体を売っているのはみんな知っているが、それをあからさまに言う者はいない。「ほら、トゥティを見てみろ。オートバイだって買えるんだよ。」
タリにはいつまでも両親の希望を無視しておくこともできない。両親に色よい返事をすると、おじのひとりがタリをリアウ州のプカンバルに連れて行った。2003年のことだ。「仕事は何でも良いから、借金を返すために金を稼いできてくれ。」タリを送り出す両親からのはなむけの言葉がそれだった。プカンバルまでの旅費はまだ見ぬ雇い主からの借金となった。プカンバルの雇い主のところに来たのは、タリを含めて10人の女たち。経験者もいればタリのようなバージンもいる。
少し落ち着いたところでタリの処女が売られた。タリへの報酬は150万ルピアだったが、タリの仕事始めの相手は5百万払ったとタリに言った。しかし雇い主は、自分は2百万ルピアしか手に入れていない、と言う。いったいどれが本当なのか、タリは茫然とするばかりだった。タリのはじめての客は三日間、まだ15歳の少女の身体を自分のものにした。タリにとって生涯忘れることのできない痛みが心の奥底に焼き付けられた。一月半たってルバランの時期になり、タリは実家へ戻った。しかし借金を返すためにまた働かなければならない。落ち着けない実家で長居もできず、タリは再びリアウへ戻る。雇い主はタリをドゥマイに送った。ドゥマイでは客が少ない。それは自動的に収入が減ることを意味している。8ヶ月で耐えられなくなり、タリは実家へ戻りたいと父親に連絡した。父親は雇い主に連絡を取ったが、雇い主はタリを手放すのを拒んだ。結局タリをプカンバルに連れて行ったおじがまたやってきてタリを無理やり実家に連れ帰ったが、そのため借金は6百万ルピアに膨らんだ。このおじはタリを救い出すのが目的ではなかったのだ。借金を膨らませ、タリの身体で返済させる。タリは金づるだった。
次にタリが連れて行かれたのは西ジャカルタ市にある遊興施設。客は15万ルピアで女を買うが、タリがもらえるのはそのうちの4万だけで、1万ルピアは客を連れてきたパピの手に、そして5万ルピアは女たちを差配するマミに、残りは建物オーナーの取り分になる。しかしそこでの仕事は忙しかった。客が多いため、タリは借金の返済を進めることができた。そうしてあるときタリを買った客が、自分と一緒になってくれ、とタリを口説いた。タリはその客が嫌でなかったからふたつ返事で承諾した。タリは実家に帰り、その新しい連れ合いが出してくれた資金で水田を持ち、地主となった。実家も石造りのものに建て替えられた。その一帯にある安い素材を使った家々の間で、タリの家はまるで御殿のような光彩を放っている。タリは決して唯一のケースではなく、似たような話は折に触れて耳にすることがある。ともあれ、これはインドネシアで実際に起こっている出来事だ。これがイ_アのシンデレラ物語なのかもしれない。
スバンからインドラマユにかけての西ジャワ州北岸部一帯は貧しい。その地域を通る貨物トラックの運転手は、道路沿いのワルンで昼食を取ったあとその場で身を売る若い女を買うことが多い。その女たちは売春婦だが、売春局地化地区で働く女たちと違って政府は間接売春婦という分類にかの女たちを入れている。インドラマユでは16.5%、スバンでは14.7%の住民が月収159,901ルピアあるいは150,674ルピアという貧困ライン下にいる(その貧困ライン収入は2004年のもの)。農村地域にはたいして産業がなく、農業自体も人手があり余っているため、ひとり当たり収入はたいへんに低い。その一方で都会の消費主義的ライフスタイルは農村部のろくに収入もない若者たちを容赦なく襲う。携帯電話、家電品、オートバイ・・・・。髪の毛を染め、ジーンズを履き、タバコをふかす。収入と支出のアンバランスは借金をあおり、借金返済を迫る者は貸した金に数倍する収入を借り手から手に入れようとする・・・・・


「インドネシアの消費志向に警告」(2006年12月16・23日)
ゼミのクラスのひとつで学生たちに月間支出の内容を尋ねたところ、小遣い支出の45〜50%は通信費(携帯電話機購入や度数買い足し)だった。類似のことは一般家庭でも当てはまる。家庭プンバントゥも住宅密集地区に住む若者も同じだ。あるとき大臣がこう言った。「通信、特に電話料金は地方にある経済ポケットから中央に金を吸い集めるバキュームクリーナーになった。」と。
ユーロモニターインターナショナルの分析によれば、1990年から25年間でインドネシアは異例の消費革命を体験するだろうと予測されている。エアコン販売は332%増、テレビ600%、カメラ471%、オートバイ17,430%、皿洗い機291%、電話は1,643%も増加するというのだ。そのような消費はイ_ア経済に大きなパラドックスを投げ掛ける。一面では経済成長のうち70%がそれらの消費によってもたらされるが、他面では国民の資本蓄積を阻みKKNや犯罪を煽って民族の将来を崩壊させる恐れも強い。その対応をどう取ればよいのかを考えるときにまずイ_ア国民の消費行動を見てみなければならない。われわれの意識から隠れていると思われるものがふたつある。ひとつは顕著な社会階層の格差であり、もうひとつは借金を誇りとする精神構造だ。
経済建設が叫ばれはじめて以来、われわれは強靭な中産階層形成のための真剣な努力に関する話を耳にしたことがない。われわれが聞く話は常に貧困撲滅問題であり、それが重要なのは言うまでもないが、そのふたつの問題には別々の政策が必要なのである。強力な中産階層はデモクラシー成育の萌芽となるものであり、同時に国民の間の対等感や公平感を維持するものともなる。更には、社会階層間の妬視といったネガティブな感情を自動的に抑制するものともなる。
この国でひとは、さまざまなセグメントとそれらセグメント間のたいへん顕著なギャップを容易に目にすることができる。その格差は結果的にマテリアリズム精神の成育を煽るものとなる。人間のレベルは、何を持っているか、何を使っているか、で計られる。だから自分のアイデンティティを示すためにひとは過剰な買物をするようになる。その原理は、成熟した思考、謙譲、教育、社会的関心などといった個人の内面の強さに重点を置く国民キャラクター建設のもくろみとは正反対だ。概してほとんどすべての発展途上国でマテリアリズム現象は起こっているが、かれらが行っている強い中産階層を形成するための努力は真似るにふさわしい。先進国へ行けばなおさらそんな姿勢が明白に目に映る。われわれは、先進国の著名なビジネス界の大物が自分で車を運転したり、カバンを自分で持ったり、あるいは豪華なアクセサリーを使って自分を顕示していない姿を目にして気恥ずかしい思いにとらわれる。しかし国民の中でのかれらの業績や、あるいはかれらが著した書物などから、かれらの偉大さは世間に知られている。そのようなビヘイビヤは言うまでもなく、いまこの国でホットな職業に就いている一部のひとたちのものとは大違いだ。弁護士、銀行家、会計士あるいは90年代の証券界のひとびとの姿を見ればよくわかる。業界の相場がアップすると、その業界者の自己顕示も盛んになった。あたかもかれらの着用しているものが成功のバロメーターでもあるかのように。
気付かないまま、その消費行動が収入基盤の低い別のグループに伝染するというドミノ効果が生じた。かれらは能力を超える買物をした。その姿勢は目に見える買物だけでなく、子供の学校の選択から妻の出産時の病院にいたるまで一貫していた。その自己顕示現象は振り返って見るなら、実は決して目新しいものではない。昔のひとびとが金歯や大きな腕輪、あるいは妻にした女の数などで自分の富を顕示したのとたいして違わない。そのステータスシンボル主義はロワーミドルにまで伝染したため、ユーロモニターが2006年に次のように記したのも当然と思われる。
「携帯電話を持つことは低所得階層の大勢にとって必要性を満たすことのみならずステータスシンボルと見なされている。高所得層にとっても、携帯電話のハイエンド機種を使うのはステータスシンボルだ。」
イ_ア民族の消費性向の暗い面をユーロモニターは次のように記している。「金を借りるのは今。返済はあとで考える。」わたしはこの性向が国民から徐々に削り取られているものとばかり思っていたが、実際は違っていた。データを見てみよう。
イ_アの消費ローン利用を見るとドラマチックな変化が生じている。2000年の297.6兆ルピアは2004年に566.9兆となった。この増加の最大貢献者はコンシューマークレジットとリーシングで、コンシューマークレジットは2000年の74.3兆から2004年は323.8兆に、リーシングは143.9兆から156.2兆に増えている。威信のための消費と借金を誇りにする精神の関連性をわれわれはそこに見出す。それは29歳から50歳の年齢ブラケットで優勢だ。成功者であることのインジケーターとしてわが国民が憧れている資産が二種類あることが明らかになった。それは住宅取得ローンや自動車取得ローンを使って家や車を買うことだ。もうひとつの事実はきわめて印象的なクレジットカードの成長である。30兆ルピアというクレジットカードを使った2004年の買物額実績は2009年に53兆に達するだろうと推測されている。この疾駆するようなクレジットカード決済高の増加は発行クレジットカード枚数の動きと連動させてある。2004年に810万枚だったクレジットカードは2009年には2,070万枚にのぼると見込まれているのだ。この数字はきわめて印象的であると同時に不安を感じさせるものでもある。借金しても返済できなかったらどうなるのか?獰猛な顔つきで粗野な言葉を撒き散らすデットコレクターに追いかけられて逃げ回る大勢のひとびとの影がわたしの脳裏をよぎるばかりだ。
以前に喧喧諤諤の議論がなされたパトロン〜クライアント関係の中にそんな姿勢を探すことができる。真の貴族から実業貴族まで、パトロンたちは下の階層に嫉妬を起こさせるようなライフスタイルを持つ。その嫉妬は模倣を生む。かつかつの一般大衆消費者はいまや度胸満点、巨大な金額を借金できるようになった。イ_アのパトロンたちに問い直すのはいまだ。世の中のお手本となることを覚悟しているか、と。質素なブンハッタはかつて、国家指導者ですらあんなふうにしているのだからというコンセンサスで、大勢のひとに自己顕示を抑制させることができた。その話が古いと言うなら、アメリカの大金持ちであるビル・ゲイツやジョージ・ソロスの話をしよう。かれらは自分で車を運転するという話がよくささやかれている。そんな行為がほかの金持ちたちに劣等感を抱かせ、さらに一般消費者にまで影響を与えているのである。[ インドネシア大学経済学者 Rhenald Kasali ]


「ある寓話」(2006年12月30日)
とある農園にネズミが住んでおりました。ある日、自分の巣の前に大きな包みが置かれているので、ひょっとして人間が食べ物を忘れて行ったのかなと考え、包みをびりびりと引き裂きました。すると中から出てきたのは板の上に鉄棒とバネが組み合わされた恐ろしげなもの。ネズミは驚いて飛び退ります。「こっ、これは・・・ネズミ捕りの罠!」顔色を変えたネズミは農園の中に住んでいるほかの動物たちに知らせようと走り回りました。
「たいへんだ、たいへんだ。みんな危険にさらされているぞっ!」
「いったいどうしたのかね?」走ってきたネズミに鶏小屋にいた鶏が尋ねます。
「ああ、鶏さん、たいへんなことが起こったんだよ。ぼくの巣の前にネズミ罠が置かれてるんだよ。」
「ほお、そりゃたいへんだね。あんたは気を付けなさいよ。わたしは忙しいんで、ちょっと失礼。」鶏は忙しそうに地面の小虫や草の実をつつきながらウロウロ。『鶏さんじゃ頼りにならないなあ』そう思ったネズミは助けになるほかの動物を求めて走り去りました。次に見つけたのは塀のそばでのんびり草を食んでいる山羊。
「たいへんだ、たいへんだ。山羊さん、ぼくの巣の前にネズミ罠がある。危険だぞっ!」
「ネズミ罠だって?おお、そりゃ危険だろうね。わっはっはっは!」山羊は口いっぱいほうばっていた草を吐き散らしながら大笑い。
『ありゃあ、山羊さんもこの事態をなんとかしようとしないんだ。だめだ、こりゃあ。』ネズミは諦めてもっと先のほうへと走ります。
牛が一頭、木陰で寝そべっていました。背中には小鳥がとまって牛の身体にくっついたダニを取っています。小鳥に背中を突付かせて、牛は気持ちよさそうにトロンとした表情。ネズミは牛の鼻先まで走り寄り、眠っている牛に向かって叫びました。
「牛さん、牛さん。ネズミ罠がある。みんなあれに引っ掛かると危ないよ。危険だ。何とかしなくちゃ。」牛はうっすらと片目を開き、ネズミに言いました。「へえ、みんなに危険が?」牛の片目はまた閉じて、そのままグウグウと高いびき。
同じ農園の住民の中で、ネズミを助けてその罠をよそへ蹴飛ばしてやろうという者はだれもいません。ネズミはがっかりして力も抜け、しょんぼりと巣に戻ってきました。ネズミ罠に引っ掛からないよう、用心深くその脇を通って巣の中にもぐりこみます。夜になり、しんしんと更けた頃に「カシャッ」と静寂の中で音が響きました。罠に獲物がかかったぞ!
農園主の耳にその音ははっきりと聞こえました。農園主は家から出てネズミの巣の近くへやってきます。人間の足音が近付いてきたのにネズミは驚き、巣の奥のほうから息をこらしてネズミ罠の様子を観察しました。その罠にかかったのはネズミだと思い込んでいた農園主は夜の闇の中であまり警戒もせずにネズミ罠を手に取ります。そのとき農園主の腕に鋭い痛みが走りました。農園主は罠を取り落とし、あわてて家に走って戻ります。ネズミはその一部始終を見ていました。罠にかかったのは一匹の小型の蛇。しかも牙に毒を持つ蛇だったのです。
農園主の身体に毒がまわり、身体は膨れ上がって高熱にうなされました。家族は薬草を煎じ、そして栄養をつけさせようとして鶏スープを作ります。しかし効果はなく、重態の農園主を見舞いに親族・隣人が訪れたのでもてなしは山羊の肉。しかしみんなの祈りもむなしく、農園主はとうとう世を去りました。葬式に大勢のひとがやってきます。人が亡くなれば、田舎ではスラマタンを行って死者を弔います。そこで牛の肉が大勢の弔問者にふるまわれました。
こうして農園の動物たちはみんないなくなり、ネズミは寂しいけれど安全な日々を送ったということですが、はてこの寓話は一体何を言いたいのでしょうか・・・・?