インドネシア「人と文化」情報2007〜09年


「大統領の給料はいくら?」(2007年1月5日)
一国の大統領は高い報酬をもらっているものと誰しも思うものだが、インドネシアの場合はどうだろうか?大統領スポークスマンのアンディ・マララゲンがかつて表明したところによれば、SBY大統領は月給62,497,800ルピア、JK副大統領は42,548,670ルピアで、これはアブドゥラフマン・ワヒッ、メガワティ・スカルノプトリ歴代大統領の月給と変わっていないとのこと。大蔵省のデータによれば、大統領の基本給は30,240,000ルピアでそれに職務手当てが32,500,000ルピアついて総額62,740,000ルピアとなる。大臣・最高検長官・国軍総司令官・大蔵大臣と同レベルの政府高官などの場合は基本給5,040,000ルピアに職務手当てが13,608,000ルピアついて総額18,648,000ルピアでしかない。一方国会議長は基本給5,040,000ルピアに職務手当て18,900,000、パッケージ金2,000,000、コミュニケーション活動手当て4,968,000ルピアがついて総額30,908,000ルピアとなる。最高裁長官は基本給5,040,000ルピアに職務手当て18,900,000ルピアとパッケージ金450,000ルピアがついて総額24,390,000ルピア、会計監査庁長官の場合は基本給5,040,000ルピアに職務手当て18,900,000ルピアがついて総額23,940,000ルピアといったところ。地方首長を見てみると、州知事は基本給3,000,000ルピアプラス職務手当て5,400,000ルピアの8,400,000ルピア、県令・市長は基本給2,100,000ルピアプラス職務手当て3,780,000ルピアで総額5,880,000ルピアになっている。
国家警察長官は基本給504万ルピアに職務手当て1,360万ルピアがついて1,864万ルピア。最高裁や会計監査庁の上級職員の場合は長官と1千万ルピアの差がつけられている。ところが大統領をはじめとするそれら国家機構要職の給与よりはるかに高額の給与を得ている職がある。それはなにかと言えば、インドネシア銀行総裁の職だ。中央銀行総裁はかれが監督する全国の銀行界で業界者が得ているよりも大きい給与を与えられなければならないという理由からそのような状況になっているらしい。イ_ア銀総裁の基本給は29,880,000ルピア、市況手当て54,000,000ルピア、その他手当て合計11,000,000ルピアの総額94,880,000ルピアが毎月の給与額で、加えて業績手当てが年間546,000,000ルピア与えられ、また祝祭日には祝祭日手当てとして95,000,000ルピアが支給される。中央銀行の上層部が小さい所得ではおかしなことが起こるかもしれず、そのせいで国家経済が歪みを見せてはたいへんなことになるから、という理由をブルハヌディン・アブドゥラ現総裁が折に触れて説明している。たしかに大型国有銀行の経営者の中に利益配当を含めて年間64.5億ルピアという所得を得ている者がいる現状を中銀総裁の年間所得数値の正当性の根拠に置くことはできるが、本当に金だけが人間の行動原理の動因なのかという思いもまた避けられない。中銀総裁が天文学的給与をもらっているため、中銀上級幹部たちの給与もバランスが取られることになる。イ_ア銀行で上級副総裁の地位にいたアンワル・ナスティオンが会計監査庁長官に転出したが、かれは中銀副総裁のときに得ていた月額7,992万ルピアが上記の金額に暴落したことに最初は驚いたとのこと。
しかし正副大統領には上記の月給以外に20億ルピアという活動資金が用意されている。この活動資金は出金・支払い・清算メカニズムが本人の手を経ないので自由に使える金はあっても本人の収入とは言えない。それ以外にも正副大統領が外国を公式訪問すると国事行為手当てとして毎回2万5千ドル、夫人が同行すればプラス1万5千ドルを受け取れることになっているそうで、やはり国家の第一人者にはそれなりの報酬が用意されているということらしい。


「なぜ人口が増えるのか」(2007年1月11日)
国内各地を回ると子供の数が増えているように思える。最近の1.3%という人口増加率はインドネシアの国民生活にとって重大なリスクをもたらす可能性をはらんでいる。SBY大統領は2006年11月10日の国民英雄の日に、黄信号の警鐘を鳴らした。幼児の急激な増加は国民の社会生活に問題をもたらす。数年後には小学校入学者が急増する。ところが貧困のためにその多くが学業を継続できず卒業の失敗あるいは中途退学で脱落する。進学できない子供たちは仕事を求めるが、低賃金の単純作業しかできないために貧困者が増加する。貧困だけでなく福祉の欠如が伴われるために社会リスクを包含し、それを世間一般と政府が担わなければならない。
オルバ期の家族計画(KB)プログラムは世界にも稀な成功例と評価された。その結果今や年齢構成は上に向かって伸びた。15歳から35歳、あるいは65歳まででも良いが、それら年齢ブラケットは1970年代のときよりも2〜3倍に膨らんでいる。初等教育義務化や男女機会均等運動などの成功も同時に効果をもたらし、若者や若い女性たちは学校に行くかもしくは家庭外の職場で働くようになった。一方農村部では現代化の波に洗われはじめたとはいえ、義務教育を終えた少女たちがすぐにモダン行動に走り、人間的成熟を優先して結婚を遅らせるというように変わったわけではない。15〜30歳の女性たちは家庭の貧困を緩和させるためにその8割が結婚しておりあるいは結婚しようとしている。親からの圧力、あるいは若年結婚という農村文化がその現象を促しているのである。先祖代々その一家に足かせをはめてきた貧困から脱け出すために結婚という口減らしが行われているのだ。
都市部の状況がそれより段違いによい、というものでもない。同じ年齢ブラケットでは9割が未婚者だが、総人口は農村部の半分程度。しかしかの女たちが田舎にいる親やすでにジャカルタに引越してきた親から受ける結婚へのプレッシャーは農村部の仲間たちと変わらない。結婚の大きな目的のひとつが子孫を作ることであるため、結婚すれば周囲から子供を持つことへのプレッシャーがかかる。都市部の新婚カップルはたいていが共稼ぎであり、子供ができれば金銭的に余裕のある夫婦は家庭プンバントゥやベビーシッターに子供を委ねる。余裕がなければその子のお爺ちゃんお婆ちゃんがその役割を果たす。レフォルマシ以来あらゆるオルバのプログラムは悪という社会的イメージが形成され、KBプログラムがおざなりにされてきた。新しいカップルにKBの勧誘がなされなければ、そこで人口の爆発が起こる。この年代は多産であり、そして現代医学のおかげで乳幼児死亡率は低下傾向にある。
政府のKBプログラムが沈滞しているいま、政府は貧困家庭に対する避妊器具無償供与を行って支援していると言うが、貧困家庭はあまりこのプログラムに積極参加の姿勢を昔から示していない。高くてもせいぜい50%であり平常はそれ以下で、経済的にその上の階層の参加率のほうがはるかに高い。その結果、貧困家庭の出生率は非貧困家庭のそれよりも高く、こうして貧困家庭は子々孫々に至るまで貧困の罠の中から抜け出すことが困難になる。KBプログラムの若いカップルに対する普及にも困難がある。かれらは孫を望む親や周囲の人間から早期の出産を期待され、KBに関する情報の窓口は狭くなり、二人目以降も同じ状況が習慣化すれば子沢山へと向かう。特に経済的に余裕のない層は赤児のための養育費、たとえ全額でないとしても子供を見てくれるお爺ちゃんお婆ちゃんへの生活費、お爺ちゃんお婆ちゃんが田舎に里帰りするさいの交通費など急増する諸経費で足元が蝕まれていく。このような家庭が都市部における貧困家庭予備軍になっている。
そんな状況の中で、国民デモグラフィは老齢化の道を歩んでいる。現代化と時代の流れがその後押しをしているのだ。都会に出てきて結婚した新婚カップルが経済的にまだ離陸できていない状況で子供の出産を迎えた場合、職もなく金もない田舎から人手を呼び寄せるのは容易だ。そんな助っ人たちも自分が新たな家庭を持ち子供を持てば繁忙さが増加する。しかし何の経済基盤もなく、何の技術や職も手に着けていないかれらにできることは限られている。こうして都市の貧困者人口が自己増殖していく。元大臣ハルヨノ・スヨノは人口爆発と貧困化のリスクをそう分析している。


「質公社が株式の質入を3月から取り扱う」(2007年1月12日)
質公社が2007年3月までにジャカルタ証券取引所で株式の取り扱いを始める予定。当初は優良上位10社のブルーチップ株だけを質入の対象とする方針。金利は市場の実勢に従うとのことで、16〜18%という金利率が見込まれている。公社側はこの新企画に2千億ルピアの予算を組んでおり、入質期限は4ヶ月で貸し出し金額にも制限を設けるつもりでいる。株式を質入した場合、顧客は株価総額の50%を現金で受け取ることができる。質入された株式の株価が60%以上暴落した場合、顧客は受け取った金額に合わせて株式の追加をしなければならない。
質公社2006年の業績は貸付金額18.1兆ルピア、純利益3,750億ルピア、資産総額6.5兆ルピアとなっている。


「数学が怖いインドネシア人」(2007年1月25日)
インドネシア人の多くが数学をむつかしいと考えているのは数学教育システムが悪いからだ、とバンドン工科大学数学専門家のママン・ジャウハリ教授が1月16日に開かれた数学教育シンポジウムで発言した。従来から数学教育はディクテーション偏重であり、実際性がない。数学教育に変化を持ち込む必要があり、それは教育システムに実際性を付与することがまず優先されなければならない。つまり体験しながら学ぶということだ。数学教育にはもっと高いクオリティを持たせなければならず、教師が単に授業マテリアルを生徒に伝達しているという現状ではそれはおぼつかない。教師こそが生徒に実際性を体験させる源泉にならなければならない。しかしインドネシアの現状は教育監視官が教師に対し常に教育課程のどこまでを教えたかを問題にし、生徒がどこまで教育課程を消化したかというアプローチをしない。そのために教師は自分の評価を守ろうとして全教育課程を生徒に伝達することに目標を置く。生徒が理解できようができまいが。
実際的な教育コンセプトとはバックツーザネイチャーである。すべての学問は公式を開陳しなければならない。しかし生徒に公式や記号を植え付けるだけではだめだ。自然の中にある現象を捉え、見つめ、そして数学で公式化する。たとえば重力公式を教えるのに、教師は教壇でリンゴを下に落として見せる。数学を教えるのは音楽や絵画や歌唱を教えるのと同じだ。数学は自然現象を捉えるものだから、決してむつかしいものではない。生徒の大半が数学を怖がっている実態に対し、数学教育者はそのパラダイムをどのように変えてモチベーションを高めることができるかということについてシンポジウムの中で討論している。


「留守中の盗電調査で罰金4百万ルピア」(2007年2月2日)
2006年10月17日付けコンパス紙への投書"Arogansi petugas PLN Saat Rumah Kosong"から
拝啓、編集部殿。2006年9月1日にわが家にだれもいないときに前触れもなくやってきて、わが家の電力メーターを許しもなく調べて作業して行ったPLN職員の行為をわたしは問題にしたいと思います。まるで稼ぎに追い立てられていて、明日という日がないようなやり方じゃありませんか。
そのPLN職員は家人が不在にもかかわらず、警察の同行なしに好き勝手にわが家の電力メーターを新しいものに交換して帰りました。その職員の結論によれば、電力メーターの回転が50%遅くなっていてまた左右の封印も壊されている、というのです。そうしてわたしに東ジャカルタ市ボゴール街道にあるクラマッジャティ配電地区PLN事務所に出頭せよと命じていました。その出頭命令はその職員が隣人に証人として無理やりサインさせた状況報告書にわたしのサインを加えるためのものです。
それでわたしが出頭したところ、罰金4,143,118ルピアの支払いが命じられておりそれは2006年10月の請求書の中に織り込まれるので必ず支払うように、と言われました。払わなければわが家への電力供給を止める、と。わたしは電力メーターをいじくったこともないし、ましてや回転を遅くなるように操作したこともありません。PLN職員の詐欺の罠に落とされた思いです。わたしからすれば、毎月の請求金額が小さいのは節電に心がけているので当然のことだとしか思えません。
しばらく前にわが家の電力量を1千3百ワットから2千2百ワットに増量しましたが、その作業はPLNの正規職員に頼んで行ってもらったものです。MCBを交換するときにPLN職員は電力メーターのチェックをしないのでしょうか?それとも上で問題にされたことはPLNの正規職員がこっそり行ったことなのでしょうか?わが家の電力メーターをいじくったのはPLN職員以外にありません。わたしは状況報告書への同意を拒む権利を持っています。
その状況報告書は正しくないのでPLNはそれを破棄してください。PLN職員は留守中の家に勝手に入る権限を持っているのですか?たとえ電力メーターがPLNの資産だとしても、住人の許しなくまた警察の同行もないままそんな作業を行うなんて、とんでもないことです。[ 東ジャカルタ市在住、アメリア・ウマル ]


「墓守は月収250万ルピア」(2007年2月19日)
2006年10月31日付けコンパス紙への投書"Sudah Meninggal Masih Dipungli"から
拝啓、編集部殿。2005年はじめごろ、わたしどもは出産後間もなく死亡した愛し子を埋葬しました。家から場所が近かったので、愛し子を埋葬したのは東ジャカルタ市ポンドッコピーにあるポンドックラパ=マラカ?公共墓地です。2006年初にわたしどもはブカシに引っ越しましたので、愛し子の墓参があまりなされなくなりました。2006年のラマダン月が始まる前日、多くのひとびとと同じようにわたしどももその子の墓参を行いました。ところが驚いたことに、愛し子の墓は手入れがなされず草も枯れ果てて長い間水をやっていないように見えました。一方その周辺の墓は草が青々として手入れも行き届いています。
墓に祈りを捧げたあとで、わたしどもはそのエリアの番をしている職員に尋ねました。するとその職員は軽やかに「毎月の手入れ賃をだれも払わないから放置されているのだ」と言います。その手入れ賃はひと月2万5千ルピアだそうで、もし手入れを希望するなら5か月分として12万5千ルピアを一括で払ってくれとその職員は言いましたが、わたしどもはとりあえずということで2か月分の5万ルピアを頼み込んで受けてもらいました。しかしその職員が担当しているエリアにはおよそ1百の墓があるのです。であればその職員は領収書も出さずに毎月250万ルピアというファンタスティックな収入を得ていることになり、またその手入れ賃がいったい何に使われているのかこの徴収金に関する責任は不明瞭です。職探しも困難なこのご時世に、その金額はたいへんなものではありませんか。インドネシアで生活するのは言うまでもなくたいへんなことなのです。生きている間は不法徴収金を搾り取られ、死んでからも相変わらず搾られるのですから。[ ブカシ在住、ロフマン ]


「暴力教室社会」(2007年3月14日)
2006年12月に東ジャワ州クディリで驚くような事件が起こった。小学校6年生のイルファン11歳が遊び友達の6歳の子供を殺害したのだ。イルファンはまずプラスチックひもで友達の首を絞め、カッターでその子の全身に切りつけた。その子の生命の火が消えるとイルファンは友達の身体をワーゲン車のトランクに入れ、家に帰って血まみれの服を洗い、そうして普段と同じように礼拝所へ行ってクルアンの読誦を行った。イルファンは「スマックダウン」やいくつかのテレビ番組からヒントを得てその殺害を行ったと自供した。
「子供はどのように生きて行くかを学ぶ。非難の中で暮らせば子供は呪うことを学ぶ。侮蔑の中で暮らせば子供は恥ずかしがりやになる。敵対感情の中で暮らせば、子供はケンカを学ぶ。」昔から言われてきた子供に関するその箴言はいまだに妥当性を失っていない。子供は優秀な模倣者だ。子供への暴力連鎖を断ち切るには、子供が暴力を見聞きせずまたその空気を感じないようにさせることで可能となる。
子供に暴力行為を誘うテレビ番組は少なくない。シネトロンの多くはコンフリクトの中に暴力シーンを置く。青春ドラマで高校生が恋人を得るために喧嘩をする。それを見る子供たちには、問題の解決は暴力で行うものだという『世の中の常識』が植え付けられていく。国会議事堂の中でも偉い議員先生たちが議場で暴れる。一般庶民の手本となるべき社会の指導層も暴力にまみれている。マスメディアの報道ばかりか、日常生活でも暴力は横行している。家庭環境の中で暴力をふるわれた子供はそれを真似る。家庭内暴力・家族機能不全・経済ファクターがそんな環境の形成をあおる。大人も誤った見方を子供に対して抱いている。「子供は親の所有物ではない。良き人間に育てるよう神から預けられたものなのだ。」児童保護活動家のひとりはそう語る。2006年に児童保護国家コミッションが記録した526件の子供に対する暴力事件の加害者が子供とどういう関係にあったのか、統計では下のようになっている。
(1)隣人 86件 16%  (2)実父 61件 12%  (3)実母 47件 9%  (4)子供 35件 7%  (5)男性教師 34件 7%  (6)養父 21件 4%  (7)兄姉 12件 2%  (8)養母 9件 2%  (9)おじ 7件 1%  (10)おば 6件 1% (11)祖父 4件 1% (12)女性教師 3件 1%  (13)祖母 0件 0%  (14)その他 201件 38%
暴力も社会学習プロセスのひとつになる。子供に振るわれた暴力から子供は暴力文化を学ぶ。次にその子供が、子供のときあるいは大人になってから、他の人間に対して暴力をふるう。そのとき、暴力の加害者と被害者の双方が暴力文化の犠牲者となっているのである。


「SMSでイセン」(2007年3月14日)
首都警察国家保安ユニットが3月4日、モナスを爆破するという内容のSMSを警察に送った者を南ジャカルタ市チプリルの自宅で逮捕した。逮捕されたのはまだ若い女性で、本人は容疑を否定しているが警察はかの女が所有している携帯電話からそのSMSが発信されたのは間違いないものと見ている。3月2日早朝にモナスを爆破するという内容のSMSが警察通報センター1717番に届いたのがことの発端で、警察は携帯電話オペレータのSMS通信データを調べて問題のSMSがその女性所有の携帯電話から発信されたことを突き止めている。今年2月1日から3月2日までの間に爆破を予告する威嚇連絡は首都で四回発生している。2月19日にインドネシア銀行を爆破するというSMSが出され、首都警察グガナチームと反テロ88特殊分隊が中央ジャカルタ市警とともに同銀行を調べたが爆発物は見つからなかった。この事件では東ジャワ州ボジョヌガラのクミリ村住人ムジブ27歳がSMS発信者として逮捕されている。村で頭の弱い男と見られているムジブは警察の取調べに対して単なるイセンで行っただけだ、と自供している。
3月1日には首都南ムルデカ通りにあるアメリカ大使館を爆破するというSMSが入り、警察が調べたが不審な物は何も見つからなかった。警察は既にそのSMS発信者を割り出しており、犯人を追っていたところ2日午前1時15分ごろ1717番に081539315724番から「警告。モナスに爆弾がある。」という次のSMSが入ってきた。更に続いて085248612695番から「爆弾は定められた時刻に爆発する。気をつけろ。スラマッマラム」というSMSが入り、首都警察とガンビル警察署はガンビル鉄道駅を中心に現場で捜索を行ったが不審な物はなにも見つからなかった。
アダン・フィルマン首都警察長官は「いずれのケースのイセンが動機のように思われるが、8月に行われるジャカルタ首都特別区の首長選挙がらみでの治安撹乱を警戒することも警察は視野に入れている」と語っている。ところでイセン(iseng)というのは退屈しのぎに行ういたずらを指すインドネシア語で、たいていの場合無意味で社会的にネガティブなことが行われる。他人がそれによって迷惑を受けることを楽しむという歪んだ精神構造を行為者が持っているケースが大半だ。


「ポリスとポリシ」(2007年3月26日)
インドネシアに来て損害関連の業務に関わると、まず面食らうのがポリスとポリシという言葉の使い方。普通の日本人は英語になじんでいるので、ポリス(police)は警察、ポリシ(insurance policy)は保険証券だとまず思う。ところがインドネシア人は警察をポリシ(polisi)と呼び、保険証券はポリス(polis asuransi)と言っているではないか。なんでこんな転倒が起こったのだろうかと興味を惹かれるひともいるようだが、なんのことはない、旧宗主国の言葉がそうなっていたにすぎないのである。オランダ語で警察はポリシ(politie)、保険証券はポリス(polis)となっている。ヨーロッパコンチネンタル文化の頂点にいるフランスでは警察も保険証券もいっしょくたにされてポリス(police)となっているから、これもなかなかのものだ。
「保険会社で証書を買っても、クレーム金を引き出すには警察で。」インドネシアの保険ビジネスに関連してよく耳にする警句がそれ。1970年代に筆者が耳にした話にこんなものがある。あるプリブミ家庭の話だ。老齢の父親が逝去し、生命保険証書が残された。中流サラリーマンの息子はその保険会社に保険金のクレームをしようとして、手続きをするためその事務所を訪れた。雑居ビルの狭いオフィスでは数人の男たちがデスクを前にして座っているだけ。息子はその中のボス格と思われた男に用件を切り出した。最初は愛想笑いを浮かべていたその男は、用件が金をもらうことであるのを知ったとたんに態度を変え、引出しを開くと中から何かを取り出した。そして机の上に置いたその手にはなんと拳銃が握られていたのだ。銃口を客に向け、その男はドスのきいた声でひとこと言った。「帰れ!」
ほんの十数年前まで、生命保険にせよ損害保険にせよ、保険に入っている一般庶民はたいへん珍しい存在だった。甘い顔をして保険に加入させるが、いざ保険金クレームが発生すると苦い顔をして言を左右にし、あることないことケチをつけて金を払わないようにしようという保険会社がほとんどだったからにちがいない。このビジネス姿勢は業界を問わずいまだにインドネシア社会に横溢しており、GCGの定着に長い道のりが横たわっていることを感じさせてくれる。コンパス紙への投書を読めばその実態がよくわかる。
しかしそんな状況を改善させるための動きがないわけでもない。国は1999年第8号法令消費者保護法を制定し、消費者保護を強化するための調停や裁定システムの整備を進めている。保険関連では2006年9月末にインドネシア保険調停庁が設立されて消費者と保険会社間の係争を取り扱う体制が作られた。それ以来同庁には28件の係争が持ち込まれている。そんな社会制度の整備に伴って、保険業界ではそれまでの詐欺まがい営業行為を改善していこうとする流れが見えはじめた。保険業界に限らずどの業界もそうだが、多くの場合マーケティングを行う人間は自分の業績をあげることに執心し、顧客勧誘の中で正しく情報を伝えなかったり自分ができもしない約束を顧客に与えることが多発し、それが後日顧客からの苦情のタネになっていることは会社側も感じ取っている。消費者保護法第8〜29条の規定に対するそのような違反は刑事罰が適用されることにもなるため、保険業界は勧誘時点での誤った行為をできるだけ減らそうとの努力を示すようになった。会社はマーケティング者や勧誘員に対し、顧客と会社の双方が持つ権利と義務をあるがままに顧客に説明するように教え、顧客の喜びそうな情報だけを与えたりあるいは故意に枉げた情報を与えて契約を取ることを戒めるといった教育を進めている。消費者勧誘には四つの原則が適用される。情報が完璧であること。情報が正しいこと。情報がわかりやすいこと。正直であること。完璧であるということは顧客が損するリスクまで含めて情報を与えることであり、正しいということは契約内容を誤りなく伝えること。わかりやすいということは客が正しい理解を持つよう説明することで、シロともクロとも取れるような説明をしてはならない。正直であるということは顧客に対して誠実であるということだ。
マーケティング者が顧客に与えた口約束を元に顧客が保険クレームを行い、保険会社が約束を反故にしたと訴える消費者も少なくない。普通の場合、保険契約が成立すれば契約内容が記されたものを消費者が読む機会は必ずあるはずだが、インドネシアの消費者の大半は人から聞いたり教えてもらうといったことを通して物事を理解する傾向が強く、書かれたものを読んで把握しようという姿勢はきわめて弱い。そんな社会的習慣がこの問題の背景をなしており、この問題に対する対応に関してインドネシア保険調停庁は、保険契約を交わす場合には契約条項を必ず読むようにと消費者に勧めている。
もうひとつ消費者が不満を感じて問題にしている現象は、保険会社が行っている恵比寿顔と閻魔顔の使い分けだ。保険加入勧誘は恵比寿顔で行い、保険クレームは閻魔顔で応対する。いや応対してくれればまだマシで、クレームを提出したとたんに顧客からのコンタクトを避けよう避けようと努める姿勢が顕著であることを多くの消費者が指摘している。保険業界には大手外資も多数参入しており、その分だけローカル百%の業界よりも国際スタンダードに早く近付いてくれるのではないかという期待感も強いようだ。


「質公社」(2007年4月12日)
インドネシアの質屋は公営事業として行われている。国が低所得層庶民に向けて用意した金融サービスという性格が強く、そのために庶民にとって利用しやすい金融機関となっている。2007年の質公社融資計画は21兆ルピア。一般庶民にとって質公社のメリットは、品物さえ持って行けばその人間の身元がどうあれ、現金をすぐに融通してもらえる点にある。銀行に融資を求めると、審査に日数がかかる上に借入者の返済能力がチェックされてなかなか金を借りるのがむつかしい。その点、質公社なら宝飾貴金属から四輪車二輪車、家電品からはてはカイン布まで品物さえあれば現金が手に入る。
かつて質屋は恩給退職者が月の後半になると家財道具を持ち込んで次の恩給が下りるまでをしのぐための借金の場というイメージが強かったが、いまではミドル層事業者が高級車を持ち込んで事業運転資金を入手するような使われ方が増加している。持ち込まれるのは黄金や貴金属が全国で80%、ジャカルタでは90%を占めている。質公社の各店舗には質入品鑑定者がいてその品物の価値を鑑定し、その評価額を限度として現金を貸してくれる。当然ながら返済時期に応じて金利がつく。融資金額が2万から15万1千ルピアまでは金利率が15日単位で1%、15万1千ルピアから2千万ルピアまでは15日単位で1.45%、2千万から2億ルピアまでは15日単位で1%となっている。どんなに長くても2時間、普通は15分から1時間までに現金を手に入れることができる。ダイヤモンドを持ち込まれた場合は真贋からカラット数の検査まで45分程度の時間がかかる。自動車の場合はBPKB(自動車所有者謄本)の裏付けを取るために交通局に照会する。そのプロセスが長くとも2時間というところ。
質公社の金利率は資金を調達する銀行の貸し付け金利率をベースに計算されており、低下傾向にある国内金利率のおかげで、低所得層庶民もその恩恵に浴している。


「ジュドゥス」(2007年4月13・16日)
「judes」。インドネシアで生活しないとこの言葉に接する機会はほとんどないようにわたしには思える。この言葉はそれほどインドネシア的、中でもインドネシア女性の一部が強く持っている性質を示す言葉ではないかという結論がそこから導かれるのだが、この見解に賛同してくださる方はいらっしゃるだろうか?
ジャカルタで会社等に電話すると、出た相手がとてもトゲトゲしくツッケンドンで無愛想きわまりない態度を示すことが少なくない。電話の最初からそんなジュドゥスの煙幕を張られるからこちらは不愉快きわまりなく、用件さえ片付けば早く電話を切りたいと思うようになる。社員がだれでも電話を取れる会社は当たり外れがあり、時にはとても礼儀正しい人間が出ることもあるのでまだそれほどではないものの、電話オペレータの席にジュドゥス社員が座っているともう二度とそこへは電話をしたくないと思うようになる。ジャカルタでそんなジュドゥスの洗礼を受けて電話をかけることを嫌がるようになる外国人駐在員も中にはいるようだ。
ジュドゥス社員は、しかし、無差別にそんな態度を取っているわけではなく、相手に応じてべたべたの愛嬌大安売りからジュドゥスまで両極端を示すからそんな社員の振る舞いに目をくらまされる上司も少なくないように見える。ある日系企業に電話してインドネシア語で日本人ボスのひとりにつないでくれるように頼むと、実に相手を小馬鹿にしたような声で大儀そうに返事をし、それでも一応マニュアル通りに相手の名前を尋ね、そしてかけている人間が日本人であることが判ったとたんに手のひらを返すように愛想たっぷりの態度に豹変した電話オペレータにわたしは何人も接している。同国民に対してはたいへん横柄な態度を示すかの女たちの真の姿を知らないまま、かの女たちに決して悪くない評点を付けている日本人ボスたちも少なくないように思える。インドネシア語に不自由していない駐在員の中に電話をかけるときは必ず英語を使うというひとがいたが、ひょっとしたらかれはジュドゥス被害者のひとりだったのかもしれない。
相手がボスに近い人間だからボスに悪口を言われてはならないという功利主義も働いているだろうが、かの女たちは相手に応じて自分の態度を変えるというインドネシア文化を実践しているに過ぎないにちがいない。つまり見上げるべきポジションにいる人間と見下げるべきポジションにいる人間に対しては用いる態度や姿勢を変えるという文化である。これはインドネシアの対人文化がパトロン〜クライエント原理に色濃く覆われているため、自分はだれのパトロンになりそしてだれのクライエントになるのかという相対的な人間関係の中で異なる態度振る舞いが使われることが当たり前とされている社会における人間の行動様式なのである。それと同時に内と外の弁別も強く意識されており、自分の生活環境の内にいる人間に対するときと外にいる人間に対するときの間で見せる態度の差は天と地ほどの開きがある。もうひとつ、自分の目の前にいない人間に対して自分の方が上であるように振舞おうとする心的傾向はハルガディリと呼ばれるインドネシア文化に固有の精神構造が影響を与えていると思われるが、この分析は別の機会に譲りたい。
相手に愛想良く接するということは相手をもてなすことであり、相手を価値ある人間と認めて特別扱いするのがその愛想良さとして発現しているわけで、インドネシア人のメンタリティの中に流れているそんな意識によって態度豹変が起こるのではないかとわたしには思える。だから相手によって自分の行動振舞いを変えない一貫性に価値を置く社会とは異なり、相手に応じて態度振舞いを変えることに価値を置くこの社会はわれわれの精神にかなりの疲労を感じさせてくれるものであるにちがいない。
首都圏にかなりの支店網を持っているある中堅ローカル企業では、毎月支店長会議が開かれる。あるとき会議の中で支店長のひとりが、本社の社員は態度が悪いということを言い出した。本社に電話するとジュドゥスな応対をする社員が少なくない。会議を率いていた社長は半信半疑だったが支店長たちがみんなうなずくのを見て社内の風紀を改めなければならないと思った。礼儀正しさのない電話の応対は会社の顔に泥を塗っているのと同じだ。ウスマン社長はそれ以来頻繁に社長室から出てきて社内の様子に気を配るようになった。電話の態度が悪いのは誰か、と社員たちにそれとなく聞いてみたが、自ら罪を告白する社員もいなければ仲間を密告する社員もいない。社長はそれにくじけなかった。
ある日ウスマン社長は同じビルの上の階にある会社を訪れた後、その会社の受付女性に自分の携帯電話を渡して自分の会社に電話してみてくれ、と頼んだ。携帯電話には録音機がセットされている。
「ウスマンさんをお願いします。」
「ああ、ウスマンさんはいませんよ。」
「どこへお出かけに?」
「わあ、そんなことわたしは知らないわよ。どこへ行くなんて言ったこともないし。」
「何時ごろお戻りですか?」
「あら〜、そんなこと判るわけないでしょ。夕方ごろ電話してみて。」
ガチャン。
ウスマン社長はその声がだれかを知っていた。急いでオフィスに戻った社長はその社員を社長室に呼んだ。電話の応対の態度が悪いと注意されたその社員は社長の言う嫌疑をすべて否定した。社長は結局録音機を再生せざるを得なかった。その社員は茫然としていた。
数日後、外出先からブロッケムに回ったウスマン社長は、道端の揚げバナナ売りからバナナを買ったあと自分の携帯電話を中年の揚げバナナ売りに渡してウスマンさんに取り次いでくれと頼んだ。もちろん録音機がつながっている。怪訝な顔をしながらも頼みを断れない揚げバナナ売りはその依頼に従った。
「ウスマンさんはいるかね?」
「あなた誰?」
「わしはママッだ。」
「何の用なの?」
「ウスマンさんと話がしたい。」
「あんた誰?ウスマンさんはいないわよ。」ガチャン。
ウスマン社長はその声にも聞き覚えがあった。事務所へ戻った社長はその社員をまた社長室に呼んだ。
ときどきそんなショック療法が繰り返され、何人もの社員が槍玉にあがるようになって社内の電話の応対に変化が生まれ始めた。しかしその次に別の問題が浮かび上がってきた。無声のジュドゥス行為が増加したのだ。
電話がかかってくる。「ウスマンさんをお願いします。」と言うと無言でカチッと切り替えられてオルゴールが鳴る。かなりの時間がたった後、だれかが電話に出る。「ハロー?」電話をかけた方はまた「ウスマンさんをお願いします」と言うとまた無言のままカチッ。そしてえんえんとオルゴールの音。
ウスマン社長は怒り心頭に発した。社長は事務所の全社員を集めて意識改革に取り掛かった。社内の電話応対を改善するコミティが作られ、応対作法のセミナーや応対態度の悪い同僚に注意を呼びかける運動などが実践され、数ヶ月かかって社内の風紀はやっと改善された。根性で社内の風紀を改善するのに成功したウスマン社長の話は稀有なケースだ。


「イセンはお好き?」(2007年05月07日)
首都警察のSMSによる情報届出受付けサービス1717番へのイセン情報はあとを絶つどころか一層盛んになっている。「SMSでイセン」(2007年3月14日)で報道されたようなイセンSMSがあとからあとから1717番に届き、警察爆発物処理班はてんてこまいの多忙さだが爆発物が見つかったことはない。
大統領宮殿、アメリカ合衆国大使館、モールポンドッキンダの三ヶ所が4月28日、イセンSMSのターゲットになった。28日午前7時39分に1717に入ったSMSは081808303879番からのもので発信者はノルディン・トップのメンバーと名乗り大統領宮を爆破すると記してあった。次に14時に入ったSMSは081511339968番から発信されたもので、ポンドッキンダモールを爆破するとの予告が記されていた。23時52分に1717番に入ったSMSは携帯電話番号081335826595番からのもので、発信者はアムロジの後継者と名乗りアメリカ大使館を爆破すると表明していた。27日の昼にもメガブカシハイパーモールが爆弾テロを謳ったイセンSMSのターゲットにされている。そのニュースを聞いた店内の訪問者は争って出口に殺到し、またテナントの従業員たちも大慌てで店を閉めるという騒ぎが展開された。それら爆破予告SMSは受信から間をおかずに警察が爆発物の捜索に動き出したものの、ターゲットにされた場所ではなにひとつ不審な物が見つからないまま空騒ぎの幕が下ろされた。


「続イセンはお好き?」(2007年05月08日)
2007年4月5日、ニコはバスに乗るため友人の車でデポッバスターミナルまで送ってもらった。ターミナル構内で時間待ちをしているバスの並びの脇をバス乗り場の方に歩いていたニコは、自分の後ろをついてくる者に不審を感じた。そのときだ、ニコは背中が何かで濡れたのを感じた。振り返るのと数メートル後にいた男が逃げ去るのが同時だった。男は並んでいるバスの間に逃げ込んで行方をくらました。ニコのシャツの後の腰のあたりからズボンの尻にかけて、赤色のペンキがべっとりついていた。さっきの男がペンキをかけて逃げたのだ。いったい何のために?
ニコがデポッバスターミナルでそんな体験をしたのはこれで二回目。ターミナルの警官詰所に届け出たが、警官はこんなイセン事件はもう何回か起こっていると言うだけ。ニコ自身もターミナルの片隅で、国家公務員団のバティック制服を手にした中年男性が一生懸命その背についたペンキをきれいにしようと苦闘しているのを目にしたことがある。ペンキをかけて逃げた男はターミナル内でただごろごろと一日を過ごしている連中のひとりであることをニコは確信している。しかし犯人を特定することはできない。
デポッバスターミナルで起こっているペンキかけ迷惑行為は、雑踏の中でアイスクリームやジュースを他人の背中につけて相手の財布を掏り取る種類の犯罪とは少し趣きが異なる。このペンキかけ行為はそれ自体が目的となっているようだ。ということはつまり、他人に迷惑をかけてその者が困っている姿を見て楽しむJust for fun なのである。これがインドネシアでイセン(iseng)と呼ばれているものだ。もちろん他人に迷惑をかけたりしない、反社会的でない暇つぶし行為もイセンと呼ばれるが、警察への虚偽SMSといい、このペンキかけといい、子供とはいえない大の大人がそれを行っているところに精神的な歪みが感じられる。


「イモギリの手描きバティックが没落」(2007年6月29日)
手描きバティックの衰退が著しい。ジョクジャ王宮の宮廷工芸として発展した手描きバティックはイモギリ地区が中心となっていたが、プリント式バティックに押されて制作者が十分な収入をあげられなくなっており、イモギリの手描きバティック工房は文字通り火が消えたありさまになっている。制作された布も需要がないため一枚3万ルピア程度の価格でパサルに出されている。名前の売れた著名制作者もそんな状況のために別の仕事に移り、中には屑拾いを行ってなんとか暮らしを営んでいる者もある。それら優れた手描きバティック制作者が培ってきた技能を発揮する場が失われれば、ジョクジャの伝統工芸を受け継ぐ者がいなくなってただ歴史に名をとどめるだけということになりかねない。インドネシアバティック愛好者会はそんな状況を重く見て、地元の学校教育の中にローカルコンテンツとして手描きバティック授業を持ち込むようにと提案している。


「欺きと欺かれのはざま」(2007年7月27・30日)
ストリートチルドレンは欺きと欺かれのはざま
それがどれほど悲惨かをぼくは見た
毎日稼ぎを求めて働き通し
将来のために
夢のために 〜

自分でギターを弾きながら、17歳のジャヤはうたう。赤信号の交差点で、都バスの中で、ひとりでいるときにも、同じストリートプガメンたちと一緒のときも、ジャヤは毎日それをうたう。
「オレはまだ7歳のときに母さんに連れられてジャカルタに来た。兄や姉もいっしょで、みんなで6人だった。ジャカルタへ来てみたら、母さんに仕事をくれると言っていたひとたちの中に約束を守る者なんかひとりもいなかった。オレたち一家はクニガン地区で途方にくれてしまい、みんなでクニガンの陸橋の下に棲みついた。母さんは乞食になった。」
ジャヤがまだ母の胎内にいるとき、中部ジャワ州ブルブスの農村で農業労働者をしていた父が逝った。母はバワンメラ栽培労働者だった父の仕事を継いだが、しばらくしてから上京してもっといい暮らしがしたいという夢に取り憑かれてしまったのだ。ジャカルタで悲惨なスタートを切った一家の暮らしは、その6人のひとりひとりに厳しい毎日の営みを強いた。まだ幼いジャヤにまで。
陸橋の下でジャヤはプガメンを学んだ。リズミカルに手を打つことから始まって、砂を入れた空き缶をシェークし、次にはウクレレを手にする。ジャヤは都バスに入り込んでプロガドンターミナルまで行き、さらに乗り換えて広大なジャカルタのあちこちを巡った。かれは母のもとへ帰りたくなかった。こんな暮らしはいやだ。心にも頭にも、怒りがどんよりと垂れ込めていた。
ジャヤの母がスティアブディのスラム地区の一角に狭い住居を借りることができるようになったとき、10歳のジャヤは家族から去った。かれは南ジャカルタ市パサルンプッのグントゥル地区を根城とするプガメンの群れに身を投じたのだ。遠くはパレンバンやメダンから家出してきた少年たち、ブルブスやインドラマユなどジャワの村を故郷とする者、バンテン州セランの出身者たち。それぞれがゆるいグループを作り、同じ運命を分かち合う者たちが交流しながら時に助け合い、また時にはいがみあう。グントゥル地区でジャヤが体験したものは、どん底での暮らしを営む者たちが集まる首都のはざまに繰り広げられているありきたりの光景だった。それから5年間、ジャヤは一度も家族と会ったことがない。「本当に道路で毎日暮らしてる。先のことなんかわからない。毎日がプガメン稼ぎ、タバコ、ひとに騙され、ひとを騙し、盗みをする。悪いことはひととおり全部やったよ。被害者にもなったし、加害者にもなった。」
ジャヤも仲間たちも、何度となく行政警察ユニット(Satpol PP)に捕まってクドヤに送られた。西ジャカルタ市クドヤにあるのは社会福祉障害者のための更生施設で、そこへ入ったときに靴を履き服装もちゃんとしていた者はランニングシャツにゴムぞうりでそこから出てくると言われている。社会福祉障害者というのは、売春婦、浮浪者、乞食、3イン1ジョッキーなどが該当し、ストリートチルドレンはもちろんその一大勢力をなしている。かつて頻繁に行われていた3イン1ジョッキー手入れは、それが自家用車乗り入れを減らそうとする政策の邪魔をしているからというのが公式理由でなく社会福祉障害者への更生措置を行っていたことになっている。社会にとって瑕疵となることを行っている者を隔離して更生させるというコンセプトは正しいのだが、実際に行われているのは犯罪者扱いであり法律で犯罪者とされた人間に対する搾取であるというのが現実で、国民犯罪者化を原理とする法執行や法確定を国民が望まず「法は破られるためにある」と大多数国民が豪語する原因はそこにある。
クドヤの社会保護院に収容されたジャヤはそこでも多くのことを学んだ。保護院職員にもさまざまな人間がいる。そして保護院の中に巣食うごろつきたち。同じようなストリートチルドレンという境遇でありながら、他の子供を暴力で脅かして金品を巻き上げるごろつきがいる。そんなごろつきストリートチルドレンは、保護院の中ばかりかバスターミナルやひとが集まる場所などいたるところにいて弱い相手から巻き上げる機会を狙っている。そこは弱肉強食という獣の掟の世界なのだ。保護院の中でジャヤは頭・胸・腹・足などを殴られるのに慣れてしまった。保護院職員の中には、出所するジャヤに電話番号を教えて何かで保護を求めたいときにはそこへ連絡するようにと言ってくれたひとがいたが、パサルスネンでジャヤが強盗の被害に遭い殴られて金を奪われたあとでその職員に連絡したけれど何もしてもらえず、かれは深い失望を味わった。いろんなひとがオレたちを救ってくれるような話をするのにもう聞き飽きたよ。ジャヤはそう言う。
ストリートチルドレンへの暴力には性的なものも混じっている。少年たちが男色の相手に狙われるリスクも高いが、少女たちはそれ以上に高いリスクにさらされている。路上の少女のひとりは、タナアバンの路上で遭った「おじさん」に連れて行かれたのが初体験だったと物語る。「あたしはまだ8歳だった。それが最初。とてもいやらしいことをされて、おまけに怖ろしかった。届け出ろって、どこへ行けばいいのよ。」14歳のティ二はそう物語る。明るい表情のこの娘はまだ可愛らしい微笑みを浮かべることができる。しかし薄汚れた服に包まれたやせた身体にも女への成熟が始まっており、一日に何度となくミクロレッ運転手、くず拾い、プガメンたちの手が身体を触るのに耐えなければならない。だからかの女は自分を保護してくれる仲間たちの間に身を寄せている。まだ幼いストリートチルドレンの男女間で性行為が行われるのも珍しいことではない。
ティ二は自分がどこで生まれたのか知らない。ものごころついたときはタナアバン周辺の路上で暮らしていた。家族は母とまだ5歳の弟だけ。学校へ行ったことがないので文字も読めず計算もできない。よく三人で交差点に立ち、乞食をしたりプガメンしたりする。自分の生活がどうなっていくのか、将来のことなんてまるで想像つかない。あたしの夢?そうねえ、お金をたあくさん持って、自分の家を借りたいな。


「路上で働く子供たち」(2007年7月31日)
インドネシアの子供の日は7月23日。その日、首都ムルデカウタラの大統領宮前には鯉のぼりならぬデモの幟が立った。ストリートチルドレンや都市貧困住民が集まってデモを行ったのだ。掲げられた要求はさまざま。国民の教育負担を低くせよ。妥当な医療恩典を。安全な子供の遊び場を。子供人身売買反対。児童保護国家コミッションは有名人の子供の世話ばかりしていてはだめだ。等々・・・・。
政府は憲法に定められた子供に対する保護や福祉を実行していない。終日路上で働く大勢の子供たちの姿がそれを証明している。国が保護の手を差し伸べないため子供たちはしかたなくそれを行っているというのに、今度は政府がそんなことをしている子供たちを社会の病弊だと決めつけ、しょっぴいて撲滅しなければならないとしてかかってくる。デモコーディネータのひとりはそう語る。
全国の貧困人口は今年低下したとされているが、首都の路上やスラム地区では旧態然たるありさまで貧困者が減少したという実感はほとんどない。都市貧困コミュニティ同盟は、首都の貧困家庭は4千世帯を超えており1万数千人の子供たちが児童労働を行って家計を助けている、と言う。都内の四辻で乞食になりプガメンになり、あるいは赤信号停車した自動車の窓ガラスを拭いたりして、100ルピアコインから1千ルピア紙幣にいたる金をもらっている。農夫の像交差点では小学5年生の生徒が新聞やタブロイドを売っている。スネンとラグナンのターミナル間を走る都バス路線番号P20の車内で16歳の高校生男子生徒は学費の足しにするために乞食をしている。中央ジャカルタ市カレッビヴァッ(Karet Bivak)交差点では抱かれた赤児から幼児・ローティーンの子供までが赤信号停車の車列の隙間を行進し、哀れな声を出しておめぐみをねだる。
中央ジャカルタ市ゴンダンディア第4小学校5年生のリスキは、毎日学校へ通っていると胸を張る。「学校はただだと言われたのに、あれやこれやと金を取られる。学校のお金を安くしてもらいたくてデモに来た。」南ジャカルタ市レンテンアグンに住むくず拾い家庭の子供8人中3番目に当たるリスキはそう語る。
ストリートチルドレンが浮浪児であるとは限らない。富の落ちる四辻や路上を稼ぎ場にして家計を助けている子供も少なくない。かれらは働く子供たちなのだ。しかし首都の過酷な路上では、かれらが暴力の被害者になることも多い。地回りのごろつきから公安職員までが保護のもっとも手薄いかれらを狙っているのだ。2000年以降現在まで、ストリートチルドレンに対する暴力行為の届出が85件出されているが、行政警察ユニット職員が加害者になった事件は三分の二にのぼっている。


「ハラジュク&コスプレコンテスト」(2007年8月23日)
2007年8月24〜26日に北ジャカルタ市アンチョルのジャカルタベイシティ内パンタイカルナヴァルでアーバンフェスト2007が開催される。30以上のプログラムがX-Over Indie Area、urban booth Area、Sportainment Areaの三ヶ所に準備され、アーバンブースにはlocal comics exhibition, make-over, urban tattoo, helicopter remote, layang-layang, uji nyali, euro bungy, face paintingなどの企画が用意され、スポーテインメントでもいくつかの娯楽を楽しむことができる。エックスオーバーインディエリアでのこの三日間の催しの中には26日11時〜16時に予定されているGRAFFITI ART COMPETITIONや廃品グラフィティ、国内諸都市で活躍中の36インディーズバンドの競演をはじめ多くのプログラムが用意され、メトロポリタンの最前衛を彩るさまざまなアート活動を楽しむことができる。その中のひとつに「Kontes Harajuku & Costum Play」と題した面白そうな企画がある。
「最近の若者はそれぞれの個性に応じて自分らしさの表現を求めています。このコンテストはかれらに表現の場を提供するためのものです。」ハラジュク&コスプレコンテストコーディネータのラッナ・クルニアサリはそう語る。最初は日本の原宿で行われている流行の模倣から始まったこのファッションはいまや個性を求める若年世代に浸透しつつある。日本の若者文化のひとつのメッカとなった原宿では若者たちが商業化されていない自分の感覚を表現しようとして既成概念を破るファッションを生み出した。赤黒白を主体にしたコントラストの派手な色使い、あまり一般的でないユニークなアクセサリー類、大きなブローチや鎖、分厚い底の靴・・・・・・
さらに漫画やアニメの主人公の扮装をして路上に登場するコスプレはハラジュクとほとんど同義語になっている。世間一般の目から見れば奇妙としか映らないかれらのスタイルが、かれらにとっては自分自身を自由に表現するツールになっている。インドネシアの若者たちが言う自由な表現がそれであるとするなら、それはまだ模倣の段階でしかないとはいえ、そこには新しいハラジュク文化の萌芽が徐々に吹き出しはじめているのだ。若者たちは既存のファッションに退屈して新鮮な感覚を求めている。服装や着付け、アクセサリー、そしてスタイリング。自分の個性を演出するのにふさわしいものを自由に選ぶ。自分に求められていると思う要素を維持しながら「自分の勝手」スタイルを築き上げようとする。かれらは「これが自分だ」というものをファッションの中で示そうとしている。最近の若者たちについてラッナはそう印象を語る。
インドネシアの若者文化の中にハラジュク文化と感応しあって新しいものが生まれてくるのはありえないことではない。アーバンフェスト2007がその橋渡しのひとつを務めることになるかもしれない。異様に重ねあわされた色使いやアクセントに調和をもたらす新たなスタイルやファッション。そんなものが生まれるときインドネシアのアートはさらに豊かさを膨らませることになる。ハラジュクコスプレはここ一二年の間にインドネシアの若者層にどんどん取り入れられるようになった。アーティストの中にもその片鱗を示す者がいる。ラトゥのマイヤ・アフマッやムラン・クウォッ、そしてアグネス・モニカも。大学でもキャンパスでハラジュクファッションを身にまとう学生の姿が散見されている。
コンテストにはおよそ50人の予選通過者が出場する。応募者はかなりの数にのぼっているそうだ。応募者はどのようなスタイルで出場するのか、その姿をおおよそでいいから示すものを求められている。それが予選となり、その中から50人が選抜される。審査員はアニメモンスター・アニメインサイダー・ナカヨシの各雑誌から一名、そしてジャカルタ芸術院講師ひとりの計四人。出場者はこのアーバンフェスト2007催しのひとつアートファッションコンテストにも出場することになっている。


「生活喪失老人が240万人」(2007年9月5日)
普段都会で生活しているわれわれが目にするインドネシア人老齢者の姿は、大ファミリーの大勢の子供や孫に囲まれてモールをゆっくりと徘徊していたり、自宅のベランダの椅子に座ってまだ赤ちゃんの曾孫をあやしていたりするようなものが多いのだが、それらは幸運なケースのひとたちらしい。2004年の統計によれば、インドネシアの老齢人口は1,610万人でそんな幸運なひとびとは910万人おり、まともな生活を失っている老齢者は240万人いてかろうじて生活喪失の境界線上にいるひとは460万人にのぼっている。
国家開発で国民の平均寿命が大幅に伸びたことから老人の余命も長くなっており、この先十年後に老人の余命年数は二倍になるものと見られている。中央統計庁データによれば、1980年のインドネシア人老齢者は790万人で平均寿命は52.2歳だったものが、2000年には老齢者人口が1,440万人となり平均寿命も64.5歳に伸びている。
生活が失われている老人たちのほとんどは低学歴でこれといった技能を身に付けておらず、そして身寄りがいない。家族主義原理が根強く機能しているインドネシアで老人の生活を身寄りが支えようとしない場合、それはファミリーの恥を世間にさらしていることになる。老人ホームもたくさんあって大勢が入所しているが、老人ホームで暮らすのは費用が高いために身内の老齢者を老人ホームに入れること自体あまり恥ずべきこととは見られていないようだ。
一昔前まで、老齢年金を得ている老齢者は軍人や文民公務員に限られていた。いまではジャムソステックの社会保障によって民間従業員でも老齢年金をもらうひとが増え始めている。しかしそれもやっと3千5百人程度であり、また手に入る年金支給額はひとりひと月30万ルピア前後しかない。インドネシアにも老齢者人口が急増して老人問題が噴出してくる日が遠からずやってくるにちがいない。


「貧困対策はジェンダー対策」(2007年9月18日)
零細自営業者の家庭は一日の収入がひとり2米ドル未満という貧困ライン下にある、とコペラシ中小企業担当国務相が発言した。同省資源担当デピュティによれば、かれらの事業収益は一日40,454ルピアから145,600ルピアで、米ドル換算すれば2.15ドルから15.32ドルとなる。一世帯四人構成と仮定するなら、一人当たり純収益は一日1.98ドルにしかならない。このデータを見る限りでは、貧困ライン下のひとびとというのは零細自営業者あるいは小規模事業所に雇われている者というプロフィールが窺える。国家経済パフォーマーの99.9%が中小零細事業者でありながら、かれらのGDP貢献度は56%しかないという事実は不思議でもなんでもないものなのだ。これはかれらの生産性がきわめて低いことをあらわしており、大企業と零細事業との間には信じられないほどのギャップが存在している。「だからかれらの活性化が当方のパラダイムだ」と同デピュティは言う。しかし活性化の成功指標は零細事業者の生産性向上だけというわけではない。生産・利益・労働力吸収・国産品利用といった面にもそれは関わっている。零細事業者活性化コンセプトの中では、女性事業者へのアプローチが大きい意味を持っている、とインドネシアコペラシ評議会議長が先に発言している。職業科高校卒業生の成績トップから6位までは女性で占められている。しかし公職に就いている女性はわずか20%しかいない。ジェンダー対策が国の底辺経済のボトムアップと密接につながっている状況がそこにある。


「ルバラン前は質公社が賑わう」(2007年10月8日)
2007年9月の最終週、ルバランが近付くにつれて質公社が賑わっている。とはいっても訪問客の大半は質入でなく先に預けた質入品を受け出すため。質公社ジャンビ支店もその例にもれず、多くの住民が4〜5ヶ月前に持ち込んだ黄金製装身具の受け出しに引きも切らず訪れている。この時点ではまだ、家電品や自動車の受け出しはあまりない。
平常期は一日の受け出しが1億から1.2億ルピア程度だが、ルバラン前のこの時期は1.5億〜2億ルピアまで跳ね上がる。そんな状況はルバランの一週間前まで右肩上がりで増えていき、7日前のピークを超えると下がりはじめる。受け出し窓口はまだふたつしか開いていないが、順番待ち行列が長くなればもう1〜2ヶ所窓口を増やして対応すると店側は述べている。
来店客の女性は、ネックレスニ房を受け出しに来た、と話す。「二月前にビジネスを拡張するためにこれを質入したんだけど、今はもう受け出すことができるしルバランにも使いたいから。」零細事業主と思われるその女性はそう語っている。


「沈黙のシーンが・・・・」(2007年10月16日)
イドゥルフィトリ祝祭日を3日後に控えた2007年10月11日の昼下がり、ジョクジャのイブルスウォ通りにある古着屋に買い物客が群がっていた。そんな中で中年の男がひとり、一番安い値札のついたワゴンに取り付いて古着の山を掘り返している。着ている衣服は薄汚れて擦り切れた粗末なもので、洗濯も行き届いているとは言えない。おまけに長い年月を炎暑と塵埃の中で過ごしてきたことをあからさまに物語る垢の染み込んで真っ黒になった肌。店主のスプリにはすぐ判った。このひとは乞食だ。この時期になると買い物客の中に乞食が混じる。いや、その乞食たちは店に金を恵んでもらおうとしてやってきているのではない。乞食も買い物にやってくるのだ。
その中年の乞食はワゴンの中をひととおり漁ったあと、古着を一枚手にしてスプリのほうにやってきた。渡された古着をスプリは調べた。その古着はワゴンの中で売れ残りになるのがまずまちがいないもののひとつだった。もうよれよれで色も褪せてしまっているこの品物を買う客はいないにちがいない。すると乞食は手にしたしわくちゃの1千ルピア札を一枚、スプリに差し出した。ワゴンの値札にはRp.10.000,−と大書されているというのに。乞食は何も言わずにスプリの前に立っているが、その目は『申し訳ないが・・・』と雄弁に語っている。スプリはその1千ルピア札を受け取り、その品物を乞食に渡した。乞食は目を伏せてそそくさとその場を後にした。せりふのないほんの一二分のドラマが観客のいない雑踏の中で今日もどこかで演じられている。


「帰省逆流資金の工面は質公社で」(2007年10月22日)
2007年10月17日から政府系民間系の銀行は操業を再開した。10月12日から銀行が一斉に閉まり、16日までルバラン休みの消費の大波にもまれた商店は大量に溜まった現金をこの日から一斉に取引銀行に持ち込みはじめた。中部ジャワ州の州都スマランでもその例に漏れず、マンディリ銀行やBCA銀行では長蛇の列ができている。16日から開店したBCA銀行スマラン支店では、再開初日の取引は入金がもっぱらで平常期の5割増近い金額が入金されたとのこと。しかし多くの企業が操業を再開する10月22日月曜日の現金決済はかなり巨額になるものと見込まれている。市内随所にあるATMでの現金引き出しも今年は例年よりはるかに大きいとの印象を銀行筋は語っているが、具体的な数値はまだまとめられていないようだ。
イドゥルフィトリ大祭が明けて帰省者逆流の波がそろそろ動き始めるころ、質公社の現金貸出も増加傾向に入る。ルバラン前の質公社利用はイドゥルフィトリ大祭を祝うための資金需要がもっぱらだが、イドゥルフィトリが終わってから質公社にやってくるのは帰省逆流のための資金工面が目的だ。質公社中部ジャワ州スラカルタ第8地方事務所では所轄の35支店・分店での今年9月の貸出総額は680億ルピアで、これは8月実績の520億から大きく増加しているとのこと。それに対してルバラン後の貸出金額はルバラン前の貸出に匹敵するものになりそうで、10月19・20日にそのピークを迎えることになるだろうと公社側は予測している。中部ジャワの各地に帰省していた上京者が10月22日には職場に復帰しなければならないために、論理的帰結としてはそうなる。
この時期、帰省逆流のための資金を求めてやってくる利用者が増加している一方でルバラン前に質入した品物を受け出しにやってくる利用者も増加しており、質草請出し者は平常期の一日当たり100〜150人が昨今は200〜300人に倍増している。北岸街道沿いの支店には午前3時から開店を待っている質草請出し利用者がいるとのこと。都市部の店では黄金製装身具の質草が多いが、農村部の方はオートバイや家電品の質草がメインを占めている由。


「社会から見上げられることが幸福の源泉」(2007年11月6・7・8日)
年齢41〜50歳の男性で、大卒の学歴を持ち、自営専門職に就き、経済的に裕福で、スマランに住んでいる者。それがもっとも幸福なインドネシア人であるというリサーチ結果をフロンティアコンサルティンググループが発表した。2007年6月にフロンティアがメダン・ジャカルタ・バンドン・スマラン・スラバヤ・マカッサルの6都市で1千8百人を対象に実施したサーベイ結果をまとめたIndonesian Happiness Index 2007報告に盛り込まれたものがそれ。サーベイはAからEまでの経済階層に区分された15歳から65歳までの男女をランダム抽出して行われた。E階層は各都市における最低賃金レベル月収の労働者、A階層は経済的に何の不自由もない階層というイメージ。
このサーベイの中で明らかになったのは、インドネシア人にとって幸福の筆頭要因は経済ステータスと学歴であり、その次に宗教的であるかどうかというポイントが置かれていること。ざっくばらんな言い方をすれば、まずカネを持っていること、次に学歴があって世間から見上げられること、さらに宗教の教えを忠実に守る善き民として世間から見上げられること、といったものがインドネシア人を幸福にさせる要因であると言える。しかしインドネシア人の幸福インデックスは100スケール中の47.96ポイントで、これは自分が幸福でないと思っているインドネシア人が過半数を占めていることを意味している。
都市別のインデックスを見ると、スマランが48.75でトップ、続いてマカッサルの47.95、バンドン47.88、スラバヤ47.19、ジャカルタ46.20、メダン46.12となっており、ジャカルタが低位にあるのは誰が見ても順当と思わせるものだ。ジャカルタはカネを稼ぐ場所であり、そのためのハードな生活がこの都市を隅々まで覆っている。ジャカルタでひとはハードで闘争的な暮らしに直面し、過大なストレスを抱き心身をすり減らしてカネ稼ぎに走る。だから幸福を求めてジャカルタへやってくるのは幻想でしかない、とこの報告は主張している。たとえ経済的にはジャカルタのロワーミドルレベルであっても、リラックスして暮らせるスマランなどの中型地方都市のほうがひとは幸福になりやすい。スマラン住民の性質はあまり野心的でなく現状を容認する傾向が高いことで、自分が営んでいる今の暮らしに満足することが幸福への近道であることがそこに著されている。メダン住民はそのポイントにおいてスマランの対極にあり、メダンはジャカルタに近いハードな暮らしを余儀なくされる都市であると同時に住民はそれだけ野心的な性質を持っているわけで、大勢が満たされない思いを抱いていることを上のインデックスが証明している。
インドネシアの男女を比べてみると、男性の幸福インデックスは48.12女性は47.91で男性の方が高い。これは家父長主義社会との関連性をうかがわせるものだ。年齢層比較では41〜50歳という社会的経済的にエスタブリッシュされた年代の幸福度がもっとも高く、21〜30歳がもっとも幸福でない年代だ。職業や個人生活の将来、あるいは夢や理想などといった不安を招く源泉に事欠かないのがこの年代だろう。学歴については大卒を最高に学歴が下がるに連れて幸福度も低下する。何をなしたかという業績評価よりも肩書きによる外観評価が優先する社会でありまた学歴格差と経済格差がほぼ同期してスライドしているインドネシアでは、ひとに見上げられ尊敬される高学歴者が幸福感にもっとも近い場所にいるのは明らかだ。低学歴者は経済ステータスも低く、社会で見上げられる要素に欠けるために誇りが持てず劣等感の中に身を沈めることになる。
職業別にはどうだろうか。トップにいるのは自営専門職。続いて会社マネージャー、軍人、スタッフレベル会社員、自営中小事業主、退職年金生活者(インドネシアの年金生活者は元文民公務員もしくは軍人・警察)、学生、下級従業員・労働者という順位。しかし驚いたことにその下にまだもうひとついて、会社役員という職業が幸福感から一番遠いところにいる。
インドネシアではカネを持っていることが世人から尊敬を受ける要素のひとつになっている。そのカネがどのようにして得られたのかということは詮索されず、カネを持っていること自体が世の中で一目置かれる要素なのだ。続いて学歴という社会的ステータス、さらに宗教性の高さという社会的ステータスのいずれもが社会から尊敬を受ける要素として機能している。つまりは世の中のひとびとから尊敬されることがどうやらこの社会のオブセッションであることをそれはうかがわせてくれるものだ。現実に、尊敬されるひとに対する下にも置かない特別扱いとそうでないひとに対するハナも引っ掛けないような無愛想の両極端はその価値観に向けられた社会の対応姿勢であるようにわたしには思える。そして尊敬される人間が持つハルガディリ(harga diri)というものがひとつの思想として社会の中に定着するようになる。
社会的に尊敬される人間が上のような要素を持って特定階層を形成し、経済・教育・社会的リーダーシップなどがその階層に集中して行く。そしてそれらの個人的社会的資産が子供へ孫へと受け継がれて世代交代が起こる。カネを持っている人間が世間から尊敬のまなざしを向けられるというのは、カネを稼げる人間が人間としての価値を持っているという関西人の文化に一脈通じるものであるにちがいない。カネ稼ぎは世間に認められる一個の人間として立つための行為であることから、稼いだカネや財は世間にひけらかすためのものであると位置付けられる。せっかく巨額の財産を築き上げたのに世人がだれもそれを知らなければ自分は尊敬されず雑魚扱いされる。だからカネがあることを露骨に示そうとし、結果的にカネに対する人間の姿勢はイージーカムイージーゴーとなる。
このような社会はハイコストを社会原理に持つ。だから貧しい発展途上国だと形容される一方で、われわれが眼前に見る日常社会はハイコストソサエティそのものなのだ。同じ物品サービスに対して金持ちは多く払うのがあたりまえという社会慣習が形成され、同じ商品が相手によって異なる価格を持つという非一物一価の市場が育まれる。そのような社会で他人より多く払うことのできる人間は人間として値打ちの高い人間であり、払えない人間は十把ひとからげの見下げられる人間とされることになる。
国中の隅から隅まで不法徴収金が横溢しあらゆることがらがカネで動くのはそんなハイコストソサエティの基盤の中に埋め込まれた陰の部分にちがいない。義務教育ですらカネがなければドロップアウトせざるをえず、卒業証書さえテスト代金支払いのカタに取られる。カネがなければ進学できず、ましてや大学に至るまでの教育投資は一般家庭にとってたいへんな重荷となる。ここに経済ステータスと学歴が同期してスライドする源泉がある。教育補助金カットを目的に国立大学を営利事業体化した前大統領時代の政策もそんなハイコストソサエティ精神に裏打ちされたものだったのではないかとわたしは思う。国民教育を国家百年の計の柱に据えようとしない国家経営の行く末はだれしも想像がつくにちがいない。宗教面でも同じことが言える。宗教に関わることがらにより多くカネを出すことは、宗教心が篤く世人から尊敬を受ける行為となるのである。
社会が築き上げてきた文化は言うまでもなく自己再生産を行って自転する。社会の姿というものは複数の錯綜した価値を秩序付けている文化がその独自のメカニズムに従って紡ぎ出した結果なのだ。大多数国民から尊敬される特定階層とそうでない集団に二分されているこの国で、社会を指導し国を動かしているのはその特定階層出身者であり、かれらは言うまでもなくそのディコトミー社会の価値観にどっぷり浸かって毎日を生きている。政治が国民として相手にしているのはかれらと同じ特定階層出身者であり、そうでない大多数貧困国民を政治が本腰を入れて相手にしようとしない状況はどうやらこのあたりに関係しているような気がするのだが、わたしは考え違いをしているだろうか?


「インドネシア人の貯蓄額は生活費11週間分」(2007年11月20日)
国の老齢年金プログラムは文民と軍警察の両公務員にしか用意されておらずジャムソステックや民間金融機関が用意するプログラムはまだまだほんの一部でしか活用されていないのが実態のインドネシアでは、老後の生活資金計画は自助努力が基本をなしている。血縁ベースの生活共同体思想が出してくる回答は自分の下の世代に面倒を見てもらおうというコンセプトが一般的であり、「親の恩」「親孝行は子供の務め」「親には絶対服従」といった道徳観や子供をたくさん持つことで親の生活レベルを維持するのに子供ひとりひとりの経済的負担を小さくしてやるといった暮らしの知恵が大多数国民を根強く覆っている姿をわれわれは普段から目にしている。
生産的な時期を超えてしまった老人たちはいずれにせよ自分以外の者に頼らざるをえないのが普通で、どこの国へ行こうが頼る先が国なのか営利金融機関なのか、それとも自分の血縁なのかといった選択肢の前に身をさらすことだけは共通しているようだ。ファミリーが個々人の存在基盤をよその文化よりはるかに強く支えているインドネシアでは、子供が親の面倒を見るという順送りの慣習が美風としていまだに実行されているものの、グローバリゼーションの波はそこへも容赦なく襲い掛かってくる。子供の養育教育問題はインドネシアでも例外でなく、少ない人数の子供に高い教育を与えて将来的な高所得のチャンスを作ってやるか、それとも中学程度の学歴でよしとして十数人という子供を作るかという選択に行き着いた親の大半は、子供を少しでも上の階層にあげてやることでファミリーに繁栄をもたらそうとの考えからグローバル社会が取ったのと同じ決断を下すように変化してきている。
インドネシア社会のそんな状況を背景にしてシティバンクが財務指数サーベイなるものを行った。世界各国で行われたこのサーベイはインドネシアで2007年10月8〜14日の間実施され、4百人の回答者からデータが集められた。回答者の年齢構成は18〜29歳が25%、30〜39歳37.5%、40歳以上も37.5%で、回答者は銀行口座とクレジットカードを持っているがシティバンクの口座保有者でない者という条件が付された。インドネシア人の二人に一人は老後の生活資金に不安を抱いており、また58%は個人資金状況の評価やその運用に関してあまり深い知識を持っていないことをこのサーべイ結果は報告している。インドネシア人が個人資金運用の実用的な知識を持ち始めるのは40代に入ってからで、その年代に達するまでは自分の財産形成に対する関心をあまり抱いていない。老後の生活資金としていくら必要でありその資金需要を満たすために何をどうするかという計画を持っているインドネシア人は20%だけで、39%は老後の資金として貯蓄を始めたものの老後の生活資金にいくら必要かという金額には確信が持てないでいる。
老後の生活維持に自助努力の意思は持っており、貯蓄を使いあるいは臨時収入を得る努力を行うつもりではいるが、結局は子供からの援助で不足分を埋めざるを得ないと子供に期待をかけているひとは回答者の39%にのぼった。インドネシア人が持っている貯蓄額の一般的な規模も今回のサーベイで明らかにされた。それによれば、もしいま職を失った場合に自分の持っている貯蓄でどれくらいの期間食いつなげるかという設問に関する回答の平均は11週間を下回るものだった。


「姑と嫁は親とも思い子とも思っていたのに!」(2007年12月13日)
2007年10月8日付けコンパス紙への投書"Lelah Klaim di Bumiputera"から
拝啓、編集部殿。わたしの子供はネネン・ソレハ名義のブミプトラ1912生命保険証書の被保険者で、2007年7月末に死亡しました。遺産相続人であるわたしは2007年8月に西ジャカルタ市にあるプミプトラ1912生命保険スリピ支店に必要書類を添えてコンタクトし、それらの書類を同支店職員グナワンさんに渡しました。およそ4週間が経過したので8月末にその保険クレームの進捗状況を尋ねるため同社本店に電話したところ、わたしのクレームはまだ本店に届いていないことを知らされて驚いてしまいました。4週間の間、わたしが提出した書類はスリピ支店総務計理部門長の机上にきれいに整頓して置かれていただけなのです。わたしはタングランに住んでいますが、もっとジャカルタから離れた場所に住んでいたらいったいどんなことになるのでしょうか?
わたしが再度ブミプトラ1912本店に電話すると、先方はスリピ支店にコンタクトするよう勧めましたので、わたしは必要書類をもう一度そろえ、病院からの書類なども加えてスリピ支店にもう一度クレームを提出しました。スリピ支店でのインタビュープロセスは「くどくどもやもや」でまったくすっきりしません。挙句の果てに担当職員は、クレームの処理が早くなされるよう証券を作り直したらどうか、と言い出す始末です。
2007年9月18日にわたしがふたたび本店に電話してみると、わたしのクレームはいまだに本店に届いておらずスリピ支店に置かれたままであることがわかり、がっかりさせられました。わたしが提出した書類は完璧にそろっているというのに。およそ2ヶ月にわたってブミプトラ1912生命保険会社スリピ支店での生命保険クレームの面倒を見てきたわたしはもう疲れてしまいました。いったいいつまで待たされるのでしょうか?[ タングラン在住、ティティン・カルティナ ]
2007年10月27日付けコンパス紙に掲載されたブミプトラからの回答
拝啓、編集部殿。2007年10月8日付けコンパス紙に掲載されたティティン・カルティナさんからの投書について下の通りお伝えします。問題になっているクレームの保険金は2007年10月11日に当社スリピ支店で相続人が受領されました。クレーム処理プロセスが遅れたのは、遺産相続人の間でのデータ不一致による行き違いが原因です。ティティン・カルティナさんは証券に記された親に該当せず、被保険者の姑だったのです。この問題は被保険者の親と姑との間で家族的に解決がつきました。
ブミプトラ保険加入者の苦情は保険加入者情報サービスセンター電話番号(021)5224564−65へどうぞ。[ ブミプトラ1912生命保険広報チーフ、アナ・ムスタミン ]


「貧相な閣僚公用車」(2007年12月14日)
[ RI 1 ]はインドネシア共和国大統領公用車に付けられたナンバープレート。同じように[ RI 2 ]は副大統領公用車に付けられる。そして閣僚やその他国政トップにいるひとびとが使っている公用車はすべて[ RI XX ]というナンバープレートが付いている。大統領以下現閣僚たちの乗る公用車として政府が用意したのは黒色トヨタカムリ3千CC。だが残念ながらこの車は新品でない。
スカルノ初代大統領が開催したアジアアフリカ会議を記念して2005年5月にジャカルタとバンドンで開かれた第二回AA会議で国賓たちはインドネシア政府が購入した1台3億5千万ルピアの黒色トヨタカムリを使った。会議が終わってからSBY大統領はその車を閣僚公用車として使うことに決めた。それまではボルボS80を公用車にしていた政府は、この大統領のアイデアで閣僚自動車調達予算の4割を浮かすことができた。とはいえ、大統領のこの措置を果たして閣僚たちは心から喜んだのだろうか。
国家官房大臣時代にその調達をみずから担当したユスリル・イーザ・マヘンドラは昔ながらのボルボを愛用し、ハサン・ウィラユダ外相はメガワティ政権期に乗っていたトヨタクラウンをいまだに使っている。経済統括相から国民福祉統括相に動いたアブリザル・バクリは[ RI 14 ]のナンバープレートを付けたトヨタレクサスだが、トヨタアルファードに乗って姿を現すことも少なくない。スディ・シララヒ内閣官房も黒色カムリと黒色フォードを取っ替え引っ換え使っている。どうやら諸大臣は他人が使ったお下がりカムリを後生大事に押し戴いていないようだ。お仕着せカムリを使わない大臣たちがその代わりに使っているのはもっと豪華・高級で高価な車ばかりなのだ。多分かれらにはそれを使うのが貧相に思えるにちがいない。
世の中から見上げられることが人間のレゾンデートルに関わっているインドネシア文化では、社会的地位や身分が上位層に属していてもそれだけではまだ不十分であるにちがいない。経済力が世人から見上げられる重大な要素であることをかれらは片時も忘れないのだ。そこまで徹底してスペリアーな要素を連ねれば、同クラスの他の連中を引き離すことができる。国政トップの座にいても財力を誇示しようとするのは当然の成り行きなのである。
閣僚に限らず、同じ文化の子である一般市民も、自分が他人より上にいることを豪華で高価な車を持つことで主張する。自動車というのはどうやらそんな目的のためにもっとも手っ取り早く使えるツールとしての性格を備えているようだ。だから自動車フェアで展示された外国産スーパーカーが飛ぶように売れるのである。そこまでの財力がなければ、自分のお好みのデザインに塗装を変え、車を改造し改装する。そのようなことはもちろん金がかかることなのだが、gue banget!(すっげえ自分っぽい)を感じるためには金をイージーゴーさせて惜しがらない。金はもちろんそのためにあるのだ。そうして街中を周遊しているその車に浴びせられる憧れのこもった熱い視線を感じて優越感に浸るということになる。お好みのナンバープレートを高い金を払って警察から調達するということも昔から行われてきた。You are what you buy. の原理はYou are what you drive. という形でそこに投影されている。 人間が他の人間をその本質部分で評価しようとしない(ひょっとすればその能力を持たない)社会には、形として外に見せる部分が突出して重要視されるという現象が生み出される。見せ掛け重視のこの外観主義は、人間が内面を高め、豊かにし、優れた人間になろうとする意欲を崩壊させてしまう。インド人はあまり外観を取り繕わないという話だ。インドの閣僚はタクシーに使われている車種を公用車にしてそれに乗っている、と熱く語るインドネシア人がいた。


「ジャカルタのきらめく夜」(2008年1月18日)
紫煙、アルコール、そして薬物。ナイトスポットに集う男たち女たちに欠かせない小道具がそれだ。西ジャカルタの不夜城、ハヤムウルッ通り沿いのディスコはもう翌日になったというのに、ズンズン響くハウスミュージックの流れる店内のざわめきは引く気配もなく、ピチピチしたシルエットを浮き立たせる衣装で店内を闊歩する娘たちの姿も精力的だ。来店客がほの暗い屋内に入ってくると、男が近付いてヤクを買わないかとオファーする。周囲でだれが見ていようがおかまいなし。「ジャブライ」や「SMS]などのヒット曲を口ずさむ娘たちの大半は西ジャワの町々から上京してきているが、中にはカリマンタン出身者も混じっている。
「ここの娘たちは客の相手をするときいたいていイネックスを使うのよ。あたし?あたしは一度使って懲りちゃった。だって、使ったあと二日間起きられなくて仕事を休んだんだもの。」19歳だというミキはエクスタシーの別名イネックスがヤクの中で一番ポピュラーだと語る。ミキはカリマンタン生まれで、ポンティアナッのディスコで働いていたが友人ふたりと三人で8ヶ月前に上京してきた。マンガブサール地区で借家住まいし、この店に勤めている。
「あたしって親不孝者よね。母さんはポンティアナッに住んでて、毎朝鍬を持って家を出てくの。一生懸命砂を掘ってトラックに積むんだけど、いくらの金額にもならないわ。父さんは病気がちでたいてい家にいる。楽をさせてあげたいから毎月50万ルピア実家に送ってるの。母さんはあたしがまじめなオフィス勤めをしてると思ってる。あたしの収入?ディスコ経営者は月に2百万ルピアくれる。でも客からもらうチップのほうがそれより多いのよ。お店に入るのは19時で、翌朝7時まで仕事。毎日仕事で休日はなし。客の入りが多いのは一晩で4〜5人のお客に付くことのできる水曜・金曜・土曜の夜ね。まともな仕事に?だってあたしの学歴はただの高卒だし、オフィス勤めしたってひと月1百万ルピアの収入がせいぜいよ。夜の仕事はいい収入になるから。」
18歳のヘピは父親がバンドン警察の高官だ。高校生のときから地元のディスコでダンサーをしていた。親は娘がレストランで働いていると思っている。ヘピが踊るたびに客の男たちからチップが手渡される。一晩で25万ルピアは下らない。ディスコ経営者もヘピが踊ると10万ルピアくれた。高校を終えてヘピはジャカルタに移り、マンガブサールに部屋を借りて住んでいる。今ではハヤムウルッのこの店が毎日の職場になった。収入もバンドン時代より激増している。「でも親には絶対内緒なの。警官の娘がこんな仕事をしてることがバレたら、あたし殺されちゃうわ。」
貧困が国内の大半を覆っているインドネシアで、都会の夜のきらめきは若い娘たちに巨額の収入の機会を与えている。「親が大学まで行かせてくれてたら、あたしはきっと別の仕事をしていたと思う。それとも失業者かしら。もしかしたら、さっさと結婚?でも今のこんな生活って、決していやじゃない。変わる気なんかないし、まだまだ続けていくわ。」そう語るミキは、不確定な自分の将来に頭を悩ますようなことをしない。ミキもヘピもしっかりと『現在』を愉しみながら生きている。


「官高民低」(2008年2月26日)
2007年11月12日付けコンパス紙への投書"Trauma Memperpanjang STNK di Samsat Polda Metro Jaya"から
拝啓、編集部殿。自動車のための書類手続きをわたしの一家はこれまでサービス業者を使って行なっていましたが、首都警察統合サービス事務所入り口に掲げられた「チャロ(周旋屋)を使って手続きをしないように」という看板に興味ひかれたので、一度自分でやってみるのも悪くないと考えました。2007年11月3日朝、わたしは兄のオートバイ(プレート番号B7044PU)の自動車番号証明書(STNK)延長と納税の手続きを自分で行うために首都警察統合サービス事務所を訪れました。ところが首都警察交通局職員のサービスがあまりにも悪いためにわたしはがっかりしてしまいました。案内カウンターの職員に質問すると、職員はわたしを阿呆扱いしてまともに教えてくれません。おまけに4階にはチャロがいっぱいいて、室内はとても整然で秩序ある状態とは言えません。
わたしは3年目に入ったオートバイのナンバープレート延長申請フォームに記入し、必要書類のコピーやKTP(住民証明書)のコピーを揃えて必要な条件をすべて満たしています。その申請を4階の?E窓口に提出しましたが、窓口担当者はわたしに2階へ行けと言うのです。わたしは正しい納税者として4階の警察職員に質問しました。すると、なんということでしょう。「だからキミ〜、STNK手続きがよくわからなかったらチャロを使うんだよ。」というのがそのセリフでした。おかしなことに、このフロアの窓口担当者たちは手続きにやってきたサービス業者からサービス金を受け取っており、自分で手続きを行う市民に対して親切さのかけらも示してくれません。わたしが2階の?番窓口に申請を提出したあと、BPKB(自動車所有者謄本)に「一週間後に来なさい」と書かれた紙片が添付されていました。その日、統合サービス事務所での用事が終わったときわたしはがっくりと疲れ切り、重いストレスとトラウマを抱えて帰宅したあと寝込んでしまったのです。
チャロのサービスを使わず自分で自動車のための書類手続きを行ったわたしの苦い体験がそれです。統合サービス事務所の警官がわたしをチャロだと批難したことでわたしの心はたいへん傷つきました。自動車税を納めるだけでもとても困難な目にあわされ、あっちやこっちの窓口へとピンポン玉扱いされたのです。国家警察がいつも使っている「民衆のパートナー、民衆のサーバント」というスローガンとわたしが現場で体験した事実は大違いだったのです。[ 南ジャカルタ在住、フェロ・マウラナ ]
2007年11月14日付けコンパス紙に掲載された首都警察交通局からの回答
拝啓、編集部殿。フェロ・マウラナさんからの11月12日付けコンパス紙に掲載された投書に関してお伝えしたいと存じます。フェロ・マウラナさんが南ジャカルタの統合サービス事務所で延長手続きを行ったプレート番号B7044PUはB6230SLJに変更されるために番号調整手続き処理の時間が必要だったのです。当初、その番号のオートバイは中央ジャカルタ統合サービス事務所に登録されていたのですが、番号調整手続きは南ジャカルタ統合サービス事務所で行われたのです。
B7044PUのレジスター原本は中央ジャカルタにあるため原本への登記は中央ジャカルタでなされなければならず、書類はまとめて各事務所間を移動するので時間がかかるのです。だからこれは、最初から南ジャカルタで登録されているケースとは違うプロセスを経て処理されることになったのです。ちなみにB6230SLJに対する納税通知書(SSPD)は2007年11月8日に発行されており、フェロ・マウラナさんは11月10日に納税したのでSTNKはその日に発行されました。
フェロ・マウラナさんが指摘されたことがらは統合サービス事務所の今後のサービス改善にとって有意義なものと考えます。[ 首都警察交通局登録管理次局長、ギリ・プルワント ]


「スンギギビーチの地主たち」(2008年3月3日)
1995年、バリに続けとばかりロンボッ(Lombok)島にリゾート開発の波が押し寄せた。ほとんどが藪に覆われて椰子林と芋畑しかなかった西ロンボッ県バトゥラヤル(Batu Layar)のスンギギ(Sengigi)海岸に開発の焦点が当てられ、外資がほとんどである大型観光開発資本が地所オーナーにアプローチをかけてきた。貧農で学歴の低い地所オーナーたちを、降って湧いたような成金ブームが襲ったのだ。
地所オーナーのひとり、ファトゥル・ラフマンは、祖先伝来のその海岸の土地30アールを1アール当たり3百万ルピアで手放した。1米ドルが2,250ルピアという時代だ。手に入れた9千万ルピアを5人の兄弟と親族で分配し、かれは自分の取り分として2千万ルピアを得た。その金で何をしたか?まず、妻とふたりでメッカ巡礼にのぼったのだ。ONHと呼ばれる政府主催のメッカ巡礼プログラムは当時の費用がひとり7百万ルピアで、かれは得た金をそれに使うことに何の躊躇も感じなかった。ムスリムの義務とかれが信じているメッカ巡礼が第一優先されることに何ら不思議はなかったのだ。残った金で自宅を改築し、そして物売りビジネスの元手に使った。こうして祖先伝来の土地はなくなり、その土地で得た金も底をつき、名前の前につけるハジの称号だけが残った。他の地所オーナーたちの中には、やはりハジになったのは同じだが、妻を増やした者も少なくない。
スンギギ海岸に土地を持っていた者は全員が土地を売った。今やその海岸線はホテルやレストランで埋め尽くされている。今年54歳のファトゥルはかつての自分の土地にいて、そのホテルにやってきた外国人に真珠の装身具を買ってくれと勧める毎日だ。アタッシュケースのような箱には真珠のネックレスやピアス、イヤリング、指輪などさまざまな装身具が納められている。しかし外国人ツーリストはかれら物売りにすげなく手を振るだけ。最近はファトゥルの商品が売れることもめったにない。スンギギがリゾートに変わる前、かれは確かに貧しい暮らしをしていたが、それでも土地が暮らしの一部を支えてくれた。今かれは、土地をなくしてしまったことを悔やんでいる。
マスクル45歳はそのとき1Haの土地を売った。巨額の現金が手に入り、かれもまずメッカ巡礼にのぼり、そして妻を増やした。かれは村役場が編成した海岸警備団員となり、今は40万ルピアの月給を得ている。しかし月給は8人の子供の費用でなくなってしまう。生活は昔のように苦しい。ホテルはかれら村民の雇用を、学歴や人材クオリティ面の低さから容易に応じようとしない。マスクルは三年前から機会があるごとに数軒のホテルに警備員として職を求めているが、いまだ一度も実現したことがないという。既に土地を持たないかれらは、子供たちの遺産に残せるものを何も持っていないのだ。
土地成金ハジとなったかれらを、皮肉な運命が待ち受けていた。ハジにのぼったムスリムは誇りとともに自分の名前の前にハジの称号を添える。ハジにのぼるのにそれなりの蓄えを持たなければならないのは昔から同じだ。ハジの称号はそれなりの経済力が背景にあることを意味している。パトロン=クライエント社会だから必ずしも本人が経済力を持つ必要はないが、ある程度の資金がいつでも調達できなければハジという称号を受ける環境にはいられない。ハジという称号だけが残ったスンギギ海岸の元地所オーナーたちは、ほとんどがそんな環境にいなかった。貧困救済給金を受ける際に、子供に奨学金を受ける際に、親の名前にハジの称号がついているためそれらの恩典を拒否されることがしばしば起こっている。「えー?ハジなのに貧困者だって?」世間はそんな目でかれらを見る。しかしそれが実態なのだ、とかれらは心の中でつぶやく。


「インドネシア女性の衝動買い」(2008年3月11日)
女性にとってクレジットカードは、必要だからそれを買うというのでなくそれを欲しいから購入するのだという衝動買いを助長している、とインドネシアでは多くのひとが考えている。シティバンクがオーストラリア・中国・香港・インド・インドネシア・マレーシア・韓国で行ったクレジットカードに関するサーベイで、インドネシアの回答者68%は「女性のクレジットカードを使った買物は衝動買いであり、カード発行者が与えているクレジット返済条件のことなどほとんど考えていない」という見解に賛成している。中でも大安売りや割引セールがあると女性がその販売フロアーをいっぱいにするという現象は顕著に見られる、と同行ビジネス開発担当役員は述べている。
この2007年に行われたサーベイは上の7ヶ国2,808人を対象にし、質問項目はクレジットカードに関連することがらをはじめとしてそのビヘイビアやライフスタイルにまでわたっている。インドネシアのサーベイ結果の中には、ほとんどの回答者はゴールドカードとクリヤーカードといったように同一銀行から二枚以上のカードを入手しており、同一銀行のクレジットカード使用頻度に関して60%は週一回、44%は週二回以上使っているという回答データも見られる。クレジットカード発行者の選択ポイントについては、返済金利率の低さが38%、アニュアルフィーの低さ37%、セキュリティ31%、金利免除期間21%、知名度21%といった内容で、使用金額の多さに従って与えられる点数を集めると景品がもらえるというポイントリワードプログラムに惹かれる消費者は減っているようだ。
クレジットカードで購入する物品サービスに関して上の7ヶ国では衣服履物がほとんどの国でトップの座を占めているが、中国はトップが家電品で衣服履物は3位、香港はレストランがトップで衣服履物は2位と中国人のビヘイビアは多少異なっている。2位に来るものは各国で違っており、オーストラリアはユーティリティの支払、中国はレストラン、インドもインドネシアもレストラン、マレーシアはユーティリティ、韓国はレストランとなっている。


「ノナ・マナド」(2008年3月24・25日)
フィリピンに程近い北スラウェシ州の首府がマナド。マナドを訪れたら三つのBを味わわなければ本当のマナドに触れたことにならない、と人口に膾炙されてきた。まずBunaken。ブナケンの美しい海を味わってこなければ、マナドを訪問した意味がない。次にbubur。世に名高いマナドのお粥は、激辛料理だらけの中でだれのお腹にも優しい料理だ。そしてbibir。これも世に名高い色白マナド美女の愛らしい微笑みのことだと一部のひとは言うのだが、bibirは唇であり男にも唇はある。ひょっとしてマナド女の舌鋒鋭い口やかましさかとも思ったが、いや女には唇が二対あるのだと言われて腑に落ちた。いずれの唇であれ、マナド女の深情けを味わってこそマナドの真髄に触れたと言い得るのかもしれない。
最近ではそれにもうふたつのBが追加されてマナド名物5つのBと呼ばれているそうだ。海岸沿いに建設された道路Boulevard、そしてbangkrut(破産)だそうだが、わざわざマナドまで破産を味わいに行くひともあるまい。一説ではマナドのビビルに惚れたあげく全財産を注ぎ込んで破産することらしいのだが、このあたりまで来るとこじつけに近いという気がする。
さてそのビビル、ではないノナの話だ。ノナとはお嬢さんの意味で、つまりは未婚の娘を指している。ノナ・マナドはインドネシア東部地方で並ぶ者とてない売れっ子だ。特にパプアの歓楽街では。90年代のパプアではジャワやスンダからの出稼ぎ女が主流をなしていたものの、最近はパプアのパブやカラオケでノナ・マナドの姿を目にすることが多い、と関係者は言う。ソロンの町にはMANCESという看板を掲げたパブがあるそうだ。それがManado Cewek Seksiを縮めた語であるということは、この道に関わっている者なら誰でも知っているらしい。パプアでノナ・マナドがそれほど神話的な位置に祭り上げられていることをその一事が示している。店に遊びに来た客のテーブルに着いて客をもてなし愉しませる仕事が売春とほとんど一体化しているのは世界中どこへ行こうが同じだ。そんな業種が求めているのは若く色白でセクシーな娘たち。だからそんな慰安婦を商品として仕入れてくる口入屋がマナドへ飛ぶ。ノナ・マナドの人気が高いのは、男が女に欲する外見的なスタンダードの高さだけでなく、もっと別の能力を持っているためだ。マナド娘は概して人付き合いが巧みで、環境に適応するのがうまい。だから顧客も雇い主もノナ・マナドを好む。
北スラウェシ州の貧しい農村部で口入屋は美しい娘をリクルートしようと努める。かれらは病院にも網を張る。若い娘をこの世界に落とし込むためには、貧困に打ちひしがれている家庭が一番手っ取り早い。それは江戸時代の日本とまるっきり同じ。親が入院した家庭は突然巨額の出費を必要とするようになる。「お嬢さん、あんたがパプアへ働きに来れば、毎月1百万ルピアを親御さんに仕送りするのも夢じゃないよ。」
そうやって送り出されたノナ・マナドがパプアの店に着くと、店の主人は言う。「あんたをここへ来させるために3百万(あるいは5百万)ルピアの金を渡したんだから、それをあんたが返すまでは帰れねえんだよ。」お定まりのこの仕組みに落とされて娘は仕方なく働き出す。身体を売っても本人への報酬は少額で、パブの給料も本人が客に飲ませたビール1本につき3千ルピアがもらえるだけ。ある期間働いて金を蓄え、言われた借金を返そうとしたら、高利がつけられていつの間にやら借金が増えている。こうしてずるずるとこの世界で月日を重ね、自分の生きていく道はここしかないと思うようになる。
北スラウェシ州ではこのような人身売買事件が社会問題化しており、昨年8月に州警察はそのような口入屋3人を逮捕して法廷に送った。マナド地方裁判所での公判に、その逮捕された口入屋の伝手であわやパプアへ送られるところを危機一髪で助かった四人のノナ・マナドのひとりミナハサ県モドインディン出身のアンゲル・オンベン18歳が出廷して証言した。アンゲルはレストランのウエートレスの仕事を世話してもらえるという話でパプアへ渡る準備をしていた。支度金の50万ルピアは祖父が受け取っている。法廷の傍聴人席に座っていた中年の男がアンゲルを注視してうなった。「おお、この娘ならパプアで1千万ルピアでも買い手がつく。おまけにあの若さだ。」口入屋商売の経験者だというその男はアンゲルをそう値踏みした。2006年から2007年まで、人身売買の被害届は40人ほどにのぼっている。届出が出されていないのを加えれば、百人は超えるにちがいない。パプアの開発が進むに連れてノナ・マナドにしのびよる魔手は数を増すにちがいない。


「男なのに女性用を?」(2008年4月1・2日)
インドネシアでもメトロセクシュアルはどんどん進展している。身を飾ることが世の中で見上げられる人間としての条件なので、インドネシア人にとってこの風潮はさしたる違和感もなく受け入れられているようだ。都内にあるモールのコスメティック専門店やハイパーマーケットのトイレタリー・コスメ売り場を見ると、さまざまな目的のために細分化されたさまざまなブランドの商品で花盛り。ところが、デオドラント商品だけは別にして、洗顔料やシャンプーなどの陳列台にあるのはどう見ても女性用というイメージ満杯の商品しか置かれておらず男性用は見当たらない。そんな商品をメトロセクシュアル男性たちがためらいもなくカートに入れて行くのである。インドネシアで男性用トイレタリー・コスメ商品を出しても売れない、という話がある。ジェンダー差別がいまだに根強く世の中を覆っているインドネシアで、若い男性をオンナ呼ばわりすれば血相を変えて烈火のごとく怒りをぶつけてくるかれらの姿とこの事実は外国人に目にどうもうまくフィットしないのだが、これはいったいどういうことなのだろうか?
1980年代に洗顔料を主体とするスキンケア商品が女性をターゲットにしてマーケットの陳列棚をにぎわしはじめ、男性用と銘打った同種の商品も棚の一隅に置かれた。1996年、マーケットリサーチ機関がオフィス街の男性を対象に行ったサーベイ結果が雑誌Tiaraに掲載されて、21%の男性が毎日洗顔剤を使っていることが判明した。最近コンパス紙がオフィス街で370人の男性を対象に行ったサーベイでは、それがなんと48%に増加していることが明らかにされた。年代別に見ると、17〜25歳が63%、26〜35歳が55%、36〜45歳39%、46歳以上33%という内訳だ。
外見やライフスタイルを美しく飾ることを好みそこに時間と金を注ぎこむメトロセクシュアル男性たちの身だしなみに関して、インドネシア人はどこにポイントを置いているのだろうか?コンパス紙のサーベイ結果では、トイレタリー・コスメは何を愛用して身だしなみに気を配っているのかとの質問に15.7%がデオドラント等の消臭剤 や制汗剤、12.4%がローション・クレンジング・フェイシャルクリーム等の(女性用)スキンケア商品、10.8%は整髪料などヘアケア商品、19.2%は答えが複数あるため返答に窮したもようで、何かを使っているひとは66.2%にのぼり、特に何も使っていないよと答えたのは33.8%だった。
上に見られるように12.4%の男性が女性用コスメを使用していたわけだが、このユニセックス現象はシャンプーが口火を切っていたのである。シャンプーはその包装デザインから広告宣伝でのイメージ作りに至るまで、購買対象を女性に絞ってプロモートしているものが数多い。その対照として男性用というものがかつて発売されたこともあったが、時の流れの中に埋没してしまった。だからそのようにメーカー側が女性用を意図して販促を行っているもの以外の商品は、一家で使う家庭用という概念しか残されていない。そうなると男性は女性用(イメージとしてのものに過ぎないのだが)を使うか家庭用を使うかという二者択一となる。インドネシア人男性ははたしてそのどちらに手を伸ばしていたのだろうか?コンパス紙のサーベイデータを見てみよう。
女性用シャンプー使用者は17〜25歳で42%、26〜35歳は43%、36〜45歳58%、46歳以上53%と、女性用というイメージを気にしないひとが大量に存在していることを示している。このような背景が男性をしてあまり抵抗なく女性のものを手に取るというビヘイビヤを促していることも見逃すことはできないようだ。噂では、洗濯物が乾かないとき、パパのパンツが在庫切れになるとママのパンティを拝借して会社に出勤するサラリーマンもいると聞く。ジェンダー差別やマスキュリンプライドの横溢する一面がある一方で、インドネシア社会は父系制でもなく母系制でもない双系制社会だと説く学説があるとも聞く。そしてまた、一部のひとはインドネシア文化を「おかま」文化だと言っているとも聞く。それらの間がどこということもなく一本の糸でつながっているような気がするのは、果たしてわたしばかりだろうか。


「学内いじめもいっぱい」(2008年4月11日)
2007年12月10日付けコンパス紙への投書"Kekerasan Senior di Sekolah"から
拝啓、編集部殿。学校内でもう何十年もの間続けられている先輩から後輩への暴力は消滅させなければならないものであり、その伝統を断ち切って根こそぎきれいにしなければならないのです。43年前わたしがまだタラカニタ?校の生徒だったころ、新入生をおもちゃ扱いするオリエンテーション期間というものはありませんでした。そのころ行われていたのは校舎内や校庭を掃除するゴトンロヨン共同作業であり、もし生徒間の対立があって喧嘩に発展しても一対一で対決させる騎士道的解決が行われ、大勢がひとりや少数の者にかかっていくようなリンチもなければ集団喧嘩もありませんでした。それは授業の中に倫理道徳の課目があり、愛情に満ちた暮らしが教えられていたからだったと思います。
昨年チャリタス第3高校を卒業したわたしの娘は、在学中に先輩女子生徒から強いプレッシャーを受けていました。その結果ストレスを抱え込んで学業結果は十分なものが出せず、どちらかというと悪い成績を残したのです。朝登校するときも嫌々ながらの気持ちで家を出て行く毎日でした。わたしの甥は3年前に登校拒否を起こして第34高校を退学しました。甥は学友たちが流れて行く方向に付いて行くのを嫌がったために先輩から強いプレッシャーを浴びる結果となり、そのことがとても怖くなったからです。子息がパグディルフル高校に通っている家庭でも、その子が先輩からいじめられているため本人だけでなく親御さんもストレスになっているのをわたしは知っています。
教育家のみなさんはわたしたちと手に手を取ってこの忌避すべき現状に注目し、平穏で愉しく愛情に満ちた状態に変えていくように努めようではありませんか。そうすれば、子供に学業を修めさせるために家から送り出す両親も余計な心配をする必要がありません。子供の幸福は親の幸福であり、子供の苦悩もまた親の苦悩なのですから。[ デポッ在住、マリア ]


「勉強は最小限にして、子供は伸び伸びと遊ばせてやれ」(2008年4月22日)
2007年12月24日付けコンパス紙への投書"Kurikulum SD Dibuat Padat, Dimanfaatkan Mafia Buku"から
拝啓、編集部殿。プカロガンの小学校に通う生徒ふたりの親として、小学校教育の分野はいまや子供にあまりにも重い負担を負わせているように感じます。インドネシアの小学校カリキュラムは重くぎっしり詰まった余裕のないものになっているため、子供たちにとっては親と触れ合う時間も、子供の精神の発育に応じて遊ぶ時間も、そして学校や塾を離れてその外にある環境に慣れ親しむ時間も残されていません。それどころか、お昼休みも十分な休憩ができないありさまです。
子供に義務付けられた学業の負担が稠密且つ高度に仕組まれていることから、子供たちは放課後の塾通いをしなければ学業に追いつけない状況に追い込まれています。6年間という比較的長い期間子供たちがストレスを抱えて過ごすのは、言うまでもなく精神衛生上健全なものではありません。というのは、知的能力や感情コントロールがどの子供も同じレベルだというわけでは決してありませんので。
あまりにも早い時期からとてもたくさんの教科内容が与えられています。たとえば小学校二年生の教科書が5人もの学者によって最新高度な言葉を使って書かれており、それを覚えこまなければならないのですから、重い負担は想像にあまりあると思います。たくさんの教科書が詰め込まれた通学カバンを担ういまの小学生の姿を見ると、戦場に向かう兵士が担う背嚢の重さと変わらないのではないかという気になりませんか?この被害を受けるのはいったい誰なのでしょう。もちろん、何の力も持たない小学生たち、そしてその父兄、そして忘れてならないのは、教員たちもです。[ 中部ジャワ州プカロガン在住、ブディ ]


「プトゥリ・パリウィサタ」(2008年5月12日)
2008年はビジットインドネシアイヤーであり、政府は今年の外国人観光客誘致目標を7百万人に設定してツーリズム振興に力を注いでいる。そんな契機をもう一押ししようとしてミスツーリズムインドネシア選出の企画が盛り上がった。プトゥリ・パリウィサタ(Putri Pariwisata)は文字通りミス・ツーリズムのインドネシア語。
ミスツーリズムは世界的フランチャイズの催しもので、各国から選出された代表者がミスツーリズムインターナショナルの覇を競うが、インドネシアから全国大会を経て世界大会に出場した代表者はまだいない。国内で特定地方が地元観光振興を目的にミス観光使節を選出した例はあっても、全国規模で開催された大会はまだなかったのである。
今年はそんな気運の盛り上がりから、ミスツーリズムインターナショナルのインドネシアフランチャイズ権を持つエルジョン財団がプトゥリ・パリウィサタ選抜全国大会を開催することになった。この催し物の促進PRフィギュアにアユ・アズハリが選ばれて諸所でスマイルを振りまいている。
参加申込みは2008年5月30日が締切日とされ、現在既に3百人を超える応募が記録されているが、今月後半に向けてまだまだその数は増加するものと期待されている。本選会は2008年7月12日が予定され、メトロTVがその生中継放映権を得て全国放送する計画。グランプリ審査は視聴者からのSMS件数で決めるようなことをせず、参加者の地元文化観光に関する知識と関心の高さに40%、観光一般に関する知識に30%、そして美しさ・容姿・スマートさに30%というウエートを置いて審査員が決定することになる。「コスメティック産業がスポンサーになって行われている美人で魅力的といったポイントを重視するさまざまなミス選抜と異なり、文化と観光に関する関心と知識が優先されるミスツーリズムにはコミュニケーションとプロモーションの能力、中でも地元の文化観光ポテンシャリティを売り込む能力が評価要素のトップに位置付けられる。」と主催者はコメントしている。


「けんか腰の警察署長」(2008年5月13日)
2008年1月4日付けコンパス紙への投書"Umpatan Komandan Polisi dalam Operasi di Jalan"から
拝啓、編集部殿。2007年12月1日午前2時ごろ、自宅への帰宅途上で警察が路上検問を行っていました。制服警官が何人もいるというのに、黒色シャツに帽子をかぶっている私服の男がわたしに車を道路脇に寄せるよう命じました。その男は一片の愛想も示そうとせず、わたしに向かってルームランプを点灯してドアロックを解除せよと命令しました。わたしは礼節を保ちつつ、その男に言いました。「これは何の検問ですか?調べるのは書類じゃないんですか?」するとその男はわたしに怒鳴りつけてきました。「おまえ、ごちゃごちゃ言うんじゃない。わしは警察だ。わしはジャガカルサ署の署長だ!」
その予期しない反応にわたしが呆然としていると、男はいきなり窓から手を入れてドアロックを外しました。わたしは即座にロックをかけ直して男に言いました。「ちょっと待ってください。これは何の検問なんですか?あなたは説明もなしにわたしの車の中に押し入ろうとしています。わたしは正式手順を知っているんです。」するとジャガカルサ署長と名乗ったその男は再び怒鳴り散らしました。「おまえが何を知っているというのか。知ったような顔をするんじゃないぞ。黙ってろ!」
男は再度その手を車内に滑り込ませてドアロックを解除し、すぐに後部扉を開きました。そして上半身を車内に入れるとわたしの持ち物を調べ始めたのです。わたしのバッグから中味を全部シートにぶちまけて、またわたしに怒鳴ります。「わしの手を見てろ。わしはただ調べているだけだ。わしは警察なのだ。おまえが悪事を行っていなければ、警察の取調べをおまえは必ず許すはずだ!」
「わたしは調べられるのを拒んでいるんじゃありませんよ。わたしの質問にあなたはまだ答えていない。」
再びその男は罵詈讒謗をわたしに浴びせかけてきました。わたしの車のSTNKを調べている制服警官の目の前で。STNKだけを調べて運転免許証を調べないその制服警官にわたしはその黒シャツ男がだれなのかを尋ねました。制服警官は確かにその男がジャガカルサ警察署長であることを認めましたが、名前を尋ねたわたしの質問に返事しません。するとその男がまたわたしに罵声を投げつけてきました。「わしの名前を聞きまわってどうしようと言うんだ。訴え出たいのか?わしは怖くないぞ!」
そしてわたしはそこから去るよう命じられたのです。[ 南ジャカルタ市ジャガカルサ在住、デシ ]


「年間延べ2億人が質公社を利用」(2008年7月3日)
質公社は貸付金を売上と呼んでいる。品物を持ち込んで担保とし現金を借りるという質のメカニズムはいずこも同じだが、政府の運営する質公社は現金を必要とする庶民にとって心強い味方なのである。吸血鬼のような市井の高利貸しよりはるかに低金利であり、用心に用心を重ねたあげく大資本にしか融資をしない銀行は庶民にハナも引っ掛けてくれない。庶民が質公社に気安く足を向けるのはそんな事情のせいだ。 毎年イドゥルフィトリと学年新学期前の時期は質公社の売上がピークを迎える。南ジャカルタ市チプタッ(Ciputat)市場店は5月以来20%近い売上増になっている。毎日平均1.5〜2億ルピアの現金が貸し出されているのだ。この店は昨年6月初旬までの売上がひと月25〜28億ルピアほどだったのにくらべて、今年は同じ期間でひと月39〜42億ルピアに上っており、大幅なアップが記録されている。このあと7月から9月にかけてもまだ10%程度増加するとの見込みが立てられている。タングランのビンタロ(Bintaro)店も一日当たりの売上が2〜3億ルピア増えており、昨年の同じ時期にくらべて15%アップになっている。持ち込まれる質草は貴金属装身具が多いが、ほかにもコンピュータ・オートバイ・テレビから自動車まで多岐にわたる。
質公社本社データを見ると、2008年は3〜4月ごろから売上の急増が実感されるようになってきた。国民への融資額は全国でひと月2〜3千億ルピアも増加している。1千6百万人が質公社から2兆ルピアの金を毎月借りているというのが大雑把な数字で、地域別に見ればジャカルタだけで5〜6百万人が5千億ルピアを毎月借りており、学年度前にはそれが7千億ルピアにアップする。ひとり当たりの融資額は100万から5,000万ルピアといったところ。金利率は15日間で0.7〜1.3%と融資額ブラケットに応じて差がある。質公社から金を借りたひとの大半は1〜3ヶ月で質草を請出しにやってくるそうだ。


「犯罪に向かう国民の人格崩壊」(2008年8月13〜15日)
国家警察犯罪捜査庁データによれば、過去三年間の犯罪発生件数は犯罪種カテゴリー別に次のようになっている。これは全国31州警察からの報告を集計したものだ。
種別 : 2006年 / 2007年 / 2008年(1〜5月)
侵入盗 : 43,135 / 33,631 / 21,739
乗り物盗 : 30,615 / 23,277 / 13,665
詐欺 : 20,207 / 14,624 / 8,851
重暴行 : 17,808 / 13,957 / 6,824
横領 : 16,524 / 12,085 / 5,853
賭博 : 10,258 / 7,628 / 5,566
強盗 : 9,951 / 7,377 / 3,952
損壊 : 5,272 / 4,047 / 2,176
恐喝 : 4,816 / 3,280 / 1,913
放火 : 3,107 / 1,849 / 927
強姦 : 2,099 / 1,674 / 857
文書偽造 : 1,985 / 1,505 / 873
殺人 : 1,299 / 941 / 559
銃器爆薬 : 837 / 917 / 488
拉致誘拐 : 412 / 205 / 99
贋札 : 360 / 221 / 136
他人の家にしのびこんで財物を盗む侵入盗が一番多いのはどこの国でも同じだが、それに次いで乗り物盗が多いのは盗みやすい高額資産でありながら書類偽造が広範に行われ、且つ盗品市場も大きいという特徴のせいだろう。各犯罪カテゴリーでは2006年から2007年にかけて発生件数はおしなべて減少したものの、2008年はまだ中途ながら反転上昇気味だ。
「今やありとあらゆるものが商品にされ、体裁よく包装されて売られる時代だ。どんなものでも、人間や人間の臓器ですらマーケットを持つ商品になっている。そんな万物商品化時代は民衆に消費志向を煽り、それがもたらす結果のひとつに犯罪が含まれている。」インドネシア大学社会学者タムリン・アマル・トマゴラ教授はそう現代社会の情勢を分析している。教授によれば、ベーシックな経済的必要性がほとんどすべての犯罪事件の動機をなしているのは言うまでもないが、消費志向がそれを一層先鋭化しているのだそうだ。消費的ライフスタイルは経済階層格差と低所得層の社会的妬視をより鋭く刺々しいものにする。反面、人間の本性は環境への適応を強いるものであり、マテリアリズムに覆われた世の中にいれば人間はその存在や成功をマテリアルを用いて測定するようになる。
国家警察犯罪捜査庁長官も、経済的な犯罪動機と消費志向は相互に関与し合いながら犯罪を発生させている、と言う。犯罪の中でもっとも多いのは他人の財を盗む行為であり、それは経済的な動機がもたらしたものであることを如実に物語っている。しかし窃盗のほかにも世の中に恐怖や不安をもたらす犯罪行為の増加が顕著になっている。それは何かといえば、強盗・強姦・拉致誘拐といった、被害者が死と隣り合わせに置かれる種類の犯罪で、世の中を窃盗などよりはるかに強く震撼させるものだ。長官は全体を通して見た昨今の犯罪傾向について、衝動的な犯行とその対極にある計画的組織的な犯行の両方が増加しており、後者では犯罪の質的上昇が顕著だと指摘している。
さまざまな犯罪カテゴリーに分類されていてもほとんどすべての事件の背景には経済要因が色濃く投影されている、と長官は語る。たとえば殺人事件は今年5ヶ月間で559件にのぼり、2006年のペースよりも早い。特に最近明るみに出たフェリー・イダム・ヘニヤンシャ別名リヤンが犯した大量連続殺人でも、最初の発端は同性愛者間の嫉妬から始まったもののそれから他人の財物を奪う方向へと発展し、さらに計画的な犯罪へと進んで行った。おまけにリヤンが奪った財物はかれの基本的な生活維持に使用されるよりはるかに多くが消費的なライフスタイルを構築し維持するために費やされた。中部ジャワ州トゥマングンでは33歳の母親が生んだばかりの赤児の首を切断するという事件があった。既に3人の子供がいてその養育に手一杯なところにまた子供が増えたわけで、経済上の余裕のなさがその犯罪を誘発したと言うこともできる。貧困という現実と金持ちになりたいと憧れる心理が精神的なゆとりを人間から奪い去っているため、ひとは些細なことで怒り、恨みを抱く。最近の殺人の多くは衝動的・即応的であり、容易に生命を奪おうとする破壊的な傾向を帯びている、と首都警察犯罪捜査局長は述べている。
2008年7月に首都警察管区で起こった殺人事件は11件あり、三日にひとりが殺されている。7月11日にブカシのワルネッで店番が射殺された事件と7月23日に発見されたトランクの中の遺体事件はいずれも財物を奪うためのものだった。しかし4日に南ブカシで起こった一家惨殺事件は、その家の妻40歳がテレビばかり見ている居候の24歳の男に注意したところその男が主人夫婦と11歳の子供の三人を殺害したという事件で、また19日には西ブカシで生後まだ日の浅い赤児が17歳の叔母に殺された事件、そして同性愛の男が恋人の男を殺した事件が三件あった。この現象について社会評論家のひとりは、経済・政治・文化という外部構造の圧力が社会構成員の人格を崩壊させていることを示すものだ、と論評した。経済構造からの圧力とは、生活コストの上昇と就職機会の激減という環境の中で職務の遂行と他者との競争という厳しい現実に身をさらさなければならないこと、政治構造からの圧力というのは不安定な政治がもたらす動揺に身をゆだねなければならないこと、文化構造からの圧力とは、共同体的社会生活が衰退して個人主義的な世の中に変貌しつつあることへの適応だ、とかれは説明している。「家長は家計を支えるために金稼ぎに走り回らなければならず、家族の生活を見守るための時間が残されていない。宗教生活は政治商品化されてそれ自体が政治の安定を揺さぶる源泉になっている。共同体生活はマテリアリズム社会を求める文化的要求のせいで衰弱の道を歩んでいる。それらの要素が社会構成員の人格構造を脆弱なものに変質させている。」
そのような社会の変動がもたらす圧力にもみくちゃにされた人格は犯罪のための火種を抱え込み、抑制力を失って犯行に突き進む。圧力は累積されて攻撃性を強め、究極的に超攻撃的なパワーとして個人に対峙する。そんな攻撃を前にして個人はセルフコントロールの力を奪われ、人格はもろく崩壊していく。社会学者たちはそのように分析している。


「やらずもがなのガスパイプ引き込み工事」(2008年8月20日)
2008年3月31日付けコンパス紙への投書"Pelayanan PGN Mengecewakan"から
拝啓、編集部殿。2007年6月にわたしは国有ガス会社ボゴール事務所に天然ガスパイプ接続申請を出すため訪問しました。そのとき受付担当者は、2007年の接続申請はもう締め切られているので2008年のウエイティングリストに入れるしかなく、そのうちお宅に現場調査員がうかがうことになる、と言いました。わたしはその条件に同意し、翌日必要書類を揃えて申請を提出したのです。
2ヶ月ほどしてからガス会社職員がわたしの家にガスパイプ敷設業務命令書を持ってやってきました。それでわたしは職員に、必要な測量を行いまたその費用がいくらになるのか計算するよう求めました。更に費用支払はパイプ敷設時に半額、残りはガスの使用が始まったとき、という条件で合意しました。ところがガスパイプ敷設作業中に上水パイプが破裂する事故が起き、水パイプ修理がいい加減に行われたので水漏れが止まらず、わたしは二度も苦情しましたが、水漏れはやみません。結局夫が自分の金で必要な資材を買って水漏れを修理し、ガスパイプ接続工事の完了を待ちました。2007年9月、前回とは別の職員がやってきてこう言いました。「調べた結果、ガスのメインパイプの位置があまりにも遠いのでこの敷設工事は続けられない。もし続けるとなるととても大きな費用がかかる。」
代償として、わたしが払ったお金は全額返却してくれる、と言われましたが、わたしの家の壁をうがち、上水パイプを壊しておきながら、いまさら取り止めにするなどとよく言えたものです。最初にちゃんとサーベイを行っていなかったかれらに非があるのは明らかではありませんか。契約の破棄はこんなに簡単に行えるのですか?国有ガス会社の消費者に対するサービスにはたいへん失望しました。もし最初から「メインパイプがあまりにも遠い」とか「接続工事にものすごくお金がかかる」と言ってくれていれば、わたしはこんな悔しい思いをせずに状況を受入れていたでしょうに。[ ボゴール市ブミメンテンアスリ住宅地在住、スリ・ウタミ ]


「金持ちはますます金持ちに」(2008年8月28日)
国民の所得格差が広がっていることを中央統計庁が公表した。2007年のジニ係数は0.37で前年の0.33から増加しており、この係数は1に近いほど所得分配が偏っていることを示すものだ。世銀が用いている国民所得分配規準に、国民の40%を低所得層、もう40%を中所得層、残る20%を高所得層と区分して各階層間の所得分配比率を比較する手法がある。中央統計庁データによれば、2002年は高所得層42.2%、中所得層38.9%、低所得層20.9%だったものが2007年は高44.8%、中36.1%、低19.1%となり、高所得層への分配が高まっていることがそこからもわかる。しかし政府は貧困国民が2006年の17.7%から2008年3月には15.4%と過去10年間で最低の比率まで低下したとアナウンスした。それについて世銀は、インドネシア政府は数字上での貧困撲滅に大きい努力を払っているものの実質的な貧困者の所得アップはおざなりにされている、と評している。国民を貧困から解放することは統計データの問題でなく、どのようにクオリティを向上させるかという問題なのだ、と世銀のカントリーダイレクターは述べている。2008年上半期の貧困者数減少は、石油燃料補助金削減で起こった大幅値上がりの補償として削減された補助金の一部を貧困層に還元するという名目のもとに支給された現金直接援助プログラムが影響を与えている、とインドネシア科学院経済研究センター調査コーディネータは語っている。同コーディネータによれば、貧困家庭向けひと月10万ルピアの現金直接援助プログラムが2009年3月に打ち切られれば、貧困者数はまた反転上昇するにちがいないとのこと。


「権威主義者たち」(2008年9月18日)
2008年4月21日付けコンパス紙への投書"Pelat Nomor Mobil RI"から
拝啓、編集部殿。ひと月ほど前、わたしがブカシのジャティムリヤ住宅地への帰宅途上で[RI 6]というナンバープレートを付けた黒塗り乗用車とすれ違い、しばし呆然としました。低所得層向け開発住宅地に大臣がやってくるなんて滅多にあることではありません。またその日公的行事があったわけでもないのです。わたしがそのナンバープレートをじっくり見たところ、それは[R1 6]であることがわかりました。つまり[R 16]の数字の1をわざとRにくっつけてそのように見せていただけなのです。
2008年3月24日月曜日、ポンドッグデ自動車道チカンペッ方面行き車線でまたまた大臣公用車[RI 8]のナンバープレートをつけたアバンザを目にしました。これも上の車同様、[R 18]を操作したものです。チャンスを巧みに利用する創造性には脱帽ものではありますが、大臣の体面を保護し、またおかしなことが起こるのを予防するために、警察はそのような創造性を野放しにしてはいけません。ナンバープレートのRIというのは大統領や閣僚など政府要人に与えられるものであり、一般人がRと数字の1をくっつけるような作為を行うことを許してはならないのです。護衛もつかない大統領公用車[RI 1](本当は[R 11])や副大統領公用車[RI 2](本当は[R 12])が住宅地内で暴走したあげく住民の袋叩きにあうようなことは決して起こってほしくありません。[ ブカシ在住、イファン・サンタナ ]


「サボり役人たち」(2008年10月9日)
長い休暇のあとは、カレンダーの赤丸がもうなくなったというのに職場へ戻るのが億劫になる者も少なくないようだ。家族親族の暖かい情愛に包まれて過ごす幸福な日々を振り捨ててまでただ言いつけられたことをするだけのお勤めに出るなんて、できるかぎり避けたいものだ、と思っているひとは、「じゃ、そうすればいいじゃん。」という甘く無責任な身内の言葉に唯々諾々と従ってしまうにちがいない。
長期連休明け初日の出勤率の悪さは、職員の規律がこれ以上ないくらい甘い文民公務員にもっとも顕著に現われるように見える。ましてやここ数年、国民へのサービスが本分であるとくどいほど言われている公務員だから、サボれば世間の風当たりもいや増しに強くなろうというものである。
しかしそれにもめげずに首都ジャカルタで、2008年ルバラン休暇明け初日での都庁文民公務員の非完全出勤者は1千人を超えた。都庁地方監督庁と地方人事庁が行なった都庁全組織査察結果報告によれば、公務員総数9,833人のうちの完全出勤者は8,742人で、怠勤率11%という結果を見た。非完全出勤者1,091人の内訳は、281人が遅刻あるいは無断欠勤、病欠82人、自己都合欠勤(izinと呼ばれるもの)65人、有休451人、教育訓練参加79人、所外業務105人。部門ごとに見れば、庁レベルでは地方資産活性化投資管理庁が職員76人中25人が出勤しておらず最悪で、一方地方生活環境統制庁は職員132人中いない者9人で最高の出勤率だった。都庁26局の中で一番の低率は中等高等教育局で、248人中68人が出ておらず、地方収入局は148人中145人が出勤しており、最高率だった。都民の用に仕えるサービス事務所では、埋葬サービス事務所が82人中42人しか出勤していない。プリヤント副都知事は、怠業を行なった職員の状況をまず調べて本人の過失内容を確認した上で、手当のカットや公務員等級の引下げなどの処分を行なう、とコメントしている。


「インドネシアの消費優先型リッチは15万人」(2008年10月31日)
インドネシア語でオカベと言うのは、人名ではない。Orang Kaya Baruの頭文字を取ってOKBつまりオーカーベーとなる。言うまでもなくその意味は新興成金のことで、新興成金はどこの国へ行こうが、金遣いの荒い派手な生活をし、金を湯水のごとく消費して、自分は金を持っているのだということをデモンストレートする。ただ大金を消費するだけならあまり多くの人の目に留まらないから、世間で高価なものと認知されているものを買ってそれを見せびらかす。見せびらかすことをインドネシア語ではpamerという。展示会や博覧会はpameranだが、このパメルはもっと積極的で意欲的な見せ方になる。きっと誇示という日本語がふさわしいだろう。さて、フロンティアコンサルティンググループはそんなオカベがインドネシアに8万人いる、と言う。インドネシアのリッチは20万人で、そのうちの社会ステータスに狂気のごとく執心している層が7万人、在来型リッチは5万人、オカベが8万人だそうだ。フロンティアコンサルティンググループはその三種のリッチの特徴を次のように描いている。
在来型: 普通の人のような質素な生活をし、自分の原則に従って生きている。高額ブランドものにあまり執心せず、パメルするのを好まない。
ステータス追求型: 他人が買えないような品物を買いたがり、自分の見かけを強く意識し、合理性をあまり持たず感情と衝動で毎日を送っている。
オカベ型: 自分の身に余るものを買いたがり、自分は他人よりも優れているということを示したがる。オカベ型は自分の姿に自分が酔うという自己中タイプであり、ステータス追求型は世の中の目に映る自分の姿に酔うという点でオカベ型と違いがあるものの、かれらが取る消費行動はかなり似通っている。
ステータス追求型がそのような行動を取るのはインドネシア社会が金持ちを優れた人間として見上げる価値観で組み立てられているからで、社会から見上げられることが人生の目標になっているひとびとにとっては金持ちになってそのステータスを世間に示すために金を湯水のように使って世人に認知してもらおうとするから、必然的にステータス追求型もオカベ型も高価な品物を買ってパメルすることになる。これはつまり高額ブランドもの商品にとって15万人という大きな市場が存在していることを意味するものである。
2008年10月23日にイギリス系高級デパート『ハーヴェイ ニコルズ』がジャカルタの一等地グランドインドネシアモール東館にオープンした。ヨーロッパに居住しているインドネシア人たちはジャカルタ都民に羨望のまなざしを投げかけたそうだ。世界の三大超高級デパートはイギリス系のハーヴェイ ニコルズとハロッズ、そしてアメリカ系のネイマンマーカスだそうで、普段からそのような店で買物をしている人間がリッチと見なされる。インドネシアにはそのようなリッチが15万人いて、一般庶民には手の届かない高額商品を買ってパメルしてくれるのである。だからハーヴェイ ニコルズはシンガポールや台北へ行かずにジャカルタにやってきたのだ。超高級デパートのハーヴェイ ニコルズ国外出店は、リヤド・ドゥバイ・香港・イスタンブールそしてジャカルタという拠点に布石した。因みにグランドインドネシアのハーヴェイ ニコルズを訪れてみると、洒落たデザインではあるがなんの変哲もないヘアバンドが1個3百万ルピア、素朴なデザインの女性用Tシャツが一枚2百万ルピア、魅力的なデザインの女性用ハンドバッグはなんと一個で3千万ルピアもする。高額商品を買い漁る15万人のリッチ相手に商売しようとジャカルタへ進出してきたハーヴェイ ニコルズとインドネシア側でその進出をアレンジしたPT Mitra Adiperkasa Tbk。かれらは大きな勝算を抱いているにちがいない。


「無神経なレッテル貼り」(2008年11月6・7日)
モフタル・ルビスが指摘したように、インドネシア人は物事をシンボル化してそのシンボルが持つ色合いを通してその物事を見ようとする。要するに何らかのレッテルを貼って、そのレッテルに書かれていることを社会の共通知識と判断基準にしようというわけだ。この社会の共通知識というのはよその文化で常識と呼ばれるものに類してはいるが、価値判断を持つための規準として機能する面が強いから、いわゆる常識とどの程度オーバーラップするだろうか?
そのレッテル貼り行動のひとつに、世界の国々をその国に特徴的な時事文物でシンボライズするというものがある。「黄金の国、ジパング」というようなものがそのサンプルだが、世界中のどの国もユニークな特徴を無数に持っているから、レッテルの上に何かひとつだけ書いてもふさわしくないケースがたくさん起こることをわれわれは知っている。だからそんなシンボル化は児戯に等しいなどと言えば叱られるだろうか?
ともあれ、インドネシアのマスメディアに接していると、「XXXの国、どこそこ」という表現は山のように出てくる。因みにその山を下に移してみよう。
Amerika Serikat, negara/negeri Adidaya あるいは negara/negeri Paman Sam。以下negara/megeriは省略する。
Spanyol, Matador
Italia, Pizza あるいは Spagheti
Australia, Kanguru
Muang Thai, Gajah Putih
Malaysia, Jiran
Singapura, Singa
Korea Selatan, Ginseng
Jepang, Sakura あるいは Matahari Terbit
Irak, 1001 Malam
Mesir, Seribu Menara
Turki, Seribu Mesjid あるいは Seribu Darwis
Yunani, Seribu Dewa-dewi あるいは 1001 Dewa
それらはまあどう転んでもたいした影響はないように思える。だが下のようなイメージを国民の脳裏に植え付け続けるのはどうだろうかという老婆心を感じるのは、わたしだけではないだろう。
歴史のある時期にある態勢を示した国も、時の流れの中で変化していく。レッテル貼りがその時々の世界情勢におけるひとつの価値観を明示しようとするものであるなら、情勢の変化に応じてその内容も変化させるべきなのだが、時の流れに関する感覚が異なっている守旧的な先例主義者たちにはそれを変えようとする考えが起こらないにちがいない。イスラエルは少し意味合いが違うが、このようなレッテルをイスラエルに貼っている限り民族感情に共存の入り込む余地は生まれにくいのではないだろうか。
Israel, Zionis
Cina (China), Tirai Bambu
Rusia, Tirai Besi あるいは Beruang Merah
India, Mahatma Gandhi
Vietnam, Paman Ho
Hongkong, Macan Asia
ロンボッのマタラム大学に留学している中国人学生は、最初インドネシアのマスメディアが自分の祖国をTiran Bambuの国と形容しているのに当惑した、と語る。かれはどうやら「竹のカーテン」という国際用語を知らなかったようだ。まるで自分の祖国が竹で埋まっているようなイメージだが、国中そんなに竹やぶだらけだっただろうか、とかれは悩む。インドネシア人はどうしてそんな表現を使うのだろうかという疑問を解こうとしてかれは学生仲間や教官にまで尋ねてまわったが、だれひとり納得できる回答を与えてくれる者はいなかった。そうこうしているうちに、あるときかれはそれが冷戦時代の国際用語であることを知り、ソ連は鉄のカーテン、中国は竹のカーテンと自由主義陣営から呼ばれていたことを理解した。要するにカーテンを引いて窓を閉ざし、外界のことを知らない状態にするという情報閉鎖・情報操作の時代があったのは本当だが、わが祖国は1978年から開放政策に転じて今や窓は大きく開け放たれている、とかれは主張している。時代の変化にまったく無神経な、一度貼られたこのレッテルをいつまでも後生大事に抱えるのはやめてほしい、とかれはマスメディア界に要請し、オーストラリアのカンガルーの国みたいに中国をパンダの国と呼ぶよう変更して欲しい、と訴えているのだが・・・。


「水道メーター検針クレーム」(2007年11月28日)
2007年9月26日付けコンパス紙への投書"Pencatatan Meter PAM Bermasalah"から
拝啓、編集部殿。わたしは上水道会社(PAM)の顧客で、2006年1月から2007年1月までの間に使用量が操作されたために請求金額が膨らんでいることを何度も苦情しています。わたしは2006年1月以来この問題を書面でも口頭でも訴えていますが、PAM側がいつまでもこの問題を中途半端にしたままでいるためいまだに解決していません。
この問題についてはPAM側に非があるのは明らかなのです。PAM側は現場サーベイを行い、メーターの数値が正しいものであることを確認する証明書を出しているのです。ところが奇妙なことに、2006年から2007年1月までの請求書の架空の使用量はいつまでたっても訂正してくれません。そのためにわたしは料金支払いに困難を感じています。2007年7月24日、PAMグダンアイル事務所はこの問題の処理ができないという理由でわたしにダナモンビルのPAM本社にコンタクトするように求めました。その奨めに応じてわたしはカスタマーサービス担当取締役ミスター・グレアム・ホルト宛に手紙を特別メッセンジャーを経由して送りましたが、今日に至るまで反応はまだありません。わたしはこの問題に関する証拠文書をすべて持っているのです。
PAMは2006年から2007年1月までのメーター数値に関するミスを修正しようという意思を持っていないように思えます。それどころかPAM職員は既に2回もわが家を訪れ、この問題に関連してわが家の水道を封印しようとしました。この問題が解決されるまでわたしはあと何年待たなければならないのでしょうか。[ 東ジャカルタ市在住、ナタリア・イブラヒム ]
2007年11月24日付けコンパス紙に掲載されたテームズPAMジャヤ社からの回答
拝啓、編集部殿。2007年9月26日付けコンパス紙に掲載されたナタリア・イブラヒムさんからの投書に関して説明したいと存じます。テームズPAMジャヤ社は水道メーターの検針をシステムベースで行っているのでメーターの数字を操作することはありません。請求金額が突然大きくなるというのはいくつかの要因があります。その中には利用者自身が原因になっているものもあるのです。たとえばナタリア・イブラヒムさんのお宅で起こったように、利用者が女中さんにメーターの数字を読ませて検針員に言わせるということもそこに含まれます。テームズPAMジャヤ社は利用者が読んだメーターの数字を請求書に使うことを止めました。女中さんが読んだ数字も家の表に書き出して置いてある数字も同じです。メーターが外から見えない場所にあるのなら、検針員自身がそれを読めるようにご協力をお願いします。もしどうしても検針員自身にメーターを読むことを許可してもらえないなら、弊社は1993年都条例第11号に定められた推定上水使用量を使うことになります。テームズPAMジャヤ社の推定値計算は過去6ヶ月の水使用量データ内の最近3ヶ月間の平均水使用実績値を用いたシステムによる計算です。検針員に直接メーターを読ませることで利用者は突然の請求金額増加や弊社に請求書内容変更を要求するといった面倒から解放されるのです。ご質問や当方へのお知らせはテームズPAMジャヤ24時間コンタクトセンター電話番号5772010へどうぞ。[ PTテームズPAMジャヤPRマネージャー、デフィ・イェアンネ ]


「伝統芸術は生き残れるのか?」(2008年12月17〜19日)
インドネシアには独特の伝統芸術が数多くある。上演芸術・造形芸術・音声芸術などすべてを網羅するインドネシアの伝統芸術は、ほんの30〜40年ほど前までインドネシア人の日常生活に密着していた。いや、バリをはじめとするいくつかの地方では、いまでもそれが引き継がれていると言って過言ではあるまい。
1970年代のジャカルタでさえ、結婚式には多くの家がワヤンクリッを夜っぴて上演させ、今よりずっと暗かったクバヨランバルの夜のしじまにガムランの音がたゆたっていたものだ。近隣の老いも若きも三々五々、ペトロマックランプの臭いに包まれた急ごしらえの舞台に集まってきてパンダワとクラワの闘争劇に酔い、ストーリーの間に間に訴えかけてくるジャワ文化の価値観が民衆の精神の深部にまで浸透していった。ムラユ文化の中心地であるスマトラのリアウでは古来から韻を踏む四行詩パントゥンの伝統芸術があり、今日でも結婚式や割礼など祝祭の場ではパントゥンを複数の人間が詠じ合う、まるで日本の連歌のような催しが行なわれている。
たいていの国では古くからあった伝統芸術が社会生活のモダン化につれて拠り所を失ない、新しいライフスタイルや変化した価値観により強くフィットするモダン芸術に取って替わられるという現象が起こっている。インドネシアでもそれは例外でない。しかし古来から何世紀もかけて連綿と磨き上げられてきたすぐれた伝統芸術を新しいものが入ってきたから捨てて省みないという生き方が精神の深みと潤いに欠けるものであることを多くのひとが知っている。ましてや偉大なる民族とみずからを形容するインドネシア人は古きよきものへの旺盛な回帰心を豊かに抱いている民族なのだ。祖先が育んできた古来の伝統芸術にかれらが向けている姿勢はどのようなものなのだろうか?2008年8月27日28日にコンパス紙R&Dがジャカルタ・ジョクジャ・スラバヤ・メダン・パダン・ポンティアナッ・バンジャルマシン・マカッサル・マナド・ジャヤプラの最新版電話帳からランダム抽出して電話インタビューした17歳以上の840人の回答からその姿をうかがうことができる。
コンパス紙R&Dの行なった文化芸術に関する調査結果は次のような状況を示している。インドネシア人の98%は伝統芸術を保存し続けなければならない大切なものであると認識しているが、視聴覚上の魅力に優れたモダン芸術の怒涛のような流入と社会生活のモダン化によって世間の伝統芸術への関心は薄れつつあるとともにモダン芸術への傾斜を強めているのが実態だと75%以上のひとが見ている。ならばご本人はどうしているのかという疑問が生じる。
自分を含めた家族のだれかが何らかの芸術活動を行っていると答えたひとは27%しかおらず、残りはモダン芸術にしろ伝統芸術にしろ一家のだれひとりとしてアート活動に関わっていない。ちなみにもっとも人気のある芸術活動は音楽で10.8%、次いで舞踊の6.9%、演劇3.8%、造形グラフィック2.6%、読書1.0%といった内容だ。
同好の集まりであれ、お稽古ごとであれ、あるいは手引書を片手に個人で独習するものであれ、アート活動は出費を伴うのが普通であり、毎月の家計支出にその予算が組まれているのかどうかという質問に「ヤー」と答えたのは6.2%、月収2百万ルピア超の非貧困家庭や月収5百万ルピア超のアッパーミドル所得者層も関係なく92%はその種の支出を毎月の計画の中にまったく入れていないと答えている。
モダン芸術の上演や展示会が大量の集客実績を示している事実と上のデータは同期していないように思えるものの、アートギャラリー・クラシック音楽や伝統音楽コンサート・シリアスな演劇やドラマ・造形絵画展・詩の朗読などの会場を覗いてみれば、上のデータが事実であるとの実感を持つことができる。一般的にひとびとの文化芸術鑑賞は映画や音楽コンサートを選択する傾向が著しく、造形絵画展や演劇あるいは詩の朗読にはほとんど足が向かないようだ。映画鑑賞については回答者の85%が映画館をよく訪れている一方、映画嫌いも15%いて特に50歳を超える世代にそれが多い。
文化芸術活動は子供の情操を豊かにするために不可欠のものであり、回答者の75%は学校教育の中にもっと文化芸術のポーションを広げてほしいと希望している。しかし現実には、時間数の制限・教員のクオリティ・教科内容が浅薄で取ってつけたようなものといった障害に加えて課程修了国家試験への偏重が文化芸術教育の学校内での立場を弱いものにしている。とはいえ、家庭の中での子供に対する文化芸術の指導は現代生活の中でますます難しいものになっており、ひとびとは一様に学校教育の中での文化芸術活動に期待を込めているのである。
子供に文化芸術に触れる機会を6歳から12歳という小学生の年代に与えることの重要さを回答者の50%は認識しているが、現実はなかなかそのようになっていない。たとえば伝統舞踊をはじめて鑑賞したのはいつかという問いに対する回答は、小学生期が17.4%、中学生期10.6%、高校生期13.2%という微々たる数値だ。「はじめて博物館を訪問したのは?」という問いに対しては、小学生期32.7%、中学生期15.2%、高校生期9.9%となっており、博物館訪問プログラムだけは学校教育の中にしっかり盛り込まれている。映画館についてはデートコースのひとつということもあって、高校大学生期にはじめて訪れたひとが30.2%とトップを占め、中学生期23.8%、小学生期20.2%という順序になっている。
伝統芸術の保護育成に対する政府の業績が不足していることを66%のひとが感じており、特に自分の居住地域の近くに伝統芸術に触れることのできる場所が設けられていないことをメインの理由にあげている。広大なインドネシアの各地に散在している民族遺産である伝統芸術は政府からの十分な対応が得られないまま時の流れの中に埋没しつつあり、国民の大半は娯楽的で視覚的なモダン芸術をもっぱら楽しむ姿勢を強めているのが実情であるようだ。


「みんなが偉いさんになりたがる理由」(2008年12月26日)
2008年6月10日付けコンパス紙への投書"Pemandangan Memalukan di Gerbang Masuk Tol"から
拝啓、編集部殿。ジャゴラウィ自動車道でも都内環状自動車道でも、毎朝みっともなく心痛む光景が自動車道利用者の眼前に展開されています。ボゴール方面からとポンドッキンダ(Pondok Indah)方面から来た数千台の自動車が料金を支払うために秩序整然礼儀正しく順番を待っているところに[RI 15]というナンバープレートを付けた国政高官の車と警護の御一行がやってくると、警護員は好きなように車列に割り込んで高官の車を料金所に向かわせます。もっとすごいことに、その高官御一行はだれひとり料金を払わずに料金所を素通りして行くのです。
わたしには訳がわかりません。交通法規や道路上の秩序を好きなように冒す権利を高官御一行が持てるほどのどんな緊急性にこの高官は直面しているというのでしょうか?オフィスへ急いでいるとでも?料金所前で数珠繋ぎになっている長い車列の全員がオフィスへ急いでいるとわたしは確信していますが、それでもみんなは忍耐強く秩序を守っているのです。
よしんばその高官が、大統領とのミーティングがあって急いでいるのだということであれば理解はできます。しかしわたしが見る限り、その高官御一行は毎朝同じことを繰り返しています。大統領とのミーティングが毎朝あるから急いでいるなんてことはありえないと思います。国民にとってお手本となるべき政府高官が恥ずかしげもなく、それどころか見せびらかすようにして悪い手本を示しているのはなんと皮肉なことでしょう。このようなことは[RI 15]というナンバープレートの車御一行だけが行なっているのでなく、大臣・高級軍人・国会指導層など警護集団が付く高官たちはみんな、その御一行がスムースに通行するために交通法規や道路上の秩序を好きなように冒す権利を持っていると思っているようです。
警護員の態度の倣岸さを見てごらんなさい。あるときわたしは、中央ジャカルタ市スプラプト中将通りで[RI 11]公用車御一行の警護員が御一行の通行の邪魔になっているオートバイ運転者を殴ろうとしていたのを目にしています。大臣以下の国政高官が警護集団を従えて道路を通行しなければならない緊急性が本当にあるのでしょうか?道路が渋滞しているから?道路渋滞に引っかかりたくなければ、朝もっと早い時間に家を出たらどうですか?保安の問題だと言うのなら、いまわが国の治安状況はそれほど悪化しているのですか?すべての高官が警護員を持つ権利があると考えるのはオーバーだし、また高官がみんな警護員御一行とともに通行しているのはたいへんな国費の浪費ではないでしょうか。[ 南ジャカルタ市在住、フェブリ・サレ ]


「この大晦日はどこでだれと過ごしますか?」(2008年12月31日)
年央ごろまでは好調に推移していた経済もあれよあれよと言う間に不況下に転落してしまって手持ち無沙汰のこの年越しの夜を、インドネシア人はどのようにして過ごすのだろうか?
2008年12月17日18日にコンパス紙R&Dが例によってジャカルタ・ジョクジャ・スラバヤ・メダン・パダン・ポンティアナッ・バンジャルマシン・マカッサル・マナド・ジャヤプラの最新版電話帳からランダム抽出して電話インタビューした17歳以上の855人の回答を見ると、圧倒的マジョリテイは自宅で家族と共にという姿が浮き出ている。
質問1)あなたは2009年新年の到来をだれと一緒に祝いますか?
回答: 家族82.1%、友人7.7%、恋人1.8%、祝わない6.8%
質問2)あなたは2009年新年の到来をどこで祝いますか?
回答: 自宅60.8%、行楽地13.8%、ショーや花火を見る3.9%、親の家2.9%、カフェ・レストラン2.5%、友人宅1.8%、映画館0.6%
不況がどん底に落ちると専門家が予測している2009年もあと数時間先。みんなもインドネシア人に負けず劣らずヘピヘピで2009年を乗り越えましょう。ヘピヘピについては、トップページのグーグルで検索してみてください。


「悪事を犯して逃亡する借家人」(2009年1月7日)
2008年6月9日付けコンパス紙への投書"Rumah Kontrak dan P2TL PLN"から
拝啓、編集部殿。わたしは西ジャカルタ市カリドラス(Kalideres)のトゥガラルル(Tegal Alur)、ビマ1通りブロック?8ー26番地にある家屋のオーナーで、PLN顧客番号は546102869108、名義人はチン・ニオとなっています。この家は2007年8月28日から2008年5月28日までの9ヶ月間、アンディさんに賃貸しました。2008年5月19日、わたしはその家が空き家になっており、給電が停止されていることを知りました。
それでわたしはカリドラスサービス地区PLN事務所を訪れて給電停止の理由を尋ねました。電力利用取締り担当職員は、電力利用者が2008年2月と3月の使用料1,126,375ルピアと916,495ルピアを支払わないので停止した、と説明しました。その金額は罰金の8,474,670ルピアを12ヶ月分割したひと月当たり676,170ルピアが加えられたものです。担当職員はさらに2007年12月6日付けの1相/3相直接測定システム電力利用取締り顛末書を示しましたが、そこには居住者つまり借家人のサインがありません。その顛末書に記された調査はまともでないという印象を与えます。
違反を発見したあと取締り職員は電力メーターボックスに新たに機器を取り付けただけですぐに給電停止を行なわなかったので、借家人はその後も不法の電力消費を享受していたのです。借家人が2ヶ月間使用料金を滞納したというのに、電力は2008年3月まで供給され続けたました。そこからわたしは、借家人が盗電を行なっていたことを発見したPLN職員はその後も2ヶ月間平常通り電力供給が行なわれるよう借家人と共謀したのにちがいないと結論付けました。そうしておいて借家人が姿を消す機会を与えたため、滞納電力料金や罰金等いっさいは、家主であるわたしに降りかかってきたわけです。[ ジャカルタ在住、スアディ ]
2008年6月21日付けコンパス紙に掲載されたPLNからの回答
拝啓、編集部殿。6月9日付けコンパス紙に掲載されたスアディさんからの投書に関して、当方はまず遺憾の意を表します。2007年12月8日付け顛末書に記された電力利用取締り職員の報告によれば、トゥガラルル、ビマ通りブロック1.8−26番地の住居で発見された内容は、ヒューズの封印が切れてPLN製でないものが取り付けられており、電力使用メーターの両サイドが破損し、メーターボックスの中で直接結線されていたということです。メーターとヒューズを通さずに外部引込み線と家屋内配線が直接結合されていたので、これは明らかにPLNラボで測定する必要のない違反でした。電力利用者にはD類罰金に印紙代と管理費を加えた8,474,670ルピアの追加請求が出され、12回に最大分割された金額が毎月の請求書に加えられました。PLNは家屋建物の位置を原則にしており、その家屋の売買取引や賃貸契約とは関わりを持ちません。もし売買される家屋や賃貸される家屋の電気に関する疑問がある場合、最寄のPLNサービス地区事務所で確認してください。[ PLNジャカルタタングラン配電社環境育成広報課長代理、アズワル・ルビス ]


「グランドインドネシアで辱しめられる」(2009年1月29日)
2008年6月27日付けコンパス紙への投書"Dipermalukan di Grand Indonesia"から
拝啓、編集部殿。中央ジャカルタ市タムリン通りにあるグランドインドネシアの美容サロンのひとつに勤めているわたしは、そのモールのセキュリティ職員が行なったわたしの顧客に対する行為に大きな不満を抱いています。2008年5月24日午後、お客様のひとりが美容サービスを終えてそのまま空港へ向かわれました。そのかたは自分の私物が入ったスーツケースをひとつお持ちになっていました。するとセキュリティ職員がひとり、ぶしつけな態度で1階からUG階までそのかたを追いかけて行き、スーツケースの中を調べさせるよう強要したのです。そのかたのスーツケースを調べたところ、中からハンドボディローションが見つかり、セキュリティ職員はそれを美容サロンの品物だと思ってそのお客様がモールの外へ出るのを禁じました。
お客様はこちらのサロンに戻って来られて、そのローションは紛れもなく自分の私物であることをサロンのオーナーに訴えました。お客様はモールのセキュリティ職員に失礼な扱いをされて恥辱を受けたとして不快の思いをあらわにされました。美容サロン客が訪問客として受けるべきプライドを粉々にされた、と言って。
サロンのオーナーはすぐにモール管理者にこの件を報告し、問題を起こしたセキュリティ職員を探すよう強く抗議しました。かなり時間が経過してから、そのセキュリティ職員はモールの中に見つからない、という連絡が入りました。モール管理者のまるで責任意識の感じられない反応にはたいへん失望しています。[ ジャカルタ在住、サニー・ブンヤミン ]


「一方的に万引き容疑者にされる」(2009年3月19日)
2008年7月18日付けコンパス紙への投書"Trauma dengan Petugas Giant"から 拝啓、編集部殿。2008年7月6日日曜日15時5分ごろ、カリバタモールのジャイアンハイパーマーケットで買物を終えたわたしに突然災難がふりかかろうとは夢にも思わないできごとでした。わたしはその店の警備員に万引き容疑者にされたのです。
ジャイアンで買った物をすべてレジで清算してから、わたしは預かり品カウンターに向かいました。すると突然茶色のシャツにジーンズをはいた男性がひとりわたしに近付き、いったい何のつもりなのか分かりませんが、わたしの目の前に財布を示したのです。そしてわたしが万引きをしたと批難し、わたしの右腕を強く握って拘束したまま建物の裏にある警備取調室に連行しました。そこへ着いてその男性がドアを開くと、中には群青色の制服を着た警備員がひとりいました。残念なことにその警備員は室内に入ってきたわたしを見ても関心を示さず、そのうちにわたしとその男性を残して部屋から出ていってしまいました。アイデンティティのはっきり分からないその男性は室内で好きなようにわたしを犯人扱いして責めたのです。
わたしは度胸を決めて反撃しました。わたしを犯人だと言うのなら、その証拠を示してください。販売係店員の証言か防犯カメラの画像か何かがあるのですか、と。わたしは買った品物を全部出して、レジの買上票の内容と突合せして見せました。結局その男性が言う万引きは証明されませんでした。別の警備員の話では、その男性はヤシッという名前の警備員だということでした。わたしに対する乱暴な言葉から始まって、わたしを暴力的に引きずって取調室に入り、自分のアイデンティティも明白にしないで取調べを行なうといった扱いを受けたわたしは南ジャカルタ市カリバタモール内ジャイアンハイパーマーケットに買物に行くのが怖くてなりません。[ ジャカルタ在住、ヨフィ・アンドリアニ ]


「悪いのはいつも他人」(2009年3月25日)
2008年8月27日付けコンパス紙への投書"Troli Carrefour Berbahaya"から
拝啓、編集部殿。下り坂のトラベレータで買物品を満載した買物客のトローリーが転がり出して前にいるひとに激突し、重傷を負わせるという事故が昨年起こったというのに、カルフルはトローリーがちゃんとトラベレータの上でストップするような対策をまだ取っていないようです。南ジャカルタのカルフルルバッブルス(Lebak Bulus)店でも同じことは何度も起こっているのですから。
その店で買物するたびにわたしは毎回同じことを体験しています。トローリーは数メートル走ってやっと停止するのです。わたしの直前に他のひとがいなかったのは本当に幸いでした。わたしはそのことを建物出口にいる警備員に告げてトローリーを調べるよう何度も注意しているというのに。2008年8月13日にもまた同じことが起こり、ひどい結末をもたらしました。トローリーがまた転がり出してわたしのずっと前にいる女性にぶつかりそうになったのです。トローリーが重くて転がる勢いが強かったので、わたしにはそれを止める力がありませんでした。男性の客がそのトローリーを止めてくれたので運良く人身事故は免れました。カルフルの責任はどうなるのですか?買物客が自分でトローリーを支えてケアしなければならないのですか?買物品がたくさんあって重ければ、トラベレータの下りが急なのでトローリーを手で抑えておくのは明らかに無理です。ましてやそれが老人の手であるなら。昨年の事故のあとで当局はカルフル経営者に何の措置も取らなかったのでしょうか?[ジャカルタ在住、ティヤス・ハルジャンティ]
2008年9月12日付けコンパス紙に掲載されたカルフルインドネシアからの回答
拝啓、編集部殿。ティヤス・ハルジャンティさんからの8月27日付けコンパス紙に掲載された投書について、次の通りお伝えします。南ジャカルタ市のカルフルルバッブルス店はティヤスさんにお会いするために投書にある住所を探しましたが、見つけることができませんでした。
不快な体験をなされたことについてお詫び申し上げます。カルフルルバッブルス店はトローリーの状態を向上させるために、定期的にさまざまな努力を払っています。下りのトラベレータには、お客様がトローリーから手を放さないよう注意を呼びかける標語を掲げています。加えてトラベレータの終点にはトローリー手伝い担当者を配置してトローリーをお持ちのお客様の手伝いをさせています。それらの努力はもちろん今後も改善を続けて行く所存ですが、お客様にはトローリーのキャパシティを超える積載をなさらないようお願い申し上げます。買物品の入ったトローリーを運ぶ手伝いを必要とされるお客様には、当方従業員がいつでも助力申し上げますので、ご遠慮なく申し出てください。[ PTカルフルインドネシア広報マネージャー、レタ・ドトゥロン ]


「委員会メンバーの言うことはバラバラ」(2009年3月30日)
2008年8月4日付けコンパス紙への投書"Seminar Ikatan Sekretaris Indonesia"から
拝啓、編集部殿。わたしはビナサラナインフォルマティカの学生です。2008年7月12日にインドネシア秘書同盟がジャカルタのサリパンパシフィックホテルで開催した「クオリティのあるインドネシア女性を実現する方策の中での秘書の務めと役割」と題するセミナーでのおかしな出来事についてお伝えしたいと思います。わたしはそのセミナーに出席したかったので、2008年7月10日夕方に携帯電話で秘書同盟事務局に電話しディアン・チャハヤニさんに参加受付について尋ねました。受付はまだ行なっているということだったので、翌日11日にふたり分の参加費用10万ルピアを銀行振り込みし、オフィスに戻ってからすぐに振込み証憑と参加申込書をファックスしました。ファックスしてから電話するとジーン・シナイさんが出て、受付は2008年6月30日に締め切られたと言います。でもパンフレットに締切日は書かれていませんでした。仕方ないので、振り込んだ参加費用を返して欲しいと言うと、ジーン・シナイさんはそのお金を返せるかどうかまだわからない、と返事しました。でも最終的に、わたしと友人はそのセミナーに参加できるという連絡をもらいました。
わたしと友人がセミナー会場に行って、パンフレットに締切日が書かれていないことを示したのですが、なんともっとおかしな素人丸出しの場面に出くわしました。そのときに飛び込みでやってきた参加希望者が、その場で参加手続をして入れてもらっていたのです。受付はもう締め切ったとまで言われたのに。[ タングラン在住、ノフリアンティ ]
2008年9月16日付けコンパス紙に掲載されたインドネシア秘書同盟からの回答
拝啓、編集部殿。ノフリアンティさんからの8月4日付けコンパス紙に掲載された投書についてお知らせします。この問題はセミナー実行委員会メンバーとノフリアンティさんの間での誤解が原因でした。問題は8月7日に家族的に解決されました。ご不快を与えて申し訳ありませんでした。[ インドネシア秘書同盟事務局、ジーン・シナイ ]


「若者は邪悪な文化に敏感」(2009年5月8日)
2008年9月13日付けコンパス紙への投書"Kekerasan di SMUN 70 Bulungan"から
拝啓、編集部殿。新入生合格発表のとき、わたしが保護者を務めることになる甥が南ジャカルタ市ブルガン(Bulungan)の国立第70普通科高校に入学できたことが判明して深い安堵と祝福感に襲われました。ところが新学期が始まってひと月ほどしたころ、その祝福感は心配と不安に変わっていったのです。ブルガンの国立第70普通科高校で行なわれている後輩いじめが異常なものであるという事実に悲憤を抱きながら。
高名で名を馳せたこの高校では、agitクラス(tigaを逆読みしたもの)からutasクラス(satuを逆読みしたもの)へのフルパワーでの圧迫と虐げが展開されていました。肉体的精神的なものばかりか、ブルカップ(Bulungan Cup)資金のためという理由でのありとあらゆる金銭強要まで。
utasクラスの子供たちは毎週数十万ルピアもの「資金」をagitクラスの先輩たちに納めなければなりません。utasクラスの生徒は一年間、男も女も学内キャンティンで買物することが許されません。もし[資金」納入金額が不足していると、utasクラス生徒は精神的に圧迫を受け、肉体的にもしごかれます。utas生徒は一年間、常にそんな圧迫と虐待を受けて過ごすのです。頭脳優秀で創造性に富んだ生徒を輩出しているとして高名なブルガンの国立第70普通科高校で、民族の次代を担う若者たちを邪悪でモラルに欠けた人間にするためにそんなモラル破壊が行なわれなければならないのでしょうか?[ デポッ在住、スギアルト ]


「銃を持つオエライさんはすぐに酔う」(2009年8月15日)
2009年1月21日付けコンパス紙への投書"Lurah Berpistol Bergaya Koboi di Jalan Raya"から
拝啓、編集部殿。2009年1月3日午前11時ごろボゴール県チレンシのタマンメトロポリタン前で、オートバイに乗っていたわたしは突然四輪車に追突されました。わたしのオートバイは壊れませんでしたが、わたしはオートバイから降りてどうして追突したのかを四輪車のドライバーに尋ねました。するとそのドライバーはいきなり車から出てきてわたしを怒鳴りつけたのです。粗野な言葉をわめき散らし、傲慢で挑戦的な態度を示し、腰にさしているピストルを抜く姿勢を取りました。コントロールの効かなくなった状況を前にしてわたしは望まざる事態に発展するのを避け、そこから逃れてチレンシ警察署に事件を報告しました。チレンシ警察はすぐにその武装している男の車を止めました。
チレンシ警察署員はその男に車から降りるよう求め、そして取調べをはじめました。署員の取調べの結果、その男は中央ジャカルタ市の町長のひとりであり、そして銃器保有許可書を持っていることが判明しました。取調べの最中にその男はチレンシ署員と個人的に話をしようと誘い、わたしはニ級准尉だった退役軍人のその男の父親といっしょに警察の取調べが終わるのを座って待ちました。
しばらくしてから署員はその男と一緒に出てきてわたしに言いました。「これは単なる誤解で生じた行き違いであり、ふたりを和解させるよう努めたい。」その男はわたしと握手したとき、ひと言の言葉も口にしませんでした。本当にひどすぎます。その男はわたしに追突しておいてあやまろうともせず、粗野な言葉を口にし、ピストルをちらつかせながらわたしに喧嘩を誘いかけてきたのです。まるで映画のカウボーイのように。
わたしが疑問を覚えるのは、どうしてこの事件のフォローアップがなされないのかということです。ゴロツキのように傲慢な公職者が銃器所持を許可されているのですよ。警察が許可を与えた銃器の種類が何であれ、それが至近距離から発射されればひとを死に至らしめることのできる危険なものではありませんか。国家警察長官は銃器保有許可を公職者に与える場合はその者の性質を考慮し、相手をよく選んで与えるようにしてください。銃器を持つ高官が小市民に与える影響はとても大きいのですから。[ デポッ在住、HMTシトルス ]


「インドネシア人も貯蓄指向」(2009年8月25日)
ニールセンインドネシアが四半期ごとに行なっている調査によれば、インドネシアでも収入余剰分を貯蓄にまわすひとがたいへん大きいシェアを占めているという結果が出ている。インドネシア人の伝統的金銭コンセプトによれば「金はイージーカム・イージーゴー」だったわけだが、貯蓄指向が増加傾向にあるのであれば金がイージーカムでなくなってきていることを意味しているのかもしれない。
ニールセンインドネシアが報告している収入余剰分の使途に関する調査結果は次のようになっている。
使途  2009年3月調査時/2009年6月調査時
貯蓄     67% / 62%
株式投資  44% / 40%
ハイテク製品購入 29% / 34%
ホリデー   25% / 33%
借金返済  29% / 28%
家を飾る   17% / 22%
慰安     20% / 21%
衣服購入  17% / 19%
老後資金積立  9% / 9%


「感情の民」(2009年8月29日)
2009年1月13日付けコンパス紙への投書"Petugas Transjakarta Sulut Kemarahan"から
拝啓、編集部殿。2008年12月18日に東ジャカルタのカンプンムラユからチャワンUKIまでトランスジャカルタバスに乗ろうとしたとき、停留所にある「バスの到着が遅れています」という貼り紙に気がつきました。「倒木でカンプンランブタンからのバスが遅れているので、乗客は辛抱してバスの到着を待つか、あるいは別の交通機関をご利用ください」というのが貼り紙の内容で、それは切符売場窓口のあまり目につかない場所に貼り出されていました。
しばらく待ってから、わたしは切符売場窓口に行って係員に抗議しました。わたしは払い戻しのきかないトランスジャカルタバスの切符を買ったあとでその目立たない貼り紙に気付いたのです。そのことを窓口係員に苦情したところ、切符を切る担当のワイシャツを着た男性職員がやってきて「あんたがそれを先に読まないで切符を買ったのはあんたのミスだ。」と挑戦的に言うではありませんか。トランスジャカルタバス職員からの思いがけない叱責を受けたため、わたしはマネージャーに会わせろと言いました。するとその職員は怒声を高めて、「マネージャーはいない!電話番号7228727に届け出なさい。」と応じたのです。
公共交通機関であるトランスジャカルタは礼儀をわきまえた職員を雇用して利用者の不満をすこしでもやわらげるよう努めるべきではありませんか?なのに、利用者の怒りに火をつけるような職員を使っているなんて。[ ボゴール在住、エリカ・ボン]


「楽天性向!?」(2009年9月24日)
この先12ヶ月間の自分の経済状況は良好だと確信しているインドネシア人は桁違いに多い。ニールセンがアジア太平洋地区で実施した経済状況への確信に関するサーベイで、状況はたいへん良いと見ているインドネシア人は22%にのぼった。インド9%、マレーシア2%、フィリピン8%など、他の国はひと桁しかいない。またわるいと答えたインドネシア人がひとりもいなかったことはかれらの楽天性を如実に示すものではないかという気がわたしにはする。
ニールセンのサーベイ結果は次の通り。
インド たいへん良い9%/良い67%/あまり良くない22%/わるい2%
マレーシア 2%/49%/43%/6%
インドネシア 22%/54%/24%/0%
フィリピン 8%/61%/28%/3%


「楽天性向!?(その2)」(2009年9月25日)
2009年7月17日、南ジャカルタ市メガクニガン(Mega Kuningan)にある米国系2ホテルを標的にした爆弾テロが再発した。それに関連してコンパス紙R&Dは7月22日と23日に国内主要都市電話帳からランダム抽出した864人にアンケート調査を行い、国民の爆弾テロに対する意識を調べた。それによれば、「次は自分に降りかかってくるかもしれないできごとだ」と答えた回答者は28%にすぎず、「自分に無関係のできごとだ」と見ているひとが71%を占めた。
よそごと、自分にとって現実感のないこと、という回答者が大多数を占めたのは、レフォルマシ期に入って以来警察の真剣な治安活動とその行動内容や表明をマスメディアが開けっぴろげに報道していることで培われた警察に対する信頼感が背景をなしているようで、50%以上の回答者が警察とデンスス88(反テロ特殊部隊)がテロリスト一味を必ず逮捕することを確信すると答えている。惜しむらくは、テロリズムというものはテロリスト組織に入った一部特定の人間が捕まれば消滅してしまうというものでなく、反体制志向と暴力および狂信性が結合するところにいつでも出現するものなのだということが多くのひとびとにあまり理解されていないのは、シンボルやお題目を掲げてものごとをひとくくりにしてしまうインドネシア民族性のなせるわざであるように思える。デンスス88の強襲のあとでノルディン・トップの死体がソロの民家で発見された報道に続いて、これで爆弾テロはもう起こらないと思ってはいけない、という論調がマスメディアで散見されたのはそれと軌を一にするものだろう。
「テロ行為から逃れるために、あなたはどうしますか?」というコンパス紙R&Dの設問に864人の回答者はこう答えている。
1.避けようと努める必要はない、心配しなくてよい 55.6%
2.ひとが集まる場所に近寄らない 25.1%
3.家から外に出ない 12.3%
4.常に警戒心を持つ 3.9%
5.神に祈る 2.0%
6.他人との対立を避ける 0.3%
7.わからない、無回答 0.8%


「大佐の軍人恩給は100万ルピア前後」(2009年11月12日)
2009年3月3日付けコンパス紙への投書"Uang Pensiun Pamen TNI"から
拝啓、編集部殿。わたしはインドネシア国軍退役軍人で、最終階級は大佐です。1998年に退役となり、空軍参謀総長決定書第934-TXV/VIII/1998号で、兵役期間30年、給与支給期間28年、最終時基本給591,200ルピア(1997年国軍給与表にもとづく)という条件により、1997年政令第31号にしたがって年金は月額443,700ルピアと決定されました。
1997年に退役したわたしの同僚で、最終階級が大佐、兵役期間30年、給与支給期間28年というわたしとまったく同じ条件で、最終時基本給はわたしより小さい463,000ルピア(1993年国軍給与表にもとづく)というひとの場合は、1994年政令第22号にもとづいて年金月額が350,100ルピアと定められています。ところが毎月受取っている年金支給額は、その同僚のほうがわたしよりも大きいのです。これはまったく腑に落ちません。
かれもわたしももう10年以上年金を受取っており、お互いに子供養育手当はありませんが、いまやかれとわたしの支給年金月額は5万ルピア以上も差がついています。5万ルピアというのはわたしのような恩給生活者にとってかなり意味のある金額なのです。わたしは損しているように感じており、年金支給者に認識されていない不公平が存在しているのではないかと疑っています。年金支給者のPT ASABRIにこの問題を問い合わせたところ、その差が出るのは適用されている規則が違うためだという説明を受けましたが、だとすればわたしや他の退役将校が適用されている規則は同じ退役軍人間に差別をもたらし本人に損失を与えていることになります。そのような規則はただちに改善されなければならないのではありませんか?
PT ASABRIは年金支給がその職務であり、規則の内容をどうこうする権限はないはずです。年金支給金額に関する規則は、レフォルマシ時代になるまで、大蔵省と国軍総司令部が協議して決めてきたものです。公正さを確立するために当局はこの問題を解決してください。[ バンドン在住、ワヒユ・ウィジョヨ ]
2009年3月20日付けコンパス紙に掲載されたPT ASABRIからの回答
拝啓、編集部殿。ワヒユ・ウィジョヨさんからの2009年3月3日付けコンパス紙に掲載された投書について、次の通り説明申し上げます。ワヒユさんへの年金月額は確定権者が1997年政令第31号にもとづいて443,700ルピアと定めました。それは2001年政令第32号付表にもとづいて補正計算すると987,700ルピアとなります。
一方、確定権者が1994年政令第22号にしたがった定めた350,100ルピアというワヒユさんの友人の年金月額は、同じ2001年政令第31号にもとづいて補正計算すると1,034,400ルピアとなります。
基本的にPT ASABRIは確定権者が発行した年金決定書にもとづいて毎月の年金支給を行なっているだけであり、支給金額は政府が定めた表の中に示された転換システムにしたがって計算されています。なお年金確定権者というのは国軍では参謀総長、警察は国家警察長官です。[ PT ASABRI企業秘書、ハルトノ ]


「余剰収入の使い道」(2009年11月28日)
月々の収入から生活必需経費を差し引いて残った余剰金をひとは何に使っているだろうか?昔の江戸っ子そして現代まで連綿と続いているアナブタウィ(anak Betawi)の「金はきれいさっぱり使い切る」という宵越しの銭を持たない主義者もいれば、不測の事態に備えてこつこつと貯蓄に励むひともいる。
ニールセンインドネシアが定期的に行なっている調査で、最新状況は次のようになっていることが判明した。使用目的/2009年3月調査/2009年6月調査の結果は下の通りで、数字はパーセンテージを示している。
貯蓄 / 67 / 62
株投資 / 44 / 40
ハイテク製品購入 / 29 / 34
ホリデー / 25 / 33
クレジットカード支払 / 29 / 28
家を飾る / 17 / 22
娯楽 / 20 / 21
新しい服を買う / 17 / 19
老後に備える / 9 / 9


「組織の他メンバーが何を言おうと、自分は自分だっ」(2009年12月1日)
2009年3月17日付けコンパス紙への投書"Sikap Anggota Marinir Berolahraga"から 拝啓、編集部殿。これは2009年2月3日(火)午前8時20分ごろわたしが体験したできごとです。そのときわたしはまだ小さい子供を幼稚園に送るため、車で家を出ました。そして南ジャカルタ市ポンドッラブ(Pondok Labu)のバゴ(Bango)?通りの端まで来て車を停めました。一団の海兵隊員が体力訓練のジョギングを行なっており、バゴ?通りに入って行ったからです。ところが道を間違えたらしく、かれらはバゴ?通りを進むのをやめてバゴラヤ(Bango Raya)通りに戻ってきました。わたしは礼儀正しく車を停めてかれらを先に通そうとしましたが、車のうしろにいた数人の海兵隊員が突然わたしの車を叩き、さっさと進めと命じたのです。わたしの車がかれらの進路を邪魔していると思ったのでしょう。驚いたわたしは反射的に車を徐行させました。するとわたしの車の前にいた海兵隊員が車を停めろと怒鳴り出したのです。
着ているシャツに海兵隊第2歩兵部隊Aと名前の書かれているその隊員はわたしの車の左扉を叩いて車を停めろと命じるのです。車内にはわたし以外に3歳と5歳の幼児しか乗っていないというのに。隊員Aの倣岸で礼儀知らずの振る舞いにわたしも感情的になり、車のうしろにいる隊員が進めと命じているのだと説明しましたが、Aは聞く耳を持ちません。怒り狂ったAは怒声を撒き散らしながら運転席のほうにまわってきてわたしを殴ろうと右手をあげました。わたしが謝っても効果はありません。幸いなことに別の隊員が割って入り、Aにジョギングを続けるよう促したのでその場はおさまりました。しかし事の成り行きを見守っていたほかの車でバゴラヤ通り一帯は大渋滞に陥っていたのです。この一帯でわたしはもう三度も似たようなできごとを目撃しています。海兵隊員がその辺りで体力訓練のジョギングを行なうたびに、この一帯の交通に障害が起こっています。[ ジャカルタ在住、ブディ ]


「店内の商品を自由につまみ食い」(2009年12月24日)
2009年3月10日付けコンパス紙への投書"Anak Trauma di Carrefour"から
拝啓、編集部殿。2009年2月11日にわたしと子供たちはタングランのカルフルチプタッ店へ買物に行きました。5歳の子供が陳列棚にあるお菓子(ココクランチ20グラム)を食べたいと言い張るので、わたしは子供にお金を払うまでは食べられないのだと教えましたが、子供は今すぐ食べたいと言ってぐずります。結局わたしは子供に、あとでそのお金を払うから包み紙を絶対に捨てないように、と注意した上で子供の好きにさせました。
店内でいろいろと買物していたとき夫から電話があり、迎えに行けないと言って来たので、わたしは雨が降っていないことを確認するために買物品を載せたトローリーを店内に置いて一旦レジの外に出たのです。すると警備員のひとりが突然横柄な態度でわたしに声をかけ、わたしをそのまま別室に連行して、まるで万引き犯人を捕まえたかのように取調べを始めました。
その警備員はあたかも店に損害をもたらした大泥棒を自分の手で捕まえたヒーローであるかのように振る舞いましたが、告発した内容はわたしの子供が支払い前に食べた1千6百ルピアのココクランチ20グラムの包み紙のことだったのです。子供には捨てるなと注意したその包み紙を子供はわたしの知らないうちに床に捨てていました。わたしは無念さと恥辱を同時に味わいましたが、特にふたりの幼い子供たちがその場の状況からたいへんな恐怖を抱き、強い精神的なトラウマに襲われたことは間違いありません。
店内の監視に当たっている人間がわたしと子供たちの買物の様子を観察し、もしも子供が食べ物の包み紙を床に捨てた場合はそれを拾ってわたしに注意すれば良いことではありませんか。そうすればわたしはさまざまな商品と一緒にその代金を支払っていたはずです。買物客に恥をかかせていったい何の得になるというのでしょうか?結局わたしは恥ずかしさと不愉快さに満ちてすべての買物を取り止め、子供が食べた品物の代金を払っただけでカルフルをあとにしました。[ タングラン在住、エリス・トリスナ ]