インドネシア「人と文化」情報2012〜13年


「美観を汚すバンダリズム」(2012年1月5日)
2011年9月21日付けコンパス紙への投書"Vandalisme di Jakarta"から
拝啓、編集部殿。ジャカルタ首都特別区知事と5市長は、わが共和国の首都をオープンスペースの壁・バス停・高架道路支柱その他あらゆる場所になされる落書き形態のバンダリズムから無縁の場所にできるでしょうか?
行く先がどこであろうと、われわれが毎日通る道路沿いのいたるところでわれわれは容易に落書きを見出します。わたしが落書きと言っているのは、都市の美観を目的に描かれる壁画ではなく、マジックインキや塗料スプレーで書かれているもので、たいてい学校名や所属するグループ名称が殴り書きされているものです。
落書きに対する地元政府からの関心や対応がどうして見られないのでしょうか?バンダリズム行為を禁止する条例や法規が存在しないのですか?もし規則が既に存在するのであれば、その規則を執行する責任者はいったいだれなのですか?市長、郡長、町長、警察それとも行政警察?
つぎの二点が絶えずなされるようにわたしは提案します。
(1)落書きがなされてしまった公共施設はそのたびにペンキを塗りなおす。
(2)行政警察による休みなしの巡回パトロール実施。
そしてバンダリズムを行っている者を現行犯逮捕したなら、その罰として現場に近い場所でゴミ拾いや道路清掃などの社会奉仕を行わせるのです。こんな方法では問題の根本解決はならないでしょうが、何かしら対応が行われていることにはなります。現状のようなほったらかしではありません。[ 西ジャカルタ市在住、ハルトノ・サヌシ ]


「イセン行為」(2012年1月9〜12日)
することがないというのは退屈なものだ。どうも人間というものは貧乏性にできているらしく、何かをしていないと落ち着かないらしい。実にホモファベルの面目躍如たるものがある。だから退屈しのぎに人間は何かをする。何をするのか、どんな風にするのか。そのようなところに人間のクオリティがにじみ出てくると思うのは、わたしだけではあるまい。
することがなくなれば、トイレ掃除でもなんでも生産性のあることをすればいいはずなのだが、生産性の高いひとは常に何か有用なことをして体を動かしており、かれらは普通、一日を退屈なしに送っている。そうでないひとが自分のしたいことに選択的で、陳腐な理由をもてあそんでは「したほうがよいことリスト」の項目を片っ端から消していく。だからかれらに退屈が起こりやすいわけだ。
ともかく、そんな退屈しのぎを行うことをインドネシアではイセン(iseng)と呼ぶ。インドネシア語辞典を調べると、(1)することがないと感じる、(2)することがないという感じを紛らわせるために何かをする・時間つぶし、(3)することがないのを嫌っておしゃべり・他人をかまう・何かを食べる等々をする、(4)ちょっとしたお遊び・本気じゃない、といった意味であることが説明されている。
要するに退屈しのぎに何かをするというのがイセンであり、日本語でそれにフィットする単語を探してみるのだが、なかなかわたしの脳裏には浮かんでこない。イセンを日本語の『いたずら(悪戯)』と直接結び合わせるのは無理があるようにわたしは感じている。それはきっと、インドネシア人のイセン行為と日本人のいたずらが現象的にかなり隔たったものだからかもしれない。
さてインドネシアでは、やるべきことを持たない人間が大勢いて、かれらが盛大に無目的・非生産的な、無意味でくだらない行為を行っている。たいした実害がなく笑い話で済ませられるものをインドネシア人はtidak ada kerjaanと称しており、イセンはそれよりもっと破壊的・暴力的色彩を色濃く持っているものに対して使われるのが一般的なようだ。イセン行為がそんなネガティブなものであるのは、それが社会のありさまを反映するものだからに違いない。いっときはやった爆弾予告電話や放火などは愉快犯心理でわれわれにはわかりやすいが、線路に石を置いて列車を脱線転覆させたり、通りかかる電車や自動車に投石をしたり、もっと卑近な例だと、駐車している自動車のボディを小学生が通りすがりに釘でえぐるというようなイセンもある。他人あるいは他人の所有物に危害を加えるのがイセン行為のメインを占めるのは、この社会が持っている暴力性や攻撃性の反映であるように思えるし、プリミティブな人間ほどそれらの特徴が豊かであるという点を考えれば、この社会の文明度がどうなのかということを推し量る指標としてそれを用いることもできるだろう。プリミティブな人間はきっと自分の精神の奥底にそれらの要素に満ちたモヤモヤを抱えて暮らしているのだろう。そしてそこに一旦、激情の火がつけば、あらゆるものに対する破壊に向かってかれは押し流される。他人の生命の破壊、自分の生命の破壊、形を持つモノの破壊・・・。そのポイントに視線を合わせていけば血に飢えた激情の本質が見えてくる。さらにわたしの視線はアモックをもその隣に見出すのである。アモックがムラユの地に特有の文化に関わっているものだという気は、わたしにはしない。
最近コンパス紙に事件として報道されたイセン行為がある。西ジャカルタ市国立第63中学校の生徒5人が、同じ敷地内にある国立第19高等学校の教室に入り込み、放火した。
5人の生徒たちは日曜日夕方のバスケットボールの課外活動が始まるのを待っている間、中の一人が高校の教室を燃やそうと言い出し、他の4人も賛同して高校学舎の中に入り込み、7番教室で机を焼いた。アイデアを出した生徒は「つまんねえなあ。おい、火をつけてやろうぜ。」と突然仲間に言ったらしい。7番教室では、机がふたつ焦げただけだった。
高校側がその放火事件を知ったのは翌朝で、防犯カメラを調べてすぐに犯人が特定され、中学校側と警察に事件が届け出された。中学校側は、5人の生徒が行ったイセン行為のわけがまったくわからない、と述べている。話によれば、中学と高校の間でいじめ行為や集団喧嘩など一度も起こっておらず、また5人の生徒たちにもこれまで暴力行為等の記録が一切ないため、いったいどこからそんな考えを思いついて実行に移したのか、理解できないそうだ。しかし上述のイセンの定義を見る限り、イセン行為者の内面に感情移入しないかぎり、それが理性的に納得できるようなものでないのは明らかだろう。
別の日、別の場所で、大勢のけが人が出る事件が起こった。火曜日夕方の通勤ラッシュ時間帯、ボゴール〜ジャカルタコタ間を走る近郊電車がタンジュンバラッ駅の手前で事故を起こした。車両の天井あたりで爆発音がし、煙が噴出したため、電車に緊急制動がかかり、乗客は先を争って車外に出ようとした。そのパニック行動のために乗客6人がけがをした。けが人は近くの病院に運ばれて手当てを受け、6人ともその日のうちに帰宅した。
国鉄側が原因を調べたところ、4両目と5両目の間にある運転席に乗客が入り込み、電車の運転設備を無断でいじくりまわしていたことが明らかになった。その乗客は電車の運転知識などなにもなく、ただイセンでそのあたりにあるボタンを押したりいじくったりしていただけだったそうだ。
その結果パンタグラフを通過する電流に急激な電圧変化が発生し、ショートして火花が飛び、爆発音がして煙が出るという結末に至ったのである。


「男尊女卑の一現象」(2012年1月13・14日)
「わたし、そのとき、まだたったの5歳でした。」
やさしく微笑みながら、じっと黙って独白を促しているヘルガの前で、慟哭に体を揺らしているのはリカ23歳。リカはそのとき、それを両親に告げる勇気がなかった。何の反応も抗議も起こらなかったことに安心した隣人は、リカを裏の茂みに連れ込むことを繰り返し、リカがローティーンになるまでそれが続いた。それまで誰にも、親にさえ話さなかった過去の屈辱をリカはヘルガにはじめて打ち明けた。ヘルガは言う。「かの女はきっとわたしを同じ目に遭った仲間だと感じたのでしょう。わたしたち女性の10人にひとりは子供時代にきっとそんな目に遭っているはずです。」
ヘルガは性暴力被害者のための付添人活動を行っているNGOレンテラインドネシアのメンバーだ。被害者の多くは幼児期の体験を深く心の奥底に秘め、親にさえ明かさない。ましてや加害者が自分と起居を共にしている身近な人間であればなおさらのことだ。
3〜4歳ごろ、マルタは父親の父親つまり祖父が自分に何をしたかを母親に話した。すると母親は即座にマルタの口を押さえて言葉を封じた。35歳のシングルマザーであるマルタはその忌まわしい記憶を物語る。
ファミリー内での性暴力は常に男が女にふるうものとは限らない。28歳男子のラトは7歳の時父親に犯された。エクレシア37歳は8歳から11歳までの期間、祖母から性的暴行を受けている。昨年ジャンビで起こった事件では、離婚した母親が5歳の息子を性行為の相手にしていた。
保護されるべき家庭の中で、家父長ヒエラルキーの最下層にいるもっとも従属的な立場の子供は、保護という名目の陰に隠れて虐待を受ける潜在性を一番豊かに持っている。レープというのはセックスを道具に使う対人支配の一形態だ。
性と生殖保健擁護のための活動を行っている国際NGOラトガーズWPFインドネシアのヌルル・アグスティナは、一部社会に多い近親相姦は妻や子供が夫の所有物であるという意識が発しているものだ、と語る。「実父の多くは自分の娘とセックスを行い、娘に初潮が訪れるとやっとそれをやめる。」
ラトガーズWPFが制作した教育映画に出演しているニナ17歳は、5歳のとき義父にレープされた。母親はそのときマレーシアに長期の出稼ぎに出ていた。休みでブンクルに帰郷してきた母親にニナは何が起こったのかを話したが、母親はたいして気にも留めずにまたマレーシアに戻って行った。14歳のときニナは妊娠して女児を産んだ。母親には自分の恋人の子供だと言った。子供は養子に出された。ニナが家へ帰るたびに、義父はニナの体に同じことを繰り返した。ニナのケースはブンクルの女権擁護団体が取扱い、法的処分を求めて訴えを起こした。判決は被告への10年の入獄刑だったが、原告はそれを不満として15年の刑を要求する上訴を行っている。
ブンクルでは明るみに出てくる近親相姦は少なく、おまけに地元民は裁判沙汰にされるのを強く嫌っている。ブンクルの女権擁護団体は年間に20件ほどの訴えしか受けておらず、しかも法的プロセスに持ち込めるのは12〜15件ほどしかない。やはり17歳の少女のケースが今取り扱われているが、かの女は7歳のとき実父に犯され、望まない妊娠を二回経験している。
女権擁護国家委員会データによれば、1998年から2011年までの13年間に発生した公共スペースでのレープ事件は22,284件だが、プライベートスペースでの性暴力事件は70,115件で報告のあった性暴力事件全体の四分の三を占めており、そして性暴力事件は400,939件ある全暴力事件の四分の一を占めている。その数字を見る限り、毎日全国で20人の女性子供が性暴力の絶えざる犠牲者になっているということが言える。住民人口40万人のブンクル市では、毎日女性5人が暴力を受けており、そのうちふたりは少女で占められている。


「無関係な者にとばっちり」(2012年1月16日)
2011年12月28日ボゴール県ババカンマダン郡ボジョンコネン村で20歳の男が4歳の子供の首をナタではねようとする事件が起こった。被害者の子供クラ4歳はすぐに病院に運び込まれて応急処置を受けたため、一命は取り留めている。
加害者のムジャヒディン20歳はただちに警察に逮捕されて取り調べを受けた。警察の調べに対してムジャヒディンは犯行の動機を、兄にオートバイを買ってくれと無心したが断られ、むしゃくしゃしたのでやった、と答えている。ムジャヒディンと兄は親がなく、その村の一軒の家に一緒に住んでおり、クラはそこから20メートルほど離れた隣人の家の子供だ。
取調官は「兄に断られて怒ったのなら、兄に斬りかかるのが道理であり、それを何の関係もない子供に斬りかかったというのは精神異常の疑いがあるので、精神鑑定が必要だ」と述べているが、取調べに対する自供ははきはきした明快な応答になっており精神異常者という雰囲気はない」と語って首をひねっている。
インドネシア大学心理学者はこの事件について、単純に考えれば自分を怒らせた相手に斬りかかるのが筋道ではあるものの、暴力を振るう気持ちが萎えるような相手にはなかなか行えないものであり、手近にいた弱い相手にそのうっ憤が吐き出されることは普通に起こる現象だ、と説明している。心理学用語でそれは代償行為と呼ばれ、ムジャヒディンは自分の感情を制御する能力が乏しい人間ではないだろうかと心理学者は述べている。
だからこそ、「弱い・劣っている」と他人に思われたが最後、その他人がうっ憤を吐き出すために理由もなく自分を襲ってくる可能性があるため、他人に弱いという印象を与えず、他人に対して威丈高になるのが社会習慣であることを思い出させる事件であった。


「激しい思い込みも自己中精神から」(2012年1月26日)
2011年10月15日付けコンパス紙への投書"Urban Kitchen Senayan City Mempermalukan Konsumen"から
拝啓、編集部殿。ジャカルタのスナヤンシティにあるアーバンキッチンレストラン従業員からわたしの妻と子供は辱めを受けました。去る10月8日(土)夜8時に妻と子供がそこに入った時、入口にいた店員はカードを一枚しかくれませんでした。食事を終えてから妻は出口のレジで支払いを行い、およそ5メートルほど歩きかけた時、そのレストランの店員ふたりが妻と子供を追いかけてきたのです。
店員はその場にふさわしくない言葉を叫んでいました。その叫び声に警備員が反応して、妻と子供に疑惑に満ちた目を向け、行く手を阻みました。その光景は大勢の来店客の見世物になったのです。妻は支払いを済ませ、レジの店員も何の苦情もしなかったというのに、ほかの店員ふたりが突然追いかけてきて容疑者もどきの尋問をしたのです。かれらは妻がもう一枚のカードを隠して支払わずに店を出たと言って。妻はたいへんな恥辱をこうむりました。
客が支払いを済ませて店を離れたあとで苦情を言ってきたアーバンキッチンは常識を持っていません。問題の決着のつけかたも礼儀作法なしでした。客が泥棒のように尋問されたのです。高名なショッピングセンター内にあるレストランは従業員に礼儀作法を教育するべきです。[ タングラン在住、アンガ・リドワン ]


「中高生に道徳教育を」(2012年1月30日)
2011年10月19日付けコンパス紙への投書"Etiket, Budi Pekerti, dan Pancasila untuk Pelajar"から
拝啓、編集部殿。中高生のタウラン(集団喧嘩)は止むことを知りませんが、教育関係者や学校運営を監督している政府はまるで気にも留めていないようです。かれらは机上の空論をふりまわすばかりで、成果は皆無。
中高生の蛮行は礼儀・道徳・パンチャシラの教育が学校からなくなったことと歩を一にしています。礼儀作法・道徳・互いに尊重しあうといったことはもう生徒たちに教えられていません。政府国民教育省は頭の良い生徒を生み出すための知識教育に重点を置いており、生徒たちの人格クオリティについては目をふさいでいます。それどころか、遊ぶことが生活の主体となるべき幼児に対し、幼稚園間の競争と称して詰め込み教育を与え、小学校に入学したらすぐに読み書きができるように努めています。
生徒たちの蛮行を鎮めるために宗教教育が的確な対策だと政府は強く信じているようですが、宗教教育というものは学校や政府が行わなければならないものではありません。宗教教育は生徒の親やそれぞれの宗教機関が責任を持つべきものなのです。政府は礼儀・道徳・パンチャシラの教育を学校に復活させて、生徒たちが将来タウランを行ったり、パンチャシラを別のイデオロギーに取り換えようとすることのないようにするべきです。[ ブカシ市在住、スティアジ・ラハルジョ ]


「値段が高いとよく売れる」(2012年2月18日)
ジャカルタ南部の一等地に高級住宅を210件建てる計画を進めている不動産会社の社長が、取締役会で売値を一軒20億ルピアにすると発表した。その価格だと一軒あたり9.3億ルピアの粗利が取れると説明する。マーケティング担当取締役のシャフルディン39歳は、それを聞いて笑った。社長もつられて笑う。笑い終わった社長はシャフルディンに尋ねた。「どうして笑ったのかね?この案に反対か?」
シャフルディンは答える。「社長、あそこは相当なエリート地区ですよ。高級住宅をたったの20億ルピアで手放すなんて。そんな価格だと富裕層消費者に見向きもされない懸念が高いですね。一軒33億ルピアにしましょうよ。建物の飾り付けももっと増やし、インテリアも豪勢なものにし、あっと驚くような庭を添え、池を作って鯉も泳がせておく。それだけ増やしてもコストは3億。会社は純利で一軒から10億稼げるという算段ですよ。」
社長はその提案に賛成し、追加工事が鞭打たれて今や完成間近。プロスペクト顧客を招待してその住宅地のソフトローンチングが開催された。食事・花火・マジックショーそして100万ルピアかけたおみやげ。シャフルディンは首都圏に住む消費者の性向を熟知している。ソフトローンチングで「あっ!」と言わせたら、かれらのハートはもう鷲づかみだ。
購入客はひきもきらず、ほんの数日で18軒が売れた。購入客の9割は高価格だから買ったという印象だ。「決して大口をたたいているわけじゃない。建築クオリティもカッコ良いものになっている。なんで安売りしなきゃいけないのか?18軒がすぐに売れて、かれらは1億ルピアの手付を置いていった。ばっちりじゃないかね?」
首都圏消費者のそんな性向は生産者を喜ばせるものだ。大勢の事業主が首都圏消費者の性向を、デラックスなものへの志向がたいへん強い、と評している。スーパーデラックスカーを20台限定発売すると、ジャカルタの金持ちはすぐに飛びついてきて売り切れになる。各種ブランドの超高級腕時計200個を、ひとつ3億ルピアを超える値付けで売り出したら、1週間で完売した。ジャカルタでは、高額品ほどよく売れる。インドネシア人にとって、金は他人が持てないものを自分が持つために存在しているのだ。


「日本も負けじとポップ文化フェスティバル」(2012年2月21日)
ジャパンポップカルチャーフェスティバルが2012年2月25〜26日にジャカルタのバライカルティニ(Balai Kartini)とプラザスナヤン(Plaza Senayan)で開かれる。目玉はアニメ映画ナルト疾風伝とラルク アン シエルのコンサート映画。また日本人講師によるマンガ作成講座や生け花、そして日本から来たAKB48とジャカルタ在住のJTK48の競演なども予定されている。
アジア諸国への韓流大攻勢はインドネシアでも成功しており、新しい日本のポップカルチャーをインドネシアに紹介することは両国のさらなる交流関係育成に必要不可欠なことだ。コリアンウエーブがインドネシアとのビジネス関係を盛り上げる方向に動いていることを実感している日本大使館も、そのポイントを指摘している。インドネシア政府観光クリエーティブ経済省芸能局長は、日本政府のビジネス方面に関わる意図はさておき、このような催しは日本インドネシア間の文化交流に意義深いものであり、インドネシアのクリエーティブ産業が日本に倣って発展するヒントをこのような機会を通して入手することができるよう期待している、と語っている。


「バンコックのドリアンおばさん」(2012年2月27日)
バンコックのチャイナタウンの道端で30年間もドリアンを売っている女性がいる。そのエリアにドリアン売りは何人もいるが、かの女を見つけるのは簡単だ。もう60代のかの女は軽トラックの荷台を売場に使い、そこを目がけて大勢の客が集まってきているから、かの女かどうかがすぐわかる。同じ軽トラックで同じことを30年間も続けているのだから、そのトラックのエンジンは総入れ替えになっているにちがいない。
かの女の扱い品はタイ人がkan yao と呼んでいるもので、中身の表面は乾燥していてべたつかず、手を汚さない。しかし表面の下は柔らかく、ジェラートのようなとろける感触を楽しめる。味は甘く、そしてかすかに苦みがある。それこそが完ぺきな恋の味なのだ。
かの女は竹の棒でドリアンの表皮をたたいて品定めし、やおら手袋をはめるとナイフか、時に斧の助けを借りてドリアンをさばく。その滑らかなお手並みはドリアンおばさんの名にふさわしい。ところがいざ開いてみて中身が期待に反していると、すぐに殻をまた合わせて隅に押しやる。客に一番いいものを出すというのがかの女のモットーにちがいない。カスタマーサティスファクションという言葉を知らなくても、かの女は自分のモットーを昔から実践してきたわけだ。ドリアン売りはマスメディアみたいに中立でなくてよい。客の舌の味方をすればいいのだ。その商売のおかげでかの女は子供をアメリカの大学に送ることができたのだから。
かの女みたいなドリアン売りは多くない。インドネシアでは特にそうだ。ドリアンを買う時に、売り手にだまされたひとは大勢いるはずだ。二度と同じやつのところへ戻りたいと思わないような目にあっているだろう。
バンコックのように観光産業の発展がうまくいっているところは、観光客がまた訪れたいと思うような方向に地元住民の姿勢も変化している。インドネシアではバリがそれに該当する。バリ以外にはまだあまりないようだ。
インドネシアのたいていの地で地元民が外国人観光客に接する姿勢は一生に一度すれ違うだけの赤の他人。自分の住んでいる世界に属さない無縁の存在であり、ポストモダニズム理論信奉者にリヤンと呼ばれている生き物だ。他人をリヤン化するのは西洋人だけではない。ジャワでもなじまないものごとはすべてリヤンとされる。ワヤンの中に投影されているジャワコスモロジーを調べて見ればよい。ジャワの人類学的環境に由来しないものごとはウォンスブランと見なされる。ブトチャキルや他の巨人たちのように、由緒も身分証明もパスポートもない、あっち側の存在だ。
その基準をどんな文化的背景や信仰に置こうが、他人をリヤン化するということは日常生活の節々に見出される。たとえばミニスカートの女性を瞬きもせずに見つめたり、乗合い自動車の中でセクハラを行ったり。そしてレープ事件が起こればそのリヤンの存在自体が悪者にされる。「ミニスカートなんかはくからだ。」
地下鉄の中で大勢の人間がひしめきあい、女性はミニスカートをはいているのだが、セクハラが日常茶飯に行われているわけではない国があっち側にあるという事実に思いをはせるなら、その問題にはどう答えるのが適切なのだろうか?
文明度の向上は高い礼節を持つ社会を目標に据えた永い学習プロセスが生み出すものだ。それには永い時間がかかる。特にインドネシアでは。
ライター: コラムニスト、ブレ・ルダナ
ソース: 2012年2月12日付けコンパス紙 "Tante Duren"


「ヒプノティス」(2012年3月12〜21日)
デパートでひとりで買い物していると、見知らぬ人が親しそうに肩をポンと叩いて話しかけてくる。ついつい引き込まれて和気あいあいと一緒に買い物を続け、しばらくたってからそのひとは「じゃあ、また。」と去って行った。
もう少し買い物があるので品物を選び、レジで支払いという段になって財布を開けると、たくさん残っていたはずの5万ルピア札が1枚も残っていない。両手に持った買い物袋の中身も、家を出るときに持ってきた金額に見合うものではない。「どうしたのかしら?」とつらつら思い返してみると、「初対面のひととつき合って一緒に買い物したんだわ。そしてそのひとに何かを買ってあげたような気がする。そのあと、『きっと返すから』という約束でお金を貸してあげたみたい。でもこれは何となく夢の中のことのようにも思えるし、どうもはっきりしないけど・・・・・あら!わたし、ヒプノティスにやられたんだわ!!」
インドネシア語大辞典によると「暗示による催眠状態」を意味する言葉はヒプノシスであり、日常よく使われているヒプノティスは英語のhypnotizeに対応した「他者をヒプノシス状態に陥れる」という意味の動詞だ。だから名詞として使われる場合はヒプノシスと言うべきなのだろう。しかし、Saya dihipnotis.のように名詞と動詞の区別がはっきり出てくる場合はともかく、インドネシア語ではSaya kena hipnotis.もSaya kena hipnosis.も両方可能であるために、このような文章では区別がつきにくい。
東ジャカルタ市ラワマグン(Rawamangun)に住むネラさん29歳、女性、が会社帰りに近くのブンドゥガンヒリル(Bendungan Hilir)のバス停でバスを待っていると、自分と同年代の男性が話しかけてきた。「わたしは電気製品を売りたいですが、どこで売れますか?」外見はプリブミそのものだが、言葉に多少訛りがある。「そうねえ、マンガドゥアのほうかしら。」ネラさんが親切にその男の相手をしてやっていると、「おい、ドニーじゃないか。」ともうひとりの男が現れ、ドニーと呼ばれた最初の男とネラさんを近くのファーストフードの店に誘った。ネラさんは帰りそびれて当惑しながらも、ふたりの男のリードに引きずられて食事をする破目に。
ドニーは「マレーシアから電気製品を売りに来ました。」と自己紹介してからテーブルの上に電気製品のカタログを広げ、「ネラさんもひとつどうですか?」と売り込む。意外と廉い価格に驚くネラさんにドニーは「どれがいいですか?」と尋ね、ネラさんはカタログの中のテレビを指差す。ネラさんの相手をしながらドニーは友人の手首に輝いているニセモノローレックスに目を止め、「おっ、それいいな。売ってくれない?何ドル?」と交渉をはじめて、ネラさんの眼前で米ドルの札びらを切る。ドニーの友人は「じゃこれから三人でそごうへ行こう。」と言って店を出るとすぐにタクシーをひろった。別れるきっかけがつかめないまま、ネラさんもタクシーに乗り込んでプラザインドネシアへ。
そごうの中であちこち引っぱりまわしてからドニーは「ネラさん、あなたのクレジットカードに残高はある?」と尋ね、「4百万ルピアあるわ。」とネラさんが答えると、ブランドものの靴とベルトを買って「これ払ってくださいね。」とネラさんに払わせる。「他に貯金は?」というドニーの質問に「BCAに190万ルピア」と答えると、「じゃあそれを全部おろそう。」と三人はATMへ。おろしたお金を全額ドニーに渡すとドニーは、「このローレックスはネラさんに差し上げよう。」と腕時計を渡す。そして「ネラさんの携帯電話をちょっと貸してね。」と電話機を取り上げ、当惑しておろおろしているネラさんを残してふたりの男は去って行った。
それから三ヶ月ほどたったある日、スディルマン通りのBRI銀行でドニーを見かけたネラさんはすぐに近くにいた警備員に警察を呼んでもらい、めでたく犯人逮捕とあいなった。
「どうしてあのように言われるままに何でもあげてしまったのか、今でもわけがわからないわ。」と述懐するネラさん。一方、犯人のドニーは、『買いませんか?』と商品を見せてそれに興味を示した女は必ずカモにできる、と豪語する。「はなから興味を示さない女はどんなに口説いても失敗するけど。」
やはりヒプノシスに引っかけられたスルポンに住むラニさんも、ボリビアの1千ペソ札6枚をUSドルだと言われてそれと引き換えに貯金と宝石貴金属のすべてを渡してしまった。「あのときわたしの眼はたしかにボリビアという文字を見ていたのに。どうしてそれをUSドルだと思ったのか全然理解できないわ。」と語るラニさん。
まるで嘘のような話だが、ネラさんやラニさん以外にもヒプノシス詐欺の被害にあったひとは少なくない。世の中には催眠術にかかりやすいひととかかりにくいひとがいるようだ。催眠術は決して超自然の魔法や魔術ではない。「こっちを見ろ。わたしの目を見ろ。」と術者の目の中をのぞかせ、強い眼光を相手の眼中に注ぎ込んでその意志を自在に操る魔術などではなく、心理学の範疇に属すアカデミックな研究の対象だ。聞くところでは、催眠術にかかりやすいひとというのは暗示にかかりやすいひとであり、つまりは依存心が強く、自分と他人の区別を対立的にとらえようとすることが不得手で、自意識が未発達で自我の確立が不十分といった傾向がみられるらしい。これは言い換えるなら、他人を受け入れよう、他人を信じよう、他人に導かれようという心的傾向の強いことを意味しており、かれらは他人に容易に感情移入できる性格のひとたちなのである。アジア的価値観から見ればこのようなひとは概して善人とされるのだが、善人が悪人の餌食となるのはやはり世のならいなのだろうか?
他人は他人、自分は自分、という頑固者は暗示にかかりにくいので、催眠術師も手を焼く人種であるにちがいない。自分の内面に他者の侵入を容易に許さない自我がしっかりと根を下ろし、決して他人の言いなりにならないよう目を光らせている。入り込もうとする暗示は取捨選択しようとするし、極度に強い暗示のために自我が危険を感じると、即座に防御壁をめぐらしてその中に閉じこもってしまう。
1998年5月暴動以来流行語となった『プロボカトル(provokator)』は他人を煽動して放火略奪破壊行動を行わせる者を指す言葉だ。暗示や影響を与えて他人を操るという点で催眠術師と似通った要素を持っており、大衆心理学を十分に把握した者が現場で指揮を執らなければ、多発している煽動行為があれほどうまく暴動へと結びついていくはずがない。そしてあれだけ暴動や暴力衝突がいたるところで発生し続けている事実は、煽動される者としての大衆が暗示にかかりやすく、他人に操縦されやすい性向を持っていることの明白な証明であると言えなくはないだろうか?よしんば、本来内蔵されていた破壊性向が群衆心理によって容易に抑止のたががはずされ、現実化していったのがあれらの暴動だという見方を取ったとしても、群衆がいとも簡単に集団ヒステリーあるいはトランス状態におちいっていく事実はやはり暗示に対する豊かな受容性を肯定しているように思えてしかたない。
たまたまミクロレッの中で隣に座る。薬局で名前が呼ばれるのを待っている間に隣に座る。人と人の出会いのチャンスは無限と言ってよい。どこか東のほうの国へ行けば、他にあいた席があるときにわざわざ知らない人の隣に座りにくるようなひとは稀だ。もしそんなことをすれば相手は強い警戒心のかたまりと化し、中には席を立って他の場所へ移るひとも出てくる。だがインドネシアのひとびとはいとも自然に隣に座り、すぐにうちとけて話をはじめる。名前は?住所は?仕事は?誰それさんを知ってる?お宅の近所に住んでるAさんは?あのひとはわたしのファミリーで・・・・・。じゃこんど近くへ来たら家にも寄ってください。こうして友達の輪は容易に広がって行く。
このようにして拡大した人間関係のどこかに警察や公務員や大会社の部長重役やらが引っ掛かってきて、こんど息子が高校を終えるから、どこやらの総務部長をやっているだれそれさんに就職を頼んでみよう。どこやらで道路工事があるらしいから、公共事業省のだれそれさんに頼んでセメント納入の入札にうちもひと口かませてもらうようにしよう。隣の家のご主人がやってる店の従業員が店の車で事故を起こしたそうで、そのトラックをなるべく早く返してもらえるように警察のだれそれさんに頼んであげよう。なあにゴトンロヨンだわな。それにただで頼むわけでもないし・・・。
だがそんな人脈拡張にもリスクはある。おともだちになって家へ遊びに来るようになると、大工道具を借りて行く、電話を借りて長距離電話をかける、カメラやタイプライターを借りて行く、はては子供の入学金だなんだとかなりの額を借りて行くが、なにひとつとして返ってきたものはない。そのうちお互いに気まずくなって疎遠になり、返してくれと言う機会も得ないまま縁が切れてしまうというような、ある意味でハッピーな結末が訪れる。
とりわけジャワのひとびとは人間関係の中にコンフリクトが存在することを忌み嫌う。個人の所有権をめぐって対立するなどもってのほかであり、愛情に基づく調和のとれた人間関係や秩序の確立された社会のありかたが個々人の欲求や権利云々より大きく優先されるべきものであるらしい。要は、対立的人間関係はtidak enakなのであり、そんな状態に陥らないようにするために個人の権利に対する侵害や物質的損害に目をつぶることをいとわない。そのような価値観の中に自と他を厳然と峻別する個人主義が育ちうるだろうか?上位者の指示に無批判に従うことこそが美徳であって、上位者の尋ねることに答えるのは当たり前だが、上位者が尋ねてもいないことを「わたしはこうしたほうが良いと思う。」などと言ってくる者は「上長のわたしに指図しようというのか?自分を何様だと思っているのだ、この身の程知らずの若輩は。」と秩序破壊の罪を一身に浴びせかけられて造反者の烙印を捺され、以後の人生を棒に振ることになりかねない。個人の考えや個人の意見を持ち、ましてやそれを口にしてよいのはだれもが「このひとなら」と認めるひとに限られ、その他大勢の群衆にとってそんなものを持ったり口にしたりするのは社会秩序内における悪徳以外のなにものでもないのではあるまいか。
しかし考えや意見を持たないのが良いことだといっても、人間である以上ひとは感受性を持っており、自分の属す共同体社会に危険がもたらされるような状況にはだれもが『否だ』という意見を抱いてしまう。それを放置すれば共同体社会が混乱崩壊の道をたどるおそれがあるために、上位者や指導者は『否』を言明して社会の全員に基準と価値観のよりどころを与えてやらなければならない。政府が社会生活上の倫理的な事柄を折に触れて表明するのに接し、「これではまるで子供扱いではないか。」と違和感を抱いたのはわたしばかりではないだろう。「電車に乗るときには切符を買わねばならず、無賃乗車は犯罪行為なのだ。」と国有鉄道会社の上層部が新聞を通して国民に呼びかけるようなことがどこの国でも行われているとは考えにくい。1998年11月のスマンギ事件の前後に頻発した大学生デモに関連して大学当局が出した声明も、わたしの首をひねらせるのに十分なものだった。それまで学生たちは連日のようにデモのために街に出ており、講義など開店休業のはずだったが、大学学長が突然「大学生のデモ参加を大学当局は承認し、デモ参加の学生は出席扱いする。」との声明を発表した。これもやはり基準と価値観のよりどころを求める学生たちに向けて放たれた天の声だったにちがいない。
そのような社会におけるものごとの価値判断は家父長や長老あるいは宗教師が言明することで個々人の中に定着するのが普通だから、価値判断の与えられていない状況に直面せざるを得なくなったとき、ひとびとの大半は自己判断をすることなく周囲のひとびとの行動をまねたり、その場に出現した強いリーダーの指示に従ったり、あるいはわれと我が身を投げ出してことの成り行きに身をゆだねてしまう。プロボカトルたちが行った環境作りと群衆操作のための演出は巧みにその本質をつかみきっており、かれらの手管の鮮やかさは実に心にくいばかりだ。
そしてヒプノシス詐欺師もその本質をつかみきっている。被害者のほとんどが女性であるということも、男尊女卑の社会原理の中で無条件に隷属を強いられ、無批判に父・兄・夫の命令を受け入れることをしつけられて自己判断の訓練をないがしろにされてきたのが女であるという事実に符合しているようにわたしには思える。
ポンと肩を叩かれたとき、叩かれた場所を手で払えばヒプノシスにかかることを免れることができる、とインドネシアのひとびとは言う。叩かれた場所を手で払って「わたしは相手の影響力をはらい落したんだ。」という意識を自分の中に持つことは、相手を無批判に受け入れるという位置から自分を脱却させ、同時に相手が上位者の位置につくという構図を瓦解させるための防御的自己暗示なのかもしれない。
ところで、あれだけチャベを食べ慣れているインドネシア人でも胃腸が鋼鉄でできているわけではない。チャベの刺激は胃や腸に穴をあけさせても不思議はないようで、さしものインドネシア人でさえチャベを食べすぎれば腹痛を起こす。
女中のニニンは西ジャワ州マジャレンカの出身だ。前のルバランのとき、休みをもらったニニンはなつかしいファミリーの待つ故郷の村に帰ってきた。ルバランが終わって数日たったある日、村にひとりの男がやってきた。わりと小ざっぱりした服装をしている四十がらみの鋭い目つきの男は村のワルンで昼食を摂り、居合わせた村人にあちこちの地方の話を面白おかしく語って聞かせた。そのうち話がどう展開したのか、「オレはたらい山盛りのチャベを一度に食うことができる。」と言い出したのを村の衆が信用せず、それでは賭けようということになったらしい。話は瞬時に村の中を駆け巡った。
村役場前の広場に山盛りのチャベが入ったたらいが置かれ、ブリギン(Beringin)の木陰には村の長老たちが縁台を出して座り、その前には村人たちの出した賭け金が竹かごに集められて置かれている。広場の周囲には老若男女子供にいたるまで、村の衆が総出でその場を取り巻いた。
鋭い目つきの男は眼光鋭くぐるっと村の衆をにらみ渡すと、全員に聞こえるように大きな声で威圧的に呼ばわった。「オレがこれからこのチャベを全部たいらげる。そして賭けに勝ったオレがそこの金を全部もらっていく。あとで不平を言うやつは許さない。」男はそう言っておもむろにたらいに手を伸ばすとがっしりした手でたくさんのチャベをわしづかみにし、村人たちの見守る中でそれを頬ばりはじめた。緩やかに流れる時間の中で男の動きも緩慢に進行したが、たらいの中のチャベは着実に減っていった。
何時間たっただろうか。太陽がタンポマス山に向かって傾きはじめるころ、たらいの中は空になっていた。男は鋭い眼でふたたび村の衆をぐるりと見まわしてから、威圧的な口調で怒鳴った。「さあ、オレが賭けに勝った。この金はオレのものだ。それでは村長さんはじめ村の衆のみなさん、さようなら。」男はそう言い捨てると竹かごから金をかき集め、街道に向かって歩き去った。
村人たちはあっけにとられて男の姿を黙った見送っていたが、男の姿が見えなくなると何人かの村人が突然家へ急いで帰ろうとしてあわただしい動きを見せた。そしてまだ居残っている村人たちの間からあちこちで「腹が痛い。」という声が聞こえはじめたとき、チャベを食べ過ぎたときに起こる、あのなじみある焼けるような痛みが胃のあたりを走るのをニニンは感じていた。


「サルンナショナリズム」(2012年3月15日)
インドネシア土着の衣装にサルン(sarung)というものがある。サロン(sarong)とも発音され、日本人にはサロンという表記のほうがなじみやすいようだ。
このサルンは一枚の布の端を合わせて縫っただけの筒状のもので、筒の中に両足を入れ、下は足首あたりまでおろした状態で腰の部分を絞って結わえる。丈は腰の部分で調節できるから、足が長い人も短い人も同じサイズのサルンを使うことが可能であり、裾上げなどといっためんどくさいことは必要ない。また男も女の同じように使っており、完全ユニセックス衣装と言うことができる。地方部へ行くと、大勢のおじさん・おとうさん・若い衆がサルン姿でオートバイに乗っている姿をよく目にする。
インドネシアで人気の高いサルンには次のようなものがある。
1.sarung tenun khas Balin (kain poleng)
2.sarung sutra Bugis
3.sarung tenun tradisional Samarinda
4.sarung khas suku Batak (sarung ulos)
5.sarung khas Gresik
6.sarung tenun Goyor
7.sarung Donggala
実際に常夏の国でこのサルンを使うととても快適であり、パンツ(失礼!)を持ってくるのを忘れたときでも、シャワー上がりにサルンが一枚あれば怖いものなど何もない。インドネシア人にとってサルンは生活必需品のひとつであり、低階層のひとびとはサルンひとつでマンディをしに行くし、夜に気温が下がればブランケット代わりに使っている。特にムスリム男性にとっては、礼拝時のサルン着用はほぼ常識と化しているようで、平常日の礼拝と大きな祝祭の礼拝は衣装を別けているようだ。
コンパス紙R&Dが2012年2月29日から3月2日まで全国12都市住民717人に対して行ったサーベイで、都市生活者の中ですらサルンの使用率は90%もあることが確認された。
質問1)あなたはサルンを持っていますか?
回答1)はい89.4%、いいえ10.6%
質問2)あなたがサルンをはくのはどのような時ですか?
回答2)
宗教祭事・礼拝 70.2%
日常生活で 12.0%
慣習的伝統的祭事 9.1%
休息・リラックス 7.1%
その他 1.7%


「高級車は他人を見下すためのもの」(2012年3月23日)
2011年12月24日付けコンパス紙への投書"Pengemudi Mobil Mewah dan Kakek Tua Pesepeda"から
拝啓、編集部殿。去る11月4日午前6時半ごろバンドン市内ダゴの高架道路下交差点で老爺がひとりゆっくりと自転車をこいでいました。場所はそれ以上左に寄れないくらいの道路はしです。そこへ突然黒塗りの高級車、プレート番号G150xGNが現れて、自転車に向かってクラクションを執拗に鳴らしたのです。
その高級車の中にいまにも出産しそうな女性か、あるいは病院に早く着かなければ生命にかかわるひとでも乗っているのかとわたしは思いました。ところが何度もクラクションの音をけしかけられて自転車の老爺が怒り出したら、その高級車はゆっくりとスラパティ通りのほうへ、ゆるいスピードで走り去りました。そのとき道路上は少しも混雑しておらず、がら空きだったのです。
インドネシア人の路上での振舞いがどう変化したのかということを示す明白な実例がそれでした。傲慢で、忍耐心に欠け、自分だけがえらくて、他人をやっつけるのが大好きなのです。高級車を使う運転手や車のオーナーがそれにふさわしい優雅な振舞いを身に着けるようなことはもう期待できなくなりました。[ バンドン在住、アレクサンドル・ユリアント ]


「貧乏人の子沢山」(2012年4月3日)
国家住民管理家族計画庁が行ったサーベイで、都市部貧困層は一家庭に3〜6人の子供がおり、極端な家庭は10人も子供がいて、国民人口増のエンジンになっていることが明らかにされた。このサーベイは貧困者のシェアが大きい州をピックアップして行われ、ジャワ島は中部ジャワ州(シェア14.3%)、外島は西ヌサトゥンガラ州(シェア28.2%)とゴロンタロ州(18.8%)が対象になった。
都市部貧困層の子供のクオリティは低い。西ヌサトゥンガラ州では小学校でドロップアウトする子供が多く、かれらは建築作業者や雑仕事をなんでもやる少年労働者になる。貧困家庭は子供に十分な教育や発育のための基礎需要を与えてやることができない。その悪循環を断つにはこの階層に対して家族計画を普及させなければならないのだが、かれらは「子供が多いことは豊かさの源泉であり、両親の老後への投資である」と信じており、加えて家族計画活動への知識と理解が欠けているため、なかなか捗らないのが実態だ。同庁は家族計画に参加した貧困層に対して、事業を開始するための資金を貸し付ける便宜を図ることにしている。


「ファッションデモクラシー」(2012年4月11日)
デモクラシーとは峻別するものであり、同時に断定するものだ。峻別すると言われるのは、デモクラシーが民衆の政体にもとづくものであり、君主制におけるような政体の民衆とは違っているためだ。断定するものとしてのデモクラシーは、最高権力を保持しているのが民衆であることを表明している。しかしインドネシアのように依然として多義的なデモクラシー文化の中では、民衆優位という断定が問題を生む。民衆が石油燃料値上げ方針を拒絶したとき、その事態に対する姿勢を求められたときのジョコ・スヤント政治法曹治安統括相の表明がその問題のありさまを描き出している。『インドネシアはデモクラシー国家である』という主張に引きずられたのだろうが、政治法曹治安統括相が世間に向けて、石油燃料値上げ政策に不満であるならデモをどうぞ、と勧めたのである。「親が家計の切り盛りをうまく行えない家庭では、子供は我慢を強いられる」ジョコ・スヤントはそう言った。
<瑕疵ある表明>
政治法曹治安統括相のその表明には瑕疵がふたつある。まず、民衆の政治参加が、あたかも民衆の物理的衝突のためにわざと用意されたかのような都市部の街頭でのみ行われるという表明だ。民衆は、公共利益をもっと優先させるべく、行政者とどのように会話し、どのように協働し、どのように政策を監視してどう感化するかというような実際的な参加の仕方を教えられていない。ジム・シュルツはその著『デモクラシー取扱説明書』の中で民衆の政治参加について、単にだれを選ぶかにとどまらず、民衆の参加は選ばれた者がどのように権力をふるうのかを監視する、と述べている。
次に、政府と民衆の関係を親子に擬して描くのは民衆の服従を生み出すためのうわべを飾る支配戦術であり、巧妙なやり口だ。この家父長的関係は、パワー関係を通して民衆の服従を構築したオルバ期よりもっと粉飾されている。民衆は従属者であり、一枚岩のハードな権力者(ヘゲモニックな政党と軍というマシーンに支えられた強力なリーダー)と不均衡な形で結びついている。
民主的な国家では、政府と民衆の関係は親子関係のようなものでないのが明らかだ。「市民は社会のオーナーであり、政府は民衆が作るものだ」とジンバブエのひとびとはデモクラシーを物語った。それゆえ、デモクラシーの運営は民衆の服従という方向性でなく、政府が決定することがらのひとつひとつが民衆の利益に服従するという方向に向かうのである。
<デモクラシーの麻酔>
『インドネシアはデモクラシー国家である』という従来の主張がわれわれを麻酔状態にしていた。ところが現在運営されているデモクラシーはただのファッションデモクラシーでしかないのである。ファッションデモクラシーの中では、デモクラシーの主要三要素である政治パワーの制定・パワーの構造と執行・政治パワーの統御が、理想とされる目的から意図して大幅に捻じ曲げられる。たとえば政治パワーの制定については、膨大な金をかけた選挙大祭を通して実現される。参考までに、スマトラのある小都市の市長になるには100〜150億ルピアの資金を用意しなければならない。県令のお値段はもっと高く、中部ジャワ・東ジャワでは200〜400億ルピアだ。
この政治パワーの商品化は、選挙でのごまかしや不正行為そして選挙結果に対する違法裁判の発端となり、行政は効果的に執行されず、係争コンフリクトは社会生活に青あざを作る。超高価な選挙結果のクオリティはまた別物だ。2011年3月までに17州知事と158県令・市長が汚職事件に関連して摘発されている。
次のパワーの構造と執行という要素については、中央集権政治から地方分権へという政治構造の変化どまりだ。この変化には、中央から地方への権限・機能・責任の移管プロセスが付随しなかった。ハンチントンがその著「変革社会の政治秩序」(1968)の中で述べているような、政府へのロイヤルティを一層深化させ、権力とそのコントロールが誘導的でボトムアップ的性質を持つようにビューロクラシー風土を整備し地方のデモクラシー風土を強化する努力すら付け加えられなかった。起こったのはむしろオリゴポリーサイフォンだった。
一方、政治パワーの統御は表面だけだ。われらが立法府の制御能力は、特定グループの利益に支配されている国会予算院でわれわれが見たあらゆる出来事が示すように、取引原理に冒されてしまった。エリート層の利害対立の浸透とセクター政治エゴがマスメディアのコントロール機能を蝕み始めれば、状況はさらに悪化する。
締めくくりとして、ファッションデモクラシーはデモクラシーから奉仕と献身の心を差し引いたものだと用意に結論付けることができる。民衆を疎外し、互いに争うようけしかけ、噴火口の中に民衆を置くデモクラシーだ。ファッションデモクラシーは共同生活を維持するための原理でなく支配権を握るための方法のひとつであり、民衆を童話と飴玉を与えていれば十分な子供のようにするものなのである。
ライター: アリンド理事、アグス・ヘルナワン
ソース: 2012年3月29日付けコンパス紙 "Fashion Democracy"


「豊かさに満ちた社会」(2012年4月16日)
「豊かにあふれかえっているようだけど、貧乏人も金持ちも関係なく、われわれ親にしてみれば、こんな暮らしぶりには緊張の連続なんですよ。」
その奥さんの言葉は、もちろん逆風だらけの公共スペースにおける日常をわたしに再点検させたあげく、わたしをかなり憂鬱にした。
一面では、インドネシアの諸都市はモールと庶民的なライフスタイルに満ち溢れている一方、別の一面では極度の混乱とさまざまな形態の暴力に満ち溢れている。
ほかの現象を見てみよう。国会は余裕しゃくしゃくとしてビル建設予算を2,593億8千万ルピアに44%アップさせたが、皮肉なことに2012年1月21日のBBCテレビが流したニュースには、小学校へ行くために大きな川をまたいでいる腐った木の橋を渡る以外になすすべのないバンテンの子供たちの通学風景が映っていた。ナレーションはそれを「インディアナ・ジョーンズのシーンより危険なものだ」と評していた。
今の状況に対する緊張がレフォルマシ時代の政治家に不足しているのを、わたしは悲しむ。国民の緊張感は社会不安の徴候を示すものだというのに。自殺する家庭や群衆アモックの数々を見ればすぐにわかる。
「広告も勝手なことを言うじゃないですか。アパートメント価格がたったの4億ルピア!労働者の日給がいくらかなんて、頭の中にはないでしょうね。」
『たったの』という言葉に反応した職探し中の若者の嘆息に、ますます公共倫理をこそぎとって行くマテリアリズムが指向する豊潤さへの憤りをわたしは感じ取る。
住宅地域のど真ん中にあんなにたくさんのモールが建てられているのを見るがいい。諸外国では、大型モールは郊外に設置され、市民に自制を命じると同時にその消費生活のタイムパターンを統御させているのである。公共スペースというものが国民生活での日々の振る舞いを国民に教育する第一のスペースであることは明白だ。
そんな日々の状況から、生産的・快適・廉価且つクオリティのある生活空間を政府が用意しないことに関連して国民の基本的権利が保護されなくなってしまったと国民に感じさせているのではないかとわたしは推察する。スポーツ施設・青少年活動センター・交通・学校・病院などがそれを示している。その結果国民は自分たちが国民であるという意識を持てず、マテリアリズム文化がコントロールする大衆政治の上に築かれた消費者大衆であるとしか感じていないのだ。
この状況は、民族性・プロフェッショナリズム更には寛容・献身・参加などの社会的価値観を薄弱にし、国民の社会資本を削り落として、国民生活を支える大黒柱が崩壊する方向へと向かわせる。そしてやってくるのは、たがのはずれた消費志向を統御する力や方策を持たない貧困層の破壊志向(暴力や不正行動)を煽りたてて精神的抑圧(自殺・群衆暴力・極度の自己逃避)を生む異常事態の発生であり、金を持っている階層ですら健全・安全・生産的・批判的な成長空間が得られないと感じて自分の資産や子供たちを外国に移したり、自分たちだけの快適空間を作り出すことに努めるようになっていく状況だ。
そんな状況を考えつつわたしが緊張状態にあるとき、わたしの乗ったタクシーの運転手が口をはさんだ。「レフォルマシ政治家はにわか政治家で、にわかに権力に酔った連中だ。突然酔っ払った最中だから、民衆のことまで気がまわりゃしないやね。」
消費者大衆である民衆はさまざまな緊張のあふれかえった暮らしの中で、とても巧みに自分を慰め楽しませていることに、わたしは慰撫された。しかし、それもいつまでのことだろうか?
ライター: ガリン・ヌグロホ
ソース: 2012年1月29日付けコンパス紙 "Limpah Ruah"


「敬老社会」(2012年4月25〜27日)
インドネシア人の家庭は大勢の構成員を擁する大家族が一般的で、長幼の序を基盤に家族愛に包まれた構成員間の上下関係が強調される、家族主義的色合いの濃い姿をしている。老人は大切にされ、子・孫・曾孫の各世代がいたわりなついて老人に日々の活動と生きがいを与えている。ジャカルタの上流階層向けモールへ行くと、車椅子に乗った年寄りを大勢の一家が取り囲んで徘徊している姿を昔からよく目にした。そんな姿は、ここは年寄りを大事にする敬老社会だという印象をわれわれに与えてくれる。
ただし家族主義文化の社会では、社会の広がりは血族およびその周辺に強く関わるひとびとが形成する空間までであり、その外は見知らぬ他人がひしめいているエイリアンの集合体であるという意味付けがなされているため、家族主義文化を脱皮した社会が持つ共有意識共存意識の広がりとは違うものになっている。
つまり、世の中とは自分と同じウエイトを持つ見知らぬ他人と共存共有している共同体社会なのだというのが一方であるなら、他方は家族主義社会のウチとソトを厳然と峻別し、濃密な感情共有や連帯感はその社会のウチでのみ存在するが世の中にあるソトの空間を占めている見知らぬ他人との共存共有意識は低く、ソトにある利益をウチの利益にするように努めることが自分の社会への貢献であると考える大勢のひとびとで構成されている世の中なのである。だからインドネシアが敬老社会であるというのは家族主義社会という枠の中に限定され、広く世の中全体にまで届いているわけではない。
となれば、家族主義を支える原理のひとつである親孝行や敬老を実践できる経済力の有無いかんで、老人はもてあまし者になってくる。インドネシアでもてあまし老人は貧困問題なのであり、人倫観や家族観などの基本的な原理の変化がもたらすライフスタイル問題にはまだ至っていない。もちろん世の中にある家庭の中身は千差万別であり、ひとびとはさまざまな考え方の中で生きているわけで、わたしが言っているのは社会の大きな傾向としての話であり、家族のエゴで老人がもてあまし者にされている家庭などないと言っているわけでは決してない。
インドネシアでは60歳を超えると老齢者と見なされる。平均余命は女性が71歳、男性が67歳で、2009年の社会経済調査によれば、老齢女性は1,040万人、老齢男性は880万人いた。全国には274軒の老人ホームがあり、中央政府と地方政府が運営しているのはそのうちの10%ほどで、残りは民間だ。そのひとつ、ジャカルタのトレスナウェルダ社会保護院には146人の老齢者が暮らしており、女性が三分の二を占めている。老齢者保護国家コミッションがまとめた2009年老齢国民プロフィールによれば、夫と離婚あるいは死別した女性の多くはその後独身を続けるひとが多く、反対に男性はすぐに新しい妻を迎えていることが明らかにされている。2007年社会経済調査は、老齢男性の妻帯比率が85%なのに夫のいる女性は38%しかないことを示している。
老齢者の多くが女性で占められているということは、そこにジェンダー問題がからんでくることを無視できなくしている。女権活動家のひとりは、ジェンダー感性のまだ弱い社会で、老齢女性は三つの要素が複合的にもたらす疎外を甘受しなければならない、と述べている。その三つとは、年寄りであること、女であること、そして貧困であること、だそうだ。
老齢者の生活クオリティは学歴にも関係している。2009年社会経済調査によれば、学歴なしという女性は44.5%もおり、男性の17.8%よりはるかに多い。政府はまず老人ホームに暮らしている老齢者に楽しみや生き甲斐を与えるような活動を採りいれるべきだ、という声も出されている。
社会省老齢者社会サービス局法務老齢者緊急社会サービス次局長が、十分な世話を受けていない60歳超老齢者が全国に230万人いると表明した。2007年データの200万人は4年間で30万人増加している。それらの生活喪失老齢者は世話してくれる家族がいなくなったか、もしくは家族が貧困なために老人の生活を支える十分な資力がなく、愛情が得られずまた栄養も不足し、中には病気で寝たきりという者も少なくない。
「老齢者にふさわしい生活が得られないのは、家族が貧困であればあるほどそうなっていく。都会では、貧困層は毎日を日銭稼ぎに費やさなければならず、老人に付き添って世話をする時間が限られている。それでも十分な稼ぎが得られなければ、老人も一家のために何かをして稼がざるを得なくなり、路上に出て乞食をするようになる。一方、地方部では、生産的年代のひとびとは都会に出て働こうとし、田舎の家に老齢者だけが残されるようなことが起こる。」法務老齢者緊急社会サービス次局長はそう述べている。
社会省は生活喪失老齢者、中でも長期疾病や寝たきりあるいは他人からの援助に依存して生活している者への保護としてひとりあたり月額20万ルピアを支給しており、2万6千5百人がその対象になっている。そのうちの71%が女性だそうだ。
社会省は老齢者対策として、地域内での老齢者ケアを高めることを提唱指導している。老齢者の家族が自宅で世話をし、地域住民がそれをサポートすること、必要であれば地域住民が昼間世話をすること、などを通して老齢者をできるだけ家族や隣人のいる場所で生活させるようにし、老人ホームは最後の手段という位置付けにするよう指導しているのである。
中央統計庁データでは、2000年の老齢者人口1,530万人は2010年に2,400万人に増えた。2020年には2,880万人になると推定されている。老齢年金制度は国家公務員だけだった時代から、民間の大手企業も独自に保険を利用するところが増えてきてはいるものの、大多数国民は依然としてそこから遠い世界に住んでいる。その大多数国民は年老いて体が言うことをきかなくなればすぐに収入に影響し、瞬くうちに貧困階層に落ち込んでしまうようなひとびとで構成されている。国の国民保障制度は法制化されているものの、その実施システムの内容さえまだまとまりきれていないのが実態であり、国民がその制度の恩恵を享受できる日がいつやってくるのかはいまだに五里霧中だ。
2005年の老齢者依存率12.2%は2009年に13.3%に上昇した。生産的年齢人口7.5人がひとりの老人をサポートしなければならない社会にいまインドネシアはなっている。家族主義社会の崩壊で限定的な敬老社会が立ち行かなくなったとき、かれらの未来には何が待ち受けているのだろうか?


「パメル パハ」(2012年4月28日)
アンコッの中でレープ事件が繰り返されたため、都知事が「ミニスカートなんか穿くからだ」と発言して女権活動家層から猛反撃を受け、謝罪した事件はまだ記憶に新しい。国会では、ミニスカート禁止の議論がなされて、国会という職場内ではミニスカート着用禁止が決まった。その規定文章を読んでいないからはっきりしたことは不明だが、議員を含めて国会という場で働く者、国会に属す者に対する禁令だろうとわたしは思う。国会という敷地内を禁止の対象にはできないと思うのだが、ミニスカートを穿いた一般国民が国会の敷地に入ることが許されなくなるのだろうか?事の真偽がどうあれ、警備員がミニスカート女性を中に入れないようにするのは十分に考えられることだ。
宗教省がインドネシア国内からミニスカートを排除するための法律を作ると発表したことが電波に乗って世界中に広まり、一時騒然となった。2008年に作られたポルノ法は当初の法案では「ポルノグラフィとポルノアクション法」となっており、男にムラムラを起こさせる女性の振舞までを禁止対象にしようとしたが、結局は開放女性層の猛反対でポルノアクション関連部分はボツにされた。ミニスカート排除法案はその失地回復を狙った挽回戦だと言えよう。
インドネシア女性で、公共の場で自分の肉体を誇示するひとのほとんどは精神的にドライなひとが多いように見える。だからミニスカートを穿く女性はたいていが闊達で、多少のことにはくよくよしない。そんな明るさに参ってしまう外国人男性も少なくないようだ。ミニを穿けば太ももが見える。かの女たちは当然、見られることを承知している。pamer paha という言葉はそのあたりの精神のあり方を如実に示しているように思える。つまり「太ももを見せびらかす」のである。
ジャカルタのThe London School of Public Relationsでは、ミニスカートが禁止されている。キャンパスは大学の自治・教育の自由という観念から、何を着ようが自由だと思っているひとが多いが、キャンパスドレスコードを決めて学生に守らせているところも少なくない。ジャカルタのアッマジャヤ大学やジョクジャのサナタダルマ大学、同じジョクジャのドゥタワチャナキリスト教大学も同様だ。
PRロンドンスクールでは、キャンパス内のあちこちに写真入りでドレスコードポスターが掲げられている。ストリクトリープロヒビテッドと表示されているポスターを見ると、ミニスカート・透け透けレギング・ヒップスターパンツ・袖なしシャツ・胸の割れ目がのぞく服装・ハイヒールなどがそこに上がっているではないか。女子学生だけが対象かというとそうでもなく、男子学生も袖なしシャツやイヤリング、あるいはセンシティブな絵や言葉の書かれたTシャツなどを着用するのは不可となっている。


「長生きが不幸をもたらす社会」(2012年4月30日)
4月9日の世界保健デーでは「高齢・健康・自立・生産的を目指す」というテーマが掲げられた。そのテーマは今や国民老齢化を経験しつつあるインドネシアの状況に沿ったものだ。
国民老齢化は保健と家族計画の進展に応じて起こる国民平均余命の上昇に沿うものだ。国民平均余命は1970年代の50歳前後から2010年代には70歳へと向上した。皮肉なことに、国民平均余命が伸びたとき、60歳を超える長生きしたひとびとの生活喪失がはじまった。いま見捨てられた老人は230万人いると2012年4月11日付けコンパス紙が報道した。老齢者とは60歳以上の者を指すと1998年法律第13号で規定されている。生活喪失老齢者の存在は、いまだに包括的になされていない国民福祉行政の実態を反映するものだ。国民福祉行政というのは、国民が生まれてから死去するまでの生涯に対して行われなければならないというのに。
<見捨てられる>
社会経済状況の向上に貢献した経済開発が国民に長生きをもたらした可能性を否定することはできない。1970年に国民平均所得が4百米ドル前後だったころ、国民の平均余命は50年だった。2010年に国民平均所得は3千米ドルを超え、平均余命は70年に達した。とはいうものの、国民平均所得が必ず平均余命と正比例関係にあるわけではない。それは出生率の影響も受けるのだから。過去三十年間に起こった出生率の低下もインドネシア国民の平均余命上昇に貢献している。1970年代にひとりの母親が出産する平均人数は5.6人だったが、2000年代には2.6人となって国民の年齢構成を大きく変えた。国民の年齢構成は若年層人口の縮小と大人や老齢者の人口比率増という形で現われた。それと並行して国民年齢構成の変化が平均年齢を押し上げたのである。
その事実を踏まえて、国民福祉行政は国民年齢構成の変化に見合うものにならなければならない。つまり若年層に集中するのでなく、すべての年齢階層に対してプロポーショナルに行われるべきであり、当然その中には老齢者も含まれている。たいていの国では、そのように各年齢階層に対してプロポーショナルな政策が採られているため、老齢者が見捨てられるようなことはない。それどころか、老齢者人口の増加に伴って予算も増やされている。たとえば2006年スペインの老齢者福祉サービス予算はGDPの8.4%だったが、それはどんどん増加の一途をたどっており、2050年には15.7%にのぼると見積もられている。一方、1970年代から老齢化のはじまった日本では、老齢者人口がきわめて大きいにもかかわらず、かれらは見捨てられていない。老齢者人口の増加にともなうプロポーショナルな老齢者保護スキームを日本政府は企画したようで、政府・家庭・地元社会・社会福祉機関から実業界までさまざまな要素がそのスキームの中に盛り込まれている。
<責任転嫁>
反対にインドネシアはいまだに老齢者国民に福祉を与えることができず、老人の暮らしに対する責任をその家族の問題と位置付けている。一部国民の所得が一日2米ドル未満であるという状況は、老齢者の暮らしを保護するために必要な費用を負担することがきわめて困難であることを想起させるものだ。老人が罹りやすいガン・糖尿病・心臓病などさまざまな疾病に対処し、且つ日々の暮らしを確立させるための費用は決してちいさいものではないというのに。
大家族から核家族への移行がもたらしている家族構成員間のつながりの弛緩によって老齢者の生活はますます不確定の度合いを強めている。だから国民家庭の負担を減らすために老齢者国民の保護に向けて政府の役割はもっと拡充させなければならない。本当は政府は、老齢者福祉のための法的ツールを持っている。2004年政令第43号には、三つのアスペクトが盛り込まれている。ひとつは、宗教的知的精神的サービス、もうひとつは保健サービスとジェネラルサービス、三つ目は公共ファシリティ利用に関する便宜だ。その法規の実施にあたって政府、保健省はいくつかのプログラムを企画した。ひとつ、老人ホームや社会保護施設にいる見捨てられた老人への老齢者社会保健保障制度。ふたつ、老齢者対象の統合サービス窓口。三つ、老人病専科あるいは老人に優しい保健所。
しかし残念なことに、それらのプログラムは全老齢者の利用できる状態にまだなっていないし、特に230万人の見捨てられた老人たちを含む貧困老齢者に対してまだ十分な効果を発揮していない。それはたぶん、老齢者保護のための予算不足と老齢者保護に関する社会啓蒙の不足というふたつのことがらが組み合わさって起こっていることなのではないだろうか。親を老人ホームや社会保護施設に入れることに恥の気持ちを抱く家庭が少なくなく、あるいはそんな家庭を心無いと判定する世間の見方があるために、社会啓蒙はたいへん必要とされている。老人が見捨てられないよう老齢者福祉のためにさまざまな対策が必要とされている。平均余命が長期化したら老齢者が見捨てられるようになるなんて、実に皮肉な現象ではないだろうか。
ライター: 中央統計庁労働住民統計局長、ラザリ・リトガ
ソース: 2012年4月23日付けコンパス紙 "Ironi Umur Panjang"


「ラズリ・サラエのバティックジーンズ」(2012年5月12日)
デニム生地の上にバティック布を縫い付けるデザインのものは昔からあったが、デニム生地に直接バティックを描こうとする者はいなかった。バンドン工科大学デザイン系を卒業したラズリ・サラエとイファン・クルニアワンが興したラズリ・サラエブランドのデザイン衣服はデニム素材に直接バティックが描かれており、バンドンの若者たちの間で人気が高まっている。
シャツ・ドレス・ジャケット・ブレザー・ショール・ホットパンツなどさまざまな衣服には明るいバティック模様が入っていて消費者の目を引く。使われているバティックパターンはパランかカウンだそうだ。それらがもっともバティックのイメージを見る者に思い出させるものだからだ。しかもかれらは伝統的なパターンをそのまま使わず、核部分だけを取りだして独自のタッチを加えている。
最初、ラズリ・サラエブランドはオンラインショップで売り出された。そして国内のあちこちで開催される展示即売会に出品し、多数の賞を獲得している。かれらはまだ自分のブティックを持っておらず、ジャカルタ・バンドン・ジャンビ・メダン・ジョクジャからパプアまで、諸地方の店が売ってくれるのにまかせている状況だ。ひと月の販売量は30〜40着で、展示会があると100着を超える。国外の展示会に出品するよう勧める声は少なくないが、大量に商品をそろえなければならないことが、ラズリ・サラエブランドのゴーインターナショナルをまだ実現できないでいる障害だとご当人にラズリは語っている。


「貪欲なインドネシア人金持ち層」(2012年5月17日)
インドネシアの富裕層はこの先一年間にもっと金持ちになれるというハッピーな気分に包まれている、とスタンダードチャータードバンクとスコーピオパートナーシップが共同で行ったサーベイ結果を掲載したフューチャープライオリティレポート2012が報告している。国別のオプティミズムレベルは次の通り。
1.インドネシア 98%
2.インド 88%
3.中国 78%
4.タイ 78%
5.マレーシア 75%
6.韓国73%
7.シンガポール 70%
8.香港 68%
9.台湾 67%
平均値 77%
インドネシアの富裕層は年間18%の利回りを期待しており、7年間で290万ドルの上昇をもくろんでいる。このサーベイに応じたインドネシア人富裕層の67%は過去一年間に資産が増加したことを明らかにし、この先一年間の予測も「それ行け、どんどん」の掛け声が脳裏にこだましている。一方、過去一年間にうまく行かなかったひとも、この先一年間は一打逆転の機会が待ち受けているときわめてポジティブな気分に浸っている。
このサーベイは上の9ヶ国で2千7百人の高額資産保有者を対象に行われた。その結果を概括すると、投資対象の筆頭はゴールドが占めている。続いて自宅以外の不動産、そして定期預金というのが人気のトップスリー。中でもゴールドを投資対象のトップに据えている比率はインドネシアが最高で、インドネシアの黄金投資は現物を購入して保管し、必要に応じて手放すという在来型方式がメインになっており、やはりそのプロセスが安心感をもたらすものであるようだ。インドネシア人のゴールド投資比率が高いのは、他の投資ツールが比較的貧弱なせいだろうとサーベイコメントは述べている。海外の投資にもインドネシア人富裕層は貪欲で、アジア域内を狙うひとびとは84%、そして63%がヨーロッパをターゲットにしている。このあたりの海外投資意欲も、国内投資ツールの層の薄さに関連しているにちがいない。


「Kin−Popスターが今作られる」(2012年5月21〜23日)
インドネシアで韓流スターを発掘しようという企画のレアリティショー、ギャラクシー・スーパースターはインドシアルで放映され、そこで選ばれた若者たちが韓国に渡って厳しいスターへの道を邁進している。かれらがKorea-Indonesia Pop 略してKin−Popの第一期生となるのである。
めでたくその第一期生となった11人は、キキ、マリア、ジェジェ、イェイェ、アリ、アリフ、フィルリ、セラ、アルトゥル、テティ、ジャッキー。
キキは東ジャワ州シトゥボンド出身の20歳。かの女は6歳のときから、父親のバンド「オルケス・アクバル・ムシッ」で歌姫としての人生を歩んできた。本名リスキ・ユシスカのステージ名はキキ・アシスカ。シトゥボンドのローカルダンドゥッ音楽シーンでは名の知られた存在だ。ほとんど毎日キキはダンドゥッステージに上がる。バンドが移動するエリアは、ジュンブル・ジョンバン・スラバヤ・パスルアン、さらにバニュワギから海を渡ってバリにまで。一回のステージでかの女は80万ルピアというギャラを稼いでいた。地方では歌姫にサウェルと呼ばれるチップをファンが与える。これはもちろん、ギャラとは別の収入になる。紙幣が山盛りになったバケツ一杯のサウェルを頭から浴びせかけられたことがあると、かの女は体験を物語る。しかしキキの目はもっと遠いところを見ていた。東ジャワのスターでは終わらない。アジアのスターになるんだ。
「わたしダンスができないし、K−ポップも知らないから、オーディションではアユ・ティンティンの唄を歌ったのよ。そしたら思いがけなく通っちゃって、韓国まで来たってわけ。」
ジェジェと呼ばれるジェフリ・ハリス・グルシガ23歳も、自分が韓国に送られるとは思っていなかった、と語る。「自分は元々そんなに韓流ポップに関心があったわけじゃない。ジャズを歌うのが好きだった。ところが友人たちがギャラクシーのオーディションを受けろとうるさいもんで、その結果がこうなりましたよ。だからしばらくは大学も休学、ラジオアナウンサーの仕事もお休みで、今はアジアスターへの挑戦さ。」
スラバヤ出身のマリア・オリビア23歳は、狙ったものを射止めたようだ。元々K−ポップとダンスが大好きで、ギャラクシーで合格し、憧れの韓国でK−ポップスターになるためのトレーニングにいそしんでいる。マリアはこれまでジャカルタの去る広告会社でジュニアアートダイレクターの仕事をしていた。アートデザイナーになるという道を歩んでいたマリアも人生の岐路に立ち、そしてアーティストの道を選択した。
かれらは京畿道プジュの二軒の家を寮にして寝泊りし、YSメディアがアレンジするトレーニングや諸活動に従っている。インドネシアでは考えられなかった規律正しい毎日の生活がかれらの精神まで鍛えていくようだ。毎日の暮らしを監視カメラが追い続ける。ふさわしくない行動が見られたら、警告カードが与えられる。故国の親とのコンタクトも制限される。性格的に問題があるとかアーチストとして開花しそうにないと主催者側が判定すれば、いつでも帰国のための航空券が渡される。
コンサルタントがひとりひとりのイメージ作りをまとめていく。ジェジェの黒髪は亜麻色に変わり、耳にはピアスがはまった。肥満気味のかれは体重を15キロ落とせと言われている。もう一ヶ月間ダイエットしているが、まだ1キロしか減っていない、とかれは悲観気味な表情を浮かべる。
ダンドゥッステージで肩までかかる黒髪を振り回していたキキも今やショートヘアーに変わり、色も茶色になっている。「今わたしを見たら、母さんは絶対に目を回すわよ。」
YSメディアCEOは、韓流ポップアーチスト作りのあらゆる手法をかれらにも使っている、と語る。唄と踊りのトレーニング、スターとしてのコンセプト作り、そしてアルバム作成。これまで韓流スターを作り出してきたその分野の専門家たちがKin−Popのスター作りをも手がけるのだ。ひとりひとりの持ち歌も実績のある作曲家が手がける。「かれらにインドネシアテイストの曲を与えたいのなら、インドネシアでやればいい。」そう、かれらはあくまでもKin−Popアーチストなのだから。
韓国での基礎作りは3ヶ月間続く。そうしてからデビューの準備に入る。初回アルバム作りはそれからだ。それが終わればKin−Pop第二期生がまたやってくる。どうしてそれを韓国で行わなければならないのか?YSメディアCEOは言う。「インドネシアには良いアーチストがたくさんいる。しかし音楽産業はまだ良い形でインテグレートされていない。もちろん将来的にはプロセスの一部をインドネシアで行うようになるだろう。」
Kin−Popスターがアジアで輝く日が来れば、韓流はさらにそのスケールを拡大したと言えるにちがいない。


「カルティニが今いたら」(2012年5月29日)
カルティニ記念日にふさわしいイシューがいま四つある。女性の教育・ポリガミ・未成年結婚・生殖保健がそれだ。いまだその四つのイシューは現実にインドネシアの人間開発における大きい問題をなしている。
メイリン・ウイが最近行った教育サーベイで出てきたデータは、女子生徒の就学率が低いというこれまでのイメージを覆した。15年間の基礎教育期間のすべての学年にわたって女子生徒の就学率は男子生徒を上回っていたのである。マドラサ教育に関してルマキタ財団が行った教育調査でも同様の結果が示されている。
それだけでなく、各学年にわたって女子生徒は常に輝かしい成績を示している。すべての科目で成績トップスリーは女子生徒なのだ。しかしそんなデータで喜ぶのはまだ早い。人類学的諸研究はそんな統計データに異なる意味を与えている。
<親への保証>
タングラン・ボゴール・セラン・スカブミあるいはバンドン周辺部など、農業型から工業型へ移行しつつある地域の貧困家庭は、娘を中学校までやることが生計維持の唯一の道になっている。耕作地は既に工場や住宅地に変わってしまったのだから。
そんな状況下に、定職を持たない親にとって娘の中学卒業証書は将来の保証を与えるものとなる。中学卒業証書を手にして、かれらの娘は繊維工場で働くことができるし、あるいは出稼ぎ者にもなれる。たとえばセラン地区では、女児の誕生は大きな慶びで迎えられる。一家を貧困から救い出す希望の星だからだ。その子が将来はドルやリヤルをわが家に送金してくるのだ。
これはつまり、女子生徒の就学率向上が自動的に女性の自立向上に結びついているわけではないということを意味している。それどころか反対に、ぎりぎりの教育しか与えられない娘たちの背に一家の経済負担が負いかぶせられるということなのである。自己実現とか自立などといった観念はかけらもない。娘たちはあいもかわらず自己の生き方や人生の選択をかたくなに制限している文化的価値観に縛られている。基本的に、文化面における現代人への移行が本当に起こっているわけではないのである。
ある年齢になっても娘が伴侶を得ないとき、親はとても不安になる。そのため伴侶を強制的に娘に与えることがいまでも頻繁に行われている。一世紀前のカルティニと同様に。
<少女妻>
もちろん未成年結婚などしていないカルティニは、当時その風習を批判した。あれから既に100年以上が経過したというのに、法律レベルでは解決したことになっているものの、現実にその問題はいまだに未解決のまま継続している。
ジョクジャ特別州バントゥル県にあるアイシヤ中央指導部の調査結果は、未成年結婚の風習をどうして弱めなければならないかという理由を説いている。終了したばかりの未成年とセックスに関するその調査は、バントゥルの学校に在学中の14歳から21歳という年齢層の生徒に対する717枚のアンケートの形で実施された。限定グループディスカッションで得られた、自分の身体とセックスに関する少年少女の知識はきわめて低いという結論とそれは軌を一にしている。そしてそのことが未成年結婚の多さと相関関係にあるのは言うまでもない。
大勢の少年少女たちは、メンス・妊娠の原因・避妊方法などの生殖に関する伝説を信じている、と調査結果は特記している。ドリゴ郡では、限定グループディスカッションの参加者のほとんどが生殖保健に関する公式な知識を与えられたことがない。かれらが持っている知識は同年代の友人たちやインターネットから仕入れたものだ。バグンタパン郡・ドリゴ郡・カシハン郡では未成年結婚が盛んであり、20歳未満の妊娠も多い。
未成年結婚の特裁許可を求めてバントゥル県宗教裁判所に提出された申請の多さから、その事実を推測することができる。そのような特裁許可が必要なのは、未成年結婚というものが基本的に婚姻法に定められた婚姻可能年齢条項に違反しているからだ。
アイシヤの調査では、2000年の婚姻特裁許可裁判は10件だけだったが、2010年は115件になっている。民衆の間で婚姻に関する法的証書の重要さに対する理解が高まっていることを示すデータという意味にも取れるが、それはまた未成年の婚姻が多い事実を示すものでもあるのだ。
カシハン郡とドリゴ郡での限定グループディスカッションからは、未成年結婚の風習は一般的に、親の経済負担を軽くしたいという希望、売れ残りと思われるのが怖い、望まれない妊娠、などがプッシュ要因として働いていることが明らかになっている。中でも、望まれない妊娠が未成年結婚に至らしめる最大の要因だ。望まれない妊娠は少年少女たちとその親たちの生殖保健に関する知識がきわめて貧しいことに関連している、とアイシヤ調査は強調している。
未成年での結婚と妊娠が有しているリスクのひとつに、妊産婦死亡がある。一世紀前、カルティニは出産したあとで死亡した。かの女も出産に関連して死亡した女性の一人なのだ。今でもインドネシアは母体の出産死亡問題に手を焼いている。国家家族計画統括庁は妊産婦死亡率について、成功出産10万件中228という数字を公表している。それは他のアセアン諸国に比べて高率だ。
このような状況の原因としてあげられるものは長いリストになる。しかしその中での最有力なものとして、地方自治制度が開始されて以降の政策策定者の無神経と無関心をあげてよいだろう。
<一夫多妻婚>
カルティニが高等教育を得ることができなかったのは、かの女をポリガミの世界に無理やり落とし込んだ慣習の束縛によるものだった。1928年以来の女性運動の闘争アジェンダに絶えることなく登場しているイシューのひとつがそれだが、今やポリガミは現象的にかえって活発化している。公職高官すら憚ることなくポリガミを実行し、婚姻法に定められた二重婚の許可を裁判所に求めようともしない。
今、実定法である婚姻法は総合的でないプライモーディアルな決まりに敗れ去っている。法の二重構造は明らかに、カルティニが闘った女性の権利確立の阻害要因になっているのである。
今日、カルティニの生誕記念日を祝うわれわれの心は憂いに満ちている。カルティニが懸念したあらゆることが、いまだにわれわれの眼前に鎮座しているのだ。たとえば、「宗教は罪を犯すことからわたしたちを遠ざけてくれるべきものです。ところが、どれだけ多くの罪をひとは宗教の名のもとに犯してきたことでしょう。」とかの女は批判した。今から百年も前にカルティニは、女性階層を虐げるために一部の男たちがいま正当化の手段に使っている宗教に疑問を呈しているのである。
ライター: ルマキタブルサマ財団理事、リース・マルクス
ソース: 2012年4月21日付けコンパス紙 "Nasib Kartini Kini"


「放っておいても子は育つ?」(2012年5月30・31日)
母乳だけで赤ちゃんを育てる方法はいまだインドネシアに根付いていない、国内のどの地方であれ、また経済階層がどのレベルであれ、根付いていないことは変わらない。母乳の効用に関する知識不足と育児用調製粉乳のすさまじい宣伝によって多数の赤児が被害を蒙っているのだ。
正しい授乳を行うことで乳ガンなど種々のガンや骨粗鬆・リューマチや糖尿などの病気に罹患するリスクを低下させることができるとインドネシア授乳センター会長は語る。正しい授乳とは、早期授乳、半年間母乳だけで育児、そのあとは自分で調理した補完食を2歳まで母乳と一緒に与えること。
2010年基礎保健調査によれば、年齢6ヶ月未満で母乳だけの育児を受けている幼児は15.3%しかおらず、高い経済階層の家庭ほど母乳だけの育児が行われていない。母乳だけの育児は最貧困層で34.7%が行っており、トップクラスになっている。育児用調製粉乳は高価であるものの、調製粉乳での育児に憧れている家庭は、家計とのバランスが厳しいと感じると粉乳の量を減らして薄いミルクを幼児に与えるようになる。貧困層の低セグメントに下がるほどそんな家庭が現実にたくさんあることが明らかになっている。そのようにして育てられた赤児は成長に必要な栄養素が不足するため、その将来に大きいリスクを抱えることになる。母乳で育てれば、そのようなことは起こりえない。
東ジャワ州ジョンバン県保健局の栄養学専門家は、母乳育児が減少しているのは、母親が働かなければならないからだ、と語る。「アッパーミドル層ばかりでなくロワーミドル層でも母親が働く傾向は拡大している。首都圏の工業団地へ行けば、大勢の働く母親たちを目にすることができる。出勤退社時間やシフトの交代時間に行ってみればいい。
ジョンバンのような工場の多い地方都市でも同じことが起こっている。タバコや履物生産者は女性工員をたくさん雇用している。そうなると赤児を6ヶ月間母乳だけで育てることは不可能になる。出産休暇は最長で3ヶ月しか与えられていないのだから。だからこそ各企業は、母親工員のために授乳施設を設けなければならない。そこで授乳を行ったり、あるいは搾乳して冷蔵庫に保管できるようにしなければならない。」
2012年政令第33号はすべての会社が授乳施設を会社内に設けることを義務付けている。さらに地方自治体によってはジョンバン県のように県令規則を制定してその施行強化をはかっているところもある。しかし実現の動きは緩慢だ。ジョンバン県では女性を多数雇用している会社でやっと10社がその規則を実行したにすぎず、数の上からはほとんど進展がないという印象を受ける。
母乳による育児の重要性は保健医療従事者にもまだ十分理解されているとは言えず、かれらがかえって知識不足の母親に育児用調製粉乳を使ったりあるいは補完食としてインスタント食品を使うよう指導するケースも少なくない。
インドネシア文化の中にある男尊女卑の観念が家庭内で母親にポジティブな心理環境を与えておらず、夫が妻に自分の世話を優先させ、妻がリラックスするのをたすけようともせず、母親が人目を避け手早く終わらせようと努めるような授乳をしていれば、育児のための授乳は十分な効果があがらない。加えて昨今、依然として衰えを見せない家庭内暴力が、男から女に、女から子供に、という悪循環を示しているが、子供に正しい授乳を行った母親の子供いじめや虐待行為は、そうでない母親に比べて4.8分の1であるという統計結果も出されている。


「妊婦の自宅出産は依然として多数」(2012年5月30日)
2010年度基礎保健調査結果は、自宅出産を行う国民が43%いることを示している。妊産婦死亡率の低下が目に見えて進まないインドネシアで、自宅出産の多さはその進行を阻害している大きい要因だと保健省は見ている。
そしてこの自宅出産にからむ要因として、出産の世話をだれがしているのか、という問題が出現する。51.9%は産婆だが、40%はお産ドゥクンが行っている。
インドネシア語のドゥクン(dukun)とは呪術医を意味しており、民間では超自然の能力を備えた呪術師が人間の病気や生活の障害になっている問題の解決に手を貸し、病気や骨折などの怪我を治療する行為が慣習的に営まれていて、いまだに口コミで有能なドゥクンの診療所には遠方からも人が集まってくる。その中で、出産を取扱うのがお産ドゥクンだ。
産婆については、政府が教育を与えて助産婦認定制度を設けているものの、お産ドゥクンは野放し状態と言える。マレーシアではお産ドゥクンによる助産行為は法的に禁止されたが、インドネシアでは政府の公式な対応はまだ何もない。
2009年にWomen Research Institute が7県で行った調査によれば、お産ドゥクンに対する住民の信頼度は高く、また妊娠・妊婦・出産等に関わる伝説が固く生き続けていることが明らかになっている。
経済社会権利研究院理事長は自宅出産について、単純に妊婦の理解や知識だけがその現象を生んでいるものではない、と主張する。「これは単に保健上の問題という次元を超えているものなのです。東ヌサトゥンガラ州で妊婦の出産場所を決めるのは夫の一族であるということに始まり、保健施設と医療従事者がどれだけ地元に存在しているのか、あったとしても自宅からどれだけ離れているのか、交通機関はあるのか、手の届く料金で利用できるのか、そして医療費が払えるのかといった貧困問題にまで至るさまざまな福祉上の大問題がからんでいるのです。それらの諸要因が自宅出産の多さを生み出しているなら、国民開発というパースペクティブにおける基本的人権の実態を示す鏡がそれだと言えます。つまり、基本的な保健サービスが用意されていること、距離的に且つ経済的に国民の手の届く範囲に用意されていること、保健情報が差別なく国民に公平に与えられていること、保健サービスとその従事者のクオリティ、そして地元民の文化や考え方に即した柔軟な政策実施、などがその基本的人権を支える行政に関するインジケーターなのです。」
妊産婦死亡率引下げ対策を出産現場にしぼっている行政に対するその批判は、つまるところ国民福祉行政のあり方の基本へと回帰していくようだ。


「育児用調整粉乳は目のかたき」(2012年6月21日)
2012年3月31日付けで出された「母乳だけの育児に関する2012年政令第33号」は、出産した母親に育児用調製粉乳への拒否を義務付けるものであり、また保健施設や従事者および生産者は母乳優先をサポートしなければならず、調整粉乳生産者が行っているさまざまな販促活動を禁止するものでもある、と保健省法務局長が表明した。
ただし、無医師地区で医療従事者が母親の赤児に対する母乳授与にリスクがあると判断した場合や、母親がいなくなったり別離が起こったりした場合は、母乳を与えないことも起こりうるとのこと。その場合の対策として乳母による代替者の母乳提供が選択肢のひとつに置かれている。代替母乳は保健衛生的に問題のない健康なものであること、また赤児の家族と乳母は互いに相手を知っていることなどの条件が伴われる。
赤児に母乳だけの保育期間を義務付けた政令第33号では、母乳だけの育児を阻害することになる育児用調製粉乳やその他の製品を医療従事者が赤児に与えることを禁止し、また保健施設やその従業員が育児用調製粉乳を宣伝することも禁止している。さらに製品の生産者販売者に対しても、無料サンプルの配布、家庭への直接販売、割引販売、医療従事者に商品説明を行わせること、マスメディアでの広告宣伝、などの禁止が盛り込まれている。この政令の実施細則として保健大臣規則4件が制定されることになっている。


「大西洋を走るスラウェシ帆船」(2012年7月19日)
2012年7月13日から19日までフランスのブレストで開催されている世界帆船フェスティバルに西スラウェシ州マンダルから地元の伝統型帆船サンデッ(Sandeq)がアジアを代表して参加している。
4年に一度開かれるこのフェスティバルにゲストとして招かれたのはインドネシアのほかにノルウエー・ロシア・モロッコ・メキシコがある。3隻のサンデッは3ヶ月前にフランスに送られており、フェスティバルの開幕にあわせてマンダルから漁民12人がフランスに向かった。12人は3隻のサンデッに分乗して世界各国から集まった伝統型帆船のパレードに加わり、大西洋を横断することになる。
サンデッは長さ13メートル、幅80センチ、高さ1メートルの船体の両サイドにアウトリガーを装備した船で、マンダルの漁民たちはその船で沖合いに出てマグロ漁を行っており、マカッサル海峡のみならず、東カリマンタンから西パプアまでの広範な海域を駆け巡っている。サンデッは機関を持たないで帆走するだけの船だが、平常風力で時速40キロのスピードが出せるため、生半可な小型機関船よりも速く航海できる。


「街中で堂々と堕胎宣伝」(2012年7月26日)
2012年5月23日付けコンパス紙への投書"Iklan Telat Haid di Yogya"から
拝啓、編集部殿。わたしと同僚教師たちは、去る4月16日から21日までヨグヤ特別州スレマン県ソモウェタンでの共同生活プログラムに参加する生徒たち(高校生)に付き添いました。大半がサラッ(Salak)栽培を行っている地元農民との共同生活で三日間過ごしたあと、生徒たちとわたしどもはヨグヤ市内・ボロブドゥル・航空博物館・モンジャリ・マリオボロなどの観光地めぐりを行いました。
航空博物館に向かう途上、「メンス遅れ」という文字が目に飛び込んできたのに驚きました。電話番号も記載されたその宣伝貼紙はジャンティ〜ソロ街道の信号機の柱に一本残さず貼られていたのです。好奇心に駆られたわたしは、メンス遅れで堕胎を望んでいる女学生のふりをしてその番号にSMSを送ってみました。
あれこれと詳細なSMSを送り、最後に堕胎の費用はいくらなのか尋ねました。その回答は、堕胎薬の種類によっていくつかのコースがあり、料金は70万から150万ルピアだとの返事でした。
わたしの想像は的中しました。「メンス遅れ」の宣伝は妊娠中絶のことだったのです。ヨグヤで大学時代を送った教師としてわたしは、その宣伝貼紙は人権侵害であると同時に堕胎に関する国法を犯すものだと考えます。ヒューマニズムに富む文化都市ヨグヤの町の品位をその貼紙は汚しています。地元行政はどうしてそのような貼紙を放置しておくのでしょうか?ヨグヤの名前を汚したその貼紙を貼った人間を探して厳しい罰則を与えるよう、ヨグヤ市当局に要請します。[ ボゴール県パルン在住、ルピニティウス・ストリスノ ]


「自分が常に正しいひとびと」(2012年8月3日)
2012年5月12日付けコンパス紙への投書"Dipermalukan di Matahari"から
拝啓、編集部殿。さる4月16日16時50分ごろ、わたしはブカシのポンドッグデにあるマタハリ百貨店で友人と買物しました。支払いを済まして出口に向かっていたとき、警備員がひとり、わたしたちの前に立ちはだかりました。「すみませんですが〜」とも「失礼しますが〜」とも言わずにいきなりわたしの買物袋をつかんだのです。わたしは支払いを済ませており、レシートもちゃんとあるというのに。
警備員はわたしにレジに戻るように命じ、わたしを逃がさないようぴったりとくっついてきます。店内にいる他の買物客や売り子たち全員の目がわたしに注がれているのです。わたしを見ながらひそひそ話をしているひとたちもいます。こんな目にあわされて、わたしはどんなに恥ずかしい思いをしたことでしょう。
レジで、買物袋からわたしが買った品物が全部テーブルの上に並べられました。わたしは万引きだと疑われたのです。恥ずかしさは一層つのります。品物を調べた女性レジ係りは何も問題はないと言いましたが、その警備員は信じません。
ふたたび品物を全部買物袋に入れ、警備員はそれを手にしてセンサーの間を通りましたが、センサーは反応しませんでした。警備員はまるで何事もなかったかのように、詫びのひとことも口にせず買物袋をわたしに返しただけでした。[ ボゴール市在住、ディアナ・クリスティナ ]
2012年5月26日付けコンパス紙に掲載されたマタハリデパートからの回答
拝啓、編集部殿。ディアナ・クリスティナさんからの2012年5月12日付けコンパス紙に掲載された投書について、マタハリ百貨店ポンドッグデ店で体験された不愉快なできごとに関してディアナさんに心からお詫び申し上げます。
当方はディアナ・クリスティナさんのお宅を訪問して、直接お詫びを申し上げました。ご本人は当方の謝罪を受け入れてくださり、これにてこの問題は解決したと考えます。[ PTマタハリデパートメントストア顧客サービス部長、エンダ・スティヨワティ ]


「図々しい乞食」(2012年9月5日)
2012年8月4日、オレンカばあちゃんはスラバヤ市高校生合唱団のオーディションを受ける孫娘に付き添って会場に来た。付き添いの者は会場内に入れてもらえない。だからたくさんの車が駐車場に並び、付き添い者もほとんどが車内にいる。そこへみすぼらしい姿をしてやはりみすぼらしい姿の幼児の手を引いた女乞食がやってきた。痩せて力のあまり残っていないような女乞食は哀れみをたたえた声でオレンカばあちゃんに身の上話を打ち明けた。
「あたしゃあボジョヌゴロのxx村から夫を探しに来たんだけんど、建設現場で働いてるってえ夫を三日探し回っただが、見つかりゃしねえ。ほんだで、村へけえろうと思ってるんだが、恵んでおくれでねえかい?」
自分の在所はそのxx村だということを証明しようとして、女乞食はKTP(住民証明書)のフォトコピーをオレンカばあちゃんに示して見せたが、擦り切れて印刷も薄くなっているため文字は読めず、まったく証明の用をなさない。
かわいそうに思ったオレンカばあちゃんは5万ルピア札を一枚その女乞食に与えた。すると乞食の顔色が変わった。目に憎しみの色があらわれ、声も猛々しい。「やいやい、こんなはした金で何ができると思ってやがんだ。バス代にもなりゃしねえ。オジェッにも乗らなきゃあなんねえってのによう。」とさっきまでの哀れみに満ちた姿を投げ捨てて啖呵を切ったから、オレンカばあちゃんも「ムッ」としたが、クールな声で返した。
「おやまあ、それで足りないっておっしゃるんだったら、他にも車がたくさん停まってるんだから、ほかのひとに追加をお願いすりゃいいじゃないの。」
「フン!」と女乞食は不快そうに鼻で吹くと、また哀れみ満々の姿に戻って別の車に近寄って行った。「お気の毒に、あの車のひとも、あの豹変芝居を見せられるんだわ。」とオレンカばあちゃんは高みの見物を決め込んだ。今やオレンカばあちゃんの同情は、女乞食でなく、女乞食のターゲットにされた車の人間に向けられていた。


「もらうのはキャッシュが一番好きっ!」(2012年9月11〜17日)
インドネシア人は現金をもらうことに至上の幸福を感じるそうだ。だが、宝石・黄金あるいは日常生活にだれもが消費する品物などをもらっても喜ばないというわけでは決してない。他人が自分に何かをくれるということの喜びはたいていの人間にとって幼い時期から体験していることであり、それは人種や文化を問わないだろう。サンタクロースが世界中の子供たちを幸福にできるのは、その原理がそこに適用されているからではないだろうか。だからインドネシア人はプレゼントをもらうのが大好きであり、ありとあらゆるビジネスで景品がからみついたマーケティングが行われているのは、みなさん先刻ご承知の通りだ。銀行さえもが例外ではない。
しかしプレゼントされる物品でもっとも人気のあるのが現金なのである。いかなる品物も現金の即用性にはかなわない。その原因として、自由自在に自分の欲する品物に変化してくれる現金のメリットがかれらの欲求にもっともフィットしているのではないかとわたしは思うのだが、みなさんのお考えはいかがだろうか?
インドネシア人は拝金主義者であるとはいえ、資産のコレクターではない。巨額な財産を持っているのにそれを隠して質素な暮らしを日常のものとするような人種ではないのである。むしろその反対で、ろくに財産も持っていないのに、借金をしてまで「金はあります」というような顔と暮らしぶりを世間に示したがる人種だ。見栄張り族だ言うほうが当たっているだろう。自己満足のために虚栄を好むという面がないとは言わないが、社会が持っている人間の位置付けや貴賎の価値観がそこにからんでいるために行われている社会行動である面が強く、その性向はインドネシア文化が国民をそう仕向けているものだという印象をわたしは強く感じている。
そんなかれらが最大限に見栄を張るのがイドゥルフィトリの大祭で、ふだんの暮らしぶりを一転させた豪奢な数日間を、豪奢な衣装に食事にと贅をこらして過ごし、だれかれかまわず現金をばら撒こうとする。帰省者は会社の車やレンタカーをまるで自分のもののような顔をして故郷の実家に乗りつけて、故郷に錦を飾るかれらの晴れ姿を演じる。さらに、ジャカルタで要職に就いているのだという顔をして、隣近所や村の知り合いに現金入りの一封を配って歩く。そのあたりから、かれらにとっての現金というものが持つ役割の重要性が仄見えてくるのである。
そんなわけで、イドゥルフィトリ大祭の時期には国家経済が膨れ上がり、国中をあげて一大消費市場の大饗宴が展開される。そのための資金を下部中流層から下流層のひとびとは一年間コツコツと貯える。ジャカルタへ上京して生計を営んでいる自営業者の多くは11ヶ月半をコツコツと暮らし、故郷で送るラマダン〜ルバランの日々にみやげ物を含めてドッと使い切るのだそうだ。そしてイドゥルフィトリ大祭が終われば、またコツコツの日常に舞い戻っていく。
同じことは海外出稼ぎ者にも当てはまる。女中となって海外出稼ぎを行う女性の中には、夫や子供あるいは夫がいなくなってしまった家はおばあちゃんと子供を故郷に残して出稼ぎに出る主婦が多い。かの女たちは普段から生活費を故郷に仕送りしているわけで、11ヵ月半をコツコツ貯めることはしないが、故郷に直接的な扶養者がいないひとの中には類似のパターンをとる人もいる。かれらの中にルバラン帰省ができるひともいればできないひともいる。そんな海外出稼ぎ者の国際送金を扱っているウエスタンユニオンが、海外在住インドネシア人出稼ぎ者からアンケートをとった。
インドネシア人ムスリムにとって最大の宗教祭事であるイドゥルフィトリに関して、かれらは何を願い何をしたがっているのか、という趣旨のアンケートがその内容だった。
イスラムでは、他人に分け与えたり分かち合う行為が強く推奨されている。そのときに分かち合う物品は何を好むのかという質問に、91%が現金と回答した。自分が現金を持ち帰れない場合は送金がその代用とされる。第二の選択は衣服で39%、飲食品詰め合わせは17%。
次に、イドゥルフィトリの祝辞をだれとどうやって交わすのかという質問では、94%が最愛の人間と電話で話すと答えている。第二位はSMSの74%だった。イドゥルフィトリの願い事については、48%が平穏で幸福であること、17%が健康、14%が一家円満、金持ち・社会的成功者になることは9%。
イスラムが推奨している他人との分かち合いの実践形態の中にザカート(喜捨)というものがあり、これは自分の住んでいる共同体の中の貧困者に向けられるものとされているのだが、分け与えの対象としてかれらが最優先の位置に置いたのは最愛の人間であり、78%がそう答えている。ファミリーイズム濃厚なインドネシア文化では、最愛の人間とは血のつながっている人間を指す傾向がきわめて高いことを付け加えておこう。ファミリーイズムから個人主義に移行した文化における他人同士の愛情による結びつきとそれとは異なるものであることを理解する必要があるだろう。ザカートの定義の中に置かれている本来的な貧者のために、モスク経由あるいは直接貧しいひとに施しをしようというひとは61%しかいなかった。
おもしろいことに、欧米在住ムスリムは本来のザカートの精神を実践しているひとが多く、アジア在住ムスリムは自分のファミリーに分け与えようとする傾向が高いことが今回の調査で明らかになっている。


「ひとを見たら泥棒と思え」(2012年10月3日)
首都の表玄関スカルノハッタ空港で、駐車場のトイレはもとより、第1ターミナル待合室のトイレに至るまで、清潔さなど望むべくもない。公共トイレのコンセプトは昔からのウエット型からドライ型に変更されたものの、トイレ使用者がトイレの床をビショビショにしていくため、いくら空港側が心がけようともそう思い通りにはならないのである。
「トイレ使用者が苦情するのは、床がびしょ濡れ、あるいはトイレットペーパー・蛇口・灯りがない、といったもの。トイレ清掃者はそれら設備をちゃんと整えているのだが、トイレ使用者の中にそれらを盗んでいく者があり、頻繁に設備がなくなるのだ。」スカルノハッタ空港運営会社PTアンカサプラ?の企業秘書はそう説明する。
現実に、トイレに設置されているありとあらゆるものが盗まれているのだそうだ。電球・トイペ・トイペハンガー・蛇口・衣服ハンガーなどが繰り返し盗まれる。場所の性格上、現行犯逮捕はむつかしい。清掃担当者の心がけという要素もあるだろうが、たいていは気がついたらなくなっていたというケース。アンカサプラ?側は空港利用者と不良空港従業員が犯人だろうとの見当をつけている。ごく稀に、犯人が捕まることもある。あるとき、飛行機搭乗客のひとりが水道の蛇口を盗んだ。なぜ盗んだのかと犯人に尋ねたところ、「家にあるものより上等だったから。」という返事だったそうだ。
犯行が行われるのは航空機発着のピーク時間帯である午前5時〜10時と17時〜19時で、その時間帯には乗り降りする乗客や送迎人で空港ターミナル内はごった返す。その人ごみが盗人の行動を援護しているにちがいない。
スカルノハッタ空港には、第1ターミナルに115ヶ所、第2ターミナルに163ヶ所、第3ターミナルに16ヶ所の合計294ヶ所トイレがある。そのうち8割は公共エリアに設けられており、一日数百人が利用している。


「譲り合いのないジャカルタの公共空間」(2012年10月18〜29日)
ジャカルタの居住者は大半が地方からの上京者だ。親の代の上京者か、そうでなければ自分自身が上京者で親は田舎のカンプン(kampung)に住んでいるか、そのいずれかというひとがマジョリティを占める。
インドネシア人のジャカルタへの上京の波は、オランダ人による支配が終息したあとで始まった。1945年の独立宣言時に、建前としてジャカルタはインドネシア共和国の首都とされたものの、独立宣言を認めないオランダ政府が設けたNICA(蘭印文民政府)が実質上ジャカルタを支配し、独立闘争の間はジャカルタから疎開するインドネシア人がもっぱらでジャカルタへ一般人が生活のために上京するというような状況は存在しなかった。名実ともにインドネシアの主権が確立されたあとの1964年に法律第10号でジャカルタがあらためてインドネシアの首都に定められ、臨時首都だったジョクジャから遷都されている。1945年のジャカルタ人口は50万人だったが、1961年には291万人、1971年には455万人、1980年は650万人と急激に膨張していった。
地方部から続々とひとびとが上京してきた結果、元々ジャカルタに住んでいたブタウィ人は自分の土地を売ってジャカルタの周辺部に移って行った。だから今やブタウィ文化が住民の日常生活に脈打っているところはチョンデッ(Condet)やスレンセン(Srengseng)などの首都辺縁部に行かなければ出会えない。
そんな上京者たちが集まって暮らすようになったジャカルタがどんな街になったかは、ジャカルタに住んでいる外国人の目に歴然と映っているはずだ。普通、田舎に住んでいて血縁地縁が織り成す排他的上下方向の人間関係によるがんじがらめの束縛の中で形成されてきた精神は、たとえ同じような精神であっても異なる共同体を母体とする人間が集まる都市で変質していくのが常であり、その作用を促すのが人類の生み出した文明というものだった。つまり都市は文明の揺籃であり、田舎で培われた狭隘な閉鎖的精神はかれらが都市に集うことで開放されていったことを歴史が証明している。文明の光を浴びた人間はより有機的機能的な都市生活を産み出そうとして旧弊な田舎精神から脱皮していくプロセスが世界中の大都市や国際都市で起こったわけだが、ジャカルタはなかなかその化学反応が起こらず、いつまでも田舎精神を維持しようとする上京者が非有機的に並存しているだけの街になった。そのせいでインドネシア人自身がジャカルタを巨大なカンプン(kampung)と呼んでおり、さらに上京者たちはそこで営まれている過酷な人間関係について「首都(ibu kota)は継母(ibu tiri)以上に酷薄だ」と表現しているのである。
ジャカルタの公共空間で営まれている人間の振舞いからは、他者への依存や甘え、激しい自己中心性、共同体を異にする人間に対して抱くエトランジェ意識、見知らぬ他人に対する非人間視や非同胞視、他者を自分が利用できる道具扱いすること、他者から搾取されないために他者を叩きのめして優位に立とうとする姿勢、他者を叩きのめす手段としての暴力、など田舎精神の特徴とされている多くの要素をわれわれは目にすることができる。
ファッション業界者で今やライフスタイル関連のコラムニストとして多くのファンを持つサムエル・ムリア氏が毎週コンパス紙に掲載しているコラム論説のひとつに、ジャカルタの公共空間の実態が描き出されている。かれの目はその実態をどうとらえているのだろうか?
かれはある日、自宅のマンションにほど近い行きつけのモールへ歩いて行こうとした。距離的にそれほど遠いものではないし、激しいジャカルタの交通渋滞を乗り物の中で過ごすことの不愉快さを避けるためには意味のある行動だ。ところが、路上の乗り物だけが渋滞のためにノロノロ進行を強いられているわけでないことが、明白になった。歩行者も乗り物のようにノロノロ進行を強制されていたのだ。
まずかれが出会ったものは、道路の向こう側に渡るために登った歩道橋の上にあった。歩道橋の上には物売がいて、さまざまな売り物を路面に広げている。歩行者が双方向に歩いて通り過ぎる状況だけを想定して設計されている歩道橋の幅から物売が使っているスペースを差し引けばどんなことになるか想像がつくに違いない。通行者が余裕をもってすれ違える場所が、身体を擦れ合わせながらすれ違うまるでローカルパサルのような場所に変えられてしまっているのだ。
路上の交通渋滞も似たようなことが原因のひとつになっている。片側一車線しかない対向道路であっても、路幅が確保されていれば普通の車は余裕を持って対向車とすれ違うことができる。ところが自分の都合しか考えない者が自分の用事のために好きな場所で道路脇に駐車して路幅を狭くしている。ほんの1〜2台分の駐車スペースしか持たない食堂の食事時間帯とか、比較的人気のある、しかし駐車場など気持ちだけという商店が集まっている商業エリアなどでは、道路の左端が数十メートルにわたって駐車する車両で埋まる。そんな場所では通行車両が接触事故を避けようとして徐行するから、交通渋滞の発生は避けようがない。
歩道橋の階段を降りて向こう側の歩道に足をつけたとき、サムエル氏の眼前には同じ方向に向かってじりじりと動いているほかの人間の背中と肩があった。単に歩行者だけがいずれかの方向に進むのであれば、亀のように進む人間集団が出現する必然性はない程度の広さを持つ歩道だというのに、この有様だ。どうしてかと言えば、ここでもカキリマ物売りの屋台が歩道の両端を途切れることなく埋めていて、ふたりが並んですれ違えない路幅にされているからだ。そんな路幅におかまいなしに、通りがけの駄賃と思うのだろうか、そこで買物をする者が流れの進行を止めてくれる。そうやって狭められている場所なのに、自分が楽に使うことをいつも優先的にこころがけている人間たちの、向こうに向かうかたまりと向こうから来るかたまりが衝突する。必然的に人間の流れは停滞し、じりじりと亀の歩みを演じることになる。そこでの渋滞を避けようとするなら、歩行者は車道に降りるしか方法がない。ところが歩道と車道が接するラインには物売屋台が列をなしているため、車道に下りることのできる隙間が屋台の間に残されている場所を探さなければならない。
そんなにまでして歩道から降りようとしている車道側に危険が満ち満ちているのは小さい子供でも知っている。渋滞する交通の流れの中にあってすら、二輪車は比較的容易に車列を縫って走っている。車道の左端はそんな二輪車の通行スペースになっており、そこを歩けば二輪車に引っ掛けられるリスクは小さくない。事故を起こしたくない二輪車は歩行者を避けようとして四輪車の側にふくらむから、四輪車も事故を避けようとして前が開いていても徐行する。そういう副次効果がそこに発生して車道の交通渋滞をますますひどいものにしているわけだ。
そういう苦労をしながら、サムエル氏は片側が数車線もある大通りにたどりつく。大通りの歩道幅はもっと広いから、さすがに亀もどきの進行をする人間のかたまりはない。やっと自分の快適歩速で進めるものと喜んでモールに向かったかれは、人間が障害物になってかれの進行に立ちはだかることを夢想もしなかった。5分も歩かないうちに、向こうから三人の男たちが歩道幅いっぱいに並んで話しながらやってきたのだ。その三人も前方から来るサムエル氏を見ているというのに、だれひとりとしてサムエル氏の進行を邪魔しないように道を開けてやろうという動きを見せない。両者間の距離はどんどん詰まっていく。その結末に待ち構えていたものは何だったのだろうか?
「結局わたしのほうが歩道から車道に降りて、歩道をわがもの顔に歩いている三人に道を譲りましたよ。それは車道で起こっている交通渋滞の原因の中にある要素のひとつとそっくりなんです。車道にいる多くの車の運転者の中に自分の思うがままに振舞いたい人間が混じっていて、かれらは他人がそれでどんな影響を被るかということなどまるで考えずに『わが欲するまま』の行動を展開するのです。その自己中心性が他人に譲るという社会善を念頭から消し去ってしまうのです。」似たような現象をわれわれはモールやオフィスビルあるいは他の公共施設にあるエレベータ、さらにはバスや電車などの公共運送機関で体験することができる。エレベータが止まってドアが開くと、外に待ち構えていたひとびとが下りる人間の有無などお構いなしにエレベータ内に入り込んでくるというあの現象だ。
インドネシア語で「kalah」は「勝敗で負ける」を意味する言葉だ。その動詞形mengalahは自分の負けを認めることであり、また相手に負けてやることでもある。世の中で常に自分と相手が勝ち負けを競い、相手を叩きのめして勝つことこそ自分の立派さ強さを証明することだという小児的な姿勢よりも、自分が折れ、相手に負けてやることで円滑な社会生活共同生活を実現させようとする姿勢が賞賛される文化は枚挙にいとまがない。自分が負けてやる姿勢、つまり相手を立て、相手に譲る姿勢こそ、「自分が・・・、自分が・・・」という狭い精神を乗り越えて成熟した人間が持つべきものだとされている。インドネシアにそのコンセプトが存在していないということでは決してないのだが・・・。サムエル氏は続ける。
「mengalahというのは賞賛される行為であり、それは敗北の証明では決してありません。だから車を運転し、歩道を歩くひとびとの姿勢から、本人がどれだけ他人を許容できるのか、他人との共存への姿勢がどうなのかということが見えてくるのです。この評価ポイントは、求人のための採用試験や、結婚相手の選択といった機会にもっと活用されてよいものではないでしょうか。
わたしは友人たちから、わたしの口はカミソリ刃であり、それで他人の心を切り刻むがゆえにわたしの生涯最大の罪はそれだ、と言われています。しかしわたしが公道で自動車を運転する態度、歩道上を歩く態度などから、それを善行としてわたしの口が生み出す罪と相殺できるというように見てくれる友人はいませんね。」
他人に嫌な思いを与えず、相手を甘やかし、相手の心を傷つけないように日常生活の中で努めることがインドネシアでは対人関係におけるエチケットになっている。その結果、人間関係の中で自分の姿を客観的にとらえる機会がインドネシア人にはきわめて少ない。擬似ファミリー共同体内の下から上に向かってはもっぱら相手の心を甘美に酔わせて気持ちよくさせるための『褒め殺し』が行われ、ことわざの中にも「サトウキビを唇に植える」という言い方が存在している。その社会的価値観は上位者に対するABSと呼ばれる姿勢をはぐくんできた。
「Asal Bapak/Babe Senang」の頭字語であるABSのために自分の出す方針は世界最高の善行になっていると思い込む上位者たちのあり方は、下位末端階層の不平不満に目と耳を閉じたまま階層間の断絶を当たり前のものとする構造をインドネシアの社会にはぐくんできたわけだ。相手と自分を対等に位置付けようとする傾向を持つ友人や同僚などという人間関係の場でも、その対人関係におけるエチケットは同じように適用されている。
その一方で、上から下に向かう姿勢は苛烈酷薄なものとなり、相手に対してよかれと思う気持ちで直言や耳に痛い言葉を開陳することは少なく、相手を卑下し自分のほうが上位にあるのだという人間関係を現実のものにするために行われることが一般的となって、曲解や根拠のない批判などが遠慮会釈なしにぶつけられるケースが少なくない。
そういう文化の中で歯に衣着せずに自分と対等の相手を批判することは、自分を甘く大事に扱ってくれるはずと思っている人間の気持ちをカミソリ刃のように引き裂くにちがいない。かれの友人たちが重視しているのはそのことであり、世の中の公共空間で見知らぬ他人との間に譲り合いを実行することをかれの友人たちは積極的に行われるべき善行と見ていない、というポイントに対する愚痴がかれの最後の言葉に凝集されているように思われる。
サムエル氏はインドネシア人が持っているもうひとつの態度にも言及する。
「われわれが外国、つまり先進国に旅行したとき、外国には歩道の歩き方や道路横断のし方・車で路上を走行するやり方・エスカレータの乗り方など、社会的なルールが存在していることを目の当たりにします。それはひとびとがそのルールに従って同じような行動を取っていることから明らかなわけです。ところがインドネシアでひとびとはそのような行動を取っていないからルールが存在していないと思うひとがいるかも知れませんが、ルールは山ほど作られているのです。わたしは外国へ行くとその国のルールを見習って従いますが、自分のホームカントリーでそうしているかと言うと、実際にはそうでないことを認めざるを得ません。ホームスイートホームという言葉はそれを指しているのでしょうかねえ。
人間はまず自分を尊重することができてはじめて他人を尊重することができると言われています。もしわたしが外国でその国のルールを尊重し従うことができるなら、わたしは自分を尊重していると言えるのでしょうか?それともわたしは単に、自分の家にいるときと、公共スペースにいるときとは異なる振舞いをするという二重人格なのでしょうか?」
わがままいっぱいに、反社会的であってさえ、エゴのかたまりとなって振舞う個々人を周囲のひとびとが尊重し許容しているというありさまを指してホームスイートホームと言っているのであれば、かれの表現は正鵠を射ているかもしれない。外国に出かけたインドネシア人が出かけた先の国のルールを守ろうとするのは、そうしなければ恥ずかしい思いをするからだ。それは精神的な価値観に関する適応行動でしかない。自分の国でそうしないのは、みんながルールに従わないから自分が同じようにしても目立たないという一面があり、他の一面にはルールを守る人間が損をするという社会的性向が存在しているからだ。インドネシアは正直者が馬鹿を見る社会の一典型であり、正直に生きようとするとあらゆる物質的損失や被害の的になる凄まじい社会なのである。
インドネシア人にルールを守れと教えをたれる外国人が少なくないが、そのような社会構造を個人の問題にすりかえても解決の道は程遠いだろう。西洋人生活者の多いバリやジャカルタで、自分の本国ではルールを守って秩序正しく生活していると思われる西洋人たちがインドネシア人社会の示す公共空間での無秩序にいつしか追随するようになっていくのは、その逆反応だと言ってさしつかえあるまい。実際に、郷に入っては郷に従えという古今の鉄則は生きているのだ。


「続・ひとを見たら泥棒と思え」(2012年10月24日)
ヨグヤカルタ特別州のある県議会議員グループが中部ジャワ州のとある町に視察旅行に訪れた。数日間の公務が終わってご一行様がチェックアウトするためフロントに下りてきた。その中のひとり、アンディ議員40歳がチェックアウト手続きを終えたとき、ホテル従業員が丁寧な物腰と口調で「お客様のトランクの中を見せていただけませんか?」と要請した。アンディ議員は他の議員仲間の手前、拒否することもできずに鷹揚にうなずいた。「ああ、いいよ。」
従業員ふたりがアンディ議員のトランクを近くのテーブルに運び、中味を調べ、そしてトランクの底から厚手の生地のタオルを一枚取り出した。そのホテル宿泊客ならみんな見た記憶があるしろものだ。なにしろ自分の部屋のバスルームに置かれているタオルとそっくりなのだから。ホテル従業員はそのタオルに書かれているホテルの名前が見えるようにタオルをたたむと、フロントのカウンターに置いた。
ロビーでその珍事を見ていたひとびとの間から失笑とざわめきが起こる。アンディ議員は即座に自己弁護を始めた。「あれっ、なんでそんなとこに入ったんだろう。いやあ、これは気が付かなかったなあ。なにしろチェックアウトの時間に追われていたもんでね、ほかの荷物の中に紛れ込んだにちがいない。」アンディ議員のトランクの中からは、決してあたふたと乱雑に物を突っ込んだ雰囲気は感じられなかったのだが。
ホテル側も心得たもので、タオル泥棒をそれ以上問題にすることもなく、議員様ご一行を送り出した。それからしばらくというもの、議会でアンディ議員の噂が飛び交ったため地元記者の耳に入り、かれは報道陣にきわめて低姿勢を取り続けたという話だ。ポルノ動画を含む性的な不行跡で議員資格を剥奪された国会議員は何人も出ているが、他人のものをくすねてクビを切られた議員の話はまだ聞いたことがない。


「クラマス、ジャワ人の洗髪」(2012年10月30日)
クラマス(keramas)というのは頭髪を洗うことを意味するジャワ語だ。このクラマスという行為はジャワ人にとって伝統的に特別の意味を持つものなのである。出産・婚姻・葬式さらには少女の初潮、妊娠7ヶ月、出産後40日・・・・。頭髪を濡らすという儀式を含めて、この行為は特別の意味を表している。
ジャワのいくつかの地方では、死者を埋葬する前にバニュランダと呼ばれる儀式が行われる。バニュランダは稲の茎を焼き、その灰に熱湯をかけて一晩置き、灰を濾した水で死者の頭髪を洗う儀式だ。そのあとヤシ油で頭髪をもむ。
プアサに入る前にもマンディとクラマスが行われ、心身ともにプアサの聖なる務めに入る態勢をととのえる。それは思考と獣的な欲望を清めて昇華させるために行われるのだ。ジャワ正月を迎える前には、身体を水に浸してクラマスを行うのが普通だ。
<アイデンティティシンボル>
頭髪はシンボルであり、決定的な自己の具現であり象徴であるとアンソニー・レイドは説いている。頭髪を愛することは、東南アジアで神聖視されている身体部位としての頭部を愛するのと同じだ。いつまでも黒く、濃く、良い香りを放つよう、頭髪は最高の手入れがなされるべきものである。頭髪はまた、宗教やナショナリズムのためにシンボルとしても使われた。ディポヌゴロは追従者たちに、オランダ協力者でないことを示すために頭髪を切るよう命じたし、スカルノ時代にあっては、頭髪を刈ってペチをかぶることが下層階層との連帯を表すとともに、イスラム文化に添うものにしてナショナリズムのシンボルという意味を付与されている。
<マルチシンボル>
古来から女性の頭髪は、性心理面でシンボリックな意味を持つ肉体の一部と見なされてきた。稲の茎から作られたバニュランダでクラマスを行うのは、ジャワ社会で有名な豊穣神話であるスリサドノ神話に関係している。稲が水の張られた水田で成育伸張するように、頭髪は水洗いすることで成育伸張するというのだ。
クラマス儀式のパワーも古ワヤンの中で物語られている。ユディスティラの妻ドゥルパディがドゥルササナに辱められたとき、ドゥルササナの血でしかこの髪を洗うことはないとかの女は自分の髪をほどいて誓った。バラータユダ戦争の中で残酷な死がドゥルササナを襲った。ビマはドゥルササナの血を溜めるとそれをドゥルパディに与え、ドゥルパディは自分の誓いを果たすためにその血で髪を洗ったのだ。
ジャワの社会で頭髪はマルチシンボルだ。神聖な身体部位(頭)のための冠であり、美と力のシンボルでもある。そのためジャワには、そしてヨーロッパにも中国にも、そのシンボルを強調するために美しく装う習慣がある。邪悪な巨人はたいてい頭髪の手入れされていない毛むくじゃらの姿をし、牙のような獣性の象徴を伴って登場する。
<巨大ビジネス>
頭髪はまた重要なセックスシンボルとなり、そうして社会的宗教的秩序のためのシンボリックな規制対象にもなった。宗教コンテキストにおいて水は劣化した生を再生命化できる浄化媒体と広く見なされている。体内から生じる毛髪は皮膚の下から生え出てどんどん伸びていく。それは内部と外部、個人と外界を分かつ境界という一種の推移点に位置しているのだ。それは世の中に通用する規範に応じて整えられ、統御され、平常化されなければならない。
儀式においてクラマスは、各個人の文明度レベルを共に決定するという強力な地位を占めている。産業界においてその現実がヘアケア製品の生産を巨大なグローバルビジネスにしているのだ。それどころか、ひとつのシャンプー製品が新たなシンボルとなる。あなたが使っているシャンプーを示してくだされば、わたしはあなたがだれであるかを指摘して見せましょう。
ライター: スラカルタアンドラスマラソサエティ社会文化研究家、プルナワン・アンドラ
ソース: 2012年9月29日付けコンパス紙 "Keramas sebagai Ritus Suci"


「子供は性商品」(2012年11月7日)
2012年6月時点での国内インターネット利用者は6,290万人で、2011年末の5,500万人から14%増加した。しかし普及率から見ればまだ25%程度でしかなく、タイやベトナムよりも劣っている。
そしてインドネシア人はことのほかにソーシャルメディアがお好みで、大勢の未知の人間と知り合いになれるというかれらの処世観に役立つ便利なツールという位置付けに置かれており、フェイスブック利用者だけでも4,350万人にのぼっている。ところがそれらのソーシャルメディアは、うぶな少年少女を引っ掛けようとする犯罪者の狩場にもなっているのである。ターゲットにされているのは主に貧困国の少女たちだが、13〜17歳くらいまでの男女がさまざまな犯罪の対象として狙われていると思ってさしつかえあるまい。
インドネシアの子供を使った児童ポルノ制作容疑者と見られる30〜45歳の6人の男の写真を一年半かけて入手したフェイスブックアジア太平洋地区法執行連絡担当者はインドネシア国家警察本部にその届出を行っているが、そのフォローに関する情報が何もない、と述べている。かれら犯罪者は諸国を転転とするケースが多いため、捜査は容易ではないだろう、と担当者は語っている。
これは子供が大人の被害者になっている部分だが、子供が自主的に自分のふしだらなポーズを撮影してソーシャルメディアにアップロードしているケースも多々見られる。親たちは自分の子供がそんなことをしているとは夢にも思わず、いざそんな写真を目にしたとき、大きなショックに襲われる。そんな親がひとりやふたりでなくなっており、既に社会問題になりつつあるようだ。
貧困国で子供を使った性的なコンピュータ犯罪は時に想像を超えるようなことが行われる。フィリピンのコルドバで実際に体験した事実をある児童保護法律援護機関職員は物語る。そこでは、多くの貧困家庭がインターネット接続の完備したコンピュータを購入し、子供に自分の身体の特定部分をコンピュータのカメラの前で見せるように親や親族が命じている。それをオンラインで見る視聴者に対し、かれらは50米ドルから200米ドルの金を指定口座に振り込むよう要求するのである。このビジネスは拡大しており、オーガナイザーがいるものと見られている。この手法はインドネシアにも普及する可能性が大きい、と同職員は述べている。


「ニッポンのマンガはアブナイ!」(2012年11月20日)
ニッポンのマンガを読み始めると、その世界にのめりこんでしまい、まるで麻薬のようにそこから逃れられなくなる、とインドネシアの若者のひとりがコンパス紙に投書した。これはクオリティの高さに対する賛辞であるとともに、同じインドネシアの若者たちへの警告でもある。マンガにうつつを抜かしていては、「アブナイのだぞ」と。トリア・チャヒヤ・プスピタさんの投書はこうだ。
以前、わたしがまだ中学生のころ、友達がコミックを読んでいる姿を見てイヤになっていました。ひとりでニコニコしたり、笑ったりしてるんですもの。と思うと突然黙り込み、涙を流して毒づくんです。
「遊ぼう」って誘っても、コミックを読みたがるんです。どこへ行くのも必ずコミックを持って行き、学校でも授業の間の休み時間にコミックを読んでます。学校が終わったら、すぐ家に帰るんです。コミックを読むために。なんであんなにコミックを読むことに熱中するのかしら?
わたしもそれが知りたくなって、あるときアスタリスクとオベリスクを買ってみたことがあります。わたしだってコミックは読みます。ベルギーのコミック「スマーフ」を読んで、ひとりでニコニコしてるわたしなんですから。
高校時代、わたしの隣の席の子がコミックホリックでした。振舞いは中学時代の友達とまったくいっしょ。ニコニコしてると思ったら、突然ゲラゲラ笑い。もうコミックはウイルスみたいなものね。いたるところでひとを襲います。 でも、そのふたりを襲ったコミックはわたしが読んでいたものとは違っていました。大きさはちょっと小さくてポケットブックのようなサイズだけど、内容は分厚いんです。その名はマンガ、つまり日本のコミック。
大学生時代にわたしが会員になっていた貸し本屋さんにはマンガがたくさん置かれていました。「ガラスの仮面」というタイトルのマンガに興味惹かれたので、わたしはそれを借りてみることにしました。そして気が付いたら、わたしは時間の経つのも忘れてその本を読みふけり、アッと言う間に読み終えていたのです。そればかりか、わたしはその続きを読みたくてたまらなくなりました。結局わたしもふたりの友達と同じようになってしまいました。読んでいるとき、ひとりでニコニコしたり、小さく笑ったり、ゲラゲラ笑いになったり。わたしはストーリーの流れの中におぼれてしまいました。時には目に涙が浮かび、ひとりごとを言ったりして。
ストーリーを最後まで読み終えるために一心不乱で次から次へと本を手に入れ、周りのことなど何も考えないで読みふけりました。わたしはマンガの中毒になってしまったのです。絵を見たい。面白い部分で笑いたい。中に盛り込まれている哲学や生活規範に触れたい。これこそがウイルスなのです。
マンガのおかげで、わたしも病気にかかりました。次から次と、あれも読みたい、これも読みたい、という熱病です。この病気が伝染するのが嫌な人は、このマンガというものを遠ざけるようにしましょう。


「マンホワにも優れたものがある」(2012年11月21日)
トリア・チャヒヤ・プスピタさんほど深刻でないマンガファンもいる。ドルマ・シトゥモランくんはあまり何かひとつにのめりこもうとせず、幅広く世の中を見渡しているようだ。かれはマンガも読むし、マンホワも読んでいる。かれの投書はこれだ。
コミックは内容が軽いことのほかに、イメージが絵になって提示されているから、小説を読むときのように自分のイメージを膨らませるようなことは必要ない。
今や伝説と化したドラえもん以外にも、ニッポンマンガのファンの間で好まれ、ヒットしているものはたくさんある。Detektif Conan(名探偵コナン)、 Bleach(ブリーチ)、 One Piece(ワンピース)、 Naruto(ナルト)、 Sinchan(クレヨンしんちゃん)、 Death Note(デスノート)、 Demon king(いちばんうしろの大魔王)、 Air Gear(エア・ギア)、 Slam Dunk(スラムダンク)、 Good Ending(GE〜グッドエンディング)、 Code Breaker(コードブレイカー)、 1/2 Prince(1/2王子)、 Inuyasha(犬夜叉)、 Fairy Tail(フェアリーテール)などがそれだ。
韓国もマンホワと呼ばれるコミックを盛んに出している。マンホワの中には、マンガに劣らないクオリティのものもいくつかある。マンホワは絵がシンプルでセリフが多く、主人公キャラはたいていよく似ている。目が大きく、服装も類似で、筋立ても似ているし、冒頭にはコメディっぽい要素も入っている。マンガの製本は小型版だが、マンホワはもっと大きい。一方マンガのほうは絵が複雑でセリフは少なく、絵で構成されている要素が強い。冒頭にコメディっぽい要素が見られないものもたくさんある。
コミックはリラックスして読むほうがよい。あてもなくモールでふらふらするよりは、家でコミックを読むほうがマシだ。安上がりで愉しさは保証付き。教育的なコミックだってある。チキンスープシリーズでさえ、子供向けに漫画風ストーリーブックを出しているのだから。フルカラーの絵に教育的な内容やモラルを教える内容でいっぱいだ。コミックはいつまでも子供や二十歳未満の青少年のためのものではない。大人もコミックを読んでみればいい。内容が愉しめるだけでなく、自分の子供たちに読ませるべきコミックを選択できるようになるのだから。


「古いファイルを探す社員はいない」(2012年12月3日)
2012年9月15日付けコンパス紙への投書"Singkatan Nama Kartu GFF"から
拝啓、編集部殿。わたしは2006年以来、ガルーダフリークエントフライヤー(GFF)のメンバーです。2012年にわたしのマイレッジに加算してもらえないフライトが14回ありました。eメールでその問題を問い合わせたところ、リアさんとニニンさんが返事をくれました。その理由はチケットの名前とGFF会員データにある名前が異なっているからだそうです。
その理由は奇妙でこじつけっぽく、腑に落ちません。わたしのフルネームはタビタ・カルティカ・クリスティアニですが、それが長過ぎると思ったのでしょうか、GFF側がミドルネームを無理やりイニシャルに変えてタビタ・K・クリスティアニとしたのです。一方、名前が違うとされた14回のフライトの航空券には、わたしのフルネームが記載されています。
ガルーダインドネシア航空は、自分さえよければそれでいいと考えているのではありませんか?かれらがひとのフルネームを勝手に縮めたくせに、わたしがフルネームを使ったら、それは別人だと言うのですから。もっとおかしなことに、その返事をくれたおふたりは名前が変わったのならGFFのデータを変更するからKTP(住民証明書)のフォトコピーを送ってくれとわたしに言うのです。
わたしは何度も同じことをかれらに説明しました。わたしの名前が変わったわけではなく、わたしのフルネームは会員登録時のKTPコピーに表示されているから、そのときのKTPコピーをを見るように、と返事したのですが、かれらは聞く耳を持ちません。
わたしはチェックインのときにチケットとKTPそしてGFFカードを窓口担当者に渡し、担当者はそれをチェックしてチケットにわたしのGFF会員番号をプリントします。ところがそれが自動的にマイレッジの追加にならないのです。何日もかかってマイレッジが追加されたり、あるいはいつまでたっても追加されなかったり。
もう何年も、わたしのデータをオンラインで呼び出そうとしても、出てこないことのほうが多いのです。ところがそのことをクレームすると、回答がすぐに送られてきて、データも呼び出すことができます。かと思えば、わたしのデータを呼び出すとき、フルネームが表示されたり、あるいはGFFデータとは異なる略称が出たりしているのですよ。[ ジョクジャ在住、タビタ・カルティカ・クリスティアニ ]


「インドネシアのデモクラシー度は韓国より上」(2012年12月20日)
インドネシア大学社会学政治学部政策研究センターとデモスが政治経済社会各分野の専門家54人にインタビューして得たインドネシアのデモクラシーに関する評価の集計結果が報告された。それによれば、2012年の評価指数は5.27ポイントで、2011年の4.99ポイントから上昇している。ここで使われているデモクラシーのコンセプトは、政治経済社会各分野における非独占化という概念に基盤が置かれている。また評価は10段階で、0が最低10が最高というスケールになっている。
評価ポイントは57インジケータがリベラリゼーション(独裁主義からの独立と自治)、イコーリゼーション(平等化)、アクチベーション(活性化)の三要素で測られている。今回の統計で高評価を得たのは、自治と競争におけるリベラリゼーションで、自治は5.43ポイント、競争は5.68ポイントに達した。政治分野のリベラリゼーションは集会の自由・選挙権行使・公平な選挙の実施などの面で顕著になっている。しかしイコーリゼーションはいまだ期待にそぐわないものであり、多様性の共存は4.67ポイント、連帯意識5.37ポイントなど低い評点になっている。
経済分野では、独占の存在・地域別格差・所得格差などで改善が進んでおらず、社会分野でも情報や文化ファシリティへのアクセスで階層間の平等が実現していない。それらの実態が意味しているのは、社会が自由を強く感じている一方でマイノリティ集団に対する平等意識がそれに付随していないということであり、不均衡なデモクラシーは簡単に後退の道をたどる危険をはらんでいる。
インドネシアはデモクラシー国家であると多数国民が自負しているにもかかわらず、それはほとんど政治面に限定されたもので社会経済分野はまだまだデモクラシーと呼ばれるのにほど遠いありさまであり、総合的に真のデモクラシー国家となるためにはこれまで以上に努力を払わなければならない状況であるようだ。
しかしインドネシアのデモクラシー度はフィリピンの4.82ポイントや韓国の4.78ポイントよりは上位にある、と報告者はコメントしている。


「母親を告発する」(2012年12月31日)
子供は母親に対して親不孝をしてはならないという童話の古典マリン・クンダンはインドネシア社会に確固として根を張っている。地上にあるすべての宗教も同様に、母親像は生涯を通して尊敬の対象であることを教えている。尊敬が母親を高貴な地位に置くのは、身ごもり、出産し、子供に授乳するからというだけでなく、子供たちが優れた人格を持つようにしつけを与え且つ優れたお手本を示すからだ。
外界から物事を学ぶより先に子供たちの学習に関わるのが母親だ。子供たちが知恵を身につけながら成長するよう愛情の庇護を与えるのが母親だ。理解に満ちた賢明な手法で子供たちを成育させるのが母親だ。しかし地上にいるすべての母親が子供のためにそうしているだろうか?現実は違う。
最近メディアに登場したいくつかの事件がある。ある母親は自分が自殺する前にふたりの子供の生命の火を消した。容赦ない経済状況に迫られた結果、かの女はあえてそんなことを行ったように推測される。類似の事件は何度も起こっている。焼身自殺・服毒あるいは首を絞めるといった方法で。母親たちはどうして子供を道連れにしようとするのだろうか?それが示しているのは、死ねば一切のいざこざが終わると考えている母親の浅慮だ。
あるいは延々と繰り返されているタウラン(集団喧嘩)がある。心理学者が詳細を掘り下げたところ、タウランの子供たちは十分な家族とのふれあいを持てていなかったことがわかった。子供たちは自分に対する家族の無関心を愛情や暖かい接触に変化させようとしてその方策を探っていたのだ。男女交際を始めた少女たちが適切さの限界を超えるボーイフレンドの要求に従い、腹が膨らみ始めるとその責任を取るよう要求するという行動も同じところから出ている。かれらはまだ学校の制服を着、大きな夢を描いているというのに。これまでかれらに与えられてきたモラルの教えはどこに行ったのだろう?家族がお手本を示さず、環境がかれらを放任し、学校は試験で良い成績を取るようプレッシャーを与えるだけといったことが、かれらにモラルを放擲させることを促したのかもしれない。
ひとの話によると、この民族のモラル崩壊は現代の民族指導者たちが幼い頃眠りに落ちるまで一晩中、キュウリを盗むカンチルの童話を聞かされ続けて育ったからだそうだ。その話のカンチルの性格は狡猾さや悪賢さを反映していたのではなかったろうか。嘘やネガティブな意義が脳裏に沈潜し、成長後の生活の中で無意識的にそれが内面化したということにちがいない。だったら、生活の糧を得るために終日働いた父親よりも、子供たちの傍らでその童話をより頻繁に語って聞かせたのはいったいだれだったのか?わが民族のモラル崩壊の原因をすべて母親の責に帰せるのは酷に過ぎるかもしれない。もちろん、誠意をもって子供たちをしつけている母親はたくさんいる。しかし残酷な環境がすべてを変質させてしまったのだ。家庭・学校・環境・交友・時代の進歩・・それらがあたかも悪循環をなして子供の人格形成に影響を及ぼしている。それはきっと本当なのだろうが、ちょっと待って欲しい。素晴らしい子供たちを生んだすばらしい母親の話に注目してみようではないか。
<偉人の母親>
少年時代のトーマス・アルバ・エジソンがうすのろでつんぼという烙印を押されていたことをだれが信じるだろう。教師さえもが母親にその子を学校に来させないように頼んだそうだ。母のナンシー・マシューズは諦めず、わが子に読み書き算数を教えた。かの女はまたエドワード・ギボン、シェイクスピア、チャールズ・ディケンズの作品をよくわが子に読んで聞かせた。こうして世界の天才発明家のひとりトーマス・アルバ・エジソンが作られたのだ。
人気の高い宗派司祭であると同時に偉大なクルアン研究者でもあったイマム・シャフィイは、イスラム世界では知らぬ人とてない人物だ。父親のいない貧しい環境の中で母親に教育されたかれは、9歳でクルアンを暗唱することができた。母親は食べ物に深く配慮したため、かれはハラルなものだけを食べることができ、その食べ物がかれの血肉となって正しい倫理や素行と共にかれは成長したのである。
偉人伝の裏には常にその母親にまつわる興味深いストーリーがある。母親の理知的な手が子供たちを偉大な人物に育てたのだ。愛情・知への欲求・栄養補給の関心などから神との対話において子供たちが正しく導かれるようにと祈ることまで。健全な家庭にはそれらのすべてが存在している。子供にとって母親が人生最初の教師であるという意味での家庭教育は基本であり、基盤であり、根本であるため、その上に構築される建造物あるいはそこに育つ樹木は健やかなものとなる。家庭の中で正しいモラルを植えつけられた子供たちは家庭の外にあるモノに対して涎を流すことはない。なぜなら、かれらは自分を監視しているのが両親でなく神であることを理解しているからだ。
<母親も学ばなければならない>
母親になるには賢明さを持たなければならない。そのためには学習することだ。子供たちのように公的教育を受けるということでなく、あらゆることから学ぶ姿勢を持つことによって時代の進歩に応じて子供を導くことができるように努めるのだ。知識は自分を取り巻く環境・図書館・婦人部の定期会合・市民組織のクルアン読誦会・教育問題や女性問題に関する討論会やセミナーなどから得ることができる。昨今のようなIT時代には母親たちもコンピュータやガジェットから知識を吸収することができる。子供を指導するというのは、ケーキを作ったり食事を料理したりというような自分の好きなやり方で行なうものではない。子供たちも精神・感情・希望・自尊心などを持つ人間なのだ。だからかれらの人格を形作る際には心・知性・祈りをそこに持ち込まなければならない。かれらは怒鳴られたり叱られたりするのでなく、導かれなければならないのであり、否定されたり非難されたりするのでなく、歪みのないまっすぐな人間に育てられなければならないのだから。かれらは物質の寄せ集めでなく、尊重されることを必要としている存在なのだ。われわれの子供教育の内容がどんなに貧しいか、見てみるがいい。だからわたしは「母親を告発する」をこの論説のタイトルにした。子供の教育者という第一の責務を母親層に自覚してもらうために。
素晴らしい業績を持ってわが民族の興隆に積極的に貢献できるように子供を育てるには、チチンプイプイとはいかないのだ。まず世界を認識させることにはじまり、地上に自分の足で立つことを教え、abcdが書けるようになり、ものごとを理解し、問題を解決し、自分の人生を受け入れるようになるといったステップを踏んで行かなければならない。それらのステップを子供が歩んでいくとき、賢明な母親が傍らでそれを見守り、道を踏み誤らないようにさせ、あらゆる問題がすべて他人のせいだというようなものの見方を戒めるのである。母親のみなさん、その用意はできているだろうか?
ライター: スラカルタ3月11日国立大学文学造形美術学部教官、リアナ・ワティ
ソース: 2012年12月22日付けビジネスインドネシア紙 "Menggugat Ibu"


「これもインドネシア」(2013年1月23〜26日)
首都圏近郊電車を運営している国鉄子会社PT KAI Commuter Jabodetabek(KCJ)は、鉄道利用者の快適さと便宜をはかるとともに鉄道営業の秩序向上のために、鉄道運営近代化のしぶきを首都圏近郊電車の各駅に浴びせる方針を開始した。それは何かと言うと、プラットフォームにあふれんばかりの乗客に十分なスペースを使ってもらうために、プラットフォームを狭くしているカキリマ商人を排除し、プラットフォームには切符を購入した乗客しか入れず、乗降客が通過するだけの場所にしようという、他の国では当たり前の形態をインドネシアに持ち込もうという考えだ。ましてや、電子式切符の使用開始はもう射程内にはいっているのだから。
ならばプラットフォームに並ぶキオスで商品を販売している商人たちは、いきなりそこに押し込んできて場所を占拠し、キオスを建てて商売していたのだろうか?そんなことは起こりえない。商人たちが行なってきたことはすべてその駅の管理者の許可を得た上のことであり、その許可にはかれら下層庶民にとって十分巨額と言える金がからんでいるのである。
腐敗行為と言うと贈収賄だとか公金横領着服という内容が外国人の頭にはすぐ浮かぶようだが、組織内の一ユニットが組織トップの許可もなく職権を濫用して私腹を肥やす行為もインドネシアの腐敗疾病のひとつの柱になっている。職位ヒエラルキーがどこであろうと、組織構成員はたいてい自分があたかも組織内の決断者のような姿勢で振舞っているのは、限りない実例が示している。一担当者が「上司に伺ってきます」というせりふを口にするような場所はきわめて少ないのがインドネシアだ。
とはいえ、駅のプラットフォームで行なわれているキオス商人からの借地収入が駅長までで止まっているかどうかはわからない。普通そのような簿外収入はもっと上まで上がっていくのがインドネシアのどの組織でも一般的だからだ。駅長はもっと上まであげて自分の身の安全をはかるに決まっているから、そのようなことがらは組織内の全員が知っているがだれも口にしない公然の秘密になりがちなのである。みんな、お金が大好きというのがインドネシアの常識なのだから。
しかしKCJトップは冒頭の方針を進めて行かなければ鉄道運営近代化はいつまでたっても実現しない。筋道としては、現在出来上がってしまっている歪んだありさまを正すのが理屈ではあるものの、そんなことをしていては本業の経営が続けられなくなってしまうだろうし、おまけに正すことが成功する保証もないのである。KCJ経営者がだれであろうと、その結論は違わないはずだ。こうして一気に撤去強行という力の政治が働くことになる。
撤去強行方針はボゴール〜ジャカルタ線でスタートした。このような撤去作戦は、撤去主体者と地元行政に警察機動旅団と国軍がチームを組んで実施する。現場の実働部隊は命令を遂行するのみなのだが、撤去対象者の反応如何で現場における対話や交渉が起こることもある。とはいえ、レンテンアグン駅での強行撤去では商人たちの間に多数のけが人が出た。
KCJがプラットフォームのキオス撤去方針を公表したとき、多くの電車駅で営業している商人たちの間にパニックの波が広がった。インドネシア大学学生執行団が貧困庶民の苦境に同情したのか、それともカキリマ商人たちとの間にビジネス関係があったのかどうかよくわからないが、その事態を国鉄側の横暴と定義付けて商人たちへの支援に立ち上がった。2012年12月初めには、KCJの撤去強行計画を撤回させるよう求める学生デモが国鉄の監督省である国有事業体省に向けて行なわれている。
「国鉄の行動は一方的でありアンフェアだ。国鉄はカキリマ商人を排除し、かれらが設けている売場をすべて撤去しようとしているが、それらの売場施設はカキリマ商人たちが自分の力で設けたものであり、その撤去に対して移転先も与えず補償金も出そうとしない。」学生執行団はそのように国鉄KCJ側を非難している。
強行撤去はボジョン駅・チルブッ駅・ボゴール駅・チタヤム駅・デポッバル駅で実施され、レンテンアグン駅とインドネシア大学駅では学生に支援された商人たちの抵抗が起こった。
インドネシア大学駅では、学生たちが頻繁にKCJの横暴に反対するデモを実施し、そして2013年1月14日の反対行動では、ポンドッチナ駅の鉄道線路にバリケードを敷いて電車の運行を妨害する挙に出たのである。
デモ行動が公共施設の稼動を妨害する事例はインドネシアに数多い。今回の事件はデモ隊の国鉄に対する敵対感情がここまで高まっているのだということを示すものとして行なわれた印象が強い。それでKCJが話し合いの場に降りて来たら万々歳ということだったのだろうが、実は抗議相手の営業妨害でしかなく、自分たちの感情と社会的な行為との間のバランスが欠如している一例がそこに再現された。相手は公共運送機関なのだから営業できなくなれば一般大衆も困るのである。
似たような事例はたくさんある。ちょっと昔になるが、スカルノハッタ空港運営会社が空港内の秩序整理のために空港内に入ってくる物売りを排除しようとしたことがある。するとその方針に反対する空港周辺の地元民数百人が空港にアクセスする自動車道をブロックした。数百人の人間が自動車道内に入って路上を埋め尽くしたため、空港に向かっていた車が進行を止められてたいへんな渋滞になった。また最近では、実業界への抗議のためのデモを労働者が工業団地で行なったケースで、団地近くを通っている自動車専用道をデモ隊が閉鎖するということも起こっている。
第三者である一般大衆にとばっちりを与えるそのような行動は、実際にはデモの目的から外れたものだと言えよう。前者の場合は一般大衆がとばっちりの被害者となり、後二者の場合は一般大衆とデモの対象でない自動車専用道運営会社がとばっちりの被害者になっている。
なぜ、そのように第三者を巻き込もうとするのだろうか?一般大衆と公共機関が被害者になれば、大きな社会事件となる。デモのひとつの側面がそれだから、そういう意味では妥当な戦略と言えるかもしれない。しかし被害者にしているのだから、自分の敵を増やしていることになり、本当に妥当なことかどうかには大いに疑問が湧く。
わたしはそのような戦略を計画する人間、そしてその計画を実践する人間たちの心理の中に世の中に対する大きな甘えと自己中心性が横たわっており、それらの要素が未成熟な社会意識、つまり公徳心の欠如、の中でジャングルの原理に支えられて姿を現すように感じるのである。自分が抱いている不満を世間にアピールするのに、第三者に迷惑をかける。迷惑を受けた第三者は「どうしてそんなことをするのか?」と問うだろう。それがアピールのきっかけになる。「まあ聞いてください。実はわたしはこのような仕打ちをされていて・・・・・」その裏側には、こんな願望も潜んでいるかもしれない。「われわれがデモの矛先を向けているやつらのせいであなたはこんな被害を受けたのだから、わたしたちと一緒にあいつらに怒りを向けてください。」
ところがインドネシア大学駅南の次の駅であるポンドッチナ駅では、自分がどこかへ行くという目的を持って電車に乗っている一般大衆であふれていた。自分たちの眼前で学生や商人たちが材木や机、椅子などを持ってきて線路の上に置き、電車の運行を阻止するためのバリケードを築いているのを見たとき、ひとびとの間に怒りが湧き起こった。電車の乗客たちはかれらデモ隊のアナーキーな行動をやめさせるべく、かれらを取り巻いたのである。デモ隊と一般乗客の間で緊張が高まった。この日の闘争支援のために他の駅の商人や他の大学生たちが集まりつつあったのだが、乗客たちはデモ隊の線路ブロック行動をやめさせ、バリケードの撤去を自分たちの手で行なった。昼12時ごろから始まった電車運行阻止行動はほんの数時間で終焉し、電車は再び運行を開始した。デモ隊に対面してその不法行為をやめさせたのは乗客たちであり、国鉄側も警察もその反デモ行為には加わっていない。
KCJは乗客たちのその行為を感謝し、電車利用者に対する謝恩サービスを行った。2013年1月15日夕方から、デポッ駅〜ボゴール駅に向かう乗客全員を無料としたのである。


「五十歳の反抗」(2013年1月30・31日)
50歳になってたがの外れる人間もいる。世界のどこにもいるだろうが、インドネシアにはインドネシアらしい要因がまとわりついてのことだ。これはひとつの例にすぎない。
D夫人が新聞の身の上相談欄を担当している精神科医師に宛てた投書は次のように書かれていた。
先生、わたしは50歳で夫は同い年であり、わたしたちは7年間の交際期間を経て結婚し、夫婦生活は23年続いています。結婚した当初はすべてが順調に運んでいました。夫の人柄は善良で従順であり、子供たちに優しく、そしていつも正直であることを子供たちに教えていました。
ときに夫はわたしに嫉妬の炎を投げつけることがありましたが、しばらくすればそんな気分は消えてまた元に戻るという生活でした。わたしは不倫などしたこともありませんから、夫の嫉妬は何の根拠もない、ただの想像だけなのです。夫が口にする疑惑は、何か証拠があってというものではありません。わたしはそのことを、夫がわたしを愛しているから疑心暗鬼になるのだと考え、ほとんど気にかけませんでした。
わたしは6年前に職場で昇進の機会に恵まれ、給与も増えるので夫の許可を得てわたしはそのチャンスをつかんだのですが、その結果仕事が増えて帰宅時間がこれまでより遅くなりました。ちょうどそのころ、夫の母がわたしたちと同居するようになりました。わたしの本心を言えば、姑が同居するのはわたしにとって気詰まりだったのです。だから仕事が増えたという事情とは別に、わたし自身が帰宅時間を遅らせようとしていたのも事実です。その結果、夫は妻でなく母親が待っている家に帰ってくるという形に変わっていきました。そんな変化の中で、夫はもっと頻繁にわたしに不倫疑惑を向けるようになり、人を雇ってわたしを尾行させるようなことまで行ないました。現実に不倫などしていませんから、わたしはただ笑ってそんな状況を眺めていただけで、何の不安も感じませんでした。
家庭の中がそんな風に変わって行ったある日、姑が亡くなったのです。夫はたいそうショックを受け、それ以来頻繁に外へ出かけるようになりました。わたしが意見しても、まったく聞く耳を持たず、「自分が畏れる人間はもうだれもいないし、自分が欲することももう何もない」と言いました。
あるとき、わたしは夫が他人の妻と不倫している証拠を見つけました。夫の財産はその女にむしりとられていたのです。それはどうやら、夫が通った遊技場の経営者とそこで働くその女およびその夫の三人が仕組んで夫を陥れたものにちがいありません。わたしができることは、夫が自分の陥った罠から脱け出す意志を持てるようアッラーに祈ることだけでしたが、夫自身はイスラムの勤めをまったく行なわない不信心者でしたから。
すべての財産が失われたとき、夫はわたしと家族に赦しを請い、夫の生き血を吸うためにまとわりついているその三人との関係を絶つための助けを求めてきました。ところがしばらくすると、まるで麻薬常習者のように、またその女との関係を再開したのです。そしてその女との関係を正当化するために、わたしの欠点を根掘り葉掘りほじくるようになりました。
わたしと子供たちは、夫と一緒に一家の睦まじい暮らしが戻ってくることを望んでいるのです。わたしは夫を誘って子供たちと一緒に泊りがけで行楽施設に出かけました。その二日間は昔の日々が戻ってきたかのようでしたが、束の間の夢でしかありませんでした。それが終わって家に戻ると、夫はふたたび夜中に家を出て明け方戻ってくる生活にかえって行ったのです。そんな行動の言い訳に、夫は23年間の結婚生活の中でわたしが犯したあやまちをあれこれとあげつらうのです。夫の頭の中にある妻のあやまちリストは実に驚嘆するべき詳しさで理論付けがなされており、どう議論しても夫の口に丸め込まれてしまいます。夫には何を意見しようが、論理的時系列的に実に巧みに反論され、何の効果もありません。精神科医に相談しようと誘っても、「頭がよい自分が考えた上で行動していることを他人である医者に何がわかる」と言って聞きません。わたしはどうすればいいのでしょうか?
投書への回答は、夫が家庭の中で居心地の良さを感じるようD夫人のほうから夫に歩み寄るよう勧めているのだが、恋愛感情をベースにした相互理解による結びつきで始まる結婚はインドネシアでは少数派であり、大多数は夫婦になってから互いを理解するのが普通で、そのために夫婦は机上の理屈である夫として妻としての役割行動を優先させるばかりで、互いの長所欠点を補い合うような密着姿勢に乏しい面がある。机上の美論はしょせん一般論でしかないから、特定個人にそのまま当てはまらないのは当然だ。理想の夫は妻は、このように行動するべきなのに、現実の相手はそうしていない、という批判を投げつけあう夫婦がいきおい増加するのは、インドネシア文化の特徴だと言えるだろう。


「クロムグリスはスンダの工芸品」(2013年2月9日)
西ジャワ州タシッマラヤ(Tasikmalaya)の名産は刺繍布で、美しい刺繍の施された衣料品を見るとたいていのひとはタシッマヤラヤの名を思い浮かべる。しかしタシッの名産品はそれだけではない。クロムグリス(kelom geulis)もタシッの名を代表するものになっている。
クロムとはオランダ語のクロンプ(klomp)に由来する単語で、クロンプはオランダの木靴や木底の靴の一般名称だ。スンダ地方で作られた木製ハイヒールサンダルにその名が付けられ、おまけにあでやかな色や模様が描かれたためにスンダ語で美しいを意味するグリスが形容詞として添えられた。美しい刺繍が要所要所を覆う半透明のクバヤで上半身を誇示し、ほっそりくびれた腰下を一旦広げてから足首に向かってしぼられていくカイン姿のスンダ女性の素足がクロムグリスに載ってはじめて完成され、魅力あふれる美が華やぐのである。
クロムグリスは植民地時代からインドネシア人上流階層女性たちの足元を飾り、おまけにオランダ娘たちの中にも愛用者は少なくなかったらしい。1955年8月17日のインドネシア独立10周年記念ギャザリングがロンドンのインドネシア大使公邸で催されたとき、大使令嬢の民族衣装姿に見惚れたイギリス人カメラマンたちが撮った令嬢の後姿の写真、おまけにカインからこぼれたふくらはぎとクロムグリスのアップ、が翌朝刊の第一面を飾ったそうだ。
タシッマラヤでクロムグリスの生産に励んでいるアナ・ヌリヤナさんは、2002年から製品を輸出している。そこで生産されているサギトリア(Sagitria)ブランドのクロムグリスは、今では日本・台湾・シンガポール・アメリカ・オランダ・フィリピンにまで販途を広げている。日本向けは半製品の形なので、完全なスンダのクロムグリスとは言えないが、毎月4千対を送り出している由。1対の価格は4万5千から5万ルピア程度だそうだ。
サギトリアブランドのクロムグリスはバティック模様・エアブラシ手法・彫刻入りといったさまざまなアイデアが盛り込まれており、アナさんはこれからも種々のイノベーションを取り入れてクリエーティブな製品を市場に出して行きたいと語っている。


「出産する少女たちと堕胎する妻たち」(2013年2月19〜22日)
過去5年間で、15〜19歳年齢ブラケットの出産比率が37%増加した。国のデモグラフィ計画がとんだゲリラにかく乱されているということだけでなく、国が描いている国民福祉の図とは異なる絵を国民がせっせとデッサンしているということでもある。
2007年の若年出産は35パーミルだったが、2012年は48パーミルに増加したと住民家族計画国家庁長官デピュティが明らかにした。都市部は32パーミルだが、地方部は69パーミルにも上っており、慌てた政府は2014年に全国平均を30パーミルまで下げる方針を打ち出した。政府は1991年から若年出産低下政策を進めて2007年にボトムに達したものの、それ以来反転上昇傾向に陥ってしまった。
かれら若年層の性生活に対する社会の基本パラダイムは何も変化していない。少年少女に初潮や夢精が訪れても、まだ子供であるというコンセプトにもとづいて世間はかれらに応対している、と家族計画の会ヨグヤカルタ特別州支部長は言う。「かれらの性生活が活発化することによって、性的いたずらから性的暴行、あるいは婚前性交による妊娠や出産といった現象が高まる。ところが若年層に対する性行為や生殖に関する適切な教育がおざなりにされている。世の中で性知識はタブー視されており、性教育は若年層のフリーセックスを煽るだけだという見解が一般的だ。」
しかし、正しい性教育が行なわれないまま、若年層のフリーセックスはどんどん盛んになっているというのが社会の現実の姿なのだが、その実態を直視して正しい軌道に乗せなければならないという声を上げる巷の識者はおらず、民衆の生活に影響力を持つ宗教界も方向違いの対策を力説するばかりで、正しい性教育を勧める声はない。むしろ性教育は若年層のフリーセックスを煽るだけだと言っているのは宗教界なのであり、現状をかれらは一種の法難と見ている。
理想的出産年齢は一般に20歳以上35歳以下で、しかも高い出産頻度や短期間に連続して出産するようなことは避けるのがよいと言われている。それは母体の出産時死亡に関連しているからだ。だから若年出産はまずその原則から外れてしまう。年若い娘たちにとって、生殖器官が発育している最中の性行為から妊娠そして出産というのは心身に負担をもたらすものであり、またかれら自身の精神がまだ十分成熟していないのだから母親になるための精神的準備もできていないのが当然だ。必然的に生まれてきた子供の擁護やしつけ、教育などといったことがらがその準備のできている母親に比べて低クオリティになるのは避けられない。妊娠期間中に他の妊婦と接触する機会は多々あって、妊婦間での意見や情報の交換も活発になされるのが普通だが、幼い妊婦がそこに混じったとき、かなり年上の妊婦たちとの交際はなかなかうまく行なえないだろうし、かえって幼い妊婦が劣等感のとりこになるリスクのほうが大きくなるかもしれない。
経済的にも、かれら若年層はまだ親に依存する年代であり、年若い夫婦に赤ちゃんという三人暮らしの生計を未成年の父親が立てるのは困難で、またひとつ新たな貧困家庭が誕生するという結末をもたらすことになる。
若年女性の妊娠は、婚前セックスや親に結婚を強いられたケースあるいは性的暴行を受けた結果といったものが多いが、少女たち自身がマスメディアから理想の人生についてのイメージを植え付けられ、それに向かって行動する傾向を帯びている面も見逃せない事実だ。まだ高校生程度の年齢で社会的著名人やセラブリティと結婚した娘をテレビのインフォテイメントが取り上げ、これ見よがしにその幸福そうな結婚生活のシーンを放映する。子供をたくさん持つことが幸福な結婚生活の証であるというせりふがそこで語られ、少女たちの憧れを掻き立てる。その結果、早婚そして妊娠〜出産〜幸福な家庭建設という夢のような物語を巷の少女たちが自ら演じようとするのである。それが冒頭で触れた、政府が考えている国民福祉の図に沿わない国民自作の絵柄のひとつだと言えるだろう。
昔から、妊娠中絶は婚前婚外セックスの結果である望まれない妊娠を中絶させるのがメインだと考えられてきたが、家族計画の集いが行ったサーベイ結果はまったく予想外の内容を示した。
このサーベイは全国の11州から11市2県をピックアップし、それぞれの土地にあるクリニック13ヶ所で2008年から2011年の間にそこを妊娠中絶を目的にして訪れた患者の背景を調査したもの。それらのクリニックでは合法的に且つ医学的に安全で正しい妊娠中絶が行なわれているとされている。
上の期間にそれらのクリニックを妊娠中絶目的で訪れた患者は32,517人で、そのうち83%は結婚しており、未婚者は16%だけだった。結婚ステータスを明らかにしなかったひとが1%いる。また50%は就労しており、職業を持たない者は42%、高校生・大学生が8%だった。
結婚している女性の58.9%は子供を今以上に増やしたくないというのが理由で、ほかの理由は「今赤ちゃんがいる」「出産するのにまだ若すぎる」「年を取りすぎている」「避妊具のミス」といったもの。未婚者は9割がその理由を「未婚だから」としている。
2009年法律第36号保健法で妊娠中絶は厳しく禁止されている。ただし医療上の緊急性やレープ被害者に関しては例外として認められる。法律で認められているものはただそれだけであり、上であがっているような理由は厳密に言えば法律違反となる。ここでもわれわれはインドネシアにおける法律(国法)というもののポジションの実態を目にすることになるわけだ。
だから冒頭に予想外と書いたが、それはインドネシア人の常識から見てのものに過ぎず、法律をそこにからめて見れば、当然なるべくしてそうなっているのではないかとわたしには思われる。
つまり法律で禁止されているのだから、法律で認められている条件を満たせない女性たちが妊娠中絶を思い立ったとき、それらのクリニックに直行することはまずないにちがいない。条件を満たせないかの女たちは先に非合法なさまざまな手段を講じるはずだ。そしてあまりにも高いリスクへの不安で二進も三進もいかなくなった家庭の主婦たちが、当たって砕けようとしてやってくるのではあるまいか。
言い換えれば「妊娠中絶は婚前婚外セックスの結果である望まれない妊娠を中絶させるのがメインだ」という見解は依然として的を射ており、非合法中絶医を訪れている未婚女性がはるかに多いにちがいないということなのである。だから合法的クリニックにやってくる女性は人妻が大半を占めているという現象が起こっているのだろうとわたしは考える。
上のような推論を裏付けるものとして家族計画の集いが行ったサーベイにも次のようなデータがある。クリニックを訪れる前に中絶のために何をしたかというデータがそれだ。ジャムゥや薬品を飲むことから、開業医や助産婦を訪れて中絶を依頼したり、ドゥクンを訪れておなかをもんでもらうというようなことまで、さまざまな努力が払われている。開業医や助産婦に断られたからそのクリニックにやってきているわけで、その伝手で非合法中絶医を訪れていたらそのクリニックにやってくることはあるまい。
法律に従おうとしてきわめて危険な橋を渡り、最後にどうしようもなくなって非合法の影もない健全なクリニックを訪れたらうまくいった、という32,517人の女性たちは幸運だった。そんな幸運にめぐり合わないまま、闇堕胎医の手で一生を棒に振っている女性たちは悲劇以外のなにものでもあるまい。


「被植民地精神は死なない?」(2013年3月4日)
2012年11月19日付けコンパス紙への投書"Kardus di Carrefour"から
拝啓、編集部殿。わたしはカルフル都内ルバッブルス店をよく利用しています。これは2012年10月17日午前9時にそこを買物に訪れた際の体験です。トローリー3台に山盛りの購入品をレジまで運んだわたしは、ダンボール箱はないかと係員に尋ねました。カルフルはもうプラスチックの買物袋を客に出さないことを知っていたからです。一枚あたり9千9百ルピアを払ってまで買物袋を使う気にはなりませんので。
ところがレジ係員は、「カルフルはダンボール箱を用意していません。」と言うのです。結局わたしは運転手に、それらの購入品をそのまま車の中に入れるよう命じました。そしてそのレジで支払いを済ませているとき、隣のレジでも外人が支払いを行なっているのが目に入りました。ところがそのレジでは、売場セールス係りの女性と警備員がその外人のためにせっせとダンボール箱の用意をしているではありませんか。わたしはそのふたりに尋ねました。カルフルは同国人よりも外人を大切にするんですか?それとも、そのひとはわたしよりも支払い金額が大きいから、特別サービスをしているんですか、って。[ 南ジャカルタ市在住、ヤンティ ]


「免許証を持っている子供の四輪運転者」(2013年4月3〜5日)
インドネシアに命知らずの小中学生二輪ライダーや四輪ドライバーがあふれていることは、さまざまな報道で今や知らぬひととてない常識になっている。インドネシア人も、公道で自動車を運転するということの社会的意味は弁えていて、社会的責任を負わすことのできる年齢が17歳以上という理解にもとづき、17歳未満には自動車運転免許証が与えられない。
その本質が理解できないひとびとは、子供に運転免許証が与えられないために子供は公道で無免許運転をすることになり、それが悪いと非難されるのだから、子供に運転免許証を作ってやればいいのだ、という形式論に駆け込む。子供二輪ライダーが運転免許証を持っている例は寡聞だが、子供四輪ドライバーは反対に免許証を持っているのが普通だ。
タングランに住む中学生のアレックスは13歳のときに四輪自動車の運転を習い始め、14歳でもう運転免許証を持つようになった、と物語る。四輪自動車の運転を習うという表現は、公道で車を走らせることを意味している。ともあれ、14歳でどうして運転免許証を持つことができるのか?その答えは、ここがインドネシアだからだ。
アレックスの親は2010年に息子に運転免許証を作ってやるため、まずKTP作りに取り掛かった。運転免許証を作るには、KTPがなければならない。17歳以上の全国民はKTP作成と携帯が義務付けられているため、KTPを持っていれば17歳以上であり、運転免許証作成資格があるということになるわけだ。KTPは居住地の町役場で作成される。そのときまだ14歳だったアレックスは、本当の出生年が1996年だったにもかかわらず1993年を押し通してKTPを手に入れた。出費は10万ルピアのみ。
続いてかれは運転免許証作成を交通警察統合サービス事務所で行なう。KTPを元手に45万ルピアを払ってすぐに写真撮影やサインなどを行い、アレックスは憧れの四輪車運転免許証を手に入れた。その日から、かれは怖れるものなど何もなしに毎日四輪車を駆って公道を走った。
あるとき二輪車と激しい衝突事故を起こしたことがある。右後方を高速で走ってきたオートバイが追い越しざまにアレックスの車の右前方にぶつかったのだ。その二輪ライダーは複雑骨折を起こして入院を余儀なくされた。インドネシアの交通原理は弱者保護であり、四輪車と二輪車間の事故はいかなる状況であろうと四輪車が悪者にされる。だから、明らかに二輪車に非がある場合、四輪車運転者は警察に届け出ないで示談で事故処理をはかろうとすることも起こる。
その事故では、一介の中学生が示談交渉などできるわけがないため、必然的に警察がからみ、二輪ライダーの治療費一切と自分の四輪車の修理費としてアレックスは1,150万ルピアを負担した。いや、実際の金の出所はアレックスの親なのだが。
アレックスの運転免許証は警察に取り上げられた。交通事故を起こせば、免許証は警察に取り上げられる。それを返して欲しければ、現ナマをしのばせて警察と交渉することになる。こうしてアレックスはまた免許証を手にすることができた。それ以後もアレックスは本物だがニセモノの運転免許証で四輪車の運転を続けて今日に至っている。
やはりタングランのクラパドゥアに住む中学生のエファは12歳のときからオートバイに乗り始めた。長い髪をたらした小柄な少女、いままだ13歳のエファがオートバイのサドルに座ったとき、足を思いっきり伸ばして指先がやっと地面に届く。あるときエファも、後ろから走ってきた別のオートバイにぶつけられてオートバイから吹っ飛ばされた経験がある。しかし級友たちがみんなオートバイで通学しているのに、自分だけそれをやめるのはいやだ。だからエファは事故にも懲りずにオートバイのある暮らしを謳歌している。
エファはもちろん無免許だ。小中学生オートバイライダーはみんな免許証を持っていないのが普通なのだ、四輪車に乗る中学生とは経済ステータスが異なっている。エファが無免許二輪ライダーになっているのは、親からオートバイに乗ってよいという許可をもらっていることが強い理由になっている。インドネシアでは、親の承認が地域や国の行政といった公的社会的な規則と同列に置かれていることを、われわれはエファの実例の中に見出すのである。
「わたし、免許証がないでしょう?KTPだってないんだもん。だからオートバイに乗るときはとても用心してます。遠出したり、警官がいるような場所へ行くことは絶対にしません。でも免許証が取れる年齢になるまで待つなんてこと、絶対にできないわ。だって仲間がみんなオートバイに乗ってるんだもの。」
エファの中学校は生徒がオートバイで通学してくることを禁止した。生徒に順法精神を教えることは、素晴らしい教育のひとつだ。しかしオートバイ通学してくる生徒たちは、学校近くのワルンにオートバイを預けて登校する。形式的に、表面的に、一見決まりが守られているように見えるための行動を、中学生たちは日常生活の中で身に着けていく。


「豊かになっているインドネシア人」(2013年4月23日)
マーケットリサーチ機関のサーヴェイイプソスが2012年12月に行なった調査で、国内都市部では家庭の経済状況が好転していることが明らかにされた。家庭の経済状況の好転は家族構成員のライフスタイルに直結する商品の購入を盛んにして消費を高める効果を現出させており、携帯電話機からスマートフォンへ、あるいはブラウン管TVからフラット画面TVへの買換え、さらにはパーソナルケア商品をはじめとする諸製品のローカルブランドから有名ブランドへの移行といった現象が起こっている。
調査はジャカルタ・バンドン・スラバヤ・メダンで合計1,046人にのぼる15歳から64歳までの一般消費者に対して行なわれた。全体的には、回答者の46%が過去数年に対して現在は家庭の経済状況が良くなっていると答えている。反対に悪くなっていると答えたひとは18%しかおらず、変わらないという回答は36%だった。
日常の消費行動でこれまで使っていなかった品物を使うようになったひとは34%いた。16%のひとは従来より一級上の商品を使うようになり、21%のひとは従来買っていたものの購入量あるいは購入頻度が増加していると答えている。11%はより大型のパッケージで購入するようになり、14%はこれまで割当していなかった支出項目に予算をつけるようになった。可処分所得の増加に応じて貯金を増やすようにしたひとは33%で、貯金は従来のまま消費に増加所得を回しているひとは21%という結果も出されている。反対に定期的な貯蓄額を減らしたひとは14%で、31%のひとは定期的な貯蓄を行なっていない。
経済状況が好転していると答えたひとを都市別に見ると次のようになっている。
ジャカルタ:52%、スラバヤ:50%、メダン:46%、バンドン:26%
また年代別では次の通り。
15〜24歳:51%、25〜39歳:50%、40〜54歳:44%、55〜64歳:30%


「インドネシアパラドックス」(2013年4月26日)
インドネシアパラドックスとわたしが称しているのは、インドネシアをさまざまな面で成功国家であると賞賛している諸外国の見解と、多くの弱点を指摘し、果ては失敗国家だと非難している国内の意見の間に見られる甚だしく矛盾した状況のことだ。最新のインドネシアに対する大賞賛は、イギリス女王エリザベス二世がSBY大統領に対して授与したバス勲章で、インドネシアを民主国家にし、経済を成功に導いて諸問題を解決した、等々の天を衝くような賞賛の声に伴われたものだった。それより前にも、米国や日本をはじめ世界各国のリーダーたちが早々と賞賛の声をあげていた。
しかし国内では反対に、頻発するタウラン(集団喧嘩)やジャカルタでの高校生同士あるいはマカッサルの大学生間、さらにランプンや中部スラウェシの村民間の抗争や殺し合いといった種々の劣悪なできごとを経験した国民も少なくない。国民はいつまでたっても福祉の向上が訪れず、貧困者比率が高く、貧富の格差は一層拡大し、コルプシも減少しないことを感じている。インドネシアが失敗国家であると語るひとの数はますます増えている。
<ダチョウではない>
このパラドックスはインドネシア民族にとって決して良いものではない。それは重度の構造的弱点を示している。わが大統領が外国から賞賛と高位の表彰を受けることはもちろんわれわれを喜ばせる。しかし、われわれは頭を砂の中に突っ込んで自分の周囲を取り巻く悪状況を見ないようにしているダチョウではないのだ。
1945年8月17日以来、独立インドネシア国家の中で進歩〜公正〜繁栄する社会生活を実現させることを目標に据えた国民のかたわれがわれわれなのである。独立主権国家であるインドネシア共和国にとっての基盤がパンチャシラであることを全国民が合意したのはそのためなのだ。なぜなら、パンチャシラは生存のための闘いにふさわしい諸価値を含んでいるばかりか、インドネシア民族の本源をなすものであるからだ。
われらが初代大統領ブンカルノは、パンチャシラがかれの創作によるものでなく、民族生命の根源を掘り下げる中で発見されたものであることを強調した。だから、インドネシアパラドックスはパンチャシラの実践を行なうことに一貫的でなかったインドネシア民族、特に民族指導者、の怠慢の結果であると言うことができる。指導者にせよ、一般大衆にせよ、かれらはパンチャシラが依然として国是であることを認めているというのに。
その偽善的な姿勢は民族闘争の進展がもたらしたものだ。1949年12月27日にオランダと国際社会がインドネシア民族の独立を認めたとき、独立闘争を壮烈に闘った勇士のみならず侵略者の側についていたインドネシア人もインドネシアの一部として勝利者の輪の中に入った。独立闘争の勇士たちは自分たちと対立していたかれらを潔く受け入れたのである。それは、先祖代々伝えられてきた教えに即した、優れた姿勢だった。しかし本当はそのあとで、独立闘争を自ら闘わなかった者や独立闘争に対抗した者たちがインドネシア民族を破壊することのないよう、独立闘争の勇士たちはインドネシア共和国統一国家がパンチャシラに則して作り上げられることを確保し保証しなければならなかったのだ。1950年以来、独立闘争の勇士たちが怠ったのがそれだった。
パンチャシラ国家を強化する努力はなされず、国は非パンチャシラ的政治と経済の世界に連れ込まれた。その結果、インドネシア民族闘争の基盤とは本質的に見解を異にする者たちに台頭のチャンスを与え、かれらの足場は更に強固なものとなっていった。加えてかれらは、インドネシアにたくさんの利害を持ち、インドネシアが強力で効果的なパンチャシラ国家になることを望まない諸国から広範な支援を得た。それらの国にとって、インドネシアは独立してかまわないが、国内状況は自分の利害に即した自由主義国家、共産主義国家もしくはイスラム国家でなければならなかったのだ。
1998年にレフォルマシ時代が始まってから、西欧リベラル派が最強勢力になった。共産主義派も再出発を目指したものの、冷戦での共産主義ブロック敗退がその努力の足を引っ張った。イスラム国家を目指す勢力への中東からの支援は勢いを増したが、西欧リベラル派に拮抗するだけの力はまだ蓄えられていない。インドネシアをパンチャシラ国家に作り上げるために必要とされたレフォルマシは、事実上西欧リベラル派の標的にされた挙句、かれらに乗っ取られてしまったのである。かれらの第一の成功は1945年憲法改正であり、そのときからパンチャシラを国民の目の届かないところに幽閉する努力がはじめられた。西欧リベラル派にとってその成功は大目的に向かう第一歩でしかなく、それに続く諸作戦が進められている。
<スハルト以来>
実は、スハルト体制以来、西欧リベラル派が果たしてきた侵蝕は大きな意味を持つものだった。経済コントロールにおいて、かれらはパンチャシラの実践を謳う1945年憲法第33条からどんどん離れることに成功したのである。第33条を公式にどうこうしたということでなく、実際の経済コントロールが西欧リベラル思想の原理を踏まえて行なわれていたのだ。西欧リベラル派つまり西欧的観点を重視するかれらにとって、インドネシア国民の多くがいまだに貧困であるということは問題でないのだ。かれらにとって重要なのは、インドネシアが、米国であれ英国であれ、かれらの利害に沿っていることなのである。最新のインドネシアの姿が西欧世界から高い評価や賞賛を得ているということは、かれらにとってインドネシアは正しい道を歩んでいることを意味している。
パンチャシラ派の人間にとって、西欧諸国がインドネシアに好感を持つことに異存はない。なぜなら、われわれは常に他民族に対して協調的且つ調和を保つべく努めているのだから。しかし協調的関係というのはインドネシア民族自身が生きることの目的に合致した発展と生活を手に入れた場合にのみありうるのである。百万人を超えるインドネシア国民がいまだに貧困であるなら、調和の取れた関係は生まれようがない。西欧諸国がメインを占めている世銀の規準によれば、一日2米ドル未満というのが貧困の指標だ。おまけに、インドネシアの大地が擁する天然資源を西欧企業がかれらの国民を一層金持ちにするために総ざらえしているということもある。
まだ残っている独立闘争の勇士たちよ、インドネシアパラドックスの存在を誇るのでなくインドネシア民族自身のことをもっと気にかけるよう、権力を手中にしているわが民族指導者たちにリマインドしようではないか。6.5%という経済成長を誇ってよいのは、それによって村落部の農民漁民が生活福祉の向上を享受でき、インドネシアの国民生活から貧困がますます消滅していくようになった場合だけだ。
ライター: 元国家防衛機構長官 サイディマン・スルヨハディプロジョ
ソース: 2012年11月24日付けコンパス紙 "Paradoks Indonesia"


「インドネシアはミラクルステート」(2013年4月26日)
世界最大のイスラム人口を擁するインドネシアは、宗教や文化を異にするさまざまなマイノリティ集団を包含しているというのに、それらの異なる種族や社会集団が協調しあってひとつのインドネシア民族をなし、調和のとれたインドネシアというプルーラリズム国家を形成している。インドネシアは世界でも稀に見る特異なミラクル国家だ、という賞賛の声が2013年4月10日にマナドで開催されたドイツ連邦共和国外務省派遣団との討論会での結論だった。
異文明間対話と公共外交局長率いる19人のドイツ外務省派遣団は今年、マナドでの討論会開催を希望した。それは北スラウェシ州で異宗教間協調が実現されていると派遣団が評価したためだ。この討論会は2009年にヨグヤカルタで開催されたのを皮切りに、毎年行なわれる定例行事になっている。
北スラウェシ州知事は討論会の中で、インドネシアはミラクルステートだと発言した。「マイノリティ集団のホリゾンタルコンフリクトや破壊行動は国内のほんの一部地域でしか発生しておらず、それよりはるかに広いエリアではひとびとが相和し、宥和的な環境の中で平和な暮らしを享受している。北スラウェシ州のように、宗教生活において平和な暮らしが維持されている土地ははるかに多い。皆さんも北スラウェシ州では平和で穏やかな暮らしを必ず満喫できます。」
北スラウェシ州にも異なる文化や宗教を生活の基盤に置いている複数のマイノリティ種族が存在している。1969年に設立された宗教大衆協力機関はそれら複数のマイノリティ種族との対話に専念し、同じ州民として全体を統合する努力を続けており、それがミラクルステートの根底を支えていることを北スラウェシ州庁は強調している。


「インドネシアパラドックスなるもの」(2013年4月30日)
2012年11月24日付けコンパス紙に掲載されたサイディマン・スルヨハディプロジョ氏の「インドネシアパラドックス」と題した論説は、インドネシアの抱えている問題の心臓部に触れているため、たいへん興味深いものだ。
元国家防衛機構長官は、インドネシアをさまざまな面で成功国家であると賞賛している諸外国の見解と、多くの弱点を指摘し、果ては失敗国家だと非難している国内の意見の間に見られる甚だしく矛盾した状況をインドネシアパラドックスとして取り上げた。独立した主権国家であるインドネシア共和国の基盤がパンチャシラであることを全国民が合意している。なぜなら、パンチャシラは生存のための闘いにふさわしい諸価値を含んでいるばかりか、インドネシア民族の本源をなすものであるからだ。パラドックスはインドネシアの国家リーダーたちがその帰結としてパンチャシラを実践することを怠ったことで生じた。このパラドックスはインドネシア民族にとって決して良いものではなく、それは重度の構造的弱点を示すものだとの見解をこの退役インドネシア国軍上級将校は表明している。
<四つのサンプル>
わたしの考えでは、次の四つのサンプルがインドネシアの姿を悪化させるのに手を貸した。
第一のパラドックスは、スカルノ大統領はパンチャシラの発掘者でありスハルト大統領はパンチャシラ民主主義を国家行政の基盤に据えたというのに、かれら自身がパンチャシラの筆頭違反者だったことだ。
1945年憲法序文はパンチャシをインドネシアの国家原理と定めており、第一条では主権在民が国家運営の継ぎ目とされている。ところがその実践に当たっては、オルデラマ期にはスカルノ大統領だけが主権者となり、オルデバル期にはスハルト大統領だけが主権者となった。暫定国民協議会/国民協議会は国民から権限移譲を受けたあと、それらふたりの体制支配者に主権を委ねてしまった。その国家機関は体制支配者の欲望を合法化するためにのみ存在したわけだ。国会も政府の希望を追認するだけだった。結社・集会・表現の自由は体制支持者にだけ与えられ、あえて支配者の弱点を指摘した報道機関は発禁や記者の入獄といった処分が科された。スカルノとスハルト両大統領の独裁的国家運営はパンチャシラとそこから派生する諸価値にそぐわないものであり、かれらはいずれも主権を持つ国民によってその座を逐われた。
第二のパラドックスは、インドネシア人の性向と本源に関する異なった見解だ。パンチャシラ発掘者のブンカルノは、パンチャシラとは恒久確固たる独立インドネシアの建物をその上に建設するための哲学的生活観の土台であると語っている。一方、1956年以来の日刊紙インドネシアラヤの記事や1977年出版書籍マヌシアインドネシアを通して記者のモフタル・ルビスはかれが見出したことを説いた。
マヌシアインドネシア(インドネシア人間)は腐敗・偽善・無責任・封建精神・迷信的・非倹約の浪費家・勤勉を好まず怠惰な傾向が強い・残酷になりうる・アモックに走る・大地を焦土と化す、といった傾向の弱点をその性質に持っている。パラドックスは、インドネシア人間のそれらの弱点こそが今この国を蝕んでいる慢性病になっていることだ。金回りが全能の神・公正で均等な腐敗・法曹マフィアユニオン・共謀と虚偽に満ちた邪悪な欲望に導かれた権力・公職高官や国民の代表者たちの家族にとっての快適さなどがパンチャシラのイメージにされている。
第三のパラドックスは、帰結としてのパンチャシラ実践姿勢をインドネシアの国家リーダーたちが持っていないこと。陸軍退役者ユニオン研究会議長キキ・シャナクリは2012年4月23日付けコンパス紙に掲載された「パンチャシラ対リベラリズム」という論説の中で、1998年レフォルマシ後インドネシアの国民生活国家生活は実質的にリベラリズムに支配され、リベラリズムはパンチャシラを矮小化し疎外することに成功した、と書いている。
パンチャシラ安定化運動が2012年7月5日にタマンミニインドネシアで開催した「パンチャシラに戻る」というテーマの大会では、元副大統領トリ・ストリスノが綴った「パンチャシラ再活性化基本理念」が資料として配布された。いわく、1980年代末にソ連で共産主義イデオロギーが没落してから、インドネシアを含めて多くの発展途上国はリベラルイデオロギーを指針にした。現在14年目に入ったレフォルマシの経験をもって、リベラル派改革主義者たちは即刻パンチャシラに回帰してしかるべきである。
それら三人のインドネシア国軍上級退役軍人が表明した意見は、民族指導者にとっての一種の早期警告である。パラドックスは、どうして退役し老齢に達してはじめてかれらがその警告を発したのかということだ。オルバ期、かれらが現役で権力構造の一部をなしていたとき、パンチャシラの諸価値からの逸脱が行なわれてもかれらは沈黙していた。
第四のパラドックスは、憲法改正議論だ。サイディマン氏は論説の中で、「インドネシアをパンチャシラ国家に作り上げるために必要とされたレフォルマシは、事実上西欧リベラル派の標的にされた挙句、かれらに乗っ取られてしまったのである。かれらの第一の成功は1945年憲法改正であり、そのときからパンチャシラを国民の目の届かないところに幽閉する努力がはじめられた。」との意見を述べた。ところが反対に憲法改正支持者は、指導された民主主義やパンチャシラ民主主義といった名前でこれまでの両体制が違背した1945年憲法を正しい道に戻したのだと確信している。
改正の重要ポイントの中には、次のようなものがある。正副大統領は国民の直接選挙で選ばれ、最高二回までしかその職に就くことができない。第28条はAからJまで敷衍され、基本的人権保護の憲法上の基盤をなした。第18条(2)(5)(6)(7)項は地方自治実施の基盤となった。第28条Fは、コミュニケーションと情報を得る権利並びに情報を探し・獲得し・保有し・貯え・加工し・伝達する権利は国民の憲法で保証された権利であることを確定させた。
指導された民主主義やパンチャシラ民主主義のコンセプトに即して1945年憲法を意味づけ、それを懐かしむ旧来型著名人がまだたくさんいる。そのような傾向がインドネシアパラドックスの一部なのである。
ライター: 1996年パンチャシラ養成家 サバム・レオ・バトゥバラ
ソース: 2013年1月3日付けコンパス紙 "Paradoks Indonesia Itu"


「先進国になれないインドネシア」(2013年5月1日)
『かれはいつもトラブルに巻き込まれてそこから脱け出すことができなかった。おおよそ、それこそが悲劇的と呼ばれるものなのである。』プラムディア・アナンタ・トゥル「人間の大地」、165

インドネシアの独立を宣言するほうが、共和国の遠大な理想に至るための確かな道を定めるよりはるかに容易だ。共和国の歩みにおける紆余曲折の難しさは、解決されなければならない問題の大きさに比べて指導者の能力が小さいことが原因の一部をなしている。民族の腐敗性向はいまだに変わっていない。搾取型経済構造は植民地時代のままだ。違いは単に、現代はテクノロジーと資本が軍事力と入れ替わっているというだけのこと。共和国の歩みには、トラブルの迷宮から民族を解放する一大ブレークスルーが欠けている。
ほぼ4年間ジャカルタでAFP通信員をしていたブライアン・メイは、インドネシアが先進国になるためのあらゆる条件を備えていることを詳細克明に書き記した。(The Indonesian Tragedy, 1987)
豊かな天然資源、豊かな生態系、年間を通して暮らしやすい気候、可能性を秘めた巨大市場としての膨大な人口、大いなる社会資本であるゴトンロヨンのある生活習慣。ところがメイは、インドネシアが先進国になるのは困難だと観た。問題は文化面での障害だ。そして20年後にローレンス・E・ハリソンとサミュエル・ハンティントンが、文化の中にある価値観が民族の進歩をどのように決定するかについての命題をとり上げた。(Culture Matters: How Values Shape Human Progress, 2000)
現代という時代を共に生きているとはいえ、前資本主義メンタリティのゆえにインドネシアは行為と思考においていまだに現代に至っていない。現代(モダン)とは西洋の模倣を意味しているのでなく、現代文明の原理を受容する合理性を指している。アジアで西洋の模倣に陥ることなく前資本主義メンタリティの障害を克服するのに成功したのは、日本を除けば韓国が最新例だ。
<非経済オリエンテーション>
シンプルな言葉で語るなら、経済性とは収入と支出の差を明確に数えることであり、保有資産を明確に勘定することであり、ビジネスチャンスを明確に看て取ることであり、ビジネスの将来性を予見することであり、非効率をシステマチックに排除することであり、節約の能力を持っていることである。メイによれば、インドネシア社会は経済性よりも社会性のオリエンテーションのほうが旺盛であり、宗教と見栄が経済性計算を妥当性のないものにしている。
インドネシア開発期の数十年間、発展途上国に対する西洋諸国の経済援助は神話になっていた。経済援助という形式の西洋諸国からの借金にインドネシアは依存した。ところがその援助金は、先進国からインドネシアへの輸出に対する補助金以上のものではなかったのである。インドネシアの輸出産品も西洋諸国の市場に入ることができなかった。国家経済は自立することができず、一次産品の輸出に付加価値をつけることはなされず、皮肉なことに、その加工品は何倍もの価格でインドネシアに戻ってきた。
借款供与国はインドネシアに種々の厳しい条件を課し、援助国は事業コンセッションの形で見返りを享受した。援助国の専門家と資材は、たとえ経済性に欠けていても、国家建設の中で使うことを強いられた。政府が国民の事業と生産についての能力を築き上げることを怠ったがために、経済の自主性が構築されることはなかった。資源が皆無だったシンガポールは統制の取れた行政秩序を元手にして発展し、国際ビジネスで信用を獲得した。
島嶼国家でありながらインドネシアは軍事編成で陸軍偏重を行なった。過剰な軍事力構築は国軍二重機能を招来し、それはミリタリズムの別の顔を実地運用面で示すことになった。軍警分離はかえって両者間のパワー競合を現場に残すことになった。治安に関してだれがいくら支払えるのかという問題が生じたとき、パプアで起こったような軍管区的アプローチが行なわれた。
海事パワー構築は軽視された。インドネシアは海軍を持たない蘭領東インドの故事から学ぼうとしなかった。蘭領東インドの海を遊弋したのはオランダ王国海軍の艦船だ。そうして蘭領東インドは1811年に英国海軍に敗れ、さらに第二次大戦で日本海軍に敗北した。インドネシアは海上で威勢が悪い。外国船がインドネシア領海内で海洋資源を根こそぎ盗んでいる。
マルサスは人口増が等比級数的に増加するのに対し、食糧供給は等差級数的にしか増えないとの説を立てた。その理論の正しさは、国民の大半が貧困である上に国が食糧セキュリティに問題を抱えているインドネシアにとって、きわめて深刻なものだ。投機者・食糧輸入者のたくらみに何度も国は苦渋をなめさせられており、小市民は食糧を高く買わされている。
<不合理オリエンテーション>
現代という時代におけるインドネシアの進歩は、国民がモダンテクノロジーの成果に触れているかどうかで決まるものではない。大勢のインドネシア人が西洋で発展したモダンな学術知識の習得に努めており、一部のひとは西洋に出かけることまでしている。そしてインドネシアに戻ってきたとき、かれらはモダンでない勤労文化の現実に直面した。コルプシはモダンビューロクラシー原理に違背する不合理な行いだ。
大勢の現職公職者が競争相手と熾烈な闘いを繰り広げ、5割に満たない得票で再選されている。かれらが再選されたのは、国民の多くが経済オリエンテーションに欠けていたからだ。国民はそれまで行政の舵取りをしていた公職者たちの低劣な業績を目の当たりにして怒りもしなかった。国民の宗教性はそれほど軟弱であるがために、コルプシ撲滅にすら力がない。
インドネシアは宗教共和国でないというのに、地方自治の時代には公務員採用の場に宗教性の条件が深くからみついた。フォーマルな宗教性が高まった一方で、ひとはますますコルプシを平然と行なうようになっている。大衆は欺かれ、社会援助は操作され、公共空間における宗教性は宗教の教えに根ざす素朴さや正直さの根を持っていない。
わが国の公職高官や政治家が宗教を利用するのが巧みなのは、国民が宗教的イメージにすぐ陥落してしまうからだ。宗教的プロジェクトに寄付を行なえば、その者がどんなやり方で金持ちになったのかについて国民は目を閉じてしまう。さらに宗教は、ミスマネージメントや無能さを覆い隠す仮面にも使われている。個人の倫理は社会病癖への解決にならないというのに。個人の宗教性と社会病癖の間に直接の関係はないのである。
インドネシアが必要としているのは、国民に頻?に呼びかけを行なうリーダーでなく、率先して公共倫理の実践を行なう能力のあるリーダーなのだ。その行動と模範によってかれは公共倫理に生命を与え、共和国をトラブルの迷宮から脱出させるのである。
ライター: ジャカルタ神学専科学院教官 ヨンキ・カルマン
ソース: 2013年3月21日付けコンパス紙 "Labirin Republik"


「中学校内トイレを有料に」(2013年5月1日)
西ジャワ州ブカシ市ラワルンブの国立第16中学校が生徒に対して校内のトイレを利用するごとに5百ルピアの寄付金を置く規則を定め、さっそくトイレの前にはRp.500と書かれた木の箱が置かれた。バスターミナルや鉄道駅、パサル、ローカル向けショッピングセンター、ガソリンスタンドなどの公衆トイレでよく見かける光景だ。
学校側が校内トイレの公衆トイレ化を行なったのには事情がある。ブカシ市国立第16中学校の在校生は1,983人いる。だから校内トイレはいつも大賑わい。ところが学校が雇っているトイレ清掃員は4人のみで、かれらはのべつまくなしに大車輪のトイレ掃除。のべつまくなしの大車輪をやるのもわけがある。生徒たちのトイレ使用がこれまた汚しまくりで、きたないこときたないこと。教員や学校管理者たちの目からは、4人のトイレ清掃員が生徒のだらしなさのために過剰労働に陥っていると見えた。学校がかれらに払っている報酬はひと月80万ルピアでしかない。
校長をはじめ教職員たちは、生徒たちのせいでトイレ清掃員が報酬に引き合わない過剰労働をしているのだから、生徒たちに金を払わせてトイレ清掃員の収入を増やさせ、労働負担と収入のバランスを取らせようと考えたようだ。学校運営に関する父兄との協議機関スクールコミティにこの計画を諮ったところ、異存ないとの返事を得たため、学校側はさっそく計画を実現させた。
ところが、生徒たちの中から猛反発が出た。生徒たちは親にこの問題を訴え、父兄はマスコミを焚きつけた。さっそく、市庁・市議会・教育関係者などから批判の声があがる。
「非教育的だ」
「せっかく義務教育無料化を推進しているというのに、学校は無料で学内トイレは有料か?」
「生徒から金を取るのが当たり前になれば、不法徴収金が闊歩するぞ!」
「他の学校が真似して有料トイレを始めたらたいへんだ。第16中学を含めてすべての学校でこのようなことを行なうのは禁止する」
副ブカシ市長が学校を視察に訪れて学校管理者に引導を渡したから、女性校長はすぐにトイレ前の寄付金箱を引っ込ませた。
市議会議員は、市から学校運営の予算が出ているのだから、トイレ清掃のための費用などすぐに捻出できるのではないか、とコメントしている。


「街灯からの火花は街灯管理者の責任」(2013年5月1日)
2012年12月28日付けコンパス紙への投書"Percikan Api, Tanggung Jawab PLN atau Pengelola PJU?"から
拝啓、編集部殿。去る2012年11月9日(金)19時ごろ、PLNの電柱で火花が散っていました。近隣住居に飛び火するのを怖れたわたしは自主的にPLNコールセンター123番に電話しました。担当者は「すぐにフォローします」と言いました。
20時になってもPLN職員はやってきません。そのうちに火花は消えてしまいました。翌11月10日朝、近隣住民が投げた布が電柱付近に引っかかっているのをわたしは目にしました。わたしは再度PLNコールセンター123番に電話しました。すると担当者は、報告のあった電柱の火花は既にフォローアップがなされました、と言いました。
しかし事実は違います。現場にPLN職員はひとりも来ていないのですから。もう一度PLNコールセンター123番に電話すると、9時ごろPLN職員がやっと現場にやってきました。その職員は、火花が出ているのは街灯のケーブルからであり、PLNはその修理をしないので街灯管理者に連絡してくれ、と言いました。
今回のような事故があった場合、修繕の責任は誰にあるのでしょうか?PLNですか、それとも街灯管理者なのでしょうか?住民がPLNコールセンター123番に電話しても、その対応は迅速でありませんでした。火花から火事が起こらなかったのは幸運だったと言えるでしょう。[ 北ジャカルタ市クラパガディン在住、エンディ・スカルディ ]


「発育不良児童は民族禍をもたらす」(2013年5月4日)
インドネシアは発育不良児童の多さで世界第五位だ。インドネシアの上を行っているのは、インド・中国・ナイジェリア・パキスタン。インドネシアで発育不良児童は「短躯(背の低い)児童」と呼ばれており、それに該当する子供たちは全国に7百万人いて、子供人口の36%を占めている。
「短躯児童はたいてい頭脳の働きが弱く、非遺伝型疾病にかかりやすい体質になる。糖尿病・高血圧・卒中・心臓障害・ガンなどがその典型だ。かれらは脳を含めて臓器の発育に支障を蒙っている。発育不良児童が増えれば増えるほど、次代を担う国民が病気持ちで知性の低い世代になっていく。いかに発育不良児童を減らすか、というのがわれわれの直面するチャレンジだ。」栄養向上運動キックオフ大会で食糧開発強化のための栄養財団役員はそうスピーチした。
短躯児童は遺伝のせいだという考えは間違っていると語るのはインドネシア大学栄養学専門家。「その決定因子は栄養不足にある。この問題の解決はまず母親の栄養状態に求めなければならない。妊娠最初の8ヶ月間は脳を含む体内臓器の形成時期で、続いて細胞分裂の時期が訪れ、脳細胞の多寡はその過程で決定される。それらのフェーズは生命誕生の最初の一千日間中にあり、その間に母親の栄養が不足すれば、子供の細胞分裂や臓器の形成が障害を受ける。母親になろうとする若い女性たちは、結婚前にまず自分の栄養面の準備を開始しなければならない。胎児の栄養は母体の栄養状態が鍵になるのだから。痩せている女性は胎児に栄養不足をもたらすリスクが高く、おまけに出産後は母乳の出方が悪くなる。だから、結婚する前に女性は自分の栄養状態についての準備も忘れないようにしなければならない。」
東ヌサトゥンガラ・西ヌサトゥンガラ・パプア・西パプアなどのインドネシア東部地方で特に短躯児童が多いと統計資料は物語っている。


「あごひげに火をつけたがる国民」(2013年7月2日)
2013年3月5日付けコンパス紙への投書"Bangsa yang Senang Membakar Jenggot"から
拝啓、編集部殿。そんなことは起こらないだろうと思っていたことが発生してうろたえるという意味の「あごひげに火がつく」という表現はよく耳になじんでいます。2013年1月中旬に洪水がジャカルタを襲うまでは、だれもが落ち着き、騒がず、ぐっすり熟睡していました。ジャカルタには毎年雨季になるとほぼ確実に洪水の被害を受けるところがあるというのに。
いざ洪水に襲われると、隣組長からSBY大統領にいたるまで、だれもがそれに関心を持ち、それを言い立て、問題を叫ぶのです。雨がやみ、水が引き、地面が乾くと、問題が叫ばれていたことをみんなが忘れてしまいます。そのありさまをわたしは、われわれはあごひげを燃やす(火がつくのでなく)のを楽しんでいる民族だとわたしが表現したのは、何が起こるのかわかりきっているのに、ただ手をこまねいているだけの民族だからです。
同じことはルバラン帰省交通にも当てはまります。今、ルバラン帰省時の交通渋滞やその影響あるいはおよそ7百の人命が事故で失われているといったことについて触れ、それについて叫ぶひとはまだありませんが、ルバラン帰省交通に関連する諸問題がよりよく処理されるよう、ルバランが来るはるか以前にもっとよく検討されていなければならないのではありませんか。優れた包括的な計画が作られずに毎年決まって犠牲者が出るような状態は改善されなければなりません。関係諸官庁が計画する解決案がつぎはぎだらけのもので、既存や将来的な問題の因果関係を解明せず、長期的視野に立った完璧で整然たるものでないのなら、災害はあとからあとからやってくるに違いありません。[ バンテン州タングラン県在住、スラルジョ ]


「古バティックの展示会」(2013年7月19日)
バティックの古いモチーフが描かれた布地の展覧会がジャカルタ繊維博物館(Museum Tekstil Jakarta)で2013年8月半ばまで開催されている。Mengungkap Pola Nitik dalam Wastra Batikと題するこの展覧会には、ヨグヤカルタ・ソロ・プカロガンから集められた90点ものニティッ模様の布地が陳列され、nitik sekar kentang, nitik cakar wok, nitik jaarbeurs, jlamprang sekar srengenge, nitik nagasari, nitik ranti ceplok gurdho, nitik tapak kebo, cakar melik, nitik seling parang klitik, nitik kanigoro, nitik rengganisなどの描かれたカインパンジャンや、当時ニティッ模様が誕生するのに大きな役割を果たしたインドのパトラ織り絹布もあわせて展示されている。パトラ織りはダブルイカットの技術を使って織られたもので、その精緻さと美しさから、古来、支配権力者たちが権威をふるうために着用を独占し、高い価値を有していたものだ。
ニティッ模様はヨグヤカルタ・ソロ・プカロガンでのみ見つかっている伝統バティックのモチーフで、交差する直線が作り出す方形の組み合わせが主体をなしていることから、チュプロッ(ceplok)型デザインに属すものとされており、ござを編むさいに使われた点と短線が方形を作り出すモチーフがバティックに応用されたものだろうと専門家はこのデザインを見ている。ニティッ模様はバティックモチーフの中でも古いもので、展示されている布地も大半が50年前後の古さを誇っている。


「チュルハッ」(2013年7月25・26日)
curah hati 略してcurhat。curahというのは上からばら撒かれた/るたくさんのものを意味しており、curah hujanというのがその代表的な用法だろう。そこから転じて、運輸の世界ではバラ荷のことをkargo curahと言い、ドライバルクはcurah kering、液体バルクはcurah cairが訳語に使われる。その流れで、パサルでもバラ売りの品はcurahという言葉で表現される。minyak goreng をビニール袋に量り売りすれば、curahという言葉が使われるわけだ。
このcurah hatiはcurah hujanと同様のニュアンスと考えられ、つまり心の中身を雨のように降らせることにちがいない。そのようにして天降って出てきたものがcurah hatiの名詞形curahan hatiであり、つまりは心の中身をばら撒いた打明け話ということになる。curahan hatiもcurhatという短縮形にされているようだから、チュルハッは打明け話をすることと打明け話そのものの両方の意味を持っている。
人間というものは日々の暮らしの中で必ず喜怒哀楽の感情を抱く。そして、それを誰かに伝えたいという衝動を持つ。更にその内容次第で伝える相手を選択するようになる。自分の気持ちを理解せず、受け止めてもくれないひとに伝えたって何の意味もないからだ。
多感な時期を送っている高校生はチュルハッのネタに事欠かない。インドネシアの高校生はだれをチュルハッの相手に選んでいるのだろうか?
2013年3月にコンパス紙R&Dがジャカルタ・バンドン・ヨグヤカルタ・スラバヤ・マランの優良高校19校の952人の生徒から集めたアンケート結果が報告されている。回答者の4割は男子生徒、6割が女子生徒だった。
生徒たちの79.1%はチュルハッの相手を身近に持っており、43.6%が母親、23.8%が兄弟姉妹、8.8%が父親、2.8%が祖父祖母という内訳だった。反対に持っていないと答えた生徒が17.4%いた。日本の高校生は、兄弟姉妹は別にして両親や祖父祖母に心のモヤモヤを何でも打明けるようなことをしているだろうか?反抗期を経ずに成人していくインドネシア人の対人依存性向はどうやらこの事実にも当てはまっているように見える。
婚前セックス・喫煙・麻薬などの伝統的インドネシアの価値から見て悪事でしかないことがらが若年層に静かに深く浸透しているように言われている。そして今回のアンケート結果報告の中で、両親や祖父母と密接な精神的絆を持っている高校生ほど、それら悪事からの誘惑を断固拒否する意志が強い、というコメントがなされている。それはきっとその通りなのだろう。周囲の大勢の人間に依存し、みんなに生かされている自分というあり方で一生を送るのを善とする価値と、自分の人生はだれも代って担うことのできない自分自身のものであり、それを自分の自由と責任において自分が操縦して生をまっとうすることに高い価値が置かれている社会の違いがそこから見えてこないだろうか?
もうひとつ報告の中に見られたコメントに、親をはじめとする家族との絆の強い生徒が学校の成績も良いという相関関係は見当たらないというものがあった。親や家族にあまり依存していない生徒(かれが友人や仲間にも依存していないかどうかはそこから解らない)であっても、だから学業が劣るということは言えず、家族関係の面でよい子(anak manis)であることと、学業成績優秀な良い子、というふたつの観点はまったく独立したものであるそうだ。
更にインドネシアの伝統的価値観である、子供から親に対する無条件の尊敬と服従、は変わりつつあることが実証された。つまり親が与えるしつけや訓戒を金科玉条とする子供たちの時代はもはや過ぎ去り、今の高校生たちはもっとさまざまなソースから自分の生き方に必要な価値を探し出すようになっている。父母にチュルハッしている子供たちでも、意見の差異に自分から折れて出ることは減っており、ひとつの参考意見として聞いておくという姿勢が強まっていて、92%がそれを肯定している。親の側も最終結論を子供にまかせる姿勢が強まっているのは、世情が示している通りだ。アンケート回答者全般では、37.5%は親に絶対服従、62.4%はときどきそうしている、と答えている。
異性交遊についてのチュルハッを親にする高校生はさすがに少ない。統計結果を見ると、チュルハッ相手は圧倒的に友人になっている。
父親0.8%、母親8.0%、友人47.7%、チュルハッしない21.3%、その他22.2%
最後に、「学業は負担になっているか?」との質問に対する回答は、57.8%がイエス、ノーは42.1%だった。


「自己省察力はどこにある?」(2013年7月25日)
2013年3月28日付けコンパス紙への投書"Salesman Salah Alamat Menyerbu Rumah Kontrakan"から
拝啓、編集部殿。わたしの甥は、笑い話ではすまない、馬鹿げた、しかしとんでもない被害者になったのです。2013年2月15日、甥が西ジャワ州ブカシ市ポンドッグデのドゥタインダ住宅地にある新しい借家に戻ってみると、玄関扉は開いたままで、窓はこじ開けられ、そして表門には南京錠がかかっていました。
隣人の話によれば、その前日にウィチャクサナ、マヨラ、アクア、クラティンダエン、サヤップマス、ソスロ、ビッグコーラ、プチュッハルムなどの商品名の名称やロゴなどを身辺に表示した何人ものセールスマンが何台もの車でやってきたそうです。かれらの中のふたり、マヨラの者と自称するウイリーさんと、ウィチャクサナの者と自称するリザルさんが隣組長の家を訪れて、かれらがエディ・ズバエディなる人間の住居と信じている甥の借家に入ることを許可するよう求めたそうです。そのエディ・ズバエディなる人物はかれらに数億ルピアにのぼる詐欺を働いたそうですが、わたしの甥とは全然別人です。
別の日に会う機会のあったそのふたりのセールスマンの話によれば、隣組長はその家の住人の同意なしにそのような許可を与えることはできない、と拒否したとのことですが、そのふたりが隣組長の家に行っている間に借家では既に騒動が勃発していたそうです。ふたりが他の被害者セールスマンたちと相談しようと借家に戻ってきたときには、借家は押し開かれて中の家財道具類が持ち出されていました。タバコの吸殻が屋内にばら撒かれ、金目の品物が奪い去られ、そして包丁が一本、これ見よがしに室内に置かれていました。いったい何を言いたかったのでしょうか?
礼儀もわきまえず、人違いかもしれないという疑いをかけらも持たず、激情に駆られてやりたい放題の復讐を他人に加えたかれらセールスマンたちの行いに、わたしは社会の一員としてとても立腹しています。甥とその母親は、自宅を改装するためにしばらくのあいだ借家を借り、その家に住むようになってまだ三週間も経っていないのです。わたしはこの事件をブカシのポンドッグデ警察署に訴えました。
甥の悲しみはいかばかりでしょう。中でも、重要なファイルが入っていたラップトップ・USB・ハードディスクが持ち去られたのです。その中には数ヶ月前に死去した父親のファイルが混じっており、ラップトップ内のデータとハードディスク内のバックアップは甥の人生そのものであり大切な思い出だったのですから。[ バンテン州南タングラン市在住、アナスタシア・スシロユウォノ ]


「遠い原因に腹が立ったら、近くのやつを撲れ」(2013年10月11日)
2013年6月20日付けコンパス紙への投書"Mobil Arogan di Lobi Rumah Sakit Pondok Indah"から
拝啓、編集部殿。2013年5月13日、わたしは脳性小児麻痺の子供を定期健診のために南ジャカルタ市のポンドッキンダ(Pondok Indah)病院へ連れて行きました。わたしの車がロビー表に着いたとき、前の車が病人を乗せようとして手間取っていたところ、後ろに来た車が忍耐心もなく無遠慮にブーブーとクラクションを鳴らしたのです。
前の車が立ち去り、わたしの車が定位置に止まったら、後ろの車がすかさずぴったりとわたしの車の後部にフロントをくっつけてきましたので、トランクを開いて車椅子を出すことができません。わたしがその車にちょっと下がってくれと手で合図すると、その車の運転者は手の指でわたしを撃つようなかっこうをしながら、粗野な大声で「待てっ!」と怒鳴りました。
車の中にいたわたしの子供は怯えて泣き出し、ロビー内にいたひとびとまでもが驚いてこちらの方に注目したのです。車のナンバープレートは特殊なものだったし、野戦服を着た副官らしきひとも乗っており、その運転者はきっと階級のある軍人か行政高官の運転手だったのでしょう。
病院のセキュリティ係りは何をしたと思いますか?車の流れにさからってその車をバックでタクシー駐車場まで誘導し、そこに駐車させるように骨を折ったのです。運転手にも、ご主人殿にも、一言の注意もしませんでした。ポンドッキンダ病院というところは、患者の必要性に応じた対応をするのでなく、社会的な地位でVIPと非VIPの区別をしているのですか?
ポンドッキンダ病院経営者の回答をいただきたいと存じます。わたしの子供は貴病院の患者番号422462で、わたしへのコンタクト番号はMRを見ればわかります。問題の車はトヨタフォーチュナーで、プレート番号はB1PExでした。[ 南ジャカルタ市在住、イルフィン・フタガルン ]
2013年6月29日付けコンパス紙に掲載されたポンドッキンダ病院からの回答
拝啓、編集部殿。イルフィン・フタガルンさんが2013年6月20日付けコンパス紙への投書で開陳なさった不愉快な体験に対して、お詫び申し上げます。当方は既にイルフィン・フタガルンさんにコンタクトし、ポンドッキンダ病院は患者の必要性にもとづいてお客様の優先度を決めていることを説明申し上げました。当方のセキュリティ係員はイルフィンさんの後ろにいた車の駐車誘導をするひまがありませんでした。その車の乗客に車椅子の世話をし、戻ったところその車はもうタクシー駐車場に移っていたのです。当方はセキュリティ係員に対し、将来もっと優れた応対ができるよう、指導を与えました。[ ポンドッキンダ病院グループ企業広報PR担当、カリナ・ウィジャヤ ]


「インドネシアはややこしい国」(2013年10月24日)
2013年7月2日付けコンパス紙への投書"Merokok di Koridor Bandara Soekarno-Hatta"から
拝啓、編集部殿。去る6月2日夕方、わたしがスカルノハッタ空港第1ターミナルA−11ゲート待合室に入ろうとしたとき、待合室に向かう通路で20人くらいのひとがタバコを吸っていました。わたしと妻、そして三人の幼い子供たちは、その煙害を避けるために鼻を覆って小走りにそこを通り抜けざるを得ませんでした。
おかしなことに、その場所には禁煙のサインが明確に表示されているというのに、それを注意する空港職員はいません。インドネシア人は文盲がまだ大勢いて、そのサインを読めないのだということなのでしょうか?それとも国際空港だという看板を掲げたスカルノハッタ空港では、このような問題を適切に処理する訓練が職員に施されていないということなのでしょうか?
インドネシアというところはややこしいところです。機内に入った乗客が携帯電話をオフにするということすら無視し、それが問題視されないという国なのですから。そういう反社会的な行為が他人の生命に関わっているのだということすら、かれらは理解していないでしょう。[ 南カリマンタン州バンジャル県在住、アミン・フシン ]


「金は持ったが見識は持っていない中流層」(2013年10月31日)
オルバ期からレフォルマシ期に移行し、デモクラシーの波が全国を覆ったものの、インドネシア人がデモクラシーと呼んでいるものの中身はデモクラシーが採用しているプロセスを自分たちも行なっているという点に終始し、デモクラシーの本質からは遠く離れたままであって真のデモクラシーがいまだに実践されていない。それはミドルクラスの成育が実質的でないためであって、国民の大部分は教育レベルが低く、中流とはいってもロワーミドル層に属している。「形式デモクラシー対本質デモクラシー」と題する討論会でシダルト・ダヌスブロト氏、ジムリー・アシディキ氏、ハリマン・シレガル氏らが発言した内容はそんな結論だった。
見識を持ったミドルクラスが未確立であるため、デモクラシーの祭典の場である選挙は取引に支えられたものになる。取引でもっとも力を振るうのが現金だ。選挙運動が政策の討論よりも実弾の撃ちあいになる傾向は依然として高く、選挙民は候補者に対して「あの候補者はいくらくれたが、あんたはいくら出すのかね?」という駆け引きが時と場所によってなされているのは、全国でほぼ一律の現象だ。選挙で勝つために金を使ったら、勝って権力を手にした者が行なうのはその投資回収ということになる。腐敗行政の礎石は構造的なものになっているのである。
発言者のひとりは、民主主義的な社会を構築していくためにデモクラシーの本質はきわめて重要だが、形ばかりが先行して取引への志向が強く、金権のとりこになっているのが実態だ、と表現している。本質デモクラシーを実現させるためには、確固とした平等社会、厳格な法執行、しっかりしたマスメディア、そしてまっとうな政党の存在が大前提となる。その四つの要素が満たされなければ本質デモクラシーの実現は不可能で、今のままでは2014年選挙への期待は悲観的である、とのこと。
別の発言者によれば、法確定で実現されるのはせいぜい形式デモクラシーどまりであり、本質デモクラシーの実現はモラル確定が絶対条件となる由。インドネシアのデモクラシーは、法確定がまだまだという状況であるため、形式デモクラシーすら十分に実現されていない。法確定が弱いためにインドネシアのデモクラシーは政治エリート集団に乗っ取られており、かれらが私利を追求するための寡占主義や政治王朝を出現させる源泉になっている。デモクラシーの構築が不十分な現状は国民の平等な経済分配や均等な政治機会の享受を困難にしており、共同の繁栄に到達できないでいる。とはいうものの、インドネシアのデモクラシーを他の中進諸国、たとえばエジプトと比較してみるなら、インドネシアのほうが良好な状態にあるとかれは明言している。


「無規律社会の知識層」(2013年11月13日)
インドネシアの諸都市における日々の交通状況は混乱の一語に尽き、秩序が見られない。道路上では一定の交通パターンが見当たらず、交通ルールは存在していないようだ。
歩行者・自転車・二輪車・四輪車そして公共運送機関といった道路利用者は自分の欲するがままに動き、交通法規を歯牙にもかけていない。どこででも道路を横断し、歩道は二輪車が使い、予告もなしに停まるべきでない場所で停止し、おかまいなしに方向転換や逆走をする。
交通渋滞が発生するのは疑いもない。皮肉なことに、道路が小さいとか狭いとか、あるいは通行車両が多すぎるといった理由によるよりもはるかにたくさんのケースで、個人の自己中心性をむきだしにした行為が交通渋滞の発生を促しているのだ。事故発生のリスクを高めているぐしゃぐしゃなパターンの交通状況がそれなのである。
< 非文明的なエリート >
もっと皮肉なことに、商人たちが道路上にまで商品を広げている伝統的パサルの前やモールやスーパーマーケットの出入り口周辺で起こっている以外に、無秩序な道路交通は優秀校をも含めた学校の前でも起こっている。豪壮で権威的な学校表門の前ですら、交通無秩序に取りつかれていると言えるだろう。学校というのは、自然や人間の諸現象を分析できるように視野を広げ知識を拡大する知能訓練を行なうだけでなく、規律を教える場でもあるというのに、そういった学校という環境ですら現実に、交通無秩序が顕著に現われている。そこから、学術の徒・生徒・職員・大学生・教員・教師・教官たちも好き勝手に、公道の利用をエゴセントリックに行なっている印象を受ける。知識層に属し、将来民族を指導する立場にある選ばれた国民としてのかれらも、他の階層のひとびとと一緒に交通無秩序を作り出しているのが実態だ。
エリート階層である知識層がどうして秩序だった、統制のある、規律を守る姿勢を示そうとしないのか?エリート層というのは、かれら自身が作り上げた規則・規範・礼節・倫理を常に固く守ろうとするひとびとであることが歴史的社会的に示されていたのではなかったろうか?
このエリート層というのはあらゆるものごとに対して落ち着きと礼節に満ちた振る舞いを示すひとびとではなかったのだろうか?このエリート層というのは常に方法論的反照的な思考および規律のある行動を通して文明の創造と開発を行なう戦略集団と呼ばれていたのではなかったのだろうか?わが国エリート層の行動が高度に文明的な文化を構築するエリート層としての姿を反映していないのはどうしてなのか?
公道を含む公共空間での規律順守はシビルソサエティの要件のひとつである。ところが、われわれの社会でそれはまだあまり実現されていない。その理由は、社会の最前線にいるはずのひとびとである知識階級すら社会混乱の一翼を担っているからだ。そのためインドネシア現代文化研究者のロバート・W・ヘフナーはこう述べている。インドネシア民族国家構成員の日常生活は文明から少々隔たっている、と。
< 素人と変わらない >
教育とは知識や技能のみ教えるものでなく、規律や決まりを踏まえたビヘイビアを生徒に訓練するものでもある。1950年以来インドネシア社会の変化を調査しているWFウエルトへイムは貴族層を圧迫する新しいエリート・知識階層・高学歴者らの出現でインドネシアの社会ポジションに変化が起こったことを見出した。かれらの中には、重要な公共政策の決定に戦略的な位置を占める行政高官や政治家あるいは商人、また事業主や技術サービスコンサルタントがいた。
ところがかれら新しいエリートの出現は社会的な姿勢の変化と正比例していなかったのである。新しいエリートたちのビヘイビアは一般大衆とあまり違いがなかった。違いがあったのは、エリート層がより贅沢にまたバリエーションに富む高品質の消費物資を利用することを可能にする経済資源を持ちあるいは支配したということだけであり、姿勢のレベルに関しては他の素人大衆とほとんど違いがなかったのである。職業実践でのプロフェッショナリズム追及はお粗末で、規律というものが薄弱であり、反対に傲慢な態度や豪勢なライフスタイルを見せつけたり、スノビッシュな振舞いばかりが目立った。
こうして学校教育が新しいエリートを出現させ、それは今日に至るも社会経済階層のランクアップを目指す国民にとっての重要なファシリティであり続けているものの、物理的・物質的・経済的な向上に向かうものばかりがもたらされて、人間のビヘイビアを変化させることができていないのだ。この学校教育は生徒の心理的・文化的な姿勢に影響を与えることができておらず、やっと生徒が知能を練磨することを推進させただけであり、かれらを規律正しい人間に変えて行くまでに至っていない。言い換えるなら、インドネシアの学校教育は単に生徒の認識界を向上させている段階にとどまっており、かれらの情緒界にはほとんど働きかけていないと言えるだろう。
今でも、インドネシアの学校教育は知的面で優れた生徒をいかに作り出すかという認識教育に重点が置かれているように見える。ところが、社会心理学調査結果は中学校レベルまで情緒教育のほうに重点を置くことで生徒の認識能力が加速されていく事実を示しているのである。つまりこのパースペクティブにおいては、規律正しい人間は概して頭が良いという傾向を持っている。なぜなら、規律正しさは頭の良さに先行するからだ。
ライター: ブディ・ラジャブ、パジャジャラン大学社会政治学部人類学科教官
ソース: 2013年10月26日付けコンパス紙 "Kaum Terpelajar dan Ketidakdisiplinan"


「じっと手を見る労働者たち」(2013年11月14・15日)
KSPI(インドネシア労組会議)が音頭をとった2013年10月31日〜11月1日の全国20州でのゼネストに、北ジャカルタ市チャクンのヌサンタラ保税工業団地入居工場で働くマルトゥティ31歳も参加した。ランプン州北ランプン県フルスンカイ出身のかの女は10年前に上京し、今の工場に職を得た。2年間の試用期間が終わって正社員に登用されたとき、かの女は洋々たる前途が開けたように感じたが、それは束の間の悦びでしなかったようだ。それからの8年間、与えられる給与は年々変わる最低賃金額そのものでしかなく、2013年も最低賃金の月額220万ルピアがかの女の月収になっている。しかしマルトゥティはまだマシなほうだ。ヌサンタラ保税工業団地に入居している工場の中には大幅にアップした今年の最低賃金支払い能力がないため適正生活需要金額の197万8千ルピアを支給しているところが多数あり、その金額を月収としている労働者は何千人もいるのだから。
「8年間、ずっとこんな暮らしよ。暮らしは何もよくならないし、経済的な余裕なんか爪の先ほどもないわ。」
2x3メートル一部屋の狭いコスで暮らす毎日。マルトゥティは故郷の両親と両親に預けてある一粒種の11歳の息子の生活費のために毎月50万ルピアを仕送りしている。両親はもう72歳と62歳になる。残った金はすべて生活費に消えてしまう。貯金をする余裕すらない。チフスに罹って病院通いしたとき、250万ルピアの借金ができてしまった。
生活費を切り詰めるためにできる限りのことをしてさえ、そんなありさまだ。北ジャカルタ市チリンチンにあるひと月30万ルピアのコスは仕事仲間のスリ37歳とシェアしている。コスから職場までおよそ1.5キロの道のりを、かの女は徒歩で往復する。時にはコスから二輪車オジェッで工業団地正門まで行き、そこから団地内を巡回するアンコッに乗って職場まで行くこともあるが、その片道の交通費だけで一回4千ルピアが消える。仕事日にコスを出るのは朝7時半。そして帰宅するのは17時半ごろ。
収入を増やすために、マルトゥティは朝出勤前に菓子と揚げ物を作り、職場近くの食べ物ワルンに預けて販売してもらう。食べ物ワルンに渡すのは一日35切れで、全部売り切れたところで純利益は一日7千5百ルピアにしかならない。
中部ジャワ州クブメン出身のコンテナトレーラー運転手ジャッミコ30歳も、勤労一途の毎日を送っている。13年前に上京してきて、あれこれと職を転々としてから、5年前に今の会社に雇用された。タンジュンプリウッ港の貨物を取扱う運送会社だ。かれはそこで正社員に登用されているが、給与はいまだに最低賃金が適用されており、今年は月額220万ルピア。ではあっても、正社員には手当てが付く。副食費・交通費・老後手当て・そしてジャムソステック。おかげで手取りは月額4百万ルピアに達する。残業仕事がもらえれば、月額6百万ルピアに上ることもある。「独身のときだったら、そりゃあ十分な金額だけどよ、結婚して子供が何人ができてりゃ、苦しいよ。金を上手に割り振らなきゃあ。」
ジャッミコはタンジュンプリウッにある家賃ひと月75万ルピアの貸し部屋に、ふたりの運転手仲間と住んでいる。だからかれが支出する家賃はひと月25万ルピアだ。かれの妻は4歳と1歳のふたりの息子と一緒にタングランに住んでおり、妻は衣料品工場で働いている。妻の月収は190万ルピアだ。労働日に妻が働けるようにするには、子供をだれかに見てもらわなければならない。上の息子は妻の両親に見てもらっているが、1歳の子供はベビーシッターを雇うことにした。ベビーシッターに月給40万ルピア、そしてベビーシッターの食費として15万ルピア。上の息子を見てくれる妻の両親に月額80万ルピア、そして子供のミルク代とタングランの家賃に合計100万ルピア。
好運なことに、この一家は行楽費がいらない。ジャッミコが地方へのコンテナ配送の仕事を請けると、家族連れでコンテナトレーラーを走らせる。そうでなければ、特にどこかへ家族みんなで遊びに行くというような機会はまったくないのだから。来年は上の息子が幼稚園に上がる。そのため、この夫婦は相談してジャッミコの故郷へ引っ越すことにした。つまり、妻と子供たちが今のタングランからクブメンに引っ越すということだ。ジャッミコ自身はタンジュンプリウッでの仕事を継続する。
実に好運なことに、クブメンに住むジャッミコの父親は長距離バスの運転手で、クブメンとジャカルタを往復している。つまりジャッミコが家族に会いにクブメンへ帰るとき、交通費は無料になるというわけだ。


「パプア初の女流作家」(2013年11月18日)
史上はじめて、パプア女性作家の小説が世に出た。この女性はアプリラ A.R.ワヤルさんで、かの女のふたつの作品が国内で同時に発売された。ひとつは2007年に書き上げたMawar Hitam Tanpa Akar、そしてもうひとつは2012年に書かれたDua Perempuanというタイトルの作品。アプリラさんはそのいずれも8ヶ月の月日をかけて書き上げている。
かの女はヨグヤカルタで6年間学んだあと故郷に帰り、今ではジャヤプラでジャーナリストの仕事をしている。処女作のMawar Hitam Tanpa Akar を携えてかの女は2012年のウブッ・ライターズ&リーダーズフェスティバルに参加し、そこでかの女の作品を出版しようという出版者にめぐり会った。出版者はマカッサルのナラチプタレテラ。
かの女は処女作を書き終えてから、それを持ってパプア州観光局を訪れて出版の機会を探った。州観光局は出版の可能性を認めたものの、予算が取れずに1年半お蔵入り。その結果かの女は原稿を引き上げて自力で動き始め、そしてついに今回、スポットライトを浴びることになったわけだ。
かの女の作品には、家父長主義の色濃いパプア社会の中でのパプア女性たちの熱意あふれる生き方が描かれている。「わたしの小説が実現したなんて、これは長い間待ちに待った瞬間なんです。まるで夢のようだわ。」とアプリラさんは喜びに満ちた感慨を語っている。是非もっとたくさんのパプア女性が小説を発表するようになってほしい、とかの女はパプア女性の地位向上が進展していくことを期待して女性層に檄を飛ばしている。


「上位に就く人間の満足感」(2013年11月19日)
2013年8月19日付けコンパス紙への投書"Kendaraan Pengawal Pejabat Berseliweran di Jalan"から
拝啓、編集部殿。ほとんど毎日、都内目抜き通りでは大臣公用車ナンバーの自動車が、路上が混雑している時間帯に頻?に走っています。自家用車を運転しているひとたちは、大臣が通るので道をあけるように命ずる二輪や四輪の警護車両が発するサイレンや独特の警告音を耳にしていると思います。
大臣の車一台を警護するために、先頭に二輪の先導車が走り、大臣車の後尾をもう一台の四輪車が伴走しています。大臣が外出する際には常にその形態が使われるようですが、それは燃料と車両そして警察要因の浪費ではないでしょうか?そもそも、大臣というのは公的な護衛がつけられなければならないものですか?
もし政府高官には護衛がつけられなければらないという規則があるというのなら、その規則を変更しようというイニシアティブがどうしてとられないのでしょうか?スシロ・バンバン・ユドヨノ大統領はわれわれ国民に対して頻?に節約を奨めているというのに、その呼びかけは国民に対してのものだけであって、大統領を補佐するひとたちには適用されないということでしょうか?
わたしはかつて、ユドヨノ大統領が地方首長たちとテレコンファランスを行なっているのを目にしました。閣僚会議を開くのに、どうして大臣たちを大統領官邸に集めなければならないのですか?テレコンファランスによる閣僚会議というのはできないのですか?
渋滞の最中に国民が忍耐強くノロノロ運転しながら自分の脇をスピーディーに通る護衛付き車両を横目で見ているというのに、スピーディーに通れるご本人はそんな大衆を見ながら満足なさっているのでしょうか?[ 南ジャカルタ市チランダッ在住、ムハマッ・スルヤ ]


「サンタクロースとマンデラ」(2013年12月19日)
ネルソン!これは世界の神々からの拝命なのか、それともインドネシア人に特別な意図を持って行なわれているものなのか、わたしにはわからない。しかしあなたはいま、あちら側の神の世界にいるのであり、そのわけをきっと知っているだろう。あなたは12月5日に世を去った。丁度サンタクロースがこの世に降りてくる準備をしているときに。オランダではサンタクロース(聖ニコラウス = シンタクラース)の日が12月6日であると信じられている。
あなたの霊が天国に向かって上昇しているとき、シンタクラースは反対にわれわれを訪れるために下降してきていたのだ。あなたがたがすれちがわなかったはずはない。もしシンタクラースがひとりだったら、あなたはかれに「ハロー、ハロー」と挨拶しただろう。なぜなら、あなたはもう白人に対する偏見など持っていなかっただろうから。それどころか、あらゆる本源的な要素に対するヒューマニズムを称揚した者として、あなたは世界のアイコンになっているのだから。
しかしネルソン、白ひげを伸ばした白人シンタクラースはひとりで降りてきたのではないのだ。重い荷物を持たされた黒人のスワルトピート(黒いピート)を従者にしたがえている。ネルソン、あなたは黒人であり、ピートも黒人だ。だから黒人同士、あなたがたはその天国の道で四方山話をしたことだろう。ピートは自分の身の上話をあなたにしたにちがいない。クリスマスには誰もがそうするように、ボスが良い子たちにプレセントを分け与えることに夢中になっているとき、聞き分けのない悪い子とされた子供たちに自分は粗野な態度でお仕置きをしなければならないということを。そうなんだ、ネルソン。あなたはやっとわかってくれたにちがいない。あなたはまだ、責務を果たし終えたわけではないのだ。世界はあなたの偉大さを讃えたが、まだ完璧ではない。自分が黒人従者に対してフェアでないことがシンタクラースにはわかっておらず、スワルトピートは自分がレーシズムの犠牲者であることがわかっていない。そのことを考えてくれ。あなたを待っている天上の法悦境に身を浸す前に。
ネルソン、あなたがこの世にあるとき、あなたは断固として政治差別に抵抗した。その政治差別が顕現されていたものだったことを思いやれば、それを行なうのは容易だったと言えるだろう。しかし意識されないまま深層心理の中に隠れて存在しているレーシズムに対抗するのはもっと困難なことなのだ。あなたが闇の中からあなたの民族を解放してマディバにできたのは、あなたの心の奥底から、意識下にあるものと意識上にあるものを問わず、あらゆるレーシズムの種を放逐するのに成功したからだ。だから、われわれにはあなたの指導が必要なのだ。
あなたはフランス人を知っているだろう、ネルソン。尊大で、往々にして一貫性に欠けているかれらを。18世紀末、奴隷制度が盛んだった時代にフランス人は世界に先駆けて1789年に基本的人権を宣言し、おまけに何人かのアフリカからの代表者を完璧に同一の権利を持つ国民として受け入れた。並みの話じゃない!しかしナポレオンが皇帝になったとたん、1802年にかれは奴隷制度の復活を承認した。
フランス以外の国はもっとひどい。1960年代までのアメリカで、ナチスドイツで、そして言うまでもなく南アフリカで、肌の色の違いが完璧な法的差別のベースに置かれた。種族間の婚姻さえ認められず、ひとは結婚を隠れて行なった。今は改善されたのだろうか?たぶん。オバマがおり、ヒューマニズム派のさまざまなNGOがある。ところがその基本的人権の国自身ですら、最近実際に起こったように、いまだに黒人の子孫である大臣がサルだと悪罵されている。闘いはいまだ終わりを告げない。
ネルソン、あなたはインドネシアについて知っているだろう?あなたの国そっくりそのまま、スワルトピートの影響はインドネシアにも出現している。ケープタウンのムラユ人はインドネシアにいるひとびとと違わないのだ。それらのすべてがレーシズムからの免疫をその国の住民に与えているだろうか?そんな単純なものではないのだ、ネルソン。中国人に聞いてみてくれ。子供を怖がらせようとする親に頻?に人差し指を突きつけられたわたしのような白人に聞いてみてくれ。おかしなことに、もちろん通常はソフトなその問題がオープンに話し合われたことはないのである。まるで人種偏見は白人の社会病理学の一部であるかのように。ところが、奇妙なことがいくつかある。ワヤンの悪者役として登場するのはいつも肌の黒い不気味なラッササだ。スワルトピートにそっくりなのだ。つまり、民衆の神話メモリーに焼き付けられている偏見を同じように伝えているのである。美しい女性の条件は必ず色白ということもそれが原因なのだろうか?あるいは東部インドネシア地方の色黒のひとびとが往々にして聞くに堪えない戯言や、あるいはだれが聞いても不愉快さを否定しない髪や肌やその他の身体部位に関する差異を言い立てる言葉に直面しなければならない理由もそこに由来するのだろうか?わたしにそれはわからない。そうではあっても、この熱帯の国で時に、あの大臣やこの大臣が、神のみぞ知る、中身の違うヒューマニズムの名の下に築き上げる人種の壁は宗教の壁ほど頑丈ではない。
はっきりしているのは、ネルソン、あなたが天国への道すがら議論に熱中しているとき、白人のシンタクラースに高慢さをちょっと減らし、人助けをするように頼むのも悪くないということだ。そしてスワルトピートにはもっと対等な権利を要求するように、と。しかしそれ以上にわたしがお願いしたいのは、天上にたどり着いたとき、意識しているものと意識下にあるものを問わず人種、民族、種族、階層、そして特に宗教の偏見からわれわれを解放してくれる偉大な者を今すぐにこの世界に遣わすようすべての宗教の神々に頼むことだ。われわれが必要としているのは、もはや自由ではなくて友愛なのである。それを神々に頼んで欲しい。さようなら、ネルソン。そして神々によろしく。
ライター: 芸術・文化オブザーバー、バリ在住、ジャン・クトー
ソース: 2013年12月15日付けコンパス紙、"Sinterklas dan Mandela"


「世界一幸福なインドネシア」(2013年12月31日)
2012年度PISA(学習到達度調査)に喜ばしいニュースがある。学校で幸福でありまた互いに仲良くできる、というポイントにおいてインドネシアの生徒たちは世界ナンバーワンの地位を得た。この喜ばしいニュースからわれわれは何を汲み取ることができるだろうか?
その喜ばしいニュースの裏側に、対照的な事実がくっついている。世界一幸福で仲良しのインドネシア生徒たちは学校であまり勉強していなかったのだ。インドネシアはPISAに参加し、数学・読解・科学の国際テストを受けた65カ国の中でペルーよりは上だがカタールより下という、下から2位という順位だったのである。
もうひとつのコントラストは、インドネシアのすぐお隣の国シンガポールが成績面で上から第2位という、インドネシアとちょうど正反対のポジションを得たことだ。2012年度PISAでシンガポールは、年々教育クオリティの向上が世界ナンバーワンを示している唯一のミラクルであることを誇示した。シンガポールは3.3ポイント、インドネシアはマイナス1.9ポイントだった。
コントラストはもっとある。その三つ目というのは、インドネシアにとってイロニーそのものだった。われわれの政府は教育の質的向上をはかってフィンランドで行なわれていることをお手本にしていた。ところが、フィンランドはもはやミラクルの面影を失っていたのだ。フィンランドは12位に転落し、トップファイブは既述のシンガポール以外に竹のカーテンの国々、中国・香港・台湾・マカオそして韓国が顔を連ねたのである。いまやミラクルはシンガポール・韓国そして中華の諸国に移ってしまった。
< 数学ファクター >
2012年度PISA主催者は総括的に、生徒たちの数学の成績がその民族にとって教育クオリティの向上のみならず政治参加においても成功と進歩の大きい決定要因であるとの結論をくだした。数学能力の向上は、自信や未来の変革者としての主体性の成育と歩を同じくする。数学ファクターは民族の社会と経済の変革に関する予言者なのである。
インドネシアの生徒がいちばん幸福で、また容易に仲良しになれるというのに学習成績は落ちこぼれだという事実は、われわれの教育システムが学習者としての個人を作り出すのに失敗していることを意味している。教員の能力、インフラやスプラのサポート、一貫的な教育成果の評価システム、民主的で透明な成績表作成、などといったさまざまな前提条件を無視して実施された2013年カリキュラムにも流れている精神は、ただ教員や生徒たちを学校で愉しく過ごす方向に導いただけで、生徒たちに勉強させることには失敗している。
2012年度PISAに参加したインドネシアの生徒たちは教育単位レベルカリキュラムの産物であり、その面から見るなら、そのカリキュラムは明らかに、学校へ行くのが愉しい気持ちを生徒に持たせるのには成功した。加えて友好関係を結ぶことにおいてインドネシアの子供たちが持っている社会性の能力はPISAに参加した諸外国よりも優れている。たとえそうであったとしても、そのカリキュラムシステムは合理性を持つ学習者を生み出すことに失敗しているのである。今、教育単位レベルカリキュラムの欠点を補うという名目で2013年度カリキュラムが登場した。この新カリキュラムはPISAにおいてインドネシアの成績を押し上げることができるのだろうか?
答えはノーだ。どうしてか?その遂行が強制されていること以外に2013年度カリキュラムは未熟であり、あちこちに多くの欠点や混乱が散見されるからだ。この弱点は単なるテクニカルな問題だけでなくビジョンの問題、特に学校教育という教育界のビジョンの実現に関わる問題でもあるのだ。
2013年度カリキュラムへの、特にコア能力にしろ基礎能力にしろ、能力の観念に関連しての批判は多い。2013年度カリキュラム内の能力の観念は評価の困難な理解できない要素を含んでいる。
< 浅薄なスピリチュアリズム >
それどころか、能力というものの形式がすべて精神性あるいは宗教性に方向付けられる傾向はわれわれを浅薄な教育精神主義に陥れることになる。「天国への道カリキュラム」というのが2013年度カリキュラムに対して言われているジョークだ。
中国は共産主義国であり、シンガポールは複合的世俗国家だ。かれらがPISAのチャンピオンになったのは学習プロセスを重要視したからであり、祈ることを重視しているわけではないのだ。
スピリチュアリズムに満ちた2013年度カリキュラムは個人の合理的論理と批判機能を抹殺してしまう。批判精神の喪失は宗教の名における暴力と、構造的な教化プロセスを通しての差別の芽を一層容易に繁茂させることになる。その現象が社会に増加しつつあることにわれわれは既に気付いているではないか。われわれの社会は、剣をギラリと抜きはなち、自分たちとは異なる者を宗教の名において殲滅させるのがお好みになってきている。
論理思考の成育に伴って批判精神が出現する。流れに忠実に従いつつ歪みのない正しい思考を生徒に訓練することで論理思考は成育する。数学の学習においてもっとも重要なのは、姿勢の保持だ。自分の意見が正しいと確信するなら、生徒はその意見を曲げないよう教えられ、間違っていたことがわかれば勇気を持ってそれを変更するよう教えられる。それが数学の学習から得られる誠実さという価値だ。正しい数学の学習は、批判的で、オープンで、誠実な個人を生み出すのである。数学の修得がいくつかの国に教育成果の順位向上をもたらす基盤になったとPISA主催者が結論付けたのは少しもおかしいことではないのだ。
インドネシア民族は合理的論理思考を失い、分離的閉鎖的な思考に傾いている。オープンで批判的な民族思考は教育環境と学習の場からますます離れて行っている。ビンネカトゥンガルイカはもはやガルーダ土産物に貼られたリボンでしかない。われわれは服装や学校の制服等々の外見を取扱うのに忙しく、校内でなされなければならない一番重要なものが学習体験であることを忘れてしまっている。
学校にいるのがもっとも幸福で、仲良く学友つきあいができるというポイントのチャンピオンになったことをわれわれが喜ぶようではいけない。インドネシアが相変わらず他の諸国の生徒たちの間でどん尻の位置に就いているのは、いかに学校の中で学習体験がおろそかにされているかを示すものだという認識をわれわれは持たなければならないのである。浅薄な教育スピリチュアリズムはわが民族がPISAの順位の中で上昇していくための障害となるにちがいない。
ライター: 教育オブザーバー、ドニー・クスマ
ソース: 2013年12月11日付けコンパス紙、"Indonesia Paling Bahagia"