インドネシア「人と文化」情報2014〜15年


「ジャカルタの黄金投資は沈滞」(2014年2月14日)
ジャカルタに貴金属店が集まっているセンター地区が三つある。中央ジャカルタ市チキニの黄金商店センター(Pusat Pertokoan Emas)、中央ジャカルタ市のパサルバル(Pasar Baru)、南ジャカルタ市のブロッケムスクエア(Blok M Square)だ。
首都ジャカルタが洪水に見舞われた2014年1月の売上は惨憺たるものになった、と各センターの黄金貴金属店関係者は一様に嘆息する。
「一日中、客の姿がふっつり途絶えた印象です。普段は一日に20人くらいの客と取引ができるのに、昨今は5人も客があればいいほうですよ。」とチキニ黄金商店センターに店を構えている貴金属商のひとりは物語る。別の店のオーナーも、2013年前半は活況を呈したが、年末に向かって米ドルが1万2千ルピア台に乗ってしまったら黄金がグラム当たり50万ルピアまで上昇して客足が遠のいた、と言う。「その後、グラム当たり48万ルピアまで下がって安定しているというのに、商売は沈滞したままですよ。洪水の影響で、客は黄金を買うどころじゃなくなってるんでしょう。客どころか店のほうも、普段のようにここにやってこられないから、朝から開店するどころじゃなくなってしまって、この一帯の店もほとんどが午後から開店する始末でしたよ。」
チキニ黄金商店センター地区には貴金属商店が32あって、そのうちの5軒が店内に浸水した。この地区には毎日およそ2百人が取引に訪れるが、1月の悪天候をついてまでやってくる客は一日百人以下になってしまったそうだ。
パサルバルでも、ブロッケムスクエアでも同じ現象が起こっている。パサルバルの黄金商人のひとりは、洪水で生活基幹物資価格が高騰しているため、黄金投資に回せる金が減っているのではないかと分析しているし、ブロッケムスクエアの商人も黄金価格に影響を及ぼす米ドルやポンドスターリングの為替レートの状況が客の動きに影響を与えているのではないか、との読みを述べている。


「インドネシア人もさじを投げる悪弊」(2014年1月23日)
2013年9月6日付けコンパス紙への投書"Seenak Sendiri pada Manusia Indonesia"から
拝啓、編集部殿。一部のインドネシア人は日常生活のさまざまな面で「自分さえよければ良い」文化を実践しています。全国で毎日あるいは折に触れて起こるできごとにくっきりと映し出されていることがそれを証明しています。
道路交通面では、たとえば進入禁止エリアに臆せず突っ込んで行ったり、逆走したり、あるいは閉鎖ブロックを破ったりしていますし、政治面では、地方首長選挙で支持者が敗れたら集団でアモックし、破壊行動に走ります。スポーツ面では、支援するチームやプレイヤーが敗れたらまたアモックに走り、勝った側のサポーターに襲い掛かって行きます。
社会経済面では、保護林が掠奪されるのはいつものことで、監視員が法的措置を採ろうとすると大勢の人間にリンチされます。農園を開拓するのに、手早く安くあげようとして森林を焼きます。それが何を引き起こすかなど、考えてもいません。
おまけに地震や津波の発生観測機器を盗む者がおり、橋のフェンスまで盗まれます。他の人間がどうなろうと、知ったことじゃありません。ジャカルタ住民はこれまでの習慣に沿って、川や水路にゴミを捨て放題です。強い雨が降れば水があふれることは先刻体験済みなのに。
インドネシア人の悪弊はもっといっぱいあり、ここに書き上げようとしても書ききれないくらいです。インドネシア人はいつになったらそういうことを自覚し、健全な文化を持つ民族になるのでしょうか?[ 西ジャカルタ市在住、ヤヒヤ ]


「人命破壊行為」(2014年1月28日)
ナショナリズムについて小児的だと語ったアルバート・アインシュタインは間違っていなかったにちがいない。「それは人類にとって天然痘のようなものだ。」
その天然痘がアジアで熱を出している。領有権の主張がナショナリズムを揺り起こし、第二次大戦の古傷を掘り返そうとして動き始めているのだ。東アジアの中国と日本の間でそれが現実のものになりつつある。ナショナリズムは国際関係の新たな踏み台になり、領有権の主張を支えるものとして姿をあらわしたばかりか、最新情報通信テクノロジーを駆使する若者たちが歴史を新たな盾にし始めたことにわれわれは驚かされた。
権威あるオスカー賞にノミネートされた、1965年のG30S/PKI事件に続いて起こった大量虐殺事件を扱ったドキュメンタリー映画「殺人という行為」(The Act of Killing)は中国のソーシャルメディアに一大騒動を引き起こした。インドネシアにとってのその古傷を中国の歴史教科書に掲載せよという要求と圧力が巻き起こったのだ。華僑の子孫が大勢その被害者になったから、というのがその理由だ。
この21世紀にジンゴイズムがふたたび興隆したなら、近隣諸国との間に共通の保安や安定を維持してきた国際関係がそのために崩壊してしまうことをわれわれは危惧するのである。
領有権の主張に関連して日本やフィリピンなどアジアの数ヶ国に向けられていた中国の姿勢は、オスカー賞にノミネートされた映画のために、次に極めて危険な愛国的冒険主義となってインドネシアに向けられることになった。
1998年のレフォルマシを経たインドネシアは、中国系の子孫であるインドネシア国民に大きな喪失とトラウマを与えたレーシズム行為の払拭に努めている。多くの人種と宗教を包含するダイナミズムに満ちた複合国家であるインドネシアは、経済や商業分野だけでなく政治の分野に至るさまざまな機会をかれらに与えている。
<国際外交への障害>
いまや25年目に入ろうとしているインドネシアと中国間の国交正常化が成し遂げられてからも、インドネシア国民生活の日常の一部と化している中国系国民に関連して足を躓かせる小石が消え失せたわけではない。国交正常化まで使われていた「チナ」の語に関して、インドネシアの外交官は気まずい思いをしながらこの問題に対面している。1990年の国交正常化協議の中でのこの問題を、故アリ・アラタス外相は適切に指摘した。「チナ(Cina)をチャイナ(China)に変更せよという中国側の要求は妥当性がない。インドネシア語文法には二重子音がないので、チリ(Chile)でさえインドネシア語ではCileと表記されているというのに。」
しかしわれわれは中国との友好関係を維持するために侮蔑のニュアンスがこもっているCinaをChinaに変えることを受け入れた。
時の流れの中で、この日刊紙も在ジャカルタ中国大使が訴えた要請を大きな心で受入れ、Chinaという単語を使用している。問題は、まるで英語のようなチャイナという発音を強制したことで、北京は行過ぎた行為をしているという印象をわれわれにもたらしたことだ。ある国の言語はそれを使っている民族の主権に関わるものであり、いかなる外国からの干渉もその主権を侵すことはできないというのに。
ジョシュア・オッペンハイマーと匿名を希望するインドネシア人の監督した映画「殺人という行為」のコンテキストにおいても、中国のソーシャルメディア利用者の憤怒と強要、そして共産党機関紙人民日報の記事が両国間の国際関係を紛糾させる促進剤となるだろう。1966年の国民協議会決定番号XXV/MPRS/1966号にもとづいてインドネシアは、共産主義のイデオロギー・活動・組織がいまだに非合法とされている国であることを両国は共に理解する必要がある。シー・ジンピン(習近平)国家主席が中国共産党中央委員会のメンバー三人を2013年10月のインドネシア中国二国間協議に同行させたとき、それはインドネシア国内の法律問題と民族の暗い歴史に幅広い影響を与えかねないことなのだという点に対する感受性が北京にはなんと欠如しているのか、という思いにわれわれはとらわれた。
<感情の衝突>
歴史ドキュメンタリー映画に由来するジンゴイズムの圧力はインドネシアと中国の両国関係に危険をもたらすものだ。なぜなら、1965年のG30S/PKI事件に北京が関与したのではないかというもっと大きな疑問をそれが揺り起こすことになりかねないためだ。そして両国はそれぞれの歴史資料を読み返すことを強いられる。
世界中のどの国家民族も、たとえどんなに小さなメモであれ、自分の歴史の中に暗部を秘めている。われわれは、トラウマを抱え、自分が選んだイデオロギーのためにオルバ期が終焉するまで種々の困難を味合わされた、1965年に起こった事件の被害者たちに頭を垂れ、涙を流す。被害者の中に含まれている、統一インドネシア国家の一部となった中華系国民に対しても。
ナショナリズムを混ぜ込んだ『復讐政治』外交を北京がアジア地域で展開するなら、共通の繁栄と成長を存続させるために手を携えて享受するべき安定と平和を生み出すことを目的とした域内外交に誤解の火種を撒き散らして、抗争の火ははるかに広範な燎原に燃え上がるにちがいない。
サミュエル・P・ハンティントンの著作『文明の衝突と世界秩序の再創造』(1996年)のロジックに従うなら、このグローバル時代に孤立しないためにはハンティントンが書かなかった部分、つまり感情の衝突を避ける能力をわれわれは共に持たなければならないのである。
どうであれ、アジアでは平和裏に共存する暮らしというのが無視できない歴史遺産なのである。統一インドネシア国家の一部となることを選択した中国系移住者とその子孫を含めて。
ライター: ジャーナリスト、ルネ・パティラジャワネ
ソース: 2014年1月26日付けコンパス紙 "Bentrokan Emosi Regional Asia"


「米卸売り市場に生きるひとびと」(2014年1月30日)
首都ジャカルタの水没に加えてジャワ島北岸街道が麻痺してしまったことで、東ジャカルタ市チピナン米中央卸売り市場は閑古鳥が鳴くありさまになった。それがもっとも影響を与えたのは、巨大な通商センターの周辺でおこぼれにあずかって日々の暮らしを立てている貧民たちかもしれない。
荷の動きが激減した市場では、1千2百人いると言われる荷担ぎ人足が即座にその影響を蒙った。米の産地から長距離トラックが運んでくる荷を倉庫に入れ、首都圏の米商人が買い付けた荷を倉庫から近距離トラックに移す作業で歩合賃金を得ているかれらは、トラックがやってこなければほとんど仕事がなくなってしまう。
1kgの荷を担いで10ルピアという収入のかれらは、トラックが一台やってくれば10トンほどの作業になるため、自分の食い扶持を確保した上で田舎の家族に仕送りをしている。中部ジャワ州プルバリンガ出身のひとりは、週一回80万ルピアを仕送りしているが、仕送りができないまま10日が過ぎてしまった、と語る。時には米卸商が米を混ぜる作業をオーダーすることがあり、そんな作業はキロ当たり30ルピアの賃金がもらえるが、ひっそりしてしまった市場ではそんなオーダーも出てこない。
まるで落穂ひろいのように、広大な市場内にこぼれた米を拾い集めて稼ぐ人間もいる。tukang sapu berasと呼ばれるかれらの多くは熟年女性だ。市場の隣に住んでいるというムルシさん61歳は一軒一軒並んでいる米売場の前を掃いて回る。その日はもう半日たったというのに、まだ半リッターしか集まらない、と苦い顔をする。「普段は一日で5〜6リッターの米が手に入るのに。集めた米はリッター当たり4千ルピアで売ってるんだけど、こんなにちょっとじゃ売ることができない。一日の食費は1万ルピアかかるから、金が入らなきゃあしようがないわ。」
別のトゥカンサプ、ミスティさん51歳は、普段は10リッターの米が集まると言う。しかしその日かの女が手に入れた米はわずか2リッターしかない。
米袋についているサンプル米を売り買いする者もいる。小袋に入ったサンプル米を集めてキロ当たり6千5百ルピアで買い、それを食堂ワルンにキロ当たり7千5百ルピアで売る。そのためには、大量の米袋が右から左に移動してくれなければならない。自分の商売はもう何日も下火のままで、市場の商いも激減したままだ、とこのサンプル米商人は印象を語っている。


「ジャワの言い伝え」(2014年2月5〜25日)
どの民族も昔から伝統的に語り継がれてきた日常生活における生活規範を持っている。たとえば日本では「夜中に爪を切ると親の死に目に会えない」だとか「爪や髪を燃やすとよくないことが起こる」というようなdo's & don'ts を勧める言い伝えがあるが、そういう教えがすなわち生活規範あるいは生活指針というものだ。日本ではそれらの教えをただの迷信として軽視する風潮が強まってしまったが、民族によっては固く尊重し順守し続けているところもある。
このような社会的な言い伝えは当然ながら世の中での個人生活集団生活において個人個人が従うべき善を言い表していたわけで、たとえば上の例のようなdon'tsが迷信としてあっさりと投げ捨てられるようになってしまったのは、その表現のしかたが時代の進展による価値観の変化で逆効果をもたらしたためではないかと思われる。たとえば、爪や髪を燃やすと不快な異臭がするため、それを燃やすとはた迷惑だからするなという禁止を、もって回ったロジックで逆転させるようなことをしなければ、現代に迷信として排斥されるようなことは起こらなかったかもしれない。
実際の表現のしかたが、あたかもdon'ts を条件のような形に置き、古い時代に有効だったものごとの価値を本意の位置に据えたことから、その時代にはそれが効果的だったのだろうが、ものごとの価値が転変してしまった現代においてその条件と本意の組み合わせは確かに迷信と評されてしかたのないものだ。論理的にはそれで間違っていないのだが、古い時代に有効だったものには、人間が本質的に持っている知恵が凝縮されているものが少なくない。そのような言い伝えや俚諺を単純に迷信と断罪する姿勢は昔の先祖たちの知能構造をきわめて単純に蒙昧というカテゴリーに押しやってしまう姿勢であり、それは科学を知った人間が科学思考の確立されていなかった時代の人間を愚者と見る姿勢に通じている。そのあたりの人間というものの把握のしかたを単純なディコトミーでなそうとする現代人が本当に賢者なのだろうかという危惧はもっと表明されてよいのではあるまいか?
「爪や髪を燃やすとよくないことが起こる」という表現の「爪や髪を燃やす」が本当は禁止の本意なのであって「よくないことが起こる」はその理由付けだと見ることができるのは、その表現がどんなシチュエーションで使われることが多かったかということを想像すれば、理解できるにちがいない。つまりは、禁止をただ頭ごなしに命じるのでなく、その理由付けを行い、当時優勢だった価値観に即してその禁止に従わせようとしてそのような表現のしかたを採用したのではないかという気がわたしにはするのである。察するに、昔の日本人はどうやらものごとへの理由付けがなされないと納得感を抱いて行動に反映させようとしない性癖があったのではあるまいか。その理屈っぽさは現代にも息づいているようにわたしには感じられる。
ジャワ人の日常生活の中にもdo's & don'ts はたくさんあり、そしてそのかなりのものが生き延びている。なんとジャワにも「夜中に爪を切るな」という教えが存在しているのはオドロキだ。しかしもっとオドロクことに、世界中のあちらこちらでこの禁止の同じ文句が語られていたらしい。「cutting nails at night」でググって見ると、われわれはきっと世界をもっとよく知ることができるにちがいない。
ともあれ、ジャワ人のその種の言い伝えにはあまり理由がつけられておらず、本意だけが語られる傾向が強いようなので、いわゆる金科玉条を奉っているように外国人の目には映るのだが、これはジャワ人の性向が教条的であることを証明しているのかもしれない。理由付けを好むひとびとはなんらかのレベルで納得感を持ちたかったからだろうと思われるのだが、上で見たように科学的なレベルが低い社会/時代だと迷信的になるだけだから、どちらが良いということも言いづらいのは確かだ。
さて、ジャワ社会で言い伝えられているdo's & don'ts を見てみることにしよう。きっとわれわれの常識から見て、あっと驚くようなものに出会うかもしれない。反対に「そんなことは言わずもがなの常識じゃないか」というものもあるだろうが、このような言い伝えが常識を形成しているのだということを思い出していただきたいものだ。
「:」のあとに付されている理由は現代ジャワ人のひとりが解説を施したものであり、言い伝えの中には含まれていない。多分、理由が必要になった場合にかれらは相手に応じて当意即妙の理由をつけていたのではあるまいか。
I.まずは、人間としての生き方や社会生活でのビヘイビアに関するdo's & don'ts から。
1)他人との争いごとを好むな:ひとは優しい心を持たなければならない。他人への思いやりの心を持ち、自分への反省を忘れてはならない。
‐他者との宥和を社会生活の基本に据えるジャワ人の性質はここに由来しているのにちがいない。
2)他人に分け与えよ:ひとは他人とお互い様の関係にあり、社会関係を涵養していかなければならない。
‐物乞いに小銭を与える習慣はここに発しているのだろうか?
3)ひとを招いて祭事を祝え:神の恵みに感謝し、他人と喜びを分かち合わなければならない。
‐ジャワ人のスラマタン好きの源泉はさしづめ、このあたりにあるのにちがいない。
4)空き家で食事するな:生きるための糧を賞味する際には、他の人たちを誘って一緒に楽しむのが良い。
‐これも3)と同じで、ひとづきあいのよさを社会生活での重要な要素に位置付け、かれらのひとなつっこさを高めているように思われる。
5)植物を植えろ:自然の維持を大切に、恩返しをわすれてはならない。
‐ジャワ人の植物栽培への情熱は、動物との共存や保護意欲の欠如と対照的。
6)神へのお供えを忘れるな:ひとは神への恵みに感謝して務めを果たさなければならない。神にお供えをして自己を神に近付けるように。
‐大勢のムスリムも、神が宿るとされている場所に花や銭をお供えしている。
7)豊かな知恵を持っているなら、狡猾なことに使うな:普通のひとたちの心を傷つけて恨みを抱かせる元になりかねない。何かあったときに危害を加えられることになる。
‐この教訓が実践されているようにはあまり見えないが、社会的妬視は確かに強い。
8)米を搗いたあとの臼に必ず一抹のものが残るというように、何事においても結果を総ざらえすることのないように:今あるものをすべて取り尽くすのは、将来を考えない行為である。
‐仕事の最後を曖昧にして、徹底的に仕上げを完了させようとしない性向はこれに関係があるのだろうか?
9)赤いカインを着用するな:自分を目立たせようとして派手な色使いをしてはならない。
‐周囲の顔色を窺いながら自分の行動を決めていく性癖はきっとこれに関係しているのだろう。
10)自分の所有物は正直に自分のものだと表明せよ:自分自身に嘘をつくことになり、誠実でない。エゴイズムである。
‐この教訓も実践されているようにはあまり見えない。
11)軽率・無謀な振舞いを避けよ:自分自身と大勢の人間を危険にさらす。
‐これも教訓にとどまっているように思える。
12)父母を名前で呼んではいけない:礼儀知らずであり、父母の心を傷つける。
‐アジアの各地では親孝行という価値観が親への尊崇と絶対服従という形で営まれている。

II.次いで、インドネシア駐在の皆さんに興味津々たる労働観。そして身体運動に関わるものも。
1)日没後まで肉体労働を続けてはいけない:世の中の富に対してあまりにも欲張りであり、ワーカホリックだ。夜中にはものごとが見えにくくなるため、かえって自分の身の安全が損なわれる。
2)金曜日の前夜(Malam Jum'at)には働くな:いつでも働けばよいのでなく、その時をわきまえなければならない。そして神のあり方を理解して、神への務めを行なう中で神に自己を近付けるようにしなければならない。
3)台所で座り込むな:だらだらと時間を浪費し、生産性を求めないのはよくない。
4)掃き集めたゴミをそのままにするな:徹底して最後まで行なえ。
5)油を注ぐときは漏斗を使え:効果的で効率の良い作業をし、無駄がないようにするために、ひとは作業のやり方をわきまえなければならない。
6)片足立ちはひかえろ:平衡感覚を害して健康によくない。
7)昼日中に木に登るな:激しい日射で注意力が散漫になり、木から落ちるかもしれない。自分の身の安全をはかるように。
8)一度登ってから降りた木にまた登るな:木登りという危険な行為を繰り返すと、初回に比べて注意力が下がり、木から落ちるリスクが高まる。自分の身の安全をはかるように。
9)朝寝をするな:朝の時間は労働に使われるのがよい。朝寝すると体調が虚弱になり勝ちであり、健康によくない。
10)太陽が頭上にあるとき、昼寝するな:体調が虚弱になり勝ちであり、健康によくない。
11)夕寝するな:夕方の時間は家族と一緒に費やすのがよい。夕寝すると体調が虚弱になり、健康によくない。

III.食生活に関わるもの。
1)飯を炊いたら、饐え飯にするな:もったいない、浪費だ。
2)熱い飯を食べるな:舌の神経を損なう。
3)皿に残った飯を捨てるな:もったいない、浪費だ。
4)塩を捨てるな:もったいない、浪費だ。
5)おかずの汁を捨てるな:もったいない、浪費だ。
6)食事で余った残りものを再度食べてはいけない:ほこりや虫などのために汚れているだろうから、衛生上よくない。
7)乾いて固くなった飯を保存するな:自分が利用したものに責任を持て。
8)水桶にやかんを突っ込んで水を汲むな:やかんの使い方が不適当であり、また水桶の水が汚れるもとだ。
9)やかんからやかんに水を移すな:水をこぼしやすく、大切な飲み水が無駄に流れる。
10)まだ米を洗ってもいないのに、釜を炉に載せるな:作業が効果的で効率よくなされるように、ひとは作業の手順をわきまえなければならない。
11)炉の上で飯炊き釜を倒すな:料理するときには、食べ物が無駄にならないように注意深く行なわなければならない。料理の責任を負った者は、他の者がその成果を享受できるよう真剣に行なうように。
12)米を蒸すのに、蒸し器を釜に載せるな:倒れて中身がぶちまけられるおそれがある。一切が無駄になるので適切でない。
13)トウガラシの葉をおかずにするな:メインの用途を離れた使い方をして、メインの用途を損なうことになる。トウガラシの葉を摘んだら、トウガラシの生育に影響が出る。
14)サンバルの材料を調合する前に、すり鉢ですり始めてはいけない:作業が効果的で効率よくなされるように、ひとは作業の手順をわきまえなければならない。
15)すり鉢を割るな:サンバルを作るときは、粗雑な仕上がりにならないよう、ていねいに注意深く作業しなければならない。慌てて荒っぽく作業すると、すり鉢が割れてせっかく作りかけのサンバルが無駄になる。
16)北あるいは南に向かってすり鉢を使うな:ジャワの気流は海風山風が南北に走るため、自分の作業がよい成果を生み出すように風向きにも気を遣うように。
17)サンバルを作るのに、おかずの汁を混ぜるな:サンバルの風味を壊してはいけない。また石のすり鉢を使ったら、石の粉が食べ物の中に混じるだろう。
18)手を洗わず布で拭いただけで食事するな:清潔さを維持し、健康を守ること。
19)バナナの葉の端を皿に使うな:葉の端には健康を害する要素が含まれていることが多い。
20)葉を切り取らないまま皿に使うな:葉の端には健康を害する要素が含まれていることが多い。
21)寝転がって食事するな:消化によくない。
22)歩きながら食事するな:消化によくない。
23)髪の毛を長く垂らして食事するな:頭髪が食べ物に触れる。
24)寝所で食事するな:寝所の清潔さを維持し、健康を守ること。
26)灯りなしで夜食事をするな:食べ物を正確に取って口に入れるのに障害になる。
26)食事が終わったら、手を洗え:清潔さを維持し、健康を守ること。
27)洗っていない皿をそのまましまうな:自分が利用した器具に責任を持て。
28)容器はふたのあるものにせよ:置いた食物が早く劣化し、ハエなどの害虫が容易に汚染する。
29)穀倉には下敷きをせよ:稲などの穀物が床の隙間から地面に落ち、ネズミなどを招き寄せる。

IV.住生活に関わるもの。
1)台所は東向きに作るな:朝日が屋内に入るのを邪魔する。夕方は日光が不足する。
2)台所は北向きに作るな:ジャワの家屋構造は南向きが推奨されており、そしてジャワの気流は海風山風が南北に走るために、台所で発する火の煙が家の表に漂う傾向をもたらす。
3)家の表に井戸を掘るな:来訪者の目に不自然に見える。家の入り口が汚れやすい。小さい子供にとって危険。
4)家の真後ろに井戸を掘るな:生命の源泉である水への尊崇の念が足りない。台所から遠い。
5)家を建てるとき、屋根の両面はその日の内に完成させろ:片側だけ完成させて他の面は翌日に回すと、せっかく仕上げた片面が落ちて全部パーになるかもしれない。
6)若い竹で家具を作るな:シロアリがつくので、長持ちしない。
7)家屋内で家畜を飼うな:排泄物のため悪臭や不衛生。
8)鶏の産卵場所を家屋内に設けるな:不衛生であり、ダニが家中に広がる。
9)斜面の庭を作るな:老人や子供にとって不安全。
10)墓地内の建造物の資材は再利用するな:墓場を身近に感じさせるのはよくない。
11)家畜小屋・ガゼボ・台所に使われた資材を家の建築に使うな:普通それらの場所に使われる資材は低クオリティであり、また健康にもよくないので避けるべき。
12)壁に使われていた竹を使って編んだ棚は使うな:シロアリがつきやすい。
13)扉の前に立つな:他人の通路に障害を与えないように。
14)扉にぶら下がるな:扉が壊れるし、他人の通路に障害を与えることになる。
15)扉の端に腰掛けるな:他人の通路に障害を与えるし、他人にそこを通りづらい思いをさせることになる。
16)縁台にはござを敷け:カバーをつけて使用者への保護を与えるべきであり、またそれは死者を埋葬する際の縁台の使われ方だからよくない。
17)マットレスにシーツを敷け:マットレスの埃が健康を害する。
18)所かまわずに縁台で寝るな:礼儀をわきまえておらず、健康によくない。
19)足の裏まで全身を布でくるんで寝るな:死体にするようなことをするのは妥当でない。そんなことをすると、よく悪夢にうなされる。
20)外出着を着て寝るな:リラックスできず、筋肉が十分に弛緩しないため、健康によくない。寝るときは柔らかいカインやTシャツを着るのがよい。
21)灯油ランプの灯りを指や燃えやすいもので立てるな:自分の身の安全に注意せよ。
22)灯油ランプの灯りの芯にタバコの燃えカスを使うな:十分な光量が得られない。
23)家の中にしまってある宝石は包んでおけ:高価なものを粗末に扱うのはよくない。
24)飾り物には敷物やホルダーを使え:飾り物としてそのほうが見た目に自然であり、不自然な飾り物を屋内に飾るのは無意味で無駄。
25)箒を家の中で立てるな:見た目によくないし、清潔さを損なう。
26)巻かれたカーペットやござを家の中で立てるな:見た目によくないし、清潔さを損なう。
27)傘を家の中で開くな:家も傘も持っている機能は保護という同一のものである。社会交際においてどっちつかずの態度を取るのはよくない。
28)ラッパを家の中で鳴らすな:居住環境における穏やかな状態を乱してはいけない。

V.衛生と健康に関するもの
1)掃き掃除を励行せよ:清潔な環境を維持して家庭内を健康に。
2)夜中に掃き掃除をするな:時間をわきまえよ。
3)掃き集めたゴミを燃やすな:煙が大気汚染を生じ、健康に害を与える。
4)家の床下にゴミを捨てるな:床下にゴミが溜まり、不健康。
5)家の中にゴミを捨てるな:ゴミが溜まって不健康だし、見た目もよくない。
6)ゴミ溜めは家の近くに作るな:ハエが湧き、不衛生。
7)窓からゴミを捨てるな:礼儀をわきまえないし、窓の機能を間違って使っている。
8)手を使って拭くな:手を使って拭いてもきれいにならないし、手を汚すだけだ。手にはもっと重要な用途がある。
9)着ている衣服を使って拭くな:ふさわしくない行いであり、また衣服を汚す。
10)今着ている衣服で顔を拭くな:他人の目に不躾に映るし、着衣の清潔さを損なう。
11)今着ている衣服で口を拭くな:他人の目に不躾に映るし、着衣の清潔さを損なう。
12)夜中に爪を切るな:指先の神経によくない。
13)歯で爪を切るな:切りあとが整わないし、歯と爪の双方に不健全だ。
14)爪を楊枝代わりにするな:不衛生であり、歯の健康によくない。
15)家の中でマンディするな:汚れを落とすのは家の外で。家の中は清潔・美麗を維持するように。
16)水槽に入ってマンディするな:まるで子供の振舞いだ。
17)道路でマンディするな:不躾だし、汗をかいたままマンディすると健康によくない。
18)やたらと肌を日光に曝すな:日光を肌に浴びるのは午前中に適当な時間をかければ十分だ。日光に肌をさらしすぎると骨の成育に悪影響がある。
19)頻?に裸になるのはよくない:不躾だし、羞恥心に欠ける。
20)頻?に髪の毛を梳くな:頭髪が乾燥し、汚れる。
21)夜中に腹を叩くな:健康によくない。
22)夜に指をポキポキ鳴らすな:健康によくない。
23)眠っている子供に接吻するな:健康によくない。
24)妊婦は帯に何もはさむな:健康によくない。
25)妊婦はザルや臼に座るな:不躾であり、胎教によくない。
26)捕った蚤を生かして捨てるな:もったいない、無駄な行為。
27)頭の蚤をそのまま潰すな:得られるメリットよりも損なわれるもののほうが大きい。
28)自分の頭の蚤を探すのはほどほどにせよ:他人の前で自分の恥をさらすのはよくない。自己を尊重せよ。
29)夜中に蚤を探すな:成果の得られない、無駄な行為。
30)夫あるいは妻の頭の蚤を探し回るな:夫婦が互いのあら捜しをするのはよくない。夫婦というのはお互いの欠点や不足を補い合うべき立場にあるのである。

VI.日常の生活態度に関するもの。
1)日没後は窓と扉を閉じろ:虫が屋内に入ってくる。
2)家の表にバナナを植えるな:バナナの実を食べにくる虫や動物が家の表を汚す。
3)家の表に蔓性の野菜を植えるな:みんなが踏んでいくから、成育できない。
4)ジュマッルギ(Jum'at Legi)やジュマッワゲ(Jum'at Wage)の前夜に香を焚くな:神への務めを行なう際には、時と所と方法をわきまえよ。
5)どんな時でもカインパンジャンで全身を包むな:死体を埋葬する前に行なわれる行為であり、ふさわしくない。
6)枕の上に座るな:枕というのは大切な自分の頭を載せる場であり、プライバシーのシンボルである。自尊心を大切に。
7)子供に唄ってやるのを夜中にするな:時間をわきまえていない。夜、子供の就寝前にはおとぎ話を語って聞かせるのがよい。
8)容器を壊すな:自分が利用した器具に責任を持て。
9)包装紙を破いて包みを開くな:何事も、ものごとの流れに従うこと。せかせかとものごとを行うのはよくない。
10)口笛を鳴らすな:他人を落ち着かなくさせるし、何かの合図かと不審を抱かせるもとになる。
11)頬杖をつくな:ぼんやりしたり夢想にひたるようになり、時間を浪費する。
12)鏡を見ながらつばを吐くな:自分に不潔感を抱くようになるし、不衛生だ。
13)笑いながら鏡を見るな:ひとは自尊の心を持たなければならない。自分を笑いものにしたり、皮肉るのはよくない。
14)髪の毛を燃やすな:自分の身体の一部を損なう行為であり、自己を尊重していない。
15)人骨を焼くな:自分の身体の一部を損なう行為であり、自己を尊重していない。
16)玉ねぎ/エシャロットの皮を焼くな:自分の身体の一部を損なう行為であり、自己を尊重していない。
17)ワサビノキを焼くな:人間にたいへん有益なものは、たとえ古くなった役に立たなくても尊重せよ。
18)デイゴの木の皮を焼くな:人間にたいへん有益なものは、たとえ古くなって役に立たなくても尊重せよ。
19)しゃもじ・しゃくし・すりこぎ、を焼くな:人間にたいへん有益なものは、たとえ古くなった役に立たなくても尊重せよ。
20)縁台の枠木を焼くな:人間にたいへん有益なものは、たとえ古くなった役に立たなくても尊重せよ。
21)古くなった箒を焼くな:人間にたいへん有益なものは、たとえ古くなった役に立たなくても尊重せよ。
22)ワサビノキの枝をまたぐな:有益なものに敬意を払わず、不躾である。


「インドネシアのリッチマンは19人」(2014年3月13日)
フォーブス誌が2014年3月3日付けで発表した恒例の世界のリッチマンは1,645人という長大な人名リストになった。10億米ドルを超える資産を持っているかれらの中にインドネシア人は19人含まれている。明細は次の通り。
世界ランキング  名前: 金額(億米ドル) メイン事業
173 ブディ・ハルトノ: 76 ジャルム、BCA
184 マイケル・ハルトノ: 73 ジャルム、BCA
375 ハイルル・タンジュン: 40 CTコープ
446 スリ・プラカシャ・ロヒア: 35 インドラマ
609 ペーテル・ソンダッ: 28 ラジャワリグループ
687 モフタル・リアディ: 25 リッポグループ
828 スカント・タノト: 21 ラジャガルーダマスグループ
869 バフティアル・カリム: 20 ムシムマス
973 テオドル・ラフマッ: 18.5 トリプトラグループ、アダロエナジー
973 タヒル: 18.5 マヤパダグループ
1036 ムルダヤ・ポー: 17.5 ハルダヤインティプランテーションズ
1046 マルトア・シトルス: 17 ウィルマーインターナショナル
1092 アフマッ・ハマミ一族: 16 トラキンドウタマ
1284 チプトラ一族: 13 チプトラグループ
1284 ロー・トゥックウオン: 13 バヤンリソーシズ
1372 エドウィン・スルヤジャヤ: 12 サラトガインヴェスタマスダヤ
1372 ハリー・タヌスディビヨ: 12 MNCグループ
1465 ハルヨ・スタント: 11 ウイングスグループ
1565 リム・ハリヤント・ウィジャヤ・サルウォノ: 10 ブミタマアグリ
このリストに収められたひとびとの出身国を見ると、最大はアメリカの498人、二位は中国の152人、三位ロシア111人といったところで、アジア諸国からの人数は444人、そして24歳という最年少者もアジア出身者だった。リッチマンの大半は40歳以上だが、40歳未満でこのリストに入ったひとは31人おり、またこのリストに入った女性は172人で、昨年から34人増加した。


「ボーイスカウトにも老害が?!」(2014年3月14日)
2013年10月9日付けコンパス紙への投書"Gerakan Pramuka Perlu Direformasi bagi yang Muda"から
拝啓、編集部殿。ボーイ/ガールスカウト運動(インドネシア語でプラムカ運動と言う)52周年、おめでとう。世界のさまざまな青少年育成運動と同じように、このプラムカ運動は若者や若年世代に自然への愛情と人間同士の愛情を育むことを目的にしています。今日のインドネシアでは、プラムカ運動は正直倫理・民族統一・麻薬廃絶・他国との科学競争などを育むための場としても活用されるべきです。
プラムカ運営組織は今やオフィシャルな組織になり、学校はそれを課外活動の一科目に取り上げるよう義務付けがなされています。高貴な責務と機能を持つプラムカ運動の組織とその活動は言うまでもなく全方面から支持されなければなりません。ただし、この若者と若年層の組織は快適なものにしなければならず、今日の若者たちの関心を引くものでなければなりません。
組織と活動のクオリティ向上のために、プラムカ運動の運営指導の改革を早急に行なわなければなりません。すべての部門でこの組織は、専門的民主的に選ばれた若い人々が率いるべきです。現在のプラムカ運動は依然として現職や退職した文民や軍人の高位高官あるいは退役将軍たちが統率していますが、思考方法・ものの見方・スタイルなどの多くが、率いられている若者たちにフィットしていません。能力や意欲を持ちまた誠意を抱いている高位高官たちはアドバイザーのポジションに下がり、組織の経営や運営は弟妹たち若い世代を信頼して委ねるべきです。[ 南ジャカルタ市在住、リニ・スンコノ ]


「女性の社会進出意欲は旺盛」(2014年3月26日)
インドネシア成人女性の42%は、経済的な必要性の有無には関係なく、家庭の外で働くことを選択している。イスラム法にもとづいた、女性は家庭内にいて家政を掌握し、男性は家庭の外で一家の生計を支える稼ぎを得てくる、という男女性差による家庭内の役割分担は、インドネシアのイスラム社会で明白に拒否されていると言えるだろう。ムスリムが人口の大部分を占め、世界最大のイスラム社会を擁しているインドネシアはサウジアラビアの丸写しだろうと想像しているひとびとの目を開かせるような現象の一つがこれであるにちがいない。
家庭の外で働くことを選択している女性たちは、家庭や家族という狭い領域に自分の生活範囲を限定するのでなく、もっと広い社会に貢献することを自分の生き甲斐として求めているというのがその一般像だ。「私的空間と公的空間の両方に自分の役割を持っている女性は、子供たちに対してたいへん有意義な効果をもたらすことができる。子供たちはそういう母親の姿に触発されて人間の生き方のお手本を感じ取ることになる。つまり、家庭を持つキャリアウーマンというのは、単なる経済生活の補填というレベルを超える意味合いを持つものなのだ。」パラマディナ大学学長は女性の社会進出についてそうコメントした。
家庭生活を円満におさめて行くことのできる女性は、会社のマネージャーになっても自分が率いる組織をたくみに整える優秀な管理職になリ得るし、反対に優秀な管理職になれる女性は家庭生活でもすぐれた妻であり母であると言うことができる。またキャリアウーマンとして成功する女性たちはたいてい高い勤労倫理と誠実さに裏打ちされており、人格的にも不安を感じさせない。
ガラスの天井現象についてある外資系銀行の女性代表取締役は、女性本人の側に自分を束縛する要素が存在しているためだ、とコメントした。能力開発における自信の欠如が往々にして女性の上昇チャンスに足を引っ張る要因になっている、との言。女性向け雑誌出版社の女性代表取締役も、女性が能力開発チャンスの場で引込み思案になるのは、自分が既に到達したポジションに愛着を感じ、そこをコンフォートゾーンとしてしまうことがそのひとの意欲をそぐ結果になっている、と語っている。


「サリの苦難人生」(2014年4月7日)
バリ州ジュンブラナ県に住むサリ・アユ・イスラミヤ43歳は、3歳の二女シンタ・フィトリ・ラマダニを連れて故郷を旅立った。上の子供は親戚に預けてある。行先はヨグヤカルタ特別州グヌンキドゥル県ウォノサリ。はっきりした目的地の住所はない。サリは一年前に仕事を求めてグヌンキドゥルに向かった夫アグス・ハムザ38歳を探しに行くのだから。
手にした金は40万ルピアだけ。母と娘はできる限り出費を削りながらグヌンキドゥルに向かった。ひとに尋ねながら何度バスを乗り換えたかわからない。ウォノサリに着いたとき、バス代だけで20万ルピアが消えていた。娘にはできるだけ飲食物を買い与え、自分はできるだけ我慢して強行軍を続け、そしてついに夫の居場所を見つけたとき、サリは絶望に襲われた。夫はそこで、別の女性と所帯を持っていたのだ。
サリは夫と対決するようなことを避けた。夫の居所の隣組長を訪れて様子を尋ねたとき、アグスは自分が寡夫だと表明したので別の女性との婚姻が正式に認められたという話を聞かされた。サリの全身から力が抜け、この先自分がどうしたらよいのかがわからなくなってしまった。
夫はジュンブラナの故郷で4千万ルピアの借金を作り、その返済金を作るために職探しに故郷を去ったのではなかったのか?返済不能が明らかになったとき、自宅は銀行に抵当として差し押さえられてしまった。一家の生活を支えるべき夫がいつまでも戻ってこず、自宅は失われ、5歳と3歳の子供を抱えてサリのできることは夫を探し出すことだけだったのだ。ところが、見つけ出した夫はサリと過ごした暮らしを捨て去ってしまっていたのだ。
サリは夫のことを諦めた。手持ちの金が底をついてきたので、故郷に帰る決心をし、ウォノサリを去った。いろいろなひとが、サリに同情して援助してくれた。警察はサリ母娘がスラバヤからバニュワギまで無料で列車に乗れるよう、依頼状を書いてくれた。
母と娘は列車がバニュワギ県グレンモル郡クドゥンワドゥンの駅まで来たとき、列車を降りた。バリ島に渡るフェリーが出ているクタパン港まではまだ50キロも離れている。サリはむずがる娘をなだめすかしながら、線路上を東に向かって歩いた。背中には衣服の詰まったリュックサックをおぶり、幼女の手を引き、時には抱き上げて、酷暑の下をひたすら歩いた。もともと痩せた身体のサリは、この旅に出てから、ろくに食事をしていなかった。そしていま、その報いがかの女を襲った。身体からもはや力はほとんど消え失せ、目はかすみ、足はもつれ、そして目の前が真っ暗になった。クタパンまであと10キロほどの地点で、かの女は線路上に倒れ伏したのだ。
バンジャルサリ村の住民が、幼女の泣き声を耳にした。声は線路の方から聞こえてくる。住民らがその声の場所にたどり着いたとき、線路上に倒れている女性の身体を目にして自殺者かと思った。様子を調べるために近寄ったところ、失神しているだけであることが判明したので、母と娘を最寄の病院に送り込んだ。
病院側はサリに、暫くそこに入院して体力の回復をはかるよう勧めたが、サリは故郷に戻って今後の身の振りかたを決めたい、と決意を語り、勧めを断った。既に無一物になってしまった故郷に戻っても、預けてきた子供と再会するほかに待っているものは何もない。
今日も別の場所で別のサリが、苦難の人生を抱えて生きているにちがいない。


「ジョコウィの精神革命」(2014年6月4〜6日)
今インドネシアは国家指導者の答えを必要とする難しいパラドックスに直面している。レフォルマシが始まって16年経過したというのに、国民はどうして幸福よりも不安を強めているのだろうか。
1998年から2014年までの間に、BJハビビ、KHアブドゥラフマン・ワヒッ、メガワティ・スカルノプトリ、スシロ・バンバン・ユドヨノと四人の大統領が順繰りに国を統率し、経済と政治の分野でさまざまな発展が記録された。レフォルマシの旗のもと、民主的なプロセスを通して国民が選んだ政府に支えられて、かれらは国を統率した。
経済は発展し、多くの国民が豊かさを得た。世銀はこの5月に、インドネシア経済は世界のトップ10に入ったと評した。2025年にやっと実現するとSBY内閣が予測したよりもはるかに早いタイミングだ。政治の分野でも、国民はかつての時代に比べてはるかに多くの自由と権利を享受するようになった。その中には、民主的な総選挙で定期的に国家指導者が交代することも含まれている。
ところが他面では、大小都市の路上や公共スペースで、あるいはマスメディアやソーシャルメディアで行なわれている抗議行動などに見られるように、われわれは国民の不安を目にし、また実感しているのだ。この現象はいったい何なのか?
国民の怒りと不安がいかに広まりつつあるかという現象を説明するのに、インドネシアの国家指導者も思想家も戸惑っている。その一方で世界はインドネシアを、政治的自由とデモクラシーおよび経済開発を同時に国民にもたらしたレフォルマシの成功モデルと位置付けている。
この短い論説を通してわが国民の問題にメスを入れ、同時にそれを解決するための新たなパラダイムを提供するために、わたしは自分の見解をお伝えしたい。わたしは政治学者でもなければ開発専門家でもない。わたしの見解はスラカルタ市長やジャカルタ都知事としてこれまで自分が体験し観察してきたことがらを主なベースにしている。わたしの見解には限界があることをご理解ください。
< 機構どまり >
1998年にスハルトのオルバレジームが倒れてから始まったインドネシアのレフォルマシ実践は制度上の改編にとどまった。それは国家建設という意味合いにおけるわれわれのパラダイム、マインドセットあるいは政治カルチャーに変化をもたらすことにいまだ到達していないのである。ほんとうに持続的な意義を変化に持たせ、更に自由・公正・繁栄というインドネシア独立宣言に相応させるために、われわれは精神革命を行なわなければならない。
人間の変化を伴わない制度上の改編だけに頼るなら、つまりその制度を運営するひとびとの性質が旧態然としているなら、国家建設は決して進展しない。われわれが作り出した制度がどんなに素晴らしいものであろうと、観念の不適正なひとびとがそれを取扱うかぎり、繁栄がもたらされることはない。独立インドネシア共和国の歴史はミスマネージメントが国家的な大災厄をもたらした例で満ちあふれている。
われわれは1945年憲法を改定した。われわれは汚職撲滅コミッションを含むいろいろな独立コミッションを発足させた。われわれは地方自治を開始した。われわれは、たくさんの国法や地方規則を改定した。われわれは定期的に、全国レベルと地方レベルの総選挙を行なっている。それらすべては、民主的で責任の置ける、より優れた国家運営を実施するためなのだ。ところがその一方で、抑圧的オルバ風土の中に繁茂し開花したさまざまな伝統あるいは文化が今日に至るもいまだに続いている。腐敗、自分と違っている人間を受け入れない不寛容、果てしない貪欲さ、自分だけが勝ちたいという性質、問題の解決に暴力を使おうとする傾向、法への侮蔑/不服従、そして楽天主義。そのすべてがいまだに維持されており、それどころか、改革性が高まったと言われているインドネシアの風土の中で、そのいくつかはいっそう激しい強まりを見せている。
腐敗は1998年にこの国を経済崩壊の瀬戸際に追い詰めた元凶であり、その結果インドネシアはわれわれの自尊心と引き換えにIMFからの資金注入に頼らざるをえなかった。汚職撲滅コミッションが汚職者を摘発している業績を尻目に、腐敗行為は依然として継続し、それどころか拡大傾向を示している。
不寛容も、国民が自由を享受している最中に旺盛に繁茂している。急速な経済成長は一部国民に貪欲さとインスタント成金への欲望を煽り、かれらはそのために不正行為を含めて手段を選ばない行動を臆面もなく示す。
明らかにレフォルマシは制度上の改編だけにとどまっており、国家建設の父たちが宣言した民族の理想に向かって国民を進ませることに十分でない。もしわれわれが汚職・不寛容・貪欲・インスタント成金への欲望・法規への侮蔑・オポチュニスト性向などを撲滅し変化をもたらすことに失敗したなら、あらゆるレフォルマシの業績は一夜にして国家の崩壊とともに水泡に帰すであろう。
< 精神革命が必要 >
民族建設において、われわれは現在リベラリズム原理にもとづく傾向を強く持っている。しかしそれは明らかに、インドネシア民族の価値観・文化・キャラクターにそぐわず、むしろ反しているのである。インドネシアが修正行動を採るときが来ている。既に走り出しているレフォルマシプロセスを止めることなく、シンプルで持続的な、ヌサンタラ文化に合致するもっと人間的で新たな国家建設へのアプローチとパラダイムおよび政治文化を、精神革命を宣言することで創造するのだ。
革命という言葉を使うのは決してオーバーでない。なぜならインドネシアは、オルバ期から今日まであまりにも長期にわたって成育するがままに放置されてきたあらゆる悪習を徹底的に撲滅するための政治文化上のブレークスルーを必要としているのだ。流血の事態など起こらないのだから、精神革命をフィジカルな革命と同じように見てはいけない。とはいえこの行動には、依然として指導者の内面的なモラル上精神上の支援とコミットメントと、そしてどの革命でもそうであったように国民の奉仕が必要とされている。
精神革命の遂行において、われわれは1963年にブンカルノがスピーチの中で述べたトリサクティコンセプトを用いることができる。「政治主権を持つインドネシア」「経済自立を持つインドネシア」「社会文化面の個性を持つインドネシア」という三つの柱だ。さまざまな国民有力者たちとの討議から、われわれはこのトリサクティコンセプトの妥当性と文脈化についてのアイデアを得ている。
パンチャシラの第四原則である国民主権はわが国土の上に屹立させなければならない。民主的な選挙で選ばれた政府と国家は、一部少数グループでなく全国民のために嘘偽りなく働かなければならないのである。われわれは、責任の置ける、腐敗行為や威嚇のないクリーンな政治システムを作り出さなければならない。
総選挙実施の中で行なわれた激しいマネーポリティクスは多かれ少なかれ、国民の代表として選ばれたひとびとのクオリティや誠実さに影響を及ぼしている。われわれは政治家を生み出すやり方を、持っている富や政策決定者に近いといったことよりも専門性や履歴をもっと重要視する方向に改めなければならない。
われわれはまた、住民の利益のために、且つ又選ばれた政府をサポートして働く、クリーンで信頼性と能力を持つ官僚機構を必要としている。法執行も同様で、政府と国家の威信を確立させてインドネシアを真の法治国家にすることが重要なのだ。統一インドネシア共和国の全領土の統合と一体化を維持するための強力で有能な国軍の役割も、政治主権確立の面においてその重要さは劣るものでない。
経済分野では、インドネシアは外国からの投資・資本・援助と技術への深い依存及び食糧やその他基幹物資の輸入から解放されるべく努めなければならない。単に市場としてのキャパシティを主体にしたリベラル経済政策がインドネシアをして外資の罠に落とし込ませたのだ。その間にインドネシアの天然資源は多国籍企業とそのインドネシア人協力者によって取り尽されつつある。16年間のレフォルマシはわれわれの経済運営にたいした変化をもたらさなかった。政府は食糧やその他必需品の輸入に、きわめて安易に扉を開いている。わが政治エリートの多くは、インドネシアの農民がどのような結果を蒙るのかということを考えないまま安易な解決策として、レントシーキングの罠に落ち込んでいる。豊かな自然を持つインドネシアが食糧輸入に頼っているのは、皮肉なことだ。トリサクティの柱が命じているように、インドネシアは経済的に自分の脚で立つべきなのである。食糧自給とエネルギー自給はもはや議論の余地のない二大項目である。ただちにインドネシアは、明確で測定可能なプログラムと日程に従って、その方向に向かわなければならない。その両セクターを除けば、インドネシアは経済の車輪を回すために従来どおり輸出入活動を推進させることになる。
ここ数年、記録更新が続いている外国投資についての政策も見直される必要がある。なぜなら、投資の多くが採取型資本集約セクターに向けられており、求人がたいして増えないにもかかわらず大量の利益が引き抜かれている。
トリサクティの三つ目の柱は、インドネシアの文化社会に個性を持たせることだ。インドネシア的性格は、過去二十年間に起こったグローバル化の流れと通信技術革命の影響で、ますます色褪せてきている。わが民族の高貴な価値観にフィットするとは限らない文化の流れの中に国民が溺れていくのを、インドネシアは放置してならないのである。
教育システムは、インドネシア民族の文明文化に依拠し、わが国に息づいている宗教倫理の諸価値を高く捧持するアイデンティティの構築を助ける方向に向けられなければならない。国が編成し、方向性を与え、的確に的を射るような国民保健サービスと教育へのアクセスは、インドネシアの社会的文化的な個性をわれわれが構築することをサポートするものだ。
< どこから始めるか >
インドネシアが精神革命を必要としていることに合意してもらえるなら、次の問題はどこから手をつけるかということになる。ファミリー環境、地縁環境、職場環境など、われわれひとりひとりがそれらの身近なところから出発し、それを町へ、さらには国へと拡大させる。精神革命は国家運動のひとつにならなければならない。インドネシアを真に自由で公平で繁栄する民族に変えるために手を携えて行なう運動だ。われわれは、最も神聖で最高のアッラーの祝福を得てわが民族の将来の姿を自ら形作っていく勇気を持たなければならない。なぜなら、アッラーはその民族が自らの内に持っているものを変えようとするときだけ、その民族に変化を与えるのだから。
わたしはスラカルタ市長在任中からこの運動を開始し、2012年以来ジャカルタ都知事としてそれを継続している。多くの同志たちがこの運動をそれぞれの地元で開始している。インシャアラー、この運動がますます拡大し、ブンカルノが呼びかけたような真の国民運動にまで発展して行きますように。ブンカルノが語ったように、「革命はまだ終わらない」のだ。インドネシアの精神革命はいま端緒についたばかりなのである。
ライター: PDIP党大統領候補、ジョコ・ウィドド
ソース: 2014年5月10日付けコンパス紙 "Revolusi Mental"


「犯罪と悪事は別物?」(2014年6月4日)
ランプン州バンダルランプン市警が2014年5月14〜27日の二週間にわたって実施したクラカタウ第二回社会病作戦で455人が逮捕された。
インドネシア人は、犯罪と社会的な悪事を異なる概念としてとらえているようだ。もちろん現代社会でも、伝統的に伝えられてきた悪事の大半は法制度の中で重度軽度の犯罪として規定されているため、大きく括れば法律に違反する犯罪行為というカテゴリーの中に収まるわけだが、百パーセント完璧にそうなっているわけでもない。宗教によって形成された社会が、宗教が定める悪事をそのままの形で認識し続けるのは当たり前のことで、社会生活におけるそういう概念の違いが対応の仕方に差異をもたらしているようにわたしには思える。つまり、見方次第ではあるが、悪事への対応措置の採り方に甘さとか温情が感じられるということなのである。このような差異を持つこと自体、法律違反=犯罪という一枚板でものごとを見ている社会よりはウエットだということができるだろうが、人間というものの本質を見据えるかぎり、悪事を悪事として認識する社会のほうがより人間的であるように思えるのは、果たしてわたしばかりだろうか?
さて、その社会病とは何なのかということの詳細は次のようになっている。逮捕者と併記すると、賭博24件逮捕者41人、ゴロツキ行為326人、売春88人。逮捕者は出ていないが、瓶入りアルコール飲料3,183本、トゥアッ(tuak 椰子酒)2,352本、ポルノVCD2,022枚、不法コピーVCD2,544枚が押収されている。


「幸福なインドネシア人」(2014年6月24〜27日)
中央統計庁は2013年7月に国民の幸福度をはかる調査を試行した。都市部村落部、男性女性、夫と妻、学歴などさまざまなファクターをカバーする1万家庭を対象にして行なわれたこのトライアル結果は、0−100スケールの65.11ポイントと出た。ポイント0はまったく不幸である、ポイント100はこれ以上の幸福はない、という感覚を意味している。国民は総体的に、自分を不幸だとは思っていないようだ。
ちなみに、2013年に報告されたワールドハピネスレポートによれば、インドネシアは156ヶ国中の76位にいる。専門家グループが評価した結果が更に責任者によって編集されたというそのレポートでは、アセアン諸国のランキングは次のようになっていた。
30位 シンガポール 6,546ポイント
36位 タイ 6,371ポイント
56位 マレーシア 5,760ポイント
63位 ベトナム 5,533ポイント
76位 インドネシア 5,348ポイント
92位 フィリピン 4,985ポイント
109位 ラオス 4,787ポイント
121位 ミャンマー 4,439ポイント
140位 カンボジア 4,067ポイント
ただしこのようなランキングと国民自身がどう感じているかというのはまったくの別ものであり、国際レベルの先端を行く専門家がどう評価しようが、国民自体が現状肯定的であれば国民の幸福度は決して低いものにならない。まったく同一環境に置かれても、ひとによって幸不幸の感覚は異なるのだから、本人が目標としているレベルよりはるか上の状況でなければ幸福と感じるのはおかしいと専門家が言ったところで、こればかりはどうしようもないだろう。
さて、幸福なインドネシア人のイメージをファクター別に見てみると、高学歴で都市部に住む高所得層で、家庭を持ち子供がふたりいる17〜24歳という年代の者という姿が浮かび上がってくる。
回答者は10のドメインに関して自分がハッピーと思っているかどうかということを尋ねられた。生活の重要な柱をなしていると考えられるその10のドメインとは、職業、家庭所得、住居と資産の状況、学歴、保健医療、家庭内人間関係、社会生活、余暇、生活環境、治安保安状況となっている。統計結果として出された指標を見ると、村落部住民のポイントは64.32、都市部住民は65.92という僅差。
所得階層から見た場合、家庭の収入が月額720万ルピアを超えている階層の幸福度が最高の74.64ポイント、月収180万ルピア以下の階層が最低ポイントだった。学歴は修士博士レベルが75.58ポイントで最高、最低は無学歴者の61.69ポイント。年齢階層については、17〜24歳がトップで65歳超がボトムになっていた。
結婚に関するステータスでは、現在結婚している者が一番幸福で、離婚して別々に暮らしている者はハッピーでない。家族生活は、一家四人の生活がもっとも幸福で65.90ポイント、独身者が最低の62.32ポイントだった。
「この調査結果は初めての試みであるため、方法論的にもっと改善がなされる余地があるものと思われるので、今回の結果はまだ安定したものと言えず、もっと的確な変数を見つけ出す必要がある」と中央統計庁デピュティはコメントした。この統計が今後継続されるかどうかという質問に対してデピュティは、「この種のものは数年間というレンジで変動する傾向にあると見られるので、行なわれるとしても二三年おきということになるだろう。継続的に行なわれるかどうかは国民がそのような指標を求めているかどうか次第であり、国民が必要とするなら、当方は継続するのにやぶさかでない。」と語っている。
インドネシア大学経済学部デモグラフィ研究院長は、この種の統計は必要だ、と語る。「幸福度指数のような指標は基本的に有意義なものであり、開発の成功度合いがどうかということをはかる指標が経済統計数値だけであふれている現状に対し、複合的な視点をもたらすもののひとつとして受け入れることができる。人間の幸福度を測定する絶対的な基準がないのは人間の持つ希望のレベルがまちまちであるためだが、希望が満たされ、生活が安定しているという個人個人の感覚を測ることはできる。少なくとも物質的なものと非物質的なものをどちらもカバーする内容にする必要があるだろう。物質的なものを重視する方向に傾くなら、それは幸福度指標でなく福祉指標になるのだから。それはつまり、政府の国民政策が福祉対策に終わっていてはいけないということを意味している。中央統計庁はこの幸福度指数の完成度を高めることに努め、さらに政府の対国民政策の中に反映されるような方向に進展してほしい。」
ガジャマダ大学住民政策センター長は今回の国民幸福度指数トライアルに関して、内容が物質的なもので満たされており、人間は経済要因だけで幸福になれるものではないので、更に内容を深めてほしい、とコメントした。「経済的成功と幸福度がリニアーに対応しているとわたしは思っていない。経済的なアスペクトが人間の幸福を決めるものではないのだ。政府は経済セクターの開発に躍起になるのでなく、国民生活の中にもっと精神的な別のディメンションをもたらしていかなければならない。経済開発にとって公平さというのはたいへん重要なファクターであり、階層グループ別にどのような差が生じているのかということも、この統計の中に描き出してもらいたい。そういう集団間の差異が均等化されていったとき、65.11ポイントという数値はもっと高いものに変化するにちがいないとわたしは思う。この点をくっきりと統計の中に浮き上がらせるようにするのが、中央統計庁の今後の課題だ。」
インドネシア科学院社会学者も、今回の統計が物質的な内容に偏っていることを指摘する。「月収のような物質的なものを測定対象にするのでなく、あらゆる国民階層にとってもっと共通的なもの、たとえば交通機関・医療機関・教育・治安などに対する満足度をはかるほうがよい。そのような公共施設に関するものがインドネシアに暮らす国民の満足度や幸福度を測定するものとしてふさわしい。たとえ所得が大きなものでなくとも国が国民福祉に十分なアテンションをしてくれていると感じる国民のほうが、わたしは幸福な国民だと考える。」
かれは都市生活者のほうが村落部住民より幸福だと感じている事実に驚いたと語る。都市生活というのは交通渋滞や大気汚染などストレスの種に満ち溢れている場であり、村落部のほうが穏やかに大自然に抱かれて生活できる場であるため、本来的に見ればこれは逆の現象が起こっているわけで、その指標数値は政府の村落部に対する国民生活向上のための手が十分打たれていないことを示すものだというのがかれの見解だ。かれはそこから更に進めて、65.11ポイントの幸福度という結果に疑問を呈した。国民の生活内容がそんなものであるというのに、それを幸福だと感じているのはいったいどういうことなのだろうか?本当はそんな数値が示しているほど幸福なのではないということではあるまいか?
そこに関わっているのは生活内容のクオリティの問題なのであり、どれほど高額の所得を得て高額商品を豪壮な邸宅に並べようが、それが生活クオリティとリニアーに関連しているわけでは決してない。インドネシアの都市部で住民が個人生活・家庭生活・社会生活を営む際に見られる生活インフラのクオリティや、社会構成員が日常生活の中で示す文明度合いを他国の都市のそれと比較すれば、この問題の様相はすぐに見えてくるにちがいない。インドネシア人自身に、真に高い生活クオリティとはどのようなものなのか、イメージだけにせよそのようなものが持てているのかどうか、あるいはクオリティそのものを測定し認識する能力があるのかどうか、そういったことがらがこの問題に関わる大きなポイントなのではあるまいか。
真に高い生活クオリティを知らず、あるいはそんなものにたいした期待をおかず、そういうものを追求するのでなくそれとは無縁の生き方をしている人間にとっては、巨大な資金が回転して金儲けのチャンスが潤沢にあり、慰安娯楽が手近にあふれている都市部での暮らしを愉しいものと感じ、都市部に暮らすほうを幸福と感じることは決しておかしいものではない。アーバナイゼーションに乗って村落部での暮らしを捨て、都市にやってくるひとびとの目的が何なのか、ということがその答えを示しているわけであり、生活クオリティというものをまだ身近に感じることのできない若者たちの大半が都市部での生活を、たとえスラムの中での暮らしあっても、幸福だと感じるのは疑いがない。とはいえ、都市部と村落部の数値が僅差であったという事実から、生活クオリティというファクターに関するかぎり、その両者でほとんど差異がないのだという結論を引き出すことは無理だろうか?つまり、インドネシアのどこにいようが、優れた生活クオリティを身に浴びることは不可能なのだという結論を。
コンパス紙記者は今回中央統計庁が公表した国民の幸福度指標の内容をひっさげて都内に暮らしている一般庶民の反応を調べてみた。食堂経営者イブロヒム31歳は、月間収入が480万から720万ルピアのブラケットに入る。「自分はこの収入で十分満足してますよ。あれこれ高いものを買ったり、金をパッパと使うようなライフスタイルは自分に合わないので、これでは足りないというような不満はありません。今の自分の質素な生き方が自分には一番合っていますから。貯金を十分持って余裕のある暮らしができ、毎月きちんきちんと家賃を払い、生活費に困らず、たまに映画館に入り、ときどき医者にかかることができるような暮らしを維持できる限り、自分はハッピーですよ。」
フリーランス通訳を職業にしているアブミ・ハンダヤニ27歳は、結婚を先延ばしして独身生活を続けている。「結婚が幸福の指標だとは思えないですね。それは単なるチョイスに過ぎないのではありませんか?わたしにとって重要なのは、自立した生活が営めており、自分の好きな仕事をこなしていけることです。」
高校で地理の教員をしているファリダ・ウスディアナ54歳は、社会生活における幸福が第一優先とされなければならない、と言う。「自分の所属するコミュニティの中で浮き上がってしまうことが最大の不幸だと思います。何がどうあっても、みんなに合わせて中に溶け込んでいることがしあわせだと考えています。」
メディア企業のマーケティング担当者は、健康であることが幸福の源泉だと語り、27歳のクリーニングサービス従業員は家庭内の和合が一番重要なファクターだと述べた。家庭プンバントゥのひとりは、あるがままの状態を受け入れて神に感謝するこころが人間に幸福をもたらすものだ、との意見を述べている。
記者からそれら庶民の声を聞かされた中央統計庁デピュティは、幸福度は国民の精神風土が決めるものだとの見解を語った。「国民文化の中にある、あるものをあるがままに受け入れるという姿勢がその例のひとつだ。そしてむやみに高い希望を抱かないという姿勢が表裏をなしている。だから、どんなに厳しい状況に置かれても国民は常にかなりの満足度を感じている。OECD加盟国の多くは幸福度が6.6ポイントであり、最高のオーストラリアでも7.0ポイントだ。インドネシアとそれほど違っているわけではない。つまり、豊かな経済生活が人間の幸福度を決めているのではないということが言えると思う。」
常にハッピーでいたいと望む国民性は、失望や後悔という負の精神を嫌って期待値を低くするよう努める傾向を持つ。どんな不遇や不運に見舞われようとも「Masih untung ....」という口癖を持つジャワ人の話はつとに知られており、ポジティブな精神を維持しようとする社会のありさまはそこにも顕著に現われている。しかしポジティブな現状肯定精神だけでは、社会の改善改革あるいは生活クオリティのレベルアップになかなか到達できないことも確かだ。このジレンマの中には、公の場におけるクオリティアップと私の場における満足感という、互いに相容れない要素のからみあいが存在しているように思える。片方に偏してしまっているように見えるインドネシア人は、そのコーナーにおいては幸福なのかもしれないが、もっと広いアリーナの中での幸福度は、はたしてどうなのだろうか?


「投資リスクを避けたがるインドネシア人」(2014年6月25日)
インドネシア国民の個人資産は2011年から2016年までの間に13%増加するだろう、とHSBC銀行シニア副社長が語った。ただし、その資産は預貯金の形で蓄えられ、投資に回る部分は小さいものと副社長は見ている。特に10億ルピアを超える個人資産を長期投資に回す者は滅多にいないとのこと。
HSBCが行なったサーベイによれば、インドネシア人の個人資産の概略は次のようになっている。1〜2.5兆ルピアを持つ者34.4万人、2.5〜10兆ルピアを持つ者20.8万人、10〜50兆ルピアを持つ者64人、50兆ルピアを超える者13人。
「インドネシア人は個人資産を預貯金の形で蓄積しており、投資に回される金額はたいへん小さい。インドネシアの預金金利率が諸外国に比べて高く、またリスクがないという安心感もそこにからまっている。」
インドネシアはGDPをベースにして世界10ビッグ経済の仲間入りをしたし、2030年には世界第7位に上昇すると予測されている。それは大きいミドルクラス市場を作り出し、その市場自体がどんどん拡大していくことを約束するものだ。
HSBCの個人資産運用部門はそういった周辺状況を踏まえて、今後のビジネスがうなぎ登りに増加していく可能性を追求しようとしている。パーソナルエコノミーコンセプトと銘打たれたこのビジネスは、単に資産ビルディングに走るのでなく、顧客に人生の7本柱を強化させることを誘う、包括的コンセプトであるとのこと。その7本柱とは、心地よい家庭生活、健康で幸福な一家、ビジネスの成功、次世代に残す遺産、意欲と関心、個性を豊かにする文化体験、職業生活とパーソナル生活をバランスさせる能力がそれである由。


「公観念の希薄な国」(2014年7月14日)
2014年1月18日付けコンパス紙への投書"Polisi Bunuh Diri dan Merah Putih"から
拝啓、編集部殿。わがインドネシア民族という共同体への尊崇の念とその取扱方がますます低劣に下降しているこの国のありさまに関して、わたしは大いに驚ろくとともに呆れかえっています。
隣家のお金65万ルピアに手を出したところを現行犯で見つかり、逮捕されたあげく政府支給の銃で自殺を遂げた、まだ若い警官のニュースを思い出してください。その警官の葬儀に際して、警察隊の弔礼一斉射撃のあと遺体を収めた棺が赤白の国旗で包まれたのです。それを見たわたしの心は切り刻まれて、張り裂けんばかりの痛みを感じました。
わたしの知識では、赤白国旗で棺を包むのはわが国家と民族を護るために闘い散っていった英雄に対してのみ用いられるものであり、たとえ警察の一員であろうとも不良下劣な者に対して用いられるものではありません。決まりを正しく順守し、偉大なるインドネシア民族に回帰しようではありませんか。[ バンドン市在住、リスノ・サムシ ]


「精神革命必達」(2014年8月4〜6日)
伝説的レゲエ歌手のボブ・マーリーはこう叫んだ。「奴隷主義精神からおまえ自身を解放せよ」
植民地主義や独裁主義は過ぎ去っていっても、奴隷主義や圧制が自然に消滅するわけではないのだ。植民地主義や独裁主義の最悪の遺産は奪い去られた資源や引き起こされた苦難あるいは失われた生命の大きさにあるのでなく、民族精神の中に植えつけられた腐敗・圧制・奴隷主義などの諸価値が受け継がれていることである。建国者たちは、独立闘争が完結する道のりはあまりにも長いことを十二分に認識していた。独立宣言は真の解放を勝ち取るための黄金橋でしかなかった。黄金橋である独立宣言というのは、一連の永続的な闘争を通して公正で繁栄する社会という理想に至るための単なる出発点でしかないのだ。1956年8月17日の独立記念日にブンカルノは民族革命の三つのフェーズについて述べた。インドネシアは物理的な革命段階(1945〜1949年)とサバイバル段階(1950〜1955年)を成功裏に通過し、次の挑戦的な段階がいま眼前に立ちはだかっているのだ、と。「今われわれは投資の段階に入っている。総合的な意味における資本投下の段階だ。人間の技能・モノそして精神への投資である」。
かれの見解は、技能とモノへの投資は重要だが、一番重要なのは精神への投資だということである。精神への投資を基盤に置くことなしに、技能とモノへの投資が統一と共同繁栄のベースになることはできない。精神性の豊かさを欠いた技能とモノへの傾注は奴隷主義を永続させるにすぎない。「独立したわれわれの髪の毛一筋でもドルやルーブルで売り渡すくらいなら、われわれ自身が森林を切り開き、十本の指とその爪で土を掘るほうがマシだ。」かれは更にこうも言った。「われわれの精神は、すぐに慌てふためき、何でもない瑣末事にとやかく関ずらわるような卑小な精神よりもっと高い位置にわれわれを高めなければならない」。
ブンカルノが国家と個性の建設プログラムを強く主張したのはそれが理由だ。インドネシアは偉大な民族だというのに、民族みずからがしばしばあまりにも低く自らを評価している。つまり精神が卑小であり、植民地支配を受けた民族がよく陥る劣等コンプレックスから脱け出せていないのだ、というのがかれの見解だ。数百年の間続いた植民地支配と封建主義社会の結果、アブディクラット(abdikrat)と呼ばれる大衆の精神性が形成されたことをかれは認識していた。アブディクラットという語はフェルハアルが『人間のアイデンティティ』という著作の中で使った造語だ。(訳注:abdiはサーバントを意味するジャワ語。クラットはビューロクラットなどのクラットに由来する語で、ある機構に支配される集団の一員を指す)
そのようにして、自信に欠け無力感のあふれた敗北主義精神が形成されたのである。民族独立という環境の中で、そのような性質は徹底的にこそぎ落とさなければならないことをブンカルノは強調した。民衆は独立の気概を持ち、「これはわが胸だ。おまえの胸はどこにある?」と語る勇気を持ち、自由を怖れず、自己を尊重しなければならない。
スカルノ時代に、国家と個性の建設プログラムはあるレベルまでの成功を収めた。サバンからメラウケまで国民大衆はひとつの民族国家に属しているという意識と、インドネシア民族のひとりという誇りを抱いた。さまざまな国際的イシューにおける主導性を発揮したインドネシアは国民大衆の民族的自尊心も高めることができた。国民はインドネシア民族を見下すような援助を堂々と拒否した。「Go to hell with your aid!」という言葉で。
< 奴隷主義精神 >
モノへの投資優先を掲げるオルデバル政府が勃興した。人材への投資政策は、大統領指令に従って設けられた学校での基礎教育向上が主体に置かれ、質的要素よりも量的要素を重視する方式が推進された。精神への投資ももちろん行われたが、表面的なものでしかなかった。パンチャシラの高揚が進められたものの、創造性は貧困で、認知能力(記憶)面に重点が置かれ、情愛面へのアプローチや行動への誘導は少なかった。その結果、民族生活のモダン化が進展したのとは裏腹に、後進的な精神性が残された。
諸方面のクライシスを引き連れた、モノ分野の発展と精神の後進性というパラドックスのピークがレフォルマシ体制の出現だった。新たな意識改善の夜明けが起こるべきであるにも関わらず、レフォルマシ体制で14年が経過したというのに、繁栄・公正・法確定・清廉善良な政府などといった誓いに近付く気配はまったくない。民族の全資源があらゆる外国勢の繁栄に供されている最も根本的な原因が精神的奴隷主義にあることや、腐敗した精神が汚職行為の繁茂を支えている柱であるということについて、プラトーが説明している。プラトーは言う。「人間の生命はマインド・スピリット・アピタイトの三つで構成されている。正しく生きることは健全なマインドが他のふたつを統御することで可能になる。」。
現在のわが民族の姿には、スピリットとアピタイトの影が満ち満ちている。嗜好とライフスタイルの欲求が爆発し、インドネシアは塩からぜいたく品に至る世界最大の輸入国のひとつになっている。あふれる権力欲は多くの人間にそのさまざまな職業に付随する責任を放棄させ、政界の要職の争奪に向かわせている。そのためにはブラックキャンペーンなどを含むあらゆる手段を尽くすことをかれらは辞さないのだ。マーケット嗜好や個人的な野望の衝動は、国家の独立と主権を犠牲にするという高い代償をもたらしている。そんな状況下に精神は主導性を示すことができず、奴隷主義精神という歴史遺産や嗜好と野望にからみつかれてコーナーに追い詰められる。健全な精神的リーダーシップを持たない政治は全国民にとっての善を実現させる基盤を持たない。そこでの政治の進行は、善を放擲し悪を維持するという逆転ロジックに従うことになる。
地べたに転がった身体を立ち上がらせるべく、わが民族は歴史から引き離された本来の航路に戻らなければならない。精神革命を続行するのだ。この革命の核心は、国家と個性の建設プログラムを通したインドネシア人の精神構造における一大変革なのである。この人格開発実践は、個性ある個人と個性を持つ集合的な民族を育成するという二つの目標の間を往復しながら行われる鍛錬なのである。個人の性質にある善や力は、それが集合的に民族の善や力に統合されるとき、はじめて効用をもたらすものなのだ。
この国に善の精神性を持つ個人がまだ大勢いるのは事実だ。ところが善の個性を持つ集団がきわめて少ない。その個性が何であれ、政党・議会・官僚・宗教団体などの集団はみな病的傾向にある。このポイントにおいて、インドネシアはまだできあがった民族になっておらず、共通の集合的な価値観・ビヘイビア・創造力・感情・目的意識などの強化を必要としているのである。
個性は個人の存在と進歩のみならず、民族のような人間集団の存在と進歩にとっての決定要因でもある。本質的に、各民族は個人と同じように、共通体験が育てた独自の個性を持っている。民族とはひとつの共通性であり、ひとつの個性や容貌である。そのひとつの個性や容貌は共通体験によって生まれ、成育し、出来上がったものだ。オットー・バウアーの有名な民族(国民)の定義がそれだ。
民族社会の政治的経済的発展に対する決定因子としての文化的差異、特に個性に関する意識は1940年代と1950年代に開花期を迎えた。マーガレット・ミード、ルース・ベネディクト、デイビッド・マクレランド、ガブリエル・アーモンド、シドニー・ヴァーバ、ルシアン・パイ、セイモア・マーティン・リプセットたち当時の著名文化研究者が、第二次大戦後の停滞した国家が発展を追及するために必要な価値観とエトスの前提条件を示した。しかし、モノ開発に重点を置く開発主義の猛進と共に、文化研究は1960年代から70年代にかけて立ち枯れの時代を迎える。開発主義の失敗に遭遇した諸国は政治的経済的な諸変化を体験した後、1980年代から文化研究への関心を取り戻す。一民族の政治的経済的発展にとって文化メンタリティバリエーションがいかに重要であるかということを、ローレンス・ハリソン(1985年)、ロバート・パットナム(1993年)、ロナルド・インゲルハート(2000年)らが発表した一連の調査結果に見ることができる。結果的に、グローバリゼーションの高まりの中で、競争力の支柱としての民族的個性の強化がいかに重要であるかということへの意識は一層高まっているのである。
< マンディリとブルディカリ>
インドネシア民族にとって、民族の文明化を支えるべき集合的個性の受け皿となる価値観の基盤はパンチャシラをおいて他にない。パンチャシラの核は、自己保存や自己中心性という利己的精神性を克服しつつ、どのようにして有神性・人間性・民族性・協調性・社会正義の五つの意識を踏まえたゴトンロヨン精神の強化を通して多様性の中の統一精神を育てるかという点にある。インドネシア革命の最終目標である公正で豊かな社会の実現という企ての中で、経済面のブルディカリ(訳注:自分の足で立つ)、政治面の主権、文化面では個性を持とうとする意欲に満ちた、民族の個性的意識の発展にそのゴトンロヨン精神は向けられることになる。
ブルディカリとマンディリ(訳注:依存のない自立を意味しており、本質的にブルディカリと同じだが、スカルノが使ったブルディカリとの差別化をはかってオルデバル期にはこの言葉が盛んに使われた)は決して孤立を意味しない。ブルディカリというのは、外国勢への経済的依存を解き放って自己の選択を行う勇気を持つためのメンタリティのあり方なのだ。ブルディカリはアンチ外国や外国勢力縮小ということを意味しているのでなく、互恵的で対等な関係意識を踏まえた国際協力の拡張を目指すものなのである。経済的自立を目指す道は、経済協力意識ならびに天然資源活用や国民の繁栄に重要な生産分野優先、持てる資源の優位性に付加価値を加える経済競争力増強、食糧とエネルギーに対する主権と国産品購入優先などにおける効果的な国の役割の強化というステップを踏んで行くことになる。
政治主権には外向きのものと内向きのものがある。外に向かっては、自らを他国と同等の位置に置き、諸外国との関係を独立・平和・公正を原則として自由にコントロールする能力。そのためには、コスモポリタンメンタリティがもっと強化されなければならない。内向きとしては、国民ひとりひとりへの基本的権利の充足・地域安全・公正・法確定・国民と公務員に対する秩序と規律の確立などを主体に据えた国民への保護と監視の一層の充実。それらのすべては、パンチャシラデモクラシーの深化と拡張プロセスを条件にしている。
経済上の自立と政治上の主権はわが民族が文化面での個性を持つとき、はじめて進展できる。世界文明との相関性にもとづく相互補完作用の中で、天与の特別な個性であるところの民族の創造力・感情・目的意識を表明することへの自信を支えるための精神的成熟に満たされていること。この文化の中に個性を育てるための努力は、ヌサンタラコンセプトと民族の精神的個性の鍛錬を強化し、グローバルなビジョンに密着したローカルな知恵を発展させ、天然資源ベースの開発から文化資本(科学技術)ベースの開発への変質を行い、読書文化と研究および社会革新への創造性を目指すことで行うことができる。
歴史上の大きな変革は常に精神的な変革を伴っていた。いまや支離滅裂になってしまった国民の理想を実現させるために、全国民が精神革命の波のひとつにならなければならない。そこにだれが就任しようが、新政府はこの歴史の呼び声に応じなければならないのだ。
ライター: 民族と国家の思索者、ユディ・ラティフ
ソース: 2014年6月12日付けコンパス紙 "Keharusan Revolusi Mental"


「革命をもう一度」(2014年8月11・12日)
総選挙実施における本質はイデオロギー競争である。しかし往々にして、立候補者はイデオロギーの明確な打ち出しをしないままビジョンとミッションを喧伝するだけに終わっている。
かれらの多くは量的な検討しかしていない。数量化は用いられているイデオロギー基盤から大衆の関心を常に逸らすようになる。たとえば年間経済成長率7%の公約。外国投資の誘致で直接投資拡大を行えばそれができると言う。そのロジックに欠落しているのは、外国からの直接投資が雇用増大と連動していない事実だ。投資増大が工業セクターでなく金融セクターに集まっていることがその原因なのである。2014年5月10日のコンパス紙に掲載されたジョコウィ氏の「精神革命」はその意味で興味深いことがらだ。
< 革命 >
われらのインドネシア共和国で、革命は二度行われなければならない。コロニアリズムから民族を解放した形而下の革命の次に、この共和国は自分自身からみずからを解放する形而上の革命を経なければならないのだ。「恐怖から解放された人間は普通、自由への恐怖を抱くものだ」という社会心理学的格言がある。つまり、深層心理に刷り込まれたクーリー民族意識を解き放つのは容易でないということなのである。たとえばわれわれは、豊富な天然資源を自ら経営するよりも、自国にあまり利益をもたらさない鉱業事業契約を結んで外国企業に売り払うほうを好んでいる。保有する資産を自ら経営しないで、たくさんの国有事業体が外国企業に貸している。わが民族の人格成長はブローカーメンタリティから先に出ることがなく、工業人になかなかならないのである。
経済成長は十分旺盛だ。国民購買力は顕著な上昇を示しており、階級対立はますます曖昧になっている。今や労働者と資本家は大通りで同じ大型バイクにそれぞれまたがり、並んで走っている。問題は、この経済成長が自由というものに恐怖を抱いているひとびとによって担われているということだ。インフラ建設に自国の予算を使う代りに、われわれは外国の金融機関から自国に不利な種々な条件で借金をするほうを好んでいる。外国借款による建設プロジェクトがすべてインドネシアに外国人コンサルタントをドル建てで雇うよう要求していることは今や公然の秘密だ。インドネシア人コンサルタントには補完的な仕事が低報酬で与えられるだけ。おまけにプロジェクトで必要とされる資材の納入には、借款国の会社が指名される。
呼びかけは十分にあからさまな内容だ。われわれは『下手』メンタリティを脱して『上手』メンタリティに変わらなければならないのである。与える立場は与えられる立場よりも上位にあるのだから。インドネシア民族には自信が不足しており、自信の不足が自尊心の欠如をもたらしている。自尊心の欠如は能動性の喪失だ。他人のお情けで与えられる繁栄は真の繁栄にならない。メンタリティの差はファイナンシャル問題よりもはるかに基本的なものであることが、そこに示されている。
残念なことに、われらの共和国は明白なメンタリティビジョンなしに建国された。われわれは数量的な経済ビジョンを常に叫んでいるが、それらの数字の裏側には自由への恐怖パトスが隠れているのである。われわれは自立を怖れている。われわれは依存することを喜んでいる。たとえば、生活基幹物資の価格安定を、輸入を通して行うのか、それとも農業主権の確立を通して行うのか?
われわれは往々にして前者を選択している。成長と安定が最優先されるのだが、その成長が農家収支率を論外の位置に据えているのは、一体何が問題なのだろうか?経済成長は往々にして一民族の精神的成熟を反比例関係に陥れている。
< イデオロギーの玉座 >
ジョコウィ氏の『精神革命』はイデオロギーの玉座を超えた、より広範なものに見える。ブンカルノの構想を借りた政治主権・自立経済・個性的民族に集約されるナショナリズムを超えた位置にかれの主張は置かれているようだ。このようなナショナリズムは単なる口先だけのナショナリズムでなく、わたしがワーキングナショナリズムと呼ぶ種類のものである。なぜなら、そのようなナショナリズムは行為者ならびにシステムに対して具体的な行動を要求するものであるからだ。ナショナリスト国家指導者は、自分の政策が『下手』メンタリティにもとづいて構築されたシステムといかに衝突することになるかということを自覚するにちがいない。そのためナショナリズムは、ラディカルな変革を行為者とシステムの構造に要求することになる。農民への生活向上政策は食糧輸入を優先している通商運営制度への変革が伴われなければならないのである。
まず第一に、ナショナリズムは政治的な主権掌握をわれわれに命じる。ここで言う主権とは、領土や地理的なことがらだけを言っているのでないことを理解しなければならない。主権とは、ひとつの民族がみずからの未来を決定することへの完璧な権限を指しているのである。
われわれは権限を持っている。ところが、もう一度言うが、それを使うことを怖れている。われわれはわが民族に最も適した政治システムを決めることができる。ところが実際には、アングロアメリカ文化の歴史的・環境的・慣習的なリベラルデモクラシーを丸呑みさせられて喉を詰まらせている。われわれは政治上の成功度合いを、西洋デモクラシー制度の目盛りを使って計っている。しかし西洋デモクラシー制度の目盛りには社会的団結の度合いなど一度も登場したことがなく、政治的対立におけるフェアネスばかりに焦点が当てられている。
第二は、経済的にわれわれは自立しなければならないということがらだ。ブローカーメンタリティははるかかなたに投げ捨てなければならない。たくさんの国から毎日多数の投資家がチャンスを求めてインドネシアへやってくる。そして、インドネシアの事業家はただのブローカーに納まってしまうというのがよくある姿だ。資本シェアがひっくり返っている状態で外国人にビジネスがオファーされる。それどころか、資本シェアゼロという報酬でインドネシアの事業家が外国資本のための現場オペレータに成り下がっていることも頻発している。天然資源の所有者はわれわれなのだ。わが国の事業家が自己の資本と切磋琢磨でそれらの事業を行なうべきではないか。外資を交えるのは結構だが、明確なシェア買取オプションが定められていて当然ではないだろうか。われわれは他国資本のための単なるオペレータ、あるいは一作業者になるべきでない。
最後に、文化上の個性を持つというのは、掛け値なしの絶対的なことがらだ。インドネシアは文化的に複合民族である。しかしその複合性の上に共通の各個たる文化的アイデンティティを持つ必要がある。封建的なものをその文化的アイデンティティとしてはならない。なぜなら、封建主義というのは依存主義と同義なのだから。精神革命は、自立し、寛容でゴトンロヨン精神を持つ民族を生み出すためのものであるべきだ。教育制度で生み出された最優秀な青年が外国企業のクーリーになるようではいけないのだ。教育も、恵まれないひとびとに関する社会的感受性を持たない、ただ頭脳優秀な人間を生み出すようなことではいけない。業績向上のための競争意識は悪いものではないが、ゴトンロヨンあるいは協力精神が伴われていなければ、インドネシア民族の個性など空っぽになってしまう。
最後に、『精神革命』というのは極めて基本的なイデオロギー変革の一部分なのである。インドネシア共和国は明白で際立ったイデオロギー規準にもとづいて経営されるときが来ている。それなくしては、この国はまた誤った国家経営をする指導者の手に落ちてしまうだろう。『下手』メンタリティで国家経営を行う指導者の手に。
ライター: インドネシア大学哲学科教官、ドニー・ガフラル・アディアン
ソース: 2014年5月28日付けコンパス紙 "Revolusi Sekali Lagi"


「精神革命の開始点」(2014年8月18・19日)
知性の退廃は民族最大の精神的災厄だ。民族の個性は弱まり、帝国主義は容易にわが国土に爪を立てるだろう。−「インドネシアは告発する」129−133、ブンカルノ1956年
ジョコ・ウィドド大統領候補は2014年5月10日付け本紙に、常に不安から脱け出せないわが民族の諸問題を解決するための新パラダイムとして精神革命が必要であると書いた。
ジョコウィ氏によれば、16年間営まれてきたレフォルマシ体制でわれわれが達成できたのは単に行政機関の構成にとどまっており、開発はシステムを運用する人間のパラダイム、マインドセット、政治文化などに影響をもたらしていないために国家建設はインドネシアが理想としている姿をいまだに実現させていない。
精神革命はブンカルノの、(1)政治主権を持つインドネシア、(2)経済上の自立、(3)社会文化面での個性を持つ、というトリサクティコンセプトにもとづくものだ。精神革命はわれわれが個々にスタートさせ、自分自身⇒家族⇒地域⇒職場⇒町そして国へと広げていかなければならない。そのために、精神革命は国民運動にならなければならないのだ、とジョコウィ氏は続ける。
< 重要な四局面 >
その構想はまだ地に着いていないように感じられるとしても、今後の開発パラダイムとしてその精神革命構想にわたしは賛同する。
(一)、このアイデアはこれまでの民族発展への障壁や問題の節を突き破るものである。民族にとっての重要問題は既に明白だ。それは今や「人間資本」と呼ばれて一層資産価値を付与されている人間のクオリティについての問題なのである。経済基盤としてわれわれが有する天然資源と人口についてはほとんど問題ない。しかし、人間が単なる経済物に位置付けられているだけで、そのメンタリティに開発のための真摯な焦点が当てられたことがないために、さまざまな天然資源を守り活用することの能力を涵養しないばかりか民族自らを没落させる原因となる精神的な諸ウイルスがインドネシア人の間に繁殖している。
(二)、オルデバル期以来、われわれの開発パラダイムは常に経済成長に依拠したが、それに反して国民が繁栄を感じる日はいつまでたってもやってこなかった。経済的発展という主張は一抹の泡でしかなく、クライシスに襲われればすぐにダウンしてなかなか回復しなかった。
1970年代にスジャッモコは早くも警告した。行われている経済開発モデルはわれわれの文化に沿ったものでなく、また根ざしてもいない、と。達成された進歩はわが民族の意識に何の役割も果たさず、自信を涵養することはない。経済開発を民族のトータル生活あるいは文化という舞台の上で眺めるべきだとかれは主張した。
(三)、精神革命は国民教育システムの改変を根本的・トータル的・段階的に要求する。1945年憲法の前文に盛り込まれているように教育は、国家目標達成の遠心力運動におけるヒューマンエンジニアリングの中心点として筆頭の位置に置かれなければならない。国は教育予算を中央政府予算と地方政府予算の中で最低20%の配分にしなければならないと定めた憲法に則したものにしなければならないのである。
精神革命のプラットフォームを用いることで、政府は従来の政策を継続させるのでなく、ユスフ・カラ氏が熱心に弁護している国家試験構想にはじまる満身創痍の教育政策を見直すようになる。さらには期待されている精神革命構想との間にその本質の筋が通らず、それどころか反生産的であるという理由で、政府は将来、競争力、人格教育パーセンテージ、大学リサーチ省、などといった一見かっこよく見える諸構想を安直にプラットフォームに置かなくなるだろう。
(四)、経験則に従うなら、世界の諸民族発展の歴史は往々にして科学・思想・文化などの革命という姿を示す精神革命でそのスタートが切られている。たとえば、日本民族発展のスタートラインは教育を通して封建主義メンタリティをモダン化へと導いた明治維新だったし、隣国マレーシアではマハティール・モハマッド時代の有名な新経済政策という新しいポジティブな経済政策を伴って1971年から始められた新ムラユ運動にある。「最も重要で困難なチャレンジは文化面にある。経済政策や新しいチャンスが用意されても、特定の新しい価値観を育んで行かなければ、その変革は実現しないだろう。・・・意識のモダン化が経済のモダン化の前提条件なのである。」マハティールは1999年にそう語っている。
< 意識を最初に >
人間性をトータル的に代表するものでないにしても、人間のメンタリティの中で合理性がホモサピエンスであるわれわれのクオリティに影響をもたらす核心部分であるように思える。そうであるなら、効果的な精神革命のためにわれわれはまず意識変革から始めなければならない。
(1)自由独立の精神を打ち立てること。独立という形而下の革命は69年前に宣言されたが、劣等感・無責任・腐敗精神といった性質や行為を出現させている植民地時代の痕跡はわれわれのメンタリティに濃く残されている。中でもわが国の汚職の激しさは、政府と国家をコロニアリストと見なす結果、国庫を蝕むことへの罪悪感を生むどころかそれを英雄的行為視する意識が作り出しているものだ。
そのために、あらゆる分野の国民教育システムは、思考力・自立性・帰属意識・責任感の強化とともに植民地被支配者ファンタジーを消去する独立化の推進としてデザインされなければならない。われわれがこれまで行われていたことをただ継続するだけであるなら、意識の変革は起こらないにちがいない。
(2)封建精神から脱皮すること。封建主義とは、距離を置き、独裁的で尊敬を要求するというような支配者の振舞いを単に指しているのでなく、インドネシア人の性格にもあるもの(モフタル・ルビス、1977年)で、いつまでも維持されているために進歩を阻害しているものだ。昨今のわが国指導界諸階層の封建主義現象は一層強まっているように見える。「国民や部下たちの対応が指導者をして封建的に振舞わせているため、現在の指導者の多くは封建的性質を持っている。」(BJハビビ、2012年12月5日、インドネシアムスリム知識人同盟第5回全国総会開会スピーチ)
政治行政分野の封建主義は指導性を矮小化させ、封建的な官僚制度を生んだ。教育分野では思考力を弱めて愚昧精神を生み、経済・社会・文化の分野ではプライモーディアルな諸価値観を基盤にする依存と差別を永続化させた。
社会の封建制を断ち切るさまざまな民主化の努力が行われなければならない。たとえば、手本を示し、あるいは批判的な思考力を活用するといった方法で。現代のリーダーたちはRMスワルディ・スルヤニンラを見習ってほしい。かれは40歳のときラデンマスという貴族の称号を捨ててキ・ハジャル・デワンタラと名前を変えた。民衆ともっと接近したいというのがその理由だった。民衆に近い位置で民衆の声を聞くリーダーシップは、封建主義を公式に捨て去る方法でしか実行できない。
(3)労働観を変えること。業績を各コミュニティ構成員の信奉する評価システムにしなければならない。世界に人間が出現したのは、動物や植物のようにただ生きて周辺環境に適応することが目的だったのではなく、自己の必要性と尊厳にしたがって環境を変革するためだった。だから人間は労働し、また創造しなければならないのである。人間の尊さと高貴さは生きることに対して有益な業績の中に置かれている。政治主権・経済自立・社会文化的個性に関する健全な思考に導かれたハードワークだけがそれを実現させる。
(4)宗教思想の再方向付け。宗教思想が昔からわれわれの社会行動と姿勢に強い影響を与えてきたことは否定できない。多様性は、ヒューマニズムおよび生きることに円滑化と尊重をもたらす生産的ビヘイビアに対して推進力と方向付けを与えてしかるべきである。ところが現実に宗教は往々にして、現世への不徹底な姿勢・運命論・儀式優先といった姿勢を生む終末論や超越論関連の理解にとどまってきた。宗教の本質と機能に関する吊り合いの取れた理解の欠如が、不安とコンフリクトそしてヒューマニズムと環境への脅威の源泉に宗教を陥れてきたのだ。
精神革命はいまだ終わりの来ないわれわれの革命を仕上げるものになる。それは真剣さと深い総合的な思考を必要とする。ただのイメージ構築でしかないのであれば、われわれは歴史の物笑いになるだろう。
ライター: パラマディナ大学教育改革学院専務理事、全国教員組合執行部R&D役員、モハンマッ・アブドゥゼン
ソース: 2014年6月23日付けコンパス紙 "Revolusi Mental, Mulai dari Mana"


「わが祖国、革命するインドネシア」(2014年8月27〜29日)
独立宣言祝賀中の現在のわれわれにとってまず第一に、この一文は迷いを表明するものである。弱体化に向かう迷いでなく、疑問を呈するための批判的な意志にわれわれを導く迷いだ。その疑問はわれわれ自身に対するものでなく、これまでわれわれが祖国に対して行ってきたことへの疑問だ。
パワーをかけエネルギーを使い果たしてきたわれわれの集合的行為は意義があったのだろうか?われわれの艱難辛苦は、祖国を安定した存在にさせたり、同胞への奉仕を生み出したりしてきたのだろうか?それともわれわれはこれまで、単にわれわれを運動への衝動に駆り立てていた流れに追随して自転し、汗を流すことを目的にし、絶えざるマラソンを走り続け、最終的に深い谷底に至るようなことをして自己満足していたにすぎないのだろうか?
祖国を「血を注ぐ地」とわれわれが表現するのは、この地球上のあちこちに暮らしているひとびとと大いに異なっている。かれらは「パトリー」(フランス)、「ハイマット」(ドイツ)、「ムデランド」(オランダ)、「ファーザーランド」(アングロサクソン一般)などと祖国あるいは母国を呼ぶ。インドネシアの民衆は「土水」と呼び、1928年10月の青年の誓いでその呼称が公認された。その呼称を作り上げたのがだれなのか、われわれは知らない。これは博士論文作成へのチャレンジングな学術素材だ。その発端が誰であったにせよ、その者は実に天才的だった。ひとつの民族国家としてわれわれが住んでいるこの国土の天然の地形を、その言葉は的確に言い表している。この国は大小17,840の島々から成る陸地(訳注:2010年に13,466と訂正)と、国際社会から認められている領土の75.3%を占める590万平方キロメートルの海洋から成っている島嶼国家なのである。
世界最大の島嶼国家としてわれわれの「土水」であるインドネシアの地理的ポジションは地球的な海流循環パターンに重要な役割を担っている。多島海のアクティブな自然、太平洋とインド洋の相関性、モンスーン気候などが領土内の多様な海洋生態系の形成に大きい影響をもたらしている。
< 革命のインドネシア >
3億6千1百万平方キロメートルと見積もられている世界の海は水面上に出ている陸地の18倍の広さを持ち、今や第六の大陸と綽名されている。そこには、これまで人類が知っていたものよりはるかに大きな資源が眠っていると言われている。海水自身が含んでいるものに加えて、海底表面にも、また海底の土中にも潤沢に存在しているのだ。われわれの国土が有する590万平方キロの海は、第六の大陸である世界の海洋の中でわれわれが主権を握っている部分なのである。
海水1平方キロごとに必須基本要素である酸素と水素が得られるのとは別に、3千5百万トンの塩、ブロミウム6万6千トン、リチウム2百トン、イオディウム50トン、そしてチタニウム・ウラニウム・銀・金が1トン含まれている。海底表面にはマンガン(30〜50%)、鉄(15%)、ニッケル(1〜3%)、銅・コバルト・チタニウム・ヴァナディウムが少量、ジャガイモのような塊で転がっている。南太平洋の海底だけで、そのような塊が2千億トン転がっているのは周知のことになっており、またその他硫黄素材も別にある。海底の下に石油があることは、オフショー採掘が実際に行われていることが証明している。
われわれが有しているそれら天然資源のデータは1973年からわたしが紹介しているものだが、政府も知識層もインドネシア開発努力の中にそのアイデアを持ち込むことは一度もなかった。国家開発は独立国家の中味を満たすためであるということが常に言われてきたが、1945年にユニークな形で祖国独立が実現したというのに、その賜物である資源のことが忘れ去られている。天然資源の開発は独特の開発コンセプトが必要とされており、テクノクラート式のユニバーサルな経済開発メニューと同列に論じることができない。
後にNKRI(インドネシア共和国統一国家)と呼ばれるようになるわれわれの祖国は、ひとつの革命によってできあがった。オランダ植民地主義の手から国民の自由を取り戻したその革命をわれわれは誇りとする。フランスの民衆もかれらの革命を誇りにしている。その革命の最中にフランスは自由な民族国家になった。革命の目的は王制から民主主義制に政治システムを転換することだった。
アメリカ合衆国の民衆も革命を誇りにしている。その革命を主導したのは、土着の民でなく、イギリスその他のヨーロッパ諸国から移住した移民たちの第二世代だった。かれらは大西洋の荒波を怖れず、かれらが旧大陸と呼んだヨーロッパの母国では得ることができない幸福を新大陸に求めた。その欲求に従って移住したかれらは、自分たちが得た希望の新大陸から去ることを拒み、失望があれば更なるハードワークを続けてアメリカンドリームを実現させようと追い求めたのである。
インドネシアの独立革命が始まる前、祖国にはさまざまな種族がいた。かれらは野生人の集団でなく、かなり文明化しており、共同生活の安寧のためにかれら自身が構成した慣習法が示すごとく、人間の尊厳に目覚めていた。伝統的な生活体系の中でかれらは十分に幸福が得られていたから、それら諸種族にエクソダスが起こったことなどなく、そのようなことがインドネシア独立革命の引き金になったわけではない。そしてかれらは独立国家に加わって、自らをより偉大で開けた種族にすることを拒まなかった。そうすることによって、かれらはこのインドネシア民族の長老となったのである。だから、インドネシアという単一民族の歴史があるのでなく、そこには複数の歴史が流れているのだ。
< 文化アプローチへの移行 >
そこにある意味合いとして、もし国家独立の中味を満たすためと言われている開発が国民ひとりひとりを幸福にしないものであるなら、国民はまた昔の種族集団に逆戻りする方向に向かうだろう。もし不満がその種族全般を覆うなら、かれらはNKRIから分裂していくことになりかねない。その傾向は既に出現しているというのに、かれらに不満をもたらした開発方式を修正するのでなく、軍事的手法での抑圧が行われただけだった。内戦はそのようにして起こる。「誤った理由がトリガーとなり、誤った場所で、本当の敵でない者に対し、間違った戦争が繰り広げられる」
中央政府は常に勝つが、地方に、あるいは種族に、傷や怨恨を残す。それは父から子に、子から孫にと囁き伝えられていく。
不満をもたらしているのは、GNP・GDP・一人当たり国民所得などの所得関連術語に経済発展を集約してしまった国家開発政策なのだ。目指しているのは物質的価値の増加であり、人間の価値を高めることではない。開発が経済開発と同義語にされているため、「簡潔で純粋」という経済学原理が基本に置かれるのも当然だ。マーケットビヘイビアにばかり神経が行き届き、人間のビヘイビアとその活動空間である社会というものは軽視されている。
われわれはコンセプトを経済開発から文化的アプローチを伴う国家開発に変更させなければならないのだ。コンセプトとは特定の思考構造にもとづいて形成されるイメージのことだ。このイメージはかつて独立革命期にブンハッタが頻?に表明したものと照応する。つまり「(独立というもので)われわれはひとりひとりが幸福になる世界を打ち立てたいのだ」という言葉に。
幸福というものの計り方についてのわたしの考えでは、海洋民族国家の独立の中味を満たすために構成される開発推進を通して「to have more」と「to be more」が同時に起こるのである。「to be more」とはより人間らしく待遇されることを意味しており、種族と構成員の尊厳を尊重することに通じる。だからこの国家開発では、「to have more」が収入に関わるものとして用いられるのでなく、人間が暮らしている地上の社会空間に関するものとして使われるのだ。
文化的アプローチが選択されるのは、文化について話すとき、われわれは価値体系に焦点を当てるのが常であり、つまりは人間についての話をするからなのだ。人間が国家建設における最初にして最大のターゲットなのである。われわれの生来の人間性がユニバーサルだということでなく、文化の実体を作り出した上でそれに合致したビヘイビアを行なうわれわれの能力がユニバーサルな位置付けを得るのである。
インドネシア独特のこの開発コンセプトは明らかに開発学習における帰結を有している。これまでその学習は、理性を踏まえた正確な仮定の説明を伴わない経済開発理論の講義として行われてきた。今、その講義は、インドや中国や他の先進諸国のどこでもない、インドネシアで実践されるべくパターン化された独特の開発コンセプトと合体されるべきだ。その講義は経済開発理論を教える教官や同じレベルの教官が実施することができる。
理論上の手引きを求めることと現実活動を成功させるための拠りどころを得ようとすることの間に相矛盾する本質が存在する。現実問題として、理論とは教育と思考の問題なのであり、実践とは異なる問題だ。ところが、祖国の開発を成功させるためには、学生たちを信頼できる遂行者にしなければならない。
開発経済講義で学生に与えられる副読本は「数学」かもしれないが、文化的アプローチを伴う国家開発講義の中では、この共和国の主権者だと言われている民衆の貧困・欠乏・悲惨・困窮などを描いた小説・短編小説・論文・モノグラフなどが副読本として与えられることになるだろう。
ライター: フランス、パリ第一大学卒業生; ダウッ・ユスフ
ソース: 2014年8月15日付けコンパス紙 "Indonesia Tanah Airku"


「国難の包囲下に始まる新政府」(2014年9月3・4日)
インドネシアには、まだまだ社会騒乱のタネが尽きない。ISISが中東で勢力を築いたために、インドネシアのテロリスト界がその力を利用して自分たちの目的実現をはかることを視野に入れていることは十二分に推測されている。今現在ISISの状況は決して楽観視できないものがあり、もしも既に築き上げた現勢力がその地で崩壊するようなことがあれば、かれらは生き延びるために入り込みやすい諸国に潜入するはずであり、潜入した先の国でチャンスを見つければ、その国を乗っ取ることに憚るはずがない。既にISIS支援のために中東に出向いているテロリストたちがかれらを祖国に招致して戦力を整えれば、インドネシアで火ぶたが切られる可能性がないとは誰にも言えない。
政府や地方自治体とイスラム宗教団体上部機構は既にISISを非合法化しているというのに、草の根庶民の間にISISシンパは増加しており、その勢いはとどまる気配がない。ジャカルタにいる信念を持つISISシンパが数百人にのぼっていることを国家諜報筋は報告している。
次いで大統領選の結末が敵対意欲と憎しみの火を燃やしたまま小康状態に入った勝者と敗者の関係からは、このまま単純に国会議事堂内の政治ゲームという闘争の場に移るだけでは終わらない懸念が感じられる。中でもプラボウォ勢が最終日に憲法裁判所前での突撃行動で鉄条網を乗り越えるために持ち出してきた軍事用車両ウニモグにまつわる状況を見るかぎり、そのオーナーは国軍でなく民間人であり、その車両をわざわざ世間に示して見せたのは、自らの戦力の一部をちらつかせる示威行動であったことを想像させるものだ。この次は戦車でも持ち出してくるのだろうか?
政治の場における権力闘争をバックアップするために社会騒擾を起こして相手を難しい立場に追い込んで行こうとする仁義なき闘いはインドネシアで大昔からの慣例になっている。そのようなことが行われるたびに犠牲になるのは一般大衆だった。オルバ期に上部構造の真っ只中にいたかれにとって、さまざまな手口を駆使するのは容易であり、新大統領の政治生命に大打撃を与えるためには、社会に大打撃を与えるのがもっとも効果的であることをかれが知らないはずはないだろう。
続いて懸念されるのは、民間団体間の衝突、住民間タウラン、学生生徒のタウラン、さらにナルコバと呼ばれる麻薬違法薬物の蔓延とその製造流通機構の隆盛があげられる。大昔から連綿と続けられてきた人間集団間の衝突は、文明国におけるルールのあるゲームでなく、刃物・飛び道具・銃器を持ち出しての殺し合いの様相を呈するのが常で、相手を殺さなければ自分が殺されるのだから、全員が必死の態勢に入るのが当たり前だ。それらは主義主張の違いが置き去りにされ、大昔から続けられてきた殺し合いの犠牲者の遺族隣人が怨恨と憎悪を発散させるための場と化しているから、些細なことがいつでも煽動のタネになる。そのプリミティブな精神性にナルコバがからんでおり、金のためには何でもするナルコバで儲けたい連中が上のような社会騒擾の一翼を担っていることは周知の事実となっている。
そして、窃盗・強盗・引ったくり・恐喝その他の犯罪多発があり、現行犯人に対する世間からのリンチ行動がある。リンチ行動は時に百人近い人数まで拡大する大規模な騒乱に至ることがあり、血気盛んな青年壮年の男たちが暴力を振るう場を得て暴れまくるのだから、社会的な騒乱のひとつであることは間違いがない。首都警察長官によれば、2014年の犯罪件数は2013年から3%上昇しているとのこと。年初から始まっている国会地方議会総選挙から大統領選挙そして憲法裁判所での大統領選挙結果拒否告訴時のデモなど一連の国事に対する治安取締りで首都警察の戦力が分散されていることが2014年の犯罪増加の一因になっている可能性を、長官自身が示唆している。増加傾向が顕著なのは、ナルコバ犯罪と路上犯罪だ。
そしてつい先月後半に起こったような、補助金付きプレミウムガソリンの支給カットで都内あちこちのガソリンスタンドに給油を求める車両が一大ラッシュを起こした事件。これから年末に向けて、同じことが繰り返される懸念は大きい。政府の補助金予算支出オーバーを国会は認めないと言って締め付け、政府はプルタミナを締め付け、プルタミナが割当量に達したプレミウムガソリンの市中への供給を止めたとたんに社会騒擾が起こる。そこに扇動者が煙をあげ、掛け声のひとつでもかければ、何が起こるかは想像にあまりある。オルバ期に世の中のガス抜きと称して政治支配階層が行っていたのがそれなのである。最初の一二日は大暴動を放置して好き勝手に暴れさせる。暴動が山を越えたと見たとたん、軍と警察の機動部隊がデモ隊や暴徒の群れに打ちかかって行くのだ。こうして、その種の社会騒乱の波間に見え隠れしていた反政府活動家が一網打尽にされて鉄格子の裏に放り込まれていった。そのように容易に煽動されてアムックに陥るインドネシア人に人間性可燃物という代名詞が与えられていたことは周知の事実だ。国民が体質の中に持っている本質的な部分がレフォルマシという政治体制の変化に従って変質したとは誰も信じていないだろう。ISISを担ぐテロリストに呼応して中東のISIS戦線に身を投じようとする青年ムスリム層が後を絶たない事実にも同じ体質のにおいを嗅ぐことができる。
また忘れてならない社会騒乱要因のひとつに、毎年恒例の、翌年の最低賃金決定プログラムが控えている。インドネシアは低賃金国家から脱するのだというお題目を胸を張って唱えて政治意志をからめた大幅な最低賃金上昇が行われ、その高い上昇率は政府がなす術を持たない物価の上昇で骨抜きにされ、結果的に労働者は福祉向上など実感できず、大幅賃金上昇の尻は雇用者である産業界が引っかぶり、結果的に雇用停滞が起こってしまったという愚かな結末に至った。その愚行が残したものは、激しさを増す生活苦に加えて雇用機会まで狭められてしまった労働者たちが抱く政治と社会への不公正感情の増殖だ。ありきたりの一労働者が、自分の家族生活の福祉向上のために自分の手で何が行えるかということを考えたとき、世の中へという外向き方向での選択肢の筆頭にあがるのが最低賃金アップへの意思表示ではないかという気がわたしにはする。ならば、かつて実現した既成事実である大幅賃金アップを毎年繰り返せ、という要求がかれらの間で起こることは容易に想像がつく。労働者デモは大規模な大衆行動であり、人間性可燃物が大量に集まれば、何らかの火花が散ったときに火の海と化すのに困難はない。
そのような騒乱のタネをたくみな戦略で組み上げる司令官と現場で戦術展開を巧みに行える多数の指揮官に支えられたなら、この国を乗っ取るために誰が何を行えるだろうかと考えたとき、悲観思考が脳裏を渦巻くのはわたしだけではあるまい。そして来る10月には、新政府が誕生して新たな政治体制の構築を開始する。新しいものごとが始まるときほど、統治秩序の足場が不安定な時期はない。首都警察・国家警察そして国家諜報庁などの諜報部門や諜報機関に言わせれば、そんなことは先刻承知のことだ、と言うに違いあるまい。実際にも、それらの要素を視野に入れた上で警戒を強めているのは事実だ。加えて、事件発生もないのに弱音を吐く人間がいるはずもない。この険しい事態が杞憂のまま通り過ぎていくことを願うのは、わたしだけではあるまい。


「インドネシア社会は変質するか?」(2014年10月2日)
世界の歴史を眺めるなら、ミドルクラスの勃興は社会のあり方を変革し、あるときは政治体制に革命をもたらすような力を発揮したことも稀でない。ここ数年間にミドルクラスが急激に膨張してきたことで、インドネシア社会にどのような変革がもたらされるのだろうか?社会学者ヘニー・ワルシラ氏がインドネシア科学院教授昇格論文発表の場でそのテーマを取り上げた。「オルバ期からレフォルマシ期へのジャカルタ市民社会の変身」というのがそのタイトル。
オルバ期に国から抑圧されていたミドルクラスは、レフォルマシ期に入って自由を獲得した。その結果、かれらはより高い教育を受け、貧困や水害などの社会問題に対する感受性も高まった。このミドルクラス層がインドネシアの政治社会分野にある未解決問題を指摘する声になっており、また政府と下層国民間の関係を仲介する役割を担っている。かれらは巨大な政治パワーに変身し、政治に変革をもたらす影響力をも身に着けている。ところが、そんな批判精神が後退しかねない危険が存在しているのだ、と教授は語る。
経済効率を優先するために住居とオフィスと商業施設を奢侈なビルの中に合体させたスーパーブロックが続々とジャカルタに出現するようになったことで、都市社会に変革をもたらすべきミドルクラスが機能不全を起こす可能性が高まっていることを教授は指摘した。スーパーブロックは諸階層市民が集まって人格的接触を行う場としての要素が希薄なエリアだ。アパートメントやモールはミドルから上の階層が利用する場所であり、下層庶民をそこで探すのは困難である。そこに流れているのは個人主義と経済パワーであり、諸階層の人間との対人接触への感性が失われたらミドルクラスが持つべき社会機能は不十分なものになってしまう。その弱点を補うためには、スーパーブロック住民と周辺エリア住民のコンタクトの場を別途設けなければならなくなる。
それがうまく行われているのがクマヨラン空港跡地ニュータウンだ。444Haのニュータウンにはアパートメント、低所得層向け積層住宅、モールなどがあり、さまざまな種族と経済階層のひとびとが緑地や公園あるいはスポーツ施設や病院などの公共スペースで交じり合って生活している。
スーパーブロックに居住するミドルクラスは、あえてそのような意識を持ってブロック周辺エリア住民との交際の場を作っていかなければ、ジャカルタという都市社会に変革の風は吹いてこなくなるのだという警鐘を教授は鳴らした。それに関連してガジャマダ大学社会学者は、社会的な連帯意識が低下すれば、国民のナショナリズムも後退してしまう、と語る。「社会で他人と感情の交流が起こることが連帯意識を盛り上げる。それはつまらないことであるように見えるが、他人との協働協力の場で力を発揮させるためのメンタリティの強弱をそれが決める。同じ共同体に暮らす人間同士を経済・保健・教育・治安の向上と社会の繁栄のために手を携えるよう仕向けるための鍵がそこにある。
インドネシアのミドルクラス層の中に、オルバ思想の残滓を抱えている者がいる。経済的向上と生活の快楽を最重点事項にしている者たちだ。かれらは平等や対等、共通の繁栄といった美点を二の次にしている。インドネシア社会は依然として、成功者になることを人生の目標に掲げ、そのために努力するという思想を強く持っている。」
社会意識の弱いミドルクラスが自分の成功だけを求めて日々の暮らしをスーパーブロック内で行うなら、ミドルクラスとしての社会変革の力は微々たるものになるだろう。インドネシア社会は果たしてより社会的な豊かさを持つ方向に変質していくのだろうか?


「69歳のインドネシア共和国」(2014年10月13〜15日)
ライター: ナフダトウルウラマ青年知識人、ラティファムバロキヤ・イスラム教学院シャリア学部長、アセップ・サラフディン
ソース: 2014年8月30日付けコンパス紙 "Setelah 69 Tahun"
植民地主義者の鎖を解き放った主権国家の民として、今年、われわれは69歳になった。その間に、われわれの国家生活をもっと成熟させるべきたくさんの民族的できごとが起こった。権力者は入れ替わり立ち代り、浮いて沈んだ。その登場は新たな希望を沸き立たせるため、喝采で迎えられたが、その終末は権限から逸脱して呪いの言葉を浴びせかけられた。
独立運動家たちが産み落としたオルラ期は、特にブンカルノの直接コントロール下にあったというのに、大混乱の中で打ち滅ぼされた。最初から終わりのない革命の夢を追い求め続け、同時に国民に福祉を分配することを失念し、ユートピアと政治レトリックが横溢しすぎていたと見なされたためだ。
オルバレジームは最初、華やかに迎えられた。スハルトはスカルノのアンチテーゼと見られた。ソフトで穏やかで、火を吐くような演説などから無縁であり、特徴あるスマイルは穏やかな人生を誘っているかのように国民を魅了した。ところが歴史はそう記録していない。福祉国家を実現させる代わりに、ゴルカルを専制政治マシーンにして自分が率いるこの島嶼国家をファミリーとクロニーのための遺産の受け皿に変えたのだ。かれの手に置かれたゴルカルは、フリードリッヒ・ニーチェの言葉を借りるなら、もっとも身の毛のよだつモンスターよりも冷たいものだった。異分子は切り捨てられ、国家思想は支配欲に即した解釈で独占された。
多くの犠牲者を生んだ政治暴動の中で、オルバはレフォルマシの手によって悲劇的な最期を迎え、32年間という長期支配が崩壊した。最初はアジアの新パワーとまで誇られた経済も、ただの眉唾に成り下がってしまった。
レフォルマシ体制は言うまでもなく、それまで行われていたすべての悪行に対するイデオロギー的遮断が最初のスローガンだった。ハビビ、グスドゥル、メガワティ、SBYは社会・政治・経済におけるもつれを解きほぐしていく役割を担わされたひとびとだ。忘れてならないレフォルマシの功績のひとつは、かつて想像もしえなかったような自由の到来だ。わが民族の日常政治生活の一部になっている自由さを除いて、歴代政府の有意義な業績などほとんどないに等しい。われわれは、ある極限から一転して別の極限に飛び移っているようなものだ。今、主権のトップに置かれているのは、昔の話を少し色替えして再生しているように、経済や文化でなく政治が指揮官になっているということである。
< 指揮官政治 >
政治はハビタットを見出した。エリート層だけでなく一般大衆までもが、テレビや、中でもソーシャルメディアで政治をつつき回すのを避けることはできない。聴衆だけでなく情報元すらほとんど理解できないようなきわめて学術的な対話から、エンターテイメントの包装に包まれ、あるいは中傷や怒りをあおるようなレベルに至るまで、政治は公共空間に撒き散らされている。
一番間近な2014年大統領選挙の場面では、政治はバラータユダ戦争上演と大差ない形でその姿を示した。全国民の前に投げ出された諸イシューのリストは、既に埋葬されていてしかるべきものごとに満ちあふれている。宗教感情や肉体的侮蔑そしてブラックキャンペーンにつながるあらゆることがらだ。アートとして登場するべき政治が実際には健全な知性を薄っぺらなものにしてしまい、悪臭を放つけがらわしい排泄物の姿を採って、味わうことの不可能なものになってしまった。
おまけに政治は地方自治のメカニズムの中で、地方首長に古代王国の支配者メンタリティをもたらした。領主さながらに、地方自治体予算は国家予算と同じように、ファミリーイズム精神で取扱われた。共和国独立69年の歴史の中に、鉄格子に収容されることになった何百人もの地方首長・政党党首・閣僚らの名前が記されている。昔の独立運動家たちは政治を、財や生命を賭けて植民地主義のくびきから民族を早急に解放させる策略であると意味づけたが、今や自らをエリート層と称するひとびとは政治を、汚職撲滅コミッションの摘発に対して身体を張りながらレントシーキングを行なうためのツールに作り変えている。
かつて、スカルノ、ハッタ、タン・マラカ、シャフリル、スポモ、ワヒッ・ハシム、ナツィルその他の面々が高い理性と強い知性を持って議事堂に集まり、啓発的な議論を展開した。今、スナヤンのその建物に入るための元手は、知名度と資金だけでよい。だからビジョンのある法律が作り出されるのでなく、そこは利害を取引する場と化しているのだ。立法界は狭く短期的な自分たちの利益に奉仕する条文を作り出すことに終始している。頭の中身よりも外見をはるかに重視するひとびとが賢明な議論を行なうなんて、まったく期待しえないことだ。かれらが政治衣装の下に超自然で神秘的な信念を基準として抱えているかぎり、かれらにシステマチックで論理的合理的な思考をいろいろ求めても無駄なのである。
< 宗教大市場 >
独立69年の間に、インドネシアの宗教観念に、それを後退と呼ばないのであれば、たいした変化が起こらなかったのは、実に悲しむべきことだ。レフォルマシ以来、民族イデオロギーとして宗教を奨める議論が活発化した。強硬派で原理主義的排他的な宗教輸入者たちはその動きを強めている。大半が中東をそのアイデンティティとしている宗教輸入者たちはインドネシア民族の社会状況が今不安定になっていることを熟知しているからだ。弱いリーダーシップ、厳格さに欠ける国の姿勢、西洋からであろうが砂漠からであろうが外来の事物にすぐ魅了される国民性。
何世紀にもわたってヌサンタラに住むひとびとの精神生活の中に実践されてきた、祖先から受け継いだ遺産である文化・種族・宗教面でのバラエティを高く評価する寛容な姿勢は、今、深刻な脅威にさらされている。民族建設の父たちが闘い取った統一インドネシア共和国はその自民族の子たち、中世のカリフ帝国の栄光に染められたファンタジーに魅了され、太古の神の王国神話から掘り起こされたおとぎ話あふれる国家に捧げる人生を奨励する宗教的排他主義運動に心酔する者たちがもたらす攻撃の矢面に立たされている。
69歳の年齢を重ねたこの国は、自らの文明を見出していてよいはずだ。われわれは期待する。新政権の中で権力者たちは重要でないものごとに没頭することをせず、健全なる国家生活の道を邁進する姿勢を明らかにすることを。民族生活をホモホミニルプスのジャングルと同じものにしている根源である、牛取引政治、なれあいの予算分配、ハジ巡礼資金の着服、そして幾百万ものイメージ大安売りはもうやめなければならない。全国民もひとつひとつの違背行為に社会制裁を与えなければならないのだ。権力の本質をもてあそぶ代議士や行政者に次の選挙で投票するのはハラムだというファトワを出すのだ。
国は全国民のための巨大な傘、快適な暮らしと多様性をもって成育することを保証するテント、にならなければならない。そして同時に、統一国家をつまずかせる障害となる政治的宗教的な脅威を見出したときには厳格に対応しなければならないのである。


「エゴ優先社会の世相」(2014年10月20・21日) インドネシアでトラックが過剰な積荷を積んで走っているのは日常茶飯事。それを取締るために街道にいくつも重量検問所が設けられていて、システムは作られているのだが、それを運用する人間が私利のためにそういうシステムを歪曲して使うというのも、インドネシアで日常茶飯事。結局、法規もシステムも完備されているのに、金でそれが捻じ曲げられて社会秩序が足蹴にされているというのがインドネシアの姿だ。
トラックが法規の基準内で通行することを前提にして道路舗装がなされているから、それより大きな荷重をほとんどのトラックがそこにかければ道路が破損するのは当たり前であり、インドネシアの一級街道は穴ぼこだらけという姿を呈す。行政が道路補修をしないのでなく、国民が道路を壊しており、行政の年次予算で対応しきれないというのがその姿の原因なのである。
一部国民が私利のために法規を破り、そのために起こる税金の使用を他の国民が負担しているという公観念の欠如を批判する声がないわけではないが、これまでの国家行政は国民がバラバラに持っているエゴを叩き直さないまま今日に至っている。宗教社会内での公観念は比較的投影されているように見えるのだが、国家生活での公観念が消滅してしまうというありさまはインドネシアが抱える根本的な弱点なのだろう。
街道は親方紅白の領分だが、自動車専用道は一企業の領分であり、道路利用者が道路を壊すことを企業が黙って見ていられるわけがない。首都圏の自動車専用道運営会社が集まって、違法トラック取締りを行うことを合意した。法定の車軸最大荷重10トンを超えて過剰な積荷を運んでいるトラックを取締って罰金を科そうというのがその対策だ。荷重違反トラックは道路破壊の原因であるのみならず、タイヤのパンク、車軸の折れ、エンジン破損などで動けなくなり、交通の流れを阻害する邪魔者に化すばかりか、重すぎるためにスピードが出せず、最低速度をはるかに下回るノロノロ運転をして交通の流れを低下させる。
ウィヨトウィヨノ自動車専用道管理会社PTチトラマルガヌサパラプルサダが9月4・9・11日に行った通行車両81台の重量チェックで69%の違反が発見され、違反車両のほとんど全部が貨物運送車両だった。タングラン〜ムラッ自動車専用道管理会社PTマルガマンダラサクティがチレゴンバラッ料金所で行なった33,350台に対する重量チェックでは、違反車両が48%あり、そのほとんどがトラックだった。チェック場所には2014年初めからセンサーが取り付けられており、重量チェックはウエイトインモーション方式で行なわれた。ジャカルタ外環状自動車道管理会社PTジャカルタリンカルバラッサトゥがクブンジュルッ〜プンジャリガン区間で行なった通行車両109台のチェックレポートでも違反貨物車が24%あったことを示している。
自動車専用道管理会社はもう何ヶ月も貨物運搬車両に対する荷重違反の警告キャンペーンを行ない、横断幕を張って運転手に法規を守るよう呼びかけてきた。ロジスティック業界、貨物発送業界、商工会議所などへの説明会を開き、貨物運送に関わっているひとびとへの社会告知はなされている。そしていよいよ、違反車両を捕らえて罰金を科す活動に突入することになった。インドネシア自動車専用道協会会長は、「他の自動車道利用者に対するサービス向上のために、この取締りは行われなければならない」と貨物運送関係者に表明している。
もちろん、この荷重違反は交通違反なので、それを取締るのは警察の役目になる。首都警察ハイウエイパトロールユニットは2014年9月22日に行なった取締り活動の中で、荷重違反車両15台に違反切符を切り、交通違反罰金上限50万ルピアの支払いを命じたと報告している。
ところが、法執行に従順に応じるトラック運転手たちではなかったのだ。法規を破ってもそのときに処罰されず、そういう違反が何年も野放しにされると、それを既得権だと考えるのがインドネシアの庶民意識だ。公有地に無断で侵入して住み着き、そこにスラム街が出来上がるのはインドネシアの都市部に見られる普通の光景であり、何十年も経過して順法的社会にしたいと考える首長がスラム街の撤去を命じると、住民たちは違法居住を棚に上げて下層庶民の生活を踏みにじる圧政暴政だと一斉に非難と反発の雄叫びをあげる。自己中心性とエゴイスチックな主張がかれらの本領にちがいない。
トラック運転手たちも、この新たに起こった取締り方針を、自分たちの権利を踏みにじるものとして反発した。2014年10月15日17時ごろ、タングラン〜ムラッ自動車専用道のチレゴン料金所から入ってきた百台を超えるトラックが自動車道のど真ん中で停車するという報復デモを行なったのである。自動車道運営会社PTマルガマンダラサクティの法務広報部長はこの事件について、「かれらは自動車道に入ると前進しようとせずにその場に停車し、道路をふさいだ。」と状況を説明している。運転手たちは新たに始まった荷重違反取締り方針に抗議し、その方針を即時撤廃せよと要求したとのこと。その結果、およそ三時間にわたって自動車道に大渋滞が起こった。大渋滞はジャカルタ方面からの下り車線およびムラッ方面からの上り車線の両方で同じように起こったそうだ。
警察と自動車道運営会社は、そのデモに加わったトラックにマークをつけた上で自動車道から外に出すよう誘導し、この騒ぎは一応収まった。


「若い国は弱者に酷薄」(2014年10月29・30日)
国民に対する生活保障が弱いインドネシアで老後を送るひとびとは、概して悲惨な状況になっている。これまで国が老齢年金を与えていたのは、文民公務員や軍人警察など、国に雇われて働いていたひとびとだけであり、民間で働くひとびとは会社あるいは個人が加入する保険会社の保険しか頼るものがなかった。そういうものに頼らないひとは、親戚や子供あるいは孫といったファミリーイズムしか存在せず、幸福なファミリーばかりが世間にあるわけではないため、悲惨な老後に直面する老人がすくなからずいたというのが実態だ。確かにインドネシアでは、子供をたくさん持つことが老後の生活に対する保証と考えられていたし、老齢の両親の面倒を見ることを人間性の証であり、人間としての善行であるとする倫理観がいまだに大勢のひとびとの間で生きているのも事実である。
政府は今年から社会保証催行庁による国民社会保証制度の運営を開始したが、従来からの保証制度享受者は別にして、まず当面はフォーマルセクター就労者への誘致に力を注ぐのが当然であり、はるかに人口の大きいインフォーマルセクターは後回しになる宿命だ。
ヘルプエージインターナショナルが世界96カ国に対して行なった老齢者の生活快適度に関する評価番付で、インドネシアは71位に置かれた。世界のトップはノルウエーで、スエーデン・スイス・カナダ・ドイツ・オランダ・アイスランド・米国・日本・ニュージーランドというのがトップ10。最下位はアフガニスタンだった。今回の番付にあげられた96カ国の60歳超人口合計は、世界の9割を占めている由。
評価対象とされたのは収入の保証・保健サービス・教育と職業・サポート環境という四つのカテゴリーに大別された13のインデックスで、平均余命・年金・公共交通機関・貧困などの指標が考察されている。
インドネシアの評価できわめて特徴的だったのは、社会交際面のポイントが図抜けて高かったことで、平均値をはるかにオーバーして世界第8位になったこと。しかし保健サービスは低スコアで、平均余命も東南アジア域内では低く、収入の保証に関しては最悪だった。平均余命については、60歳を超えた際の余命は18年、健康な余命は14.3年、65歳を超えている老人で年金を得ているのは8%しかいない。ちなみに第一位のノルウエーを見ると、60歳を超えた国民の余命は24年あり、そのうちの健康な余命は17.4年で、65歳を超えた老人の年金取得比率は100パーセントになっている。
世界の大国である中国は番付の48位、ロシア65位、インド69位となっている。老人の生活保障が国家経済と相関性を持っていないことは、言うまでもないにちがいない。
60歳以上を老齢者と定義しているインドネシアのデモグラフィ予測によれば、2010年の老齢者人口1千8百万人は2030年に4千1百万人、2050年には8千万人に達すると見込まれている。現在老齢者の56%は女性で、人口の大半は村落部居住者で占められ、男性の8割は妻がいるが、夫がいる女性は3割しかいない。つまり女性の7割に身寄りや面倒を見てくれる人間がいなくなるリスクが高いことをそれは示している。その内容は社会省のデータが示している。老齢者の15%はファミリーや隣人から見捨てられており、衣食住が満たされておらず、定居する場所がないため転々としている。生活をひとに頼らず、自立して生活している老人は6割いて、残る25%は見捨てられるかどうかの瀬戸際にいるひとたちだ。
国民生活のさまざまな分野で、老齢者に対する経済的な支援は、限られた形態ではあるが、行なわれている。交通料金や行楽施設入場料金の老齢者割引、生涯KTP(住民証明書)交付、老齢者公園建設などがそれだ。政府から貧困老齢者への支援金支給も行なわれているが、まだまだ最低限のものでしかない。国の社会保障はこれからというところであり、当面の実効性は低い。
インドネシア文化を踏まえて、老人の居場所は家庭の中である点を重視し、ファミリーとそれを取巻く地域住民を通して行政が支援を与える形態がベストだという意見と、そういうクッションを置かない直接的な形態を進めようとする意見が分かれているところが、インドネシア的であると言えるだろう。家族主義から個人主義への移行が顕著になりつつあるインドネシアで、どちらのコンセプトが妥当であるのかが決まるのは、長い年月がかかりそうだ。


「伝統手織りソンケッに滅亡の危機」(2014年11月6日)
南スマトラ州パレンバンの伝統工芸品ソンケッ(songket)は金糸銀糸を使って織り上げる豪華な布だ。伝統工芸品という名にふさわしく、人間が長い日数をかけて丁寧に織り上げるために、市場でそれなりの価格で販売されているのだが、手織りソンケッが売れなくなった。品物が売れなくなれば、それを作っても収入にならず、食べていくためには他のことをして稼がなければならない。つまり、それは伝統工芸の保存と継承ができなくなることに他ならない。
手織りソンケッはパレンバンの市場で最低でも一枚60万ルピアの価格になっているが、そこに一枚20〜45万ルピアのソンケッが流れ込んできたのである。素人が一見しただけではわからないような、モチーフも作りもたいへんよく似ていて価格が廉いそれらの品物は機械織りで作られたもので、生産量が大きいために売値が大幅に廉くできる。それに加えて、パレンバンのオリジナルモチーフでなくタイのモチーフになっているタイ製ソンケッもパレンバン市場に流入しており、こちらも廉価な値付けがなされているため市場は廉価品で押せ押せ状態に陥っている。
市内のパサルでソンケッを商んでいる店主のひとりは、機械織りソンケッがパレンバンに入ってくるようになったのは二年前だと語る。「ところが最近になって機械織りの品物が激増し、消費者もそれを好んで買っているので、売れ行きは完全に手織りソンケッから移行している。」
ある店では、手織りソンケッは週に5枚程度売れるだけで、機械織りが30枚以上売れるのと大違いだと状況を話している。その店では、かつては手織りソンケッを週に数十枚販売し、ジャカルタにまで送り込んでいたが、ジャカルタにはもうまったく送ることがなくなったとのこと。一方、機械織りソンケッの仕入れは、ジャカルタでまとめ買いしているそうだ。ただし機械織り生産がどこで行われているのかについて、正確な情報が業界にも流れていない。インドで生産されたものだという噂もある。パレンバンの手織りソンケッ生産センターになっているダルモ地区リンバンジャヤ村の生産者は、過去三ヶ月で売上が4割減になったそうだ。ランプンや西ジャワのバンドンに納めていた品物も注文が途絶えてしまい、向こうでは手織りソンケッをやめて機械織りのものを扱うようになってしまったとの談。
ソンケッ生産者たちは、三ヶ月もかけて織り上げるソンケッが10〜20万ルピア程度でしか売れなくなった、とその状況の変化に顔をしかめている。地元伝統産業の保全を望むひとびとは、地元行政にその対応を期待している。


「人間は見た目が大切」(2014年11月20・21日)
今どき、薄汚いかっこうして汗くさい?人間はまず見た目を整えることが最重要。色鮮やかなファッションに身を包み、良い香りをふりまき、フケもニキビもさようならだ。TVのCMを見るなら、そういうライフスタイルを支えるためのありとあらゆる商品の宣伝が後から後から続出する。昨今とみに目につくのは、女性の腋の下のお手入れ用商品。真っ白いつるつるの腋の下に見とれる男たちの画像がその商品需要を作り出して行くようだ。
男にも女にも、自分が美しくカッコよい人間であることを社会に示したい欲求が満ち溢れている。そのためには、自分自身を飾るだけでなく、ダイエットやフィットネス、そして美容整形に至るまで、自分自身の身体構造にも手を加えることを怠ってはならないのだ。世の中では、何事によらずひとつのトレンドが生まれると、大勢の人間がその業界に参入してきて価格破壊が起こる。内容次第とはいえ、見かけはたいしてちがわないがクオリティは雲泥の差というような廉価商品やもどき品が雨後のたけのこのように出現し、購買力の低い者やクオリティ認識眼の劣る人間を上顧客にしていくことも起こるのである。美容整形の分野でとんでもない被害にあい、果ては生命を落とすような目に会った、泣くに泣けない消費者も存在しているというのに。
昨今の若者にとって、自分が美しい姿をしていることは、社会生活における必須条件になっているにちがいない。美しいというのは、言うまでもなく、清潔感や香りあるいはスマートさなど、単に造形面での美醜にとどまらない要素を含んでいる。白いすべすべした滑らかな肌もその一要素。その類の商品を買ってきて自宅で毎日身体のお手入れをするのも男女を問わない日課になっているし、さらには大枚はたいて美容院を訪れることも男女を問わない。
遠くは古代エジプト時代のクレオパトラの物語から、近くはジャワ王朝の姫君たちの日課に関する物語に至るまで、インドネシア人を取巻く常識の世界はかれらの肉体のお手入れを奨める知識にあふれている。ミルク風呂からはちみつ風呂、花びらに覆われたスパの水浴場まで、数え切れないほどある効能書き満点のトリートメント手法が、いまや世界中の人間をインドネシアに呼び集めているくらいだ。そういう環境の中にいるインドネシアの若者たちは、自分の身体が美しいことで社会生活における自信を構築していく。つまり、自分の一部に美しくない点があるという思いは、かれらの精神をいじけさせる原因になっているということのようだ。若者たちはまず髪の毛に焦点を当てる。続いて顔だ。顔が清潔で、シミやにきびのない滑らかで白い肌。それを求めて自宅で、あるいは美容院で、男も女もトリートメントを行なう。
美容院でヘアカットやクリームバス、あるいはフェィシャルを行なうために若者たちが支出する費用は毎月10万から50万ルピア。これにはもちろん地域特性があり、ジャカルタをはじめとする大都市のど真ん中にある美容院といった、技術力も信頼性も価格も高いところへの支出は概して大きいのだが、地方部の美容院の場合はせいぜいヘアカットくらいで、美容院でトリートメントを依頼する者はあまりいない。腕の良い美容師の移動の激しさがどうやら地方部における地域特性を作り出しているようにも思える。
だから地方部に住んでいる若者たちの多くは、たいてい市販商品を買ってきて自宅でそれにいそしむ傾向が高くなり、必然的に支出金額も小さくなる。地方部の大学に通うコス暮らしの女子大生のひとりは、ひと月の支出は3万ルピアくらいであり、自分が特に改善したい部分のトリートメントには天然の薬草や木の葉、あるいは野菜などといった素材を自ら加工して伝統的なジャムゥを作っているから、たいしてお金はかからない、と物語っている。
そこには、もちろん大きな個人差が出現する。金さえ出せば自分の生活環境のすぐ近くでいくらでもそういうサービスが得られるケースと、そうでないケースという地域較差がひとつのキーポイントであるのは言うまでもない。首都圏の自宅からインドネシア大学に通っている女子大生のひとりは、高校時代から美容医に通ってきたと語る。「わたし、昔からにきびがひどくて、おまけに顔の肌も色が一様じゃなかったの。だから、毎月手入れと治療のためのクリームに60万ルピア、そして美容医への支払いにもう20万ルピア、というのが毎月のお小遣いとは別の出費になっていました。おかげで状態がだいぶよくなってきたから、友人との交際にも自信がついてきてます。これからは、医薬品への依存を小さくするために天然素材を使ったジャムゥに変えていこうと努めています。そのほうが節約にもなるし。清潔な水で頻繁に顔を洗うようにしたら、にきびもあまり出なくなったのよ。」
かの女が打明けたところによれば、身体が毛深いので脚と腋の脱毛処理にお金がかかるし、頭髪と頭皮の健康維持にクリームバスも欠かせないから、身体トリートメントにかかる費用はまだまだ大きいそうだ。脚を人目にさらすのが恥ずかしいから、スカートをはくことは滅多にない、とかの女は語っている。
ジャカルタで営業している美容クリニックのオーナーは、高校大学の若い女性層をメインに大勢の若者が処置を求めてやってくる、と言う。最近の若者は清潔で健康な肌への希求度が一昔前とは大幅に違っており、そのために費用をかけることを厭わない。肌の健康という面を生涯の健康の一要素という位置に置くのであるなら、トラブルが起こってからクリニックにやってくるよりは、もっと幼いころから肌の手入れを日常生活の中に取り入れるために、医師のアドバイスを受けるようにするべきだ。残念ながら、現在起こっている社会現象を見るかぎり、そこまでの認識にはまだなっていないようだ、とそのオーナーは述べている。
もちろん、むさくるしく不潔で臭い人間に満ちた社会よりはよい方向に社会が変化しているのは素晴らしいことなのだが、人間の一生はそういう外見的な見映えの良さだけがすべてではないことも認識しなければならない。外面的な美と内面のクオリティのバランスに現代の若者たちはいつ気付いてくれるだろうか?
コンパス紙R&Dは、2014年10月8〜9日にジャカルタのインドネシア大学、アリフヒダヤトゥラ国立イスラム大学、グナダルマ大学、アッマジャヤ大学の学生411人にアンケートを求めた。
身体の手入れは重要なことがらだと答えた女子大学生は93.7%、男子大学生は79.5%いた。もちろん、身体の手入れが本人の健康に良いことであり、また社会生活における快適さを高める効果をもたらすものである、というテーゼを否定した者はひとりもいなかった。
質問1.身体の手入れは大切か、大切でないか?
回答1.大切だ 86.6%、大切でない 13.4%
質問2.身体の手入れは通常どこで行なっているか?
回答2.自宅 43.9%、美容院 40.9%、 コス 10.2%、スパ 4.3%、友人宅 0.7%
質問3.そのためのひと月の支出金額はいくらか?
回答3.
10万ルピア以下 45.5%
10万超50万未満 22.4%
50万ルピア以上 4.8%
無回答 27.3%


「5百万ルピアが平均的生活費?」(2014年11月24日)
首都ジャカルタでの生活費はいくらかかっているのだろうか?もちろんその人のライフスタイル次第ということになる。自宅で炊事は一切せず、毎回外食というスタイルもあれば、食材を在来パサルで買ってきて、必ず家で炊事して食べているひともいる。衣服や家具調度なども在来パサルや道端で買えば安上がりだが、デザインも耐久性もみすぼらしい。
中央統計庁が2014年初に発表した2012年生活費サーベイで、家族四人の家庭がひと月に支出する金額は750万ルピアと報告された。だが2014年11月12〜14日にコンパス紙R&Dが電話帳からランダム抽出した17歳以上の267人に対して行なったサーベイでは、また異なる内容になっている。
質問1.あなたの家庭が一ヶ月に支出する金額はいくらか?
回答1.
250万ルピア以下 21.3%
250〜500万ルピア 53.1%
500〜700万ルピア 9.4%
700万超 16.2%
質問2.月次定常支出の中で、もっとも金額の大きいカテゴリーは何か?
回答2.
飲食費 40.5%
教育費 31.8%
住居費 7.9%
交通費 7.1%
保健医療費 7.1%
電気・水 4.5%
慰安・行楽 0.7%
投資 0.4%
質問3.次のような商品の購入場所はどこか?
回答3.
A.飲食品(食材を含む):在来パサル57.3%、スーパーマーケット/モール30.3%、自宅に近い商店や商店街10.9%、巡回物売り1.5%、インターネット販売0%
B.衣料品:スーパー/モール53.2%、自宅に近い商店等23.2%、在来パサル22.2%、巡回物売り0.7%、インターネット0.7%
C.家庭生活用器具類:在来パサル42.3%、スーパー/モール32.2%、自宅に近い商店等25.1%、巡回物売り0.4%、インターネット0%


「三十年後に大発展のチャンス」(2014年12月10・12日)
インドネシア国民人口の中の10歳から24歳までの年齢ブラケットには6千7百万人という厖大な数の青少年がいる。世界全体を見るなら総数は18億人もいて、国別ではインドが最大の3億5千6百万人、中国が二位で2億6千9百万人、そしてインドネシアは世界第三位についている。今から30年後、世界はかれらの時代になる。インドネシアの国家建設と運営を指導し推進するのはかれらなのだ。そしてまた、青少年人口が激減して自国民だけの国家運営が困難になることが予想されている先進国では、国家運営の車輪を回し続けるために必要な労働力を確保するために、その18億人が当てにされる可能性が高い。18億人はそういう立場に将来立たされることが明白なのである。
その重責を担う能力を養うために、青少年への人材クオリティ涵養は現政府にとって長期国家建設計画の中心に置かれなければならない最重要ポイントなのである。高い教育レベル・心身健全・優れた技能習得・賢明な決定や選択を行なうことができる生活能力。それらのレベルが高ければ高いほど、国の経済力は高まり、貧困から脱皮してテイクオフのできる日が近くなる。
だがしかし、国がそういう長期視野を持った方針のもとに教育施設や医療制度の改善を行なったとしても、子供たちの命運の鍵を握っているのは親であるという問題がついてまわる。親が子供の育て方を学ぶのは、社会慣習からだ。社会生活における価値観が社会慣習の形を定め、社会構成員はその形を実践するという方法で社会的な子育ての中味を実現させる。政府がそこに直接的に関与する余地はほとんどなく、社会を動かすことで間接的に方向付けていくという方法がもっとも自然なありかただ。家庭の構成員であり、親の私物である子供を政府や国がどうこうできるものではない。難しさはそこに出現する。
子供にも人権があることが認められているため、子供にも種々の権利が与えられなければならない。社会が親に子供の養育義務を与える結果、親が子供を私物視することが往々にして起こる。社会の公私感覚が未発達で、ファミリー優先主義という私感覚に満ちた社会であればなおさらのことだろう。親が社会をファミリーより上位に位置付けないかぎり子供はファミリーのために存在するものでしかなく、広いパースペクティブにもとづく社会運営に参画する人間に育てることは困難だ。結局は社会活動の中で私利をはかり、貧困者にお恵みを与えてよき社会人を実践することにとどまってしまうにちがいない。
遊ぶこと、意見を持つこと、保護を得ること、食事・健康・娯楽・名前を与えられること、国民として平等なステータスが認められ、世の中の発展に寄与貢献できること。子供に与えられるべき基本的権利はそれらのものだが、家庭・学校・地域的生活環境内で、インドネシアの子供はまだまだそれらの権利が軽視されている。家庭や学校で、大人や教師たちは、子供の意見を尋ねようとしない。子供には何らかの決定を下す能力がまだないと世の中では見られている。しかし世の中に飛び交っている情報をキャッチする能力は、子供たちも決して大人に劣らないのだ。
学校は、子供たちの発育と能力を要請する場どころか、子供たちにトラウマをもたらす源泉になっている面がある。親や教師や世間からの不快な取扱いが子供たちの閉鎖的なグループ作りを誘い、敵を作っていじめや喧嘩などの闘争的行動に向かわせる傾向をもたらしている例は枚挙にいとまがない。かつてインドネシアの小中学校では、教師の言うことに従順に従わない子供、さらには悪質ないたずらや秩序を乱す行為を日常のものとしている子供に対し、いろいろな仕置きを与えるのが普通だったそうだ。授業中に教師の説明に集中しない生徒には黒板消しが飛び、悪事で現行犯逮捕された生徒には、腹をつねって180度回転させたり、もみあげの髪をつかんで引っ張ったり、両手を机の上に置かせて定規の薄いほうで細かく打ったり、「運動場をxx周走って来い」という仕置きよりはるかにきつい、炎天下の日射の下で運動場に掲揚されている国旗に向かって敬礼姿勢を長時間続けさせるといったことが行なわれていたという話だ。
児童保護国際民間団体のチャイルドファンドの最新データによれば、発展途上国の子供の28%は健康を損なって学業の妨げになるような重労働を強いられており、そして29%が学校教育へのアクセスを断たれている。グローバル的には、32%の子供たちが暴力と搾取から保護されておらず、おとなに意見を聞いてもらえる子供たちは11%しかいない。
チャイルドファンドインドネシアの理事は、子供に対する待遇にはジェネレーションギャップがあり、また親の教育レベルによって現れる差異も顕著だと説明している。理事は子供の教育について、インドネシアでは驚くほど大勢の親が子供は読み書きができればそれでよいという意見を持っていることを強調している。
インドネシアにとって、6千7百万人という厖大な数の青少年人口の個性と能力をどれだけ伸ばせるかということが、30年後のインドネシアの姿を決める鍵になっている。国に繁栄がもたらされるのか、それとも社会に負担をもたらす国民が大多数を占めることになるのか、それを決めるのが現在の青少年対策であるということになる。サイエンスを身に着け、テクノロジーを駆使してイノベーションを行なえる人材をいかに大勢生み出せるか、ということが国際競争力の要となるが、人材アップグレードを進めるためには、人口のコントロールがなされなければならない。そのために政府が直接的に国民を指導できるものとして家族計画がある。
1950年代にひとりあたり国民所得が同レベルにあった韓国・タイ・フィリピンの中で、フィリピンは宗教的文化的な影響のために家族計画の推進が遅れてしまったが、1960〜70年代に家族計画をスタートした韓国とタイは、ひとりあたり国民所得が大幅に伸びた。2008年との比較をすると、韓国は2,200%、タイは970%という伸びを示したのに対し、フィリピンは170%しか伸びていない。韓国の大きな成功は、政府と国民が協力して勤労エトスの向上に邁進し、更に日本に追いつき追い越すという姿勢で諸産業の推進をはかったことが大きな所得の伸びを実現させた。中でも、政府が青少年層に対して高学歴政策を採ったことが、青少年層のパワー向上に大きく寄与したのだ、とインドネシア住民家族計画国家庁長官代行は述べている。


「やられたら、別人にやり返す」(2014年12月15日)
中部ジャワ州プルウォクルトの私立職業高校教員36歳が、2年間にレンタカー8台を横領したことでバニュマス県警犯罪捜査ユニットに逮捕された。プルウォクルトとその周辺部で営業しているレンタカー業者が被害者で、犯人はさまざまな業者でレンタカーを借りては、その車を横領して自分のものにしていた。
その教員はレンタカー業を副業にしており、自分の車が盗まれたので、腹いせに同業者に同じことを仕返しして自分の商売に使っていたと警察の取調べに対して自供したとのこと。警察は盗品車両としてかれが商売に使っている6台を押収し、もっと多くの台数を略取した可能性が高いとして余罪を追求している。
インドネシアに数多い、自分にそれを行なった相手への仕返しでなく、全く無関係な他人にとばっちりを返す復讐のあり方の一典型がきっとこれだろう。


「急速な老齢化が待ち受けている」(2014年12月22日)
2028年から2031年はインドネシアの生産的年代国民人口が最大となるデモグラフィーボーナスのピークにあたる。それを過ぎると年代別人口比が逆転し、インドネシアも老人が多く若者が少ない国のひとつになっていくと推測されている。そうなったとき、インドネシアの国家建設と発展はどうすればよいのだろうか?
インドネシア住民家族計画国家庁長官代行は、高齢者がどれだけ生産的であり続けられるかが鍵になると語る。「もしも高齢者が生産的であり続けることができるなら、これはインドネシアに第二のデモグラフィーボーナスをもたらすことになる。そのためには、妊婦と胎児の栄養不良をなくしていかなければならない。成人後に非遺伝性疾病に罹患し勝ちな根本原因がそこにあるからだ。生産的な高齢者は生産的年代のときから健康な生活環境を享受していなければならない。そうすることで平均余命が長くなる。その健康保持のために、医療施設・サービスクオリティ・保険の充実は欠かすことができないものだ。もし政府が今すぐにそういう対策に取り掛からなければ、インドネシアは病気勝ちの高齢者で満たされ、自分の世話がやりおおせない者は家族に負担をかけ、ひいては国家国民の負担になっていく。その結果、国は高齢者の妥当で威厳のある生活を保証することができなくなってしまう。」
今インドネシアには高齢者が1千8百万人いて、総人口2億3,760万人中の7.6%を占めている。2035年にはそれが4千1百万人となり、2050年には8千4百万人になる。2050年には四人にひとりが高齢者となり、老人を見つけるほうが乳幼児を見つけるよりはるかに簡単になる。2050年の推定国民人口総数は2億9,300万人で高齢者比率は28.7%だ。
2010年の高齢者に関するデータを見ると、男性830万人で46%、女性980万人で54%いて、居住地は村落部に1,040万人、都市部に770万人となっている。年齢階層別には、60代1,080万人、70代540万人、80代超190万人、そして性別の結婚ステータス状況は次のようになっている。
女性: 夫あり39.1%、死別やもめ56.5%、生別やもめ2.2%、結婚歴なし1.3%
男性: 妻あり84.1%、死別やもめ13.6%、生別やもめ1.5%、結婚歴なし0.8%
やもめの比率が圧倒的に違うのは、日常生活において自分で自分を世話することが男性はいかに不得手であるかということを示している。インドネシアの文化的慣習がもたらしているものに相違あるまい。
WHOの指標によれば、ひとつの生活共同体で高齢者人口が12%を超えると、そこは高齢者社会であると定義付けられている。まだ若いはずのインドネシア国内にそんな高齢者社会が既にできていたのだ。全国唯一の高齢者州はヨグヤカルタ特別州で、高齢者人口は44.8万人いて住民総数の13%を占めている。ちなみに高齢者比率の高い州は次の通り。
東ジャワ州 389万人 10.4%
中部ジャワ州 335万人 10.3%
バリ 38万人 9.8%
北スラウェシ 19万人 8.5%
南スラウェシ 67万人 8.3%
西スマトラ 39万人 8.1%
大家族制度が優勢なインドネシアで、今のところ高齢者は家族のだれかに世話をしてもらいながら、妥当で威厳のある暮らしを営んでいる。社会の老人に対する待遇は概して良好であると言える。だが、そうでない高齢者がいないわけでは決してない。世話してくれる家族がいないケース、いても世話を拒否されるケース、世話はしないが金を出して老人養護施設に入れるケース、貧困のためにそういう施設に入れない見捨てられた老人のケース。大家族制度が弱まっていったとき、事態がどう変化して行くかは想像に余りある。老人介護の職業養成を早急にスタートさせて、社会がその要員をプールする仕組みも構築していかなければならない。
ジャカルタコンサルティンググループ主幹は、今現在高齢者に優しい町は国内に一ヶ所もない、と断言する。高齢者が快適な生活を送れるような街づくりが不可欠であり、そのポテンシャリティを持っている都市として、マラン、ヨグヤカルタ、ジャカルタ、デンパサルなどがあげられる、とかれは政府にアドバイスしている。


「楽天主義だろうか?」(2015年1月5日)
2014年の経済成長率は高くて5.5%と見込まれ、2013年実績の5.78%を下回るのは確実なようだ。ところが国民の多くは、わが家の家計はあまり影響を蒙っていない、と感じている。
コンパス紙R&Dが2014年12月17〜19日にジャカルタ・バンドン・ヨグヤカルタ・スマラン・スラバヤ・メダン・パレンバン・デンパサル・バンジャルマシン・ポンティアナッ・マカッサル・マナドの17歳以上の住民612人から集めた統計によれば、51.8%がわが家の経済状況は相変わらず好調だと答えている。
どんどん良くなっていると答えたひとは19.9%、どんどん悪くなっていると答えたひとは19.4%、相変わらず悪いというひとは8.0%だった。どんどん良くなっていると感じているひとの数と、どんどん悪くなっていると感じているひとの数がほぼ同じというのは面白い。
2015年はもっとよくなるだろうと答えたひとは64.5%、現在のような好調が維持されるだろうと思っているひとは17.6%、今より悪くなりそうだと見ているひとは4.9%、もっと転落していくというペシミストは9.0%。その結果を見て、楽天主義が鼻を衝いたのはわたしだけだろうか?


「富士山での落書きは民族の恥」(2015年1月16日)
2014年9月25日付けコンパス紙への投書"Aksi Corrat-coret Merajalela"から
拝啓、編集部殿。わが国ではずっと以前から落書きがいっぱいです。落書きのターゲットは壁・塀・建物・送電施設・高架道路・バスや大通りの公共施設だけでなく、木の幹・電柱・交通信号など、落書きができるスペースさえ持っていれば、ありとあらゆるものがそのターゲットにされています。
最初都会で盛んになったその行為は、今や村落部そして個人の住居にまで及んでいるのです。それは実に、環境と美観をぶち壊しているのです。民族性と軟弱な法執行を映す鏡がこれなのでしょうか?責任はだれにあるのでしょう?これはただの若者のいたずらということにとどまらず、公共スペースにおける粗暴で野蛮なビヘイビアの芽を示すものなのです。
落書きとしめしあわせたかのように出現するのが、宣伝広告ビラの貼付です。父兄・教師・ウラマ・法執行者・政府高官など全員がその行為の一翼を担っているのです。なぜなら、そのビヘイビアがかれらの眼前で行なわれているというのに、気にもかけずに放置しているのですから。
日本の富士山で示された落書きとヴァンダリズムはインドネシア民族の顔を丸つぶしにしました。その行為はインドネシア人が行ったものと見られています。日本人は山梨県にある富士山を霊場だと思っているというのに。
2014年7月31日、日本のパトロール警官が三つの石に赤ペンキで「Cla-X」「Indonesia」「Rudal」と書かれた落書きを発見したのです。[ バンテン州南タングラン市在住、スサント・ジョセフ ]


「幸福なインドネシア人?!」(2015年2月16日)
中央統計庁が2013年から開始した国民幸福インデックスは、第二回の2014年度版で指数が前年から向上した。はたしてインドネシア人はますます幸福になっているのだろうか?
2014年6月7月に全国各州の諸階層から抽出した70,631人の回答を集計したところ、2014年の幸福度指数は68.28ポイントとなり、2013年の65.11から上昇したことを中央統計庁が報告した。幸福度指数は1が最低100が最高となっている。回答者は戸主もしくはその伴侶が指定されており、家庭単位での幸福度ということができる。つまり、個々の家庭構成員の幸福レベルがどうなのかは、そこからわからない。
この国民幸福インデックスは家庭の所得・家屋と資産の状態・職業・教育・保健・余暇の有無・社交・家族の調和・治安状況・環境状況という10項目のパラメーターで構成されている。その10項目の中で、最高ポイントは家族の調和が78.89ポイント、最低は教育の58.28ポイントだった。マジョリティは70ポイント台に達している。
州別総合評価では、リアウ州が72.42ポイントで全国一の幸福州、次いでマルク州72.12、東カリマンタン71.45。反対に全国で最も幸福でないと感じている州はパプアが60.97、東ヌサトゥンガラ66.22、西スマトラ66.79となっていた。首都ジャカルタは69.21ポイントで、全国平均の68.28をわずかに上回っていた。ジャカルタ生活者はハッピーであるにちがいない。ところが、東ジャカルタ市ラワマグンで美容サロンを営むイナさん34歳は、住んでいる住宅地区で二輪車をメインにした盗難事件がひっきりなしに起こっており、不安と恐怖が町内を覆っているのにハッピーが感じられるはずがない、と批判する。
ジャカルタの治安項目指数は72.95ポイントだった。ジャカルタでは1,129家庭から回答が集められ、その集計結果の最高項目は家族の調和で77.77ポイント、社交は72.31、余暇71.64、保健70.83、環境70.59、家屋と資産69.66、職業68.92、所得65.56、教育62.72といったところだ。
イナさんは保健項目についても、まだまだハッピーとは程遠いありさまだと指摘した。職業に関してジャカルタ生活は大きい潜在性を秘めており、資本金調達がもっと楽になれば高い評点をつけてもおかしくない、ともかの女はコメントしている。地域社会における生活もハッピー度は高いそうだ。
中央統計庁ジャカルタ支所長は国民幸福インデックスを絶対指標と見てはいけない、と説く。「幸福度というのは相対的なものだ。たとえば教育項目にジャカルタ都民は最低の評点を与えた。ところがジャカルタのポイントは全国平均の上を行っている。」
ヨグヤカルタのサナタダルマ大学哲学神学部教官は、幸福度というのはきわめて個性的な個人の感覚に関わるものであり、物質的な測定では見極めることが難しい、と語る。「その中には絶対的な個人の価値観が存在しており、集団が持つものにはできない。家庭というのは経済・政治・文化のひとつのユニットだ。どうしてそれを幸福度で測ろうとするのか?繁栄度で測るほうがもっと妥当ではないのだろうか?中央統計庁のこの調査はあまりにも物質的だ。幸福というものは、数学で割り切れない非物質的な要素が含まれているのだ。」
幸福の中には満足という要素がある。しかし満足の中に幸福という要素が存在するとはかぎらない。満足度を測定してそれを幸福だと呼ぶのは、焦点が外れているのではないか。学術界からそのポイントへの批判が集まっている。


「続・幸福なインドネシア人」(2015年2月17日)
インドネシア中央統計庁が2013年から開始した国民幸福インデックスで、2014年の幸福度指数は68.28ポイントとなり、2013年の65.11から5%上昇した。その内容を構成している家庭の所得・家屋と資産の状態・職業・教育・保健・余暇の有無・社交・家族の調和・治安状況・環境状況という10項目のパラメーターの変わり具合は次の通り。
項目: 2013年 ⇒ 2014年 (数字はポイント)
家庭の所得: 58.03 ⇒ 63.09
家屋と資産の状態: 62.42 ⇒  65.01
職業: 64.68 ⇒ 67.08
教育: 55.19 ⇒ 58.28
保健: 66.40 ⇒ 69.72
余暇の有無: 68.02 ⇒ 71.74
社交: 72.43 ⇒ 74.29
家族の調和: 78.11 ⇒ 78.89
治安状況: 76.63 ⇒ 74.83
環境状況: 70.43 ⇒ 74.86
これを見る限り、インドネシア人は家族の調和・治安や環境・社交生活・余暇などに比較的満足している一方、教育・所得・家屋や資産・職業・保健などには不満があることが示されている。ならば、もっとも幸福なインドネシア人はどのようなひとなのだろうか?教育レベルが高く、社会的に尊敬される職業に就き、必然的に巨額な月収を手に入れているひとびとは、マジョリティ国民が不満を感じているカテゴリーでも大きな満足度を示すにちがいない。こうして、幸福なインドネシア人のキャラクターがこの調査の中で浮き彫りにされた。都市生活者で女性、未婚、年齢25〜40歳、学歴は修士号/博士号、所得は一般庶民と桁違い。
実は、世界規模でも同じようなことが行なわれている。国連持続可能な開発ソリューション・ネットワークが発表したワールドハピネスレポート2013では、健康寿命・腐敗観念・国民所得・意見表明の自由・社会的サポート・社会貢献などのパラメーターが測定されて、総合評価ポイントの世界ランキングが定められた。こちらの評点は最低が0最高が10という10段階システムが使われている。
ランキングトップはデンマークの7.693、そしてノルウエー、スイス、オランダ、スエーデンがトップファイブだ。非ヨーロッパ勢はカナダが6位の7.477というスコア。10位にオーストラリア、そしてイスラエル、コスタリカ、NZ、UAE、パナマ、メキシコと続く。米国は17位の7.082。東南アジアのトップはシンガポールが30位で6.546。インドネシアは76位で5.348ポイントだった。
このような統計を出したところで、現実的具体的な意味があるとは思えない。デンマークへ移住すれば幸福になれるとおとぎ話を信じる人間に錯覚させるのが関の山ではあるまいか?このようなものはマテリアリズムの極致でしかなく、目標値を定め実勢を測定するという、観念のための観念的計数管理にしか使えないものだろう。そういう限界にもとづいてそれを見ることができなければ、つまらない錯覚にもてあそばれるしかない。
そこに示されているのは、国民が幸福を感じる下地がどの程度充実しているかということでしかなく、だから幸福を感じろと言うのはナンセンスだ。インドネシアのケースを見るなら、インドネシアはふたりにひとりが幸福を感じる下地を持っていると国連専門家が評価したわけだが、実際にインドネシア人は7割近くが幸福感を得ていると見ることができるにちがいない。幸福という問題にはそのくらいの齟齬が出て当然ではあるまいか。


「インドネシア文化の普及拠点を10カ国に」(2015年2月17日)
インドネシアの国際文化交流を目的にして、教育文化省と外務省は共同で10カ国にインドネシア文化の家(Rumah Budaya Indonesia)の事務局を恒久的に設立する計画。インドネシア文化を相手国に宣伝広報することは二国間の相互理解にきわめて重要なことであり、この文化の家を中心にして二国間の文化交流が積極的に進められることが期待されている。
政府が2015年内に恒久設立を計画している相手国とは、オランダ・ドイツ・フランス・日本・トルコ・アメリカ合衆国・オーストラリア・ミャンマー・シンガポール・ティモールレステの十ヶ国。中でもティモールレステが対象に取り上げられたのは、2014年に現政権が立てた外交方針の中にある、インドネシアとティモールレステの和解と和平の確立に沿ったもので、両国政府はインドネシアからの文化交流出先機関を設けることに既に合意している。
教育文化省はこの企画について、この体制作りはインドネシア文化の広報と交流が持続的システマチックに行なわれるようにするためのものであり、散発的に催しを行なうようなことでなく、その国の中でカレンダーを備えた活動計画を推進することが目的である、と説明している。そのような持続的計画的な活動は、それを推進する者がいなくてはならず、活動の拠点となる場所が必要であり、そして活動計画を作成し、その国の中で協力してくれる相手を持たなければならない。そういった活動のセンターを設けることで、この企画が相手国の中に根付いていくのだ、と事務局設立の意図を主張している。


「国外で人気の高いソンケッ」(2015年2月18日)
西スマトラ州ブキッティンギから地元特産の織物や刺繍あるいはレースなどの商品が諸外国に輸出されている。タナダタル県スプルコタ郡パンダイシケッ(Pandai Sikek)で織物業を営むエルマさん50歳は、オランダやドイツなどのヨーロッパ諸国やマレーシアやタイなどの域内諸国に製品を送り出している。その工房で織られているソンケッ(songket)は一枚3〜8百万ルピアで、ひと月の発送枚数は2〜3枚だ。ヨーロッパでソンケッは壁に飾れら、東南アジアではクバヤなどの民族衣装に合わせて着用されるケースが多い。購入者の中には、西スマトラ州へ観光に来て、かの女のショールームで品較べをしてから買うひともあれ。それ以外にも、ガミス、ムクナ、ジルバブなどのイスラム衣装に刺繍やレースを配したものも中東で人気が高く、かの女は年間に百着くらいを中東に送っている。
ブキッティンギ市ルアカニルで刺繍とレースの工房を持つリチェさん23歳も毎月カタル、マレーシア、インド、シンガポールなど5カ国以上から製品を送るよう注文が入ると語る。それだけで売上は1千万ルピアに達する。店にやってきて買う外国人もあれば、eメールで注文してくるひともいる。
刺繍やレースを組み込んだソンケッ、ムクナ、クバヤンチムなどの生産者インドリヤントさん35歳も、ブルネイやマレーシアに毎月10着以上は送っているとのこと。
ブキッティンギ市には9千5百の小規模家内工業があり、3千事業所が製品を外国に送り出している。しかし事業者のほとんどは購入者と直接取引をして国外に製品を送っており、行政部門にはなかなか実態が把握できないままになっている。現状把握がむつかしい今の状況では、地元産品の普及振興活動に手が打てないのが問題であるとのこと。


「出生率を2.0に」(2015年2月25日)
首都ジャカルタの人口は1千20万人で、貧困者人口は17%にのぼる。貧困撲滅のキーポイントのひとつは出生率のコントロールで、現在理想数値とされている2.0に対する実勢値は2.3。そのために家族計画の普及促進活性化が必須とされている。
都庁が行なったサーベイで、夫婦と子供二人という標準家庭がひと月に必要としている生計費は5〜6百万ルピアとの結果が出されており、子供が増えれば即座に生計費が上昇する。収入が不足すれば一家の構成員に栄養補給の不足というしわよせが行き、子供の義務教育すら保証できなくなる。
出生率2.0の達成は、10年前に2.1まで進んだときに到達寸前となったにもかかわらず、その後10年間かけて後退するにまかせるありさまとなった。住民家族計画国家庁首都支部のデータでは、避妊具へのアクセスを持たない人口が妊娠適齢期カップル130万組中の13.2%へと増加しており、10年前からほぼ倍増している。
首都支部はその対策として、家族計画のための避妊を都民の間で普及推進する指導員450人に対し、ひとりひとりが85カップルを新規の家族計画参加者になるよう説得することを目標に掲げることにしているとのこと。


「応用能力貧弱なイ_ア人知識層」(2015年3月5・6日)
ライター: インドネシア大学経済学部教授、レナルド・カサリ
ソース: 2014年3月18日付けコンパス紙 "Dalam Cengkeraman Ilmu Dasar"
金メダルを獲得できるスポーツ選手を生み出すか、あるいは水に触れたこともない水泳選手を育て上げるか?あるいは、どの方向に進むべきかを知っている学士たちを生み出すか、それとも単に卒業証書を抱えているだけの学士たちを輩出するのか?どの民族にもそんなチョイスが与えられている。
この国には、議論が巧みな者より何かをなすことができる者、抗議を述べるだけの者より仕事の中で処置を行なう人間がもっとたくさん必要とされているのを否定することはできない。優れた大学というのは、出版物の多さばかりでなく、特許の多さ、そして社会に与えるインパクトなどでも測られるべきだということを認識しているひとは少ない。
わが国の教育はいまだに紙の周辺で蠢いているばかりだ。われわれはやっと教科書から一枚一枚の紙、シノプシス、学術作品、論文に知識を移すことに巧みになったばかりだ。筋肉記憶やミエリンによる行動にそれを植え付けることはまだできていない。
ある学生がマーケティングクラスでA評価を得るのは、かれがその学問を生活内で実践し、最低でも自分自身を、あるいは他人の産物を売り込むことができたからでなく、教科書の内容を試験用紙の上に筆写することができたからだ。
高等教育はふたつの分野に大別することができる。基礎と応用だ。基礎教育とは、われわれが小学校から親しんできたものだ。数学・化学・生物学・物理学・経済学・社会学・心理学。その応用は、医学・土木工学・コンピュータ学・経営学・デザイン学・ホテル学等々に展開できる。
その両面は文明を発展させるために国民がたいへん必要としているものなのである。ところが、基礎学問を興隆させるための投資は巨大であり、リサーチの伝統とハイクオリティの人材を必要とする。基礎学問を掌握する者は、たとえて言うなら世界中から優秀な学者を大学に引き寄せることによって世界を支配することができる。それをしようと望む国々は、財政センターと進歩的な改革にサポートされた独自の移民政策を行なっている。
強力な基礎科学に伴われて、偉大な民族は応用科学を築き上げる。アメリカ・ドイツ・イギリスはその両面で建設された国だ。しかしヨーロッパやアジアの一部の国はより実用的な道を選択し、応用科学に焦点を当てる。スイスはホテル経営・グルメ・時計などのセクターに応用科学の焦点を当てた。タイは観光や農業に、日本は電子工業に、シンガポールは金融サービス産業に。
応用科学が本当に実践されるためには、たいへんな闘いが起こる。最初は基礎科学と応用科学の橋渡しとなるべく調査研究予算が与えられて高等教育機関で応用科学が進められる。ところが科学者のマインドセットはあくまでも、アカデミックな真理を追究して最終的に学術論文に向かうために、方法論や統計を重視する基礎科学に偏っている。その大きな闘いを通して応用科学研究プログラムが基礎科学の檻から脱け出すことができるのである。数学科と経営学科から脱け出したコンピュータ学はビジネススクールを生んだ。紙の上での技能を卒業した者たちは、アプリケーション・ポートフォリオ・モックアップ・デザイン・問題解決論文などの最後の課程に入っていくのである。方法論は用いられるが、インパクトやアプリケーションといった外的有効性が優先される。博士課程でのみ強いリサーチ方法論が応用される。そこでも、多くの応用科学者が基礎科学や他分野の応用科学を拝借するため、複合科目プログラムが形成される。建築学と人類学や考古学、あるいは会計学と金融学というように。
< われらの子供たち >
高等教育機関での応用科学の独立は初等教育レベルに革命をもたらす。世界各国の幼稚園や小学校などの幼年教育機関を訪れてみれば、インドネシアで見るものとは対照的な光景を目にすることができる。読み・書き・計算と暗記の代りに実行機能(Executive Functioning)つまり、作業記憶・理由付け・応用創造・決定プロセス・実行プラニングといった認識プロセスの統御訓練が教育の中で行なわれているのだ。
インドネシアの学士たちが即戦力にならないことをわれわれが嘆く理由はもう明らかだろう。教育の中味が、紙の上でのことをすべてとして現実への適用を無視している基礎科学文化に占領されているためだ。MMの称号が与えられるビジネススクールの修業生が書かせられる論文を試験官は内部的有効性と狭い方法論といったポイントに執着して審査しているのがインドネシアという国であることを忘れてはならない。学術的なデータ加工が行なわれていないものを科学的でないと感じる試験官たちが、同じような意欲に満ちてホテル学やその他の応用科学の修業生を取扱っているのだ。
応用科学が基礎科学のマインドセットに囚われている国でしかそのようなことは起こらないという点をわたしは強調したい。嘆息は同じだ。即戦力にならず、グローバル競争で太刀打ちできない。
質問はただひとつ、われわれはその状況をいつまでも放置するのか、それとも応用科学分野の学士たちが修得した学問を応用できるように変えていくのか?それはわれわれ自身の姿勢に戻ってくる問題だ。学術エゴや傲慢さは無用なのである。


「愛国心を掲げよ」(2015年3月20日)
2014年11月24日付けコンパス紙への投書"Merah Putih Sobek di Perbatasan"から
拝啓、編集部殿。メトロTVが2014年11月13日(水)19時に放送した、インドネシアの盗品車両がティモールレステに流されている事件に関する報道で、インドネシアとティモールレステの国境風景が背景に映っていました。国境線をはさんでインドネシアとティモールレステの国旗が掲揚されています。そこに映っていたインドネシアの紅白旗は古ぼけ、色褪せ、裂けていたのです。
国境地域を監督する役職者はあのように古びた国旗を自主的に新しいものに取り替えるべきではありませんか。国旗を新しいものに取り替えるのは、言うまでもなくインドネシア統一国家のイメージに対する尊崇の念を表すためであり、国境地帯ではそのような姿勢が特に重視されなければなりません。インドネシア統一国家のシンボルである国旗を尊崇する者は、われわれ国民自身をおいて他にだれがありましょうや?[ 西ジャカルタ市在住、ウィム・ウィヨノ ]


「文章が読めないインドネシア人」(2015年3月26日)
アメリカの国際開発機関USAIDが発表したインドネシアの学校生徒が持っている識字と読解能力に関する調査で、インドネシアの子供たちはそれらの能力があまり芳しくないレベルにあることが明らかにされた。
調査結果をまとめた2014年初級グレード読書アセスメント報告によれば、文章を流暢に読み、且つ内容を正しく理解できているインドネシアの小学1〜2年生は47%しかいない。おまけに激しい地域差があり、ジャワ〜バリ地域は55.6%、スマトラ42.4%、カリマンタン〜スラウェシ33.3%、マルク〜ヌサトゥンガラ〜パプアは23.1%という較差が生じている。政府は国民の識字・読解能力向上のために、包括的な国民教育と読書運動を進める必要があるというのが報告書の提言だ。
元来が口承文化に強く覆われているインドネシアだから、国民の識字・読解への心理的傾斜はそれほど強いものでない。会話による意思疎通と公共の場でのスピーチの巧みさが個人の人格に対する社会的評価の大きい部分を占め、情報取得は口コミというのがほんの数十年前までは主流を占めていた。情報通信技術の普及でSMSの社会的価値が会話に追いつく状況になってきたが、SMS発信が暗号文章に長じる方向に進んで行ったことも、口承文化の基盤に関わりがあったのかもしれない。
政府と学術界は国民の能力向上を目指して「Ayo Membaca Indonesia」国民運動を展開しており、国民リテラシーの向上は現大統領が主導している「精神革命」の趣旨に沿ったものとして受け止められている。「精神革命」が貧困・愚かさ・腐敗の三悪撲滅を目指していることから、リテラシー国民運動も単なる読書でなく、読書を通しての三悪撲滅という方向性を取り込んでいる。
「アヨムンバチャインドネシア」国民運動事務局長はこの運動が出版社・リテラシー普及活動家・実業界・政府・住民コミュニティの賛同を得ており、どのような人がどのような書物を読むのが適切なのか、そのナビゲータを用意することを進めていると語る。「年齢に応じて内容と表現が適切に合致している書物を用意し、それを選択するよう国民に伝えていかなければならない。子供の精神的な発展段階に沿って素材が用意される必要があり、そしてどのレベルの子供にはどの書籍が適切なのかを社会的に告知しなければならないのだ。」
この国民運動を現場で支えている施設のひとつが、全国的に拡大している読書園だ。読書園は図書館ではない。図書館は個人がひとりで書籍を探し、その書籍と相対峙するものだが、読書園はコミュニティとしての性格を強く持っている。そこでは、人間が人間に相対峙して精神的知的な触れ合いを行なうことをメインにし、精神的知的な内容の糧として書籍が置かれ、使われている。
インドネシア社会が持っている性向の色合いが濃く映し出された読書園は全国各地に320あり、2014年時点では運営上の問題から活動が中断しているところもあるが、241ヶ所は活発な活動を行なっている。


「メラネシアフェスティバルをクパンで」(2015年3月27日)
メラネシア系人種というのは、肌の色が暗く、髪は縮れており、骨格は大型で頑丈、体型はアスリート型、というのが一般的な姿だ。インドネシア東部地方の東ヌサトゥンガラ・パプア・西パプア・マルク・北マルクなどに居住している諸種族は概してそのような特徴を持っている。
これまで、そういう視点からあまりメスが入れられていなかったその実態に文化的な研究の探りを入れていこうという気運が今盛り上がっていて、インドネシアでの研究基地を東ヌサトゥンガラ州のクパン(Kupang)に置くことが計画されている。クパン市住民人口460万人のほとんどはメラネシア系であり、そこにメラネシア研究センターを置いてインドネシア国内のみならずメラネシア域内の学術センターに育て上げようというのが、その遠大な構想だ。
たとえば、東ヌサトゥンガラの各地に伝えられている戦意を鼓舞するダンスはパプアニューギニア、フィージー、ソロモン諸島などのものとの類似性を連想させるものであり、そういった文化的な特徴を収集して研究することで文化人類学上の更なる進歩に貢献することが期待できる。
その一環で、この2015年10月にクパン市でメラネシアフェスティバルが開催されることがほぼ本決まりになった。南太平洋にあるメラネシア地域の主要国にもそのフェスティバルへの参加招聘が行なわれる。パプアニューギニア、フィージー、ソロモン諸島、ヴァヌアツ、ニューカレドニア、パラウそして近場のティモールレステ。中央政府もその計画への支援を既に表明している。
メラネシアフェスティバル開催についての不安はクパン市が交通の要衝でないという点にあり、クパン市への足の便に困難が多ければ、一般大衆の来訪どころか、参加を呼びかけている国でさえ二の足を踏む可能性がある。メラネシア諸国からクパンへ行こうとすれば、バリ・ジャカルタ・スラバヤなどに到着してから小型の飛行機に乗換えてクパンへ向かわなければならず、一時に大勢の人間が集まってくればそれを順調に流すための手配が必要になり、言うまでもなく中央政府の諸機能が使われなければそのようなことが実現できないのは明らかだ。
中央政府はそういった面も含めて、そのフェスティバルを成功させるための協力を惜しまないことを保証しており、現地は安心してその準備に邁進している。


「労働者は反逆する!」(2015年4月3日)
2014年12月10日付けコンパス紙への投書"Buruh dan Kesulitan Hidup"から
拝啓、編集部殿。ブカシ県チカラン、東ジャカルタのプロガドン、バンテン州タングランなどにある工業団地で働く労働者は困窮生活に立ち向かう力強いひとびとです。余裕のない家計をやりくりする手腕は拍手喝采ものです。かれらは、家賃がひと月20万ルピア程度の、狭く風通しの悪い借家や掘立小屋に住むことを厭わず、朝食は一杯2千5百ルピアのインスタントラーメンを食べ、昼は道路脇のワルンで一皿5千ルピアの食事をし、オートバイを持ちたいと思えば、ひと月50万ルピアのローンを借金して支払うのです。
家族持ちで学齢の子供がいれば、それどころではありません。家計のやりくりをどうするのかという細かい分析と長期の視点が不可欠なのです。そんな状況のために、致命的な結末に向かうことが起こります。怒りっぽくなり、容易に激昂し、そして犯罪行為に向かう扉が開かれるのです。盗み、ナルコバ使用、そして更に殺人に至るまで。[ 中部ジャワ州バニュマス在住、コスマントノ ]


「低い男女平等評価」(2015年4月22・23日)
国連開発計画UNDPが発表した2013年のジェンダー不平等指数世界番付でインドネシアは0.500ポイントで第103位だった。世界のトップはスロヴェニアの0.021ポイント、ボトムはイエーメンの0.733。
アセアン諸国を見ると、シンガポールは0.090ポイントで世界15位、マレーシア0.210ポイントで世界39位、ベトナム0.322ポイント世界58位、タイ0.364ポイント世界70位、フィリピン0.406ポイント世界78位といった順位。ちなみに東アジアでは、日本は0.138ポイントで世界25位、韓国0.101ポイントで世界17位、中国0.202ポイント世界37位となっている。
ジェンダー平等推進を呼びかける政府の掛け声とは裏腹に、国民の足取りは遅々として捗らないようだ。コンパス紙R&Dが2015年3月11〜13日に全国主要12都市の17歳以上の住民594人から集めた統計を見ると、国民が持っているジェンダー平等というものの理解あるいはイメージが、この分野の先進国とは違っているような印象を受ける。
質問1)あなたの生活環境内で女性が差別的扱いを受けているのを見たり知ったりすることはよくありますか?
回答1)よくある23.6%、それほど頻繁でない30.6%、全然ない45.5%
質問2)女性への差別的扱いをなくすことに関して政府は最大限の役割を担っていますか?
回答2)
最大限だ:男性48.2%、女性51.8%
まだ最大限でない:男性45.3%、女性54.7%
ジェンダー差別完全撤廃と男女平等はほとんどすべての発展途上国で大きいテーマを成している。それが国家と国民の将来の福祉と繁栄の鍵を握っているために、避けては通れないものになっているのだ、とインドネシア大学哲学科女性教官は語る。「教育や政治、あるいはあらゆる分野で性別による差別がなされないことが男女平等の意味であり、女性が自分の能力を自由に開発できることが強く求められています。機会が平等に与えられた上で、性差が自分に与えている役割を果たすことがその本質なのです。」
ところが、その目標に向かって世の中が着実に歩んでいるのかということになると、回答は歯切れが悪くなる。インドネシアで女性が家庭や社会から受けている制約はなかなか軽減されず、職場を含めて女性の立場は弱いものになっている。博士号を持つその女性教官は、故郷のバリ州東部地方の状況について、「普通の家庭では、女子の教育は高校までやれば十分だという考え方がいまだに強く、大学以上の学歴を持つ女性はきわめて少ない。決して能力の問題なのでなく、社会慣習が持っている価値観の問題なのです。」と述べている。
一般的に男性優位女性劣位のバリ島では、結婚して子供を産み育てることが女性としての使命であるという考え方が強く、恋愛であろうがなかろうが、結婚するということに重点が置かれている。帰結として、女性は男性つまり夫に頼り、夫の世話と家庭の維持に専念し、夫の言うがままに夫に尽くすのが優れた妻であるという見方が世間一般に広く流通しているため、大学や大学院へ行って婚期を遅らせ、また自分の意見を持って夫と議論するような妻は良妻の範疇に入らないのが常識になっている。だから普通の男性なら、学士号はまだしも、修士号や博士号を持つ女性など怖くて妻にしようという気が起こらないということになる。
「植民地になった国々では、たいていがそのような女性観を持っています。インドネシアでもアセアンの他の国々でも、封建制度がもたらしたものの見方や考え方を多くの女性がいまだに信奉しており、それが性差別の鎖を断ち切ることを困難にしているのです。たとえば文盲率ひとつ取っても、女性の文盲率が男性より圧倒的に高いことがその証明のひとつです。」
ジェンダー差別解消を困難にしていることのひとつに、その社会が持っている文化上の価値観がある。インドネシアでは、kodrat という言葉が男女の優劣を固定的にして維持しようとするひとびとの伝家の宝刀になっている。コドラッというのは本質的な性質や特徴を意味する言葉で、現在世の中に表れている形態が女性のコドラッを示しているのだという見解に女性たちは反論するどころか、そうすることが女性としての善なのだという価値観に自分を溶かし込んでしまうため、世の中の価値観を覆そうという大それた反逆よりも世間から賞賛を受けることの方に流されて行ってしまう。バリ島だけでなく、ほぼ全国的に、妻のコドラッは夫に服従し、夫を立てることだという男性側の言葉が、妻となった女性たちの動きを束縛している。
その延長線上に、たとえば妻のコドラッは家庭を守ることだ、という見解が出現する。インドネシアの法律の中にも、結婚した男性は戸主となり、女性は家庭の主婦となる、という表現がなされているものがある。それを世間一般の常識と考える者にとっては、女性戸主の出現は異常事態であり、そこまで行かなくとも、結婚するまで会社勤めをしていた女性に対して妻になったのだから会社を辞めろという夫からの要求が当たり前のように登場することになる。
だが、既に世の中に出て活動し、自分で金を稼ぐことを何年も体験してきた新妻にとって、そこから得ていた大きなメリットをそう簡単に捨てることは難しい。おまけに家庭を維持するための収入が共稼ぎをしなければカバーできないという経済的な必要性から、妻のコドラッは都会であっさりと裏切られて行く。
世界中がそうであったように、そしていまだに世界中がその残滓を多かれ少なかれひきずってはいるのだが、「女は第二の性」であるという原理が発展途上国ほど色濃く残されている。男女平等が遅れている社会ほど、女性自身が「第二の性」に安住し、男性優位社会の価値観が紡ぎ出した生活習慣を守ることで優れた女性であると賞賛される道をかの女たちが自分の意志で選択している面があることを軽視してはならないだろう。それは「仕方なく」なのではなく、もっとポジティブな精神にもとづいた選択になっているケースが多いことに注目しなければならないにちがいない。


「幸福はハイトラスト社会にある」(2015年5月1日)
国連の下部機関「持続可能な開発ソリューション・ネットワーク(SDSN)」が2015年版世界の幸福度ランキングを公表した。それによれば、インドネシアは5.399ポイントで全158カ国中の74位であり、トップはスイスの7.587ポイント、最低の158位はトーゴーの2.839ポイントだった。
その評価ポイントに使われた項目は、国民ひとり当たりGDP、社会サポート、 健康寿命、人生選択の自由、寛容度、腐敗認識といったもので、その内容の分析と検討に携わったコロンビア大学のジェフリー・ザックス経済学教授のコメントは次のようなものだった。
幸福な国に暮らしているひとびとは、平均余命が長く、社会サポートがより大きく、他人に対する優しさや親切さがより大きく、人生で選択する自由をたくさん持ち、腐敗に対する意識が高く、ひとりあたりGDPも大きいのが共通した特徴である。幸福というのは単一変数で決まるものではない。トップ10に入った国々はすべて豊かな国だが、それは影響力が強い要因でしかない。それらの国の国民は、自分の政府の腐敗度が低く、同じ社会構成員は互いに親切で優しく、他人を助けることをためらわない、といった社会的な信頼度が強い。それらの各要因が国民の幸福度を決定する。今回の上位13カ国は前回と順位が入れ替わったものがあるにせよ、変化していない。国が豊かであるということに加えて、政府は正直で責任を果たしており、コミュニティ社会構成員は互いに協力し、助け合っていることが、それらの国に共通に見られる特徴だ。
金銭あるいは経済面の充実、公正さ、正直さ、相互信頼感、健康などが幸福の決定要因となる。経済危機や自然災害が必ずしも国民の幸福を破壊するものにはならないとして教授はアイスランドやアイルランドの例をあげたが、経済危機がインドネシア人の楽天性を破壊したことがないのは既にわれわれのだれもが知っている事実なのである。


「くだらない冗談は身を滅ぼす」(2015年5月19日)
2015年4月29日午前6時25分ジャカルタ発パレンバン行きバティックエアーID6870便の搭乗がもうすぐ終わろうとしていた。ほとんどの座席は埋まり、後から来た乗客たちが自分の席を探してから手荷物を頭上の棚に置こうとしている。客室乗務員のリカは客がてんでに入れた手荷物の棚のラッチを閉めるため、棚に置かれた手荷物を整頓していた。そのとき、近くの座席に座っている中年男性がリカに言った。「気をつけろよ。爆弾が入ってるからな。」
一瞬ギクッとしてから、リカは棚のラッチをゆっくりと閉め、飛行機の前部に向かって歩き去った。その中年男性の言葉を耳にした周囲の他の乗客たちの表情が曇り、中には座ったばかりの座席から立ち上がり、棚のラッチを開いて自分の手荷物を取り出すと、やはり飛行機の前部に向かって歩み去る者がいた。その姿が機内に波紋を投げかけた。機内から出ようとする乗客は、扉近くの客室乗務員に足止めされたが、リカからの報告を聞いた機長は、扉近くに集まってくる乗客を目の当たりにして、すぐに決断した。乗客を機外に出して、機内の危険物チェックをしなければならない。
その動きが始まり、「爆弾」という言葉を口にした中年男性は急遽機内に入ってきた警備員に連行されて空港管理事務所に移され、取調べが開始された。その中年男性R57歳は空港保安係官に平身低頭して詫びを入れ、あれはとっさに口をついて出た冗談でしかなく、決して害意があってのものではない、と恐縮しきった表情で繰り返した。Rが「爆弾」入りだと言った手荷物は何度も念入りにX線透視機の中を通された。
一方、全乗客は機内から下ろされ、空港警備班が機内を捜索したが、「爆弾」は見つからない。委託バゲージまでもがすべて下ろされ、ターミナルに運ばれて再度X線チェックがなされた。そのような作業に要する時間がどれほどかかるものかは、体験したことのあるひとにはわかるだろう。結局、バティックエアーは別の機体を用意して乗客と再チェックの済んだバゲージを移し変え、2時間遅れてやっと出発した。その便にRの姿が見えなかったのは言うまでもない。「あれは冗談でした」で済む問題ではなかったのである。Rはスカルノハッタ空港警察署に拘留された。航空法第344条E項にある「虚偽の情報を与えて航行を危険に陥れることは刑法犯罪であり、その者には最高1年間の入獄刑が与えられる」という条文がRに適用されると言うのだ。
実は、このR氏と同じようなことをするインドネシア人乗客があとを絶たないのである。軽口や冗談を好み、驚かせたり怖がらせたりしてから真相を明らかにし、みんなで大笑いしようという楽天主義の民族性がなさしめるものなのかもしれない。そしてかれらは、時と所をわきまえない楽天主義が他人の感情を強く傷つけることがあるのを理解できないようだ。
15年4月23日には、ジャカルタ発パダン行きライオン航空JT250便でそっくりのことが起こった。搭乗してきた乗客のひとりが小型旅行トランクを棚に置こうとしていたが、見るからに重そうだ、客室乗務員が見かねてそれを手伝ったが、本当に重い。手荷物重量条件を超えているのは間違いない。そんなとき、客室乗務員でなくとも、誰でも発する質問はきっと「重いなあ。何が入ってるの?」であるにちがいない。その乗客はそういうありきたりの会話に薬味を添えようとしたかったのだろう。愛想のよい笑みを浮かべて「爆弾だよ。」と言った。女性客室乗務員はすぐに手伝いをやめると、機体前部に向かって歩み去った。その乗客は乗務員の態度を腹の中で罵ったにちがいない。しかし罵られるのは、その乗客のほうだったのである。客室乗務員は機長にその話を報告しに行ったのだ。言うまでもなく、その乗客は機内から下ろされて取調べ室に連行された。


「ここにも、くだらない冗談が」(2015年5月19日)
2015年1月28日付けコンパス紙への投書"Tak Sopan"から
拝啓、編集部殿。去る1月8日にわたしはジャカルタコタ駅からキアラチョンドン駅まで、列車スラユパギ号を利用しました。プラットフォームに入るゲートで警備員がわたしの切符をチェックしました。その警備員はわたしに尋ねました。「物は何も持っていないのかね?」
わたしはバンドン出身の大学生で、ジャカルタの大学で学んでおり、バンドンでビジネスを始めたばかりです。なので、ジャカルタ〜バンドン間を頻繁に往復しています。わたしは警備員に「ティダ」と答えました。すると警備員はわたしの股間を指差して「それは何なの?」と言いました。つまり男ならみんな持っている一物です。わたしは微笑む以外になす術がありませんでした。
その警備員が単に冗談のつもりでその振舞いをしたことはわたしにもわかります。しかしわたしが思うに、その冗談は適切なものでなく、また礼儀を欠いているのではないでしょうか。ましてや、公的エリアで職務に就いている職員がまったく初対面の人間に対して行なったのですから。ひょっとして、わたしがエコノミー乗客だったために、そんなことをされたのでしょうか?わたしの友人も同じ体験をしたことを話してくれました。
国鉄は全職員に乗客へのサービスに関する訓練を与え、性別や階層を問わず、妥当な姿勢で乗客に接するよう育成してほしいと思います。[ バンドン在住、アンドル・プトラ・トウィナンダ ]


「トンデモナイ飛行機乗客」(2015年5月20日)
時と所をわきまえずに「爆弾だ!」などというくだらない冗談を口にして乗客が航空機の運航を妨害した事件は、ここひと月間に三回発生した。異なる空港、異なるエアライン、そして三人の不届き者の間には何の関係も連絡もない。空運オペレータは航空安全を最優先しているから、乗客の不用意な一言、あるいはインドネシア語でイセン(iseng)と呼ばれている無意味な暇つぶし行為であっても、それが現実に起こった以上、事の白黒をつけなければならなくなる。くだらないイセン行為で引き起こされた空運会社のロスは、その帳尻を誰に求めることもできないのだ。そんな不届き者には厳罰を与えて、社会制裁を行なってほしい、と空運会社経営者はきっと思うに違いない。
空運会社が行なっている航空安全対策に後足で砂をかけるようなイセン乗客はインドネシアにたくさんいるそうだ。一番激しいのは、開始された初期から無視され続けている機内での携帯電話使用だろう。離陸前に機内で客室乗務員が乗客に必ず示して見せる緊急時の対応説明の際に、携帯電話の使用禁止は定型パターンの中で告知されるが、インドネシアの飛行機に乗れば、それを守らない乗客が周囲の座席に何人もいることがわかる。そして客室乗務員みずからが、そういう乗客に何の注意も与えずまるで知らぬ顔を続け、航空行政が乗客に要請している決まりを不届き乗客と一緒になって踏みにじっている。
中には、「スイッチをお切りください」というアナウンスに従ってオフにした電話機を、「当機は目的空港に着陸態勢に入りました」というアナウンスが出たとたん、わざわざスイッチをオンにして、迎えに来ている者に電話をかける乗客がいる。着陸してから駐機場に向かう間に、もてあますほどの時間がたっぷりあるというのに、
空運関係者の話によれば、もっと凄まじいイセン乗客がいるらしい。飛行機が陸上にいるときに、緊急扉を無理やり開けた者がいたそうだ。脱出シュートが出てしまうと、それを元に戻すのに飛行機製造メーカーの技術者と特殊機器を招いて作業してもらわなければならず、その費用は巨額なものになり、更に修理が終わるまで機体は使用不能になってしまうのだから。そのため、空運会社は数十億ルピアのロスをかぶらなければならないそうだ。
機内の座席の下に必ず一個格納されている救命胴衣も、イセン乗客のターゲットになる。緊急時でないなら、救命胴衣は格納場所から引き出してはならず、ましてや機内で膨らませてはならず、そして当然ながら持ち帰ったり盗んだりしてもならない。機内には座席の数だけ救命胴衣がなければならず、一個でも足りなければ商業飛行してはならないというのが定められた規則なのである。そういう決まりが支配している機内で、乗客が救命胴衣を引きずり出し、膨らませてしまう。膨らませたが最後、その救命胴衣はガスを入れてたたみなおすまで使用不能となり、機内には救命胴衣が一個足りないという状態になるため、その問題が克服されるまで機体は次の商業飛行ができなくなる。
そういう機内設備の問題だけでなく、機内で乗務員の業務を妨げてはならないという決まりもある。機内で騒ぐこともそのひとつなのである。機内で乗客同士が喧嘩するのは、乗務員の業務遂行への障害になるのだが、機内での喧嘩は社会的な礼節の問題という理解は持てても、乗務員の業務遂行への影響などということの理解できる乗客ははたして何人いることか?
空運会社への事業妨害が起これば、機長はその乗客を機外に出して運送を拒否し、またブラックリストに登録して二度と飛行機に乗れないような措置が採られるのが諸外国では普通だが、パーミッシブなインドネシアではまだそのような厳しい対応が採られていない。そういう対応をスタートさせる機はもう熟している、と諸方面が提言している。


「観光地はどこも同じ」(2015年6月22日)
2015年1月31日付けコンパス紙への投書"Praktik Monopoli di Pasar Baru Trade Center Bandung"から
拝啓、編集部殿。バンドンの廉価優良商品ショッピング天国であるパサルバルトレードセンター(PBTC)は、ツアーガイドを自称する一部ゴロツキたちが行なう独占行為のために、その評判を損なわれています。かれらはマレーシア人観光客を標的にしているのです。
かれらは自分たちとつるんでいる商店やレストランに観光客を連れて行き、他の店で買い物することを許しません。「道に迷ったり、行方不明になっても知らないぞ。」「時間はあまりない。」「スリがうようよしている。」というのがかれらの脅し文句であり、かれらと提携しない店の悪口雑言を観光客の耳に吹き込みます。かれらと提携しないレストランを「ハラルじゃない。」とかれらはけなすのです。
かれらと提携した店からかれらは協力金・調整料・保安金・コミッション・等々の名目で金を得ており、その金はかれらが連れて行った観光客の財布から出たものであるのは疑いもありません。観光客は法外な金額をそれらの店に払わされているのです。
公正なツアーガイドライセンスを持つガイドがPBTCのようにたくさんの店が入っている場所に観光客を連れて行った場合、落ち合う時間と場所を決めるだけで観光客には自由に買物や食事をする時間をたっぷりと与えるのが普通のあり方であるのを、わたしは熟知しています。
もし観光客がかれら不良ツアーガイドの言うことを聞かず、かれらと提携していない店でどうしても買物をした場合、かれらはすぐにその店の主人にアプローチし、「あれはわたしの客なんだぞ。」と言って分け前を要求しています。
この不良ガイド集団は往々にして地元の本物のゴロツキをそういう店に連れて行きます。店の主人に脅しをきかせて、恐怖心を煽るようにしむけるのです。当局はこの野蛮な風習を取締るよう、切にお願いします。[ 西ジャワ州西バンドン県在住、ブディ ]


「ナガラクルタガマを国民に啓蒙せよ」(2015年6月24日)
2015年2月10日付けコンパス紙への投書"Mengindonesiakan Negarakertagama"から
拝啓、編集部殿。われわれの祖先が生んだ古文書ヌガラクルタガマがユネスコの世界記憶遺産リストの中に正式に加えられました。われわれインドネシア民族は、それに誇りを感じるのと同時に、悲哀をもたらす現実をも見つめなければなりません。
誇りとは、われわれの祖先は高い知性と文筆文化を持っていたのだという事実をその文芸作品を通じて認識できること。悲哀とは、現代インドネシア国民の大部分がその作品の内容や盛り込まれている意味合いを現在只今の時点に至るも、理解していないということ。
その文化遺産にわれわれが尊重と評価を与えるために、古ジャワ語で書かれたその作品をインドネシア語化し、公式翻訳としてその印刷物を国民の間に配布するプログラムを実施するべきだとわたしは思います。国民に配布する中で、必要であれば義務教育カリキュラムの中に織り込むことも有意義でしょう。インドネシア国民が自国の歴史と文化に愛着を持つように導くことが、そのような活動を行なうことで期待できるにちがいありません。[ 東ジャワ州クディリ在住、アリヤ・ラマダン ]


「バタムで瓢箪から駒」(2015年7月24日)
プアサももう少しで終わり、あとは心弾むイドゥルフィトリの大祭になだれ込むばかりという雰囲気が強まってきた2015年7月14日に、リアウ島嶼州バタム市の市庁舎に数百人もの市民が詰め掛けてきた。
市内のあちらこちらから朝一番にやってきた市民たちは市庁舎入口から一階フロアーを埋め尽くし、表玄関から市庁舎内に入る通路は完全にブロックされた。市民の中には子供連れでやってきたひともいる。いったい何の抗議デモかと身構えた警備員たちも、ひとびとの訴えを聞いて安心するやら、あきれるやら。「ハリラヤボーナスをもらいに来たので、副市長に合わせて欲しい。」というのが応接した市庁職員に対するひとびとの訴えだったのである。しかし市長も副市長もその日は登庁しておらず、警備員は汗だくでの応対。
市民たちの言によれば、副市長が市民にハリラヤボーナスを支給するという話をその前の週に耳にしたとのこと。しかも、ハリラヤボーナスは市庁舎にやってきた市民だけがもらえるという話になっており、運よくその口コミ情報を手に入れたひとびとがわれもわれもと市庁舎に押寄せた、というのがその朝の珍事。
「副市長がそのような企画を口にしたことはない」と市庁職員のだれもが言い、「今年の市予算に市民へのハリラヤボーナスという項目はないから、市庁内でだれもそんな話を知らないのは当たり前だ」と行政警察課長は語った。それを聞いて諦めた市民は帰って行ったが、諦めのよい人間ばかりではない。かなり多くのひとびとが「ボーナスをもらうまでは」と意気込んで座り込んだ。「そのうちにみんな諦めて帰るだろう」と市庁側は執拗な市民をほったらかし。そうして午後になったというのに、一団のひとびとは座りこみを継続する。
ひとびとの中から、怒声を発して憤りを示す者や、叫び声を上げるものが出てきた。すると市庁職員は座り込んでいる市民たちに、KTP(住民証明書)のフォトコピーを提出せよ、と求める。フォトコピーを持っていない者はコピー屋に走らなければならない。それで憤りを募らせる者もいる。「ここまでやって来るのに交通費を使ってるんだ。金ももらわないのに、コピー屋に金を払えだと・・・」
しかし、これもボーナスをもらうため、という淡い期待で、全員がKTPのコピーを提出。名前を写し終えた職員がフォトコピーを本人に返しはじめたから、怒声の市民はまたまた怒り心頭。
太陽が傾き始めるころ、座り込んでいた市民たちは市庁舎裏の広場に移動を命じられ、広場で整列させられた。そこに5万ルピア紙幣の札束を持った職員がやってきて、整列している市民の手に一枚ずつ現金を渡して回った。怒声の市民の顔もゆるむ。「これは副市長の個人の金であり、長時間待った市民に対する心づくしだ。副市長がそう命じた。」バタム市行政警察課長はそのように説明した。
5万ルピアをもらった市民たちは、満足して家路についた。「こりゃあ、ここまでの交通費よりちょっと少ない。でも、まあいいやな、金がもらえたんだから。」怒声の市民の眉間に、もう縦じまはなかった。


「荒事をするなら命がけで」(2015年8月24日)
スピード違反取締りのないインドネシアでは、自動車専用道であれ一般道であれ、高速走行する四輪車二輪車が必ずいる。この種の連中に限って、同じような走りをしている荒くれ野郎が視界に入ると、勝負を挑みたくなるようだ。ちなみに、高速走行をしてみると、いつの間にか自分を追い抜こうとして追尾してくる車があることに気が付く。
命知らずの荒くれ野郎たちは自分や他人の生命あるいは資産のことなどお構いなしに、プライドにかけて勝負の道に突っ走っていくようだから、インドネシアであえて高速走行するようなことは慎んだほうがよい。勝負がただの抜き合い競争で終わればよいが、下手をすると銃弾を打ち込まれてとんでもないことになりかねない。2015年7月27日夜にその実例のような事件が起こった。
そのときダイハツゼニアを運転してジャカルタ外環状自動車道を都内に向かって走っていたドゥイ36歳は東ジャカルタ市チパユン地区KM11地点付近で赤塗りのKIAピカントを追い越した。するとピカントはドゥイ氏を抜き返そうとして二台が並ぶ。そのとき、ピカント運転者がドゥイ氏を銃撃してきたのだ。衝撃音とともにゼニアの窓ガラスに穴があいたため、ドゥイ氏はスピードを落とし、ピカントはそのまま走り去った。ピカントが姿を消す前に、ドゥイ氏は携帯電話でピカントの後姿を写真に収めている。
ドゥイ氏が車内を調べたところ、黄金色の金属BB弾が床の上に転がっていた。ドゥイ氏はその足でチパユン警察署に事件を届け出た。ドゥイ氏の届出によれば、ピカントは猛スピードで後方から突っ走ってきてドゥイ氏を追い越した。その荒っぽい運転に抗議して、ドゥイ氏はハイビーム点滅を行なった。するとピカントはゼニアに近寄ってきて銃撃が行なわれたという内容になっている。ドゥイ氏はまたソーシャルメディアにこの事件を掲載し、ピカントの後姿・穴の開いたゼニアの窓ガラス・金属BB弾などの写真をアップしている。
警察はその銃弾から判断して、ピカント運転者は強力なエアガンを不法所持しており、危険性が高いためピカント運転者を早急に逮捕しなければならない、と決意した。ピカントのプレート番号が明らかであるため逮捕は時間の問題と見えたところが、交通警察に届け出られていたオーナーの住所は不完全なものであり、銃撃者発見に時間をかけなければならなくなった。
7月30日、チパユン警察署追跡捕獲班捜査員が南タングラン市パムランに住むピカントのオーナー38歳男性を逮捕した。捜査員はその家でベレッタM84一丁とCO2ガスボンベ10本、金属BB弾247個、プラスチックBB弾900個、レンジャーシューティングクラブが発行したエアガン所有証明書を発見して押収した。
東ジャカルタ市警本部長はこの銃撃事件について、「一般人のM84所持は禁止されており、また金属BB弾の使用も一般人には禁止されているため、狙撃者は二重の違反行為を犯したことになる。そもそもエアガンの所有自体が違法行為だ。」とコメントしている。
銃撃者はベレッタM84を一年前に東ジャカルタ市チジャントゥンのレンジャーシューティングクラブで入手したと取調べで供述した。しかし一般人のエアガン所持は2009年以来禁止されているため、警察に所有許可を申請しても没収されるだけになる。だから巷には無届のエアガンがはびこり、おまけに犯罪と護身用が目的であるため、殺傷破壊力の強いものが主流を占めるようになっている。
レンジャーシューティングクラブが違法物品であるエアガンの売買を行なっている事実をつかんだため、警察の捜査の手がそのクラブに伸びていくのは間違いなさそうだ。
なお、ドゥイ氏に発砲した理由についてピカント運転者は、「子供を乗せていながら、あんなに危険な運転をしてはいけない。警告してやろうと思って撃った。」と取調官に語った由。


「ルピア暴落は某国の陰謀」(2015年9月4日)
インドネシアを破滅させようとしている国がある。かれらはわれわれの間にいて、ひそかにわが民族を滅ぼし、この国土を乗っ取ろうとしている。かれらの戦略のために今やルピアレートは大暴落して激しい不況が国家経済を襲い、わが民族は生活難と失業の不安にさいなまれている。そして今のこんな時期に、アホッ都知事は下層民衆の住居をどんどん取り壊し、かれらを長年住んできた場所から追い払っている。
卑劣なかれらのやり方で、ルピアレートは既に1米ドル1万4千ルピア台に乗ってしまった。もしもそれが1万5千ルピア台に乗るようなことになれば、もう黙っているわけにはいかない。1万5千ルピア台に乗ったときが、わが民族が立ち上がるときだ。汚い手段でわが民族の足元を崩していくかれらを、決して容赦してはならない。1998年に何が起こったかを忘れてはならない。あのとき、ルピアレートは1米ドル1万7千ルピア台まで落ち込んだ。そしてわれらの国家経済をどん底に落とし込むのに手を貸したかれらに何が行なわれたか、それを思い出そうではないか・・・・・

果てしない谷底に滑り落ちていくかのような昨今のルピアレートのありさまが、特定民族に対するヘイトスピーチを生むようなことになってきた。国内状況が乱れ始めるとヘイトスピーチが顔を覗かせるのは、古今東西の歴史が示している。インドネシアのソーシャルメディアの中にヘイトスピーチがちらほらと大きな顔を示すようになってきているのだ。
インドネシア土着民族が長年にわたって伝えてきた華人憎悪感情は、薄まってきてはいるが消滅したわけではない。1998年の5月暴動で市民の間に散らばった丸刈りの男たちが街中にたむろしている暇な男たちに号令をかけ、別の丸刈りの男が率先垂範して見せて暴徒が膨れ上がるという煽動手法が実に大きな効果をあげた。「チナの店を焼け!」というのがその号令だ。街中にたむろしていた暇な男たちはその号令一下、催眠術にでもかけられたかのように集団暴力行為の中に埋没して行った。チナの店を焼きたいほど憎んでいた者はその中のほんの一部分に過ぎなかったはずだが、刷り込まれた侮蔑観と暴力行為がもたらす酩酊感によって、それに参加した全員が暴力と破壊放火の歓喜を満喫したにちがいない。
煽動のやり方次第で、人間性発火物と呼ばれている土着民族は容易に燃え上がり、オーガナイズのやり方次第で火は広域に広がっていく。1998年のできごとは、そのようなことができるのだということを知ろしめている深い教訓であるにちがいない。
国民社会の不安定さを利用して、自己の利益をはかろうとする者がいる。ヘイトスピーチはかれらが一般国民を自己の手駒に変えるための便利な手法だ。しかし、市民的および政治的権利に関する国際規約(International Covenant on Civil and Political Rights、ICCPR)第20条第2項はそれを禁止しており、インドネシアは2005年にその国際規約を批准した。そして「民族・人種への差別撤廃」に関する2009年法律第40号を制定し、ヘイトスピーチ実行者を入獄5年罰金5億ルピアの刑罰に処することを第16条で定めている。更に改定刑法典第156・157条でその行為が刑事罰に相当することを再確認している。
ソーシャルメディアにヘイトスピーチを書き込む者は、刑罰に処されなければならないのである。その煽動に乗って暴動が起こったからはじめて犯罪だという古い姿勢であってはならないのだ。但し、裏に必ず政治がからみついているこの種の行為を警察が積極的に取締るかどうかは、警察改革の成果を示すバロメータでもあるにちがいない。


「ムシャワラ・ゴトンロヨン・トレランシ」(2015年9月17・18日)
インドネシア民族の伝統的価値観や倫理観を構成しているムシャワラ(話し合い)、ゴトンロヨン(助け合い)、トレランシ(寛容さ)は民族リーダーがお手本を示さないため、どんどん色褪せている。人間個々人が持つ個性に共通して流れるべき民族性を強く特徴付けるものが消失すれば、昨今盛んに言われているインドネシア国民の人格形成を底辺で支える思想的文化的基盤が国籍不明のものになっていく。
基盤に置かれるものが曖昧になれば、国外から入ってくる偏狭で闘争的暴力的な思想に容易に染まる人間が増加して、インドネシアなるものの本源を蝕み、この人種的文化的な複合国家の存立を危うくすることになりかねない。
知識人たちの中にも、この状況を懸念する声が強い。映画界重鎮ガリン・ヌグロホ氏は政界エリートの責任を追及する。「現状に対する最大の責任は政界エリートたちにある。共和国の伝統の中で示されてきた民族全体の利益を図って行なわれるべきムシャワラは、今や自分が所属するグループのためにしか使われていない。」
プサントレン「トゥブイレン」主宰者サラフディン・ワヒッ氏はゴトンロヨンも同じだ、と言う。「コペラシ(協同組合)というのも名前だけであり、組合メンバー相互の助け合いの場になっているかというと、全然違う。そこで行なわれているのは個人ビジネスであり、ゴトンロヨンなどどこを探しても見つからない。わたし自身がこの目でそれを見ている。」
トレランシは自分たちと異なる者との間の共存協働のための鍵となる。ところが異宗教者に対する排斥や攻撃が相次ぎ、起こった事件に対する政府の姿勢が明白に示されず、国民間相互のトレランシ尊重が声高く謳われないために国民の間に不寛容の精神をはびこらせる結果を招いている。
ヨグヤカルタのサナタダルマ大学宗教文化学修士課程教官ハルヤッモコ氏は、ムシャワラ・ゴトンロヨン・トレランシはインドネシアの民衆が生活の指針として遠い過去から築き上げてきたものだ、と説く。「しかし民衆の日常生活がそれらの抽象的コンセプトで統御されるためには、その間を橋渡しするファシリティやツールがなければならない。つまりそのままでは、頭の中に持っているコンセプトが個人個人の日常生活の中に具現化されるようにはならないということだ。たとえば、社会生活の中に寛容性は流れているというのに、それでも不寛容な個人が出現して他人に暴力を振るったりする。それは社会の中に個人個人がどうあらなければならないかということを方向付け、統御していくシステムあるいはファシリティが機能していないからだ。順番のために列に並べということをキャンペーンだけで徹底させようとしても無理がある。番号札を渡して、割り込みができないようにする。それがコンセプトと個人行動の間を橋渡しするものなのだ。」
インドネシア民族のゴトンロヨン精神は危急の際にその姿を顕著に示すと捜索救難国家庁長官が体験談を語った。「昨年末に起こったエアエイシアQZ8501便遭難事故で、インドネシアのSAR活動が実に高い結束力と統制の取れた形で進められていることを諸方面が賞賛し、捜索活動に協力した諸外国からもその秘訣を学びたいと声をかけられた。インドネシア民族が持っている協調と一体感の精神は、国家民族が何らかの困難な状況に直面したときに、問題解決への歩みを容易にすることができる。」
文化人アイヌン・ナジブ氏も類似のことを体験している。かれは昨年の大統領選挙の際に、投票結果のごまかしを抑制するためにインターネットサイトkawalpemiluを立ち上げた。すると、思いがけないことに、7百人ものひとびとがボランティア協力を申し出てきた。「わたしはインドネシア民族からゴトンロヨン精神がなくなってしまったとは思っていないが、弱まっていることは感じていた。しかしあれほどまでの強さで残っているとは思ってもいなかった。もしわれわれが正しいことをしているのであれば、見知らぬ他人に賛同と協力や参加を誘ってみればよい。信じてもらえたら、手伝おうというひとが必ず現われる。かれらはそのとき、われわれの宗教が何だ、種族が何だ、というようなことは度外視している。」
コンパス紙R&Dが2015年5月27〜29日に全国12都市の17歳以上の住民581人に対して行なった電話インタビューで、民族特有の価値観に対する感覚が調査された。
質問1.異宗教徒間の相互尊重
回答1.向上している53.7% 変わらない19.1% 低下している26.2%
質問2.他人への感情移入
回答2.向上している44.9% 変わらない17.4% 低下している36.8%
質問3.人道主義を高く捧持している
回答3.向上している39.6% 変わらない18.1% 低下している39.2%
質問4.民族団結を所属集団の利益より高く位置付けている
回答4.向上している30.8% 変わらない17.6% 低下している48.9%
質問5.決定を下す際にムシャワラを優先している
回答5.向上している42.3% 変わらない17.2% 低下している37.3%


「ワクンチャル」(2015年10月16日)
家族主義文化のインドネシアでは、男女が結婚して親から独立するというコンセプトでなく、結婚した男女カップルがそれぞれの一族の一員となるというコンセプトになっている。だから結婚相手の人物評価が本人同士でこと足れリとならず、親兄妹一族が相手の審査に加わることになる。
パチャランは、男女交際を楽しむという本音の部分はカーペットの下にしまわれ、建前として結婚のための予備校のような位置付けになっているため、男はパチャル女性の家へ会いに行って、女性の親兄弟姉妹の監視下に相手との親密度を深めなければならないのが一般的。それはもちろん、パチャル女性の環境次第で天から地までのバリエーションがあり、徹頭徹尾ふたりだけで街中でデートするという非伝統型ケースもたくさんあるので、あまり硬直的に考える必要はないのだが。
で、一般的・伝統的なほうの話を進めると、男は自分のパチャルになってほしい女性の家を毎日訪れる。たいていは、学校や仕事を終えてからだから、夕方から夜にかけてとなる。夕方、いそいそと女性の家に向かう男を揶揄して「apel」という語がしばしば使われる。アペルというのは、それに出席することが義務付けられている催事や儀式のことで、たとえば朝礼集会はアペルパギと呼ばれる。でその女性の家へパチャランに訪れる時間のことをワクンチャルと言う。つまり、WAktu KUNjung paCAR 。
西ジャワ州プルワカルタ県で、パチャランを規制する2015年県令規則第70号が6月中旬に出された。男女交際があまりにも放縦で、倫理感覚を喪失していることから、県民を教導するために出されたものだ。規則では、17歳未満はパチャラン禁止。ワクンチャルは21時を限度とするとなっている。
この規則違反者第一号はチュンパカ郡チサアッ村に住む寡夫のイピン50歳。隣村の寡婦テティ46歳の家に頻繁にアペルし、深夜にパチャルの家を出るため、不倫行為の心配を村中がしており、ついに県令規則違反で摘発された。村役が注意しても恋するふたりには蛙の面になんとやらで、最終的に法的措置がとられることになったわけだ。違反者の処罰は強制結婚。ふたりの子持ちのテティが46歳の花嫁になった。
違反者第二号は工場勤めの若者で、ロビンが頻繁にパチャルのコスを訪れて泊まっていくのが噂になっていた。村役の手下に当たる夜間保安チームが午前3時にコスを訪れ、ふたりの不良行為が公衆の前に明らかにされた。大恥をかいたロビンは村に居られなくなり、ひとりで村をさることにしたため、強制結婚は行なわれなかった。
県令規則では、違反者への罰則は強制結婚となっているものの、パチャランが禁止された17歳未満の者がパチャランしたからと言って強制結婚処罰が一律に適用できるわけでもない。県内193村・町はこの県令規則の意図を理解し、7割が既に村/町規則として詳細規定を作っている、とプルワカルタ県令は述べているが、内容的には種々の問題を含んでおり、議論を呼んでいる。


「決闘は勝てばよい」(2015年10月19・20日)
15歳というのは「他人と競って勝つ」ということが、まだまだ自己存在の基盤を確定させる重要な要素になっているにちがいない。自分は優れた人間であると思うことが人間としての存在を確立させるベースになっているとき、何をもって優れているのかという定義が必要になる。他人と競って勝つことを自分の優秀さの証明と考える人間はどこの世界にも多数存在しており、それは男でも女でも違いがない。そして、他人と競って勝つことと他人を見下すことが同一視されるようになるのは、ムラビト精神の中で往々にして発生する現象のようだ。
若年時代というのは精神的な深みが形成されておらず、反対に肉体の成熟が先行するため、フィジカルな争いで優れていることをその定義に置くのが一般的だ。個体の発展と系統の発展がリンクしているのは言うまでもあるまい。歴史の書物を開けば、フィジカルな争いが人間の優劣を決めていた時代の連続であったことがわかるだろう。
ただし、勝ち方という付随的評価ポイントを重要な位置に据えた文化もあれば、勝ち負けという結果が最重要であり、他の文化では「汚い」とか「卑怯」などという価値区分がそこに持ち込まれて勝ち負けの評価が揺らぐ要素があるのに、そんなもののほとんどない文化もある。
結果だけを最大ポイントと見る文化の中でのフィジカル闘争は、往々にして生命のやりとりという結末に至る。なぜなら、相手が死んで自分が生き残ることがもっとも明白な勝敗結果を示すからだ。そんなフィジカル闘争にはルールらしいルールなどない。だからインドネシアでフィジカルな喧嘩をするのは、絶対にお勧めできないことなのである。
15歳のJは中学を卒業して私立の普通科高校へ進んだ。中学時代にJをいたぶりまくったA16歳は私立の職業高校へ進んだ。それでふたりのトム&ジェリー関係が過去のものになったわけではなかった。
ふたりとも、中学時代から別々の道場で武術を学んでいたが、平均より小柄なJが武術を学んだところで、いっぱしの使い手になれるわけがない、とAはJをからかうのが常だった。
「ジャゴアンになれるわけもねえのに、何で武術なんかやってんだ。」「オレと勝負してみろ。そんな度胸もねえくせによ。」そんなことを言われて小突かれるのを笑ってかわせるほどの心の余裕はまだJに育っていない。恨みと憎しみがJの深層心理に沈殿していった。
ジャゴアン(jagoan)というのはジャゴ(闘鶏の雄鶏)の一般化名詞で、何らかの分野で他者を抜きん出た能力を持ち、他者に勝って世間から一目置かれる者という意味で使われる。何らかの分野というのがほとんどフィジカル闘争で塗りつぶされている社会では、武豪・武術の使い手・闘争の達人・腕力の優れた者といった意味合いが強くなる。
Jは花屋を営んでいる家の三男で、両親の手伝いをよくし、口数の少ない、おとなしい子だというのが、かれの生活環境における定着した評価だった。そのJがAを殺した。
JとAは、バリ州デンパサル市パンジュルのワトゥレンゴン通りの三叉路で10月12日19時過ぎに会う約束をした。「ふたりだけで決闘しようぜ」
JはAとの決闘に備えて、武術の練習をした。そして決闘のときが来たのだ。南国の太陽が沈んでとっぷりと日の暮れた19時、Jは南デンパサルのワトゥレンゴン通りでこれまで溜まりに溜まった恨みと憎しみの言葉をAに投げつけた。そして間髪を入れずに家から隠し持ってきた台所包丁を手にしてAの顔面を払い、更にAの腹に突き刺した。Aはそのまま地面に倒れた。
Jはその足で自宅に帰り、親に事件を打明けた。父親はすぐに警察に自首するようJを説得し、ふたりで南デンパサル市警に向かった。父親は、Aの一族が息子のJに復讐のリンチを加えることを心配し、警察に着くまで気が気でなかった、と語っている。
ワトゥレンゴン通り20番小路にある携帯電話ショップ「チトラセルラー」の表に血まみれになって倒れているAに気付いた周辺のひとびとが警察を呼んだ。警察は既に死体となったAを検死のためにサンラ病院に運んだ。
Aの血しぶきが飛び散った衣服のまま自首したJは取調べに対し、「Aが死ぬとは思わなかった。とても後悔している。」と語ったそうだ。


「路上で良心を失っては駄目!」(2015年10月23日)
2015年5月11日付けコンパス紙への投書"Nurani Transportasi Penduduk Jakarta"から
拝啓、編集部殿。ウイークデーの朝、ジャカルタは勤め人や学生の地獄になります。百万台の二輪車四輪車そして公共運送機関が道路の限界を超えてあふれかえるのですから。罵りや口喧嘩を耳にするのは普通のこと。良心・忍耐心・友好心などは存在しないも同然。
一方、何千人もの勤め人が押し合いへし合いするコミューターライン電車では、互いに助け合おうとする姿をまだ目にすることができます。たとえば、他の乗客がドアにはさまれないようにするために、押してあげたり引いてあげたり。メトロミニでも同じようなありさまです。たいていの乗客は、料金を払う自覚を持っています。
同じ空間に置かれたひとたちはより高い許容力を持つ傾向にあるという定理をそこに見ることができます。反対に、二輪車や四輪自家用車に乗っているひとびとは同じ立場にあることを感じてはいても、相互接触に限界があります。かれらは公道で自分をガードしなければならず、その結果、より善き人間となるための諸価値を忘れてしまうのです。自己所有の評価を伴う新たな文化の形成は、人間を自己中心的な存在にしていくものだったということです。
そのために、わたしは安全快適な大量輸送ベースの交通建設を優先する政府の政策を支持します。それはジャカルタ都民の移動を容易にするばかりでなく、都民の連帯感情や良心を含めた社会意識の向上を助けるものでもあるからです。[ インドネシア科学院住民調査センター、テミ・インドリアティ・ミランダ ]


「男優女劣社会の男女平等」(2015年10月30日)
女性大統領が誕生し、またたくさんの女性が閣僚の座に就いているということをその国の文化が男女平等・男女同権であることの証拠に使おうとするひとが後を絶たないようだが、その因果関係は当たっていない。女性閣僚自身が、男優女劣の社会慣習を是正するよう国民に対して口を酸っぱくしていることが、何よりの証拠だろう。
レディファーストという体裁をいくらつくろってみても、本質的な部分で男の圧制が行なわれるかぎり、ジェンダー差別が社会から姿を消すことは期待できないにちがいない。男女平等・男女同権というのは、性別が持つ属性を超えた部分での人間愛にもとづくべきものであり、属性を無視しての平等や同権はありえないのではあるまいか?
インドネシアに女性大統領が誕生したとき、かの女がそれまでの男性大統領たちに劣らぬ手腕を振るったかどうかを見るなら、そのこと自体がインドネシア文化の男優女劣価値観を逆証明するものであったと言えるように思われるのだが、果たしてどうだろうか?
男女の賃金格差は明白に存在し、労働界の調査では7〜12%の格差があることが判明している。高校進学率も明白な男女格差がある。女は結婚して家庭に入り、出産育児と夫の世話をしていればよいのであって、費用をかけて教育を受けさせても金の浪費になるだけだ、という不平等観念が社会の根底にいまだに存在している。教育文化省データによれば、進学率に関する男女格差は10〜23%にのぼることが11州における調査で判明している。
コンパス紙R&Dが2015年9月30日から10月2日まで12主要都市住民562人に電話インタビューして得た回答が公表されている。
質問1.職業に関わるジェンダー差別があなたの生活環境内で見られますか?
回答1.女性回答者 イエス17%、ノー77%、判らない6%
    男性回答者 イエス24%、ノー72%、判らない4%
質問2.女性勤労者の権利を保護する力を政府は持っていると思いますか?
回答2.初等教育学歴者 イエス62%、ノー28%、判らない10%
    中等教育学歴者 イエス63%、ノー35%、判らない2%
    高等教育学歴者 イエス55%、ノー41%、判らない4%


「釣銭が多すぎる間違いはなぜ起こらない?」(2015年11月20日)
2015年6月4日付けコンパス紙への投書"Korupsi di Pintu Tol Bintara"から
拝啓、編集部殿。去る5月20日(水)、目的地に急いでいたのでわたしはジャカルタ外環状自動車道に入り、9時13分34秒にビンタラ料金所を通りました。そのときわたしは10万ルピア紙幣を渡し、釣りは横の座席に置きました。わたしが釣銭を数えたのは、交通渋滞に巻き込まれたときです。釣銭は5万ルピア紙幣1枚、2万ルピア紙幣2枚、5百ルピアコイン1個で合計9万5百ルピアでした。
わたしが受け取るべき金額は9万1千5百ルピアではありませんか?違いはほんの1千ルピアでしょうが、それを百台あるいは千台で行ってこらんなさい。その料金所の腐敗行為はいくらに上るでしょうか?
今回のできごとを教訓にして、わたしは今後料金所を通過するとき、もっと注意深くなるよう警戒するつもりです。PTジャサマルガは料金所に配置する従業員の選択に、ひとりひとりの正直さを優先項目としなければなりません。そこに関わるのは「金・金・金」なのですから。[東ジャカルタ市クラマッジャティ在住、フィトリ・ユリアナ]
2015年6月22日付けコンパス紙に掲載されたジャカルタ外環状自動車道運営会社からの回答
拝啓、編集部殿。フィトリ・ユリアナさんからの15年6月4日付けコンパス紙に掲載された投書について、次のようにお答えします。
フィトリさんが体験されたトラブルについて、当方はそのときの従業員から事情説明を受けました。5月20日の時系列に即して書かれた当該従業員の状況報告書の中に、フィトリさんが指摘されているできごとを示す内容はどこにも見当たらず、また職制を通して与えた指導に対しても、ご指摘のことがらが事実であることの確証は得られませんでした。
自動車専用道利用者の皆さんへのアドバイスとして当方がお願いしたいのは、クレームはそれが起こったら早急にお知らせいただきたいということです。あるいは少なくとも24時間以内に(021)80880123番へ電話してください。
自動車専用道利用者に一貫的なサービス向上を提供するための当方の努力にとって、利用者からの批判や提案はたいへん貴重な情報です。当方からの回答は以上の通りです。ありがとうございました。[PTジャカルタ外環状自動車道法務広報課長、レフィアント・ジャヌアル]


「レジ袋有料化」(2015年11月25日)
小売店が買物客に無料で提供しているプラスチック袋が引き起こしている公害を軽減させるアクションを、生活環境省ゴミ廃棄物危険物管理総局物品包装物次局がスタートさせる意向。その手がかりとして最初に行われることになっているのは、モダンマーケットを主体とする小売業界にプラスチック袋の無料提供をやめさせて、それが欲しい客に有料で販売するよう義務付けること。その政策は世界の多くの国々で実施されており、アメリカのワシントンDCでは2011年から5セントが徴収されている。イギリスのウエールズでも2011年から5ペニーが徴収され、イギリスは2015年10月5日からその方針を全国に拡大した。アイルランド・バングラデシュ・中国・マレーシアそしてオーストラリアの一部地域も有料化が行われている。
インドネシアでも数年前にカルフルとサークルKが自主的に有料化を行ったことがあるが、それは惨憺たる失敗に終わった。買物客は袋を気前良く提供してくれる店に買物先を変え、カルフルとサークルKは客が激減したのである。インドネシアの消費者はその二店のサービスが悪くなったとしかとらえなかったようだ。結局、かれらの勇断は足元をすくわれ、今では他の商店と横並びのサービスを復活させている。
政府はその教訓から、今回すべての小売店に無料提供をやめさせ、欲しい客には有料で販売するようにさせ、同時に消費者に対するプラスチックゴミの低減を教育させることを決めた。この政策は大統領規則として出されることになる由。
小売業者協会は政府のこの方針に歓迎の意を表明した。ただし、その社会告知を政府が国民に対して大々的に行うことが不可欠であると政府に注文をつけている。小売業者が心配するのは、買物客からのクレームや買物客とレジ係りの間で発生する諍いであり、そのようなトラブルの多発は営業上歓迎できないことがらなのだから。
この方針は生活環境の改善という社会的に大きな意義のあることがらであると同時に、小売業界が支出してきたプラスチック袋のコスト削減にもなるため、政府が全国の小売業者にその政策を画一的に守らせ、また買物客国民からのクレームやレジ係に対する疑惑などが生じないようにしてくれたなら、まったく言うことのない善政となるにちがいない。
2013年6月22日にカルフルが25店で行った買物袋なし運動の日で、1千2百万ルピアの経費削減が実現した。サークルKは2011〜12年に一年間買物袋制限キャンペーンを行い、8,233,930枚の消費が節減された。それは8.97億ルピア相当の経費削減に該当し、おまけに買物袋販売で1.17億ルピアの収入を得ている。アメリカのワシントンDCでは、2011年以降、プラスチック買物袋消費が78%削減されて、年間2.7億枚の消費が5千5百万枚に減少した。一人当たり年間消費量は450枚から92枚に減ったことをそれは意味している。
欧州議会の2010年データによれば、フィンランド人とデンマーク人は一人当たり年間消費量が10枚未満で域内トップであり、最悪はチェコ人で3百枚を年間に消費している。インドネシアはもっと激しく、グリーネレーションの2009年調査によれば一人当たり年間消費量は7百枚だ。
調査によれば、プラスチックゴミを海に捨てている国の世界一は中国で、インドネシアは第二位であり、更にフィリピン・ベトナム・スリランカと続いている。海洋を漂うプラスチックはマイクロプラスチックと呼ばれる砕片になって海洋生物の体内に侵入する。太平洋中心部に集まっているマイクロプラスチックは、プランクトンより6倍も多い。魚介類を食べるのは本当に人間の健康に良いのだろうか?
もっと恐るべきことに、インドネシア人は国内いたるところでプラスチックに火をつけて燃やしている。大量のプラスチック買物袋を燃やしている現場に遭遇したこともあるし、はなはだしいのは、戸建て住宅を建設した大工が、もう使う必要のなくなったビニールキャンバスを燃やし、風向きの関係で大量の有毒ガスがわが家を襲ったため、バリ島の浜辺に新鮮な空気を求めて逃げ出したことがある。ジャカルタでも、プラスチックが燃える異臭がときどき漂っていたから、例外は国中どこにもないようだ。これも、インドネシアに住む場合のリスクのひとつに挙げてよいだろう。


「強く優れた男の姿・・・?」(2015年12月18日)
集団で法規を破り、社会秩序を壊して自分たちが世間より一等上のランクにある姿を見せつけようとする示威行動を、百数十台のオートバイが深夜、ジャカルタ都内環状自動車道で行った。とは言っても、百数十人全員が威勢を張ってそれをしたわけでなく、6人の人間が全員を動かし、全員は是非の考えなどなしに前の者に付いて走っただけということらしい。
2015年12月13日(日)午前4時、都内環状自動車道東アンチョル料金所に大勢の二輪車がやってきた。先頭にいる数人がそこを押し渡ろうとするから、料金所係員はブースから出て二輪車は入ってはいけない、と制止した。すると二輪車の男数名が係員を殴り、知らぬ顔で自動車専用道に乗り入れ、後続の者たちに料金所を突っ切るよう促した。こうして二輪車コンボイが自動車道に長蛇の列を作る姿が出現した。
それに気付いたハイウエイパトロールがコンボイに近寄り、速やかに外の一般道に下りるよう命じたが、効き目はない。パトカー警官は拳銃を取り出して威嚇射撃を行ったが、無視される。威嚇射撃の銃弾が道路下で客待ちしていたオートバイオジェッの腿に当たるというおまけまでついた。
コンボイはプルンパン料金所で外に下りたが、下りたからそれでもうよい、ということにしてはならない。北ジャカルタ市警本部長は部下に対し、この事件の責任者を逮捕して法的措置を取れと指令した。そして首謀者6人が逮捕されるという結末に至った。
本部長は「これまで、法規不服従行為が起こっても、それが終わればそれでよしとされ、違反者に違反行為の責任を取らせることがあまり行われなかった。それは実に恥ずかしいことだ。無法行為を許してはならない。」とコメントし、世の中を秩序立てている法規を踏みにじり、力(暴力)を持っていることを誇示してジャングル社会で優位に立とうとする旧来からのプレマニズム精神と対決する意志を明らかにした。プレマニズムとは、やくざ/ごろつき主義を意味している。


「銃を自製する未開種族」(2015年12月21日)
インドネシア語にリンバ(rimba)という言葉がある。意味は密度の濃いフタン(hutan)というもので、フタンが樹木雑草の生い茂っている広範な地域を意味し、日本語ではさしづめ「森」に該当する単語だから、リンバはきっと「ジャングル」「密林」を指しているにちがいない。ジャングルに住む先住種族をインドネシア人はオランリンバ(リンバ人)と呼んでいる。
スマトラ島ジャンビ州内陸部のブキッドゥアブラス国立公園内に自然のままに居住している先住種族もリンバ人であり、この種族はアナダラム族(suku Anak Dalam)あるいはクブ族(suku Kubu)と呼ばれている。インドネシアのあちこちに居住している、文明化を拒否し、あるいは取り残されてきた諸種族のひとつだ。
かれらがオランリンバと呼ばれるのは、多分オランフタンがある種の類人猿の呼称として先に定着したからではないだろうか。オランフタンとはご承知の通り「オランウタン」という音になまって世界中に流通しているあの類人猿のことだ。写真を見るかぎり、オランリンバが生活を営んでいる場所一帯は決してジャングルというイメージをもたらすほどの濃い密度になっておらず、それこそオランフタンが棲息している場所と似たような雰囲気をかもし出している。
インドネシアには、山の中や海岸に居住する文明から取り残された種族があちこちにいる。海岸居住者の多くはそこそこ文明化しているものの、「海のジプシー」という別称の通り、定住することを嫌い、折に触れて別の海岸へと移住するため、国民としての権利と義務をかれらに持たせようとする政府は、現代国家の国民管理行政に従うよう指導と支援を与えており、海のジプシーは定居してジプシー生活をやめるよう説得され、山中の種族は文明社会に降りて来るよう勧められている。
ジャンビ州ムラギン県バンコ郡クンカイ村には、村民居住地区とは少し離れた場所にオランリンバが集落を作って住んでいる。政府の開化政策は、徐々にではあるが前進していることをその事実が示している。しかし文化を異にするふたつの集団がいきなり溶け合ってひとつの社会を作り出すことは簡単に起こるものではない。数世代という時間をかけなければ社会的な一体化は生まれないだろうし、社会構成員の意識の中身がそれに即したものにならなければ、これまた何世代かけようが融合することはあるまい。
2015年12月15日、リンバ人住民と村民の間に流血の抗争事件が発生した。村民のひとりがオートバイでリンバ人居住地区を通っているとき、道路脇につばを吐いた。道路脇にしゃがんでいたリンバ人のすぐそばに、つばが落ちた。それを侮辱行為と受取ったリンバ人は、オートバイを止めて村民を殴った。村民がリンバ人に殴られているのを見た周辺の村民たちが現場に駆けつけてくる。リンバ人は危険を察して、すぐに逃げた。
村民はモブ化した。村中から大勢の男たちが集まってくると、かれらはリンバ人集落に向かい、住居やオートバイに火をかけて燃やした。国家警察機動旅団とムラギン県警および国軍治安要員百人あまりが現場に駆けつけてきたときには、住居12軒とオートバイ6台が燃えていた。
治安部隊はモブを沈静化させ、解散させる。すると解散した村人たちの中に、周辺の村へ帰って行く者がかなりいた。一旦、血を湧き立たせる事件が起こると、すさまじい動員力が発揮されることを、それは示しているようだ。
暴動の意欲と押しとどめようとする力がせめぎあう騒乱の中で二発の銃声が響き、46歳と26歳の村民ふたりが地面に倒れた。多数のモブに追い詰められたリンバ人の反撃だとそれを見ることができる。ふたりは病院に運ばれたが、46歳の男は死亡した。それはあたかも、リンバ人の狙撃技術が優れていることを示したかのようだった。警察はその後の捜査で、リンバ人が持っている銃火器を提出させた。それはリンバ人が組み立てたクチュプッと呼ばれる旧型の長身銃で、リンバ人は伝統的にその種の銃の製作技術を手に入れ、昔から猟のために使っていたという話だ。
リンバ人は全員がその集落を去って、別の村のリンバ人集落に避難した。そのあと、警察が両者を仲裁し、両者の指導者が和解と親交を深めることを約束して、事件発生前の状況に復した。
流血抗争の発端というのは、往々にしてこのような些細な行き違いであることが多く、宗教戦争と呼ばれている中部スラウェシ州ポソの抗争でも、衝突の大半はそのような血気盛んな人間の闘争本能が引き起こしたものになっている。個人や少人数間の暴力闘争が集団を統率する者の意向しだいで規模の拡大が起こり、そのときに統率者のアイデンティティ認識がどうであるかによって敵味方の線引きがなされる。
人間が生活している場のウチとソトという世界観、人間が持っている闘争本能あるいは暴力性の発露の場、勝敗と生き死にが背中合わせに貼りついている人生観、人間の価値という自己存在の本質を支えるもっとも太い柱は何かという人間観、そういった文明文化要素を抜きにしては、インドネシアで発生する流血抗争のダイナミズムを正しく理解することは難しいのではないだろうか。


「インドネシアを誇る」(2015年12月28日)
400超の言語と独自の文化を持つ350を超える種族が集まって構成されているインドネシアを統合している原理は民族主義だ。インドネシアの場合、民族というのは国民に該当する政治的概念であり、一般に用いられている人類学的な概念ではない。インドネシアにいる民族はただひとつ、2億5千万人から成るインドネシア民族だけだ。そのインドネシア民族がジャワやスンダをはじめとしてアチェからパプアに至るさまざまな種族で構成されているという構図になっている。さまざまな種族は文化や言語、慣習や信仰などがきわめて多様的であり、そういう文化面や宗教の異なる諸種族がビンネカトゥンガルイカの国是のもとに、ひとつの民族として肩を並べ、同じ国民という意識の下で協働している。
この世界にも稀な国家が誕生してから70年が経過した。一部集団が自分の属す種族や宗教への純粋化を唱えてこの共和国の国家原理を変えようとする動きを数え切れないほど示してきたが、それが成功したことは一度もなく、大多数国民は建国の父たちが据えた礎石を妥当で適切なものと見て、現在の国家形態を支持している。
ということは、国民の多くがインドネシアというエンティティに対する帰属意識を強く持っているということであり、かれらは自分がインドネシアの一部であることを誇りにしているということができる。
コンパス紙R&Dが2015年8月12〜14日に国内12都市の17歳以上の国民667人に対して行った電話インタビューで集められた統計が、国民の愛国意識を映し出した。
質問1)あなたは自分をどう表現するのがもっとも妥当に感じますか?
回答1)インドネシア国民79.3%、特定宗教信徒12.6%、特定種族民6.9%、国際社会住民1.2%
質問2)自分がインドネシア人であることを誇りに思うのは、何に関して?
回答2 自然の豊かさ24.9%、種族や文化の多様性22.9%、インドネシアで生まれた12.9%、インドネシア人の優しさ7.9%
質問3)インドネシア人であることを恥ずかしく思うのは、何に関して?
回答3)差別・抗争・暴動16.0%、不満足な政府の業績12.7%、コルプシの激しさ8.7%
質問4)日常行動でインドネシア人は何を優先対象にしていますか?
回答4)個人・所属集団77.7%、インドネシア民族17.7%、外国勢2.1%
質問5)政策策定に当たって政府が優先対象にしているのは?
回答5)インドネシア民族48.0%、個人・集団39.9%、外国勢5.7%
質問6)インドネシアは外国優位から解放されたと思いますか?
回答6)まだ79.9%、解放されている14.1%


「インドネシアの飯を炊く」(2015年12月30・31日)
ソース: 2015年4月16日付けコンパス紙 "Menanak Nasi Indonesia"
ライター: ナショナル大学大学院政治学教官、Mアルファン・アルフィアン
われわれは民族の進歩を早めることができるだろうか?この質問は1935〜1939年にスタン・タッディル・アリシャハバナ(STA)と他の人々の間で繰り広げられた文化論争を思い出させる。
その論争は、1928年10月28日の青年の誓い後の世代があらゆる分野における国民の理想を分析する中での、大きな問題に対する反応だった。論争が始まったときまだ27歳だったSTAは、どれほど問題視されようが、種々の見解を明確に分析した。
論争を煽ったのはSTAが書いた「新たな社会と文化を目指して、インドネシアとプレインドネシア」という論説で、1935年8月にサヌシ・パネとプルバチャラカが反応した。それ以来、論争は、ストモ、チンダルブミ、アディヌゴロ、Mアミール、キ・ハジャル・デワンタラなどの新たな論者を巻き込んで、1939年まで展開された。現代のソーシャルメディア時代の即席で短いコメントとは異なり、その論争中のすべての思考は明確・完璧で、当時の一般大衆に幅広く読まれうる文章で書かれた。
インドネシアの歴史は、20世紀に「民族と国家の新しい道を歩もうと自覚した新たな世代が生まれたとき」始まった歴史だとSTAは言明している。その新時代は19世紀末に幕を閉じたプレインドネシア時代とは異なっている。インドネシア時代というのは過去の延長線上にあるものではなく、新たな世代が理想とするインドネシアは、それゆえに、マタラム王国等々の続きではないのだ。STAはインドネシアの新しい歴史を再構成しよう、と呼びかけた。インドネシア文化は世の中の進歩の必要性に応じたものを探さなければならない。
民族統一の結び綱は共通のメリットなのだ、とSTAは主張する。ひとつの民族は静的でなく、「広大な世界の海で競い合うべく」動的でなければならない。「インドネシア民族は飯を炊かなければならず、そのために火をおこさなければならない。」とSTAは弁じた。既に飯を炊いているため火が燃え盛っている西洋民族とはそこが違っている。西洋にとっての問題は、いかに飯を焦げ付かせないようにするかであり、火加減の調整がなされる。インドネシア民族が火加減の調整など考えたなら、インドネシアの飯はいつまで経っても炊き上がらない。火さえおこっていないのだから。
STAが火にたとえているのは知識主義・個人主義・エゴイズム・物質主義のことで、知識主義以外の三つが常にネガティブであるとは限らない。それらはすべて西洋で発展した。だからSTAにとって西洋文化は、科学と技術の進歩を推進できるだけでなく、哲学・宗教・文学をも成長させると見なしうるものである。その当時のコンテキストにおいて、STAはインドネシアを「枝には葉がなく、成長せず、実もつかない枯れ木」のような弱さにたとえた。たとえ葉があり、成長し、結実するとしても、それはあまりにも小さく、病んでいるため、世界の目には無意味なものと映っている。だから「西洋精神」を取り込まなければならず、反対に諦めに満ちたヌリモ精神は打ち捨てなければならない。
インドネシア民族が西洋精神を取り込むよう奨励するSTAは西洋化を目指しているのだろうか?1976年のインタビューでSTAは、西洋については触れず、あるメンタリティについて語った。自分は西洋信奉者ではない、とかれは言う。ルネッサンス時代のミケランジェロのような偉大な作品を生み出す力は西洋にもうない、と述べたアンドレ・マルローにかれは同意する。STAの言う「西洋精神」とは、「思考し、決定し、自己の運命を自分の手中に握る人間」を意図している。長期にわたった文化論争のあとのその意見は、重要な発展を示すものと見ることができる。かれは「西洋精神を取り込む」ことと西洋化は違っているのだという姿勢で客観化を行っている。
< インドネシアの火 >
それを現代のわれわれに反映させるなら、マヌシアインドネシアは「思考し、決定し、自己の運命を自分の手中に握っているのか?」という問いが生まれる。その問いはキショール・マブバニの問いを少しモディファイした「アジア人は思考ができないのか?」というものにまとめられる。実際、植民地時代にそうであっただけでなく、独立したにもかかわらずそれが決して思考や民族の将来を決める決定に自由をもたらす自立に必ずしもつながっていない、という点からそれが恒久的性質を持っていることを思えば、その問いはきわめて重大なものだ。
だからわれわれの問題は、独立以来燃え上がったインドネシアの火をどう効果的に運営して、インドネシアの飯を火勢不足にならないように炊くかということになる。われわれの火は、他の先進民族に比べて、火勢がまだ弱い。しかしインドネシアの飯を炊くというのはその火を永遠に消さないようにすることを意味しており、言うまでもなくそれは長期的な仕事であり努めなのだ。インドネシアの火を絶やさないために、リーダーシップはモチベーション機能を持つがゆえに重要なアスペクトである。インドネシアのように大型民族のリーダーになるのは、容易なことではない。火を絶やさないというのは、ソリダリティメーカーとしてのリーダーという修辞で表されるものでなく、システマチックな政策の効率と効果により深く関わっているものなのである。
STAからわれわれは少なくともふたつの項目を与えられた。ひとつはパンチャシラにある価値観の内面化と再実現だ。それは民族の性格を形成する基盤となる。STAはかれの記念碑的著述「個性・ソサエティ・文化の統合パワーとしての価値観(1966年、1974年)」で唱導したように、価値を強調した。パンチャシラの価値観は、宗教的で複合的なインドネシア民族にとって、たいへんぴったりと適合しているものである。その価値観が衰退や他のものによる代替を免れて維持され続けるなら、インドネシアの魂は消えることがない。
もうひとつは、モダンな思考方法や姿勢を国家利益の枠の中で測定可能にすることだ。STAは国家利益を強調する中でグループやセクターのエゴを否定した。われわれは、グループの利益ましてや近視眼的な利益でなく、民族の利益という偉大な思考を行わなければならない。言うまでもなくそれは、個性つまり個人のメンタリティに端を発して民族という社会的風土に至るものだ。
三つ目、依存的姿勢から脱して自立文化の構築に向かう努力が必要とされている。これは単に民族リーダーに関わっている問題でなく、依然として世襲制リーダーシップあるいはネオ世襲制の中に沈んでいる一般大衆の問題でもある。われわれは、自立・創造性・改革といった特徴を減じることなく、オーセンティックなリーダーシップとフォロワーのモデルを必要としている。それらが行き着く果てに、民族の自立が待ち受けている。
四つ目、機構改革とシステム強化の必要性。そのふたつはわが民族にとってきわめて深刻な課題になっている。全線にわたる民族システムを実現させる大きな責任を負っている政治エリートたちは、残念ながら大勢が〜クントウィジョヨの言葉を借りるなら〜馬の目隠しを着けており、近視眼的な問題でなければ非生産的なコンフリクトに没頭している。政治エリートたちに再知性化プロセスを行って適正な学術的意識と能力を涵養し、適正で効果的なシステム作りを行う能力を持たせる必要がある。
われわれは進歩の火を燃やすことのできるインドネシア精神を形成する必要がある。ブン・ハッタの表現を借りるなら、われわれはより速く、より無難にならなければならないのだ。