インドネシア「人と文化」情報2016年


「虐げられる最下層の少女たち」(2016年1月13・14日)
児童保護国家コミッションのデータによれば、2011年1月から2015年11月までの59ヶ月間に受け付けられた子供の権利侵害に関する訴えは18,365件あり、年別では2014年が5,066件で最大になった。2015年は11ヶ月間で3,298件だ。
人権意識の確立がいまだ不十分なインドネシア社会を見れば、国家コミッションだけでなく警察・人権保護民間団体・地方政府の女性児童保護統合サービスセンターなどに届け出られた事件をすべて集計してみたところで、それらが氷山の一角に過ぎないことは言うまでもあるまい。
2015年の児童保護国家コミッションへの訴えの中で最大ポーションを占めたのは、子供が子供に対して権利侵害事件を起こしていることで、941件がそのカテゴリーに入った。法で裁かれる立場に置かれた子供は、実は加害者であると同時に被害者でもあり、それが事件の本質的解決を難しいものにしている。加害行為の内容としては、殺人・強盗・窃盗・堕胎などが見られる。
二番目のカテゴリーとして、子供の所属する家族の成員が子供の権利を奪うというものが665件あった。両親の離婚で子供の養育権が争奪の渦中に陥ったもの、だれも子供の世話をしなくなった家庭、子供が行方不明になる、子供が両親のどちらかとの接触を禁じられる、といった内容が多い。2015年6月にバリ州デンパサル市内で起こった8歳の養女の死亡事件は現在公判の最中にあるが、それがもっとも極端な事件の一例だろう。
403件という三番目に多いカテゴリーは学校の中で起こったものだ。イジメとタウランは学校関連暴力事件の二大原因をなしているが、それとは別に学校が行う不法徴収金の犠牲者に父兄保護者でなく子供自身がなっている、という構造的な問題もある。地方政府教育局に無届で学校側が生徒に課した徴収金を納めない生徒に対して、学校側が生徒に罰則を与えるのがこのケースであり、生徒は授業出席を禁止されたり、あるいは修業国家試験の受験を許可されないといった報復を甘受している。
性暴力という切り口では、児童ポルノ、インターネット上での人身売買、生活環境内における性暴力被害という三カテゴリーがメインストリームをなしている。2015年10月に西ジャカルタ市で発生したダンボール箱詰め幼女死体遺棄事件は全国的な話題をさらった。警察の綿密な捜査によって、近所に住む顔見知りの男が犯人として逮捕されている。家庭や隣近所そして学校といった子供の生活環境のほとんどすべてを占めている空間がインドネシアの子供たちに安全をもたらさないものになっている、という国家的悲劇が現在進行形の姿で国民を取り巻いているということだ。
ジャカルタのシャリフヒダヤトゥラ国立イスラム教大学心理学教官は、暴力行為に対する児童青少年のトラウマに関する調査を行っている。自身が被害者になった子供であれ、生活環境内で行われた異常な事件の目撃者になった子供であれ、いまだ成育期にある子供の思考パターンは大きく変化すると教官は語る。
「感受性が失われてアパシーが強まる。外界に対して攻撃的になる。自分の存在を危険に陥れるレベルの抑うつ状態になる。そんな症状が見られても、両親や教師は気に留めない。子供の様子が変わってしまったことに気付いてはいても、それに関して何かをしようとは考えない。
言葉にせよ行為にせよ、子供同士の間の荒っぽいふるまいは親しさを積み上げていくためのごく当たり前の相互コンタクトの様式にすぎないと考えているおとなは少なくないし、荒っぽいふるまい(暴力的対人接触)は人間形成の手段だと見なす者さえいる。」
子供に対する暴力は、インドネシアの社会自体が携えている暴力性の高さがその基盤を支えており、そして国民生活で大半の家庭が封建遺制である家父長型社会構造に即した価値観を維持実践しているために、その存在が当然視されている。家族一族の統率権は家父長が握って年嵩の男たちが方針決定や実践分担の差配に関与する。大人の女たち、そして家族の全員から保護されるべき子供たちは、頭の上で決められた方針の手伝いを否も応もなく命じられるだけだ。子供は命じられたことを実行するだけの一介の「歩」にすぎず、子供に一家一族の方針を実行させあるいは従わせるべく「王将」や「飛車角」が手綱を握り鞭を振るうのである。その構造に反発すれば、力の制裁が子供を襲うのは疑いもない。この家父長構造が変化しないかぎり、最弱者である子供が自分の意思を表明し、自分の希望を実現させる行動を取れるようにならないことを歴史が示している。
男の下に女がおり、女は自分および一族の子供ができてはじめて自分の下に存在する人間ができる。このように子供は男であれ女であれ、最下位に位置付けられるのである。更には子供の世界に男と女の地位の差が持ち込まれ、少女が全体中の最下層で最弱者となるわけだ。男の子供は成長することで大人になり、母や妻や他の女たちの上位に就くようになれる。少女は自分の子供や幼い甥姪ができて、やっとかれらの頭の上に載れるようになる。
このような社会的価値観は親の子供に対する私物化を生み、子供をモノ化してその所有と使用の権利が親に与えられているような錯覚に陥る者を多数生み出す。その錯覚の上に、殺さないまでの最低限の世話しかしない権利や、あるいは使わない品物を家のどこかに放置しておくように子供を放置する権利などが発展的に上乗せされていくにちがいない。
少女に対して生活環境内の男たちが行う性暴行事件の続発が、犯行抑止のために決定的な刑罰を用意しなければならないという考えを呼び起こした。一時、国内に大きな論議を巻き起こした去勢処罰問題がそれだ。医療界や人権擁護団体はその法制化に慎重に取り組むよう求めているものの、行政・立法・司法の三界は早くも改正法案作りに動いている。
少女が一家一族隣人の男たちのセックスの餌食として狙われるのは、最下層・最弱者という社会的認識がもたらしている悲劇ではないかという気がわたしにはするのである。女であり子供である少女は、男の命令に服従し、上位者たる男にお仕えするのがその義務であるという観念だ。
現代文明社会で一般的に見られる形態として、男児女児の日常生活における保護の役割は母親が担っているように思われる。少なくとも男女同権がタテマエとされ、子供の人権が社会的に認知されている社会に見られる形態がそれだろう。
インドネシアの母親は自分の子供たちを人間として保護するために、自分自身と子供たちに権利についての教育を与えなければならない。しかし人間は普通、幼児期から植え付けられてきた価値観に即して日々の生活を実践することが善き人間の必須条件だと考えている。男優女劣の価値観に覆われた社会では、劣者としてのビヘイビアを示す女性が正しい女のあり方として賞賛されるようになっているのである。自分が善き人間となるための規準、つまり自分自身の存在規準、を、男優女劣の価値観が支配的な自分の家庭内で変革して行こうとする意欲を持つ女性がどのくらいいるだろうか?
現にインドネシア女性コングレス議長は「自分と子供が劣等人間に位置付けられることを拒否し、子供が人間として成長する権利を追求できるような生き方を母と子が一緒に探っていくことの重要性を認識できている女性はまだほんの一握りしかおらず、かの女たちは個人としての動きからやっとネットワーク作りへと移行し始めた段階だ。」と述べて、大半の女性が封建的価値観の中に安住している状況に憂いを込めた批判を行っている。


「他人の不幸はわが悦び」(2016年1月19・20日)
きわめて前近代的・反文明的な精神傾向を持つ人間がいる。世の中でそんな傾向がどのくらい当然視されているかということが、その社会の文明度を測る物差しにできるにちがいない。
インドネシアのマスメディア、つまりジャーナリズムにそのような精神がどう影響を与えているのだろうか?性暴力の被害者となり、生命は維持されたものの、その被害者がだれであるかを第三者が特定できるような情報が世の中に流されていれば、世間から烙印を捺された被害者の人生は閉塞状況に陥ってしまう。依然として血縁地縁の結びつきが強いインドネシアでは、まったく新たな新天地で人生をやり直す、などというようなアイデアは夢物語に近いだろう。
被害者がどうして肩身の狭い思いをしなければならないのか?男優女劣社会のレイプ論理では、男が女を犯すのは当たり前であり、女が男にその気を起こさせたための結末がそれなのであって、女が身を慎み、品行方正にしていればそんな被害を受けることはないのだ、という本末転倒ロジックにすりかえられてしまう。特にムスリム文化がそのコンセプトを太古の時代から色濃く受け継いでいるのは、家庭内から世間へ足を踏み出す際のムスリマの服装を見れば明白だ。つまり、被害を受けた女は性的なあばずれなのだ、という視点が世の中に深く打ち込まれているのである。加えて、表題の精神が存在している。
インドネシアで民間マスメディアは資本主義の真っ只中にいる。人権問題に配慮しながら事実を迅速正確に報道するという原則が最大優先されているかどうか?ジャーナリストたちが売れる記事を最大優先するのは、他のコモディティと変わるところがないだろう。そこに性暴力事件被害者のアイデンティティ問題が関わってくる。
事実を正確に、しかも読者の性的刺激を誘うような記事を出せれば、「売れる」レベルはクリヤーできるにちがいあるまい。そして事件の被害者が二次被害の標的にされるのである。
女性に対する反暴力国家コミッションが、2015年上半期のマスメディア報道の中で女性の人権にジャーナリズムがどれほど配慮しているかという調査を行った。調査対象にされたのは9全国紙で、その中の1,238件の記事が分析対象とされ、性暴力事件はそのうちの225件だった。分析結果は次のように報告されている。数字は件数。
被害者のアイデンティティ記載 66
事実と意見の混合 71
性暴行事件加害者である未成年者のアイデンティティ記載 2
わいせつ性・嗜虐性情報記載 44
暴力発生原因を被害者の振舞いに求める断定 41
被害者のステレオタイプ化 28
被害者に非があると裁断 24
ジェンダーバイアス語彙の使用 69
歪んだ視点を持つ者のインタビュー発言を記載 29
暴力模写 28
読者にセンセーションを与える武器としてジャーナリズムが活用しているものが上のような内容であるにちがいないとコミッションは考えている。一般読者の倫理感覚を蝕むものと、被害者の二次被害に向かうものがそこに混在しているようだ。
被害者のアイデンティティについては、さすがに本名や住所などを露骨に記載するものは姿を消しているが、居所の地域名や学校名などを記載する間接情報には事欠かない。また性暴力被害発生時に被害者の衣服がどうだったのか、夜中にどんな場所へわざと行ったのか、それが加害者の行動を煽ることになった、というような記載がいまだに目に付く。
法制度上では、「証人と被害者の保護」に関する2006年法律第13号、「児童保護」に関する2014年法律第35号が既にあるにも関わらず、ジャーナリズムはそれらの法規を尊重していない、とコミッショナーは批判している。
しかしジャーナリストたちは、自分たちが規準にするのは「報道」に関する1999年法律第40号とジャーナリスト倫理規定であるとしている。ところが、倫理規定第4条は「わいせつ性・嗜虐性」のある報道の禁止、第5条は風紀犯罪と未成年加害者事件は報道しないと規定しており、同じ内容は児童保護法や「証人と被害者」保護法にもうたわれている。
報道評議会苦情委員会経験者はこの問題について、一般社会から報道記事内容を指弾する訴えが出されることはめったにない、と語る。「センセーショナルな報道を世間は普通のことと見ており、ジャーナリズムはそういう世の中にセンセーションをもたらそうと努めている。その結果が今のような状況であり、つまりはジャーナリストと一般社会が相関的に事件関係者の人権に対する感受性の希薄さの中にいる。
一般社会はセンセーショナルな記事を当然視して、それが人権侵害に当たるとは考えておらず、メディアは世の中で好まれる記事を出しているのだ、と主張するばかりだ。国民に対するメディアリテラシーが必要とされている。」
女性に対する反暴力国家コミッション長官は、暴力被害者にとって社会正義はきわめて重要なものだ、と説く。「被害者が心身の傷を癒して社会復帰のためのモチベーションを手に入れるために、被害者へのモラル支援はたいへん重要なことだ。被害者は自分の人生を再構成してやり直す権利を持っている。ところが、事件がメディアのアーカイブにいつまでも残され、だれでもそれにアクセスできるなら、被害者が自分の権利を遂行することができなくなる。」特にオンラインメディアはその点に関する配慮が不可欠だ、と長官は力説している。


「ママがヒーロー」(2016年1月26日)
インドネシアの高校生たちの目には、母親の姿が家庭生活の中心をなしている敬愛と憧れのアンカーとして映っている。つまり、日常生活におけるヒーローなのだ。しかし人間開発という視点から見るなら、母親たちをメインとする女性階層はまだまだクオリティを向上させなければならない。
コンパス紙R&Dが全国12都市の高校生1,640人から集めたアンケートの回答内容を見るかぎり、母親の人間的クオリティに対する批判はあまり強くなく、むしろその懐へ甘えて行けるという依存対象として存在している感が強い。高校生たちにとってヒーローの人物像とは、自分に保護が必要なときにすぐそばにいてくれ、社会生活で他のひとたちの役に立とうと努め、悪事に対抗する姿を示してくれるといったイメージから成っている。
さらにナンバーワンのコミュニケーション相手であり、同年代の親友・ソーシャルメディア・インターネット情報などのチョイスの中で最高のチュルハッ相手なのだ。一般的にインドネシアの高校生は、学校・勉強・金銭・人間関係などさまざまな問題の相談を親にもちかけ、親の意見を参考にして結論を下す傾向がたいへん高いように見える。
コンパス紙R&Dのアンケート結果は次のようなものだった。
質問1.家でだれにもっともチュルハッしますか?
回答1.母親47.1%、兄弟姉妹20.8%、父親7.7%、その他9.2%
質問2.もっとも頻繁にコミュニケーションする相手は誰ですか?
回答2.母親57.6%、父親9.5%、両親一緒4.4%、その他28.5%
質問3.あなたにとってのヒーローは誰ですか?
回答3.母親46.2%、父親31.7%、両親一緒14.9%、その他7.2%
子供たちの目にはそのように映っている母親だが、ジェンダー専門家たちはもっと高いレベルの期待をかけている。ボゴール農大ジェンダーコミュニケーション専門家は、「インドネシアの女性が決定を下す問題のほとんどは日常生活に関わるものであり、クルーシャルなものはあまりありません。しかも、決定内容の多くは夫や男性の影響を受けています。それは決定を下す際の変数分析能力が女性に不足しているためであり、学歴と専門性に影響されているのです。ファイナンス運営やトータル的な子供の養育、子供の個人的な問題や周辺環境との問題への助言や指導に必要な能力が、インドネシア女性のマジョリティにまだ不足している部分です。」と述べている。
著名なジェンダー人類学者のひとりは、女性の人間クオリティ開発はまだ遅れている、と言う。「女性層にとっての問題は、保健・貧困・教育・方針決定への参加が閉ざされているといった、昔からの問題が依然として継続しています。そして地方自治の時代に移行したいま、女性の権利を満たそうとする意志の従来からあまり強くなかった分野が壁をますます厚くしている状況が生じているのです。」
2014年インドネシアの人間開発指数は男性が0.706ポイントであるのに対し、女性は0.655しかない。たとえば女性の就学年数一人平均は7.0年で男性の8.2年より低い。学校をドロップアウトする可能性は女性のほうがはるかに高い。義務教育12年制度を政府は計画しているが、村落部の高校は都市部よりも密度が希薄にならざるをえず、娘を遠くの高校まで通わせる親の数は息子を持つ親よりはるかに少なくなるだろう。
そして保健問題の筆頭には、出産時母体死亡率の高さがなかなか低下していかないということがある。2012年の保健デモグラフィ調査結果によれば、出産10万件中の母体死亡は359件あった。
女性に対する暴力も高い傾向が維持されている。反女性に対する暴力国家コミッションのデータでは、2014年の女性に対する暴力事件は293,220件にのぼっている。ほとんどが家庭内というプライバシーの中で起こっていることであり、被害者女性の大半は妻であり母親なのである。


「インドネシアにも、くがたち」(2016年1月26日)
古代日本で「くがたち」という神明裁判が行われていた。潔白な人間は熱湯の中に手を入れても無事で、「自分は潔白だ」とうそを言っている者はおおやけどするというロジックで犯人探しを行う、呪術的な審判方法がそれだ。それがインドネシアのマルク地方で今でも行われている。
2015年12月31日、マルク州中部マルク県サパルア郡トゥハハ村でちょっとした事件があった。マルクで長期にわたって続いた宗教抗争を沈静化させるために、州内の農村部には兵員が配置されて民生保護政策が行われている。国軍兵士が守護していることで、村民たちは襲撃者の攻撃に対する不安をぬぐうことができるわけだ。
トゥハハ村にはバナウ/第732歩兵大隊所属の兵員が数名駐屯している。1999年からその村に駐屯している兵員の携帯電話機が紛失した。その兵員が監視ポストにいるとき電話機が紛失し、そのときポスト周辺にいた村人が疑われ、かれは周辺にいた者たちを集めて問い詰めた。中でも、13歳の少年に疑惑の焦点が当てられ、自白を強要して、かれはその子供を虐待したのだ。
金属定規で叩かれ、両耳と人差し指にステープラーが打ち込まれ、裸にされて焼けたアスファルト道路に寝そべるよう命じられた。そして煮えたぎる熱湯の中に手を四回浸けさせられた。少年の手はただれた。
バナウ/第732歩兵大隊指揮官は、その兵員は警察に盗難を届けて捜査をゆだねるべきところ、自ら村人を虐待したのは処罰の対象となる、とこの事件に関して表明している。
ただし、熱湯の中に手を入れさせたのは、その兵員が自分で考え出したことでなく村の長老に教わったことであり、昔からの伝統的な審判方法として、盗んだ者を発見するために熱湯に手を入れて結果を見るやり方が行われてきたのだそうだ。だからたいていの村人はその由来を知っており、実際に監視ポスト周辺にいたおとなたちも、数人が熱湯の中に手を入れている。


「青年ボランティアが増加」(2016年2月17日)
インドネシアの若者たちも社会への貢献意欲は高い。若者たちがその意欲を充たす一般的な方法は、社会活動のためにボランティアを募っている民間団体に応募して、その民間団体が目指している目的のための活動に参加するというものだ。その両者の橋渡しをしているネットサイトがある。
ボランティア活動に興味を持つ若者たちはindorelawan.orgというサイトで自分が貢献したい活動を行っている民間団体の情報を探し、インドレラワンに登録する。ボランティアを求める民間団体は、インドレラワンという一種の人材バンクに登録されたひとの中から、求めるスペックに合うひとを探すという仕組みだ。2013年に誕生したインドレラワンのデータによれば、2015年の一年間に扱ったボランティア希望者1万人の中で、環境分野の活動をしている民間団体に応募したひとは1,825人いた。次に多かったのが教育分野の1,722人、三番目が社会開発分野で1,026人、四位は青少年開発の897人、五位は芸術活動の873人だった。
環境分野というのは、小はゴミ対策から大は不法森林伐採まで多岐に渡っている。その中で概して人気が高かったのが、クリーンな生活環境を目指す活動であり、活動場所はジャボデタベッの首都圏がメインを占めた。民間団体名を挙げるなら、Gerakan Indonesia Diet Kantong Plastik, Bersih Nyok!, Green Peace, Waste 4 Change などが若者の人気を集めている。
民間団体への応募手続で問われる「応募の理由」に対してボランティア希望者の多くは、不潔で無秩序な生活環境とその状態を何とも思っていない社会のひとびとに改善をもたらしたいとの希望を表明している。中でも、環境の秩序保全の失敗が水害の原因であると考えているひとが多く、その動機はきわめて現実的な様相を帯びている。
若者の社会貢献志向が高まっている状況に関してジャカルタ国立大学社会学者は、ミドルクラスの人口増が直接的な原因だと分析している。「ミドルクラス階層は4千万人に増加し、教育のある親と生活に困らない家庭で子供たちが育った。一家で外国旅行をし、外国の社会というものも見てきた。かれらは妥当な暮らしというものの感覚を身に着けている。かれらの社会意識が広範な社会に浸透していかなければならない。政府の指導下に国民運動として行われる必要がある。それを民間団体まかせにしてしまえば、運動はスポット的にしか実を結ばないだろう。政府は国民清潔運動とか適正MCK(マンディ・洗濯・トイレ)運動といった国民運動を推進するべきだ。」
政府が運動を唱導し、ボランティアと民間団体を現場推進役として関与させる。運動結果を評価し、優秀な村や町を表彰する。そうやってクリーンな生活環境の形成と維持を計って行けば国民への動機付けとなり、運動の質的量的拡大の好循環が生まれるだろう、とかれはアドバイスしている。


「ごみの中の食べ物」(2016年3月16・17日)
ライター: インドネシア大学工学部環境技術学科、ガブリエル・アンダリ・クリスタント
ソース: 2013年12月14日付けコンパス紙 "Makanan di Dalam Sampah Kita"
ごみの中の食べ物について話すのは、ひとつのイロニーについて話すようなものだ。われわれの社会では、一部の人間が飢餓を免れるための食糧というベーシックな必要性を満たすためのヘビーな努力を払っている一方で、別のひとびとは過剰な食物摂取を行い、さらに食べきれないものをごみにして捨てているという姿を容易に見出すことができる。
ジャカルタの低・中・高所得層住宅地区で2012年に筆者が行った調査では、住民が作り出すごみ全体のほぼ50%、有機ごみの65%が食べ物だった。ジャカルタ都民が排出するひとり一日平均1キロほどのごみの中で、5百グラム以上が食べ物で占められているのだ。
驚いたのは、食べ物ごみの大部分が捨てられた時点でまだ十分に食べることの可能な状態だったことだ。つまり、食べるだけの量を超えていたために食べ残されて捨てられたか、あるいはクオリティの良好なものを保存したが、結局良好な期間に食べられなかったために捨てられたものだった。中高所得層向けアパートメントやジャカルタの大学キャンティ―ンでは、そのようなごみの比率が70%まで高まった。
2013年の調査では、ジャカルタのある大学キャンティ―ンで72%という調査結果が出た。貧困ライン下国民人口が11%に達するインドネシアのような国で、その数字は異常なものだと言えるだろう。その数値は、カナダのマッギル大学で学生たちが捨てる量であるひとり一日平均5〜7百グラム(モリン2003年)と大差なかった。
インドネシア語大辞典の「ごみ」の定義は、紙や落ち葉のような「使われなくなった物品物質で、同時に汚物を意味している」というものであり、環境用語辞典を見ても、それとあまり違わない定義付けになっている。国連環境プログラムのごみの定義は、持ち主が望まなくなった/必要としなくなった/使わなくなったもので、さらに手が加えられたり、捨てられたりする必要のあるもの、である。そしてそれらのソースではさらに、機能や効用が低下したものという一般的な理解が明白に読み取れるのだ。
< 食べ物ごみのイロニー >
コッセヴァは2013年に、食べ物ごみは収穫時・加工時・貯蔵時・輸送時・消費者手中などの諸段階で、さまざまな理由で発生すると書いている。かれはまた、食べ物ごみは地球規模で、特に先進国を中心にして、増加傾向にあるとも書いている。 たとえばアメリカ合衆国は年間におよそ3千4百万トンの食べ物ごみを排出し、再利用されるものはそのうちのわずか3%でしかない。そして皮肉なことに、先進国が2012年に作り出した食べ物ごみ総量2億2千2百万トンはサブサハラ諸国が生産した2億3千万トンという食べ物総量にほとんど匹敵しているのだ。
テクニカルな面から見るなら、ごみの中の食べ物総量に関するデータは、畜産飼料や堆肥などごみ再利用のためのその後のプロセスについて専門家が検討する基礎資料となる。
ジャカルタ都民がそれほど膨大な食べ物ごみをなぜ捨てているのかという大きな疑問が湧いてくる。総合的なインドネシア経済のレベルはまだまだ低いのだから、ごみとして捨てられる食べ物の量は小さい比率になるのが自然であり、ゼロになってもおかしくない。
消費パターン、経済レベル、社会の文化的ビヘイビア等々といった食べ物ごみの大きな比率の理由を、われわれはいくつかの調査から見出すことができる。
われわれを安心させてくれない食糧自給問題の真っただ中に、国内各地に住んでいる貧困ライン下国民の栄養不良現象が存在しており、ジャカルタ周辺でもそれは例外でない。ジャカルタの食べ物ごみの膨大さは、とある社会の大きなイロニーを物語っている。ジャカルタの食べ物ごみの膨大さは食品生産過程で発生している云々は正しい理由ではない。なぜなら、筆者の調査は消費者段階で行われたものなのだから。食べきれる量を超えた食品がテーブルに並べられ、妥当な期間に消費されないまま捨てられたというのが実態だろうと推測される。
食べ物利用連鎖は、食べ物需要を異なるソースに求めざるを得ない低所得層につながっていく。自分たちより幸運な社会階層のごみ箱というのが、そのソースのひとつだ。カソリック教の聖書に描かれたラザルスが貴族のパン屑を拾う姿が、何千年も経過した現在、いまだに継続されている。ごみの中の食べ物量は、インドネシアの文化の中にあったさまざまな価値観に対比して見るなら、イロニーの度合いを一層強めるものになる。食べ物は神聖なるものの一部であり、敬いの対象になっていたのではなかったろうか?どの宗教も、食事の前には祝福と敬意を象徴する祈りを捧げるよう教えていたのではなかったろうか?
< 3Rパラダイム >
ごみの中の食べ物問題を、われわれは避けることができないのだろうか?ごみ対策の中にReduce, Reuse, Recycle という3Rパラダイムがある。
Reduce とはごみが形成されるポイントで真剣にごみの発生を減らそうということであり、のあと更にReuse とRecycle が続いて、すでにごみになってしまったものを利用したり再循環させようと努めることだ。しかしごみの中の食べ物については、食べ物をごみにすること自体に最大限の努力を集中しなければならない。
その行為は食べ物を倫理文化内にある価値観にふさわしいポジションにすえることだけでなく、素材から食品になるまでに費やされる水・エネルギー肥料など、その他の天然資源の節約にも貢献するのである。食べ物利用の面では、われわれの祖先が残した偉大な価値観を実践し、また子孫に伝えていくことがたいへん有益だ。たとえばプアサとか、皿に食べ物をひとつも残さないといった禁止事項、満腹するまで食べない、残すほど皿によそわない、みんなと分け合って食べる、などというビヘイビアがそれにあたる。それが励行されるなら、皿に一粒の米が残っているためにデウィスリが涙を流すことが起こらない日が、将来必ずやってくるだろう。


「増加する子供レンタル」(2016年3月30日)
2016年3月24日、南ジャカルタ市警は管区内の路上で乞食やプガメンをしている者の手入れを行い、5〜6歳がメインの子供17人とおとな8人を連行した。子供の中には生後6か月の赤児もいた。
プガメン(pengamen)というのはヨーロッパの伝統の中にあるストリートミュージシャンを指している。インドネシアのプガメンはアートを提供して金を得ようとする者のほうが珍しく、ほとんどはギターやウクレレをかき鳴らし、あるいはリズム楽器を打ち鳴らして歌を歌うというような形だけのミュージシャンで、本性は乞食に限りなく近い。
連行された者たちは調書を取ったうえで放免されたが、5歳の子供ふたりがストリートチルドレンとして保護施設に送られた。そのふたりは学校に行っておらず、もっと小さいころから路上で乞食稼ぎをさせられていた。6か月の赤児は病院へ送られて療養を受けている。
赤児は産みの親が別におり、一日20万ルピアで乞食稼業の大人に貸し出されていた。もっと大きい子供たちも乞食稼ぎを実の親に命じられ、言うことを聞かなければ暴力がふるわれるという児童虐待が行われていた。そのようなことは南ジャカルタ市だけでなく、ジャボデタベックのあらゆる地域でなされていることであり、子供の人身売買に該当する、と児童保護国家コミッションはコメントしている。
子供を一日20万ルピアで貸し出せば、貧困家庭にとっては大きな収入となる。また、そういう子供を何人も集めてあちこちの路上に配置するだけで、子供が集めてくるお恵みは大きい金額になる。そういうビジネスの胴元はいっとき警察に徹底的に叩かれたため、最近はあまり話を耳にしなくなっているが、本当に消滅したかどうかはわからない。
一方、子供のいない大人が20万ルピアの日銭を求めて赤児を誘拐し、あるいは幼児を誘拐する事件も起こっている。インドネシアが子供にとって過酷な社会であることは、疑う余地がないだろう。


「中央統計庁データも不正確」(2016年4月8日)
中央統計庁が出しているインドネシアデモクラシーインデックス(IDI)で西ジャワ州は69.27ポイントを与えられて良好カテゴリーに区分されているが、マイノリティ宗教や宗派に対する圧迫や攻撃といった不寛容姿勢は他州以上に激しいものがあり、実態を知るひとびとの首をかしげさせる内容になっている。
不審を抱いたワカフパラマディナ財団宗教デモクラシー研究センターがそのポイントに関する調査を実施したところ、41.73ポイントというインデックスが出現した。これは明らかに劣悪レベルに該当するものだ。地区別では、スカブミ県が49.46ポイント、スカブミ市は79.84、タシッマラヤ県は61.05でタシッマラヤ市は76.83といったように大きな爬行性も見られる。
その違いが出現したのは、中央統計庁の調査では県市レベルでの地方紙がひとつだけ対象に取り上げられたが、財団は三つの地方紙を対象に取り上げて分析が行われたためであるとのこと。
地区別に信教の自由度を数値化して比較しているIDIは本当に実態を反映したものになっているだろうか?関連する国家方針を建てる際の基礎資料に使われ、また種々の関連行政機関が現場で行政執行を行う際の手引きとして、妥当なクオリティをそれは持っているのだろうか?
IDIの最悪な州は南カリマンタン、続いて西ヌサトゥンガラ、西スマトラと続く。だが、ほとんどの行政機関は西ジャワ州が最悪だと従来から定評を与えていたのだ。
統計を専門に取り扱う中央統計庁は、国家権力を背景にしてあらゆるところに入り込める。民間調査機関が独自に調査結果を報告しているものは、中央統計庁の報告に対するチェック材料となって、双方がより正確な結果を出そうと努めるようになるが、中央統計庁の独壇場になっている分野には、IDIのようなことが起こりやすい。ワカフパラマディナ財団はIDIの調査基準について、より正確な実態が反映されるように、その内容を修正してほしい、と述べている。


「変わった名前がなぜ悪い?」(2016年4月11・12日)
中部ジャワ州マグラン市警本部にゴトゥ(Goto)という名の警部補がいる。かれの本名をはじめて聞いた者はたいてい、ハトが豆鉄砲をくらったような顔をするそうだ。かれのKTPにも警察官身分証にも正しく記されているその本名とは、Andy Go To School。
その名をはじめて聞いた者は、すぐにそれを人名だとは思えないにちがいない。わが子に名前をつけるとき、普通の親ならその子の人生の幸福とわが期待を込めるものだ。ゴトゥ警部補はどうしてそのような名前を授けられたのだろうか?
いま30歳のかれは、幼い時期に自分の名前が嫌だった、と語る。学校で悪童たちが変わった名前を揶揄するのは、洋の東西を問わない万国普遍のカッペ心理にちがいない。
その名前の意味をかれは親にも尋ねなかったし、親も説明しなかった。中学校に上がって英語の授業を受けるようになったとき、教科書の中に自分の名前が頻繁に出てくるのを不思議に思った、とかれは述懐する。
かれにその名を授けたのは父親のブルキン(Bullking)氏69歳だ。ブルキン氏は三度結婚して子供を十人もうけた。そして、さまざまな名前を子供たちにつけた。いま40歳のAugust Dedy My House、37歳のHappy New Year、29歳のRudy A Good Boy、6歳のFriday Back To School、13ヵ月のEffendi My School等々。娘のひとりにTutut In The Classroomという名前をつけようとして妻に相談すると、妻は首をひねった。相談の結果、Tutut Ermaningrumというジャワ人ぽい名前になった。しかしブルキン氏はそれに満足したのだ。ジャワ語のningはdi dalamを意味し、rumは英語のroomにかけてあるのだから。
ブルキン氏が子供たちに英語で名前をつけたのは、かれ自身の父親がかれにそうしたからだ。かれの父親はスカルノ信奉者で、インドネシア国民党の活動家であり、党のシンボルマークは野牛(banteng)だった。bullkingがraja bantengの英語訳であることはもうおわかりだろう。
しかしその名をもらった息子はそうでなかった。おかしな名前だというだけのことなのに、故郷の悪童たちに揶揄といじめをいやというほど味合わせられたブルキン氏は学校を終えると故郷を去ってボロブドゥル郡に移り、二度と故郷には足を踏み入れないと誓った。
ボロブドゥルで一家を興すのに成功したブルキン氏は、自分の人生体験を子供たちの指針にしようと考え、英語を使ったユニークな名前をつけるようになったのだ。いつまでも故郷にいて親の庇護下にのうのうと年を重ねるような人生ではいけないのだ、と。
ブルキン氏が頻繁にschoolという単語を使ったのは、子供たちが学問への意欲を持つように期待してのものだ。少なくともゴトゥ警部補はその期待にこたえたようだ。おまけに、父親の心情を理解した警部補は、自分の子供にもその方式を適用した。4歳の長男はVirgenio Silvero Goes To Paradiseというフルネームをもらっている。二人目の子供にはLucky Star Beloved Motherという名前を用意したが、残念なことに次男は生後四日目にこの世から去った。
インドネシアには、子供に名前をつけるとき、そのころに起こった大きなできごとや歴史的事件などを用いる習慣がある。たとえば、オサマ・ビン・ラディンがムスリムの間で英雄になったころは「オサマ」、アメリカがイラクに侵入したころは「サダム」といった名前が流行した。
2004年12月26日にアチェ州インド洋岸を広範囲に襲った津波もそうだ。アチェ州庁住民登録局のデータによれば、Tsunamiもしくはそれに類似した名前の州民が31人いる。大半は津波発生からあまり日をおかずに生れた者で、数か月後に誕生した者も中にはいる。特に津波の被害のひどかった地域で生まれた者が多い。Silpa Kaila Tsunami, Ihwan Tsunami, Muhanmmad Tsunami, Tsunamita, Rahmat Tsunami, Rahmad Tsunami, Putri Tsunami Irayana, Putri Tsunami, Ayatullah Muhammad Tsunami, Halima Rus Tsunami, Hikmah Tsunami,・・・・・
津波の日に生れ、5日後に津波という名前で住民登録のなされたハリマ・ルス・ツナミちゃんはもう11歳を過ぎた。ハリマは聡明さを意味し、ルスは産婆さんの名前をもらった。ツナミちゃんは普段、最後の音節をとってアミちゃんと呼ばれている。母親のシティ・ダリアティさん39歳はそう名付けた理由を「聡明で、他人に役立つ人間になり、そして神の偉大さを常に思い出すように願って夫と一緒にその名前をつけました。津波災害は神の偉大さを証明するものなのですから。」と語っている。
優しくて、だれとも親しくなれる子供に成長したアミちゃんだが、津波という名前のせいで学校でもしばしばからかわれることがある。津波の記録映像を見たアミちゃんは、人間には不可能な神の偉大な仕業を自分の名前にもらったこと、そしてその名前を自分に与えた親の心情を理解した。「からかわれることなんか、もう気にしていません。」とアミちゃんは述べている。
もっと古いスカルノ時代にも、政治的掛け声が国民の間で流行語となり、そういった言葉を名前にもらう子供もあった。Tavip, Ibar, Dekonなどの単語を名前に持つ子供たちが出現した。
ムソド・スディロさんとファティマ・パルタスダルマさん夫婦の間に生れた子供たちにはBangun Rahardjo, Ritul Pangastuti, Ibar RI Lestari, Dekon Sri Hutami, Djoko Tavip Nugrohoという名前が授けられた。1960年代の国家建設の最中に生れた長男はBangun、61年にスカルノ大統領が内閣改造Ritulを叫んでいる時期に生れた二人目はRitul、西イリアン(Irian Barat)解放のための反オランダ闘争期にはIbar、1963年に経済宣言(Deklarasi Ekonomi)がかまびすしくなればDekon、そして1964年8月17日の演説でスカルノはイタリア語をはやらせた。危険な人生の年(TAhun VIvere Pericoloso)の頭字語としてのTavipという語を。G30Sがその予感を現実のものにしたのが65年の9月だった。


「ジェンダーギャップは本当に小さいのだろうか?」(2016年4月12日)
世界経済フォーラムが発表したグローバルジェンダーギャップ2015年版によれば、インドネシアのジェンダーギャップはシンガポールやマレーシアより小さいとなっている。東南アジア諸国でギャップのない国はフィリピンで、次いでギャップの小さいのはタイだそうだ。インデックス値は次のようになっている。
フィリピン  1.000
タイ     0.994
インドネシア 0.986
マレーシア  0.967
シンガポール 0.945
カンボジャ  0.891
1が最高でジェンダーギャップがないことを意味している。
ジェンダーギャップは女性が自らに与えられた差別をなくし、対等な権利を世の中に要求していかなければ進展しない。男性フェミニストがいくら頑張っても、女性自身にその意欲が不足していれば、実現はおぼつかないということだろう。ガーナの教育家は「もしあなたが女性を教育するなら、あなたは一民族を教育することになる」と語っている。女性に対する教育というのは、そのベーシックなポイントだと言えるにちがいない。
それに関連してコンパス紙が16年3月23〜25日に全国12都市住民560人にアンケート調査を実施した。
質問1.インドネシア女性への教育機会均等は実現していると思いますか?
回答1.均等になっている85.2%、まだなっていない13.0%、不明・無回答1.8%
質問2.インドネシア女性は国家建設にたくさん貢献していると思いますか?
回答2.たくさん貢献している75.0%、まだあまり貢献していない23.6%、不明・無回答1.4%


「トラウマチック」(2016年4月13・15日)
ライター: 芸術・文化オブザーバー、バリ在住、ジャン・クトー
ソース: 2015年12月27日付けコンパス紙、"Traumatis"

冬の雨の下を歩きながらフランスのナンテの町でバスを探しているとき、ヨーロッパの暮らしにはじめて触れたインドネシア人の体験はいかにトラウマチックだっただろうか、と想像した。白人がインドネシアで体験したものと比較してみようではないか。この一文に多少の誇張があることをお断りしておく。
インドネシアの地にはじめて足を踏み入れた白人は即座に、そしてその後もずっと快適さに包まれる。快適な要素を列挙してみよう。気候はマントいらず、雨は一日中降り続けることなどない。暑さは、モールや商店へ行けばエアコン完備。金は、安全だ。橋の下に置きっぱなしにすることなどないのだから。じゃあ、人間はどうだろう?「うわあああ!」
「バグ〜〜ス!」どうしたわけか、みんなニコニコしてばかりだ。しかも腰をかがめながら。白人が「飲み物」と言うと、すぐにビールを勧めてくれる。買物は?あらゆるものが廉い。もちろんその前に少しは高くしてあるのだが・・・。
出だしでそれだ。付き合いはじめたら、白人が救いようのない愚者であっても、必ず頭が良いと思われる。バハサで二言三言何かしゃべったら、ペラペラだと誉め倒される。
みんなが見上げてくれる。あっ、忘れるところだった。白人は怒っていいのだ。怒られた者は必ず沈黙する。白人は怒って当然なのだから。一番重要なこと、女を見初めたら、本人はデブでも皮膚病持ちでも、まず確実にゴールインだ。王子様だと思われている。白人であるというのは、良いものだろう?そんなあれこれを見るにつけ、おとぎの国インドネシアに住みたいと思わない白人がいるとは思えない。
帝国主義者だと非難されようが、モラル崩壊者や詐欺被害者だと思われようが、白人はそんなことを気にしなくてよいのだ。かれ自身もニコニコを身に着けるようになっていく。
しかし、あなた・・・、インドネシア人のあなたが鼻高人間の世界、たとえばフランスに足を踏み入れたなら、どうだろうか?大違いだ!最初は過酷だろう。まず寒さに震えることを覚悟しなければならない。ヨーロッパ初心者のあなたに付き添ってくれるインドネシア人がいなければ、たいへんな難儀だ。だれとおしゃべりする?町中で出会う人間はみんな急ぎ足で、まるでロボットのようにふるまう。そういうロボットたちがいない場所では、たいてい人っ子一人いない。そんな中で、もしだれかに出会ったなら、あなたはきっとその相手に微笑みを向けるだろう。インドネシア人がみんなそうするように。しかしそれは誤りなのだ。あなたが微笑みを向けたその白人は5割の確率で不快な顔をし、あるいはあなたを見下す表情を返してくる。
なぜなのかはよくわからないが、白人というのはそういうものなのだ。要するに、微笑みかけたり、相手の目を見つめたりなどしないことだ。喧嘩を挑んでいるのかと思われたり、相手が女性なら色事を誘っているのかと思われたりして、無事ではすまなくなる。あなたには当惑の極みだろうが、脳にしっかり刻み付けておくことだ。相手を無視する。できれば多少驕慢な姿勢で。こうしてはじめて、白人はあなたに一目置くのだ。あなたの英語があなたの立場を強める助けになると思ったら大間違いだ。ましてや、日常会話のペランペラン程度であっては。あなたはせいぜい密入国者にしか見られない。
もし公共運送機関に乗って依然としてニコニコふるまっていれば、同じ「密入国者仲間」に財布をすられてしまう。買物はもっと安全か?その通り。しかし店員に貧乏人だと思われて相手にしてもらえなくても、驚いてはいけない。フラストレーションだらけだ。
もしもかっこよいカフェで、多少とも知的な議論に加わる機会が得られたなら、やっとあなたに関心が向けられる。ところが最初はきっと驚くだろう。フランス人ウエイターの態度の偉そうなこと!次いで、ひとびとがまるで喧嘩するようにしゃべっているのを見て、またビックリ。力の入った強い語勢で、会話が飛び交う。殴り合いが始まるのだろうか?否。そして突然、みんなが大声で笑いだすのだから、奇妙きわまりない。
ボルジュ階層ともなると、また違う。あなたの声、一挙手一投足、最初にものを言うのはだれか、そして何を言わなければならないのか、そのすべてが評価対象なのだ。一番重要なのは、スタイルを持っていることだ。外見だけでなく、話す内容についても。「ポストモダニズムの死」や「ベルサイユ宮殿でのアニシュ・カポール展覧会」の話題でも、話し相手より優れていなければならない。チャレンジングだが、常に従順で微笑みを絶やさないインドネシア人にとっては、容易に適応しきれるものでもないだろう。
あなたはきっと尋ねるにちがいない。白人女はどうか、と?もしもあなたが上のような知的闘争に敗れたとしても、あなたはまだ「エキゾチック」という切り札を持っている。おとぎの島の王子様になれるのだ。インドネシア独立の志士の多くが、白人女を恋人や妻にして、植民地支配のトラウマを乗り越えるのに成功したのではなかったろうか?もし見初めたなら、バラの花を一本与えるだけでよい。
重要なのは、インドネシアへ帰ってから、ボルデュ―やボードリヤールを引用し、ルーブル美術館を、たとえそんな場所へ行ったことがなくとも、讃嘆を込めて物語るのを忘れないことだ。あなたはもう、フランス風のカッコよさを身に着けている。すなわち尊大さだ。良くないと思われていることにも常に良い面があり、その逆も真なのである。ヘッヘッヘ・・・・


「正義不在民族の元凶はカンチル思想」(2016年4月18・19日)
ライター: 文化評論家・文学者、インドラ・トランゴノ
ソース: 2016年4月4日付けコンパス紙 "Ngelmu Kancil"

民衆説話の世界において、カンチルはセラブリティである。その豊かな知恵をもって他の動物たちにアイデアを授ける才能において、カンチルの右に出るものはいない。そのおかげでかれは生き延びることができ、それどころか、完璧な暮らしを楽しむことができたうえに、自らの栄華を極めることになる。
カンチルは常に、親しみと愛らしさ、そして礼儀正しい姿を失わない。他者との交際に巧みであるため、他の動物たちもみんなカンチルが好きだ。加えてカンチルの頭脳はとても柔軟で明敏であり、創造的なアイデアを生み出すことに長けている。問題に直面したときは特にそうだ。手慣れた口八丁さで論理を操り、言葉や文章の意味を指し示す。他の動物たちはその言辞に魅せられて服従してしまうのだ。
問題に直面するたびにカンチルは天才的なアイデアで自分を救い出す。キュウリを盗んで捕まり、農夫に息の根を止められようとしたとき、カンチルは農夫の番犬を口説いて扇動し、自分の身代わりにさせた。農夫の美しい娘の夫になれるのだ、と言って。
番犬は喜んでカンチルの替わりにそこにつながれ、カンチルは危機を脱して逃走する。農夫がハンマーで番犬の頭を叩き割るときのキャインキャインという悲鳴を耳にして、カンチルは大笑いするのである。その番犬の悲劇はカンチルの狡猾な頭脳の犠牲になった被害者リストの一項でしかない。トラもゾウも、他の動物たちも、みんなカンチルに煮え湯を飲まされているのだ。
1970年代に小学生時代を過ごしたわたしは、学校の教本に掲載されたさまざまな民衆説話を通して、カンチルのずる賢さにたっぷりと接した。当時の教育文化省が小学生に読むことを義務付けた作品の中にカンチル説話がどうして取り上げられたのか、その動機ははっきりしない。地方文化学習には特有の叡知があると考えられていたのかもしれない。
< 狡猾さのアイドル化 >
叡知?子供たちにカンチルをアイドルにするよう教育し、そのずる賢さをお手本にさせるのは賢明なことなのだろうか?当時、抗議はまったくなかった。カンチル説話は全国数百万の小学生の頭の中に、滔々と浸透していった。
今日に至っても、カンチル説話はさまざまなメディアで再生産され続けている。たとえばワヤン(ワヤンカチル)、ラゲンチャリタ(子供オペラ)、漫画やアニメ。クリエイティブブレークスルーを実現させるためにカンチルの術を身に着けることは重要である、といった内容を盛り込んだ論説の中にまで、カンチルは出現する。
たとえ意識していなくとも、カンチル説話はわが民族の諸世代の教育の一部に使われてきたのである。狡猾さや悪賢さが頭の良さと同一視されてきた。虚偽や欺瞞がクリエイティブなこととされてきた。他人の愚かさを改善して賢くさせるのでなく、自分が利用して搾取するための弱点としてきたのだ。
その結果、狡猾さ(まっすぐでない心)は優れた叡知であるとされ、それは多くの犠牲者を作り出すことが優秀な業績であるというものの見方を作り出していった。
< カンチル思想に対抗する >
自分が犠牲にしようとしている他者に働きかけ、欺き、弱体化させ、自分の支配下に置こうとする宇宙観とテクニカルな能力がカンチルの術であると定義づけることができる。いま、たくさんの個人や組織がカンチルの術を使っている。KPK法を改正してKPKを弱体化させようとしている国会議員たちはカンチルの術師であると言える。
一見、その改正は良いことであるかのような印象を与える。KPKの組織にチェックとバランスの機能が強化されるのだから。しかし本質的には、その改正はKPKを歯抜けのトラ、サーカスのトラ、それどころか張り子のトラに変えてしまい、国家と行政に携わるネズミに襲い掛かる力をそぎ落としてしまうことを目的としているのだ。つまり国会はKPKを単なるシンボル、国家権力のアクセサリーにおとしめてしまおうとしているのである。
KPKはちゃんと存在している。しかし実態は空気のように何もない。役割も機能も効力を持たない。そういう状態にするのがかれらの意図だ。それが実現したなら、国庫の中身をかすめ取る者たちからの拍手大喝采は言うまでもあるまい。
今や数千人、いや数百万人かもしれない、にのぼるカンチル層がこの共和国を支配している。カンチル層はその術を使って法律・規則その他の決まりごとを操作し、自分たちに利益をもたらすさまざまなアジェンダを実施させるよう迫っている。政治経済面から迫られているもの、社会文化面から迫られているものなどいろいろだ。
しかしその真髄はすべて同じ。個人やグループの利益のための植民地にこの国をしてしまおうということだ。カンチルの術プラス金と権力を使って、かれらは永遠に権力の座を維持しようとしている。民衆が犠牲になることなど意に介しない。
カンチル思想には良識・良心の灯・勇気ある行動で対抗することができる。良識は現実を理解する際の客観性と真理にわれわれを導いてくれる。良心の灯は行動選択における意義と価値のウエイトをわれわれに与えてくれる。勇気は理想の実現目指して闘う際の精神のエネルギーだ。さあ、カンチリズムを撲滅しようではないか。


「活発化する子供搾取」(2016年4月26日)
子供に乞食労働をさせる大人の行為は、ジャカルタの路上で、依然として旺盛に行われている。南ジャカルタ市庁は2016年1月から4月19日までに、路上で乞食稼ぎを行い、あるいは大人の乞食稼ぎの道具に使われている子供を70人保護した。
もっとも直近のケースでは、ムラワイ通りとクバヨランラマで4月19日午前2時ごろ、6歳の子供ふたり、3歳・2歳・6か月各ひとりが南ジャカルタ市社会課の巡察に捕捉された。3歳以下の三人はムラワイ通りで産みの母親だと名乗る女性に連れられて乞食稼ぎを行っており、6か月の赤児はその女性に抱かれて同情を引くための道具に使われていた。3歳と2歳の子供は少し離れた場所で大人の男性が見張っていた。その大人はコーヒーを飲み、タバコを吸いながら子供たちの様子をうかがっていたが、巡察職員が子供たちを捕捉したのを見るとオートバイに乗って逃走した。
6歳の子供ふたりはやはり深夜0時ごろにクバヨランラマ地区の路上で乞食稼ぎを行っていたのが巡察職員に捕捉されたが、そのケースでも離れた場所で大人が子供たちを見張っていた。その大人は巡察職員に子供たちの父親だと名乗っている。その夜、南ジャカルタ市内の路上で捕まった社会福祉障害者は5人の子供たちを含めて34人にのぼり、子供たちは東ジャカルタ市チパユンにある保護施設に収容された。
2016年4月19日までに南ジャカルタ市社会課が保護した社会福祉障害者は758人で、子供の数はほぼ10%に近い。南ジャカルタ市警本部長はこの児童搾取労働について、増加傾向が見られる一方、その阻止や根絶は容易でなく、児童搾取を行っている大人たちは一様に子供の生みの親を名乗るため、その判定を行うためにDNAテストが余儀なくされている、と対策のむつかしさを物語っている。


「国家安全保障への脅威がいっぱい」(2016年5月3日)
国境というものがますます希薄になったグローバル化世界で、国家安全保障への脅威は軍事的見地からのみ測定できるものではなくなっている。ナルコバ流通、ラディカリズム、汚職、愛国心の低下などといったことがらも、国家の存立を脅かすものなのだ。インドネシア政府国防省が国家安全保障プログラムとして打ち出したプランの中にそれらの要素が盛り込まれているのは、当然すぎるほど当然のことがらである。
国防省教育訓練庁長官が16年4月23日に西ジャワ州チレボン県のチャクラブアナスクセスインドネシア教育訓練センターを視察した際のスピーチからは、国防機構が何を国家安全保障への脅威と見ているのかということが明白に読み取れる。
「当方のデータでは、毎年1万8千人のインドネシア青年がナルコバの悪弊によって死亡している。ナルコバは既にあらゆる国民階層とすべての職業に浸透しており、過日マカッサルで地区軍管区司令官のナルコバ使用が摘発された例に見られるとおり、国軍内部ですらナルコバの浸透から免れ得ないでいる。国家行政機構の幹部であるべき南スマトラ州の県令までもが、ナルコバ使用容疑で罷免された。そのように国内で蔓延しているナルコバのほとんどはマレーシアやオランダその他の国外から送り込まれてきているものだ。
それとは別に、国民の愛国心低下も目に余る状況になっている。当方の調べでは、大学生の4割がパンチャシラを覚えていない。その結果、多様性を基盤に敷いているインドネシア統一国家を解体しようとするラディカリズムが、国民の間に跋扈している。インドネシア国民の中に、ISISに参加している者が少なからずおり、その多くは既に身元が判明している。その状況を踏まえてどこかの国がインドネシアをテロリスト国だと決めつけてくれば、国家主権に対する国際的な干渉を蒙ることになる。これは実に危険な状態だと言わざるをえない。
情報テクノロジーの進歩は新たな危険を生み出した。ラディカリストがインターネットを使って行うラディカリズム宣伝だ。かれらが流すニュース・写真・ビデオなど通してインターネット利用者はラディカリズム思想に影響され、インドネシア統一国家の弱体化に手を貸すようになる。そこで行われているのはサイバーウオーなのだ。インターネットはだれでもアクセスできるため、この問題は特に警戒が必要とされている。
それへの対応措置として国防当局は、国民の間に国を護る精神を高める努力を払っており、デジタルプラットフォームを通してポータルサイトを運営している。また現実に、国民との間に直接的な交流を持つべく、国内44県市で国防訓練プログラムが行われている。これはパンチャシラの諸価値を踏まえて国民により高い愛国心とナショナリズムを持たせることを目的としている。国防というポイントから見るなら、軍人も国民も同じ権利と義務を背負っているのであり、機能面に違いがあるだけだ。たとえ優れた教師だからといえども、国を護ることにおいては他の国民と何らちがわない。」
長官はスピーチの中でそのような考えを伝えた。


「タウランは男をあげるための戦場」(2016年6月13日)
2016年6月6日未明3時ごろ、東ジャカルタ市ジャティヌガラ地区で住民間のタウラン(集団喧嘩)が発生した。隣接しているジャティヌガラ郡カンプンプロ住民と南ジャカルタ市ブキッドゥリ住民それぞれ20人超が、その両地区を結んでいるトンテッ橋で花火や爆竹を相手に投げつけ合っていた。そのうちだんだんとブキッドゥリ組のほうが優勢になり、カンプンプロ組は押されて住宅地区内に退いてきた。
ラマダン月の午前3時ごろと言えば、ムスリム家庭では深夜の食事サウルを行っている最中だから、ほとんどの家庭でタウランの発生を聞きつけており、戦線が徐々に移動した経過も判っているはず。
そうこうしているうちに、カンプンプロRW003の警備小屋とそこからほど近い商店の屋根が燃え上がった。大量の花火や爆竹をどんどん投げつけていればそのうちに燃え上がることを知らないかれらではない。ブキッドゥリ組が敵陣に攻勢をかけたというつもりなのだろうが、そこはタウランの相手になった人間には縁もゆかりもない建物なのだが、ラベル思考人間にそんな区別はまるで意味をなさないにちがいない。
燃え上がった商店は不運なことに、マットレスやクッションに詰めるスポンジを取り扱う商売で、三階二階に置かれていたスポンジの在庫がすぐに燃え上がった。午前4時ごろには火勢が強まり、隣の店へも火が燃え移ったが、隣の店は屋根が燃えただけで鎮火した。スポンジ店の損害は1億ルピアと見積もられている。
ジャティヌガラ郡長はこの事件に関して、タウランが起こったのは双方の町をつなぐ橋があったからで、タウランを煽った事件は何もなく、双方の住民間に喧嘩をしたいという欲求があったためだ、とその説明をしている。
双方の地区行政者は早々にミーティングを行い、このようなタウラン事件が再発しないよう、それぞれがトンテッ橋の状況を監視し、おかしな動きが見られたらすぐに対応措置を取ることを合意した。
東ジャカルタ市警ジャティヌガラ署はその事件を巨額の損害を引き起こした放火事件として捜査を始めており、タウランに加わった者を取り調べている。カンプンプロにある家屋に花火や爆竹を投げるように扇動したブキッドゥリの人間が放火犯として逮捕されることになるだろう。


「路上は危険がいっぱい」(2016年7月13・14日)
インドネシアで自動車は運転しないほうがよい、という日本人の通説を裏付ける事件が起こった。ただし、これはその根拠となる事件の話であり、外国人あるいは日本人が被害者になったわけではない。
インドネシアの路上で四輪車二輪車を動かしている人間のすべてが紳士でないのは、世界中の諸国と同じだ。その紳士でない人間たちは、自分が培ってきた人間観に従って男である自分の値打が、他人を叩きのめし、他人に勝利することで証明されることを望み、そんな機会が訪れるのを鵜の目鷹の目で希求している。だから路上通行中に、他人が仕掛けてくるにせよ、あるいは自分が仕掛ける成り行きになったにせよ、かれらはその機会の尻尾を握りしめ、アドレナリンをたぎらせてそれに応対しようとする。
自分の前にいる乗用車が先行するトラックを追い越そうとタイミングを計っている一瞬先に自分の車がその二台を追い越そうとして対向車線を突進したとき、出し抜かれたその乗用車に執ように追尾されたことがある。追尾車はホーンを鳴らし先行車を追い上げて、あからさまに喧嘩を吹きかけて来た。かれらは優れている自分の面を汚した人間、自分が負けを感じるようなことを仕掛けて来た人間を許せないのだ。
問題はその先にある。たいていの先進国には喧嘩のルールがあって、勝利と喧嘩相手の生命を奪うことは同期していない。生命破壊への意識下の欲求というのは野蛮さを示すものとされているのである。だがインドネシアは違う。
これがインドネシア>事件簿の中の「血に飢えた激情」や「人命秤針」を読むとお分かりの通り、他人との闘争状態に入ると、敵の生命破壊がかれらの一途の目標にされる。「ちくしょー、殺してやる!」は単なる言葉の綾ではないのだ。かれらの闘志は相手を殺すことに向けて燃え上がる。だからインドネシア人と喧嘩する場合、相手を選ばなければ生命のやりとりになりかねず、そんな形の喧嘩作法に慣れていない外国人は、いくら腕っぷしが強かろうと最終的に危険な立場に立たされてしまうのである。
つけ加えるなら、この種のインドネシア人というのは、ほとんど全員が命知らずだ。自分の敵になった人間の生命破壊に邁進するかれらにも、自分の敵が自分に対して同じような感情・思考・行動を持つだろうことは、同じ文化を共有している以上、わかりすぎるほどわかっている。そういう相手と生命を賭けて優劣や強弱を競うのである。そして敵の死が自分の勝利を完璧なものにする。そういうことを馬鹿馬鹿しいと思うような価値観を持つインドネシア人は、最初からその種の人間との衝突を避ける。
命知らずでない良識を持った人間は、暴力を頭からむき出しにしているチンピラじみた人間を相手にしようとしない。その結果が生命のやりとりになることを知らない外国人は、そういう良識的なインドネシア人の振る舞いに対して、「怖がり」「弱虫」「敗北主義」だといった誤解を抱く傾向が高く、それをインドネシア人の軟弱性に結び付けて考えがちだ。
喧嘩ルールの中に生命破壊が除外されている文化であるからこそ、そのような認識に駆られるのであって、良識的インドネシア人は殺すか殺されるかという境に立たされるのが嫌だからそうしているのだというポイントが理解されるなら、いかなる外国人であっても「怖がり」になるのを避けることはできないだろう。
一方の命知らずたちは生命のやりとりの結果、どちらか一方が死ぬか、もしくは重度後遺障害者になって生活のめどが立たなくなることを知っている。そして、自分がそうなることさえ、想像の枠内に持っている。しかしそんなことを恐れていては、男の美学が廃るのである。かれらにとっては、自分の生命や安穏な日常生活よりも、自分の強さ・優秀さ・勝利などという価値観のほうが圧倒的に重く、他人を見下して他人の上に君臨している自分というイメージを自己存在の根源に置き、そのためには生命を失うことも辞さない。だからこそ、命知らずであるということなのだ。その観念をわたしは日本の剣豪剣客さらには侠客の時代に存在した精神に重ね合わせて見ている。
インドネシアの路上には、故意に他車を圧してこれ見よがしに手荒な運転をする人間が何人もいる。そういう手合いの中に、命知らずが混じっている。だから、インドネシアの路上運転の常識に従って「郷に入っては郷に従え」をやっていると、いつそのような命知らずと遭遇するか知れたものではない。
インドネシアの路上運転は、交通道徳が低レベルであるとか、そのためにいつ交通事故に巻き込まれるかしれない、といったリスクばかりでなく、命知らずとの遭遇戦という事態にはまってしまうリスクまでそこに紛れ込んでいる。インドネシア社会に慣れていない日本人にとって「(バリ島を含めて)インドネシアで自動車は運転しないほうがよい」という言葉は金言だろうと思う。
2016年7月2日23時半、ボゴール市イブラヒムアジ少将通りで自家用四輪車を運転していた大学生A23歳がむかっ腹を立てた。通りを走っているAの車を、アンコッが無遠慮に追い越したのだ。腹を立てたAが抜き返してやろうとスピードをあげると、Aの怒りを感じたアンコッもスピードをあげ、おまけに道路中央に寄ってきて追い越しさせまいとする。そんな態勢で2台の車が爆走したあげく、追い越すチャンスを見出したAがアンコッを追い越しざま、拳銃を発射した。
銃弾はアンコッ運転手32歳の左頬から唇に達し、また銃弾の破片が乗客のひとりを傷つけた。アンコッ運転手は傷にもめげずにAの車を追跡した。乗客がAの車のプレート番号をメモする。Aの車がボゴール農大シンダンバラン住宅地に入ったのを確認したアンコッ運転手は、すぐに事件を警察に届け出た。
警察がシンダンバラン住宅地のAの自宅を訪れたのは3日の朝で、Aは拘留され、所有していた22口径レボルバー1挺が警察に没収された。その拳銃は友人から5百万ルピアで買ったとAは取調べに供述している。


「インドネシアはバッドカントリー」(2016年7月19・20日)
サイモン・アンホルト教授が企画したグッドカントリーインデックスは、科学技術知識・文化・対外平和と保安・世界秩序・地球気象・繁栄と平等・健康と福祉といったカテゴリーを国別に審査し、トータル指数で番付を行うもので、16年6月初めに発表された2015年版では、スエーデン・デンマーク・オランダ・イギリス・ドイツ・フィンランド・カナダ・フランス・オーストリア。ニュージーランドがトップ10を占めた。非ヨーロッパ地域では、NZに次いでオーストラリアが17位、日本が19位に就いている。
2014年版と比べると、アイルランド・フィンランド・スイス・オランダ・ニュージーランド・スエーデン・イギリス・ノルウエー・デンマーク・ベルギーがトップ10で、ある傾向が見られると同時に、年によって順位はきわめて不安定であることがわかる。
インドネシアはというと、2015年は163カ国中の83位に置かれた。アセアン諸国については、シンガポール24位、マレーシア46位、タイ57位、フィリピン74位、ブルネイ104位、ベトナム115位、カンボジャ149位、ラオス151位だ。この西洋文明の視点を基準にした評価に従うなら、インドネシアはバッドカントリーのひとつであるにちがいない。国家民族の西洋文明化を目指す国政指導者たちにとって、国民はまだまだその期待に応えてくれないようだ。
カテゴリー別の評点でも、インドネシアは次のようなポジションに置かれた。
科学技術知識 160位
文化 131位
対外平和と保安 19位
世界秩序 62位
地球気象 138位
繁栄と平等 35位
健康と福祉 70位
それを見る限り、科学技術知識カテゴリーがインドネシアの最大の弱点になっている。このカテゴリーでインドネシアの下にいる国は、アンゴラ・赤道ギニア・イラクのみ。このカテゴリーの構成ファクターは海外留学大学生・国際学術ジャーナル・国際出版・ノーベル受賞・特許などで、その国の経済能力との比例でポイントが算出されている。インドネシアがこのカテゴリーできわめて低い評点を得た原因は何だったのか?それを単純化するには無理がある。政府予算・教育クオリティ・調査研究インフラ・人材クオリティその他さまざまな要因が複雑にからみあってその結果を招いているにちがいない。特に、教育学術界における腐敗行為がなければ、評点が少しはマシだったのではないか、という声も聞こえている。腐敗行為があらゆるものごとを劣化させているのは、厳然たる事実だろう。
教育インフラのクオリティが歪められたら、教育のクオリティが影響されないはずがない。悪化した教育クオリティから生み出される人材のクオリティが優れたものになるはずもない。この三段論法がどうやらインドネシアの弱点の基盤にあるものと言えるようだ。
国家全体の腐敗度については、大学教育が普及するにつれて腐敗行為は減退していくと考えられているものの、腐敗が大学教育を悪化させて教育制度そのものに歪をもたらすことも起こりうる。そうなれば社会からの教育に対する信頼度は低下し、プロフェッショナリズムへの尊重をはじめ社会的な価値観が歪められ、腐敗行為の減退など消滅してしまうこともありうるのである。
狡猾な行為で自己の利益を高め、正直な人間が愚物と評価される社会に立ち至れば、教育の成果を示すはずの国家試験や修業論文のクオリティが見せかけになってしまう。試験にカンニングやジョッキーが使われ、論文作成代行屋から金で買った論文が学術審査を通ることになるが、そうやって学歴を手に入れた人間の実力は想像にあまりあるだろう。
大学教官に国際ジャーナルへの論文発表が義務付けられているにもかかわらず、それを果たさないまま教壇に立つ教官が大勢いる。言語の壁があるのは論を待たないとしても、非英語国はインドネシアだけではないのだ。ここにも外見と中味の歴然たる差が存在しており、真の人材クオリティが見掛け倒しであることを証明している。それが低レベルであるにもかかわらず世の中はそれを受け入れ、国民生活社会生活のクオリティが低いことを国民大多数が甘受している。そんな社会は低クオリティを当たり前のものと見なし、社会構成員ひとりひとりのクオリティというものへの意識を涵養せず、構成員はクオリティというものに対する認識能力が霧に包まれたようなものになってしまう。
封建主義制度は基本的に個々の人間の属性が社会における人間の位置付けを決め、実力による下剋上は秩序破壊として忌避されてきた。封建色の濃い社会では、クオリティが人間の位置付けの決定要因として機能しないため、人間のクオリティを見分ける力はあまり育たない。その土壌の上に腐敗した見せかけクオリティの花が開けば、真のクオリティを求める精神は笑い飛ばされてしまうにちがいない。
そんな土壌の上で、コツコツと自分のクオリティを高めて行こうとする人間は愚か者になってしまう。こうして、正直者が馬鹿を見る社会はその深度を増していく。


「女性の見方」(2016年8月1〜3日)
ライター: エッセイスト、社会学研究者、インドネシア大学構造主義社会哲学教官、ゲゲル・リヤント
ソース: 2016年5月21日付けコンパス紙 "Yang Senyap Sekaligus Berdusta"

偉大な画家にせよ、名もない画家にせよ、女性の描かれている絵画を子細に鑑賞し、ほとんどすべての作品にひとつの共通性が流れているのを感じたことはないだろうか?女性は?どうしていつも、じっとして自分が描かれるのを待っているような姿になっているのだろうか?
一方、男性はその反対だ。男性はいつも、何かをしている姿で描かれている。今日までも大勢が真似ているインドネシア現代絵画初期の作品を見ても、男性たちは虎狩をし、戦争し、陰謀に加担している。さまざまな作品の中で男性たちはしばしば、自分が描かれていることを意識していないようだ。かれらは自分の活動の中に没頭している。時には自分が描かれるために自己の姿を示してもいるが、軍服や高官の衣装など権力を象徴するものを身にまとっている。
男性は行為で評価される。かれらは能力によって影響を与え、変化をもたらし、人生を生きる。女性は存在でもって評価される。正確に言うなら、男性の目に映るかの女たちのあり方だ。かの女たちに求められているのは、男性の期待に沿って存在しているということだけなのだ。かの女たちは行為者つまり男性にとって妥当あるいは好ましいように性格、姿、挙措振舞いを整えなければならないオブジェクトなのである。ジョン・バーガーは著作「物の見方」の全編を通して、文化が男女をどのように位置付けているかを述べている。男は行動し、女は姿を示すのである。
< ドメスティック化思想の根 >
バーガーは絵画の世界を取り上げて光を当てたのだが、眺められる対象としての女性の姿は芸術の世界に限定されているわけでない。それは、世間が性犯罪被害者である女性を悪者にする傾向を説明する思想のベースでもあるのだ。比類ない残酷な犯罪の犠牲者になった女性でさえ、責任がまったくないとは見られないのだ。
女性は公共スペースに無思慮に現れるべきでないという差別的思想が、意図しないままにしばしば出現する。女性はその分に従って、家の中でおとなしく静かに存在するべきなのだ。外出しなければならないのであれば、自分の存在をできるかぎりわかりにくいように?して、ひと目から隠すべきなのだ。
女性ドメスティック化の長い歴史の中にあるこの議論は、われわれになじみのないものではまったくない。女性が過去の諸王国の破滅の原因だったというストーリーがさまざまに語られており、その影響を避けるのは不可能だろうと思われる。
マシュー・ボーモントが詳細に論じたように、イギリスの文学作品を分析してみるなら、ロンドンの街路を夜中に徘徊している女性たちは、ずっと昔からふしだらな女と考えられてきた。たとえ実態は不愉快な勤務時間を与えられた出稼ぎ者だったにせよ、売春婦という見方のほうが先行した。
インドネシアで、そのような見解を言い立てる必要はないだろう。それはわれわれが慣れ親しんできた日常性の一部なのだから。ところが、その見解が行き過ぎてしまったケースがいくつかある。たとえば、人類学者ジョハン・リンドキストが調査を行ったある地方では、夜中まで働かなければならない一部の女性たちは、宗教上の理由とは無関係にヒジャブをまとっている。セクハラを避けるためでもない。かの女たちがヒジャブを被っているのは、そうしなければ売春婦と見なさられるからだ。
ジャカルタ国立イスラム大学宗教文化研究センターは別の地方で、ひとりの女性社会活動家がタクシーから降りたとき、警官に逮捕された事件を発見した。時間はもちろん深夜だ。かの女は仕事のために明け方近くまで帰宅できなかった。ところがその地方で定められている売春禁止条例のために、売春行為を行っていると見なさられて警察の御用となったのである。
今、われわれが疑問を感じるべき事実のひとつ、しかしあまりにも常識化してしまったために実際にはめったに疑問を感じなくなっている事実のひとつは、レイプ事件が起こったとき、被害者はどれほど魅力的だったかということに最初の関心が向うことだ。被害者はどんなかっこうをしていたのか?雑踏の中にいたのか、寂しい場所にいたのか?加害者は被害者の知っている人間だったのか?
沈黙と災難の真っただ中でさえ、被害者はかの女自身を襲った犯罪の一部をなしていると思われているのだ。殺人など他の犯罪において、そのような物の見方に出会うことは決してない。加害者と被害者は人気のない寂しい場所にいたのか、両者は私的な怨恨関係にあったのか、被害者は犯行を煽ったのかどうか、等々、等々。
< 公共スペースの権利 >
規範とされるにふさわしいものとしてとらえるなら、そのようなポジションに女性を置くことは、妥当性の点から責任が負えないだけでなく、残酷で侮蔑的なものですらある。
それに関してわたしは、見識不在という言葉以外に言うべき言葉を持たない。女性は何もせずにただそこに存在してオブジェクトとして扱われるだけでなく、起こった不条理な事件にまで積極的に関与させられているのである。そしてこのロジックに従うなら、女性たちの存在は統制されなければならないことになるのだ。特定の時間を過ぎれば外出してならず、保護者の?随伴が必要であり、あるいは自分の姿を徹底的に人目につかないようにしなければならない。
ダンドゥッ歌手イルマ・ブレが蛇に咬まれて死亡した事件はわれわれの記憶にまだ新しい。一部の人はその災難に関して冷たい認識を示した。かの女は危険な行為を行ってセンセーションを求め、女性に関する粗野なイメージを振り撒いただけだというのだ。しかし後日、ステージで蛇を使えば報酬がアップするという背景があったことが明らかになった。イルマがそれを行ったことをだれも非難できるものでもあるまい。貧困地区出身の三人の子供の母であるイルマにとって、選択できる「生きる道」が潤沢にあったわけではない。かの女の生き方の選択肢がそれだったのである。
いまだに盛んな女性のドメスティック化への意欲や思想の問題はむしろ、公共スペースでの活動へのアクセスはもはや避けることのできない女性の権利であるという昨今の事実に対する認識がわれわれに欠けていることに負っている。一家の大黒柱になっている女性のケースはその緊急性にもっと注意が払われるべきだ。
現代生活ははるかにセンシティブなものだ。女性は教育、社会ネットワーク、種々の資本などを必要としており、より基本的な権利が与えられなければそれらを手に入れることができない。つまり公共スペースへのアクセスと活動の権利がそれだ。
長期にわたって女性の活動範囲は制限されてきた。女性がアンフェアに制限を受けて来たのは、支配ジェンダー(つまり男性)の自由な活動を支えるためだった。本来的に男性を魅了するオブジェクトとして作られたことから、女性は脅威と見られやすく、人口に膾炙している種々の話・ニュース・噂・神話などの中で、公共生活を乱す元凶という位置に置かれている。
法規や公共規制によるもっと激しい女性隔離キャンペーンというチープな方法で政治家が公共の支持を得るためにその意欲をいつ利用しはじめるのか、われわれにはわからない。それはいつでも起こりうるものなのだ。しかし、不公平というポイントだけを取り上げることになったとしても、われわれが女性について考えるための異なる物の見方は明らかに必要とされているのである。


「母になる少女たち」(2016年8月8・9日)
西ジャワ州チレボン県アルガスニャ郡ブンダクルップの一軒の家で、ひとりの少女がまだ5ヵ月の赤児を抱いてあやしている。あたかも年齢の離れた姉妹のように見えるそのふたりは、実は親子なのだ。少女はリリ17歳。
リリは東ジャカルタ市プロガドンにあるマドラサツァナイヤを卒業してから、西ジャワ州クニ~ガンにあるプサントレンで一年近く修行し、17歳の誕生日を迎える前に親の言いつけに従って31歳の男性の妻になった。
マドラサツァナイヤとはインドネシアの国家教育システムの中学校レベルに合わせたイスラム学校であり、プサントレンというのはイスラムの教えに従って日々の生活を送ることを修行する一種の塾だ。
リリはムスリマとして日々の暮らしを営むための諸技能をプサントレンで修得し、料理・洗濯から家事一切を自力で行うことを身に着けた。「結婚する資格が整ったんです。」リリはそう語る。
その様子を見て取った両親は、故郷のブンダクルップでアルクルアン読誦教師をしている31歳の男性と結婚するよう、リリに命じた。その男性は遠縁の親族にあたる。リリはまるで当然のことでもあるかのように、親の指図に従った。西ジャワの地方部で、そのようなことはまだまだありふれた、ごく普通のことなのだ。遠い昔から今日まで、伝統は美風として維持されている。
ブンダクルップは561世帯から成る伝統的プサントレン生活コミュニティだ。プサントレンに関わって来たひとびとはプサントレンの周囲に居住し、子供をプサントレンで学ばせる。だからこのコミュニティ構成員の公教育はたいてい中学校どまりで、そのあとプサントレンに入り、自立することを学ぶ。娘はだれかの妻になるのがその段階での目標であり、妻になり、主婦となって自立的に家庭を運営する諸技能を身に着けさせることが、そこでのカリキュラムになる。
ブンダクルップにある補助保健所の責任者は、地域の娘たちの8割がたは16〜18歳で結婚している、と述べている。少女から娘に成長してきた女子に男性が関心を向けるのは、とても良い徴候だそうだ。「17歳くらいになって、誰かが妻に欲しいと求めてくる。本人も乗り気なら、親はすぐに結婚させなければならない。縁を拒むのは、悪いことだ。」コミュニティ有力者はそう語る。
このコミュニティで、21歳を過ぎてまだ結婚していない娘には「売れ残り」の烙印が捺される。面目丸つぶれになった親は、肩身の狭い思いで社交生活を送らなければならない。
チレボン県の漁村部でも未成年結婚は盛んだ。こちらの方は、経済問題が最重要ポイントになっている。青年期に入った子供たちを食べさせていく経済力などないのが大半だから、男児は早く自力で生活できるよう仕向けて行くし、娘は早くその生活を支えてくれる男の妻にすることを親は考える。
そこに加えて、フリーセックスの結果妊娠した娘というケースが、未成年結婚の動機のひとつに加わった。娘の身の置き所を確保するために、孕ませた男と早々に結婚させようと娘の親は考える。娘が未婚の母となっては世間体が悪い。おまけにそんなコブ付き女を妻に求める男などいなくなる。まかり間違えば、親が子供と孫を一生食わせて行かなければならなくなる。親にとって、それは恐怖以外のなにものでもあるまい。
性教育や生殖関連の正しい科学的な知識など一切なく、人伝えの聞きかじり知識とポルノから仕入れた技法だけで、性衝動に突き動かされて深みにはまって行く子供たちの無惨で無意味な人生がそれだ。少年と少女が子供を持って一家をなす文化は現代社会から既に駆逐されている。行き着くところは、少年が都会へ稼ぎに出たまま戻ってこず、捨てられた妻は子供を親に預けて出稼ぎに出る。その果てに待っているのは売春や人売あるいは不法海外出稼ぎであり、その人生に犯罪と悪徳の色がつきまとうようになる。
W20歳は中学2年生のとき妊娠した。Wの親はWの子宮に精子をふりかけた男とWを結婚させた。結婚しなければ、Wが産む子供の出生証書には父親名が空白になる。「父なし子という悲劇的な人生を罪のない子供に歩ませたいのか?」という説得は、少年たちに対してもまだ力を持っているようだ。
結婚はしたが、Wの夫はある日稼ぎに出て行ったまま、二度と戻ってこなかった。Wは子供を連れて親の元に戻るしかない。親はカニの皮むきが仕事だ。Wの兄弟4人は全員が漁師になっている。
Wは結婚したとき、中学校を退学した。工場の工員になろうとしても、今どき小学校卒の学歴で雇ってくれるところはめったにない。Wは今、子育てをしながら親の家で家事の手伝いをしている。
プリタハラパン大学医学部女性教官は、未成年結婚にはたくさんのリスクがつきまとっている、と言う。「結婚生活の中で、夫と妻は賢明で合理的で成熟した家庭運営能力を発揮することが求められています。未成年だと、精神的なもろさが最大の弱点になり、成熟した精神で物事を処することが困難になるのです。問題が起こると感情的になりすぎ、対処のしかたも幅が狭く、結果的にものごとが円滑に進みません。それが本人にストレスをもたらし、精神状態がおかしくなっていくのです。それ以外に、性病のリスクが大人より高いということがあげられます。未成年者の性器は発育がまだ不完全であるため、たいへんセンシティブです。妻がセックスに活発である場合、性器は傷つきやすく、傷つくと化膿します。そうなると、さまざまなばい菌に対する防御能力が低下して罹患リスクが高まります。
もっと根本的な栄養問題もあります。未成年は自分の発育のためにさまざまな栄養素を摂取する必要があります。ところが妊娠して胎児ができると、母子の間で栄養素の奪い合いが起こります。結局、母子ともに栄養が不足することになり、胎児の発育に問題が生じて、発育不全の新生児が誕生するということになるわけです。そんな子供は発育期にさまざまなリスクを蒙り、更に次世代を担う人間のクオリティにも問題が生じることになります。」
この問題への対策として焦眉になっているのは法定婚姻資格年齢引き上げだ。現行婚姻法で女子の最低年齢は16歳となっているが、政府も民間女性保護団体もその引き上げを希望しており、インドネシア家族計画の会・女性保健財団・反女性暴力国家コミッション・独立青年連盟などが合議して婚姻法の婚姻資格年齢を見直す司法審査を憲法裁判所に申請した。ところが憲法裁判所はその申請を却下した。その後の動きは、いまだ水面上に現れていない。


「不服従を英雄視する者」(2016年8月8日)
2016年1月18日付けコンパス紙への投書"Tidak Taat Aturan"から
拝啓、編集部殿。しばらく前、わたしはスラバヤからバンドンへ飛びました。ジュアンダ国際空港でわたしが金属探知機の下を通っているとき、焦っているオジサンふたりが割り込んできました。その結果、探知機の下を三人が同時に通ったのです。担当職員は驚いた顔で首を横に振るだけで、そこで起こったことを秩序付けようとしませんでした。
チェックインのときも、わたしが黄色い線で自分の順番を待っていると、後ろの若い男性が突然話しかけてきました。「~バッ、前へ詰めてよ。前が空いてるでしょうが。」
この人たちはいったいどうしたのでしょうか?どうして決まりを守ろうとしないいのでしょうか?決まりというのは何のためにあるのですか?もし何か起こったとき、この決まりを守らない人たちは責任を取る用意があるのでしょうか?わたしはとても残念です。[ マラン在住、ルスダ ]


「中学生の幼な妻」(2016年8月10日)
西ヌサトゥンガラ州西ロンボッ県グヌンサリ郡クカイッ村の自宅で、ラエハンさん31歳は17歳と11歳のふたりの子供を抱えて食べ物ワルンを営んでいる。夫のジュフリさん42歳はサウジアラビアへ海外出稼ぎに出ている。夫からの仕送りだけに頼っていては、日々の生活が安定しない。ラエハンさんはソト食堂で二年間働き、貯めた資金で食べ物ワルンを開業した。
今31歳の母親に17歳の子供がある?そう、本当に自分の腹を痛めた子供だ。かの女がその子を出産したのは14歳のときだったのである。出産の準備はした。産婆さんは、幼い母親になるかの女の身体がまだ発育しきっていないことを強く心配した。しかし、案ずるより産むがやすしだ。身重のかの女が家事の手伝いをしているとき、赤ちゃんが出て来た。産婆さんを呼ぶ暇はなかった。姑さんや義理の姉妹、近所の奥さんたちの世話で、赤ちゃんは無事に誕生した。ところが、乳房がまだできあがっていないために母乳が出ない。最初の子供は母乳を知らないまま成長した。
ラエハンさんは中部ロンボッ県コパン村で生れた。中学校に進んだ1998年のイドゥルフィトリが終わってから6日目のルバランクトゥパッの祝祭の日に、かの女は兄とふたりでバトゥラヤル海岸へ遊びに行った。そこで24歳の青年と知り合った。クカイッ村のジュフリさんだ。
それ以来、ジュフリさんはかの女の家へ、よく遊びにくるようになった。だが、まだ13歳の遊び盛りの少女は、年齢の離れた男性のことなど、まるで関心がなかった。学校から帰ったら、ジュフリさんが来ている。「こんにちわ」を言っただけで、まだ中学一年生の少女は制服を着替えるのももどかしく、輪ゴムやビー玉を手にすると仲間たちのところへ家から走り出て行った。
そんなラエハンさんの態度を母親が注意した。「ジュフリさんは遠い所からわざわざおまえに会いに来てるんだよ。男の人が女に気持ちを向けたなら、その女はもう大人だと見られている。拒んだらいけないよ。」
しかしそのとき、ラエハンさんには母親が何を言っているのかよくわからなかった。それでも、ジュフリさんのお相手をしなければいけないことは理解した。ジュフリさんがやってくると、ラエハンさんは努めてジュフリさんと話をするようになった。
そんなある日、ラエハンさんは母親と喧嘩した。怒りに満ちて不愉快な顔をしているかの女を見て、ジュフリさんは「結婚しよう」とラエハンさんに言った。『こんな家にいたくない。母のいないところへ行ってしまいたい。』と思っていたラエハンさんは、即座に「いいわ。」と返事した。
ジュフリさんはラエハンさんをクカイッ村の自宅へ連れて帰り、一泊させた。母親はこんな結果になるとは夢にも思っていなかった。夜中になっても帰ってこないラエハンさんの運命を、一家のひとびとは既に想像していたにちがいない。
ロンボッにはムラリッ(merariq)と呼ばれる慣習がある。娘を自宅から連れ出して男の家に一泊させたら、その娘と男は結婚させなければならないという、かどわかし結婚だ。ジュフリさんとラエハンさんのそのときの行動はムラリッにぴったり一致した。
ラエハンさんの母親は卒倒したが、地元の慣習に従わないわけに行かない。結婚式の準備が始まった。「あのとき、生まれてはじめてブラを着けました。でも布を丸めて胸に詰めないと、全然形がつきません。花嫁衣裳もダブダブでした。」ラエハンさんは思い出を語る。
ムラリッの6日後に、結婚式が挙行された。ブクニカにラエハンさんの生年は1978年と書かれている。「わたしは本当は1985年に生れたんですよ。こうしないとブクニカがもらえないんです。」
コパン村での披露宴が終わると、新妻は自宅を去って夫の家に入った。花嫁修業など何一つしていない嫁が姑の気に入るはずもない。家事の仕方など何も知らず、台所仕事も経験皆無。そして本当に子供なのだから、振舞も考えも子供っぽいのは当たり前だ。そんな嫁を持った姑も災難だったろう。
もし中学校をずっと続けていたら、自分の人生はどうなっていただろうか、とラエハンさんはよく考える。
西ヌサトゥンガラ州の女子初婚年齢が10〜19歳の比率は、2014年が51.8%、2015年は34.9%だった。「まだ幼いときに結婚などしてはいけない。心身ともに成熟し、自分の人生が十分視野に入るようになってから結婚するほうがよい。」ラエハンさんはクカイッ村の少女たちに、普段からそう言って聞かせている。


「ロンボッ島の未成年結婚」(2016年8月11〜15日)
ルマキタブが国内の9地域で行った調査によれば、インドネシア女性の5人にひとりは未成年結婚をしており、未成年結婚女性の3人にふたりは結婚生活の道半ばにして離婚という衝撃を体験している。
西ヌサトゥンガラ州ロンボッ島は、未成年結婚の盛んな地域のひとつだ。特に、ロンボッ島原住民ササッ(Sasak)族の慣習のひとつムラリッ(merariq)が未成年結婚の成立を助長している趣がある。
ムラリッというのは、娘が愛した男と駆け落ちして男の実家に一晩泊まると、そのふたりは早急に結婚させなければならないという慣習で、村の中では全員が慣習に絶対服従することで共同体としての秩序が保たれてきたわけだから、慣習に背く者は共同体社会からつまはじきされてしまう。だから娘が未成年であってもムラリッを選択したなら、もはや親のなすすべは何もなくなり、不満は腹の底に押し込んで婚礼の祝いの準備に取り掛からなければならない。
未成年の男女が恋に落ちてムラリッを行ったり、あるいは成人男性が未成年女子をムラリッすることも少なくない。相手の男の年齢がどうであれ、未成年の娘がムラリッしたなら未成年結婚が確定する。婚姻法は16歳以上の娘に婚姻資格を認めているが、年齢がそれ以下なら宗教役所に結婚を司ってもらうために虚偽データでKTP(住民証明書)が作られる。地域の慣習が優先されて法律が足蹴にされている実態がここにもあるということだ。
慣習、言い換えれば村の掟、に背くことは、共同体社会の中で大きな恥を抱えて生きて行くことになる。異端分子を蔑み、差別することは、古来から共同体の秩序立てにたいへん有効な戦術だったと言えるだろう。
中部ロンボック県ジョンガッ郡ウブン村に住むアナさん20歳は隣人のスリさん19歳と頻繁に往き来している。年齢が近く、そして子供を持つ母親としての境遇が同じであることが、ふたりに親密な関係をもたらした。実はこのふたり、ムラリッで結婚したことまで共通しているのだ。アナさんがムラリッしたのは中学二年生のとき。かの女は15歳で長女を生み、二人目の娘は今1歳。
スリさんは18歳を迎える直前に長男を産んだ。スリさんがムラリッしたのは高校2年生のときで、相手は5歳年上の男性シラダニさん。スリさんは祖父母に育てられ、生活費を稼ぐために小学生のときからバケツ一杯7千ルピアの賃金で洗濯仕事をしてきた。ある日、高校二年生のスリさんにシラダニさんが言った。「結婚しよう。嫌なら、俺たちの仲はこれまでだ。」
親しくなったシラダニさんに捨てられたら、自分には祖父母以外にだれもいなくなる。スリさんはシラダニさんの言うことに従うほかなかった。そしてムラリッ。
シラダニさんの母親は、息子の結婚相手が未成年であるため、夜中にスリさんを連れて帰って来たシラダニさんに猛反対して、すぐにスリさんを自宅に戻せと命じた。
シラダニさんはしぶしぶ、スリさんを自宅に送り返したが、今度はスリさんの祖父母がスリさんの帰宅を拒んだ。「あんたらはもうムラリッしたんだから、この娘が家に戻って来るのは許されねえ。わしらは世間様に顔向けができなくなる。」スリさんがいなくなることは、祖父母にとっての口減らしであることも確かだった。
ふたりはまたシラダニさんの自宅に戻った。息子の話を聞いた母親は、住むところを失ったスリさんを不憫に思い、ふたりの結婚を承諾した。母親は息子の嫁を教育した。家事から家政、そして更に経済的に自立できるようにと手に職をつけさせた。
そんな体験がシラダニさんの母親、ヌルハリマさんを未成年結婚反対運動に導いた。ヌルハリマさんは今、ウブン村懇親会女性活性化部会の会長をしている。「ウブン村の娘は21歳にならなければ結婚してはなりません。村の娘たちとその母親には、日頃からよくよく話しています。未成年結婚は女の人生に決して良いものをもたらさないということを。」
ササッ族の長老のひとり、ラデン・モハマッ・ライス氏は、世間一般が理解し実践しているムラリッがたいへんな誤解であると主張する。「慣習によれば、結婚する者は心身ともに成熟し、思慮が安定していることが条件になっている。年齢で言えば21歳が目安だ。結婚するための条件をまだ満たしていない者が結婚しようとしたら、親・長老・部落長たちがそれに反対しなければならない。」
ササッ文化では、女性の地位は十分に認められたものだ。少女が成熟すれば、複数の求婚者を持ってかまわない。そして求婚者たちの間からその娘が相手を決めたなら、双方の親が婚姻の詳細についての話合いを始める。この段階でムラリッという行動が執られる。娘が相手にしなかった求婚者たちが、選ばれた男に嫉妬を向ける。だから双方の家族が合意の上、娘を相手の男の家に一泊させる。選ばれなかった求婚者たちにこうして諦めさせようということだ。
ムラリッで娘が自宅を出るとき、娘の一家はそれを知っていなければならない。親に隠れて行うことではないのだ。ましてや、相手の男と駆け落ちという形でなく、娘の親族のひとりが付き添って行く。更に、求婚者の家で泊まるとき、性的関係を持ってはならない。まだ結婚していないのだから、未婚の男女の性交はイスラムの教えに反するのだ。
ムラリッして一晩泊まったあと、娘がこの相手との結婚をやめると言い出しても何ら問題はない。娘にはその権利があり、やめることに対する代償のような制裁は何もない。
ムラリッしたあとで、年齢が21歳に達していないことが明らかになった場合、ふたりは婚約関係にとどめ、双方の家族は両者が21歳を超えたときに結婚させることを合意し、その日取りを決める。
ムラリッの慣習は本来そのようなものであったというのに、今ではそれが若者の都合のよいように解釈され、節度に欠けた結婚の増大に結び付いている。そうなった原因は地方行政のモダン化にある、と長老は物語る。
元々、村や部落の生え抜きの人間で、慣習を理解し見識を持った者が、村長や部落長になって共同体を締め括っていた。慣習はそのような背景のもとで、正しく運用されていた。ところが、モダン地方行政では、学歴があっても慣習の本質を理解していない者が役職者に就くようになった。村や部落の指導者が慣習を正しく運用できず、また若い者への適切な説明もできない。それが現在のような結果をもたらしたのだ、と長老は説明した。
現在インドネシアには、1974年法律第1号「婚姻法」で女子の婚姻資格年齢が16歳と定められている一方、2014年法律第35号「児童保護法」では、未成年の結婚が禁止されている。大多数国民人口を占めるムスリムの結婚を司る宗教役所は、児童保護法でなく婚姻法の内容を基準に置いている。そして婚姻法の婚姻資格年齢に対する違憲審査要請を憲法裁判所は却下した。おまけに現場の実態は、虚偽データKTPを作ることで法定婚姻資格年齢すら踏みにじられている。
そんな状況を背景にして西ヌサトゥンガラ州知事は、婚姻年齢引き上げに関する州知事回状第150/1138/Kum号を出し、州民の婚姻資格年齢を21歳と定めた。


「4人にひとりが少女妻」(2016年8月16日)
中央統計庁が2015年に全国5百県市の30万世帯を対象にして行った最新調査によれば、20〜24歳の女性で18歳未満のときに結婚したひとは23%を占めていることが明らかになった。2014年は24.3%、2010年は24.5%で、年々たいした変化は現れていない。
未成年結婚者の41.5%は農業セクターの家庭で、学歴は小学校中退者が39.4%を占める。未成年結婚が減少しない現実は、政府がこの問題を重視していないことを示しているが、民族の将来にとって現状は躓石になりうるものだ、とインドネシア大学ジェンダープログラム調査センター長は語る。
「少女はまだ十分なEQ(心の知能指数)を持っておらず、子供の養育にあたっては未熟さが先に立つ。少女が子育てをするようなパターンが代々繰り返されたなら、インドネシア民族の人材育成に困難が生じてしまう。」
それに関して国家開発企画省大臣デピュティは「政府は義務教育12年方針を実施に移す意向であり、義務教育が終わったときに女子は結婚に適切な年齢になっている」と語り、義務教育期間中の結婚を抑止する考えを明らかにしている。
未成年結婚は都市部が17.1%、村落部が27.1%で、大きい差異が出ている。ではあっても、政府は都市部でも未成年結婚をなくしていく考えであり、学齢の全児童生徒に学校教育へのアクセスを確立させることに注力する計画。またこれまでは、未成年結婚した生徒の通学を学校側が拒否する傾向が強かったが、政府はその傾向も改めさせようとしている。
州別の未成年結婚実施率も中央統計庁の最新調査は示している。未成年結婚が盛んなのはどの州かということだ。最高は西スラウェシ州の34.2%、次いで南カリマンタン州33.7%、中部カリマンタン州33.6%、西カリマンタン州32.2%、中部スラウェシ州31.9%。一方、未成年結婚が少ない州は、リアウ州11.7%、アチェ州12.4%、ヨグヤカルタ特別州14.3%となっている。
女性活性化児童保護省によれば、女子国民6人のうちのひとりは、親の命令に服従して16歳未満で結婚しているとのこと。2014年に宗教裁判所は11,765件の未成年結婚許可申請に承認を与えている。


「エゴイストが得する優しい社会」(2016年8月16日)
2016年2月29日付けコンパス紙への投書"Nursery Room di Bandara"から
拝啓、編集部殿。わたしは母乳育児を行っている母親で、わたしの赤ちゃんの保育のために場所を問わず搾乳しています。去る2月14日、わたしはスカルノハッタ空港で自分が乗る飛行機の出発時間を待っていました。
9時45分、わたしは搾乳のため2F出発ターミナル授乳室に入りました。授乳室に入ったとき、室内はひとでいっぱいでした。幼児と5歳を超えている子供のふたりを連れているお母さんと、1歳くらいの子供を連れたお母さんの合計5人がそこにいて、お母さんたちはガジェットにのめりこんでいました。
授乳室で行われるべき授乳やおむつの取り換えなどをしているひとはだれもいません。室内には長いソファーがひとつあるきりなので、わたしはかれらに席を融通してほしいとお願いし、かれらはおよそ30cmほどのスペースをわたしのために空けてくれました。搾乳器を使うわたしにとって、そのスペースではまったく足りません。
わたしの依頼に反応したあと、かれらはもうわたしに何一つ注意を向けません。わたしは部屋の外へ出て、係員にお願いしました。わたしのためにもう少しスペースを空けるよう、かれらに注意してもらおうと思ったのです。女性係員が室内の様子をチェックしに入ったら、かれらは即座に反論しました。
「子供が眠たがってるので、ここでちょっと眠らせたいんです。わたしたちはここにいますから。」
結局係員はわたしにこう提案しました。「奥さん、搾乳は身障者トイレで行ったらどうですか?」
わたしは拒否しました。トイレにばい菌が多いことが心配であるのに加えて、トイレが母乳を搾るのに妥当な場所とは思えませんから。
授乳室を特に必要としているわたしが、授乳のための場所をそこでただのんびり過ごしている人たちにどうして譲らなければならないのでしょうか?スカルノハッタ空港管理当局は授乳室利用規則を明確に定めてください。そうすることで、係員は授乳室が持つ目的からはずれたひとがそこを使うことを拒むことができるでしょう。
政府は母乳だけの育児を国民に奨励しているというのに、母乳を子供に与える母親を社会がサポートしないで、その国家方針がどうして成功しうるでしょうか?授乳室があちこちに増えていることをわたしはうれしく思いますが、その利用規則が定められてはじめて適正な効果が出現するのではないでしょうか?[ 南タングラン市在住、ヴェガ・ピレネア ]


「インドネシアのナショナリズム」(2016年8月25日)
世界のグローバル化という大きな流れの中で、人間が従来持っていたウチとソトというディコトミーに変質が起こっているようだ。とはいえ、それはそういう大きな流れに乗り、あるいはそれを肌身で感じとるように理解し、その大きな潮流を眺め渡してそれにどう処するべきかという思念を抱ける者に起こっている現象であり、そうでない人間は従来持っていたウチとソトの境界バリヤーを強化する姿勢を強める方向に動いているように見える。変化に対する適応能力がそこに関わっているにちがいない。
グローバル化とナショナリズムがゼロサムであるかのように見る観念は、ひっきょう人間を集団としてひとくくりにするラベル思考のたまものであり、人間の個の部分に目が届いていない。観念思考は大状況の把握には有効だが、すべてを大状況の上に載せて物を見るようなことをすれば、それは人間の脳内を薄っぺらにするばかりになるだろう。異文化異民族を理解しようとするとき、それらが日常生活空間に影も形も見当たらないところではたいした不都合は起こらないかもしれないが、異文化異民族との接触が日常生活になっている場でそんなことをしていたら、自己自身の身辺状況とそれに対する自分の身の適切な処し方が見えなくなり、失速してしまう可能性はきわめて高い。
それはともかくとして、インドネシアに限って見るなら、内実はグローバル資本に振り回されながらも国内ではナショナリズムを煽り立てていたオルバレジームのあと、レフォルマシ期に入ってオルバの一切を悪と断じる社会風潮がナショナリズム精神を溶解させて、国外にある目を引くものへの志向を国民精神の中に強めさせた。
それこそ、グローバル化の外見的な部分とナショナリズムの精神性とが反比例関係を持つゼロサムであるかのように見えるケースの一典型であったように思われる。しかし政権担当者が交代するにつれて、多様なバリエーションを持つ種族文化と諸文明の寄合所帯であるインドネシアの国家存立を確保するために、振れすぎた脱ナショナリズムの針を戻す方向性を民族指導者たちは国民精神の中に強化させるべく努めはじめた。中でも現政権が、世界中から轟轟の非難を浴びつつも凶悪犯罪者の死刑を鳴り物入りで行い、外国盗漁漁船を爆破沈没させるといったショーをグローバル世界に見せつけているのは、国境のソトとウチの双方にもたらす効果を十二分に計算しつくした結果であるにちがいあるまい。
2016年8月17日のナショナリズム高揚のピークとなる独立記念式典を前にして、8月10〜12日にコンパス紙は国内14都市の606世帯から17歳以上の住民ひとりを選んで回答を集めた。国民が抱いているナショナリズムの観念の中味が何なのかをそこからうかがい知ることができる。
1)ナショナリズムという言葉を聞いて、最初に頭に浮かぶのは何ですか?
祖国愛 28.4%
インドネシア独立 15.9%
民族統一 8.6%
名を遺した先人たち 6.0%
宗教上の寛容性 6.0%
国家シンボル 5.1%
ビンネカトゥンガルイカ 3.6%
民族イデオロギー 2.6%
政府 2.1%
その他 12.9%
不明・無回答 8.8%
2)ナショナリズム感覚を強化するものは何ですか?
一体感 29.9%
民族精神 22.0%
寛容さ 7.4%
良好な政府 7.1%
国民の威信 6.8%
福祉 4.1%
オプティミズム 1.3%
その他 7.6%
不明・無回答 13.8%
3)ナショナリズム感覚を弱めるものは何ですか?
地元文化と産品への意識の後退 14.9%
経済 12.7%
個人主義 11.7%
法確定の不足 9.9%
結束の不足 8.6%
コルプシ 6.4%
教育とモラルの不足 6.4%
相互尊重の不足 5.6%
政府に対する不満 4.6%
SARA(種族・宗教・人種・階層)感情 2.6%
その他 5.1%
不明・無回答 11.5%
4)インドネシア民族は今、ナショナリズム感覚がどうなっていますか?
強まっている 28.3%
変わらない 21.2%
弱まっている 49.9%
不明・無回答 0.6%


「偉人とは大金持ちのこと」(2016年10月10・11日)
ライター: 文学者、クルニア JR
ソース: 2016年9月26日付けコンパス紙 "Menjadi Kaya atau Makmur"
何世代にも渡って揺るぎなく、一貫的で、湧き上がるようなアントレプルヌールの夢が持つエネルギーでアメリカは建設された。
そんなかれらが辛酸に蝕まれた結果、成熟した若い精神はスクラップになって打ち捨てられた。1930年代にかれらを襲ったすさまじい社会変革の恐るべき姿のひとつは、ジョン・スタインベックの小説「怒りのぶどう」の中に物語られている。
ジョード一家のストーリーを通してスタインベックは、永いひでりが徹底的に土地を干上げて農民を家と土地から放逐した社会変革の嵐を活写した。地主に必要とされなくなった雇われ農民たちは仕方なく、遠くの町へ命運を賭して旅に出る。「トラクター運転手ひとりで小作農民12から14家族に匹敵する」のが地主の取った行動の理由だった。
アメリカは沈鬱な抑圧期と広範な社会変革の道を歩み続け、新たなるものの創造を目指して発明探査のハードワークを維持した。トーマス・アルバ・エジソンは真のアメリカの一例だ。かれは数えきれない発明をものした人物として知られている。当時人気のあった作家で講演者のドナルド・レアードは常に、クリエ―ティブ、精力的、ハードワーク、有能、正直、成功者にして大金持ちとなった人物の逸話を引用していた。
「menjadi kaya raya(大金持ちとなる)」は「sukses(成功)」の後に続けられるのが適切な成果である。成功は個人のきらめくイメージという形の成果であり、その一方「大金持ち」はあらゆる高評価に対する物質的な褒賞だ。ムラユの格言では「勤勉は上手の根」であり、「倹約は金持ちの根」であるとなっており、かれらは自分の土地で成育した哲学を奉じているように見える。
われわれはそれらの格言をとっくの昔に捨て去ってきた。現代の若者たちは多分、そんな言葉を聞いたことがないかもしれない。かれらの親の世代は、あたかも切れた鎖のように、時代の変化へのチャレンジに用いるべき賢明で正当な新らしい価値観を用意することなく、古来からの価値観を抽斗の奥深くにしまいこんだということだ。
ハードワークという行為と、帰結を受入れ、一貫的で、時間を尊重し、すべての義務に優先順位を与え、あらゆる分野で凡庸さへのブレークスルーを勝ち取る姿勢に関わっている「rajin(勤勉)」という概念は、文化として且つコンセプトとして、家庭でも学校でも子供たちに教えられていない。
幼稚園に入ったとたんに子供たちは、外国語と国際的なライフスタイルの学習で頭の中を満たされる。それは子供たちがコスモポリタンな職業世界に入って行くための準備に不足をきたすことを大勢の親たちが心配していることを示している。その不足こそが将来わが子を不成功つまり失敗の道に誘い、貧困の淵に沈めてしまうことになると親たちは考えているのだ。
その強迫観念が小学校・中学校・高校・さらにその上へ、と延々と続く。学校は、勤勉・上手・倹約・豊かさ・繁栄・福祉・その他の重要なコンセプトを生徒に植え付ける機会をまったく持たない。そのようなコンセプトこそが、個性や人格そして将来大人になったときの世界観などを形成するための基盤になるものであるというのに。
< 金持ち競争 >
現代人は成功のユーフェミズムを用いたがるが、かれらの意図は大金持ちであることに帰する。インドネシア語大辞典によれば、kaya(金持ち)とは多くの資産を持っていることを意味しており、kaya raya(大金持ち)とは「たいへん金持ち、とてもたくさんの資産(金その他)を持っている」と定義されている。世界が認める数学理論を生み出したものの、生活に汲々としているひとに対して、インドネシア社会はそのひとを成功者と位置付けるだろうか?知的な業績や社会的な功績などゼロであっても、大金持ちのトアンとニョニャを憧憬し尊敬することをわれわれは習慣としてきたのではなかったろうか?
われわれが一民族として団結した当初にサバンからメラウケまで鳴り響いた「adil makmur(公正にして繁栄する)」という古い語句も、われわれは忘れ去ったにちがいない。公正なる正義はどこへ行ってしまったのだろうか?現実世界で一度も味わったことのない物事が、抽象議論の中で異様に聞こえるのはなぜなのか?繁栄とはどういう意味なのか?先人はどうして公正と繁栄というふたつのコンセプトを結び付けたのだろうか?
インドネシア語大辞典に戻ろう。makmur(繁栄)とは十分に満たされた生活状態、つまり不足がないということを意味している。現代リアリティの中で、その言葉の意味は世人の興味を惹かず、われわれの生活の動機にならず、われわれ自身や子孫の教育のために巨額の費用を支出した後の人生の目的にならないという印象を持つのに、熟考沈思する必要などまったくない。正直言って、われわれのほとんどは高学歴による大金持ちの暮らしに憧れているのだ。財産は七代にわたる生活の安定を保証しなければならない。われわれの社会にある生活モチベーションのメインストリームとしての、もっとも強い現代の欲望とはそんなものではないのだろうか?単に満ち足りて不足のない暮らしなどを望んでいるのではないのだ、とだれもが叫びたいにちがいない。
makmur(繁栄)とはきわめて宗教的な意味合いを帯びている。というのは、われわれの心を欲深・財産独占・過剰と同義の横溢・明日の糧(いわんや子々孫々七代に渡っておや)を思い煩うのを戒めた神の教えに反することなどに向けさせるのを防ぐものであるからだ。民族の父たちがadil(公正)とmakmur(繁栄)のふたつの概念を結び付けたのは、そのふたつが諸宗教の教えに合致していたからであることは大いにありうる。adil makmur(公正にして繁栄する)ということは、不足した者のいない社会で満ち足りた暮らしを営む人間の権利に関する倫理と美学の理想的状態なのである。ある者の財産保有が他者に悲惨を与えてはならないのだ。
makmur(繁栄)という言葉は通常、sejahtera(福祉)という単語と共に「makmur sejahtera(福祉と繁栄)」という熟語を形成する。インドネシア語大辞典はsejahteraの意味を、安全平和、(あらゆる障害から免れている)無難、平穏(な暮らし)、と定義付けている。makmurが物質面に関わっているとすれば、sejahteraは精神面に関するものだ。この熟語は人間にとって完璧な人生を意味するものなのである。
われわれの民族指導者は民族の父たちが唱えたadil makmurの理想をいまだに実現していない。われわれが目にしているのは、たまたま高官職に就いた個々の人間が、sejahteraという精神的な価値を忘れ去って自分だけが大金持ちになろうとして競い合っている姿だ。墓所で眠っているスタインベックを揺り起こし、今のインドネシアに生き返らせたなら、インドネシアを背景にした素晴らしい小説でかれはふたたびノーベル賞を獲得するにちがいない。


「ムラの成功者は都会のオートバイ泥棒」(2016年11月16日)
ジャカルタの高級マンションに住み、自分の車トヨタカムリでランプンの故郷へ戻ってくれば札びらを切って村のひとたちに大盤振舞いし、「学校を終えたうちの息子を引き上げてやってくれねえか?」と村の乙名たちから頼まれたら「オレにまかせりゃ大丈夫だ」と胸を叩く28歳と30歳の若者がその村でどれほど見上げられ、尊敬され、憧れを得ているか。村の成功者という誉を得ているふたりが警察に逮捕された情報が村に伝わると、村長が自ら上京して東ジャカルタ市警本部に乗り込み、ふたりを解放してやってくれと頼み込んだ一事からも十分に見て取れる。
村の英雄がどうして警察に捕まったのか?それはふたりがオートバイ窃盗シンジケートのボスだったからだ。ジャカルタで一旗上げたい村の若い衆を連れてジャカルタへ戻ると、自分の窃盗団に若い衆を参加させ、オートバイ窃盗の技術を教えて一人前の盗人に育てることをふたりは行っていたということだ。
ふたりは手下たちを自分が住んでいるマンションや高級ホテルに宿泊させ、華麗なる人生の贅沢を味合わせていたが、それは手下たちの忠誠心を高める心理効果だけでなく、そうすることで巷の人間との接触をミニマイズさせ、警察が行う聞き込み捜査に流れ込む情報を少なくさせるというダブルの効果を狙ったものだった。特に高級マンションは外部の不穏な人間から居住者を保護するためにセキュリティレベルが高く、その機能をこの一味は、不穏な人間が中に隠れて外からアプローチしてくる警察の手が届きにくいように悪用していたということになる。安全というのは実に、両刃の剣だ。
首都警察東ジャカルタ市警は、去る10月の一斉取締りでこのシンジケートを網に掛けた。一味12人が別々に逮捕されたが、その内のふたりはカラワンに住む盗品故買屋だ。オートバイ泥棒実働部隊は同郷の村の若い衆8人だったようだ。警察は捜査網を狭めていき、中央ジャカルタ市プラムカ地区にある高級アパートメントに住んでいるボスふたりを逮捕した。
警察の発表によると、この一味は二か月間東ジャカルタ市内各所でオートバイを盗み、盗品は2百台にのぼったという。盗品はカラワンとランプンの故買屋に1台3〜5百万ルピアで流されていた。
手下たちはいくつかのグループに分かれて駐車オートバイがたくさんある場所に向かい、まず1台を盗むとストリートレーサーに渡して隠し場所に走らせ、もう1台を盗んで自分たちが乗って逃げるという効率的な方法を使って一日の稼ぎを大きいものにしていた。一味は一日に3〜5台を手に入れており、その稼ぎは8百万から1千万ルピアに達したそうだ。
ボスふたりのうちのひとりは前科者で、かつてオートバイ窃盗で逮捕されてから刑期を終えて出獄し、効率のよい犯罪組織を作って存分に稼いでいた。昔取った杵柄は一生ものだったようだ。
手下の中にはピストルを持っている者がおり、警察は4丁の密造拳銃と弾丸20発を押収している。ランプンで密造された拳銃はまだほとんど使われておらず、一度だけ窃盗中に使われたが、そのときは仕事の成果がなく、また銃弾の被害者も出なかったとのこと。


「ムスリマが警官を攻撃」(2016年12月16・19日)
最近ソーシャルメディアで人気が集まっているビデオに次のようなものがある。
https://www.youtube.com/watch?v=BB5TX-GNqGs
まずは、とくとご覧ください。
警官が通行車両を止めたのだから、明白な違反行為があったはず。ところが運転していたジルバブの女性は警官に暴力を振るう。盗人たけだけしいとはこのことか。
この事件が起こったのは16年12月13日の東ジャカルタ市西ジャティヌガラ通りで、その乗用車がトランスジャカルタバス専用車線を悠然と走っていたために警官に止められた。
警官が注意を与えるためにその車を停止させたところ、運転していたジルバブのご婦人が怒り出し、警官にそこをどけと命令し、動かない警官に悪態をつきまくった。逃亡を防ぐために警官が車のキーを抜き取ると、ご婦人の怒りは頂点に達して動画の事態へと発展していった。
被害者警官が市民の暴力に暴力で応対していれば、正邪はひっくり返っていたところだが、この警官はよく辛抱できたようだ。警察は公務執行中の警官に暴力を振るったそのご婦人に法的措置を執ることにしている。
一躍世間の注目を浴びたその警官は、よく辛抱したという慰労をこめて市警本部から表彰状が出され、翌朝の朝礼で表彰された。
一方のご婦人は最高裁判所が雇用している職員だったことを裁判所側が先に発見した。その事件が起こったときは勤務中でなかったとはいえ、最高裁職員の品行問題としてその婦人に措置をとるよう、総務部門に命令が下ったそうだ。
その婦人が警官に横柄な態度で接し、暴力を振るうことまでしたことの理由が、かの女が最高裁職員であることが判った時点でわたしの腑に落ちた。
大使館ナンバーの自動車を運転するインドネシア人運転手が、まるで自分自身が治外法権を得た特権者のように勘違いして、街中を怖いもの知らずの運転をする姿がわたしの脳裏に浮かんできたからだ。
最高裁という国家法曹領域の最高機関に所属したその女性は、あたかも自分が最高位の地位に就いていると勘違いしているにちがいない。だから下っ端警官が自分に指図して来るのは、許せないことになるのである。インドネシア文化の中にある、個人を個として捉えようとせず、その者が関わっている環境の社会的高下をその者のステータスにしてしまうという封建的な感覚がふんぷんと匂って来るではないか。
インドネシアのソーシャルメディアにも、実にさまざまな情報が流れる。ご婦人が街中で衆人環視の中を警官に暴力を振るうという上の動画のように、派手に暴力を振るう娘たちの姿もたくさん登場する。そういう姿を見ずしてインドネシア人女性について語る外国人の言葉は、果たして実相に肉迫したものになっているのだろうか?上っ面だけの甘い人間像という眉唾臭さは本当にないのだろうか?

インドネシアの道路上のありさまは、実体験された方々のご覧になった通りだと思うが、それでもそんな日常体験の枠の外側にまだご覧になっていない姿が山のようにあるのではないだろうか?
ソーシャルメディアで人気のある、他のビデオもご紹介しておこう。
https://www.youtube.com/watch?v=aakxixtDOMo
https://www.youtube.com/watch?v=w2Gdz3P9aM0
警察に捕まりそうになれば、逃げるに限る。おとなしく捕まる人間は愚か者・・・
ダメ元で悪あがきをするのは「倫理⇒正義⇒審美観」という価値が文化内にあるかどうかという問題だろう。ところが、逃げて事故ったライダーを笑いものにしているネティズンの感覚は果たしてどういうコンセプションになっているのだろうか?
ともあれ、決まりを破るという違反を犯しながら「自分は悪くない。悪いのは他人。」というハルガディリ思想を振り回すかれらの公共生活は、結局のところ「力が正義」とされる暴力礼賛社会から脱け出すことを困難にしているようにわたしには見える。
社会秩序への違反を問われて「自分は悪くない」を主張し、「いや、お前が悪い」と相手がたたみこんでくれば力の対決に向かう。そこで勝った者が正しいのである。暴力を避けようとすれば、相手は居丈高になるばかりであり、結局は自分が負けてやるしか収拾がつかなくなる。逆走して来た二輪車に行く手を塞がれ、すごすごと道を明け渡してやる四輪車の姿は珍しいものではない。強者二輪ライダーの心中の快哉と勝利の自己陶酔が匂い立ってくるようだ。
次のようなビデオをご覧になると、インドネシアで自動車を運転する気が失せるのではあるまいか。インドネシアでの車の運転は、きっとそういうリスクをかぶらずには済まないものであるにちがいない。
https://www.youtube.com/watch?v=zhXM-sIb3cg
https://www.youtube.com/watch?v=EFK7o_aAbqs