インドネシア「女と男」情報2004〜11年


「悲恋!正式婚姻を拒む夫に絶望した妻が首を吊る」(2004年9月29日)
ジュリアナ20歳はマレーシアから一ヶ月ほど前に強制送還されて戻ってきた不法出稼ぎ者だったが、マレーシアで決して悪いことばかりはなかった。出稼ぎ先でジュリアナはやはり出稼ぎに来ていたエディ・プルノモ23歳と知り合い、エディに首っ丈になってしまったのだ。ふたりはマレーシアで結婚した。と言っても、親にも宗教関係者にも知らせない秘密結婚、イスラムで言うところのニカ・シリを行っただけなのだが。
戻ってきた二人はボゴールに住むエディのおじの家に居候することになった。ニカ・シリを始めてもう10ヶ月になるため、そこに住んでいる間ジュリアナはエディに幾度となく、宗教役所KUAで正式に婚姻を行おうと誘ったが、エディはジュリアナの頼みに取り合う姿勢を少しも見せてくれない。『こうまで頼んでもわたしの望みを聞いてくれないのは、かれのわたしへの気持ちがさめたからじゃないかしら??』
絶望したジュリアナは9月26日に、ボゴール県タンブンに住むおばの家に移った。話を聞いたおばのスマルニは『わたしがこんど向こうの親にかけあってあげるから、しばらくうちでのんびりしてなさいよ』とジュリアナを慰めたが、どうやらジュリアナの心はその言葉にも光明を見出さなかったようだ。かの女はタンブンにいた数日間、ため息ばかりをつき、正式結婚ができなければ死んだ方がましだ、と洩らしていた。エディが他の女に心を向けたら、エディを愛してしまった自分は生きていけない。ジュリアナはひたむきな自分の心だけを見つめていたようだ。
27日夜、悲歌ばかりを歌いながら部屋で何かを書いているジュリアナを、スマルニは同情しながらもまさかそこまでしようとは、と疑いもしなかった、とあとで語っている。28日早朝、スブの礼拝をする姪をスマルニは目にしている。礼拝を済ませたジュリアナは衣服を洗濯した後、マンディ場に入った。スマルニの娘カルティ二16歳がいつまでもマンディ場から出てこないジュリアナを外から呼んだが、返事がない。最悪のシーンを予想した家人たちがマンディ場の扉を押し破ったとき、梁にカイン布を結んで首を吊っているジュリアナの姿があった。
エディへの想いをせつせつと綴り、自分が今着ているエディのシャツを身に着けたまま墓に埋めて欲しい、と書かれたジュリアナの遺書が、かの女のはいているジーンズのポケットから発見された。


「大使館爆破テロ予告の裏に潜んだ女心」(2005年1月15日)
13日夜7時45分、フェリックス・バグス・エコダント首都警察副長官の携帯電話に届いたSMSに、かれはわが目を疑った。『イマムボンジョルのイギリス大使館とタイ大使館にこれから爆弾を設置することを警告する。金曜の午後、土曜の朝、その各々に爆弾がセットされる。これは遊びではない。注意しろ。』首都警察88反テロ支隊に指令が飛んだ。緊急出動!
爆発物処理部隊グガナチームを含めた警察の一隊が両大使館に急行し、館内をくまなく点検する。『イギリス大使館異常なし』の報告は午後9時40分に届いた。『タイ大使館異常なし』の報告も午後10時45分に来た。一方首都警察は、その日両大使館の周辺で不審な行動を取った者を洗い出し、追跡捜査を開始した。そして問題のSMS発信者に対しても・・・・・
ズルファ22歳はパンチャシラ大学会計学部でディプロマ?の最終学年にいる。すでに外資系銀行での採用が内定しており、来週から新入社員研修に参加することになっている。ズルファには思い定めた恋人がいる。中央ジャカルタ市パルメラ地区の自宅に両親と共に住んでいるズルファは、もうだいぶ前から家の近所に住んでいるアグン・ススティアワンと親しい仲になっていた。アグンは警察官であり、タイ大使館警備班に配備されている。そのアグンが、休暇を取って故郷のガウィに帰って来る、とズルファに告げた。「わたしも一緒に行きたいわ。あなたのご両親にもお会いしたいし・・・」「ああ、そのうち一緒に行こう。」「今度じゃだめなの?」「このつぎにしよう。」ズルファの心の中に苦い思いが湧き上がった。アグンはわたしを将来の相手として両親に引き合わせようと考えていない。ひとりになったとき、ズルファの心を鋭い爪がずたずたに引き裂いた。わたしはアグンを絶対に放さないわ。懊悩の果てに、ズルファの頭にアイデアがひらめいた。
お尋ね者ドクトルアザハリとヌルディントップ、そしてかれらにリクルートされたテロ実行部隊に関する情報を求める首都警察のビラには、連絡先の電話番号があった。それを控えたズルファは、自分の携帯電話にSMSの文章を打ち込み始めた。『イマムボンジョルのイギリス大使館とタイ大使館に・・・・・』
ズルファの計画は図に当たった。緊急警戒指令が出されたために、アグンは休暇を返上しなければならなかった。ズルファは14日、タイ大使館を窺ってアグンがまだジャカルタにいることを確認し、そして夕方になってから、勤務が終わったアグンの家に遊びに行った。ふたりでデートを楽しんでいた夜7時半ごろ、警官隊の急襲を受けたアグンは呆気に取られてしまった。そして今回の事件が自分とズルファとの関係から発していたことを知ったとき、かれの胸の内をいったいどのような思いが去来したのだろうか?
事の重大さを想像もしていなかったズルファは、あらためて直面することを強いられたこの事態にはかり知れないショックを受け、卒倒してしまった。ミントハルジョ病院に運び込まれたズルファはいまだに人事不省で、両親とも会話ができない状態だ。


「妻たちはそのとき・・・」(2005年3月19日)
3月16日、政府の石油燃料値上げ政策に対する国会としての姿勢を決める総会が国会議事堂で開催されたが、議事進行を不服とした一部会派議員が議長席に詰め寄ったために、各会派の血気盛んな議員がこれも議長席前に出てきてもみあい、あわや乱闘か、という事態に至り、議事中断、総会解散となって、その日の議会はお開きとなった。夫たちがそうやって国政に血の道を上げているとき、国会議員の妻たちはいったい何をしていたのだろうか?
3月16日、国会議事堂構内のグドゥンヌサンタラ?では朝10時から、国会議員夫人連盟が懇親会を開いていた。議題は懇親と役員任命で、アグン・ラクソノ国会議長の奥方、シルフィア・アメリア・ウエナスが議事をつかさどった。ところがその議事進行の中で、関係者以外には誰にも知らされていなかったプログラムが始められた。1ユニット3億5千万から数十億ルピアにのぼる高級マンション、スディルマンパークアパートの販売プロモが行われたのだ。そこで紹介されたシャングリラビューペントハウスは13億、シティビューペントハウスは11.7億、プールサイドビューペントハウスは12.3億ルピアなどといった現金払い価格は、先ごろ国会議員から出された「議員報酬では補えないので、議員活動資金を月額1千5百万ルピアに引き上げて欲しい」という要求とはきわめて裏腹な印象を国民に与える。
スディルマンパークのマーケティング担当者は、すでに6人の議員から引き合いが入っていると18日夜に語っており、この先数日間、議員からもっと引き合いが入るのは間違いない、とかれは確信している。しかし国会議員先生がみんな金持ちというわけでもなく、ある議員は議員の妻たちの集まりでそのようなビジネスプロモの片棒が担がれていることを強く批判する。「妻が会合から帰ってきたら、高いマンションを買ってくれとねだるんだ。めまいがしたよ。」とその議員は語る。
PAN会派がその問題を取り上げた。議事堂構内でそのようなビジネス行為が行われたことを強く批判し、二度と繰り返されないように、という内容の公式文書が3月18日付でPAN会派から国会議長に提出されている。国会議員の妻たちはその立場に鑑みてもっと社会奉仕活動を盛んにするべきであるのに、消費を楽しみ、財産をひけらかすのはもってのほかであり、困窮の中にいる庶民には縁遠い金額を伴った商業行為の相手になるようなことを国政最高の場で行うのは非常識もあまりある、という意見に混じって、前国会議長アクバル・タンジュンの奥方、クリスニナ・マハラニ夫人が夫人連盟会長をしていたときは、そんなビジネス行為は禁止されていたはずだが、との声も聞かれた。


「好きだよとビジネスウーマンを口説く男の下心」(2005年4月16日)
中央ジャカルタ市クマヨランのスムルバトゥに住むアシはまだ21歳だが、北ジャカルタ市パドゥマガンでインドネシア式カフェ、いわゆるワルンコピーを営んでいる。一人の青年がそこへ姿をあらわしたのは4月7日。アシに一目ぼれしたか、その男はアシのワルコップへ日参し、アシを口説いた。その男、ベニー・パサリブの気持ちにほだされてルンルンのアシは、じゃあ9日の土曜日にデートしましょう、ということになった。約束したのは午前9時。
しかしベニーがアシの住居にやってきたのは午前7時。アシの家の鍵を前もって手に入れていたベニーは、ひそやかに家の中に滑り込む。アシの部屋の机の上に置かれていた携帯電話ひとつとオートバイの鍵をポケットに入れると、ベニーは外へ出てアシのオートバイ、スプラフィットに乗って姿を消した。その間白河夜船だったアシは、目覚めたあとで異変に気付いた。「これはうかつにも鍵を預けてしまったあいつの犯行じゃないかしら。でも念のため・・・」とアシは9時を過ぎてもしばらく待つ。しかし待てど暮らせど影も射さない男の姿に、アシの心は決まった。
サワブサールのカルティ二派出所に警官のおじがいる。姪から連絡を受けたおじは飛んできて、ふたりでベニーを探し回ったが見つからない。なにしろアシはベニーの住所や生年月日、交友関係など一切何も知らなかったのだから。結局被害者のアシがクマヨラン警察に届け出て、警察の組織力を借りることになった。クマヨラン警察は14日、ベニーを東ジャカルタ市チャクン地区で逮捕したが、盗まれたオートバイと携帯電話は見つかっていない。


「年若い妻たち」(2005年5月18日)
ニールセンメディアリサーチが全国の12都市で20歳以上を対象に行った家庭内の結婚ステータスに関する調査の中で、年齢ブラケットごとの独身、有配偶者、離別、死別の比率が明らかにされた。それによれば女性の結婚時期は男性に比べてかなり早く、また老齢の女性は伴侶に死別された比率が高いことが示されている。その統計から、男は自分よりずっと若い年齢の女を妻にし、妻よりもかなり先に世を去っているという結論を導くのは飛躍だろうか?

女性        独身 / 有配偶者 / 離別 / 死別 (数字は%)
20〜24歳    54 /  46  /  0 /  0
25〜29歳    20 /  78  /  2 /  1
30〜34歳     8 /  89  /  2 /  2
35〜39歳     5 /  89  /  3 /  2
40〜44歳     2 /  89  /  4 /  6
45〜49歳     2 /  82  /  3 / 13
50〜54歳     2 /  78  /  3 / 18
55〜  歳     0 /  47  /  2 / 50

男性        独身 / 有配偶者 / 離別 / 死別 (数字は%)
20〜24歳    82 /  18  /  0 /  0
25〜29歳    46 /  53  /  2 /  0
30〜34歳    15 /  85  /  1 /  0
35〜39歳     9 /  90  /  1 /  1
40〜44歳     6 /  92  /  1 /  0
45〜49歳     2 /  96  /  1 /  1
50〜54歳     4 /  94  /  0 /  2
55〜  歳     1 /  91  /  0 /  8


「恋しさ余ってテロリスト」(2005年5月26日)
その女性イニシャルEKは、男デワ・プトゥ・ディルガに恋をしてしまった。ジャカルタに住んでいるEKとアメリカで働いているディルガとの距離は遠い。そして恋するディルガがバージニアのフォールズチャーチシティパブリックスクールで一緒に働くキャスリン・ホプキンズと結婚するというニュースを聞いたとき、EKの中で何かが起こった。
ディルガが、キャスリンが、そしてふたりの職場である学校が、おかしなEメールやファックスを受け取るようになったのだ。srikusumaningsi@hotmail.comというユーザーネームで送られてきたディルガ宛のEメールには「キャスリン・ホプキンズとの結婚をどうしてもあなたが行おうというのなら、わたしが悪いわけじゃないのよ。あなたの家族のだれかが心臓麻痺で病院に入っても、生きて再び病院を出ることはありません。わたしはあなたが愛する人間を消さなければならないのだから。」と記されていた。似たようなメールは2004年12月から2005年1月にかけて何度もディルガのメールボックスに届いている。またuloveilovemeyoukillme@yahoo.comというユーザーネームを使ってEKが発信したアブドゥル・アジズと名乗る者からの脅迫Eメールもディルガは受け取っている。
そしてEKの行動はエスカレートした。アブドゥル・アジズ名で学校に送られたEメールには「フォールズチャーチシティパブリックスクールの全生徒は、注意と警戒を怠らないように。いまやあなたがたの安全は危機に瀕している。われわれは高性能爆弾を使って学校建物を粉々に破壊し、何人かの生徒の生命を奪うことを計画している。」と記されていた。続くメールにEKは、「2005年1月31日までにディルガをインドネシアに帰国させなければ、先の威嚇は現実のものとなるだろう。2005年2月1日午前9時に学校は大爆発に襲われることになる。」と書いた。当日学校側は全職員教師生徒を校内から避難させ、市警察がくまなく校内を捜索したが、爆発物は発見されなかった。
Eメール以外にもEKは、スリ・クスマニンシの名前でキャスリンの自宅あてに脅迫状を郵送し、その中に青色の粉末を同封している。その手紙は送り主の住所が西ジャワ州バンドンのものになっているが、消印のスタンプは南ジャカルタ郵便局のものが押されていた。それらさまざまな証拠を集めたフォールズチャーチシティ市警察は、ジャカルタの首都警察に捜査の協力依頼を求めてきたため、首都警察特殊犯罪捜査局サイバークライムユニットが捜査を開始し、Eメール発信者をISPであるカブルビジョンの協力を得て割り出す一方、バリ州シガラジャのディルガの親族からの情報収集やフォールズチャーチシティへの出張捜査を行ってすべての傍証を固め、身元が判明していたEKを逮捕した。恋に狂ったEKには、反テロ法の条文が適用されることになる。


「どこまで根に持つ?フラれ偏執男の死の復讐」(2005年5月26日)
マリオ・ライモン・ペアは2000年に南ジャカルタ市ポンドッチャベにあるサヒッ観光高等学校に入学し、同級生のニタ・ハンダヤニに魅了された。当時まだ22歳のマリオはニタを自分のカノジョにしたいと望み、一生懸命モーションをかけたが、ニタは冷たかった。積極的にニタを追い回すマリオは、クマヨランのニタの家まで何度も足を運んだり電話をかけたりしたが、ニタの家族が居留守を使ってマリオを門前払いしようとする。こうしてマリオの中の何かがぶっちぎれ、可愛さ余って憎さ数万倍に達した。憎しみに凝り固まったマリオのニタに対する脅迫が始まる。マリオのテロにいたたまれなくなったニタは2001年11月18日、クマヨラン警察に届け出た。警察は11月25日マリオを捕らえて、ニタにテロを加えない旨の誓約書を作らせた。しかしその後のマリオに、一日たりともニタを思い出さない日はなかったのだ。
学校を卒業したニタは、中央ジャカルタ市クブンシリのBNI46銀行に勤めるようになった。そして2004年10月ごろから、ふたたびマリオがニタにまとわりつくようになった。「ニッ、オレが殺してやるから待ってなよ。おまえの命がいつ終わるかはオレが決めてやるぜ。」というマリオの言葉をニタは耳にしなければならなかった。そうしてついにその日が来た。
2004年11月11日、マリオは南ジャカルタ市ルバッブルスのタマンボナインダ住宅地にある自宅を14時ごろ出た。都市バスでニタの勤め先に向かうマリオのふところには、刃渡り30センチのナイフが隠されている。ニタの勤め先の外で見張っていたマリオの目に、ニタがオフィスから出てきてコパジャバスに乗る姿が映った。ニタが入ったのはバスの前方扉。マリオはすかさず後部扉から同じバスに飛び乗る。ルート番号502のコパジャバスがメンテンラヤ通りの農夫の像の脇を通っているとき、マリオはシートに座っているニタに後ろから歩み寄るとその身体を抱え込み、後ろからと前からニタの胸にナイフを突き立てた。7回突き刺されて血まみれのニタはもがいてマリオの手をふりほどき、車外へ出ようとしてバスの外へ転げ落ちた。それを追ってマリオは倒れているニタの腰に更に4回、ナイフを突き立てた。マリオは現行犯逮捕され、そしてニタは11月14日チキニ病院で世を去った。
2005年5月25日、中央ジャカルタ市国家法廷で開かれた公判で検察側は、被告マリオは公共の場でひとりの女性を計画的に殺害しようとし、きわめて残酷な方法でそれを実行した、として死刑を求刑した。


「青少年の初体験サーベイ」(2005年5月30日)
2004年9月から12月まで、ジャカルタ・バンドン・スラバヤ・メダンの四大都市で15歳から24歳までの青少年450人を対象に行った性行動に関するサーベイがある。二人に一人はセックスアクティブであるという条件で採集されたこの統計に、インドネシア人青少年の性行動状況が反映されている。
回答者の16%は、初体験を13〜15歳で済ませている。16〜18歳で済ませたのは44%。また初体験の場所は『家で』が40%でもっとも多く、次に『下宿で』と『ホテルで』が同率の26%。初セックスを計画的に行ったのは、男が37%。一方39%の女は、計画していなかったけれど男にほだされてそうなったと述べている。そんなかの女たちの11%は後悔しており、また別の10%は欺かれたと感じている。
初セックス実現を72%の男が喜んでいるが、女の47%は「あやまちを犯した」「罪を作った」「処女を失った」「妊娠が怖い」「親に知られるのが怖い」などの理由で悔やんでいる。
セックスは計画するようなものでなく、自然にそうなるものだという意見に対して回答者の10%は「まったくその通り」、54%は「そうと言える」、21%は「確信がない」、14%は「決してそうではない」という意見を述べている。青少年の81%はセックスのことを話す相手は友人で、8%は母親だが、父親はひとりとしていない。セックスに関する情報源は、友人が65%、ポルノフィルムが35%、学校19%、親5%という内訳。また回答者の多くがコンドームに関する知識は持っているが、使用レベルは残念ながらきわめて低い。


「恋がいっぱいのインドネシア人」(2005年6月1日)
ニールセンメディアリサーチが国内12都市で15歳以上のインドネシア人を対象に行ったサーベイの中に、恋愛関係の多寡を問う設問がある。回答は、たくさん、少し、ニュートラル、の三つで、ニュートラルは多分世間一般並を意味しているのだろうから、ビアサと理解してよいにちがいない。数値によらず本人の主観にゆだねられている回答選択肢なので、世間一般並のレベルをどう見ているのかで差が出るのは疑いもないが、熱帯の情熱的なひとびとの習性として男女間の磁力は北に住むひとびとに比べてはるかに強くて当然だろう、というのが筆者の個人的見解。
さてサーベイ結果は、『たくさん』という回答者29%、『少し』44%、『ビアサ』が27%。『たくさん』と答えた人の中には、同時並列的にたくさんというケースも決して少なくないだろう。とっかえひっかえ相手を替えるが、相手なしになったことは一瞬もないというひとがもし『少し』などと答えていようものなら、筆者など立つ瀬もない。
男女別には、『たくさん』組のマジョリティが男で占められているのは明らかで、女は花開いて雄蜂が寄ってくるのを待つというのがインドネシアの一般常識だから、誇らしげに『たくさん』と言う女性は、事実はどうあれ、少ないのではあるまいか。なお都市別に見ると、ジョクジャとGerbangkertasilaと呼ばれるスラバヤ周辺地区(Gresik, Bangkalan, Mojokerto, Sidoarjo, Lamongan)の住民が『たくさん』回答者の比率が高く、反対にバンドンはもっとも低い。


「夫婦の不和はコミュニケーションの問題!?」(2005年8月13日)
結婚セックス研究センターが2004年に行ったサーベイによれば、ジャカルタ在住者はあまりセックスに熱心でないとのこと。サーベイはジャカルタ、メダン、スラバヤ、スマラン、バリッパパン、パランカラヤ、ジョンバンなどの都市で行われたが、他の地方都市住民は週あたりの性行為が3〜4回と理想的であるのに比べ、ジャカルタ居住者は週あたり1〜2回で、不健全な性生活を送っているとのコメントが出された。また、セックスのことがよく頭に浮かび、あるいはセックスは重要なことだと考えている人は地方都市居住者に多く、ジャカルタ居住者はその半分の比率しかないことも明らかにされた。
ところで、夫婦の和合が家庭平和のもとという考え方はインドネシアでまだ強い。しかし歳をとるとナニの方も衰えていくものだが、セックスの頻度が低下すると、その減った分は他の女とナニしているのではないか、と疑念を抱く奥方も多いらしい。そのためにObat Kuatがよく売れる。無実なのに疑われるのはいやだからという旦那もいれば、本当にそうしているけど疑われるのはいやだからという旦那もきっといるはず。
ところが、別のサーベイによれば、セックスが原因で家庭内コンフリクトが起こる比率は13%しかないという結果が出されている。家庭内コンフリクトを起こす主な要因というアンケート調査の結果は、コミュニケーションがなんと7割を占めている。二番目が経済問題で17%、そして三番目がセックスで13%となっている。この伝でいけば、別の女を持ち、そのために妻とのセックス回数が減少しても、巧みに妻とコミュニケーションを取ることができれば家庭内コンフリクトには至らないという結論が引き出せそうだが、本当にホント?


「リフカ・アニサ女性相談」(2005年8月27日)
わたしは26歳の主婦で、結婚して三年になります。わたしの夫(40歳)は奇妙な性癖を持っているのです。ポルノ映画を見、ポルノサイトを見、あげくのはてに自慰をします。
結婚以来、わたしと交わるよりはるかに多く、夫がマスターベーションをしていたことを、わたしは知っています。それを知った当初、わたしは大変失望しましたが、夫には黙っていました。じっさい、どう言ったらいいのかわからないのです。でもそんな姿勢では結局のところ時限爆弾を抱える羽目になり、最後に爆発してしまいました。以前は居間でテレビを見ながらそれをしていたのに、ここ一ヶ月あまり、夫は寝室のベッドで寝ているわたしの隣でそれをするようになりました。きっとわたしがもう寝入ったと思ったのでしょう。
はじめて夫がわたしの隣でそれをしたとき、わたしは怒り、ののしり、汚らわしい、と怒鳴りつけましたが、夫はそのとき薄笑いを浮かべるだけでした。二週間たって夫がまたそれを行ったとき、わたしは一日中黙って夫を無視しました。口を聞かないわたしに夫は、どうしたのかと何度も尋ねるのです。反対にわたしは夫に尋ねました。昨晩、あなたは何をしたの、と。夫はすまして「寝た」とだけ答えます。わたしの怒りは爆発して、洗濯物かごをひっくり返すと、昨晩夫がはいていた下着を投げつけました。夫は怒ってわたしに言いました。「おまえにあれこれ指図する権利はない。結婚前から10年以上も行ってきたおれの基本的人権をおまえが奪う権利はない。」
わたしは夫の基本的人権を奪おうとしているのでしょうか?結婚前、わたしは仕事をしていましたが、結婚した後、夫はすぐ子供を作りたいからという理由で、わたしに仕事をやめるよう仕向けました。一年半がすぎて、わたしはいつまでたっても妊娠しないので、夫婦で検査を受けたところ、夫に子だねがないことがわかりました。結婚生活の中で、夫はわたしによろこんで生活費をわたしてくれません。結婚当初、わたしは大学生のころ貯めたお金があったので、ふたりで外食したり、わたしが料理しないときは何か食べ物を買ったりすることができました。でも、そのお金も使い果たしてしまい、買い物のたびに夫に何度もお金をくれるように頼まなければなりません。
わたしはもうこのひととの生活に耐えることができません。離婚を望んでいるのですが、どうか離婚が今のわたしにとって最善の道であることをわたしに確信させてください。[ フィナ ]

フィナさん、
しばらく前、わたしたちは数人の同僚たち(既婚男性)と小討論会を行いました。夫がマスターベーションするのは、妻が夫の性的要求を十分満たしていないためだろうか、というのが討論会のトピックです。そこで出された意見のひとつに、夫は性的ファンタジーを楽しんでいるのかもしれない、というのがありました。新しい環境の中で、特にきれいで心地よい場所では、妻がそばにいても自慰を行いたくなる傾向があると言う人もいました。それは主観的心理的なものなので、他人に説明するのは難しいともかれは言いました。
とはいえ、妻がそばにいるなら、自慰を行う必要はない、というのが全員の意見でした。妻とのセックスの方がより楽しく、またより適切なのです。妻の前で自慰を行うのは、それが性関係をより豊かにし、ふたりに高い満足を与える行為としてお互いに合意したものでないかぎり、妻の気持ちを傷つける可能性が高いために、決して褒められた行為ではない、というのが結論でした。
上の話はサーベイ結果でも何でもなく、わたしたちの日常生活にある小さい事実のひとつです。ある家庭誌の記事によれば、妻のある男性の66−67%は妻とのセックスの傍ら、マスターベーションも行っていることがサーベイで明らかになっているそうです。その理由として、夫婦間での継続的コンフリクトや早漏が上がっていました。セックスに関するさまざまな障害がマスターベーションで覆い隠されるのです。その中で夫は自由にファンタジーにひたり、自分の満足度に従ったクライマックスのタイミングを調整することができます。過剰マスターベーションと強迫観念は区別しなければなりません。治療が必要なのは本人の精神状態なのであって、マスターベーションを治すということではないのです。
言い換えると、あなたのご主人のマスターベーションは本人の精神状態に関わるもので、不妊の問題も男としてのエゴに影響を与えているのではないでしょうか。
あなたの心がその出来事で深く傷ついているのはよくわかります。これまであなたは夫に身体も心も放置されてきたのですから。夫の自慰に対する汚らわしさの感情が、それまで溜まった失望の頂点だったのでしょう。これ以上耐えられないというあなたの気持ちは、あなたの表現からひしひしと伝わってきます。
これまで問題解決のためにあなたがご主人とどのようなことをしてきたのか、わたしにはわかりません。あなたはご主人と心と心で会話し、あなたの気持ちや考えをご主人に示そうと既に努力したのでしょうか?ご主人との間でウィンウィンソルーションを求めて交渉事を持ったのでしょうか?それらが最終段階にある離婚に到る前に行われるのはとても意味あることなのです。
フィナさん、決断はあなたの手の中にあります。あなたの人生が良きものでありますように。
[ リフカ・アニサ女性クライシスセンター ]


「イブレイラ女性相談」(2005年9月3日)
善良なるイブレイラ。わたしはずっと前からこのコーナーの愛読者ですが、わたしのような境遇のケースを一度も読んだことがありませんので、お手紙を差し上げる気になりました。
わたしども夫婦はもうすぐ結婚五周年を迎えます。わたしは、とても善良で篤信、男性的で頭の良い夫に恵まれました。今このクライシスのさなかでも、わたしどもは問題ない職業生活を続けています。ただ、わたしどもはいまだに子宝に恵まれていません。でもわたしは、今楽しんでいる恋愛生活にとってそれはまったく問題ではない、と思っているのです。この結婚生活でひとつだけ心につかえている問題は、わたしはいまだに妻というステータスのバージンだということなのです。結婚してから今日まで、わたしがとても愛する夫は、夫の義務であるあのことを一度も行ってくれないのです。
わたしの夫は頭がよく、行動もてきぱきし、そして的確です。職場でも家庭でも、問題は迅速・完璧に片付けます。しかしあのひとつのことだけは、解決する気がないようなのです。わたしがその問題に触れると、夫はただ黙りこくるので、わたしは悪いことをしたと思ってかれに謝ります。そんなできごとはもう何回も起こりました。子供のことをひとが尋ねると、わたしはついカッとしてしまうのです。
わたしの質問は単純なことです。わたしのような体験をしているひとが他にもいるかどうかということなのです。この手紙でわたしは自分のアイデンティティの一部を伏せていますが、それはわたしの両親にもこの問題を打ち明けていないからです。
わたしたち夫婦は30代に入ったばかりですが、わたしどもが将来子供を作ることは可能なのでしょうか?わたしは自分がノーマルな女性であると確信しており、そしてわたしども夫婦は互いに愛し合っています。この問題を考えると気が滅入ってくるのですが、イブレイラの前向きなアドバイスをいただけるとうれしいと思います。わたしの名はシティ・ジュライカと呼んでください。夫がインポテンツだったために預言者ヨセフを誘惑したエジプト王の妻の名がたしかそれだったのではないか、と思います。

シティ・ジュライカさん、
その名があなたに、他人の果樹園で禁断の実を味わう過ちを犯させることになりませんように。フランクに申し上げて、あなたのようなケースはとても稀ですが、似たようなものはあります。
従順で優しい篤信の娘さんがあるときわたしを訪ねてきて、涙と共に自分の問題を話してくれました。そのひとは同じ階層の男性と結婚して三年たちました。夫はかなり善良な人のように思えます。ところが残念なことに二人の結婚生活は、特にベッド問題で、順風満帆には運びませんでした。というのは、少女期に受けた陵辱体験が妻の側にトラウマを残していたからです。その結果、夫が妻に寄り添おうとすると、妻は怖がって遠ざかるのです。そんなことが何回も繰り返され、夫は我慢の限界に達し、妻の状態にも配慮を示すことができません。夫は怒り、妻に欺かれたと思い、乱暴で冷たい態度に変わっていきました。結局夫は別の飴玉を手に入れ、豪勢な結婚パーティを行って三年後にふたりの結婚生活は終焉しました。夫はまだバージンである妻を去らせたのです。
でもあなたがたのケースは違います。結婚後五年たっても、まるで恋人時代のように親密で暖かい関係を保っているのですから。互いに尊重し、互いに気遣いあっているのです。きっとたくさんのカップルが、あなたがたを羨ましがっていることでしょう。ベッド問題だけがまだ引っ掛かっているのですね。コミュニケーションがよければ、カップルはこのようなコンフィデンシャルな問題を愛情に満ちた雰囲気の中で話し合うことができます。夫にセックス問題でトラウマがあるかもしれません。もしそうであれば、かれは妻からの理解と受容をとても必要としています。あるいは性欲に何らかの障害がある可能性もあります。その場合は、かれにとって特別な方法、環境、対象などが必要となるでしょう。
かれ自身が言えない生物学的異常があるのかもしれません。その場合は専門家の手を借りなければなりません。その場合でも妻は、忍耐、理解、受容を示して夫を助けることができるのです。もしあなたが子供を欲しているのなら、産科専門医に相談しなさい。自然な方法がうまくいかないなら、人工授精といった医学的方法を使うことも可能です。ともあれ、原因が何であっても、この問題を解決するための努力を払い、シティ・ジュライカが自分自身のアルジュナの傍らで不安なく寄り添えるようにしなければなりません。それがすぐに実を結ばなくとも、今あるものを祝福しなさい。手中の一羽の鳥は、どうあろうとも空を飛んでいる百羽にまさるのではないでしょうか。[ レイラ・ブディマン ]


「コンパス紙への投書から」(2005年9月6日)
拝啓、編集部殿。最近わたしの夫は、わたしの車のBPKB(自動車所有者謄本)が出来上がったことを知らせる手紙を受け取りました。奇妙なのは、その二日前にやはり夫宛に同じような通知がふたつ来ており、そのそれぞれが異なる所有名義人になっていたことです。ひとつは西チランダッに住む女性で、もうひとつはタングランのパサルクミスが住所の女性名でした。どちらの通知書にも管理課長キャロラインというサインがあります。
夫が別の女に車を買ってやったのかしら、という疑惑がわたしの心をかすめましたが、まさか一度にふたりにもと思い、その疑惑をはらいのけました。これはアストラインターナショナル、スディルマン支店従業員の軽率でお粗末な仕事の結果に決まっています。他人の不注意なミスで、家の中に家庭争議が起こるかもしれないということを、肝に銘じてほしいものです。[ 東ジャカルタ市在住 マリア ]


「イブレイラ女性相談」(2005年9月10日)
善良なるイブレイラ。わたしの夫はわたしを貶すのが趣味なのです。いえ、夫だけでなく、夫の家族も一緒くたになって、嫁の側、向こうの親、要するに夫のファミリーにとってアザーズの人間を平気な顔で蔑みます。おかずに塩気が足りないといったライト級から、嫁の親がどうしたこうしたで、追い出しちまえ、離婚しろ、といったヘビー級まで悪口の絶え間がありません。夫自身も、友人や自分の兄弟、それどころかわたしの兄弟の前でわたしを貶すのが大好きなのです。
わたしたち夫婦は結婚して三年ですが、わたしの収入が少なく、そしてわたしに自動車の運転ができないために、わたしは夫を幸せにできないという烙印をもう押されてしまったようなのが、わたしにはとても悲しいのです。かつてのイブレイラのアドバイスにあった、コップ半分の水を「まだ半分ある」と見るか、「もう半分しかない」と見るかということについても、わたしの夫はそれをネガティブに見る人間なのです。
馬鹿、のろま、無教養、非常識、といったののしりが、わたしが我慢しなければならない日々の挨拶代わりになっています。でもわたし自身は、祖国インドネシアの一流大学を優等生として卒業し、人に負けない職業キャリヤーを持っていて、決して愚かでのろまな人間ではないと思っています。わたしの両親にしても、父は医者で母は工学エンジニアーであり、無教養な家庭ではありません。二人ともインドネシアでは高い地位を得ています。
わたしのインドネシアの家庭は運転手二人にメイド4人を抱えていました。でもわたしはそのすべてを置いて、シドニーで家族と一緒に住んで20年になる夫のもとに嫁いだのです。ここで住むようになって7ヵ月後にわたしは就職しました。でもそれは社会的な仕事だったので、給与は低いのです。わたしの上司はわたしの能力を信頼してくれ、いつもスマート、クレバー、ハードワーカーなどと誉めてくれます。それどころか、他の州にもっとよい条件でプロモートしてくれましたが、夫の反対で実現しませんでした。
わたしの親は、他人を蔑んではいけないと子供に教育しました。他人をアンジン(犬)とかバビ(豚)などと呼んだことは一度もありません。路上のごろつきに関してさえそんな言葉を使わなかったのに、ここではそれが妻に投げつけられるのです。
わたしたち夫婦の間にたくさんの誤りがあったことは認めます。わたしはそれを改善しようと努力していますが、怒りや不満のためにあまりうまくいきません。わたしはいつまでも踏みつけにされたくないのです。多分わたしの誤りは、かれとの交際が遠い距離をはさんで行われたことにあると思います。近くからかれを知る機会がなかったのです。夫の長所は本質的に人助けが好きなことで、特に他人に対してはその性質を発揮します。この夫婦関係を救うために、わたしたち二人は何をすればいいのでしょうか?[ シドニー在住 Y ]

試練の中にいるマダムY、
結婚最初の5年間は、夫婦が共同生活を営む上で互いに適応しあわなければならない困難な期間です。夫の真の姿がよくわからず、おまけに外国生活をしているあなたにとって、その困難さは数層倍に感じられることでしょう。ましてやあなたがもっともサポートを必要としているそんな時期に、夫とその家族があなたを貶すばかりなのですから。でも絶望してはいけません。あなたはきっと芯の強い利口なひとなのではないでしょうか。胸襟を開いてこの問題を見直してみませんか?
1.あなたは自分の専門分野で、大学を優等生で卒業しました。でも台所、運転、外国の習慣といった問題はどうでしょう。あなたの知識はまだお馬鹿さんレベルかもしれません。インドネシアのプロフェッサーでも、10歳の白人の子供にできるスクランブルエッグが作れないかもしれません。台所、買い物、罰金をくらわない運転などをよく知っている人から、もっと学ぶことができるでしょう。謙虚に真剣に学んでごらんなさい。批判されてもムカつかないこと。笑われたら、自分の愚かさを一緒に笑ってしまいましょう。
2.自分のそんな改善努力の中に夫を巻き込んだらどうでしょう。貶されても怒らないこと。インドネシアで著名な専門科医がケンブリッジで何回も運転免許証を取るのに失敗したことをわたしは知っています。あそこでは裏金は利きません。あなたの夫が人助け好きでラッキーでしたね。あなたがさまざまなことを学ぶための手助けをかれに頼みましょう。結婚生活アドバイザーは、夫婦は互いに自分の希望を告げ、問題も知らせ合わなければならない、と言っています。でもそれを行うのに、人をうんざりさせるやり方でなく、思慮深く正しい方法が必要です。
3.他人を蔑む習慣を変えさせるのはとても困難でしょう。あなたがその真似をする必要はありません。「コップ半分の水」エピソードを思い出し、人の良い面を見る努力を続けなさい。それはきっとあなた個人の精神を健全に保つだけでなく、かれらにもある効果をもたらすことでしょう。
4.あなたがた夫婦に適切なトレーニングは、まず互いをもっと深く知り合うことです。お互いの過去、現在そして未来、不安、悦び、夢などの軌跡をお互いに質問し、答えるのです。小学校時代の親友はだれ?子供のころ一番怖かった体験はなに?一番たのしかったことは?毎日どんなことをし、職場で親しい人はだれ?好きな映画や音楽は?嫌いなのは?今もっている理想や夢は?
夫と一緒にいるとき、親しみや温かみを示してごらんなさい。いつもそのように振舞えば、かれも次第に影響され、そのうちあなたへの気持ちがもっとやさしくなるでしょうし、あなたがたの結婚生活ももっと親密になることでしょう。[ レイラ・ブディマン ]


「リフカ・アニサ女性相談」(2005年9月17日)
わたしの名前はN、21歳です。わたしはいまとても悩んでおり、リフカ・アニサからのアドバイスを必要としています。わたしがまだ中学1年生のとき、そのときわたしは12歳でしたが、実の兄から性交を無理強いされました。わたしはとても怖くて、両親にそれを訴えることができませんでした。親はきっと、絶対にそんなことを信じないに決まっています。
そんな状況が一年間続き、兄に恋人ができたのでそれは終わりを迎えました。その後9年間、わたしはそのことを隠し通しました。わたしは、わたしをこんなにしてしまった兄を憎んでいます。わたしは男性との交際が怖くなり、その結果わたしは人を避けるトムボーイの娘になってしまいました。
問題は、いまわたしに恋人ができ、結婚の意志が生まれていることなのです。その恋人はわたしの兄の友人でもあり、それでわたしはとても悩んでいます。わたしは自分が処女でないこと、そしてわたしをそのようにしたのが他ならぬわたし自身の兄で、わたしの恋人の友人でもあることのために、不安でいっぱいなのです。かれは、あるがままのわたしを愛してくれるのでしょうか?悩んだ挙句、わたしは両親に自分のそのことについて、ありのままに打ち明けました。ふたりはとても驚きました。母は自慢の息子が自分の妹にそんな呪われた行為をしたなどと思ってもみなかったため、強いショックを受けました。でもふたりはただ涙を流すだけで、何をすることもできません。わたしは兄に相応な罰が与えられることを期待していましたが、そんなことをすれば我が家の名声に泥を塗ることになるのです。
結局両親はわたしに、過去のページは閉じて二度と開かず、処女膜再生手術を受けるよう薦めました。両親は、わたしの夫に疑問を抱かせず、我が家の名声を守るにはそれが最善だ、と言うのです。わたしの心の奥底は、愛する夫をだますのと変わらないそんな行為を肯定することができません。わたしはかれをとても愛しているので、かれに対しては正直になりたいと思っているのです。一生涯、嘘に堪え、嘘を重ねることはとてもできません。わたしは伴侶に隠し事をすることなく、平穏な人生を送りたいと望むだけです。わたしはこれまで兄の悪業を隠し続け、何の罰も受けることなく、家の中でも何もなかったかのように口をぬぐっていることを可能にさせてきたというのに、わたしの愛する人にはこの少女期の苦い体験を騙し通せというのは、あまりにも不公平です。
わたしは両親の希望にしたがって、問題を避けるためにそれらすべてを隠さなければならないのでしょうか?ご返事をお待ちしています。

Nさん、
レープに関する事実はその大半が、被害者の知っている人間によって計画的に行われるものなのです。あなたの身の上に起こった事件は、近親相姦と呼ばれます。つまり被害者と血族関係にある者によるレープです。近親相姦事件の多くは、比較的長期間に繰り返し行われます。なぜなら被害者がその事実を他の人に打ち明けるのをこわがり、また加害者も被害者を脅すからです。加えて被害者がその事実を打ち明けても、往々にして加害者が信用の厚い人だったり、あるいは他人から見上げられるポジションにいて、そんな賎しい行為をするはずがないとの先入観から、親や保護者は容易にその話を信じません。その結果、近親相姦犠牲者への精神的影響は単純なレープ事件被害者にくらべて、はるかに根深いものとなります。加害者への怒りだけでなく、親や環境への怒りをも抱え込むからです。
同じ家族の構成員だから、ふたりは頻繁に顔を合わせ、それが終わりのないテロとなるのです。おまけに、被害者は忘れたいのに、顔を合わせるたびにそれを思い出させられるのですから。
Nさん、近親相姦は刑事犯罪として訴えることができるので、あなたの兄さんに刑事罰を受けさせることは可能です。しかし、あなたが受けた被害はもう9年も前のことなので、この国で施行されている法制度のもとでは、多くの障害が出ることでしょう。特に証拠品ということがらに関しては、事件のあと早急に当局に訴えることが必要です。しかし法的対処は女性にとって普通、容易なものでなく、おまけにあなたが体験した時のような未成年者の場合はなおさらです。そこに、親、保護者あるいは周囲の大人たちの理解と感受性が求められるのです。少女の行動や感情が変わってきたのに気付いたり、打ち明け話を聞いたり、家族構成員や身近な人間が行った不躾な行為の苦情を聞いてやったりすることが必要なのです。
Nさん、9年前にあなたが蒙ったことはもちろん容易に忘れ去ることができないでしょう。あなたは精神医の治療を受けたり、あるいはあなたの町にある性的暴行被害者女性救済機関に援助を依頼するのもよいでしょう。あなたの心の中にこれまで抑圧してきた怒り、プレッシャー、絶望などの澱を解きほぐす手伝いをしてくれるはずです。
処女膜再生手術問題の結論はあなたに委ねます。いずれの結論にせよ、リスクは避けられませんから、あなたがよく熟考してください。あなた自身の力で行うのにもっとも妥当だと思われるのはどちらですか?これまであなた自身が、兄の行為を隠し自分の怒りを抑えつけてきたことで抑圧され、苦しんでいたのなら、いまは自分自身のために何をするのがもっとも心にかない、妥当なのか、を考えるときではありませんか?
Nさん、女性の価値は処女膜にあるのでなく、個性、潜在性、自己の本源が統合されたところにあるのです。家族はもちろんすべてであり、両親への尊敬も子供としておろそかにはできません。しかし心の声は自分がよって立つ基盤なのです。自分の心の呼び声は捧持することです。あなたはまず精神医のサポートを求め、感情の激動が収まったなら、あなたの将来を真剣に考察し、その将来にとっての最善の決定を下しなさい。あなた自身が平穏で落ち着いた今後の暮らしを望んでいるのではなかったでしょうか?あなたはきっと最善の決定をくだすことができるとわたしたちは信じています。


「イブレイラ女性相談」(2005年9月24日)
善良なるイブレイラ。わたしは30歳の未婚女性で、もう三年程前から、妻と死別した男性と恋愛関係を続けています。かれはわたしの父親ほどの年齢で、子供もふたりいるのです。かれはわたしが勤めている会社の上司のひとりで、わたしたちは二人の関係を社内では絶対に解らないようにしようと合意し、固く隠し通してきました。ひと月にわたしたちがデートする回数は指で数えるほどしかなく、会話はページャーや電話、携帯電話、そして最近ではEメールも使うようになりましたが、そんな限られた中でしか行われません。でもわたしたちはお互いにとても愛しあっており、かれがわたしをとても大切な女性として扱ってくれるのをひしひしと感じるのです。かれの前でわたしは自分の短所や欠点を隠す必要がなく、かれはあるがままのわたしを受け入れ、自由に振舞わせてくれます。それどころかかれは、わたしたちの交際は続ける一方で、わたしの将来の夫にふさわしい男性を探そうとさえしてくれました。かれはわたしを妻として幸福にできないことを心配し、また子供たちも賛成しないために、ふたりの特別な関係を終わらせた方がよいと提案し、わたしも同意しました。でもそんなことがあってから、わたしたちの互いに相手を欲する気持ちはいっそう燃え上がり、かれはわたしをもっと甘やかしてくれ、わたしがまるで女王様のように感じる細かい気配りでわたしを感動させてくれるのです。
わたしと同年代の男性は、わたしが自立した頭の良すぎるキャリヤウーマンだとわたしを見ています。昔、大学を終えて修士課程に入ったわたしに、当時の恋人は自分から別れ話を出しました。その後の相手とは、わたしの方から別れました。だってわたしをただの家庭の主婦としてしか望んでいないのですから。わたしは単なる公務員でしかないわたしの両親が、苦労に苦労を重ねてわたしの教育費用を捻出してくれたことを無駄にしたくないのです。そんなことで、同年代の男性との関係はいつも失敗に終わっていました。いまのかれとは、そこがとても違っているのです。たぶん成熟した男性としての考え方なのでしょうが、かれはわたしの業績向上を熱心にサポートしてくれるのです。
わたしたちが深く愛し合っていること、そしてわたしが同年代の男性といつも途中で挫折してしまうことなどから、両親は結局、親子ほど年の離れたわたしたちの関係に同意してくれました。わたしはもちろん、かれの財産にひかれたわけではありません。かれの人柄とまっすぐな愛情がわたしのすべてなのです。なのに、わたしたちはどうして周囲のひとたちから苦しめられなければならないのでしょう。世代の異なる男女が互いに愛し合い、いたわりあって生きるのは悪いことなのでしょうか?わたしは将来、結婚もせずに孤独な人生を送ることに恐怖を感じています。だって、わたしが理想とするすべてを備えたかれを忘れることができないのですから。父親と同年代の男性を愛し、かれを夫に持とうと憧れているわたしは間違っているのでしょうか?[ シタ ]

シタさん、
あなたの心は職場の上司にしっかりと結び付けられたようですね。ボスの暖かい気配りはあなたの心に恋愛感情を芽ばえさせ、その結果あなたのボスへの対応もたいへん善良なものになり、こうしてふたりの間に親密さが忍び込んで来るのです。愛情をベースに互いに相手を思いやる姿勢がそれを生育させ、この愛情サイクルはますます発展していきます。
シタさん、あなたのボスは奥さんと死別して、ふたりの子供がいます。子供たちはきっともう青年期でしょう。もし子供たちが未婚であれば、ただひとり残った父親をとても必要とします。しかし、もしもう結婚して家庭を持ち、その忙しさに追われはじめれば、父親が新しい相手を持つことも受け入れやすくなるでしょう。ましてや老齢が父親の健康を蝕みはじめれば、父親に付き添ってくれる良い人がいるということがかえって安心感を与えてくれますので。
ひょっとしたら、あなたが父親の財産を独り占めすることを子供たちが心配しているかもしれません。その財産は父と亡くなった母のふたりのものだから、自分たちの方に権利があると子供たちは思っているでしょう。もしあなたが、かれの財産にまったく興味がないのであれば、財産分割契約書を作ったほうが良いのかもしれません。
子供たちが心配するもうひとつのことは、きっと新しい母親が自分たちと同年代だということでしょう。その問題は、あなたが上手にふるまって子供たちの心をつかむことができれば、子供たちの態度も軟化するにちがいありません。あなたたちのような、それほど大きい年齢差は、容易なことではないのです。頭の良いあなたはきっと、先を見通しながら現実に対処して行けるひとだとわたしは思います。ただ、将来のあるとき、あなたは両親と夫という三人の老齢者の面倒を見なければならなくなるかもしれません。そのときに、あなたはそれに正面きって立ち向かい、他の誰を悪者にすることなく、愚痴をこぼさずにやっていく自信はありますか?だってそれが、あなた自身が選んだ道なのですから。[ レイラ・ブディマン ]


「イブレイラ女性相談」(2005年10月1日)
善良なるイブレイラ。わたしは27歳で、とても痩せています。身長140センチ体重29キロ。わたしを見てちっちゃい子が「歩く骸骨」と言いました。でもわたしは怒りません。わたしがこんなになったのは、もう6年間とても重い心の負担を抱えているからです。だれにも打ち明けたりしません。だってみんなは身障者のわたしをゴシップのネタにするでしょうから。
わたしには、男性の友達はたくさんありますが、わたしが心惹かれた人はありません。男らしい体躯、親切でだれとでも打ち解ける優しい人。相手が身障者であっても。でもそんな男友達と特別な関係になりたいとわたしは思ったことがありません。ところが、このひとりだけは違っていました。もう6年間もわたしの心はかれへの思いで占められているのです。はじめてかれと出会ったとき、わたしはかれの横顔しか見ることができませんでした。いまだに正面から見たことがないのです。だからかれがどんな顔をしているのか、素敵な顔立ちなのか、人面なのか水牛面なのか、わたしは知りません。わたしの胸の中が崩れ落ち、全身から力が抜け、足は歩くことさえできません。これが恋と呼ばれているものなのでしょうか?
今でも、かれのことを思い出すと、わたしの身体からすぐに力が抜けてしまいます。わたしが他の男性と対面すると、わたしの思いはすぐにかれの方にさまよい出て行くので、結局わたしは人を避けるようになりました。わたしが心の思いを先にかれに打ち明けたらどうなるでしょう?わたしは安っぽい女と見られるでしょうか?[ SS ]

SSさん、
あなたの事例は珍しいものですね。あなたの心のかれは、何もしないのにあなたの魂を腑抜けにし、6年間も粉々にしてしまったとてつもない男性です。キューピッドの矢は的を選びません。頭の先から足の先まで、身体のどこであろうと標的になってしまいます。中には、声を聞いただけで狂ってしまう人もいるくらいですから。
身体の一部分に特に心を惹かれるというのは、恋でしょうか?まだそうは言えないとわたしは思います。でもそこに向かっていることは確かです。その引力が、より深く相手を知るための扉を開く鍵になるのです。長所・欠点、性質や習慣などのすべてを知り、その上で相手のために善きことを行う善き人となりたい気持ちが続くとき、それが恋愛なのではないでしょうか。
だからSSさん、いつまでも痩せっぽちでいないで、かれをもっと知るために行動を起こしなさい。もちろん突然あなたがかれにラブレターを渡すというのではありません。知り合ってもいないのに。それはかれを驚かせるだけですから。友人に頼んでかれに紹介してもらったらどうでしょう。それだけなら「安っぽい女」の烙印をこわがる必要がありません。というのは、調査によると、自分がお目当ての相手に気があることを表明するのは、男性よりも女性の方が先というケースがずっと多いという結果が出されているからです。方法やスタイルはひとさまざま。必殺の流し目から細かな配慮を示すことまで、カセットテープを借りたり、パーティに付き添ってもらったり。
相手と知り合うことは絶対に必要です。少なくともかれの顔を正面から見てごらんなさい。それでもあなたの心はまだかれに腑抜けのまま?かれの性質や習慣も注意してごらんなさい。かれはあなたにびったりの人でしょうか?もしそうであっても、かれがあなたに惹かれるかどうかわかりません。かれがもう三人の子持ちだったらどうします?だからなんのためにいつまでも痩せっぽちでいるのですか?ふっくらした身体のほうがもっと快適でしょうに。[ レイラ・ブディマン ]


「イブレイラ女性相談」(2005年10月15日)
善良なるイブレイラ。わたしは1998年に4歳の子供を連れて正式に離婚しました。離婚原因は夫が賭博を好み、家庭をかえりみなかったからです。家庭の生計をまかなうのはわたしでした。わたしは民間会社に勤めていたのです。
わたしたちの結婚生活は、派手な喧嘩に彩られていたわけではありません。しかし夫は自分のことしか考えておらず、妻のこと、家庭のことはほったらかしでした。自分の靴や服に何百万ルピアも金を使うのは周囲の人間に遠慮なしでも、子供のミルクを買う金は出そうともしないのです。そんな状況に心が痛まないはずがありません。
離婚プロセスの中で、わたしは何度も欠勤や遅刻早退をしたため、上司にわたしの個人的事情が解ってしまいました。こうしてわたしはその上司に打ち明け話をするようになったのです。かれはとても善良で、おとなでした。わたしの子供にも優しくしてくれました。わたしより9歳年上で、素朴なひとで、わたしの夫とはまるで正反対の性格です。わたしはそんなかれに惹かれ、ついに恋愛関係に落ちてしまいました。でもかれは結婚しており、子供が三人いるのです。
1999年にわたしが勤めていた会社は倒産し、ボスは新しい職場を得ましたが、わたしは無職になりました。かれはそんなわたしへの援助を続けてくれ、借家を世話してくれました。その家でわたしたちは非公開結婚をしたのです。ただ、わたしたちの宗教は異なっていましたが。
最近わたしは、アラー、両親、子供に対して、自分がとても罪深いと感じるのです。わたしは今の状況に決着をつけたいと思うのですが、でもどうすればいいのでしょう。だっていまの夫はとても優しい、良い人なのです。かれ自身も、自分の妻と別れる気はありません。わたしの家庭はよその家庭とはまったく違っています。ひっそりと隠れていなければならず、そして一家でどこかへ出かけることもできないのです。[ ジャカルタ在住 イダ ]

不安の中のイダさん、
毎日顔を合わせている上司と男女の特別な精神的関係で結ばれると、お互いに相手にとって善き人間であろうとし、そんな愛情関係がふたりを更に深みへと連れ去ります。ところが上司が他の人の夫であり、子供が三人もいて、そして宗教が違っているとなると、問題はとてもこじれて行きます。
あなたはきっと最初から、ボスとそんな関係になることは間違っていると知っていたにちがいありません。しかしそのときのあなたは、自分の夫への失望で気持ちはきっと大きく揺れ動いていたことでしょう。ボスの思いやりと優しさは、砂漠の中のオアシスのようにあなたに安らぎと希望を与えただろうことはよくわかります。
残念なことに、あなたは感情に引きずられて、心地よく見えるものの本当は間違った道を歩んでしまったのです。あなたは密かに他人の夫と結婚し、それ以来ふたりはその恥を隠すことを強いられ続けているのです。ところがあなたの心の声は、自分が間違った行為を続けていることを妥協なしにあなたに思い出させているにちがいありません。その結果あなたはアラー、両親、子供に対して罪を感じ、それにさいなまれているのです。
イダさん、あなたが取るべき健全な道は、いまの状態を正すことです。あなたの心をかつてのボスに打ち明け、話し合いなさい。もしかれが本当に善人なら、かれはあなたの困っている境遇を利用することなく、あなたに援助の手を差し伸べてくれるはずです。あなたに小さいワルンや内職をするための資金を用意して、あなたとお子さんがこの先生活していけるような面倒を見てくれることでしょう。早くあなたに善良な男性があらわれ、結婚を申し込むように祈っています。他の人の夫でない別の男性が。[ レイラ・ブディマン ]


「イブレイラ女性相談」(2005年10月29日)
善良なるイブレイラ。わたしは肺の専門医を夫に持つ主婦です。昔は看護婦でした。それが夫と知り合うきっかけだったのです。かれは専門医であり、かれと一緒の優雅な暮らしを夢見たわたしは、どうしてもかれを得たいと思ったのです。誘惑を始めたのはわたしの方でした。話し掛け、食事に誘い、互いに恋に落ち、そしてわたしは理性を失い、かれにすべてを与えました。あちこちのホテルで何回も。
その後わたしは、かれがわたしと結婚することを求めました。わたしの宗教に入ることを条件にしましたが、かれはあっさり同意しました。最終的にわたしたちは結婚式をあげましたが、それはかれの親族側の列席も祝福もないものでした。結婚後わたしはかれのとても大きな家に入りました。わたしの理想が実現したそのとき、わたしは幸福で有頂点になりました。夫のふたりの姉はどちらももう結婚していましたので、実際その家に住んでいるのは、わたしたち夫婦と夫の父親だけだったのです。そしてほどなく、舅も世を去りました。葬儀には大勢の親族が訪れました。かれらはみんな工学士やMBAなどを持っていて、わたしより上の階層なのです。姉ふたりも高位の学歴タイトルを持っていて、そのひとりはやはり専門医なのです。
結婚当初、わたしは熱心に夫を守りました。電話はすべてわたしが取り、手紙もわたしが開封しました。夫に不服はありません。夫婦生活も互いに満足できるもので、わたしの夫に対する細かい世話のために、かれはわたしなしでは済まないと思うようになりました。ところが、結婚前にわたしたちがホテルの部屋から出てくるのを見たひとがいて、その噂を夫の一族に広めたのです。その結果わたしは、『信仰深いふりをしているふしだら看護婦』と陰で呼ばれるようになりました。かれらはわたしを、おのれをわきまえず、他人の家に上がりこみ、宗教を代えさせ、家の中をいじくり、自分の思うがままに振舞っているずうずうしい人間と見るようになりました。
舅が亡くなってからはこの家にやってくるかれのファミリーもいなくなり、わたしは平安の日々を満喫していました。わたしは束縛がなくなってほっとし、自分の兄弟姉妹をこの家に誘って泊まらせたりするようになりました。ところがそれからしばらくして、中傷の手紙が舞い込んできたのです。「この家が動物園に変わってしまった」と侮蔑する文章が記されていました。そのためわたしは、夫の一族に対する嫌悪感がいや増したのです。親族のだれかが結婚すると、それはあでやかで超豪勢なものになり、高価なドレスを着飾り、何百人もの招待客を集めて贅をつくしたパーティを開くのですから。
本当は、わたしは夫と満ち足りた暮らしをしており、医師の妻であることを誇りに感じています。わたしの親族や友人たちからは、わたしの階層がアップしたと見られています。物質的にわたしはあふれるほどの充足を得ています。わたしは貧しい家庭の出身でしたので、今のこの境遇のおかげで、世界はなんと美しいんだろうと感嘆と悦びの毎日を送っているのです。大きな家、高級車、きれいな衣服、あちらこちらへのレクレーション。お金に頭を悩ます必要がありません。
ところが、わたしが財産に欠けモラルに欠ける、おのれをわきまえない女だと夫の一族は見ているのだ、とその手紙は言うのです。わたしは最初から夫の一族が嫌いでした。わたしの宗教にふさわしい名前をわたしはすでに夫に与えたというのに、今でさえ、夫の一族は夫を子供時代の呼び名で呼ぶのです。子供時代の呼び名をわたしたちの子供には教えないようにとわたしは夫に頼まなければなりませんでした。いまわたしたち夫婦はわたしたちの子供のしつけや教育を、わたしの持っている慣習に従って行っています。わたしたちの結婚も、わたしの側の慣習に従って行っただけなのです。わたしはわがままでそうしているのではなく、夫の一族の慣習は良いものではなく、わたしの一族の性格や慣習にまったくそぐわないものだとわたしが考えているからで、夫もそれについて反対してことがありません。
わたしは夫に、財産の一部を貧困者に分け与えるよう勧めました。ところがそのあとまた手紙が舞い込み、『寄付した夫の財産は夫が汗水流して得た財産であり、おまえは一銭も金を出していないではないか』と書かれているのです。わたしはかれらが大嫌いです。
夫の金は妻の金だというのに、わたしはいつもけちをつけられるのですから。かれらは知識階級の家庭であることをかさにきて、とても高慢な性質を持っているため、わたしは反吐が出そうです。わたしはかれらがわたしに対し、わたしの親族や友人たちのように、医師の妻としてそれなりの尊敬を示してほしいと願うのですが、かれらを服従させることはとても困難です。いったいどうすれば、かれらにわたしを認めさせることができるのでしょうか? [ 東部ジャワ在住、H夫人 ]

失望の中にいるH夫人、
夫に尽くして努力しているにも関わらず、夫の一族から遠ざけられるのは本当にいやのものです。専門医の妻としてあなたは、あなたが貧しく教育歴も十分でないと言う自分の親族から階層が一段上昇したと見られ、また看護婦仲間からも地位が上がったと見られています。しかしすでに高いレベルにあった夫の一族の目に映っているのはその正反対なのです。低い教育、職業、経済状態、そして多分レベルの違う姿勢や習慣などを持ってやってきたあなたがその一族に連なることで、かれらは自分たちのレベルが低下した、と見ているのでしょう。同時に、あなたのモラルと宗教姿勢も低いと見られたがために、あなたは『信仰深いふりをしているふしだら看護婦』と言われたのではありませんか。ましてや専門医はあなたでなく、かれらの弟であり、家族のひとりなのですから、あなたを受け入れたり、ましてや尊敬を表することはかれらにとって難しいにちがいありません。あなたにはきっと、そのことを受け入れるのが難しいのでしょう。
もしかれらがあなたの教育や経済レベルあるいは過去の出来事のためにあなたを認めることができないのであれば、あなたは心の優しさでかれらの気持ちを獲得することができるでしょう。その努力をしてみてはどうでしょうか。
たとえば、誕生日には花とそのひとの好物のケーキを贈るとか、病気になったらお見舞いに行くとか。夫の一族、中でもふたりの姉に対して敬意と優しさを示しなさい。高慢さを遠ざけ、へりくだるのです。ハディスの中にもこんな言葉があったでしょう。「自分をへりくだる者は神が引き上げ、高慢でのぼせ上がった者は神がおとしめる」と。あなたの子供たちにもできるだけよい教育を与えなさい。将来どれほどの成功者になるやも知れません。そのプロジェクトのために夫は自分の一族と妻の間の橋渡しをすることができるのです。少なくともあなたは良き母親、妻そして善良なる兄弟姉妹になることができ、その成果は決してありふれたものにはなりません。それを努力してごらんなさい。[ レイラ・ブディマン ]


「イブレイラ女性相談」(2005年11月5日)
善良なるイブレイラ。わたしはかつてその人のせいで、自殺直前まで追い詰められました。そしてあれから15年たった今、かれは再びわたしの前に姿を現わしたのです。
15年前わたしはひとりの軍人とデートする関係になりました。かれの名前はマスSとしておきましょう。かれの振る舞いはとても礼儀正しく、善良でした。そのときわたしはまだ19歳で、かれはわたしより15歳も年上でしたが、正直に打ち明けるなら、かれがわたしにとって初恋の人であり、男性というものを身近に知った最初の人だったのです。どうしたことか、かれとの恋愛関係が続いていた間、自分は独身だというかれの言葉を信じきり、かれに全幅の信頼をおき、心はかれに傾ききってしまいました。かれの愛情を確信し、必ずわたしと結婚するという言葉に酔って、愚かにもわたしはマスSにすべてを与えてしまったのです。肉体関係は、三年後に災いがわたしを襲うまで続きました。
ある日曜日、わたしたちふたりはボゴール市内の書店で本を選ぶのに没頭していました。ふたりとも読書が好きだったのです。とつぜんわたしの髪が強く引っ張られるのを感じて後ろを振り向くと、まだ若い奥さんが目をむき、怒りをあらわにして、わたしをののしるのです。その奥さんの言葉から、わたしははじめてその人がマスSの妻で、マスSはその奥さんとの間に三人の子供を持っていることを知りました。そのときのわたしの気持ちがどんなもので、わたしがどんな顔をしていたのかを表現するすべをわたしは知りません。マスSが奥さんをなだめてなんとか外へ連れ出そうと一生懸命になっているそのときの姿がわたしの目に焼きついただけでした。
それ以来マスSはわたしの前から姿を消しました。わたしの心にも深い傷が残され、男というものが信じられなくなり、それがだれであろうと男性の誘いを受け入れたことはただの一度もありませんでした。ところがわたしの心は奇妙にも、マスSを忘れることができないのです。空虚な毎日が続き、寂しさとマスSを慕う気持ちがわたしを苦しめました。そんな日々に終止符を打とうとして、わたしは自分の人生を終わらせることを試みようとしましたが、別の男性がそんなわたしを諌め、誤った考えからわたしを救い出してくれたのです。かれの名前をマスMとしておきましょう。
マスMはとても忍耐強くわたしの自信が回復されるまでわたしを導いてくれました。そのおかげでわたしは少しずつ昔の自分を取り戻し、会社勤めができ、友人たちと付き合うこともできるようになっていったのです。人生に対するわたしの自信もマスMのおかげでこうして回復することができましたが、わたしの心の奥底からマスSに対する思慕が消えたことはなかったのです。マスMと共に頻繁に時を過ごす中で、ある日かれがわたしに結婚を申し込んだとき、わたしはその申し込みを受け入れました。マスMの口からわたしの相好を崩させる冗談が出ない日はなく、わたしはマスMのおかげで慰められ、安らぎを得ることができました。信仰心が篤く、あるがままのわたしを受け入れてくれる、これほど素敵な伴侶をわたしに与えてくれたアラーにわたしはとても感謝していました。そうして知らぬ間に15年の時が経ち、わたしの心の奥底に置かれていたマスSへの慕情も風化していくかに見えました。ところがある日、また思いがけないことが書店でわたしを襲ったのです。
読書が趣味のわたしは、よく書店で本を買います。二月ほど前、書店で本を選んでいたわたしにひとりの紳士が声をかけました。「Lさん・・・じゃありませんか?」迷いのこもったその声にふりむくと、なんとそれはマスSだったのです。いまのわたしは15年前のわたしからかなり外見が変わっていますが、マスSはどうしてわたしだとわかったのでしょうか?15年の時の流れを乗り越えて、かれはわたしを覚えてくれていたのです。マスSはわたしを家まで送ってあげようと申し出、わたしもかれの心を傷つけたくなかったのでそれを受けました。
その途上でかれは12年前にわたしと別れて以来のさまざまなことがらを話してくれました。あの書店での事件以来、かれの奥さんはかれがどこへ行くにも一緒についてきた、と言うのです。そんな中で稀にしかない、ひとりだけで外出する機会を利用しては、かれはわたしの友人たちにわたしの居所を尋ね回ったそうです。でもみんなは、わたしはもう結婚して愛する夫と幸福に暮らしているという返事をマスSに与えたようでした。そんな気配りをしてくれる友人たちを持ったわたしは自分が幸福だと感じました。家に着くまでの間、わたしはあまり語らず、むしろマスSの話を聞くことに終始しました。かれがわたしに与えた心の傷はまだ痛みを残していたのですから。でもマスSは年齢を重ねたとはいえいまだにとてもハンサムで、そして今では二つ星の軍人に昇進しており、事務所では重要な地位に就いているのです。
わたしの家に着いたとき、わたしたちは名刺を交換し、そこで別れました。マスMは会社からまだ帰っていなかったので、マスSをかれに引き合わせることができなかったのは残念です。それ以来マスSは毎日、会社のわたしに電話してきて、昼休みに一緒に食事をしようと誘うのです。でもわたしは仕事が忙しいからと言ってそれを断っています。もうわたしはここひと月あまり、いつもマスSのことが頭に浮かび、そして食事に誘われることで、自分がどうしてよいのかわからなくなっています。この憂鬱な思いをいったいどうやって解消すればよいのでしょうか?わたしは二度と同じ穴に落ちるのは嫌なのです。あるときわたしは、マスSが奥さんでない別の女性と親密そうにふたりで歩いているのを目にしています。わたしの心が嫉妬に焦がされなかったと言えば嘘になります。でもわたしはマスSがわたしの人生を粉々にしたようなことを別の女性にはしてほしくないと思っているのです。どうすればかれにそれを悟らせることができるのでしょうか? [ L夫人 ]

試練の中にいるL夫人、
心の底から愛した人を忘れるというのはだれしも困難です。ましてや長い間濃密な関係を続けた初恋の相手であればなおさらでしょう。おまけにあなたが公衆の面前でとてつもない恥辱の打撃を受けた12年前の事件以来ふっつりと姿をくらましたミステリアスなその人の行動。それらがあいまって、あなたの心の奥底にマスSのことがいつまでも消えないのは、十分にありうることです。
マスSは、妻にせよ恋人にせよ、自分を信じるひとを欺くのに躊躇しない、二つの顔を意図して使い分ける人間です。とても善良な姿勢と嘘の約束で自分の欲望をとげるというかれの行動は、かれが外見を巧みに繕って腐った本質を隠し、犠牲者を篭絡する人間であることを示しているのは明らかです。そしてあなた自身が他の女性の夫であるかれに騙されて犠牲者になったのではありませんか。三年間もあなたをもてあそんだあげく、妻にばれたからあなたを放置し、一通の手紙でもあなたに送ってあなたの傷ついた心に配慮を示すといったことすら何もしないということは、マスSのあなたに対する愛情がどのようなものか、想像に余りあると思います。若いあなたが絶望して人生を終わらせようと考えた時、もしもマスMがあなたの近くにいなかったら、今のあなたはなかったかもしれません。
いまマスSはふたたび誘惑を手にしてあなたの前に現れました。既に妻となり母となっているあなたでもお構いなしです。自分の欲望のために他人の家庭が壊れることなどお構いなし。若いころ、あなたはかれの誘惑に呑まれ、結婚もしないうちに口約束を信じて処女を捧げました。いまあなたは、かれの誘惑にあって再びとほうにくれています。そんなあなたの心の弱さにたくみにつけこまれたら、あなたはまた今の暮らしが崩壊し、あなたはすべてを失って人生が粉々になるかもしれません。あなたは自分の弱さをカバーしてくれる真実の友の助けを借りて、自分が守るべきものが失われないようにしなければならないのではありませんか。自分の周囲にいる人の誰が自分のことを思ってくれる真の友人か、そしてだれが自分が得をするならあなたのことを利用するのに躊躇しない人なのか、それを見極めなければなりません。それに格好な人生の真の友人があなたの夫になっています。マスSに破壊されたあなたの自信をマスMが回復してくれたのです。礼儀正しさ、善良な姿勢、しかし災厄を秘めた誘惑に満ちたマスSをあなたは近づけてはなりません。二度と同じ穴に落ちたくないなら、マスSを最初から遠ざけることです。賢者は「悪魔は小さい歩幅でやってくる。」と言っているではありませんか。それが困難なら、マスSの奥さんにすべてを明らかにして夫の行動に注意するよう警告しなさい。それらのすべてをマスMにも知らせ、夫婦の間でもお互いがすべてを知っているようにすることです。それが夫婦関係をより緊密にし、家庭を崩壊から救うことになります。
同じ轍を二度踏むのは愚かなことです。同じ穴でも最初に落ちた場合、ひとはトラジェディだと言ってくれますが、二度目になると、ひとはコメディだとしか言いません。すでに証明済みの伴侶と共にこの試練を乗り越え、幸福な人生を歩まれることを期待しています。[ レイラ・ブディマン ]


「イブレイラ女性相談」(2005年11月12日)
善良なるイブレイラ。「別の女がいるのでおまえと離婚したい。」という夫の言葉に、わたしは驚きのあまり、まるで白昼に雷に打たれたように感じました。わたしと夫が培ってきたこの家庭は十分に幸せなもので、特に家庭を壊すような問題など今までひとつもなかっただけに、わたしは自分の耳を信じることができませんでした。わたしたちの子供はもう大学を終えて就職しており、またわたしたちの宗教は離婚をタブーにしているのですから。それ以来わたしたち夫婦は激しい喧嘩をするようになり、この家庭はすさんだ地獄のようにわたしに思えてきました。夫が家にいないとき、あるいはわたしが外出しているときのほうが安らぐのです。夫はもちろん多忙で、頻繁に外国に出張していました。家族のための時間なんてほとんどなく、わたしはかれが本当に忙しいのだと思っていたのに、べつの女を作っていたなんて。
わたしはそんなことを想像したこともありませんでしたが、でも今になって思えば、たしかに最後の一ヶ月間、かれの態度は変わってしまい、わたしに粗野な態度を示し、わたしのことに思いやりを示さないようになっていたのです。長い間かれを世話してきたわたしの苦労の報いがこれなのでしょうか?わたしの心はとても痛みます。まるで紙くずのようにポイ捨てにされたのですもの。そして良心の呵責もないみたいに、夫はあちらこちらに言い触らすのです。「わたしたち夫婦は性格が合わない」「妻は夫に理解を示さない」「妻は夫を大事にしない」夫はもちろん口のうまい人間です。結婚したとき、わたしは自分の職歴をあきらめました。なぜなら家族の一体感を重視し、自分の職業よりも夫を大切にする妻たらんとしたからです。なのによくそんな言葉を・・・・
家にいるのが耐えられなくなったわたしは、実家へ帰りました。老齢の両親を世話するほうがはるかに落ち着くのです。もうかれの糖尿病のためのダイエットを考える必要もなく、いびきに悩まされることもなく、不倫の不安に神経をすり減らすこともなく。わたしはここで自由に行動できるのです。ただ、わたしは何も持っていません。もちろん結婚生活の中で、わたしは無為に日々を送っていたのではありません。しばらくはお勤めを続け、それから専業主婦となり、家政婦も置かないで家庭の仕事をすべてこなしてきました。今のわたしにはひとつの財産もありません。自分の衣服をトランクに入れて持ってきただけなのですから。
夫の女がわたしたちの家に入り込み、家やわたしの家庭用品を使っているという話を耳にして、わたしの心はとても傷つきました。あれのすべてはわたしのものなのに。わたしはどうすればいいでしょう?弁護士に払うお金もありません。わたしはまた働きたいと思っていますが、半世紀を経た女をだれが雇ってくれるでしょう。わたしの心の慰めは、息子がすでに就職していて、わたしにとてもよくしてくれることだけなのです。[ Sm在住、T夫人 ]

善良なるT夫人、
あなたの体験はとても悲しいものです。何十年も家庭を築く努力を真剣に続け、夫に愛情と信頼を捧げてきたというのに、夫の不倫で最後に崩壊してしまったのですから。もっと傷つくのは、夫があなたを悪者にしようとあちこちに触れ回っていることですが、他の人には不倫をしたのがだれか、よくわかっています。かれは自分が悪いことを隠すためのスケープゴートをあなたに求めているだけなのです。ただわたしの意見では、家庭が崩壊するとき夫婦の一方だけが百%正しかったり、あるいは別の一方が百%悪いということはありえないと思うのですが。
残念なことにあなたは家を出てしまったので、その女にやすやすと家に上がりこむことを許してしまいました。もっとよいやり方は、もし夫が別の女と結婚したいと言うのなら、夫に家から出て行ってもらうことです。その家はあなたと子供たちの場所なのですから。でももう起こってしまったことは元に戻せません。そんなことに涙を流すのでなく、明るい未来を手に入れるために闘うのです。あなたとあなたの息子は、あなたたち夫婦が結婚生活の中で蓄えた財産の一部に対する権利を持っているはずです。法律援護機関や女性の権利を守るNGOに相談してごらんなさい。ジャカルタではヌルシャハバニ法学士、トゥンブ・サラスワティ法学士が女性の権利を擁護しており、また「反女性への暴力・国家コミッション」にはサパリナ・サドリ博士がいて、かれらが援助してくれるかもしれません。
そんなに長期にわたって続けられてきた結婚生活が破綻するということは、結婚が永遠のつながりを保証するものでないことを意味しています。伴侶のことを軽く考えないこと、相手が自分に良くしてくれるのは当たり前だと思わないこと。配慮や愛情にはもっと熱い心をこめた配慮や愛情で応えてあげましょう。夫婦のつながりがもっと強くなり、もっと試練に耐えられるように。見捨てられた荒地には、何も育つものがありません。妻たちも自分の収入を得る努力をし、もしものときに自分の身を処するための手がかりを持つことが必要です。[ レイラ・ブディマン ]


「イブレイラ女性相談」(2005年11月19日)
善良なるイブレイラ。わたしは自分の人生が何の値打ちもないように思えるのです。あるのは穢れと罪ばかり。わたしの人生の崩壊が始まったのは8年前のこと。そのときわたしは21歳で、あるお宅でベビーシッターとして働いていました。その家のご主人(Xさんとしておきましょう)は、チャンスさえあればわたしに構おうとするのです。はじめはいやらしいと思っていましたが、そのうちにそうされるのが嫌ではなくなっていき、わたしは一ヶ月働いたそのお宅を辞めることにしました。一週間前にわたしはXさんに辞めることを告げ、その一週間Xさんとわたしは毎晩ふたりだけの時をすごしたのです。そのXさんが、わたしを抱いて口づけしたはじめての男性でした。わたしは高校時代に彼氏がいましたが、抱き合ったり口づけしたことは一度もありません。
わたしが別の仕事先に移ってからも、電話するようにと言ったXさんの言い付けを守り、月一回お休みをもらうたびにXさんと会っていました。Xさんとはじめて会ったとき、まさかこんなことになるなんて想像もしていませんでしたのに。わたしはいつまでもこんなこそこそ隠れた関係を続けるのはいやだったので、故郷の隣人と結婚することにしました。その人の名はYさんとしておきましょう。Yさんは善良で、落ち着いた、ちょっとだんまりやといった男性でしたが、Yさんとの結婚生活は順調に運びませんでした。わたしの頭の中にXさんのことがよく思い出され、夫婦の関係が冷めていき、夫はわたしが嫌いになって他の女を求め、そしてその女が妊娠したので、わたしは夫から身を引きました。だってわたしは妊娠しなかったのですから。
わたしはまたジャカルタへ働きに出てXさんにすぐ連絡をとり、ふたたび月に一度Xさんと会うという暮らしがはじまりました。そんな関係に決して満ち足りていたわけではありませんが、わたしはそれに負けてしまいました。だってXさんに捨てられることがとても怖かったんですもの。でも故郷へ帰るたびに、自分の中に閉じこもっているわたしを見て母は悲しむようになり、Zさんと結婚してはどうか、と勧めたのです。いま43歳のZさんは親戚関係にあり、わたしは小さい頃からかれを知っていました。わたしが中学生のとき、かれは大学を終わるころでした。いまかれは働いており、とても良い人なのです。わたしたちは婚約し、その結果かれの関心や愛情が強くわたしに向けられるようになりました。わたしの家族も経済的にかれから大きい援助を受けるようになり、そんなかれの誠意や誠実さを目の当たりにして、わたしはかれを騙すことに耐えられなくなって、これまでのわたしの人生で起こったことをすべてありのままに打ち明けました。どうしてわたしはYと離婚したのか、そしてXとの関係まで、すべてをあらいざらい。
ああ、神様。Zさんは、わたしがかれを愛することができるようになるまで待つ、と言うのです。そして世界中で一番わたしを愛し、大切にする人間になる、と約束してくれました。わたしは自分自身が、汚れでいっぱいの、ただのゴミ屑のようにしか思えません。それ以来わたしはZさんに会うのが恥ずかしく、かれを避けるようになりました。Zさんがわたしに会おうとしても、わたしは拒絶してしまうのです。この賎しいわたしは、あの人にふさわしい人間ではありません。きっとわたしはあの人を傷つけて不幸にするだろうという思いで、わたしはとても不安になります。Zさんが運転する車の助手席に乗っていても、ふっと隣に座って運転しているのはXさんだと思ったりするのです。わたしはXさんを幸福にしてあげたい。わたしがそばにいると世界で一番幸福な人間のように思える、とXさんは言っていました。でもわたしはXさんから何ももらったことがありません。
Zさんとの婚約を解消するのは間違ったことでしょうか?わたしは永遠にひとりぼっちで生きたいと望んでいます。だれの心を傷つけることもないでしょうから。[ ジャカルタの不運な女 ]

不運な女さん、
とても善良な婚約者にふさわしくないと思っているあなたの状況は、容易ではありません。自分はゴミ屑のように値打ちの無い人間で、次の結婚もまた失敗するのではないか、とあなたは心配しています。なぜならあなたの心はXさんに盗まれてしまったのですから。
でも、たとえあなたが自分を賎しいと蔑んでも、あなたの婚約者であるZさんは、あなたを価値ある人だと思っています。きっとあなたの正直さを高く評価しているにちがいありません。ネガティブなことであるにもかかわらず、あなたはそのことを告白しました。自分が悪いと悟っていても、大勢の人はそれを正直に認める度量を持っていません。それができるのは、特別な勇気があるからこそではありませんか?あなたは自分の行いが、誤っており、賎しいことだ、と思っています。つまりあなたの良心は死んでいないのです。どうしようもない人たちは、良心が死んでしまっているので、何が良いことで何が悪いことなのか、区別することができません。あなたはまた、婚約者の心を傷つけ、あるいは幸福にしてあげられないのではないか、と怖れています。ということは、あなたはかれの幸福を気遣っているのです。それはあなたの事態を好転させる芽であり、将来に向けて育てられてしかるべきものではないでしょうか。大学を出た43歳の男性で、生活も安定している人は、その場限りで決断を下すようなことをまずしません。ましてその決断がその後の人生に大きく関わってくるものなら、なおさらです。Zさんがあなたに言ったことは、十分に考慮された上でのことだと思われます。かれ自身だって、あなたみたいな体験をしたことがない、と誰が言えましょうか。あなたはXさんに会い、かれの不倫の誘惑に引きずり込まれて、穢れと罪に満ちた人生の崩壊を体験した、とあなたは言います。あなたの人生がそんなもののままで良いのですか?
Xさんはあなたにとって良い要素ではありません。妻が家にいるというのに、家の中で平気で不倫を行うほどのヘビー級色事師であり、本物の女たらしです。かれに誘惑された最初の女性はきっとあなたではないでしょう。あなたが不倫の関係を続けたくないと言ったとき、怒ってあなたを捨てようとしたかれは、なんという人間でしょう。まっすぐ生きたいと思う人間を助けるのでなく、反対にお仕置きをしようというのですから。善良な婚約者を捨てて、かれのような人間にあなたの人生を与えようというのは、とてもおかしなことではありませんか。
あなたが自分の罪を贖う正しい方法は、その過ちに近付かず、また決して繰り返さないよう、完全に悔い改めることです。古い日記は閉じて二度と開かず、新しい日記の一ページを書き始めるのです。夫にとって最良の妻、誠実で夫の心を愉しませる妻になることです。夫からの協力も必要です。過去の過ちを赦し、忘れること。どれほどの怒りの火が夫の心をなめ尽くしても、絶対に掘り返さないこと。あなたがXさんのことを思い出すたびに、ハエがたかっている汚いゴミ屑を連想しなさい。自分がそうならないために、Xさんがあなたの心に浮かび上がってくるごとに、そうしなければなりません。どうかあなたが幸福な妻になりますように。[ レイラ・ブディマン ]


「イブレイラ女性相談」(2005年11月26日)
善良なるイブレイラ。わたしは24歳の女性で、インシャアラー、この年末に恋人と結婚を予定しています。わたしとかれは互いに愛し合っており、一年間のステディ交際の中でおかしなことは何もありませんでした。お互いに尊重し合い、大切にし、労わりあっています。お互いの両親もわたしたちの結婚に賛成しています。
わたしが尋ねたいのは、家庭を持った後、相手の男性がどのような態度を示すのか、その生地の性質をわたしたち女性はどのようにして知ることができるのか、ということです。結婚した後も相手の女性に対して善良で忠実な夫であってくれるのかどうか、それを知るにはどうすればいいのでしょうか。新聞や雑誌には、最初とても女性を大切にする男性だったのに、結婚した後ではじめてその本性を見せ始める、という事例がたくさん掲載されています。中でも夫が女狂いで、妻にそれがわかろうがお構いなしにありとあらゆる女と遊びまくり、妻の抗議に精神的物理的暴力でお返しをし、妻は結局様々な性病を夫からもらったあげく、夢いっぱいだった結婚生活に終止符を打ったという痛ましい実例もありました。
生涯の伴侶選びに後悔しないよう、わたしは今とても相手の男性の本質を知る方法を望んでいます。[ フィファ ]

善良なフィファさん、
最初は自分をとても愛してくれた相手の男性が結婚後に見せた残酷な行為で、結婚生活が崩壊するという事例は本当に悲しいものです。でもマスメディアには、普通の夫婦関係、円滑に過ごしている結婚生活についての事例はあまり掲載されないものです。なぜなら読者はセンセーショナルな記事を求めているのですから。つまり、円満な結婚生活を送っている夫婦の方がはるかに多いということではないでしょうか。
恋人時代の相手の姿がメッキなのかどうか、それを知るにはどうすればいいか。もしそれがわかる人がいれば、きっとビル・ゲイツ以上の大金持ちになっていることでしょう。伴侶選びに失敗しない方法について、賢者はこう言っています。「結婚前には大きく両目を見開いて相手を見、結婚後は片目を閉じて相手を見よ」
恋人時代には誰でも自分の最善の姿を相手に見せようとします。しかし結婚生活の中では、すべてがあからさまに相手に見えてしまいます。交際期間が一年以上、あるいはもっと長期間、で結婚した人は、一年未満で結婚した人よりも夫婦関係がより落ち着いています。それは結婚前にたくさんのシチュエーションを通して相手の性格をより深く見ることができたためでしょう。
もうひとつ役立つポイントは、相手のパーソナルヒストリーを知ること。子供時代は幸福だったかどうか。たくさんのトラウマを抱えている人とカップルになる場合、その人の相手は精神的により成熟した辛抱強い人間であることが求められます。ハッピーな両親の下でハッピーな子供時代を過ごした人は、たいていの人にとってあまり問題ない相手になることができます。学生時代にトラブルを起こしたかどうか。たくさんトラブルを起こした人の場合、ビヘイビヤに問題があるかもしれません。
また、相手の親しい友人や交際仲間がだれなのかを知ることも有意義です。場末にたむろするギャングたちか、キャンパスのディスカッショングループか、パブやディスコの仲間なのか、プサントレンの友人か。人は自分に似た人を仲間にします。類は友を呼ぶのです。だからその人の仲間を見れば、その人の本性がある程度見えるものなのです。
さらにもっと最先端を行くチェック方法は、かれがかれの家族の中でどのような人間であるのか、ということを見るのです。両親が信頼している人間か、兄妹に対して善良か、それとも家族にストレスを与える人間か。もしかれが肉の中のとげであるなら、かれはあなたと築いた家庭の中でもそうなる可能性があります。
ともあれ、結婚生活というのはふたりの共同作品です。一人で作り上げるものではありません。個性、性格、習慣、希望、バックグラウンドなどが異なったふたりです。その共同生活に衝突が起こらないはずがありません。お互いに合う部分がたくさんあれば、ふたりの間の衝突や失望も少なくなることでしょう。
夫がいつまでも自分への忠節を守ってくれるかどうか。それについて確実なことは言えません。まず自分のかれが浮気者タイプかどうかを、大きく両目を見開いて見極めることです。でも、浮気者タイプでない人間だったとしても、絶えざる誘惑にさらされたら、陥落してしまうこともありえます。あるいは自宅で十分な心配り、温かさ、評価などの栄養が行き届いていなければ、夫にせよ妻にせよ、それをたっぷり与えてくれる人の腕の中に落ちることもありえます。
フィファさん、あなたとかれとの結婚が、そのような悲劇とは無縁な、幸福なものになりますように。[ レイラ・ブディマン ]


「イブレイラ女性相談」(2005年12月3日)
善良なるイブレイラ。これはわたし個人の秘密であり、わたしが体験した恥辱です。わたしのアイデンティティは秘密にしてください。このことをわたしは一度、わたしのかれに打ち明けたことがあります。なぜなら将来のふたりの暮らしに関わることだと思ったからです。その後かれはわたしとの交際を清算しました。わたしにも、そしてわたしの友人の話によればかれ自身にも、深い傷が残りました。
問題はこうなんです。わたしは男女の親密な行為が、どんな形であれ、けがらわしく感じられるのです。並んで座ることから、見詰め合ったり、手をつないだり、キスや抱擁、さらには夫婦間のセックスを想像したりすると、ものすごい嫌悪感に襲われます。多分わたしは、夫の性的欲求に仕えるよりは、夫や子供を持たない方を選ぶでしょう。若いカップルが普通にデートしていても、ましてやふたりが親密に振舞うのを目にすると、不意に嘔吐感、腹立たしさ、嫌悪感などに襲われます。これまでかれと手をつないだり、キスされたりしたのは、いつまでも拒み続ける勇気がなかったからで、わたしは受身であり、かれの行為に応えたことはありません。心の中は悔しさや汚辱感でいっぱいで、かれと離れてひとりになるといつも、かれがそんなことをするのを許した自分に腹を立てていました。もし自分が気持ちよく感じたりしたときは、そんな自分を罰しようとするのです。そんなわけで、わたしとかれは別れてしまいました。
わたしが3歳から6歳までの間に体験したことがわたしのそんな性格に影響を与えているのかもしれません。わたしの両親が外国で暮らしていた間、わたしは祖母に預けられました。その家にはおじやおばが数人いて、おじのひとりはわたしより12歳年上で札付きの不良でした。そのおじが自分の性的満足のためにわたしを利用したのです。そのおじがどのようにわたしに教えたのか記憶にありませんが、おじがペニスを出すと、わたしはそれに近付いて、きっと今で言うオーラルセックスを行うよう習慣付けられたのです。わたしは何度おじに利用されたのか、記憶にありません。
わたしはそれが間違ったことだとは知らずに育ち、12歳の時に受けた心理テストで、質問の答えのひとつに試験官が目を丸くして驚いたのを覚えています。大学へ入った後ではじめてデートした時、男女間の親密な行為にけがらわしさを覚えました。わたしは自分がノーマルだと思っていたので、けがらわしく感じるのは宗教が異なるからだと思い、ムスリムの男性を求めました。それでも結果は同じ。それ以来、わたしは自分の性観念が異常であることに気付き、その原因を追究し、幼時の記憶に思い至ったのです。自分ではそれが原因ではないかと思っています。
そうそう、わたしは12歳ごろ拒食症に罹ったことを付け加えておきます。いまそれが本当に治ったのかどうか、わたしに確信はありません。というのは、今のわたしは肥満をとても恐れているからです。わたしは汚いことにも不安で、頻繁に手を洗い、手を洗わないと何も食べられません。ミズゴケで汚れた川の水、黒い川の水、ぬかるみなどを目にし、悪臭を嗅ぐだけでもう耐えられず、鳥肌が立ちます。わたしの身体中にけがらわしいものがまとわりついたような気になるのです。トイレも汚いと思い、二日に一回しか行かなくなってしまいました。
わたしは父に親しみを感じたことがありません。父はよく怒り、扉を叩きつけます。わたしは父が母を傷つけているように思っています。母は一時期、父がよくひとりで出かけ、別の女性と一緒に食事したりしていたことをこぼしていましたから。
わたしの質問は、わたしの異常さの原因は何なのか、まだかれのいない姉と関係があるのか、わたしはどうすればいいのか、そしてわたしは宗教の異なるあのかれに戻らなければならないのでしょうか?[ 不安な娘 ]

不安な娘さん、
愛する人の傍にいて、想いあふれる心のしあわせを感じられないなら、これはたいへんなことですね。愛する気持ちをどのように相手に伝えればいいのでしょう?さあ、あなたの原因を考えて見ましょう。異常な状況が常に異常な原因から来るとは限りません。多くの研究者がセックス関連不適応は、その人の過去の要因にそれを発現させる現在の要因が加わって起こるもの、という見解を示しています。あなたのケースだと、幼児期におじがあなたを性的なおもちゃにしたことが大きい要因と考えられます。多分あなたのおじは、まだ幼いあなたをなだめすかし、さまざまな手練手管であなたがそれをするよう仕向けたにちがいありません。あなたは最終的にそれをするようになりますが、あなた自身はそれをときにはけがらわしく、腹立たしい気持ちのまま仕方なく行い、それが繰り返される中で不快な感情が心理の中に積み重ねられていったのでしょう。それが大きな問題にならなかったとしても、あなたがその恥辱を行った記憶はあなたの深層心理に刻み付けられているのです。
大きくなるにつれ、あなたのセックスに関連した体験は良くなるどころか悪化していきました。父親はよその女と不倫し、家庭に災難がもたらされます。セックス行為から縁遠いあなたが反射的に言った質問の答えに心理テスト試験官が目を丸くして驚き、あなたはその事実に打ちのめされました。更に、結婚生活の外で行われる性的な行為を宗教は罪だと教えていることに、あなたはもっと打ちのめされてしまいます。あなたは幼児期の体験のために自らを裁き、癒しようもないほど傷ついてしまったのです。自分は穢れており、恥ずかしい人間で、いやらしい者なのだと感じるために、何度も手を洗い、汚れたものにアレルギーになっているのです。こうして、あなたの自衛本能が動き始めます。もっとけがれた谷間に落ちないように、あなたは男女間の性的な関わり合いを忌避しようとします。自分の内面に抱えている心の痛みをふさぐためにも、男女間の親密な関係は避けなければならないものにされています。まだ恋人のいないお姉さんとの関係は、あなたが結婚を迫られないようにするための楯でしかありません。
あなたがしなければならないことは、男性からの愛情表現と嫌悪感、けがらわしさ、嘔吐感、憎悪などとの関連付けを消し去ることです。好きな人、愛する人に近付きたい、寄り添いたい、見つめ、触れ、抱擁し、愛撫し、そしてもっとそれ以上のことを・・・、というのは自然で当たり前のことなのだという気持ちを取り戻すよう努力するのです。それは大好きなバラの花に対しても、母親がわが子に対する場合も、そして愛し合う男女にとっても同じことなのです。きっとそれは、いまのあなたには困難なことにちがいありません。それを手伝うために精神医がいるのです。できる限り同じ宗教の相手とカップルになるよう努めなさい。今のままでもたいへんな状況のあなたが、別の困難を抱え込む必要はありません。落ち着いて超忍耐強く、人間的に成熟した、善良でロマンチックな伴侶が見つかりますように。[ レイラ・ブディマン ]


「イブレイラ女性相談」(2005年12月10日)
善良なるイブレイラ。かつてわたしの母は、夫が別の妻を持つことに甘んじなければなりませんでした。わたしの父は伝統的な病にかかっていたからです。そしてわたしもまた、その同じ道を歩まなければならないというのでしょうか?
わたしの家庭は幸福ではありません。夫はいつも憂鬱な顔で、わたしとの結婚生活は幸福でなく、気持ちが落ち着かない、と言うのです。わたしは25年間も自分の欠点を改善しようとこれまでとても努力してきましたが、何の役にも立ちませんでした。わたしたち夫婦は性格が互いに相反しており、ほとんどすべての事柄で考えが異なっていて不一致ばかりです。わたしは夫が気の毒で、自分自身にも不満で、とても哀しいのです。わたしは夫に愛される妻になることに完全に失敗しました。ホームスイートホームを築くのに失敗し、ブロークンホームになりかかっています。
議論や話し合いはほとんどが強張った雰囲気で幕を閉じ、そのあとわたしはいつも深い後悔の中に沈みます。それからちょっと時間がたてば、わたしたちはまた抱擁し合います。そんなことがもうどのくらい繰り返されたことか。もし夫に愛する女がいて、夫に幸福と落ち着きをもたらしてくれるなら、もう一度結婚してもかまわない、と何度も夫に告げました。わたし自身、そんな人生に直面するのに不安はなく、自然体で受け入れることができます。すでにアラーからたくさんの幸福を与えられたとわたしは感じているからです。わたしには別の面から幸福が与えられており、不安も動揺もありません。あったとしてもそれは、自分がここからいなくなれたらという哀しみと後悔だけ。以前、子供たちが寝静まり、わたしも仕事の疲れで早くベッドにはいり、夫と女中がふたりだけでテレビを見ているときに、夫が女中の乳房を服の上から揉んでいる姿を目にしたことがありますが、夫を恨む気持ちはありません。
年齢がもうすぐ半世紀になろうというわたしは、家族への義務を怠らないことだけを念頭に、アラーへの信仰と信心を高めたいと願っているだけです。アラーはどうしてわたしにだけ心の平安をもたらしてくれ、夫には落ち着かない気持ちのままにさせているのでしょうか?ひとりの女の抱擁から別の女の腕の中へ。夫にはもうだいぶ前から親密な女がひとりいます。名前をリスナとしておきましょう。大学出で年もまだ若く、顔立ちも悪くありません。その女に夫は、家庭のこと、子供のこと、妻のことを頻繁に話して聞かせているようです。これは夫自身も語り、会社の人たちも言っていることですが、夫もリスナの話し相手になり、ふたりはよく一緒に出歩いているそうです。
もう半年ほど前からわたし宛に、リカと名乗る女からよく電話が届くようになりました。その女は夫の恋人で、よくふたりで出歩いていると語り、わたしに脅しの言葉をかけるのです。うちの車の中でわたしも子供たちも、うちのものでない女物の品物をよく目にします。でもわたしは、こんなことに関わりあうのは時間の無駄で、もっと大事なことに時間を割きたいと本当は思っているのです。脅しに対してわたしは、自分は悪魔と対決しているのだと思うことにしています。かわいそうにその女は独身の男を探すことができないのです。もしその女が正直にわたしに対面して、夫が好きで結婚したい、と言うなら、どうぞと答えてあげるのに。わたしを脅す必要はありませんし、石を投げて手を隠すようなことをしなくてもいいのです。インシャアラー、きっとわたしはそれを受け入れるでしょう。道はおのずから開けます。夫が不倫をし、罪を犯すよりは、合法的に結婚させてあげます。わたしは夫を愛していますが、不倫をされたらその愛はわたしの心からかすんで行きます。夫は別の妻を持てばいいでしょう。そして子供と妻への義務を果たしてくれるように。わたしは男を奪い合うようなことをしたくありません。わたしの夫を手に入れたい人はどうぞそうすれば?[ バンドンのNn夫人 ]

善良なるNn夫人、
あなたの手紙を読んで、わたしは長い間茫然としていました。夫をほしい人にあげる、というあなたの手紙だと、あなたの夫婦関係はたいへん危険な状況のようです。でも夫が勤勉に外で女遊びをするために25年もの間家庭が絶えず動揺に襲われているというのは、言うまでもなく嫌になりますね。そんな姿勢が25年間も生活パターンになっていたとすれば、かれは真のプレイボーイであり、その相手になれるのは真のプレイガールをおいてほかにありません。平均的な妻では、まともな家庭を築くのに無理があります。あなたと夫の性格はまったく相反するもののようです。あなたは信心深く、まっすぐな人生を生きようとしているのに対し、夫は禁断をあっちこっちで破るのがお好み。夫の欲望や感情は燃え上がるのに、あなたはクール。あなたは心の平安を愉しめるのに、夫の心はさまようばかりで、満たされたことがない。あなたは夫の欠点を理解し、夫が別の妻を持つことを許しているのに、夫は従おうとしない。これは興味ある問題です。あなたはそれを何回も夫に告げたというのに、なぜかれはそうしないのでしょう?かれはあなたの信念の固さを理解しているのか、それともわからないふりをしているのか。道をそれるかれの性格を見ると、かれの応じようとしない態度の裏に大きな獲物が隠されていることが懸念されます。ひょっとすれば、あなたにあらゆる不倫を赦し忘れてもらい、若妻時代のアツアツの昔が再来することを期待しているのかも。その可能性は小さいですが、ないとは言い切れません。
個人の性格理論にしたがえば、人の個性は比較的安定しており、ドラスチックな変化はほとんど起こりません。だから夫の性格があなたに合うようになるとか、その反対とかはまず起こりえず、ふたりの結婚生活はこれまでのパターンの繰り返しとなる可能性が大です。だから夫の愛人からの脅かしテロがいつまでも続いて生活がおかしくなるよりは、夫をその女に譲ってあなたは子供たちと一緒に暮らすというのが穏当な道でしょう。事態を明白にするために、そのことを夫ともう一度話し合うのが良いでしょう。それがまた感情的に強張った雰囲気になるのなら、親族に加わってもらう必要があります。
あなたが闘わなければならないのは、子供と妻の権利が損なわれないようにすることで、法律専門家の友人があれば、いろいろと意見を求めるのが良いでしょう。でなければ地元の法律援護協会や女性の権利を擁護する著名法律専門家に相談しても良いでしょう。かれらは夫に好き勝手に扱われる女性被害者をきっと援助してくれます。家庭生活はひとりで築くものでないため、互いに愛し合う幸福な家庭を育成するのは容易なことではありません。一方は右へばかり行こうとし、もう一方は左ばかりを望むのでは、平穏な家庭はなかなか実現しないでしょう。独身者にはこの教訓をよくかみしめてもらいたいものです。穏当な道を選ぼうとし、対面して話をしようと望むあなたの姿勢、テロに報いるのにテロをもってしないというあなたの態度はとても心を感動させるものです。特にテロばやりの昨今では。[ レイラ・ブディマン ]


「イブレイラ女性相談」(2005年12月17日)
善良なるイブレイラ。わたしは43歳の主婦で、結婚生活はもう13年を超え、娘がひとりいます。夫との出会いはわたしが大学を終えたときで、夫は普通科高校卒(本当に卒業したのかどうか?)でした。かれは父親のコネでたくさんプロジェクトを抱えているコントラクターだと自分を紹介しました。態度は善良で、わたしの故郷では名前の知れた将軍である父親とカッコいい車がかれを引き立てていました。結婚前にわたしはかれのことをもっと知ろうと思って頻繁にかれの家を訪問しましたが、両親をはじめかれの家族の誰一人として、かれの本当の姿を物語ってくれるひとはいませんでした。
わたしが大学を卒業して就職できたのを機会に、ふたりは結婚しました。ところが結婚してひと月後、かれの友人が何人も借金の催促にやってきたのです。金額も半端なものじゃありません。なんと5千万ルピアです。かれは、ビジネス仲間にだまされたのだ、と説明しました。汚点は隠しおおせるものではありません。かれは一日中家にいて、食べては寝て、また食べてという繰り返し。わたしは困惑してしまい、かれに借金のことや仕事のことを尋ねましたが、かれの気分が良いときにはだまされたということを確信させる返事をするのですが、そうでないときには悪口雑言が帰ってきます。かれが友人たちと出かけると、必ず翌朝帰りで、酔っ払って反吐を吐き散らします。掃除をするのはわたしです。時には何日も家をあけ、数人の女と情事を持っているのです。
結婚して数年たったあと、多くの知り合いがかれの婚前の乱行を教えてくれました。飲酒癖、酔っ払い、おばさま族と同棲していたこと、パブやディスコでの喧嘩、それどころか留置場も経験している、というのです。わたしは失望と後悔、哀しみと苦悩にさいなまれました。道理で巨額の借金が、道理でまともな友人がいない、道理で・・・、道理で・・・。
結婚当初からかれの不安定な感情は頻繁に爆発し、3ヶ月目にはあまりよくわからない理由で粗暴な言葉を浴びせられ、コップを投げつけられました。家の中の物をいったいどれだけかれが割ったか、数えることもできません。それどころか、ランボー型コマンドナイフまで投げつけ、弾丸の入ったピストルをわたしにつきつけたことも一度や二度ではありません。それも、わたしの母や娘のいる前でそんなことをしたのです。何がかれの精神状態をそんな風にするのか、と母に尋ねられても、わたしに思い当たるフシはありません。
夫の真の姿を知って以来、わたしは決して仕事をやめないと心に誓いました。会社でわたしは何のトラブルもなく、わたしのキャリヤーも前途が開けていたのです。わたしは小さな家と車のローンを終わらせることができました。わたしは娘を学校と習い事に送り迎えし、夜は娘の勉強を見てやり、そして女中がふたりいるのに、自分で料理もします。ところが娘の学校の成績が良くないと、たちまちわたしに暴言が飛んでくるのです。「母親が阿呆だから、子供も阿呆なんだ。」そしてさまざまな動物の名前がそのあとに続きます。それがほとんど毎日、わが家の日課になっているのです。
わたしもただ黙っているわけではありません。かれの両親と何度か話をしましたが、いつも「あの子は昔からああだったからねえ。どうすればいいのか・・・・」というコメントを聞くばかりです。耐えられなくなってかれに離婚を迫ると、夫は娘にわたしの悪口を吹き込み、わたしに反抗するようけしかけるのです。結局わたしは、いくつかの条件をつけて離婚要求を撤回しました。事態がよくなったのはわずか三ヶ月。そしてまた状況は振り出しに戻ってしまいました。わたしは、母がわたしのことで涙を流すのを見るのがつらいのです。わたしはいつもアラーに導きと助けをお願いしています。イブ、この解決の道はどこにあるのでしょうか?[ 西ジャワ在住、S夫人 ]

哀しみの中にいるS夫人、
あなたの物語に描かれた哀しみと困苦は並みたいていのものではありませんね。将軍御子息様のサクセスストーリーとカッコよい車に惹かれた結果、あなたは苦い現実の罠にはまったのです。かれは仕事を嫌い、借金をたっぷりと抱え、酔っ払いで暴言屋、女遊び、麻薬など悪徳に事欠かない人のようです。離婚の努力もうまくいかず、前は断崖後ろは絶壁という状況があなたを囲んでいます。とはいえ、そんな困難な状況の中であなたのキャリヤーは上昇を続け、生計を満たし、子供の学費をまかない、家と車のローンまで完了させたというのは並々ならない業績ではありませんか。あなたが聡明で仕事を真剣にこなし、強くしっかりした精神を持っていることをそのことが証明しているのではないでしょうか。夫が吐く「阿呆な母親」という暴言とはまったく裏腹なことです。強いて言えば、かれのほら話に惹かれた過去のあなたにその痕跡があったということでしょう。
ただ、夫の暴言や態度が本心から出ているのでないこともありえます。それまでの悪習、あるいは麻薬の影響かもしれません。あるいは、感情の爆発は、自分を卑下する感情の裏返しということもありえます。かれは仕事をせず、収入がまったくないのですから、その弱点を刺激する言葉や態度に超センシティブになっているのかも。あるいは自分より優れた人間に対する攻撃意欲も?ひょっとしてそれら病原菌をすべて取り揃えているのかもしれませんね。
あなたの夫はそれらの病原菌を減らす、一番いいのは全部退治することですが、努力を一生懸命行えるでしょうか?粗暴な言葉や態度は結婚生活にとってきわめて危険であることを調査結果が示しています。夫婦関係を結ぶ愛情のひもを、それは削り取っていくのです。その反対に、優しい言葉、互いに思いやること、相互尊重などはその愛情のひもを一層強く太いものにする滋養分です。夫がその養分をふたりの関係の中に注ぎ込む努力をするように、ふたりで話し合ってごらんなさい。これはふたりで行うプロジェクトで、だからふたりはお互いにサポートしあわなければなりません。夫が持っていたさまざまな悪徳は、なくさなければなりません。半世紀を重ねようという年齢ですから、悪いものを消し去り、善いものを残すという悟りにたどりつければ言うことはありません。でももしかれがごろつき人生を続けようというのであれば、最後の判断はあなた自身が下すことになります。あなたは生涯ごろつきのテロの下で生きていけますか?そんな最悪のシナリオにならないことを祈ります。[ レイラ・ブディマン ]


「イブレイラ女性相談」(2005年12月24日)
善良なるイブレイラ。わたしはいま外国でPhDプログラムを受けています。それも、自信を失ってしまったこんな時期に。わたしは大変な思いで勉強していますが、これをやりおおせられるのかどうか、わかりません。わたしはもう40歳で決して若くありませんし、わたしの負担は小さいものでなく、それをなしとげる時間も限られています。わたしはここでもう一週間になるというのに、何も手がついていないありさまです。夜は悪夢に追いまわされ、昼間は眠気をこらえる毎日です。
わたしは幼いころから最高の学歴を得ることを理想にしていましたが、ジャワ人家庭でしたからS1を終えると、たった9ヶ月しか知り合っていない相手と結婚しなければなりませんでした。結婚当初からわたしたち夫婦は問題を抱えていました。わたしは外交的で、夫は時に狂気にのめりこむほどの超やきもち焼き。それでも子供たちがまだ小さかったので、暴言を浴びせられ、物を投げつけられたり殴られたりしても、わたしは我慢しました。
夫が外国研修を命じられた時、わたしは仕事を辞めなければなりませんでした。わたしは夫の言うがままに従い、帰国してから生活費が足りなくなったので、わたしはまた働きに出ることを許してもらおうと夫にお願いしました。夫はさまざまな条件をつけた上で許してくれました。朝4時に起き、料理し、子供を学校に送り出し、自分の勤めの準備をし、会社帰りに買い物し、料理し、子供の勉強を見てやり、夫への務めに備えるのです。料理が夫のお気に召さないと、スプーンが飛んできます。家政婦はいるのですが、わたしが料理しなければなりません。
わたしが会社勤めに出るようになると、夫の嫉妬はますますひどくなりました。同乗者がいなかったか、と車の中を調べ、わたしの外出する用事が気に入らなければ表門に鍵がかかります。おかげでわたしはフェンスをよじ登ることを余儀なくされるのです。わたしは子供たちがまだ小さいのと、両親を失望させたくなかったために、我慢しました。わたしは6年前にテストをパスしてオーストラリアと日本文部省のスカラシップを得たことがありますが、夫が禁止したので留学しませんでした。そのためわたしは、自分の資金と親からの多少の援助で、国内一流大学でMAを取りました。ドロップアウトしそうな中で妻・母・勤労者・学生という四役をこなしつつ、わたしは困難にめげずなんとか修士号を得ることができましたが、家では頻繁にコンフリクトが起こりました。夫はわたしのマスタープログラムを悪者にするのです。わたしが夫にどれほど虐待されているかを目の当たりにして、隣人は涙を流してくれました。わたしを「インドネシアのおしん」だと言って。
二年前わたしは外国に出かけてある教授に出会い、PhDを取るよう勧められました。夫と話し合うために一週間の猶予をもらい、その話を夫にすると、思いがけなく夫はそれを許してくれました。一年のうち三ヶ月ここにいれば十分だ、と言ってくれたのです。子供たちももう16歳と12歳になっていましたから、これがわたしの理想を実現する絶好のチャンスだと考えました。でも夫の許可は本心からではなかったのでしょう。留学手続が進んでいくにつれ、夫は怒りっぽくなり、アムックに陥って凶暴さを示します。夫婦で精神医を訪れたところ、夫は自分をコントロールするのが困難になっており、わたしの学歴がもっと高くなれば夫の状態ももっとひどくなるだろう、とアドバイスされました。夫の腹痛よりも自分の親の誕生日の方が大事なんだと言ってわたしを責めながら、夫がわたしを殴り、短刀をわたしに突きつけたこともあります。わたしは怖くなり、子供たちを連れて家を出ましたが、会社に説得され、夫も泣きながら詫びたので、わたしは家に戻りました。わたしは夫を受け入れようと努力しましたが、かれがそばへ来ると嘔吐感に襲われます。
わたしがまた勤めに出るようになって以来、家計の大部分はわたしが満たしてきました。わたしが帰国したとき、この家は会社のものだから当座は下宿するようにと夫に頼みましたが、金がないと言うので、夫がその家から出るのを条件にわたしの持っている家二軒と車二台をかれに委ねました。昨年わたしが帰国した時、自分の家でたいへんなストレスに襲われ、お腹がキリキリと突き刺されるように痛み、出血し、とうとうある日失神してしまいました。結局わたしは入院し、そのあと妹の家に移りました。自分のものは何一つ持たないで。
わたしは離婚を求めましたが、夫は同意しません。公務員だから大臣の許可が要るとかなんとか・・・・。わたしはこの家庭を維持できないことを子供たちに詫びました。上の子は時にわたしの味方になってくれるのですが、父親の家に行ってきたとき、わたしをエゴイストだと非難しました。下の子はわたしを支持してくれました。結婚して17年たったいま、わたしはゼロどころか、マイナスからスタートしなければなりませんでした。家を借り、どこへ行くのもアンコッに乗り、ベッドはなくマットレスの上で寝なければなりません。家の道具類は友人からの借り物かもらい物。夫はわたしの会社のものであるあの家から出ようとしませんし、車は二台とも使っています。あるとき夫はわたしに戻るように頼み、従わないならわたしの人生を滅亡させてやると脅かしました。
わたしが外国にいる間、子供たちはわたしの両親に預けました。落ち着かない中でわたしは礼拝を熱心に行い、普通では得られないこのプログラムを与えてくれた神に感謝しています。わたしの人生はきっと、より多くの人にとって有益なものとなることでしょう。たったひとりの人間に仕えて、しかも無にされるよりは。わたしはエゴイストなのでしょうか?いまわたしはPhDを得るにはあまりにも自信を喪失しています。[ 外国在住中、ニタ ]

親愛なるニタさん、
わたしはあなたが良き妻となるためにたいへんな努力を払ったと思います。夫が外国研修を命じられた時、自分の勤めを投げ捨てて同行したこと。まだ小さい二人の子供を抱えて、あなたはきっと外国でプンバントゥなしにたいへんな努力をされたことでしょう。夫の収入が不足したとき、勤めに出て家計を助け、それどころか家計の大部分はあなたが負担したのです。ところが夫はあなたの負担を軽減させようとするどころか、あなたの負担を重くしようとしました。家にはプンバントゥがいるというのに、家族のための料理をあなたに作らせ、味が気に入らないといってはスプーンを投げつけるのです。そんな粗暴な振る舞いに、あなたの心はどんなに傷ついたことでしょう。
オーストラリアと日本での、自分の能力開発のチャンスがあなたに訪れた時、夫はそれを許さず、そのチャンスを邪魔しました。引越し費用がない夫にあなたは家二軒と車二台を差し出しました。それなのに夫は、あなたの会社の持ち物であるその家から出ようとせず、あなたを困らせようとします。そしてあなたはもう耐えることができず、病気になり、そして離婚を求めます。なのに夫はあなたを理解しようとせず、既に夫との生活に恐怖を感じているあなたに対して、戻ってこなければあなたの人生を滅亡させると脅しました。見た限りでは、あなたがエゴイストなのではなく、夫の方がエゴイストと呼ばれるのにふさわしいようですね。いやエゴイストどころか、むしろサディストの気味があるのではないかとわたしは懸念します。
わたしに疑問が生じます。あなたの夫は本当にそこまで残酷なのでしょうか?それともかれは、妻のさまざまな面での成功に疎外され、嫉妬し、そしてあなたを邪魔し、侮蔑することで自己尊重心を取り戻そうとあがいているのかもしれません。かれの粗暴さは長年積み重ねられた不満や失望の爆発かもしれません。あなたは他人と上手に交際し、友人たちとエンジョイし、そして自分に回ってくるのはそれに疲れたあなたという嫉妬かも。それともかれは、他人に与えることを知らず、いつも与えられるばかりの超甘やかし教育を受けてきたのかも。あるいはかれは、いつもあなたと一緒にいたいので、あなたが外出する用があるたびにそれを邪魔しようとする?それともほかに何かの理由があって、それがかれをあなたの同衾の敵にしているのかもしれません。
それはどうあれ、今あなたはひとりです。朝四時起きも料理も、子供の世話も、ましてやフェンスをよじ登る必要さえありません。暴言や粗暴な振る舞いをしかけてくる者も。すべてはあなた個人の努力次第。あなたは今のチャンスに成功しなければなりません。それがこの先数十年のあなたの人生の鍵を握ります。頭の良いあなたですから、それができないはずがありません。もし将来またあなたの夫と一緒に暮らすことになるのであれば、もっと妻を尊重し、優しくそして愛情深く妻に接するよう、夫に態度を変えてもらわなければなりません。互いに尊重し合い、愛情を与え合うのは相手への義務なのです。確かに自分の努力を尊重しないひとりの人間に仕えるよりも、わたしたちの人生はより多くの人に役立つものであってほしいとわたしも思います。あなたが成功するよう、わたしもお祈りします。[ レイラ・ブディマン ]


「イブレイラ女性相談」(2005年12月31日)
善良なるイブレイラ。これは相談ではなく、わたしの経験をお話ししたくて筆を執りました。わたしは48歳の主婦で、結婚歴が二回あります。今は25歳になっている最初の子供がまだ一歳のとき、それは結婚2年目でしたが、わたしは夫がベビーシッターの乳房を服の上から揉んだり、女中のお尻をスカートの上から撫でたりしているのを目撃しました。わたしは驚き、茫然自失になってしまいました。あれっ、あんなことをするなんて?
わたしたち夫婦は二人ともバンドンの国立大学を卒業しています。夫に、「あなたって、あんなことをするの?」と問うと、「手慰みだよ。」と答えるのです。12年間続いたこの夫との結婚生活の間に、夫の乱行は間断がありませんでした。夫が相手にした女性は、中学生の子、高校生の子、秘書、銀行の窓口女性、歴代10人の女中たち、そして別の女を囲って子供まで作らせました。運転手の話では、バス停でバスを待っている女性を誘うのも得意だそうです。おかげでそんな夫を欲しがる女からのわたしに向けられたテロ。わたしが夫を離婚させてあげないと、わたしの子供たちを皆殺しにすると言うのです。よくもそんな恐ろしいことを。家の中でわたしがコンピュータに向かった仕事しているときに、夫は女中とベッドの中で遊んでいるのです。普通の人間にはできないことじゃありませんか?
わたしは呪いやブラックマジックの標的にされ、病気になり、だれかれ構わず当り散らすようにさえなりました。夫からは性病を移されて卵巣をひどく冒されたこともあります。夫は相手にした女性たちに家の住所や電話番号を簡単に教えたので、わたしはかの女たちの標的にされました。夫が『使い終わった』女性がお金を請求してきたこともあります。家庭の生計は主にわたしのお金が使われました。それはわたしの親からの遺産でした。わたしは敬虔なカソリックだったので、離婚はしないように努力しましたが、とうとう耐えられなくなって離婚請求を起こし、神の導きでそれに成功することができました。その離婚プロセスの中でこんどは、夫のテロがわたしに向けられたのです。わたしと子供たちを射殺すると言ったり、家の階段のカーペットを焼いてみたり。でも火はそれ以上燃え広がることなく鎮火しました。神がわたしを救ってくれたのです。浴場のマンディ用水槽に劇薬を流し込んだこともあります。わたしの鏡台の前に鉈を置いたり、わたしの車のブレーキを壊して他の車と衝突するように細工したり。
それらすべては13年前に終わりを迎えました。でも前の夫はいまだにその性格を変えず、あっちで遊び、こっちで遊び、子供たちに対する羞恥心などかけらも見せずに女に手を出し続けています。自分の子供には関心を示しません。囲った女に産ませた子供に対しても同じです。子供たちも父親の行動を知っており、子供たちは、父親のことを狂人と呼んでいますが、そんな言葉を耳にするとわたしの心は傷つきます。でもどう言えばいいのでしょうか?きっとあの人は重度の病気なのでしょうけれど、いったい何という名前の病気なのかしら。
わたしは離婚して2年後に、わたしより19歳年上のやもめの男性と知り合い、結婚しました。まだ幼い子供たちにも優しくしてくれ、わたしはやっと幸せな家庭生活を味わうことができましたが、夫は4年前に神に召されてしまいました。
わたしは離婚推薦者ではありませんが、わたしの経験を申し上げるなら、離婚の決断は時と場合によって絶対に必要です。夫婦関係が重態に陥ったとき、そこから身を引いてまともな生活に戻ることは不可欠です。子供は必ず連れて行くこと。なぜなら、子供は神からの預かり物なのですから。そしてまた、わたしたちは誰かに愛されることを望んでいるでしょう?将来自分の人生がどうなるのか、それはだれにもわかりません。でも時の流れと神のお導きで、どんなに暗い夜もいつしか朝の光が指し込んでくるのです。前の夫はいまだに同じ振る舞いを続けています。もし離婚する勇気が持てないまま過ごしていたら、わたしは今どうなっていたことやら。夫婦になったあと、愛情は一方にしかなく、その相手は自分の好き勝手に振舞うなんて、そんな不公平はありません。まるで雑巾のように踏みつけにされるのを我慢する必要はないと思います。神の教えに背いた人生を送るわたしの前夫やあちこちにいる類似の男性たちには、平和と繁栄は決して訪れないでしょう。[ ジャカルタ在住、エファ夫人 ]


「不倫行為恐喝強盗団」(2006年7月18日)
イスラムでフリーセックスは禁忌とされている。性行為は次世代を生むための神聖なる行為であり、神への務めだからだ。生まれた子供は両親を必要としているので、生活共同体で認知された夫婦関係にある男女の間で子供が生まれるのがあるべき姿である。そうしなければ生活共同体の細胞である家庭を安定的に築くことはできない。そのコンセプトから、そのようなあり方を阻害する存在として娼婦がおり、同性愛者つまりオカマがいるという考え方が生まれてくる。だからかれらは存在自体を罪とされる。それとは別に男女の性的関係は、家庭の中でのみ、夫婦の間でのみ、営むことが許されるという考え方も生まれてくる。その対応が早婚であり、思春期になれば早く結婚させて性欲を家の中で発散させるというあり方に向かい、それが社会習慣と化した。夫婦関係という言葉をインドネシア語で言おうとすると、たいていの外国人はhubungan suami-isteri と言いがちであるが、その言葉が実は性行為を意味しているのも上であげたような背景から来ている。その言葉はストレートにその行為を指しているため、使い方に注意しなければならない。少なくとも日本語の夫婦関係という単語が持つニュアンスはそこにはない。
こうして結婚関係にない男女が一緒に暮らすことやホテルなどで同室すること、未婚の男女がふたりだけになることや夜闇に紛れて密会することなどは宗教上で禁じられた行為とされ、そのような不倫行為を行うカップルには制裁が加えられた。グローバリゼーションの波が持ち込んだ自由恋愛が優勢な都市部では制裁行動も影をひそめているが、農村部へ行けば今でも地元住民たちが不倫カップルに対して制裁を加えている。何をするかと言えば、不倫を行った男女を裸にひんむき、大勢でそのふたりを別々に担ぎ上げて村中を練り歩く。そんな習慣を利用して、公園の暗闇に潜んでふたりだけの世界を楽しんでいるカップルをターゲットにした強盗団がタングランで犯行を重ねていた。
一味の首領格であるMは37歳の前科者で、窃盗の罪でタングラン刑務所を二回出入りした。かれは仲間4人と共に既に6回デート中のカップルを襲って現金や携帯電話を強奪していた。かれらは暗い場所でデートしている若者男女の中から獲物を探し、キスなどをしているふたり連れを見つけると傍へ寄って取り囲み、包丁を突きつけて現金や携帯電話を脅し取っていた。この強盗団はカップルに向かって「言うことをきかないと裸にひんむいて担ぎまわるぞ。」と脅かしていたらしい。奪った携帯電話は売り払ってその金を仲間内で山分けしていた。ひとり少なくとも2万5千ルピアにはなったそうだ。
事件が頻発したためにタングラン警察は囮捜査を行い、捜査員が公園の暗がりでカップルのふりをして何夜か出張った結果、一味逮捕が実現した。一味は普段建設労働者や農業労働者として働いていたが、それだけでは妻子を養えないので犯行を行ったと自供している。囮捜査の男女警官が芝居でキスまでしていたかどうかは明らかにされていない。


「セックス経験を持つ高校生は3%?!」(2006年9月28日)
首都の高校生のセックス観がフリーセックスに傾きつつある状況に有識者が警鐘を鳴らしている。イ_ア大学社会保健センターが都内170の高校で行ったサーベイ結果をリタ・ダマヤンティ同センター研究員が報告したところによれば、カップルがお互いに相手を好きなら性交に発展して構わないと回答者の25%が答えているとのことで、イ_アでこれまで美徳とされてきたセックス観が覆されつつある現象がそこに表れている。サーベイ対象となった高校生たちのうち男子生徒は35%が結婚まで童貞を維持する必要はないと考え、また女生徒は10%が結婚まで処女を維持する必要はないと考えており、イ_ア社会でこれまで神聖なるものとされてきたひとつの価値観が壊れつつあることへの危惧が感じられる。首都のヤングたちの男女交際は95%がふたりでおしゃべりするという昔からのパターンだが、さらに「手をつなぐ」が60%、「相手の肩や腰に手を回す」が40%、「抱き合う」が30%、「唇同士でのキス」が20%、「相手の身体をまさぐる」が10%、そして性交が3%という割合で親密行為が付随している。この状況に歯止めをかけなければ若年女性の不慮の妊娠が増加するのは目に見えており、両親と学校が真剣に対策を講じなければならない、と同研究員は力説した。学校では倫理と宗教の教育に力を入れること、親や保護者は従来からの「セックスはタブー」観を捨てて子供と正面から取り組まなければならないことなどが当面の急務である由。


「強精薬で若者が昇天」(2006年10月12日)
10月5日午前4時過ぎ、西ジャカルタ市ラトゥメテン通りにあるホテルの一室から若い女が取り乱して走り出てきた。フロントに下りて、連れがたいへんなことになっているので助けてくれ、と哀願する。フロント係りはルームボーイを呼んで一緒に部屋へ行くよう指示した。4時半ごろその部屋に入ったルームボーイは、その若い女がベッドの上に横たわっている半裸の男に駆け寄ったあと大声で泣き出したのに驚かされた。ルームボーイが傍に寄って観察したところ、長ズボンだけはいた上半身裸の若い男は口から泡を吐き、身体中が青くなって死んでいる。ということですぐに西ジャカルタ市警タンジュンドゥレン署に届けが出され、警察の取調べが始まった。
死亡した男は西ジャカルタ市ジュランバルに住むスギ20歳で、若い女は2年来スギと付き合っている恋人のイルマ19歳。このカップルは以前にも何度かそのホテルに宿泊している。ふたりは10月4日23時ごろ、そのホテルにチェックインした。そのあと室内で何が行われたのかは想像に難くないが、スギはそれに取り掛かる前に強精薬Wel Ge Mong を数カプセル飲んだ、とイルマは警察に供述している。毎日セールスの仕事で都内を回り歩いているスギにその日元気がなかったのか、それともイルマのおねだりがスギにそうさせたのか真偽のほどは知りようもないが、事が終わり、ふたりが寝たあとの午前4時ごろ、スギが突然痙攣を起こした、とイルマは言う。そして自分の手に負えないと思ったイルマがホテル側に助けを求めて部屋を飛び出したのがこのストーリーの発端。警察は薬物の過剰摂取としてこの事件を処理することにしている。


「恋人への誕生日プレゼントは死」(2007年4月10日)
東ジャカルタ市ポンドッコピ−のロブスタラヤ通りで3月28日白昼、殺人事件が起こった。そのときチョルパタリン職業高校の生徒インタン・プルナマサリ16歳は友人のレニと帰宅途中だった。ふたりの女生徒がロブスタラヤ通りのドゥレンサウィッ第8陸軍行政管理司令部の向かいに差し掛かったとき、男二人乗りのオートバイがその女生徒ふたりに近づき男女が罵りあいを始めた。すると男はナイフを出して女生徒の腹を刺そうとしたが外れたため次に胸を刺した。もうひとりの女生徒が「助けて、助けて!」と叫び、群衆が集まってきた。刺した男は逃げた。事件を目撃したオジェッ引きはそう物語っている。
刺されたインタンはすぐにポンドッコピ−のイスラム病院に運ばれ、止血と縫合の処置を受けたが出血多量でその日14時12分に息を引き取った。インタンの友人たちは、刺した男はインタンが関係を切った恋人のゴデルだとの情報を警察に提供したため、警察はゴデルを重要参考人として捜索していた。インタンの友人たちの話では、ゴデルはインタンにふられたことに我慢できず、必ず恨みを晴らすという内容の脅迫SMSをインタンに送っていたそうだ。3月31日夕方、首都警察ドゥレンサウィッ署に逮捕されたアデ・イラワン別名ゴデル20歳は警察での取調べに対し、その殺人は計画的犯行であったことを認めた。
ふたりは2004年からおよそ一年間、恋人関係にあった。ところが2005年にインタンの方からゴデルに別れ話を持ち出した。ゴデルはインタンによりを戻すよう何度も説得したが、インタンは冷たく拒絶した。病気になったときゴデルは何度もインタンに見舞いに来てくれとたのんだが、インタンは行く行くと言うだけで一度もその言葉を守らなかった。ゴデルの胸に強い憎しみが刻み込まれた。その憎しみはインタンへの復讐を誓わせ、今年2月ごろから殺意が結晶化していった。ゴデルは3月29日がインタンの17回目の誕生日にあたることを思い出し、誕生日に死をプレゼントしようと計画を練った。
そして28日、近所に住むオジェッ引きのスパルディ17歳を誘ってインタンを学校へ迎えに行った。スパルディは警察の取調べに対し、ゴデルが殺人を計画していたことを自分は知らなかったと供述している。スパルディはゴデルに頼まれてインタンの学校までゴデルを乗せて走った。学校に着いてからゴデルはナイフをスパルディに見せてインタンを殺すつもりだと語り、スパルディはゴデルが怖くなってゴデルの言うがままに従っていた。インタンが既に学校を出て家に向かっていることを知ったゴデルはインタンを追いかけ、ロブスタラヤ通りで友人のレニと一緒に歩いているのを認めて接近した。
ゴデルは最初インタンに自分の家に来るよう誘ったがインタンはレニの家に遊びに行くのだと言って従おうとしない。『レニの家には遊びに行けてもオレの家には来られないのか?!』怒りと嫉妬が心の中に炎を燃え上がらせたとき、ゴデルはナイフを握った手をインタンに突き出していた。


「少女へのいたずら電話」(2007年05月23日)
男は適当に数字をならべた電話番号に電話をかける。大人の男性が受けた。男は自分の名前を言う。「ブディ・ムリヤワンさんですか?」同名者に出会う確率は低いから、たいていは「ちがいます。」という返事が返ってくる。「失礼。間違えました。」でそのシーンは終わる。
男は別のランダム数字の電話番号にかける。少女の声がした。男はほくそえむ。「ハロー、元気かな?おじさんだよ。」「イワンおじさん?」「そう、イワンおじさんだ。」そしてしばらくその少女と他愛のない話をする。インドネシアの子供たちは一人称に自分の名前を使うから、相手の名前を尋ねる必要がない。その日は幕開けだから、適当なところで電話を切る。「また電話するからね。」「じゃあ、またね。」男はメモにその電話番号、イワン、そして会話の中で少女が一人称に使ったイルマという名前を書く。
ボゴールの住宅地に住んでいるエマはまだ8歳の娘イルマがたまに長電話をしていることに気が付いていた。長いといってもせいぜい5〜10分くらいだ。最初は娘の友人のだれかだろうと思って深く気にとめなかった。それから数週間して、たまたま電話で話しているイルマの近くにいたエマは聞くともなしにイルマの会話を耳にした。そしてイルマの口から出されている女性の身体部位や、触る、などといった言葉に気付いてショックを受けた。エマはすぐに娘に尋ねた。
「だれと話ししてるの?」
「イワンおじさんよ。」
「メダンにいるイワンがなんでイルマとそんな長電話を・・・?」
イルマの手から受話器を取って耳にあてたが、電話は切れていた。
エマは弟のイワンに長距離電話をしてみた。イワンに尋ねると、高い電話代を払って姪と世間話するほど暇じゃない、と言われた。イルマに電話をかけてきている男がイルマの本当のおじではないことが明らかになった。異常者による少女への性的いたずら電話だったのだ。
また数週間して、普段はかかってきた電話を父親や母親に取り次ぐ役のイルマがその電話の相手と話しはじめた。エマがイルマに尋ねる。
「その電話、だれから?」
「イワンおじさんだって。」
エマはすぐにイルマの手から受話器をもぎとって耳にあてた。だが電話は切られていた。


「強精薬売りの夜」(2007年9月3日)
西ジャカルタ市マンガブサール通り。ロカサリと言えば紅灯青灯の夜の歓楽街としてコタ界隈に不夜城の異名を添えるものだった。三四十年ほど昔はそれでもまだ家族連れで遊びに行けるような趣があったが、昨今は男だけが遊びに行く場所になってしまった。そんなロカサリに近い道路脇、あるいはパゲランジャヤカルタ通りのコタインダ、言わずもがなのガジャマダ通り、そしてそれらの周辺エリアの道路脇に深夜、何軒もの屋台が並ぶ。かれらは食べ物を売っているのではない。調理器具や灯油バーナーなどなにひとつないのだ。いやタバコ屋でもない。かれらの売り物は屋台に貼られたステッカーや手書きのポスターですぐにわかる。viagra, cialis, Durex・・・・obat kuat。
ガジャマダプラザからグロドッ陸橋までの一帯は終日眠りを知らない。朝から夕方までオープンしていた商店やオフィスが閉まると、ナイトライフがはじまる。ディスコ・ナイトクラブ・マッサージパーラー・・・・。数限りない男と女のワンナイトストーリーが展開され、切実な欲求を満たすためにobat kuat plusと呼ばれる道路脇の屋台をひとは訪れる。「プラス」とはいったい何のことなのか?
恋と欲情に酔いしれる男と女がより大きな快楽を求めようとするとき、かれらの目的に一役買ってくれる商品がそこにあるのだ。輸入や国産の強精薬だけかと思うとそうでもない。避妊器具からペニス型電動バイブレータ、催淫剤までがそれらの屋台で手に入る。
深夜12時のガジャマダ通りは昼間の渋滞が信じられないようなゆったりさ。集団で道路脇に店を張っているobat kuat plus屋台の周辺は閑散としている。時折車が1〜2台徐行しながら道路脇に寄ってくると、屋台の店主は「うちへおいで」と手招きする。強精薬ビジネスはいまどん底の寂れようだ。かれらは道路の向こうからやってくる車が見えると「こっちへ来て停車してくれ」と念をかけるが、期待はむなしく裏切られてたいていどの車もスピードを落とさずに走り去って行く。警察がナイトスポットの手入れを行えば屋台の売り上げが激減する。ナイトスポットから流れてくる客がほとんどいなくなってしまうのだ。旧国立文書館の近くに屋台を出している商人は、1985年からこの道に入ったが昔は今ほど屋台の数は多くなかった、と物語る。
屋台で売られている商品には、クオリティの異なるバージョンがいくつかある。たとえばバイアグラ。アメリカ製は4錠一連のストリップ包装で1条25万ルピア、あるいはビン入りのもの1錠7万5千ルピア。マレーシア製だと4錠ストリップで1条18万ルピア、あるいはビン入りのもの1錠5万ルピア。そして中国産偽薬もあって、それだと4錠ストリップは1条が5万ルピアだ。
バイアグラよりよく効くという定評のあるチアリスはもっと安い。どんなに高くても10万ルピア。シアリスの有効成分は20mgでバイアグラの100mgよりはるかに小さいからだそうだ。コンドームも多種用意されている。デュレックスは3個入りパックが1万5千ルピア、フィエスタだと1万ルピア。電動バイブレータは25万ルピア。しかし女性が買いに来ることはないと言う。女性は相手の男性に買ってきてくれと頼むので、道路脇屋台にやってきて品定めする女性の姿を目にすることはないらしい。
屋台店主の固定経費は、屋台を保管する場所の借り賃が月9万ルピア、道路脇売り場の借り賃と電気代が5万ルピアだそうだ。ビジネスを始める場合には屋台製作費が5百万ルピアかかる。しかし昨今のようなどん底不景気では、投下資金は死に金になってしまう、と屋台店主のひとりは物語っている。


「6人の妻を持った男の終焉」(2007年11月1・2・5日)
2007年10月15日午前7時。ルバラン気分覚めやらぬ首都の一角で事件が起こった。北ジャカルタ市タンジュンプリウッのREマルタディナタ通りを客を乗せて走っていたオートバイオジェッ運転手が、道路に沿ったアンチョル川に真新しいトランクが転がっているのを見て不審を抱いたのだ。オジェッ運転手はアンチョルジャカルタベイシティ従業員に声をかけて、そのトランクを道路脇に引き上げた。物珍しさにひかれて集まってきた住民たちと一緒にそのトランクを開いたところ、中から若い女性の死体が出現したのにかれらは一様にショックを受けた。
Poloブランドのそのトランクにはカルフルルバッブルス(Lebak Bulus)店のラベルがついたままになっており、その中にはホテルで使われている白い毛布にくるまれた23〜24歳の女性の死体があった。頭は赤いビニール袋がかぶせられ、首と手足は黄色いビニールひもで縛られている。この女性は褐色の肌で赤色のピアスを着け、白いTシャツにジーンズをはいており、鼻から出たと見られる大量の血は乾きはじめていた。警察はまずふたつの手がかりをもとに捜査を開始した。白い毛布にはあるホテルの名前が入っていたのだ。そしてカルフルルバッブルス店でそのトランクを買った者を探し出すこと。一方、女性の死体は検死のためにチプトマグンクスモ病院に送られた。
身元不明の死体発見の報がマスメディアで報道された結果、チプトマグンクスモ病院を訪れた遺族の証言で被害者の身元が判明した。被害者はスシロワティ・リリアナ25歳。チプトマグンクスモ病院で姉の変わり果てた姿を確認したリリアナの妹は一旦自宅に戻ってから親と一緒に首都警察タマンサリ署に届け出た。こうして警察の捜査は急展開を迎える。リリアナはタマンサリの住民で夫のリッキー55歳が所有するロカサリサウナを経営しており、はじめての子供を身ごもっていた。リリアナの身辺に警察の捜査が及んだとき、奇妙な事態が起こっているのを捜査班はつかんだ。夫のリッキーも死亡していたのだ。
リッキー・チャン・クオッキンは外国籍の事業家であり、タマンサリ界隈にいくつかのナイトスポットを所有する大物ビジネスマンだった。リリアナはリッキーの第5妻で、リッキー自身は妻を6人持っていた。第5妻は妊娠中で第6妻はまだ子供がない。そして妻たちは全員がリリアナの経営する店で働いていた。
リッキーはスラバヤ生まれの印華人で、1959年政令第10号のためにインドネシアを去って福建に移住した。その政令第10号というのはプリブミでない者を小規模商業や小売業から排除するためのもので、インドネシアの流通小売ビジネスを華人の手からプリブミの手に取り戻すことを意図していた。リッキーは福建から香港に移り、そして1980年代末にジャカルタに戻ってきた。その後コタ地区のロカサリで成功し、夜の世界の一大事業家として名声を極めていた。
10月16日、北ジャカルタ市プルイッ地区にあるアッマジャヤ葬儀館でリッキーの葬儀が営まれていた。リッキーの死亡届は第2妻のニ・タイチンが病気という名目で出していた。捜査班はその日14時、葬儀の真っ只中に踏み込んでリッキーの遺族を取り調べのために連行した。リッキーの遺体も検死が行われ、死因に異状が認められたことが明らかになった。警察は取り調べの中で第2妻の息子スティーブン30歳をリッキーとリリアナ殺害事件の主犯と断定し、事件の進行に焦点を当てた。スティーブンはリッキーが1988年に自分の母親を離縁してからグレはじめ、頻繁に盗みを行うようになり、2001年には麻薬容疑で香港警察に逮捕されたこともある。スティーブンは24歳と26歳のふたりの男を手下にしてリッキーとリリアナをロカサリサウナ店内で襲い、店の金を奪って香港に逃げようと考えた。
10月14日13時ごろ、ロカサリサウナ4階にあるリッキーの部屋を三人が襲った。手下のふたりはスティーブンに命じられてリッキーとリリアナの口を塞ぎ手足を縛った。自分たちがその部屋を後にしたときリッキーとリリアナはまだ生きていた、とふたりは警察に自供している。一方のスティーブンは、リッキーとリリアナを殺すつもりはなく、金を取ろうとしただけだった、と語っている。しかしスティーブンは金庫を開くことができず、自分の実父と義理の母親の生命を奪うことになった。警察は計画殺人で容疑者を送検する予定にしている。刑法典第340条によれば、計画殺人の刑罰は最高で終身刑もしくは死刑となっている。リッキーの弟チャン・クオッインは健康な兄が最近しばしば身体の不調を訴えるようになっていた、と語って毒を飲まされていた可能性を示唆している。
ロカサリ大衆娯楽園(Taman Hiburan Rakyat Lokasari)の大物事業家リッキーはロカサリサウナの他にもロカサリにレストランやカラオケなどを持って営業しており、また店舗住居を9軒持って賃貸ししている。9軒の店舗住居だけで資産価値200億ルピア、またマンガブサールやバトゥチェペルなど数軒の邸宅や高級車4台、その他さまざまな資産を合わせれば膨大な遺産が5人の妻や子供たち、そしてスラバヤや香港の親族縁者に残されたわけで、その遺産相続で一悶着起こるであろう事は疑う余地がない。離縁された第二妻も本来なら息子のスティーブンに遺産相続権があるために何がしかの分配にあずかる事ができただろうが、監獄に入ったスティーブンに相続権の主張はできない。多くの犯罪事件オブザーバーが今回の事件を、リッキーの遺産を狙って数ある妻たちの中に立ち昇った陰謀の臭いふんぷんだとコメントしており、警察はスティーブンの送検でこの事件を一件落着とするつもりなのだろうか、と問いかけている。


「愛、その結末」(2008年4月16日)
タングラン市クンチラン町ダマイ通りの借家に住むラムダニ24歳とナフェイトゥン19歳の若夫婦はいさかいが絶えなかった。平和・平穏・和解を意味するダマイ(damai)という通りの名にそぐわないこの一家を隣人たちは興味津々と見守っていた。若夫婦がその借家に住みはじめてからほぼ一年がたち、ふたりの間にはいま5ヶ月になる娘がいる。ナフェイトゥンの両親はそこから5百メートルほど離れたところに住んでいる。
そして2008年4月3日の夜、その若夫婦の間でこれまでのいざこざの総決算とでも言うべき事件が起こったのだ。ブブルアヤム(鶏粥)の行商から帰って来たラムダニは妻に「娘はどこ?」と尋ねた。しかしナフェイトゥンはちらりと夫を見やっただけで、また一心不乱に子供の衣類をビニール袋に詰めている。「寝てるわよ。」「おい、おまえ、何してんだ。実家へ行くのか?」自分の目に入れても痛くないほどの愛情を感じている娘を連れて妻は実家へ帰ろうとしている。
「だいたい、あんたがちゃんとしてないからいけないんじゃないの。あんたの親はあたしにもその子にも少しも愛情を持ってないじゃない。あんたは毎日ふらふらしてるばっかりで、自分の親にさえ妻と子供をきちんと認めさせようとしてないんだから。あたしはこんなのいやよ!もうやっていけないわ。」以前から妻の両親は、いつでも子供を連れて戻って来ていい、と妻をそそのかしていたようだ。あいつらは妻を煽ってオレから子供を取り上げようとしてるんだ。妻の罵詈讒謗がラムダニの胸の奥底で熾った火に油を注ぐ。瞬間湯沸し器が沸騰し、ラムダニはいつも氷を割るために使っているアイスピックを手にするとナフェイトゥンの背中に突立てた。女の悲鳴が夜のダマイ通りを引き裂く。しかしナフェイトゥンの気の強さは男勝りだった。痛みをこらえて身体をよじるとアイスピックがコロンと床に落ちた。それを拾ったナフェイトゥンは、夫の胸をめがけてそのアイスピックを突き刺す。こんどは男の悲鳴が夜のダマイ通りを交錯した。
息をひそめて見守っていた隣人たちは状況が身の毛のよだつ修羅場に向かっていることを察して、その借家に飛び込んできた。「おいおい、殺し合いはいけねえ。何もそこまでやらなくったって・・・。」少し遅れてナフェイトゥンの両親が駆け込んでくる。母親の方が入って来るやいなや、胸を刺されてぐったりしているラムダニを足蹴にし、近くにあった物を手にしてラムダニの頭と顔を殴った。娘は母親に似ると言う。
結局ふたりは病院に担ぎ込まれて病床に伏す日々を送っている。ナフェイトゥンは傷が肺に達しており、全治するまで時間がかかりそう。自分はもう二度とあそこに戻らない、とナフェイトゥンは語っている。一方のラムダニは、なんと片手が手錠でベッドの手すりに縛り付けられている。タングラン警察チポンド署がラムダニを容疑者として拘留ステータスに置いているためだ。ブカシの実家からだれも世話をしに来る者がないためにかれは不便な闘病の毎日を送っている。「毎日喧嘩していても妻を愛しているのは今も変わらない。」とラムダニは告白しているのだが、このふたり、いったいどんななれそめで結婚に至ったのだろうか?


「殺意を抱く男に女は何を見た?」(2008年6月23・24日)
エコ25歳はディナ24歳と何年も前からつきあっていた。しかしエコは別の女性と結婚し、今では2ヶ月の子供もいる。ディナはそんな事情をすべて知っているが、エコの妻は夫がディナという女友達を持っていることをまったく知らない。
エコは家庭内に波風を立てたくなかった。ディナの存在を妻が知ったら、疑心暗鬼と嫉妬の炎に心を焼かれて妻は半狂乱になるだろう。エコはディナと一度も肉体関係を持っていないが、付き合っている男と女の間に肉体関係が生じないほうがおかしいという考えがインドネシアの常識になっているため、エコがどれだけ真実を主張しても妻は信じないにちがいない。
昔はディナに心を寄せたこともあるエコは、すでに妻子を持った自分といつまでも別れようとしないディナにうっとうしさを感じていた。「ディナ、ぼくたちはもう別れようよ。ぼくはもう妻子持ちなんだし、きみが妻子持ちの男といつまでも付き合っていれば、きみの結婚のチャンスも逃げていってしまう。きみも早く良い人を見つけて結婚するんだ。ぼくはきみに幸せになってほしいんだよ。」「いいえ、わたしはあなたと一緒にいるのが一番しあわせなの。ほかのひとにあなたの代わりはつとまらない。あなたがほかの女性を奥さんにしても、わたしにとっては全然問題じゃないの。こうやってときどきふたりで会えれば、わたしはそれだけで十分にしあわせよ。」
ほかの男ならそんな言葉に心はバラ色に染まって有頂天になるのだろうが、エコはディナのそんな言葉に追い詰められていくばかりだった。ディナに呼び出されてデートするたびにエコの心の中に暗渠が作られ、暗渠の中で殺意がふくらんでいった。
2008年6月4日昼、ディナがエコに電話してきた。「会社が終わってから会ってくれない?」ボゴール県ワルンジャンブにあるクレジット会社に勤めるエコは終業後ディナの会社へオートバイで迎えに行った。そしてエコは尋ねる。
「ディナ、まっすぐ家に帰る?家まで送ってやるよ。」「いいえ、あなたと一緒にいたいわ。あなたについて行く。」そのときエコの殺意が牙をむいた。エコはディナを後ろに乗せると弟アセップに会いに行った。「おい、アセップ、近くにあるさびしい場所はどこかなあ。」「ああ、中国人墓地はどうだろう。」「よし、お前も一緒に来い。」
二台のオートバイは中国人墓地まできたものの、丁度その日はひとの姿がちらほらしていてうまくない。しかたない、ときびすを返してチアウィ方面に向かうと、チレンシ村のカンプンタポス農園にある小屋が目に付いた。黄昏時のカンプンタポス農園にはひとの気配がまったくない。「ディナ、あの小屋で一休みしようよ。」
オートバイから降りたディナは小屋の前を散策する。そのときエコの右手にはそのあたりで拾ったレンガが握られていた。エコはディナに近寄ると、そのレンガでディナの頭をなぐりつけた。ディナはくずおれる。エコはアセップに「お前も手伝え!」と言いながらディナの頭部めがけてレンガを振るう。ディナの「やめて、エコ、やめて。お願い!」という泣き声はいつしか判然としないうめき声に変わっていた。エコに向けられた焦点の合っていないディナの目が「なぜ?どうしてあなたがわたしを・・・・?」とエコの心に問いかけているようだった。
6月5日早朝、カンプンタポス農園のシンコン畑にやってきた農園主が小屋の前に横たわっている若い女性の死体を発見してチアウィ警察署に届けた。ジーパンとブルーの長袖シャツを着て黒色のクルドゥンで頭を覆ったその女性の持ち物の中に18,500ルピアの現金が入った財布も見つかったが、身元を明らかにするものは何も入っていなかった。現場周辺での聞き込みから、4日夕刻にその女性がふたりの男とオートバイでそこへやってきたことが明らかになった。
一方、何の連絡もないまま帰宅しなかったディナの消息を求めて、ディナの家族も警察に捜索願いを出した。そして身元不明の死体と行方不明のディナのふたつの情報が結びついた。ディナの家族は即座に容疑者の名前を警察に告げた。何年も前から付き合っていた妻子持ちの男、エコはその日のうちに身柄を警察に拘束された。エコと弟のアセップはすべてをありのままに自供した。


「東南アジアの母親6タイプ」(2009年5月6日)
アメリカのヘルスケア日用品生産者キンバリー・クラークが2007年に東南アジアの母親2千人を対象にして行なったマザーフッドトゥデー(Motherhood Today)という調査がある。この調査では、母親が行なっている子供の養育パターンに従って現代の母親たちが6種類のカテゴリーに区分された。
昔の母親の子供養育傾向は、今現在の毎日の暮らしに重点を置いて服従・規律・強制・授与・保護などという要素を優先させるものだったため、母親のパフォーマンスは子供に対する監督と制限を主体にしていた。しかし現代の母親たちが実践している子供養育方針は一般的に、子供との親密さ・理解・信頼・指導・遊びといったことがらをメインにし、子供の将来に焦点を当てたものに変わってきている。それは現代の母親たちが子供の総合的な成長に関心を置き、多種多様な体験や価値に包まれた子供時代を過ごさせ、母親自身も一段高いところから子供を導こうとするのでなく子供と同じフィールドに降りて、子供の友としてその成長に手を貸して行こうとする姿勢に表れている。母親自身もチャレンジ精神を持ち、引込み思案でなく、新しい物事を試してみようとする進取の気性をもって、子供に可能なかぎりの自由を与え、さまざまな体験をさせようと仕向ける。現代産業が母親たちにオファーするさまざまな育児用品は現代の母親たちが持つそんな姿勢と一体化して、母と子が過ごす暮らしを豊かなものにしている。
マザーフッドトゥデーが解説する概況はそのようなものだが、東南アジアの母親たちは次の6モデルに区分された。
1)自立型: 自立的傾向の強い母親は一般にアクティブで冒険を好み、独立心旺盛。母親になるという冒険をかの女たちはエンジョイする。
2)野心型: このタイプの母親は目的指向型で、子供がいつも成功し優秀であることを期待している。子供の養育スタイルは個性的で、子供にあれこれと要求する。かの女たちにとって母親になるというのは、夢や理想を実現するためのステップなのだ。
3)有能型: このタイプの母親は責任感が強く、合理的で、考え方も純粋だ。子供に必要なものごとに関する最新情報を得ようと努め、得た情報を研究する。あらゆるものごとに最大限の計画性を持たせるのは必要なことだと考える。そのようにして子供にとって最高の結果を得ようと努める。
4)擁護型: このタイプの母親は一般にとても注意深く、勤勉で、世話を焼き、優しく、そして保守的だ。リスクを冒すことを好まない。考え方は素朴で、母親になることを女としての完全さ・完璧さの証明と考えている。
5)自然型: このタイプの母親はいつも明るく、愛情豊かで、人間好きだ。子供に対しては、母親であると同時に友達であるという二要素の一体化した姿勢を示す。母親になるというのは、かの女たちにとってきわめて自然な役割遂行なのだ。
6)遊び好き型: この型の母親は行動が深く考えないで反応するタイプであり、ものごとを複雑に考えない。新しいことをやってみるのを好み、明るく、そして暖かい心を持っている。母親になるというのはかの女たちにとって、愉しみと好奇心いっぱいの特異な体験だ。
東南アジアの母親はその6モデルの配分が次のようになっていた。
1)自立型12.3%
2)野心型16.2%
3)有能型14.8%
4)擁護型15.7%
5)自然型22.9%
6)遊び好き型18.1%
さて、日本の若いお母さん方はどのタイプが多いのだろうか?


「インドネシアの母親たち」(2009年5月7・8・11・12日)
日本の母親像は子供の養育という点で多くのインドネシア有識者を魅了している。「日本の発展はその勤労エトスの高さだけに帰せられるものでなく、子供の成長と発展にフルにコミットしている家庭の母親たちが担っている責務とその尽力にも帰せられるべきものである。日本の母親たちは十分な栄養素を網羅した食卓を家族のために用意するだけでなく、優しさと温かみをも家族に満喫させることでプラスをもたらしている。子供の宿題を見てやり、そして礼儀や道徳をも子供の心に育む。日本の母親は純粋に心から、真の母親であることを選択している。」かつての文部大臣経験者は母親論の中で日本の母親像をそう解説した。
『発ガン性物質浸けのインドネシア人』でおなじみになったハンドラワン・ナデスル医師も、「日本の母親は一日中子供の養育にかかりきりであるためきわめて優れた母親だと言うことができる。子供がまだ小さくて母親を身近に必要としている時期に、キャリアを犠牲にして主婦業を選ぶ妻は賢明な母親だと評価できる。」と述べている。さまざまな社会条件の違いがあるため、インドネシアの母と日本の母の行動様式を単純に比較するのは妥当性を欠く趣が強いが、出産後可及的すみやかにオフィスに戻ってキャリアの中断を避け、子供は往々にしてベビーシッターという他人の手に委ねるという育児が一般的なインドネシア都市部の中流家庭で行なわれている子供養育パターンにドクター・ナデスルはあまり賛成していないようだ。ドクターが指摘するように、インドネシア女性自身が母親として子供の養育に必要とされる保健知識にたいへん無知であることを前提にしても、直接的に愛情でつながっている子供のケアを母親は愛情ゆえにカバーしようと努めるだろうが、子供の世話をするべく雇われている赤の他人が実の母親と同じ愛情で知識不足をカバーするべく子供に接するようなことはたいへん稀有なことであるにちがいない。
ドクター・ナデスルが常日頃力説しているように、衛生観念や保健思想の日常生活における実践がインドネシアの民族的弱点であるようだ。これは日常生活のクオリティを高めるための行動なのだが、そのモチベーションを持っているひとの数があまりにも少ないようにわたしには見える。この問題は言うまでもなく、現代という時間の中でわれわれがどのように堅実な生き方をするのかという人生観と密接に絡み合っていると思われることから、大多数のインドネシア人が抱いている人間の生き方についての意味合いにわれわれは違和感を感じてしまうことになる。インドネシアの母親に対して求めているハンドラワン・ナデスル医師の言葉を聞いてみることにしよう。
ハンドラワン・ナデスル医師はインドネシア女性が母として果たすべき役割について説明し、かの女たちをそのような人間に育成し教育しなければならないのだと語りかける。それを今いったいだれが行なっているのか?それはだれによってなされなければならないのか?かれの理想が国民運動として展開される日はいつやってくるのだろうか?
母親が賢明だと周囲から認められたとしても、子供にとっては賢明な母親というだけでは足りない。授乳するだけでは足りないのだ。母親は自然の本能以上のものを持たなければならない。クオリティある人間に子供を育てるために母親は子供を養育するという役割を果たす必要がある。『民族の未来は母の手にある』という格言は依然として正しい。一方で子供の側からみれば、自分の母親を選ぶことはできないのである。
母の手が子供の未来を決める。母親ひとりひとりには子供をクオリティのある人間に育てる権利が与えられている。優れた血筋であっても、母親が妊娠中に養護を受けられず、出産がスムースに行かず、子供の幼児期に十分な栄養が与えられなければ、その子がクオリティある人間に育つ保証はない。母親ひとりひとりがそれらの要素をクリヤーしなければならないのだが、残念ながら母親がみんなその役割を十分に果たしているわけではない。健康は教育と相関関係を持っている。母親が無知であるからとはいえ、まだミルクしか受け付けない赤児にさまざまな食べ物を与えたら、その子は健康なお腹を持つ大人になれるだろうか?2歳になるまでに脳の発育のために十分なたんぱく質を与えなければチャンスは二度と訪れないことを母親が知らなければ、どうやって子供の脳を最大限に発達させることができるだろうか?母親たちはいったい誰から正しく子供を育てる方法を学んでいるのだろうか?
無知であることに加えてさまざまな迷信や言い伝えがはびこっているため、母親は子供の養育を誤ってしまう。単なるビタミン不足でしかないのに、それが子供に引き起こす障害はわが民族の災厄になっている。ビタミンB6、葉酸、鉄分などは簡便で廉価に入手できるというのに、母親がそれを知らないために兎口の子供が生まれ、脊髄神経管の閉じられない子供ができる。障害児として生まれたなら、クオリティのある人間にはなれない。起こるべからざる妊婦の貧血は妊娠や出産にリスクをもたらし、出生児の生命とクオリティを危うくする。そのような無知は高い代償を強いることになる。
子供の養育や教育を誤れば、その代償はもっと高いものにつく。母親(両親)が育成を誤れば、大人になってからの思考・感情・ビヘイビヤに逸脱が起こる。いつも殴られている子供は、殴ることでものごとを片付けようとする。まず殴り、用件はその後で・・・・。小さいころからいつも叱られ悪く言われていた子供は自信の持てない自己卑下の大人になる。子供時代に抑圧されていた者は獰猛で攻撃的になる。誤ったセックス観を植えつけられた子供は性的異常傾向のある大人になりかねない。幼児期のトイレ訓練を間違えただけで子供の心に性的トラウマを残すこともある。だから病んだ世代が生まれる場合、かれらの大半が健全な思想を持たない母親に育てられたためであるのはほぼ間違いない。健全な思想を持たない母親たちというのは、自分自身のことを考えない母親を含めて、往々にして無知のなせるわざだ。病んだ母親は一家の歯車の回転を狂わせる。かといって役割を正しく果たす母親になるために医学学校へ行かなければならないわけではないし、心理学専門家になる必要もないのだ。
とはいえ、学校教育の中での保健教育はわが国でいまだ十分に行なわれていない。健康な生活に関して国民を利口にできないばかりか、母としての役割の果たし方を女生徒に教えていない。これまでわたしが行なってきた国民に対する保健啓蒙活動で得られた印象では、今の母親たちの保健知識は1980年代のものからほとんど進歩していないように思える。
大学卒の学歴を持つ母親でさえ、卵を食べさせると子供にできものができ、健康な赤ちゃんというのは丸々とよく肥えた子であり、魚を食べると寄生虫がわく、と信じている者がいる。悲しむべきことは、保健所の活動が消極的になってきていることだ。昔は母親の保健知識の不足が保健所のおかげで補われていたため、障害児・病気・成長不全などで避けることの出来るケースはまだ救われていた。ところが保健所の活動が希薄になってきており、それに加えて母親たちはほとんどものを読まない。テレビやラジオから得られる知識も、保健観念を十分に拡大させるものでない。
わが民族の健康という大問題は国民の能力をいかに向上させるかということにかかっている。そのメインをなすものは、基本的な健康観、プライマリーヘルスケアなのだ。根本的な病気予防の力を身につけさせて、薬の購入で収入が減少するのを防ぐようにする。母親への保健知識啓蒙もその中のひとつだ。美しい母親の役割が十分に果たされるように、母親予備軍を育て上げなければならない。母親の観念を正しく打ち立てるときが来ている。学校や市民講座、あるいは何であれ、すべての女性に正しく母親の役割が果たせるようにしてやらなければならないのだ。子供の養育ばかりか、家庭のクオリティも母の手に握られている。一家の健康は母の用意する食卓が決める。心臓疾患や脳卒中を子やその父親が将来避けることができるかどうかは、母の用意する食卓で決まる。家族と民族にとって母の役割はなんと中心的であることか。子供の手相は母が描くのだ。子供の将来が美しいものになるかそれとも悲惨なものになるかは、国が国民女性をどこまで母親の役割を正しく果たせるように育成したかにかかっている。今からでも遅くはない。われわれは今日一日そのことを熟考し、明日から何かを始めるのだ。


「非化粧派女性は4人にひとり」(2009年7月2日)
マースインドネシアがジャカルタ・バンドン・スマラン・スラバヤ・メダン・マカッサル・パレンバン・バリッパパンで行なった消費者調査によれば、化粧品・美容製品を必要に応じて購入している女性は26.1%にのぼる。この設問は、1)定期購入、2)使い果たしたら購入、3)必要なときに購入、という三パターンに分けられていることから、必要なときに購入するひとというのは化粧品・美容製品を常日頃使っていないひとを意味しているように思われる。つまりこの階層というのは、化粧が日常生活の一部になっておらず普段は素顔で生活している女性ということのようだ。
定期的購入者というのは手持ち化粧品の消費状態よりも資金状態に従って購入しているひとであると思われ、もっとも常識的な使い果たしたら購入するという一般的消費行動とは異なる原理で動いているひとを思わせる。マースインドネシアの調査結果は、使い果たしたら購入する常識派が51.5%、定期購入者は22.4%となっており、都市居住インドネシア女性の4人に3人は日常的にメーキャップを行なっているひと、4人にひとりはふだん化粧をしないひとということらしい。どうやらこれも、個々人のあるがままの自然の姿を世の中が受け入れているインドネシアのパーミッシブな文化のたまものであるように思えるのだが、その一方で外面的な姿かたちを装うことに熱をあげる女性もたくさんおり、種種多様な価値観が混在しているインドネシアの実相をわれわれはそこに見出すことになるのである。
そのお金を持っていて化粧品を定期的に購入する女性は比較的若い年齢層になっている。その区分を占めているのは18〜25歳が52.2%、26歳〜34歳という年齢ブラケットでは51.5%だった。この女性たちはひと月のショッピング支出が112万5千から250万ルピアというB階層に属している。
では化粧派女性たちのブランドロイヤルティはどうなっているだろうか。マースインドネシア調査では、おしろい、口紅、ハンド/ボディローションは自分の肌に合ったものを使い続ける女性がきわめて多いことが明らかにされた。おしろいは76.4%、口紅72.6%、ローション66.2%というのがお気に入り商品を忠実に使い続ける女性の割合だそうだ。そのためにこの三種の化粧品についてメーカー間の競争は熾烈をきわめているとのこと。


「電気は男の世界」(2009年9月7日)
家庭用電気製品の購入は一家の誰が決めているのかというテーマについてマースインドネシアが行なった最新サーベイは、その決定権は男性が握っていることを明らかにしている。過半数の家庭で電気製品の購入は夫あるいは戸主が行なっており、妻が買う家庭は四分の一しかなかった。サーベイ結果は次の通り。
夫 65.9%
妻 26.8%
子供 6.4%
その他 0.9%
これは電気製品へのアクセスが男の領分であり、女性は自分で出来る簡単なことですら男にその仕事を依頼するという家庭内の領分分担に関わるビヘイビヤと軌を一にしている。ほとんどのインドネシア女性は切れた電球の交換やらダウンしたサーキットブレーカーのスイッチアップ、あるいは家電品の延長コード接続などに決して自分から手を出さず、夫・兄・弟など男性に作業を要請するのが当たり前になっている。これはもちろんひとつの社会通念でしかないので、必要に応じて自分で処理する女性も決して少なくはないのだが。
「自動車と同様、家電品もこれまで男の領域と見なされてきた。購入意志をだれが持つのか、だれを対象にして販促を行なっているのか、だれが使うのかといったことに関して社会的に男性が優勢だった結果がそこに反映されている。」そうマースインドネシアは解説しているが、台所に関してはやはり女性の絶対主権が維持されているらしく、電気調理器具等に関するかぎり女性のイニシアティブのほうが優勢であるそうだ。


「バドゥイの女は生を織る」(2009年10月3日)
ナルワティは足元の竹棒に結わえられた縦糸の間に、ひと巻きにされた横糸を通す。縦糸がゆるまないよう、ナルワティは座ったまま姿勢を少しもくずさない。ヤシの木の木片を足元から腹に向かって押し上げると、木片は他の木片と打ち合ってカラカラカラと音を出す。音がやんでも、またすぐに似たような音がすこし遠くから聞こえてくる。隣近所、別の家から機織の音が流れてくるのだ。まるで互いに呼び合っているかのように、静かな集落の中で何軒もの家から機織の音が聞こえてくる。それが外バドゥイの集落ガジェボのふだんのたたずまい。ガジェボ部落はバンテン州ルバッ県ルウィダマル郡カヌクス村にある。
バドゥイの女の日常生活は機織に明け、機織に暮れる。ナルワティはその日スレンダン(selendang)を織っていた。
「陸稲の植え付けや取り入れのない日は、わたしらは機織をします。」
一見してまだ十代としか思えないナルワティは一児の母だが、自分の年齢は知らないと言う。バドゥイの女は機織を親や同年代の仲間から習う。11歳のサルニは8歳から機織を習い始めた。自分の作品として一枚の布が織れたのはやっと一年前のことだそうだ。
バドゥイの女たちの必需品である織機はバドゥイのひとびとが自作する。しかし誰でも作れるというものではないため、ひとびとの間で一台10万ルピアで売られている。織機の構造は竹片や木片を織り手の足や腰につけ、また糸を結わえるためにも竹片や木片が使われる。その数は色使いやモチーフによって増減する。織り手の身体を織機の一部に組み込む構造のために、織り手は自分の足を常にまっすぐ伸ばしておかなければならず、また腰は木片にはさまれるので、相当な重労働を織り手は強いられることになる。そしてまた、一枚のスレンダンや布を織りあげるには糸の一本一本を注意深く重ねていかなければならず、丁寧で時間のかかる作業をこなすための忍耐強さと細心さは織り手の必須条件であるとも言える。スレンダンを一枚織り上げるのに毎日作業して一週間かかる。その製品はバドゥイ集落を訪れる観光客に一枚3.5万から4万ルピアで販売されている。
機織は先祖代々伝えられたバドゥイの慣習であり、バドゥイの少女たちは機織を学ぶと同時に他のさまざまなことをも学ぶ。機織の学習はバドゥイ女たちの学校なのだ。バドゥイのひとびとは男も女も、義務教育を受けるために学校に上がることを拒否している。『学校へ行くと利口になるから学校へ行っちゃあいけねえ。自分が利口になったら町の衆みたいに仲間をバカにするようになるだよ。』バドゥイのひとびとはたいていそんな学校観を抱いている。少女たちは学校へ行かずに機織を学び、生きるということをどのように調和のあるものにしていくのかということをも学ぶ。慣習によって定められたさまざまに厳しい禁忌の中で、バドゥイの女たちの機織は畑に出る男たちの仕事と相互補完的に組み合わさって各家庭の経済生活を支えている。
バドゥイの織物は元々自家消費を目的にするものだったが、最近はバドゥイの環境外にいるひとびとへの販売用に作られるものも増えてきた。バドゥイ織物はモチーフが素朴でバリエーションに欠ける。他のアダッ(adat)社会では社会階層によって異なる織物のモチーフが使われるのが普通だが、バドゥイにはそれがない。このありかたはバドゥイの織物がもっとも古いアダッ社会の産物であり、また階層社会への分化を拒否したまま今日まで受け継がれてきたものであることを推測させてくれる。バドゥイ社会は個々人の差を尊重しつつも共同体生活ではたいへん平等な社会であり、構成員はそれぞれが対等な地位を与えられているのだ。
バドゥイの女たちは世代を超えて機織を連綿と伝え続け、そして慣習に支えられた調和のある暮らしを生きて行く。機織と調和に満ちた生がバドゥイ女の人生だ。


「機内で機長とスチュワーデスのただならぬ仲」(2009年10月15日)
2007年11月28日のジャカルタ発スラバヤ経由バリッパパン行きバタビアエアー7P−221便に乗った乗客が機内で乗務員の許しがたい行為を目撃した。機長のイニシャルIFとスチュワーデスのイニシャルLが人前では差し控えるべきレベルでいちゃついているのを目撃したというのがそれだ。もちろん人目に触れないよう乗務員控え室で行なわれていたものではあるが、ふたりとも勤務中の立場にある。そのふるまいがいつから行なわれていたのかよくわからないが、機内アナウンスでスラバヤ空港への着陸態勢に入ったことが告げられてから機長はやっとコックピット内に戻って行った。そのとき機体は十分な制御が得られておらず、客室内はパニックに包まれていた。その情況を目撃した乗客三人は、大勢の人命を預かる乗務員が勤務中に行なうべきことでなく、法に違反する行為であるとしてバタビアエアー・そのフライトの機長イルファン・フィクリ・運輸大臣の名前において空運総局長、交通事故国家コミティ・イルファンの相手をしていたスチュワーデスのリザの5者を中央ジャカルタ地方裁判所に告訴した。告訴状の中で原告は被告に対し、物質的損害の補償に10億ルピア、精神的損害補償に10億ルピアを支払うよう要求している。
この裁判で判事団が出した判決は、原告側の告訴を全面的にしりぞけるというものだった。判事団によれば、原告側が提出したポスコタ紙とコンピュータサイト『ドゥティッコム』の記事は証拠品として取り上げるに足る十分な法的根拠を持っていないというのが判決理由になっている。この裁判の中で交通事故国家コミティは、バタビアエアーに対する処罰措置を取る権限がないことを理由に被告としての立場を解除するよう求め、判事団もそれを了承している。一方バタビアエアー側は原告に対する逆告訴を求めたが、判事団はその要求をもしりぞけた。


「家庭と仕事の両立」(2009年10月19日)
程度の差こそあれ、どこの国でも基本的にひとびとは似たような問題を抱えている。ただし伝統文化が価値の優先度を決めているため、ひとびとのビヘイビヤには違いが出るのが当然だ。
仕事と家庭のどちらを優先するのかという命題はどちらに優勢な価値を置くのかという問題であり、個々人が持つ姿勢の問題なのである。それに影響を与える要素として、(1)家庭内でのオリエンテーション、(2)人生上のバランス感覚、(3)キャリヤーへのオリエンテーション、(4)夫婦間の一方的優勢度合い、(5)夫あるいは妻からのサポート、(6)夫あるいは妻が相手に与える自由度の6つがあげられている。しかしそれ以外にもさまざまなしがらみがからみついているため仕事と家庭のディコトミーという単純な姿には決してならず、時と場合によって矛盾するビヘイビアが出現するのが人間というものの実相だろう。
職場と家庭の双方で円満な状況が本人を包んでいるなら、その両立にさしたる困難はない。しかし通常発生するのは、家庭で家庭のためになされるべき緊急事態が起こったときに職場と家庭の間で起こる重要度・優先度のコンフリクトが二者択一を強いるという情況で、そのとき本人はどのような姿勢を取るだろうかというのがこの両立問題なのである。
「あした朝一番で重要会議を開くから遅刻しないように」と従業員に言い渡しておいても、マネージャーの中にそれをすっぽかす者が出る。会議は空転して、その日予定しておいたアクションが取れない。午後になって出てきたそのマネージャーにすっぽかしの理由を尋ねると、子供が夜中に熱を出したから朝から病院へ連れて行っていたという返事であり、そこから本人が持っている家庭と仕事の優先度に関する考え方があぶりだされてくる。
他の国へ行けば、個人の人生は職業と密接にからまっていてその職業の営みの中に本人の生きる姿が投影されるのが普通であり、だから職種が何であれプロフェッショナリズムというものが発現する下地になっている。インドネシアでももう何十年もまえからプロフェッショナリズムを国民に求める声が鳴り止まないが、実態は衆目の見るところのものであり、同じ声はエンドレステープのように果てることを知らない。他の国で職業が握っている個人の人生の中の役割はインドネシアできっと家族・家庭に置き換えられているにちがいない。
コンパス紙R&Dが2009年8月5〜6日に全国主要都市の電話帳からランダム抽出して行なった823人に対するサーベイで、「家庭の成功とキャリヤーの成功のどちらがあなたには重要ですか?」という設問への回答は下のようなものになった。家族主義社会で家庭内のハーモニーを最優先に位置付けるインドネシア文化では、両方が大事だと答えたひとの大部分は夢としてのキャリヤーと現実としての家庭という意識の上でそう回答したのではないかとわたしは思う。今年9月2日15時前にタシッマラヤ(Tasikmalaya)から142キロ北西を震源とする7.3リヒタースケールの地震がジャカルタを揺さぶったとき、揺れが収まると都内ほとんどすべての職場から従業員が帰宅したため都内は15時半を過ぎたころから交通大渋滞がはじまった。そのできごとがすべてを物語っているような気がしてならない。集計された回答は次の通り。
1)家庭の成功とキャリヤーの成功はどちらも大事 63.3%
2)家庭の成功が大事 26.0%
3)キャリヤーの成功が大事 5.3%
4)その他 5.4%


「一度決めたら一筋というイ_ア女性たち」(2009年11月20日)
マースインドネシアの行なった消費者調査で、インドネシア女性は化粧品に対して比較的保守的であることが明らかにされた。一度決めたブランドをずっと使い続けるかどうかという化粧品購入時の商品選択に関する質問に対して7割以上のひとがヤーと答えている。自分に合うと判断して使用を決めた化粧品を別のブランドに取り替えるのはそれが自分の肌に合うかどうかという不安を抱えることでもあり、さらには自分の懐具合にとっても適切かどうかという二重のチェックポイントが出現する。一度決めたブランドに対する忠実度の高さは次の結果に表れている。
A:おしろい B:口紅 C:フェイシャルクレンジング D:モイスチャライザー (数字はパーセンテージ)
1)ひとつのブランドを使い続ける A:76.4 B:72.6 C:71.4 D:66.2
2)より優れたブランドにアップグレード A:10.3 B:10.6 C:14.1 D:15.2
3)ディスカウントのあるブランドに移る A:5.8 B:7.0 C:5.7 D:7.3
4)さまざまなブランドを使う A:7.5 B:9.8 C:7.8 D:11.3


「不信と嫉妬、そして死・・・・」(2010年3月9日)
アントン40歳とハラヤ37歳の夫婦は名ばかりの夫婦関係にあった。いつごろからだろうか、ふたりの間からは夫婦愛が消え失せ、互いに不平不満と疑心暗鬼がその心の奥底に居座っていた。憎しみ合いで結ばれている夫婦に平安な日々はない。ハラヤは壊れた家庭を修復しようとしない夫に見切りをつけて自分の教師としてのキャリヤーに生きがいを求めた。タングラン市ムルパティポリスインダ小学校で5年生を担任しているハラヤは大学で勉強したいという希望を抱き、東ジャカルタ市パサルボにある大学に入学しようとしていたがアントンはそれを決して許そうとしなかった。『妻はそうやって憧れの男ともっと接近した日々を送ろうとしているのだ。』アントンは妻の気持ちが夫ではない別の男に傾いていると思っていた。そうでなければもっと家にいて妻の務めである家庭や夫そして子供たちの世話をするはずだ。
土曜日の夜、タングラン市バトゥチェペル郡ポリスガガ町にあるアントン家の夫婦の寝室で喧嘩があった。長男のユスフ16歳は顔をしかめた。小さいころからしょっちゅう目にし耳にしていた夫婦喧嘩はもう馴れっこになっているとはいえ、自分が愛する両親双方が互いに憎み会う姿には心が痛む。喧嘩は長く続かず、その夜はそれで静かになった。ところが日曜日のスブにまた喧嘩が再発した。ユスフは黙って家を出た。
しばらくしてから、昨夜帰宅しなかったユスフの姉プトリ17歳と弟デディ15歳が家に帰ってきた。表扉を開けて家の中に入ろうとしたふたりに奥から出てきた父親が言った。「いま母さんと喧嘩してる。お前たちに聞かせたくないからしばらく家の中に入っちゃだめだ。」
こどもたちがまた外へ行くと、アントンは表扉を施錠してハラヤとの対決に戻った。夫婦間の口論は一層激しさを増す。アントンはついに抑制のたがが外れたのだろう、自分のナイフを手にするとハラヤの身体を何度も刺した。ハラヤのヒステリックな悲鳴が近隣一帯に響いた。ハラヤの実兄アムソリは近所に住んでいる。隣近所の住民もアムソリもハラヤの悲鳴を耳にしてアントンの家に向かった。施錠されている表扉を押し開いて家の中に入ると、血まみれで横たわっているハラヤの姿。隣人たちはハラヤを病院へ運ぼうとしたが、ハラヤはその道中で息をひきとった。
一方アントンは隣人たちが表扉を押し破ろうとしているのに気付いて家の裏口から逃走した。警察はアントンを追っている。ユスフは報道陣の質問に答えて家庭内の状況を話した。「母さんが大学に行きたいと言い出してから、夫婦喧嘩は前より激しくなった。母さんがよそに憧れの男を作り、その男にもっと接近したいために大学を口実にしている、と父さんは疑っていた。でもそんな証拠はなにひとつなかった。母さんは朝学校で教えたらすぐ家に帰ってきて家族の世話をしてたよ。喧嘩するたびに母さんは『離婚して!』と要求したけど父さんは絶対その話に乗らなかった。『別れるときは俺たちのどっちかが死ぬときだ』って言って。父さんがほんとうに母さんを殺すなんて、夢にも思わなかった・・・・」


「夫の浮気は妻の落ち度」(2010年3月27日)
2010年2月28日付けコンパス紙に掲載されたクリスティ・プルワンダリ人生相談
32歳のN夫人はこう書いてきました。「2年前に夫は女中と不倫しました。夫がそんなことをするなんて夢にも思っていなかったわたしはとても動揺し、家庭生活はむちゃくちゃになりました。このゴシップが住宅地内に広まり、口さがない奥さんたちは関係のない他人のことをあげつらい、それどころかわたしを敵視するひとまで現れたのです。周辺社会の圧力はわたしに向けられました。夫の世話さえきちんとできない能無し女のおかげで夫が女中の胸に走ったと思ったのでしょう。
わたしはこれまで自分の人生のすべてをこの結婚生活に捧げてきました。キャリヤーのチャンスを棒に振り、外国留学のチャンスさえあきらめて、家庭の一体性と夫や子供の成功のために尽くしてきたというのに、わたしはこんなふうに抑圧されるのです。まるで背中からグサリとやられた気持ちです。
夫はわたしに詫び、子供のためにこの家から去らないでくれと請いました。わたしは結局去るのをやめて、何の希望もないこの家庭に残りました。毎日の生活の味気なさはいつまで続くのでしょうか。夫の不倫がどうしてもわたしの頭から離れません。
この二年間わたしは信頼を育もうと努めてきました。しかし何が起こったかというと、先週わたしは夫の携帯電話に昔の夫のかの女からのSMSがあるのを見つけたのです。夫とわたしの間にもう嘘偽りはなくなったはずなのに、夫はまたわたしを裏切ったのです。わたしの怒りはもう止めようがありません。離婚してこんな関係はもう終わらせてしまわなければならないとわたしは思いました。わたしの夫への信頼は完全に崩壊してしまい、そして夫も自分を変える意志を持っていないことが明らかになったのですから。でも子供たちはどうすればいいのでしょうか?わたしは子供たちを両親の離婚の犠牲者にしたくないのです。子供たちの父親がそうであったように。」
N夫人の立場に置かれたら、だれでもきっと同じ感情を持つでしょう。昔の不倫の傷がまだ癒えていないのに、相手がまた別のひとと関係を結んでいるのが判ったなら。いろいろな選択肢の中で最善の決定を下すために、われわれは結婚生活と相手との関係を見つめなおす必要があります。あなたは相手のどんな面に魅力を感じたのか、その側面は責任や成熟を反映させたものであったのかどうか。セクシー、魅惑を振りまく、魅力的だが依存的で弱い、自分の要求を押し付ける、エゴイスト・・・。
不倫の一件はさておいて、N夫人は夫を夫として父親としての責任感を持っていると見ていますか?生計を満たすことにおける責任感や正直さは、そして子供の教育における姿勢は?N夫人と夫の性格は、そしてふたりの関係は?N夫人は自分が家庭のために尽くしている、犠牲になっている、と思っているのに、夫は妻が家庭内を取り仕切り、自分は評価されていないと思っていないかどうか。夫は女中との不倫を本当に後悔したのか、それとも口先だけだったのか。
女中の性格がどうということは別にして、われわれは女中という立場がきわめて弱く交渉力を持たないことを忘れてはなりません。セクハラや性的搾取を受けやすく、そしてスケープゴートにされやすい。そんな被害を受けたうえに事件の元凶にされてしまう。夫はどうして女中と性的関係に入ったのか?たとえば妻の権勢が強くて自分は小さく弱いと感じたからなのか、それとも自分の性衝動が抑えられずに男のエゴを振りまいたのか。性的快楽への欲求が強く、女性をセックス対象としてしか見ないで尊敬せず、規範や責任を軽んじるのが男のエゴです。
その原因が夫の女中に対する不倫行為であるケースを含めて家庭崩壊が起こったとき、妻が悪者にされるケースがよくあるのはたいへん遺憾なことです。しかし妻の側も、他人が自分を悪者にしあるいは敵視していると感じるのが実態通りなのか、それとも自分がその恥を抱えたがゆえに疑心暗鬼になっているためか、それを澄んだ目で見極めることも必要です。友人や隣人がその事件を知り、どういう態度を取ればよいのか決めかねているときに、妻が恥のゆえに自分の中に閉じこもろうとして関係がぎくしゃくするということも起こるのです。
だから自分自身・夫との関係・子供のため・その他あらゆる関係事を見つめなおし、状況をよりよく把握した上で結論を出すことをお奨めします。あまりにも短兵急に離婚の結論を出すのはよくありません。かといってどうしようもない悪い関係を続けていくのも意味がありません。あまりにもひどい夫婦関係は子供のためにならないのです。
不倫は結婚したふたりが築いてきたすべての美しいものを粉々にしてしまいます。その粉々になったものを回復させるのに、ふたりはとても長い時間と忍耐を費やさなければなりません。誠実さとポジティブな心があればそれは可能なのです。[ 心理学者クリスティ・プルワンダリ ]


「コミュニケーションシャットオフ」(2010年4月3日)
男と女の家庭生活や社会生活における諸問題の紙上コンサルタンティングを行なっている女性心理学者サウィトリ・スパルディ・サダルユンの今週のアドバイスは夫婦間のコミュニケーションに関するものだった。特に夫婦間でよく見られるコミュニケーションの一方通行、あるいは見方を変えるならコミュニケーションの相手方からの拒絶という現象についてサウィトリは次のように分析している。
コミュニケーションのシャットオフというのはコミュニケーションの相手にされた側が対話を継続する意志を持たず、意思疎通の扉を閉じてしまうためにコミュニケーションをしようとした側のひとりずもうに終わってしまうコミュニケーション断絶の一形態で、コミュニケーションしたい側は伝えたいことや尋ねたいことがいろいろあるのだが沈黙を強いられることになる。一方が他方への敬意や親愛を低下させた夫婦間でこの現象はよく起こり、他方は一方がどうして敬意や親愛を低下させたのか、自分はどういう過ちを冒したのか、ということを理解せず、あるいはそれに対する感受性を持たず、それどころかあえて知らないふりをするという姿勢がその夫婦の間に横たわる。
夫婦間の一方が相手への敬意や親愛を低下させるケースには次のようなものがある。
*結婚前に抱いた結婚生活における希望が実現されないことに不満を持った側が相手の嫌がる行為でその感情を示そうとする。
*相手が夫あるいは妻としての責任を十分に果たしていないと感じているものの、それを赤裸々に口にすると喧嘩を招くことを怖れて話し合いを厭い、態度で不満を表明しようとする。
*経済生活が不安定なのは家計の需要を十分に満たそうとしない夫の怠慢と考える妻、あるいは共稼ぎを希望する夫に対して家計の需要を満たすのは夫の責任という伝統的な考えにとらわれて夫への敬意を失う妻
*伝統的な家父長制の実現を当然としている夫に対し、家庭内外での夫婦の役割対等を当然と考える同じ学歴の妻
*疑心暗鬼で相手に嫉妬の感情を抱く夫あるいは妻
夫婦間の状態がそのようなものである場合、夫婦喧嘩は日常茶飯事になる。明白で確実な解決のない喧嘩は嫌悪感・内向する怒り・累積する憎悪・内にこもる悲しみなどを心の内面に積み重ねさせ、相手に対する気遣いや思いやりを失わせて「もうどうでもいい。自分の勝手にする」という態度をその一方に持たせ、その結果相手は苦悩してその状態から逃れようと無意味な仕事や行動に没頭するようになる。
コミュニケーションシャットオフの例は次のようなものだ。
「昨日は夜遅かったのね。よその女とどこかへ行ったんでしょう。」妻が嫉妬混じりにそう言うと夫はきつい声で、
「あたりまえだ。おまえ、何が言いたいの?」と返事する。
会話の接ぎ穂を折られた妻は口を閉じ、悔しさと悲しみの中に沈む。ところが本当は、夫は帰宅途上でタイヤがパンクし、タイヤ交換と大渋滞のために帰宅が遅くなっただけなのだ。もし夫が妻に対して事実を正直に優しく語っていれば、他の問題で妻の心に巣食っている怒りに新たな悲しみ・疑惑・怒りが付け加わることはない。
別の例では次のようなものもある。
「われわれの性生活はちょっと健全さに欠けてる気がするね。もっとよく話し合おうよ。それとも医者に相談にでも行こうか。」「なによ、あんた今もよおしてるの?じゃあ早く、いますぐやりましょうよ。」
妻の言葉に夫はげんなりして返す言葉をなくす。たとえ夫が妻の性的魅力にまだ魅了されていたとしても、妻の言葉はそのときの夫の性欲を萎縮させてしまう。もし妻が「どこが不健全なのかしら?」と返事していればふたりの間の性生活の話題は発展し、コミュニケーションのパイプは折れちぎれることもなく、夫の妻に対する嫌悪感が更に深く根を張るようなことには至らないだろう。夫婦間の性生活に関する意見交換は互いに相手の性的満足度に関する理解を深くさせ、専門家に相談に行くことなどなしにふたりの性生活をもっと豊かなものにするかもしれない。
何ヶ月もあるいは何年にもわたってせき止められたコミュニケーションは夫婦の双方に悲惨な結婚生活をもたらし、毎日不安と不快さに満ちた暮らしを営ませ、自分は幸福でないという思いに包まれる。ふたりはひとつ屋根の下に住んでいながら、それぞれ自分だけの孤立した世界に生きている。
夫にせよ妻にせよ、自覚しないでコミュニケーションシャットオフを続ける者にはひとつの根本的な動機が見られる。それは自分のパワーを相手に示そうとする衝動だ。自分のファミリーは相手のファミリーより金持だ、社会的地位が高い、学歴が上だ・・・等々の理由で自分が相手より上位にいると感じている。加えて頑固な気質で自分の間違いを認めようとせず、他人に赦しを請うのを嫌い、自分の我を通そうとする傾向が強い。そのような人間が結婚生活を続けようとするのも世間体を気にしてのことだ。
コミュニケーションシャットオフを克服するもっともシンプルな方法は自分を振り返って見ることだ。ファミリーの優秀さや金持であることや学歴などを根拠にして彼我の間での自分の上下の位置を測り、上位者としてのパワーをどこまでふるうのかということを夫婦はそれぞれ見つめなおしてみることだ。その上下の位置関係に応じて身に帯びたパワーが自分にどんなメリットをもたらすのかを熟考してみることだ。結婚前、この相手の何に魅力を感じたのかということを思い出してみることだ。
最後に、もうひとつ記憶にとどめておくべきことがある。それはこの世の中に完璧な結婚生活などひとつもないということである。結婚生活の中でわれわれが直面する諸問題が不満をもたらしたとしても、結婚相手とのオープンで持続的なコミュニケーションによって、ふたりで一緒にどう行動するのかということを話し合いながら、あらゆる問題を問題でなくすることができるのである。


「巨乳症少女がインドネシアにも」(2010年4月16日)
西ジャワ州スバンに住む13歳の少女ニア・クルニアの乳房がここ6ヶ月間に大きく膨らんだ。農業国インドネシアでは、娘の乳房が膨らんでくることをtumbuh(生える、成育する)という言葉で表現する。なにしろ乳房はインドネシア語で胸の実(buah dada)と呼ばれているほどだから。閑話休題。
しかしニアの乳房の生え方は・・・・いや膨らみ方は異常だった。あっという間に曲げたひじの線まで成長してきて、しかもその成長がスローダウンする気配もない。そして左右の膨らみ方も一様でなくなってきており、右側の方が成長が早い。スバン県ボジョンロア部落に住むニアは、乳房が大きくなりだしたときも痛みは感じなかったと言う。ただ歩行のしにくさが強まっており、本人はそれを嫌がっているようす。乳房が大きくなりだしてからニアはよく寝るようになったと言っているから、それだけ負担の感じ方が楽になっているようだ。両親はスバンとバンドンの三つの病院でニアに診察治療を受けさせたが病院側も対策の決め手を欠いて最終的にジャカルタのチプトマグンクスモ病院に照会してきた。ニアの両親は土地家屋を売り払ってその治療費を捻出しているそうだ。
チプトマグンクスモ病院側はニアの症状をgiant mamae dysplasiaと診断し、精密検査を行なっている。最終的には縮胸手術を行うことになるだろう、とのこと。


「男を色キチガイのように扱うのはやめよ」(2010年7月10日)
2010年5月20日付けコンパス紙への投書"Wanita Potong Rok Lebih Pendek"から
拝啓、編集部殿。テレビの全国放送や新聞で数回、わたしは男性用デオドラント化粧品「アックス(AXE)」の宣伝広告を目にしました。その広告は、男はミニマムが好きだから、と言いながら女性が着ているミニスカートをはさみでもっと短く切り取るというストーリーで、男は女性の超ミニ姿を見るのが好きだからスカートをはさみでカットすることにひっかけて、生産者がアックス製品の小売価格をカットしたことを宣伝するのが趣旨のようです。
アックス製品の価格引下げをなんで女性のスカートを切り取ることに結びつけるのか、わたしにはさっぱり解りません。その広告はインドネシアの恥をさらすものです。インドネシア人男性の頭の中はネガティブなことがいっぱい詰まっており、普通に製品の宣伝広告を行なってもかれらは興味を示さないのだとその広告自体が物語っているようではありませんか。製品の価格が廉くなったという宣伝だけにすら女性のセックスアピールを追い求めなければならないなんて。その広告は同時に女性の尊厳を安売り商品のように扱っています。インドネシアのモラル低下が激しさを増しているのも当然でしょう。
広告制作者に対し、もっとスマートでハイクオリティな作品を生み出すよう希望します。政府もインドネシア文化がこれまで抱いてきたモラルの誠実さを冒すような広告に断固たる処分を行なってください。[ 北スマトラ州プマタンシアンタル在住、ヘンディ ]
2010年6月1日付けコンパス紙に掲載されたアックス生産者からの回答
拝啓、編集部殿。ヘンディさんからの2010年5月20日付けコンパス紙に掲載された投書についてお知らせします。アックスの広告はアックスの価格引下げをターゲット消費者層にあわせて楽しく伝えようとしただけのものです。その広告で一部消費者に不快感を与えたのであれば、お詫び申し上げます。当方は今後の訴求材料を生み出すのに役立つ消費者からのご批判をありがたく承ります。[ PTユニリーバインドネシア企業広報ヘッド、マリア・ドゥイアント ]


「夫婦間の上位争奪、ホンネと建前」(2010年7月16日)
男と女の家庭生活や社会生活における諸問題の紙上コンサルタンティングを行なっている女性心理学者サウィトリ・スパルディ・サダルユンの今回のアドバイスは夫婦間の上下関係に関するものだった。
男尊女卑が社会生活の重要な柱のひとつに据えられている文化の中では、男あるいは女という人間の属性にもとづいて人間の格が定まり、本人の人格能力をどれだけ磨こうが定まっている格を変えるほどの影響力はめったに現れない。ただし社会的な建前としての男尊女卑と家庭の支配者である女という実態の間に異様な食い違い(つまり矛盾)が発生するのは避けがたく、その認識の持てない男が裸の王様になっている構図は枚挙にいとまがないくらいで、そこに悲喜劇のタネが転がっている。さて、サウィトリ女史の分析を見てみよう。
精神分析の祖ジークムント・フロイトは男女の性向の違いに関する理解を人体器官の形や機能の差、中でも性器の違いに置いた。ペニスがあることで男は女よりも高位・優位・パワフルといった地位に置かれる。そのため女は男のペニスを羨望してペニス願望というコンプレックスが生じ、子供を生むという女の能力を通してその補償が行なわれるのだが、その補償行為も男の女に対する優位を低下させることはない。
人類文化史も一般的に男が女より上のポジションに置かれていることを証明している。いわく、男は家計を支える者、男は家庭を守る者、女は男に仕えなければならない、男は家庭の決定権者。歴史は男が家庭内で上位にあることを認めるさまざまな証明を与えている。家庭内での自己の尊厳の高さを維持するために男は自分の正当性と自分に対する尊重を、いかなる方法であれ、実現させなければならない。男は不倫をしようが妻の承認なしにポリガミを行なおうが赦されて当然だが、女の不倫は離縁が当然・・・・・。
そんなポジションの延長線上で、男=夫は間違いを犯しても謝罪するのは難しく、自分ひとりが良い子になろうとし、自分の好き勝手にふるまい、女=妻の気持ちを斟酌しない。それに同期して女のポジションも従順・服従・低姿勢、できれば自己卑下を示し、ジャワでポピュラーな言葉konco winkingつまり後に従う仲間としてスムル・ダプル・カスルを司る従者という立場に追いやられる。
現実生活はもはやそんなものから離れつつあるにもかかわらず、上のような表現は男の脳裏にしっかりと刻み付けられているようだ。
ジョン・ネイスビットは21世紀を女の時代と予言した。その予言は早くも現実のものになりつつあり、家庭を持つ女性の多くが仕事を持ちキャリアを積んでいる。より高額の収入・より高品質の仕事・より高ランクのキャリアといったチャンスがそこに開かれているからだ。一方最近のクライシスは男を失業の憂き目に導き、あるいは本質的に怠惰で努力を嫌うがために女=妻が家庭の生計を支えてくれるのを幸いに失業者の甘い暮らしを享受している。ところが皮肉にも、男優位の上で述べたような観念を持ち続けるばかりか、男である自分の正当化に執心し、精神的肉体的な奉仕を受け、特別扱いされ、家庭内での筆頭者として待遇されることを男=夫は望んでいるのだ。

I夫人(39歳)
わたしは結婚生活16年で、男の子がひとりいます。わたしは結婚前から現在まで、ある民間会社に勤めています。結婚したとき夫はある省の文民公務員でしたが、その2年後に公務員をやめました。公務員は給料が低いので自営業を行ないたい、というのがその理由でした。わたしたち夫婦は十分な事業資金を持っていなかったのでわたしは賛成しませんでしたが、夫は自分の希望に強情を張るのでわたしはそれ以上反対することができませんでした。
ところが公務員を辞めて以来、わたしが早朝に出勤していくときも夫はまだ寝ているのです。時にスブの礼拝を夫に思い出させようとしても、夫は怒るばかりでまた眠りに就きます。夫が朝何時に起きているのか、わたしにはさっぱりわかりません。
そんな状況は家庭の生計をわたしが支えているのだという意識をわたしにもたらし、知らず知らずのうちに家庭生活の中でわたしが上位のポジションに就いて采配をふるうようになりました。あらゆる決定をわたしが自分で決めるようになったのです。ところが三ヶ月ほど前、わたしは夫の携帯電話に女性からのSMSがあるのを見つけました。その女性は夫の大学時代に夫に心を寄せたひとで、今はもう結婚しており、かの女の夫は社会的経済的に安定した地位にあります。
わたしは驚き、これまで妻としてのあるべき姿から逸脱して夫を扱っていたことを覚りました。わたしはすぐ夫にそのことを詫び、態度を変えました。もう夫に怒ったりするのはやめ、心身ともに夫に仕え、夫の望むがままに従うことにしたのです。夫がこの家から去っていくのを怖れたわたしは、その家庭持ちの女性と関係を絶つよう夫にお願いしました。
ところが夫の反応はこうでした。「お前のこれまでの扱いで受けた心の傷を癒すことはまだできない。お前を赦すためには時間が必要だ。かの女との間に特別な関係は何もない。かの女とは打ち明け話をし、アドバイスをもらうだけで、一度も会っていない。かの女と関係を持つ気はまったくないので、オレの気持ちが癒えるまで待っていればいい。そのときにはかの女とのSMSを通しての関係も終わるから。」とつっけんどんに言ったのです。「かの女とのSMS経由の関係で隠し事はなにもしない」と夫はわたしに言いました。たしかにあるとき、夫とわたしが車で出かけていると夫の携帯電話にかの女からSMSが入り、夫は運転しながらすぐかの女にSMSの返事を送りました。そばにいるわたしの気持ちに配慮する姿勢は少しもありません。心が傷つけられて泣き出したわたしに夫は、「何を泣いてるんだ。オレとかの女の間には何もないと言っただろうが。もうこの話をするのはうんざりだ。」と憎々しげに言いました。わたしの心はもうボロボロで、わたしは泣いてばかりおり、夜も熟睡できず、食欲も減退して体重が5キロも減りました。

主人意識の分析
I夫人の夫は一家の主としての地位保全に執心するひとだったために妻の上位を受け入れることができず、心に深い傷を負ったのは明らかです。ところがその望まざる状態を覆すために家庭の生計を確立させる役割を妻の手から取り戻そうとハードワークに努めることもせず、怠惰な暮らしに安住していたように見えます。
三ヶ月前から家庭持ちの女性がSMSに登場するようになったことを夫は、妻が何年もの間自分の夫としての地位を卑しめたことに対する復讐の武器に使うようになりました。ところが夫として果たさなければならない役割はまったく等閑に伏されているのです。SMS経由であるとはいえ、家庭持ち女性の出現は夫に家庭生活における主人としての地位を正当化させる追い風を与えることになりました。
この現代にいつまでも男=夫が家庭の主であるという観念を正当なものとして維持しようとするのは、われわれ女性にとって賢明なことなのでしょうか?夫と妻は互いに尊敬しあい価値を認め合い、また互いに心を通い合わせる対等な仲間だという位置付けを夫婦関係の中に持ち込もうとどうしてしないのでしょうか?


「フィフィのお腹がせり出してきた」(2010年8月12日)
バンテン州セラン市チポチョッジャヤ郡プナンチャガン村ススカン部落に住むスアルジョ35歳の娘フィフィ15歳のお腹が膨らみ始めた。今ではもう妊娠3〜4ヶ月くらいのように見える。
まず不審を抱いたのは母親で、娘を問い詰めたがフィフィはなかなか正直に話さない。思い余って母親は自分の母親に打ち明け、祖母と母がふたりがかりでフィフィを問い詰めた。しらを切り通せなくなったフィフィは話を小出しにする。「あたしを妊娠させたのはセランのひとだけど、あたし名前を知らないわ。」
母の兄がその話を耳にはさんだ。フィフィの言葉をそのまま真に受けようとせず、今度は祖母・母・叔父が三人がかりで問い詰める。隣近所のおとなたちもやってきて、「フィフィちゃん、悪いようにはしないから正直に打ち明けようや。」と口を添える。
部落中がもうこの話に耳を傾けているように感じたフィフィはついに、相手はスアルジョだったと告白した。スアルジョはフィフィの母を後妻に迎え、フィフィはその連れ子だったから、スアルジョとフィフィのセックスはインセストにあたらない。ともあれひとびとの矛先は、今度はスアルジョに向けられた。娘はああ言ってるが、そりゃほんとのことかいのう?
スアルジョはもちろん否定する。ところがみんなはしつこいほど問い詰めた。そしてスアルジョの根が尽きたのか、「確かにオラはフィフィと睦んだことがある。」と自白した。義父と義理の娘の不祥事に部落内は沸き立った。部落民が数人、セラン市警本部に走った。
迎えにきた警察署員に連行されたスアルジョは市警本部で取調べを受ける。取調べの中でスアルジョは、今年の2月と4月の二回、夜中に妻が白河夜船の高いびきに浸っているとき、フィフィの寝所にしのんで行ったことを自供した。
「威したり、強要したりなどしていない。フィフィに『オラとじゃ嫌か?』と聞いて、あの娘は嫌がるそぶりもしなかったから可愛がってやった。『いい子にしてりゃあ、携帯電話器を買ってやる。』と言ったら喜んでいた。」という自供がスアルジョの口から聞かれたから、警察はそれを逆手に取った。
子供にほうびをちらつかせて自分もしくは別人との間で性交を行なわせることは児童保護法第81条2項の違反に該当しており、刑罰は最高15年の実刑だ、と警察側は述べている。


「読み違いがエコの命取り」(2010年9月20・21日)
ボゴール市南ボゴール郡チパク町ルゴッムンチャン部落にグヌンガドゥン墓地がある。これは中国人墓地で、金持ち中国人ほど大きな墳墓を作るから、墓地の中は大きな構造物が随所にあって集落の趣きをなし、外の道路から見えない陰があちこちにできている。夜7時半ごろ、暗くうら寂しいその一角に腰をおろしている若い女がひとりあった。オートバイが一台墓地の中に入ってきて、道路から見えない墓の陰で止まり、乗っていた男がヘルメットを脱いだ。押し殺した声が男の耳に届いた。「イルファン!こっちよ。」
ひとりで大きな墓の片隅に腰をおろしていた若い女は、近付いてきた男を立ち上がって迎えた。「また会えてうれしいわ。」熱い抱擁とくちづけが交わされ、座った男に女は甘えてしなだれかかる。ふたりの間で最近のできごとがあれこれ話され、恋し合う男女の甘美な時間が流れて行く。
女は男の手を取って自分の腹に導いた。「ねえ、イルファン。あんた必ずこの子のお父さんになってね。約束してよ。」
男の顔に驚愕が走った。「えっ?おまえ妊娠してるのかい、エコ。」
「ええ、できちゃったのよ。」「もう何ヶ月だ?」「4ヶ月」
イルファンは考え込んだ。何か頭の中で計算しているようだ。
「いや、違う。オレの子供じゃない。」
「なに言ってるの、あんたの子よ。ほら、ふたりでホテルに行って・・・。あのときできたのよ。」
「違うぞ。おまえと知り合ってホテルに行ったのは3ヶ月前のことだ。おまえと寝たのはあのときの一回限りだったし、オレはコンドームを使った。それはほかの男の子供だ。」
しかしエコはしつこく胎児を認知しろとイルファンに迫った。押し付けがましい女の言葉はイルファンをムカつかせ、エコの腹の底を垣間見たイルファンを凶暴な怒りがとらえるのに時間はかからなかった。おまえはオレを虚仮にしようというのか、この売女め!われを忘れたイルファンはエコの頭をつかむと墳墓の壁にたたきつけた。エコの悪罵がほんの少し続き、逃れようともがいていた体がぐったりした。イルファンは立ち上がってオートバイに向かった。
家の外に出ていたルゴッムンチャン部落の住民が数人、墓地の方から流れてきた「助けて!」と叫ぶ女の声を耳にした。夜の8時ごろだ。しばらくしてオートバイが一台、かなりスピードを出してやってきた。部落を通り抜けようとしたそのオートバイに住民たちは停止を命じたが、オートバイはそれを無視して通過しようとした。ところが少し先にあったポリシテイドゥルに車輪を引っ掛けてそのオートバイは横転し、運転していた男は路上に投げ出された。住民たちが駆け寄って男を捕らえる。男の服は鮮血で濡れ、顔には深い擦り傷。最初は横転して怪我をしたと思った住民たちも、男の様子が負傷者のものでないのに疑惑を抱いてじっくり観察した。身体には傷がなく、顔の擦り傷は爪で掘られた傷だ。住民たちは警察に電話し、ボゴール市警が駆けつけて中国人墓地で顔を無残につぶされたエコの死体を発見した。
ムハマッ・イルファン25歳はボゴールトレードモールに売場を持って商売を行なっている。エコ・スティアワティ22歳はウォノソボからボゴールへ出てきて北ボゴール郡で女中をしていた。ふたりはまだあまり深い関係になっていなかった。


「人目も憚らず、駐車場の車内でぺッティング」(2010年10月7日)
2010年8月16日夕刻、西ジャワ州デポッ(Depok)市のとある病院駐車場に停まっている車の中で男女が不埒な行為に及んでいるのをパンチョランマス県デポッ町住民が目撃した。一組の男女は互いに上半身裸でもつれあっていたのだ。昼日中、人目も気にせずに不埒な行為に溺れているふたりに地元民は怒った。
住民たちはその車を取り囲むと中のふたりを誰何し、男のKTP(住民証明書)を取り上げた。男はイニシャルIP51歳で、デポッ市庁行政警察ユニット人材開発課長、女はイニシャルDJ、やはりデポッ市庁行政警察ユニットの役職者で経理係長だった。地元民がIPのKTPを取り上げたのはIPに謝罪させるのが目的で、謝罪すればKTPを返すと言明したにもかかわらずIPは謝罪に応じるフシがまったく見られず、反対にこの事件を示談で済ませよう、と言い出してきた。感情をこじらせた地元民が市庁行政警察ユニット長に事件を届け出たことからIPとDJの不品行が市庁行政警察ユニット職員の間に知れ渡り、数十人の職員が怒りに燃えて職場内で暴れるという行動に発展した。
2010年9月24日、デポッ市庁舎内の行政警察ユニットでは数十人の職員がアモックを起こし、IPの執務室表にかかっている名札を取り外すと火をつけた。自分たちの名誉ある職場の名前を不潔な行為で汚したふたりは即刻厳罰を与えられて追放されなければならない、との要求を市庁上層部に宛てて出し、そのバックアップとして賛同者の署名が集められた。
その日、IPは職場に電話してきて、病気なので休むと告げた。一方DJのほうも欠勤しているが、職場には何の音沙汰もない。


「女が殺す女好き」(2010年11月8〜19日)
最初に見つかったのは頭だった。ボゴール街道沿いを流れるカリバルの東ジャカルタ市クラマッジャティ郡カンプントゥガ町に設けられた水門に引っ掛かるゴミを川中から引き上げて地上のゴミために移すのが仕事のナフィズは2010年10月13日午前6時半に定例の作業を行い、いつものようにゴミ運搬トラックがやってくるのを待つつもりだった。ゴミためがいっぱいになるまでゴミさらえは数回行なわれる。一回目のゴミさらえを行なったあと、ゴミためにばらばらと散らばったゴミの中に人間の頭のようなものが混じっているのにナフィズは気付いた。「どうせマネキン人形の頭だぜ。」と同僚は言ったが、ふたりしてその場所からじっくりと耳を観察したとき、それが人間の頭であるという確信がふたりに生じた。ナフィズはすぐにクラマッジャティ警察署に通報した。警察が回収したその人間の頭は、顔面が激しく損傷しており、また後頭部も鈍器で割られていた。
そこから北に少し離れたクラマッジャティ郡チリリタン町のカリバル沿いの道路脇で客待ちをしていたオートバイオジェッ運転手のハキムは、「カリバルを死体が流れている」と言った通行人の言葉に即座に反応した。カリバルの下流に向かってオートバイを走らせ、チリリタン卸売りセンターに近い小橋のたもとで流れてくる死体を待ち受ける。しばらくしてから、川を流れるさまざまなゴミに混じって人間の大腿部が流れてきた。時間は午前8時半。ハキムはそれを拾い上げてクラマッジャティ警察署に届けた。
同じ日の午前10時半ごろ、チリリタン町でカリバルが支流に分岐するところに設けられたゴミ除け水門のゴミの中に肉片があるのを水門番が見つけた。ヤギか犬の屍骸の一部だろうと最初思った水門番が近寄って確認したところ人間の体の一部のように思えてきたため、水門番はクラマッジャティ署に通報した。その肉片は背中から肩にかけて切り取られた人間のものだった。
ゴミ漁りのデデンは10月13日朝8時ごろ、クラマッジャティ郡に南接するチラチャス郡ススカン町の道路脇に停まっているゴミ収集車の中を漁っているとき、米袋の中にビニール袋に包まれた解体肉のようなものがあるのに気付いた。大きさからして明らかに食用動物のものには見えない。デデンはすぐにそこから遠ざかった。一日の仕事を終えて帰宅したデデンは、朝見つけた異様なものが気になったので、隣組長に届け出た。デデンにはその包みを開いて中のものを確認する度胸がなかったが、隣組長は同行した者たちと一緒にそれを開いて中にあった人間の腹部と大腿部を確認し、16時過ぎにチラチャス警察署に通報した。
2010年10月13日、東ジャカルタ市クラマッジャティ郡とチラチャス郡の4ヶ所で発見された5つの人体の一部に続いて14日13時半ごろ、クラマッジャティ郡チリリタン町のカリバルにかかる橋のたもとの川流れゴミを漁っていたゴミ漁りのハサヌディンは人間の肉塊が入っている黒色ビニール袋に行き当たった。ちょうど尻が袋の裂け目から外に張り出していたため、それが人体の一部であることはすぐにわかった。ハサヌディンはその辺りにいた住民女性に悲鳴混じりの声でそれを告げ、半信半疑で近寄ったクルニアワティという女性も慌てて仲間の男性を呼び、呼ばれたアグスがその肉塊を拾い上げてクラマッジャティ署に届けた。「ゴミ漁りが突然悲鳴上げて呼ぶから、何なのと思って近寄ったら、バラバラ死体じゃない。ゴミ漁りもゲーゲー吐いてたし、あたしも一緒にゲーゲーよ。」クルニアワティは記者の取材に応じてそう話している。
そこで発見された6個目の人体の一部は腹部から背中にかけての胴体下部で、なぜかペニスが切り取られていた。
東ジャカルタ市警に集まってきたバラバラ死体は、頭・右大腿部・左上膊部・左腿上部・右上膊部・背中というように揃ってきた。頭・左腿・右上膊・背中はカリバルに流され、他の部分はチラチャスのゴミトラックの中から見つかった。それらはひとりの被害者のものであることが明らかになっており、東ジャカルタ市警はこのバラバラ死体殺人事件の捜査を進めることになった。
10月15日、被害者を特定するために東ジャカルタ市警はつぶされている顔の写真を撮り身体的特徴を添えて、バラバラ死体が発見された地区一帯でひとの集まりやすい場所を中心にそのビラを公開した。捜査本部の推定した被害者の身体的特徴は次のようになっている。
身長165〜173センチ
年齢35〜40歳
鼻の上両目の間と左耳の後にホクロ
髪は直毛で、短く刈上げられている
白髪混じりの薄い口ひげとあごひげがある
死後三日が経過していると思われる
東ジャカルタ市警犯罪捜査ユニット長はこの事件の犯人がプロフェッショナルさに欠けていると見て、被害者の日常生活が明らかになれば犯人の目星は容易につけることができるだろう、と語った。「プロならバラバラ死体をこんな風に安易にその辺にばら撒いたりしない。警察の目をくらますためにどこへ捨てるかを考える。」 ユニット長はこの事件が激情に呑まれて犯人が犯した事件ではないかと推測している。
センセーショナルなバラバラ死体殺人事件にはマスメディアの関心が集まり、失踪者が身内にいれば届け出るようにという警察のアドバイスに応じて「被害者の心当たりがある」という市民からの情報が東ジャカルタ市警に集まってきた。
中でももっとも有力だったのは、クラマッジャティ中央市場で商売をしているカンダル41歳が自分の実の兄カルヤディの失踪を警察に届け出たことだ。実兄のカルヤディ53歳はクラマッジャティ中央市場で補助警官の仕事をしているが、10月13日以降の消息がふっつり途絶えてしまった。カルヤディはチラチャス郡グドン町アングレッ通りに妻とその連れ子と三人で暮らしており、毎日クラマッジャティ郡カンプントゥガ町にある中央市場に通っている。ところが13日を過ぎてから兄の姿がどこにも見えなくなってしまった。妻のムリヤニ47歳に尋ねても、夫のカルヤディはビジネスの用があって2週間チアンジュルに出かけており、「用事が片付かないうちは帰れない。」と言っていたという話だけ。
カンダルの妻ヌルハヤティ34歳はムリヤニがカルヤディにこう啖呵を切ったのを耳にしている、と警察に供述している。
「もういい加減、女漁りは終わりにしなさい。妻を何人持てば気が済むの。これ以上妻を増やしたり、他の女に手を出したら許さないわよ。あたしにあんたを殺す度胸がないとでも思ってるの?」
顔が無惨につぶれている被害者の写真を見てカンダルは、兄のカルヤディに8割がた間違いない、と警察に証言した。警察はカルヤディの子供ビディンとエディを招いてDNA検査を行い、バラバラ死体との照合を行なうことにした。
被害者がクラマッジャティ中央市場で補助警官をしているカルヤディであったことが明らかになり、東ジャカルタ市警はカルヤディのこれまでの生活の全貌を調べ上げた。
1957年2月1日中部ジャワ州ドゥマッ生まれのカルヤディは地元で結婚したあと、最終的に単身で上京した。地方部の男たちはたいてい現金収入を求めてジャカルタへやってくる。最初から一家を挙げてやってくるケースは少なく、まず単身で様子見をする。そして生活が安定したら家族を呼び寄せるというステップになるが、生活が安定したころには別の相手と所帯を持っていたというのが少なくない。いま40歳のカルヤディの妻ムナワロはドゥマッで農業を営んでおり、カルヤディとムナワロの間にできたふたりの息子はそれぞれジャカルタに出てきている。
カルヤディは1998年に当時35歳のムリヤニとジャカルタで結婚した。ムリヤニは前夫との間の子供フィトリ・ミラントを連れ子にしてカルヤディとの暮らしに入ったが、カルヤディとムリヤニとの間に子供はできなかった。
その後2006年3月、カルヤディは当時31歳のタティ・スサンティと結婚した。クラマッジャティ郡カンプントゥガ町バハギア小路の狭い借家がふたりの甘いスイートホームになったが、カルヤディは毎晩タティのもとに帰ってくるわけでもなかった。ふたりの間には2007年2月に長男のアルバッが生まれ、2010年5月には長女のサンディが生まれた。
そして10月13日以来、カルヤディは姿を消した。クラマッジャティ中央市場に行けば必ず会えた夫はそこへも姿を見せなくなり、消息を知る者すらおらず、そして地元でバラバラ死体が発見されたニュースにタティはもしやとの懸念を抱いてクラマッジャティ警察を訪れた。
人妻のムリヤニにカルヤディが近付いたのは十数年前のことだ。勝気なムリヤニを優しく受け止めてくれるカルヤディにムリヤニは好感を持った。親しさが深まってきたある日、カルヤディはムリヤニに言った。
「あんたはあの旦那と一緒ではしあわせになれない。離婚してオレと暮らそう。必ずしあわせにしてやるよ。」
そのときからムリヤニの迷いが始まった。ムリヤニの心は結局カルヤディになびいてしまい、夫と正式に別れてカルヤディと結婚した。前夫との間にできたふたりの子供のうちの下の子フィトリ・ミラントを連れての再婚だった。上の子は前夫が引き取っていまボヨラリで暮らしている。
ムリヤニがカルヤディの普段の素行を知らなかったわけではない。自分の周囲の人間にはたいへん優しく接するカルヤディだが、女好きで気に入った女ができると自分のものにしようとモーションをかけるし、バクチ好きで負けたときの金ねだりと勝ったときの他人への大盤振る舞いはムリヤニが顔をしかめるふたつの鬼門だった。
ムリヤニが結婚する前からカルヤディの悪行に予防線を張ったのは言うまでもない。そのときもカルヤディは「おまえ以外の女には目もくれない」と約束したし、ムリヤニが夫とタティの関係を知って裏切られたことをなじったときにも「もうこれで終わりだ」と約束したが、それらはすべてその場逃れの言葉にすぎなかった。
自分の知らないところでカルヤディがタティと結婚したのを怒ったムリヤニも、カルヤディとタティが作った家庭を壊そうとまではしなかったようだ。できてしまったことは仕方ないという諦めは、二度と同じようなことをしたら絶対許さない、という意志を固めさせる方向に作用したにちがいない。ムリヤニにとって、「もうこれで終わりだ」というカルヤディの言葉は将来に向けて自分たちの関係を保証する証文だったのではあるまいか。
ところがタティとの結婚から4年後、カルヤディがクラマッジャティ中央市場の近辺に住む寡婦とまた結婚していたことが発覚した。さらにまた別の女を妻にしようとしてアプローチしていたことも。ムリヤニの心は決意の実践に向かって動き出していた。
タティ・スサンティはケータリング業者で働いていた。ほとんど毎日クラマッジャティ中央市場への配達がある。市場の警備と秩序維持をあずかる補助警官と顔見知りになるのに時間はかからなかった。
カルヤディはタティに惹かれたようだった。親子ほど年齢は離れていても、それを感じさせないカルヤディにタティは好感を持った。親密さが増したころ、カルヤディはタティをデートに誘うようになった。1年以上そんな関係が続いてから、カルヤディがタティに結婚を申し込んだ。第一妻は中部ジャワ州ドゥマッにいるが、第二妻を持ってよいという了承を得ている、とカルヤディはタティを説得する。タティも包容力のあるカルヤディに人生の夢を託した。
2006年3月、ささやかな結婚式が行なわれてクラマッジャティ郡カンプントゥガ町バハギア小路の狭い借家が新居となった。そして翌年2月に長男が誕生する。最初の子供が生まれる前、カルヤディが「実は・・・」とタティに打ち明けたのは、タティは第二妻でなく第三妻であり、第二妻はチラチャス郡グドン町アングレッ通りに住んでいるムリヤニである、ということだった。
臨月近いタティにとってそれは諦めて受け入れるしかない事実であり、裏切られた思いがタティの心の奥底に根をおろした。タティの心は少しずつカルヤディから離れはじめた。
子煩悩なカルヤディはアルバッと名付けた長男と遊ぶためによくバハギア小路のタティの借家にやってきたが、来るのは昼間だけで夜そこに泊まることはほとんどなかった。夜はチラチャス郡グドン町アングレッ通りのムリヤニの借家に帰って行くようだ。妻とは名ばかりのその境遇にタティは不満で、カルヤディに「夜も泊まっていってよ」と甘えたもののカルヤディは吐き捨てるように「おまえ、面倒を起こさせるなよな」と返事してタティを強く失望させている。タティはカルヤディがムリヤニを怖れているという印象を持った。
ムリヤニがタティの借家を訪れたことが一度ある。カルヤディがアルバッと遊んでいるとき、ジャワ人女性がタティの家にカルヤディを尋ねてきた。盗まれたオートバイのSTNK(自動車番号証明書)手続を頼むためにカルヤデイを探しにきたその女性はタティの家の中でカルヤディと話をしたが、会話がジャワ語だったためタティはその内容が理解できなかった。その女性が帰り、カルヤディもタティの借家を去ってから、隣人にさっきの女性は第二妻のムリヤニだったと言われてタティははじめて第三妻という自分の立場を思い知った。そのときタティは二人目の子供を腹に宿していた。
カルヤディの足は更にタティから遠のき、二人目の子供サンディが生まれたときも、カルヤディは出産費用をひとに託して持ってこさせただけで、一度も顔を出そうとしなかった。サンディは父親に抱かれたことがない、とタティは言う。
2010年10月11日の夜、東ジャカルタ市チラチャス郡グドン町アングレッ通りのムリヤニの借家に帰ってきたカルヤディは客間でテレビを見ながらソファーで眠り込んでしまった。スカルノハッタ空港の警備員をしているフィトリ・ミラントは恋人の家にお勤めで、自宅に帰ってこない。
12日午前5時半、ムリヤニはメロンと綽名される緑色に塗られた3キロ入りプロパンガスボンベを手にして台所から客間に出てきた。そしてそれを眠っているカルヤディの頭に振るったのだ。
頭蓋骨を割られて息絶え絶えのカルヤディをムリヤニは浴室に引きずり込んだ。そして台所の包丁でカルヤディの頭を切り離した。そうしておいてから、その日仕事に出かけるときにその頭だけをビニール袋に入れて持ち出し、カリバルの水流の中に投げ込んだのだ。頭のないカルヤディの死体は浴室でムリヤニの帰りを終日待っていた。
毎日東ジャカルタ市チジャントン市場で果物を売っているムリヤニはいつものように仕事を終えて19時に帰宅し、そうしてカルヤディの死体を解体し始めた。およそ一時間後にカルヤディの体は全部で14個に解体された。14個にも切り分けられたバラバラ死体はインドネシア犯罪史上ではじめてのことらしい。
カルヤディの手と足そして解体に使った包丁はチラチャスのゴミ捨て場に捨てた。胸・腹・腿・ペニスはカリバルに投じられた。
被害者がカルヤディであることが判明してから、東ジャカルタ市警はカルヤディの親族を呼んで事情聴取した。ムリヤニも呼ばれて質問攻めにあったが、ムリヤニはシラを切りとおした。しかしカルヤディの人間相関図からは、ムリヤニをホンボシとする情況が明らかに見てとれたのである。
2010年10月18日23時、東ジャカルタ市警捜査員はチラチャス郡グドン町アングレッ通りのムリヤニの借家を訪れて、ムリヤニを殺人容疑で逮捕した。その家の家宅捜索が行なわれ、3キロ入りプロパンガスボンベ、ビニールシート、犯行当時ムリヤニが着ていた衣服などが証拠品として押収された。死体をバラバラに切り分けるために使われた包丁はついに発見されなかった。
ムリヤニの取調べが開始され、ほどなくムリヤニは犯行を認めた。犯行の動機はカルヤディが自分に嘘をつき続けていたことに対する怒りだった。第二妻の自分に約束した「もう妻を作らない」という言葉を反故にして妻を四人作り、さらにもうひとりを妻にしようとしていたことへの不信と憎しみがムリヤニに血も凍るような犯行を行なわせた原因だったのである。
複数の妻を持てば、夫は複数の家庭を成り立たせるために巨額の収入を必要とする。しかし補助警官の報酬とチャロビジネスでカルヤディが手に入れた収入がムリヤニの手に渡されたことはほとんどなかった。自分の収入はバクチと自分の日々の行動のために使い、金が底をつくとムリヤニに金をせびるのが普通だった。パサルで果物を売って自分の生活を成り立たせているムリヤニにとって、夫が無心する金が別の女の生活を維持させるために使われるという事態は決して許すことのできないものだったにちがいない。
バラバラ死体殺人事件の被害者が義父、そして殺人犯が実の母であることが明らかになったとき、フィトリ・ミラントは奈落の底に落ちていく失墜感を味わった。
「とうさんはかあさんを欺いていた。オレだってだまされていた。とうさんがほかの女と結婚してよそで所帯を作っていたなんて、オレもかあさんも知らなかった。うちの生計を成り立たせていたのはかあさんで、とうさんが生活費を出したことはほとんどない。だからかあさんが怒るのは当たり前だ。とうさんは優しくて、よく遊んでくれた。中学生のころからこのとうさんを実の父親のように思ってきた。オレはとうさんもかあさんも好きだった。」
ムリヤニがバラバラ死体の一部をカリバルに捨てたときは、ビニール袋を手に提げて徒歩でカリバルに往復したが、チラチャスのゴミ捨て場に捨てたときは乗合い小型バスアンコッに載って行った。2008年9月29日15時半ごろ、ジャティヌガラのブカシ街道を通っていたマヤサリバクティ社の大型乗合いバスの中で、ふたつのビニール袋に入っているバラバラ死体が発見された。右上膊部に虎の刺青がある男の死体で、全身は13個に解体されていた。この事件の被害者はまだ判明しておらず、捜査は完全に行き詰まっており、迷宮入りになる可能性が高い。 街中で公共運送機関を利用するさい、隣り合わせた乗客が持っているビニール袋の中にバラバラ死体の一部が入っていないとだれが保証できるだろうか?


「工場実習から戻った女子高生に妊娠テスト」(2010年11月30日・12月1日)
マグタン(Magetan)国立第1職業高校11年生の3百人を超える女子生徒に対し、学校と市保健局が妊娠テストを行なった。工場実習を終えた生徒に対して行なわれた妊娠テストは尿検査の形で実施されたものだが、学校側は生徒にその尿検査が妊娠テストを目的にしたものであることを明確に説明しないまま実施された。
校長はその妊娠テスト実施について、これは生徒のふしだらな行為を予防することを目的にしており、同時に高校生という立場でありながら生徒たちがフリーセックスに走るのを防止することも目的にしている、と説明した。「このテストは生徒に対するキャラクター教育の成功度合いを測定するモノサシである。もし全員が陰性であれば、本校が生徒に与えているキャラクター教育、言い換えるならモラル教育は成功だったと言うことができる。もしテスト結果が陽性の生徒が出たら、その生徒には特別の指導育成を学校が施すことになる。女子生徒は本校生徒である限り、妊娠することは絶対禁止だ。」
工場実習を終えた女子生徒たちはいくつかのグループに分けられて尿を持参するよう言いつけられ、持参した尿は市保健局が妊娠テスターを使って検査を行なった。市保健局から学校への結果報告は、全員が陰性となっている。
このニュースが流れた途端、国内の女権活動家や人権オブザーバーたちから猛烈な批判が飛び出した。本人の承諾を得ないで頭ごなしの権力行動をモラルの名で行なったその行為は、教育を受ける権利と保健、特に生殖に関する保健の保証を得る国民の権利を政府に深く認識させようとしている時代の流れに完全に逆行するものだ、という批判が。
女子生徒に対して行なわれたその妊娠テストは女性を疑惑の目で見る先入観とジェンダー差別の塊である、とコメントしたのは女性活力化児童保護大臣。
女権活動家はそのコメントに対して「男女間の優位劣位が偏っているために、娘たちが性行為を誘われたときにそれを拒む力を十分に持っていないということがどうして意識にのぼらないのか?女性がヴァギナと妊娠能力を持っているがために、どうして生理的状態がどうかということにもとづいて断罪しようとするのか?」と言い添えた。
婚外妊娠や望まない妊娠の被害者になった女性の汚辱に対する恐怖はかの女たちを安全でない妊娠中絶に向かわせ、妊婦死亡者の11%のひとりにしているという、基本的人権としての健康な生殖への権利に関するアムネスティ・インターナショナル報告の例証に、上のマグタン第1職業高校の事例はぴったりあてはまるものであり、女性被害者を犯罪者にしている現行法規や世間のならわしは公正さを求める被害者たちにすべての扉を閉ざしている、と大臣は強調している。
妊娠テストはモラルをはかるモノサシにならない。健康な生殖に関する教育と倫理道徳に関する教育が学校と家庭で行なわれることがそのモノサシを形成する。学校で性教育を行なわず、本人の承諾なしに妊娠テストを行い、妊娠した生徒を放校するようなことは、基本的人権に違反している。校長のあのような行為と発言は、女が問題のタネであり罰を与えなければならない、という家父長イデオロギーに基づくものだ。
「妊娠した娘は犠牲者だということにどうして気がつかないのか?かの女たちは性教育をタブー視している親、健康な生殖について教えようとしない学校と教師、そして若者の生殖保健情報とサービスへのアクセスを用意しない国の犠牲者だ。」国家政策としての家族計画に関わっている女医は、もっと厳しいコメントを上のように語っている。


「手に負えない女の愛し方」(2010年12月15〜20日)
イナ17歳が母親のトゥティ・ウィダヤティ38歳に会いに中部ジャワ州マグラン県ブリギン村デルモ部落を訪れたとき、母の再婚相手ウィディ・ウィダヤッ55歳通称ダヤッは「トゥティは用事で出かけており、今日は帰ってこないから、別の日にしろ」と言ってイナを追い返した。ダヤッとトゥティがふたりで住んでいる借室に入ることもダヤッは許さなかった。
翌日また同じことが繰り返され、イナの不審はいやが上にも強まった。そして2010年11月30日、イナが母の住んでいる借室にまたやってきたとき、そこにはまったくひとけがなかった。州間長距離バス会社ラマヤナの予備運転手である義父のダヤッはそのときジャカルタに向けてバスを走らせていたのだ。
イナはその借室の隣人たちに扉をあけて欲しいと頼んだ。母親が行方不明になっている。隣人たちは仕方なくダヤッの部屋の扉を打ち破った。イナひとりが中に入る。母が行方不明になっていることのヒントが何か見つかるかも知れない。借室内を調べまわったイナは台所にあるバケツと鍋の中味を見た。イナの血が凍りつき、思わず甲高い悲鳴が口からほとばしった。隣人たちがばらばらとその借室内に駆け込んできて、イナの近くに集まった。そしてイナが慟哭しながら指差しているところに視線を集め、それから目をむいた。バケツと鍋の中にはイナが開いたと思われるビニール袋があり、人間の体の一部が切り取られてそこに入っている。イナの母親の頭もそこにあった。
2010年11月27日の夜、長距離バスを運転して帰宅したダヤッにトゥティがしなだれかかった。「ねえ、待ってたんだから、あたしを可愛がってよ。」とダヤッの身体をまさぐる。
しかしダヤッは妻を突き放した。「おりゃあ疲れてるんだ。その前にちょっと寝させてくれや。」
乾ききった体の火照りを癒せないトゥティの罵詈雑言がダヤッに浴びせかけられたが、ダヤッは顔をしかめただけでベッドに転がった。
翌朝、目覚めたダヤッにうつらうつらしただけのトゥティがモーションをかけるが、ダヤッは飯を食ってからだ、とまたトゥティをいなす。トゥティの怒りは頂点に達してオトコの能力を散々に貶し、妻を心身ともに満たす義務を果たさない夫は妻の不倫を責める資格はない、と罵った。
「おめえはいつ不倫したんだ!」
「あんたが仕事に出てるとき、ほれ、そのベッドで・・・・」
トゥティを自分だけのものにしておきたいほど愛していたダヤッは、その気持ちに煮え湯を浴びせたトゥティに対して怒りを爆発させた。ダヤッは砥石を手にしてトゥティの頭を三度殴り、トゥティは床に転がった。
数時間たって怒りのさめたダヤッは、いつまでも起き上がってこない妻に不安を感じて近寄った。なんとトゥティは事切れていたのだ。砥石はトゥティのこめかみに命中していた。
ダヤッは悔やんだものの、もう後の祭り。ダヤッは妻の死体をばらばらに切り刻んだ。頭・胸・左足・臀部そしていくつかの骨はビニール袋に分けて入れ、台所のバケツと鍋の中に置いた。手の骨はビニールパイプの中に入れた。太腿・手・右足はその日の夜中にパブラン川に持って行って投げ込んだ。そんな状態でダヤッは数日借室にこもり、やってきたイナを部屋の中に入れないよう努めた。
しかし仕事には出なければならない。マグラン〜ジャカルタ間長距離バスを走らせているとき、イナが変わり果てた母親の姿を見つけたのだ。隣人たちはすぐにムンティラン警察署に通報した。
中部ジャワ州警察は11月30日夜、プマランでバスを走らせていたダヤッを逮捕した。取調べに対してダヤッは、やってしまったことをとても悔やんでおり、バスを走らせている間ずっと妻の霊のために祈っていたと自供している。バケツと鍋の中味についてダヤッは、思い出のために残しておこうと考えていた、と語っている。


「爺さんは浮気者」(2011年1月29日・2月7日)
E夫人の見解によれば、夫に先立たれた老齢の妻は独り身を守って余生を過ごすひとが大半であるのに対し、妻に先立たれた老齢の夫はたいていが亡妻よりもはるかに若い新しい妻を持つようになるケースが多く、亡き愛妻の思い出をしっかりと心に刻んで男やもめを通そうとしない。これはやはり男のほうが生来の浮気者であり、女に対して抱く誠意あるいは操の濃度が女の場合よりはるかに薄いことを表わしているのではないか、という質問を精神分析医アグスティヌ・ドウィプトリに投げかけた。E夫人の投書はこんな内容だ。
わたしは数人の孫を持つお婆さんで、夫とふたりで暮らしており、金婚式の祝いも済ましています。二人暮しとはいえ、女中を使っており、わたしの年齢はご推察の通り70歳台なのです。子供たちはそれぞれが一家を構えており、わたしたち夫婦は子供たちの一家と定期的に行き来しています。骨粗鬆症・コレステロール・心臓など健康に関すること以外、特に問題というほどのものはありません。
わたしたちは、楽しいプログラムを欠かしたことがありません。同じような老人たちが毎月一度集まってパーティを開くのです。まあ内容はアリサンなのですけれど、集まる仲間は夫が若いころから親交のあった会社の同僚や友人たちで、ときには揃ってピクニックに行ったりあるいはスポーツをしたりして楽しんでいます。そんな仲間たちが、ひとり、またひとり、と不帰の客になっていくのも、年齢の故でしょう。
そんな中で興味深い現象が観察されています。相愛のご夫婦のうちで奥さんに先立たれた男性は、一年ほど経過してから新しい奥さんをこの集いに連れてくるひとが少なくありません。一方、夫に先立たれた女性の場合は、それから何年経とうが新しい夫を連れてくることなどありません。
妻に先立たれた夫はその直後、強い悲哀と恋慕の感情を全身から滲み出させていたにもかかわらず、一年過ぎればもう新しいずっと若い妻を得て人生を再スタートさせ、前の妻のことなどおくびにも出しません。老齢の男たちはそれほどまで容易に愛し合っていた妻を忘れてしまえるものなのか、わたしには合点がいきません。男性というのは生来移り気で不誠実な心理を持つものなのですね?
その投書に対してアグスティヌ・ドウィプトリ精神分析医は、老齢の男女が持つビヘイビヤの背景とその文化的影響について次のように説明した。
E夫人の質問にお答えする前に、老齢者に関するいくつかのポイントを見ておきましょう。WHOのデータによれば、世界の女性平均余命は男性より8年長いとされています。老齢の女性が男性より多い秘密はそこに関わっています。女性は一般的に自分より年上の男性と結婚するので、夫に先立たれる女性の数が男性より圧倒的に多くなります。老齢の女性と再婚しようという近い世代の男性はきわめて少ないのです。
それに加えて社会が慣習として構成員に幼い頃から条件付けてきたジェンダー役割行動も影響を及ぼしています。ジャネット・ハイドは2007年に、性的行為は異性パートナーを惹き寄せて自分の下にとどまらせるための方法であり、それゆえに女性は男性の性衝動をやわらげ統御しなければならないのだという理解を若い女性は持たされている、と書きました。女性は男性パートナーの性的欲求を満たすときだけ性行為に関与し、女性自身の性的欲求は斟酌の必要がないものとされていたのです。若い世代では「セックスする」というのは男性の目的になり、女性は「セックスを避ける」ことを要求されつつも男性の気を惹きつけるべく容姿態度に配慮するよう条件付けられてきました。その結果、男性にふさわしい振舞いや女性らしいビヘイビヤといったステレオタイプが続々と作られたのです。そのため女性が自分よりずっと年齢の低い男性を結婚相手に選んだら、「ふさわしくない」「規範から外れている」などという批判が投げかけられました。
性行為についても、男女間でダブルスタンダードが生まれました。若い男性が性行為を体験すると、大人になったという言葉が与えられ、世間のステータスが高まりますが、未婚女性が性行為を体験した場合、かの女は世間から見下げられ、世間からの尊敬が失われて劣悪な人間というレッテルが貼られます。
高年の世代では、白髪の男性は世間の荒波を歩んできた安定した力を持つ人間と見られて世間一般から見上げられるのですが、中高年女性で自尊自立の人間と見られるひとは稀で、年寄り・キズモノ・デブなどといった要素のために男性の性的視点からは魅力のない者と見なされます。
さて、ジャネット・ハイドは老齢の男女についてこう書いています。夫婦で相手に先立たれたカップルは、最初の数年間、男女共に伴侶を失った悲哀を全身で表現しますが、気持ちが落ち着いてくると過去に条件付けられていたジェンダー行動の差が出現してくるのだ、と。妻に仕えられ世話されてきた夫にとって妻に先立たれての独身生活は、そうでない男性よりはるかにたいへんで苦しいものになります。周辺にいるひとびとも早く後妻を迎えるように勧めるのが普通です。いずれにせよ伴侶の一方を失った男性にとって、その暮らしが女性よりずっとつらいものであるのは、抑鬱症・罹病・後追い死などの多さではかることができるでしょう。女性が男性に比べて異なっている点は、女性は夫に先立たれても自分がこれまで築いてきた友人仲間との深い人間関係に支えられるところにあります。女性は習慣的に男性よりも広範な社会ネットワークを持つのが普通です。別の要素としては、女性は服喪の期間に自分の感情を積極的に吐露するため、短期間に自分の情緒を復元させて新たな状況に適応していけるということも考えられます。加えて自分と同じような夫に先立たれた老齢女性が少なくないため、相憐れむべき同病仲間に事欠かず、それが新たな人間関係のネットワークを広げていくのに役立ちます。
だから問題は、男性の側の愛情の質量や貞操観念などといったことにあるのではなく、老齢になって起こった独身生活を維持していくための条件が男性には順風でないということなのです。老齢のみなさんにとって、この説明が啓蒙の役割を果たせることを願っています。


「ジョド」(2011年3月23日)
インドネシア語jodohの定義を言語センターインドネシア語大辞典(KBBI)第四版では、「夫あるいは妻となるのにふさわしい人」あるいは「伴侶」としている。昔、家の観念が強かった日本では、家父長が娘の結婚相手を決めていた。ファミリー主義のインドネシアでもごく最近までは同じようなことが行なわれていた。最近は娘本人が探してきた相手との結婚を大ファミリーの承認を得て行なうという形が一般的になって来ているようだ。それにしても娘の結婚がまずファミリーの問題とされているインドネシアでは、日本のように本人同士の問題として片付けられない面がたいへん多い。結婚するカップルにとっては依然としてふたつのファミリーが結合するための接合部あるいは糊しろという役目が強く、たとえ結婚したからといって、夫も妻も自分が代表している自分のファミリーへの心的傾斜が未婚時代のものから変化することはほとんどないように見える。要するに、帰属意識の問題として、結婚したとしても自分のファミリーが自分にとっての寄る辺であり、最重要価値を持っているのだということなのである。その例として、インドネシア人と結婚した日本人の夫あるいは妻がよく言及する、伴侶の側の人間がしょっちゅう夫婦の生活に関与あるいは接触してくるという問題を指摘すればご理解いただけるのではあるまいか。ファミリー主義というのはそこまで徹底しているのだという理解をわれわれは持つべきだろう。
2011年2月16〜18日にコンパス紙R&Dが724人の回答者から集めた統計によれば、今や親を含めて他人に伴侶を探してもらうという時代ではなくなっていることが明白に読み取れる。
質問1) あなたはだれかがジョドを引き合わせてくれることを受け入れますか?
回答) 受け入れる 19.6%、 様子を見た上で 27.9%、 受け入れない 51.1%、 わからない 1.4%
質問2) 今の時代のジョド探しの難易は?
回答) 簡単 29.7%、 難しい 14.4%、 普通 53.3%、 わからない 2.6%


「売れない女と言われてなるものか!」(2011年4月19〜21日)
2011年1月から2月中旬までの6週間に、都内で発見された胎児あるいは新生児の遺体は12体にのぼった。その12体はすべて公共エリアで発見されたもので、6体は川や水路、他の6体は住宅地区・キャンパス表・道路脇などさまざまな場所で見つかっている。発見され警察に通報されたそれらの遺体は、回収されてチプトマグンクスモ病院に送られ、検死措置を経てから病院側によって埋葬された。新生児はたいてい生後ひと月未満で、生まれてほどなくその親が捨てたものと推測される。胎児は4ヶ月ていど。
婚前性交は昔から盛んであり、性教育がほとんど実施されていなかったインドネシアでは避妊にまつわる迷信も数多く、結果的に妊娠、そして不法堕胎医の手術を受けるという道を歩む若い娘は多数にのぼり、処理された胎児は普通不法堕胎医が後始末するのが通例だったため、抹殺された赤児ひとりが3.8日おきに公共エリアで見つかるというのは異常事態という雰囲気を都民の間にかもし出している。
インドネシア大学女性社会学者のひとりはこの事態について、青年女性・ヤングミス階層が置かれている社会的状況がその現象の根底にあると分析する。
「かの女たちは独自のサブカルチャーの一部と化しています。若い女性たちの間で異性とのカップル形成とフリーセックスは、そこに発生するリスクをも含めて一層オープンに受け入れられています。それをまるごと受け入れているトレンド派の外にいる青年女性たちでさえ、まるでふたつの世界に住んでいると言えます。異性のカップル相手、つまり恋人がいない娘は、世間から売れない女だという目で見られるため、恋人にフラれることを極度に恐れるのです。そこでは恋人が社会ステータスのシンボルとされています。だからボーイフレンドがかの女の性を要求し、『従わなければさよならだ』と威嚇すれば、娘は容易に負けてしまいます。一方、婚前妊娠は社会が恥ずべきものという烙印を捺し、学校も妊娠した生徒を放校処分にしています。ところがほとんどのケースで、かの女を妊娠させた男には何の措置も取られません。男女のカップル形成時期は長期化する傾向にあります。カップル形成の若年化が進んでおり、中学生くらいから大学そして就職までの間、異性とのカップルの中で成長していくのです。そんな異性とのカップルが恋愛感情の緊密さを高めたあげくセックスに向かうのは自然な流れだと言えるでしょう。わたしの行なった調査によれば、ボーイフレンドにフラれた若者女性のほとんどは、性行為を拒絶したためであることが判明しています。一方、性行為に入っていったカップルの多くも、フリーセックスがもたらすリスクへの理解はわずかしか持っていません。その結果、かの女たちは婚外妊娠やHIV/エイズ罹患という難題に直面するのです。この状況を抜本的に防止するのは、家庭やコミュニティが真正面から取り組まないかぎり、不可能でしょう。」
女性保護国家コミッション長官は胎児や新生児の死体遺棄あるいは養育放棄多発に関して、さまざまなファクターが考えられるが、そのひとつとして子供の両親が自分の子供を育てる経済力を持っていないためだろう、と指摘する。その状況にフラストレーションを抱き、そこから解放されるための近道として子供の死を選択している。別の要素としては、若者の異性交遊の自由度がどんどん進み、若者の行動に対する親の監督がそれに反比例して緩んでいることがあげられる。「多忙な親が若者の日常生活から離れていく。それが若者の心理や感情に空白をもたらす。その結果、若者はともだちを求める。日常生活に特定のアクティビティを持たない若者はなおさらだ。そうして若者は自由交際に向かい、臨まざる妊娠を引き受けることになる。」
世の中には、正式婚姻を経ないで生まれた赤児は恥をもたらすという観念がいまだに根を張っている。だから近道をその対策に選ぶ人間も数多い。その裏側には、人間と生命の尊厳を尊重する感覚が下降しているという要素があり、新生児や胎児の生命を奪うことへの憚りの気持ちはきわめて薄い。インドネシア社会が内包しているさまざまな要因がその現象を引き起こしているのだという理解を持ってこの問題にアプローチしなければ、状況を改善させることはむつかしい、と長官は語っている。


「フリスカが仮面を脱いだ日」(2011年4月22〜28日)
フェイスブックで知り合ったスチュワーデスのフリスカ・アナタシャ・オクタビアニ20歳と交際をはじめて2ヵ月後、かの女に惚れこんだムハンマッ・ウマル32歳は憧れの女性を口説き落として結婚するのに成功した。婚姻は2010年9月19日にブカシ県ジャティアシの宗教役所(KUA)で行なわれた。そしてふたりは甘い新婚生活に入ったのだが、悲劇的な結末がムハンマッを待ち受けていたのを、恋に盲目にされたかれは夢想だにしなかったにちがいない。
交際期間中も律儀にイスラムの教えを守ったムハンマッはフリスカの気持ちを大事にし、フリスカの身体に触れることを意識して避けた。フリスカ自身が、相手の男がなれなれしく自分の身体に触れてくるのを拒む慎ましやかさを示したことも影響している。しかしフリスカはムハンマッに心底から頼る姿勢を見せ、これまでの人生で得られなかった大きな安心感に包まれている幸福な気持ちをムハンマッにあからさまに示していたことがムハンマッのフリスカへの恋愛感情をいやが上にも高める結果をもたらした。フリスカは常に頭部を覆うクルドゥンをかぶり、ムスリマ衣装を身に着けて身体の線の輪郭をあからさまにせず、ムハンマッに甘え、かれの存在を自分の支えにした。そうしてムハンマッの待ちに待った結婚初夜がやってきた。
新婚初夜、フリスカは夫のモーションを巧みに避けてかれの出鼻を挫いた。「今日は疲れてるし、身体の具合が悪いの。」と新妻が防御体制に入れば、「せっかくこのために結婚したのに。」と無理強いするのも夫には難しい。フリスカはまた、「わたし、明るいと眠れないの。」と言って寝室を真っ暗にするよう夫に求めた。夫は愛しいフリスカのそんな頼みをすぐに受け入れた。
しかし毎晩おあずけを食わされてはムハンマッもたまらない。フリスカを説得してついに夫婦の営みの実践を承諾させ、真っ暗にした寝室で薄化粧したフリスカを迎えたが、裸にされたフリスカは俯けになると夫の一物をヴァギナでない場所に迎え入れた。ムハンマッがそれをどう意味付けたのかはよくわからない。ともあれ、破局が訪れるまで夫婦の夜の営みはそんな形で続けられた。
女は女同士という言葉がある。強いジェンダー格差が根底をなしている文化では、男と女はまるで異なる世界に住んでいる。それだけ男同士女同士の親近感は何がなくとも強いものになる。夫が仕事に出かけたあと、町内に残った女たちは男の混じらないソサエティを作る。新参のフリスカをそのソサエティに受け入れようと誘った近所の夫人たちは、フリスカが自分たちにあまり親近感を持たないのを怪訝に感じた。上っ面の交際はするものの皮相的でしかなく、交友を育む必須条件である自分の身の上話や自分が持っている社会ネットワークを新しい仲間に紹介するというようなことはほとんどしない。そして時おり感情的になった際にフリスカが示す男っぽいしぐさや物言いを近所の夫人たちは敏感に嗅ぎ取っていた。
ある日曜日、ムハンマッが煙草を買いに家を出たとき、気心の合う隣人サルトノがかれを呼びとめて家に寄って行くよう誘った。ムハンマッがサルトノ宅に入るとサルトノ夫人が出てきて、夫婦でフリスカの話を持ち出した。特にサルトノ夫人は女の直感だと前置きしながら、フリスカは本当に女なのかとムハンマッに鋭く問うたから、フリスカへの恋に溺れてしゃがみこんでいたムハンマッの理性が突然立ち上がった。女だと信じ込んで結婚までし、妻として共同生活しているその相手が本当に女かどうか?ムハンマッがこれまで立っていた足元が大きく揺らいだ。そう言われてみれば、不審なことは少なくない。
煙草を買って帰宅したムハンマッは愛しいフリスカにサルトノ夫婦の家に寄ってきたことを話し、近所の夫人たちがおまえを本当に女がどうか疑っているから、ここはひとつそれを証明する必要があるねえ、と医療クリニックで性別鑑定を受けるようフリスカを説得した。ムハンマッは仕事の都合をつけて別の日にフリスカをボゴール県グヌンプトリ郡のクリニックに連れて行った。診察室から出てきたフリスカは、「診断書は明日できるから、あしたわたしだけでまたここへ取りに来るわ。」とムハンマッに言い、ふたりで帰宅した。翌日の夜、帰宅したムハンマッにフリスカは一枚の診断書を示した。その診断書にはフリスカ・アナタシャ・オクタビアニの性別が女であると明記されていたのでムハンマッはホッとし、じゃあこれを今すぐサルトノ夫人に見せて町内に流れているおまえについての変な噂を打ち消してもらおうとフリスカに告げ、ひとりでサルトノ家に向かった。
その診断書を預けられたサルトノ夫人の疑念は依然晴れなかった。女の直感がその一枚の紙を信用できないものだと告げている。
翌朝サルトノ夫人は町内コミュニティにその件を諮った。グヌンプトリに親類が住んでいる仲間のひとりが、「じゃあ明日、わたし親類に用事があるから、ついでにそのクリニックへ行って裏を取ってくるわね。」と調査を引き受けた。
その翌日の夜、その仲間の夫人がサルトノ宅に夫人をたずね、その診断書が偽造されたものであり、クリニックが当日本人に渡したのとは内容が違うことを胸を張って報告した。フリスカはそんな動きが陰で行なわれていることにまったく気付いていなかった。
そしてまた次の日曜日、ムハンマッはサルトノの家に呼ばれた。一部始終を聞かされたあと、ムハンマッは深くうなだれて考え込んでしまった。サルトノ夫婦の追い討ちは続く。「なあマッ、ここまで物事がはっきりしてくりゃあ、あんたも白黒をはっきりつけなきゃ寝覚めが悪かろう。あんたが心から可愛がっている愛しいフリスカのあそこがどうなってるか、はっきり自分の目で確かめなきゃ。」
苦悩にがんじがらめにされたムハンマッは帰宅するとフリスカに事の次第を話し、自分が女であることを示して見せるようフリスカに迫った。フリスカの涙顔に痛む心を励まして、ムハンマッはもう一歩も退けない自分の心境をフリスカにぶつけた。そしてフリスカは自分の心の支えだった夫ムハンマッにすべてを明かしたのである。
2011年3月30日、ムハンマッは隣人に付き添われてブカシ警察ジャティアシ署に妻フリスカを訴えた。自分の本当のアイデンティティを隠してムハンマッを欺いたというのが訴えの内容で、その訴えに応じてジャティアシ署は3月31日にフリスカを逮捕した。警察の取調べにフリスカは、自分は本名ラフマッ・スリスティヨで男性であることを自供し、フリスカとして生きるために出生証明書・住民証明書・家族登録書などをフリスカ・アナタシャ・オクタビアニ名で偽造していたことを明らかにした。
ムハンマッを欺いたことについてフリスカは、幼い頃から崩壊した家庭の中で育ち、ジェンダーアイデンティティの錯乱とそのために世間から指弾されることに悩み、心のやすまる日がなかった自分がムハンマッに出会ってはじめて大きな安らぎを得ることができたことを取調官に物語り、自分の幸福を求めるあまりあのひとを欺く結果になってしまった、と泣き崩れていた。
警察は公文書偽造の罪でフリスカを送検する意向で、その罪に対する最高刑は入獄7年となっている。


「夢と男に欺かれた少女」(2011年6月13〜18日)
2011年4月20日15時半ごろ、ボゴール県タナサレアル郡スカレスミ町もあるヌルクバモスクの表テラスに大きいダンボール箱が置かれているのを不審に思った住民が警察に通報した。折りしも4月15日にチレボン警察署内モスクで自爆テロが発生したばかりのこととて、住民たちの頭の中で即座にその異様な状況が爆弾に結び付けられたようだ。
警察に届け出たのは地元RW(字長)で、住民の中にはその日正午前後にそのダンボール箱がそこに置かれてあったのを目にしている者がいる。しかし赤色のプラスチック紐でしばられたそのダンボール箱は礼拝者がちょっとの間そこに置いたものだろうと考え、はじめはだれも問題にしなかった。疑念が浮かんできたのは、何時間もたってだれもそれを持ち去る者がいないということがはっきりしてからのこと。
通報を受けてボゴール警察が緊急出動し、爆発物処理班がコンプレッサーと印刷されているサイズ70x50センチのダンボール箱の中を調べたところ、17歳ぐらいと思われる若い女性の死体が見つかった。死体はボゴール赤十字病院に検死のため送られた。
検死報告では、その女性は身長148センチ、灰色の上着に黒いズボンと赤いパンティをはき、右足にアンクレットを着けていて、殺害されたあとでモスクの表に捨てられたと推測される、と述べられている。死体の頭には鈍器で撲られたあとがあり、また首には絞められた際にできたと見られる擦り傷もあった。検死がなされたあと、死体は東ジャカルタ市クラマッジャティ(Kramat Jati)にある国家警察病院に送られて保管された。
ボゴール県警はまず被害者の身元割り出しから着手し、写真を管区支署に配布して面識のある人間を探すとともに、最近身内で行方不明者が出た家族に届け出るよう呼びかけた。
ボゴール県スカジャヤ郡チサルア村パシルガブッ部落に住むミハッ45歳は娘のディ二・フィトリアニが19日に家を出たまま帰宅しないため、学校や知合いを尋ねまわった。ディ二はスカジャヤ郡キアラパンダッ村にあるマドラサツァナイヤ(イスラム学校中学レベル)三年生で15歳だった。
20日夕方、ディ二の携帯電話番号からSMSが届き、バンドンのナグレッ(Nagreg)にいるというメッセージを受信したので折り返しディ二の電話番号にコンタクトしたが電話は切られていた。ディ二の失踪は既に村役場に届けられており、翌日ミハッは村役場の者とディ二を探しにナグレッに向かって出発した。
4月21日、チグデッ郡チグデッ村のドウィコラ広場近くでオジェッ運転手が放置されているオートバイを見つけて届け出た。チグデッ署の調べで持主が判明し、ミハッが出発したあとの留守宅に連絡が来た。そのオートバイこそ、ディ二が失踪する前に友人たちが目にした、ディ二が乗っていたオートバイだったのである。その知らせを受けたミハッたちはナグレッ行きをとりやめてチグデッ署に向かい、オートバイを確認してからボゴール赤十字病院に向かった。20日に流されたニュースの被害者がひょっとして、という疑念が強まったためだった。
ボゴール県警の協力を得て警察病院で死体を実見するに及んで、ミハッは変わり果てた娘の姿を確認したのである。被害者の身元が割れたことで、警察は捜査の輪を絞り込んだ。
4月19日正午ごろ、ディ二は自宅からおよそ5キロ離れた祖母の家に泊まりに行くと母親に言って家を出た。ところが夜になってもディ二は祖母の家に現れず、ディ二の携帯電話も切られたままだった。しかし19日午後、学校友だちや教師がひとりオートバイで路上を走っているディ二の姿を目にしている。検死報告では、死体発見時から6〜7時間前に殺されたようだという所見が添えられており、犯行時間は20日の未明から早朝にかけてではないかと推測されている。
一方、その後もディ二の携帯電話番号から、わたしはまだナグレッにいます、という内容のSMSがミハッの携帯電話に入ってきた。
ディ二が4月19日に家を出る前、ディ二に電話してきた者がある。警察はその辺りの情報を踏まえながら、ディ二殺害犯の捜査に全力をあげた。
4月23日午前3時ごろ、ボゴール県警はチサルア村パシルガブッ部落にあるディ二の家から一軒置いて隣の家に住むチェチェップ・クスナディ20歳を捕えて連行した。そして警察の取調べに対し、チェチェップはディ二を殺害したのが自分であることを自供したのである。ディ二とチェチェップは半年ほど前から親密になり、5ヶ月前に一度だけ肉体関係を結んだ。チェチェップはそう言っているが、それを証明することは不可能だ。ともあれ、ふたりはそんな関係を部落の中で厳重に隠しとおしていたのだ。道で出会っても互いにそ知らぬ顔をし、何のつながりもないという様子を部落のみんなに示していたから、警察が部落の中でいくら聞き込み捜査をしてもディ二の交友関係の中にチェチェップは出てこなかったのである。
チェチェップはイスラム系大学イスラム経済学科第5スメスター在学中で、しばらく前から大学を休学してパルンにある建築資材店で働いていた。週給は20万ルピア。パルンでは叔父の家に寄宿していた。
チェチェップの自供によれば、ふたりは長い間デートしていなかったので、4月19日にルウィリヤン(Leuwiliang)市場で会うことをSMSを交わして約束し、当日には電話で会話を交わしている。ふたりはチェチェップのオートバイでボゴールの街中を走った。ディ二はチェチェップに、中学修業国家試験が終わったら自分と結婚してほしい、と要求した。少なくとも婚約して、自分たちの関係を公にしたい。そのときは黄金の指輪とネックレスを買って欲しい。ディ二はチェチェップにそうねだる。チェチェップは嫌とも応とも言わず、黙ってディ二の話を聞いていた。ヘルメットの中でチェチェップの表情が苦いものになっていたのが、後からチェチェップに抱きついていたディ二にわかるはずもなかった。
その夜、眠くなってきたためチェチェップはスカジャヤ郡チルブッティムル村に住む友人プラボウォ31歳の借家に泊めてもらうことにした。深夜1時半ごろやってきたふたりをプラボウォは中に入れてやり、部屋をディ二に譲ってプラボウォ兄弟とチェチェップは客間で寝た。そのとき初対面だったディ二にプラボウォはいろいろ話をしたかったようだが、ディ二は眠いと言ってすぐに部屋に入り、翌朝もプラボウォは客に甘い紅茶を用意してディ二と話をしようとしたが、午前8時の出勤時間が来たためプラボウォ兄弟は心残りを抱いたままふたりを置いて出て行った。チェチェップはプラボウォに、今日はオートバイを交換して使おうともちかけた。チェチェップのオートバイは汚れており、自分のはきれいだ。プラボウォはチェチェップの気持ちを汲んですぐにOKし、チェチェップのオートバイで出勤した。
ふたりきりになったディ二はチェチェップに甘え、昨日オートバイに乗っているときチェチェップに言った自分の希望をまた繰り返した。「試験が終わったら結婚して。婚約だけでもいいから。そのしるしに黄金の指輪とネックレスをね。」
口の中で何かをつぶやきながらチェチェップは家の外に出た。その目に残忍な色が浮かんでいたのをディ二は知らない。チェチェップは家の外で手ごろな石をひろった。およそ1キロほど重さのあるその石を手にして、チェチェップは客間でテレビを見ているディ二の後にしのびよった。ディ二の頭に石が振り下ろされる。そのときはじめてチェチェップの意図を知ったディ二は悪鬼の形相でチェチェップにつかみかかった。チェチェップの皮膚に爪を立て、指にかみつく。チェチェップはもう一度石をディ二の頭に振り下ろした。ディ二はうめき声をあげて崩折れ、反撃していた力が抜けた。ディ二はそのとき死んだ。時計は午前9時過ぎを指していた。
チェチェップは急いで凶器を捨て、凶行の行なわれた客間をきれいにした。あとは死体の処理だ。チェチェップはその借家にあったコンプレッサーの空き箱にディ二の死体を折り曲げて入れ、赤いプラスチックひもでしばった。
プラボウォは10時ごろ、チェチェップからの電話を受けた。オートバイをいつごろ交換しようかという話だ。それで正午過ぎに落ち合う場所を約束した。チェチェップはその間、ディ二の死体を捨てるためにプラボウォのオートバイを使える。
ディ二の死体が入ったダンボール箱をオートバイの後に括りつけてチェチェップはすぐにプラボウォの借家を出ると、そのダンボール箱を捨てるのに都合の良い場所を探してボゴールの街中を往来した。そしてヌルクバモスクを通りかかったとき、ひとけがなくうら寂しい雰囲気を見てチェチェップの心が決まった。かれはモスクの敷地内に入り、表テラスでダンボール箱をオートバイからおろし、テラスの隅に置いた。そして少し離れたところに中年の男がひとりおり、別の場所に小さい子供が遊んでいるのに配慮して、礼拝に来たように見せかけるために身を清めるためのウドゥ場へ向かった。ところが入り口に錠がかかっていたため入れず、チェチェップはそのまま引き返すとオートバイに乗ってモスクを後にした。モスクにいた者をチェチェップはそこまで気にしたが、実際かれらはチェチェップに少しも注意を払っていなかった。
チェチェップはその足でプラボウォと約束した場所へ赴き、オートバイを交換するとまっすぐチサルア村の家に戻って何食わぬ顔をしていた。
取り調べ警官がチェチェップに向かって、「よくもあんな残虐な方法で恋人を殺せたものだ」と非難すると、「あの娘は恋人じゃない」とチェチェップは否定した。「ディ二とは一度セックスしただけで、結婚の相手にしようなんて考えたことは一度もない。それをあの娘はもう結婚するのが当たり前みたいな態度をしてきた。オレは別に恋人がいるし、結婚するための金もない。結婚する気もない女に黄金の装身具なんか買ってやれるものか。ディ二に結婚を迫られるたびにムカついた。この娘がいなくなりゃあ自分はせいせいするだろうと思った。今は自分の行為を悔やんでいる。」チェチェップはそう述懐している。