「愛した男に殺される女たち」


「第一話」(2012年11月26〜12月1日)
2012年10月24日19時前、中部ジャワ州スマラン市ガリヤンのパサデナ住宅地にある一軒の家で騒ぎが起こった。パサデナ住宅地はスマラン市西部の自動車専用道から近い丘の上にある。
勤めから帰宅したその家のアナ夫人が家の中に入ってから、家にいるはずの娘のリスカ・フィタ・カリナ22歳を探し、そして自室で変わり果てた姿になった娘を発見したのだ。アナ夫人が帰宅したとき、リスカの友人女子学生ドナとその連れのふたりが家の表におり、リスカは今日学院に来なかったので前に約束していたから会いに来たのに家の中にいないようだ、と夫人に告げた。「今日、一緒に写真を撮りに行くことを約束していたんです。だけどリスカが学院に来なかったから、迎えに来たんですけど、さっきから玄関を何回もノックしているのに、中からだれも出てこないんですよ。」
夫人は『そんなバカな』という不審の念にとらわれながら家の中に入った。表で待っていたリスカの友人たちはアナ夫人の悲鳴を耳にし、慌てて屋内に入った。そして暴力をふるわれた形跡の明らかな、ベッドの上に横たわっているリスカの死体を目にして立ちすくんだ。
警察が現場を調べ、リスカは明らかに暴力をふるわれているが、凶器が使われた形跡はないため、犯人は素手でリスカを殺したという印象を警察は強く持った。リスカの身に着けていたブレスレット・ピアス・ネックレスなどの黄金装身具が奪い去られ、また部屋からは携帯電話とリスカが趣味にしていたカメラが消えており、そして両親の部屋からもハンディカムやカメラそして携帯電話と現金3百万ルピアが姿を消していることから、押し入った泥棒が殺したのではないかと隣人たちは噂したが、警察は予断を排して捜査を開始した。
中部ジャワ州開発銀行経済学専門学院で会計士の第9スメスターに入っていたリスカは、穏やかで芯のしっかりした娘として周囲のひとびとから好かれていた。
リスカは穏やかで口数の少ない、心の優しい娘であり、学院の友人たちはみんながかの女を好み、かの女を頼りにし、そしてかの女に慰められていた。悩み事の相談や愚痴話をかの女に持ち込んでも、リスカは相手の話が終わるまで親身になって聞いてやるのが普通で、特に役に立つアドバイスがかの女の口から出なくとも、友人たちはそれだけで慰められていたということのようだ。
小学校時代の友人男子のひとりは、自分が知らない間にリスカはこっそりとチョコレートを自分のカバンなどに入れてくれたことが何度もあり、かの女の優しい気持ちは親しかった者のだれもが感嘆するほどだったと思い出を語っている。
中学校時代の友人女子のひとりは、リスカは穏やかで無口なのにエネルギーをいっぱい持っていて、どの教科もランキングは上位にあり、あらゆることを最後までやりとおす強さを持っていた、と物語る。「リスカはわたしが持った最高の友人だったのに・・・・・」
高校時代の友人男子は、同じクラスになったのは一年間だけだったけど、からかわれても怒ったりせず、いつもとても礼儀正しく、友人たちへの配慮をおろそかにしない、とても素敵な友人だったと述べている。「礼儀正しいけど、ふざけて笑ったりするのも好きだったな。女の子はすぐに怒ったりするけど、リスカにはそんなとこがなく、善良で素敵な友人だった。時にはかの女から恋のことや家庭のことやさまざまな悩み事の相談を受けたこともある。」
学院の友人のひとりはリスカの人物像について、リスカはとても優しくて善良で、そして芯のしっかりした女性だった、と語る。「学院の教科で宿題があったときなど、たいてい友人を手伝ってあげていました。親しい仲間と街へ出てうろついたりすることもあったけど、恋人と喧嘩して寂しいときはそうやって気分を変えたり、打ち明け話を聞いてもらうことも必要だったのね。」
リスカが本名で開いていたフェイスブックアカウントには、かの女の死を悼んで百を超えるメッセージが集まった。
警察の聞き込み捜査で、その日リスカの家に人の出入りがあったことが明らかになった。リスカはその朝、出勤する母親を送って出て行き、そして帰宅した。父親のスカルノ氏はもっと早い時間に家を出ている。そしてリスカひとりしかいないその家に午前10時ごろ、オートバイで訪れた男がひとりあった。男はやってくるとそのまま家の中に入り、そしておよそ1時間後にその家から出て行った。そして母親が帰宅して娘の死を目にするまで、その家にひとの出入りはなかったようだ。すると第一の容疑者は午前10時ごろやってきたその男ということになる。だが隣人たちからその男の身元に関する情報はまったく得られなかった。
10月25日、スカルノ家では朝から娘リスカの葬儀が営まれ、13時にリスカの遺体はブルゴタ公共墓地に埋葬された。親戚や隣人そして知り合いや友人たちが葬儀に参列するため車でやってくる。住宅地の中での祝儀不祝儀訪問者の車は狭い道路の片側に駐車することになる。道路は臨時の一方通行道路に早変わりするのがインドネシアの習慣だ。そんな車の出入りのために、町内の人間が交通整理をして協力する。もちろん交通整理の人間に車に乗った者が謝礼の小銭を出すのもインドネシアの習慣だ。
そんな駐車の交通整理をしている者の中にデディ・プルマナ・インドリヤント25歳がいた。デディはその町内の人間でなく、同じ住宅地内だが別の町内に住んでいる。かれはリスカの恋人だったのだ。だから恋人の不慮の死を悼んで悔やみに訪れ、そのまま家の表で交通整理をしていた。ところが、スマラン市警の刑事が葬儀会場にやってくるとデディを探し、交通整理をしているデディに警察への同行を求めたのである。デディは刑事に連れられておとなしくスマラン市警に向かった。
リスカの死からわずか24時間ほどのうちに犯人が逮捕され、事件は解決した。警察はリスカの恋人がデディであったという情報を入手し、まずは事情聴取を行うためにデディに同行を要請した。あったという完了形は情報提供者の主観によるものであり、どうやら本人同士はそうでなかった雰囲気が強いのだが。
それはさておき、スマラン市警でデディの供述が取られたとき、取調官の勘に響くものがあったにちがいない。どうやら取調官がカマをかけ、デディが犯行を自供したという流れが起こったようだ。デディの自供はこうだった。
10月24日午前10時ごろ、デディはリスカの家をひとりで訪れた。ただ話をしにリスカに会いに行っただけだった。話をしているうちに、どこかへ出かけようということになり、リスカはマンディするために浴室に入った。リスカのマンディが終わるまでリスカの部屋で待っていたデディは、机に置かれているリスカの父親の写真が目に入り、心の奥底から怒りと憎しみがふつふつと湧き上がってきたのである。
9月のはじめ、リスカとのデート帰りに家まで送ってきたデディははじめて父親のスカルノと対面し、かれにとっては耐え難い屈辱を味わったそうだ。スカルノはリスカとデディの仲を祝福しようとせず、無職のデディの面目を粉砕するような言葉を投げつけたらしい。それ以来、家族はデディが無縁の人間になったと見なしたようだが、リスカ自身は違っていたらしい。家族の知らないところでリスカとデディの関係は続いていた。24日にデディがリスカしかいない家を遊びに訪れたこと自体がそれを証明している。
リスカがマンディを終えて自分の部屋に戻ってきたとき、デディはリスカの顔にスカルノの顔を見た。衝動につき動かされたデディはスカルノ目がけて襲い掛かって行ったのである。ベッドの上に押し倒し、抵抗しようとする腕を脚で押さえつけて首を絞め続けた。スカルノの首がポキッと鳴ったとき、デディの意識が現実に戻った。検死報告には、顎に4センチに擦傷・下唇2センチの裂傷・左腕に5センチの擦傷・手首に腫れ・右目に血塊・顔面に多数の血痕と記されている。
そのあと、リスカが身に着けていた黄金製装身具をすべて剥ぎ取り、リスカの部屋にある金目のものを手に入れ、さらにリスカの両親の部屋にまで入って現金や金になる品物を探して奪うと、デディはその家から出て行った。そうしたのは盗賊のしわざに見せかけるためであるとデディは主張している。更にリスカの葬儀に出なければ自分は疑われるとかれは考えたようだが、リスカの家族は関係の終わった娘の昔の男友達としかかれを見ていなかったようだから、出ようが出まいが結果は同じだったにちがいない。
裏付け捜査として警察はデディの身辺を捜索し、質公社の黄金製装身具預かり証、ニコンデジタルカメラ一台、ソニーエリクソンとノキア携帯電話器各一台、ホンダオートバイ一台、ヘルメット、現金3百万ルピアを盗品として押収した。質入した黄金製装身具で240万ルピア、やはり盗んだブラックベリーで55万ルピアをかれは手に入れている。盗品の置場所を示させるために警察はデディを伴って捜索したが、デディはそのとき逃走を企てたので刑事に右脚を撃たれている。オルバ期には脚を撃つつもりで頭を刑事に撃たれる犯罪者が多かったが、昨今はそういうことも減っているようだ。
デディは自供の中で計画殺人でないことを強調しており、精神安定剤を常用しているような話も匂わせている。ただ、警察がどのような罪状で送検するかは、まだわからない。ともあれ、警察が逮捕した殺人犯が被害者の葬儀会場で交通整理をしていた男であったことが報道陣の間で驚きの波紋を広げている。


「第二話」(2012年12月5〜8日)
西ジャワ州ブカシ県チカランのチカラン市場でフセン33歳はトウガラシを商っていた。かれの売場からほど近い場所で、スクルシアティ26歳はナシウドゥッ(ココナツミルクライス)を売っていた。毎日、顔を合わせて軽口を叩き合っているうちに、フセンの心の中にスクルシアティの笑顔が彩りを濃くしていった。しかしフセンはスカタニ郡スカルクン村で妻と一緒に暮らしており、子供がひとりいる。そしてスクルシアティは南チカラン郡セラン村で夫と子供と三人で暮らしているのだ。
だからそれは叶わぬ恋なのだ、などと考えて諦めるような男はほとんどいない、と言っても言いすぎではあるまい。フセンはスクルシアティが欲しいと思った。親密さが増したと感じたフセンは女を軽い口調で誘い、そして女はついてきた。そして人気のない場所に連れ込み、肉体関係を持った。スクルシアティは拒まなかった。
市場の中でルンルンの関係に入ったふたりを、いやフセンを谷底に突き落とすようなことが起こったのはそれから数ヵ月後のことだ。またパサルから脱け出してふたりだけの時間を過ごしたあと、スクルシアティがフセンに言った。「わたし妊娠したのよ。あんたの子供なの。ねえ、あたしをあんたの奥さんにしてよ。あたし、今の夫と別れるから。」フセンは目の前が真っ暗になった。フセンには自分の家庭を壊す気は最初からなかったのだ。
それ以来、ふたりだけの時間を過ごせば毎回決まって、スクルシアティが自分を正式の妻にしろとフセンに迫るようになった。はじめは適当な言葉でスクルシアティの気持ちを静めてやるよう努めていたフセンも、幸福だったルンルン時代はもう戻ってこないことを悟ったのである。
2011年7月22日午前7時半、ブカシ県プバユラン郡カランパトリ村の農夫が水田仕事をしに家を出た。農業用水路近くまで来たとき、水面下に浮いているものを目にして、農夫はギョッとした。右手だけを水面から突き出し、身体は水面の下にあるそのものを農夫ははじめマネキンかと思ったが、好奇心に負けて近寄った。そしてそれが若い女の水死体であることをはっきり見て取ると、事件を村役に届け出た。村役からの届出を受けたブカシ県警プバユラン署は、百人を超える村人が黒山のひとだかりになっている現場に十五分後に到着してただちにポリスラインを張り、現場検証を行った。ほどなくブカシ県警本部からも応援が駆けつけてきた。
二十歳前後と見られる被害者女性は頭を鈍器で殴られたあとが一目瞭然であるため、最初から殺人事件であることがはっきりしていた。現場にヘルメットが一個落ちていたことから、この女性はオートバイ強盗の被害者ではないかとひとびとは推測したが、村人の中に被害者女性を見知っている者がひとりもいないことから、この事件はもう少し複雑なものかもしれない、という思いが捜査員の胸中に湧いた。近くには血痕の付着した握りやすそうな石が落ちていた。ブカシ県警本部捜査員は現場で集めたヘルメット、バッグそして被害者が着ていた蝶々の模様の入ったシャツと黒色ジーンズおよびサンダルなどを持ち帰った。被害者のものと思われるバッグの中には化粧品と財布があり、財布の中にはKTP(住民証明書)と現金1万3千ルピアが入っていた。被害者が南チカラン郡セラン村住民スクルシアティ26歳であることはすぐに判明した。
スクルシアティの結婚の強要にフセンは堪忍袋の緒を切らせていた。スクルシアティの罠から自分を救出するために、かの女を殺さなければならない、という決意が日を追って固まっていく。そして2011年7月21日に決行のときがやってきたのだ。フセンはパサルにたむろしている知り合いのオジェッ運転手ジョコ・スントロ30歳からオートバイとヘルメットを借りてスクルシアティを遠出に誘った。
フセンはジャンパーのポケットに手ごろな石を隠し持っていた。プバユラン郡カランパトリ村の水田地帯の中までやってきたとき、フセンはオートバイを停めた。周辺に人影はなかった。「ちょっとションベンするから、待っててくれ。」そうスクルシアティに言ってオートバイから離れる。まさか男の小便姿をじろじろと観察するわけにもいかないから、女はフセンに背を向けた。フセンはスクルシアティの様子をうかがった。スクルシアティはぼんやりと遠くを眺めており、警戒感はまったくない。フセンはそっと後ろから近寄るとこぶしより大きい石を握って女の後頭部を打った。スクルシアティはよろめきながらも抵抗した。フセンは必死になった。今度はヘルメットで頭を撲る。こめかみを強打されたスクルシアティの目の光が弱まった。フセンは女を用水路に突き落とし、手で頭を水中に押し込んだ。暴れていた女の手足が動かなくなり、スクルシアティは死んだ。
「早くここから逃げなければ」。あせったフセンは落ちているヘルメットや女の持ち物はそのままにして、オートバイで走り去った。そしてパサルにも自宅にも戻らなかった。
警察が殺人容疑者の絞込みを進めているとき、ジョコ・スントロが現場に残されていたヘルメットを見たいと言って警察を訪れた。殺人被害者がスクルシアティであることを知った瞬間、ジョコはフセンが怪しいと睨んだのだ。ジョコはフセンからスクルシアティとの不倫関係を聞かされていた。そして案の定、そのヘルメットが自分のものであることを確認したとき、ジョコは自分が犯人だと確信している男の名前を捜査員に告げた。捜査班がフセンの足取りを追い始めた。
フセンは犯行後しばらくブカシの知り合いの家を転々としながら潜伏していたが、ランプンへ逃れてほとぼりをさまそうと考え、8月2日の始発電車でジャカルタへ行き、ジャカルタからランプンへのバスに乗ろうと計画した。しかしそれがフセンの運の尽きだったのである。ブカシ駅に張り込んでいた捜査員が2日午前2時ごろ、フセンとおぼしき人相風体の男を捕らえた。
署に連行して取り調べたところ、フセンは犯行を自供した。


「第三話」(2012年12月12〜14日)
2012年11月29日木曜日19時半ごろ、アディ・プルノモ氏夫妻はブカシ県南チカラン郡スカレスミのタマンセントサ住宅地にある自宅へ仕事を終えて帰ってきた。
ところが玄関に鍵がかかっていて家に入れない。夫妻には4歳と2歳の女児がいて、子供の世話と家政の手伝いをするために女中がふたり雇われている。ひとりはデウィ・レギナ17歳で6ヶ月前から住み込んでおり、もうひとりはティ二27歳でその家ではレギナの先輩だ。アディ・プルノモ夫妻はそのふたりが気に入っており、仕事は熱心に行うし、隣近所との交際も友好的で節度があり、一度も問題を起こしたことがないとベタ褒めだったが、その日は様子がちがった。
夫妻は玄関のドアを叩き、女中たちの名前を呼んだが、その日に限ってひとりも出てこない。いったいどうしたんだろう、と舌打ちしながら夫妻は裏にまわり、裏口から家に入った。不安を覚えながら夫妻は子供部屋に向かう。部屋を覗くと、娘たちを世話していたティ二が驚いた。ティ二とレギナは子供の世話を交代で行っており、この日はティ二が当番だったのだ。だったら、主人夫妻の帰宅にレギナが玄関を開かなければならないはずだ。レギナは身体の具合でも悪いのだろうか?
夫妻はレギナの部屋に向かい、ドアをノックしたが、反応がない。若い女の部屋をご主人が最初に覗くのも礼節に欠ける話だから、アディ・プルノモ氏は夫人にドアを開く役を譲った。ところがドアを開いた瞬間、夫人が悲鳴をあげたのである。夫人に続いて室内を覗き込んだアディ・プルノモ氏も息を呑んだ。その目に映ったのは、夢想だにしなかった惨状だった。レギナは血まみれの姿で床に横たわっていた。仰向けに横たわっているレギナの腹には、ナイフが突き立っていた。
事件の連絡を受けた南チカラン署捜査員が現場を訪れて状況を検証した。レギナは腹を18回刺されていた。このような残虐な殺し方は普通、被害者の身近な人間の犯行を示すものだ、と捜査員が洩らした。
ティ二は家の中で異変が起こっていたことにまったく気が付かなかったと証言した。アディ・プルノモ夫妻は、家の中は少しも荒らされておらず、無くなった現金や金目の品物はなにひとつないことを捜査員に告げた。
捜査班は隣近所で聞き込みを行う。その日午後、レギナが家の庭で男と一緒にいるのを見た隣人がおり、また別の隣人と巡回野菜売りがその日14時ごろ、アディ・プルノモ家から男がひとり出てくるのを目撃している。警察は手がかりをつかむために、レギナの故郷であるインドラマユやカラワンにも捜査の手を広げ、レギナには恋人がいるという情報を得た。その恋人は巡回野菜売りだという話もあれば、建設労働者だという話もあった。警察は、住宅地の隣人が目撃した男が恋人ではないかと見当をつけ、目撃者の協力を得てモンタージュを作り、容疑者探しをはじめた。
捜査員がモンタージュを持って巷を回ると、さまざまな情報が手に入る。まるで見当違いのものも少なくないが、時には核心に迫るものが得られることもある。モンタージュの男を追っていた西チカラン署とブカシ県警本部そして首都警察本部の合同追跡捕獲班は11月30日16時ごろ、北ジャカルタ市クラパガディンで洗車サービスを営んでいるファジュリ20歳の身柄をその仕事場で押さえた。ファジュリはレギナと同郷で、同じ村の出身だった。モハマッ・ファジュリはアンソリやジャリといった別名を持っている。
警察の取調べに対し、ファジュリはすべてを自供した。ファジュリの自供によれば、レギナ殺害は突発的な激情によるものだったようだ。
2012年11月29日13時ごろ、ファジュリはアディ・プルモノ邸を訪れ、レギナの手引きで邸内のレギナの部屋に入った。そしてふたりは男と女の睦を愉しみ、二度交わった。ところが味わった愉悦がまださめやらないとき、レギナはファジュリが思ってもみなかった言葉を切り出したのだ。「あたしたちの関係はもうこれで最後よ。あたしには好きな人がいるの。かれは外国で働いてるんだけど、大金を稼いで戻ってきたら、あたしたち結婚するのよ。だからもうあんたとの関係はここまでね。」
ファジュリは自分が大切にしているモノが他の男に盗まれたように感じた。その憤りの中で、自分の大切なモノは絶対他人に渡さないぞ、という意識が湧き上がってきたのだ。「おめえのその身体はオレのものだ。ほかの男に指一本触れさせるものか。オレのモノは焼こうが壊そうが、オレだけのものだ。絶対他人には渡さねえぞ!」
ファジュリは普段から持っているナイフを出してレギナの腹を刺した。これでもか、これでもか、と何度も何度も。怒りと憎しみをその一身に向けられたレギナは驚愕の表情を浮かべたまま、床に崩れ落ちた。レギナの目の光が弱まっていった。
ファジュリはレギナの服のポケットにあった携帯電話と現金10万4千ルピアを奪い、その家をひそやかに立ち去ったのだった。


「第四話」(2012年12月17〜22日)
西ジャワ州ボゴール県パルン郡パルン村ジャティ部落にあるごみごみした居住地区の中にルスリ29歳が持っている借家がある。狭い敷地に建てられた掘立小屋のようなもので、浴室・台所と部屋がひとつという小さい建物だ。塀などに囲われてはおらず、隣近所と軒を接している。
その家を借りたい、とまだ若い男女のカップルがルスリを訪れたのは2011年10月6日のこと。男はアチル27歳、女はユユン19歳と名乗り、10日前にサワガンのKUA(宗教役場)で結婚したばかりだと自己紹介した。ルスリが結婚証書を見せるよう求めると、ふたりはまだ役場で手続き中だから、それが出来上がったら見せにくる、と請け負った。そして翌日から、ふたりは家賃ひと月15万ルピアのその借家に入った。
隣人たちは毎日借家を出入りしているアチルがパルン保健所周辺で路上物売りの仕事をしていると理解していたが、新妻であるユユンの姿を目にすることはあまりなかった。
時計の針が10月20日の午前0時を過ぎたか過ぎないかというころ、アチルの借家で夫婦喧嘩が起こったようだ。怒号やわめき声がひとしきり続いたかと思うと、ユユンの悲鳴が夜の闇をつんざいた。しかし犬も食わない夫婦喧嘩に関わろうとする隣人はひとりもおらず、悲鳴が消えたあとの夜闇の静けさの中で近隣一帯は深い眠りに沈んだ。
夜が明けたというのに、アチルの借家がいつまでも森閑としているのを隣人をはじめ家主までがいぶかしんだ。午前7時過ぎ、ルスリは妻のニナ22歳と隣人のアンドリ20歳を誘って借家を訪れたが、家の表戸は外から錠前がかけられ、窓も中からカーテンが隙間のないように下ろされており、中の様子をうかがうことができない。ルスリは何度も表戸を叩いてアチルとユユンの名前を呼んだものの、家の中にひとのいる気配がない。結局ルスリは表戸を蹴破って家の中に足を踏み入れた。台所の土間にできた血だまりの中で、ジーンズの長ズボンと長袖シャツを着たユユンが仰向けに血にまみれて横たわっており、寝室からそこまで血の筋が数本床の上をはっていた。
現場検証を行なったボゴール警察犯罪捜査ユニット長は、この殺人事件の第一容疑者は夫のアチルであり、動機は家庭内の諍いと思われる、と警察の暫定見解を語った。被害者は頭を壁に打ち付けられ、台所の料理包丁で身体をメッタ突きされていた。突き傷は胸と腹を中心に身体のあちこちに22ヶ所あり、多量の血が流されていた。凶行は寝室で始まり、犯人は最後に台所の包丁を使って被害者の息の根を止めるために被害者を台所まで引きずっていって始末したのではないか、と警察は現場の状況から推測した。
ルスリが警察に届けた借家人の住所に従って警察はアチルとユユンの実家を訪れ、情報を集めた。ユユンの実家であるデポッ市サワガン郡ボジョンサリ町ガンマスジッを訪れた捜査員は、ユユンがまだ16歳の高校2年生であり、結婚などしたこともなく、家族はユユンが高校を卒業するまで学業の支障になることをできるだけ遠ざけるよう努めてきたことを知った。母親のトゥミナ47歳は末っ子のユユンがアチルと結婚していたという話を真っ向から否定した。「あの娘はまだ高校二年生だったんですよ。結婚など許すはずがないじゃありませんか。何ヶ月か前にアチルが家にはじめてやってきたとき、ユユンと婚約したいので認めてくれ、と言いました。あたしゃあ、即座に断りました。それどころか、アチルを叱ってやりましたよ。ユユンが学校を出るまで、あの娘の勉強の邪魔をしないでやってくれってね。アチルはただ黙っていました。アチルがうちへ来たときの振舞いは、行儀良かったです。でもあたしたちはアチルのことについて、あんまり深く知らないんですよ。ユユンがアチルと知り合ったのは3〜4ヶ月前のようで、それ以来ユユンの学校の成績は悪くなる一方でした。」
パルン村ジャティ部落の借家に住むようになるまで、アチルはデポッ市サワガンエロッ住宅地にある実家で両親と一緒に暮らしていた。父親は退役軍人で、アチルには三人の兄妹がある。近所に住むN夫人はその一家について、近所付き合いをほとんどしない閉鎖的な家族で、家庭の中がどうなっているのかはだれもよく知らない、と語る。「アチルは二週間くらい前にあの家から追い出されたんですよ。理由はよくわかりません。でもアチルは時々仲間と酔っ払ったりしていたけど、問題を起こしたこともめったにないし、普段の態度は礼儀正しかったですよ。」
アチルは実家の向かいでオートバイ修理店やカフェを営んだことがある。しかしいずれもほんの数ヶ月で店じまいしてしまった。だから隣近所が知っているアチル像は、いつもぶらぶらと実家で無職の生活を送っている若者の姿だ。アチルには結婚歴がある。だが、その妻とも離婚してしまった。今2歳の子供は母親と一緒に暮らしている。コメントを得ようとして記者がアチルの父親の帰宅を張り込んだ。そして運よく父親を捕まえて談話を取ろうとしたが、「一切は警察にまかせてある」という言葉だけを得て終わってしまったそうだ。
アチルの行方を追ったボゴール警察パルン署は、アチルの人間関係を幅広く把握して情報を集め、アチルの所在を突き止めようとした。最初、警察はアチルがチアンジュル方面に逃走したのではないかと推測した。アチルの親しい友人のひとりがアチルから逃走資金のためにコンプレッサーを売り払う手助けをするよう依頼されたとの情報が得られたことがその推測に確信を持たせ、チアンジュル在のその友人を取り調べることを含めてチアンジュル一円に網を張った。しかしその友人は助力を断ったことが判明し、またチアンジュル一円にアチルが立ち回った形跡がなにひとつ得られなかったため、警察はアチルの友人関係に網を張ってアンテナを高くし、アチルからの連絡を待つ姿勢に移った。
アチルは5ヶ月ほど前にパルンにあるガロン瓶生活用水再充填工場の仕事をやめてタングランのモールチルンドゥッで駐車番の仕事をするようになった。2011年10月19日21時ごろ、タングランからパルンの借家へ帰宅する途中、デポッ市ボジョンサリでユユンがアンコッ運転手たちと愉しそうに交わっているのを目にし、嫉妬の炎を燃やした。『おのれ、あいつら・・・。ナイフを持ってきてズタズタにかき回してやる。』
アチルはそのまま借家に戻り、ナイフを手にして再度ボジョンサリへ行ったが、ユユンの姿はもうそこになかった。アチルはしかたなく、また借家に戻る。深夜になってアチルが借家に帰ってきたとき、借家の表の小路にユユンが立っていた。ユユンはアチルが帰ってくるのを外に出て待っていたのにちがいない。
しかし嫉妬の炎にあぶられているアチルの口から出たのは憤怒の言葉だけだった。アチルがユユンに怒りをぶつけると、その売り言葉にユユンが買い言葉を返してきて、家の表で激しい口喧嘩が始まる。アチルはユユンを家の中に引きずり込み、口論がおよそ1時間続いた。口論の果てに、自分の意にさからい続けるユユンへの憎しみが爆発してアチルの頭から理性が完全に消え失せた。アチルはユユンに暴力をふるいはじめ、腕をねじ上げて持っていたナイフでユユンの首を三回刺した。ところがユユンの身体を刺そうとしたのに、数回刺しただけでナイフが折れたため、ユユンの頭を寝室の壁に打ちつけてから半失神状態のユユンを台所へ引きずって行き、包丁でメッタ突きにしたのだ。
ユユンを殺した後、アチルは厳重に戸締りをしてから借家を去った。アンコッに乗ってボゴール市内に向かい、ガソリンスタンドで給油しているときかれは手や衣服についたユユンの血を洗った。ボゴール駅に着くと、電車に乗ってチキニまで行き、プロガドンバスターミナルに向かう。そして中部ジャワ州ウォノギリ行きのバスに乗った。
ウォノギリには昔パルンでアンコッ運転手をしていた知り合いがいる。かれはその夜、その知り合いの家で世話になり、翌日自分の身にまとわりついたトラブルの相談をもちかけた。すると、人殺しのお尋ね者をかくまう気のないその知り合いはアチルとの関わりあいを拒否したのだ。ほかに身寄りのないアチルはウォノギリでプガメン稼ぎをし、翌日にはソロに移ってティルトナディバスターミナルでプガメンをした。このままではジリ貧だと考えたアチルはジャカルタの別の知り合いにSMSを送って窮状を訴えた。ところがその知り合いこそ、警察がひもをつけて犯罪者間のさまざまな情報を得るのに利用しているタレこみ屋だったのである。警察はそのタレこみ屋に「百万ルピア援助してやるからジャカルタへ戻って来い」とアチルに連絡させた。
2011年10月25日、ソロ発ジャカルタ行き長距離列車がスネン駅にすべりこんできた。その列車から降りたアチルを、百万ルピア援助してくれる知り合いがほかの見知らぬ四人の男たちと一緒にスネン駅出口で待っていた。そして出てきたアチルを近くにある東ジャワ料理の食堂に誘ったのだ。5人の男たちを前にして、アチルは5日間の逃避行をあけすけに物語った。「この二日間、何も食ってねえんだ。」
飯をふた皿お代わりし、ドーナツまで食べてやっと人心地のついたアチルはそのとき食堂に入ってきた男を見て顔色を変えた。その男はアチルの知っているボゴール警察パルン署追跡捕獲班捜査員だったからだ。するとさっきまで食事に付き合っていた初対面の4人の男たちがアチルを取り囲んだ。「お前はこの5日間の追跡ターゲットだったんだ」と言って。完全に罠に落ちていた自分を知ったアチルは、悪あがきの意志を捨てた。
パルン署に連行されたアチルは、ユユン殺害時の状況など一切合財を自供した。
「ユユンと結婚したのは本当だ。西ジャワ州ガルッまで行ってニカシリ(nikah siri)をした。ただしそれを証明できるものは何もない。ユユンとはもう何年も前からの付き合いだ。前の妻と離婚してから、ユユンとの関係をはじめた。ユユンと結婚して自分だけの女にしたというのに、あいつはアンコッ運転手と何回も遊びまわってるじゃないか。そんなことが許しておけるもんか。そんなことをするなと何度も言ったのに、あいつはやめなかった。」
ユユン殺害の動機がアチルの嫉妬であるのは明らかだが、嫉妬の裏側にあったのはひとりの女を独占し支配しようとする男がその支配に服従しなかった女に向けた憎しみであり、殺人が究極の支配手段だったという面が強い。ユユンがアンコッ運転手とデートし遊んでいたという事実があっても、ユユンがその男と性的関係を持ったという証拠は何もない。しかしインドネシアでは、ひとりの男とひとりの女がふたりだけの時間を持つとき、ふたりの間で肉体交渉が行なわれるのは常識になっている。だからアチルにとって、自分とは別の男と遊ぶユユンの肉体と性はアチルひとりのものでない、という理解に達するわけだ。
一方、まだ14〜15歳の少女が、自分にとってはじめての男をただひとりのものとし、自分の生涯をその男に捧げることができるのか、という問題がユユンの側から見たこの事件の容貌をなしているとわたしは考える。アチルがユユンを自分の女にしたとき、ユユンはまだ14〜15歳だったのだから。


「第五話」(2012年12月24〜27日)
南ジャカルタ市チプテ地区キライ通りに住むスリヤティは自宅敷地内に10室のコスを営んでいる。コス(kos)というのはオランダ語でひとを下宿/寄宿させるという意味のin de kostに由来する言葉だ。今では同じ家の中に他人を住まわせる下宿/寄宿という形は都市部であまりはやらなくなっており、昨今使われているコスという言葉はアパート形態の部屋を借りるというのが普通になっている。1970〜80年代はまだまだ家主の家の部屋を使わせてもらうというあり方が多かったから、その時代のコスという言葉と現代のコスという言葉は内容が異なっている可能性が高い。
スリヤティは2x3メートルの部屋が10並んだ建屋を作り、女性に限定して部屋を貸している。需要は高く、店子が引っ越しても長期間空き部屋になることはあまりない。江戸時代の小噺によく登場する『借りだな』と呼ばれる長屋に住むようなスタイルがそれで、おまけに江戸で借室人は当時『店子(たなこ)』と呼ばれて「大家といえば親も同然、店子と言えば子も同然」という擬似ファミリーイズムを象徴するような観念が当たり前とされたが、インドネシアでも借室人はどんなに年をとっていてもアナコス(anak kost)、大家はどんなに若かろうとも女性はイブコス(ibu kos)男性はバパコス(bapak kos)と呼ばれて紛れもない擬似家族主義がその世界を滔々と貫通している。
その借室人のひとりダーリア・ダマヤンティ33歳はインドネシアでジャンダ(janda)と呼ばれる結婚歴のある独身者で、三人いる子供はクバヨランバルに住む実母に預けて自分はそのコスで一人暮らしをしている。実家からあまり離れていない場所でコス暮らしをすることはかの女にとってそれなりに都合のよさがあったからにちがいない。
ダーリアは美人で性質も素直であり、他人にあれこれ理由をつけてもたれかかろうとすることもなく、持ち物も金をかけて品質のよいものを使っており、クラッシーなひとり暮らしを楽しんでいた。イブコスのスリヤティもダーリアには安心感を抱いており、早くよい男性にめぐり合って健やかな家庭を築ければよいのに、と陰ながら祈っていたくらいだ。しかし人間の運命は一寸先が闇なのである。
2012年5月25日の夜、仕事から帰ってきた借室人たちの間で『変な臭いがするわね。」という会話が盛んに交わされた。行動力のある若い借室人が臭いの元を探り、ダーリアの部屋から腐乱臭が漂ってくるのを突き止めた。スリヤティに報告が行く。そう言えば、もう二日間もダーリアは部屋から出てきていないようだ。胸騒ぎにせかされてスリヤティはダーリアの部屋を合鍵で開いた。みんな目のはベッドの上に仰向けになって横たわっているダーリアの死体に釘付けになった。
首都警察南ジャカルタ市警クバヨランバル署の捜査員がダーリアの部屋の現場検証を行ない、それが終わると黄色い幅広のテープで作られたポリスラインをターリアの部屋の前に張った。部屋の前には女性用のサンダルと靴が二対、そろえて置かれており、それに手を触れようとするものはだれもいない。捜査員の報告によれば、被害者は口に打撲を負い、首には紐状のもので絞められたあとがあったとのことで、警察は絞殺事件として捜査を開始した。
スリヤティや他の借室人からの情報を集めた警察は、第一容疑者としてダーリアと6月12日に結婚する予定になっていた恋人のマイクの身柄を押さえることにした。ところがマイクがどこに住んでいて、マイクとどのように連絡を取ることができるのかを知っている者がひとりもいない。運よく、ダーリアが殺される前に他の借室人に預けた携帯電話を警察が入手したので、警察はその電話機の分析を開始した。
スリヤティが捜査員に話した情報では、マイクはイタリアのレストランで働いている独身のコックで、休暇でインドネシアに戻ってきているということだった。そして三ヶ月ほどまえからダーリアの部屋へ足しげく通うようになり、マイクとダーリアは結婚の約束をしたと言って6月12日に挙式するのだ、とスリヤティに話していたそうだ。「マイクがここのダーリアの部屋にやってくるようになったころは、ふたりはとても仲良かったんですけどね、だんだんと月日が経っていくと、ふたりの間でよく口喧嘩が起こっていましたよ。結婚式が近付いてきているというのにあんな有様じゃ、ほんとに結婚にゴールインできるのかなって疑っちゃいましたね。部屋の中で外に聞こえるくらいの大喧嘩をして、マイクがテレビのラックを壊したこともありました。」
警察に集まった犯行当日の状況に関する情報によれば、5月24日午前8時ごろ、マイクがダーリアの部屋を訪れている。マイクはいつもキライ通りを徒歩でやってくる。いったいどこから、何に乗ってやってくるのか、他の借室人もスリヤティも、だれひとり知らない。そしてその日は一時間ほどしてから、マイクはダーリアの部屋を後にした。その後その付近でマイクの姿を目にした者はひとりもいない。
いつもひっそりと出現し、だれとも打ち解けて世間話をすることもなく、よそよそしくうつむいた姿勢で人々の間を黙って通り抜けていくマイクという人間を、スリヤティも他の借室人も、そして隣近所のひとびとも、ダーリアの恋人だということ以外に何も知らない。
ダーリアが死体で発見されたとき、コスのみんなの疑惑はマイクに集中した。ダーリアと最後に会った人間がマイクなら、これまでほとんど毎日ダーリアに会いにきていたマイクが、かの女が死んだとたんにふっつりと来訪が途絶えたこともその疑惑を裏付けるものだ。
南ジャカルタ市警クバヨランバル署はいくつかの手がかりを元にマイクの身元を突き止めた。北ジャカルタ市パンタイインダカプッに自宅を持ち、そこで妻と子供一人と三人暮らしをしている。独身も嘘ならイタリアで働いているというのも大嘘で、本当なのはコックという職業だけ。ダーリア殺害後、マイクは自宅に戻らず行方をくらまそうとしたが、妻子と連絡を絶つことができなかった。それが、対人依存の激しいインドネシア社会に住む犯罪者が持っている弱点だ。警察はマイクの自宅に入ってくる情報を手がかりにして5月26日、マイクを潜伏先で逮捕した。
マイクは半年ほど前、同じレストランでウエイトレスとして働くダーリアと親しくなり、愛し合う間柄になった。ダーリアはその数ヵ月後に仕事をやめてコスで毎日を過ごすようになり、マイクがほとんど毎日ダーリアに会いにコスへやってきた。
ダーリアを自分のものにするために結婚というエサを蒔いたマイクには、既に持っている家庭を壊してまでダーリアと新たな家庭を築くだけの誠実さなど持ち合わせていなかったようだ。マイクの真の姿が見え始めてから、ふたりの間では諍いが頻発するようになった。そして執拗に結婚の約束を果たすよう強要するダーリアを消すことを決意したマイクは、5月24日の朝その計画を遂行した。警察はマイクがダーリアを絞殺するのに使ったひもを重要証拠品として探している。
マイクが逮捕された日、スリヤティは取材に訪れた記者がポリスラインの張られたダーリアの部屋の扉とその前につつましやかにそろえられている女性用靴と36号のサンダルを見つめているのに向かい、「それはダーリアのもの。もっと高い靴が部屋の中にいっぱい残ってるのよ。」と声をかけた。 この二日間で、他の借室人が大勢このコスを去って行ったそうだ。コス暮らしはもうやめる、と言って。


「第六話」(2013年1月28〜31日)
タングラン市チポンド郡ポリスプラワッ町にある高級住宅地モデルンランド内ラヤタマンゴルフ通りブロックDG2の118番地に建っている邸宅は白亜の二階建てで、隣近所の豪邸に劣らない豪奢な家だ。建築請負業を職業にしているその家の主コリウィヨが週末土曜日の夜帰宅したとき、その家のガレージでほんの数時間前に惨劇が起こっていたことなど夢想だにしなかったにちがいない。帰宅したかれは女中が門を開きに出てこないことに腹を立て、しかたなく自分で表門を開き、車を邸内に入れた。そしてガレージ前まで車を進めてガレージの扉を開き中の灯りを点けた瞬間、思いも寄らない惨状が目の中に飛び込んできた。ふたりいる女中がひとりも出てこない事情をその惨状が示していた。サルニ22歳は半裸の姿で死んでおり、もうひとりのマリヤニ25歳は性的暴行から免れていたものの、サルニと同じように頭部から血を流して死んでいた。ふたりとも、両手は後ろ手に縛られていた。
コリウィヨ氏はすぐに町内世話役に事件を知らせ、世話役を通して警察に連絡が届き、タングラン市警犯罪捜査ユニット捜査班が事件現場に急行した。捜査班がコリウィヨ氏から得た情報によれば、かれがその日(2011年4月16日)15時ごろ外出したとき、家の中には女中ふたりと雨漏りを修理している職人がひとりだけいた。現場検証で捜査班はガレージの中に血痕の付着した緑色の3キロ入りLPガスボンベを見つけ、それが女中ふたりを殺すのに使われた凶器だろうと考えた。また現場で使用済みコンドームも発見されている。
この事件は一見、強盗が女中ふたりを縛り、若いほうの女をレープし、最後にふたりを殺して逃走したという印象を与えているものの家屋内はほとんど荒らされておらず、コリウィヨ氏の話によれば、タンスの引き出しは開けられていたが、引っ掻き回された形跡がなく、また姿を消した貴重品もないとのことで、犯人が強盗事件を偽装したのではないかとの疑念を抱かせる状況だった。もしも強盗事件でないのなら、犯人は女中の顔見知りの者である可能性が高くなる。
警察は雨漏り修理職人がシロであることを確認した。更に、隣近所に聞き込みに回った刑事が大きい手がかりをつかんできた。その家をコリウィヨ氏に売った元のオーナーが近くに住んでおり、その元オーナー氏の話によれば、コリウィヨ家の女中のどちらかが恋人を持っているのだそうだ。コリウィヨ氏が外出すると男がひとりその家に入っていくのをかれな何度も目にしている。ましてやコリウィヨ氏はよく出張して数日間家をあけることがあり、そんなときは男の訪問も頻繁だったと元オーナー氏は述べている。
もうひとつ、サルニの財布から有力な手がかりが発見された。それは一枚のメモで、サルニが自分の気持ちを自分で紙に書いたものではないかと警察は判断した。「誰かがわたしを好きになっても、わたしには夫があり、わたしは夫を愛しているのだから、そのひとがわたしの心を奪うことはできない」という文章がそこにあった。サルニの携帯電話から手がかりを得ようとしていたタングラン市警捜査班は、フェイスブックからサルニの男関係を洗い出した。確かにサルニは恋人を持っていたのである。警察はその男、サロソの追及を開始した。しかしサロソは居所を転々とし、おまけに携帯電話番号も頻繁に変えたため、発見してはあと一歩のところで行方がくらまされるということが繰り返された。事件発生からもう三ヶ月が過ぎようとしていた。
2011年7月10日深夜、タングラン市警捜査班はタングラン市ブンダ郡パジャン町トランシッ部落の借家を急襲してサロソ30歳に手錠をかけた。タングラン市警本部での取調べで、サロソは一部始終を自供した。
サロソがサルニと知り合ったのはフェイスブックを通してだった。フェイスブックでのやりとりが二週間続き、そしてサロソはサルニをデートに誘い、現実の世界で会ったふたりはその日のうちに肉体関係を持った。それ以来モデルンランドの豪邸の主が外出すると、サロソがそこを訪れるようになった。コリウィヨ氏の外出予定がサルニからサロソに連絡されていたようだ。ふたりの情事は毎回ガレージで繰り広げられた。女中仲間のマリヤニもその事実を知らない。コリウィヨ氏が家にいるときにサロソは絶対その家を訪れなかったようだし、女との情事にいつもコンドームを使っていたようだから、それだけサロソは用心深い人間だったと言えるだろう。
ところが2011年4月16日夕方、その豪邸を訪れたサロソを悲劇が待ち受けていたのである。いや、そのときその家に芽吹いていた悲劇的運命の種は、サロソひとりでなくサルニとマリヤニをもからめとるものだったのだ。
サロソが豪邸の表に着くとサルニが中から表門の錠前を開き、サロソが邸内に滑り込む。そしてふたりはガレージに向かった。ガレージの中でふたりの情事が始まる。サロソはサルニの衣服をゆるめて半裸にする。ふたりが悦楽の頂点に導かれようとしていたとき、家屋につながっているガレージの扉が開き、マリヤニがガレージに入ってきたのだ。思いがけないシーンが眼前に展開されているのを見たマリヤニが驚愕の声をあげた。
サロソの頭の中には目撃者を消すことしか浮かんでいなかった。サロソはサルニの身体から離れると、近くにあった空の12キロ入りLPガスボンベを持ち上げ、それをマリヤニの頭部に振った。鈍い音がしてマリヤニがくずおれる。殺戮の現場を目にしたサルニがヒステリックに泣き叫びはじめる。サロソはサルニに沈黙を命じたがヒステリー状態のサルニには通じない。パニックにまとわりつかれているサロソは、自分の側にいると思ったサルニが突然自分と対立する側に立ったように感じ、サルニを黙らせなければならないという意識にせきたてられて、同じように12キロ入りガスボンベをサルニの頭部に振るった。サルニは沈黙し、豪邸の中を静寂が包んだ。
サロソの頭の中をあわただしく考えが駆け巡る。自分の行為を悔やむのでなく、自分が陥った状況を正当化する第一ランナーが脳裏を駆け抜けた。『悪いのはオレじゃない。黙らなかったあいつのせいだ』。続いて、そこにある危険から自分を救出する方策が脳裏にひしめいた。『強盗が入ったように見せかけてやれば、警察は的外れの捜査をするかもしれない』
サロソはガレージにあったガムテープでサルニとマリヤニを後ろ手に縛り、家の中に入ってタンスを開いたりしたが、盗品の故買で足が付くことを怖れたため、金目の品物を盗むことはしなかった。結局偽装行為は徹底しないまま、サロソは夕闇にまぎれて豪邸をあとにしたのだ。
用心深いサロソの逃亡行に警察はなかなか最後の王手がかけられないまま時を費やしたが、辛抱強い追跡行がついに実を結んだ。最初から凶器は3キロ入りガスボンベと睨んでいた警察はそうでなかった事実を犯人の口から直接聞いて思い込みを反省したが、犯人逮捕にそのミスが何ら影響を与えるものでなかったのは好運だったと言えるだろう。


「第七話」(2013年2月25〜28日)
2012年1月16日午前10時過ぎ、バンテン州セラン市スディルマン将軍通りにあるホテルアバディに一組の男女がチェックインした。チェックインの手続きを行なったのは女性のほうで、その女性は連れの男性を夫だと言った。警察の指導では、風紀取締りのために、男女が同室に入る場合はその男女が婚姻関係にあるかあるいは肉親の関係にあることを証明するものを示すよう客に求めることになっているが、警察がホテルの営業を保証してくれるわけではないと考えるホテル運営者のほうが一般的なため、警察の指導を励行するところは数少ない。ホテルが営業セキュリティ上の目的でチェックアウトするまで客から預かるのは住民証明書(KTP)で、その女性はフロントに自分のKTPを預けた。フロント係員は女性に9号室の鍵を渡し、その男女が部屋に向かうと女性から預かったKTPのデータを宿帳に書き写した。女性の名はスラニ35歳で、住所は中部ジャワ州クラテン県トゥルン郡グドンジェティス村となっていた。
その男女の客が部屋に入ってからは、ふたりのどちらのせよ部屋から出てきた姿をだれも目にしていない。16日が過ぎ去って17日の朝になり、ホテルの客室係りが朝食を部屋の前に置いて行ったが、数時間後に皿を片付けに回ったとき、朝食は手付かずのままだった。そして9号室のドアは依然として鍵がかかったままだ。不審を抱いた従業員が部屋の窓のカーテンの隙間から中を覗いたら、客の荷物はまだ室内に置かれており、女性客がうつぶせになってベッドに寝ている様子が部分的に見えたため、この客は滞在を延長したのだろうと考えてそれ以上の詮索をやめた。17日も終日、9号室を出入りする者はいなかった。18日の朝がやってきた。客室係りはふたたび窓のカーテンの隙間から中を覗き、中の様子が昨日見たものと寸分たがわないことに驚いた。おまけにうっすらと腐乱臭まで漂ってきたから、かれはフロントに届け出た。
ホテルの中に客室キーの合鍵を用意していないところがあるのは、従業員による客室内盗難を警戒してのことだ。ホテル側は9号室の扉が開けないために窓をこじ開けて室内に入り、ベッドの上にあおむけになって横たわっている女性の状態を調べた。その女性は死んでいた。
セラン市警捜査班がホテルアバディ9号室を調べ、被害者の首に絞められたあとがあり、また顔面にも打撲のあとが認められたため、警察は殺人事件と判断して捜査を開始した。ホテルのフロントに預けられていたKTPにもとづいて、被害者の住所に連絡が飛ぶ。スラニの夫デディ・クルニアワン42歳はタングラン県チクパにあるPTバタヴィアインダストリーズに勤めており、スラニはデディとの間に子供を三人もうけている。被害者の遺族の話によれば、スラニは夫に会うために1月15日にクラテンからタングランに向かったことが判明した。
デディ・クルニアワンは警察の調べに対し、妻のスラニが自分に会うために1月15日にクラテンの自宅を離れることの許可を求めてきたのでそれを許したものの、クラテンを出発してからはスラニからの連絡が途絶えてしまい、デディの側からの連絡も通じないままになっていた、とスラニの行動に関する事情を語った。そして妻からの連絡を待ちあぐねていたかれに突然届いた、妻がホテルで殺されたという寝耳に水のその知らせは、デディにとって青天の霹靂だったにちがいない。妻が殺害されたということと、妻が夫のまったく知らないもうひとつの顔を持っていたことのはたしていずれが、デディに大きな打撃を与えたのだろうか?
警察はスラニと一緒にホテルアバディにチェックインした男を第一容疑者として追及することにした。男の身元データはホテル側に何ひとつ提示されなかったが、その男はスポーツマンや軍人のように頭を短く刈り上げており中部ジャワ訛りの言葉をスラニと交わしていた、とホテルのフロント係りは述べている。警察はスラニの男関係を調べ出すためにスラニの身辺を洗い始めた。
夫や一族に固く一切を秘してスラニが行なっていた不倫を暴くのは、警察にも難しいことだったにちがいない。しかし地道な捜査活動の結果、ひとりの男が捜査線上に浮かんできた。デニー・サンファル34歳だ。既に妻をふたり持っているデニーがスラニとの関係を始めたのは二年前のことだった。
バンテン州ルバッ県ワナサラム郡ムアラ村に第二妻と住んでいるデニーは、1月16日の朝セランに着いたスラニを迎えてホテルアバディに向かった。チェックインを済ませて部屋に入ると、ふたりは飢渇した獣のようにたがいの身体をむさぼり合った。一度ならず二度までも。飢渇が癒えたあとで、スラニが思いがけないことを口にした。
「ねえ、あたし、子供ができちゃったのよ。いまひと月めよ。間違いなくあんたの子供なの。三番目でいいからあたしを正式な妻にしてよ。」
「じゃあ、今の夫と離婚してあの家を出るのか?」
「そう簡単にはいかないわ。今の子供たちのこともあるし。」
「それじゃあ、おまえ、二夫にまみえることになるぜ。」
「あんたとの家庭はこのおなかの子のため。あっちの家庭はあっちの子供たちのためよ。うまくやってりゃ、わかりゃしないわよ。」
「そんなに簡単にできるわきゃねえ。夫のある女と結婚することなんかできねえよ。」
「うまくやりゃあできるわよ。なによ、もともとあたしの身体を欲しがったのはあんたなのよ。その結果がどうなるかわかってなかったの?ちゃんと責任を取りなさいよ。」
スラニの言い草に従う気などさらさらないデニーも感情が激して口喧嘩になる。しかしそんな感情のいざこざよりも、たいへんな金と束縛がかかりそうなアイデアを持ち出してきたスラニにデニーは腹を立てた。そのとき、殺意が芽生えた。
疲れたスラニが眠りに落ちる。デニーはその機を逃さず、枕でスラニの鼻と口を塞いだ。スラニがぐったりして動かなくなると、さらにスラニがまだ穿かないままでいたパジャマのズボンでスラニの首を絞めた。スラニは死んだ。
スラニを殺害したあと、デニーはその部屋の中で夜を待った。夜になると部屋の周囲をうかがい、だれもいないことを確かめてそっと部屋を抜け出し、ドアを外から施錠してひそかにホテルから出て行った。そしてその足でムラッに向かい、フェリーに乗ってスマトラに渡った。スラニが身に着けていた貴金属製装身具と携帯電話をポケットに入れて。
デニーの第一妻は南スマトラ州パガララムに住んでいる。かれはほとぼりがさめるまで、そこに身を隠そうとしたのだ。しかし警察の手はそこにまで伸びてきた。第一容疑者デニーの所在を補足した警察は、デニーの挙動をうかがって逮捕のタイミングをはかった。家族主義文化の色濃い地方では、ファミリー構成員のひとりに危害が迫るとファミリー全員が一致団結してそのひとりを守ろうとし、そのひとりがどうしてそういう目に会うのかという理非曲直は完全に局外に置かれてしまう。理屈は通らず、もっぱら自分を包むファミリーの維持存続と繁栄をはかろうとして感情的な一体感が思考のすべてを支配する。無用心にデニーをしょっぴけば、第一妻のファミリーが警察署を襲って血の雨が降ることすら起こりうるのだ。そして結局、警察側の慎重さは裏目にでた。警察の手が自分の身近に迫ったことに感づいたデニーは逃走したのである。そしてデニーの消息は途絶えた。
事件発生から5ヶ月が過ぎようとしていた6月の初旬、セラン市警に朗報が舞い込んできた。スラニ殺害事件の第一容疑者デニー・サンファルが生まれ故郷に立ち回っている、という情報だ。市警捜査班はさっそくルバッ県ワナサラム郡ムアラ村に駆けつけて、親族の家を訪れていたデニーを6月7日に逮捕した。取調べでデニーは犯行を自供した。「スラニとの関係は二年前からだ。あいつは、『もう二週間も遅れていて、妊娠したかもしれない』と言った。だからオレに結婚してくれと言う。ところが夫とは離婚するつもりがないんだ。オレは頭にきたよ。だからあいつを殺さざるをえなくなった。」そしてデニーは「スラニを殺したことを悔やんでいる」と平然とした顔で言ってのけた。