「インドネシア人の実像」


モフタル・ルビスは1977年にタマンイスマイルマルズキで行った講演の中で、インドネシア人に特徴的な性向を6つ描き出して見せた。いわく、
1.偽善的である
  ABS (Asal Bapak Senang =バパが歓びゃそれでいい)的姿勢を大流行させた基盤をなすものがそれだ。
2.自分の行動に責任を取ろうとしない
3.態度や行動が封建的である
4.迷信を深く信じている
5.芸術的審美的である
6.性質や性格が概して軟弱である
どちらかといえばネガティブなポイントをたくさん指摘したかれの分析に対して首を横にふるインドネシア人も少なからずおり、賛否両論、喧喧諤諤の論議が百出した。身分的社会階層観が根強く残されているインドネシア人の社会生活を見るにつけ、インドネシア人はいまだに封建制度から脱し得ていないという見解をモフタルは表したが、その見解に向かって批判を投じた知識層も多い。封建制度それ自体はネガティブ・ポジティブの両面を持っており、モフタルはネガティブな面だけを見てそこから脱け出さなければならないと主張しているが、貴族制が持つ高邁な姿勢や高貴な知恵といったポジティブな面の存在を見逃してはならない、と。しかし現代インドネシア社会を眺め渡したとき、封建的メンタリティはいまだに国民の日常生活を色濃く支配しているにもかかわらず批判者が指摘したポジティブな面はいつのまにやら世上から姿を消してしまい、信念にもとづく毅然たる人間の姿勢を目にする機会は盲亀の浮木に近く、マテリアリズムの信徒が地上を覆っているありさまを目にするばかりだ。少なくとも現代インドネシアの民衆の間でそのような高邁な姿勢や高貴な知恵にたいした価値はおかれていない。何年にもわたる独立闘争の苦難の時期を経て民族独立をなしとげたかれらの国家生活民族生活の中に、もはや半世紀をはるかに超えたというのに植民地構造がいまだに根強くこびりついているインドネシアパラドックスに匹敵するものが、このポジティブ面を削り落としてネガティブ面だけを残した封建メンタリティの継続であると言えるかもしれない。

そもそもインドネシアとは多岐にわたる種族をひとつの政治的エンティティに糾合した概念であって、インドネシア文化というものが元々存在していたわけではない。各種族はそれぞれに異なる伝統的価値観によって形成された個別の文化的小宇宙の中で生きてきたから、それぞれが異なる風貌を持っている。だからモフタルの分析したインドネシア人とはいったいどこに住んでいる者を指しているのか、という疑問が提示されても不思議ではない。

言うまでもなくモフタルは、現代インドネシア人全般を眺め渡して国際社会における主要民族と比較対照し、インドネシア民族の国民的性向をひとつのステレオタイプとして抽出しようとしたのである。ステレオタイプというのはだれにも当てはまらないものではありえないが、かといってすべてのひとに当てはまるものでもない。ステレオタイプというものは、ひとが体験や観察を通じまた先入観や個人的分析を織り交ぜて頭の中に作り上げるイメージであり、その中に普遍化の影響も混じりこんでくる。

ひとつの社会が共同体としての統制をその構成員に求めるとき、共通の価値観が共同体構成員の行動原理の位置に置かれる。そんな原理をベースにして育まれた人間の行動様式はひとつの傾向を生み出し、それが共同体の文化的特徴つまり種族・民族の性向を生じさせるのである。ならばインドネシア人の像はいったいどのような姿をしているのだろうか?

VOC時代のオランダ人はインドネシア人について、裏切りが得意で約束はしても守る気など少しもなく、人殺しが大好きで戦争ばかりしており、不正直で野獣に近く、獰猛で残虐この上ない、と評した。ところで当時のオランダ人自身はどうだったかと言えば、ヌサンタラの各所で原住民の諸王国と戦争し、それがなければポルトガル・イギリス・スペインなどとの抗争に明け暮れ、相手を巧妙におとしいれて自分の支配下に置くために正直さや約束などには価値を置かず、敵を殺し残虐に扱うのは当たり前というありさまであり、ヌサンタラの島々に住む原住民が同じようなことをしてそれに対抗するようになるのも当然の理だったにちがいない。つまり当時のオランダ人はインドネシア人という鏡に映った自分の姿を見ていたのではないか?モフタルはそう語る。

その後オランダ人が植民地支配者として君臨するようになると、インドネシア人に関する異なるコメントが聞かれるようになった。インドネシア人に高等な精神活動を期待することはできないという観念が一般的なベースに置かれているとはいえ、ここの原住民は概して宗教性・勤労意欲・正直さ・同情心・感謝などについてはまあ凡庸なところだという見解が登場してきたのは戦争相手から被支配者へと立場が変わったことに関係しているにちがいない。とはいえ、インドネシア人は名誉を重んじ、落ち着きがあり、信用でき、善良で、忠誠心を持ち、客をもてなし、人当たりが柔らかいといった性質も認知されるようになったもののその一方で、インドネシア人は難しいことや苦しいことを考えるのを嫌い、原理原則を持たず、意欲に欠け、決断することができない、という短所も喝破されてしまった。

もちろんその時代はオランダ領東インドという政治的エンティティでインドネシアが覆われていたとはいえ東インド植民地人という文化的観念はまだなく、植民地政庁は過去から続いてきた各種族の文化を縦割りにして見ていたわけで、だから個々の種族に関する傾向と対策は支配階層の常識と化していた。イリアン人は激情的で怒りっぽく、騒々しい。マカッサル人ブギス人はよく疲労に耐え、あらゆるものが欠乏している状態ですら不屈の努力を払う。バリ人は生き生きした精神を持ち、図々しく、勤勉に働く。アンボン人はインテリで独立心が旺盛。ムラユ人は情熱的、残忍、閉鎖的で、猜疑心が強いが、正直で、客をもてなし、形式を重んじる。バタック人アチェ人マンダイリン人ミナン人はみんな石頭の頑固者。ジャワ人は、すぐにカッとしたり極端にのぼせ上がる者は稀で、収入をすべて投げ打ってでも自分の社会的地位にふさわしい扱いをされるように熱望する。そしてジャワ人はきわめて優れた兵士であるとも評された。

鄭和の南洋航海に通訳兼秘書として随身し1416年にヌサンタラの諸港を訪れた馬歓は、ジャワ島には三種類の人間がいたと書き残している。まず西方からやってきて定住した回教徒たちで、かれらの衣服や食物は清潔でちゃんとしている。次に本国から逃げ出してそこに定居するようになった中国人は大変立派な衣服や食物を用いている。そして最後の原住民はきわめて粗末で汚い。頭髪をくしけずらず足もはだしで外を徘徊し、霊や超自然の生き物を本気で信じている。食べ物は汚らしい蛇、アリ、昆虫や土中の虫をほんの少し火であぶっただけで口に入れる。かれらは犬を食べるが、眠るのもその犬たちと一緒だ。


インドネシア人がどんな姿かたちをしているか、まあ見てくれ、とモフタル・ルビスは言う。
『世界のどこに出してもひけをとらないカッコよさだ。古代からインドネシアの男も女も素敵で魅力的な上に人間としての優れた点を兼ね備えていた。古文書をひもとけば、男は雄雄しい真の騎士で、みめ麗しい威丈夫だ。アルジュナとガトッカチャを足して二で割ったようで、深い精神性を湛える高邁な騎士。女はどうだろうか?スリカンディにひけを取らず、ムラユ古謡にうたわれた通り、髪はほどけたパーム椰子の花房、眉は連れ立った二匹のミツバチ、唇は弾けたざくろの実、そしてサロンからのぞくふくらはぎは卵型の米粒のよう。』


男も女も美しいこのインドネシア人がいったいどこから来たのだろうか?モフタルのジョークはこれだ。
キリスト教徒は人類の祖をアダムとイブ(あるいはエバ)だとしている。そのふたりの男女は、宇宙を想像した万能絶対無比の神が住む楽園エデンの園で作られた。神はアダムを土から創り、そしてイブはアダムの肋骨から・・・・・、というこの話しはどこから見てもミソギニーでしかない。
イスラム教もまったく同じ話しを人類創生神話としたが、インドネシアのムスリムはアダムを英語と同じようにアダムと呼ぶもののイブはハワと呼んでいる。これは多分ヘブライ語のハーヴァがより近い形でアラブに受け入れられたことを意味しているにちがいない。

『昼休みにカキリマ屋台で二人の社会人類学者がソトを食べた後、議論をはじめた。人類の始祖であるアダムとハワは何人、あるいは何民族の祖だったのだろうか、というのが問答のテーマだ。ひとりが言う。
「エジプト人だろう。」
「愚か者めが。あの時代にエジプト文明はまだ生まれていない。ユダヤ人に決まってる。」
「それはありえない。ユダヤ人はイブラヒム(アブラハム)から始まったんだから。」
「そうだ、わかったぞ。アダムとハワはインドネシア人の祖先だったんだ。」
「そりゃどうして?」
「アダムもハワも禁断の実と蛇しか持っていなかった。つまり裸体を覆う衣服など身に着けていなかったということだ。裸で毎日暮らし、自分がいる場所は楽園だと思っていたんだ。この地上でそんな場所がインドネシアでなくていったいどこにあると言うのかね?」』


モフタル・ルビスは続ける。
『インドネシア人はいまやたいへん高い合理性を身に着けた。原子を最小単位まで計算することだってできる。ところがわれわれの祖先が信奉していたアニミズム時代の遺産からいまだに訣別できないでいる。われわれの社会を神話と神秘主義が色濃く覆っているのだ。インドネシア人はいまだに神話が大好きで、容易にそれを作り出す。われわれの合理的思考では対処しきれないほどたいへんな困難に直面したとき、新作や昔ながらの神話を語りだす。それが困難に直面するための力をわれわれに与えてくれ、またわれわれを襲うであろう災厄や危難から身を守る盾になると信じている。kebatinan という名前でポピュラーな神秘主義は、抑圧・混迷・焦燥・不安に満ちて頼れるものがなにもない、浮遊・遊離した状況から自分を逃避させる受け皿になっている。篤信の者、合理主義者、国内外で広く学問を修得した者にいたるまで、ありとあらゆるインドネシア人にとってそれは共通している。合理的思考を自他共に認めるひとですら、クバティナンの誘惑を断つことができない。不確定と困惑に揺らぐときばかりでなく、権力や高い地位を得たい場合やそれを維持したい場合、また大金持ちになりたいといった欲望に身をまかせようとするとき、ひとびとはクバティナンへの道を歩み始める。

神秘主義はほとんどすべてのインドネシア人の身辺を包んでいるが、中でもジャワ島にある神秘主義がたいへん有力であるため、ジャワの神秘主義の特徴を調べてみるのはわれわれインドネシア人が置かれている状況を理解するのに役立つだろう。専門家によれば、クバティナンの特徴のひとつはユニティを欲する衝動であるとのことだ。つまり一切を包含しようとする本源的な一体化である。さらにクバティナンは人間をふたつの要素としてとらえる。物質とそして神に由来する精神というふたつの要素だ。それゆえクバティナンでは精神的生命こそが真実の実相であり、肉体はあらゆる欲望を内に秘めた物質なのである。その肉体をクバティナンでは小宇宙と呼び、人間の霊魂によって支配されなければならないものと見なす。その小宇宙を完全に掌握できた者を世人はサトリアパンディタ(satria pandhita)として尊敬する。かれは王者にしてもののふ(武士)、そして同時に生のなにものたるかを究めた究道戦士だ。かれは自分の霊魂と肉体を統御する。神に由来する精神は自己の内面でひとつの一体境を生み出し、肉体もその一体境の中で霊化される。こうしてその者の内面に調和が形成され、他人・自分を取り巻く自然・神などとの調和、精神と肉体の調和などが紡ぎだされていく。仏教徒はその状態を涅槃と呼ぶ。

クバティナンでは人間の理想像として私利を追うことなく日々勤勉に働く姿を取り上げる。勤労とは、この世に神が遣わした自分の残り少ない余生の営みなのだ。いつ果てるかしれない自分の生は決していつまでも続くものではなく、すぐに神のみもとへと戻っていくものなのである。ジャワクバティナンにおける理想の人間はまた別の特徴をも持っている。自分の所有しているもののすべてをいつでもそれが必要とされているところに喜んで差し出すこと、自分にもたらされた一切のものごとを喜んで受け入れること、そして忍耐強くまた寛容に満ちて生きること。そのような人間が果たしてみなさんがたの周囲にいるのだろか?』
とモフタルは聴衆に語りかける。


とはいうものの現代インドネシアにおける理想的インドネシア人とはパンチャシラ人間であるとされている、とモフタルは続ける。かれのタマンイスマイルマルズキでの講演は1977年に行われたものなので、レフォルマシ時代の今とは多少異なっていることを読者はご理解いただきたい。インドネシア建国時に国是とされた五原則であるこのパンチャシラに生命を与え、そのモットーに従ってインドネシア人は日々の行動や考え方を統御し、それを生活規範としなければならない。(1)超独在的有神性 (2)公正で文明的な人道主義 (3)インドネシアの一体性(4)合議制と代議制における英知に導かれた大衆主義 (5)全インドネシア国民にとっての社会正義という五原則は政治信条や宗教あるいは文化などを超えて人間が理想とする観念を集大成したものだが、果たしてそのようなパンチャシラ人間がわれわれの中に存在しているのかどうか、これも胸に手を当ててなさんがたに考えていただきたいことだ、とモフタルは言う。

『インドネシア人はまた大きいシンクレティズムパワーを持っていることで知られている。新しいものも古いものもわれわれはすべて受け入れ、われわれの精神の中でそれらは手に手をとって生きていく。一日5回の礼拝を行うもののデウィ・スリ(Dewi Sri)への奉納も行う。超常パワーを持つブリギン(beringin)の木に花を供え香を炊くが、教会へも行くし聖跡を訪れて願をかけたりもする。われわれの足の片方はいまだにアニミズム文化の中にどっぷりと浸されているが、もうひとつの足はあらゆるものごとの価値観が目まぐるしく移り変わる現代ただいまの時代に置かれており、時代を追いかけようにも常に20年ほど遅れているありさまで、その両足の間には新旧のあらゆる影響が入れ替わり立ち代り、何層にもなって取り巻いている。わたしの見るところでは、われわれはあらゆるものを取り込んで自分の精神が違和感を感じることなくそれらが共に生き続けることを放置している、というのがわれわれの欠点のひとつだろうと思う。自分の心が乱れないよう望んでムスリムやクリスチャンが超常パワーを持つブリギンの木やサンヒヤンスリ(Sang Hyang Sri)に願をかけたり、宗教の信徒でありながら星占いやガラスの中の水や夢や第六感に運勢を見出そうとするドゥクンやグルの弟子になることに抵抗を感じないのだ。

人間というものの見方にはさまざまなものがある。イスラムでは、生まれた赤児はまだ何も書き込まれていない白紙にたとえられ、神聖なものとされる。カソリックでは、人間は罪を背負って生まれてきたと考えてその罪の償いを求める。プロテスタントは神への善行、中でも勤労や努力を尽くすといったことを勧める。そのような勤労倫理はヨーロッパやアメリカにアグレッシブな商人ビジネス層を生み出した。インドネシアの思想家はパンチャシラ人間の育成によってインドネシア文化が進歩すると謳った。インドネシア人がパンチャシラ人間になることによってインドネシア民族の精神と肉体の開発が推進されるのである。西暦2000年までにはパンチャシラ人間の育成が成功を収め、インドネシアは極楽と化してわれわれすべては快楽と幸福の人生を送ることができるようにわたしは全身全霊をなげうってその実現を祈るものであるが、そこに至る道はまだまだ遠い。

ならば今現在のインドネシア人はどんな様子をしているのだろうか?姿かたちはどうだろう?類人猿かそれともアルジュナ?妖怪それともデウィ・シンタ?もしわたしが霊験あらたかなドゥクンで魔法の鏡を作ることができるなら、現代インドネシア人の前にそれを置いたとき鏡にはいったい何が映るだろうか?ウ〜ン、外見はなかなかのものだ。外国人観察者の目から見ても、インドネシア人は見栄えのよい人間のクラスに分類されている。それどころか、インドネシア人の顔や姿の美しさを賞賛するインドネシア人ファンも少なくない。身体はほっそりすっきりで、男は痩せ型の頑丈な体躯に筋肉がつき、開放的な表情を持ち、直毛や波打つ黒い髪にチョコレート色や少し黄色がかった肌をしている。女は美しく、繊細な声、リズミカルな身体の動きは男の垂涎を誘い、云々、云々。

インドネシアの男も見栄えはよいのだ。その証拠にジャカルタのホモは毎晩引く手あまた・・・・。しかしインドネシアの女について言えば、魔法の鏡に映っている姿をわたしも保証する。かの女たちは世界でも上位に入る美しさを持っている。じゃあ今度は魔法の鏡で内面を映してみることにしよう。そこでも美しさを見出すことができるだろうか?そう、インドネシア人の内面にも美がある。われわれの中には美を求める芸術的才能がある。感情は繊細で、周囲を取り巻く自然と自分が密接につながっていると感じている。自然と共に生きているのだ。木・川・海・雲・空・星・月、いやそれどころか神秘に満ち満ちているあまたのもの。目には見えなくとも五感を通して見ることができるもの。それらは実に心楽しませるものだ。生の中に神秘があるという観念は、われわれの人生に興味をもたらし夢中にさせてくれる。あらゆることが調査済みで、すべてが分類され、マッピングされ、カタログ化されているようなものなど、その比ではない。

インドネシア人の内面にある美しく偉大な芸術性はヌサンタラのいたるところにさまざまな作品を残した。チャンディ・彫像・木彫り・真鍮や金銀細工・織物・編み物・建築物・口承や記録された文学・パントゥンや格言・風刺・シンボル・儀式・舞踊・音楽・生活哲学・・・・・。何世紀にもわたってはぐくまれてきたインドネシア人の創造力がそれらを生み出すパワーとなった。しかし、外から吹き付けてきたさまざまな影響によってそのパワーは弱まってしまったものの、インドネシア人にとってふさわしい環境が用意されたならそのパワーは必ずや息を吹き返すであろうことをわたしは確信している。それは世界のどの民族が持っている創造性に対しても決してひけを取らないものだ。

ところがインドネシア人の発展史の中でなにかが起こった。現代インドネシア人がいま無明時代と呼んでいる、われわれの先祖がもっと本源的だった時代に、インドネシア人は各地で文字を発明した。バタッ(Batak)で、ランプンで・・・・・。当時用いられた価値観は、多分現代社会にはまったくそぐわないとだれもが考えるであろうさまざまな形の社会システムを構築させた。たとえば古代のバタッ族は殺された敵や死刑囚をみんなで食しなければならなかったし、ダヤッ(Dayak)族やイリアンジャヤでは首狩が行われた。バタッ族の食人風習を調査した専門家の多くは、当時のバタッ社会における合法性の観念にそれは密接に関連していた、と解説している。殺された者や死刑になった者の肉をみんなで食べるのはその者が持っていた自然・超自然のパワーを取り込むことのほかに、ひとを殺すことあるいは死刑に処すことを正当なものにするという目的があった。そのような時代は文明を知らない野蛮な無明時代だったのだと簡単に言い切るのをわたしは場違いではないかと思う。ジャワではヒンドゥ教渡来前に独自の価値観による社会システムが発展していたのだ 。

それら古代の価値観のすべてが現代のわれわれの興味を引くものでないのは明らかだ。暴虐な支配者の専制や奴隷制度など古代社会の特徴のいくつかがいまわが国から姿を消してしまったのを目にするのは喜ばしいことだ。しかしその反対に古代インドネシアでは、構成員同士の間のムシャワラを基盤に置く小社会ユニットとしての村落共同体を発展させるのに成功した種族もある。ミナンカバウのナガリ制度やマンダイリンの王たちが民衆の父であったというような例を思い出すがよい。もちろんどんなシステムにも悪用は存在したのだが。

ともあれ、インドネシア人の芸術衝動が最大の発展を示したのはそんな無明時代だったのだ。それはヒンドゥ教が渡来したとき新たな駆動力を与えられてさらに一歩を踏み出した。そのあとでやってきたイスラム教やキリスト教は、インドネシア人の古代宗教の枠から見て、芸術表現に多くの枷をはめた。彫像芸術を見るなら、パドリ衆がタパヌリをイスラム化しようとして攻めたとき、多くの彫像作品が破壊され新しいものを作ることが禁じられた。その後その仕事はクリスチャン布教ミッションに引き継がれ、バタッ、カロ、ニアス島そしてインドネシア東部のあちこちの島で継続された。ジャワにイスラムが広がると、一部の人はそれを避けてバリに逃れた。イリアンジャヤでも似たようなことが起こったが、商才にたけたアメリカ人宣教師の何人かはイリアン人の作った彫像を打ち壊したり焼き払ったりせず、アメリカに送って商売した。

インドネシア人のセックスに関する姿勢も、イスラム教とキリスト教の渡来によって大きく変化した。言うなれば、強い圧迫を受けたのだ。

インドネシア人のセックス観も、イスラム教とキリスト教が流入してきたことで変化を余儀なくされた。古代インドネシア人にとってセックスは、ポリネシア人と同じようにきわめて天然自然、あるがままのものだったわけで、それが二大宗教の強い圧力のために変形されてしまった。イスラム教やキリスト教にまだあまり深く影響されていないイリアンの種族では、古代の慣習がその性生活に色濃く残されているのをわれわれはいま目にすることができるし、北スマトラのマンダイリンやバタッ地方でのメルマイヤムと呼ばれる独身青年男女の交際に関する慣習からも古代インドネシア人のセックス観をうかがい知ることができる。婚前交渉が許されている種族さえあったのだ。

インドネシア人の性衝動はたいへん強く、そして古代インドネシアではフリーセックスが当たり前のことだった。古代から伝承されてきた民話にもそんなセックス観が反映されている。たとえばスンダ地方のカバヤン物語の中に描かれているセックスや好色性はありのままにそれを映し出しているし、ジャワでは精力増強ジャムゥにたいへんな薀蓄を傾けた薬学や、おまけにセックス技術の研究が文学書の中に散見される。南スラウェシではユニークな性具が開発され、カリマンタンでは現代インドネシア人が世界に誇っているpasak bumiなるものがあり、インドネシアのいくつかの種族では男性性器を女の耳のようにしている。つまり穴をあけて星のような飾りを装着しているのである。だれもが同意するように、性衝動は人間の行動にとって第一のメインエンジンなのだ。だからもしそこに抑圧が加えられた場合、きわめてややこしい精神状態が発生することになる。インドネシア人が持っていた創造性が二大宗教の影響でどこまで落ち込んでしまったかを見るがいい。インドネシア人が内面に持っていた性衝動も圧迫されて変化してしまった。そうして社会の価値観や文化までもが、少なくとも外面的には、その影響を免れることができなかったのである。』

モフタルの言うインドネシア人の好色性やセックス好きはたしかに定評のあるところだ。インドネシア人のセックス好きはかれらの持つ快楽志向に密着しているようにわたしには思える。性行為は人間に対して相当に強い快楽を与えてくれるもののひとつなので、安逸と快楽に強い志向性を持つひとびとが性行為を好むのは当たり前と言えよう。それはどの民族にとっても大差ないものであるが、違いが出るのはさして生産的でない性行為を社会が優先順位のどのあたりに位置付けるかという部分であって、生産的行為よりも刹那刹那の安楽快適を優先する社会では大きい快楽を与えてくれるものがより高いポジションに置かれるのはまちがいないことであるにちがいない。だったらインドネシア人は異常にセックス好きで好色なのだろうか?

もともと高い集団性を持っていた直立歩行する人類の祖先たちがセックスに対してどれだけ自己規制を働かせていたのかということを考えてみた場合、かれらにとってフリーセックスはきっと当たり前のことだったにちがいない。フリーセックスという言葉をわたしは「欲情してくれば手当たり次第」という意味で用いているわけではないので、その点誤解なきようお断りしておきたい。先史時代のヒトにとってセックスはきわめて本源的なことがらであったように思えるし、将来コーカシアンになった集団とモンゴロイドになった集団、あるいはその他の人種になっていった集団などの間でその時代に大きく異なるセックス観が作り上げられていたとも思えないから、自由でないセックス・規制されたセックスというのはもっと後の時代に人類が生み出した文明によって作り上げられた価値観にしたがっているだけではないかという気がするのである。生殖本能は種の保存のために不可欠なものであり、各個体の意志とは無関係に行動に駆り立てるのが本能だから、天然自然、あるがままのものとしてセックスが受け入れられるのはきわめて当然なことだったようにわたしには思える。その意味でインドネシア人の好色性は古代の性に大らかな時代の感覚を現代まで保持している天衣無縫な性格と見て間違いではないだろう。いまでも土産物屋に入れば灰皿や置物などの中に性器をかたどったものが臆面もなく並べられている。男も女も下ネタが大好きで、早熟なせいか性体験は先進国にひけを取らない。非合法でありながらポルノVCDは国内でたいへんな売れ行きを示し、官憲の手入れを縫って毎日膨大な量が生産され販売されている。地方部へ行けば、夜の一家団欒のひとときにはお茶の間で親子兄妹一家そろってポルノ鑑賞をしている村があり、そこではどの家も軒並みそうだというニュースさえ流されている。もちろんそんな報道には野蛮で非常識な唾棄すべき行為というニュアンスが込められているのだが・・・・。


性器崇拝は古代、世界のいたるところにあった。広いインドネシアの地方部を訪れると、リンガ(男根)やヨニ(女陰)のご神体を祭ってある場所に出くわすことが多い。古代インドネシア人が棲息していた洞窟の中には性器の壁画やレリーフが見つかっている。ジャワにあまたあるチャンディも例外でなく、世界遺産たるチャンディボロブドゥルのレリーフさえも性的な表現から無縁でない。アイルランガ(Airlangga)王が礎を築いたクディリ(Kediri)王国は領内から出た謀反人ケン・アロッ(Ken Arok)に13世紀はじめ滅ぼされてシガサリ(Singasari)王朝が開かれるのだが、一介のならず者ケン・アロッが王国宮廷と渡り合えるまでのし上がって行ったストーリーを記したいくつかの書物の中に、女をわがものとすることで王者への道を歩んだという興味深い記述が見られる。クディリ領トゥマプル(Tumapel)の領主トゥングル・アムトゥン(Tunggul Ametung)はバラモンの娘で領内に並ぶ者とてない美女ケン・デデス(Ken Dedes)を妻に迎える。ならず者ケン・アロッはあるときケン・デデスの間近にいて、いたずらな風がデデスのカインを巻き上げるシーンを目撃した。そのときアロッが目にしたのは輝くデデスの女陰だったという。光り輝く女陰を持つ女を妻にした者は世の支配者になれるという言い伝えを知っていたアロッの出世譚がそこから始まる。策謀と陰謀の限りをつくしてアロッはトゥングル・アムトゥンを殺し、ケン・デデスを妻にする。その展開の中に登場するのがンプ・ガンドリン(Empu Gandering)が制作したクリスの呪いのエピソードである。アロッはトゥマプル領主の後を継ぐやクディリ王国の覇権を認めず、最終的に王国軍を打ち破って王国の支配者となる。デデスはトゥングル・アムトゥンとケン・アロッの子供を生み、アロッ亡き後のシガサリ王国では血で血を洗う王位争奪が繰り返される。王国転覆に結び付けて女の性器のようすがあけすけに語られるのはきっと、世にあまり例のないもののひとつであるにちがいない。


イスラム教とキリスト教という世界の二大宗教がインドネシアの地を広く支配するようになるまでのありさまはそのようなものだった。「インドネシア人の芸術衝動は無明時代に大きな発展を示し、ヒンドゥ教が渡来したとき新たな駆動力を与えられてさらに一歩を踏み出したが、そのあとでやってきたイスラム教やキリスト教によって多くの枷がはめられるようになった。」というモフタルの言葉はセックスに関するインドネシア人の姿勢にもぴったり当てはまるものだ。中東からヨーロッパ一帯を席巻した一神教文明は独特のセックス観による社会構築を進展させた。結婚という家の維持存続を主目的とした制度の中でのみ性行為が許されるという観念は地球上の他の地域にあった諸文明のセックス観と趣を異にするものだったが、ヨーロッパ人の世界制覇が進展する中で一神教文明は他の諸文明にとって支配者の位置に置かれることになる。そこでは、あるがままのセックスは否定され、種の保存を目的としないセックスは罪悪視され、性器は日陰の薄暗い場所がふさわしいものとされてしまったのである。

インドネシアについて言うなら、インド文明の渡来でオープンなセックス観が1千年以上にわたってこの地に定着し、またその繁栄を謳歌している一方で、アラブ商人やイスラム化したインド商人たちの来訪は継続的に行われ、かれらが接する地元民へのイスラム教化は狭い範囲で限定的に行われていたもののイスラムがメインストリームになることはなかった。俄然一神教文明が勢力を高めたのはマジャパヒッ(Majapahit)王国末期に諸領主間の抗争が強まった時代だ。王国が衰退期に入れば王都の覇権は弱まって領地・属国が分離独立を図るようになる。王宮の支配から脱することは王宮に弓を引くことであり、つまりは王宮を滅ぼして自分が王国を継承するという意味になる。マジャパヒッ王宮が任じたジャワ島北岸部の商港都市領主たちが、陰謀と暗殺の渦巻く弱体化した王宮の覇権を拒否して立ち上がったとき、かれら領主たちはそれぞれの町で勢力を持つムスリム商人層と手を結んでイスラム化していたのだ。そこではカーストを基盤とするヒンドゥ文明に対抗する柱として、唯一神の前の平等を説くイスラムが庶民に新風を吹き込む希望の星とされた。一部王族たちが庶民に対するイスラム教化のために諸国を行脚したり塾を開いたのもこの時代であり、その代表的な9人がWali Songo(九聖人)と呼ばれていまでも民間信仰の対象の中でトップクラスに位置付けられている。

ヒンドゥブッダ王国のマジャパヒッは1527年に当時のジャワ島北岸諸港の中でもっとも力をつけたドゥマッ(Demak)に滅ぼされ、ドゥマッはイスラム諸港の盟主として全国のイスラム化を進めていく。ちょうどそのころポルトガル人はマラッカを征服して東南アジアに侵略の爪を立てはじめていた。ポルトガルに続いてスペイン、オランダ、イギリス、フランスなどヨーロッパ諸国民が東南アジアに来航し、各地で侵略のかたわらキリスト教の布教を進めていく。イスラム教化された民衆がキリスト教に移る例は少なかったが、イスラム教化ができていなかった土地では住民のキリスト教化が実現した。ヒンドゥ文明による支配が姿を消して一神教文明による支配に取って代わられたとき、インドネシア人のセックス観にも二面性が生じた。モフタルが言うように、インドネシア人というのはあらゆるものを取り込んで自分の精神が違和感を感じることなくそれらが共に行き続けることを放置するひとびとであり、それはつまり新しい文明を摂取したとき古くからある価値体系と新来のものを融合させてひとつの統合された単一体系を作り出すようなことをしないという意味を表している。その結果複数の異なる価値体系が個々人(つまりは社会)の中で並存するため、外面的には矛盾としか見えない行動が時系列の中で次々と発現してくるようなことが起こるし、あるいは世の中のさまざまな分野でそれぞれ異なる原理をベースに諸現象が並立するため、社会的な矛盾(言い換えれば無秩序無統制)も後を絶たないというありさまになる。


インドネシア人の持つそのような二面性(多面性と表現するほうが正確かもしれない)をわれわれはいたるところで目にしている。モフタル・ルビスがインドネシア人に特徴的な性向の筆頭に掲げたのは「偽善的」だったが、偽善が成立する背景にはその文化の中で善悪の価値体系が単一であることが条件となる。社会的に善とされていることを言い立て、またそれを行うものの、本心はその善の啓蒙普及やその実現を目的としていない場合に「偽善」が成立する。モフタルが言うようにインドネシア人があらゆる価値観を取り込んで自分の精神が違和感を感じることなくそれらが共に行き続けることを放置するひとびとであるなら、インドネシア人がその中で生きている文化には複数の価値体系が並存していることになり、絶対規準たる単一善は存在しなくなる。そこにあるのはケースバイケースの善なのだ。とはいえそこには厄介な問題がひとつ関わっている。それはつまり複数で並存している価値体系の中でいまや世界の支配文明と化した一神教文明に由来する価値が社会的に一段高いものとされている実態なのである。だからこの一神教文明に由来する価値とクロスするところでのみ「偽善」と呼べるものが発現しているのであり、モフタルもその部分に焦点を当てているのだ。しかしわたしは、複数の価値体系をごちゃ混ぜにして抱えているインドネシア人が優勢善たる一神教文明に対して行う偽善を大仰に偽善だと言い立てるほどのものなのだろうか、という気がしている。というのは、ほかのほとんどの民族は単一価値体系の中に位置付けられた最高善あるいは絶対善に対する偽善を行っているのであって、そんなものに確信を抱いていないインドネシア人にとっての偽善とは複数ある相対善のその場その場における選択なのであり、ただ単にほかのシチュエーションでは優勢善に対して気にもかけないような体裁を取り繕っているだけであるのかもしれない。だったらインドネシア人の偽善というのは、他の諸民族が行う偽善に比べればなんと可愛いものでしかないのだろうかという気がわたしにはしてくる。

ともあれ「偽善」という言葉で示されているのは、一神教文明が「こうあるべき」と定めた善を言い立てながらも快楽安逸の「悪」を現実問題として重視する姿勢に関連する部分だけであって、個々人(つまりは社会)の中で並存する複数の異なる価値体系がもたらす二面性もしくは多面性の全体像がその言葉で描き出されているわけではない。偽善は二面性の一部分でしかなく、その根底にあるマルチスタンダードがインドネシア社会に不合理あるいは無秩序無統制をもたらしているのである。インドネシア人は相矛盾する諸価値観を衝突させることなく自分の中に並存させた上でその場その場の状況に応じて最適なものをポケットから取り出そうとする。つまり相手により、また置かれたその場その時のシチュエーションに応じてもっとも適したものごとをそこに出現させようと努めるのだ。これはきわめて軟体動物的な精神であり、枠組みや骨格によって形作られた精神、自分はこうなのだというひとつの形を作り上げていく精神、とは折り合いがつかない。そこには一貫性がなく、原理原則がなく、規律もなく、十分な因果関係も固定的な善悪も出現しない。

モフタルは篤信ムスリムとしての視点から、二面性(あるいは多面性)の発現形態としての偽善に焦点を当てたのだとわたしは思う。だからわれわれは偽善という言葉にとらわれるのでなく、二面性全体を広く鳥瞰していかなければインドネシアの正しい理解には到達できないだろう。つまり、偽善的でない二面性の部分にも同じ強さの関心をはらい、それらを同じ平面に並べて分析してみる必要があるというわけだ。そうすることによって「偽善」をも包含している二面性が生み出している不合理にメスを入れ、その中味をつまびらかに観察することが可能になる。この二面性はあらゆるものごとの中に具現されており、外国人が「何でもあり」「善悪規準が生活の場にきわめて希薄」「原理原則を持たず場当たり的」といったコメントを語るベースを支えている。


インドネシア人のセックス観も二大宗教の定着によって二面性の谷底の中に落ち込んで行った。インドネシア人はピューリタン的なイスラム教徒だから性的に厳格だと考えるひとも、セックス大好きインドネシア人は性的に放縦と考えるひとも、二面あるインドネシア人セックス観の一面だけしか見ていないように思える。実際に篤信ムスリム・ムスリマを自認するかれらが文明という言葉を用いて語る一神教文明が断罪する放縦な性行動は一神教のセックス観をdas Sollen、古代から伝えられてきたフリーセックスをdas Seinとして個々人の中にも社会の中にも並存させており、口で罪悪だと言いながらそれが行われ、その行為者に対する制裁はごくまれに行われるだけで大半は放任されているのが実態だ。das Seinとdas Sollenの二層分化はほとんどあらゆることがらが理論と実態(インドネシア語ではteoriとkenyataan)に分裂している状況を説明してくれる。

たとえば最低賃金がインフォーマルセクターにも適用されなければならないと法令に記されているものの、フォーマルセクターですらそれが完全に施行されているわけではない。政府はまずフォーマルセクターでの完全施行を目指して努力しているにもかかわらず、いつまでたってもそれが実現する兆しはない。こうしてインフォーマルセクターもまたいつまでたっても官憲の手がつかない状況のまま放置されることになり、法律でどう定められていようが自主的に自分の損になるようなことをしないひとが大半であるという実態が世の中に生じているのをわれわれは目にすることになる。だから実態を見てインフォーマルセクターに最低賃金は適用されないのだという理解を持つと誤りを犯すことになるが、かといって法律だけを参照して高い賃金を家庭プンバントゥや個人で雇用した運転手に支払ってやれば実態を知ったときに「後で臍をかむ」ことにもなりかねない。

同じようなことは徴税の場でも発生しており、税法では国民が収入を得れば納税義務が例外なく発生すると記されているし、事業活動を行う者は得た利益の一部を国に納めなければならないことになっている。ところが小さい雑貨ワルンや食べ物屋台でもあるいはコスコサンやカキリマ商売でも、その大多数は利益を上げているという事実が一方であるにもかかわらず、国税総局が納税者に与えた有効なNPWP(納税者番号)はまだ4〜5百万番号でしかない。かれら小規模自営業者が納税していない実態を見てかれらは非課税なのだと考えれば誤りを犯す。かといって法律に違反する膨大な数の人間の中で、法律を遵守しても得られるものは自己満足しかなくかえって自分のビジネスがやりにくくなるだけという現実をあえて無視してまで法に従おうとする者は存在しないのがこの世の中なのである。

たいていの文化の中で理論とペアになっている言葉は実践だ。もちろんインドネシアでも「理論と実践」という対句が聞かれないわけでないのは、異文化を呑み込む巧みな才覚を持つかれらにしてみれば別に不思議でもなんでもないことだ。しかし実際に世の中ではるかに頻繁に語られているのは「理論と実態」という対句なのであって、社会においてこのような分裂あるいは矛盾が当たり前のように存在している実態をその言葉が明白に物語っているようにわたしには感じられる。インドネシアでそのような矛盾を頻繁に目にする異文化人はまずそんな乖離の存在に驚き、続いてそのような矛盾現象にインドネシア人自身がほとんど違和感を感じていないことを知ってもっと驚くことになる。

それはただのチャランポランだ、とお考えになる方が多いようだが、チャランポランの中をよおく透かして見たときその言葉だけでは片付けられない何かがそこにうごめいているのをわれわれは眼にすることになるのである。
チャランポランという面がないと言っているのではない。チャランポランの同義語を探すと、いい加減 ・ イージー ・ 杜撰 ・ 怠惰 ・ 適当 ・ でたらめ ・ ノンシャラン ・投げやりな ・ 成り行き任せの ・ ずぼらな ・ いいかげんな ・ ダメ男やダメ女 ・ 無定見な ・ 無責任な ・ 遊び半分の ・ 身が入らない ・ いやいやながら(やる) ・ 真剣でない ・ チャラチャラする ・ おちゃらかす ・ 「(明日のことなど)ケセラセラ」 ・ 「ま、(これで)いっか!」 というさまざまなキーワードが出現し、南方系人種に特有の「今生きていることを最大限に楽しむ」という人生観につながって行く。貪欲なまでに現在の快楽を追求するかれらの生き様は未来への憂鬱を抱えて今を生きている北方系人種になかなかまねのできないものでもある。時間の観念も必然的に異なったものとなり、現在進行形エピキュリアンたちは往々にして時系列の外で生きていくようになるにちがいない。


さて、インドネシア人はあらゆるものを取り込んで自分の精神が違和感を感じることなくそれらが共に生き続けることを放置するひとびとである、とモフタル・ルビスは分析した。一般的に見て世界の諸民族はたいていそんな特技を持っておらず、ほとんどの民族は単一価値体系の文化の中に生きている。盗みは悪であり、盗みがなくなることはないものの一般民衆は盗みが行われたことを知れば憤り、反発し、非難する。盗んだのが誰であり盗まれたのが誰だから、という要因でそれが悪になったりニュートラルになったりすることはないと思うのだが、かといって「ない」と断言できるほどわたしは世界を知らない。ともあれ、インドネシア人の社会的にそれなりのポジションにいる人たちと話して驚かされるのは、強盗事件や行政腐敗事件のニュースを語り合うと最初は誰もが犯罪事件を糾弾するのだが、犯人が小市民の場合はあまり強い非難が述べられることはなく、結局犯人は貧しさのせいで自分と家族が生きるためにやむを得ず行ったのだからというパーミッシブなコメントに至って終わることがほとんどだ。わたしはそこに、盗みは悪という価値体系と人間に対する優しさを持つことを善とする価値体系の相克がかれらの中に起こっているように感じるのである。複数の価値体系を自分の中に抱えて外界の諸現象に対応している一例がこれではないかと思うのである。

インドネシア人のように相矛盾する価値体系を抱えて複合的な原理に従って生きていくのは容易なことではない。なぜならたいていの文化では人間に個人の自我、単一で統御された自我の形成が求められているからだ。相矛盾する価値体系を自分の中に抱えることは単一で統御された自我を持つ人間にとって不可能なことであり、それが起こればその自我は分裂状態に陥ってしまう。分裂を避けるためには複数の価値体系を統合してひとつにまとめなければならない。そのようにして自我、つまり精神、はある一定の枠組みや骨格を持って形を作り上げていく。このような自我を社会が正当なものと認めるかぎり、それが軟体動物的になることはない。逆に言うなら、相矛盾する価値体系をまるごとそのまま抱え込む人間は確定的な自我を持ってはならないのである。その場その時の状況によって形を変える自我、軟体動物のような自我、それが相矛盾する複数の価値体系を抱え込むことを可能にするのだ。内面がブランクであるという状態こそがその実現を支える究極の条件であるにちがいない。インドネシア人の精神構造はきっとそのようなありさまになっているのだろうとわたしは思う。そんな精神構造をベースとしてインドネシア人の二面性が上部構造を形成し、同時にチャランポランの諸形態もネオンサインのように諸所にきらめいている。ネオンサインだけに気を取られていてはインドネシア人の精神的下部構造にまで目が届かないだろう。


ジャワで新興イスラムの盟主となったドゥマッ(Demak)は後になってパジャン(Pajang)へ遷都し、その後パジャン王国の一領地だったコタグデ(Kotagede)を司るパヌンバハン・スノパティ(Panembahan Senopati)に滅ぼされる。スノパティが建国したマタラム王国はスルタンアグン(Sultan Agung)時代に黄金期を迎えるが、それを過ぎてからはオランダVOCの支配下に落ちて植民地政策の片棒をかつぐ立場となり、政治パワーを骨抜きにされて文化爛熟期へと向かう。その文化爛熟期に著された書物の中に、セックスの詳細を微に入り細をうがって記したものがいくつか残されている。ピューリタン的セックス観を規範とするイスラム王国の王宮はどうやらdas Seinが優位な場所であったようだ。スラッチュンティ二(Serat Centini)、アスモロゴモ(Asmorogomo)、ガトロチョ(Gatoloco)、ダルモガンドゥル(Darmogandul)などセックスシーンの詳細な描写をした19世紀の秀逸なポルノ文学作品とも呼べるものが今に残されているが、王宮の塀の外にいるのが文盲者ばかりだったために宮廷好色文学は社会的な影響力を持たなかった。王宮の王子たちには性行為の指南書が用意されて夜伽女があてがわれた。どのような外見の女は性感帯がどこにありどのようなセックスに秀でているか、いつ行うセックスはどのようにすれば最善か、男女ふたりが長時間セックスを楽しめるようになるためのトレーニング方法は、などという内容に満ちたセックス実技指南書はその完成度の高さにおいて現代でもひけを取らないものかもしれない。

王宮がそうであれば一般庶民も負けてはいない。やはり建前としてのイスラムセックス観とは別にフリーセックスを行う場が用意されていた。男女合体が神と強く結びついているという考え方は世界各地にあるようで、日本でも参詣の男女が野合する習慣が認められていたようだし、新興宗教の中には男女信徒にランダムセックスを行わせて神に近付くことを勤行の中に入れているという話もある。中部ジャワにも願い事を叶えてもらうために参詣を行い、その条件として野合を行うことを奨めている場所がある。

ソロ(Solo)から北へ30キロ上がったスラゲン(Sragen)県スンブルラワン(Sumber Lawang)郡プンデン(Pendem)村。クムクス山(Gunung Kemukus)がそこにある。ソロからプルウォダディ(Purwodadi)行きバスに乗ってブラワン(Belawan)で降りれば、道路の左側に「クムクス山観光地区」と書かれた看板の出ているゲートに出くわす。そこからひとびとはオートバイオジェッで、あるいは徒歩で船着場に向かう。クドゥンゴンボ(Kedung Ombo)ダムが完成して以来、クムクス山は広大な湖に浮かぶ島になった。しかし乾季に湖の水位が下がれば、ひとは昔のように徒歩で山に入っていくことができる。1983年以来クムクス山は参詣観光スポットとしてスラゲン県観光局がそれまでの地方収入局に替わって管理を始めた。ここは地元にとって重要な観光資源なのだ。

クムクス山には聖なる墳墓があり、ひとびとはそこへ参詣してご利益を願う。世の荒波にもまれる民衆が願うご利益はどこの国へ行こうがみな似たようなものだ。富貴、出世、結婚相手、就職・・・・・。ひとそれぞれがそれぞれの事情のもとに霊験あらたかな聖なる墳墓に願いを託す。政府が開催する宝くじが行われていた時代には、その当たり番号のお告げを得ようとする者までやってきた。インドネシア人にとっての参詣はかつて日本でもそうであったようにこの世のご利益を願うためのものであり、言うまでもなくメッカ巡礼とは趣の異なるものだ。一神教本来の教義によれば信徒が伏し拝むべきは唯一絶対神のみであり、それ以外の超自然的存在を伏し拝んで頼みごとをするのは背神に当たる。ここにもわれわれは複数で並存する価値体系のサンプルを見出すことができる。

インドネシアのムスリムはメッカ巡礼も熱心だが聖跡へのお参りも盛んに行っている。ただしバンテン州のバンテンラマ(Banten Lama)やチレボンのグヌンジャティ(Gunung Jati)あるいはジョクジャのイモギリ(Imogiri)などへの参詣と違って、クムクス山の参詣は一部インドネシア人、中でもイスラム知識層から顰蹙を買うものとなっている。それはクムクス山参詣の作法の中に野合が盛り込まれているからである。ある非公式ソースが語るクムクス山参詣作法によれば、クムクス山に参詣する者はポンもしくはクリウォンの木曜の夜または本人がよき月よき日と確信している日の夜にそこにあるパゲラン・サムドロ(Pangeran Samudro)の霊験あらたかなる墳墓に7回お参りし、その7回目の願掛けが終了する日に夫あるいは妻でない異性と交わりそしてスラマタンを行わなければならないとされている。スラマタンは願掛けが満了したことを祝うためのものであり、願いが叶うことを祈って鶏やヤギを屠り、墓守に儀式を率いてもらう。最初クムクス山へ来るとまず墓守に会って参詣の目的を伝えたあと墓所のベランダに入って願いが叶うようにと祈りながら三種類の花びらを撒く。そのあとは野合のプログラムが待ち受けており、クムクス山で出会った異性とカップルを組み墓所の周辺の木の下にござを敷いて野合を行う。それが願い事が叶うための作法のひとつとされているので、夫あるいは妻でない異性との不倫行為は避けることができないものになっているのだ。言うまでもなく参詣者の圧倒的多数は男性であるため、夫婦でクムクス山へ行ってそれぞれが別の相手と睦むというケースもあれば最初から夫あるいは妻でない異性とカップルで参詣に行くケースもあり、そしてあぶれるに決まっている大多数男性のために地元で用意されている売春婦相手といったケースもある。


このフリーセックス観光の要素を存分に盛込んだクムクス山の参詣観光はいったいどういうことなのだろうか?その縁起を説明しているのがパゲラン・サムドロに関して流布している説話である。説話であるということはいくつかのバージョンが存在するということでもあり、さらにはジャワ歴代の王宮が編纂した年代記や王国史の中にそれを裏付ける記述が存在しないということでもある。

さて、マジャパヒッ王国の王子パゲラン・サムドロは自分の母親デウィ・オントロウラン(Dewi Ontrowulan)との間で情を交わす。母と息子のただならぬ関係を知った父王は怒り、息子を王宮から追放する。王子はわが悲運を嘆いて諸国行脚の旅に発つ。そうして歳月が流れパゲラン・サムドロはクムクス山に至って庵を結んだ。いとしいわが子にしてわが恋人がクムクス山に落ち着いたことを知ったデウィ・オントロウランは王宮を出てクムクス山に向かう。ふたりは再会し積もりに積もった思いを解き放つ。しかしそのあってはならぬ行為に住民たちは怒り、ふたりに制裁を加えた。ふたりは思い果たさずクムクス山の露と消えるのだが、事切れる直前にパゲラン・サムドロはこう語った。「われらが果たし得なかったこの行いをここで続けてくれた者にはきっとその願いが叶えられるであろう。それはわが罪をあがなうことであり、われはその者にあらゆる形で助力を与えるであろう。」

こうして願いを叶えてほしい民衆はパゲラン・サムドロが果たせなかったその行為をかれの墳墓の近くで実行して見せ、サムドロの助力を期待して願をかけるようになった。だがサムドロが遺言として語ったというその言葉の中の「この行い」とは、互いに夫でも妻でもない男女間の不倫性行為つまりフリーセックスという意味だったのだろうか?説話ではパゲラン・サムドロとデウィ・オントロウランという母と息子の母子相姦が描かれているのだが、それがどうしてフリーセックスという意味に拡大されてしまったのか。サムドロの意図は本当にそうだったのだろうか?

スラゲン県観光局が作成した観光案内パンフレットによると、パゲラン・サムドロはマジャパヒッ末期の王ブラウィジャヤ5世の王子のひとりだったと記されている。ドゥマッ(Demak)に封じられたラデン・パタがイスラム勢力を土台にしてマジャパヒッ王宮と対立するようになると、シワブッダを奉じる王族たちは危うくなった王都を捨てて諸地方に散った。バリへ、ブロモへ、そしてパゲラン・サムドロはクムクス山へ。だからその地域一帯の住民は自分たちの先祖がこのパゲラン・サムドロだと信じているのである。この話の中に野合がらみのクムクス山参詣作法は片鱗も窺えない。

ところが現実に参詣者たちは墳墓周辺の木の下で子供たちが差し出す賃貸しのござを借り、あるいは掘っ立て小屋に入り、相手がいなければ賃貸しの若い娘を調達して、その界隈におよそ50軒ほど立ち並ぶワルンの小部屋で不倫の営みにふける。インドネシアで不倫性行為は宗教が禁じているのみならず市民法でも犯罪とされている。ところがクムクス山で数千人の互いに夫でもなければ妻でもない男女が繰り広げる性の饗宴からだれひとりとして官憲に連行され、拘留され、送検された者はいない。ここにもわれわれはインドネシアの二面性あるいは多面性という実態を見ることになるのである。


インドネシア人のセックスエピソードはそれくらいにして1977年のタマンイスマイルマルズキに戻ろう。モフタル・ルビスは語る。

『インドネシア人はその歴史の中でたいへん虐げられた民族だった。古来インドネシアの王たちは自らを神の化身と見なして民の上に君臨する独裁者だった。民の生殺与奪の権を握る王は、その者がだれであれ、かれがなんら悪事を行っておらず、また法も犯していなかろうとも、心の赴くがままにその者の生命を奪ってかまわなかった。王はそれほど超能力を持っていると考えられていたので、王の使う器物や身に付ける衣装までもが魔力を持つと考えられ、だれもそれに触れてはならず、ましてやそれを使ったりあるいはそれを模倣するといったことも許されなかった。インドネシアで王は古来から、超自然の力を持ち、死人をよみがえらせる力を持ち、そして王自身が死んでもいつでも復活することができる、と民衆は信じていた。ヨーロッパでは領主の初夜権といって新しく結婚する娘の初夜を領主が自分のものにするということが行われていたが、それと同じことがインドネシアのいくつかの王国でも実行されていた。古代ジャワの王たちも野獣を戦わせ合うようなことを好んだ。虎と虎、虎と水牛、あるいは死刑を宣告された人間を虎の待ち構える闘技場に押し込むといったことさえも。闘技場の全周は槍を持った兵士が四層に取り巻いて野獣の逃亡を防ぐ。野獣の入った檻が闘技場に運び込まれたあと、檻の扉を開く係りの者が扉を開いてから慌てふためいてその場から逃げ出すことを王は許さなかった。その係りの者はゆっくりとまず王に拝謁し、そのあと礼儀正しく緩慢に闘技場を去らなければならないのだ。もし興奮した虎が即座に檻から飛び出したら、野獣の餌食になる不運はその者に与えられる。職務を果たしているときに不慮の死を遂げた王のしもべには大いなる名誉が与えられたことだろう。虎が逃げ出そうとして闘技場を取り巻いている人垣に突入すれば、数人の兵士がそのつめにかかって生命を落としたかもしれない。しかしそんなことはなんでもないものなのだ。かれらは娯楽を楽しんでいる王を警護するという職務を全うしたのだから。

王や高位高官が民衆に命じたびた一文の報酬もない労働徴用のさまざまな明細をここで物語る必要はない。ましてやムルタトゥリ(Multatuli)が描いたような、収穫した稲や農業に欠かせない水牛を支配者たちが略奪していたことも。ドゥエス・デッケルがムルタトゥリの筆名で著した歴史的名作マックス・ハフェラールには、「娘が母親の家から連れ去られ、水牛が牛舎から盗まれ、土地は乗っ取られ、果樹の持ち主は実った果実を取り上げられる。そして貧困者の身体を覆うべきものを圧政者は略奪して身に着け、また貧困者が食べるべきものを奪い取って食べるのだ。」と往時の苛斂誅求のさまが記されている。その圧制者とはオランダ植民地政庁の政策推進の片棒を担いだ地元プリブミ封建支配層であり、つまりは同じインドネシア人だったのである。

過去十数世紀にもわたって渡来し、ヌサンタラの地に幾重にも層をなして築き上げられた影響・衝撃・圧迫・抑圧がインドネシア人の姿を作り上げてきた。現在の民族独立期にわれわれが目にしている姿がその結果なのである。独立革命という短い一時期、インドネシア人はそれらさまざまな影響がもたらしたあらゆる形態の拘束・抑圧・圧迫から物理的精神的に自らを解放し、完璧な精神を持つ新人類として未来への新しい一歩を踏み出すのに成功したかのような印象を与えた。しかし過去十数世紀にもわたって自分自身の中に植え込まれてきたありとあらゆる枷や抑圧からみずからを解放するのに成功したインドネシア人は限られた人数でしかなかったようだ。』モフタルはそう語って遺憾の思いを隠さない。

インドネシア人が革命期と呼ぶ民族独立闘争の時代は、旧宗主国に対する独立のための武力闘争であるとともに旧宗主国の走狗となっていた封建支配層の権力を打破する革命闘争でもあった。モフタルが言う通りそれは、この民族があらゆる過去の悪弊を打ち壊して新しい自由な民族を築き上げるひとつのモメンタムであったのだ。しかしそれから半世紀を超える年月が過ぎ去ったというのに、その目論見はいまだに成功しているように見えない。ひとびとの封建精神は根強く維持され、ジャワ出身の第2代大統領には「大王」の異名すら与えられた。プリブミ社会の封建精神を土台にして築かれた植民地構造は、国民の封建精神が維持され続ける限りインドネシアの政治構造がどう変化しようと似たりよったりの容貌をわれわれに見せてくれることだろう。きっとそれがインドネシアパラドックスの中味であるにちがいない。独立期に一度起こった革命はヌサンタラの地に二度と実現しなかった。急進的な革命は嫌悪されて中庸なレボルシ(改革)が大多数国民の賛同を得たが、大多数国民が日常生活の営みを実践する規範として持っている封建的価値観に対してレボルシが及ぼしている影響は蝸牛の歩みに似ている。

続いてモフタルは最初にあげたインドネシア人に特徴的な6つの性向を個々に詳しく分析する。モフタル・ルビスの講演は佳境に入っていく。

『特徴のその1は偽善的であることだ。これは多くのインドネシア人にとってきわめて顕著な特徴であると言える。かっこうをつける。ふりをする。表と裏が別々だ。これはインドネシア人にとって遠い昔から顕著な特徴のひとつとされてきた。外国からやってきた勢力の支配に直面したかれらは、本当はどう思っているのか、どう感じているのか、実際に何を望んでいるのか、などといった本心を隠すことを強いられてきた。そうしなければ自分自身や係累にどのような災いが及ぶか知れないからだ。大衆を猛烈に抑圧し大衆のあらゆるイニシアティブを弾圧してきたインドネシアの封建制度がインドネシア人の持つ偽善性の原因のひとつなのである。そこに加えて、その基盤の上にさまざまな宗教が渡来してきた。インドネシア人の精神生活を豊かにするさまざまな価値をそれらの宗教がもたらしたとはいえ、いくつかの地方では強制や暴力に先導されあるいは地元支配者と提携を結んで入ってきたために、それがインドネシア人を解放するパワーあるいは要素として至る所で歓迎され受け入れられたというものではない。

それはいま、たとえばわれわれがセックスに対してどれほど偽善的であるかという点を見ればよくわかる。公衆世間一般の見守る前でわれわれは、オープンなセックスライフあるいはセミオープンなものにしても、徹底的な非難と糾弾を投げつける。外国雑誌にヌード写真が掲載されていれば、センシティブなインドネシア人の倫理観を傷つけないように女性の全身から半身あるいは4分の3が黒インクでべったり塗られる。ところが国内ではスチームバスやマッサージパーラーの開店営業を許し、売春地区を設けて囲い込み、さまざまな公式・半公式・非公式なシステムを用いて売春婦と客の安全を保証しまた保護している。自分の生活環境の中ではきわめて篤信的な顔をしている者も、シンガポールや香港あるいはパリやニューヨークやアムステルダムに降りればタクシーに飛び乗ってナイトクラブに向かい、ホテルのボーイやポーターに女を注文する。コルプシ行為を一緒になって罵倒しているというのに、かれ自身が汚職者だ。最近の流行語を使えば「役職商品化」という名前で呼ばれているコルプシをわれわれのだれもが呪うものの、だれもコルプシ実践を止めようとせず、全国のコルプシは日ごとに高まっているありさまだ。インドネシア人のこのような偽善性が、たとえばプルタミナで十数年間休むことなく激しいコルプシが続けられるのを可能にしたのであり、その事実がきわめて明白であるにもかかわらずいまだに首謀者に対する法的措置が取られないことのベースをなしている。加えてわれわれはこんなことも言っている。わが国で法はすべての者に対して適用される、と。ところが現実には、こそ泥は監獄に入れられ、大泥棒は自由に世間を徘徊し、あるいは場合によってせいぜい短期間入獄するだけという実態をわれわれみんなが嫌と言うほど目にしているにもかかわらず・・・・。

外国人の植民地支配下に落とされるずっと前の時代から根を引いているインドネシア人の偽善性は、いまやABSという有名な姿勢を生み出した。ABS(Asal Bapak Senang =バパが歓びゃそれでいい)という姿勢は、インドネシアの封建支配者がこの地にはびこって民衆を弾圧し、インドネシア人の諸価値をレープした時代にさかのぼることができる。自分の身を守るために民衆はそとづらを仮面で覆い、王・スルタン・スナン・レヘント・ブパティ・ドゥマン・トゥアンクララス・カラエン・テウク・トゥンクたち封建君主に対して常に「inggih」 「sumuhun」 「ampun duli tuanku」 「hamba patik tuanku」といった姿勢で応対することを余儀なくされた。同じインドネシア人でありながら権力を持つ者によって抑圧され・搾取され・掠奪され・人間性を冒されたインドネシア人の中に植え込まれた偽善的性質は、そのあとやってきたポルトガル人・スペイン人・オランダ人など外国勢力が大多数の民衆に暴力と虐待をふるったことでさらに深いものになった。生き延びるためにますます盛んに偽善的性質を培ったことが、インドネシア人の中にますます深くその性質の根を張らせる結果をもたらした。ひとは自分の真の心・感情・考え・あるいは確信さえも他人に対して隠すことが巧みになり、「ノー」を口に出さずに他の方法で示すことを学んだ結果、その言葉はさまざまな仮面の下に埋もれて正体が判らなくなっている。不賛成・批判・非難といった姿勢についても同様で、すべてが隠蔽されて異なる方法で表現されている。

今日この瞬間まで続いているインドネシア人の偽善性はこの先いつまで生き延びるのだろうか?権力上位者は下位者からABSされることを好み、下位者は上位者にABSすることを好む。しかしわが民族の独立闘争は民主主義・人間の自由と尊厳への尊重と確立・人間の平等・経済社会正義などのコミットメントを謳っているため、いまやわが民族のすべてがこの偽善ドラマの舞台の上を闊歩しているありさまだ。

「kanjeng Sultan yang maha mulia, daulat tuanku」というスルタンに対する尊称をわれわれはバパという言葉に替えたが、インドネシア文化の中でバパとアナッ(anak)の間の関係は本質的にデモクラシー的要素を含んでいない。バパは筆頭権力者であり、アナッ(子供)は親に従順に従うのが務めとされているではないか。このような姿勢がわが国の知識層に背信行為を煽っている元凶なのである。


現代インドネシア人の特徴のその2は自分の行為・決定・行動・考えなどに対して責任を取ろうとしないことだ。「わたしじゃない」という言葉はインドネシア人の口の端でけっこうポピュラーな文句になっている。ミスや乱れ、悪しきことや失敗などに関する責任を上位者は下位者に移し、下位者はそれを自分よりもっと下の者に、とそれは延々と繰り返される。インドネシアの歴史の中で、自分の責任範囲内に起こった悪しきことの責任を進んで取ろうとする勇気とモラルを持ったリーダーは指折り数えるほどしか出現していない。そんな例の大きなものとしてわれわれはプルタミナを引き合いに出すことができる。「わたしじゃない」という上位者の責任回避姿勢を前にして、下位者も負けず劣らずポピュラーな文句を口の端に載せる。「わたしは上からの命令を実行しただけです」というのがその自己弁護の常套句だ。

結局はミスや悪しきことが起こっても、「わたしじゃない」と「上からの命令です」というバランスの取れた応酬姿勢によって上位者も下位者も寸分たがわぬ責任回避を本領とするため、責任ある結果は実現することがない。これもプルタミナのケースの中にわれわれは例を見出すことができる。何億ドルもの国の財産が横領され、取締役社長からその部下にいたるまで大勢の役職者が法規に対する違反を行い、しかしだれひとりとしてそれをとがめられた者はいない。1976年12月24日発行のインターナショナルヘラルドトリビューン紙によれば、ブルース・ラパポートが役員になっているパナマの会社に対する告訴事件を取り扱ったニューヨークの法廷でイブヌ・ストウォ自身がインドネシアの法律に背く行為を行ったことを認めている。ブルース・ラパポートはイブヌ・ストウォのビジネス仲間であり、ラパポートが株主になっているジュネーブインターマリタイム銀行の顧問会メンバーに就任していたことで法律違反を犯している。多分イブヌ・ストウォ自身もその銀行の株主だったかもしれない。イブヌ・ストウォはまた、1千6百枚の約束手形を中味も見ないで署名しビジネス仲間の不安を鎮めるためにそれを使うようラパポートに渡したと証言している。さらにかれはラパポートから250万ドルの金を借りてそれを自分の銀行口座に入れ、返済は一度も行っていない、とも述べている。イブヌ・ストウォのそれらの証言が本当なら、ラパポートはなんと心優しき男であることか。とはいえ、それらの金がかれらの間で山分けされたものであっただろうことは想像にかたくない。

責任から一瀉千里に身を隠すのとは反対に、成功や輝かしい評価に際してインドネシア人は衆人の前に進み出て勲章・拍手・表彰状などを受け取ることに気後れしない。しかしさまざまな功績によって勲章を得たひとびとの名簿を調べてみれば、実際にはそんな資格のない者の名前がそこに登場しているのに気付くだろう。つまりマハプトラ勲章を受けた者の大部分はバパ階層のひとびとなのである。遠隔の地で生活のあらゆる困苦に耐えながら懸命に働く下級職員が自分の出した成果によってそれ相応の評価を得たことなど盲亀の浮木に近い。


インドネシア人の特徴のその3は封建精神。インドネシア独立革命の目的のひとつが封建主義からインドネシア人を解放することであったとはいえ、新たな形態の封建主義はインドネシア人自身そしてインドネシア社会の中にますますはびこっている。そのような封建的姿勢は国の公式儀典・職員組織内の人間関係(国家公務員や国軍軍人の妻たちが作る組織の役員編成の中にはっきり反映されている)あるいは総選挙名簿の中で国政高官の妻が行なう候補者選択などの中に見ることができる。司令官や大臣の妻は、能力やリーダーシップの才能あるいは知識・経験・関心・忠誠心などとはまったく無関係に、妻たちの組織のトップの座に就くのが決まっている。ハイソサエティでもローソサエティでも、そのような封建精神は脈々と維持され、日ごとに強化され続けている。上流層はリスペクトされることを当然の帰結と期待する。肩書きや権力あるいは財力などに関して自分の地位の下にいる人間は自分に対してあらゆる方法で仕える義務を負っているという感覚がそこに含まれている。服従・尊敬・畏れ・尋ねることなく慮る・自己卑下・身の程や場をわきまえ・バパの歓ぶあらゆることを受入れまたそれを行う。要するにABS(Asal Bapak Senang =バパが歓びゃそれでいい)を実践し、バパを不愉快にするものごとの一切をバパの耳目から遠ざけなければならない。一方で下位者自身の内面も、バパにお仕えしようという封建精神は負けず劣らず豊潤である。

たとえば電話の使い方ひとつにしても、インドネシアではこんなに滑稽なことが現実に行われている。友人が物語った話はこうだ。あるときかれは国政高官のひとりに電話で話をしようとした。電話に出たのは副官か秘書だろう。友人が「バパと話がしたい。」と言うとその相手は「アポイントメントは取られていますか?」と尋ねた。友人は不可思議の念に襲われた。電話するだけでも事前にアポを取らなければならないのかと。つまり偉い人にいきなり電話するのは失礼だと多くの人が考えているのだ。封建精神に則れば礼儀にかなうのは面会に行くことであり、つまりは待たされることを覚悟しなければならず、待つ期間も数日から数週間となる。お目にかかるためにより多くの時間が必要となれば、その偉い人の威厳はいや増しに高まり大物だと見られることになる。「わあ、バパXXはアポを取るだけでもたいへんなんだ。最低でも2週間はかかる。バパはいつもご多忙で、お仕事に励んでおられるのだから。」というせりふが自慢げに語られる。われわれは最新テクノロジーを取り入れ、マイクロウエーブを使いパラパ衛星を打ち上げて電話普及を図り、モダン化を実施して云々と言いながら、偉い人に電話するのは礼儀に欠ける・・・・・・。実に奇妙で滑稽な話ではないか。

ムンタワイ(Mentawai)ではムンタワイ族の現代化をはかるため、髪の長い男に行政官が散髪を命じている。ところがジャカルタをはじめ大都市の男たちは、老いも若きも髪の毛を長く伸ばしている。フィキ(Fiki)島では学校へ半裸で行っている。それが現代化だ。イリアンジャヤではコテカを捨てようとしているというのに、ジャカルタではナイトクラブでヌードダンス。

そのような封建姿勢はインドネシア人の権力に対する姿勢に直接根ざしている。古代の王は神からその権力を授けられていると考えられた。かつてムラユの民衆は黄色を用いることを禁じられた。なぜなら黄色は王権のシンボルカラーだったためだ。それは王自身を意味し、それどころか王の一族すらをも意味した。さらに剣・クリス・衣装・マントなどの物品も神聖であり特別の神通力を持つと見なされるようになった。ジャワの王たちは神がかれに与えたチャクラニンラの啓示を持つと信じられ、それゆえに王は間違いを犯すことはありえず、王の言葉は常に正しいと考えられた。王がチャクラニンラの啓示を保持している間、かれはその行為も発言も常に無謬なのである。

それはわがヌサンタラの全土にいるすべてのインドネシア人にとって共通のものだった。ジャワ・バリ・スマトラ・スラウェシそして昔のマレー半島で王たちはみんな民衆とそのような関係の中にいた。そのラインは今日まで引き継がれている。王は今その名を変えた。大統領・大臣・将軍・官房長官・総局長・学長・知事・民間大企業の社長取締役・農園管理官等さまざまなものに。形が変わったとはいえ古来から培われてきた本質的関係や封建姿勢は依然としてインドネシア人の内面に生き続けている。権力者は批判されるのが大嫌いで、また民衆も一般的に上司の批判を口にすることを好まない。その結果千年一日のごとく、権力センターと一般大衆とのコミュニケーションは断絶か、それでなくとも微かな糸でしかつながっていない。権力者と民衆との関係は上意下達の一方的な関係となる。そんな状況は現代世界の中にいるインドネシア国民と社会の発展プロセスをきわめて難しいものにしている。現代の世界情勢においては一国の保全や進歩が経済・政治・知識・テクノロジー等々の最新情報をいかに迅速に吸収して対応するかということに大きく依存しているというのに。そしてそれはまた、トップダウンにせよボトムアップにせよ修正や改善が行われる機会を閉ざしてしまっている。トップの気に入らないことが起これば、一般的に行われるプロセスは上から下への抑圧的措置だ。深く広い相互理解を育み、欲せざる状況に立ち至るような展開を避けるための努力は、このような封建色に満ちた状況の下ではほとんど不可能に近い。部下たちは、エスタブリッシュメント層お好みの考え方にそぐわない異なった新しい意見を表明することを恐れ、誤った道を進み続けないように警告しあるいは批判するような勇気を持たず、バパのお好みでない事実を耳に入れることをはばかる。そんな環境の中でバパたちは現状にたいへん満足し、悪いことがらは何もないと思っている。権力とは賢明さ、有能さ、全知全能、無謬などといったことがらの別名であるという誤解は封建精神についてまわっているたいへんな誤りなのだ。


インドネシア人の特徴その4は、インドネシア人が迷信を信じていることだ。遠い昔から今日にいたるまで、石・山・海岸・川・湖・大岩・樹木・彫像・構造物・クリス・短剣・長剣などには超自然の力が宿っておりそして神通力があり、人間はそれらと特別な関係を構築しなければならないとインドネシア人は信じてきた。それらが人間に災いをもたらさないよう、それらを喜ばせ、崇拝し、供物を備える。墓には花と水を撒き、黄色や紅白の布で覆い、祈祷し、供物をそなえて祝福を願う。インドネシア人は好日と厄日を、好月と厄月を計算して割り出す。さまざまな自然現象が何かの兆候であると信じている。もしカラスが屋根の上で旋回すれば、それはその家のだれかが死ぬという怖ろしい兆候なのだ。洗濯ひもの下をひとが通るのは禁忌であり、どうしても通らなければならない場合は石をひもの上に放り上げなければならない。トラは神聖な動物で、先祖がトラになったことを信じているインドネシア人までおり、ジャングルの中でトラという言葉を口にするのを畏れている。ミナンカバウでトラはイニッ(祖母)と呼ばれる神聖な存在であり、、その神通力をひとびとは畏怖している。クリスは神聖なものが多く、沐浴させ、洗い、香をたき、絹やビロードで包む。どんなクリスであろうと何も気にしないで触ったり、ましてや所有したりするようなことをたいていのひとは怖がって避ける。好運をもたらすクリスもあれば、生命財産を守ってくれるクリスもあり、さらには持ち主を不死にしたり戦いの中で敵の目に持ち主の姿が見えなくなるようにするクリスもある。飛翔するクリスもあり、ある場所から別の場所へ空中を飛んで行く。クリスだけでなく他の武器やさまざまな物品にも神聖な超自然の力が宿っており、独自のパワーを持ち、人間を守ったり災いを与えたりすると考えられている。

インドネシア人はまたあらゆる形態の幽霊、グンドゥルウォ、ジュリッ、オランハルース、クンティルアナッ、レアッなどを信じている。ガムランやゴングにも神聖なものがあり、特定の定められたとき以外に鳴らしてはならない。人間がほかの動物の姿に変化するということも各地で信じられている。スンダ人やジャワ人にはゲペッ(ngepet)の術があって、金持ちになりたければ豚や犬に姿を変える。スマトラでは妖怪変化が信じられている。そのような古来の信仰がインドネシア人をシンボル作りにした。われわれはお守りや呪文を信じている。幽霊を祓うためには庭の四隅に花と供物を置き、災厄を避けるために四辻の真ん中に七種の花を撒く。われわれは呪文を作る。お守りと呪文でわれわれは健康・安全・幸福を確保するための確実なことをしたと確信する。

今日、現代インドネシア人で学校に通って現代高等教育を受けた者でさえ、いまだにお守りや呪文やシンボルを作り続けている。インドネシアで最大のシンボル魔術師だったのは故スカルノ大統領で、日本軍政時代に作り出した呪文の傑作「アメリカ(Amerika)にはアイロン(seterika)で熨し、イギリス(Inggeris)には鉄てこ(linggis)を食らわす」という語呂合わせは大勢のインドネシア人をいまだに陶酔させている。かれが最高権力者になると呪文はもっと凄いものになっていった。ネコリム、ヴィヴェーレペリコロソ、ブルディカリ、ジャレッ、ウスデッ、レソピム・・・・・。ところがチャクラニンラの啓示がかれから離れるとき至ると、かれの護符や呪文はすべて中味のない空疎な、超自然パワーなどなにひとつ宿っていないものに変質した。だからわれわれは新しい呪文や標語そして護符を作った。トリトゥラ、アンペラ、オルデバル、法の統治、汚職撲滅、均等公平な繁栄、開発人間・・・・。インドネシア人は自分が作ったシンボルや標語や呪文に簡単にのめり込む傾向がある。わが国はパンチャシラに基づいている、とわれわれみんなが言う。確信と満足いっぱいにその言葉を口にしたらパンチャシラ社会が出現したのである。手品師が「ちちんぷいぷい」と唱えると帽子の中からウサギがピョン。それと何も変わらない。そんなパンチャシラ社会だからわが国の法規にパンチャシラの真髄はいまだに反映されていない。財産税、遺産相続税、社会保護と社会保障、病人と老人への保護、教育機会を保証しすべての国民に同じ教育を与えるための教育法・・・・。


これはすべて、その話がなされ、決定が下され、何かを実行したいという意思が表明されたとたん、そのことがらがもう実現したのだと感じる傾向をインドネシア人が持っているからだ。わが国の役所や民間組織の引き出しには、いまだかつて実施に移されたことのない会議決定報告・委員会決定報告・評議会決定書などの書類がいっぱい詰まっていることをわたしは確信している。われわれはいま、現代世界に相応したさまざまな形態の迷信を作り出している。モダン化は新たな迷信のひとつであり、経済開発もそのひとつだ。GNPやGDP上昇という数値で計られるお守りや呪文で満ち満ちた先進工業国モデルが新しい迷信やシンボルとなり、そして先進工業社会に起こっている技術や経済の進歩がもたらす天然資源破壊や環境汚染、人間の幸福や諸価値の崩壊にわれわれは注意を向けようとしない。

テクノロジー・モダン化・プランニング・工業化・生産・現代科学・多国籍企業などが現代インドネシア人の抱くシンボルであり呪文なのだ。ところがフェアで均等な分配ということについてわれわれは口を閉ざしている。われわれが見習おうとし、われわれの社会に移植しようとしているあらゆるものごとのネガティブな面に、われわれはあまり注意を向けようとしない。「モダン化」という言葉を耳にすればわれわれの頭の中には、高い煙突から黒煙を空中に吐き上げる巨大工場群、幅広い舗装道路を行き来する乗用車やトラック、高層ビルに満ちた巨大都市などのイメージが描き出される。ウィスマヌサンタラが東南アジアで一番高いビルだとわれわれは誇っているのではなかったか?そして自宅にはテレビや電化製品が完備され、エアコンが涼風を送り、各家庭は自動車やオートバイを持ち・・・等々のイメージを国際商業主義がテレビや新聞を通して植えつける。ビールの宣伝を思い出してみるがよい。「現代人はビールを飲むのだ!」

それがモダン化についてわれわれが見ている夢だとすれば、われわれは早急にその夢から覚めるべきだ。われわれにそんな夢を実現させるのは不可能であり、それどころかインドネシア人自身にたいへんな災厄をもたらすにちがない。そのようになっている金持ち先進工業国が今現在直面しているような災厄を。聴衆の皆さんはちょっとこの残酷な数字について考えていただきたい。贅沢の限りを尽くしている先進工業国の国民は人類が栽培している食糧収穫の4分の3を消費しているのだ。それらの国で農業科学技術はたいへん進歩した。アメリカでは特定食用植物を、それが市場で価格暴落を起こさないようにするために栽培しないように命じ、そのために農民に金を与えている。アメリカでひとは食べ物を捨てており、一方でほかの国ではひとびとが飢えている。われわれはあまり人類の運命について話すことをしない。


われわれは言行不一致が当たり前になっている。それはわれわれが使っている言葉の中に反映されている。さまざまな出来事、言葉とシンボルなどに対するインドネシア人の反応パターンに関するサーベイが行われたなら、その結果はきわめて興味深いものとなるだろう。ハヤカワはこの反応パターンをセマンティックハビッツと呼んだ。このセマンティックハビッツというのはあらゆる教育の残存物であり、その中には誤った教育も含まれている。幼少期以来われわれに対して親が振舞ってきたことや教えてきたこと、公教育の中で教えられたこと、テレビ・ラジオ・映画・書物・新聞・雑誌などから得たもの、友人や周囲のひとびととの会話、講義・スピーチそしてあらゆる経験からわれわれの中に取り込まれたものがそれだ。セマンティックスは言葉の意味に関する学問と定義されているが、言葉の意味を探るのは辞書に始まり辞書に終わると考えてはいけない、とハヤカワは言う。言葉の意味を別の言葉で説明するのがセマンティックスではなく、ノーベル賞受賞者のブリッジマンが書いているように「ある言葉の真の意味はその人間がその言葉にもとづいて行ったものごとを調べることではじめて明らかになる。その者がその言葉で何を語ったかということでは決してない。」ということなのである。

たとえばわたしが、この机は30キロの重さだ、と言ったとしよう。わたしの言葉はその机の重さを量ることで実証できる。ところがわたしがこう言ったらどうだろう?「わたしは法の統治を実現させている」「わたしはヒューマニズムや人間の自由といった価値を一層高めている」「わたしは公平で均等な繁栄を謳歌するパンチャシラ社会を打ち立てている」「わたしはわが国に責任のある報道の自由を実現させている」。皆さんはわたしの言葉の信憑性をどのようにして量るのだろうか。秤や計測器を使ってはかることはできゃしない。

ひとつの例がある。ある会社が役職ポストの求人を行い、採用応募が続々と届いた。応募者の履歴を調べていた取締役は一通の履歴書の学歴欄に書かれてある法学士という文字を目にして、その応募書類をそのままゴミ箱に放り込んだ。インドネシア語でSHと書かれる法学士なる肩書きの人間は何ひとつまともな能力の持ちあわせがないとかれは確信していたのだ。これこそある言葉・象徴・シンボルに対するセマンティックな反応であり、言葉というものに関連して人間が持つ反応なのである。だから意味論におけるひとつの基本思想として、言葉やシンボルの意味はその言葉自体の中にあるのでなくわれわれのその言葉に対するセマンティックリアクションにあるのだとハヤカワは語っているのだ。

パンチャシラ・デモクラシー・オルデバル・アンペラ・トリトゥラ・汚職撲滅・正義・人間の自由・基本的人権・法の統治といった言葉に対するわれわれのリアクションはどうなっているだろうか?そしてまた、警察・検察・判事・総局長・大臣・将軍・取締役社長・石油等々については?ひとは自分が読んでいる新聞を投げ捨て、あるいはテレビやラジオのスイッチを切るだろうか?インドネシア人は未来永劫、呪文・シンボル・標語人間であり続けるのだろうか。それを使う人間にとっても受け取る人間にとっても何の意味も持たず、そのうちに空っぽになってしまうような言葉をただもてあそぶだけの呪文・シンボル・標語人間。あるいはそこから脱皮して、行動し、実行し、創造する人間になることができるのだろうか。その答えは聴衆の皆さんに委ねたいと思う。


インドネシア人の特徴その5は、インドネシア人がたいへん芸術的であるということだ。周囲を取り巻く自然のすべてに対して生命・霊魂・精神・神通力・支配力まで付与したインドネシア人は自然児であり、本能・感情・身体的感覚などに満ち満ちて生きている。そのすべてがインドネシア人の体内に大きな芸術能力を発展させた。その能力が種種多様に美しく多彩な芸術作品や手工芸品の中に注ぎ込まれているのは誰しもが認めるところだ。

何世紀も前から現在にいたるまで、インドネシア人の芸術的創造性に満ちた青銅・織物・バティック・石像・木像・木彫などの作品は国外に運び出されて世界各国の主要な博物館に展示されている。ランプン・バタッ・トラジャ・スンバの織物、バリの木彫、カリマンタンやマルクの金銀細工物などは世界に愛好されている誇るべきコレクションだ。音楽・舞踊・民謡なども豊富で肥沃な想像力や偉大な創造力を反映している。
インドネシア人の芸術面での特徴はわたしにとってたいへん興味深く魅力的であり、インドネシア人の未来に関わる希望の源泉であり、かつまたその拠り所なのである。


インドネシア人の6番目の特徴は、軟弱でひ弱であるということだ。インドネシア人はその信念を維持したり闘争したりする力が弱い。他者から強制されると、サバイバルのためにかれは簡単にその信念を変える。だからインドネシア人の間で知的身売り現象がいとも容易に散見されることになる。スカルノ時代、スカルノ革命実現のためあらゆる学術理論を打ち壊した狂気の時代にそんな現象が多発したことが目に付くのだが、日本軍政期から既にそうだったのである。スカルノ革命の結果、スカルノが権力の座から退陣したときインドネシアのインフレ率は年間650%にも上って、民衆の暮らしは混乱の極に達した。ところがスカルノがあれらのセリフを唱えていたとき、われらが経済専門家たちは革命の偉大なる指導者の天才的な考えを拍手喝さいでほめたたえた。その時期、(自分ではまったく確信していないというのに)マルクス経済への崇拝を表明していた経済専門家は、スカルノが没落したとたんに資本主義経済と同義語である自由市場経済を称賛しはじめた。

日本軍政期では、たとえば故プリヨノ博士がインドネシア民衆を欺こうとして日本軍のためにプロパガンダ小冊子を作って身売りした。軍政監部の冊子のひとつにこの教授はこう書いた。「天皇陛下の民衆に対するお気持ちは父親が子供に向ける気持ちであり、そのお姿は心から子供の安全と繁栄を求めている父親のものであって、ただ良い言葉を並べているだけというのでは決してなく、そのことは常日頃の振る舞いや言動が心底からまっすぐな気持ちで行なわれている点に証明されている。ニッポンの2604年にわたる歴史の中で、ヨーロッパやアジアの他の国でしばしばあったような、その権力を用いて民衆を虐げたり自己の欲望を満たそうとした天皇や皇族あるいは小王などはひとりもいなかった。」

日本の支配者たちが民衆に対して権力を濫用し、サムライ階層が民衆にテロを加え、貴族の間での抗争で民衆が犠牲になるといったテーマを日本人自身がその文学の中に取り上げているというのに、プリヨノ博士ほどの偉大な学者がそれほど大きな欺瞞を書いたのである。このように不安定な人格は封建的人間とその社会が作り出すものであり、それはABS性格、つまりボスを悦ばせて自己保身をはかることのもうひとつの側面でもある。今日はインドネシア人に喜んでもらうためにその性質を「tepa selira(慮るを意味するジャワ語)」と呼んでおこう。しかしそれは本質的に「転び人格」であり、つまりは権力の有無二極の間を揺れ動くものなのだ。』


モフタル・ルビスはインドネシア人に特徴的な6大性向を上のように説明したが、一民族の特徴がわずか6項目で終わるはずがない。実はまだまだたくさんあるのだ、とモフタルは更に話を続ける。

『現代インドネシア人はエコノミックアニマルではないが倹約もしない。それどころかまだ手に入れていない収入、これから手に入ることになっている収入をさっさと支出してしまう。インドネシア人は浪費傾向を持っており、一張羅の服を着て派手な宝飾で飾り立て、豪勢なパーティを開くのが大好きだ。御殿のような家を建て、高級車を買い、大規模なパーティを開き、身の回りを外国製ブランドものばかりで埋め、ゴルフをし、要するに金のかかることをたいそう好むのである。

勤勉に働くことは、仕方ない場合を除いてできるかぎり避ける。その結果インスタント食品を用意するみたいにあの手この手の簡便な方法を用いて束の間のミリオネアになろうとし、あるいは修士号博士号を手に入れようとしてニセモノ証書に大枚をはたく。短絡的に高い地位を手に入れようとするのは、高い地位が金持ちへの近道であるからだ。

ジャワではプリヤイ、つまり公務員になる、というのが多くの人間にとっての憧れであったのは、それが昔から最高のステータスシンボルになっていたからだ。プリヤイとは一般民衆から尊敬を受ける階層を指しており、世襲的な王族貴族の他に公務員もその階層に含まれていた。かれらが一般民衆に奉仕するという気高い欲求で公務員になろうとしていたわけでは決してなく、むしろその反対だったのだ。公務員は一般民衆に対して権力をふるう立場にあり、古来から権力中枢が行なう民衆支配の尖兵だったのである。だから今でも役所へ行けば、証明書一枚出すたびに不法徴収金が取り立てられている。だからこそジャワの公務員は上級から下級までジャワ島外への転勤を蛇蝎のごとく嫌った。

そのような社会構造だから民間事業主になろうとする意欲は高まらない。しかし言うまでもなく、一番良いのは権力を持ち、ビジネスマンとなり、そして高い学歴を持つという三位一体だ。いまやインドネシア人の抱く理想の姿はそんなオリエンテーションになっている。権力者と事業者との提携パターンははるか昔からインドネシアで実践され、VOC時代にはそれが強化された。はるか昔は王権とプリブミ商人の提携だったものが、VOC時代には植民地支配者と華商との提携に変化している。

インスタント志向は若い世代に確実に受け継がれている。だれもがいきなり金持ちに、高い地位に、著名な文学者に、第一級の画家に、この世界のトップ、あの分野のナンバーワンに、努力も研鑽もなしになりたいと憧れる。栄冠を得るために何十年も下積みの苦難の日々を続けるようなことはかれらの眼中にない。インドネシア人の忍耐心は薄くなる一方だ。


次に上げるべき特徴は、ぶつくさ不平をたれるという性向だ。ただしそんな不平不満をオープンにする度胸はない。家の中で、同じような仲間の間で、自分に共感してくれる人間に対してしかそんな態度を取ることはない。自分より優れている人間に対して抱く嫉妬心は容易にインドネシア人の心を火であぶる。自分より進んでいる者、金持ち、高いステータス、強大な権力、頭が良い、名前が売れている、といった人間は見たくもないし聞きたくもない。その結果ムラユ型スパイがはびこることになる。自分よりもてはやされている者が自分に何をしたということもないというのに、羨ましく、妬ましく、そんな自分の気に入らない人間を没落させるためにムラユ型スパイの讒言情報が重宝されることになる。そんな精神構造だから近年盛んになったベストドレッサートップ10に名前が出れば、男も女も大喜びだ。インドネシアには1億3千万人が住んでおり、その半分が大人だったとしよう。そんな大勢の中からベストドレッサー10人をどうやって選び出そうというのか。ベストドレッサーはジャカルタのエリート地区にだけ住んでいるわけでもあるまい。だから選ばれる側もそのようなことは百も承知の上で、ともかく突然有名人になったことに大喜びしている。中味が空っぽなのにさまざまなシンボルや標語にすぐ飛びついて誇りにし、自らもその空白を埋めようとは少しもしないというのがインドネシア人の愉しみの一部になっているのだ。叡知に満ちた先人たちの箴言は古来からさまざまな書物に刻まれてきたというのに、昔も今もそれに応えて実生活にそんな思想を持ち込んだひとはめったにいない。

教育思想家キハジャル・デワンタラは「金持ちになっても苦しむのなら、幸福なチェンドル売りとして生きるほうがずっとよい。」と言い残しているが、今日いったいだれがその言葉に従おうとするだろう。現代の常識はこうだ。「チャンスがあるのにそれに加わらない者はきちがいだ。今しないでいつそれをしようというのか?」

あるとき大臣のひとりがわたしに言った。「今の哲学はタイミング哲学だ。あなたが正しくともタイミングがフィットしていなければ正しくなくなる。反対にあなたが正しくなくともタイミングさえフィットしていればあなたは正しいことになる。」


インドネシア人はまたソッ(sok)人間だと言うことができる。sokというのは、人前で自分のほうが偉いという姿勢を示したり、あるいは知識や能力がないのに自分にそんなものは自由自在だとカッコをつけるようなことを意味するインドネシア語だ。つまり「自分は大層な人間だ、偉いんだ」とふんぞりかえる姿勢を示すが中味が全然追いついていないという人間に対して使われる言葉である。

権力を手にするとすぐにその権力に酔っ払う。大金や財産を手にすればそれに酔っ払う。平常心を失って自己愛が天まで昇り、中天からもっと上に昇ろうとして大欲をかく。かれは宙天にまで達することに憧れる。カリマンタンの配給事業庁配給倉庫管理長事件を見るが良い。かれのソッレベルは比類なき高さだというのに、自分ひとりがこの世でサイコーに物凄い人物であるという雰囲気を紛紛とさせている。


物真似民族というのもインドネシア人の特徴のひとつだ。われわれの個性はきわめて虚弱であり、われわれが接して自分が魅了された姿をその外皮だけ取り上げて物真似する。ウエスタンものが流行して時代がカウボーイファッションに包まれれば大勢が泣き虫カウボーイになり、ヒッピー時代になれば泣き虫ヒッピーに姿を変える。われわれは外から入ってきたものごとにすぐ影響される。外国製のものはすべて国産品より魅力的なのだ。

人間の性質として否定されるようなものをインドネシア人も持っているのだということをわれわれは正直に認めなければならないと思う。インドネシア人も残虐になり、爆発し、アモックし、ひとを殺し、火をつけ、裏切り、弾圧し、搾取し、欺き、盗み、汚職し、背信し、偽善を行なう。そのような悪い性質をインドネシア人も持っているとはいえ、それが他民族より激しいというほどのものでなく、いずこの民族でもそのような人間を目にするという平均的なレベルだろうとわたしは思う。


他の特徴としてあげることができるのは、インドネシア人が持つ怠惰の傾向だ。それはインドネシア人を包んでいる環境がとても心優しいものであるため、サバイバルのために何ヶ月も先まで計算に頭を使う必要がなく、その日その日を考えていればよいという点に表れている。それがゆえに、将来のために貯えを持ったり、遠い将来について計算するという傾向がインドネシア人には不足している。

インドネシア人はプラクティカルな考えを持っていないという意見は正しくない。インドネシア人は十分に論理的だ。祖先が残したことわざを調べていけば、かれらは相当鋭敏で論理的にものごとを考えていたことがわかる。アニミズム信仰の帰結と科学志向の弱さが実際的でないというわれわれの弱点になり、インドネシア人にとってのロジック実践に使われる情報データを誤ったものにしているのがその原因なのである。インドネシア人は次のようなことを信じている。たとえばムラピ山が噴火すれば、それは山の神の怒りと捉えられて神の怒りを鎮めるために供物を用意し、あるいは日蝕が起これば大太鼓が打たれて妊婦はベッドの下に隠れ、呪文が唱えられれば太陽がふたたび顔を出す。はやり病が起こればそれは悪霊やジンが怒っているからで、呪文と供物がふたたび登場する。それらのことからわかるように、インドネシア人は決して論理に弱いわけでないし、因果関係を考えることができないわけでもない。ただ用いられている情報やデータが正しくないのだ。だからあたかもロジックを持っていないように見られ、因果関係も滅茶苦茶という印象を与えているだけなのだ。

われわれは今日でも、そのような姿勢の残滓を引きずっているために因果関係を構成することに弱い。加えてヌリモ(nerimo)精神や運命観や諦観にしばられ、あらゆることは神の定めだと信じる性向がインドネシア人の論理思考プロセスを鈍重なものにしている。こうして、毎年襲ってくる水害に苦しむ民衆は、ただため息をついて全能の神が与える試練を心静かに受け入れるだけであり、毎年襲ってくる水害が、河口・河川・堤防を清掃しメンテナンスする担当者、あるいは山林を禿山にしないことを職務としている者たちの過ちや怠慢で起こっているかもしれないという考えをあまり持たない。


インドネシア人の次の特徴は、自分自身や自分の身近な人間に関わりを持たない限り、第三者に何らかの問題が影響を及ぼしてもその被害を蒙る他人の身の上にあまり関心を持とうとしないことだ。そんなケースでたいていのインドネシア人は、自分に関係のないことだと考える。われわれはあたかも、他人の身の上に対する人情を持っていないかのようだ。だからわれわれは世の中で、どれほど容易にひとが逮捕され、拘留され、法廷に引き出され、判事が拘留期間を調整して入獄判決を下したり、あるいはそのまま釈放したりするのを目にしているにもかかわらず、確たる証拠もなしにひとを逮捕し拘留した責任のある高官たちに何らかの措置が取られないことを非難しようとしないのである。

これはインドネシアの官僚機構にいる一歯車としての人間が人間としての心を失っているありさまを赤裸々に映し出している鏡なのだ。ところが、もしわれわれがそんな官僚と個人的に知合いだったり、友人や兄弟だったり、あるいは相互理解が生まれた場合、状況はがらりと変わる。このようなあり方は本当のところ、原初的インドネシア人の特徴と矛盾している。湿田での水稲栽培技術の発展は、秩序立った水分配と集団構成員間の良好で相互に扶助し合い相手を見守る協力的な人間関係の成育を強いてきた。そしてまた複数の種族で構成される社会では、近親婚を排除する結婚観が種族間での男と女の交換を促進させて、種族間の関係を睦まじいものにした。古代インドネシアでの種族間結婚では、各種族が自治体制を維持しようとしたことから権力センターの発生が妨げられてきた。

ヒンドゥ人がやってきたとき、封建制の成育が推し進められた。インドラ神を中央に擁して四方に四神を配しその周囲を32神が護るマクロコスモスとミクロコスモスを結びつける二元的宇宙社会コンセプトを、ヒンドゥ教は整然と発展させた。ヒンドゥ=ジャワ的社会構造では、神性を現世に具現する王が中心となって四人の大臣を従え、領国内全土から集まった32人の高官を擁する王宮の構成の中に、そのマクロコスモスが反映された。このヒンドゥ=ジャワ式封建制はイスラムが流入してきたときもたいした変化を蒙らなかった。神性を具現するジャワの王は依然として社会構造の中心に位置し、いまではスルタンと称しているものの、カリファトゥラの称号を付してあたかもかれが神から権力を委ねられたかのように装っている。だからジャワにせよムラユにせよ、イスラムの王たちは時代が変わろうともいまだに聖なる人間とされている。

しかしインドネシア人の精神の奥底には、古来に存在した睦まじい人間関係への希求が生き残っている。たとえば劇薬を顔にかけられて重傷を負った中国系若者を助けるために日刊紙インドネシアラヤが読者に寄金を呼びかけたとき、短期間に数百万ルピアという寄金が編集部に集まった。クタラジャの大学生が虐待を受けて足が使えなくなったという記事が新聞に載ると、奇特なひとりのインドネシア人がかれのために車椅子を寄贈し、ムルパティ航空はその車椅子と新聞社職員を無料でクタラジャまで運んだ。似たような話は書ききれないほどある。


インドネシア民族平安の元手となるインドネシア人の他の特徴は、子供に対する母の愛と父の愛そして子供からの母と父への愛という相関関係である。仲睦まじい家族の結びつきは、公職の場で誤用されないかぎり、われわれが維持し続けなければならないインドネシア人の美風だ。インドネシア人は基本的に優しい心と平穏を好む。

インドネシア人は優れたユーモアの感覚を持っており、困難や悲惨の下ですら笑うことができる。

インドネシア人は頭が柔らかく、ものごとをすぐに学習する。手先を使って行う作業を習熟するのも早い。一般的にインドネシア人はたいへん忍耐強く、まるで限界を知らないかのようなそんな性質は短所にもなっている。

これまで上で述べてきた悪い面ばかりでなく、将来に向けて発展させてゆくべき優れた性質をインドネシア人が持っていないわけではない。インドネシア人の相貌を存分に鏡に映して眺めて見たあとで、果たして聴衆の皆さんにとってその顔はわれわれ自身が思っている「これがインドネシア人だ」という姿に一致していただろうか?

人間の個性や容貌あるいは性格やふるまい、そして人間が抱える価値観は社会環境や生活環境、そしてまた自分自身に関連させて抱えるシンボルなどによって形成される。インドネシア人は他人に見られることを好む顔を持つ一方で、自分自身のために隠す顔をも持っている。たとえば権力者は国民の奉仕者で、人間の自由・法治・正義など外部者にとって優れたことがらの保護者という顔を持ちたがるが、もしも妬み深く、欲張りで権力に酔い、エゴイストで怖がりといった劣った性質の人間であればそのような容貌を一般大衆に見せることを好まず、多くの場合はそれらを自分の意識下に押し隠してしまう。ところがその公開する顔と隠す顔の双方に、すべての行動や姿勢は常に影響されずにはおかないのである。


さて、われわれはジャワ思想の中で理想的とされているインドネシア人の姿から見ていくことにしよう。

「スピインパムリ、ラメインガウェ、アムマユアユニンバワナ」というジャワのことわざがある。「利益を優先せずに勤勉に働くことで世界は進歩する」という思想は世界各国の金言に通じるものだ。騎士、求道者、自分自身という小宇宙を究めた者、求道者でもある軍大将、生の秘密や人間のはじまりから終わりまでを理解した文学者、大宇宙に距離を置いて純化した自分自身の中に沈潜して人生を営む者は神の使者となり、大宇宙の支配者の使者となる。このような人間観は今までわれわれが見てきた鏡の中のインドネシア人の姿とは明らかに異なっている。そして実際のところ、それは夢の世界にあるだけで永遠にたどりつけない人間の姿なのだ。それは実現されることのありえない、傲岸不遜に満ちた偽わりなのである。

人間は環境・社会・生活の場や社会と社会構成員が支えるさまざまな価値観によって、また学校・家庭・友人環境などから与えられるお手本や教育によって作り上げられる。毎日あらゆるたぐいの誘惑に直面しているというのに、いったいどのようにして人間は大宇宙からみずからを切り離して小宇宙を支配することができるというのか?あたかも一千人の悪徳資本家がトランク何個分もの黄金や現金、銀行口座、ベンツ350やロールスロイス、あるいは香港・ニューヨーク・パリ・ジュネーブに妾をひとりずつ、イタリー産大理石で床をふいた豪邸、数千Haの土地と牧場を提供し、多国籍企業とお近付きになり、世界のジェットセット族とゴルフを遊ぶよう奨め、大都市から田舎までいたるところに満ち溢れる新聞・ラジオ・テレビ・映画を通して国際消費主義商業主義の息吹を全身に浴びるといった現世の誘惑にまみれきっているこの世界で。社会環境や価値観が変化することなく、おまけにシンボルや標語が空洞のままであるなら、人間はどのようにして自分を変えることができようか。

要するに、わたしが先に述べたような特徴を持つ封建的、半封建的あるいはネオ封建的な社会を自覚的に変えない限りインドネシア人は、西暦2千年を超えて未来に至るわが民族を守護して現代世界に対応するために必要とされている性質や価値観を持つ完全な容貌と個性を備えた人間に変化し発展することはありえないのだ。さっき鏡に映して見たあらゆる容貌とバラバラに分裂した個性を持つインドネシア人であるなら、わが民族ははるか後方に取り残され、もっと悪いことに現代世界の進歩の中で被害者になるしかないことをわたしは懸念する。


出合ったあらゆる物事をごった煮にして取り込むわれわれのシンクレティズム的性質は、互いに矛盾しあうようなことや多義的で曖昧なことを、テパスリラ(慮る)に代表されるように、自分なりの理由付けにもとづいて容易に受け入れる習慣を培ってきた。それは、物事の間で互いに対立しあうような特徴を直視することを好まず、対立の中で相互に補完し合う特徴を見出そうと努める傾向をわれわれ自身が持っているためだ。その結果、われわれは気分良く気楽に何かを発言する一方でその発言とは正反対のことを行うし、あるいは相互に矛盾するさまざまなことがらを受け入れてしまう。例をあげれば、われわれは法の確立を行うのだと語りながらその一方で、喜んで法をレープしているのである。このことはわれわれの言葉の中にも反映されている。特にクロモ・ゴコなどの階層的性質の強いジャワ語やスンダ語でそれは顕著であるし、他の種族にも、Tuanku, Baginda, patikなどの封建的な呼称があり、また特定の色や衣装など貴族階層しか使ってはならないものが定められていたりする。

現代語の中にも、そのような意図で昔取り込まれた言葉がいまだに使われている。ファッショ日本軍の占領期に天皇陛下や軍上層部に対して使われた言葉がある。たとえばberkenanという語がそれだ。「天皇陛下はあれやこれやをberkenanされた。」「軍政監はあれやこれやをberkenanされた」というように。そしてわれわれ自身もそれに盲従してその語を使うようになった。「大統領がどこそこの工場のオープンをberkenanされた。」「大臣閣下が会議開催をberkenanされた。」あたかも高官が職務や義務を果たす仕事がまるで民衆に対するお情けやごほうびでもあるかのように。

この言葉の使用ひとつを取っても、われわれが育成しようとしている民主的な社会における権力者と民衆間の関係に対する適正な理解は根底から傷つけられていることがわかる。インドネシア語の使い方という面にも、オープンに事実に向かい合うことに対する怖れや忌避の感情を見出すことができる。われわれはたとえば、値上げをしないで「価格調整」をするし、社会的に不穏な行動を行った人間を官憲が「保護」するのである。コロンボにおけるノンブロックサミット会議に関する記事の見出しをある新聞は次のように書いていた。「成果は落胆させるものではなかったが、しかし満足できるものでもなかった」。われわれはいまやあらゆる活動において、高官の祝福を熱心に求めるようになっているのである。

われわれは監獄を社会復帰院という呼び名に変えた。現実にそれは、空虚なシンボルをまたひとつ新たに増やしたにすぎない。社会復帰院。なんと美しい響きであることか。法を犯しこれまで悪人だった者たちを真人間として社会に復帰させる過程がそれであり、かれらを再び教育して社会に役立つ善人に回復させるという趣旨を表現しているのである。しかし実際にそこで行われているのは何だろう?これまでのところ、監獄の中で行われていることは悪人を更生させて社会復帰をはかるという言葉にほど遠い。そこはありとあらゆる犯罪のためのプロを養成する士官学校になっているのだ。スリの見習いは6ヶ月から14ヶ月後に釈放される際、凄腕のスリに仕上がって社会に復帰してくる。強盗や店舗・家屋に押し込みを働いていた者たちは、最新テクノロジーを身につけた技能優秀な犯罪者になって世の中に戻ってくる。詐欺師も監獄の中でさらに腕を磨く。為政者は、囚人をかれら自身にとって、そして世の中にとって有益な人間に育てようというアイデアのもとにそうやって名称を変えたわけだが、監獄の中を新たな環境に改善するという本質的なことをまったく怠っている。それどころか、インドネシアは既に独立を果たしパンチャシラを国是とする民族国家に変わったというのに、監獄の中はオランダ時代よりひどいありさまになっている。服役者にせよ拘留者にせよ、食事も取扱いもそしてかれらに対する関心もあらゆることが。この分野には早急に何らかの改善が必要とされている。


かつてオランダ時代の行政官たちは、倫理政策の風がオランダ本国から強く吹きつけるようになったとき、倫理的な姿勢で民衆に奉仕し、倫理的な価値観にもとづいて植民地を統治するように求められた。その理想がジャワの標語「スピインパムリ、ラメインガウェ、アムマユアユニンバワナ」に示されている。オランダ政庁の支配を盛り立てるために忠誠を尽くし身を粉にして働いたプリヤイたちは、金や銀の勲章を与えられた。しかしオランダ政庁の教育と訓練を受け、テストをパスして植民地行政機構末端の官吏となったプリヤイたちとは異なって、同じようにテストをパスしたにもかかわらず政庁に楯突く者が出現するのを避けることはできなかった。かれらはオランダ政庁に嫌われ、常に政庁秘密警察の疑惑に満ちた視線を受け、危険分子のレッテルを貼られ、一朝事があればしょっぴかれて遠隔地に島流しにされるという扱いを受けることになった。スカルノ、ハッタ、シャフリル、マグンクスモ、キ・ハジャル・デワンタラそして何千もの自由と権利を求める者たちが、ボーベンディグルやタナメラなどの流刑地に送り込まれたのだ。

独立後数十年を経た今、PKI(インドネシア共産党)のみならず、為政者に嫌われて新左翼や国家転覆派、社会秩序治安妨害者集団などのレッテルを貼られた危険分子が国賊とされて植民地時代と同じような扱いを受けている。名前は変わり、標語は塗り替えられたが、やっていることの本質はたいして変化していない。われわれは新しいシンボルを手にしているにもかかわらず、いまだに昔の枷に手足を縛られたままでいる。つまりわれわれは、われわれを取り巻く世界で何が起こっているかを鋭い視線で捉えて咀嚼する力を持たず、わが民族がどこへ行こうと望んでいるのかについての鋭い観照とコンセプトを持たず、とどのつまりそれは未来を見据える能力を持っていないということなのであり、右往左往しながら後生大事に抱えているのは「パンチャシラ社会」「パンチャシラ人間」などといった抽象的な標語の中に流し込まれたおぼろげなイメージでしかない。

われわれは相も変わらず呪文や標語に全身を絡め取られている。耳元で、あるいは大向こうから投げかけられる呪文に魅了され、たとえそれをもう聞き飽きたとしてもそれらの言葉に対してなす術を持たない。民衆・民衆闘争・45年革命精神・社会革命・独立・民衆主権・人間の自由・人間の尊厳・基本的人権・公正・均等公平な民衆繁栄・パンチャシラデモクラシー・統一・個は全体のため全体は個のため・意見や思想を表明する自由・・・・・。

バパ・イブ・ブン・アバン・スス・カカ・オム・タンテ・・・・、それらの呼称の使い方も混乱のきわみだ。今や突然上長をブンと呼ぶと礼儀知らずと言われはじめた。上長にはバパという呼称を使うのが礼儀に叶っていると言うのだ。たとえ上長が20代で部下が60代の人間だとしても。サウダラあるいはブン・・・、民族闘争期から独立革命を通してあれほどポピュラーで誇りに満ちた呼称だったそれらの言葉が、ここ十数年の間にもはや尊敬の念の感じられない言葉になってしまったのである。そんなことで、無意味な形式に満ちたコミュニケーションからインドネシア語をどのように護ってやれると言うのだろうか?


公衆の面前でインドネシア人は仮面をかぶって自分の本当の顔を隠そうとする。自分の真の容貌を見せて「これがわたしなんだ!」と明言することをきわめて恐れている。自分の真の容貌はそれほど醜いものであり、おそろしげなものであり、それは他人にとっても自分自身にとってもそうなのだ、ということを自覚しているからなのだろう。

よろしい。ならば度胸を据えて現実を直視しようではないか。わが45年革命精神は弛緩してしまい、退化プロセスの谷間に落ち込んでわれわれ自身、いやわれわれの社会の中から跡形もなく消え失せてしまった。かつてあれほどわれわれ民衆ひとりひとりを、個々人の大小を超えてひとつに結び合わせることのできた精神、重いものは共に担い軽いものは一緒に手に提げ、勇気に満ち自己犠牲をいとわず、祖国と民族独立のためにわが身を投げうつ純真で気高い闘争精神、自分自身や自分の所属集団の利益を二の次にし、嫉妬心や根拠のない偏見を捨て、権力争奪を行わず、最短時間に最大量の富を集めようと欲張らず、相互扶助や助け合いと分かち合いそして保護しあうといったそんな精神はいまや色あせ消失した。

われらのエリートは贅沢で快楽いっぱいの暮らしを学び、イヴ・サンローラン、ディオール、バルマン、ニナリッチ、バレンシアガ、カルダンなどといったパリ・クチュール仕立ての服を着て、パリ・ロンドン・ニューヨーク渡来のワイシャツに背広、靴はローマ。休日にはニース・メキシコ・スイスへ飛び、ケニアでサファリ。革命時代に喜んで一生懸命手入れをしたオンボロ自動車ははるか昔に捨て去り、普通の車では役不足で、ベンツ350やロールスロイスシルバーゴーストあるいはキャデラック。資金力のある外国人を見習ってゴルフを愛好するようになり、日本へのゴルフ旅行をプレゼントしたりする。公務出張であろうと物見遊山だろうと、遠隔地へ出かけるにはヘリコプターやエグゼキュティブジェット機が使われる。フロリダ・サンフランシスコ・香港・シンガポール・アムステルダム・スイスなどあちこちでインドネシア人が家を持っているという話を耳にする。ロンドンやパリで競走馬のオーナーになり、ラスベガスでは一晩で数十万ドルをスッても冷や汗ひとつ流さずに微笑を浮かべるだけで、翌日ふたたび賭博に興じる。世界の各地に妾を置いているインドネシア人の話も耳にする。豪華アパートに住まわせ、衣服や装身具を好きなだけ買い与え、自動車と現金も忘れない。

われわれはそんなエリートたちがコルプシを行って国民の富と権利を盗み、年々自分の懐を肥やすことを放置してきた。かれらの私利追求は年を追って激しくなるばかりだ。プルタミナ・ティマ・カリマンタン配給事業デポなどの例がそれを示している。われらがエリートたちは国民を統率しているように振舞っているものの、かれらの行動は本質的に国民から遠いところにあり、かれらと国民との間の会話も時が経つにつれてますます遠く困難になっている。』


時間というのは流れ去っていくものであり、ひとたび通過してしまえば二度と引き戻すことはできないのだというコンセプトをわれわれインドネシア人は持っていない、とモフタル・ルビスは言う。インドネシア人にとって時間というのは常に存在しているものなのである。だからジャムカレッ(jam karet)で困る同胞などいないと考えるようになり、そして「明日行うことができるものをなんで今日しなければならないのか?」というのが時間というものに対するインドネシア人の姿勢を代表するものになる。「アロンアロン、アサルクラコン(それが果たされるかぎりは、のんびりやるさ)」というジャワの警句を知らないジャワ人はいない。今しなくとも、まだ明日があるのだ。「アシータガアル〜」という日本の歌は日本と接点を持つインドネシア人にたいへん人気が高いように見える。モフタルは続ける。

『昨今われわれの間でポピュラーになっている新たなシンボルがある。ダラン(dalang=ワヤン劇で人形を操作し語りを演じる人形遣い)がそれだ。学生たちがデモ行動を起こすと、「ダランは誰か?」と言う者が出る。学生たちは単に誰かに操られているだけだとでも言うのだろうか?世間とマスメディアに批判の波が立つとやはり「ダランは誰だ?」というセリフが出される。誰かが黒幕になってそれをやらせているに決まっている、と言うのだ。大学生は自力で情報やデータを集めて分析し判断を下し、そして問題に対してどういう姿勢を取るかという結論を出せるだけの思考力を持っているということをかれらは信じようとしない。大学という施設を作ったのは、国民をそのようなことができるようにするためではなかったのだろうか?』

モフタルはその矛盾を鋭く突いているものの、すべての人間がポジティブな思考回路を持っているわけでもなさそうだ。ネガティブな思考回路で大学と大学生との関連性を眺めれば、上の矛盾が矛盾でなくなる可能性もなくはないとわたしは思う。

昔はダランだったが、いまはtunggangという言葉のほうが優勢であるようだ。menunggangiという使い方が普通で、この言葉は馬や自転車に乗って自分が腰掛けているものを操縦するという状態を表現するものである。バライプスタカ発行のインドネシア語辞典KBBIによればmenunggangiには影響を与えるという意味もあり、またmenunggangには「集団・組織・運動などを自分の利益のために利用する」という意味も記されている。昨今各地で展開されている石油燃料値上げ反対デモに関連して国家諜報庁が、それらのデモは何者かにトゥンガンされたものだという声明を出し、「いまどき何という時代錯誤的なことを言うか。」と各界から反発の噴出を招いたが、主体性を持たないデモ隊はダランに操作され、自らの意志で路上に降りたデモ隊もそれと知らずに何者かを背に乗せてその者の手綱に操られている可能性は小さくない。2007年メーデー前後の労働法改定反対運動や2008年3月の航海法改定に関連した港湾スト計画などの裏側に、それらの運動にトゥンガンする何者かの影がちらついていた事実は、次の総選挙が近付きつつある状況を考慮するなら、昨今の値上げ反対デモに付随しているかもしれない同じようなからみを否定しづらくしている。モフタルのスピーチは続く。


『インドネシアの専門家の話では、過去10年間で国内投資は2千億ルピア(46億米ドル)、そして外資企業850社は65億米ドルを投資したそうだ。ところがそれほどの投資額が生んだ雇用は120万人分でしかなかった。わが国では毎年110万人が職を求めて労働市場に参入してくるというのに。われわれはこのような開発の意味合いを十分理解しなければならない。

ガンジーはかつてこう語った。「地球はすべての人間の必要を十分に満たしてくれるが、すべての人間の欲望を満たすには不十分だ。」故ガンジー翁のその言葉は実に正鵠を射ている。もしも、自動車・テレビ・家電品・食べきれないほどの豪華な食事・各室には電話やエアコンが装備され、お屋敷にはセントラルヒーティングが備えられ、歯磨きやら靴磨き、髪を刈って立ち木を刈るというような今アメリカで繰り広げられているレベルのライフスタイルを享受したいという欲望をわれわれインドネシア人全員が満たそうとするなら、現在世界で生産されている鉄鋼・銅・アルミなど天然資源のすべてをここへ持ってきてもまだ足りない。つまりその道はわれわれを迷わせる袋小路なのである。

その道へ入るということは、世界の資源を手に入れるために巨大産業・巨大資本・巨大権力・巨大軍事力を持つ先進国と競争しなければならないことを意味している。かれらと競争してそれを手に入れることができるなんて、そんな夢は見ないほうがよい。われわれは、わが民族の幸福と心の平安、そして善行といったものを求めて、そんなものとは別の目標を実現させるために頭脳を使うべきなのだ。


海岸に腰をおろしてインド洋を見つめているインドネシア人がいたとして、かれの頭をいったいなにがよぎるだろうか?ニャイロロキドゥルのイメージなのか、それともその海が湛えている人間にとってのあらゆる富か?その広大な海がわれわれにもたらしてくれる富を掘り起こそうとするなら、われわれは科学技術を自分のものにしなければならない。

科学はパワーであり、パワーが中立であったためしはない。人間の神経を冒しあるいは生命を奪うガス、細菌兵器、ベトナム戦争で米軍が使った木の葉を落としてジャングルの立ち木を枯らしてしまう化学物質など戦争のための究極的な兵器に科学を利用する者だけを悪者にして自分の良心を鎮めるために学者たちが言うような、「科学技術というものは本来中立なものなのだ」という言葉は本当なのだろうか?社会の監視下に置かれない科学技術は破壊をもたらす。昔のひとびとはテクノロジーを巧みに掌中にした。エジプトのプトレマイオスの時代には、ファロス島に設けられた灯台の一番上まで水を押し上げる蒸気機関が開発されたもののしばらく使われただけでその後使用されなくなった。そのような機械は人間を怠惰にして労働意欲を失わせるものだ、とひとびとは考えたからだ。ローマ人が生み出した小麦粉を作るための水車設備でも同じことが起こっている。

われわれはいま、雇用創出を図りたい、と言っている。ところがその一方で、外資が資本集約テクノロジーを持ち込むことを許している。結局のところ、巨大な工場の中では十数人しか働いておらず、労働集約テクノロジーを使えば数百人が雇用されるというのにそのような結果を出そうとしていない。


数年前のチブラン会談でスピーカーのひとりが、人間の究極目標は神に仕えることだ、と発言した。人間とジンは神が自分に仕えさせるために創ったのだそうだ。しかし神に仕えるという言葉の定義はいったい何なのか?教会で祈祷し、モスクで礼拝せよ、というキリスト教やイスラム教の教えに従い、宗教法が定めているすべての義務を果たせば、それで神に仕えたことになるのだろうか?われわれの周囲を取り巻いている天然資源、資本、労働力利用、科学技術、バランスを保ってきたエコロジーに混乱をもたらすであろうすべての脅威、自然汚染などに対して、われわれは制度化された社会監視を必要としているのである。

人間の自由というのは、自由への勇気を持つ人間の存在がそれを発展させるのだということが理解されなければならない。われわれは常に、インドネシア人にとっての可能性とチャンスと新たなパースペクティブの地平線を拡大するよう努めなければならないのである。』

モフタルがここで言っている自由への勇気というのは、世界のいたるところで頻繁に議論されているような「自己の行動結果に自己が責任を負う」という自己完結的なレベルでの自由を意味しているように思える。つまりは封建文化が構築した日常生活上の諸制度の中にある義務にがんじがらめにされ、主体的に自分の行動を選択しながら取っていくという形とは違って社会的に形成された規範に則して行動することが強く求められている文化の申し子たちが口にし、また振舞う自由とは異なり、本当に自分ひとりの足の上に立って自分が転ぼうが倒れようが一切の責任は自分にあると断言する意志、それを行うことへの勇気、そのようなことを言っているようにわたしには思える。

インドネシア人は自由という言葉をよく口にする。人間が生まれながらにして持っている権利、つまり基本的人権のひとつがそれだと言う。だがインドネシア社会を見渡したとき、いたるところに自由の履き違えを見出すのはわたしばかりではあるまい。3百年間の外国支配から脱することを目的にして第二次大戦後の支配権力空白期に立ち上がった民衆の合言葉は「ムルデカ」だった。merdekaという言葉は英語のindependentに対応しており、日本ではそれを「独立」という言葉にあてはめたが、この言葉が第一義的に意味しているのは「自由」である。もうひとつ自由を意味するkebebasanは英語のfreedomやlibertyに対応しており、そのニュアンスの違いはご理解いただけるものと思う。上で述べたように他者からのあらゆる拘束や支配を受けずに主体的に自分の足の上に立っているという「自由」がムルデカの意味だ。奴隷制が生きていた時代のbudak(奴隷)とorang merdeka(自由人)という言葉の対比がその意味合いをよく説明しているように思える。

ところが独立後に新しい自由な民族国家が出現すればこそ、打ち払われた外国人支配者の座に民族エリートたちがとってかわって鎮座し、半世紀にわたる圧政がふたたび繰り返された。民衆のムルデカへの希求はふたたび膨れ上がり、1998年のスハルト大王退位からレフォルマシという政治体制変革へと時代は流れたが、真の意味でのムルデカに向かっているという気配はいまだに感じられない。

自由とはセルフコントロールでありセルフマネージメントなのであって、『わがままやり放題』のsemau gueではないとインドネシア人識者は批判しているものの、わがままのための自由に憧れる庶民はそんな言葉を聞く耳を持たない。その何百年にもわたる過酷な暴政に甘んじてきた被植民地支配民族にとって、自由への希求は「自分のしたいようにやりたい」という根源的な欲求に溶け込んでしまっているように見える。そうして日々、国政エリートからローカル上級者に至る社会的有力者たちが示すスマウグエを目にしているから、かれらの根源的欲望はさらに煽られることになる。インドネシア人識者たちは国民の自由への希求を、外国人支配者が構築した植民地構造への反動だと見なしているようだが、そのロジックでは独立後の植民地構造継続を説明することができない。この問題の根底にあるのはインドネシア文化自身が維持しようと努めている封建精神の根ではないだろうかとわたしは考える。

インドネシア人の日常行動パターンを支えている価値観の中に、「強制は悪だ」という思想がある。強制は自尊独立する個人の自由に干渉するものであり、ムルデカが善の位置に置かれるのならpaksa(強制)は必然的に悪になる。この思想によって日常社会生活の中では他人に強制するやり方がはばかられるようになり、一応言うべきことは言うが最終判断はその者の自由だ、という姿勢が社会における優れたビヘイビアとされるようになる。memperbudak(奴隷扱いする)という言葉が社会的に強い悪のニュアンスを伴って使われているところにもそれは窺える。その結果世の中で何が起こっているかと言えば、悪事を行う者の手を押しとどめて『強制的に』それをしないようにさせる、という行為が稀になるのである。とあるロワーミドル層家庭で無職の息子が覚せい剤仲間と付き合いはじめ、最初は無料で勧められているうちに中毒になり、中毒になったとたんにそのブツは高額有料に切り替わる。息子が金をつくるには親兄弟親戚にねだるしかない。そこから金が引き出せなくなれば隣近所から借りまくり、そして行き着くところは家財道具を勝手に持ち出して売り払うという終点にたどり着く。ところが親は息子のそんな行動を「いけないことだよ。」と言うだけでただじっと見守るだけ。どうしてそんなふうにするのかといえば、本人の自由にまかせて自覚を待つ、というのが親のロジックなのだ。インドネシア社会の中にある悪事の横行多発は、その原因のひとつにこの思想の存在をあげてよいのではあるまいか。


もうひとつ特徴的だとわたしが感じているのは、神経質なほど束縛を忌避する姿勢である。言うまでもなく人間は本質的に自由を希求する存在だ。元々ケダモノの自由を享受していた直立歩行するサルが集団生活のもたらすメリットの追求に向かったとき、文明の萌芽が出現した。集団生活の維持と向上のために掟が作られ、ルールに従う生活がケダモノの自由をそぎ落として行った。そんな軽い拘束は人間社会に支配被支配の上下関係が作られるようになって重さを増し、数千年という時間の流れの中で構築された封建システムはただひとりの自由人と無限に近い数の奴隷という社会を生み出すようになった。そんなあり方がヒューマニズムと呼ばれる思想で修正されるようになっていったのはヨーロッパ文明の中であり、アジアの文明はそんな状態を乗り越えることができないうちに怒涛のようなヨーロッパ文明の流入を迎えたわけだ。

目をふたたび現代インドネシアに転じれば、われわれは職場でも街中でも、縛られること、拘束されること、を毛嫌いするインドネシア人の姿を目にすることができる。束縛や拘束という言葉から身体拘禁のように物理的肉体的な状況を想像する必要はない。そのようなことはインドネシア文化において絶対的な悪行なのである。そうではなく、かれらが精神の中で感じる拘束や束縛への忌避姿勢を見る限り、かれらはそれほどセンシティブだったのか、と驚きの念に打たれるのはわたしだけではないだろう。

インドネシア文化に近道(jalan pintas)思想というものがある。このジャランピンタスというものはさまざまな要素を含んでいる現象で、何かを企画した場合は最短距離で結果にたどりつきたいと考える思想であり、必要なステップを跳び越える手抜きを誘発するものである。一般的に外国人はこの手抜きをインドネシア人の怠惰の証明と見なしているが、インドネシア人はそれを頭脳優秀の証明ととらえている。かれらにとっては、しなくてよいことを省く効率論がそれなのである。ほかにも、たとえば就職するのに大卒の学歴が必要であれば、4年間こつこつ勉学にいそしんで並程度の成績証明で卒業するよりも、4年間遊びほうけて卒論は金で買い、身代わり卒論面接者を立てて成績優秀で卒業するほうがよっぽどマシだと考える。もっと上を行く者は、4年間も学費を納めるよりも外国のそれらしい架空大学卒業証書を金で買えばよいじゃないか、と考える。

インドネシアで権力への一番の近道は金を持つことであり、そのために勤労に励んで財産を蓄積しようとは考えず、ジャランピンタスで金持ちになろうとする。この思想がコルプシ大国の下支えをしており、そこに倫理的な配慮が加わるとコルプシが借金に置き換わる。


街中にいる歩行者の振る舞いを見ても、歩道橋を使わずに交通事故のリスクを犯して車道を突っ切り、また交差点のど真ん中といったバス停でない場所で都バスを止めて乗り降りする。二輪車ライダーは歩道も歩道橋もUターン禁止場所もお構いなしにスマウグエを行い、赤信号でも横からの交通がなければ信号無視して突っ切って行く。交差点で四輪車が止まったとき、たくさんの四輪車の隙間を縫ってかれら二輪車ライダーたちが前へ前へと進んで行く姿を目にしていないジャカルタ在住者はいないと思う。「もう、どうにも止まらない」といった風情で前進を続けるかれら二輪車ライダーの精神の中にわたしはジャランピンタス思想を感じる。つまりかれらは一刻も早く目的地に着き、自分がいま携わっている作業を終わらせて自由になりたいのだ。時間を無限に所有していると考えているかれらにとって、暮らしの中の時間効率がそれら行為の動機であるとは考えにくい。会社工場の従業員にも同じような自由への希求姿勢を感じることができると思う。終業時間が来たら、自分はふたたび自由の身になるのである。1960年代にノルマ・サグルが歌ってヒットした「牛飼いさん」というポップソングの歌詞を見るが良い。夕方になれば牛飼いさんは裏を通って牛を小屋に連れ帰る。牛を小屋に入れて扉を閉めればその日の仕事はもう終わり。かれの心は飛んで弾む。これが牛飼いさんのその日の仕事。あとはもう考えなきゃいけないことなんか何もない。

かれらの望んでいる『自由』がそれだ。小学生が日曜の朝に、今日は何をしようかと考えて胸弾ませる解放感。毎日の暮らしの中でさまざまな義務にがんじがらめにされている閉塞状況からの解脱を希求するひとびとが憧れる自由。ジャランピンタス思想で言うなら、どんな成果であろうとそのクオリティを云々する前に早く結末にたどりつきたいという欲求がそれであり、いつまでもだらだらとその途上に自分がいることを嫌うという心理である。つまりインプロセスの状態が心に束縛をもたらすために早く自分はそこから出たいと望む心理がそれであり、職場でもわれわれは似たような現象を目にしているはずだ。しなければならないことは簡単にやり終えて、早く終了状態にたどりつきたい。ものごとにインスタント性を求める心理はそこから出てくる。すべてが義務というかれらの社会生活において、それが与える心的束縛や拘束は負債の感覚をかれらにもたらしているため、そのようにある状態に従事している自分の状況が早く決着し、負債が完済されて自由になるという心の回復を求めているのだろうとわたしは見ている。かれらのそんな心理状態の根拠になっているのが、個々人を義務でがんじがらめにしてネガティブな精神を形成させている封建文化であることは言うまでもあるまい。

「自由な」という言葉に対応するインドネシア語として「ムルデカ」と「ベバス」があり、高い天空で話されているムルデカと地上で営まれている日常を覆うベバスについて先に簡単に見てきた。merdekaは英語のindependentに対応していると上で述べた。その英語はin-dependentつまり「依存しない」「依存のない」という意味であり、自主・自尊・自立・独立・独歩といった言葉でより深く説明できる。つまりムルデカとは他者に依存や従属をせず、また他者に支配されることを排除して、自分が自分の主人となり、自分が自分を支配する、というあり方を意味しているのである。支配という言葉が意味しているものは、他人を指図し・仕切り・取締り・統治し・命令して支配する側の言うがまま思うがままに他人を扱ったり動かしたりすることだけでなく、そのような強制的雰囲気の薄い形の、たとえば他人の心情に働きかけて影響を与え、その者の行為を自分が望む方向に向けさせるということまで含んでいる。わたしはその支配と依存という言葉が、単にオリエンテーションが違うだけの同一の事象を指しているように思えてしかたない。言ってみれば、支配というのは他者が客体に働きかける方向性を持つ場合に使われ、依存というのはその客体が他者から支配を求める状態に対して使われるものではないかということであり、同一物を別の視点から見ているに過ぎないものではないかという気がするのである。

ともあれ人間になる前のケダモノ時代から培われてきた人間間の支配被支配関係は、それはわたしのロジックに従えば依存被依存関係と言い換えることもできるのだが、文明を創出し始めた人類の曙光時代以後数千年という長い時間の中で、いまだに消滅できないまま連綿と人類史のタペストリーを織り続けている。数千年という時間の流れの中で構築された封建システムはただひとりの絶対自由人と無限に近い数の奴隷という社会を生み出したと先に述べたが、もう少し細かにその内容を見てみることにしよう。

神になぞらえられた皇帝をはじめとする絶対最高権を持つ完全自由人がその社会にはただひとりいて、do no wrongと評されるその者は言ってみれば100%スマウグエを行うことが保証されている。その社会の中でその者に指図することはだれにも許されない。ただしその者に依存心が少しでもあれば表向きのその原理は実態と乖離して行くのだが、それはここで取り上げない。その完全自由人は「ムルデカ」状態にあるか、もしくは「ムルデカ」状態になることができる。そして皇帝の周辺にいる大臣や将軍たちは、ただ皇帝の支配だけを受けるが皇帝と関わりのない部分では完全「ムルデカ」状態になることができる。そんな「ムルデカ」の量的レベルを表現するために「ムルデカ度」という言葉を使っておこう。大臣や将軍の次官や懐刀たちは自分を支配する少数の人間と関わらない部分で高いムルデカ度を持つ。このようにして支配被支配の上下関係は国家制度あるいは社会制度の中で異なるムルデカ度を持って存在する複数のひとびとを生み出すようになる。ムルデカ度の高いポジションにいる者たちがいわゆるエリートなのだ。末端最下層にいる一般庶民は封建的な国家制度社会制度に支配される完璧な被支配者となり、この階層でムルデカ度を持てる人間はほとんどおらず、かれらは高い依存性の中で生きている。封建制度の中で支配者は、被支配層である一般庶民を依存心から解き放たないよう留意した。日本にも民衆統治の心得の中に「民は依らしむべし。知らしむべからず。」というものがある。自分で深く物事を考えるような人間をあまり育てず、民は考え事などせず身体を動かして生産に励むようにさせ、情報も学問も与えないようにして社会指導者国家指導者に頼るように仕向けるのが優れた民衆統治だった。宗教も同じような目的に使われた。存在を疑ってはならない絶対崇高なるものをただ信じ、それにすがって一生を送るよう善男善女に仕向けるのが宗教というものなのであり、神なるわれにすがるべからずと依存を禁じるような教義を持つ宗教の話はまだ耳にしたことがない。宗教団による民衆統治にせよ、宗教を用いた国家の民衆統治にせよ、あるいは宗教色は薄いものの倫理道徳などという伝統的慣習や教えにせよ、一般庶民の持つ依存性に依拠して行われてきた為政はいまだにこの地上から払拭されてはいない。


さて封建制の中では、国家社会における特定ポジションあるいは身分といったようなものがムルデカ度に関係しており、その座に就く個々人の精神的なムルデカ度も往々にしてそれに一致するようになる。封建制度というベースの上で自分が主体的自発的に何かを行うというのはムルデカ人間の領域であり、つまりはそんな地位・身分・能力を持つ人間にのみ許された特権であると言うことができよう。そんな国家社会統治機構の中では精神上のムルデカ度が強い者ほど高い地位に上昇していくことが可能だ。庶民の中でそんなムルデカ度を持つ英才が出現すれば、かれらはたいてい取り立てられて支配機構の階段を踏み上って行った。古代中世の出世譚はそんな実例に満ち満ちている。そんな俊才英才は別にして、一般の被支配層民衆は自分が何かを行う際に必ず規範を必要とし、常にそれに従わなければ不安で、規範を無視して制裁を社会から受けるのを怖れるために勝手なことをする度胸がなく、ただただ義務とされていることを早く完了させてそこから解放されようとする。だからムルデカ人間が何かを行う際には目的が明確に意識され、その目的到達のために全知全霊が投入されて高いクオリティの成果を実現しようと努めるのに対し、非ムルデカ人間は命じられた事を早く終了させようと努めるばかりで行為の成果が可やら不可やら、またクオリティレベルがどうかといったことには関心が払われない。これはつまり、物事の結果とかクオリティ、あるいは個々人が抱くべき責任感などというものがムルデカ人間の世界にのみ存在していることを意味しているように思われる。

もともとは封建制度が一様に地球上を覆うとともに宗教がそこに溶け込んで支配被支配・依存被依存という双方向の人間関係を構築してきたものの、上であげたようなムルデカ人間の持つ要素が自分の社会をより優れた強いものにするということに気付いた西欧社会が、それまで持っていたくびきを弱めることで社会構成員全体のムルデカ度を向上させ、七つの海に雄飛してアジア・アメリカ・アフリカにある依存人間の人の海を次々に征服してしまった。圧倒的多数の依存人間は自分たちよりはるかに少ないムルデカ人間に、優れた船と優れた火器を持ち目的の実現に全知全霊を傾ける西欧人に、敗れ去ってしまったのである。と、そんな史的事実に結びつけてムルデカ人間の話をすると、読者のしかめっ面が画面の向こうにちらついて見えてくるようだ。


インドネシア社会が強い依存性に覆われていることはきっと周知のことだろうと思う。「インドネシア民族は宗教的な民である」とかれらが誇らしげに語る言葉をその例証のひとつにあげることができる。宗教的ということは人間が存在基盤を神に置いていることを意味しており、つまりは人間存在が神への帰依、すなわち神に依存するあり方の中に包まれているということになる。自分の生死から活動の成否一切、健康や病、貧富や貴賎などは神がもたらす運命なのであり、それは自己が生み出すことがらという考え方の対極にある。神に導かれる従順なる羊の群れが宗教における信徒の理想像とされるなら、社会がそのような姿を人間としてのあるべき姿と位置付けるために社会構成員が依存的傾向を帯びないほうがおかしい。被支配層にそのような性質を求める封建制が宗教の持つそんな性格と相まって人間の依存性を強化してきたのが人類史の一部分をなしており、その古来からの伝統的な美風を維持するのが人倫乱れた21世紀における自分たちの務めであると確信しているひとびとも世界には少なくない。

個人主義は人間のエゴイズムを育む諸悪の根源であるとして宗教的なインドネシア人はそれを強く排斥している。依存性人間が構成する社会に個人主義が持ち込まれたなら社会が崩壊に向かうのは疑いもなく、民衆が互いによりかかり合い支え合う調和の取れた社会を善とするかれらが個人主義を憎んで排斥しようとするのは当然のことだ。しかし個人主義が調和の取れた社会を作り出している場所も地上には存在しており、そのような社会を作り出しているのは依存性人間でなく自立人間であるという点がそこでの重要なポイントだろう。つまり個人主義が悪であるのは社会が依存性原理で構築されているからであって、自立人間が実践する個人主義が必ずしも邪悪な社会を作り出すとかぎらないのは現実に証明されている通りだ。インドネシアで個人主義がそのように評価されているのはインドネシア文化が依存性原理を守ろうとするために起こっている現象であり、つまりそれは社会を構成している文化の中にあるさまざまな価値を組み立てている主要原理のひとつを破壊するものに対して働く自衛反応だと言うことができる。

もっと他の例を見てみよう。インドネシア人の多くは「自分のことは自分でする」という行動原理を重視していないように見える。インドネシア人の日常生活を間近に見てみるとよくわかるが、他の文化ではプライバシーに関わるような部分にまでだれかの手が入って世話している。オフィスにはオフィスボーイがいて、社員に湯茶を用意してくれたり昼食を買ってきてくれたりする。オフィスボーイに何かを買ってきてくれと頼めば、断られることはまずない。オフィスボーイのジョブディスクリプションにそんな事柄がはたして記載されていただろうか?オフィスで働く社員のほとんどは高い学歴を持っており、そんな偉い人たちにお仕えするのがオフィスボーイの務めなのである。これをパトロン=クライエント原理として見ることもできるが、そこに依存性原理を見出すことも可能だ。パトロン=クライエント原理は相互依存で成り立っているのだから。

構成員が相互に依存しあう社会がこれなのだ。他人がしてくれる世話を問答無用で受け入れてそれに感謝するというあり方がこの依存性社会における善とされている。女中をはじめさまざまなプンバントゥが周囲にいて、自分が自分の力でできることさえ世話を焼いてくれる。そんな高依存性社会で世話を焼いてくれる周囲の人間の手を抑えて、「自分のことは自分でする」を押し通せばインドネシア社会は「傲慢」「倣岸」「他人と協調できないエゴイスト」「自分だけが偉いと思っているソンボン(sombong)人間」といったレッテルを貼り付けてくる。インドネシア人女性を恋人に持てば、痒いところに手が届くように世話をしてくれる。しかしそれは「自分のことは自分でする」の自立文化に照らして、まるで子供扱いされてみっともないように感じられることもある。インドネシア文化で愛情とはその相手を甘やかすことであり、たとえ相手が大人であってもそれを赤児・幼児扱いするのが優れた愛情の表出と見られている。この原理は客人の接待にも当てはまり、客人に何もさせないで一切の世話をしてあげるのが最上のもてなしなのだ。だからそのような原理があなたに向けられたとき、もしもあなたが「自分のことは自分でする」を実践したらかれらの感情を損なわないはずがない。かれらの感受性においては、依存しあう関係の中に愛情の軸が通っているため依存関係の拒否は愛情の拒否に結びつくのである。

赤児や幼児は自立性を持っていない。もちろんかれらは依存性のかたまりである。それはどこの文化へ行こうと違わない。インドネシアでかれらがどう扱われているかはご高承の通りだろう。かれらは常にだれかの手の中にいて、決してひとりで放っておかれることがない。そのだれかは子供が幼児になっても距離を置いて見守ろうとせず、子供が少しでもむずかるとすぐに抱き上げて甘やかす。それが子供に向けられるべき愛情表出のあり方とされているのである。庶民的なレストランやフードコートへ行くと、走り回る子供を追いかけながらベビーシッターが手にした食器からスプーンで子供の口の中に食べ物を挿し込んでいる姿を多くの読者は目にしているにちがいない。もうあの年齢ならひとりで食べることを躾けてもよいのではないか、と思うような子供までそのように世話されている。

家族は互いに愛し合い思いやって仲良く日々を送るのが理想の姿であり、なめ合うような愛情関係が美風とされている。家族構成員の間の関係は何歳になろうがそれぞれが親子兄弟姉妹の役割を家族の中で演じ続けるため、たとえば親は子供が10歳だったときの扱いを20年30年経っても維持し続ける。依存性の確立は自立の否定であり、そのために人間の成長過程の中に反抗期は現れず、真の巣立ちも行われない。依存性文化の中で人間の成熟はこうして自立文化のそれと異なった容貌を見せるのである。インドネシア社会で人間の成熟の指標とされているのは、結婚する(家庭を持つ)意志を持ったこと、自分で金が稼げるようになったこと、親の指導下から抜け出して暮らせるようになったこと、だそうだ。しかし人間の成熟というのはそのような肉体的成熟がもたらす形式よりも精神面の成熟がポイントになるようにわたしには思える。精神的成熟はセルフコントロールやセルフマネージメントがその指標であり、行動の細かい面にいたるまで感情や衝動に駆られることなく理性が構築した価値観にもとづく動機によって動くというのがそのメカニズムであって、個人の理性が構築した価値観は社会というものが主観性をこそぎ落として客観性を持たせるように仕向けていく。だからインドネシア人の成熟観には社会人という観念もしくはイメージが不足しているように思えるし、インドネシア文化に社会性が希薄であるように感じられる現象が少なくないのもそのようなところで根を同じくしているからではあるまいか。

自律は自立であり、成熟は自立した理性がもたらす果実であると言えよう。だから依存性人間のクオリティが子供っぽいと感じられることが多い理由がそれであるにちがいない。こうしてわたしの思念は一足飛びにマッカーサーの日本人12歳発言に飛躍するのだが、その共通項として横たわっている依存⇔自立原理という基盤をわたしと一緒に感じていただける読者はいらっしゃらないだろうか。

人間が集団生活を営むかぎり、どこかでだれかに依存せざるをえない状況は必ず起こる。赤児や幼児が依存のかたまりであるのがその証拠ではないか。完璧に自立した人間というのはひとりぼっちで生きなければ実現しないだろう、という反論は出されて当然だ。依存⇔自立原理のポイントは、日常の言行一切を対他者依存の中に置いて依存することを社会的な善と見なすか、それとも他者への依存は社会の中における必要悪であってできるかぎり自力を優先することを善と見なすか、という平衡針の上に乗っているとわたしは考える。社会生活の中で他者に依存せざるをえない状況に陥ったとき、依存者が被依存者からの支配を拒むことができるかどうか、また社会がそれを許すかどうか、といったことにそれは関わっている。たとえばAさんから受けた恩や親切は負債であるから大人である以上は返済しなければならない。だからAさんにそれを返済するまではAさんに頭があがらないという精神を持つのか、それとも同じ社会構成員たるBさんやCさんが困ったときに手を差し伸べればその返済はできるので、Aさんに返さなくともAさんと対等のつきあいが続けられるのか、という点にその違いが出てくるようにわたしには思われる。われわれはその両者の間に社会的連帯意識の存在と不在を感じ取るのだ。

しかし、だからといって、自分でできることまで他人に甘えてひとの手を借りまくったあげくわたしとあんたは対等だと言って負債の意識を抱こうとしない人間も自立という概念から外れているのは言うまでもない。そのような人間は成熟のモノサシで低いレベルに置かれる。成熟は自立の産物なのである。かつては自立社会という強いイメージを見せていた多くの国で成熟という価値観が色あせてきたように感じられる昨今、世相は甘く気楽な依存性社会に向かって傾きつつあるのではないかと思うのはわたしばかりではあるまい。


ムルデカから依存性へとかなり遠くまで話が離れてしまったように思われるが、真のムルデカを社会の中に構築できるのは依存性人間でなく自立人間なのである。個人のムルデカ度の高まりがひとを自立に向かわせるとき、モフタルがインドネシア人に求める「自己の行動結果に自己が責任を負う」という自己完結的なレベルでの自由が実現される。しかしインドネシア人が言うムルデカはどうやらそのようなものとは異なっているように思えてしかたない。

20世紀に入ってからムルデカを叫ぶ蘭領東インドプリブミの声は力強さを増し、1945年の独立宣言、そして長い独立闘争を経て1949年以降の国際的な共和国承認という歴史的事件に結実して行った。民族のムルデカはそのようにして達成され、個人のムルデカも同時に実現したとほとんどのインドネシア人は考えている。先に触れたように、他者からのあらゆる拘束や支配を受けずに主体的に自分の足の上に立っているという「自由」がムルデカであり、支配被支配と依存被依存という双方向の不自由を否定するところに真の自立、つまり完璧に自分の足の上に立つということが実現するとわたしは主張した。支配被支配だけを排除しても真の自立はやってこないのではないか、というのがわたしの意見だ。独立(ムルデカ)を達成したインドネシア人が作った1945年憲法は国民の『共同』の繁栄を国家目的に据えており、個人個人ひとりひとりの繁栄という言い方になっていない。共同原理(asas bersama)思想は崇高なる45年憲法の全編を通して流れており、ブルサマという語は聖句としていまだに民族スローガンの中に登場する。インドネシア民族の伝統的価値観が依存性原理に覆われていたために個人という観念が憲法から排除されたのは自然の成り行きだったに相違なく、だからインドネシア文化は個人としての自立が希薄で、成立しうるのは集団の自立だけであり、集団構成員は相互依存の和の中で協調的に生き続けている。そんな構成員の個人としての自立が自立的な文化におけるそれと異なる容貌を持つのは言うまでもない。

民族ムルデカで支配被支配というアグレッシブな悪を地上から消滅させるのに成功したが、依存被依存は美しい人間関係であるためにわが民族はそれをいつまでも守り続ける、というのがこの問題に関する一般的インドネシア人の姿勢であるように見える。それは例えて言うなら、奴隷制度を廃止したというようなものかもしれない。奴隷制度を廃止したことで、地上から人間の奴隷扱いが一切消滅したのだろうか?奴隷扱いされる立場から誰かが救い出してくれなければその立場から抜け出せないひとびとにそこから抜け出る方法を教えようとせず、奴隷扱いする側の人間にそれは悪事だからやめろと言い続ければ実態としての奴隷扱いもなくなっていくのだろうか?そしてわれわれがインドネシア社会を見渡したとき、民族構成員たちが依然として支配被支配の大海原を浮沈している姿が目に入ってくるのはいったいどうしたことだろう。


久方ぶりにモフタル・ルビスのスピーチに戻ってみよう。かれは、「同胞インドネシア人よ、もっと成熟せよ!」と切歯扼腕しているのだ。
『しばらく前にインドネシア共和国カソリック学生会(PMKRI)会長だったクリス・シネル・ケイは学生界の近況をこんな言葉で語っていた。「・・・白け感情が拡大し、モチベーションは消滅し、オリエンテーションは曖昧になり、ビジョンはしわくちゃになり、理想や精神的な価値は失われ、アイデンティティの危機、創造性の欠如、批判的思考力の不在、論理思考の能力すらあやふやだ。そんな情況はかれらが抱いている、怖れ、無関心、フラストレーション、無力感、そして常に監視されいつも追いかけられているような感覚がもたらしているものだ。」

しかしそんなものは学生界だけでなく、わがインドネシア社会全般に存在する現象だと言えるのではあるまいか。キリスト教徒はそんな状態からの脱出口をキリスト中心主義からのアプローチで模索する。一切の物事の中心は人間でなくイエスキリストであり、人間も世界もキリストなくしては意味をなさず、未来も存在しない。人間は罪を背負って生きており、それをあがなわなければならないのだ。聖者たちがそのように教えてきたから。

ジャワ人の思想では、時間は循環するものであり回転する車輪のように何度も何度も繰り返される。新しいものは古いものでもあり、古いものは新しいものでもある。だからひとはワヤン物語の中に、現代に生きるための宝石のような幾多の賢明さを見つけ出すのだ。

イスラムは現世と来世の平安が、全能の神の支配下に自らを百パーセント委ねた上で神と預言者ムハンマッの命を遂行する中での人間の奉仕にあることを教えている。
われわれはいまここであまり宗教の話に深入りすべきではない。それはセンシティブな問題を数多く招きよせるばかりか、それがひとつの合意を生み出すことも決して起こり得ないからだ。なぜなら、それぞれの宗教は自らを最高のものと称しているためであり、信仰である以上それが当然の帰結とされるからだ。

少なくともインドネシアの主権が認められて以降のパンチャシラ、パンチャシラ社会、法治の確立、公正・均等にして公平な繁栄、開発者の自由と偉大さの諸権利の保証などといった高尚なる国家的偽善と、インドネシア人個人あるいは集団としてわれわれが行ってきた行動や社会の中に具現されている実態との間にますます大きな溝が広がっているということを認める勇気を、われわれは持たなければならないのである。』


1977年4月6日タマンイスマイルマルズキでの講演で、モフタル・ルビスはそれまでに描き出したインドネシア人の性格的特徴とは別に、現代世界を覆っているモダン化原理とそれに盲従しているインドネシア人のビヘイビアにもメスを入れた。モフタルの言うモダン化とはますます傾斜の度を強めているモノ化世界のことであり、そのような原理に追従しても幸福を手に入れることはできないのだ、とかれは同胞に警告したのである。30年以上も前にモフタルが指摘したことがらは今現在でさえまだその新鮮味を少しも失っていない。つまり指摘された問題は長い年月が過ぎたというのに、いまだにそのままの問題としてあり続けているということをそれは意味している。そんなありさまを眼前にしてわたしたちは、モフタルの慧眼に向けて感嘆を表明するべきなのだろうか、それともその現象は頑ななインドネシア人の実際例のひとつであると見て認識を新たにするべきなのだろうか?モフタルのスピーチに耳を傾けてみよう。

『現代世界は先進工業国たる持てる国と発展途上国である持たざる国にはっきり二分されており、その区分は西洋の経済専門家が特定経済要素をベースにして作ったものだ。ところがそのような先進後進の区分が用いられることで、先進国は人類文化文明のあらゆる分野でも進んでいるのだという印象を世界中に与えることになった。しかし経済以外の分野を比較して見るなら、経済は豊かな国々ほど進んでいないにせよ、文化や人間に関わる諸価値観に関連したことがらがそれら先進国の上を行っている国も少なくない。そのような視点から、「先進国」「持てる国」「貧困国」といった言葉がなにを意味しているのかということをわれわれ自身もっと掘下げて考えてみる必要がある。

われわれは日本、アメリカ、あるいは西ヨーロッパ諸国、それともソビエトロシアや共産中国のようになりたいのだろうか?日本、アメリカ、あるいは西ヨーロッパ諸国には、自分の社会で一般的になっている儲けや物質を追い求めるという人生の目的が方向転換するのを見たいと望んでいる頭の冷めたひとびとも少なからずいるのだ。

機械やコンピュータ、オートメーション、ロボット化などの巨大テクノロジーと大量生産によって世界を天然資源枯渇の瀬戸際に追い込み、生態バランスを崩壊させ、生活環境を汚染し、おまけに人間を中心の座から単なる飾り物で、最先端工業化社会の生死の鍵を握るあらゆる機械や電子機器の単なるボタン押しの地位におとしめ、人間的思考を打ち負かし、先進社会か後進社会かを測定するツールとしてのGNPやGDPの維持向上のために自分自身の運命を決める人間の権利まで投げ捨てさせる先進工業国のそのようなあり方は、なんと原始的で後進的な考え方であることか。あらゆる計算プロセス・先行見込み・データ集計と配布・計画と実施・生産管理等がベストの効率・迅速さ・経済性でもって行なわれることを要求するテクノロジーを持つ先進工業社会において人間はすべてのシステムにおける下部システムでしかなく、それどころか今現在製作可能なさまざまなミス防止能力を持つ機械や電子機器にくらべてミスや見逃しを犯しうるもっとも非効率的な下部システムであると見られている。また人間の頭脳は膨大なデータ保存能力を持っているとはいえ、そのデータをオーガナイズし、スピーディに処理し、その結果を正確に反映させることに関しては一台のコンピュータにとても叶うものではない。

主権の座から降ろされた人間の地位は、不安・心配・不幸・孤独・家族内や個々人の間の親密さのうすれなど先進工業社会の中で起こっている諸事象に反映されており、かれらの多くは自らの人生や魂の中味を満たそうとして他の社会が持っている諸価値に憧れ、それを探し求める。インドのグルたちはアメリカでたいへんな人気を博している。欧米の老若男女は頭を丸めて黄色い綿の長衣に身を包み、「ハーレクリシュナ!ハーレクリシュナ!」と唱えながら太鼓を叩いて踊り狂う。超越瞑想のマハルシ・ヨギは一枚百ドルを超える呪符を配ってまわる。それらはこの世界のいたるところまで広まっており、インドネシアにまで伝わってきて、まるでインドネシア人の多くが経済先進国の病患によって不安や恐怖に満たされ、高血圧や不眠に冒され、そして幸福を見出すことができなくなっているような状況にあることを示しているようだ。チランダッにあるスブッ氏の寮Wisma Subudは平穏と心の安寧を求める外国人でいっぱいになっている。

先進工業国の専門家たちは、高度な科学や最新鋭で強力なテクノロジーを手にしてわれわれの前にやってくる。そして、経済後進国のわれわれが直面している人口稠密・貧困・生態系破壊・教育などの諸問題はテクノロジーで解決できると言う。

人口問題はピル・スパイラルIUD・コンドーム更には避妊接種で予防できるし、また必要であれば今行われている危険な中絶手術でなく一種のポンプ方式で胎児を母体内から併発症を起こすことなく引き離させるような新テクノロジーまで開発されている。

今や多くのひとびとはテクノロジーをモダン化と呼ばれるコインの別の側面であると信じている。だからモダンテクノロジーを使わなければわれわれはモダン化の外にいることになるわけだ。このようなモダン化の意味についてもわれわれは、わが国わが社会にとってどのような意味を持っているのかという点について再分析しなければならない。

コンピュータ、巨大製鉄工場、ロケットなど、モダンテクノロジーが生み出したものによってモダン化が示されていればそれでよいのか、それとも合理的思考や精神のあり方を通して人間生活の諸問題を常に合理的包括的に解決しようと努めることをその実現ととらえるべきなのか?既に縮小している天然資源を急激に浪費させたり生態系を破壊するような兆しの見えはじめたテクノロジーを捨て去るよう求める傾向は、この先十年二十年のうちにもっともモダンな姿勢と見なされるようになるだろう。たとえば自動車はひとと貨物の輸送問題を解決し、人間生活に多大な貢献をするものと考えられてきたが、その排気ガスによって人間の健康が蝕まれ、世界の気象パターンも徐々に変化しつつある。二十年後には立ち木や密林の木を好き勝手に切ってはならないという要求がモダン化の最先端を行くものとなるだろう。世界中のあちこちで行なわれている森林破壊は降雨パターン変化による洪水や表土流失などの天災をもたらすに違いない。ジャワ島ではそれが既に起こっているのだ。大規模に密林を切り開くことを可能にしたテクノロジーは多くの人間に職を与え、木材産業を発展させ、木材運送や家屋建設など多くの事業を推進させる役割を果たしたといえども。


テクノロジーはそれぞれの問題に解決をもたらすものではあったが副作用的問題を発生させ、往々にしてそのバランスはもたらされたメリットよりも新たな病患のほうが凄まじいという態を見せている。ひとつひとつの問題を解決するためにひとつひとつテクノロジーを利用していくというやり方は効率が悪いばかりか効果も薄いということが長い年月の中で明らかになってきた。しかしそれにも増して最終的にもっと巨大でもっと危険な災厄に満ちた問題を発生させて地元民や局地集団あるいはその国民にとどまらず地球規模で影響を与えるという結果をさえ招いている。

つまるところ地球は、太陽光線という恵みを除いて、これまで自給自足の宇宙船というひとつの閉鎖システムだったわけで、その一部で起こったことは長い時間の中で他の場所にも影響を及ぼしていくのである。実体がそうなっているというのに、地球はひとつの閉鎖システムをなす宇宙船であるという共通認識で世界のあらゆる民族がものごとを行なっているのではない、ということをわれわれも自覚し、かつまた心に刻み込まなければならない。それどころか宇宙船地球号というコンセプトにもとづく価値観に応じて社会の目的や生活様式あるいは内政外政の基盤を持つようなことをしている民族はまだひとつもない。豊かな国々はいつまでも金持ちであり続け、もっと豊かになりたいと考えている。

パレスチナ問題に関するもっとアラブ寄りの解決を要求してアラブ諸国が石油禁輸措置を取ったとき、アメリカ人の多くは自国の繁栄や豊かな生活がそれら後進国にどれほど依存していたかという認識をあらたにして、さまざまな石油消費節減を行なった。たとえば、時速55マイル以上で自動車を走行させてはならない、一台の車をひとりだけ乗って使用するのはだめで可能な限り大勢のひとを誘って車を使うように、ビルや住居の暖房も節約し、使わない部屋の電気はこまめに消して・・・・・。ところがアラブ諸国のボイコットが終焉を迎えると、ひとびとはすぐにそんな節約を忘れてしまった。世界各国で自動車の数はどんどんと増加し、石油消費はふたたびうなぎのぼりだ。

先進工業国はいずこもインフレである。工業製品はどこへ行っても毎年8〜10%の値上げが行なわれている。ところがOPEC諸国が原油の値上げをしようとすると産油国に対する大がかりな神経戦が展開され、10%以上の原油値上げはまったく根拠がないと金持ち国は言いつのる。そんな値上げが行なわれたら先進国の経済発展にブレーキがかかり、その結果貧困国に対する援助の余力がなくなってしまう、と。

昨年末アムステルダムで、ひとりのオランダ人がOPECの石油値上げに関する意見をわたしに求めた。先進国の経済発展が阻害されたらどうするのか、とかれは言うのだ。なんでもないことだというわたしの答えに、かれは驚いてわたしを見た。
「それどころか、石油がそのように値上げされて燃やすには高すぎる価格になるのは、そのほうがみんなにとっても世界にとってもずっと良いことだ。あなたがたが10〜20%貧しくなったところで災厄があなたがたを見舞うわけでは決してない。そして石油が燃やすには高すぎるものになれば、太陽・潮流・風力・地熱などの新しいエネルギーを世界中が探さなければならなくなり、石油は人間にとってもっと価値のある物を作るために使われるようになる。」

金持ち国における人間生活のクオリティは決して低下しない。いまやほとんど一部屋に電話が一台あり、それどころか浴室や台所にまであり、自動車は一家に2台も3台もあってモデルチェンジのたびに買い換えているというような状態から、一家にテレビが1台、電話も1台という生活になったとしても生活クオリティがどれほど低下するというのだろう。このポイントは、経済発展ということがわれわれ自身にとって何を意味しているのかをわれわれに問いかけさせるものでもある。われわれが追い求めようとしているインドネシア人にとっての経済発展とは、ネガティブな諸要素を包含し、人間や自然そして人間の社会的価値に災厄をもたらす側面を持つ先進金持ち国の経済発展と同じものなのだろうか?それともわれわれにとっての経済発展というのは、飢えたインドネシア人はおらず、十分な衣服と妥当な住居を持ち、就学機会が与えられてフォーマル・インフォーマルな勉学ができ、適正な労働機会を持ち、出生と死亡がやたら高価なぜいたく品にならないことを保証される、といった内容のものなのだろうか?

われわれの経済発展の目的がその第一段階では十分な栄養価の飲食品、適正な住居や衣服、妥当な職業、ひとりひとりに同一の就学機会といったものであるなら、われわれのプライオリティリストはもっとシンプルなものとなり、われわれが利用したい資本とテクノロジーの中味は先進国で行なわれている経済発展を真似て追い求めようとする場合とまったく異なる様相を呈するにちがいない。

われわれの工業化プロセスもちがったものになる。われわれは関心と投資を農村部・内陸部に集中させてさまざまな農具の生産・種苗改良・有機肥料・害虫駆除など小規模産業の形で農産業を振興させ、米・とうもろこし・豆類・野菜・淡水魚・海産魚・果実などの農業生産を自家消費のみならず輸出するために高めるのである。

土地の損壊や都市化工業化のために農地が減少する一方で人口は増加の一途をたどるために、食糧生産は将来もっとも重要な産業になるだろう。肥沃な土地と古来からの農耕を伝統に持っているインドネシアは、適正な誘導と指導ならびにテクノロジーに助けられて世界できわめて重要な食糧生産国になりうるはずだ。アグロインダストリーセクターはインドネシア経済の中で軽視しえない分野であり、経済発展の諸方策の中でも第一優先順位が与えられてしかるべきものだろう。わたしはインドネシアが自国民の必要とする食糧を十分に生産できない理由を何ひとつ見出すことができないし、食糧輸出などはできて当然だと考えている。

インドネシア人が自らにとって最適な経済発展の中味を決め、そして最低限の需要を満たせる段階まで達しえたなら、次に来るのは1.充足欲求 2.成長欲求という名の更なる発展について考える時節の到来だ。世界諸国も次のように区分することができる。
1.豊かな天然資源を持つ金持ち国(例、アメリカ・カナダ)
2.天然資源は貧しいが工業国で金持ち(例、日本)
3.天然資源は豊かだが貧困(例、インドネシアをはじめとする第三世界諸国)
4.天然資源は貧しく、そして貧困国(例、第四世界と呼ばれる国々)

われわれインドネシア人が考えなければならない問題は、日本・香港・シンガポール・オランダなど天然資源の貧しい国がどうして金持ち国になりえたのか、そしてわれわれは豊かな天然資源を抱えているというのにいつまでも貧しいままなのはどうしてか、ということなのである。

われわれの住むこの世界はたいへん凄まじい大爆発を潜在性の中に秘めているきわめて危険な世界なのである。アメリカ・カナダ・オーストラリア・インド・ロシア・中国などで起こった危険な出来事は世界中の人間に様々な困難をもたらすに違いないのだ。

原材料産出国と豊かな先進工業国との間の通商形態についてもわれわれは分析しておく必要がある。先進工業国は何百年も昔から、インドネシアのような貧困国国民の艱難辛苦によって揃えられた原材料を、可能な限り低く抑えた価格で買い上げてきた。ゴム・砂糖・コーヒー・茶・カカオ・香辛料、さらには鉄鉱石・石油・錫などの天然資源までも。そしてそのお返しはと言えば、われわれが本当に必要としているわけでない物を高い価格で売りつける。コンシューマリズムの洗脳と華麗な広告宣伝に魅入られて骨抜きにされたわれわれは拒むこともなく高級車や12チャンネルTV受像機など本当に必要とはしていないそれらの物を買ってしまうのだ。わが国にテレビ放送がまだ一局しかないことを忘れてはいけない。そのような物がなくともわれわれは幸福に生きていけるというのに。

アメリカの人口は全人類の6%を占め、かれらアメリカ人は地球上の6%を占める領域に住んでいる。ところがかれらは世界資源のほとんど半分を使っているのだ。アメリカ人は現在の生活レベルを維持するために一人当たり年間で次のような量の資源を必要としている。
鉄鋼 1,300ポンド
銅 23ポンド
錫 16ポンド
石・砂・砂利 3.5ポンド
セメント 500ポンド
粘土 400ポンド
塩 200ポンド
燐灰石 100ポンド

それら20トンにのぼる資源は地中から掘り出されなければならない。もし全人類がアメリカ人の生活レベルを享受したいと望むなら、それに必要とされる各資源の量はこのようになる。
鉄180億トン
銅 3億トン
亜鉛 2億トン
錫 3千万トン

専門家の計算によれば、それらの数値は現在世界で産出されている各資源の100倍を超えるそうだ。おまけに各資源に関して人類が認識している最新情報にもとづいた地中埋蔵量はそれの数分の一でしかない。地球上にいるわれらの人類がおよそ40億人と言われている現在ですらそうなのであり、専門家が予見している西暦2000年の地球人口60億という数値を用いれば、必要な資源量はさらに膨れ上がる。アメリカで実現している生活レベルをさらに向上させて、地球上の人間ひとりひとりがもっと豊かな生活を享受しようという希望を達成させるために必要な資源はこの地球に存在しないのだ。いやそれどころか、豊かな国々がいま享受している生活レベルを維持することさえ、二三十年後には袋小路に陥るだろう。今現在すら、金持ち国は他国で産する原材料への依存を年とともに深めているのが実態なのだから。

アメリカで産する鉱物資源5種のうちのひとつは1984年以来不足するようになり、世界では14種の鉱物資源以外に十分な埋蔵量を持つものはなくなる。2000年にはアメリカでまたひとつ鉱物資源が枯渇し、世界では4種類が希少資源の仲間入りをする。そして2038年に世界でまだ十分な埋蔵量を持つ鉱物資源は8種類になってしまう。

アメリカは持たざる国となるだろうし、他の先進工業国も同じように足並みをそろえるにちがいない。たとえば1961年に鉱物原材料供給の40%を輸入に頼っていたフランスは1985年にそれが80%まで増大すると見込まれている。西欧諸国は一般にそのようなポジションに移って行くはずで、石油・鉄鉱石・銅・錫・ゴムその他あらゆる原材料をほとんど輸入に依存している日本はもっと厳しい状況に追い込まれることだろう。


遠くない将来のある日あるとき、かれら金持ち国の国民が袋小路に入ったことを覚る機会が必ず訪れ、あらゆる手段を講じてでもそれまでの浪費的なハイレベルの暮らしを維持して自分たちが必要とする原材料資源を持っている国々に自らの欲望を押し付け続けるべきなのか、それとも自分たちのライフスタイルを一新して昔の質素な暮らしに適応することを学ぶべきかという選択に直面するにちがいない。

もしかれらが物質・富・工業力・テクノロジー・政治・軍事などのパワーに自らを誇る今のような姿勢を続けるかぎり、かれらはたいへん危険なレベルの対立を世界にもたらすことになる。貧しく飢えた数十億の人間がかれらに敵対して世界秩序を混乱させ、最終的にそれは物質や人間の生命を崩壊させる道へと人類を導くだろう。金持ち国の中にも、袋小路に陥らないようにどう舵取りをし、貧者と富者の間の対立をどのような方向に向けていくべきかといった、自分たちの社会が目的や方向性を転換させるべき必然性について考えたり説いているひとびとの数がここ5年から10年の間に増加の傾向を見せている。金持ち国に赤ランプが点灯する前にそのような意識や価値観の変化がどれほど早く広まっていくかということがたいへん重要な問題なのである。

金持ち先進工業社会の特徴のひとつとして顕著なものは、木箱・紙・プラスチック・ダンボールなどの包装物、プラスチック・ガラス・焼き物などの容器、さらには機械や自動車、多種多様な消費財など捨てられるもの、つまり廃棄物の量の多さだ。自動車や機器類は毎年形やモデルが変更され、モードへの追随と新しいもの好き精神を注入されたひとびとは今持っているものが十分に機能していても買換えを行なうように誘導される。アメリカでは1966年だけであらゆる商品の梱包・包装・保管のための材料に160億ドルが支出され、その材料の90%はそのまま捨てられていると統計が物語っている。

豊かな社会が様々な形で浪費しているいろいろな材料資源に対してわれわれはまだ分析のメスを入れていないし、諸強国の間での軍拡競争で浪費されている何十億ドルという資金についても語っていない。その軍拡競争プロセスの中では、強大な破壊力や殺傷力を持つ兵器の開発と生産のためにそれら強国は膨大な金を費やしている。

金持ち国がかき立てるコンシューマリズムの流れにわれわれが流されれば流されるほど、われわれはかれらの借款やテクノロジーといった形態の援助にますます依存するようになり、またかれらの兵器に安全保障を頼るようになり、ついにはわれわれ自身がひとつの民族一個の人間として自分の個性に保護の垣をめぐらす力も失せ果てて、かれらに対する依存性を一層深めるようになっていく。

産油国が先進国から利権を奪うために石油を利用していると批難するのなら、先進国はほかのものを自己の利益を手に入れるための武器に使っていると反論することができる。たとえばアメリカは、小麦・米・とうもろこしなどの余剰を武器にして、何億という人間の喉もとを扼そうと手をかけている。何億という人間の飢餓や生死の鍵が食糧生産国の手に握られている。もしかれらがインドネシアに米を売らないと決めれば、何千万ものインドネシア人が飢えるだろう。インドも中国も、そしてロシアさえもが同じ運命にある。われわれに選択の余地はないのだ。わが国民のための食糧を国外の資源に依存するというありかたから、われわれは自らを解放しなければならない。われわれが行なうべき第一のステップがそれなのだ。われわれの第一優先事項がそれであり、われわれはそこに最大限の資金と意志と決意とパワーを注ぎ込まなければならないのである。

世界の海産魚捕獲量は、世界のいたるところで徹底的な乱獲が行なわれる一方で魚に繁殖の機会を与えなかったことから、下降傾向を見せている。豊富な蛋白源である魚は人間にとって重要な食料のひとつだ。陸上で盛んに行なわれている淡水魚養殖のように、われわれはどうして海洋や沿岸で海産魚養殖を行なわないのだろうか?エビやカキの養殖は既に高いレベルに達しているではないか。


このような世界を前にして、インドネシアを取り巻いている世界で今起こっている変化や発展をことごとく捕捉してそれを理解する能力を最大限に研ぎ澄ますのは、われわれインドネシア人にとってきわめて重要なことがらだ。科学やテクノロジーの発展だけでなく、社会観の変化や人間性に関する思想や価値観にわたるあらゆることがらについての形を問わない情報やデータをも入手する必要がある。時代から取り残されないようにするためにどれほど大量の情報やデータを入手しなければならないか、想像に余りあるだろう。

世界の通信テクノロジーやデータ保管とデータ照会システムの発展は社会・経済・政治・文化面で人間観に必ず変容をもたらすだろうし、人間対人間、人間対国家、人間対自然、人間対祖国あるいは社会間,民族間といった諸関係にも変化をもたらさずにはおかないだろう。人間と権力、先進経済などの理解も変化していく。

先進国の急激な経済発展はインフレを昂進させ、それは国際経済に対する脅威を生み出すものとなる。専門家が直接そう語っているわけではないにせよ、世界は金持ち国が生み出した一種の悪循環の中にあるのだ。そこから抜け出すにはどうすればよいのだろうか?われわれインドネシア民族は努めてあまり多くをかれらに依存しないようにし、人材・資金・天然資源をできるかぎり最善にして最高の効率で動員し、センの単位まで節約し、コルプシを全廃し、努力と奉仕をわが民衆の生活向上に向けて集約させることにそれはつきる。従来から門戸を最大限に開放してわが国が関わってきた国際経済・通貨・通商のネットワークシステムに対して自らを完全に解放するのは決して出来る相談ではないだろうが、起こるであろう衝撃がわれわれにとってあまり強烈なショックにならないように努力することは可能だろう。

われわれがこれまでの思考パターンや行動様式を変えようとせず、また生活を統御する諸価値観やビヘイビヤを変えようとしないで従来のままの自分を維持しようとするなら、われわれは日本・アメリカ・ドイツ・オランダ・フランス・イギリスなどの多国籍企業にとって単なる雑用クーリーにしかなれないだろうという懸念をわたしは強く抱いている。われわれの子供や孫たちがそんな運命をたどるのをあなたは気にしないで見ていられるだろうか?だったらわれわれインドネシア人はなにをどうするべきなのだろうか?』

わたしは皆さんにこう提案したい、とモフタルはタマンイスマイルマルズキに集まった大勢の聴衆に語りかけた。この日のスピーチの内容をモフタルはまずいくつかのポイントにまとめた。
『1)わたしの作った霊験あらたかな魔法の鏡には醜い容貌がたくさん映し出されたが、そんな醜悪な性質を減らして良いものを発展させようという意志を深めていく限り、われわれに希望を与えてくれる性質もインドネシア人はいろいろ持っている。
2)人間と社会を成熟させ、古い封建社会の亜種にすぎないセミ封建社会やネオ封建社会の呪縛から自らを解放できるように社会の状況を変えていかなければならない。
3)また言葉と行為の相応ということをわれわれはもっと真剣に学ばなければならず、その意味合いをも含めて言葉と意味のもっと適切な関係、言い換えればインドネシア語のもっと純粋な使い方をわれわれは体得しなければならない。
4)インドネシア人が古来持っていた芸術表現の源泉にいつまでも背を向けていてはいけない。そこには豊かなインスピレーションの源流が流れており、それは現代インドネシア人の芸術的創造性や想像力を発展推進させる力を秘めている。少なくともわれわれは、ニアスの彫像や銅製の作品、フローレスやスンバワの太鼓、バタッ・西イリアン・ダヤッの彫像、ランプン・トラジャ・スンバワ・ティモールの織物、ジャワのクリス、ディエン山の石像、バリの古代絵画などさまざまな作品をアファンディ、ポポ・イスカンダル、ピカソ、ヘンリー・ムーアらの作品と同列に位置付けなければならない。ダヤッ人が描いた天界と下界の絵を見るなら、ポール・クレーのイメージの世界と良く似ていることに気付くだろうし、クレーのものよりずっとミステリアスで面白いと感じることだろう。

その面からわれわれは今あるさまざまな博物館をひとつの生きた博物館に、先祖が抱いていた過去の世界と触れ合うことのできる場所に変える必要がある。そのために、今外国人によってどんどん外国に持ち去られている古代の遺産を、いつまでもわれわれの身近に残すようにしなければならないのだ。

編んだり、織ったり、刺繍したり、バティックを作ったり、といった手仕事を学校の低学年から事細かく継続的に教えるようわたしは提案したい。なぜならそれは芸術と工芸の分野における創造力の発展を支える力をわが国民にもたらすからだ。

わたしはまた、あらゆるレベルにおける権力者や支配者に対して使われているバパ(Bapak)という言葉をサウダラ(Saudara)に置き換えるよう提案する。大臣・大統領・将軍・総局長・学長などにサウダラという尊称をつけて呼ぶことは、われわれが維持したい親密な人間関係を損なわない、より美しくより適切な響きをもっているのではないだろうか。

さらにまたわたしは、自分が信ずることはだれにとっても真理なのであるという信念を持って、われわれのだれもがそれを人前で不安や心配を抱くことなしに表明できるようになることを提案する。

わが民族は芸術や文化の表現という面で自らの文化に貢献しそれを豊かにすることができ、さらにその芸術表現を通して直接的に真理に到達できることをわたしは確信している。そのために、さまざまな方法によるわれわれの芸術や文化の表現が活性化することをもわたしは提案する。

インドネシアにおける権力観と芸術的人間的体験や見解との間にバランスが成立するよう、わたしは政界と民間実業界と芸術界の間で一層密接な接触が図られるよう提案する。

西に向かってはマダガスカルからアフリカ東岸まで、東に向かってはクリスマス島やアメリカ大陸西海岸まで航海した昔のインドネシア人が培ったパワーを現代インドネシア人によみがえらせることをわたしは提案する。香料貿易というルートをかつてアフリカからローマへ、あるいはアジア大陸からアラビア半島を経て地中海まで広げたインドネシア人の経済パワーを復活させなければならない。われわれはヌサンタラと周辺の海をわがものとしたブギス人船乗りたちの勇気と技術を復活させ、ポルトガル・スペイン・VOCがこの東南アジア地域の香料貿易を支配しようとしてやってくる以前にインドネシア商人たちが持っていた経済力を復活させなければならないのだ。

舞踊や音楽、彫像や彫刻、ボロブドゥルや諸チャンディの建築技術、装飾芸術や金細工銀細工、銅作品や冶金芸術、織物や編物などさまざまなアートや工芸の分野で民族文化の頂点をきわめることを実現させたパワーをわれわれはふたたび生き返らせなければならない。芸術分野におけるこの偉大な能力はインドネシア人の体内に依然として秘められていることをわたしは確信している。

われわれは文化や芸術を、インドネシア人の持っていたインスピレーションや創造力を萎縮させ虚弱なものに変質させて障害をもたらしていた価値体系のくびきや抑圧から民族を解放するためのツールに変えなければならない。遠い昔の海洋時代から、インドネシア人は東欧からバルカン・中央アジア・インド亜大陸・アジア大陸・ヌサンタラと周辺の島々、インド洋を越えてマダガスカルからアフリカ東岸・東に向けては太平洋を越えてアメリカ大陸西岸までという広範な地域を文化圏とする偉大なる人類の一部であった、という自信と確信をわれわれ自身の心の中に覚醒させるべく、芸術表現を展開しなければならない。

インドネシアに暮らすわれわれインドネシア人は、同じ人間に対してもっと人間的にふるまうよう提案する。

われわれは自分自身の中に信頼をますます大きく、ますます明瞭に育み、わが民族の問題をみずからの思考力や行動力を用いて自力で解決できるような能力を強化することに励むよう提案する。

正しいことと間違っていること、適正と不適正、真実とそうでないこと、権利と貪欲、私的利益と公的利益、妥当と妥当でないこと、公正と暴虐などといった諸相を区別できる能力を強化しうる価値体系を発展させて、民族モラルを育成強化するよう提案する。そしてこのモラルは同じ人間同士のみならず、この地上のどこであれ、われわれと共に生きている者、抑圧され虐げられた困窮にして悲惨な人の子、などに対しても同じように行なわれなければならない。そればかりかわたしはその行いを神の創造したすべてのものに、すべての動物や植物、森や山、水や空気、ヌサンタラの地など、絶滅したり失われてしまうことのないようわれわれが見守ってやらなければならないあらゆるものにまで拡大するよう提案する。そしてまた、今まだ生まれていない次の世代の者たちが美しく興趣あふれた種種の生命に満ちている緑で肥沃なわれわれのこの祖国を享受できるよう、そしてそれらの生命が絶やされないで生き続けられるよう、かれらにまでそれを拡大することを提案する。

われわれはわが民族の芸術と工芸における創造性を復活させなければならない。各地方の芸術と工芸を地元の小学校で教え、編んだり・織ったり・バティックを描いたり・木や石を彫ったり、といった制作の授業を行なうのはとてもすばらしいことではないだろうか。わが国の各地にある織物やバティックは工業生産品よりはるかに美しい。それを復活させることはインドネシアの顔を表す色と形をわが民族に付与することであり、それは現代世界の中でわれわれのアイデンティティを見つけ出すことをサポートするものでもある。

われわれはまた、現代社会のチャレンジに応える教育システム開発がいかに重要かという認識を持たなければならない。多岐にわたる科学領域のそれぞれの専門分野で毎年数万件のレポートや文献が数十の言語で発表されていることを思い出すが良い。たとえばアメリカではその種の出版物は膨大な数にのぼり、おまけにロシア・フランス・ドイツなど諸語のさまざまな出版物のコピーも行なわれ、学生をはじめ関係者の多くはそのすべてに通暁するのが不可能であるため、少なくともどのような進展が起こっているのかその概略だけでも把握できるようダイジェスト版の大きい需要が形成されている。われわれが絶えず追いかけ、収集し、整理し、理解しなければならない情報がどれほど膨大なものかはそこからも明らかであり、そのためにわれわれは知識と理解と良心と正直さと献身を身に備えた多数の人間を必要としているのだ。

このスピーチの締め括りにわたしはすばらしいジャワ哲学の金言を皆さんに進呈しよう。「在るものは無い。無いものは在る。」』

こうしてモフタル・ルビスのスピーチは幕を閉じた。モフタルが暴き出したインドネシア人の性質について、わたしたちはここでもう一度おさらいをしておくのも意味あることではないだろうか。

モフタルがあげたインドネシア人の特徴的な性質は次のようなものだった。
芸術的審美的である
手先が器用
心優しく、平穏を好む
軟弱でひ弱である
仲睦まじい家族関係
ユーモアが大好き
頭が柔らかく学習が早い
自由を希求し、束縛を忌避する
偽善的である
形だけの物真似を好む
多面性
あらゆるものを取り込むシンクレティズム
責任を取らない
名声や賞賛を好む
自尊高い
ソッ人間である
封建的である
迷信深い
科学的に因果関係を構成するのに弱い
シンボルにのめりこむ
決議するとそれが実現した気になる
言行不一致
信念が容易に転ぶ
浪費指向
怠惰
勤労忌避
インスタント志向
近道思想
不平をたれる
嫉妬深い
他人の身の上に関心を持たない

それらはいくつかの大項目とそれに近い関係にあるサブ項目に分けられるように思えるのだが、その整理は後回しにして他のインドネシア人が持っているインドネシア人観をもっと見てみることにしよう。

2005年7月2日、モフタル・ルビスの二周忌にコンパス紙のコラムに掲載された評論がある。このコラムはかつてコンパス紙記者だった古参ジャーナリスト、ブディアルト・サンバジが書いているもので、歯に衣着せないかれの辛口政治批評にはたくさんのファンがついている。インドネシア人と題するかれの評論はこうだ。

『今日は大先輩ジャーナリストのモフタル・ルビスが亡くなって二年目にあたる。かれは1977年4月6日にタマンイスマイルマルズキで行った講演をもとにして、インドネシア人(Manusia Indonesia)という大作を世に送った。モフタルの書はインドネシア人の6大性向ならびにその他のさまざまな特徴をさらけ出してくれた。そんな人間の実例をわれわれはいまでもたくさん目にするから、ひとはそれを読んでにんまりほくそ笑む。われわれをうんざりさせるものも多いのだが、わが民族は芸術的審美的だと言って持ち上げることもモフタルは忘れない。

大勢がうなずきながらかれの論評を楽しんだためにモフタルの書は議論を呼んだ。その書の反響が大きかったために、いったいどれだけの評論が発表され、何回討論会が開かれたことか。結局モフタルはそれらの評論に答える評論まで書いた。自分が槍玉に上がったと感じたひとが「自分の醜悪な姿を目にして鏡を割る」式態度をもって怒りをぶつけたことも少なくない。スハルト大統領が与えるマハプトラ勲章にモフタル氏がノミネートされるのは適切でない、ということにまでなった。

われわれインドネシア人の特徴を知りたいかな?だったら読む前に呼吸を整え、必要なら目をふさぎたまえ。なぜなら、それを知ったら決して愉快にはなれないのだから。

特徴のその一は偽善的。モフタルはその単語を全部大文字で書いた。きっと、よほど腹に据えかねていたにちがいない。いまの法曹界に見られるぴったりの例は「口と心は裏表」つまり「求刑と判決は別物」というものだ。法確立というテーマで議論したら、われわれは口の周りを泡だらけにしなければならないだろう。法は万民の前に高く捧持されなければならないとみんな言うのだが、法廷の実態は相手次第であることを示している。法廷は商品を売買するワルンのようなもの。50%を超える割引判決は汚職者や謀殺者だけでなくバリに大麻を持ち込む者にさえ与えられている。

特徴のその二は責任を取らないこと。総選挙コミッション予算の巨大汚職に加わった者たちを見てみたまえ。金を返して一件落着にする者もいれば神の名を持ち出してくる者までさまざまだ。

特徴の第三は封建的であること。モフタルの書によれば、われらが民族指導者たちの耳はたいへん薄く、少しでも指導性に関する批判が聞こえるとすぐ真っ赤になるという。モフタルは新聞インドネシアラヤ紙を率いたことがある。それがプルタミナの巨大汚職を暴いたために発禁措置を受けた。あれから30年以上が経過したというのに、依然としてわれわれに面倒をかけているやつの名前がプルタミナだ。

特徴の四つ目は、迷信を信じ、無意味なシンボルを作り出す名人。たくさんのテレビ局がセタン、ジン、グンドゥルウォなどを何ヶ月もシリーズもので放映している。無意味なシンボルは大昔から現代まで変わらずに千年一日のごとく存在し続けている。ブンカルノ制作の「革命スローガン5項目」やパハルト作の「完璧パンチャシラ人間」理論、そして今日の「変革は間近」契約に至るまで。

五つ目の特徴は芸術的。「わたしにとってこの芸術的という特徴はもっとも魅力的で、未来の希望を支えるものにしてその源泉をなすものである。」とモフタルは書いている。メガリティクムクアントゥムがあって本当に良かった。

特徴の第六は、性質が軟弱であるために強制されれば容易に信念を変えて生存を持続させるほうを選ぶこと。アメリカから圧迫されたら、オーストラリアからうるさく言われたら、全部従うだけだ。

それ以外にモフタルがあげたインドネシア人のネガティブな特徴はいっぱいあって、われわれから落ち着きを奪ってしまう。しかしモフタルは正しい。その通りなのだ。45年世代の追従者として、わたしもいくつか言わせてもらっても良いだろう。ただしこれは単なる観察レベルのものでしかなく、十分熟考されたものではない。

その一はノスタルジーを好むこと。現在のレフォルマシ体制に比べてオルバ時代のほうが暮らし良かった。ところがオルバ時代よりもオルラ期のほうがもっと民主的だったのではないか?いやそれどころか、独立後のオルラ期よりもオランダ植民地支配下にあった「ノーマル時代」のほうがわれわれの生活福祉はもっと高いレベルにあったのだ。

その二は怒りやすいこと。マレーシアとの間でアンバラッの領土権対立が起これば、ナショナリズムに煽られてすぐに血が頭にのぼる。爆弾が破裂するたびに、あの国が影にいる、といつも同じ国がダランにされて疑われた。ところが中国産品が国中にあふれているというのに、われわれはそれをただ黙って見ているだけだ。

その三は何でも売り払うこと。実はわたし自身もそのひとりだ。幼いころ、よく帳面を売ってクルプッを買った。大学生になったら、ジーンズを売ってシュウマイを買った。金稼ぎが上達したときには、権力のために自尊心を売り払った。権力を手中にしたときは、わが民族の財産をすべて売り払った。
これに続けたいひとがあれば、どうぞ続きを。』

三日後の2005年7月5日付けコンパス紙にふたたびブディアルトのコラムが掲載された。かれが評論の続編を載せたのだ。かれのEメールアドレスにたくさんの読者からインドネシア人の特徴の続きが寄せられ、かれはそのいくつかを紙面で紹介した。

『読者から寄せられたインドネシア人の特徴はまだまだあった。サウンドシステム専門家でみずから製作もしているインドネシア人のひとりがあげた第一の特徴は見栄っ張りだ。このひとはバルブ式アンプをはじめさまざまな音響製品を製作販売している。値段は輸入品の半分。ブラインドテストが行なわれるたびにかれの製品はトップ賞を得る。外国産輸入品よりもかれのもののほうが高品質なのだ。ところが見栄っ張りのインドネシア人にかれの製品はあまり売れない。インドネシア人は外国産だというだけで値段の高いものを選ぶ傾向が高く、同じ民族の子が生んだ高いクオリティを信じない。インドネシア人大統領たちも、あまり外遊しないと威厳が保てないと思うようだ。インドネシア人大臣たちはトヨタカムリに乗らなければ威厳が失せるように感じているにちがいない。インドネシア人は威厳や見栄に専心するあまり、自分の子供たちのことを忘れてしまったようだ。

全国の普通科高校や職業高校生徒たちの国家試験成績が急落したことにみんなは驚きと哀しみを表明した。いくつかの地方で2割以上の生徒が合格点を取れず、中には全校生徒が再試験を受けなければならなくなったところも出た。多くの読者はこの現象をインドネシア人の第二の特徴である怠惰のあらわれと見ている。インドネシア出版者同盟がスナヤンスポーツパレスで開催する、まるで墓場のように人寂しいブックフェアにやってくる勤勉な生徒は数えるほどしかいない。インドネシア自動車産業連盟の開催する輸入車モーターショーには大勢がわれがちにやってくるというのに。見栄と怠惰を優先しているインドネシア人はいったいどうなるのだろうか?


別の読者はさらに別の特徴を付け加える。それは消費志向。「新製品が出たりセールがあれば大勢が押し寄せる。自分が買おうとしているものが有用かどうかなど考えちゃいない。見栄のためにそれを買う。それが第一。明日食べるものがあるかどうかなど知っちゃいない。」この読者はそう書いている。見栄と怠惰を優先し、消費優先の生活パターンを営んでいるインドネシア人はふだんどうしているんだろう?おお、次の読者がインドネシア人の四つ目の特徴を書き足してくれた。それは尊大。

この読者は言う。「われわれはマチ針すら作れないというのに飛行機を作ろうとする。もちろんわれわれは尊大なのだ。」と以前バンドンで行なわれていたBJハビビのプロジェクトを引き合いに出した。IPTN社製の飛行機にタイでは往年の名画の題名と同じ"Gone With The Wind"という異名を献呈した。ボディの塗装がとても薄く、風に吹かれてすぐに色あせたからだ。国家航空機産業会社IPTNをIndustri Penerima Tamu Negara(国賓お迎え工場)ともじった者がいる。外国からの客を迎えるのに忙しくて本業の飛行機組立はそっちのけ。インドネシア人はさまざまなハイテク製品を作ろうとしたことがあるが、ほとんど成功したためしがない。インドネシア人はジン(魔神)テクノロジー開発に失敗し、また花火もどきのロケット打ち上げ実験にも失敗した。

見栄と怠惰と消費志向と尊大を優先させるインドネシア人は自分自身の中にあるポテンシャリティにほとんど気が付いていない。インドネシア人の生活の中にあるすべてのものごとは常に手探りでなされており、エンジニアリングと縁がない。しかし、ちょっと待て!西洋の科学者は農業や遺伝子などの科学にエンジニアリングを持ち込んでいるが、インドネシア人にもその力はある。

インドネシア人も持っているその能力。インドネシア人の第五の特徴はエンジニアリング巧者ということだ。その能力が最大限に発揮されている分野は政治。政治操作は得意中の得意なのである。

その学科はさまざまで、「デモの演出」学から「アチェ津波被害者援助金の二重記帳」学までいろいろ。総選挙コミッションが予算のマークアップを行なったあと、監査報告書を良好で問題ないという内容に操作してコミッション内にコルプシはないように見せかけるために会計監査庁職員に贈賄したのはエンジニアリング以外のなにものでもなかった、とこの読者は書いている。政治エンジニアリングと汚職エンジニアリングがインドネシア人のエンジニアリング実力の双璧だそうだ。

インドネシア人指導者たちはエンジニアリング専門家になったためにしばしば非文化的になっている、と別の読者は指摘する。まるで未成熟な若者のように、国外に逃げ出してみたり、あるいはSMSをもてあそんで満ち足りている。

しかしそれら5つの特徴もわれわれがかぶっている仮面なのではあるまいか。ともあれそれが現実なのだが、この問題について話しはじめると「じゃあ、あんたは何人なの?」と尋ねるひとがいる。その答えはこれなのだ。インドネシア人は「自分たちはほんとうに独立したのか?まだ独立していないんじゃないか?」という思いに襲われることが少なくないのだ、と。』


ブディアルト・サンバジの評論の中に、オルバ期からトーンダウンしたとはいえ国と民族を意識の上に呼び覚ます独立記念日の雰囲気漂う2008年8月のコンパス紙に掲載された「わが民族」と題するものがある。そのころアメリカの大統領選挙に立候補したバラク・オバマは民主党の候補者指名を受けるべき予備選挙で対立候補を降し、正式指名を待っている状況だった。そのような状況の中でオバマが始めてインドネシアに触れる発言を行なったこと、またかれのアメリカ人としてのわが民族への思い入れにブディアルトが感銘を覚えたことなどに触発されてこの4回連載のコラムがコンパス紙上に登場したようだ。

子供時代にジャカルタに住んだ経験を持つオバマに対するインドネシア人の人気はたいへんなもので、まるでインドネシア人が米大統領選に出馬したかのような錯覚さえ抱かせるほど好意的な見方が国内を覆った。国そして民族という大きな共同体の枠がいまだにSARA(種族・宗教・人種・階級)という偏狭な要素に邪魔されてなかなかぴったりと身に着かないインドネシア人の民族意識とオバマが語った「わが民族」の間に横たわる落差がブディアルトには歯がゆかったのかもしれない。多種族の混成であるインドネシア民族にとって想像の共同体である国家を成立させているNKRI(インドネシア共和国統一国家)の概念は、独立闘争の目的として位置付けられたまま半世紀以上もの時間が過ぎたというのに変化が起こらず、国家そしてそこに包まれている民族の概念はおかげで国民の日常生活に密着できず、現実感覚は依然として血縁地縁をベースに据えた種族の境界を超えるのが困難であり、その結果民族の一体感は特殊なシチュエーションでしか現れてこない。さらに厄介なのは、NKRI思想を祭壇の頂点に据えたために国民生活にあまり実利をもたらさない民族主義が理想の火を燃やし続けていることである。異なる複数の相互に矛盾する原理を並存させるだけで、さまざまな要素を統合してひとつの原理に編成しなおし、それを自分の存在基盤に据えたうえで自分の行動を単一規準に即して統御するということをしない、という特質をインドネシア人が持っているのは先に触れてあるが、インドネシア人のその特質はここにも現れているとわたしは思う。それはともあれ、アメリカも民族の坩堝という似たような背景の中を通ってきた歴史を持っており、ブディアルトにはますますその進み方の違いに無念の思いが感じられたのではあるまいか。かれの評論を読むことにしよう。


『2008年7月13日のCNN番組「グローバルパブリックスクエア」でキャスターのファリード・ザカリアがバラク・オバマに対して行なったインタビューで、オバマはこれまで避けていたインドネシアに関する内容にはじめて触れた。問いはインタビュアーで、答えがオバマの発言だ。
問い: あなたを形成している国際政治に関する最初の思い出は何?
答え: 最初の思い出は母がこう言ったことだ。「わたしはインドネシア人と結婚する。わたしたちはジャカルタへ行くのよ。」わたしははじめて世界の大きさに触れた。わたしたちはクーデターの一年後にジャカルタへ行き、後になって50万を超える人間が殺されたことを知った。わたしのような子供にとってあの国は特殊だ。わたしははじめて世界の大きさとたくさんの国があることを理解した。国というのは複雑だ。
問い: アメリカ人がインドネシアに住むというのはどんな感じ?
答え: 今よりも東と西の社会格差がはるかに大きかったから、とても特殊だった。しかしそれは母がアメリカ大使館からドルで給料をもらっていて生活が楽だったからということではない。将軍たちやスハルトの家族が贅沢な暮らしをし、政府は国民のためでなく内部の人間のために働いているということをわれわれは知っていた。アメリカでもそれは起こるが、われわれは少なくとも法規に従い、多民族社会を尊重している。わたしの義父はハワイでの学業をストップされてパプアニューギニアへの兵役を強いられた。兵役に服している間、かれは牢獄に入れられるかもしれず、あるいは殺されるかもしれなかった。アメリカ国民であることで保護が得られる。わたしは成長するにつれて、アメリカをますます高く評価するようになった。
問い: 国際関係学を専攻したわけは?
答え: わたしが国際関係に興味を持ったのは、東南アジアや南アジアで牛を飼ったりミシンや織機を購入する夫人たちを支援するマイクロファイナンシング専門家であり、且つ国際開発専門家でもある母親を持ち、外国に住み、ハワイで暮らしたからだ。ベトナム戦争はわたしの興味をかき立てた。冷戦が展開されていた。わたしが興味を抱いたのは第三世界の開発問題と核拡散問題の二つで、それでわたしは国際関係の分野で仕事をしようと思った。
問い: あなたはラディカリズムが21世紀の挑戦であると確信しているか?
答え: 過激なイデオロギーに浸された種族と宗教のアイデンティティのゆえに現代性を否定する集団とテロリズムは危険な脅威だ。しかし脅威というのはそれだけではない。
問い: あなたはイスラム自体をどう見ているか?たとえば世界最大のムスリム人口を擁するインドネシアは・・・・ 
答え: 興味深い。インドネシアに住んで、インドネシア文化は中東のアラブ文化と同一でないことを知った。イスラムはそれぞれ異なっている。イスラム世界は基本的に、西洋あるいは現代生活あるいは法律のような普遍的な伝統などに対立するものではない。いまインドネシアにはいくつかの過激要因が見られる。インドネシアのGDPの三分の一を消滅させた金融危機による経済衰退と過激勢力の加速に関係を見出すことができるのは面白い。直接的に関係しているというのではなく、起こっているのはイスラム内部の変動で、それは政府の失政に関連しているとわたしは確信している。いつでもチャンスが開かれ、経済が底辺から成長してくるよう、西洋はそのような国々と協力関係を結ぶ。過激派問題へのアプローチについては、目的達成のために暴力を用いる者たちを追い詰めることだ。アルカイダとそのネットワークをわれわれは追い詰めなければならない。その一方でわれわれはかれらの組織化を阻止しなければならない。敵対するのでなく、イスラム世界をそこに巻き込むのだ。暴力を用いる一派は少数派であり、イスラム世界は多様であることを理解しなければならない。


さてオバマの最初のポイントは、ラディカリズムが貧困に根ざしていることをかれが確信しているということだ。インドネシアでわれわれが周囲を見渡すとき、貧困は深まる一方でありラディカリズムが繁茂する潜在性はたっぷりある。いちばん誤っているのはコルプシ(腐敗)の巣窟になっている行政官僚だ。汚職撲滅コミッションは等差級数的にコルプシと闘っているものの、コルプシはまるで等比級数のような勢いを示している。オバマは過去のコルプシについて触れているが、いまは21世紀であり、コルプシはますます進歩している。オバマはオルバが怠慢で働かなかったと述べているものの、いま裁判所での証言で団結インドネシア内閣の閣僚ふたりがインドネシア銀行資金の収賄を行なったことが明らかになっている。

次のポイント。インドネシアのイスラムは昔からアラブや中東とは違うものだった、とオバマは語っている。そしてまた、イスラムと西洋間の文明の衝突理論は正しいものではない、とも。インドネシアのラディカリズムは頻繁に政治の道具に使われてきた。昔は抵抗のためだったが、いまは些細なことのために大安売りだ。オバマは汲み尽くせない泉のようなインスピレーションの源泉になっている。アメリカの大物記者クリス・マシューズがオバマを支持したために世間の注目を浴びた。ジョン・マケインはオバマのニュースが多すぎると苦情し、オバマとマスメディア界はハネムーンだと批難した。それに対して「記者は見聞したことを報道する義務がある」とマシューズが反論した。しかしかれはオバマの民族に関する発言に感銘を受けたのだ。
特定種族や集団のためでなく、率直に民族に尽くそうとする国家指導者は国民を狂喜させるにちがいない。「わたしは瞑想する像のように沈黙を決め込むよりも正直である方を好む。わたしは愛国的な国民だ。わたしは祖国に対していつも感情的に振舞う。それはわが民族をたいへん気にかけているからであり、民族の安寧保全に力を貸したいと考えているからだ。わたしは単なるレフリーではない。わたしはみんなの側に立っている。わが民族の側に。」

わがインドネシア民族にとっては、独立宣言の月がまたやってきた。年齢がまたひとつ加わったわけだ。しかしわが民族は後ろ向きに歩を進めているのではないだろうか?わが民族が退歩しているというのは本当だろうか?オルバ時代に東ジャワからジャカルタまで後ろ向きにノンストップで歩き続けた若者がいた。それは青年の誓いにからめて行なった若者のデモンストレーションだった。事故に遭わないようにするためにバックミラーも装備した。スナヤンの青年スポーツ省本庁前のゴールに達したとき、かれは新聞記者のインタビューを受けた。後ろ向きで歩きながらかれは語った。「わたしは若い世代がどれだけものすごいパワーを持っているかを証明したかったのです。」

前進しているのか後退しているのかがよくわからないわが民族の姿をその出来事は象徴している。わが民族は前進していないという判決を下すまえに、いくつかの手続差止め通告に触れておこう。

通告その一。ふつう国民の97パーセントは勤勉な勤労者であり、統計を参照するならインドネシアには9千7百万人の勤勉な勤労者がいる。残りの3パーセントにあたる3百万人はエリート支配層で、昔から勤労を嫌っていたことが実証されている。まじめに働けば「Truly Asia」はインドネシアのスローガンになっていただろうに。

災難だったのはその3百万人が民族の生命の息吹を統御しているということだ。かれらは行政官僚・知識人・専門職者であるプロフェッショナル層から成っている。行政官僚は封建文化にどっぷり浸かっているため弱点になっている。大統領・大臣・将軍・総局長らは陰謀家ドゥルナ・個人補佐官・リング1などに保護されているため八方ふさがりだ。ブンカルノ時代のドゥルナの異名はスバンドリオやユスフ・ムダ・ダラムのものだった。パハルトはKISSを実践する個人補佐官を擁していた。KISSとはKe Istana Sendiri-Sendiri、つまり連れ立って大統領宮に行かないという意味だ。リング1は今日でもその強大な権力で知られている。かれらは官僚層と同じ原理で動いている。「用件はできるかぎり困難にしてやれ、容易にしてやるなんてとんでもない。」要するに高官はパブリックサービス原理を信奉するひとびとに取り巻かれているのだ。ここで言うパブリックサービスとはパブリックがかれらにサービスすることを意味している。パブリックつまり国民大衆が役人にサービスする習慣は町役場から大統領宮にいたるまで何十年にもわたって続けられてきた。

知識層の病は自らの知性を十分維持できないことにある。かれらはたいてい政治家・スポークスマン・選挙支援チームなど権力に近い場所を目指して日和見流転の誘惑に呑まれてしまう。たとえば2009年総選挙コミッションは2004年コミッションの轍をはやくも踏んだ。仕事も始めないうちから新車を買ってくれ。ロバでさえ二度頭をぶつけることはしないというのに、これはいったいどうなっているのだろう?

誤解してはいけない。知識層の多くはそれぞれ自分のレールの上をまっすぐ歩いているのだ。それでできるのは線路脇に家を買うくらいのことでしかないが、まあ我慢してやることだ。

まともな集団は金稼ぎパフォーマンスに関わっているプロフェッショナル層かもしれない。しかし経済の機関車たるべきかれらの役割は蔑まれている。行政官僚はかれらをミルクを搾るための乳牛としか見ておらず、知識層はかれらをネオリベラリズムの手先と見なしている。要するにプロフェッショナル層は専門分野における実践に失敗するように扱われているのだ。3パーセントの人間が97パーセントの勤勉な大衆を支配しているのだから、生きるということは不公平なものだ。だからこそ毛沢東が、フィデル・カストロが、ポル・ポトが、97パーセントを駆り立てて3パーセントを踏み潰そうとしたのである。

通告その二。モフタル・ルビスのインドネシア人理論によれば、わが民族のパワーは芸術にある。生命の鼓動のひとつひとつのビートがすべて芸術に結び付けられている。芸術は即興性を持っており、四角四面的要素は薄い。生活はニュアンスいっぱいの芸術であるがために、シリアスなものには決してならず、好きなように語られ、必要とあれば歪曲すら行なわれる。

だからエリート支配層は法をアートだと心得ている。もし世界の哲人たちがよみがえっておのが思考の成果がおもちゃにされているのを目の当たりにすれば、涙が止まらないことだろう。国会と政府の取引結果を含めて何百万枚の法律文書が印刷されたことだろうか。中央政府の作った数千件の法令と州政府の法規との間に矛盾があるのはありふれた話だ。法律ばかりか、護身術プンチャッシラッ(pencak silat)も百花繚乱で、「イデオロギー・政治・経済・社会・文化・法律・国防」精神運動の結果数百の分派が生まれ、おそろしげな榕樹の態をなしている。

パンチャシライデオロギーは、容易に背くことが出来ると同時にまた神聖なものに祭り上げることも出来るので、浮遊している。政治システムは多義的であり、権力を握ったのがだれかで変転する。大統領は行き詰まると布告・スープルスマル(supersemar)・国家保安法などを使って知恵を競う。リーダーシップの芸術要素は「大統領にならなくても、みっともないわけじゃない」「そんなことだけで大騒ぎか」「一緒ならできる」などのスローガンに表れている。45年憲法第33条はもっとも闇取引しやすいために、経済システムはもっと浮動的だ。たしかに45年憲法は「行き着く先は金」のアクロニム読み替えにぴったりだとわたしも思う。

通告その三。わが民族は真の語り部になってしまった。どうしてだれもが自分の専門に即して職務を果たすということに不熱心なのか、と問う読者がいた。その答えは、だれもが他人の領分に首をつっこむことを好むために自分の主務がおろそかになってしまうからだ。中途半端な気持ちで行なわれる仕事はやっつけ仕事にしかならない。そんなわけでひとは半神半獣の妖怪となる。正直に言うなら、妖怪というのはそれを信じる者と信じない者がいるために「あってなきがごとし」が別称だ。さてそれらの差止め通告をまとめると、9千7百万の勤勉な大衆はエリート支配層にペテンにかけられている、ということになる。芸術ハプニングで忙しいエリート支配層は放言だけが仕事だというのに。

あなたが毎日マスメディアで見聞しているのがそれだ。だから大衆はわが民族が前進しているのか後退しているのかという問いにどう答えてよいかわからない。確信が持てるよう、後ろ向きで歩くことを味わってみてはどうだろう。バックミラーを使ったとしても、ほんの数歩であなたはきっと耐えられなくなるにちがいない。

3パーセントのエリート支配層に統御される97パーセントの勤勉な大衆理論に戻ろう。行政官僚・知識人・プロフェッショナル層という三エリート階層の中で、官僚はほとんど変化していない。国が働かなくとも、われわれの暮らしは従来どおり進展していることが十分に感じられる。行政はもはや機関車でなく、ルバラン帰省のときに最後尾に連結される追加客車のようなものだ。

国は頭を持たない大蛇で、行政は田んぼのネズミを呑みこみすぎて破裂しそうな蛇の腹にほかならない。行政は頭痛のタネだ。簡単な用事でしかないというのに丘より高くルピアをもたらすべく難しくされ、困難な用事はルピアが山より高くなるようにと緊急問題のふりをする。一方、官僚の生活は支出と収入の永遠の逆比例関係によって絶えざるジレンマの中にある。給料はもちろん上がるが、しばらくすると物価も上がる。だからコルプシも値上げせざるを得ない。第三級第四級公務員はあらゆることがらに確定性が欠けているためにギャンブラーのような人生を送る。第一級第二級公務員は、賭博の胴元のように部下に糧を振り撒くことが出来るので、暮らしは快適だ。文民公務員たちは就職してから退職するまでその悪循環から抜け出すことができない。だからかれらの汚職犯罪はたいてい悪魔をさえしのぐものとなるのである。

アルタリタ・スリヤニや最高検察庁職員のコルプシ、あるいは前宗教大臣のコルプシ裁判のプロセスを見るがよい。法執行者が法を踏みつけにし、宗教的価値観を身に着けていない人間が宗教を管掌している。元々オランダが効果的に植えつけた官僚権威主義の臭いが官僚機構からほとんど抜けていない。官権主義の唯一の目的は、行政を支配者に奉仕させることだ。文民公務員がコルプリ(インドネシア共和国公務員団)組織によってオルバの政治マシーンにされたとき、官権主義の臭いが強く立ち昇った。4百万人の文民公務員が総選挙のたびに動員されて、パハルト、ゴルカル、国軍にとっての支持勢力となったのだ。国内行政学院(IPDN)で先輩学生が後輩に何度もしごきを与えたとき、官権主義が強く感じられた。内務省の行政官養成教育は国民の指導育成を教えるのでなく、大衆に対するスパイ行為を訓練するものだったのだ。諜報機関員が民主主義活動家を拉致して殺害したとき、官権主義の臭いが強く鼻を打った。戦略的な位置にあるこの島嶼国家に秘密と呼べるものが何ひとつ存在しないのはここが外国諜報員のパーティ会場になってしまっているからであり、それは少しも不思議なことではない。

官僚機構がほとんど変化しないもうひとつの理由は、国家指導者にとりつくマタラムシンドロームのためだ。この国の公式名称はインドネシア王国でないというのに、ほとんどすべての大統領は自分が王あるいは女王であるとの感覚に包まれていた。マタラム型指導者は全国を自分の監督エリアにしていないので、王宮でごろごろしているのを好む。当然ながらかれらは王冠をかぶっておらず、男はペチをかぶり、女はクバヤを着ている。ブンカルノやパハルトは地方に巡遊するよりも外国へ出かけるほうが多かった。その後の大統領たちは、工場オープニング、選挙キャンペーンあるいはバリホリデーのためにだけ地方を訪れる。

中央と地方の関係は独立以来今日に至るまで似たようなもので、中央はいまだに御者の役割に熱中し、地方は相変わらず馬車かあるいは馬のように自分を感じている。知事・県令・市長ら地方首長がもっと大きい権限を求めると、中央はかれらが小王になろうとしていると批難する。こうしてマタラム王対小王軍団の、兵力を使わない戦争が勃発する。マタラム王はNKRIという名の兵器に頼り、小王軍団は地方自治という呪文で武装する。この戦争はクオリティに欠け、退屈で、バラータユダ戦争よりもっと時間がかかる。

官僚機構が変わらない第三の理由は、ファイティングスピリットを持たないインドネシア人に特有の官僚メンタリティのせいだ。公務員ひとりひとりの頭の中には「自分のポジションが危うくなるんだったら、システムをいじくってどうする?」という声がこだましている。行政改革を行なうよりも官僚メンタリティ改革プログラムを計画する方がはるかに有意義であるのはそのためだ。なぜなら悪いのは楽器でも曲でもなく、バンドメンバーとボーカルなのだから。

官権型官僚メンタリティは修士号・博士号取得のためにかれらを外国留学させたところで変わらない。おまけに自分の省の大臣が年々、金や土地その他資産の形で財産をどんどん増やしていることを知ったあとは、一層変わり難くなる。出国フィスカル100万ルピアを納めたというのに、スカルノハッタ空港のトイレに入ると吐き気を催すというのは何ら不思議なことでない。インドネシアに投資を行なおうとして外国人事業者が表門から入って手続しようとすると、裏口でやろうと言われて首をひねることになる図式はいつものことだ。


「一滴の藍で鍋一杯のミルクが台無しに」ということわざをわたしはまだ信じている。行政官僚の中に正直で国と民族への奉仕の意味を理解している者がたくさんいることも。しかし列車はエンコし、目的地に到達することはない。後進的官僚機構は世界中に浸透しつつあるアントレプルヌール時代とますます齟齬の間隙を広げている。列車を牽引して目的地に到達させる機関車である行政機構を動かす機関士に大統領はなれそうにない。かと言ってこの列車『インドネシア号」をみんなで後押ししようとでも・・・・・?

だから「わが民族は前進中だ」といくら確信ぶってみても、後退しているのである。オルバ期に東ジャワからジャカルタまで何日もかけて後ろ向きに歩いてきた若者とまるで同じだ。その若者が、そしてわが民族が行なっているのは、あることがらを証明するものであるにすぎない。つまり、役にも立たないことを誇る、ということだ。自分を誇ることを好む人間も民族も、実際には日増しに愚かになっていくばかりなのだ。若者は後ろ向きに歩いている間、巨大なバックミラーに助けられて一度もぶつからなかったことに胸を張った。かれは闘志を持つ青年層の意気込みを証明して見せたかったのだ。

しかし、神は人間の足を後に向かわせるのでなく前進するために作ったのである。健康を維持するために医者は、前に向かって歩くことを含めてスポーツをせよとアドバイスする。足を後に向かって運ぶこともスポーツに入るのかどうか、わたしにはよくわからない。読者はこの問題を明らかにするために、かかりつけの医者に相談してみてはどうだろう。

もう少しで独立63年を迎えるというのに、後ろ向きに進んでいるわが民族もそれと同じだ。後退していることを証明するのは実に簡単なことだ。コルプシはきっと世界最悪なのである。愚かさの中の誇りの感情を証明するのはもっと簡単なことだ。誰に対してもすぐに疑い、批難し、そしてアモック(錯乱して凶暴な振舞いをする)に走る。わが民族がアモックに走った最新例は、マレーシアがバティック、サテ、ポノロゴのレオッ(Reog Ponorogo)を盗んだときのことだ。ところがわが民族だって毎日盗みを働いている。高官は国家の金を盗み、文民公務員は副業稼ぎのために時間を盗み、二輪車ライダーは歩道のスペースを盗み、雇い主は女中が受け取るべき給料の一部をカットして取り上げる。わが民族は芸能から料理までいろいろな文化を誇っているものの、ワヤン、オンデロンデル(Ondel-ondel)、テックワン(tekwan)などはヨーロッパ・インド・中国大陸など世界各国から盗んだものなのである。


読者は映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズをご覧になっていると思う。このコメディ映画はふたりの主人公が過去に戻って未来をもっと明るいものに変えようと必死に努めるストーリーで、タイムマシーンの機能を果たす自動車に乗って主人公は過去にさかのぼることに成功する。かれは1950年代にまだ青年だった父親を1980年代にもっとマッチョにするために画策する。

後歩き運動とバック・トゥ・ザ・フューチャー物語りは、歴史を持たない民族や人間の無意味な仕事という点で、同じではないがよく似ている。わが民族は、本当はとても豊かな歴史を持っているのだ。民族闘争ヒーローたちが民族独立を悲願にしてあらゆる犠牲を払った1945年までの時代を語るには及ばないだろう。わが民族が栄光に浴した1945〜1965年の時代もそうだ。後退時代はオルバが権力を握ってから始まった。過大に自らを誇り、行過ぎた理論破壊、人道主義のかけらもない抑圧、といった形態の愚昧化が33年間続いた。外国借款は国際舞台での成功であると思い込まされ、ゴルカルは国有政党と誤って認識され、PDIとPPPはテラスの飾りのために鉢の中で盆栽にされた。国軍は二重機能どころか多重機能を役割に持つものすごい国家機関だともてはやされ、批判者は左翼思想の狂人だという言論操作が行なわれた。開発イデオロギーはあたかも、わが民族にとって涅槃に入る前の生きることの最終目標であるかのように、祭壇にまつりあげられて礼拝の対象にされた。開発5ヵ年計画ストラテジーがいかにただ一握りのエリートを富ませるだけのものにすぎなかったか、いまそれがひしひしと感じられる。 つまり後退はオルバに起因しているのだ。今われわれが感じているものは因果法則に則ったものであり、単なる結果というようなものではない。だからわが民族は砂漠で激しい渇きを覚えている人間のようなものであり、良識や良心、品性を備えた耳、率直な眼、などを常に欺こうとする蜃気楼に取り囲まれている。


わが民族はレフォルマシ(改革)とデモクラシーが手に入る唯一の代替だと信じた挙句、レフォルマシが何らかの障害を生むたびにバック・トゥ・ザ・フューチャー、つまり後退する以外に選択肢を持つことができなかった。オランダが倫理政策を1942年までに終わらせたときのノーマル時代を一部の人は懐かしんでいる。もしオランダが1970年代までインドネシアにいたなら、PSSI(インドネシア全国サッカー協会)ナショナルチームはワールドカップに出場していたかもしれない。オルバ時代に戻りたいという誘惑に駆られるひとも少なくない。かれらはあの時代が今より豊かだったと言う。あらゆる天然資源が浚いつくされて世界中に持ち去られたというのに。

アリジゴクは面白い生き物だし、ポチョポチョダンスは前進と後退のステップをたくみに融合している。しかし後ろ向きに進んでいる民族は面白くもないし、ひとつに融合されることも決してない。後退している民族はデモクラシーを語るだけであり、デモクラシーの実践などしない。後退している民族は自分だけが特別だと考えているため、行動異常を病んでいる。

前進する民族は常に自分のアイデンティティを求める。だからわれわれの周囲に必ずそのような人間がいる。わが民族は1945年宣言の理想にふさわしい独立の中味を満たすために前を見つめなければならないのだ。ムルデカの祝詞を皆さんに。』

もうひとつブディアルトの評論をご紹介しようと思う。人間という生き物にとって永遠のテーマである正気と狂気に関するものだ。正気と狂気のはざまに横たわっているのは一本の細い糸だという話だが、言葉の定義を辞書で読む限りではそんなタイトロープ的イメージからほど遠い。正気というのは精神が正常な状態であることを指し、狂気というのは精神状態が正常でない状態を言う。キチガイという言葉は狂気の言い換えだ。であるなら、正常・異常の定義は何かということになる。正常とは他とちがったところがなく、普通であり、人並みであり、当たり前ということだそうだ。そうなるとさまざまな人間が集まっている社会生活の中での普通で人並みという規準がどこなのかという判定に向かうわけで、その境界はどう考えても一本の細い糸というイメージではない。境界線は上下左右に相当な幅を持っているにちがいないとわたしは考える。

西ジャカルタ市グロゴルにインドネシアで由緒のある精神病院ドクトル・スハルト・ヘールジャン病院がある。その精神科主任医師によれば、ジャカルタ住民の1パーセントは重度の精神障害者であり10〜15%が中度軽度の障害者だそうだ。首都人口を1千万人とするなら、なんと10万人の狂人がいることになる。精神障害者の中で危険なのは精神分裂病者で、かれらは自分が異常であるという認識を持っていないにもかかわらず、自己のオリエンテーションを失っている。現実への認識と理解に障害が起こり、非現実の世界に対して強い確信を抱く。そして自分がいちばん素晴らしく重要でもっとも優れていると考える。

その説明はよくよく考えるとソッ人間の特徴とはなはだ酷似しており、ソッ人間であればジャカルタに数百万人いてもおかしくはないという気になってくる。ソッ人間を生み出しているのはインドネシアにある文化であり、文化の中に抱かれている価値観はその文化の子たちに共通のものだから、そうなるとインドネシアでソッ人間は正常な人間であるという概念の矛盾に立ち至る。ブディアルトが評論の中で述べていることはそれに似た話なのだ。文化という花を咲かせている文明という名の土壌はさまざまな原理が整合性をもって織り成している膨大な体系であり、その中に刻み込まれた価値観がその共同体社会に住むひとびとの生活態度を形成している。異なる文明に育まれたひとびとはまた異なる生活態度を持って暮らしており、それら異なる社会の構成員が相手の社会に触れたとき、自分の持っている価値観でネガティブなものが相手の社会で祭り上げられている実態を見て「これは狂った社会だ」という判断を持ってしまうのはしごくありきたりの現象だ。たとえて言えば、インドネシア人の多くは豊かな暮らしを人生の究極目標に据えている。豊かな暮らしとは何かと言えば、糧・金・道具・財産などが有り余った状態を指しているようだ。そうしてかつて政府が電力消費節減を国民に求めたとき、自分が金を払うのだからいくらでも消費させろという声が国民大衆から湧き起こったことが象徴しているように、好きなだけ消費すること、悪い言葉を使うなら浪費、によってその豊かさを実感するというあり方がかれらの理想とする人生の姿であるように見える。それ自体は古来から世界中でそうだったわけで決して異常と言えるものではないのだが、しかし現代グローバル社会は既に資源消費・エネルギー消費の抑制というステップに差し掛かっているわけで、浪費行動によって暮らしの豊かさを求める生活態度は既に時代から取り残された悪行になりはじめている。

食卓に食べきれないほど料理を並べ、残ったものは惜しげもなく捨ててしまう。冷蔵庫のない時代には食べ物の保存が困難だったために、残り物が容赦なく捨てられるのは自然な行動だったにちがいない。冷蔵庫が各家庭に普及して以降は、さすがにすぐ捨てられることは少なくなったようだが、少量の残り物はたいてい冷蔵庫内で腐敗するにまかされ、腐ったことを見届けてから捨てるというもっと不合理なスタイルに変わった。

あるいは、たとえば食パンの袋の中身が三分の一より少ない量になるとその袋はもうトアンの食卓に登場せず、新しい未封切りの食パン袋が交替してくる。古い袋は女中下男あるいは家族の中の女子供などステータスの低い者に下げ渡される慣習だったのだが、核家族化が進んでいることからその古い慣習を支える身分の低い者が減少しているために、昔はなんとか首尾一貫していたことが支離滅裂になり勝ちだ。たいていの国では、そのようなライフスタイルは都市部で急速な変化を経験するものなのだが、インドネシアではそんな封建制にベースを置く基本コンセプトにあまり変化が起こっていない。結果的に消費されない食べ物は冷蔵庫でカビ培養床になっているありさまだ。

大家族だから常に誰か腹をすかせた者がおり、そのために台所には常に暖かい飯が用意されていなければならない。あるいはいつ誰が家に寄るかもしれず、あるいは遊びにくるかも知れない。客には必ず飲物と食べ物(食事時には食事、そうでない時間帯ならスナック)が出せるように台所にはそれが満ち満ちていなければ恥ずかしい。こうして大量に作られ備蓄された食べ物が腐らないはずはない。腐るほどあるというのが豊かさのシンボルなのである。日本人も同じような生活感覚を持っていたが、それは今では昔語りだ。もうひとつの違いは食べるということに対する傾斜度だろう。インドネシア人はのべつまくなしに食べている印象が強い。会社のスタッフたちもコンピュータの前にすわって、ついつい引き出しの中からお菓子のパックを開いて口に入れている。

わたしはインドネシア人の食志向がインドネシア文化の中にある生きがいとしての豊かさの実感と緊密にからみあって、上で述べたような現象を露呈しているように思えてしかたないのである。

事務所の床に落ちたペーパークリップや未記入のポストイット紙片を従業員は決してひろわない。The more, the better.原理を信奉するかれらは、必要な枚数に必ず1〜2枚上乗せしてフォトコピーを作る。かれらはそれについて、「もしあとでもう一枚取って来いという指示が出たときのために気を利かせているのだ」とまるで木下籐吉郎のようなことを言うのだが、かれらが持っている人間観がそこから透けて見えるし、おまけにそれが完璧な計画性の壁をよじ登ろうとしないかれらのエクスキューズになっていることも確かだ。そうして余分に作られたコピーは内容の取捨選択なしにファイルされて行くから、書類ファイルの中味がすぐに一杯になり、ファイル棚をたくさん用意しなければならなくなる。とまれ、会社のフォトコピー室に入って湯水のようにコピーを行なっているかれらの行動は、豊かさという理想にどっぷり浸ることのできる場所がそこにあるから出現していることではないだろうか。会社の中で、ひとが退出してだれもいない場所であってもかれらはこまめに消灯しようとしない。

家庭でも家の中のだれもいない場所の照明をこうこうと点ける。薄暮の残照がまだ残っていて明るいのに、マグリブのアザンにあわせて屋外灯を点ける。それらは経済合理性に反するものであり、そのように合理性をまったく無視して浪費的生活態度を示すかれらを「怠惰でずぼら」「経済観念がない」という批判の目でたいていの外国人は見るのだが、消費抑制と裏表の関係になっている出費抑制をこまめに身体を動かして行なうことはケチで豊かさの理想に程遠い小人の生活姿勢であり、金に糸目をつけないで豊かな生活を実践することが成功者としての人間の生き方であるという価値観に色濃く覆われた社会は、グローバルコミュニティから見るならやはり異常な社会ということになるのではあるまいか。この価値観がこれ見よがしに豪奢な生活をする人間を社会的成功者として見上げる習慣を生み、イージーカムイージーゴーという金銭感覚を社会の中に育て上げることにつながっているとわたしは見ているが、このポイントは別の機会に触れることにしたい。

2007年4月7日付けコンパス紙に掲載されたブディアルト・サンバジの評論は題して「The Insane Society」つまり狂気社会だ。

『ワシントンポスト紙に掲載されたカリカチュアでは、ボートに乗ったイランの水兵が描かれていた。水兵のいるイラン領海には"insane"と書かれ、境界から外の広大な海域には"sane"という文字が・・・

去る3月23日に英国兵士15人を拘留したイラン政府への皮肉がそれだ。テヘランはかれらが領海を侵犯したと非難し、ロンドンは否定した。テヘランが不法侵入者を捕らえようが、核エネルギー技術開発をしようが、それは狂気なのだ。ジョージ・ブッシュ米国大統領やトニー・ブレアー英国首相がイラクに侵攻し、グアンタナモで捕虜を虐待しようが、何であろうとそれらは狂気ではない、ということだろう。

西洋人はフリーダム、中東やペルシャ湾の人間はサブヒューマン。だからかれらにデモクラシーや基本的人権、総選挙、多様性の共存などという価値観を教育してやらなければならないのだ。

オーストラリア人はカンガルーの狩猟を禁止した。原住民のアボリジンは自分たちの土地を好き勝手にいじくりまわされることをやめてもらうために、裁判所の判決を長期にわたって、ひたすら待った。イギリス政府はエリザベス女王のお気に入りになっているパキスタンからの掠奪宝物コヒノールの返還を拒んだ。

しかし西洋世界はかれら自身が病んでいることを認めてはばからない。かれらは言うだろう。「We are living in an insane society.」と。
insaneという言葉の類義語には、mad (pemberang), psychotic (gangguan batin), neurotic (emosional), out of mind (mudah kalap), maniacal (maniak), silly (pandir), stupid (dungu), absurd (menggelikan), nonsense (omong kosong), senseless (tak masuk akal), riduculous (aneh) など実にたくさんの単語がある。insane 状況に陥ったとき、インドネシア人はそれを正直に認めないだろう。現実には、サバンからメラウケまでthe insane society 症状が日を追って深刻化しているというのに。

pemberang : 批判のないのは塩味のきいていない料理と同じであるにもかかわらず、インドネシアの高官職者は他人の言葉を聞く耳を持たない。国民はran amok がお得意で、抜き放った刃物を手にして全力疾走し、路上であれ、裁判所であれ、カンプンであれ、手当たり次第に出会うものをぶった切る。

gangguan batin ; 男性高官職者が顔に白粉を塗り、何度も失敗しているというのに自分には指導力があると思い込み、コメディアンが政治家になり、元々政治家なのにコメディアンそっくりの者がいる。経済的な重圧のゆえに、大勢が精神病を患っている。何ということだ! 埋葬の費用がないために息子の遺体を荷車に載せて街中を徘徊していたスプリオノの話を覚えているだろう。学校に学費を納められないのが恥ずかしいと言って、何人もの小学生が自殺を試みたことを忘れてはいないだろう?

emosional : 西洋ではemotional intelligence という科学が発展しているが、インドネシアにはインテリジェンスが疑わしく、すぐエモーショナルになる高官がいる。

mudah kalap : インドネシアの高官は、汚職に関わると容易に逆上し血迷う。中には、10万ルピア紙幣数千枚を浴室のバケツに詰め込み、びしょびしょにしている者がある。自動車を運転していると、われわれもすぐに血迷う。信号が黄色になっていればストップしなければならないのだが、そのチャンスを利して他車の前に出ようとする。

maniak : インドネシアの高官や政治家は、公式訪問や休暇、あるいは汚職の稼ぎを持って逃亡するのに、マニアックなほど外国へ行く。民衆は季節的マニアックになる。突然ソップカキの大ファンになるが、「パクミス」の屋号がついているものに限られる。ごひいきサッカーチームが敗れたら列車をボコボコに叩き潰し、トゥクル・アロワナが「kembali ke lap ・・・」と言うと一斉にその後を続けて「toooppp!」と唱和する。

pandir : 「アダムエアー機の残骸をあそこで発見した」などと公表してしまったなら、お馬鹿さんでなくて何だろうか。大統領候補者は学歴が最低でも学士でなければならないと確信しきっている者はお馬鹿さんだ。航空会社のランク付けなどを行なっている運輸省も似たり寄ったり。世界中でそんなことをしている国はただひとつ。それがインドネシアだ。

dungu : トミー・スハルトの金を収容するために省の銀行口座が使われるのを是としたふたりの大臣が一千の術策を弄するのを見たわたしは、自分が愚物だと感じている。毎日、列に並ぶのを忌避し、決まりを守らず、道路標識よりも呪文のほうに服従し、強盗よりも幽霊のほうを怖がる大衆も愚か者だ。「Insanity is doing the same thing over and over again and expecting different results.」

menggelikan : 取調べに直面した高官は病気になったふりをし、あるいは威厳を失墜させないために拘置所で講義を行なう。

omong kosong : わあ!このポイントにおいて、インドネシアの政治家は昔から伝説的な存在だった。大衆は空言をいやと言うほど腹に詰め込み、結局は自分が選んだ大統領をチューインガムのカスのように吐き捨てる。

tak masuk akal : 2030年には世界で最高の金持ち国で同時に最も繁栄する国になるというビジョンを、中銀流動資金援助をいまだに返済しないひとびとが作り出した。そんなことが一体どうやって実現するのだろうか?高官がそんなものであるのなら、われわれが不可能なことを好むのも不思議はない。汚職で金持ちになり、偽造証書で学士になり、呪文でブッシュ大統領を追い払うというように。

最後の症状はaneh : オルバ期に高官と実業者のKKNは机の下でひそかに行なわれた。レフォルマシ期にはそれが机ごと持ち出された。現代版高官のKKNモデルは実業者たちと同じ机で食事するスタイルだ。「Insanity is the only sane reaction to an insane society.」』

しかし文学者アグス・ノールは国民としてのインドネシア人を、きわめて正気(sane = waras)であると見る。かれに言わせれば、国家が狂っているのだ。2014年6月24日付けコンパス紙に掲載されたRakyat yang Waras と題する論説を見てみようではないか。

『インドネシア国民が正気であったのは、とてもラッキーだった。ハイパーボリックな言い方をするなら、この国が持っている唯一の好運が正気な国民なのだ。なぜなら、無尽蔵の天然資源、豊富な生物相、あふれる文化を国はずっと昔から投げやりにしてきたのだから。

実に価値のあるそれらの潜在性を国は長期に渡って保護しようとしなかった。インドネシアがソマリア、チャド、ジンバブウェ、コンゴなどのような失敗国家にならなかったのは、失敗国家と判定されるインデックスレベルを国が効果的に引き上げていたからではなく、頭の冷めた正気な国民が国家に依存しないで自らの活性化に努めてきたことがより大きい要因をなしている。街中の高架道路に描かれた壁画にまで、「勤労を続けるのだ。国に期待してはならない」という言葉が記されているではないか。国民が必要としているときに国は往々にして行方不明になっているという現象だけでなく、国家機構は政治や非能率な行政あるいは絶えることのないコルプシで多忙を極めているからだ。自然災害が起こると、「最初にやってくるのは国家を代表する行政の人間でなく、インスタントラーメンだ」という皮肉は人口に膾炙している。

waras というのは健全な状態を指すだけでなく、状況や状態が狂気を帯びてきたときに「意識を保つ」という意味を含んでいるジャワ語だ。正気な大衆というのは、平静な生活意識と思考力を保とうと努める大衆を指している。文学者ロンゴワルシトが言った「eling lan waspada」であり、詩人で演劇家のレンドラは「waras とは賢明な知恵を維持しようとする民衆の活力だ」と評している。

多くの失敗国家で起こっているような結末のない紛争にこの国を引きずり込むことへの最後の砦となっているのが正気な国民なのである。宗教マイノリティに対する暴力や排斥が国家統一を脅かす大衆騒擾に発展したり、広範囲な復讐戦に広がったりすることはない。結果的に自らを損なうことになるのを知っている正気な国民がそのようなコンフリクトに呑みこまれるのを望まないからであり、信教の自由を捧持して国がマイノリティの保護をうまく行なっているからそうなっているのではないのだ。もしかれらがそうしたいと望むなら、公正さの欠如する扱い(国はそういう不公正を放置し続けている)をされたマイノリティはヘゲモニーに対抗するために地下抵抗組織を作り、あるいは公然とラディカルな行動を起こすことも不可能ではない。しかし、それは起こらない。正気な国民は合理的な姿勢を保つことができ、暴力に暴力で立ち向かうことを選択せず、そのために国家の統一を揺さぶるコンフリクトに至らないのである。

大勢の事業主が苦情しているように、ちぐはぐで整然さに欠ける混乱した許認可と行政規則が生産コストを高いものにしており、国がいかに実業界に負担を与えているかということを証明している。小規模ビジネスの事業主であるわたしの友人は、「国さえなければ、われわれの経済ははるかに事業の発展をサポートすることが可能だ。国はただ、事業環境を劣悪なものにしているだけだ」と皮肉った。

一方、芸術文化の領域では、種々のクリエーティブな作品が世界に認められている。しかしその成果はアーティスト個人の意欲で成し遂げられており、国が支援した結果ではない。映画界でも、世界の映画フェスティバルでしばしばインドネシア映画人が作品を表彰されているが、インドネシアで映画を制作するのに納める税金よりも映画を輸入するのに納める税金のほうがはるかに廉いのである。

かれらクリエーティブ産業従事者は、ずっと以前から国への期待などどこかに置き捨てている。国などなくても、アーティストたちは創造活動をやめたりしないのだ。生活環境分野でも、国民の中の有志が個人やグループでいろいろな自然保護活動を自力で行なっているのをわれわれは目にしている。

正気な民衆がいかに多様な分野で自分のできるありとあらゆることを実践し、国の支援や保護があってしかるべき役割を、それなしに自力で果たしてきたかということを上の文章は浮き彫りにしている。そこに見られるのは、国の役割を支援しようという意識を持った市民社会パワーの側面のみならず、エルネスト・ルナンが説いた公正で尊厳のある生活を共同で達成しようという契約にもとづいて作られるべきインドネシアという国家が、それを実行する能力のない役人たちでいかに満ち満ちているかという実態でもある。

国の繁栄状況を示すインジケータのひとつは、長期に渡って一貫的に貧困生活を送っている大勢の国民の存在だ。コメディアンのひとりはこう語った。「1945年憲法に布告されているとおり、貧困国民の養成を国は純粋且つ帰納的に行なっている。そのゆえに、コルプシのみならず、今や貧困までもが広範な領域に公平且つ平均的に広まっている。」

正気な国民は国家生活における成熟度を示しているものの、矛盾をも含んでいる。一面では、汚職犯罪の曖昧な決着というような国家の不合理性に直面したときに、正気な国民はネガティブなことがらに容易に煽動されないといったポジティブな論調に誘導されて主体的で賢明な合理的公衆の姿を身にまとい、ベストの状態でないにも関わらず自分ができることだけをなそうと努める。それを別の側面から見るなら、本当は納得できないことであるというのに、それへの追及をやめてしまうということでもあるのだ。それは一種の許容性向を国民に持たしめ、国が起こしている諸問題にあまり深く関わろうとしない社会性向を正気な国民の内面に形成していくことになる。言い換えるなら、合理性の欠如した公共政策に国民はあまり関心を払わなくなるということだ。正気な国民は不合理な状態から脱け出すための隙間を見つけ出すことができるからだ。』


狂気と正気というのは、しょせん、同一文化内における平常からの逸脱度合いとしてしか測れないにちがいない。異文化人が行なう平常行動が自分の文化では異常であったとしても、それがゆえに異文化人を狂人と呼ぶのは現実性がないとわたしは思う。イランの領海内にあるのは狂気でなく敵対性なのである。それが敵対性になるのか友好性になるのかは、当時者の姿勢ひとつで決まることだ。
モフタル・ルビスの語ったインドネシア人の像は、はたしてわれわれが友にできる姿を備えているだろうか?