インドネシア女中家政婦情報


「家庭プンバントゥが財産の一切合財を」(2005年4月2日)
使い始めて2週間ほど経ってから、気に入っていた女中が財産の一切合財を盗んで姿を消すという事件が起こった。ブカシのタマンガラクシ住宅地区に住むスプリヨノ42歳とユスティアナの夫婦は、3月中旬、ジャカルタのラディオダラムに住むファミリーから女中を紹介された。インドネシア語で家庭プンバントゥと呼ばれるこの女中は、それ以来スプリヨノの家に住み込んだ。こまめに体を動かし、手際よく家事を片付けてくれるその女中アトゥン35歳には三人の子供たちもよくなついており、夫婦はよい人に来てもらったと喜んでいた。そして4月1日金曜日、アトゥンが仮面をかなぐり捨てる日が来た。
その日、スプリヨノとユスティアナがジャカルタに出勤し、三人の子供たちが学校へ行ったあとの午前7時ごろ、同居しているスプリヨノの母親スダルミ60歳がアトゥンに、住宅地区内の市場に食材を買いに行くように言った。しかしアトゥンはその言い付けを聞こうとせず、「今日はお婆ちゃんが行って。ベチャに乗って行けるでしょう?わたしいま手が放せないのよ。」と言い張る。スダルミはむっとした。『あれっ、女中の分際で・・・』。アトゥンは皿洗いから洗濯など、いろいろ他の仕事に手を出しながら、スダルミに何度も「パサルに行って」と頼んだ。そして家の前をベチャが通った。何やら催眠術にでもかかったように、スダルミは自分で行く気になった。アトゥンは今朝ユスティアナからもらった買い物費用の5万ルピアをスダルミに渡す。こうしてスダルミは家を後にした。
それほど長い時間もかけず、スダルミは買った物をベチャに載せて家に帰ってきた。『あれっ、表門が空いてる。玄関も。』家の中はひっそりして人気がない。「アトゥン!アトゥン!」女中の名前を呼びながら、ひょっとしたら泥棒が隠れているかも知れない、と身構えながら家中をまわり、そしてガレージにあったはずのトヨタアバンザとホンダカリスマが無くなっているのに気が付いて、スダルミは足から力が抜けた。家の中をよく見ると、テレビもなくなっている。スダルミは隣人に頼んで息子夫婦に電話してもらい、夫婦はそれぞれ会社から早退して飛んで帰ってきた。そして普段から鍵をかけていないタンスの貴重品入れを調べて一切合財が無くなっていることを知り、ふたりも足から力が抜けた。
姿を消した財産は、家の権利証書、自動車とオートバイの所有証書、そして自動車とオートバイの現物、テレビ、袋に入れてあった現金2千万ルピアと250グラムの黄金製装身具、携帯電話。アトゥンが寝泊りしていた女中部屋には着古した衣服が残されており、また警察はその間から東ジャワ州ガウィを住所とするダルニ26歳のKTP(住民証明書)を発見している。一方、雇い主側はアトゥンの身分証明を何一つ取っていなかった。またその家の子供の一人が、アトゥンは前日長電話をしてうれしそうにしており、またスダルミにも「今日はうれしい日なのよ。」と朝から洩らしていたらしい。
贋造KTPを使って名前を偽り、住み込んだあと仲間を呼び込み家財を盗んで逃走する計画的な犯行ではないか、と警察は見ており、家庭プンバントゥを雇う場合は、その者の居所を訪れてみるとかその者を知っていて身元を保証できる者と連絡を持つなどの対策を講じておく必要がある、とブカシ警察はこの事件に関連して市民に呼びかけている。アトゥンはまだブカシ地区に潜んでいるものと警察では見ており、縮れ毛の肩までかかる髪で、色黒でやせて小柄なこの女性を追っている。


「女中をだます泥棒」(2005年5月16日)
ふたりの泥棒が女中をだまして邸内に侵入し、金目のものを盗んで逃走するという事件が南ジャカルタ市チプテの住宅地で発生した。首都警察捜査局の情報によれば、15日昼13時前ごろ、チプテチランダッ町プリタ通り35番地にあるアドリアン・パーレビの自宅で、盗難事件が発生した。そのとき家にいたのは女中のネノ38歳ひとりだけ。穏やかな昼過ぎの日曜日に突然二人の来客を受けたネノに対してふたりは、自分たちはご主人の友人で、家からあるものを持ってくるように頼まれた、とネノに告げたため、ネノは疑いも抱かずにふたりを邸内に招じ入れた。探し物はご主人の部屋にある、と二人が言うので、ネノはアドリアンの部屋に二人を連れて行き、自分は客にコーヒーを用意するため台所に入った。部屋に入るとき二人はネノに「ご主人の許可は得てあるから。」と語ったとのこと。
その二人はさっそく仕事を済ませ、長居は無用だと思ったらしく、しばらくしたら慌しく玄関を通って出て行ったので、まだコーヒーも用意していないのに、とネノは不思議に思ったらしいが、ご主人の部屋を調べに入ることはしなかった。
夕方になってご主人のアドリアンが帰ってきた。そして部屋に入り、荒らされているのを見て驚いた。ネノを問い詰めて一部始終が明らかになり、すぐに被害を確認したところ、現金4千5百万ルピア、高級腕時計2個、黄金製結婚指輪2個が消失していた。こうしてチランダッ警察署に盗難届けが出されたというストーリー。
自分の留守中に知らない人間が来て、頼まれたからと言って邸内のものを持っていこうとするようなことがあれば、すぐに家の者に確認を取るよう女中を教育しておくように、と首都警察は都民に呼びかけている。


「ルバランに上京してくる季節労働家政婦」(2005年10月25日)
ルバランで首都圏から帰郷する家政婦もいれば、その間の臨時代行家政婦になるために首都圏にやってくる人もいる。普段からひとりあるいはふたりの家庭プンバントゥ(家政婦)に助けられて家事を切り盛りしているニョニャたちの多くは、その家政婦が帰郷したあとのイドゥルフィトリをどう乗り越えようかと頭を痛める。しかし天は求める人に報いるもの。その間の臨時家政婦を供給する口入業者は雨後のたけのこのように増加している。
デポッにあるそんな業者のひとつ、ヤヤサンイブハディは毎年この時期になると、およそ1千人の季節家政婦を集めている。大きく分けて家庭プンバントゥとベビーシッターのふたつの需要があり、条件に違いがある。ヤヤサンイブハディはおよそ1千家庭のお得意さんを抱えており、デポッ・ジャカルタ・ブカシ・プルワカルタ・ボゴール・チレゴン・バンドン・チカンペッからカラワンまで広範にわたる。そんなお得意さんに供給される1千人の季節家政婦はスラゲンやプルウォダディからやってくる主婦が大半で、そのほとんどが家政婦経験者だ。このヤヤサンにオーダーすると、家政婦ひとりにつき一日5万ルピアおよび礼金20万ルピアが請求される。ベビーシッターの場合は一日7万ルピア。イドゥルフィトリの三日前になると、ヤヤサンが抱えている家政婦はすべて注文主のところへ入り、残っているものはいなくなるとのこと。


「今年のルバラン帰省に明暗くっきり」(2005年10月27日)
10月1日の石油燃料大幅値上げのためにルバラン帰郷の交通費が暴騰しており、多くの工場労働者には帰省を控える傾向が生まれている。その一方で家政婦たちは、暴騰した交通費もものかわと、例年通り帰郷を予定している。どうしてそんな違いが出るのかといえば、家政婦たちは帰郷交通費を雇い主が支給してくれるからだ。
家政婦たちは最低でも30万から40万ルピア前後という1か月分のハリラヤボーナスをもらう。雇い主がハリラヤボーナスや帰郷に配慮しないと、家政婦たちはあっさりと暇乞いを告げるそうだ。歌手のデウィ・ギタは家政婦を三人使っているが、ルバランには帰郷するのが当たり前で、給料二か月分のハリラヤボーナスと帰郷のための交通費を与えている、と語る。別の市民も気に入った家政婦を10年間使っているが、また戻ってきてもらうために休暇とハリラヤボーナス、そして帰郷の交通費を与えている、と語る。「チアンジュールへの往復交通費はこれまで30万ルピアだったが、はて今年はいくらになるか・・・。」との談。
俳優のロラ・アマリアは二人の家政婦に給料一月分のボーナスに加えて衣料品と靴を買うお金を与えている。金額は従順さ、イニシアティブ、勤勉さ、仕事の中での注意深さなどに応じて変わるとのこと。物を壊したり紛失したりすることが多いと、金額は小さくなる由。


「プンバントゥはお手伝い」(2005年11月18・21日)
「インドネシアはプンバントゥの国だ。インドネシア民族は民族間の奴隷であり、そして他の民族のための奴隷なのである。」プラムディア・アナンタ・トゥルはそう書いている。プンバントゥとはインドネシア語で「他の人の手助けをする人」を意味しており、インドネシア文化の中では、他の人の指図を受けて何かを行う人をさしている。アシスタントという言葉に対応する使い方もあるが、日本において「お手伝いさん」と呼ばれるようになった女中のことをインドネシア語で「家庭プンバントゥ」と称している事実がそのあたりのことを十二分に説明しているのではないだろうか。ただプラムがインドネシアはプンバントゥの国と言っているのは、数十万人の海外出稼ぎ者、特に女中輸出国である事実を指しているのでなく、もっと文化に根ざしたものを指摘しているとわたしは思っているのだが。プンバントゥ議論はさておき、家庭プンバントゥ、つまり家政婦の仕事は、ジャカルタへ出稼ぎに来る技能なし、学歴なし、資金なしの地方出身者にとって、巨大な雇用の場を提供している。
首都のたいていの中流以上の家庭は、イドゥルフィトリが受難の時となる。ほとんどの家政婦が休暇を取って故郷へ帰るからだ。だからトアンやニョニャは少なくとも一週間程度、家政婦のいない毎日と直面しなければならない。そしてイドゥルフィトリが明けても、家政婦の中には仕事に戻ってこない者がいる。結婚する者、もっと条件の良い家庭に鞍替えする者、別の職種に移る者。だからイドゥルフィトリ明けの家政婦紹介所には、注文が殺到する。殺到する注文に応じるために、家政婦紹介所は就職希望者を抱えなければいけない。その就職戦線に飛び込んでくるのが、ルバラン明けの帰省逆流者の波に混じって大都市にやってくる上京者たち。この時期、紹介所はそんな娘たち数百人の需要を抱えることになる。
デポッ市にある家政婦紹介所、ヤヤサン・イブハディの経営者は、家政婦就職希望者はランプン、ブレベス、ボヨラリ、ソロ、スラゲン、マディウン、ガウィなどからやってくる、と言う。ランプン以外は中部ジャワがほとんどだが、ランプン出身者も実はジャワ人なのだ。ランプンにはジャワから大勢のトランスミグラシ農民が移住しており、そんな移住者の子女がジャワへ戻ってくる。このヤヤサンでは、ルバラン翌日から人入れ注文を受け始め、5日間で2百人を送り込んだ、とのこと。
紹介所にいた15歳の上京者は、ジャカルタへ出稼ぎに出て家政婦になることに憧れていた、と語る。ぱんぱんに膨れ上がったトラベルバッグには、衣服が詰まっているようだ。三人兄妹の真中というかの女の実家はブレベスの貧農で、親を経済的に助けたいという希望を強く持っている。故郷の村にスポンサーが来てジャカルタで家政婦になりたい希望者を募集し、他の18人の娘たちと一緒にチャーターバスに乗って11月9日深夜、デポッのヤヤサン・イブハディにやってきた。ヤヤサンが決めた給料は27万5千ルピアだが、それでも満足しているようで、自分のための5万ルピアを引いた残りは全額実家に送金するつもりだそうだ。
しかし家政婦就職希望者集めスポンサーの努力がいつもうまく行くとも限らない。ランプンでは14日、年齢15歳前後の娘たち24人がバスでジャカルタへ出発しようとしているところを警察に阻止された。ランプン州北部の寒村から集められた娘たちは、スポンサーである40歳の婦人ふたりが口舌巧みに素朴な娘たちを誘ったようで、大都会で楽な仕事をして大金が稼げるという夢と希望にあふれて、バンダルランプンのラジャバサバスターミナルまで州内バスに乗ってやってきた。ところがターミナル警備の警官が、大勢の少女たちがバスから降りるのを見て不審を抱き、すぐに保護した。娘たちが語る出稼ぎの話に警察は、人身売買の怖れがあるとして親の承諾書を提示するよう求めたが、そんなものを持っている娘などひとりもいない。そのため警察は娘たちを親元へ戻すと宣言している。ひとり10万ルピアの報酬で首都圏の家政婦紹介所から人集めを請け負ったスポンサーの婦人ふたりは、「自分がジャカルタへ戻るのに、一緒に連れて行ってほしい、と少女たちが頼んだために引率しているだけであり、ジャカルタへ着けばそれぞれの親戚が迎えにくることになっている。」と警察の取り調べに言い訳して顔をしかめている。
家政婦需要はインドネシア人家庭から外国人家庭まで幅広く存在している。バングラデシュ人、韓国人、日本人などが家政婦をよく求めているそうだ。しかし家政婦なら誰でもみんな同じというわけでもない。家政婦を雇う際に気をつけなければならないことがいくつかある。その多くは、運転手を雇う際にもきっと有効であるに違いない。
1.アイデンティティを確かめること。また、どこに住んでいて、ファミリーや友人は誰かということまで把握しておけば一安心。そのファミリーや友人が定住していなければ、条件不十分。できれば、定住しているファミリーと顔合わせをしておくほうがよい。
2.正直で、悪いことをしない人間かどうか。雇う時点でそこまではわからないが、そのポイントから日々の行動を見ておく必要がある。
3.頭がよく、規律正しく、動きが速く、宗教心篤い人間かどうか。口のうまい人間は多いから、何を言ったかで人間を判定するのでなく、何をどう行ったかというポイントからひとを判定する必要がある。
4.雇い主への忠誠心はどうか。雇い主がしてほしいことをその目的に沿ってきちんと行えるかどうか。雇い主が命ずることをよく聞くかどうか。
5.ジョブリストを用意する。ジョブの量や質と給料には相関関係が必要。
6.住み込みか通いか。通いのほうが経費的には楽で、夜に仕事をさせないなら、住み込ませる必要はない。
それらのポイントを高いレベルでクリヤーできる家政婦に当たればハッピーだが、そうでない家政婦を雇ってしまうと毎日が憂鬱になる。人探しには、どんなルートで家政婦を探すかという問題がある。ヤヤサンなどの家政婦紹介所に頼むか、それとも親戚友人などの口コミを頼るかで、そのいずれにも長所短所がある。ヤヤサン経由だと概ね次のような特徴になる。
長所 : 家政婦として最低限の教育は受けており、規律も理解している。ある程度の技能レベルは持っている。
     何かあった場合、紹介所に相談できる。
     アイデンティティがはっきりしている。
     都会のライフスタイルを理解している。
短所 : 給料は紹介所が決めたタリフに従う。概して高め。
     地の性格に関する情報がない。
     飽きっぽい
一方、口コミ紹介の場合の特徴は下のようなもの。
長所 : 給料は安くできる。
     紹介者から本人の地の性格が多少とも聞き出せる。
     良い人間に当たれば、高い信頼や忠誠心が得られる。
     アイデンティティがそこそこ明らか
短所 : 技能や知識があまりないため、教えなければならない。
     何かあった場合でも、雇い主が自分で処理しなければならない。
     都会のライフスタイルを知らない。
しかしそれらは一般的な傾向でしかなく、極端に個人差の激しいインドネシアでは、人を雇う際は何事によらずそのつもりでかかっていく必要があるだろう。


「続編プンバントゥ」(2005年12月19日)
都内マンガブサールのヤヤサンUJに依頼して家政婦を紹介してもらったシティは、意外な事の成り行きにしばし呆気に取られた。2005年8月4日、シティは新しい住み込み家政婦を得て、ヤヤサンに40万ルピアを支払った。8月31日には家政婦に給料を支払った。そしてそれから一週間も経たないある日の朝、家政婦がいつまでたっても起きてこないので、病気でもしたのだろうかと思って家政婦の部屋を訪れたところ、中はもぬけの殻。家政婦の荷物も何一つ残っていない。「あっ、夜逃げされた!」落胆がシティを襲った。ヤヤサンにクレームして代わりの人を送ってもらわなきゃ。
「いやあ、奥さん。いまは全部紹介済みで、手持ちはひとりもありません。これからラマダンなんで、ルバランが明けないと無理ですよ。次に就職希望者が来たら最優先で奥さんのところに紹介しますから。」
家政婦のいない不便な二ヶ月をなんとか乗り越えたシティはヤヤサンに交代者の紹介をせっついた。そして11月20日に新しい家政婦をやっとの思いで手に入れた。ところがヤヤサン側は30万ルピアを請求してきた。
「えっ?だってこれは前の夜逃げした人の交代じゃないの。また紹介料を取るなんておかしいじゃない?」
「いや、奥さん。これは新しい人を呼び寄せた交通費なんですよ。」
「それじゃあ、わたしは前の人の40万ルピアが丸損じゃないの。」
「あれ?家政婦の第一回目の給料は雇い主が止めておくことになってるんですよ。」
「ええっ?そんなことわたし初耳よ。最初の人のとき、そんなことはなにひとつ言わなかったじゃないの。」
「いえ、こうやって家政婦紹介所業界で通達が回ってますから。」
薄くなってあちこち文字がかすんでしまったフォトコピーをすかして読むと、たしかにそんな内容のことが書かれている。
情報はただでない、というインドネシアの鉄則に足元をすくわれたシティは無念の涙を呑んだが、給料を留め置いて家政婦に貸し金を持たせておけば夜逃げする家政婦は減るという人間操縦の技は、人間同士の対等関係と雇用関係に信頼や誠意をからませることを常態にしている文化の子にとっては、思いもよらないコンセプトではないだろうか。


「帰省女中の臨時交代者は今から引く手あまた」(2006年10月3日)
ルバラン帰省は都会に出てきている地方出身者を故郷に帰させるものなので、都会の人口が減る。帰省するひとびとの中にはインフォーマルセクターの典型である家庭プンバントゥもたくさん混じっている。雇い主は家庭プンバントゥを帰省させてやらなければならないが、プンバントゥが帰省して1ヶ月も戻ってこないとその家の中はたいへんなことになる。1ヶ月といわず1週間でも大変になることは同じで、だからその間だけの臨時家庭プンバントゥが必要になる。これは緊急需要であるため、臨時家庭プンバントゥは高い。それでもプンバントゥのいない期間自分でおさんどんをやる奥様は数少なく、こうして臨時家庭プンバントゥの需要は高まる。そのような臨時家庭プンバントゥ需要はinpalと呼ばれている。
イドゥルフィトリ帰省に備えたインパル家庭プンバントゥ紹介業者のビジネスは既に始まっている。南ジャカルタのチプテ地区で紹介業を営む業者のひとりは、9月24日以来注文がどっと入って来ていると語る。月給は70〜80万ルピア、日給の場合は1日4〜6万ルピア。最低使用日数15日というのが紹介の条件だそうだ。注文者は月給でも日給でも一件あたり管理費36万ルピアを支払わなければならない。すべて全額前払い。その業者は、自分の取り分は管理費だけで、プンバントゥの給料は全額プンバントゥ本人が取得することになっている、と語る。このインパル家庭プンバントゥオファーはイドゥルフィトリの2週間後まで続く。今年のプンバントゥ給料レベルは昨年並みだそうだ。この業者は百名ほどのプンバントゥ候補者ストックを持っており、出身はランプン、バンテン、西ジャワ、中部ジャワがメイン。「もしイドゥルフィトリ前後にインパルプンバントゥを必要とするなら、いまからオーダーしておく方がよい。昨年の経験だと、近くなってから入った注文のいくつかには結局応じることができなかったから。」との弁。
西ジャカルタ市クドヤ地区の紹介業者も同工異曲。管理費は35万ルピアでプンバントゥの給料は一日5万ルピアだそうだ。インパルプンバントゥの交換は認められないので、少しでも合わない感じがしたら連れて帰らない方がよい、とのこと。連れて帰って数日使ったあと、どうもうちにこの人は合わないと思ってもその代わりを用意するのは難しいということらしい。「どんな仕事をやらせるかは本人同士で交渉すればよい。インパル家庭プンバントゥはたいてい泊り込みだ。」その業者はそう述べている。


「女中選びには警戒を」(2006年10月6日)
ルバラン帰省でいなくなる家庭プンバントゥの交代者を求めるという変則的労働市場の活発化する時期に差し掛かってきた首都で、プンバントゥ選びには十二分に警戒するようにと首都警察が都民に呼びかけている。西ジャカルタ市警カリドラス署は10月2日、求人を受けて送り込んだプンバントゥに盗みをさせていた紹介業者とその家庭プンバントゥを逮捕した。逮捕されたのは紹介業者のディキ・ダルマワンとプンバントゥのヘルナワティおよびプルワティの三人。ディキは逃走を図ったために脚に銃弾を受けた。
被害届はヘルナワティを雇ったチュンカレンのトゥガラルルに住む住民から出されたもので、9月27日15時ごろに邸内で盗難があり、腕時計、装身具、現金など1千5百万ルピア相当がなくなった。さらに9月25日に雇い入れたヘルナワティの姿も消え失せていたため、家の主人はヘルナワティを筆頭容疑者として警察に届けた。ヘルナワティの紹介は直接ディキからなされておらず別の紹介業者を通していたが、ディキが連れてきたことがすぐ明らかになったために警察は重要参考人としてディキを追ったところ、西ブカシにあるディキの自宅でヘルナワティとプルワティを見つけて三人一緒に逮捕したという顛末。プルワティは西ジャカルタ市ドゥリケパのタマンラトゥ住宅地で類似の犯行を行い、警察の手配を受けていた。かれら三人は雇われて2日過ぎたら金目の物を盗んで逃げるという手口を決めてそれを実行していた。


「駐在員が雇用するメイドにも社会保障制度加入のチャンス」(2006年11月30日)
勤労者社会保障制度がインドネシアにもある。JAMSOSTEK という名称で、国有株式会社PT Jamsostek がこの制度運営に携わっているが、その法人形態は近々信託機関に変更されることが決まっている。このジャムソステックは法律でフォーマルセクター勤労者のすべてに対し、外国人勤労者も含めて、加入が義務付けられているものの、実態は義務を果たしている方がマイノリティだ。ジャムソステック社と各地方自治体により加入推進努力は続けられているが、政府は2006年6月1日付けで労働大臣令第PER-24/MEN/VI/2006号を定め、インフォーマルセクターに対してもこの保障制度への加入の扉を開いた。つまり個人宅に雇われている家庭プンバントゥやカキリマ商人にもさまざまな補償恩典が享受できるようになったということである。
ジャムソステックは四つの補償プログラムを用意している。労災補償・死亡補償・老齢補償・健康維持補償がそれだ。このシステムは毎月の給与から掛け金を納め、規定に応じて扶助金や年金が支給されるというもので、掛け金計算に使われる基本賃金月額は42万ルピアから2,100万ルピアの範囲でマトリクスが作られている。掛け金は労災補償が1%、死亡補償は0.3%、老齢補償最低2%、健康維持補償は独身者3%家族持ち6%となっている。加入上限年齢は55歳で、加入者はその四つのプログラムから選択加入することができる。
労災補償加入者は死亡した場合、扶助金が1,760万〜8.8億ルピアに加えて埋葬金150万ルピア、2年間の定期支給手当て480万ルピアを支給される。死亡補償加入者は扶助金600万ルピアに加えて埋葬金150万ルピア、2年間の定期支給手当て480万ルピアが支給される。
2006年2月に中央統計庁が公表した国内労働統計によれば、勤労者9,518万人の中でインフォーマル労働者は6,076万人となっており、フォーマルセクターの2倍近い。政府は社会保障事業の推進を今後も続けて行く方針であるものの、フォーマルセクターだけでも膨大な取りこぼしをどう減らしていくのかという点に関してはや手詰まりの観がある。今回のインフォーマルセクター開放はその手詰まりに対するブレークスルーと目されているが、インフォーマルセクターにとってジャムソステック加入は義務でなく任意であるため本人が魅力を感じなければ加入者は増加しないだろう。ともあれ、駐在員のお宅で働いているプンバントゥたちへの健康維持補償加入は雇い主とプンバントゥの双方にメリットをもたらすかもしれない。


「農繁期には女中のなり手がなくなる」(2007年05月24日)
地方部で全国的な稲の収穫期に入っており、ジャカルタでの家庭プンバントゥやベビーシッター供給が枯れた状況になっている。都内の多くの場所にある家庭プンバントゥ斡旋所ではプンバントゥを求めに来る都民に紹介できるストックがない。中央ジャカルタ市チュンパカプティの斡旋業者が集まっている地区では、もうひと月ほど地方部から仕事を求めてやってくる女性の姿がふっつり途絶えているとのこと。ふだんはランプン、カラワン、ブカシ、プルウォレジョ、トゥガル、ブルブス、あるいは東部ジャワの田舎町などからたくさんやってくる家庭プンバントゥがこの時期になると途絶えてしまう。収穫のために人手が必要とされていることから地方の女性たちが出稼ぎを控えるということは毎年繰り返されているそうだ。この供給欠乏状態は8月ごろから回復して年末まで続き、特にイドゥルフィトリのシーズンには供給がピークを迎えると業界者は語っている。斡旋所のひとつは、家庭プンバントゥの仕事を求めてやってくる地方の女性たちは平常月だとひと月5〜15人くらいになる、と述べている。
家庭プンバントゥに採用されるとかの女たちに支払われる報酬はひと月35〜45万ルピアで、その場合は住込み食事付きという条件が普通だ。食事は現物支給というケースが多い。家庭プンバントゥを雇用するほうは斡旋所に60万ルピアの費用を納める。斡旋所は顧客に3ヶ月間の保証をつけており、採用した家庭プンバントゥの仕事ぶりがよくなければ雇用主は交替を要求することができる。


「ルバラン期の代理プンバントゥ需要は5千人」(2007年10月10日)
家庭プンバントゥつまりお手伝いさん別名女中さんもルバラン帰省に加わる。その大半が中部東部ジャワあるいは近場でも西ジャワやバンテンからの出稼ぎ者だから、それは当然すぎるほど当然のことだと言える。首都圏から大勢の家庭プンバントゥやベビーシッターが長い休みをもらい、そればかりかハリラヤボーナスのみならず中には帰省交通費までもらって故郷に錦を飾る一方で、その間に首都圏に生じた真空状態が新たな人手の需要を作り出す。「需要のあるところ、かならず供給が生まれる」というのが経済の鉄則。大勢が混雑する帰省の波にもみくちゃにされているのを横目に、こんな時期に限って上京してくるたくさんの女性たちもいる。ルバラン期の臨時家庭プンバントゥ候補者がかの女たちだ。デポッ市のとある家庭プンバントゥ紹介所では、8メートル四方の広間に70人ほどの女性が集まっている。スラゲン・ブルブス・ガウィなど中部東部ジャワ農村部から上京してきた女性たちだ。
長期間レギュラー家庭プンバントゥを勤めているひとたちが暫時の帰省を楽しむ間その後釜を引き受けようというのがこのinval家庭プンバントゥと呼ばれるひとたちなのだ。invalとはオランダ語のinvallen(代理を務める)から取ったという話だが、invalという形だと襲撃する・侵入するという意味がメインをなすのでオランダ人はきっとその意図を誤解するのではあるまいか。親族一同が寄り集まるルバランシーズンにわざわざ家族から離れて上京し短期間の家庭プンバントゥになろうというかの女たちの心の内を尋ねてみると、「家族から離れてつらいけど、夫を助けて家計を盛り立てたいのよ」「ルバランが過ぎてから一家で集まってもティダアパアパ。この時期は身入りが大きいのよ」「みんなが帰省する中で自分は反対に上京するのはなんか哀しいけど、短期間だし良い収入になるからね」「田舎でルバランやってるのはもっとつらいわ。だってお金がぜんぜんないんだもの」とさまざまなコメントが返ってきた。
レギュラープンバントゥが帰省した家庭でどうしてもプンバントゥなしの時期を乗り切れないというところがプンバントゥ紹介所に人手探しにやってくる。需要が大きく供給が少ないこと、短期間であること、などが料金に影響を与えるためレギュラープンバントゥはひと月40万ルピア前後の手取りしかないのにインファルプンバントゥはそれが80万から90万ルピアになる。家庭プンバントゥ斡旋業者の中にはひと月100万ルピアあるいは120〜130万ルピア、もし日割りだと一日5〜6万ルピアで最低日数2週間という破格の料金をつけている所もある。それでも客がつくというのだから、インファルプンバントゥ様々ということかもしれない。たしかにインファルプンバントゥはレギュラープンバントゥ経験者で、田舎で結婚するためにその世界を後にしたひとがかなり混じっており、その意味では経験値が高く評価されているという言い方もできるようだ。
デポッ市のその家庭プンバントゥ紹介所はルバランの10日前に既に3百人を首都圏の注文主の家に送り込んだ。そして、1百人の注文をこれから送り出し、さらにまだ2百人のストックを抱えている。毎年ストックはすべてルバラン前日までに必ずはける、と紹介所オーナーは自信を持って語る。家庭プンバントゥ斡旋業者協会のデータによれば、ジャボデタベッ地区の協会所属業者は105軒あり、インファルプンバントゥ需要は4〜5千人にのぼる。
ルバランは都会に出稼ぎに出たひとびとが一年間に手に入った現金を持って帰省する年に一度の機会であり、故郷に錦を飾る場がかれらのために用意されている。インドネシア人にとって成功者とは金を持っているひとを意味しており、帰省者は札びらを切らなければ失敗者の烙印を捺されて肩身の狭い思いを余儀なくされる。こうして地方部では一年に一度、経済的に大いに潤う時期を経験するのだが、そんな状況にもかかわらず、地方部でその時期に展開されているゴールドラッシュの供宴の恩恵に浴すことができず、ルバランという特別の時期にもかかわらず巨大な金鉱であるジャカルタに上京して稼がなければならないひとたちがいることをインファルプンバントゥたちが実証している。


「うちの女中はまだ戻らない」(2007年10月24日)
長いルバラン明け休暇が終わっていよいよ明日から出勤再開という10月21日、家庭プンバントゥ紹介所の電話がひっきりなしに鳴っていた。都内の数百軒の家庭が家庭プンバントゥを探し求めているようだ。なぜなら戻ってくるはずの帰省したプンバントゥから何の連絡もないのだから。デポッ市の家庭プンバントゥ紹介所経営者によれば、そこの紹介で雇われていた2百人を超えるプンバントゥの中で既に戻ってきた者は半分に満たないのだそうだ。南チプテにある紹介所は1百人ほどの紹介者の中で戻ってきた者は四分の一に足りないという。
しかし紹介業者筋に言わせると、かの女たちの多くはジャカルタへ戻る交通の足が確保できていないためにまだ戻って来ないのであり、通常かの女たちは2週間休むので本来まだジャカルタに戻ってくるタイミングではないとのこと。去年も帰省逆流の波が終わったあとかの女たちは徐々にジャカルタに戻ってきて、結局90%が復職したそうだ。
しかしプンバントゥとのコミュニケーションがうまく行かなかったのか、それともプンバントゥたちのキラキラ性に愛想を尽かしたのか、ルバラン休みをすっぱりと切り上げて10月22日から平常の生活に戻りたい家庭は新しいプンバントゥを探し始めた。こうして家庭プンバントゥ紹介所は再び時ならぬ需要で賑わうことになった。デポッ市にある紹介所は手持ちが80人しかいないのにお客は150人ほど来ている、と語る。やって来た客だけで150人もあり、電話してきた客はその倍くらいある、とのこと。


「恐怖のベビーシッターたち」(2008年3月26日)
2007年11月27日付けコンパス紙への投書"Perawat Anak Lewat Agen"から
拝啓、編集部殿。わたしは最初の子供を得たばかりの新人パパです。わたしと妻はたいへん忙しいので、ベビーシッターを雇うことにしました。ある雑誌に頻繁に広告が出ているので、そこなら間違いないだろうと考えて北ジャカルタ市クラパガディンにあるエージェントBKに注文することにしました。
2007年8月はじめ、わたしどもはそこに登録し、3ヶ月以内の交換保証付きでベビーシッターをひとり紹介してもらいました。エージェント側はそのベビーシッターが経験者だと言うので、わたしはそれを信じました。ところがしばらく家にいる間、そのベビーシッターは「ある」と言われた経験を少しも示しません。どんなことが起こったかと言うと、まだ13ヶ月のわたしの子供は冷水で水浴させられ、目を突かれそうになり、おまけに子供に食事を与える際にそのベビーシッターは注意されないと自分の手も洗わないのです。
結局わたしはエージェントに交換を要求しました。次に紹介されたベビーシッターも「経験がある」という折り紙つきでしたが、エージェント事務所での面接からは、エージェントの言う「経験がある」という言葉にどうしても確信が持てません。それで他の人を選びたいと言うとエージェントは、ルバランが明けたら別のひとが来るといいます。しかたなくわたしはそれまでの間そのベビーシッターを使うことにしました。ところがある日、そのベビーシッターはわたしの子供に熱湯の入ったポットから直接お湯を飲ませようとしたのです。一旦コップに取ってから冷めた水をそこに混ぜようということすらしないで。
その事件を目の当たりにしたわたしは、そのベビーシッターをすぐにエージェントに返して保証金を戻してもらうことに決めました。まったく信用できないことがはっきりしたからです。ところがそのエージェントはいつまでたってもこの問題の解決をはかろうとしません。赤ちゃんを抱えている親御さんは、無責任なエージェントを選ばないように気をつけてください。わたしが体験した失敗が繰り返されないように。[ 北ジャカルタ市クラパガディン在住、トゥグ ]


「続・恐怖のベビーシッターたち」(2008年3月27日)
2008年3月22日付けコンパス紙への投書"Perawat Lalai, Bayi Jatuh dan Retak Tulang"から
拝啓、編集部殿。まだ20ヶ月の赤ちゃんの親として、わたしは西ジャカルタ市クブンジュルッ3にあるミトラブンダ財団に対しきわめて強い遺憾の意を表したいと思います。このとんでもない事件はスラバヤのモール・ギャラクシーで起こりました。2008年2月14日、わたしと妻と子供、そしてSKという名のベビーシッターはモールに行きました。そしてその日19時過ぎ、ベビーシッターは赤児のパンパースを取り替えるために育児室に子供を連れて入りましたが、激しく泣き叫ぶ子供を連れて出てきたのです。子供の身体には激しい打撲の徴候が見られました。ベビーシッターは、子供を床に立たせたら転んだのだ、としゃあしゃあとした顔で言うのですが、そんなことでこれほど酷い状態になるはずがありません。子供はヒステリックに泣き叫んでおり、妻はショックでなす術を知りません。子供を病院に連れて行ったところ、右腕の2ヶ所で骨折とひび割れがあり、また頭部にも打撲があったのです。
スラバヤに一週間ほど滞在している間、わたしは何度も育児室内での状況をベビーシッターに尋ねました。そしてとうとうこのベビーシッターは本当のことを打ち明けたのです。ベビーシッターは子供を育児室に連れて行き、洗面台に寝かせました。そして子供をそんな状態のまま放置し、自分は別のことをしていたのです。子供は結局およそ90センチの高さから固いタイル張りの床に頭から落ちて大怪我をしたのです。ベビーシッターの紹介を職業とするミトラブンダ財団で職業訓練を受けたベビーシッターはこんなふうに仕事をするのですか?
わたしは当然、このSKというベビーシッターをミトラブンダ財団に返し、この事件に対する責任ある処置を財団に求めました。しかし財団側はこの事件をまるで他人事のように扱い、いまだにどのような解決案すら提示してきません。この財団は依然としてSKをベビーシッターとして他の家庭に紹介しています。SKはベビーシッターとしてのサーティフィケートを持っていません。サーティフィケートがあるかと尋ねると「ある」と返事しますが、その提示を求めても見せたことがありません。関係当局にこのような財団の統制をお願いしたいと思います。[ 北ジャカルタ市在住、インドラ・ブディマン ]


「女中がひとりで180億ルピア相当を盗む」(2008年4月14日)
パテック フィリップ、 ピアジェ、 コンコルド、 クリスチャン・ディオール、ロレックスの金メッキにダイヤを散りばめた高級腕時計が14個、有名デザイナー制作の純正イエローゴールド・ホワイトゴールドや真珠・ダイヤその他の宝石類が載っているネックレス・ペンダント・イヤリング・ピアス、シルバーコイン1キログラムにゴールドコイン1.5キログラム、金メッキを施したボールペンなど、ならびに現金9千6百米ドル、全部で18アイテム180億ルピア相当が盗まれた!2008年4月1日、ボゴール市警タナサレアル署にそう届け出たのはブキッチマングシティ住宅地に住むイェッ・ラフマワティ40歳。2階建ての豪邸に住むかの女は実業家で、夫と自分の弟妹ふたりならびに5人の家庭プンバントゥ(つまり女中)がその家に同居している。夫はカナダ生まれのヨアヒム・マイヤー68歳でふたりの間には子供がひとりある。「盗んだのはムリヤティよ。」と悔しさに声を震わせるバンテン州セラン出身のイェッ。嫌疑をかけられているスリ・ムリヤティ25歳は言うまでもなく3月31日にイェッ宅から姿を消している。この豪邸に住み込みで働くようになってやっと4日目だというのに。
イェッの訴えによれば、3月31日のお昼から自分は夫と外出し、夕方になって家から電話でムリヤティがやはり昼から外出したまま戻ってこないと知らされた。しかしその日は21時ごろ帰宅したため、疲れていてすぐに休んだので高価なコレクション類がどうなっているのかは意識の外にあった。4月1日朝、夫が自分を起こして高価なコレクション類が見当たらないことを告げたのではじめて異変が起こったことを知り、姿を消したのは自分の装身具類も一緒だったことが判明したために被害状況をまとめた上で警察に届け出たとのこと。それらのコレクションや装身具は寝室のタンス、図書室のタンス、マイヤーの仕事部屋などに置かれていた。
プンバントゥのひとり、ユニ38歳の言によれば、ムリヤティはグロボガン出身で痩せて上背があり、顔は小さく、まっすぐで長い髪をしている。ムリヤティは3月28日にひとりでその豪邸を訪れ、その家のプンバントゥに雇ってもらった。ユニがだれの紹介でここへ来たのか尋ねたところ、シマンだと答えたそうだ。シマンは以前この家に泉水を造ったとき、工事の親方トシが使っていた男だ。ムリヤティがすぐに雇われたのは、この家のコキ(料理係)の女性が住み込みでないため、イェッはよく客を招いて晩餐会を催すのに手が足りないという状況が潜在しており、またユニもジョクジャにいる父親が病気であるためしばらく休みをもらう予定になっていたという事情も関係している。イェッの遠縁にあたるユニは3月31日の朝その家を出てジョクジャに向かったあと、ムリヤティは昼ごろその家を出て行った。
別のプンバントゥのひとり、スリスティヨはそのときの状況を次のように語っている。ムリヤティは3月30日に高価なコレクション類の手入れを手伝うよう命じられた。そして31日の昼、携帯電話の度数買い足しバウチャーを買いに行くという理由で家を出た。そのときムリヤティは黒いビニール袋を手にしており、コキの女性がその中味は何かと尋ねたところムリヤティはゴミだと答えた。スリスが「あら、ゴミはわたしが全部捨てたわよ。」と言うとムリヤティは「これは二階のゴミです。」と答えたとのこと。ムリヤティは二階の寝室や仕事部屋などの掃除と整頓を命じられていたためかの女が二階に上がるのに不審を抱く者はおらず、また二階にいるときは他のプンバントゥの目が届かなかった。イェッが夫と外出するときは寝室等の扉に鍵をかけるのが普通だが、寝室につながっている浴室に廊下から入る扉に鍵をかけるのをイェッが忘れたらしく、ムリヤティはそこから室内に入ったようだとスリスは語っている。最初スリスは連絡先の親族がだれもいないと言うムリヤティを怪しんでKTP(住民証明書)を預からせたが、事件が明らかになってから調べたところムリヤティのKTPも保管場所から姿を消していた。


「退職した女中の手引きで男が盗み」(2008年4月15日)
女中のからんだ犯罪事件がまた発生した。女中が三年間勤めた雇い主の家から退職した直後、女中の許婚者が雇い主の家に侵入して5億ルピア相当の装身具を盗んだのがこの事件。
2008年4月4日、中央ジャカルタ市ジョハルバルにあるハジ・アフマッバスタリ70歳の家からその妻ハジャ・タティバスタリ62歳所有の黄金製ブレスレット2個とオランダ製ダイヤモンド指輪8個ならびに現金440万ルピアを住所不定無職のジョコ・プリヤント28歳が空巣に入って盗み出した。ジョコはその日までその家で働いていた家庭プンバントゥのエティ19歳と半年前に婚約しており、ジョコとエティは4月10日に結婚式を挙げるためにその日プルワカルタに行くことにしていた。結婚資金すら持たないふたりが結婚するためには、行きがけの駄賃に雇い主の財産を盗むという計画の実行が不可避だったようだ。「エティはプルワカルタのプサントレン役員をしているわたしの友人からプンバントゥにと紹介されてきた娘で、その友人から紹介されたプンバントゥたちはこれまでだれも問題を起こしたことがなかったからわたしはエティを信用していました。わたしはエティを自分の娘のように思っていたというのに、その信用をいいことにしてこんな大それたことをしでかすなんて、よくもできたことだわ。結婚するというので最後の月給50万ルピアとお祝い金として100万ルピアをあの娘にあげたんです。そのあと夫は金曜日の礼拝に行き、わたしはアルクルアン読誦の会に出かけて家は留守になっていました。オランダ製の指輪は22カラットの特注品で、公的な会合にはよく使っていましたのよ。」
その日昼ごろ、留守になったバスタリ家の表門のチェーンを破ってジョコは家の中に侵入した。ジョコは携帯電話でエティと連絡を取り、エティがその家の装身具の隠し場所にジョコを導いた。そのときエティは東ジャカルタ市UKI交差点近くの場所で両親や弟妹と一緒にジョコがやってくるのを待っていたのだ。ジョコが来たらみんなでプルワカルタ行きのバスに乗る。しかしいつまで待ってもジョコはやってこなかった。
バスタリ家から出ようとしていたジョコの姿を隣人が認めた。住人が出払って表門を施錠して行った留守宅から住人でない男が出てきたのだ。隣人は「ドロボー」と叫んだ。表門から出られなくなったジョコは高さ2メートルの塀を越えて逃げようとしたが、飛び降りた拍子に足を挫いてしまった。走ることのできなくなったジョコが群衆に捕まってなぶりものにされるのは火を見るより明らかだった。リンチのさ中に警官がやってきてジョコを保護し、ボロボロになったジョコを警察署に連行した。
取調べでジョコが自白したためすぐに共犯者のエティを逮捕しようとして警官がUKIに向かう。警察はジョコを連れてエティの逮捕に向かい、ジョコに電話させてエティの居場所を確認させた。14時過ぎにボロボロになったジョコが屈強な男たちに連れられてやってきたのを見てエティは顔色を変えた。エティの両親はエティが犯罪の片棒を担いだことを信じようとしなかったが、最後に泣き出してしまった。
「わたしはあの家の中の物を盗んだりしてません。ジョコと付き合い出したのは2年前からで、半年前に婚約しました。もうすぐ結婚するんです。」犯罪行為を行なったという意識のあまり感じられないエティと反対にジョコは改悛の姿勢を強く示している。「結婚しようとしているのに金はまったくない。だから前後の見境がつかなくなってこんなことをしてしまった。ハジの奥さんはこれまでもわたしらふたりにとてもよくしてくれたのに、こんなことをしでかしてしまってとても後悔しています。お詫びを申し上げたい。群衆に捕まって殴られただけで済んだのは本当に運がよかった。生命を落としていても文句は言えない。」
ジョハルバル署犯罪捜査ユニット長は、ジョコとエティのふたりは侵入盗を行ったので刑法第363条の違反となり、最高で7年の入獄が適用されることになる、と語っている。


「180億ルピア相当を盗んだ女中が逮捕される」(2008年4月23日)
ボゴール警察は2008年3月31日にボゴール市タナサレアル郡チバダッ町ブキッチマングビラ住宅地に住むヨアヒム・マイヤー=イェッ・ラフマワティ夫妻宅から180億ルピア相当の高価コレクション類ならびに装身具を盗んだ犯人を4月13日と14日に逮捕した。
ボゴール警察は西ジャワ州チラチャッ警察と共同でチラチャッ周辺地域に徹底的な捜査をかけ、4月13日にチパリ郡チスル村バトゥジャジャル部落の住宅でヘルマン・スラッマン43歳を捕らえた。警察の取調べで犯行を自供したヘルマンは、盗みの実行者である第二妻のクストリニ20歳を東ランプンの実家に逮捕に向かう警察署員に連行されて、遠路はるばる妻を迎えに行った。クストリニは4月14日夜ボゴール警察署員に逮捕されている。警察はヘルマンの家から腕時計・黄金製時計ベルト・イヤリング・ペンダントなど25点ならびにスズキキャリー1台およびホンダスプラ1台を押収し、またクストリニからは指輪・ネックレス・イヤリング3点を押収した。妻を3人、子供を7人持つヘルマンは画商を生業にしており、四輪と二輪の自動車各1台は自分の金で買ったものだ、と主張している。
ヘルマンはクストリニが盗み出したパテック フィリップの腕時計を南ジャカルタ市ブロックAのパサルに持ち込んだ。店主が「50で買う」と言ったので、豪華時計に疎いヘルマンは50,000ルピアと思い込み「安すぎる」と反発したところ相手は「50,000,000ルピアがなんで安いんだ。」と応酬してきた。こりゃ行ける、と踏んだヘルマンはとっさに「1億だ。」と言い、相手は「9千5百万。」と値切ったのですぐに手を打ち、取引が成立した、とヘルマンは取調官に物語った。ヘルマンは5千万ルピアで売れる風景画が1千5百万ルピアで手に入るチャンスに直面し、その資金を工面するためにクストリニを使って豪邸から金目の品物を盗み出すことを考え付いたのが今回の事件の発端。ヘルマンはチプタッのレンポアにも家を持って別の妻を住まわせており、そこから故郷のクラテンに帰るときはボゴールのブキッチマングビラ住宅地を通るのが常で、そこを通るたびに目にしている豪邸を犯行計画のターゲットにしようとすぐに思いついた。その豪邸がイェッの自宅だったというわけだ。
クストリニはスリ・ムリヤティ名義のKTP(住民証明書)を作り、名前を変えてイェッ家に住み込みで雇われることに成功する。そしてイェッ家で高価なコレクションや装身具を目にして夫のヘルマンに携帯電話で指示をあおいだ。夫の指図に従ってそれらの品物をごっそり黒いビニール袋に入れたクストリニは3月31日にイェッ家を出て行った。「あたしはあの家で何も壊したりしてないわ。あんな高価な品物がそのまんま置かれていただけだったんだもの。あたしは夫の命令に従っただけよ。」クストリニはそう自供している。自分たちが捕まったのは、警察が携帯電話での通話を調べて追跡したからだろう、とヘルマンは考えている。
ヘルマンの話によれば、クストリニが隣人と不倫したことを知ってヘルマンは怒り、熱湯をかけたためにクストリニは腕に火傷を負った。クストリニはその不倫を古い話と考えていたため夫の仕打ちに怒り、家出した。ヘルマンはクストリニを探してランプンの実家まで行き、そこでクストリニを見つけてよりを戻すよう頼んだがクストリニの親が反対したためヘルマンはパテック フィリップを売り払った金から1千万ルピアを火傷の治療費としてクストリニに渡している。それから一週間とたたない間にヘルマンは再度クストリニを迎えにランプンへ行くことになったのである。


「きつい雇い主を恨んだ女中が・・・?!」(2008年7月21・22日)
2008年7月10日16時過ぎ、南ジャカルタ市クバヨランラマ郡カルティカピナン通り16番地にある豪邸のニ階自室でウインストン・レナルディ17歳の死体が見つかった。床に倒れている死体の左胸には刃物で刺されたあとがあり、多量の出血で床には血だまりができていた。そしてやはりニ階にある浴室からはウインストンの兄嫁リドウィナ・イフィ23歳の死体が発見された。リドウィナは前頭部を壁に激しく打ち付けられたあと浴室の水槽の中に頭を押し込まれ、最後に首を絞められて殺害されたのではないか、とその死体を検分した刑事は語っている。
その家の息子であるパグディルフル高校2年生のウィンストンが14時ごろニ階にいるのを見たという証人がいることから殺害時刻は16時前後だろうと警察は見ている。最初に死体を発見したのはその家の女中のひとりで、その女中はもうひとりの女中に知らせてからふたり一緒にテラスに出て「強盗!強盗!」と叫び続けたため、近隣住民が集まってきてその家の周りを包囲した。その異変が起こったのは16時過ぎだったことを多くの住民が証言している。
住民はひょっとして強盗が逃走をはかってその家から出てくるのではないかと考えて包囲を続けたがいつまで待ってもネズミ一匹現れないため、隣組長に事件を報告するとともに警察に連絡し、またリドウィナの夫ウエンディ33歳にも事件を知らせた。クバヨランラマ署だけでなく南ジャカルタ市警本部、首都警察本部からもこの事件の捜査のために刑事が出動し、その日は夜遅くまで現場の調べが行われた。
この家の主はムスヘルト60歳で、主人夫婦はマンガドゥアで宝石店を営んでいる。この殺害事件に関する警察の調査や聞き込みから、いくつかの事実が明らかになった。外来者が来ると吠えるムスヘルト家の飼い犬が犯行時間帯は静かだったこと、外からの不法侵入が難しい家屋の構造になっていること、女中ふたりが叫び声をあげるとすぐに近隣住民が集まってきたこと、表門・玄関・部屋のいずれも扉が壊されていないこと、それらの鍵を持っているのは雇い主側家族だけで使用人は鍵を持たされていないこと、その家から金目の品物が盗まれていないこと。それらの事実から警察はこの事件を、外部者が盗みのために侵入した可能性は薄く、内部者が怨恨を動機として犯したものではないかと見て、カギを握っていると思われるその家の使用人、三人の女中、ベビーシッターひとり、運転手ひとりに対する集中的な取調べを開始した。「地域の治安が悪くないことや無縁の外部者が押し入った形跡もなく、家族構成員の関係も特に問題が見られない。だから使用人がカギだろうと推測して事件の捜査を進めた。」首都警察一般犯罪捜査局長は犯人逮捕後そう説明した。
最初に警察があやしいと睨んだベビーシッターのルスティニンシはシロと判明したため、捜査員は次に女中のひとりクスミアトゥンに矛先を向けた。2ヶ月前にこの家に雇われたかの女が一番の新顔だ。取調べ中にクスミアトゥンの携帯電話が鳴った。取調官はスピーカーオン状態にして電話に出るようクスミアトゥンに命じた。
クスミアトゥンにかかってきた電話の主はスムダンに住むかの女の弟からだった。
「雇い主の家でたいへんなことがあったんだって?息子が殺されたってホント?へえ、そんなことが起こるんだ。・・・・・そうそう、マス・ファラは水曜日にジャカルタへ行ったよ。」
弾まない会話が終わって電話が切られると、取調官は尋ねた。
「マス・ファラって、誰だね?」
「あたしの夫です。」
「そうか、じゃあマス・ファラの木曜日以後のジャカルタでの足取りを話してもらおうか?」
作り話の準備ができていなかったクスミアトゥンは話の矛盾を衝かれて最後に自供した。あのふたりを殺したのは夫だった、と。7月11日23時ごろ、警察はチプタッの友人宅に泊まっていたアフマッ・ファラ40歳を逮捕した。急転直下の解決だった。
ファラとクスミアトゥンの夫婦は借金を抱えており、ファラは建築作業者として不定期な収入しかなく、稼いだ金はぎりぎりの生活費と借金返済に消えた。2ヶ月前に月給60万ルピアでムスヘルト家に雇われたクスミアトゥンの収入では、暮らしに事欠くのは言うまでもなかった。クスミアトゥンの証言によれば、宝石商だという雇い主の家から宝石のひとつでも盗み出そうと夫から持ちかけられて夫を邸内に入れる手引きをしたとのことだ。
ファラは7月9日夜にチラチャッからバスに乗ってジャカルタに向かい、10日朝にルバッブルスバスターミナルに着いた。妻の雇い主の家にたどり着いたのはその日昼12時50分ごろだった。クスミアトゥンは夫をひそかに邸内に入れてガレージの物置に隠した。ファラは16時ごろ二階に上がってウインストンの部屋に入り、かれを殺害した。そのあと浴室に入って返り血を洗っているところにリドウィナがやってきたためリドウィナの命も奪った。ファラは携帯電話4個とデジタルカメラ1個を奪ってその家から逃走し、携帯電話4個は110万ルピアで売り払った。クスミアトゥンとファラの自供からそのような犯行時の展開が明らかになった。
しかしムスヘルトの弁護士は今回の事件について、本当は盗みが目的でなく怨恨を晴らすのが目的の殺人だったのではないか、と疑問を語っている。夫のウエンディがかれに洩らしたところによれば、リドウィナはふだんから女中や運転手らにとてもきつく当たっていたそうで、使用人たちからこころよく思われていなかったことは想像にあまりある。「ファラの自供にあるようにもしムスヘルトの宝石を盗むつもりだったのなら、かれはどうして一階にあるムスヘルトの部屋に侵入しようとせずに二階に上がったのか?きびしく当たるリドウィナを憎む妻の恨みを晴らすために来たのであれば、その行動に説明がつく。リドウィナを殺害したとき、それを目撃したウインストンを殺し、行きがけの駄賃に携帯電話とカメラを盗んで逃げたのではないか?」弁護士はそう推測している。


「ルバラン期の臨時雇い女中需要が激減」(2008年9月17日)
2008年5月24日0時から補助金付き石油燃料小売価格が平均28.7%引き上げられたため、その後の諸物価の値上がりから国民購買力は激しい相対的下落を体験し、庶民は生活防衛のために倹約生活へと向かわざるをえなくなった。その影響を蒙ったもののひとつに家庭プンバントゥやベビーシッターなどのお手伝いさん雇用がある。何をするにも他人を使い、結果の出来不出来にかかわらず報酬を与える、というインドネシアの習慣は、貧富の階層分化と低廉な人件費、依存性社会が培ってきた社会構成員間の共存関係、汗を流し骨身を削るような作業に関わる人間の格観念、などといった要素が下部構造をなしているものではあるが、家庭プンバントゥやベビーシッターを雇って家庭の面倒を見させ、夫婦共稼ぎを行って経済力を着け、ミドル階層から伸び上がってひとつ上の階層へステップアップしようとしていた多数の中産階級はその石油燃料小売価格値上げの猛烈なパンチを食らってしまった。かれらが倹約リストの上位に置いたのは家庭プンバントゥやベビーシッターであり、この流れは特に都市部の中堅サラリーマン家庭で顕著だったようだ。
さて、例年ルバラン期には家庭プンバントゥやベビーシッターたちも長期休暇をもらって帰省する。しかしかれらの雇い主の大半はこれまで、帰省したかれらの仕事を自ら行なうということをせず、その不在期間をピンチヒッターで乗り切るという対応を取るのが常だった。そのためルバラン直前からルバラン後の1〜2週間はピンチヒッタープンバントゥの需要シーズンとなり、みんながジャカルタを離れるこの季節に発生する特需を当て込んで西ジャワや中部ジャワから上京してくるプンバントゥ女性もかなりの数にのぼっている。しかし今年はその特需にかげりが見えており家庭プンバントゥ紹介斡旋業者は顔色が冴えない。
2008年ルバラン期の臨時家庭プンバントゥ雇用相場は昨年から20%ほど上昇して一日10〜12万ルピアとなっている。家庭プンバントゥの注文はまだそれほどでもないが、ベビーシッターの注文は大幅な減少を示している。北ジャカルタ市スンテル地区で家庭プンバントゥ斡旋業を営んでいる店は、昨年はラマダン月に入ったとたんに注文が30人分きたが今年はラマダン月の二週目に入ったところでやっと13人だ、と嘆く。西ジャカルタ市ジョグロの斡旋業者も、昨年はプアサ前に10人の注文がもう来ていたのに、今年は3人しか注文がない、と言う。プンバントゥは雇用者から一日当たり10〜12万ルピアを受け取る。昨年の相場から2割増となったこの料金は、田舎から上京する際の交通費や雇われるまでの在京中の生活費を含むものであり、諸物価値上がりから免れることができないのは誰にとっても同じことだ。
タングランの住宅地に住む夫人は昨年臨時雇いプンバントゥを使った。今年2歳になる子供の世話をさせるのがメインだったが、10日間雇ったそのプンバントゥに80万ルピアを支払った。「今年は10日間で120万ルピアの支払になりそう。もう高すぎて手が出ないわ。子供の世話は自分でやることにしました。」31歳のこの夫人はそう語っている。


「女中の職業規準設定」(2009年8月10日)
インドネシアで家庭プンバントゥ(これは文字通り『お手伝いさん』の意味)と呼ばれている女中の職業に適正な労働環境を整えるため、職業規準が定められるべきであるとの考えに労働界関係者の多くは同意している。
2004年ILO調査によれば、インドネシアの女中人口は2,593,399人でそのうち140万人はジャワ島で働いており、未成年者が大多数を占めている。海外出稼ぎ者の分野でもハウスメイド(女中)の職業がマジョリティになっていて、海外出稼ぎ者6百万人中430万人は女中をメインとするインフォーマルセクター従事者だ。
エルマン・スパルノ労相は女中の職業規準設定について、基本的にその方針を支持するものの昔から存在している女中と雇い主の家族的な関係がもたらしてきたメリットは維持されるよう配慮される必要がある、とコメントした。その雇用関係がビジネスライクにならないようにしてほしい、というのが労相の主旨だ。雇い主が女中を学校に入れてやり、最終的にフォーマルセクターで就職する道を開いてやった実例は枚挙にいとまがない。
政府は女中に関して、社会保護・基本的権利とノルマなどを網羅した法規を作るよう求める声が世間から上がることを期待している、と労相は誘いをかけている。


「女中派遣国からの脱皮」(2009年12月5日)
政府はこれまで海外出稼ぎの主分野をインフォーマルセクターに置いていたが、そのセクターでのメイン職種は家庭プンバントゥであり、家庭プンバントゥ受入国はサウジアラビア・マレーシア・シンガポール・香港などほんの数カ国しかない。一方、フォーマルセクターにおける外国人勤労者需要ははるかに多数の国が持っており、必要とされる労働力は今後10年間で916万人に達すると推測されている。これまでインドネシア政府が行ってきたインフォーマルセクター偏重は修正される必要があり、今後はフォーマルセクターでの海外出稼ぎ者派遣に重点が置かれることになる。インドネシア労働力保護配備国家庁長官はそう語って海外出稼ぎに関する今後の政府方針の転換を示唆した。「インドネシア政府は何十年も前からフォーマルセクター出稼ぎ者配備に関するビジョンもデザインも持たなかった。そのために世界にたくさんある需要に手を出さないまま過ごしてきた。石油ガス・ホテルレストラン・看護師・農園・牧畜などのセクターで世界の国々は数百万人の外国人労働力を必要としている。」長官はそう述べている。
フォーマルセクターというのは法人に雇用されることを指し、インフォーマルというのは個人の使用人になるという意味合いで使われている。政府が海外フォーマルセクターへの出稼ぎ者派遣を積極的に取り上げなかったのは国民のレベルが要求されているものに達していなかったためで、結局はフィリピンやインドにその需要の刈り取りをまかせる形になっていた。
労働力保護配備国家庁データによれば、海外出稼ぎ者派遣の中でフォーマルセクター従事者の比率は、2007年が総数696,746人中28.2%、2008年は総数748,825人中の36%となっており、2009年は40%を目指して活動が進められている。将来的にはフォーマルセクターへの派遣者50%が目標とされ、少なくともインフォーマルセクターと同じ規模にしようとの強い意向が示されている。


「あなたの女中運は吉それとも凶?」(2009年12月21日)
2009年3月14日付けコンパス紙への投書"Tuntutan PRT dan Profesionalisme"から
拝啓、編集部殿。2月15日の家庭プンバントゥ(女中のインドネシア語表現)の日にはジャカルタの大通りをさまざまな要求を掲げた家庭プンバントゥたちのデモが彩りました。家庭プンバントゥの日が定められてかの女たちに要求を表現する機会が与えられたのは良いことだと思います。
家庭プンバントゥに関するわたしの個人的な体験をお話したいと思います。最近わが家の家庭プンバントゥは朝7時を過ぎないと起きてきません。そんな状態が何日か続いたのでわたしはかの女に注意しました。すると本人は病気なのだと言うのです。それで医者に連れて行って検診を受けさせたところ、なんと妊娠3ヶ月目であることが判明しました。かの女がわが家で働き始めたのはわずか8ヶ月前なのです。ため息をつく以外にわたしにできることはありません。
わたしはこれまでかの女の行動を努めて監視してきました。外出は許可するけれど17時には戻ってくるよう義務付けましたし、外出中どこへ行っているのかについて本人や友人に電話して所在を確かめていたのです。
この家庭プンバントゥの前にわが家へ来たのはバンドンのキアラチョンドン駅の脇にあるレストゥイブ財団から派遣されてきたひとでした。このひとは一日と一晩働いたきり、わたしの装身具一切合切とハンディカムを盗んで姿を消しました。この事件をわたしは警察に届け出ましたが、6ヶ月以上たったというのにフォローアップは何もありません。わたしの気にかかっているのは、その家庭プンバントゥが犯罪をおかしたのに捕まりもせず、自由に次のカモを狙っているのではないかということです。この問題に関して仲介斡旋業者が責任をまったく放棄しているのにはたいへん落胆させられました。
わたしが言いたいことは、2月15日の家庭プンバントゥの日にかの女たちが福祉や健康の保証を要求しているのはまったく妥当なことだと思いますが、かの女たち自身そして仲介斡旋業者は家庭プンバントゥとしてのプロに徹した仕事をするような方向性を持たせる義務があると思います。家庭プンバントゥの日が設けられたのですから、かの女たちの勤労エトスが向上することを期待します。[ ジャカルタ在住、ディアナ ]


「女中考現学」(2009年12月21〜26・28〜31日)
ジャカルタジャパンクラブ会報「ジャカルタ」1990年3月号に庵原哲郎氏の名作「女中スリ」が掲載された。ジャカルタの日本人家庭に女中奉公にやってきた、スマランのずっと先の生まれで自分の年齢を17歳くらいとしか知らないスリの目を通して、当時のジャワの田舎での暮らしとジャカルタでの生活様式の差、そしてその背景にある文化上のコンセプトの違いが生み出すインドネシア人(というよりジャワ人か?)と外国人の行動様式の差、といったことがらを庵原氏は巧みに描き出している。あれから20年近い歳月を経た現在、ジャカルタの生活様式は小さい地方都市にまで拡大して行った感があるものの、文化が抱えている諸価値観にはさしたる変化が起こっておらず、インドネシア人の行動様式には、一般論として、たいした変化が見られないように思える。
ストーリーは、田舎の貧困層の出で小学校には一年しか行かなかったスリがジャカルタの日本人夫婦の住むお屋敷の女中となり、ほとんど絶望的な意思疎通の中で本人は自分が育ってきた文化の中にある価値観に純真にしたがい、しばらくは奥様の言いつけを行なう女中としてお屋敷暮らしを体験したあと、容態の悪化した病気の父親の入院費用のために奥様が持っている大量の札束から三枚だけ抜き取ったためにそのお屋敷をクビになるという内容で、最後は女衒の誘いに従ってついていくという幕引きとなる。この小品の中にわれわれは当時のインドネシアの女中像の一典型を見出すことができる。
インドネシア語で女中はPembantu Rumah Tangga、つまり家庭プンバントゥと呼ばれている。プンバントゥというのはアシスタントを意味する言葉だが、インドネシア文化が持つプンバントゥというコンセプトはある人間を手伝う者というニュアンスが強く、日本で女中という言葉を代替する語として作られた「お手伝いさん」という考え方にぴたりと合致する。インドネシアの人間観や社会行動パターンを見ると人間関係というものはあまねく上下関係にあるのが原則であり、プンバントゥと呼ばれる人間が主体者を同じレベルで補佐し一体となってものごとを成就させようという行動パターンを取ることはほとんどなく、主体者が命じることを実行する人間というありかたが普通になっている。すなわちプンバントゥとは『お手伝いさん』なのだ。
家庭プンバントゥと呼ばれるのは職場プンバントゥと区別するためであり、つまりフォーマルセクターとインフォーマルセクターの違いをその言葉が言い表しているようだ。ともあれ職場でもプンバントゥという同じ言葉が使われるケースは少なくなく、職場のプンバントゥたちも言われたことを実行するだけの人間というありかたがメインを占めている。プンバントゥは英語に直訳されてアシスタントと表現されることが職場では多いが、文化の異なる国で使われているアシスタントとは内容的にかなりの隔たりがあるので、インドネシアの職場プンバントゥに過大な期待をかけるのは禁物だろう。職場にいるアシスタントたちのモットーはきっと、「わたし実行者、ボスのあなたは命令者」という標語に置き換えられるにちがいない。なされるべきものごとについて考え、決定を下すのはボスのあなたの仕事であり、実行者であるプンバントゥのわたしが行なったことで悪い結果や悪い副作用が生じてもそれはものごとを考えて決めた人間の責任だ、という発想がその裏についてまわっている。
「外国人がインドネシアに住むにあたっては女中を雇わなければならない。」という言葉を日本人の口から聞いたことがある。おまけに雇うのは最低ふたりで、台所をあずかるコキさんと掃除洗濯を主に受け持つチュチさんは必ずいなければならないのだ、とも。
インドネシアに居住する外国人に使用人の雇用を義務付けているのはリタイヤメントビザだけではなかったろうか?つまり上のせりふは、慣れない異国での生活で、おまけに生活環境や生活習慣が日本とは大幅に異なっているインドネシアだから、限定された期間の外国生活を便利で楽しいものにするためにみんなそうやっているのだ、という慣習としての主張があのような表現をとったのであって、発言者も法規で定められているとはきっと思っていないにちがいない。
コキさんとチュチさんという二頭制については1990年代中盤ごろから日本人の間で広まった現象で、女中を使っているインドネシア人家庭にはそのような制度が存在しておらず、また前出の「女中スリ」の中でもスリひとりがお屋敷の女中であった雰囲気が強いことから、その二頭制はきっと在留日本人社会に向けてだれかが創作したものであるにちがいない。
日本の家庭生活から女中の姿が消えて何十年もたってしまったいま、核家族で育った駐在員ご夫妻にとって家庭生活の中に使用人を持つことに対する違和感やぎこちなさは生じて当然のことではあるまいか。そんな中に珍談奇談もあれば悲惨なはなしもある。
インフォーマルに他人を使うということがらはインドネシアでそれを行なうかぎり雇用者が使用人より上位にあるという人間の上下関係パターンに従った行動様式を外国人に強いることになる。そのこと自体はパトロン=クライアントという双務的性格のより大きな枠組みの中で中和されることになるのだが、もっと掘下げていけば対人依存性の強い価値観の中に自分を置くことでそのコンセプトと構造が自分の身につくというレベルにやっと至ることができる。「人間は対等である」「自分のことを自分で行なえる人間は優れている」といった文化の中で育った人間にとってその適応は大きい心的負担を間違いなくもたらすだろう。違和感やぎこちなさはそこから生じてくるはずのものなのだ。
かつて1990年代初旬ごろからドライブのかかりはじめたオルバ期の工業化政策によって工場での女子労働力需要が激増した結果、女中のクオリティレベルが大きく低下した。それまでは都市部の上中流層家庭が農村漁村の女子出稼ぎ労働力を吸収していたが、突然女子工員という膨大な労働力需要が出現したのである。労働時間が明確に定められており、報酬や保障が行き届き、作業も軽くそして大勢の仲間に混じって楽しく働くという環境が若年女性労働力をひきつけ、その結果気の利いた家庭プンバントゥたちはこぞって職種の転換に走った。最終的に、工場で仕事に就けない女性たちが家庭プンバントゥの職を埋めることになった。そこに能力面の格差が発生したのは言うまでもない。似たようなことはお抱え運転手の世界でも起こった。同じメカニズムが機能したのである。だからその時期以降、お抱え運転手の売り込みに来る人間のレベルは、それ以前の時代と大きく異なっていると言われている。
自分の家庭の世話をする人間を自宅に一緒に住まわせるこの女中という制度の由来はジャワ語でゲゲル(ngeger)と呼ばれる慣習にあるそうだ。ゲゲルというのは自分の子供を親戚の豊かな家庭に預けてそこで育ててもらうもので、この種のことがらは世界中で行なわれていたように思われる。日本も決して例外ではないだろう。
預けられた子供はその家庭の家族の一員として扱われ、衣食住の世話から学校に行くことまでその家の子供と変わらない待遇を受ける。だからその子供はその家の手伝いを自主的に行なう。このような関係にあるため、両者間に労働や報酬といった意識は発生せず、必然的に金銭の授受は起こらない。
ところが、社会環境の変化に伴って家事手伝い労働力を必要とする家庭が生じるようになってきた。最初は既に確立されているゲゲルの形態を模して親類縁者のひとりを同居させていたものの、そのうちに賃金を払って他人を・・・という間口の広がりに発展し、ついには昨今のような姿へと変わって行ったようだ。ところがゲゲルの慣習に由来する心理がドライな雇用関係の成育を妨げる形で作用した結果、女中と雇い主はいまだに家族的な心的関係を維持させてそれを美しい人間関係と位置付ける一方、女中はだらだらと一日中使われて労働条件がはっきりしないというありかたへと向かうことになった。
今では女中とは、親類縁者でない女性を賃金で雇うが雇用関係はインフォーマルなものであり、労働時間や休憩時間あるいは休日が確定されずまた法的規制が入らない世界にされている。インドネシア女中労組はその現状に強く反対しており、無料奉仕と差異のない今の女中雇用関係から明確な雇用関係への転換を求めている。
2004年にILOインドネシア支部が行なった調査によれば、インドネシアに女中は2,593,399人おり、そのうち140万人はジャワ島で働いていて大部分は未成年であると推定されている。海外出稼ぎ者も600万人中の430万人がインフォーマルセクター就労者で、そのマジョリティは女中である。
女中の労働条件を変えていくためには雇い主の考え方を変化させなければならないのだが、その雇い主もほとんどが女性であり、文化・階層そして女中を雇う背景が多種多様に分かれている。女中の労働条件改善でもっとも大きい影響を蒙るのは低所得層雇い主だ。低所得層家庭は妻も収入を求めて仕事を探すので、必然的に家庭が置き去りになるために家のことを行なう労働力が不可欠となる。子供がいればなおさらだ。ところが低所得層という名の通り、夫婦が共稼ぎをしてもたいした収入にはならず、その限られた収入で女中の賃金をまかなうために女中への報酬も低い金額でしかない。そんな場にビジネスライクな労働条件が持ち込まれた上に最低賃金が設定されたなら、大多数の低所得層家庭が立ち行かなくなる可能性は高い。
コンパス紙R&Dが2009年9月8〜13日に都内のアッパーミドル家庭30軒の女中を対象に行ったミニ調査がある。この面接方式調査は首都ジャカルタの女中に関する初期データを集めることが目的であり、全国の女中に関する統計調査でないことに留意しなければならない。
この30人の出身家庭の職業は、下層農家や漁師、工場労働者、オジェッ運転手、そして親子代々の女中家庭というのもあった。家族構成は4〜6人で、一家の収入である月額20〜100万ルピアがその家族に標準的レベルの生活をもたらすのは不可能だ。必然的にそんな家庭の子供は収入を求めて働きに出るが、かれらの学歴は小学校からせいぜい中学校卒というレベルになっている30人の中に例外的に高卒学歴者がひとりだけいた。小中学校卒という学歴では工場労働者になるのも難しく、かれらが就ける仕事の中では女中がベストチョイスのひとつと位置付けられるようになる。学歴と就職というのは相関関係にあり、学歴が低ければ低いほど労働開始年齢も低い。調査対象30人の年齢は13歳から20歳で、就業年数はまちまちだったがこの職業から技能を身につけようとする意欲はあまり見られず、優秀な家庭プンバントゥとなってより高収入を目指したり他の職業に就くことは思案の外で、だれかが妻に選んでくれて女中の仕事から足を洗うことを夢見ているのがほとんどだった。だから女中就業者にとっては、仕方なくなっている、という側面と、選択肢の中ではマシなほうだ、という側面が同居しているのである。
30人の女中たちのうち53.4%は日々の仕事が家庭内での炊事・洗濯・アイロン・掃除で明け暮れしていると述べているが、ほかの回答者はそこに子供の世話が加わっている。家庭内の生活というものは時間が流動的であり、そのために女中の勤務時間というのはあってなきがごとしで、80%の回答者は午前4〜5時から働き始めて20〜21時に就寝するというリズムの中で暮らしている。休憩時間は午前9時から11時の間と答える回答者がマジョリティを占めたが、休憩時間を確実に保証されているわけでもない。休日も特に許しを得た上で与えられるのが通例であり、そんな機会がなければ週7日労働が普通の姿だ。労働条件についてはたいてい雇い主が口頭で希望を言い、女中希望者がそれを呑むという形で雇用関係がはじまっている。ところが、細かい注意事項を最初から女中希望者に言い含める雇い主は稀であり、月額報酬の金額だけを口頭で合意して雇用関係がはじまったと60%の回答者は述べている。興味深いのはその月額報酬金額で、首都ジャカルタの2009年9月の相場はなんと30〜60万ルピアだった。この金額は雇い主の所得レベルに関係がなく、いわゆる金持家庭に雇われた女中だから高い収入を得ている、という現象は見られない。
雇い主が女中に与えている待遇について女中側の証言は、有給休暇がもらえないこと、個人の寝室がもらえないこと、医療費が自己負担であること、雇い主家族の食事と内容が差別されること、ハリラヤボーナスがもらえないこと、などをあげている。
一方、女中を雇っている側の状況をもコンパス紙R&Dは調査している。こちらの調査は2009年9月7〜8日にジャカルタ・デポッ・タングラン・ブカシの電話帳からランダム抽出した家庭756軒に電話インタビューする方法で行なわれもので、サンプリングエラーは上下3.6%となっている。
女中を雇うさいに考慮する条件は何ですか?
身体的な状態 : はい 57.7%、 いいえ 40.9%、 わからない・無回答 1.4%
年齢 : はい 45.2%、 いいえ 52.3%、 わからない・無回答 2・5%
職歴 : はい 43.9%、 いいえ 54.3%、 わからない・無回答 2.8%
出身地 : はい 28.8%、 いいえ 69.4%、 わからない・無回答 2.8%
学歴 : はい 16.4%、 いいえ 82.2%、 わからない・無回答 1.4%
どんなルートで女中を雇いましたか?
友人から 40.0%
田舎の親戚から 19.6%
隣家の女中から 14.6%
女中紹介所 10.0%
前任の女中から 6.4% 
親子代々の女中 5.4%
その他 3.6%

家庭内に同居してその家庭生活の面倒を見るという女中を選択するさいに雇い主がもっとも重視するのは女中候補者の身体的な状態であるようだ。健康であること・見た目が清潔であること・そしてひとがらが魅力的であることなどが雇い主の選択判断の鍵になっている。職歴については、女中経験の長いひとが好まれており、また年齢も16歳超で40歳未満というあたりが選択の基準に用いられている。若すぎる子供では仕事が頼りないし、あまり年寄りだと使いづらいというところだろう。
身体的状態は良好で、妥当な年齢で女中経験もあるという女中選択の要素をクリヤーしていても、家の中に同居し、共稼ぎ家庭では家財一式から子供までをその手に委ねることになる女中だから、それだけでよいということには決してならない。正直で責任感があり、信用できる人間でない女中を選んだばかりに、家庭内の金目のものを手にドロンされたり、外部の泥棒を手引きしたり、子供を誘拐したり、はては知らぬ間に妊娠していたりといった目にあわされる雇い主の話は枚挙にいとまがない。だからこそどのようなルートで女中を雇うかということが女中の人物保証に関連してくるのである。
女中の出身家庭を知っている友人や知人あるいは親戚などが紹介してくる人間は信用できるという公理がそこに働いている。家族主義文化の強いインドネシアで家父長は一家の支配者であり、その家父長の顔に泥を塗る行為をすると自分の立場がどうなるかというおそれが一家構成員の行動を規制している。だからその家父長もしくは一家の中枢にいるひとたちを知っている人間が紹介してきた女中は、たとえ優等生的人格でなかったとしても、襟首をつかまれたも同然の立場となるわけで、そのためビジネスライクな女中紹介所の利用率はなかなか高まらない。ひととひとのつながりを通しての人物保証というものがインドネシア社会ではもっとも重要なものと位置付けられているわけだ。女中紹介所は最低でも35万ルピアの紹介サービス料金を取るが、友人・知人・親戚から紹介してもらえばせいぜい少額の謝礼で済む、などという話とはまったく次元の異なる問題なのである。だからこそ、女中やお抱え運転手を雇った場合はかれらの実家や生活基盤を置いてある場所に出向いてその親族と知り合いになっておくように、というアドバイスが外国人駐在員の間でよく語られるのも、そういうポイントが踏まえられているからだ。 夫婦共稼ぎの家庭を助けてかれらのフォーマル労働を支え、家庭内の炊事・洗濯・掃除・衣服のアイロンかけやらはては子供の世話までしてその家庭を維持してくれる女中。雇い主は一日の仕事で疲れた身体を女中が維持してくれる家庭で休めることができる。女中が作ってくれた料理を食べ、洗濯されアイロンの当たった衣服に着替え、掃除されよく整えられた家で心地よく眠り、そうして翌日にはまたあらたな活力に満ちてそれぞれの職場に、社会的経済活動が行われている場に向かう。そんな勤労者の日々の労働再生産を支えているのが女中なのだが、女中という職業を政府はいまだにひとつの労働セクターとして公認していない。女中がインドネシアではpembantu rumah tangga(家庭プンバントゥ)と呼ばれ、pekerja rumah tangga(家庭労働者)という用語表現が公認されていないこととそれは軌を一にしている。先に触れたように、女中が行なっているのは手伝いに過ぎずそれは労働と認められない、というのが政府を含めた国民一般の理解なのだ。だから女中の労働条件は労働時間・最低賃金・福祉保障などの面で労働法に保護されている一般労働者とは天と地ほど違っているのが実情だ。
しかしこの女中という職業は法規の介入のない世の中の実需として現在あるがままの姿を見せているわけで、そこにフォーマル労働界で行なわれている法的規制が入り込んだときに女中に対する需要がどう変化していくかについては多少とも推測が可能であるように思われる。女中労働をフォーマル化しようとする一部勢力の動きが実を結んだとき、また実質失業者数の高まりが起こらないとだれが言えるだろうか?


「再び、女中!」(2010年8月17〜19日)
うちの女中は住み込みで、仕事はオールイン、つまり料理・洗濯・子供の世話や保育園への送り迎えなど、会社勤めをしているわたしの留守の間、主婦に成り代わって家のあらゆることをしています。わが家は6x20メートルの広さで、女中は2x3メートルの部屋を寝泊りに使っています。わたしはこの家で2歳10ヶ月の子供と暮らしており、夫は地方で仕事しているので家に戻ってくるのは4ヶ月に一度なのです。
うちの女中はほんとうによくやってくれるので月給は手取りで70万ルピア、そして食事はもとより、マンディ用石鹸、女性用ナプキンその他の生活用品は現物を無料支給しています。ところが、その給料で問題が起こっています。うちのある住宅地区の他の住民が、わたしがうちの女中に与えている月給は相場を破壊するものだという苦情が起こっているのです。陰でわたしは協調性のない見栄っ張りだとささやかれているようです。
この住宅地区の女中の月給相場は40〜45万ルピアで、仕事はうちと同様にオールイン。うちよりもっと大きな邸宅に住んでいるひとでも女中の月給相場は同じなのだそうです。わたしは助けになっているうちの女中をそれなりに評価して月給を決めただけで、この住宅地区の相場を破壊する意図などさらさらありませんでした。もしもわたしにそんな金額であれだけの仕事を全部しろと言われたら、わたしはきっとくびを横にふるでしょう。でも居住地区内で隣人たちとの交際もわたしは大事にしたいと考えています。わたしはどうすればいいのでしょうか?
パム夫人はそんな悩みを打ち明けた。
首都圏の住み込み女中の相場は月給40〜50万ルピア。掃除や洗濯だけの通いの場合は月給25〜40万ルピア。豪壮な邸宅に雇われている女中は、雇い主のハイクラスな暮らしをサポートしなければならないので、中流家庭の女中よりはるかに高級を得ているというイメージは現実と大違いです。女中は家庭プンバントゥ(pembantu rumah tangga)という名称が示すように単に手伝いをする人間にすぎず、専門技能に金を払うプロを雇っているわけではないという意識が雇い主の頭の中を占めています。
インフォーマルセクター就労者の保護という見地から女中にも地方最低賃金の適用を義務付けよという声が昔から出されていますが、何の知識技能も持たない女中に最低賃金を与えるのは妥当性に欠けるという反論の声も小さくありません。住み込み女中は住む場所を与えられ、雇い主の家族と同じように食事させてもらえるだけで感謝しなければならない、とコメントするひとびともいます。だからかれらは、もしも女中に最低賃金が義務付けられるなら、住み込みは許さず、石鹸歯磨きなどの現物支給も取り止め、そして仕事のパフォーマンスを厳しく追及する、という姿勢を示す雇い主も少なくありません。
女中の存在は家族の活動をサポートし、ひいては社会そして国家国民の経済活動を支えるものになっています。月給45万ルピアというのは、一日になおせば1万5千ルピアに過ぎません。そんな金額で家庭をそして子供を安心して女中という他人の手に預けることのできるひとは幸いだと言えましょう。もし最低賃金が義務付けられたら、多くの家庭はたいへん頭の痛い事態に直面するにちがいありません。月収5百万ルピア程度の家庭にとって最低賃金を与えることは、月収の2割が女中の雇用のために支出されることを意味しているのですから。
女中の月給が上がることに反対しているひとの中にも、夕食に数十万から百万ルピア以上の支出を厭わないひとがいるし、ルバラン帰省で女中が里帰りしたときに短期間の代理を務める別の女中をはるかに高い日当で雇うひともいるし、あるいは女中のいない間一家で高級ホテルに何日も滞在するひとさえいます。それが自分の女中の月給の何か月分かなどという斟酌をすることもなしに。
女中の多くはそれなりの家庭の背景を背負ってこのセクターに入ったひとが大半であり、人並み以上の知識技能を持っていれば女中のような仕事には就かないでしょう。そんな人間に自分の大切な家や家族を委ねるのは、人間同士としての精神的なつながりを感じることなしには不安でたまらないでしょうし、ある日突然辞めると言い出しはしないかという不安もついて回ります。雇い主と女中という関係もさりながら、人間としてのつながりを互いに感じ合うことがそんな不安を和らげるものとなるのです。
パム夫人の悩みも同じところに根ざしています。女中への高い評価を迷惑がっている隣近所のひとびとにも、その地で暮らす以上パム夫人は交際の扉を開かなければなりません。パム夫人は隣人との交際の中で、女中との人間的なつながりをもとにして役に立つ女中には高い評価がありうることをかれらに主張することができます。役に立つ立たないの評価や判断は個別の雇い主のものであり、そんなクオリティの評価ができるひとならば優れた人間に高い報酬が与えられるという原理は理解できるのではありませんか?その原理は家庭プンバントゥの世界に持ち込まれてもいいものだとわたしは確信します。
女性心理学者クリスティ・プルワンダリはパム夫人の悩みにそう回答した。


「女中を使っている家庭は三軒にひとつ」(2011年8月18日)
ILOの2009年報告によれば、世界に家庭プンバントゥは1億人いるそうだ。家庭プンバントゥ(pembantu rumah tangga =PRT)というのは女中・家政婦という日本語に対応するものだが、日本語だと女・婦という文字をあてて女性に限定する言葉になっている。インドネシア語のPRTは性別を明らかにしていないとは言うものの、それでもその言葉だけで女性を想定するのが常識になっているのは、それが実体を反映しているからに相違あるまい。確かに女性の職業で一番マッシブなのがこの業種らしい。非合法なものが例外になっているのは言うまでもないことだが。
その1億人の中に6百万人の海外出稼ぎインドネシア人が含まれている。インドネシア国内にも250万人の仲間がいる。ところで、その250万人の9割が女性であるそうだから、25万人の男性がよその一家の主婦を手伝う仕事をしているということなのだろうが、わたしは実例を知らない。
インドネシアの都市部でいまやPRTは家庭を維持するために必要不可欠な存在になっている。夫婦共稼ぎの普遍化と通勤の長時間化が家庭を維持するための労働者を不可欠なものにしているのだ。ふた昔ほど以前の、主婦にとって自分の生活の負担をシェアしてくれる存在とはかなり趣きが異なってきている。
PRT労働がILOの基準から見て負荷の大きいものであるため、住み込みPRTを廃止させてPRTも毎日職場に通勤させるようにするべきだとの声が高まっており、労働トランスミグラシ省もその法制化を検討している。それが実現すれば、将来作られるアパートに女中部屋はなくなるかもしれない。だが住み込みが禁止されれば、女中への報酬は値上がりする。その支出がまかなえない家庭は女中なしの生活に向かわざるをえない。いきおい、女中市場は縮小の方向をたどらざるを得なくなり、母親の女中稼業で生計をしのいできた地方部の家庭は生活苦に直面する可能性が大きい。
イドゥルフィトリは都市部の共稼ぎ家庭にとって、女中なしの生活を強いられる苦難の時期だ。うちの女中は帰省したあと、はたしてまた戻ってきてくれるだろうか?夫婦が心悩ます時期は目前に迫っている。
コンパス紙R&Dが12都市807人を対象に2011年7月27〜28日にインタビュー調査を行った。女中を使っている家庭は三軒に一軒あった。
質問1.あなたの家はPRTを使っていますか?
回答1.はい 32.5%、いいえ 67.5%
質問2.(使っている家庭に対して)給料と日常生活必需品の支給以外にPRTに何を与えていますか?
回答2.
ハリラヤやその他のボーナスを支給 41.1%
休日を与えている 36.8%
保健・医療費用の負担 20.7%
その他 1.4% 


「ベビーシッターは生き残れるか?」(2013年1月10・11日) 夫婦共稼ぎがきわめて一般化している首都圏一帯では、子供が生まれて出産休暇を使い果たしたあと、子供の世話をどうするかという問題が生じる。親兄弟一族が身近に住んでいるひとは比較的容易に救済策が見つかるが、そうでない夫婦はもっと費用のかかる方策を選択しなければならない。いや、費用がかかるというだけでなく、他人に金を払ってわが子をゆだねるということをしなければならないわけで、これはかなりセンシティブな内容を含んでいる。
中流層以上の家庭で昔から行なわれている、気心の通じている女中に頼むというのが対策のひとつ。しかし育児経験のない女中だとそうはいかないから、赤ちゃんケアの専門家であるベビーシッターを雇うというのがもうひとつの対策になる。そしてここ数年増加してきているのが、お母さんが昼間働いている間赤ちゃんを預かってくれるデイケアサービスの利用。
たとえ気心の知れた育児経験のある女中を使っていたとしても、母親が外出するときにわが愛児は平気な顔で見送るが、いつも自分を保護し世話してくれる女中が自分を置いて外出するときには哀切の声で泣き叫ぶような事態になるのを快く思う母親はいない。高度な依存性社会であるインドネシアでそんな事態は家庭の秩序を破壊するものになりかねない。同じことはベビーシッターを雇っても起こる。
ベビーシッターを雇う場合には気がかりが三つある、と母親たちは言う。まず、育児の教育訓練を受けた専門家という謳い文句で紹介所が派遣してくるわけだが、月々の支払いが女中よりはるかに高いのは紹介所がベビーシッターへの報酬をピンはねしているからだ。さらに派遣されてきたベビーシッターが赤ちゃんのケアについて、わが家で働いている女中と変わらないじゃないか、と思わせるようなレベルであることが少なくない。
次に、こりゃなかなかの専門家だと思わせるベビーシッターに出会ったとしても、こんどは雇い主で母親でもある自分よりも赤ちゃんをわがものにしてしまい、母親と赤ちゃんの接触にうるさく口出ししてくること。母親が帰宅して愛児を抱こうとすると「今世話しているところなので」とか「今しつけをしているから」という理由で後回しにさせられることがあるそうだ。
そして三つ目は、「自分は育児の専門家であり、そのために雇われているのだから、家事手伝いなどは・・・・」という姿勢のベビーシッターが多いことだ。育児に関することですら「こうでなければならない」と父親母親に自分の意見を硬直的に強いるばかりでなく、ほんのちょっとした家事をやってもらうことすら拒否され、ベビーシッターを雇ったために家事をさせる女中まで雇わなければならない破目に陥った家庭もある。ベビーシッターをひとり雇うだけで毎月2〜3百万ルピアの出費を覚悟しなければならないというのに。
一方、デイケアサービス利用者は、家にベビーシッターを置くよりはるかに高い自由度があることを主張する。ベビーシッターの場合はまず選択して相手を決め、さらにそのベビーシッターがわが家に適しているのかどうかを見定めるまでに月日を必要とする。ベビーシッターはあくまで他人であり、ベビーシッターが愛児に何を食べさせたり与えたりしているのかを少し離れて見守っていなければならず、父親母親、特に母親に多量の神経を使うことを促すものだ。ベビーシッターが不機嫌であったり怒ったりしていたら、母親は仕事に出かけられなくなってしまう。デイケアサービスを利用すれば、そんな面倒なことから解放される。デイケアに預ければ、数人の世話係が共同で赤ちゃんたちの面倒を見るから、ひとりのベビーシッターのご機嫌に振り回されるようなことは起こらない。
愛児が自分を世話してくれる人間への精神的固着を強めるリスクについても、自分を世話してくれる人間が同時に複数いることで特定個人への依存性が弱められるから、母親との精神的つながりが弱まることへの不安がほとんどない。また経済的にも、デイケアへの支払いはベビーシッターを雇うより金額が小さい。
そして起こって欲しくないことではあるが、もしものケースで愛児になにかがあったとき、ベビーシッター個人の補償能力がどれほどあるのかということも実は大きい問題なのだ。このような問題を考えたとき、デイケアサービスであっても法人として運営されていないものは避けるのが賢明であると言えるだろう。
本当に育児の専門家でありながら、父親母親の気持ちまで考慮して振舞ってくれるような素晴らしいベビーシッターに行き当たらないかぎり、デイケアサービスを利用するほうが無難というのがこの議論の結論らしい。


「泣く子は滅ぶ」(2013年2月18〜21日)
2013年1月31日15時ごろ、中央ジャカルタ市タナアバンのカレッテンシン地区にある建て込んだ住宅地区の一角で、強盗殺人事件が起こった。狭い路地の奥にあるアフマッ・シャイフディン氏31歳と妻のリヤンティ29歳の夫婦の家では、そのとき女中のイルマ25歳と三番目の子供で生後5ヶ月のラシャ・アルフィノがいるだけだった。
イルマはそのとき、上のふたりの子供を迎えに学校へ行こうとしていたが、ナイフを手にした男がいきなり屋内に侵入してきたために動きを封じられてしまった、とイルマは物語った。男は現金や宝石を置いてある場所を示すようイルマに命じたため、恐怖のとりこになったイルマは男の言うとおりにした。ところがイルマが叫び声を上げようとしたため男に腹を蹴られ、妊娠三ヶ月のイルマは気を失ってしまった。気が付いたとき、イルマの手足はひもで縛られ、口には布着れが押し込まれて叫べない状態にされており、賊は家の中をあちこち物色して金目のものを探していた。そのときアルフィノが目を覚まして泣き出したのだ。賊は赤児を静かにさせようとして口を抑えたようだ。アルフィノの泣き声は徐々に弱まっていき、そうして静かになった。動けないイルマはそのうちにまた意識を失ってしまった。警察の事情聴取に対してイルマはそのように供述している。
17時半ごろリヤンティの妹エルニアワティ27歳がその家にやってきた。表の扉をノックしたが反応が何もない。扉を押すと鍵がかかっていない。屋内に足を踏み入れて、エルニアワティは驚いた。家の中が荒らされているのだ。もっと驚いたことに、4ヶ月前から共稼ぎ夫婦のこの家に通いの女中として雇われたイルマが気絶して床に転がっている。エルニアワティはイルマを介抱しながら大声で助けを求めたため、近隣住民が屋内に入ってきた。近くに住んでいるリヤンティの父親も慌ててやってくると、孫の安否を気遣った。
アルフィノは顔を布で包まれてベッドに横たわっている。布を取り払うと、青白く変色した顔、首には青い筋が見られ、そしてこの赤児はもう呼吸していなかった。しかし祖父は諦めず、孫を家から30メートルほど離れたクリニックに担ぎ込んで救いを求めた。クリニック側はショック療法を試みたものの、赤児の生命は戻ってこなかった。
アルフィノの遺体はチプトマグンクスモ病院に送られて検死を受けたあと、2月1日午前6時に遺族に渡されてその日13時に家から50メートルほどの距離にあるカレッビヴァッ公共墓地に葬られた。
強盗事件に関する証言はイルマただひとりからしか得られなかった。いたいけな幼児の生命を失わせたこの強盗事件に気付いた近隣住民はだれひとりいなかった。しかし警察もアルフィノの両親も、その強盗事件にすっきりしないものを感じていたのだ。家の中が荒らされていたにもかかわらず、現金も金目の物も何ひとつ無くなっていなかったのだから。おまけにシャイフディン氏にも妻のリヤンティにも、自分と家族に危害を加えられるような恨みを他人から受けている心当たりなどまったくなかったのである。
被害者であるイルマの証言と現場の状況は十分に強盗事件が起こったことを思わせるものであったが、警察は別の可能性を検証することも忘れなかった。「そう言われれば、イルマを縛っていたひもはあまりきつくなかったわ。」エルニアワティは警察にそう供述した。
イルマに対する事情聴取が続けられ、ついにイルマは強盗事件が狂言であったことを自供した。ということはイルマの手がアルフィノの息の根を止めたことになる。
あの日、どうあやしてもなだめても泣き止まないアルフィノに手を焼いて、イルマは自分を見失ってしまった。インドネシアの文化に「泣く子は育つ」という格言はない。ヘピヘピ主義を人間の理想の姿に位置付けているインドネシア文化では人間が泣くことを不幸の表れと見なし、憐憫の情をかきたてられるため、ありうべからざる異常な状況と見なされて嫌われる。みんなが微笑みを浮かべ、笑い、和気藹々と愉しく睦まじく関わりあう姿がヘピヘピ文化の中では正常な人間のあり方とされているのだ。
赤児も人間であるため例外として扱われることはなく、赤児を泣かせないようにだれもが最大限の努力を払う。赤児のいるインドネシア人の家庭ではたいてい、赤児が泣き出すと一家総出であやしはじめ、交替で抱いて揺すったり、大声で奇声を発して注意をそらせようとしたりして、機嫌を取るために涙ぐましい努力を払う。赤児が近くで泣いているのに、気にもとめずに平常心でいられるインドネシアの大人を目にした記憶がわたしにはない。赤児がいつまでも泣き止まないと、隣近所のおとながやってきて、どうしていつまでも泣かせておくのか、と批判がましい詮索をする。だから一家総出で泣かせないようにご機嫌を取るようになるわけだが、ご近所の批判は単に泣き声を騒音と感じている以上に、赤児に対する一種の虐待という感覚がそこに流れているようにわたしには感じられるのである。泣いている人間は慰められなければならず、泣く人間に対してみんなで幸福感を抱かせるように努めるのが社会のあるべき姿だという価値観がヘピヘピ文化の持っている『優しさ』だろう。インドネシアのベビーシッターは自分が世話する子供を泣かせないようにすることに最大の意欲とエネルギーを使っているという外国人の観察は的を射ているとわたしは思う。
だから泣き続けるアルフィノが手に負えなくなったイルマの心に魔が忍び込んできたのは、他の人間から自分が役立たずだと見られ陰口を叩かれることへの不安が一役買っていたにちがいない。アルフィノの泣き声を止めるためにイルマは何をしたのだろうか?イルマはこう自供した。
「最初は泣き止まないアルフィノの顔に布をかけ、手で押さえました。そしてアイロンがけと干し物を取り込む仕事があるので、その布をアルフィノの身体に巻きつけ、次の仕事をしに行ったのです。ところが仕事を済ませてからアルフィノの様子を見に行ったら、もう死んでいたんです。わたし、パニックになって・・・。どうしようかと考えて、強盗事件をでっちあげることにしました。」
妊娠しているイルマが気絶するほどの強さで腹を蹴られたというのに胎児は何の障害も受けていない。イルマが犯行を自供したあとで医師の診断を受けたが、身体に暴行を受けた形跡はまったく認められなかった。そしてイルマを縛っていた紐はゆるかったという証言に加えて強盗に盗まれたものが何もないという事実などから、警察の疑ったイルマの狂言強盗が最終的に立証された。
児童保護国家コミッションや犯罪学専門家などから今回の事件に関連して、家庭で子供を世話する人間を雇う場合、その人間の性格を十分に見定めた上で雇用するようにと警告が出されたものの、人間の性格を短期間で見定めるのは容易なことではない。
女中というのはインドネシア語で家庭プンバントゥと呼ばれているが、その言葉が示すとおりインドネシアでも女中はニョニャのアシスタントという理解になっている。一家の主婦がなさなければならない仕事を手伝い、主婦が働きに出ている家庭では主婦に成り代わってその仕事を担わされることになる。だから、洗濯もアイロンがけも育児も主婦経験のあまりないイルマの双肩に載せられることになったわけだ。
イルマがシャイフディン氏宅に雇われたのは隣人の紹介によるもので、三ヶ月の試用期間中は月給65万ルピアでときどき雇い主から5千ルピアのお小遣いが出る日もあった。夫婦共稼ぎのこの家庭でのイルマの就業時間は朝8時から夕方17時まで、土曜日は正午12時までで、その家の主婦リヤンティがもっとも期待したイルマの仕事は生後5ヶ月のアルフィノを母親が仕事に出ている間世話するというものだったが、家事労働と赤児の世話という二系列の仕事を実の母親がするようにかみわけできていたのだろうか?


「泥棒女中を雇わないように」(2013年8月1日)
2013年5月4日付けコンパス紙への投書"Cek Kosong dan Pembantu"から
拝啓、編集部殿。去る3月16日、わたしはトゥブッ(Tebet)にある家庭プンバントゥ斡旋所から女中をひとり、雇いました。3月28日、わたしの小切手帳から未使用の小切手が四枚なくなっていたことが判明しました。そして、それを盗んだのはその女中であり、その一枚はわたしのサインが偽造されて既に現金化されていたのです。
家庭プンバントゥを必要としているご家庭の皆さんに、よくよく注意されるようアドバイスしたいと思います。わたしが被害を受けたこの女中はとても狡知に長けており、雇い主を騙すのに巧みです。わたしの手元にあるその女中のKTP(住民証明書)コピーによれば、名前はヌル・フィトリ・Rで1991年4月9日マジャレンカ生まれ。住所は西ジャワ州のBlok Kamis RT009 RW007 Cisambeng, Palasah, Majalengkaです。身長は155センチくらい、痩せ型で色白、顔は逆三角形型でジルバブを着けています。[ 東ジャカルタ市ジャティヌガラ在住、ラニ・アマヌ ]


「女中は強盗を防げるのか?」(2013年11月12・13日)
ベンヒル(Benhil)と通称されている中央ジャカルタ市ブンドゥガンヒリル(BENdugnan HILir)地区のプジョンポガンダラム通りにシャリフとヌライダ夫妻の家がある。立派な門構えやなかなかに金をかけたと見られる一戸建てのその家の姿は、家の中に金があることを思わせる雰囲気を振りまいている。金に不自由していないからこそ、インドネシアでは立派な尊敬されるべき社会人という評価が与えられるのである。会計監査庁の裏側にあたるこの家の周辺は日中も交通や人通りの稀な静かなエリアになっている。
2013年10月29日昼前、その家の家庭プンバントゥのひとりアンジェル20歳がガレージの扉を開けて家の外へ出てきた。手には表のゴミ箱に捨てるためのゴミ袋をぶら下げている。いつもの習慣で、ガレージの扉にいちいち施錠するようなことはしない。ゴミを捨ててから屋内に戻ったあとで、中から施錠するのである。表門まで来たアンジェルは表門の錠前を外して路上に出た。そのとき、表門の近くに男たちがたむろしていたが、アンジェルはほとんど警戒意識を持たなかった。ところがどうだろう、アンジェルがゴミ箱に向かった隙にオートバイ2台に乗ってきたらしい4人の男たちのうちのふたりが表門から敷地内に入ってきたのである。アンジェルは驚いて男たちを制止した。男たちのひとりが言う。
「わたしらは防犯カメラの設置を注文されたので、その下見にやってきた者です。今日、下見をすることはご主人も承知のことで、ご主人からの許可も得ています。」
ふたりの男はアンジェルの開けたガレージの扉へ向かい、残るふたりは塀の外でオートバイの番をした。すたすたと歩を進ませるふたりの男を小走りで追いかけながら、アンジェルは「駄目です。駄目よ・・・」と言い続けた。
屋内に入ったふたりの男は邸内を調べて回る。アンジェルはふたりについて一緒に回った。もうひとりの家庭プンバントゥは二階の主寝室に近いところにいた。するとふたりの男はいきなり刃物を出してふたりのプンバントゥを脅かし、ガムテープで手足をしばり口をふさいでから浴室の中に閉じ込めたのである。
それから鍵のかかっていない主寝室に入り込むと、施錠されているタンスをこじあけはじめた。この強盗一味はタンスの中から黄金や宝石のついた装身具など1億2千万ルピア相当と現金7百万ルピアをこうして手に入れた。更に金目のものを探しているとき、家の表でクラクションの音がした。
門が開いて車が一台入って来た。ヌライダ夫人が運転手の運転する車で帰宅したのだ。家庭プンバントゥがだれも表門を開きに来ないので、運転手が自分で表門を開いて車を敷地内に入れ、ヌライダ夫人が玄関の前で降りた。
ふたりの強盗はそのとき既に逃走態勢に入っており、車が玄関へ回ったすきに表門から道路へするりと脱け出したのである。夫人と運転手が帰ってきたとき、強盗ふたりはまだ屋内にいたわけだが、そんなことを露知らない夫人と運転手はプンバントゥがひとりも出てこないことの怠慢に愚痴をこぼしただけだった。
夫人が屋内に入り、運転手がガレージに車を入れていたとき、「強盗!」という夫人の金切り声が響いた。助け出されたふたりの家庭プンバントゥは涙ながらに一部始終を夫人と運転手に報告し、夫人はすぐ夫にこの事件を連絡した。
夫のシャリフは兄のアフマッに援助を求め、シャリフとアフマッがふたりの家庭プンバントゥから再度事件の状況を聴取した上で警察に届け出た。警察はふたりの家庭プンバントゥから再度事情聴取を行なったから、かの女たちふたりは何回も同じ話を繰り返したことになる。 アフマッはこの事件について、これは家庭プンバントゥがぼんやりして外部者の家宅侵入を阻止できなかったことが原因であり、どんな理由で外部者が家の中に入ろうとしても家庭プンバントゥは絶対にそれを許してはならず、外部者が言う理由を家の主人に確かめた上でそれに対処しなければならないという鉄則をもう一度教育しなおさなければならない、とコメントした。しかし上のアンジェルの話が本当であるとしたら、アンジェルはその鉄則を十分に理解していたわけであり、阻止できなかったのは一介の小娘が大の男を言葉ひとつで操縦するなど不可能な男尊女卑社会がインドネシアなのであるという大前提が無視されていることになる。
主人夫妻の留守中にプンバントゥが外部者に騙されて家財道具を盗まれたり、強盗に入られて貴重品を奪われるといった事件は首都圏一円の随所で頻発しており、中にはプンバントゥが強盗の手引きをした事件もあるが、シャリフの家ではまあそんなこともあるまいと前置きした上で、家庭プンバントゥへの教育と監督がこのような事件に対する予防の鍵を握っているとアフマッは強調しているが、どうも小娘への期待が過剰であるような気がしてならない。
その強盗ふたりは逃走するまで終始落ち着いた態度を保っていたように家庭プンバントゥの目には映っており、警察はかれらが類似の犯行を繰り返しているプロの強盗団であると見て捜査を進めている。


「泥棒女中と女中紹介所」(2014年4月17日)
2013年10月13日付けコンパス紙への投書"Pembantu Rumah Tangga Kabur"から
拝啓、編集部殿。ルバランが終わってから、わたしの母の家とわたしの家で女中を必要としていたのですが、中央ジャカルタ市クマヨランのウタンパンジャン通りにあるティガプトラジャヤという紹介所にしか雇えるひとがいません。仕方なくその紹介所から、リタ・ビンティ・ワリディンというひとを母の家に、ヤヒヤというひとをわたしの家で子供を見てもらうために雇いました。ふたりとも西ジャワ州チレボン県カリパスン村の出身です。
一週間してから、母の家で使っていたリタが家から携帯電話3個と財布を1個盗んで午前3時ごろに姿を消したという連絡がわたしに届きました。わたしはすぐにティガプトラジャヤに連絡し、その事件の責任を求めると共に、わたしの家で使っているヤヒヤも引き取るように求めました。信用できなくなったためです。 紹介所の女性オーナーは、このできごとに極めて不愉快な顔を示しました。手数料のひとり160万ルピアを半額すら返そうとしません。ヤヒヤが故郷へ帰りたいと言うと、クッションでヤヒヤを叩き、怒鳴りつけました。この女性オーナーがヤヒヤに何をするかわからないと思ったので、わたしはヤヒヤを連れて帰り、チレボン行きのバスに乗せました。女中の仕事を探しに上京してきたかの女たちに過酷な振舞いをする紹介所は、実に嘆かわしいことです。[ 中央ジャカルタ市在住、シンディ ]


「家事労働者賃金が制定される?」(2015年1月26日)
これまで法的規制がかかっていなかった家事労働者、いわゆる女中あるいは家政婦、の権利擁護を目的にした労働大臣規則が作られた。2015年労働大臣規則第2号として大臣が既にサインしたこの規則は現在法務人権省で内容検討が行なわれており、それを通れば交付⇒施行ということになる。
核家族の一員でない人間に家事を手伝わせる行為はもともとインドネシアの慣習の中にあり、家族主義思想の中の一部分として起こってきたものだ。よくあるパターンは、都会で所帯を持った夫婦が子供を作ってから田舎の親族のだれかを招いて家事や子供の世話をさせるという形だったために、そこには労働あるいは雇用被雇用の意識がなかなか浸透せず、ファミリーを助けているという意識が先に立って時間も報酬も曖昧なまま労働だけが一人歩きしていたことが根底にある。赤の他人を女中に雇うということが増加してきたものの、既に社会常識として定着した労働観にはなかなかビジネスライクな方向への変化が起こらず、インドネシア庶民家庭の中にはそれをよいことにして労働搾取を行なうところも少なからず存在している。インドネシア語でpembantu rumah tanggaと言われているように、家庭の諸事を手伝うのが役目なのだから、雇い主が恣意で出すさまざまな命令を遂行するのが家事労働者の義務という見方が雇用者と被雇用者間の関係に追い討ちをかけているようだ。
今回のこの規則の中で最重要視されているのは雇用者と被雇用者間の契約作成で、文書にせよ口頭にせよ、両者間で契約行為がなされなければならず、契約する両者のアイデンティティ・それぞれの権利と義務・契約期間・契約行為がなされた場所と日付が盛り込まれ、その内容は地元の隣組長(RT)と地区管理責任者に通知されなければならない。
また労働賃金に関しては、知事規則で妥当なガイドラインを出す形式がこの規則の中に定められた。昔ある政権が法的根拠の曖昧なまま女中にも最低賃金を適用せよという指導を行い、加えて更に外国人居住者に強くその指導を行なったことから、国民大多数はそれに従っていないというのに駐在外国人はその指導に従ったということが起こったが、今回のこの規則で当時の労相が行なったのは単なるスタンドプレーでしかなかったことが明らかになった。このようなことが起こるのも、インドネシアに関わる際のリスクのひとつにあげてよいのではあるまいか。
しかし家事労働者組織や家事労働者擁護団体は、今回の労相規則を前進であると歓迎しながらも、その基盤になる法律が備えられていないことが弱点になるとして政府に一層の努力を求めている。
インドネシアでは2004年に民間組織が国会に家事労働者保護の法案を提出して制定を要請したものの、時の流れの中に置き去りにされているありさまだ。おまけに2011年にILOが出した家事労働者条約(第189号)の批准すらなされていない。国会議員の実生活における便宜に束縛がかかっていくであろうことは想像に難くないわけで、同じ思いをミドルクラス以上の国民が抱いているのは明らかなのだから、低社会階層に対して持たれている世の中の意識のあり場所をどうやらこの一事は示唆しているかのように見える。


「女中にご用心」(2015年12月7日)
家庭プンバントゥが男(夫あるいは恋人・情夫)の命令に服従して、雇い主の邸内を荒らしたり、あるいは男の窃盗や強盗を手引きする事件は絶えず起こっている。昔よく見聞したケースは、新規雇用時にまだ虫のついていなかったプンバントゥに男ができ、その男がワルだったというもので、最初から雇い主の邸内を狙って雇われるプンバントゥは少なかったようだが、昨今は最初から仕組まれたプンバントゥが雇用されるスタイルが増えているらしい。家庭車運転手が雇用されて数日後に車もろとも姿を消す手口に通じるものがあるように思える。
四人組の強盗団が、知恵を絞った。まず故郷の村から家庭プンバントゥ希望者を募って首都圏の女中紹介所に入れる。強盗団は最初からプンバントゥ希望者に意を含ませており、邸宅に雇われたら邸内のどこにどんな金目の品物が置かれているのかを調べ上げ、そして強盗仕事に適切なタイミングになったらプンバントゥは電話で強盗団に連絡する。
ジャカルタとタングランでこの一味は何度か仕事に成功したが、15年11月26日に西ジャカルタ市警が一網打尽にした。共犯者の家庭プンバントゥも捕まったのは言うまでもない。
しかし、家庭プンバントゥを利用するが仲間にして使うのでない窃盗グループもいる。いや、これは窃盗と言うよりも詐欺と呼ばれるべきだろう。この二人組み詐欺師は邸宅で働く家庭プンバントゥに邸内から4億ルピア相当の宝石貴金属品を持ち出させ、自分の手を汚さずに大金を手に入れたのである。もちろん、盗品で得られる金は哀しいほど目減りするのが当たり前なのだが・・・・。
アブドゥル・ハキム46歳とダヴィッ42歳の二人組み詐欺師は、西ジャカルタ市クンバガンの邸宅に目をつけた。そしてその家の家庭プンバントゥのひとり、ヌルジャナへのアプローチを開始する。まず頻繁にその邸宅の周辺でたむろし、ヌルジャナが用事で外出するとき、顔なじみになるように努めた。そしてある日、邸宅から出てきたヌルジャナに近づいたアブドゥルはかの女の背中を軽くポンと叩いた。「あんたは病にかかっているようだ。何か不健康な影がある。このままだと重病になりかねないよ。一命にかかわるかもしれん。」
ちょっと離れた場所にいたダヴィッが近寄ってきて、ふたりの会話に参加する。ダヴィッの芝居だ。「へえ〜、アブドゥルさん、このひとは健康にしか見えないけど、やはり超能力のあるひとにはわかるんだねえ。おねえさん、気をつけたほうがいいよ。このアブドゥルさんは指折りのオランピンタルなんだ。もう、大勢の病人を救っている。」
アブドゥルはヌルジャナに口を開けさせ、口の中から髪の毛を数本、引き出した。詐欺師は手品もできなければならない。
アブドゥルはそれをじっと見詰め、「これは何かの怨念だな」と言う。「お屋敷の奥様が持っている宝石や貴金属製の装身具の中に、怨念が付いているものがある。その怨念があんたに降りかかってきている。早くお払いをして清めないと、あんたの身が危難にさらされることになる。」
ヌルジャナはふたりの芝居に呑まれて頭の中が混乱している。アブドゥルは更にヌルジャナを追い込む。
「わしが清めてあげるから、あんたは明日の今頃の時間に奥様の宝石貴金属をここに持ってきなさい。どれが怨念の源かはあんたにわからないだろうから、できるかぎりたくさんもって来るように。その中からわしが怨念の源を突き止めよう。なあに、清めのお払いが終われば、全部また返すから、あんたはそれを元通りの場所に戻せばよいだけだ。こんな話は奥様に言わないほうがいいよ。奥様を嫌な気持ちにさせることはない。それから、あんたが持ち出した物は、奥様の目にはこれまで通りあるように見えているから、奥様にはそれが持ち出されていることは絶対にわからない。」
翌日、ヌルジャナが袋に入れて密かに持ち出してきた奥様の命の次に大切な宝石貴金属が手から手に渡され、「こんな往来で宝石貴金属を路上に広げるわけにいかないから、全部持ち帰って調べる。明日の夕方には清めたものも含めて全部あんたに返すから、またお屋敷から出て来てくれ。」とアブドゥルに言われて、ヌルジャナは翌日の夕方を待つ。
そしてその日の夜、血相を変えたラッニ奥様がプンバントゥたちを問い詰める姿が邸内に展開された。従順でおとなしいヌルジャナが一部始終を語ると奥様はがっくりと肩を落として椅子の上に尻餅をついた。ご主人が4億ルピア相当の宝石貴金属詐取事件を警察に届け出た。
アブドゥルとダヴィッは手に入れた宝石貴金属を西ジャカルタ市スリピジャヤ市場の貴金属店に持ち込み、3,890万ルピアの現金に換えた。そして数週間後、西ジャカルタ市警が捜査の網を絞って二人を逮捕した。アブドゥルには超能力などなく、また催眠術の腕も持っていないことが、警察の調べで判明している。