「インドネシアの売春」


「売春は合法?非合法?」(2014年5月6〜9日)
インドネシアの実定法には、売春を明確に禁止しているものがない。刑法典の中に売春に適用できる条文がないわけではないが、明確に売春を定義し、それを禁止するという文言を見出すことはできない。刑法典の中に見られるのは次のような条文だけであり、現代インドネシア語で売春を意味するprostitusiやpelacuranという単語はかけらも見出すことができない。
刑法典第296条:第三者が他の者と行なうわいせつ行為を故意に起こさせ、あるいは便宜をはかり、それを生計もしくは習慣的行為となす者は、最長1年4ヶ月の入獄あるいは1万5千ルピアの罰金の刑に処す
刑法典第506条:ある女性のわいせつ行為から利益を引き出してそれを生計とする者は、最長1年の拘留刑に処す
性交をわいせつ行為のカテゴリーに含むのが妥当なのかどうかという語義論はさておき、上の条文にあるのは実際の性交を行なって収入を得る人間でなく、その行為を仲介してそういう人間から金銭等を入手することが犯罪であるという理解に向かう。つまり、本人が金銭欲しさに、他人の性行為のために自分の肉体を賃貸することは犯罪でないという理解になるわけだ。
刑法典以外の特別刑法の中でこの問題を探すなら、2002年法律第23号児童保護法や2007年法律21号人身売買法などにそれに関する条文が見られるものの、そこに焦点が当たっているのは未成年者を性交の相手にする行為であり、売春行為を包括的に規定するものになっていない。もちろん未成年者との性行為は刑法典の中でも犯罪とされている。
刑法典第287条(1)項:結婚関係にない女性と性交する者は、その相手が15歳未満であることもしくは、年齢がはっきりわからなくともまだ結婚年齢に達していないことを知っているか、あるいはそれが推察されうるものである場合、最長9年の入獄刑に処す
刑法典第287条(2)項:女性の年齢が12歳未満である場合を除き、この条文は告発にもとづいて適用される。(訳者注:ただし、近親相姦と女性の身体毀損が伴われた場合はその限りでない)
実定法の上で売春はこのように扱われているのだが、現実に売春婦の取締まりが行なわれていることも事実だ。この売春婦取締りの根拠は、宗教面に由来している倫理道徳、言い方を変えるなら慣習法に則ったものであり、だからこそイスラム守護戦線が街娼に暴力をふるって懲罰を行なっているわけで、その暴力が法律違反に該当するため民間の人間は売春婦に対する取締りを行ってはならないと警察が定めて自ら取締っているのが実態であり、インドネシアにおける売春行為に関わる法的根拠はそのように曖昧模糊としている。

もうひとつ売春に関っている要素として、下世話のマッサージパーラーやトルコ風呂、あるいはそのものずばりの置屋などが全国あちらこちらに存在して営業し、ビジネスとして半ば公認されている実態がある。この面だけを見て、イスラム社会が優勢なインドネシアで売春が公認されている、という意見を持ってしまう外国人がいるのだが、決してそう単純なものではない。
慣習法では悪事であり廃絶されなければならないものとされているのに、社会生活の片隅でその存在が許されており、おまけに実定法では明確に犯罪として規定されておらず、多少の拡大解釈を加えれば十分に犯罪扱いすることが可能であるというのに、それはケースバイケースでしか行なわれていない。人間の法に対する絶対服従でなく、何事かを目的にする人間が法をツールとしてその目的達成のために使うという法執行のあり方がインドネシアの法治というものの本質であるという見解の一例がここにもあるようにわたしには思えるのである。
現実問題として社会の中に、ただ夫に奉仕することだけを目的にして育てられた女たちがおり、妻になったそんな女たちが人命軽視社会で起こるさまざまな事故や事件のために寡婦になり、あるいは男尊女卑意識に凝り固まった夫から簡単に捨てられ、だれかに雇われたりして生計を得るための技能も知識も不足しているかの女たちが生きていくために最後に到達する道というところにインドネシアにおける売春の存在価値がある。そんな大勢の女たちが売春婦になるのは、かの女たちを買う男たちの存在との間に需給関係がバランスしているためである。妻を持ちながら売春婦と遊び、エイズをお土産にもらって妻にそれを移す夫たちのふるまいが既にインドネシアで社会問題となっている。昔は麻薬の注射針が伝染経路の筆頭にあり、続いて売春婦が罹る性病の中にエイズが猛然と広がっていたが、今では家庭の主婦がエイズ罹患者の筆頭グループにのし上がってきている。
売春という社会倫理を汚す行為を犯す女性たちの更生を支援することは社会善とされている。だから取締りが行われ、街娼は公安職員に捕らえられて厚生施設に送られる。そこで正業に就けるようさまざまな職が手ほどきされて、規定の期間をつつがなく終了すれば社会復帰となるのだが、失業者のあふれかえっている社会でそう簡単に豊かな収入を得ることなど望むべくもない。
売春というのは、商品が商品だけに価格が高い。あくせく働いてつつましやかな金額を得ている一般庶民の生計に比べれば、自分の肉体の賃貸ビジネスははるかに楽で高収入になることを経験者たちはみんな知っている。結局、何度捕まって厚生施設で授産コースを修了しようが、何度も何度もその道に舞い戻っていく経験者が後を絶たないことを、社会善を施しているひとたちはシジフォスの大岩のように感じているにちがいない。

売春が社会悪であり、社会秩序を損なうものであるという知識を、インドネシアの社会構成員は家庭内や地域社会の中で行なわれる社会倫理教育の中で骨髄に染み込ませる。つまり法律がそれを犯罪と規定しなくとも、ひとびとはそれを悪事として社会から排除する姿勢を幼児期から身につけるのである。社会生活における善悪観がそうなっているため、よい家庭やまっとうな家庭は売春ということがらとの関わりを忌避する。ディコトミーでものごとを把握する習慣になっているひとびとにとって、売春ビジネスが営まれている場を実見してそれが公認されているという認識を持つ場合、このような社会姿勢が存在していることを同一の次元で受け止めるのはきっと困難になるだろう。
ともあれ、社会がそういう傾向を持っているなら、住宅地の周辺を街娼がうろつくことは嫌悪され、それを排除しようとする人間が出てくるのも無理はない。住民社会生活の安寧を守護する国あるいは地元の機関がそれを徹底できないなら、自分たちがそれを行なうだけだ、というのがイスラム守護戦線のロジックだ。このあたりは実定法とまるで無縁の世界だから、法曹というものの構造が大きく違っている社会のひとびとにはわかりづらいものとなるにちがいない。
社会構成員にとって、街娼が町中をうろつくのは社会秩序が守られていないことを意味している。住民行政をつかさどる機関にその責が問われるのは言うまでもない。そういうジレンマに追い込まれた地域行政官は、街娼たちを一ヶ所に集めて花町を作り、町中に出ないようにさせる行政指導を行なった。それが売春隔離地区だ。置屋や宿を一ヶ所に集めて吉原のような町を作り、売春行為はそこで限定させるようにし、他の場所での売春を一切禁止したのが売春隔離地区政策である。マクロの見地を採るなら、それはそれでうまく行っていたわけだが、売春の存在そのものを消滅させるよう求める宗教界と隔離地区境界線にある善良でまっとうな家庭がその政策を否定するようになった。

売春の存在が需給共に旺盛な社会構造をしているにもかかわらず、理想論だけを持ち出して売春の完全廃絶を求めたのである。宗教界が売春隔離地区消滅の旗を振れば、地域行政者たちにその維持をはかる才覚など期待するべくもない。こうして売春隔離地区は続々と姿を消すようになった。首都圏もいくつかの地方都市も、売春隔離地区をなくして綺麗な身になったのだが、社会構造が変わらない以上売春そのものをなくすことは不可能だ。こうしてまた街娼が町中に散っていくことになった。するとまた、地域行政官の社会秩序維持の能力が問われることになる。こうして出てきたのが、女性の犯罪者化を露骨に示す地方条例や地方規則だった。全国的に評判になったのはタングラン市の条例で、夕方以降ムフリムに付き添われない女性の外出禁止規則が作られて施行された。ムフリムとは結婚の許されない関係にある男性(父親とか兄弟)を指しており、サウジアラビアでの慣習が時間限定でタングランに持ち込まれたことをそれは意味している。ひとりで町中にいる女性、あるいは性行為の可能な間柄にある男性と一緒にいる女性を売春婦であると見なす背景がその規則の裏側に隠されているのは明らかであり、女性を犯罪者化する法規であるという意見が世論を盛り上げた。
スラバヤでは、国際的にも名の高いドリーなどの売春隔離地区が依然として存在しており、トリ・リスマハリニ市長は隔離地区廃止方針を打ち出して既に市内のいくつかの隔離地区を閉鎖している。ドリーは規模が大きいだけにその閉鎖準備に時間がかかっていたが、市長は2014年6月19日をもって完全閉鎖することを表明した。ドリー(Dolly)とジャラッ(Jarak)の2ヶ所の売春隔離地区閉鎖のために、売春ビジネスやその周辺ビジネスで生計を立てていたひとびとが新たに正当なビジネスに就けるよう支援しなければならない。それよりもっとたいへんなプロジェクトに、その二ヶ所で働いてきた1千人を超える売春婦とマミーたちの生活を今後どうするかという問題がある。ドリーには1,022人の売春婦と311人のマミーがおり、ジャラッには3百人近い売春婦がいる。
スラバヤ市庁はその1千数百人が今後正業に就くための支援として、職業技能指導と自営ビジネス発足資金援助にひとり数百万ルピアの元手を与えようとしている。スラバヤ市だけでは手に余る金額のため、市長は中央政府社会省や東ジャワ州政府にも資金援助を要請している。他の諸都市で実際にそうなってしまっているように、町中での隠れた売春ビジネスが勃興して、アングラ経済・犯罪や病気の増加・風紀や社会秩序の乱れといった逆効果がスラバヤ市内に広がることを懸念するひとはどのくらいいるのだろうか?
ちなみに、ドリー地区は公園や手工芸品作業場などの集まった経済センターにすることが決まっており、スラバヤを中心に東ジャワの手工芸品を一堂に取り揃えたショッピング観光地区にすることをスラバヤ市は計画している。


「子供の私物化と親孝行」(2005年7月19日)
女性と子供人身売買を西ジャワで調査している研究者が、バンドン県下の貧困地区でその被害者となった子供たちに対する調査結果を公表した。それによれば、人売被害者である子供たちの多くが被害を受けたと感じていない。バンドン周辺の人売はその目的が二種類に分かれており、バンドン市ではセックス産業向けトラフィッキング、バンドン県では季節労働者用トラフィッキングがメインになっている。売春地区で働いている95人への質問に対して41人は子供のときに売られてきたことを認めている。
2003年11月に行なった95人の対象者に対する面談調査によると74人に自分が被害者だとの認識が見られなかったが、更に最近別の地区で行なった調査でも、チポンコル地区の被害者50人のうち36人、ソレアン地区6人中5人が、強制的にそうなったのではない、と答えている。家族も、子供がそのような仕事に就いたことに罪悪感を抱いているのは少なく、チポンコルでは80家庭中14軒が悪かったと感じており、ソレアンでも子供の家族12人中4人だけが「悔やんでいる」と表明している。
子女人身売買を撲滅しようと活動しているかれらの行動に反して、当該者自身がまったく反対の認識を抱いている現状に、貧困問題だけではない別の視点の導入が迫られている。


「首都の売春宿」(2006年2月23日)
西ジャカルタ市タマンサリラヤ通り57番地と90E番地の住居を首都警察が急襲した。この二軒の家屋はカイセル・スナルトとアンディ・アキム別名スクリルが経営する売春宿で、かれらはそれぞれエージェントひとり、従業員ふたり、売春婦三人を使ってビジネスを行っていた。警察はその手入れで14人の男女と売春婦の名前・ホテル名・電話番号の記載されたオーダー台帳を押収した。売春ビジネスのプロセスはふたつあり、客が直接その家に来る場合と、エージェント経由で女を呼び出す方式があり、料金は3時間のショートタイムでひとり30〜40万ルピア、6〜7時間だと70〜80万ルピアというタリフになっている。エージェントを経由しない場合は売春婦と経営者がフィフティフィフティで分けるが、エージェント経由の場合はエージェントが40%を取り、残りが売春婦と経営者の間で半々に分けられる。女たちはその売春宿に住み込んでおり、経営者は一日3百万ルピアの収益をあげていた。警察が連行した14人は、売春婦6人、マミー2人、エージェント2人、従業員4人で、売春婦は釈放されたが、他の8人は警察に拘留されている。


「タングランはピューリタン都市」(2006年3月3日)
タングラン市が2005年に定めた売春禁止に関する条例のために、売春婦でない女性たちがとばっちりを受けている。2月28日、タングラン国家法廷で、売春禁止に関する条例第8号ならびにアルコール飲料販売禁止に関する条例第7号違反者に対する簡易裁判が開かれた。被告は2月27日夜に公務員捜査官と警察官が違反者として拘留した者たち。その中には、売春活動とはまったく無縁の女性たちが多数含まれていた。このようなことが行われるのなら、日が落ちたらもう家から外へは出られないし、ましてや街娼地区として知られた地域をひとりで通りかかるのも飛んで火にいるなんとやらだ、とかの女たちは行政当局の人権を無視した暴虐を非難する。売春婦容疑でしょっぴかれた女性たちの中には、当局の手入れが行われた地区で、たまたま道端でテボトルを飲んでいた家庭の主婦がふたり、自動車売買ビジネスの夫が商売相手と夕食を約束し、落ち合い場所として約束したホテルのロビーで夫が来るのをその商売相手と待っていた女性、帰宅するためにその地区をひとりで通りかかった妊娠二ヶ月目の女性学校教員などがいた。売春婦でないとの証言を得た女性たちは1千ルピアの罰金を払って釈放されたが、かの女たちが警察に連行され、一晩ブタ箱に泊まったことについては、当局の過誤でも勇み足でもなく、正当な法執行行為となっている。売春禁止条例第4条(1)項はこうなっている。
「売春婦ではないかという憶測を招くような態度や振る舞いを示す者は、公道、広場、宿泊施設、木賃宿、ホテル、寮、住居・借家、カフェワルン、娯楽施設、観覧場、道路端、小路あるいはその他の場所にいてはならない。その者たちは、法廷にいるタングラン国家検察局職員に直接罰金を納めること。」
28日の簡易裁判では、17人の女性が第8号売春禁止条例違反を宣告された。与えられた刑罰は、罰金30万から55万ルピアあるいは女子刑務所で3〜8日間の拘留。一方、アルコール飲料販売者も同時に裁かれ、5人が有罪で15万から6百万ルピアの罰金もしくは3〜4日間の入獄という判決を受けた。カルフルのタングラン店マネージャーにもアルコール飲料販売条例違反の判決が下され、罰金6百万ルピアが科されたが、本人の姿は裁判所のどこにも見られなかった。ちなみに首都では、小売店でのアルコール飲料B群(5%超〜20%)C群(20%超〜55%)の販売は禁止されたもののA群(ビール等)の販売は従来通り認められているが、タングラン市条例ではアルコール飲料販売が一切禁止された。そのため、都内のカルフルではワインやウイスキーだけが姿を消し、ビールは依然として販売されているのに、タングランのカルフルは首都のカルフル店と同じようにしたところ、タングラン市条例に抵触してしまったということのよう。「コンパス紙への投書から」(2006年2月23日)では、タングランの零細商人がビール販売を認めるよう切々と訴えている。


「依然として子供たちに厳しい現実」(2006年7月26日)
7月23日の子供の日を機会に第6回インドネシア子供会議がデポッ市で開催され、セト・ムリヤディ子供国家コミッション長官とアリス・ムルデカ・シライッ事務局長が子供たちを取巻く状況に関する最新報告を行った。それによれば、18歳未満の未成年労働者はジャカルタに150万人おり、家庭内あるいは小規模工場などで労働に従事している。また子供を対象にした犯罪も増加傾向にあり、今年上半期の子供に対する暴力行為は全国で426件が記録され、その52%は猥褻行為だった。子供が親に養育を放棄されるケースも112件あり、その多くは赤児の捨て子で経済的に養えないあるいは公にできない関係でできた子供といった理由が大半を占めている。子供人身売買は83件あり、ほとんどが売春を目的としたもの。子供の売春行為の盛んな地域はジャカルタ以外にバリ、バタム、マナドで、社会省データによれば売春婦71,281人の60%が15歳から18歳の年齢ブラケットに入っている。またジャカルタのアッマジャヤ大学は、売春婦の半分は子供(未成年)であるとの見解を示している。通称カッ・セトと呼ばれているセト・ムリヤディ長官は、届け出られた件数は氷山の一角にすぎず、それがすべてだと思ってはならない、とコメントしている。


「デポッ市で売春検問」(2006年10月10日)
神聖なるラマダン月に厳粛な宗教環境を市民に持たせるべく地元行政府はナイトスポット営業規制を実施してその取締りを行っているが、同時に宗教上のご法度である婚姻関係にない男女の性行為も厳しい取締りの対象となっている。ラマダン月一週間目の9月30日、デポッ(Depok)市行政警察は首都警察スクマジャヤ署と共同でナイトスポット営業違反取締りパトロールを行う傍ら、ボゴール街道にあるジャスミン級ホテル宿泊客に対する検問を実施した。深夜を回って10月1日の朝に入った時間帯に安ホテルの部屋にこもっている男女ふたりが宗教倫理に背く行為を行っているかどうかをチェックしようというのがその目的。
当局職員は宿泊客に対して夫婦関係にあることを証明できる書類の提示を求め、それができない男女16組を逮捕した。さまざまな弁明が繰り広げられたが、職員は耳を貸さなかったとのこと。スクマジャヤ署は連行したカップルの身元データを取ったあと、かれらを町役場に引き渡した。ところが町役場はやはり身元データを取ったあと、お説教を与えた上でかれらを解放したことから市議会議員をはじめ諸方面から激しい非難を浴びる結果になっている。捕らえられた女はすべて売春婦であるとの断定をベースに法と倫理に背く売春婦への懲罰を強く求める批判者の論調は、ふたたびデポッ市のピューリタン条例制定に向かう駆動力となる可能性が高い。


「ビジットインドネシアイヤーにセックス観光粛清」(2008年3月5日)
外国人観光客がインドネシアにセックス観光を行いに来ている状況を野放しにしていてはいけない、と観光文化省が地方自治体に要請した。地元行政府は特に、法規を正しく遵守せず商業セックス活動に便宜を与えているホテルやナイトスポット事業者に対する許認可交付を慎重に行うよう求めている。
観光先地開発総局国民活性化局長はその問題に関連して、商業セックス活動が行われたことが明らかになっているホテルやナイトスポット事業者に対する制裁措置を地元行政側は曖昧にして何ら処分を加えていないケースが目に余る、と語っている。「地方自治の時代であればこそ、地元のクリーンな事業環境を維持育成することに地方自治体はもっと意欲的にならなければならないはずだが、公序良俗に反することが行われた場所に対する事業許可停止処分などの措置はあまり行われていない。中央政府は便宜を図ったり予防を警告することしかできず、地元事業者への措置は地方自治体が行わなければ野放しになるだけだ。」セックスツーリズム、中でも少年少女を対象にしたものが増加傾向にあるインドネシアに警告を発している外国の政府や民間団体も少なくない。子供売春、ペドフィリア、子供ポルノ、子供人身売買などの事件は増加傾向と言われているが、その実態については暗い闇に閉ざされている。子供に対するセックス搾取行為の被害者数推定は、1998年にユニセフが出した声明によれば4〜7万人、2003年に女性活力化担当国務省が出したデータでは15万人となっている。観光文化省が集めたデータには、2000年にバリで行われた子供ポルノ映像作成、2001年ロンボッ島スンギギビーチで30人弱の子供が被害者となったペドフィリア事件、2004〜2005年バリとロンボッでの173人を被害者とする子供セックス搾取行為、2006年には西ヌサトゥンガラで23人が被害者となったペドフィリア事件などが記録されている。今この種の犯罪行為が盛んになっているのはバリ・ロンボッ・バタムだというのが人権擁護民間団体間の常識となっている。
だが各地元政府はこの問題に関して、子供に対するセックス搾取行為に関わった者に対する処罰は法令の中に謳われているものの、そのようなことが行われた場所の管理者に対する処罰は明確に規定されておらず、そのため行政当局も地元警察もホテルやナイトスポット経営者に対しては及び腰で対応しているのが実態だ、と洩らしている。


「ドリー、Oh、Dolly」(2008年7月14〜18日)
スラバヤの紅灯街として筆頭の位置に置かれるのはドリーだ。昔からインドネシア東部地域の窓口として栄えてきた港町スラバヤは人の往来が盛んで、そんな条件が春をひさぐビジネスを育んできた。スラバヤのあちこちに成育した売春地区の中でドリーは突出した繁栄を謳歌している。
もともとドリー地区は中国人墓地だったが1960年代に墓地から住宅地への転換が始まった。1967年、ジャワとフィリピンの混血娼婦だったドリー・カヴィッ(Dolly Khavit)がクパンティムール?通りに娼館をオープンしてその地区が売春街となる礎を築いた。続いていくつか娼館がその地区に開業し、1980年代にそこは繁華な売笑地区となる。巨大な経済が回転するこの売笑地区には開祖ドリーの名前が献上されたわけだ。限定された地区に囲い込んで売春行為がほかのエリアにこぼれ出ないようにし、衛生や治安の統制を行って管理されたものにしようというlokalisasi(局地化)政策で全国には多数の売春地区が設けられたが、宗教法でも国法でも違法とされている売春を例外場所を設けて認めるというこの対応を見るかぎり違法行為を全力をあげて地上からなくそうという意志は感じられない。つまりインドネシア文化における違法・非合法という意味合いはそのようなものなのだということを異文化人は理解する必要があるだろう。これはリーガルコンプライアンスが成り立ちにくい環境であると言える。おまけにロカリサシ地区外での売春は違法として頻繁に官憲の手入れが行われているものの衰える気配がまったくなく、この売春ロカリサシ政策が掲げている目標と実態が示す大きな乖離も世の中の状況を不可解なものにしている。言っていることと行っていることの矛盾や二重性といったインドネシア人の実像がこのことからも仄見えてくる。
周辺を住宅地区で囲まれたドリーはもちろんロカリサシ地区として管理されてはいるが、国民生活の昨今の状況に不満を抱く階層の宗教純化傾向の高まりに染まった市民の間でドリー移転要求の声が強まっており、もう何年も前からこの話題は繰り返し登場しているものの為政者からの移転着手の気配はいまだない。
スラバヤの売春に関する公的記録はオランダ植民地時代の1864年にさかのぼる。スラバヤ市の公式文書には、タンジュンぺラッ港脇のバンダラン地区にある娼館では228人の売春婦が働いていると記録されている。1930年代ごろから今クンバンジュプンと呼ばれている地区に日本人娼館が栄えて軍政期には高官の慰安所となった。Kembang Jepunとは文字通り「日本の花」であり、その地名の由来はおのずから明らかだろう。独立後、スラバヤの売春行為は一層盛んになった。今スラバヤには6ヶ所の大規模売春地区がある。ドリーに次ぐ賑わいを示しているのはドリーの向かいにあるジャラッ(Jarak)で、ここはウォノクロモのジャギルにいた娼館主や娼婦が引っ越してきて開拓された。スラバヤ北部のクレミル(Kremil)は下級船員たちの行きつけ売春地区だ。スラバヤの中心部から15キロほど西にはモロスナン(Moroseneng)とクラカルジョ(Klakah Rejo)があり、中流層に利用者が多い。ガジャマダ大学住民政策研究センターとILOの共同調査データによれば、スラバヤの6ロカリサシ地区にいる売春婦は8,440人と報告されているものの、実際には12,432人であると言われている。売春ロカリサシ地区の外にも非合法売春エリアがたくさんあり、クンバンクニン〜シドクンプル墓地、スディルマン司令官通りの竹槍の像周辺などがそのメッカになっている。1980年代にスラバヤが売春都市と綽名されていたのは決してオーバーなことではない。
ロカリサシつまり売春局地化地区と呼ばれているから一般市民の住居と明確な一線を画し、隔離されたエリアの中に娼館が軒を連ねている江戸時代の吉原のような様子を想像すると大きな間違いを冒すことになる。ロカリサシ地区を囲い込んでいるフェンスもなければ、娼館だけが一ヶ所に集まっているというものでもない。ともすれば娼館と一般の民家が混じりあっているのが普通の姿だ。普通の民家は往々にして表にrumah biasaという貼り紙をしている。wismaと呼ばれる娼館と間違えて売春客が訪問してくるのを予防するためらしい。ウィスマに暮らす娼婦たちも隣近所の一般市民と、小さい子供たちを交えて、日常生活の中で交流している。子供たちの性教育には便利な環境かもしれない。
しかしそれが良くない環境だと考える性に潔癖なひとびとは、1984年に早くもドリー〜ジャラッ売春ロカリサシ地区を街の外へ移転させよという要求をスラバヤ市長に出している。その後この要求は何度も、出ては消え、出ては消え、を繰り返して今日に至っており、市当局も一部市民が苦情しただけで移転させることはしないと表明しているし、郡長も住民の間から強い要求は出ておらず不満がくすぶっている様子はないと語っている。法で、あるいは倫理的に、あってはならないものとされていたとしても、それがもたらしている経済効果を否定する者はだれもいない。売春ロカリサシ地区はエルドラドなのだ。
およそ150メートルほどあるクパングヌンティムール通りに黄昏が訪れると、ドリー地区の生命が躍動を始める。道路の両側に並ぶ娼館の表にあるガラス張りのホールの中で、セクシーな衣装の若い娘たちがソファーに座っている。戸外が薄暗さを増すにつれて煌々と明るいホールが一層大きく目に迫り、一夜の快楽を求める男たちの品定めは真剣さを強める。アムステルダムの飾り窓ではガラス張り水槽の中の女が身をくねらせて男を誘うが、ドリーの娘たちは脚を組んでただ自分が指名されるのを待つだけ。
やってきた数人の男たちに客引きの男が言う。「ボス、ちょっと遊んで行きなよ。ほら、あの娘はたったの8万だ。サービスはサイコー。極楽昇天疑いなし。」客が陳列台のひとりの娘を指差すと、すかさず「へい、おひとりさん、ご案内!」すると店の入り口から別の男が出てきて客を「お部屋」へ連れて行く。夜が更けるほどに人通りも増え、ウィスマの表も住民の家の表も四輪二輪の自動車で埋まる。駐車料金は四輪で2万前後、二輪は3千ルピア。もし「お泊り」すればその数倍になる。
夜市のような賑わいには物売り屋台が欠かせない。狭い通りには食物や軽食あるいは飲物やタバコを売る屋台がひしめき合い、ナシゴレンの匂いやサテの煙、ビール瓶の触れ合う音が喧騒を煽る。タクシーやベチャもやってくるし、おもらい乞食さえもが出張ってくる。タバコと飲物屋台を出しているカキリマ商人は一晩だいたい40万ルピアの売上になると言う。女と遊ぶ客はたいていビールを注文する。ドリー〜ジャラッのウィスマ455軒が一晩で平均2箱のビールを消費すれば、その売上は2億を超える。
ドリーはひとりの娘と一時間遊んで7万から13万ルピア、ジャラッは少し格落ちで6〜7万ルピア。ドリーで営業しているウィスマは55軒あり530人の売春婦が稼いでいる。一方ジャラッは3Haという広大な敷地に4百を超えるウィスマがあり、働いている娼婦は2,155人だそうだ。ドリーの娼婦が一晩10人の客を取り、客がひとり平均10万ルピア払ったとして、ドリーのセックスビジネスは一晩で5億を超える。ジャラッのほうも、娼婦がひとり3人の客を取り、客が7万ルピアを払ったとして一晩に4.5億の現金が動く。
娼婦たちは稼いだ金で生活する。近隣住民たちは金を持っているかの女たちにさまざまな品物を仕入れてきてオファーする。衣服・装身具・靴、中にはアルコール飲料も。高額な品物であれば割賦販売も受ける。そしてかの女たちの衣服のクリーニング。何千人もいる売春婦の衣服を洗濯することで周辺住民にエキストラの金が落ちる。上着1枚1千ルピア、長ズボン1千5百、袖なしシャツは1枚5百ルピア。ある主婦は一日3万ルピアの稼ぎになると語る。いったい何人の主婦が副収入を得ているのだろうか?
身長162センチ、黄色みを帯びた白い肌、美人歌手Nに似た面影のフェル19歳。かの女はドリーにあるウィスマBで数週間の間にプリマドンナになった。中部ジャワの地方都市で国立高校を卒業したフェルはひとりの少女の狂った半生を打ち明ける。「三ヶ月前に離婚してバスでスラバヤへ仕事を探しにきたけど、結局ここへ来るしかなかった。子供はもう二歳で、母に預けてある。父は退職公務員。母には工場で働いてるって言ってある。」
高校三年のときにフェルは処女を与えた最初の恋人に誘われてシャブを始めた。学校が終わるとフェルはコールガールになってシャブを買う金を作った。フェルに言わせれば、日中は学校、夕方シャブ、夜は勉強して時おりコールガールになるという暮らしだったそうだ。「シャブをやったあとで勉強すると何でも頭の中にスポスポ入ってくるみたいで、変な気がしたわ。でもおかげであたし、クラスでいつも3番以内だったのよ。」
しかしその恋人は勤労意欲のまったくない寄生虫でしかなく、それは結婚したあとで明白になった。数年一緒に暮らしたあと、フェルは一からやり直そうとして離婚し、新天地を求めてスラバヤに出てきたのだ。そして3週間前からウィスマBの陳列台に座るようになった。
プカロガン出身のアナ28歳は2007年9月からウィスマTの住人になった。夫が自分の親友と不倫したから離婚してスラバヤへ来たのだと語る。仕事は毎日16時から午前3時までで、一日にだいたい10人の客を取る。フェルの場合は18時半から午前3時までで、一日に取る客の数は9人くらいだそうだ。アナの場合は客が1時間当たり7万2千ルピアを払うがアナの手に入るのは3万1千ルピアで、残りはマミー、娼館主そして客にアナを勧めてくれた客引きの手に渡る。フェルの料金はドリーで最高級の1時間13万ルピアだが、かの女の手に渡るのはそのうちの5万だけ。マミーに5万、娼館主に部屋の使用料として2万、客にかの女を勧めてくれた客引き役に1万。店の表で客を受け、店内に誘う客引きは娼館の雇い人でもある。
娼館は娼婦たちに化粧品や石鹸・香水など商売道具の世話をする。しかし外の商店で売られている価格のほとんど2倍でかの女たちはそれを買う。男性用香水のほうが香りが心地よいからそれを使っていると語るフェルは4メートル四方の自室を持ち、そこはエアコン完備でバストイレ付きだ。娼婦たちはそれ以外にも洗濯代を払い、また保健検査代に毎月11万ルピアを支出している。娼婦は金の成る木であり、女のセックスは巨大経済をもたらす大産業なのである。Oh、ドリーよ。


「子供売春天国」(2008年11月28日)
15万人の子供たちが毎年商業セックス業界の手中に落ちていると人権保護団体『子供商業セックス搾取撲滅国民連合』コーディネータが表明した。この記事の中で使われている子供という言葉は児童から青少年までのいわゆる未成年を意味していることをお断りしておきたい。この数は1998年にユニセフが予測した7万人から倍増しており、またそのうちの7割は14歳から16歳までの子供たちだそうだ。それらの子供たちは売春やポルノ出演あるいはペドフィリアなどのセックス搾取を強いられている。今ある法規はそれら子供に対するセックス搾取の片棒を担いでいる商業セックスサービス利用者をお縄につかせることができない。中年の色狂い男たちは子供売春婦がまだ汚れてなく純情だと考えて子供相手のセックスを追い求めている、とコーディネータは語る。インドネシアの大都市にいる子供売春婦は数千人に達しており、ジャカルタには1万人、北スマトラ州メダンは2千人といった数にのぼると見られている。しかし調査した限りの数値に推定を加えて出したそれらの数字も、氷山の一角を見ているだけで実態はもっと多いとの意見を否定することができない。
女子大生売春婦の料金が大人の娼婦より高いという現象は知られているが、子供売春婦はそれらよりもっと高額だ。子供売春婦の料金は40万から150万ルピアもする。この世界に入った子供たちはマテリアリズムと贅沢なライフスタイルをその報酬に求めているのだ。しかしHIV/エイズの脅威にさらされているのは大人の娼婦と変わらない。メダンでの調査結果によれば、性交時の安全対策を講じている子供は10%に満たない。しかし公的な保健機関を使って保健状態のチェックや避妊対策を行なう傾向は増加している。
中高女子生徒による子供売春は都市部で増加傾向にあり、たいていの都市には売春婦のデータベースと電話番号が備えられて客を待っているそうだ。子供売春の拠点が置かれている都市は、バタム・バリ・ジャカルタ・スラバヤ・メダン・ジョクジャ・スマラン・ソロなどで、子供たちは時にマレーシア・シンガポール・日本などへさまざまな手口で送り込まれることもある。
最近オーストラリアのメルボルンでインドネシア人ふたりが逮捕された子供に対するセックス搾取事件では入獄10年罰金23億ルピアという刑罰が与えられることになりそうだが、インドネシアの法規は子供のセックス搾取に対する罰則が明確に規定されておらず、インドネシアは子供売春天国になっている、と保護団体役員は語っている。


「売春婦シンジケートに利用されている政府」(2009年1月7〜9日)
首都警察は2008年11月末から「花」作戦を開始した。これはオス蜂を誘い寄せる妖しい花に対する取締りを意図した命名のようで、さまざまなナイトスポットの店を利用して行なわれているセックスサービスの粛清が主目的だ。
2008年12月4日には南ジャカルタ市グランドウィジャヤ(Grand Wijaya)地区にあるスパと中央ジャカルタ市サマンフディ(Samanhudi)通りのホテル内スパ、ガジャマダ通りのホテル内スパ、そしてマンガブサール(Mangga Besar)やクブンジュルッ(Kebun Jeruk)のマッサージパーラーなどを主体に取締りターゲットが設定されて取締班が都内を巡った。この日は高級スパでマッサージプラスプラスと通称されている売春サービスを客に対して行なっていた女性85人を保護し、それらの女性を店に世話していたシンジケートの人間など8人を捕らえた。保護された女性の中には中国籍の外国人が15人含まれていた。この日を終えたところで、「花」作戦で保護された売春婦は148人おり、そのうち39人は外国人で国籍は中国・タイ・ベトナム・ネパール・モンゴルおよびウズベキスタンなど東欧数カ国となっている。
12月6日には北ジャカルタ市アンチョルのマルタディナタ(Martadinata)通りにあるホテル7階のナイトスポットを取調べ班が訪れて中国籍とタイ国籍の16人を含む38人のセックスサービス女性を保護し、その店の出納係とマネージャーを連行した。警察はセックスサービス女性をトラフィッキング被害者と定義して逮捕せず保護措置を取ることにしており、逮捕するのはトラフィッキング犯罪容疑者で、女たちを店に送り込んだ者、受け入れた店側の者、日常女たちを差配する者などがその対象となる。保護された中国籍女性は中国北部地方出身者が多く、首都警察によればその貧困地方出身中国女性はシンジケートによってジャカルタの隅々まで送り込まれているとのこと。外国人女性のセックスサービス料金は1時間150〜250万ルピアでインドネシア人女性の1時間80万ルピアより2倍以上の相場である由。
警察はこの12月6日に保護した女性の中に労働ビザを持っている者を発見したことから、移民局と協力してこの労働ビザ発給にメスを入れることにしている。外国人売春婦に別の名目で労働ビザ取得手続きを行ったスポンサーや関係者を警察は刑法典第296条と第506条にある「猥褻行為による利益収得」に違反したとして起訴する意向。
12月9日、首都警察は西ジャカルタ市プチェノガン(Pecenongan)のエンポリウムとグロドッ(Glodok)のゴールデンクラウンにターゲットの矛先を向け、50人のサービス女性とマネージャー2人を捕らえた。都庁はナイトスポット業界に対し、店を使って売春ビジネスを行なっているところは事業許可を取り消すと表明している。警察もそれに重ねて、経営者がトラフィッキングに関わっていた場合は事業許可が取り消される、と述べている。
上で報道されている三日間の作戦成果だけで二百数十人のセックスサ−ビス女性が保護されたわけで、全都下にその種の女性がどのくらいいるかは容易に想像がつく気がするのだが、中でも外国人が2割以上含まれている事実はインドネシアの労働界が外国人に弱いことを象徴しているような気がしてならない。それともフォーマル・インフォーマル労働市場をこの類のものと一緒くたにするのは失礼なのだろうか?
1997年の通貨危機から数年後の西暦2000年ごろからウズベキスタンやロシア出身売春婦がインドネシアで急激に目立つようになってきた。中国人はそれまでも決して少なくなかったのだが、ここ数年は猛烈な増加を示しているように見える。特に中国の貧困地方では出稼ぎ売春婦送り出し組織が地元に根を張って積極的にリクルートを展開し、トラフィッキング国際シンジケートが送り込み先を選択して売春婦の口入れルートを整然と設営していることが中国人売春婦の大量輸出という現象を生んでいるようだ。インドネシアはレバノンと共にかれらの有望なマーケットに位置付けられ、積極的な国際出稼ぎ売春婦送り込みの洗礼を受けている。
たいていの国では、トラフィッキング国際シンジケートによって送り込まれる女性はツーリストビザで入国しているが、インドネシアではマルタディナタ通りのホテルで発見されたように労働ビザを得て入国している女性がおり、他国よりも周到な法的対応が進められている実態がほのめかされている。
この国際シンジケートに抱えられた女性たちはローテーションシステムで各国に移動するらしい。レバノンのベイルートでかの女たちにインタビューした記者は、インドネシアでセックスサービス業に就いた女性たちはほとんど例外なくインドネシアは極楽であると語っており、もう一度インドネシアに送り込まれることを望んでいる、とその赤裸々な声を伝えている。「どうしてインドネシアが良いのか?」との質問にかの女たちは、1)非合法の入国や滞在にそれほどの困難がなくて楽であること、2)生活費が安いこと、3)客の多くが金離れがよいこと、などをその理由にあげている。インドネシアでかの女たちと交渉を持った客の多くは、シンガポール・台湾・タイ・マレーシア・韓国などのアジア系エクスパトリエートたちだった。
警察が外国人売春婦を捕らえた場合、かの女たちはたいていイミグレーション法規違反で強制送還させられる。ただしほとんどの場合その費用はインドネシア政府が負担している。そのような愚かなことはやめろ、とインドネシアポリスウオッチ総裁が発言している。国際シンジケートはかの女たちが送還された先で女性たちを受け入れると次のローテーション先に回すという対応を取っているため、インドネシア政府は国際シンジケートの売春婦ローテーション費用の一部を負担してやっているのに他ならないからだ、と総裁はその理由を説明している。


「セラン市の少女売春組織」(2009年3月2・4日)
バンテン州セラン市のある中学校の休み時間に、リアがクラスメートのエニーに話しかけた。
「ねえあんた、すっごい高そうなケータイ持ってるじゃん。最近は着てるものだってブティック品ばっかり。たいへんな羽振りのよさはどうしたの?オヤジさんがプロジェクトでたっぷり稼いだってわけ?」
「リア、あんた秘密守れる?だったら教えてあげるわ。マミーにケータイ番号を渡しとけば呼んでくれるから、呼ばれたら言われたとこへいきゃいいの。好き者おじさんの相手をしてやればお金はいくらでも・・・。1時間ちょっとくらい相手するだけだから、楽なもんよ。でも、これゼッタイ親に言っちゃだめ。」
セラン市に少女売春組織があるという市民からの通報をセラン市警は以前から受けていた。そして、少女の身体で遊びたい者はここへ電話すればいい、という情報を得た市警はさっそくその番号へ電話した。おとり捜査が始まったのだ。電話に出たのは女だった。
「あんたがマミーかい。若い子と遊びたいんだが、三人ほど用意してくれないか?そう、中学生くらいだとサイコーだな。値段はいくらだ?」
「ショートでいいのね?じゃあ三人で250万くらいにしとく。料金の確定は会った上で。」
落ち合う場所はセラン街道にあるレストランと決まった。時間は18時。捜査員数人が約束の時間前に現場に出張る。おとり捜査員は18時直前に金を持ってレストランに入った。高校生くらいの少女がふたりと大学生くらいの女がひとり、若い女の三人連れが店内のテーブルに着いていた。おとり捜査員はその隣のテーブルに座る。年かさのほうの女が捜査員の様子をしばらく見守っていたが、そのうち声をかけた。「xxxさん?」捜査員が電話で使った偽名をその女が言った。捜査員はすぐに女たちのテーブルに移った。「あんたがマミーか。意外に若いんだな。中学生の子はいないの?」
「今日は用事があって来れないそうよ。でもぴちぴちした子がふたりいるから大丈夫よ。たっぷり楽しめるわ。料金はひとりずつ100万ルピア。わたしは前金のひとり20万をもらってこの子たちを置いてくから、残りは直接この子たちに渡してくれればいいわ。」
捜査員は40万ルピアをマミーに渡す。その金をマミーはバッグに入れて椅子から立ち上がった。「じゃあ、この子たちをどこでもお好きなところへどうぞ。」捜査員も椅子から立ち上がり、ポケットから手錠を出してマミーの手にかけると言った。「警察だ」。
セラン市警捜査員が本署に連行したマミーと女子高生ふたりは取調べを受けて売春組織の内情をあらいざらい自供した。そこからこの組織の意外な姿が浮かび上がってきたのである。
マミー、本名イェティ・ヌルハヤティ21歳は夫のイワンが築き上げた売春組織を2ヶ月前から引き継いだ。2ヶ月前にイワンがバンテン州警察に逮捕された直後のことだ。この売春組織はセラン市とセラン県一円の現役女子中高生をメインに女子大生も加えた数十人の『売り物』を擁していた。売り物たちは友人からの口伝でみずからリクルートされにきたというから、組織運営者はその面での手間がほとんどなかったらしい。買い手も慎重に選んだそうだが、実際にはバンテン州内の住民に限定することに気をつかっただけのようで、セラン・チレゴン・パンデグランなどの分限者たちが常連客になったらしい。しけこみ先はジャカルタのあるホテルとチレゴンのホテル2軒がお奨め場所だった。議員を名乗った客もあったそうだが、国会議員なのか県議会議員なのかそれとも出まかせだったのかはよくわからない。
マミーは注文を受けるとその日仕事をしたい少女を連れて落ち合い場所に行き、客から売り物ひとりにつき15万から20万ルピアを前金として受取り、それを自分の収入にしていた。少女たちの『売値』は1時間半程度のショートタイムでひとり50万から100万ルピアで、前金を引いた残りは全額が少女たち自身の稼ぎとされ、組織運営者への上納金は課されていなかった。気に入った少女に大金のチップを与える客もいたそうだ。少女たちの仕事時間は15時から21時に限定されていたが、「友人の家で宿題をやっていた」という親への言い訳が成り立つ時間帯を少女たちは厳格に守っていた。
少女たちがこの売春組織に加わったのは言うまでもなく「金がほしいから」であり、貧困家庭であるがゆえに少しでも親に援助をという子がいなかったわけでもないが、大半は贅沢なライフスタイルを実現させることが目的だったらしい。組織から少女たちへの縛りは秘密厳守以外にないも同然だったようで、ふところが暖かければ仕事を断るのも自由であり、不如意になったときだけ声がかかれば出かけるということが許されていた。これほど売春婦が優遇される売春組織だったからこそ、少女売春婦確保の努力はまったく必要がなかったということのようだ。


「1億でルナ・マヤがショートのお相手・・・」(2009年3月9日)
『人気女優があなたのエスコートを・・・』という誘い文句に乗って大枚をはたいたものの一夜の相手になったのはボゴールの一介の売春婦だった、という詐欺事件を首都警察が摘発した。
www.hartonosejakdulu.comとwww.jakartaescortladies.comというインターネットサイトに人気女優や人気女性タレントの顔写真が36枚掲載されている。ルナ・マヤ、マサユ、マルシャンダ、タマラ・ブレジンスキー、ディアン・サストロ、ジュリー・エステルらの麗顔が並んで光彩を放っているのだ。このサイトに申し込めば彼女たちとデートできるとあって、半信半疑ながらもイロ気を抑えきれない男たちはそこに書かれたコンタクト先に電話してくる。電話に出るのは男か女だが、応対する者は愛想良くそのサイトは本物であることを相手に信用させ、デートのお値段はあっと驚くような、しかしさもありなんという金額を提示する。人気最高の女優は1時間1億ルピアで、人気バロメーターが1ランク下だと7千5百万、もうひとつ下は5千万という料金だ。今をときめく国内トップ女性タレントのルナ・マヤは文句なしに1億ルピア。ただし売り手はスターの人気にきわめて敏感で、美人スターたちのお値段はその三つのランクを上下する。電話をかけてきたお客が自分のお好みを指名すると、売り手は振込先口座番号を相手に教える。手の込んだことに、その口座番号の名義人はちゃんとその女優の名前になっているのだ。これは偽KTP(住民証明書)を作るのがわけないインドネシアだから、そんな小細工はお茶の子なのだが、しかしお客はそれによって相手は本物だ、と思い込んでしまう。
料金が振り込まれたことを確認した売り手は、お客に電話を入れる。お客の希望するホテルとデートの日時が確認され、約束の日時にお客がホテルの部屋で胸ときめかせて待っているとドアがノックされる。ドアを開くと指名した女優とは似ても似つかない女が立っている。女は申し訳なさそうにお客に説明する。「ルナはどうしても抜けられない仕事があって、わたしに替わりを勤めるように頼んだんです。本当にごめんなさいって言ってました。次回は二回分サービスするからって・・・」客は仕方なくその身代わりと遊んですこしでも元を取り返そうと・・・・
有名女優のだれを指名しようが、やってくるのは常にボゴールの22歳のその売春婦ひとり。というわけで警察がこの美人局と詐欺のダブル犯罪捜査に乗り出し、5千万ルピアを払い込んでの囮捜査が行なわれて詐欺師一味が逮捕された。犯人は中央ジャカルタ市クマヨランのウタンパンジャン町に住むロムドニ40歳とフィトリアニ36歳の夫婦。ふたりは2008年からそのビジネスをはじめ、コストにインターネットサイト作りの2百万ルピアをかけただけで総額数百億にのぼる金を荒稼ぎしていた。手に入れた金は自動車・家屋・宝石装身具のたぐいに注ぎ込んでおり、警察は夫婦の自宅からそれら悪の報酬のあらゆるものを押収した。


「日本は人買少女送り込み先の第5位」(2009年3月10日)
人身売買の被害者で国外で売春婦にされていた少女の95%は性病に冒されていると国連国際移住機関インドネシアソーシャルワーカーチーフが発表した。国際移住機関インドネシア事務所が2005年3月から2008年9月までに保護した人身売買被害者の中で15歳から18歳までの少女は807人にのぼる。そのうち性搾取被害者は175人おり、他には中東などに女中として売り飛ばされた者が271人いるがその間には相手が不特定多数がどうかの違いしか横たわっていないようだ。
少女たちを保護して国際移住機関インドネシア事務所に連絡してきたのはタンジュンプリウッ港・スカルノハッタ空港海外出稼ぎ者ターミナル・西カリマンタン州エンティコン国境通過検問所・バタム・リアウ・国家警察・社会省などであり、少女たちが売られて行く先はマレーシア、インドネシア国内、サウジアラビア、モーリシャス、日本という順番だそうだ。性搾取被害者となった少女たちのうち95%が罹っている性病は、クラミジア77%、淋病6%、B型肝炎4%、トリコモナス3%、尖圭コンジローム2%、梅毒1.8%、HIV1.1%などとなっている。
2005〜2007年は援助国からの資金で少女たちひとりひとりにリハビリ指導が行なわれていたものの、2008年からはインドネシアが十分な法規の整備を行なったという理由で援助が打ち切られたためにそれが続けられなくなっている。
人身売買被害者少女たちの出身地は西カリマンタン州31%、西ジャワ州16%、東ジャワ州9.9%、西ヌサトゥンガラ州8.4%、北スマトラ州6.3%となっている。


「タマンサリの少女売春」(2010年3月30日)
西ジャカルタ市タマンサリの遊興街では、15歳から17歳の女子高生が放課後の時間を利用して男性客のお相手をしようと待ち受けている。ある一軒のバーでは十数人の少女たちが14時ごろから19時ごろまでたむろしてミニミニピチピチの衣装に身を包み、やってきた客に自分を売り込む。
客の座ったテーブルにアプローチした少女はタンティと名乗り、「あたしは三年生、16歳よ。最近ここへ来るようになったの。友達に誘われてね。」と自己紹介した。テーブルに着くのを許されたタンティはすぐに飲物を注文し、タバコを取り出す。自宅はマンガブサールで両親と一緒に住んでいるそうだ。タンティをこの世界に誘い込んだナナも高校生で、少女売春の世界に入ったのは一年ほど前。「まだ高校生だから、お泊りはなしよ。」と言う。
客のテーブルに着こうとしないアリ17歳は、ただ遊びに来ただけであり、自分はもう少女売春から足を洗った、と語る。アリがこの世界に入ったのは15歳のときで、13歳の妹と一緒に男と女の世界に足を踏み入れた。このビジネスに入ってくる少女たちはほとんどが先に売春の世界に身を投じた友人に誘われている。
しかしこの少女売春はかの女たちの自発的行為なのだろうか?警察は過去に何度もそのバーの手入れを行なって女衒を逮捕していると言うが、少女たちが売春行為で捕まった話はあまり聞かない。警察は女衒が少女を客に売り、金を受取ったことを立証するのがたいへん難しいからだ、と説明している。よしんば少女たちが自発的に売春を計画し実行したとしても、近くにいる大人たちがそれを傍観して放置しておくようなことは考えにくい。売春少女たちはみんな近隣地区に住む中下層家庭の娘たちだ。そんな生活環境に暮らすひとびとが機会あらば何でも利用して収入を増やそうとするのはどこでも同じだろう。娘たちの親でさえそうかもしれない。インドネシアで頻繁にマフィアあるいはシンジケートという言葉を耳にするが、中に規律ある組織集団がないわけでないものの、多くのケースはそのような統制の取れた集団でなく、利のある場所に自発的に集まってきて一見組織立った動きを見せるが実際には組織化されていない個人の集まりというものも少なくない。悪事をするために集まってきた個人の集合体をマフィアと呼ぶのは、法曹マフィアの例から明らかだろう。
2年前、55歳の男性はそのバーでアプローチしてきた娘をホテルに連れ出した。お愉しみを堪能してその後数日は何事もなく過ぎたが、ある日突然刑事がやってきてかれを連行した。娘がホテルでレープされたと言ってその娘の母親がかれを警察に訴えたのである。警察沙汰になった場合、相手が未成年だと男の側が一方的に不利になる。この事件はまだ検察庁の取扱段階のままだ。 タンボラ町長もタマンサリのバーで拾った少女と遊んだが、その後その少女に性的ないたずらをしたという非難が少女の家庭の関係者から向けられた。町長は少女の親に金を渡して示談にしたそうだ。


「定常的買春客は2百万人」(2010年6月25日)
インドネシアではこれまで麻薬覚醒剤の注射針がHIV/AIDS伝染経路のメインと言われていたが、最近はふたたび性行為がトップにのし上がってきた。その伝染経路に介在しているのが売春婦で、売春婦を買う男たちが罹患者の拡大を推進している。
全国にいる売春婦は2万人で、その客になる男は200万人いる。昔から行なわれてきた隔離売春地区政策はレフォルマシ期に入ってから継続されなくなっており、それどころか地区解体が進んでいるため売春婦は街中に拡散してとらえどころのない状況がどんどん深化している。加えてこの職業に従事する女性たちは出入りの回転が早く、容易に入って容易に抜けていくため常にニューフェースであふれているという姿になっているとのこと。
最新データによれば、伝染経路の49%は1)ヘテロセックス、2)麻薬覚醒剤注射針、3)男の同姓間セックス、4)出産前後の性行為という順番で占められているとのこと。保健省はHIV/AIDS蔓延防止対策を種々行なっているものの、効果的な決め手はまだ見つかっていない。売春婦マーケット周辺にコンドーム自動販売機を設置し、売春婦に対してコンドームを客に使わせるよう指導をしているものの、一般市民からその自動販売機は青年層のフリーセックスを煽るものだという反対が出て自販機を引き上げるといった障害も起こっている。売春客に対する直接的な啓蒙も困難で、医療関係者からの啓蒙指導であることを明らかにしてさえ客は相手になろうとせず、それを避けようとする傾向が強い。また娼館や売春ビジネス者に対する啓蒙もたいへんセンシティブで、商売の邪魔と見られるのが普通であり、無理にアプローチすることができない。HIV/AIDS蔓延問題は単なる保健問題にとどまらず社会文化と経済の問題がからんでくるため、保健省だけではカバーしきれないのが実情のようだ。


「エイズ感染リスクは160万人?!」(2010年11月30日)
HIVエイズのリスクに直面している女性は160万人いる、と国民エイズ予防委員会役員が公表した。その160万人はエイズハイリスク男性と性的関係を持っている、あるいは持つであろう女性で、既婚未婚を問わない。エイズハイリスク男性は310万人おり、常習的売春購入者および23万人の注射針を使う麻薬常習者であるとのこと。この男性たちがハイリスクであるのは、性交時にコンドームを使わないため相手にエイズを移しやすいという理由にもとづいている。
「売春婦は相手にコンドームを使わせるだけの交渉力を持っておらず、ましてやコンドームなしだとチップをはずむと言われれば罹患の恐怖は薄められてしまう。委員会の調査では、伝染性性病の危険とコンドームの効用に関してたいていの男性は十分な知識を持っていることが判明しているものの、日本以外の諸国では男性のコンドーム着用が習慣化していない。売春婦の性病対策も、売春隔離地区の存在を嫌う近隣住民と特定社会層がその制度の廃止を進めたために売春婦の居場所が拡散してしまっており、性病の実態調査や対策がきわめて難しくなっている。」
売春が宗教で禁止されている不道徳行為であるという理由から、最初は一般市民が日常生活を営んでいる領域から売春婦を隔離しようとして、特定地区を設けてそこに売春婦を集め、売春隔離地区として成立させた。売春は法的にあくまでも非合法なものではあるが、ホンネとタテマエの乖離を埋めるバッファーとしてそれは社会的に容認されてきた。売春を取り締まる警察でさえ、売春隔離地区は空気のようなものとして扱ってきたわけだ。
ところが人口増で売春隔離地区周辺に一般市民の居住区が密集してくると、ふたたび不道徳行為という側面が問題にされ、あってはならぬものとして処断されたために、ホンネがカーペットの下に隠されてしまい、売春隔離地区は廃止された。いまや売春婦は普通の民家で一般市民の中に混じって商売を行なっている。どんなにタテマエを叫ぼうが、売春が絶えたためしはないのだが・・・・


「ひよこ売春婦詐欺」(2010年12月28日)
インドネシアでayamと言えば第一義的には鶏のことで、インドネシア人の食用肉ナンバーワンに位置している。第二義的には売春婦を指し、ayam kampus, ayam kampung, ayam abu-abuなどといった使われ方をする。ayam kampusは売春女子大生、ayam kampungは売春婦になった(させられた)田舎娘のこと、ayam abu-abuはその制服の色にからめて売春高校女生徒という意味が持たされている。ayam kampungは言うまでもなく地鶏をも意味している。
KBBI第4版には、ayamにpelacurの意味が与えられているのだが、古い辞書にはayamとpelacurの関連付けがまったく見当たらないので、ひょっとするとこれは比較的新しい用法なのかもしれない。
ayam kampusは英訳されてcampus chickenとも表現されるものの、英語圏で果たしてそのような意味に使われているのだろうか?英語国でのchickenの用法は俗語として臆病者卑怯者・ガキ小僧・小娘といった意味で使われているようで、インドネシア人の言うayam (=chicken)とはニュアンス的にかなり隔たりがある。そもそもインドネシア人にとってayamはjago(雄鶏で闘鶏に使われる)のイメージが強く、鶏と臆病者卑怯者との関連付けはあまり聞いたことがない。なにしろジャゴという言葉はそこから転じてチャンピオン・著名人・やり手使い手・猛者などといった強い者を指す言葉として使われているのだから。インドネシアでayamがpelacurの意味を持つようになった由来は何なのだろうか?
さてそんなayamの子供anak ayamはひよこなのだが、売春詐欺ネットサイトwww.anakayam.us制作者はどんな思惑でその名称を使ったのだろう?タングランのスルポンに在住するイルファン別名スティーブン25歳がアメリカのサーバーに設けたこのサイトにはセクシーな装いの美女の写真が網羅されている。客はその中からお好みの娘を選んでデートでき、ホテル直行もご自由に、という趣旨のお誘いが綴られ、イルファンの電話番号まで掲載されている。料金は一番廉いので100万ルピア、VIPパッケージは500万ルピア、VVIPパッケージは1,000万ルピア、VVIPプラスだと1,500万から3,500万ルピアまでバリエーションがある。そんなパッケージのどこが違うかといえば、高いものほど選択肢が多くまた粒ぞろいの美人たちだということだけ。しかしその中のどの美女を選んで金を払っても、その美女は永遠にやってこない、というのが詐欺の詐欺たるゆえんだ。
ところがこの詐欺になんと一年間で3百人を超えるインドネシアのオジサマ族が引っ掛かった。サイトが設けられたのは一年前で、最初は国内のサーバーに開設したが、半年後にアメリカのサーバーに移転させている。イルファンはホームページ制作を受講して基本を学び、サーバーに詐欺サイトを置いてからは独学でサイトの管理運営をマスターしたそうだ。そして客からの振込みを受けるために複数の大手銀行に口座を開き、稼いだ金でスルポンに豪邸を構えた。
警察がこの詐欺事件を知ったのは被害者ふたりが別々に届け出たためで、被害者は500万ルピアを払ったが美女を手に入れることができず、怒り心頭に発して首都警察に訴えた。首都警察一般犯罪捜査局暴力犯罪第三ユニットはこの事件をポルノサイト捜査の形で進め、イルファンの単独犯行を突き止めてからかれを逮捕した。警察は他の被害者に対し、秘密を守るので届け出るように、と呼びかけている。
かつて類似の事件で、「1億でルナ・マヤがショートのお相手・・・」(2009年03月09日)というものがあったが、あちらのほうがまだ何となく犯人の人の良さを感じさせる、などと書けばまた大勢の正義漢に叱られそうだ。


「カーセックスと少女売春」(2011年4月7〜14日)
2011年3月22日0時半ごろ、都内環状自動車道の北ジャカルタ市プンジャリガン地区を疾走する一台の車があった。その車、三菱パジェロはタンジュンプリウッ方面からプルイッ方面に向かってぐんぐんスピードをあげ、そして突然左前輪タイヤがバーストしたため高架道路のガードレールを突き破って飛び出し、はるか下の地面に落ちて大破した。
墜落事故の通報でプンジャリガン警察署が整理のために出動し、事故車両と被害者を収容した。
運転者である中央ジャカルタ市タナアバン地区在住者であるハメッ・バフルン51歳は即死、同乗していたその友人アブ・バカル39歳は重傷を負い、病院へ移送される途中で死亡した。そのアブ・バカルが半裸の姿であり、すぐそばに全裸の少女が密着していたことで、この事故が単なる事故以上のものであることを警察は確信した。同乗していたのはその少女ひとりでなく、ほかに4人の少女たちがいた。17歳が4人16歳がひとりという5人の少女たちは西ジャカルタ市タンボラ地区とタマンサリ地区に住む仲間同士だ。
アブ・バカルと全裸の少女は性行為の最中であったことが推測された。車内にはアルコール飲料の臭いが濃く漂い、少女たちの身体からもアルコールの臭いが発散されていたし、車内からはアブ・バカルが飲用したと見られる精力剤が数錠見つかっている。
5人の少女たちのうちで死神に連れ去られた娘はいなかったが、17歳のひとりは左足を骨折し、16歳の娘は肩と右足付根を骨折する重傷を負って入院した。ほかの3人はたいした怪我がなく、病院で軽い手当を受けたあと、帰宅した。
三菱パジェロと売春の組み合わせは、モアンマル・エムカが2003年に発表して大いに話題を呼んだJakarta Undercover内の一章『パジェロ・ゴヤン』を思い出させてくれる。ジャカルタの性風俗のさまざまな断面を描き出したこの作品の中で、パジェロ・ゴヤンはさまざまな車種の後部座席を改造して女性と快適に遊ぶ場をしつらえ、お好みの女性を選んでそのスペースに入り、車は運転手が数時間かけてジャカルタの夜の街を走り続けるというカーセックス売春のありさまを生々しく綴ったものだ。セックスはゲームであり、セックスに重要な要素はアバンチュールなのだ、というエムカの持論はインドネシア文化の中にあるオトコのホンネとして興味深いものがある。
5人の少女たちがタンボラやタマンサリの住人であった事実はまた、「タマンサリの少女売春」(2010年03月30日)の記事をも思い出させてくれる。貧困地区の少女たちの多くがどのような人生に向かって進んでいくのかということも、金を得て豊かな暮らしを送るようになることが人生の目標になっている社会で過酷な社会構造を前にして選択できる人生行路が限られている少女たちにとってはごく自然なことであるようだ。加えて少女たちを保護し、生き方の指導をするべきかの女たちの親自身がそれを当然のこととして扱っているのも、そんなありさまを助長する以外のなにものでもないのだから。
16歳の少女は12歳のときから夜に遊興施設で歌手として働き始めた。中学を卒業してから高校への進学はやめ、夜中に働いてより大きな収入を得ることに努めるようになった。夜中に何をすればより大きな収入が得られるのかは、言わずもがなにちがいない。
そのような貧困地区の娘たちは大人も少女も、概して消費志向が強く、不測の事態に備えて蓄えをする者は滅多にいない。重傷を負って入院したふたりのいずれもが、自分はもちろん親にも手術のための金が用意できないだろう、と考えている。手術できなければ、自分の身体は一生障害者のままだ。そして自分の将来はいったいどうなるのだろうか、と。
児童保護国家コミッション長官はその事故を単なる交通事故として処理せず、少女売春のからんだ事件として捜査せよ、と警察に要請したが、北ジャカルタ市警交通事故ユニット長は「同乗者に未成年子女がいたとはいえ、事故は純然たる事故であり、事故とは異なる容疑はどこにも見つからないので、売春云々の捜査には向かわない」と述べている。
首都圏で遊興施設やマッサージパーラーなどで働いている未成年子女は5千人いる、と長官は言う。「17歳以下で5千人だ。18歳の少女を加えれば1万人を超える。貧困家庭に生まれ育ったその子たちは贅沢な暮らしをエサに搾取しようとする大人の口車に乗せられて売春と麻薬の世界に連込まれている。国はそんな状況を放置してはならない。」
ハイウエイパトロールタンジュンプリウッ第2本部隊長は、タンジュンプリウッ地区の自動車道がカーセックス売春の盛り場にされているということは決してない、と否定した。「路肩に設けられたレストエリアも一年前からすべて閉鎖されている。これはトラックが駐車するのを防ぐために採られた措置であり、そこがカーセックスに利用されていたからということではない。わたしの知っているかぎり、そんなことは行なわれていない。」
しかし、モアンマル・エムカを待つまでもなく、なまめかしいトロピカルな夜に性風俗は花盛りという話はいたるところに転がっているのだが。


「プンチャッの契約結婚」(2011年8月29・30日)
プンチャッ(Puncak)。アラブ人。とくると、契約結婚という言葉が三題話のように浮かんでくる。一昔前にあれほど話題をまいた契約結婚だが、依然として深く静かに実践されているのである。
2011年6月8日の深夜に近い時間帯、ボゴール県プンチャッのチサルアで街道を歩いている若い女の姿がトゥグウタラ(Tugu Utara)村行政警官と村役場職員の注意を引いた。寒い夜の空気が一円を覆っている中を、寒さに耐えながらその若い女は肌を露出した身体に密着するミニ衣装で歩いている。「商売女だな?」という想像が頭をよぎらないほうがおかしいような光景だ。行政警官と役場職員はもちろん、違法セックスビジネスを行っている女たちの取締りを行うためにその夜、街道に出ていたのだから。
「いいえ、あたしはただ散歩してるだけよ。商売女なんかじゃないったら!」細身の身体に長い髪をしたその若い女は最初、疑惑を頑強に否定した。しかし、何と言おうが役人たちが自分を放免してくれる気配が全然ないことに気付いたかの女は、ついに一部始終を語り始めた。
フィトリアシは来月の誕生日で18歳になる。そのときかの女は、プンチャッにビラを借りたアラブ人観光客が予定を終えてジャカルタに戻ったので、自分も自宅に帰る途中だった。そのアラブ人はビラに二日間滞在し、フィトリアシは泊り込んでそのお相手をした。かの女はこれまでにもう11人のアラブ人と契約結婚した、と言う。
結婚の儀式はたいていジャカルタで行う。やり方はアラブ人のお好みに合わせる形を取る。そしてハネムーンにプンチャッまで手に手を取ってお出ましだ。報酬はハネムーン日数に応じたものになる。一日から二日が一般的だが、中には10日間も居続ける男もいる。報酬は、夜だけだと数十万ルピア、一週間も同居するなら500万〜700万ルピア。契約妻はその報酬を仲介者と折半する。なにしろ仲介者が仕事をくれるのだから。フィトリアシは仲介者を数人持っている。いろんな場所で出会ったり、中にはフェイスブックを通してかの女を手駒にした仲介者も。
別れの時が来ると、アラブ人は自分の風習に従って契約妻に離縁を言い渡す。セックス処理ですらそのように形式付けなければならないというのは実に厳しい戒律とも思えるが、ポリガミーがそのメカニズムを支えているのは確かなようだ。アラブ人の買春はそこまで律儀なのだろうか?
何でこんな仕事に身を落としたのかと聞かれてフィトリアシは、一家の生計を支えるためだと答えた。父親はオートバイオジェッ運転手をしていたが、オートバイを盗まれてからはもう仕事に出なくなった。
トゥグウタラ村役場が実施したその夜の取締まり成果は7人。現行犯でないから本当に売春婦かどうかは藪の中だが、夜中に出歩いている性的魅力を持った女性が品行方正であるはずがないというインドネシアの常識と役人の心証、そして東ジャカルタ市パサルボの厚生施設に放り込むという脅しのおかげでその成果が確定した。自分のアイデンティティと売春ビジネスの内容を報告させ、「過ちは二度と繰り返しません」という一札を取ってその夜は釈放という結末となったのである。


「夜中、住宅地入り口に集まる売春婦たち」(2011年10月19日)
2011年7月3日付けコンパス紙への投書"Waria dan PSK di Citra Raya"から
拝啓、編集部殿。わたしはバンテン州タングランのビトゥンにあるチトララヤ住宅地タマンプスパクラスターにもう6年近く住んでいます。最近、夜中に自宅に戻るたびに、住宅地区入り口ゲート付近に身をひさいでいるかなり大勢のオカマを目にするようになりました。ゲートの脇には、やはり身をひさぐ売春婦がたくさんいます。住民が夜中に帰ってきて住宅地区内にはいろうとするときの邪魔になるので、デベロッパーはその状況を取り締まるようお願いします。ミニスカートを着てお得意さんの名前を呼んでいるオカマや売春婦たちにはたいへん迷惑しています。そんな光景は住民に代替行楽地をオファーしているチトララヤ住宅地の名声を破壊するものでもあります。住宅地ゲートの近くに警察官詰め所があるのをわたしは見ていますが、どうしてそんなありさまを放置しているのでしょうか?[ タングラン在住、ジェフリー ]


「ドリーから赤い灯が消える」(2013年11月22日)
スラバヤ最大の赤線地区としてその名を知られたドリーが、ついにその姿を変える日が近付いてきた。スラバヤの女性市長トリ・リスマハリニは地に足の着いた賢明な政策遂行で人気が高まっているが、これまでスラバヤの各所にあった売春隔離地区をすべて解消させる方針を打ち出した。
2013年11月10日に売春のない町宣言を発したリスマ市長は、既にタンバッサリ(Tambaksari)、クラカレジョ(Klakah Rejo)、ドゥパッバグンサリ(Dupak Bangunsari)の三ヶ所で売春施設を閉鎖し、残ったスムミ(Sememi)とドリー(Dolly)の閉鎖に専念している。
売春隔離地区の閉鎖は、売春施設を閉じた後に住民の健全な活動のための施設とその中身を用意しなければならず、リハビリには辛抱強い努力が必要とされる。更に過去の歴史を見るなら、売春隔離地区周辺住民の反感に沿って地区を閉鎖したところ、夜な夜な町中に売春婦が出没するようになった土地もある。そのような状況を改善するために売春隔離地区が設けられたわけであって、隔離地区を閉めたらまた町中に流れ込んだというのであれば逆行もいいところだ。
スムミは2013年12月に閉鎖が決まっており、既に秒読み段階に入っている。最後に残されたドリーについては、スラバヤの売春のメッカとされている広大な地区であるだけに、十二分な準備を整えてかからなければならない。ドリーの閉鎖とリハビリは2014年に行なわれることになっており、リスマ市長はスラバヤから売春都市というイメージを払拭することに努めている。


「バタムのボーイズ売春」(2014年2月26日)
リアウ島嶼州バタム市内にあるレストランのマネージャーが殺害されて金品が奪われた2014年1月中旬の事件を捜査していたバタム〜レンパン〜ガラン地区警察は、その事件の加害者だった高校生ふたりと二十歳前後の青年ふたりを逮捕した。逮捕されたのは16歳の少年RとJ、そしてD21歳とN19歳の四人で、もうひとりこの犯行に加わったI16歳を警察は捜索中。
逮捕された四人の取調べの中で、バタム市内に存在している男色売春活動の実態が明らかになった。このボーイズ売春活動に参加している男性青少年は60人近くおり、組織だった活動はなされておらず、買い手側の大人の男性に売り手側の先輩が後輩を紹介するという形で活動が運営されていた。売り手と買い手が直接関係する形になっているため売り手が得る収入は全額売り手の取り分になり、ピンはねのような搾取はまったく行なわれていない由。
レストランマネージャー強盗殺人事件では、逃走中のIはマネージャー氏の現恋人でその関係はもう二年間続いており、また他の四人もすべてマネージャー氏と肉体関係を結んだことがあるためにその家に自由に出入りすることができた。5人は計画的にその犯行を行い、殺害したあと現金・宝飾品・携帯電話を盗んでバタム島外に逃走していた。
警察の捜査に協力して証言した、強盗殺人事件に関与していないボーイズ売春グループのひとりは、セックスの相手になると一回5万から20万ルピアの金をもらえ、またセックスの前後に相手がアルコール飲料を飲むのでそのお相伴に自分も飲める、といったメリットがあり、普段は遊んでいて呼ばれたときだけ相手になり、そして金がもらえるという、楽で儲かる商売だと全面的にその活動を肯定している。いま18歳のかれは、3年前に高校をドロップアウトして仕事を探しているときに友人に誘われてこの世界に入ったと語っている。かれらはそうやって得た金を自分の好きなように使い、あるいは仲間同士でおごりあうようなことに使っているそうだ。このグループに入っている者の性的傾向についてかれは、性同一性障害という観点を強く否定した。かれ自身が、もう一年間女性と同棲していることを明らかにしている。


「バリ島売春婦殺害事件」
Merdeka.com の2013年10月の記事によれば、バリ島の売春は5つの階級に分かれているそうだ。最下層はいわゆる「立ちんぼ」で、夜中にデンパサル市ガトッスブロト通りを通るとよく目にするとのこと。ブントモ通りとピダダ通りの交差点がもっとも密度が高いらしい。その地区では3百人ほどがこの商売をしており、警察が頻繁に手入れを行なっているのだが、この手の取締りはジャカルタでもどこでも同じで、一晩中警官がそこに立って見張るようなことが絶対に行なわれないから、警察が何人かを逮捕して去っていけば、ほとぼりがさめたころにはまた女たちが姿を現すという寸法になっている。ここでの価格帯は3〜5万ルピア。
その上に位置しているのが売春地区で、インドネシア語では「売春隔離地区」という呼称が使われている。つまりこれは、売春を住宅地区の路上や公共エリアの街頭から一掃し、特定地区に売春宿を設けさせて街娼を収容し、売春買春はそこですべて行なわせようという行政の指導が入ったものであり、江戸の吉原の発端とよく似た話になっている。
「インドネシアで売春は非合法になっている」という理解を持っているひとは、理想論を振りかざすインドネシア人の言葉を真に受けているだけであって、法律の中味までは調べを入れていないにちがいない。なぜなら、インドネシアの国法に売春というものを定義付けた上でそれを禁止するものがひとつもないからだ。その詳細は、インドネシア情報ラインの「売春は合法?非合法?」(2014年05月06日)< http://indojoho.ciao.jp/140506_2.htm > をご参照いただければわかると思う。もちろん売春を禁じる地方条例はイスラム文化の強い自治体がたいてい制定しており、そこでは取締りが励行されているのも事実だ。であるなら、「インドネシアで売春は非合法だ」という理解は誤り以外のなにものでもないと言える。禁止しているのは地方自治体であって国ではないのだから。
イスラム文化では、売春というのは健全な家庭生活に障害をもたらすものと見なされるがゆえに社会悪と位置付けられ、売春婦は一掃されなければアッラーの命じる健全で宗教的なウンマーは実現しないという考えが主流を占めており、幼児期から植えつけられた教条的な思想によって売春を敵視していることが多くのインドネシア人の意識の根底にあるため、国法の内容がどのようになっているのかとは関係なく、たいていのインドネシア人が売春を非合法だと語っているのではないかというように思える。実際にたいていのインドネシア人ムスリムは日常生活をイスラムの戒律に則した価値判断で営んでおり、かれらが非合法だという場合の「法」とは、ケースにもよるが、イスラム法を指していることがほとんどだ。インドネシアが世俗国家であり、国家統治は国法によって行われるという原理原則を大多数の国民が理解あるいは認識していないこの状況が、インドネシア社会をして常に混沌の大渦巻でねじりまわされている原因であるようにわたしには思えてしかたない。
ともあれ、ムスリムが売春を敵視しているのなら、売春行為はほそぼそとしか営まれないだろうと思うとさにあらずで、男をオトコたらしめている生理にかかわる現象がそう簡単に統御されるわけがない。理想と実態のへだたりというのは、それほど大きなものなのである。ちなみに、イスラムに限らず、男尊女卑原理の強い社会では、オトコの生理は女の性器を使って処理するという考えが普通であり、男の自慰というものはそういうチャンスが閉塞状況にある場合に限定される傾向が高い。「そういうチャンス」という言葉が示すカテゴリーの中に、レイプが含まれるのは当たり前であり、つまり男尊女卑という原理の中味はそういう部分をもカバーしているのだという理解が持たれるべきだとわたしは思う。レイプの多発する文化の内容をじっくり観察するなら、セックスを含めた女性の存在全体がどのような位置づけにあるのかがもっと明白になるのではあるまいか。レイプされた女が悪者であるという判断は、そういう社会、つまり男の社会がその秩序を乱させる者に対して与える自己中心的な反応であることがわかるだろう。
ともあれ、社会的に認知された妻という存在を相手に行なう生理現象と、暴力を使って果たす生理現象と、金銭で果たす生理現象という三つのあり方が男尊女卑社会の中に並立しているという社会描写がそこに成り立つと思われる。アッラーはその最初の方式を人間(オトコ)のあるべき姿と教えたものの、人間の側にその理想論を実践できる者が少数派だったという事実がそこにアンチテーゼとして登場するのである。だからインドネシア人の夫はたいていが容易に且つ喜んで売春婦と遊び、売春婦からもらったエイズを妻に伝染させ、今では新規に報告されるエイズ罹患者の大半が家庭の主婦だという事態に立ち至っている。インドネシアの下層社会にいる既婚や独身の男たちにとって売春婦がどれほどの意味を持っているかということが、上で述べた3〜5万ルピアという料金につながっていくことを見ていただきたいとわたしは思う。
さて、インドネシアの売春というものを取巻いているそういう状況に対して、行政は社会秩序維持をはかって売春隔離地区を設けた。行政が意志を入れて設けたそのシステムでは、売春婦たちへの保健管理が行なわれている。ところが売春非公認地区で商売している売春婦は行政の管理外にいるため、保健管理は本人次第となる。妊娠には気をつけるだろうが、性病その他の病菌対策は心もとないにちがいない。
売春隔離地区は下層庶民の利用がメインだから、料金は庶民価格になっている。ただし、売れっ子がいるのも世の常で、必然的に売れっ子の料金は高いものになる。江戸の吉原でも同じだったのではあるまいか?
デンパサル市サヌール地区のダナウテンペ通りがバリ島内で知名度最高の売春隔離地区だ。ほかにもパダンガラッなどに売春地区がある。そこで春をひさいでいる女たちの多くは東ジャワや西ジャワ出身者が多く、ごみごみしたその通りにある家屋内の暗く狭い部屋の中でオトコの相手をする。薄汚れた壁、コンクリートの寝台に置かれた薄いマットレス、ほの暗い灯り、ダンドゥッ音楽の喧騒、そんな環境がかの女たちの日常だとMerdeka.comは描写している。料金は一回のセッションで5〜10万ルピア。
その上のクラスはサヌールのダナウポソ通り。そこが売春地区になっているのは公然の秘密であり、ということは、そこは公認売春隔離地区でないということを意味している。公認売春隔離地区にはその存在を秘密にしておかなければならない理由など存在しないのだから。このダナウポソ通りを夜の根城にしている女たちは、普通の民家と提携している者や観光客向けバンガローと提携している者があり、そういうバンガローに泊まって女を買うと料金は20〜50万ルピアが相場だそうだ。サヌール地区の売春は1950年代から続けられてきた伝統あるビジネスだと関係者は語っている。
その次の第四位の階級はナイトスポット。バリ島のナイトスポットはクタ・レギアン・スミニャッにまたがる一帯に集中しているとはいえ、バリ島内でそこにしかないということでは決してない。山間の田舎町にバーとディスコが一二軒しかなくても、そういう施設が生み出す条件は同じなのだ。Merdeka.comは、そういうナイトスポットに客を装って来店し、男の来店客に接近して商売をする女たちをこの第四階級としている。自分のビジネス客をつかまえたかの女は、さっそくカップルとなってどこかにしけこみ、報酬を得てサヨナラをする。外国人観光客だと、一回のデートで100万ルピア以上になるらしいから、かの女らが労働効率の良い相手を探すのは当然と言える。クタのディスコで出会いと一夜のアバンチュールを愉しんできたと豪語されるひとは、インドネシアのまともな娘が保護者もなしにそういう場所へ行くことがあるものと勘違いしているにちがいない。
そしてバリの最高級クラスは、レギアンやグラライバイパス沿いにあるナイトクラブやディスコなどのナイトスポット。ジャカルタをはじめとする大都会に必ずあるスタイルの売春がそれで、店所属のホステスが相手をする。ジャカルタのコタにあるその種の店には、店の奥にベッドを置いた休憩所を用意しているところがあるそうだが、バリの場合はそこまでジャカルタ方式に従っているのかどうか?
バリ島を訪れる国内外観光客が増加し、ナイトスポットも来店客で賑わうようになっている。そしてこの種の需要がうなぎのぼりになっているため、売春ビジネス労働者としてバリ島に定住する女性の数もうなぎのぼりだそうで、兼業のことには触れずにナイトスポットでホステスをしている、と称する女性も急増中らしい。インドネシア人観光客でも100万ルピア以上が相場だそうだから、外国人価格はそれより高いにちがいない。
デンパサル市サヌール地区のダナウテンペ通りにあるカフェ889で、東ジャワ州バニュワギ出身のデウィ・ラハユ25歳、通称アユが浴室で殺されているのが発見された。アユは南デンパサルのクルタダラム通りに住んでおり、職場であるカフェ889に通ってくる。カフェ889という名称ではあっても、そこは売春隔離地区内にある売春宿で、建物所有者はバリ人名だ。
2014年9月27日夜、ひとりの客を取ったあと、深夜1時ごろにアユはかの女を指名してきたもうひとりの客と3号室に入った。客が帰ったあともアユが部屋から出てこないため、カフェ889の従業員や仲間の売春婦たちが不審を抱き、カフェ889建物全体の保安と秩序維持のために雇われているヤントが呼ばれた。
午前3時15分ごろ、ヤントは3号室に入り、浴場で血まみれになったアユがブラだけを着けた全裸の姿でうつぶせに倒れているのを見出した。ヤントは鮮血に濡れた床からアユの身体を抱えて壁にもたれかけさせ、状態を調べてからカフェ889のオーナーであるニョマン氏に電話した。
ニョマン氏からの連絡を受けた南デンパサル署は現場に調査班を送り、刃物で殺害されたアユの死体と現場の状況を調べた。現場にはアユの殺害に使われたと見られる血まみれのステンレス製台所包丁がひとつ残されており、またアユの衣服や使用済みコンドームもその部屋から発見されている。
警察はアユの最後の客が重要参考人であると考えて、その人間を見たり会ったりしたカフェ889のキャッシャーや仲間の売春婦らから情報を集めようとしたが、人相風体に関する有益な情報は得られなかった。客が嫌がるためにもともと薄暗くしてある場所だから、客の顔がはっきり記憶に残るようなことを期待するほうが無理であるにちがいない。アユはダナウテンペの売春隔離地区で働くようになったあと、その地区で働いていたアテンと結婚した。しかしその夫婦関係は長続きしなかった。その地区の別の売春宿で働いているアテンは、別れたあともアユとはSMSで連絡を取り合っており、アユが同じバニュワギ出身でグラライ空港南側のクドガナン地区に住んでいる男をパチャルにしていることを知っていたものの、アテンはその男に会ったことがないため詳細がわからない。初期情報の希薄な五里霧中の状況で犯人捜査を開始せざるを得なくなった南デンパサル署はこの事件について、アユと面識のある人間が凶器を持参し、アユの仕事場であるカフェ889を訪れて行なった計画的犯行であると推測した。
アユの検死はデンパサル市内サンラ病院で行なわれた。遺体はカフェ889から救急車でサンラ病院に運ばれ、午前6時15分ごろから二時間弱で外見検査が完了し、報告書が提出された。検死担当医によれば、左胸の刺し傷が胸郭に達しており、それが致命傷になった可能性が高いが、検死解剖の後でなければ確言できないとのこと。傷は左首と左の額にもあり、そして左手の甲にも大きい裂傷があったことから、被害者が抵抗したのは明白だと担当医は述べている。翌29日、サンラ病院でアユの検死解剖が行われ、死因は左胸の刺し傷が肋骨を超えて肺に達し、大量の出血を起こしたのが原因であると報告された。またアユは妊娠4〜6週間であったことも、検死解剖で明らかにされている。
警察は元夫のアテンと新しい恋人、そしてカフェオーナーや従業員および売春婦仲間から証言を集めているが、これといった決め手が見つからないまま、あらゆる方面に可能性を求めて捜査を進めた。そのひとつはカフェ889に接近する外来者を見張ることで、カフェには黄色いポリスラインが張られ、それを超えて接近する者に私服刑事が身元を明らかにするよう求める姿が頻繁に見られた。
事件発生から三日後の10月1日、デンパサル市警本部が突然、売春婦殺害事件犯人逮捕を報告する記者発表を行なった。警察が逮捕した容疑者はまだ16歳の少年だった。この少年は二ヶ月ほど前に建築現場作業者になるため東ジャワからバリにやってきて、ダナウテンペ通りから近い場所で建築労働者として働いていた。性欲が天を衝くようになるこの年代のインドネシアの少年たちにとって、生理現象の処理を行なうのに、婚姻以外の手段、つまり暴力と金銭によるものはすべて適用可能になっている。もちろん、同年代の少女たちとのフリーセックスも存在しているのだが、かれのような貧困出稼ぎ少年を相手にするような少女は稀であるように思える。少なくとも、かれにとっては売春婦を買うことがもっとも手っ取り早い処理の方法だったのではあるまいか。ところが少年はどうやらアユを見初めていたようだ。恋情と憧れに支配された少年は、他の売春婦が目に入らなくなったにちがいない。
10月1日15時に警察はこの少年を働いている建築現場で逮捕し、所持品を調べてアユの携帯電話と40万ルピアの入ったアユの財布、そして血痕のついた青色の上着を証拠品として押収した。警察の取調べに少年は犯行を認め、犯行の動機と犯行時の状況を次のように説明した。
カフェ889ではじめてアユを買ったとき、一時間遊べるという話だったのに、ほんの短い時間でアユに「もう時間は終わりよ」と言われた。おまけに、肝心の挿入に至らないままでだ。別の日に行ったときも、同じことが繰り返された。それが三回続けば、だれもが詐欺だと思うにちがいない。行くたびに少年は10万ルピアを払った。そして男と女がする肉体の遊びを行なった。興奮が高まり少年が挿入を求めると、アユは「もう時間が終わったよ」と言って少年の欲望を拒んだのだ。少年はアユを恨み憎んだ。『もう赦せねえ。あのアマめ!次にまた同じような騙しをオレにするなら、もう命はねえぞ。』
9月27日、少年は包丁を隠し持って深夜にカフェ889を訪れ、アユを指名した。そのとき、アユには別の客が入っていたため、少年は表の路地に出てビールを飲みながらそれが終わるのを待った。別の客が帰ると、少年はアユと3号室に入った。そして一対の裸の男と女になったが、室内で行なわれたのは、これまでと同様のプロセスだった。少年が性交を求めると、「さあ、時間はもう終わりよ。」と言ってアユは身体を洗うために浴場に入った。
少年は持ってきた包丁を右手に握ると、浴場内のアユにそっと後ろから迫った。左手で被害者の口を抑え、右手の刃物を被害者の左胸に突き立てるという、映画の殺人シーンでおなじみの手法がそこに再現された。その後、少年は衣服を着て3号室を出、従業員や他の売春婦がいるロビーを足早に通って建物の外に出た。建物内に異変が起こった気配はなかった。少年は建物から急いで離れ、そして立ち止まり、緊張をほぐすことに努めた。これからどうしようかという考えが脳裏に湧いてきた。何か事件を起こしたら高飛びするのが常識だ。どこへ逃げようかと考え、何ひとつ逃亡先が思いつかないためにその考えは諦めた。逃げる先などどこにもないのだ。少年は結局、これまで住んでいた建築現場にもどり、飯場の中で眠った。恋情に視野を狭めてしまったことがこの悲劇のもとだったのかどうか、それは誰にもわからない。
(2014年10月13〜17日 ジャカルタ ジェイピープルに掲載)


「警察がオンライン売春を摘発」(2015年5月1日)
首都警察一般犯罪捜査局が、ツイッターで売春を斡旋する美人局業を行なっている男を囮捜査で逮捕した。その男M30歳は、@トゥマンジャカルタというアカウントを設けて客を募り、50万ルピアを払って会員になった者にまずブラックベリーメッセンジャーのPIN番号を与える。PINをもらった客がBBMで女性の写真をチェックしてひとりあるいは複数の相手を指名すると、まず写真に付されている料金の半額を指定口座に振り込まなければならない。女性たちの多くは一時間あたり130〜150万ルピアの価格帯だったそうだ。もちろんネゴ社会のインドネシアだから、客は値切るのが普通だ。
前金支払いが済むと、次はBBMでデートの場所と日時を指定する。当日、客が指定場所に到着すると、Mは客に指名女性のBBMのPIN番号を教え、女性に客からのコンタクトを受けるよう指示する。ふたりが出会ったとき、客は残金を全額女性に渡さなければならない。こうして取引は終わり、後は商品を味わう場面が待っている、ということになる。
このビジネスでは、女性の取り分が70%でMは30%というシェアになっており、Mの商品リストに写真を載せたい女性が続々と参加した結果、BBMでチェックできる女性の数は27人に膨れ上がっていたそうだ。
この摘発作戦では、中央ジャカルタ市メンテン地区チョクロアミノト通りにあるホテルに女性を届けにきたMが現行犯で逮捕された。警察はソーシャルメディアで売春斡旋をしているアカウントを見つけると、囮捜査を行なう作戦をもう何回も行なっているとのこと。しかし例によって、売春婦たちはひとりも逮捕されず、斡旋者だけが逮捕されている。警察の仕事はなくなりそうにない。


「オンライン売春は花盛り」(2015年5月11日)
2015年4月23日にツイッターで売春を斡旋する美人局業を行なっている男を逮捕した首都警察は、続いて25日に別のオンライン売春犯罪者を逮捕した。逮捕されたFは南ジャカルタ市のカリバタシティアパートメントに住み、未成年少女を主に使っていた。年齢が16歳から最高で20歳というかの女たちは、売春行為をFに強制されたことは一度もない、と警察の取調べに一様に答えている。Fは買春者にデート一回当たり60万から3百万ルピアの料金を支払わせていた。Fに使われていた売春婦のひとりは妊娠6ヶ月の身重だったが、自分の身の上を赤裸々に話そうとしない他の売春婦たちと同様に、取調官の質問に言葉少なに答えるだけであり、その少女が売春行為の中で妊娠したのかどうかは明らかにされていない。
首都警察犯罪捜査局青少年女性次局長は今回の摘発について、市民からの通報が発端になったことを明らかにした。Fは何年もの間、売春斡旋を行なっていたらしく、インターネットの売春斡旋サイトは頻繁に替えて違法ビジネスを続けていたようだ。Fの顧客の多くがカリバタシティアパートメントの住人だったことも、この事件の特徴のひとつだろう。住民のひとり、23歳の男性、によれば、アパートメント住人の間で売春が行なわれていることは公然の秘密だったそうだ。かれはクムニンタワーに4年間住んでいる間に、その噂が事実であることを実感したと語る。「売春斡旋者はひとりじゃないよ。ここじゃ、もう普通に行なわれていることだ。捕まったのは、たまたま運が悪かったからだろう。売春婦もここのアパートメントのどこかに住んでいるようだ。しかし、素性や居所が客につかまれないように、かれらはとてもうまく立ち回っている。」
インドネシアの住宅地における暮らしは、住民間の関係がたいへん開けっぴろげで、地域共同体として住民同士の色濃い接触が伴われ、隣組制度の運営から無縁でいられる家庭はなく、近所付き合いを拒絶する者は白い目で見られる。ところがアパートメント暮らしに入ったとたん、居住者たちは手のひらを返したように個人主義生活の信奉者となり、他人の生活に関わり合うことを避け、他人が自分の生活に関わりこんでくるのを拒否するようになる。おかげでナルコバ製造などをはじめとする犯罪行為がアパートメント内で繁茂するようになるのも自然の理だ。独身者のアパートに異性の来客があっても、即座にドアが閉じられるため、隣人にはそれ以上のことがわからない。住宅地でそのようなことが行なわれたら、近隣で持ちきりの噂になるのが確実であり、地域社会での倫理に外れた行為の多くはそれによって抑止されているように思われる。今回の事件でも、売春少女たちには人売犠牲者というレッテルが貼られ、逮捕される者はおらず、事情聴取だけで放免されている。


「芸能人も総出のオンライン売春?!」(2015年5月14・15日)
オンライン売春の摘発に注力している警察は、続いて女優やモデルなどハイクラス女性を売り物にしている美人局を槍玉にあげた。警察が公表したところによれば、その美人局RA(ロビー・アバス、32歳)のメニューにはおよそ2百人の売り物が並び、その全員が女優やモデルなど一度はどこかで目にしたことのある、男の欲望をそそる女性で、お値段も3時間で2千万ルピアから最高は2億ルピアとなっている由。
このハイクラス売春業者摘発では、口コミで得た情報を警察が追求し、きわめて用心深く秘密裡に行なっている美人局に苦労して連絡をつけ、BBMとワッツァップを使って売春婦をオファーする美人局のやり方に従い、その条件をすべて呑み、料金をすべて現金払いした上で、安心してやってきた美人局を逮捕したというのが警察側の手法だ。
例によって警察は、発見した美人局に客を装って連絡をつけ、2015年5月8日に南ジャカルタ市クニガンにある5星級ホテルに売り物を連れて来させることに成功した。というのも、この売春業者は5星級ホテルでなければ客の要望に応じないのだそうだ。デートの日の二日前に料金の30%をRAの口座に前払いさせ、そこではじめて商談成立となり、5星級ホテルの指定された客室にRAがお望みのスター女性を連れて訪問し、残金を回収するというのがそのビジネスプロセスであるとのこと。
5月8日夜、首都警察南ジャカルタ市警の覆面捜査員が待っている部屋にRAが連れて来た美人女性AAが捜査員の誘導で全裸になり、一事に及ぼうという状態になったところで踏み込んできた捜査班に逮捕された。AAが部屋で脱いだパンティとブラは証拠品として押収された。警察の記者発表の場で、そのなまめかしい証拠品が公開されている。
南ジャカルタ市警は同時に、AAを連れて来たRAをそのホテルで逮捕し、取調べを続けている。RAが客に示す売春婦メニューには2百人もの美人女性が料金とともに掲載され、人気の高いアーチスト女性が目白押しだが、警察はそのメニューを公開していない。警察はそのすべてが名の知られたセクシーな美人女優やモデルだと評しているが、RAは取調べの中で全員が芸能界の女性ではない、と供述しているそうだ。ともあれ、そのメニューにある一部のデータが漏洩した。
RAの売春婦メニューの中に登場している人気の高いアーチスト女性の料金はこれだ!という記事がネット上に出現している。そのイニシャルと料金から、「それはきっとかの女だ」と想像をたくましくするひとびとが推測を語っているが、当たっているか外れているかはもはや立証不可能で、RAの口先ひとつの上に置かれることになってしまった。真実を知るのは、実際にそのお買物をした人間だけになるだろう。
TB 2億ルピア
JD 1億5千万ルピア
RF 6千万ルピア
CS 6千万ルピア
MT 5千5百万ルピア
KA 5千5百万ルピア
SB 5千5百万ルピア
CW 5千万ルピア
PUA 4千5百万ルピア
NM 4千万ルピア
CT 4千万ルピア
UJ 3千5百万ルピア
LM 3千5百万ルピア
DL 3千万ルピア
BS 3千万ルピア
FNP 2千万ルピア
TBはタマラ・ブレジンスキー、JDはジェニファー・ダン、RFはロロ・フィトリアあるいはラトゥ・フェリシャ、SBはシンタ・バヒル、CWはキャサリン・ウイルソン、NMはニキタ・ミルザニ、LMはルナ・マヤ、CTはチュッ・タリ、BSはベラ・ソフィーなどというのがその推測だが、真相はいかに・・・? 警察がAA、22歳とイニシャルで呼んでいる美人売春婦の身元は明らかにされていないが、巷ではアダルト週刊誌のフォトモデルをしているアメル・アルヴィだというのがもっぱらの噂で、インターネットにはAAが南ジャカルタ市警に連行されるビデオがユーチューブで流され、あれはアメルに間違いない、との声が諸方面から出されている。しかしアメルのツイッターやインスタグラムの個人アカウント@amelalvi28には「AAは自分ではない」との否定メッセージが何度も出現している。AAは警察が事情聴取を終えた5月9日夕方に釈放された。
しかしアメルには、以前から売春疑惑がある。2013年9月には「アメルは2千5百万ルピアで買える」という情報がネット上に流れた。警察の発表では、AAの料金は8千万ルピアだったと述べられており、アメルが歌手やDJの仕事に手を出すようになってから料金がアップした、というコメントもネット上に登場している。
RAは2012年からこのビジネスを開始しており、経済的には優雅な暮らしをしていたようだ。アーチスト女性を集めることができるのだから、芸能界に関わっていた人間ではないかという憶測が出るのも当然だが、実はまったく無縁の人間だったことが明らかになるに及んで、取調官は呆気に取られたようだ。かれは一念発起して、アダルト雑誌などに時おり記されている電話番号を手に入れると、自分のビジネスで売れそうな女性にアプローチをかけていたそうだ。それがほぼ二年間で2百人もリクルートできたというのは、RAの説得術のなせるわざなのか、それともスター女性たちが持っている潜在的な何かのせいなのか?スター女性たちの中には、結婚し、そして子供まで持っている者も少なくないというのに・・・・
上にあがっている料金表は3時間のショート用であり、ロングともなれば最低でも8千万ルピアにアップする。最高金額は2億ルピアだそうだから、この種の行為で取れる金額、言い換えればこの種の行為に払ってもよいと客が考える金額の上限がそのあたりにあるということかもしれない。
RAはデート地について、できるかぎり客の求めに応じていたようだ。もちろん、5星級ホテルのない土地は論外ということなのだろう。ジャカルタは言うに及ばず、スラバヤ、バリ、メダンなどに売り物を連れて行くことはしていたようだ。そういった国内諸都市のみならず、国外にも売り物を連れて行った。クアラルンプルでもボストンでも、ご希望の土地にご希望の女性を。
国外ともなると、料金はロングの上限あたりまでアップするようだ。しかも、ホテル代と航空券は客の負担になる。外国でインドネシアのトップ女優やセクシーモデルとのお遊びというのは、スター女性たちにとってはむしろ安心できることなのかもしれない。国内の5星級ホテルというのも、やはりその種の環境を国内で求めるためにRAが考え付いた必須条件だったのではあるまいか。


「全国各地で少女売春」(2016年10月6・7日)
リアウ州警察が複数の少女を使って売春ビジネスを行っていた18歳と20歳の男性三人を逮捕した。ビジネスはフェイスブックのアルヴィン・マウラナというアカウント名を使って少女売春をオファーする方式で、既に6ヵ月間続けられていた。それを発見した州警察はおとり捜査を開始し、客になりすまして少女売春婦をオーダーし、プカンバル市テウクウマル通りのホテルグランドズリに16歳と17歳の少女ふたりを連れてやってきたエド20歳を逮捕した。料金は3百万ルピアで、エドが2百万ルピアを取り、1百万ルピアが少女たちの取り分だった。
警察がふたりの少女を取り調べたところ、ふたりの女衒になっているのはエドだけでなく、もうふたりいることが判明したため、警察はふたたび罠をしかけてホテルグランドズリから150メートルほど離れたスディルマン通りにあるホテルアイシャインにおびき出して逮捕した。20歳と18歳のそのふたりはホテルアイシャインで頻繁に泊り客に1百万ルピアで少女売春婦をオファーしていたことが明らかになっている。
警察は続いてそのふたりが使っていた他の売春婦を洗い出して取り調べた。他の売春婦は三人いて、プカンバル市内に住む18歳ひとりと19歳ふたりだった。またエドと他のふたりの女衒たちは、男色客が現れると自分自身をオファーしていたとのことだ。
三人は売春婦のリクルートを口コミやソーシャルメディアで知り合った学校ドロップアウト少女を中心にして行っていた。最初から売春を口にすることはなく、ナイトスポットのサービス職の仕事をオファーして取り掛かりを作り、行き着くところは売春という成り行きにしていたようだ。
また三人は女衒の仕事の片手間にナルコバの販売も行っており、かれらにナルコバを卸していた21歳の男も成り行きついでに手が後ろに回っている。

ジャンビ市でも中学生少女売春が摘発された。この事件で少女売春を売っていた女衒役も別の中学校を素行不良で退学になった同年代の少年だった。
事件が明らかになったのは、13歳の娘が最近とみに高価なさまざまな品物を持つようになったことに親が不審を抱いて問い詰めたところ、W65歳という男性から100万ルピアをもらった結果であることを娘が告白したことによる。何でそのような大金をくれたのかは言い渋っていた娘も、ついに自分の肉体への報酬であることを明らかにし、そうなる過程まで聞き出した親が警察に、女子中学生人身売買が行われていると届け出た。
警察はすぐにWの捜索を開始し、ジャンビ市ジュルトン郡クブンハンディル地区にあるロスメンで中学生少女売春婦が来るのを待っていたWを数日後に逮捕した。警察はWに対して児童保護法第88条を適用する意向で、その刑罰は最高10年の入獄と最高2億ルピアの罰金となっている。
中学生少女たちの女衒になったPという男は普段から街中をうろついている、いわゆるストリートチルドレンで、学校を放校されたあとその生活に入り、同年代の少女たちと仲良くなって人身売買の獲物にするという金儲けの道に入った。
Pは「学業の障害にならずに大金が稼げる仕事がある」などと親しくなった少女たちを言いくるめてホテルに連れて行き、Wが薬物の入った飲み物を少女に飲ませると、少女は頭痛がしてそのうちに眠りに落ちてしまう。Wと眠りこけている少女しかいないホテルの部屋で何が行われたかは想像に余りあるにちがいない。警察の捜査によって、少なくとも5人の中学生少女がWの毒牙にかかり、Pの金儲けのネタになったことが明らかにされている。Pはもっと大勢の少女をホテルに連れて行っているが、傷ものにされなかった少女たちはWの部屋から逃げ出すのに成功したためだった。そのため、Wに少女を引き渡したPは部屋から出ると外から鍵を閉めるようなことまでしている。

スマランでは、29歳の女性と26歳・48歳・56歳の男性三人が、若い女性にカラオケホステスの仕事をオファーし、その話に乘った14歳から20歳までの女性四人が東ジャワ州スラバヤ市内に送られて売春を強要されていた。
事件が明らかになったのは、行方不明になった16歳の少女の親が警察に届け出たのが発端。その少女は中部ジャワ州クンダル市のアルナルンで開かれたパサルマラム(夜市)の入場券売場係員の仕事を得て夜市に来ていたが、そこで26歳の男性を連れた29歳の女性と出会い仲良くなった。そして遊びに行こうと誘われて市内ボジャ郡の行楽地へ行き、とある家でカラオケホステスになる仲間ふたりと一緒になった。
その夜はそこで泊まり、翌日三人はバンドゥガン地区の別の場所に移され、次の日になってスラバヤ市内ウィスマロマンティッまで運ばれてから、軟禁状態にされて売春を強制された。
16歳の少女の親は、夜市の仕事に出たまま何日も帰宅しない娘を探しあぐねて警察に届けを出し、警察の捜査によって事件が解明された。