ナシゴレン


まずはこのオランダ語の軽快なポップソングをお愉しみください。

ユーチューブはこちら。

https://www.youtube.com/watch?v=qvuEJsCIU2k
https://www.youtube.com/watch?v=yph7l6dg5XI

歌詞はこれ。

"Geef Mij Maar Nasi Goreng"

Toen wij repatrieerden uit de gordel van smaragd
Dat Nederland zo koud was hadden wij toch nooit gedacht
Maar‘t ergste was‘t eten. Nog erger dan op reis
Aardapp’len, vlees en groenten en suiker op de rijst

(Chorus)
Geef mij maar nasi goreng met een gebakken ei
Wat sambal en wat kroepoek en een goed glas bier erbij
Geef mij maar nasi goreng met een gebakken ei
Wat sambal en wat kroepoek en een goed glas bier erbij

Geen lontong, sate babi, en niets smaakt hier pedis
Geen trassi, sroendeng, bandeng geen een tahoe petis
Kwee lapis, onde-onde, geen ketella of ba-pao
Geen ketan, geen goela-djawa, daarom ja, ik zeg nou

(Chorus)

Ik ben nou wel gewend, ja aan die boerenkool met worst
Aan hutspot, pake klapperstuk, aan mellek voor de dorst
Aan stamppot met andijwie, aan spruitjes, erwtensoep
Maar‘t lekkerst toch is rijst, ja en daarom steeds ik roep

(Chorus)


日本語訳はおおよそ、こんなところ

「ナシゴレンをちょうだい」

インドネシアから着いたとき、
オランダがこんな寒いところだなんて、思ってもみなかった
一番ひどいのは食べ物。旅行中よりもっとひどいんだから
ジャガイモ・肉・野菜・砂糖がご飯の上に

(Chorus)
目玉焼きの載ったナシゴレンをちょうだい
サンバルとクルプッと、それからおいしいビールを一杯
目玉焼きの載ったナシゴレンをちょうだい
サンバルとクルプッと、それからおいしいビールを一杯

ロントンもサテバビもなし、辛みもなし
トラシもスルンデンもバンデンもタフプティスもなし
クエラピス・オンデオンデ・シンコン・バパウもなし
もち米なし、グラジャワなし、だからわたしは言うの

(Chorus)

でもわたしはもう慣れた。キャベツにサヤインゲン
ヤシの果肉とミルク入りのフッツポット、エンダイブ入りスタンポット
スプライチェスにエルチス入りスープ
でもそんなものよりご飯が一番、だからわたしは言うの

(Chorus)


少女期までスラバヤに住んでいたオランダ系の女性が作って1979年に発表した軽快で楽しい「ナシゴレンをちょうだい」というポップソングがこれ。
1957年にインドネシアがパプアをオランダから手に入れるために行ったトリコラ作戦で、かの女の一家もインドネシアから離れざるを得なくなり、当時まだ14歳だったかの女が、気楽で、伸び伸びして、大らかな熱帯暮らしからヨーロッパ社会に適応せざるを得なくなった時の心情がその歌詞に込められているように感じられる。

その実態は、ヨーロッパ人の家庭の子供なんだから、という先入観からは大外れであり、この種の精神傾向はオランダ東インド文学の中に頻繁に見受けることができる。歴代の家系のどこかにプリブミの血が混じり、何代にもわたって受け継がれてきた東インド文化の混じり込んだ生活習慣がインド(オランダ語Indo-Europeaanの省略形)であるかれらをして、生粋のオランダ人との間に埋めきれない溝を感じさせるのである。


ナシゴレンには標準メニューなど存在しない。その言葉の語義である、炊いたり蒸して調理されたコメを油で炒めたものなら、どんなものが混ぜられ、どんな味をしていようが、それはナシゴレンなのだ。

ナシ(nasi)の語義は炊いたり蒸して調理されたコメつまり飯なのであり、ゴレン(goreng)とは熱した油で調理することを意味している。油の量は定義されておらず、要は油を使って食材を加熱する方法を指している。少量の油で炒める方法はトゥミス(tumis)という別の言葉があり、多量の油の中に食材を沈めてしまうゴレンと区別できるようになってはいるが、しかしながら、トゥミスもゴレンの概念に含まれるものであるため、単にゴレンという言葉だけでは大カテゴリーのゴレンを意味しているのか、それとも小カテゴリーとしてトゥミスでないゴレンを意味しているのかよくわからないという、厄介な構図になっている。

ともあれナシゴレンというのは、夜中に屋台を引いて住宅地を巡回する食べ物作り売り屋台から、5星の高級ホテルレストランに至るまで、あらゆるレベルの階層にあらゆるレベルの調理人が提供する、きわめて民主的で友愛精神に富んだメニューなのである。このメニューはこうでなければならない、というドグマはナシゴレンに無縁のものなのだ。

インドネシアの各地には、それぞれ地元独特の風味を持つナシゴレンが存在し、その調子でこの広大な国土が覆われていると言っても過言でないだろう。飯を油で炒める料理を持っている国は世界中にたくさんあるが、インドネシアほどバラエティに富んでいる国は二つとない、と料理専門家は言う。それは、存在する限りの調味料がナシゴレンに合うからであり、世界最大のバリエーションを有するインドネシアのスパイスが生み出すナシゴレンに太刀打ちできる国はまず見当たるまい。料理評論家のウイリアム・ウォンソ氏は、ルンダンの調味料さえナシゴレンに使える、と語っている。


そんなバリエーションに富むナシゴレンが全国各地から集まってくるジャカルタは、ナシゴレン愛好家にとってのメッカなのである。全国各地の地元メニューを看板に出している食堂やレストランでナシゴレンを供してくれるかどうか、話のタネに尋ねてみればよい。メニューになくとも、「作っていいよ」と言ってもらえればもうけものだ。

そればかりか、外国料理店の中にも、その国の炒めご飯を出すところさえある。アラブにもインドにも、炒めご飯のメニューはあるのだから、ジャカルタに住むというのは舌を肥やす絶好のチャンスなのである。アラブレストランやインドレストランを敬遠ばかりしていないで、是非話のタネに体験することをお勧めしたい。辛いのがダメなら、辛くないのにしてくれと頼めばよい。西洋人はたいてい、そのような注文を最初にしている。こういった食べ物のメニューに関するかぎり、客が店側の言いなりに従う必要などまったくないのだ。

店員が客の言うことを聞いてくれないなら、いったん座った椅子からまた立ち上がるだけの話なのである。


作家オマル・カヤム氏は「ナシゴレン理論」と題する小論の中で、家庭でのおいしいナシゴレンの作り方を指南した。油は他のおかずを作ったあとのものを使い、バターなどは使わないようにせよ、とかれは言う。他のおかずに使った油が、種々の食材をよりたくさん通っているほど、その油で作るナシゴレンは美味になるそうだ。

各家庭ごとに調理の傾向は異なっており、それがナシゴレンにも反映されて、その家のナシゴレンの味が生まれるのが一番自然なあり方だとかれは主張しているのである。要はその家でのおかず作りとナシゴレンの味覚の同期が、我が家のナシゴレンの味を生むということだ。

その我が家のナシゴレンの味覚は、必ずしも日本語の「おふくろの味」とフィットしないから、誤解してはならないだろう。おふくろが手ずから作って子供たちに食べさせるのが「おふくろの味」だとすれば、大家族制の台所にはニ三世代の女たちが集まって共同作業しているのだから、そんなものは成り立ちにくい話になってしまう。さもなければ中流家庭には家庭プンバントゥがいて、料理の主軸をかの女が握っているのだから、これもおふくろの味にはなりにくいにちがいない。


ナシゴレンは朝昼晩夜食のいつ食べようが、不自然さはかけらもない。元々は中国人が前日の夕食に作った豪華な食事の残りものを、翌朝熱しなおして食べたことに由来しているそうで、その伝で行くなら朝食が普通だったのだろう。だがそれは太古の話だ。

食堂に入って注文に迷ったら、ナシゴレンを頼めというアドバイスがある。ただし辛いものが怖いからナシゴレンを、というアイデアにはリスクがある。ナシゴレンのバリエーションの中にナシゴレンチャベというものがあるから、インドネシアの食堂でナシゴレンをチャーハンや焼き飯と同一視するのはアブナイ。やはり注文時に「辛くないものにしてくれ」と頼むべきだろう。


インドネシアの全国各地に地元のナシゴレンがあるように、世界各国にもその国で一般的な調味料と食材を使ったナシゴレンがある、とウイリアム・ウォンソ氏は説明している。

中国はニンニクと醤油味が一般的で、もし色が赤茶っぽければホイシンソースが使われている。海??の広東語読みがホイシンで、海鮮の文字に反してこれはベジタリアンソースなのだそうだ。日本のものはシンプルで、ニンニク・卵・日本醤油の味付けになっている。

タイは細切れパイナップルとレモングラスが混ぜられ、ベトナムはノニフルーツの若葉のみじん切りがウコン・エシャロット・ニンニクと一緒に調味料の中に混ぜられる。

インドネシアでは、地方によって味わいは千変万化する。ケチャップマニスを使った甘いものがインドネシアのナシゴレンの特徴だと思っている外国人が少なからずいるようだが、それはジャワ料理に一般的な特徴であり、インドネシア全土に敷衍しては井の中の蛙になる。甘い味のジャワ料理を好まないインドネシア人もたくさんいるから、その把握のしかたは正しくない。

スマトラのパダン料理の王者「ルンダン(rendang)」から東ジャワのあの真っ黒なスープ「ラウォン(rawon)」のブンブに至るまで、どれを使っても世界に恥ずかしくないおいしさだ、とウイリアム・ウォンソ氏は太鼓判を捺しているのである。


元々は、前日炊かれて冷えた飯がナシゴレンに使われたのだが、この現代にそんなことをする食堂レストランはあまりない。というのも、飯の水分が滲出してベタベタするのを防ぐために、一度炊いて冷ました飯を、あまり時間を置かずに使うのが業界の常識になっているのだそうだ。もちろん、ナシゴレン用の飯は白飯用よりも水の量を減らした硬めのものになっている。

昔子供のころに日本で、食堂レストランでは焼き飯を注文するなかれ、という指導を受けたことがある。それは別の客が残して去った白飯を焼き飯にリサイクルさせているからだという説明だったのだが、それが衛生上の理由だったのか、それとも悪辣商法への正義感に導かれたものだったのか、それは分からずじまいだった。


インドネシアでナシゴレンのベーシックなブンブは、エシャロット・ニンニク・コショウ・トウガラシ・塩がすべてだ。ケチャップアシン(醤油)やケチャップマニスそして卵も、ベーシックでなくオプションに入る。

ジャカルタのモールに出店している、あるレストランのシェフによれば、中華ナシゴレンはオイスターソースが必ず加えられ、ジャワのナシゴレンはトラシ(terasi)とクミリ(kemiri)が加えられるのが普通になっている。

かれによれば、食堂などで客に供するナシゴレンを作るときに加えられるブンブには次のようなものがあり、どの調理人も客の評価を確かめながら秘蔵の味覚を作り出しているのだそうだ。曰く;
kapulaga (カルダモン)、ketumbar (コリアンダー)、cengkeh (クローブ)、jintan (クミン)、kayu manis (シナモン)、blendo (ブレンド=ココナツミルクを水分がなくなるまで煮詰めたもの)、bumbu nasi kebuli (ナシクブリはアラブ風炊き込みご飯)などがあるとのこと。

そんなバリエーションに富むナシゴレンには、このようなものがある。
nasi goreng ayam, nasi goreng kambing, nasi goreng bebek panggang, nasi goreng corned beef, nasi goreng udang, nasi goreng kepiting, nasi goreng sarden, nasi goreng ikan teri, nasi goreng ikan asin, nasi goreng seafood, nasi goreng saus tiram, nasi goreng cumi asam manis, nasi goreng nanas, nasi goreng petai, nasi goreng cabai rawit, nasi goreng gulung telur, nasi goreng bakso, nasi goreng terasi, nasi goreng sedehana, nasi goreng istimewa, nasi goreng keju istimewa, nasi goreng kombinasi, nasi goreng jawa, nasi goreng bali, nasi goreng yogya, nasi goreng cibitung, nasi goreng oriental, nasi goreng jepang, nasi goreng vietnam, ・・・まだまだ書ききれないくらいある。


インドネシア語のゴレン(goreng)の語義は既述した。トゥミスに対応する中国語は炒(チャ)で、炒飯の文字が示す通りだ。インドネシア語でどうしてナシトゥミスと呼ばないのかの理由は上に書いた。

この油で熱して調理する方法を、インドネシアの原住民は中国人から学んだという説がある。というのは、1416年の鄭和大航海のときに通訳として従った馬歓の書き残したジャワ島旅行記には、ジャワ島の原住民は昆虫類を火に少し焙っただけで食べている、という記載があり、また1656年にジャワの内陸部を旅したファン・フーンス(Van Goens)の記録にも、ジャワ王宮での宴ではヤギや羊、牛や水牛の肉を火で焙ったり、炒めたり、干したものが山のように供され、油はバターの代わりのような使われ方をしていた、と書かれている。

具体的な説明が乏しいためにはっきりとは断定しにくい面があるにせよ、現代インドネシア人の「揚げ物(gorengan)」好きからは想像しにくいほど、昔のプリブミは火で焙る調理法がマジョリティを占めていたように思われるのである。多量の油の中に食材を沈めて加熱する調理方法は、ひょっとしたらここ数百年の間にインドネシア人の味覚をとりこにしたということなのだろうか?


インドネシア語の中でのgorengとtumisの使い分けには、どうやらある傾向が見られるようだ。

A.tumisの代わりにgorengが使われているもの:nasi, mi, bihun, kwetiau, telur,
A.の用法がfrehch toast, roti, udang, ikan, cumi,などに使われることもあるが、正確にtumisが使われるケースもある。

B.deep-fryの意味でgorengが使われているもの:ayam, bebek, nugget, tahu, tempe, bakwan, batagor, roti, lumpia, pastel, oncom, cireng, pisang, ubi, kerupuk, singkong, sukun,
B.区分のものの中には、tumisの調理方法も使われるものがあり、その場合はtumisという語が用いられて、明瞭に区別されている。

こうして見ると、やはり大カテゴリーのgorengと小カテゴリーのgorengは一大混乱の中で使われているように思えてならない。tumisを大カテゴリーのgorengで表現するひとが絶えないのは、単語の普及における時代差が影を落としたということなのだろうか?

tumisという語の普及範囲が狭いようには決して思えないのである。tumisをgorengと表現するひとたちも誰かにtumisと言い直されるとうなずいているから、みんなその言葉は知っていると見てよいだろう。しかし自発的にtumisの語を使おうとしないのは、いつまでたってもnasi gorengという言葉がnasi tumisに変わらないことにひょっとしたら関係しているのかもしれない。

印尼華人のひとりが著した「インドネシア化した中華料理」に関する書物によれば、油を使って熱する調理方法には次のようなものがある。
炸(チャ)加熱した多量の油に食材を浸す
炒(チャウ)少量の油で手早く加熱する
煎(チェン)卵焼きのように少量の油で熱する
 
インドネシアの中華系レストランを愛用されている方にはおなじみの、チャという調理名称がある。cah kangkung, cah brokoli, cah jamurなどの言葉にきっと見覚えがあるのではないだろうか。

通常cahと表記されているその綴りは、上述の「炸」の福建語音に該当しているのだが、どうしたことか、インドネシア語の調理方法を読むと、tumisと書かれているのである。おまけに巷に流通しているレストランのメニューの中にはtumis kailan cah jamurのような書き方になっていて、出てくる料理は芥蘭菜とシイタケの炒め物になっているのが普通だ。シイタケだけがディープフライされているわけではない。

この事実も謎と言えば謎であるように、わたしには思える。インドネシア語を解する華人は不思議に思わないのだろうか?


もうひとつの謎は、日本語の「焼き飯」。ナシゴレンは中国語の炒飯で、炒飯=日本語の「チャーハン」「炒め飯」「焼き飯」だから、ナシゴレン=焼き飯という理解が成立する。

そもそも、調理に関連する「焼く」という語の定義があいまいなことから、「焼く」と「炒める」の区別がたいへんわかりにくくなっているのが実情のようで、焼くことに油がどう関わっているのか、また手早く加熱するのかどうか、そのあたりの明確な答えが見つからない。

「鉄板に油を敷いて焼く」という語法があるそうだが、鉄板焼きが普及するはるか昔からチャーハンを焼き飯と呼ぶ用法が存在していたことを、わたし自身が体験している。

中国に焼飯(シャオファン)と呼ばれる料理があるのかどうかわからないが、インドネシアにはナシゴレンでないナシバカル(nasi bakar)という料理がある。単純に単語の置き換え翻訳をすれば、このナシバカルが日本語の焼き飯になってしまうと言えそうだ。このナシバカルというのは、いかなる食べ物なのだろうか?これも家庭料理のひとつだから、工夫してお愉しみいただけるようお薦めしたいと思う。

ではナシバカルの作り方をご紹介しよう。

1.まずご飯を普段のように炊き、必要な量を取り分けて塩と油(バターがよいか?)を少々混ぜておく。

2.具を用意する。具はお好みのおかずでよい。インドネシアで一般的なのは、鶏肉やツナを種々の野菜やブンブと一緒に炒めたもの。

3.1.のご飯をバナナの葉に乗せて、具を中に入れ、少しつぶれた円筒状にする。ご飯とおかずのバランスをもっと均等にしたいなら、ご飯の上に載せるだけでもかまわない。ご飯を船形にすれば、具の味が全体によくしみ込む。

4.乗ったご飯と具をそのバナナの葉でていねいに包み、縛る。

5.それを火の上で焼く。バナナの葉が干からび、香りが出てくれば出来上がり。縛った後、時間が経過してご飯が冷めてから焼いても、まったく構わない。しかしご飯の水分があまり減らないうちに焼くほうがよい。

6.温かいうちに、バナナの葉を開いてご賞味ください。


インドネシア語で飯のことをナシ(nasi)と言う。
「人はオラン(orang)、飯はナシ(nasi)、魚はイカン(ikan)、菓子はクエ(kue)」というダジャレを、インドネシア語学習者は少なくとも一度は耳にしているのではあるまいか。

そのナシを調理することを昔はmenanakと表現した。ほとんどmenanak nasiという形で使われてイディオム化している。ところが今やmemasak nasiという言葉にその地位を譲り渡したのは、menanakの中身が炊くことをもっぱらにし、蒸すことを含んでいなかったのが原因らしい。伝統的なmenanak nasiの手法はこのようになっている。

洗ったコメを鍋に入れ、水を人差し指の中ほどくらいかぶさるように入れる。鍋を炉に載せ、ふたをして中火で煮る。水が沸騰したら、中を良くかき混ぜて鍋底が焦げ付かないようにする。コメが十分に炊きあがったら、完了。

だが鍋で炊き上げず、半熟飯を蒸しプロセスに移す方法もある。menanakの原意は炊くことを主体にしたものだったらしいが、その後この炊き+蒸しプロセス全体をもそう呼ぶようになったそうだ。

蒸し器の身近くまで水を入れてから身を置き、その上に鍋から半熟飯を移す。蒸し器を炉に載せ、ふたをして中火で熱する。ときどき、飯ができあがったかどうかをチェックする。30分くらい経過すれば、たいてい出来上がる。

これがインドネシアの伝統的な炊飯方法だったそうだ。

しかし、全工程蒸すだけの一辺倒という方法を、伝統的飯作りプロセスとして推奨するひともいる。この場合はmenanakが使われず、mengukus nasiと言うようだ。

まず蒸し器の身近くまで水を入れてから身を置き、沸騰させる。沸騰したら、洗ってあるコメを入れる。コメが柔らかくなったら容器に移し、蒸し器の水を捨ててまた水を入れ、沸騰させる。沸騰したらさっきの半熟飯をまた蒸し器に入れて、蒸す。できあがったら容器に移し、扇ぎながらかき混ぜる。


そういう方法とは別に、インドネシアにはコメを飯にするさまざまな方法がある。代表的なものはイドゥルフィトリに使われるクトゥパッ(ketupat)だろう。

東南アジア一帯で広く普及しているこのクトゥパッはヤシの葉を袋状に編んだものにコメを入れて作られる。調理法は、まず洗って水に浸しておいたコメを袋状の中に入れて閉じ、鍋に袋の全体が浸る量の水を入れて熱し、沸騰直前にクトゥパッを入れて5時間くらい熱する。コメを袋に入れるとき、コメが膨らんでちょうどキチキチになるだけの空間を残しておかなければならない。

インドネシアの中にもこのクトゥパッに異なる名称を用いているところがあり、スンダやジャワはクパッ(kupat)、ブタウィはトゥパッ(tupat)、バリではティパッ(tipat)などと呼ばれている。各種族文化によってイドゥルフィトリに強く関連付けているケースもあれば、そうでないところもあり、普段の日常生活に頻繁にその姿を見せる地方もあれば、イドゥルフィトリのシーズンを外すとその姿をみることがないところまでいろいろだ。バリ島では普段からヒンドゥの祭事にも使われており、日常生活の片隅にその姿を見ることができる。


他になじみ深いものにロントン(lontong)がある。円筒状に固めた飯を輪切りにして、よくサテに付けられているあれだ。ロントンはジャワ文化にその起源を持ち、インドネシア独特のものなのだそうだ。ロントン作りにはバナナの葉を使う。作り方は次の通り。

バナナの葉を適切な大きさで数枚用意し、乾燥させておく。その葉を巻いて直径3センチ程度の円筒形にし、端をツマヨウジで止めてふさぐ。洗って水を切ったコメを円筒の半分くらいまで入れ、円筒の口をツマヨウジで止めてふさぐ。
鍋に円筒全体が浸るまでの水を入れて、円筒を4時間くらいゆでれば出来上がり。円筒状に固まった飯の外側は、バナナの葉から移った緑色になっている。


そのロントンをもっと?大型にして、竹筒に入れて火で焼くという、野趣満点の飯がインドネシアの各地にある。このルマン(lemang)と呼ばれる料理は、もち米が使われ、また水でなくココナツミルクが混ぜられるから、それを飯と思えないひとがいるかもしれないが、ルンダンや他のおかずと一緒に味わってみるのも悪くあるまい。作り方はこうだ。

もち米を洗ってから4時間ほど水に浸しておく。水を切って、塩とココナツミルクを混ぜる。竹の一節を切り取ったものを外も中もよく洗浄する。節の残っている側を底にし、口が開いている側を上にして、その中にバナナの葉を円筒状にして底まで差し込む。バナナの葉の端が竹筒の外に少し出るようにしておく。

バナナ葉の筒の中にもち米を竹筒の長さの4分の3くらいまで入れてから、バナナの葉の口を閉める。熾火を作り、竹筒は口を上にして熾火の上に斜めに立てかける。熾火は十分熱いものにすること。竹筒はときどき回転させて火が全体に行き渡るようにする。

竹筒の中身が煮えたら、熾火から離して食べごろの熱さまで冷ます。温かくなったところで竹を割り、バナナの葉を開いて適切な長さに切り、みんなでルマンを賞味する。

甘いものやドリアンのようなフルーツと一緒におやつとして食べてもよいし、あるいはルンダンや魚料理と一緒に食事として食べてもよい。

ルマンはジャワ語で「焼く」を意味しているそうだから、これもナシバカルのひとつと言えそうだ。全国各地にあるこの料理は昔、地方によってはもち米でなく普通のコメが使われていたらしい。1864年ごろに英国植民地政府が、マラヤ半島で地元民がそのようにしてコメを食べていることを記述した報告を残している。


もち米と言えば、インドネシアの食べ物の中にも餅がある。中国や日本の餅とよく似ているが、インドネシアらしい違いがある。ウリ(uli)と呼ばれているその餅の作り方はこうだ。

もち米をよく洗って6時間ほど水に浸し、蒸し器に入れてヤシの果肉のおろしたものを上にかける。半熟まで蒸されたら、それを容器に移して塩を混ぜ、よくかきまぜてから、また蒸し器で蒸す。

蒸しあがったら容器に移して、まだ熱いうちに粒粒をつぶす。ペースト状になればできあがり。

このウリはオンチョムや砂糖、煎ったヤシの果肉おろしなどと一緒に食べる。あるいはシロップを塗ったり、甘くしたヤシの果肉を載せて、焼いて食べることもする。ジャカルタでは、パサルの片隅でウリバカルを焼いて売っている物売りにときどき出くわすことがある。

ブタウィではタペウリと称して、タペクタン(tape ketan もち米を発酵させたもの)とウリを一緒に食べる。これはブタウィ文化の産物のひとつだとする意見もあり、ジャカルタに住んでいるころは確かによく口にしたものだが、それが定説となっているかどうかはわからない。

日本のように搗くプロセスがないので、ウリには日本人が期待する餅特有のあの粘り気がないのが残念と言えば残念だ。


(2018年2月26日〜3月9日)