「親切で優しいインドネシア人」


インドネシア人と個人的に知り合った外国人のほとんどは、インドネシア人は親切で優しいと言う。言うまでもなくインドネシア文化の中にも世間に役立つ人間になることが社会善であるという価値観が確立されているため、他人に親切に振舞い、その相手から感謝されて自分の存在価値を実感するということをたいていのひとが行なっているのは世界中のあらゆる国と同じだ。そしてそのインドネシア人がジャワ種族である場合、日本に昔あった「和をもって尊しとなす」価値観が優勢なため、他人に優しく振舞うことも大いなる善とされている。どんな異様な文化の中においても、その文化の持っている価値観で善とされているものに人間は忠実であり、要するに人間というのは自分の住む社会で善人になることを強迫観念として持っている生き物であるという公理がそこから紡ぎ出されるのだが、これは人間の性善・性悪論とは関係のない単なる社会適応の帰結である。

それはともかくとして、善人になろうとして親切を行なうひとびとであっても、人間の対等原理をふまえた個人主義がいまだに借り物に近いアジアの国々では、「小さな親切、大きなお世話」現象がかなりの密度で混じりこんでいるような気がわたしにはする。
いや、現代世界文明を育んだ諸国はそんな現象から免れていると言っているわけでは決してない。それはあくまでも程度の問題なのだから。そして、対人接触において親しく和気藹々とものごとを行い、他人の心を常に慮って礼儀正しさを忘れない人間を優れたものと位置付ける価値観のために、怒りや不満を微塵も示さずに大きなお世話を親切として受け取ることが習慣化しているところでは、大きなお世話への不満が水面上に浮かび上がってきて波風を立てることもあまりないにちがいない。


インドネシア文化の中で、やはり善の価値を持つ人間のあり方のひとつに、プドゥリ(peduli)という言葉で表現されるものがある。「気にかける」という訳語がよく使われるのだが、その対象となるものごとを自分のこととして積極的に関わっていこうとする姿勢を指しており、ポジティブで建設的な価値を伴っている。ただし、そのような姿勢を取って自分が乗り出して行こうとする対象は通常自分の外にある問題やありさまなのであり、その解決や改善に自分(たち)が手を貸してあげようという善意のあらわれという一面を持ってはいるものの、もしそれが他人の問題やありさまであった場合、それが善意の押し付けに向かわないこともないとは言えない。プドゥリを使った標語の例を挙げるとわかりやすいだろうか。peduli lingkungan, peduli anak, peduli alam, あるいは自分の故郷を世直ししようというような勢いのpeduli Baliなど、さまざまだ。

そんなプドゥリの押し付けを受けたときにインドネシア人がよく使う表現として"Peduli amat!"という言葉がある。程度が大きいことを表す副詞amatや bangetなどが単語の後ろに付けられることが増えているが、"Peduli amat!"という語句はプドゥリの程度が感嘆するほど大きいことを言い表している。単に大きいことに感心しているのであれば「すっごい・すっごく」というポジティブな意味合いになるわけだが、あまりにも大きくて過剰だというネガティブな心情が盛り込まれたら、「プドゥリしすぎ」つまり「大きなお世話」というニュアンスがそこに染み出してくる。否定詞が使われていないのだから、これをダイレクトに否定表現形式と説明するのは無理があるとわたしは思う。


プドゥリは、他人のことなど知ったことじゃないという自己中心的姿勢の対極に置かれているものであり、共同体の他の成員に積極的に関わり合い、仲間として共同体の維持発展を支えようという社会観から発しているものと思われるが、インドネシア国内で折りにふれてプドゥリが叫ばれるのは、異文化の流入による個人主義的価値観の強まりへの警告なのか、それとも伝統的な価値観を自ら投げ捨てつつある世の中の流れに対する危惧の表れなのだろうか?言うまでもなく、インドネシア文化がその社会基盤に置いている原理のひとつは集団主義であり、優れたインドネシア文化の産物と定義付けられているゴトンロヨンやムシャワラあるいはムファカッなどは明らかにその集団主義に根ざすものだ。

インドネシアでは個人主義がほぼ利己主義と重ねあわされて理解されており、自分が所属する集団に奉仕しない個人は自分の居場所を失ってしまう。家族主義およびムラ社会の延長線上にあるインドネシアの集団主義は、残念なことに、なかなか各集団共同体の枠をより高次の共同体概念に広げえないでいる。ジャカルタが巨大なカンプンと呼ばれ、隣り合う町内で住民たちがタウラン(集団喧嘩)を行ない、高級住宅地は地区に入ってくる道路に遮断機をおろして住民以外の車を入れないようにしているなどといった事実からは、ジャカルタという国内最大の都市ですらいまだに住民がそれを自分たちの生活共同体にしえないでいる実態が浮かんでくる。

だから、自分を雇用している会社あるいは組織が家庭の延長線上に位置して擬似生活共同体化している日本文化では、従業員が持つ会社や組織との感情的つながりはプロモートされる必要のあまりないものになっているが、文化の土壌が違うインドネシアでは、事あるごとに"Keluarga Besar PT Dotamba" などという従業員の感情に一体感を呼び覚ます言葉を担ぎ出すのが習慣化している。

日本人一般が旺盛に持っている、自分の所属する会社や組織への忠誠心について表現するとき、帰属意識という言葉がよく使われる。英語のsense of belongingと帰属意識は逐語的にフィットしているように思われるので、きっと翻訳関係にあるにちがいない。インドネシアに駐在して、ローカル社員の帰属意識を高めたいと思った方も多々いらっしゃると信じるのだが、sense of belongingのインドネシア語訳がrasa memilikiであることを知ってメンタリティの差に愕然とした記憶がわたしにはある。

自分の所有物として自分が雇われている会社に関われというニュアンスを駐在員の皆さんはきっとその言葉からお感じになるにちがいない。その概念はプドゥリが持つニュアンスと通じる部分があるようにも思える。プドゥリがどうしてこのケースの訳語として登場しなかったのか?はたまた、belongという主体者が内包されるニュアンスがどうしてmemilikiという対象物を外在させるような概念に置き換えられたのか?ローカル社員の帰属意識を高めようとするとき、上のような事情から窺われるインドネシア人メンタリティは前もって十分に整理し理解しておかなければならないものであるにちがいないだろう。


さて、インドネシア人が高い善の価値を置いているプドゥリに関して、コンパス紙が2013年5月8〜10日にジャカルタ・バンドン・スマラン・ヨグヤカルタ・スラバヤ・メダン・パレンバン・デンパサル・バンジャルマシン・ポンティアナッ・マカッサル・マナドの12都市住民618人を電話帳からランダム抽出して行なった電話インタビューの統計結果が報告された。サンプリングエラーは±3.9%。
質問1)同じ仲間同士という共通利益のためのプドゥリ意識
回答1)イエス74。0% ノー23.1% 不明無回答1.9%
質問2)施しをする
回答2)イエス75.1% ノー18.9% 不明無回答6.0%

それらを見る限り、人類みんな兄弟姉妹であり、お互いの利益になることは協力し合って実行しようという意識を持っているひとは四分の三いる。貧困者に施しをするという伝統的なプドゥリ発現の場しか報告に出されなかったのは残念だが、自分の所有している財を他の人間と分かち合うというプドゥリのあり方は、プドゥリ意識を持っているひとは必ず行なっているようだ。

だが、金はイージーカムイージーゴーであるというのを常識にしているインドネシア人にとって、喜捨や施しに対する心理バリヤーは他の諸民族よりも低いのが明らかだ。現実の行動習慣を省みようとせずに、社会正義としての標語「プドゥリ」を回答者が鸚鵡返しにイエスと言ったというようなことはそのインタビューの中で起こらなかっただろうか?貧者と分かち合うと口では言うものの、かれらが行なっているのは習慣的に小銭を与えているだけの施しだというようなことはないのだろうか?

更にコンパス紙R&Dは2013年6月19〜21日にも同じ12都市住民779人に対して調査を行い、インドネシア人が同胞に対して抱いているプドゥリ意識は依然としてマジョリティであるという報告を紙上で行なった。この調査におけるサンプリングエラーは±3.5%。
質問1)ボランティア行動を行なうこと
回答1)関心がある70.7%、興味ない27.3%、不明無回答2.0%
質問2)選択できる場合であるなら・・・
回答2)世の中への奉仕を行なう63.0%、金儲けに精を出す34.3%、不明無回答2.7%

上の設問では完全に分離されているが、われわれは昔行なわれた津波大災害へのボランティア活動者の中に、被災地域へ赴いてそこでさまざまな不法行為を働いて金儲けに精を出していた者たちが散見された事実を忘れてはならないだろう。
人間は誰しも善行に憧れるという公理は上で触れてある。問題となるのは、いざその機会が眼前に訪れたとき、その自分の憧れを世の中に実現させるための衝動がどれほど強いのかということであり、何が善で何が悪かを知っているだけではものごとの成就には至らないということなのである。潜在性でものごとを評価すると必ず弊害が引き起こされる。現実世界に現われたもの、成し遂げられたもので評価することを忘れると、高卒より優秀なはずだからという理由で大卒者を優遇し、ホワイトカラー犯罪を煽るだけになっているという面を見落とすことになりはしないだろうか?


インドネシア人が優しくて親切にしてくれるのは、そうしてくれるインドネシア人がその相手を自分の生活共同体の内部者と位置付けたからだ。自分と同じ生活共同体を共有しない外部者は赤の他人であり、それどころか同じ人間ではないエイリアンだと認識される。インドネシアではそんな疎外意識を向けられた赤の他人に対してリヤン(liyan)というジャワ語が術語として用いられている。日本語ではきっと、ムラビトがよく使う「ヨソモノ」に該当しているのだろう。リヤンの生命はわれわれほど重くないし、かれらの持っている財はいつでもわれわれがむしりとってよいものだ、という観念はリヤンに対する疎外意識が生み出している。そんな深い溝が生活共同体の境界線に横たわっているのである。そしてそんな構造の上にホモ・ホミニ・ルプス社会が花開いており、リヤンに向けられる殺害・暴行・詐欺・強奪・盗難などのあらゆる犯罪行為が繁茂している。

インドネシアへ金を使いにやってくる外国人観光客はお客様であり、あだやおろそかにされることはない。つまりリヤンの位置に置かれることはないのだ。ところが、街中で袖すりあっている普通のインドネシア人は知り合いでもないかぎりリヤンなのである。権力も腕力も持たないために一般庶民のインドネシア人が他の同胞インドネシア人からどれほど厳しく惨めな目に合わされているか、インドネシア社会を深く観察してみればよくわかるにちがいない。

だからインドネシアを深く理解しているひとびとの間では、「インドネシアは金を持って遊びに来る所であり、徒手空拳でやってきて金を稼ごうとするような土地ではない」という言葉が冗談交じりに言われている。つまり用向き次第でインドネシア人は優しく親切にもなれば、冷酷残虐にもなるということをそれは意味しているのである。いい顔だけを見て、それがすべてだと思っては危険だということだ。


インドネシアで自殺が急増し始めたころ、その対策として自殺志願者に思いのたけを吐き出させ、カウンセラーが志願者の気持ちをなだめて思い止まらせる仕組みの構築が始められ、複数のNGOが電話のホットライン活動を開始した。これこそプドゥリ精神の発露だと言えよう。
ところが昨今、自殺者は減るどころか、増加傾向が感じられている。コンパス紙がそのような市民向け緊急事態ホットラインの実態を2012年後半に調べたことがある。そして実態はプドゥリのかけらも感じられないようなものだったことが明らかにされた。

その調査に従事した記者は、まずネットサイトからそのようなホットラインを抽出してそこに紹介されている番号に電話してみた。家庭内暴力被害女性のためのホットラインという触れ込みになっている、とあるNGOの番号にかけたところ、数回の呼び出し音のあと、女性が電話に出た。開口一番、優しさのかけらもないつっけんどんな物言いで、「すみませんが、今日は日曜日なの。こちらは閉まってます。」ガチャン。

週日午前9時から15時までが業務時間となっている別の機関のホットラインに、その時間内に電話したところ、「当方はラインが一本しか使えません。カウンセリングをお求めなら、当方までお越しください。」ガチャン。

他にもいくつかあるサイトの救援ホットラインに電話したが、週日の業務時間内であるにもかかわらず呼び出し音が延々と続き、記者が諦めるまで電話を取る者がいなかった。記者は類似の状況を数ヶ所の救援機関で体験した。自殺志願者の気持ちをもみほぐして思い止まらせるための活動という謳い文句のあったところも、ホットラインにはだれも出ず、eメールへの反応も皆無だった。

児童保護国家コミッションのホットラインさえ、通じなかった。記者がコミッション長官にクレームをつけたところ、たまたま担当者はデポッ市の少女レープ事件で現場に出ていたために電話が受けられなかったのだと長官は説明した。それはつまり、国家コミッションでさえホットラインという機能を定常的に固定されたものにしていない実態を表している。国民サービスとしてのホットライン設置がまるでブームのように行なわれたが、喉もと過ぎてしまえばこんなものなのだというインドネシア文化を象徴するものの一例だろう。


ジャカルタという大都市には、住民の緊急事態への救援手段としてホットラインが確立されていなければならない、とインドネシア大学医学部心理学科教官は語る。2007年度基礎保健調査結果によれば、抑うつと不安神経症のジャカルタにおける有病率は14.1%で、全国平均の11.6%を大きく上回っている。抑うつが人間の死亡原因の上位に上がってきている現在、それに対応する体制を構築していかなければ状況はますます悪くなるばかりだというのに、体制作りは進まないどころか、上のような後退を印象付けるものになっている。それはせっかく設けたホットラインが他の関連諸機関とのつながりをシステム化しようとせず、電話の向こうに座っているカウンセラーと急を要する市民との関係で終わらせてしまっているからだ、とオブザーバーは批評している。

チプトマグンクスモ病院では2000年に統合クライシスセンターがオープンし、2008年にはその中にトラウマ体験者ストレス回復クリニックが設けられた。クリニックには緊急事態への救援を求める市民のためのホットラインが設置されたが、警察・救急車・病院・被害者に付き添って保護を与える政府機関などとの関連付けがなされず救援効果が十分にあがらないために、ホットラインだけ設けても意味がないということで一度設置されたホットラインは外されてしまっている。


社会的な広がりが出てきたとたん、プドゥリだけでは埒が明かなくなってしまうという問題の例がそれなのかもしれない。個人個人はプドゥリを持とうという意識を十分に持っていても、それが社会という公共の場で的確に機能しないそのありさまはインドネシア文化における公観念の未熟さが浮かび上がらせているもののひとつだと言えないだろうか。

インドネシア社会における公観念の未熟さは、公共スペースを占拠して自分のための商売に励むカキリマ商人から、地方で食えないために上京してきて河川敷や空地に侵入し、そこに掘立小屋を建ててスラムを形成する貧困者たち、さらには公共器物である橋や送電鉄塔を組み立てている大きな鉄製ボルトからバスウエー停留所の床板鉄板、自動車専用道の金属表示板に至るまであらゆるものが堂々と盗まれているといった現実を見れば明らかだろう。
いやそんなことより何より、腐敗大国の上位に位置して汚職が当たり前の日常生活と化しているこの国のありさま自体が明白な証例だと言えるだろう。公職を私利に利用すること自体が明らかに公私混同を表しており、上級から草の根レベルに至る公職者が厚い層をなして汚職を行なっている姿は公観念がいかに薄い社会であるかを示すものだ。

それらは少数の不心得者がしていることだ、とまだ考えるひとがいるのなら、街中でひとびとがどんな振舞いをしているのかを見ればそれがインドネシアの文化になっていることを理解してもらえるだろう。社会の片隅にいたるまで私が公を絶えず侵犯しているということは社会を組み立てている要素、つまり文化の中にそれを支えているものがあるからであって、公の確立された社会では少数の不心得者が公秩序をかく乱しようとしてもインドネシアのような姿になるはずがない。中でも道路交通、あるいは公共運送機関内でのひとびとの振舞いを見るなら、少数の人間という偏見は粉砕されるにちがいない。


2010年10月のコンパス紙に掲載された「公共運送機関内のエゴイズム」と題する記事がある。ジャカルタに住んでいるひとびとが公共スペースの中に置かれたとたん、どれほど自己中心的になるかということを嘆息しているその記事は、首都圏近郊電車や都バス・アンコッなどの庶民向け交通機関からエリートの香りのするバスウエーにいたるまで、乗客がどのように振舞っているかについて詳述する。

乗客はみんな、車内の奥のほうに入ろうとせず、出入り口付近で団子になる。たとえ降りるところがこの先のまだはるかかなただというひとでもお構いなしだ。乗客が少ない時間帯であればそれがたいした不都合をもたらすことは稀だが、通勤時間帯となれば話は変る。乗り込んでくるひとびとは、出入り口付近にかたまっている乗客を押しのけて中に入ろうとし、車内のひとが一歩下がってかれらを入れてやってもバチは当たらないはずなのに、作用反作用現象がそこに発生して中にいる乗客たちはそれを押し返そうとする。そして双方の力がぶつかり合う境界にいたひとびとの間で口論が始まり、往々にして手が出て足も出るという状況に立ち至ったりする。そんな状況においては腕力や肉体による攻撃力が常備されなければならない必需品となるのである。

そんなシチュエーションに付随して起こっているのは、乗り込もうとする人間が降りる人間のことなど考えずに車内に入ろうとすることだ。つまり社会効率のロジックに照らしてたいていの国で行なわれている降車者優先が無視され、乗車者が個人の腕力で自己救済を行なうというありさまなのである。公共運送機関には縁のないひとでも、似たようなことをビル内のエレベーターで目にしているはずだ。

そんな実態を多少とも文明化させようとして、トランスジャカルタバス停留所では整理員がつきっきりで乗客の秩序かく乱をおし留めようとしているが、かれらが許容範囲の中に入れているように思われるものに、列に並ぶということの逸脱行為がある。
バスが来るのを待っているひとびとが列を形成する。たいていはバス扉の幅くらいに列が作られている。ところがバスが入ってくるのが見えたら、突然列の後ろにいた者たちが列の外に出て、既存の列の両脇にもうひとつの列を作るのである。こうして二本の列によるバス扉でのスムースな乗降が、結局は四本の人の流れによって渦を巻き、腕力と体力の勝負どころと化す。


もうひとつよく見られる現象に、列の途中でブレーキがかけられるというものがある。トランスジャカルタバスの車掌は、ひとつのバス停で車内を満員にすることを避ける。わたしの観察では、車内が8〜9割がた埋まるとそれ以上の乗車をストップさせて、先のバス停で待っている乗客に機会を与えている。それはそれで有意義なことだろうとわたしは思うのだが、反対に列に並んでいた乗客の中に、自主的に乗るのをやめようとするひとが中に混じっていることを記者は指摘する。バスの座席が全部埋まり、あとは立ったままでバスに乗らなければならない状況になると、そのまま列の先頭にいて次のバスの空いている座席に座りたいという心理が芽生えるようで、バスに乗り込むのはやめるが自分は列の先頭のままでいたいというエゴの実践がはじまるわけだ。座れなくていいから、このバスで早く目的地へ行きたいという、その後ろに立っている者の心情など知ったことではないのである。扉で乗り込みたい人間が渦を巻いている中で行なわれるそのようなブレーキがけは、一見して力のぶつかりあっている戦場を避けているような印象を受けるのだが、バスの車掌にはその心が手に取るように読めるらしい。

あとは例によって、どこの国でも呼びかけられている公共スペースにおける弱者保護の倫理に関するもので、老人や妊婦あるいは身体障害者のための座席として表示されている場所に健康な若者が陣取り、だれが目の前に来ようが決して尻を上げないという現象や、狸寝入りを決め込む者、自分には権利があると主張する弱者が席を譲るよう頼んでもぶしつけな啖呵を切るやからに至るまで、この点においては先進国も後進国も違いはない。


特に妊婦に対するプドゥリがあまりにも低いことを、記者は強調している。38歳の妊娠8ヶ月(インドネシアの妊娠月数表現は日本と異なっている)の妊婦がタングランから都内ブロッケム(Blok M)へ都バスで行こうとしたとき、車内の座席は全部埋まっており、そしてだれひとり妊婦に席を譲ろうとする者がいなかったため、かの女はせっかく乗ったそのバスをまた降りてタクシーに乗り換えたそうだ。

デポッに住む36歳の女性は妊娠三ヶ月で、外見から妊婦だとわかる状態にはまだなっていない。かの女はトゥブッ(Tebet)まで電車を利用し、トゥブッ駅からメトロミニに乗り継いで職場に通っている。かの女はお腹がもっとせり出してくるまで、押し合いへし合いの電車に乗らなければならない。車内に優先座席はあるが、そんな座席に陣取るやからほど厚顔無恥だと見えて、苦しいときに席を譲ってくれと頼んでもほとんど無視される。だからかの女は席を譲って欲しい場合、一般座席に座っているひとに頼むのだそうだ。そのほうが助けてもらえる確率がはるかに高い。そして頼む相手は決まって男性だ。女性の、自分より年上のイブイブに頼むとたいてい口汚く罵られるだけで座席には座れないとかの女は語っている。

妊娠5ヶ月の25歳女性は、車内の弱者優先席に座ろうとして近寄った。そこには妊娠女性ひとりと、数人の若者グループが陣取っていた。かの女が頼んでも若者グループは反応を示さず、妊娠女性のほうが立ち上がって席を譲ってくれた。またあるときは、車内に何人もの妊婦が乗り合わせていたが、優先シートを確保できた妊婦がほかの妊婦に交代で座るよう促し、妊婦たちが順番にそこに座るというようなことをしていたのに出くわした。その優先シートを占拠していた他の乗客は、そんなことが自分のすぐ横で行なわれているにも関わらず、自分が降りるまで尻を上げようとしなかった。

通勤時間帯に都バスの中で、妊娠7ヶ月の大きいお腹をはさまれた女性がいる。やはり座席は一杯でだれも席を譲ろうとせず、立っていたかの女はどんどん乗り込んでくる乗客に押されてお腹がはさまれてしまったのだ。お腹の位置を安定させるために、気丈にもかの女は自分を押してきたひとを押し返したそうだ。かの女は公共スペースにいる間、常に警戒心を持ち続けており、そして運送機関の中でひとに席を譲って欲しいと頼んだことはない。
かの女は自分のお腹への物理的影響を心配するのと同じレベルで、バスから降りるときにも警戒心を高めている。常に荒っぽく粗雑な運転をする都バスの運転手は、客を乗降させるときにバスを完全に停止させない。バスを道路の左脇に寄せて徐行し、ひとが乗降する機会を与えるだけだ。そして完全に乗降したのを確かめもせずにいきなりアクセルを踏むことがある。身体が完全に降りきっていないときに突然バスが急速発進したらどんなことになるかは想像にあまりある。身重な体のかの女はそのことをいつも警戒している。


都バスの運転手の多くは自分の稼ぎのためにバスを走らせているのであって、乗客のためにそれをしているのではない。だから自分にとっての効率を最優先する。各エリアごとの交通の流れに応じて、自分がどの位置でひとを乗降させるのが自分の走りやすさを確保するのにつながるか、という自己中心性が核をなしている。反対に、道路交通の障害を自分の大きなバスの車体が作り出そうとも、そこで客待ちすることによって収入が増加するなら躊躇なくそれを行なう。だからエリアによっては、バスが道路の中央車線あるいは自動車専用道やトランスジャカルタバス専用車線との境界で客を乗降させることも起こる。そこで降ろされた客は危険な車道を横断しなければならない。

都内でこそ実例は大幅に減少したが、地方の街道へ行けば州間長距離バスが渋滞個所で対向車線を堂々と逆走し、車列の真ん中に割り込んでくる姿は日常のものになっている。今では二輪車くらいしか都内で堂々と逆走する者はいなくなってきたが、昔はもっと当たり前の姿だったのだ。

ともあれ、乗客に対するその姿勢はサービスというものの本質に関わっていることがらであり、同時に乗客の中にいる弱者へのプドゥリが極めて低レベルであることを示している。一方で自分の車体が道路交通に障害をもたらすことを軽視無視する姿は、自分と同じように道路という公共スペースを利用する同胞へのプドゥリが、これも極めて低レベルであることを示している。


プドゥリというのは他人の問題やよくない状況に自分が解決や改善をもたらしてあげようという利他行動が本質であり、公的空間でその実践が妨げられているのであれば、それは人間たちが構成している社会のクオリティの問題に帰結することになる。
インドネシア大学社会学政治学部人類学研究センター研究員は、過去から連綿と権力者が与えてきたインドネシアの下層階級者への待遇が抑圧と無関心と差別に満ちたものであったことから、かれらが路上に下りたとききわめてアグレッシブに振舞う下地が醸成された、と分析している。
つまり下層階級であるバス運転手たちは路上で金持ち階層である自家用車族と張り合う態度を取り、それどころか他の道路利用車に攻撃的な態度を示して恨みを晴らしているのだ、というのがその説明だ。しかしわたし個人はそれ以上に、ムラビトの精神性の中にある、世間一般に対する攻撃性や他人が困ったり不幸な目にあうことに悦びを感じる歪んだ心理の存在を感じるのだが。
(2013年7月)