「ルピア、おおルピア!」


2011年5月31日の総会で国会が通貨法案を通過させた。政府は近日中に通貨法を制定することになるが、その中では国内取引を少数の例外を除いてすべてルピア払いにすることが義務付けられる。その結果、たとえば国際線航空券の購入に関しては、外国航空会社のインドネシア支店や営業所から買う場合はドル決済が認められるかもしれないが、旅行代理店で同じものを買う場合はドル決済が認められないといったことが起こるのではあるまいか?旅行代理店が使っているルピア〜ドル交換レートが異常に高いことから、わたしは通常ドル現金で支払っていたのだが・・・・。いや、それが杞憂に終わるにこしたことはないのだけれど。
さて、インドネシアの通貨はルピアだ。なぜRupiahという命名になったかというと、どうやらインドの通貨であるRupeeに関連しているらしい。とはいっても、単にルピーをもじってルピアにしたという単純なものでなく、その双方の語源が銀を意味するサンスクリット語のルピーに由来しているのだそうだ。一方オランダの通貨フルデン(Gulden)は黄金を語源にしている。ダラー(Dollar)はボヘミア地方のヨアヒムシュタールで産出した銀が貨幣に鋳造されてヨアヒムシュタラーと呼ばれていたのが起源で、語尾のタラー(taler)がダラーの元になったという話しだ。
ともあれ、希少価値を持つとされる金属が銭貨として使われていた時代を超えて、紙切れをそのように呼び、それ相当の価値を持つものとして保証を与え、国民の間に、いや世界中の人間の間に流通させている時代がいま来ているのだということを思えば、人類の持つ知恵の凄まじさに愕然とするのはわたしだけではあるまい。その意味から、紙幣というものは政府が国民に対して表明している負債なのだ、という表現ははなはだ当を得ているものだと言えるだろう。
ルピアという通貨がこの南海の諸島にはじめてお目見えしたのは、インドネシア共和国独立以前のことだ。
1942年に蘭領東インドを占領した日本軍は、占領地における軍政の中で、それまで使われていた蘭領東インド政庁発行の紙幣に加えるために新券の発行を開始した。最初に発行されたのは10,5,1,半フルデン、10,5,1セントの7種ですべてオランダ語表記がなされ、中央下部にだけ大日本帝国政府という日本語が入っている。しかし1943年になるとオランダ語表記は影をひそめ、DAI NIPPON TEIKOKU SEIFU, そしてたとえばSETENGAH ROEPIAH というように、フルデン〜セントの単位をやめてルピアを採用し、表記も完全に地元のものにした。発行されたのは100,10,5,1,半ルピアの5種。それらの紙幣は現地にあるジャカルタ印刷工場で作られた。1000ルピア紙幣も準備されたが、印刷にかけられることなく終戦を迎えることになった。
大日本帝国の無条件降伏による第二次世界大戦の終結に伴って、インドネシア共和国の独立宣言とそれを承認しない蘭領東インド政庁の復帰が続けざまに起こり、インドネシアは独立闘争の時代に突入する。Nederlands Indies Civil Administration略称NICAという名称で再開されたオランダ植民地支配の中でフルデンとルピアを併記した紙幣が発行され、オランダはルピアをインドネシア地域における公式通貨名称と認めた。オランダはここで1フルデン=1ルピア政策を採っている。発行された紙幣は500,100,50,25,10,5,2半,1,半ルピアで、半ルピアは50セント(オランダ語表記CENT=東インド表記SEN)と書かれている。それまで使われていた大日本帝国政府ルピアは1ルピアがNICAルピアの3センにあたるという交換比率が定められた。
独立インドネシア共和国政府がはじめて発行した通貨は、1945年10月17日付けのORI(Oeang Republik Indonesia)と呼ばれるもので、券種は100,10,5,1,半ルピアと10,5,1センの8種類から成っている。独立闘争中の戦況の推移から、ORIは場所を変えて何度も異なるデザインのものが発行された。
ところで一説によれば、独立以来半世紀を超えているインドネシアルピアの価値はその間に5億分の一に下落してしまったとのこと。その計算根拠の当否は別にして、激しい貧困化が65年の間に進行しているのだという主張はよく理解できる。ともあれ貨幣価値の凄まじい下落のゆえに今ではセンの単位など無きに等しいものになっているのだが、会計帳簿ではいまだにRp.XXX.XXX.XXX,00という[―,00]表記を強いられている。ちなみにインドネシアでは、数字表記のさいのピリオドとカンマの使い方はオランダのものが受け継がれており、英米系とは逆になっている点に注意する必要がある。
その慣習によって、ある金額に率を掛ける計算が行われると、たいていXXX,00の末尾まで数字が埋められ、現実に世の中で流通しているお金は最低が100ルピアコインだから、計算書の中に現れる数センのためにもう一個100ルピアをむしられることも起こる。コインは金じゃないと思ってコインを持つ習慣を捨て去ると、その不合理は1千ルピアに及んで行く。つまり10万倍の誤差をみんな当然のものとして甘受しているという側面をインドネシア人は持っているということが言えるかもしれない。その現象はインドネシアの金銭観である、金はイージーカムイージーゴーという観念に支えられており、お金に執着せず、他人に余分にお金を渡すことで世の中から尊敬を受けるという社会的価値観に即したものだから、インドネシア文化の中で金銭合理主義を振り回してもマイノリティになるしかないにちがいない。
インドネシア共和国独立宣言のあとも、NICAルピア、大日本帝国政府ルピア、ジャワ銀行ルピア、各地方で独自に流通させられていた紙幣などが入り混じって使われていたが、時のハッタ副大統領は1946年10月30日零時を期してすべて無効にすると宣言した。つまりORIだけを唯一公式なインドネシア共和国貨幣と規定したわけだが、独立闘争の最中でもあり、共和国領土とNICA領土が並存していた時期だから、客観的状況はその言葉通りではなかったにちがいない。
ともあれ、明治新政府の国内通貨刷新と同じように、インドネシアも共和国政府発行の通貨に国の威信を盛り込んだのは明らかだ。なにしろ国民に、それが借金証書でなく銀や黄金の値打ちを持つものであるというイメージを植え付け、信用を煽らなければならないのだから。
その目的は国家権力を背景にして遮二無二国民に強制されるのが実態だ、とクドゥス市にあるパラディグマ学院副理事のアブドゥル・ロヒム氏は言う。紙幣のデザインはその目的をサポートするために選択されている。国家権力を無意識のうちに国民が感じ取り、さらに額面金額の大小による価値の差をも感じ取らせるために、政府当局はさまざまな対策を講じているのだ、とかれは物語る。
まず紙幣のサイズに関しては、額面金額の大きい紙幣はサイズも大きくするということが行われている。日本の紙幣は縦の長さが共通で、横の長さが高額紙幣ほど長くなっている。米ドルはすべての額面が同じサイズで統一されているが、シンガポールドルは額面の大きさに伴って縦横とも大きくなっている。ルピアはかつてシンガポールのようなスタイルだったが、現行紙幣は日本の方式になっている。現行ルピア紙幣の詳細データは次の通り。

「現行ルピア紙幣一覧」
2011年時点での現行ルピア紙幣は次のようになっている。
=10万ルピア=
発行年: 2004、2009年に改定
発行日: 2004年12月29日
サイズ: 151 x 65mm
主要色: 表−赤 裏−赤
画像: 表−スカルノ・ハッタと独立宣言文など 裏−国会国民協議会議事堂
透かし: スプラッマン 
=5万ルピア=
発行年: 2005
発行日: 2005年10月18日
サイズ: 149 x 65mm
主要色: 表−青 裏−青
画像: 表−イ・グスティ・グラライ 裏−バリのブラタン湖
透かし: イ・グスティ・グラライ 
=2万ルピア=
発行年: 2004
発行日: 2004年12月29日
サイズ: 147 x 65mm
主要色: 表−緑 裏−緑
画像: 表−オト・イスカンダル・ディナタ 裏−茶摘風景
透かし: オト・イスカンダル・ディナタ
=1万ルピア=
発行年: 2005
発行日: 2005年10月18日
サイズ: 145 x 65mm
主要色: 表−青紫 裏−青紫 (2010年7月の変更で赤紫から青紫に)
画像: 表−スルタン・マハムッ・バダルディン? 裏−パレンバンの伝統家屋
透かし: スルタン・マハムッ・バダルディン?
=5千ルピア=
発行年: 2001
発行日: 2001年11月6日
サイズ: 143 x 65mm
主要色: 表−緑・紫・茶 裏−茶
画像: 表−イマム・ボンジョル 裏−機織風景
透かし: イマム・ボンジョル
=2千ルピア=
発行年: 2009
発行日: 2009年7月10日
サイズ: 141 x 65mm
主要色: 表−灰色 裏−灰色
画像: 表−パゲラン・アンタサリ 裏−ダヤッ族伝統舞踊
透かし: パゲラン・アンタサリ
=1千ルピア=
発行年: 2000
発行日: 2000年11月29日
サイズ: 141 x 65mm
主要色: 表−青・紫 裏−青・緑
画像: 表−カピタン・パティムラ 裏−マイタラ島ティドーレ島と漁労風景
透かし:チュッ・ニャッ・ムティア

もっとも高額の紙幣にはスカルノとハッタという初代大統領・副大統領の像が描かれている。すべての紙幣に描かれている人物像は民族独立の英雄たちだ。遠い時代の反オランダ闘争の志士たちも民族英雄の称号を与えられているのである。その中で最高額面紙幣のデザインに選ばれたのがインドネシア共和国独立を実現させた初代大統領と副大統領であり、かれらこそが民族の英雄の中で最高の権威を帯びているのだということを通貨発行者は国民に知ろ示しているということが言える。そして10万ルピア紙幣の裏面には国民協議会・国会議事堂が描かれ、それがインドネシアの政治面における最高機関のひとつであることを政府は国民に告げている。たしかに民族独立の父たちに加えて独立宣言文が記され、国会国民協議会が最高の国家機関のひとつだといった、インドネシア人が持っている政治優先の体質はそこにまで浸透しており、加えて国民にNKRI(インドネシア共和国統一国家)コンセプトを忘れさせないために常に独立に関わる歴史に意識を向けさせなければならない為政者の施策をわれわれはそこから明白に見て取ることができる。バリ出身者とバリの風景が額面第二位の紙幣に描かれているのは、国内におけるバリ州の地位あるいはそれへの期待を反映するものと見ることもできよう。
紙幣の表面に描かれている人物や裏面に描かれている建築物・風景・伝統文化なども政治的重要度の高低にしたがって額面に連動しているのだ、とアブドゥル・ロヒム氏は説明する。
色についてもそうだ。10万ルピア紙幣の色は明るい赤色という印象であり、この色は勇気・勇壮・威勢・権力などを象徴するとされており、最高額面紙幣にふさわしい色だと判断される。かと言って、過去の時代に最高額面紙幣が必ず赤系統の色だったというわけではないので、その説は少し割り引かれることになるかもしれない。とはいえ現行紙幣に限って言えば、下位の額面には青・緑・紫そして色の鮮明度も下位に下がるほどくすんでいくので、ロヒム氏の説もあながち的外れというものでもない。
通貨発行者は数多くのシンボルの中から国の権威を示すものを選出し、それを額面金額に応じて配布したのである。シンボルとは他でもなく、文化の筆頭産物である。そして文化は、それが持っているシンボルの趣と深みによって高低が測られるものだ。だからこそ、通貨というものは一民族が持つ文化の度合いを反映するものなのである。さりとて、通貨の製作には政治的な得失と操作が大きく影を落としている。それが権力への渇望に満ちた人間というものが織り成してきた歴史なのだ、とロヒム氏は結論付けているのだが、その定理は本当にユニバーサルなものなのだろうか?