インドネシア外国人管理情報2008〜14年


「空港手荷物検査に四つの苦情」(2008年1月14日)
空港で飛行機に搭乗する際の持ち物検査に関する苦情についてのサーベイが行なわれた。IATAが飛行機乗客2千人に対して実施したサーベイ結果では、一家で旅行する乗客の荷物検査に関する苦情が多かった。40%を占めた苦情マジョリティは持ち物検査で自分の番が来るまで待たされる時間が長いこと。次に多い33%の苦情内容は一連の検査プロセスに関するもの。そして三番目は検査員が調べたあとの荷物を再パックすること。中でもその作業を行なうのに十分なスペースがなく、狭い場所で余裕もなく再パックを行なわなければならないことに不満が向けられている。その次に多かった苦情は、搭乗前に通過しなければならない荷物検査プロセスに関する説明が不十分であること。ラップトップコンピュータをバッグから出してトレーに置くこと、靴を脱いで別のトレーに置くこと、装身具や金属性のものを身体から離すこと、携帯電話をトレーに置くこと、液体物を条件に従ってまとめることなどのプロセスが十分に説明されていない。三番目と四番目はそれぞれ20%のシェアを占めている。
IATAはそれらの苦情に対して乗客に快適な空の旅を楽しんでもらうためにどうすればよいのかということの検討をはじめた。乗客にあまり負担を感じさせることなくそれらのプロセスを通過してもらうことを保安システム関係者とともに対処する計画を進めている。


「新しい密輸の手口」(2008年1月16日)
スカルノハッタ空港税関が新しい不法輸入手口を摘発した。2007年12月24日、中華航空がジャカルタに到着したあと第2ターミナル内のバゲージピックアップ場所がにぎやかになった。乗客は自分の荷物を回収しては税関検査場を通って外へ出て行く。人の流れが一段落したあと、持ち主が現れないトランクがいくつかあることに税関職員が不審を抱いた。ところがしばらくしてから、航空会社職員がふたりやってきてそれらのトランクを持って行こうとする。もちろん税関検査台にでなく、ターミナルビルの奥のほうに。税関職員がすかさずそのふたりを止めてトランクの中味をチェックしたところ、中には1千5百個の携帯電話がぎっしり詰まっていた。税関は即座にふたりを拘留して取調べを行なっている。この手口が組織だって行なわれていたことは、その逮捕と物品押収のあとで10人あまりの航空会社職員や空港職員から品物を渡すようにという働きかけが税関職員に対してなされたことから明らかで、その誘いはもちろん巨額の報酬の提示が伴われていたらしい。
インドネシアへの携帯電話不法輸入は昔から盛んに行なわれており、国内販売者が国内市場向け商品ラインナップにのせていないモデルがブラックマーケットでいくらでも手に入ることからその事実は歴然としている。やはり12月25日前後にスカルノハッタ空港税関は、中華航空で入国してきた乗客が無申告で持ち込もうとした携帯電話1千5百個を押収している。この1千5百個は三人の持ち込み分を合計したもの。その三人が提出した税関申告書の持込物品欄はいずれもブランクになっており、税関は携帯電話とともにかれらのパスポートをも取り上げた。その三人は持ち込み物品の輸入手続を行なった上、関税輸入税等ならびに罰金を納めた証憑を持参しなければパスポートと携帯電話を税関から返してもらうことができない。
空港税関は国際線2Dと2Eの両ターミナルに到着した乗客の持ち込み荷物の中で多数の違法物品を押収している。ここで言う違法とは担当官庁の許認可が必要であるのにそれを提示できないというものが大半を占めており、それ以外で多いのは関税輸入税等の課税対象となるのに無申告で国内に持ち込もうとしたというもの。ジャカルタのあるテレビ局職員がモデルガンを持ち込もうとして没収されている。エバエアーで到着した乗客は無申告でセックス玩具や強精薬を大量に持ち込もうとした。それをジャカルタ周辺で販売するつもりだったと本人は述べている。


「密航者が偽名パスポート作成に失敗」(2008年1月24日)
アメリカ国籍者ロバート・マーシャル・リード60歳がボゴール移民局拘置所に収容された。リードが捕まったのはボゴール移民局に虚偽の書類と偽名を用いてパスポート発行を申請したため。リードは偽名を用いてボゴール市タナサレアル地区に32歳のインドネシア女性を妻として一緒に生活しており、自分はジャカルタ生まれだがすぐにイギリスに移って長期に暮らし12年前からインドネシアに戻っているとふれこんでいたもののインドネシア語はまったく話せない。リードがパスポート申請のためにボゴール移民局に提出した住民証明書(KTP)・家族登録書(KK)・出生証書(akta kelahiran)はすべて偽造であることが判明している。それらはすべてマレーシアのジョホールで現地在住のインドネシア人に2千5百万ルピアで作らせたもの。
それらの書類を持ってリードはインドネシアに密入国した。かれはほかの6人の密入国者とともに深夜2時に沖合いへ泳いで木造船に乗り、密航船は午前3時にバタムのさびれた港に入った。リードはそこから同行者に連れられてジャカルタに移動し、密航のアレンジをした行政手続サービス業者PTホッマイダのオーナーに会ってその後の手引きを受けた。更にインドネシアパスポートの申請にあたってもそのオーナーの助力を受け、それらの報酬としてリードはそのオーナーに7千5百万ルピアを支払っている。
ボゴール移民局がジャカルタのアメリカ大使館に連絡を取ったところ、大使館職員がやってきてリードを取り調べ、調書を作成した上写真と指紋を採取して帰った。大使館員が洩らした話では、リードはアメリカ国内で犯罪に関与して懲役刑を受けたが脱獄して国外逃亡したためアメリカ警察とインターポールが追跡している逃亡者であるとのこと。1974年から2004年までのリードの犯罪歴と逃亡に関する消息を大使館員はボゴール移民局に説明している。リードは最初ボゴール移民局仮留置所に入れられたが、逃亡者であることが明らかになったために移民局拘置所に移されている。


「携帯電話密輸入は後を絶たず」(2008年1月25日)
スカルノハッタ空港税関にとって密輸入者とのいたちごっこは種が尽きないようだ。2008年1月7日、韓国からスカルノハッタに到着した航空機乗客の手荷物の中に、大量の携帯電話が入っているのを空港税関職員がX線チェックで発見した。そのトランクをターンテーブルから韓国人が取り上げて税関検査場を通り過ぎようとしたとき、税関職員が内容検査を命じた。中に入っていたのはヒュンダイブランド携帯電話9百個で、しかも当人が提出した税関告知書の申告物品欄は白紙状態であったことから、携帯電話はその場で税関が押収した。その携帯電話は首都圏の韓国人社会にばら撒かれるために持ち込まれたようだ、と税関職員は洩らしている。インドネシアへの携帯電話輸入は電話輸入ライセンスを持つ輸入者にしか認められておらず、税関はその韓国人に対して輸入ライセンスを提示し関税等を納めて通関手続きを行えば押収物品を返却すると表明している。
それとは別に、スカルノハッタ空港航空貨物ガルーダ倉庫でも無申告で輸入されようとしたオーストラリア産ワインが発見された。20個の乗物スケールモデル陶器が入っている一個口の大型梱包の中に、ワインが同梱されているのが発見されたもので、輸入通関申告にはワインが一言も触れられておらずセラミックスケールモデルだけが申告されていた。そのため税関はワインを没収し、廃棄することにしている。陶器だけは通関をパスして輸入者が引き取った。
一方、リアウ・バタム税関パトロール艇は2008年1月5日にシンガポールからバタムに向けてリアウ州バトゥベランティ海域を航行中の小型船ハラパンバルに対する海上検問を実施し、さまざまなブランドの携帯電話8万3千個を発見した。390箱に入った大量の携帯電話に関する書類を船長が提示できなかったことから税関は全数を没収している。


「イラン人がスラウェシ縦断泥棒旅行」(2008年1月29日)
北スラウェシ州ボラアンモゴンドウで盗みを働いていたイラン人4人が警察に逮捕された。この4人はジャヴァッ・イサ・ポウル37歳、モハンマッ・レザ・マレッ50歳、アッラー・フセイン・サハ57歳、モフセン・サレバン38歳で、ミニマーケットで数百万ルピアの現金を盗んだと市民が警察に届け出たためポイガル郡警察署員がその4人を逮捕した。警察署員がかれらを逮捕しようとすると、かれらは5万ルピア紙幣を投げ捨てて犯行を強く否定した。警察はかれらが持っていた多数の5万ルピア紙幣とかれらが乗っていたキジャンイノバ1台を差し押さえ、被害届けを出した商店主たちに対面させたところ、商店主たちはその4人のだれかを指差したとのこと。
警察はその4人がインドネシア語も英語もほとんど話せないため取調べに苦慮しており、身柄をコタモバグ刑務所に預けている。かれらはキジャンイノバをマカッサルでレンタルし、遠路はるばる北スラウェシまでやってきたようだ。ポイガルでミニマーケットを経営している女店主はアッラーとモフセンを指差し、「そのふたりが店内に入ってきて買い物し、そのとき現金を引き出しから4百万ルピア奪いとった。自分はそのときまるで催眠術にかかったように呆然としてなす術を知らなかった。」と語っている。ロラッ村の店主も、一味の者に1千万ルピアを取られた、と証言している。


「外国人23人が一斉検挙される」(2008年2月12日)
人権法務省移民総局がタングラン市に居住している外国人23人を逮捕した。逮捕されたのはギニア国籍者22人とシエラレオネ国籍者1人で、当局側は2008年2月5日午前3時にタングラン市チプタッのポンドッランジにある借家に踏み込んでかれらを一網打尽にした。実際に住民が当局に訴え出たのは25人だったが、ギニアとオーストラリアの国籍者各一名はこの捕物劇の網にかからなかった。オーストラリア国籍者はやはりアフリカ系だったとのこと。その25人の中で14人はインドネシア全国サッカー協会所属のサッカークラブに助っ人として頻繁に雇われていた。
住民が当局に告訴した25人の黒人はポンドッランジの借家に住んで近隣住民を恐慌におとしいれていたようだ。若い娘に頻繁にちょっかいを出すばかりか住民の家庭に関わり込んでくることも稀でなく、そのためにいくつかの家庭が崩壊寸前になっているとのこと。また借家に女を連れ込むのは日常茶飯事で、地域の風紀秩序は顕著な堕落を示していると住民たちは述べている。移民総局の取り調べによれば、かれら25人のうちでインドネシアにおける居住手続きを行っていたのは18人だけであり、他の7人は居住に必要とされる書類を完備していない。この25人は1992年法令第9号移民法第42条に抵触している、と移民総局は表明している。公共秩序と公共治安を危険にさらす活動や明らかにそのような結果をもたらすと見られる活動を行ったり、あるいは現行法規に従わずもしくはそれを尊重しない外国人に対する取り締まり規定がそれであり、またその法令内の、渡航書類や外国人管理のための書類を提示できない外国人に対する取り締まり規定にも抵触している。移民総局はかれら25人が住んでいた借家のオーナーに対しても、外国人管理手続きの観点から取調べを行なうことにしている。


「パーマネントレジデント制度の発足を」(2008年2月20日)
インドネシア政府はインドネシアで働いているすべてのレベルの外国人勤労者にパーマネントレジデントシステムを用意してほしい、と欧州商工会議所インドネシア支部がアドバイスした。同支部副支部長によれば、これまでインドネシアで働いていた外国人が外国人管理上の障害を受けることなく将来も働き続けることができるよう便宜を与えるためにそのシステムは必要であるとのこと。
kartu izin tinggal tetap (KITAP)で認可される現行の居住許可はマネージャー以下のレベルにあまり有益でないが、しかしかれらの中にインドネシアで居住し就労を続けたい者は少なくない。インドネシアの外国人就労に関する法規では、外国人は12ヶ月間就労できて2度延長することが可能であるため合計3年間就労することができ、その期間を超えて就労したい場合にはExit Permit Only (EPO)手続きを行って一旦国外に出なければならない。一方、取締役以上のポジションであればEPO条件は適用されない。このような仕組みであるため、KITAP取得条件である5年間連続してインドネシアに居住するということは取締役以上の者にしかクリヤーできない。
一方イミグレーションの外国人管理規定では、Kartu izin tinggal sementara (KITAS)は最長一年間有効で連続して5回延長ができる、とされている。インドネシアで働いている外国人はそのように相互に矛盾する不合理な労働法規とイミグレーション法規のために何の恩恵にも浴することができないという失望感を抱いている者が少なくない。また法規の内容が十分に徹底されていないため、イミグレーション規定に抵触して国外退去処分を受ける外国人もいる。パーマネントレジデント制度を発足させればそのような問題は解決される。
欧州商工会議所はインドネシア政府に対してそのように提案している。


「5億ルピアの宝石不申告入国者に同額の罰金」(2008年2月25日)
今月マレーシア航空でスカルノハッタ空港第2ターミナルに到着したインド人の手荷物の中に高額と見られるダイアモンド付き装身具が入っているのを入国税関担当官が発見した。これは到着ターミナルから外へ出る際に最後に通る税関審査のX線透視で発見されたもので、ダイアモンド付きピアス・イアリングが5対と種々の宝石を使ったネックレス1個がその乗客のバッグの中に入っていた。
税関はそれらの高価な装身具を5億ルピアと評価し、国内持ち込み手続きを怠ったとしてそれらの品を押収した。「2億5千万ルピアを超える高価な物品を持ち込む場合、乗客は税関に申告しなければならない。」税関総局スカルノハッタ空港事務所捜査措置課長はそう述べている。
税関はその違反を犯したインド人入国者に物品評価額相当の罰金を科すだけにしており、刑事処罰は与えない意向。


「観光入国マルチビザが導入されるか?」(2008年3月4日)
2008年9月28日にシンガポールで開催が予定されているF−1グランプリに世界中から集まる観光客の一部が流れてくるのを期待して、バタムを中心とするリアウ島嶼州の観光業界はその誘致を促進するために政府がマルチプル観光入国ビザを発給するよう求めている。シンガポールの一般道路で夜繰り広げられるこのカーレースの実施にシンガポール政府は大きい期待をかけており、その催しのために夜間照明を中心にして1.5億Sドルを投資するほどの力の入れようだ。シンガポール観光局は今のところ、2008年F−1カレンダーの第15レースとなるその催しに8万人が入国するものと見込んでおり、当日の前後6日間は国内に外国人観光客があふれるだろうと予測している。しかしシンガポールの国内ホテル業界が持っている観光客収容能力はそれに追いつかないことから一部観光客はマレーシアやインドネシアに宿泊施設を求めるだろうと見られており、インドネシアのバタムに一躍焦点が当たっている。インドネシア観光業界は5千人が宿泊施設を求めて流れてくるだろうと予測しているが、シンガポールとの往復の都度10米ドルを支払って到着時ビザ手続きを行わせるのはそれら観光客に強い抵抗感を抱かせることが懸念されるため、インドネシアホテルレストラン会は政府人権法務省に対してその期間だけでよいから数次入国ビザを発給するよう要請している。業界はシンガポールでのこの催しでバタムに5千人の宿泊客が来訪した場合、ホテル料金一泊平均35万ルピアで平均5日間滞在したとして87億ルピアの外貨収入が発生し、さらに飲食品や土産物にも相応の外貨が落ちるのは確実だとして政府にバックアップを強く要請している。
インドネシアレストランホテル会バタム支部によれば、バタムとその周辺のホテル業界は2軒に1軒が外国人観光客に国際レベルのサービスを提供できる力をつけてきており、今年9月のブームに向かってさらにパワーアップを図りたいとしている。リアウ島嶼州のホテル客室稼動状況は80%であるとのこと。


「外国人がパスポート作成に失敗!」(2008年3月10日)
タングラン移民局事務所でインドネシアのパスポートを作ろうとした中国籍者ふたりが逮捕された。逮捕されたのはテディ・サプトラ本名チュアン・シャオドン24歳とサンティ・メラニー本名レン・ヘンシアン36歳で、このふたりは偽造のKTP(住民証明書)とKK(家族登録書)を持参してパスポート交付申請を行った。逮捕されたあと、ふたりはタングラン移民局拘置所に拘留されて取調べを受けている。同移民局監視課長は、かれらがタングラン市チルドゥッ(Ciledug)のドゥレンビラ(Duren Vila)住宅地を住所とするKTPとKKをどのようなルートで入手したかについて取調べを進めており、このふたりに対しては強制送還措置を取るかそれとも公文書偽造で告訴するかいずれかの措置が下されることになるだろう、と語っている。
テディは南ジャカルタ市トゥベッ(Tebet)にある国立第256中学の卒業証書を持って2月29日に移民局事務所を訪れた。サンティは聾唖の病を患っていて外国に治療に行きたいとの理由でパスポートを申請した。かの女は3月3日にジャカルタの耳鼻咽喉科専門医の診断書を持って移民局にやってきている。移民局担当職員はこのふたりに対面した際に強い不審を抱き、外国人管理監視措置課にふたりを引き渡した。取調べの結果テディは2001年にインドネシアに入国し、タングラン県ラジェッ(Rajeg)に居住していたことが明らかになった。かれは流暢にインドネシア語で会話できるが書く文字はどことなく漢字風で、またトゥベッの中学校時代の友人について何一つ話すことができない、とのこと。


「グリーンカード制導入はまだその時期にあらず」(2008年3月17日)
「パーマネントレジデント制度の発足を」(2008年2月20日)で報道された、インドネシアで働いているすべてのレベルの外国人勤労者にインドネシア政府はパーマネントレジデントシステムを用意してほしいという欧州商工会議所インドネシア支部のアドバイスに関連してインドネシア政府法務省移民総局が、グリーンカード制度をはじめとするその種のシステムはインドネシア国民にとって自国内での就業機会を減らす結果をもたらすことからまだインドネシアで実施されるのにふさわしい時期ではない、と発言した。
グリーンカード制度というのは、その資格を与えられた外国人が無期限で居住を許され、就労に関してもその国の地元民と同じようにイミグレーション規制や管理を受けることなく従事することができるもの。「グリーンカードの実施はまだ不適切だ。政府がそのような制度を実施すれば、国民は危険にさらされる。インドネシアの労働者はまだ競争力が弱く、おまけに国内失業率もきわめて高いありさまなのだから。」移民総局イミグレーションステータス変更次局長はそうコメントしている。次局長によれば、そのような制度はアメリカ・オーストラリア・ヨーロッパ・シンガポールなど職種や職位レベルの区別なしに外国人労働力を必要としている国には妥当なものだが、インドネシアはそのような国に該当しない、とのこと。政府は外国人に就業機会を与えることよりも、現在国内にある高い失業率に対処するために国民の技能向上や職業アクセスの機会拡大に注力しなければならない。国内における外国人勤労者対策はizin tinggal menetap (ITAP)で認可される現行の居住許可方式で十分であり、このシステムでは取締役以上の者だけがKITAPを得て5年間連続してインドネシアに居住でき、またそれを延長することができる。
移民総局のその見解に対して労働省労働力配備育成総局長は労働省の立場から、外国人勤労者に対する労働許可の中で職業上のレベルを問わずパーマネントレジデント許可が与えられるという便宜が図られることは何ら問題ない、と語った。総局長によれば、このようなことがらは有益性原則にもとづかなければならず、そのような制度を設けることでインドネシアにどのようなメリットがもたらされるのかが明確にされなければならない。「恒久滞在許可が出されるのなら、それはそれで労働省は賛成する。当方は労働許可発給者でしかない。この問題は移民総局長が決定する問題なのだから。」
2007年末時点での国内滞在外国人勤労者数は、労働力配備育成総局データによれば74,788人で、国籍別には日本がトップ、二位が韓国という順位になっている。職種と職位での区分によるとその7万4千人は、アドバイザー/コンサルタントが22,433人、専門職21,963人、取締役9,637人、マネージャー9,232人、技術者6,356人、スーパーバイザー4,837人、監査役309人などとなっている。


「外国人15人にスピード強制送還措置」(2008年4月14日)
人権法務省移民総局はNGOがスポンサーになってインドネシアに滞在している外国人15人を強制送還処分にした。その15人とはスリランカ国籍3人、パキスタンひとり、マレーシア3人、フィリピンふたり、ベトナムふたり、タイひとり、韓国ひとり、インドひとり、カンボジャひとりという内訳。この15人はインドネシア国内で食糧関連諸活動を監視するためにNGOである「食糧主権のための民衆連合」が招聘したもの。
ところが2008年4月8日に首都で行われた大統領宮殿と農業省でのデモ行動の中にかれらが混じっていたことから警察はかれらを逮捕し、デモ行動を行った外国人として移民総局に身柄を引き渡した。移民総局は4月8日夕方から翌朝にかけてその15人を取り調べ、即時強制送還措置を取ることを決定した。皮切りは4月10日のふたりで、残る13人は4月11日に一斉に送還された。「かれらは食糧関連活動の監視を行うためのイミグレーション許可を得ただけなのに、インドネシアでの滞在許可を悪用してジャカルタ一帯でデモ行動を行ったのが強制送還の理由だ。」と移民総局広報訴訟総務課長は説明している。


「国際結婚式の場で日本人新郎が逮捕される」(2008年5月2日)
2008年4月20日付けコンパス紙への投書"Prosedur Pernikahan dan Ancaman Deportasi Imigrasi"から
拝啓、編集部殿。東ジャワ州マランで婚礼の宴がとりおこなわれているさなかに新郎の日本人男性が移民局職員に逮捕されるという事件が最近いくつかのテレビ局で報道されました。その男性がビザを悪用して契約結婚を行ったというのが容疑内容で、新郎を逮捕した移民局職員はかれを国外追放に処すとまで発言していました。
その日本人はインドネシアの国法を犯していない、と日本のことを一般のひとより深く知っているわたしは考えます。わたしがそう考えるのは、新婦のインドネシア人女性が地元KUA(宗教役所)の発行した茶色のbuku nikah(結婚証明書)を示して見せていたからです。その日本人が事前にイスラムに改宗していたのは明らかで、だからその婚姻は合法であり契約結婚ではありません。日本国はインドネシアの宗教役所が発行した結婚証明書を正式婚姻の合法的証拠として認めています。ただ、婚姻後2ヶ月以内に日本人男性は在インドネシア日本国領事館に戸籍抄本あるいは戸籍謄本(わが国の家族登録書のようなもの)とその結婚証明書を提示して婚姻届けを行わなければなりません。
日本人の妻となったインドネシア女性がかれの戸籍に登録されるよう、日本国総領事はその届出を日本の本籍を管轄する市役所に送ります。そうすることで妻たる女性とその子供たちは後日18歳以降その地位が確保されることになるのです。(2006年インドネシア共和国法令第12号国籍法第6条1・2・3項を参照)夫に随行する妻には日本入国ビザの取得も容易になります。インドネシア女性はそのような手続きを知らないひとが多く、日本人が帰国するときに妻はインドネシアに残されるケースが少なくありません。それが同棲あるいは契約結婚と呼ばれるものなのです。実に同情を禁じえません。
今回の事件では、その日本人にとって本国での婚姻登録プロセスはまだ終わっておらず、そのためその段階で法を犯したと言うことはできません。ましてやビザの違反などということも。それゆえ、日本・アメリカ・オランダ・イギリス・フランスなどインドネシア女性を妻に娶るケースの多い国々における婚姻登録プロセスに関する十分な知識を移民局職員に与えて今回マランで起こったような事件の再発を防ぐよう、当局の一考を促したいと考えます。[ 西ジャカルタ市タンボラ在住、アミル・スパディ ]
2008年4月25日付けコンパス紙に掲載されたマラン移民局事務所からの回答
拝啓、編集部殿。アミル・スパディさんからの2008年4月20日付けコンパス紙に掲載された投書について次の通りお伝えします。東ジャワ州マラン移民局事務所はマランで結婚の宴をとりおこなっていたその日本国籍者に対する逮捕命令を一度も出したことがありません。マラン移民局事務所長はその日本国籍者に対する逮捕と国外追放の命令書にサインしたことなどまったくないのです。当方は今回の事件について、詳細調査を実施中です。[ マラン移民局事務所長、スブロト ]


「外人観光客には容易な入国を」(2008年5月6日)
ビジットインドネシアイヤー2008で政府は7百万人の観光客誘致を目標にしている。「その目標に政府行政機構が一丸となって協力してくれなければ、観光文化省が独力で目標達成を実現するのはむつかしい。特に入国観光客が一番最初に対面するイミグレーション担当官は、入国審査で外国人を困難な目にあわせるようなことをしないでほしい。スカルノハッタ空港入国審査官に面倒な目にあわされた国民の訴えがある、とパキスタン大使から苦情をもらっている。イミグレーション悪徳職員に困難な目にあわされたひとは遠慮なく観光文化省に通報してくれてかまわない。それについては外国人を含めて一般大衆のだれから連絡をもらってもかまわない。」ジェロ・ワチッ観光文化相はそう明言した。
インドネシアの入国出国時にイミグレ職員から不当な扱いを受けた者は観光文化省に通報できることになったわけだが、人権法務省移民総局広報課長は、規定から逸脱した移民総局職員にはこれまでも躊躇なく処罰を下しており、監察総局に問い合わせてもらえばどれだけの職員にどのような処罰が下されているかが明白になる、と観光文化相の談に応じた。「入国審査官は相手が何国人であろうが区別せずに最善のサービスを提供することをコミットしている。しかし国によってはリスク国に区分されている場合があり、そのような場合は審査条件が厳しくなる。たとえばパキスタンは社会文化リスク国に区分されているため、クリヤランスハウスメカニズムを通らなければならない。クリヤランスハウスではイミグレーションだけでなく、警察・国家諜報庁・外務省がそれぞれビザ申請者に対する審査を行っている。」広報課長はそのように説明している。ちなみにリスク国区分は次のようになっている。
社会文化リスク : アルバニア・アフガニスタン・バングラデシュ・カメルーン・エチオピア・ガーナ・インド・イラン・イラク・ナイジェリア・パキスタン・ソマリア・スリランカ・タンザニア・トンガ
経済リスク : キューバ・エチオピア・イラク・ソマリア
イデオロギーリスク : アンゴラ・キューバ・北朝鮮
国防保安リスク : アフガニスタン・イラク
政治リスク : イスラエル


「身の毛のよだつ出来事!」(2008年5月12日)
2008年5月4日夜、ジャカルタ〜ムラッ(Merak)自動車道に1台のアバンザを追跡する警察ハイウエイパトロールカーのサイレンが響いた。そのアバンザはチウジュン(Ciujung)料金所から自動車専用道に進入したのだが、驚いたことに何台ものオートバイに追跡されている。それを見たハイウエイパトロールは急遽アバンザの追跡にかかり、停止を命じて威嚇射撃を行ったところ、予期に反してそのアバンザは応射してきた。アクション映画顔負けのシーンが展開され、結局アバンザはクラギラン(Kragilan)地区で停車して中に乗っていた4人の男たちが一斉に自動車道脇の藪陰に逃げ込んだ。アバンザを追跡していたオートバイの男たちはそこへなだれ込み、4人のうちの3人を捕まえてリンチにかけた。中のひとりは重傷を負って病院にかつぎこまれている。その追撃戦でクラギランの25歳の住民ひとりが流れ弾に当たって負傷した。ハイウエイパトロールはアバンザに乗っていた男たちとそれを追跡して捕まえたオートバイの男たちをセラン(Serang)警察署に引き渡した。
オートバイに乗ってアバンザを追っていた男たちはバンテン州キビン郡スカマジュ村の住民で、アバンザに乗っていた外国人たちが村民に催眠術をかけて大金を詐取したので制裁を加えた、と取調官に口々に訴えた。村民たちの話によれば、その外国人たちは2008年4月27日に一度村へやってきたことがあるそうだ。そのときかれらはムハンマッ・ダルサ38歳が営んでいる建築材料店で5万ルピア分のベニヤ板を買い、10万ルピア紙幣一枚を出した。するとダルサは5万ルピアのつりを出すどころか、3百万ルピアもの大金をかれらに渡したらしい。かれらが立ち去ってからダルサはやっと我に返り、店にあった3百万ルピアがなくなっているのに気付いた。ダルサはその外国人たちに催眠術にかけられて3百万ルピアを詐取されたのだ、という話が村中を巡っていたのがこの事件の背景だ。
5月5日、アバンザに乗った外国人たちはふたたびスカマジュ村にやってきた。既に悪者詐欺師の烙印を捺されているかれらは、村民たちの憎悪とアモックで迎えられることになったのである。村民たちはアバンザの進行を阻止した上で投石の洗礼を浴びせかけたため、アバンザの後部窓ガラスは粉々になった。その制裁に震え上がった外国人たちはその場から急いで離脱しようとして高速で車を走らせた。そしてそこに通りかかった村民のひとりをはねて即死させた、と村民たちは事の顛末を取調官に語って聞かせた。
一方、逮捕された3人の外国人は16歳と45歳のイラン人そして45歳のトルコ人と警察に対して名乗っている。警察はこの事件の捜査を開始したが、外国人にリンチを加えた村民たちの上のような話の裏付けが全然取れない。逃走するアバンザにはねられて即死した村民などはおらず、死んだとされた村民は車に接触して怪我をしただけ。警察がつかんだ事実のいくつかはかれら外国人が4月27日にムハンマッ・ダルサの家を訪問したことだが、そこで何が話され何が行われたのかはまったく闇の中。外国人がダルサに催眠術をかけて金を詐取したという話についても、何の証拠もなければ証人もいない。アバンザに乗った外国人たちはインドネシア語も英語もろくすっぽしゃべれず、またアバンザを襲った村民たちも外国語はまったく話せない。つまりその両者の間では意思疎通が不可能という構図になっていた。どうやら村民の中に創作意欲にたけた者がおり、根も葉もないストーリーをでっちあげて村民たちの憎悪感情を燃え上がらせ、巧みにその感情を誘導して襲撃を扇動したのが今回の事件だと判断したセラン警察は、イラン人ふたりを釈放した。アバンザを運転していたトルコ人はひき逃げ容疑で入院中の身柄を拘束されている。今回のこの事件はダルサの背後関係にある何かが起こした事件なのか、それとも村民のだれかが単なるイセン心理に従って仕組んだものなのかがいまだに判然としないが、もし後者であるとするなら実に身の毛のよだつできごとではあるまいか?


「台湾製袋入りお菓子にご用心」(2008年5月14日)
4月11日夜8時過ぎ、台北発香港経由ジャカルタ行き中華航空679便がスカルノハッタ空港に到着した。機内の乗客がターミナルビル内に吸い込まれて行く一方で、機体のボディから吐き出された乗客の荷物もバゲージエリアに運び込まれる。膨大な数のトランクやバッグをX線透視機でチェックしていた担当官の目が光った。機械は黒いトランクの中に不審な物品があるのを見つけたのだ。画面から見えるのは、トランクの中に行儀良く並べられたビニール袋の影。担当官はチーフを呼んでその画面を示した。チーフはすぐにうなずいて言った。「マークをつけろ。」
建物内側のバゲージピックアップ場にいる税関監視員に連絡が飛ぶ。マークされた黒色のトランクがベルトコンベヤに乗った。そのトランクを認知した監視員は、だれがそのトランクを手にするかをじっくりと見守る。最初のターンは素通りだった。入国審査を通って来た乗客の数が増えてベルトコンベヤの周りが埋まる。監視員は見通しのきく位置に移動した。問題のトランクがまたやってきて、そのトランクに手が伸びた。まだ若いふたり連れの中国人がそのトランクを取り上げるとカートに載せて税関審査場に向かう。監視員は同僚のひとりに合図してから、そのふたり連れに両側から近寄って行った。
税関検査室に同行を求めた監視員にそのふたりは素直に従った。検査室でトランクの鍵が開かれ、中身が曝し出された。そこには台湾製のチョコクッキーや飴など包装されたままで封のまだ切られていないお菓子類がびっしり詰まっている。26袋ある包装されたお菓子のひとつを手に取ると、開封の同意を求めた上で税関検査官は封を切った。中はふつうのお菓子の包装と同じようにアルミフォイルで包まれている。そしてそのアルミフォイルを開くと中から透明プラスチック袋に入った白い粉が出てきた。
6.9キロのシャブはインドネシアで100億ルピアの価値を持つ。運び屋を務めた台湾籍のクオ・ティンリゥ23歳とフアン・ユーリン26歳はこの仕事で1万元の報酬をもらうことになっていたと自供した。コックと自動車部品販売が職業だと言うこのふたりは、すでに三回インドネシアを訪問している。そして5月6日夜、再びまったく同じお菓子に偽装した手口でシャブ1.8キロとケタミン1キロを持ち込もうとした台湾籍の男ひとりがスカルノハッタ空港税関に捕まった。2008年2月から5月までの間に麻薬覚せい剤の運び屋が摘発された事件はもう6回目。


「射殺された誘拐犯は外国人」(2008年5月16・17日)
2008年4月24日、誘拐身代金を手に入れようとしてマンガドゥアスクエアで捜査官に射殺された男の所持していたKTP(住民証明書)および運転免許証からその名前が判明した。ヘンキ・ハリム37歳が持っていたのは住居の門の鍵・携帯電話・自動車の鍵・黒塗り三菱クダのSTNK(自動車番号証明書)などで、警察はその三菱クダを車内にあった物品と一緒に押収した。その中には自動車部品のパンフレットや価格と思われる数字を書いたメモなどが多数見つかっているが、今回の事件に関連する重要証拠品として誘拐された娘スリニ30歳のATMカードも発見されている。
三菱クダのSTNKにある所有者はヘンキ・ハリムになっていない。東ジャカルタ市ポンドッコピを住所とするその所有者をあたったところ、所有者は自分の息子の雇い主が購入した三菱クダに名義を貸しただけであることが判明した。ヘンキ・ハリムに日常接触していたその息子が見つかったのは警察にとって大きい収穫だった。ヘンキ・ハリムに雇われていたマイケル30歳は、ヘンキ・ハリムは本名リン・シャオホアという中国籍の男で北ジャカルタ市スンテルアグンの借家に住み、日系ブランド自動車の部品販売を職業にしていることなどを警察に証言した。4月25日未明、マイケルは警察をリンの借家に案内し、警察は既に押収してあった住居の門の鍵でその借家に入り、二階の一室に閉じ込められていた誘拐被害者スリニを救出した。今回の事件はリン・シャオホアが外国人であったために単独犯行がなされ、関係者が懸念した誘拐被害者に危害が加えられるという事態が避けられたのはきわめてラッキーだったと言える。インドネシア人が単独犯行を行うのはたいへん稀であり、北ジャカルタ市警が不安を抱いたのは根拠のあることなのだ。
警察は今回の誘拐事件を、単なる営利誘拐で怨恨等のからんでいない単純な経済性犯罪だと断定した。スリニが誘拐されたのは4月20日にさかのぼる。その日の朝、スリニは兄の家に遊びに行くため自分の車スズキエスクードに乗って自宅を出た。そして帰宅する前にメガモールプルイッに立ち寄って買物し、18時半ごろその駐車場を出て帰宅しようとしていたとき、エンジンをかけたばかりの車のドアの脇にピストルを手にした見知らぬ男が出現した。それがリン・シャオホアで、リンはおもちゃのピストルでスリニを威して助手席に移動させ、自分は運転席に滑り込んだ。リンはすぐにスリニの両手を鎖で縛り、目隠しし、携帯電話のスイッチを切ってからエスクードを発進させた。車は降りしきる雨の中を一路スンテルアグンを目指し、スリニを借家の二階に引きずり込んで部屋の中に押し込めた。
スリニの自宅では、夜が更けても帰宅しないスリニに対する不安が立ち込めた。長い夜が明けた21日、スリニの弟がスリニの銀行口座をチェックしたところ、20日21時41分にアンチョルのコパカバーナにあるATMで1千万ルピア、21日1時1分にハヤムウルッのスペリンドにあるATMでまた1千万ルピアが引き出されていることが判明した。その日、スリニの家族はスリニと自動車の失踪を北ジャカルタ市警プンジャリガン署に届け出ている。22日、スリニの父親に知らない男から電話があった。「あんたの娘を預かってる。10万米ドルが身代金だ。」その後、誘拐犯とのコンタクトが続いた。会話はインドネシア語でなされた、と父親は語っている。23日、金が用意できたかどうかを尋ねて誘拐犯が電話してきた。父親が「まだ2万ドルしかない。」と答えると、電話の向こうでスリニの悲痛な声が聞こえた。「パパ、パパ、パパ・・・」そして電話は切れた。24日、親戚からの協力で10万米ドルを用意したスリニの父親は誘拐犯に受け渡しの指示を求めた。誘拐犯は現金を持ってマンガドゥアのホテルドゥシットに来るよう命じた。その後取引場所はマンガドゥアスクエアの駐車場に変更され、更に西ジャカルタ市スリピのホテルアイビスへと変わった。うろうろとあちこちを回らせたあげく、再びマンガドゥアスクエアの駐車場を誘拐犯は指定した。指定された場所に到着したスリニの父親の前についにリン・シャオホアが姿を見せた。身代金の受け渡しが終わり、スリニを戻さないままリンはそこから立ち去ろうとしたところに北ジャカルタ市警の捜査官らが立ちふさがってアクションシーンが始まったのである。5日間リンの借家に閉じ込められていたスリニは、その間ずっと手は鎖で縛られたままで、食事は毎回菓子とお茶だった、と恐怖の体験を物語っている。
警察はその借家でリンの身元を示す書類を発見した。中国パスポート番号G−10698478によれば、リンは1970年7月30日福建生まれとなっている。リンのインドネシア滞在保証人であるエディ・ハルトノのKTP住所をチェックした警察は、その保証人が架空のものであることを確認した。ヘンキ・ハリム名義のKTPは住所がクラパガディンになっているが、その発行者サインと役所印は偽造されたものだった。国家警察本部が発行する届出証明書では、リンは西ジャカルタ市ドゥタハラパンインダを住所にするPT Andi Jayaに雇用されていることになっている。


「免除証明書がフィスカル徴収の証拠?!」(2008年5月27日)
2008年1月17日付けコンパス紙への投書"Pungutan Fiskal di Tarakan"から
拝啓、編集部殿。2007年12月27日、わたしどものグループは東カリマンタン州タラカン島からマレーシアのタワウにスピードボートで向かいました。出発時にタラカン島渡海港でイミグレーション職員が出国フィスカルを大人ひとり50万ルピア、子供と赤児ひとり25万ルピア徴収しました。子供6人分で150万ルピアを納めましたが領収書がもらえません。納めたことの証明として職員は出国フィスカル免除証明書を発行しました。わたしの知識に間違いがなければ、12歳未満の子供は出国フィスカル免除のはずです。わたしどもはそのことをマレーシアに着いてから気付きました。フィスカル免除証明に記された担当者名はバユ・サントソで公務員基本番号もはっきりしています。
インドネシア共和国の最前線にある地区としてこのようなことはわが国の姿に悪いイメージを与え、またタラカンを北カリマンタン州に格上げして第二のシンガポールにしたいと念願しているタラカン市長の理想を妨げるものです。インフラを発展させたところで、公務員のメンタリティとモラルを向上させなければタラカン市にとっては不十分なのです。イミグレーション総局長とタラカン市長のアテンションを求めます。[ バンドン在住、ホワルディ・チャンドラサ ]
2008年2月1日付けコンパス紙に掲載されたイミグレーションからの回答
拝啓、編集部殿。2008年1月17日付けコンパス紙に掲載されたホワルディ・チャンドラサさんの投書を拝見して、次の通りお答えしたいと存じます。当方職員に対する集中調査を行った結果、当方職員はだれもホワルディ・チャンドラサさんが納めたと言う出国フィスカルを受領していないことが判明しました。イミグレーション職員は出国する乗客に対して出国フィスカルを納めたかどうかを取り調べる権限を持っていません。それは2004年3月10日付けイミグレーション総局長回状番号第EUM.06.01-0430号にある通りです。[ 東カリマンタン州タラカン移民局事務所長、ヘッピー・ウィウォホ ]


「不法滞在18年」(2008年6月23日)
1990年にソシアルブダヤビザで入国して以来、在留許認可を一切手続きしないでインドネシア人になりすましていた台湾籍の男が西ジャカルタ移民局事務所に逮捕された。シエ・チェンユエン別名マルテン68歳は1990年に滞在期限1ヶ月のビザでインドネシアに入国してからインドネシア人になりすまし、既に3回インドネシアパスポートの交付を受けていた。
2008年5月14日にシエは西ジャカルタ移民局事務所に対し、住民証明書(KTP)、家族登録書(KK)、出生証書のコピーを添付してインドネシア共和国パスポート交付申請を行った。しかし移民局が行った調査で台湾経済通商代表部からシエ・チェンユエンという名の台湾人に関する情報を得たため移民局はシエの居住しているガジャマダ通りのメディテラニアアパートメントで強制捜査を実施し、そして原本がなければおかしいKTP、KK、出生証書のオリジナルをシエが提示できないことを決め手として移民局はシエを逮捕した。シエはそのアパートにひとりで暮らし、質素な生活を送っていた。そして日常活動として投資のためにインドネシアの経済政治社会情勢に関するデータを集めていた、と取調べに対して供述している。シエはインドネシア語がまったく話せず、すべて英語での会話が行われた。バタム移民局事務所には2007年にシエがバタムからシンガポールに出国しようとしていた際に不審を抱いて取り調べた記録が残されているが、違反の決め手がつかめなかったためにシエは出国に成功している。
シエは1992年法令第9号イミグレーション法第52条違反として裁かれたあと、服役してから台湾に強制送還される見込み。第52条違反の刑は最高5年の入獄と2千5百万ルピアの罰金となっている。シエは取り調べの中で、自分はもともと中国本土の人間だったが台湾に亡命したと語っており、移民局担当官の中にはインドネシアに送り込まれた秘密エージェントではないかという声も出ている。


「在留外国人管理が強化される」(2008年6月24日)
人権法務省移民総局が520億ルピアの予算をかけて国民の入出国管理と在留外国人管理のための電子化ツールとなるe-officeの導入を進めている。全国103ヶ所の移民局事務所(kanim)、33ヶ所の移民局地方事務所(kanwil)、イミグレーションアカデミー、移民総局本庁、125ヶ所の海空港イミグレーション審査場、13ヶ所の移民局拘置所、国境検査ポストをネットワーク内にカバーするこの統合管理システムはSistem Informasi Keimigrasian略称simkimと呼ばれるもので、これによって全国のイミグレーション関連情報が一元的に即時把握できるようになる。
中でも従来から弱点とされていた国内在留外国人の管理がデータベースによる豊富な情報にもとづいて全国一律に実施できるようになり、在留許認可手続きに不備や問題がある外国人は容易に発見されるようになることからその追及や対策がはるかに効果的になるものと期待されている。データベースにはバイオメトリックによる情報を含めた個人アイデンティティ、イミグレーション関連許認可手続き状況、スポンサーデータ、職種や職務ステータスなどが収録され、本人の名前は省略なしに表示されたり、許認可手続き状況は不備や問題がある場合は青色表示で問題がない場合は緑色表示といったようにきめ細かい情報提示がなされることになっている。在留許認可プロセスの詳細や出入国禁止データもこのシステムで表示される。


「今年労働許可を得た外国人のトップは中国人」(2008年6月25日)
2008年1〜5月の間に労働省から外国人雇用許可(IMTA)の交付を受けた人数は21,167人にのぼり、月平均になおせば4千2百人で、2007年の年間40,204人月平均3,350人から大幅な増加を示している、と労働省外国人雇用許可課長が明らかにした。今年IMTAの交付を受けた外国人の多くはサービス業・製造業・商業などのセクターに従事している。サービス業界は6千人、製造産業は5千5百人といった内訳で、サービス業の中では建築サービス・私立教育機関・娯楽・鉱業補助産業の4分野で3,436人が就労している。
国籍別内訳を見ると、中国がトップの3,096人、続いて日本2,993人、マレーシア1,659人、韓国1,657人、オーストラリア1,396人、インド1,377人、アメリカ1,206人、イギリス1,131人、フィリピン1,047人、シンガポール1,025人といった内容。中国人は多くのセクターに就労しており、仕事熱心で忠誠心が高く、あまりいろいろと要求してこない、といった長所が雇用者からうけている。
就労地別にはジャカルタが13,227人で過半数を占め、バタムのあるリアウ島嶼州が2,326人で二位、三位は西ジャワ州となっている。外国人雇用手続きに関してRPTKA(外国人勤労者雇用計画)とIMTAの発行手続き迅速化を指示した労働大臣規則第PER.02/MEN/III/2008号が定められており、今後外国人就労者数は更に増加するだろう、と外国人雇用許可課長は予測している。


「NPWPの提示で出国フィスカル免除?!」(2008年6月27日)
実質納税者数は納税者番号(NPWP)発行総数1千万件のわずか8.5%でしかないという「高額所得者ほど納税を厭う」(2008年6月26日)で報道された内容に対して、ダルミン・ナスティオン国税総局長が反論した。2006年以降の実効NPWP数は6百万件であり、ルーチン納税者は240万人で内訳は個人が130万、法人が110万であるとのこと。国税総局は納税者拡大方針を進めており、特に50億ルピア以上の納税ポテンシャリティを持つ高額所得者をターゲットにしていると総局長は述べている。そのような対象者は年間課税所得額が150〜200億ルピアにのぼるものと見られる。
国税総局は全国民に対して納税を励行するよう求めており、これまで納税を忌避してきた国民はそれが発覚すれば法律で処罰を受けることになっているのを政府は処罰を軽減することでNPWP申請に誘うようサンセットポリシーと呼ぶ方針を打ち出していた。サンセットポリシーには、納税申告の間違いを正直に届け出たりあるいは自主的にNPWP申請を行う者への処罰軽減が定められている。この方針は2008年12月31日で終了することから、早急に透明で正直な納税申告を励行しまた所得が非課税限度を超えている場合は自主的にNPWPの取得を行うよう総局長は国民に奨めており、期限を超えれば税務署員の税務調査が10年までさかのぼって実施され、発覚した申告上のごまかしや未納税は厳しい態度で臨む、とも述べている。
政府と国会は現在審議中の改定所得税法案で国民のNPWP取得を促進させるためのさまざまな方策を練っており、その中にはNPWP所有国民の出国フィスカル免除やNPWP未所有者の奢侈品税課税物品購入に罰金を科すといったアイデアも出されている。審議特別委員会の場では政府と国会がそれらのアイデアを合意したようだが、それが将来成立する所得税法の中に生き残るかどうかは予断を許さない。
学術界国税オブザーバーのひとりは所得税法案審議の場で、「国税総局は徴税面であまり国民を抑圧しないようにしなければならない。外国企業が価格移転を行って納税額を小さくしている可能性はきわめて大きく、その面の対処を忘れて自国民からの税収ばかりを追うような片手落ちは避けられなければならない。」とのコメントを出している。


「非を認めることが致命傷となるインドネシア」(2008年8月15日)
2008年4月8日付けコンパス紙への投書"Arogansi Petugas Bea dan Cukai Bandara Soekarno-Hatta"から
拝啓、編集部殿。2008年3月10日に国外から戻ってきたわたしども夫婦は実にひどい扱いに見舞われました。SJという名の女性税関職員が傲慢にもわたしどもをまるで密輸入者のように扱ったのです。X線透視装置のモニター画面を見ようともしないでその職員はいきなりわたしどものトランクを指し示し、検査台に置いて鍵を開くよう命じました。小さい子を連れていたのでその面倒も見ながら苦労してトランクを検査台に置きふたを開いてその検査に応じようとしたにもかかわらず、奇妙なことにその職員はほかの乗客を相手にして衣服のことで議論を続けているのです。わたしはそのそばでしばらく待ち、ついにその職員はわたしのトランクを調べに来ました。ところが中味をはっきりあらためようともせず、汚れた衣服が入っているプラスチック袋を指差してバッグを隠していると批難するではありませんか。言われたわたしはムッとして、「わたしは法律を十分に理解しており親族には警察官もいる。疑わしい物品を証拠として示す前にそんなことを言う権利はあなたにはない。」と言い返しました。おまけにわたしのトランクがX線透視装置の中を通っていたときあなたはモニター画面を見ていなかったではないか、とも。すると職員は傲慢な態度を続けて、そのトランクはわたしの前に議論した別の乗客の持ち物と思ったからだ、と言ったのです。そしてわたしに向かって、「あんたの態度は国を滅ぼすものだ」と粗野な口調でわたしを侮蔑した上、おかしなことに目の前に開かれているトランクを調べようともせず、ふたをしてX線に通せと命じたのです。
勘違いしたのを認めるのがこの職員は恥ずかしいのだと確信したので、わたしはそれを拒否し、自分の目で直にそのプラスチック袋の中味を確かめてくれと言いました。そこで言い合いをしているわたしたちに他の乗客の好奇の視線が集まっていたため、別の税関職員がその言い合いに割って入ってコンフリクトを鎮めました。
空港で通関オーソリティとして権限を振るっている税関総局職員は乗客の荷物検査を横暴な姿勢で行わないようにしてください。ただでさえ芳しくないわれわれの国際空港の評判を傲慢な税関職員の振舞いで一層おとしめるようなことがあってはならないのです。[ ジャカルタ在住、エコ・プルワント ]


「脱税者には出国禁止措置」(2008年9月11日)
国税総局は脱税者の出国禁止措置を2005年以来すでに数百人に適用しており、2008年は43人が既にその対象者になっている。ダルミン・ナスティオン国税総局長は、出国禁止措置は通常の納税請求が効果を示さなかった場合に取られているものだ、と説明する。納税者が未納税であることを国税側が認識するのは納税命令書が発行されていることと表裏一体をなしている。そして納税者がその命令に応じないとき、出国禁止措置の根拠が生じる、と総局長は述べている。
人権法務省移民総局は大蔵省国税総局の要請によって、537.9億ルピアを脱税した企業の経営者4人に出国禁止措置を取った。出国禁止対象となる納税者は外国に居住してインドネシアにやってくる者およびインドネシア在住者で頻繁に出国している者だ。この措置が与えられた者は2005年153人、2006年353人、2007年151人、2008年はやっと43人というところ。対象者は個人であり、会社取締役や代表監査役あるいは会社オーナーなどがメインを占めている。


「バタムは違法就労外国人の天国?!」(2008年9月17日)
バタムで外国人の違法就労は統制しきれないほどはびこっている、とバタム労働局長が語った。「バタム市内で働いている外国人は4千人と記録されているが、その多くが労働許可を持っていない。この違法就労外国人の統制をはかるためには市労働局の人材と局に与えられている権限がネックになっている現状を改善しなければならない。外国人勤労者の法的監視を行うためには労働省労働監督育成総局長から監督証書を受けた監督官が31名必要だが、現状はわずか8名の戦力で監視業務が実施されている。このため監視業務がカバーできていない領分がたくさん生じており、違法就労外国人は膨大な数にのぼっていることが懸念される。またその8名の監督官も違反者が現行犯である場合にのみ措置が取れるわけで、勤務時間外の外国人勤労者の行動は労働局でなく移民局の管轄になっている。これがわれわれの弱点だ。とはいえ現状を放置するわけにもいかないので、そのような権限分掌を損なわない範囲で取締り強化を行う方針を立てており、バタムで就労している外国人に労働許可を強制的に取らせる方向に向けることを計画している。2008年末までにはその方針を実施する考えだ。バタム市内で外国人を雇用している会社は、少なくともその外国人が労働許可を持っていることを前提にして雇用するようにさせたい。」
トランスミグラシ労働省本庁のデータによれば、2008年1月から5月までの間に外国人に対して発給された労働許可は21,167件で、国籍別トップは中国の3,096件、次いで日本2,993件、さらにマレーシア1,659件、韓国1,657件、オーストラリア1,396件、インド1,377件、アメリカ1,206件、イギリス1,131件、フィリピン1,047件、シンガポール1,025件と続く。州別発給件数最大手はジャカルタの13,227件で全体の6割を超え、二位はバタムのあるリアウ島嶼州が2,326件、三位は国内最大の工業地帯を擁する西ジャワ州の2,100件と続く。
リアウ島嶼州賃金評議会元議長は、違法就労外国人の監督が十分行えていないのは今にはじまったことではない、と言う。「これはもう昔話もいいところで、市労働局に記録されている人数よりはるかに大勢が違法就労しているのを疑う者はいない。違法就労は収税面で国庫に大きな損失を与えているばかりか、地元労働力の就労機会を奪っていることから、わが国はダブルで被害を受けている。バタムにやってくる外国人違法就労者はたいてい観光目的と偽って入国するのだが、シンガポールとの間のフェリー港をよく観察していると、同じ外国人が週に何度も往来しているのを実見できる。そんなふうに観光を行うのは実に考えにくいことだ。バタムに働きに来るかれらの多くはたいていシンガポールあるいはバタムに居住している。バタムでの外国人大量違法就労の原因は市労働局の監視の弱さだけでなく移民局の監視の弱さにもある。移民局職員は外国人の入国時にその入国目的を尋ねるが、もし相手が白人の場合は「観光目的だ」と偽る入国者の言を一も二もなくすぐに信じてしまう。だがよくよく観察すれば、本当に観光に来ている外国人とそうでない外国人の違いに気付くはずだ。」元議長はそう語っている。


「バタムは出国フィスカルも杜撰?!」(2008年9月18日)
国外へ出るインドネシア国籍者ならびに外国人居住者は出国フィスカルと称する税金を納めることが義務付けられているが、国税総局バタムプラタマ税務サービス事務所長は、年間出国者数21万8千人というデータと出国フィスカル税収総額の間におよそ2千人分の開きがあることを明らかにした。
これからイドゥルフィトリ休暇、クリスマス〜新年休暇など国民の出国機会が増加するシーズンがやってくるため、納税を行わないで国外に出ようとする者を洩らさないよう厳しい監視態勢を取る考えであることを事務所長は表明している。バタムにはハンナディム空港とシンガポールに渡る国際フェリーがあり、それらの海港空港に職員を増員して出国者の納税を厳重に監視しようとの計画だ。インドネシアは近隣諸国との間に地方経済開発協定を結んでおり、その対象地区住民が協定国へ出国する場合はこのフィスカルが免除される。事務所長によれば、南スマトラ・ジャンビ・ブンクル・ランプン・パダン・リアウ・バタム・西カリマンタンの住民は出国フィスカルが免除されると説明している。
2008年上半期のバタムにおける出国フィスカル収税状況は530億ルピアにのぼり、前年同期実績から15%近く増加した。2007年にはシンガポール向け国際フェリーターミナルがある5港で1,090億ルピアが徴税されている。2006年は出国者36万5千人で出国フィスカル収入は956億ルピアだった。これまでのところバタムでの出国フィスカルが海港でのみ徴収されているのはハンナディム空港に国際線が入っていないからであり、国内線ばかりでは出国乗客がひとりもいないために出国フィスカル徴収はゼロとなる。しかし国際空港である以上、出国フィスカル納税窓口とその監督機能は置かれていて、それらは開店休業の状態にある。航空会社のいくつかはバタムからの国際線フライト開始を計画しており、早晩空港での出国フィスカル収入が始まるものと税務サービス事務所長は期待している。


「尊大な国際行動?!」(2008年9月20日)
2008年9月12日、オーストラリア人5人が乗ったオーストラリアの不審な小型機がパプア州メラウケに着陸した。操縦士ウイリアム・ヘンリー・スコット・ブロクサム、副操縦士ベラ・スコット・ブロクサム、および乗客ヒューバート・ホファー、カレン・バーク、キース・ロワルド・モーティマーの三人が乗ったケープエアートランスポートに所属するV8型航空機がメラウケのモパ空港に突然出現して空港管制塔に着陸許可を求めた。モパ空港にはレーダー設備がないため、接近してきた航空機が呼びかけたことではじめてその飛行機の存在を知り、とりあえず着陸を許可したのでその飛行機は11時28分に滑走路に降り立った。この飛行機はオーストラリア領土のホーンアイランドからパプアに向けて飛行してきたものだが、出発空港から次の目的地宛てに連絡を入れることが国際規定で定められているというのに、モパ空港側は何の連絡も受け取っていなかった。またメラウケに飛ぶというフライトスケジュールも持っていない。そしてもっと驚いたことに、インドネシア側イミグレーションが到着した外国人の入国手続きを行おうとしたところ、全員パスポートを持ってはいるものの入国ビザはだれも持っておらず、そのため当局はこの招かざる客に関する情報をオーストラリア大使館に通報するとともにその5人の身柄をメラウケのホテルアスマッに隔離した。
乗客たちはメラウケとその周辺地区での観光行動の許可を当局に求めたが、この5人が諜報活動を行うためにやってきたとの疑いを抱いている当局はホテル内での隔離を解こうとしない。モパ空港イミグレーション責任者は、国軍と運通省空運総局がこの5人の身柄を公認し次第、隔離措置は解除すると述べている。インドネシア共和国空軍メラウケ基地はその飛行機が着陸した際に機内の捜索を行ったが、不審なものは発見されていない。また乗客のひとりが持っていたハンディカムの画像も調査されたが、諜報目的を思わせるような画面はひとつもなかった、と同基地司令官は語っている。ところが数日後、この5人は軍と諜報関連機関による取調べを受けるためにメラウケ移民局拘置所に身柄を移された。軍はこの5人がスパイ活動のためにパプアに潜入しようとしてやってきた可能性が高いとしており、乗客が持っているハンディカムがそれを証明している、と語っている。


「1億ルピア以上のルピア通貨国外持ち出しは禁止」(2008年9月22・23日)
インドネシア共和国領土におけるルピア通貨持ち出し持ち込みの条件と手続きに関する2002年10月10日付けインドネシア銀行規則第4/8/PBI/2002号によれば、ルピア通貨(現金)の国外持ち出しは金額が1億ルピア以上の場合インドネシア銀行からの許可を必要とする、と定められている。しかもその許可は、a.金銭取扱い機器のテスト用、b.外国での展示活動用、c.インドネシア銀行が公共利益のために必要と判断するその他の事由、にのみ与えられるとされており、個人的な用途では許可されないことがわかる。つまり個人がインドネシアから出国する際に携行できるルピア現金は1億ルピア未満でなければならないということだ。一方、国内へのルピア通貨持ち込みについては、1億ルピア以上の場合通関時に真贋検査を受けなければならないとされているだけで、上限はいくらという規定はない。
入出国ポイントで物品通過を管理している税関の規則、2005年1月19日付けの現金持ち込み持ち出しプロセスに関する税関総局長規則第01/BC/2005号には、入出国時に1億ルピア以上のルピア現金あるいはそれに相当する金額の外国通貨を携行する者に対する税関職員への報告義務が述べられており、対象通貨が拡大されている。現金国外持ち出しを報告するための書類はPemberitahuan Pembawaan Mata Uang Tunai Keluar Daerah Pabean(BC3.2)フォームが使われ、本人携行でなく輸出カーゴや国際宅配便を使って国外に送り出す場合はPemberitahuan Ekspor Barang(BC3.0)フォームが使われる。通貨がルピアの場合はそのいずれの申告についてもインドネシア銀行の許可書が添付されなければならない。
現金国内持ち込みの場合は、本人携行の場合乗客税関申告書(Customs Declaration BC2.2)フォーム、輸入貨物として送り込まれる場合はPemberitahuan Impor Barang(BC2.0)フォーム、国際宅配便経由による場合はPemberitahuan Impor Barang Tertentu(BC2.1)フォームを用いるが、通貨がルピアの場合はそのいずれについても真贋検査が付随して行われる。
銀行間送金という便宜があるのにあえて大量の現金を持ち運ぶのはそれがヤバイ金だからではないかという見方が取られるのはどの国へ行こうが同じであり、インドネシアでは今のところ1億ルピア以上というのを管理対象下限としてマネーロンダリング摘発を職務としているインドネシア銀行通貨取引分析報告センターが調査の網をかけることになっている。それとは別に大量の現金の出入りは国内流通通貨量を監督機関の知らないところで変動させることになり、政府の通貨政策が不的確になるおそれがあるため、大量な現金の出入りは通貨オーソリティが必ず把握しなければならないことがらでもある。
さて2008年9月17日、そのような規則をかいくぐって6億8千6百万ルピアの現金をシンガポールへ持ち出そうとしたふたり組みをインドネシア海軍バタム基地所属パトロール艇が捕らえた。このふたりは大量の紙幣をひと包み4百万から1千万ルピアに小分けして新聞紙に包み、その包みを脚・腿・腰に巻きつけてガムテープで止め、その上から衣服を着ていた。しょせん紙であるから金属探知機に引っかかることはなく、また当人の外見も特に変わった様子は見受けられないために、触診検査が行われないかぎりこの手口による紙幣持ち出しは成功の確率が高かったようで、現に過去二回そのふたりはルピア紙幣不法国外持ち出しに成功していることがそれを物語っている。
このふたりに現金不法持ち出しを依頼したのはバタムで操業しているマネーチェンジャーであり、どうやら利益をシンガポールに貯えるのを目的にしていたようだ。運び屋ふたりはシンガポールで何者かにその現金を渡すよう指示されていた。今回海軍がそのふたりを逮捕したのは、例によっての市民からの通報によるもので、そのふたりが2008年9月17日朝バタムのハーバーベイ港からシンガポール行きフェリーのウエーブマスター6号に乗るとの情報をもとに海軍パトロール隊が容疑者を追跡し、午前8時45分にフェリーの船上でふたりを捕らえるのに成功した。


「バタムで年間0.1%の外国人に入国拒否」(2008年9月25日)
バタムに入国するルートは今のところシンガポールとの間の国際フェリーだけで、国際フェリーは数ヶ所の港で出入りしている。そのため入国審査のためのイミグレーション窓口はそれぞれの港に置かれており、毎日やってくるさまざまな外国人の入国手続きがそこで行なわれている。その審査で入国を拒否される外国人は毎月およそ100人にのぼっており、年間1千2百人の不審な外国人の入国を阻止している、とバタム移民局事務所長が語った。
2008年7月の入国拒否外国人数は91人で、国籍別内訳はシンガポール21人、インド14人、フィリピン11人、マレーシア10人、そのほか中国・バングラデシュ・ベトナム・モーリシャス・タイ・クロアシア・モンゴル・アイスランド・ネパール・ヨルダン・オーストラリア・ミャンマー・韓国・トルコ・パキスタンなど実に多彩な内容になっている。それら外国人のほとんどはバタムでの入国目的を観光と言うのだが、バタムに観光地などないためイミグレーション審査官はそれを容易に信じることはせず、最近つとに問題となっている不法就労外国人問題への対応というポイントから、提示されたパスポート・ビザ・航空券・ブラックリスト・挙措動作・服装・応答内容などをもとに不審な者の入国を拒否するという対応を取っている。この中には就業でなくビジネス活動目的でありながら相応のビザを得ていない者も含まれている。
不法就労外国人問題は基本的に労働省の監督領分であるととらえているバタム移民局事務所長は、「イミグレーションはその職務に当たって最大の努力を払っており、イミグレーションの職分である外国人の国境通過に目を光らせている。しかし年間100万人を超えるバタム入国外国人が国内でどのような活動を行うのかについてはイミグレーションが全責任を負っているわけでなく、ましてや就労問題であればそれは労働局の領分だ。」と違法就労問題で移民局が槍玉に上がっている状況に反論を投じた。


「空騒ぎのタネは尽きない」(2008年9月26日)
バタムの外国人不法就労問題はまた新たなデータを得て議論沸騰している。2007年と2008年上半期の18ヶ月間に投資申請を行ったPMA企業のほとんどが申請書の中に外国人雇用計画を明らかにしていなかった、というのがその新情報で、そのためにインドネシアの労働法規を無視する外国企業を糾弾せよとの声が高まっている。バタム開発庁情報システムデータプロセスセンターのデータは2007年PMA投資申請が83件あったことを示しており、加えて投資調整庁データはPMA7件と外資導入でPMAにステータス変更になった15件の投資申請が2008年上半期に出されたことを報告している。そしてそれらの投資申請書に盛り込まれた事業計画の中で外国人雇用計画欄に数字が入っているのは4社しかなく、他はすべて空白になっているという事実がいま騒がれている不法就労問題に結び付けられてしまった。しかし数字が入っているというその4社の申請書も人数は1としか書かれておらず、それが練り上げられた計画にもとづいていないことを容易に想像させてくれる。バタム開発庁広報局長はその議論に対して、申請書内の外国人雇用計画は投資調整庁バタム支部から入手したデータにもとづくものであり、また投資申請に際しての予想段階のものであるため投資実現後の実態が異なるのは当たり前だ、と説明している。
労働省はバタムで就労している外国人勤労者数が2007年末時点で3,347人であるとのデータを固持しており、実態はそれをはるかに超えると思われる外国人が島内を闊歩しているため不法就労者はその数倍にのぼると見ている。正式就労者の産業セクター別内訳は、製造業66%、商業・ホテル12%、農林水産4.8%、サービス4.6%、運輸・倉庫・通信4.6%、建設4.1%、金融・保険3.1%、鉱業0.6%、電気・ガス・水道0.1%となっている。


「海外旅行は相変わらずの盛況」(2008年9月30日)
このルバラン休暇がクリスマス〜年始休暇や学年末休暇と並んで海外旅行の山場であるため、旅行代理店業界はいま最大のかきいれ時に入っている。旅行先のメインはヨーロッパ・日本・中国・香港というここ数年来の常連が今年も堅持された。パッケージ料金はひとり2千米ドルから5千米ドルというレンジ。業界大手のひとつであるパノラマツアーズは、中国・日本・香港向けに4千人を送り出す予定。もちろんその数はヨーロッパ・オーストラリア・アメリカ向けを含んでいない。日本向けツアーは今年から札幌が新たな訪問地に加わっているし、中国向けもオリンピックの祭りの後を訪問するという企画が付け加えられている。東アジア向けはたいていが2千米ドル台の料金だ。今年シンガポールがきわめて低調なのは、最近行なわれたF1レースのためにホテル料金が3倍ほど値上がりしているためである由。
ウィタツアーズ役員のひとりは、今年西ヨーロッパのシェンゲンビザ協定国がいったいどうしたことか、インドネシア人へのビザ発給を制限していると言う。ジャカルタにある大使館の中には一日5人にしかビザを出さないところもあるそうで、おかげでこの刈り取りシーズンにヨーロッパ向けツアーの販売が足をすくわれてしまった、と苦情を洩らしている。ウィタツアーズはそれでも今年3千5百人をひとり3千から5千米ドルの料金でヨーロッパ向けツアーに送り出す。ルバラン休暇はクリスマス〜年始休暇や学年末休暇より大きいシーズンなので、シェンゲンビザの制限は残念だと役員は述べている。


「貴金属密輸入未遂事件」(2008年10月8日)
2008年9月29日、台北発香港経由ジャカルタ行き中華航空CI679便がスカルノハッタ空港に到着した。機内からターミナルビルに入った乗客たちは、長い廊下を通ったあと到着時ビザ交付窓口に並び、そのハードルをクリヤーしたひとびとはイミグレーションカウンターの前で列をなす。
40代の華人系の男がひとり、イミグレーションカウンターを通ってすぐトイレに入った。トイレから出てきた男はバゲージコンベヤの横を素通りして税関検査台の方に歩を進めた。空港税関職員はトイレに入ったその男に不審を抱いて、男の動きを目で追っていた。
男は手にしたバッグをX線透視装置に入れ、出てきたバッグを手にして到着ロビーに出ようとしたが、税関職員がすかさず「待った」をかけた。職員はその男の身体検査を実施し、男の両のふくらはぎに何かが貼り付けられているのをズボンの上から探知してその中味を見せるよう求めた。男の左右のふくらはぎには小さいバッグがサポーターで止められており、そのバッグを開くと数十個の腕輪・ブローチ・指輪・ピアスなどが中から出てきた。いずれも質の良いダイヤモンドが使われている。職員はそれらの装身具を貴金属デテクターに通し、使われているダイヤモンドが高級品であることを確認した。
税関の取調べで中国籍のこの男WCW46歳は貴金属装身具の運び屋だったことが明らかにされた。WCWのパスポートは福建省移民局が発行したもので、香港SARの入出境スタンプがたくさん捺されており、またインドネシアの到着時ビザも数ページを埋めていた。またかれは中国と香港の通過パスを持っていた。WCWがインドネシアへ持ち込もうとした貴金属装身具を空港税関は40億ルピアと見積もっており、WCWはそれをインドネシア国内に持ち込むに当たって関税等輸入税13億ルピアと関税6億ルピアの百パーセント罰金に当たる6億ルピアの合計19億ルピアを納入するよう命じられている。航空機乗客持込物品通関申告のためのCustoms DeclarationフォームにWCWはその装身具一切を記入しなければならなかったのだが、密輸を目論んだかれは当然のことに、フォームには何も記載していなかった。


「深く静かに潜行したビジットインドネシアイヤー」(2008年10月14日)
Visit Indonesia Year 2008の看板を掲げて外国人観光客誘致7〜8百万人という目標を置いたのはいいが、歴然たるプロモーション不足のせいであまり世界中に認知されているという印象がない。そのせいとばかりも言えないのだろうが、2008年1〜8月の外国人入国者数は406.9万人しかおらず、残る4ヶ月に最低3百万人を呼んでこなければ目標達成はおぼつかない。前年同期実績は360万人なので今年は12.7%上昇しているわけだが、これは目標があまりにも意欲的だったということなのだろうか。
ちなみに今年8ヶ月の国籍別外国人入国者数は下の通り。
シンガポール  841,621
マレーシア   609,787
日本       367,478
オーストラリア 258,101
韓国       232,707
中国       196,069
台湾       149,485
イギリス     119,785
アメリカ     112,049
インド       89,177
その他    2,976,259
合計     4,069,474


「入国時の酒類国内持込み禁止を政府が検討」(2008年10月22日)
商業省はアルコール飲料輸入許可交付先をPT Sarinah一社にしぼって昔から行われてきた目に余るKKNビジネスを抑制しようとしているものの、国内市場へのクオータ制供給はさまざまな問題を包含しているため、いま国内市場ではアルコール飲料需要が供給を大幅に上回っており、その過剰分を埋めているのは密輸入品と水増しニセモノ品だと言われている。
アルコール飲料には奢侈品税(PPnBM)が課税されているが、政府は従価税方式の徴税をやめて品種別に固定金額を徴収する方式に変更することを検討している。現在ビールには40%のPPnBMが課税されており、ビール国内生産者やビール輸入者はPPnBM課税が密輸品の国内市場跋扈を誘っているためビールを課税対象から外して欲しいと政府に求めているが、政府はその因果関係を否定している。
政府はアルコール飲料国内市場の秩序立てを図るために次のような内容の検討を行なっている。
1)アルコール飲料輸入は100%シンガポールからのもので占められている現状から脱皮して輸入先国を拡大させる。
2)公認輸入者をサリナ一社から増加させる。その際に監視システム強化が必要。
3)奢侈品税を量あるいは容器単位での固定金額に変更する。
4)密輸入品(不法輸入品)阻止活動の強化。
5)外国人・国民の入国時におけるアルコール飲料持ち込みを禁止する。


「在留許可はアリマスカ?」(2008年10月27日)
都庁が先に予告していた住民遵法作戦(Operasi Yustisi Kependudukan)は予定通り2008年10月23日に都下5市で一斉に実施され、839人が法の網にかかった。一番多かったのは西ジャカルタ市の351人、次いで南ジャカルタ市の155人、あとは中央ジャカルタ市116人、東ジャカルタ市112人、北ジャカルタ市105人と似たり寄ったりの成果だった。その網にかかった839人の中に外国人が5人おり、その内訳は中国人ふたりとオランダ人・ナイジェリア人・カメルーン人各ひとり。中国人とオランダ人は西ジャカルタ市タマンサリの歓楽街で引っかかり、アフリカ人ふたりは中央ジャカルタ市クラマッで引っかかった。この日は各市の市民登録住民管理局と移民局職員がチームを組んで繁華街やモールを回り、行き逢った外国人に職務質問して身分証明と在留許可の書類を提示するよう求める活動も行なわれた。既出の5人は書類が提示できなかったために職員に連行されたが、中国人とオランダ人は最終的に在留許可証を提示することができたために釈放された。一方アフリカ人ふたりはビザが切れているのが明らかになったことから、更に取調べを受けるために移民局で拘留されている。次の住民遵法作戦実施日は10月30日なので、外国人はこの日在留許可を証明する書類を持って行動するほうが無難だろう。
一方834人のジャカルタ住民であることを証明できなかったインドネシア人たちは役所に連行されて取調べを受けた。その大半はKTP(住民証明書)を所持していない者あるいは最近ジャカルタに上京してきた地方出身者で居住地区所轄の町役場にまだ届け出ておらず、出身地のKTPをジャカルタに変更していない者などであり、その中でジャカルタのKTPを親族が持ってきた者や、ジャカルタで就業していることが証明できた者など350人は釈放され、残った484人に対して軽犯罪を対象とする簡易裁判が実施された。この裁判ではひとり1万から5万ルピアの罰金が科され、総額899万ルピアの罰金収入があがった。プガメン・街娼・浮浪者・乞食・ならず者らおよそ百人が都庁社会福祉精神育成局送りとなり、身柄はクドヤにある社会更生員に収容された。
この遵法作戦一斉実施に関して都議会議員は「8.7億ルピアもの予算を使いながら作戦実施は午前8時から15時で終了してしまった。大勢の者が出かけている昼間に行なっても違反者の一部しか網にかからない。みんなが帰宅する夜にも行なえばもっと大きな効果が得られたはずなのに。」と取締り作戦の効果が中途半端に終わっていることを批判している。


「インドネシア駐在外国人は減少する?!」(2008年11月18日)
国内産業保護・市場秩序維持・輸入削減・外貨需要抑制など現在直面しているいくつかの問題への対策として政府は2008年11月1日から、衣料品・家電品・飲食品・玩具・履物の輸入規制を開始した。それら対象品目輸入者は登録輸入者(Importir Terdaftar)ステータスを持つ者のみに限定し、新規のステータス申請には制限を用い、また輸入通関はタンジュンプリウッ・タンジュンマス・タンジュンぺラッ・ベラワン・マカッサルの5海港とスカルノハッタ・ジュアンダの2空港でのみ処理し、輸入者ステータス検証を厳しく実施するという方針が立てられた。政府はまたそれら対象品目の輸入金額逓減を企図しており、当初は5%程度の輸入削減を目標に据えている。
政府のこの方針はインドネシア在留外国人向け輸入飲食品の食品薬品監督庁登録厳格化方針と相まってエスニック輸入品取扱いスーパーマーケットの商品陳列棚を空っぽにさせ、ひいてはインドネシア在留外国人に帰国の想いを強めさせる結果をもたらすことになる、とトーマス・ダルマワン飲食品事業者連盟会長が政府に警告した。
エスニック輸入品取扱いスーパーと同会長が言っているのは、日系の「パパイヤ」や「コスモ」、韓国系の「ムグンホワ」や「ハニルマート」、欧米人向け「ケムチックス」、欧米や日本人向け商品を扱っている「フードホール」、欧米や日韓系顧客の多い「ランチマーケット」などを指している。
「輸入制限が強化され、食品薬品監督庁のML登録商品取調べが厳しくなっていけば、エスニックな飲食品は小売店舗から姿を消して行く。たとえば韓国人は消化を良くするために海藻を毎日食している。そのような日常生活の必需品が手に入らなくなれば、インドネシアに駐在しようという外国人が減っていくだろう。2000年ごろは政府が自由を認めていた。だれでも輸入することができ、小売店にも輸入の機会が与えられた。食品薬品監督庁も暫定コードであるMLTというシステムを作って外国人向け商品の合法性をサポートしていた。ところがいまやMLTは廃止され、輸入も特定業者にしか許されなくなった。輸入品生産者の工場レイアウト情報の提出やインドネシア側輸入者に対する代理店指定まで求められている。このような措置はインドネシア国内における物品流通事業のチャンスをせばめるものだ。」
モダンマーケットサプライヤー事業者協会会長は外国人向け飲食品流通に関して、きわめて困難な状況になった、と語る。「国内在留外国人向け商品はせいぜい10万人が対象であり、ましてやその10万人は10〜20ヶ国から来ているのだから規模があまりにも小さい。せいぜいひと月2〜3カートンの仕入れでは外国の生産者が代理店指定を行なうレベルにならないから、この問題を満たすのは至難のわざだ。こんなマーケットで1商品をコンテナ1本輸入するなんて、保存期間の短い飲食品で行なえるわけがない。」
外資導入・市場開放と国民系保護・反外国の両勢力が対立を続けているインドネシアで今回起こっているエスニック食品抑え込みの動きは今後どのような変化を見せるのだろうか?


「くも男がジャカルタに登る」(2008年11月19日)
フランスのくも男、アラン・ロベールが2008年11月12日にジャカルタでアクションを開始した。この日のターゲットはスマンギ(Semanggi)立体交差北西角地にある52階建て高さ158メートルのウィスマGKBIだったものの、プロモーターからのゴーサインがなかなか出ない。ビル管理者ともめているようだ。結局かれらはガトッスブロト(Gatot Subroto)通りのグドゥンムリア(Gedung Mulia)に移動したが、この60階建てビルでもゴーサインが出ない。
ビル管理者は警察が許可すればという条件で静観を決め込んでいるため、プロモーターは首都警察と連絡をつけた。首都警察側はどこか他の部署で許可を出していないかと南ジャカルタ市警や国家警察本部に問い合わせたが、くも男のビルよじ登りアクションショーに許可を出したところはひとつもない。許せない許可を求める矢面に立たされた首都警察は拒否を続けた。調べたところでは、アランの入国ビザはスカルノハッタ空港で得た入国時ビザであり、そのビザでは報酬を得てビル登りアクションを公衆に見せるという行為に不適切である。おまけに着ているシャツにはとある製品のロゴが大書されている。それは非合法労働に該当し、イミグレーション規則に違反するというのが首都警察の見解だった。プロモーターにそんな法律違反を許可してくれと頼まれても、許可を出せるわけがない。しかしプロモーター側は執拗にねばり、ロピイングは延々と続けられた。
黄昏の漂い始めた12日17時、アランはスディルマン通りに面したドイツ大使館の対面にある33階建て高さ145メートルのビルThe City Towerの壁に取り付いた。わずか45分でかれは登頂に成功し、せっかくジャカルタにやってきたことの面子を立てることができた。かれは4年前にもジャカルタのモナスに近いインドサットビルを征服している。
シティタワービル屋上から降りてきたアランを地上で迎えた報道陣や観衆が取り囲んでしばらくしてから、目付きの鋭い私服の男が群衆を追い払い、アランに向かって言った。「警察だ。無許可でビル登りを行なったことについて取り調べのために連行する。」
首都警察から連絡を受けた中央ジャカルタ市警がアラン逮捕に出向いて来たのだった。
2008年11月13日夕方、アランはGA828便に乗るためイミグレーション職員に付き添われてスカルノハッタ空港に到着した。同便でシンガポールに出てからフランス行き直行便で本国に送還されるのである。アランは前夜中央ジャカルタ市警での取調べを受けてから身柄を中央ジャカルタ市イミグレーションに引渡され、イミグレは取調べを行なったあとアランを可及的速やかに強制出国処分に付すことにしたのだった。かれを入獄させなかったのは、官憲の優しさというよりも有名人に弱いインドネシア人の性向の表れであるように思える。有名人には甘く優しいという言い方もできるには違いないが・・・・。台湾で101ビルに登ろうとしたかれは捕まって刑務所に入っているのだから。
スカルノハッタ空港第一級イミグレーション事務所長はアランが犯した法律違反について次のように説明した。「アランは2008年11月9日に到着時ビザをパスポートに交付されて入国した。これはツーリストの資格で入国したことを意味しており、報酬を得てシティタワーの壁をよじ登るショーを演じるのにそのビザは不適切だ。かれのその行為はツーリスト/ホリデービザで行なってはならないものなのである。またそのショーには警察の許可も降りていなかった。強制本国送還処分はそれがアランに対するもっとも効果的なものと判断されたからだ」。


「出国フィスカル金額引上げを国税が計画」(2008年11月25日)
PPh(所得税)に関する2008年法令第36号第25条には、「国外に出国する21歳に達した国内個人納税者でNPWP(納税者番号)を取得していない者は出国フィスカルを納めなければならない。一方、NPWPを取得している個人納税者が国外に出国する場合、フィスカル支払は免除される。」と記されている。この法令の中には、出国フィスカルは2010年12月31日をもって廃止される、との条項もある。
国税総局が進めている納税者拡大は実態としてNPWP交付拡大の道を歩んでおり、大げさな言い方をすれば国民皆NPWP取得政策と言えるほどに熱の入ったプロジェクトとして進められている。上の出国フィスカルにからめた条項もその方針をサポートするひとつであることは言うまでもない。ところが、出国フィスカルがもっと高額であれば国民にとってNPWPのありがたみが増すにちがいないとの考えから、国税総局は出国フィスカル金額引上げを大蔵大臣に提案した。企画案は既に大臣の手に渡っている、とダルミン・ナスティオン国税総局長は表明している。この出国フィスカル金額改定は政令の形で制定される予定であり、大臣を通ればあとは国家官房での審査を経た上で大統領に回され、大統領の署名をもって制定となる。この出国フィスカル金額引上げはあくまでもNPWP未取得者にメリットを感じさせてNPWP申請に誘うのが目的であると総局長は強調しており、増収の意図は一言もほのめかしていない。
総局長はこの引上げ方針について、国会にこの問題を諮る必要はまったくないと語っているが、国会税法パッケージ審議特別委員会メンバー議員のひとりは、「廃止が決まっている出国フィスカルの金額を引き上げる必要などさらさらない。」と評している。


「ジャカルタで外国人取締り」(2008年11月28日)
都庁は在留外国人に対する一斉取締りを実施する。これは不法就労外国人の摘発を中心目的にして、在留外国人管理の規律向上や法執行の確立、あるいは脱税行為の撲滅といった諸効果を目指すものでもある。無届で居留して収入を得ている外国人は脱税が当然の帰結だろう。
この取締りは都下5市で一斉に実施され、市民登録住民管理局・労働局・移民局首都地方事務所・首都警察がチームを組んで外国人を雇用している企業や住宅地アパートメントなどへの訪問調査を行う。中央ジャカルタ市市民登録住民管理次局長によれば、中央ジャカルタ市では2008年12月1日2日にこのオペレーションの実施が予定されているとのこと。このオペレーションはジャカルタ首都特別区における市民登記と住民登録に関する2004年条例第4号をベースとするもので、その条例によれば、ジャカルタに居住する外国人はパスポートの保有以外にKitap(恒久居住許可証)あるいはKitas(暫定居住許可証)、KIP(外国人身分証明書)、SKTT(居住地証明書)などの手続きが義務付けられている。「中央ジャカルタ市にはKitas受給者1万2千人Kitap受給者45人の外国人が登録されているものの、実態はもっとたくさんの外国人が住んでいる感触が強い。もし条例に違反している外国人が見つかれば、ひとり5百万ルピア超の罰金が科される。」
都下最大の外国人居住地区である南ジャカルタ市には3万2千人が住んでいるとのデータになっているものの、こちらも水面下にどのくらい無届在留外国人がいるかわからない。無届居留外国人は犯罪の温床になっている、と次局長は続ける。
「ナイトスポットにいる外国人売春婦のほとんどは観光ビザで入国している。麻薬覚せい剤の製造や流通に外国人が関与しているケースも多い。最近は外国人がその首謀者になっているケースが増えている。外国の医療センターも増えており、外国人がそこで医療活動に当たっている。ところがそんな医療機関は事業許可だけでなく安全面の監督がなされているかどうかも不明瞭だ。政府の許認可や保健省の監督など一切なしに行なわれているとすると国民の安全を脅かしていることになる。もうひとつ外国人不法就労の多いのが言語学習や教育塾などのインフォーマル教育セクターで、これも政府の許認可を受けて事業しているのかどうか、教育に当たっている外国人が資格認定を得ているのかどうか、使われているカリキュラムが国民教育省の監督を受けているのかどうか、それらのはっきりしないところが多い。もしそれら一切が無届無許可であるなら、生徒や父兄が高い料金を払ったにもかかわらず政府の教育カリキュラムに即さない内容を与えられるという損害を蒙ることになる。」次局長は不法就労外国人一掃の意味合いをそう強調している。


「シンガポール入国に海路を好むインドネシア人」(2008年12月19日)
シンガポールの観光ビジネスにとってインドネシア人は大切なお客様であるという事実はグローバル不況が色濃く立ち込めつつあるいまでも変わらない。シンガポールの入国観光客を国別に見ると、インドネシアがたいてい首位にいる。シンガポールに観光客が落とす金の20%はインドネシア人の財布から出ているそうだ。
シンガポール観光局のデータによると、2008年1〜6月の入国観光客数は510万人でインドネシア人は85.5万人となっている。7月以降の入国者総数は下向きの印象が強いというのに、インドネシア人はむしろ増加しているように見える。数字は次の通り。単位は万人。
月 / 総数 / インドネシア人 
7月 / 91.6 / 16.7
8月 / 84.2 / 13.3
9月 / 73.9 / 14.3
10月 / 84.3 / 15.7
インドネシア人がシンガポールを訪れる目的は、買物を兼ねた休暇、商用・ビジネス、医療、仕事や学校のために居住している家族親族の訪問、などが主なもの。ところでインドネシアからシンガポールへの渡航は空路・海路・陸路の三つがあるのだが、実は海路入国するインドネシア人がもっとも多いというデータをシンガポール観光局が明らかにした。海路を取る場合、リアウ島嶼州の島々から船に乗るのが普通で、中でもバタム島から高速フェリーを使って海を渡るのが最も太い大動脈になっている。空路チャンギ空港に入る人数はそれより少ない。ちなみに2006年にシンガポールに入国したインドネシア人192万人のうち海路を経由したのは94.3万人、空路は73.7万人、残りはマレーシアから陸路で、という内訳だ。海路経由がマジョリティであることの理由は経済問題であるようで、出国フィスカルが安いことに加えてリアウ島嶼州移民局発行のパスポート所有者には出国フィスカルが免除される恩典が与えられている。


「持込み物品の税金は50%!?」(2008年12月19日)
2008年6月11日付けコンパス紙への投書"Pajak Barang Elektronik di Tanjung Balai Karimun"から
拝啓、編集部殿。シンガポールから海路リアウ島嶼州タンジュンバライカリムンに家電品を持ち込む際、その品物の価格の50%を税金として徴収されます。タンジュンバライカリムンの不良税関職員が5月7日にそう言いました。
わたしがラップトップコンピュータ1台とコンピュータ部品2個を持っていたため、その税関職員はわたしを2x1.5メートルの小部屋に連れ込んでいつまでも解放してくれません。おかげでわたしの連れていた子供ふたりは泣き出してしまいました。
「購入伝票を見せろ。」と制服に名札をつけていない職員が言います。コンピュータと部品の入っていたトランクを引っ掻き回してから、その職員はコンピュータを取り出しました。トランクをX線透視装置に入れたときにトランクの中味は全部分かっていたはずなのに、どうして引っ掻き回す必要があるのでしょうか?わたしが伝票を出すと不良職員は続いてパスポートを出せと言い、さらに税関事務所へ行くよう命じました。ところがすぐにこう言ったのです。「あなたはこの伝票に記載されている金額の50%を納税しなければならない。どうぞ税関事務所へ行ってややこしい手続きをしてください。それともここで30万ルピア払う方を選びますか?」
そのときわたしはあまり持ち合わせがなかったので、21万ルピアと10Sドルを払いました。同じときにシンガポール人フォトグラファーがカメラを持ち込んだという理由で20Sドルを支払うよう命じられていました。かれはそういう規則なのだと思って従ったようです。不良税関職員のテクニックもトリックも、たいへん堂に入ったものでした。
もしそれが本当の規則なら、地元収入はファンタスティックな金額になることでしょう。読者のみなさんがリアウ島嶼州タンジュンバライカリムンに家電品を持ち込む場合は十分警戒してください。もしシンガポールで1千Sドルのコンピュータを買おうという場合、税金に5百Sドルを取られますので出費は1千5百Sドルになるのですから。[ スバッリザル・ワヒユディ ]


「出国フィスカルはひとり250万ルピア」(2008年12月29・30日)
NPWP(納税者番号)保有者に対する出国フィスカル免除が2009年1月1日から始まる。NPWP保有者を増やすために国税総局が行なっている納税者拡大方針の一環として総局はこれまで空路の場合はひとり100万ルピア、海路はひとり50万ルピアと定めていた出国フィスカル金額を引き上げれば一般国民のNPWP保有意識が高まるだろうとの考えから金額改定の検討を行なってきた。そして2008年12月23日、国税総局はその金額改定案を明らかにした。総局の定めた新出国フィスカル金額は空路がひとり250万ルピア、海路はひとり100万ルピアとなる。
出国フィスカル金額は従来から政令で定められており、大蔵省はこの改定案を政令として制定するために原案を人権法務省に提出して新政令案調整作業を依頼し、そのプロセスが終了したので次は国家官房省に上げられて実務処理がなされたあと大統領の署名を待つばかりとなる。この政令が年内に制定されれば、2009年1月1日以降の出国フィスカル制度は次のようになる。
金額: ひとり一回の出国につき、空路250万ルピア、海路100万ルピア
自動免除:
  1)21歳以上のNPWPを持つ国民
2)21歳未満のインドネシア国民
3)12ヶ月中183日未満インドネシア国内に滞在している外国人
4)外交官
5)国際機関職員
6)海外居住者となっていることを証明する書類を持つインドネシア国籍者(スチューデントカードなどを持つ海外留学生を含む)
7)ハジ巡礼者
8)陸路国境通過者
9)海外出稼ぎ者カード(KTKLN)を持つ海外出稼ぎ者
自動免除は自分でその条件が証明できれば自動的に免除対象となるもの。それ以外にも出国フィスカル免除証明書を得た場合にのみ免除対象となるものがある。
出国フィスカル免除証明書(SKBFLN)による免除:
1)大学からのリコメンデーションを得た外国人留学生
2)外国人調査研究者
3)バタム・ビンタン・カリムンで勤務する外国人勤労者
4)社会機関の費用で国外で医療を受ける病人や身体障害者
  付添い者1名を含む
5)芸術・文化・スポーツ・宗教の使節メンバー
6)交換留学生プログラム
7)KTKLNを持たない海外出稼ぎ者
さて、NPWPを持つ個人納税者に対する出国フィスカル免除措置を受けるためには、納税者(乗客)は次の書類を提示しなければならない。
1)NPWPカード(Kartu NPWP)あるいは登録証明書(Surat Keterangan Terdaftar)もしくは臨時登録証明書(Surat Keterangan Terdaftar Sementara)のフォトコピー、パスポートのフォトコピー、搭乗券を出国フィスカル実行ユニット(Unit Pelaksana Fiskal Luar Negeri)職員に提出する。
NPWPカードが戸主の名義である場合、一緒に出国する家族は家族登録書(Kartu Keluarga)のフォトコピーを添付すること。
2)出国フィスカル実行ユニット職員はNPWPカードあるいは登録証明書もしくは臨時登録証明書のフォトコピー、パスポートのフォトコピー、搭乗券、家族登録書フォトコピーをチェックした上、手元のアプリケーションにデータのインプットを行なう。
3)NPWPが有効であることが確認されたら、出国フィスカル実行ユニット職員は「bebas fiskal」ステッカーを搭乗券の裏に貼付する。
4)納税者(乗客)はステッカーの貼付された搭乗券を出国フィスカルチェックカウンターの職員に提示してチェックを受ける。
5)国外に出国する乗客は次の場合に出国フィスカルを納めなければならない。
●NPWPカードあるいは登録証明書もしくは臨時登録証明書のフォトコピーを提出しない場合
●NPWPカードあるいは登録証明書もしくは臨時登録証明書のフォトコピーを提出したが、その番号が有効でない場合
●NPWPカードあるいは登録証明書もしくは臨時登録証明書のフォトコピーを提出したが家族登録書のフォトコピーを提出しなかった場合の家族、あるいは提出された家族登録書の構成メンバーの中にその名前がない家族


「NPWP絡みパスポート発給プロセス開始は先送り」(2009年1月7日)
国税総局が人権法務省に実施を求めていた2009年初からのパスポート発給時に受領者のNPWP(納税者番号)を申告させる方針は延期される見込み。この方針は国税総局が進めている納税者拡大政策の一部で、国民のNPWP保有を拡大させるために総局は既にインドネシア銀行の協力を得て10万米ドルを超える外貨売買にNPWPの保有を義務付ける規則を定めている。
人権法務省移民総局広報課長はこの件について、今現在国民のパスポート申請条件の中にNPWP申告は含まれておらず、国税総局はそれに関する公式協力要請を人権法務省に対して行わなければならないもののどうやら年内にそれを行なう余裕はないようだ、と表明した。移民総局はかつて1980年代にパスポート発給プロセスの中でNPWPの申告を申請者に行わせた実績を持っているものの、パスポート発給条件が膨れ上がって時間がかかるようになったために長続きしなかった歴史がある。その当時のプロセスがどうであったのか、そして今のプロセスにNPWPの申告を加えるとどうなるのかといったことを検討しなければならない、と広報課長は語っている。国税総局の協力要請を移民総局が受けた場合、移民総局はパスポート発給プロセスに関する規則を変更しなければならず、それがなされてからNPWPに関する条件がパスポート発給プロセスの中で発動される。
一方国税総局がこのNPWP絡みパスポート発給方針を人権法務省に要請する余裕がなくなったことについてダルミン・ナスティオン国税総局長は、2008年12月に終了するサンセットポリシーが大きな成果をあげたために他の事を行なう余裕がなくなっている、とうれしい悲鳴をあげた。「通常月では全国一日当たりのNPWP申請処理が多くて7千件だが、今月は猛烈な増加に見舞われている。一日最大で7万5千件にも達し、なんと通常時の10倍以上だ。」総局長はサンセットポリシーの大ヒットに顔をほころばせている。


「2008年に労働許可を得た日本人は1万人」(2009年1月15日)
バタムでは工業セクターで雇用されている多くの外国人勤労者がEPOを取得して帰国し始めたとのニュースが流れている。かれらのほとんどは上級中級マネージメントで5年以上勤務していた者が主流を占めており、かれらを雇用していた工場の操業度が低下したために会社が合理化を行なっていることを暗示している。
ところで2008年に労働許可を得た外国人は2007年から8千5百人増加したことを労働省が明らかにした。労働省データによれば、職務ステータス別外国人勤労者変遷は次のようになっている。
職務ステータス / 2007年 / 2008年
コンサルタント・アドバイザー / 22,449 / 5,695
プロフェッショナル / 22,022 / 32,294
技術者 / 6,380 / 17,192
取締役 / 9,648 / 6,700
監査役 / 309 / 604
マネージャー / 9,251 / 14,442
スーパーバイザー / 4,835 / 6,520
その他 / 21 / 6
合計 / 74,915 / 83,453
国別には中国人が13,607人でトップにあり、二位は日本人で10,533人となっている。2008年3月28日付けトランスミグラシ労働大臣規則第02/MEN/III/2008号で政府は外国人労働許可に関する改正を行なったことから、外国人の新規雇用や雇用延長の許可手続きが容易になったために外国人勤労者が増加するとの見方が一般に持たれていた。現在、外国人雇用許可(IMTA)延長許可は地元自治体で処理されており、かつては7日かかっていた処理日数が3日に短縮されている。


「優しい留置場」(2009年1月19日)
東ヌサトゥンガラ州クパンの留置場に抑留されていた不法入国者18人が夜間当直警備に当たっていた看守4人に暴行した上で留置場を脱走した。18人のうち13人はアフガニスタン人で2008年9月に抑留され、あとの5人はミャンマー人で2008年12月にこの留置場に入ってきた。かれらはオーストラリアに密入国するのを目的に東ヌサトゥンガラまでやって来たが、渡航書類もインドネシアへの入国許可も何ひとつ所持していなかったことからインドネシア当局に不法入国で逮捕されたもの。
クパン留置場では、かれら不法入国者は犯罪による入獄者ではないと位置付けて普段からたいへん大きい自由を与えられており、戻る時間さえ約束を守れば外出はいつでも自由に行なえ、また留置場内でも他の留置者とは違って特別待遇が与えられていた。かれらが欲するものごとは規則が許す範囲内でほとんど聞き届けられていたとのこと。
警察の調べによれば、2009年1月14日午前4時ごろその18人は当直の看守4人を襲って縛り上げ、更に暴行を加えたので4人は人事不省となった。そうしてから全員は留置場から脱走した。警察側はかれらが長期の抑留にストレスを抱くようになったため前後の見境なしに脱走を企てたのではないかと推測しており、総力をあげて捜索しているがまだひとりも捕まっていない。


「瀕死状態のエスニックスーパーマーケット」(2009年1月19日)
インドネシアに在住している外国人をターゲット顧客としているエスニックスーパーマーケットの命運がそろそろ尽きかけていることをインドネシア小売事業者協会役員が訴えた。インドネシアではジャカルタ・スラバヤ・バリ・バンドンなどにおよそ30軒のエスニックスーパーマーケットがある。ジャカルタではたとえば韓国人向けのMu Gung HwaやHanil Mart、日本人向けのCosmo、Kamome、Papayaなど、アメリカ人やヨーロッパ人対象のKem Chics、欧米アジア系を対象にしたGrand Lucky、Foodhall、Ranch Market、Beli Deliなどがそれだ。一般にエスニックスーパーマーケットは店内商品の60〜80%が輸入品で占められているが、今ではそれが10%ほどに減少してしまい、かつては潤沢に陳列棚に並んでいたソース類・即席麺・冷凍食品などがほとんど姿を消している。「日本食品スーパーの中にしばらく前から閉店しているところがある。生き残る道を開いてやらなければ倒産に至るのは間違いない。政府はそれらエスニックスーパーマーケットの運命にもっと敏感になってほしい。昔販売されていた商品が在庫されていないため、外国人の中には店員を叱る者もいる。仕方なく毎週土曜日にシンガポールまで必要な品物を買出しに行く外国人も出ている。インドネシア在住外国人向け輸入商品が入りにくくなっているのは食品薬品監督庁のML認証プロセスの困難さが原因だ。店から輸入者への注文数があまりにも少ないことがML取得プロセスを難しくしている。食品薬品監督庁はML認証プロセスの中で輸入者に外国生産者の代理権を証明する文書や製造工程を説明する書類の提示を求めているが、外国生産者は大口輸入者に対してしかそのような対応をしない。そんな状況に加えて政府はさらに商業大臣規則第56/2008号で飲食品輸入者登録システムを実施し、そして輸入通関をジャカルタ・スマラン・スラバヤ・メダン・マカッサルの5港に限定した。だから当方は商業省が主管している市場流通商品監視タスクフォースに対して三つの提案をしている。」小売事業者協会スーパーマーケット部長はそう語っている。協会が行なっている提案は、1)国内流通商品監督を厳格に行なっている国からの輸入に便宜を与えること、2)小売事業者協会とモダンマーケットサプライヤー事業者協会の登録会員に対する監督に際して政府は各協会を協力者として活用すること、3)食品薬品監督庁が摘発した不法商品の登録促進に関して同庁が約束したクラッシュプログラムのような相応な条件を策定すること、の三つだ。


「出国時の手荷物課税制度が始まる」(2009年1月26・27日)
政府は国外に出る航空機・船舶の乗客と乗務員が持ち出す手荷物に対する課税を2009年1月から開始した。2008年12月16日付けで制定された大蔵大臣規則第214/PMK.04/2008号は、乗客手荷物として国外に持ち出される輸出物品に最高60%の輸出関税が課される、と定めている。2009年1月21日付けコンパス紙ビジネスファイナンシャル面トップにそんなショッキングな記事が出た。
乗客や乗務員の手荷物である乗客手荷物はひとり当たりの免税限度額が250万ルピアとされ、課税対象となるのはその限度額を超えた売買される個人荷物である、とアンワル・スプリヤディ税関総局長が説明した。現場で乗客個人荷物の中の何が売買されるものと判定されるのかという問題について総局長は、個人荷物の妥当性を超えるものかどうかが基準になる、と語っている。特に数量による判定がメインになるようで、たとえばラップトップコンピュータを4台持っているといったケースがそれに該当し、もし1台だけなら課税されることはない、と総局長は例をあげて説明した。
税関総局は先に輸出関税制度の啓蒙告知を実施しており、それによれば国内市場での物品供給と国内の資源保護を目的に課されるのが輸出関税で、国際市場で価格上昇が起こったときに国内外価格差のバランスを取るために課されるものと説明されている。従来から様々な生活物資が国際市場で値上がりするたびに国内で品薄となり、需給関係が敏感に価格に反映されて国内価格が大きく値上がりするということが繰り返されてきた。その対策が新通関法で新設された輸出関税ということのようだ。
この輸出関税制度が抜け穴を持たないよう、乗客手荷物として国外に持ち出される輸出品にも網をかけておこうというのがどうやら今回出された乗客手荷物対象の課税制度と思われるのだが、外国で販売価値を持つ物品のすべてが国内市場で品薄を起こしているわけでもあるまい。ともあれ、今後は販売価値のある品物を国外に持ち出す際に注意をする必要があるだろうと思っていたところ、翌1月22日の記事でどんでん返しが行われた。
2006年法令第17号『通関法』で新設された輸出関税は従来行なわれていた輸出時に徴収される輸出課金に直接取って代わるものとはされていないが、名称が何であれ、輸出を抑制したい場合に政府が輸出者に課す徴収金という性格は変わらない。輸出申告をしないで航空機船舶乗客や乗務員が国外に持ち出すことのできる手荷物が輸出課金制度の抜け道をなしていたのは理解できることであり、そこにも制度の網をかけようとする緻密な対応を政府は取り始めたということのようだ。
さて2009年1月23日のコンパス紙では、輸出関税課税対象物品は皮革原料・籐材・木材・パーム原油の4品目であることが説明された。であるなら、ラップトップコンピュータを例に出した税関総局長の話はいったい何だったのだろうか?それら四つの品目を手荷物として持ち出すひとは滅多におらず、大量にハンドキャリーするひとはたいてい輸出手続を行なうのでその抜け道を大量の物資が通り抜けるということはほとんど起こらないとはいえ、制度として完璧なものにしておく、という大蔵省税関の考え方は妥当なものと言えるだろう。
税関総局チュカイ通関規定収入局長は、輸出関税課税措置は次の条件に該当する場合に免除される、と付け加えている。
1)互恵原則にもとづいてインドネシアに開設されている外国公館の物品
2)博物館、動物園、自然保護のための物品
3)学術的研究開発のための物品
4)売買されないサンプル品
5)引越荷物
6)再輸出される輸入物品
7)将来再輸入される輸出品
8)輸送機関乗客や乗務員の個人荷物で、定められた限度を超えないもの
航空機・船舶での出国はひとり一回につき250万ルピアが限度とされ、陸路国境通過者はひとり一ヶ月間で、と定められている。


「国の表玄関はその国の縮図」(2009年2月19日)
2008年7月29日付けコンパス紙への投書"Kemiskinan di Bandara dan Arogansi Pejabat"から
拝啓、編集部殿。2008年7月11日金曜日夕方、わたしはシドニーのワールドユースデー2008に参加するインドネシア大学男女学生の団体をスカルノハッタ空港に送っていきました。わたしの子供もその中のひとりだったものですから。
空港出発ターミナルで時間を待っている間、わたしのところに香水・ボールペン・めがねなどを売りに物売りが5人もやってきました。またうすよごれたかっこうの靴磨きの少年をふたり目にしました。おまけにふたり連れのくず拾いがターミナル内をのんびり往来しているのも見ました。ひとりがプラスチックコップを拾ってもうひとりに渡すと、渡されたほうは背に担いだ大きな黒色ビニール袋にそれを放り込むのです。かれらは長ズボンに白いシャツというカジュアルなかっこうをしていました。
わが国最大の国際空港で起こっているそのような有様を目にしてわたしは気恥ずかしい気持ちになりました。でもそれはすべて貧困に根ざしているのだとわたしは思います。わが民族を指導するべき国政高官たちが自分のことばかり考えているとき、貧困者は国中のいたるところを徘徊し、あげくの果てにわれらの愛するこの国の表玄関にまでやってくるのです。権力者が自分だけ好い目を見ようとする図式は、2台の大型バイクに乗った警官に警護されて高級車で空港自動車道をやってくる高官の振る舞いに明らかに見ることができます。その日空港を目指していたわたしの車に向かって道路端に寄って道を高官のために空けるよう、ジグザグ走行をする高官の先導バイクが命じました。そのとき道路はたいへん詰まっており、わたし自身もチェックイン締め切りに遅れないかと気が気でなかったのです。ピストルを腰に下げた警護バイクのひとりはわたしに目をむき、わたしを指差して怒るしぐさをしました。これでは相手に道を譲らざるを得ません。他人の気持ちを少しも汲み取ることのできない高位高官の振る舞いの些細な例がそれでしょう。お山の大将で、横暴、ひとりよがり、そして傲慢な。[ ブカシ在住、ビマ・スティア・ブディ ]


「外人労働許可審査の厳格化を労相が表明」(2009年2月23日)
「このグローバル不況は諸外国でも多数の失業者を生んでいる。自国で職を失った者がチャンスのあると思われる国へ職を求めてやってくることは大いに考えられることであり、かれらがインドネシアをそのような国と見なす可能性は決して小さくない。外国人勤労者が国内で職に就くのを認めるのは、それによって国益がもたらされるためであり、ひとりの外国人勤労者がそのようなストラテジックなポストに就いて数百人という多くの国民に就労機会を開いてこそ意味を持つものである。わが国は投資の門戸を諸外国に大きく開いているが、それは付随して得られるものがあることが必須条件だ。ストラテジックなポストに外国人勤労者を受け入れるなら、国民に就労機会が開かれ、またその勤労者から地元勤労者への知識と技術の移転が行なわれなければならない。ストラテジックでないポストに外国人を就ける必要はなく、それは地元の勤労者が勤めるべきことである。そのような条件に関する規準がなくてはならず、それを定めて運用しているのがトランスミグラシ労働省であるため、当方はすべての外国人が国内で勤労する際の許認可審査を行なっている。商業省・工業省・BKPMなど外国人勤労者の雇用に関わる可能性を持っている省庁との間で、その就労許認可に関するプロセスを必ず労働省に委ねることの合意は既に結ばれている。他の省庁が何らかのプロジェクトのために外国人勤労者と直接契約した場合でも、必ず労働省でのプロセスは行なわれることになっている。労働省は昨今の状況に鑑みて、今後外国人就労許認可に関する審査を一層厳格に行なうことを決めた。」エルマン・スパルノ労相は外国人に対する就労許可に関してそう表明した。労働省のデータによれば、2008年末時点の外国人勤労者総数は83,453人で2007年の74,915人から11%増加している。


「ML未取得商品を売っている店は国を侮辱している」(2009年2月27日)
飲食品事業者連盟が横暴なやり口だとして批難を向けた食品薬品監督庁はモダン小売店が取り扱っているイリーガル商品に対して徹底的に摘発を続けるとの意志を表明した。イリーガル商品は法規に違反し、消費者に損害を与え、わが国を侮辱し、民族経済を損なうものだ、とフスニア・ルビアナ・タムリン食品薬品監督庁長官は言う。「イリーガル商品は輸入関税やその他の諸税そして税外国庫収入を納めておらず、与えられた義務を果たしていない。業界者がいくら苦情しようが当方はモダン小売店にあるイリーガル輸入商品に決して容赦を与えず、徹底的に取締まりを行なう。他の国では商品ラベルが規定に違反しているだけで1千ドルの罰金を蒙る。ましてや非合法品を扱えばどんな制裁が与えられることか。そんなビジネスをよその国へ来て行なおうなどとはとんでもない話だ。」
しかし飲食品事業者連盟流通品部会議長は長官の発言に反論する。「われわれはML番号のない商品を扱うことが違反であるのは知っているし、国家を侮辱するような意図も持っていない。しかしこれまでそのような商品がインドネシア国内で流通しているのを見ながら政府はそれを放置してきたではないか。メラミン汚染ミルク問題が起こってはじめて取締りが強化され、突然法に服せと政府は言い出した。政府はこれまでの実態に目をそむけず、小売業界を指導してこの問題の解決に向かうよう歩み寄ってほしい。輸入関税その他の納税義務を果たしていないのは輸入者あるいはサプライヤーであって小売業界ではない。小売店はサプライヤーとの国内取引で必ず付加価値税(PPN)を納めている。輸入者やサプライヤーが供給する商品が納税義務を果たしたものなのかどうか小売店にはわからないし、それは輸入者やサプライヤー側の責任だ。食品薬品監督庁はML未取得商品がどこにあろうが無分別にそれを没収している。われわれはそんなやり方を苦情している。おまけにML認可交付条件に代理店資格や製造プロセスを説明する書類を要求して、食品薬品監督庁は商品の輸入を困難にしている。」
この問題について政府高官は一様に、「小売業界はコンプライアンスを行なえ」と言う。経済統括相商工業調整担当デピュティは、小売業界が求める輸入商品のML認可取得簡素化に応じる必然性はなにもなく、ましてやインドネシアに居留する外国人の需要に応じるためという理由は受け入れられるものではない、と語った。「わたしは8年間インドネシア共和国在外公館に勤務し、必要なものはすべて外地の小売店で購入した。国際機関駐在者も他の外国人も、買物はすべて地元のマーケットで行なっている。政府は現在のような状況下に例外規定をあれこれ増やすようなことをしたくない。それは輸出入面で国民が平等に規律を守ることをスポイルするだけであり、国益を損なうことになる。例外は外交行嚢に入って送られてくるものだけだ。われわれ自身に利益をもたらすために行なわれるべきことがほかに一杯あるというのに、そんな余計なこと(在留外国人を特別扱いするということ)をして何になるというのか。モダン小売業界はまるで国連ミッションではないか。すべて外国から持ってこなきゃいけない?この国への貢献はどこにある?」デピュティはこの問題をそう評している。


「到着時ビザ窓口は苦行の場」(2009年3月18日)
2008年8月12日付けコンパス紙への投書"Mengurus Visa di Bandara Soekarno-Hatta Melelahkan"から
拝啓、編集部殿。わたしは業務上で頻繁に出張があるため国内線国際線を問わずスカルノハッタ国際空港をよく利用します。2008年7月20日20時40分ごろ、わたしはスカルノハッタ空港Eターミナルに出張からもどってきました。そのときわたしはインドネシアに遊びに来た外国人の友人を伴っていました。かれの国にあるインドネシア大使館が、二週間以内の観光訪問ならジャカルタで到着時ビザを取ればよい、とアドバイスしたのでかれはスカルノハッタ空港で到着時ビザの手続をしようとしました。ところが到着時ビザ手続窓口には長蛇の列ができており、友人がそのプロセスを終えるのに1時間以上の時間を要したのです。友人も他の乗客も、立ったまま列に並ぶその状態をこぼしていました。みんなとても疲れを感じているようでした。そこにいたイミグレーション職員に尋ねたところ、ビザ手続窓口はふたつあるのだがひとつはコンピュータが壊れているため窓口ひとつで対応せざるをえないのだ、とその職員は説明しました。
2008年7月26日17時25分、わたしはまたスカルノハッタ空港Eターミナルに到着し、同行した仕事仲間の外国人が到着時ビザ手続を行ないましたが、状況はまったく変化していませんでした。長い列に並んで長時間立ち続けるのです。そこにいたイミグレーション職員にまた同じ質問をしたところ、まったく同じ返事が返ってきました。「コンピュータが壊れているからだ。」と。いったいそのコンピュータはどんなふうに壊れているのでしょうか?外国人入国客を長時間立たせて疲れさせるようなことをしてはインドネシアの恥になるとだれも考えないのでしょうか?今年はビジットインドネシアイヤー2008を成功させようという話の足元でこんな状態です。関係当局の説明を求めます。[ 北ジャカルタ市在住、スサント ]


「同じパスポート番号を別人が持っている!」(2009年4月20日)
2008年9月6日付けコンパス紙への投書"Paspor Dinas dan Paspor Umum Bernomor Sama"から
拝啓、編集部殿。わたしは一般旅券番号S145091の保有者で、2008年に西ジャカルタ移民局事務所で交付を受けました。2008年8月8日にわたしがバンコックで入国しようとしたところ、わたしのパスポート番号は2007年にタイに入国したボディマン・ブディマンというひとのものと同じであることが判明しました。おかげでわたしは空港イミグレーションで4時間も足止めをくらうことになったのです。最終的にわたしはインドネシア大使館の保証で空港イミグレーションを通ることができました。
ジャカルタに戻ったわたしはすぐに西ジャカルタ移民局事務所を訪れて担当課長に面会し、説明を求めました。課長はただ、わたしの旅券が本物であることを保証するというだけで、どうして同じ旅券番号がふたりの人間に発行されたのかを説明してくれません。多分ボディマン・ブディマンという人物は外務省が発行した公用旅券の持主で、たまたま同じ番号が使われたということではないだろうかと推測を語るだけで、この問題を解決するのにどうすればいいのかということについては何ひとつ提示してくれませんでした。
この問題についてわたしは移民総局と外務省に対し善処を求めます。同一旅券番号が一般旅券と公用旅券の双方に使われて良いものなのですか?もしそれが当然のことなら、バンコックの入国管理官はどうして空港でわたしを勾留したのでしょう?もしそれがあってはならないことであるなら、わたしはこの問題をどのように解決すればよいのでしょうか?わたしは外国を訪れるたびに同じトラブルが繰り返されるのを望みません。[ 東ジャカルタ市在住、セシリア・マルワティ ]


「女性の一人旅はたいへん」(2009年5月28日)
2008年10月26日付けコンパス紙への投書"Pengalaman Buruk di Bandara Soekarno-Hatta"から
拝啓、編集部殿。わたしはフランスのパリからエティハッド航空に乗り、アブダビで乗り換えてスカルノハッタ空港に2008年9月26日14時30分に到着しました。入国審査を通ってバゲージクレームに行きましたが、そこで長時間待たされることになったのです。普通は15分から30分で出てくるわたしのトランクは45分を過ぎても現れず、他の乗客がみんなトランクをピックアップしてそこから立ち去るのを見てわたしは不安に襲われました。残っている乗客はわたしを含めてほんの数人です。
ほとんど1時間が過ぎようとするころ、やっとわたしのトランクが変わり果てた姿でコンベヤに乗って出てきました。わたしは外国製の頑丈な南京錠をかけていたので、それを壊すことができなかったのでしょう、トランクのファスナーが破られて中味が引っ掻き回されていました。丁寧にたたんでトランクの中に納めていた衣服の端がファスナーからはみ出し、トランクにかけていた保安ベルトもはずされています。1時間近く待っている間、こんな結末の予感が何度もわたしの頭をよぎりました。外国産の防犯能力の高い南京錠をかけていても、ファスナーをこじあけられるのですから意味がありません。長い間待たされた自分の荷物がやっと手に入ったので、この事件を届け出てまた手続に時間を取られるのが面倒だったわたしは、外でわたしが出てくるのを長時間待っている家族に早く会いたい一心から、すぐに税関ゲートに向かいました。ところが税関のスキャナーに手荷物を通すと、職員のひとりがわたしにストップをかけてパスポートを見せるよう命じながらこう言ったのです。「あなたは出迎え人と一緒に、あるいは自分ひとりで帰ってはいけません」。
わたしが夫に付き添われず自分ひとりで帰国したとき、そんな待遇をわたしは何度も経験しています。おまけにわたしはいつもジルバブを被っているのですから。その職員はたぶんわたしを、女性海外出稼ぎ者だと思ったのでしょう。実際わたしの乗った飛行機に女性海外出稼ぎ者は数人いましたから。職員はわたしにパスポートを返し、それ以上わたしを束縛しませんでした。[ 西ジャカルタ市在住、リナ・アグスティナ ]
2008年11月1日付けコンパス紙に掲載された空港運営会社からの回答
拝啓、編集部殿。リナ・アグスティナさんからの2008年10月26日付けコンパス紙に掲載された投書に関して、「スカルノハッタ空港での悪体験」というタイトルと内容が対応していないことに当方は抗議します。投書で訴えられた内容は航空会社と空港地上ハンドリング会社の責任であり、空港側の責任ではありません。このような表現はスカルノハッタ空港運営会社PTアンカサプラ?に対するネガティブな印象を招くものです。スカルノハッタ空港での利用者サービス向上のために、2008年9月から開始されたクリーンエアポートアクションプログラムの実施を通して空港利用者の快適さを増進させるべく、当方は施設拡充と改善を持続的に行なっております。[ PTアンカサプラ?企業秘書、スダルヤント ]
2008年11月19日付けコンパス紙に掲載されたエティハッド航空からの回答
拝啓、編集部殿。エティハッド航空を利用してジャカルタに到着し、空港でバゲージピックアップの際にそれが壊されていたのを見出したという内容のリナ・アグスティナさんからの投書について、リナさんの体験されたできごとに遺憾の意を表明すると共に、当方は真剣にこのできごとに対処する所存であることをお伝えします。当方はこの事件に関する綿密な調査を行う所存ですが、リナさんがこの事件を到着時に届け出られなかったのはきわめて残念です。当方はリナさんから十分な情報をいただけるよう、ご本人へのコンタクトに努めていますがまだ実現しておりません。とはいえ、事件の決着をはかるためご本人とのコンタクトに努めることにしております。[ エティハッド航空カントリーマネージャー、ロバート・ダグラス ]


「出国カードは自分が乗る航空会社でもらえ!」(2009年6月23日)
2009年5月3日付けコンパス紙への投書"Kartu Imigrasi di Bandara"から
拝啓、編集部殿。2009年4月8日19時ごろ、わたしはシンガポールに向かうためにジャカルタのスカルノハッタ空港に到着しました。時間が迫っていたのでわたしはチェックイン後すぐに出国審査カウンターに向かいました。そしてシンガポール航空チェックインカウンター職員がわたしに出国カードを渡し忘れたことがそこで判明しました。出国審査担当官はわたしに、近くの航空会社チェックインカウンターで出国カードをもらってくるようにアドバイスしました。出国者は無料で出国カードをもらえるものだから、と言って。
一番近いカウンターがJALだったので、わたしはそのチェックインカウンターへ行って出国カードを分けてほしいと頼みました。ところがそのカウンター職員はわたしの頼みを拒否したのです。というのは、出国カードは各航空会社がイミグレーションから購入しているものなので、乗客は自分が利用する航空会社からもらわなければならない、というのがその理由でした。時間が迫っていたためにわたしはそこを離れ、別の航空会社カウンターで出国カードを分けてもらいました。そこから出国審査場所へ行くのにまたJALのチェックインカウンターの前を通ったので、わたしはカードを分けてくれなかった職員に名前を尋ねたところ、その職員はニョマンだと答えました。すると驚いたことに、右から三番目のカウンターに座っていた別の職員が突然わたしに向かって罵詈雑言を浴びせかけてきました。イミグレーションとJALはこの問題に対してフォローアップするよう要請します。この事件はインドネシアを訪問した外国人たるわたしにとても悪い印象を残したのです。[ シンガポール在住、アルディ・ウィボウォ ]


「不法就労者摘発はタレこみから」(2009年7月31日)
中華人民共和国籍のリアン・ジュンボー22歳が西ジャカルタ市タマンサリの商店で働いているところを西ジャカルタ市移民局捜査員に現行犯逮捕された。リアンはマンガブサール通りロカサリにあるツバメの巣販売店で店員をしており、西ジャカルタ市移民局のおとり捜査員がまずその店で90万ルピア相当のツバメの巣50グラムを購入してリアンに領収書を作らせた。こうして証拠固めを行なった上で捜査員がリアンを逮捕したのだが、リアンは最初、働いていないと主張したものの、おとり捜査員の入手した証拠品がリアンの不法就労の決め手となった。
逝江省出身のリアンは労働許可を持っておらず、マルチプルエントリービザでインドネシアに出入りしていたがそのビザのスポンサーであるインドネシア人とはまったく関係を持っていない。リアン不法就労摘発のきっかけとなったのは住民からの通報であると西ジャカルタ市移民局長は表明している。
西ジャカルタ市移民局はリアンに対し、一週間以内に自主的にインドネシアから退去するよう命じたが、それに従わない場合は強制措置を取ることにしている。西ジャカルタ市移民局は今回のリアン不法就労事件の前に、教師をしている外国人を強制出国させた。インドネシアで教職に就くための政府の許可を得ていないことが違反の内容。


「エスニックスーパーは政府方針の被害者」(2009年9月24日)
特定国出身の在留外国人が持つ独自の需要にあわせた商品(特に飲食品)を輸入販売していたエスニックスーパーマーケットは、その販売商品が食品薬品監督庁の国内市場流通認可を得ていないものが大半を占めていたために政府の厳しい規制を受けて店内の商品陳列棚が空っぽになるという苦難の時期を体験した。いまやその時期は乗り越えて政府の法規はクリヤーしたものの、もともとの特定国インドネシア在留者の需要を取り込むというビジネスコンセプトが大きく変質してしまった結果、エスニックスーパーという看板は名ばかりのありきたりの商店に変貌してしまった感が強い。その現状についてインドネシア小売事業者協会スーパーマーケット部会議長が政府の政策を批判して次のように語っている。
「外国産品の輸入を今のように難しくされたならエスニックスーパー事業を行う者はいなくなる。ハイパーマーケットと同じ商品を販売させられるならビジネス競争での勝ち目はない。在留外国人やエクスパトリエート向けの狭い市場を刈り取るのが困難になれば、スーパーマーケットを開業するメリットは何もないではないか。エスニックスーパーは大きいところでも6店しかアウトレットを持っていないのだから、全国に巨大な販売網を持つハイパーマーケットとは仕入れ量が桁違いだし、店頭ストックも倉庫ストックもボリュームが違う。商品仕入れ条件ですでに太刀打ちできないのだからその分商品の値付けに差がつくため、消費者がどの店を訪れるかは言うまでもない。そんなビジネスに投資をしようという者などいない。」
エスニックスーパーマーケットと同議長が言う商店には次のようなものがある。
韓国系 : Mu Gung Hwa, Hanil Mart
日系 : Papaya, Cosmo, Kamome
欧米日韓混合系 : Grand Lucky, Kem Chicks, Foodhall, Ranch Market, Bali Delli
現在、それらのエスニックスーパーは食品薬品監督庁からML番号を得た飲食品を登録輸入者を通して輸入するという形を取っているものの、それで問題がなくなっているわけでもない。国内流通認可であるML番号を取得した商品は限られているし、その商品が輸入されてきても港での通関に時間がかかっている。エスニックスーパーは従来の商品レンジが否応なしに狭められ、かつ狭い商品レンジの入荷がスローダウンしていることから、商品陳列棚を埋めるために国産品を扱うことを余儀なくされている。しかしもともとエスニックスーパーとしてその国から来たインドネシア在留者を顧客に持っていた店だから、その需要にフィットさせるために国産商品の取扱いはハイパーの売れ筋商品に傾くきらいがあるのは当然だ。すでにエスニックスーパーの中には国産品が80%を占めるところも出てきているが、ハイパーへ行けばもっと廉い価格で売られている国産商品をわざわざエスニックスーパーに買いに来るエクスパトリエートはいったいどれほどいることだろうか?


「人買マフィアの暗躍!?」(2009年10月24日)
西ジャカルタイミグレーション事務所が労働許可を得ないで働いていた中国籍の女性7人に強制出国処分を与えた。2009年10月17日に逮捕されたこの7人は西ジャカルタ市警が人身取引の捜査という名目でナイトスポットで働く女性たちを対象に定期的に行っている身元取調べの中で不法就労外国人としての容疑を受けたもので、そのときは西ジャカルタ市マンガドゥア地区ロカサリのナイトスポット『Un』で中国籍の若い女性たち16人とかの女たちが働いている店のマネージャー及び出納係が警察に連行された。マネージャーと出納係はインドネシア人。
警察の取調べで16人中の7人は就労ビザを受けていたことが判明し、残る9人のうちの7人を警察がイミグレーションに引渡したため、西ジャカルタイミグレーション事務所はその7人を取り調べてから10月19日に強制出国措置を与えることを決めた。この強制出国処分は7x24時間以内に自主的にインドネシアを退去することを命じるもので、女性たちは宿舎への帰宅を許されたがかの女たちを雇用していた店はその間に必要な出国手続を取ったうえその出国を保証するという形で連帯責任を負わされている。
西ジャカルタ市はロカサリだけでなく、タマンサリ一帯、ガジャマダ通り、パサルバル周辺、ピントゥクチールなどにあるナイトスポットで外国人と見られる若い女性たちが接客業に就労している姿をたくさん目にすることができる。かの女たちはエスコートやマッサージなどの仕事にも従事している。しかしこの世界の実情に詳しい市民のひとりは、ナイトスポット業界不法就労者に対する逮捕と強制出国措置について、その種の違反行為を根絶させるために行なわれているとは思えない、とコメントしている。「通常、逮捕されて国外に追放される女性は契約期間がほぼ満了した女性ばかりであり、放っておいても帰国する予定の者たちだ。強制出国措置の場合、帰国費用はインドネシア政府が負担しているのだから。」その発言は不法滞在女性たちに対する法執行の裏に人身取引マフィア組織が絡んでいることを思わせるものである。


「ガルーダが機内入国審査サービスを開始」(2010年2月8・9日)
政府人権法務省は到着時ビザ(Visa on Arrival)に関する2010年1月12日付け大臣規則第M.HH-01.GR.01.06 Tahun 2010号でこれまで7日間と30日間の二種類あった到着時ビザを30日間の一本立てとし、10ドルで交付されていた7日間のビザを廃止した。到着時ビザはインドネシア政府が定めた外国の国民が観光・文化社会活動・ビジネス・政府関連活動などを目的としてインドネシアを訪問する場合にインドネシア政府が審査の上で承認した者に特定入国場所で与えられる有料のビザで、その所有パスポートが6ヶ月以上の有効期限を持っていること、入国禁止者ブラックリストに名前が載っていないこと、ビザ料金を支払うことを条件に交付される。
今回の変更では30日期限のビザに一本化されたわけだが、従来認められていなかった期限延長が30日を限度として認められるようになった。しかし別種の滞在許可へのステータス変更は依然として不可能だ。そのため上述の目的でインドネシアを訪問する場合は最長60日間の滞在が可能になる。大臣規則は新方針の即日実施を定めており、現場での実際の適用は2010年1月26日から開始された。
上の到着時ビザ一本化と時期を合わせるかのように、これまできわめて悪評だった空港における到着時ビザ手続プロセスの改善企画を政府は新たに打ち出した。到着時ビザ交付手続は空港到着ターミナル内の限られた窓口で取り扱われているが、世界64ヶ国の国民にこの制度が適用されており、その対象国から来た飛行機一機に数百人の到着時ビザ手続者が乗ってくるわけで、ラッシュ時間帯になれば窓口前には長蛇の列が作られ、それに対応してすべての窓口が開かれるわけでもなく、ビザ交付担当官はマイペースを崩さないでじっくり業務を行なっているから、へたをするとそのプロセスを通り抜けるのに数時間という時間のロスを覚悟しなければならない。それが外国人観光客の悪評を招かないはずがないということだ。
だから機内でそのプロセスを行なってしまおうというアイデアがその対策として浮上した。日本発のガルーダ航空機内での入管手続実施は数十年前にも行なわれたことがあり、これがはじめてというものではないが、往時は日本国籍者がビザフリー制度対象国民とされていたので今回のものとは重みがかなり違っていると言うことができるだろう。
2010年1月21日に東京発デンパサル行きガルーダ航空GA881便でそのImmigration on boardと名付けられた新サービスのトライアルが実施された。成田空港のガルーダチェックインカウンターで到着時ビザを必要とする乗客はまず25ドルのバウチャーを購入し、デンパサル空港到着前に乗務しているイミグレーション担当官ふたりが機内客室をまわって入国手続を行なうときにパスポートとバウチャーを渡してビザを交付してもらい、同時に入国審査も済ませるというのがこのプロセス。その際にイミグレ担当官は乗客にカードを渡してくれるので、デンパサルあるいはジャカルタでの入国に際してそのカードを空港内の入国管理手続カウンター職員に渡せばそこを素通りすることができる。1月21日のトライアルではふたりのイミグレ職員が2時間半かけて245人の乗客に対する機内入管プロセスを実施した。この機内での入管サービスを利用しない場合はインドネシアの入国地空港で長蛇の列に並ぶほかなくなる。
東京〜デンパサル間のこの機内入管手続サービスは2010年2月1日から本格実施が開始されている。大阪と名古屋発のガルーダ便にも追々このサービスを拡大するとガルーダ側は表明しており、日本以外の国もその後を追って開始されることが期待されている。


「法規は金ですぐ曲がる」(2010年3月1日)
2009年5月23日付けコンパス紙への投書"Uang Cincai di Imigrasi"から
拝啓、編集部殿。2009年4月29日、わたしはマレーシアの友人と一緒にエアエイシアでペナンからジャカルタに飛びました。スカルノハッタ空港での入国手続は、わたしには何の問題もなくまたイミグレーション職員の態度もよかったのですが、友人のほうはとても不愉快で恥知らずな待遇を受けたのです。
友人はペナン発ジャカルタ行きという片道航空券しか持っておらず、イミグレ職員はジャカルタからマレーシアへ戻る航空券を持っていないことを問題にしました。友人はイミグレ職員に対し、自分はジャカルタへ観光に来ただけで、マレーシアへは一週間後にメダンからフェリーで帰国するのだと説明しました。ところがそんなことはイミグレ職員の知ったことでなく、威嚇的な調子でふたつのチョイスのどちらを選ぶか決めるよう友人に命じました。ひとつは100マレーシアリンギットを払って入管を通してもらうか、それともインドネシアへの入国を禁止されてマレーシアに送還されるか、と。友人はしかたなくスカルノハッタ空港イミグレ職員に30万ルピア(100リンギット相当)の金を渡してそこを通りました。
二ヶ月ほど前にもわたしの友人である別のマレーシア人がクアラルンプルからジャカルタにエアエイシアで来たとき、かれもジャカルタからクアラルンプルへ戻るエアエイシアの航空券を持っていなかったためにスカルノハッタ空港イミグレ職員から同じような扱いを受けました。その友人もマレーシアへはバタムからシンガポール経由で帰国するのだと説明しましたがイミグレ職員の知ったことでなく、かれも仕方なく150リンギットを支払って入国しています。
それらの事実にもとづき、インドネシア国民にとっての表玄関であるスカルノハッタ空港やその他の国際空港は世界の目に、このような汚れて不愉快で破廉恥で非難されるべきイミグレ職員の行為を一掃してもっと清潔なものに変身させなければなりません。航空会社とイミグレーションはインドネシアからマレーシアへの戻り航空券が依然として必要とされているのかどうかについての規定を明確に掲示しなければなりません。インドネシアとマレーシア間の出入国パターンは空港や海港そして海空組み合わせをふくめてたくさんの形態が存在しているのですから。[ ジャカルタ在住、シュクル・ヌララム ]


「宣伝された外国人専門医は不法就労者」(2010年3月3日)
バンテン州タングランにある一病院が外国人腫瘍専門医の診察治療を受けられるとマスメディアで宣伝したところ、保健省の調査が入ってその専門医が不法就労していることが明らかになった。医師登録も医療従事許可も持っていないその外国人医師を病院側が使っていたため保健省は病院理事を呼んで、外国人関連で現在行なわれている活動を即座に取り止めること、マスメディアにその取り止め広告を載せることのふたつを命じた。その医師に対しても懲罰が下されることになる。
インドネシアで医療行為に従事する外国人は保健省に登録して許可を得なければならず、また国内医療機関はその手続を踏んでいない外国人を使ってはいけないことになっている。外国人医療従事者は1980年に定められたインドネシア医療機関の外国人医療従事者使用制限に関する保健大臣規則第441/Menkes/Per/XI/1980号並びに2007年の医療活動実施許可に関する保健大臣規則第512/Menkes/Per/IV/2007号に従わなければならない。更に民間団体であるインドネシア医療カウンシルも国内で医療活動に従事する外国人に登録を要求している。保健省はまた、国際認証を得た病院だけがインターナショナルホスピタルという名称を付すことが認められるので、そうでないのにインターナショナルホスピタルと自称している病院に対する取締りを実施することにしている。


「外国人医師は不法医師」(2010年3月15日)
インドネシアにいる外国人医師が正式に受けている許可は知識移転に関連するものだけであり、一般市民に直接接して診察治療活動を行うことを許可された者はまだいない。つまり診療活動を行っている外国人医師は違反者なのである。「隠れてこっそりと、あるいは大っぴらに堂々と、国内で診療活動を行っている外国人医師が増加しているが、それらの違法医師は早急に取り締まらなければならない。外国人医師の国内招へいにはもっと厳しい条件を課し、国民の保護を第一義にして対処しなければならない。」インドネシア内科専門医師会が開催した『インドネシアにおける外国人医師』と題する討論会で最近の情勢に関連する問題がそのように提起された。
この討論会にはインドネシア医師同盟、インドネシア医療評議会、保健省から発言者が出席した。医療評議会理事長は、医療行為の許可に関連して外国人医師や歯科医師に登録証書が発行されたことはないと強調した。これまでに発行されたのは教育機関や医療サービス機関で知識移転を行なうためのものに限られているとのこと。理事長はまた、インドネシア人医師は知識技能で外国人医師に劣るものでなく、問題があるのは医療サービス施設が不十分で未整備であるためで、だからインドネシア人医師と外国人医師は同等の地位に置かれなければならないとも主張した。
保健省法務局員は、外国人医師の診療活動が認められるのはA級B級病院だけであるが、これまで診療行為に従事することを外国人医師に許可したことは一度もないことから、もしそのような行為が行なわれているならそれは無許可の不法行為にあたる、と述べている。2009年に診療活動従事者として41人の外国人医師雇用申請が出されているものの、許可を得た者はひとりもいないとのこと。
インドネシア医師同盟事務局長は、現在行なわれている紹介制度の結果、外国人医師の需要は小さいものにしかならない、との分析を発表した。一般医から専門医への患者紹介の流れの中に外国人医師が介在する余地はあまりないというのがその理由。


「入国審査を通過する精巧なニセビザ」(2010年4月1日)
偽造パスポートにニセの入国ビザをつけて一件500万〜800万ルピア。注文者はだれのものでもいいからパスポートを一部と自分の顔写真1枚を持ってくること。こうして実に精巧な贋造パスポートが一週間後にできあがる。公的なパスポート作成だと二週間もかかるが、インドネシアの不法行為は消費者に対する顧客サービスが公的手続よりも優れている。公共サービスの非能率・顧客無視・不法徴収金取立てが不法ビジネスをはびこらせている元凶と言っても過言であるまい。
さてそのニセビザ付き贋造パスポートを作っていた43歳の男が首都警察に逮捕された。警察は2009年11月からこの男の捜査を開始し、2010年2月10日中央ジャカルタ市アルヤドゥタホテルでやっと逮捕に成功した。この男の作ったニセモノはきわめて本物に近く、その国の入国審査官の目さえくらましたほどで、この男のおかげで少なくとも4人がアメリカ・中国・オーストラリア・ニュージーランドに入国していることが判明し、政府は既にその各国に対して不正入国者の照会を行なっている。
この男は注文者が持参したパスポートのカバーだけを使い、縫い目を丁寧にほどいて注文者の顔写真が入った本人データページと入替え、自分のコンピュータの中にたくわえた各国のビザフォーマットを使って注文者が望む国のビザシートをプリントしてパスポートに貼付するという作業をひとりで行なっていた。警察は南ジャカルタ市ジャガカルサのアスリ通りにある男の自宅を捜索して、パスポートカバー40枚、ブランクパスポート22部、データ入りCD83枚、コンピュータ一式、ステンシルシート7部、スタンプ16個など贋造パスポート作成に使われたと見られる証拠品を押収した。この男は2006年から贋造パスポート作りにいそしんでいたようで、作成技術は独学で修得したらしい。これも、インドネシアで優れた才能は悪事に使われるという公理の実例のひとつであると言えよう。


「やらずぼったくりのビザ申請」(2010年4月6日)
2009年7月27日付けコンパス紙への投書"Sudah Setor, Visa Ditolak"から
拝啓、編集部殿。2009年6月30日、わたしと妻と子供の三人は観光ビザ取得手続の中で、ジャカルタのアメリカ合衆国大使館でインタビューを受けました。インタビューの前にビザ申請費用として三人分4,126,500ルピアの支払が命じられました。ところがはっきりした根拠の明示もなく、わたしども三人のビザ申請はリジェクトされたのです。入国させるかどうかは100パーセントかれらの権利なので、わたしどもはリジェクトの根拠を提示せよと求める気はありません。わたしどもの気になっているのは申請費用として納めた金がどうなるのかということです。申請がリジェクトされた場合、申請費用として納めた金は返却されてしかるべきだとわたしは考えます。それを返さないのは、その金がアメリカ大使館のインドネシアにおける収入源のひとつになっているからでしょうか?
数日間アメリカ大使館構内の様子を直接目にした印象では、ビザ申請がリジェクトされたひとは毎日100人をくだらないように思えます。ビザ申請一件当たりの費用は1,375,500ルピアなので、大使館は開館日一日にビザ発給リジェクトの結果137,550,000ルピアの収入を上げており、ひと月22日稼動とすればおよそ30億ルピアの収入を得ていることになります。本国が経済危機に襲われているさ中にあって、アメリカ大使館の活動を補助しているこの収入は実にファンタスティックと言えるものではありませんか?
わたしどもと同じときにアメリカへのビザ申請を行った若者は、苦労して集めたヨレヨレの紙幣を数え、それが不足していたので仕方なくわたしどもに援助を請いました。ところが申請はリジェクトされてそのお金は戻ってこなかったのです。アメリカ合衆国大使館は、インタビューのあとビザ交付の承認がはっきりしたところで費用の支払を命ずるようにすれば、その威厳ははるかに高まると思います。[ ジャカルタ在住、クリストフェル・ブタルブタル ]


「外国人による個人不法商売」(2010年4月7日)
アセアン=中国自由貿易協定施行が2010年1月から開始され、中国からインドネシアへの船積量は急上昇している。その影響は国内市場での廉価中国産品の氾濫という形で現れ、国内産業の多くはどうにもやりにくい、と悲観視する声が高い。 そんな状況に対して小売業界は、「国内産業は正面切って中国製品と真剣な競争を行なえ」と激励しているものの、小売業界にもやりにくい問題がないわけでもない。外国人が国内で不法商売を行なうという問題がそれだ。
かつてもブロッケム(Blok M)やコタの路上に商品を並べて路端販売を行なっている商人が印華人だと思ったら、中国からインドネシアに入国した外国人だったということが発覚して問題になったことがある。廉価な中国産品が怒涛のように国内に入ってきて、それを誰が売り捌くのかということに思いを馳せたとき、中国から販売要員までがインドネシアに送り込まれていた、というようなことがあってはならない、というのがインドネシア小売事業者協会の懸念事項であり、そのため協会は政府に対し、外国人の小売販売ビジネス増加に備えて対応の整備をはかるよう求めた。
最近はモールや卸センターに広くない売場を構え、道具類・家庭用品・ラジオ・電卓・バッグなどを超廉価に販売している店がある。中には店でなく陳列棚だけの単なる売場を構えて同じような品揃えで小売事業を営んでいるケースも少なくない。売られている商品は99%が輸入品であり、しかも中国産品がほとんどすべてを占めている。そんな売場はモダンマーケットばかりか在来型マーケットにも出現しており、まったく屋号などを掲げずただ商品を並べて廉さを売り物に通行人に販売しているものがほとんどだ。
小売事業者協会はそのような売場だけの小売ビジネスは個人資本で行なわれている可能性が高いと見ており、おまけに外国人が個人でビジネスを行なうことも多いにありうるため、政府に対する上のような要請となった。
外国人がインドネシアでビジネスを行なう場合はBKPMへの申請が必要だが、これまで小売事業に関する法規は法人が行なうのを前提にしており、個人のビジネスを統制する法規はなかった。だからこそ外国人が小規模資本でインドネシア国内での小売ビジネスを行なうのが穴場になってくるわけで、商業分野外でそれを規制するさまざまな法規はあるものの、商業分野で正面からこの問題をとらえているものはない。この穴がどんどん拡大していけば、民族系個人商人はビジネスの場を失いかねないとの危惧を有識者は表明している。


「外国人もKTP所持義務付け」(2010年4月20日)
バタムでは2010年4月1日から外国人にKTP(住民証明書)とKK(家族登録書)の作成所持を義務付けた。2009年バタム市条例第8号がその法的根拠になる。KTPとKKの作成手続はバタム市市民登録住民管理局が行なうが、その費用として外国人はひとりにつきKTP150万ルピア、KK100万ルピアを納めなければならない。地元民はそれらの費用がせいぜい1万数千ルピアなのでこの決まりは差別的であるように思われるもののバタム市広報課長は、「バタムにいる外国人は高いポジションに就いて高い所得を得ているのでかれらに負担になるような金額ではない。それらの手続を正しく果たすことで外国人は地元民が得ているのと同じ公共サービスを得ることができる。またKTP検問で不所持であることが判明した場合、外国人も地元民と同じ罰を受けることになる。行政警察ユニットはほとんど毎月市内の繁華街で昼夜の区別なくKTP検問を行なっているので、KTP不携帯で捕まることは起こりうる。」と表明した。
外国人向けに発行されるKTPの有効期限はインドネシアの滞在許可に同期させられることになる。一方労働許可を得て新規にバタムに居住者として赴いた外国人は到着後30日以内にバタム市市民登録住民管理局に届け出なければならない。


「不法就労外国人が増加」(2010年4月20日)
過去1ヶ月間で、国内で不法就労を行なった外国人32人に政府が強制出国措置を取った。32人の国籍は広範に分布しているとのこと。かれらは訪問ビザで入国し、国内企業などに働きかけて雇用されていたが、労働許可等の手続は行なわれていない。かれらが就労していたセクターは娯楽産業・銀行・製造業など。
アピンド副会長は実業界に対し、外国人を雇用する場合は関係法規を遵守して行なうように、と呼びかけた。インドネシアの外国人雇用は基本的に企業が政府から許可を得て特定の外国人を雇用する形を取るため、就労許可は企業が手続しなければならない。そのため外国人雇用は企業が国に対して責任を負うという形式になっている。インドネシア人を雇用する場合とは考え方がまるで異なっていることをアピンドは指摘している。
バタム・ジャボデタベッ・カリマンタン・北スマトラ・東ジャワ・南スラウェシが不法就労者の入国ポイントになっているので、労働省はそれらの地区での監視を厳しくする方針を打ち出している。2009年11月時点の外国人合法就労者総数は50,179人とのこと。


「バタムの暴動はジャカルタでも起こりうる」(2010年5月6・7日)
外国人雇用は過去二年間で大幅な減少を示しており、国内企業の多くが外国人雇用をやめて外国人に就かせていた職種をインドネシア人に与える方針転換が進んでいることを示すものだと労働省は見ている。労働省労働力育成配備総局外国人労働力利用管理局長は、専門家・技術者・マネージャーの職種でこれまで外国人を起用していた企業の多くがインドネシア人への切り替えを行なっている、と述べている。 アピンド副会長も、経済的に不安定な状況が続いているために企業の多くは外国人の雇用を減らす傾向にある、と言う。「外国人を雇用すれば経費は膨れ上がる。経済状況が好転しなければ企業が経費削減に向かうのは当然だ。外国人を使っていたポジションをこなせる能力を持つインドネシア人が増えていることも、そんな企業の方針をサポートしている。政府はこの状況を更に推進させるために、その面での人材育成にもっと便宜をはかるべきではないだろうか。」
2009年12月時点で労働許可を与えられている外国人は59,577人で、国籍別の内訳は次のようになっている。これは2008年末の83,452人から2万4千人も減少したことを意味している。
中国 11,458人
日本 7,135人
韓国 4,437人
マレーシア 3,688人
タイ 3,606人
オーストラリア 3,491人
アメリカ 3,307人
イギリス 2,851人
フィリピン 2,675人
その他 16,929人
合計 59,577人
国によっては2009年中に半減したところもある。たとえば2008年末にアメリカ人就労者は7,134人いたが、その一年後には3,307人に減ってしまった。今年間に5万人の外国人が雇用されているインドネシアで外国人は商工業セクター、特に自動車や家電などの製造セクターの専門家・技術者・マネージャー・会社経営者・アドバイザーなどの職種に就いている。政府労働省は外国人雇用の基本コンセプトを、国内の企業が自社の事業に必要な外国人を政府の許可を得て雇用する形式にし、外国人は特定の職種に就いて限定された期間だけインドネシアで働き、その間に自分を雇用している会社のインドネシア人従業員にたいして教育訓練を与えて知識と技術の移転を行なうことが必須条件になっている。そのために外国人不法就労者の存在は単にインドネシア人の就労機会を奪うだけでなくその政府方針をサポートしないために厳しく排除する姿勢が取られており、労働省と法務省移民局の不法就労者摘発共同作戦は既に定着したものになっている。
2010年4月22日にバタムのドライドックワールドグラハ造船所で発生したインドネシア人従業員による暴動発生を重く見た労相は、インドネシアの労働文化の中にある仕事のしかたに関する考え方についてインドネシアで働いている外国人に理解を深めてもらうため、外国人を雇用しているすべての企業に回状を送って外国人雇用者に対するブリーフィングを行なうよう求める意向であることを明らかにしている。バタムで起こった暴動の引き金になったのは外国人従業員とインドネシア人従業員間の相互理解の欠如であり、コミュニケーションの行き違いによってそれが現出したのだという見方を労相は取っている。
アピンド首都支部も類似の見地から、ジャカルタでも同じような事件が発生する可能性は皆無でないとして外国人を雇用している企業に対し、外国人雇用者と仕事上で密接な関係にあるインドネシア人従業員との間の関係をもっと誘導的なものにするための会社側の配慮を求める呼びかけを行なった。バタムの外資系造船所で起こった暴動事件は、外国人であるミドルマネージメントの行為がインドネシア人従業員の社会保障を危うくするものと受取られた結果インドネシア人従業員間の連帯感にまたがって怒りが全社内に伝播し大きい暴動に発展したもので、従業員の社会保障に関する不安があの暴動事件の主要因だったとアピンド首都支部長は述べている。
アピンド首都支部は外国人を雇用している加盟企業に対し、会社・外国人従業員・インドネシア人従業員が互いに接触する機会を増やすために定例的な会合を開くよう奨励することにした。また都庁労働局もジャボデタベッで就労している外国人に対し、インドネシア人との接触を深めて融合をはかるよう求める文書を出している。それに対し外国人就労者層もインドネシアの言語や文化、特に首都圏で一般的なジャワやスンダの文化を学ぶ機会が増えることを含めて職場等でインドネシア人との接触を高めることを歓迎している。そのように友好的な人間関係の構築は、どこの会社にもある給与や諸手当の格差に対するインドネシア人従業員の不満を緩和させる一助になると支部長は強調している。もうひとつ社内で外国人従業員とインドネシア人従業員の間に軋轢を起こさせる要因になるのは会社自身が持っている社内の勤労風土であり、全従業員に快適な勤労生活を感じさせない社内風土では関係の薄い原因であっても外国人とインドネシア人との間の対立という形に姿を変える可能性があることを否定できない。アピンド首都支部長は外国人を雇用している会社の従業員管理についてそのようにポイントを語っている。
都庁労働局のデータによれば、2008年に労働許可申請が出されたのは5,173人で、市別では南ジャカルタ市が2,286人、北ジャカルタ市1,086人、中央ジャカルタ市1,084人、西ジャカルタ市394人、東ジャカルタ市323人となっている。また2003年以来の外国人労働許可延長申請は次のようになっており、顕著な増加が示されている。
年: 申請会社数 / 申請人数 / 男性 / 女性
2003: 2,415 / 3,521 / 3,023 / 498
2004: 3,547 / 4,255 / 3,666 / 589
2005: 3,773 / 4,267 / 3,823 / 444
2006: 3,852 / 5,155 / 3,998 / 1,157
2007: 4,420 / 5,283 / 4,167 / 1,107
2008: 4,770 / 5,173 / 3,934 / 1,239


「インドネシア語ができない外国人は就労不可!」(2010年7月29日)
インドネシア銀行は国民系銀行界で働く外国人銀行家がインドネシア人銀行家の座を奪いまたその育成機会を減らしているとして、銀行業界で勤務する外国人に対する制限を強める考え。この方針はインドネシアにおける銀行経営のプルーデンシャル原則に合致するものでもある、とインドネシア銀行は強調している。
外国人銀行家に対する就労制限は2007年に出された外国人勤労者の利用と知識移転プログラムに関するインドネシア銀行規則第9/8/PBI/2007号で定められており、外国人が就ける職種はトレジャリー・リスクマネージメント・情報テクノロジー・ファイナンシング・顧客リレーション・マーケティング・ファンドの分野に限定されている。国民系銀行の外資シェア増加に伴って外国人銀行家の国内就労は増加傾向にあり、代表取締役の座だけでなく取締役や監査役そしてそれから二三ランク下の中下級マネージメント層にも多数の外国人が入ってきており、かれらはコンサルタント名目で銀行に雇用されているもののたいていは決裁権を与えられている。2007年には外国人取締役が23人、監査役は37人いたが、いまではもっと人数が増加しているだろう、とインドネシア銀行銀行界情報許認可局長は評している。
局長は外国人銀行家規制について、国内銀行界への外資参入に対する統制は中央銀行の職権外であるものの、外国人勤務者に対する統制は銀行法で権限が与えられているので、外国人就労者の受入は選択的に実施する意向であることを表明した。銀行界で管理職に就くためには外国人であれインドネシア人であれ、インドネシア銀行が適格性審査を行なう。外国人の場合は更に6ヵ月後、インドネシア語の能力テストが実施されて業務をインドネシア語でこなす力が試される。インドネシア語の能力が不足している場合は就労不適格として銀行側に対しその人物の雇用継続を認めない措置が取られることになる。


「不法居住者数千人」(2010年8月6日)
マルクやパプアでHIV/AIDS汚染が拡大しているのは外国系漁船の乗組員が原因をなしているので政府は警戒と対策をはかるように、とインドネシア海員ユニオン総裁が警告している。「インドネシア東部地方で盛んに行なわれている密漁の被害は2百万ドルにのぼるが、それよりもHIV/AIDSの被害のほうが格段に大きな損失をもたらすものだ。パプアやマルクの海域で操業している外国系漁船は主にタイ人乗組員を使っているし、密漁船が拿捕されると船員はそれらの地方に居残って地元民に混じって暮らすようになる。タイの密漁船が拿捕され、乗務していたビルマ人船員が中部マルクのトゥアルやドボに数千人居住するようになった。船が難破してパプアのメラウケ・ジャヤプラ・ソロンで暮らすようになった者もいる。2009年パプアのHIV/AIDS罹患者は4,745人、マルクは852人だった。そのうちの102人は中部マルクのトゥアルとドボ在住者だ。政府は外国系漁業会社の漁船に操業許可を与えるさいに、乗務員の条件を厳格に守らせなければならない。乗務員の40%はインドネシア人船員を使うこと、また外国系漁業会社のインドネシア船籍漁船であれば、75%以上をインドネシア人船員にしなければならない。」
警備の手薄をついて密漁船が激増し、軍が乗り出して対策を取ったのはよいが、結局のところはこの始末、ということのようだ。


「国境を股にかける牛泥棒」(2010年9月24日)
動物は国境をも認知しないことの実例が陸続きの外国を持つティモール島で起こっている。東ヌサトゥンガラ州ベル県はティモールレステと国境を接している。国境をはさんで両側に住んでいる農民はたいていが互いに血縁関係にあるため、かれらの間で電話しあうのは日常茶飯事だ。
かれらは家畜を放し飼いにしており、家畜はえさを求めてついつい国境を通過してしまう。自分の牛が国境侵犯したことを知った持主は国境向こうの親戚に電話して牛を入国ポイントまで連れてきてもらい、引き取って連れ帰るということが頻繁に起こっている。インドネシアの牛がティモールレステに、ティモールレステの牛がインドネシアに、というお互い様の国境侵犯の図式だ。
そんな状況をいいことにして、インドネシア側農民の飼い牛45頭がティモールレステ住民に盗まれるという事件が発生した。ベル県コタバルに住む農民は普段のように牛を放して自由にエサを食べさせていたが、そのときティモールレステの牛泥棒が越境してくると、牛を追い立てて国境を越えさせた。しかしせっかく越えさせた国境を14頭はまたインドネシア側に自力で逆戻りしたそうだ。ともあれこうして手に入れた牛を泥棒はディリに送って一頭800万から1,500万ルピアで売り捌いたとのこと。ティモールレステの牛泥棒は常習犯で、国境地帯を転々としては犯行を重ねていたそうだ。


「日常業務を英語で行なってはダメ!」(2010年11月16日)
政府は2011年から、インドネシアで働く外国人にインドネシア語を業務言語とするよう義務付ける方針。これは今政府が立案している「インドネシア語の国際化とインドネシア語学習開発に関する大統領規則」の中で定められる計画で、その大統領規則は既にサイン待ちの段階に入っている。国民教育省言語センター言語育成課長はこの構想に関連して、インドネシアで働く外国人に対する言語能力測定を英語のTOEFLのような形で考えている、と語った。「インドネシア銀行は外国人コンサルタントの日常業務言語をインドネシア語にさせており、それができない者にはインドネシア語レッスンを受けさせている。インドネシアで働く勤労者は2007年47,320人、2008年53,150人、2010年5月時点では59,577人と年々顕著な増加を示しているというのに、インドネシア語能力検定を受けている外国人はやっと百人程度しかいない。」
国内でインドネシア語の使用を盛り上げようとする意識の高まりは、一部国民が英語混じりのインドネシア語で日常会話を行なっている現象に反立するものだ。大統領ですらスピーチや演説の中で口をついて出てくる外国語の使用を「国旗・国語と国章および国歌に関する2009年法律第24号」は規制しようとしている。この動きは街中での街頭広告に外国語を使うな、という昔行なわれたキャンペーンを再来させるものになるだろうし、それに伴って外国語で命名されているビル名称のインドネシア語化が再現される可能性は否定できない。政府は大半の内容が外国に由来している科学の学習に使われている外来語をインドネシア語化する方針を決意したとのことで、また学校カリキュラムの不連続を招く要因が生み出されることになりそう。
ちなみに、2010年5月時点の外国人勤労者の出身国別人数は次のようになっている。
中国/11,458、 日本/7,135、 韓国/4,437、 マレーシア/3,688、 タイ/3,606、 オーストラリア/3,491、 アメリカ/3,307、 イギリス/2,851、 フィリピン/2,675、 その他/15,929


「小島の観光経営を外国人にオファー」(2010年11月20日)
政府は外資を導入して小島の観光開発を活性化させる方針を立てており、既にいくつかの実例をわれわれは目にすることができる。この方針の法的基盤になっているのは海岸と小島地区の経営に関する2007年法律第27号と小島の活用に関する2005年大臣規則第20号で、これは地方の地域経済活性化のために小島の観光開発を民間資本を導入して行なおうとする企画であり、投資は外資と内資を問わないものの観光施設経営と国際マーケティングのために外資を導入するほうが有利という思惑がからんでいるようだ。
既に実現している小島の観光活用は、西カリマンタン州カリマタ(Karimata)島でフランス資本、パプアのラジャアンパッ(Raja Ampat)でスイス資本、北スラウェシ州ガンガ(Gangga)島はイタリア資本が宿泊施設や海洋観光を運営している。この方針は海洋漁業省が担当省として許認可や事業監督を行なっている。一見小島を外国人の手に委ねるような印象を与えるかもしれないが、この企画は国土の私有地化では決してなく、外国人は観光事業を通して小島の開発をおこなうだけだ、と海洋漁業省は説明している。


「ツバメの巣は国外持ち出し禁止」(2011年1月4日)
2010年10月21日付けコンパス紙への投書"Bea dan Cukai di Bandara Larang Bawa Sarang Burung"から
拝啓、編集部殿。わたしはもう何度も、会社の外国人ゲストをスカルノハッタ空港に送っていくしごとを命じられています。わが社は外国人ゲストにお土産としてツバメの巣を差し上げています。空港の税関職員はいつも、「その中味は何か?」と尋ねます。9月26日に起こったできごとが最新のものでした。
税関職員によると、ツバメの巣は国外への持ち出しが禁止されているそうです。二包み0.5キロのツバメの巣を持っている外国人ゲストは尋問を受けました。わたしは仕方なくそのトラブルを昔ながらのやり方で解決しました。ところが奇妙なことに、空港ターミナル内にツバメの巣を売っている店があったのです。わたしは尋ねました。「この店が買ったツバメの巣は外国に持ち出すことができるのですか?」店員は答えました。「禁止されていないのだから、問題ないですよ。」
この投書を通してわたしは海外に持ち出す手荷物を監督している国家機関に質問したいと存じます。ツバメの巣を外国へのお土産にすることを禁止している法令があるのでしょうか?もし本当にあるのなら、どうしてそれが空港ターミナル内で公然と売られているのでしょうか?もしないのなら、税関職員はどうしてあんなことをしたのでしょうか?われわれ国民の表玄関たるスカルノハッタ空港の税関職員を大蔵大臣はブラシュアップしてください。[ ジャカルタ在住、アンワル ]
2010年11月5日付けコンパス紙に掲載された空港税関からの回答
拝啓、編集部殿。2010年10月21日付けコンパス紙に掲載されたアンワルさんからの投書に関連して、国外に持ち出そうとしている物品を税関職員が常に「中味は何か?」と尋ねていることについて説明したいと存じます。持ち出される物品が何であるのかを調べるのは税関職員の義務であり、それは持ち出しの禁止や規制法規に関係しています。
当方が調べたところでは、その外国人ゲストが持ち出そうとしていたものはツバメの巣でした。2003年3月19日付け森林大臣決定書に基づいてツバメの巣は禁止/規制の対象になっており、国外に送られたり持ち出されたりする場合は動植物国外移送書が添付されなければなりません。行政のグッドガバナンスと委託されている任務遂行の最大化をはかるため、空港税関は職員パフォーマンスの逸脱に対するゼロトレランス方針を実施しています。それは税関職員のパフォーマンスを監視する内部順法ユニットの存在に見出すことができます。詳細情報はスカルノハッタ空港税関中級税関監視サービス事務所指導情報サービス課、電話番号(021)5501309、(021)33065906にお問合せください。[ スカルノハッタ空港税関中級税関監視サービス事務所指導情報サービス課長、ママン・スラエマン]


「アセアン共通観光ビザ開始が近付く」(2011年2月8日)
2011〜2015年アセアン域内観光セクター共通方針をアセアン事務局が公表した。これは2011年1月17日にプノンペンで開かれたアセアン観光担当大臣会議の成果で、内容は四方針あり、1)アセアン地域をひとつの観光目的地として振興する、2)認証プロセスを通してアセアン観光規準を構築する、3)観光セクター従事者が全アセアン加盟国で働けるようにする、4)観光客がアセアンシングルビザによって全加盟国に入国することを認める、の四項目。その方針は翌1月18日にプノンペンで開催されたアセアン・中国・日本・韓国10大臣会議で強い支持を得た。
アセアンは今回の観光セクター新方針決定に先立って、運輸交通面で域内をより密接に結びつけるアセアンコネクティビティ方針を決定しており、観光セクターの域内統合方針はそれを支える移動面での協力によって確実にサポートされることになる。
この共通方針は更にアセアン各国の観光セクターが構成するアセアン加盟国観光組織がUSAIDの支援を受けて具体的な行動計画に発展させることになっている


「勝手に中へ入れているのは警備員だ」(2011年3月25日)
2011年1月14日付けコンパス紙への投書"Artis dan Petugas Imigrasi Bandara"から
拝啓、編集部殿。2010年12月2日、わたしはシンガポール航空SQ961便でシンガポールへ飛ぶことになっていました。ところが機体に技術的トラブルがあるということで出発が延期され、登場予定者はそのまま待つもよし、翌日の便に変更するのもよしという通知が出されました。わたしは翌日の便に変更することにし、パスポートの出国スタンプ変更処理手続のためにイミグレーションカウンターへ行きました。
わたしを含む数人の同類仲間がそこで足止めされました。出国キャンセル者は搭乗予定航空会社からのマニフェスト書類を提示しなければならないというのです。みんなはおよそ45分間そのプロセスが規定どおり行なわれるのを待ちました。みんな法規を尊重することを望んでいたのです。
そのプロセスが終わったとき、アーティストのアユ・アズハリが外へ出してくれとイミグレーション職員に頼んでいるのを目にして驚きました。かの女はひとを送って出発ターミナルの中まで入ってきていたのです。われわれシンガポール航空乗客に対してイミグレ職員は、外へ出るためには空港規定に従って手続しなければならない、とさっき言ったばかりだというのに。
有名人であるかの女の場合はスカルノハッタ空港出発ターミナル内に自由に出入りできるのですか?イミグレ職員が職務権限を濫用して法規違反が引き起こされるのは正しいことではありません。航空券もパスポートも持たないひとが出国するわけでもなくただひとを見送るために空港国際線出発ターミナルを出入りするのは許されることなのでしょうか?[ 南ジャカルタ市クバヨランバル在住、エスヴィヨラ・P ]
2011年1月22日付けコンパス紙に掲載された移民局からの回答
拝啓、編集部殿。エスヴィヨラさんからの2011年1月14日付けコンパス紙に掲載された投書について、次のように回答します。
航空会社がフライトをキャンセルしたのに伴って、出国クリアランスを済ませた乗客が航空会社の決定あるいは自己の希望で出国を取り止める場合、ふたたびイミグレーションに届け出なければなりません。イミグレーション係官は乗客本人のパスポートに捺されている出国スタンプの取消を行ないます。これは出入国データを完璧なものにするために行なわれるものです。しかしその取消を行なう前にイミグレーション係官は航空会社からの確認を取らなければなりません。そして今回はそれに時間がかかったようです。
出国エリアから外に出ようとしたアーティストのAAさんに便宜がはかられたことについて、出国エリア入り口で任務に就いている警備員がチェックインエリアやその他の場所に搭乗しないひとを入れないようにしていれば、起こらなかったできごとです。ただし空港構内入場パスを持っているひとはそのかぎりでありません。[ 特別第一級移民局事務所長、ディルマン・スカルディ ]


「インドネシアに学生ビザはない」(2011年4月1〜6日)
政府が外国人学生に奨学金を出して留学をj支援しているダルマシスワという制度がある。2003年以降のダルマシスワ受給留学生の人数と出身国は次のような変遷になっている。
年: 人数/出身国数
2003: 87/34
2004: 86/32
2005: 104/37
2006: 171/43
2007: 450/60
2008: 500/58
2009: 200/50
2010: 750/83
それ以外にも政府間の交換留学生や自費留学生などがインドネシアの大学に大勢学びに来ているものの、インドネシアの外国人管理制度が留学生を増やそうとする教育国際化に向けた大学の方針を十分サポートしていないという批判が教育界から投げかけられている。
大学への外国人留学生や大学が招へいした外国人教官たちに対するステータス手続があまりにも官僚的過ぎることを北スマトラ州メダンの大学関係者が苦情した。屋上屋を重ねるがごとくたくさんの政府機関に届け出なければならないうえに、手続がいつ完了するのか明確な決まりがなく、おまけに費用もはっきりしていない。このような状況だと、インドネシアに留学しようとする外国人学生の意欲に水をかけることになり、留学生を増やそうとする大学側の努力は水の泡になる、と北スマトラ大学学長補佐が移民局・国民教育省・警察など在留外国人管理行政に関わる諸政府機関との州庁で開かれた協議会で表明した。
学長補佐はその手続に関する問題点を次のように指摘している。まず外国人留学生や外国人教官で在外インドネシア公館で取得した社会文化訪問ビザ(Visa Kunjungan Sosial Budaya)で入国した者は限定居住ビザ(Visa Tinggal Terbatas=Vitas)に切り替えることになるが、その手続は長い時間がかかる。一方、暫定居住ビザで入国した者は次に限定居住許可書(Kartu Izin Tinggal Terbatas=Kitas)への切り替えを行い、その手続は三日で完了する。ところが限定居住許可書手続の必須条件になっている国民教育省高等教育総局(Dikti)からの留学認可は2〜3ヶ月かかるから、入国してから限定居住許可書を入手するまでにはやはり長い時間がかかる。
それに関連してジョクジャのムハマディヤ系大学のひとつアフマッダフラン大学の国際オフィス室長は、留学生が社会文化訪問ビザでインドネシアにやってくると、そのあと限定居住許可書の交付までにたいへん長いプロセスが必要になり、ビザの期限までにプロセスが終わらなければ一旦出国してまたインドネシアに入りなおす必要が出るため、社会文化訪問ビザを取得するのでなくダイレクトに暫定居住ビザを取得してインドネシアに入国するほうがあとのプロセスが楽になる、と言う。しかし暫定居住ビザはインドネシア側での事前手続が必要で、留学先の大学がそこまで支援してくれるかどうかという問題もあり、この件については留学先の大学側と十分に打ち合わせを行なうべきだろう。
同室長はまた、国立大学と私立大学の間で暫定居住許可書手続の必須条件である国民教育省高等教育総局からの留学認可に関する差別が行なわれており、私立はわざわざジャカルタの高等教育総局にその交付を申請しなければならず、地方部の大学に来た留学生にとってその手続はたいへんエネルギーを消耗させるものになる。国立大学は学長のリコメンデーションレターでそれの代用ができるという便宜がはかられている。私立も同じようにして差別を撤廃し、留学生に困難を与えない形に改善してほしい、と室長は訴えている。
入国した外国人留学生や教官は所轄の警察に届け出て、届出書(Surat Tanda Melapor/Surat Tanda Melapor Diri)の交付を受けてから、州警察を通じて国家警察への届出証明書(Surat Keterangan Lapor Diri)を発行してもらう。警察への届出は入国してから24時間以内と定められており、また届出証明書は限定居住許可書が発行されてから30日以内に手続をしなければならない。その期限に違反した者は行政処罰が科され、また刑事罰として罰金が科されるがその金額ははっきりしない。地元役所の外国人管理行政でも、留学生や教官は届け出て居所証明書(Surat Keterangan Tempat Tinggal)を入手しなければならない。
北スマトラ州警察長官は留学生に対するステータス管理行政手続が煩雑で時間がかかっていることにうなずく。「現行の外国人管理行政は確かにオーバーだ。よその国で留学生は暫定身分証明書の手続をするだけでよい。外国人留学生に対する手続は単一窓口ですべて行なうようにできるのではないか?」
ジャカルタでも、ブリティッシュカウンシルの主催で外国人留学生に関する在留ステータス上の諸手続に関する討論会が行われた。ジョクジャのムハマディヤ系大学のひとつアフマッダフラン大学の国際オフィス室長は、私立大学留学生が留学認可の延長を希望する場合、ジャカルタの高等教育総局にその都度許可を求めなければならない、と語る。
高等教育総局長は、インドネシアには留学生ビザの制度がない、と言う。「学生ビザというものはない。そのため、留学生の外国人管理に関わる手続は既存のものが流用されている。留学認可手続に長い時間がかかっているという声が聞こえているが、その一件が条件不備のために長時間を必要としたのか、それとも別の要因があるのか、それを詳しく調査しなければ今何とも言えない。」
アフマッダフラン大学は2005年に外国人留学生を3人迎えた。そして5年後のいま、留学生は42人に増えている。この大学は中国の江西大学との提携で受入留学生の数は着実に増加しているとのこと。他には中東からの留学生も多い。スラカルタのムハマディヤ大学も留学生受入を開始した初年度は4人だったが、2010年は中国・タイ・イエーメン・イラクその他中東諸国から41人が来ている。
最近、外国人留学生のインドネシア滞在ステータスに社会的な焦点が当てられていることから、東ジャワ州マランにあるブラウィジャヤ大学でも移民局マラン一級事務所の協力を得て留学生を含む在留外国人に対する居住ステータス啓蒙説明会が開催された。ブラウィジャヤ大学にはマレーシア・ベトナム・ティモール・リビヤからの留学生が学んでいる。
外国人に対する在留許可とその管理行政は煩瑣で且つ他種の役所がからんでおり、その内容を十分に理解していないと法規違反が引き起こされて制裁措置を受ける結果になる。イミグレーションに関する1992年法律第9号は入出国審査場所・ビザ・入国許可と許可証・在留許可などについて定めている。その規定に従わなかったとしてベトナム人留学生が制裁措置を受けることになり、ベトナム大使館内に保護されたものの外に出られない状態が続いている事件を例にあげて移民局事務所担当官は、説明会の中で在留外国人が十分に注意しなければならないポイントを説明した。
特に外国人留学生にとって危険な落とし穴になるのは限定居住ビザ(Visa Tinggal Terbatas=Vitas)手続で、訪問許可(Izin Kunjungan)ステータスで連続して国内に4ヶ月以上滞在する場合は限定居住許可(Izin Tinggal Terbatas=Itas)に切り換えなければならず、そのポイントが十分理解できていない留学生は在留法規違反者として制裁措置を受けることになる。労働許可が常に関わってくる外国人勤労者がそのポイントに引っ掛かることは稀だが、そうでないひとたちにとっては難解な決まりであるにちがいない。
「このステータス変更は概してあまり理解されておらず、在留許可延長手続にまぎれてステータス変更に遅延が起こり、手続が進まなくなったり在留許可取り消し、あるいは強制出国措置を蒙ることになる。」と移民局事務所担当官は強調している。移民局マラン事務所長は、インドネシアのイミグレーション法規を順守しない外国人が少なくないため、違反者は処罰しなければならない、と語っている。


「不良イミグレ係官の悪事」(2011年4月19日)
2011年1月29日付けコンパス紙への投書"Imigrasi Bandara Kenakan Denda bagi Penumpang Anak"から
拝啓、編集部殿。2010年12月19日、わたしの母(63歳)とわたしの娘(4歳)が休暇を楽しもうとしてマカッサルからクアラルンプルへ出発しようとしていました。ところがマカッサルのハサヌディン空港イミグレーション担当官は母と娘の出発を許可しませんでした。娘の母親もしくは父親が連れ添っていないからというのがその理由で、親からの同意書があるなら、娘が祖母と出発するのはかまわない、と言うのです。
母は、自分が連れている子供は実の孫であることを、本人データやたまたま持っていた写真などを担当官に示し、口を酸っぱくして説明しました。かなり時間をかけてやりとりしたあと担当官は、母が罰金を払うなら出国はなんとかしてやろう、と言い出したのです。母はその申し出を蹴り、結局飛行機に乗ることができませんでした。
そのような出入国管理規定があるのでしょうか?これまでも、わたしのファミリーの子供たちは、祖母や叔母だけに伴われて外国へ出発することができています。親からの同意書が求められたことなどありません。わたしの母と娘に対して行なわれた行為は差別待遇です。
もし本当にそんな規定があるのなら、どうして国際航空会社に通達しないのですか?そうすれば乗客がチェックインするときに親の同意書を用意しておくことができるではありませんか。乗客がこれから搭乗しようというときにはじめてそれを知らせるのはやめてください。わたしはこの件について航空会社にも問い合わせました。航空会社の返事は、子供が外国へ出発する場合は大人が付き添ってさえいればよいとのことでした。[ マカッサル在住、タニア・ウィン・ウイ ]
2011年2月10日付けコンパス紙に掲載されたイミグレーション事務所からの回答
拝啓、編集部殿。タニア・ウィン・ウイさんからの2011年1月29日付けコンパス紙に掲載された投書について回答します。当方は2010年12月19日にマレーシアのクアラルンプルへ出国しようとしたタニアさんのお母さんとお嬢さんが出国を果たせなかった事件について調査しました。そして不良イミグレーション職員の専横行為があったことが判明しました。その職員はマカッサル第一級イミグレーション事務所長ならびに空港イミグレーションの上司にはかることなく、独断でことを行なったのです。実の親に伴われていない子供が出国しようとする場合に担当官に疑念が生じた場合、所属ユニットの上司に指示を仰がなければなりません。
当方はタニアさんと出国できなかったタニアさんのお母さんにお会いして事情を説明申し上げるとともに、不快な事態に遭われたことに対して陳謝いたしました。当方はまた不良職員に対して厳重な取調べを行っており、相応な処罰を加えることにしております。[ 南スラウェシ州マカッサル第一級イミグレーション事務所長、ユヌス・ジュナイッ ]


「韓国人が誘拐ビジネス」(2011年6月6日)
インドネシアで同国人男性に対する営利誘拐を繰り返していた男が逮捕された。韓国人キム・ジンフン46歳がその男で、まず同じ韓国人仲間ふたりと共謀して韓国人ひとりを誘拐し、その家族から4億5千万ルピアを略取した。しかしそのとき誘拐された被害者は死亡し、また仲間ふたりもインドネシア警察に逮捕されて今は囚人の身だ。
しかしキムはまた別の韓国人ふたり(51歳と57歳)を誘い込み、44歳・42歳・33歳のインドネシア人三人を手下に加えて、韓国人の営利誘拐に励んだ。2011年3月22日、一味は韓国人リム・キュンチョン51歳を誘拐し、更に翌2月23日にはバッ・ミンジェ40歳を誘拐した。
バッ・ミンジェが2011年3月23日15時40分にジャカルタのスカルノハッタ空港に到着したとき、黒色ヤリスに乗った四人がかれを出迎えた。かれらはブカシの韓国レストランに直行してから食事し、そのあとカラオケに向かった。アルコールのピッチが上がり、バッ・ミンジェは酔いつぶれてしまったが、一味が密かに仕込んだ睡眠薬がその仕事を早めたにちがいない。一味はそれからバッ・ミンジェをチカランのデルタマス住宅地区に運び込み、両手を縛ったうえ、目をガムテープで覆い上からタオルで縛った。そこにはリム・キュンチュンが先客として拉致されていた。一味はふたりの被害者を手ひどく痛めつけてからそれぞれの家族に対する身代金交渉を開始し、2億5千万ルピアの金を手に入れた。その後、ふたりをスカブミのスンダウェナン村アンクロン部落に移すため3月27日午前4時に隠れ家を出た。
被害者ふたりが発見されたのはスカブミのチチュルッにあるホテルプリイスカ前で、ホテル従業員が全身に打撲を負って路上に転がっている韓国人ふたりをホテル内に収容した。そして警察が駆けつけ、ふたりはクマヨランのミトラ病院に搬送された。状態が安定したところでふたりは韓国に送り返されたが、リム・キュンチュンは韓国の病院でいまだに人事不省状態でいる。
警察はこの営利誘拐一味6人の捜査を強め、4月8日午前1時、一味の一人、韓国人ヨー・ジャエチュン51歳をアンクロン部落にあるメスで逮捕した。そのときヨーは妻と称する女性と一緒にいたとのこと。
ヨーの自供からもうひとりの韓国人チョン・サンレー57歳とインドネシア人の手下三人も続々と逮捕された。頭目のキムは逃亡して首都圏を離れていたが、国家警察の指名手配に引っ掛かり、東ジャワ州クディリのガンジュッ地区に潜んでいたところを4月19日、警察に逮捕された。


「偉い=権力=超法規」(2011年6月23日)
2011年3月26日付けコンパス紙への投書"Melawan Arah di Kelapa Gading"から
拝啓、編集部殿。北ジャカルタ市クラパガディンプルマイ、ヒブリダラヤ通りブロックQG10番地にカラオケ店『オリエンタル』があります。その店のオーナーである外国人は毎夕16時から17時の間にその店にやってくるのですが、いつも一方通行の道を逆走します。その外国人のお抱え運転手にも、クラパガディンプルマイRW011の警備員に対しても、わたしはその行為について注意を与えました。しかし結果は馬耳東風。それどころか、その店の従業員によれば、役人でさえたいしたことはできないとのことでした。なぜなら、その外国人は憲兵隊の不良軍人が保護しているからだと言うのです。
しかしわたしは保安関係公職者に是非関心を抱いてほしいと思います。その行為のためにもう何回も事故が起こっているのですから。[ 北ジャカルタ市在住、アンドレアス ]


「密入国幇助」(2011年7月1・2日)
インドネシアはオーストラリアへ向かう難民たちの十字路だ。自分の国で生きることに希望を失ったひとびとが、アフガニスタン・イラン・イラクなどから新天地を求めて逃亡を開始する。海を越え、あるいはひそかに国境を渡り、数カ国を横切ってやっとインドネシアにたどり着く。オーストラリアまであと一息。そして最後の渡海のために、かれらはインドネシアの船をチャーターする。悪くない報酬金額。インドネシアにその仕事を拒む船長はほとんどいない。
いまオーストラリアには、インドネシア人船舶乗組員5百人が服役し、あるいは裁判を待っている。かれらのほとんどは密入国者を運んできたためオーストラリア領海内で逮捕された。2008年に制定されたオーストラリアのイミグレーション法では、搾取的移住罪が立証されれば最高20年最低5年の懲役刑が科される。その5百人の大半は東ヌサトゥンガラ、中部ジャワ州チラチャップ(Cilacap)、東ジャワ州プロボリンゴ(Probolinggo)、ジャカルタなどの出身者で占められている。
在シドニーインドネシア総領事は、それら難民チャーター船を動かしていた船員たちは難民の希望するオーストラリアにかれらを上陸させようとしていたところを当局に捕まったのだが、そのあとで不公平なことが行われた、と語る。犯罪者として拘束されたのはインドネシア人船長と船員ばかりで、密入国しようとした難民は難民としての待遇を与えられてかれらよりはるかにマシな暮らしをオーストラリアで享受しているのだ、と言う。インドネシア人船長と船員は2008年以来の法律に則して搾取的移住罪が適用されている。
これまでの判決を見ると、裁判所の判事はインドネシア人船長・船員にほぼ一様な判決を下しており、責任の軽重や年齢あるいは初犯累犯などの要素は斟酌されていないように見える、と総領事は語る。だから領事館としては裁判に際して被告を保護するために弁護士や法律家の斡旋を行うようにしているとのこと。加えて船員は船長の指示に従い船長をサポートするのが職務であることから、船員と船長に同じ罰が科されるのはおかしいこと、また初犯の者には情状酌量を認めてほしいことなどをオーストラリア政府に求めている。
オーストラリアの領海で捕まった密入国者運搬船の乗組員らはまずクリスマス島に連行されて取調べを受け、そのあとダーウィンの抑留施設に送られて裁判を待ち、判決後は国内各地の刑務所に移されて服役している。裁判でインドネシア人被告たちは進んで犯行を認め、判決を受けて服役することを選んでいると総領事は話す。それは服役すれば刑務所で仕事を行い報酬が得られるからで、犯行の否認を続ければ抑留施設に長期間留められ、報酬を得る機会が得られないからだそうだ。
2010年9月、東ヌサトゥンガラ州西ロテのマノモロ村に住む16歳と15歳の兄弟および仲間の15歳の少年が浜辺に釣りに出かけたまま消息を絶った。家族は必死になって少年たちを探したがどこにも見つからず、また水死体も発見されなかったが、最終的に家族は少年たちが波にさらわれて遠くに運び去られたものと考え、ついにあきらめた。
2010年10月、ロテの神父のところにオーストラリアから電話が入り、続いて行方不明になっていた少年たちの声が聞こえた。少年たちはオーストラリアにいることを告げ、そこに至るまでの経緯を語って聞かせた。その話はこんな内容だった。
少年たちが釣りをしていると船が一隻近づいてくると数人が船から下りて少年たちに近づき、一緒にオーストラリアへ行こうと誘った。その船に乗って厨房の手伝いをしてほしい、と言う。少年たちの不安は好奇心に負けた。少年たちにはその船に乗っているひとびとがどういう背景を持っているのかよくわからなかったが、自分たちにひどいことをしそうには見えなかったので、船に乗り込んだ。
船に乗っていたのは数十人のアフガニスタン人で、船を動かしていたのはインドネシア人の乗組員たちだった。アフガニスタン人はオーストラリアを目指す難民だったのである。船がオーストラリアの海岸に到着したとき、思いがけずオーストラリアの官憲がその船を急襲した。アフガニスタン人はてんでに逃走したが、少年たちはどこへ逃げてよいのかわからず途方に暮れ、船に残って官憲に捕まった。大人の乗組員たちと一緒に少年たちも搾取的移住罪で、ブリスベンの地裁で裁かれようとしている。
2010年末、オーストラリアで抑留されあるいは服役している18歳未満の未成年インドネシア人は387人にのぼっている。


「19の役職を外国人から閉鎖」(2012年3月22日)
外国人の就任が禁じられている特定役職に関する2012年2月29日付け労働トランスミグラシ大臣決定書第40/2012号で政府は、人事管理・労務管理・労使関係などを担当する役職から外国人を完全シャットアウトした。
その結果、次の役職は外国人に閉鎖されることになる。
Direktur Personalia (Personnel Director)
Manajer Hubungan Industrial (Industrial Relation Manager)
Manajer Personalia (Human Resource Manager)
Supervisor Pengembangan Personalia (Personnel Development Supervisor)
Supervisor Perekrutan Personalia (Personnel Recruitment Supervisor)
Supervisor Penempatan Personalia (Personnel Placement Supervisor)
Penata Usaha Personalia (Personnel Declare Administrator)
Kepala Kantor (Chief Officer)
Ahli Pengembangan Personalia dan Karir (Personnnel and Careers Specialist)
Spesialis Personalia (Personnel Specialist)
Penasihat Karir (Career Advisor)
Penasihat Tenaga Kerja (Job Advisor)
Pembimbing dan Konseling Jabatan (Job Advisor and Counseling)
Perantara Tenaga Kerja (Employee Mediator)
Pengadministrasian Pelatihan Pegawai (Job Training Administrator)
Pewawancara Pegawai (Job Interviewer)
Analisis Jabatan (Job Analyst)
Penyelenggara Keselamatan Kerja (Occupational Safety Specialist)
とはいっても、寝耳に水の禁令が忽然と現れた、ということでは決してなく、従来から人事総務関連部門はインドネシア人が掌握することになっていたわけで、今回の決定書は具体的な役職名称を列挙して白黒をはっきりさせたものと見るのが順当だろう。
ムハイミン・イスカンダル労相はその精神について、外国人が企業内従業員の人材監督を掌握すると利害衝突に発展するおそれがあるため、リスクが高い、と説明している。
決定書に記された役職名称の中にKepala Eksekutif Kantorというものがあり、この英語訳はCEOが妥当なものになることから、政府は民間企業に介入しすぎだという抗議がアピンドから出されたが労相は、その語はタイプミスであってKepala Kantorが正しいものであり、事務所内の管理業務責任者がそれに当たると説明した。企業のトップポジションとしてのCEOに外国人の就任を禁じる法規はない、と労相は言明している。
しかし労働力育成配備総局長はそれに関連して、2007年法律第25号外国投資法や2007年法律第40号株式会社法にCEOという名称は存在せず、それに相当するインドネシア語の役職名が記されていることから、企業内では公式役職名称として定款に記されたインドネシア語のものが使われなければならない、と主張した。
ちなみに、2011年の外国人専門職勤労者は34,763人でマネージャー職に就いている者12,505人、アドバイザー職の者12,761人、取締役6,511人、技術職5,276人、スーパーバイザー4,746人、監査役738人となっている。


「収容所から脱走した難民を虐待」(2012年3月28日)
オーストラリアに渡りたいアフガニスタンやイランなどの難民がインドネシア領土に続々と不法入国している。インドネシアにはかれら難民から金を取ってオーストラリアに渡らせてやる商売を行っている者がおり、その商売に関わっていた軍人が摘発されたりしているが、全貌はよくわかっていない。
インドネシアの近海で船の中にいる難民が捕まるという報道は頻繁にあるものの、それはインドネシアに入国しようとしていたときに捕まった者と、いざオーストラリアに向かってインドネシアを出た者の両方がある。ほかにも、インドネシア国内で住民が不審な外国人を警察に通報し、不法入国が明らかになって捕まった者も少なくない。
インドネシアの官憲に捕まれば、難民たちは入国者収容所に拘禁される。そこでの暮らしに適応できる者もいれば困難な者もいるだろうし、そもそも新天地で新たな人生のスタートを求めてやってきた者にとってインドネシアはその新天地ではないわけだから、収容期間が永くなればネガティブな精神状態に陥るのも当然のことにちがいない。昔のおおらかな時代にもオーストラリアを目指す難民がインドネシアを通って行った。その途上でインドネシアの官憲に捕まり、収容所生活に入ったものの、毎日地元民の仕事を手伝いに出ることが許され、収入を得たりしているうちに伴侶を得てインドネシアに居ついてしまった難民もいる。
だが行政に関するかぎり、規則をロボットのように遂行するのが現代文明の常識であり、おおらかな時代はもはや昔語りに近い。収容者が逃亡すれば厳罰が待ち構えているのなら、所長以下看守にいたるまで、収容者の行為をロボットのように見張ることが要求されていると考えるのは当然の帰結だろう。
西カリマンタン州ポンティアナッの収容所に入っていたアフガニスタン難民6人が脱走した。本国にいれば生命に危険があると考えたかれらは、オーストラリアへの亡命を希望した。インドネシアで不法入国者として捕まったかれらは収容所に入れられたが、自分たちの将来はオーストラリアにあると考えているかれらにとって、ポンティアナッ収容所の毎日は飽き飽きするものであり、一刻も早くオーストラリアの土を踏みたいとの希望に胸を焦がしている毎日だったようだ。
そのうちの三人、アリ・アバス29歳、アブドゥル・カディル・ファハミ28、タキ・ナロイェ28歳は、脱走を果たしたものの身を隠す場所もなく、結局地元民に見つかって警察に突き出され、警察は三人を収容所に戻してきた。
かれらの脱走で職務不行届きの罰を受けるはめになった看守たちは、腹いせに三人にヤキを入れてやろうと一決し、実行に移した。三人は手錠をかけられ、殴打・足蹴り・鞭打ち・電気ショックなどの暴行が加えられた。収容者への虐待で重態に陥った三人は急遽病院へ移送されたが、タキは病院到着前に死亡した。ほかのふたりは生命を取り留めたものの、重態で入院治療を受けている。
自ら三人に暴行を加えた者は数人らしいが、警察は他の関係者もあわせて10人を拘留し、容疑者として取調べを行っている。


「南ジャカルタ市移民局がマンパンに戻る」(2012年5月8日)
2012年2月4日付けコンパス紙への投書"Menteri Datang, Kantor Imigrasi Tiadakan Pelayanan"から
拝啓、編集部殿。2012年2月1日(水)、わたしの妻は南ジャカルタ市マンパン地区のワルンブンチッ通りにある移民局事務所にパスポートを取りに行きました。そのエリアは南ジャカルタ市内でも特筆される交通渋滞地区なので、それを避けるために朝早くからそこへ向かったのです。ところがその努力は水の泡に終わりました。
現場に着くと警備員が、その日は事務所開所式が催されるので、通常の業務は行われないと言います。確かに掲げられたバナーには、開所を宣する法務人権大臣に対するスラマッダタンの文字が躍っています。自分たちが行う開所式のセレモニーのほうが、国民へのサービス業務を行うことよりそんなに大事なのでしょうか?パスポートを申請したり取得したりする国民の用事が法務人権大臣が来るためにぶち壊しになるのです。
この国はもちろん不思議の国なのです。大臣も移民局南ジャカルタ市特殊一級事務所の公務員も国民が納める税金から給与をもらっているのではないのですか?政府が定めた公共の休日以外にパブリックサービスを休む日を設けてはなりません。[ 南ジャカルタ市在住、フィルダウス・チャヒヤディ ]


「ティモールのおかげで潤うNTT経済」(2012年6月16日)
ティモール島の東半分は独立国ティモールレステ(Timor Leste)。その西半分のインドネシア共和国西ティモール県に買物にやってくるティモールレステ国民が増加している。
国境線沿いに6ヶ所設けられている出入国ゲートを通ってインドネシアに入国する者は最近一日当たり2百人に増加しており、一回の入国で平均二泊三日を費やし、一日およそ1百万ルピアを支出して主に生活基幹物資を購入している。ティモールレステ国民が消費する生活基幹物資の75%はモタアイン(Motaain)、ウイニ(Wini)、アタププ(Atapupu)、ベル(Belu)のメイン国境ゲートを通過してインドネシア側からティモールレステ側に運び込まれている。そんな状況はティモールレステの経済レベルが向上していることを推測させてくれる。
2009年ごろ、西ティモールにやってくるティモールレステ国民は一日100人程度だったが、その後徐々に増加して今では一日200人に倍増した。近い将来ティモール航空がクパン(Kupang)に運航を開始すれば、ダーウィン(Darwin)〜ディリ(Dili)〜クパンというルートがつながってティモールレステからだけでなくオーストラリアからも入国者が期待できるようになる。
一日200人が観光に訪れて一日100万ルピアの買物をし、また2千人近い留学生が西ティモールのいくつかの大学で勉強している状況もあわせて、西ティモール県の経済はティモールレステのおかげで大きく潤っている。
東ヌサトゥンガラ州(NTT)全体で見ると、2011年には54万人の外国人訪問者があった。ラブアンバジョ(Labuan Bajo)、マウメレ(Maumere)、クパン、タンボラカ(Tambolaka)、ワイガプ(Waingapu)、アタンブア(Atambua)の6ヶ所を通って今年は75万人が州内にやってくることが期待されており、さらに2013年はセイルコモドの催しもあって100万人がターゲットになっている。


「外国人就労者は減らせるか?」(2012年12月11日)
インドネシアにおける外国人就労は、その外国人を働かせる会社や組織機関が自社の事業遂行にあたってある業務に外国人が必要であることを政府労働省に認めてもらい、外国人雇用枠をもらうところから始まる。その雇用枠取りのプロセスをRencana Penggunaan Tenaga Kerja Asing と称し、略称エルペーテーカーアーと呼ばれている。この中に外国人の個人データが入ることはない。
それをベースにして、その業務に適した外国人が見つかったので雇用したいという会社からの政府に対する承認申請手続きが始まる。外国人の個人データが審査されるのはこの時点で、国家警察から国家諜報庁まで巻き込んでの履歴チェックが行われる。関連政府機関から異存がなかったことを踏まえて労働省から申請者に対し、その外国人を雇用してよいという承認がIzin Mempekerjakan Tenaga Kerja Asing 略称イムタという書類で与えられる。就労ビザや外国人居住関連手続きはその延長線上にあるものだ。
2011年に労働省が発給したIMTA新規および延長承認件数は77,144で、工業セクターが40,423と過半数を占めた。2012年1〜9月期は総件数57,826で、単月平均数値で測定するなら、2012年も2011年と同じような進捗状況であると言える。産業セクター別では次のような数字だ。
(セクター: 2011年通年/2012年9月まで、数字は件数)
工業: 40,423/31,073
商業: 14,142/11,367
建設: 7,177/5,031
一般鉱業: 4,233/3,206
石油天然ガス: 3,859/2,838
観光: 4,925/2,401
農園: 928/797
運輸: 496/395
電気・新エネルギー: 542/321
交通・観光・通信: 119/118
金融/金融機関証券市場監督庁: 132/110
保健サービス: 80/100
医薬品食品監督: 88/69
合計: 77,144/57,826
その数が大きいか妥当かということは議論の分かれるところだが、国内労働界と労働行政はその数をもっと減らせると見ている。国内に豊富な労働力を抱えながら大勢の失業者への対策を強いられている政府としては、ひとりでも多く自国民が失業者でなくなることを目標に据えざるをえない。そのために外国人労働力の需要を狭めることは必須条件であり、知識移転や技術移転を盛んにさせて外国人の就労延長も押さえ込んでいく政策を政府はこれまで以上に厳しく行おうとしている。
アセアン域内諸国が加盟国のヒト・モノ・カネを自由に国内流通させなければならなくなるアセアン経済コミュニティのスタートは2016年1月1日から。それがインドネシアにおける外国人就労プロセスをどのように変化させるのかについては、興味津々たるものがある。いま国内で激しく揺れ動いている労働騒乱を発生させている労働界の体質にも何らかの変化が生じる可能性は大いにあるだろう。


「外国人雇用許可手続きが地方自治体に移管」(2013年1月22日)
インドネシアで外国人の就労はまず雇用者が政府から外国人雇用承認を得なければならない。RPTKAと呼ばれる外国人雇用計画書を提出して承認されると、この承認をベースにして特定外国人がその業務に就くという流れになり、その特定外国人の身元を洗って問題のないことが確認されるとIMTAと呼ばれる外国人雇用許可が下りる。IMTAの手続きはこれまで中央政府労働省が行なっていたが、2012年10月28日付け政令第97号でIMTA手続きが地方自治体に移管された。法規の上では2013年1月1日から地方自治体がその手続きを管掌すると定められているものの、準備万端整えてから移管するというのが不得手なお国柄であるため、しばらくはギクシャクする可能性が高い。
とはいえ、地方自治体にとってこれは地元収入を増やすチャンスであり、さっそくバリ州政府はIMTA手続きにからめて外国人就労者への課金徴収を計画している。州条例になるのか州規則になるのかはまだわからないが、ともあれ外国人就労者を雇用する者に課されるはずだから外国人就労者に直接請求されることはないだろうが、自分の会社で自分を雇っているようなケースだと負担が増加するにちがいない。また雇用者も負担が増加するのは嫌だろうから、その分就労者への条件が厳しくなるかもしれない。似たようなことはこれから他の県市でも起こるだろうと予測される。


「イミグレーションオンボード」(2013年1月25日)
イミグレーション入国審査官が機内で入国手続きを行なうImmigration on boardと名付けられた特別サービスを今行なっている航空会社は世界中でガルーダ航空だけだそうだ。ガルーダは現在東京(成田)⇒ジャカルタ線、ソウル⇒ジャカルタ線、シドニー⇒ジャカルタ線、東京(成田)⇒デンパサル線、大阪⇒デンパサル線、シドニー⇒デンパサル線の6航路で機内入国手続きサービスを行っている。
2008年以来続けられているこのサービスは、ガルーダ航空と法務人権省移民総局が合意契約を結んで行なっているものであり、必然的に期限が設けられている。今回その合意契約はBRI銀行が加わった三者契約として更新され、三年間の期限で実施されることになった。BRI銀行が加わったのは、到着時ビザの入金管理を行なうため。
ガルーダ航空経営陣は中国人観光客の集客力を高めるために上海・北京・広東からインドネシアに戻るフライトにもこのサービスを適用したい意向で、その検討を進めている由。


「豪政府を告訴する少年たち」(2013年2月26・27日)
インドネシアはオーストラリアに密入国しようとする密航者の踏み石になっている。インドネシアに入ってしまえば、かれら密航者を無事にオーストラリアに向けて送り出してくれるマフィア組織があるし、自分たちだけでもっと廉い金額で直接漁船を雇うこともできる。そんな密航幇助漁船は、リスクとコストの軽減をはかって子供を乗り組ませる手をよく使う。そんな船に子供を誘い込む手法としては、子供を騙すのが一般的だが、中には拉致誘拐といった手を使う連中もいる。ヌサトゥンガラの海岸で船乗りが子供に、手当てをはずむから外国人観光客を乗せる船で数日間手伝わないか、と誘いかけるシーンはかなり一般化しているようだ。
そうして海上で数日間を過ごし、船では大人たちの命令に従って船内の仕事を手伝い、そしてある日海上でオーストラリアの国旗を掲げた警備艇の臨検を受けて一船まるごと拿捕され、オーストラリアの港に曳航されて外国人観光客は姿を消し、インドネシア漁船の乗組員は全員が監獄に放り込まれるという結末を迎える。
インドネシアの諸地方出身の子供たちで、そんな運命をたどった末2008〜2011年に刑期を終えて帰国した48人のうちの23人が、自分たちの受けた待遇についてオーストラリア政府を告訴した。子供たちの大半はヌサトゥンガラ州出身だが、西ジャワ州スカブミ県プラブハンラトゥ出身の者もいる。かれらはシドニー・アデレード・パース・ダーウィンの刑務所に収容されていた。子供たちの告訴をバックアップしているのはインドネシア児童保護コミッションで、一部オーストラリアの法曹関係者からも支援を得ている。
当時14歳から16歳だった子供たちはそれが密航幇助であることを知らず、船を操縦する大人たちにだまされて乗り組んでいただけであり、しかるにオーストラリア官憲はその事情を斟酌することもなく、現実には密入国者トラフィッキングマフィアメンバーである大人の船員たちと同列に子供たちを扱い、大人と同じ監獄に入れて刑罰を科したというのが告訴の内容。
もちろんオーストラリアに少年犯罪者と大人を別に扱う法規がないわけでは決してない。問題は子供か大人かの判別をどうやってつけるかということになる。2008年から2011年までの間にオーストラリア水上警察が逮捕したインドネシア人密航幇助犯罪者は5百人に達し、その中に180人の子供が混じっていた。自分の年齢を子供だと自称する者は左手首のレントゲン撮影を行い、オーストラリア官憲がその骨格構成を見て大人か子供かの判定を下した。実際には16歳以下だったにもかかわらず子供の骨組みには見えないとして大人扱いされた者が少年刑務所に収容されるはずはなかった。まだ小さいうちから大人を手伝って肉体労働に励んできたインドネシア貧困地区の子供たちの骨組みがオーストラリア人の常識から外れていたことは疑いないだろう。
インドネシア児童保護コミッションはこの告訴について、賠償金を取るのが目的ではなく、子供たちが貧困漁民の生活から脱け出すための活性化資金を得ることを目的にしている、とコメントしている。


「無許可活動する外国人医師を国外追放せよ」(2013年10月10・11日)
南タングラン市立総合病院が複数のマレーシア人医師を雇用し、それに不服を表明してデモを行なったインドネシア人医師を解雇した上、同病院の医療委員会を閉鎖した事件が医療界に波紋を呼んでおり、特に医療行政を監督している保健省は法規が順守されていない実態を目の当たりにして監督の強化をはかろうとしている。
インドネシアの医師は人数としては十分に足りており、不如意なのは超専門分野の医師と、そして医師が都市部に偏在して地方部に医療過疎が起こっていることだけというのが医療界の常識になっている。そのため政府は外国人医師に対して強い態度を取っており、基本的には国内での患者に直接接触する医療活動を許可せず、大学付属病院での技術移転や行政あるいは医師会などが主催するセミナーなどでの知識移転に限定させている。
2015年という近い将来、アセアン域内自由化で加盟各国の国民に域内の就業場所自由化が認められるようになるものの、政府は新たにさまざまな規制を設けてこれまでの態勢を続けようとしており、医療活動も互恵方針を適用して相手国がインドネシア人医師を受け入れる場合に限ってその国の医師に機会を提供することにしている由。医師会会長はオランダや日本の例を引き、それらの国では外国人がその国で医学を修得しても医療活動を許可してくれないので、インドネシアが同じようにするのは決しておかしくない、とのコメントをもらしている。
そのため、何らかの特殊な事情で外国人医師の現場における医療活動の必要性が起こった場合にのみ、限定的に許可を与えることはあるものの、外国人医師がインドネシアに居住して日々医療活動に従事するようなことは認められそうにない。インドネシアでは現在、大学医学部を卒業していれば医師を名乗って開業することができる状況にある。医師の能力を測る国家試験が行われていないために、医師会と医師カウンシルが国に成り代わって医師の職業資格審査と医師ライセンスの管理を行なっており、実際には医師の卵の96%は資格を認められてライセンスを取得している。残る4%は審査に落ちているわけだが、現実に医療活動を行なっていても法的措置を取るのはむつかしい。
そのような状況であるために、国が能力試験と資格審査を行って管理するという健全で厳格なあり方に変更するべきであるという声が高まっている。ともあれ、現状のままでもしも外国人医師が就業可能になったとしても、医師会と医師カウンシルが現在行なっているシステムは外国人医師に同じように適用されるはずだ。
保健相は南タングラン市立総合病院の事件に関して、外国人医師を直接の医療活動に従事させたことは病院マネージメントの無届無許可という違反にあたり、またマレーシア人医師もインドネシアで違法行為を行なったため処罰の対象になると表明している。外国人医師の違法医療活動は国外追放が適用されることもあり、かつて観光ビザで入国しながら西アチェで地元民に対する無料の医療活動を行なったアメリカ人医師四人がその処罰を受けた例がある。しかし国内で違法活動を行なった外国人に国外追放を適用するかどうかの判断は法務人権省イミグレーション総局外国人監視チームが決定権を持っており、行政も医師団体も外国人監視チームの処分決定を待つしかない。
しかし南タングラン市立総合病院が届出や許可の手続きを頭から無視したのかというとそうでもなく、医師カウンシル委員長は同病院が南タングラン市保健局に技術移転を名目としてマレーシア人医師雇用の許可申請を出していたことを明らかにしている。ところが申請内容が許可条件にそぐわなかったため、保健局は許可をおろさなかった。にもかかわらず病院側は頑固にも、計画していたことを実行に移したということらしい。
今回は南タングラン市立総合病院にスポットが当たったが、外国人医師が見え隠れに関わっている病院も他にないわけでなく、おまけに都市のモールなどショッピングセンターに開業している医療クリニックに外国人医師がいたり、さらには外国の医療機関の代理活動を国内で行なっているインドネシア人がいたり、と医療活動に関わる行政の管理がまったく遅れている面も年々顕著になってきていることから、保健省はきっと快刀乱麻の剣を一閃したいところだろう。


「外国人管理を強めるマラン市」(2013年10月16・17日)
東ジャワ州マラン市が、2013年10月10日から管区内に居住している外国人の実態調査を開始した。オーストラリアを目指す外国人闇移住者がステッピングストーンに利用する土地のひとつがマランであり、、特にパキスタン人やバングラデシュ人がインド洋沿いにマランを通るこのルートをよく利用している。闇移住者の多くはインドネシアへも密入国している可能性が高いことから、マラン市庁が在留外国人の実態を細かく把握する必要性を感じてこの調査を開始した。とは言っても、不法入国や不法滞在の外国人を摘発するのはイミグレーションの職務であり、マラン市庁は在留外国人が合法的に居住するように導いていくのがその職務になる。
通常、闇移住者たちはマラン県南部海岸地区にひそかに上陸してオーストラリアへ渡る準備を整え、ふたたびひそかにインドネシアから船を使ってオーストラリアの海岸に上陸するという方法をとる。マランの海岸に上陸したときにインドネシア官憲に見つかれば、かれらは漁船などの乗組員で、船が沈没したために上陸したといった理由をあげて言い逃れするが、見つからなければしばらく様子をうかがってから堂々と人中に現われる者も少なくない。
準備期間は機会にも左右されることから人によってまちまちではあるが、中には命がけでふたたび海を渡るよりもインドネシアに住みつくことを選ぶ者もあらわれる。そしてまだ若い男たちは現地女性を娶って家庭を築くのがかれらの通常の姿だ。
マラン一級イミグレーション事務所のデータによれば、マラン市に登録されている外国人はおよそ8百人おり、勤労者とその家族そして学生がほとんどを占めている。調査を行なうのはマラン市市民登録住民管理局で、これまで外国人の登録と管理はほとんど何も行なわれていなかったため、イミグレーション事務所からデータを提供してもらい、それを元に外国人を家庭訪問して外国人がマラン市に居住するために必要な住民管理上の登録を行なってもらうことが主目的になる。もちろんこの調査の中で偶然に不法居住外国人が見つかることも予測されており、それによって管区内に居住している外国人の実態が一層明確になることが期待されている。
イミグレーションから居住許可を得たときの住所が実際の居所と異なっているのはよくある現象であり、在住外国人の管理を容易にするためには実際に住んでいる住所が常に正しく把握されていることが不可欠であるため、市民登録住民管理局はすべての外国人に居所証明書(Surat Keterangan Tempat Tinggal 略称SKTT)の作成を義務付けることにしている。このSKTTという書類の作成は、ジャカルタでは義務付けられているがバリでは義務付けがないというように、地域によって違いがある。
マラン市市民登録住民管理局長によれば、マラン市に居住する外国人は外国人用KTP(住民証明書)とKK(家族登録書)、新生児の出生証明書、SKTTなどを作成しなければならなくなる、とのこと。局長はさらに、マランに居住している外国人の中にKITAP(恒久居住許可書)を取得したり、あるいは地元民を伴侶に持っている者が増えており、外国人ではあっても市民としての権利と義務を明確に理解し、地元民と同等の市民生活を営んでもらうために、市庁側の外国人管理体制も適切に整えていかなければならない、と語っている。


「IMTA延長課金」(2013年10月17・18日)
政府は2012年10月28日付け政令第97号でIMTA延長手続きを地方自治体に移管した。移管期日は2013年1月1日からとなっている。IMTAというのは、外国人を雇用するために会社が取得した外国人雇用許可を根拠にして、その得られた雇用枠に当てはめるために会社と契約した外国人本人がインドネシアに居住して就労することを政府が会社に対して承認する書類であり、雇用者に与えられるものであって外国人就労者本人に与えられるものではない。
2012年10月28日付け政令第97号のIMTAに関する条文をご紹介しよう。まず第一条「語の定義」には次の内容が見られる。
第一条3項
IMTA延長課金は、外国人雇用者へのIMTA延長に対する課金である。
第一条第4項
IMTA延長とは、知事あるいは県令/市長もしくは指定された役職者が定められた法規に則して外国人雇用者に与える許可である。
第一条第5項
外国人とは、インドネシア領土で就労する意図をもってビザを取得した外国人を指す。
第一条第6項
外国人雇用者とは、賃金や他の形態の報酬を支払って外国人を雇用する法人その他の団体のこと。
第二条の「課金の種類追加」では、第(3)項にIMTAの課金徴収者が定義されている。
a。就労地が州内の県市をまたがっているIMTAの延長の場合は州政府
b。就労地が県市の中である場合は該当する県庁あるいは市庁
さらに、IMTA延長課金の詳細は第十三条以下に出てくる。
第十三条
(1)IMTA延長課金の徴収対象は外国人雇用者へのIMTA延長許可を含む。
(2)(1)項の外国人雇用者に、政府機関・外国公館・国際機関・社会活動機関・宗教機関と教育機関の特定職務は含まれない。
第十四条
(1)IMTA延長課金タリフは、労働分野を監督する省の税外国庫収入に関する政令に定められているIMTA発行タリフを超えない。
(2)IMTA延長課金タリフの金額は地方規則で定められる。
第十六条
(1)IMTA延長課金収入は、許可書類発行・実地監督・法執行・行政管理・IMTA延長からの悪影響・地元労働力の専門性と技能の開発活動のための費用に使用される。
(2)IMTA延長課金収入の用途は地方規則で定められる。
第十八条
この政令の中に定めれたIMTA延長課金に関する規定は2013年1月1日から有効となる。
以上の内容を見る限り、これまで行なわれていたIMTA延長の宰領者が労働省から地方自治体に替わり、同時にこれまで行なわれていたIMTA延長に対する課金の徴収者が労働省から地方自治体に替わるというだけのことであり、DPKKと呼ばれている毎月100米ドルの技能開発拠金のようなものを地方自治体も徴収するようになって二重搾取が行なわれるといった懸念を示すものは見当たらない。
反対に、労働省という全国の失業率低下をしゃにむに推進しなければならない立場と、地元の失業率があまりひどくない地方自治体の立場とでは国民の就労機会を奪う外国人というものの見方に大きな開きが出てくるのは容易に想像されることであり、さらに地元行政府の地元収入稼ぎのために延長審査がどういう姿勢でなされるかということもある程度想像できるため、インドネシアに居続けたい外国人にとっては有利な変更になることが期待できるのではないだろうか。


「手持ち果実の持込はジャカルタ以外禁止」(2014年1月8日)
「この空港検疫運用は正しいのだろうか?」(2013年12月02日)の投書に対する、検疫庁ヨグヤカルタ農業検疫館長からの2013年9月13日付けコンパス紙に掲載された回答"Yogya Bukan Tempat Pemasukan"から
拝啓、編集部殿。動物・水産・農業検疫に関する1992年法律第16号第5条には、インドネシア共和国領土内に持ち込まれる動物・魚介類・植物の害虫や病原菌のキャリヤーとなる媒体の条件クリヤー義務が述べられています。他の素材を含むキャリヤーを除いて、動物・動物素材・動物製品・魚介類・植物・植物素材の持込の場合、原産国および通過国の衛生証明書を添えて定められた入国地で検疫係官に届け出を行い、検疫措置を受けるためにその物品を提出しなければなりません。
検疫措置に関する農業大臣規則第42/Permantan/OT.140/6/2012号にもとづけば、インドネシア共和国領土内への生鮮果実と生鮮野菜の持ち込みについては、それらのキャリヤーの入国地が定められており、スラバヤのタンジュンぺラッ海港・メダンのブラワン海港・ジャカルタのスカルノハッタ空港・マカッサルのスカルノハッタ海港がそれに該当します。ヨグヤカルタが入国地になっていないため、生鮮野菜と生鮮果実が国外からヨグヤカルタのアディスチプト空港に運ばれてきた場合、入国拒否の措置が採られることになります。入国拒否通告書を受領してから14日以内に、所有者はその物品を出自地に送り返すことができます。
今回のケースでは、リニさんは手持ちの果物を出自地に返送しない申告書にサインなさいましたので、その後の取扱については検疫担当官に一任ということになり、最終的に廃棄措置が採られました。[ 農業省農業検疫庁ヨグヤカルタ二級農業検疫館長、ウィスヌ・ハリヤナ ]


「JISでのとばっちりが現実化」(2014年6月11日)
ジャカルタインターナショナルスクールで発生したペドフィリア暴行事件の延長線上でそれとは直接関係のない取締り活動が行なわれ、予想した通りの結末を迎えることになった。これはインドネシア「教育」情報2014年4月24・25日の「JIS事件のとばっちり」の続編としてお読みいただくよう、お勧めします。
JIS事件については、事件の起こった幼稚園部が認可を得ていなかったというJIS側の汚点がまず発覚したが、これも事件さえ起こらなければこの先延々と無認可のまま幼稚園部の運営を続けていくことができた可能性が高い。たとえ何かのきっかけでそれが政府管理当局に発覚したとしても、その時点で認可を取るよう勧告されるような温情的措置が取られるのが普通であり、今回のような杓子定規の対応がなされたのは、たとえ下請けの雇用者が起こした事件であっても折から幼児に対する性的暴行事件が社会問題化しているさなかに起きたために学校管理者が世間一般国民の敵意の標的にされたことと無関係ではあるまい。そういう国民感情の真っ只中で政府が敵意の対象に温情をかけることなどありえない。
ついで、かつてJISに奉職したことのあるアメリカ人が習慣的ペドフィリア犯罪者であったことが米国でニュースダネになり、そのニュースを得たマスコミの報道で政府と警察がJISの外国人教員にも疑惑の目を向けるようになったのも自然の成り行きだったようだ。ただし、この部分では警察の疑惑はまったく立証されなかった。
そうして次に出現したのがイミグレーションの取調べだ。インドネシアで外国人を働かせるためには、その雇用者が労働省から雇用の許可を得、その許可を根拠にしてインドネシアでの居住許可をイミグレーションから取得するという形が取られている。労働省の基本方針は、極力外国人労働力を減らして雇用者にインドネシア人を雇用させることにあり、雇用できる職種や就労する外国人の学歴や能力などに厳しい条件をつけている。しかしいくら労働省が外国人の雇用を拒否した職種であっても、能力のあるインドネシア人労働力が得られないなら、その仕事に外国人を就けさせたいというケースは多々発生する。その結果何が起こるかと言えば、雇用者が取得した外国人雇用枠を使って、認められている範囲で外国人を雇用しておき、その枠の名目上の職種でない仕事をさせるという運用方法だ。明らかにそれはイリーガルなのだが、実際にそのようなことは多くの外資系企業で平然と行なわれている。
この種のことがらは半ば当然の慣習であり、イミグレーション側もそのようなことを逐一調査し監視するようなことはしない。イミグレーションが動き出すのは、プリブミの人間を敵にしてしまった特定の外国人が違法労働をしているというブラックレターをイミグレーションに送りつけられたとき、あるいは今回のJIS事件のように国民感情が社会的制裁を求めるレベルに高まったとき、また外国人がプリブミ社会の中であきらかに目立った行動をしているとき、というような場面で起こるのがほとんどだ。
南ジャカルタイミグレーションオフィスは、JISの教員の中に小学校教員としての就労でKITAS(暫定居住許可証)を交付してあるにもかかわらず幼稚園で教えている者、体育教員となっているが実際には別の業務に就いていた者など20人に強制出国措置を取ることを明らかにした。措置対象の教員たちはアメリカやオーストラリアなど数ヶ国に6月6日から段階的に送還されることになっていたが、突然JIS生徒の父兄が措置対象になっている教員から子供が性的暴行を受けたとの届けを警察に出したため、警察はイミグレーションに措置の延期を要請し、教員たちを再度取り調べることにしている。


「ビザ発行お手伝い料は3,750万ルピア」(2014年7月8日)
2014年1月26日付けコンパス紙への投書"Pembuatan Visa Tenaga Kerja Asing"から、
拝啓、編集部殿。法務人権省移民総局職員が手伝ってくれるということだったので、わたしは2012年9月に外国人勤労者に対するビザの発給を南ジャカルタ市クニガンのラスナサイッ通りにある移民総局に申請しました。世銀プロジェクトに関連するスペシャリストビザを四人に出してもらうという内容です。その費用として、職員が要求するひとり1,750万ルピアという金額をわたしは了承しました。約束では、一ヶ月でビザは下りるということでした。
ところが、約束の一ヶ月を過ぎても結果はゼロ。12月になって、やっと二人分のビザが下りましたが、職員の要求金額は跳ね上がって総額1億1千万ルピア。わたしは移民総局職員およびこの話を仲介したエージェントに騙されたのです。物質的精神的に大きな被害を蒙りました。
わたしはこの事件を法務人権省に訴え出ましたが、もう一年が経過するというのに、いったいどのような解決の方向に向かっているのか、まるで五里霧中です。情報はSMSでしかもらうことができません。外国人のビザを出してもらうのは、こんな巨額な費用が必要なのですか?[ 南ジャカルタ市在住、アリアンティ W ]


「ビザと居住手続き料金に変更」(2014年7月9・10日)
法務人権省の行なっている有料サービスのタリフが2014年7月3日から変更された。その変更を定めたのは「法務人権省取扱い税外国庫収入の種別とタリフに関する2014年政令第45号」で、SBY大統領が2014年5月30日にサインし、法務人権大臣が2014年6月3日に制定し、制定日から30日後に施行された。
会社設立に関連するもの、国籍に関連するもの、遺産に関連するもの、知的財産権に関連するもの、等々実に長大なリストが添付されているが、その中で外国人がイミグレーションで係わり合いを持つものについて、新タリフは下記の通り。
B.ビザ
1.訪問ビザ USD50.00
2.マルチプルビザ(一年間) USD110.00
3.到着時ビザ
a.経済特別区のみ有効な7日間ビザ USD15.00
b.30日間ビザ USD35.00
4.暫定居住ビザ
a.6ヶ月以内 USD55.00
b.一年 USD105.00
c.二年 USD180.00
5.到着時暫定居住ビザ(30日間)IDR700,000
6.インドネシア在外公館宛の承認電信 IDR100,000
C.イミグレーション許可
1.訪問許可と訪問許可延長
a.訪問許可交付 IDR300,000
b.訪問許可延長(一回ごと) IDR300,000
2.暫定居住許可
a.到着時 IDR450,000
b.非電子式暫定居住許可(6ヶ月以内)IDR450,000
c.電子式暫定居住許可(6ヶ月以内)IDR650,000
d.非電子式暫定居住許可(1年以内)IDR800,000
e.電子式暫定居住許可(1年以内)IDR1,000,000
f.非電子式暫定居住許可(2年以内)IDR1,400,000
g.電子式暫定居住許可(2年以内)IDR1,600,000
3.暫定居住許可延長(一回ごと)
a.非電子式暫定居住許可(6ヶ月以内)IDR450,000
b.電子式暫定居住許可(6ヶ月以内)IDR650,000
c.非電子式暫定居住許可(1年以内)IDR800,000
d.電子式暫定居住許可(1年以内)IDR1,000,000
e.非電子式暫定居住許可(2年以内)IDR1,400,000
f.電子式暫定居住許可(2年以内)IDR1,600,000
4.破損や紛失による有効期限内の暫定居住許可カードの再交付
a.非電子式暫定居住許可(6ヶ月以内)IDR900,000
b.電子式暫定居住許可(6ヶ月以内)IDR1,100,000
c.非電子式暫定居住許可(1年以内)IDR1,800,000
d.電子式暫定居住許可(1年以内)IDR2,000,000
e.非電子式暫定居住許可(2年以内)IDR2,800,000
f.電子式暫定居住許可(2年以内)IDR3,000,000
5.6.外国人海員に対するもの 〜省略
7.非電子式恒久居住許可(5年間)IDR3,500,000
8.電子式恒久居住許可(5年間)IDR3,700,000
9.非電子式恒久居住許可延長(無期限)IDR10,000,000
10.電子式恒久居住許可延長(無期限)IDR10,200,000
11.破損や紛失による有効期限内の非電子式恒久居住許可カードの再交付 IDR1,500,000
12.破損や紛失による有効期限内の電子式恒久居住許可カードの再交付 IDR1,700,000
13.破損や紛失による無期限の非電子式恒久居住許可カードの再交付 IDR3,000,000
14.破損や紛失による無期限の電子式恒久居住許可カードの再交付 IDR3,200,000
D.再入国許可
1.暫定居住許可期限内で有効なマルチプル再入国許可(6ヶ月以内)IDR600,000
2.暫定居住許可期限内で有効なマルチプル再入国許可(一年以内)IDR1,000,000
3.恒久居住許可期限内で有効なマルチプル再入国許可(二年以内)IDR1,750,000
4.イミグレーション関連証明書 IDR3,000,000
E.課金
1.許可期限を超えてインドネシア領土内にいる外国人で、許可期限日から60日を超えていない者 IDR300,000
2.イミグレーションに関する2011年法律第6号第19条第4項の規定を満たさない輸送機関の責任者 IDR50,000,000
F.スマートカード IDR350,000
G.APECビジネストラベルカード IDR250,000
H.有効期限内のAPECビジネスとラベルカードの再交付 IDR3,000,000
I.二重国籍の子供に対する非電子式アフィダヴィット IDR150,000
J.二重国籍の子供に対する電子式アフィダヴィット IDR350,000
K.イミグレーションマネージメント情報システムテクノロジー利用サービス IDR55,000
なお、E.の1.は一日当たり、E.の2.は輸送機関一ユニットあたりで、その他はすべて一人当たりのタリフ。
IDR はインドネシアルピア、USD は米ドル。


「外国人の監視が強まる」(2014年9月9日)
チャンディボロブドゥルのある中部ジャワ州マグラン県で、外国人監視班が結成された。外国人と言っても、観光客でなく、県内に滞在し居住している外国人のこと。折りしも、ISISとインドネシアのテロリストグループが呼応しての動きを示しており、ラディカル思想を持った外国人が国民に国が望まない思想を植えつけるのを野放しにしては国民生活にさまざまな問題が発生することから、行政として監視なしには済ませられないということがその発端になっている。
中部ジャワ州法務人権省地方事務所のデータによれば、マグラン県に居住している外国人は289人で、そのうちの274人はイスラム学習施設であるプサントレンでサントリとして滞在しており、それ以外の留学・就労・配偶者と暮らすためといった種々の理由で居住している者は15人となっている。
やはり中部ジャワ州ソロで挙動不審の中国人旅行者9人がソロ市警犯罪捜査チームに逮捕された。この9人はソロ市内バンジャルサリ郡バニュアニャルの民家を借りて住んでいたところを逮捕された。かれらはその家できわめて閉鎖的に生活し、外部との関係を一切遮断し、何をしているのか隣人すらわからない状況であったことから、地元民からの通報でソロ市警が行動を起こしたもので、警察はかれらがその民家でオンライン賭博の胴元を行う準備をしていたものと見て取調べを進めている。
かれらは観光ビザでインドネシアに入国し、西カリマンタン州住民のひとりを通訳に雇っていた。通訳の証言から、かれらはインドネシアで違法行為を行なう準備に取り掛かっていたようで、警察がかれらを逮捕したとき、かれらが観光以外の活動を行うために持っていなければならないビザあるいは居住許可などの書類を提示できた者はひとりもなく、さらにパスポートを提示できない者もあった。警察はその借家からラップトップPC3台、種々の書きつけ、現金440万ルピアと中国元紙幣、ATMカード、クレジットカードなどを押収している。


「外国人がバリ島で違法就労」(2014年11月20日)
バリ州バドゥン県グラライ特別第一級イミグレーション事務所が、違法労働に従事していたイギリス人3人とアメリカ人ひとりを逮捕した。その四人は男性二人と女性二人で、到着時ビザで入国したにもかかわらずスミニャッの美容院で働いていたことが明らかになり、観光目的の入国許可を悪用して労働していたために逮捕された。その四人は近いうちに国外追放措置に処せられ、同時にイミグレーションのブラックリストに載せられて一定期間インドネシアへの入国ができなくなる。
一方、リアウ島嶼州バタムでは、タンジュンカサムでの蒸気発電所建設現場で無許可の外国人労働者135人が働いていることが判明し、大きな問題となっている。現場の建設工事に携わっているのはPT TJK Power, CHD Power Plant, PT Indo Persada の三社で、かれらが現場で働かせていた作業員の中に外国人が2百人おり、そのうちで労働許可を持っていたのは65人にすぎず、残る135人は何の許可も届け出もなしに現場作業に従事していた。その事実はまず住民の通報に端を発する。バタム市議会議員が通報の真偽を確認するために現場の調査を実施したとき、大量の外国人が建設工事の現場作業に従事しているのが発見された。議員は工事下請けの三社に事情説明を求めたが、各現場責任者は権限を持っていないとしてそれに応じなかった。議員はその問題を議会に提議し、議会はバタム市庁に対してその違法行為を取締るよう要求した。「われわれは外国人が国内で労働することを問題にしているのではない。バタム市議会はいまだかつて、そのような姿勢を取ったことはないのだ。しかしながら、現場には荷担ぎや清掃の作業を行なっている外国人がいた。そんな仕事を行なえる人間は国内に余るほどいるというのに、どうして外国人を使わなければならないのか?もっと違う業種で妥当な資格を持っている外国人にインドネシアで就労してもらうことをわれわれは望んでいるのではなかったのか?」
バタム市議会第四委員会事務局長はこの事件に関連して、外国人を無許可労働させていた発電所建設工事下請け会社を取り調べた上で処罰せよ、とバタム市庁に要請した。「インドネシアでの就労に外国人は個々に労働許可を得なければならない。外国人が就労できる分野も、国内に妥当な人材がいないという条件にしばられている。そして外国人就労者には、その技術移転のために業務に付き添うインドネシア人がいなければならない。それらの明白な就労規則がすべて無視されている。バタム市労働局とイミグレーションは即刻、必要な措置を取るように。外国人を違法就労させていた会社には制裁措置が与えられ、違法就労外国人は違法内容を明らかにした上で国外追放処分にせよ。」
議会の調査によれば、工事下請け会社はインドネシア人作業者を理由なく解雇した気配があり、市労働局がそれも含めて工事下請け会社の取調べを開始している。200人中の110人はCHD Power Plantに所属していた由。


「不良外国人に優しい国」(2014年11月24〜28日)
インドネシアにいる外国からの難民は1万人を超えている。インドネシアの外国人抑留施設の収容能力は2千人程度しかないため、かれらの一部は国連の国際移住機関が持っている施設に収容されているが、焼け石に水状態。かれらの大半はインドネシアの隣国に密入国しようとして祖国を捨て、インドネシアへは通過するのを目的に密入国してきたものだが、肝心の目的国への密入国がきわめて困難になっているため、当初の目的とは外れたインドネシアで足止めを食い、あるいは目的国に入れずに逆戻りさせられて再度インドネシア海岸に漂着した者たちだ。法務人権大臣はこの問題に関して国際難民保護機関がもっと大きな役割を務めるよう求めている。「いくつかの地方自治体は難民の収容を拒んでおり、妥当な暮らしが困難な難民がいる。これはヒューマニズムの問題であり、われわれは国際保護機関がこの問題をもっと真剣に取扱うことを望んでいる。」
だが中には、インドネシアの暮らしやすさが気に入って、地元民の中に溶け込んでいる難民もいるようだ。地元女性を妻にして地元コミュニティに入っている実例がいくつか報道されており、法的ステータス問題を抱えながらもその人生には明るさが宿っているにちがいない。
過去二年間に発生した難民逮捕事件を見てみよう。
2013年1月29日、オーストラリアのココス島を目指すスリランカ人の乗った船がひと月間インド洋を漂流し、中部ジャワ州チラチャップ県ヌサカンバガン島パシルプティ海岸に打ち上げられた。乗っていた者のうち二名が死亡、一名は行方不明で、22人が保護された。
2013年3月5日、ミャンマー、バングラデシュ、ソマリアの出身者87人が調達した船でオーストラリアを目指したが、海上で機関故障のため漂流し、東南スラウェシ州ワカトビ群島沖合いで発見されてインドネシアのSARチームに保護された。
2013年6月13日、ミャンマー、パキスタン、スリランカの出身者129人が調達した船でオーストラリアのクリスマス島を目指して出発しようとしていたところ、西ジャワ州チアンジュル県警察に逮捕された。
2013年7月24日、オーストラリアのクリスマス島を目指す難民198人が乗った船が西ジャワ州チアンジュル海岸沖で強い波を受けて破損沈没し、乗っていた9人が死亡、残りは救助された。
2014年1月4日、アフリカ人45人の乗った船がオーストラリア領海内まで入ったとき、オーストラリア警備艦艇が領海侵犯を理由に強制退去させ、かれらは東ヌサトゥンガラ州ロテンダオ県パンタイバル郡レグペトゥ村の海岸に漂着した。ロテンダオ県警の取り調べを受けてからクパンの施設に収容された。
2014年2月5日、クリスマス島に向かったイラン、バングラデシュ、ネパール、パキスタン人34人がオーストラリア領海内で高速警備艇2隻に臨検され、強制退去措置が取られた結果、西ジャワ州パガンダラン海岸に漂着した。
2014年2月25日、オーストラリア領海に入ろうとした中東出身難民26人の乗った船がオーストラリア警備艇に捕らえられ、強制退去措置を受けて中部ジャワ州クブメン県アヤ郡カランドゥウル村カランジャンベ海岸に漂着した。難民たちはチラチャップのイミグレーション抑留施設に収容された。
2014年11月6日、東カリマンタン州バリッパパンで、インドネシアで抑留中のアフガニスタン人難民10人が自首して出た。数日間で自首者は41人にのぼり、もっと以前からバリッパパンイミグレーション抑留所に収容されているアフガニスタン難民は40人もいて、その人数は急激に膨れ上がっている。バリッパパンイミグレーション事務所がかれらから得た情報によれば、この先まだ続々とジャカルタから国内線旅客機でバリッパパンに難民がやってくることになっているそうだ。
かれらは2014年10月にジャカルタの国連難民高等弁務官事務所が発行した庇護申請者証明書でジャカルタからバリッパパンにやってきたのだが、規則が忠実に守られていれば起きないことが航空会社の怠慢で起こったとしてバリッパパンイミグレーション事務所長がかれら難民を飛行機に乗せた航空会社を非難した。というのは、国内線航空機に搭乗する旅客は、航空券の名義人が確かに自分であるという身分証明をしなければならない。そのためにKTPや運転免許証あるいはパスポートが使われており、外国人の場合は居住者でないかぎりパスポートしか使えない。そのパスポートをチェックすれば、密入国やオーバーステイなどの違反行為者かどうかがすぐわかる。だから難民は基本的に搭乗ができないはずであり、そんな状況の切り札として難民が高等弁務官事務所発行の庇護申請者証明書を身分証明書として使ったわけだが、航空会社セキュリティがそれをそのまま鵜呑みにして通してしまったのが規則執行での怠慢だと言うわけだ。
現実に庇護申請者証明書には、空港をはじめ特別のセキュリティを必要とする施設へのアクセスにそれが使えないことが明記されている。また2014年4月15日付けで法務人権省イミグレーション総局長が国内線5大メイン航空会社宛に出した「難民の国内フライト利用のセキュリティ」に関する通達も、庇護申請者証明書は航空機搭乗許可に使えないことをリマインドしている。イミグレーション職員が法規に則して難民を護送する場合のみを例外として、難民は絶対に飛行機に乗せてはならない、というのがその主旨だ。
ところが難民たちは、パスポートでないその証明書を使って、搭乗の際のチェックを潜り抜けてきている。「その証明書はパスポートではないのだ。なのにかれらはどうして飛行機に乗ることができるのか?ジャカルタのセキュリティはいったいどうなっているのか?」バリッパパンイミグレーション事務所長は強い声でそう述べている。
抑留所に入ったアフガニスタン人難民のひとりは使い慣れない英語で、自分たちは国を捨てて逃亡してきた、ととつとつと物語る。「アフガニスタンにいたら、タリバンに殺されるか、あるいは拉致されて迫害を受けるだろう。安全な暮らしを求めて、われわれは祖国から逃げ出したきた。最終目的地はオーストラリアだ。」
バリッパパンには、難民でなく悪事を働こうとして不法入国あるいは不法滞在する外国人もいる。そんな外国人が何百人もイミグレーション抑留所に入れば満杯状態になる。待遇の悪化は抑留者が引き起こす暴動の火種になりかねない。バリッパパンイミグレーション事務所長は、ジャカルタに拘束されているべき難民を自分の下に送り込んできた連中を、どう非難してもあきたりないにちがいない。
2014年10月31日、バリッパパン市内高級住宅地バリッパパンバル内の邸宅で多数の外国人が連日出入りしているのを不審に思った住民が警察に通報してきたため、行政警察・国軍・警察・イミグレーションの合同チームが取調べに出動した。大勢の外国人が宿泊している二軒の邸宅でかれらを取り調べた合同チームは、中国系と見られる57人の外国人は大半がパスポートを持っておらず、パスポートを提示した者の中にもビザの期限が10日ほど前に切れており、不法滞在状態に入っていたことを確認した。かれらのほとんどは二十代から三十代にかけての年齢で、その大半は英語を話すことも書くこともできないため、合同チームは情報の入手に困難をきたしている由。通訳の準備が整うまで、取調べは一旦おあずけとせざるをえない。パスポートを提示できない者は、自分のパスポートを誰か他の者が持っていると言うのだが、それが誰なのかがはっきりしない。
バリッパパンバル住宅地のデンハーグとアムステルダムの両クラスターはそこのエリート地区であり、豪奢な大邸宅二軒に住んでいた57人の外国人がそこでいったい何を目的にして何をしていたのか、警察はその概要を把握できないでいる。実は、10月29日にもバリッパパンバル住宅地内プンチャッ通りにある大邸宅に滞在していた45人の中国系らしい不法滞在者が逮捕されており、かれら全員がひとつの犯罪プロジェクトに関与していたのであれば百人を超える大集団の犯罪行為が計画されていたことになる。合計人数は102人だが、そのうちのひとりはかれら外国人に食事を用意するために雇われていたインドネシア人料理人で、警察はその者の取調べから何ら重要な情報を取得するができなかった。
警察の取調べに対して、百人を超える中国系外国人の中には、ただ観光に来ただけだと言い張る者もあれば、ブローカーに仕事を斡旋されてそこに来たという者もある。しかしそのブローカーが誰でどこにいるのか、またかれらの滞在時の活動の指揮やコーディネーションをだれが取っていたのか、などといった具体的な情報は得られないままだ。実際にかれらが滞在していた邸宅内にはたくさんの机が置かれ、机上には電話機が必ずあり、更に予備の物と思われる電話機も多数発見されていて、更にまた焼き捨てられて灰になっている紙も見つかっていることから、かれらは分散して複数の活動を行なっていたのではないかと警察は見ている。邸宅内では、ナルコバ(麻薬違法薬物)の使用や所持を示すものがまったく見られないため、この集団をナルコバの線から捜査することは当面無用と判断されている。10月29日に45人の逮捕劇が行われた邸宅内の家宅捜査では、電話機150台、テルコムターミナルサーバー20基、インターネットモデム20台が発見されている。
この種の住宅内にいる外国人取調べに関しては、取調べ合同チームは事前に地元のRW(字長)とRT(隣組長)にコンタクトするのが常であり、場合によってはRTが取調べに立ち会うこともある。地元自治組織の責任者からまず事情を聴取しておこうということだ。合同チームが邸宅内に入って外国人の取調べと家宅内捜査を行なった結果、きわめて尋常でない状況がそれらの邸宅内で展開されていたことが判明したわけで、当然ながら「地元自治組織は何をしていたのか」という声が当局から聞こえてくることになる。高級住宅地区の個人主義が犯罪の温床になっているという見解につながっていくステレオタイプのロジックがそこでも展開されるわけだ。それに対して隣組長は、「その邸宅に滞在している外国人はほんの数人だと思っていたし、自分が会った外国人はみんな礼儀正しいふるまいをしていたので、犯罪に結び付ける考えを持たなかったが、それほど大勢がその家に滞在していたのが判明して、正直驚いているところだ」と語っている。
逮捕された百人を超える中国系外国人は一旦バリッパパンイミグレーション抑留所に収容された。イミグレーション事務所はかれらに対して早々に国外追放手続きを取り、10月29日に逮捕された45人は11月2日に、また10月31日に逮捕されたグループの中の28人が11月9日に国外追放された。国外追放はイミグレーション担当官が付き添ってスピンガン空港からガルーダ便でジャカルタへ護送し、ジャカルタからはチャイナ航空で広州へ送り出された。バリッパパンイミグレーション事務所長によれば、かれらの中には30日間の滞在許可がまだ有効な者もいたが、かれらのインドネシアでの活動が観光でなく就労であったことがイミグレーション規則に対する違反に該当するため、国外追放が適用されたとのこと。かれらの出国のための航空券はかれら自身が購入したと事務所長は述べている。
28人の国外追放を取材した記者は、男性19人女性9人の国外追放者はきわめてリラックスした雰囲気で搭乗を待っており、最新ファッションの衣服に身をかため、女性はむしろセクシーな衣服を着て、時おりターミナル待合室からタバコを吸いに外に出てきていた、とその様子を物語っている。
バリッパパンイミグレーション抑留所が収容能力を超える人数を受け入れなければならなくなったとき、難民を強制追放するのはたいへんなプロセスが必要になるため、手続きの簡便な不法入国あるいは不法在留外国人を先に減らしていこうと考えるのは、ごく順当な思考方法となる。収容者に毎日食事を与え、水浴のための品々を取り揃え、日常生活に不自由のない状態にしてやらなければならず、収容能力をはるかに超える口を養わなければならなくなった抑留所管理者がそういう思考方法に陥るのは無理もないことだろう。予算は限られているのだから。
ところが、バリッパパンイミグレーション事務所が行なったその対応に、警察だけでなく国民の間で非難の声が続出した。警察は、百人もの外国人がインドネシア国内で何をしていたのか、何をしようとしていたのか、それを究明しなければならない。犯罪臭が芬々と感じられるその状況の謎解きをしなければならないのである。ところがイミグレーションは収容能力やら予算やらを理由にして、容疑者を国外に送り出してしまった。インドネシアがそんなイージーでソフトな国であることが世界中の犯罪者に知れ渡ったら、かれらを招き寄せるのは必定ではあるまいか?
法律援護機関のひとつは、犯罪捜査を行なわないまま外国人容疑者を国外に出してしまったイミグレーションの行為に関して、法務人権相に告発状を送ることを決めた。「これは国家の権威を蝕む行為の一例である。犯罪容疑をひしひしと感じさせる状況であることが明らかなのに、容疑者外国人を簡単に帰国させている。国民の誰が見ても異状だと思わないはずがないにもかかわらず、容疑者の身柄を管理する当局はそれを歯牙にもかけない。インドネシア国家の権威、インドネシア国民の自尊心はいったいどうなるのか?犯罪者かもしれない外国人に対して、この国はそんなにパーミッシブなのか?外国人の監督にイミグレーションが全権を持っていることは確かだが、イミグレーション法規の観点からしか問題を見ることができないのだろうか?警察の捜査は知ったことではないと言うのだろうか?国家機関相互のコーディネーションは、いつになったら実現するのか?百人以上の人間を収容して飲食を確保してやるのが大変なことはだれにでもわかる。しかしそんなことが犯罪容疑者の本国送還の理由にできる国がいったいどこにある?世界中にそんなことが知れ渡れば、この先、何が起こるか知れたものではない。」
州警察上層部も、州イミグレーションの行為に激しい失望を感じたことを表明したが、バリッパパンイミグレーション事務所長は抑留者の国外追放措置に警察の承認を得ていると主張しており、行政手続きを無視してまでイミグレーション事務所長が独断専行したということでもないようだから、警察上層部の口惜しさもいささか歯切れの悪いものになっている。
バリッパパン大学法律専門家は中国系外国人多数の国外追放に関連して、警察の捜査で取調べが必要になった外国人は帰国していても召喚して証言を取ることができる、と語った。「ただしその場合は外交ルートを経由して招致しなければならず、たいへん時間とエネルギーを消費することになる。だからこそ、かれらを国内に置いておき、捜査を捗らせて罪状を明白にさせた上で、送還するかどうかを決めるのが最善の方法なのだ。」
バリッパパンイミグレーション事務所は国外追放した中国系容疑者たちの名前を、入国管理ブラックリストに載せることにしている。入国禁止期間は6ヶ月間であり、必要に応じて禁止期間を延長することができるとのこと。
ところで、広大な領海に包まれたインドネシアには、長大な海岸線と無数の島々があり、国家国民の目の届かない場所がいくらもある。近隣諸国から小型船に乗った漁民がそのような場所に入り込んで住み着いても容易に発見されることがなく、おまけにその事実が明白になったときには、既に数百人という人口を擁する外国人の漁村がそこに作られていて、法的な処分を下すのが困難になっているという最悪のシナリオも起こりうる。かつてマレーシアとの間にカリマンタン島北東部海域にあるシパダン島・リギタン島領有問題が起こってデンハーグの国際法廷がマレーシアの領有を認めたのも、そのようなことが起こったためだ。
そのような領土侵犯を冒す外国人漁民はインドネシアでmanusia perahu(ボートピープル)と呼ばれている。この密入国と密漁を一手に引き受けてインドネシアの国益に危機をもたらすボートピープルをいかに排除するかというのがインドネシア政府の重要課題のひとつにあげられている。ボートピープルは他国の土地を侵犯して強引に利用するひとびとであり、インドネシア漁民はかれらに漁獲を強奪されたり、中には漁船のエンジンを奪われた者もある。一般にかれらの漁法はダイナマイトなどを使う爆弾漁法であり、かれらが獲得した収穫を狙って国際海産物マフィアが接近し、海上で漁果の売買が行なわれる。つまりボートピープルというのは、インドネシア政府にとって三重四重の不良集団だと言うことができる。かれらがそのような悪事をほしいままにできるのは、難民や犯罪者密入国問題・領海内での外国漁船密漁問題・中古外国産品密輸入問題・国内石油燃料密輸出問題などの解決や秩序立てに失敗しているさまざまな内政問題の土壌がそれをサポートしているからだ。
2014年11月17〜21日に東カリマンタン州ベラウ県デラワン島タンジュンバトゥで行なわれた合同取締り作戦で、インドネシア語を解さないマレーシア人とフィリピン人435人が保護された。かれらはその地に住み着いて59隻の漁船と73隻のサンパン(小型ボート)を持ち、捕獲漁を行なって暮らしている。辺地で捕らえたその435人の処置は、インドネシア政府がかれらを国外追放するにあたってその両国政府の協力を要請する外交プロセスでスタートを切る。
中央政府海事統括大臣はその状況について、かつてのシパダン・リギタンの例にあるように、デラワンも放っておけば外国の領土にされてしまうリスクをはらんでいる、と語る。デラワン島には環境保存を目的にする自然保護地区が設けられており、そこは無人地区になっている。ボートピープルはそこに侵入して住み着き、爆弾漁を行い、インドネシアの国家主権とさまざまな国益を侵害している。そのようなことが起こるのは、そこが無人地帯であり、また地元民の生活需要から隔絶していることが、そのような事態の発生を容易にしているためだ。大臣はそう語って、政府諸機関と国民の意識向上を求めている。


「また中国人が抑留施設に」(2014年12月5日)
中部スラウェシ州パル市一級イミグレーション事務所が、5人の中国人を抑留施設に収容した。今回の事件は、最近多発しているオーバーステイや不法就労でなく、その5人が居住していた地区で騒擾が発生したため、外国人の身柄を保護するのを目的に取られた措置。
その5人に対する中部スラウェシ州パル市ウルジャディ郡ワトゥサンプ町住民の排斥デモが何度か繰り返され、2014年11月24日に住民感情の激化が観測されたことからイミグレーションと保安機構は事件発生を予防するために、かれらが働いている採石現場から5人を連行して抑留施設に移した。かれらは2014年11月初にジャカルタに入国してからパルに移動し、かれらのスポンサーとなってビザと就労許可を正式に取得したワトゥサンプの会社が居住許可手続きも行なっているので、その5人のインドネシアにおけるステータスは完全に合法なものだ。かれらを送り込んできたのは中国の鉱山会社で、ワトゥサンプの会社と取引関係を結び、現場サーベイにその5人を派遣してきた。
ところが、その5人が一軒の借家を借りて宿舎とし、毎日仕事に通うようになったことで地元民の間に疑惑が流れるようになった。地元知識人のひとりは「その5人はもう三週間もここに住み着き、かれらを招聘した会社に出勤して働いている。政府は法規に従ってかれらの行動を正しく監督しなければならない。」と述べて、地元民の間に流れている見解と感情の中味を物語っている。住民は自分たちの間に潜り込んで仕事をしている5人のヨソモノに対する反発を強め、排斥デモ行動に発展して行った。その間、かれらを招聘した会社から地元民に対してそのヨソモノの存在に関する説明は何ひとつなく、住民たちは尾ひれのついた疑惑と不安に呑まれて、ヨソモノへの敵視を強めて行ったということのようだ。
最終的に国家機構が乗り出して5人の中国人を保護した時点で地元民の誤解は解けたことになるのだが、「会社はどうして地元民に何の説明もしようとしないのか?それが地元民の不安をかきたててデモまで起こっているというのに、知らぬ顔だ。会社は地元民を尊重していない。ワトゥサンプ町近辺のティポ町やブルリ町にも同じような採石鉱山があって外国人が働いているはずだ。政府は国内に滞在する外国人をもっとしっかり管理しなければならない。」と地元知識人は地元民への対応をもっと親身に行なうよう関係会社や政府機構に求めている。


「事務作業の弱さが国外追放処分を招く?!」(2014年12月18日)
去る11月下旬に抑留施設に入れた中国人就労者5人を、中部スラウェシ州パル市一級イミグレーション事務所が12月7日に国外追放処分にした。これは2014年12月5日の記事「また中国人が抑留施設に」の続編である。
先の報道では、かれら5人は正規に就労許可や必要な居住許可を取得していたにも関わらず、かれらが居住しているワトゥサンプ町で住民感情が悪化し、町民が「出て行け」デモを繰り返したことから、官憲がかれらを保護するために抑留所に入れたというニュースになっていたが、どうやらその5人の許認可を一切合財洗い出したところ、やはり違反行為があったことが明らかになったようだ。
何の違反かと言うと、5人が労働省から得た就労許可の中に記載されている就労地が中部スラウェシ州パル市とはなっていなかったということだ。
就労地が記載されるのはIMTA(外国人雇用許可)の中であり、もちろんそれは外国人就労者の雇い主が自己申告するもので、普通は申告した地名がそのまま記載される。パル市イミグレーション事務所監視執行課長はそれに関して、労働省の雇用許可書には就労場所がジャカルタとスカブミと記載されており、パルの名称は見当たらない、と説明した。つまりパルで働いていることが就労許可違反に該当するというわけだ。
先の報道に照らしあわせて見ると、常識では考えられないような奇妙な事態になっていることがわかる。かれらのスポンサーはワトゥサンプ町にある会社であり、かれらをパル市の採石現場で働かせるために就労許可や居住許可など必要な手続きを行なったというのが先の報道内容だった。つまり5人の就労内容が最初から明らかだったはずなのに、どうしてIMTA申請書類の就労場所欄にパル市でない地名を書いたりするのだろうか?
まず考えられるのは、経営者の意図が正しく反映されない事務作業の混乱という原因がひとつ。そして、そういう混乱が起こりやすい状況として考えられるのは、許認可手続きブローカーを使うケース。
会社経営者が直接ブローカーを使う場合、ブローカーが役所に提出する書類の内容がチェックされないため、書類に記載されたデータは往々にして経営者が考えていた内容から大幅に逸脱したものになりがちだ。もしそうであったのなら、この事件の顛末はきわめて深い同情に値するものであるにちがいない。5人は一定期間インドネシアへの入国が拒否されるし、また5人を送り込んできた中国の鉱山会社も、成果を手にすることができないままこのプロジェクトがつぶれてしまったということになる。
だが少なくとも、住民感情が悪化しなければその5人に対する詳細な取調べは起こらなかった可能性が高い。つまり、IMTAがある、KITASがある、ということで済んでいたにちがいなく、それらに記載されているデータが現実と一致しているのか、という調査には進まなかっただろうことが想像されるのである。


「海からの観光入国にも便宜を図る」(2014年12月24日)
毎年、1千5百隻の渡洋ヨットがオーストラリアのパースからシンガポール、クアラルンプル、プーケットなどアジアのリゾート地を目指して北上するが、その途上に横たわっているインドネシアに立ち寄ろうとする船はいない。かれらがインドネシアに寄港して上陸し、観光を行なうなら、ひとり一日5百から1千2百米ドルの外貨がインドネシアに落ちることが期待できる。
インドネシア政府はこれまでそのマーケットに目を向けていなかったのだが、そのマーケット開発を行なえば全世界から年間に3千隻の船がインドネシアを訪れるだろう。そのためには、観光目的船舶のインドネシアの寄港が従来よりもっと簡便に行なえるようにしなければならない。これまで、それを阻んでいた障害は何なのか?
最大のガンは、船舶の寄港申請から許可交付まで三週間という日数がかかっていた点にある。政府行政機構のさまざまな部門がそれぞれ抱えている独自の分野に応じてその申請を許可するかどうかを決めている仕組みが、ひとつの申請の処理時間を長いものにしていた。全体の取りまとめ責任者がはっきりしていなかったことも、申請者に対するサービスのレベルを低いものにしていた、だからコーディネーション責任者を定めると同時に審査処理プロセスを簡素化することが解決の鍵になる。海事統括大臣はそれに関して、外務省を許可交付統合窓口とし、申請のオンライン化を行うことで24時間以内の許可交付が可能になる、とその対応方針を説明した。同時に政府は観光入国を目的とする船舶のために、アチェ州サバン、リアウ島嶼州バタム、ジャカルタ、中部ジャワ州スマランとチラチャップ、バリ州ブノア、北スラウェシ州ビトゥンなど全国の18港をその受入港に指定して入国客への便宜を図ることにした。碇泊許可は一年間有効になる。


「外国人就労者に最低賃金適用を」(2014年12月26日)
特定の職業分野で求められている能力を同じように有するインドネシア人と外国人のどちらを採用するかという選択が生じたとき、インドネシアの会社は外国人を選びたがる。そんなことではインドネシア人失業者がいつまでも減らず、また外国人にはより高い報酬を払うのが普通であるために国家経済にロスを生んでいる。そんな状況を是正するために政府労働省は外国人就労のハードルを高くすると表明した。2015年アセアン経済ソサエティが発足して域内メンバー国国民に居住と就労の自由が与えられたならインドネシアに大量の外国人雇用が起こりかねない、という懸念に対する予防措置であることは疑いない。インドネシア全国で就労しているすべての外国人勤労者数は年々下降傾向にあり、2012年72,427人、2013年68,957人、2014年は10月までで64,604人となっている。
労働省は2014年10月から、国連がスタンダードとして持っている国際標準職業分類2008年版(ISCO−08)の内容を外国人就労許可の枠組みの中に持ち込む検討を開始した。その方向性に関する法務人権省イミグレーション総局との相互理解はすでに整っている。
ISCOでは世界にある436種の職業が四つのヒエラルキーに区分され、メジャー区分・サブメジャー区分・マイナー区分・ユニット区分に分けられている。メジャー区分に置かれているのは、管理職・専門職・技師などで、その下のサブメジャーには、たとえば専門職であれば研究員・保健専門家・教員などの職業がそこに含まれ、更に保健専門家のマイナー区分としては医師や看護師、そして医師の下位区分であるユニットには、医療活動従事者一般が含まれる。
企業の採用プロセスでインドネシア人の候補者がいた場合、会社が外国人を採用することを認めない方針を労働省はほぼ固めている。外国人の採用はグローバルレベルの職種や、募集に対して能力を持つインドネシア人がひとりも応募してこないといった状況に限って許可されることになりそう。
更に、外国人雇用に際してはインドネシア人勤労者よりはるかに大きい報酬が契約されるのが普通だ。専門能力を持たない外国人がインドネシアの会社に雇用された場合、その外国人に対する報酬は最低賃金を適用させるという方針もあがっている。専門能力のないインドネシア人はそう扱われているのだから、外国人にえこひいきをする必要はない、というのがこの方針の根拠だ。最低賃金で一年間を過ごした外国人や専門家はその方針から除外されるとのこと。