インドネシア「バゲージトラブル」情報


「コンパス紙への投書から」(2005年5月4日)
拝啓、編集部殿。2005年2月6日、わたしは午前10時50分のライオンエアー574便でジャカルタからスラバヤへ行きました。スラバヤへ着いてみると、わたしのトランクが開けられ、中に入れてあったまだ新品で箱に入ったままの携帯電話が無くなっているではありませんか。
もっとすごいことに、2月10日午前10時25分のライオンエアー575便でわたしがスラバヤからジャカルタへ戻った際、わたしのトランクはまた開けられていました。中には衣類しか入れていなかったので、今度は何も無くなっていませんでした。
ライオンエアーに乗ったわたしは往復ともトランクを開けられっ放しでした。ライオンエアー経営者がサービス向上、ボーナスプレゼント、その他もろもろのプロモーションを行ってもまるで意味はありません。乗客の荷物がバゲージ取扱いの場で盗まれている限りは。[ スラバヤ在住者、アプリルV ]


「空港のX線検査で手荷物が消失〜コンパス紙への投書から」(2006年4月3日)
拝啓、編集部殿。2006年1月19日、わたしは午前8時半スカルノハッタ空港発ガルーダ航空GA868便で団体を率いてシンガポールへ行くことになっていました。わたしが同僚ひとりと一緒に2EFターミナルに着いたのは午前7時10分ごろでした。わたしの荷物はトランク一個とバックパック一個です。そのバックパックには、会議の費用3千万ルピア、パスポート、会社の書類、財布などが入っていました。同僚はトランク一個とダンボール箱を二個持っています。空港へ到着したとき、ターミナルはまだ閑散としており、同僚が出発ロビーの入口に立ち、わたしが続き、そしてわたしの後ろにご夫婦がひと組並びました。入口を入ってから、わたしたちは荷物を全部、空港警備員が四人ほど番をしているX線透視装置に入れました。同僚のトランクとダンボール箱が透視装置の出口を塞いだので、後ろのひとの邪魔にならないようにわたしのトランクを同僚が取り、わたしはそれを手伝って一緒に紐をかける機械のところに持って行きました。ほんの15秒ほど過ぎてから、わたしは自分のバックパックがさっきまだX線透視機から出てきていなかったことを思い出しました。わたしがそれを取りに戻ったとき、そのバックパックは消え失せていました。空港警備員は暢気そうにわたしをなだめるのです。多分だれか他の乗客が持って行ったのだろう、と。
それを探してもらうよう警備員に頼み、自分もあたりを探し回りましたが見つかりません。結局わたしはこの事件を諦めることにしました。ただ、その事件にいくつかの不審な点があったことを、わたしはここで公開しようと思うのです。まだ閑散としている場所で、わたしが目を離しているわずか15秒の間に、しかもそれからまだ何分もたっていないついさっきの出来事なのに、だれがわたしのバックパックを持って行ったのかをその四人の警備員がだれひとりとして目にしなかったはずはありえません。まして、もしバッグパックを手にした者がロビーから外へ走り出たなら、それに気が付かないはずがないと思います。
X線透視装置周辺は空港内の監視カメラでモニターされていませんでした。空港の係員は、他人のバッグを間違えて持って行った人へのアナウンスを積極的に行おうとせず、わたしが頼んでやっとしぶしぶそれをしてくれました。警察に届けろということすらアドバイスしてくれません。不運なわたしはパスポートと現金をなくしたので出発できなくなり、会社の重要な任務を果たすことができませんでした。このようなことが外国人観光客に起こったら、いったいどうなるでしょうか?わが国の面子はいったいどこに向ければよいことになるのでしょう。こんなことはスカルノハッタ国際空港で頻繁に起こっているのだろうか、とわたしは不審でなりません。
空港管理者ならびに警備員は、わたしの体験に関心を持ち、乗客のための安全を高めるよう努めてほしいと思います。ほかの乗客の皆さんも、十分警戒されるように。[ 西ジャカルタ市在住、ダルマディ・ダルマワンサ ]


「ローコストキャリヤーに補償なし〜コンパス紙への投書から」(2006年5月1日)
拝啓、編集部殿。2006年2月19日、わたしはアダムエアーKI333便でデンパサルからジャカルタに飛びました。自宅に帰ってトランクを開けると、中がひっかきまわされていました。よく調べたらデジタルカメラが無くなっており、カメラのケースだけが残されていました。わたしは電話でアダムエアー本社に苦情しました。すると担当者は、高価なものをトランクに入れたわたしが悪いような言い方をするのです。四日たって、わたしはCGKカスタマーサービスマネージャー、アルシヤンティというサインのある詫び状をもらいましたが、損害の弁償はなにひとつありません。わたしはアダムエアーにがっかりしました。乗客の品物を盗むのでなく、乗客に最高のサービスをしなければならないのではありませんか?[ デポッ在住、ヒクマ・ワスフィ ]


「ローコストキャリヤーは無益なことをしない〜コンパス紙への投書から」(2006年6月10日)
拝啓、編集部殿。2006年3月6日、わたしは18時15分のジャカルタ発スラバヤ行きライオンエアーJT580便に乗りました。到着後、チェックイン時にわたしが預けたトランクが荒らされているのに気付き、調べたところデジタルカメラが盗まれていました。わたしは文書を作り、この件をジャカルタのライオンエアーにファックスで苦情しました。ところが、電話すると先方はわたしを避けようとするのです。
今日に至るまで、返事はもとよりわたしの苦情の受領確認すらありません。わたしはジュアンダ空港のライオンエアー受付にもコンタクトしてみましたが、かれらは苦情窓口の電話番号を言うだけです。そこへ電話したところ、それはファックスの番号でした。ライオンエアーの責任感はいったいどうなっているのでしょうか?たとえライオンエアーにわたしの紛失物を探すことができず、また弁償することもできないとしても、わたしに何らかの連絡をしてきて良いのではありませんか?客の苦情に対する返事も解決もなしにほったらかしにしておくのではなくて。
ライオンエアーは乗客とその荷物の安全と保安を保証するのがサービス提供者としての務めではないでしょうか。ライオンエアーは乗客のバゲージを盗む悪人を捕まえて厳罰を与えるよう、わたしは要求します。なぜならかれらは乗客に損害を与えるだけでなく、ライオンエアーのイメージをも損なっているのですから。[ 南ジャカルタ在住、フェリ・ムディヤント ]


「ともかく他人を非難せよ」(2006年8月14日)
西ジャカルタのチュンカレンにあるタマンパレム住宅地に住むヨフィタは、2006年7月6日午前9時20分ジャカルタ発のアダムエアーで母親とプカンバルに出発するため、スカルノハッタ空港に来た。チェックインカウンターでの手続きはコンピュータがエラーを起こしてうまく行かず、長い時間待たされたあげくマニュアルでの搭乗券発行となった。トランクをひとつ預けて、これもマニュアルで作ったクレームタグを受け取った。時間が迫っているためにふたりはあたふたと搭乗し、空の旅はこともなく順調に運んで目的地に到着。ところが預けたトランクが出てこない。どうやらプカンバルでなくジャンビに運ばれたらしいことが判明して、二人はバゲージ係りに届け出る。
「ああ、だったらそれは夕方にはこっちに届きますよ。」と言ったバゲージ係り担当者の言葉は例によってただの気休め。夕方は夕方でも、翌日の夕方にやっとトランクが届いた。おかげでこの旅行のスケジュールは大変更を余儀なくされ、プカンバルから他の町に行く予定が遅れたためにいくつかの行事がキャンセルされた。
やっと届いたトランクを空港に取りに行ったヨフィタは、アダムエアー側の誤送バゲージフォローの手際の悪さについて担当者に愚痴をこぼした。すると目が点になるような驚愕の言葉がアダムエアー担当者の口から出てきたではないか。「あなたがチェックインのときにちゃんと注意して見ていなかったから、こんなことになったんですよ。」「・・・・・・!?」


「世界では当たり前、イ_アでは非常識」(2006年9月4日)
2006年8月3日付コンパス紙への投書"Waspadai Bagasi AirAsia"から
拝啓、編集部殿。2006年7月13日から16日まで、わたしは家族みんなでバリへの休日に出かけました。航空会社はエアーエイシアを使いました。行きも帰りもバリにいる間も問題はひとつも発生せず、快適な休日を楽しむことができました。ところが予期せぬトラブルは、7月16日15時ごろ、ジャカルタのスカルノハッタ空港で起こったのです。バゲージピックアップで預けたトランクが出てくるのを待っていましたが、バリで買ったみやげ物を入れたトランク1個が最期まで出てこないのです。ベルトコンベアが止まり、他の乗客がみんないなくなったのに、そのトランクは影も形もありません。わたしはそこにいたエアーエイシアの職員に問題を訴えました。すると驚くべき返事が返ってきたではありませんか。「ここに職員はふたりしかいないので、お客さんの預けた荷物をすべてコントロールするのは不可能です。乗客は何百人もいるし、荷物の数も数百個なんですから。」それじゃあエアーエイシアに預けたトランクは、ベルトコンベヤから誰でも好きなように持って行けて、そのチェックもなされないということではありませんか。「どうして職員を増やさないのですか」とわたしが尋ねるとその職員は「その質問は上司にしてください。」と答えました。「その上司はどこにいるんですか?」とわたしが尋ねるとその職員はただ黙っているだけです。
不安と不満で途方に暮れたままおよそ半時間ほどそこで待っていると、出口の方からトローリーを押してひとがやってきました。なんとトローリーにはわたしのトランクが載っているではありませんか。そのひとは「知らずに車まで持って行ったんだけど、自分のものじゃないトランクが混じっていたので返しにきました。さっきはチェックする人がだれもいなかったもんで。」と言うのです。わたしのトランクからはバゲージタッグが取り払われていました。善意の間違いで起こった事故だっただけに、わたしはまだラッキーだったと言えるでしょう。故意に他人のものを持って行くような人間の手につかまれていたら、いったいどうなったことでしょうか。わたしはやっとバゲージを6個揃えて出口に向かいましたが、それらが本当にわたしのものであるかどうかをチェックする職員はいませんでした。エアーエイシアのマネージメントはどうなっているのですか?[ ボゴール在住、ジャウハリ・ムストポ ]


「飛行機に預けたバゲージが出てこない」(2006年9月12日)
2006年7月31日付コンパス紙への投書"Bagasi Hilang di LionAir"から
拝啓、編集部殿。2006年6月25日、わたしはメダンからジャカルタ経由でスラバヤに業務出張しました。わたしが乗ったのはメダン〜ジャカルタ間がライオンエアーJT381S便、そしてそのままジャカルタ〜スラバヤ間をJT587N便に乗り継ぎました。ジャカルタの出発が1時間遅れた後わたしは無事スラバヤに着き、バゲージピックアップに並びました。ところが最後の一個がピックアップされても、わたしのトランクは出てきません。ジュアンダ空港のライオンエアー地上職員に届け出ると、わたしの乗った飛行機にわたしのトランクは積まれなかったようだとの返事で、わたしのトランクを捜すことを約束してくれましたがもう一ヶ月を過ぎるのにいまだにそのトランクが見つかりません。わたしのトランク一個を探すことさえできないライオンエアーのプロフェッショナリズムにはとても失望させられました。他の航空会社と遺失物に関して比較してみたところ、荷物がなくなるのはライオンエアーが一番多いようです。航空券の価格が安くても、ライオンエアーはそれより大きな損失を乗客に与えるので、実にがっかりです。[ マラン在住、ユルファン・エフェンディ ]


「シンガポール航空に預けたバゲージ」(2006年9月25日)
2006年8月14日付コンパス紙への投書"SQ Tidak Tanggung Jawab"から
拝啓、編集部殿。2006年7月6日、わたしはシンガポール(星港)航空でフランクフルトからジャカルタに戻りました。SQ25便でシンガポールまで戻り、およそ2時間のトランジット後にSQ154便でジャカルタに到着しました。ジャカルタに着いたところ、ダンボール梱包したわたしのバゲージがひとつ足りないのです。星港航空職員はProperty Irregularity Report に記入するよう求め、フォローすると約束し、ジャカルタに届いたらわたしの家まで配達すると言いました。
夜中の24時15分、わたしの家の門がノックされ、プンバントゥが出て行くと名前は誰かと尋ね、ダンボールを渡して配達者はそのまま帰りました。翌朝わたしが起きてからそのダンボールを見ると、スカルノハッタ空港で見つからなかったわたしの荷物です。しかし状態はひどく損傷しており、ガムテープでなんとか箱の形を保っているありさまなのです。そして中味のムーンシャイン(わたしの蒐集品)、ビン入り香水数本、シャワージェル、チョコレートが姿を消していました。バイアルタイプの香水サンプルもカバーしか残されていません。この泥棒仕事は見上げたものです。残っていたのはサンダルとビスケット2袋だけなのですから。飛行機に預けたときには4キロあったこのダンボールが、うちに届いたときは1.9キロになっていたのも当たり前です。1.9キロというのは星港航空のバゲージお届けサービス伝票に書かれていた数字です。ところが奇妙にも、その伝票には受取人(プンバントゥ)の名前も受領時の状態欄もブランクのままで、配達者(PT Jasa Angkasa Semesta担当者)の名前も書かれていません。かろうじてサインから配達者:アリフ、ドライバー:バスキというように読めますが確信は持てません。わたしが星港航空に電話してバゲージクレームオフィサーと話したところ、相手はBaggage Claim Form に記入して提出してくれと言うので、わたしはその日のうちにファックスしました。一週間後にわたしが電話すると、調査結果はまだないとのことです。
およそ一ヵ月後にわたしはまた星港航空に電話しました。すると7月31日にわたし宛に文書を送ったという返事でしたが、その手紙はいまだに届きません。手紙の内容は、わたしのバゲージに関する調査結果に異常が見られないので、星港航空からわたしへの補償は何もないというものだそうです。いったいどこからそんな結論が引き出せるのでしょう。わたしはただ茫然となり、たいへん無念な想いに囚われました。わたしの手には星港航空が記載したデータがあるのです。フランクフルト空港で預けたときの重さ4キロ、そしてわが家へ送り届けられたときの重さ1.9キロ。星港航空は乗客の荷物に対してとても無責任です。[ 都内クラパガディン在住、スサンナ・ラムリ ]


「キャセイ航空でトランク紛失」(2006年11月28日)
2006年9月12日付コンパス紙への投書"Koper Hilang di Cathay Pacific"から
拝啓、編集部殿。わたしは2006年5月26日にスカルノハッタ空港からキャセイ航空CX718便で香港に向けてグループで出発しました。香港空港でバゲージを受け取ろうとしたところ、わたしのトランクは出てきません。空港職員に尋ねると、「とてもビジーな国際空港なので乗客のクレームタグとバゲージを逐一チェックするのは不可能です。」という返事でした。その返事はベルトコンベアに乗って出てくるトランクをチェックも受けずに持ち去ることができることを意味しています。かれらの一連の素朴な返事は責任の不在を示していました。わたしは遺失物係りに届け出てトランクの鍵を渡し、届け出書控えを受け取りました。ホテルに着いてからわたしは一時間置きに遺失物係りに電話し、見つかったら電話してくれるようにわたしの香港での携帯電話番号を知らせました。しかし連絡してくれると言ったにも関わらず、キャセイの職員は一度も連絡してくれません。結局5月30日、わたしはキャセイ航空の紛失バゲージクレームフォームに記入して無くなったトランクの内容物の補償を求めました。
8日間の香港滞在中、わたしは予定されていた公式行事に不適切な服装と外見で現われざるをえませんでした。6月3日にジャカルタに戻ってすぐ、わたしはスカルノハッタ空港のキャセイ航空に紛失問題を届け出ました。6月26日にわたしは6月13日付の手紙をファックスで受け取り、8月4日になってもキャセイ側はわたしが提出した紛失バゲージクレームフォームを探し出すことができず、8月18日まで何の連絡も寄越しませんでした。キャセイ職員のKさんは、責任者が休暇中で何も指示を受けていないから、とわたしの問題の処理に手を出しません。もう2ヵ月半が経過したというのに、キャセイ側のポジティブな問題解決の姿勢はまったく感じられません。わたしが提出したクレームフォームすらいまだに見つけることができないのですから。
キャセイ側は問題のフォローアップをしようともせず、損害を受けた乗客にただ「あせらないで待つように」というだけです。提出した書類すらどこへ行ったかわからないキャセイ側がいったいどうやって紛失したトランクを探せるというのでしょうか?[ ジャカルタ在住、メラニー・ウィタルサ ]


「乗客バゲージ泥棒団が捕まる」(2006年12月12日)
スカルノハッタ空港特別警察署は12月8日、飛行機の乗客が機内預けにしたバゲージから金目の物を盗んでいた泥棒団10人を逮捕した。この一味は年齢24歳から45歳までの空港荷物運搬作業員と航空会社の社員から成っており、二つのグループに分かれて泥棒仕事を一年以上行っていた。5人は機内に置かれた乗客バゲージから金目の物を盗み出すチーム、もう5人は航空貨物から金目の品物を抜き取るチームで、前者の狙いは乗客が飛行機に預けたバゲージの中にある宝飾装身具、カメラ、現金、携帯電話、ハンディカムなどであり、抜き取る際には刃物でバゲージを切り開いたりファスナーを押し開いたりしていた。
被害にあった乗客は自分のバゲージの状態を見ればすぐわかるため、たいてい航空会社にクレームするのが普通で警察への届出はほとんどなく、そのために盗難事件は頻発しているのに犯人が捕まらないという無法地帯が飛行場の中に出現していた。航空会社の中にはクレームに応じて補償するところもあるがそれは少数派で、ほとんどの航空会社は空港内セキュリティ責任を負っていないことを理由に盗難クレームには応じていなかったもよう。空港警察署長は、航空会社からの盗難届はいまだかつて一度も受け取ったことがないと述べている。今回の泥棒団摘発はたまたま被害を受けた乗客が空港セキュリティを介して警察に届け出たことで捜査が始まった。PT Gapura Angkasa のセキュリティスタッフが、11月10日のガルーダ航空パレンバン〜ジャカルタルート乗客の機内預けバゲージで現金250万ルピアの盗難があり、その犯人はポーター派遣会社から来ているハサヌディンである、と空港警察に届け出た。警察は駐機場での捜査活動が困難であることから身分不相応な生活をしている空港作業員をマークし、ひと月以上に渡って捜査を続けて今回の逮捕に漕ぎ着けた。
乗客バゲージを対象にしていたグループはまず獲物が入っているバゲージを見つけ出し、刃物でバゲージを切り開いたりファスナーを押し開いて金目の品物を抜き取り、故買屋に売り渡した金を分配して個人の収入にしていた。この5人は乗客が預けたバゲージを機内に整頓して並べる作業チームでいつも同じシフトで仕事しており、他人の目を気にしないで泥棒仕事が行えていたようだ。


「搭乗客バゲージ盗難エアーエイシア編」(2006年12月18日)
2006年11月13日付けコンパス紙への投書"Bagasi Air Asia Rusak dan Hilang"から
拝啓、編集部殿。わたしはジャカルタ発メダン行きエアーエイシアQZ7504便に搭乗するため、2006年10月29日12時半にスカルノハッタ空港でチェックインしました。フライトの出発時間は14時40分です。この航空会社はどうして二時間も早くチェックインをさせるのでしょうか?
わたしはメダンに着いてからおよそ3時間かけて自宅にたどり着きました。もう夜の21時でした。自宅でトランクを開こうとして鍵が壊されているのに気が付き、中味を調べたところお土産品が数個なくなっていました。翌30日にわたしはエアーエイシアに電話でこの事件を届け、31日にもクレームのために電話しました。そしてクレーム担当の電話番号を紹介されたのでそこへ電話しましたが、何度かけてもだれも出ません。再び前の職員に電話するとその職員は空港まで来て手続したほうがよいと言うのですが、そのためだけに往復6時間もかける気にはなれません。
あのように早いチェックインをさせるのはエアーエイシアが空港の貨物作業員に犯罪を行う時間を与えていることと同じです。もしそんな便宜を承知で犯罪者にチャンスを与えているのなら、アジア大陸を代表するような名前を使うのはおこがましいことです。損害届の硬直的な手続も含めて、わたしは今回の出来事があまりにもみっともないので外国の友人たちに話す気にもなりません。[ 北スマトラ州アサハン在住、アントニウス・アルフォンソ ]


「搭乗客バゲージ盗難アダムエアー編」(2006年12月21日)
2006年11月8日付けコンパス紙への投書"Isi Bagasi Lenyap di Adam Air"から
拝啓、編集部殿。アダムエアーに乗る予定の皆さんは十分警戒してください。バゲージが壊され、中味が一部盗まれ、しかしアダムエアーからはそれに関するなんの反応もないのですから。
スラバヤ発ジャカルタ行きアダムエアーKI0225便は理由も言わないで出発時間を何度も遅らせ、ジャカルタに着いたらそのままKI0112便としてメダンに向けて飛びました。ダンボールに入れて機内に預けたお土産の百本の傘は壊されて中味が抜かれていました。わたしはメダンでアダムエアー職員にその事件を届け出ました。29キログラムのこの荷物は重量超過ということで13万2千ルピアをスラバヤでチャージされたものですが、アダムエアー職員はそれを「あっちへ持って行け、こっちへ持って行け」と好き勝手に指示し、おまけに職員の姿が突然消えてなくなったりしました。そのアダムエアー職員はわたしが空港職員にお願いしたのでやっとわたしの前に姿をあらわし、激しい雨の中を出発ターミナルにあるアダムエアー事務所にわたしを連れて行きました。ところが、その事務所にいたアダムエアー職員6人も、何もしてくれません。乗客荷物異状届を提出させ、会社の電話番号とわたしの携帯電話番号を控えただけでした。それ以来、アダムエアーからわたしへの連絡は何ひとつありません。アダムエアーには乗客荷物の破損や盗難は乗客の責任という決まりでもあるのですか?[ スラバヤ在住、アグネス ]


「搭乗客バゲージ盗難続エアーエイシア編」(2006年12月26日)
2006年10月2日付けコンパス紙への投書"Kargo Air Asia Tidak Aman"から
拝啓、編集部殿。わたしは2006年8月30日にジャカルタからメダンにエアーエイシアで飛びました。9月1日にわたしがジャカルタへ戻る際にとても不愉快な事件が起こったのです。帰路も同じ航空会社をわたしは使いました。ジャカルタで機内に預けたバゲージをベルトコンベヤーから取ったところ刃物で切られた裂け目があり、またリュックサックも錠前が壊されていました。わたしの見解では、スカルノハッタ空港では飛行機からターミナルのバゲージピックアップまでの距離があまりにも遠いように思えます。メダンのポロニア空港ではその距離が近いので、エアーエイシアの貨物取扱い作業員はおかしなことをするチャンスがありませんが、スカルノハッタではそれが遠いためにチャンスはいくらでもあるように思えました。エアーエイシアはもっと厳しく作業を監督し、作業員の不正行為をなくすように努めなければなりません。社名を汚すようなことをする作業員は交代させ、乗客の荷物を守って会社の芳名を維持してほしいと希望します。[ 東ジャカルタ市在住、ロンダン・シバラニ ]


「飛行機バゲージの中味が盗まれる」(2007年3月2日)
2007年2月7日付けコンパス紙への投書"Maling di Bagasi Air Asia"から
拝啓、編集部殿。わたしは2007年1月10日ジャカルタ発11時30分のスラバヤ行きエアーエイシアQZ7212便に乗りました。バゲージはひとつだけです。スラバヤに着いてから、わたしはいつものようにコンベヤに乗って出てくるバゲージを待ちました。わたしのトランクが出てきたとき、ロックがこじり開けられた状態になっているのを見てわたしはとても驚きました。中を調べたところ、現金を入れた封筒がなくなっていました。わたしがエアーエイシアのスラバヤ空港職員にその場で苦情したところ、その職員は満足できる返事をするどころかわたしが悪いと非難するのです。災難にあった上にわたしが非難されるのですからこれはたまりません。職員はコンベヤ脇で、周囲に大勢のひとがいる中でわたしに応対しましたので、わたしは公共の場所でなく別のところで話したいと抗議しました。職員は不承不承わたしを小部屋へ連れて行きましたが、それは航空券販売窓口の中なのです。職員は同情的でなく、消極的で、このような盗難事件は日常茶飯事のことという感覚を示します。エアーエイシア側には乗客から預かったバゲージを安全無事に乗客に返す義務があるのではありませんか?
わたしは空港セキュリティ事務所にもこの事件を届け出ました。バゲージ積降しからターミナルのコンベヤに乗せられるまでを監視するカメラがないのかどうかを尋ねましたが、返事はありませんでした。この盗難に関する連絡はその後今日まで何一つありません。[ タングラン在住、アンデレス・フェリ ]


「キャビンクルーは盗賊団?!」(2007年4月11日)
2007年1月15日付けコンパス紙への投書"Sistem Keamanan di Lion Air"から
拝啓、編集部殿。わたしは2006年12月21日にマナドからジャカルタへライオンエアーで飛びました。マナド発は現地時間7時でスラバヤには現地時間9時15分に着き、そこでトランジットです。トランジット乗客は機内から出て手続きをしなければならず、キャビン手荷物はみんな機内に置いたまま外へ出ました。もちろんキャビンクルーと清掃員は機内です。わたしはバッグに置いたタバコを取るために機内に戻りました。そのときキャビンはもう開いていたのです。清掃作業は、キャビンを開け乗客手荷物も開けるというのがISOスタンダードなのでしょうか?わたしはそのとき、それは定常作業だと思ったのです。ところがそれは実際のところ、乗客の高価な持ち物を探るための共同作業なのでした。それはわたしの苦い体験がはっきりと証明しています。
わたしはバッグの中にラップトップを入れていました。そしてキャビンクルーが乗客のバッグを調べたあと、それがほぼ同じ重さの女性向け書籍にすりかえられていたのにわたしはまったく気が付きませんでした。なんという頭の良さでしょうか。わたしはジャカルタへ着いてからラップトップを使おうとしたときにはじめてその事実に驚ろかされたのです。
奇妙なことに、苦情受付(021)5594426に電話してもたいした反応は見られません。ライオンエアーのような大会社がTQM原理による顧客サービスを実施していないことがわたしには不思議です。それともISOという名前すら知らないのでしょうか?ライオンエアーを利用する乗客は注意が必要です。[ バンドン在住、アグス・スプリアッナ ]


「預けたバゲージもどこかへ飛んで行く」(2007年05月02日)
2007年2月26日付けコンパス紙への投書"Bagasi Terbang Bersama Garuda"から
拝啓、編集部殿。わたしは2007年1月9日18時ジャカルタ発バリッパパン行きガルーダ航空GA528便の乗客です。わたしはバゲージひとつを持って16時半にスカルノハッタ空港でチェックインしました。わたしはきっとアンラッキーだったのでしょう。飛行機がバリッパパンのスピンガン空港に到着したというのに、わたしのバゲージは空港の引渡し場所に現れませんでした。わたしはスピンガン空港バゲージ取扱い職員にクレームし、1月10日にはガルーダコールセンターにもその件で電話を入れました。しかし今日現在もいまだにそのバゲージの行方は杳としてわかりません。
2007年1月17日にわたしはジャカルタのガルーダ航空経営者宛てにクレーム状を送り、1月31日にバリッパパンのガルーダ航空ジェネラルマネージャーから返事の手紙をもらいました。その手紙によればわたしのバゲージは紛失バゲージにあたり、1995年政令第40号に従って航空券のカバーに記載されている通り1百万ルピアの補償が与えられるとのことです。ところがそのバゲージには非常に価値のある会社保有資産が入っていたのです。
規則にもとづいてですって?ガルーダは顧客に対して規則通りのことを行ったのですか?わたしの航空券にカバーがついていないのがその証拠です。その政令はいったいどこに書かれているのですか?航空券も英語で書かれた単なる一枚の紙っ切れです。ガルーダに乗る人間は英語が理解できなければならないとでも言うのですか?
国営航空なのに航空券はインドネシア語が使われていません。自己弁護、責任のなすりあい、サービス利用者の弱点を探し回って問題を広げる、そんなことをしなくてもいいです。問題の本質は単純なことです。ガルーダ航空のサービスを使ったときにわたしが所有するバゲージが紛失したので、わたしが損害内容を記したクレーム状にしたがってガルーダ航空がそれを補償するだけのことなのです。ガルーダのジェネラルマネージャー氏にそこまでの権限が与えられていないことはよくわかっています。だから、最初からわたしはガルーダ航空経営者宛てに直接クレームを出したのです。遺憾ながら、いまだにその回答はありません。乗客バゲージはガルーダフライトと一緒にどこかへ飛んで行ってしまうのですね。[ サマリンダ在住、ジャヌ・チャヒヨノ ]


「預けたバゲージが出てこない(1)」(2007年9月28日)
2007年8月20日付けコンパス紙への投書"Barang Hilang di Bagasi Batavia Air"から
拝啓、編集部殿。2007年6月22日、わたしは公共事業省の団体と一緒にクパン発ジャカルタ行きバタビアエアーJP−702便を利用しました。クパンのエルタリ空港でチェックインするさい、飛行機に預けるバゲージは少なくし、子供の結婚のための品々や会社の書類など重要なものは手荷物にして機内に持ち込もうとしました。ところがバタビアエアー職員はそれらの物をバゲージとして預けるよう求めるのです。キャビン持込手荷物は最大7キロまでだからと。
スカルノハッタ空港のバゲージチェックでは、結局預けたバゲージがふたつ出てきませんでした。すぐにバゲージの紛失届けを出すと、担当のスリヨノさんは紛失届け受領証を発行して「フォローするから」と約束してくれました。わたしは2日間待ちましたが連絡が何もないので6月24日にバタビアエアーに連絡したところ、先方はただ「待つように」と言うだけです。結局6月28日にわたしの子供が直接スリヨノさんに会いに行きましたが、スリヨノさんは「紛失バゲージの補償としてキロ当たり2万ルピアを払うが、もし気に入らなければバタビアエアー本社に直接クレームしてくれ。」と不快な声音で言い捨てたそうです。わたしの子供がその日バタビアエアー本社に確認を取ったところ、電話に出たユリアさんの返事は「わたしの紛失バゲージのことなど何も聞いていない。」というものでした。[ ブカシ市在住、リスティヤニ ]


「預けたバゲージが出てこない(2)」(2007年10月2日)
2007年9月21日付けコンパス紙への投書"Bagasi Hilang di Batavia Airlines"から
拝啓、編集部殿。2007年7月12日、わたしと母と叔母はメダン発ジャカルタ行きバタビアエアラインJP−592便に乗りました。いつもと同様、重くて硬いものはバゲージに入れました。わたしはこの航空会社に大きな信頼を寄せていたのです。ところが残念なことに、スカルノハッタ空港に到着した後わたしのトランクがふたつ出てきませんでした。わたしはバタビアエアラインに紛失届けを出しました。
最初はバタビアエアラインもよく対応してくれてわたしのトランクを探してくれましたが見つかりません。結局それらのトランクが見つかることを祈ってわたしたちはスカルノハッタ空港を後にし、バンドンに向かいました。ところが今日ただいまにいたるまで、わたしのトランクは出てこないのです。奇妙なのは、バタビアエアライン側が乗客のバゲージ紛失に少しも関心を抱いていないように見えることです。わたしが紛失したトランクの補償について尋ねたところ、キロ当たり2万ルピアだと言われて開いた口がふさがりませんでした。乗客が蒙った損失に対してそんな金額ではまったく釣り合いがとれないことをバタビアエアラインは考慮するべきです。わたしはバタビアエアラインに対して補償に関する再考を要請するとともに、空港でのサービス、特に到着後のバゲージピックアップでの保安を確実にするよう求めます。[ メダン在住、ファジャル・ラマダン ]


「預けたバゲージが出てこない(3)」(2007年10月3日)
2007年8月3日付けコンパス紙への投書"Bagasi di Batavia Airlines Hilang"から
拝啓、編集部殿。わたしは2007年7月11日にメダン発バタビアエアーJP596便でジャカルタへ飛びました。ジャカルタへ着いてみると、わたしのバゲージがありません。バタビアエアー職員に問い合わせると、遺失物係り職員は物品紛失届け受領書をくれて遅くとも3日から10日の間に探すと約束したのです。ところが10日を過ぎるとバタビアエアー職員(スリヨノさん)がわたしの荷物は紛失したと宣言し、補償はキロ当たり2万ルピアが支払われる、と言いました。わたしのバゲージは7キロだったので補償金額は14万ルピアです。物品紛失届けを出すときわたしはバゲージの中味が衣服と書類であると記載しました。わたしはなくなった書類の手続きを行うために北スマトラ州メダンへ行かなければなりません。その書類を発行したのはメダンにある役所なのですから。だとすれば、わたしが負担しなければならない費用と時間にその補償金14万ルピアがつりあっていると一体だれが思うでしょう。
だからこそ、わたしが体験したような乗客に損失を与えるできごとが将来再発しないよう、わたしは航空会社監督機関とバタビアエアー経営陣が現場従業員の業務を十分監視するよう要請します。わたしの体験がインドネシア航空運送の改善に役立つことを願っています。[ 東ジャカルタ市在住、トゥンパ・シンボロン ]


「怒りまくると得をする」(2007年10月10日)
2007年8月13日付けコンパス紙への投書"Penerbangan Ditunda, Koper Tertinggal"から
拝啓、編集部殿。わたしはマタラムでの会議に出席するよう会社から命じられましたので、2007年7月5日19時45分ジャカルタ発GA432便で出張することにしました。7月4日にガルーダ航空から電話があり、「18時45分までにチェックインしなければキャンセルされたとみなす」と通知されましたので、当日わたしはバンドンを14時に出発してトラベルでスカルノハッタ空港へ向かいました。到着したのは17時半でした。チェックインしようとすると、マタラム行きガルーダ便は出発が21時に延期されたという案内がありました。その後また延期の案内があり、22時15分出発だと知らされました。ガルーダは21時半になってやっと夕食を用意してくれましたが、わたしもほかの乗客も自分で食事を済ませたあとでした。二度も出発が遅らされたので、わたしはガルーダ航空カウンターへ尋ねに行きましたが返事は理解に苦しむものでした。ガルーダ職員が言うにはホリデーシーズンなのでフライトがたくさん増やされたためだとのことですが、そんな返事を聞かされるとは思ってもみなかったので、まるで狐につままれた思いでした。結局飛行機は飛び、わたしはマタラムに着きましたが到着したのはなんと午前1時でした。わたしは午前6時から業務に就かなければならないというのに。
わたしをもっと不愉快にさせたのは、わたしのトランクが一緒にマタラムまで運ばれなかったことです。翌日わたしはジャカルタのガルーダ航空に電話しましたが、がっかりさせられました。わたしのトランクがなくなったのかそれともまだジャカルタにあるのか、ガルーダ側はなにもつかんでいないのです。翌日午前1時半にガルーダから連絡があり、わたしのトランクはジャカルタに残されていたことがわかりました。その日の夜にやっと自分のトランクが手に入りましたが、わたしと同じフライトで来た別の人もトランクが運ばれなかったという目にあったのです。ところがそのひとは怒りまくったのでガルーダはすぐに弁償金を渡していました。[ バンドン在住、ビンタン・パサリブ ]


「バゲージ荒らしが逮捕される」(2007年11月14日)
3年前からスカルノハッタ空港で機内に預けた乗客のバゲージを荒らしていたグループが首都警察スカルノハッタ国際空港署に逮捕された。逮捕されたのは総勢25人で、全員がバゲージを取り扱う仕事をしていた。言ってみれば、盗人に金庫の鍵を預けていたようなもの。2006年にも乗客バゲージに手を出していた空港貨物取扱いサービス業者従業員10人が逮捕されているが、世に盗人のタネは尽きないようだ。
今回逮捕された盗人25人はバゲージ運搬係、機内にバゲージを送り込む係、機内でバゲージを整頓する係などで、特にガルーダ航空、エアエイシア、バタビア航空のフライトをメインにバゲージ荒らしを行っていた。それらのフライトは国内線だけとは限らず国際線でも被害が出ており、また出発便ばかりか到着便でも犯行が行われていた。空港警察がこの職場丸抱えの盗賊団を摘発したのは、去る2007年10月25日に乗客の荷物から盗んだとおぼしき貴金属製ネックレスとブレスレットを持っていた勤務中のI,J,Rの三人が捕まったことに端を発する。警察の捜査が進展する中で、同空港の乗客荷物を取り扱っている四つのグループが乗客の預けたバゲージの中から金目の品物を盗んでいることが判明した。Pがチーフを務める5人のチームはガルーダ航空のバゲージが担当で、Iのチーム4人はエアエイシア担当、PSの11人のチームはバタビアエアーを担当していた。国内線では乗客がチェックインの際に預けたトランクが貨物取扱いエリアに送られてからかれらの二股仕事が始まるのが普通で、一方国際線では機内バゲージスペースに乗客のトランクを並べる際に二股仕事が行われていた。かれらは錠前などには手も触れずにファスナー式トランクやバッグのファスナー部分をボールペン一本でこじ開け、金目の物を中から取り出したあとふたたびファスナーを合わせて何事もなかったかのように装わせ、トランクやバッグの持ち主が空港では犯行に気付かず家やホテルで中を開いてはじめて被害を知るという手口をわがものとしていた。かれらが乗客のバゲージから盗んでいた品物は貴金属製装身具や宝飾品、化粧品、現金、携帯電話などで、盗品はTRがチーフになっている5人のチームが買い取っていた。
逮捕された容疑者たちは、給料があまりにも安かったため、と取調官に言い訳をしており、数年働いた熟練作業員でも給料は月70〜90万ルピアで、それではまともな暮らしができない、とかれらは犯行の必然性を強調している。新人がかれらのチームに配属された場合、最初からチームの二股仕事に加担する新人はいないものの先輩たちはそんなことにはおかまいなく金をわけてくれる。そうこうしてしばらく時間がたつと、先輩のだれが命じるというわけでもないのに新人たちも二股仕事に手を染めるようになるとのこと。人間を腐敗堕落させる実にソフィスティケートされた巧みな手口がそこでは演じられているようだ。
ファスナー式ソフトタイプ旅行ケースはインドネシアできわめてリスクが高いためハードケースのものを探すのだが、不思議なことにここ数年間ジャカルタではどこのトランク売り場を訪れてもハードケースが急激に減少してファスナータイプのソフトケースにとって代わられている。空港でのバゲージ荒らしが増加している一方で、旅行用ケース市場がその犯罪をやりやすくする方向へ動いているという状況をわたしたちはどのように理解すればよいのだろうか?


「バゲージ破り:ケース1」(2007年11月14日)
2007年9月25日付けコンパス紙への投書"Kebobolan Bagasi di Lion Air"から
拝啓、編集部殿。2007年9月6日、わたしはメダンでの業務を終えてメダン発16時20分ジャカルタ着18時40分のライオンエアーJT383便でジャカルタへ戻りました。しかし天候不良のため出発が遅れ、機内への搭乗は17時45分になりました。フライトは順調快適でしたが、残念なことにジャカルタ到着後のサービスの悪さがその快適さを帳消しにする汚点となりました。メダンでチェックインの際にわたしは緑色の大型トランクを機内預けにしました。ジャカルタに着いてそのトランクを受け取る際、そのトランクのファスナーが大きく開いているのに気が付きました。メダンで預けるときにはぴったりと閉まっていたのです。その中には家の鍵、メガネ、フラッシュディスクなどを入れておいたので、わたしは驚いてしまいました。わたしはすぐに遺失物係に届け出ました。こぼれ出た中味が見つかるよう、わたしは天にも祈る思いでした。遺失物係がセキュリティに連絡してくれて鍵とメガネは見つかりましたが、データの詰まったフラッシュディスクは出てきません。夜も遅くなったのでわたしは帰宅しました。
家についてからトランクの中味を全部調べたところ、内部が切り裂かれていてLCDプロジェクターは元通りの位置に収まっていましたがデジタルカメラと携帯電話機用充電器がなくなっていました。翌9月7日、わたしはその内部が切り裂かれたトランクを持って再びライオンエアーの遺失物係に届け出ました。金額的にたいした損失ではないでしょうが、わたしはそれらの品物が見つかることを願っています。わたしが体験したことがらは明らかに犯罪行為であり、ライオンエアーに対するわたしの信頼が崩れ去ったことは残念です。[ ジャカルタ在住、アルベルトゥス・ヌグロホ ]


「バゲージ破り:ケース2」(2007年11月14日)
2007年10月27日付けコンパス紙への投書"Rokok di Bagasi Pesawat Ditukar"から
拝啓、編集部殿。2007年10月8日23時25分、わたしはカタール航空でスカルノハッタ空港からアブダビに向けて飛び立ちました。ドハでトランジットし、別のフライトに乗り換えました。この旅行中、わたしはキャビンにバックパックをひとつ持ち込み、中型のトラベルバッグを機内に預けていました。
アブダビ空港に到着してからわたしは自分のトラベルバッグがコンベヤで出てくるのを待ちました。そしてそのバッグのファスナーが壊れており、錠前もなくなっていることにわたしは愕然としました。中味を調べたところ、中に入れてあったマルボロ煙草2ケースが無くなっており、奇妙なことにグダンガラムが4箱入っていたのです。もちろんわたしはグダンガラムをそこに入れていません。グダンガラムが入っていたことから、わたしはそれがスカルノハッタ空港で行われたに違いないと推理しました。それがドハ空港で行われた可能性がないわけではありませんが、ドハでグダンガラムをそこへ入れる可能性はきわめて低いように思えます。2007年9月28日にジャカルタからメダンに戻った叔母から得た情報もそれを裏付けるようなものでした。叔母もトランクの脇を刃物で切られていたのです。叔母は預けたトランクをメダン空港で受け取ったときにそれを見つけました。
インドネシアの空港当局は空港内を行き交う乗客や乗務員に対するセキュリティをかなり厳しく実施していますが、自分の使っている職員や空港全体の保安運営を十分に行えていません。乗客の荷物を調べる必要があるのなら、乗客がそれを預ける前に行えるではありませんか。トランクを傷つけ壊すのはバンダリズムです。出国ホール入り口にはスキャン機器まで備えられているというのに。[ ジャカルタ在住、ボイク・ハスドゥガン ]


「シンガポール航空でトランク破損」(2007年11月30日)
2007年10月15日付けコンパス紙への投書"Koper Rusak di SQ"から
拝啓、編集部殿。わたしはインドのハイデラバードからシンガポールへSQ439便で飛び、そこからSQ952便で8月19日朝にジャカルタへ戻りました。ところがスカルノハッタ空港でわたしのトランクが出てきません。わたしだけでなくハイデラバードからジャカルタへ来たインド人三人も同じ目に遭っていました。遺失物係に届け出ると、家に帰るように言われました。数時間後にJAS Airport Serviceがわたしのトランクを自宅まで送ってきました。しかしわたしのトランクは前輪が折れ、裏側も10センチの幅で破れていたのです。わたしがバゲージクレームオフィサーに連絡するとあっさりと損害補償を拒否されました。受け取ったときトランクは良好な状態であり、また施錠されていたというのがその理由です。しかしわたしが受け取ったとき、前輪が折れていてもう引っ張ることはできない状態であることをわたしは確認しています。トランクの裏側が破れていたのを知ったのは、中味を全部出したあとです。中にあったはずのカメラと香水が無くなっていました。抗議の手紙を送るとバゲージクレームオフィサーは壊れたトランクの修理費を負担しましょうかと申し出ただけです。
いつも時間厳守でサービスもよいとの定評を得ている世界有数の航空会社であるSQの高名は証明されませんでした。わたしはSQから一方的に損失を蒙ったのです。SQの高名は利用者の保安と快適さを保証するものではありませんでした。[ ジャカルタ在住、フェロニカ・サントソ ]
2007年11月8日付けコンパス紙に掲載されたシンガポール航空からの回答
拝啓、編集部殿。10月15日のコンパス紙に掲載されたフェロニカ・サントソさんの投書に関してお伝えしたいと存じます。当方はフェロニカさんのトランク取扱いに関わった全関係者に対する調査を掘下げて実施しました。当方が入手した報告によれば、そのトランクはフェロニカさんの自宅に送られ鍵がかかった良好な状態で引き渡されました。
航空法規に従って航空会社は乗客のバゲージの中の物品評価を行うことができません。空港の弊社職員はフェロニカさんに対し、壊れたトランクの修理を行うことを申し出ています。


「スラバヤ空港にもバゲージ荒らし」(2008年2月12日)
2007年11月3日付けコンパス紙への投書"Keamanan Bagasi Garuda"から
拝啓、編集部殿。2007年10月19日にわたしども一家は13時発のガルーダ航空GA317便でスラバヤからジャカルタに飛びました。そのときわたしどもは実に不愉快な体験をすることになったのです。
わたしは11時52分にジュアンダ空港第4カウンター(ガルーダチェックイン)でチェックインを終えました。旅行バッグは空港職員が規定に従ってガムテープでしばり、わたしはさらにファスナーに南京錠をかけて万全をはかってからバゲージに預けました。バッグがバゲージ側に入ったのは12時5分ごろです。そのときわたしはバッグの中に貴重品の入った小型バッグを入れたままにしてあることを思い出しました。小型バッグには指輪などの貴重品やかなりの額の現金が入っているのです。わたしは旅行バッグからそれを出そうと思いましたが、チェックインカウンターには乗客の長い列ができていたので思い直し、バッグにはカギをかけてガムテープで縛ってあるから大丈夫だろうと考えてそのままにしてしまいました。それが大きな不覚だったことはあとで実証されたのです。
わたしどもはそのまま8番ゲートに向かい、搭乗時間を待ちました。飛行機は定刻の13時に出発し、ジャカルタには14時20分に到着しました。わたしの旅行バッグがスラバヤで預けたままの状態でターンテーブルに出てきたのを見て、わたしはホッとしました。ガムテープもはずれておらず、南京錠もまだ付いています。ところが家に着いてバッグを開いたとき、わたしの不安は現実のものとなったのです。わたしは現金や貴重品を入れた小型バッグを衣類の中に埋めたはずなのに、それが衣類の一番上に置かれているではありませんか。それに手を触れたとたん、それが空っぽであることがすぐにわかりました。わたしはすぐにスカルノハッタ空港のバゲージクレームに届け出ようとしましたが、第三者を納得させるだけの十分な証拠がないことに気付いて取り止めました。
空港の内情に詳しい友人たちに尋ねたところ、わたしの旅行バッグはジュアンダ空港の悪徳職員にとっておいしい餌であることがわかりました。12時10分から12時30分に搭乗が開始されるまでの短い時間に迅速に手際よく泥棒は仕事をしたのです。それほどうまく泥棒仕事ができるということは、それが集団で組織的に行なわれていることが容易に推察できます。どのバッグに金目のものが入っているのかがかれらには最初からわかっているような手際よさです。一方われわれ乗客は、預けてしまったバゲージの運命がどうなるかをフォローすることがまったくできません。
盗まれたわたしの所有物が戻ってくるのはありえないことをわたしは自覚しています。わたしはただ、他の乗客がこのような被害を蒙らないことを望んでいるのです。ジュアンダ空港ならびにスカルノハッタ空港当局およびガルーダ航空がこのような悪事を放置しないだけの感受性を持ち、10月19日のジャカルタ行きGA317便でバゲージを取り扱った悪徳職員に対して取調べを行なってほしいと願っています。クオリティの落ち尽くしたインドネシア航空業界が空港に巣食うかれら悪徳職員の悪事で国際社会からますます劣等視されるのを少しでも改善できるよう、消費者として希望しています。[ ジャカルタ在住、トリダヤント ]


「バゲージ荒らしが国際線にも」(2008年10月28日)
2008年5月7日付けコンパス紙への投書"Bagasi Penerbangan Internasional"から
拝啓、編集部殿。スカルノハッタ空港から国際線フライトを利用しましたが、シンガポール航空を使ったにもかかわらずわたしのトランクは2回とも錠前を破られました。1回目はスカルノハッタ空港に到着したときで、わたしのトランクのファスナーのつまみを固定するナンバー錠が壊されており、南京錠でつなぎ合わせた二個のつまみはどこへでも自由に動かせる状態になっていました。そしてファスナーの端は10センチほど開いていたのです。泥棒の手がトランクの中を好きなように探りまわったにちがいありません。
2回目はスカルノハッタ空港から出発したときで、オーストラリアのメルボルンに到着したあと、わたしのトランクはもっと手荒にレープされていたことがわかりました。南京錠は金属カッターで切られており、トランクは誰でも自由に開ける状態になっていたのです。国際線といえども、バゲージは本当に安全なのでしょうか?インドネシアで販売されているトランクはほとんどすべてがファスナータイプで、そのつまみをナンバー錠のついた固定金具に止める方式になっています。このタイプのトランクは保安上の弱点を持っており、ファスナー自体の弱さに加えて固定金具のリングが十分にカバーされていないため折り曲げたり折ったりするのも簡単なのです。
ボールペンの先端やなにか尖ったものを差し込めば鍵は容易に開くので、トランクの中に金目のものは一切置くことができません。そんなことをすれば機内にバゲージを並べる作業員たちの餌食になるのは明らかです。スカルノハッタ空港の運営管理を行なっているアンカサプラは乗客の持ち物に対する保安を向上させるようお願いします。[ メルボルン在住、トニー・シダルタ ]


「不運が重なれば取り返しがつかない」(2008年11月27日)
2008年5月26日付けコンパス紙への投書"Keteledoran MAS Bagasi Hilang"から
拝啓、編集部殿。わたしのバゲージ紛失に対する責任をマレーシア航空に真剣に取ってもらいたいと願っています。去る三月にわたしはジャカルタからインドへの往復旅行をしました。2008年3月5日にジャカルタを出発し、3月9日にインドから帰国したのです。ところが帰りのフライトで遅延が起こったためにとんだ災厄がわたしを襲いました。
グループリーダーはどうしてもその日のうちにジャカルタへ帰ることを主張して、そのための対策を努力しました。そしてわたしたちはジェットエアウエイズに乗り換えてチェンナイからクアラルンプルに飛びました。グループの中にマレーシア国籍のメンバーがいたのです。
ジャカルタに戻ったとき、わたしのバゲージが出てきません。それでわたしは3月10日にガプラアンカサ空港サービスに対してバゲージ紛失を届け出ました。届出を出したのはグループリーダーのロサナ・デウィ・ラフマワティとわたし、エルサ・スサンティのふたりでした。届出は受領され、担当職員は紛失バゲージを探す間落ち着いて待つように、そして見つかったら届出の中に書かれてある電話番号と住所に連絡が行く、と説明してくれました。
数日後、ロサナ・デウィのバゲージがソロに送られたが、エルサ・スサンティのトランクはまだ見つからないというニュースをわたしは耳にしました。ガプラアンカサ職員の話では、わたしのトランクによく似たものがあったのだが、持ち主はエルサ・スサンティでなくサロジニ名義だったということでした。サロジニはやはりわたしたちグループの一員です。どうやらインドのマレーシア航空職員がサロジニのラベルをわたしのトランクに貼ったに相違ありません。名前が違っているためにクアラルンプルのマレーシア航空はガプラアンカサからのリクエストに応じることを拒否しました。
わたしがジャカルタのマレーシア航空にコンタクトして事情を説明すると、かれらはクアラルンプルに事情を説明してくれると約束し、しばらく待つようわたしに言いました。一週間待ちましたが連絡がないためにわたしのほうから再度コンタクトすると、進展は何もないと言ってOHD KUL9W1132というリファレンス番号をくれました。翌日わたしがクアラルンプルのマレーシア航空に電話したところ、夢にも思わなかった結末を耳にすることになったのです。わたしのトランクはなんと既にチェンナイに送り返されていて、わたしが得たのは新しいリファレンス番号KUL9W11134だけでした。空港職員の不注意な仕事のせいでわたしはこのようにもてあそばれ、大損害を蒙っているのです。[ デポッ在住、エルサ・スサンティ ]


「バゲージ破りの手口も日進月歩」(2009年5月14日)
2008年10月5日付けコンパス紙への投書"Gembok Bagasi Garuda Diganti"から
拝啓、編集部殿。2008年9月9日14時20分、クアラルンプル発ガルーダGA821便でジャカルタに戻ったわたしはバゲージ破りの被害者にされました。家に着いてから、トランクにかけていた赤い南京錠が黄色い安物に替わっていたのに気付いて驚いたのです。
乗客が自分のトランクにかけた南京錠をどんな鍵ででも簡単に開く安物南京錠と取り替えるバゲージ破りの新手口が開発されていたのです。一度破ったバゲージにその安物南京錠をつけておいて、空港では乗客が破られたことに気付かないようカモフラージュする新しい心理作戦なのです。飛行機乗客の荷物のセキュリティを担当している関係者に対し、この犯罪への対応を図るようわたしは要請します。
犯人はX線透視でわたしのバゲージの中に貴重品があることを知ったのでしょう。わたしは銀製装身具をトランクの中に入れておいたのです。ガルーダ航空責任者と空港警備当局は、この問題に関心を払ってください。[ タングラン在住、プルワニンシ・スティアルティ ]


「機内からバゲージを全部おろさない航空会社」(2009年5月29日)
2008年10月26日付けコンパス紙への投書"Koper raib di Merpati"から
拝啓、編集部殿。わたしと妻は2008年9月6日にデンパサルからクパンにムルパティ航空MZ680便で飛びました。ジャカルタからのガルーダ機が到着したとき、すぐにチェックインを済ませて出発の2時間前に待合室で待つように言われました。
クパンのエルタリ空港に着いたとき、わたしのトランク2個が見当たらないので空港のムルパティ職員に届け出ましたが、満足できる対応が得られませんでした。そしてクパンのムルパティ航空事務所マネージャーの携帯電話番号をもらいましたが何度かけても反応がなく、SMSも送りましたが返信がありません。不満が頂点に達したので、クパンでの結婚式に列席するために持参した衣装や道具類が入っているわたしのトランクを探しに機内に入ろうとしましたが、空港警備員に阻まれてしまいました。結局わたしたちはクパンで買ったありきたりの服装で結婚式に出ることを余儀なくされたのです。9月7日にデンパサルに戻るさい、ムルパティ航空空港職員がわたしのトランク2個を差し出し、わたしが乗ってきた飛行機の中に残っていたと説明しました。わたしが機内をもう一度チェックするよう提案したのにそれを受け入れようとしなかったムルパティ航空職員の姿勢にわたしは大いに不満を感じています。到着ロビーと飛行機とはほんの数メートルしか離れていなかったというのに。[ スカルノハッタ空港警察署長、グントゥル・スティヤント ]


「作業者もクルプッが食べたいのだ」(2009年6月2日)
2008年10月26日付けコンパス紙への投書"Kerupuk di Bagasi Pesawat Batavia"から
拝啓、編集部殿。2008年10月3日、わたしはパレンバンのスルタンバハルディン空港18時15分発ジャカルタ行きのバタビア航空に乗りました。バゲージの重さをはかるとき、パレンバン名物のクルプッ(揚げせんべい)をキャビンに持ち込んではだめで、専用の場所に置くために預けなければならないと言われました。いったいいつからそんな規則になっているのかわかりませんが、あんな軽いものをどうしてキャビンに持ち込めないのでしょうか?
ジャカルタに着いてバゲージが出てくるのを長い間待っていると、箱が大きく破られたわたしのクルプッがやっと出てきました。中味を調べると袋の数は減っていないのでわたしはそのまま帰宅しました。家でそのおみやげをみんなに分けようとしたところ、底のほうにある袋がひとつ開けられて中味が半分ほどしか残っておらず、サンバルも無くなっています。バゲージの出てくるのが遅かったのは乗客のバゲージを取り扱っている作業員が乗客のクルプッの箱を破ってぶしつけにもそれを食べていたからなのです。
クルプッの袋ひとつのために箱を破り、持主に中の袋がこぼれないよう手間をかけさせたその自己中心的な所業にわたしはたいへん不快を感じます。[ パレンバン在住、ウェニ ]


「キャセイ航空でもバゲージ破り」(2009年7月28日)
2008年12月23日付けコンパス紙への投書"Barang Hilang di Cathay Pasific"から
拝啓、編集部殿。これは2008年11月1日にわたしが体験した出来事です。わたしは数人の同僚たちと共にサンフランシスコから香港を経由してキャセイパシフィック航空でジャカルタに飛びました。サンフランシスコ〜香港はキャセイ航空CX873便、香港〜ジャカルタはキャセイ航空CX777便でした。
サンフランシスコでのチェックインの際にわたしのバッグは完璧な状態であり鍵も正しくかかっていたというのに、スカルノハッタ空港でバゲージをピックアップしたときそれは破れていてガムテープが適当に貼られていたのです。バッグの中味を調べたところ、腕時計5個が見当たらず、土産物の入ったプラスチックバッグが破られて中味が紛失しているのに驚きました。
わたしはすぐにスカルノハッタ空港職員に事件を届け出てdamaged property reportを作成し、損害状況を示す写真も撮影されました。それらは航空会社に届け出るためだそうです。いまは乗客バゲージの積み降ろしがすべて監視カメラで撮影されていると空港職員は言いましたが、積み降ろし作業員を全員呼んでわたしのバゲージについて問いただしても、それに関する情報を申し出た者はだれひとりいませんでした。結局空港職員は航空会社に話しに行くようわたしに奨めましたのでわたしはそれに従いましたが、キャセイ航空職員は「サンフランシスコと香港でチェックするからしばらく待つように」とわたしに言ったきり、もう一ヶ月が過ぎるというのに何の連絡もありません。
キャセイ航空側はわたしのバッグの破損とその中の荷物の紛失について、航空券に記載されていないので補償出来ない、と言いました。しかしわたしはサンフランシスコのチェックインで係員に対し腕時計や割れ物が入っているという申告を行い、係員はわたしのバッグにFragileステッカーを貼りましたが、航空券にそのことが記載されたかどうかについてその係員はわたしに何も言わなかったので、わたしには知りようがありません。わたしはキャセイ航空にバッグの破損と荷物の紛失の責任を取るよう求めます。空港管理会社と空港警察に対しては、わたしが体験したような乗客バゲージピックアップのさいの紛失や破損は一度や二度のことではないはずなので、このような犯罪をなくすようフォローアップを求めます。[ ジャカルタ在住、トトッ・プリアント ]
2009年1月22日付けコンパス紙に掲載されたキャセイパシフィックからの回答
拝啓、編集部殿。2008年12月23日付けコンパス紙に掲載されたトトッ・プリアントさんからの投書についてお知らせします。当方はトトッ・プリアントさんにコンタクトし、苦情の解決に関する合意に到達しました。不快な体験についてお詫び申し上げます。[ キャセイ航空空港マネージャー、アリ・スルヤダルマ ]


「会社業務で客にチップを求める職員」(2010年2月18日)
2009年5月27日付けコンパス紙への投書"Bagasi Lion Air Hilang dan Uang Rokok"から
拝啓、編集部殿。2009年5月1日、プカンバルに出張を命じられたわたしはジャカルタからライオンエアーJT388便に乗りました。プカンバルに着いたら、航空会社に預けたわたしのバゲージがないのです。ライオンエアーのプカンバル事務所に届けるとかれらはジャカルタからの最終便が着くまで待つようにと言いました。最終便が着いたあともわたしのバゲージは見つかりません。
その結果、わたしのプカンバルでの業務が果たせなくなりました。わたしの仕事に必要な機材は預けたバゲージの中に入れてあったのです。結局わたしは別の航空会社でジャカルタに戻りました。
2009年5月10日ライオンエアーから、わたしのバゲージが見つかったので会社に届けるとの連絡がありました。ところがまったく主客転倒したおかしな話がついてきたのです。バゲージ紛失でわたしがもっとも損をしたというのに、わたしのバゲージを会社に届けに来たライオンエアー職員はわたしに金を払うよう求めました。タバコ代だと言って・・・。[ ジャカルタ在住、ハリヤディ ]
2009年6月2日付けコンパス紙に掲載されたライオンエアーからの回答
拝啓、編集部殿。ハリヤディさんからの2009年5月27日付けコンパス紙に掲載された投書について次の通りお知らせします。当方は投書の内容をフォローし、直ちにハリヤディさんの指摘したライオンエアー職員を調査しました。今後も会社業務規定に対する違反が見られたなら、当方はその職員に対して措置を取る所存です。[ ライオンエアー総務担当取締役、エドワル・シライッ ]


「二度と会えない紛失バゲージ」(2010年5月28日)
2010年3月23日付けコンパス紙への投書"Mengurus Bagasi Raib di AirAsia"から
拝啓、編集部殿。わたしは2010年2月8日にデンパサルからバンコックへエアエイシアで飛びました。フライトナンバーFD3678、ブッキングコードはD2FMBFです。わたしは二日前にインターネットチェックインを行い、黒いビニールバッグに入れたバックパック1個をタグ番号LS51を付けて当日9時50分ごろ空港で渡しました。バンコックに到着したところ、わたしのバゲージが出てきません。わたしはバゲージ紛失届用紙に名前とFABC−OSCミーティング中に宿泊するホテル名を記入しました。2月8日から12日までのバンコック滞在期間中わたしはほとんど毎日エアエイシアに電話しました。どうやら空港職員がわたしにくれたエアエイシアの電話番号はコールセンターだったようで、電話するたびに別人がわたしに応対するのです。その結果毎回最初から説明のやり直しでした。不思議なのは、エアエイシア側からわたし宛にわたしのバゲージ探しの進捗状況を知らせる電話が一度も来なかったことです。ミーティングが終わって2月12日にわたしはデンパサルに戻り、13日に自宅に帰りました。デンパサルからマウメレに戻るとき、わたしはデンパサルのエアエイシア事務所に立ち寄って尋ねると、バゲージ探しは7日間行なわれると言われました。そしてエアエイシアはその結果をEメールで連絡するとも。
ところがその後エアエイシアからわたしへの連絡は何ひとつなく、2月15日以来わたしは毎日エアエイシアのIndo GuestSupport@airasia.comにEメールを送っていますがインボックスが常に満杯でわたしのメールが入っていきません。www.airasia.comのホームページにも書き込んでみましたが、反応はまったくありません。[ 東ヌサトゥンガラ州マウメレ在住、ジョン・アンドリュー・プライアー ]


「紛失バゲージが見つかったら中味が紛失していた」(2010年5月31日)
2010年4月27日付けコンパス紙への投書"Isi Bagasi di Lion Berkurang"から
拝啓、編集部殿。2010年3月30日、わたしは妻とふたりでライオンエアーを利用し、西カリマンタン州ポンティアナッから南スマトラ州パレンバンにスカルノハッタ空港経由で飛びました。パレンバンに着いたとき、わたしのバゲージは紛失していました。
わたしのバゲージは4月2日に見つかりましたが、最初15キロあった荷物は5キロになっていました。10キロほどのわたしの荷物はどこへ行ったのでしょうか?ライオンエアーの説明と責任を求めます。[ 南スマトラ州在住、パウルス・フェルナンデス ]


「形ばかりのお手伝い」(2010年6月16日)
2010年5月10日付けコンパス紙への投書"Hilang di Bagasi Lion Merepotkan"から
拝啓、編集部殿。2010年4月10日、わたしはバタム発のライオンエアーでジャカルタ経由スマランまで飛びました。バタムでのチェックイン時にトランクとお土産の入ったダンボール箱をスマランまでのバゲージに預けました。ところがスマランに着いたらダンボール箱がありません。バゲージ紛失届を出すと、係員がお手伝いしますと約束してくれました。
わたしは何度も電話しましたが、返事は「いま探している」という言葉だけ。4月14日にバタムで置き去りになっていたダンボール箱が見つかったという連絡をもらいました。それがスマランに届いているから受け取りに来るようにとの話で、わたしはスマランのアフマディヤニ(Ahmad Yani)空港へ行きましたがそれはわたしのものではありませんでした。
ジャカルタのライオンエアーに電話するとバゲージ紛失届はカスタマーケアに連絡するようにと言われたのですが、カスタマーケア担当者は別の電話番号に電話するように言います。ところがその電話にはだれも出ませんでした。ライオンエアーのバゲージに預けたわたしの荷物がなくなったというのに、わたしがそれを探すためにジャカルタやスマランなどあちこちに電話しまくるなんて、ライオンエアーのサービスにはがっかりです。わたしがダンボール箱に入れたのはバタムからのお土産一切と友人からわたしのファミリーに宛てた預かり物でした。いまわたしはまたバタムに戻りましたが、ライオンエアーからの連絡は何ひとつありません。[ バタム在住、ミルナ・ダマヤンティ ]


「飛行機にバゲージを預けるのはよした方が・・・・」(2010年8月2日)
2010年6月11日付けコンパス紙への投書"Bagasi Lion Tidak Diangkut"から
拝啓、編集部殿。2010年5月16日、わたしはマタラム発ジャカルタ行きライオンエアーJT653便を利用しました。ジャカルタへ着いたとき、わたしがマタラムでチェックインに預けたバゲージやかばんが何ひとつ出てこないのに驚きました。それはまだマタラムにあって、スラバヤ経由で送られてくるという話です。わたしがジャカルタに着いたのは17時半で、バゲージ到着は22時になるということでした。わたしひとりがそんな目にあったのでなく、同じ運命を何十人もの乗客がたどったのです。
ライオンエアーの説明はまったく理解できないものでした。乗客がいっぱいだったので、バゲージのかわりに乗客を優先したのだと言うのです。そんなことはありえません。乗客は定められた条件内でバゲージを運んでもらう権利があるではありませんか。ライオンエアーの遺失物オフィスを訪れたわたしは、想像もしなかったものを目にしました。どうやら今回のようなことは普通に起こっていることがらのようなのです。オフィスの中にはたくさんのトランクやボール箱が乱雑に積み上げられ、食べ物の腐敗臭が鼻を突きました。
オフィスの担当者はわたしの荷物をいつ届けられるか約束できないと言います。わたしより先に届けなければならない荷物が山のようにあるからというのがその言い訳でした。わたしはジャカルタ在住者ですからまだ好運でしたが、これが旅行者・行楽者あるいは業務出張者に起こったらどういうことになるでしょう?ライオンエアーは乗客の荷物よりも有料でオーダーされた航空貨物を優先しているように思えます。[ ジャカルタ在住、デファ・ラフマン ]


「預けたバゲージが出てこない」(2010年8月20日)
2010年6月22日付けコンパス紙への投書"Tas Hilang di Batavia Air"から
拝啓、編集部殿。2010年4月17日、わたしと妹はメダン発ジャカルタ行きバタビアエアー7P598便に乗りました。出発時に旅行バッグを含めていくつかの荷物を預けましたが、ジャカルタに着いたら衣服や貴重品を入れた旅行バッグが出てきません。クレーム係りに尋ねたところ、その旅行バッグはジョクジャに着いていることがわかりました。
わたしたちは用事があり、またクレーム係り担当者ができるだけ早く連絡すると言うので、旅行バッグについてはその担当者に任せることにしました。4月18日、わたしがバタビアエアー乗客サービス係りに電話すると落ち着いて待つよう言われました。翌日電話すると、また落ち着いて待つように、という返事です。そのあと何回かわたしは電話しましたが、電話のたびに「待つように」という返事です。落ち着いて待つにも限度があります。もうわたしはその限界を超えました。Trust us to flyという標語を掲げるバタビアエアーはどう責任を取ってくれるのですか?[ 北スマトラ州デリスルダン在住、ティラニダ・バンチン ]


「ドイツのホテルでトランクがなくなる」(2010年9月21日)
2010年7月1日付けコンパス紙への投書"Koper Hilang dan Bayu Buana"から
拝啓、編集部殿。去る3月31日にわたしと両親はヨーロッパのホリデーに出発しました。わたしどもはバユブアナトラベルサービスのツアーを選びました。4月6日、わたしどもがフランクフルトのリンドナーコングレスホテルでチェックアウトしようとしたとき、トランク2個がなくなってしまいました。そのホテルに着いたときバユブアナのツアーガイドは、チェックアウトの際にトランクは各部屋の表に出しておき、ポーターがホテルのロビーまで持ってくるという指示をしたのです。わたしどもはそれに従いました。
こうしてツアーの残りスケジュールをわたしたちは不快な気分で過ごさざるを得ませんでした。着替えや旅行用ツールはすべて紛失したトランクに入れてあったのですから。
あれから2ヶ月経つというのに、バユブアナが無くしたトランクの問題はますます不明瞭になるばかりです。それどころか、バユブアナは紛失したトランクとその中味にたいする賠償としてスーベニアをくれましたが、そのスーベニアは無くなったトランクとその中味にまったく釣りあわないものだったのです。[ 東ブカシ在住、エカ・ハヌム ]


「バゲージ紛失と損害賠償」(2010年10月7日)
2010年8月25日付けコンパス紙への投書"Bagasi di Lion Air"から
拝啓、編集部殿。わたしと夫はスカルノハッタ空港からアンペナンのスラパラン空港へライオンエアーJT652便で飛びました。目的地に到着しても、わたしのバゲージが出てきません。他の乗客の中にも10人ほど、バゲージの出てこないひとがいました。スラパラン空港のライオンエアーバゲージ担当者の説明によれば、重量オーバーになったので乗客バゲージのいくつかは次のフライトに回さざるをえなくなったからだそうです。
4日間待ちましたが、わたしのバゲージがいったいどこにあるのか、皆目わかりません。別の乗客はそのときにバゲージを渡され、中にはバゲージを渡されるまでの数日間の宿泊費を航空会社に負担してもらったひともいました。わたしはステーションマネージャーに会って善後策の説明をもらいました。そして3ヶ月間待ってから紛失に対する損害賠償を要求するという正式プロセスに合意しました。
おかしなことがいくつかあり、わたしはライオンエアーへの信頼をすっかりなくしてしまいました。重量オーバーが起こるなんてありうることでしょうか?乗客のバゲージの重さは決まっていたのではありませんか?バゲージを後続便で送るなんていう話はジャカルタ出発時に一言もなかったではありませんか。 前もって何も言わないでおいて、こんなことをするなんて・・・。他の乗客にはバゲージが届くまでの宿泊費を負担する補償までしながら、わたしはそんなサービスをもらえませんでした。[ 西ヌサトゥンガラ州スンバワ在住、アスリ・スティアワティ ]


「預かったバゲージがどうなるかはワッカリマセン」(2010年11月8日)
2010年9月25日付けコンパス紙への投書"Bagasi Lion Air Tertinggal"から
拝啓、編集部殿。2010年8月18日、韓国から来たわたしの親戚がライオンエアーJT202便でジャカルタからメダンに飛びました。メダンに着いたとき、預けたバゲージのひとつが見つかりません。そのバッグには会議に必要な重要書類が入っています。ポロニア空港のライオンエアーは、そのバッグは次のフライトJT209便に乗せるためジャカルタに残されたと言うではありませんか。ライオンエアーは乗客本人に知らせもしないでどうしてそんな勝手なことをするのですか?[ ジャカルタ在住、ヘンキ・ヒラス ]


「バゲージ紛失」(2010年12月10日)
2010年10月7日付けコンパス紙への投書"Bagasi di Qatar Airways Raib")から
拝啓、編集部殿。2010年8月1日、わたしは夫と子供と一緒にワシントンDCからドハ経由でインドネシアにカタル航空で一時帰国しました。ジャカルタに着いたのは2010年8月3日です。スカルノハッタ空港の入国審査が長かったので、コンベヤに残っていたバゲージはベルトから下ろされてホールの片隅に置かれていました。夫がそれを取りに行ったとき、四つ預けたトランクは三つしかありませんでした。
夫はすぐにバゲージの紛失を届け出て、PT JASDが対応しました。8月10日、そのトランクは見つからないということで紛失確定が表明されました。紛失補償手続は14日かかる、とカタル航空のエルニさんは言いましたが、そのトランクには日常使うものが入っており、そして夫のインドネシア滞在予定は三週間しかありません。
8月18日、カタル航空はトランクの重量15キログラムにキロ当たり20米ドルをかけた300米ドルを補償金として支払うと連絡してきました。その金額の低さにわたしはがっくりしました。それでは無くなったトランクの価格より小さいではありませんか。そのトランクに入れてあった、わたしたち一家がインドネシアで使うために新たに購入した衣料品はどうしてくれるのですか?
カタル航空職員のサービスは反応が悪く、この航空会社の問題処理姿勢には失望しました。[ アメリカ在住、マリア・テレシア・スタディ ]



「機内に持ち込んだ手荷物さえなくなる」(2011年2月11日)
2010年12月9日付けコンパス紙への投書"Tas Hilang di Kabin Lion Air"から
拝啓、編集部殿。わたしは2010年10月26日のマナド発ジャカルタ行きライオンエアーJT0743便を利用しました。わたしの座席36Cの頭上の手荷物置場はいっぱいだったので、スチュワーデスは26Cの置場を使うようわたしに勧めました。到着後機内から出るときに自分のバッグを取ろうとしたら、ラップトップ・財布・チャージャー・書類その他のものがはいっているわたしのバッグはもうそこにありませんでした。
わたしはすぐ機内のスチュワーデスにそのことを届け出ました。するとかの女は、警備係職員に連絡してあるので、下でそのバッグを探すように、と言うのです。ところが下に降りたら、出口で勤務に就いている警備係などひとりもいませんでした。
仕方なく空港ターミナルで事件を届出て、二時間以上もあっちへこっちへとピンポン玉にされました。翌日わたしはライオンエアー本社を訪れました。そして結局ライオンエアーサービスマネージャー、アンディ・ブルハンさんの「一週間時間をください。」という言葉をもらうだけのために午前8時から17時まで待たされたのです。その言葉を言う前にかれはわたしの説明を怒りながら聞きました。
わたしはその後もライオンエアーにコンタクトし、同じ返事をもらいました。「調査データはまだ整っていません。あしたまた連絡してください。」
今現在調査結果は巨大なゼロだけで、ライオンエアー側からわたしへのコンタクトはまったくありません。[ ジャカルタ在住、ヴァレン・キルナディ ]


「何が起ころうと、絶対にわたしの責任じゃない」(2011年3月9日)
2010年12月15日付けコンパス紙への投書"Koper di Bagasi Sriwijaya Dibobol"から
拝啓、編集部殿。これはわたしがスリウィジャヤエアーで体験したできごとです。2010年10月21日午前10時ごろわたしはランプンからジョクジャへ飛ぶため、ラデンインタン?空港でスリウィジャヤエアーに乗りました。ジャカルタのスカルノハッタ空港で乗換え、ジョクジャ行きは13時に出発しました。
わたしが機内に預けたトランクは二個で、ジョクジャのアディスチプト空港でピックアップしたときに、それらはロックがかかっていませんでした。中にあった品物のいくつかはなくなっていました。
わたしはすぐにアディスチプト空港のスリウィジャヤエアー職員にこの事件を届け出ました。しかしその職員はわたしの届出に真剣に対応しなかったのです。それどころか、わたしのトランクの品物が紛失した責任はスリウィジャヤ航空にない、とさえ言ったのです。
だったら、機内に預かった荷物の中味が紛失したことに対するスリウィジャヤエアーの責任はいったい何なのですか?この事件に対するスリウィジャヤエアー側の問題解決はどうなるのですか?[パレンバン在住、スリ・アグステイナ ]


「ジャカルタに届いてから行方不明」(2011年6月21日)
2011年3月7日付けコンパス紙への投書"Koper di Air France Raib"から
拝啓、編集部殿。2010年12月17〜23日にキエフとアルジェのインドネシア大使館を訪れた結果はトランクの紛失でした。わたしと友人三人はトルコ航空機でスカルノハッタ空港からキエフに向かいました。2010年12月21日、わたしどもはキエフを後にし、エアフランス1953便でパリ経由アルジェに向かいました。パリからアルジェへはエアフランス2454便となります。アルジェ到着時、わたしどものトランク6個は見つかりませんでした。アルジェのインドネシア大使館へは、着替えの衣服もデータもなしに訪れることになったのです。翌日トランク探しの結果、やっと5個発見できました。12月23日の帰国日になっても、残るトランク1個は依然出てきません。エアフランス側はそのトランクをジャカルタに送ると約束しました。12月24日ジャカルタに到着し、わたしはすぐにスカルノハッタ空港遺失物係りを訪ねました。12月30日、エアフランス側がわたしに連絡してきました。パリ〜アムステルダム〜ジャカルタのルートでKLMがトランクをジャカルタに運んだと言うのです。わたしがスカルノハッタ空港へ赴くと、遺失物係りはもう退社したあとでした。もう2011年1月半ばなのに、紛失したトランク1個がどこにあるのか皆目わかりません。
大航空会社であり、ただトランク1個を見つけ出すだけでいいのに、どうしてそんなに難しいのか、わけがわかりません。[ 西ジャカルタ市在住、ヌルハヤティ ]


「シンガポール航空の不手際?!」(2011年6月22日)
2011年3月1日付けコンパス紙への投書"Bagasi di SQ Dirusak"から
拝啓、編集部殿。2011年1月20日、シンガポール航空SQ952便乗客だったわたしは、破損した状態でわたしのトランクを受け取りました。ファスナーは壊されてこじ開けられており、別のトランクは南京錠がなくなっていました。トランク内の品物のプラスチック包装はひきちぎられています。なくなった品物はありませんでしたが、盗人の穢れた手がわたしのトランクを破損させたことは我慢なりません。空港オーソリティがわたしのトランク内の品物に違法物品が混じっていないかどうかを調べたいなら、わたしは中身を開いて見せるのにやぶさかではありません。同じ飛行機に乗っていた友人のトランクも南京錠が壊されてこじあけられていました。この責任はだれにあるのでしょうか?運送者であるシンガポール航空でしょうか、それともスカルノハッタ国際空港管理責任者であるアンカサプラなのでしょうか?[ 西ジャカルタ市在住、ジェシカ・ルイス ]
2011年3月30日付けコンパス紙への投書"Bagasi di SQ Terlambat"から
拝啓、編集部殿。インドネシア共和国国会議会間交流院事務局長のわたしはモンゴルのウランバートルで開かれたアジアパシフィック議会フォーラム会議が終わってから、2011年1月27〜28日インドネシア国会代表団とともに帰国しました。ウランバートルから北京はCA902便で北京〜ジャカルタはシンガポール経由のシンガポール航空SQ801便とSQ902便を使いました。トランク11個のバゲージは北京からジャカルタまでダイレクトにしました。SQ902便がジャカルタに到着したとき、預けた11個のトランクは一部しか出てきませんでした。4個は次のSQフライトでやっと到着しましたが、最後の一個はなんと48時間も遅れて届いたのです。なんとか全部手元に戻ることができたのは、わたしたちがスカルノハッタ空港のシンガポール航空レップに積極的に且つ口うるさく問い続けたおかげでした。
わたしたちの苦情に対するシンガポール航空の対応にはとても失望しました。1月28日に遺失物係りに届け出たとき、わたしたちのトランク11個がどこにあるのかはっきりわからなかったのですから。わたしたちと同じフライトで届いたトランクが紛失したものとされ、反対に届いていないトランクをわたしたちはもう受け取っているとされていたのです。最後まで見つからず48時間以上も遅れてやっと届いたトランクの所在がチュンカレンのPT JASにわかったのは1月29日22時でした。本来乗客と一緒に届いてしかるべきものが、36時間経ってやっとどこにあるのかわかったということです。奇妙なことに、そのトランクは北京にあったそうです。北京でのトランジット時間は5時間もあり、CA902からSQ801にトランクを移す時間は十分にあったはずです。[ インドネシア共和国国会事務局長、ワルシティ・アルフィア ]
2011年4月13日付けコンパス紙に掲載されたシンガポール航空からの回答
拝啓、編集部殿。ジェシカ・ルイスさんからの2011年3月1日付けコンパス紙に掲載された投書、ならびにワルシティ・アルフィアさんからの2011年3月30日付けコンパス紙への投書について、次のようにまとめてお知らせします。
破損したジェシカ・ルイスさんのトランクは元通りに修理され、ご本人がお受け取りになりました。当方はジェシカさんにコンタクトし、問題は既に解決しています。
ワルシティ・アルフィアさんが苦情されているトランクは既に発見され、良好な状態でご本人の手に渡っています。当方はワルシティさんにコンタクトし、この問題もつつがなく解決しました。
航空会社として当方が常に高く捧持していることがらのひとつは、お客様に最善のサービスを提供することです。当方へのコンタクトはid_feedback"singaporeair.com.sgへどうぞ。[ シンガポール航空マネージャー広報担当、グローリー・ヘンリエッタ ]


「いつまでも消え残るバゲージ破り」(2011年10月24日)
2011年8月3日付けコンパス紙への投書"Retsleting Tas Rusak di AirAsia"から
拝啓、編集部殿。6月23日(木)午前7時ちょうどのスカルノハッタ空港発ジョクジャ行きエアエイシアQZ7342便をわたしども一家は利用しました。ジョクジャの宿についたあとで、バゲージに預けたバッグのファスナーが壊れているのに気付きました。中に入れてあった衣類がかきまわされていましたが、なくなったものはありません。
バッグのファスナー破損はスカルノハッタ空港で起こったのが確実であるように思えます。というのは、ジョクジャ空港でのバゲージピックアップはとてもスピーディになされたので、ジョクジャ空港にいるかもしれない不良職員が乗客のバゲージをどうこうするチャンスはほとんどなかっただろうと思われるからです。犯人は南京錠を壊すことなく、わたしのバッグのファスナーをこじ開け、目ぼしいものを見つけることができないまま、ファスナーをまた整えて犯行のあとを隠していました。
飛行機を利用したときバゲージに被害を受けた悪体験はこれで三度目であり、そのすべてがスカルノハッタ空港に関わっています。スカルノハッタ空港運営者PTアンカサプラ?とエアエイシア航空運営者であるPTインドネシアエアエイシアは、チェックインカウンターで預かった乗客のバゲージが最終的に機体に収納されるまでの間、バゲージの現物取扱いに携わった者の名前をリストアップするようお願いします。
このようなことは結果が出されるまで長い時間を要するので、気分的にうんざりするかもしれませんが、運営者が真剣に乗客の保護保全を考えているのであれば、なされずには済まされないことだと思われます。またかれらの犯行チャンスを狭めるために、監視カメラを設置する必要があるでしょう。[ 東ジャカルタ市在住、ヨハネス・シマトゥパン ]


「バゲージ紛失はありきたりのできごと?」(2012年4月7日)
2011年12月22日付けコンパス紙への投書"Lion Air Mengaku Bagasi Kerap Raib Lumrah Saja"から
拝啓、編集部殿。去る10月26日、わたしはシンガポールからジャカルタへライオン航空午前8時45分発のJT153Y便で帰国しました。到着してからバゲージに預けたダンボール二つが1時間待っても出てきません。スカルノハッタ空港遺失物係りに尋ねると、「もうちょっと待ってみたら?あとで出てくるよ。」と言われました。わたしはまた1時間ほど待ちましたが、わたしの荷物は出てくる気配がありません。
遺失物係りにまた尋ねたところ「えっ、出てこないの?ここじゃ、そういうのはよくあることだからね。」という軽い返事でした。
「ライオン航空の責任はどうなるのですか?」という質問に「手荷物事故申告書フォームを作ったら探してみるが、出てくる保証はないよ」という返事でした。わたしはそのフォームをもらいました。
ライオン航空がわたしの携帯電話に連絡してきたのは11月5日の一回だけで、わたしのバゲージはまだ見つからないという報告でした。わたしがライオン航空に弁償してほしいと言うと、「証拠がなければとても難しいよ。」と言われました。[ 西ジャカルタ市在住、リアナ ]


「トラブル続出でオーバーフロー?!」(2012年4月27日)
2012年1月30日付けコンパス紙への投書"Bagasi Hilang di Lion Air"から
拝啓、編集部殿。わたしがライオンエアーでバンドン〜ジョクジャ〜スラバヤ〜マタラム間を移動したとき、預けた大型トランク1個が2011年12月24日に紛失してしまいました。この問題をわたしはその日のうちにロンボッ国際空港遺失物係に届け出ました。ところがわたしのバゲージはいまだに見つかっていません。
届け出てから、12月26日に一度だけライオンエアーの係員から連絡がありましたが、それは紛失バゲージがどうなっているかという報告ではなく、わたしのトランクはバンドで縛られていたかどうかを尋ねる質問だけでした。わたしは毎日ライオンエアーに電話しましたが、つながったのは二回だけで、しかも紋切り型の「トランクはいま探しています。」という返事だけ。
ライオンエアーのあらゆる電話番号から係員の携帯電話番号、そして責任者の番号にまで電話したのに、だれも出なかったのは残念なことです。マタラムにライオンエアー事務所がないので、わたしは1月2日にロンボッ国際空港を訪れました。遺失物係の事務所へ行ったところ、わたしが提出した手荷物事故申告書が見つからないため、係員は困惑の態でした。引き出しの中にも、積み上げられている紙の山の中にもありません。それすら紛失したのでしょうか?
1月3日にわたしはcustomercare@lionair.co.id宛てにEメールを送りましたが、いまだに返事はありません。わたしはパッセンジャーケア宛の電話番号021−633 8345と0819−2229999にも電話しました。呼び出し音が鳴っているのに、だれも電話を取りません。ファックス番号021−6335669にもファックスを送りましたが、反応はありません。[ マタラム在住、ミフティン・ソフィヤンティ ]


「空港バスに預けたトランクが紛失」(2012年5月28日)
2012年2月8日付けコンパス紙への投書"Koper di Bus Damri Soekarno-Hatta Hilang"から
拝啓、編集部殿。2011年12月9日、わたしはスカルノハッタ空港からカンプンランブタン行きダムリバスに乗りました。プレートナンバーはB7085TGAで、ボディナンバーは4693です。わたしが乗ったのはそのバスがターミナル1Bにいた夜7時ごろで、車内のトランク置場はもういっぱいだから車体のバゲージ置場に入れるという車掌の言葉に従いました。
ところが、東ジャカルタ市ハラパンブンダ病院前でわたしが降りたとき、バゲージ置場の中にわたしのトランクはありませんでした。バスの運転手エコさんと車掌のボウォさんはわたしに、チャクンにあるダムリバス本社にトランク紛失を届け出るよう勧めました。
わたしは12月12日と28日の二回、ダムリバス本社を訪れました。しかしバス乗務員が約束したような、かれらがマネージメントに会わせてくれるような話は現実に起こりませんでした。かれらは本社にいなかったのですから。
マネージメントのひとり、ムリヨノさんがわたしの携帯電話番号をひかえて近々わたしに連絡すると約束しました。でも、バス運転手と車掌、そしてマネージメントからわたし宛の連絡はただの一度もありませんでした。わたしのトランクをバゲージ置場に入れさせ、その結果それがなくなったことの責任はどうなるのですか?トランクの中に入っていたものはわたしとわたしの仕事にとってとても重要なものだったというのに。[ 東ジャカルタ市在住、アントニウス・マリスタ ]


「バゲージ紛失と弁償金」(2012年6月25日)
2012年4月12日付けコンパス紙への投書"Tentang Ganti Rugi Lion Air"から
拝啓、編集部殿。わたしは2012年1月11日にライオンエアーでジョクジャからチュンカレンに飛んだとき、バゲージが紛失して損害を負わされた乗客です。わたしはすべての規則に従いましたが、ライオンエアーはいまだに責任を果たそうとしません。連絡先としてもらった電話番号はだれも出ないものだったのです。
搭乗日から2週間経過したので、クレーム部門はわたしのバゲージが見つからないという連絡をしてきました。かれらが行えるのは、キログラム当たり20万ルピアという損害賠償だそうです。わたしのバゲージは8キログラムでした。賠償金額は三日間待ったので3x20万ルピアだそうです。
失われたトランクとその中身はそれよりはるかに高額なものでした。ライオンエアーの手にかかったら、消費者の運命なんてこんなものなのですか?[ 中部ジャワ州マグラン在住、デウィ・プスピタサリ ]


「バリからジャカルタ、バゲージ荒らしにやられた」(2012年9月26日)
2012年6月24日付けコンパス紙への投書"Koper di Pesawat Garuda Dibobol"から
拝啓、編集部殿。わたしども一家5人は2012年5月11日22時半デンパサルのグラライ空港発ジャカルタ行きのガルーダ航空GA421便に搭乗しました。スカルノハッタ空港に到着したあと、わたしのトランクひとつと母のバッグひとつがカッターらしいもので切り裂かれ、またファスナーも壊れていたのに驚かされました。おかげでトランクとバッグはもう使い物になりません。それらはファスナーに南京錠をかけ、またガルーダ航空の規定によって外側を黄色の硬質ひもでしばってあったというのに。
中に貴重品は入れておらず、休日を過ごしたあとの使用済み衣服だけを入れていたので、トランクとバッグの損害のほうが大きかったわけですが、問題はそんな損害内容のことではなく、どうしていまだにこういう事件がなくならないのかということです。わたしどもがジャカルタに到着したのは24時ごろで空港ターミナル内はもう閑散としていたため、被害届は翌日ガルーダ航空のカスタマーサービスに電話で行いました。C121GXXという苦情届け番号をもらい、先方から連絡するということで電話は終わりましたが、いつまで待っても電話が来ないのでわたしのほうからアプローチしてみました。すると問題解決提案など一切なく、空港管理当局に届け出るよう言われたのです。わたしどもがガルーダの乗客だったことは明白なのに、これは不思議な応対です。これがガルーダエクスペリエンスというものなのでしょうか?もっと不思議なのは、どうしてこんなみっともない状態を空港当局が解決しようとしないのかということです。事件発生の夜にグラライ空港とスカルノハッタ空港でバゲージハンドリング業務に就いていた人間がだれであったのかということはわかりきっているはずではありませんか?
そのふたつの国際空港でいまだにバゲージ荒らしが後を絶たず、犯人がだれかを突き止めるとこさえできず、いつまでもほったらかしにされているなんて、こんなにみっともないことがあるでしょうか?問題の根は、簡単なことがらを根本解決しようとしない点にあるのではありませんか。[ ガルーダ航空利用者、エディ ]


「バゲージ破りは航空会社が雇った人間」(2013年1月23日)
スカルノハッタ空港で乗客の預けたバゲージを破って中に入っている貴金属装身具や現金、カメラや電気製品などを盗むバゲージ破りは2012年に17件が明るみに出た。2011年の16件とあまり変わっていない。被害者から訴えのあったその17件のうち10件は犯人が捕まっており、犯人に対する法的プロセスが進められている。残る7件のほうはまだ捜査中。
バゲージ破りの手口は、チェックイン時に預けられたバゲージがメークアップエリアで整理され、機体のボディまで運ばれてからボディ内で積みつけが行なわれる間、あるいは飛行機が着陸したあと、バゲージが機体のボディの中から下ろされるとき、そして下ろしたあとメークアップを解くブレークダウンエリアで、といったバゲージ取扱いの流れの中で、航空会社従業員やポーターがボールペンやキーでバッグのファスナーを外して中味を盗み、またファスナーをかけて外目には破られた気配がまったく感じられないような状態に戻しておくというもの。特に南京錠などが付いている場合はなおさら、南京錠は元のままの状態で所有者の手に戻るから、所有者はホテルや自宅に着いてバッグを開くまで被害にあったことがわからない。
スカルノハッタ空港運営会社PTアンカサプラ?はバゲージ破りの撲滅に努めているが、メークアップエリアやブレークダウンエリア、ましてや飛行機の胴体の中に至っては航空会社の管理領域になっているため、それらの場所で働く従業員や契約社員およびポーターの挙動を監視し、採用を厳しくし、また現場に監視カメラを設けるなどしてバゲージ破りを防止する手を打つよう空運会社への勧告を強めている。


「貴重品をバゲージに入れるのは厳禁」(2013年1月23日)
2012年10月19日付けコンパス紙への投書"Uang Hilang di Sriwijaya Air"から
拝啓、編集部殿。わたしはスリウィジャヤエアー利用者で、去る9月19日ヨグヤカルタ10時発のSJ231便でジャカルタへ飛び、更にスカルノハッタ空港でマカッサル行きSJ590便に乗り継ぎました。わたしはヨグヤからのフライトに、現金と衣服の入った中くらいのサイズのバッグを機内持ち込みしました。ヨグヤ空港ではだれもそれを問題にしませんでした。問題はジャカルタへ着いてマカッサル行きフライトに乗り継ぐときに起こったのです。
飛行機への昇降階段を上るとき、スリウィジャヤエアー職員が行く手をふさぎ、機内は満席だという理由でわたしのバッグをバゲージ置場に置くよう強制しました。わたしはその職員に、バッグの中味はほとんどが現金で、衣服はほんの少ししかないことを説明しましたがその職員は聞く耳を持たず、わたしのバッグをバゲージ置場に置いても安全は保証される、と言ってあくまでも機内への持込を許そうとしません。安全を保証してくれると言うので、わたしはそのバッグを最終的にスカルノハッタ空港スリウィジャヤエアー職員の手にゆだねました。
ところが、その保証など嘘っぱちであることが判明しました。マカッサルに到着したとき、わたしのバッグはロックが外されており、現金は姿を消していました。わたしはすぐにマカッサル空港のスリウィジャヤエアーに事件を届出、ジャカルタのスリウィジャヤエアーサービスセンターにも直接電話を入れました。わたしがスリウィジャヤエアーからもらったものは、「あなたのバッグの中身が紛失したことにお詫びします」という言葉だけで、紛失した現金の代償はなにひとつありませんでした。[ マカッサル在住、ワハリ・ワシオ ]
2012年10月27日付けコンパス紙に掲載されたスリウィジャヤエアーからの回答
拝啓、編集部殿。ワハリ・ワシオさんからの2012年10月12日付けコンパス紙に掲載された投書について、下の通り説明いたします。スリウィジャヤエアーでは乗客のバゲージに対するスウィーピングを担当者がSOPに従って常に実施しております。顧客に対する安全質問はそのひとつです。バゲージの中に貴金属装身具・現金・電気製品など高価な品物が見つかった場合、それを手持ちにするよう警告しています。
問題の搭乗口担当者がワハリさんのバッグをバゲージ置場に置くよう求めたのは、そのバッグのサイズがあまりにも大きかったからです。キャビンでの円滑さと快適さをはかるために、そのバッグはバゲージ置場に移されました。搭乗口担当者の話では、ワハリさんはそれを拒否されなかったし、さらにその中に現金が入っているという表明もなかったということです。
もしワハリさんがリリース番号659088でバゲージに入れたバッグの中の現金がなくなったのであれば、それは当方の責任ではありません。航空券に記載されているように、乗客は高価な品物を委託バゲージの中に入れてはいけないことになっているのです。ご不興を蒙ったことにお詫び申し上げます。[ スリウィジャヤエアー企業広報先任マネージャー、アグス・スジョノ ]


「賠償問題は当事者間で協議しましょう」(2013年3月29日)
2012年11月25日付けコンパス紙への投書"Bagasi Singapore Airlines Mengecewakan"から
拝啓、編集部殿。2012年7月25日、わたしはシンガポール航空SQ608便でシンガポールから韓国のインチョン空港に飛びました。チェックインの際に衣服やいろいろな物が入ったトランクをバゲージとして預けましたが、インチョン空港でわたしのトランク2個が見つからないのです。わたしはすぐにインチョン空港シンガポール航空カスタマーケアにこの出来事を苦情し、バゲージ紛失に関する苦情フォームに記載して提出しました。
韓国での仕事の必要上、わたしはすぐに衣服をはじめ必要なさまざまな品物を購入しました。これはわたしのトランクが紛失していなければまったく無用の出費であり、わたしは大損を蒙ったわけです。
2012年7月28日にジャカルタに戻ったわたしは、韓国でトランクが遅れて届いたために支出を余儀なくされたわたしの損失に関するクレームを再度シンガポール航空に提出しました。8月10日にわたしは再度、eメールと手紙で損害賠償をシンガポール航空に訴えました。二日後、シンガポール航空乗客サービス部門のリリーさんからeメールで返事が来ました。わたしは辛抱強く、シンガポール航空の電話番号に何度も連絡を取りましたが、つながったことがありません。
10月24日、カスタマーアフェアー課長のサギタ・ラジャンドランさんからわたしが要求している損害賠償に応じる内容のeメールが届きましたが、その金額はわたしが韓国で実際に出費した金額よりもはるかに小さいものだったのです。シンガポール航空が示したその対応は、自分が尊重されているという気持ちを消費者のわたしに抱かせないものであり、加えてわたしがそのために費やした時間と費用を無駄にするものでした。[ 西ジャカルタ市在住、ヨハネス・トゥンガラ ]
2012年12月15日付けコンパス紙に掲載されたシンガポール航空からの回答
拝啓、編集部殿。ヨハネス・トゥンガラさんからの2012年11月25日付けコンパス紙に掲載された投書について、お答えします。当方はヨハネスさんにコンタクトして、この問題を当事者間で解決するよう努めております。
シンガポール航空へのご要望は、問題解決プロセスが容易になるよう直接eメールアドレスid_feedback@singaporeair.com.sgにお送りください。[ シンガポール航空PRマネージャー、グローリー・ヘンリエット ]


「大会社に巣食うネズミたち」(2013年4月1日)
2012年12月24日付けコンパス紙への投書"Tikus di Bagasi Pesawat Lion"から
拝啓、編集部殿。2012年11月11日、わたしの親と弟妹たちはバタムからクンダリへライオンエアーJT728便で向かい、ジャカルタでトランジットしました。バゲージが20キログラムの超過だったので、そのために88万ルピアをチェックインのときに支払いました。クンダリに到着したとき、親のものを除いて他の荷物はすべてそろっていました。ライオンエアーに届け出ると、その未着バゲージは11月12日にお届けしますと言われました。
11月13日にその荷物はライオンエアーの職員ふたりが届けにきました。そのトランクの南京錠はこじ開けられていたため、ライオンエアー職員とわたしどもが一緒に立ち会ってその荷物を開きました。驚いたことに、中味は空っぽだったのです。出発前に着ていたシャツと短パンが残っているだけでした。ライオンエアーのような大企業に、預かったバゲージの中味を食い荒らすネズミがたくさん巣食っていることを、わたしの親はいまだに信じられない面持ちで話しています。[ 東ジャワ州マディウン在住、ヌルハナ ]


「ベビーカーの車輪が紛失」(2013年7月30日)
2013年3月9日付けコンパス紙への投書"Roda Kereta Bayi Hilang di Pesawat"から
拝啓、編集部殿。2013年1月1日、わたしの一家はスラバヤからジャカルタへシティリンクQG808便で飛びました。赤ちゃんを連れているので、わたしはベビーカーを持って行きました。赤ちゃんをベビーカーに乗せたまま飛行機の入り口まで行き、そこでベビーカーを客室乗務員に渡しました。
スカルノハッタ空港へ着いたとき、ベビーカーはバゲージと一緒にベルトコンベヤーに載せられて出てきました。そのとき、左側の車輪がなくなっていましたので、わたしはシティリンクに車輪を探すようクレームしました。
既にひと月が経過したのに、シティリンクからはいまだに連絡がありません。電話しても、だれも出ません。ベビーカーの車輪だけというのはどこにも売られていないので、シティリンクはきちんと責任を取ってください。車輪がなければベビーカーは使いものになりませんから。
他の航空会社はベビーカーを飛行機の入り口で受け取ったら、着陸したあと飛行機の出口で返してくれるのです。[ 西ジャカルタ市在住、フェブリ・ロヴィタサリ ]
2013年3月19日付けコンパス紙に掲載されたシティリンクからの回答
拝啓、編集部殿。フェブリ・ロヴィタサリさんからの2013年3月9日付けコンパス紙に掲載された投書について、ご不快にまずお詫び申し上げます。2013年2月7日、シティリンクはご本人にコンタクトして破損の補償をしています。
快適さを確保するために、乗客は規則・空港情報・スケジュール・バゲージ・航空券に関する条件等を十分に注意してください。必要な情報はwww.citilink.co.id、もしくはコールセンター電話0804 1 080808へどうぞ。[ PTシティリンクインドネシアマーケティング広報担当副社長、アリスト・クリスタンディヨ ]


「バゲージ荒らしはまだ健在‐その1」(2013年11月07日)
2013年7月24日付けコンパス紙への投書"Pembongkar Bagasi di Soekarno-Hatta"から
拝啓、編集部殿。わたしは2013年6月8日のジャカルタ発マカッサル行きライオン航空JT784便の乗客でした。15時15分ごろ、スカルノハッタ空港チェックインカウンターで係員が、委託するバゲージの中に貴重品は入っていますかと尋ねました。泥棒のバゲージ破り被害を避けるために、貴重品は機内に持ち込むほうが安全です、と係員は説明しました。わたしのバゲージに貴重品は入っていませんでしたが、思いついてfragileのサインを貼るように頼みました。そのあとわたしは南京錠と組み合わせ番号ロックの状態を確認した上、ファスナーの状態を注意深くチェックしました、
マカッサルに到着後、わたしはバゲージをピックアップしてからすぐにトランクの状態を調べました。そして、南京錠の位置が変っており、組み合わせ番号ロックは違う数字に変っており、ファスナーは、かみあわせが外れていませんでしたが何かが差し込まれて外されたあとがあるのを見つけました。家でトランクを開いたところ、中がかき回されて荒らされていたのです。このできごとからもわかるように、スカルノハッタ空港にはバゲージ荒らしがまだ存在しているのです、[ マカッサル在住、ハルヨスティオ ]


「バゲージ荒らしはまだ健在‐その2」(2013年11月08日)
2013年7月28日付けコンパス紙への投書"Parfum di Koper Bagasi Cathay Raib"から
拝啓、編集部殿。2013年7月6日、わたしはニューヨークのJFK空港から香港までキャセイパシフィック航空CX889便で飛び、香港からCX777便に乗り継いでジャカルタまで戻りました。その道中、トランク3個をバゲージに預けました。
たいへん長時間のフライトを経てきたので、わたしは疲れてしまい、バゲージクレームでピックアップしたトランク3個の状態をチェックすることを怠ってしまいました。というのも、これまで利用した他の航路でバゲージにトラブルが起こったことは一度もなかったのですから。
ところが家に帰ってから、トランクの状態を見てわたしは驚きました。ひとつのトランクは、かけてあった南京錠が付いておらず、しかもロックされていない状態だったのです。その中身を調べたところ、友人に頼まれたかなり高価な香水が姿を消していました。
ビジネスクラスの乗客だったわたしを襲ったこのできごとに、わたしは大いに不満を感じました。スカルノハッタ空港当局に届け出ても、きっとビューロクラシーの障壁に出会うにちがいないと思うと、この問題をどこに届け出ればよいのかわかりません。スカルノハッタ空港当局は、航空機乗客のバゲージに対するセキュリティシステムをもっと厳しく実行し、トランクの中身を狙うプロの泥棒の犯行を抑止するようお願いします。[ 西ジャワ州ブカシ市在住、ムナワル・ハリル ]


「安全さえもが不確定」(2014年5月7日)
2013年11月25日付けコンパス紙への投書"Telepon Seluler Hilang pada Pemeriksaan Bagasi Bandara"から
拝啓、編集部殿。空港でバゲージチェックを行なうセキュリティ職員が正しく業務を行なっていればこんなことにならなかったと思われる不愉快な体験の話しがこれです。2013年10月10日午前7時半ごろ、わたしと友人はアチェ行きのライオンエアーフライトに乗ろうとしていました。
スカルノハッタ空港1Bターミナルに着き、ターミナルビル内に入る際の定められたバゲージチェック手続きを受けました。そのとき、そこに用意されているプラスチックの箱にわたしのものと友人のものである携帯電話機をひとつずつ置いたのです。そのとき、業務に就いているセキュリティ職員はふたりでした。わたしたちは携帯電話を置いた箱が機械を通って出てくるのは待ちました。そしてかなり長い時間が過ぎてから、わたしたちの携帯電話機がなくなったことを悟りました。
わたしは国際空港におけるセキュリティのSOPとバゲージチェックX線透視機についている職員の機能について尋ねたいと思います。セキュリティ職員がふたり見張っていて、自分の目の前にあった携帯電話機がなくなるのであれば、ほかの品物の保全はいったいどうなるのですか?空港運営会社アンカサプラ経営者はもっと頻?に現場に出て行って、従業員がどんな仕事をしているのか監督してください。中でも乗客や空港訪問者たちと直に接触する現場職員たちを。
だれもそれに関心を払わないなら、わたしたちの国際空港はいったいどうなるのですか?わたしたちはこの事件を権限を持つ職員に届け出ましたが、そのひとの手書きの一筆が書かれた紙をもらっただけでした。[ 西ジャカルタ市在住、フェリシャ・アナスタシア ]


「誰が一番悪いのだろうか?」(2014年11月5日)
2014年10月4日付けコンパス紙への投書"Koper Dijebol Penumpang Lain"から
拝啓、編集部殿。2014年9月9日、わたしはKLM航空フライト番号KL0809でクアラルンプルからジャカルタへ飛びました。スカルノハッタ空港到着は18時でした。19時にトランクがひとつピックアップできましたが、もうひとつは見つけられませんでしたので、遺失物係りに届け出ました。わたしが空港を去ったあと21時ごろになって、ヘルマさんというひとから電話があり、自分は同じKLMフライトの乗客であり、わたしのトランクを間違えて持って行ったのだと連絡してきました。ヘルマさんは、これから空港に戻って自分のトランクをピックアップするので、あなたのトランクは遺失物係りに渡しておきます、と言うのです。
わたしが空港の遺失物係りのところに戻ると係員は、「ヘルマさんは自分のトランクを持って帰宅し、他にトランクは置いていかなかった」と言います。結局わたしはスルポンのヘルマさんの家まで、わたしのトランクを取りに行きました。そして、そのトランクの状態を見てびっくりしたのです。トランクのロックは壊され、中味は引っ掻き回され、香水が一瓶無くなっていました。
空港職員は何をしているのですか?他の乗客が好き勝手に他人のトランクを持っていくのをほったらかしにして、何のチェックも行なわないのですか?空港側からわたし宛の連絡はいまだに何ひとつありません。[ 南タングラン市在住、セリー・チタレスミ ]


「バゲージ紛失で赤ちゃんがたいへんな目に」(2015年2月23日)
2014年11月14日付けコンパス紙への投書"Susu Anak Balita Hilang di Bagasi Pesawat"から
拝啓、編集部殿。わたしども大人3人幼児2人の総勢5人は2014年9月27日にガルーダ航空GA828便でジャカルタから中国の広州に飛びました。広州空港に到着したとき、バゲージタグ番号GA926538のついた粉末調整乳12缶入りのカートン箱ひとつがいつまでたっても出てきません。
広州空港遺失物係に届け出て、報告番号CANGA8980927をもらい、またガルーダ航空コールセンター苦情係900285093番にも連絡しました。数日の間をおいて何度も空港とコールセンターに問い合わせしていますが、成果はありません。もう二週間を超えたというのに、問い合わせの返事はいつも同じで、いつまでという期限などなしに、ただ待つように、という言葉だけです。ガルーダ航空は紛失物に関する期限をSOPで設けていないのでしょうか?そして、バゲージが本当になくなったときの責任も?
幼児は常用している粉末調整乳がもらえないため、中国の粉末調整乳を買い与えましたがそれが身体に合わず、身体をこわしてやせ細っており、病院通いをしています。ガルーダ航空はそんなことを気にもかけないのでしょうか?わたしはGFF10340900番保有者です。[ 中国広州市在住、イワン・サンジャヤ ]


「バゲージ破りがまた登場」(2015年4月10日)
2014年11月29日付けコンパス紙への投書"Koper Dibongkar"から
拝啓、編集部殿。2014年10月19日、わたしはガルーダ航空GA0348便でデンパサルに向かい、ティミカ行きGA652便に乗り継ぎました。デンパサル空港でのトランジットは3時間で、航空券はつながっているため、わたしはトランクのピックアップをせず、ガルーダ側がティミカ行きの便に積み替えるのに任せました。
ティミカに着いたとき、わたしは驚きました。トランクはこじ開けられており、外付けハードディスクがなくなっていたのです。ガルーダ航空ほどの会社がトランジット乗客のトランクを十分に警備することさえしなかったのです。
わたしはガルーダコールセンターに事件を届け出ましたが、いまだに反応がありません。ハードディスクの問題でなく、そこに入れてあったわたしの仕事に必要なデータの問題なのです。ガルーダは顧客に大きい損失を与えたのです。[ 東ジャワ州スラバヤ在住、プリマ・コマリヤ ]


「堂々たるバゲージ破り」(2015年4月15日)
スリウィジャヤ航空で2015年4月9日11時半にジャカルタからポンティアナッに飛んだフランス・レオナルドゥスさん54歳の委託バゲージが破られた。ポンティアナッのスパディオ空港で自分のトランクが出てきたとき、フランスさんはそれが破られていることをすぐに覚った。中を調べたところ、携帯電話機が一個、姿を消していた。
フランスさんの届出に、空港警備当局はスリウィジャヤ航空機内から委託バゲージを下ろす作業現場を撮影していた監視カメラの再生を始めた。そして犯行現場がもろに映し出されたのである。空港作業員の制服を着て大量のトランクを右から左に移している男がいきなりトランクのひとつをこじあけはじめた。「おい、あいつは誰だ。」「ああ、あれはFですよ。」「ここへ呼んで来い。」
お粗末な泥棒F33歳は、空港警察に逮捕された。


「バゲージ積み残しがよくあるマラン空港?」(2015年5月13日)
2015年1月17日付けコンパス紙への投書"Bagasi Hilang"から
拝啓、編集部殿。2014年12月12日のマラン発ジャカルタ行きガルーダ航空GA291便で預けたバゲージが紛失したことをクレームしたいと存じます。わたしがバゲージの紛失を届け出たとき、ンダンさんが受付てくれました。ンダンさんによれば、マラン〜ジャカルタ線ではバゲージ紛失クレームがよく発生するが、たいていはマラン空港で積み残されたためであり、次の便で届くことが多いから、夜にはバゲージを届けることができるでしょう、ということでした。
ところが翌日になっても、電話もなく、何の連絡もありません。それでわたしは、ガルーダ航空ホットライン経由で苦情を申し立てました。わたしはガルーダ航空に何度も連絡しましたが、わたしのバゲージがどこにあるのか、いまだに明確な情報がないのです。ガルーダ航空が責任を果たすのを、わたしは待っています。[ 西ジャワ州ブカシ市在住、エコ・ヌル・スバギオ ]


「貴重品は委託バゲージに入れないように」(2015年8月31日)
2015年4月29日付けコンパス紙への投書"Barang Hilang"から
拝啓、編集部殿。2015年4月17日、わたしは午前6時のライオンエアーJT763便でバリッパパンのスピンガン空港からスカルノハッタ空港へ飛びました。
バックパックにしまった携帯電話ノキアE63がなくなっていることにどれほど驚いたことでしょう。バッグパックはバゲージ委託したものです。携帯電話のような高価なものを入れてバゲージ委託するのは安全でないのでしょうか?
空港管理者はわたしのケースのような、手癖の悪い不良職員の監督をどのように行なっているのでしょうか?このような事件が起こった場合、航空会社か、それとも空港管理者なのか、いったいだれの責任なのでしょうか。[ トゥガル在住、サムスディン ]


「バゲージ委託はやめた方が・・・?」(2016年11月18日)
2016年6月21日付けコンパス紙への投書"Koper Hilang"から
拝啓、編集部殿。2016年5月27日のバティックエアーID7012便でわたしはメダンからジャカルタのハリムプルダナクスマ空港へ飛びました。わたしは自分の私物を入れた黒いトランク一個だけをチェックインの際に預けました。
15時15分にハリム空港に着いたあと、メダンからの預け荷物がどのベルトコンベヤーから出てくるのかという案内がまったくありません。ベルトコンベヤーは2本あり、メダンからの便とどこか別の都市からの便の両方が、仕分けされることなくごちゃ混ぜになってその2本のベルトコンベヤーに載せられていることがわかりました。
現場にいる空港職員に尋ねても、ひとによって言うことがバラバラです。仕方なくわたしは1番と2番のベルトコンベヤーの間を行ったり来たりして自分のトランクを探しましたが、見つかりません。
わたしは遺失物係に届け出て、クレームレポートを作りました。係員はわたしに、直接バティックエアーの本社へ行くほうがよい、とアドバイスしてくれました。わたしは空港で2時間以上待ってみましたが、何の成果もありませんでした。仕方なく手ぶらで、泊まる予定の兄弟の家に向かいました。
その夜21時ごろ、バティックエアーのコールセンターを含めて、入手したすべての連絡先に電話してみましたが、どれひとつ応答がありません。21時半になってやっとひとつの番号が通じましたが、担当者はいま席を外している、という返事しかもらえませんでした。
翌日、わたしはガジャマダ通りのバティックエアー本社を訪れました。行方不明のトランクを探している間、バティックエアーからの補償はない、と担当者は言います。しかしわたしは粘りました。やっと夕方になって、2011年運輸大臣規則第77号で定められた補償金三日分60万ルピアを入手することができました。バティックエアーの事務所に何時間も居座り続けないと消費者の権利が満たされないなんて、理解に苦しみます。
5月19日、バティックエアーから電話があり、所有者不明の黒色トランクがあると連絡して来ましたので、その写真をEメールかワッツアップでわたしに送るよう頼みましたが、それっきりでした。
5月26日、バティックエアーは弟の電話番号宛てにSMSで、「トランクは見つからない。クレームレポートはスカルノハッタ空港バゲージセンターに移管する」と言ってきました。
あらゆる番号に電話やSMSで連絡しても、反応はまったく悲惨なものでした。「返事を忘れた」「プルサが無くなった」・・・バティックエアーがこの種の問題に真剣さを示した姿をわたしは一度も見ることがありませんでした。
わたしのジャカルタでのスケジュールは、着替えの入手の問題と、バティックエアーとの間での紛失トランク探しの用事のために、大幅に狂ってしまいました。[ メダン在住、H シナガ ]