インドネシア行楽旅行情報2002〜06年


「プラウスリブでマリン観光」( 2002年8月 )
千の島と呼ばれている総面積10万8千ヘクタールの海上に実際に浮かんでいる島は108。この海域は水深20から40メートルで、平均気温は摂氏27度。ジャカルタ湾を形作っているこの海は、比較的波静かで海釣りには最適。ほかにも海水浴からスノーケリング、ダイビングなどマリンスポーツの楽しみは盛りだくさん。
海釣りに良い時期は5月から9月にかけて。晴天が多く、降雨量は百ミリ以下。一方11月から4月は雨量が多く、西風の季節で波高く、水流が秒速40センチに達することもある。底釣りなどを試みようものなら大変。ともあれ、釣りをご所望の向きには漁船のチャーターが便利で、アンチョル火力発電所(PLTU Ancol)の漁村、タンジュンパシル(Tanjung Pasir)、タンジュンカイッ(Tanjung Kait)、チリンチン(Cilincing)、ムアラバル(Muara Baru)、ムアラアンケ(Muara Angke)、パンタイダダッ(Pantai Dadap)などで調達可能だが、釣りたい魚種の漁場に詳しい漁師は一日50万から75万ルピアを要求するかもしれない。魚種によるが、名高い漁場はプラウパリ(Pulau Pari)[baronang]、プラウダマル(Pulau Damar)[tengiri]、プラウオンルス(Pulau Onrust)[kerapu,kakap]、プラウアイル(Pulau Ayer)[kakatua,kuwe]など。
島遊びの方は、ジャカルタからプラウスリブの島々への交通手段がいまひとつ充実さに欠ける印象だ。
アンチョルマリーナ(Marina Ancol)からはスピードボートのチャーターが可能で行き先もお好み次第だが、一日使って3百万から5百万ルピア。また最もジャカルタ寄りの観光地、プラウプトリ(Pulau Puteri)向けにも土曜・日曜に船が出る。所要時間は3〜4時間。
タンジュンプリオッ(Tanjung Priuk)のドンガラ(Donggala)港からプラウパンガン(Pulau Panggang)向けには週二回船が出る。プラウクラパ(Pulau Kelapa)へは毎日船の便があるが、所要時間は5〜7時間。他にもスンダクラパ(Sunda Kelapa)港から出発する船もある。あとは漁船をチャーターするという手があり、上記の漁村で交渉するのもよい。
海路でなく空を、という方法もある。飛行場があるのはプラウパンジャン(Pulau Panjang)で、滑走路は全長1.5キロ。軽飛行機の発着が可能だが滑走路の状態が悪くなっており、修復が必要なことから都議会が都庁に改修工事を要請している。このパンジャン島へはチャーター機が降りることができるが、ハリム(Halim Perdanakusuma)空港からのセスナとナバハイライト機による定期運行もある。月曜から木曜まで一日一便、土曜と日曜は一日二便で、所要時間は25分。


「チコネン観光村でツール・ド・カンプン」(2003年7月 )
ジャカルタからムラッ(Merak)有料自動車道路を西に向かい、チレゴンバラッ(Cilegon Barat)ゲートを出てクラカタウ(Krakatau)工業団地前を抜けると、アニエル海岸(Pantai Anyer)はあと20キロの道のり。チャリタ海岸(Pantai Carita)を目的地にするならもう30キロ追加しなければならない。
海岸に聳え立つオランダ時代に建てられた灯台が、アニエル到着を教えてくれる。海岸沿いにはコテージが並び、釣り好きは漁船をチャーターしてスンダ海峡沖合いへ。はるかにアナックラカタウ(Anak Krakatau)を望みながら、潮風に吹かれて釣り糸を垂らすのもエキゾチックな楽しみ。1883年8月に噴火したクラカタウ島が吐き出した火山灰は地球を覆い、西ジャワは暗黒に包まれてバタビアでは朝からガス灯に火が入れられ、気温も低下したという。15メートルを超える大津波がこの海岸一帯を打ち砕き、すべてを水中に沈めて3万6千人の生命を奪った。波打ち際に出れば、溶けたものが固まったとしか思えない大岩がごろごろしている。残念ながらアニエル海岸に砂浜は少ない。
首都圏住民にとっての海岸リゾート地であるアニエルだが、山側にも観光ツアーが用意されている。それがチコネン村(Desa Cikoneng)観光ツアー。
村人たちが大自然の中で昔から営んできた暮らしを見学し、現代文明が置き忘れてしまった何かに触れようというのがこのツール・ド・カンプンだ。ホテル・マンブルッ(Hotel Mambruk Anyer)のゲートから徒歩で出発。ゲート前の街道を越えるとボジョン・マラウルン部落で、屋根に椰子の葉を葺いた竹編壁の農家が並ぶ。家の中は暗い。ここはまだ電気のない村なのだ。この部落ではまず、グラメラと呼ばれる椰子から作る茶色い砂糖の製造を見学する。
稔った田んぼのあぜ道を通ってツアーは進む。向こうに一群の村人たちが働いているのが見える。竹を並べた板に稲束を打ちつけて脱穀の最中。「ちょっとやらせて?」とツアー参加者がトライ。そして汗をかいてあごを出す。
さらに1時間ほど自然の中を歩いたところで休憩。飲料水が参加者に配られる。次の部落では鳥の養殖を見学したあと、1千7百年代に建てられたモスクに至る。このモスクは1883年の大天災に耐えたというのに、1958年のダルルイスラム内戦で焼けたそうだ。げに恐ろしいのは人災か!?
徒歩ツアーは更に続いて、高さ75メートルの灯台に至る。そこからツアー出発点に戻るまで、海岸沿いを土産物屋をひやかしながらの漫遊。こうしておよそ2時間のツール・ド・カンプンは幕をおろす。


「バンドン郊外で苺摘み」(2004年4月 )
“Stroberi Petik Sendiri” と書かれた板を道路沿いのあちらこちらで目にする。ここはバンドン市からパトゥハ山(Gunung Patuha)を目指して南に下る、バンドン県(Kabupaten Bandung)ランチャバリ郡(Kecamatan Rancabali)アラムンダ村(Desa Alam Endah)ワルンパル部落(Kampung Warungpalu)の街道。
ランチャバリ郡にはおよそ5百軒の苺栽培農家があり、日々収穫と出荷のかたわら、行楽客にキロ当たり3万5千ルピアで苺摘みを誘っている。ここの苺栽培の特徴は、地面に直植えしないで米袋が使われていること。米袋におよそ40キロの土を入れて固め、50センチほどの高さにして苺を4株植える。地面に直植えした場合、土地が湿りすぎると苺がすぐ腐るので、その栽培方式はそんな性質への対応だそうだ。0.5ヘクタールの土地に1千袋あまり栽培している個人農家から、中には人を雇って5千袋も栽培している大手農家もある。
ランチャバリ郡はバンドン県の山あいに位置し、茶農園で知られたチウィデイ郡(KecamatanCiwidey)と近接している。もともとインドネシアになかった苺がこの地方に持ち込まれたのは、外国の苺生産地と気候的に似ていることから、ランチャバリのある農家が1995年ごろ外国から苺の苗を仕入れて試みをはじめたのがその発端。1997年にはこの地方で苺を知らない農家はなくなり、1999年からわれもわれもと生産が始められた。腐りやすいためにまずバンドン市周辺への出荷からスタートし、2000年にはジャカルタへの出荷も開始。2004年、ランチャバリ郡とチウィデイ郡の主要作物は苺を差し置いてほかにない、というほど苺の重要度が増している。
この地方で栽培されている苺は三種類で、もっとも一般的なのは地元でニョホ(Nyoho)と呼ばれているFragaria nilgerrensis、そしてカリフォルニアと呼ばれる小粒だが甘いFragaria vesca、もっともおいしいと言われているオランダいちご(Holland)のFragaria ananassa。そのいずれも週三四回収穫が行われている。農家にとって悩みの種は雨季の栽培で、雨に打たれると開花が難しく、それを防ぐためにビニールシートを屋根代わりに張ると、屋根の下の湿気が高まって実が腐る。そのため雨季は乾季に比べて生産が6割程度に落ちてしまうとのこと。


「ホテルインドネシアが生涯を閉じる」(2004年5月1日)
首都ジャカルタのほぼ中心点に居を構えるホテルインドネシア。日本政府の戦後賠償で二年間の工期をかけて建設され、1962年8月5日のオープンを当時のスカルノ大統領自らが行ったこのインドネシア初の国際級ホテルは、オープン当時贅を尽くしたものとして高い評価を受けた。このホテルのオープンはジャカルタで開催される第二回アジア大会を迎えるためのパッケージとして、スナヤン競技場コンプレックスならびにサリナデパートのオープンと一緒に行われている。
スカルノ政権期に、電力生産不足から都内に巡回停電が実施されても、このホテルに設置された専用ジェネレーターのおかげで首都でもっとも背の高いこのビルだけが連日煌煌と光を放っていたことはまだ多くの都民の記憶に残されているにちがいない。しかしその後の42年間の歳月の中にそのような権威が崩れ落ちていくのを防ぐすべはなかった。
1990年に観光業活性化政策によってホテルが雨後のたけのこのようにそびえはじめると、ホテルインドネシアはその影響をもろにかぶるようになり、その後の10年間は赤字続きとなった。ホテル建物の老朽化は外国人宿泊客の足を遠ざけてしまい、最近ではもっぱら国内客がメインとなっているが、それでも2001年以降はわずかながら黒字決算を計上できていた。
ホテルインドネシアの経営者は国営公社PTホテルインドネシア・ナトゥルである。ホテル建物の改築を民間資本で行おうと計画した公社は、入札の末に30年間のBOT条件による改築と運営の委託をPTチプタカルヤブミインダと契約した。チプタ社はタバコ業界第二位のシェアを持つジャルムの系列会社。
ホテルインドネシアは1993年に都庁が一級文化財に指定していることから、チプタ社は今の外観を変えることなく建物内部の改築を行う予定にしている。その構想によれば、今の586客室はスイートルーム303室に減らし、プラザインドネシア側に面したバリウイングを取り壊してコンベンションセンターとしてのファシリティを充実させることになっている。このバリウイング取り壊しは、それがスハルト政権期の1974年3月に増設されたものであり、アメリカ人建築デザイナー、エイブル・ソレンセンのオリジナルデザインに含まれていないため。
またタムリン通り側から見てホテル裏手にある別のホテル『インナ・ウィサタ』もチプタ社との契約の中に含められており、チプタ社の構想ではインナ・ウィサタホテルは全面的に取り壊されてショッピングセンターに姿を変え、ホテルインドネシア側とブリッジアーケードで結ばれることになっている。
4月30日に生涯を追えたホテルインドネシアはホテルグランドインドネシアと名を変えての復活の日が待たれているが、解雇されたふたつのホテルの従業員1,164人には失業の日々が待ち受けている。


「モナスでまたリフトが故障」(2004年5月4日)
イスラム預言者ムハンマド生誕を祝うマウリッが加わって三連休となった5月の月明けに、都民は思い思いの行楽地へと繰り出したがモナスへの人出も相当なものだった。
高さ132メートルのモナスは115メートルの位置に展望台があり、リフトでそこまで登ることができる。ブカシのアラファ幼稚園遠足行事でモナスを訪れた子供と父兄数十人がリフトの故障で展望台に閉じ込められ、2時間後に非常階段を使って救出されたという事故が去る3月23日に起こったばかりだが、5月2日ふたたびそのリフトが止まってしまった。
その日午後2時半頃、モナス展望台に登ろうと大勢の来場客が殺到して一階リフト入り口が押し合い状態となり、リフトのゴンドラが外扉のキーと接触して折れてしまった。そのせいでリフトは運行不能となり、展望台にいた数百人のひとびとは降りることが出来なくなった。一部の人は、駆けつけた警察官の誘導で狭く急な非常階段を通って脱出することができたが、婦人たちの中には百メートルもの高さをそんな階段を伝って降りて行くことに恐怖を示し、失神する人まで出るありさまで、展望台にはパニックが広がった。しかしリフトも応急修理がなされて1時間余りで運行が再開され、二階までだったが展望台のひとびとを下ろすために大車輪の働きをした。結局全員が脱出したのは午後5時ごろで、通常午後5時半まで営業している一階の展望台入場券販売窓口は全員の脱出を確認するとすぐに閉鎖してしまった。
リフトメンテナンス会社はその後も修理作業を続け、一階まで降りられるようにして営業再開にこぎつけたのは5月3日昼12時半。ところが5月3日にも大勢の来場客がモナスにまた殺到。ほとんどのひとが前日の出来事などまるで知らず、事件を聞かされても「せっかく来たんだから、上まで登らなきゃ。」と大人5千ルピア子供2千5百ルピアの切符を買ってリフト前に長蛇の列を作っていた。


「サファリパークで大蛇の身体測定」(2004年5月12日)
ジャカルタ郊外のパンランゴ山腹にあるタマンサファリインドネシア。高原行楽地プンチャッへの街道から脇道にそれてしばらく車を走らせると、サファリパークに至る。このサファリパークで1998年から飼育されているパイトン種の大蛇の身体測定が10日、パーク内で行われた。結果は体長6.9メートル、体重60キログラム。毒はもっていないが、職員が7人がかりで身体をまっすぐさせるのに大わらわ。
この大蛇はメスだが、子孫を殖やすために近々オスを連れてきてハネムーンに入ってもらおうと同パークでは計画している。


「アンチョルドリームランドが新たな施設を計画」(2004年5月13日)
アンチョルドリームランドを運営するPTプンバグナンジャヤ社が、2006年の完成を期してビーチクラブを建設する、と発表した。パンタイカルナヴァルエリアに作られるビーチクラブ施設には、音楽ホール、カフェ、ディスコ、ホテルなどが入る予定で、この建設には4千億ルピアの投資が見積もられている。中でも1万人収容の音楽ホールは20から25年間のBOT契約による投資勧誘が行われており、三社が既に名乗りをあげている。
同ドリームランドでは、リッポグループとの間で5年前にオープンされたシーワールド、アストラ年金基金の投資になるロープウエーなど外部資本によるBOT契約施設の前例に事欠かない。アンチョルドリームランドの昨年の収入は4千5百億ルピアで840億の利益が計上されている。


「ことしはEnjoy to Jakarta」(2004年5月14日)
今年もジャカルタ創設記念日が近付いてきた。例年6月22日の記念日を中心にしてさまざまなイベントが開催される。6月から7月にかけて首都をにぎわすイベントは、ジャカルタフェア、ジャカルタ10キロマラソン、モナス光の祭典、川を舞台に開かれるショー、そしてほとんどすべてのモールやショッピングセンターで外国からのショッピング観光客誘致に協賛して行われるジャカルタグレートセール。都庁観光局がそれら今年のイベントを”Enjoy to Jakarta”というキャッチフレーズに取りまとめ、そのプログラムを海外に売り出して行く。これから更に企画が肉付けされていくさまざまな文化芸術アトラクションも加えて、今年もプログラム期間中は毎日どこかでなにかが催されている、という日々がやってくることだろう。スティヨソ都知事が「光の雨、アトラクションの雨」と形容する華麗な体験を期待しよう。


「ミッシー・エリオットがジャカルタに」(2004年5月24日)
アメリカンヒップホップの大スター、ミッシー・エリオットがスナヤンに来る。A Mild Live Production Missy Elliot in Concertは5月26日夜8時にスナヤン屋内競技場(Istra Senayan)で催される予定。このコンサートはA Mild Live Productionと新進音楽プロモーターLunar Entertainmentが共同でジャカルタに呼んだミッシーのジャカルタ直行コンサートで、東南アジアのほかの国でのかの女のコンサートは計画されていない。
このコンサートの企画に関してルナーエンターテインメントのアンディタ・スリアサリ営業課長は、ヒップホップ音楽ファンはインドネシア、中でもジャカルタに数多く、アメリカンヒップホップのシンボルであるミッシーのジャカルタ公演を待ちかねているファンはたくさんいるはず、と述べている。ちなみに入場券はVIP席75万ルピア、フェスティバル席40万ルピア、トリビューン席35万ルピア。


「アセアンヒップホップパスでおてごろなアセアン観光を」(2004年5月25日)
アセアン10カ国のツーリズム振興機関が30万ドルの資金を拠出したASEAN Hip-Hop Pass 2004の広報担当にマレーシアのPR会社が指定された。アセアンの観光振興を司るASEANTA(ASEAN Tourism Association)はクアラルンプルに本部を置いている。
アセアンタはアセアン観光振興を目的に、2004年4月15日から2005年3月25日までの期間、アセアン加盟10カ国への観光訪問客に対して廉価パスを発売する。このパスの条件は二カ国を訪問先として三枚の航空券を購入することで、パッケージ料金はUS$399。訪問先国を増やす場合は一カ国当たりUS$150が追加になる。ヒップホップパス所有者はホテルパスが使用でき、ホテルパスの料金は三つ星クラスでひとり一泊US$35、四つ星US$50、五つ星US$70、またツアーパスもあってこちらはひとりUS$30。


「ミッシー・エリオット公演が急遽取り止めに」(2004年5月26日)
5月26日のジャカルタ公演が予定されていたアメリカンヒップホップスター、ミッシー・エリオットが、インドネシア訪問を突然取り止めた。ミッシーのマネージャー側から取り消しの連絡が入ったのが,ジャカルタ時間25日午前3時のことで、このコンサートをプロモートしていたルナーエンターテインメントは公演前日のキャンセルを公表せざるを得ないはめにおちいった。訪問取り止めの理由については、23日にアメリカ政府が出したインドネシアへの渡航勧告と国内での警戒警報に従うため、としている。公演主催者側は既に購入した切符の払い戻しに応じる、と述べている。 一方、カナダ政府も国民に対し「バリを含むインドネシアへの観光渡航はすべきでない」との勧告を出した。特に南スラウェシ州に関しては、西洋権益に対するテロの恐れがあるとして、アチェやマルクなど抗争状態にある州と同様の訪問自粛警告を表明している。


「ボゴール植物園に10万人の人出!?」(2004年6月4日)
昨日6月3日のボゴール市創設記念日が祝日と重なったことから、植物園無料開放に大勢の人が押し寄せて入園者は10万人を超えたとのこと。この日は朝から園内大広場で催される祝賀大会に参加しようと大勢の市民が訪れ、最初はパジャジャラン通りに面した第三ゲートから入ろうとしたが、ゲート職員が招待状を持たない者の無料入場を認めなかったために、数千人が正面第一ゲートに詰め掛けて押し合い状態となり、門扉が押し倒されそうになったために職員がゲートを開いたので、来園者は堰を切ったように園内に流れ込んだ。創設記念日祝祭実行委員会は園内大広場に市内高校生チアリーダーの演技とタンジドルやクチャピスリンなどの伝統芸能といった催し物を用意したので、来園者は新旧の演芸を堪能していた。そのほか、お祝いには欠かせないナシトゥンペン153盛りや無料飲み物スタンドも2箇所に用意されたが、ごったがえす来園者が瞬く間にこの無料のふるまい物を減らしていった。入園者の中には、「無料開放と聞いてやってきたのに、切符を買わされた。」と苦情を述べる人がいたが、園側当局者は、「市長一行が来たあとで無料開放になるので、その前に入園した人は切符を買っているはず。」と説明していた。また植物園周辺の道路では来園者の駐車で道路が狭められ、交通渋滞が随所に発生していた。


「今年のジャカルタ10Kランは2万人参加が目標」(2004年6月16日)
参加申し込み締め切りを三日後に控えた15日現在、今年のジャカルタ10Kラン申込者数は2万人に近付いており、今回は史上最大規模になるだろう、とユディ・ストヨ都庁青年スポーツ局長が語った。首都5市がそれぞれ学生生徒3千人一般8百人を出場させるので、締め切り時には2万人を超えるものと同局長は期待しているが、この催しをロサンジェルスやボストンのような世界的に認知されるものにするためには、国際的トップクラスのランナーの出場も必要とのこと。今回は12人の国際級ランナーが申し込んできており、その中にはオーストラリアのシセイ・エリザベスとサイモン・フィールド、モロッコのゴウンリ・アブドゥラヒム、タンザニアからはスレ・マーティン、ケニアのサミー・キプルト、ポーランドからダリウス・クルチュコウスキーらの名前が見られる。
総額5億ルピアの賞金を目指して6月20日午前6時から10時まで行われるこの10キロランのルートは、モナス広場を出発してタムリン通りに入り、ホテルインドネシアロータリーを経てスディルマン通りを南下し、スマンギ立体交差でターンしてまたモナス広場に戻るというもの。


「学校休みの行楽先は?」(2004年6月19日)
ひと月を超える長い学年休みに入って、小中高生を持つ親が子供をもてあますのはインドネシアも同じ。しかしながら、わが子に有意義な体験を与えたいというのも親心。
という状況を敏感に受け止めて、子供向けお楽しみマーケットビジネスも活況を呈している。アンチョル、タマンミニ、タマンサファリなど首都圏のトップクラス行楽スポットはこれぞ快心の策という催し物を用意してお客の到来を待っている。子供キャンプの主催も盛ん。
核家族で両親共働きのお宅でも、ご心配無用。当方にお預けくだされば、お子様に楽しく有意義な、そして自立心をはぐくむ活動をお世話します、というキャッチフレーズで、子供中心のファミリー雑誌Boboがマグランとジョクジャを巡る子供だけのカルチャーツアーを募集している。同誌はすでに子供ツアーを5回開催しており、テーマを決めてジャティルフルやタマンサファリなどを訪問している。募集対象は8歳から12歳の子供で、5日間を親なしで過ごし、今回のツアーの中にはガルーダ航空のワークショップを訪れたり、空港でのさまざまな業務活動を見学するというプログラムも含まれている。ほかにもボロブドゥル寺院やワヤン博物館訪問、ガムラン演奏や伝統舞踊の速成コース、王宮訪問、黒砂糖や焼き物製作、地元農村の子供たちとの交歓会など、5日間のプログラムは盛りたくさん。募集人数は80人で、実際にジョクジャまでガルーダ航空で飛ぶが、それも含めて参加料金はひとり75万ルピア。
そんな遠くまで長い間子供と顔をあわせないのは不安、という親御さんにはタマンサファリで三日間の子供キャンプジャンボリーの企画もある。Jambore Anak Bianglalaと題するこの催しの対象はやはり8歳から12歳の子供たちで、タマンサファリキャンプ場で寝泊りし、園内の動物に身近に接し、パンランゴ山を歩いたり、山麓のカンプンを訪れたりとアウトドア活動がメインになる。この参加費用はひとり50万ルピア。
首都圏での日帰り行楽なら、まずはタマンミニ(Taman Mini Indonesia Indah)。巨大なカタツムリ型パビリオン、キオンマス内にあるIMAXシアターの巨大スクリーンでハリポタ映画の鑑賞はいかが?収容能力8百人の巨大映画館では第三作『ハリーポッターとアズカバンの囚人』を一日三回上映。料金はピークシーズンのために一人4万ルピア。同園内ではまた6月27日にオペレッタ『ピノキオ』の上演も予定されている。子供をハリポタに預けて自分はお買い物という親御さんには、7月4日から18日までハンディクラフトとフードバザーも開催される予定。
ボゴール県チサルアのタマンサファリ(Taman Safari)は従来の動物ショー一辺倒から脱皮して、6月20日から人間のショーをはじめる。ワイルド・ワイルド・ウエスト・ショーと銘打ったこの新企画では、インドネシア人カウボーイが馬を駆り、早撃ちガンマンと対決し、高所にいる悪漢を撃ち倒せばスタントショーの見せ場に早変わりといった趣向。およそ三十分間のショーに総勢36人の役者さんが登場し、お得意の馬や犬そして猛禽類が彩りを添える。
アンチョルドリームパーク(Taman Impian Jaya Ancol)は、人気スポットのドゥファン(Dunia Fantasi)とシーワールドにピークシーズン料金が適用される。ドゥファンは6月19日から入場料がひとり6万ルピア、シーワールドは6月28日からひとり2万5千ルピアになるが、シーワールドでは優等生無料優待を7月いっぱい行う予定にしている。学年でトップスリーになった生徒は、成績表を持参してそれを証明すれば入場が無料になる。
ラグナン動物園(Kebun Binatang Ragunan)は中下流庶民に人気の行楽地。大人3千ルピア、子供2千ルピアで入場でき、緑陰に恵まれた広大な敷地で終日ピクニックを楽しめるのは大きな魅力。休日の入場者は一日5千人を下らないというこの動物園は、特に子供向けアトラクションを意識しておらず、馬や象に乗ったり、ガイドツアーに加わったりという定番だけ。
もう少し別の趣向を楽しみたい方には、中央ジャカルタ市プタンブラン地区KSトゥブン通りにあるテキスタイル博物館(Museum Tekstil)はいかが?さまざまな布の展示コレクションや染色原料植物園の見学だけでなく、3時間足らずのバティック製作体験コースも参加料2万5千ルピアで用意されている。ハンカチ程度のバティック製作では物足りない方は、カインパンジャン(kain panjang)やスレンダン(selendang)製作も可能。こちらは費用15万ルピアで、必要な道具類はすべて博物館に備えられている。
歴史的文化遺産に触れてみたい人には、サハバッムセウム(Sahabat Museum)が主催するプレシラン・テンポドゥル(Plesiran Tempo Doeloe)のツアーに参加するのも一興。サハバッムセウムは毎月最終日曜日に首都圏の歴史サイトを訪れる二時間程度の徒歩ツアーを主催しており、ピクニックを兼ねた文化ガイドツアーとして愛好者から人気を博している。参加費はひとり2万5千ルピアで、スナックと飲み物、そしてフォトコピーの資料をもらうことができる。最近では毎回3百人ほどが参加する大きな催しになっており、サイト見学は妥当な人数に分けられてガイドと一緒に行動する形態をとっている。サハバッムセウムはメーリングリストsahabatmuseum@yahoogroups.comで情報を流しており、このリスト登録者数は5百人に近い。


「ウジュングンテンへアオウミガメ産卵を見学」(2004年6月 )
スカブミからおよそ70キロ南にあるインド洋に突き出したパグンバハン海岸(Pantai Pangumbahan)の突端にウジュングンテン(Ujung Genteng)があり、そこにはアオウミガメが産卵にやってくる。ジャカルタからだと250キロの道のりを踏破しなければならないが、それでもウジュンクロンよりはアクセスが楽で、アニエルの人ごみよりは自然を身近に感じることができ、ここ数年商業化の進んだプラブハンラトゥよりも素朴な自然を満喫できるというのがウジュングンテンのメリット。
アオウミガメ産卵見学は、ウジュングンテンに着くと車から降り、産卵保護区目指しておよそ三キロ砂浜を歩く。そこにいる監視員に相応の謝礼金を渡して産卵見学を頼めば、夜中まで産卵シーン見学の世話をしてくれる。予約や登録や、面倒な手続きはなにもない。
時に徹夜でアオウミガメがやってくるのを待たなければならないこともあるため、必要なのは徹夜を覚悟すること、夜の海風から身体を守ること、ござなど座ったり寝そべったりするためのもの、蚊の対策。そしてつらい徹夜は美しい夜明けの光景で報われることになる。
この地区にはほかにも観光スポットがいくつかあり、ダイビングのできるチブアヤ(Cibuaya)、砂糖やし(aren)から黒砂糖を作る工程を見学できる椰子農園のあるチテスポン(Citespon)、そしてスカブミからウジュングンテンへの途中にはチュルッチカソ(Curug Cikaso)とチュルッチガンサ(Curug Cigangsa)のふたつの滝を見物することもできる。ウジュングンテンには宿泊施設もあり、一泊6万ルピアから65万ルピアという料金で泊まることができる。


「観光セスナ機がリド湖に墜落し、乗っていた全員が死亡」(2004年6月21日)
ジャゴラウィ高速道路終点のチアウィからスカブミを目指すスカブミ街道の途中にリド・レクレーションパーク(Taman Rekreasi Lido)がある。ボゴール県チジュルッ郡に位置する海抜460メートルのこの高原行楽地には宿泊施設やレストラン、ゴルフ場、遊園地などもあって首都圏有数の行楽先のひとつになっているが、休日には行楽客でにぎわうこのパークの目玉はリド湖という大きな湖。
6月20日昼12時半頃、リド・エアロスポーツ飛行場から飛び立った観光セスナ機が、離陸してから数分後にリド湖に墜落した。乗っていたのはパイロット、パラシュート降下を行おうとしていたインドネシア人ひとりとそのアシスタント、ならびにオーストラリア人観光客で一緒にパラシュート降下を行おうとしていた男女ふたりの合計5人。オーストラリア人観光客はインドネシアに入国して二日目だった。
事故当時現場に居合わせた、リド湖で竹いかだ業を営業している目撃者は、「湖の上を飛行機がよろよろと飛んでいたが、墜落したので驚いた。湖上に墜落するとき飛行機はごほごほと咳をしているみたいだった。」と証言している。別の住民は、大きな音がして飛行機が傾き、バランスを失って湖面にまっさかさまに突っ込んでいった、と語る。「落ちたのは5百メートルくらい向こうの方で、飛行機はちょっとの間浮かんでいた。人がひとりばたばたやっているのが見えた。その後機体は沈んでしまい、人の姿は見えなくなった。」と述べている。チジュルッ警察は、「セスナ機は北向きに飛び立ったが、突然機首を東に向け、滑走路に戻ろうとしたようだ。エンジントラブルが起こったらしく、その後湖に緊急着水しようとして今回の事故となった。沈んだ場所は深さが18メートルほどあり、捜索隊がタイヤ、プロペラ、機体の一部を発見している。」と説明している。日曜夜の時点で、犠牲者の遺体はまだ引き上げられていない。
リドでのエアロスポーツ関連の事故は今年4月中旬にも発生している。前回は超軽量飛行機に乗ったふたりが遭難して行方不明となり、チジュルッ郡ワテスジャヤ村のとうもろこし畑で遺体が発見されている。


「学校休みシーズンのアンチョルでの催し物は?」(2004年6月22日)
今日6月22日の第477回ジャカルタ創設記念日を祝って、アンチョルドリームパーク(Taman Impian Jaya Ancol)は例年恒例の無料開放を行う。午前6時から夜8時までの間に入場する人は無料。パーク内にはドゥファン(Dunia Fantasi)、プール(Gelanggang Renang)、水族館パーク(Gelanggang Samudera)、ロープウエーなどの施設があるが、それは有料。とはいえこの記念日に野暮は言わない。一枚の切符をふたりが使えるという出血サービスだ。
パーク内施設は、学校休み期間の営業時間を変更している。ドゥファンは6月19日から7月19日まで開園午前11時、閉園午後8時。プールは午前8時から夜8時、水族館パークは午前9時から夕方5時まで。
パーク内にはもっと他のスポットも盛りだくさん。パサルスニ(Pasar Seni)では6月11日から月末まで、ジャカルタオンザスポットと題する絵画展示会。子供版アバンノネ・コンテストは6月16日から月末まで選考が続けられる。7月9日から11日まではパンタイカルナバル(Pantai Karnaval)で国際凧揚げ大会。パンタイカルナバルの6月26日はスティヨソ都知事を招いて青年の夜(Pesta Malam Muda-mudi)。この催しは言って見れば花火とダンドゥッ大会で、クリスティナ、アユ・ソラヤ、ベラ・サフィラ、アラム、イタ・プルナマサリ、チュチュ・チャヒヤティ、メリ・アンダニなど錚々たる顔ぶれが勢ぞろい。
健全なファミリー行楽は都民の憩いの場アンチョルへどうぞ、とパーク側は呼びかけている。


「ジャカルタ創設記念日にモナスで光が躍る」(2004年6月22日)
今日はジャカルタ創設記念日で、随所でさまざまな催しが企画されている。中でも毎年そのセンターに位置付けられているモナスは今年、壮大な光のページェントを都民に見せてくれる。都庁が企画したこの光ページェントは、さまざまな色を配色した静的彩色にかぶせて変化する形や影、映像などの動的彩色をそこに織り込む、見る者を飽きさせない楽しい企画。
建築家スダルソノとシラバンが設計し、1975年7月12日に一般公開された、インドネシアを象徴する高さ137メートルのこの塔の頂上には、14.5トンの青銅製の炎が35キロの黄金を身にまとって鎮座している。このモナスに投影される華麗な光ページェントは決して安上がりにはできないもの。ある情報によれば都内の主要広告設置ポイントでの広告許可と引き換えに民間企業から集めた155億ルピアの資金で実現されたものだという。今日の創設記念日をかわきりに、都庁は毎週土日祝日の夜7時から9時までこの光ショーを上演する計画にしている。
また、今はトタン板で覆われてしまったホテルインドネシアに面するロータリーも、今夜のために趣向をこらした光と噴水のページェントを見せてくれることになっている。今夜は家の中にはいられない?!


「モナスの光のショーは今後も継続」(2004年6月25日)
6月22日は過ぎ去り、モナスの塔を彩った感動的な光のショーも終わったが、スティヨソ都知事は、今後も都民の目を楽しませるためにこの光ショーは継続する、と語った。都庁の情報では、光ページェントショーの時間割は下の通り。
18.00−19.00 固定ライティング(台座と塔は白、炎は変化)
19.00−19.10 台座と塔は赤白に変化(時報として)
19.10−20.00 彩色がさまざまに変化
20.00−20.10 台座と塔は赤白に変化(時報として)
20.10−21.00 ライトグラフィックパフォーマンス
21.00−21.10 台座と塔は赤白に変化(時報として)
21.10−24.00 彩色がさまざまに変化

ところでこの光ショー設備の設置に要した156億ルピアの資金は民間から調達されたが、民間企業は言うまでもなく広告宣伝費として支出している。見返りは都内の要所での広告塔設置だ。民間企業(一説ではインドフード社)に対して都庁は12ヶ所の設置ポイントを示唆した。その中にひとつ、ホテルインドネシア前ロータリーの東側に設置されているビデオトロンが含まれている。
都知事は同ロータリーの噴水改修の際に、ロータリーから半径2百メートル以内にあるすべての広告を撤去させたが、このビデオトロンだけは許可が2005年まであったことから許可期限待ちとされていた。今回の光ショーに関連してその期限が延長されるのは確実だろうと都行政観測筋は見ている。


「インドネシアでの花見はチボダス植物園で」(2004年6月29日)
華麗な彩色の熱帯植物ではなく、ここで言っている花見の対象はほんとうの桜の花。ジャカルタ近郊のプンチャック街道を上ればチボダスに植物園がある。グデ山パンラゴ山の山腹に位置してボゴールの本園よりはるかに広いが、訪問客数は段違い。かえってここは穴場かもしれない。
標高1千3百メートルを超える高さにある125ヘクタールの一大ガーデンは、1862年にヨハネス・エリアス・テイシュマンによってボゴール植物園の拡張施設として開かれたもの。歴史の中では、インドネシアにキニーネがもたらされたときの最初の受け入れ地としてその名をとどめているこの植物園には、しだ、パーム、竹などのコレクションがあるが、日本人にとってうれしい桜の林がある。最初32本から始まった桜林は、いまでは150本を超える大所帯となって、サクラガーデンが形成されている。
インドネシアで桜の開花期は12月から3月にかけてと8月9月の二回。それがどうしたことか、いまサクラガーデンでは次々と花が開いている。植物園側はこのサクラガーデンをもっと景色の良い場所に移転させようと計画している。


「チチャティ川の激流を楽しむ」(2004年7月 )
ボゴールの南に位置するサラッ山(Gunung Salak)の山系から流れ出すチチャティ川(Sungai Cicatih)はスカブミの平野に達してチマンディリ川(Sungai Cimandiri)と合流し、プラブハンラトゥ(Pelabuhan Ratu)の漁港でインド洋に注ぎ込む。ここは絶好のラフティングコース。
ラフティングのスタート地点はウブルッ水力発電所ダム(DAM Pusat Listrik Tenaga Air Ubrug)だが、もっと下流のボジョンクルタ村(Desa Bojongkerta)にももうひとつのエントリーポイントがある。ルウィラライ(Leuwilalai)の吊橋がフィニッシュで、ウブルッからだとおよそ3時間の行程。
このルートのラフティングオペレータはリアム・ジュラム(Riam Jeram)とチェロキー(Cherokee)の二社。料金は15万ルピアから20万少々まで少し差があるが、これはスタートポイントまでの交通費、昼食代、保険料込みのお値段。
もう一本、ンドゥッ山(Gunung Endut)をはさんでチチャティ川の西側にチタリッ川(Sungai Citarik)がある。こちらは四つのオペレータが競合しており、大手はアルス・リアル(Arus Liar)かBJ’s。
スカブミからプラブハンラトゥに向かう山越えの道を南に下っておよそ40キロ、ボジョンクルタ村に入ると何百年も変わらない自然を全身で満喫しつつ波打つ地道を走って一路川を目指す。行き止まりの川岸では激しい水音を背にして、ラフティングガイドがあなたを待っている。


「パンチャル山自然公園で癒し体験を」(2004年7月 )
都内からジャゴラウィ有料自動車道路を経ておよそ2時間の行程。ジャゴラウィの南スントゥルゲート(pintu tol Sentul Selatan)を出てから東南の方向におよそ13キロ走る。
ブキッスントゥル(Bukit Sentul)住宅地区を抜けて、とある三叉路に至るとやっとパンチャル山(Gunung Pancar)の文字を見出す。目的地はまだ7キロも先だ。アスファルト舗装がとぎれ、あちらこちらに窪みの散在する道路を踏み越えてしばらく行くと、地元町の通行課金徴収の洗礼を受けた。
ここが目標の西ジャワ州ボゴール県チトウルッ、ババカンマダン郡カラントゥガ村(Desa Karang Tengah, Kecamatan Babakan Madang, Citeureup, Kabupaten Bogor)だ。徴収された課金は1千ルピア。
山を目指してさらに30分ほど走ると、ついにパンチャル山自然公園(Taman Wisata Gunung Pancar)の入り口に到着。入園料はひとり1千ルピア、自動車一台2千ルピア、オートバイなら一台1千ルピアだ。キャンプを張るなら5千ルピア、山頂登山なら一日5人単位で2万5千ルピア。登山ガイドも一日2万5千ルピアでスタンバイしている。
ところが、そこを通った先にもうひとつのゲートがあって、ふたたび入園料が徴収されるのに人は驚く。
ここで徴収されるのはひとり5千ルピア、自動車3千ルピア、オートバイなら1千5百ルピア。そして駐車料と警備費として1千から3千ルピアの範囲で支払いが要求されるが、この駐車料と警備費は強制ではないというところがインドネシアらしい。
舗装などまったくない上り坂の山道を、車は穴を避けながら緩慢に進む。道の両側は整然と植林された松林で、高度を増すにつれて清涼さを高める空気は豊かなフィトンチッドに満ち、心身ともに癒されていくのを感じる。森林公社PTプルフタニから西ジャワ州第一天然資源保存院に1992年に移管され、いまや自然公園として一般に開放されているこの自然公園の中を走る山道を、車はひたすら最終目的地に向かって進む。
ついに到達したのは、山中にある温泉郷。湧き出る温泉の水を溜めた温浴場がいくつかあり、それぞれはおよそ高さ2.5メートルの壁で仕切られている。女性用、男性用、そして浅い子供用。男性用の湯がいちばん熱く、女性用は少しぬるめだそうだが、日常生活で湯に浸る習慣を持たないひとびとにとっては、少々苦行じみている。リューマチ、神経痛、皮膚病など万病に効くとの効能が口伝えに広められ、ジャボタベッからここに温浴に訪れるひとは少なくない。
土日は混雑することもあり、また木曜金曜の夜は温浴で一夜を過ごすひともいるとのこと。
南国の星降る夜空を仰ぎながら水着を着て熱い湯を味わのも、心休まる癒し体験ではあるまいか。


「今年の学校休みは海外旅行熱が低い」(2004年7月12日)
為替レートがルピア安になったために、今年の学校休み期間の海外旅行熱は昨年より低い。ASITAインドネシア旅行代理店協会のイェクティ・スラジ事務局長はそう語った。昨年の海外旅行はたいへん盛況だったが、今年は盛り上がりに欠けており、旅行先のメインはシンガポールとマレーシア。アセアン域内観光振興を目的に今年4月15日から2005年3月25日までの期間に実施されているASEAN Hip Hop Passの人気もパッとしない。このパスは、インドネシア、シンガポール、マレーシア、ブルネイ、フィリピン、ベトナム、カンボジャ、タイ、ラオス、ミャンマーの10カ国の中から2カ国を訪問するのが条件になっており、399米ドルで三枚の航空券を買わなければならない。訪問先国を増やす場合は一カ国につき150米ドル増える。他にもホテル料金や観光ツアー料金が安くなる。
海外旅行が減っている分、国内観光旅行が増加しているようで、人気の高い訪問先は例によってバリ、ロンポッ、ジョクジャ。昨年はスラバヤからブロモ山というルートも人気があったが、ブロモ山噴火の影響でこのルートは閑散。国内観光先にはショッピングが満喫できる場所が含まれているのが重要な条件だ、と同事務局長は分析している。たとえばバンドンは、週末に大勢の観光客が押しかけて、ショッピングの場はひとで溢れるのがその例だ、とのこと。学校休みももうあまり先が長くなくなっており、旅行代理店業界のかきいれどきは7月20日ごろで峠を越えるだろう、との事務局長の談。業界のかきいれどきは年に三回あり、年末年始シーズン、6月7月の学校休み、そしてレベルは落ちるがルバランの時期だそうだ。


「インドサットがSMSによる観光情報サービスを開始」(2004年7月13日)
インドサットが携帯電話顧客に対し、SMSを経由して観光情報が入手できるサービスを開始した。まずは東部ジャワ州の観光情報に限定されているが、Mentari、IM3、Matrixの顧客が5777番にSMSを送れば、ホテル、観光地、カフェ、レストランから汽車・飛行機のスケジュール、地元手工芸品や特産品などの情報を入手することができるというもの。このサービス開発と運営に当たってインドサットは、データ提供者としてタブロイドJatim News、コンテンツプロバイダーとしてブラウィジャヤ大学IT研究推進ユニットそして東部ジャワ州観光局との協力を進めている。
東部ジャワ州でのサービスを軌道に乗せた後は、これを全国各州に広げていく、とインドサット側は計画している。


「全国規模のロックフェスティバルが開催される予定」(2004年7月13日)
タバコメーカーのジャルムが音楽プロモーター、ログ・ゼレブールと共同でDjarum Super Rock Festival Xを開催する。全国12地区における参加受付はもう始められており、今回は5百バンドの参加が期待されている、とのこと。受付はリアウ、北スマトラ、アチェ州はメダンで、西スマトラはパダン、スマトラ南部はバンダルランプン、ジャボタベッとバンテンはジャカルタ、西ジャワ州はバンドン、中部ジャワとジョクジャはジョクジャで、東部ジャワはスラバヤ、バリと東ヌサトゥンガラはデンパサル、南と東南スラウェシはマカサル。北スラウェシ、中央スラウェシ、カリマンタンは最寄のジャルム支店で、となっている。
各地元では参加バンドを二つ選出して全国セミファイナルに送り、最終的に10バンドがグランドファイナルで競うことになる。参加料は25万ルピア(一部地域は20万ルピア)で、レコーディング契約をだれともしていないという条件が付く。全国セミファイナルへの出場権を獲得できれば、参加バンドはスラバヤへの交通費宿泊費を含めた賞金2千万ルピアがもらえることになっている。今年10月にはセミファイナル出場者が決まり、12月のグランドファイナルはスラバヤのグローラ10Novemberスタジアムで華やかに開催される予定。賞金総額1億5千万ルピアは、優勝、二位、三位、期待賞、人気賞のバンドと歌手、ギター、ベース、ドラム、サポートなど優秀個人に分けられる。グランドファイナル出場バンドの演奏はアルバムに納められて発売される予定にもなっている。ちなみに今回10回目を迎えるこの催しで過去に優勝したロックバンドは1984年にデンパサルからHarley Angels、1985年マランのElpamas Pandaan、1986年スラバヤのGrass Rock、1987年スラバヤのAdi Metal Rock Band、1989年スラバヤのPower Metal、1991年ソロのKaisar、1993年スラバヤのAndromedha Rock Band、1996年トゥマングンのTeaser、2001年クディリのU9となっている。


「首都の観光行楽情報に新機軸」(2004年7月15日)
都庁観光局はPT Infomedia Nusantaraと共同で、観光客や都民に対する行楽情報供給に新機軸をもたらそうとしている。イエローページとホワイトページからなるテルコム社の電話帳を発行しているインフォメディア社はEnjoy Jakarta Channelと銘打ったLCDタッチスクリーン方式のインフォボックス60台を制作した。このボックスの中には、首都の観光情報、ショッピングやエンターテイメント情報が満載されており、用意されたインフォボックスは、ホテル、モール、空港などひとが大勢集まる場所に設置される予定になっている。インターネットからのアクセスも可能だそうで、首都ジャカルタの娯楽、買い物、宿泊、交通、スポーツなどの情報をお求めの方は是非どうぞ、とのこと。


「スカルノハッタ空港で、一部航空会社がターミナルを移動」(2004年7月26日)
従来スカルノハッタ空港の2Fターミナルを使用していたガルーダ航空シティリンクとライオンエアーが1Aターミナルに移動する。
低料金空運旅客サービスを提供するその両者は、乗客の風体や振る舞いが一国の表玄関空港ターミナルをまるでパサルのようにしている、として批判を浴びていた。今回のターミナル移動でチェックインカウンターは国際線用第二ターミナルから姿を消すことになるが、この移動について空港管理公社アンカサプラ?は、1Aターミナルの効率向上を目的にしたものだと説明している。
国内定期旅客便サービスを提供していた多くの航空会社がオペレーションを停止しており、第一ターミナルの稼動状況が大きく変化しているのはその通りで、アチェ・スラワエアライン、インドネシアエアー、AWエアー、バユエアーなどが既に運行を止めている。その結果1Aターミナルの稼動はムルパティとプリタだけによるために稼働率は30%しかないのが実態だ。第一ターミナル全体で見れば80%しか稼動していない。そのためにシティリンクとライオンエアーを1Aに移すことでいくつかの問題を解決させようというのがアンカサプラ?のアイデアのようだ。ただしライオンエアー便の一部は2Fターミナルに残るものもある。この移動は8月に実施される予定になっているが、何日からという案内はまだ出されていない。
ところで、全国23の空港で徴収されるパッセンジャーサービスチャージが8月1日から値上がりする。値上がり幅は1万ルピア程度とのこと。


「アセアン・ヒップホップパスは宣伝不足」(2004年7月29日)
アセアン10カ国の観光振興機関が共同で始めた域内観光廉価パスのインドネシアでの売れ行きは微々たるもの。旅行代理店に尋ねても「知らない」と言うところが多い。このパスは2004年4月15日から2005年3月25日までの期間、アセアン域内の2カ国を訪問するための航空券がUS$399で買えるというもので、訪問国をひとつ増やすごとにUS$150を追加すればよい。そのほか、ホテルや現地ツアーも安いパスを買うことができる。このパス制度はアセアンタ(The Asean Tourism Association)で合意されたもので、マレーシアのプロモーション会社が指名されて各加盟国での宣伝普及にあたることになっており、10メンバー国が醵出した30万ドルをその資金として使う予定になっている。しかしどうやら、インドネシア側で国内の宣伝普及を行うナショナルツーリズムオフィスの考えと協会指名プロモーション会社のそれとがフィットしておらず、インドネシア側での宣伝展開がまだ始まっていない、というのが実態のよう。
各航空会社が打ち出している廉価パッケージツアーとこのパスは競合する位置付けにあるが、数カ国を回るプライベートな観光旅行にインドネシア人はまだあまり慣れておらず、このパスのメリットを感じる消費者は少ないのではないか、と旅行代理店業界は見ている。


「プンチャッでキャンピング」( 2004年8月 )
首都からジャゴラウィ(Jagorawi)有料自動車道路でプンチャッ(Puncak)を目指し、ガドッ(Gadog)ゲートからプンチャッ街道を走ってチサルア(Cisarua)の三叉路を右折し、しばらく行くとタマンサファリインドネシア(Taman Safari Indonesia)。ガドッゲートからおよそ20キロ、グデ・パンラゴ(Gede-Pangrango)国立公園内に設けられたこのサファリパークは、海抜3,020メートルのパンラゴ山の山腹、海抜1,288メートルという高地に位置しており、日中でも気温は摂氏18から22度。と、ここまでは誰でも知っているお話し。今回ご紹介するのは、知る人ぞ知るタマンサファリのテント村、その名もレソルテンダ(Resor Tenda)。
サファリパークのメインゲートに到着したお客は、さっそくトレッキングの歓迎を受ける。持ってきた荷物はポーターが車に積んで、一足お先にテント村へ。手ぶらのお客はガイドの案内で、およそ3キロ離れたテント村へのトレッキング。大自然の中を、足を頼りに2時間弱。その間国立公園内に住む野生動物や植物を満喫しながらのトレッキングだが、お望みとあらば、大岩がごろごろしている激流のトレッキングも可能。歩くのがおいやなお客はポーターの車でどうぞご一緒に。
テント村には最大三人まで収容のテントが木製パレットの上に立てられており、地面からの湿気や冷却はシャットアウト。整然と並べられた多くのテントはその周囲を背の高い植物で囲まれ、天然の保護壁となっている。夜の高原の冷気は身を刺す冷たさだが、テントの中で寝袋に包まれて眠れば一安心というもの。まして係員がキャンプファイヤーでこしらえてくれた夕食のおかげで腹の中が先に暖まっているから、風邪を引く心配もなさそうだ。時おり遠くから聞こえてくる動物の鳴き声が、旅情をかきたててくれる。
朝夕のマンディも野趣に満ちており、氷のような天然水のシャワーか、山小屋のキャンティンで暖めてくれた温水か、いっそのことテント村の脇を流れるチサルア川に飛び込むか、すべてお望み次第。
テント村周辺には野生の鹿や豹などの飼育場があり、その見学もテント村宿泊者の活動のひとつ。夜中にはテント村周辺に飼育されていない野生の豹や鹿がやってくることがあるが、かれらは人間を襲うことはなく、反対に人間を見ると逃げていく。もうひとつ用意されている活動は、徒歩でおよそ1時間の距離にある滝へのトレッキング。滝はスンダ語でチュルッ(curug)と言い、チュルッジャクサ(Curug Jaksa)とチュルップリウッ(Curug Priuk)がその目的地。
このテント村での宿泊は、一泊40万ルピア。この料金は三人までがひとつのテントで宿泊する費用、朝食および夕食、そしてテント村で用意されているすべての活動への参加費を含んでいる。もしそのテントにもう一人入りたい場合は、追加料金として10万ルピアだけが徴収される。およそ1年前にオープンしたこのテント村は、既に大勢のひとびとに利用されている。


「ろうそくの明かりでチェックイン。スカルノハッタ空港停電」(2004年8月9日)
8月8日午後3時19分、電力公社PLNからスカルノハッタ空港に供給されている電力が突然停止した。原因はムアラカラン=コサンビ発電所で発生した故障。空港当局は急きょ自家発電に切り替えて4千8百kVAを確保したが、空港が平常必要としている2万2千kVAには遠く及ばない。この4千8百kVAは空港のメイン機能を維持するための用途に優先的に使われるようになっており、こうしてナビゲーションやレーダーシステム、航空管制塔、X線や監視機器、チェックイン設備、エスカレーター、ボーディングブリッジなどは平常通りに機能したため、飛行機の発着に混乱は起こらなかった。
この停電でいちばん影響を蒙ったのは第一ターミナル、第二ターミナルの照明とエアコンで、PLNからの供給が再開された午後5時48分までのほぼ2時間半、搭乗を待つ乗客は暑く暗い待合室で時間をつぶすことを余儀なくされた。またその時間帯にチェックインにやってきた乗客の中には、暗い出発ロビーの中に点在するろうそくの灯りで行われたチェックイン手続きに、思わず旅情をかきたてられた人もいたにちがいない。


「第二回ワヤン博物館祭りには多彩な催し」(2004年8月14日)
スティヨソ都知事は13日、タマンファタヒラで第二回ワヤン博物館祭りの開会を宣すると同時に、博物館拡張デザイン公募に応募した者の中から優秀者を表彰した。二階建て総床面積1千7百平米のワヤン博物館は、隣にある二階建て総床面積1千4百平米の建物を所有者が寄贈したことで大きく拡張されることになる。タマンファタヒラに面するワヤン博物館はジャカルタコタとも称される旧バタビアの中心部に位置し、博物館のある建物の並びの裏側はカリブサール地区になっている。
都知事は、昨年11月7日にユネスコがワヤンを口承芸術マスターピースとしての人類無形文化財に指定したことに触れ、ワヤン博物館が文化財の維持発展と国民教育のためのセンターになると同時にジャカルタ屈指の観光訪問先となることが期待されていると述べ、またこのたびの建物寄贈による博物館拡張に関してその寄贈を推進したアリ・サディキン元都知事と寄贈者であるプロボステジョ氏に謝意を表明した。プロボステジョ氏はスハルト元大統領の実弟で実業家。
博物館拡張デザイン公募の応募者33人の中で優秀賞を得たのは、バンドンのパラヒヤガン大学卒業生の三人。第二回ワヤン博物館祭りは8月13日から開催され、ワヤンクリッやワヤンゴレッあるいはワヤンオランなどの上演、カラウィタン演奏、展示会、講演会などさまざまな催し物が予定されている。


「スカルノハッタ空港での一部航空会社のターミナル移動がほぼ確定」(2004年8月18日)
スカルノハッタ空港第2Fターミナルがオーバーフローしているため、一部航空会社のチェックインカウンターを余裕のある第1Aターミナルに移す案は準備が進められていたが、いよいよ本決まりとなりそう。
移転の白羽の矢が立っているのはガルーダ航空シティリンクとライオンエアーで、今はムルパティとプリタエアーだけが使っているため稼働率わずか30%の第1Aターミナルでチェックインを開始するのは9月初旬になるだろうと、空港管理公社アンカサプラ?の業務担当重役が洩らしている。しかしライオン・ムンタリ・エアラインズのエドワルド・シライト社長はこの移転を、管理公社の一方的な横暴だと批判している。「空港利用者としての義務は果たしており、第2Fターミナルでの投資も少なからず行ってきたという事情も考慮せず、突然一方的に移転を命じている公社の行為の根拠と規準を明らかにしてもらわなければならない。」同社長はそう述べている。


「ボゴール植物園入場料収入の半分は清掃費に消える」(2004年9月8日)
2003年のボゴール植物園入場者は百万人で、その半分は学校生徒だった。その入場料収入のおよそ半分にあたる25億ルピアは、87ヘクタールという広大な園内の美化清掃と保安のために費やされた、と同園植物保護センターのイラワティ理事が語った。
園内にある植物の保護と管理にもっと時間と費用を注ぎたいにもかかわらず、いつまでたっても園内の清掃と美化に手を取られていて、肝心の仕事がおろそかになっている、というのが同理事の嘆き。そのあたりの道端にある木とは異なる、価値の高い木がたくさん園内には生育しており、適切な管理を行って病気から守ってやらなければ、園内の美化にも悪影響を及ぼすことになる。そのために入場者にゴミを投げ捨てないよう協力を仰ぎ、園内の清掃に回っている資金と時間を植物の世話に振り向けたいと考えているが、園側が入場者にゴミの始末の協力要請をしても、まったく効果は見られない。あるとき入場者にゴミ箱を配って意識高揚を呼びかけたが、入場者はそのゴミ箱を家に持ち帰っただけで、ゴミは普段と同じように園内各所に大量に散らばっていた、と苦い経験を理事は物語る。
園は280人の職員とは別に、75人の日当契約者を毎週日曜に動員して園内の清掃を実施しているとのことだが、風の強い日などは作業がたいへんになるそうだ。


「学年末休み中の全国ホテル客室稼働率は70%」(2004年9月10日)
6月中旬から7月中旬ごろまでの小中高校学年末休み中、全国のホテルは通常期よりも宿泊客が増加しており、ふだんの客室稼動はおよそ50%前後のものが70%に増加している、と全国ホテルレストラン会のカルラ・パレンクアン専務理事が語った。
「この傾向は8月まで続くでしょう。国内の学校休みは7月までですが、外国では8月一杯休みが続きますので。」との同専務理事の談。今のところ宿泊客の80%は国内客で外国客は20%。客室稼動が70%と言うが、もちろん一様に増えているわけではない。言うまでもなく国内観光客の行楽先での稼動増が著しく、バリやジョクジャが突出している。
バリでは四星・五星クラスのホテルが65から70%の埋まりよう。ヌサドゥアのシェラトンとウエスティンリゾートは65%程度の入りで、ヨーロッパや日本からの旅行客がメイン。一方、三星クラスからジャスミンクラスはほぼ空室なしの詰まりようだ。
ジャカルタのホテル業界は少し性格が違い、ハイスタークラスはあまり変化が見られないが、それでもアンチョルやタマンミニ、そしてジャカルタフェアの開催中、と地方客の上京観光モメンタムのおかげで、三星級以下のホテルでは客室稼動が向上している。
ロンボッでは客室稼動が40%前後だが、島を訪れる観光客数は増加している。6月の訪問客は国内客が主流を占め、5月の30%台という客室稼働率をおよそ10%押し上げた。ロンボッ観光局のデータでは、今年5月の到着観光客数は5万5千人で、前年同月の4万4千人から大幅に増加している。5月の観光客内訳は4割が外国人、6割が国内観光客。スンギギビーチをメインにしたロンボッホテル業界は、これから9月までのドイツ、オランダ、イタリーをはじめとするヨーロッパからの観光客シーズンに今のペースが継続されることを期待している。ちなみにヨーロッパ人の滞在日数はだいたい4日から7日とのこと。


「ジャカルタへの外国人観光客誘致」(2004年09月11日)
9月9日に発生した都内クニガン地区にあるオーストラリア大使館を狙った爆弾テロのために、ジャカルタのある旅行代理店は台湾からの30人のグループツアーとバリからの40人のツアーがキャンセルされたと述べている。
今後の進展はおいおい明らかになっていくだろうが、その影響を最小限に食い止めようと、都庁観光局がクライシス・パブリックリレーションを設けることを決めた。その設置の目的は、今回の爆弾テロ事件に関連する充実した情報提供を行い、情報不足から来るネガティブな憶測をなくすことで外国人の不安を軽減させようというもの。今回のような事件は世界のどの国にも起こる可能性があり、外国人観光客は必要以上の恐怖を抱く必要はないというスタンスに立っている。
バリとは違ってジャカルタへやってくる外国人は大半が中近東とアジアからで、特に台湾人や中国人が多く、またその80から90%が商用。そのため、今回のテロ事件でジャカルタへの入国者が減少することはあまりないだろうと都庁観光局は予測している。一方旅行代理店協会ベン・スクマ会長は、ジャカルタに外国人観光客を誘致する努力はしばらく休止する意図を明らかにした。「インドネシア全国の観光プロモーションからジャカルタは6ヶ月間はずすことにする。従来からの商用入国者が減ることはないだろう。一方、欧米人はジャカルタを通らず直接バリに入る。これまではジャカルタでストップオーバーしてバリへというルートもあったが、今後代理店業界はそのポイントをジャカルタからジョクジャに移すところが増えるのではないだろうか。」同会長はそう述べている。


「パダン市がマリーナ観光ベース建設を企画」(2004年9月16日)
西スマトラ州パダン市の開港であるムアラパダン港の経営権移譲をパダン市が港湾公社ペリンド?に請求しているが、その移譲が完了した暁には、ムアラパダン港にマリーナ観光基地を建設する予定であることをファウジ・バハル市長が明らかにした。この基地はバタンアラウ川に沿って建設される予定で、川は水深4メートルまで浚渫されることになる。
経営権移譲プロセスを円滑に進めるための根拠としてパダン市とペリンド?は既にムアラパダン地域観光開発協約を結んでおり、移譲プロセスの完了と共に同市はマリーナ観光基地を設けて、バタンアラウ川、パダン海岸、歴史的建物、シティヌルバヤ橋、アイルマニス海岸、パダン山、トゥルッバユル港まで含めた広範な統合観光エリアをプロモートしていく考えでいる。


「爆弾テロ後に観光客は増加」(2004年9月23日)
9月9日に起こったジャカルタのオーストラリア大使館を標的にした爆弾テロ事件にもかかわらず、インドネシアを訪問する外国人観光客の数は減少するどころか増加の勢いだ、と法務省移民局が発表した。同局が提示したデータは、全国13ヶ所のメイン入国ポイントで集計された外国人入国者数。
そのデータによれば、9月1日から6日までの人数と7日から16日までの人数が比較されている。テロ前の入国者総数は58,555人で、ビザフリー26,503人、ビザ保有者4,071人、到着時ビザ入国者27,981人という内訳。それに対し7日以降の入国者は118,425人で、内訳はビザフリーが50,280人、ビザ保有21,189人、到着時ビザ46,956人となっている。入国ポイント別にはスカルノハッタ空港がもっとも顕著な増加を見せており、テロ前は3,808人しかいなかったものが、7日から16日までの期間はなんと2万6千人の入国を記録している。


「アグネス・モニカのショー観賞に1千万ルピア」(2004年9月24日)
青春スター、アグネス・モニカのコンサートがバンジャルマシンで9月25日に予定されている。アグネスの家族がバンジャルマシン出身ということから、地元には親戚も多く、人気も高い。このショーには南カリマンタン州知事夫妻をはじめ、州庁やバンジャルマシン市庁の高官の多くも列席する予定になっている。
このショーをプロモートしているマハラニ・マネージメントは、会場のホテル・バンジャルマシンインターナショナルのヒマラヤグランド・ボールルームに1千人分以上の入場券を用意したが、VIP席、VVIP席は既に売り切れており、残っているのは立ち席のフェスティバル券だけとのこと。フェスティバル券は9百枚が用意され、料金は1枚5万ルピア。また椅子席のシアター券は1百枚用意されて料金は8万ルピア。更に特別席としてVIP席が10卓用意され、1卓あたり150万ルピア、そして特上席にあたるVVIP席も10卓用意されて250万ルピアという料金。ところがVIPやVVIP席の予約に遅れを取った一部の人が、1卓1千万ルピアを出しても良いからと言って切符を探している、との噂が地元で広がっている。探しているのは地元石炭会社のオーナーたちだそうだ。


「ジャカルタ訪問外国人の大半が観光プロモと無縁」(2004年9月30日)
アウロラ・タンブナン都庁観光局長は、首都を訪問する外国人の87.5%はジャカルタの観光プロモーションを目にしたことがないということが明らかになった、と語った。昨年のインドネシア入国外国人数はその67%がアジアからで、ジャカルタ訪問者の92%はビジネス目的であり、80%はまたジャカルタへ来る予定を持っている。そんな状況は、ジャカルタの観光プロモーションを行うことで訪問者を大幅に増やせる機会が存在していることを示しており、都庁観光局は外国人のお気に入りであるナイトツアー、フード、ショッピングの振興を図り、また外国人に不評の交通渋滞、環境汚染、保安を改善することで首都への観光客誘致を推進するべく業界を糾合して事にあたるつもりである、と同局長は述べている。


「ガルーダ航空がヨーロッパ線を休止」(2004年10月13日)
ガルーダインドネシア航空は、来る11月1日から唯一のロングホール航路だったヨーロッパ線の運行を休止する。その理由はジャカルタ〜アムステルダム週5便の採算がまったくとれないからというもの。同社インドラ・スティアワン社長によれば、ピークシーズンにはロードファクターが80から90%になるが、ローシーズンは30%にしかならず、それでも同社の11兆ルピアという年間売上の55%は国際線、45%が国内線から得られている由。
最近マレーシア航空とコードシェア協定を結んだガルーダはマレーシア航空に乗客を委ねることになるため、今後ガルーダのアムステルダム行き乗客はクアラルンプルで乗り継ぎすることになる。協定内容では、ガルーダはマレーシア航空のアムステルダム、フランクフルト、ロンドン、マンチェスター、パリ行き便に30席を配分されており、この関連でロンドン、アムステルダム、フランクフルトのガルーダ事務所は営業を継続することになっている。
二年前にスキポール空港からオンタイムパフォーマンス表彰を受けたばかりのガルーダ航空が下した今回の決定に対して、観光業界からは不満の声が出されている。観光セクター収入40億ドルの22%がヨーロッパ人観光客からのものであり、今年の目標が50億ドルに引き上げられているのに対して、クリスマス・新年というハイシーズンにガルーダが飛ばないということは目標達成の大きなブレーキになりかねない、と業界は懸念を抱いている。


「イドゥルフィトリは旅行シーズン」(2004年10月15日)
あとひと月に迫ったイドゥルフィトリのかきいれどきを前に、旅行代理店業界はてぐすね引いて顧客を待ち構えている。この旅行シーズンのピークはイドゥルフィトリの前後一週間で、注文はイドゥルフィトリの二週間前くらいから最高潮に達する、と業界者は言う。中でも11月12日から14日の三日間が、今年の移動の頂点にあたるだろうと見られている。会社が休みになり、ボーナスが手に入っており、そして女中が帰省して家にいないという三つの要因から、中流以上の家庭は旅行に出たがる、というのが業界の分析で、年間を通して海外旅行のピークはこの時期に来ると経験的統計を物語る。人気旅行先は、海外組みはシンガポール、マレーシア、タイ、香港、国内組みはバリ、ジョクジャ、メダン。日数は4泊5日から7日程度で料金がひとり150万から200万ルピアというのが人気の高いパッケージ。料金に関する客の態度は他の時期に比べて鷹揚だそうだ。
一方、ガルーダ航空は、バレル当たり50ドルを超えてしまった原油価格の影響を受けて燃料コスト増が大きい負担となっているため、イドゥルフィトリの移動シーズンが始まる前に燃料サーチャージの適用を始めたい、とバフルル・ハキム営業担当取締役が語った。「弊社のコスト管理上、総コストの40%を占める燃料費はバレル当たり35ドルを上限としているが、いまは既に40ドルを超えており、このロスをミニマイズすることが最重要問題となっている。燃料サーチャージがいくらになるのかまだ言えないが、諸外国の航空会社がかけているフライト当たり10から15ドルというレンジとあまり違わない。」との同取締役の談。ガルーダ航空は、11月11日から22日までをイドゥルフィトリ・ピークシーズン、12月22日から来年1月3日までをクリスマス・ニューイヤー・ピークシーズンと設定している。


「イドゥルフィトリ前後の地方部のホテルはお客で一杯」(2004年10月18日)
イドゥルフィトリの前後、地方部のホテルは宿泊客が増えるが、ジャカルタでの増加はイドゥルフィトリ後がメインだ、とサヒッ・グループのハリヤディ・スカムダニ副社長が語った。「地方部のホテルは、この時期の売上が激増する。イドゥルフィトリ前に宿泊客が増えるのはジャカルタから人が地方部に行くためで、反対にジャカルタのホテルはイドゥルフィトリ前に客が増えることはあまりなく、平常期とほとんど変わらない。ジャカルタでイドゥルフィトリ後に宿泊客が増えるのは、女中が帰省することで家に使用人がいなくなる家庭が多いからだ。弊グループのホテルは、平常期は地方部でだいたい50%、ジャカルタでも53%程度の客室稼働率だが、ジャカルタは11月から12月にかけて稼働率は60から65%になっており、地方部の方は、イドゥルフィトリ前から5日後までの稼動は70から90%に達している。特にスラバヤ、ソロ、ジョクジャで盛況だ。当ホテルは宿泊客に対して普段割引を与えて誘致を図っているが、このようなピークシーズンにはせいぜい10から15%の割引しか与えることができない。イドゥルフィトリ期間の予約は、地方部では1ヶ月前からはじまるが、ジャカルタではそれほどでもない。ともあれ、今年のイドゥルフィトリシーズンの客室稼動は昨年を上回るだろう。ラマダン月に入っての稼働率はジャカルタで昨年28%程度だったが、今年は35%になっているので。」と同副社長はサヒッ・グループホテルの状況を説明している。


「ガルーダ航空がSMSを使った新情報サービスを開始」(2004年10月26日)
ガルーダ航空が携帯電話オペレータのテルコムセルと提携して、GA−SMSという情報サービスを新たに開始する。このサービスはプルサービスとプッシュサービスのふたつのフィーチャーから成り、プルサービスとは情報を求めるテルコムセル利用者に対してガルーダのサーバーが回答を提供するというもの。メインはフライト情報で、ブッキングステータスや出発時間・到着時間などのフライトスケジュールに間する最新情報が手に入る。一方プッシュサービスは、ガルーダサーバーが情報発信を行うサービスであり、フライトスケジュール変更やフライト取り消し情報、その他ガルーダが行っているさまざまなサービスに関する情報をそこから得ることができる。ガルーダ航空はフリークエントフライヤー会員の募集に最近注力しており、会員へのマイレッジ取得実績など個人情報もプルサービスで入手できるようになっている。


「シティリンクがスカルノハッタ空港?Aターミナルに移転」(2004年11月2日)
スカルノハッタ空港?Fターミナルの混雑と猥雑さの元凶と言われていたガルーダ航空のシティリンクサービスとライオンエアーのうちシティリンクが?Aターミナルに移転し、11月1日からチェックインとフライト発着業務を開始した。この日シティリンクの午前6時発マカッサル行きGA090便、8時25分発スラバヤ行きGA072便などが支障もなく次々と第?ターミナルから出発して行った。
インドラ・スティアワン、ガルーダ航空社長は、この移転は空港管理会社PTアンカサプラ?の空港機能向上方針に対する弊社の支持を表すものだ、とコメントしている。同社長によれば、ガルーダは?Aターミナルに第6番から10番まで5つのチェックインカウンターを設け、搭乗ゲート3番4番を割り当ててもらいボーディングブリッジを設置したので、?Fターミナルのときのように搭乗のさいにバスの乗り降りをする必要はもうなく、乗客の搭乗プロセスはより快適になっている、とのこと。しかしシティリンクカードの販売は、?Fターミナルにある販売窓口で継続されている。 一方準備がまだ整っていないとして11月1日の移転を先延ばししてもらったライオンエアーに対してハッタ運通相が、移転期限は12月1日までと釘をさした。アンカサプラ?のエディ・ハルヨト社長は、スカルノハッタ空港の適正利用乗客数は年間1千8百万人だが、いまや現実には2千3百万人に達しており、?Fターミナルの処理能力は一日4万4千人前後だが、実際には5万4千人に達している、と状況を説明している。


「ガルッのチパナスで休日を」( 2004年11月 )
ジャカルタからだとパダララン(Padalarang)有料道路を通って5時間のドライブ。バンドンからだと1時間半。ジャワのスイスと呼ばれるガルッ(Garut)にもチパナス(Cipanas)がある。
ジャワ島は火山王国で、そしてスンダの地は豊かな水に恵まれている。そのふたつが出会えば、言わずと知れた『温泉』となる。チは水を意味するスンダ語チャイの省略形で、パナスはスンダ語もインドネシア語と同様『熱い』を意味しており、これ以上温泉にふさわしい言葉はない。
ガルッの町からグントゥル山(Gunung Guntur)目指して6キロ行けば、高原リゾート、カンプンスンブルアラム(Kampung Sumber Alam)にたどり着く。街の喧騒を下界に置き去りにし、スンダの地の緑滴る自然と爽やかな高原の空気を満喫できるこのリゾートは1971年にオープンした。グントゥル山から流れ出す熱い水は広大なプールに導かれ、その周囲にはスンダ建築のにおい溢れる宿泊施設が並んでいる。屋根は棕櫚で葺かれ、板壁に椰子の幹を使った柱や床は、大自然の懐に抱かれる想いを宿泊客に与えてくれる。
早朝の冷気の中を、カンプン周辺の水田を巡りつつグントゥル山の麓まで散歩し、眼下にガルッの街を望見しながら朱に染まる日の出を拝むのも、宿泊客たちの楽しみのひとつ。
少し遠出をすればいくつかの観光サイトにも出会う。タロゴン(Tarogong)からバンドンに向かって10キロ北上するとチャンクアン湖(Situ Cangkuang)がある。西ジャワではほとんど残されていないヒンドゥ寺院が湖の中の島にあり、チャンディ・チャンクアン(Candi Cangkuang)と呼ばれている。これはスンダ最古の王国ガル(Galuh)時代の遺跡だそうだ。ほかにもパパンダヤン火口(Kawah Papandayan)、カモジャン火口(Kawah Kamojang)、マヌッ火口(Kawah Manuk)、トゥラガボダス火口(Kawah Telaga Bodas)、バグンデッ湖(Situ Bagendet)、チクライ山(Gunung Cikuray)、そしてはるか南のインド洋岸にあるパムンプッ海岸(Pantai Pameunpeuk)もチパナスからは日帰りの距離だ。


「今年のルバランは・・・」(2004年11月17日)
ルバラン当日特に大きな犯罪は発生しなかった、とチプトノ首都警察広報部長が発表した。11月14日のルバラン初日は、深夜2時ごろMTハルヨノ通りを通行中のバス内で強盗1件、ジャティヌガラ歩道橋上で引ったくり1件、午前7時45分ごろラワマグンで空き巣1件が警察に報告されているだけで、安全安寧な休日であるが、犯罪者はこれから仕事を始めようとしているようだから、都民は一層警戒を厳重に、と首都警察は都民に呼びかけている。
ところで14日は、親族、隣人、友人、職場関係などあちらこちらの家庭を訪問して懇親を新たにするシラトゥラフミのために都民は活発な移動を展開し、都内交通は随所で渋滞が見られたが、翌日翌々日とそのピークは都内や郊外の行楽地に向かい始め、交通渋滞が外に向かって広がっている。そのために、都内の幹線道路はいたって走りやすく、目的地にも短時間で到着する。ただし首都圏観光者たちのターゲットとなっているアンチョル、タマンミニ、ラグナン動物園などの行楽スポットは例外で、都内にあるそれら施設周辺の交通状態は幹線道路にくらべて天と地の差。
いつもは買い物客が集まる商業地区も大半の店が閉まっていることもあって、人出は閑散。家電品の総本山グロドッ地区は開いている店がまだ少なく、ハルコグロドッ前の道路脇は、ルバラン前夜に都庁秩安局が行ったカキリマ大掃討作戦のあとにも関わらず、たくましく執拗にVCD売りたちが商品を並べているものの、客の出足はいまひとつ。携帯電話の総本山ロキシーマスも、ITCチプリルやITCマンガドゥアも、そしてチルドゥッ、クバヨランラマ、タナアバン、スリピなどのトラディショナルパサルにも群衆はいなかった。人出を実感したのは唯一フードコートで、女中が帰省したご一家が小さい子供を連れてお食事に、というパターンが多くの家庭に起こっているようだ。
都内の行楽地は強烈な吸引力で人々を引き付けている。ラグナン動物園は14日の来園者30,746人が15日には126,144人に膨れ上がった。15日のアンチョル来園者は18万人。タマンミニも14日の33,688人から15日には77,568人に跳ね上がっている。昨年のルバラン休日13日間のタマンミニ来園者は473,269人という数字だったが、今年はどうだろうか。
普段から都内行楽スポットの一翼を担っているモールやプラザは、ラマダン月のあの毎日の混雑とまではいかないものの、その実力を発揮して来店客を集めていた。モールプリインダ、プラザスナヤン、モールポンドッインダ、カルフル・ルバッブルス店、マンガドゥア地区などは14日の昼過ぎから、人が続々と集まってきた。
首都近郊ではブカシのショッピングセンターも14日午後から混雑が始まり、ブカシバラッ有料道路料金所近くのモールメトロポリタンやブカシハイパーモール、グランドモールブカシも人で埋まり、ブカシティムール有料道路料金所の方もブカシトレードセンターに人が集まった。ボゴール植物園も14日の来園者3,609人を皮切りに、15日は17,484人に跳ね上がるというよく似た現象を示し、チサルアのタマンサファリにも行楽客が殺到し、15日・16日とジャゴラウィ有料道路のガドッ料金所を出た車はプンチャッ街道をのろのろ運転で這うように進むありさま。ジャワ島西端のバンテン州も例外でなく、チレゴン市のサリラ海岸からアニエル、カランボロン、パンデグラン県のチャリタ海岸までの海岸行楽地は人で埋まった。
地方部でも、中部ジャワではボロブドゥル、プランバナンなどの遺跡からパラントリティス海岸に人が集まり、西ジャワでもクニガンではリンガルジャティやワドゥッダルマ、チレボンはチルマイ山が賑わった。


「バンドンのホテルは大晦日パッケージの販売を開始」(2004年11月29日)
2004年の大晦日から2005年の元旦にかけての催し物と宿泊パッケージを、バンドンのホテル業界が売り出し始めた。
ホテル・グランドプレアンゲルGrand Preangerは、今年は首都の有名アーティストやセラブリティを呼ぶことをしない。その時期かれらのギャラは平常期の三倍も高くなるため年末パッケージ価格を高くせざるを得ないが、バンドンのスター級ホテルは概して有名アーティストなしでも年末の催しは盛況なことから、同ホテルは今年合理化することに決めた。今年のパッケージ価格はスペリアールームで一泊60万ルピア、エグゼキュティブルームだと75万ルピアで、これは標準価格より安くなっている。ダイニングは12万5千ルピアで生演奏付き。
ホテル・グランドアクイラGrand Aquilaの場合はスーパーデラックスルームが103.6万ルピア、スイートルームでのルームディナーパッケージは163万ルピアとなっている。この料金は一部屋ふたりの宿泊と朝食およびロビーラウンジでの夕食、そしてパパラジでのパーティ参加を含んだもの。同ホテルはルームパーティパッケージも用意しており、借りた部屋に大勢が入ってパーティを行うことも可能で、その場合追加人数ひとりあたり31万8千ルピアのチャージがかかる。


「首都のナイトスポット営業時間に新規制」(2004年12月2日)
去る10月11日に制定された2004年度都知事令第98号と2004年度都条例第11号は、ナイトスポットの深夜営業を規制するもの。ナイトクラブだけが午前3時までの営業を認められるが、それ以外は最大で午前2時まで。ディスコやカラオケは午前2時まで営業でき、映画館も休日前のみ午前2時までの深夜映画が認められる。映画館の休日の営業は深夜12時まで可能。マッサージパーラーやスパは午後11時で閉店しなければならないし、ボーリング場やビリヤード場は深夜12時で閉店となる。
都庁地方麻薬庁はその新規則の社会告知を行うために、都下のナイトスポットオーナーや経営者へのオリエンテーションを開催したが、出席したのはわずか11人。レストランを除いて他の業種は一様に不満を表明しており、その規則に従えば売上大幅減だし、顧客を失望させるだけだ、とコメントしている。カリブサールバラッ通りのディスコとカラオケ「アテナ」の広報担当者は、いつもは朝まで営業しているのに、午前2時で打ち切られると売上はがた減りになる。」と言い、パサルミングのタンジュンバラッラヤ通りのデイスコ「青いダイヤ」のマネージャーは「午前3時までというならまだしも、午前2時閉店は無理だ。」と述べている。


「今年の年末年始旅行先はアメリカが人気」(2004年12月6日)
ASITAインドネシア旅行代理店協会のルディアナ副会長は、人気旅行先に異変が起こっている、と語った。「2003年の年末ホリデーはオーストラリアがブームでしたが、2004年はアメリカ観光訪問の意欲が高まっています。」とWita Tourの営業担当取締役であるかの女は語る。外国旅行希望者の22%がアメリカを旅行先に選んでいる、とのかの女の談。一方、イタリア、オランダ、フランス、ドイツ、ベルギーなどヨーロッパの人気旅行先は今年も順調。アジア方面では、日本や中国など雪祭りパッケージを売り出している国の人気が高まっている。
一方Puri Turのマリオ・インドラ取締役は、同社が扱っている年末ホリデー旅行者は国内外向けが半々と言う。「今年の年末はおよそ4百件の客を扱っていますが、半分はバリ、他はシンガポール、クアラルンプル、中国、オーストラリアです。」と説明する。アメリカ向けが増えているとのことだが、と質問するとかれの回答は「いや少ないですよ。ビザを取るのが難しいので、なかなか行きたくても実現しませんね。弊社のお客の中でもう三ヶ月も前にビザ申請を出している人がいますが、いまだに大使館からのお呼びがかかっていません。今年年末の旅行先の中ではオーストラリアのビザ取得が楽なので、およそ百人がビザを取りました。オーストラリア以外でビザが必要な国へ行く人は少ないですよ。」との談。


「タングラン県チプタッでバードウオッチングを」( 2004年12月 )
ジャカルタ市内からほんの少しタングラン県に走ったところに、自然がそのまま残された場所がある。タングラン県チプタッのサワバル村にある、ムルパティラヤ通り32B番地(Jl Merpati Raya 32B, Desa Sawah Baru, Ciputat)がその住所。
背の高い木々が生い茂り、1960年代以来の姿が保たれている。タナティガル(Tanah Tingal)という名のこの9ヘクタールの地所には、蘭園、カヌーを遊べる池、湿地帯、野菜園、そして水田までもが用意されている。この土地は1973年まで情報大臣を務めた故ブディアルジョ氏の私有地で、昔から氏の一族が集う場所として使われていたが、娘のエニー・ブディアルジョ・サトトが2000年に有料で一般開放した。亡父の希望だった、木や植物を切らないこと、園内に大きい恒久的な建物を建てないこと、地面を舗装したりせず自然のままに保つこと、などを遺族は忠実に守っている。
「ここを訪れるみなさんは、蚊よけの薬を身体に塗ったほうがいいですよ。タナティガルには相当蚊がいますので。殺虫剤はかなり薄めたのを散布するくらいです。虫も一緒に殺してしまうと、食物連鎖が壊れて鳥に影響が出ますから。」オーナーのエニーが言う通り、タナティガルにはジャカルタやタングラン近辺から姿を消した鳥がいまだに生息している。鳥類保護機関バードライフが調べたところでは、32種類の鳥がタナティガルに住んでいた。
バードウオッチングは午前5時半から6時半まで催される。朝目覚めた鳥たちが餌を求めて巣から出てくるその時間帯がバードウオッチングの好機なのだ。バードウオッチングの催行は最低参加者20人で、料金はひとり7万5千ルピア。その料金は鳥を見るための道具類使用とインストラクターチームへの謝礼、そして朝食が込みになっている。
ガーデニングは、蘭園を散歩し、移植や株分けのテクニック、観賞用植物のためのメディアの作り方などを学ぶコースで、定員は50人。費用はひとり12万5千ルピアだが、その中には昼食、おやつ、お子様用のおもちゃ、そして講師チームへの謝礼が含まれている。
ファーミングは稲、とうもろこし、シンコン芋、野菜類などを植えるもので、ひとり8万5千ルピア。この他、陶器作りコースもあって形作りと彩色を学ぶ。こちらは最低20人で催行され、費用はひとりあたり6万から9万ルピアとなっている。


「ハーブをお求めの方にはカルヤサリ薬用植物園」( 2004年12月 )
ジャカルタからおよそ80キロ離れたボゴール県ルウィリアン郡カルヤサリ村(Desa Karyasari, Luewiliang, Bogor)には、カルヤサリ薬用植物園(Kebun Tanaman Obat Karyasari)がある。カラチャッ〜チアンタン街道(Jalan Raya Karacak ? Cianten)沿いにあるこの植物園に至るには、狭い道路を踏破しなければならない。1983年にボゴール農大を卒業したウィナルト48歳が経営するこの植物園は、1.25ヘクタールの敷地に450種類もの薬用植物を栽培しており、1995年のオープン時にあった250種類からほぼ倍増している。今ではこの植物園で、同園で採れた植物から抽出したエキス、粉末、顆粒、煮出し用乾燥品から鉢植え品まで販売されている。ウィナルトは薬用植物情報誌Herbaの発行者でもある。
この植物園はあまり行楽地としてお奨めできるようなものではないかもしれない。駐車場に車が三台でもう一杯だし、子供が遊べるような場所でもなく、また園内を見ても解説を聞いても、あまり楽しくはないにちがいない。しかし天然自然のハーブを健康のためにお求めの方はぜひ一度お越しください、とウィナルトは言う。10人以上のグループでお出でになれば、ひとり7万5千ルピアで昼食付きのツアーをガイドしてくれる。予約が必要なことは言うまでもない。このツアーは狭い踏み分け道を上り下りして園内を周遊する。肥満、食欲増進、ストローク、ハイコレステロール、頭髪脱毛などでお悩みの方には、きっと何らかの回答を持ち帰っていただくことができるでしょう、と同園では健康を求める来園客の訪問を待っている。


「南ジャカルタ市スレンセンサワでフェスティバル」(2004年12月9日)
12月12日(日)、南ジャカルタ市地方生活環境管理庁がエコウィサタ・チリウン2004を実施する。市民にチリウン川をもっと身近に感じてもらい、環境保護意識を醸成するのを目的に開かれるこのフェスティバルには、生活環境担当国務大臣が主賓に招かれ、南ジャカルタ市レンテンアグン郡スレンセンサワ町Hシビ通りのチリウン川岸で開催される予定。この日は南ジャカルタ市の木であるランブタン・ロピア200本の植樹を国務大臣とスティヨソ都知事が代表して行い、南ジャカルタ市のマスコット魚であるニラを放流し、グラティッ鳥を放鳥するといったプログラムが組まれている。
他にも、学生、自然愛好家、ガイド、WWF関係者などが参加する環境に優しいカンプンハイク、ブタウィ芸能ステージ、食品フェスティバル、環境保護展示などが催されることになっており、食品フェスティバルではレンテンアグンとタンジュンバラッの主婦たちが料理やお菓子の腕前を披露してくれる。


「ボゴール県内陸部の観光果樹園」( 2004年12月 )
ジャゴラウィ(Jagorawi)有料自動車道路のチトルッ(Citeureup)ゲートを出てグヌンプトリ村(Desa Gunungputri)を抜け、一路南下するとパシルムクティ観光園(Kebun Wisata Pasirmukti)に到る。総面積50ヘクタールという広大な植物園にはラン園やマンゴ、ジャンブなどの果樹園が広がり、果樹園の中をフルーティウオークとしゃれ込むこともできる。ガチョウの池や4ヶ所の釣堀もあって、来園客のさまざまな要望にこたえることができる。
2001年4月にオープンしたこのパシルムクティ観光園は、入園料がひとり1万ルピア、そしていくつかの観光コースが用意されている。アグロジュニア(Agro Junior)は田植え、釣り、泥池での遊びなどのプログラムがあり、アグロアドベンチャー(Agro Adventure)はテントに泊まり、田を耕し、牛を水浴させ、野菜を収穫し、川遊びをするというプログラム。パッケージプログラム催行は参加者が10人から20人までで、料金はひとり5万から30万ルピアと幅がある。ここには宿泊施設も用意され、高床式の宿舎は一泊85万から150万ルピアになっている。折に触れて同園では、ランの栽培や果樹のポット栽培に関する実演も行っている。
インドネシアのさまざまな果樹に興味をお持ちなら、ボゴール県ジョンゴル(Jonggol)地区のチレンシ街道(Jalan Raya Cileungsi)にあるムカルサリ観光園(Taman Wisata Mekarsari)を訪れる必要がある。総面積264ヘクタールの同園に着くと、まず駐車場をはじめとして、その広大な規模に目を見張ること請け合い。園内には624種の果樹がそれぞれ林をなして植えられ、結実期にはたわわに実った果物を実地に見学することが可能。入園料はひとり3千から5千ルピア。中を散歩して回るのも良し、園内周遊バスに乗ってお好みの停留所で降り、お弁当を楽しむのも一興。
ただ見て回るのでは物足りない方にも、果物狩りと野菜狩りのプログラムが用意され、シーズンによってそれぞれ種類は異なるが、果物狩りはひとり4千ルピア、野菜狩りはひとり2千ルピアの料金で楽しめる。


「首都のニューイヤーイブ宿泊は税金がアップする?!」(2004年12月14日)
ニューイヤーイブパッケージの宿泊客が支払う料金に対して15%の娯楽税課税を都庁が決めたが、ホテル業界はホテル税10%とこの娯楽税15%の課税対象が曖昧であり、徴税側がすべてのニューイヤーイブ宿泊に15%課税を行うおそれがあるので、定義付けを明確にして欲しい、と要請している。
「ニューイヤーイブに催される娯楽性の高いプログラムの販売に娯楽税がかけられることに反対しているのではないが、レストランに飾り付けをし、生バンドを入れても、晩餐と宿泊パッケージだけの泊り客には通常のホテル税10%が課税されるのが自然だ。ホテルは客室稼動率を高めたいので、宿泊に加えてホテル内ファシリティ利用を廉価にセットし、パッケージとして販売するが、それを通常より宿泊代が高いから多く税金を納めよ、という理屈で娯楽税の適用を行うのはおかしい。普通の日に宿泊と飲食は10%のホテル税でよしとされているのに、年末だけ宿泊と飲食と紙トランペットがセットになると娯楽税15%になるのはどう見てもおかしい。」そう語るのはディヤッ・ムラヘラ、ホテルコントローラー協会ジャカルタ支部長。
ホテル側が利用者から10%のホテル税を徴収したあとで、徴税側の査定で15%が課税されれば、その差額はホテルの負担となる。そのようなことにならないよう、事前に定義付けを明確にしておいてほしい、という協会側の希望。この娯楽税15%適用については、都庁収入局長からの回状第30/SE/2004号で2005年ニューイヤーイブのためのパッケージには娯楽税15%が課税される、と通知されている。


「都庁が年越し催事の上限料金を設定」(2004年12月16日)
ニューイヤーイブは世界中で年の変わり目のカウントダウンパーティが行われるが、ジャカルタのホテル界も例外ではない。都庁は例年のように、その年越しパーティ費用の上限料金を11月2日付都知事令第105/2004号で制定している。
それによれば年越しパーティパッケージ料金は、四星五星級ホテルでひとり750万ルピアまで、一・二・三星級ホテルはひとり400万ルピアまで、無星別名ジャスミン級ホテルはひとり200万ルピアまで、そしてナイトクラブはひとり250万ルピアまでとなっており、昨年の上限料金から5〜10%アップしている。映画館は一回上演ひとり30万ルピアまで、レストラン・料理店・カフェなどは100万ルピアまで。ここで言うパッケージには飲食および税金が含まれる。
主催者はこの種の催しを開くにあたって首都警察に届出をしなければならず、景品抽籤を行う場合は都庁社会福祉精神育成局に届け出る必要がある。また催しは12月30日と31日に夕方6時から翌早朝4時まで実施することが可能。上の規定に違反すれば、ナイトスポットの場合は30日間の営業停止、それ以外は即刻催しの中止が命令される。都内のホテル業界は、あと二週間後に迫った年越し催事のプロモーションに余念がない。


「年末に向けて首都のホテルは盛況」(2004年12月21日)
12月31日までフルブッキング状態になっている首都のホテルは、ニッコーホテルとマンダリンオリエンタル。他の星級ホテルもたいていは90%を超えている。おかげでこの需要期、宿泊料は最大でふだんの5割増。
425室を擁するニッコーホテルのPRセクレタリーは、12月の第二週には年末の予約がもう一杯になった、と語る。宿泊料金も最低で70万ルピア、上は1百万ルピアを超える。だがそれはボールルームで催される催事の入場が込みになったもの。マンダリンホテルでは、大晦日宿泊パッケージは67%売れている。当日までには90%以上になる、とのこと。宿泊客の大半は外国人で、年の変わり目を本国に帰らないでジャカルタで過ごす人たちだそうだ。宿泊料は通常99ドルから109ドルといったところだが、年末パッケージ料金は170万ルピアで、ディナーと朝食およびパーティ入場料が込みになっている。
289室を持つホテルチプトラは260室が予約済み。昨年の大晦日宿泊客は家族客が6割でビジネス客が4割だったが、今年は家族客をターゲットにして催事の企画と販売を行い、家族客の比率をもっと引き上げようと意気込んでいる。エンターテイメント付きディナー込みシングル一泊料金は75万ルピアだが、ファミリールームパッケージは12月22日から31日まで45万ルピアという価格がオファーされている。そこから程近いホテルアイビスはパッケージオファーをしていない。年末の宿泊予約は今のところ43%だそうだ。しかしここ数日の客室稼動は93%に達しており、ホテル内はにぎわっている。同じ道路沿いにあるムナラペニンシュラホテルの宿泊パッケージは115万ルピア。連泊の場合は二日目が六割引になるとのこと。


「クリスダヤンティの年越しステージは5億ルピア」(2004年12月22日)
ジャカルタのラスナサイッ通りに面したホテルグランメリアは、今年大晦日の催しにクリスダヤンティのステージを予定しているが、KDと愛称されているご本人のクリスダヤンティは、その出演報酬がいまだかつてもらったことのない最高額だ、と驚き顔を見せてくれる。
「わたくしの歌手生活でいまだかつてもらったことのない金額ですのよ。」と21日に行われた記者会見で話すKDは、どうしても数字を明かそうとしなかったが、ホテルマネージメントから出た情報によれば総額で5億ルピア前後だとのこと。噂では1時間のソロコンサートのギャラが1億5千万ルピアと言われているKDは、グランメリアとの契約で当夜2時間のステージを繰り広げ、そこにはやはり有名歌手アンドレ・ヘハヌサも登場してデュエットを数曲聞かせてくれることになっている。
どうしてグランメリアに出るのか、との記者の質問に対してKDの返事は、「2003年からお話しが出されていて、2004年3月にはもう契約が交わされましたの。」というもの。


「各地方部の年末ホテル予約状況」(2004年12月22日)
ホテルを標的にしたテロ行動に関する諸外国からの警告や、去る12月17日にガルッ〜バンドン間を走るムカルラヤ・バス内で発見された13キロの爆薬事件などにもめげず、バンドンのホテル業界は年末の宿泊予約が佳境に入っている、と表明している。12月に入ってから年末の予約はとうとうと流れ込んできているが、最近のそれらニュースに影響されて予約が取り消されたということは全く起こっていないそうだ。
ホテルホリソンではクリスマスのキャンドルライトディナーと12月31日にプールサイドとスペックスミュージックラウンジで開かれる年越しパーティに宿泊をからませたパッケージを売り出している。ホテル側は警備員を増員してホテル内警備を強化する傍ら、バンドン警察へも警備要請を出して警官配備を強化してもらうことになっている。バンドンシェラトンホテルも年末の予約受付状況はまったくノーマルで、予約取り消しはまったく起こっていないとのこと。
一方マカッサルでは、ホテルレストラン会マカッサル支部が、会員ホテルに対して警戒を強めるよう警告した。もともとマカッサルを訪れる宿泊客は国内観光客がメインであり、国際的なテロの標的になるとは考えにくい背景にあるが、警戒するに如くはないとの考え。地元ホテル業界はバリ爆弾テロ事件に加えてスラウェシのいくつかの地方で起こっている暴力衝突などの影響から、客室稼動は15%程度と冷え切った状況にある。それでも総客室数3,825室を持つマカッサルのホテル業界は、大晦日の稼動が70から80%に上昇するだろうと予測しており、数少ない稼ぎ時にもしものことがあっては大変だとばかり全会員ホテルに警戒を呼びかけている。


「年越しの夜は首都北岸のアンチョルで」
毎年年末の夜に人出でごったがえすアンチョルドリームランドは、今年も海岸での花火大会が予定されている。ドゥファンと略称される大遊園地ドゥニアファンタジーは12月31日の開園が午前11時で閉園は深夜(1月1日)1時。この日の特別サービスは切符1枚で二人が入場できるという半額サービス。続く1月1日は開園午前11時、閉園午後8時。1月1日の呼び物はバンドJIkustikとBrownsugar、そして園内大パレード。
ドゥファンの外でも催し物はたっぷり。旧ドライブインシアターではSKA Fiesta, Tipe X, Jack Potらのホットなステージ、パンタイインダではグヌンキドゥル・チャンプルサリを多彩な顔ぶれの歌手で、カルナバルビーチクラブではSlankにウウッ・プルマタサリやチュチュ・チャヒヤティら人気歌手が、パサルスニではレノンブタウィでお笑いを、ダンドゥッでゴヤンしたい向きにはパンタイフェスティバルへ、アンチョルベイでは24時間ノンストップの歌とオルガントゥンガルでギネスに挑戦などなどお楽しみが一杯。催し物はすべて12月31日夜7時半から始まる。この日入場した来園者は、メインゲートで購入した入場券の半券を捨てないように、とドリームランド側が呼びかけている。その半券で抽選券がもらえることになっており、四輪と二輪の自動車が当たる抽籤は2005年1月9日から3月27日まで継続して行われる。


「今年の年越しは花火なし」(2004年12月31日)
アンチョルドリームランドが、恒例の年越し花火大会を今年は中止すると公表した。被災地で苦しんでいる同胞に対して同情と労わりを示そうというのがその趣旨。同園内10ヶ所で予定されている催しは実施されるが、激しい音楽は極力控えて、悼みと祈りを捧げ、浄財を募る場にするとのこと。同園が2億5千万ルピアをかけて準備した花火は、来年6月22日のジャカルタ創設第478周年記念のさいに使われる。
モナスでも毎年年越しの花火大会が催されるが、スティヨソ都知事は国民大災害にかんがみて今年は中止する、と表明した。PTサンプルナ社がそのために寄贈した5億ルピアの寄金は被災者への救援に回されることになる。アンチョルへの人出を緩和するために行われてきたモナスの花火大会が中止になれば、アンチョルでの混雑は増加するかもしれない。
エフェンディ・アナス北ジャカルタ市長は、毎年市民が行列を組んで練り歩く年越しの歓びを、今年は被災地にいる同胞の苦難をしのんでモスク・教会あるいは自宅で静かに過ごそう、と市民に呼びかけた。


「スター級ホテルが室料をアップ」(2005年1月7日)
経済状況の上向きを反映して、四星五星級ホテルが1月から室料を値上げしている。PT Jakarta International Hotels & Development は傘下のホテル室料を今月中に値上げすると公表した。ホテルアリラジャカルタは既に20から30%値上げしている。同ホテルは昨年6万ドルをかけて新テクノロジーを導入し、2006年には今の四星から五星級にランクアップすることを計画している。値上げは当然利用者にショックを与え、20%ほど客室稼動が低下するおそれがあるものの、それは室料値上げ分でカバーするべく努力し、ショックが短期間で終わればこの値上げは経営改善に大きく貢献することになる、と同ホテルは戦略を立てている。室料を値上げしようとしているとはいえ、シンガポールでは四星級ホテルで一泊250から300Sドル、五星級は400Sドルという料金レベルに比べれば、インドネシアはまだまだ安い、と業界者は弁明している。
JIHD社傘下のホテルボロブドゥル(ジャカルタ)、ディスカバリー・カルティカパラ(バリ)、パンタラ島とマタハリ島のマリンリゾート(ジャカルタのプラウスリブ)、プンチャッのホテルプラメスワリ(西ジャワ州)は、今年二月までに10%の値上げ予定が組まれている。同社のハルトノ取締役は、「国内ホテル業界の現状は値引き競争で適正な経営が困難な料金レベルに落ち込んでいる。クラスランキングに応じた料金レベルは厳守されなければならない。五星級ホテルが四星級の料金にするのなら、そのホテルは四星級あるいは三星級にクラスを変えるべきだ。」と主張している。


「世界のダイバーはプーケットからブナケンへ」(2005年1月24日)
タイのプーケット島がリハビリのために観光競争から退いたことで、北スラウェシ州ブナケンが急遽脚光を浴び始めている。シンガポールから北スラウェシ州マナドへの定期運行便を飛ばしているシルクエアーは、欧米からのダイビング客がこれまではトランジットポイントのシンガポールからタイへと流れていたのに、津波災害後シンガポールからマナドに行く先を求める客が増加し始めている、とコメントした。この変化を受けて同航空はシンガポール発マナド行きを週3便から4便に増やす計画を立てている。また最新型超大型機エアバスA380の同航路への使用について、シンガポール航空の子会社であるシルクエアーは、必要に応じて随時A380を使うことは考慮している、とも述べている。一方、北スラウェシ州の統合経済開発地域管理庁は、この変化に対応して北スラウェシの観光資源開発と整備を早急に進め、特に超大型機の来訪に備えてマナド空港の滑走路拡張を行わなければならない、と進言している。


「バンテンラマに昔日の栄光をしのぶ」
往時、西部ジャワ地方に強大な勢力を誇ったヒンドゥ王国パジャジャラン(Pajajaran)に、新興イスラム港湾都市国家ドゥマッ(Demak)とチレボン(Cirebon)の連合軍が打ち込んだ楔がバンテン(Banten)王国となった。中部ジャワの王家を開祖とするバンテン地方が西部ジャワと一線を画そうとする事実は、2000年のバンテン州分離成立に明白に見てとることができる。
1527年にパジャジャラン王国の有力商港だったバンテンがこうしてイスラム化して以来、パジャジャランは北部海岸線の商港をことごとくイスラム勢力に奪われて衰退の一途をたどり、一方バンテンは勢力を拡大してランプン(Lampung)までその支配下におさめ、胡椒の積み出しと香辛料の中継貿易で隆盛を誇るようになる。バンテン王国の隆盛はしかし、1596年にはじめて東インドへの航海を成功させたオランダ人コルネリス・ド・ハウトマン率いる4隻の船隊の到着以降傾きはじめ、1682年にはバタビア(Batavia)をもぎ取ったオランダVOCの支配下についに落ち込んでいくことになる。
ともあれ、百年を超えて栄華の頂点を極めたバンテン王国の威光は今でもバンテンラマ(Banten Lama)でしのぶことができる。ジャカルタ〜ムラッ(Merak)有料自動車道開通のおかげで、首都からおよそ百キロ離れたバンテンラマへは比較的容易に到着できる。バンテン州の州都セラン(Serang)の街中を通ることなく、セランティムール(Serang Timur)またはセランバラッ(Serang Barat)の料金所から直接バンテンラマに向かえばよい。
ポルトガル人が1511年にそれまで東南アジア随一の通商ハブだったマラッカを占領したとき、従来マラッカに集まっていたインド、パキスタン、ペルシャ、アラブ、ジャワ、マラヤ、ブギス、マカッサル、あるいは中国や台湾・琉球からの商船はマラッカを嫌って第二のハブを求め、バンテンがその地位に躍り出た。こうして見ればバンテンはマラッカの亜流と言って良いのかもしれない。各国の商船が集散したバンテンの都は、3ヘクタールの面積を有する四辺形の土地で、その周囲を厚さ5メートルの城壁が包み、外側は濠で守られていた。
王国の開祖、マウラナ・ハサヌディンが建てたスロソワン宮殿(Keraton Surosowan)は二代スルタン、マウラナ・ユスフが一層豪奢なものに改築したが、1813年にオランダVOCによって焼き討ちされ、今は礎石と崩れた塀の残骸を残すのみとなっている。目を閉じれば、かつてそこには満々と水をたたえた水浴場に女官たちの戯れる声が響き、そして花々が咲き乱れる水音絶えない池の周囲には鳥のさえずりがやまず、美麗に飾られた王の接見テラスに居並ぶ盛装した人々のたたずまいがほのかに浮かんでくる。ジャワ式宮殿の表に設けられたアルンアルン(Alun-alun)と呼ばれる広場に面する北の大門があったあたりには、博物館が建てられている。1985年7月15日にオープンしたこの博物館は、16世紀から19世紀までのバンテン王国の暮らしの様子を今に残した陶器や家具をはじめさまざまな遺物を陳列している。
その博物館に隣接してスロソワン宮殿前のアルンアルン南辺には大モスク(Masjid Agung)があり、まるで灯台のようなその尖塔はかつての王国の威勢を今に伝えている。
王宮を後にして商業の中心だったパベアン(Pabean)地区に向かうと、1685年にオランダVOCが完成させたシュペルウェイク要塞(Benteng Speelwijk)跡地に至る。この要塞も今では城壁を残すのみだが、その遺跡から往時の規模を偲ぶことができる。要塞の東側にはケルクホフ(Kerkhof)と呼ばれた西洋人墓地があって、1千7百年代にこの地で生涯を閉じたヨーロッパ人たちが眠っている。その反対側、要塞の西側はかつてプチナン(Pecinan)と呼ばれた中国人居住区で、仏教寺院が往時の姿を残しており、いまではアヴァロキテシュヴァラ寺院(Wihara Avalokitesvara)と呼ばれている。そこから少し行ったところには中国人モスクの跡が残されており、当時は両宗教が並立共存していたことがわかる。
パベアン地区からカランガントゥ(Karangantu)を経てカイボン王宮(Keraton Kaibon)に向かう。このカランガントゥこそ、バンテン黄金時代に各国の商船が持ち込んできた商品で毎日市が栄えたその中心地だった。今のカランガントゥは漁船が往来する漁港でしかない。カイボン王宮とはもともとkeibuanを語源としたと言われている。つまりスルタン・シャフィウディンの母堂、アシア女王の居所として建てられたものだったが、やはり1832年にVOCによって破壊され、今では残骸をさらすのみとなっている。
バンテンラマ歴史ツアーの見所はまだまだあり、さらに旧バンテン王城の外にも遺跡はつきない。とまれ、それらのすべてがオランダVOCによって滅ぼされた過去の栄華につながっていくという歴史の哀しみの一端にわれわれが触れてみるのも、きっと何かをもたらしてくれるものであるにちがいない。[ 2005年2月 ]


「アセアンヒップホップパスは売れ行き好調」(2005年2月11日)
アセアン加盟国2カ国訪問のための航空券が一律399米ドルで、訪問先国一カ国追加ごとに150米ドル上乗せ。ホテル宿泊料金は3星級が一泊35米ドル、4星級は50米ドル、5星級は70米ドル、そしてローカルツアーがひとり30米ドル、という料金を組み合わせたアセアンヒップホップパスが2004年4月15日から発売され、当初予定では2005年3月25日までの一年間という期限が設定されていたが、このパスがなんと2004年12月までの8ヶ月で1万5千パッケージも売れたことから、アセアンタ(アセアンツーリズム協会)はその期限を撤廃して販売を継続することに決めた。
このパスをもっともたくさん販売しているのはシンガポール航空とシルクエアー。ところがホテルとローカルツアー用パスはあまり売れていない。どうやら期待と観念論が先走ったらしく、域内ホテル業界ツアー業界間の予約と支払いのシステムが整備されないまま発車されてしまったためのようだ。ギャラクシーと名付けられた予約支払いシステムが紹介されたばかりで、これが導入されれば宿泊とツアーのパスも売れ行きが増加しようというもの。協会側はこのシステムを早急に普及させて効果をあげようと期待している。


「パッケージツアー料金が三割増?!」(2005年3月3日)
石油燃料値上げに呼応しての値上げ検討が各セクターで進められている。スティヨソ都知事はさっそく、トランスジャカルタバス、通称バスウエー乗車料金の値上げ検討を指示した。現行料金は午前5時から7時までひとり1千5百ルピア、7時から22時まで2千5百ルピアという金額。ボゴール市では陸運交通局、陸運協会、市事務局、市法務局が会議を開いて市内公共運送料金値上げを協議し、アンコッ料金は一回の乗車が1千ルピアから1千2百に、学生料金は5百から6百ルピアにアップすることが決まった。
Asita(インドネシア旅行代理店協会)は、パッケージツアー料金が近々30%程度アップするだろう、という表明を出した。ベン・スクマ同協会会長によれば、ツアーコストの最大ポーションは交通費であり、飛行機代まで含めれば総コストの70%が交通費で占められることになる、との談。一方、旅客空運業界は今回の石油燃料値上げの影響は受けない、と述べている。国内でAvturと呼ばれているジェット燃料は以前から政府が指定する消費者価格システムから外されており、市場の実勢によって価格が決まっているため、反対に今回の値上げの影響を免れている。ローコストキャリヤーの中には、更に効率を追求して運賃値下げも辞さない、と豪語しているところもある。
ところで政府文化観光省は、中国からの観光客誘致に本格的に着手する構えを見せている。2004年中国からの観光目的出国者数は2千万人に近いが、インドネシアを訪れたのはそのうちの8万人しかいない。お隣のシンガポールには70万人が訪れており、その格差は激しいものがある。政府はこれまで不評だった在北京インドネシア大使館のみの入国ビザ発行を上海と広州にも広げ、シンガポールにお越しの際にはもう一歩足を伸ばしてインドネシアへも、と積極的にアピールしていく方針で、今年の誘致ターゲットを24万人に設定した。その一方で、到着時ビザ発給対象国現21カ国に中東、インドなどを含む16カ国を更に追加することを検討しており、中国もその候補のひとつに上がっている。また到着時ビザ制度の内容見直しも同時に行なわれており、いまの3日間と30日間という滞在期間を7日と60日に増やし、料金も35ドルから25ドルに引き下げることも同時に検討されている。


「JIJJFは大成功」(2005年3月7日)
3月4日金曜日から三日間にわたって首都圏の音楽ファンを魅了したJakarta International Jave Jazz Festival 2005は盛況のうちに幕を閉じた。近年まれな興行サクセスを示したこのフェスティバルの収支やいかに・・・・
初日の入場者は主催者側の発表によれば1万1千人を超えた。入場券はひとり17万5千ルピア、そしてジェームス・ブラウンのステージを見るためには、それに加えて額面20万ルピアの特別券を買わなければならない。二日目の土曜日、主催者側は入場者1万5千人超と公表。この日の目玉はジェームス・ブラウンに替わってインコグニートとアースウインド&ファイヤーエクスペリアンス。二日目の入場券ひとり20万ルピアに加えて、かれらのステージをエンジョイするためにはひとり12万5千ルピアの特別券を買わなければならない。そして三日目は再び御大のジェームス・ブラウンが登場しての大盛況。三日間締めての入場券販売枚数は3万、そして特別券はなんと2万枚、合計5万枚という切符売上が実現した。
総興行コスト2百億ルピアを予定したこの一大ジャズイベントは、A Mild、BNI、Excel、Qualcomm、PLN、Indofood、Panasonicなどのスポンサーを得てコストの70%が確保されるという好運があったことは確かだ。しかしコストの大半を占める外国有名ミュージシャンへの報酬に相応した入場料金が科せられるのがこの世界の常識だが、欧米でジェームス・ブラウンのステージを見ようとすれば1百ドルから3百ドルは覚悟しなければならないというのに、ジャカルタではそれがわずか20ドル。主催者側は、外国有名ミュージシャンたちは概してみんなたいへん協力的だった、と強調している。来演経費は別にして、1ステージ最低5千ドルは当たり前なのに、ノーギャラを了承してくれたミュージシャンも多かったそうだ。 ジャカルタコンベンションセンターにしつらえられた11ヶ所のステージはその三日間、エネルギッシュな音楽のるつぼと化した。メインストリームジャズだけでなく、ブルース、フュージョン、アシッドジャズ、アーバンポップ、ダンス、語りとバリエーションに満ちた公演に、出演者のひとりであるジャズミュージシャンのジェフ・カシワが洩らした感想は「This festival is crazy fun!」
これまで大学生や大学卒業者の間でしか人気がなく、高踏的として敬遠されていたジャズ音楽の醍醐味愛好者が、もうひとつ外の層にまで拡大したという実感は否めない。ミュージックショップでジャズ音楽を求める層が明らかに拡大したようだ。更なる拡大に向けて、来年の継続催行を期待!


「チャリウには鹿の放牧場」
ボゴール県のもっとも内陸部、かつてのチャリウ郡(Kecamatan Cariu)から今は分離したタンジュンサリ郡(Kecamatan Tanjung Sari)のブアナジャヤ村(Desa Buana Jaya)。なだらかな起伏の続くボゴール丘陵のはし。というよりむしろそこは、プルワカルタ県(Kabupaten Purwakarta)にあるジャティルフル(Jatiluhur)湖の裏庭と呼んだ方がふさわしいのかもしれない。
ジャゴラウィ有料自動車道路のチブブル(Cibubur)ゲートを出て、チレンシ〜ジョンゴル街道(Jalan Raya Jonggol-Cileungsi)を東南に向けてひた走ることおよそ1時間半。鹿養殖観光施設(Wahana Wisata Penangkaran Rusa)はそこにあった。1993年にボゴール県林業局が開設した当初から、そこはチャリウ鹿養殖場(Penangkaran Rusa Cariu)という名で広く知られた場所だった。鹿の放牧に確保されているのは、針葉樹の林と藪が随所に散らばる丘ひとつ。5ヘクタールのその放牧場にいるのは三種類の鹿が70匹。理想的な鹿の棲息密度は1ヘクタールあたり10から15匹とされており、同養殖施設は過密状態にならないよう頭数制限を行っている。この鹿養殖観光施設(WWPR)はその名の通り、鹿の養殖と観光事業を並立させているのだ。
鹿の放牧場に接して2ヘクタールの土地が用意されている。そこはハイキングや森林ウオーク、あるいはキャンピングなどの野外活動を行うためのもので、有料で一般開放されている。WWPRの入場券はひとりRp2,500-だが、ハイキングなどの野外活動を行う場合はひとりRp3,000-の追加料金を支払わなければならない。もしキャンプをお望みなら、1グループ1日分30万ルピアの別料金だ。そこにはマンディ・洗濯・トイレの設備しか用意されていないので、テントをはじめキャンプ用具はすべて持参しなければならない。ただし入場者には全員保険がかけられる、と施設側は述べている。しかしここでも外国人は別料金で、入場券だけでRp15,250-となっている。
キャンプ場としては十分の広さがあり、施設側は2百人までのキャンピングが可能だと説明する。清澄で涼しい空気の中、熱帯にいることを忘れて星の降る夜空を仰ぎ見るのがそこでのキャンプの醍醐味かもしれない。施設内を流れるチベエッ川(Sungai Cibeet)はチタルム川に流れ込む清流で、そこでの川遊びやマンディもまた一興というところ。近隣住民もその川でマンディしている。しかし雨季の川遊びは、上流で降った雨が突然濁流となって襲ってくることがしばしばあるので、十分な警戒が必要だと施設側は観光客に呼びかけている。
放牧場を訪れる観光客が鹿に餌をやるのは自由。インドネシアの鹿たちは何が好物なのだろうか?放牧場にはマンゴやアボガドの木があり、実が熟して落ちると鹿たちが食べているそうだ。「甘い果物が好きだよ。」飼育係のひとりはそう話す。一日三度の餌は、朝は草、昼はサツマイモ、夜は糠が与えられている。70頭の鹿には毎朝一袋25キロの草が25袋。昼のサツマイモと夜の糠はそれぞれ一日60キロだ。観光客が鹿にお土産を持ってきて手ずから食べさせてやるのは、人と鹿の美しい交流の姿。「鹿はシンコンは嫌いだ。鹿のお土産に持ってくるのはサツマイモが良い。でなかったら、ニンジンだね。」とその飼育係はそうアドバイスした。
WWPRでは成育した鹿を売ってくれる。しかしそれは頭数が基準数を超えたときだけ。希望者はチビノンにあるボゴール県林業局に申請書を提出しなければならない。許可されれば、一頭2百5十万ルピア前後で購入できる。飼育係は、自分が育てた鹿が十数年の間にたくさん買われていったが、そのあとどうなったかは聞きたくない、と言う。「わしは鹿の肉を食べたことがない。鹿を解体することさえ、自分にはとてもできないよ。だって、かわいそうじゃないか。」そう言ってかれは鹿の群れのほうに歩み去った。[ 2005年3月 ]


「東部ジャワのホテルは6月に値上げ」(2005年3月16日)
東部ジャワ州のスター級ホテルは諸物価の高騰に対応するためにホテル宿泊料金を値上げするが、その時期は今年6月以降。。東部ジャワ州ホテルレストラン会のユリアント会長は、石油燃料値上げに関連して各界が続々と値上げを行なっているが、東部ジャワのホテル業界は2004年末から2005年初にかけて既に値上げを実施したので、申し合わせによって次の機会である2005年6月頃まで値上げは行わない、と業界の姿勢を表明した。「ただし4月に値上げを実施すると表明しているホテルが四軒あるが、かれらは去る年末年初での値上げを延期したホテルであるので、その点ご理解をお願いしたい。値上げ幅はおおむね8から10%となっている。」と同会長は説明している。


「ボゴール植物園で結婚披露パーティはいかが?」(2005年3月21日)
ボゴール植物園は一般外部者にさまざまな形で利用されている。同植物園植物保護センターのスギアルティ学術情報サービス課長は、同園が単に見学や調査あるいは行楽のための訪問先であるばかりか、コマーシャルやTVドラマのシューティング、音楽ビデオなどのビデオクリップやドキュメンタリーあるいは広告写真撮影、ブライダルサロンによる花嫁花婿写真撮影、更には結婚披露パーティにまで利用されている、と市民に人気の高いスポットであることを表明した。2003年には園内のさまざまな場所で年間361回の結婚披露パーティが実施されたが、2004年にはそれが381回に増加した由。日によっては、一日3ヶ所でパーティが開かれることもあるそうだ。日曜と祝祭日はそのようなパーティ開催は受け付けられず、もっぱらウイークデーに限られている。パーティを開催する場合、出席者250人規模の場合350万ルピア、1千人を超える規模だと600万ルピアの会場費を植物園側に支払わなければならない。またパーティ参加者からは自動車1台と入園者2人に対して1万5千ルピアという入園料が申し受けられる。ビデオシューティングや写真撮影については、2003年に104回の申し込みがあったが、2004年は120回に増加している。特に人気の撮影スポットはボゴール宮殿の裏にあたる広場やメキシコ庭園とのこと。
外国人ツアー客は2003年に26,769人が来園したが、2004年は2割減とのことで、特にヨーロッパ人、中でもオランダ人の減少が顕著だそうだ。国内来園客は2003年が1,081,219人で、2002年の124万人からかなり減少したが、2004年は2003年からほぼ横ばいらしい。
同植物園は幼稚園から高校までの生徒を対象にツアーパッケージを組んでおり、AV室で環境保護に関する映画や薬用植物園Herbariumの標本作成ビデオ鑑賞、植物園の歴史や働きに関する講義、植物培養や植物観察、薬用食用植物に関する生態からその製品まで、植物栽培実習、ガイド付き園内見学やバードウオッチングなどさまざまなプログラムが用意されている。それぞれのプログラム催行は最低参加者25人で一人あたり1万5千ルピアとなっており、この中には植物園入園料、資料や器具類の費用、スナックなども含まれている。それらツアーパッケージは2002年から実施されており、ボゴール植物園だけでなく、バリ、チボダス、プルウォダディの各支部でも行われている。


「ジャカルタへおいで、とKDがにっこり」(2005年3月22日)
都庁がエンジョイジャカルタ観光プロモを打ち出した。今年のプロモーション使節に選ばれたのはKDことクリスダヤンティ。文化都市というよりはビジネス都市の顔を強く持つジャカルタだが、「観光客にとってジャカルタには何もない」ことは決してありません、と都庁観光局は40億ルピアの予算を組んで観光客誘致に注力する構え。ハリアント・バジュリ観光局長は、まず諸外国の紀行作家や観光ライターを招いてジャカルタを見てもらう企画を実施する、と言う。ポテンシャリティの高い国は中国、シンガポール、マレーシア、タイ、日本、その他のアジア諸国で、観光振興団をそれらの国に送り込んでプロモーション活動を行なうよりも、その方が経済的で効果も高い、と観光局は考えている。また集客の目玉になるべきイベントも企画されており、4月のGolf Enjoy Jakarta Standard Chartered Indonesia Open Tournament、5月6月のMarine Festival、6月7月のShopping Festival、8月9月のInternational Dining Promotion、11月12月のEntertainment Partyなどが日程組みされている。この観光プロモーションでジャカルタの外国人入国者数を2004年の110万人から一気に220万人に引き上げようと、都庁は意欲的な目標を掲げている。


「インドネシアのホテルやレストランは安い」(2005年4月11日)
ホテルレストラン業界の2004年売上は12.5兆ルピアだった、とホテルレストラン会のヤンティ・スカムダニ・ハルジョプラコソ会長が語った。タイやシンガポールを見ると、観光収入の30%がホテルレストラン業界の売上となるのが標準で、今年の観光収入目標である外国人観光客収入60億ドルと国内観光客収入100兆ルピアの場合、同業界の売上は45兆が妥当な数字。しかし実態は、インドネシアのホテルは客室稼動が50%しかなく、そのためバリやジャカルタのホテルは60ドルから70ドルといった客室料金レベルを引き上げることが難しい。そのため同会長は政府に対し、インドネシアの観光プロモーションを積極的に行って外国人観光客誘致を進めて欲しい、と要請した。特にインドネシアの各地でさまざまな行事が行われており、それを広く知らさなければ外国人も国内の他州住民すらそのことを知らず、それを見に行こうという気になるはずもない。またサバンからメラウケまで各州のさまざまな料理もそのユニークさを宣伝すれば、観光客が行ってみたいと思う動機付けにもなる。「基本的に外国人ツーリストはインドネシア料理が好きですから。」同会長はそう述べている。


「オランダに流出した文化遺産の展示会がジャカルタで」(2005年4月11日)
すでに数十年もの間、祖国を去ってオランダに移されていたインドネシアの歴史的遺物が、ふたたび国民の前におめみえする。今回ジャカルタの国立博物館で国民の前に登場するのは、ライデンのライクスミュージアムに保管されているコレクション。インドネシア側からも150アイテムのコレクションが同時に展示されて会場を賑わすことになっている。お里帰りアイテムの中にはシガサリ王朝時代の価値ある石像も混じっており、美術ファンには見逃せないところ。
この展示会は2005年8月17日から三ヶ月間ジャカルタで催されたあと、そっくりアムステルダムに移動して同じ内容で再開されることになっている。インドネシア政府は今回の催しについて、インドネシア民族の優れた古代遺産を国民が直接目にすることは大きい意味があり、それが今だれの手にあるということは問題にせず、オランダ政府の好意を評価したい、とコメントしている。国外に流出したインドネシア民族の文化遺産返還についてはルートと手続きが定まっており、その努力は辛抱強く進められている。


「鄭和祭が8月に」(2005年4月16日)
今年8月1日から7日まで、中部ジャワ州政府は鄭和来訪6百年を記念してスマラン市を中心にした鄭和際の開催を企画している。マルディヤント州知事はこの企画に関して、商業省、工業省、文化観光省、投資調整庁、中部ジャワ州地元華人社会を巻き込んでの一大イベントを行って地元経済振興に刺激を与えるため、とその目的を説明している。国内外事業者を集めての通商フェア、観光ツアー、遺跡見学や参詣など、国内外のビジネス層や観光客をこの機会にスマランに呼び込もうというのがこの企画の主旨だ。鄭和がスマランに上陸して当時はまだ市街地でなかった場所の洞窟に暮らし、そこから祭礼のために市街を訪れてまた戻った故事にちなんで、8月4日には大パレードも計画されており、そのパレードにスラカルタ王宮の騎馬警備隊が伝統衣装に身を包んで参加するよう要請もなされている。


「ボゴールハーバリウム移転計画」(2005年4月20日)
インドネシアには多種類の植物があり、その多様さはブラジルに次いで世界第二位とされている。しかし水棲植物も加えれば、世界ナンバーワンは間違いない、と関係者たちは言う。世界植物研究の最高峰の一角に位置するボゴール植物園が開設されたのは1817年。ボゴール植物標本館Herbarium Bogorienseもそれと同じ歴史を歩んできた。植物園と道路一つ距てた場所に国立生物学研究センターと隣り合って建てられているこの標本館には160万点余りの植物標本が収蔵されているが、教師・学生・生徒たちが学習や見学に訪れても、場所が狭くまた環境が昔ながらであるために、学習興味が続かないことが指摘されていた。
日本政府がインドネシアの植物研究支援を目的に寄付した援助金で、インドネシア科学院生物学研究センターはボゴール県チビノン地区に新ヘルバリウム・ボゴリエンスの建設を計画している。日本政府が日本との通商関係において重要な市場となっている発展途上国に対して『利益還元』の意味をこめて寄贈するその援助から1千8百億ルピアの予算が組まれ、今の標本館からはるかに設備やインフラの完備した新しいハーバリウムが建てられる予定になっている。建てられる場所は、スカルノ初代大統領が寄贈した自分の所有地。
新ヘルバリウム・ボゴリエンスが完成したあかつきには、インドネシア・マレーシア・ブルネイ・フィリピン・ティモール・パプアニューギニア一帯における植物リサーチセンターの地位を占めることが期待されている。


「男の児は撃ち合いが好きっ!」(2005年4月26日)
ファルカタの林に十数人の男たちがやってきた。迷彩服に半長靴、ヘルメットや野球帽といういでたち。そして全員が銃を抱えている。男たちは薮の茂みやファルカタの木の陰に隠れ、片膝を立てたり寝そべったりして銃を構える。しばらくすると、かれらが銃を向けている小高い丘から、やはり十数人の男たちが現われた。黒尽くめの服装だが、同じようにみんな銃を抱えて迫ってくる。待ち伏せを警戒しながら、構えた銃を周囲に向け、腰を落とし気味にして一歩一歩近付いてくる。
待ち伏せしていた男たちの間から弾丸が放たれた。やってきた男たちも一斉に弾丸が来た方向に銃口を向けて応戦を始める。激しい銃撃戦が展開される中で、待ち伏せしていた迷彩服のひとりが両手で銃を頭の上に持ち上げて叫んだ。「ヒット、ヒット!」その男は戦場から少し離れた空き地へと移動した。そこはセーフティゾーンに指定されている。かれは顔をゴーグルで覆ったまま、言う。「弾丸がゴーグルに当たったんだ。」
戦闘は続き、待ち伏せ隊の兵士が数人、そして攻撃隊からも何人か、死者がセーフティゾーンに集まってきた。戦場の形勢は攻撃隊の方が優勢だ。数人が待ち伏せ側の陣地に突入して戦闘は終了した。その間およそ30分。これは大の大人が遊ぶ戦争ゲーム、airsoft war gameの一こま。体力と精神力を使い果たしたかれらはぐったりの態だが、大都会の日々の仕事で溜めこんだストレスを発散し尽くした心地よい表情をしている。クラブ・ブラボーブリゲードに所属するかれらはその日曜日、ブカシ県チカランのスカマヒ村にあるコタデルタマスのファルカタ林を借りてウオーゲームを行ったのだ。
クラブ・ブラボーブリゲードの会員は80人。定期的にボゴール県グヌンプトリでウオーゲームを行っている。みんなが持っている銃はエアソフトガン。使用されるのは6ミリのプラスチック弾。戦闘ゲームでは、10メートル以内の至近距離から撃ってはならず、また首から上を狙ってもいけない。目を保護するためにエアソフトゲーム用のゴーグルを着け、また屋外での激しい動きで怪我をしないよう、長袖長ズボンは必需品。格好と実用を兼ねて戦闘服着用は当たり前。エアソフトウオーゲームを遊ぶために、銃や弾丸・アクセサリー類あるいは軍服その他の装備を整えると、なんと3千万ルピアを超える。
他にもエアソフトウオーゲームを楽しむクラブはいくつかあり、あちらこちらで活動を行っている。このゲームでは、弾丸に当たったかどうかを客観的に知ることが難しく、そのためゲーム参加者の正直さ、スポーツマンシップが重要視されている。ペイントボールゲームのようにはいかないのだ。
クラブ・ブラボーブリゲードに会場を提供したコタデルタマスは、およそ70ヘクタールのレジャーパークの一部としてウオーゲームが行える場所を用意し、この活動のリージョナルセンターにしようと計画している。名付けてデルタウオーゲームゾーン。ジャカルタへのウオーゲームツアーも一興かもしれない。


「プラウスリブは閑散」(2005年5月3日)
首都ジャカルタの北の海に散らばる多数の島々。Kepulanan Seribu(一千の島々)と名付けられているこの群島は実際、既に110島を切っているようだ。都民にとって近場リゾートのひとつだったこの島々も、2004年12月26日のインド洋大津波災害以来、庶民の足が遠のいてしまった。おまけに忘れたころに「地震がジャカルタを襲う」というデマまで流される。
一週間に5千から7千人の人出があった時期はもう昔がたり。今やその数は1千から1千5百人に激減している。もっとも近場のリゾート島プラウビダダリは観光地として整備された島で、かつては週末になると大勢の訪問者でごった返していたが、今では閑散としている。近場でそれだから、もっと遠い島においておや。プラウプトリ、プラウマタハリ、プラウウントゥンジャワ、プラウアイルにも賑わいはなく、そして韓国・台湾・日本人観光客がお得意様のプラウパンタラも閑古鳥が鳴くありさま。せっかくの観光資源がこれでは、とクプラウアンスリブ行政県側は「カリマンタンの大部分とプラウスリブはインドネシアで珍しい、地震のおそれのない場所だ。」と広報告知に努めている。都庁が今年推進しているエンジョイジャカルタ企画に乗ってお客が戻ってくるのを、地元観光業界は首を長くして待っている。


「冷え込むプラウスリブ観光開発」
5月3日の「プラウスリブは閑散」という記事に見られる最近の情況を盛り返そうと、クプラウアンスリブ(Kepulauan Seribu)行政県庁は報道関係者を集めて紹介ツアーを実施した。トランスジャカルタが運行する50人乗り観光船で主な観光島を巡った記者の印象は、波浪にもまれる悪条件を忘れさせてくれる、目と心が洗われマリンツアー体験。
アンチョルマリーナ(Marina Ancol)を出た船は、まずプラウランブッ(Pulau Rambut)に向かう。波に揺られて1時間、鳥の島として名高いこの島で森とたくさんの鳥たち、オオトカゲ、蛇などを満喫しておおそ45分、船は次の島プラウプトリ(Pulau Putri)に向かう。
プラウプトリには海中展望台があって、およそ20メートルの通路に張られた窓ガラスから海中の色とりどりの魚を鑑賞できる。これは小粒のシーワールドだ。
かつてプラウパンタラ(Pulau Pantara)と呼ばれた今のプラウアントウッ(Pulau Antuk)には日本人、韓国人、台湾人がたくさん訪れる。パンタラを開発したのは日本の会社で、JapanとNusantaraをカップルにしたその名前が由来を表している。そこからほぼ15分で美しい砂浜を持つプラウセパ(Pulau Sepa)、そしてさらにプラウマタハリ(Pulau Matahari)へ。静まり返った空気の中で打ち寄せる波の音だけが世にあることを思い出させてくれる。海のど真ん中でゴルフを楽しみたい方はプラウビラ(Pulau Bira)へ。9ホールのゴルフ場が、そして水泳プールがスポーツの心地よさを味あわせてくれる。プラウコトッ(Pulau Kotok)はシロガシラトビの保護区になっていて、その白い頭の精悍な姿を楽しませてくれる。森に入ると鳥やこうもりの声がそこかしこから。シロガシラトビはジャカルタの州鳥で、この島だけが首都のマスコットの保護区になっている。
続いて訪れたプラウプラムカ(Pulau Pramuka)にはタイマイの養殖場、そしてプラウゴソン(Pulau Gosong)にはスズキやサバヒーの養殖場があり、そしてプラウウントゥンジャワ(Pulau Untung Jawa)にはマングローブの森、プラウオンルス(Pulau Onrust)は歴史パーク、プラウビダダリ(Pulau Bidadari)にはオランダ時代のマルテロ要塞、プラウアイル(Pulau Ayer)にはレクレーション施設が満載。
問題は、バリエーションに富む島々への足。足の確保が量質ともに充実しなければ観光開発は困難だが、観光客が少なければ海運事業も立ち行かないという裏腹の関係をどう解決するのかが、県観光産業のこれからの課題。今ある島々への足は主に下のような手段が利用されている。
トランスジャカルタ社が運航させている定員50人の快速船『ルンバルンバ』。アンチョルのマリーナ第22番埠頭から午前8時に出港する。料金はおひとり2万5千から3万5千ルピア。
ムアラアンケ港から漁船オジェッをチャーターする。出発時間は朝7時から9時と昼1時から3時。料金はおひとり1万5千から2万5千ルピア。
しかし旅行会社で宿泊込みパッケージツアーを申し込む場合は、宿泊、一日三食、目的地までの往復がセットになって、おひとり70万から200万ルピア程度の料金となっている。[ 2005年5月 ]


「ライオンエアーとの2Fターミナル使用契約は延長しない」(2005年5月7日)
スカルノハッタ空港を管理している国有会社PTアンカサプラ?は、ライオンエアーが使用している2Fターミナルの契約延長を行わない、と公表した。エディ・プラヨト、アンカサプラ?社長は、いくつかのファシリティに関して結ばれている契約は、それぞれの期限がくれば更新はしない、と語った。今年期限が来るのはアウトレットとスペースの契約で、ライオンエアーは同ターミナルの事務室やチケット販売カウンターが使えなくなる。地所や他のターミナルファシリティは期限が来年になっている。アンカサプラ側は2Fターミナルをガルーダ航空の国際線を主体とした専用ターミナルとして使う考え。もともと2Fターミナルは年間乗降客3百万人というスケールを想定して作られたものだが、2004年には850万人という利用者実績を示し、過剰な混雑が利用客の快適さを奪っているとの批判が繰り返されていた。


「催事満載、首都の6月」(2005年6月4日)
今年も6月22日のジャカルタ創設記念日を目指して、さまざまな催し物が目白押し。
6月5日は南ジャカルタ市ジャガカルサのセトゥババカンにあるブタウィ文化村でGebyar HUT Jakarta。
6月9〜10日Jakarta Anniversaru Festival
6月11日Festival Pasar Baru
6月16日〜7月17日Jakarta Fair
6月18日Jakarta Great Saleオープニング
6月18〜19日Wisata Kampung Rawajati Pancoran
6月19日Jakarta Metropolita Rally
6月25〜26日Festival Betawi Days
6月26日Jakarta International 10K
ジャカルタフェアは主催者がPT Jakarta International Trade FairからPT Jakarta International Expoに代わって今年が第二回。昨年は中国文化が前面に押し出された観があったが、今年はジャカルタの歴史と文化をレプリカで鑑賞しようとの企画。スンダクラパ時代からブタウィ時代を経て現代までのジャカルタの推移が描かれる。このコーナーへの入場は無料の予定。
一方Gedung Kesenian Jakartaでも、6月9〜25日の間協賛ジャカルタアニバーサリーフェスティバル?を開催。
6月9日オープニング
9〜10日コレオグラフィGiap Than(フランス+ベトナム)
11〜12日ミュージカルコメディHonk!(インドネシア)
14日ジャズEric Vloeimans(オランダ)
15日W.O Putri Kunti Nalibroto(インドネシア)
16日ダンスシアターBenny Krisnawardi(インドネシア)
17日ガンブス音楽Munif Bahaswan(インドネシア)
18日ジャズTrio Dingo(オーストラリア)
19日舞踊IKJ Dance Company(インドネシア)
20日ワヤン上演Teater Wayang Sunda(インドネシア)
21日ギターリサイタルStefano Cardi(イタリア)
22日演劇Lakar Panggung Bandung(インドネシア)
23日ピアノリサイタルAdela Martin(スペイン)
24日パントマイムCompagnie La mere Boitel(フランス)
25日児童合唱団Suara Anak Perdamaian、室内楽Marusya Chamber Music(インドネシア)と閉会式
ちなみに今年のジャカルタ創設記念は第478周年。


「7月23日に国際ヨットレースがスタート」(2005年6月6日)
インドネシアで開催を予定している国際ヨットレースにインドネシアからの参加申し込み者がいない。今年7月23日にスタートが予定されているヨットレースSail Indonesia 2005は、オーストラリアのダーウインを出発してクパン〜バリを経由し、ランカウィをゴールとするコースが設定されており、申し込み受け付けは既に締め切られた。参加申し込みをしてきたのはニュージーランド、オーストラリア、スコットランド、フィンランド、ドイツ、アメリカ、フランス、スイス、イギリス、バージン諸島など13カ国から70隻。残念なことに、インドネシアからの申し込みは全然なし。インドネシアに外洋ヨットがあまりないのはわかるが、インドネシア海軍は国際レース規準を満たすヨットを持っており、セールインドネシア2005主催者であるインドネシア海洋愛好財団(YCBI)のウリッ・サントソ顧問は、海軍参謀総長に出場を要請する、と語っている。
同財団のライモン・レスマナ専務理事は今回の催しの実行に関し、30隻を超えるヨットを繋留できるマリーナがインドネシアにないため、その設営準備期間を持たせるために申し込み締め切りを早くしたと説明する。政府の海岸開発規制による遅れが、そのような形で発現しているのだ、とかれは言う。また外国からの参加者に対する滞在許可が60日間しか与えられないことも、参加者にとってあまり余裕を持ったインドネシア観光ができにくい状況にしている、とも不満を述べている。
YCBI設立者のひとりであるジミー・マイケルは、かつて行われていたダーウイン〜アンボン間ヨットレースが1998年のマルク暴動で中止されて以来の、通算7回目のレースがやっと復活されることになった、とその由来を物語っている。


「スカルノハッタ空港内にターミナル間無料シャトルバス」(2005年6月8日)
スカルノハッタ空港の第一ターミナルは国内線用で、第二ターミナルは国際線用。ただし第二Fターミナルはガルーダ航空用になっており、国内線も取り扱われる。ガルーダ以外の国内航空便でスカルノハッタまで来た乗客が国際線に乗り継ぐときに、その両ターミナルの距離が離れているため、不便が生じる。タクシーやオジェッもあるが、言うまでもなく有料だ。利用者の不満は避けられない。空港管理会社アンカサプラ?は国際レベルのサービスを提供しようと、ターミナル間無料シャトルバスを運行させている。まっ黄色に塗られた6台のバスが、ターミナル1Aから2Fまで順繰りにぐるぐるとスカルノハッタ空港を回っており、だれでもこのバスを利用することができる。


「ホテル宿泊料金が上昇傾向」(2005年6月11日)
イ_ア銀行のサーベイで、今年第一四半期のスター級ホテル宿泊料金が平均4.4%アップしていることが報告された。ホテル客室稼動の好転を背景にしたこの宿泊料金アップは4スター級ホテルがもっとも大きく、一泊328,173ルピアから356,738ルピアへと8.7%の増加。3スター級は242,584ルピアから255,516ルピアと5.4%アップ。5スター級は605,634ルピアから619,128ルピアと2.2%の値上がり。客室稼動状況は、5スター級で49.1%から50.8%に、4スター級で61.9%から60.8%に、3スター級で62.1%から64.9%に変化しているが、全体としては上昇傾向にある。また賃貸アパート入居率は前四半期の75.8%から今年第一四半期は76.2%に向上している。


「ブキッティンギでウオーキング」(2005年6月21日)
西スマトラ州ブキッティンギで今年12月、日本ウオーキング協会と西スマトラ州ウオーキング協会が合同で、インターナショナルフレンドシップウオーキング・インドネシア〜ジャパンが開催される予定であることを西スマトラ州同協会のリドワン・トゥルス会長が明らかにした。西スマトラ州の高原に位置するブキッティンギの町は、町の随所に散らばる観光スポットを歩いて回るのに大変手ごろであることから、同会長はこの種の催しにぴったりの場所であると推薦している。西スマトラ州の同協会は日本の協会と親密な関係を保っており、そのようなイベントをたくさんスポンサーしている日本の協会と協力して12月の催しを盛大に成功させたいところ。12月のイベントの際には、来年予定されているブキッティンギ2デイズウオーク開催準備も同時に進めて行こうとしている。同協会はまたブキッティンギが世界のウオーキングスポットに位置付けられるよう、運動を進めていく構え。


「鄭和航海記念の催し」(2005年7月6日)
鄭和の航海6百年を記念して、今年8月にスマランでフェスティバルが催される予定。このフェスティバルには中国、シンガポール、マレーシアも参加を表明しており、中国からは鄭和船隊の旗艦に使われた巨大帆船のレプリカが寄贈されることになっている。寄贈式はフェスティバル開会の8月3日に行われる予定。このフェスティバルでは、2005年全国投資週間、2005年地域物産展示会、文化展示会、中部ジャワ州中小企業展示会が一斉に催されて地域経済振興をはかる企画になっている。その前段階として8月1日2日にはインドネシア・中国・香港・シンガポール・マレーシアから60人の僧侶が集まって世界平和の祈祷をささげ、3日は大閣寺で高さ6メートルのろうそくに点火し、三寶公寺院の改装祝賀式典もその日に行われる。獅子舞コンテストや提灯コンテストが開催され、三寶行列は鄭和の部隊が山車を引き、ソロ王宮の騎兵隊が行進して、祭り気分は最高潮に盛り上がる。
インドネシアでサンポコンという別名でも有名な鄭和は1405年から1433年まで7度南海への航海に船出し、そのうち三度はインドネシアのアチェ、パレンバン、チレボン、スマラン、レンバン、スラバヤ、グルシッに上陸している。特にスマランは鄭和以来、華人移民が発展させた町として知られており、中華風の文物がその伝統の中に多数残されている。
ところで、この鄭和航海6百年を記念する切手がオムニバス切手として6カ国で発行された。オムニバス切手とは多数の国で同じテーマで同じ日に発売されるもので、鄭和のオムニバス切手発行に参加したのは、中国、香港、マカオ、マレーシア、シンガポール、インドネシア。発行日は6月28日。
インドネシアで発行された切手は鄭和船隊の旗艦を描いたもので、額面は2千5百ルピア。1シートは14枚綴りで、印刷されたのはわずか2万シートだけ。その他に1枚だけのスーベニアシートが3万枚、そして初日カバーが4千枚印刷されている。


「お休みたけなわの子供たち」(2005年7月11日)

小中学生の子供を持つ家庭は、子供たちがもっとも羽を伸ばせる学年末休みをどう乗り越えようかと、頭をひねっている。二週間のこの学年末休みの過ごし方は、一昔前まではおじいちゃんおばあちゃんのいる田舎に子供を送り込むというのが一般的だったが、最近はバリエーションが増加した。テントで寝泊りする野外活動からさまざまな習い事まで選択の幅は広い。お絵かき、バティッ、焼き物、ワヤン制作、歌、司会などさまざまなレッスンがパッケージになっている。変わったところでは、都内アンチョルのシーワールドに泊り込んで、夜中に魚の生態を観察するプログラムがあったが、今もやっているのだろうか?
タングランのリッポチカランにあるWaterboomでは、ホリデイキャンプと銘打った二泊三日のパッケージプログラムがオファーされている。野外活動をメインにして親の付き添いはシャットアウトしたこのパッケージに参加する場合、料金は一人29万5千ルピア。子供の年齢は7歳から12歳まで。体と心を鍛え、自立心を養うとのキャッチフレーズに引かれて、多くの親が子供をこのキャンプに送り込んでいる。長い休みに、毎日家でごろごろされてはかなわない、と思う親心に国境はないようだ。


「子供たちのお休みはアンチョルで」(2005年7月13日)
ジャボタベッ近郊鉄道のボゴール駅とデポッ駅から、アンチョルドリームランド行き快速電車が出ている。このアンチョル快速パッケージはジュアンダ駅で下車すると、ドリームランド行きフィーダーバスに乗り換えてアミューズメント施設まで直行することになっている。料金は往復でボゴールからRp 22,500、デポッからRp 19,500となっており、ボゴール駅発車時間は午前7時と9時33分、その列車がデポッ駅を発車するのは午前7時21分と午前9時48分。このアンチョル快速電車は土日と国民の休日だけ運行され、通常のエクスプレス電車に専用車両2両が連結されていて、アンチョル行き乗客はそこに乗る。2両のシート数は160人分あり、立ったままの乗客は240人が収容できる。帰りはどの電車に乗るのも自由で、ジュアンダ駅までのフィーダーバス最終便がアンチョルを発車するのは20時45分。いまお休みたけなわの小中学生をターゲットにしたこの企画はアンチョルドリームランド側のテストプログラムで、その切符料金には同社からの補助金がつけられて40%も割安になっている。これが成功すればブカシ駅やバンドンからも快速電車パッケージを実施する思惑でいるが、これまでのところは成績がいまひとつ芳しくなく、目標の一日7百人に対して実績は425人。「アンチョルまでの足代は安くても、中に入るのもいっしょにやすくしてくれなくちゃあ。」と財布を覗き込んでいるお父さんのため息まじりの声。
ところで全国的な学年末休みに入っているいま、アンチョルドリームランド入園者数は平均20%の増加を示している。先週は一日の入園者が6千人台に乗り、昨年のハリラヤ日の実績をオーバーした。


「8月1日からガルーダ航空コールセンターが番号変更」(2005年7月29日)
ガルーダ航空がコールセンターの電話番号を変更する。これまで08071GARUDA(つまり08071427832)が使用されていたが、数字だけの電話機からの通信が困難という批判もあり、今年8月1日から08071807807に変更される。この番号へはシンガポールからも自動移転プロセスで接続可能になる。この電話番号は国内のどこからかけてもローカル料金しかチャージされず、長距離の場合発生する長距離料金との差額はガルーダが負担する。ガルーダ航空コールセンターへの通話は年々増加しており、年間450万から500万件に達している。
それとは別にガルーダ航空はまた、2006年3月からEティケッティングを開始すると公表した。IATAは全会員企業に2007年からのEティケッティングシステム開始を義務付けているが、ガルーダは航空券ディストリビューションコストが25%から15%に減少するとしてこのシステム転換に積極的に取り組んでいる。またそれに時期を合わせてガルーダは、乗客が自らチェックイン手続きを行なうCheck-in Common Use Self Serviceシステムを開始する予定。これはチェックインカウンターを通さずに直接チェックインCUSS機器を使ってチェックイン手続きを行なうもので、この導入でカウンターでの混雑を緩和しようとの目論見。


「パガンダラン観光は海だけじゃない」
西ジャワ州チアミス(Ciamis)にあるパガンダラン(Pangandaran)へは、バンドンから236キロ、ジャカルタからだと393キロの道のり。バンドンを出るとタシッマラヤ(Tasikmalaya)を目指し、更にパガンダランに向かう。自家用車で余裕を持って走っても、4ー5時間のドライブ。飛行機を使いたければ、バンドン空港からヌサウィル(Nusawiru)行きが出ているし、バンドンーパガンダラン長距離バスだとひとり2万5千ルピア。道中は、目の届く限り緑・緑・緑の洪水。広がる水田を農夫が水牛を追って耕し、澄んだ水の川には何人もの釣り人の姿。排気ガスに汚れていない空気の味はまた格別。
こうしてパガンダラン観光地ゲートに到着すると、入場料を乗り物に応じて支払う。オートバイで1万ルピア、四輪車だと数万ルピアになる。中へ入ったらまず宿の確保。週末だとたいてい満室。値段は一泊20万ルピアから数百万ルピアまで。しかし宿屋が満室でも心配はいらない。近在の住民は一泊30万ルピア程度で家を貸してくれる。もし部屋だけを借りたいなら、20万ルピア。朝はローカルブレックファーストのサービス付き。
パガンダラン観光の目玉はなんといっても自然のままの海だが、周辺にもたくさん観光スポットがある。チランゲニス(Ciranggenis)のバトゥラヤル(Batu Layar)では聖なる泉が湧き、この水で顔を洗ったり水浴すれば、いつまでも若さが保たれる、との言い伝え。パガンダラン海岸(Pantai Pangandaran)南部には滝があり、およそ2時間のトレッキングコースとなっている。また海岸から25キロも行けばグランドキャニオンがあり、そこから6キロ離れたところにはBatu Karang観光。
パガンダラン海岸での焦点はパシルプティ(Pasir Putih)。そこへ行くには、ひとり1万5千ルピアを払って舟をチャーターする。行程は半時間。インド洋の大波が舟をもてあそび、アドベンチャー志向のひとにはうってつけ。パガンダランの海は波高いが、水泳希望者のために比較的穏やかな西側の海が用意されている。、パシルプティの水中公園では、魚や水中の生物を見て楽しめる。もし貝殻を拾いたいならご随意に。豆好きの猿が寄ってくるが、ピーナツを袋ごとひったくられないようにご注意を。
お遊びで疲れたら、お土産ショッピング。みやげ物売店は海岸に並んでいるが、地元のパサルの方が多少は安い。パガンダラン市場には、ハンディクラフトから衣料品までみやげ物もそろっている。[ 2005年8月 ]


「ご来光詣では6百人まで」(2005年8月12日)
毎年独立記念日には、ジャワ島最高峰のスメル火山山頂で旭日とともにその日を祝う多数のひとびとがいる。今年の登山者は6百人までとする、とブロモ・テンゲル・スメル国立公園管理所長が公表した。ただし10%までの増加は認めるとのこと。スメル山は昨年12月に火山活動のため閉山されたが、今年7月10日に入山が再開されたのは地震や火山物質噴出が止まったから。しかし10分おきの噴煙は従来と同じ。入山者制限は管理当局の監督を容易にするためのもので、この時期が過ぎれば登山者も減り、そのようなことをする必要がなくなる、と管理所側は述べている。今年の8月16日から18日までの三日間にスメル山頂に上る人は3千人に達するだろうと予測されている。


「チボダス植物園でお花見を」(2005年8月25日)
西ジャワ州のグデ山とパンラゴ山の山麓にあるチボダス植物園は、1852年4月11日にテイスマンが開いたもの。ジャカルタからは、プンチャッ街道をバンドン・チアンジュール方面に向けて走り、プンチャッ峠を越えて降りたチマチャンの町で脇道に右折し、しばらく走る。総面積125ヘクタールのチボダス植物園はボゴール植物園より広大。チボダス植物園には桜園があり、一年二回開花する、というのが同園の自慢。植物園側の話だと、次の開花はこの9月とのこと。桜は誰もが知っているように、花開いたらさっと散るため、潔さという日本的価値観のシンボルとされてきたものであり、タイミングを失するとせっかくきたのに葉桜しかおがめないということになるので、情報収集が必要かもしれない。
このチボダス植物園に、世界で唯一の苔園が開設される。2千5百平米の広さを持つこの苔園は、入り口から6百メートルほど歩いた所に設けられ、そこへ行くにはロドデンドロン園を通ってチボゴの滝に向かうアスファルト道路を進めばよい。同植物園内にある樹木の75%は苔が生えており、また草地や空地、崖などの40%にも苔が生えている。園内の苔は250種類はあるとされており、苔園に集められる170種の苔の大半はお手盛りで用意されることになる。苔は今のところ、観賞用植物や造園の周辺材として保水や土壌に対する効用が活用され、あるいは薬用植物としてジャムゥの材料に利用されたりしているが、チボダス植物園ではこの機会に苔に関する研究が推し進められることを期待している。
2006年4月11日の公式オープンを目指して、苔園はいま建設が進められている。


「アドベンチャーツアー」
旅行会社アドベンチャーインドネシア(Adventure Indonesia)がワイルドなツアーをオファーしている。Orang Utan Wildlife and River Safariと題する2泊3日のツアーは、まずジャカルタからスマラン(Semarang)に、ガルーダ航空エコノミークラスで飛ぶ。スマランでカルスター(Kal Star)航空に乗り継いで、中部カリマンタン州パンカランブン(Pangkalan Bun)空港に飛ぶ。到着すると、タンジュンプティン(Tanjung Puting)のタンジュンハラパン(Tanjung Harapan)とポンドッタングイ(Pondok Tanguy)にあるキャンプリーキー(Camp Leakey)に行ってオランウータンとのご対面だ。そしてその夜のお泊りは、船。長さ6メートル高さ2メートルの船がこのツアーのベースキャンプで、リバーサファリも当然その船で行くことになる。ちゃんとコックがいて食事を用意してくれるので、心配はご無用。このツアーのお値段はひとり430万ルピアだが、参加者が多ければ多少は安くなる、との同社の談。つい数日前には10人のグループを出発させたばかりで、このツアー参加者の90%は外国人だそうだ。
ほかにもいろいろとユニークなツアーが用意されている。イリアンジャヤへ行くPapua Irian Jaya Tribal Tour、コモド島でのシュノーケリングやダイビングをセットにしたコモド島パッケージツアー、Toraja Sulawesi TourやCross Borneo West to Eastなど。このボルネオツアーは19泊20日という壮大なもので、カリマンタンの川をボートで遡行するお楽しみが満載。[ 2005年8月 ]


「ボロブドゥルに船の博物館」(2005年8月31日)
ボロブドゥル遺跡の壁画に描かれた船の図を再現し、インド洋を横断してアフリカ西岸のガーナまで到達してシナモンルートの海上路を実証した木造船サムドララクサを保存し、同時にそれを一般公開するために、博物館が造られた。中部ジャワ州マグランにあるボロブドゥル遺跡のエリア内に造られたこの博物館は、SBY大統領を迎えて2005年8月31日に公式オープニングが催される。
今度ボロブドゥルに行けば、マダガスカルからケープタウンを経てガーナまで航海した木造船と、その船を建造し、そして操った海洋民族の面影を目の当たりにすることができるだろう。


「コンパス紙への投書から」(2005年9月1日)
拝啓、編集部殿。2005年8月1日、わたしはスカルノハッタ空港からマカッサルへ行くため、12時55分発アダムエアー786便の切符を買いました。12時15分に空港カウンターに到着したところ、カウンター職員に発券係りのところへ行くように言われてそこへ行き、発券係りに「遅かった。」と言われて驚きました。「出発時間前なのに、なぜ?」と尋ねると、「満席にしないとフライトは赤字になるので、その座席は他の乗客に売りました。」と言うのです。わたしと同じ運命をたどった乗客は何人もいて、ある軍人さんは「11時半に来たのに、座席はもうなかった。」と話していました。そして18時発の次の便を待つように言われましたが、それに乗るためには、わたしが犯したこともない過失のために16万ルピアの追加チャージを払わせられたのです。アダムエアーのそのような座席売買が繰り返されないよう、警告あるいは制裁を与えてほしいと関係当局にお願いします。[ マカッサル在住 ダニー・ウィジャヤ ]


「日本人の行楽予算は毎月1千ドル」(2005年9月19日)
インドネシアで働いている日本人は行楽資金として月7百から1千米ドルを割いており、インドネシアに住んでいる機会を利用して各地に旅行するためのクラブを運営している、と日本人界のあるクラブに所属するインドネシア人会員が語った。
それによれば、日本人たちは週末やルバランのような長い休みを利用して観光を行い、ユニークなことにインドネシアの観光情報が満載された本を作っているとのこと。「旅行先に応じて日本人一人当たり1〜3百万ルピアの交通費と2〜3百万ルピアのみやげ物購入費を使っている。」その会員はそのように紹介している。


「ジャカルタのプライベートシアター」(2005年9月28日)
冷房の効いたホールで、ソファーのような椅子に身体を沈めての映画鑑賞はいかが?ポップコーン1カップ、ソフトドリンク1ビン、そして毛布までセットになったVIP待遇の映画館がいま大人気。南ジャカルタ市ブロッケムのパサラヤグランデにあるMPXグランデは六つのスタジオを持ち、そのうち二つは一般用で座席は236シート。これは普通の映画館だが、他の三つはゴールドクラスで53シート、そして最高級ダイアモンドクラスはわずか24シート。これぞプライベートシアターだ。ダイアモンドクラスはラウンジになっており、大型の椅子にひとりずつゆったりと座り、ワイン、アルコール飲料、カプチーノからレモンティ、そして料理までオーダーできる。アリサンや友達仲間が連れ立って映画を見ながらパーティという雰囲気。入場券はひとり12万5千ルピア。ゴールドクラスだと椅子は数人が並んで座る映画館タイプだが、足回りがゆったりしているので、普通の映画館で自分が座った前を他人が通るときのあの窮屈さから解放される。アームレストも飛行機のように立てることができるので、ヤングカップルにはうれしい趣向。入場券は週日4万、週末6万ルピアで、通常の映画館とあまり違わない。時には一般映画館を百人以上で借り切って、誕生パーティが行われることもあるらしい。このMPXグランデはシネトロン王ラアム・プンジャビの所有で、21グループには属しておらず、時折ボリウッド映画も登場するというから、たいへんユニーク。
こうなればBioskop21も負けてはいられない。プラザインドネシアEntertainmentXenterやプラザスナヤンに開いたEX Premierでその向こうをはる。一般映画ホールは入場券が6万ルピアだが、ここは12万5千ルピア。ラウンジ型でリクライニングシートが60席。毛布もついてばっちりオーケー。スナヤンのEXプレミールは38席で、チケットはひとり10万ルピア。
ところがこんどはクマンにも対抗馬が登場した。バンカラヤ通り99番地のKe'kun CafeにあるFlickerは座席数わずか10。プライベートシアターという意味では、この方が本物かもしれない。入場券はひとりいくらとなっていないのもユニーク。ワンビュー10万ルピアとなっているので、一人で借り切っても10万ルピア、仲間を10人誘って行っても10万ルピア。ここには3百タイトルのフィルムコレクションがあり、2x1.5メーターの銀幕にお好みの映画を投影してくれる。自分の居間にいるような感覚で足をあげるのも自由だし、他の映画館ではせいぜいポップコーンと飲み物しか許されないが、ここではお食事を取りながらでもオーケーになっている。


「都内高級ホテルは一泊100ドル」(2005年9月28日)
今年上半期の首都圏にある5星級ホテルの客室稼働率は46%だった、と不動産コンサルタントのジョーンズラングラサールインドネシアが公表した。経済成長と社会情勢の安定が都心ビジネス地区(CBD)にあるスター級ホテルの客室稼動を好転させているとのコメント。
2005年3月末時点で都内に建設中のホテルは、マンハッタンホテル、ノボテル・マンガドゥアスクエア、リッツカールトン、ホテルグランドインドネシア、ウエスティンホテルで、客室総数は1,522室にのぼる。経済危機前のトップクラスホテルは一泊170ドルにもなっていたが、今では100ドル前後に下がっている。


「コンパス紙への投書から」(2005年10月1日)
拝啓、編集部殿。メダンでのマンダラ航空機事故には、わたしも弔意を表します。そして後部座席にいて生き残った乗客には共に神の恵みを祝福したいと思います。かれらが助かったのは安全ベルトのおかげだとわたしは確信しているのです。
もし2005年7月10日のウジュンパンダン発デンパサル行きライオンエアーJT741便にあのような事故が起こっていれば、37Eという後部座席に座っていたわたしでも、今こうしていられるかどうかわかりません。というのは、わたしが座ったシートには安全ベルトがなかったからです。
実際、テークオフの前にわたしは何度も、客室乗務員になんとかしてくれと頼みました。ところがそのうちに飛行機が飛び立ち、わたしは安全ベルトのないまま、不安と高いリスクにさらされるのを放置されたのです。最後にわたしは怒りを発散させ、客室内でかなりの騒ぎを起こしたため(周辺乗客がみんなそれを見ていました)、乗務員はやっと他の座席を探してくれました。その問題について、わたしはパイロットに苦情をぶつけ、そしてデンパサルのライオンエアーオフィスにもクレームをしましたが、かれらは正式な文書でクレームしてくれと言うだけでした。
それでわたしは三通も苦情の手紙を出しましたが、いまだに何の返事もありません。それらの手紙についてわたしは、写しを運通省空運総局長とインドネシア消費者保護財団に送っていますが、それをフォローしてくれたのは消費者保護財団だけでした。 今回の事件でライオンエアーは、乗客つまりわたしの安全をないがしろにしたことは明らかです。[ 東ジャカルタ市在住、ジミー・トゥラガン ]


「ガルーダ航空の新サービス」(2005年10月5日)
ガルーダ航空が新たなサービス改善を公表した。スカルノハッタ空港第2E−Fターミナルにオープンしたエグゼキュティブラウンジは1,419平米の床面積を持ち、国内最大最高の施設とのこと。他にもGARUDA SMSと称する情報サービス、テレフォンチェックイン、Valet Service(チェックイン、バゲッジ、乗り継ぎアシストサービス)、ファーストトラック(イミグレーションデスクの短時間通過サービス)などの諸サービスを充実させるとともに、ジャカルタ〜シンガポール路線のインフライトサービスをアップグレードする。
ジャカルタ〜シンガポール線は廉価料金ノンフリル航空会社の増加で激しい競争状態に入っており、ガルーダはフルサービス航空会社としてインフライトサービスを充実させることで差別化をはかろうというもの。このサービス改善をテストケースとして、他の路線にも展開させて行く考え。最近同航空のオンタイムパフォーマンスレートは78.9%から88.4%に向上しており、またロードファクターも65%から74%にアップしている。


「免税店のお得意さんは韓国・日本・台湾の観光客」(2005年10月10日)
10月1日の第二次バリ爆弾テロで、バリの免税店は売り上げが二〜三割減少している。第一次テロの時は50%以上売上が落ちたが、今回は滞在客のパニック帰国もなくてまだマシだとはいえ、訪問を予定していた観光客の一部が訪問先を変えることは大いにありうる、とインドネシア免税店協会会長は懸念す。従来から、免税店のお得意さんは韓国・日本・台湾の観光客で、アルコール飲料、工芸土産もの、香水、化粧品などが売られていた。いま同協会会員は22社だが7社は事業を止めており、半分は空港内に、残る半分はジャカルタ、バリ、バリッパパンなど市内に開店している。


「ガルーダ航空のサービス向上」(2005年10月19日)
10月に入って、ガルーダ航空がサービスを充実させている。スカルノハッタ空港E−Fターミナルにオープンしたエグゼキュティブラウンジはインドネシア最大で最高のサービスが充実している場所、とガルーダが胸を張る待合室。広さ1,419平米は国内線旅客用757平米と国際線旅客用662平米に仕切られ、前者は148席、後者は114席のシートが用意されている。ここにはVIPラウンジ、ビジネスセンター、クワイアットルーム、リフレッシュメントエリア、ラゲッジエリア、そしてインドネシアならではのムソラが設置されている。リフレッシュメントエリアにはシャワー室やナースリー室があり、ラゲッジエリアは手荷物預かり場で、ムソラはムスリムの礼拝施設。このラウンジに入れるのはすべてのガルーダ航空路線乗客のうち、ビジネスクラス旅客、ガルーダフリーケントフライヤーのゴールドカードもしくはプラチナカード所有者、あるいはエグゼキュティブカードプラス会員に限られる。
ジャカルタ〜シンガポール線機内サービスもクオリティアップがはかられ、読み物、ビデオニュース、ウエルカムドリンク、有名ブランドアイスクリーム、有名ブランドコーヒー、新デザインのメニュー、イヤホーン、到着地での「さようなら」挨拶など、廉価ノンフリル航空会社との差別化を強めようとの意向が汲み取れる。
ガルーダSMSサービスは携帯電話SMSを使った情報と決済のサービスで、番号8070にSMSでアクセスすることで、フライトスケジュール、ブッキングステータス、個々のフライトの残席状況、フライトスケジュール変更などの情報を得ることができる。そのほか、電話チェックインはガルーダコールセンター0807−1−807−807に出発予定時刻から4時間前までに電話してチェックインすることができ、座席番号の確定や空港到着時のボーディングパス入手がスムースに行える。
国際線国内線のいずれにもビジネスクラス乗客にはバレットサービスがあり、チェックイン手続きの手伝いをガルーダ職員が行ってくれる。出国カード記入、出国フィスカル支払い、乗り継ぎ手続き、バゲッジ取り扱い、そしてエグゼキュティブラウンジでの付き添いまで、お客の面倒を見ようというもの。
もうひとつの最新サービスはイミグレーションカウンターでのファーストトラックサービス。このサービスのおかげで、混み合う長蛇の列はもうへっちゃら。ITタッチスクリーンを通してフライトスケジュール、予約状況、航空料金、マイレッジなどの情報が得られるキオスクと名付けられた新サービスも用意されている。


「ルバラン長期休みに都内の行楽先は?」(2005年11月1日)
ルバラン帰省をしないで首都にいる都民に対して、都内の行楽スポットはさまざまなお楽しみプログラムを用意して来場を誘っている。
アンチョルドリームパークでは、ラマダン月が終わったタクビランの夜のプログラムの目玉として、パンタイカルナバルに大型ステージを組み、直径2.5メートル重さ2.65トンの巨大ブドゥッ(大太鼓)を設置して当日のロマ・イラマによる演奏と歌を盛り上げる予定。計画されているのはきわめて大掛かりな演出で、アンチョル湖からパンタイカルナバルにかけて海上に3百隻のボートを浮かべ、それぞれのボートにブドゥッ、たいまつ、花火を載せて、タクビランの夜の歓びを海上で大いに盛り上げようというもの。他にもたくさんの企画が予定されており、1.2トンの超ビッグ・クトゥパッが来場者に無料提供され、エレクトリックパレードやイルカのアトラクションなど新しい趣向が凝らされている。11月2日から13日までのルバランウイークには、アダバンド、ラジャ、アリ・ラッソをはじめたくさんのアーティストが登場することになっている。同パークでは、今年の来場者は昨年から20万人増の百万人をターゲットにしている。
アンチョルを首都圏北部の行楽スポットとすれば、南部に位置するタマンミニはその対抗馬。今年のタマンミニは、11月3日から13日までグビヤルルバランと題して特別企画を用意している。例年イドゥルフィトリの二日目から来場者が増加するタマンミニでは、バザーやダンドウッ歌手のステージで園内を盛り上げる。登場するのは、リザ・ナタリア、ディディ・クンポッ、ヌルル・チュチャッルウォなど。同園の四つの入場ゲートでは渋滞が起こるため、今年は係員が並んだ車に歩み寄って入場券を販売する方式に変更する。同園では今年のルバランウイーク入場者を、昨年実績の29万8千人から30万人の大台に乗せることをターゲットにしている。
やはりジャカルタ南部にあるラグナン動物園も例年、休日には大勢の人出で賑わう行楽スポット。ところが今年は鳥フル汚染のために21日間閉鎖され、10月11日に再開したばかり。再開当日の入園者はわずか20人だったが、その週末には785人まで入園者が回復している。140ヘクタールという広大な緑地公園になっているラグナン動物園は、入園料の安さから庶民が気軽に緑陰散歩を求めてやってくる家族連れ人気行楽サイト。アウターリングロードの上を通って動物園に向かう交差点は、休日になると往々にして大渋滞が発生する。今入園料は子供2千ルピア、大人3千ルピアとなっているが、この諸物価高騰のおりに、園側では子供4千、大人5千ルピアへの値上げを検討している。


「ルバラン休み中のボゴール地区行楽情報」
ルバラン休み中にボゴール県チサルアのタマンサファリインドネシアを訪れる予定のご一家は、入場料金が値上がりしているので資金に余裕を持たせるほうがよい。同園は11月1日から入場料金を値上げした。国内観光客の入場料は、6歳以上がひとり3万ルピアから4万ルピアに、6歳未満はひとり2万5千から3万5千に、四輪車入場料は1台1万ルピアから1万5千ルピアとなった。外国人観光客は6歳以上がひとり6万ルピア、6歳未満ひとり5万5千、四輪車は1万5千ルピア。
タマンサファリには新しい娯楽が増えた、と広報担当者は語る。アメリカから取り寄せたボンボンボートがそれで、部屋の中で走らせるボンボンカーを水上に置き換えたものと思っていただけばわかりやすいでしょう、との談。
一方やはりボゴール県のチレンシにあるムカルサリ観光園では、「ルバランチュリア」と題してダンドウッ歌手を招いてのステージが企画されている。ほかにもクトゥパッ編み、太鼓打ち、アザン、チャピンお絵かきなどの競争が催される。ラテン音楽レゲーやナシッ、クダルンピンなどのアトラクションもある。入園料はひとり1万ルピア。
ボゴール市で一番廉価な行楽地は植物園。入園料ひとり5千ルピアと赤十字寄金5百ルピアを払えば、終日緑陰の中で散策を楽しむことができる。ルバラン長期休みの人出を予想して、植物園側はボゴール農大キャンパス前、郵便局横、メインゲートなど16ヶ所の入場券販売窓口を整備して準備している。[ 2005年11月 ]


「ルバランシーズンのアニェル・チャリタ海岸は大盛況」(2005年11月11日)
バンテン州アニェル・チャリタ海岸の宿泊施設は今年のルバランシーズンはほぼ100%の客室稼動状況で、13日の日曜日まで70〜80%という高稼動状況が続いている、とホテルレストラン会バンテン支部役員が語った。今年のハリラヤピークシーズンは石油燃料値上げ後とあって、高いところでオフシーズンから40%も高い料金設定がなされたが、それでもタンジュンルスンからアニェルやチャリタにいたる海岸沿いのリゾート宿泊施設は本当に満室になった。一泊90万から百万ルピアを超える料金でも、首都圏からきた宿泊客でスンダ海峡に面するこのエリアは大盛況となり、アチェ津波災害以来客室稼動20%前後と低迷していた業界は久方ぶりに息を吹き返した様子。


「首都圏行楽地の今年の人出」(2005年11月5日)
今年のルバラン休みに首都圏の行楽地は人出でにぎわった。ラグナン動物園は鳥フル消毒のための閉鎖があったために閑古鳥が鳴くかと心配されたが、イドゥルフィトリ初日の入場者は12,733人とそこそこの入りで、動物園側をほっとさせた。しかしその数字は昨年実績30,746人から6割減。
プンチャックとスカブミの街道沿いにある行楽地やレストランは大入りの盛況。ジャゴラウィ自動車専用道路のボゴール・チアウィ行き車線は朝から自家用車やバスで大混雑。昼頃は高速道路45キロ地点で5キロの渋滞が発生した。
例年集客のトップを独走するアンチョルドリームランドは、イドゥルフィトリ初日は18時に入場者7万5千人、二日目は16時に9万5千人に達し、園内のすべてのスポットは人で満たされた。タマンミニは昨年の入場客が初日3万3千人、二日目7万7千人だったが、今年の初日は昨年から少し減少して3万2千人だった。
スンダ海峡に面したアニエルでも宿泊客が急増し、二日目の客室稼動は90%に達した。西ジャワ州カラワン県にあるタンジュンパキス海岸はブカシ市から70キロ東にあってブカシ住民の行楽地になっているが、二日目は数千人の行楽客で賑わった。


「コンパス紙への投書から」(2005年11月10日)
拝啓、編集部殿。2005年9月23日、わたしはライオンエアーでスカルノハッタ空港からテルナーテに飛びました。マナドのサムラトゥラギ空港でトランジットしました。トランジットサービスを行ったライオンエアー係員は、サムラトゥラギ空港のエアポートタックスとして3万ルピアをトランジット客から徴収したのです。わたしの前に並んでいた紳士が、トランジット客にエアポートタックスを払わせるのはおかしい、と抗議しましたが、係員は馬耳東風を決め込んで金を徴収します。その紳士は奥さんと子供二人を連れていましたから、その支出が高額だったことは想像がつきます。
その紳士の苦情は、待合室から搭乗口まで乗客を送るバスの中まで、ひとびとの話題となりました。ライオンエアーのバス運転手が言うには、同じような乗客からの苦情は以前から耳にしており、それはライオンエアーの方針ではなく、空港管理会社PTアンカサプラの方針だとのことでした。
2005年9月24日、わたしはスラバヤ行きムルパティ航空に乗り、マカッサルのハサヌディン空港でトランジットしましたが、その空港ではエアポートタックスの徴収がありませんでした。エアポートタックス徴収規定は、本当はどうなっているのでしょうか?関係当局からの説明を伺いたいと思います。[ 東ジャカルタ市在住、スナルノ ]


「ロンボッ直行便開設と無料宿泊」
ガルーダ航空が、ジャカルタ〜ロンボッ直行サービスを10月27日から開始した。フライトナンバーGA422はインドネシア西部時間18時30分スカルノハッタ( Soekarno-Hatta )空港発、インドネシア中部時間21時40分アンペナン( Ampenan )空港着、そして復路のGA423便はインドネシア中部時間6時20分アンペナン発、インドネシア西部時間7時30分スカルノハッタ着というスケジュール。西部時間と中部時間の間には1時間の時差がある。標準で使用される機体はB737−400で、ビジネスクラス14席、エコノミークラス120席と総座席数は134。従来のジャカルタ〜アンペナン便はジョクジャ経由で、年間7万から8万の乗客を運んでいたが、最近増加しているビジネス客に対するサービスという面も含んで、ガルーダは直行便を開設した。今のところ、ジャカルタ〜ロンボッ直行便はガルーダだけ。
この新航路開設プロモキャンペーンとしてガルーダ航空は、ロンボッにある有力ホテルと協賛して、GA422便乗客に対し一泊無料サービスを提供している。協賛ホテルはスンギギビーチホテル( Sengigi Beach Hotel )、シェラトンスンギギビーチ( Sheraton Sengigi Beach )、ノボテルコラリアロンボッ( Novotel Coralia Lombok)、グランルギマタラム( Grand Legi Mataram )、オベロイロンボッ( The Oberoi Lombok )、ホリデイリゾートロンボッ( Holiday Resort Lombok )、ジャヤカルタロンボッ( The Jayakarta Lombok )、インタンロンボッビレッジ( Intan Lombok Village )、ホテルプリサロン( Hotel Puri Saron )、ビラサヤンロンボッ( Villa Sayang Lombok )、ビラオンバッ( Villa Ombak )の11。GA422便乗客は、その11のホテルの中で二連泊以上を条件に、一泊分無料のサービスが受けられる。ただし言うまでもなく、ホテルに部屋が空いていることも絶対条件。GA422便乗客は各自直接ホテルの予約を行い、一泊無料サービスを確認し、そしてホテルチェックイン時にGA422便のボーディングパスを提示する。アンペナン空港到着ホールにもそれらホテルのカウンターがあるので、それを利用することも可能。
このキャンペーンに関するお問い合わせは、ガルーダコールセンター電話0 807 1 807 807あるいは(021)2351 9999まで。このキャンペーン実施期間は2005年10月から2006年3月まで、とのこと。
[ 2005年11月 ]


「TIWOK」
辞書でこの単語を調べてもなかなか見つからないが、これは英語がその発音のままインドネシア表記されたもの。タネを明かせば、tea walk。つまり茶畑の中のハイキング。ジャカルタ住民が茶畑と聞いて思い浮かべるのはプンチャッ(Puncak)。プンチャッ街道をチアンジュール(Cianjur)方面に向かって登って行くと、トゥグ(Tugu)村を越えたところからつづら折の急坂になり、左右は見渡す限りの茶畑。そこをどんどん上っていけば、しばらく先に街道から右にそれる道路に行き当たる。そこが第8ヌサンタラ国有農園会社が経営するグヌンマス・アグロ観光園(Kawasan Agro Wisata Gunung Mas)への入り口。標高8百から1千2百メートルという高原の空気は平均気温が摂氏12度から22度で、熱帯の暑さに慣れた肌には清涼剤。
入園料はひとり4,500ルピア。ガイドを雇って園内観光ツアーを行う場合は、20から30人のグループ単位で1万5千から2万5千ルピアの謝礼を払う。園内のお楽しみはいくつかあるが、園側がまず奨めるのがティウォーク。茶畑の中をハイキングするこのプログラムは4キロ、6キロ、8キロの3コースがあり、引率者に付いて1時間から2時間半の緑の中の散歩を愉しむ趣向。その他のお遊びは、乗馬、テニス、ハングライダー、お子様用プールなど。泊り込んで早朝の高原をティウォーク、という向きには、テントを借りてキャンプするというのも一興。丘を埋め尽くす茶畑に囲まれてのキャンプは、テントレンタル料が4万ルピア程度。ベッドで寝たい方には、客室が4室、バンガローが三つ、そして宿舎に寝室が21。客室部屋借りはウイークデーが一泊20万9千ルピア、週末は26万4千ルピア。バンガローは1号が5寝室、2号が7寝室、3号が3寝室で、グループの人数に応じて選択可能だが、早い者勝ちであるのは言うまでもない。一番小さいバンガローでも12人、最大のバンガローは28人収容となっている。お値段はウイークデーが一泊35万2千ルピアから77万ルピア、週末は40万7千から82万5千ルピア。寝室借りはウイークデーが29万7千ルピア、週末は35万2千ルピア。この寝室では4人から8人が収容できる。会社のミーティングやセミナー、あるいはトレーニングや合宿にも、このグヌンマスを利用することができる。ホールはふたつあり、250人用と100人用で、OHP、ワイヤレス、サウンドシステム、ホワイトボードなどが設置されている。
グヌンマスにはケータリングサービスもあり、箱入りお弁当スタイルもビュッフェスタイルもご注文次第。そしてティーコーナーとティーカフェでは、グヌンマス産のお茶を味わうことができる。緑色の茶畑からどのようにして薫り高いお茶が作られるのか、それを知りたい人には工場見学も可能。工場見学はグループでも個人でも受け付けてくれる。[ 2005年11月 ]


「コンパス紙への投書から」(2005年12月15日)
拝啓、編集部殿。2005年11月6日、わたしども一家はマディウンからタワンマグへ泊りがけの旅行をしました。マディウンを出てサラガン湖に寄り、時間が遅くなり雨も懸念されたので、つづら折で急坂の道を通ってタワンマグへと急ぎました。登坂途上でわたしどもは、エンストした車を8人が押しているのを目にしましたが、押している人たちは黄色いビニールシートで全身を隠しているのです。そのとき、わたしどもの車も止まってしまい、前進できなくなりました。するとすぐにビニールシートを持った地元民がわたしどもの車に近寄ってくるではありませんか。そして車の後ろに6人が取り付いて車を押す準備万端OKというところですが、なんとビニールシートで車の後方が見えないようにカバーするのです。わたしども一家はもう暮れてしまった峠を登ることができず、暗くなるばかりで雨まで降りはじめた状況に、パニックになってしまいました。わたしどもはしばらくじっとしてから、またギヤを入れて前進しようとしましたが、どうやら後ろの地元民たちは車を押してくれているのでなく、車を押さえてスリップさせていることに気が付きました。クラッチの焼ける臭いからそれがはっきりとわかりました。かれらは人助けをしているのでなく、獲物を狙っている一味だったのです。
わたしどもはドアをロックして神に祈りました。そして雨が止むのをじっと待ち、その後ゆっくりと発進させてなんとかその場所を後にすることができました。クラッチ板が薄くなってしまったということ以外にわたしどもに被害はありませんでした。他人に災いを与えて自分の懐に稼ぎを招こうとする一味がそのエリアにいるので、地元治安当局はあの場所の監視とパトロールを強化するようお願いしたいと思います。[ 東ジャカルタ市在住、ウディン ]


「この年末人気の観光先」
名残惜しい2005年もあと少しでお別れ。この年末のホリデーシーズンにひとびとはいったいどこへ行っているのだろうか?人気のパッケージツアーをいくつかの旅行代理店に聞いてみた。
南ジャカルタ市パサルミング通りにあるT旅行社は、ダントツはバリだと言う。二番目はジョクジャで、それ以外の目的地はあまり人気がないそうだ。バリツアーは三星級ホテルで2〜3泊、フライトはライオンエアー、アダムエアー、スリウィジャヤエアーのいずれかで、お値段はひとり300万ルピア台。五星級ホテルの宿泊だと、それが450万ルピアになる。航空会社のチョイスは変わらない。今年は昨年に比べて客が少ないそうだ。これはバリ第二次爆弾テロ事件のせいというよりむしろ、石油燃料高騰で中流層の経済的余裕がなくなっているせいらしい。
別の旅行代理店、ガトッスブロト通りのJツアーでは、人気旅行先のトップはジョクジャ、二位がバリだ、と正反対のことを言う。二泊三日のパッケージツアーは現地でのローカルツアー込みでひとり192万ルピア。航空会社はアダムエアー限定。バリは二泊三日で195万ルピア。フライトはアダムエアーかスリウィジャヤエアーのいずれか。このJツアーでは、ホテル予約だけあるいは航空券だけという客も多い。ホテル予約の注文で一番多いのはバンドンで、ホテルホリソンとパパンダヤンがチョイスのトップ。航空券オーダーはバタム行きが最大で、エアラインはアダムエアーとライオンエアーが人気を集めている。
スルタンイスカンダルムダ通りにあるI観光では、バリ行きパッケージツアーが目立っており、次いでメダンとジョクジャに人気があるとのこと。バリの二泊三日ツアーは料金がひとり280万ルピアで、航空会社はアダムエアーもしくはバタビアエアー。メダンは三泊四日のツアーが340万ルピア。航空会社のチョイスはアダムエアーもしくはバタビアエアー。ジョクジャは250万ルピア程度で、航空会社はアダムエアー、バタビアエアー、ライオンエアーが選択できる。
今年年末のツアーでは人気のトップがバリ、そして地方部からジャカルタへの訪問客がかなりを占めているとのマジャパヒッ通りにあるスマイリングツアーの談。ジャカルタへはパッケージツアーでなく、ホテルの予約だけ。バリへのパッケージツアーは三泊四日でひとり400万ルピア。エアラインはガルーダ航空が使われる。
[ 2005年12月 ]


「外人観光客はあまりモールに来ない」(2005年12月19日)
諸外国では、外国人観光客がショッピングセンターでよく買い物をするため、売上の2割から6割が外人観光客さまさまになっているというのに、インドネシアのショッピングセンターは外国人観光客の恩恵をほとんど受けていない、とインドネシアショッピングセンター運営者協会が残念がっている。ステファヌス・リドワン同協会副会長は、外国人観光客が占めている売上シェアは、マレーシアが20%、タイは25%、シンガポールは50%、香港はなんと60%なのに、インドネシアへ来る外人観光客はジャカルタを筆頭に素晴らしいショッピングセンターがたくさんあることを知らない、と語った。外国人観光客は、ジャカルタにあるのはテロと爆弾だけと思っているのではないか、との冗談混じりのコメント。
観光客誘致もさることながら、せっかく来た観光客をショッピングセンターに連れてくるのは自分たちの仕事とばかり、同副会長は来年アジアショッピングセンター会議を開催して、参加国にインドネシアのプロモーションを積極的に行う予定にしている。その会議には、マレーシア、タイ、シンガポール、香港、フィリピン、インド、ベトナムそして日本から代表団が来るように、同協会側は働きかけている。
とはいえ、消費意欲満々たる国内ショッパーを擁して外国人観光客を頼る必要もないインドネシアの小売業界の販売高は順調に上昇を続けており、今年の総売上高は500兆ルピアと見込まれている。
しかし今年のルバランでは、石油燃料大幅値上げの影響から、全国での小売販売金額の伸びが減少したことをACニールセンインドネシアが明らかにした。例年ラマダン月の売上は平常月から倍増するのが通例だったものの、今年はそれが25%から40%程度の伸びで終わってしまった、と小売業界は語っている。因みに四ヶ月単位での売上高推移と対前年比較は下の通り。
期間 / 2004年 / 2005年 / 伸び率 (単位は兆ルピア)
1〜4月 / 14.84 / 18.41 / 124%
5〜8月 / 16.00 / 18.89 / 118%
9〜12月 / 17.80 / 9.78* / ?
*(2005年の数字は9〜10月分のみ)


「来年三月に再びJIJJF」(2005年12月21日)
来年3月3日から5日までの開催が予定されているJakarta International Java Jazz Festival 2006の入場券が12月15日からオンライン発売された。入場券の価格は2月5日までに購入すればひとり30万ルピア、それを過ぎると35万ルピアとなる。
前回のフェステイバルは三日間で4万8千人の入場を記録し、会場のジャカルタコンベンションセンターがムンムンたる熱気で包まれたが、次回の入場者ターゲットは6万人。前回の11ステージから次回は14ステージにパフォーマンススポットを増やし、同センター内のすべてのスペースが使用される予定。展示会場ホールAとホールBでは楽器、レコーディング器材からステージ用器材まで、さまざまな商品が展示される。三日間の出演予定者数はなんと1,100人で、外タレも多数がこのフェスティバルにやってくる。既に参加の意思表示をしているのは、ザ・ブラン・ニュー・ヘヴィーズ、デイブ・コーズ、ボブ・ジェームス、ネイザン・イースト、リー・リトナー、ブライアン・マクナイト、クール&ザギャング。それ以外にもバーシア、キャンディ・ダルファー 、パティ・オースティン 、エリック・ベネット、インコグニート、ジェレミー・モンテイロなどからは参加のコンファメーション待ち。


「首都圏の年越しの夜」(2006年1月4日)
12月31日大晦日の夜、首都圏各地は大勢の人出で賑わった。例年、花火と音楽ショーで都民の足を引き寄せるジャカルタ北海岸部のアンチョルドリームランドでは、夕方4時ごろから続々と都民が訪れ、入園者数28万人という過去最高の数字が記録された。おかげで、ドリームランド入園券とドゥニアファンタジー入場券販売だけで58.9億ルピアの売上となり、通常は切符販売の40〜50%に達するノンチケット売上やスポンサーの協賛金などを合わせれば膨大な利益が上がっているだろうと、同園では大晦日大繁盛の慶び。同園がこの大晦日のイベントに費やした経費20億ルピアは十二分に元が取れたかっこう。都民の多くはテントやビニールシートを園内に持ち込み、0時の打上げ花火を鑑賞した後も帰宅せず、徹夜で新年の到来を楽しんでいた。このたいへんな人出にアンチョル周辺の道路では激しい交通渋滞が発生し、道路を埋めた四輪車の列は明け方まで続いた。
特になんらかの催し物が予定されていたわけではない都心部のモナスやHI前ロータリーでも大勢の都民が集まり、モナスでは深夜の凧揚げで遊ぶ人も出て、明るい光の下で思い思いに新年を祝っていた。
例年大晦日にはダンドゥッの競演をはじめさまざまな趣向のプログラムが催されて入場客を楽しませてくれる首都南部の行楽地タマンミニも、今年の入場者数は10万人を超えた。ダンドゥッ2006分間ノンストップ演奏や、モスク太鼓打ち連続記録挑戦などが行われ、太鼓打ち優勝者は22時間51分という驚異的な記録を実現した。
大勢の都民が夜っぴて都内を往来したために、都内では時ならぬ交通渋滞が発生し、スディルマン〜タムリン通りを筆頭に、ガジャマダ通りやハルモニー周辺、モナス周辺や都内随所の交通ネックでは週日の通勤時にまさる混雑が展開された。
郊外では、ブミスルポンダマイで打上げ花火見物のためITCに大勢が集まり、一時その周辺では身動きが困難な情況になった。プンチャッ街道でも自動車が数珠繋ぎとなり、ボゴール警察が随時一方通行化を行って交通を捌いていた。バンテン州アニェル海岸では、夜になって風と波が強まったが、ホテルやビラは宿泊客の年越しの催しで賑わっていた。


「年越しはお目出度い」(2006年1月4日)
年越しのセンセーションが首都ジャカルタを覆った。深夜を過ぎるまで大勢の都民が思い思いの場所で時間を過ごし、カウントダウンと花火や光のページェントに歓声をあげ、都内各所は昼間のようにひとびとであふれ、新しい年の誕生を祝った。そんな中で大金を手に、「おめでとう」を連呼したひとびともいる。都内の高級ホテルや観光地でショーを演じたアーティストたちがそれ。年末の桁違いの入場料をかき集めた主催者たちは、当然その巨額の分配をアーティストに行う資金力を手に入れたということなのだろう。
今年はスナヤンのホテルムリヤで、若手のアグネス・モニカと別々にショーを打ったアーティスト界の稼ぎ頭であるKDことクリス・ダヤンティのギャラはいったいいくらだったのか?人気グループのピーターパンは3億から4億ルピアの間との噂だが、マネージャーをはじめ、財布の中身を洩らす人はだれもいない。そのギャラを払ったアンチョルドリームランド側は、全アーチストへのギャラ支払いは総額7億ルピアだと明かしているが、はて誰がどのくらい?


「ボロブドゥル観光にガイド争い」(2006年2月6日)
ボロブドゥル遺跡は依然として世界中から観光客を招き寄せている。一昔前に比べて周辺地区の整備も進み、運営も秩序付けられてきたが、観光客数の減少のおかげで、観光産業に従事している者たちの気が立っている。
ボロブドゥル寺院を擁するマグラン県は2002年の県条例第17号で、県内の観光施設におけるツアーガイドは地元ガイドに限ることを決めた。地方自治進展の中における、自治体のエゴ優先の一事例ではあるが、それなりの背景もからんでいて単純に断罪するのが難しいことでもある。観光客が潤沢にあって、地元ガイドたちもそれなりに潤っていれば、条例が百パーセント守られなくとも問題はなかったのだが、観光客が減ってくれば、地元ガイドたちはその利権を主張するようになる。そこにきて、県観光局がその条例施行を厳格に行うようにとの指導を回状で観光業界に流したため、ジョクジャにやってきた観光客のツアーガイドが一手に全観光をお世話できない、という構図がそこにできてしまった。ジョクジャのガイドがボロブドゥルに客を連れて行けば、現地で奪い合いが起こるかもしれない。
ジョクジャの観光業界も、マグラン側の態度に困ってしまった。なにしろ、ジョクジャの観光客誘致プロモーションの大きい目玉のひとつがボロブドゥルであり、ラトゥボコやプランバナンの遺跡なのだから、投資回収に他県が割り込んでくるのに良い顔をするはずもない。ジョクジャ自体も登録ツアーガイドは全盛期に4百人を数えたが、今稼動しているのは80人程度。ボロブドゥル遺跡の施設管理と観光運営を行っているPTタマンウィサタチャンディボロブドゥルのデータでは、訪問観光客の40%はジョクジャのガイドが連れてきており、観光客を無理やり地元ガイドに引き継がせるのは、ガイドのクオリティに不評を呼ぶ懸念があるため、賛成できないとの意見を表明している。マグランのガイドがすべて低クオリティであるという報告があるわけではないが、経験をベースに物事を見れば、ジョクジャのガイドと比較した場合、やはり見劣りするということのよう。だがツアーガイド界では、ジョクジャのガイドが身体的リスクを感じはじめており、もし何か事が起こればボロブドゥル観光に大きな痛手を与えることは必定であるため、観光業界はその情況に対する穏便な解決を模索している。
ウィボウォ観光局長はその回状について、ボロブドゥル周辺地元民の福祉向上を目的としたものだ、と説明する。1984年のボロブドゥル遺跡修復事業に際して、周辺地元民はその土地を手放すことを強いられた。「子供のころ、周辺地元民はルバランにボロブドゥルに集まって祝祭を行い、また子供たちは夕方になると、ボロブドゥルで自由に遊んでいた。でも今はもうそれはできない。わたしらはボロブドゥルを遠くから眺めるだけだ。」地元民の一人はそう語る。ユネスコの世界遺跡保存プログラムが実施されてから、周辺地区は5つのゾーンに区分され、第三ゾーンは住民の居住を認めるものの、工業活動は保存事業に悪影響が懸念されるために禁止されている。周辺地元民の生計を支えるための活動に制限を受けているため、かれらのために確保できるビジネスを増やしたいというのが県側の考えでもある。
それとは別に、今回のツアーガイドエクスクルシブ化問題は、ジョクジャの観光協会がボロブドゥルツアーガイドを一括4万ルピアでマグランのガイドに請け負わせる目論見を裏に秘めたものだという業界者の証言も出されている。観光客をはさんでのガイド間の立ち回りなどは是非とも御免蒙りたいものだ。


「ジャズフェスティバル開催間近」(2006年2月14日)
3月3日から5日まで都内スナヤンのジャカルタコンベンションセンターで開催予定のJakarta International Java Jazz Festival は、開催日まで指折り数えるばかり。ことしのステージでは1千人を超えるミュージシャンが、ポップ、フュージョン、クロスオーバー、ソウル、R&B、ブルース、ヒップホップ、ロック、ゴスベル、エスニックなどさまざまなジャンルがジャズと溶け合った華麗な音楽の世界を堪能させてくれる。1千人中4百人はこの催しに出るために海外からやってくる。パティ・オースティン、クール&ザギャング、デイブ・コッツ、リー・リトナー、ボブ・ジェームス、ジェフ・ローバー、エリック・ベネット、ブランドニューへビーズ、タワーオブパワー、インコグニート、メゾフォルテ、オマー&カーリーン・アンダーソン、テイク6、マーク・ド・クライブ-ロウ、ヒロミ・・・・外タレリストはまだまだ続く。昨年の目玉のひとつだったジェームス・ブラウンは残念ながら、今年は欠席することが確定している。
国内からも大所のブビ・チェン、ルルッ・プルワント、エルファ・セシオリア、ベニー・リクマフア、ギラン・ラマダン、ドゥイキ・ダルマワン、エロ、グレン・フレディ、モッカ、カヒッナ、ルッ・サハナヤなど出演者リストはまだ長い。
終日、生き生きとした音楽の中に身を浸したいジャズミュージック愛好家には、絶対見逃せないこの機会。入場券は一日券が35万ルピア、三日通し券90万ルピア、スペシャルショーの入場券はそれとは別に15万ルピア。高いという声もあるようだが、普通の音楽ショーの多くは1時間半で50万ルピアあたりが相場になっている昨今、12時間も音楽漬けになって35万ルピアは高いのかなあ、と興行主のぺテル・ゴンタは洩らす。今年は三日間で来場者6万人、と読んでいる主催者側の期待に応えたいものだ。


「国内観光業界は依然沈滞}(2006年3月7日)
中央統計庁が2006年1月の入国外国人観光客数を発表した。295,165人という数字は12月実績から5%ダウンしているが、2005年1月の実績と比較すると、15%も減少している。2005年12月実績との比較では、バリは1月85,054人で、12月の81,093人から増加し、またソロのアディスマルノ空港も増加を示したが、他の入国ポイントは軒並み減少した。
中央統計庁は同時に、2005年12月の主要10観光目的地におけるスター級ホテルの客室稼動状況も報告した。全国平均は45.3%で、2005年11月の43.8%から向上している。稼動率のナンバーワンは首都ジャカルタの55.5%、続いてジョクジャの51.4%、中部ジャワ50.3%といったランキング。それらのホテルにおける利用客の平均宿泊日数は、全国総平均が1.98日で11月から0.12日短くなっている。バリは3.67日、ジャカルタは2.12日というのが地域別の数字だが、更に外国人客と国内客に分けて見た場合、外国人観光客はバリが4.32日、北スラウェシが4.08日と上位を占め、最短は中部ジャワで1.21日となっている。


「コモド国立公園入園料値上げ」(2006年3月10日)
コモドドラゴン観察ツアーは観光客にとって一度は行ってみたい魅力あるツアー。そのコモド島は国立公園であり、一般者が入るときは入園料を納めなければならない。その入園料を2006年5月1日から値上げする、と国立公園管理側が決めた。外国人入園料はこれまでの2万ルピアから15米ドルになる。ところがインドネシア観光代理店業協会西マンガライ支部がその値上げに反対している。一気におよそ7倍もの値上げはあまりにもドラスチックであり、また告知期間もあまりにも短いため、外国人観光客のキャンセルを招きかねない、というのがその理由。「われわれは5月1日からの値上げ実施に反対する。西マンガライ県にある旅行代理店の大半が1年先までツアーを販売し、契約を取り交わしている。わたしのところでもそうだ。わたしのところは4月、7月、8月、9月、12月に外国客受け入れを契約しており、料金は言うまでもなく現行入園料をベースにしてある。既に契約を交わした料金を変更すると、観光客は契約自体をキャンセルする可能性が高い。そればかりか、インドネシアの観光政策に一貫性がないことを関係者たちが強く感じるだろう。」テオドルス・ハルン同協会支部長はそのように述べている。


「ガルーダもEチケットシステムを開始」(2006年3月15日)
ガルーダ航空がEチケットシステムを3月1日から開始した。第一ステップとして選ばれたのはジャカルタ〜スラバヤ線。この航路ではもう紙航空券は発行されず、電子データによる搭乗受付に切り替わっている。ガルーダ航空は最終的に、国内外を問わずすべてのルートで紙航空券を廃止する計画であり、IATAが提唱している通り2007年末にはその100%実現にもっていく日程計画を組んでいる。
Eチケットの支払いは全国のガルーダ航空券販売所あるいは契約旅行代理店でこれまで通り行える。予約はガルーダ航空券販売所もしくは24時間営業のガルーダコールセンター電話08171807807あるいは021−2351−9999で行える。座席がコンファームされると支払いステップに移り、支払いが完了すれば予約者のデータや搭乗予定がコンピュータ内で管理され、予約者はそのプリントアウトをもらうという仕組み。
チェックインの際にはそのアイテネラリレシートとアイデンティティを証明するものを提示すれば、カウンター担当者がその内容をチェックして搭乗券を発行してくれる。搭乗券を手にしたら、そのあと飛行機に乗るまでは、従来からのシステムと何ら変化はない。


「ローコストキャリアーで失敗しないために」(2006年3月17日)
インドネシアで廉価料金航空会社が雨後のたけのこのように登場してきたのは2001年9月11日事件のあと。その事件が先進国の航空産業界に構造変革をもたらし、ダブついた機体を安く発展途上国の航空会社に貸し出したことで、インドネシアにもたくさんの航空会社が誕生した。中にはそんな中古レンタル航空機を二機しか持っていないという航空会社が設立され、認可を取ってすぐに運行を開始したというケースもある。それまで国内航空路は数社の寡占状態でしかなかったところに多数の新設会社が参入してきたため、乗客争奪は激化し、料金は低下して行った。ジャカルタ〜ジョクジャ間の鉄道料金が18万ルピアというところに、20万ルピアという飛行機料金がぶつけられ、飛行機乗客はお金持ちというこれまでのステータスが崩壊し、中低所得層まで飛行機に乗れる時代が到来した。おかげで普段着にゴムぞうりをつっかけ、ひもでしばったダンボール箱を手にして、自分が座りたい場所を探して機内をうろつく乗客がたくさん搭乗するようになり、飛行機大衆化時代が幕を開けた。
廉価料金航空会社は、徹底的なコストダウンを図って、低料金での採算を工夫している。乗客への食事コストダウンをすべての航空会社が行っている。調査によれば、乗客が食べるのは飛行機に積んだ食事のわずか20%という報告がある。極力軽い食べ物を量を減らして乗客に与えることで、乗客ひとりのコストが1〜2ドル節約できる。年間55万人の乗客からそれだけのコスト節減ができれば、たいへんな金額になることはまちがいない。ライオンエアーは、ファーストクラス乗客に出す食事にアルミフォイルを使うことをやめた。2003年に食事関連でライオンエアーが達成したコストダウンは1千2百万ドルだそうだ。バタビアエアーも月間25億ルピアのコストセーブができている。ガルーダ航空のローコスト部門として編成されたシティリンクでも、水とキャンディしか出てこない。食事の世話をしなくてよいから、客室乗務員数は最低限でよくなる。B737−300でキャビン乗務員は3人だけ。乗客クラスはエコノミーだけにし、また全路線で使用する機種も単一にして合理化とスケールメリットを追求した。空港施設の利用も節約する。ボーディングブリッジも空港内旅客バスも無料では使えない。機体をエプロンのなるべくターミナルビルに近い場所に着け、乗客には徒歩でターミナルに入ってもらうのが一番安上がりということになるのだが・・・。そのようにして下げたコストの対極に、超廉価料金がある。
超廉価チケットは、言うまでもなく、さまざまな条件がつけられている。ノーマルチケットだと3ヶ月以内のリファンドが可能だが、超廉価版はそれが認められない。また発券もノーマルよりずっと早いタイミングで行われる。週日と週末の料金が異なっている。もうひとつ特徴的なのは、同じ飛行機の同じクラスなのに、料金がさまざまに異なるフレクシフェアが使われていること。2004年に創設42周年を迎えたムルパティ航空は、国内線で4万2千ルピア、国際線で42ドルの切符を42日間オファーした。全ルートで各フライトにその料金の座席が5つだけ用意され、購入希望者の間で抽選を行って販売した。この企画は好評で、ジャカルタのムルパティ事務所には毎日平均80人が詰め掛けたそうだ。ライオンエアーは超廉価座席を週日は50%、週末は20%用意した。廉価チケット料金も一律でなく、最大60%までのディスカウントが与えられた。また低料金を実現させるために比較的高いロードファクターを設定している航空会社は、乗客数が経済性に合わないと「テクニカルプロブレム」を理由にしてフライトを取り消し、乗客を次ぎのフライトに移してロードファクターを高める傾向があり、そのせいでフライトスケジュールは一日5便あっても、実態は3便しか飛んでいないということも起こりうる。外国の廉価料金航空会社も積極的に安い料金をオファーしている。マレーシアのエアエイシアはメダン〜クアラルンプルを109,999ルピアという驚くような価格で販売した。ただし、新聞に大々的に掲載された破格の料金が一律のものでないことに注意する必要がある。その料金の切符はたとえば10枚しか販売されず、他の座席はもっと高い料金になっている。新聞に出ている料金を単一のものと勘違いし、価格を確認しないで発券させると後でいろいろ面倒なことになる可能性があるので、注意する必要がある。インドネシアでは何かを買う際に、価格が表示されていても売り手に値段を確認するほうが間違いが起こらない。またキャッシュオンデリバリーが売買の基本であることも、生活上の鉄則としておいたほうが良いだろう。


「ローコストキャリアーで失敗しないように(その一)」(2006年3月21日)
2006年1月21日19時30分バリ発ジャカルタ行のAwair航空QZ7513便は、エンジン不調のため乗客の安全を優先して飛行を取りやめる、とジャカルタのAwairから宿泊中のホテルに電話が入った。会社の研修ツアーでバリに来ているアデの一行は81人。Awair側は提案した。11人を14時発の便に早め、残り70人は次の23時50分発のフライトに変えてはどうか、と。
「それは無理だわ。だってプログラムが全部終了するのが17時なんですから。それに23時50分発だとあまりにも夜遅くて、ジャカルタに着いた後困ります。女子社員もたくさん混じってるんだから、そんな夜中に女性がひとりで空港から自宅に帰るなんて、考えられませんよ。もし何かあったら、誰が責任を取れますか?こうしてはどうかしら。みんなもう一泊して、あしたのフライトでジャカルタへ帰るようにしてくれません?ホテル代はAwair持ちで。」アデの逆提案は言下にノー。他に選択の余地はなく、81人が23時50分のフライトに変更となる。スケジュール通りホテルをチェックアウトしてグラライ空港に行ったが、4時間も余分に時間をつぶさなければならず、夕食も予定外の出費となる。23時50分が過ぎても搭乗アナウンスはなく、眠気と不安で朦朧としている中、0時5分にやっと搭乗が開始され、テークオフは0時15分。順調な飛行で無事にスカルノハッタに到着したものの、夜の夜中の空港からみんなどうやって家まで帰ろうかと相談し、結局バスを一台チャーターして深夜の都内をぐるぐる回る結果となった。廉価航空券で安上がりと思っていた81人は、最後の最後でとんだどんでん返しに遭ってしまった。
2006年1月2日、エディはクアラルンプルからエアエイシアAK938便でメダンに戻ってきた。メダン空港に着いて、ターンテーブルから機内預かりにしたバッグを取る。驚いたことに、ファスナー式なので錠前をつけておいたそのバッグから南京錠が姿を消していた。エディはすぐにバッグを開いて中を確認する。マレーシアで土産に買った腕時計二個は中にあった。でもちょっと変だ。よく調べると、時計のパッケージはあるのに、中味が消え失せている。その腕時計は安いものではなかった。その二個の値段は、エディがエアエイシアの切符に支払った金額より高かったのだ。KLでチェックインしたときの荷物監視の厳しさから、まさかこんなことになるとは夢想もしていなかっただけに、エディは怒りと失望で腰が抜けてしまった。これをクレームしたところで、エアエイシアが賠償するはずもないだろう、と思いつつ、エディはエアエイシアのウエッブサイトにその苦情を書き送った。そして案の定の返事が来た。航空会社からの返事は「あなたの苦情は確かに承りました。」という冷たいものだった。


「ローコストキャリアーで失敗しないように(その二)」(2006年3月23日)
ジャカルタに住むノファは、オーストラリアのシドニーに住んでいる姉のところでホリデーを楽しもうと計画した。だがフツーの会社員であるノファの貯えは潤沢でない。「どうすれば安く行けるかしら?」と探し回った挙句、バリの航空会社エアパラダイスを使うことにした。往復の航空運賃がプロモ料金で454米ドル。これより安い料金は、他の航空会社では見当たらない。ノファはエアパラダイスのオフィスで2005年11月26日発の切符を買った。そしていざ、その日が来た。空港へ来たノファはチェックインカウンターを探す。しかしカウンター内に係員の姿は見られず、カウンター周辺に他の乗客の姿も見えない。不審な思いでカウンターに近付いたノファは、そこに一片の紙が貼られているのに気が付いた。2005年11月23日をもってエアパラダイスは閉鎖した、という案内だ。困っているノファに事情を察した空港職員が声をかけた。「エアパラダイスの客はあっちの航空会社で引き受けてくれるよ。料金も安くしてくれる。」
ところがそこへ行ってみると、エアパラダイスの切符を払い戻してくれるわけでもなく、追加料金を取って運んでくれるだけということがわかった。しかしエアパラダイスの切符代とその追加料金をトータルすれば、他よりも高い料金になる。ノファはエアパラダイスの事務所に電話したが、ただ呼び出し音が続くばかり。しかたなくそこまで足を運んでみたが、表扉はロックアウトされており、経営に行き詰まったので閉鎖したことを顧客に詫びる内容の張り紙だけがそこにあった。エアパラダイスを利用する予定だった顧客はこちらへ連絡ください、という電話番号に問い合わせてみたところ、「エアパラダイスから流れたお客は当方が引き受けます」という割には、しっかり別料金を取る商魂のたくましさ。「この切符はどうなるのよ?」と泣くに泣けないノファ。
2005年12月18日、プルナワンはパレンバンからジャカルタのスカルノハッタ空港にアダムエアーで飛んだ。12月25日にバンドンで結婚式を挙げる予定なのだ。ところが、ルンルンだったかれは失望のどん底に突き落とされることになる。出発が2時間半遅れたことにでなく、かれの花婿衣装を詰め込んだトランクが紛失したことに。そのトランクがパレンバンで無くなったのか、ジャカルタ到着後になくなったのか、はっきりしたことはわからない。ただ、スカルノハッタ空港でのバゲージピックアップは、アダムエアー職員のクレームタグチェックも行われておらず、他人のトランクを好き勝手に持っていくことも容易にできる状況だったことをかれは自分の目で見ている。プルナワンのクレームに対してアダムエアー側は、2005年12月31日付の封書で回答をよこしてきた。乗客の荷物に関するクレームは受けられない、と航空券に記してある通りです、と。


「ジャカルタにも歌謡学校」(2006年3月27日)
ボーカルを教える機関は、はるかむかしからインドネシアにあった。カラオケが盛んになる以前からあったものは合唱団を基盤にしたものが普通で、メンバー養成を含めて子供や大人に歌うことを訓練する場所だった。中でも老舗は故プラナジャヤ先生が率いたビナフォカリアだろうが、今ではエルファ・セシオリアやプルワチャラカのボーカルスクールも人気を博している。加えて市井では、音楽の先生が片手間に塾を開いたりということも世界中のほかの国と同様に行われている。そんな中で、北ジャカルタ市クラパガディンのクラパガディンパークビューにあるオフィス住宅内に、今年1月28日から歌謡学校がオープンしている。正式名称はSanggar Seni Menyanyi Rumah Bintang 。オーナーは美人ファッションモデルで、近年TVプレゼンテーターとしてめきめき売り出しているオルガ・リディア。かの女たち、まだうら若き女性セラブリティは、カフェやレストラン、あるいはこの歌謡学校といったように、積極的にさまざまな副業を営んでいる人が多い。
このルマビンタンの特色のひとつは、夜に勤め帰りのエグゼキュティブたちが集まってくること。仕事柄、パーティなどで隠し芸を所望されるのは洋の東西を問わないし、今やカラオケが常識となった時代であれば、プロ並に歌がうたえることもパーソナリティを強化することに役立つ。レギュラーコースは全6回のレッスンで、料金は2百万ルピア。生徒は教室と先生の空き時間から自分で日と時間を選び、レッスンを受けたい歌を自分で持参する。歌は複数でも構わないのだが、学校なのでカリキュラムがあり、歌の実地訓練と並行して歌唱テクニックも訓練される。独学カラオケ派は普通、ヒット曲を有名歌手が歌っているように模倣する。それはそれでいいのだが、人にはそれぞれ個性があり、歌をうたうという場で他人の真似をするだけよりは、自分自身として歌ったらどうか、という提案がルマビンタンの方針に盛り込まれているのだ。自分の個性で歌えるレベルに達したら、職場のパーティどころか、友人知り合いの結婚披露宴で歌のプレゼントをするのも大受け間違いなし。
レッスンの中で、自分の歌唱を録音して聞くことも行われる。カラオケVCDやDVDに自分の声をのせて録音する場合、一曲3万ルピア、3曲7万5千ルピア、6曲13万ルピアという料金だが、生バンドをご希望の場合にはルマビンタンバンドの伴奏で6万5千から20万ルピアという料金になる。
ルマビンタンにはいま42人の生徒が通っている。子供から大人までさまざまで、入会時にオーディションを受けてベーシック、ミドル、アドヴァンスのいずれかのコースに振り分けられる。プライベートレッスンも希望できるし、二三人から四五人までのグループレッスンでもよい。アドヴァンスまで上れば、クラシック、ダンドゥッ、クロンチョン、ブルースなどあらゆるジャンルの歌唱をひととおり習うことになる。カラオケ派のあなたも、一度覗いて見てはいかが?


「サリパシでゲタウエー」
中央ジャカルタ市タムリン通りに面するホテルサリパンパシフィックは、The Getaway と銘打った週末宿泊パッケージをオファーしている。この家族向け週末宿泊パッケージは、フィエスタレストランでの朝食、フィットネスファシリティ・サウナ・水泳プールの無料利用、12歳未満のお子様にチェックイン時にプレゼントがあり、そしてサリナデパートでのお買い物10%割引の特典もついている。朝食は大人二名12歳未満のお子様二名がこのパッケージに含まれている。料金のほうは、一泊パッケージが45万から75万ルピア、二泊パッケージが85万から145万ルピア、三泊パッケージは127.5万から217.5万ルピアで、料金に幅があるのはスタンダード、デラックス、パシフィックという客室のランクによるため。最高級のパシフィックルーム利用客は、他にもいくつかの特典が与えられ、同ランク顧客専用のパシフィックラウンジで朝食を取ることも可能。尚、料金は税サービス料別とのこと。[ 2006年4月 ]


「モナスでひどい目にあう〜コンパス紙への投書から」(2006年4月27日)
拝啓、編集部殿。2006年3月5日17時20分ごろ、わたしと妊娠二ヶ月のわたしの妻、そしてやはり妊娠三ヶ月の兄嫁とはじめてモナスに登ったわたしの姑はたいへんなショックを蒙りました。いや、わたしどもだけでなく百メートル以上の高さから非常階段を歩いて下りた数十人の入場者ともども。
わたしどもはその日16時ごろ、ムルデカスラタンの駐車場に着きました。そしてトイレに入ると、わたしの故郷であるアチェの田舎の礼拝所のものよりひどい様子にうんざりさせられました。陶器製の男性用便器は隣の人から自分の性器が丸見えなのです。16時25分ごろ、わたしたちはモナスの頂上に登るため切符を買いました。ひとり5,100ルピアに加えて保険料100ルピア。4人で2万8百ルピアになるのに、窓口の係員は2万1千ルピアを払えと言うのです。200ルピアは、週末になると一杯になるあふれんばかりの入場者数を掛けなければ汚職するには小さすぎる金額かもしれませんが・・・。16時半ごろから列に並び、およそ30分後にやっとリフトに乗ってモナス頂上に登りました。そこからわたしどもは、裸眼でジャカルタの眺望を楽しみました。備え付けの望遠鏡は柱しか残っていないのですから。
17時20分ごろ、まもなく閉館になるので入場者はリフトの前に並ぶようにとアナウンスがありました。リフトの前で大勢が並んでいると、突然リフトが停止したのです。入場者はパニックになりましたが、いったい何が起こったのか場内アナウンスの説明は一言もありません。何人かが携帯電話で外と連絡を取りました。わたしも連絡に努め、電波がドロップしていましたが、なんとかガンビル警察署にコンタクトできました。
何の説明もないまま一時間以上経ち、モナスの頂上は暗くなり始めました。そしてようやく技術者だと自称する人がひとり、非常階段を上ってやってきました。いったい何が起こったのかを言うように迫ると、モナスの下請けをしている会社の職員であるその技術者は停電だと言うのです。しかし下を見ると、モナス公園内の電灯は輝き始めていました。つまり、リフトに流せる電力はあるということではありませんか。その技術者はしばらく休んだあと、頂上にいた人たちに、非常階段を伝って降りるように言いました。しかし非常階段を使うというのは百メートルもの高さからリフトの周囲を螺旋状に回りながら下りるということなのです。わたしどもは、頂上から降りる最後のグループになりました。若い妊婦がふたりもいたからです。責任を果たそうとする職員はいませんでした。地上では、気絶しているひとりの婦人が床で横になっているのに、何の医療措置も与えられていませんでした。もしものことを回避するために、救急車が用意されていてもおかしくないというのに。[ ブカシ在住、ナザル ]


「プラウスリブを巡る観光船」
ジャカルタ湾に散りばめられたプラウスリブ。その島々の中で比較的近いプラウビダダリとプラウアエルを巡る観光船が走っている。もともとは帆船であるフィニシ船にエンジンを装備した5百トンのこの船は、南カリマンタン州バトゥリチンで5百立米のウリンとチークを使って建造され、スラバヤでの儀装工事後完成した。総工費は30億ルピア。シーサファリ8号と命名されたこの船は全長40メーター幅10メーター舷高5メーターの船体を持ち、言うまでもなく高さ25メートルの帆柱も立っている。乗客定員2百人を収容できるこの船にはレストランや休憩室も用意されている。
タンジュンプリウッ港シンダンラウトマリーナを午前10時に出発するシーサファリ8号はビダダリ島とアエル島を巡る観光船で、ツアーのお値段は大人23万5千ルピア子供15万ルピア。この船のオーナーでシーサファリクルーズ観光事業を行っているPT Pelayaran Wisata Laut Varuna Sakti 社は、先にプラウスリブの海を走っていたシーサファリ5号に替えて新鋭船8号を投入した。シーサファリ5号はバリに回送されて3号、6号、7号とともにコモド島や東ヌサトゥンガラにかけての海を走っている。[ 2006年5月 ]


「自然保護地区指定の島を観光開発」(2006年5月2日)
バンテン州パンデグラン県スムル郡に属す広さ5Haのウマン島と4Haのオアル島が民間会社のオーナーに売り渡されていたことが明らかにされた。問題はそれらの島が自然保護地区に指定されていたことで、またしても発生した一貫性のない行政にバンテン州議会はむしろ困惑の態を見せている。
その二島を購入したのは不動産開発会社PT Griya Sukses Mandiri 取締役社長クリスティアン・ハリムで、かれは1980年に地元民から土地を購入し、土地証書も当人名義による所有権が確立されている。そしてまずウマン島をリゾート地として開発するために島の40%ほどが既に切り開かれており、原初の自然は消え失せている。パンデグラン県庁の用地管理許可局長は、いったいどのような手続きが踏まれてそうなっているのかわからないが、その二島はクリスティアン氏の所有であることは間違いない、と法的な状況について確認している。ところがその状況が法的に合法なのか違法なのかという問題について、州議会の中に明快な答えを持っている議員がいない。誰に尋ねても、とりあえず法制度を検討した上で態度を決めようという姿勢。
実はスンダ海峡に浮かぶサンヒヤン島で、類似の状況の先例がある。セラン県アニエル郡チコネン村にあるサンヒヤン島は国連がハビタット保存されるべき世界遺産と指定したにも関わらず、PT Pondok Kalimaya Putih 社が森林省とセラン県庁からの開発許可を持って同島を買収した上、島の観光開発を行った。同社の開発に対する行政上の管理はむしろ放任と称する方がふさわしく、そのために同社は自然保存を一顧だにせず規定にも従わない開発を行い、その結果サンヒヤン海中公園の生態系がひどく破壊されてしまった。バンテン高等裁判所がボゴール農大の助言を得て見積もった損害額は2兆ルピアとされている。


「コモドドラゴンに会おう」
野生のコモドドラゴンに会うためには、コモド島へ行かなければならない。フローレス島西マンガライ県ラブアンバジョ(Labuan Bajo, Kabupaten Manggarai Barat)がコモド国立公園(Taman Nasional Komodo)への入口であり、そこに至るにはバリを訪れるのがもっとも早い。これまではムルパティ航空(Merpati Airlines)だけがデンパサル〜ラブアンバジョ間にフォッカー27型機を火・木・土の週三便飛ばしていたが、今ではゲルマニアトリシリア航空(Germania Trisilia Air)も木曜以外の毎日、その区間を運航している。
ラブアンバジョ港からはチャーター船でコモド国立公園に向かう。最近のコモド島の話題は「コモド国立公園入園料値上げ」(2006年3月10日)でも報道されている。コモド島(Pulau Komodo)・リンチャ島(Pulau Rinca)・パダル島(Pulau Padar)がコモド国立公園に指定されたのは1980年3月6日のこと。1千種を超える魚類、260種のサンゴ、70種のスポンジなどで満たされたこの海中国立公園の美しさは世界でも屈指のもので、さらに鯨5種・イルカ10種・ジュゴンなどがこの海域を通過するため、観光客にはバラエティ豊かな場所として評価されている。チャーターしたフィニシ船が島を目指して波を割って進む間、青い海原から緑色のサバンナ(草原)を戴いた大小の島々が出現する。まるで太古の昔にタイムスリップして行くようだ。
ガイドがコモドの習性を面白おかしく語ってくれる。「コモドは獲物を襲撃するとき、相手の様子を盗み見ながらじっと待つ。相手が油断するのを忍耐強く待つのだ。そして獲物に襲い掛かると、相手をかんで傷を負わせる。唾液に隠れている数十種のばい菌に感染して獲物が死ぬのをコモドはじっと待つ。ところが、待っても死にそうにないと見るや、今度は獲物を立ち木や岩や地面に叩きつけて全身の骨を粉々にする。その方が呑み込みやすいということもある。コモドが常食にしているのは、鹿・猪・野生の水牛や馬などだが、人間が襲われることもなきにしもあらず。」巨体を揺すりながら時速20キロで走るので、もし追いかけられたらジグザグに走れ、とガイドはアドバイスする。コモドの視野は狭いために、視界から頻繁に消える獲物を追いかけるのが困難になるからだ、とかれは付け加えた。
島に着いてサバンナをトレッキングする際には森林警官の護衛を受けなければならない。森林警備者であるかれは枝分かれした木を一本、自分の武器として持つ。コモドが襲ってきたとき、その枝分かれした部分で首を抑えて口を開けないようにするためであり、またコモドの弱点である鼻面をひっぱたくためでもある。こうして野生コモドとのご対面となるのだが、全身のアドレナリンが根こそぎ奪われてしまうようなこの体験は筆舌に尽くしがたいものであるそうで、自分で出かけて行って体験するしかないようだ。[ 2006年5月 ]


「スマトラ象に会おう」
スマトラ象と言えば、ランプン(Lampung)州ワイカンバス(Way Kambas)にある象訓練センター。ワイカンバスはランプン州東海岸にある国立公園で、海岸から低地ジャングルまでを擁する13万ヘクタールの保護地区だ。そこではスマトラ虎、スマトラ犀、スマトラ象など絶滅の危機にさらされている動物たちも保護されている。中でも最大規模の象訓練センターには野生スマトラ象が350頭おり、人間との共生のためにさまざまな訓練を受けている。訓練のおかげで象は人間によく馴れており、人間を乗せて散歩したり、芸を見せたりしてくれる。象のサッカーを見るのも一興にちがいない。
ジャカルタからランプンには、バンテン(Banten)州ムラッ(Merak)からフェリーに乗って海を渡る。対岸にあるのはバコフニ(Bakauheni)港。そこからおよそ30キロの距離に観光地として人気の高いカリアンダ(Kalianda)海岸がある。カリアンダの町はランプン湾とラジャバサ(Rajabasa)山に面した静かな町で、美しい海岸のパノラマを楽しませてくれる。そこから州都のバンダルランプン(Bandar Lampung)までは9キロの距離だが、その間に見逃すことのできない絶好の観光地がもうふたつある。そのひとつがムラッブラトゥン(Merak Belatung)海岸で、ここは小さい入り江になっており、それを取巻く白砂とブルーの海の景観を楽しみ、また水泳にも絶好だ。もうひとつはマリナ(Marina)海岸で、ここは砂浜でなく岩浜の奇景が楽しめる。さまざまな形と大きさの岩が砂浜と海の間を埋めており、大岩が作り出す崖は見る人をひきつけずにはおかない。崖の上には天然の穴がうがたれ、まるで海水をたたえたプールのよう。ワイカンバス国立公園へはバンダルランプンからメトロ(Metro)を通れば105キロの距離で、およそ2時間で到着できる。もしシルバウォノ(Sirbawono)とワイジュパラ(Way Jepara)を抜けて行けば1時間半だ。国立公園に至るとそこがプランイジョ(Plang Ijo)で、公園の入口にあたる。右に向かえば9.1キロ先に象訓練センター、まっすぐ進めば8.2キロ先に犀の養殖場がある。象訓練センターへは一本道で、そこから先は道がない。犀養殖場も行き止まりだが、道路は枝分かれしてワイカナン(Way Kanan)保護ポストに達する。そこまでは13.5キロの道程だ。そしてやはりそこが終点になっている。それ以外の場所へ行こうとすれば、河を船で移動することになる。[ 2006年5月 ]


「カンプンツアーはチナンネン」
ボゴール農大ダルマガ(Darmaga)キャンパスからおよそ3キロ。ヘステル・バスキ(Hester Basoeki)がオーナーのHBガーデンゲストハウスボゴール(HB-GGHB)はチナンネン村(Desa Cinangneng)にある。カンプンウィサタ(Kampoeng Wisata)つまり観光村と称しているこの施設がユニークなカンプン帰郷ツアー(tur Poelang Kampoeng)を催しているのだ。このツアーはスンダ地方の農村での暮らしを実体験するためのもので、実にさまざまな活動がメニューの中に用意されている。ガムラン(gamelan)演奏、ジャイポガン(Jaipongan)踊り、チャピン(caping)作り、ワヤン(wayang)作り、クエ(kue)作り、田植え、籾乾し、脱穀、川での水牛洗い、そしてカンプン巡りツアーは水田から畑・果樹園などを回った後、家内工業の豆腐生産プロセスを見学する。見学ツアーが一段落すればティーブレークだが、お茶は農家にお呼ばれで、近在農家でお茶とスンダのおやつを振舞われる。出てくるのはシンコンゴレン(singkong goreng)、ピサンゴレン(pisang goreng)、ウビゴレン(ubi goreng)など。実に様々な活動が山盛りだが、丸一日のツアーで夕方には終了するから、必ずしも宿泊する必要はない。しかし宿泊をご希望なら、HB-GGHBが8室を備えたスタンダードゲストハウスになっているからスンダの丘陵の一夜を楽しむこともできる。宿泊客は三食に夕方のハイティ、そしてチナンネン川から引いた山の冷たい天然水のプールで水泳もできる。日が落ちたあと、油の灯火を手に夜の村を見回るツアーまで用意されている。スンダの山村の暮らしに触れてみるのも、滅多に体験できない思い出になることだろう。[ 2006年5月 ]


「ジャボタベッのホテル営業状況」(2006年5月8日)
インドネシア銀行が発表したジャボタベッ地区のホテル営業状況サーベイ結果によれば、3月の客室稼動率は3星級が2月の65%から68%に、4星級は62%から70%、5星級は47%から60%にアップした。客室稼動は全般的にアップしたにも関わらず、一泊あたりの宿泊料金は4星級ホテルで2月の415,285ルピアが376,061ルピアに、5星級では735,266ルピアから713,157ルピアに低下している。


「乗馬の楽しみ」(2006年5月11日)
東ジャカルタ市プロマスには競馬場がある。1970年代には馬券が売られ、競馬で賑わったがそれも今はむかし。ワルンブンチッ通りの南ジャカルタ市移民局の向かい側には馬場があった。これも今はむかし。いま乗馬を楽しみたい人はジャカルタ南部が主な活動の場になっている。馬に乗りたい都民が訪れるのは、下のような乗馬クラブ。
Arthayasa Stables : Blok Tengki, Desa Grogol Limo, Depok 16512, Tel 021-7547024, 7547025, http://www.arthayasa.com
Athena Stables : Jl Duren No 77, Parung Bingung, Desa Rangkapan Jaya Baru, Kec Pancoran Mas Depok, Sawangan 16434, Tel 021-7793462
Trijaya Equestrian : Jl Trijaya 23 Ciganjur, Jakarta Selatan 12630, Tel 021-7863063, 78880176
Jakarta Polo and Equestrian Centre : Jl Raya Pasir Maung, Desa Babakan Madang, Citeureup, Kab Bogor 16810, Tel 021-87961569
またバンドンには乗馬学校もある。
Sekolah Berkuda Balaturangga : Jl Kolonel Masturi, Asrama Kavaleri Dankavkud Parompong, Lembang , Bandung
この乗馬学校は月謝がなんと30万ルピア。アルタヤサでも初心者向けの練習料金は低価格。会員になれば一回8〜12万ルピアで馬に乗れる。頻繁に行けないという人は会員にならなくても大丈夫だが、料金は17〜22万と割高になる。


「アンチョルが変わった」
海岸線の上をロープウエーが走っている。ロープウエーのターミナルを出ると、海洋館Gelanggang Samudraが目の前に。1980年代に国内レクレーションのアイコンとなったイルカショーは当時、「アンチョルのイルカショーを見ずしてジャカルタを語るな」と言われたものだ。イルカショーは今も健在だが、海洋館にはもっとたくさんのお楽しみが用意された。失われた王国を探訪するツアーがそれだ。New Gelanggang Samudraはいまやテーマパークに変貌したのだ。1001 Night Legends, Carribean Adventures, Aztec Landの三エリアから成っているスペースを来園者はシーキャトルに乗って探訪する。1001 Night Legendsでは、千一夜物語のストーリーを楽しみながらアッバス朝時代の町並みの中を抜けていく。アラディンとヤスミン姫の物語の中でイルカやあしかが巧みな芝居を演じてくれる。Carribean Adventureでは古きよき時代を謳歌した海賊たちの暮らしを学び、Aztec Landではアステカ族の黄金時代をたどる。独特の装飾に彩られたピラミッドの中では超大型スクリーンに投影される東南アジア最大の4Dシネマを楽しめる。そのスペシャルエフェクトは観客に一大センセーションを体験させてくれる。
海洋館から出て次のテーマパークに入ると、そこはAtlantis Water Adventure。ここは人工波のプールで、大海原で泳ぐ気分を味あわせてくれる。そして子供たちには数千個のボールに混じって泳ぐセンセーション。水に飽きたらDunia Fantasi。Istana Boneka, Halilintar, Bianglala, Kora-kora, Arung Jeram, Niagara-gara, Perang Bintangなど楽しいパビリオンがお待ちかね。そして今最高の人気はMeteor Attack。乗り物に乗って7分間のシミュレータシアターを訪れれば、流星群の間を抜け、エイリアンの攻撃を逃れ、宇宙空間を超高速で飛行することができる。
家族連れでのんびり海の空気とそよ風を楽しみたい向きにも、まだまだ他の場所が用意されている。Ice World, Marlin Beach, Marina Coast Royal Residence, Bandar Jakarta 等々。新装なったアンチョルドリームランドはまだまだ楽しめる。[ 2006年5月 ]


「ジャカルタには歴史の楽しみ」
本当は、ジャカルタも観光スポットに事欠かない。ただしその大半は歴史に結び付けられたものだ。歴史嫌いの人々はアンチョル・ジャカルタベイシティ(Ancol Jakarta Bay CIty)やタマンミニ(Taman Mini)に繰り出すし、そしてこちらの方が圧倒的に首都圏の行楽客を引き付けているのも確かなことではあるが、最近は歴史観光プログラムも続々と出現している。
都内にはおよそ30のミュージアムがある。その中で人気の高いのはタイ国王が寄贈した白象の像をシンボルとする国立博物館(Museum Nasional)、オランダ植民地時代初期にステートハウスだった歴史博物館(Museum Sejarah/Fatahillah)、そして最近は博物館に改装される前マンディリ銀行(Bank Mandiri)だったオランダ時代の建物であるマンディリ博物館といったところだろう。いまはナイトツアーが顕著な増加を示しており、Wisata Malam Museum Sejarah Jakarta やWisata Malam Museum Prasasti、そしてWisata Malam Museum Bank Mandiri などが積極的にプロモーションを行っている。
歴史博物館が2005年2月から企画を開始した歴史ツアーは、グロドッ(Glodok)のチャイナタウンを探訪するWisata Kampoeng Toea を皮切りに、さらには独立宣言前後の歴史をひもとくレンガスデンクロッ(Rengasdengklok)〜カリジャティ(Kalidjati)〜バンドンというコースまでが組まれた。都内にある歴史関連ミュージアムは歴史博物館を筆頭に、ワヤン(Wayang)、造形(Seni Rupa)、陶器(Keramik)、海洋(Bahari)、石碑(Prasasti)、繊維(Tekstil)、45年闘争館(Gedung Joeang '45)、MH タムリン(Thamrin)、そしてジャカルタ文化歴史情報院などが目白押し。
ワヤン博物館は昔の古オランダ教会だった建物で、1975年から世界中のワヤンを集めて展示している。ファタヒラ公園の一角をなしている造形博物館と陶器博物館は、インドネシアの著名な画家たちの作品やインドネシア各地で作られた陶器を展示している。陶器製作で有名な地名はKasongan, Plered, Malang, Palembang, Singkawang など。またかつて大海原を越えて行われた交易の主要商品でもあった中国・日本・ベトナム・タイやヨーロッパの陶器も見ることができる。海洋博物館はパサルイカンに近い場所に建てられたVOCの香料倉庫の一部が使われており、海洋活動の歴史を見せてくれる。45年闘争館はメンテン通り31番地の古い建物で、独立戦争期の写真、絵画、英雄の像や旗などが展示されている。スカルノ大統領ハッタ副大統領公用自動車も貴重なコレクションの一部だ。中央ジャカルタ市クナリ通りにあるタムリン博物館はイ_アの独立に貢献したMHタムリン個人に関わる文物が展示されている。独立広場北通りにあるジャカルタ文化歴史情報院にはジャカルタの発展史を示すさまざまな資料が展示されている。
東南アジアでもっとも古くから高い文化を周辺諸国に発散させてきたジャカルタには歴史が厚く埋没している。一見古臭く小汚い街並みに隠されているさまざまな歴史的ストーリーを発見するのは、とてつもなく大きな楽しみをもたらしてくれることだろう。[ 2006年5月 ]


「シンガポールのショッパホリックはインドネシア人」(2006年5月24日)
5月26日から7月23日まで予定されているシンガポール観光プロモーションに、今年もインドネシアからのツーリストが大挙来訪することをシンガポール側は期待している。グレートシンガポールセールと題されたシンガポールの大型ショッピングツアープロモーションは今年で13回目を迎えるが、この期間にシンガポールを訪れて買い物に出費を惜しまない観光客のナンバーワンがインドネシア人だと主催者が表明した。2005年のこのフェア期間中にシンガポールを訪問した外国人観光客数は160万人で、その中の30万人がインドネシア人だ。ちなみにトップファイブはインドネシア、インド、中国、オーストラリア、日本となっている。


「地震観光!?」(2006年6月1日)
5月29日月曜日朝、ヨグヤカルタ特別州(DI Yogyakarta)南にあるパラントリティス(Parangtritis)海岸に観光客の姿はひとりもなかった。いつもならいつ行っても人の姿があるこの海岸をインド洋の荒波がただ寂しげに洗っているばかり。オートバイ一台3千ルピアの入場料を取る料金所にも人気はない。
ところがふだんはパラントリティスに往来する観光客がただ通り過ぎるだけのパラントリティス通りとイモギリ(Imogiri)通りの方が人と車で賑わっている。ここ二日間、ジョクジャや中部ジャワの各地からバントゥル(Bantul)県東部へとたくさんの人が集まってきているのだ。観光資源に乏しい貧しい農業地帯であるバントゥル県が思いがけなく、まるで観光ツアーの舞台に一躍踊り出たようだ。パラントリティス通りの路肩に並ぶ四輪二輪の自動車。ひとびとはカメラ付き携帯電話、デジカメ、ハンディカムを手にして地震で崩れ落ちた家屋や被災した村の生々しい光景を映像に納めている。パラントリティス通りからだけでも地面に平たくはいつくばった家屋が目に入ってくるが、脇道に入って近くの村を訪れたらもっとドラマチックな光景に出会うことになる。突然の人出になにがしかのお恵みを求めて街道にやってきた被災者たちを潜り抜け、地震観光者たちはめったに見ることのできない歴史的光景に感動し、カメラのシャッターを押している。
人気の観光スポットになったのは、パラントリティス通り沿いの、南周遊路から5百メートルほど離れたBPKP事務所。この三階建ての建物は劇的なポーズで崩壊直前の姿をさらしている。屋根は地面に接しており、三階と二階は大きく傾いているが、一階はまだしっかりとそれらを支えているのだ。周辺に散らばった屋根瓦がその光景を更に生々しいものにしている。建物周辺道路は俄カメラマンを乗せた車で埋まり、通行はたいへん困難になっている。いや、そこばかりではない。バントゥル通り、パラントリティス通りからイモギリ通りまで、道路上はたいへんな賑わいによる交通渋滞だ。ルバランの時期よりも車の数が多い。
プルウォレジョ(Purworejo)からソロ(Solo)へ帰ろうとして南回りの道を取った一家は、その渋滞の中に巻き込まれてしまった。「わあ、道を間違えてしまったよ。北の道を通らなきゃいけなかったんだ。」ハンドルを握っているバパはそう苦笑いする。街道がそんな状態であるために、ジュティス(Jetis)、プレレッ(Pleret)、イモギリ、プンドン(Pundong)、バンバンリプロ(Bambanglipuro)などの被災地へ救援物資を届けるためのトラックも立ち往生だ。しかしかれら観光客も人情を忘れてはいなかった。インスタントラーメンや米を小分けした袋を車に積んできており、被災者に分け与えている。オートバイ集団もやってくる。若者たちが10台のオートバイで隊列を組み、バントゥル県の僻地まで食糧や毛布を届けようとしている。人で詰まったマイクロバスを運転しているバパは、クブメン(Kebumen)から地震見物に来たと言う。かれらも水や食糧を車に積んできているのだ。地震観光客たちのお気に入り目的地はイモギリ、プレレッ、ジュティスなど、マスメディアで最も地震の被害が大きかったところと報道されているからだ。わずかながら被災者への救援物資を届に来た地震観光客はいまジョクジャ南部を往来している。


「スカルノハッタ空港の雲助タクシー」(2006年6月2日)
2006年5月10日、マルスディハルジョは家族連れでスカルノハッタ空港に戻ってきた。タングランのチプタッにある自宅までタクシーで帰ろう。到着ホールを出ると、運送サービスを使ってほしい客引きがさっそくお出迎え。しかしかれは乗るタクシー会社を決めており、それ以外のタクシーには乗る気がない。客引きたちの誘いを無視して、かれは家族をガードしながらお目当てのタクシーを探す。虎視眈々と獲物を狙う客引きが何人か、この一家にまとわりついて一緒に動く。完全に無視された客引きは熱くなりはじめた。だれが主でだれが従なのか、選ぶ権利がだれにあるのか、そんなことはお構いなしで、頼んでいるのに聞いてくれない非人間的な輩に腹を立てる。頼まれたらそれを聞き届けてやるのが人情だというのに、いくら頼んでも無視する非人間には怒りを向けて当然だ!野卑な言葉を投げつけてくる客引きたち。やばい、これは危険だ。こんな連中に関わると、ろくなことにならない・・・・
マルスディハルジョは家族の歩みに気を払いながら、一番近いところに止まっているタクシーに向かって行った。運転手がすぐに出てきてトランクを開け、マルスディハルジョの一家が手にしていた荷物をどんどんその中に入れて行く。荷物が全部入り、トランクのふたが閉められたのを確認してみんなは車内に入った。そのDian グループのタクシーは動き出し、ターミナルを後にする。やっと虎口を逃れたと安堵の吐息をつくマルスディハルジョのわき腹をひじで突き、タクシーの料金メーターを指差すかれの妻。あっと驚いて目を丸くするマルスディハルジョ。なんとこの運転手はメーターを作動させていない。じゃあ、ただにしてくれるのかというと決してそんなことはなく、反対に到着した後で言いなりの料金を吹っかけられ、搾り取られるのが関の山。
「ねえ、なんでアルゴのスイッチを入れないのかな?」マルスディハルジョは運転手に問い掛ける。アルゴとはタクシーメーターを意味するインドネシア語argometer。メーターをいじくって回転を早くさせたものはargo kuda と呼ばれ、アルゴクダはタクシーばかりかガソリンスタンドの給油ポンプやら電話料金を決める測定器などでも、いたるところでカモを待ち構えているから警戒が必要。
そう言われて運転手は即座にメーターをオンにし、そしてちょっと間を置いたあとでマルスディハルジョに言った。
「有料道路代とタクシー代のほかに3万7千ルピアかかるからね。」
「そんなバカな。いつも追加分は1万ルピアだよ。」
「じゃあ、アルゴなしの一括料金だなあ。」
運転手が言う料金はふだんマルスディハルジョが払っている金額より数万ルピア高い。そりゃ高すぎる、とかれはいつも払っている金額を言うが、運転手は聞く耳を持たない。タワルムナワルの歩み寄りなどなく、インドネシアで言うところの『debat kusir(御者の議論=押し問答)』がしばらく続く。たしかに、運転手が御者であるのは間違いない。家族みんなの荷物が後ろのトランクに入っていては、交渉決裂させてこのタクシーから降り、路上で別のタクシーをひろっても、その間にこのタクシーは荷物を積んだままトンズラするにちがいない。結局マルスディハルジョが折れた。するとタクシーはバリ風デザインの空港メインゲートから外へ出た後、突然道路からそれた。少し走ってから道端の屋台のそばで停まる。運転手がタクシーから降り、その屋台に座っていた別の男が運転席に入ってハンドルを握った。ダッシュボードに貼られた運転手のアイデンティティから、その男が本来の運転手であることがわかった。なんと空港ターミナルで客を待っていたのは、臨時に運転手の代理を勤めて金の分け前にあずかるsopir tembak だったのだ。
ヤバイ状況を怖れてそこから逃れようと仕方なく乗ったタクシーが雲助だったという悪運のめぐり合わせに、せっかく楽しんできた家族旅行の幕引きでとんだ汚点がついてしまったマルスディハルジョは大きくため息をついた。


「愛惜、チャンディプランバナン」(2006年6月6日)
5月27日早朝に発生したジョクジャ中部ジャワ大地震で、ジョクジャを中心とする一帯にあるきわめて重要な歴史的文化遺産のいくつかが被害を受けた。歴史的価値という意味でもっとも被害の大きかったのがプランバナン寺院(candi Prambanan)だ。遠望すれば、プランバナンチャンディ群は以前と変わらぬ姿で聳え立っているように見えるが、構内にはいるとチャンディ上部から落下した巨大な石彫が地上に散乱して痛々しい。他にも被害が出たのはチャンディプラオサン(candi Plaosan)とチャンディソジワン(candi Sojiwan)で、チャンディソジワンは土砂崩れを危惧して移転させたというのに、皮肉なことに今回の地震で完全に崩れ落ちた。北プラオサンのメインチャンディでは、大ストゥパは東向きに倒壊し小ストゥパ群は西に向かって倒れている。顕著な被害を蒙ったのはその三つだけであり、イジョ(Ijo)、ラトゥボコ(Ratu Boko)、バロン(Barong)、サンビサリ(Sambisari)など他のチャンディでは損傷が見つかっていない。
プランバナンチャンディ群の三大チャンディであるブラフマ(Brahma)、シワ(Siwa)、ウィスヌ(Wisnu)はすべて被害を受け、またアンサ(Angsa)、ナンディ(Nandi)、ガルダ(Garuda)の付随チャンディ群も無事には済まなかった。チャンディブラフマの損傷状況は、頂冠が転落し、チャンディ内部への入り口にあるテラスも崩れて入り口を塞いでいる。一番大きいチャンディシワはあちらこちらにひびが入り、建造物の中心はおよそ4センチほど移動したようだ。付随チャンディ群は頂上が傾き、頂冠がいつ落ちてくるかわからない。
修復されてスカルノ大統領が1953年12月20日に完成を宣したプランバナンチャンディ群はヒンドゥ教に則って紀元850年に建造されたもので、建立者がまだ確定されていない。初期マタラム(Mataram)王家第二代の王ラカイ・ピカタン(Rakai Pikatan)あるいはサンジャヤ(Sanjaya)王家のバリトゥン・マハ・サンブ(Balitung Maha Sambu)が建立者に擬せられているもののまだ定説がない。このチャンディ群はユニークな特徴を持っており、ほとんどの壁がハスの花の彫刻で満たされている。チャンディを人体にたとえるなら、足の位置はすべてにハスのつぼみが描かれ、腰や胸から頭までもが水生植物であるハスの花で飾られている。ヒンドゥ教だけでなく仏教もそうだが、ハスの花はマクロコスモスのシンボルであり、水と空気と土地を核とする現実世界あるいは生命を象徴している。白、紫、赤のハスの花は生命の美だ。
ジョクジャ州古代遺跡保存庁のアグス・ワルヨ(Agus Waluyo)長官はその修復が考古学者だけでは不完全にしかできないと考え、ガジャマダ大学の地学・測地学・建築学などの専門家に協力を呼びかけた。チャンディブラフマの表側地面には新しいひび割れができており、チャンディの基礎に影響が及んだのかどうかもまだ不明だ。ガジャマダ(Gajah Mada)大学土木工学部地質学教授は、地表ではほんの小さいひび割れでも、地中に大きな洞穴があいている可能性もある、と説く。同大学測地学教授は、精密な計算を行わなければチャンディが移動したかどうかを断言できない、と言う。ジョクジャの多くのモールが激しい損傷を受けているのに比べて、高層だが上へ行くほど小さくなっているチャンディは損傷を受けたとはいえまだしっかりと大地の上に屹立している。その様子に建築学専門家は、古代の巨大構造物建設に使われた叡智がこの違いを生み出しているにちがいない、と語る。チャンディ建築物の基礎は、粘度の高い土を何層にも重ねて置くことで地面の揺れを吸収するバンパーの機能を持たされているし、チャンディの石組みはテクトニクス型やボルカニック型の揺れあるいは重力や風力の影響を考慮して相互に固定し合う積み重ねが行われている、とドゥタワチャナ(Duta Wacana)キリスト教大学の建築学教官は説明している。
修復費用がどれだけかかりまたその費用がどこから出てくるのかはっきりしたことはまだなにひとつ判らないものの、ジョクジャ州古代遺跡保存庁は大学関係者の協力を得て、まずできるところから人類遺産の修復に着手しようとしている。スラヤティ同庁保護課長は、プランバナンの修復には数十億ルピアかかるのではないかと推測している。


「チアテル」
バンドンの街からだと32キロ、およそ45分の道のり。ジャカルタからだとチカンペッ(Cikampek)自動車道を出てからプルワカルタ(Purwakarta)方面に進み、チャンパカ(Campaka)の三叉路でスバン(Subang)方面に曲がる。チプララン(Cipularang)自動車道を通ってもよい。スバン県チアテル(Ciater)にある温泉観光施設「サリアテル(Sari Ater)」の入場料は一人1万ルピア、自動車7千ルピア、オートバイ5千ルピア。庶民向け観光施設をモットーとするサリアテルは、休日など2万3千人の入場者がやってくる。
チアテルを流れる湯はタンクバンプラフ(Tangkuban Perahu)火山を水源としている。水温は44度だが、サリアテルの水浴場に引き込まれたあとは37〜40℃。この湯はカルシウム、マグネシウム、塩素、硫黄、ミネラル、アルミニュウムなどを含んでおり、ペーハー度は2.45で、身体の麻痺やリューマチ、神経や骨の障害に効果があると言われている。サリアテルには公共用の水浴場が10ヶ所用意されているが、プライバシーを求める人には個室浴場も用意されている。滝の下で湯を浴びる工夫もなされており、樹木や岩に囲まれた中で滝に打たれるのも野趣満点。
サリアテルにはホテルやバンガローも用意されており、宿泊は40万から250万ルピアまでさまざま。建物は竹の壁にシュロやウリンの屋根で作られており、ローカル色を心行くまで満喫できる。そして各部屋にも温泉が導かれ、いつでも好きなだけ湯浴みを楽しむことができる。しかし山の冷気に包まれて夜空の下で一夜を明かしたい人はテントを借りることもできるし、貸しゴザも用意されている。
お湯に浸かってばかりいないで西ジャワの山間部の自然を楽しみたい人には馬に乗っての散歩、体操、絵画、陶器制作、テニスなど徒然なる時を過ごす活動もお好みのまま。[ 2006年6月 ]


「ジョクジャ観光においで」(2006年6月10日)
ジョクジャ中部ジャワ大震災の結果外国人観光客のジョクジャ向けツアー4百件がキャンセルされたため、地元観光収入が今月は20億ルピアも減少するだろうと推測されている。インドネシア旅行代理店協会(ASITA)ジョクジャ支部長は、今月入っていた予約の90%が大地震のために取り消されたと発言した。ジョクジャのホテル業界は6月第2週までに地震の被害からの復旧を完了させることを目標にしており、6月〜8月のピークシーズンを7月〜8月に取り戻そうと計画している。同支部は6大ジョクジャ観光市場である日本、オランダ、イギリス、フランス、ドイツ、韓国の旅行代理店を招いて現地の状況を直接見てもらおうとの企画を組んでいる。フランスの旅行代理店Asia Voyagesは、この先二週間に8百人の旅行者をジョクジャ観光に送り込む予定だと語っている。王宮、タマンサリ、チャンディラトゥボコ、チャンディボロブドゥルを見て回るがチャンディプランバナンとイモギリ王宮墓地は訪問先から外すことにしているとの由。


「バタビア時代の市街整備でジャカルタに観光スポットを」(2006年6月19日)
Old Batavia。植民地、外国人支配、搾取、独立といった一連の流れから離れたところで、インドネシア人自身が大きな郷愁を抱いている言葉のひとつがどうやらそれのようだ。オランダ植民地支配のシンボルであり、太平洋戦争でこの地を占領した日本軍の軍政が開始されたとき早々に手が付けられたのがバタビアという名前の改称だった。しかし新生インドネシア共和国の首都はオランダの名称をやめてしまったが、バタビアの名は歴史書籍以外の場所でいまだに折に触れて目にすることが多い。
ともあれ、政府関連の公式名称にその名が使われることはなく、数百年を経たバタビア時代の街を都庁はインドネシア語でKota Tua Jakarta と称している。17世紀から18世紀にかけて、アジア域内でもっとも繁栄した交易都市として黄金時代を築いたバタビア、今で言うジャカルタ旧市街を歴史的観光資産として活性化させようという企画は昔から語られてきた。これまで断片的散発的に行われてきただけの旧市街保存整備が、スティヨソ都知事引退の花道を飾る事業としていま浮上してきている。
「旧市街活性化プログラムは現中銀上級副総裁のミランダ・グルトム(Miranda Goeltom)がコーディネートする。旧市街包括整備は長い時間が必要とされているが、2007年には優先的に進められることがらがいくつかある。」都知事のその言葉に関連してリトラ・タスマヤ(Ritola Tasmaya)都庁秘書官は、プラザファタヒラ(Plaza Fatahillah)建設がそのひとつだと説明した。ジャカルタ旧市街地区とはグロドッ(Glodok)地区からコタ駅(Stasiun Kota)、ファタヒラ公園(Taman Fatahillah)そしてスンダクラパ(Sunda Kelapa)港に至る地域と定義されている。その活性化とは単なる施設と文化の保存のみならず、地域内における経済活動振興によって社会生活の価値を向上させることまで含んでいる。このプログラムを実施するために都庁では文化博物館局、都市整備局、運輸通信局、公園局、観光局の5局に対して2005年12月にその推進が命じられた。
アウロラ・タンブナン(Aurora Tambunan)文化博物館局長は、その活性化プログラムの一環としてファタヒラ博物館周辺道路の改修を計画している。いまあるコンクリート舗装をやめて8〜12センチ厚の安山岩敷石を敷き詰め、地中への雨水浸透を高めること。波打つ路面は自動車の往来スピードを遅くするため、歩行者にとってより安全快適な環境が作り出される。この工事はPintu Besar Utara通りから着工されるので、ファタヒラ博物館からワヤン(Wayang)博物館そしてKali Besar東岸エリアに至る歩行者の往来が容易になる。この工事は年内に完了する計画になっている。そのエリアを早く通り抜けたい自動車はKali Besar通りのほうへ導かれ、ゆっくり石畳を走りたい車だけがそのエリアに入ってくることになる。同時に電気電話などのケーブルも地上のものをすべて地中に埋め込む計画。それらの工事が終了すると、ファタヒラ博物館からワヤン博物館、造形美術博物館(Museum Seni Rupa)、カリブサール地区などにある歴史的建造物をめぐるヘリテージトレールが設けられる予定で、要所要所の建物にはその歴史の概略を記した案内板が置かれることになっている。
それとは別にグロドッ〜パンチョラン(Pancoran)からピナンシア(Pinangsia)にかけての一帯を中心とした中華街の活性化も優先プログラムとして焦点が当たっている。その地域の住民はかつて1950年代から70年代ごろまで盛んだったパサルマラム(Pasar Malam)の伝統を再現させようと計画を練っている。夜市を意味するパサルマラムは往時の中華街に欠かすことのできないナイトライフの一部であり、中華街住民の経済活動はそれによっていやが上にも活性化した。最初はまずプラザグロドッ(Plaza Glodok)とプラザピナンシア(Plaza Pinangsia)の周辺がそのロケーションに予定されており、食べ物屋台が並び路上商人が道端で品物を商う昔ながらの繁華な賑わいをわれわれも体験することができるにちがいない。


「ジョクジャのホテル客室稼動はダウンせず」(2006年6月23日)
ジョクジャ中部ジャワ大震災後のホテルは依然としてヨーロッパを主体とした外国人観光客で満たされており、ホテル業界はこの状況が今後も継続するだろうと見て安堵の胸をなでおろしている。Yogyakarta Plaza Hotelの営業担当取締役によれば、同ホテルでは地震後もフランス、オランダ、ドイツからグループツアーが続々とやってきており、地震のために取り消された外国客の予約は個人ツアー客が三人だけとのこと。ホテル側が悲観的になったのはむしろムラピ火山の噴火が迫っているというニュースが流れた地震前の時期で、そのときはキャンセルが相次ぎ、宿泊予定外国人客のキャンセル数が850人に達したそうだ。しかし地震の後は客数が少しも減らず、ホテルビジネスに悪影響は出ていない、と同取締役は述べている。
地震の直後、ペシミズムに包まれたジョクジャ地区のホテル業界はその対策のために旅行代理店業界に大幅な値引き客室料金を提示したが、地震後のビジネス状況悪化が全般的にあまり顕著でなかったために、そのときのコミットメントに対して手のひらを返すようなことをしているホテルが少なくないという噂が流れている。旅行代理店業界は地震の後、観光客の宿泊をソロのホテルに移してキャンセルを最小限にしようと努めたが、ジョクジャホテル業界のそのような姿勢はソロからジョクジャに宿泊客を移すことを困難にしている、と批判している。
今回の地震の直後、文化観光省はジョクジャ観光業界を主体にしたシンガポール・マレーシア・タイへの訪問団を編成して、それら三国の観光業界に情況報告を行った。各国の旅行業者はインドネシアの地理を良く知らず、最大の被害を受けたバントゥル(Bantul)はいつの間にやらバンドン(Bandung)が壊滅した話となり、またバリを訪れた経験を持つ業界者はその話を聞いてバリのバドン(Badung)が大きい被害を受けたというイメージにすり代えられ、一般客の頭の中にイ_アの大半の観光地が壊滅した印象を与えていたらしい。訪問団が行った各地での旅行代理店業界に対する説明会でそれらの誤解が正されたために、予約取り消しはあまり出ていないとのこと。


「金さえ払えば、乗客は乗らなくても結構」(2006年7月5日)
2006年6月10日付コンパス紙への投書"Ditinggal Pesawat Lion"から
拝啓、編集部殿。事件を体験したのはわたしの妹とその夫です。2006年5月23日、かれらはライオンエアーJT10便でジャカルタからデンパサルに到着しているはずでした。しかしかれらはおいてけぼりにされたのです。
ふたりは出発時間の1時間ほど前に空港に着き、指定されたカウンターでチェックインしました。そのあと4番ゲートの待合室で出発を待ちました。ところが出発時間が45分延期されたのです。それでふたりは外のベランダに出て待つことにしました。妹は赤児を抱えており、そのとき子供の調子がよくなかったからです。45分の時間をつぶす間、フレッシュな空気を吸い、足を伸ばしたかったのです。およそ30分ほどしてからふたりは4番ゲートに戻りました。すると待合室の中は空っぽです。職員に尋ねると、ゲートがA1に変更になったという話でした。ふたりは慌ててA1ゲートに走りました。ところがそこも空っぽです。そのゲートにいた職員に尋ねたところ、当初発表した遅れ時間が早まり、飛行機は既にテークオフしたとの返事でした。妹がわたしに電話して状況を告げたので、わたしはライオンエアーのスーパーバイザーと話したところ、ライオン側は規定通りのプロセスを行ったと言うのです。わたしは反論しました。ライオンエアーがチェックインした乗客名簿を持っていないはずがありません。あのような状況になったとき、二人分のシートが空席になっているのだから、乗客数のチェックをして当然ではないか、と。ライオンエアー側は足りない乗客を探そうとしなかったのです。国内線出発ターミナルの待合室はオープンなので人を探すのは簡単なはずなのに。[ 南ジャカルタ市在住、アメリア・ウィディヤヤンティ ]


「ムラピ山噴火観測ツアー再開」(2006年7月18日)
7月12日にムラピ(Merapi)山の火山警報ステータスがawas からsiaga に下がったため、ジョクジャ州スレマン県は7月16日からカリアデム(Kaliadem)観光ルートを再開した。カリアデム部落はスレマン(Sleman)県チャンクリガン(Cankringan)郡クプハルジョ(Kubuharjo)村の最北端に位置してムラピ山頂にもっとも近く、6月14日に大規模熱雲の被害をもろに受けた場所。カリアデム部落への一般者立ち入りは7時から16時までに限られ、観光訪問者は靴を履くことが義務付けられている。現地の観光運営者はマスクを用意して観光訪問者を待っている。観光運営は地元管理者に委ねられており、収益は地元集落が活用して良いことになっている。ムラピ山頂から半径6キロの範囲内は立ち入り禁止となっているが、その外側では自由に噴火の爪あとを観測して構わない。カリウラン(Kaliurang)地区も同じように観光ルートを再開する。ただしカリウラン観光林に入ることはまだ禁止されている。


「スンダ海峡沿いリゾートに閑古鳥」(2006年7月24日)
19日に起こったウジュンクロン南方を震源とする地震が津波の噂を招いたために、バンテン州スンダ海峡沿岸部にある多くの宿泊施設から宿泊客の姿が消えた。アチェ地震のあと同じような状況が発生してこの地域の観光業界は大打撃を受けたが、その後は他の地域で災害が発生しても影響はあまり出ていなかった。やはりバンテン州の各地で地面が揺れたことがひとびとに緊迫感をもたらしたようだ。
スンダ海峡沿いにはアニエル(Anyer)、チャリタ(Carita)、ラブアン(Labuan)、パニンバン(Panimbang)、タンジュンルスン(Tanjungg Lesung)、そしてスムル(Sumur)とリゾート地があり、ホテルやビラが並んでいる。アニエルのあるホテルでは、19日に発生した地震のあと、津波という単語がひとびとの口から洩れ、宿泊客が続々とチャックアウトしたために全126の客室は空っぽになってしまった、とその経営者は物語る。そればかりか、8月9月に既に入っていた予約にまで影響が及び始め、取り消しが続いているとのこと。地学気象庁からアニエルは津波がないという公式発表でも出ない限り泊りには行けない、と話す客もあるそうだ。このため、海峡沿いの観光事業主たちは、地学気象庁に対してスンダ海峡の状況に関するコメントを公にするよう求めている。
バンテン州のセランやチレゴンでは翌日、住民の警戒意識を高めさせるために行政広報車やモスクあるいはムソラのスピーカーで地震と津波に警戒するよう呼びかけを実施したが、中にはセランのあるムソラで「午後1時ごろ地震と津波が起こる」という放送が住民をパニックに駆り立てたり、セラン県庁でも15時ごろに地震と津波が来るとの情報が伝えられて多くの職員が慌てて自宅へ帰る光景が繰り広げられた。地学気象庁はそのような情報を一切出していないため、何者かのデマによるものと見られている。


「ガルーダ航空のサービスに失望」(2006年7月24日)
2006年6月17日付コンパス紙への投書"Jadwal Garuda Terus Mundur"から
拝啓、編集部殿。2006年6月9日、わたしはジャカルタからジョクジャへ飛びました。当日わたしは午前中にシティチェックインを行い、そこで受け取ったエグゼキュティブクラスのボーディングパスにはフライトナンバーGA210、座席ナンバー4F、搭乗時間16:15と記されていました。バゲージはないのでわたしは15時ごろ空港に着き、そのままマンディリ銀行エグゼキュティブラウンジに入りました。すると搭乗時間が17:30に延びたという案内が出されていました。その時間が近付くと、搭乗時間が18:30に延期されたという案内がまた出されました。18:30に近くなってからモニタースクリーンを見ると、搭乗時間は19:40となっています。ところが3時間半も搭乗が遅れたというのに、明確な説明は何もありません。機内で乗務員に遅れた理由を尋ねても、満足のいく説明をしてくれる人はひとりもありませんでした。同じジョクジャ行き17:40発のGA212便は定刻に出発したというのに、GA210便はどうして3時間半も待たされなければならないのでしょうか?先にチェックインしたひとが先に出発できるようなサービスはできないものなのでしょうか?
もうひとつそのフライトで、わたしはガルーダのサービスにとても失望させられました。機内乗務員がボーディングパスに記された座席番号のシートにわたしを案内してくれてからおよそ10分後、わたしの座席番号と同じ番号が書かれた搭乗券を持ったひとがやってきたのです。乗務員のひとりがわたしの搭乗券を要求し、座席ナンバーを手書きで5Eと修正しました。5Eはエコノミークラスなのです。その乗務員はただ「間違いがありましたので。」と一言言っただけで、そのままどこかへ行ってしまいました。わたしはもう疲れていたので、それに抗議する気力もなく5Eの席に移りました。ところが目的地に着いて機内から出るとき、エグゼキュティブクラスにまだ空席があったのです。
ガルーダ航空のそんなサービスは乗客をいたく失望させるものです。ガルーダ航空経営者の説明とアテンションを求めます。[ 東ジャカルタ市在住、エルウィン・デスティアワン ]


「パガンダランへの航空路開設」(2006年7月31日)
去る7月17日に地震と津波の被害を受けた西ジャワ州チアミス県パガンダラン(Pangandaran, Kabupaten Ciamis)の観光事業復興を加速させるために、ヌサウィル(Nusawiru)空港への航空路開設をハッタ・ラジャサ運通相が提唱している。ヌサウィル空港へのフライトを増やすためには、今の1千4百メートルという滑走路の長さを延長しなければならない。どれだけ延長すれば良いのかという見極めは国民福祉統括省と観光文化省が作成するパガンダラン海岸観光復興デザイン計画がベースになるため、現段階ではまだはっきりした延長計画が立てられないとのこと。ヌサウィル空港はチアミス県チジュラン郡コンダンジャジャル村(Desa Kondangjajar, Kec Cijulang, Kab Ciamis)にあり、長さ1千4百メートル幅30メートルの滑走路を持っている。空港からパガンダラン海岸まではおよそ35分の道のり。
2004年半ば頃、西ジャワ州政府とムルパティ航空が協力してバンドン〜パガンダラン航路を開設したが、乗客数が確保できなかったために2005年5月にクローズされている。


「観光客はなぜジャカルタを避けるのか?」(2006年8月3日)
パガンダラン(Pangandaran)に最大の被害をもたらしたジャワ島南岸部地震津波大災害のあと、こんどはスンダ海峡でも地震が発生してジャカルタからバンテン州一帯にかけて大きい揺れが感じられたことから、ジャワ島西端のスンダ海峡沿岸部にあるアニエル(Anyer)・チャリタ(Carita)・ラブアン(Labuan)・パニンバン(Panimbang)・タンジュンルスン(Tanjung Lesung)・スムル(Sumur)と連らなるリゾート地で行楽客が不安を感じてその地域での行楽を避けたためにホテルも観光地も客足が遠のくという事態となったのは既に報道されている通り。その後もバンテン州では「いついつ地震が起こる・あるいは津波が来る」といったデマ情報が乱れ飛んで社会不安を掻き立てていたが、地震から2週間が過ぎた今、もはやデマ情報に踊らされるひとはほとんどいなくなり、それに連れて一時閑古鳥が鳴いていた行楽地に客足が戻ってきている。先週末からアニエルやチャリタのホテルでは、満室にはほど遠いものの暫くは空っぽだった客室の稼動が再開されており、観光業界に活気が戻り始めている。ホテルの中には宿泊客誘致推進のために30〜35%の宿泊料割引を付けているところも見られる。
ところで都内行楽地の雄であるアンチョルジャカルタベイシティ(Ancol Jakarta Bay City)も、海岸行楽スポットという地の利が災いして津波不安におびえる行楽客から敬遠される事態がスンダ海峡沿岸部と同じように発生した。ジャワ島南岸部地震津波大災害後の三日間は入場客数が2割減少した、とアンチョル側は表明している。しかしその後は、「ジャカルタが地震に襲われる」「地震に襲われたらジャカルタは弱い」などといったイシューが喧伝されたものの、その三日間を過ぎてからは平常レベルに戻っているとのこと。首都圏住民がアンチョルへの行楽客のメインをなしているのは言うまでもないが、オランダ植民地時代にバタビアという東南アジア最大の商業文化都市という実績を築いたことのあるジャカルタに観光に訪れる外国人客がどうして少ないのか、という分析を7月31日に行われた都市経済と観光に関するセミナーの中で元生活環境担当国務相で現国会議員であるソニー・ケラフ(Sonny Keraf)が解説した。
それによれば、外国人観光客がジャカルタを避ける最大の原因は反マルチカルチャー主義にある、とのこと。今や世界中の都市がそれぞれに個性的な魅力で外国人観光客を引きつけているベースにはマルチカルチャー主義がある。ジャカルタには数多くの文化観光資源があるが、一方でマルチカルチャー主義に反対する集団が存在を顕示しているために観光振興のネガティブキャンペーンが生まれている。加えてジャカルタは山のように問題を抱えており、それらが外国人観光客の足をジャカルタから遠ざけている。その例として、交通渋滞、大気汚染、悪臭、騒音、犯罪、住民の観光客に対する不正直な行為あるいは迷惑や不快感を与える行動などがあげられる。その解決策として中央政府と都庁は、ホテルやモールの新規建設を制限し、交通渋滞を緩和させなければならない、とソニー議員は語る。ホテルやモールの建設は地方自治制度進展に従って地方で進められるべきものであるというのに実態はいまだに首都に集中している、と同議員は批判する。同じセミナーに出席したファウジ・ボウォ(Fauzi Bowo)首都副知事は、ジャカルタは内部腐食期に入っているのではないかと主張を述べる。ジャカルタは近隣諸国の首都に劣らない遺産を持つ魅力的な都市なのに、他の都市が観光客や投資の誘致を進めるのに成功している一方でジャカルタは足踏みをしている。これはたとえば1970年代にニューヨークが内部崩壊を起こし、連邦政府のてこ入れを受けて改善され、今のような状態になっているが、ジャカルタも同じように内部腐食による崩壊の道を歩んでいるのではないだろうか、というのが同副知事の説。


「今年の独立記念日にホテル宿泊パッケージ」
独立記念日が今年も近付いている。今年の8月17日でイ_アは独立を宣言してから61歳を迎えるので、南ジャカルタ市ラスナサイッ(Jl HR Rasuna Said)通り南にあるグランメリアホテル(Hotel Gran Melia Jakarta)が特別宿泊パッケージを用意した。名付けて61st Independence Day Package というこの企画の一部屋一泊の料金がなんと61万ルピア++。この料金にはデラックスルームでの宿泊とカフェグランフィアでの朝食が込みになっており、もし二泊以上する場合はやはりカフェグランフィアでのビュッフェ式夕食もサービスされる。ホテル滞在中に無料で利用できるファシリティもたくさんで、プールやフィットネスセンターの利用はチャージされない。フィットネスセンターには最新鋭のエクササイズ機器がそろえられ、またサウナ、スチームバス、ジャクチも完備されており、おまけに3階には220メートルのランニングコースまで用意されているので、「運動のためによそへ行く必要はまったくありません。」とホテル側は強調している。宿泊客は駐車料金がかからず、また朝は有力全国紙も無料で配達される。
今年の独立記念日は8月17日が木曜日、そしてウイークエンド明けの21日月曜日もイスラミラジの休日になっており、場合によっては5連休も不可能でない。そのため同ホテルでは、この特別パッケージを2006年8月15日から22日まで適用することにして、全428室が埋まることを期待しつつ顧客の到来を待ちわびている。[ 2006年8月 ]


「イ_ア民族を馬鹿にするなっ!」(2006年8月25日)
2006年7月18日付コンパス紙への投書"SilkAir dan Cuaca Changi"から
拝啓、編集部殿。2006年7月9日、わたしはシルクエアーでパレンバンからシンガポールへ行く予定の妻と息子一家をスルタンマフムッバダルディン?世空港に送って行きました。出発予定時間は午前8時15分でしたが、空港に着いてから空港職員の場内アナウンスによる案内があり、出発時間が13時半に延期されたことを知らされました。その理由として、飛行機はまだパレンバンに到着しておらず、シンガポールのチャンギ空港の気象条件が悪いためにシンガポールに着陸できずにバタムに降りたままだから、と言うのです。変更された出発予定時間の13時半が近付くとまた場内アナウンスで、チャンギ空港の天候がまだ回復していないために出発時間は17時まで延期されると案内されました。
わたしは空港にいるシルクエアーのスーパーバイザーに対し、チャンギ国際空港が一年中往来繁華な空港であるという事実を考えればそんな理由は理解に苦しむと言ってやりました。もし悪天候のために飛行機が着陸できないというのなら、世界中から続々とやってくる飛行機はいったいどこで待機しているのか、と。チャンギ空港は世界中から飛行機がやってくる通過ポイントになっているのです。現代の最新テクノロジーを駆使している航空技術面から考えても、多少の悪天候で飛行機が着陸できないというようなことは理解できません。理解に苦しむような理由を言って外国人がイ_ア民族を馬鹿にしているような印象を与えることはなくしてもらいたいと思います。そのような理由の真偽を空運総局は調査し、正しい情報を出すように指導してください。またパレンバン〜シンガポール間航空路に国民系航空会社を参入させてこれまでシルクエアーがあぐらをかいていた独占状況を改善して欲しいと希望します。[ パレンバン在住、アミヌディン ]


「爆発物がひそかに積み込まれる国内線」(2006年8月28日)
航空機に積み込まれる貨物の内容が正しく管理されておらず、虚偽申告された表向きだけの内容をベースに航空貨物運送活動が営まれている事実をガルーダ航空のセキュリティ管理子会社PT Garuda Global Service (以後GGSと略記)が明らかにした。GGS社はスカルノハッタ空港に6つある倉庫のひとつを運営しているPT Gapura Angkasa が指定しているセキュリティ会社で、ガプラアンカサ社は空港管理会社Angkasa Pura I とII およびガルーダ航空の三社で作った合弁会社。爆発物等の危険物がそれと認知されずまたそれに必要な対応も取られないで航空機内に積み込まれて運搬されていること、また実際はるかに重い重量を積み込んでいるのに機長は表面上の報告である軽い重量と思い込んで機体を運行させていることなど、ひとつ間違えば航空機事故の発生につながる可能性をGGSは強く懸念している。国内航空貨物の運送引き受け手続きは、荷主が貨物を用意して空港の貨物倉庫に持ち込むところから始まる。梱包された貨物はX線透視チェックで内容が確認され、さらに重量測定が行われて計量結果証憑(Bukti Timbang Barang)を添付した状態で倉庫に納められる。一方積み込み事務手続きは航空貨物状(Surat Muatan Udara)と内容申告書(pemberitahuan tentang isi)が提出され、貨物の倉庫料と航空運賃がキャッシャーで支払われたあと、その支払いレシートをもとに倉庫の貨物が引き出されて航空機内に積み込まれる。航空貨物状には貨物の重量が記載されるが、料金支払いに関連するものであるため実際の計量値よりも小さい数字が書き込まれる傾向を持っている。また危険品を送ろうとする場合、運送委託を拒否されないようにするため、そうでないと思わせるように全く無関係の物品を装って記載される傾向にある。
GSSは過去18ヶ月の間に11回、航空貨物状や内容申告書には書類や部品などと書かれているが実際には銃器や爆発物製造材料である塩化エチルだったというように実物と航空貨物状の記載とが異なっているケースを発見している。また重量についても、その18ヶ月間で申告された重量と本当の重量との違いは12万トンに上っており、航空運賃と倉庫代および7%のコンセッション収入がその過少申告で蒙った損失は6千億ルピアにのぼると見積もられている。既に数十年に渡って続けられてきたと見られるそのルーズな管理は、単に収入がごまかされているといったレベルの問題に留まらず、人間の身体生命に危険を及ぼすものでもある。昨年でも今年でも国内航空会社のいくつかは、貨物の中に銃器や塩化エチルが混じっていたことを発見している。2005年11月30日にはジャカルタ発パダン行きの機内に積み込まれようとしていた貨物の中に塩化エチル91キロが混じっていた。今年三月には、ジャカルタからパレンバンに着いた機内から積み下ろし作業がなされていた貨物のひとつが燃え上がるという事件が起きている。しかしそのフライトに申告されていた積荷の中に燃えるようなものは何一つ記載されていなかった。調査の末に明らかになったのは、貨物受付担当者が書類と報告した貨物が実際には塗料であったというものだ。塗料は危険物に属するため、その航空運送は規定で定められた特殊な梱包を行わなければならないことになっている。発見されたそれらの事実は、データ虚偽申告と銃器密輸という国内国際運送法規への違反が行われていることを示している。
違反は貨物受付段階から始まっている。物品内容をごまかしたい荷主の意向に沿って受付担当者が内容物申告の詐称に手を貸している。貨物の計量も同様で、実際の重量より小さくデータを記載している。さらにそのようにして倉庫に納められた貨物が機内に積み込まれるとき、航空貨物状などの申告書類がなくとも貨物は機内に運び込まれ、航空会社側もそれを拒否することなく通しているのが実情であるとのこと。
スカルノハッタ空港管理官もその実態を認めている。既に二ヶ月前からスカルノハッタ空港では航空貨物取り扱いを規定通りに行うよう徹底指導と監督が続けられているとのこと。運通省も申告書類なしに貨物を運ぶ航空会社に対して厳しい警告を発している。スカルノハッタ空港管理会社も社長以下この航空貨物取り扱い業務を正しいものにするために組織をあげて改善努力を続けており、対策チームを編成して実地の対応を進めている。だが実態、言い換えれば真の姿がまだ詳しいところまで把握されていないのが実情であり、現場担当レベルの面従腹背に隠された腐敗行為を白日のもとに引き出すのはいずこの組織も百%の成功を収めた実例が稀有なことから、今回の動きが抜本的な改善をもたらすまでには長い時間がかけられる必要があるにちがいない。


「バタビア時代の市街整備が始まる」(2006年8月31日)
ジャカルタの旧市街、いわゆるKota Tua Jakarta 再活性化プロジェクトの基盤となる歴史博物館周辺の道路舗装工事が8月27日から開始された。この工事は今のコンクリート道路を安山岩の石畳路に換えて自動車の交通量とスピードを抑制するのを目的にしており、歩行者により優しいエリアが形成されることを目指している。路上には10x18センチの安山岩の板が敷き詰められ、道路幅も狭められてセミ歩行者道路に作り替えられる。
このプロジェクトはピントゥブサール通り(Jl. Pintu Besar)北側からワヤン博物館前を経てカフェバタビア横までを第一期、郵便局からクニル通り(Jl.Kunir)を経て造形博物館と陶器博物館までを第二期、そして最終はカリブサール(Kali Besar)地区での工事が行われて完了する。このエリアはジャカルタ旧市街観光地区となるため、そのエリア内にある古い建物のオーナーには観光芸術活動を行うよう都庁は指導している。同時にグロドッ(Glodok)地区の繁華街のひとつであるパンチョラン通り(Jl.Pancoran)でも同様の道路舗装工事が進められ、歩行者に優しいエリアに作り替えられる予定。


「チビノンの森で植樹はいかが?」(2006年9月4日)
LIPI(インドネシア科学院)ボゴール植物園植物保存センターが全国から集めた樹種で巨大な森を作ろうと計画している。森を作る場所はボゴール県チビノンにあるLIPIチビノン科学センター内のエコロジーパークで23Haの面積を持っている。このエコパークは30Haまで広げる予定だが、今植樹できる場所は7Haしか用意されていない。全国にあるイ_ア原生の樹種をここに植えて名実共にインドネシアの森を作りたいとLIPIは考えている。
LIPIのCibinong Science Center の前身は1964年にスカルノ大統領が開所したLIPI Life Science Center だ。総面積およそ190Haという広大なエリアをグリーンゾーンにし、イ_アの植物研究のメッカにするのが今の夢である。エコパークの森にはだれでも植樹ができる。イ_ア国民であろうと外国人であろうと区別しない。植樹される苗はエコパーク側が2千本ほど用意して希望者が訪れるのを待っている。ただし実際の植樹は雨季まで待たなければならないので、早くても9月以降の実施となる。植付け場所の穴はもう掘られていて、希望者は苗を選んで手ずから植樹し、年間一木1百米ドルを納めてその木のフォスターペアレントとなる。企業やグループの場合、エコパークは1千米ドルの寄付金額を期待している。フォスターペアレントの資格は1年間で、1年過ぎればまた寄付金を納めて延長することができる。
植樹の申し込みは:
Pusat Konservasi Tumbuhan KRB-LIPI
Jl Ir H Juanda No.13, Bogor
お問い合わせは:
Sugiarti
Tel. 0251-311363, e-mail jasin@lipi.go.id
(インドネシア語でどうぞ)
フォスターペアレントになると、一年間その木の下に名前を張り出してもらえる。また御本人にはサーティフィケートが授与され、植樹者として名前が記録される。木の世話はエコパークが行うので、フォスターペアレントは何もしなくてよい。現在エコパークには8百本の木が植えられているが一般のフォスターペアレントはまだおらず、この雨季から一般参加者が植える木がどっと増えて賑わいを増すことが期待されている。


「飛ばなくても、飛行機から出たらアウト」(2006年9月15日)
2006年8月10日付コンパス紙への投書"Tinggalkan Pesawat, Tiket Hangus"から
拝啓、編集部殿。2006年7月28日、わたしは日本人の同僚と一緒にスマランへ行くため午前8時スカルノハッタ空港発のアダムエアーKI187便に乗りました。ところが離陸態勢で走り出した後、機体は滑走路の途中でストップしたのです。機内のエアコンは動きません。エアコンはいつまで経っても動かず、飛行機の扉は開かれ、そして機体は滑走路の真中でストップしたままなので、同僚はその状況をとても怖がり、乗務員に飛行機から下ろしてくれるように頼みました。するとその乗務員は軽い口調で、「飛行機から出たらその切符は無効になりますよ。」と言うのです。とても不安な状況に陥った乗客の気持ちにまるで配慮を示さないその言葉に、わたしはあきれてしまいました。
結局わたしと同僚はその飛行機から降りて、別の航空会社でスマランへ行きました。その出来事のためにスマランでの会議の予定が狂ってしまったのは言うまでもありません。整備状況があやふやな機体を使うアダムエアーは乗客の便宜に少しの配慮も示していません。たいへん遺憾なことです。乗客の安全のために関係当局はアダムエアーの飛行機が使用に適しているかどうかを調査してください。[ ジャカルタ在住、アグネス・ロルダ ]


「飛行機のチェックインはお早めに」(2006年9月21日)
2006年8月4日付コンパス紙への投書"Jadwal Loket Melapor AdamAir"から
拝啓、編集部殿。わたしども家族はバタム経由でシンガポールへ行くことにしました。2006年7月13日午前8時ジャカルタ発バタム行きのアダムエアー便は予約ステータスがOKでした。その朝、空港には午前7時に着き、まっすぐ出発ロビーのチェックインカウンターへ行きましたが、バタム行きの掲示がどのカウンターにも出ていません。職員に教えてもらってそのカウンターへ行ったところ、受付はもう閉められたことを知って驚きました。わたしどもの切符はアダムエアー担当者が空港の切符売場に持って行きました。そして戻ってくると、誰にも言わないなら追加チャージなしで次の12時発の便に乗れるようにしてあげよう、と言います。わたしたちは納得が行かず、口論になりました。その職員はわたしどものチェックインの時間が遅れたと言い張り、航空券に7時17分と書きました。ところが、わたしどもがそのカウンターに行ったときは7時10分だったのを時計で確認しています。更にその職員は、カウンターは出発時刻の45分前に閉めた、と航空券に書きました。
わたしどもが本当に遅れたのならあきらめて引き下がりますが、これはわたしどもが遅れたのでないことは明らかです。そのとき、チェックインから締め出された乗客はわたしども以外にもたくさんいました。幼児と老齢の母親を連れた婦人も同じ目にあいましたが、かれらはひとり49万ルピアの追加を払って12時の便に乗りました。
4時間も遅れたので、わたしどものスケジュールは時間のロスが出ました。飛行機の故障などといった理由であれば諦めもつきますが、わたしどものチケットを他の客に売るようなことをされては納得できるわけがありません。アダムエアー経営者はときどき現場に降りて従業員の仕事をチェックしたらどうですか?[ バンカ在住、テディ・コヤント ]


「アンチョルのルバランプログラム」
ルバラン大祭の長期休みにアンチョル・ジャカルタベイシティは特別プログラムを用意している。まず首都圏各地からアンチョルまでの足は首都圏近郊電車とタイアップして特別パッケージが用意される。ボゴール、タングラン、ブカシ方面からアンチョルまでの電車切符料金(往復)とアンチョル入場券がセットになったこのパッケージは、ボゴールからがひとり22,500ルピア、タングランとブカシからは19,500ルピア。広大なアンチョルの中は無料バスが運行しているので、自家用車で来なくても心配いらない。
パーク内ではいろいろな催し物が企画されている。10月24〜30日はパンタイフェスティバルで毎日ダンドゥッの生ステージが予定されており、首都の歌手やバンドが入れ替わり立ち代り出演する。ドゥニアファンタシでは10月24日〜11月5日の間、毎日ロシアサーカスの公演が14時と17時の2回予定されている。アトランティスウオーターアドベンチャラーでは10月25日にクリスパティとラジャ、26日にはチョクラッとエレメンが出演する。
さまざまなエンターテイメントの他にもアンチョルにはパダン、ジャワ、中華などのレストランがファーストフードとは別に完備されており、食事も行楽の一環として楽しめるようになっている。アンチョルの平日の入場者数は3万5千人で週末には5〜6万人に膨れ上がるが、アンチョル側はこのシーズンに一日7万人の入場客が訪れることを期待している。[ 2006年10月 ]


「ルバラン期に外国人観光客はイ_アを避ける」(2006年10月20日)
今年のルバラン帰省での空の足利用者は昨年から2割減だ、と旅行代理店協会会長が語った。今年は航空運賃が昨年からアップしていることや消費者の購買力が回復していないことが原因で帰省者はより廉価な鉄道やバスにシフトしており、今年の売上は昨年から20%ダウンとなりそうだとのこと。一方ルバラン期間中の海外旅行受注は好調で、販売は1万5千パッケージに達する模様。旅行先はシンガポール、中国、香港、ヨーロッパがメイン。価格は中国向けがひとり1千5百米ドル、ヨーロッパ向けはひとり2千米ドルといったレンジにあり、ルバラン期の海外旅行は一家総出で出かけるのが特徴的。反対に外国人観光客の国内受け入れについては、国内の観光地が国内観光客で混雑するため、外国人はルバラン期にイ_アへの旅行を避ける傾向がある、と同会長は述べている。


「市内観光ツアーのない街、ジャカルタ」(2006年10月27日)
世界中どこの都会でも都内・市内観光ツアーのないところはない。ところがジャカルタにはそれがない。シティツアーサービスを行う業者がだれもいない都会としてジャカルタは世界に稀な場所になってしまった。
「90年代にはさまざまな観光会社が都内観光バスツアーを用意し、フリーの個人旅行客がそれぞれそのサービスを利用していた。一台のバスがホテルからホテルを回って利用客を乗せ、スンダクラパやタマンミニ、アンチョルなどを巡ってかれらに観光ツアーを提供していた。ところがいまや都内の道路はいたるところ渋滞と混乱に満ちており、観光バスツアーを運行させるのは不可能なありさまだ。一方都庁は都内観光資源の活性化を図り、観光産業を盛り上げようとしている。であるなら、都内のバスウエーネットワークを観光バスも通れるようにし、観光客を都内あちこちの観光スポットに案内できるようにしてはどうだろうか。」イ_ア旅行会社協会首都支部役員はそのように提案している。


「ムアラジャンビ遺跡」
11月9日から18日までの間、中央ジャカルタ市南部にあるブンタラブダヤジャカルタ(Bentara Budaya Jakarta)で開催されている古代遺物が出土したジャンビ州ムアラジャンビ遺跡への一般者のアクセスは、道路の破損状況のためにたいへん困難になっている。古代ムラユ王国の遺跡であるムアラジャンビ遺跡はムアロジャンビ県マルセボ郡ムアラジャンビ村(Desa Muara Jambi Kecamatan Marosebo Kabupaten Muaro Jambi) にある。この遺跡は既に発掘が進んでいて多くのチャンディ(石造建築物)が修復されており、歴史的文化財としてたいへん価値のあるものだ。発掘されたたくさんのストゥーパも復元されて並べられている。修復された遺跡群は周辺を囲い、ゲートを作って遺跡公園の態をなしているが、ゲートも壊れたまま放置され、またそこに至る道路は波打ったり大きな穴が開いたりして通行がたいへん困難な状態になっている。
ジャンビ市からこの遺跡公園に向かう際にはバタンハリ第1橋(Jembatan Batanghari I)〜スマトラ東岸街道(lintas timur Sumatera)〜バル村(Desa Baru)〜ムアラジャンビ村(Desa Muara Jambi)というルートを経るのが最適な方法で、およそ30キロの道程に1時間かかる。特にバル村からムアラジャンビまでの4メートル幅の道路は破損がはなはだしい。遺跡公園は文化観光面で重要な観光資源だが、そこに至るまでの道路に行き先表示はほとんど無く、道路はたくさんに分岐しているために個人観光客に時間の無駄を強いる可能性が高い。別のルートはジャンビ市からクミンキン(Kemingking)に至り、船でバタンハリ川を渡るというものだが、乗り物は渡河する際に置いていかなければならず、全長25キロのこの行程はあまりお奨めとは言えない。もうひとつの方法は船外機付きボートをチャーターするもので、これでムアラジャンビ村までバタンハリ川を遡行することもできる。[ 2006年11月 ]


「マカッサルのアイランドリゾート開発」
南スラウェシ州を訪れる観光客の多くはタナトラジャ(Tana Toraja)を目的地のひとつにしている者が多い。しかし南スラウェシの表玄関であるマカッサル(Makassar)のハサヌディン(Hasanuddin)空港からタナトラジャは遠い。バスで8時間もかかれば、これは貴重な旅行日数の一日が消費されることになる。一方で、タナトラジャの方も、観光客にその面での便宜が提供できれば訪問客は増えるだろうと期待する。こうしてタナトラジャ県庁はパロポ(Palopo)県にあるルウ(Luwu)空港を拡張整備し、バリあるいはジャカルタとの間に航空路を開設する企画を発表した。ルウからタナトラジャへは1時間半で到達できる。ルウ空港改装オープンは2007年に行われる予定。
これまでマカッサルを通過ポイントとしてだけ利用していた観光客の多くは、そうなればルウ空港へ直行する可能性が高くなる。必然的にマカッサルは訪問客を失うということになる。ましてや国際空港であるハサヌディン空港は、唯一の国際航路であるシンガポール〜マカッサル航路をガルーダが廃止したために国際直行フライトがなくなっているのが現状なのだから。こうして観光客減を防ぐためにマカッサルも新たな観光資源の整備と確立が求められることになった。マカッサルに豊かな観光資源のトップはマリーン観光。スラウェシ島西部のマカッサル海峡側には120の島々があり、スペルモンデシェルフ(Spermonde Shelf)と呼ばれる比較的浅い海底に乗っている。そのうちの11島はマカッサル市に属しており、マカッサル市の観光産業充実にはもってこいのターゲットだ。海岸から一番近い島はスピードボートで15分、もっとも沖合いは4時間という距離にある。その中でカヤガン(Kayangan)島とコディガレンケケ(Kodingareng Keke)島は行楽地としてほぼ出来上がっている。リゾート、レストラン、多目的建物、遊戯施設、スポーツ施設。訪問者は水泳、魚釣り、シュノーケリング、そして白砂の浜を楽しむことができる。今現在は地元行楽客の観光目的地という趣が強い。カヤガン島の施設は恒久的なものだが、コディガレンケケ島の方はまだ暫定的な設備。サマロナ島では地元民が民宿を経営している。
マカッサル市庁はそれらの島を含めた全11島に対してアイランドリゾート企画を掲げてはいるものの、どこまで本腰が入るのかを見極めようとして島の観光開発参加を望む民間資本は待ち状態。ごく最近、ジャカルタのブロッケム(Blok M)に店を構えるPT Pasar Raya がラエラエ(Lae-Lae)島の観光開発に関して市庁と結んだ契約を解消した。それが他の民間投資家に不安な印象を与えている。[ 2006年11月 ]


「ジャカルタでウオーゲーム」(2006年12月4日)
ゴーグルで顔を覆い迷彩戦闘服に身を固めた数人がひっそりと動く。少し離れた場所に置かれているドラム缶の陰に隠れている人影を見つけた。リーダーに手まねで命じられたメンバーのひとりが狙撃銃の銃口をそちらに向ける。十分な狙いをつけて撃った弾丸はあやまたずにその人影を襲った。死んだはずの人影が叫んだ。「ヒット!」
インドネシアでもウオーゲーム愛好者は増えている。エアソフトガンから戦闘服、ベスト、ブーツ、ベルト、ホルスターなど一式を買い揃えて戦場に臨む。戦場はジャングルウオーもあればシティウオーもある。たまには遠出して大自然の中でというのもよいが、街中のビルを使うことも頻繁だ。建築中のビルが使われることもあり、既に営業しているビルが使われることもある。建築中のビルやまだ居住者がいない住宅地だと昼間遊ぶことができるが、既に営業しているビルとなると真夜中にしか使えない。エアソフトガン愛好者たちが集う組織のひとつクラブブラックオプスは、ITCファッマワティ、デルタマス住宅地、あるいはまだ建設中のショッピングセンターなどを利用している。使用許可と料金はそれらの施設管理者に交渉する。ウオーゲームはプレーヤー相互の安全を確保するためにさまざまな決まりを守らなければならない。使われる銃器は6ミリのプラスチック弾丸を圧搾空気で撃つエアソフトガンで、弾丸は秒速400フィートで飛ぶ。日本製エアソフトガンは最低でも一丁4百万ルピア。他の装備など一切合財を揃えるためにはおよそ2千万ルピアの予算が必要だ。
最近では女性のゲーム参加者も増えている。南ジャカルタ市クマン地区にあるX"Toys CQB Field ではシティウオーを遊ぶことができる。7百平米という広さのこの施設は迷路型になっていてスリルとサスペンスも倍加するという趣向。2002年から営業を開始したこの施設では、手ぶらで行っても装備をレンタルしてもらえる。施設の利用料金はひとり当たり一時間10万ルピア。もしジャングルウオーをお望みならそこのカウンターで頼めばよい。パシルプティやランチャマヤまで案内してくれるので、大自然の中で大戦争ができる。その場合の料金はひとり一時間30万ルピアとのこと。


「トランジット中に機体が流用される」(2006年12月8日)
2006年9月23日付けコンパス紙への投書"Dikecewakan Sriwijaya Air"から
拝啓、編集部殿。2006年9月13日、わたしはスリウィジャヤエアーでクパンからジャカルタへ飛びました。飛行機はスラバヤのジュアンダ空港で14時にトランジットします。待ち時間は20分で14時半にテイクオフしてジャカルタに向かうので、乗客は全員降りて待合室に入るようにとスチュワーデスが言いました。待合室で30分ほど待ったとき、機内の客室から作業員が手荷物を下ろしているのが見えました。しばらくしてから操縦士,副操縦士、乗務員たちが機内から降りてきました。そしてジャカルタへの出発は17時になるとアナウンスがあったのです。乗客のキャビン手荷物は地上に下ろされ、貨物用荷台に乗せられてボーディングゲートの外まで運ばれ、乗客はそれを自分で探して持っていくように言われたのには閉口してしまいました。大勢の乗客がそこへ集まってきて現場は混乱し、誰かが他人のものを持って行ってもわからないような状況がそこに生じたのです。たとえば乗客でない者がそこへ来て勝手に乗客のものを持って行ってもわからないような状況でした。もしそんなことが起これば誰が責任を取るのでしょうか。
スリウィジャヤエアーの一機がバリッパパンで故障したのでクパンから来たその機体はマカッサルへ乗客を運ぶのに使われることになったらしく、ジャカルタ向けの出発は19時まで延期されました。わたしははっきりしたことを確認したいと思い、何人かに聞いてまわったところ、バリッパパンからの飛行機を待たなければならないという話で、結局ジャカルタへの出発は21時になりスカルノハッタ航空への到着は22時になってしまいました。本来なら16時には到着しているはずなので、スラバヤで6時間も足止めを食わされたことになります。航空会社は、わたしたちトランジット乗客の何をされても従うほかどうしようもないという弱い立場を利用して自分の都合を押し付けているのではありませんか?わたしはそのときジュアンダ空港のチケットカウンターでほかのジャカルタ行きフライトの切符を探しましたが、すべて売切れでした。[ タングラン在住、クスナルヨ ]


「ジャカルタでもフットサル」(2006年12月21日)
空き地があれば子供たちが泥まみれになって一個のボールを蹴り合っている姿がかつてありふれたものだったジャカルタでも、空き地がなくなりあるいは不法占拠されないように塀で囲われて立ち入り禁止となった街中ではもうそんな子供たちの姿をみることもあまりない。いまや子供たちは屋外で走り回るよりも賃貸しプレイステーションやゲームボーイに熱をあげている。そんな時代だからこそフットサルが人気を集めはじめているのかもしれない。もちろんフットサルをプレイするのは子供たちでなくオフィス勤めの大人たちだ。
1930年にウルグアイのモンテビデオでホアン・カルロス・セリアニが考案した5人1チームのサッカーは今や世界中で楽しまれており、その波がジャカルタに押し寄せて来るのも時間の問題だった。しかし25x15メートルという屋内グランドを必要とするこのゲームは、ジャカルタでやっとその端緒についたというところ。ジャズ歌手レザ・アルタメビアと離婚した国会議員アジ・マサイッはAdjie Massaid Futsal Clinic を2002年に開設した。子供の頃からフットサルに親しんできたというアジはこのクリニックを中心にしてインドネシアにフットサルをプロモートしようとしている。
少人数で手軽に楽しめるフットサルは会社勤めの人々の間で広まりつつあるが、場所がまだ少ないのがつらいところ。都内クニガン地区にあるPlanet Futsal、カサブランカエリアにあるDe Futsal、クラパガディン地区のCosmo Futsalなどがいまのところブレイグランドを提供してくれている。今年8月にオープンしたDe Futsal は14.5x26メートルのコート2面を擁し、午前8時から深夜1時まで毎日営業している。学生や勤め人で賑わうのは17時から深夜までで料金は1時間20万から32.5万ルピア。Cosmo Futsal にはイギリス人コーチのジェラード・ホワイトが詰めており、ルールやプレイテクニックの指導を受けることができる。こちらはコートが4面あり、本格的設備を誇っている。ロッカー・シャワー・カフェ・レストランも完備されていて、プレイのあともゆっくり寛ぐことができる。


「航空会社の立場は強い」(2006年12月27日)
2006年10月7日付けコンパス紙への投書"Denda Sepihak Adam Air"から
拝啓、編集部殿。2006年9月14日、わたしはメダンからジャカルタに戻るため、ポロニア空港出発予定時間16時45分のアダムエアーKI0227便に乗ろうとしていました。わたしがチェックインしようとしたときは5分前にカウンターが閉められたあとであり、アダムエアー職員は明日のフライトにするかそれとも罰金28万ルピアを払って今日の便に乗るかと尋ねてきましたので、わたしはとても無念な思いを抱いて罰金を払うことにしました。そして待合室に入ったところ、なんと出発が30分延期されたではありませんか。チェックインに遅れた乗客からは罰金を取るくせに、自分が遅れてもアダムエアーは乗客に罰金を払わないのです。わたしはそんなアダムエアーの乗客に対する仕打ちにとても不愉快で損をさせられた気持ちです。
飛行機に乗ろうとしている消費者は航空会社をよく選んだ方がいいですよ。もし罰金のための十分なお金を持っていなかったらいったいどうなったことでしょう。一方、航空会社のほうはどんなにスケジュールを変更しても乗客に損害の賠償はしないのです。それではあまりにも一方的すぎませんか?アダムエアー経営者の注意を喚起したいと思います。[ タングラン在住、アビダン・シマヌンカリッ ]


「新規映画館チェーンがオープン」(2006年12月27日)
かつてインドネシア人の娯楽のナンバーワンは映画という時代があった。オランダ時代から映画館は若者たちにとって人気のある場所で、都内各町の繁華街にはたいてい映画館があった。今はくすんでしまったが往時の建物のまま映画館として営業を続けているところも少なくない。パサルバルのグドゥンクスニアン(Gedung Kesenian)でさえ一時期は映画館になっていたこともある。1987年に全国で2,306スクリーンを数えた映画ビジネスは1990年に3,048スクリーンに増加したが、1994年には2,292スクリーンに減少し、1998年には1,143スクリーンにまで縮小してしまった。今全国で営業している映画館は118軒441スクリーンで、そのうち319スクリーンがスタジオ21、122スクリーンは非スタジオ21という業界の配置になっている。そのような映画産業没落の中で業界を支えてきたのがStudio 21 であり、今はCineplex 21 と名前を変えているが、ひとり気を吐くこのチェーンだけが新着洋画の上映を進めてきたため独占という非難が常についてまわったのはあらゆる業界ジャイアントに共通の宿命。ともあれ最近まで新着映画を鑑賞するならスタジオ21とされていた常識がいま新たなライバルを迎えて崩れつつある。最近バンドンにオープンしたBlitzmegaplex がスタジオ21グループに対抗しようと乗り出してきたのだ。より広い客席により大きいスクリーン、そして上映ナンバーも洋画・国産から個人制作ものまで豊富にしかも他より安い料金で。
ブリッツメガプレックスは映画館というより総合エンターテイメントをお客に提供することを使命に掲げている。そのため館内にはバー・ビリヤード・音楽ダウンロード・キャンディバーなどが設けられ、お客を長居させようというポリシーがひしひしと感じられる。一号館はバンドンで営業を開始したが、来年はジャカルタへの進出を計画しており、都内SCBDのパシフィックに一千二百席の館を、さらにグランドインドネシアには3千2百席の館をオープンする予定にしている。