インドネシア行楽旅行情報2010〜12年


「モールが買物場所から脱皮」(2010年2月2日)
モールはいまや買物のための場所から家族連れで慰安娯楽を求めてやってくる場所に変貌しつつあり、モール運営者は家庭所得が月額5百万ルピアのB級所得層に照準を当てた誘店策に力を入れている、とコリエールズインターナショナルが報告した。その理由はミドル経済層が総所得の40%を慰安娯楽支出に当てているからであるとのこと。ちなみにB級所得層の支出用途を大きく分けると生活必需品購入に30%、非必需品購入に30%、そして慰安娯楽に40%という支出配分を行なっており、つまりは慰安娯楽の比重がもっとも大きい。
この所得層は愉しみを求めるのに積極的であり、そのために訪れる場所をたくさん必要としている。なぜなら頻繁に同じ場所を訪れるのはかれらを退屈させることになるからだ。モールの中にそのような場所があることはかれらに大きな便宜を提供することになる。行きやすいロケーションにあり、おまけに公共運送機関で容易にアクセスのできるモールはその面での必要条件を満たしており、加えて快適なショッピングも楽しめる環境が整っているため家族全員がそれぞれ愉しむことのできる場として現在最高のチョイスと位置付けられている。
最近オープンするモールは軒並みこのコンセプトを最初から用意しており、スパ・歯医者・遊園地・映画館・教室・ホテルから教会までショッピングとは無関係なさまざまな施設を建物の中に用意して消費者の来店を誘っている。
そのようなモールがあちこちにオープンしており、消費者は週末ごとにあっちのモールこっちのモールと訪問先を転々とし、貪欲に慰安娯楽の愉しみを満喫している。


「国鉄は夜行列車内の泥棒を防ぐ措置を取れ」(2010年2月10日)
2009年4月3日付けコンパス紙への投書"Keamanan di Kereta Api Bima"から
拝啓、編集部殿。去る2月18日にわたしはジャカルタガンビル駅17時発の長距離鉄道列車ビマ号でスラバヤのグブン駅に向けて出発しました。午前3時ごろふと目を覚ましたわたしは、お金と装身具を入れておいた財布がハンドバッグの中から消え去っていることに気付いて愕然としました。そのとき列車はジョクジャとソロの間を走っていたのです。
わたしはすぐにその事件を食堂車の乗務員に届け出て、鉄道保安乗務員に連絡してもらいました。2月19日にスラバヤに着いたわたしは鉄道保安職員に案内されてグブン駅鉄道事務所へ行き、この事件の届出を行ないました。そこには財布の盗難届を出すために別の婦人もやってきました。わたしはたちはグブン駅鉄道事務所のスチプトさんに届出を行い、2月19日付けの紛失届受領証明書を発行してもらいました。
翌日わたしはふたたびグブン駅鉄道事務所を訪れ、届出の進捗状況がどうなっているのかを尋ねましたが、わたしの届出を次の処理部門に渡して自分の職務は終わったからその届出に対してどのような処置が下されるのかよくわからない、というスチプトさんの返事でした。スチプトさんは受付窓口担当でしかなく、届出を受け付けて受領証明書を出し、その届出を次の担当部門に渡せば窓口担当の職務は終わるという仕組みは理解できますし、ましてや国鉄がわたしの盗難事件を特に取り上げて捜査するような余力を持っているわけでないこともよくわかります。しかしわたしは乗客のために国鉄が列車内乗務の鉄道保安職員の数を増やすなどして運転中の列車内の保安を高めてくれることを強く望んでいるのです。スチプトさんの話によれば、トゥランガ号などいくつかの列車には貴重品保管のファシリティが用意されているとのことですが、そのようなファシリティは乗客にたいへん有益なものだと思うので、わたしは他の列車にもそのファシリティを設けるよう国鉄に求めます。またそのようなファシリティが車内に設けられていれば、国鉄はそれを乗客にアナウンスすることを忘れてはなりません。[ スラバヤ在住、スナルシ ]


「ホテル経営の大黒柱は宿泊料」(2010年2月13日)
全国ホテル業界の平均客室稼働率は60%だが、収入の大黒柱はあくまでも客室利用料金いわゆる宿泊料になっている。インドネシア証券取引所に株式を上場しているホテル業界6社の2009年上半期財務報告書からは、客室料金収入がそれ以外の飲食品販売、電話使用、マッサージ・スパ、ランドリーなどによる収入を凌駕していることがわかる。上場企業6社とその客室料金収入対飲食品売上の対比は次の通り。(客室収入/F&B売上:数字は億ルピア)
PT Plaza Indonesia Realty Tbk. 703.1 / 555.5
PT Pudjiadi and sons Tbk. 493.5 / 303.3
PT Hotel Sahid Jaya Int'l Tbk. 141.6 / 157.6
PT Hotel Mandarin Regency Tbk. 56.8 / 47.7
PT Indonesian Paradise Prop'ty Tbk. 44.2 / 11.0
PT Pusako Tarinka Tbk. 22.7 / 14.7
PT Island Concepts Indonesia Tbk. 11.1 / 0.2
上の表を見ると、ホテルサヒッジャヤグループだけが客室料金収入より飲食品売上の方が大きく、それ以外は一様に客室料金収入のほうが大きい。客室稼動にかかるコストはレストランやコーヒーショップに比べて段違いに小さく、また運営も段違いに容易であるため、客室料金収入が大きいほど利益も大きくなることをジョーンズラングラサールは指摘している。
最近都市部で増加傾向にあるバジェットホテルはそんなホテル事業の採算に強く焦点を当てたもので、客室ファシリティをミニマイズしてコスト削減をはかり消費者に低料金をオファーして客室稼動を高めよう、というコンセプトが用いられている。リゾート地でない都市部の宿泊客はビジネストリップ者が多く、たとえホリデー客であってもホテル滞在より街中を巡る傾向がたいへん高いためにかれらの客室利用は寝るためというのが最大の利用方法になっている。そのような使い方に高額の支出はしたくないという消費者の合理性にフィットしている都市部のバジェットホテルは今後もますます増加するにちがいない。


「プロボリンゴでジンベエザメ観測ツアー」(2010年2月26日)
絶滅が懸念されているジンベエザメ異称ジンベイザメが毎年1〜3月に東ジャワ州プロボリンゴ(Probolinggo)海域に姿を見せることから、オーストラリアのパースに本拠を置くNPOエコオーシャンが調査員を現地に派遣している。今年もジンベエザメ数匹が海面近くに姿を見せているのをプロボリンゴの漁民たちは目にしている。
エコオーシャン調査員によれば、ジンベエザメは世界のおよそ100ヶ国の海で目撃されているが毎年姿を見せるのは10ヶ国ほどで、おまけに毎年決まった時期に出没するのはプロボリンゴだけとのこと。体長12メートル体重21トンに達するこのサメはオーストラリアのニンガルー、フィリピンのドンソル、メキシコのイラムヘーレス、モザンビーク、モルジブなどの海に毎年姿を見せるが、しかし一年のうちでいつやってくるかは年によって異なっている。ハビタットは熱帯の海であると推測されているもののそれがどこなのかはまだわからず、広大な海をプランクトンを求めて回遊しているようだ。そのためジンベエザメがやってくることは海洋環境がまだ良好なレベルに保たれていることを意味しており、ジンベエザメの出現はそのインジケータとして利用することができる。
プロボリンゴ県文化観光局長はジンベエザメ来訪を県の観光資源に利用し、プロボリンゴ市に近いブンタルビーチ(Pantai Bentar)を観測ツアーのゲートに位置付けることを考えているとの企画を表明した。地元漁民もジンベエザメの存在は大量の小魚の漁機を示すものであると理解しており、ジンベエザメに危害を加えるようなことは決して行なっていない、と局長は述べている。


「年越しのゴミ第一位は西ジャカルタ市」(2010年3月3日)
お祭りの好きなひとびとが夜っぴて遊びまくる年越しの夜に都内でウンカのような人出と激しい交通渋滞が発生するのは年中行事のひとつ。そしてゴミの中で暮らすことが習慣になっているひとびとがそんな機会に多数集合すると、路上や広場、公園から会堂までがゴミで埋まる。都合よく川があれば一部はそっちに流されるのだが、側溝だとゴミはあまり流れてくれない。
そんな年越しの夜がしらじらと明けて初日の出と最初に対面するのは地面や床を埋め尽くすゴミ・ゴミ・ゴミ。そこで都庁清掃局の新年度初仕事がはじまる。市民たちが徹夜遊びの疲れでぐっすりおやすみ中の元日の朝に、下請け清掃会社が動員したゴミ清掃人たちが年越しの夜にぎわったスポットに出動してゴミ掃除にいそしむ。2010年はなんと4千3百人の清掃員とゴミトラック735台が都内のゴミ回収に動員された。
ゴミとなって捨てられたものは食品の包装資材・飲物の空き瓶空き缶空きパック・花火の燃えカスなどがメインで、都下5市のゴミの山の大きさ比べは西ジャカルタ市に軍配が上がった。西ジャカルタ市927m3、南ジャカルタ市800m3、東ジャカルタ市750m3。ところが中央ジャカルタ市は246m3、北ジャカルタ市は216m3で、これは果たして各市住民の衛生観念レベル度の指標にできるのだろうか? 北ジャカルタ市には都下でもっとも人が集まるスポットのひとつアンチョルベイシティがある。2009年大晦日のアンチョルドリームランド入場者数は6万人超だったそうだから、ここでもきっとゴミの大山ができたにちがいない。ただ都庁清掃局は自分が取り扱わなかったそのゴミの量を統計に含めなかったのではあるまいか。西ジャカルタ市がゴミの山のトップになったのは、ジャカルタオールドシティいわゆるコタ地区のおかげだったとのこと。


「SQ機内で精神的苦痛」(2010年3月18日)
2009年6月18日付けコンパス紙への投書"Tersiksa 22 Jam di Pesawat SQ"から
拝啓、編集部殿。2009年5月21日、わたしはニューヨークのJFK空港からシンガポールに向けてシンガポール航空SQ25便で飛びました。シンガポール航空を選んだのは、これまでその航空会社のサービスに満足していたからです。ところが今回のフライトではまったく違っていました。わたしが座ったシート番号34Jは読書ランプもビデオスクリーンも壊れていてまったく使えなかったのです。おかげで22時間という長いフライトの間中、わたしは予期しない精神的苦痛を甘受しなければなりませんでした。
わたしはスチュワーデスにそれを直してほしいと頼みましたが、たいして役に立ちませんでした。おかげでニューヨークからフランクフルトまでの9時間、わたしは読書もできず、映画もビデオゲームも音楽もなにひとつ楽しめなかったのです。スチュワーデスはわたしのそんな長時間にわたる退屈さの苦痛を理解し、フランクフルトでのストップオーバーのときに技術者に言って修理してくれるだろうと期待したのですが、それは甘い希望でしかありませんでした。フランクフルトからシンガポールまでのおよそ12時間もそれまでの状態とまったく同じで、長いフライトの無聊をなぐさめてくれるはずの設備を利用することがまったくできませんでした。
客室乗務員の機内設備維持に対するアテンションは少しもなく、乗客に対して飲物やスナックのサービスだけが行なわれましたが、そんなもので長時間の退屈なフライトに読書ランプやビデオスクリーンがもたらしてくれる機能の代わりが勤まるわけがありません。
シンガポール航空は乗客に最高のサービスを提供する乗客サ−ビスにコミットした優れた航空会社であるとよく評価されています。しかしわたしが体験したことはその正反対でした。[ ジャカルタ在住、トリ・ユリアンティ ]


「世界中が無責任!?」(2010年4月5日)
2009年6月1日付けコンパス紙への投書"Petugas SQ Changi Mengecewakan"から
拝啓、編集部殿。2009年5月13日、わたしはラオスのビエンチャン空港からジャカルタへ飛びました。ビエンチャン空港で飲物をひと瓶購入し、バンコックでチェックインの際シンガポール航空職員にその品物がチャンギ空港で問題になるかどうかを、現物を見せながら尋ねたところ、問題ないという答えが返ってきました。
シンガポールのチャンギ空港で乗り換えるとき空港職員が、ビニール袋の封印が左右ぴったり閉まっていないことを理由にその持込みを禁止しました。シンガポールの規則に違反しているというのです。そのことはバンコックでシンガポール航空職員に質問し、問題ないと言われたことをわたしは主張しました。わたしはそれをバンコック発シンガポール行きSQ973便で持ってきたのです。
わたしがそれを言い張るとその空港職員は、その品物を持ち込めるかどうかシンガポール航空職員に確かめてみるようわたしに勧めました。わたしは搭乗券手続を行なっているシンガポール航空のふたりの男性職員にそれを持ち込めるかどうか尋ねると、かれらは空港職員に決めてもらってくれと言いました。わたしは空港マネージャーに面会を要求し、ふたりの女性がわたしを応接しました。かれらは品物を調べて、領収書と袋は破損していないがビニール袋の口が完全に閉まっていないと言いました。わたしはビエンチャン空港の封印設備がシンガポールほどハイクオリティでないのだと言いましたが、持ち込める条件を満たしていないのでだめだというのが結論でした。 わたしは全責任を空港職員に丸投げしたシンガポール航空職員の無責任な態度にたいへん失望しました。わたしは憤りにまかせてビンの中味をかれらの前にぶちまけてやりました。[ ジャカルタ在住、カルラ・ジューン・ネイタン ]
2009年6月3日付けコンパス紙に掲載されたシンガポール航空からの回答
拝啓、編集部殿。カルラ・ジューン・ネイタンさんからの2009年6月1日付けコンパス紙に掲載された投書についてお伝えします。弊社は顧客に損失を与えるような意図をまったく持っておりません。クリスフライヤーメンバーであるカルラさんの苦情について当方はフォローし、そのできごとを調査しました。当方はカルラさんにコンタクトして事情を説明申し上げ、問題は既に解決しています。顧客に最善のサービスを提供することは当方が最優先していることがらのひとつです。[ シンガポール航空PRマネージャー、グローリー・ヘンリエット ]


「国産映画は再起した?」(2010年4月10日)
1960年代から80年代にかけてインドネシアの映画界は一世を風靡したが、それは今のようにさまざまな娯楽が氾濫する前の時代に数少ないチョイスの中で簡便手ごろで経済的という一般庶民の大多数に訴えかける要素がもっとも強かったことのたまものだったようだ。そんな大多数庶民の期待に応えて多くの名作が、そして人気俳優が続々と輩出された。
その後さまざまな一般庶民向けの娯楽が増えて選択肢が広がり、映画の威勢がかげりはじめてそれまで独立映画館ばかりだったマーケットにネットワーク化が持ち込まれ、当時の政策を反映して大資本独占に向かう路線が敷かれて行き、それにともなって映画制作の斜陽化が進んでいった。大資本独占ネットワークがハリウッド映画の配給に密着していたことも影響を及ぼしたにちがいない。
ここ数年国産映画はヒット作も作られ、第二期黄金時代の呼び声もあがっているとはいえ、昔の黄金時代に比べれば密度は大幅に薄いように思える。
コンパス紙R&Dが2010年3月24〜26日に全国711人に対して行ったアンケート調査では、映画館へ映画を見に行く階層はマイノリティになり映画ファンも減少しているように見える、という結果が報告された。
質問1)あなたは映画を頻繁に見ますか?
回答1)ひんぱん24.6%、 ときどき58.5%、 ぜんぜん16.9%
質問2)あなたは国産映画と外国映画を選択せよと言われたら、どっちを選びますか?
回答2)インドネシア映画40.3%、外国映画35.9%、 両方17.6%
質問3)これまでに国産映画を見た場所はどこですか?
回答3)家で69.4%、映画館11.7%、両方5.8%


「シンガポールでの買物は要警戒」(2010年4月10日)
2009年7月22日付けコンパス紙への投書"Belanja di Lucky Plaza Singapura"から
拝啓、編集部殿。わたしは三日間の休日を愉しむためにシンガポールを訪れ、ラッキープラザに泊まりました。二日目は雨だったので、ラッキープラザの一階で買物しました。わたしの姉は孫の誕生日プレゼントにPSPを買うことにしており、あちこちの店を巡って価格の比較に努め、ヨータットレーディングエンタープライズで足が止まりました。8ギガメモリーカード付きアンチスクラッチPSPで、ゲームのアップデートとダウンロードをつけて270Sドルだそうです。姉はそれを買うことにしました。
ゲームのアップデートとダウンロードをするからということで店員は270Sドルの前払いを要求し、姉は300Sドルを渡してつりは商品と一緒にそれらのプロセスが終わる45分後に受取ると約束して店を離れました。時間が来てその店に戻ったとき、715Sドルという請求書を突きつけられてわたしたちはビックリしました。わたしたちと店員の間で口論がはじまります。シンガポール人の友人がその場にいたのはラッキーでした。かの女も怒って、警官を呼んだのです。
ふたりの警官がやってきましたが問題は解決せず、わたしたちは下級裁判所に告訴するよう勧められました。判決はわたしたちの側の勝ちで、店はわたしたちにお金を返すよう命じられました。せっかくシンガポールの休日を愉しもうと思ったのに、そのうちの二日間がラッキープラザのヨータットレーディングエンタープライズのインチキのために浪費されてしまいました。みなさん、あそこで買物するときはお気をつけて。[ ジャカルタ在住、マリア・エリザベス ]


「タックスリファンド」(2010年4月12日)
外国人観光客が国内で購入し、それをインドネシアで消費せず国外に持ち出す場合に、その品物を購入した際に払ったPPN(付加価値税)が還付されるというタックスリファンドシステムが2010年4月1日から始まった。このタックスリファンドはPPNに関する2008年法令第7号で実施が定められたもので、国税総局はタックスリファンド対象店8店(9ヶ所)を指定して公表した。その8店9ヶ所とは次の通り。
ジャカルタ
1)Pasaraya Blok M, 2)Sarinah Thamrin, 3)Metro Pondok Indah Mall, 4)Metro Plaza Senayan, 5)Keris Gallery Terminal 2D Bandara Soekarno-Hatta, 6)Batik Keris
バリ
1)Discovery Shopping Mall, 2)UC Silver Batubulan-Gianyar, 3)Mayang Bali Kuta Square
国税総局は毎月対象店の指定を増やしていく予定であり、タックスリファンドが利用できる店は今後もっと増える。
このタックスリファンドシステムは次のようなプロセスになる。
1)インドネシアに2年以上滞在していない外国人で、外国のパスポートを持っている者がインドネシア出国時に空港でリファンド申請を行なう。
2)国税総局の指定したタックスリファンド対象店で購入した品物だけがリファンド申請可能で、申請時にその品物を提示しなければならない。
3)購入日から2ヶ月を超えた品物のタックスリファンドはできない。
4)申請する際のミニマム購入金額は50万ルピアで、販売店の領収書がなければならない。
5)食品・飲料・タバコ製品・武器・可燃性物質・機内持ち込みが禁じられている物品はリファンド対象外
6)リファンド金額が500万ルピアまでは即時現金払い、500万ルピアを超えると銀行送金となる。
バリでは早くも利用者が続出しており、中には130万ルピアのリファンドを行った観光客がいるとのこと。PPNは販売価格の10%だから、その観光客は上の店で1千3百万ルピアの買物をしたことになる。


「グラライ空港でたいへんな目に」(2010年4月28日)
2009年8月11日付けコンパス紙への投書"Pengalaman dengan Garuda di Bandara Ngurah Rai"から
拝啓、編集部殿。2009年7月3日、わたしは大阪からバンテン州チュンカレンのスカルノハッタ空港へガルーダ航空で戻りました。ガルーダ航空GA−883便が16時35分にバリのグラライ空港に着いてから、17時55分発のジャカルタ行きGA−411便に乗り継ぐというスケジュールです。ところがさまざまなトラブルが起こりました。GA−411便は何の説明もなくキャンセルになり、乗り継ぎは17時ちょうど発のGA−409便に変更されたのです。時間の余裕がないため、わたしはGA−409便を追いかけることにしました。
大阪から国際線で到着したので、乗客はイミグレーション手続を通らなければなりません。ところが入国審査窓口に係員がひとりもいないのです。日本人がやはり何人も、入国審査をどうすればいいのかわからずうろうろしていました。周辺にいる空港職員数人に尋ねて回ったあと、イミグレ職員がやっと窓口について入国手続がはじまりました。
トランジット乗客であるわたしはGA−883便のバゲージが自動的に乗り継ぎ便に積換えられるものと思っていましたが、自分のバゲージを集めて国内線ターミナルまで持って行くように言われました。国内線ターミナルまでは相当離れているのです。GA−409便のチェックインをしようとしましたが、チェックインホールはジャカルタへ乗り継ぐ乗客であふれていました。かれらは東京・大阪・オーストラリアからジャカルタを目指してバリまで来たひとたちです。そしてバリからジャカルタへ行くひとも。
わたしには、どうして乗り継ぐひとたちがみんな再度チェックインを繰り返さなければならないのか、理解できません。もっと理解できないのは、その大勢の乗り継ぎ乗客をさばくのにチェックインカウンターが二ヶ所しか使われていないことです。そしてGA−409便の出発時刻はどんどn近付いているのです。
チェックインプロセスが緩慢で、ホール内も整然としておらずひとであふれかえっており、エアコンがなくて暑いといった様々な悪条件が重なり、乗客たちは不平をこぼします。結局わたしも他の乗客たちもGA−409便の出発時間に間に合わずに乗りそびれてしまい、次の18時発の便に乗るよう奨められました。乗客は全員、エアポートタックスの3万ルピアをまた支払わせられました。しかしわたしたちトランジット乗客は大阪で27米ドルのエアポートタックスを既に支払っているのです。[ タングラン在住、スティアワン・バスキ ]


「国内にはびこる親方メラプティ意識」(2010年4月29日)
Inna Hotel Groupと通称されている国有事業体PT Hotel Indonesia Natourは国内の12ヶ所でホテルを経営している。その中で最大の稼ぎ頭はバリのHotel Grand Bali Beachで、バリにある三軒のホテルを合算すれば同社収益の40%にのぼる。バリビーチに次ぐのはジョクジャのホテルインナガルーダだ。
スカルノ時代から国内主要都市主要観光地に大型国際ホテルを持ち、同じレベルの民間ホテルが微々たる数しかなかったことでホテルインドネシアやアンバルッモホテルをはじめとするホテルネットワークは黄金時代を築いたが、そんな時代は遠い過去のものとなっている。いまや強力な国際ホテルチェーンとの競合にしのぎをけずらなければならないという状況の変化に対応して同社経営陣は傘下ホテルの活性化プロジェクトを企画し、資金の手配もつけた。
活性化プロジェクトでは施設とサービスの改善並びに人材クオリティ向上が眼目とされているが、同社代表取締役はHRDが悩みのタネだ、と語る。「従業員2,546人の6割は過去の黄金時代の意識にどっぷり浸っており、積極的創造的に現代最先端ホテルビジネスに取り組む意欲に欠けている。時代は変わってしまっているというのに、昔からこうやってきたからそれで十分だ、と考えている。そんな労働文化が活性化プロジェクトの一番の障害になっており、その対応に苦慮している。従業員のほとんどは親方メラプティ意識から抜け出そうとせず、国営企業という大樹の木陰で安逸に毎日を過ごそうとしている。そんな状態で民間ホテル業界との熾烈な競争に勝てるわけがない。」
いまのインドネシア国内の社会情勢下に、親方メラプティ心理はまだまだ衰えそうにない。


「仏作って魂入れず」(2010年4月30日)
2009年6月1日付けコンパス紙への投書"Pemeriksaan Kesehatan di Bandara Soekarno-Hatta"から
拝啓、編集部殿。2009年5月10日、わたしは一家で海外数カ国を旅行してから帰国しました。A/H1N1インフルエンザウイルスが猛威を振るっているおりから、世界中の空港はどこも厳しい防疫態勢を敷いていました。ところがインドネシアで行なわれている防疫態勢を見てわたしはがっかりしました。
どの空港でも着陸前に機内で乗客が健康状態を申告する紙が配られますが、インドネシア入国前に配られた紙はサイズが小さく、小さい文字がプリントされ、おまけに健康状態を記入する欄もたいへん小さいのです。健康状態チェックはどの空港でも、機内から出たところ、あるいはターミナルビルに入る手前の場所で行なわれ、搭乗ブリッジに長蛇の列ができました。健康状態チェックは小さいデジタル検温器を乗客ひとりひとりの額・耳・喉に当ててチェックします。
ところがインドネシアに到着したとき、健康状態チェックは金属探知ゲートのようなものをくぐるハイテク機器が使われましたが、実に不思議なことに、それが置かれている場所はターミナルビルの中のほうにある到着時ビザ窓口の隣でした。もしH1N1罹患者がスカルノハッタ空港に降りたら、罹患していることが明らかになる前にたくさんのひとと接触するため、ウイルスが拡散してしまいます。おまけに健康状態チェック機器はトランジット乗客への進路表示の下に置かれており、ジャカルタが最終目的地であるひとたちは大多数がそちらへ向かわず、そのまま通過して行きました。
健康状態チェック機器は飛行機から降りた乗客がターミナル内であちらこちらに散らばる前に通る場所に置き、罹患者が発見されたらすぐに隔離するようにしなければなりません。関係当局は全員の安全のためにそのようなことがらに注意を払ってください。[ バンドン在住、アルベール・ルメンタ ]


「北ジャカルタ12の観光スポット」(2010年5月1日)
北ジャカルタ市が12ヶ所の観光スポットをプロモートする。北ジャカルタ市はおよそ32キロの海岸線を持ち、海と陸地という天然の恩恵にめぐまれた立地条件を生かしてジャカルタ5市の中で他に例を見ない多種多様な観光スポットを有している。その中で北ジャカルタ市が選んだ12ヶ所とは次の通り。
スンダクラパ港(Pelabuhan Sunda Kelapa)、ルアルバタンモスクと墓地(Masjid dan makam Luar Batang)、マンガドゥア卸売りセンター(Pusat Grosir Mangga Dua)、ムアラアンケ動物保護園(Taman Suaka Margasatwa Muara Angke)、ムアラアンケ漁港(Pusat Perikanan Muara Angke)、ジャヤアンチョルドリームパーク(Taman Impian Jaya Ancol)、バートラジャヤウオータースポーツ(Olahraga Air Bahtera Jaya)、タンジュンプリウッ鉄道駅(Stasiun KA Tanjung Priok)、ジャカルタイスラミックセンターモスク(Masjid Jakarta Islamic Center)、トゥグのポルトガル教会(Gereja Portugis di Tugu)、海洋博物館(Museum Bahari)、クラパガディン食道街(Pusat Kuliner Kelapa Gading)。
今回北ジャカルタ市が有力観光スポットを選抜してプロモートすることになったきっかけは2009年6月26日に都知事が沿岸地区観光開発を呼びかけたことにあり、北ジャカルタ市には全国最大のタンジュンプリウッ港やヌサンタラ保税地区(KBN)を核にするマルンダ経済特別区指定といった将来を担う経済施設があって、市の経済活性化を促進させて市民の福祉を引上げ、貧困のミニマイズをはかろうというのがその趣旨だ。そのための地域整備としてシピトゥン(Si Pitung)と名付けたエリアを指定し、官民一体となってその整備を図ろうとしている。シピトゥン地区にはアララムモスク(Masjid Al Alam)、ピトゥンの家(rumah Si Pitung)、トゥグ教会、イスラミックセンター、スンダクラパ港、VOC造船所、ムアラアンケ漁港などが含まれる。市は既にパサルイカン(Pasar Ikan)地区の整備に成功をおさめており、パサルイカン、海洋博物館、シャバンダル斜塔(Menara miring Syah Bandar)、VOC造船所などを含むその一帯にはもはや往時の無秩序な交通渋滞は見られない。
12ヶ所の観光スポットは目的別観光行楽先としてもバラエティに富んでいる。歴史遺産の旅はスンダクラパ港、ルアルバタン、タンジュンプリウッ駅、トゥグ教会、海洋博物館、宗教の旅はルアルバタン、イスラミックセンター、ポルトガル教会、家族連れ行楽先はマンガドゥア、動物保護園、アンチョル、海洋博物館、自然観光は動物保護園、海洋スポーツはアンチョルドリームパーク、ウオータースポーツ、食の楽しみはムアラアンケ漁港、アンチョル、クラパガディン、買物はマンガドゥアと盛りだくさん。さあ、あなたはどちらへ?


「一星級ホテルの連泊が増加」(2010年5月1日)
中央統計庁が毎月報告している星級ホテル別観光客宿泊日数によると、首都ジャカルタを訪れる外国人の連泊傾向は星級別に一定していない。外国人は金持で贅沢を好むから5星級豪華ホテルがお好みだろうと思うとさにあらず、2010年1月は1星級ホテルが一番繁盛した。前月と前年同月を対比してみたのが下の表で、数字は一人当たり平均宿泊日数。
星級 : 2010年1月 / 2009年12月 / 2009年1月
1星級 : 5.50 / 4.41 / 4.58
2星級 : 3.32 / 2.85 / 4.58
3星級 : 2.55 / 6.90 / 4.75
4星級 : 4.38 / 3.02 / 2.14
5星級 : 1.95 / 1.93 / 1.80
5星級ホテルはせいぜい2泊というのが平均であるようだ。2009年12月に3星級の連泊が増えたのは、クリスマス年始の長期休暇で家庭プンバントゥが帰省した外国人家庭がこのクラスのホテルに長逗留したのではないかと中央統計庁は推測している。


「ジョギングは運動の王様」(2010年5月1日)
都市生活者にとって運動はライフスタイルのひとつになっている。ジャカルタではあちこちにフィットネスセンターがあり、高額なツールを完備したハイクラスから適当なツールを集めたカンプンクラスまでさまざまだ。
都市生活者が選ぶもっとも廉くて簡便な運動はジョギングで、回答者の半分以上がジョギングをメインの運動に選んでいる。また一週間に1〜3回運動するひとは48%を占めており、中でも年金受給者と国軍軍人の運動する頻度が高いようだ。
コンパス紙R&Dが2010年4月7〜9日に全国の都市居住者713人を対象に行った運動に関する調査は次のような結果になっている。一週間にどのくらい頻繁に運動するかという問いの回答は:
1〜3回 48.1%、 毎日 20.1%、 たまに 30.0%、わからない/無回答 1.8%
性別でその頻度を比較すると次のようになる。
女性: 一週間に1〜3回 46.9%、毎日 15.0%、たまに 35.5%、わからない・無回答 2.6%
男性: 一週間に1〜3回 49.5%、毎日 26.0%、たまに 23.5%、わからない・無回答 1.0% また年齢ブラケットごとに行なわれる運動はさまざまに分かれている。(数字はパーセント)
種類 : 17〜24歳 / 25〜39歳 / 40〜59歳 / 60歳以上
ジョギング : 53.0 / 49.4 / 47.0 / 51.6
体操 : 9.4 / 16.3 / 20.5 / 16.8
サッカー・フットサル : 12.8 / 7.3 / 1.5 / 2.1
バドミントン : 4.3 / 5.2 / 6.3 / 4.2
水泳 : 6.0 / 1.7 / 1.9 / 0.0
その他 : 8.5 / 13.7 / 14.9 / 15.8
何でも : 4.3 / 2.6 / 3.4 / 2.1
わからない・無回答 : 1.7 / 3.8 / 4.5 / 7.4


「ガルーダエグゼキュティブラウンジで盗難」(2010年5月5日)
2010年2月20日付けコンパス紙への投書"Garuda Executive Lounge Tak Aman"から
拝啓、編集部殿。わたしはガルーダ航空フリクエントフライヤーのゴールド会員です。2009年12月6日、わたしは17時40分スマラン発ジャカルタ行きガルーダ航空GA245便を利用しました。チェックインしてからわたしはスマランのアフマディヤニ(Ahmad Yani)空港にあるガルーダエグゼキュティブラウンジに入りました。ラウンジの外にあるATMでお金を引き出すため、わたしはバッグを受付に預けて外に出ました。そのあとまたラウンジに戻って受付に預けたバッグを返してもらいましたが、重さは変化していないのでそのとき何の疑念も生じませんでした。
ところが、ジャカルタに到着してバッグの中のラップトップを取り出そうとしたところ、ラップトップは姿を消しており、その代わりに同じくらいの重さになるように何冊かの雑誌がそこに入っていたのです。わたしはジャカルタとスマランのガルーダ航空に苦情しましたが、満足できるフォローは行なわれていません。わたしはスマラン空港警察にもこの事件を訴えましたが、証拠も証人も十分得られないため捜査は打ち切られました。
ガルーダ航空利用者はこの種の盗難手口に警戒してください。ガルーダ航空がコミットしている顧客への優れたサービスと安全・保安の提供は飛行中だけでなく陸上でも行なわれるよう希望します。[ ドゥマッ在住、モー・ナジュムル・フダ ]


「クルーズ船来航が増加」(2010年5月8日)
インドネシアの港に寄港する客船の数は今年大幅に増加する見込みだ、と観光文化省マーケティング総局官房が語った。2009年は25隻が国内14州の港に141回寄港したが、2010年は30隻が18州の港に214回寄港することになっている。中でも日本からはクリスタルクルーズが来航していたが、今年は郵船クルーズの豪華客船も来航が予定されていると官房は述べている。郵船クルーズの大型豪華船は7百人を超える観光客が乗っており、バリ島・コモド島・カリムン島のほかにもスマラン港経由でのボロブドゥル観光をはじめとしてジャカルタ港やスラバヤ港に寄港上陸してあちこちの観光地を訪問する計画が立てられている。従来インドネシアに来航していた客船の半分以上はミドルクラスのもので、乗客は5〜6百人レベル。
客船によるクルーズツアーを利用する観光客は金持ちの高齢者がほとんどで、寄港地では6時間の滞在中にひとり平均50〜100米ドルを支出する。今年寄港が予定されている30隻の中には、アルカリアシッピングのアテナ号(乗客数556人)、コスタクルーズのコスタロマンティカ号(乗客数1,356人)、ホランドアメリカラインのアムステルダム号とフォレンダム号(乗客数それぞれ1,440人)、郵船クルーズの飛鳥II号(乗客数720人)、P&Oクルーズのパシフィックサン号(乗客数1,900人)、プリンセスクルーズのドーンプリンセス号とサンプリンセス号(乗客数それぞれ1,950人)およびダイアモンドプリンセス号(乗客数2,674人)などの大型豪華客船が混じっている。一方最も乗客数の少ない船はゼグラームエクスペディションズのクリッパーオデュッセイ号で乗客数は128人だ。
政府、中でも海からの訪問先を抱えている地方政府は、クルーズ船来航が地元経済を活性化させるとしてこの傾向を大歓迎している。


「不公平不平等は世の習い(その一)」(2010年6月1日)(2010年6月1日)
2010年3月3日付けコンパス紙への投書"Wajib Balut-Plastik di Bagasi Lion"から
拝啓、編集部殿。2010年1月27日、ある雑誌社のカメラマンであるわたしと同僚記者は午前7時ジャカルタ発スラバヤ行きライオンエアーJT570便を利用しました。いつものようにわたしはカメラ用三脚や照明器具など写真撮影機材を持っています。ターミナル入り口のX線チェックは問題なく通りました。
ところがチェックインカウンターで手続しているとサファリジャケットを着た警備員がやってきて、カメラ用三脚は危険物だからバゲージに入れることができない、と言いました。その警備員は三脚のストッパーを外して見せながら、脚が外れて鋭利な危険物となる、と主張します。わたしは、ストッパーがロックされていれば脚が外れることはないと反論しました。同僚記者も、これまで他の航空会社を利用していて三脚が問題になったことはなく、いつもストレートにバゲージに入って行った、と口ぞえしてくれました。
するとその警備員は、三脚をフィルム包装するように、と言い出したのです。空港にはその有料サービスが確かにあります。警備員は声のトーンを上げて、フィルム包装されなければその三脚は機内バゲージに入れられない、と強要しました。三脚だけでなくボール箱の荷物も全部同じ扱いだ、と言ったのです。ライオンエアーのチェックインカウンター職員に尋ねると、職員はこう言ったのです。「お好きなように。ラッピングされなければどうせまたカウンターの前に戻されるでしょうね。」
飛行機の出発時間が近付いていたため、わたしは仕方なくかれらが命じるフィルム包装を行い3万ルピアを支払いました。チェックインカウンターに戻って荷物をバゲージに入れる手続を行なっているとき、ほかの乗客が持ち込むボール箱がフィルム包装など何もなしにどんどんバゲージに入れられていたのです。[ ジャカルタ在住、デルリノ ]


「学年末休みの計画は?」(2010年6月5日)
学年末休みも間近。学齢の子供を持つ家庭はこの機会に特別な家族サービスを考えているところが多い。今年の予定はどうだろうか?コンパス紙R&Dが5月19〜20日に行った全国753人を対象にした調査で次のような結果が得られた。
質問1) 学年末休みにどんなことを計画していますか?
回答1) 別の町に住んでいる親戚を訪れて観光する 33.1%
      市内で行楽 20.5%
      家で趣味三昧 17.8%
      海外旅行 1.1%
      まだ未計画 16.9%
      普段どおり 10.6%
質問2) 学年末休みのために特別予算を計画していますか? 
回答2) ある 29.2%
      ない 55.2%
      状況次第で用意する 13.7%
      無回答 1.9%
質問3) 予算はいくらですか? (回答者220人)
回答3) 50万ルピア未満 29.5%
      50〜100万ルピア 25.0%
     100〜200万ルピア 19.1%
     200〜300万ルピア 7.7%
     300〜500万ルピア 10.2%
     500万ルピア超 8.2%


「5星級ホテルにも泥棒」(2010年6月5日)
2010年4月13日付けコンパス紙への投書"Kehilangan di Kamar Hotel Sultan"から 拝啓、編集部殿。安全さと快適さを求めてわたしは年に何回もマレーシアからの客人をジャカルタのホテルスルタンに泊めています。いつもたいてい四つ以上の部屋を取っています。
ところがその5星級ホテルの安全と快適への期待は裏切られてしまいました。2010年1月18日、わたしの客人がホテルの712号室で、未明に寝込んでいるとき携帯電話を盗まれたのです。午前4時半ごろ、その客人は携帯電話のひとつからアザンの声を聞いています。午前5時半ごろ目を覚ましたとき、部屋のドアが開いており、机の上に置いた携帯電話が2個ともなくなっているのに気がつきました。
ホテルマネージャーのひとりは、館内の保安は十分に保たれていると言い、客室に外部者が入ることは不可能だとまで言いました。わたしの客人は携帯電話2個ばかりか、インドネシア滞在中にコンタクトする人たちの電話番号までが失われるという大きな被害を蒙ったのです。[ ボゴール在住、ユリアン・スサンティ ]


「6月はジャカルタ創設記念祝賀」(2010年6月8日)
首都ジャカルタ創設記念のお祝いでジャカルタがさまざまな催し物で賑わうのは例年のこと。ことしも6月22日の483周年創設記念日を中心に一ヶ月間の祝賀が始まった。都庁は今年、その祝賀プログラムとして73件の催し物を用意している。その中には都内10キロランやチリウン川清掃奉仕、都庁職員のブタウィ盛装日、パンガン島−プラムカ島遠泳、スリブ諸島海洋祭り、1千カップル合同結婚式などが含まれているとのこと。


「アンチョルに死海プールがオープン」(2010年6月12日)
死海の水にヒントを得た沈まないプールKolam Apungが2010年6月6日北ジャカルタ市アンチョルドリームパークにオープンした。海水の塩分濃度24ppmより10倍濃い240ppmのコラムアプンで入場客は死海ツアーの雰囲気に浸ることができる。
コラムアプンは2006年から開発が着手され、ついに真水に適正量のミネラルと塩を配合した沈まないプールとして実現した。このプールの利用者は必ず水着を着用した上ゴーグルと耳栓を用いなければならず、水に浸かる時間は15〜20分間で、水からあがったらきれいな水で身体についたプールの水を洗い流さなければならない。 プールの水の衛生管理は、これほどの高塩分濃度で生きていられる有機体はないため化学薬品を使った消毒は必要なく、外から入ってくるチリやゴミの除去と塩分濃度の維持管理がメンテナンスの主流になる、とコラムアプン管理者は述べている。今コラムアプンの水は真水に大量の塩を混ぜて作られているが、アンチョルドリームパークは将来的に海水から逆浸透膜原理で淡水化した水を園内で使用する構想を立てており、その構想が実現した暁にはコラムアプンの水もそこから供給されるようになるとのこと。
コラムアプンはアンチョルドリームパークのアトランティスウオーターアドベンチャー施設の中に5百平米の広さを持つ最新鋭施設として誕生したもので、アトランティスウオーターアドベンチャー入場者は無料で利用することができる。


「ドゥファンに新たな興奮を呼ぶヒステリア」(2010年6月19日)
学年末休暇の入場客誘致の目玉として、北ジャカルタ市アンチョルドリームパークのドゥニアファンタシ、通称ドゥファンに新しい乗り物がオープンした。2010年6月12日にオープンしたヒステリアという名前の乗り物に乗ると、60メートルの高さまで一気に引き上げてくれる。そのとき4Gの荷重がかかって利用者は興奮の坩堝に投げ込まれるという寸法。上がったら後は降りるだけで、きわめて緩慢でスムースに下降するためまるで空中に浮いているような感覚に襲われる。その間にジャカルタの海岸と海の遠望を思う存分楽しめるという趣向。
この乗り物はアメリカ製で12の座席が備えられ、一回の作動は1分に満たないので1時間に5百人がそれを楽しむことができる。ドゥニアファンタシ側は、4百億ルピアを投じて学年末休暇時に導入したこの乗り物でこのシーズンの入場客数320万人達成を目指している。2009年の実績は280万人だった。学年末休暇期間は7月14日を最終日としており、その間の入場料はひとり15万ルピア、開場時間は午前11時から夜8時(20時)までとなっている。


「鉄道ヘリテッジ観光」(2010年7月3日)
インドネシア国有鉄道にとって、中部ジャワ州スマランはその礎を築いた重要な場所だ。インドネシアで最初にオランダ植民地政庁が公共輸送のために鉄道線路を敷いたのはジャワ島だが、バタビアではなかった。スマラン市とタングン村を結ぶ26キロの線路が国鉄事業のさきがけとなった由緒ある路線だ。1864年6月17日に蘭領東インド総督が鍬入れ式を行い、1867年8月10日に公共の用に供する初の列車運行が開始された。その運行と保線活動の管理は民間会社Naamlooze Venootschap Nederlandsch Indische Spoorweg Maatschappij (NV NISM)が行い、1904年に同社はスマラン市中心部に本社ビルの建設を開始して1907年に完成させた。そのビルがLawang Sewu(pintu seribu)と呼ばれる建築文化遺産で、インドネシア国鉄の管理資産になっている。そのビルに扉は1千もなく、たくさんある大きな窓が特徴のそのビルをスマランっ子たちは扉にたとえてそう命名したようだ。
そんな歴史があるため、汽車博物館もアンバラワ(Ambarawa)に置かれている。国鉄は旅客・貨物鉄道輸送という事業の本筋とは別に、鉄道にからむ歴史観光事業を行っている。ラワンセウビル観光ツアーもあれば、アンバラワ汽車博物館ツアーもあり、そして昔懐かしい蒸気機関車が引く列車の旅という企画もある。中でもロコツアー愛好者向けの企画は三ヶ所で行なわれており、次のような内容になっている。
アンバラワ線: アンバラワ〜ブドノ(Bedono)9キロ区間、料金2万5千ルピア、1902年ドイツ製機関車B25 02とB25 03に引かれたアプト式客車 マッキタム(Mak Itam)線: 西スマトラ州サワルント(Sawahlunto)〜ムアラカラバン(Muara Kalaban)9キロ区間、料金5万ルピア、1966年ドイツ製機関車E10 60 ジャラダラ(Jaladara)線: プルウォサリ(Purwosari)〜ソロ市内(Solo Kota)6キロ区間、料金10万ルピア、1896年ドイツ製機関車C12 18
国鉄はラワンセウビルの改修工事に28億ルピアを費やしたし、上の三路線を走る列車のメンテナンスに年間3億ルピアの予算をかけている。そしてこの観光事業ではなんと108億ルピアの収入が上がっているというから、インドネシア国鉄の採算性はなかなか大したものと言えるだろう。国鉄は鉄道ヘリテッジ観光事業の紹介と普及のためにインターネットサイトを用意した。www.indonesianheritagerailway.comは臨場感あふれる楽しいサイトになっている。これを見ればきっと、蒸気機関車の旅に出てみようという気になるかもしれない。


「3Dスクリーン映画館が増加する」(2010年7月3日)
バンドンベースの映画館チェーン、ブリッツメガプレックスは2009年に350万人の観客動員記録を作った。同社は現在バンドンとジャカルタに6ヶ所の映画館をオープンしているが、一週間に平均2万人を集客し、週末には一館平均で4〜5千人の観客が訪れている。
映画館ビジネスは別の映画館との競争もさることながら、DVDやテレビも大きい競争相手になっている。特に海賊版DVDが廉価に出回っているため、インドネシアの合法ビジネスは例によって厳しい立場に立たされている。
同社は今年11月にブカシに1館新設オープンを予定しており、また1〜2年以内にはスラバヤへの進出も計画している。更に現在人気急上昇中の3Dスクリーンをこれまでグランドインドネシア館にのみ設けていたが、他館にも増やしていく方針にしている。


「学校休みで空の足は盛況」(2010年7月5日)
インドネシアでラマダン〜ルバランに次いで第二のセールスシーズンとなる学年末休み〜入学・進級のこの時期、小売業界は売上倍増を狙って営業戦略に余念がない。ラマダン〜ルバランは毎年時期が移動するが、学校の活動日程は固定的だから、こちらのセールスシーズンは毎年同じ時期にやってくる。
学校生活から解放されて精神的負担の軽くなった子供たちにヘピヘピな人生と将来のための体験を培おうと考える親たちは、この時期にしか実現させることのむつかしい大型家族旅行を実行する。
学年末休みに入って以来、ジャカルタとメダン・スラバヤ・デンパサル・マナド・ジョクジャを結ぶ航空路は平常期に比べて航空券販売が6割増しになっており、旅客空運オペレータはホクホク顔。エコノミークラスの座席は学年末休暇前に売切れており、残っているのは非ローコストキャリヤー(LCC)航空会社の高い座席のチケットだけ。業界者のひとりはこの盛況について、ハイシーズン料金値上がりがあまり顕著に起こっていないこと、長期休暇で日程選択の自由度が高いこと、そして国民にとって空の足がきわめて日常的なものになったことなどのためだろう、と分析している。 国際線についても、シンガポール・クアラルンプル・香港など事前のビザ取得なしに観光入国できる訪問先は航空券販売が目立って増えているものの、ヨーロッパやアメリカなどビザを得なければ出発できない国向けは従来とほとんど変化していないそうだ。
マンダラ航空広報担当者は、学年末休みに入る前にジョクジャ・スマラン・スラバヤ・デンパサル・バリッパパン・プカンバル・バンジャルマシンの7ルートは予約率が平均で85%に達し、人気の高い目的地は90%を超えたところもある、と語る。昨年のこのシーズンは平均ロードファクタ−が92%だったことから、今年は94%にアップするだろうと同社は予測している。追加フライトを飛ばすことはまだ決めておらず、予約状況を見ながら決めていく方針であるとのこと。


「毎日9千人が訪れたボゴール宮殿」(2010年7月6日)
ボゴール植物園に隣接しているボゴール宮殿の今年の一般開放は幕を閉じたが、来訪者はなんと6万5千人にのぼる盛況となった。今年で528歳を迎えたボゴール市創設を記念して毎年行なわれているこの一般開放は今年は6月14〜17日と6月21〜23日の7日間で、特に23日の最終日は午前7時から入場者が長蛇の列をなし、この日だけで1万2千人が手入れの行き届いた宮殿内の華麗な雰囲気を堪能し、またインドネシアの歴史をあまねく刻んだ邸内にたたずんで歴史的な過去に思いをはせた。ボゴール宮殿所蔵の絵画彫刻写真などは敷地内建物郡のひとつアート展示館に陳列されており、訪問者はそれらの芸術作品をも鑑賞することができた。2009年の一般開放訪問者は4万6千人で、今年はその5割増近い盛況になったことを主催者側は驚いている。


「ジョクジャでホテル料金値上げ」(2010年7月17日)
2010年7月1日からの電力基本料金値上げに応じて、ジョクジャのホテル業界は宿泊料金を10〜20%引き上げた。ジョクジャの星級ホテルは38軒、ジャスミン級ホテルは1,100軒で総客室数は4千室にのぼる。電力料金値上がりはジャスミン級ホテルに大打撃を与えるものであり、ジャスミン級ホテルの客室料金値上げ率は星級よりも大きい。ジャスミン級ホテルではオペレーションコストが総経費の6割を占めている。


「フライト予約を内部者が勝手にいじくっている?!」(2010年7月19日)
2010年5月19日付けコンパス紙への投書"Tiket Garuda Dibatalkan Sepihak"から 拝啓、編集部殿。2010年4月25日、わたしは国際線ビジネスクラスの航空券を買いました。21時に空港でチェックインしたところ、わたしの予約が何者かによって取り消されていたのです。わたしがキャンセルしたのではありません。
わたしはガルーダ航空でこのようなことをかなり頻繁に体験しています。その前は、やはりおかしなことを何回も経験しました。わたしの名前で予約を入れると航空券料金は高いのに、他のひとの名前で予約すると料金が廉くなるのです。これは何かわけがあるのでしょうか?
わたしはこれまでも国内線国際線でガルーダ航空を頻繁に利用しています。わたしは会員番号122303786のGFFメンバーです。乗客の快適さを優先するというガルーダ航空のスローガンが売り宣伝でしかなかったのは遺憾です。料金は高いのにサービスは低級エアライン並み。ガルーダは快適さを優先しますというさまざまなメディアでの宣伝スローガンと実態とは大違いです。
ガルーダ航空を利用するひとは気をつけましょう。既にOKが出されている乗客の予約がいとも簡単に第三者の干渉を受けるのですから。[ ジャカルタ在住、ウエニー ]


「身勝手なキャンセルじゃないのだから・・・・」(2010年8月9日)
2010年6月15日付けコンパス紙への投書"Kondisi Hamil, Tur Batal"から
拝啓、編集部殿。2010年5月6日、わたしはトラファルガーが催行しているヨーロッパパッケージツアーの申込みと前金の支払いを、その代理店になっているジャカルタのパネンツアープルマタ銀行タワー支店で行ないました。ところがその数日後、妻が妊娠したことが判明し、申し込んだばかりのわたしと妻のパッケージツアーを取り消すことに決めました。
わたしがパネンツアーに取消を申し出たところ、トラファルガーのツアー条件に従って前金の30%がキャンセル料になるとパネンツアー側が言うではありませんか。その旅行催行条件を仔細にチェックしましたが、わたしのようなケースにあてはまる条項はどこにも書かれていません。前金の30%徴収は明確な理由なくツアーを一方的に取り消したひとに対するものなのです。パネンツアーはわたしに医師の診断書を提出するよう求め、わたしはそれに応じて5月17日にそれをパネンツアーに渡しました。
5月26日、パネンツアーがわたしにコンタクトしてきて、前金の払い戻し分としておよそ30%程度の金額を連絡してきました。つまり旅行催行者側がわたしの前金から差し引いたのは30%どころではなかったわけです。旅行したくてもできない状態のわたしに対してなされるべからざる仕打ちをしたパネンツアーに顧客としてわたしは心底失望しました。わたしのお金は全額戻ってこなかったのです。[ ジャカルタ在住、パルトグ・トルアン ]
2010年6月28日付けコンパス紙に掲載されたパネンツアーからの回答
拝啓、編集部殿。2010年6月15日付けコンパス紙に掲載されたパルトグ・トルアンさんからの投書について、次の通り回答します。パネンツアーはヨーロッパへの観光商品を販売しているトラファルガーツアーのインドネシアにおける一代理店でしかありません。パルトグさんは5月28日出発の8日間ヨーロッパツアーの申込みを5月4日になさいました。当方は5月6日にパルトグさんにコンタクトし、その後12日になって先に申し込まれたツアーの取消をパルトグさんが申し出られました。トラファルガーの旅行催行条件に記載されているキャンセル規準に従って、パルトグさんはツアー料金の30%が取消料として請求されるのです。
パネンツアーはヨーロッパのトラファルガーが定めてマニュアルに記載している業務規準に従って顧客へのサービスを行なっています。そのことはパルトグさんも、ツアー申込みの前に理解されています。当方はそのキャンセルに伴ってパルトグさんにチャージが課されないよう最大限の努力を払いました。しかし決定権は旅行催行者であるトラファルガーが握っているのです。
パネンツアーはトラファルガーが返却してきた金額を、その取消で当方が抱えたリスクを省みることなくそっくりそのままパルトグさんに返金しました。そのことは5月27日にパルトグさんが受取った取消費用明細の中で確認することができます。[ PTパネンツアープルマタ銀行支店マネージャー、ジョニー・ムリヤディ ]


「サリナがバンドンにホテル建設」(2010年8月21日)
ジャカルタの都心、タムリン通りにデパートを持っているPTサリナは通商と小売セクターの国有事業体だが、サイドラインにホテルも持っている。このホテル所有は40年前から続けられているとのこと。サリナは全国のあちこちに不動産を持っており、バンドンのブラガ通りにも土地を持って店舗を開設していたが、業績が芳しくないため閉店してしまった。
しかし土地を遊ばせておくのはもったいないわけで、何に使おうかということを検討し、コンサルタントを雇ってリサーチをかけたところ、出てきたリコメンデーションはホテル業。しかも5星級でなく3〜4星級のブティックホテルが推薦されていた。それに従ってサリナはその2千平米の土地に7〜8階建てのホテルを建設する基本計画を作ったがホテル運営パートナーがまだ得られておらず、そのためホテルの名称すらまだ決まっていない。バンドンは既に客室数が需要に対して過剰気味になっているものの、サリナ側は十分やっていける、と自信のほどをちらつかせている。計画では、客室料金は一泊50万ルピアから。
PTサリナは不動産部門を持ちホテルを既に一軒持っているとはいえ、同社のメインビジネスは小売業であり、総収入の半分は小売事業から得ている。年間総収入は2千億ルピア弱で、純利は90〜100億ルピアのレベル。
同社のトレーディング事業の中でアルコール飲料輸入はこれまで他のライセンス取得企業が輸入活動を行わないために独占状態にあった。しかし最近は民間輸入会社のライセンス取得が盛んになったことから、サリナのビジネス量は低下している。
そんな状況下に小売事業の国外進出の話がいくつか同社に舞い込んでいる。そのひとつはサウジアラビアのビジネスパートナーからの勧誘で、メッカのザムザムタワーに空きスペースがあるので、アミナという屋号でインドネシアの物産を小売販売する店をオープンしてはどうかという誘い。もうひとつはイギリスのデパート「ハロッズ」への出店。サリナ側はその双方に大いに乗り気であり、それらを実現させる方向で動きを進めている。


「アンチョルへはバスウエーで行こう」(2010年9月25日)
2010年9月18日から北ジャカルタ市のアンチョルドリームパークは公共運送機関を利用した入場客に入場割引を与えている。トランスジャカルタバスを利用したひとはメインゲートで入場券を買う際に通常ひとり1万3千ルピアが、トランスジャカルタバスの切符を示すことで3割引の9千5百ルピアになる。
近郊電車乗客も切符を示せばひとり7千5百ルピアになるが、国鉄のボゴール〜アンチョル行楽電車の運行は不定期なため、いつ電車でアンチョルに来ることができるのかはっきりしない。ルバラン休暇中の運行でさえ毎日は行なわれておらず、9月11・12・13・18・19日に運行があっただけ。
アンチョルに来る行楽客にできるだけ自家用車を使わないように勧める一環としてそれらの割引が行なわれているのだが、パーク内での移動も公共の乗り物が完備されなければ片手落ちになる。もし入場客が盛んに利用してくれるのなら、5分置きにパーク内周遊バスを走らせる計画が立てられており、運営者はまず少ない台数を走らせて様子を見ることにしている。加えて土日はすべての海岸線でカーフリーデイを実施する計画で、自家用車入場客は5千台収容できるエコパーク駐車場と4千台が駐車できるパンタイカルナヴァルに導かれる。


「ジャカルタの星空はもうここでしか見られない」(2010年10月9日)
インドネシア人最初の西洋画家ラデン・サレがバタビアの広大な自邸の一部を動物園にして庶民に開放したのは1864年のこと。ラデン・サレが住んだバタビアの邸宅はいまのチキニ病院一帯で、病院表通りにその名がつけられてかれの名声を今日に伝えている。
ラデン・サレが設けた動物園は1960年代に南ジャカルタのラグナンに移され、チキニの動物園跡地は都庁がアートセンターに変えてさまざまな芸術活動の総本山となり、首都ジャカルタの芸術振興に大きく貢献した。ジャカルタ芸術アカデミーも、タマンイスマイルマルズキ通称TIMと命名されたその場所の中にある。TIMには数種類のステージホールや映画館と並んでプラネタリウムがある。TIMのプラネタリウムは1969年3月1日に公式オープンした。
プラネタリウム内では、中央に置かれた投影機をぐるりと330の座席が取り巻き、ドーム天井にジャカルタの星空を映し出してくれる。今ではもう、その星空を肉眼で見ることのできる場所はジャカルタに残されていないだろう。
星空の上映は45分間で、平日は16時半からの一日一回だけ。しかし入場希望者が定員をはるかに超える場合は臨時上映も行なわれる。土日休日の場合は午前10時・11時半・13時・14時半が上映スケジュール。しかし平日でも100人以上で申し込めばチャーター上映を受け付けてもらえる。入場料金は11歳までが3千5百ルピア、12歳以上だと7千ルピアとなっている。ジャカルタの夜空を満喫できるお値段として、これは格安と言えるだろう。


「近隣諸国で高人気のインドネシア」(2010年10月29日)
シンガポール・マレーシア・オーストラリアの海外旅行愛好者たちはこの先2年間インドネシアを旅行先筆頭候補地のひとつだと考えており、その理由として、新しい観光地の出現・美しい自然の景観・費用がかさまないこと、などがあげられている。
クレジットカードのVISAとパシフィックエイシアトラベルアソシエーション(PATA)がアジア太平洋海外旅行マーケット13地区の6,174人に対して行なったアジア太平洋旅行意識サーベイ2010の調査結果では、インドネシアが観光訪問先としてそれら三カ国で人気が高いこと、また過去2年間にインドネシアを訪れたひとの59%は、食事がうまい・ショッピングが廉く楽しめる・旅行費用が手ごろ、などの理由でインドネシアへの再訪を望んでいることが明らかになった。インドネシア旅行の予算はひとり1千5百米ドル超とのこと。
2010年5月のインドネシア訪問外国人観光客に対するニールセン調査でも、ユニークな伝統文化と文化の融合そして世界でも指折りの素晴らしいビーチという点に高い評価が集まっている。VISAはインドネシアへの観光客誘致振興としてVISA SignatureとVISA Infiniteのカードオーナーに星級40ホテルでのメリットを満載したVISA Luxury Hotel Collectionをオファーしている。
この調査結果に意を強くした政府文化観光省は、2010年の目標観光客数700万人を実現するために更に観光客誘致に力を入れる構え。2009年実績の650万人から8%ほどアップした今年の目標では観光外貨収入67.5億ドルというそろばんがはじかれている。しかし政府が今年力を入れている国内10観光先州のプロモーションについて業界者は時期尚早ではないか、と批判の目を向ける。その10観光先州とはリアウ島嶼州・北スマトラ・西スマトラ・南スマトラ・東カリマンタン・北スラウェシ・南スラウェシ・西ヌサトゥンガラ・東ヌサトゥンガラ・西パプアで、それぞれに売り出し中の人気観光地はあるものの、インフラ整備や体系的に関連を持たせた幅広な観光資源掘り起こしなどがほとんど進んでいない段階でのフォーカス化だけに、それらを進めた上での観光客誘致振興がなされるのが正道だろう、と旅行代理店協会会長は述べている。


「バンカ島で観光プロモーション」(2010年11月13日)
政府が指定した10大観光先州のひとつバンカ島のプロモーションツアーをホテルサンティカとガルーダ航空そして旅行代理店ベラウィサタの三社が組んで実施した。バンカ島にある観光訪問先に取り上げられてのは、バンカ植物園・ギリマヤゴルフ場・アフカルピューター・中国寺院クワンミー廟・パシルパディのクルプッ工場・マトラス海岸・聖母マリア洞窟など。
サンティカホテルは2009年12月にバンカ島にオープンしたばかり。ガルーダ航空は2009年6月1日からバンカ島線の就航を再開している。


「観光客船がもたらす好景気」(2010年11月26日)
シンガポールの観光客船コスタロマンティカ号が2010年11月10日午前8時にマカッサル港に到着した。乗客はドイツ・イタリア・イギリス・ロシア・オランダ・フランス・アメリカ・日本などの観光客2千人で、10時間という短い寄港時間の中で南スラウェシ州の観光を思い思いに楽しんだ。
観光客のための両替に地元マネーチェンジャーが10億ルピアの現金を用意したが、乗船客はそれぞれ50ユーロから100米ドルほどの両替を行なったためにルピア現金が足りなくなり、もう5億ルピア追加して10時間で15億ルピアの外貨交換が行なわれた。
乗船客が訪れた有名な観光地は、蝶の楽園として世界に名を馳せているマカッサルから50キロ離れたマロス県のバンティムルンやゴワ県の王家の墓地などで、また一部の人たちはマカッサル市内で食事や買物を楽しんでいた。
滞在はわずか10時間だったが、その経済効果は抜群のものがあり、この日マカッサルの観光セクターは活況に沸いた。コスタロマンティカ号はそのあとコモド島とバリを訪れたあとジャカルタに向かい、11月14日にシンガポールに帰着。マカッサル市民たちは船の再訪を心待ちにしている。


「人気高のシンガポールメディカルトリップ」(2010年12月1日)
シンガポールの医療業界にとってインドネシアは下にも置けない大市場。外国患者に対する医療サービスを行っている病院のマジョリティ顧客はたいていインドネシア人が占めている。インドネシア人顧客の求める診療治療内容は、シンプルなヘルニア・割礼・出産・定期健診・病気コンサルティングなどから複雑な消化器系・神経系・ストローク・癌そして手術の必要なものまで多彩。
シンガポールまで治療に来る理由を多くのインドネシア人は、患者と家族へのサービスクオリティが優れているから、と説明する。特に家族に対して病状や処置あるいは事後の対応などに関する説明を通訳を通して行なう態勢が整えられており、患者の家族は大きな安心感をそこで得ることが出来る。ましてやシンガポールの食べ物はインドネシアの延長線上にあるということで、付き添ってきた家族はシンガポールでの滞在を満喫して帰国し、「機会があればまた・・・・」ということになる。またシンガポールでの医療費はマレーシアやタイに比べて廉価であると一般に見られており、欧米諸国へ行くよりもシンガポールで事が済むなら、という考えを多くのインドネシア人が持っている。
シンガポールの外国人受入医療機関のひとつであるパークウエイヘルスサービスは、マウントエリザベス病院、グレンイーグルス病院、パークウエイイースト病院を擁し、その三病院で毎日平均37人のインドネシア人患者を受け付けている。患者の2009年一人当たり平均入院日数は3.7日、支払額は6,500シンガポールドルとのこと。もちろんこの病院に来る患者はシンガポール人が7割を占め、外国人は3割の82,387人なのだが、その3割の60%がインドネシア人である由。


「ホテルボロブドゥル宿泊特別オファー」(2010年12月11日)
中央ジャカルタ市バンテン広場(Lapangan Banteng)に面した由緒あるホテルボロブドゥル(Hotel Borobudur)が年末年始の宿泊スペシャルパッケージをオファーしている。対象はインドネシア国民とKITAS保有外国人だけ。
このプロモは2010年12月17日から2011年1月16日までの期間限定で、2010年12月31日と2011年1月1日だけは別料金になる。パッケージ料金には一室一泊の宿泊料金と朝食が含まれており、料金が適用されるのは大人ふたりと8歳未満の子供ひとりまで。料金は次のようになっている。
ウイークデー: Superior Room Rp. 988,000- net, Executive Room Rp. 1,200,000- net ウイークエンド: Superior Room Rp. 850,000- net, Executive Room Rp. 1,100,000- net
2010年12月31日と2011年1月1日のニューイヤーイブパッケージ料金は次の通り。
Superior Room Rp. 1,088,000-, Executive Room Rp. 1,388,000-
こちらはタックスとサービスチャージが別途上乗せされる。
予約は電話(021)380444、3835000 ext.74007-13 あるいはEメール reservation@hotelborobudur.comへどうぞ。


「団体ツアーの単独行動は罰金100ドル」(2010年12月20日)
2010年10月9日付けコンパス紙への投書"Denda Peserta WITA Tour"から
拝啓、編集部殿。わたしはWITAツアーが企画した9月9日出発のビューティフルコリアツアーに参加しました。6日目のツアー日程は朝鮮人参販売店・装身具販売店・免税店等々への訪問になっていたのであまり興味が湧かず、夕方にホテルに戻るのでグループから離れて単独行動したいと申し出ました。
ツアーガイドは最初それを了承しました。ところがそのあとで、定められたスケジュールに従わない場合、ツアー参加者は地元旅行会社とWITAツアーへの罰金としてひとり100米ドルを払わなければならないと言い出しました。何年も前から様々な旅行社が企画するツアーを利用してきたわたしがこんな罰金の規定にお目にかかったのははじめてのことです。
ツアーガイドは、ツアー参加者がWITA本社でツアー参加申込みを行なった際の参加条件の中にある、と確信を持って断言します。わたしはそんな規定を読んだことがありません。ともあれ、ジャカルタとソウルの時差のためにジャカルタのWITA本社にその確認を取ることができなかったので、結局わたしは仕方なくグループと行動を共にしました。ソウルで訪れたいと思っていたあれこれの場所へ行くチャンスに恵まれず、わたしども一家はたいへん残念な気持ちで帰国しました。WITAツアーはジャカルタの大手旅行会社のひとつであり、ビューティフルコリアツアーは廉価な旅ではなかったというのに。[ ジャカルタ在住、アンジェリカ・アリスティアティ ]
2010年11月2日付けコンパス紙に掲載されたWITAツアーからの回答
拝啓、編集部殿。アンジェリカ・アリスティアティさんからの2010年10月9日付けコンパス紙に掲載された投書についてお知らせします。ツアーリーダーが旅行中アンジェリカさんに申し上げた情報は、誤解による誤った情報でした。当方はアンジェリカさんにお会いして正しい情報をお伝えしました。ツアー参加者へのそのような罰金はありません。ツアーリーダーが間違った情報をアンジェリカさんに伝えたことについて、お詫び申し上げます。[ WITAツアーツアー部副社長、シルリ・クルニア ]


「若跳び?!」(2010年12月25日)
ワカトビという名前をはじめて知ったとき、「若き跳躍」という日本語のイメージが即座に浮かび上がった。日本びいきもここまできたかと思ったが、それは浅薄な誤解だった。ワカトビ地区の中心をなすWangi-wangi, Kaledupa, Tomia, Binongkoの四つの島名の頭を取って並べたのがそれだったのだから。
ワカトビという海洋リゾートの人気が高まっている。東南スラウェシ州東南端にあるこの地区は多数の島々から成っており、海底公園の美しさでは世界でひけを取らないというのが一般の評価。昔から定評のある北スラウェシ州のブナケン(Bunaken)、そしてやはり最近売り出し中のパプアにあるラジャアンパッ(Raja Ampat)と並んで三大海底公園を形成している。
コンパス紙R&Dが2010年11月23〜25日に751人に対して行った電話インタビューで国民の間にワカトビの知名度は上昇中であることが明らかにされた。 問い1) あなたは経済的余裕があれば海洋観光をしたいですか?
回答) はい 72.0%、 いいえ 27.2%、 わからない 0.8%
問い2) あなたはワカトビへの観光訪問を望みますか?
回答) はい 57.0%、 いいえ 38.6%、 わからない 4.4%
回答者の中にワカトビを訪問した経験者は41人いた。海洋観光目的地として回答者があげた地名は、カリムンジャワ(Karimun Jawa)、ロンボッ島スンギギ(Senggigi)、タンジュンビラ(Tanjung Bira)、ムンタワイ(Mentawai)、バリ(Bali)、チュバダッ(Cubadak)島、ウジュングントン(Ujung Gentong)、ブリトン(Belitong)など。


「東ジャワの旅行者は海外がお好き」(2010年12月27日)
この年末年始ホリデーシーズン旅行先の中でバリの人気は下降気味だ、と旅行代理店協会東ジャワ州支部長が表明した。東ジャワ州民の休暇旅行熱は上昇を続けており、年末年始はルバラン期に劣るとはいえ、2010年は2009年から17%のアップになりそうだ、との支部長の談。「ジョクジャやブロモは安全面で不安があり、バリは料金が高くなっている印象が強い。そんな国内状況に影響されたかどうか、海外旅行の人気が高まっており、マレーシア・シンガポール・タイ・オーストラリアあるいは中国や香港など近隣諸国を訪れたいひとが顕著に増加している。ヨーロッパの人気が低いのは、寒い冬という季節の問題と訪問先国でのビジョンをつかみにくいという問題のためだ。その点アジア諸国はビジョンを身近につかめること、料金が廉いこと、異文化や異なる気候の体験、出国フィスカルの負担がNPWPのおかげで軽くなっていることなどのために旅行先としての人気が高まっている。年末年始の旅行予約は全般的に昨年より15%向上している。」
旅行代理店パネンツアーのスラバヤ支店マネージャーは、この年末年始の旅行先トップ人気は韓国で、次いで台湾・中国・香港といったところだ、と述べている。


「噴火見物にブロモ山へ行こう」(2010年12月27日)
2004年6月に噴火したときは火口近くまで行った観光客に死傷者が出た(詳細記事はこれがインドネシア内のインドネシア地理と気象ファイルにある「ブロモ山が噴火」(2004年6月9日)参照)ブロモ山だが、地学庁地学災害対策火山学センター長とジョクジャのベテラン国民開発大学火山学専門家は「ブロモ山の噴火はムラピ山に比べてまるっきり安全なので、この千載一遇のチャンスを捉えて火口近くで噴火の状況を観測しよう」と一般国民に奨めている。
「火山警報はシアガで、実際に噴火しているのだが、ブロモ山は訪れても安全だ。もちろん定められている『シアガ時は火口から2キロまで立入り禁止』という規定は守られなければならない。ブロモ山はムラピ山と異なる性質を持っている。熱雲や溶岩を吐き出すことはしない。火山灰や火山礫を噴出させるのがせいぜいで、1〜2キロの高さまで吹き上げる。それらの火山物資は風に流されて火口から2〜3キロの距離に落ちる。だいたいは砂の海に降ることになる。大型の火山岩塊は出さない。ブロモ山は噴石丘であまり高くなく、火口はオープンなので内部に大きいエネルギーを蓄えることはない。そんな特徴の火山はそれほど危険ではない。噴火というのは興味深い自然現象であり、すべての火山で噴火が近くで見られるわけでないため、ブロモ山で噴火の観測ができるこのチャンスを逃してはもったいない。地元政府は住民に避難するよう警告しているが、むしろ国民に噴火観測に来るようプロモートするべきだ。火山灰は硫黄臭が強いが怖がる必要はなく、ハンカチを濡らして鼻と口を覆うようにするだけで十分効果がある。」ふたりの専門家はそう語っている。
ブロモ山は海抜2,329メートルで、テンゲル(Tengger)カルデラ地区にある5つの火山の中で最も若い。5つの火山ができたのは82万年前のことで、ブロモ山を取り巻く砂の海は更新世末期から完新世初期にかけてのこととされている。


「年越しの夜は外出あるのみ」(2010年12月31日)
チリリタン(Cililitan)〜タンジュンプリウッ(Tanjung Priok)間首都バスウエー第10ルートは2010年12月31日から公式運行が開始される。このルートには連結バスを含めて17台が投入されることになっている。トランスジャカルタバスは2011年1月1−2日の都民の行楽に備えて、複数ルートを貫通する次のような運行スケジュールを組んでいる。
Blok M - Ancol  6時から21時まで
Ragunan - Ancol  6時から21時まで
Pulogadung - Ragunan  6時半から18時半まで
Harmoni - Ancol  1月1日は5時から20時まで、1月2日は7時から20時まで ボゴールからアンチョルまでの首都圏近郊電車も1月1〜2日は運行する予定。
例年のごとく都民の行楽先はほぼ決まっている観があり、中でもアンチョルは2010年の年越しの集客に盛りだくさんなアトラクションを用意して入場者数の最高記録を更新しようとしている。そのためアンチョルドリームパーク周辺の道路では大渋滞の発生が懸念されることから、北ジャカルタ市警は2010年12月31日22時ごろからアンチョルドリームパークに向かうため通過する5地点を適宜開閉して交通量の操作を行なうことにしている。ただしこの交通操作は24時までの2時間で、また31日16時から1日午前6時まではそのエリアでのコンテナ車や大型トラックの通行も禁止される。
ボゴールのプンチャッ(Puncak)でも大勢の都民が年越しのために集まってくることから、ガドッ(Gadog)交差点はプンチャッ行き車線が20時から閉鎖され、再開されるのは1日午前6時となる。31日はプンチャッに上る都民の車でいっぱいになるため、チアンジュルやバンドンへ向かう車はチルンシ(Cileungsi)〜ジョンゴル(Jonggol)〜チャリウ(Cariu)〜チアンジュル(Cianjur)というトランスヨギ(Trans Yogi)ルートを通るか、あるいはチプララン自動車道を通るよう、案内が出されている。


「自転車でコタトゥア巡り」(2011年1月5日)
昔はコタあるいはジャカルタコタと言った。昨今ではコタトゥア(Kota Tua)という呼称が一般的になっている。北ジャカルタ市と西ジャカルタ市にまたがる864ヘクタールのエリアがそれだ。
バタビアの歴史の息吹を満々と湛えるコタを観光資源として都庁が再建しはじめたことでコタの漫遊は愉しさを深め、このエリアに集まってくる行楽客の数も増えている。コタトゥアを周遊するひとびとをたくさんの観光スポットが待ち受けている。中でも人気の高い訪問先はルアルバタンモスク(Mesjid Luar Batang)・スンダクラパ港(Pelabuhan Sunda Kelapa)・パサルイカン(Pasar Ikan)・海洋博物館(Museum Bahari)・ムナラシャバンダル(Menara Syahbandar)・コタインタン橋(Jembatan Kota Intan)・カリブサール(Kali Besar)・ワヤン博物館(Museum Wayang)・ファタヒラ公園(Taman Fatahillah)・陶器博物館(Museum Keramik)・歴史博物館(Museum Sejarah Jakarta)・トコメラ(Toko Merah)・チャータードバンク(Chartered Bank)・インドネシア銀行博物館(Museum Bank Indonesia)・マンディリ銀行博物館(Museum Bank Mandiri)・べオス駅(Stasiun Beos)・ピナンシア地区(Kawasan Pinangsia)・ぺタッスンビラン(Petak Sembilan)・ダルマバクティ寺院(Wihara Darmabakti)・チャンドラナヤ(Candranaya)・・・・・と両手両足の指がすべて折り曲げられてしまった。864ヘクタールのエリアに盛り込まれた観光スポットを全部訪れようとすると、散策していたのでは一日で終わらない。機動性を高めるためには自転車という手がある。
コタトゥアにまだ不慣れというひとは、自転車タクシー(オジェッスペダ=ojek sepeda)を雇うと便利だろう。オジェッ運転手は観光ガイドまで勤めてくれるから、すぐバタビアに詳しくなれるにちがいない。1時間3万ルピアで初心者向けにはスンダクラパ港〜ムナラシャバンダル〜海洋博物館〜コタインタン橋〜トコメラというコースが用意されている。数百年という時代を生き永らえてきた古い建物の並びを進むのは、ノスタルジーをかきたててくれるものだ。オジェッスペダの営業時間は午前7時から19時まで。もし自分だけで自転車を走らせたいなら、1時間のレンタル料金は2万ルピアだが、午前9時から18時までのフルデイレンタルだと15万ルピアとお買得。もちろん自分の自転車を持ってきて走るのも構わない。ただしコタトゥアエリア内の一般道路にはたくさんの四輪二輪車両が走っているから、交通安全に要注意。そして自分で自転車を漕ぐ場合は、マスクとゴーグルを着用するほうが無難だろう。


「マカッサルの地場ホテルが他州へ進出」(2011年1月5日)
マカッサルの地元実業家ウィリアント・タンタが総帥を務めるグランドクラリオングループがホテル事業を拡大する。同グループは2006年6月30日マカッサル市内に4星級のホテルクラリオンをオープンした。総客室数333のこのホテルはほとんど毎月90%稼動の実績をあげており、MICE活動の活発なことがその成果に寄与している。
このホテルは最初国際ホテルチェーンのチョイスホテルズとの間で共同経営が行なわれていたが、一年前からグランドクラリオングループ内でホテル経営を担当するPTグリオンサービスマネージメントの単独経営に切り替わった。同グループはまたマカッサルのホテルクオリティの大株主となっており、ホテルクオリティもクオリティプラザホテルと名を変えて近々改装オープンの予定。
PTグリオンのCEOがホテル事業の拡大を最近明らかにした。12月にマカッサルのホテルクラリオンを167室増やして全5百室のホテルグランドクラリオンに変更する増築工事を開始するほか、2011年2月にクンダリとジャカルタでそれぞれ4星級ホテルを1軒建設し、またパルでも4星級ホテルを1軒建てることが計画されている。ジャカルタのホテルは187室、クンダリは150室、パルは90室という規模になる。
同グループはインドネシア東部地方にグランドクラリオンとクオリティプラザのホテル網をフランチャイズ方式で拡大する考えで、これは東部地方ではじめてのこころみとなる。


「マランで観光客の洪水」(2011年1月6日)
東ジャワ州マラン(Malang)市・マラン県・バトゥ市を合わせた大マラン(Malang Raya)地区で2010年年越しの夜を過ごそうと、あふれんばかりの観光客が訪れた。大部分は国内観光客で、外国人の姿はあまり目立たなかった。バトゥ市にあるジャティム公園の12月31日の来園者は8千人を超えたとのこと。平常期は一日当たり多くて数百人だから、その混雑具合が想像できる。バトゥ市に向かう道路はすべて渋滞ノロノロ運転が終日続き、1月2日までそんな交通状況が継続した。
やはりバトゥ市のソンゴリティ(Songgoriti)地区には320軒のビラが集まっているが、クリスマスから1月2日までどのビラも満員御礼となっているにも関わらず、宿泊希望者が続々と到着してはすごすごと引き返していた。スンカリン(Sengkaling)レクレーションパークでも1月1日は猛烈な人出を記録。普段の日曜日は3千から5千人という入場客がこの日はなんと1万人をはるかにオーバーしたらしい。


「アストンホテルチェーンは積極的な拡大」(2011年1月15日)
アストンインターナショナルホテルズリゾーツ&レジデンシズは2010年にジャワ・カリマンタン・パプアの11ヶ所に総客室数1千6百超のホテルを新規オープンしたのに続いて、2011年はインドネシア・マレーシア・フィリピンの13ヶ所にホテルをオープンする計画。インドネシアでは5星級のグランドアストンがジョクジャに、4星級のアストンホテルがバンカ・ソロ・プルウォクルト・パレンバン・バンジャルマシン・マカッサルに設けられるが、マレーシアのランカウィにはインドネシア国外初のフェーブホテル、フィリピンのセブに3星級のクエストホテルをオープンすることになっている。
アストングループは既存のグランドアストン・アストン・アストンシティ・クエスト・フェーブなどバラエティに富むラインナップを備えているが、更にロイヤルカムエラのラインもバリのウブッとヌサドゥアにオープンする予定。
ジャワ島外でのホテルチェーン開拓も熱心で、西カリマンタン州はポンティアナッにアストンホテル&コンファランスセンター、メダンは245室の5星級グランドアストンシティホールホテル&サービスレジデンス、パプアはアストンニューマノクワリホテル&コンファランスセンターとアストンジャヤプラホテル&コンベンションセンターなどが建てられている。
2011年にはバリで4ヶ所に新たなオープンが計画されている。ロイヤルカムエラビラ&スパが二ヶ所、そしてフェーブホテルがスミニャッとレギアンの二ヶ所にオープンする。ジャワ島ではジョクジャ・ソロ・プルウォクルト、スマトラ島はバンカとタンジュンピナンが計画されている。
各地で積極的にホテルチェーンを拡張しているアストンインターナショナルはそれらのホテルのオーナーではなく、ホテルの運営を委託されて行っている。


「キャセイ航空のスペシャルオファー」(2011年1月17日)
キャセイ航空がジャカルタ発アジアおよびカナダ向け航空料金のスペシャルオファーを出している。
香港 378米ドルから
中国 378米ドルから
フィリピン 378米ドルから
台湾 428米ドルから
日本 518米ドルから
韓国 548米ドルから
トロント 1,478米ドルから
航空券購入は2011年1月31日まで、搭乗は2011年3月31日まで。
上の料金はひとり当たりだが、ふたり以上が同じフライトで移動することが条件で、航空券購入は同時に行われなければならない。ただしトロント向けだけはその条件が適用されない。その他の条件もあり。
詳細情報はwww.cathaypacific.com/idで。あるいはキャセイパシフィック事務所(電話021−5151747)もしくは行き着けの旅行代理店でどうぞ。


「2010年の外国人観光客誘致実績は7百万人」(2011年1月19日)
文化観光省は2011年の外国人観光客誘致目標を2010年実績の700万人から10%引き上げて770万人とした。2010年の観光収入は76億ドルと見積もられているため、それに伴って2011年は85億ドルという目標数値が設定された。その目標が達成できれば、新記録が実現することになる、と文化観光相は述べている。2011年には600の国際的イベントが計画されており、適宜各州に振り分けられる予定。
2010年の外国人観光客誘致は目標の645万人を8.5%超える700万人で着地した。セキュリティ問題をはじめとして国際社会でのインドネシアのイメージが十分ポジティブあるため、2011年目標は楽観的だ、と文化観光大臣はコメントしている。
2009年の観光収入はひとり平均995.93ドルの外貨をインドネシアに落としたが、2010年は更に平均滞在日数8.04日でひとり平均支出額は1,085.7ドルに上昇した。ことしは更に観光客がたくさんの外貨を落としてくれることが期待されている。


「シンガポール航空スペシャルオファー」(2011年1月24日)
タックスと燃油サーチャージを含んだジャカルタ発エコノミークラス往復特別料金をシンガポール航空がオファーしている。この料金での航空券購入は2011年2月8日が最終日で、搭乗は2011年5月31日まで。ただし予告なしに料金が変更されることがある。
シンガポール USD208−
成田・羽田・大阪・ソウル USD698−
ヨーロッパ USD1,008−
ロサンゼルス・ヒューストン USD1,298−
サンパウロ USD1,888−
ヨーロッパはアムステルダム・アテネ・バルセロナ・コペンハーゲン・フランクフルト・ミラノ・モスクワ・ミュンヘン・パリ・チューリッヒのいずれか。
例外条件として、サンパウロ向けはジャカルタ発が2011年3月28日から4月28日までに限定される。なお、ジャカルタの空港税その他チャージは上の料金に含まれていない。シンガポール向けだけは予約変更不可で、その他の目的地向けは空席のある別クラス料金適用を条件に予約変更可。
上の料金はひとりあたりのものだが、必ず同一フライトにふたり以上で搭乗しなければならない。


「エアエイシアのスペシャルオファー」(2011年1月28日)
エアエイシアがジャカルタ発クアラルンプル(KL)経由の国際線特別料金をオファーしている。KLでのトランスファーはコネクティングタイムが最低90分で、トランジットビザなし、クイックトランジット、スルーバゲージのサービス。
購入は2011年2月6日が最終日となっており、購入はairasia.comあるいはmobile.airasia.comで。搭乗日は2011年7月1日から9月30日まで。下の料金は片道ひとり当たりのもの。
ムンバイ・ニューデリー向け Rp809,000から
中国杭州向け Rp959,000から
韓国向け Rp1,429,000から
日本向け Rp1,589,000から
ロンドン・ニュージーランド向け Rp2,049,000から
パリ向け Rp2,309,000から


「もっと中国人観光客の誘致を」(2011年2月7日)
中国のアッパーミドル階層で外国に旅行した者は2010年実績が5千4百万人で、当初予測の5千1百万人を悠々と上回った。2011年は5千7百万人と見積もられている。かれらの足をどのようにして自国に向けさせようかと諸国は切磋琢磨しているのだが、バリという切り札を持つインドネシアはもっとたくさんの中国人観光客を誘致できるはずだ、と旅行代理店業界者のひとりは語る。
一般的に中国人観光客はまずジャカルタで入国する。ジャカルタで自分の商品を買いそうな相手にプレゼンテーションを行なった後、ホリデーモードに入ってジョクジャやバリで優雅な休日を過ごす。かれらはその旅程の一切を旅行代理店にアレンジさせ、自分の商品を買いそうな相手探しまで旅行代理店にさせている。ジャカルタでは輸入者を回って商品の売り込みを行なうが、かれらは商品プレゼンテーションのためにサンプル品を持ってくるようなことはせず、フラッシュディスクに納められた画像をコンピュータで相手に見せる。ビジネストリップが終わるとジョクジャやバリに移動するが、ムラピ山の噴火以来、ジョクジャをやめてみんなバリに直行するようになった。バリでは自然の景観を楽しみ、ビーチを散策し、買い物やスパで心身の洗濯をする。バリの休日は高級ホテルで4〜5泊し、宿泊費とは別に一日200米ドル程度を支出する。
インドネシアの旅行代理店業界は、中国での観光客誘致をもっと活発化させて旅行客の増加をはかるだけでなく、外国に住んでビジネスを行なっている中国人も同じパターンで誘致できるはずだと見ており、北米・欧州・オーストラリアなどに住んでいる中国人の誘致プロモーションも進めていくことにしている。
ちなみに2010年の国別入国観光客数と対前年比は次のようになっており、中国人観光客の増加は目を見張らせるものがある。
1位マレーシア: 567,414人 対前年比18.7%増
2位シンガポール: 550,388人 4.5%増
3位オーストラリア: 321,652人 44.3%増
4位中国: 212,133人、22.7%増
5位日本: 191,256人、9.8%減
6位その他: 1,537,701人 13.7%増
合計: 3,380,344人、対前年比14.0%増


「コモドは新世界七不思議に入るか?」(2011年2月21〜26日)
スイスにある民間非営利団体ニューセブンワンダーズ財団が行なっている世界七不思議の人気投票は最終ラウンド候補が28に絞り込まれ、インドネシアのコモドはその中のかなり上位に食い込んでいる。2011年2月1日のニュー7ワンダーズホームページでは、女性投票者の第10位、18歳未満投票者の第2位にコモドが置かれている。
2007年に440のノミネータを擁して開始されたインターネット投票予選で77の第2ラウンドノミネータが選ばれ、2010年7月にその中から28の決勝ラウンドノミネータが勝ち残った。最終ラウンドに残ったのは、ガラパゴス諸島、アマゾン河、エンジェルフォール、モルディブ、済州島、死海、グランドキャニオンなどで、コモドもその中のひとつだ。
最終結果は2011年11月11日に発表大会が催されるわけだが、大会開催国選択でもめごとが起こった。財団側の報道によると、開催国候補にインドネシアが選ばれ、インドネシア政府文化観光大臣はその申し出を受けた。ところがしばらくして、手のひらを返すように断ってきた、とのこと。開催国の費用負担は4千5百万米ドルで、1千万ドルはコミットメントフィーとして財団に拠出し、3千5百万ドルは大会の実施経費に使われるそうだが、ジェロ・ワチッ文化観光大臣はその金額に不審な点があること、ならびにその膨大な金額の予算が取れないことなどから指名返上を行なった。すると財団側は、コモドの最終ラウンドノミネーションを取り消すと言い出したのである。
過去三年間、「Vote Komodo」を合言葉に100億ルピアを投じてコモド島観光をプロモートしてきた文化観光省は、その結果コモド国立公園訪問者が従来の年間1万6千人から5万人へという大きい増加を示したことに満足しており、何もニューセブンワンダーに入らなくとも十分成果があがっているという反応を最初大臣は示した。
当初ニューセブンワンダーズ財団は世界各国にその企画を持ってはたらきかけ、三ヶ所を自薦させて登録料597米ドルを徴収し、現地サーベイを行って一ヶ所にしぼった。インドネシアはコモド・アナクラカタウ・トバの三ヶ所を推薦してコモドが選ばれた。「大会の主催を受けないからと言ってコモドのファイナル出場を取り消すのなら、どうぞお好きなように。コモドの観光プロモはわれわれだけでやっていく。」と大臣は語っている。ところがどう気が変わったのか、大臣はニューセブンワンダーズ財団を国際法廷に引き出す方針を決めた。
そのために国際ローヤーとしてトドゥン・ムリヤ・ルビスを指名し、アブダビやブラジルと語らってその財団の信頼性を世界に問うという姿勢を打ち出した。すると財団側はコモドのファイナルノミネーション取り消しという方針を取り止め、反対にインドネシア文化観光相の名前をコモドオフィシャルサポーティングコミティから一方的に削除したのである。一言の断りもなしに顔に泥を塗られた文化観光相はコモドの名前が最終候補に残ったからといって引き下がるわけにはいかない。あくまでも財団を告訴するという文化観光省の方針に従って、トドゥン・ムリヤ・ルビス弁護士はスイスの法廷にニューセブンワンダーズ財団の裁判手続を開始することにしている。
そんな人間臭いコモドの騒ぎをよそに、インドネシアにしかいないコモドドラゴンの専門家がインドネシアにいない、という話題が表面化した。インドネシアの学術研究は研究対象が持つ経済性と相関関係にあることは言うまでもない。経済性のない研究対象をいくら研究しても費用は出てこない。インドネシアが持っている自然界の多様性はブラジルに次いで世界第二位であり、哺乳動物は世界の12%を占めて第2位、爬虫類は7.3%を占めて第4位、鳥類は17%を占めて第5位、両生類は世界第6位といった豊かさを誇っている。
インドネシア科学院生物学専門家のひとりは、インドネシアのそんな豊かさのために研究対象としての順番がなかなかまわってこないのが実情で、加えてコモド研究には巨額の費用がかかり、学術費用が潤沢にないインドネシアではコモドよりもっと優先度の高い研究対象にその費用を回すのが順当と考えられている、と説明している。また野生動物研究はフィールド調査が不可欠で、おまけに奥深い原野に入っていかなければならず、リスクの高い密林の奥地で一定期間を過ごし、保険は期待できず、さらに資金は限られていて且つ給与も低い。そんな条件を乗り越えて研究に邁進する者はあまりいない。そんな状況のためにコモド研究はインドネシアでよりヨーロッパで進んでおり、特にドイツが一頭抜きんでているとのこと。
クレイグ・ユングの論文では、最大の肉食性爬虫類コモドドラゴンは恐竜たちの時代に誕生し、およそ1万年前にフローレス島、リンチャ島、ギリモタン島にやってきたものとされている。ユングはコモドをVaranus komodoensis)と命名したが、正確にはコモドはVaranus属でなくMosasaurus komodoensisが正しい、と語るコモド専門家がガジャマダ大学にいた。
元ガジャマダ大学生物学科教官スパルミ・スラヒヤ78歳がそのひとだ。オランダ人研究家ペテル・オウェンスが1912年に発表したコモドに関するはじめての報告の中でかれはコモドをVaranus属と見なしたが、1977年から12年かけて調べた結論では、それは違っていた、とかれは語る。スパルミの研究成果はKomodo: Studi Anatomi dan Kedudukannya dalam Sistematik Hewan と題する書物として1989年にガジャマダユニバーシティプレスが出版している。コモドは6千万年前から生き延びてきた動物であり、もっと近い時期に出現したトカゲの仲間ではない、とかれは強調している。かれの書籍はアメリカ・イギリス・オーストラリアで保存されている。
「コモドの個体数は減少し続けており、コモドの保存努力も本来の体型が維持されていない。コモドは本来が獰猛な野獣であり、体長も4メートルに達する。ところがインドネシアの動物園で飼育されているコモドは一般にスリムで体長も短い。それが続けられれば、動物園のコモドは本来の体型と異なる変種となり、われわれは将来、それを本来のコモドだと思い込んでしまうかもしれない。アメリカで行なわれているコモドの飼育はコモド島の野生コモドの体型をしており、保存維持がうまく行なわれているようだ。」コモド研究を引き継ごうとする若い研究者がなかなか現れないことを残念に思いながら、スパルミはそう述懐している。


「観光客の5人にひとりはインドネシア人」(2011年3月4日)
2010年にシンガポールを訪れた旅行客の国別上位十傑は次のようになった。
1)インドネシア 230.5万人
2)中国 117.1万人
3)マレーシア 103.7万人
4)オーストラリア 88万人
5)インド 82.9万人
6)フィリピン 54.4万人
7)日本 52.9万人
8)イギリス 46.2万人
9)タイ 43万人
10)アメリカ 41.7万人
インドネシアは2009年から432%の上昇で第二位のほぼ二倍となり、首位の座を一層強化した。2010年の入国観光客数は1,160万人にのぼっており、平均年20%の増加となっている。その中でトップのインドネシアは19.9%を占めた。
シンガポール観光局は2010年の観光収入が188億米ドルであったと見積もっている。


「国際線航空料金値上げ?!」(2011年3月9日)
また国際原油価格が高騰しており、空運業界は料金値上げの構えに入っている。2010年全国の国際線フライト利用者は前年から20.7%増加して総数962.2万人となったが、運通省データによればそのうち国内航空会社を利用したのは659.9万人でおよそ70%のシェアとなっている。ちなみに航空会社別データは次の通り。
Indonesia Air Asia  2,718,254人
Garuda Indonesia  2,444,341人
Lion Air  830,189人
Batavia Air  201.055人
Sriwijaya Air  171,285人
Merpati Nusantara  119,853人
Wings Air  105,905人
Riau Airlines  7,987人
TOTAL  6,598,869人
燃料コスト上昇のために各社は航空運賃の15〜20%値上げを計画しており、それとは別に燃油サーチャージを5〜20米ドル更に加える考えでいる。
とは言っても各社のスタイルはさまざまで、たとえばガルーダ航空の場合、同一機内の特定シートを廉価販売するというサブクラス方式に割り当てる座席数を減らすという戦術を取って現状に対処しており、運賃値上げ実施のタイミングをはかっている段階とのこと。
一方、国内線料金は航空機用燃料価格しだいという側面がある。国内の航空機用燃料販売はプルタミナの独占で、しかも必ずしも国際価格に連動しているわけではないことから、プルタミナの値付け如何という要素が影響をおよぼしている。


「若者のふたりにひとりはコンサートへ」(2011年3月10日)
人気バンドのコンサートに出かける階層は十代後半から二十代前半の若者たちであり、それを超えるといきなり出足が落ちてしまう、という調査結果をコンパス紙R&Dが公表した。国内ミュージシャンであれ外タレであれ、真昼間に開かれる催しに参集できるのはやはりそんな階層のひとびとだろう。職業を持てばなかなか若いころのように振舞うことはむつかしい。そして年代が上昇するにつれてコンサートとは無縁の人口も増加する。コンパス紙が2011年2月28日から3月2日まで全国主要都市の671人から集めた統計データは次のようになっていた。 問)音楽コンサートに行ったことがありますか?
回答)17〜26歳: ヤー 57.4%、ティダ 42.6%
27〜55歳: ヤー 29.7%、ティダ 70.3%
56歳超: ヤー 17.8%、ティダ 82.2%


「クルーザーの来航が減少」(2011年3月16日)
2010年の観光客船来航ラッシュから一転して、2011年は観光客船の到来予定が31隻に減少している。2010年の延べ206隻127,774人が観光船でインドネシアにやってくるという計画は延べ190隻という実績に終わった。そして2011年の年間計画では、31隻が105,926人を乗せて述べ161コールを行うことになっている。2011年のその減少はバリとロンボッの大型観光客船受入れ港がまだ整備されていないこと、更に地方部の諸港に外国クルーザーの受入体制が十分にないこと、などの要因のためにインドネシアへの巡航をとりやめた観光客船がかなりあることに起因している。
インドネシアにやってくる観光客船は世界市場の中ではミドルクラスで、収容人員数は5〜6百人。観光客は6時間の上陸時間内にひとり平均50〜100米ドルを支出している。


「廉価ホテルビジネスがブーム」(2011年4月11日)
ここ三年ほど、都市部でバジェットホテルが増加しており、この業界はいまや完全な昇竜と化しつつある。星級で言えば1〜2星級で、ビジネス出張を行なうひとびとの間でバジェットホテルの利用が激増しており、その手ごろな料金・妥当なサービスレベル・便利な立地環境などに利用者は概して満足している。ビジネス出張を行なうひとたちの多くは自営の商売人たちで、スラバヤ・ジャカルタ・バタム・ジョクジャなど各個に市場を抱える都市を訪問する。商用が終わればさっさと別の都市へ回ったりあるいは帰郷するので、一ヶ所での滞在は長くない。
一泊の宿泊料金は25万から40万ルピア程度。週日はホテルの客室がかなりの高率で埋まっている。1〜2星級ホテルの建設コストは比較的小さいため一泊の料金が廉くても客室稼働率が高ければ短い期間に利益が出せるようになる。また都市の繁華街にあるモールなどショッピングセンターに密着してバジェットホテルを作れば、ホテル自身がさまざまなファシリティを持たなくとも周辺のショッピングエリアに相応のファシリティが設けられるため、宿泊客にとって不満はほとんどない。
そんな立地環境をアレンジしやすい立場にあるデベロッパーが自らバジェットホテルビジネスへの参入姿勢を強めている。デベロッパー業界のジャイアント、アグンポドモログループは中央ジャカルタ市タムリン通りにある2星級ホテルの買収を進めている。他にもPTインティランドがWhizホテルチェーンを展開している。インドネシアに増加しているバジェットホテルチェーンにはAmaris、Harris、Fave、Formule1やマレーシア系のTuneなどがきら星のごとく上昇中。


「ボロブドゥルがシンガポール生徒の学習旅行先に」(2011年5月6日)
シンガポール共和国文部省が、学校休み時期に生徒が行なうファムトリップに中部ジャワのボロブドゥルとジョクジャの観光村を加えることを決めた。これまでシンガポールの学校生徒が行なうファムトリップはタイとマレーシアだけで、今回はじめてインドネシアがその目的地のひとつに加えられたことになる。
そのオープニングとしてシンガポール側は、文部省・学校教員・インドネシア向けファムトリップを取り扱う旅行代理店から成る20人の訪問団をボロブドゥルと観光村に派遣し、現地状況の視察はもとより、学校教員はインドネシアの学校との交歓会、旅行代理店はインドネシア側旅行業界との打ち合わせなどいくつかのプログラムをこなすよう計画している。
2011年6月の長期学校休暇時にはシンガポールの学校生徒たちのファムトリップが開始されることを現地の関係者は期待している。


「でたらめな機内座席割り振り」(2011年5月10日)
2011年2月5日付けコンパス紙への投書"Kursi di Pesawat Lion Kacau"から
拝啓、編集部殿。わたしども夫婦と四歳の子供一人の一家三人は、2010年12月24日にジャカルタ発ポンティアナッ(Pontianak)行きライオンエアーを利用しました。切符の購入はひとつのオーダーで行なったにも関わらず、チェックイン時にわたしども三人はそれぞれ離れた席を与えられました。カウンター職員と言い合いした後、不愉快な返事が返されたので勤務中のスーパーバイザーを呼ぶよう求めました。スーパーバイザーはふたりに隣り合った席、もうひとりは離れた席の搭乗券をくれました。
ところが飛行機の中で、その席には同じ座席番号の搭乗券を持ったひとがもう座っていたのです。座席番号の混乱が起こったため、わたしども三人は客室乗務員が整理をしてくれるのを立って待ちました。幼児を連れた一家族も、わたしども一家と同じ目に遭っていました。その結果状況が混乱してしまったので、わたしどもは空いている席に腰掛けました。そして客室乗務員がチェックすることもなく、飛行機は離陸したのです。
2010年12月29日、ジャカルタに戻るとき、わたしどもはふたたび同じ目に遭いました。客室乗務員でさえもが、子供のためにエチケット袋を要求した乗客と言い合いをしていました。ライオンエアーのサービスに接した体験は忘れることのできないものです。[ 北ジャカルタ市在住、セルフィ・セルミヤティ]


「インドネシア人は水遊びがお嫌い?!」(2011年6月7日)
あなたもしくはあなたのご家族がもっともお好きなウオーターレジャーは何ですか、という質問を2010年4月25〜27日コンパス紙R&Dが国内主要都市住民708人に尋ねた。回答者のふたりにひとりが水泳と答えているのは面白い。水泳場所は海岸・河川・水泳プールから流水プールまでさまざま。そしてまた不明・無回答者が4人にひとりいたことも興味深い事実だ。回答を先に見てみよう。
水泳 47.5%
魚釣り 9.3%
ラフティング 4.2%
シュノーケリング・ダイビング・サーフィン・ジェットスキー 5.1%
その他 10.9%
不明・無回答 23.0%
上に上がっている種目を見て、「それってホントにウオーターレジャーのひとつなの?」とお感じの読者もきっといるにちがいない。ともあれ、上の各種目で特に男性に人気のあるもの、女性に人気のあるもの、という違いは出現しなかった。どの種目も男女がほぼ半々になっているのは、それらをやはり男女のカップルで行なおうとする志向が強いからではないだろうか。それにしても23%ものひとが答えを持っていないのは、きっと水遊びをしたことがないからと思われるが、果たしてどうだろうか?


「トミー・スハルトから国民へのプレゼント」(2011年6月9日)
故スハルト元大統領の末子フトモ・マンダラ・プトラ愛称トミーはボゴール県スントゥル(Sentul)で国際レーシングサーキット事業を営んでいる。そのサーキットが所有する広大な敷地に都民の行楽目的地プンチャッ(Puncak)を目指す新道路を建設するため、道路用地を国に寄贈することをトミーが公表した。敷地内を通過する道路は全長45キロで、その先をプンチャッ街道に合流させる道路2キロの土地は地元住民が用意する。
休日になると都内から大量の自動車がプンチャッに向かい、ガドッ(Gadok)からプンチャッに至るプンチャッ街道は自動車であふれかえる。かつてダンデルスが切り開いた山道は路幅拡張の余裕がなく、ジャゴラウィ自動車道チアウィ(Ciawi)料金所のずっと手前にあるスントゥル料金所からプンチャッに至る第二街道が設けられるのは、地元ボゴール県庁にとっても、また都民にとってもたいへんありがたいことだ。
普通、道路建設に長い年月がかかるのは住民が持つ用地の買収のためであり、このプンチャッ第二街道建設は9割以上がスントゥル国際サーキット所有地であることから土地収用はほとんど終わったも同然なので、短時日での完成が期待されている。もちろんスントゥル国際サーキット側はこの道路用地無償提供が地主の住民に対する公共施設建設義務の実施に該当することを見越している。


「機長の功績?!」(2011年7月16日)
2011年6月28日18時スカルノハッタ空港発マナド行きライオンエアーJT770便にトラブルが起こった。このトラブルは航空会社の責任でなく、搭乗が締め切られて全乗客がシートに着席したあと、突然そのうちのひとりが出発をキャンセルしたのが原因だ。タクシーウエーから出ようとしていた同機は出発を延期してふたたび飛行機の扉を開けた。こんな場合に困るのは、預けたバゲージをまた機内から探し出してキャンセルした乗客に返さなければならないこと。そんな事態に何度か遭遇しているわたしの体験から言えば、ただじっと待たされているだけだからかもしれないが、ともかく時間のかかることかかること。
JT770便の離陸態勢がふたたび整ったのはなんと19時半だった。飛行機は順調に飛び立ち、水平飛行に移ってしばらくしたあと、ふっと機長の頭に浮かんできた問題があった。マナドのサムラトゥラギ(Sam Ratulangi)空港はまだ24時間体制になっておらず、23時に空港業務はクローズされる。機長は手早く計算してみた。「あっ、こりゃ無理だ!」
機長は運航管理本部に連絡して事情を伝え、善後策を請う。そして最寄のバリッパパン空港で一泊せよとの指令を受けて機は方向転換した。バリッパパンに思いがけないトランジットをする目にあった187人の乗客は、ライオンエアーの手配したホテルに分散。用意された晩飯にありついたのは午前3時。ベッドに入ってうつらうつらすると電話が鳴って、「飛行機の出発は午前7時半なのですぐに空港行きのバスに乗ってください」と交換手の声。眠い目をこすりつつ、全員がふたたび機上のひととなった。
ルミヤント機長はこの予期しなかったトラブルについて、バゲージをおろすのは15分くらいでできると思っていたから運航を調整することまでは考えなかった、と語っている。真っ暗なマナド空港の上空まで行ってどこかに引き返すような事態にならなかっただけでも、機長の功績と言うべきだろうか。


「ルバラン休暇のハイダウエーはこちら」(2011年7月20日)
中央ジャカルタ市バンテン広場に面したホテルボロブドゥルがラマダン〜ルバラン期間のスペシャルオファーを今年も実施。期間は2011年8月1日から9月4日まで。ただしこのオファーはインドネシア国籍者とKITAS保有外国人のみ対象。朝食付き一泊の客室料金は次の通り。この料金はトータル21%のタックスとサービスチャージが含まれている。
Classic Room Rp.650,000-
Superior Room Rp.700,000-
Premier Deluxe Room Rp.800,000-
ひとり使用もふたり使用も料金は同じ。シュペリアールームはツインベッド室のみ。
予約は電話番号(021)380 5555または383 5000 内線74009−74013 あるいはEメールreservation@hotelborobudur.comへ


「ルバラン休暇は観光シーズン」(2011年7月25日)
2011年ルバラン休暇時の航空券注文は昨年同時期から60〜80%アップするものと見られている。インドネシア航空券販売エージェント会社協会役員は、7月中旬で既にルバラン期の航空券販売が怒涛のような予約状況になっている、と語る。国内線で売れ行きが良いのは、次の路線とのこと。
ジャカルタ〜デンパサル、ジャカルタ〜ジョクジャ、ジャカルタ〜メダン、ジャカルタ〜パダン、ジャカルタ〜パレンバン、ジャカルタ〜マカッサル、ジャカルタ〜スラバヤ
また国際線は香港、シンガポール、オーストラリア諸都市、米国そして欧州の国々
ルバラン休暇時の国外脱出組はシンガポール航空を利用する傾向が顕著に見られ、それについて役員は、スカルノハッタ空港に乗り入れている外国航空会社の中ではシンガポール航空がいちばん便数が多いからだ、とその理由を述べている。一方国内線はガルーダ航空とライオンエアーがトップを競り合っている。
シンガポールから世界五大陸の100都市に航路を開設しているシンガポール航空側もインドネシアのルバラン休暇にはホクホク顔で、期間中は平常の一日8便を9便に増やすことにしている。もちろんジャカルタから運ぶルバラン休暇国外脱出組がみんなシンガポールを目的地としているわけでもなく、他の国々からもシンガポールを経由して他の目的地へ行こうとしている乗客もたくさんいるため、その時期の他の目的地への需要も大幅増になる。シンガポール航空はそんな需要に応じた増便を予定している。
国内線もルバラン帰省と国内休暇組が入り混じることから、国内航空会社は各社とも例年のようにルバラン交通態勢の構築に取り掛かっている。ガルーダはジャカルタ〜デンパサル線で期間中に36便、ジャカルタ〜パダン線16便、ジャカルタ〜シンガポール線は30便などかなりの増便を行う予定。


「乗客を置いてきぼりにする機長」(2011年7月27日)
2011年5月9日付けコンパス紙への投書"Sudah Boarding Ditinggal Pesawat"から
拝啓、編集部殿。2011年3月27日、わたしはライオンエアーJT564便でジャカルタからジョクジャへ飛ぼうとしていました。出発時間は18時だったので、わたしは17時にチェックインし、A7ゲート待合室で搭乗を待ちました。ほぼ一時間そこで待たされたあげく、「出発が遅れており、機体がバンジャルマシンから到着するのは19時10分の予定です。ジョクジャへ出発する前に30分ほど準備がかかるでしょう」というアナウンスがありました。
わたしを含めて一部の乗客は、その時間を利用して礼拝や食事をしようと待合室を後にしました。19時にA7ゲートに戻ろうとしていたら、いきなり最終案内が出され、ジョクジャ行きJT564便乗客はA2ゲートから搭乗するようにと言うのです。当初のA7からA2に変更されたわけです。わたしはあたふたとA2ゲートに行きました。ところがそこにはドイツ人旅行者がふたりいるだけ。職員はわたしの搭乗券をちぎると、バスが来るのを待つようにと言いました。
バスがやってきたのは15分後です。三人はバスに乗り、JT564便の機体がある場所に急ぎました。ところがバスが到着したとき、機体は既に動き始めていたのです。わたしたち三人は駐機場のど真ん中に置いてきぼりにされました。この会社はサービスだけでなく、安全行動も劣悪であることをこのできごとは示しています。
その飛行機はドイツ人旅行者ふたりを乗せなかったのに、かれらが預けたバゲージはおろしもせずに飛び去っていきました。JT564便の搭乗者マニフェストの中にわたしたち三人の名前があるのかどうか、わたしにはわかりません。[ ボゴール県チビノン在住、ファハミ・アムハル ]


「苦情する客は機内から放り出せ!」(2011年7月27日)

2011年5月29日付けコンパス紙への投書"Kotoran di Kursi Lion Air"から
拝啓、編集部殿。わたしはライオンパスポート番号11−02−181471−3号のオーナーです。2011年3月20日、わたしはメダンからジャカルタへ17時発のライオンエアーJT385便で飛ぶ予定でしたが、運航上の理由で搭乗は17時45分に遅れました。機内に入り、わたしの座席03Fに行ったとき、座席には食べ物のカスがたくさん散らばっていました。わたしが客室乗務員を呼んでそれを示すと、その乗務員は手でそのゴミを床の上に払い落としました。わたしの前にそこに座った乗客が落としたんでしょうね、と乗務員は説明しました。搭乗前に機内の清掃が行われるのではなかったのでしょうか?わたしは戸惑ってしまいました。
わたしは乗務員に、清掃員を呼んでその座席をきれいにするよう求めました。それをするのにたいして時間はかからないだろうと思ったからです。するとライオンエアー職員がやってきて、わたしがその座席に座らないと言い張るのなら、わたしを機内からおろして次のフライトに乗ってもらうと脅かしたのです。出発時間が遅れているし、他の乗客に迷惑をかけたくなかったので、そしてわたし自身も早く家族に会いたかったから、しかたなくその汚れた座席に座りました。
その機体はメダンに遅れて到着したのでしょうか?遅れ時間を取り戻すために機内を清掃する時間すら打ち捨てて?そしてそのことを乗客が苦情したら飛行機からおろすだって?[ 南ジャカルタ市在住、イルフィン・フタガルン ]


「ホテルのオンライン予約が増加」(2011年7月30日)
インドネシアでオンラインホテル予約が激増している。2011年上半期、アジア諸国からインドネシアのホテル予約をオンラインで行う件数が一年前に比べて200%も増加した。
以前はアメリカとヨーロッパからのオンライン予約がマジョリティだったが、ここ2年間アジアからの予約件数は急増している。特に中国からの観光客の増加がその大きな要因になっている、とオンラインホテル予約インターネットサイトの運営者は述べている。「中国と東南アジアからの予約が目立って増えている。インターネット普及が進展しているのと歩を合わせてホテル予約のオンライン利用がそれらの地域で急増している。」業界者のひとりはそう分析を語っている。


「サービスとは客のわがままを赦すこと」(2011年8月2日)
2011年5月22日付けコンパス紙への投書"Durian Masuk Kabin Pesawat"から
拝啓、編集部殿。わたしは午前11時メダン発ジャカルタ行きライオンエアーJT0395便に乗りました。タラップをのぼって機内に入ったとき、わたしはかなりきついドリアンの臭いをかぎました。その臭いの元凶はわたしの前の座席にいる、大型のトランクといくつかの箱をキャビンに持ち込んでいるひとりの男性だと確信しました。なぜならドリアンの臭いはわたしの席でものすごく鼻を衝いており、そしてわたしの後ろの座席のひとは小さいバッグを持った女性しかいないのですから。わたしはスチュワーデスのひとりに、前の座席にいる男性の荷物をチェックするよう合図しました。ところがそのスチュワーデスはその男性に言葉で尋ねただけで、荷物のチェックはしないのです。
その結果キャビンの中にドリアンの強い臭いが広がりました。乗客が数人、その臭いについて抗議しましたが、客室乗務員は相手にしません。なんという素人丸出しで恥さらしの姿勢なのでしょうか。規則を守らない者がおり、他の乗客に不快の念を起こさせしめたというのに、乗務員はそれを放置しているのですから。[ リアウ州バタム市在住、アンドリュー・ドロッサリブ ]


「アニエルの海で泳ぐのはアブナイ」(2011年8月3日)
都民の週末リゾート地区のひとつであるスンダ海峡に面したアニエル海岸の海で泳ぐのは少々危険なようだ。2009年は年間で5人の行楽客が遊泳中波にさらわれたり深みに入ったりして死亡した。2010年は3人だったものの、2011年は7月までで早4人が死亡している。そのいずれもが遊泳禁止の指定された海域で起こっており、そして遊泳禁止標識が設置されていない場所だった。「これはアニエルのイメージに関わる問題なのだから、政府は行楽客の安全にもっと関心を払わなければならない。行楽客の安全とは犯罪行為からの保護だけを意味しているのでなく、海遊びの危険からも保護されることだ。」ホテルレストラン会セラン県支部長はそう語る。
アニエル地区観光セクターは毎年およそ10万人の行楽客を迎えて県の地元収入に70〜80億ルピアという貢献をしている。県青年スポーツ文化観光局長は、2009年に4千8百万ルピアの予算を取って事故監視タワーふたつと行楽客に注意を呼びかける看板を8ヶ所に設置した、と言う。しかし最近現場を見回ったところ、看板は2ヶ所にしか残っておらず6ヶ所は影も形もなくなっていた。また2010年には1千5百万ルピアの予算で5ヶ所の公共ビーチに遊泳安全区域を示す浮標を設置したが、この年初の悪天候で海が荒れたときに全部行方知らずになっている。2011年には1億3千万ルピアの予算がおりたが、1億ルピアはセラン観光促進のためのKang & Nongフェスティバルに、3千万ルピアは観光サポートセクター住民活性化プログラムで既に使い果たされて資金はまったく残っていないので、行楽客の海遊びに安全をはかるための設備の補充は今年の改定予算と来年度予算に申請することになる、と局長は述べている。セラン県警は、公共ビーチ管理者を誘って行楽客の安全向上をはかる対策を実施していきたい、と表明している。


「音楽ナマステはお好き?」(2011年8月6日)
インドネシア文化の中で、ステージアーツは昔から庶民の娯楽の中に深く定着していたのは言うまでもない。その中で唄と楽器のみで演じられる、いわゆるコンサートというもののウエイトはどうだったのだろうか。アジア諸国は概して似たようなものだったのではないかと思われるのだが、わたしの浅い知識で論及するには無理がある。
昨今世界中でさまざまなジャンルの音楽ショーが開催され、それぞれの演奏家が演じる音楽を、高額の入場券を買って鑑賞に行くという習慣が、ライフスタイルとして定着した。インドネシアでもジャズフェスティバルや外タレ公演などが盛んになり、民衆の愛好するジャンルのミュージシャンやシンガーが広大な演奏会場で観客をしびれさせるという機会は増加している。もちろん国内のポップやダンドゥッ歌手たちのステージも都市部や地方部で頻繁に開かれている。
しかし桁ちがいの入場料金を取る外タレコンサートが高い権威を持つのは当然で、今やインドネシアにもコンサート追っかけマンが出現し、かれらは崇敬するタレントのショーにシンガポールまで出かけるありさまだ。
コンパス紙R&Dが2011年7月20・21日に全国305人から集めた調査結果を見ると、音楽の生ステージを見に行くひとはまだまだ少数派だということがわかる。パフォーミングアーツを見に行くひとはきっと圧倒的に多いにちがいないのだろうが・・・・。
質問1)あなたは音楽の生ステージを鑑賞しに行ったことがありますか?
回答1)はい:37.2%  いいえ:62.8%
質問2)鑑賞した音楽の生ステージで、一番多い(あるいはお好みの)音楽ジャンルは何ですか?
回答2)ポップス:50.2%、ロック:24.6%、ジャズ:12.5%、ダンドゥッ:3.9%、クロンチョン:3.3%、クラシック:3.3%、R&B:0.98%、聖歌賛美歌:0.3%、その他:0.7%


「蔵相が外国映画独占にメス」(2011年8月12日)
外国映画輸入が21/XXI映画館チェーンを支配する映画輸入会社ビッグスリーに牛耳られており、アメリカ映画協会(MPA)がそれに支援を与えているという状況の是正を、大蔵省はその三社の輸入関税納税不足にからめて実施しようとしている。三社のうちの一社は関税追徴を受けて納税を完済したが、ほかの二社は税関への対抗姿勢を続けており、国税裁判所に追徴に対する不服告訴を行っている。一方、21/XXI映画館チェーンに新作洋画が入ってこないのは一大営業問題であることから、輸入窓口として新規にPTオメガフィルムが設立されて5月3日に通関アイデンティティ番号が交付され、ハリーポッターとトランスフォーマー3は7月29日から同映画館チェーンで上映の運びとなった。2011年1〜7月に輸入された映画は75タイトルある。
税関は過去二年間に9映画輸入会社が輸入した250タイトルの映画に対する申告関税が3百億ルピア不足しているとして追徴をかけており、不足納税分を完済しないかぎり映画の輸入は一切認めないと表明している。さらに大蔵省は輸入映画の関税を2011年6月16日から分当たり21,450ルピアに引き上げた。その措置に平行して蔵相は、かつてのビッグスリーがハリウッド映画輸入をほとんど独占していたことを重く見て、新規に興されたPTオメガフィルムの映画輸入状況の監視を強めることを明らかにした。税関総局はオメガフィルムがビッグスリーと資本関係をもっているかどうかを手始めに、独占輸入行為に対する監視を厳しく行う予定。
今インドネシアの映画館産業は、全国に676スクリーンが営業されており、その80%が21/XXIチェーン、10%がブリッツメガプレックス、残る10%はローカル個人会社の所有となっている。


「バンドンのナイトスポットはすべて閉店」(2011年8月18日)
西ジャワ州バンドン市内で営業しているおよそ二百ヶ所のナイトスポットは例によってラマダン月の一日前からイドゥルフィトリの二三日後まで閉店が命じられている。カラオケ・ディスコ・ナイトクラブ・スパ・ビリヤードなどがその対象。この措置は、ムスリムが心身を清浄化し、聖なるラマダン月のプアサの勤行を誘惑を断ち切ってつつがなく行えるようにしようという行政の親心に由来するものであり、類似の措置は国内のたいていの都市で行われている。たとえばジャカルタでは、観光に関する2004年都条例第19号と首都ジャカルタの観光事業時間に関する2004年都知事決定書第98号でラマダン月のナイトスポット営業時間規制が定められており、ラマダン月の一日前からイドゥルフィトリ一日後までの間、ナイトクラブ・ディスコ・スチームバス・マッサージパーラー・スピードボールそして独立した建物で営業しているバーは閉店しなければならない。一方カラオケや音楽生演奏は営業時間が規制される。首都のナイトスポット業界は1,129店あり、そのうちの閉店を命じられたセクターの従業員は1万人にのぼる。
バンドン市内でこの営業規制の対象となった二百ヶ所のナイトスポットは1万5千人の雇用を行っているが、正式従業員になっていない者が50%おり、かれらは職場を失うためこの一ヶ月間収入の道を閉ざされる可能性が高い。
正式従業員になっていないかれらは複数の店で働くことを選んでいる者が多く、正式に雇用されるとその店にしばられるためあえてそうしているケースが大半だ。一方正式従業員は店が閉まっても給与が支払われるため、かれらはその期間故郷に帰って店の再開を待つ。
バンドン市庁は業界団体であるインドネシア娯楽事業者会および国軍と警察ならびに関係諸方面と共にナイトスポット育成チームを編成し、閉店命令に違反して営業を行っていないかどうかのパトロールを行っている。業界者に対しては、一ヶ月間の休みを利用して事業内容の整備や店内の改装を行うようにと呼びかけている。


「コモドは新世界七不思議に入らない」(2011年8月22日)
文化観光大臣が2011年8月15日、インドネシアはコモド国立公園のNew 7 Wonders 最終選考出場を辞退すると発表した。文化観光省がその決定を決めたのは、ニューセブンワンダーズ財団が新世界七不思議最終発表会のホスト国をインドネシアに勤めるよう求め、そのための費用負担4千5百万ドルを要求した上、それを受けなければコモドを28ファイナリストから抹消すると強要されたためであるとのこと。ホスト国になるための財団に対するライセンスフィーが1千万ドル、また発表会開催のための費用負担が3千5百万ドルにのぼるというのが4千5百万ドルの内訳。
「この決定以後、コモド国立公園はニューセブンワンダーズ財団が行っているキャンペーンプログラムの中に含まれなくなる。当方はまだいかなる契約書にもサインしていない。膨大な金額を耳にして、ファイナリスト辞退を決めた。」と大臣は語っている。大臣はまたこの辞退に関連しての法的問題の可能性についてトドゥン・ムリヤ・ルビス弁護士に調査を依頼している。
これまでも文化観光相のこのキャンペーンプログラムへの肩入れに批判的な声は少なくなく、あの財団を信用しすぎないほうが良い、という忠告は大臣の耳に入っていたとのこと。コモド国立公園は1991年にユネスコの世界遺産に指定されているが、大臣はそれに満足せず次のヒットを狙ったようだ、との言葉もささやかれていた。
しかし大臣のその決定に反対する民間有志の声も大きく、特にコモドを世界七不思議のひとつに入れようと力を入れてきたひとびとの間では、この新世界七不思議の持つコマーシャリズムのお祭りであるという性格を大臣は正しく理解していない、との批判の声も出されている。


「行きの航空券を使わないと、戻り予約は取り消されるの?」(2011年8月22日)
2011年5月2日付けコンパス紙への投書"Garuda Menjual Tiket Ganda"から
拝啓、編集部殿。ガルーダ航空がジャカルタコンベンションセンターでミッドナイトセールを行ったとき、わたしはジャカルタ〜広州の往復切符を買いました。2011年3月1日出発で3月6日が戻りです。その購入時にeチケットを受け取りました。
ところが3月1日より前にわたしは広州へ行かなければならなくなりました。セミナーの日程が繰り上げられたのです。わたしは最寄のガルーダ航空オフィスへ出向いてそのフライトの変更を要請しましたが、その特別販売チケットはフライトの変更ができないという条件付でした。仕方なくわたしは繰り上げられた日程にしたがって、広州行きの別のチケットを買いました。わたしの買ったのはジャカルタ発広州行きの片道チケットで、戻りは既に買っている特別販売チケットを使うつもりでした。ところが戻りのフライトに乗ろうとしたとき、問題が起こったのです。
広州の空港でガルーダにチェックインしようとしたところ、わたしの名前がガルーダデータベースの搭乗予定者の中に見当たりません。しかしわたしの持っているチケットはコンファーム済みとなっており、現地マネージャーのブルハヌディンさんも職員のクリスさんも首をかしげるばかりです。
わたしは医師で、手術の予定があるためその日にジャカルタへ戻らなければなりません。ブルハヌディンさんもクリスさんも、わたしの必要性に手を差し延べることができないため、わたしと同行者はひとり500米ドルを支払って中国南方航空の広州〜ジャカルタ片道切符を購入しました。余分な出費を強いられた上に、中国南方航空の使用機体はひどいしろもので、まったく快適さのない旅を辛抱しなければなりませんでした。ガルーダ航空は既に支払い済みの座席をどうして他のひとに転売したのですか?わたしはGFFカードのオーナーです。[ 中央ジャカルタ市在住、アルジュノ・ヘンダルト ]
2011年6月7日付けコンパス紙に掲載されたガルーダ航空からの回答
拝啓、編集部殿。アルジュノ・ヘンダルトさんからの2011年5月2日付け投書についてお知らせします。2011年3月6日に広州からジャカルタへのGA899便にアルジュノさんがご搭乗されようとした際のご不快に対してお詫び申し上げます。ガルーダ航空はアルジュノさんにお会いして、アルジュノさんならびにお連れの三人の皆さんに対し、航空券代金を満額払い戻しいたしました。返金は皆さんがお受け取りになりましたので、これでこの問題は解決いたしました。[ PTガルーダインドネシア企業広報担当副社長、プジョブロト ]


「コモド〜ラブアンバジョ」(2011年8月23日)
常に外国人観光客の比率が圧倒的に高いコモド国立公園。2007年の訪問客数1万6千人は2008年に2万1千人、2009年3万6千人、2010年4万5千人と凄まじい上昇を示している。2011年の予想観光客数は5万人で、そのうち9割が外国人だそうだ。そのコモド国立公園への玄関口にあたるラブアンバジョ(Labuan Bajo)市は空前の観光ブームで沸き立っている。星級ホテルが2軒建てられ、またジャスミン級と呼ばれている簡易宿泊所も数十軒ある。これまで星級ホテルが2軒あった東ヌサトゥンガラの州都クパン市と今や肩を並べる盛況ぶりに、州内の諸都市は顔色を失っている。
だがその華やかな隆盛がどれだけ大きく地元の繁栄に貢献できるだろうかということを考えたとき、湧き上がる疑問を感じるひとは少なくないにちがいない。なぜならインドネシアの観光開発地は、既にバリ〜ロンボッという先例を持っているのだから。
観光客向け星級ホテルや宿泊施設が多数軒を連ねたからといって、すぐに地元民の雇用が増大するわけではない。国際級クオリティが必要とされる外国人観光客向けのホテルやその他の施設だとなおさらだ。これまでそのようなレベルの勤労機会が一度もなかった地元の人々がそのようなレベルに自らを適合させることは、だれにでもできることではない。高いプロフェッショナル性が要求される業務であればあるほど、それに就こうとする人間がたくさん外からやってくるに違いない。国内のどこを見渡しても失業率は高いのである。
さらに資本の問題がある。星級ホテルはいずれも、そしてジャスミン級ホテルの大半が州外資本だ。これから増えていくであろう観光客向けレストランや土産物店も州外資本で作られるだろう。地元民はそこで働くだけの店員でしかなく、事業で得られた利益は出資者の手元に吸い上げられていく。地元政府にとっても厄介な問題がある。地方税地方課金に関する2009年法律第28号は、観光行楽事業から税課金を徴収することを地方政府に禁じている。つまり観光産業が栄えれば、そこから得られる税課金はすべてジャカルタへ吸い上げられる構造になっているのである。その一方で観光産業が期待するインフラ整備向上を地方政府は配慮しないわけにいかなくなる。上水・トイレを含む衛生問題・電力量・道路など、たとえ国が資金を出してくれるとしてもすべて丸抱えになるわけがない。国道は国が舗装してくれるだろうが、外国人観光客が一歩も国道から外へ出ないまま観光を終えて帰国するわけがないのである。ラブアンバジョがどのような道を歩むことになりそうかは、容易に推測できそうだ。


「サラッ山麓にモンゴル風テントが出現」(2011年9月3日)
ボゴール市からサラッ(Salak)山へは遠くない。南西の方角に見える双子山がそれだ。そのサラッ山の麓、標高およそ9百メートルの開けた高原に、真っ白いモンゴル風のテントが並んだ。砂漠ならぬ、緑滴るスンダの山中に出現したこのモンゴリアンキャンプがハイランドパークリゾートホテル(The Highland Park Resort Hotel)。
ボゴール市内から10キロほど離れたボゴール県タマンサリ郡スカジャディ村シナルワギ部落の12ヘクタールの地所にこのモンゴリアンキャンプがある。ここは元々切花農園で、20年くらい前から4ヘクタールの土地にアンスリウムや菊が栽培され、ジャカルタやスラバヤの花市場に出荷されてきた。その切花農園経営者が一念発起して2011年5月にオープンしたのがこのモンゴリアンキャンプ。
二列に並べられた31の大型円形テントはふたりから6人まで収容できる寝室付きのもので、言うなれば宿泊客用コテージにあたる。外見はモンゴルのゲルに似せて作られているが、まったく同じというわけではない。しかしテントの中に入れば、大理石敷きの床にベンチや椅子、テーブル、折りたたみ式ソファ、電話機、フラットTVが調えられ、浴室ではお湯も出る豪華さで、星級ホテルと変わらない。モンゴルのゲルは枠が木製だが、ここは竹と鉄になっている。とはいえテント内はさまざまな布がふんだんに使われており、居心地よさを高めている。敷地内にはさらに大型のテントがふたつあるが、それは集会場などレンタル会場に使われている。
オーナーはこのモンゴリアンキャンプを宿泊客用だけに限定せず、日帰り行楽客をも誘致しようとして、さまざまな施設を完備している。ミニウオーターブーム、フットサルコート、フライングフォックス、ジョギングトレック、エアソフトガン野戦フィールド、そしてさらに、乗馬やアーチェリーも楽しめるようにとその充実が進められているところだ。もちろん切花農園もすぐ近くにあるから、商売モノの花を切り取るのはだめだが、花園の散策もお好み次第というところ。
宿泊料金は一泊200〜250万ルピアで、二人分の食事が込みになっている。レストランではインドネシア料理から西洋料理、そしてテーマのモンゴル料理メニューもそろっている。ラムステーキにモンゴリアンソースというのも悪くない。もちろんこのキャンプから外へ出て、地元の食事処を探すのも一興。近くにはナンカの滝やジャワ島最大の寺院プラアグンジャガカルタ(Pura Agung Jagakartha)もあるし、山歩きの醍醐味を満喫するのも面白いだろう。


「タマンミニで水遊び」(2011年9月10日)
首都ジャカルタで休日のトップ行楽先は北ジャカルタ市アンチョルドリームパーク、南ジャカルタ市ラグナン動物園、東ジャカルタ市タマンミニインドネシアインダのビッグスリーというのが定評あるところ。今年のルバランホリデーも例年にたがわず、ビッグスリーは大勢の人出でごったがえした。
元々はインドネシアの持つさまざまな文化を一ヶ所に集めて紹介することを主目的に作られたタマンミニだが、今では他の遊園地と同じように水遊びの施設が充実している。その11ヶ所あるウオーターテインメントのひとつがスノーベイ。
スノーベイは南極に近い積雪の湾を模したもので、波が寄せたり返したり。もちろん人工的に作り出されている波であり、その機械の操作で最高3メートルの波が作り出されるそうだが、そこまでは行かずとも身の丈ほどもある大波を時折作り出してくれて、ショッキングなサプライズを利用者にプレゼントしている。
週日の入場料は2歳から5歳が8万5千ルピア、それ以上は10万ルピアで、週末はそれが10万ルピアと12万ルピアになる。そのお金を払えば、11ヶ所のウオーターテインメントのどこへ入ろうが自由であり、そしてタイヤチューブの浮き輪やその他の設備も無料で使用することができる。11ヶ所のうちのHurricane, Flush Bowl, Tube Coasterの三ヶ所は子供の入場禁止。ハリケーンは12.5メートルの高さから水の流れるパイプを二人乗りや四人乗りの乗り物で滑り降りる滑り台。パイプの出口はトランペットの先のように開いており、そこから飛び出して空中を飛び、水中に落ちる。そのたびに喚声が上がり、水しぶきが飛び散る。
水遊びに飽きたら外に出て、昔ながらのロープウエー、ミニ列車、スワンボートなどに乗って遊ぼう。掘り出し物を探すひとはアートビレッジや古本市で時を忘れることもできる。タマンミニは家族連れで一日楽しめる行楽先だ。


「ラナメセ湖」(2011年9月17日)
インドネシア東部地方はたくさんの自然が昔のままの姿で残されている。フローレス島マンガライ県の県都ルテン(Ruteng)から25キロほど離れた山中にあるラナメセ湖(Danau Ranamese)もそのひとつ。3万2千Haのルテン自然観光パークの中にあるこの湖は海抜1千2百メートルの高さにあり、気温は14℃まで下がることもある。総面積5Ha、一番深いところで湖底まで43メートルというこの湖は最初、火口湖として誕生した。そのため湖岸は水中に切り立って没している。その湖をはさんで、ルテン山系の最高峰であるマンドサウ(Mandosau)山(標高2千4百メートル)と第二の高峰であるラナカ(Ranaka)山(標高2,140メートル)が対峙している。
この静謐で穏やかなラナメセ湖は周辺の森林の緑を反映して水面に濃淡の緑をたたえ、さざなみが日光を反射してきらめき、そこに身を置く人間の心に平安をもたらしてくれる。人間の集落から遠くはなれ、近くを通るルテンと島南岸のボロン(Borong)をつなぐ街道から折れてこの湖にやってくる車も観光客もまだ稀で、澄んでクリーンな山の大気は空気のおいしさを久方ぶりに味あわせてくれるものだ。もちろん観光商業資本による観光開発の手はまだ伸びてきておらず、自然そのままの姿を楽しみたいひとにとっては極楽と言えるだろう。たまたま日中に霧が立ち上ると、濃く薄くうつろい行く光景はいつかどこかで記憶の中に宿った画像を彷彿とさせるものがある。
その昔、ラナメセの湖に棲む祖霊はゴロルトゥッにあるラナヘンボッに棲む祖霊と争った。ラナメセとは小さい湖、ラナヘンボッは大きい湖を意味している。小さい湖に棲む祖霊たちは大きい湖の勢力に押され押されて、あわや絶滅の淵へと追い詰められていた。大きい湖の戦士たちは大型の槍を使ってラナメセの戦士を追い詰めていたのだ。切羽詰ったラナメセ側は周辺に分居していた人間に援けを求めた。人間たちは山刀を手にしてラナヘンボッの戦士に立ち向かって行き、大型の槍をスパスパと切り捨てたのである。ラナヘンボッの戦士たちが手にしていたのは、実は湖に棲むウナギだったのだ。
こうしてラナメセの祖霊はラナヘンボッをやぶり、かれらを支配下に置いた。そのときラナメセの湖も大きくなったそうだ。今でもウナギはラナメセの湖中に棲息している。そして地元民は自分たちが、ラナメセ湖の祖霊の子孫であると信じている。


「インドネシア人の国内旅行」(2011年9月26日)
1970年代のジャカルタでは、ベチャを使って行ける範囲を移動するのが一般庶民の行動半径だった。特に女性はそうだ。そんな時代と昨今の一般庶民が飛行機に乗る状況を見比べるなら、その差のすさまじさに目を瞠るのはわたしだけではあるまい。
今や国民の旅行熱は高まる一方で、国民のふたりにひとりが旅行する時代になった。
2010年に旅行した国民はのべ1億2,231万人で、2009年の1億1,994万人から微増している。さらにかれら国内ツーリストが支出した金額は次のように変化している。
2004年  71.7兆ルピア
2005年  74.7兆ルピア
2006年  88.2兆ルピア
2007年 108.96兆ルピア
2008年 123.2兆ルピア
2009年 137.9兆ルピア
2010年 150.5兆ルピア
ところが旅行日数は毎年1.92〜1.93日とほとんど変化が見られない。ちなみに金額割る人数でひとりあたりの支出金額がわかるが、親子四人が一泊二日の旅行をそれくらいの金額で行っていると見ることもできよう。ただし、親戚知人の家に宿を借りる傾向も高いから、ひょっとしたら交通費に支出のほとんどが飛んで行っているのかもしれない。


「火山アナラナカ」(2011年10月1日)
ラナメセ湖からラナカ(Ranakah)火山は遠くない。マンガライ県ポチョラナカ郡ラナカ村に属すラナカ山の登山道から山頂までは9キロで、そのうちの6キロほどを登って行った先には1987年に誕生した新峰アナラナカ(Anak Ranakah)火山が指呼の間に見える。アナラナカは標高2,247.5メートル。山頂に近付けば、フローレス島北岸の海が見渡せ、振り返れば南岸の海も一望のもとだ。
6キロほど登って眺望が開けたあたりに地元民は小さい湖があると言う。その湖、ラナカ湖は普通人の目には見えず、特殊な能力を備えた者だけが見ることができるそうだ。地元の言葉でラナカのラナは湖を意味し、ラナカのカは鴉(カラス)を指している。超常的存在であるラナカ湖はその昔たくさんの鴉がやってきて羽毛をつくろう場所になっていたというのが地元の伝説だ。
この一帯もラナメセ湖と同様、いまだに観光開発はゼロの状態で、大地がそして大自然が自らの営みを行っているだけ。だから山道には落石があったり倒木が行く手をふさぐということもある。そんな山道を使えるよう確保しておくために地元行政と民衆がときどき勤労奉仕を行っている。
そんな自然のままのアナラナカがいま噴火のおそれがあるとして入山を禁止された。2011年8月26日、火口から白煙が噴出され、地震も毎日観測されるようになったため、火山警戒ステータスが平常から注意に引き上げられた。そして火山活動がさらに激しさを増したことから、9月8日には注意から警戒にステータスがもう一段引き上げられ、地元行政府がアナラナカの北西7キロとその他の方角は1.5キロの範囲で一般人の火口への接近を禁止している。


「スカルノハッタ空港の闇タクシー」(2001年10月5日)
スカルノハッタ空港は空港利用者のためのタクシー管理を行っており、空港で客をひろうことのできるタクシーは空港側に登録されて空港タクシーのステッカーを貼ったものでなければならない。しかし理屈と現実は大違いで、空港運営会社PTアンカサプラ?に登録されていないタクシーが大いに稼ぎまくっており、そのような闇ビジネスを温存させておこぼれを預かろうとする警備員がそこにからみついている実態は、インドネシアのあらゆる分野でおなじみの慣習だ。
闇タクシーは空港内のすべてのターミナルに入り込んでいる。闇タクシー運転手によれば、一日で50万から80万ルピアの収入になるとのこと。しかし空港管理会社の手の者との鬼ごっこや、闇タクシーにお目こぼしをかける警備員に一回客を乗せるたびに一万ルピアの謝礼を渡すといったことがこの商売の薬味になっている、と運転手は語っている。


「プラウスリブへの出入り口はムアラアンケに一本化」(2011年10月10日)
プラウスリブの島々にとって本土側の玄関口となるムアラアンケ(Muara Angke)港旅客埠頭が2012年から稼動を始める目処がやっと立った。この埠頭工事は2003年に開始され10年近くを費やしてやっと完成の運びとなったもので、総工費は1千3百億ルピアが投じられている。埠頭自体は既に完成しており、防波堤や建物および埠頭へのアクセス道路がいま完成目指して工事中。
ジャカルタ首都特別区の中で唯一の県であるプラウスリブは観光が経済の柱になっており、本土側から観光客を運ぶ海運施設インフラが重要な位置を占めている。いっときは客足が耐えてしまったプラウスリブだが、今では一週間に5千人の観光客がさまざまな島を訪れている。この旅客埠頭の使用が始まれば、今現在アンチョルのマリーナやムアラアンケ漁港の一部を使って行われている旅客輸送はすべてそこに一本化され、文字通りの玄関口となる。
海難事故が増加している昨今、旅客輸送に使われる船の管理を都庁は厳格に行う意向で、7GTを超える船は運通省から航海適性に関する承認を得なければならず、また7GTまでの船は都庁運通局からの承認が必要となる。ファウジ・ボウォ都知事は、旅客輸送事業に参画するオペレータは安全航海規準を厳格に遵守し、規準から逸脱したまま旅客を乗せて航海することの決してないように、と警告している。


「サラガン湖観光」(2011年10月15日)
中部ジャワ州と東ジャワ州の州境をまたぐ標高3,265メートルのラウ山(Gunung Lawu)。その山間の地にサラガン(Sarangan)観光地区がある。高原の涼風と風光明媚な景観、そしてその目玉になっているのがおよそ30Haの面積を持つサラガン湖(Telaga Sarangan)。この湖は海抜1,287メートルの高さにあり、水深は28メートル。水面に向かって降りてくる木々の緑に包まれた山ひだの色合いを反映する水面にきらめく陽光は、行楽客の心をなごませてくれる。
サラガン湖はパシル湖(Telaga Pasir)とも呼ばれる。往古、ラウ山の中腹にキヤイパシルとニャイパシルという名の老夫婦が住んでいた。キヤイパシルが森へ入ってしばらく行くと、思いがけなく何かの卵が落ちているのを見つけた。家に持ち帰ってふたりでその卵を食べたあと、ふたりの腹が猛烈に痛み出した。あまりの痛さにふたりは七転八倒、地べたを転げまわって紛らせようとしたものの、そのとき夫婦は互いに相手の姿が変化していくのを目にして驚いた。地べたをのたうちながらも、身体は巨大化し、皮膚はうろこに覆われ、長く長くなって、ついに空中へ飛び立って行った。ふたりは竜になったのだ。巨大な竜がのたうちまわった地面にはくぼみができ、水が湧いてサラガン湖になった。
マグタン(Magetan)市のアルナルン(Alun-alun)からカランガニャルKarang Anyar)に向かう街道を16キロほど走ると、サラガン観光地区に着く。乗合バスも走っており、サラガンまではひとり1万ルピア。ラウ山の山地に入って上り下りの激しい九十九折の道を行くバスの車窓から見えるラウ山の壮大な姿は、終生の思い出になるものだ。
サラガン観光地区に入る行楽客は、おとなひとり4千ルピア、子供ひとり3千ルピア、自家用車駐車料金一台3千ルピア、観光バスは一台5千ルピア、そして交通傷害保険1千ルピアがもれなく徴収される。
サラガン湖でのお楽しみは水上自転車で近場を遊ぶか、それともモーターボートをチャーターして対岸のスポットを訪れて見るか、お好み次第。水上自転車は13台でモーターボートは50隻ほどあるから、どちらの需要が高いのかは想像に余りあるにちがいない。
4万ルピア払ってモーターボートをチャーターし、サルの森(Hutan kera)へ行くもよし、ティルタサリの滝(Air terjun Tirta Sari)を見物に行くもよし。二ヶ所をまわるのもかまわないが、そうすると追加のチップも必要だろう。オジェッあるいは馬に乗ってそれらの観光スポットを訪れることもできるし、野外ハイクがお好みなら全周2.5キロの湖岸を徒歩で回ることもできる。馬で一周すれば3万から3万5千ルピア、オジェッはわずか1万ルピア。自家用車で回れないこともないものの、道が狭いから対向車が来るとすれちがえる場所を探さなければならない。
サルの森には何千匹ものサルがいて、集団生活を営んでいる。ここのサルは数千年昔からラウ山に住み着いていた連中だ、というのが観光ガイド氏の説明。ティルタサリの滝は1.5キロのアクセス路に車が入れない。水路の堤防を徒歩で行くのは、決して楽な観光ではないのである。およそ7メートルの高さから落ちる水を受ける滝つぼで、清らかな山清水の冷水に触れようとしないひとはいない。もちろんそこでマンディしてもかまわないのだけれど。
もしこの地がお気に召して一夜を過ごそうと思うなら、2軒の星級ホテルや36軒の簡易宿泊施設がある。仮眠でもよいと考えるひとには、湖のまわりに山小屋もある。星級ホテルでなくとも、浴場を備えた寝室でお湯が出て、窓も湖に面してその景観をたっぷり楽しめるような部屋に、わずか7万5千ルピアで泊まることもできる。しかしながら、レベルの違いに応じて宿泊料金はさまざまに異なっており、上級クラスではやはり一泊が百数十万ルピアに達するようだ。
食事も心配する必要はない。バソもあればサテクリンチも愉しめる。土産物屋もたくさん開いており、バティックの袋物から革靴、Telaga Saranganの名前入りTシャツまで、宿泊施設の近くで購入することができる。


「ガルーダ航空に棲む異生物?!(2011年10月20日)
2011年8月5日付けコンパス紙への投書"Kesewenangn Garuda Indonesia"から
拝啓、編集部殿。わたしは2011年7月7日にアンボンへ出発するために、ふたりの連れと一緒に三人分を一枚の航空券でガルーダ航空ウエッブサイトでオンライン購入しました。わたしは何度もガルーダ航空のウエッブサイトでチェックインをこころみましたが、一度も成功していません。
7月6日17時ごろ、航空会社からわたしと連れが予約通りのフライトで出発するかどうかを確認する電話をもらい、また空港カウンターでのチェックイン時間も教えてくれましたので、わたしは当日何の不安もなく空港へ行きました。ところが空港チェックイン担当者は、わたしの航空料金はリファンド手続き中なので、わたしだけ出発できないと言います。わたしは驚いて、もう一度よくチェックするよう頼みましたが、その結果はやはり同じでした。
わたしはキャッシャーのところへ行くように言われ、そこでこの問題を告げると、かれらは本社に問い合わせるから待つように、と言いました。それからほとんど一時間近くわたしはそこで待っていましたが、何の説明もありません。待っているとき、キャッシャーはわたしに新しい航空券を買うよう勧めましたが、わたしだけが二度も航空料金を支払うなんて、そんな気は毛頭ありません。
結局、その航空券で出発できるのは連れのふたりだけということになり、わたしは出発できないで取り残されました。ガルーダ航空側はリファンドをだれがしたのか分からないと言うのです。本当にリファンド者の名前がトレースできないのか、それともガルーダ航空の中にいる別の生き物がわたしの飛行機代をリファンドしたのでしょうか?ガルーダ航空のしたい放題の行為のおかげで、わたしは出発できなかったのです。[ アンボン在住、ティルザニア・フランネッタ ]


「ジャカルタでジャズのライブ鑑賞」(2011年10月22日)
ジャカルタで、週末のナイトライフをジャズで楽しみたいひとびとはもう行きつけのスポットをお持ちであるにちがいない。次に挙げるような場所はエクスパットたちに名前の知られた場所であり、そこでライブジャズと共に過ぎ行く時をじっくり楽しめるにちがいない。
*Red White Jazz lounge 場所は南ジャカルタ市クマンラヤ16B。インドネシア有数のジャズミュージシャン、インドラ・レスマナが経営するジャズクラブで、インドネシアでそうそうたるジャズプレーヤーたちを知りたいと思えば、ここに来ればよい。インドラ自身のジャズスピリットにもそこで触れることができる。
*Black Cat Jazz Supper Club 場所はプラザスナヤンアーカディア。夕方7時からピアノ、9時半から1時までグループ。休業日なし。
*Eastern Promise 場所はクマンラヤ5番地。水曜日の夜がジャズナイトで、夜7時半からセッションが始まり、深夜にいたる。オープンジャムセッションの機会も設けて若手の参加を勧誘している。
*Harry's Bar Jakarta マンダリンオリエントホテル内
*JAMZ Entertainment  スマンギ立体交差に近いリッポスディルマングランドスイートホテル内
*Parkit DejaVu Club Jl. K.H.Wahid Hasyim No 88にあるIBECビル2階
*Cave Jazz Coffee Lounge 中央ジャカルタ市チキニラヤ通りのTaman Ismail Maruzukiの向かいにある。ライブは金曜日19時から。
もうひとつ忘れてならないのがアンチョルのパサルスニ(Pasar Seni)。1985年から1990年ごろまで、ジャカルタのジャズミュージシャンたちがそこで一般民衆にジャズ音楽の息吹を吹きかけていた時代があった。アンチョル運営者は2010年7月からそのフライデイジャズナイトをパサルスニ野外ホールで復活させ、New Friday Jazz Nightの名の下に毎週金曜日の夜にはジャズのビートがパサルスニに流れるようになった。金曜日の夕方、アンチョルで遊び、夜になったらパサルスニへ行ってみればよい。みんな気楽にジャズを楽しんでいる。


「ボロブドゥル訪問者が減少」(2011年10月26日)
1991年にユネスコの世界遺産に指定されたボロブドゥル寺院(Candi Borobudur)とプランバナン寺院(Candi Prambanan)を訪れる観光客が減っている。ボロブドゥルとプランバナンおよびラトゥボコの三つのチャンディ群の運営の任に当たっているPT Taman Wisata Candi Borobudur, Prambanan & Ratu Bokoのマーケティング担当取締役は、2010年の訪問者は4百万人だったが、この2011年はそれを下回ることがほぼ確定したと語った。運営会社が2010年に得た入場料からの収益は、収入が1千2百億ルピアで利益は2百億ルピアであり、2011年予算では収入1千4百億ルピア利益3百億ルピアの目標を掲げたものの、着地見込みはその6〜7割程度になりそうだ、との予測を取締役は明らかにしている。
2010年訪問者数4百万人のうち6割はボロブドゥル、4割がプランバナンの入場者で、またその年の収益の6割を国内観光客が支え、外国人観光客からの収入は4割しかなかった。ボロブドゥルを訪れた観光客は平常期で一日一万人、学年末休暇やルバランの繁忙期になると一日一万八千人、ところが閑散期になると一日三〜四千人しかやってこない。
同取締役はマーケティング業務のために諸外国を訪れているが、外国の旅行代理店業界の間でボロブドゥルの知名度は悲しむべきレベルだ、と嘆息する。「アジア諸国を訪れたとき、ボロブドゥルの名前すら知らない旅行代理店があまりにも多かった。マレーシアでは知名度が5%くらい。日本もそれくらいだった。ボロブドゥルはタイにあると思っている旅行業界者すらいた。そのタイに至っては3%程度の知名度しかないし、インドや韓国ではボロブドゥルを知っているツアーガイドにひとりも出会わなかった。あれでは、旅行業界者がボロブドゥルをお客に勧めてくれるという期待を持つことに無理がある。ボロブドゥルにたくさんやってくるのはヨーロッパ人だ。オランダ・フランス・ドイツからの観光客が上位を占めていて、その下にマレーシアやシンガポールが続いている。アジア諸国からの観光客誘致を高めるために、ボロブドゥルとプランバナンを政府関係者は共同責任としてもっと宣伝するように気を配って欲しい。」
ボロブドゥル寺院への入場料は外国人がひとり14〜15ドル、インドネシア人の場合はひとり2万5千ルピアとなっている。6倍も異なる料金差にもかかわらず外国人の収益貢献度が低いことに同取締役は歯がゆい思いを抱いているにちがいない。


「夜のプンチャッ」(2011年10月29日)
道路をはさんで一方は水田、もう一方は草地になっている。それを隔てるアスファルト道路を定期バスが走っている。少し離れた水田のど真ん中に高床小屋が見える。小屋の周りは実った稲、そして道路のこっち側には一本の木があり、周囲に白い花が咲きこぼれている。そのカラー写真は1960年代に撮られたもので、今ザグランドヒルビストロ(The Grand Hill Bistro)が建っている場所から道路側を眺め渡したものだ。半世紀を経たいま、その面影はもうどこにもない。水田は姿を消して建物に変わり、草地も姿を変えている。メガムンドゥン(Megamendung)〜ガドッ(Gadog)〜チサルア(Cisarua)〜プンチャッ(Puncak)をつなぐプンチャッ街道のほとんどは道路の両側をごみごみした建物が続いていて、山道の風情を感じされてくれる場所は茶畑を除けばほんの少ししかない。
都民のプンチャッ行楽熱は相変わらずで、週末はのろのろ運転の車列が坂道を埋め尽くす。だからこそ、夜のプンチャッ行はお勧めだ。1970年代にも、夕陽が落ちた直後にクバヨランバルをオートバイで出発してプンチャッに向かい、山の上で深夜のデートを楽しんでいる若いカップルがたくさんいた。山頂から眺める光の粒が並ぶ下界の夜景はまたひときわ興趣深いものがある。
タングランに家を持ち、南ジャカルタのオフィスに勤めるヤント50歳は、妻子を同行してプンチャッへの夜行をきめこんだ。20時に家を出て、山頂にあるザグランドヒルビストロに着いたのは23時。熱帯であるとはいえ、海抜1千5百メートルの空気は寒い。16℃から18℃くらいの気温だ。遅い夕食を採り、熱いコーヒーカップを手の中に巻き込んで、闇の中に浮かぶ灯りの海を眺めてひとときを過ごす。「疲れるけど、昼間来るよりは楽だし、快適だよ。家へ帰るのは夜中になるが、帰り道は空いているから楽だ。」
ザグランドヒルビストロは深夜0時が閉店時間だが、客の入りが多ければ午前1時まで時間延長するのにやぶさかでない。一階フロアーも二階バルコニーもオープンスペースをたっぷりとっており、下界の景色を存分に楽しめる。このレストランを包み込んでホテルが建てられる計画になっており、ホテルができれば閉店時間はもっと遅くできるのだが、とオーナーは語る。
もっと下にあるチサルアで営業しているチモリも、週末は午前2時まで開いている。ただし、プンチャッ街道はその日の交通量と上と下の車両ボリュームによって上り下りの一方通行が臨機応変に切り換えられるため、下り車両が増加する夜に上ろうとすると長時間待たされる可能性がなくもないことを付け加えておきたい。


「巨大肥満者は非常扉を抜けられない?」(2011年12月9日)
2011年9月30日付けコンパス紙への投書"Garuda Indonesia Melecehkan Penumpang Bertubuh Gemuk"から
拝啓、編集部殿。去る8月30日にわたしはジャカルタ発シンガポール行きGA832便でガルーダ航空職員の侮辱を受けました。飛行機の扉が閉まる前、わたしが座っている非常扉横の15E−15F座席にガルーダの地上職員がやってきて、わたしに別の座席に移動するよう求めましたので、わたしはその要求の根拠を尋ねました。その職員が言うには、わたしの体重が過剰なので、もし緊急事態が発生したとき、非常扉を開くことができないからだと言うのです。さらに、これはキャビンクルーの要請にもとづくものだ、とも言いました。
わたしは座席を移ることを拒み、その職員に抗議しました。頻繁に飛行機を利用しているわたしの経験では、どの航空会社にせよそのような要請は妥当性がなく、ありえないものだと思われたからです。あとでわたしは着陸前に、キャビンクルーにそのことを確認しました。航空規則教本の中にそのような決まりがある、とそのクルーは言いましたので、わたしはその教本を見せてくれと頼みました。しばらくしてから、そのクルーは非常扉周辺の座席に関する規則をわたしに示し、意味を取り違えていたことを謝罪しました。非常扉横の座席に座ってはならないひとは、肉体的能力が欠如していると思われる乗客だったのです。
肥満は肉体的能力欠如を意味しているのでしょうか?そのとき、非常扉まわりの座席に老齢者も座っていましたが、そちらにはまったく注意が向けられていませんでした。[ 南ジャカルタ市在住、ソニー・スダルソノ ]


「ルトゥンカサルン公演」(2011年12月17日)
年末年始の休暇をバンドンで送る方のために、とスンダ地方を代表する民話ルトゥンカサルン(lutung kasarung =迷子のルトゥン)のミュージカル公演が予定されている。ルトゥンというのは南アジアから東南アジア一帯にかけて生息するオナガザルの総称で、ムラユ系でルトゥンと呼ばれるが、インド方面ではラングル(langur)と呼ばれている。
スンダ民話のルトゥンカサルンは、天上の住人サンヒヤン・グルミンダがルトゥンの姿で地上に降ろされ、生涯の伴侶を求めて地上を彷徨する道程を描いたもので、幸福を求めて人生を彷徨う人類共通の姿を象徴している。
物語は王位を継ぐべき直系の王女プルバサリ・アユワギが嫉妬深い異母姉のプルバラランに苛め抜かれているのをルトゥンが助け、最後に正体を現したサンヒヤン・グルミンダと結ばれるというもので、スンダ地方と呼ばれる西ジャワ州では古典民話とされている。
90年前にも同じような企画が行われ、ミュージカルというジャンルのまだなかった当時はグンディン・カルスムン(gending karesmen)と呼ばれるショーの形式をとった。これはガムラン楽団をしたがえた舞台演劇で、せりふは歌われるから現代のミュージカルと同じようなもの。
ミュージカル「ルトゥンカサルン」は2011年12月27日から2012年1月1日までバンドン市内のササナブダヤガネシャ(Sasana Budaya Ganesha)で上演される。


「スナヤンのクリダロカ」(2011年12月31日)
ジャカルタのスナヤン陸上競技場コンプレックスの中にプールもある。そのプールの裏手にあるのが森林公園クリダロカ(Kridaloka)だ。スポーツ好きの都民はここにまでやってくる。休日には、個人やスポーツコミュニティグループの姿をよく目にする。
さまざまな巨木が根を張り、野鳥が心地よいひと時を謳歌する。今や全国的に希少な樹となったケペル、ジャカルタの街路樹として一般的なアンサナ。直径1メートルを超えるアンサナは樹齢40年で、その周りには普段でも25種類の野鳥が飛びまわっている、とジャカルタバードウオッチャーズソサエティ会員は言う。
1946年にオランダ人生物学者はジャカルタで256種の野鳥を観察したが、ジャカルタバードウオッチャーズソサエティによれば、それが135種に半減している由。年々オープンスペースが減り、樹木が減少したジャカルタは、多くの野鳥にとってもはや楽園ではなくなっているにちがいない。


「またまた、嘘つきはだれ?」(2012年1月16日)
2011年9月24日付けコンパス紙への投書"Sebagai Tempat Wisata, Kampung Gajah Tidak Aman"から
拝啓、編集部殿。夫とわたし、そして4歳半と2歳11カ月の子供ふたりは、2011年9月3日に西ジャワ州レンバンにあるカンプンガジャ行楽地へレクレーションに行きました。わたしたち一家は安全な娯楽を楽しもうとして、10万から15万ルピアという決して料金の廉くないATVファミリーブギ―を選択しました。
この娯楽は丘の周囲を4周まわるのです。3周目までは順調に行きました。最終ラウンドで、最後のフィニッシュラインに接近していたとき、夫がパニックになりました。急な下り坂でブレーキがきかなくなったのです。わたしたちの乗ったATVは前を走っている9歳の子供が運転するATVに追突しました。
前方に集まっていた群衆がその状況にいきり立ち、大声で怒鳴りはじめたのです。夫はATVを止めるため自主的に立木に車をぶつけました。そして一家中がけがをしたのです。末っ子は車から投げ出されてフェンスに引っ掛かりました。上の子は安全ベルトのおかげで助かりましたが、夫の膝が破れ、わたしは頭の2ヶ所に傷を負い、V字型の縫い目を作りました。そして腰に打撲、ひじは血まみれで、腫れあがったのです。
カンプンガジャ管理者は医療措置も取らず、ブレーキは壊れていないと言い張って夫を悪者にしました。わたしの一家は救急手当ても得られなかったのです。結局わたしたちは自主的に近くの病院を探しました。病院の救急治療室で医師と看護婦は、どこで事故に遭ったのかと尋ねました。わたしたちの答えにかれらは、「あなたがたは決してはじめての被害者ではない」と言いました。これまでにも骨折事故は何件も起こっているのだそうです。[ ボゴール在住、アマリア・アスティカサリ ]
2011年10月7日付けコンパス紙に掲載されたカンプンガジャからの回答
拝啓、編集部殿。アマリア・アスティカサリさんからの2011年9月24日付けコンパス紙に掲載された投書についてお答えします。去る9月3日にアマリアさんご一家がファミリーバギーをご利用になっていたとき、自損事故が起こりました。事故の直後にファミリーバギーオペレータ職員はアマリアさんご一家をカンプンガジャの救急治療所にご案内し、医療担当者はご一家の承認を得た上でそのときのけがの状況に応じて治療を施しました。
カンプンガジャ管理者はお客様の保安と安全に格別の配慮を払っております。当方はSOPを励行し、車両のひとつひとつに至るまで、それを動かす前に安全点検を実施しています。各車両を稼働させるのは午前8時で、整備担当者がそれ以前にブレーキ・エンジン・タイヤその他安全器具の機能チェックを実施しています。
事故発生直後にアマリアさんご一家の中のひとりであるデニーさんとカンプンガジャ職員ならびにバギー整備担当者がその車の再チェックを行い、ブレーキが壊れていないことを確認しました。たいへん失礼いたしました。[ カンプンガジャ人事総務、ウィディヤ・ヘルニハ ]


「理解はバラバラだが、自分は正しいというひとばかり」(2012年1月17日)
2011年10月10日付けコンパス紙への投書"Tentang Raket Tenis dan Pesawat Garuda Indonesia"から
拝啓、編集部殿。ガルーダ航空以外の航空会社はテニスラケットをネガティブな使われ方のありうる手荷物に分類し、バゲージ預かりの扱いをしています。少なくともカンタス航空でのわたしの体験はそうでした。バゲージ預かりの場合に破損のリスクが高まるので、テニスラケットは壊れ物扱いがなされ、そう表示されます。
ガルーダ航空では話が違っていました。2011年8月29日、わたしはジャカルタ発デンパサル行きガルーダ航空に乗りました。チェックインの際、担当者はテニスラケットをキャビン手荷物だと言いました。他の航空会社と扱いが違っているため、わたしはバゲージ預かりにして壊れ物の表示をするよう頼みましたが、担当者は拒否しました。
9月6日、わたしはデンパサルからジャカルタにガルーダ航空機で戻りました。ガルーダ航空チェックインカウンター担当者は同じことを言いました。ところが機内への搭乗がはじまったとき、空港警備員がわたしの搭乗を許さず、ラケットをバゲージに入れるよう命じたのです。わたしは時間がかかると言いましたが、警備員は聞く耳を持ちませんでした。
厭な思いをしたわたしがやっと搭乗したとき、ちょうど前の座席にテニスラケットを二個持ち込んでいる乗客がいたのです。わたしが乗務員にクレームしても、警備員が見落としたのだろうという返事が返ってきただけでした。航空機内のテニスラケットに関する国際規則は本当はどうなっているのですか?ガルーダ航空はその国際規則に準じているのでしょうか?空港警備員とガルーダチェックインカウンター担当者の理解はどうして異なっているのですか?[ 西ジャカルタ市在住、ヘンドラ・タヌジャヤ ]


「サーファーのパラダイス」(2012年1月23日)
パラダイスビーチ。インドネシア語でパンタイスルガ(Pantai Surga)。ロンボッ島南東部の半島にある。そこはパラダイスはパラダイスでも、挑戦的なサーファーにとってのパラダイスなのである。
西ヌサトゥンガラ州の州都マタラムからおよそ70キロ。ロンボッ新国際空港のある中部ロンボッ県プラヤ(Praya)はほぼその中間地点だ。プモンコン(Pemongkong)村ジョル(Jor)部落から12キロの難路が続く。激しい起伏と破損したアスファルト道路は、多くの外国人観光客のように四駆で走れる車をバリから持ってくるのが正しい対策のようだ。
そこは人里離れたビーチ。ここまでやってくる物売りはいない。聞こえるのは潮騒と鳥の声だけ。10年前、サーファーたちはここにやってきて、夜は地元民の家に民宿するか、テントを張りハンモックを吊って寝た。今でも宿泊施設は少ない。ビーチ周辺には20室ほど、1キロほど北上した丘の近くに15室ほど。宿屋を経営しているのはサンゴ研究者のニュージーランド人ケリー・ブラック。丘の上からはリンジャニ山を望むことができる。宿屋従業員の話では、訪れる観光客は40〜50人で、逗留は4〜5日。10年前には一ヶ月滞在してサーフィン三昧の日々を送ったサーファーがいたと言う。この宿屋は空港まで客を出迎えてくれる。6人乗りのシボレーかフォードが来て、乗客はひとり60豪ドルを払う。宿代は三食に洗濯付きで一日一部屋240豪ドル。海に潜りたければ35米ドルでレンタルできる。海まで歩くのが面倒であれば、自転車を15〜20豪ドルでレンタルできる。宿屋の名はHotel Heaven on The Planet。
パラダイスビーチがサーファーでにぎわうのは3月から9月。みんなが海に出るのは午前8時〜11時と15時〜18時。波の高さは5メートルにも達する。打ち寄せてくるインド洋の波がサーファーの挑戦心をかきたてる。
近くには6千年から10万年前の貝の化石が出土する崖がある。昔の海面は今より50メートルも高かったそうだ。夕陽で黄金色に映えるその崖を眺めるのも一興だろう。


「観光セクターはまだまだ伸びる」(2012年1月27日)
中央統計庁の2011年入国外国人統計はまだ出されていないために実績の把握はできないが、推定760万人が観光をメインにインドネシアを訪れたと見られており、年間目標710万人を上回ったのはもとより、2010年から8.5%上昇したという暫定的な数字評価が出されている。
外国人観光客がインドネシア訪問時に支出した外貨は一人当たり1,118.2米ドルで前年の1,085.7ドルから上昇しており、人数増とあいまって2011年の外貨収入に大きく貢献した。
ビザのサーベイによると、2年以内にインドネシアへ旅行しようと考えている外国人のプロフィールは次のようになっている。
<年齢34歳、既婚、職業は専門職・マネージャー・エグゼキュティブ・ビジネスマン、月間所得は1,850米ドル。
<出身国別では、シンガポール17%、マレーシア15%、台湾9%、オーストラリア9%がトップフォー。
<インドネシアを選ぶ理由については、
観光オファー内容が魅力的 75%
自然の景観 70%
政治的安定 70%
まだ行ったことがない 67%
行きやすい 67%
気候 65%
<インドネシアで何をしたいかについては、
野外での活動 64%
グルメ観光 52%
ナイトライフ 52%
ウオータースポーツ 45%
ビューティケア・ヘルスケア・リフレッシュ・リラックス 41%
<宿泊日数は9泊
一方、インドネシア国民の旅行熱も高まる一途。2011年の国民総旅行回数は1億7,299万トリップで、その総支出は114.6兆ルピア。ひとりあたり1トリップ支出金額は662,680ルピアで、2010年の641,760ルピアからアップした。2012年にはそれが70万ルピアの大台に乗るだろうと予測されている。


「フライト出発遅延補償が開始される」(2012年1月28日)
2011年運通相規則第77号は2012年1月1日から開始された。航空会社が引き起こした乗客や貨物の損害に対する補償内容を定めたその規則は、特に4時間を超える出発遅延に対する乗客への現金補償に関して空運業界からの不服が強かったものの、定期運行の時間厳守をレベルアップさせるという意図を踏まえた政府運通省の意欲が業界を押し切った形になった。
ちなみに2011年7月〜11月の主要定期航空会社の定時運航率はスリウィジャヤ航空が最低の62.3%、ワースト2位はライオン航空の62.7%となっている。上位から見て行くと、トップはガルーダ航空の82.5%、2位はバタビアの73.9%、3位はエアエイシアで68.9%、4位ムルパティの63.7%というランキングになっている。運通省空運総局は70%を超えなければ落第点だと述べており、落第者への指導がかれらを待ち受けている様子。しかし運行遅延は1〜2時間程度が大半を占めており、4時間を超えなければ、というおかしな限度意識が現場作業員に広がる可能性も出てきそうだ。
当初運通省は損害に対する補償に関して、航空会社が保険業界の組んだコンソーシアムに保険料を払い、補償の補填をそのコンソーシアムに求めるという図式を描いたものの、結局その案は空中分解してしまったらしく、航空会社は個別に保険会社との契約内容を修正する方向で対応している。航空会社はまた、この保険料の財源は乗客が払う航空運賃から引き当てることにしており、今後の航空料金算出計算の中にその保険料が含まれることになる。
空運業界は4時間を超えて遅延が起こった場合の補償金30万ルピアをどのように乗客ひとりひとりに渡すかというメカニズムを検討中で、多くの航空会社はバウチャー方式に傾いている。ライオン航空総務担当取締役はそれについて、当面は遅延証明書を乗客に出し、準備が整ったところでバウチャーを渡すようにする、と述べている。乗客はそのバウチャーをライオン航空のチケットオフィスに持ち込み、ライオンエアー側が乗客の口座に30万ルピアを振り込むということになるが、振り込みタイミングについて取締役は明言を避けている。
スリウィジャヤ航空のメカニズムもやはりバウチャーを使うものだが、バウチャーを全国どのスリウィジャヤ航空事務所へ持ち込んでも換金されるとのこと。そのバウチャーは当日すぐに持ち込んでもOKだが、30日間有効という期限が付けられている。バタビア航空もスリウィジャヤ航空とほぼ同じものになりそうだ。


「2011年の‘時のアーティスト’十傑」(2012年1月30日)
2011年にヤフー!インドネシアでインドネシア人が検索したインドネシア人アーティストのトップはだれか?クリスダヤンティと離婚したアナン・ヘルマンシャ(Anang Hermansyah)との関係に興味津津のひとびとが追いかけまわしたシャハリニ(Syahrini)がゴシップダネのナンバーワン。
それを追って出産したとかどうとかという噂で持ちきりだったムーラン・ジャミーラ(Mulan Jameela)。
三位はアリエルとの流出ポルノビデオで一躍2010年の時の人になったルナ・マヤ(Luna Maya)。
次いでクリスダヤンティなきあとの生活維持を子供たちのために考えなければならなくなったと語るアナン・ヘルマンシャが新たに組んだデュエットのアナン&アシャンティ(Ashanty)。
五位以降は、アユ・デウィ(Ayu Dewi)、ジュリア・ペレス(Julia Perez)、アグネス・モニカ(Agnes Monica)、ニキタ・ウィリー(Nikita Willy)、アルミ・バフシン(Arumi Bachsin)、アユ・ティンティン(Ayu Ting Ting)という順位。
ゴシップのネタをひろうのに余念のないインターネットサーファーたちは、ファッションからセラブリティの私生活まで、コミュニティの中で使える情報を探求する。ましてやセンセーショナルな写真でも見つかれば、仲間内に知らせまわるようだ。ゴシップ速報を流す人間は仲間内から見上げられるのかもしれない。


「トバ湖にエデンの園が」(2012年2月4日)
エデンの園がスマトラにある。その名もTaman Eden 100。北スマトラ州トバ湖の東岸に位置するこのタマンエデン100が個人の環境保存努力の結晶だと聞けば、きっと驚かれるにちがいない。
総面積40Haのタマンエデン100は個人植樹を奨めており、一本10万から30万ルピアを払って苗を植えておけば、園側がその後の面倒を見てくれる。不幸にして苗が枯れたなら、園が新しい苗に取り換えてくれる。そんなことまで含んでの料金であり、決して高いものではない。何年かに一度、トバ湖を訪れてわが名前の名札がついた若木に再開するのは心ゆかしいものにちがいない。苗はイスラエルから取り寄せたアラ(いちじく)の木とアマゾンから取り寄せたバターナッツ(ウオールナット)の木が用意されている。
しかし植樹場所でないところは原生のさまざまな木々が森を作っており、ドリアン・アボガド・みかん・グアバなどの果実も実っている。海抜1千メートルを超えるこの丘の上は日中でも気温が20℃前後で、森林・果実・花々など自然を満喫するにはもってこいの場所。入園料はひとり3千から7千ルピア。そのゲートから20分ほど歩けば滝がある。滝つぼの冷水に身体を浸すのも別に禁止されているわけではない。森林の中を散策して、果実をもいで食べてもかまわない。そのままずっと奥の方に向かって2時間半も進めば、こうもりが棲息している洞窟もある。こうもりの生態を見たければ、中へ入るのも自由。
このエデンの園を訪れるのは、メダンからパラパッ行きの乗り合いに乗る。料金は2万5千ルピアから10万ルピアまでいろいろ。もし車をチャーターするなら1日35万ルピア。
トバ湖観光に行くなら、ここを目的地のひとつに加えておくのも悪くない。パラパッ(Parapat)に泊まり、翌朝パラパッ〜バリゲ(Balige)街道を17キロ南下すればエデンの園だ。パラパッの宿泊は一泊15万ルピアから80万ルピアまでいろいろグレードがある。食事は宿屋周辺のワルンで食べれば、ひとり3万ルピアはしないだろう。


「踊れ、踊れ、サルサを踊れ」(2012年2月4日)
バンジャルマシン出身のロニーはもう4時間も踊り続けている。ダンスフロア―には避けようもなく、汗のしずくが散る。ダンスの夜、かれはいつも着替えを持ってくる。大量のエネルギーを発散させるそのダンスに魅せられて以来、かれは踊りながら空中に浮き上がっていく自分を感じるようになった。「フロアーから降りる気持ちが起こらない。パートナーに気の合う相手が見つかったら、なおさらだよ。ずっと踊り続けていたい。」7年前からサルサを覚えたロニーは今や脂の乗りきった動きを見せる。
毎週水曜日、メキシカンバー&グリル「アシエンダ」にサルサパーティの夜が来る。ロニーはサルサダンスコミュニティに加わって仲間とだべり、パートナーを選んではフロアーに降りる。リズミックなラテン音楽の生演奏に乗ってカップルは激しく踊る。男の右手は女の左手を握り、左手は女の腰にまわし、互いに目と目を見合わせて離さず、一対の仕掛け人形のように滑らかに動いていく。情熱的な足と腰の動きは見る者の目をくぎ付けにして離さない。
ロニーとスティヨノは5か月前からレッツサルサインドネシアを興してサルサを教え始めた。「サルサが上流階層のダンスなんてとんでもない。ヨーロッパでは一般庶民の間に高い人気がある。インドネシアでも一般の人たちにもっと愛好者を増やしたいと考えてこの活動をはじめた。」
サルサはもちろん、手ほどきを受けてはじめて見栄えの良い格好が決まる。サルサのレッスンを与えるダンススクールもジャカルタにはある。たとえばジェネセラダンスセンターでは11歳の生徒も受け入れている。足と腰を激しく運動させるラテン系のダンスには特有のステップがあるのだ。中でも、女性に必ずハイヒールを履かせて身体を直立させるのは絶対条件で、腰からヒップにかけての動きがそれによって一層美しさを高めることになる。
一児の母で24歳のアティカは、セクシーな体型に戻りたいと思って1ヶ月前からレッスンに通い始めた。たった1ヶ月なのに十分に効果を感じているとかの女は言う。「身体が軽くなったわ。健康的だし、自分がきれいになったと感じるの。」ビギナーズクラスに入って1ヶ月のアティカはやっと8つのステップをマスターした。ラインダンスはたっぷり自信がついているが、サルサは異性パートナーとのコンビネーションであり、それがマスターできるようになるまでにはまだ長い道のりがある。
8年前からサルサを学び始めた日本人のチエコ・カトーはインドネシアに住むようになってすぐにジャカルタのサルサコミュニティに加わり、レッツサルサインドネシアでトレーニングを受けるようになった。「サルサがわたしの運動よ」とかの女は語る。
リカスは、かれ氏がサルサ好きなのでその相手になろうとして2ヶ月前からサルサのレッスンを受け始めた。「サルサじゃ男は女をリードする立場だから、男らしくなきゃいけないのね。サルサを踊ると、相手の男がすっごく男らしく見えるのよ。わたし、ドミニカへ行ったことがあるけど、あっちではみんなサルサを踊っているのに、わたしはそれに加わることができなかった。今とてもそれを悔やんでるわ。なんでもっと前からサルサを学ばなかったのかってね。」
激しい運動で身体を健康にし、さらに身体のラインを整えてしぐさや動きをも魅力的にするサルサ。おまけに強い男のたくましさでリードされる女性を魅了するサルサ。さあ、みんなでサルサを踊ろう。


「ブロモ火山への道」(2012年2月10日)
東ジャワ州プロボリンゴ(Probolinggo)にあるブロモ(Bromo)火山は、他の山なら火口湖になっているはずの火口周辺が砂漠のようになっており、そのエキゾチックな雰囲気に惹かれる観光客は多い。標高2,329メートルのブロモ山はそこから南におよそ1.8キロ離れたジャワ島最高峰のスメル(Semeru)火山と一緒にブロモ・テンゲル・スメル国立公園を形成しており、全国から登山愛好家を集めている。ただしブロモは観光化が大変進んでいるため、ブロモに登るのに登山という雰囲気はあまりない。
ブロモ山最大の売り物は日の出だ。夜明け前にブロモ山周辺のガディサリ(Ngadi Sari)やチュマララワン(Cemara Lawang)あるいはガダス(Ngadas)の村の宿泊施設から起き出し、ブロモ山を目指して暗い砂の海を行く。しかしもっと壮烈な日の出体験もできる。ブロモの外輪山である標高2,775メートルのプナンジャカン(Penanjakan)峰に四輪駆動車をチャーターして登れば、雲海の上に昇ってくる朝日を拝むことができる。午前4時45分ごろには、ジャワ島各地の高峰が闇の中からゆっくりと光の中に姿を現し、詰めかけた観光客から拍手喝さいがあがる。プナンジャカンの夜明け前は気温が1〜2℃に近づくから、その対策も忘れずに。さあ、ジャカルタからブロモ山へ観光に出かけよう。
ジャカルタからブロモへの道は三種類ある。(1)飛行機でスラバヤまでひとっ飛び、(2)あるいは鉄道でスラバヤへ、(3)それとも長距離バスで一路プロボリンゴに向かうか。
2011年8月のコンパス紙ウエッブサイトによれば、それぞれの道程にはつぎのようなアドバイスが出されている。
(1)スラバヤのジュアンダ空港からはダムリ(Damri)バスでブグラシ(Bungurasih)バスターミナルへ。バスターミナルでジュンブル(Jember)あるいはバニュワギ(Banyuwangi)行きのバスに乗る。車掌にプロボリンゴで降りることをあらかじめ伝えておくとよい。プロボリンゴバスターミナルでガディサリ方面行き乗合い自動車に乗る。料金は2万5千ルピアだが、この乗合い自動車は車内がいっぱいにならないと発車しないから、時計の支配を受けない世界に来たことを覚悟しなければならない。
(2)鉄道を使うなら、ジャカルタからはエグゼキュティブクラスのアグロアングレッ(Agro Angrek)号に乗ってもよし、エアコンなしのエコノミークラス列車ガヤバル(Gaya Baru)号でもよい。スラバヤのグブン(Gubeng)駅からはバニュワギ行きムティアラティムール(Mutiara Timur)号が毎朝9時に発車する。それに乗ってプロボリンゴまで行き、プロボリンゴ駅から市内乗合い自動車アンコッ(angkot)でプロボリンゴバスターミナルへ向かい、上の(1)に合流する。
(3)長距離バスで直接プロボリンゴまで行くなら、南ジャカルタ市ルバッブルスバスターミナルからジュンブルあるいはバニュワギ方面行きのバスに乗る。プロボリンゴバスターミナルで降りたら、上の(1)に合流するわけだ。
ガディサリには宿泊施設がたっぷりある。民宿もあり、廉価版だと一泊1部屋10万ルピア台。そこはもう2千メートル級だから、寒さを払いたい観光客に温かい飲食物を供してくれるワルンもたくさんある。
もしプナンジャカンに登りたければ、夜のうちに四駆を予約しなければならない。料金は30〜40万ルピア台で、泊りあわせた他の観光客を誘ってワリカンにするのも悪くない。
宿の主は午前3時に起こしてくれる。小型四駆車に乗って夜の闇を走り抜ける。プナンジャカンの夜明けを体験したあと、四駆の運転手は眼下のブロモ山まで連れて行ってくれるから、ブロモ山の火口を覗き込む体験もできる。火口の縁に登る階段はたいへん急だから、ゆっくり登るのが一番。階段の途中でうずくまっているひとだってたくさんいるのだ。火口の縁まで登ったはいいが、めまいがして火口に落ちたらたいへんなことになる。


「ボロブドゥル遺跡運営に批判」(2012年2月11日)
世界文化遺産であるチャンディボロブドゥルの運営が地元民の共同体に根差したものになっていないことをユネスコが批判した。起源8百年代に建造されたボロブドゥル寺院は世界の観光スポットとして高名をはせているが、その観光運営はあまり秩序整然としたものになっておらず、またボロブドゥル寺院の存在が周辺住民にたいした効用をもたらしていないように見えるというのがユネスコの提言内容。それが端的にあらわれているのが、観光客のほとんどはジョクジャからの日帰りでボロブドゥル観光を行っており、その近辺にムンドゥッ(Mendut)やパウォン(Pawon)など別のチャンディ遺跡があるにもかかわらず、そこを訪れる観光客はめったにいない、というポイント。周辺地区一帯のインフラ整備向上という問題とは別に、そのエリアに妥当なレベルの宿泊施設がほとんどないことが観光客に日帰りツアーを強いている大きい要因となっており、政府はそのエリアでの観光産業振興のための政策を行って地元民の産業参加をもっと活性化させる必要がある。
チャンディボロブドゥルの来園客はいま1日あたり1〜2千人で、週末や長期休暇シーズンには2万5千人にはねあがる。その9割はインドネシア人観光客であるとのこと。チャンディボロブドゥルの管理運営を行っているボロブドゥル遺跡保存院の院長によれば、これまではボロブドゥル遺跡の保守に意識を集中していたため、ユネスコが指摘する内容まで対応が取れていなかったとの由。これからは土産物生産や観光ビジネスに関する指導を強化して、地元民への効用を高める工夫をしていく、と院長は述べている。
遺跡の最上層部は大勢の観光客を無制限に入れると遺跡の破壊が促されるため82人までという人数制限が行なわれており、その順番待ちをしている観光客に対し、待ち時間を利用して周辺エリアへの観光を奨めることを計画して行きたい、と院長は弁じている。


「少年少女は韓流に乗る」(2012年2月13〜24日)
コリアンウエーブがインドネシアを覆っている。テレビを見てみるがいい。いくつかのテレビ局が流している朝の音楽番組には曲調・着付け・コレオグラフィーに至るまでまるでKポップを引きうつしたような歌を、まるで韓国スターのような姿のインドネシア人歌手が歌っている。もっとKポップに密着している番組はSCTVのK-pop vs I-pop で、韓国のボーイバンドやガールバンドとインドネシアの韓国風ボーイバンドやガールバンドが対抗戦を演じている。Indosiarは韓国の音楽産業の要請にかなうインドネシアの新人歌手発掘番組Galaxy Star を擁している。ギャラクシースターの番組制作に関与している韓国人ユン・ジャエクウォンは、この番組で一位になった参加者は韓国に送られて、歌唱訓練・ダンス・ボディケアなどを磨きあげられ、アジアを揺るがす新人アーチストとしての道を歩むことになる、と語っている。インドシアルの番組にはまた、Music Box というのがあり、Kポップアーチストが歌う曲にあわせて画面の下に歌詞のテロップが流れて、まるでカラオケのよう。
ヴィエラのバンドメンバーであるケヴィン・アプリリオは韓国風ガールバンドとして、上背があり細身で美人の5人を集めて「プリンセス」と名付けたグループをプロデュ―スした。「声も音楽も容姿もばっちりで、韓国ガールバンドに負けないグループだ。みんな素のまま、手術なんかしてない。」
最近テレビによく姿を現すプリンセス以外にも、Cherrybelle、7icons、Hitz、Super9Boyz、Fame、6 Starz、Be5t、XO-IX、Soulmate など韓国風味満載のグループが次から次へ。そしてついに東アジアのものとはまったく異なるインドネシアの民族ジニアス「ダンドゥッ」にまで韓国風味が混じりこんできた。アユ・ティンティン(Ayu Ting Ting)はその嚆矢だ。
コリアンウエーブが今波しぶきをあげているのは、何もインドネシアに限ったことではない。シンガポール、マレーシアなど東南アジア諸国から、なんと日本にまで怒涛のようなウエーブが押し寄せているという。コリアンウエーブは音楽やKポップスターが身につけている小物などから映画やTVドラマまでの人気に終始しているわけではない。基本的に韓国の若者の服装スタイルはタイ、シンガポール、香港、インドネシアなどの若者とそれほど違っているわけではない。ただ、日本の原宿族のように、かれらは自己表現が大胆なのだ。たとえばインドネシアの女の子はハイストッキングをはく習慣がない。韓国の女の子はハイストッキングやかわいいソックスをはくのが常識になっている。公式な場でも、韓国の若者はTシャツの上からそれにマッチさせた上着を羽織る。普段着なら、四季に応じたものを着る。女の子は下半身を大胆に見せる一方、上半身はカーディガンやミニブレザーで覆ってしまうというのがユニークだと言えるだろう。
インドネシアでは大勢のひとが、韓国スタイルはかつてインドネシアの若者たちが躍起になってまねた台湾スタイルと同じだと思っている。韓国ボーイバンドやガールバンドも台湾の亜流でしかないと見る者も少なくない。しかし一見同じように見えるものの、中身は違う、とエナジーファンズクラブ会長で台湾アーチストのインドネシアファンクラブ世話人をも務めているレスティ・インダ・プラビアンティは言う。「その両国のアーチストのスタイルは全然異なっています。韓国アーチストはどっちかと言えば美麗で、台湾アーチストよりなよなよしています。」
台湾系日本系アーチストのファンクラブ世話人は、それらのアーチストのファンになっているインドネシア人は韓国系に浮気することがほとんどなく、かえって韓国系を嫌う傾向が見える、と語る。韓国系の音楽は日本の昔の音楽や映画あるいはTVシリーズものの焼き直しが多く、さらにアーチストの中に整形手術をしている者が多いことなどが反発を誘っているようだ。コリアンウエーブがインドネシアだけでなくシンガポール・マレーシア・中国さらには台湾でも活況を呈しているのは、韓国政府がそれらの国で自国PRを大々的に行っていることに起因している、とレスティは分析している。
韓国政府がそこまで多くの国で映画・TVドラマ・音楽などのエンターテイメント製品をプロモートしているのは、もちろん勝算があってのことだ。10年前わずか150万人しか年間外国人入国者がなかった韓国は2010年に850万人の外国人観光客を受け入れたのだから。工業製品の分野でもそうだ。韓国人スターが映画やTVドラマの中で手にした韓国製工業製品は輸出量が増加し、韓国の産業イメージの向上に貢献している。韓国政府は実に巧みに韓流プロモーションという文化戦略を推進しているのである。
音楽文化専門家デニー・サクリによれば、韓国にボーイバンド・ガールバンドが誕生したのは、日本のそれらのグループの活動に刺激されてのものだそうだ。日本ですら、最初はアメリカのグループNew Kids on the Block などからアイデアを得て自国文化の色付けをしたものであり、それが韓国に渡って韓国風の色付けがなされたというストーリーなのである。
K−ポップが誕生したのは1991年で、それ以来韓国風のポップ音楽・映画・TVドラマは東南アジアへも盛んに流れ込んできた。韓国系ボーイバンド・ガールバンドの人気がインドネシアで急上昇しはじめたのは2011年はじめで、国内音楽界がそれをまねたグループを世に送り出しはじめたころだ。その最初の作品がSMASHだった。続いて7iconsやCherrybelle が誕生した。インドネシアには今や40を超えるボーイバンド・ガールバンドが活動している。
ボーイバンドやガールバンドは音楽のジャンルでなく、形式だ。かれらの音楽はポップ、R&B、ラップ、そして少々ロックの色が添えられている。
韓国でボーイバンド・ガールバンドは最低2年間のトレーニング期間を経て市場に送り出されてくる。歌・踊り・コレオグラフィをマスターするだけでなく、数カ国の言語をも操らなくてはならない。そうやって熟成したアーチストが世に出てくるのだが、インドネシアではそこまで待っていられない。今K−ポップに燃え上がっているマーケットに促成ボーイバンド・ガールバンドを投入しなければ、ブームがいつ去ってしまうかわからない。そんな台所事情でテレビに出てきたアーチストたちが長く人気を保てるはずがない。デニー・サクリはそう国内のプロデューサーたちを批判している。
2012年1月12日、ジャカルタで開かれたインドシアル17周年記念番組で、かぶりつきに押し寄せた大勢の女性ファンを前に韓国人歌手シー・ミンチュルが言った。「Saya suka Indonesia, terutama cuaca, makanan, dan ...gadis-gadisnya.」即座に観客席から拍手喝さいの嵐。うれしさにとび跳ねながら、ローティーンの少女が叫んだ。「Aaaahhh..... Aku mau jadi gadismu!」
Super Junior, The Boss, Girls' Generation, X5, N-Sonic, Park Jung-min。かれらK−ポップのスターたちはアジアばかりか、ヨーロッパ、アフリカそしてアメリカまで、世界の若者を魅了している。
韓流スターに夢中になったインドネシアの少女たちも、各国の例にもれずおっかけを行う。ブカシに住むナディラ18歳はお目当てのX5メンバーを追いかけ、スカルノハッタ空港へ赴いた。ところがいざ対面すると、体中の力が抜けてしまい、考えていた言葉は一言も出てこない。メンバーのひとりハエウォンの手を握って立ちつくした。一行はホテルに向かい、ホテルロビーで記者会見。記者の中に混じって警備員の目をくらましたナディラは一行の近くへ接近。感極まったあげく叫び声が口からほとばしり出て、その場にいた全員の視線を浴びるという結末に。
インドネシアへのK−ポップの流入は、アジア諸国のTV連続ドラマの放映が盛んになってからのことだ。台湾や韓国のTVドラマが高い視聴率をあげ、その主題歌が大ヒットした。そんな流れのはてに韓国製ポップスが徐々に人気を高めるようになった。端正な容姿に陶器のような肌をしたK−ポップスターへの憧れはいや増しに高まって行く。そして自分もあんな風になりたいと思う若者たちは、服装、装身具、髪型、手回りの小物などをそっくりまねるようになる。
プラザスマンギのジョニー・アンドレアン美容サロンの表には、韓流スターのように髪を染めようと誘うK−ポップカラーの看板が置かれ、店内で順番を待っていたデウィ24歳は、K−ポップのとりこになるまで蓄えていた長い黒髪をばっさりとショートにし、栗色に塗り替えたことを話す。「特定の韓国系アーチストのスタイルをお手本にしているわけじゃないんだけど、要するに韓国スタイルがいいのよね。」
この傾向をつかんだ都内の美容サロンは、一斉にKカットスタイルのお勧めをはじめた。Skin Food, The Face Shop, Misshaなどの韓国化粧品店もインドネシアでの販売網拡充をはかり、韓国系パンブティックまでもがビジネス網を広げ始めた。こうして韓国系の乗用車・家電品・ガジェット・ハイパーマーケットに至るまで、インドネシア人の消費生活構成の中に韓国商品はひたひたと浸透している。ジャカルタのスナヤン通りやバンテン州カラワチのピナンシアオフィスパークは韓国村と化し、韓国人の関与する金融・医療クリニック・美容サロン・レストラン・ホテル・下宿・スーパーマーケットから韓国製ゴルフショップに至るまで、まるで韓国がそこへ引っ越してきたかのような様相を呈している。今やインドネシアには1千3百の韓国企業が進出してきているのだ。韓流というものの戦略構想が、K−ポップというステージ上でスポットライトを浴びる部分だけを扱っているのでないことが、それらの事実からは明白だ。文化面の輸出だけを取り上げても、音楽・TVドラマ・ゲームをはじめさまざまなコリアンポップ製品だけで38億ドルという収入を2011年にあげている。
インドネシア女性がひとり、夜の釜山の繁華街を通り抜ける。コーヒーショップの入口にギターを置いてしゃがんでいる韓国男性との間でアイコンタクトが起こる。女性の口から短い韓国語が出ると、男性も短い返事を返す。たがいにさようならのしぐさを交わして、女性は歩み去る。男性は女性の後ろ姿を長追いせず、視線を戻して夜の街を眺める。
インドネシアから来た撮影チームが2011年12月のその夜カメラにおさめた一シーンがそれだ。既にクランクインして佳境に入っているファルコンピクチャーズ制作の「ヘローグッバイ」は2012年12月に封切り予定。監督演出はティティン・ワティメナで、主役のインダを演じるのはここ数年めっきりと円熟みを増してきたアティカ・ハシホラン。
言うまでもなく、この映画制作の目的は、インドネシア国内で熱い渦を巻いている韓流ブームにあやかって、韓国情緒満点の映画を若者の間で大ヒットさせようというのが狙い。「しかしこれはあくまでもインドネシア映画であって、韓国映画を作っているわけではないのよ」と監督のティティンは主張している。
ファルコンピクチャーズCEOは、国内のブームに乗って急きょ制作しているこの映画について、結局はブームに参加するか、それとも置いてけぼりになるかの二者択一しかないのだ、と制作の意図を表明している。その考え方はSCTVもインドシアルも違わない。K−ポップの一翼を担うインドネシア人歌手を発掘してアジアの韓流スターに育て上げようというコンセプトで始まったギャラクシースターのオンラインによるオーディション出場申し込みは5千人を超えている。
韓流の発音はhanlyu ではないようだ。韓国語では/n/と/l/が結合する場合、どうやら/n/は/l/に変化するらしい。インドネシアのサイトも英語やスペイン語あるいは本家の韓国サイトも、すべてが韓流をhallyu と表記している。つまり日本人がアルファベットを使って書いているhanlyuというスペルは日本にしか存在しないもののようだ。
ところでこのハリューのブームが本当のところはどうなのかという視点からコンパス紙が2012年1月11〜13日の間全国12都市住民828人に対する電話インタビューで集めた結果を公表した。
質問(1)あなたは今ブームになっている韓流に惹かれますか?
回答(1)はい 28.5%、いいえ 69.9%、無回答 1.6%
質問(2)惹かれていると答えたあなたはどの分野にのめりこんでいますか?
回答(2)映画42.2%、映画と音楽18.99%、音楽14.8%、映画・音楽・ファッション6.3%、ファッション5.5%、映画とファッション5.1%、音楽とファッション4.6%、無回答2.5%
そのデータを見る限り、インドネシアが決して韓流のるつぼと化したわけでないような印象だ。ブームを作り出そうとしてエンターテイメント業界が煽っている状況をわれわれは、既に確立された国民の需要を満たすために行われていると見るべきでなく、需要をもっと拡大させることを目的にして行われていることだという見地から見なければならないにちがいない。


「ムンタワイのサーフィンスポット」(2012年2月20日)
世界中からバリへバリへとサーフボードもなびいているが、いまやインドネシアを知らなくてもバリの名前が知れ渡っているとはいえ、その筋のひとびとにはバリよりももっと好まれているサーフィンロケーションがある。それは西スマトラ州ムンタワイ(Mentawai)群島。
この群島は北からシブルッ(Siberut)、シポラ(Sipora)、そして南北パガイ(Pagai)の四島をメインとする列島で、インド洋のダイナミックな波がサーフィン愛好者をとりこにしている。サーフィンの楽しめるビーチはあちこちに点在しており、シブルッ島南部ではニャンニャン(Nyangnyang)、カランバジャッ(Karang Bajat)、カロニキ(Karoniki)、パナングラッマイヌッPananggelat Mainuk)、シポラ島ではカティボスア(Katiet Bosua)、スラタン(Selatan)などが人気を博している。もちろんサーファーだけでなく、海底の景観を楽しみたい潜水ファンからも、十分な人気を得ている。
ムンタワイのサーフィン最盛期は4月から10月まで。このシーズンにはインド洋の波が超過激になる。島へ渡るには船しかなく、西スマトラ州の州都パダンから連絡船に乗る。シブルッ島へはパダン〜シポラ〜シブルッというルートになり、14時間を船上で過ごさなければならない。その忍耐も、怒涛のうねりに乗ったとき、すべてが洗い流されることだろう。


「ホテルボロブドゥルでスペシャルオファー」(2012年3月20日)
中央ジャカルタ市バンテン広場に面して立つホテルボロブドゥルが創設38周年を記念して2012年3月23日にスペシャルオファーを実施する。
<ティモールルーム>
伝説のオックステールスープ お一人前38,000ルピア++
サービス時間11:30〜23:30
<ブルシェッタイタリアンレストラン>
イタリア料理3コース お一人様38,000ルピア++
サービス時間11:30〜14:30&18:30〜22:30
<ミヤマジャパニーズレストラン>
シェフオオモリのスペシャルメニュー お一人様38,000ルピア++
サービス時間11:30〜14:30&18:30〜22:30
<ボロブドゥルグルメ>
パン・ケーキ・ペイストリ全品38%引き
サービス時間07:30〜21:00
<プンドポラウンジ、チャーチルワイン&シガーバー>
シェフの最高人気スナックメニュー お一人前38,000ルピア++
サービス時間12:00〜23:30
<トゥラタイチャイニーズレストラン>
セットメニュー3コース お一人様38,000ルピア++
サービス時間11:30〜14:30&18:30〜22:30
お問い合わせは(021)380 5555または383 5000
Eメール: welcome@hotelborobudur.com
ウエッブサイト: www.hotelborobudur.com


「航空会社の言う予定時間は出前といっしょ」(2012年3月26日)
2011年12月24日付けコンパス紙への投書"Batavia Air dengan Kelitannya"から
拝啓、編集部殿。去る11月12日、わたしはジャカルタ発スマラン行きバタビアエアーY6−315便を利用しました。その日、ほとんどすべてのバタビアエアー便は数時間という遅れを記録しました。わたしの乗った便も同様です。
航空券には出発時刻15.50と記載されていましたが、16.15に出発は2時間遅れるというアナウンスがありました。ところが18.00になっても搭乗の気配はまったく見られず、更なる遅延の案内すらありません。
乗客から抗議の声が上がり始めました。バタビアエアー地上職員の説明は二転三転します。最初はスラバヤからの便の到着を待っていると言っていましたが、最初の約束が満たされないことがはっきりしてからはバリッパパンからの便を待っていると言い出し、これも言ったことが実現しないのが明らかになると今度はシンガポールからの便を待っていると言う始末です。
そのすべてが空手形だったことが判明して現場の雰囲気が加熱してくると、ステーションマネージャーが現れましたが、この御仁は問題解決に努めようとせず、他人が悪いの一点張りでした。
乗客はいったいどうなるのかわからない五里霧中の状況を経て、アンボンから到着した飛行機に19.00にやっと搭乗できました。テイクオフは19.30でスマラン着は20.30。3時間半も待っている間、バタビアエアーは乗客への補償を何一つ与えませんでした。
バタビアエアーのでたらめのマネージメントは、11月14日にY6−316便でスマランからジャカルタへ戻るときも繰り返されました。航空券には出発時刻が17.25と記載されていましたが、16時ごろにバタビアエアーは乗客にSMSで2時間の出発遅れを連絡してきました。ところがY6−316便が本当にテイクオフしたのは20.30で、ジャカルタ到着は21.30でした。待たされている間に与えられた補償はたった一箱のナシブンクスだったのです。[ ボゴール在住、ピルンガディ ]


「ホテル業界は10%値上げ」(2012年3月31日)
補助金付きプレミウムガソリンが2012年4月1日から33%値上がりすれば、飲食品の市場価格値上がりは避けようがなく、経費の値上がりをカバーするためにホテル業界は客室料金を5〜10%値上げすることになりそう。
ヤンティ・スカムダニ、インドネシアホテルレストラン会会長は、石油燃料価格アップの影響をカバーするための妥当なホテル料金値上げ率について、検討を行っているところだと語った。石油燃料費はホテル運営コストの20%近くに達しており、客室料金値上げで対応しなければ健全な事業経営が続けられなくなる、と会長は言う。ホテル業運営コストの内でエネルギーコストは4割を占め、エネルギーコストの75%は電力関連が占めている。石油燃料値上げは事業運営コスト中の交通費と自家発電費用を直接押し上げることになる。
首都圏のみならず、地方部でも状況は同じだ。ジョクジャ、マカッサル、バンドンなどの地方都市ではホテルレストラン会各支部が料金値上げ率に関して結論を出しており、10%の値上げが行われるとのこと。しかしバタム支部は、会員ホテルからの値上げの話題がまったく出されていないため、今のところ値上げ予定はないと表明している。
バンドンのアスミタブティックホテルGMは、ホテルにとって客室料金値上げは容易なことではない、と語る。「バンドン市内ホテル利用者のほとんどは国内観光客であり、購買力がある外国人観光客の宿泊は少ない。バンドン市内のホテル客室供給は過剰状態になっており、結果的に5〜10%の値上げ率というのが現実的な線だろう。値上げをすれば、1〜2ヶ月間客室稼動状況が悪化する。ホテル間の競争は激化しており、4〜5星級新規ホテルの中には、一泊40万ルピアを切る料金をオファーするところさえある。」
同じバンドンのグミランリージェンシーホテルGMは、石油燃料値上げがまだ話だけの段階でもう鶏卵や野菜が値上がりを起こしはじめた、と嘆く。「飲食品やその他の輸入物品の値上がりが続いている。FB部門のコスト負担はとても重くなっている。」
ところでアルコール飲料輸入ライセンスを与えている17社に対し、商業省が輸入業績を改善することを要求した。政府が毎年定めるアルコール飲料輸入クオータが17社に割り振られているが、与えられたクオータを百%消化こそすれ、ろくに輸入実績を作らないライセンス保有者もある。そのため商業省は、与えられたクオータの50%以上輸入しなければライセンスを取り上げると発表した。しかしホテル業界は商業省のその方針に反対を表明し、輸入業者の減少は市場で品薄を招く元凶になることを理由にライセンス取り上げ方針を撤回するよう求めている。


「ならず者の支配する観光地」(2012年3月31日)
2011年12月9日付けコンパス紙への投書"Preman di Kawasan Wisata Gili Trawangan, Lombok"から
拝啓、編集部殿。『観光旅行は国内でしよう』という政府のお誘いは実に尊いものです。いかし現実は残念ながら、わが国の観光地で行われている行為はわが民族の名を汚すものが少なくありません。ギリトラワガン(Gili Trawangan)へ向かう観光客のロンボッ側門戸である渡海港バンサル(Bangal)で去る11月27日、わたしどもは年若いチャロたちにお目にかかることになりました。
港の乗船切符売り場には、ひとり一万ルピアの表示があります。ところがそのときは17時の就業時間を過ぎていたので、売り場係員は直接船員に支払うよう言いました。仕事の時間が終わったから、観光客に対するサービスはもうしない、ということのようです。
わたしどもの他に外国人観光客がおり、乗船する前にひとり5万ルピアとか10万ルピアとかの値段でチャロが切符をオファーしてきました。そのチャロたちは大勢が乗船者を取り巻いて売り込みをしますが、インドネシア人観光客よりむしろ外国人を相手にしようとします。わたしどもはチャロたちから外国人観光客を守りつつ、仕事を放棄した切符売り場係員の言葉に従って直接船員と交渉しました。ところが、船側は乗船客と直接取引をしたがらないのです。かれらはならず者に支配されていたのです。
地元民の中には、ひとり1万ルピアで船を出すことを厭わない者もありますがならず者はそれを妨害し、自分のファミリーが借り切っているこの船を融通してやるのだという話をでっちあげて外国人観光客から金を搾るのです。そのようなことを行っているならず者たちは、その場所が警官に警備されているのであれば、遠ざけることができるはずです。残念なことに、警官はいったいどこにいるのでしょうか?[ 東ジャカルタ市プロマス在住、アデ・クレスナ ]


「大使館がパスポートを紛失」(2012年4月2日)
2011年12月23日付けコンパス紙への投書"Paspor Hilang di Kedutaan Besar Perancis di Jakarta"から
拝啓、編集部殿。去る9月28日、わたしはフランスでのセミナーに参加するため、スラバヤのフランス領事館にフランス入国のためのシェンゲンビザを申請しました。二週間が経過したというのに、何の連絡もありません。わたしは何の問題もなく手続きが進んでいるものとばかり思っていました。ところが領事館のタンティさんから連絡があり、わたしのパスポートが紛失したと言うのです。
わたしのパスポートをジャカルタのフランス大使館が受け取った証拠であるクーリエの配達レシートにサインがあるので、紛失したのはジャカルタ側であるとのことでした。
わたしが出した、パスポートの所在を尋ねる最初の手紙に対してミスター・セバスティアン・スルンが返事をくれました。かれはクーリエサービスを非難し、ビザ申請の条件になっている航空券とホテルバウチャーが使われなくなることについて責任は負わないと述べていました。
ミスター・スルンの手紙への返信をわたしは10月28日に出しましたが、返事がありません。ジャカルタのフランス大使館は紛失したわたしのパスポートを補償しようともせず、無責任です。わたしはセミナーに参加ができず、航空券とホテルバウチャーは焦げ付き、そのパスポート内に交付されてあった有効期限内のオーストラリア入国ビザも消滅してしまいました。わたしはそれほど大きな損害を蒙ったのです。フランス大使館はわたしの全損害に責任を持ってください。[ 東カリマンタン在住、ウィルジェン・アグスティニ ]


「ダイビング観光客は2百万人超」(2012年4月4日)
2011年にインドネシアを訪れた外国人観光客は760万人で、850万ドルという外貨をインドネシアに貢献してくれた。インドネシアの自然を楽しむためにやってきたひとたちは多く、中でも760万人の30%はインドネシアの海中で遊ぶためにやってきたひとたちで構成されている。それを手放しで喜んでもいられない、とマリ・エルカ・パゲストゥ観光クリエーティブ経済大臣が表明した。
特殊観光目的であるダイビング観光は、海底エコシステムに悪影響をもたらすおそれがある、と大臣は言う。初心者ダイバーは水中で体のバランスを取るのにまだ慣れておらず、サンゴに近づきすぎて自分の体やあるいは足ひれをふるってサンゴを破壊する可能性がある。故意に壊すわけではなく、事故と言うべきレベルのものだが、破壊されたサンゴが元の状態に復するまでには、長い年月が必要になる。インドネシアにダイビング観光ポイントは6百ヶ所あり、この問題に対する対応をわれわれはどのように取って行くかを考えなければならない。インドネシアを訪れる観光客が数の上で増加することはもちろん望まれていることではあるが、自然保護の意識を持つ高いクオリティの観光客が増えることをもわれわれは望んでいる、と前辣腕商業大臣は語った。


「映画館へ行かなくなったインドネシア人」(2012年4月7日)
映画制作が増加しているというのに、国民はあまり映画館へ行かなくなった、と政府が表明した。2012年1〜2月の制作本数は24本にのぼり、前年同期の14本を大幅に凌駕している。ところが2011年に映画館で上映された102本を国民がどのくらいの頻度で鑑賞したかという比率を採ると、国民ひとりあたりは0.24%という結果が出た。その結果を生んでいる最大の要因は映画館の数が少ないことだそうだ。今全国には映画館が172軒あり、スクリーン数は676となっている。
ほかの国の状況を見てみると、ブラジルは年間制作本数が84だが、ひとりあたりの映画鑑賞比率は0.64%と高い。映画館の数は全国に2,120軒あるとのこと。オーストラリアは年間制作本数がもっと少なく、46本しかないが、全国の1,989スクリーンに国民は引き寄せられている。ひとりあたり映画鑑賞比率は4.51%。
制作本数ではアメリカが世界のトップで694本、中国は475本、日本448本、ロシア253本、イギリス126本といったところ。
往時インドネシアも映画制作と興行が隆盛で、映画館は青年男女のデートコースになっていたが、オルバ期に映画館の独占系列化が進んだために健全競争が行われにくい環境になっており、AV機器の浸透ですでに映画館離れを起こしてしまった国民消費者を映画館にどうやって呼び戻すか、それが映画興行界の今後を決める鍵となるにちがいない。


「好き勝手に予約フライトを変更する航空会社」(2012年4月12日)
2012年1月24日付けコンパス紙への投書"AirAsia Mengubah Tanggal Sepihak"から
拝啓、編集部殿。2011年6月にわたしが予約し支払いまで済ませ、コンファメーションまでできていたバンドン〜バリ間の往復フライト日程をエアエイシアはわたしに承諾も求めないで一方的に変更しました。当初の日程はバンドンからバリが2011年12月27日午前7時、バリからの戻りは2012年1月3日で、搭乗者は総勢11人です。
2011年10月28日、わたしが弟の戻りフライトをキャンセルしようとしてエアエイシアに電話したとき、思いがけなく当初の日程が全面的に変更されているのを知って驚きました。出発が12月27日の夕方になっている者、あるいは12月28日になっている者、そして戻りは全員が2012年1月4日になっていました。
わたしはその変更に承諾をしていません。エアエイシア側がまったく無断で一方的に変更したものです。もし同じ日で時間だけが変更されたのであれば、わたしはまだ受け入れることができたでしょうが、日にちが変更されるのはどうしても受け入れることができません。というのは、2011年12月27日から2012年1月3日までバリのビラを予約し、支払いも済んでいたからです。
わたしはエアエイシアに対し、すべての航空券料金とわたしが先に行ったフライト変更費用の返金を要求しました。しかしエアエイシア側は返金に応じようとせず、2ヶ月過ぎてから総額のほんの一部を返金してきただけでした。予約コードはJ44FFF,M6CUVP,F3QYRV,K2KUMI,です。[ タングラン在住、チャルルス・カルタウィジャヤ ]


「バリへの日本人観光客が半減」(2012年4月14日)
2008年以来、バリを訪れる日本人観光客が減り続けている。2008年にバリを訪問した日本人観光客は359,824人で、2009年は333,905人、2010年245,212人、2011年182,385人。実に4年間でほぼ半減してしまった。
バリ州観光局長は、理由はいろいろあり、グローバルクライシスや昨年日本で起こった地震と津波の災害の影響があらわれている、と説明している。バリの観光業界者によれば、日本人観光客はほかの国からきたツーリストよりも地元にもたらす利益が大きいため、単なる観光客数の減少よりもっと大きな影響を地元は蒙っている、とのこと。
2008年までは日本人がバリを訪れる観光客の首位を続けていたが、今やオーストラリア人と中国人がバリ訪問外国人の上位を占めている。2012年1〜2月だけをとってみても、オーストラリア人119,054人、中国人82,705人だが、日本人は28,659人しかいない。
旅行代理店PT Bali Indah Cahaya Tour & Travelオーナーは、日本人観光客の減少はとても残念だ、と語る。「日本人観光客はみんな規律正しく、決められたことをよく守ります。そしてツアーの支払いについても責任をもって行います。日本人観光客の海外ホリデーでのお金の使い方はけちけちしないので、みやげ物店や観光ポイントで営業している業者にとっても売上げが大きくなります。このように、日本人観光客が来てもらうことは地元のビジネスに良い効果を及ぼしているのです。日本人観光客の減少を防ぐためには、バリの観光業界者がもっとプロフェッショナルなサービスを提供できるかどうかが鍵になります。日本人観光客のセンシティブさは有名で、サービスに不満があるとお金を返すよう要求するんですよ。」
バリ州は2012年9月に東京で開催が予定されている国際観光フェアーにガルーダ航空と共同で参加することにしている。それに関連してインドネシア観光産業連盟バリ支部長は、これまでインドネシア側が行っていた日本の旅行代理店まかせという体質を改善するよう批判している。これまでのようなあり方では、日本の旅行代理店に手綱を握らせているようなものであり、政府は自ら市場を構築するつもりで、日本でのバリ観光プロモーションのあり方を整備しなければならない、との論。


「スカルノハッタ空港がトップの栄冠」(2012年4月14日)
2011年にスカルノハッタ空港を利用した乗客は5,244万人にのぼり、年間成長率19.2%という世界最高ランクの地位を得た。その数値は国際エアポートカウンシルが発表したもので、空港管理会社PTアンカサプラ?のデータでは5千1百万人だが、その差は小さい。
同カウンシルが発表した番付によれば、第二位はトルコのイスタンブール空港が成長率16.3%、さらに中国の広州10.8%、シンガポールのチャンギ10.7%、マレーシアのクアラルンプル10.5%、オランダのスキポール10%と続く。
しかし実数で比較すれば、スカルノハッタ空港の乗客取扱い数は世界で12番目となる。2011年世界ナンバーワンはアメリカのアトランタ空港で9,236万人、次いで北京空港7,740万人、ロンドン空港6,943万人。東西と南北の交差点の地の利を得て伸びてきたドゥバイ空港は5,097万人でスカルノハッタの後塵を拝した。
2011年に乗客数が減った空港のトップは東京国際空港のマイナス2.9%。ほかは微減で、ヒューストンが−0.8%、シカゴ−0.5%、マドリッド−0.4%といったところ。


「サービスをしないサービス業従業員たち」(2012年4月25日)
2012年1月18日付けコンパス紙への投書"Pengalaman Buruk dengan Lion Air"から
拝啓、編集部殿。わたしとまだ幼いふたりの子供は2011年11月29日ライオンエアーJT776便でジャカルタからマナド経由テルナーテへ行く予定でした。チェックインもバゲージ預けも順調でしたが、搭乗前になってわたしとふたりの子供(うちひとりは病気でした)はスカルノハッタ空港ターミナル内の待合室A4とA5の間を行ったり来たりさせられたのです。その結果、わたしと子供たちが機内に入る前に飛行機の扉が閉められてしまいました。わたしのバゲージはもう機内に入っているというのに。
かけあった末、ライオンエアーは翌30日の同時刻のフライトに変更してくれることになりました。わたしのバゲージは確保しておくという保証つきで。
ところが翌日わたしが機内にいるとき、その日マナドからテルナーテへのフライトはないという理由でわたしは機内から降りるように言われました。ライオンエアーのアフィフさんが、わたしの宿泊と送迎を負担してくれると言いましたが、アミル・ハムザさんはそれを取り消しました。
2011年12月1日、姉がライオンエアーに苦情すると、それを受けたリチャード・シライッさんは責任を放棄しました。「そのできごとがあったとき、わたしはその場にいなかったので、わたしの責任ではありません」と言って。
姉はライオンエアー本社に苦情しに行きましたが、その日のうちに空港のライオンエアー事務所に行くように言われ、ピンポン玉にされました。
わたしのバゲージはビショ濡れで、中身は使い物にならなくなっていました。[ 北マルク州テルナーテ在住、リアナ ]


「外タレはホクホクのインドネシアコンサートツアー」(2012年4月28日)
かつて日本で円高が外タレブームを生んだ。同じことがインドネシアでも起こっている。2012年は外タレブームの年になりそうだ。今予定されているショーは次のようなものがある。
イエス: 4月24日ジャカルタ(Pacific Place, Ritz Carlton Ballroom)
スーパージュニア: 4月28〜29日ジャカルタ(Mata Elang International Stadium, Pantai Carnaval Ancol)
レディ・ガガ: 6月3日ジャカルタ(Stadion Utama, Gelora Bung Karno, Senayan)
クリスティーナ・ペリー: 6月5日ジャカルタ(Tennis Indoor, Gelora Bung Karno, Senayan)
ジェイソン・ムラツ: 6月22日ジャカルタ(Lapangan D, Gelora Bung Karno, Senayan)
欧米の景気が沈滞気味だから、かれらは景気の良いアジアへのツアーを組む。景気の良いインドネシアがその目的地のひとつに選ばれないはずがない。既に名前の通った外タレのショーの入場券は一番廉い席でひとり50万から70万ルピアという、インドネシアの物価から見ると異常なレベルになっている。
アジアのほかの国々からインドネシアの呼び屋に対してクレームがきている。域内で外タレに一番高いギャラを払っているのがインドネシアであり、インドネシアのおかげでギャラが高めに誘導されてしまうという苦情だ。コンサート1回のギャラは相場が20万米ドルだそうだが、インドネシアのプロモーターの中にはなんと60万ドルもギャラを出す者がある。そして外タレの言い分をご無理ごもっとも、で聞いてやる。それでインドネシアを蹴る外タレがいるわけがない。
外タレ側も、ほかの国では掛け値があまり通らないのを承知で一応は言ってみる。何事も交渉だ。ところがインドネシアではゴネれば競り上がっていくのを経験と裏話で知っているかれらは、なかなか引き下がろうとしない。金がある者が勝つのがインドネシアの鉄則だが、そのつけは聴衆が背負うことになるのである。呼び屋業界の中にそういう人間もいるが、マジョリティはまともな感覚のビジネスマンたちであり、業界の中で相場破壊をしないように申し合わせる動きも起こっているそうだ。


「老人が困ったジョクジャ駅」(2012年5月1日)
2012年1月6日付けコンパス紙への投書"Stasiun Yogyakarta Tak Ramah bagi Penumpang Usia Lanjut"から
拝啓、編集部殿。2011年10月28日、63歳のわたしと71歳の夫の二人連れは、スラバヤからバンドン行きのアルゴウィリス号に乗ってジョクジャのトゥグ駅に到着しました。老齢のわたしどもはトランクふたつとダンボールぶたつという大荷物を持ってきたのです。列車はジョクジャ駅に3分間しか停車しません。
トゥグ駅の規則のために、わたしどもはいくつかの困難を味わいました。ポーターは列車内に入ってはいけないことになっているため、老人だけで多くの荷物を車内からプラットフォームにおろすのにとても苦労しました。もっとひどいことに、出迎えの者はプラットフォームに入るのが禁止されており、外の待合所で待たなければなりません。たとえ、病人が到着したとしても。
タクシーでさえ駐車場に入ることが許されず、老朽化して快適さのない状態に加えてエアコンも使わないのに他のタクシーより料金の高いコペラシタクシーを使うよう乗客は強いられるのです。タクシーに関するこの条件は、たぶんコペラシ会員の福祉と乗客の安全のために行われていることだろうと思いますが、国鉄の収入に一番貢献している乗客のことを二の次にしてはなりません。ジョクジャに来る人は、料金のあまり違わない飛行機を使ったほうがいいということなのでしょうか?
この投書は、ジョクジャ駅管理者に対してのものであるとともに、今後ジョクジャ駅で下車しようとしている国鉄利用者に対する忠告として書きました。[ 西ジャワ州デポッ在住、エンダン・スコワティ ]
2012年1月17日付けコンパス紙に掲載された国鉄からの回答
拝啓、編集部殿。2012年1月6日付けコンパス紙に掲載されたエンダン・スコワティさんからの投書についてお答えします。2011年8月のルバラン交通シーズンから、国鉄は乗車券を持っているひとだけをプラットフォームに入れる「ぴったり乗車」方式を開始しました。その結果、送迎者や乗車券を持っていないひとはプラットフォームに入ることができません。その目的は、物売り・浮浪者・乞食あるいは無賃乗車者や無関係の人間などに邪魔されずに乗客が列車の乗降を安全快適に行える環境を作ることにあるのです。
エンダン・スコワティさんの体験された困難についての当方からの回答は次の通りです。上の方針を実施するに当たって、当方は決して杓子定規な対応を考えているわけではありません。もし乗客が病気や老齢あるいは身体障害などの理由で助けを必要とされている場合、送迎者がプラットフォームに入ることは許可されますが、その場合送迎者はポーター職員にご自分の有効なアイデンティティカードを預けていただくことになります。そんな状況になった場合、当方職員は備えられた機材を使って病人・老齢者・身体障害者を列車からおろすことをお手伝いします。
列車のトゥグ駅停車時間は国鉄の標準オペレーション手続きに従っており、トランジット停車や途中停車駅での停止時間は5分以内と定められています。ジョクジャ駅でのタクシー・駐車場・荷物運びなどは、不健全事業競争や国鉄イメージの毀損が起こらないよう秩序と安全の確保をはかって駅長の監督下に運営されています。[ ジョクジャ国鉄第6事業区広報マネージャー、エコ・ブディヤント ]


「日本人観光客を4割増やそう!」(2012年5月2日)
2012年4月27日、ガルーダ航空はデンパサル〜羽田線の運航を開始した。日本のゴールデンウイークに時を合わせてのこのスタートはもちろんガルーダ側の満を持しての戦略であり、おかげで羽田発デンパサル行きフライトはこの一週間満員御礼の盛況になっている。
2011年にガルーダ航空はインドネシアと東京間の乗客を延べ41万人運んだが、その58%はバリへの観光客だった。2012年はインドネシア〜東京間57.4万人が目標にされており、4割増しという意欲的な数字が設定されている。減少しつつあるバリへの日本人観光客数を逆転させるための方策をガルーダ航空はきめ細かく進めているようだ。


「ビギナーのサーフィンはここで」(2012年5月7日)
サーフィン初心者にたいへん好評なビーチが西ジャワ州チアミス(Ciamis)県チジュラン(Cijulang)郡にある。パガンダラン(Pangandaran)の街から35キロ西に離れたバトゥカラス(Batukaras)海岸がそれだ。スエーデン人デニー25歳はサーフボードを抱えてバリからジャワ島インド洋岸をめぐり、このバトゥカラス海岸で理想のスポットを見出した、と語る。波が平坦で海岸線が長く、海底が岩場でないところがサーフィン初心者には安心して腕を磨ける場所だ。ジャワのインド洋岸は風が強く波が荒いのが一般的イメージだが、バトゥカラスはふたつの丘にはさまれていて風が遮蔽され、12月〜1月の波の高さは1〜1.5メートルで、初心者にもこなしやすい。かと言って高い波になる日もあり、平坦な波が保証されているわけでもないのだが。
自分のボードを持参しなくとも、レンタル屋はたくさんある。さまざまなサイズのボードが用意されており、半日で7万5千ルピア。最初から手ほどきを受けたいなら、インストラクターを雇える。1時間15万ルピアで、インストラクターはカラン(Karang)やルゴッパリ(Legok Pari)あるいはブラッブンダッ(Bulak Bendak)など自分のお好みの場所へ案内して教えてくれる。バトゥカラスサーフクラブに所属するインストラクターは50人ほどいて、大半が地元民だが十分な訓練を積んでいる。
海へ入らなくとも、バトゥカラスの海岸を愉しむことができる。カランチカブユタン(Karang Cikabuyutan)やカランブガロー(Karang Bungalow)から海岸を眺め、海に沈んでいく夕日を眺めるのも思い出に残る光景だ。ほかにもお楽しみコースはある。海岸に流れ込んでいるバトゥカラス河口をモーターボートをチャーターして回るのもよし、ジェットスキーを愉しんでもよし。あるいは傘状の大岩バトゥパユン(Batu Payung)の上から7メートル下の海面へダイビングしてもよい。
このエリアにはおよそ10軒の宿泊施設があり、一部屋一泊15〜25万ルピアで宿泊できる。しかし一軒の部屋数はせいぜい20室どまりだから、あぶれたひとは一晩10〜15万ルピアで地元民の家に泊めてもらう。
チジュランからパガンダランにかけての一帯には、観光スポットも数多い。パガンダラン海岸・グリーンキャニオン(Green Canyon)・ルゴッパリ・カラン・ブラッブンダッ・バトゥパユン・ダダカン池(Situ Dadakan)・チサンピン池(Situ Cisamping)・パゲレッ潟(Pangelek Lagoon)など見て回る場所に事欠かない。もしあちこち観光地を見て回りたいなら、ガイドを雇えば道に迷うことから解放される。ガイド料金は一日35万ルピアだ。
ジャカルタからチジュランへは450キロ離れており、ジャワ島を縦断することになる。長距離バスでおよそ9時間の行程だ。チジュランバスターミナルで降りると、そこからバトゥカラスへはおよそ5キロの距離で、ひとり5千から1万ルピアでオジェッを利用するか、アンコッを一台6万ルピアでチャーターする。レンタカーかレンタルバイクを使いたいなら、四輪は一日35〜40万ルピア、二輪は一日5万ルピアだ。もっと早く着きたければ、スカルノハッタ空港からヌサウィル(Nusawiru)空港行きの8人乗り小型機をスシエアーが飛ばしている。飛行時間は3時間。ヌサウィル空港からはオジェッかアンコッのチャーターになり、料金はチジュランからと同じ。ただしヌサウィル空港からバトゥカラスへの5キロほどの道は道路幅が2.5〜3メートルしかなく、四輪車が集まってくれば必ず渋滞になる。


「セイルコモド」(2012年5月12日)
2013年9月6〜9日、東ヌサトゥンガラ州フローレス島の西マンガライ県でセイルコモドが開催される。87ヶ国からヨットマンが集まってコモド国立公園で帆走を展開するこの催しを機会にフローレス島ラブアンバジョ(Labuan Bajo)地区をはじめとして西マンガライ県の観光スポットへの誘致を行おうと同県観光行政側は計画を練っている。
セイルコモドの拠点になるのがそのラブアンバジョであり、ペデ海岸(Pantai Pede)・ウジュンスクエア部落(Kampung Ujung Square)・グアバトゥチュルミン(Gua Batu Cermin)の三ヶ所がセイルコモドプログラムセンターに選ばれていて、伝統文化アトラクションをはじめとするこの催事の中心活動サイトとなる。これはセイルコモドに集まる観光客1千数百人を一ヶ所に集中させず、分散させて余裕をもって愉しんでもらおうという考えに沿って計画されたもの。
西マンガライ県はこの催しに対して「Komodo and so much more」というスローガンを決め、セイルコモドをコモド島を中心とするコモド海洋国立公園の自然だけに限定することなく、フローレス島のさまざまな観光スポットにも目を向けてもらおうとの意欲を燃やしている。
フローレス島にはまだ観光客にあまり認知されていない観光スポットがたくさんあり、蛇宮殿(Istana Ular)、チュンチャウラン(Cunca Ulang)やチュンチャラミ(Cunca Rami)の滝、サノゴアン(Sano Nggoang)湖など55ヶ所を同県観光局はリストアップしている。サノゴアン湖は古代の火山噴火でできた火口湖であり、その地方原生種の野鳥が生息している限られた場所だ。問題は東ヌサトゥンガラ州の道路インフラが未整備であることで、県はこの機会に道路建設に力を入れるよう検討している。


「バンドンのアパートをホテルに流用」(2012年5月15日)
アパートメントとして建設されたものが宿泊客をとっているのは認可用途に違反するものであり、政府はその違反を取締るように、と西ジャワ州ホテルインドネシア会が告発した。バンドンにはアパートメントの未販売ユニットをホテルとして使っているところが5ヶ所あるとのこと。ユニットに買い手がつかないためビル管理者が流用しているというのが告発内容でホテル業界に不健全事業競争を誘発するものであり、同時にホテル宿泊客を奪っている、とホテル業界は強い批判を投げかけている。
しかしインドネシアリアルエステート会社ユニオン西ジャワ支部長はそれについて、バンドンは依然としてホテルが続々と建設されており、アパートが宿泊客を取ったところでホテル業界の脅威になるようなものではない、と反論した。「アパートの部屋を賃貸ししているのはデベロッパーでなく、アパートのユニット所有者だ。自分が使わないユニットをそのように使うことは大いにありうる。」
しかしホテル業界者は、客室稼働率がどんどん低下しているのは違法流用アパートのせいだ、と非難の声をあげている。


「従順だと手玉にされる?!」(2012年5月15日)
2012年1月10日付けコンパス紙への投書"Tiket Jetstar Menyesatkan"から
拝啓、編集部殿。コンパス紙に掲載されているLCCジェットスターのオークランド行き特別オファー広告は2011年10月19日にわたしがその航空会社で体験した不快なできごとを思い出させてくれます。
ジャカルタのチェックインカウンターでわたしはジャカルタ〜シンガポールの搭乗券だけをもらいました。シンガポール〜オークランドはシンガポールのチャンギ空港の乗り継ぎカウンターでもらうのだそうです。
ジャカルタ発シンガポール行きのフライト番号VF205は、乗客に理由説明のアナウンスもなく約1時間出発が遅れました。チャンギ空港のジェットスター乗り継ぎカウンターで、もう締め切られたという理由でわたしはチェックインを拒否されました。そして、一旦イミグレーションを通って国内に入り、出発ターミナルで手続きするように、と。
そこでの搭乗券の手続きに、わたしはあっちへ行け、そっちへ行け、とピンポン玉にされ、出発ロビーチェックインカウンター職員はあれこれ理由をつけて搭乗券を出してくれませんでした。これじゃあ、VF205フライトとシンガポール〜オークランドフライト(3K401)はまるで別の航空会社みたいじゃありませんか。おまけにターミナルから一旦外に出たわたしを非難して。
長時間の疲れる口論を経たあげく、わたしはその日、飛行機に乗ることができませんでした。その結果、予定して既に支払いまで行っていたずべての計画をパーにせざるを得ませんでした。クライストチャーチへのフライト、ホテル宿泊、そしてレンタカーに至るまで。
ジェットスター側にインターネットで苦情と責任を取るよう伝えたところ、補償として50豪ドルのオーストラリア行きフライトクーポンをくれました。いろんな条件と期限までついたものを。わたしにはとても承服できません。[ 西ジャカルタ市在住、ユリア・カルナイン ]


「根拠のないレディ・ガガ公演中止報道」(2012年5月21日)
合理性に欠けた論理の飛躍に彩られた情報がここ二週間ほど全世界を駆け巡っている。インドネシアでのレディ・ガガコンサート中止報道だ。公的事実として知らされているのは、都内スナヤンのグローラブンカルノメインスタジアムで2012年6月3日に催されることになっているレディ・ガガ公演のリコメンデーションを出さないという表明を首都警察が出したことだけなのだが、インドネシアの報道機関の大部分はそれをコンサート取消しに結び付けて公演中止の論陣を張った。そしてはるかに合理的なひとびとが行っているはずの海外報道機関も、その内容を正確に検証しようともせずに、センセーショナルなニュースバリューを求めて同一内容の報道を煽ったから、お望みどおり非イスラム系のたくさんの国でイスラム嫌悪の声が高まった。日本もそのひとつだ。
論理の飛躍とはこういうことだ。
1)企画されて入場券の販売が開始されたコンサートの取消しを行うのは誰なのか?外国人アーチストのコンサート開催に許可承認が必要な国であれば、担当政府機関が許可承認を与えないことはありうる。しかし政府機関がその催しを取消すことはしない。取消しには事後処理にからむアドミニ業務が付随するので、企画者が自己の責任において取消しを行うというのがものごとの筋道なのである。
2)外国人が国内で行う活動に対して国益を損なうという見地から国が禁止することはありうる。それを行うのは国政を掌握する政府であり、政府の名のもとに担当官庁がそれを行うというのが現代国家のあるべき姿である。レディ・ガガ公演に対するインドネシア政府からのそのようなステートメントはまだ何もない。
3)インドネシアで、外国人アーチストの公演に許可承認を与えるのは国家警察本部であり、首都警察はその下部組織でしかなく首都圏一円の治安をあずかる現場遂行機関にすぎない。だからこそ首都警察はその公演を禁止するとはひとことも言っておらず、リコメンデーションを出さないとしか正式には表明していない。
4)インドネシアで、外国人アーチストの公演に対する許可承認プロセスは、公演場所を管轄する地元警察と地元自治体の担当部署が公演開催のリコメンデーションを主催者に与え、主催者はそれを添えて国家警察に許可承認を申請するというメカニズムになっている。
インドネシアのたくさんの報道機関が犯した論理の飛躍が首都警察の示したオーバーアクションに影響されたものであるのは疑いがないだろう。もちろん、それ以外の動機が混じっている可能性も否定できないのだが。
インドネシア民族が昔から維持してきた伝統的な礼節と人倫を損なうような見世物から国民を守らなければならない。国家警察は決して許可をおろさない。公演開催に反対している勢力は実力で入国や公演開催を阻止する構えでおり、公演が強行されれば都内の治安に責任が負えない。市民警察機能から逸脱した倫理警察的発言、上位部門の公式表明も待たずに断定する権限逸脱発言、脅しに混じった責任放棄表明などのそのような公式表明からあたかも国家国民の守護者を自任しているような威厳に満ちた姿勢を感じ、合理思考や検証志向が十分に育っていない一部国民がお上の決意と問答無用の公演開催禁止の意図を汲んであのような報道姿勢を採ったことは想像に余りある。
首都警察を動かした政治力はウラマ評議会やイスラム守護戦線などのイスラム原理派急進派ならびに国会からも来ているものだが、国会の一部会派は公演開催に反対していないという表明を出しているところもあり、国会の一部役職者が国会の名を騙っている可能性がなくもない。そのような公私混同はインドネシアで当たり前のことであることをお断りしておこう。
一方でレディ・ガガコンサートチケット3万枚が既に売れているという事実は国民の大多数が公演に反対しているわけでないことを十分想像させるものであり、首都警察の行為がかえって一部特定団体の意向に警察が動かされているような印象を世の中に与え、政府がそんな情況に対する憂慮を抱くという流れが形成されつつある。
政府部内でも観光クリエーティブ経済省はレディ・ガガ公演開催を最初から支持している。開催が実現することで近隣諸国のファンがインドネシアへやってくることと、開催されないことでインドネシアのファンが近隣諸国の公演に出かけていくことを天秤にかけるなら、外貨収支のプラスマイナスがどのようになるかという実質的な国益に関するポイントを同省は強く主張しているのだ。
2012年5月20日時点で報道されている最新状況の中に、レディ・ガガコンサート主催者であるビッグダディエンターテイメントからの公演中止や取消し表明は一言もない。この主催者が出した表明は、開催実現を支援する諸方面への感謝の言葉とともに、政府あるいは監督行政機関がもし公演を許可した場合に出すであろうステージ上での規制条件をレディ・ガガ側と調整するべく努力するというステートメントになっている。
レディ・ガガ公演に関して国民の間で意見の相違が社会問題化している現状に関して政治法曹治安担当統括相は5月18日に、「政府は賛成反対のいずれに関わらず国民の意見を尊重するものであり、政治法曹治安担当統括省は国家警察と共同で賛成反対双方の妥協点を見出すことに努めている」と発言した。国家警察長官もレディ・ガガコンサートの許可に関して、「今のところ認識と分析を深めているところであり、決して一部勢力の意向に沿うように態度を決めているわけではない」と語っている。


「博物館の夜」(2012年5月25・26日)
Night at the Museum は映画のタイトル。ひと気のない博物館の夜間警備は一種の肝試しのようなものに違いないが、博物館が墓地だったらどうだろう。そのものズバリの肝試しが行える博物館だ。ジャカルタには博物館になっている墓地がある。
中央ジャカルタ市タナアバンにあったクブンジャヘ(Kebon Jahe)墓地は今Museum Taman Prasasti (石碑博物館)となっている。バタヴィア時代にこの墓地はオランダ人高官や有力市民のための墓地だった。独立後はインドネシア人もそこに葬られるようになった。
prasasti というのは石碑のことで、墓碑だけに限られてはいない。博物館になったとき、バタヴィア市内に建てられたさまざまな石碑もここに集められた。墓地内には鐘楼が建てられており、かつては埋葬があるとその鐘が鳴らされた。この鐘はレプリカでオリジナルは保存のためにどこかに置かれたらしいが、今では行方知れずになっている。ここが博物館に指定されたとき、多くの墓から骨が掘り起こされて遺族に下げ渡され、遺族はめいめい思い思いの場所に埋葬しなおした。メンテンプロ墓地に移された遺骨もあれば、オランダ本国に送られた遺骨もあるし、火葬を行って灰にされたものもある。
1975年から77年までその作業が続けられたそうだ。ジャカルタ近辺で元ここは墓地だったという場所に高層アパートやコンドが建っているところは、たいていみんなそういうプロセスを踏んでいる。死者と生者の土地の争奪がそこまで生臭いものであるということをわたしはインドネシアへ来るまで知らなかった。
遺骨は移されたが、墓碑はそのままにされた。なにしろ石碑博物館の目玉アイテムになるのだから。この博物館所蔵の石碑はおよそ5千件あると言う。インドネシアが歩んできた歴史の中で、インドネシアに多くの貢献をしたオランダ人たちの墓碑もある。ブディウトモ運動を提唱したストモの学業を続けさせたSTOVIA理事やパスルアンで農業振興に貢献した行政高官など、その生前の活躍をシンボライズした墓碑が残されている。当然カソリックの色彩が濃いものもたくさん目に付く。フリーメーソンのシンボルを知らないひとにはわからないかもしれないが、堂々とシンボルを浮き彫りにしたものすらある。
去る3月に、インドネシア歴史コミュニティが石碑博物館で夜間の集いを行った。参加者は三つのグループに分かれて、懐中電灯の光を頼りに墓地内を周遊した。死者のささやきを耳にしたひとはいたのだろうか?


「セイルモロタイ」(2012年6月12日)
セイルコモドは2013年のプログラムであり、2012年に開催されるヨットフェスティバルはセイルモロタイ。2012年7月から9月まで北マルクのモロタイ島をターゲットにしてヨットマンたちが世界から集まってくる。
オーストラリアのダーウインを起点にして、ヨットはふたつのグループに分けられ、第一波はアンボンのキサルに向かい、そしてモロタイ島に至る。そのあとはバリに立ち寄ってからバタムへと北上し、そこで分かれて一部はフィリピンのダバオへ進む。
もう一波はダーウインからクパンへ向かい、アロール〜レンバタ〜エンデ〜リウン〜ラブアンバジョ〜バリと西行する。バリからはジャワ海沿岸に立ち寄りながら北上してバタムに至り、最終的にシンガポールで解散となる。
政府は各州政府地元自治体に対し、セイルモロタイとセイルコモドに参加してインドネシアを訪れる外国人の世話を地元民が主体的に行うよう提唱した。飲食・宿泊そして地元観光など、外国人観光客誘致に必要なことを地元民が率先して身に着け、将来の観光開発へ結び付けようというのがその狙い。中でも外国人参加者の身辺の安全については十二分な配慮を行うよう、海洋漁業省は念を押している。


「高いホテルに泊まりたいインドネシア人」(2012年6月13日)
国民の旅行・移動は年々活発化している。観光クリエーティブ経済省2011年データによると、国民の国内旅行・移動は延べ1億2千5百万人が2億3千9百万回の観光もしくは業務のための国内移動を行っている由。それほど旺盛な需要のおかげで、宿泊予約や航空券販売ビジネスも活況を呈しており、それらの手続きを旅行代理店に委託するひとから自分でインターネット予約をするひとまで多岐にわたっている。
中でも人気急上昇中なのは、航空券の割引オファーやホテル宿泊料金の廉価オファーをしてくれる代理店で、ホテルなどは自分でウオークインする場合よりはるかに廉く泊まれるケースがあるので重宝できる。そんな代理店のひとつがラジャカマル。ラジャカマルは全国に散在する1千3百のホテルと契約しており、Rajakamar.com でオンライン予約ができる。このサイトはPT Panorama Sentrawisata, Smailing Tour, PT Dwidaya Tour & Travelの三社が共同運営しているもので、ラジャカマルインターナショナルCEOによれば、最近は一泊80〜100米ドルの高星級ホテル予約が増加しており、国民購買力の向上と国民の豪華な生活への志向を証明する現象だとかれはコメントしている。


「アンチョルでペイントボール」(2012年6月23日)
北ジャカルタ市アンチョルドリームランド内のエコパークへは、アンチョルのメインゲートからでもトランスジャカルタバス停留所からの入り口でも、アクセスできる。自分の車で乗入れないひとも、ドリームランド内を周遊しているコミューターバスで行けばよい。このバスの乗車賃は無料。
エコパークの中に1.5Haの面積を使ったグリーンミッションペイントボールがあり、セレベス・ボルネオ・パプアと名付けられた三つのバトルフィールドがある。起伏のある地形に盛り土・崩れかかった家壁、ドラム缶や木、廃物自動車などが散在して戦闘時の遮蔽場所を作っている。
バトルフィールドを利用するグループは8人以上16人までと決まっているが、10人以上の偶数人数がゲームを愉しむには最適だ。フィールドに入れる者は15歳以上で、年齢条件を満たせない子供は射的場で風船を撃つことになる。ゲームに使うマーカーから戦闘服、ゴーグルやフェイスマスクそしてプロテクターなど、戦闘員姿になるためのあらゆる器具と装備は貸してもらえるので、心配は無用。サイズ40号以上の軍靴も貸してもらえるが、運動靴のほうが快適なひとには特にその使用が義務付けされているわけではない。武器はマーカー1丁とペイント弾20発。ペイント弾と言えども人体に命中すれば相当に痛い。そのため7メートル未満の距離で相手を撃つことは禁止されている。利用者の安全を図るために、会場側のスタッフが細かく利用者の状態を観察し、ルールに沿って指示を与える。
ゲームのルールはセンターフラッグ、ターミネーター、サドンデスの三つが行われ、利用者はお好みのゲームに時を忘れて熱中する。ペイントボールの料金は今二種類のパッケージが販売されており、ひとつはひとり10万ルピアでペイント弾20発が与えられ、ゲームで遊んだ後はアウトバウンド、サイクリングそしてエコパーク内の水路をボートで一周といったほかのお愉しみがセットになっている。夜はファンタスティークショーの見物もできる。ペイント弾20発で足りないひとは、もう20発を3万5千ルピアで追加することもできる。もうひとつのパッケージはひとり20万ルピアで、こちらを買うとペイント弾100発がついてくる。


「交通ハイシーズンが始まる」(2012年6月23日)
学校の学年末休みが始まったいま、全国的な国内旅行ブームに乗ってあらゆる交通機関がハイシーズン態勢に入っている。中でも航空会社はこの稼ぎ時を乗り切ろうとして機体の大型化をはかる一方、ガルーダ航空やライオンエアーは航空運賃の高目維持に加えてハイシーズンサーチャージを適用することを決めた。2012年6月15日から7月8日までジャカルタ発と戻り便の収益差が拡大するため、稼ぎを確実に取りまとめようという腹積もり。
サーチャージが適用されるのは、ジャカルタ〜シンガポールやジャカルタ〜デンパサルなどの肥沃な航路で、金額はひとり20〜100米ドルという範囲になる。このハイシーズンサーチャージというのは2010年運輸大臣規則第26号で定められているもので、長期休暇やハリラヤの際にジャカルタ発は満席になるがその戻りは採算点をクリヤーできるかどうかわからない状況が発生するため、往復の採算性が維持されるように、その片道に搭乗する乗客から徴収してよい追加料金という説明になっている。
搭乗予約数の増加に対して航空会社はまだ増便の計画を出しておらず、現時点では使用機種をワイドボディ機に替えて対応している。増便はそれでも対応しきれなくなった場合ということになりそうだ。


「自然を満喫できる花園」(2012年6月30日)
ヌサンタラフラワーパーク(Taman Bunga Nusantara)は西ジャワ州チアンジュル県チパナスにある。細かい住所を言えば、カウンルウッ村マリワティ通り7キロ(Jalan Mariwati Km 7 Desa Kawung Luwuk)となる。
ジャカルタからは、ジャゴラウィ自動車道を一路南下してチアウィゲートからプンチャッ方面に向かい、プンチャッ街道を踏破してプンチャッパスを超え、そこから延々と続く下り道をチアンジュル県はチパナスの町へと向かう。チロト(Ciloto)を越えたあたりで三叉路があり、看板が出ていて脇道に誘われる。そこから入ってもよし、でなければチパナス(Cipanas)の町まで行ってからマリワティ通りに左折してもよい。街道からそれてもかなり距離があるので、スンダの田舎道を走る風情をお楽しみになることをお勧めする。しかし昨今は家屋が建てこんできているから、風情を愉しめる場所が減っていることも確かなのだが・・・。
いよいよ総面積35Haというフラワーパークに到着だ。中に入るとまず目を奪われるのが、さまざまな花で全面が覆われた巨大な孔雀のトピアリだ。さまざまな色の花2万5千本が織り成すこのトピアリに嘆声をもらすひとも多い。園内はそこから見渡すかぎり、緑のじゅうたんと木々そして咲き乱れる花に満ち満ちている。遠景の山々と青空に白雲という大自然の空間にわが身を置くことの愉しさこそ、このフラワーパークの醍醐味と言えるにちがいない。
1992年から建設が始まったヌサンタラフラワーパークはインドネシア初のフラワーパークで、ブスタニル・アリフィン夫人が先鞭をつけ、現在は同パークを運営する財団法人の会長として活躍されている。プンチャッパスからかなり離れているとはいえ、ここはジャカルタ都民の行楽地であるプンチャッリゾート地区の一端を担う施設で、年間来園者は45万から50万人に上る。公式オープンは1995年9月10日で、2010年末で累計来園者数は590万人に達した。わたし自身もそのうちの数人分を寄与しているはずだ。
ここには世界のさまざまな花が集められ、一年中花の途切れるシーズンがない。もちろん単に咲いている花をきれいに見せるだけではあまり能がない。家族連れで来園するみんなに印象深い花園を味わってもらうための趣向も凝らされている。等身大のディノサウルスをかたどったトピアリや、巨大なハスの浮いている池、日本人園芸家の作った半時間ごとに時を告げる直径10メートルの花時計、1Haを使ったラビリンス。中でも園運営者のお勧めはTaman Perancisと名付けられたルネッサンス期ヨーロッパの花園を模した庭園。
恋人たちは手に手を取って広大な園内を徒歩で周遊し、家族連れは芝生にシートをひいてお弁当を広げる。入園料ひとり2万ルピアは今どき経済的な行楽を約束してくれている。