インドネシア行楽旅行情報2012〜14年


「障害者ケア不在のスカルノハッタ空港」(2012年7月4日)
2012年4月30日付けコンパス紙への投書"Manula Tidak Berdaya di Bandara Soekarno-Hatta"から
拝啓、編集部殿。シンガポールの病院で肺と脳のガン治療を受けた64歳の母の帰国をわたしと妻が世話しました。
去る4月10日(火)にシンガポールからGA835便に乗り、スカルノハッタ空港に19時45分に到着しました。母は右足が動かないので、車椅子に頼らなければなりません。
スカルノハッタ空港に到着したわたしと妻は身体に障害のある者に便宜をはかる設備を探しましたが、見つかりません。同じフライトに、やはり車椅子を使う必要のある老齢のご夫婦がいました。かれらはやはりシンガポールへ治療に行った帰りです。
機体はRエリアに止まりました。そこは搭乗ブリッジを使わないエリアで、乗客は昇降扉に連結された階段を降りなければなりません。老齢のご夫婦はバゲージ荷役用のフォークリフトを使ってまるで荷物のように地上におろされ、E6ゲートの方角に自動車で運ばれました。
ゲート周辺にも障害者のための設備は何もなく、老齢のご夫婦もわたしの母も、たいへん危険な対応であるにもかかわらず、車椅子ごと担ぎ上げられて移動される始末でした。
ガルーダ航空職員もアンカサプラ職員も、到着ターミナルへのドッキングはいっぱいになっていてできず、またE4ゲートのエレベータは故障中なのだと説明していました。機内からターミナルビルまでの護送はかなりの時間がかかりました。[ 南ジャカルタ市在住、アウリア・アジズ ]


「スカルノハッタ空港のお寒い救急医療態勢」(2012年7月5日)
2012年4月21日付けコンパス紙への投書"Bandara Soekarno-Hatta dan Fasilitas Gawat Darurat Medis"から
拝啓、編集部殿。2012年3月31日夜、わたしは香港からジャカルタへキャセイ航空で飛びました。飛行機がジャカルタに着陸した後、救急処置が必要な乗客を運び出す作業を円滑に行えるよう、乗客はそのまま着席してお待ちください、というスチュワーデスの機内アナウンスがありました。
ところが飛行機はいつまでもターミナルビルにドッキングしません。機長が、医療班の活動のしやすい駐機場所の指示を待っているところです、と状況説明をしました。機内に医療スタッフがいて、救急処置を必要としている老人に酸素吸入している姿が見られたのはまだ救いでした。そんな状況で10分というのはあまりにも長い時間のロスです。そして飛行機はやっと駐機場所に止まりました。すると機内医療スタッフはその老人を車椅子に移して出口に向かいました。その老人は卒中に襲われたようです。右足は折り曲げることができず、呼吸は荒く、そしてたいへん苦しんでいるように見受けられました。その老人が機外に出てから、ほかの乗客がやっと動き始めました。
到着ホールまで来たわたしは、さっきの救急処置を必要としている老人がまだそこにいるのを目にして驚きました。数人の空港職員がその老人をどのように地上階に下ろせばいいかということを議論していました。階段で、エスカレータで、あるいはエレベータで・・・?中のひとりが言います。「エレベータは小さすぎる。中に納まらないよ。」
そのとき、その職員はもう老人の両足を抱えており、老人はますます苦しみを募らせているように見えました。職員たちはいそいそと老人を別の場所へ運び去りました。
スカルノハッタ空港は救急治療を必要とする利用客を受け入れる施設が整えられていないのでしょうか?救急車は24時間待機していないのですか?そんなこと以前に、緊急状態に陥った乗客を機内からおろすためのルートすら用意されていないのでしょう。わたしが遭遇したあの救急患者を処置するための担架ひとつ、医療従事者ひとりすら、スカルノハッタ空港でわたしは目にしていません。[ タングラン在住、Mデウィ ]


「スンダ歌謡の復活はいつ?」(2012年7月14日)
1970年代のジャカルタで、夕暮れの物寂しい時間帯になると、いつもきまってスンダ歌謡の歌声がどこかの家のラジオから流れてきていた。憂愁を帯びたペンタトニックの調べに乗った女性歌手の歌声は、わたしに異国情緒を満喫させてくれたものだ。
Pop Sunda と呼ばれるスンダ歌謡の黄金期は1980年代にピークを迎える。その黄金期から90年代に凋落が始まるまで、時代の寵児ニニン・メイダのカランカンはカセット3百万個を販売する大ヒットとなった。ニニンのスケジュールは超過密になり、政府高官が催すパーティから全国各地のカフェでの出演と、売れっ子スターの宿命を実演する有様だった。
しかしスンダ歌謡の没落は、プロデューサー・ミュージシャン・ディストリビュータの層を薄くした。ディストリビュータの多くは売上の大幅減に耐えかねて廃業し、音源供給が減ることでファンの減少に追い討ちがかかった。しかしスンダ歌謡が死滅したわけでは決してない。
国内のいくつかの地方での人気はいまだに根強いものがあるし、外国人がスンダ歌謡に触れてファンになることもある。現在活躍中のスンダ歌謡シンガー、リカ・ラフィカは自分の持ち歌バンブンヒドゥンが日本のいくつかの町で流され、好評を得たことに誇りを感じている、と語っている。


「再たび、障害者ケア不在の空港」(2012年7月16日)
2012年5月16日付けコンパス紙への投書"Penumpang Lansia Garuda Diperlakukan Tak Manusiawi"から
拝啓、編集部殿。治療のためにシンガポールを訪れた80歳のわたしと85歳の夫は、去る5月10日(木)17時半シンガポール発のガルーダ航空GA833便で帰国しました。スカルノハッタ空港に着陸した飛行機は乗客ターミナルからとても離れた場所に駐機したのです。そこは十分な照明がなく、真っ暗でした。乗客は階段を下りてバスに向かいます。
わたしたちふたりと、息子さんに付き添われたもうひとりのご婦人(シンガポールに治療に行かれた方です)は既に車椅子をたのんでいましたが、車椅子で階段を下りるのは不可能なので、わたしどもは機内の貨物用リフトに入れられました。わたしと夫は杖をついてなんとか入りましたが、そのご婦人はひとに抱えられて入りました。なんという非人間的な扱いでしょう。
リフトから出たところでやっと車椅子にお目にかかったのですが、その車椅子は動くには動きますが、なんとも哀れな状態でした。最近わたしは診察のために何度もシンガポールとジャカルタの間を往復しております。スカルノハッタ空港に用意されている車椅子は、わたしに言わせれば、めちゃくちゃなしろもの。
到着ターミナル内の「到着時ビザ」窓口前を通りかかったとき、見苦しい光景を目にしました。到着客がおらず閑散としていたためでしょうが、職員が数人、床に寝っ転がっていたのです。一方、ターミナル外の車寄せでは横断歩道に車が入り乱れて停まっており、また迎えを待つ人たちで混雑している道路際ぎりぎりも車で占拠されていました。交通警官の姿はまったくありませんでした。[ 南ジャカルタ市在住、デウィ・A・ライス・アビン ]


「投売り合戦に向かうか?スラバヤホテル業界」(2012年7月18日)
2012年中にスラバヤに13軒のホテルが新規オープンする。その13軒とは次の通り。数字は客室数。
Santika Gubeng 125
Amaris Embong Malang 100
Hotel BB Malang 160
Ibis Basuki Rahmat 125
Aston Tunjungan 300
Lenmarc 300
Hotel di HR Muhammad 150
Harris Mayjen Sungkono 200
Bekisar Botel Basuki Rahmat 70
Art Hotel 100
Grand Whiz Mayjen Sungkono 120
Fave Hotel di Kali Rungkut 176
Artotel Surabaya ?
これはジュアンダ空港拡張やスラバヤ市内でのMICE活発化をにらんだホテル業界の市場先取り方針を表すものとの見方がある一方、今現在のジュアンダ空港をはじめとしてその他インフラがまだ不十分であるため宿泊客数の拡大はまだ心もとない状況であることから、限られた宿泊客の奪い合いから公表客室料金を無視した値引き合戦に向かうのではないかとの懸念もその一方で強まっている。


「エグゼキュティブ列車での苦難」(2012年7月23日)
2012年5月28日付けコンパス紙への投書"Kutu di Kereta Eksekutif"から
拝啓、編集部殿。2012年4月24日、わたしはスラバヤのパサルトゥリ駅からジャカルタのガンビル駅行きスンブラニ号エグゼキュティブクラスに乗りました。発車は18時30分、料金31万5千ルピア。座席番号は第5号車の2Aでした。
発車は定刻でしたが、わたしの座った座席にはノミかダニのような吸血性の虫がたくさんいたのです。全身をその虫にたかられたのがわかったのはスマランのタワン駅に列車が到着したときでした。痒くてたまりません。
わたしは車掌にその問題を告げましたが、その問題の対処はガンビル駅に着いてからになる、と車掌は言います。しかしタワン〜ガンビル間は8時間もかかるのです。吸血性の虫にたかられる座席でそんな長時間座っているなんて、とてもできることではありません。
車掌はわたしに、別の車両の空いている座席に座るよう勧め、わたしを7号車の11Cに座らせてくれました。わたしの手荷物を網棚に上げたあと、わたしはトイレに入って衣服を緩め、全身の状態を調べました。ガンビル駅に到着してからも、痒みは消えませんでした。[ 南タングラン市在住、バンバン・アリボウォ ]


「アンバラワ鉄道博物館は休館中」(2012年7月25日)
インドネシア国鉄所有の鉄道博物館は中部ジャワ州アンバラワ(Ambarawa)、西スマトラ州サワルント(Sawahlunto)、東ジャワ州ボンドウォソ(Bondowoso)、ジャカルタのタンジュンプリウッ(Tanjung Priok)駅の四つある。またそれ以外にも、オランダ時代に建てられた駅舎など7ヶ所も文化財として維持保存がなされている。
中でもアンバラワの博物館は蒸気機関車ファンに定評のあるところで、22台の機関車を蔵しているが屋外に置かれているために暑熱と風雨に直接さらされ、保管状況が懸念されていた。その対策として国鉄はアンバラワ駅の倉庫を改造して機関車を屋内に陳列する方針を定め、その工事が行われている間、博物館は休館になっている。アンバラワ鉄道博物館新装再開は2013年9月28日の国鉄創立記念日に行われる予定。


「津波がこわい、サーファーの楽園」(2012年8月3・4日)
スマトラ島北部のインド洋側で、まるで本島の防波堤のようにして並んでいるニアス諸島(Kepulauan Nias)。インドプレートとの衝突で地震や津波の大きな被害を受けているのもかれらなら、インド洋の荒波と美しい大自然を愛する外国人サーファーが頻繁に再訪しているのもこの島々なのだ。
ニアス島中央部の西岸にあるシロンブ(Sirombu)海岸の沖合いに小島の群れがある。ヒナコ(Hinako)群島と呼ばれている島々の一番北にあるのがアス島(Pulau Asuh)。ヒナコ群島に渡るにはシロンブで船をチャーターする。船を一回往復させるのに40〜50万ルピア。船と波の状態しだいで、航海時間は40分から90分。地元の人々が渡るのにうまく行き逢えば、ひとり2万ルピアで相乗りさせてもらえる。地元民が使う船はヒナコ群島を巡ってから最後にアス島に至る。
アス島は長さ2キロ、幅8百メートルの細長い島だ。地元民23家族が定住しており、かれらは椰子の実の採取を生業にしている。この島の名の最後をインドネシア人が有気音にしているのはムスリムが蔑む動物の名称と同じになるのをはばかったためなのかもしれないが、地元語の発音体系は母音を開放したまま終わるのが普通であるため、やってきた外国人たちはPulau Asuと理解し、今ではその綴りがグローバルなサーフィン愛好者の世界で通用している。
アス島はかつて世界のサーフィン熟達者たちの目的地のひとつだったが、2004〜2005年の地震と津波で海底が3メートルも持ち上げられ、往時には数百メートルもの長さを誇った波が30%ほど短くなってしまい、往時の魅力は影をひそめた。波の高さは8〜10メートルで変わらないものの、いまやこの島はサーフィン熟達者から見放されている。
ところがかえってそれを喜ぶサーファーもいる。ほとんど毎年のようにカリフォルニアからやってくるアールとサマンサの夫婦は、来るたびに数ヶ月間アス島に滞在してサーフィン三昧を愉しむ。ブタウィ人を妻にしているオーストラリア人アンドリューも、静かなアス島のファンのひとり。かれはオーストラリアからボートを持ち込み、アス島やヒナコ群島を巡ってサーフィンやダイビングそしてシュノーケリングなどを満喫している。
宿泊施設ママ・シルフィ経営者は外国人サーファーが大勢アス島にやってくるようになった事始を物語る。1980年代にパトリックとニコラスというふたりのベルギー人がアス島で絶好のウエーブを発見した。ふたりは地元民を誘って宿泊施設を建て、世界のサーファーを勧誘し始めた。すると今度はオーストラリア人がやってきて宿泊ビジネスを開始し、地元民と組んで事業を始めた。ママ・シルフィは唯一の地元資本による経営で、1997年にオープンしている。
ここではバンガロー一軒が外国人観光客に一日20万から40万ルピアで貸されている。インドネシア人観光客だとその半額。アスキャンプという別の宿泊施設は一日三食付きで40万ルピアだ。
サーファーの足が遠のいた昨今、アス島は新しい観光客の来訪を得た。海釣りをホビーにするひとびとがメダンやジャカルタ、はてはシンガポールからこの島へやってくる。釣り師たちは5日から一週間ここに滞在して釣り三昧の日を送る。かれらは大物を釣ると、写真を撮ってから獲物はふたたび海中に返してやっている。


「一度遅れると、あとは行き当たりばったり」(2012年8月8日)
2012年5月19日付けコンパス紙への投書"Garuda Basa-basi"から
拝啓、編集部殿。わたしと同僚数名はトルコのイスタンブールで開催されるセミナーに参加するはずでした。スラバヤからジャカルタへはガルーダ航空GA321便で移動しました。2012年4月14日15時半発のフライトは2時間も遅延し、機内に入ったのは17時25分で、最終的に離陸したのは19時半でした。いつ離陸するかもわからない蒸し暑い機内にわたしたちは2時間も缶詰にされたのです。
わたしたちはジャカルタでその日19時15分発のトルコ航空機に搭乗する手はずになっていました。待合室で乗客の怒りが頂点に達したとき、かれらは乗客を機内に入れました。わたしたちがジャカルタでトルコ向けに乗り継ぐことを知っているガルーダ職員はその問題に関する解決提案を何一つ示さず、あっさりと「あと15分で出発します」と言っただけでした。ところが機内でそれから2時間も待たされたのです。もし搭乗時に出発時刻がはっきりわかっていたなら、わたしたちは別のフライトを探したでしょうに。
わたしたちはその日トルコに飛ぶことを諦めてチュンカレンのアストンホテルに、このツアーを依頼した旅行代理店の費用負担で宿泊しました。わたしたちは一日を無為に費やし、トルコ行き航空券は焦付き、ガルーダ航空からの補償は一切ありませんでした。2012年3月15日にわたしたちはcustomer@garuda-indonesia.com宛てに苦情のEメールを送り、3月19日にただのお愛想に満ちた返事をもらいました。[ スラバヤ在住、ザラ・ヒッマ ]


「ビジネスホテル需要が上昇」(2012年8月15日)
オフィススペース需要の伸び上がりに沿ってオフィスビル建設が増加しているが、その結果出張者の移動が盛んになって首都圏でのビジネスホテル需要が上向いているという因果関係をコールドウエルバンカーインドネシアが指摘した。オフィススペース需要のアップはインドネシア経済の好調を表すものであり、その中心である首都圏に最大の恩恵がもたらされるのは言うまでもない。
新規ビジネスが増え、ビジネストラベラーが増加し、ジャボデタベッ地区に2〜4星級のビジネスホテル需要が高まるという循環がそれだ。首都圏で2012年第2四半期には140室の星級ホテル客室新規供給があり、今年一年間では17軒のホテルが新規オープンを予定している。客室稼働率は全体で66.4%、最高は3星級で69.7%。
需要の増加によって実質宿泊料金は顕著に上昇しており、首都圏星級ホテル全体では2.6%アップの一泊883,109ルピアになった。首都圏の中で特に活況を呈しているのはタングラン地区で、ホテルの数も増加しており、2012年第2四半期の客室稼働率は全体で66.2%になっている。


「ジャカルタの実質ホテル宿泊料金が大幅増」(2012年8月18日)
STRグローバルのサーベイ結果によれば、2012年上半期平均のホテル一泊料金上昇率はジャカルタがアジアパシフィック地域で第三位になった。一位は東京で二位が台北。ジャカルタは2011年上半期平均数値から15.4%上がって102.17米ドルとなった。東京は24.5%アップして186.03米ドル。台北は16.6%上昇して227.08米ドルとのこと。
地元通貨を使った場合インドネシアは967,600ルピアで、この場合だと26.8%のアップ率となる。


「空港施設使用料支払い簡素化」(2012年8月22日)
空港運営国有事業体PTアンカサプラ?がガルーダ航空の協力を得て空港施設使用料金(Passenger Service Charge 俗称エアポートタックス)を航空券販売時に徴収することを決めた。インドネシアではこれまで全国の空港で施設使用料金は空港運営者が搭乗客から直接徴収していたが、支払い窓口で長蛇の列ができることが多く、効率向上のための改善が求められていた。この方式によって、消費者へのサービス向上と航空会社の定時運航率への悪影響を抑止するというダブルのメリットが得られる。
この新方式は2012年9月もしくは10月から開始するとPTアンカサプラ?は表明しているが、ガルーダ航空側は意欲満々で9月から実施したい意向。この方式が開始されれば、アンカサプラ?の管轄下にある国内12空港はガルーダ航空搭乗客に対して一斉にその適用を開始することになる。ガルーダ航空は同時にアンカサプラ?ともその企画の検討を進めており、そちらも原則的な合意は得られているようだ。
では、他の航空会社はどうかと言えば、ガルーダの実績を見ながら追々その新方式に追随してくることが期待されており、空運行政側は2013年末までにすべてがこの方式で統一されることを目標に置いている。
その企画と横並びで、アンカサプラ?はエレクトロニックエアポートシステムをスカルノハッタ空港?Cターミナルに設置する予定。これはBRI銀行がアンカサプラ?に持ち込んできた企画で、こちらも窓口で現金による支払いが行われている空港施設使用料金をキャッシュレスに変え、搭乗客のターミナル内移動の迅速化をはかろうというもの。プリペイドカードを読取器に提示して金額の引き落としを行う形が採られるようだ。


「モナスへ行こう」(2012年8月25日)
首都ジャカルタのシンボルは大統領官邸の向かいにあるモナス公園だ。そしてモナス公園のシンボルが高さ132メートルのモナスの塔。実は、「モナスの塔」(tugu Monas)という表現は「電球の球」と同じ重言なのだが、それを気にするインドネシア人はあまりいないようだ。モナスとはMOnumen NASional(国民記念塔)を縮めた言葉だからそこに塔の意味は既に含まれており、さらにtugu を添えるために電球の球になってしまう。類似の現象は銀行名でも見られ、たとえばbank central asia がBCAと頭字語に省略されるのが一般的になった昨今、bank BCA と誰もが呼んでいささかも気後れする気配がない。
モナス公園へ行ったら、モナスの展望台に登ってジャカルタ全都を一望のもとに見下ろすのが定番行動。モナス入館料は大人2千5百ルピア、子供1千ルピア。モナスは毎日8時から15時までオープンしている。モナス展望台に登るにはリフトを使う。リフトに乗るのは大人7千5百ルピア子供3千5百ルピアを払う。展望台備え付けの望遠鏡を使いたければ2千ルピアのチケットを買う。昔、リフトが何回か動いたあとで故障し、展望台にのぼったひとが降りるのにはしごを外されるようなできごとが起こったことがある。日没になっても故障は治らず、塔内の非常階段を歩いて降りるという珍しい体験をしたひとたちがいたわけだ。幸か不幸か、最近はそういうアドベンチャー体験の話をあまり聞かない。
モナスの台座の部分にはモナス博物館があり、首都ジャカルタの生い立ちをジオラマで学習できるほか、モナスが別名独立記念塔と呼ばれているように、インドネシア共和国独立にからむ展示品も見学できる。スカルノ初代大統領が1945年8月17日朝、プガンサアンティムールの自宅表で読み上げた独立宣言の声も流されているし、その日掲げられた紅白旗のレプリカもある。昔はオリジナルの旗が置かれていたが、今はどこかに保存されているようだ。


「地方都市に廉価ホテル建設ブーム」(2012年8月27・28日)
都市型バジェットホテルのビジネス好調に刺激されて、不動産デベロッパー業界ではバジェットホテル建設ブームが巻き起こっている。地方自治制度が開始されて以来、特に地方都市で廉価ホテルの客室稼動率が高目安定を続けており、天然資源の豊かな地方自治体では宿泊客が引きもきらないありさまだ。
「昔はあらゆることが中央政府の決定によっていたから、地方都市にホテルなどなかった。今ではビジネス客向けの一泊22.5万〜45万ルピア程度のホテルが増加している。この種のホテル建設は投資額が一室4億ルピアを超えないから、4〜5年で投資回収が終わる。今は大手不動産会社もこの種のバジェットホテルを地方都市に増やそうとしている。」ホテル経営業界者のひとりはそう語る。
メトロポリタンランド社長は、競争が激化してきたために立地場所の検討に神経を使うようになった、と言う。「このビジネスの追随者が急増してきたから、バジェットホテル建設場所を決めるのに慎重にならざるをえない。へたをすれば、競争力が持てないおそれがあるからだ。バジェットホテルはたいてい8百〜1千平米の土地面積を使い、土地買収以外の予算は250億ルピアを超えないようにしなければならない。弊社はこの先5年間に国内数都市にバジェットホテルを20軒建てる計画にしている。ブカシのタンブンのホテルはもう完成した。次の予定はチレボンとタシッマラヤだ。」
チプトラプロパティデベロップメントはこの先三年間にバジェットホテルを20ヶ所建設することにしている。その予定リストには、バンドン・ジョクジャ・スマランさらにカリマンタンやスマトラの都市が並んでいる。それらの都市はひとの移動が盛んなところであり、宿泊需要は必ずあると同社は確信している。
一方、国内最大の観光地バリ島南部地区にもバジェットホテルが雨後のたけのこのように増加している。宿泊料金は一泊19.9万ルピアから30万ルピア程度の超安値。
ウダヤナ大学経済専門家はそんな投売りを行っても経営が続けられるのは、腐敗行為で得た資金をバリの不動産でマネーロンダリングしているからできることではないだろうか、と疑問を呈する。ましてや州政府は新規ホテル建設にモラトリアム期間を設けたというのに、それは完全に無視されて続々とホテルが建てられ続けており、地元行政がコントロールできない状況に陥っているのは周知の事実。
「ホテルの過剰供給によって地元宿泊産業は稼働率の低下と収益の減少に直面している。おまけにホテルが増加しているというのに地元民にとって雇用マーケットの広がりはたいして見られない。結局地方自治体の収入に相応のメリットはなく、逆に州政府は宿泊産業の青写真さえ描けない状況になっている。続々と出現している廉価ホテルの資金バックアップがマネーロンダリングから来ているのであれば、この先どちらに転んでも地元経済への悪影響は避けられないだろう。その対策として州政府は許認可や納税に関する監視と制裁を厳しく行い、裏側に腐敗金がからんでいるかどうかを白日の下にさらす必要がある。」
腐敗金がからんでいる経済を野放しにしておけば地元経済の健全性は失われていき、一朝事が起こればその影響は広範囲に及ぶためたいへん危険である、と同専門家は警告している。


「バリから東に流れている観光客」(2012年9月1日)
いまだ自然のままの息吹が強く感じられる東ヌサトゥンガラ州フローレス島を訪れる外国人観光客が増加している。州内諸県の中で一番観光客を集めているのはコモド島を擁するマンガライバラッ(Manggarai Barat)県で、次いで多いのがクリムトゥ(Kelimutu)三色湖を擁するエンデ(Ende)県。フローレス島にはそのほかにマンガライバラッ県のPantai Merah (赤色海岸)、エンデのPantai Batu Hijau Penggajawa (プンガジャワ緑岩海岸)、Goa Liang Bua (リアンブア洞窟)やマンガライの古代フローレス人遺跡などもあり、観光ポイントには事欠かない。
2011年にフローレス島を訪れた外国人観光客は76,167人で、コモド島には48,009人が足を踏み入れている。そのうちで一番多かったのはオーストラリア人で7,108人あり、かつてコモド島来訪者のトップを占めていたドイツ人は4,524人で二位に落ちている。クリムトゥ三色湖もトップはオーストラリア人が占め、二位はオランダ人となっている。
2012年にウエストフローレススイスコンタクトがラブアンバジョで外国人観光客100人から集めたアンケートによれば、観光客の苦情はゴミが汚いこととフローレス島のインフラがお粗末であるということだったそうだ。


「満室が続いたルバランシーズンのホテル」(2012年9月1日)
2012年ルバラン休暇シーズンにおける全国ホテル業界の客室稼動状況はほぼ満室になった、とインドネシアホテルレストラン会専務理事が公表した。ラマダン月には平常期より10〜15%稼働率が低下したものの、イドゥルフィトリの2〜4日間は星級ホテルで90〜100%の客室稼動が実現した由。
ホテル自身がルームチャージパッケージ・ブカプアサパッケージ・宴会パッケージその他の季節的な催しをバックアップさせる種々のプログラムを組んだことに加えて、ローコストキャリヤーの増加と輸送能力の拡大がホテル利用客の下支えになっていることを専務理事は強調している。
2012年上半期全国ホテル業界客室稼働率は65%で、もっとも利用度の高い客室料金レンジは50万〜65万ルピアのブラケットだった。
しかしスラバヤのホテル業界は状況が違っていたようだ。多くの星級ホテルは、ルバラン期間中の状況は断食月で低下したレベルからほんのわずかアップしただけで終わってしまった、と失望の色を浮かべている。2011年の実績すら下回ったホテルが多い。
ホテルシンガサナは2012年の客室稼働率が50%で、昨年の60%から大幅にダウンした。ホテルエクアトルも50%で、これは昨年と変わらず。ホテルインナシンパンはグループの長期滞在客を得ており、稼働率自体は昨年よりよくなっている、とのこと。特に定常的に交通渋滞が発生しているシドアルジョ〜グンポル間を結ぶポロン街道の新たな代替路が完成したことでスラバヤから南東方面に向かう交通がスムースに流れるようになっているため、スラバヤに泊まるのをやめた帰省客がたくさん出たのではないかと、業界者のひとりは語っている。


「漆黒の闇は泥棒を招く」(2012年9月3日)
2012年6月3日付けコンパス紙への投書"Waspada di Trans Studio Bandung"から
拝啓、編集部殿。わたしは西ジャワ州バンドンのトランススタジオを最近訪れました。その施設内の4Dマーヴェルショーの会場でわたしは嫌な体験を被りましたので、これからそこを訪れようとされている皆さんに警告しておきたいと思います。
その会場では、真っ暗な中で4D映画を見るのですが、バッグやその他の持ち物が座席から落ちるかもしれないので、手荷物は全部床に置くように指示されました。しかし、主催者側はそのような指示をするべきではないとわたしは思います。
わたしの体験はこうでした。映画が終わったあと、わたしが床に置いたバッグは位置がずれていて、しかも口が開いており、中に入れてあった携帯電話がなくなっていました。観客はみんなシートベルトで椅子にしばられていたので、わたしの推理では、何者かがそのマルヴェル会場に忍び込んでわたしのバッグの中身を盗んだように思えます。会場の職員によれば、観客が椅子から降りれば映画は自動的にストップするようになっているそうでした。バッグを抱えていても映画を見るのに困るわけではないので、バッグを床に置かせるのはやめたほうがよいと思います。[ ブカシ在住、プリハッ二・フィルゴワティ ]


「動物園内にも暴走二輪車」(2012年9月6日)
2012年6月22日付けコンパス紙への投書"Sepeda Motor Tabrak Anak di Taman Margasatwa Ragunan"から
拝啓、編集部殿。ジャカルタ都民のレクレーションセンターである南ジャカルタ市ラグナン動物園は歩行者、特に子供たちにとって、安全な場所ではありませんでした。2012年5月17日の祝日に、わたしと夫そして8歳と3歳の子供たち4人は朝の運動をしにそこへ出かけました。
わたしたちがシュマッツァー霊長類センターの近くを気持ちよく歩いていたとき、いきなり後ろからオートバイが高速で走ってきて3歳の子供に衝突したのです。子供はオートバイに引きずられてアスファルトに打ち付けられ、鼻の骨を折りました。顔一面に傷を負い、鼻と目と頬の部分にあざと腫れができました。
応急処置をしてもらおうと、わたしはすぐにラグナン動物園内の医療クリニックに子供を運びました。ところがそこには医療従事者がひとりもおらず、そこにいた職員は交通事故被害者の処置をどうしてよいのかわからず、はっきりした対応をしてくれません。しかたなくわたしは、子供をデポッ市のヘルミナ病院へ運びました。X線検査と診察で、子供は鼻梁骨折と診断されました。
動物園管理職員が四輪二輪の車両乗り入れ禁止を徹底せず、事故を起こしたオートバイ運転者の園内進入を許可したのはとても遺憾なことです。わたしどもは園内入場料と事故保険料として500ルピアを支払いましたが、子供の医療費用は全額わたしどもが負担しており、保険は何の役にも立ちませんでした。[ 南ジャカルタ市ジャガカルサ在住、ディアナ・ドゥマサリ ]


「色が変わるクリムトゥ三色湖」(2012年9月7・10日)
東ヌサトゥンガラ州フローレス島エンデ県にあるクリムトゥ(Kelimutu)山は活火山だ。1830年から2007年まで、8回の噴火が観測されている。1968年6月3日に起こった噴火では、火口湖のひとつでシューシューと鳴動が起こり、黒茶色の噴水が10メートルほど上がった。
海抜1,690メートルのこの山には、有名な三色湖がある。この三つの火口湖にはそれぞれ名前が付けられており、水面の色が異なっていたため地元民はなんらかの意味合いをそこに付与していたようだ。1915年にファン・スフテレンがはじめて行った科学的な調査では、三色湖のひとつティウヌアムリコーファイ(Tiwu Nua Muri Koo Fai)は翡翠色、ティウアタポロ(Tiwu Ata Polo)は血の色、ティウアタンブプ(Tiwu Ata Mbupu)は白色をしていると報告されている。ところが今その三色湖を訪れてみると、色調の違いはあっても三つとも緑色をしており、かつて天然のミステリーを謳われたまったく異なる三色を目にすることはできない。湖水の色は鉄分や硫黄あるいはその他のミネラル成分と火山性ガスそして太陽光線が変化させているものであり、半永久的に一定の色に保たれているわけではなく、折々の状態いかんで変化するそうだ。
インドネシア科学院地質技術センターとクリムトゥ国立公園管理館の記録を見ると、1915年以来湖水の色は72回変化している。ティウアタポロは2008年12月に黒茶色から緑色に変わり、その緑色もモスグリーンからトスカグリーンに変わり、またモスグリーンに戻るといった変化を繰り返している。
2009年10月には三つの湖がほとんど同じ薄緑色になった。そしてティウヌアムリコーファイでは2011年12月にトスカグリーンから青緑に変化し、さらに2012年8月のイドゥルフィトリ前には薄緑色が白っぽくなった。
8月19日、54キロ離れたエンデの町からクリムトゥに遠出してきたムハマディヤ高校女生徒ヌヌンとライラは、水面の色が変わっているのに驚いた。爽やかで新鮮な大気を胸いっぱい吸って、近くの松林から風の奏でる自然の音楽を耳に愉しみながら、この宗教祭事の日にこんな体験ができるなんてとても好運だ、とふたりは語る。「いつもは明るい薄緑色なのに、今は白っぽくなってきてる。すごくユニークよ。」
やはりエンデから17人のグループで遊びに来た製パン工場に勤めるアグスも127メートルの深さを持つティウヌアムリコーファイの湖面の色が変わっているのを目にして喜びを隠さない。ここへ来るとストレスを忘れるので、よく来るのだとかれは語る。国立公園監視員の話では、湖面の色はイドゥルフィトリの一週間ほど前から変化が始まったそうだ。
エンデを中心にこの一帯を生活圏にしてきたリオ(Lio)族の伝承によれば、クリムトゥ三色湖地域は死者の霊が住む世界とされている。ティウヌアムリコーファイは若者の霊が集まる宮殿であり、ティウアタンブプはおとなの霊が住んでいる場所だ。そしてティウアタポロは生前に悪人だった者の霊が住む村だとされている。そして、それらの湖の水面の色が変化するのは、この世に異変が起こることの前兆だと地元民の多くが信じている。


「多様化する観光先」(2012年9月10日)
2012年ルバラン休暇で、国内観光客は新たな観光先に詰め掛ける傾向を見せた。その筆頭はバリの東にあるロンボッ島のギリトラワガン(Gili Trawangan)と、もっと東のコモド島。マリ・エルカ・パゲストゥ観光クリエーティブ経済相は、従来の定番はバンドン・ジョクジャ・バリだったが、それに新たな人気観光先が付け加えられようとしている、と今年の変化についてコメントした。「ギリトラワガンは国内外の観光客で前代未聞の混雑を呈した。おなじことはコモド島の玄関に当たるラブアンバジョ(Labuan Bajo)でも見られた。コモド島はこれまで外国人観光客の人気訪問先だったが、そこにも今年は国内観光客が大挙して押し寄せている。」
このように国内観光客の旅行が大きく盛り上がっているのは、ローコストキャリヤー(LCC)が輸送能力を大幅に増加させ、各観光地に乗客を直接送り込むようになってきたことがその基盤を支えている、と観光省は表明している。現在国内線に就航しているLCCオペレータは36あり、総輸送能力は1億820万席にのぼっている。観光省は2012年の国民の総旅行回数目標を2億4千5百万トリップとしており、LCCの充実がその実現を支えるものと位置付けられている。。
同省データによれば、2011年入国外国人観光客数764万人の71.2%は空路を経由し、海路は28.1%、陸路の国境通過は0.7%だった。2011年に観光セクターが得た外貨は86億ドルと計算されている。


「バリからコモドへ」(2012年9月20日)
バリ島から東に陸路を行く場合、パダンバイ(Padangbai)港からロンボッ(Lombok)のレンバル(Lembar)に向かうフェリーがある。更にロンボッ島からスンバワ(Sumbawa)島へ、そしてスンバワからフローレス(Flores)島へと渡るフェリーがあるのだが、実情は人と物の輸送需要を支えきれない劣悪なインフラとオペレーションの連続だ。そんなルートを経てバリからコモドに渡るのは、たいへんな艱難辛苦を覚悟しなければならない。
パダンバイ港もレンバル港も、埠頭は二本しか備えられていない。ところがその間をなんと23隻もの船が往復しているのである。快速船スワルナカルティカ号が就航し、二港間を3時間で走破しているものの、港の接岸態勢は何も変わっていないため、早く到着しても接岸までおよそ1時間を無為に過ごしており、乗客が得られるメリットは何もない。
ロンボッのカヤガン(Kayangan)港からスンバワのポトタノ(Pototano)港へは12海里で2時間の航海時間だが、こちらも埠頭はそれぞれ二本しか備えられていない。スンバワ島のサペ(Sape)港からはフローレス島のラブアンバジョ(Labuan Bajo)に渡ることができる。その間を往復しているのは4隻あるが、直行船は3隻で、もう1隻はスンバ(Sumba)島を経由する。ところが毎日3便が動いているかと言うとそうでもなく、一日に1便しか動かないということも頻繁だ。フローレスからバリに農産物を輸送するトラックがラブアンバジョの港にはたいてい20〜40台溜まる。ところがフェリー1隻が運ぶのは10台程度で、その日1便で終わりになったら大量のバナナが腐るという結末にいたる。
コモド国立公園の入り口にあたるラブアンバジョまで行くだけでそんな有様だから、この観光ルートを大勢の観光客が移動するようになる日はいつやってくるだろうか?


「ギリトラワガンの太陽を追う」(2012年9月21・22日)
中部ロンボッ県プラヤのロンボッ新国際空港から北のバンサル(Bangsal)港へは約2時間の道のり。ローカルの雰囲気が濃厚なこの港は沖に浮かぶギリ三島の最先端ギリトラワガンへの渡し船ターミナルだ。ギリアイル(Gili Air)・ギリメノ(Gili Meno)・ギリトラワガン(Gili Trawangan)と並ぶギリ三島の一番外洋に面しているギリトラワガンが面積338Haで一番広く、一番人気が高い。おかげでここ十年近くの間に島の海岸は宿泊と飲食の施設がほとんどとり囲んでしまった。
バンサルからおよそ20分かけてトラワガンに向かう。夕方潮が高くなると波のうねりも強まるため、波に身を預けるボートは進行が緩慢になる。
島の中はいまやまるでバリ島クタビーチのように、肌をこんがり焼いた西洋人が大勢、シュノーケルやダイビングのボンベを抱えて右往左往している。しかし最大の違いは、四輪二輪自動車のエンジン音と排気ガスの有無だろう。ギリを走るのは小型の馬に引かせる馬車のチドモ。馬は当然走りながらもポタポタと臭いものを落とすが、トイレを着けて走っているから、路上のリスクは少ないと言えよう。おかげで島の客たちは徒歩で自転車で、ギリの休日を心行くまで愉しむことができる。
ギリに着いた日、まず楽しめるのがサンセット。ここでは太陽が水平線に沈むのを必ず見届けることができる。バリのクタビーチのように、雲や霞のかなたに落ち込んでいつ海に沈んだかわからないような無念の想いを味わうことはない。
島の客たちはみんな島の西部に集まって、思い思いの場所で思い思いの姿勢で目をこらし、涼しくなってきた海風を全身に受け、大自然が百種類もの色の変化を見せるのを堪能し、それから腹の虫を鎮めるために夕食のテーブルを探す。しかし中には迫り来る宵闇の中を動かないひとたちもいる。満月前の日々であれば、闇の中をふたたび銀色黄金色が照らし始めるのを愉しめるからだ。満月の夜ともなれば、宿舎へ戻るのに灯りなどいらない。
そして翌朝、今度は島の東から太陽が顔を出す。夜の闇を裂くように白んできた空には黄色・橙色・赤色の彩りが現われ、そして目を射る太陽が顔を出す。海面には漁船の姿が並ぶ。漁夫たちは島の今夜のおかずをもう手に入れているにちがいない。
夜が明ければ、今日のアクティビティの開始。シュノーケリングの道具込みで船を5時間チャーターするのは70万ルピア。あるいはスパやマッサージ。ホテルで1時間十数万ルピア、道端の小屋で5万ルピア。いずれもけっこう混みあっている。それともチドモをチャーターし、あるいは自転車を借りて島の周囲を一周するか。
ギリメノに面するギリトラワガンビーチとちょうど反対側の、バリ海に面した西海岸も、興趣豊かな場所だ。東側の喧騒は島中央部の丘にさえぎられてここまでは届かない。静かな島の雰囲気をそこで味わいながらサンセットを待つのもまた愉し。


「年末まで、国内観光はローシーズン」(2012年9月22日)
年間最大のルバラン休日が過ぎ去ったいま、次のクリスマス〜年末年始休日シーズンまで国内観光地はローシーズンに入る。ルバランシーズンが終わるまで、国内旅行代理店業界は平均して月間20万件のパッケージツアーを販売しているが、このローシーズンでは15万件程度のレベルになるだろう、と旅行代理店協会が表明した。国内外観光客が利用している国内パッケージツアーは全体の中の5〜6割を占め、外国人はシンガポールをはじめアジア域内からの観光客がメインを占めている。パッケージツアーを使わない観光客は個人旅行者で、バリをはじめ国内有力な観光地は個人旅行者が多い。
クリスマス〜年末シーズンのパッケージプロモーションを旅行代理店協会はイギリス・日本・マレーシアなどの有力市場に対して行っている。だからと言ってローシーズンを手をこまねいて過ごせるはずもない。常道の割引販売も盛んにオファーされており、宿泊日数を追加する手法は人気のあるもののひとつだそうだ。
2012年上半期の外国人観光客誘致は387万人にのぼり、対前年同期比7.8%の上昇を示した。2011年の年間実績は764万人で、総観光収入は90億ドルと公表されている。


「ブロモ山の観光地化が進む」(2012年9月27日)
東ジャワ州で最大の人気観光先の地位を占めているブロモ山の火口に近いスカプラ(Sukapura)郡ガディサリ(Ngadisari)村一帯に住むテンゲル族はヒンドゥ教徒が大半を占めている。かれらの生計は野菜作りや蜂蜜採取がメインだが、観光客相手の商売に携わるひとが増えてきた。零細資本ながらもジープやオジェッの運送あるいは貸し馬、宿泊あるいは飲食ワルンなどのビジネスで発展しているひとが多い。そして最近では、観光客にテンゲル族の伝統芸能を演じて見せるショーも行われるようになってきた。昔ながらの生活習慣を維持してきたかれらに、観光産業に従事することでより豊かな暮らしができることが実感されてきたようだ。
ブロモ山観光では、ブロモの火口に登って朝日を見るというアトラクションがある。パッケージを使わずにブロモ観光をするなら、ガディサリやチュモロラワン(Cemorolawang)の村で一泊10万ルピア台の廉価宿泊施設に泊まることができる。そして翌朝未明に1台35万から40万ルピアの6人乗りジープをチャーターして火口の周囲を取り巻く砂の海に乗り入れる。車両留めまで来たら10万ルピアで貸し馬を借りて火口に登るための階段まで行く。落馬が恐いひとは歩くしかないのだが・・・・
火口の周囲を取り巻く山頂まで上る階段は250段。海抜2,329メートルの冷え切った空気を吸いながら急斜面の階段を登るのは苦行だ。階段の途中でしゃがみこんで休憩している登山客も少なくない。
実は、ブロモでサンライズを愉しむにはもっと素晴らしい場所がある。ブロモ山の砂の海の周囲を取り巻く外輪山のひときわ高い峰に登るのだ。海抜2,775メートルのプナンジャカン山がそれだ。そこへ行くには四駆のジープをチャーターして夜明けまだ遠い闇夜の山道を走る。摂氏一桁の寒さに震えながら、オレンジ色の夜明けを雲海の上に迎えるとき、展望台に集まっている大勢の観光客の間から自然と拍手が湧き起こるのは実に感動的な体験にちがいない。


「ロシア人観光客は金の卵」(2012年9月29日)
ロシアと中国。経済成長に伴ってミドルクラスの勃興が盛んな国だ。同じことはインドネシアでも言われているが、ミドルクラスの勃興は消費経済を急激に押し上げる。ロシアも中国も、いまや世界中に観光客を送り出す重要な国の位置を占めるようになった。中でもロシアからやってくる観光客は観光立国を目指す国々にとって鉦太鼓で誘致したいハイクオリティ旅行客なのである。ロシア人は長い滞在日数とひとりあたり支出金額の大きさが顕著であり、是非観光にやってきてほしい国民のひとつに、今やのし上がってきている。
マリ・エルカ・パゲストゥ(Mari Elka Pangestu)観光クリエーティブ経済相によれば、ロシア人観光客はバリをはじめインドネシアにチャーターフライトでやってきて7〜9日間滞在し、滞在日数が長ければ滞在費が増えるとともに移動も増加するため、落としてくれる金額も高まるということになる由。
インドネシアの国内移動で不足しているのが、国内の有力な観光地を結ぶ空の足で、採算性を優先する航空会社は客足が増えれば航路の増設に力を入れるという姿勢だが、観光客は航路があれば行こうという姿勢だから、ものごとがはじまらない。その橋渡しの任に当たるのが国営のガルーダ航空で、ガルーダはインドネシア東部地方をメインに西部のハブ空港との間に航路網を拡充していく方針を立てている。


「スラバヤからデンパサルへ汽車の旅」(2012年10月13日)
2012年7月21日付けコンパス紙への投書"Kereta Api Indonesia Tak Melayani Sepenuh Hari"から
拝啓、編集部殿。わたしはスラバヤからデンパサルへ行くために夜行列車ムティアラティムル87号の切符を買いました。座席はエグゼキュティブ車両18−A番です。国鉄カスタマーサービスの説明ではこの列車はバニュワギ(Banyuwangi)に午前4時25分に着き、そこからダムリバスでデンパサルまで行くことになっています。
2012年6月17日(日)21時半、列車はスラバヤのグブン(Gubeng)駅を発車して、バニュワギに翌朝4時半に到着しました。デンパサルに向かう旅客はそこでダムリバスプレート番号L7529UAに乗るよう案内されました。運輸省の制服を着た乗務員はすべての乗客から鉄道乗車券を集め、ひとり混じっていた外国人から6万ルピアを徴収しました。
バスはバニュワギ駅を出てクタパンのフェリー埠頭まで行き、運転手は車から降りておよそ30分間どこかにいなくなりました。その間運転手はデンパサルへ行く一般のバスを探していたのです。国鉄でデンパサルまで行くことにしていた乗客11人は抗議し、一般のバスに移るのを拒否しました。しかし運転手はエアコンが壊れているということを理由にして絶対にデンパサルへ行かないと言い張ります。最終的に乗客は折れて一般のバスに移りましたが、そのバスだってエアコンなどありません。ダムリバス運転手はデンパサルまでの国鉄切符を最後まで乗客全員に返そうとしませんでした。
代わりに乗った一般バスはボロボロで、エアコンどころか扇風機もありません。乗客で満員になったこのバスでわたしたちは仕方なくクタパンからギリマヌッに渡航したのです。この体験は国鉄が金をとることに執心して乗客へのサービスをおろそかにしていることを証明するものだと思います。[ 東ヌサトゥンガラ州シッカ在住、パンカ・フィデリス・ゴメス ]
2012年9月6日付けコンパス紙に掲載された国鉄からの回答
拝啓、編集部殿。パンカ・フィデリス・ゴメスさんからの2012年7月21日付けコンパス紙に掲載された投書について、行き届かないサービスに関してお詫び申し上げます。国鉄はバニュワギバル〜デンパサル間の往復鉄道旅客運送を国有バス公社ダムリの協力を得て行っております。
パンカさんが体験された不愉快な出来事について、当方はそのフォローをダムリ社に書簡で問い合わせております。ダムリ社にはその出来事の調査と解決を依頼し、同じようなことが二度と起こらないよう要請しております。[ 国鉄広報担当副社長、スゲン・プリヨノ ]


「自転車をフィーチャーするツアー企画」(2012年10月20日)
トラベルエージェントのスマイリングツアーが自転車愛好者コミュニティB2W(バイクツーワーク)と提携して、2012年内に自転車をフィーチャーするパッケージツアーを実施する予定。これは自転車愛好者をまだあまり一般的になっていない観光地に案内して現地で自転車を使う健康なライフスタイルツアーを愉しんでもらおうというのが目的。
B2Wの正会員は10万人に達しているが、自転車関連催事の動員力は百数十万人にのぼると見られている。スマイリングツアー側は宿泊の世話と海外旅行の場合はビザの面倒を見ることになっている。今年実施予定の第一回ツアーは西ジャワ・中部ジャワ・東ジャワが予定されている。B2W自身はジョクジャやトバ湖のツアーを計画している由。


「期待される年末年始のフル稼働」(2012年10月27日)
ホテル業界は既に年末年始商戦の準備に突入している。都市部だけでなく地方部のホテルも、この年末年始は満員御礼のビジネスが享受できるだろうと打ち揃って明るい表情。一年間の締めくくりに90〜100%の客室稼動が実現するという期待がかれらの表情を明るくしている。
年末年始の予約状況は11月に入ってから本格化するため、いまのところは期待感というものでしかないとはいえ、国内ホテルレストラン業界者の団体であるインドネシアホテルレストラン会の会員はたいていが年末年始の客室稼動盛り上がりを予期している。
バンテン州タンジュンルスンのカリカアビラ経営者は、2011年末の客室稼働率は100%に達しており、2012年末も同じような状況が再現されるのは間違いないだろうと述べている。平常月の客室稼動は50%程度だが、11月に入ってからの予約の伸びをかれは楽しみしているそうだ。
2012年上半期のホテルレストラン会データによれば、客室稼働率全国平均は65%で、需要のもっとも大きい客室料金価格帯は一泊50〜65万ルピアだった。
メダンのホテルマダニは年末年始宿泊需要を盛り上げるために料金割引を含めた諸販売プログラムのオファーを開始したと同ホテル販売課長は語る。イドゥルアドハの休日そして年末年始のシーズンには宿泊客が激増することが予測されており、客室稼動100%も実現する可能性は大きい、とかれは言う。ホテルマダニは173室の客室を持つイスラム基調のホテルで、平常月の客室稼動は60〜80%ある。国内客はアチェやジャカルタからが多く、海外からはマレーシア人がよく利用している。
また政府機関が年末に会合を持つ傾向が高いため、MICE向け施設の稼動も同時に高まるようだ。そられ両面でホテル業界は年末年始のフル稼働をエンジョイできるにちがいない。


「悪いのは誰?」(2012年11月3日)
2012年8月23日付けコンパス紙への投書"Valuair Tanpa Pemberitahuan"から
拝啓、編集部殿。わたしは2012年7月20日21時35分ジャカルタ発シンガポール行きヴァリューエアーVF206便のチケットを戻り便のチケットと一緒に購入し、そのチケットを既に受け取っています。
出発当日、わたしはインターネットチェックインを行い、19時半前に搭乗券をカウンターで受け取りました。そのあとわたしはすぐに出国審査を通り、2Dターミナルにあるエグゼキュティブラウンジのひとつに入って搭乗時間を待ちました。
20時50分にわたしはラウンジ受付係員に搭乗が始まったかどうかを尋ねました。返事は「まだです。」でした。
21時5分にわたしは再度ラウンジ受付係員に同じ質問をし、また同じ返事をもらいました。でもわたしは、すぐにラウンジを出て搭乗ゲートへ行こうと決心したのです。搭乗ゲートに着いたとき、ヴァリューエアー職員は「搭乗はもう締め切られました。」と言い、わたしのチケットは焦付きになったと表明したのです。わたしは損害を蒙り、とても失望しました。
搭乗締め切りがどうして各ラウンジに通知されなかったのでしょうか?いや、それよりも、ステータス案内板のボーディングという表示がどうして更新されなかったのでしょうか?もっと言えば、まるでスケジュールが早められたとでも言えるこの変更をヴァリューエアーはどうして顧客の携帯電話に直接連絡してこなかったのでしょうか?ヴァリューエアーのサービススタンダードって、こんなものなんですか?[ 南ジャカルタ市在住、リー・ファルディ・ウィジャヤ ]


「ショッピング観光にも弱いジャカルタ」(2012年11月7・8日)
スイスに設立されたショッピングツーリズム企業グローバルブルー社が発表したグローブショッパーインデックスで、アジアパシフィック地域でジャカルタは25都市中の17位に置かれた。ヨーロッパ地域のランキングは33都市が網羅されている。
アジアパシフィック地域のトップ10は次のような内容だ。
1.香港 68.5ポイント、2.クアラルンプル 65ポイント、3.上海 63ポイント、4.北京 60.6ポイント、5.シンガポール 60.1ポイント、6.シドニー 58.5ポイント、7.バンコック 57ポイント、8.東京 56.4ポイント、9.ソウル 54.7ポイント、10.デリー 52.8ポイント
ジャカルタは45.7ポイントしかなく、17位に甘んじることになった。このインデックスはショッピング場所・価格・快適さ・ホテルと交通・文化と風土という5つのカテゴリーに関する評価から成っている。ショッピング旅行をする場合、このグローブショッパーインデックスに従って行く先を選択していればまず間違いはない、とグローブブルーのCEOは述べている。
総合点で17位だったとはいえジャカルタは、家電品や腕時計の価格についてはアジアパシフィック地域で第4位の人気を獲得した。交通面でもジャカルタの空港は乗降客の多さと他の都市とのコネクティングというポイントで第4位に置かれている。ジャカルタへのショッピング旅行で難点なのは英語があまり通じないこと、そして文化的な観光場所や催しが少ないということがあげられている。そのポイントは言うまでもなく、ジャカルタの観光業界者も指摘していることだ。
たとえば年末の休暇シーズンにインドネシア人は大挙してシンガポールへ出て行き、さまざまな催し物を堪能して帰ってくる。シンガポールの観光興行業界はそのポイントを心憎いまでにつかんでおり、距離的に近い隣国のインドネシア人観光客をいかに自国にひきつけるかという戦略をたくみに実施している結果がその実績をもたらしている。インドネシアの大都市で、インドネシア人が寛いで楽しめる催しがたっぷりあるなら、あれだけの人数が休日を送るためにシンガポールに毎年出て行く必要はない。インドネシアの興行界もただ沈黙しているわけではなく、料金引下げや外タレの起用といった努力を払っているものの、全般的に言って単調さが感じられるため、もっと工夫がこらされなければならない。ジャカルタのナイトスポットはカラオケ・ディスコ・マッサージ・ライブ音楽がマジョリティを占めており、近隣諸国で見られるようなバラエティの豊富さが欠けている。インドネシアエンターテイメントスポット事業者協会会長はインドネシアの現状をそう解説している。


「ピケノル」(2012年11月16・17日)
ジャワ島を東西に縦断する陸路はいくつものバリエーションがあるが、その中で幹線路をなしているルートは三つある。まずジャワ島北岸街道で、これはダンデルスがイギリス軍のジャワ島侵攻を前にして防備を向上させるために作った大郵便道路の末裔だ。ジャカルタからはスマラン(Semarang)を経由して海岸沿いにスラバヤ(Surabaya)に向かい、スラバヤから南下してパスルアン(Pasuruan)を抜け、そのまま北岸沿いにプロボリンゴ(Probolinggo)〜シトゥボンド(Situbondo)を経てジャワ島東端のバニュワギ(Banyuwangi)に至る。
しかしスマランから南下してソロ(Solo)を抜け、ガンジュッ(Nganjuk)〜モジョクルト(Mojokerto)を経てグンポル(Gempol)でスラバヤ〜マラン(Malang)街道を横切り、パスルアンに入っていくルートも人気がある。このルートは中央ルートと呼ばれている。
そのガンジュッからクディリ(Kediri)に南下し、クディリから山あいの道をマランに進むか、あるいは更にトゥルンガグン(Tulungagung)まで南下してから東向きの街道をルマジャン(Lumajang)に向かうルートもある。もしマランに向かった場合でも、マランから南下してクパンジェン(Kepanjen)でルマジャン方面への東行き街道に合流することもできる。ルマジャンからはジュンブル(Jember)を経由してバニュワギの町に南側から入っていくことになる。このルートは南ルートと呼ばれている。
しかしマランからはスラバヤ〜マラン街道を北上してシゴサリ(Singosari)〜プルウォダディ(Purwodadi)を抜け、プルウォサリ(Purwosari)からパスルアンに向かうルートを取れば、ジャワ島北岸街道に合流することもできる。
それら以外に、小さい町の間を結ぶ州道や県市道が網の目のようにジャワ島を覆っているから、それぞれのルートに小さな田舎道を織り込むこともできる。ジャワ島内は田んぼの中の小さな田舎道にも適宜行き先表示の道路標識が置かれているから、道に迷っても修正が容易であり、大事に至ることはあまりない。
その中の南ルートは、北岸街道や中央ルートほど道路が整備されておらず、また海抜3,676メートルのスムル(Semeru)火山や海抜3,332メートルのラウン(Raung)火山の南側高原部に作られた曲がりくねった山道を走らなければならないことから、観光ドライブよりも目的地に早く到着したいひとびとにはあまり人気のないルートになっている。逆に言えば、ジャワ島の高原の風光を愉しみたいひとにとってこのルートは最高の旅を満喫させてくれるものと言ってよい。
くねった山道を走りつつ、突然目の前にジャワ島最高峰のスムル山が視界いっぱいにその威容を見せ付けてくれる場所に行き当たったときの感動は、体験したひとにしかわからないはずだ。そこを越えて更にしばらく走ると、スムル山が吐き出したラハールが広大な河を形成している地帯を越える。河と言っても涸れ河であり、河のように海に向かって伸びている溶岩の原で、その中をかろうじて水流のある川がほんの申し訳のように走っている。そんな景色を高い場所に架けられた橋の上から眺めるのも新体験と言えるだろう。
このスムル山南側の高地にプロノジウォ(Pronojiwo)の町がある。そこからルマジャンに向かって再び登り道を東行するとピケノル(Piket Nol)と呼ばれている土地を通る。ピケノルとはピケつまりここでは監視所を意味しており、ノルはゼロ。話では、オランダ植民地時代にこの地域一帯の農産物収穫を監視するポストが置かれていたということで、だれも監視員がいない監視所ということをその名称は言い表しているようだ。
ピケノルはルマジャンまでおよそ35キロの距離にあり、標高7百メートルでプロノジウォとルマジャン間の街道で一番の高所になっている。道の両側は緑の濃い熱帯林で、その熱帯林を破って上で述べたラハールの大河が異様な雰囲気をかもし出しながら海に向かって広がっているのだ。
この南ルートはくねくね曲がる山道と山あいの農村を通り抜ける穏やかな道が組み合わさった変化に富む道であり、特に山道では神経を使うから、のんびりと愉しみながらのドライブを心がけるのが理想的だろう。


「食べ物の恨みは骨髄に」(2012年11月17日)
2012年8月6日付けコンパス紙への投書"Es Krim di Singapore Airlines"から
拝啓、編集部殿。わたしはシンガポール航空の愛用者です。これまでわたしはシンガポール航空の満足できるサービスを享受してきました。ところが去る7月10日に東京成田空港からシンガポールチャンギ空港にSQ637便で飛んだときの話はまったく別物でした。
わたしは三人の子供連れ一家で、座席番号47Jに座りました。食事が配られたとき、わたしども一家は注文どおりムスリム食をもらいました。シンガポール航空のムスリム食はとてもわたしどもの口に合うのです。食事が終わった後、問題が起こりました。いつものように、アイスクリームがデザートして全乗客に配られました。食事の前に配られた献立表にもそれは明記されています。ところが奇妙なことに、わたしども一家はひとりもアイスクリームが配られず、小さい子供が三人もいるというのにまるで無視されたような形になったのです。
わたしどもの区画を担当したスチュワーデスは横柄な態度で言いました。ムスリム食を注文したのだから、チョコレートケーキで十分なのであり、アイスクリームはないのだ、と。
隣の席の通常の献立をもらったひとはわたしどもと同じようにチョコレートケーキがついており、その上にアイスクリームをもらっているのです。子供食をもらった三人の子供たちもアイスクリームは配られませんでした。わたしは7月12日にこの問題についてSQのウエッブサイトに苦情を送りましたが、「後で連絡します」というシンガポール航空インドネシアオフィスの予約発券担当シニアスタッフからの紋きり回答だけで、いま現在まだ苦情に対する回答はありません。
食事サービスで差別を行うシンガポール航空に乗るのは、トラウマになりそうです。[ タングラン在住、インドラ・ワヒユディ ]
2012年8月13日付けコンパス紙に掲載されたシンガポール航空からの回答
拝啓、編集部殿。インドラ・ワヒユディさんからの2012年8月6日付けコンパス紙に掲載された投書について、次のように説明申し上げます。ムスリム食のような特殊献立は、デザートまでがセットにされてお客様に供されております。今回のケースでは、デザートはチョコレートケーキになります。一方、通常献立のお客様に対してはアイスクリームを標準デザートとしてお配りしております。もしアイスクリームが余分に積まれていれば、特殊献立のお客様に対しても、ダイエットの障害にならないかどうかを確かめた上で供しています。インドラ・ワヒユディ・プラウィバワさんが搭乗されたフライトでは、アイスクリームの数が特殊献立の乗客分を差し引いた数で積まれていたため、特殊献立のお客様は全員がアイスクリームを配られていません。
客室乗務員は礼儀に叶ったサービスとプロフェッショナリズムを高く捧持して業務に当たるのが務めです。インドラさんが不快な体験をなされたことについて、わたしどもは遺憾の意を表するとともに、それがシンガポール航空のサービススタンダードでなかったことをお伝えしたいと存じます。当方はシンガポールの客室乗務員管理チームと協力してその乗務員を探し出し、訓戒を与えるとともに規律措置を施しました。この乗務員の態度については、今後厳しい監視が加えられます。
シンガポール航空はサービス上の差別を否定し、全従業員がすべての乗客に同じサービスを提供することを義務付けています。当方はインドラさんにコンタクトし、問題を解決しました。[ シンガポール航空広報マネージャー、グローリー・ヘンリエット ]


「新規ホテルはセミCBDに」(2012年11月22日)
都内非CBD地区でのビジネス活動が活況を呈していることから、セミCBD地区でのホテル建設が増加している。5星級のJWマリオットがクマン(Kemang)にオープンしたように、このトレンドは2011年から既に始まっている、とナイトフランクインドネシアのシニアリサーチマネージャーがコメントした。オフィスビルやコンドミニアムがクマン地区やシマトゥパン通り沿いに立ち並ぶようになってくれば、その中にホテルが混じるのは必然の流れであるとのこと。ジャカルタはビジネス客を対象にしたホテルが中心で、ホリデー客を中心にするバリとは性格がおのずと異なっている。
ジャカルタのCBD地区は3イン1地区に入っており、自動車専用道を利用しようとしても激しい交通渋滞で時間のロスが大きいといった難点を抱えているため、ホテル利用者はむしろ3イン1エリア外のセミCBDのほうに使い勝手のよさを感じている。デベロッパーもそのポイントをつかんでセミCBD地区にホテル建設ロケーションを選んでいるとコールドウエルバンカーインドネシアのマネージャーは述べている。2012年内にホテル戦線に加わる、あるいは加わった新規ホテルには次のようなものがある。
5星級: Kemang Village 275室
4星級: Holiday Inn Express Pluit 200室
     Holiday Inn Kemayoran 250室
     Paragon Hotel 200室
3星級: Mercure Simatupang 250室
     V Hotel 110室
     Ibis TB Simatupang 150室


「トバ湖祭り」(2012年12月1日)
2012年12月末にはトバ湖祭りが開かれる。北スマトラ州外からトバ湖を訪れるには、メダンのポロニア空港へ飛行機で飛び、そこから陸路を7時間かけて走らなければならなかったので、これまでのトバ湖祭りはトバ湖周辺の地元民のためのお祭りという色彩が濃かった。トバ湖祭り実行委員会は州外、中でも外国人観光客が多数訪れることを望んでいるものの、アクセスの便が悪いため爆発的な数の外国人観光客を招くための働きかけも今ひとつ腰が入らないというのが実態だったようだ。
ところが2012年11月中旬にバタム〜タパヌリ空港間の新航路が開設されるにおよんで、トバ湖への足の便が大幅に改善された。その航空路に就航したのはSky Aviationで、フライトは金曜日と日曜日の週二便。使用機種は客席48のF−50で片道90分の飛行時間。初飛行は11月17日に行われ、地元行政高官らも招かれた。
バタムは全国入国ポイントの中で外国人入国者が三番目に多い。バタムの入国者は休日を楽しみにやってくるシンガポール人マレーシア人がマジョリティを占めており、トバ湖祭りには是非かれらを呼び込みたい、と祭り実行委員会はその策を練っている。


「インドネシア映画鑑賞際」(2012年12月1日)
2012年11月24日、教育文化省が主催するインドネシア映画鑑賞際がジャカルタのTVRIオーディトリアムで開かれた。これは国産映画の中から寛容の精神・多様性・文化価値に優れたものを選んで表彰しようというこころみで、今年がはじめての開催。この日は優秀賞に選ばれた5本の作品が紹介され、その中から更に最優秀作品1本が選ばれて12月2日に発表されることになっている。
優秀作品はガリン・ヌグロホ監督のMata TertutupとSoegija、 ユージン・パンジ監督のCita-citaku Setinggi Tanah、ヘルウィン・ノビアント監督Tanah Surga Katanya、 グントゥル・スハルヤント監督のBrandal-brandal Ciliwungだったが、優秀監督部門にグントゥル・スハルヤントは選ばれず、替わってNegeri 5 Menaraを監督したアファンディ・アブドゥル・ラフマンが入った。
主演女優賞候補にはMata TertutupのヤヤンCヌール、Tanah Surga Katanyaのアストリッ・ヌルディン、Hafalan Sholat Delisaのニリナ・ズビル、Perahu Kertas Iのマウディ・アユンダ、Brandal-brandal Ciliwungのグリッテ・アガタ。主演男優賞候補はPerahu kertas Iのアディアティ・ドルケン、Garuda di Dadakuのリオ・デワント、Tanah Surga Katanyaのフアッ・イドリス、Hafalan Sholat Delisaのレザ・ラハディアン、Soegijaのニルワン・デワントがノミネートされた。最終審査を行う審査員は、イマム・プラソジョ、アリフ・ラフマン、チプタ・レスマナ、マティウス・アリ、ジョージ・カマルラという顔ぶれ。


「ラブアンバジョには病院がない」(2012年12月15日)
コモドドラゴン観光ブームが盛り上がって東ヌサトゥンガラ州西マンガライ県の都ラブアンバジョを訪れる観光客が増えている。国内観光客も増えているが、外国人観光客の増え方のほうが顕著らしい。2009年30,415人、2010年41,707人、2011年は5万人に達して、年々一万人近く増加している。増加の主体はオーストラリア人で、中でも冒険好きな若者たちがメインを占めており、次いで多いのはオーストラリア人の中高年層となっている。
コモド島観光はラブアンバジョから船で島に渡るが、ラブアンバジョまで行くことに不安を感じて旅行を取消すひともいる。なぜなら、ラブアンバジョには保健所しかなく、病院は一軒もないからだ。ときどきコモドドラゴンがひとを噛む事故が起こる。傷が小さければラブアンバジョ保健所で処置できるが、大きい傷の場合はデンパサルの病院へ行かなければ処置できない。島から船でラブアンバジョに向かい、ラブアンバジョの保健所で手に負えないと判断された場合、デンパサルへの飛行機の便を探さなければならない。それはきわめてリスクの高い状況だと言える。そんな事故でなくとも、小さい子供連れで旅行し、子供が下痢を起こしたとき、保健所が手を上げたときはいったいどうなる?そんな不安が家族連れ旅行者の訪問を少なくしている。
保健所が手を上げれば、一般的な疾患の場合に保健所はマンガライ県ルテン(Ruteng)の病院を紹介する。ラブアンバジョからルテンまで陸路を走って4時間だ。車をチャーターして走ることになるから、交通費は小さくない。疾患の内容によってはエンデの病院が紹介されることもある。陸路を走って12時間、交通費は150万ルピア程度かかる。心臓疾患だと、バリやジャワの病院に紹介される。
ところが、マンガライ空港からデンパサルへ行くフライトはほとんど常に満席状態。クパン(Kupang)経由スラバヤ〜ジャカルタ行きもあるがそれらの航路を飛んでいる三航空会社は50人乗り程度の小型機を一日一便飛ばしているだけなのだ。
2007年から地元政府は予算を計上して病院建設を開始したが、途中で止まってしまった。資金が続かなくなったということもあるが、どうやらコルプシ事件がからんでのものらしい。西マンガライ県令は中央政府に病院建設の支援を要請しており、その方向には進みつつあるようだ。観光開発の支援で病院までおんぶにだっこというのも、インドネシアならではかもしれない。


「天国だそうだ・・・」(2012年12月17日)
2012年12月8日にヨグヤカルタのフレデビュルフ要塞で開催されたインドネシアフィルムフェスティバル2012最終選考会で、最優秀劇場映画にTanah Surga ...Katanya(極楽の地・・・だそうだ)が選ばれた。また各カテゴリー別では、次のひとびとが最優秀者に与えられるチトラトロフィを獲得した。
監督賞: ヘルウィン・ノフィアント(Tanah Surga ...Katanya)
主演男優賞: ドニー・ダマラ(Lovely Man)
主演女優賞: アチャ・セプトリアサ(Test Pack You're My Baby)
助演男優賞: フアッ・イドリス(Tanah Surga ...Katanya)
助演女優賞: マッ・ゴンドゥッ(Demi Ucok)
原作賞: ダニアル・リフキ(Tanah Surga ...Katanya)
脚本賞: ジュジュル・プラナント(Rumah di Seribu Ombak")
撮影監督賞: ユディ・ダタウ(Dilema)
アートディレクター賞: エルサ・タンプボロン(Tanah Surga ...Katanya)
映像編集賞: チェサ・ダヴィッ・ルッマンシャ(Rumah di Seribu Ombak)
音声編集賞: サトリオ・ブディオノ(Rumah di Seribu Ombak)
音楽編集賞: トゥルシ・アルグスワラ(Tanah Surga ...Katanya)
審査員特別賞: デデイ・ルスマ(Rumah di Seribu Ombak)
ちなみに、主演男優賞にノミネートされた他の俳優は、ティオ・パクサデウォ、レザ・ラハルディアン、エミル・マヒラ、主演女優賞にノミネートされた他の俳優は、ヤヤンCヌル、アティカ・ハシホラン、アニサ・ヘルタミ、ジェラルディン・シアントゥリだった。


「チレボン王宮観光」(2012年12月21・22日)
チレボン(Cirebon)の町を訪れたなら、カスプハン(Kasepuhan)王宮を見なければチレボンへ行ったとは言えない。なぜなら、町の中央にあるこの王宮こそ、チレボンの歴史と文化を物語るものだからだ。
このチレボンでもっとも古い王宮はカスプハン通り43番地にある。15世紀に始まる史跡建造物である王宮建物とチレボンの文化遺物がそこにあり、そして王宮がその歴史の中で折々に催してきた伝統儀式も運がよければ観賞することができる。チレボンは西ジャワで最大のスルタン王国であり、今でもスルタンスプ十四世PRAアリフ・ナタディニンラが王宮の主として鎮座ましましている。
カスプハン王宮はイスラムの色濃いスルタン王国の中心として長期間にわたって栄華をきわめた。ところが王宮の建築様式はイスラム風一色でなく、ジャワ・スンダ・中国・ヨーロッパのニュアンスがあちこちに感じられるものになっている。王宮の正面表には二頭の白虎が向かい合っている彫像があり、この王宮のシンボルになっている。王宮を囲む赤レンガのへいは、伝承によればただそのまま赤レンガを積み重ねたもので、セメントを使って貼りあわされたものではないということだ。しかし長い歳月の間、それは少しのゆるぎもない塀として王宮を守護してきた。
この王宮の見ものは博物館にある幾星霜を経てきた遺物だ。クレタシガバロン(Kereta Singa Barong)と呼ばれる馬車がある。馬車とは言うものの、ことの最初からこの車を引いたのは水牛だったそうだ。そして特に白子の水牛が選ばれてスルタンの乗座する車を引いたのは、白子のほうが力が強いと思われていたかららしい。公式行事のために王宮から出るときにスルタンが乗ったこの車はたくさんの彫刻や飾り物に覆われて、往時にスルタンが持っていた威勢を見せ付けてくれる。この馬車は1549年に作られたもので、この博物館でもっとも人気のある展示物のひとつだ。その装飾を詳しく見ると、象の頭・龍の頭・巨長の翼などがあり、長い象の鼻はインド文化中でもヒンドゥ教への親近感、龍は中国文化に対する友好、巨長の翼はエジプト文化あるいはイスラム文化への憧憬を示しており、象の鼻がつかんでいる三叉の槍は人間が持つ三つの力である想像力・思考力・意志力の鋭さを象徴している。世界中を旅してきたオランダ人がクレタシガバロンを見て、世界でもっともユニークな馬車だと評した、と博物館ガイドのひとりは胸を張る。この馬車はジャワのイスラム暦元日に当たるシュロ月一日に引き出されて街中をパレードする習慣になっていたが、1942年以来王宮の外に出ることは無くなった。
ほかにも、一年中でイドゥルフィトリとイドゥルアドハの日に限って演奏されるガムランスカテンのフルセット、スンダクラパでポルトガル人を撃退するときに使われた大砲などの大物から、やはりスンダクラパでの戦闘で捕獲したポルトガル人の軍装、地元の伝統武器であるクジャンやトリスラと呼ばれる三叉槍などスルタンスプマタンガニ五世の残したバンテン征服に関わるもの、1888年に作られたスルタンの王子王女たちの衣装、伝統慣習儀式に用いられた器具などさまざまなものが展示されている。
博物館の見学が終わると、来訪者たちは王宮の表、アルナルンをはさんで対面しているモスクに向かう。このサンチプタラサ大モスクも赤レンガで守護されている。モスクに入る門は高さが低い。これは、人間はすべからく身を低く持すことを忘れてはならない、という教訓を与えるためだそうだ。
王宮で催される儀式は数あるが、人気の高いのはマウルッ月12日夜に開催されるパンジャンジマッで、預言者ムハンマッの生誕を祝うこの儀式では、大量の飲食物や果実、花や香などが王宮の外に担ぎ出されてアルナルンを通り、サンチプタラサ大モスクに向かう。それらの品々を飲食しあるいは身にまとった者はだれであれ神から特別の祝福を与えられると庶民は信じており、アルナルンで待ち構える善男善女たちは競って担ぎ出される供物を奪い合い、華やかさが一段と盛り上がる。
チレボン王宮見学観光ツアーとは別に、特別なツアーも用意されている。ひとつはチレボン王宮での一日学習ツアーで、王宮内で長い歴史の中に培われてきた文化のさまざまな節々に触れるもの。もうひとつはスルタンとの会食ツアーで、スルタンに会い王宮料理に舌鼓を打つものだ。チレボンの文化観光はこれから一層その普及と振興に力が注がれるようになるにちがいない。


「チレボン観光に改善を」(2012年12月22日)
2012年9月8日付けコンパス紙への投書"Menuju Keraton Cirebon: Kumuh dan Tidak aman"から
拝啓、編集部殿。しばらく前、わたしはクスプハン通りにあるチレボン王宮を訪れようと思い立ちました。アリオディノト通りまで来たとき、王宮がいったいどこにあるのか、わたしはまごついてしまいました。クスプハン、カチレボナン、カノマンの諸王宮に一番近い大通りがアリオディノト通りだというのに。
チレボンには十分鑑賞にたえる芸術的文化的な観光目的地がたくさんありますが、残念なことに諸王宮に一番近いアリオディノト通りはスラム化しているのです。古道具を売るカキリマ商人が道路脇を占拠しています。
災難だったのは、わたしが車を停めて王宮の場所を尋ねたとき、車の後部をえぐられました。わたしの車がカキリマ屋台の前に停まったので商売の邪魔をしたと思ったカキリマ商人にやられた可能性が高いです。大勢の車がわたしと同じような被害を蒙っているそうです。
公共秩序が正しく保たれないのなら、シンガポールやマレーシアあるいはタイなどの近隣諸国といったいどうやって観光分野で競争し生き残ることができるでしょうか?観光産業の興隆は高いコストをかけた再活性化や活発な広告宣伝の成果だけでなく、観光地における正しい認識も不可欠であることは基本認識なのです。チレボン県庁はあのようにスラム化して観光産業を崩壊させるだけの状況をどうしていつまでも放置しているのでしょうか?[ 東ジャワ州シドアルジョ在住、フリスカ・ロセシアリヌ ]


「カーフリーナイト」(2012年12月24日)
毎年ニューイヤーズイブは年替わりのカウントダウンと盛大なモナスの花火を楽しむために、大勢の都民がスディルマン〜タムリン〜メダンムルデカバラッの都内目抜き通り全長6.6キロを埋め尽くす。モナスでもHI前ロータリーでも、仮設舞台が用意されて音と光の祭典が繰り広げられ、飲食品屋台や物売が出て祭りの雰囲気が盛り上がる。
この祭りに出かけるとお開きには都心部で大渋滞が発生し、数キロという距離を数時間かけて移動するということも起こりうる。ジョコ・ウィドド新都知事はこれまでどの知事も行なったことのないアイデアを実行することにした。つまり12月31日21時から2013年1月1日午前2時までスディルマン〜タムリン〜メダンムルデカバラッ〜マジャパヒッ通りおよそ8キロを歩行者天国にしようというアイデアだ。Car Free Nightと銘打ったこのアイデアに関して知事はそれらの通りにある事業所や商店あるいはホテルの経営者にその意向を説明し、反対の声は出なかった、と語っている。通りにはさまざまな舞台が出て、さまざまな芸能を楽しむことができる。通り沿いにある15のホテルも何らかの形で参加するようだ。
この歩行者天国のために次のような交通制限が行なわれる。
1.ハルモニー交差点:21時にマジャパヒッ通りへの進入禁止
2.オテヴァ交差点:21時にメダンムルデカバラッ通りへの進入禁止
3.白馬車の像ロータリー:21時にタムリン通りとメダンムルデカバラッ通りへの進入禁止
4.クブンシリ交差点:21時にタムリン通り北行き南行きへの進入禁止
5.サリナ交差点:21時にタムリン通り北行き南行きへの進入禁止
6.HI前ロータリー:21時にタムリン通り進入および直進禁止
7.ドゥクアタス:21時にタムリン通り北行き進入禁止
8.ダルマラ交差点:21時にスディルマン通り北行き進入禁止
9.スマンギ立体交差:21時にスディルマン通り北行き進入禁止
10.スナヤンロータリー:21時にスディルマン通り北行き進入禁止
なお、歩行者天国にやってくるひとはモナス、スナヤンあるいは上の四通りに近い駐車場を利用するように、とのこと。


「ダムリ空港バスを取り巻くジャングル文化」(2012年12月27日)
2012年9月30日付けコンパス紙への投書"Layanan Bus Damri Bandara Semrawut"から
拝啓、編集部殿。スカルノハッタ空港のダムリバスは廉価な費用で空の旅を楽しむ中流層以下の乗客に便宜をもたらしています。車体が比較的まだ新しく、おまけにエアコン完備なので快適な移動が愉しめるのですが、サービス面でもっと改善のなされる余地があると考えます。
スカルノハッタ空港ダムリバス乗り場は、乗客に整列させるしくみがありません。もし乗客があふれ、バスの運行が遅いと、やってくるバスに駆けつけて車内に飛び込むのが速い人間だけが座席を獲得できるという競争原理に支配されるわけです。男も女も、年寄りも子供も、バスが満員になって乗れないことを怖れて、バスの乗車口で押し合いへしあいして争っている姿をわたしは何度も目にしています。
数人の外国人バックパッカーがバスのバゲージ置場からバッグを路面に叩きつけている姿を見たことがありました。整列してバスに乗るということが実行されていないため、バスのバゲージ置場にバッグを置いている間に他の人間が車内に入って満員になり、かれらはバスに乗れなくなったために腹を立てたのです。
そんな現象はもう普通のことになっています。外国人やインドネシア人の旅行者がバスのバゲージ置場から一度入れたトランクをまた出すようなことはしょっちゅうです。自分が車内に入って座席を確保するのが先か、あるいはトランクをバスのバゲージ置場に置くのが先か、というのはかれらにとってジレンマなのです。トランクをバスに積まないでおくわけにはいきませんし、バスにトランクを入れている間に座席はどんどん他人に取られていくわけですから。
ヨーロッパ諸国で、バルセロナのジローナ・ロンドンのスタンステッド・ローマのチアンピノなどあらゆる空港では整列して空港バスに乗るというのはとても重要なことなのです。並んで順番を待つという行動がインドネシア国民の間でますます希薄になっている状況は正されなければなりません。
ダムリバスは乗客待合スペースを設けるべきですし、身体障害者・老齢者・幼児・妊婦などのために禁煙スペースも必要です。更に、スディヤッモ自動車道にあるダムリバスコントロールポストも小さすぎて暑く、おまけに自動車道の路肩に設けられているため、とても危険です。自動車道の路肩は緊急事態に車両が通るためのものなのですから。ダムリ社はこのコントロールポストについて、再検討を行なってください。
それに劣らず重要なのは、バスの運行に関わっている運転手・車掌・乗り場整理員たちの能力や態度です。有名ないくつかのタクシーやバス会社は、そのような現場職員の人材クオリティをケアするのに成功しています。ダムリ社もそれを見習うべきだと思います。[ 東ジャワ州シドアルジョ在住、フィルモン・レオナル・マロウ ]


「ゴアピンドゥル洞窟探検」(2012年12月28・29日)
ヨグヤカルタ特別州のほぼ東半分を占めているのがグヌンキドゥル県だ。グヌンキドゥル県南部のインド洋岸地域はカルスト地形で、海抜100〜300メートルの丘が波打っている。話ではおよそ6万の丘が連なっているそうだ。石灰岩に覆われているこの地は農業生産性が乏しく、その結果グヌンキドゥル県の中でも一番の貧困地帯をなしている。
カルスト台地と聞けば鍾乳洞が頭に浮かぶ。その鍾乳洞観光を村の産業にして貧困の駆逐をはかっているカランモジョ郡ブジハルジョ(Bejiharjo)村がそこにある。ここの観光の目玉になっている鍾乳洞はゴアピンドゥル(Goa Pindul)呼ばれている。インドネシア語でゴアは洞窟を意味している。地名であるピンドゥルの名前の由来はジャワ語でpipi kebendhul(頬がぶつかる)という言葉を縮めたものだそうだ。地元の伝承によれば、イスラムマタラム王国を創始した王様の赤児をそのゴアで沐浴させたときに頬がぶつかったことに由来しているらしい。
ゴアピンドゥルツアーは料金ひとり3万ルピアで、救命胴衣を身に着け大きなタイヤチューブに乗って漆黒の洞窟を探検する。およそ350メートルのその道程は、燦々と明るい光の差し込んでいるエリア、おぼろに薄暗いエリア、漆黒の闇のエリアの三つにわかれている。洞窟の入り口一帯の明るいエリアから闇のエリアに至るまで、地下を流れる川は深いところで7メートルに達するから、タイヤチューブの浮き輪に乗ったまま流されて行くのが一番安全だ。澄みきった冷たい川の流れはゆっくりしている。川と洞窟の天井はおよそ4メートル離れており、息詰まりそうな狭苦しさを感じることもない。
闇のエリアを抜けると、天上から光が差し込んでいる場所に出る。以前はそこまで闇のエリアが続いていたのだが、天井の地表部分が壊れて穴があいたために、自然が天窓を開いてくれた。出口近くの明るいエリアまで来ると、水の深さは膝下くらいしかなく、浮き輪を使わないで歩くことも可能だ。ツアー参加者はみんな浮き輪から降りて、ここで写真を撮り合って楽しむ。洞窟を出たところに堤防があり、その地下の川の水量がそこで調節されている。そこを過ぎればもう水とはお別れで、あとは百メートルほど歩いてツアーの出発点になっているブジハルジョ観光村事務所まで戻るだけだ。
このツアーにはもちろんガイドが付く。洞窟内につららのように垂れ下がる鍾乳石や石筍、さらに上下がくっついて大黒柱になった石柱。漆黒の闇エリアに入る前に川の中央を塞ぐようにして立っている大黒柱は大人5人が手をつないでやっと抱えられるほど大きい。洞窟の住人であるコウモリはツアー客を前にして逆立ちしたまま眠りこけている。ガイドの懐中電灯はそんなコウモリを容赦なく照らし、コウモリが何種類もいることを示してくれる。
ブジハルジョ村が鍾乳洞観光産業を興したのは2010年。発起人は7人の地元民だった。今では村民50人がガイドの資格を持ち、別に30人が観光村の運営管理に携わっている。観光客向けの駐車場運営や飲食品の販売、そして自宅を改装して観光客用ホームステイ事業をはじめた村民もいる。ガイドは今や月収80万ルピアに達しており、県最低賃金を上回るものになっている。
観光客が歓迎の儀式を望むなら、村民は伝統衣装と伝統的楽器で儀式を演じてくれる。みやげ物としては、村民が作るパームやしの葉の繊維のワヤンが適当だろう。
ブジハルジョ観光村も商品の多様化にやぶさかでない。石灰岩の断崖絶壁を削って流れるオヨ川(Sungai Oyo)での水遊び、徒歩で洞窟探検ができるゴアグラティッ(Goa Glatik)、ブジハルジョ村を徒歩で横断する15キロオフロードハイクなどアクティビティいは事欠かない。
ゴアピンドゥルへの行きかたは、ヨグヤカルタ市から東方のウォノサリ(Wonosari)を目指す。街道を車でおよそ1時間半走るとブンデル(Bunder)で道が二手に分かれる。ブンデルの森を過ぎてから、ブンデランシヨノ(Bunderan Siyono)で道を左に取り、何度か道路を曲がってブジハルジョ村の入り口にあるガプラにたどり着くのだが、ゴアピンドゥルという文字が道路標識に出てくるのは現場から周囲4百メートルくらいのエリアでしかなく、道に迷うのが不安なひとはブンデランシヨノにいるオジェッに道案内を頼むとよい。


「プンチャッで年越しを」(2012年12月31日)
1970年代のころから年越しのためにプンチャッ(Puncak)にのぼる習慣が既にあった。それは今でも続けられており、今では12月31日にプンチャッ街道がいつもの週末のように大渋滞する。ボゴール警察はその交通整理のため、2012年12月31日18時からプンチャッ街道に入っていくガドッ(Gadog)三叉路を1月1日午前3時までの9時間閉鎖する。この交通規制に関連してジャゴラウィ自動車道チアウィ(Ciawi)料金所から出た車はそのままスカブミ(Sukabumi)方面に流され、またジャゴラウィを下ってくるプンチャッ方面あるいはバンドンへ向かう車はチブブル(Cibubur)とチトルップ(Citeureup)の料金所を出てチルンシ(Cileungsi)〜ジョンゴル(Jonggol)〜チャリウ(Cariu)ルートを経るようアドバイスされることになっている。
今年の年末の年越しは12月31日が木曜日で、プンチャッへ年越しにのぼった車が金〜土〜日〜月まで山の上で過ごす可能性が高く、その間プンチャッ一帯は人口が数倍増するだろうとボゴール警察は推測している。12月31日18時の交通規制開始時間からプンチャッ街道は普段の週末の4倍にあたる8百人の要員を投入して保安警備にあたる。警察が5百人、国軍と関連行政機関から3百人というのがその内訳で、プンチャッへのぼった都民の下山は1月3〜4日がピークと見られており、それが終わるまでプンチャッ一帯は特別警戒が敷かれることになりそうだ。


「国民ひとりが年一回旅行」(2013年1月5日)
旅行の計画を立てる際に楽しみながらそれを行なえるひとと頭を痛めストレスを抱えるひとの二種類があるようだ。行く先を決め、そこへ行くための足、中でもフライトのスケジュールと料金、行った先での宿泊場所の料金や予約、そして現地での行動、それらを予算の枠内に納めなければならない。フェイスブックを通して得られた統計では、廉価フライトの予約とチケット購入にストレスを感じるインドネシア人は20%いた。海外旅行オーガナイズアシストサイトのスカイスキャナーが集めた統計によると、旅行計画を組むのにストレスを抱くインドネシア人は55.5%いるそうだ。中でも行く先を探して決めるという行為が一番ヘビーらしい。世界平均は30.2%だから、インドネシア人は世界平均の二倍近いということになる。
理由はさまざまだろうが、国内旅行の場合は旅行会社が売っているツアーがあまりないこと、インターネットで得られる情報が往々にして古いままになっていたりするし、オンライン情報を得るのに時間がかかるというようなインフラ上の問題もある。自分で航空券を買いホテルを予約するといった個人旅行者だと最廉価商品を追求することができるが、裏腹に大きなストレスに抱きとめられる。それを避けようとするなら、トラベルエージェントにオーダーすればいいのだが、本当に最廉価商品をアレンジしてくれたかどうかはわからない。
ともあれ、インドネシア人の国内旅行熱は盛り上がってきた。2012年インドネシア国民の年間トリップ回数は2億4千5百万回で、全国民が一年に一回旅行している計算になる。最近高まってきた傾向は、ロングホリデーに国民が一斉に旅行するというハイシーズンでの団塊パターンから、旅行者がローシーズンに散らばる方向への変化だ。インドネシアの旅行ハイシーズンは学年末休み、イドゥルフィトリ、年末年始の三回あり、料金も人出もその時期がピークになる。それを避けて2月から5月までのローシーズンに旅行をするひとが増えている。


「輸入映画の市場シェアは圧倒的」(2013年1月19日)
劇場映画市場もほとんどの消費物資と同様、輸入品に押しまくられている。2012年の国産映画制作本数は86本だが、輸入映画本数は175本に達した。しかし輸入本数は徐々にながら着実に減少している、と観光クリエーティブ経済副大臣は言う。
2002年の輸入本数は269本で、2010年は140本まで低下したがその後また増加を見せている一方、国産映画は増加の一途をたどっている。2010年は6本しかなかったが、2012年はそれから10倍以上になっている、とのこと。だが輸入のカテゴリーに分類されないとはいえ外国会社がインドネシア国内で制作するものが第三のカテゴリーとして登場しており、2012年はそれが122本に達している。
国内の映画制作事業はクリエーティブ経済の重要な要素を占めており、同省のデータによれば、映画・ビデオ・写真制作に関連する事業者は全国に28,992あって、62,495人の雇用を作り出している。このセクターのGDPは7.3兆ルピアある。
クリエーティブ経済産業として同省の有力セクターになっているのはファッション産業・ハンディクラフト産業・グルメ料理産業で、映画はその次に位置している。それを追って音楽産業や演劇産業が続いている。


「ロンボッのピンク浜」(2013年2月2日)
新国際空港がオープンしてから着実に国際観光地としての道を歩み始めたロンボッ島。しかし観光スポットはまだまだ限定されており、全島あげての観光開発が期待されている。とはいえ、国際観光地としての揺籃期には至るところに充満していた大自然の息吹がその成熟と共に消失していったバリの轍を踏むことのないようにわたし個人としては願っているのだが、それは贅沢な望みにちがいない。今の観光客は、自分が本国の街中で行なっていたような日常を遠い異国の観光地に来てまで望むのだから。
マタラム市から東南に82キロ離れた東ロンボッ県ジュロワル郡スルウェ村トゥメアッ部落にもピンク色の砂浜がある。インドネシアでピンクビーチはコモド島が有名だが、獰猛なコモドドラゴンのいないこちらのほうが安心感は高い。地元民はこの砂浜をパンタイタンシ(Pantai Tangsi)と呼んでいたものの、昨今は観光客の言うパンタイピン(Pantai Pink)のほうが良く通るようになりかけているらしい。タンシというのは兵舎のインドネシア語で、太平洋戦争当時そこから1キロほど東南のリンギッ岬に日本軍の司令部が置かれて兵舎があったことに由来しているそうだ。近くの岩山も50メートルほど掘られて緊急時に司令部が避難するための洞窟が用意されていた。
パンタイピンはパンタイトゥメアッ(Pantai Temeak)とパンタイチョロン(Pantai Colong)のふたつの白い砂浜にはさまれており、両隣の砂浜とは大岩の丘が境界をなしている。境界をなす丘に登れば、見渡す限りの海原と大空、そして流れる白雲が視野のすべてを満たし、ゆったりしたカタルシスがこわばった心を解きほぐしてくれるようだ。海原の色のグラデーションと生きているような波の動きは、いつまでたっても見飽きることがない。地勢は平坦であり、キャンプするのに適当だ。そして穏やかに澄んだ波打ち際はやってくる観光客に海水浴を奨めてくれる。やわらかい砂に寝そべって北の内陸部を眺めれば、日によってはリンジャニ山の偉容を目にすることもできる。
この地域にやってくる観光客は少ない。公共運送機関がほとんどないので、マタラムで四輪車や二輪車をレンタルしあるいはチャーターするのがよい。マタラムからの所要時間はおよそ2時間半。ただし、道路インフラもたいへんお粗末であることをお断りしておこう。幹線道路からこのエリアへのおよそ14キロのアクセス路は穴だらけで波打ち、運転者を二度と通りたくないという気にさせてくれる。雨季には粘土質の泥海になり、車輪は空転して一歩も動けなくなるリスクに満ちている。そんな艱難辛苦を乗り越えて到達したからこそ、パンタイピンの大自然の美しさに接した訪問者を感慨無量の心地に誘うのだろう。
観光客があまり来ない場所だから、必然的に宿泊施設も食堂も期待できない。宿泊施設はそこからおよそ4キロほど離れた場所にバンガローがあるが、一泊185米ドル程度のお値段だ。飲食品はマタラムから持参するのが一番。その一帯にワルンや店はないから、現地調達はまず不可能と考えるべきだ。どうしてもという場合は地元民に頼んでみることになる。その家の買い置きボトル詰め飲用水を売ってもらうか、それともインスタントコーヒーやインスタントラーメンを作ってもらう。昨今の観光客はそんなアドベンチャーを楽しむ余裕を持っているだろうか?


「海外旅行ローシーズンは今」(2013年2月22・23日)
ローシーズンには観光旅行が廉くなる。すると大勢の消費者が休みを取って観光旅行に出かける。そうなると、いつまでもローシーズンのままではいられないだろうという気がするのだが、業界の側には固定観念が働いていて、ルバラン・学年末休み・年末年始を除く時期はローシーズンだからハイシーズンより廉くしなければという社会通念ができあがっているのだろうか、なかなかハイシーズンにはならないようだ。ともあれ、ローシーズンの販売促進として開催されるトラベルフェアーの売行きは絶好調。
2013年2月15〜17日、ジャカルタコンベンションセンターで開催されたインドネシアトラベル&ホリデーフェア2013には100を超える企業がブースを構えた。旅行代理店は言うに及ばず、航空会社からテーマパークまで多岐に渡る。特に海外旅行のローシーズンとあって海外向けツアーの販売に力が入っており、価格割引、販促特典、その他の魅力的な付加価値がつけられて消費者の財布のひもを緩めさせるのに十分。どうやらインドネシアにローシーズンの海外旅行ブームを起こそうというもくろみに火がつけられた印象が強い。少人数、中でも二人分のパッケージツアーが幅広く売り出されており、ハイシーズンの団体パッケージツアー売り込みとは対照的な様相を呈している。
会場にブースを構えた航空会社も特別割引料金をオファーし、ガルーダ航空は海外目的地への15%割引を提供。国内線を10%しか割り引かないのはロードファクターが良好だから。シンガポール航空もフェア出店特別割引を行い、目的地によって40から100米ドル割り引いた。シンガポール・バンコック・香港・広州・シドニー・ロサンジェルスが割引対象で、加えてチャンギ空港での乗換え時に使用できる買物券ももらえるというサービス。
旅行代理店の話では、この海外旅行ローシーズンは航空券が廉くなるので廉価パッケージ旅行がオファーできるとのこと。売り物はシンガポールのユニバーサルスタジオとセントサリゾートワールド、バンコックのソンクランフェスティバル、香港ディズニーランドとショッピング、そして日本と韓国での冬シーズン体験といったところだそうだ。
全般的に海外ツアーに力が入っているものの、国内旅行がおざなりにされているわけでもない。旅行代理店各社の売りはラジャアンパッ(Raja Ampat)、ロンボッ(Lombok)、バリ、ヨグヤカルタ(Yogyakarta)、ブロモ(Bromo)、ブリトゥン(Belitong)などで、こちらは価格割引でなく、みやげ物・シュノーケリング・乗馬などのオプショナルアクティビティを無料サービスするという形が多い。需要の大きい国内旅行先は依然としてバリとロンボッである由。
昔行なっていたパッケージツアー販売を復活させたガルーダ航空はガルーダインドネシアホリデーを旅行代理店網を使って販売している。アジア域内は400米ドルからで一番人気はバンコック、一方アジア外地域は900米ドルからとなっている。国内の場合はテーマツアーが200万ルピアを超える価格帯で販売されている。サバンでダイビング。パレンバンでグルメツアー、ヨグヤカルタで自転車をといった内容だ。


「アサハン観光」(2013年2月23日)
北スマトラ州トバ湖の水は湖の東南端から東に向かって流れ出し、アサハン(Asahan)川となってマラッカ海峡に注ぎ込む。アサハン川の河口が海と接するところはニブン湾(Teluk Nibung)で、アサハン川の雄大な河口にできた町がタンジュンバライ(Tanjung Balai)だ。古い時代にここは香料交易港のひとつとして栄え、オルラ時代にはメッカに向かうハジ巡礼船の出発港になった。
ここからマラッカ海峡を横断すれば、対岸にあるのはマレーシアの首都クアラルンプルの外港クラン(Klang)である。休日やホリデーシーズンになると、クランとタンジュンバライを結ぶフェリー船が運航する。クアラルンプルからメダンのポロニア空港を経由しておよそ150キロ離れたタンジュンバライまで陸路を走ると5時間かかるが、クランから海路をフェリーで渡れば4時間だ。休日に限るとはいえ、2隻のフェリーが一日一回マラッカ海峡を往復するということは、それなりに採算点を超える人数の往復があることを意味している。
マレーシアからやってくる人たちのメインはトバ湖を抱える北スマトラ州山岳地帯や他の諸地方への観光や行楽を目的にしているが、マレーシアには過去の歴史の流れの中で移住したバタッ(Batak)人の子孫が50万人おり、かれらの中には祖先の地に親しみまた一族親戚を訪れるためにスマトラにやってくるひとも少なくない。言ってみれば、タンジュンバライの町はそんなマレーシア人がスマトラ島に渡ってくるときの玄関口に当たる。実際には、マレーシアからの船が着いて乗客が上陸と入国手続きを行なうところはトゥルッニブン港になる。
町の面積は199Haで、住民人口は16万人弱。種族別人口構成はバタッ族43%、ジャワ族17%、ムラユ族15%、ミナン族4%、アチェ族1%など。産業は海産物が主体で、漁業・海産物加工そして商業といったところが町の経済を支えている。
幅広いアサハン川の河口一帯を船で巡るのも愉しい行楽になる。河口を遡ると、まるで洲のように大小10の島が並んでいる。スマトラ島北岸で古い歴史を持つこの町には、オランダ植民地時代の建物がいくつか残されており、古い歴史を感じさせるアサハン通りにたたずめばまるでオランダ時代にタイムスリップしたかのような感触を味わうことができる。アサハン王家が残した大モスクは中国寺院建築様式が取り入れられてエキゾチシズムをかきたててくれるし、本物の中国寺院も残されている。
2011年にトゥルッニブン港で入国した外国人は11,500人おり、そのうちの3千人以上がマレーシア国籍者だった。アサハン県庁はタンジュンバライの町を県の観光産業振興のセンターにしようとその案を練っている。


「ジョクジャでホテル客室が過剰供給」(2013年3月16日)
ヨグヤカルタ(Yogyakarta別名ジョクジャカルタ)特別州にホテルが急増している。ホテルレストラン会ヨグヤカルタ支部によると、2012年に星級ホテルが12軒、ジャスミン級ホテル(ホテルのスター等級が1に満たないもの)が30軒オープンした。2013年には星級が18軒、ジャスミン級が44軒、さらにオープンする予定になっている。スレマン県とヨグヤ市内がその大部分を吸収するようだ。特に2013年に開店予定の星級ホテル10軒は国際ホテルチェーンが作るもの。
一挙に1万6千室の宿泊施設供給増になるわけだが、ヨグヤカルタの客室稼働率が既に飽和状態になったというわけでは決してない。ホテルレストラン会ヨグヤ支部のデータによれば、2012年ヨグヤカルタホテル業界の客室稼動状況は、ジャスミン級ホテルが平均4割、星級ホテルで平均2割となっており、星級ホテルで6割ジャスミン級で4割の客室稼動がなければホテル経営の採算点に達しないと言われていることから、無制限のホテル増は業界の存続を危うくしかねない、との危惧をホテルレストラン会ヨグヤ支部は抱いている。
同支部事務局長はその懸念を州政府に訴え、ホテル新設許可はもっと厳選して与えるようにしてほしいと求めているが、ヨグヤカルタ州観光局長はそれに反論した。「ホリデーシーズンになるとヨグヤのホテルは満室になり、客室不足の問題が常に発生している。つまりホリデーシーズンに限って言うなら、州内の客室数は総需要に対してまったく不足しているということだ。それほど大きな需要を消化するためには、もっとホテルが必要ということになる。」
ホリデーシーズンという特定時期だけ需要が激増しほかのオフシーズン需要との落差がきわめて激しいヨグヤカルタでは、その落差を狭めるためのオフシーズンプロモーションをもっと盛んに行なうことがホテル業界に求められている二律背反を緩和することにつながる、と事務局長は州庁観光局に要請している。しかし、ホテル事業許可を与えるのが各県市庁であるため、その構造が州という広がりでの需給関係調整と新設ホテルの統制を困難にしており、各県市庁はおのずと観光客誘致競争を繰り広げてホテル事業許可を濫発する傾向にあるため、実需要以上に供給が膨張するのは避けられない。似たような構図はバリをはじめ、国内主要観光地にも見られており、バリ州知事がバリ島南部地域でのホテル新設許可凍結を命じたにもかかわらずそれに従う県令市長がいなかった事実は、他州の知事にもひとつのケーススタディとなっているようだ。


「パリ島観光」(2013年3月29・30日)
パリ島がいま、新たな行楽地として人気を集めている。2010年にこの島を訪れたひとは217,524人だったが、2011年には558,908人に激増した。ここ数年のスリブ群島(Kepulauan Seribu)への行楽ブームは目をみはるものがある。
北ジャカルタ市アンチョルマリーナから、あるいはムアラアンケのカリアドゥム(Kaliadem)港から高速艇で1〜1.5時間の距離にあるパリ島(Pulau Pari)は既に人の往来が盛んになっているランブッ(Rambut)、ランチャン(Lancang)、ティドゥン(Tidung)、プラムカ(Pramuka)などの島々からほど近い。今ジャカルタ本土のムアラアンケ(Muara Angke)とスリブ群島の間では、都庁運輸局所有の高速艇が毎日二往復しており、かつては閑古鳥が鳴いていた島々を訪れる都民の数も増えている。白砂の浜と緑色に澄んだ穏やかな水は、先に都民の行楽地となったビダダリ、ティドゥン、アイェル、コトッ、プトリなどとそれほど違っているわけではないが、行楽客でごった返す場所をもてあますひとにとってパリ島は今のところお勧めコースと言えるだろう。パリ島の観光資源はプラワン浜(Pantai Perawan)、マタハリ丘桟橋(Dermaga Bukit Matahari)、パシルクレセッ浜(Pantai Pasir Kresek)の三つ。それらの行楽スポットは地元民が自治運営しており、そこで得られた収益はインフラ建設・観光施設充実・衛生度向上・設備営繕そして地元民の社会活動資金に使われている。
行楽客には地元民がサービスをオファーする。自転車をレンタルして島内を巡る、浅い海でシュノーケル、沿岸を小船やモーターボートで周遊・・・・。入浜料はひとり2千ルピアで、自転車レンタルは一日2万ルピア。シュノーケル用具はひとり3万5千ルピア、バナナボートもひとり3万5千ルピア、10人乗りの船をチャーターすると40万ルピア。それらのタリフはスリブ群島のほかの行楽地と大差ないものだ。
パリ島観光開発の大きな特徴は、本土側からの資本がほとんど入っておらず、地元民が協力しながら地元の経済開発のためにそれを行なっていることだろう。島内の道路は四輪二輪自動車がないためサイクリング専用になっている。そのための自転車レンタル業を始めた住民、救命胴衣に投資した住民、小船を買った住民、ワルンを開店した住民、自宅を改装して民宿を作った住民・・・・・
プラワン浜は最初、海沿いに背の高い雑草alang-alangが生い茂る場所だった。しかし白い砂浜に平坦な海辺、そして澄んだ水という三拍子揃ったこの砂浜を観光資源とするために島民たちは2010年にそこを開拓した。島民の生業は主に捕獲漁業だが、週末や祝日にかれらは漁に出ることをやめて行楽客へのサービス業に傾くようになっていった。行楽客目当ての店やワルンも増え、島へ遊びに来る行楽客が落とす金が島民をうるおすように変わって行った。漁船を持っている島民のひとりは、行楽客へのサービスで一日に15万ルピアは稼げると語る。漁に出れば一日当たりの平均収入は10万ルピア程度しかない。ところが日が悪ければまったく漁果のないことも起こる。しかし週末や休日に客を3〜5人乗せて海に遊べば一日5万から15万ルピアの収入になる。
プラムカ島では、行楽客の増加に比例して宿泊者も増えており、収容しきれなくなって本土に戻る客すら出るありさまだ。その商機をつかもうとして住民の中には宿泊施設を増やすひとも少なくない。民宿ウィスマサフィルのオーナー、スクリヤさん32歳は5億ルピアを投資して民宿用の部屋数を増やした。土日や学校休みシーズンになると満室になる。あぶれた宿泊希望者はテントを張るひともあるが、仕方なく本土に戻るひとも出る、とかの女は物語る。今ウィスマサフィルは客室が12あり、料金は一泊40万ルピア。同じ波はティドゥン島やパリ島にも押し寄せている。島民の中には自宅を改装して客室を作り、エアコンをつけ、浴室を備え、ペンキを塗りなおすなど、やってくる客へのサービス向上に努めている。


「ボゴール市もホテル建設ブーム」(2013年4月6日)
2013年最初の二ヶ月間にボゴール市に提出されたホテル建築許可申請は前年同期から倍増している。ボゴール市は既に四件に許可を交付し、もう二件は用地の用途転換が必要なためその可否が検討されている。2012年1〜2月にボゴール市がおろした許可は二件のみだった。現在客室稼動率が平均60%になっているボゴール市内のホテルが新規参入ホテルの激増で経営難に陥ることに、ボゴール市ホテル業界は強い不安を抱いている。ボゴールのホテルは首都圏をメインにした顧客のMICE利用関連ならびに週末の行楽客の利用が中心になっており、新規参入ホテルは新規顧客を開拓すること、ホテルを特定エリアに集中させないで地理的に分散させること、などをホテル業界者は市庁に求めている。
ボゴールは古い歴史を持つ町であり、経済活動を盛んにさせることと昔からあるボゴールの景観を維持することのバランスを為政者は考えなければならない、とボゴール農大開発企画研究センターシニア研究員は語る。「ホテルをボゴール植物園に接近して建てさせてはいけない。ホテルばかりか、商業施設は何にせよそうだ。そのようなことをすれば、ボゴールが昔から維持してきた伝統的な景観は破壊されてしまう。ここ数週間、市民の間で強い不満の声が上がっているケースがその実例だ。ボゴール市のシンボルであるクジャンの塔のすぐ近くでのホテル建設を市が許可した。市民のマスコットであるクジャンの塔はホテル建物の陰に隠れてしまう。おまけに、そのホテル建物は市内からサラッ(Salak)山を眺望するベストの場所からその眺望を奪うことになる。ボゴールが観光サービス都市になれるのは、ボゴールが持っている伝統的な景観のおかげだ。その観光産業を発展させようとしてその要素を破壊するようなパラドックスに陥ってはならない。」
しかしボゴール市都市レイアウト課長は市民が抗議しているそのホテルの建築計画について、建物の高さがボゴールのアタン・スンジャヤ空軍飛行場の活動に障害を及ぼさないことが必要であり、ホテル側の建築計画は空軍が既に承認を与えているので、問題ない、とかみ合わない発言を行なっている。


「プロモ航空券と座席の選択」(2013年5月4日)
2013年1月7日付けコンパス紙への投書"Kursi dan Tiket Promosi Garuda"から
拝啓、編集部殿。最近バンコックへ行こうとしていたわたしは、ガルーダインドネシア航空コールセンターを通して座席の予約を試みました。そして新しい規則が行なわれていることがそのとき判明したのです。プロモーション価格チケットの乗客は前もって座席を選べないということが。チェックインのときにしか、座席を選ぶことができないのです。
その奇妙な規則にわたしはビックリしました。出発の前日、わたしは空港でない場所、つまりシティチェックインでチェックイン手続きを行ないました。そのときカウンターのガルーダ職員は、「あなたの航空券の種類がプロモ航空券なので、選べる座席は16番から後ろになります。16番より前の座席は選べません。」と言いました。その根拠はいったい何なのでしょうか?ガルーダ側の返事は、プロモ航空券でないチケットを買った多くの人が抗議するから、というものでした。
理解に苦しみます。往々にしてプロモチケットは搭乗日のずっと前に購入するものであり、つまりそれはガルーダが早い時期から前金を得ていることを意味しています。現金で前金を得るのは大いに得をすることであるのを、ビジネスマンであればだれでも知っています。つまりプロモチケットは双方に利益をもたらすものなのです。
もしもガルーダ航空が「プロモチケットは利益をもたらさない」と言うのであれば、そんなものはやめたらどうですか?他の航空会社を見習ったどうでしょう、外国の航空会社はプロモチケットを理由に座席の選択を制限するようなおかしな規則を決めたことはありません。わたしはGFF会員で、会員番号は520591315です。[ 南ジャカルタ市在住、シャキル ]


「連絡の悪いホテル」(2013年5月9日)
2013年1月13日付けコンパス紙への投書"Aston Nusa Dua Bali Tak Peduli ASI"から
拝啓、編集部殿。わたしは授乳中の母親で、バリ州ヌサドゥアのホテルアストンに2012年12月1日から4日まで滞在しました。何日も前に予約するとき、わたしはホテル側に搾った母乳をフリーザーで保管してもらえるよう依頼し、ホテル側はそれを受けてくれました。そしてわたしは毎朝ルームサービス係員に、母乳をフリーザーに入れて凍らせるよう頼みました。
ところが最終日にチェックアウトしたとき、わたしは哀しみとショックに打ちのめされたのです。赤ちゃんのための母乳23本分(4リッター)は凍っておらず、もはや使うことのできない状態になっていました。わたしはフロントオフィスマネージャーに面会して何が起こったかを伝えました。
その女性マネージャーは謝罪しましたが、そのあと「絶対に母乳を飲ませなければいけないのですか?」と言ったのです。自身が母親であるというのに、そのマネージャーはなんという不謹慎な言葉を述べたのでしょうか。赤児の知性と発育のための母乳だけの育児の効用を知らないのでしょうか?
そのあと、わたしはキッチン部門コーディネータの男性と面会しました。そのひとが言うには、母乳を保管するという依頼の連絡がなかったためにわたしの母乳は野菜貯蔵場所に置かれていたそうです。この5星級ホテルのサービスとコーディネーションにわたしはたいへん落胆しました。
ホテルの外国人GMは、母乳に関する理解の低いそのホテルのサービスに失望して泣いているわたしを見て、フロントオフィスマネージャーに事情を尋ねに行っただけで、わたしには一言も声をかけませんでした。[ 南タングラン在住、テレシア・ムルタンディ二 ]


「古代火山で山歩き」(2013年5月11日)
ヨグヤカルタ(Yogyakarta)特別州グヌンキドゥル県とバントゥル県の県境に近いグラングラン(Ngelanggeran)山は標高およそ7百メートル。ヨグヤカルタ市内から25キロという手ごろな距離にあり、軽い山歩きを楽しみたいひとには絶好の場所。山の稜線沿いに安山岩の大きな岩が露出して並んでいるさまは、山の景観を月並みでないものにしている。グラングランの山頂に至るには、そんな巨岩の隙間を通り抜けて行かなければならない。
地元民がグヌンバゴン(Gunung Bagong)と呼んでいる第一展望台まではおよそ20分の距離。第一展望台のガゼボの前で北を眺めれば、耕して天に至る棚田の風景が目の中に飛び込んでくる。そのまま東寄りに目を転じれば、白煙たなびくムラピ山。そして南側には佇立する安山岩の巨岩の列。この展望台に至る山道とガゼボは地元民の観光開発努力の結晶であり、作られてまだ一年経っていない。
そこから第二展望台へは、わずか10分の距離。展望台はその先にまだふたつあるが、10分でそのふたつも踏破してしまう。第四展望台までは楽な歩みだったが、そこから山頂までの20分間はもうすこし歯ごたえがある。苦しみを乗り越えて山頂に到達してこそ、山登りの醍醐味が味わえるというものだ。地元民がグヌングデ(Gunung Gedhe)と呼んでいる山頂はかなり開けていて、登山者がそこでキャンプすることができる。この平坦な広場の周囲は巨岩に取り巻かれている。
こんな山の中にもゴアジュパン(goa Jepang)があった。ゴアジュパンとは、昔の日本軍が天然の洞窟を利用したり洞窟を掘って地下壕に使ったりした場所のことで、日本軍が駐屯したたいていの場所にはゴアジュパンがある。ただし、グラングラン山のゴアジュパンは真の意味での洞窟でなく、敗戦後連合軍の追及から逃れるために日本兵が作った隠れ場所であり、生存のために必要な泉がそこに湧いている。巨大な安山岩の隙間から5メートルほど下に降りると、当時の日本兵が水をすくって飲んだであろう泉がある。そこに降りるための階段が大岩に掘られているが、それを掘ったのは日本兵だったそうだ。しかしいま観光客は、いつすべり落ちるかわからない岩に刻まれた階段を上り下りする必要がない。そこには木製のはしごが用意されているのだから。
地質学者によれば、グラングラン山は太古の時代に活火山だったそうだ。それは溶岩や火砕流の痕がこの山から見つかっていることが証明している。しかし今から1千8百万年前にこの山は死火山となった。「グラングラン山はジャワ島南部に形成されていた火山帯を構成するもので、火山帯はバンテンからバニュワギ(Banyuwangi)までを貫くものだった。ところがインド=オーストラリアプレートとユーラシアプレート間の沈み込みで、火山帯がジャワ島南部から北に移動した。その結果、現在われわれが目にしているムラピ(Merapi)〜ムルバブ(Merbabu)〜スンビン(Sumbing)〜シンドロ(Sindoro)〜スラムッ(Slamet)など一連の火山帯が形成されている。」
この古代火山をユネスコが既に二回訪れている。ここをジオパークに指定しようというのがそのテーマ。それに合わせて地元民の観光開発も盛り上がり始めている。毎週一回の大掃除、観光ガイドが観光客を案内して登山すると、必ずゴミ箱を持って下山する。山道や展望台の整備、景観の維持、汚損の排除、なすべきことは多い。2012年には2万7千人の観光行楽客がここを訪れた。平均ひと月2,250人だ。今ではそれが倍増している。2013年3月の来訪観光客数は5,991人だった。


「知らされなかったフライト変更」(2013年5月15日)
2013年1月16日付けコンパス紙への投書"Solusi Citilink Mengecewakan"から
拝啓、編集部殿。2012年10月26日、わたしども一家5人はバリからジャカルタへ戻る予定でした。フライトは23時発だったので、20時半にグラライ空港に着きました。チェックインしようとしたところ、その日のバリ発ジャカルタ行きフライトは全便出発済みだと言われて、わたしどもは驚きました。その日のジャカルタ行きフライトはもうないのです。
わたしどもはグラライ空港のシティリンクカスタマーサービスと航空券販売窓口を訪れて説明を受けました。それによれば、シティリンクはフライトスケジュールを整理したため深夜便は運航しておらず、2012年8月にその案内をCDMA番号宛のSMSで行なう予定だったが発信されなかったそうです。
疑問が浮かぶのは、シティリンク側はどうして航空券購入者に案内をしなかったのかということです。グラライ空港の担当者と口論になりましたが埒があきません。シティリンク側のミスであることを空港の担当者は認めたにもかかわらず、その善後処理を行なおうとしないため、バリ地区航空券販売責任者に電話をつないでもらいました。
かれはふたつの案を提案し、そのどちらかを選択するよう求めました。ひとつは、翌日の夜のフライトに乗るというもの。その場合、バリにまた一泊しなければなりませんし、わたしは翌日仕事の予定が入っているのです。
もうひとつの案は、払い戻しです。わたしどもが持っている航空券は2012年2月に買ったプロモ航空券であり、料金がメチャ廉であることをシティリンク側は知っているのです。5人分の航空券を全部払い戻しても、新たにひとり分の航空券すら買えないことを。[ 中央ジャカルタ市在住、ラフマッ ]


「映画館の罠」(2013年5月18日)
2013年1月12日付けコンパス紙への投書"Jebakan di Blitzmegaplex Bandung"から
拝啓、編集部殿。2012年11月25日(日)、わたしどもは大人3人子供5人の合計8人でバンドンのパリスファンジャヴァにある映画館ブリッツメガプレックスへ行きました。13時15分開演の映画を見るのが目的です。わたしどもは13時に到着し、一階ですぐに入場券を購入しました。上映場所のスタジオ1は二階なので、一階から二階に上がる階段へと急ぎました。
その階段のはじにおいしそうなアイスクリームの店があったので、子供たちひとりひとりにアイスクリームを買い与えました。そのとき、そのアイスクリームの店はブリッツメガプレックスとまったく関係がない店だということにわたしどもは気が付きませんでした。なぜなら映画館のフロア域内にあったのですから。アイスクリームをなめながら、わたしどもは急いで階段を上りました。
すると、スタジオ1の入り口前で警備員がわたしどもを咎めました。ブリッツメガプレックスが販売しているもの以外、スタジオ内に持ち込んではならない規則だと言うのです。私どもは映画館マネージャーに面会し、アイスクリームの店がある周辺にその店で買ったものはスタジオ内に持ち込めないという案内がなにひとつないため、わたしどもは罠にはめられた思いだと主張しました。その店はブリッツメガプレックスのフロア領域内にあるのですから。マネージャーは規則を再度表明し、解決策としてアイスクリームをブリッツメガプレックスのフリーザーに預かりましょうと提案しました。
もしそれがアイスクリームでなかったら、その提案をわたしどもは受け入れたでしょうが、なにしろ食べかけのアイスクリームなのです。容器にも入れずに預けたあと、どんなかっこうでフリーザーに入れてくれるのか、そして戻されたときにどんな状態になっているかは予測がつきません。
結局、それよりマシな解決策の提案はなく、上映も開始されてかなり時間が経過しているため、決して廉くないそのアイスクリームの残りは捨ててしまいました。映画館入場券だって決して廉いわけではありませんが、その映画の出だし部分も見ることができませんでした。そして、映画の残り部分の鑑賞もエンジョイすることができませんでした。腹立たしさと口惜しさのおかげで。[ バンドン市在住、パトリッ・スティアディ ]
2013年2月5日付けコンパス紙に掲載されたブリッツメガプレックスからの回答
拝啓、編集部殿。規則によってアイスクリームをオーディトリアム内に持ち込めなかったため、パリスファンジャヴァのブリッツメガプレックスでの映画鑑賞が不愉快に終わったことを苦情されたパトリッ・スティアディさんからの2013年1月12日付けコンパス紙に掲載された投書について、説明申し上げます。
その規則はすべてのブリッツメガプレックス映画館で共通に適用されています。来場者は映画鑑賞の際に、ブリッツメガプレックスから買ったもの以外をオーディトリアムに持ち込むことができません。その規則が来場者にまだ十分に告知されていないことについて、お詫び申し上げます。今後類似の誤解が生じることを防ぐため、当方は来場者に対してその告知を一層励行する所存であります。[ ブリッツメガプレックスマーケティング部長、ディアン・スナルディ ]


「クリムトゥ三色湖で観光客が増加」(2013年6月3日)
東ヌサトゥンガラ州フローレス島エンデ県にあるクリムトゥ(Kelimutu)火山の三色湖を訪れる観光客は年々増加している。2010年以前は年間9千人前後だったものが、2011年には1万人を突破し、2012年には1万5千人に上った。
クリムトゥ湖国立公園に入る際には入園料が徴収される。国内観光客はひとり2千5百ルピア、外国人観光客はひとり2万ルピア、四輪車一台6千ルピア、二輪車一台3千ルピアとなっている。2012年のクリムトゥ湖国立公園入園料収入は8億ルピアに達した。
国立公園内の展望台でインスタントコーヒーを作って販売している商人のひとりは、やってくる外国人の数が顕著に増えた、と語る。ここのハイシーズンは6〜8月だそうで、昨年のハイシーズンには一日平均20杯のコーヒーが売れて、一日10万ルピアの売上になった、と上機嫌だ。今年はもっと売れるように期待しているとかれは述べている。


「空港電車建設工事開始が間近に」(2013年6月4日)
ジャカルタのスカルノハッタ空港電車建設がいよいよ開始される。マンガライ駅からスカルノハッタ空港駅までの21.6キロ間に新たに線路を敷設する工事は2013年10月に開始される予定で、それまでに総面積36Haの線路敷設予定用地買収を終わらせる計画。完成予定は2014/15年となっており、あと一年強で都内からスカルノハッタ空港へ電車で行ける日がやってくる。
実際に、新たな線路建設が行なわれるのはタングランのバトゥチェペル(Batu Ceper)駅からで、最初はタングラン市内の市庁舎を通って空港まで線路を引く計画だったが、市庁舎周辺は既に民家が立て込んでいて新たに鉄道を引くのはふさわしくないとの判断をタングラン市が下し、まだ空地の多いバトゥジャヤからブレンドゥンというルートを通るように変更された。
空港電車は都内マンガライ駅を始発とするが、バトゥチェペルで既存線路から枝分かれしてスカルノハッタ空港へ向かうため、将来的にバトゥチェペル駅がインターチェンジとして発展することになるに違いない。タングラン市は同駅の拡張計画を既に組んでおり、そこではポリスプラワッの市バスターミナル、また州間長距離バスターミナル、さらには広域トランスジャカルタバスなどとの連結網をバトゥチェペル駅に集める構想が進められている。このような複合輸送ハブが設けられることになれば、ショッピングセンターやホテルといった商業施設もその一帯を埋めるようになるのは疑いない。
スカルノハッタ空港運営会社PTアンカサプラ?企業秘書は先に、タングラン市からスカルノハッタ空港へやってくる電車は地下を通り、空港敷地裏手のM1ゲートあたりで地上に上がり、そこからターミナル1・2・3に向かう、という計画を明らかにしている。その結果M1ゲートは6月から閉鎖されることになる由。


「中東からの観光客が激増」(2013年6月10日)
UAE、サウジアラビア、エジプトからの観光客が急増しており、インドネシアを訪れる外国人観光客の増加に一役買っている。中東からインドネシアへやってくるフライトも今や週28便に増え、ガルーダ航空とエティハッド航空のコードシェアを含めて、足の便は往時に比べてはるかによくなっている。
2013年4月にインドネシアを訪れた外国人は64.6万人で対前年同期比3.2%の増加。中でも中東・ロシア・中国からの入国者が顕著に増えている。対前年同月比を見ると、UAE159.6%、サウジアラビア37.2%、エジプト28.5%という増加。ロシアは26.62%、中国26.57%だ。1〜4月累計を比較すると、UAE86.4%、エジプト22.6%、サウジアラビア18.1%、インド15.3%、タイ13.6%といった増加率になっている。
2012年外国人総入国者数は804万人で平均滞在日数は7.7日。同年の観光セクター収入は91.2億米ドルで、観光客一人一回当たりの平均支出金額は1,133米ドルだった。一方国内観光客の旅行支出は171.5兆ルピアで、ひとり一回当たりの平均支出は70万ルピアとなっている。


「地元民の衛生向上が観光活性化の第一歩」(2013年6月13・14日)
新世界七不思議の世界投票で、インドネシアのコモドドラゴンがそのひとつの座を勝ち得た。おかげでコモド国立公園を訪れる外国人観光客が増えており、西マンガライ県の統計によれば年間3万人程度だった同県への来訪観光客数はコモドが七不思議の指定を得てから急転直下、今や4万8千人に激増している。ところが、その観光活性化が昔からコモド島に住んでいる住民たちにたいした恩恵をもたらしていないことに義憤を抱いたユスフ・カラ前副大統領が村興しの音頭を取った。
なにしろ現在インドネシア赤十字会長の職にあるユスフ・カラ氏は、新世界七不思議財団がインドネシアに要求した巨額の寄金を当時のジェロ・ワチッ文化観光相が蹴ってインドネシアがその行事から身を引こうとしたとき、間を取り持ってコモドを候補者の座から外させず、最終的に新七不思議のひとつに指名させた立役者なのだから。その縁で、同氏は現在「わがコモド財団」育成評議会長を勤めている。その財団がBNI銀行の協力を得て、コモド島にコモド観光村の建設を開始した。
コモド観光村プロジェクトでは、村道改修・上水供給・環境衛生改善・村民の活性化などが推進項目になっている。カラ氏は語る。「コモドドラゴンが世界七不思議に入ったとしても、ドラゴン自身は自分が不思議な存在だなどと思ってはいない。かれらは相変わらず、住民が飼っているヤギを食べに来る。変わらなければならないのはわれわれのほうなのだ。
観光客がこの島にコモドドラゴンを見にやってきて、見終わったらすぐまた去って行くような状況を、これからみんなで変えて行こう。やってきた観光客がこの島に泊まり、食事し、地元民が作る土産物を買って帰るようにして行こう。そうすることではじめて、ここの住民にとっての有用性が発生するのだから。特に、コモド村住民は清潔で衛生的な暮らしを早急に実現させなければならない。ビーチをトイレに使うことはやめよう。観光客がビーチに転がっているものを目にしたり、あるいは踏んづけたりして、悪い印象を持って島から去るようなことが起こらないようにしなければならない。」
環境衛生改善つまりは住民の衛生的生活への向上努力をマリ・エルカ・パゲストゥ観光クリエーティブ経済相も叫んでいる。衛生的に不潔な観光地に世界中から観光客が集まることはありえないというのが大臣の考えであり、反対に清潔な観光地にすることで来訪観光客はもっと増えるというのがそのポジティブな見方だ。
「わがコモド財団」ラブアンバジョ支部長はコモド島住民の観光関連職業能力向上に焦点を当てて、この先二年間、島民の育成をはかる計画である、と物語る。まず、観光客を自分の家に宿泊させる民宿事業のための接客能力向上、また観光ガイドやダイビングガイドなどの技能を身に着けさせ、同時に接客能力も向上させる。更に、民芸品や料理あるいは菓子など地元のイメージを伝えることのできるアイデアが出てくれば、それを商業化させるための支援なども視野に入っているとのこと。


「コモドの入園料を値上げせよ」(2013年6月15日)
総面積1,733平方キロを占めるコモド国立公園を訪れる観光客の興味の中心は、コモド島・リンチャ島・パパガラン島に棲息する5千4百頭を超える古代恐竜の子孫コモドドラゴンの野生生活観察と透明度の高い海でのダイビングだ。今や年間訪問観光客が5万人に近付きつつあるこの国立公園の入園料が廉すぎる、という批判をコモド国立公園管理館長が公にした。1998年から現在まで、入園料は国内観光客がひとり2千5百ルピア、外国からの観光客は2万ルピア、そしてカメラ持ち込み料金はまた別になっている。
管理館長は現在の貨幣価値から見てその金額はあまりにも低いと言う。来訪観光客のうなぎ登りの増加は国立公園の自主経済を可能にするチャンスであり、妥当な入園料に引き上げることで政府予算への依存度を低下させることができる、というのが館長の見解だ。2012年の入園料等の収入は35億ルピアにのぼった。館長は入園料を、たとえば国内観光客ひとり10万ルピア、外国人観光客ひとり60万ルピアにしてカメラ持込料金などは廃止し、入園料一本化をはかればよいのではないか、と提案している。
コモド国立公園の島々に渡る港はラブアンバジョで、来訪観光客の増加でラブアンバジョの経済は明白に活発化しているが、国内の他地方からラブアンバジョにやってくるための交通の便は貧弱の一語に尽きる。空の便は数少なく、またフェリーの便も寂しい。西ヌサトゥンガラ州ビマ県のサペ港とラブアンバジョ港をつなぐフェリーは一日一便のみというのが現状だ。


「今夜はジャカルタナイトフェスティバル」(2013年6月22日)
ジャカルタの6月は祭りの月だ。6月22日を創設記念日としているジャカルタはこの2013年に486周年を迎える。6月の前半にはフェスティバルパランピントゥ、フェスティバルカンプン、フェスティバルジャカルタグレートセール、地元クリエーティブ産品フェア、ジャカルタフェアなどが催されあるいはオープンした。後半にも、ジャカルタナイトフェスティバルやジャカルタのカーニバルであるジャカルナヴァル、モナスでのコロッサル劇「アリア」上演などさまざまな催し物が盛りだくさん。
6月22日創設記念日の夜は、ジャカルタナイトフェスティバルが開催される。それに相乗りして都内のいくつかのモールでも、金曜日・土曜日の夜中にレイトナイトセールを実施するところがある。やはり22日にはクニガンのサトリオ通りにできたロッテショッピングアベニューが午前10時にグランドオープニングを挙行する。数々の国際ブランドブティックと共にユニクロのインドネシア一号店もそこに入っている。
ジャカルタナイトフェスティバルは2012年年越しの夜と似たような祭りの夜になるようだ。スディルマン〜タムリン通りを含むスマンギ立体交差からモナス西側のムルデカバラッ通り北端までは自動車の通行が禁止されて歩行者天国となり、HI前ロータリーからタムリン通り北詰までの道路脇にはあちこち8ヶ所に舞台が組まれて祭りを盛り上げる。自動車通行禁止は22日18時から23日午前2時までで、自家用車で祭りの場所近くまで乗りつけたいひとは、モナス広場駐車場、スナヤン東駐車場、首都警察駐車場、その他歩行者天国道路沿いのビルの駐車場などが利用できる。
トランスジャカルタバスもこの祭りにあわせて臨時運行を行なうが、22日15〜23時の間に第1第2ルートは歩行者天国を避けて臨時ルートを通ることになる。このジャカルタナイトフェスティバルの警備のために首都警察は6千人の警官を動員して要所を固めることにしている。


「中部ジャワのアグリ観光」(2013年7月6日)
スマランからソロへ向かう街道のほぼ四分の一くらいの距離にバナランコーヒー園リゾート(Kampung Kopi Banaran)がある。ここは山の中腹に作られたコーヒー園にレストランや宿泊施設が設けられた行楽スポットで、道中そこに立ち寄って食事し特産のコーヒーを楽しむこともできるし、宿泊して高原の涼風を味わい、ティーウォークならぬコーヒーウォークを満喫することもできる。さすがにコーヒー園ならではで、ここのコーヒーはうまい。
コーヒー園のオーナーは国有農園会社第9ヌサンタラ農園で、アグリ観光産業に乗り出した同社は2005年以来その事業で大いに繁栄している。アグリ観光産業を会社経営のもうひとつの柱にしようと、第9農園会社は次に茶農園でも類似の開発を行なうことにし、同社が持っている中部ジャワ州ブルブス(Brebes)県パグヤガン郡パンダンサリ村のカリグア(Kaligua)茶園とプマラン(Pemalang)県モガ郡バニュムダル村のスムギ(Semugih)茶園の本格整備を始めた。それらの茶園はオランダ時代からの古い歴史を持つ茶の産地であり、カリグア茶園はスラムッ山(Gunung Slamet)の西側、スムギ茶園はスラムッ山の北側に位置している。
それらの茶園には宿泊施設が建てられ、さらに若者向けの野外活動や野外ゲームの設備も設けられることになっている。必要な電気は渓流に発電機を設置して作り出す計画で、燃料を使う発電は行なわれない。茶園を訪れる行楽客は、ティーウォーク、茶摘作業・茶の木の栽培や茶葉生産工場の見学などが楽しめるとともに、広大な自然の景観と高原の涼風を満喫することができる。


「ダヴァオ〜ビトゥン航路開設」(2013年7月11日)
2015年から実現されるアセアン経済コミュニティのひとつの柱に据えられているアセアンコネクティビティは域内各国が国境を越えて人と物の効果的な流れを作り出す幹線を設けることを主眼にしているが、フィリピンとインドネシアの海上コネクティビティというこれまであまり太い幹線のなかったルートの開設が間もなく実現しそうだ。
北スラウェシ州のビトゥン(Bitung)港とミンダナオ島のダヴァオ(Davao)港を結ぶローロー船の運航が2013年8月から開始されようとしている。この航路は1990年代に運航されたことがあるが、その後は双方間の通商を目的にした小型船の航海が行なわれるだけになり、一回の航海における取引高が5百米ドル前後に制限されるといった、奨励よりも管理型のコンセプトのもとに交通が行なわれるだけだった。2010年からは、北スラウェシ州のフィリピン国境に近いサギヘ(Sangihe)島とミンダナオ島のジェネラルサントス港を結ぶ航路がオープンしている。
8月から再開されるこの航路はフィリピンの海運会社が実施するもので、ダヴァオ⇒ビトゥン⇒ダヴァオという往復の航海が行なわれることになる。アセアンは域内のローローネットワークと国際近海航路設立をアセアンコネクティビティの主要テーマに据えており、ビトゥン〜ダヴァオ航路開設はそのテーマにフィットするものだ。北スラウェシ州庁は、この航路開設によってフィリピンとの経済交流が活発化することに加えて、インドネシア東部地域のハブ港のひとつとしてのビトゥン港の地位確立を期待している。


「熱帯でも、炭火コンロによる死亡事故」(2013年8月15日)
海抜2千数百メートルあるブロモ山周辺の宿泊施設は、日が落ちると寒さが厳しい。トロピカルな気象に慣れている下界の人間がブロモ山の日の出を拝みに来ると、まずその寒さに悩まされることになる。
2013年8月11日、西ジャカルタ市クンバガンから一家7人でブロモ観光にやってきたマデリ氏45歳は、パスルアン県トサリにあるホテルに宿をとった。マデリ氏と妻のマスニ40歳そして息子のラマダン5歳がひとつの部屋に入り、他の子供たち三人が別の部屋、そしてマデリ氏の弟がもうひとつの部屋で休んだ。
明日の朝は午前3時に起きてブロモのカルデラへ行き、馬に乗ってブロモ火山のすり鉢の下まで行く。それから急斜面の階段を登ってすり鉢山の上まであがり、日の出を見るんだ。
そういう約束をして、7人は早めにベッドに入った。ところがマデリ氏はどうやら室内の寒さに耐えられなかったようだ。かれは寒さをしのぐ方法を求め、テンゲル地方で昔から使われているコンロに炭火を入れて部屋に置いた。
午前3時にセットした目覚ましが鳴り、三人の子供たちは出発のしたくをしたが、いつまでたっても両親が部屋から出てくる気配がない。思い余って子供たちは両親の泊まっている部屋の扉をノックするが、反応は何もない。そのうちに子供たちの叔父さんもやってきて加わり、ノックしたり声をかけるものの、部屋の中は森閑としたまま。
事情を知ったホテル従業員が合鍵で部屋を開いたところ、予想もしなかった状況が眼前に展開された。その部屋にいた三人が三人とも冷たくなっていたのだ。愉しみにやってきた家族旅行が一瞬にして悲劇に変った。
検死報告書が届くまで死亡原因は確定しないわけだが、パスルアン県警はこの事件について、三人は寒さのために死亡したのでなく、寒さを払うために部屋に持ち込んだ炭火コンロのために死亡したようだ、との初期判断を示している。ホテルの部屋は扉も窓も防寒対策として気密性が高められており、ほとんど換気がなされないように作られている。そんな室内で炭火を熾せば何が起こるかは、冬という季節を持つひとびとにはすぐにわかるはずだ。熱帯の地でも、炭火コンロによる中毒死は起こるのである。


「ラグナン動物園に14万人の人出」(2013年8月19日)
2013年8月8日に始まった全国的な11連休は8月18日(日)に終了した。ジャカルタ都民の三大行楽施設であるタマンミニインドネシア・ラグナン動物園・アンチョルドリームパークはその間、人・人・人で埋まった。大勢の人間が渦巻く中でその熱気と活気にわれを忘れ、見知らぬ他人と袖擦り合い、肌触れ合わせるのは、人間好きのインドネシア文化ならではだろう。人が溢れかえり押し合いへし合いしている場所へ入っていくのを躊躇するのはわれわれだが、大勢のインドネシア人がそこへ喜々としてはせ参じて行くのは、かれらの祭り好きの本性をあからさまに示すものだ。
連休最期の日曜日のタマンミニ来訪者数は夕方時点で4万5千人、ラグナン動物園は6万3千人にのぼった。18日の数が途中経過ではあるが、11日間の合計はラグラン動物園が63万人、またタマンミニは昨年の32万人から25%増しの40万人となっている。
ラグナン動物園は平常日の週日だと一日2〜3千人、日曜日は2〜3万人という来訪者数で、それが今年のルバラン三日目は一日で14万4千9百人という数字にはねあがった。ラグナン動物園入場料金は大人ひとり4千ルピア、子供ひとり3千ルピアという廉価さで、また園内は整然と整えられた大緑地に動物の檻が点在するという行楽の妙を楽しませてくれるため、中下流所得層の都内最大の行楽地になっており、南ジャカルタ市シマトゥパン通りから動物園に向かうハルソノ通りに曲がる交差点一帯は動物園に万という単位の人が訪れる日には大渋滞が出現する。このラグナン動物園に8月8日からチルドレンズーがオープンした。この子供向け娯楽施設の入場料はひとり2千5百ルピア。そこではロバや鹿などのおとなしい動物や言葉をしゃべる鳥などと触れ合うことができる。


「スポーツ観光都市ジャカルタ」(2013年10月04日)
ジャカルタの観光方針に新たな路線が加わる。これまでのショッピング観光やフェスティバル観光に加えて、スポーツ観光という新しいアイデアが付け加えられた。さっそく予定されているのは、2013年10月27日に開催されるマンディリジャカルタマラソンで、この催し物にからめてジャカルタの観光を世界に売り出す企画が動き始めている。今年のジャカルタマラソンには、ケニヤ・エチオピア・日本・フランス・イギリスから17人の世界トップクラスのランナーが参加することになっており、また言うまでもなく一般にもオープンされているので、当日前後は世界中から多数の参加者および観光客がジャカルタに集まってくることが期待されている。主催者は1万人の参加を目標としており、9月末時点で参加申込みは既に5千8百人に達した。
42.195キロのコースは、モナスを出発点として旧バタヴィア市街をとおり、目抜き通りを経由してまたモナスに戻ってくるというルート。更に21キロのハーフマラソン、10Kラン、5Kラン、そして13歳までのお子様向け1.3キロマラトゥーンなど多彩なプログラムが用意されている。それらのルートでは一般の交通が8時間にわたってシャットアウトされる。
外国のメディアは既にこのジャカルタマラソンのルートに関する取材にインドネシアを訪れており、各国でジャカルタの観光案内が盛り上がりつつある模様。この催しに合わせて都内での芸能上演や展示会あるいはフェスティバルなども計画されており、スポーツ以外でも観光客を楽しませる工夫が凝らされている。
インドネシアで既に定例化されているスポーツ催事は西スマトラ州のツールドシンカラッ、リアウ島嶼州のツールドビンタンとビンタントライアスロン、そしてバリマラソンなどがあるが、ジャカルタマラソンが規模の大きさで先輩たちを一躍凌駕するかもしれない。


「利用しやすくなる観光客へのPPN還付」(2013年10月10日)
外国人観光客が国内で買物した際に、その商品に課税されているVATを出国時に払い戻す還付の制度は多くの国で行なわれている。ただし、その商品を丸ごと国外に持って出ることが要件であり、出国前に国内で再販されたり消費されたりすれば適用外になる。
インドネシアでも遅まきながら外国人観光客を対象にしたPPN(VATのインドネシア語表現)の還付制度が開始されているが、条件があまりよくなかったために実用性は低いという批判があった。大蔵省は今回、この制度をより多くの観光客に利用しやすいものにし、インドネシアへの観光客誘致の一助にすることを目的として、ハードルが高いと言われている条件の引き下げを行なおうとしている。原案は練り上げられて大蔵省法務局でのチェックに回されており、問題のないことが確認されれば年内に規則の改訂版が出される見込み。
変更ポイントはいくつかあり、まずミニマム還付金額が50万ルピアから10万ルピアに引き下げられる。PPNの税率は基本的に10%であるため、50万ルピア以上の還付を受けるためには一枚のインボイス金額が500万ルピア以上になっていなければならなかった。それが将来は100万ルピア以上でよいことになる。
次に、この制度をサポートするための国税総局側の台所事情として、これまで指定5空港における還付手続きは販売店からの販売データ確認ができないオフライン方式で行なわれていたが、これからはオンライン方式になるため販売店での還付発生情報が即座に国税側に入ってくるようになる。このシステム向上によって、これまでは国税側にとって信用度の高い商店しか還付制度に参加できなかったものが、その枠が取り払われるために裾野が広がり、PPN還付取扱い商店が増加する見込み。
ちなみに指定5空港とはメダン・ジャカルタ・ヨグヤカルタ・スラバヤ・マカッサルで、それらの地域で外国人観光客がよく買物する店はどんどんこの制度に参加するようにと国税総局は呼びかけている。


「この空港検疫運用は正しいのだろうか?」(2013年12月02日)
2013年8月31日付けコンパス紙への投書"Dari Singapura Lewat Yogya"から
拝啓、編集部殿。2013年7月21日、わたしは11時15分シンガポール発ヨグヤカルタ行きエアエイシアQZ8103便に搭乗しました。そのとき、ヨグヤカルタからソロへ向かう子供が道中で食べるようにと考えて、ビニール袋に果物を入れて機内に持ち込みました。
シンガポールのチャンギ空港では、手荷物のX線検査も問題なくパスしました。そしてインドネシアに果物を持ち込めないことなど、だれひとり教えてくれなかったのです。
ヨグヤカルタのアディスチプト空港に到着してから、トラブルが起こりました。わたしが果物を持っていたため、空港職員はわたしに検疫審査を受けるように言いつけました。検疫カウンターには女性職員がふたりいて、多分規則が書かれていると思われる紙を手にしていましたが、わたしにはその紙をまったく見せてくれませんでした。
その職員が言うには、ヨグヤカルタ空港からインドネシア国内に、航空機乗客が果実・野菜・肉加工品・チーズ・ミルクを持ち込むのは禁止されているのだそうです。しかしバンテン州のスカルノハッタ空港ではOKだと言いました。
手持ちで果実をインドネシアへ持ち込むのに、スカルノハッタ空港なら良いが、ヨグヤカルタ空港を通ってはいけない、というのはどういう理由なのですか?もしも果実についている害虫や病菌を防ぐためだというのであるなら、どこの空港であろうと乗客が果実を持ち込んではいけないだろうし、それが許されるのはそのための手続きを踏み行なっている輸入業者に限られるわけでしょう?関係当局の説明をお願いします。[ 中部ジャワ州スラカルタ在住、リニ ]


「システムの盲点を引きずり出すのは人間」(2013年12月05日)
2013年8月31日付けコンパス紙への投書"Lion Air Mengubah Naseb Menjadi Nasib"から
拝啓、編集部殿。わたしどもは、2013年7月23日18時25分プカンバル発メダン行きライオン航空JT0294便の乗客でした。わたしの持っている航空券にはNasebとStevenという名前が記載されていたというのに、チェックインカウンター係員がくれた搭乗券にはNasib 座席番号9D、Steven 座席番号9Eと書かれていました。
飛行機が滑走路に向かいかけたとき、Nasib という名前の乗客がやってきて、わたしの席はかれのものだと言い出したのです。そのひとが持っている搭乗券にもNasib 座席番号9Dと書かれていましたが、その搭乗券紙片にはCopy という文字が印刷されていました。
そこにフライトアテンダント女性がひとりやってきて、Naseb さんはわたしと一緒に来てください、と言うのです。「これはライオン航空側のミスだから、当方が全責任を負いますが、搭乗券を再発行するのに10分ほど時間がかかり、当機にはそれを待つ時間がありません」とミラという名前のその乗務員は説明しました。
すると、わたしの同僚で隣の座席番号9Eに座っていたSteven が、「もしNaseb が出発できないのなら、わたしもこの飛行機を降りる。」と言い出したのです。わたしとSteven が飛行機から出ようとしていたら、突然乗務員の間で言葉の応酬があり、アテンダント女性の方針が覆されてわたしとSteven は座席に戻ってよいことになりました。
このできごとで、わたしが受けたサービスは不満で不愉快なものでした。わたしへの扱いは礼儀に叶ったものでなかったからです。アテンダント女性の口調はとても不愉快な印象をわたしの耳と心に遺しました。説明内容も納得できないものだったのです。[ 北スマトラ州メダン在住、ナセブ ]


「日帰り観光旅行は鉄道で」(2013年12月13日)
インドネシア国鉄も旅行会社を子会社のひとつに持っている。PT Kereta Api Pariwisata がそれだ。チレボン、スマラン、マラン、ヨグヤカルタ、プルウォクルトなど国内のいくつかの観光地向けにエグゼキュティブクラスの団体専用列車を用意し、それを定期長距離列車に連結してくれる。言うまでもなく、この車両に一般乗客が入り込んでくることはないので、車内でいろんなゲームをして楽しみながら旅ができるし、車内でお腹がすけば、サービス員に料理や飲み物を注文できる。メニューはナシゴレンからステーキまでさまざま取り揃えられている。もちろん有料だが、こんなケースでの相場から見ると決して高い印象はなく、概して良心的なようだ。
あるコンパス紙が主催した団体旅行が行なわれたとき、ツアーの企画にその旅行会社が起用された。このツアーは西ジャワ州東部のチレボンに向かう日帰り旅行。当日午前6時前にチレボンエクスプレスがジャカルタのガンビル駅構内に滑り込んできた。ツアー参加者160人は連結された5両のエグゼキュティブクラス団体専用車に乗り込む。車内ではグループゲームが始まり、時折歓声がはじける。およそ三時間後に列車はチレボン駅に到着した。チレボンでの観光トリップも企画通りに遂行される。ツアーガイド付きの観光バスが駅から団体客を乗せて観光地と食事、土産物屋を周遊し、ジャカルタに向かう夜行列車の時間に合わせてふたたびチレボン駅に戻ってきた。時は既に夜。ふたたび団体客はジャカルタ行きの列車に連結された専用車に乗り込んでガンビル駅を目指す。
国鉄第3事業区チレボン支所長は、週末になるとそのような日帰りツアーが顕著に増加していると最近の状況を物語る。時と共にますます盛況になり、今では列車到着時間前になると大型観光バスが駅周辺にあふれるようになっているそうだ。ツアーのほとんどはジャカルタ発のもので、他の都市からのものはまだあまりない。これまで団体ツアーはたいていが観光バスを連ねてチレボンまでジャワ島北岸街道を走るのが通例だったが、交通渋滞による時間のロスが激しくなっている昨今、列車のメリットが今大きくクローズアップされはじめている。


「長期休暇帰省がはじまる」(2013年12月23日)
ルバラン帰省に次ぐ帰省移動の山ができるのはクリスマス〜新年休暇だ。学年末休みシーズンもひとの移動が盛んになるが、ルバランやクリスマス〜新年のように限られた日数の中に凝縮されないために、見た目はあまり顕著でない。
ともあれ、クリスマス〜新年休暇を間近に控えた2013年12月第三週に空の便で大盛況が始まった。スカルノハッタ空港国内線ターミナルは12月19日、乗客であふれかえる状況になり、帰省の波が始まったことが実感された。空港管理当局は大晦日まで平常の二倍の空港利用者数が毎日続くものと見ており、空港利用予定者に対して「出発時間の3〜4時間前に空港に到着すること、そして必要以上な装身具を身に着けず、また荷物も小さめにするように」とアドバイスしている。その期間の航空券は12月に入ってからエコノミークラスは既に満席で、新たにシートを手に入れるのはほとんど不可能な状態になっている。
ヨグヤカルタのアディスチプト空港も到着客の増加が開始されたことを報告している。平常は一日6〜7千人だが、休暇期間は8〜9千人に跳ね上がる模様。またメダンのクアラナム新空港からも到着客の増加が報告されている。
鉄道も2014年1月4日までの長距離列車乗車券は95%が売り切れたことを国鉄が報告している。この盛況に従い、ジャカルタ発の西ジャワ・中部ジャワ・東ジャワ主要都市向け列車の連結車両を増やすことを国鉄側は12月18日に開始した。平常期の利用者2万5千人/日は2万9千人くらいにアップすることが見込まれている。
ジャカルタから出る長距離列車は、ガンビル駅からのもの26便、スネン駅14便、ジャカルタコタ駅6便、タンジュンプリウッ駅3便、タナアバン駅1便となっている。


「ルピア安が海外旅行に影響」(2013年12月24日)
ルバランやクリスマス〜新年といった大型ホリデーシーズンには、帰省者の増加とともにツアー客も増加する。しかし過去数年間活況を呈していたクリスマス〜新年休暇を利用しての海外ツアーの売行きが今年はあまり活発でない。アヴィアツールのツアーリーダーは、今年は昨年より二割がた落ちている、と語る。「多分ルピア安の影響でしょう。今年は海外旅行があまり売れません。」
ドゥイダヤツールのGMは、中でもタイ・中国・香港向けのツアーの人気が落ちていると語る。「特にタイは昨今政情不安が続いているので、安全面の不安を感じるのでしょう。中国や香港はもう大勢のひとが旅行しているから、新しい観光先を求めているようです。いま、年替わりの旅行先で人気が出ているのは、ヨーロッパと日本や韓国などの東アジアで、雪に触れる体験を望むひとが増えています。」
パノラマツールのレジャートラベルプロダクトマネージャーは、ルピア安の影響はあまり出ていない、と言う。「クリスマス〜新年休暇のツアーは9月から発売しており、売行きは悪くないですよ。もう150グループ、およそ4千人を送り出す態勢に入っています。人気があるのは日本・トルコ・韓国そして西ヨーロッパの諸国です。2012年は4千5百人でしたから、少し減ってはいますが、やはりタイの政情不安で需要がガタ落ちしているのが響いています。」
クリスマス〜新年というハイシーズンを外してルピア安の影響を少しでも軽減させようというアイデアを旅行業界も消費者に勧めている。1月1〜3日に出発すればひとりおよそ3百米ドル安く買える。たとえばトルコ12日間というツアーは12月25日に出発すればひとり1千5百米ドル(約1千8百万ルピア)だが、12月31日出発のものはひとり1,150米ドル(1,380万ルピア)の値付けがなされている。


「ジャカルタで雪めぐり」(2013年12月25日)
今、北半球は冬。熱帯に住むひとたちにとって憧れの雪を体験できるのがこのシーズン。だから海外旅行のプログラムの中に雪遊びあるいは雪体験というのが含まれているものは昨今人気が急上昇中。
雪体験に人気が集まるとなると、海外旅行しないひとにも雪体験をオファーすることで集客向上が期待できるとだれしも考えるにちがいない。ではジャカルタで雪めぐりとしゃれこもう。
西ジャカルタ市のモールチプトラでは、毎日13時から17時まで一時間おきに10分間雪が降る。この雪体験は小さな灯りに飾れラタ薄暗いドームの中で行なう。ちょっとしたトンネルを通ってそのドームに入り、ファンタジーに満ちた雰囲気の中で雪を頭や身体に受けるこの体験は感動的にちがいない。このドームはモール内に設けられたファンタジーフォレストと銘打ったデコレーションのひとつで、シャレーのある松林の中には象のレディブーティ、鹿のアンクルディー、ユニコーンのミスパープル、そしてレッドボウタイトリオという三匹のパンダたちが住んでいるという設定。
モールチプトラからほどちかいセントラルパークモールでは、毎週金土日と12月25日および1月1日にタマントライベッカで雪が降る。こちらは19時、20時、21時の一時間おきに15分間。公園の真ん中におよそ2百平米の半円形に設けられた場所で希望者は雪の雰囲気を味わうことができる。機械から噴出される雪はまるで行きのようだが、冷たくない。公園の中には高さ38メートルのクリスマスツリーが立てられ、夜は白色光が草やトナカイや五人の天使の姿を浮き立たせる。この企画は2014年1月5日まで続けられる予定。
南ジャカルタ市クニガンのロッテショッピングモールでは、毎日14時と19時に10分間雪が降る。加えてサンタとサンタリーナがやってきてプレゼントを配る。この催しは2013年12月29日まで。
もっと活動的な遊びをお望みなら、西ジャカルタ市モールタマンアングレッのスカイリンクへどうぞ。インドネシアにはまだ数少ないアイススケートリンクが用意されている。休日には一日1千5百人の入場客がある。地方部からわざわざスケートをしにやってくるファンもいるし、朝早くやってきてリンクがまだ煙っているときに記念写真を撮るひともいる。


「ジャカルタで年越しの祭り」(2013年12月30日)
ジャカルタに年越しの祭りがもうすっかり定着したようだ。大晦日の夜から元日朝にかけて、都心のモナスからホテルインドネシア前ロータリー、更にタムリン通りを南に下ってスディルマン通りとの境界になるドゥクアタスにいたるエリアでは、今年もジャカルタナイトフェスティバルが催される。
会場には12ヶ所でステージが設けられ、4百人のカキリマ商人が飲食物やらさまざまな土産物などを販売する。今年のフェスティバルのサプライズは、ジョコ・ウィドド都知事がダンドゥッの王様ロマ・イラマとデュエットでDarah Muda(若き血)を唄う。音あわせはもう済ませたとの都知事の談だ。今年はホテルインドネシア前ロータリーにもカウントダウンのための秒読み電光掲示板が置かれ、新年の到来を全員で祝う準備も完璧。都庁はこのフェスティバルのために、道路沿いのビルに駐車場とトイレの開放を要請しており、さらにエリア内にも移動式トイレが数十ヶ所設けられることになっている。
また、アトラクションとして都内全学校の生徒たちによるカーニバル、文化パレード、ドラムバンド行進、その他さまざまなステージショーなどが催される。
この催しのために都内の道路交通は一部エリアで変更される予定で、場所によっては状況を見ながら進入を禁止して逆方向の一方通行にするような対応がなされる。またスディルマン〜タムリン通りを通過するトランスジャカルタバス第1ルートは、12月31日午後から運行がストップする。昨年の大晦日の催しでは、フェスティバルにやってきたオートバイが路上駐車して交通の流れに障害を引き起こしたため、都庁運輸局はその轍を踏まないよう、対策を練っているとのこと。


「全国的に明るい2014年の年明け」(2014年1月6日)
2013年年越しの夜の祭りは、全国各地で行なわれた。首都ジャカルタではおよそ二百万人が都心モナス〜タムリン通りに繰り出し、大盛況を示した。ただし、スリも大盛況に紛れ込んで稼ぎに稼いだらしく、続出した被害者たちが防犯レベルを高めるよう要請する声もあったとのこと。将来的には、祭り開催を都心への一極集中から各市が独自に開催する形に展開させて、地元での祭りに規模を拡大させるのがよいとの提案が投げかけられている。
一方、メダン・ランプン・スラバヤ・バンドン・プルバリンガ・ヨグヤ・バリ・マタラム・クパン・バリッパパン・パル・マナドなどの地方都市でも、カーフリーナイトにからめて年越しのカウントダウンと花火満載の夜祭が催された。ただし、スラバヤだけは市長の指導で無駄使いはやめようということになり、花火なしの祭りが市中心部で催された。元日の行楽は市内や市郊外に市民がどっと繰り出し、定番のスラバヤ動物園には1,058人が訪れた。
一方、マナドでは派手に花火が使われ、6トンの花火が中国から取り寄せされたそうだ。およそ一時間半にその大半が煙にされたため、マナド、トモホン、ビトゥンそしてその周辺部の夜空に照明がともされたかのように明るさが増し、マナド市内の繁華街ブルヴァール通りでも花火の大饗宴が行なわれ、しばらくは4キロにわたって上空が煙で満たされた。
バリでは、デンパサル市内中心部のチャトゥルムカ(Catur Muka)地区で2013年最後の夕日を送る催しが行なわれて文化バレードなどを多くの観光客が楽しんだ。クタ海岸も例年のような賑わいの中で2013年の最後の一日が幕を閉じた。
バリ海峡をはさむジャワ島東端のバニュワギ(Banyuwangi)では、元日の休日を漁夫たちが帆船レースに興じていた。バニュワギ県カリプロ(Kalipuro)郡ブルサン(Bulusan)海岸で行なわれるこのレースは長さ1.5メートルの船体にプラスチックの帆を張ったミニ帆船で、持ち主が海岸からおよそ2百メートル離れたスタートラインまで泳いで運び、一斉にスタート。砂浜のフィニッシュラインまで風をはらんだ帆船が一気に突っ走って続々と浜に乗り上げるというスピードレース。
その豪快さが人気を呼んで、見物人も大勢集まっていたとのことだ。


「恋人はどこにいる?」(2014年1月7日)
2013年12月15〜16日にコンパス紙R&Dはジャカルタ・バンドン・スマラン・ヨグヤカルタ・スラバヤ・メダン・パレンバン・デンパサル・バンジャルマシン・ポンティアナッ・マカッサル・マナドの電話帳からランダム抽出した12都市に居住する17歳以上のひと670人を対象に、次のアンケート調査を実施した。年越しの夜にインドネシア人はどこへだれと行くのか、ということを調べるのが目的だ。
質問1)あなたは年越しの夜をどこで過ごすのがお好みですか?
回答1)
アルナルン(alun-alun)・広場・市庁舎などでの無料の祭りに行く 48.8%
レストラン・ホテル・カフェなど有料の華やかな場所 20.7%
家で 23.9%
その他 6.6%
質問2)それらの場所へだれと行きますか?
回答2)
家族・兄弟姉妹 77.5%
友人 19.0%
厚生施設・老人ホームなど社会施設のひとたち 2.6%
ひとり 0.9%
質問3)あなたの町では、無料で市民が集まれる場所で年越しの祭りが開催されますか?
回答3)
はい、毎年 73.3%
はい、ときどき 6.6%
行なわれたことがない 15.1%
不明・無回答 5.0%
回答2)の中に恋人が出てこないのだが、恋人というのは基本的に家族公認が家族主義社会の原理のようだから、家族の中に含まれているのだろうか?それとも友人の中に?


「ジャカルタは観光都市を目指す」(2014年1月22日)
中国からタンジュンプリウッ港に送られてきた二階建て大型観光バス5台が陸揚げされ、国内での型式承認と路上走行適性承認が得られたものから現場への投入が開始された。いよいよジャカルタを国際観光都市に復帰させるためのステップが始まったのである。
都庁が150億ルピアを投じて調達したこの観光バスは中国に工場を持っているオーストラリアのメーカーに発注されたとのことで、同種のバスはシンガポールやロンドンなどいくつかのヨーロッパの都市で使用されている由。国内でこの種のバスが作れないわけではないが、クオリティ対コストという面からこのバスに勝るものがなかった、というのが入札を勝ち取った納入業者の説明。
薄緑色と紫色を基調にしてモナスやオンデロンデル(ondel-ondel)などブタウィ文化を特徴付けるデザインを車体に描いたこのバスは、都内主要観光スポットを結んで特定路線をシャトル運行する観光客用無料バスとして2014年1月から都内を走る。無料観光バスの運行は、概略構想としては8本のルートを各ルート15台のバスが午前7〜8時ごろから夜19〜21時ごろまでシャトル運行するというもの。このバスはトランスジャカルタバス専用車線には入らず、一般道を通る。既に提案されている運行ルートは、HI前ロータリー〜タナアバン〜繊維博物館〜モナス、モナス〜バタヴィア旧市街、モナス〜ブロッケム(Blok M)などで、その第一弾としてHI前ロータリー〜バタヴィア旧市街を結ぶルートでの運行が既に開始された。
このバスは国内観光客海外観光客に開放されているものだが、乗車するためには前もってチケットを入手しなければならず、チケットはスカルノハッタ空港や都内のホテルなどで取得することができる。
このバスは車体長11.3メートル、車幅2.5メートル、車高4.2メートルで一階は乗客席20、二階は40、そして身障者用座席も備えられている。できる限り窓が広くとられて眺望を楽しめるようになっており、二階からの眺望は360度開けている。車高が高いため、ルート決定にあわせて道路沿いの街路樹や道路標識などの対策が講じられる予定。


「早く仕事を切り上げる方法」(2014年3月6日)
2013年10月19日付けコンパス紙への投書"Anak di Kolam Renang, Kaporit Ditumpahkan"から
拝啓、編集部殿。2013年8月25日(日)わたしは家族連れでバンテン州チクパのウオーターワールドチトララヤのプールへ遊びに行きました。到着したのは16時半で、切符改札係りのひとはプールが閉まるのは18時だと確認してくれました。わたしども6人は、まだ一時間半の時間があるので、プールに入って遊びました。
ところが、泳いだり遊んだりしてやっと30分ほど経過したとき、プール内の設備がすべて止まったのに驚かされました。まだ17時ではありませんか。すると従業員のひとりが乱暴な口調で、わたしどもにプールから上がるよう命じたのです。使っている浮き輪もすぐに返却しなさい、と。
改札係りは18時に閉まると言ったのに、どうしてこんなに早く閉めるのか、とわたしは尋ねました。するとその従業員は「今日は一時間早く終わるんだ」と吐き捨てるように言ったのです。もっとひどいことに、別の従業員がカルキをプールの中に流し込んだではありませんか。子供たちがまだプール内にいるというのに。わたしは子供たちをすぐにプールの外に引き上げて、すぐみんなをシャワールームに導きました。
この不愉快で腹立たしいできごとをクレームしようとマネージャーのオフィスを探しましたが、そこには人っ子一人いませんでした。このプールの入場料はけっこう高いのです。経済的に損させられただけでなく、従業員の失礼な態度もたいへん不愉快でした。経営者はその実態に注意し、他の入場客が同じような目に会わないよう、対策を講じてください。[ タングラン県ルゴッ在住、リスラ・ナインゴラン ]


「ジャカルタの無料ツーリストバス」(2014年3月10日)
都心部の観光スポットを二階建てツーリストバスが巡回し始めた。首都ジャカルタから観光業の匂いが消えて何十年が過ぎ去っただろうか?おかげで一部の外国人はジャカルタを観光に向かない街だと称しているが、昔は観光バスが街中を縦横無尽に走り、外国人の団体観光客が夜の街の食べ処遊び処に溢れていたのを知らないひとびとが、観光業がないのは観光資源がないからだ、という逆転した発想でものごとを言っているように思えてしかたない。観光業の火が消えたのは、観光業がペイしなくなったのが原因であり、観光資源がないから観光業が生まれなかったということでは決してないのである。現状だけを見て物事を判断する前に、すべからく歴史という知識の宝庫を覗いて見ることは自分が考えた判断の逸脱を修正するのにきわめて重要なことがらであり、そうすることによって自分の言葉にもっと責任が持てるようになるにちがいない。
2014年1月から都内を走り始めたこのツーリストバスは、ホテルインドネシア前ロータリー〜サリナデパート〜国立博物館〜サンタマリア〜パサルバル〜ジャカルタアートシアター(Gedung Kesenian Jakarta)〜イスティクラルモスク〜大統領官邸〜モナス〜都庁というルートを混雑する一般道を通って巡る。この車体長11.3m、車幅2.5m、高さ4.2mという巨大な自動車を動かしているのが13人の女性運転手であることにわれわれは驚かされる。それどころか、車両にトラブルが起こったときでも、かの女たちは自分で一次対応ができるように訓練されているのである。
都庁はこの無料ツーリストバスの運行準備段階で、運転手は女性に限るという決定を下した。女性のほうが女性や子供など弱者に対して男性よりも強い感受性を持っており、乱暴さへの心的傾斜がはるかに少なく、要は観光客にフレンドリーで安全運転にも信頼が置けるという見解を都庁管理者が抱いていたということなのだが、確かに男っぽさと乱暴を同義語としているこの国の男たちの多さを見るかぎり、その判断は間違いなく的を射ているだろう。
交通渋滞が当たり前の都心部でバスを走らせる女性運転手たちは、「リラックスしてやってますよ」と口をそろえる。「時間に追われる通勤者を乗せて時間を気にしながら走らせるトランスジャカルタバスに比べたら、のんびりと都内の風景を楽しんでいる観光客を運ぶわたしたちものんびりと業務を行なうほうがフィットするんじゃないかしら」とかの女たちのひとりは言う。別の運転手は「風雨が激しいときは、道路の中央を走るようにしてるんです。左寄り車線だと、街路樹の枝が折れて電線が垂れ下がったとき、車高が高いからもしものことがあるといけませんので。」と述べている。運転手選抜試験では、礼儀正しさ、忍耐強さ、対人的な優しさなど、都庁が期待した性格面でのポイントも判定の要因になったそうだ。
このツーリストバスは毎朝9時にホテルインドネシア前ロータリーを出発するが、無料バスとはいえ、整理券を持っていなければ乗れない。整理券は空港や主要ホテルで入手できるとのこと。


「ライオネル・リッチーとセルフィ」(2014年4月9日)
2014年4月3日夜、スナヤンのジャカルタコンヴェンションセンタープレナリーホールで開かれたライオネル・リッチーのコンサートはたいへんな盛況。入場料はステージ前の特等席がひとり880万ルピア、一番遠くしかも隅の位置がひとり77万ルピアだったが、客席は4千人近い入場者で埋め尽くされ、おまけに乗りに乗った観客たちが前へ前へとせり出してきたため、場内はまるでパサルマラムの態。そしてその熱気ムンムンの館内で前代未聞のできごとが起こった。ライオネル・リッチーをはじめステージ上のメンバーやクルーが大いに喜んだのは言うまでもない。
何が起こったかと言うと、みんなが手持ちのスマートフォンでシャカシャカと写真を撮りだしたのだ。そんなことは昔からみんなやっていることだ、と言うなかれ。みんながてんでに行なっているのは、憧れのスターの写真を撮るのでなく、自分の写真を撮っているのである。憧れのスターを背景にして、自分の写真つまりセルフィを撮りはじめたのだから、ステージ上のみんなは最初びっくり、そしてこの珍妙なできごとに納得したのか、顔をほころばせながらショーを続けた。セルフィー撮影をステージ上で真似て見せるバンドメンバーも。
ことの始まりは、最前列の数人が立ち上がってセルフィを始めたこと。すると、その後ろの席あたりからまた数人が立ち上がって舞台下近くまで進み、セルフィを行なう。それがだんだんと広がって、後ろのほうの席からも数人が立ち上がってステージに近付いていく。若者だけでなく、40代50代のオムからタンテまでがセルフィ狂い。指でVサインを作り、両手をクロスして人差し指を頬に当てるなど、みんな思い思いのポーズでセルフィだ。ほどなく、ソーシャルメディアにコンベンションセンター内の、ほとんど実況中継に近い写真がバラバラと登場した。舞台の上からライオネル・リッチーが叫ぶ。「セキュリティ、セキュリティ!見ているかい?わたしはいま、7百個のアイフォンとアンドロイドから襲撃されている。アンビリーバボー・・・・・。CNNに連絡しろ。ライオネル・リッチーがジャカルタで襲われてるって言うんだ。こりゃ一大ニュースだ。」
舞台の前は席を立って集まってきた観客で埋まり、踊る者、セルフィーする者、もうディスコの雰囲気に近い。警備員は舞台をガードしたが、観客を席に戻らせることは最初から諦めている風情。「セキュリティ!アイニードセキュリティ!みんなもうコントロールを失っている。かれらに何が起こったんだ?本当にみんなコントロール喪失だ。オー、ファンタスティック!」
ライオネル・リッチー一行にとって、ジャカルタの今回のショーはきわめて印象的な大成功だったに違いない。


「暗雲漂うブナケンの将来」(2014年5月14日)
北スラウェシ州ブナケン国立公園で、激しい徴収金アップが観光客の不評を買っている。ブナケンは海中の景色の美しさから、依然として潜水ファンが選択する人気のある目的地になっているが、森林省が全国の国立公園入園料金を大幅に引き上げたために、それに引きずられて値上げや新たな課金徴収が行なわれており、突然インフレエリアに変身した感がある。
2014年5月のある日、マナドの観光事業者がふたりのドイツ人観光客を案内してブナケンを訪れた。入園料にひとり20万ルピアを払い、モーターボートを一隻75万ルピアでチャーターした。マナドからブナケンへの往復料金だ。三人が船に乗り込むと、係員らしい男が現れて15万ルピアを支払うよう要求した。モーターボート協会が地元住民以外の観光客から徴収している課金である由。この課金は協会がプールし、およそ百人いるモーターボート協会会員が病気や怪我で仕事ができなくなったときの生活保障資金として使われるものだと言う。
その話を聞いた地元記者が市観光局長に確認したところ、まったくの初耳だという返事が返ってきた。公式に定められた課金でなく、またモーターボート協会からの届出も一切ないとのこと。モーターボート協会を監督している市運輸局も、その課金のことをはじめて聞かされたと語り、無届の課金徴収は不法徴収金に該当するので、取締りの対象になる、と付け加えている。モーターボート協会が互助の対象にしているのはボート運転者であり、ボート運転者はボート所有者との間に日当たり・週当たりあるいは月当たりの契約を結んでいて、その種の問題はそこで解決されるべきである、と運輸局長は表明している。
観光客はブナケンでシュノーケル器具や潜水具をレンタルすることができる。ところが、シュノーケル器具のレンタル料金は、新品を購入するのと同じレベルになっている。既述のマナドの観光事業者は、ブナケンで観光客が遊ぶ費用が日を追って高くなっている、と印象を語っている。
ブナケンは飛行機を降りてから3時間で到着できる地の利を誇っている。ワカトビやラジャアンパッなど他の海中観光地とは比べ物にならない便利さだ。その7万5千Haという広大な海洋公園の中に島が5つあり、20ヶ所の潜水スポットを擁している。ところが場所によっては、清潔さや整然たる秩序のレベルが低下している印象を与えている場所がある。美観の維持がないがしろにされ、観光客からただただ金をもぎとろうという精神では、ブナケンの将来は真っ暗だ、とマナドの観光事業者は洩らしている。


「シンガポールの悪徳商人」(2014年5月14日)
2013年12月15日付けコンパス紙への投書"Pengalaman Buruk Belanja di Sim Lim Square Singapura"から
拝啓、編集部殿。シンガポールへ旅行し、シムリムスクエアで買物するひとに、わたしのいやな体験を紹介したいと思います。2013年11月16日、わたしはシムリムスクエアの2階にある店で、サムスンTab3を買おうとしました。価格交渉の末に280Sドルで合意成立。すると店員は「アンチウイルスのフリーインストールをするからしばらく出かける」と言い、フリーアンチウイルスと記載されているレジ伝票にわたしのサインを求めました。しばらしてその店員が戻って来ましたが、さっきわたしがサインしたレジ伝票にサウスアジアギャランティとタックスという項目が増やされており、480Sドルを追加で支払えと言い出したのです。
わたしがそれを拒否すると、その店員は「店を閉めるからすぐに出て行ってくれ」と命じ、わたしが既に支払いを済ませてある品物をわたしに渡さないまま、店を閉めてしまいました。そこはまっとうな方法で金儲けをしない店だったのです。
わたしは警官を探してその事件を訴え、警官はわたしに消費者クレームと取扱うCASEにコンタクトするよう勧めました。シンガポールの商売人のさまざまなインチキ手口の被害者にならないよう、皆さんは注意の上にも注意を怠らないようにしてください。[ 北ジャカルタ市在住、スラエマン・スタント ]


「イスラムツーリズム勃興」(2014年5月22日)
イスラム協力機構加盟国57カ国を集めて史上はじめてのイスラムツーリズム国際会議がインドネシアのジャカルタで2014年6月2〜3日に開催される。この会議では、ムスリムのツーリズムに関する諸問題が検討されることになっており、単なるハラル/ハラムの領域を超えた積極的な内容になることが期待されている。
「イスラムツーリズムというのは、単なるハラル/ハラムの問題を超えたファシリティ提供に関する問題である。たとえばインドネシアにシャリア銀行があるが、ムスリムにそこを利用せよと強制しているわけではない。ムスリムツーリストにそういうファシリティを用意するということがらなのだ。バリはムスリムのトップ旅行先ではないが、シャリアホテルやハラルフードなどのファシリティが用意されている。インドネシアウラマ評議会からハラルサーティフィケートを得ているレストランはいっぱいある。まだ表立ってそれをうたっていないだけだ。シャリアホテルは看板にそううたっているところが数十軒ある。」観光クリエーティブ経済副大臣はそう説明している。
ファシリティとは、ムスリムツーリストが利用できるシャリアホテル、ハラル飲食品や化粧品、あるいはムスリム衣装、そしてムスリムにとっての常識的なサービスや礼儀など非物質的なものまで含めたものが意図されている。世界中のムスリムが観光旅行に出かけるとき、旅行先にそのようなファシリティが用意されているかどうかがそこを目的地に選ぶかどうかの分かれ目になる。観光クリエーティブ経済省はインドネシアがイスラムツーリズムの有力観光旅行先にのし上がるための条件整備を、その会議の結果を見ながら推進しようとしている。
2013年グローバルイスラム経済状況のデータによれば、世界のムスリムが2012年にファッション関連商品に支出した金額は2,240億米ドルで、衣料品の三大市場は上からトルコ・イラン・インドネシアとなっている。


「中国人観光客をインドネシアへ」(2014年6月13日)
東南アジア諸国にさまざまな国際的トラブルが発生しており、その多くが中国がらみであることから、中国人観光客を呼び寄せるチャンスと見た政府観光クリエーティブ経済省はインドネシアでの滞在日数をより長くさせるために観光目的地のコンビネーション化を開始した。
マレーシアではマレーシア航空機失踪事件、タイでの政変、ベトナムとフィリピンでは領土問題というように、さまざまなトラブルが起こっており、中国人にとっては訪れたくない国が増えているため、タイ・ベトナム・マレーシアへの旅行予約はキャンセルが続出しているという話だ。
タイでの政変についても、旅行を取りやめた外国人観光客はバリをその代替目的地にしており、バリの2014年5月客室稼働率は平常の80%から90%にアップしている。このペースだと、国内が学校休みになる6月のバリホテル業界は客室稼動が100%に達する可能性が高い、と全国ホテルレストラン会会長は述べている。
インドネシアを訪れた75万人の中国人観光客のうちで50%はバリ、35%はジャカルタが目的地になっており、国内の別の観光地にかれらを流してインドネシアでの滞在日数を長くさせるために抱き合わせ観光地への移動の便とそのプロモーション展開を活発化させることを同省は重要事項として取り上げた。コンビネーション化のアイデアが出されているのは、バリ〜ヨグヤカルタ、バリ〜ロンボッ、バリ〜ラブアンバジョなどで、またジャワ島東端でバリに近いバニュワギも観光開発を行なってバリに抱き合わせる観光先にしようという方針に対して、バニュワギ県庁が積極的にそれに応じている。
同省は既に中国側旅行代理店業界への働きかけを強め、また航空会社にもその体制を敷くよう求めた結果、廈門航空と海南航空がバリへの新航路を開設した。中国インドネシア間の乗客輸送キャパシティは昨年から15万1千席増加することになる。
観光クリエーティブ経済省は各地方自治体に対し、体制を整えてコンビネーション化に名乗りをあげたところにはインセンティブを与えると表明しており、ジャンビ州はムアロジャンビ遺跡を売り物にしてそれに応じ、またバニュワギ県は全国規模あるいは国際規模の諸催事を行って外国人観光客を誘致する意向を表明している。バニュワギでは今年、ジャズフェスティバル、ツールドイジェン、エスニックカーニバル、国際サーフィンコンペティションなどの諸企画が催される予定。


「海外へ美容整形観光ツアー」(2014年6月16日)
インドネシア人の海外医療ツアーはとみに盛んだが、美容整形希望者もどんどんと増加している。海外で美容整形手術を受け、ついでに観光旅行をしてくるというひとが顕著な増加を示していることを、国内美容整形医師の集まりである美容復元整形手術医師会会長が明らかにした。
それを目的にした旅行先のトップスリーは韓国、シンガポール、タイで、たとえば韓国はその種のパッケージ旅行をプロモートしており、情報がよく整理されていてわかりやすく、また美容整形費用がインドネシアのように医師によって大幅に違っているということがなく、どの医師も似たり寄ったりの費用になっていることがインドネシア人に安心感を与えている。
美容復元整形手術医師会副会長によれば、インドネシアの医師も決して技術的に劣っているわけでなく、わざわざ外国に行かなくとも国内で十分に効果的な手術を受けることができるので、アセアン経済ソサエティが2015年に発足して域内の人間の動きがもっと自由になれば、近隣諸外国の美容整形手術希望者をインドネシアに誘致することに問題はない、とのこと。問題があるとすれば、外国人患者を処置する際の言葉の問題や医師の多くがジャワの都市部に偏在していること、そして請求される治療処置費用が医師によって大きく違っていることなどになる。現在、同医師会加盟医師は155人いる由。
今現在インドネシアでは、外国人医師が直接インドネシア人患者に医療処置を施すことは禁止されているが、現実には多くの外国人医師が違法行為を行なっている。その中に美容整形医師も混じっており、同医師会は政府に対して、より厳しい監督を実施するよう、要請している。


「郵便局建物をホテルに衣替え」(2014年6月20日)
国有郵便会社PT POS Indonesiaが全国に持っている自社所有の建物4,076ヶ所のうち126ヶ所をホテルに衣替えさせる計画。土地建物税評価額の上昇、水道光熱費の高騰や建物維持費用の上昇などのために、所有不動産による事業採算性の悪化を少しでも緩和させたいというのがその衣替えの理由で、ホテルにするからにはそれなりの地理的位置やそれなりの規模の土地建物であることが自ずと必要条件になり、歴史的価値を備えていた大型郵便局が消滅する懸念が生じている。
その筆頭に置かれるのは、中央ジャカルタ市パサルバルにある3万4千平米の郵便局で、そこをホテルにして経営したい事業者は既に名乗りをあげている。南ジャカルタ市マンパン郵便局も、英国資本が食指を動かしている由。バンドンでも、パフラワン通りとチアンプラス通りの郵便局に声がかかっている。
郵便会社側は、現在使われていない建物や、地理的に会社事業への貢献度が低い場所にあるものを優先的にホテルに転換していく、と述べており、19世紀半ばにアールデコ調建築様式で建てられたパサルバル郵便局は当面、健在でいてくれるようだ。


「バニュワギ観光」(2014年7月1日)
ジャワからバリに渡るフェリーで大混雑が始まった2014年6月23日、クタパン港に向かわずバニュワギ県内の観光行楽地を目指す交通の流れも顕著な増加を見せた。観光産業振興に取り組み始めたバニュワギ県の観光スポットのエースは標高2,443メートルのイジェン火山。中でも有名なのがイジェン火口のブルーファイヤーで、その夜景はたいへん幻想的。ただし美しいものには棘があり、一酸化炭素ガスが多量に含まれているので、1キロ以内に進入することは厳禁されている。美しいものは遠くに眺めるのが一番安全という鉄則だ。
ビーチでは、インド洋に面したプラウメラビーチ(Pantai Pulau Merah)やバニュワギの町の海岸部でバリ海峡に面したボームビーチ(Pantai Boom)がある。プラウメラビーチはバニュワギの町から南西に70キロほどの距離にあり、海にぽつんとコーン型の山島が浮かんでいて、その景観がたいへん印象的な長い砂浜だ。その山島がプラウメラで、土が赤土であることから、そう名付けられている。
数日前から徐々に増えていたとはいえ、いきなり爆発して数百人にも膨れ上がった行楽客の襲来に、プラウメラビーチは大混雑の大繁盛。国内行楽客は砂浜や波打ち際に人の壁を作り、西洋人は沖に出てサーフィンを楽しむ。有料ビーチチェアーとパラソルをレンタルしている地元民は、客が5回も入れ替わったのははじめてだ、とはしゃぐ。ホームステイビジネスの家も賑わっている。
イジェン火山ツアーガイドも、この先一週間以上フルブッキングになっていると物語る。フランス人のグループもあれば、ジャカルタからきたグループもある。みんな早朝に山に登って日の出を見ることを希望しているとのこと。
観光産業に力を入れ始めたバニュワギ県は、業界の整備をはかってまず標準料金を定めて料金統一を行なうことを始めた。一物一価の希薄なインドネシア的体質を色濃く残しているため、産業従事者の言う料金価格はてんでばらばら。そのため他の客より高く払わされた観光客の苦情が絶えなかった。中でも、外国人観光客は金を持っているから高く払ってもらうのを当然とする感覚が醸成されてきたため、公共運送機関ですら料金を高くする。バリのギリマヌッまで乗合いバスで来て、フェリーを使ってクタパンに渡った外国人が、クタパンから7キロ離れたバニュワギ市内へ行くアンコッに乗ったところ、地元民相場5千ルピアの10倍も払わされたという苦情があったことをバニュワギ県令が物語っている。
旅行業界や土産物業界、交通機関やホテル飲食店あるいはツアーガイドなど、関連産業団体が一斉に標準価格を決めることに合意した。タクシーは必ずメーターを使うこと、そして特定の土産物店やレストランあるいはホテルに連れて行ったなら、料金を廉くして当然だ、と県令は強調した。それらの店は客を連れてきてくれたタクシーにキックバックを与えており、店によってキックバックの幅が違うことが不健全な競争を生んでいた。中には50%ものキックバックを与える店があったことから、キックバックの標準は10〜20%に制限することが定められた。また県内観光地へのパッケージツアー編成も行なわれており、バニュワギへの観光旅行は愉しいものになりそう。イジェン火山への日帰りツアーは、運転手とガソリン代込みの四輪駆動車で45万ルピアが標準料金になる見込み。但し、入山料は含まれていない。


「ビンタン島の開発が進む」(2014年7月7日)
シンガポールから高速艇で45分の距離にあるリアウ島嶼州ビンタン(Bintan)島が海外からの開発投資の渦中にある。現在それを強く感じさせているプロジェクトは、マレーシアのデベロッパー「ランドマークス ブルハッド」がラゴイ海岸地区で行なっているトレジャーベイの開発工事。それを含めて、外国からの投資は観光・レジャー・土地開発がメインを占めている。他にも、中国からの大型プロジェクトがあり、山東南山アルミニウム製造会社が三年間に50億ドルを投じて、アルミニウム精錬工場をビンタン島に建設中。
2012年のデータになるが、ビンタン島への外国投資は金属・機械・家電セクターが12件総額7千4百万ドル、木材セクター1件総額1千4百万ドル、食品セクター3件総額1千万ドルなど合計68件総額9.03億ドルとなっている。
ビンタン島は2016年にブスン(Busung)空港がオープンする予定になっており、また政府の青写真では2017年に年間100万人の観光客を迎えるロードマップが描かれているため、ホテル客室が5千室必要だと言われている。
ラゴイ海岸のトレジャーベイのような開発はビンタン海岸やトリコラ海岸でも行なわれており、特にラゴイ海岸の開発はヨーロッパ・シンガポール・マレーシア・サウジアラビアの資本が7割を占めている由。その結果ラゴイ海岸は地価が暴騰気味になっており、インドネシア資本は比較的モデラートなトリコラ海岸に集まる傾向にあるとのこと。


「中国人をバリに運ぶスリウィジャヤ航空」(2014年7月18日)
国内路線の激しい競争で採算の取れないルートをばっさりと運航取りやめにしたスリウィジャヤ航空は、国際線の中でも中国の地方都市とバリを結ぶルートにシフトした。2014年1月22日にデンパサルと杭州、寧波、成都を結ぶ航路をスタートさせたが、搭乗率は95%に達しており、いまや同社の大黒柱のひとつになりつつある。同社代表取締役によれば、中国路線は営業売上の15%を占めるに至っているとのこと。
次いで同社は2014年7月11日から重慶と長沙を中国路線ネットワークに加え、更に8月には廈門と鄭州がデンパサルとつながる予定。
同社はこれまで国内線で強い相手と競いながら事業から撤退することなく耐えてきたが、国際航路へのシフトで一躍文字通りのドル箱を手に入れたようだ。
インドネシアの航空会社の常で、国内線の運航だけに頼っていると、多額の米ドル建て債務や国際相場に連れて変動する航空機燃料購入などの要因から、昨今のルピア安で会社経営は青息吐息にならざるを得ない。米ドルが必要なのだから、国外に米ドルを稼ぎに行こう、という発想が図星を射たことになる。今現在スリウィジャヤ航空は、借金なし、他からの資本参加もなし、の健全経営になっている、と代表取締役は述べている。


「ブロモ山を空中見物」(2014年7月25日)
客席およそ70前後のターボプロップ機ATR72−600を使ったガルーダ航空国内近距離路線網がますます広がりを示している。2014年7月16日から、ガルーダは東ジャワ州山間の都市ジュンブル(Jember)とスラバヤを結ぶ航路を新たに開設した。一日一往復便が毎日飛び、スラバヤ発午前9時ジュンブル着午前9時35分、戻りはジュンブル発10時5分でスラバヤ着10時35分という運航スケジュールになっている。自動車で陸路を行くと5〜6時間かかるものが、空路ではわずか35分で到着する。またこの路線はブロモ(Bromo)山上空を低空で乗り越えるので、ブロモ山やスムル(Semeru)山の空からの眺望を楽しめるフライトになる。
ガルーダ航空EXPLOREと名付けられたこの国内近距離線航空路網はすでに全国で4ヶ所にハブ空港が設けられ、その近隣地方都市を航空路で結ぶという画期的な企画になっており、政府の経済開発促進拡張マスタープランに沿った地方部の経済開発向上に貢献するものになりつつある。
ハブ空港ごとの航路は次の通り。
スラバヤ ⇒ ジュンブル
スラバヤ ⇒ バニュワギ ⇒ バリ
バリ ⇒ ラブアンバジョ ⇒ エンデ ⇒ クパン
バリ ⇒ ラブアンバジョ ⇒ タンボラカ
バリ ⇒ タンボラカ ⇒ クパン
バリ ⇒ ロンボッ ⇒ ビマ
マカッサル ⇒ ビマ ⇒ ロンボッ
マカッサル ⇒ マムジュ
マカッサル ⇒ コラカ
マカッサル ⇒ バウバウ
マカッサル ⇒ ルウッ
バリッパパン ⇒ タラカン
バリッパパン ⇒ パランカラヤ ⇒ ポンティアナッ ⇒ プトゥシバウ


「新たに映画館チェーンが誕生」(2014年7月31日)
リッポグループが映画館チェーン業界に参入する。グループ子会社PT Cinemaxx Global Pasifik が2014年7月17日、ジャカルタでこの新ビジネスについて記者発表を行った。それによれば、10年間に6兆ルピアを投じて全国85都市に3百軒の映画館を持ち、スクリーン総数2千を確保するというのが事業計画の骨子。
インドネシアは現在の映画館スクリーン数が9百しかなく、映画館普及率は低い国になっている。シネマックスが計画通りに事業展開すれば、全国のスクリーン数は一挙に現在の三倍となる。


「優しい許容的社会」(2014年7月31日)
2014年5月17日付けコンパス紙への投書"Anak Takut Menonton Film Dewasa di Bioskop XXI"から
拝啓、編集部殿。2014年5月4日、わたしが南タングランのビンタロエクスチェンジXXIでキャプテンアメリカ:ウインターソルジャーの映画を見ているとき、ひとりの子供が泣きながらこう言っているのが聞こえました。「パパ、怖いよ。帰ろうよ。」
その子が怖がったのも無理はありません。成人向けに指定されているその映画は暴力シーンに満ちていたのですから。映画検閲機関がその映画を成人向けに指定して当然だったとわたしは思います。シネマXXI/21で子供や未成年が成人向け指定映画を鑑賞している姿をわたしは頻?に目にします。子供を連れて入る親を映画館側がどうしてそのまま通しているのか、不思議の限りです。
わたしが訪れたことのある外国では、映画館側はとても厳しい対応を採っていました。義務を果たすという消極的な理由でなく、映画館は評判を高めようとしているのです。シネマXXI/21はそこのポイントを重視していないようですね。「映画のカテゴリーに応じてご鑑賞ください」という一片の貼紙だけで済ませているようです。
映画検閲機関は映画を適切なカテゴリーに区分するという責務を果たしています。未成年の子供がひとりで映画を見にくる場合、親がそれを監視するわけにはいきません。商業利益を得ている映画館が、それに関する責任を持つべきです。[ 南ジャカルタ市在住、イルフィン・フタガルン ]


「ジャカルタ観光の目玉はこれ!」(2014年8月5日)
まる一週間続いたルバラン休暇に、首都圏の観光行楽地は連日大賑わい。中でも、都内のいくつかの観光スポットを往復する無料二階建てバスが大いに人気を博した。乗客用シート60席のこの観光バスは毎日午前9時から19時まで、決まったルートを一日10ラウンドする。このバスに乗るためには整理券が必要で、途中のバス停から乗ろうとする場合はやってきたバスから整理券をもらい、その券で次のバスに乗ることができるというシステム。このバスは立ち乗りが認められておらず、空席がなければ次のバスを待たなければならない。
この二階建て観光バスの運行ルートは次の通り。数字はバス停。
1)ホテルインドネシア前ロータリー
  タムリン通り〜西ムルデカ広場通り
2)国立博物館
  マジャパヒッ通り〜ハルモニ交差点〜国家官房省
3)ANZ銀行(プチェノガン)
  パサルバル
4)ジャカルタアートシアター
  バンテン広場
5)イスティクラルモスク
  ジュアンダ通り〜ヴェテラン?通り〜北ムルデカ広場通り
6)国家宮殿(西ムルデカ広場通り)
  インドサットビル〜南ムルデカ広場通り
7)都庁
  タムリン通り
8)サリナデパート
9)ホテルインドネシア前ロータリー
休暇中は毎日大勢の希望者がバス停で長蛇の列をなした。運行管理者によれば、乗客数はふだんの三倍になったとのこと。希望者のひとりは、二台目のバスでやっと整理券をもらったが、その間1時間半が経過しており、次にやってくるバスに空席があるかないかわからないため、まだまだ待たされる可能性がある、と悲観的な意見を語っていた。
別の希望者は、昔都内で二階建てバスが都バスとして使われていた時代を覚えており、当時のバスはエアコンがなく乗客がいつもぎゅうぎゅう詰めになっていたが、それに比べたらこのバスは天国のようだ、と大賞賛を与えていた。
1980年代に国有バス会社PPDが都内で走らせていた二階建てバスはイギリス製のレイランドアトランティーンとボルボのオリンピアンで、レイランドのほうは熱帯の暑さに耐えかねたのか、しばしばエンジンルームから発火して車体が炎上していたことをわたしも記憶している。


「ボロブドゥルに木の階段」(2014年8月27日)
1千2百年近い歴史を持つチャンディボロブドゥル。毎日6千から数万人が訪れるこの石造りの遺跡に人類が負担を与えていることは疑いがない。中でも遺跡の四方に設けられている階段は、大勢の人間の体重と履物からの影響が避けられない。東側512段、西側528段、北側456段、南側537段、総数2,033段という階段には2ミリから2センチの損耗が発生しているとのこと。2010年に行われた調査によれば、東側階段がもっとも激しく損耗していて74.4%の損耗率、西側は63.4%、南側30.96%、北側27.8%という状況になっている。
チャンディボロブドゥルを管理しているPTチャンディボロブドゥル、プランバナン、ラトゥボコ観光園はその対策として、木の板を使って保護する方針を検討している。素材の候補はチークとカユブシで、2014年末にガジャマダ大学・インドネシア大学・ユネスコなどの考古学者を集めたセミナーを開催して方針を確定させたい意向。
ボロブドゥル保存館は既に遺跡の外の場所で石に種々の素材の保護板をつけて調査を行い、金属は腐食の問題、プラスチックは割れの問題、アスファルトは粘着して石を汚す問題などの短所が明らかになり、木の板がもっとも妥当性が高いことが既に結論付けられている。中国は北京の紫禁城遺跡やカンボジアのアンコールワット遺跡でも木の板を保護素材として使っており、将来的にボロブドゥル遺跡の階段がすべて木の板で覆われる可能性は高いようだ。


「ジャカルタで映画の愉しみ」(2014年8月29日)
昔はどの町にも場末の小さい映画館があり、大きな垂れ幕に魅力的な映画の一シーンが描かれて通行人を誘っていた。描かれている女性はたいてい肌もあらわなセクシーな姿態で、コピーも刺激的なものが多く、どのような客層を狙っているのかということはすぐにわかる。かかっている映画はインド製や東南アジア製のものが多く、ごく稀に日本製映画の垂れ幕も目にしたことがある。
どこへ行ってもあったこのような場末の独立映画館は、映画館チェーンの破竹の進撃で大中都市から駆逐されてしまい、かろうじて生き残ったところは細々と営業を続けているところが少なくない。21という数字を看板に掲げた映画館チェーンはハリウッド映画の独占事業でビジネスを確立させ、映画と言えば21という時代を作り出した。そのために国産映画の発展を阻害する元凶であるとの批判が昔から続いてきた。
しかしいくら独占に近い映画ビジネス界であっても、客が映画館離れを起こしたら対策を講じなければしかたがない。こうして登場したのが、デラックス版映画館のXXIで、ローマ数字を使って21の看板を維持している。
XXIでは、超大型スクリーンimaxを設けたスタジオがあり、映画ファンの人気を集めている。北ジャカルタ市クラパガディンモールにあるXXIでは20x11メートルという大型のimaxスクリーンで3D映画を見ることができる。
普通のスクリーンであれば、映写ブースに近い高い位置の座席から見るのを好むひとが多いのだが、imaxスクリーンでは各座席列の段差が大きめになっており、高いところまで上がるのは一苦労。座席は中段くらいの中央位置を確保することがお勧めだ。座席列間の段差が大きめになっているのは、前の席に座ったひとの頭が視界を狭めることへの対策だ。
もし超大型imaxを楽しみたいのなら、東ジャカルタ市のタマンミニへ行くとよい。タマンミニ内にカタツムリのような形をしたケオンマス(Keong Emas)と呼ばれる建物があり、そこで30x20メートルという度外れの巨大スクリーンを楽しむことができる。残念なことに、そこで上映されているのはインドネシアの自然や文化を紹介するドキュメンタリー映画なので、素材が限定されているという点を割り引かなければならないかもしれない。
映画館で寝っ転がって映画を見たいひとは、クラパガディンのモールオブインドネシアへどうぞ。こちらにあるのはもうひとつの映画館チェーン、ブリッツメガプレックス。ベルベットスタジオでは、ベッドにクッションというのが客席になっており、自由に寝転がって映画鑑賞ができる。毛布がほしければ、持ってきてもらえる。ベルベットスタジオは客席が20から40しかなく、ベッドからスクリーンに向かってテラス風に余裕があり、前にいる客が視界を遮らないように工夫されている。ベルベットスタジオは待合室付きで、そこではコーヒー紅茶が無料サービスされる。ベッドで飲食しながら映画鑑賞したいひとは、待合室でオーダーすると、ベッドまで持ってきてくれる。映画鑑賞中に追加をオーダーしたければ、ベッドの脇のボタンを押せば係員がやってくる。
ベルベットスタジオより廉く、しかし寝転がって映画を見たいひとには、サテンスタジオ。ことらはベッドでなくソファーになっており、快適さは少々ダウンする。他にも、4Dエクスペリエンススタジオが用意され、臨場感満点の映画鑑賞も可能だ。


「ロサンゼルスでインドネシア映画フェスティバル」(2014年9月1日)
2014年9月3〜4日にロサンゼルスでインドネシアフィルムフェスティバルが開催される。これはアメリカではじめて行われるこころみで、インドネシアの映画作品を通してインドネシアのクリエーティブ産業を紹介し、さらにはインドネシアをアメリカに売り込もうということが目的となっている。フェスティバル実行委員会は多数の映画作品の中から、クオリティとインドネシア文化紹介といった面で優れていると見られる長編映画を5本選択し、フェスティバルの中で上映する予定。その他にも短編のドキュメンタリーやフィクションあるいはアニメなども何本か上映されることになっている。選ばれた5本の映画とは下の通り。
Sang Penari
Sokola Rimba
Lovely Man
9 Summers 10 Autumns
Soegija
フェスティバルプログラムとしては、映画上映のほかに質疑応答セッションや討論会なども計画されている。
マリー・エルカ・パゲストゥ観光クリエーティブ経済相は、既にインドネシアを舞台にしたEat Play Love, Java Heat, The Philosophers のようなハリウッド映画が制作されているが、このフェスティバルを機に、さらにたくさんの映画人がインドネシアに目を向けるようになることを期待しているとコメントした。それらのドラマ映画以外にも、ハリウッドからインドネシアへ撮影ロケーションを求めたひとびとは少なくなく、それらインドネシア経験者はこのフェスティバルに招かれて体験談を披露することになっている。
駐インドネシア米国大使は、アメリカ映画のHappy Feet やDespicable Me の制作にインドネシア人が関わっていることを知っているひとは米国市民の中にほとんどいないので、そのような実情をひとりでも多くのアメリカ人に知ってもらうのは有意義なことだ、と語っている。


「ホテル建設の津波に呑まれるヨグヤカルタ」(2014年9月5日)
ヨグヤカルタ市内で常に観光スポットのトップに上がるマリオボロ通りがホテルの海に呑まれそうだ。マリオボロ通りはグドントゥグン(Gedongtegen)郡とダヌルジャン(Danurejan)郡にはさまれており、グドントゥグン町には既に星級が9軒、非星級(いわゆるムラティ級やロスメン)が126軒で合計135軒ものホテルがあり、一方のダヌルジャン町には星級ホテルが3軒、非星級が19軒で、22軒が集まっている。そこにきて、昨今ヨグヤカルタ王宮内にまで話題にのぼっている厖大な数の新規ホテル建設の波が押寄せている。
2013年中央統計庁ヨグヤカルタ支所のデータによれば、ヨグヤカルタ市内にあるホテル数は401軒で、星級ホテル39軒、非星級362軒という内訳。そして市内14郡の中でホテルが一番集中しているのがグドントゥグン郡なのである。ここ数年間にヨグヤカルタ市庁に出されたホテル建設許可願いは104件あって、2014年8月までにそのうちの71件が公式に許可を得た。新規許可を得た18件はグドントゥグン、2件はダヌルジャンに位置している。
ホテルレストラン会ヨグヤ支部長はそれに関連して、グドントゥグンとダヌルジャンの二郡はマリオボロ通り、王宮、アルナルン(Alun-alun)などヨグヤカルタ市内の観光スポットに近いという地の利があるため、ホテルを経営しようと考える者はその二郡を選択するのも当然のことだ、と言う。「その二郡のホテルは普段からも、客室稼動がヨグヤ市内の他の地区よりも高い。業界者がリング1と呼んでいるように、その地区は観光業にとってきわめて有利な位置にある。長期休暇シーズンになると、満室の日が続くことも稀ではない。しかし、客室数が過剰になると、いろいろ経営的にネガティブな影響が発生する。集客競争が激化すれば、自ずと値引き競争に向かい、経営を悪化させるのは疑いがない。それより何より、もっと懸念されることは、十分な駐車スペースを持たないホテルが林立すると近隣の道路脇が駐車場と化し、一円の交通渋滞を激化させ、観光スポットへの交通の便から観光スポットを楽しみたい観光客に対する周辺環境の快適さを低落させてしまう点にある。市庁はホテル建設許可を受身で対応するのでなく、特にマリオボロ通りを中心にするヨグヤカルタ市内中心部でのホテル建設許可願いの審査をもっと厳しくするとともに、地域環境まで考慮して方針を確定させ、それを執行するようにしてもらいたい。」
ヨグヤカルタ特別州知事は先に、ホテル建設許可申請が続々と提出されて市内に百軒を超えるホテルが将来できるということが話題になったおり、市行政は市内中心部への集中を避けて周辺部にそれらを分散させるようコメントを出しているが、許認可行政で金まで取りながら希望する場所で営業させてくれないという民間経済界の苦情を抑えるためのリーダーシップが発揮できる行政官が稀なのは、ヨグヤカルタに限ったことでもないようだ。


「アニエルのぼったくり食堂」(2014年9月15日)
プンチャッに続く都民の行楽先、バンテン州セラン県アニエル海岸にぼったくり食堂が出現した。2014年3月にアニエルの観光地カランボロン(Karang Bolong)に友人たち三人と訪れたブカシ在住の22歳男性は、昼食を摂るために近くの食堂に入った。注文したのはイカのオイスターソース煮一皿、グラメ焼き魚一匹、四人前の白飯、クラパムダ4杯、ララップ野菜一皿。もちろん注文したときにメニューなどは見ていない。食べ終わってボン請求書を見たとき、かれは消化不良を起こしそうになった。イカ一皿20万ルピア、グラメ18万ルピア、白飯4万ルピア・・・・ボトムラインには51万5千ルピアと書かれていた。
かれは店の主人に声をかけた。「これ、間違いじゃないの?」「いや、間違いはありません。うちの値段はそれなんだから。」
かれの不満顔など見透かしたかのように、店主は冷たい表情。喧嘩してもしょうがないと思ったかれは、仕方なく大枚をはたいた。「せっかく遠出して楽しみに来たのに、その事件で気分はぶち壊しになった。カランボロンへ行くひとは、よくよく用心するように・・・・」
かれは普段からこの種の食堂で食事しており、注文するときにいちいち値段を確認しない。だいたいある相場の中で納まっており、どこで食べてもそれほど大差ないのが普通だ。プンチャッへ行ったときでも、道路脇の食堂に入るが、こんなぼったくりには遭ったことがない。かれはもちろんその実体験をインターネットのソーシャルメディアにアップした。
フェイスブックからは、別の書き込みも得られた。ある女性がアニエルで類似の体験をし、それを世間に訴えようと書き込みをした。その書き込みには11,500回のアクセスがあり、7千4百人が「好き」をクリックした。2014年9月はじめ、かの女はアニエルの食堂に入り、100万ルピアを支払ってそこを出たのである。請求書に書かれてある数字を見たかの女は目を丸くした。焼き魚二皿40万ルピア、イカのオイスターソース煮一皿18万ルピア、炒めカンクン三皿20万ルピア、小ひつに入った白飯9万ルピア・・・・
ホテルレストラン協会セラン県支部長はこの事件について、苦情されているレストランは協会会員でないが、協会としてセラン県観光局に善処を求めるよう申し入れる所存だ、と語っている。このぼったくり食堂のおかげでアニエルの行楽地としての評判が傷つき、地元を訪れる行楽客が減少するのは、県行政としても放置できないことであるにちがいない。


「仁川空港トランジット客無料ツアー」(2014年9月18日)
韓国ソウルのインチョン(仁川)国際空港でトランジット客は無料ツアーが楽しめる。5時間以上時間があれば、ソウル市内まで連れていってもらえるようだから、韓国経由のフライトを利用するのも悪くなさそう。詳細条件は次の通り。
トランジット時間1時間:Nearby Airport, Yonggungsa Temple
トランジット時間2〜3時間:Incheon Temple Tour, Incheon Culture Tour, Incheon City Tour
トランジット時間5時間:Seoul City Tour, Seoul Culture Tour, Seoul Shopping Tour
無料ツアーお申込みは次の手順で。
1.仁川空港まで来たフライトの搭乗券、仁川空港から乗るフライトの搭乗券、パスポートを用意する。
2.2階のトランジットツアーデスクへ申し込み。
3.イミグレーションと税関のチェックを受ける。
4.1階のトランジットツアーメインデスクへ行く。
5.無料トランジットツアーに出発。


「モナス公園の一般開放規定」(2014年9月26日)
首都ジャカルタの中心部にそびえ立つ独立記念塔、通称モナス、は独立インドネシア共和国のシンボルだ。モナスを擁する周辺一帯は公園になっており、今はモナス公園と呼ばれている。かつて、国家儀式が行われる時を除いてそこは単なる空地でしかなく、今のようなフェンスに取り囲まれておらず、だれもが容易にそこに入ることができ、東西南北のムルデカ通りを通行する際の近道として一般に利用され、夜になるとそこに浮浪者や売春婦、そして犯罪者たちが集まって夜中にそこへやってくるカモを狙うという、一国の首都の中心部にあるまじき状態になっていた。
今や環境は大きく改善されたものの、人間が集まってくる場所には物売りも集まってくるのがインドネシアの常識であり、それを野放しにすれば首都の顔たるモナス公園の快適さが失われるし、また公園内が駐車場に使われても、公園としてのクオリティは激減する。
インドネシア人の社会生活ロジックは利己主義優先であり、その点は中国文化と似通っている。だから物売りたちも、禁止されていることを知りながら公園内に入って路上に商品を広げることをし、自動車運転者もそこへ停めるのが便利であり、且つ私製駐車番が出現してここへ停めろと指図するから、心おきなく公園内に駐車するようになる。その結果、公園管理者はいかなるテクニックでそういう横着者たちの侵入を防ぎ、横着者たちはいかなるトリックで管理者の目をごまかすかという知恵比べが巻き起こるのである。住民のほとんどが公共の決まりを守ることを幼少期から教え込まれ、当然としてそれを実行している社会との大きなちがいがそこにある。
都庁モナス地域管理ユニットは、モナス公園が国の顔としての公園の体裁と機能を維持できるよう、公園管理運営規定の再編成を行った。自動車の出入りを極力抑制するために、公道から入りやすいゲートは閉鎖されることになる。これは物売りが手ぶらで公園内に一般市民の風を装って入り、別の人間が車に商品を積んで公園内で落ち合い、物売りが公園内に商品を広げるという行為を抑えこむことが目的である由。それができなくなれば、物売りは公園の外にいる仲間からフェンス越しに商品を受け渡すというトリックを使うようになるのも目に見えているのだが、機動力がそがれているため警備員にとっては捕まえやすい対象になる。
そういう事情で、インドサットビルに面したゲートは終日閉鎖されることになった。モナス管理事務所を訪れたい客はプルタミナビルに面したゲートで下車し、車は南ムルデカ通り側のIRTI駐車場に向かうことになる。本人が運転している場合はIRTI駐車場で車を停め、そことモナスの塔を結んで運行している園内観覧車に乗ってくればよい。またガンビル駅方面のゲートは、市民向けに開放されている朝の体操の時間帯だけ開かれる。
次に、モナス公園の一般開放時間は、火曜日から日曜日までは午前4時から夜20時までと定められ、月曜日だけは朝の体操のために午前4時から午前10時までオープンする。月曜日はそれ以後閉鎖され、園内の清掃が主として実施されることになる。土日の人出が激しくてゴミが増加するため、月曜日の閉鎖は避けることができない。
またモナスの塔は博物館と展望台があって観光施設となっているが、この開館時間もモナス公園の開放時間に沿ったものにしなければならないため、毎週月曜日は休館日となる。火曜日から日曜日までの開館時間は午前8時から夕方16時までとなっている。


「豪華客船クルーズ好きのインドネシア人」(2014年10月3日)
豪華客船に乗ってのんびりと観光地をめぐるのは金持ちの特権であり、発展途上国の人間にそんな余裕はない、と考えるのは偏見だろう。インドネシアにも大金持ちは少なくない。
他人にかしずかれて王侯貴族の待遇を楽しみたいのがインドネシア人の生き方であり、かれらはそのためにせっせと金を稼いでいるわけだ。そういう人生観を持つひとびとは、大枚払って旅行に行く。同じ距離を同じ時間飛ぶだけだから、LCCで廉く上げるのが経済合理性だと考えるのは真のインドネシア式発想ではない。二倍の料金を払ってでもフルサービスフライトに乗りたいひとがあとを絶たないのがインドネシア人気質なのである。インドネシア人がみんなバリ島に憧れるのも、ヒンドゥ文化というエキゾチシズムを愉しめる国内唯一の土地という要素だけでなく、観光客へのサービスが国際スタンダードのレベルに達している国内唯一の観光地がバリなのであり、異常に高い物価もものかわ、外国人もが満足している接客レベルを自分たちも愉しめるという要因がインドネシア人のバリ島詣でを煽っているようにわたしには見える。
豪華客船クルーズを催行しているプレスティッジクルーズホールディングス社がインドネシア市場の攻略を開始した。同社のアジア地区国際セールス担当取締役はその背景について、「インドネシアは成長市場であり豪華客船顧客は増加の一途をたどっている。特にユニークでプライベートでプレスティジアスなツアーへの指向が強い。インドネシアは豪華客船クルーズビジネスの大きいポテンシャリティを擁しており、弊社は今年インドネシア人顧客の二割増しを実現させたいと考えている。」と表明した。同社がインドネシアで売りの目玉にしているのはオセアニアクルーズとリージェンドセブンシーズクルーズのふたつ。オセアニアクルーズでは収容客数684人から1,250人までの客船5隻、リージェンドセブンシーズクルーズは収容客数490人から700人までの客船3隻が運航している。
オセアニアクルーズは料金がひとり一日250〜350米ドル、ハイレベルのリージェンドセブンシーズクルーズはひとり一日650米ドル前後になる。インドネシア人顧客の中にはスイートルームを使うひともあるそうだ。この場合はツアー単位のパッケージ料金でひとり3万米ドルかかる。
同社のクルーズを利用したインドネシア人は黒海・地中海・ヨーロッパ周遊やアラスカ周遊ツアーが多かったが、マジョリティは7〜9日間というショートツアーだ。その一方で、180日間の世界一周ツアーに興味を惹かれるインドネシア人顧客も出てきている。同社はこれまでインドネシアに受注の窓口を持っていなかったために、インドネシア人顧客はオーストラリアやシンガポールのエージェントを窓口に使っていた。そうなると、インドネシア人顧客の総数が明確につかみきれていないことが、マーケティングでの弱みになってしまう。それが今回ジャカルタに窓口を開くことを決めた原因である、と同取締役は内情を明らかにしている。
アジアの客船クルーズ市場は成長著しく、今年は昨年から3〜4割増しになることが業界内で期待されている。クルーズ顧客はたいてい、小型客船での短期クルーズを皮切りにし、リピートはより大型の船でツアー内容も多様化させていく傾向にある。アジアのクルーズ業界はインドネシアの港をまだ定期寄港地にとりあげていない。観光クルーズ客船の寄港を受け入れる態勢がまだ整っていないのが原因だ。しかし、バリ島をメインにして観光客船のインドネシア諸港への寄港申請は年々増加の一途をたどっている。


「インドネシア観光産業への障害」(2014年10月17日)
インドネシアのツーリズムは今や大うけの時期に入っているが、持っている資源を見る限り、もっと大きなポテンシャリティがあるにも関わらず、それが最大限の効果を生んでいないと多くの関係者が見ている。観光客を招き寄せるためのプロモーション活動は熱が入っており、中でも中国に向けられた熱烈歓迎の声は強さを増している。現在インドネシアにとって観光客の国別トップ諸国はシンガポール、マレーシア、オーストラリアそして中国で、2013年に中国人観光客は75万人がインドネシアを訪れたが、この2014年は100万人をターゲットにして観光客誘致をはかろうと、政府と業界をあげての一層の熱の入れようだ。
中国人観光客は50%がバリ島にやってきて、またバリ島から帰国しており、他の35%はジャカルタを目的地にしている。インドネシアの他の観光地に足を向ける中国人はあまり多くない。複数の目的地をパッケージにして誘致すれば、滞在日数の増加による観光収入増とリピーターの増加が期待できることから、中国でのインドネシア観光プロモはそういう形に変身しはじめており、ヨグヤカルタ・ロンボッ・ラブアンバジョ(コモド)などをバリやジャカルタに抱き合わせての観光プロモーションが中国で活発になっている。
しかし、観光産業を国家経済の柱のひとつに据えようと考えているインドネシア政府の方針の中にそれを妨げている要素があることを、副大統領をまじえたセクター間観光調整チームが会議の場で強調した。保健衛生に関するレベルが劣っていることが大きな障害になっている。観光クリエーティブ産業相はそれについて、インドネシアの公衆トイレの標準クオリティが不在であることを多くの観光客が苦情していると表明した。インドネシアの国民生活自体が低レベルの保健衛生インフラ下に営まれている実態を世界経済フォーラムがリサーチの中で指摘している。これは国民の保健衛生観念と裏表の関係にあるものであり、国民の保健衛生理解とその実践が後進的であるかぎり、一般国民は自分の家のトイレの汚さや汚物処理あるいはゴミの取扱いが当たり前と感じるに違いなく、国民全体のレベルを高めていかなければその面の改善は覚束ないだろう。そういうレベルを常識にしている人間が公共施設のトイレを清掃しているかぎり、いくら豪壮な建物を作ってもトイレ運営はなかなか国際スタンダードに達しないにちがいない。
衛生インフラへの国民アクセス率はインドネシアで71%であり、東南アジアでは最低だ。カンボジアすら82%あり、先を超されている。住環境の中に衛生インフラがゼロというひとびとは、排泄を好きな場所で行なっている。川や池など水のある場所はまだ良いほうで、敷地内の藪影や、家の外の目につかないさまざまな場所、あるいは海岸の砂浜など、獣と似たような排泄物処理がかれらの実態なのである。だからと言って、インフラがある住民たちはどうかと言うと、汚物処理が社会の中でうまく回転していないために、往々にして汚物は川や海あるいは居住地から隔絶された自然の中に捨てられることが多く、結局は同じように環境汚染に至っているのが実情になっている。一方、上水道に至ってはわずか32%しかなく、WHOが進めている手洗い運動がインドネシアで徹底しない原因のひとつになっている。不衛生な生活による下痢のために死亡するインドネシアの子供は一年間に10万人を超えている。
かつては2002年に起こったバリ爆弾テロ事件のような大きい保安上の問題から強盗や盗難などの治安上の問題に至るまで、保安治安問題が観光産業振興の障害と見られていた時期があるが、インドネシアの安全性ということがらについては外国人観光客があまり不安を感じない状況になっていると観光クリエーティブ産業相はコメントしている。観光客保護を主務とする観光警察部門が観光目的地を所轄する警察署の中に設けられていることがその成果をあげている、と大臣は評価している。


「ロンボッ観光を壊す狼たち」(2014年10月23日)
ロンボッ新国際空港がオープンして以来、西ヌサトゥンガラ州のロンボック島〜スンバワ島観光業界は着実な進展を見せている。しかし急激な変化は往々にして流水を濁水に化し、濁水の中で漁をする人間を生み出すものだ。今、ロンボック島内の土産物店は観光客を連れてくる自動車運転手や観光ガイドたちの中にいる狼たちとの熾烈な闘争に直面している。
2014年10月の第二週に東ロンボッ県と中部ロンボッ県および西ロンボッ県の地元民芸品や物産を販売している観光客向け土産物店を訪れた記者は、どこでも似たような話を耳にした。観光客を連れて店に来た地元の運転手や観光ガイドの中に、店側に法外なコミッションを要求する者がいるという話だ。ジャワでもバリでも、売上の一部を謝礼として店側がかれらに渡すことは習慣化しているが、地元土産物店業界の相場に従って渡される金額を黙って受け取っているのが一般的だというのに、強硬に店側に高い金額を要求する狼たちがその中に混じっていることが、今ロンボッで問題視されている。
中には、「観光客に売った金額の半分を寄こせ」という者もある。店側が「儲けがなくなる」と言うと、「高く売ればいいのだ」と応じる。マーケット相場が60万ルピアのソンケッ織物を120万ルピアで売れと店に命じ、その50%から35%の間の金額を店に出させる。観光客を店に連れてきた運転手やガイドで、「コミッションは50%だぞ」と最初に宣言する者もいる。必然的に観光客に対する売値は高いものになっていく。観光客に値切られ、運転手やガイドにたかられて、店側は板ばさみになってしまう。そういう内情を知らない観光客から、店と運転手やガイドがつるんで行なっていることだと見られることが頻繁だが、われわれは被害者なのだ、とある店の責任者は述べている。
しかしそれも力関係の中にあることがらだ。ビジネスのネットワークとパートナーを持っている店は、たとえかれらが「もうこの店には客を連れてこないぞ」と威しても、涼しい顔で受け流して相場である10〜20%の金額しか渡さない。
西ヌサトゥンガラ州商工局長も業界団体である旅行代理店協会西ヌサトゥンガラ支部長も、この問題を解決するために関係者を集めて近々協議する計画であることを表明している。かれらによれば、そういう法外なコミッション要求というのは昔から行なわれており、それが観光客の増加によって大きな問題として浮上してきたということのようだ。狼たちが秩序に飼いならされる日はいつ到来するだろうか?


「バケーションクラブってそんなもの?」(2014年11月6日)
2014年8月23日付けコンパス紙への投書"Anggota Dipersulit"から
拝啓、編集部殿。メンバーを募集するためにアッコーバケーションクラブは、バリ島ヌサドゥアのノヴォテルに廉価に二泊できるオファーをつけて、あちこちのモールでプロモーションしています。バリでのプレゼンに参加することがその条件にされています。
2010年3月、わたしども一家はその条件を満たしました。バリに到着すると空港に迎えが来て、部屋はアップグレードでき、朝食はコンプリートブレックファーストです。プレゼンテーションでは、よく訓練されたマーケティングスタッフがメンバーになるように誘導し、バリ島ヌサドゥアのホームクラブやインドネシアあるいはオーストラリアの各地のホテルに宿泊できるポイントが与えられるのです。そのポイントはアッコーホテルのアジアパシフィックネットワークにも使うことができ、使わなくてもインターバルインターナショナルで保管できるのです。巧みな誘惑に呑まれて、わたしはメンバーに加入することを決め、9,890米ドルとホームクラブの年会費252米ドルを支払って番号8455376の会員になりました。
それから四年経って、わたしはポイントを使おうと考えました。ところが、バケーションを簡単に楽しめるというわたしの想像と現実は、大きくかけ離れていることが判明しました。部屋を予約するだけ、いや電話するだけでもたいへんな努力と忍耐を強いられます。やっとのことで電話がつながったと思ったら、その返事は「ご希望の日付は満室です」だけ。予約はいついつまでに、という規定を守っているにもかかわらず。[ タングラン在住、グナワン ]

2014年10月4日付けコンパス紙への投書"Anggota Accor Vacation Club"から
拝啓、編集部殿。アッコーバケーションクラブ会員番号8456572のわたしは、部屋を予約しようとするたびに、受付をしないような扱いを故意にされている印象を受けています。アッコー側の反応が異様に遅いのです。おまけに、アッコーホテルグループの利用にポイントを使うAHPPポイントプログラムで予約した場合、ほとんど部屋をもらえたことがありません。
アッコーバケーションクラブは毎年北ジャカルタ市アンチョル地区のホテルで会員を招いて例会を行なっており、わたしは過去二年間に二度その会議に出席しました。しかしそれに出席しても、わたしへのメリットはゼロです。部屋を予約しようとすると、毎回同じ目に会わされるのです。
例会に出席したほぼすべての会員が提起する苦情はその会議の中で議論されて書き留められますが、フォローアップも解決もありません。アッコー側からその会議に出てくるのは、決定権を持つマネージャークラスのひとでなく、苦情を聞いて書き留めるだけでフォローアップもしないただの一スタッフに過ぎないのですから。
アッコー側は単に新会員をリクルートすることだけを優先し、優れたサービスを顧客に提供する気を持っていない印象を感じます。[ 西ジャカルタ市在住、アグス・トレスナント ]


「ホテルのトイレは公衆便所ではない!?」(2014年12月2日)
2014年9月6日付けコンパス紙への投書"Petugas Hotel yang Tak Manusiawi"から
拝啓、編集部殿。わたしの妻は今妊娠中で、よくモーニングシックネス症状を呈します。そのため頻繁に、適切なトイレが必要となるのです。
最近、ジャカルタのガジャマダ通りを通行中、わたしどもはホテルASに立ち寄りました。そしてロビー入口ドアを開いた従業員の言葉に驚かされました。「失礼ですが、奥さん、どちらへ・・・?」
妻は反射的に答えました。「ちょっとトイレをお借りしたくて・・・」
その従業員の言葉はわたしどもにショックをもたらすに十分なものでした。「トイレへ行くだけのご用事なら、入らないでください。」
トイレはロビーに近い場所にあります。口論するのが面倒だったから、妻はすぐに車に戻ってきました。そのときのモーニングシックネスはけっこう激しいものでした。ホテルAS経営者の方針に、わたしどもは失望しました。
その方針はまともでなく、人間味に欠けている印象を受けました。そのホテルは利益しか念頭になく、ヒューマニズムを持っていないように感じられます。この投書が公共へのサービスを事業としている会社への一提案となれば幸甚です。[ タングラン市チルドウッ在住、フェブリアント・ウィボウォ ]


「旅行行楽シーズンたけなわ」(2014年12月29日)
2014年のクリスマスと2015年新年の休暇は、今回とてつもなく長い休みになった。普通は1月1日だけが国民の休日で、1月2日からは平常通りの就業日になるのが例年のありさまなのに、今回は2日の金曜日をはさんで3〜4日が土日になったためにその一週間が丸ごと休みに向かう傾向を強めたほか、例によってクリスマスの12月25日と公務員一斉休暇の26日がそのまま週末につながっていくパターンを作っていることで、その週前半を休みにすればまるまる二週間という超大型休暇が生まれる。
案の定、12月20日(土)からジャカルタを脱出する自家用車の群れがチカンペッ自動車専用道を賑わしはじめた。チカンペッ自動車道東端のチカンペッ料金所を通過する自動車台数は平常で1万4〜5千台のところ、12月20日は17,055台、21日は17,615台が通過している。混雑は当然ながら自動車の走行速度を緩慢なものにし、レストエリア近辺や合流分離ポイントなどでは渋滞が発生した。ジャワ島西端のフェリー港ムラッとチレボンを結ぶ州間長距離バスの運転手は、都内環状自動車道スリピインターから全長80キロのチカンペッ自動車道を通り抜けてジャワ島北岸街道に向かうまで普通は一時間半だが、今日は4時間かかった、とため息をついた。
ジャカルタを一斉に脱出して行った自動車の波はその先のジャワ島北岸街道に流れ込んで道路を埋めた。西ジャワ州との州境に近いブルブスやトゥガルの町も交通量が目立って増加し、目抜き通りを数珠繋ぎになって通過して行く。ブルブスの市内を貫通している北岸街道を通過する車両台数は平常期で一日2万2千台だが、この日は2万6千台が数えられた。
ジャカルタ脱出組みの中には、帰省して故郷をベースに旅行や行楽を楽しもうとするひとびとと、最初から泊りがけの旅行を愉しみに行くひとびとが入り混じっている。いずれにせよ観光地のホテルはこのかきいれどきに大忙しの態。国内にはおよそ1万6千軒のホテルがあり、客室数は80万にのぼる。国内観光客の二大人気訪問先はバリ島とヨグヤカルタだ。12月25〜26日のヨグヤカルタホテル業界の予約状況は8割に達し、ホテルの中にはフルブッキングになっているところもある。
ジャワからバリに渡るクタパン〜ギリマヌッフェリー港のジャワ島側はバリに渡ろうとする自家用乗用車や観光バスが長蛇の列を作った。普段は貨物運送長距離トラックが船内を埋めているフェリーも、乗せられるだけ乗用車を乗せようとして車と車の隙間はほんの数センチという状況が出現する。車から出るタイミングを失したら、もう身動きがとれないことになる。12月26日は24時間でクタパンから4千3百台の四輪車と1,670台の二輪車が海を渡った。これは前年同日実績の5%アップだそうだ。おかげでバリ島内の交通量は激増しており、随所で交通渋滞だらけ。
ジャカルタを脱出する都民の比率はどのくらいだろうか?コンパス紙R&Dが2014年12月6〜7日に17歳以上の都民535人に電話インタビューして集めた統計がある。結果はなんと、この超大型休暇をジャカルタで過ごすと答えたひとが過半数を占めた。ジャカルタで過ごすひとは54.8%、ジャカルタを離れるひとは44.9%だ。ジャカルタを離れるひとたちは、旅行計画をいつごろ立てたのか?1〜3ヶ月前が61.7%、6ヶ月ほど前10.2%、一年前7.6%。この質問に対しては不明無回答者が20.5%もいた。ならば行き先はどこだろうか?ジャワ島内79.0%、ジャワ島外9.1%、海外5.4%。
反対に自宅で長い休暇を過ごすひとたちは、その間の行楽先をどのように選択しているだろうか?アンチョルドリームランド40.2%、モール・ショッピングセンター20.6%、ラグナン動物園8.8%、タマンミニ5.9%、都内の公園2.9%。モナスをはじめとする都内随所に増加している公園のたいていは、人出を見込んで食べ物屋台や娯楽の催しなどが予定されており、むしろ遊園地に近い内容であることを忘れてはならない。


「海外観光にもどんどん・・・」(2014年12月29日)
例によって、この年末長期休暇を利用して海外旅行を愉しむ国民も多数にのぼっている。ルバラン休暇・学年末休暇・クリスマス新年休暇の三つが国民の三大旅行(移動)シーズンであり、その時期は国内全域にわたって交通機関も宿泊施設もハイシーズン料金が適用される。国内ばかりか、海外旅行に出かけるインドネシア人も年々増加しており、膨らんできたミドルクラスがその増加の主翼を担っている。この年末もそうだったが、ルピア交換レートが軟化しているのもものかわ、米ドル建ての航空運賃や外国のホテル代に割安になったルピアを惜しげもなくはたき、外国で消費するために外貨を調達する。反対に、かれらが巻き起こす米ドル需要がルピア安を煽っているという指摘も通貨オブザーバーの口から洩れ聞こえている。
旅行代理店パノラマツアーによれば、今年の休暇に同社が海外に送り出す顧客は7千人にのぼり、2013年実績からは10%アップしているとのこと。この年末休暇に海外旅行に出かける顧客のほとんどは数ヶ月前から予約を入れて準備にかかっているため、いざ年末にドル高になったからといって容易に取消す気にはならないのだろう、というのが旅行代理店から見た顧客心理らしい。
今年の顧客7千人の多くも、真冬のヨーロッパを目指すひとが多いそうだ。イギリスやフランスに加えてフィンランドが新たな目的地として人気を集めており、熱帯のひとびとには憧れの真っ白な銀世界を体験するのがエキサイトの目玉にちがいない。銀世界体験はもっと近場の日本や韓国も候補地として肩を並べており、またアジア域内観光先としては香港がそれに続く。同社の海外旅行取扱は年末休暇がピークになるそうで、他のシーズンはまだバリのような国内観光地向けも目立つが、年末にはそれが大きく低下するそうだ。
税関総局はこの年末長期休暇に海外に出かける国民に対し、通貨国外持出し管理規則をリマインドした。2002年10月10日付けインドネシア銀行規則第4/8/PBI/2002号によれば、現金の持出しが自由に行なえるのは1億ルピア未満であり、それ以上の場合は出国時に税関への申告が義務付けられている。その上限ラインはルピア現金のみならず1億ルピア相当のあらゆる外貨も同様であり、更に税関総局長は今回のリマインドで小切手・TC・約束手形・振替専用小切手も対象に含まれると表明した。
特にルピア現金の持出しについては、1億ルピア以上を持ち出す場合はインドネシア銀行の承認書が必要であり、インドネシア銀行は1)現金出納機器の試運転、2)外国での展覧会、3)公共利益原則を踏まえて中央銀行が妥当と判断したその他の理由、の三つのケースにしか承認書を出さないことになっているため、個人用途の持出しは外貨あるいは上記通貨代用証券に限られることになる。
この規則は現金の国外持出しに関するものであるため、対象はインドネシア国民に限定されず、外国人居住者も外国人旅行者にも適用されるし、その現金所有者が誰であるかということも問題にされない。
金額オーバーにせよ無申告にせよ、この規則に違反した場合は持ち出そうとした金額の10%が罰金として没収される。


「バジェットホテルに人気がシフト」(2014年12月29日)
2015年の主流をなすホテル業界のコンセプトはバジェットホテルだと業界オブザーバーがコメントした。観光地への容易なアクセスを求める観光客はますます増加しており、その条件を備えた廉価で簡素なホテルの人気が高まっている。インドネシアでこの種のホテルブランドはおよそ30あり、国際ネットワークの経営下にあるものからローカル資本のものまで混在している。インドネシアでこのトレンドはサンティカホテルが始めたアマリスホテルが嚆矢であり、最近ではアストングループがフェイヴホテルを各地に広げている。その特徴は、料金が手の届きやすいレンジにある一方、3星級のカテゴリーに入っているというのに5星級のサービスレベルに見劣りしないという優れものであるそうだ。最初アマリスホテルがチェーン網を広げはじめたとき、業界者の多くは悲観的な見方を採った。ところが年々それらのバジェットホテルは順調に売上を伸ばしている、とインドネシアトラベル&ツーリズムアワード(ITTA)総裁が記者発表の場でコメントした。
ITTAの記者発表に列席したシンガポールホテル業界オブザーバーも、シンガポールでも一足先の6〜7年前からバジェットホテルの勢いが強まっており、バックパッカーを主体とする観光客からの人気は上昇を続けている、と説明した。シンガポールでは既に百軒を超えるバジェットホテルが営業しており、60〜70のマネージメントの経営下にある。アッコーホテルズのような国際チェーンに属すものもあるが、大半は地元シンガポール資本の経営になり、空港やMRT駅の近く、あるいはチャイナタウンやリトルインディアといった観光地に接して地の利を得ているものがほとんどで、料金は高くても一泊100万ルピア程度であり、ほとんどはそれよりもっと廉いとのこと。料金が廉いから、2星級や星級ホテルを下回るロッジのようなものを想像すると大間違いであり、サービスクオリティの高さには驚かされるそうだ。最初はフットワークの軽いバックパッカーが利用客のメインを占めていたが、最近では外国人ビジネス客も大勢利用するようになっている。このクラスのホテルが急増してきたため、シンガポール政府は新規建設を制限し始めている由。ホテルの予約販売を扱っているネットサイトでも、バジェットホテルの売行きは増加しているとのこと。


「連日行楽に繰り出す居残り都民」(2014年12月30日)
都民の行楽先は海もある。ジャカルタ湾を点々と彩るプラウスリブがそれだ。名前は一千の島々だが実際には108島あるだけで、その中の行楽先トップスリーはパリ島(Pulau Pari)・ティドゥン島(Pulau Tidung)・ハラパン島(Pulau Harapan)。
ところが、行楽スポットにはことかかないものの、本土側から行楽客を運ぶ運送機関が潤沢にあるとは言えず、島に渡りたい人数がどっと増えてもそれを運びきることができないため、運び残されたひとびとは諦めて他の場所へ流れてしまう。2014年のプラウスリブ県訪問観光客数は11月までで170万人しかいない。
船を運航させているのは政府・海運会社・民間個人の三セクターだが、運搬能力に柔軟性がなく、ハイシーズンになると能力をはるかにオーバーする需要が生じ、民間の船は時に定員を大きく超える乗船客を乗せて走ることもある。民間の運送事業用船舶はオジェッとも呼ばれ、定員2百人前後の船が38隻ある。政府運輸省が運航させている船は10隻。県は11隻船を持っているが商業運送用でないため、戦力としてはあまり有効でない。
プラウスリブ県にも飛行場がある。パンジャン島(Pulau Panjang)には1990年に作られた1千3百メートルの滑走路がある。飛行場建設は汚職事件のために2009年に停止したままになっていたが、50席程度の飛行機の発着を可能にするために滑走路をもっと長くしなければならず、そのプロジェクトに興味を持つ民間資本も現われているため、都庁に工事再開のお墨付きをもらうための根回しを開始する段階に差し掛かっている、と県令は説明している。
一方、山のほうはと言えば、だれの指も西ジャワ州プンチャッ峠を指し示すにちがいない。実にその通りで、超大型休暇が始まったばかりの12月22日にはガドッからサファリパーク交差点までの8キロの上り道を車列がふさいだ。プンチャッ街道は車両台数が増加すると、上下対向二車線道路を時間を限って一方通行に変えてしまう。方向が交代する時間まで、逆方向行きの車は停車してじっと待つしかないのだ。プンチャッ街道の交通渋滞はそのまま連日のように繰り返された。毎日、自宅に居残った都民がこの地域に押寄せてくるのだから、無理もない。25日は早朝4時からジャゴラウィ自動車道チアウィ料金所の数キロ手前で車列の尻につくことになった。22日にチアウィ料金所をジャカルタ方面から通過した車両台数は29,459台、25日は32,011台だった。
プンチャッ街道は1月1日までこの状況が持続するとボゴール警察は見ており、年越しの夜を涼しい高原で過ごしたいジャカルタ都民が大挙押しかけて渋滞に拍車がかかることへの対策を今年も実施する計画。毎年行なわれているこの対策とは、12月31日18時からガドッ交差点でプンチャッ街道上り車線が閉鎖され、車はチアウィ〜スカブミ方面に流される。閉鎖が解除されるのは1月1日午前6時。その間、プンチャッへ上りたい車はスカブミからチアンジュルに出てプンチャッ〜バンドン街道に合流し、そちらからプンチャッを目指さなければならない。
大混雑のプンチャッでみんな夜明かしをするわけでは決してない。宿泊施設はいずこも満員御礼だ。417の客室を持つホテルスルニはひと月前から12月後半の予約が連日続々と入ってきて、今や客室は連日フル稼働。ハイシーズンだから平常期の二倍に宿泊料金が引き上げられているにもかかわらず、消費者の需要は激しい。プンチャッ地区にも個人所有のビラは大量にあり、オーナーや関係者が使わないビラは続々と賃貸に応じてくる。しかし早々と誰かが既に借りているケースが多いから、夜になって探し始めても、もう遅いかもしれない。
反対に、そんなあおりを食らっているのが、都内やスラバヤなど都会地のホテルだ。バリやヨグヤあるいはマランといった観光地のホテル業界が軒並み60〜70%の客室稼動をエンジョイするこの時期、ジャカルタやスラバヤのホテル業界は客室稼働率が50〜55%にダウンする。だから都市部高級ホテルは起死回生をはかって12月30日から1月2日ごろまで、新年の企画を添えた大特価販売で居残り都民を誘うところが多い。たとえばジャカルタのグランメリアホテルは催し物の付いた連泊パッケージを三割引で売り出している。放って置けば50%前後まで落ちてしまう客室稼働率を何とか60%台に回復させたいと意欲満々の姿勢だ。


「都内の人気行楽先」(2014年12月30日)
北ジャカルタ市のウオーターフロントにあるアンチョルドリームパークは、昔から都民のお気に入り行楽地だ。この超大型休暇に都内の自宅に残ることを決めたひとびとの40%が休み中にアンチョルへ行くと言っているのがそれを明確に物語っている。総面積552Haの中にテーマパークと遊園地のドゥニアファンタジー、大型プール、アートマーケット、ロープウエーなどの施設が勢ぞろいして、普段でも休日は来場者で賑わっている。特に12月31日夜はカウントダウンと花火、人気バンドのステージが数ヶ所で、そして近年とみに人気を集めている食堂街、といった集客ポイントがたくさん華やかさを添えるから、大混雑は間違いないところだろう。交通の便も、トランスジャカルタバスが入口ゲートまで走るし、コミューター電車も便宜をはかっている。
かつてはアンチョルと人気を二分していたタマンミニは、娯楽路線を追及しなくなって地味ながらソフィスティケートな催しにシフトしたため、子供連れで遊びに行く雰囲気が低下した。今では、学生生徒のインテリジェンス高揚という方向性が堅実な青年や大人層を引きつけている。一般受けの要素が減ったため、集客という点ではアンチョルの敵でなくなったが、依然としてファンは多い。
子供連れ行楽客に関するアンチョルの対抗馬はラグナン動物園だ。147Haという広い敷地が緑で満たされ、あちこちに動物の檻があってその姿を目にすることができ、象に乗ったり獣の赤ちゃんに触れたりというアトラクションも用意され、そして何よりも入場料金がアンチョルとは桁違いに廉いこと。これはつまり、異なる経済階層がアンチョルと動物園というふたつの行楽先に家族連れで流れ込んでいるということなのかもしれない。ここも普段から、休日になると来訪者で混雑している。ラグナン動物園はトランスジャカルタバス第6ルートのターミナルになっており、交通の便もよい。
しかし、そういった行楽スポットよりも、都内居残り組みが休暇中に訪れる行楽スポットとしてアンチョルの次に挙げたのはモール/ショッピングセンターだったのである。そう、インドネシアでモールはショッピングスポットであると同時に家族連れで行楽に訪れるレクレーションスポットでもあるのだ。都内の各モールはクリスマスと新年のセールスシーズンの集客を高めようとして、飾りつけからアトラクションまで用意している。そこにテナントショップが割引きセールを掲げ、日用品が何でもそろうハイパーマーケットがあり、レストランやフードコートそして映画館まで入っていれば、ロワーミドル階層にとっても十分なレクレーションスポット機能を果たしてくれるのである。
集客催事の中には、今や熱帯住民たちも親しめるようになった雪や氷の空間を用意するようなものもあれば、ヒットした映画のキャラクターや風景を再現させたものもある。映画「ホビット」の舞台であるホビトン村を再現させたモールもあるが、極めつけは映画「フローズン(日本語タイトルアナと雪の女王)」の仮装と写真撮影だろう。化粧を施され、借り着のロングドレスを着た少女たちが、誇りをみなぎらせた表情で背景を背にカメラの前に立つ。その映画がどれほどインドネシアの少女たちを魅了したかということが、その催し会場で順番を待っている百人近い人数に示されている。そのために親が財布から出したのは、少女ひとりにつき7万5千ルピアだった。
PIMと呼ばれるポンドッキンダモールは、このシーズンの来店客数が一日2万人台にのぼる。平常期であれば1万5千人だ。駐車場利用車両台数は一日6千台で、平常期より1千台多かった。同じような現象はたいていのモールで起こっている。北ジャカルタ市のモールオブインドネシア(MOI)でも来店客数は平常期の一日2〜3万人がこの時期は4万人に達している。


「今年も年越しフェスティバル」(2014年12月31日)
首都ジャカルタの目抜き通り、スディルマン〜タムリン〜モナスで今年もジャカルタナイトフェスティバルが開催される。都民が年越しのカウントダウンと花火を楽しむために目抜き通りからモナス一帯を埋め尽くす昔ながらの習慣を都庁が公的な行事にしたのがこのジャカルタナイトフェスティバルだ。都庁は1百万人の人出を予想している。都民ばかりか、ジャボデタベッ地区から集まってくるひとびとが大勢混じることが予想されるからだ。
タムリン通りからメダンムルデカバラッ通りとメダンムルデカスラタン通りにステージがしつらえられてミュージシャンの生演奏が楽しめる。当初は14ヶ所のステージが予定されていたが、MRT工事の関連で見直しされ、9ヶ所に減らされた。各ステージではジャズ・クロンチョン・ダンドウッ・ポップムラユ・ポップス・地方伝統音楽そしてワヤンクリまで用意されているそうだから、各ステージを見て回るだけで大いに時間がつぶせるというものだ。昨年のステージは21時から午前1時まで四時間のショーだったが、今年は20時から1時までという五時間のショー。もちろんステージがはねても食べ物屋台は売り物が残っているかぎり商売に励むのが普通だから、ひもじい思いをすることもないだろう。
フェスティバルが催される区域は、31日17時から交通が閉鎖される。ふたたびオープンされるのは1日午前2時の予定で、2時以降に道路の真ん中をうろついているとあぶない。物売り屋台は道路脇に限定され、路上にもモナス公園内にも入らないよう規制されている。
年越しの夜を愉しむ場所はそこだけではない。アンチョルが人で埋まるのは例年のことだし、タマンミニインドネシアでも、12月31日は夜を徹して年替わりのプログラムを催すことにしている。この日だけは1月1日の朝まで入場門が閉まらないのだ。ポップス人気歌手やダンドウッグループ、そしてオルガン演奏などが楽しい夜を賑わす。他にもクトプラッやコメディグループの舞台、そしてチャンディブンタルの舞台を使ってワヤンクリが夜っぴて上演される。今どき、ジャワの田舎へ行かなければ朝までワヤンクリが上演されるのを目にする機会はもうないだろうから、往時のジャワの伝統文化に触れたいひとには絶好のチャンス。
オールドバタヴィア観光地区の中心になっているファタヒラ博物館前の広場も、特に催し物の企画はないが、エキゾチックな雰囲気に浸りたい都民の来訪を予想して、31日夜は翌朝まで地区管理者が態勢を整えることにしている。この夜だけは、都内各所で交通の流れが特別に調整されるため、この地区でもそれに合わせた調整がなされ、駐車場も普段とは異なる場所に手配される予定。
首都圏の電車を運行させているジャボデタベッコミューターラインはこの夜に限って24時間運行を行なうことにしている。平常ダイヤの最終便が終わったあと、追加で14便が運行される。追加便が走るのはボゴール〜ジャカルタ線とボゴール〜ジャティヌガラ線、そしてパルンパンジャン〜タナアバン線。追加の第一便はボゴール駅を22時に発車し、最終便がボゴールへ戻るのは午前3時26分とのこと。トランスジャカルタバスはいくつかのルートで24時間運行しており、それがこの夜も継続される。カンプンムラユ〜アンチョル間の第5ルートは夜間運行していないが、アンチョルドリームランド側が顧客サービスとしてバスを用意する計画があり、そのバスが代りに走る可能性がある。
トランスジャカルタ夜間運行バスは、フェスティバル区域に関連して車両進入が禁止されている通りも普段のように通行するとのこと。
コパジャやメトロミニなど民間都バス会社はせいぜい22時までで運行を切り上げることにしている。乗車率があまり期待できないため、特にチャーターのようなオーダーがなければ夜間運行はしないそうだ。