インドネシア行楽旅行情報2015〜16年


「ディエン高原の旅」(2015年1月5・6日)
2014年9月のある日、ハルト氏はジャカルタからディエン高原に向かった。スカルノハッタ空港を飛び立って、ヨグヤカルタのアディスチプト空港に到着。ヨグヤでかれを待っていたグループのチャーター車に乗ると、一行はウォノソボに向かった。
中部ジャワ州ウォノソボ県クジャジャル郡パタッバンテン地区のディエン街道KM42に車が着いたのは16時半。気温は20℃を切っている。足の下の斜面にパパヤグヌン(papaya gunung = 山パパイヤ)と呼ばれるカリカ(carica インドネシア綴りはkarika)の木が立ち並んでいる。
インドネシアでカリカと呼ばれるものは、南米のアンデス山系を原産地とするこの山パパイヤで、標高1千5百から3千メートルの高地を好み、ディエン高原はその名産地だ。バリ島の高原部でも栽培されており、バリではグダンムムディ(gedang memedi)と呼ばれている。
一行は車から降りてそこにある工場に入る。甘味漬けにしたカリカの黄色い実の小片をビニールカップに入れ、ビートの赤い汁もしくは砂糖水を入れて封をする作業がその工場で行なわれている。そこから出荷される「Carica」はひとつ5千ルピアで、今やディエン高原の名産品になりつつある。
車に戻った一行は次に、カリカ畑とタマリロ畑に案内される。タマリロも南米のアマゾン地方が原産で、姿が一見ナスに似ており、植民地時代にオランダ人がインドネシアに持ち込んできたため、インドネシアではテロンブランダ(terong belanda = オランダナス)と呼ばれている。
周囲が見渡すばかりのジャガイモ畑の中にぽつんと作られたカリカとタマリロの畑は一体何を物語っているのだろうか?この畑を経営しているのは、プルカサと名乗る農民グループだ。ありとあらゆる土地がジャガイモ畑に変わってしまったディエン高原のあり方を批判し、ジャガイモひと筋に生計を依存しているメインストリームから生き方を変えようとして集まったひとびとがかれらなのである。リーダーのひとりは言う。ジャガイモ栽培は環境を破壊している。山稜の斜面を階段状にすることなく、そのまま植生を刈り取ってジャガイモを植えている。そのような栽培方法を行なえば土地が侵食され、土が減少するだけでなく栄養素も失われてしまう。その結果、土地の生産性は低下し、どんなに化学肥料や農薬を与えようが、生産性の回復はおぼつかない。その証拠に、ディエン高地のジャガイモ生産は下り傾向に陥っている。
ディエン高原で動き始めている新しい農業の芽を見学した一行は、バンジャルヌガラに向かう。今夜の宿はディエンクロンにあるホームステイ「クナリ」だ。マンディとお食事をと勧められたものの、お食事には飛びついたが水浴場に走る者は少なかった。冷気の下で冷水を浴びる習慣は都会生活者にはもはやない。宿側はお湯を沸かして用意してくれたものの、マンディなしに床に就いた者が何人もいたようだ。
食事は汁麺・アヤムゴレン・クンタンゴレン・生きゅうりのララパン・クルプッそしてインドネシア人の食卓に欠かせない飯とサンバル。サンバルに使われているトウガラシはディエン特産の良く肥えたもので、口の中を蹴飛ばしまわってくれた。飲み物は温かいコーヒーと紅茶。
豪勢?なお食事に舌鼓を打ったかれらは、翌朝のサンライズツアーに備えて早々と床に就いた。冷たい夜気の下で暖かい毛布に包まれた一行は、一日の疲れもあったのだろう、都会なら宵の口という時間も忘れてぐっすり。
翌朝午前3時半、一行は暗闇の中を車で出発した。行き先はウォノソボ県クジャジャル郡のシクニル峰(Puncak Sikunir)。車がチェボン湖(Telaga Cebong)畔の駐車場に着くと、一行はシクニル山登頂路を徒歩で5百メートルほど上っていく。元気がよければ、多少きつくても走って15分程度の距離だ。標高2,350メートルのシクニル峰に陣取ったのは午前4時半。
どこまでも真っ暗だった遠景が徐々に色付きはじめ、マジェンタから紫そして橙色へと変化していく大自然のページェントに、一行の目は釘付けにされた。待ちに待った太陽が円弧の端を示したのが午前5時5分。遠くに近くに、近隣の高山がくっきりと姿を現す。シンドロ山、スンビン山、ムルバブ山。晴天なら、ムラピ山も目にすることができる。しかし一時間も経たないうちに周辺が霧に包まれはじめた。気温は10℃前後。山頂付近にいる物売りから飲食品を買う。ショウガの粉末飲料を湯で溶かしたものがコップ一杯4千ルピア。身体を温めるにはそれが一番。
チェボン湖周辺を散策して楽しんだ一行は、車で再び高原に降りてくる。スンブガン(Sembungan)村を通過するとき、巨大なガプラを車がくぐる。なんとこの村がジャワ島でもっとも高い村だそうだ。そこは標高2,305メートルなのだから。車は続いてワナウィサタペタッ9(Wana Wisata Petak Sembilan)に差し掛かる。そこでは森林公社プルフタニが民間団体と提携して7Haの植物園を建設中。ここでシドゥンクン(Sidengkeng)峰に登れば、眼下にワルナ湖(Telaga Warna)とプギロン湖(Telaga Pengilon)を見下ろす風景を愉しむことができる。
車は更に走ってアルジュナチャンディ群に至る。8世紀にカリンガ王国が建てたとされているこのチャンディ群は1Haの土地に建つ、アルジュナ、スマル、スリカンディ、プンタデワ、スンバドラ、スティヤキの諸チャンディから成っている。今でも、ヒンドゥ教の祝祭ガルガン(Galungan)がここで営まれている。
チャンディ群への入口近くに、地元民のワルンが整然と並んでいる。ディエン名物クンタンゴレンを頼んで、味付け粉末を降りかけてもらう。バーベキュー味やチーズ味などお好みのものが選べるという寸法だ。飲み物のお勧めはプルワチェン。滋養強壮成分を持つその名の植物の根や葉や茎を使った飲み物で、茶やコーヒーあるいはミルクに混ぜて飲む。ハルト氏は「プルワチェンを飲むとナニの持続力が抜群になる」という話を聞いていたから、プルワチェンを勧めるワルン店主の婦人に尋ねてみた。「もしこれもそんなに効くのなら、昼日中からこういう場所で飲んだらまずいじゃないの?」婦人はにんまり笑って答えた。「マス、これを飲むときはベッドの友がいなきゃまずいのよ。ベッドの友なしにこれを飲んじゃ、アブナイわねえ。」それを聞いて一行の口から笑いがはじけた。
プルワチェンの根や茎や葉からは、血行をよくしたりスタミナをつける薬効成分が見つかっている。強精薬として見ることもできるが、本質はもっと広範な滋養強壮効果にある。バンジャルヌガラ県とウォノソボ県は県民にプルワチェンを定期的に飲むよう奨励し、県民の健康増進をはかっている。
そろそろ昼時。ホームステイのチェックアウト時間も近い。一行は宿に戻って昼食を摂り、宿を後にした。それから一行はディエン高原のあちこちで行なわれている新しい農業の芽を見学して回った。プルワチェンの栽培、ユーカリプトゥスの栽培、コーヒーの栽培、ナシジャグン(nasi jagung)やナシティウル(nasi tiwul)のインスタント食品化、タロイモとシンコンのチップス化・・・
そして多忙な一日が終わった。17時、雨のそぼ降りはじめたウォノソボの町中、パスカンロンゴラウェ通りにあるレストラン、ミーオンクロッロンクラン(Mie Ongklok Longkrang)で今回の旅の打ち上げが行なわれた。この店の名物料理は茹でた黄色い麺に野菜を載せ、あんかけ風の汁をかけ、アレン糖と干しエビを降り、牛サテピーナツソースを垂らして牛サテ10串を載せるという豪華版。この麺料理はそこの伝統料理であり、近年盛んなシェフのアイデア料理ではないそうだ。
つつがなく打ち上げを終えた一行はヨグヤカルタのアディスチプト空港に運ばれ、それぞれの故郷へと戻って行った。


「SQ航空券プロモ」(2015年1月19日)
シンガポール航空とシルクエアーがインドネシア発航空運賃のニューイヤープロモーションを行なっている。目的地別の往復航空運賃は次の通り。
シンガポール 200米ドルから 
香港 350米ドルから
日本 600米ドルから
ドゥバイ・モルディブ 700米ドルから
ヨーロッパ 1,100米ドルから
USA 1,300米ドルから
エコノミークラス乗客ひとり分の往復運賃で、タックスと燃油サーチャージは2015年1月1日のもの。
航空券購入は2015年1月31日まで。
搭乗は2015年12月31日まで。但し、次の日付は適用外。
ジャカルタ、スラバヤ、その他シルクエアー乗入空港からの出発:2015年7月10〜22日と2015年12月17〜31日
デンパサル空港からの出発:2015年7月1日〜8月31日と2015年12月21日〜2016年1月5日
シンガポール行きはジャカルタ・スラバヤ・デンパサル発のみに限る。
エアポートタックスと他のサービス料金は含まれていない。
日付と時刻の変更は不可。
払い戻しはビザが得られない場合に限られ、内容は航空会社の規定に従う。
プロモ対象座席数は限定的。
上のプロモ運賃は事前通知なく変更され得る。
別途条件あり


「クタマラカの滝」(2015年1月22日)
ナングロアチェダルッサラム特別州アチェブサール県にあるクタマラカ(Kuta Malaka)の滝が近年、行楽客の人気を呼んでいる。森林の大気、鳥や虫の声、絶え間なく聞こえる流水の音。完璧な大自然の中にあるこの滝を目指して、州内外から行楽客がやってくる。とは言っても、平日にそこを訪れるのは20人くらいであり、休日になって行楽客はやっと百数十人台まで増加する。
ここはその昔、アチェ州がDOM(軍事作戦地域)として閉鎖されていた時代にGAM(自由アチェ運動)の本部が置かれていた場所であり、この近辺で頻繁に銃撃戦が展開されたそうだ。そういう由来を持つ場所だから、外から簡単にたどり着けるような場所でないのは当然であり、2005年にDOMが解消された後この地区の観光化の動きが始まったものの、なかなか順調に進展していないように見える。
バンダアチェ市内から南方におよそ45キロ離れたクタマラカの滝へ向かうのは、馬力の大きいオートバイか、さもなければ四輪駆動車を使うべきだ。アチェブサール県サマハミ(Samahami)までの最初の30キロほどは、状態のよい、交通量の空いている舗装道路を快調に走ることができる。スラワアガム(Seulawah Agam)山を左に遠望しながら緑の水田にはさまれた素晴らしい道路を走るのは大いに心弾ませてくれるものだが、そこから滝に至る15キロの道のりは、赤土丸出しのオフロードと言ってよい。雨季になると一面のぬかるみとなり、普通車では途中で動けなくなるリスクが高い。更にそのルートには深さ40〜80センチの小川が6本横たわっており、アドレナリンをかきたてるオフロードチャレンジの愉しみを用意してくれている。暑い日射に照らされた身体をその清涼な流水が誘惑する。
それまで比較的平坦だったオフロードは、目的地の5キロほど手前からつづら折りの急斜面に変化する。タイヤはスリップしやすくなり、車両運転技術の試験場に早変わりだ。その障害が雨季に倍加するのは言うまでもあるまい。およそ半時間の悪戦苦闘の末に、ついにクタマラカの滝入口に近い峰にたどり着く。そこから東を見渡せば、延々と続くサバンナ高原を前景にして、そのはるか向こうにマラッカ海峡の海がおぼろに見えている。
滝への入口で入山客はひとり5千ルピアの料金を払わなければならない。そこからおよそ2百メートル歩いた森林の奥に、クタマラカの滝がある。生い茂った木々が影を落とす、涼しい412ステップの階段が行楽客を待ち受けている。峰の頂上から流れ落ちてくる澄んだ水は山の斜面を削って、それぞれが3〜6メートルの高さを持つ7層の滝を形成した。7つの滝はそれぞれ滝つぼを有し、滝つぼに溜まった清水の透明さは水底のありさまをあからさまに見せている。滝つぼは径2〜3メートル深さ1〜2メートルで、行楽客はその天然のウオーターシュートを自由に滑り降りたり、滝つぼで水に浸かって遊ぶこともできる。
自然が残されていればいるほど、インドネシアの行楽地は行楽客のための施設が貧弱で、更にゴミだらけになっているのが普通の姿だ。クタマラカの滝もそのご多聞に洩れず、徒歩道・トイレ・ゴミ箱・飲食品販売・水遊びをした行楽客用の更衣所・夜間照明など諸インフラの充実が急務になっている。
州外からの観光客が増加し、アチェ独特の文化、中でもグルメ探求派の人気も上昇しつつあるアチェ州が観光産業振興のための重要な資源のひとつに位置付けているこのクタマラカの滝が、早急にモダンな観光風土を備えた行楽スポットに変身するのを待っているひとは多いにちがいない。


「バニュワギ観光」(2015年1月29日)
東ジャワ州東端のバニュワギ県はバリ島からも近い。バリ島西端のギリマヌッ(Gilimanuk)とその向かいのジャワ島側にあるクタパン(Ketapang)港を隔てるバリ海峡を多数のフェリーが往復しており、フェリーへの乗り込みに待たされることはあまりない。クタパン港から街道に出て南下し、バニュワギの町を抜けてさらに南下して行くと、アラスプルウォ(Alas Purwo)国立公園に達する。この国立公園はジャワ島東南端のバリ島寄りに突き出した半島で、大自然がたっぷりと残されている場所だ。Gランドとも呼ばれるプルンクン(Plengkung)海岸がそこにあり、サーファーたちのパラダイスになっている。そこで頻繁に国際サーフィンコンテストが開かれるのは、上級サーファーたちにとって素晴らしい波があるからだ。
かつてはサーファーが集まる場所だったプルンクンビーチは、インドネシアの若者たちの間でアドベンチャー旅行が広まるにつれて、非サーファーをもそこへ集めるようになった。若い冒険家たちはバニュワギ県の秘められた大自然の幕を開き、ジャワからバリに向かう通り道に過ぎなかったバニュワギ県の容貌を大きく変化させた。今では旅行愛好者たちの大勢が憧れる旅行先リストの中でバニュワギは常連と化している。
イジェン火口の硫黄湖で深夜の来訪者と夢幻の境地に誘うブルーファイア、バルラン国立公園のまるでアフリカサバンナのような風土と野生動物たち、南部海岸線もアラスプルウォ国立公園からもっと西のメルブティリ(Meru Betiri)国立公園まで、美しい大自然の景観は訪れる者を魅了せずにはおかない。
初心者サーファーたちにはプロメラ(Pulau Merah)が用意されている。波高は2メートルほどで、夕方には水平線に落ちる夕日を愉しむことができる。波打ち際と高さ2百メートルほどの崖がかもし出す光景は、まるでブラジルのようだというもっぱらの噂だ。
海がめの産卵地として知られるメルブティリ国立公園には、2年前に開かれたトゥルッヒジャウ(Teluk Hijau)という新たな観光スポットが人気を呼んでいる。ラジェウシ(Rajegwesi)海岸にほど近い高い崖の裏側に隠された秘境トゥルッヒジャウの静謐な魅力は筆舌に尽くしがたい。ラジェウシ海岸から船をチャーターする場合、往復はひとり3万5千ルピア。もし陸上を行こうとするなら、4WD車をチャーターして車が入れる限界まで進み、そこから徒歩になる。足場の悪い起伏のある踏み分け道を、植物の根に足を取られながら進むのは、冒険愛好者ならではのものだろう。苦労のあとにたどり着いて、大自然が生み出す美を心ゆくまで味わいつくせるのも、辺境の地ならではだ。
バニュワギのそれら観光スポットはそれぞれが大きく離れており、その道程には十分な時間を見込んで置かなければならない。バニュワギ県を駆け足で回るのは、かける時間と喜びの大きさのバランスがきっと合わなくなるにちがいない。


「ボロブドゥル遺跡に4千人の物売り」(2015年2月4日)
中部ジャワ州マグランのチャンディボロブドゥル地元民のためにチャンディ周辺に用意された物売りのための施設は120ヶ所120人分。ところがそういう施設とは関係なく、やってくる観光客にアプローチしていく物売りが圧倒的に多く、今ではチャンディボロブドゥル周辺の物売りが4千人近くに達していることが報告された。
チャンディボロブドゥル管理会社「チャンディボロブドゥル・プランバナン・ラトゥボコ観光園」理事は、物売りがこれ以上増えないよう努力している、と述べている。同社は諸方面の協力を仰いでチャンディ周辺で新たなビジネスの掘り起こしに努めており、周辺住民の生計手段をかれらに与えることでチャンディでの物売り業から転換させることを模索している由。


「開発が待ち望まれるバウェアン島」(2015年2月5日)
東ジャワ州スラバヤの北側に隣接するグルシッ(Gresik)県のグルシッ港から真っ直ぐ北に向かって128kmの距離にバウェアン(Bawean)島がある。ジャワ海の真っ只中にある総面積194.1平方キロのこの島には、今飛行場が建設中。
Gilli, Gilli Timur, Karangbila, Noko, Selayar, Nusa, Manukan, Cina, Batukeboなどの小島がバウェアン島の周囲を取巻いており、海中の豊かな生態系は新たな海洋観光スポットの登場をうかがわせるものだ。チナ島の豊かな海底の美、ノコ島の優美な砂浜は訪れてみる価値が十分にある。バウェアン本島にはこの島原生種の鹿の養殖場があり、他にもカストバ湖(Danau Kastoba)の景観、ダヤ公園(Kebun Daya)にある温泉、ラッチャルの滝(Air Terjun Laccar)など観光スポットにも事欠かない。
チナ島での海中散歩経験者は「わざわざバリやカリムンジャワなどまで遠出することはない。ここの海中は他に見劣りするものではない。」と語っている。テーブルサンゴに散らばる熱帯魚、大シャコ貝やさまざまな海中生物のバリエーションには、見飽きることがない。問題は、観光開発の手がまだ届いていない点にあり、潜水具のレンタルをはじめ、その愉しみをサポートするサービス業がまだできていないことがネックになっている。地元漁師も、海中観光を愉しみに来る観光客は滅多にいない、と語る。「東ジャワ州庁はここを新たな観光センターにしようと企画している。それが一日も早く実現することを地元民は期待している。観光客が増えれば、船のチャーターに問題はない。」
現在、本土側のグルシッ港からバウェアン島に渡るには、船便に頼るしかない。1月と8月は海が荒れることが多く、交通が閉ざされてしまう。グルシッ港とバウェアンのラブハン港を結ぶ定期船はギリ・イヤン号で片道8時間、ナトゥナエクスプレス号で4時間。運航は海が荒れなければ毎日行なわれている。
そんな海上の波浪状態に影響されない航空路の開設は大勢のひとびとの期待を集めている。当初計画されていた2014年末の開業は不発に終わった。島民の多くは、一日も早く開業してほしい、と願っている。数日間海が荒れれば日用生活物資が本土から入ってこなくなり、物価が暴騰するのが常なのだ。飛行場建設工事はほとんど大詰め段階に差し掛かっており、2015年6月までには開業できるものと見られている。
バウェアン島にはたいした産業がない。そのため大勢の島民が海外出稼ぎ者になってマレーシア・シンガポール・オーストラリア・台湾などで働き、故郷に仕送りしてくる。金は入ってくるが職はあまりない、という土地がこのバウェアン島なのである。ジャティム銀行バウェアン支店のデータによれば、2万7千2百口座に毎月3億から5億ルピアの送金が入ってくる。ラマダン〜ルバランのシーズンにはひと月に6億ルピアまで金額が上昇する。送金元はマレーシアやシンガポールが8割を占めているとのこと。ちなみに、バウェアン島の人口は7万人となっている。
マレーシアやシンガポールへの出稼ぎ者が多いことは、かれらが帰国したときに出稼ぎ先の文化を持ち帰ってくることだ。だからバウェアンの地元民の間では、マレーシアにある料理や食べ物があるし、その名称もマレーシア語が使われている。バウェアンの歴史を見ると、原住民は島外への出稼ぎを好んだようだが、マドゥラ島の王国の影響が強まると、マドゥラ人が移住して農業を行なうようになった。結果的にムラユとジャワの文化が入り混じった独特の文化がバウェアン島に形成されている。今、この島は観光スポットへの変身を、首を長くして待ち望んでいる。


「パサラヤに子供向け教育施設」(2015年2月6日)
南ジャカルタ市ブロッケム(Blok M)のパサラヤグランデ(Pasaraya Grande)にピニシエデユテイメントパーク(Pinisi Edutainment Park)がある。ここは2歳から16歳までの子供を対象にした遊びながら学ぶ場所。ビルの8階から10階まで三つのフロアを使ったこの教育施設は月曜から木曜まで午前10時から17時まで、金土日と国民の休日は午前9時から19時までオープンし、入場料金は年齢と曜日によって異なるが、ひとり当たりの最低は5万ルピアで最高は13万ルピア。
入口は9階にあり、リフトで一気にそこまで上がることができる。9階に入ると、総床面積6千平米の中央にフィニシ船の大きな模型が置かれており、子供たちは太古の時代から南スラウェシのブギス人が大海原を乗り越えた気分をそこで満喫できる。周囲にはカルーセルやバンパーボート、フライングフォックスなどの遊戯があり、また4Dシアターでの映画鑑賞や民族楽器を体験する機会も待ち受けている。
アンクルン、コリンタン、ガムランのフルセットなどに触れ、音を出して楽しめる。クンダン、サロン、ボナン、ガンバン、クンプル、クノン、スリン、ルバブ、クプラッ、クピヤッ・・・。それらの名前をどれだけ知っているだろうか?
ここにはまた、舞踊・ワヤン・ボーカル・バティックの教室があり、子供たちは先生から手ほどきを受けることができる。ワヤンはワヤンクリで、影絵人形を使うダランの技術を学ぶということだ。それらの教室に大人は入れない。子供に付き添って入るのもお断り。子供たちはガイドの巧みな誘導に連れられて親の手を離れ、仲間たちと一緒に教室の中の活動に没頭する。淋しくなったり不安に駆られたりして泣いたり落ち着きを失う幼児もいない。
パーク主催者は子供劇場教室も用意しており、子供たちに演劇の愉しみを手ほどきしようと考えている。芝居の演題は西ジャワの民間説話ルトゥンカサルンと中部ジャワの民話ジョコクンディルで、パーク内プラネタリウムで上演される計画。フィニシ船の中でもマリンクンダンの芝居を行なうことが計画されている。


「ソロ観光の充実を」(2015年2月19日)
中部ジャワ州ソロ市にはあまり多くの観光スポットがないため、これまで観光客の滞在日数は比較的短いものだったが、周辺の諸県にある観光資源をそこに加えることでソロ観光を充実させる動きが始まっている。特にエコロジー観光がソロ市には期待できないことから、ソロ市を取巻くカランアニャル、スラゲン、ボヨラリなど近郊諸県の観光資源が注目を集めている。
これまでソロ観光の十大スポットはカスナナン王宮(Keraton Kasunanan)・マンクヌガラン宮殿(Pura Mangkunagaran)・パサルグデ(Pasar Gedhe)・ラウェヤンバティック村(Kampung Batik Laweyan)・カウマンバティック村(Kampung Batik Kauman)・ラドヤプスタカ博物館(Museum Radya Pustaka)・タルジュルッ動物園(Taman Satwa Taru Jurug)・バレカンバン公園(Taman Balekambang)・トリウィンドゥ骨董品市場(Pasar Antik Triwindu)・クルウェル市場(Pasar Klewer)とのこと。2014年にソロを訪れた観光客は210万人で、そのうち外国人観光客4万4千人。必然的にメインの観光スポットを訪れる観光客の98%はインドネシア人となっている。外国人観光客の多くはヨーロッパ人だ。
ソロ市はプロモーション催事として毎年カーニヴァルを行なっており、2015年2月17日にはソロ市設立270周年記念のカーニヴァルが開催された。また毎年6月に開かれるソロバティックカーニヴァルも有名だ。
今後ソロ観光のメニューに加えられるものとして、カランアニャル県ブルジョ村の大森林公園やスラゲン県サギラン(Sangiran)の古代人博物館などが有力視されている。


「バニュワギにホテルが増加」(2015年2月20日)
観光産業振興を目指すバニュワギ県への観光投資が顕著な増加を示している。特に目立つのは新規のホテル建設だ。2015年には星級リゾートホテル3軒が営業を開始する。ジャヴァバナナリゾート(Resor Java Banana)は年間1千8百人の外国人登山客をターゲットにしてイジェン火山の麓、リチン郡に建てられた。このホテルは単にハイクオリティの宿泊を提供するだけでなく、ステージショーやギャラリーなどの宿泊客に滞在を愉しんでもらう企画を用意している。高原でのジャズコンサートは国内ツーリストにも新たな魅力を提供するにちがいない、とリゾートオーナーは語っている。
バニュワギの町中にもシティホテルが誕生した。サンティカホテルはバニュワギを訪れる観光客ビジネス客をターゲットにしている。またブランバガン(Blambangan) ホテルは地元の伝統性を押し出したブティックホテルだ。それらの投資誘致に県行政は格別の配慮を示し、用地手配のサポートや行政許認可のために統合窓口システムをオープンするなどの便宜をはかっている。
観光産業振興のための催事も活発に行なわれ、2015年は文化やファッションなどさまざまなテーマを掲げて毎月フェスティヴァルが行なわれるという計画になっている。
訪問観光客数が県の観光振興の成功度合いを示すバロメータだ。2012年の国内観光客数は86万人だったが、2013年には105.7万人に増加し、外国人観光客数は5千5百人から1万5百人にほぼ倍増した。おかげで宿泊産業も急増中で、ホームステイを含めて2千4百室あった宿泊施設は今や3千室に増加している。
バニュワギに向かう交通の足も、かつてはスラバヤから陸路を通って8時間というアクセスしかなかったが、今ではスラバヤとデンパサルから空の便が出ており、バニュワギ訪問は楽になっている。


「バタムの新観光スポット」(2015年2月23日)
リアウ島嶼州バタム市が新たな観光スポット開発を決めた。開発プロジェクトがスタートしたのはバタム島南側にあるアバン(Abang)島。6.7万Haにわたるバタム島南側の海域はサンゴ成育保護エリアに指定されており、世界でも稀なブルーサンゴが成育している。その一角を占めるアバン島を海洋観光の新たなスポットしようというのがバタム市の計画。
開発プロジェクトでは、地元民の観光産業参加による経済活性化が大きなテーマになっており、地元民を海中観光のためのガイドに育成することやホームステイビジネスあるいは食堂ビジネスを行なって経済振興を実感させ、その産業の維持だけでなく創造性をそこに加味させることで自立した産業拡大に向かう姿勢を持たせることがターゲットにされている。
既に開始された地元民に対するプロジェクトでは、まず海中観光ガイドに必須の潜水技術の訓練や、あるいは地元民へのホームステイ運営、また市自身もゲストハウスを建設して地元民にその運営を一任するといった施策を立てている。今のところ、ホテル建設投資を誘致するという計画は立てられていないようだ。バタム市副市長は「地元民に対するプロジェクトは進展しており、潜水具も地元に寄贈してその使い方を訓練している。日ごとに観光スポットとしての体裁が整えられつつある。」と述べている。
問題はバタム本島からアバン島に渡るための公共交通機関がないこと。アバン島側に受け入れ態勢が構築されても、島に渡る定期運航交通機関がなければ観光客は船をチャーターしなければならない。現状では、バタム市内からガランバル島(Pulau Galang Baru)まで陸路を走り、そこから小船をチャーターするということになる。
リンガ諸島とバタム島間を運航する定期船が計画されており、現在建設されているリンガ諸島のシジュンジュン(Sijunjung)港が完成すれば、アバン島に定期船を寄港させることが容易になるため、シジュンジュン港建設完成待ちという要因も存在しているとのこと。
2014年にバタム島を訪れた観光客は140万人で、市は今年170万人の誘致を目標に掲げた。アバン島が一日も早く観光客誘致の戦力になることが期待されている。


「中国人観光客がマナドに」(2015年2月27日)
インドネシアでImlek (陰暦)と呼ばれている今年の孔子暦2566年中国暦新年は2月19日。この日から二週間後に訪れるCap Go Meh (十五瞑)と呼ばれる満月の日まで、たいていの華人は長い休みに入る。
長い休みだから、旅行に出かけるひとも多い。今年は広州から中国人2千人がチャーター機四機でマナドへ観光旅行にやってきた。在広州インドネシア副領事が添乗しての大サービスだ。おかげで、客室稼動率が40%までダウンしていたマナド市内のホテル業界は干天に慈雨で感謝感激の態。
北スラウェシ州観光局長は、今年1月に州知事が中国を訪問した際、北スラウェシ観光を大いに売り込んだことを明らかにした。マナド人は中国人によく似ており、マナドには何でもあって、ミナハサ料理というグルメを愉しむこともできる。
副領事はこのご一行の北スラウェシ滞在は四日間で、海や山あるいはトモホンの町などを訪れて北スラウェシを満喫していただくことになっていると語った、マナドを訪問先に選んだのは、広州から3時間という近距離にあるのが大きい理由である由。バリの知名度はもちろん高いが、バリは遠すぎて時間がかかるので、今回のインドネシア観光はマナドをみんなが希望したとのこと。
この一行に先んじてマナドに入ったグループもあり、成都から来た165人の先行グループはマナドで祝われる中国正月の様子を実体験するのが第一希望だったそうだ。バンヒムキオン寺院での華やかな祭事、夜はマナドの夜空を花火が煌々と照らした。この一行はブナケン島・リハガ島・トモホン市を回って帰国するという旅程になっている。


「行楽はウンブルシドムクティ」(2015年3月4日)
中部ジャワ州スマラン県ウガラン(Ungaran)郡シドムクティ(Sidomukti)村にあるウガラン山は海抜1千7百メートル。高原の涼風が楽しめる地元民の行楽スポットのひとつだ。ここ一年ほど前から山頂にビラと開放感満点のカフェがオープンしたことで、行楽客の足が頻繁に向かうようになってきた。平日でも5百人、週末には1千5百人が訪れる。メインはヤングファミリーやヤングカップルあるいは青年男女グループといったところ。今や年間15〜20万人が訪れる地域有数の行楽スポットになっている。この地域で昔から定評のある行楽スポットはチャンディグドンソゴ(Candi Gedong Songo)やバンドゥガン(Bandungan)だったが、このウンブルシドムクティ(Umbul Sidomukti)は新たなスポットとして人気急上昇中だ。
カフェに座っていた、クドゥスからやってきた行楽客のひとりは言う。「低地にある行楽スポットでこんなカフェがあれば、カップ一杯のブラックコーヒーで半時間は持つでしょうに、ここじゃ15分でなくなっちゃうわ。なにしろ、この寒さだから、熱いコーヒーでもすぐに冷めちゃう。」
ウンブルシドムクティのカフェではコーヒーのほかにもバンドゥガン(Bandungan)風のスナックなどがメニューにある。タフスラシ、ピサンクルムス、ロティバカル、テンペムンドアン、バミジャワクワ・・・。一番廉いのはゆで卵の5千ルピア、一番高いのはアヤムクルムスセットの2万8千ルピア。コピジャへなどのバリエーションもあり、寒気払いに人気がある。コーヒーもショウガも、シドムクティの農民が栽培しているものだ。
ウンブルシドムクティ行楽地区には水泳プールやアウトバウンド設備がある。カフェはそこからおよそ7百メートル徒歩で上る。散歩道の状態はよく整備されており、軽いハイキングが楽しめる。四輪二輪でも通れるが、急な勾配や崖の端などを通過するため、慎重な運転が求められる。カフェのある高台まで登ると、眼下にラワプニン(Rawabening)、遠景はアンバラワ(Ambarawa)の町で、見渡す限りの絶景。そしてカフェの近くにビラ。ビラは一軒に寝室がふたつで、一泊110万ルピア。
ここの水泳プールで泳ぐのも、来訪客に人気がある。経験者によれば、雲の上で泳いでいる感触だそうだ。言うまでもなく、天然水だから水は冷たい。プールは四つあり、下界に滑り落ちていく断崖に沿って段々に作られており、はるか下界を見下ろしながら泳げば、「ここは空の上か?」という気持ちになるにちがいない。深さはそれぞれ50センチから2メートルと異なっており、お好みのプールが選択できる。水は天然の湧き水で、水源がプールの中にあり、実に贅沢な環境であると言えるだろう。
他にも、崖と崖の間を110メートル走るフライングフォックスやトレッキングコースが設けられ、山頂の涼風の中で身体を動かす愉しみも満喫できようというものだ。もうひとつ、ユニークなお遊びが用意されつつある。それはパラグライディング。海抜1千7百メートルの高さからはるかなる下界を眺めながら空中散歩を楽しめる。言うまでもなくインストラクターとのタンデム飛行だから、誰でも楽しむことができる。これは2015年3月から開始される計画で、15〜30分間の飛行料金は30万ルピア。
このウンブルシドムクティへの道程は、上り下りの多い曲がりくねった細い道を通らなければならない。片側が断崖絶壁という場所も多く、四輪にせよ二輪にせよ、慎重な運転が求められる。眠気など吹き飛ばしておかなければ、無事には済まないだろう。シドムクティ村を通過する際には、村人の交通整理に従わなければならない。なぜなら、対向車がすれちがえるだけの道幅がないからだ。譲り合いと安全第一。山を訪れる人間が肝に銘じなければならない鉄則がそれであるにちがいない。


「チレボン観光は急上昇中」(2015年3月10日)
西ジャワ州チレボン市が観光開発に本腰を入れ始めた。国内観光客はそこそこチレボンのことを知っているので、今後特に発展を狙いたいのは外国人観光客であるとのこと。今外国人観光客は年間2万人程度が訪れているだけなので、2018年には合計30万人の外国人観光客誘致を実現させたいとしている。ジャカルタを訪れる外国人は年間3百万人おり、30万人というのはそのわずか10%でしかなく、実現性の高い目標値ということのようだ。西ジャワの州都バンドンですら年間2百万人の外国人観光客が訪れている。
チレボン市の観光スポットの代表格はチレボン王宮で、中でもカスプハン(Kasepuhan)王宮にあるゴアスニャラギ(Goa Sunyaragi)公園が屈指。観光客誘致には催し物というのが標準手順になっており、2015年新年のカウントダウンでは、ゴアスニャラギが花火打ち上げのスポットに選択された。4月18日にはカルティニ記念日の行事が行なわれる。9月にはゴトラサワラフェスティバル、10月にはアセアン文化フェスティバル、11月には沿岸地区フェスティバルなどが予定されている。
チレボン市への足の便をはかろうと、国鉄はチレボンエクスプレスの運行を開始した。まだ一便が往復しているだけだが、エグゼキュティブ車両とビジネス車両ではチレボンの特徴をふんだんに盛り込んだ内装がなされており、雰囲気を盛り上げている。チレボン特産のガラス絵画やトゥルスミのバティックなどが使われ、評判は上々だ。


「まだ盛り上がらない皆既日食観光」(2015年3月11日)
2016年3月9日に皆既日食が起こり、インドネシアの諸都市でそれを間近に観測できるため、観光業界、中でもホテルと航空券の予約を行なっている業者はそれに備えて皆既日食観測スポット周辺への足と宿泊の予約受付体制を既に強化しているにもかかわらず、国外へのプロモどころか、国内にもその話題がほとんど出てこない、と業界者は首をかしげている。
NASAの情報によれば、インドネシアで皆既日食が観測できるのは、西スマトラ州ムンタワイ諸島、南スマトラ州パレンバン、バンカブリトゥン諸島、カリマタ海峡、中部カリマンタン州パランカラヤ、中部スラウェシ州パル、マルク諸島、北マルク諸島、ハルマヘラ海域となっている。
それらの地域に向かう空の足について航空券販売業者は、現在は各航空会社が出しているプロモーションに従って航空券販売を行っているだけであり、航空会社からの皆既日食を見込んだ増便計画などはまだ何ひとつないので、具体的な動きにはつながっていない、と語っている。
観光省観光マーケティング総局国内観光普及局長はそれに関して、二週間前に国家航空宇宙院との会議が行なわれ、皆既日食を観光プロモに結びつける方針についての打ち合わせがスタートした、と述べている。「各地元自治体がどのようなプロモを打ち出していくのか、それに対して中央政府がどんな形で支援できるのか、そういったことがこれから煮詰められていく。地元自治体は地元文化をアトラクションに加えて観光客誘致のための魅力を高めることを考えており、自治体ごとにその詳細は異なるものになるだろう。2015年に既に日程が組まれている大きな国際的催事は中部スラウェシ州トミニ湾を舞台にするセイルトミニがあり、たまたま皆既日食がそのタイミングと合うため、このイベントは大きく盛り上げることができそうだ。地元州政府は既にそれを織り込んでプロモーションをはじめている。」
インドネシアはこのチャンスをうまくビジネスに結びつけることができるだろうか?


「イ_ア人の旅行先に変化」(2015年3月17日)
ルピア交換レートが低迷を続けている昨今、これから海外旅行を計画しようとしているインドネシア人は、遠い国々よりもインドネシアに近いマレーシア・シンガポール・日本・韓国・中国などを選択するケースが増加しそうだ、と観光業界は見ている。
ガルーダ航空管理職のひとりは、それらのアジア諸国は文化的に大きな違和感がなく、また若者はK−ポップやJ−ポップへの親近感も加わるため、今年の海外旅行先の人気が集まるだろう、と語っている。かと言って、ヨーロッパやオーストラリアがそっぽを向かれるということでも決してなく、大きなトレンドとして出現するという意味合いであるとのこと。一方、国内観光は新たな観光先としてバウバウ(Bau-Bau)・ニアス(Nias)・ジュンブル(Jember)・ラブアンバジョ(Labuan Bajo)・ラジャアンパッ(Raja Ampat)などへの国内観光客の増加が予測されている。それらの観光先を訪れる外国人観光客の増加が顕著であることから、インドネシア人に対する誘引力は必ずあるにちがいないとの見方がなされているようだ。
中央統計庁発表データによれば、2014年第4四半期のインドネシア人出国者数は212万人で、前四半期の213万人から減少した。一方、第4四半期の外国人入国者数は251万人で、インドネシアはかれらから27億米ドルの観光収入を得ている。
2015年2月末にガルーダ航空とBNI銀行が共催した旅行フェアに出店したアンタヴァヤツアーの旅行アドバイザーは、三日間のフェアで百人近い人が日本への観光ツアーに申込みをした、と述べている。バユブアナツアーのアドバイザーも、日本や韓国へのツアー申込みは活発だ、と表明している。


「高い、汚い、危ない」(2015年3月30・31日)
2014年に海外旅行に出たインドネシア人は1千5百万人いたが、国内旅行を行なったインドネシア人は9百万人しかいなかった。インドネシア人自身が外国旅行を好んでいるのには、単に外国の異文化や珍しい風物を見たいという欲求だけでなく、もっと違う要素がそこに混じっているのだ、と旅行業界者も観光産業オブザーバーも口をそろえる。国内観光旅行は「高い、汚い、危ない」のだそうだ。
パダンのアンダラス大学修士コースに在学しているディエゴ・イェンミスさん30歳は、国内の観光地よりも外国へ行くほうが快適だと語る。「外国の文化や風土に触れるのは楽しい体験であるということの他に、スリ・詐欺・チャロ・強要など発展途上国特有の犯罪行為から免れることができる。国内旅行では、バリは便利で快適だ。観光地はきれいだが、安全な宿泊施設を利用しようとすると高くなる。観光地への公共交通機関がないから、車をチャーターしなければならない。その費用負担は軽くない。結局、バリ旅行は金がかかるということになる。」
バリにいた観光客のひとりアントニウスさん42歳は、バリだけは観光地とそのアクセスに関する情報が豊かにあって快適だが、他の観光地でバリに匹敵するところはない、と言う。「だから他の観光地に家族を連れて旅行するのは、計画が立て切れないため気が重い。バリは宿泊から観光スポットのロケーションなどさまざまな情報がインターネットに豊富にあるから、家族連れで旅行に行くのはバリが頻繁になる。」
デンパサル住民カデッ・アルフィオニさん38歳は、家族でシンガポール旅行に行ってきたばかりだ、と語る。「国外だとバリエーションがいっぱいあるでしょう?そして細かい点まで情報が明確に手に入る。バリ島外の国内観光地に行きたくないというわけじゃないけど、費用を計算したら外国へ行くより高くなるんですもの。国内の観光地へは、アクセスに関する情報が得られないことが多いし、そして着いてみたら清潔さがお粗末だったりして・・・」
全国各地の観光スポットでは、地元行政の観光産業振興の掛け声はよく響いているのだが、地元民が観光客を金づる扱いしているケースも少なくない。観光客からどうやって金を取るかがかれらの最重点事項となる。駐車番はやってくる車から高い料金を集め、物売りは観光客を追い掛け回し、臭く汚いトイレを使わせて金を取る。それが嵩じれば、非合法すれすれの悪行も出没することになる。ありきたりの食堂やコーヒーワルンで、価格を確かめないで注文した客に法外な金額を請求するようなことも現実に起こっている。
西カリマンタン州にも素晴らしい観光スポットはたくさんある。そして住民も観光意欲は旺盛だ。ところが自分の州内の観光スポットに行く州民は少ない。妥当な交通機関がなく、おまけに道路インフラが整備されていない。州観光局長は州公共事業局に道路インフラ建設を求めているが、予算が不十分でいつまで待っても手が着けられない状況だ。
1千万人の外国人観光客を呼び込むために中央政府はビザフリー対象国を増やそうとしている。ところが、国民自身が国内の観光地を「高い、汚い、危ない」と評価して敬遠している。コンパス紙R&Dが2015年3月18〜20日に全国12都市の17歳以上の住民736人から電話インタビューで集めた回答によれば、インドネシア国内の観光旅行は「高い、汚い、危ない」の評価が常識になっていることが示された。
質問1)国内観光スポットの清潔さは?
回答1)十分清潔32.9%、清潔でない64.5%、不明無回答2.6%
質問2)国内観光旅行で、旅行先への移動手段は安全か?
回答2)安全53.9%、安全でない38.5%、不明無回答7.6%
質問3)観光スポット周辺での公共運送機関利用の安全度は?
回答3)安全44.4%、安全でない48.4%、不明無回答7.2%
西カリマンタン州だけでなく、全国各州が観光スポットへの道路インフラと公共交通機関の整備を行い、地元民への観光振興の正しい思想を教育しなければ、外国人観光客のリピート訪問は先細りになりかねない。政府の宿題は山のようにある。
その国内観光旅行が高いという問題については、観光スポットへの公共運送機関がないために交通費が高いものになっており、それが旅行費用を押し上げている原因であると旅行業界者は述べている。インドネシアホテルレストラン会会長は、費用を高くしているのは旅行先での交通費なのであり、他の宿泊費・飲食費・土産物などの費用は諸外国に比べて十分に競争力のあるものだ、と言明した。ホテルレストラン会は飛行機プラス宿泊のパッケージ化によって国内旅行がもっと廉価に行なえるようにするべく、この企画を関係者を集めて進めているところだ、と会長は紹介している。
国内旅行が高く外国旅行が廉いと言っても、たとえばラジャアンパッ観光旅行の費用とシンガポール観光旅行の費用を比べたら、競争が圧倒的に激しいシンガポールの飛行機と宿泊の費用の方が間違いなく廉い。しかし、シンガポールに滞在中に支出する金額と、国内他の都市に旅行して滞在中に支出する金額を比べるなら、その定義は当てはまらない、とインドネシア旅行代理店協会会長は指摘した。そうは言うものの、消費者の声はまた違う。
マレーシアのペナン島への三泊四日の旅行はひとり350万ルピアで行けたし、シンガポールだと300万ルピアだ。ところが、バリだと500万ルピアかかるし、フローレス島ともなると700万ルピアかかる、というのが消費者からの声だ。
外務省が検討している30カ国国民を対象にした観光入国ビザフリー方針が今年4月に大統領規則の形で制定されることを観光大臣は期待している。観光大臣の計算によれば、遅くとも4月から開始されなければ2015年の観光客誘致目標1千万人は実現できないとのこと。30カ国国民へのビザフリーがスタートすれば、観光省はバリ・ジャカルタ・バタムのあるリアウ島嶼州を三大優先観光地として外国人観光客誘致の大々的なプロモーションに入る意向だ。三大優先観光地に次ぐ開発候補地はヨグヤカルタ・トバ湖・マカッサル・マナドとなっている。


「観光県バニュワギは絶好調」(2015年4月1・2日)
数年前から観光振興に力を入れ始めたバニュワギ(Banyuwangi)県は、国内で外国人観光客がもっとも多いバリ島に隣接しているという地の利から、国内外からの観光客の訪問が目に見える勢いで増加している。
その鍵のひとつは、ほとんど毎月催されるフェスティバルだ。2015年は38のフェスティバルが予定されている。去る3月28日にも、ローカルフルーツフェスティバルが開催された。マンゴスティン・ドラゴンフルーツ・バナナ・シャムオレンジ・メロン・スイカ・種無しジャンブ・・・そして極めつけは世間にまだ数少ない赤ドリアン(durian merah)。そういった地元農民が生産したフルーツを無料で観光客に味わってもらおうという趣向で、やっていることは販売プロモと同じなのだが、場所も雰囲気もまるで異なる色合いに変えてしまったから、県庁側の知恵に軍配があがった感触が強い。
試食してお気に召せば、どうぞ廉くしていますからまとめ買いを、というのも世間で行なわれている販促とまったく同じ手法だ。マンゴスティンはキロ当たり1万3千ルピアだが、ここでは9千ルピアで買える。ジャンブクリスタルはキロ2万が1万5千、赤ドリアンは実一個が20〜30万ルピアなのに、ここでは10〜20万ルピア。
バニュワギの特産料理もこのフェスティバルに彩を添えた。特産料理セゴトゥンポン(Sego Tempong)というのは、白飯におかずや野菜をたっぷり添えた食事で、口の中が痺れそうな特製サンバルで食べる。「この辛いサンバルがバニュワギ独特のものなんです。なんでビンタを意味するトゥンポンという言葉がついているのかというと、ビンタを喰らったような想いをするからなんですよ。」テレビで顔なじみの女性シェフ、マリンカさんはセゴトゥンポンのガイド役でこのフェスティバルに参加した。
フルーツフェスティバルと同時に開催されたセゴトゥンポンフェスティバルは県下の村の食事ワルンやカキリマ屋台からレストラン、そしてホテルに入っているレストランの料理人など206チームが参加して味を競った。作られた作品に観光客たちが舌鼓を打ったのも、自然の摂理だ。
アメリカ人のロビーとリンゼイ夫妻は、このローカルフルーツフェスティバルの情報を得てバニュワギ訪問計画を練っていたと語る。「赤ドリアンは食べたことがある。ここのフェスティバルで赤ドリアンにお目にかかれることがわかったから、6ヶ月前から計画を組んだ。わたしたちが来たのはそれが目的だったから。」ひとつでは足りなかったと見えて、夫妻は赤ドリアン販売スタンドで品定めしながらもう数個を買っていた。
アブドゥラ・アズワル・アナス、バニュワギ県令はこのフェスティバルの目的を、観光客誘致と県民の農業生産品プロモの抱き合わせ催事だと説明した。「国民は概して輸入果実を買いたがるが、国内産業振興のためには地元産果実も買わなければならない。バニュワンギ県では、県庁内から行政末端のRT(隣組)まで、会議の場ではローカルフルーツを用意することが義務付けられている。」
そういった催事での観光客誘致ばかりか、県下にある観光資源の開発にも県庁は力を入れている。特に南部インド洋沿岸部の観光開発は活発化しており、プロメラ(Pulau Merah)海岸などは訪問観光客数が20倍もの増加を示している。おかげで県の観光収入は経済の強固な柱に育ちつつあり、県令はバニュワギ県が東ジャワ州の豊かな県に成長しはじめた、と顔をほころばせている。
中央統計庁東ジャワ州支所のデータによれば、バニュワギ県民の一人当たり年間所得は過去三年間に急増し、ついに州第二の経済圏だったマランをしのぐ結果に至った。バニュワギ県民一人当たり年間所得は、2010年までは1千5百万ルピアに満たなかったが、2011年は1,680万ルピア、2012年1,810万ルピア、2013年2,184万ルピアと伸張し、マランの1千9百万ルピアを追い越している。
バニュワギ県が観光県として顕著な発展を示せば、観光客輸送ビジネスもそれを放っておくわけがない。現在、スラバヤとデンパサルから一日一便をバニュワギのブリンビンサリ空港に飛ばしているガルーダ航空が、一日二便を定期運航させる方向で検討を始めた。スラバヤ発8時半のバニュワギ行きとデンパサル発7時のバニュワギ行きは平均ロードファクターが75%を超えており、利用者は増加傾向にある、とガルーダ航空営業担当取締役は述べている。ガルーダは2014年5月からATR72−600でバニュワギ線の運航を開始した。同時にスタートさせた近距離航空網の見直しが現在始まっており、採算性にあわせて運航スケジュールがこれから調整されることになるだろう。
バニュワンギ空港は滑走路を現在の1,400メートルから2,250メートルに延長する計画であり、近々着工が開始される、とバニュワギ県令は語っている。


「インドネシア人に優遇ビザ」(2015年4月23日)
フランスのパリで外国人旅行客への知名度がトップクラスのギャラリーラファイエットでは、インドネシア人来店客を大歓迎してくれるという記事を何年か前に読んだ。あまりなじみのない発展途上国のひとつだと言うのに、インドネシア人というのは実に金離れが良く、高額商品をたくさん買ってくれるというのが、その百貨店に関わっているひとびとの認識になっているというのである。かれらはインドネシアを金持ち国だと見なしている、とさえその記事には書かれていた。たしかに、ヨーロッパまでブランド品を買いあさりに行くインドネシア人はリッチ層に間違いない。インドネシアの中流層はアセアン界隈をうろうろしているばかりだから、ヨーロッパのひとびとが目にするインドネシア人の中にはあまり混じっていないのである。だから必然的に、フランス人はインドネシアを金持ち国というイメージで見るようになって当然だろう。
フランス政府はインドネシア人にもっとたくさん来訪してもらいたいため、ビザ発給に便宜をはかることを決めた、と駐ジャカルタフランス大使が表明した。どう便宜を図ってくれるのかと言うと、インドネシア人には4年間有効なマルチ入国ビザが与えられるのである。このビザはツーリスト用のみならず、ビジネス、留学、そしてフランス人配偶者を持つ場合は居住も認められるとのこと。
フランスは世界最高の観光立国で、年間8,370万人の観光客が訪れる。しかし観光客の多くはパリに集中し、パリの観光スポットは芋の子を洗うような状況だ。フランス政府はパリ一極集中をもっと他の地方まで分散したい考えで、インドネシア人にもヨーロッパの大都市を点々と飛びまわるのでなく、じっくりとフランス国内で他の地方を見て回るようにしてほしいと呼びかけた。そのためにはそういうツアールートが売り出されなければならず、その点についてはインドネシアの旅行代理店業界とピントあわせをしていく所存だと、ジャカルタのフランス大使館担当者は述べている。


「中国人観光客招致に総力」(2015年5月15日)
中国人観光客のポテンシャリティは1億人に達すると言われている。その巨大なパイをシェアするのに、インドネシアは何をすればよいのだろうか?既に何年も前から、インドネシア政府と観光産業界や空運業界はその問題に着手してきた。インドネシアを訪れる中国人観光客は年々顕著な勢いで増加しており、2015年3月実績は789,596人で前年同月実績765,607人から3%増え、1〜3月累計も2,299,288人で対前年同期比3.5%の増加になっている。ちなみに国別入国観光客数のトップはマレーシアで、中国は今にもその地位を奪おうという勢いだ。
観光大臣は2015年の観光客誘致目標が1千2百万人で、2014年の実績9百万人から大幅なアップになっており、中国人誘致目標は2百万人だと述べている。1〜3月のペースを見る限りその目標達成は覚束ないため、観光入国ビザフリーといった強力な新機軸が必要とされているのは言うまでもあるまい。
2015年1月にガルーダ航空が北京〜デンパサルの直行航路を開始した。このフライトは好評で、ロードファクターは80%を超えているそうだ。ガルーダ航空は北京・上海・広州の三都市に乗り入れて定期航路を運航しているが、他の地方都市からバリやマナドへのチャーターフライトも積極的に中国側にオファーしている。


「ダマスカス観光旅行はいかが?」(2015年5月20日)
ダマスカスのインフラはまだ極端に破壊されたわけでなく、古来からの遺跡も維持されており、観光旅行は十分に楽しめる。ダマスカスへの観光旅行をわが国民にプロモートして、両国間の親交と経済発展に資する所存である、と駐ダマスカスインドネシア大使が語った。
国土に多数の武装グループが割拠し、中でもISISという強力なグループは政府から行政権を壟断して一部国土を自らのものとし、シリアの行政支配が及ばない別の国「イスラム国」を称するとともに、カリフを名乗る行政最高権者が政治軍事を牛耳っている。さまざまな反政府・親政府の武装グループが入り乱れて戦火を交わせ、22万人を超える国民が死亡した国の首都がそのダマスカスだ。
ダマスカスはバシャル・アル・アサド現大統領のお膝元であり、シリア政府の軍事力警察力の支配下にあるため、戦火に覆われた場所でないのは確かだ。しかし国内で武力闘争が全土に拡大して行ったとき、ダマスカスにあった各国大使館は続々とシリアから去って行った。今残っているのは16から20くらいの国だけで、44以上の国がシリアとの外交接触を途絶させている。
2011年3月に始まったシリアの内戦は武装グループを多数の国がバックアップしたことでプロキシウォーの様相を呈し、数百万人という国民が国外に脱出して難民となった。その中でフロントアルヌスラやISISといった強力なグループがその力を誇示した結果、シリアという民族国家に影響力を振るおうとしてからんできた諸国が、かれらとはまったく異なる見地から足場を固めたISISにその思惑を掠め取られ、世界中がISISを敵視するという現状に至っている。ISISが作り上げた「イスラム国」はシリア北部を領有して自治機構の態をなし、戦争継続のために世界86カ国から何万人もの戦闘員や領民生活に参加する者を集めているのは周知のことだ。
2015年4月21日にジャカルタの外務省が開催した「中東アップデート:シリア内戦状況とその展望」と題する討論会で、出席した駐ダマスカスインドネシア大使の上の発言が出現した。シリア政府関係者は出席していない。
大使の発言を判官びいきの狂気じみたものと非難する発言が出なかったのはダマスカスの状況に対する共通理解があったためのようだが、大使が述べたシリア観光省と内容を煮詰めてインドネシアから観光旅行者を送り込みたいという意見に対しては、シリアからインドネシアへの観光客誘致とバランスを取らなければならないという反応や、インドネシアがアサド政権の肩を持つ必要はなく、それよりも先にISIS打倒に向かってインドネシアが何をするべきかを探ることのほうが重要だ、という意見が出された。
インドネシアの国家原理を崩壊させようと牙をむいているISISへの対処が優先事項なのであり、ダマスカスへの観光旅行などという悠長な話はISISの影響力が消え失せた後で愉しむべきものではないか、というのが大勢だったようだ。


「どこでもタクシーには苦労する」(2015年6月3日)
2015年1月19日付けコンパス紙への投書"Wisata di Hongkong"から
拝啓、編集部殿。これは2015年1月2〜7日にマカオと香港の観光旅行をしたわたしども一家の実体験です。香港というのは、かつてイギリスと深い関係にあり、またツーリズムシティでもあるということから、わたしどもはそこにいる誰もが英語を話せるものだと思っていましたが、大間違いでした。
マカオでの初日22時過ぎ、わたしどもは一時間も並んでヴェネチアン地区からやっとタクシーに乗ることができました。そこからホテルまでは、徒歩でも行けるほどの距離なのです。わたしどもがタクシーを使ったのは、3歳と7歳の子供がいたためでした。タクシー運転手は英語が使えません。わたしどもはホテルの住所を運転手に示しました。タクシーだと迂回しなければならないかもしれないと思っていましたが、それほど時間はかからず、およそ10分くらいでホテルに着きました。すると運転手が100ドルを請求したので驚き、ホテルのコンシェルジュに間に入ってもらおうとしましたが、コンシェルジュは肩をそびやかしただけです。
そのときわたしどもと同じ場所からタクシーに乗って戻ってきたホテル客がメーター通りの25ドルを払ったのを見て、わたしどもは運転手に35ドルを渡しました。互いによく通じない言葉で言い合ったあと、運転手は粗暴な口調で何かを言い残して去りました。
もうひとつの体験は香港です。わたしどもは、ワンチャイ地区のホテルからデイズニーランドへタクシーで行きました。遠かったです。高速道路代に50ドルを払いました。デイズニーランドに着くと、運転手は350ドルを請求しました。運転手は電卓を取り出して、請求明細を説明します。支払いを終えてタクシーが去ってから、わたしどもの子供が別のタクシーで到着しました。まったく同じルートを通ってきたそのタクシーに支払ったのは210ドルだったと聞き、開いた口がふさがりませんでした。[ 東ジャカルタ市在住、ヌルマリアティ ]


「ジャワ島内の優れた博物館」(2015年6月4日)
国内博物館の普及振興を目指して「歴史の足跡」コミュニティが行なっているミュージアムアワードの2015年度優良博物館表彰が2015年5月21日にジャカルタで行われた。審査ポイントは四つのカテゴリーに分けられ、創造的で革新的な教育効果の高いスマート博物館、審美的に優れているビューティフル博物館、社会とのつながりを種々のプログラムに横溢させたフレンドリー博物館、興味と関心を高めて知識意欲の向上に巧みなジョイフル博物館という見地から、コミュニティはジャワ島内6州にある248博物館を訪れて評点をつけた。
トップ15位までのランキングに入った優れた博物館は次の通り。第一位はアナトミー博物館だった。
1. Museum Anatomi Unika Atmajaya, Jakarta
2. Museum Benteng Heritage, Tangerang
3. Museum Benteng Vredeburg, Yogyakarta
4. Museum Bank Indonesia, Jakarta
5. Museum Batik Danar Hadi, Surakarta
6. Museum Dewantara Kirti Griya, Yogyakarta
7. Museum Dirgantara Mandala, Yogyakarta
8. Museum Konferensi Asia Afrika, Bandung
9. Museum Kesehatan Jiwa RSUD Lawang Dr Radjiman Wediodiningrat, Malang
10. Museum KAI dan Lawang Sewu, Semarang
11. Museum Nyamuk, Ciamis
12. Museum Sangiran, Sragen
13. Museum Museum Sasmita Loka A Yani, Jakarta
14. Museum Sri Sultan HB IX, Yogyakarta
15. Museum Tekstil Jakarta
政府も同じような博物館評価を行なっているが、そちらは全国の博物館が対象であり、民間が行なう今回のような評価と相互に補完しあうものである、とインドネシア博物館協会会長は述べている。協会に加盟している全国の博物館は官営と民間の運営するものをあわせて412あるとのこと。


「インドネシア映画の優秀作品」(2015年6月10日)
国民の外国文化好きはインドネシアでも変わりない。ただし、外国文化好きがエキゾチシズムへの憧れ程度で済んでいれば、自国文化とのバランスはおかしくならないのだが、外国文化が格の上下にからんでくる国では、自国文化がどんなに優れていようとも常にバイアスのかかった評価に彩られ、自国産業や自国経済が劣った状況に追い込まれていくのがよくある姿だ。映画産業も同様で、ハリウッド映画やボリウッド映画はみんなが金を払って映画館へ見に行くのに、インドネシア映画は集客がいまひとつという状況だ。
だが、インドネシアにも優れた映画作品はいろいろある。外国で賞を得た作品は決してひとつやふたつではないが、国内での興行ではいずれも採算性がいまひとつというところらしい。唯一の例外はLaskar Pelangi (邦題「虹の戦士」)で、これは国内でも大当たりした。外国で受賞したインドネシアの映画作品には、次のようなものがある。
Lovely Man : 
2012年アジアフィルムアワードで最優秀男優賞と最優秀監督賞
2012年ティブロン国際映画祭で最優秀映画と最優秀監督賞
Khalifah :
2012年カンヌ国際映画祭アジア映画賞で観客賞
Modus Anomali :
2011年プチョン国際ファンタスティック映画祭受賞
The Mirror Never Lies :
2011年東京国際映画祭でアースグランプリとアジアの風スペシャルメンション賞
Garuda di Dadaku :
2011年イスファハン国際映画祭で最優秀演技賞
2010年アルメニア国際映画祭で最優秀映画賞
Laskar Pelangi :
2009年ハメダン国際児童および若年成人映画祭ゴールデンバタフライ賞で最優秀映画賞
Tiga Doa Tiga Cinta :
2009年カンヌ国際映画祭アジア映画賞で国際審査員グランプリ
Opera Jawa :
2008年ブリュッセル国際独立映画祭最優秀女優賞
2007年アジア映画賞でベストオリジナルスコア賞
2007年シンガポール国際映画フェスティバルで銀幕賞


「ビザフリー開始で観光客が増加」(2015年6月19日)
観光だけを目的にして入国する30カ国の国民に対するビザ免除措置が開始されたことで、2015年6月12日以来バリ島グラライ空港の外国人入国者数が一日5千人から6千人に増加している。今やバリを訪れる外国人のトップは中国人になり、日本人とイギリス人がそれに続いている、と空港当局が明らかにした。
バリ島の2015年外国人観光客誘致目標は400万人で、昨今の状況を見るにつけ、今年の目標はクリヤーできるにちがいない、と州政府観光局も観光産業連盟も表情を和ませている。1〜5月実績は150万人しかなく、それでも2014年同期実績の130万人よりは増えていたのだが、ビザ免除措置開始で一気に観光客が増加しているため、ほぼ諦めかけていた目標達成の意気込みが再燃したようだ。
グラライ空港イミグレーションも外国人観光客増加を見込んで、怠りなく準備を進めており、入国審査窓口を12から26に増やしてやってくる観光客を手ぐすねひいて待ち構えている。更に、それで手一杯になったときのことまで想定して、予備の窓口を6つ用意してあるというから、実に周到な準備を行なっているようだ。
このビザ免除措置の影響だけでなく、ルピアの対米ドルレートが低下の一途をたどっているため、外貨両替すれば大量のルピアが手に入る。それだけ使いでがあるということで、マレーシアのLCC航空会社エアーエイシアまでもが、インドネシアへ遊びに行くのに絶好のモメンタムが到来したと各国からインドネシアへ乗客を運ぶ意欲を募らせている。
さあ、みんなそろってインドネシアへ遊びに出かけよう!


「今年もナイトスポット営業規制」(2015年6月19日)
都庁は例年の通り、ラマダン月中のナイトスポット営業規制を業界に命じた。内容は2004年首都条例第10号の実施細則として出された2004年都知事決定書第98号に従うもので、「ヒジュラ暦1436年ラマダンとイドゥルフィトリ中の観光産業営業時間」に関する2015年都庁観光局長回状第34号の形で再確認が行なわれている。
2004年都条例第10号と都知事決定書第98号によれば、ナイトクラブ・ディスコ・パブ・スパ・マッサージパーラー・カラオケ・音楽生演奏・スピードボール・バーはラマダン月初日の前日と当日、ナズルルクルアンの夜、タクビランの夜、イドゥルフィトリ大祭の初日と二日目の営業が禁止される。更に業種によっての時間規制もあり、カラオケの営業時間は14時から2時まで、音楽生演奏は19時から1時まで、ディスコは19時から2時までなどとなっているが、ホテル内で営業しているところは例外扱い対象となる。
ビリヤードはカラオケやライブミュージック営業場所の中にある場合は20時半から1時半まで営業が許される。カラオケやライブミュージックと切り離されて完全に独立した場所であれば営業時間は午前10時から24時までとされている。
この時期、イスラム民間団体がナイトスポットの営業を取締るケースが散見され、時には取締者が暴徒化して店を壊すようなことも起こるため、首都警察はそのような取締り行為を行なう権限を持たない者の越権行為は犯罪と見なす、と戦闘的民間団体に対して警告を発している。都庁と警察は協力してナイトスポットの営業時間順守取締りをラマダン期間中随所で行なうことにしている。


「ンポ・シティ」(2015年7月6日)
「Mpok Siti」ンポとはブタウィ語で、年上の女性に対する尊称として使われる。言うなれば、「おねえさん」とか「おばさん」というような意味合いだ。シティというのはアラブ語に由来する「女性」を意味する単語だが、高貴な女性の名前の前に付けて尊称として使われることがあり、インドネシアのムスリム界では娘の本人名としてその名を与えるケースが少なくない。「アラブへ行くと、物売りが買物客に「シティ、シティ」を連発するため、ついつい自分が呼ばれているような気になって振り向いてしまう。」とインドネシア人女性のシティさんは体験談を物語っている。インドネシアでは、シティという名前を本人名として持っている女性が大勢おり、それだけ一般的な名前だと言うことができる、
ジャカルタ都内中心部を毎日走っている大型二階建て観光バスの愛称が「ンポ・シティ」なのだ。英語ではJakarta City Tour Bus と言う。つまりCity とSiti の語呂合わせだったわけだ。普通のバスの三倍の乗客を乗せることのできるこの二階バスは毎日都内中心部の決まったルートを一回りしてくる。途中でいくつかの観光スポットに停車するから、好きなところで降りて観光することが可能だ。このバスの利用はまったく無料なのである。
バスの運行は、月曜日から土曜日までが9時から19時まで、日曜日は歩行者天国があるため、12時から19時までとなっている。運行ルートはホテルインドネシア前⇒国立博物館⇒プチェノガン(Pecenongan)通り⇒イスティクラルモスク⇒モナス⇒都庁⇒サリナデパート⇒ホテルインドネシア前というコースを巡回する。大型二階バスは5台走っているが、外国人観光客とインドネシア人観光客がたくさん利用を希望するために需要過多になっているありさまで、バス台数の追加が望まれてきた。折りしも、ミニマーケットチェーンのアルファマートを全国展開しているPTスンブルアルファリアトリジャヤが15年6月26日にドイツ製のバスを一台都庁に寄贈したので、需給関係は多少とも緩和されることが期待されている。


「ボロブドゥルはゴミだらけ」(2015年8月20日)
2015年7月16日(イドゥルフィトリの2日前)から23日(イドゥルフィトリの5日後)までのイドゥルフィトリホリデーに中部ジャワ州マグラン県のチャンディボロブドゥルを訪れた入場者数は153,856人で、昨年の155,456人から減少した。
外国人観光客も減っており、たとえばイドゥルフィトリの2日後の外国人入場者数は613人で昨年の937人から大幅に減り、また3日後も746人で前年の1,021人からダウンしている。
人数は減ったというのに、ゴミの量は大きく増加した。平常シーズンのゴミの量は3〜5コンテナだが、今年のイドゥルフィトリホリデーでは一日平均9.6コンテナという厖大な量になった。チャンディボロブドゥルで使われているゴミ用コンテナは容量が4.5〜5立米の大きさ。このホリデーシーズンで最大のゴミの量を記録したのはイドゥルフィトリ2日後で、コンテナ12台分のゴミが出た。
管理会社側も入場者が飲食物を持ち込まないようにチェックしているものの、徹底させるのはたいへん困難。ゴミの山の中に飲食物ゴミが混じっている状況はとても印象的。「飲料ペットボトルや飴あるいは菓子類などをチャンディの最上階まで持ち込む入場者が後を絶たない。階段付近には菓子の袋が散らばっている。」そう語るのはチャンディボロブドゥル管理会社の公園管理保全課長。
清掃員のひとりは、「ゴミの中で目立つのは飲料ペットボトルと食べ物。入場者のすべてが、ゴミをゴミ箱に捨てる規律を身に着けているわけではない。」と述べている。赤ちゃんの使い捨ておむつが、チャンディに向かう入口近くの通路の草の上にそのまま打ち捨てられているのをかれはかつて目にしている。
チャンディボロブドゥル管理会社はボロブドゥル遺跡公園域内に200個を超えるゴミ箱を10〜20メートル間隔で配置し、また4.5〜5立米の大型ゴミ用コンテナを14台、域内に置いている。


「オンライン旅行サービスの拡大」(2015年8月27日)
旅行代理店のインターネットサイトにオファーされているサービスに、多様化が起こりつつある。これまでの航空券・宿泊・ツアーの販売に加えて、旅行保険や外国旅行に必要な書類手続きサービス代行が含まれるようになりつつあり、パスポートやビザ取得などのサービスもそこに含まれている。
Dwidaya Tour and Travel のグループ会社が出しているezytravel.co.idでは、国内線国際線航空券・ホテル・観光客船ツアー・パッケージツアーなどの在来型サービスに加えて、旅行保険と旅行ドキュメントのサービスをオファーするための煮詰め段階に入っている。サイトにそのオファーを掲載するタイミングは2015年Q4が予定され、実際の業務は2016年にフル稼働することになる。
旅行サービスに対する消費者の需要は、代理店カウンターを訪れるよりもeコマースを利用する方向が強まっており、業界は店舗体制を充実させるよりもネットサイトの活用を増やすことに重点を移しつつあるようだ。
ticket.comの取締役社長は、消費者のオンライン航空券購入は旅行の基本ステップになりつつある、と言う。操業開始から4年間で同サイト利用者は年々増加の一途をたどり、2015年には一日の平均取引が9千件にのぼっているそうだ。同サイトもイノベーションを持ち込むことを企画しており、近々レンタカーのオンライン注文がスタートする予定になっている。
インドネシアのインターネット普及率は2014年に34.9%に達した。アジア諸国で旅行セクターのオンラインビジネスはたいへん活発に行なわれており、たとえばインドでは鉄道乗車券をオンライン購入するのが常識になっている。インド政府もこの分野のアントレプルヌールをパイオニアビジネスと位置付けることをやめ、既に大企業として遇する姿勢に変わっている、とインドネシア大学社会政治学部通信研究センターの研究員はコメントしている。


「観光地の景気に明暗」(2015年9月25日)
とどまるところを知らないルピアレートの下降で、「インドネシアへ遊びに来れば外貨が割高になっているため、大いに使いでがあるよ」と観光客誘致をはかっている政府観光行政と国内観光業界の思い入れにも関わらず、入国外国人数にたいした伸びは感じられない。
東ジャワ州のトップ観光スポットのひとつであるブロモ山を擁するブロモ・テンゲル・スムル国立公園を訪れる外国人観光客は月間3千人前後で、これまでとあまり変化はない。この国立公園にやってくる観光客は年間57.6万人で、そのうちの3.5万人が外国人だ。
スムル山に近いマラン市に隣接する高原保養地バトゥ市には90を超える星級及び非星級のホテルやたくさんのビラがあるが、ホテル客室稼動は大きくダウンしており、通常の稼働率70%はこの9月に40%にまで落ち込んでいる。国内観光客が大幅に減っているのがその原因らしい。業界者によれば、9月は季節変動で客足が遠のくシーズンであり、11〜12月の年末に向けて反転上昇していくのが例年のパターンであるとのこと。
スンダ海峡に面した国内旅行客が多いバンテン州セランのアニエル海岸やパンデグラン県のチャリタ海岸は相変わらずの人出で賑わっており、国内旅行者が旅行を先延ばししている雰囲気はない。ルバッ県バヤ郡サワルナ観光村の民宿組合役員も、宿泊客は毎日20人ほどあり、以前からのペースに変化ない、と語っている。
一方、ヨグヤカルタは外国人観光客が減っている。ホテルレストラン会地元支部のデータによれば、2015年8月の訪問者数は前年同月実績から15%近くダウンした。ヨグヤを訪れる外国人はオランダを筆頭にフランス・ドイツ、そしてアジアからは日本やマレーシアがメインを占める。それらの国の多くは自国通貨の対米ドルレートが低下しているので、海外旅行を延期しているようだ、と支部長はコメントしている。
インドネシア最大の観光地バリ島は、外国人観光客が増加している。バリ州観光局のデータによれば、2015年上半期の入国外国人観光客数は2百万人に近付き、前年同期比で10%上昇した。しかし外国人が落としてくれる外貨はひとり平均150米ドルで、2014年の170米ドルから減少している。これは滞在日数が平均3日から2日に短くなっていることが影響しているようだ。
スミニャックにあるザへイヴンのマネージャーは、ここ三ヶ月ほど客室稼動は9割を超えていて、まったく下がる気配がない、と述べている。オーストラリア人が多く、そしてアジア諸国、更に国内観光客も泊まりに来ているそうだ。ホテルレストラン会バリ支部長は「『不況のためにビジネスがダウンしている』と愚痴を言う会員はひとりもいない。外国人観光客も国内観光客もいっぱい来ている。」と語って好景気を喜んでいる。


「農村生活見学観光はいかが?」(2015年10月7日)
東ジャワ州ボンドウォソ県ウォノサリ郡ロンボックロン(Lombok Kulon)村にやってくる外国人ツーリストが増えている。この村の住民バイダワさん46歳が村民仲間を誘って行なっているオーガニック農業観光に興味を抱く外国人が少なくないということだ。
バイダワさんは2010年にオーガニック農業を率先垂範して成功させ、今ではオーガニック農業モデル村として他州からの見学者も少なくないが、そこに外国人まで加わってやってくるとは最初思ってもみなかったそうだ。
外国人は毎日数人が村にやってくるそうで、日帰りするひともいれば宿泊を希望するひともいる。ジャワの農村での地元民の実生活見学が可能な場所というのはジャワ島内のどこにでもあるわけではない。外国人観光客にしてみれば、素朴な田舎の農村の中に、外国人に開かれていて外国人ツーリスト慣れした村があるというだけでも、安全快適な観光ツアーが期待できるというものだ。
宿泊希望者はバイダワさんたちが用意している民宿に泊まる。一泊10万ルピアという破格の値段。長い人は三泊くらいする、とバイダワさんは語っている。
ジャワ島農村の実生活に肌で触れてみたい方は、どうぞ一度お試しを。


「娯楽のトップは映画と音楽」(2015年10月12日)
昨今の大学生が毎日の暮らしの中で欠かせない娯楽として愉しんでいるもののトップに音楽と映画がある。国産映画を愛好する者が大学生の中に少なくないことは、映画界にとって喜ばしいことにちがいない。
ただし、映画となるとハリウッドという定評は数十年にもわたってインドネシアに定着しており、国内筆頭の映画館チェーンが国内最大のアメリカ映画輸入者だったから、国民が映画館へ行けばアメリカ映画がそこにあるという状態が続いていた。自由競争が激しくなってきた昨今でも、その傾向はいまだに維持されているようだ。
映画ファンに好まれている映画のジャンルはアクションもので、5人に二人がアクション映画ファンを自称している。ここ数年間に観客動員数の多かった国産映画には次のようなものがある。
2015年
Surga yang Tak Dirindukan 1,523570
Comic 8: Casino King 1,211,820
2014年
Comic 8 1,624,047
The Raid 2: Berandal 1,434,272
2012年
Habibie & Ainun 4,488,889
5 cm 2,392,210
2012年作品「ハビビとアイヌン」は第三代大統領ハビビ氏とその愛妻アイヌンさんの夫婦愛を題材にしたロマンス映画で、驚くべき観客動員数を記録した。多くの大学生が、その映画のクオリティが大変高かったことをコメントしている。

コンパス紙R&Dが2015年8月8〜9日にジャカルタ・バンドン・スラバヤ・マラン・メダン・マカッサルの大学生734人にインタビュー調査した結果を発表した。
質問1.好きな映画のジャンルは?
回答1.アクション37.2%、コメディ18.7%、ドラマ17.4% ホラー7.9%
質問2.好きな映画制作国は?
回答2.アメリカ47.8%、韓国16.1%、インドネシア15.8%、ヨーロッパ9.8%

音楽については、ライトポップスのファンが最大だった。続いてロック、ジャズといったジャンルが並ぶ。どこの国の音楽が好きなのかという質問への回答はインドネシアだった。自分の心情にもっともぴったりくるのは、やはり自分の国のものだ。しかし中には、気分を切り替えるためにクラシック音楽を聴く若者もいる。
毎日音楽を聴くのに、62%の回答者がユーチューブなどのサイトからガジェットにダウンロードして愉しんでいると答えている。かれらはCDを買うこともあまりしないようだ。
質問3.好きな音楽ジャンルは?
回答3.Pop 67.7%, Rock/Slow Rock/Pop Rock 10.4%, Jazz 6.9%
質問4.どの国の音楽がお好き?
回答4.インドネシア39.6%、アメリカ33.9%、ヨーロッパ10.4%、韓国9.5%


「サーフィン天国ムンタワイに暗雲」(2015年10月27日)
西スマトラ州ムンタワイ群島は今や国際的なサーファーのパラダイスになっている。サーフィンポイントは百を超え、そのうちの73ヶ所は波が良いことで外国人サーファーに定評があり、さらにその中の二ヶ所は世界ベストポイントトップ10に入っている。4月から11月にかけてのシーズンには6千人のサーファーが詰めかけ、その過半数を外国人が占める。
昔、サーファーの穴場としてほんのわずかのツーリストがやってくるだけの寂れたビーチだったころは、目玉が銭の形をしている人間は姿を見せず、純朴なひとびとがつつましやかにツーリストと接触していただけだったのに、ブームが始まると、その匂いを嗅ぎ付けてやってくる外来者と、やはり目玉の色が変化した地元民が欲の皮を張るようになる。ビーチに縄張りを作ってリゾートと称し、利用者から金を徴収するのが習慣化した。
15年10月9日、パガイ島のひとつのリゾートにオーストラリア人の所有するヨットがやってきてビーチに停泊し、そして事件が発生した。リゾート運営者と地元民がヨット側に対し、よそへ行ってくれ、と言う。サーフィンを愉しもうとしてやってきたヨット側は反論する。「海を個人所有している人間はいない。」
言うことに従わない余所者に感情的になる地元民は決して少なくない。インドネシア人の間でそのようなことが起これば、余所者は「ご無理ごもっとも」と頭を下げ、地元民の言うがままに従うのが慣習だ。インドネシアではローカリズムという名前の地元優先主義が依然として根を下ろしているのだ。つまり、両者が対等の立場に立って議論し、調整するという文化でなく、最初から両者は差別の中におり、加えて上位者がものごとを決める文化であるため、ものごとを決着させるための議論はなされず、上位者への反抗はフィジカルな力の対決で決着させることになる。そんな文化の民が、どういう慣習の中に住み、どういう価値観を持っているかは明白だろう。
余所者が御託を並べで従おうとしないとき、地元民が何を始めるかは想像に余りあるにちがいない。論争が激しくなったとき、一発の銃声が響いた。ヨット側は慌てて論争をやめ、その場から立ち去った。そしてその事件を、在ジャカルタオーストラリア大使館をはじめ、諸方面に訴えた。
銃声は地元民のヨットに対する掛け合いに付き添った地元警官が発砲したもので、状況が不穏になってきたために論争を打ち切らせるべく警告射撃を行なったことがあとで判明した。ムンタワイ県警諜報ユニット課長は、規定を踏まえて行なわれた発砲である、と正当性を強調している。
民衆のリゾートビジネスは行政の管理化に置かれておらず、当然ながら管理規定などは作られていない。その結果、縄張りを決めた者がサーファーから好き勝手に使用料を徴収し、金額は縄張り主の思いのままだ。そして縄張り主の中には、そのビーチから海の中まで自分の権利だと思う不心得者も転がり出る。
地元観光業界は、現状を放置すれば一部の不心得者がムンタワイの観光市場を崩壊させかねないとして、現場の統制を適切に行なうよう行政に求めている。


「ジャカルタでジャズナイト」(2015年11月20日)
ジャカルタのジャズライブスポットとしてJamz が人気を誇っていたのは1990年代から2000年ごろにかけての時代。そして四年ほど前に現代インドネシアジャズ界の重鎮インドラ・レスマナ氏が南ジャカルタ市クマンに開いたRed & White Lounge 、スナヤンにオープンしたBlackCat Jazz & Blues Club など、インドネシアのジャズ生演奏を楽しめる場所は時代とともに変化した。Jamz もRed & White Lounge も姿を消し、BlackCat はジャズとブルースから、今ではトップ40に趣向を変えている。
昨今、ジャカルタの夜にジャズを楽しみたいひとが訪れているのは、スナヤンのアジアアフリカ通り8番地、ホテルフェアモント3階にあるMotion Blue Jakarta 。この店は日本のブルーノートジャパンと提携しており、東京のブルーノートと横浜のモーションブルーの香りが流れ込んでくる。
モーションブルージャカルタのオープニングは2014年10月で、リー・リトナーとデイヴ・グリューシンが舞台を飾った。翌11月にはデヴィッド・ベノワが登場し、15年11月にはロン・カーターが出演する。
インドネシアのジャズスポットがすべてそうであったように、ジャズオンリーでは店が続かない。この店も50%はジャズを尊重しているが、同じくらいのウエイトでフュージョンやR&B、あるいはポップスも取り上げている。
ほかにも、クマンにはユニークなスポットがある。南ジャカルタ市クマンティムール通り60AにあるNaches Bar & Restaurant 。店のオーナーのひとりインドロ・ハルジョディコロ氏は活躍中のベーシストだ。月曜日はジャムセッションの日で、現役ミュージシャンたちが集まってくる。
もっと南に下れば、南タングラン市BSDシティにIntro Jazz Bistro & Cafe を見出すことができる。住所はJl. BSD Grand Boulevard 。この店では著名ミュージシャンから愛好家コミュニティまで、さまざまなバンドがステージを彩ってくれる。そして、この店最大のお奨め品が、正真正銘のパプアコーヒー。パプアコーヒーに病みつきになって、この店に通う客も少なくないそうだ。


「昔の標準デートコースは映画館」(2015年11月26日)
昔のジャカルタの若者たちは、デートするのに大して金がかからなかったそうだ。かの女を家に迎えに行き、オプレッに乗って繁華街に出て、ウインドウショッピングしてから映画館に入る。そしてチョコレートをプレゼントし、屋台でバソをごちそうし、かの女を家に送って行って、楽しい一日が終わる。映画を見るのはスタンダードなデートコースであり、それが健全な男女交際パターンのひとつだった。だから映画館はあちこちにあったし、映画館に入る人口もたいへんなものだった。
それが1960年代の情景であり、1970年代はじめごろにジャカルタの若者のひとりになったわたしも、まだ色濃く残っていたそういう雰囲気に浸ったことを記憶している。
しかしあのころからほぼ半世紀、状況は大きく変わった。健全な男女交際のデートコースは今や多岐にわたり、不健全なものもたくさん出現しているから、映画館の数は大幅に減少し、おまけに入場券代金も高いものになってしまった。
コンパス紙R&Dが2015年11月18〜20日にジャカルタの電話帳からランダム抽出した525人にインタビューして得た回答は次のようになっている。
過去ひと月の間に映画館に何度行きましたかという質問に、3回以上と答えたひとは9.3%あった。ほぼ毎週映画館に行っているひとたちだ。1〜2回のひとは17.3%、全然行っていないひとは73.0%にのぼった。
映画館はいま全国に268軒あり、スクリーン数は1,667となっている。映画館チェーンの最大手は21グループで、長い間洋画専門を続けてきたが、国産映画の隆盛につれて、両刀使いに変化している。21グループの牙城に食い込もうとして世に出た別の映画館チェーンがブリッツメガプレックス。そして最近はリッポグループもこの業界に翼を広げ、シネマックスという映画館チェーンを興した。ほかにもシネプレックスやローカルの昔からある独立系映画館も都市ごとにいくつか存在している。
映画館数が一番多いのはやはりジャカルタで74軒ある。都市ごとの映画館数番付は次の通りだ。
1.ジャカルタ 74
2.タングラン 23
3.スラバヤ 15
3.ブカシ 15
5.バンドン 12
5.ボゴール 12
7.メダン 10
8.スラカルタ 9
9.パレンバン 7
9.ヨグヤカルタ 7
11.デンパサル 6
12.バタム 5
12.サマリンダ 5
12.マカッサル 5
全国に映画館のある都市は52しかなく、しかもそのうちの24は映画館が一軒しかない独占事業になっている。この場合の独占事業は、はたしてもうかっているのかどうかだが・・・・?


「ジャカルタでハッピーニューイヤー」(2015年12月31日)
例年モナスで行われる大晦日カウントダウンと大演芸ステージおよび花火大会、そして路上のあちこちに設けられる芸能ステージと歩行者天国でにぎわうタムリン通りだが、今年行われるのはスディルマン〜タムリン通りの歩行者天国(Car Free Night)だけで、モナスは夜間開場しない。歩行者天国は19時から開始されるので、歩行者天国の行われるエリアにあるホテルの宿泊客は19時を過ぎたら徒歩でホテルに戻らなければならない。この措置についてアホッ都知事は、スディルマン〜タムリン通りでMRT工事が行われているためだとその理由を述べている。
それに代わって年越しの夜のお楽しみは、北ジャカルタ市アンチョルのアンチョルドリームパークで。これまでもアンチョルドリームパークは毎年大晦日の催事を独自に行ってきたが、今年は首都ジャカルタを代表するものという位置付けになり、都庁や治安機構のトップがアンチョルにやってくる。
アンチョルでの年越し催事は16時にスタートする文化パレードが幕開け。パレードは園内東ロータリーからパンタイアンチョルラグーンまで繰り広げられ、パサルスニの芸術家たちが考案した楽しい衣装の一団もそこに混じる。
続いて17時から18時まで、ダナウアンチョルで音楽とブタウィ舞踊が催される。花火が上がるのもその場所だ。そして園内あちこちにあるショー会場では、インドネシアを代表するアーチストたちが観客を愉しませてくれる。またインドネシアの旨いものを集めたバザルクリネールも、舌の肥えた来場客を待っているという趣向。
この夜の入場料は一人2万5千ルピアで、四輪車は一台2万ルピア二輪車は一台1.5万ルピアが追加される。
やはり北ジャカルタ市にあるクラパガディンでは、夕方からラピアザで年越しのプログラムが始まる。催事は「レトロフューチャリズム」というテーマで、音楽・舞踊・モード更には文学まで盛り込んだ内容だそうだ。この催事はひとり30〜55万ルピアの入場料金になっている。
アンチョルドームランドの向こうを張る東ジャカルタ市タマンミニインドネシアインダも、例年通りの年越し催事を予定している。都庁統合サービス庁は12月31日の年越し催事が25箇所で行われると公表しており、ほとんどは0時で催し物が終了するが、タマンミニではワヤン公演が行われるため午前3時に閉園となる。
催し物が行われる上記以外の代表的な場所は、西ジャカルタ市のコタトゥア(旧バタヴィア市街)、中央ジャカルタ市は石碑公園、南ジャカルタ市はシトゥババカン、スリブ群島はプラムカ島など。それでは、良い年をお迎えください。


「バリ島がアジア一の観光島」(2016年1月14日)
トラベル&レジャー誌2015年ランキングでバリ島が島カテゴリーの第二位を獲得した。世界トップはガラパゴス島であり、つまりアジア地域ではバリ島がナンバーワンということになる。例年アジア地域の上位に登場するモルディブやプーケットよりもバリ島が高い人気を獲得したということのようだ。
CNNが15年8月9日に公表した世界のベストシュノーケリング地の第一位はラジャアンパッ、第二位はコモド、そしてガラパゴス島が三位に就いた。インドネシアの観光政策は努力に応じた成果が上がってきている印象を受ける。
バリ州観光局長は、その評価は観光行政と観光産業界に新たなチャレンジを促すものだ、と言う。現在のようなバリ島南部地域をもっぱらにするレジャー観光産業と、各地に散らばる遺跡や自然景観あるいは芸能の鑑賞からもっと奥行きのある文化観光への次元の拡張がそのチャレンジである由。
さしあたっての目標は観光村プロジェクトであり、観光施設建設は欠かせないものであるが、伝統的な自然の景観も維持していかなければならない。その複合的な視点を見失えば、バリの観光産業は崩壊してしまう。
2015年にバリ島を訪れた外国人観光客は年間4百万人、そして国内観光客は6百万人あった。しかし平均滞在日数は過去5年間に5日から3日まで低下している。
政府は現在観光政策の貴公子として大黒柱になっているバリ島に続く第二第三の柱を養成していく計画で、特に現場で錯綜している管理体制の統制をはかるために上部構造としてオーソリティ機関を設置する方針だ。その候補地としてあがっているのは、トバ湖、タンジュンクラヤン、ボロブドゥル、タンジュンルスン、スリブ群島、ブロモ、マンダリカ、コモド〜ラブアンバジョ、ワカトビ、モロタイの十観光地区。政府はその中でトバ湖をまずパイロットプロジェクトに指定した。現在トバ湖の観光体制は7機関が個別の分野を掌握しており、統合的な企画を組む体制の構築によって最大限の効果を期待することができる。
その十観光地は政府が観光開発とプロモーションに力を入れて新しい大黒柱に育てようという意味合いであり、決してオーソリティ機関設置まで放っておくということではない。体制作りとは別に、中央政府と地元自治体が協力して観光客受入態勢を向上させ、観光客誘致を行ってこの政策を進めていくのは言を待たない。コモド島への入り口にあたるラブアンバジョのムティアラ第二空港は大改装されて2,250mの滑走路を持つモダンなコモド空港に生まれ変わった。かつての年間15万人の利用能力しかなかった田舎の飛行場は、いまは150万人の利用を支えるフローレス島の玄関に変身している。
さらに、生活用水のきわめて不便なコモド島の水対策も大きい問題だ。そのような観光客受入態勢の改善とともに、コモドドラゴン観察一辺倒でなく、コモド島周辺海域にある42ヶ所の世界的なレベルのダイビングやシュノーケリングスポットをもっとプロモートすることで、観光客の層を厚いものにすることができる。上の十観光地のプロモーションに活気を入れることが、2016年の観光政策の一課題になっている。


「懐メロの本命はクスプルス」(2016年2月12日)
1970年代から90年代にかけて、インドネシアのポップスシーンに輝いたスターたちは数多い。時代を遡ればさかのぼるほど、素朴で耳障りのよい、しかも唄いやすい曲が増えていく。ただ、商品としての歌謡がどれだけヒットしたかというのは別問題だ。
コンパス紙R&Dが2016年1月20〜22日に最新電話帳から拾い出した488人に対する電話インタビューで、84.4%のひとが懐メロ愛好者であることを表明している。往時のポップスシーンを豊かに彩った歌手・バンド・作家たちを政府は表彰してもよいのではないか、と表明したひとはなんと、93.9%にのぼった。
回答者があげた懐メロ歌手上位10傑は次の通り。
1. Koes Plus 15.4%
2. Iwan Fals 5.3%
3. Ebiet G Ade 4.5%
4. Titiek Puspa 4.5%
5. Chrisye 4.5%
6. Nike Ardilla 2.7%
7. Bimbo 2.5%
8. Panbers 2.0%
9. Rinto Harahap 2.0%
10.Vina Panduwinata 1.6%
往時、それらの歌手が出すアルバムはまず例外なくカセットテープが媒体だった。誰もがラジカセを持ち、カセットテープに入ったヒット曲を鳴らすのが往年のスタイルだ。音の歪がどうこうなどと言うひとは稀であり、お好みの歌手の歌声に合わせて気持ちよく歌い、酔い痴れるのがその時代の若者たちの姿だったのである。
上の歌手たちが獲得したミリオンセラーには次のようなものがある。
1973 Koes Plus Koes Plus Volume 8 100万カセット
1981 Iwan Fals Sarjana Muda    100万カセット
1983 Gombloh Kugadaikan Cintaku  180万カセット
1984 Euis Darlia Apanya Dong     100万カセット
1985 Dian Piesesha Tak Ingin Sendiri  200万カセット
1988 Betharia Sonatha Hati Yang Luka 130万カセット
1994 Doel Sumbang Aku, Tikus, dan Kucing 200万カセット
1995 Nike Ardilla Sandiwara Cinta   500万カセット
21世紀に入ってからのミリオンセラーはカセットとCDを合算したものになった。大ヒットアルバムは次のようなもの。
2000 Sheila on 7 Kisah Klasik untuk Masa Depan 170万コピー
2000 Dewa 19 Bintang Lima      170万コピー
2000 Jamrud Ningrat         180万コピー
2001 Slank Virus          120万コピー
2004 Peterpan Bintang di Surga    270万コピー
2010 Indah Dewi Pertiwi Hipnotis    200万コピー
2011 Agnes Monica Agnes Is My Name   150万コピー
クスプルスのヒット曲はユーチューブで検索すると大量に出てくる。往年のインドネシアンテイストに浸りたいかたは、どうぞお試しを。


「懐メロ愛好者必見サイトはこれ」(2016年2月22日)
1960年代には、ブルンカカトゥアの歌をアップテンポのロカビリー調で歌うグループバンドも現れた。下の動画をお試しあれ。

https://www.youtube.com/watch?v=1iTe_mx18hY
あるいはこれ。↓↓↓
https://www.youtube.com/watch?v=_YsmOAHKliQ

最初の動画はグループバンド「ルマジャバハナ(Remadja Bahana)」の歌と演奏で、同じタイトル名のアルバムに収められている。古物市でこのアルバムに出会えれば、ラッキーというところ。諸外国のネットサイトでも、このアルバムがオファーされているらしいが、金額はルピア換算でおよそ80万ルピアになる。
二番目の動画は少女グループ(当時の)ダラプスピタ(Dara Puspita)が歌っているもの。
ルマジャバハナのアルバムはロカナンタが制作して市場にリリースした。ロカナンタというのは1956年に中部ジャワ州ソロに設立された国営音楽出版会社で、国民音楽振興をその使命にしている。
この会社は設立依頼5千タイトルを超える音楽制作を行い、その原盤が今も保管されている。ポピュラー音楽だけでなく、クロンチョン、ムラユ音楽、ジャズ、童謡、地方音楽、更にはガムランに至るまで、ジャンルはきわめて多岐に渡っている。
インドネシア民族の遺産であるそれらの音楽を倉庫の中に眠らせておくのはもったいないと、数名の有志が集まってロカナンタの倉庫に眠っている原盤を掘り起こし、デジタル音源に転換して無料でアクセスできるようにした。そのサイトはイラマヌサンタラという名称で、URLはhttp://iramanusantara.org/。
このサイトはインドネシアの懐メロの宝庫であり、既に1千1百を超えるタイトルが楽しめる状態になっている。ただし、この有志たちの嗜好傾向はインドネシアのポピュラー音楽であり、ポピュラー音楽が優先されているのは仕方ないとしても、上述の他のジャンルもちらほらと混じっていて、インドネシアの懐メロを懐かしみたい方から、知り尽くしたい方まで、このサイトにかかりきりになっても、数ヶ月は楽しめそうだ。


「ロンボッ島西部で海遊びを」(2016年2月25日)
西ヌサトゥンガラ州ロンボッ島の西端は、バリ島に向かって突き出した半島だ。ここは西ロンボッ県スコトン(Sekotong)郡で、三方が海に囲まれ、美しい砂浜と穏やかな海をあちこちに見出すことができる。マタラムの町から下ってくると半島の北岸部につながり、アスファルト舗装されたスコトン街道を経てシウン街道に至るその道程には、白砂青海とマングローブをはじめとする種々の植生が緑を滴らせている風景が目を楽しませてくれる。特にこのエリアの青く澄んだ海は波静かで穏やかだ。その道程は既にほとんどがホットミックスのアスファルト舗装になっており、マタラムの町からおよそ60キロ離れたスコトンまでは、四輪車でおよそ1時間程度かかるだけ。
問題は、公共運送機関が皆無であること。自家用車あるいはレンタカーチャーターでなければ、スコトンへ行くことができない。また自分で運転する場合は慎重さが要求される。西ロンボッ県の県庁所在地グルンを越えると、道路は起伏の激しい丘陵地帯に入り、急カーブを含んだ九十九おりの道路は急勾配の上り下りが入り乱れて、風景を楽しみながらのドライブどころではなくなるからだ。レンタカーは一日45〜55万ルピアで、運転手とガソリン代が込みになっている。島に渡りたいなら、タウンの船着場で漁船を改造した観光船をチャーターすることもできる。定員6人前後の観光船は一隻あたりのチャーター料金が25〜35万ルピアで、その料金でギリナング(Gili Nanggu)まで運んでもらえる。船頭はガイドを兼ねており、ギリナングで何を楽しみたいのかを言えば、船頭からいろいろな助言や案内を与えてもらうことができる。水泳に適した場所、シュノーケリングによい場所など、船頭の案内は的確だ。海中にパンくずを持ち込み、さんご礁にいる色とりどりの魚を自分の周囲に集めるのは、めったにできない体験になるだろう。
ロンボッでは、島のことをギリ(gili)と言う。このエリアに浮かんでいるさまざまな小島は、ギリアサハン、ギリグデ、ギリポー、ギリナング、ギリタンコン、ギリクディス、ギリスダッなどがあり、観光開発がなされて施設が設けられている島や、何もない無人島などいろいろだ。
ギリグデには漁村があり、漁夫が捕獲漁で生計を立てている。かれらの漁法は独特のもので、釣りや弓矢が伝統的に使われており、他の地方と異なるユニークさがある。ギリグデの隣にあるのがギリナングで、観光開発が進み、今ではロンボッ島西部地方で筆頭の観光先になっている。世界的な観光スポットになったギリトラワガン(Gili Trawangan)を凌駕する場所だ、とギリナングを絶賛するひともいる。ギリナングの海では、水泳・ダイビング・海中保存活動・日光浴まで、さまざまな楽しみ方をエンジョイできるそうだ。更にギリスダッは海鮮食堂島になっており、新鮮なシーフードを満喫することができる。ジャカルタからやってきた観光客の一人はスコトン北岸海域での行楽を心行くまで楽しみ、次回はもっと長期間ここで遊びたい、と印象を語っていた。
もちろん船に乗っての島遊びを敬遠するひともいる。そんなひとでも、数キロにわたるスコトンビーチで楽しむこともできる。サーファーの場所はないのか、ですって?サーフィンを楽しみたければ、ともかくロンボッ島西端に向かえばよい。島の西端にはバンコバンコビーチがあり、そこがサーファーのパラダイスになっている。ただし、そこに至る道程は難所が多く、急勾配の坂道を乗り切るためには四輪駆動車に頼る必要がある。バンコバンコに行くには、バリ島から海を渡るほうが容易だ。パダンバイ港から観光客向け小型船がバンコバンコまで乗客を運んでくれる。
ギリナングで遊ぶなら、入島料がひとり5千ルピア。ダイビングするなら器具を借りなければならない。それがひとりおよそ5万ルピアかかる。だがスコトンの観光産業はいまだほとんどが地元民の資本で行われており、ギリスダッの食事代金にしても、あらゆる料金は廉いと地元業界者は述べている。かれらは一度遊びに来た国内外観光客がリピーターになってくれることをもっとも望んでおり、観光客に満足感を与えることがその目標にどれほど有効であるかを理解しているからだそうだ。スコトンに宿泊施設がちらほらと出現し始めているが、スコトンで泊りがけで遊びたい需要を満たすにはほど遠い状態だ。ちなみに、2015年にスコトンを訪れた観光客は25,261人おり、そのうちで外国人観光客が22,065人という圧倒的マジョリティを占めている。


「チマヒ滝は虹の滝」(2016年2月26日)
チマヒとはスンダ語で豊かな水を意味する。チ(ci =水)+マヒ (mahi =たっぷり)という名の付けられた西ジャワ州バンドン市のベッドタウンから北に向かっておよそ13キロの位置にチュルッチマヒ(チマヒ滝)がある。バンドン市からだとおよそ19キロ離れている。
ジャワ島山岳地帯の西ジャワ州には数え切れないほどの滝があり、急峻な崖を落下してくる水の風景が多くのひとの心を慰めている。チマヒ滝は別名虹の滝とも呼ばれるように、13時から15時ごろまで陽光と水しぶきが作り出す虹が濡れた巨岩と周辺の緑に彩を添えてくれる。
広さ3.5ヘクタールのチュルッチマヒ行楽地は国営森林公社プルフタニが管理運営しており、ひとり1万5千ルピアの入場料を払って中に入る。2014年に再開発されたこの滝は、訪問客の増加とともに駐車場が整備され、そこに至る道路も舗装されて路面状態は悪くないが、山中であるだけに上り下りの勾配が楽ではない。
入り口周辺には地元民のワルンが並び、そして一帯に棲息しているサルたちが姿をあらわして訪問客を歓迎してくれる。この一帯に住んでいる尾長ザルは4百頭ほどいるそうだ。
滝つぼに向かう階段を降りはじめると、数分後には眺望が開けて70メートルの高さから二段構えで落下する流水の姿に目をみはることになる。途中には展望台がふたつ設けられており、そこで一休みしながらセルフィーに興じる行楽者の姿も絶えない。
滝つぼまで降りた行楽客の中には、すぐに履物を脱いで冷たい水に足を浸そうとする者もいる。虹が出る時間帯なら、そこにもうひとつの楽しみが追加されることになる。もちろん、滝から少々離れるのが虹を楽しむ絶対条件ではあるのだが。
チュルッチマヒは昼間だけ楽しめる場所ではない。夜間に滝の裏側から照射されるLEDの光が、行楽客を別天地に誘ってくれる。このライティングはアメリカのコロラドにある滝の照明にヒントを得て、管理運営者が2014年に設置したものだ。
2014年にここを訪れた行楽客は2万数千人だったが、2015年には9万人に激増した。2016年は10万人を超えるのが確実と見られている。行楽客のメインは地元西ジャワ州民で、特にバンドン市民が多いのだが、首都圏からも大勢やってくる。外国人観光客もちらほら混じり、マレーシア、シンガポール、そして中東のひとたちもいる。緑の山に滝という風景は中東人には珍しいものなのだろう。全身に心地よさをもたらす大自然の憩いに、砂漠の民も即座にシャッポを脱ぐようだ。


「上映禁止映画」(2016年2月26日)
インドネシアで映画の内容を検閲しているのは映画検閲機関(Lembaga Sensor Film)で、修正を命じたり、あるいは上映禁止措置を与えることもある。過去に上映禁止を命じられた映画には次のようなものがある。
年     タイトル        制作国     禁止理由
1994  True Lies アメリカ    SARA感情を刺激する
2001  Murudeka 17805 日本      政治論争を招くシーン
2006  Pocong インドネシア  残酷なシーンとSARA感情を刺激する
2009  Balibo オーストラリア 政治論争を招く
2012  The Act of Killing デンマーク・フィンランド・イギリス・ノルウエー・インドネシア  政治論争を招く
2014  Noah アメリカ    SARA感情を刺激する
2015  Fifty Shades of Grey アメリカ    ポルノシーン
2015  Look of Silence デンマーク・フィンランド・イギリス・ノルウエー・インドネシア  政治論争を招く
レフォルマシレジームに突入して以来、国民生活のあらゆる分野に自由化の波が押し寄せたため、映画検閲機関も国民感情を逆撫でするのを怖れて自粛していたが、2000年代に入ってから言うべきことを言うように姿勢が改められた。
それに強く反対する一部国民階層は、映画検閲制度の撤廃を要求するようになっているが、そう簡単に行かないのが現実だろう。
コンパス紙R&Dが2016年2月10〜12日に全国12大都市の電話帳からランダム抽出して行った回答者690人への電話インタビュー結果が公表されている。
質問1.映画を通しての国民教育に、シーンのカットや修正は効果があるか?
回答1.効果がある69.0%、効果なし25.5%、不明無回答5.5%
質問2.映画を通して国民にポジティブな価値観を提供するのを保証するには、どのような方法がもっとも妥当なのか?
回答2.対象観客層(大人・青少年・子供等)のカテゴリー指定50.4%、シーンカットと対象観客層の年齢別カテゴリー化33.6%、その他10.8%、不明無回答5.2%


「ソーダ水プールで遊ぼう」(2016年3月24日)
インドネシアで唯一の炭酸鉱泉が北スマトラ州北タパヌリ県タルトゥン郡パルブブ第1村にある。この泉の水は健康に良いから、大勢のひとが水浴できるようにしようと最初に考えたのは、もう80歳に達したミナル・シヒテさん。
最初、この泉はたくさんの岩の下に埋もれており、水に含有されている成分のために岩のあちこちが赤い色に染まっていた。そして、この泉の水が水田に流れ込むと、稲が枯れた。だから、ほとんどの村人は恐ろしい魔物に関連付けてこの泉に近寄ろうとしなかった。ひとびとはこの泉をアエッララと呼んだ。aek rara とは地元のバタッ語で赤い水を意味している。
ミナルさんは1973年に独力でたくさんの岩を掘り起こし、泉を露出させ、水をためて水浴できるようにした。そのとき運び出した岩はトラック3台分になったそうだ。土と岩で作ったプールは1990年にセメント作りのもっと大きなものに改造された。直径およそ50m深さ160cmの鉱泉プールは、大勢の入場客を収容することができる。
そして奇特なことに、ミナルさんはこの鉱泉プールを無料開放しているのだ。ミナルさんは入場客に飲食品を販売しており、かれは収入の一切をそこから得ている。バタッ独特の軽食であるランペッ、ゆで卵、バッワン、ピサンゴレンなどの素朴なメニューがメインを占める。
タルトゥン郡パルブブ村はメダン市から南へ285キロも離れており、市民がちょっと郊外へ遊びに行くという気分ではないが、それでも週末には周辺地域をはじめとしておよそ3百人もの入場客がある。平日は50人ほどだから、週末はてんてこ舞いという言葉がふさわしいにちがいない。クリスマスのような長期休暇になると、一日にやってくる客は6百人に達するそうだ。
ソーダ水の中に身を浸すセンセーションは、一度味を覚えると病みつきになるのかもしれない。浮き輪につかまって水遊びを楽しむ子供たちから、プールの一角に集まってのんびりとソーダ水に浸って談笑しているお年寄りまで、あらゆる世代が楽しめるこの炭酸鉱泉プールは、周囲に水田があるだけで、その先にはブキッバリサンの山並みが迫り、広大な自然の風景が入場客の目をも楽しませてくれる。
メダン市から陸路をタルトゥン郡まで行こうとすると7〜8時間かかる。しかしトバ湖へのアクセスを狙ってオープンしたシラギッ(Silangit)空港まで空路を使えば、空港からタルトゥンまでは40分の行程となる。ガルーダ航空がジャカルタからシラギッまでの直行便運航を開始しており、首都圏からのトバ湖観光もこれから盛んになっていくだろう。その観光ルートの中にこの炭酸鉱泉プールで遊ぶ半日をぜひ加えたいものだ。


「ロンボッをハラルツーリズムのメッカに」(2016年4月6日)
アラブ首長国連邦で開かれた2015年世界ホテルトラベルアワード大会で、ロンボッ島が世界ベストハラルツーリズム目的地と世界ベストハラルハネムーン目的地のふたつの賞を獲得した。政府はその実績に鑑み、ロンボッ島を名実ともに他に比類のないハラルツーリズム観光地にするための方策を実施することにした。
3月17日に観光大臣が明らかにしたところによれば、西ヌサトゥンガラ州政府との協力下に、ハラルツーリズム産業とそれを担う人材の開発のために、アラビア語のできるツアーガイドとツアープランナーを百人育成し、ハラルツーリズムホテルを百軒認定するとともにハラルホテル監査員を養成していくとのこと。それらの開発と育成はインドネシアウラマ評議会の協力を仰ぐことになっている。また、住民に対するハラルツーリズム啓蒙も地元行政によって進められる。
ロンボック島内でハラルツーリズム観光先候補として上がっているのは、スンギギ海岸・アンペナン旧市街・イスラミックセンターモスクなど。ホテルオベロイは上流層対象のモデルホテルにしていく構想。またロンボッ国際空港とシンガポールやマレーシアを結ぶ航空路の充実強化も計画されている。
ハラルツーリズム目的地としてのロンボッ島のPRは、2016年4月11〜16日のプソナタンボラフェスティバル、10月12日のムハラムフェスティバル、11〜12月のロンボッ・スンバワ文化月間などで行われることが予定されている。
ハラルツーリズムとは、ムスリムツーリストを対象にする観光産業を指しており、ムスリムツーリストへのサービスはイスラムの諸規範にもとづいて行われる。
ハラルツーリズム目的地としての条件は;
1)観光地としての条件を満たし、且つ保安とフレンドリーさが十分で、ムスリムツーリストが大勢訪問していること。
2)ムスリムに対するフレンドリーなサービスとムスリムに必要な施設が完備されていること。
−ハラルな料理が多種用意されていること
−空港にハラルファシリティ(ハラルレストランや礼拝所など)が完備され、ムスリムツーリストにフレンドリーなサービスが行われていること
−イスラムの諸規範に則した宿泊施設があること
3)地域住民にハラルの知識があり、ムスリムツーリストにフレンドリーで、コミュニケーションが容易に取れること。
となっている。


「歴史を映画で学ぶインドネシア人」(2016年4月21日)
観客動員数140万人という空前のヒットを記録した2000年の「シェリーナの冒険」が国産映画復興の転回点だった。そして年々、国産映画の発表件数は増加をたどり、2015年には100本がリリースされた。だが、ヒットどころか採算にも乗らなかった作品も少なくない。その作品に取り上げられたテーマが、観客動員数の鍵を握っていると言われている。
コンパス紙R&Dが2016年4月6〜8日に全国12大都市の17歳以上の住民523人に電話インタビューして集めた回答が紹介されている。回答者の世代が上がるにつれてインドネシア映画を好まないひとが増えているのは、興味深い現象だ。
質問。映画のテーマとしてあなたが好むジャンルは何ですか?
回答。
17〜30歳:歴史30.3%、コメディ25.0%、ドラマ17.4%、その他10.2%、インドネシア映画はきらい6.8%、不明・無回答2.3%
31〜50歳:歴史30.9%、コメディ25.7%、ドラマ18.3%、その他6.3%、インドネシア映画はきらい13.1%、不明・無回答5.7%
50歳超:歴史37.0%、コメディ14.8%、ドラマ17.6%、その他3.3%、インドネシア映画はきらい19.4%、不明・無回答7.9%


「若者は映画館へ行く」(2016年4月22日)
何で、どこで、映画を見るか?今や、わざわざ映画館へ映画を見に行こうという人口は減ってしまった。有料TVは家に居ながらにして毎日お好みの映画を見ることができ、新公開映画ですら、あまり長期間待たされることもなく放映してくれる。
コンパス紙が2016年2月20〜21日に首都圏の17歳以上の427人から集めた統計によれば、都民の映画鑑賞の状況は次のようになっていた。
有料TV 44.5%
映画館 31.1%
ストリーミング/ダウンロード 12.5%
DVD 9.8%
不明・無回答 2.1%
しかし30歳未満の世代は圧倒的に映画館を訪れている。
映画館 51.9%
ストリーミング/ダウンロード 24.0%
有料TV 16.5%
DVD 7.6%
ただし、若い世代の映画鑑賞はそのウエイトがどうやら少々異なっているようだ。同窓会や大勢の仲間が集まったとき、たくさんの友人たちと連れ立って映画館に入り、そのあと食事をするという流れが若い世代の行動習慣になっているらしい。
30歳未満の世代が映画館へだれと行くかという質問の答えは次のようになっていた。
友人 53.2%
家族・兄弟姉妹 29.1%
恋人 16.5%
その他 1.2%


「ジャカルタからのハイダウェイ」(2016年7月27日)
海を楽しみたいジャカルタ都民の行き先は、バリ島が常識になっている。ところが、それに勝るとも劣らないリゾートがつい目と鼻の先にあったのだ。ジャカルタ北部に広がるジャカルタ湾に点在するスリブ群島(Pulau Seribu)の中にあるふたつの島、プトゥリ島(Pulau Putri)とマチャン島(Pulau Macan)がそれだ。その二島は入島者数を制限しており、狭い島内に日帰り行楽客の雑踏ができることはないから、気持ちよく宿泊することができる。
プトゥリ島は広さ6.2Haで、宿泊施設の収容能力は140人ほど。満員になることはあまりなく、その半分くらいが埋まる程度だから、まるで島を独り占めしたような気分になれる。砂浜で、海で、プールで、海中で、ウオータースポーツを満喫できる。サンゴの海でシュノーケリングというのは欠かせないプログラムだそうだ。この島には海中トンネルが設けられており、水族館を訪れているような気分に浸ることもできる。宿泊施設はセミモダン構造で、一般的なスタイルだ。もしも、もっとひなびた宿泊施設をご希望なら、プトゥリ島から更に向こうにある小島、マチャン島がお勧めだ。スピードボートで20分の距離。
マチャン島は広さ1.5Haで、宿泊施設は小さく、収容能力は40人。こちらのほうがはるかにハイダウェイ気分を味わえる。宿は流木が使われ、非恒久的構造になっている。壁は簡素な素材が使われているので、容易に外界とつながる。海上に突き出ている部屋から、直接海に入ることも、砂浜に降りることも自由自在。
夕方には好評のサンセットクルーズが出発する。海上のベストビューポイントを目指して、船は島々を巡りながら走る。運よく水平線に沈み込んでいく夕陽の美しさに遭遇できるかどうかは、日ごろの心がけ次第かもしれない。
このハイダウェイはスリブ群島北部にあり、アンチョルドリームパーク内のマリーナから直航船に乗っておよそ2時間の船旅だ。週末のプトゥリ島行きパッケージは船賃と島内での?食事およびツアー込みでひとり180万ルピア。マチャン島宿泊がご希望なら、パッケージ料金は最低でひとり210万ルピアになる。
ジャカルタの日常から逃れて週末を楽しみたい都民にはうってつけの逃避先かもしれない。


「極楽鳥観測ツアーはニンボクラン地区へ」(2016年8月3日)
パプア州ジャヤプラ県ニンボクラン地区に生息している極楽鳥が森林不法伐採のために危機にさらされている。不法伐採は自然林を油ヤシ農園に転換することに派生して起こっている。ムルバウ、リングア、マトアなど経済価値の高い樹種が狙い撃ちされているのだ。
WWFインドネシアコーディネーターによれば、ニンボクラン地区はジャヤプラ県を代表する極楽鳥観測ツアー目的地であり、自然林が破壊されていくために鳥が正常な暮らしの姿態を示さなくなっている。「現場では一日平均16立米の木が運び出されており、伐採者は地元民に立米あたり20万ルピアを払っているだけだ。この森林に住む78種の鳥に脅威が訪れており、特にパプアの原生種である極楽鳥には厳しい状況になっている。」とのコーディネーターの弁。
ニンボクラン地区には極楽鳥観測スポットが三ヵ所ある。イシオ(Isio)、ジャランコレア(Jalan Korea)、ガントゥバン(Gantebang)の三ポイントでは、ヒヨクドリ(cenderawasih raja = Cicinnurus regius)、コフウチョウ(cenderawasih kecil = Paradisaea minor)、ジュウニセンフウチョウ(cenderawasih mati kawat = Seleucidis melanoleucus)、アオカオカマハシドリ(cenderawasih paruh sabit = Epimachus albertisi)の四種が観測できる。各スポットでは5時〜7時と15時〜17時に各種およそ10羽を見ることができ、中でもヒヨクドリは他地区の観測スポットで滅多に見られないため、ニンボクラン地区の人気が高い。
地元行政は不法伐採を真剣に抑制して、極楽鳥観光ツアーをもっと盛んにし、極楽鳥の保存をはからなければならない、とコーディネーターは要請している。
パプア州森林局長はそれに関して、森林の利用権は地元住民が所有しており、金が必要であることを理由にして森林伐採を許可する傾向が高い、と語る。不法伐採取締は監視官の人数不足で十分な監督ができていないこと、また監視のためのインフラが不十分であることもその原因のひとつだ、と述べている。


「国産映画ブーム再来か?」(2016年8月12日)
インドネシア最大の映画館チェーンであるCinema 21は国内総銀幕数の85%を占有している。2016年の7か月間にCinema 21が上映したインドネシア国産映画を鑑賞した観客数は1千6百万人に達した。これは過去5年間の年間観客動員数を凌駕する、目をみはるような記録だ。
観客動員数1百万人を超えた作品は次のようなもの。
Ada Apa Dengan Cinta 2
My Stupid Bos
Comic 8: Casino Kings Part 2
Koala Kumal
Rudy Habibie
I Love You from 38,000 Feet
London Love Story
この7作品だけで総観客数は1,430万人おり、他の61作品は合計が2百万人に満たない。
ちなみにCinema 21における2010年以来の国産映画年間観客動員数を見ると、2010年1,500万人、2011年1,480万人、2012年1,420万人、2013年1,330万人、2014年1,410万人、2015年1,420万人と続いている。
かつて起こったインドネシア国産映画ブームは2008〜2009年で、2008年はLaskar PelangiとAyat-Ayat Cintaの二作品が合算で7百万人超という観客数を記録して、年間合計3千万人が達成され、続く2009年にはKetika Cinta BertasbihやSang Pemimpinがヒットして年間観客数2千5百万人となった。
インドネシアの映画産業を保護するために、2009年法律第33号「映画法」で映画館のスクリーン数に割当制度が適用された。スクリーン数の6割が国産映画、外国産映画は4割という比率で各映画館は上映事業を行わなければならないことになっている。
この規定によって映画制作界と映画館業界の風通しは大きく改善されたようだが、映画館業界がビジネスを謳歌できるためには、映画制作界が良い映画をたくさん作らなければならないという、能力の問題がからんでくる。今年の景況が偶然でないことを祈るばかりなのだが・・・・


「ジャカルタ〜トバ湖航空路が大受け」(2016年8月19日)
北スマトラ州トバ湖の観光振興をサポートするため、北タパヌリ県のシラ~ギッ空港の活用増進をはかって16年3月からジャカルタ〜シラ~ギッ間航路が開設された。ガルーダ航空が3月に運航を開始したのは、ジョコ・ウィドド大統領が国内十大観光目的地育成を計って要請したことに端を発している。
現在ジャカルタ〜シラ~ギッ往復路線を運航しているのはガルーダ航空とスリウィジャヤエアーで、ガルーダは火金日曜日、スリウィジャヤは毎日2便を飛ばせている。どのフライトもロードファクターは85%前後に達しているそうだ。
観光省は2019年に外国人観光客1百万人のトバ湖への誘致目標を掲げた。今現在はまだ年間25万人程度でしかない。
16年4月の同路線乗客数は3,325人だったものが、6月にはなんと1万2千人を超えた。その数字はシラ~ギッ空港にとって能力超過を意味しており、同空港は施設拡張工事を迫られている。
空港運営会社PTアンカサプラIIはシラ~ギッ空港拡張計画を組んでおり、滑走路の長さを現在の2千4百メートルから2,650メートルに、幅を30メートルから45メートルに広げ、この工事が2017年5月に完成すれば160人乗りのB737がシラ~ギッ空港に着陸できるようになる。いまはATR72やボンバルディアJ1000が使われている。


「差別主義的外国人料金」(2016年8月22日)
2016年3月7日付けコンパス紙への投書"Tiket Turis Asing Mahal"から
拝啓、編集部殿。先週わたしは外国からの友人数人といっしょに、バンドンのタンクバンプラフ観光に行きました。そのとき、外国人の入場券がひとり20万ルピアであるのを知って驚きました。インドネシア人はひとり2万ルピアなのです。
それでわたしは券売窓口職員に尋ねました。「外国人旅行者はどうして10倍もの金額を払わなければならないのですか?」
「保安面の保障と保険金のためです。」職員はそう答えました。
山で遭難したひとを救出するための費用は、遭難者の人種や国籍には関係なく、誰でも同じなのではありませんか?外国人旅行者は観光地を10倍もひどく汚したり壊したりするのでしょうか?それとも外国人旅行者は観光地に来てもらいたくないので、外国からの観光客を減らすために入場券の価格を高くしているのでしょうか?ひょっとして、外国人から搾れるだけ搾ってやれ、などと考えているのではないでしょうね?
このような政策をどうして政府が行っているのか、わたしはいまだに理解できません。外国人観光客がインドネシアにやってくることを、外貨獲得のために政府は心底から望んでいるのではなかったのでしょうか?このような差別を嫌がって外国人の足が遠ざかったら、どうしますか?
外国人旅行者がインドネシアの観光スポットを見るのに、インドネシア人の10倍もの金額を支払わせるのはどうしてなのか、当局からの回答をお願いします。説明してください![ 南ジャカルタ市在住、ベルナール・スベール ]


「憧れのスンバ島ニヒワトゥ」(2016年8月23日)
東ヌサトゥンガラ州スンバ島西スンバ県ワノカカ(Wanokaka)にオープンしたホテルニヒワトゥ(Nihiwatu)をアメリカの雑誌Travel+Leisureが2016年世界ナンバーワンホテルに選出したことで、スンバ島を訪れる観光客が急増している。観光客ばかりか、観光ビジネス界も新たな金鉱を見出したらしく、事業進出を狙うビジネスマンも多数現場調査に訪れているそうだ。
これまではパソラと呼ばれる騎馬戦の祭礼と昔からの伝統を伝える家屋建築および巨石墳墓が商標だったスンバ島にホテルニヒワトゥという新たな目玉が生まれたことで、島内観光産業の発展が期待されている。
西スンバ県観光局長はこの現象について、観光客が激増しており、ワイカブバッで外国人の姿を見ない日はなくなった、と述べている。「ホテルニヒワトゥが世界ベストホテルに選べれてからというもの、ワイカブバッ(Waikabubak)には毎日、外国からの観光客やビジネスマンあるいは報道関係者がやってくるようになった。かれらはここからニヒワトゥに向かう。以前はひと月にせいぜい50人くらいだったのが、今では3百人くらいに増えている。
客室数60のホテルニヒワトゥでの休日を体験したいひとたちは、二週間前にインターネットで宿泊を予約し、5日間の宿泊費用を支払ってからスンバ島へやってくる。ホテル側は地元民を参加させたさまざまなアトラクションを用意しており、宿泊客に充実した5日間を提供しようと努めている。
未開発地区に豪奢な施設を建て、そこへ金持ち観光客が来て、地元民から隔絶された環境の中で自然を楽しむような、その種のイメージはホテルニヒワトゥに当てはまらない。このホテルは地元民にたいへんオープンで、従業員の9割は地元民であり、浄水確保も地元民と協議の上で行い、そのための植林もし、貧困地元民への殖産活動、そして保健クリニックを設けてマラリア治療も行っている。ホテル側は県庁に観光開発案を提出しており、県庁の支援を得て伝統式カンプンやイカット布作りカンプンを建設し、またスンバ馬百頭をそこで飼育するといった内容だ。」
州商工会議所会頭は、観光開発の波がスンバ島に押し寄せはじめた、と語る。「さまざまなビジネスマンの来訪と現地調査が急増している。既存の地域レイアウト計画に則した許認可が励行されて、乱開発が起こらないように地元政府は管理行政を引き締めなければならない。その一方で、スンバ島への観光パッケージツアーも売り出す必要がある。道路インフラ整備も手が打たれなければならないだろう。」
ワイカブバッとニヒワトゥを結ぶ道路は幅3メートルのアスファルト舗装であり、道幅が狭すぎるのに加えて、舗装もかなり傷んでいる。13キロの距離だから、自動車で10〜15分の所要時間のはずだが、今現在は50分かかっており、まずはこの道路改修が急務のようだ。


「バニュワギ県の観光村」(2016年9月23日)
観光開発促進を最大のテーマにして取り組んでいるバニュワギ県にはたくさんの観光村ができている。去る9月10日からの三連休に観光村は特別催事を企画し、県観光局や旅行代理店業界と組んで一般観光客を誘致した。ジャワの田舎のカンプンでの民宿とセットになったパッケージで販売され、一番廉いものはひとり3千ルピアが料金だった。
ゴンブンサリ村レレッ部落(Kampung Lerek Desa Gombengsari)はコーヒー豆摘みとロースト体験
トゥムングガン村(Desa Tumenggungan)はカンプンジャズコンサート
タマンサリ村(Desa Taman Sari)はイジェン火口湖の硫黄採取ツアー
バンスリン村(Desa Bangsring)は海中観光
クミレン村(Desa Kemiren)は地元芸能鑑賞
カリプロ郡ゴンボンサリ村レレッ部落のパッケージツアーはひとり10万ルピアだったが、観光客は終日コーヒー三昧で過ごし、時間を忘れた。コーヒーの木から豆を摘み、炒ってから粉にし、コーヒーを沸かして飲んで楽しむ。すべてコーヒー畑での活動だ。ひなびたカンプンの昼食も込みになっている。
クミレン村ではバニュワギの地元芸能ガンドリンの踊り、バロンダンス、水田の脇でアンクルン伴奏付き田舎風の食事。
バニュワギの地元芸能鑑賞を望むひとは、グループツアーでクミレン村へ行けばよい。予約は一週間以上前に行うこと。演者と食事の手配に時間が必要なためだ。
バンスリン村では、バリ海峡の海底を彩るサンゴ礁ツアーがひとり3万ルピアから。人工サンゴ礁作りに参加することもできる。あるいは美しい海岸のあるタブハン島へ海を渡る。船のチャーターは一隻60万ルピアだそうだ。
県庁は年間いろいろなフェステイバルを企画している。そこに観光村をからめさせるのは言うまでもない。ここのところ、県庁が企画するフェステイバルはたいへん盛況で、実に多数の観光客がバニュワギにやってくる。バニュワギにシティホテルはまだ少なく、宿泊施設の多くは旧式のモーテルタイプとリゾートホテル。多数の観光客がやってくれば、客室は奪い合いになる。
バニュワギの町中にできたホテルサンティカは大型シティホテルのひとつで、客室数は125。フェステイバルがあると完全満室になるそうだ。


「ムスリム観光客はロンボッを目指す」(2016年9月30日)
アラブ首長国連邦で開催された世界ハラルトラベルサミットでロンボッ島がベストハラルツーリズム目的地およびベストハラルハネムーン目的地に選ばれたことで、ロンボッを訪れる中東・ブルネイ・マレーシアからの観光客が増加している、とインドネシア旅行代理店協会会長が表明した。
「これまでマレーシアの観光客はパダン、メダン、バンドンなどを主な目的地にしてきたが、ロンボッ島でハラル観光を楽しみたいひとびとの目が注がれるようになってきた。過去一年間のプロモーション成果に伴って、ロンボッを訪れる観光客は力強い増加を感じさせている。もちろん観光プロモーションだけでよいわけがない。政府当局のインフラ充実や人材向上などの支援が不可欠だ。地方政府が現場でそれを盛り上げることこそ、一番求められているものである。」
観光省観光目的地開発担当デピュティはインドネシアのハラル観光国際プロモーションについて、2014年のGMTI(グローバルモスレムトラベルインデックス)でインドネシアは世界第6位だったが、2015年には4位に上昇しており、今や世界のナンバーワンは目と鼻の先に近付いている、と激を飛ばした。2015年は首位がマレーシア、そしてアラブ首長国連邦、トルコと続いている。その順位を覆して2019年に世界第一位の座を獲得することが政府の目標に置かれているとのこと。その方針に従って、観光省はハラル観光開発促進チームを組織し、アチェ州・西スマトラ州・西ヌサトゥンガラ州(特にロンボッ島)をハラル観光目的地に育成することに力を入れ始めた。2019年のムスリムツーリスト誘致目標は5百万人で、中国人観光客を凌駕するものになる。
ロンボッ島のホテルジャヤカルタGMは、ロンボッ島がベストハラルツーリズムの栄冠を得たことで、ムスリムツーリストの増加に顕著な影響が出ていることを明らかにした。2014年にホテルジャヤカルタに宿泊した外国人観光客の中では、中東からが405人、マレーシア502人だった。ところが2015年には935人と1,719人に激増している。
西ヌサトゥンガラ州観光局はロンボッ島のホテルレストランや独立した食堂などにハラル認定証を取らせるよう力を入れている。インドネシアウラマ評議会西ヌサトゥンガラ支部はその分野のハラル認定証を既に145件交付しているが、州内のホテル総数904軒、レストラン食堂総数1,379軒に比べれば、まだあまりにも少ない。


「バリ島がトップ観光地」(2016年10月19・20日)
コンパス紙R&Dが観光省と共同でインドネシア観光インデックスを表した。これは観光競争力インデックスと観光認識インデックスを統合させたもので、そこに全国505県市の二次データを融合させ、4種のアスペクト、14種のポスト、78種のインジケータの区分を設けて評点を抽出した。
観光認識インデックスは優良25県市の住民4,850人から回答を集め、専門家諸氏からなるチームを交えて評点が下されている。
観光競争力インデックスの四つのアスペクトに関してトップファイブは次のようになっていた。
(1)ビジネスサポート環境
デンパサル市 3.71
スレマン県 3.42
スマラン市 3.26
スラバヤ市 3.21
バントゥル県 3.19
(2)運営状況
スラカルタ(ソロ)市 3.99
デンパサル市 3.79
バドゥン県 3.68
マカッサル市 3.59
ヨグヤカルタ市 3.54
(3)自然と人工観光の潜在性(量的)
スカブミ県 3.79
バドゥン県 3.45
ボゴール県 3.39
ワカトビ県 3.29
ラジャアンパッ県 3.25
(4)サポートインフラ
マカッサル市 4.39
バンドン市 4.12
デンパサル市 4.12
スラバヤ市 3.89
パレンバン市 3.75
指数は0から5までの5段階で、5を満点としている。
では、2016年観光インデックスの内容を見てみよう。トップ10は次の通り。なお、下のリストは観光インデックス総合評点:観光競争力インデックス指数、観光認識インデックス指数の順番で数値が表示されている。
1.デンパサル市 3.81 : 3.94、3.42
2.スラバヤ市 3.74 : 3.87、3.35
3.バタム市 3.73 : 3.84、3.38
4.スレマン県 3.72 : 3.90、3.19
5.スマラン市 3.59 : 3.64、3.44
6.バドゥン県 3.55 : 3.66、3.23
7.バンドン市 3.39 : 3.34、3.54
8.バニュワギ県 3.30 : 3.26、3.41
9.ボゴール県 3.27 : 3.30、 3.26
10.バントゥル県 3.22 : 3.25、3.14
バリ島南部地域で世界のバリ島を演出しているデンパサル市とバリ国際空港を取り巻くクタやレギアンなど一連の地区を擁するバドゥン県が上位に入っているのは、バリ島が依然としてインドネシアを代表するトップランクの観光エリアであることを証明している。それを支えているのが行政と民間の観光運営力であり、ビジネス環境やインフラ整備のレベルである、と言えよう。
スラバヤ市については、元来ビジネス都市であったスラバヤがMICEセクターを順調に発展させている状況と無縁でない。ビジネスサポートとサポートインフラの面で高評点を得ていることが、全国第二位のポジションを支えている。
バタム市はシンガポールとの間に国際渡航船が運行していることで、インドネシアを訪れる外国人入国者数で第三位にある入国ポイントだ。ビンタン島などの周辺諸島とともに近隣諸国にとってのリゾート地を形成しており、観光産業の地位は高いと言えよう。
2016年8月にインドネシアに入国した外国人数は103万人で、前年同月実績から13%増加した。そのうちでバリ島の入国ポイントで記録された人数は44万人近くいて、対外的なインドネシアの観光地として他の追随を許さないパワーを誇っている。
しかしバリ島の一極集中でなく、政府としても豊富な国内観光資源への分散を図らなければならず、バリ島に入国した観光客の近隣観光地への移動に便宜を提供する政策が進められている。「ビヨンドバリ」と命名されたその方針によって、バリからヨグヤカルタ、トラジャ、ロンボッなどへの移動手段の充実や現地観光情報の提供などが豊富さを増している。
ガジャマダ大学教官は政府の方針に関連して、バリと他の観光地を抱き合わせるのは適切な方針だが、他の観光地がバリと同じような印象を与えるなら、その努力はなかなか成功しないだろう、と語った。「バリとは異なるユニークさを売り物にする他の観光地と抱き合わせることで、観光客はより深い満足を味わう。昨今の旅行者は情報通信技術と移動コネクティビティが進歩したおかげで、たいへん倹約的になっている。短い休日を利用して多くの場所を高い効率で移動する。だから、あれこれと催事を用意しなければ、旅行者はたくさん出費しない。重要なのは滞在日数の長さでなく、出費の大きさだ。われわれが必要としているのは、10日間滞在するが財布のひもが固い旅行者ではないのだ。政府は2019年に外国人観光客2千万人誘致、外貨収入200億米ドルを目標にしている。」
今インドネシアの観光セクターはGDPの10%を占め、外貨収入ランキングでは第4位となっている。しかし観光セクター収益を伸ばすことは他セクターよりも容易であることから、政府の力の入れ方がどうなっていくかは想像に余りある、と観光大臣は語っている。


「ジャカルタ〜コモド間直航便」(2016年10月27・28日)
ガルーダ航空はこれまでジャカルタのスカルノハッタ空港からラブアンバジョのコモド空港へのフライトサービスをデンパサル経由で行っていたが、2016年10月21日から直航便の運航を開始した。
コモド国立公園ツーリズム振興のために政府はそれまでのムティアラII空港という名称をコモド空港に改め、みすぼらしい田舎の空港を2015年12月に改装してモダンで魅力的なものに変えている。
ガルーダ航空のフライトスケジュールは土曜日を除く毎日一便で、客席数96のボンバルディアCRJ1000NextGen が使用される。ジャカルタ発は10時5分、ラブアンバジョ着は13時35分。戻りフライトはコモド空港発14時15分、スカルノハッタ空港着15時25分。
コモド空港はコモド島でなく、本島にあたるフローレス島西端の西マンガライ県ラブアンバジョにある。コモドドラゴンの生の姿を見るためには、ラブアンバジョからコモド国立公園の島々へ船で渡らなければならない。
ラブアンバジョの埠頭に並ぶチャーター船は、最大5人の乗客で一船あたり2〜4百万ルピア。定価はなく、タワルムナワルが普通。外国人観光客は高めの相場が使われ、ジャカルタからの客でも高めの相場を出してハードネゴが戻ってこなければ、それで押し通される。コモド島やリンチャ島に2〜4時間かけて渡る場合でも、あるいはダイビングやシュノーケリングをする場合でも、同一のルールが使われる。コモド国立公園の中でコモドドラゴンがもっとも多数生息しているのはリンチャ島で、個体数は2千8百頭と言われている。コモドドラゴンは海面を泳ぐことができ、別の島へ渡ることもできる。
コモドドラゴンは凶暴な肉食獣であることから、コモド観光に際して観光客はさまざまな警告を与えられる。コモド観光が最近のように容易に行えなかった時代、それでも資金と時間に余裕のある階層はコモド観光を行った。そんな時代に観光客が襲われて死亡するという事件もあったし、地元島民が襲われて怪我をし、すぐれた病院のある大きい町へ緊急輸送されることも毎年何件か起こっている。
凶暴な野獣と同じ空間に共存するということのなくなった現代都会人の目からは、地元島民がどうしてそんな生活をしなければならないのかという疑問が湧き起る。だが人類は、気の遠くなるような太古から、そんな歴史を歩んできたのだということを思い出す必要があるだろう。凶暴な野獣は生活圏から排除して、おとなしい獣だけを共存相手にしてきたことで、地上の生態系は原初的なものから大きく離れてしまった。ひとが「自然に帰れ」と叫ぶとき、はたしてそのひとの脳裏に危険に満ちた原初的な生態系がイメージされているのだろうか?
コモド村にはグロンとオラという双子の兄妹の伝説が語り伝えられている。竜姫(Putri Naga Komodo)の伝説だ。この姫はマジョという名の夫を持ち、妊娠して双子の子を産んだ。人間の姿をした男児にはグロンと名付け、トカゲの姿をした女児はオラと名付けた。竜姫はオラを大自然の中に放った。それが竜姫にとって最善の解決策だったにちがいない。グロンは村のコミュニティの中で成長した。ある日かれは鹿狩りのために森に入った。
鹿を探し当てたグロンは必中の矢を放つ。と、その瞬間、矢よりも早く巨大なトカゲが鹿を襲ってかみついたのだ。倒した鹿に前脚を載せて巨大トカゲはグロンに牙をむきだし、威嚇した。巨大トカゲが見せた敵意にグロンは反応した。かれはすぐに矢をつがえると、巨大トカゲに向けた。
そのとき、思いがけなくグロンの母である竜姫が現れてグロンを止めた。「あれはお前の妹のオラなのです。自分の兄弟姉妹を傷つけてはなりません。」それ以来、グロンはオラを気遣い、保護し続けた。村人たちもグロンにならった。
先祖代々伝えられてきたこの話で、地元民はコモドドラゴンが自分たちの兄弟であるという親近感を抱き、同一空間内で野獣と共存することに努めて来たのだ。だから、コモドドラゴンが村民の飼っている家畜を襲って食っても、復讐しようとする者はいない。
島々にはもちろん、コモドドラゴン以外の野生動物も棲息している。そんな鹿や水牛を狩るために、島外からハンターがやってくる。だが地元民たちは慣習に従って、コモドドラゴンを狩ることはもちろん、ほかの野生動物を狩ることさえ許さない。ほかの野生動物はコモドドラゴンのための餌なのだから。
コモドドラゴンが古代恐竜の唯一の生き残りであり、また古代人ホモフロリエンシスが発見され、マンガライの丘陵地帯にあるバトゥチュルミン洞窟の壁面には、レリーフとなった化石を目にすることができる。考古学者はマンガライの海岸部が太古の時代は海底だった、と語っている。ラブアンバジョの旅は、あたかもタイムトンネルをくぐって訪れる世界のようだ。


「バニュワギ〜西バリのエコ観光」(2016年11月3・4日)
ジャワ島東端のバニュワギ県はアブドゥラ・アズワル・アナス県令の指揮下に、観光産業振興による県経済活性化に取り組んでいる。インドネシアのトップ観光地バリ島のお隣という地の利を得て、県内至る所で観光地化が促進されており、毎月催されるさまざまなフェスティバルにはバリ島を訪れた外国人観光客も足を延ばしているありさまだ。そしてついに、外国観光客船がバニュワギ県にやってくるほどのものになったのである。
2016年9月には、アラスプルウォ(Alas Purwo)の海岸に客船が停泊している姿が見られた。そしてこの10月20日には、乗客数85人という規模の船であるとはいえ、国際観光客船シルバーディスカバラー号がタンジュンワギ(Tanjung Wangi)港に入港した。
乗船客にとっては一日だけの観光であるとはいえ、バニュワギ県イジェン(Ijen)火口湖のブルーファイアーは世界的に有名なアトラクションであり、また県内あちこちの村々が観光産業を構築して村おこしを行っており、存分な愉しみをかれらは味わったようだ。
政府観光省が行っているインドネシア観光プロモーションの中にバニュワギ県は既に着実な場を占めており、欧米人観光客誘致を狙ってバニュワギの観光プロモが行われている。2015年にバニュワギ県を訪れた外国人観光客は4万人に達し、今年はさらに1万人上乗せという意欲的な目標が組まれている。
この昇龍と化したバニュワギ県の観光産業は、更にバリ島へと翼を広げ始めた。国内ナンバーワンの観光地であるバリ島の状況をつぶさに見るなら、クタを中心とする南部地区の一極集中が依然として続いており、そこから北部東部への拡大は徐々に進んでいるがバリ島北岸のロヴィナ〜シガラジャや東岸のカランガスムまでその波が届くのはいつのことかという思いを抱くのは、わたしだけであるまい。
ましてや、西に向かってはほとんどさざ波も立たないようなありさまであり、西バリ国立公園やムンジャガン(Menjangan)島はいまだに好事家のハイダウェイでしかないように見える。
観光省もその状況の打開策を探った末に、バニュワギ県と共同で広域エコツーリズムクラスター構想を打ち上げた。バニュワギ県北西部にあるバルラン(Baluran)国立公園、世界的に有名なイジェン火口湖、そしてバリ州のブレレン(Buleleng)県とジュンブラナ(Jembrana)県にまたがる西バリ国立公園をセットにして、自然を愛好する観光客をその三ヵ所に導くための開発を行おうというものだ。観光ルートに沿った交通のインフラ充実がこれから進められることになる。
西バリでの焦点は既存のムンジャガン島であり、バリ本島との間の渡船の便と施設を増やすことが急務だろう。またバリ海峡を超えてバニュワギ県とムンジャガン島を直接結ぶ海上ルートも検討されており、クタパン(Ketapang)〜ギリマヌッ(Gilimanuk)間のジャワ〜バリ渡海フェリーとは別にバニュワギ県のバリ海峡北部に面した船着き場を設けることも構想の中にある。それをにらんで、既存のワトゥドドル(Watu Dodol)行楽地に政府の援助で埠頭が設けられる計画が進められている。
また、イジェン火口湖の観光は、入山口から何キロもの道のりを徒歩で移動しなければならない。そのためバニュワギ県側はロープウエー建設案を作って民間投資を招くことにしており、興味を抱く企業も現れている由。ただしその建設には森林生活環境省の承認が必要であるため、県はすでにその申請を出しており、現在は省での検討段階にある。
一方、民間観光セクターは政府が先導するのを待つまでもなく、観光商品の拡大に手を付けている。バニュワギ市内の旅行代理店は、既にバルラン〜イジェン〜ムンジャガンを組み込んだツアーの販売を開始している。ツアー会社オシンツアーの責任者は、目を見張るような売れ行きだ、と言う。ひとり60万ルピアというこのツアーは週末になると購入客が100人に達するそうだ。一泊二日でバルランの野生動物や自然を愉しみ、イジェン火山に登り、ムンジャガンでシュノーケリングを遊ぶことができる。
かつては自然科学者の観察フィールドだったバルランのステップ気候は、熱帯にあるジャワ島の中でたいへん特異な自然の姿を見せてくれるものであり、国立公園に指定されて野生動物が保護されてきたこともあって、エコツーリズムとしては屈指の環境を備えている。ジャワの野牛が多数生き残っている数少ない土地だ。
そこに観光客が訪れるようになったことから、地元民も観光産業に携わって経済性を高める者が増加している。バルラン周辺の村々にはホームステイの看板が続々と掲げられるようになってきた。
バルラン国立公園管理長は2015年の観光入園費収入が17億ルピアに達した、と語った。その前年のレベルに応じて収入予算が12億で組まれていただけに、いかに観光客が増加しているか、ということがそこからわかる。
「ここへやってくるひとは、昔はジャワ野牛を観察するのがもっぱらだったが、今では海に入ってダイビングやシュノーケリングを愉しみ、さらにマングローブの森を散歩している。日帰りなどでなく、一泊して存分に楽しんでいただきたいものだ。」公園管理長はそう希望を付け加えた。


「ありがとう、アディスチプト空港」(2016年11月3日)
2016年7月11日付けコンパス紙への投書"Terima Kasih Petugas Bandara"から
拝啓、編集部殿。2016年6月12日夜、わたしはヨグヤカルタのアディスチプト空港からスラバヤへ、スリウィジャヤ航空SJ−234便で飛びました。Bターミナル待合室でなくしたわたしの携帯電話機をわたしに返してくれた空港管理会社アンカサプラ1とスリウィジャヤ航空にお礼を申し上げたいと存じます。
電話機をなくしたことに気付いたわたしは、20時10分にアディスチプト空港セキュリティ窓口に届け出ました。すると20時25分に、その電話機が探索できたことを教えてくれたのです。23時45分にわたしがスラバヤに着いたとき、アディスチプト空港セキュリティからわたしの電話機が回収されているとの連絡が届きました。[ ボゴール市在住、アフレザ・ロザッ ]


「コステル」(2016年11月15日)
歴史的に見るなら、コス(kos)というインドネシア語は元々一般家庭に寄宿する「下宿」を指していた。オランダ語の単語kostに由来しており、kostの意味は生計や暮らし、賄い、食事の世話、食べ物などといったもので、その家庭が寄宿者の宿や食事を世話する(下宿代をもらって)ことをオランダ人がin de kost nemenなどという表現で言い表していたのを、インドネシア人はkosという一語にして取り込んだ。
だから、二十数年くらい前までは、一般家庭が空き部屋を他人に貸すという形でコスビジネスが営まれていた。日本でも昔そうだったように、下宿人が自分の家の中に同居することがだんだん好まれなくなり、オーナーの個人生活と下宿人のプライバシーを分離させる方向に進んだ結果、一般家庭は貸し部屋の構造を作り変えて互いの生活を分離させる方向に動いた。そしてビジネスをもっと発展させたい家庭はオーナー一家が別の家に引っ越し、その家は改装して空き部屋ばかりにしてしまうという、完全な貸し部屋方式に変わって行ったが、名称はコスのまま残された。
そういう流れの中で、コスビジネスも激しい競争にさらされるようになる。コスオーナーの中に、美しく清潔で快適な、まるでホテルやアパートメントのような建物に改装する者が出て来た。シャワー・トイレ付きのまるでホテルのような姿に変わっても、名称は依然としてコスという名が使われた。コスという名が付けばホテルやアパートメントよりも廉価だというのが、消費者の間の常識になっているのかもしれない。
そして2016年10月、タングランのガディンスルポン地区にコステル(kostel)なるものが出現した。ホテルクオリティのコスという意味だ。
コステルアヴィラレジデンスは床面積15平米と30平米の部屋を賃貸しするもので、ひと月単位が40室、一日単位のものが20室ある。一日単位となれば、もはやホテルかレンタルアパートメントと同じだが、あくまでもコスという名称を使って庶民的で廉価というイメージを追求している。
サービス内容はバジェットホテルとほとんど変わらず、エアコン、室内浴室、電話、インターネット、ケーブルTV、お湯、ランドリーサービス、ルームクリーニング、無料駐車場などが完備されている。ただし、食堂やスポーツ施設はなく、パントリー・物干し・冷蔵庫もない。館内セキュリティはリフトへのアクセスカード方式。月間契約すれば毎週一回ルームクリーニングが無料サービス。ランドリーは有料で、料金はキログラム当たり1万ルピア。
このコステルは既にたいへんな人気で、月単位の部屋は満室、日単位の部屋は85%が埋まっている。月単位の部屋を借りたければ、ウエイティングリストに名前を入れておかなければならない。
料金はシュペリエルルームが一泊28万ルピアで朝食なし。朝食付きだと33万ルピアになる。月単位だと、朝食なしで400万ルピア、朝食付きは475万ルピア。スイートルームと称するツインの部屋は一泊66万ルピア、ひと月600万ルピア。支払いはすべて前払いだ。一年間一括契約すると、ひと月無料にしてくれる。
このアヴィラレジデンスに近いバジェットホテルの料金は一泊50万ルピアだから、ホテル業界にとってコステルはたいへんな強敵となる。ホテル業界はレンタルアパートメントやコステルの出現に対して、不健全競争を煽るものであり、ビジネス形態の明確な区別がなされなければならない、と政府に統制をかけるよう求めている。コスやレンタルアパートメントは月単位契約が本来の形であり、一日単位はホテル業界とバッティングするため不健全競争の元になるというのがホテル業界者の主張だ。
不健全競争は税金から既に始まっている。ホテル業界はホテルレストラン税が課されているのだが、コスには課税されていない。コスはホテルでないというのがコス側の主張であっても、していることがホテルもどきであるなら、そのダブルスタンダードは正されなければならないにちがいない。


「航空会社に弄ばれる妊婦」(2016年11月15日)
2016年6月22日付けコンパス紙への投書"Telantar di Singapura"から
拝啓、編集部殿。消費者であるわたしどもは、シンガポールのライオンエアーに物質的非物質的損害を与えられ、たいへん失望しています。
2016年5月11日17時15分シンガポール発ジャカルタ行きフライトの搭乗前の最終ゲートで、妊娠28週間のわたしの妻の出国にライオンエアー係員がストップをかけました。シンガポールへ出発する二日前にブカシの産科医に作ってもらった診断書をわたしは係員に示しましたが、ライオンエアー側はむりやりわたしどもの予約を取り消したのです。おまけに、妻だけでなく、シンガポールからジャカルタに向かう妊娠もしていないふたりの娘とわたしまで一緒にして。
すぐにクリニックを訪れて搭乗するのに問題ないという書類を作ってもらいましたが、その夜まだジャカルタ行きフライトがあるというのに、ライオンエアーは翌日の航空券を買うようわたしどもに強いたのです。
シンガポールのライオンエアー職員が言うには、ライオンエアーはシンガポールにオフィスを置いておらず、シンガポールでライオンエアーの業務を扱っているのは違う会社なのだそうです。だから苦情はインドネシアで提出しなければならないと言いました。何の補償も与えられず、わたしどもはシンガポール空港で一晩、捨て置かれました。[ 東ジャカルタ市在住、THシトルス ]


「スラバヤの観光人気はいまひとつ」(2016年11月25日)
全国的に観光客船の来航が増加している昨今、スラバヤのタンジュンペラッ港は逆傾向を示している。2014年には11隻が8,036人の観光客を運んできたものの、2015年は4隻2,334人に激減し、2016年は4隻が予定されていたというのに1隻はキャンセルされて3隻になった。11月14日に入港したオランダ船籍のフォレンダム号が16年の2隻目で、12月にもう1隻が予定されており、もしもそれが来航しなければ今年は2隻で終わることになる。
タンジュンペラッ港を運営しているプリンドIII社によれば、来航をキャンセルした船はテロの不安が理由だったとのこと。加えて、スラバヤ周辺には興味を惹く観光地が少なく、スラバヤの町を歴史観光したい乗客だけがスラバヤへやってくる傾向が起こっているそうだ。
2014年に49隻、15年は58隻、16年上半期は25隻という実績のバリ島ブノア港や、2014年に25隻、15年は19隻という実績のスマランのタンジュンマス港に比べたら、スラバヤはまったく淋しいかぎりの状況になっている。
ほとんどがオランダ人であるフォレンダム号乗客1.067人は、入港するとタンジュンぺラッ港の埠頭でレオッ・ポノロゴのショーに迎えられ、ジョコ・ドロッの像、スラバヤ市庁舎、潜水艦記念碑、カヨオン花市場、クレテッ博物館とハウスオブサンプルナなどの市内観光訪問を行い、
市庁舎では地元舞踊や地元料理を愉しむ機会も用意された。かれらにはご機嫌のスラバヤ市内観光だったようだ。


「サービスをミスれば儲かる」(2016年11月29日)
2016年6月11日付けコンパス紙への投書"Dirugikan SMS Info Tunda"から
拝啓、編集部殿。2016年5月29日(日)12時17分、わたしはスラバヤ発ジャカルタ行のシティリンク航空券を注文しました。出発時間19時のQG818便です。
14時9分、シティリンクからの公式連絡SMSが届きました。ジャカルタ行きQG806便は出発が21時50分になるという内容です。
シティリンクの公式SMSであったこと、そのときわたしは路上にいて便名がわたしの注文した便名と違っていたことに注意が集中できていなかったことなどのために、これはQG818便に関する遅延案内だと思い込んでしまいました。わたしは妻に、出発時間が21時50分になると告げました。
18時半にわたしが空港でQG818便のチェックインをしようとしたところ、チェックインを拒否され、SMSの内容に関するわたしの思い込みがやっと呪縛から解放されました。シティリンクが発信した公式SMSはQG806便搭乗予定者向けのものだったのです。QG818便の搭乗予定者にはまるで無関係のものでした。
シティリンクからのSMS案内をわたしが誤解し、便名を確かめることを怠った責任はわたしにあります。しかたなくわたしは、21時20分発ジャカルタ行きの航空券をまた買わなければならない目にあいました。
シティリンクは搭乗予定者に対する時間変更案内SMSを発信するに当たって、もっとプロフェッショナルな仕事をしてください。たいていの一般消費者は、便名まで逐一チェックするような注意を払いません。時間変更案内が届けば、それは自分が乗るフライトに関するものだと思うのが普通です。発信する相手を間違えたなら、わたしの身に起こったように、消費者に損害を与える可能性が大変高いではありませんか?
時間変更SMSはそのフライトの航空券を持っている搭乗予定者にだけ発信してください。別のフライトの搭乗予定者にまで無関係な時間変更案内を送ることはしないでください。そのSMSのおかげで、わたしは一日に二回も同じルートの航空券を買うはめになったのです。料金も決して廉くないというのに。[ タングラン在住、ラスノ ]


「バントゥル県を観光する」(2016年12月06日)
ヨグヤカルタ特別州は州都であるヨグヤカルタ(Yogyakarta)市、スレマン(Sleman)県、クロンプロゴ(Kulon Progo)県、バントゥル(Bantul)県、グヌンキドゥル(Gunung Kidul)県の四県一市で構成されている。ヨグヤカルタのビーチというのは普通、ヨグヤ市南部に位置するバントゥル県の海岸を指している。ヨグヤ市自身は海岸を持っていないのだ。観光にヨグヤカルタを訪れたなら、市内観光だけでなくバントゥル県の観光地にも足を延ばしてみたいものだ。
2016年5月にグヌンキドゥル県との県境の高原地区にオープンした眺望の素晴らしい観光地がある。バントゥル県イモギリ(Imogiri)郡マグナン(Mangunan)村のパグックディウン丘(Bukit Panguk Kediwung)がそれ。早朝は朝霧が立ち込める険しい登り坂を頂上まで上がれば、運がよければ雲の上に現れる太陽を拝むことができる。太陽が昇れば、果てしなく連なるグヌンキドゥルの緑の丘陵と、はるか下方を流れるバントゥル県とグヌンキドゥル県の県境をなすオヤ川のきらめきを5ヵ所設けられた眺望台から見渡すこともできる。この観光地は朝5時にオープンし、夕方18時に閉まる。
眺めの良さがたいへんな人気を集めており、平日は1〜2百人、日曜日は5〜8百人の訪問者があるそうだ。マグナン村には他にも果樹園での果実狩りや松の森林での森林浴など訪問者を招く場所がいくつか用意されている。
スダユ(Sedayu)町ではトゥビンカルスト(Karst Tubing)川下りツアーが楽しめる。これは16年6月にオープンした行楽プログラムで、アルゴムリヨ(Argomulyo)村スロバヤン(Surobayan)部落からタイヤの浮き輪に乗ってコンテン(Konteng)川をたどるという川下り。カルスト地形の真っただ中を流れる狭い水流に乘りながら、周囲の巨岩に抱かれて川を下るという醍醐味がここの身上のようだ。こちらは、平日1百人、休日3百人ほどの人出とのこと。
バントゥル県統計庁データによると、観光地の入園料収入の大きいのは次の9ヵ所だそうで、つまりは訪問者の多い、人気のある場所がそこだと言えるにちがいない。その中の6ヵ所が全長13.7kmの県南部海岸に並んでいる。東から西に次のような順番だ。
Pantai Parangtritis
Pantai Depok
Pantai Samas
Pantai Goa Cemara
Pantai Kuwaru
Pantai Pandansimo
そこに作られている砂丘は東南アジアでナンバーワンと評価されており、年間190万人が訪れる州内最大の観光スポットになっている。それらのビーチの中で人気が高いのは、パラントリティス、サマス、クワルの三つ。
残る3ヵ所の観光スポットは;
Kolam Renang Tirta Tamansari
Goa Selarong
Goa Cerme
なお、ティルタタマンサリはヨグヤ王宮に属すタマンサリとは別の、バントゥル県民のための公共プールなので、誤解なさらないようお願いします。


「国内線の乗り継ぎはアブナイ」(2016年12月21日)
2016年8月6日付けコンパス紙への投書"Tiket Hangus"から
拝啓、編集部殿。2016年7月25日にわたしの72歳の母マシヤティは具合が良くない体調でジュンブル発スラバヤ行きガルーダ航空GA7307便に乗りました。わたしの姪アンディタ・スラサリ27歳が母に付き添いました。
出発は10時の予定だったのに、運航上の都合という理由で遅延し、11時15分にやっと出発しました。
到着時間の5分ほど前にスラバヤ空港に着陸しますという案内があったにもかかわらず、機体は上空をおよそ20分間旋回し、結局「当機はデンパサルのグラライ空港に着陸します」という案内に変ったのです。「燃料の補給をするので、乗客はそのまま座ってお待ちください」というアナウンスがあったにもかかわらず、奇妙なことに4〜5人の乗客が飛行機から降りて行きました。
母と姪はスラバヤで13時50分発のジャカルタ行きシティリンクQG180便に乗り継ぐ予定だったため、時間がとても心配になりました。13時15分になっても、ガルーダ機はグラライ空港にいるままです。
結局、ガルーダ機がスラバヤのジュアンダ空港第2ターミナルに到着したのは14時半で、この遅延はVIPのフライトがあったためだという説明がアナウンスされました。
ジュアンダ空港には乗客の乗り継ぎを世話するガルーダ職員がおらず、だれひとり「乗り継ぎする乗客はいませんか」と声をかけてもきません。ガルーダ航空カスタマーサービス職員は「他の航空会社のチケットはガルーダの責任外であり、補償は何もできません。」と言っただけでした。遅延したのはガルーダ航空自身だったにもかかわらず。
同じような事態に陥った他の乗客にも同様に「乗り継ぎのことについてはジュアンダ空港第1ターミナルのシティリンクカウンターへ行って、各自ご相談ください。」という宣告で終わりました。母の健康状態を考慮して、姪は17時スラバヤ発のバティックエアーID6579便の航空券を買いました。最高の価格で。[ 東ジャカルタ市在住、バンバン・エコ ]


「ボロブドゥルゴーグリーン」(2016年12月22日)
チャンディボロブドゥルの石造建築物を取り巻く直近周縁部であるゾーン1を植栽で埋める計画をボロブドゥル保存館長が明らかにした。実際には2010年以来すでに6百本の樹木が植えられているが、更に希少種の植栽をもっと増やすことによってチャンディボロブドゥル遺跡を緑の色濃いものにし、遺跡の快適さを高めるとともに、訪問者の足を石造の遺跡とこの植物園に分散して遺跡の負担を軽減させ、同時に訪問者にもプラスアルファを愉しんでもらおうというのがその計画の骨子。
その計画に沿って、この16年12月にもクウェニ、デワンダル、プロノジウォなどの樹種が190本植えられた。今後も毎年200〜250本を植樹していくとのこと。