インドネシア交通情報2007〜08年


「インドネシアの全航空会社に対して欧州乗り入れ禁止措置」(2007年7月2日)
欧州委員会が世界の安全でない航空会社に関するブラックリストを発表した。危険とされた航空会社はEU諸国への乗り入れが禁止され、またEU諸国民に対してもそれらの航空会社を使わないよう警告が出されることになっている。このブラックリストにはインドネシアのすべての航空会社をはじめ、アンゴラ、ブルガリア、モルドバ、ロシアの航空会社の名が記されている。EU運輸委員会によれば今回の措置はEU航空安全委員会のアドバイスによるものであり、運輸委員会はブラックリスト航空会社の乗り入れ禁止と国民への警告措置を行うよう全27加盟国に要請することにしている。
インドネシア政府はこの措置に対する事前の対応として6月22日に欧州委員会本部での総会で事情説明を行ないたいと申し入れていたが、その努力は実現せず先にブラックリストの発表がなされてしまった。その後総会での事情説明の機会は2007年10月に実現する目処が立ったため、そのさいにインドネシアが行っている航空安全に関する改善努力を強くアピールする考えでいることを運通省空運総局長は表明している。またそれまでの間にICAO、FAA、航空機製造会社などに支援を求めて欧州委員会に対するロビー活動を展開する計画を立てている。

ところで現在インドネシアから欧州に乗り入れているインドネシアの航空会社はひとつもないことから、今回の乗り入れ禁止措置によって空運サービス利用者が巻き込まれるであろう混乱は避けられた。かつて欧州線を運行させていたガルーダ航空は2004年末に経済性の問題からその路線を廃止したまま現在にいたっており、欧州向けはマレーシア航空とのコードシェアリングを行っているだけ。つい先日運通省空運総局が安全基準カテゴリー1に位置付けたばかりのガルーダ航空は今回の措置に面食らっているようす。2008年にアムステルダム線を再開させる計画を組んでいたガルーダは、欧州委員会の決定は情報不足に立脚したものであるにちがいないと見て国際機関を通じてEUに対する働きかけを強める意思を明らかにしている。


「ガルーダ航空が積み残し慰謝料をくれた」(2007年7月4日)
2007年5月2日付けコンパス紙への投書"Garuda Indonesia Memalukan"から
拝啓、編集部殿。わたしの夫は2007年3月30日ジャカルタ発メダン行きGA196便の切符を1月22日にドゥイダヤツアーで購入しました。3月30日にスカルノハッタ空港のガルーダ航空カウンターでチェックインしたところ、夫は他の11人の乗客と共にガルーダ航空職員にオフィスへ案内されました。事務所にいたガルーダの職員はその乗客たちに「機内の座席はもういっぱいなのでお持ちの切符はキャンセルになります。」と言いました。ドゥイダヤツアーに問い合わせたところ、夫が買った切符はいわゆるセーフチケットであるため飛行機に乗れないはずはありえない、という返事でした。そして乗せるように言い張れと夫にアドバイスしましたが、空港のガルーダ職員は夫を乗せようとはしません。ガルーダのコールセンターに電話してみたところ、コンピュータの中の夫の名前はコンファームステータスになっており切符もOKなので乗れないはずはなく、これも空港のガルーダ職員に乗せるよう言い張れというガルーダ航空コールセンター担当者のアドバイスでしたが、それでも望んだ結果が得られません。スカルノハッタ空港のガルーダ職員はただ「申し訳ありません」を繰り返すだけで、明朝の便に変更するかそれともひとり42万ルピアの慰謝料をつけて払い戻すかという解決をオファーするばかりです。夫が何ヶ月も前から計画を組んでいた年に一度のご先祖様への参詣はそんな慰謝料であっさりと無に帰せられてしまったのです。ガルーダの空港職員は払い戻し金と慰謝料をその場に用意し、払い戻し金の領収書はコピーをくれましたが慰謝料の領収書は職員が手書きした紙にサインしたものの、そのコピーはもらえませんでした。ガルーダインドネシア航空は国の名前を冠した航空会社であり、われわれみんなが誇りに思うべき会社です。なのにあのように失望を与えるみっともないできごとがいったいどうして起こりえたのでしょうか?ガルーダ経営者はこの事件を心にとどめ、二度と再発させないようにしてもらいたいと思います。[ タングラン在住、マスニ ]


「ジャワ島横断弾丸列車」(2007年7月5日)
ジャカルタ〜スラバヤ間683キロを結ぶ超高速鉄道計画を運通省が進めている。最初この計画が立てられたのはスハルト大統領の時代で、当時の大型プロジェクトのいくつかは通貨危機〜オルバ政権崩壊の嵐の中で一旦無期延期状態となった。しかしジャワ島横断超高速鉄道プロジェクトが鉄道開発国家計画の青写真の中にすでに収められていることから、運通省鉄道総局はそれを実現させねばならない国家計画と位置付けている。ところが資金面から見れば、現在の政府予算は交通安全面の向上が第一優先となっているため民間資本を導入しなければこのプロジェクトは進められず、今年・来年の政府予算と外国借款は2.9兆ルピアあるとはいえ、その用途は交通安全対策がもっぱらであり、超高速鉄道建設プロジェクトはそこに含まれていない。一方ジャワ島内には高速で時間に正確な鉄道輸送の必要性がいっそう高まっており、それを満たすために準備は着々と進められている、と鉄道総局長は述べている。
政府はしばらく前から諸外国の事業体にこのプロジェクトをオファーしているが、その建設プロジェクトに名乗りをあげている国はまだない。中国・ドイツ・フランスの事業体がこの案件に関して当初興味を示し、フランスのSCNFは61.4億ドルという工費の見積もりまで出している。この弾丸列車計画ではジャカルタ〜スラバヤ間に6つの停車駅が設けられる計画で、ジャカルタ〜チカンペッ(Cikampek)〜チレボン(Cirebon)〜トゥガル(Tegal)〜スマラン(Semarang)〜ガンブリガン(Gambringan)〜パダガン(Padangan)〜スラバヤというルートが予定されている。ちなみに現在のジャカルタ〜スラバヤ間特急列車アルゴブロモ号では所要時間が9時間かかっているが、超高速鉄道列車はそれを3時間で踏破する計画だ。最初に作られた弾丸列車計画ではジャカルタ〜スラバヤ間とジャカルタ〜バンドン間の二ルートがあげられていたが、ジャカルタ〜バンドン間はその後自動車専用道路が完成して昔とは異なる状況に変化しているため、こちらのルートは更なる検討が加えられる必要があるかもしれない。


「スカルノハッタ空港の警備強化」(2007年7月5日)
国内に有害な動植物品が頻繁にスカルノハッタ空港を通って持ち込まれているため、空港保安当局と空港管理当局は検疫品に対する取り締まり強化を実施することにした。スカルノハッタ空港警察署長は「植物の種の中にコカの木の種を混ぜて国内に持ち込もうとしたケースが発見されており、コカの種はインドネシアの植物相に破壊をもたらすものであるため、バイオテロリズムの可能性を強く感じている。テロリストと疑われているその者が爆弾を持っていなかったとはいえ、バイオテロリズムがもたらす危険は爆弾よりもはるかに大きいものだ。」と語っている。毎分1万5千台の車が出入りしているスカルノハッタ空港で有害な動植物品が国内にひそかに持ち込まれるのを防ぐために、空港警察はスカルノハッタ空港動植物検疫事務所と協力し警察犬も動員して警戒態勢を強化している。


「インドネシア観光業界はパニック」(2007年7月6日)
インドネシアの51航空会社が安全でないとしてブラックリストに載せられ、欧州委員会はそのリストを公表するとともにEU加盟国に対して国民がそれらの航空会社を利用しないよう警告を出させたことで、インドネシアの観光業界は大きなパニックに襲われている。インドネシアのあちらこちらの観光地からはキャンセル続出の悲鳴が聞こえ始めた。
ある旅行会社のフランスの提携先は、インドネシアの国内航空会社をつかわないようにという警告を政府が出したためにすでに組まれていたインドネシア向けツアーの処理に大わらわで、来年の観光旅行メニューにはインドネシアを入れないと語っている由。ところが欧州委員会の決定はヨーロッパだけでなく日本にも影響を及ぼしており、日本のツアーオペレータも何軒かバリや東部インドネシアへのツアーのキャンセルをインドネシア側に申し入れてきている。
昨年70万人あったヨーロッパからの観光客はその30%がIsland Hopping ツアーの購入者であり、このツアーはバリだけを訪問するのでなく、最初はジャカルタに入りバンドン〜ジョクジャ〜スラバヤ〜バリと回るコース、最初はスマトラに入ってからジャワを経てバリにいたるコース、バリに入ってからロンボッやマカッサル・マナド・マルクなどを訪れるコースなど国内移動に必ずブラックリスト航空会社が使われるものとなっている。国内各地を回る費用はヨーロッパでひとりあたり1千4〜5百ドルという料金が付けられていて、そのため理論的には年間20万人のアイランドホッピングツーリストが来なくなり、ひと月2千5百万ドルの収入が消えていくということになるのだが、旅行代理店協会首都支部は今回の問題が業界にもたらす損失は3.5兆ルピアになるだろうと見積もっている。


「二輪バジャイが首都圏に攻勢」(2007年7月9日)
バジャイと聞けばひとはあのオレンジ色をした三輪車を頭に浮かべる。ジャカルタ人は三輪バジャイを「神の乗物」だと評する。路上を走る三輪バジャイが次にどんな行動を見せるか、「それは神のみぞ知る」だから。
ところがテレビに二輪バジャイの男性的な雄姿が登場するようになり、市場でのエクスポーズも開始されてからはバジャイブランドのオートバイが少しずつ利用者を増やし始めた。スポーツタイプのバジャイパルサーDTS−i180ccは2006年11月にPT Bajaj Auto Indonesiaが市場への出荷を開始したはじめての機種であり、インドでは150cc以上のカテゴリーにおける独走機種となっている。インドで第一位世界で第四位の二輪メーカーであるバジャイがインドネシアに工場をオープンしたのは2006年後半のことで、その前にインドネシアに工場を設けたインド第三位の二輪メーカーTVS Motor Co.に続くもの。インドメーカー二社のインドネシア市場への参入は、かつて日系メーカーの独壇場に切り込んできたモチンと呼ばれる中国メーカーの大攻勢とは赴きがまた違っている。価格差だけを切り札にして一時は日系メーカーの足元を揺さぶるかに見えたモチンは耐久性やアフターサービス体制の面でつまずき、結局は二輪車市場から敗退して行った。そんな歴史を教訓にしてインドメーカーは着実に自分のビジネスをインドネシアに定着させようと努めているように見える。
バジャイオートインドネシア社が発売した二機種のオートバイは、今年のほぼ6ヶ月間で3千台を売り上げた。インド製オートバイは中国産とは違う、と関係者たちは言う。「インド製はヒットエンドラン商売をしない。販売だけでなくサービスや部品販売もしっかり体制を組んで行っている。」バジャイやTVSのビジネススタイルをバジャイのディーラーのひとりはそう評している。


「バスウエーはなしくずし」(2007年7月11日)
都内の道路の一部をバス専用にし、それによって減少した道路スペースで渋滞が激化するのを尻目にトランスジャカルタバスが渋滞知らずとなった自分だけの専用車線を突っ走るというメリハリをつけて自家用車を好む都民を公共輸送機関に乗り換えさせようとしたスティヨソ都知事の目論見は瓦解しつつある。バスウエー第3ルートまではバス専用車線への割り込みが警察や都庁陸運局の努力で抑えられてきたが、一気に第7ルートまでバスウエーが広がったいま、バス専用車線の維持に息切れがはじまったようだ。
最近、渋滞が激化する時間帯になると、自家用車・オートバイ・メトロミニから手押し車までがバス専用車線に入り込んで数珠繋ぎとなり、トランスジャカルタバスがその後ろをのろのろ走るという光景が一般的になりつつある。西ジャカルタ市トマン地区、中央ジャカルタ市スネン地区、東ジャカルタ市ジャティヌガラ地区、北ジャカルタ市マンガドゥア地区などでそんな光景はもはや日常茶飯事のこと。カンプンムラユからアンチョルベイシティに向かうトランスジャカルタバスは、あらゆる自動車が路上を埋めてバス専用車線を気にするドライバーがひとりもいないために仕方なく自から専用車線の外に出て一般車線を他の車に混じって進む。これでは母屋を乗っ取られた上に自から権利を放棄している図式だ。それではまったく当初の趣旨に反してしまう。
インドネシア消費者保護財団のサーベイによれば、バスウエー乗客の20%は自家用車の使用をやめて公共運送機関利用に移ってきたひとびとだ。専用車線が維持されるかぎり、トランスジャカルタバスは依然として多くの都民が期待する輸送機関なのである。バスウエーは全部で15のルートが計画されており、2007年には第10ルートまでが実現されるというスケジュールになっている。都内中心部と首都周辺部を結んで都民に交通の便を提供することを目指しているバスウエーは、外環状自動車道路を周遊させ、またブカシやタングランまで延長させようという青写真も作られているのだが。


「公共バス運転席の専用扉を廃止せよ」(2007年7月18日)
俄然、交通安全対策に本腰の入った運通省は、公共バスの運転席専用扉をなくすよう陸運総局長が指示を出した。公共バスの事故でよく耳にする話は、運転手の無理な運転や居眠り運転で事故が起こり、多数乗客の生命が失われる一方運転手の多くは命拾いをした上責任を恐れて逃走するというケース。中でも車両前方で火災が発生したとき、乗客の逃げ道がなくなって大勢が焼け死ぬという痛ましい事故も起こっている。「運転手は車両の舵を握っているわけで、乗客の安全に対して責任を負わなければならない。だから運転席の扉は不要であり、反対に客席中央に非常扉を設けるようにする。この規則は即時実施だ。」イスカンダル・アブバカル陸運総局長は7月12日にジャカルタでそう語った。この規則は州間長距離バスと観光バスに即時適用され、都内バスはトランスジャカルタバスにまず適用される。運通省のデータによれば、現在稼動している州間長距離バスは19,194台、観光バスは7,572台ある。
新しく車体を作るバスにはその新規定が適用される。既に稼動しているバスは次の車体交換時にその規定に従わなければならない。決まりでは、四年ごとに公共バスの車体は換えられなければならないことになっている。陸運機構会長はその規定に関して、「新規のバスはあまり問題にならないが、既存のバスにとっては事業者に大きな負担を与えるものだ。とはいえ、業界はその規定を尊重する所存だ。」とコメントしている。
陸運総局長は同時に、公共バスだけでなくフェリー船に対する交通安全規則も制定した。近年インドネシアで一般的になったROROフェリー船は10年を超える船齢のものを調達してはならないことに定められた。政府は先に稼動船齢の限界を25年と制定している。この規定は事業者に対して、まだあまり古くなっていない船を使わせること、15年以上船を使わせることで間接的に事業者の利益を確保させること、などを目的にしている、と総局長は説明している。運通省のデータでは、民間保有の渡海用船舶が2百隻あり、そのうち40%は20〜25年の船齢、60%は15〜20年の船齢となっている。実業界の経営負担軽減のために政府は6ヶ月ごとのタリフ見直し検討を行うと約束している。


「ミクロレッに破産の危機」(2007年7月19日)
バスウエー第5ルート第7ルートの運行が開始されて6ヶ月、都内カンプンムラユターミナルを埋めていたミクロレッの経営が破産しかかっている。スネン〜カンプンムラユ間を走るミクロレッM−01の運転手は、バスウエーが始まるまでは一日30万ルピアの水揚げがあった、と言う。そこからストラン(下に注)の12万ルピアや燃料費など諸経費を差し引いて10万ルピアが一日の純益になっていた。とこらがいまでは大半の乗客がバスウエーに乗り換えたため、水揚げは2日間で7万5千〜10万ルピア。ストランは一日10万ルピアに下がったものの、往々にしてそれすら満たせない日が多い。乗客も近場へ行くときしかミクロレッを使わなくなり、車内がいっぱいになることはもうなくなってしまった。水揚げの激減とストランの不足が続き、自動車オーナーは営繕修理を行わなくなって惨めな状態の車に乗ろうとするひとがさらに減っていく、という悪循環が起こっている。より早く目的地に到達し、より遠くまでより安い金額で行けるトランスジャカルタバスにほかの運送機関が太刀打ちできるわけがない。 ミクロレッM−01ルート運行者たちの窮状を救済するよう国会第D委員会は都庁に要請している。「公共運送機関であるミクロレッが崩壊していくのを放置してはならない。バスウエーから枝分かれする乗客の多いルートにかれらを移し換えていかなければならない。多くの労働力を吸収しているこの業界の存続をはかり、また住宅地区にアクセスする公共運送のひとつとして都庁には適切な対応が求められている。計画されているバスウエー第8〜10ルート開設の前に、かれらアンコッ業界の救済策を考慮しなければならない。」議員のひとりはそう語っている。
(注)ストランsetoran: 語義は、支払われるもの、納められるもの、のこと。公共輸送バスやアンコッは、運転手と車掌が自動車のオーナーから車両を委ねられてそれを運行させ、一日いくらと決められた金(それをストランと呼ぶ)を毎日オーナーに納めるシステム。一日の総収入からストランを差し引いたものが運転手と車掌の手に入る手取り収入だが、ガソリンをはじめ運行に必要なものの中には運転手と車掌の経費となっているものもある。一日の収入がストラン金額より少なければ、不足分はオーナーに対する債務となる。一見、借りた車両の対価あるいは使用料という理解もできるとはいえ、借り賃・貸し賃を意味するsewaや使用料・手間賃・費用などに使われるongkos、biaya 等の言葉は使われない。はなはだ資本主義的構図がそこに確立されている。昨今では、運転手と車掌はその日のストランが確保されれば、あとは遊んで過ごしているそうだ。失業者が増えているため、他の者と糧を分かち合うということを理由に、かれらは別の者にストランを定めてその車両を運行させている。資本家行動を取るプロレタリアートの誕生だ。−現代インドネシアの覗き窓[ 第210回 中途半端だらけの公共輸送対策 ] から


「水陸両用オートバイ」(2007年7月20日)
通説では5年毎に大水害に見舞われると言われるジャカルタ。大水害で首都の半分以上が水没しようとも、「会社を休んでいいよ」と言ってくれるひとなどひとりもいないから労働日であれば物理的に出勤が不可能でないかぎりオフィスや工場へ行かなければならない。あの泥水の中を「泳いででも会社にやってこい」と言う上司すらいるくらいだ。ところが都内バスとアンコッだけが頼りの都内公共運送は深い水溜りのせいで寸断され、ふだんのように使える出勤の足がない。そこで頼りになるのがオートバイで、随所にできた深い水溜りを避けながら数倍の距離を迂回して会社までやってくる。何時間遅刻しようと、ともかく上司に顔を見せれば自分の高い勤労意欲は評価してもらえるにちがいない。
ところが、みんながみんなそううまくオートバイで会社まで行けるともかぎらない。ひとだかりのしている広く深い水溜りをゴミ集め荷車の渡し船に乗って向こう岸までオートバイを運び、あまりひとだかりのしていない広いが深さのよくわからない水溜りに乗り入れたところ、水溜りの真ん中あたりで腰まで水に浸かってしまい、愛用バイクのエンジンがだめになってしまったひとも少なくない。そんなひとたちの愚痴からユニークなオートバイが世に出現した。
メガワティ政権時に商工大臣を務めたリニ・スワンディ。1958年アメリカ生まれのこの才媛は1981年にマサチューセッツ州ウエルズリー大学で経済学を修めたあと帰国してシティバンクを皮切りにアストラグループや政府機関でキャリヤーを積み、商工大臣になる前はアストラインターナショナルの取締役社長だった。そのリニは2000年6月に自ら設立した国産オートバイ製造会社PT Semesta Citra Motorindoの取締役社長を続けているが、当初韓国二輪メーカーと提携したこともあってなかなか純国産と見てもらえないことを同社長は頻繁に嘆いている。ところでKanzenと命名された同社製品は7年たったいま、月間平均2千3百台をコンスタントに販売する二輪メーカーに育ってきた。カンゼンは既にカワサキ、ピアジオ、キムコを抜いてインドネシア第四位のオートバイメーカーになったとリニ社長は主張している。
このカンゼンブランドオートバイKanzen Taurus Ultimaモデル水陸両用型がジャカルタフェアーでお披露目された。カンゼンオートバイの展示販売スタンドには深さ60センチまで水を張った透明の水槽が用意され、その中にどっぷりと浸されたオートバイの110ccエンジンはうなりを上げて回転し続けている。同社が開発したそのシステムでは、エンジンのプラグやキャブレターが水の中に浸かってもエンジンが機能を停止しないように設計されており、車体が水溜りの中に落ち込んでも深さ60センチまでなら大丈夫とのこと。次のジャカルタ大水害にはぜひこのオートバイで出勤してください、とエスペーゲーが売り込む。


「バスウエーで運行車両台数増」(2007年7月25日)
愛称募集でTJ(ティージェー;テージェーではありません)というニックネームをたまわった都内バスウエー。都庁はバスウエー運営公団BPUトランスジャカルタにバスウエーのサービス向上を命じた。その内容はバスの運行頻度を高めることで車内の混雑を低下させ、乗客により快適なサービスを味わってもらおうということが狙いのひとつ。いまや7路線を持つようになった都内バスウエーを走らせるための専用バスは3百台を超えているが、毎日の運行に出動しているのは2百台程度。繁忙時間帯は全出動バスがフル稼働しているとはいえ繁忙外時間帯は間引き運行されており、資産を遊ばせないで稼動を高めよ、というのがその主旨のよう。
そのため繁忙時間帯には全線で250台のバスを走らせることになった。さらに繁忙時間帯も時間が延長されて午前6時から9時までと夕方は16時から19時までに変更された。繁忙外時間帯の間引き運転は各路線で稼働台数を10台減らしていたが、間引かれる台数は6台から8台の間と変更されたため常時稼動台数は大きく増加する。これまで平均10〜20分でバス一台という運行間隔がこの変更によって5〜10分に短縮されることが期待されている。
民間都内バス会社のコンソーシアムが作ったバスウエーオペレーション会社PT TransBatavia の役員は都庁の今回の措置を歓迎しており、稼動の向上と単一料金据え置きでバス利用者がさらに増加するだろうとの希望を表明している。既に7路線総延長99キロに達した首都のバスウエーは一枚の切符で何回も乗り換えることができるため乗客に割安感を与えている。しかし都庁補助金がバスウエー経営を半ば支えているという状況を無視することもできず、都議会は都庁に対して補助金削減を求めており、料金値上げ、乗り換え不可などいくつかの対策案を出している。


「スラバヤ空港ロビー内をテボトル売りが・・・?」(2007年7月25日)
2007年5月1日付けコンパス紙への投書"Calo Tiket di Juanda"から
拝啓、編集部殿。2007年4月8日、わたしはジャカルタへ行こうとしていました。その日は三連休の最終日だったので、たいへん混雑するであろうことは予想していました。わたしは航空券を手に入れようとして何軒もスラバヤ市内の旅行会社を回りましたが、ジュアンダ空港のカウンターへ行くようにとみんなが言うのです。それでわたしは、航空券が手に入る確信はありませんが空港へ行きました。わたしがアダムエアーのカウンターへ行くと、売り切れだと言われました。それでマンダラやライオンエアーのカウンターも回りましたが、どこも売り切れでした。わたしは最初からそんな状況を予想していたので、あまりがっかりしませんでした。ところが、わたしがライオンエアーのカウンターから立ち去ろうとして身体を回した15秒足らずの間に、カウンター職員にひそひそ声で話しかけたひとがいました。ふたりの間で何が話されたのかわたしには聞こえませんでしたが、わたしは全身でそのひとに注意を注ぎました。およそ5分ほどしてからカウンター職員は、なんとそのひとに航空券を3枚渡したのです。
わたしは空港に弟と一緒に来ていました。ライオンエアーのカウンターからあまり遠くない場所で待っていた弟に、さっきのひとが切符を買わないかと声をかけたのです。それはその日の14時発ジャカルタ行きの航空券でした。わたしはライオンエアーのマネージャーもしくは責任者に面会を依頼しましたが断られました。スラバヤのジュアンダ空港は国際レベルの飛行場です。それがあのようなチャロ(周旋)行為を放置しているなんてわたしには理解できません。ライオンエアーだけでなくほかのいくつかの航空会社も同じでした。それどころか、空港でタクシーを降りた直後からわたしは周旋屋の攻勢に直面していたのです。もっとひどいのは、わたしが一休みしようとして腰をおろすとすぐに寄付を求めてひとが寄ってきたではありませんか。まるでボゴール〜ジャカルタ間近郊電車のエコノミークラスに乗っているようなものでした。何年も待つ必要はありません。ひと月後にはそこをテボトル売りが巡回しているだろうことをわたしは疑いません。空港運営会社アンカサプラ1はこの問題をフォローしてください。「今後注意します」といいうような言葉だけではだめなのです。[ バンテン州タングラン在住、リリ・アルディティヤ ]


「7月25日から国鉄が新ダイヤに切り替え」(2007年7月30日)
国有鉄道会社PT Kereta Api Indonesiaは2007年7月25日から運行ダイヤを変更した。2005年10月9日から実施されていた現行ダイヤに対して鉄道利用者の要望の声や国鉄側の調整などが反映された結果がこの新ダイヤであるとのこと。新ダイヤでは、ジャカルタ〜チレボン〜プルウォクルト〜ジョクジャ〜ソロ〜スラバヤというルートを通るジャヤバヤスラタン号の運行が廃止された。4百席あるこの列車の乗車率は平均38%で、利用者があまりにも少ないというのが廃止の理由。またジャカルタのガンビル、コタ、タナアバン、パサルスネン駅から出る中長距離列車の発車時間が新ダイヤでは早められており、鉄道利用者は十分ご注意を、と国鉄では呼びかけている。ガンビル駅ではチレボンエクスプレス号がこれまで13時45分と17時45分発だったものがそれぞれ13時15分と17時10分発に変更された。バンドン行きアルゴグデ号もこれまでの10時丁度発が9時10分発に早められている。他の列車の発車時間は同じだが、行く先の到着時間が数分早くなっている。チレボンエクスプレス号は行く先がブルブスまで延長されるようになった。ガンビル〜バンドン間を走るパラヒヤガン号は2007年8月1日からブカシ駅にも停車するようになる。


「有料自動車道路料金値上げは8月」(2007年7月31日)
政府は2007年8月から全国の自動車専用道路のうち13路線の通行料金を平均20%値上げする計画。道路建設投資を行った道路管理者に対して政府は2年に一度の料金改定という投資条件を与えていることから、この値上げはその約束の実施という意味合いを持っている。自動車道路統制庁長官は、平均値上げ率20%というのは過去二年間のインフレ数値にもとづくもので、それが道路料金決定のパラメータとされている、と説明している。
2007年8月から値上げが予定されている自動車専用道路13路線とは次の通り。
Jakarta-Bogor-Ciawi オーナーPT Jasa Marga 全長59キロ
Dalam kota Jakarta オーナーPT Jasa Marga 全長50.6キロ
Jakarta-Tangerang オーナーPT Jasa Marga 全長33キロ
Cipularang オーナーPT Jasa Marga 全長58.5キロ
Padalarang-Cileunyi オーナーPT Jasa Marga 全長64.4キロ
Palimanan-Kanci オーナーPT Jasa Marga 全長26.3キロ
Semarang seksi A-B-C オーナーPT Jasa Marga 全長24.75キロ
Surabaya-Gempol オーナーPT Jasa Marga 全長49キロ
Belawan-Medan オーナーPT Jasa Marga 全長42.7キロ
Tangerang-Merak オーナーPT Marga Manggalasakti 全長73キロ
Surabaya-Gresik オーナーPT Margabumi Matraraya 全長20.7キロ
Makassar I オーナーBosowa Marga Nusantara 全長6.05キロ
Serpong-Pondok Aren オーナーPT Bintaro Serpong Damai 全長7.25キロ
それら13路線の値上げ率はそれぞれ地元のインフレ率に従うために一様ではない。それぞれの路線の値上げ率あるいは具体的な新料金について同長官も公共事業相もまだ具体的な内容を持っていないと言う。値上げは来月中旬になることから、まだ最終結論が出されていないとのこと。
ところでもう何年間も開通が待ち望まれているジャカルタ外環状道路ジャティアシ〜チクニル区間はPT Jasa Marga がこの7月末の竣工を予告していたが、全体の整理に2週間ほどかかるとのことで完全開通は8月中旬ごろになりそう。この区間が開通すればチャワンインターチェンジでの混雑は大幅に解消されるものと期待されている。またジャゴラウィ自動車専用道路のチアウィゲートからスカブミに至る延長工事がいよいよ開始されることになった。Jalan Tol Ciawi-Sukabumi 54キロ区間の工事を請け負うのはPT Trans Jawa Barat Tolで4.9兆ルピアの土地収用を含めた総経費が見込まれており、2009年の開通が予定されている。


「学年末休み最後の三日間、スカルノハッタで大量ディレイ」(2007年8月3日)
2007年7月13日〜15日という学年末休み最後の三日間にスカルノハッタ空港で運行スケジュール遅れが大量に発生したことに関連して空港運営会社アンカサプラ?が航空会社に対して警告を発している。その三日間の国内線運行状況は次のようになっている。
7月13日  総便数636便 オンタイム197便 ディレイ439便 
7月14日  総便数636便 オンタイム200便 ディレイ436便
7月15日  総便数656便 オンタイム207便 ディレイ656便
合計     総便数1,928便 オンタイム604便 ディレイ1,324便
それによれば全体の7割近くに運行遅れが発生しており、運行スケジュール通りに動いたのは3便中1便しかない。その中で15分から30分の遅れというディレイレベル1は541便、31分から59分というディレイレベル2は245便あり、さらに1時間以上の遅れというディレイレベル3は538便もあった。1時間を超えるディレイ便数がきわめてたくさんあっとことから飛行機乗客が空港内で滞留を余儀なくされたためにたいへんな混雑が発生して空港利用客の快適さが失われてしまったのはきわめて遺憾であり、空運オペレータは運行時間を守るよう規律を高めて乗客に不便を与えないようにし、また空港ターミナルで混雑を発生させて乗客やターミナル側に迷惑をかけないように注意してもらいたい、とアンカサプラ?は表明している。
国際線でもその三日間は総便数394便中172便でディレイが発生し、運行遅延は44%に上った。そのような状況に関連して交通マネージメント高等学校教官は、航空会社のサービスを監督する独立機関が設けられるべき時期になっている、とコメントした。消費者の苦情を受け付けて航空会社の業務を監督し必要に応じて制裁を与える独立機関の不在が航空会社の消費者対応を野放しにしている。従来から飛行機の運行ディレイに関連してだれに責任があるのかが明らかにされたことがない。何時間にもわたる運行時間の大幅な遅れは消費者に大きな損失を与えているにもかかわらず、航空会社はセーフティや天候を理由に掲げてその陰に隠れようとするばかりだ。もしセーフティがその理由にされるのであれば、空運業界管理当局の監督がどうなっているのかが問題にされなければならない。定期航空会社というものは時間通りに運行することが顧客サービスの一部であり、スケジュール通りの運行に対して消費者は金を払っているのだということを忘れてはならない。同教官はそのようにコメントしている。
一方空運業界は、ディレイの原因は航空会社の運行管理の問題だけでなく天候をはじめ空港までのアクセス路の問題にいたるまで多岐にわたる要因が影響しているので、その三日間のディレイの責をすべて管理問題に帰すのはフェアでない、と反論している。中でもスカルノハッタ空港へのアクセス路である空港自動車専用道路での渋滞は従来から問題になっており、フライトクルーの到着遅れや予約した乗客の到着遅れなど飛行機運行遅れの原因をもたらしている大きな要因と言える。また7月に悪天候が続いていたこと、繁忙期のために各社増便しておりひとつのフライトでディレイが起こればその後のフライトが連鎖的に運行時間の乱れを起こしやすくなっていたことなども原因のひとつと考えられる。よってこの問題の解決については各空運オペレータがデータを持ち寄って原因の実態を把握することから始めなければならない、と業界者は主張している。


「首都統合交通計画」(2007年8月9日)
スミノ・エコ・サプトロ運通省鉄道総局長が五つの交通手段を網羅するジャカルタの統合交通計画について言及した。五つの交通手段とはMRT(地下鉄)、モノレール、バスウエイ、ウオーターウエイ、首都近郊電車。この五つの交通手段が当初計画通りタムリン通りとスディルマン通りの接点にあたるドゥクアタスに集結する。ひとつの地区に五つの交通手段をすべて集めることは都庁と運通省が既に計画したことがらで、その場所をドゥクアタスにすることも当初の計画の中にあった。来年ドゥクアタスに統合ターミナルが建設され、そこに四つの鉄道路線が集まるように準備が進められている。四つの路線とはスカルノハッタ空港線、スルポン線、ジャボタベッ環状線、MRT。その結果ドゥクアタスは都内で有数のひとの通過の激しいエリアとなる。
政府は2007年の首都圏鉄道乗客数を昨年の一日63万人から135万人にアップさせる目標を立てている。そのために国鉄は汽車2千5百輌・電車5百輌を稼動させ、これまで15〜20分だった運行間隔を5〜10分に短縮する予定。タナアバン〜スルポン間のスルポン線では複線化工事が完了したことから列車10本の増発がすでに行われており、乗客数も大幅な伸びを記録している。以前は一日の運行が74本だったものの、いまでは130本に増加している。この実績を他の路線にも拡大していくためにスルポン線の状況モニターが綿密に行われている。


「スカルノハッタの像が空港入り口に建つ予定」(2007年8月10日)
スカルノハッタ空港第1ターミナル駐車場とアクセス路の改修工事は今年9月末までに完了させる予定であると空港運営会社アンカサプラ?が表明した。この改修工事はルバラン期の航空旅客ピークに対応するためのもの。今でさえスカルノハッタ空港1A,1B,1Cターミナル前や第1ターミナル駐車場では特定時間に渋滞が激しくなり飛行機乗客や空港利用者の快適さが損なわれている。そのため空港運営会社は駐車場のレイアウト変更と新たなアクセス路を建設して渋滞の緩和を目指すことにしており、その工事は9月いっぱいで完了させる計画になっている。スカルノハッタ空港では一日750便の発着があり、利用乗客数は8万5千人。また駐車場の車両収容能力はターミナル1が2千2百台、ターミナル2は1千8百台となっている。
ところでスカルノハッタ空港メインゲートにスカルノとハッタの像を建てる計画が実現に近付いている。国家英雄の名前が付けられた場所や通りにその英雄の像を建てるというアイデアは、2003年にスティヨソ都知事が都内スディルマン通りにスディルマン将軍の像を建てて実行に移し、さらに2005年にはメンテンのディポヌゴロ通りに馬に乗ったディポヌゴロの像が建てられた。スカルノハッタ空港にスカルノハッタの像を、というのはもちろん都知事お声掛かりのプロジェクトではなくアンカサプラ?が組んだ計画で、インドネシア建国の父スカルノとハッタの姿をすべての空港利用者に見てもらおうという愛国心に発したものである由。高さ12メートルのこの像は都内スディルマン通りのスディルマン将軍像を制作したバンドンの造形家スナルヨ氏の手になるもので、この像を建てるためにアンカサプラ?は60億ルピアの予算を計上している。スカルノハッタ像を同空港ゲートに設置することについては、スカルノ家はラフマワティ・スカルノプトリ、ハッタ家はムティア・ハッタから承認を得たとアンカサプラ?マネージメントは表明している。またこの像の除幕式がSBY大統領の手で8月中に行われることをアンカサプラ側は希望している。


「プルイッ立体交差に崩壊のおそれ」(2007年8月13日)
2007年5月22日に高架道路下の不法居住区で発生した火事のために都内環状自動車専用道路はプルイッインターチェンジに近いアンチョル〜グロゴル区間で道路構造に損傷が発生しているが、8月7日午前9時45分ごろから今度はやはりプルイッインターに近いジュンバタンティガエリアのKM24.8地点周辺でふたたび不法居住区の火災が発生した。火災は午前11時ごろに鎮火したものの、グロゴル・チュンカレン方面とアンチョル・タンジュンプリウッを結ぶ上り下りの両方向の通行が閉鎖されてその日は夜中まで渋滞が緩まずに継続した。チャワン〜プルイッ区間管理会社PT Citra Marga Nusaphala Persadaの話では、その渋滞はブカシのジャティブニン料金所まで達したとのこと。高架下の一般道でも渋滞が発生し、オートバイやバジャイが逆走して交通無法地帯が出現したようだ。CMNP社代表取締役はその火災が道路構造に与えた影響について、消火活動が始まるまでに火の温度は7百℃に達して柱と橋桁を焼いた結果、道路基盤層や柱の外壁が剥離して鉄筋がいたるところに露出しているありさまで自動車専用道路は深刻な損傷を蒙った、と説明している。
今回の火災では、プンジャリガン郡ジュンバタンティガの高架道路下に作られた不法居住区の一角から出た火はおりからの強い日射に誘われて次々と不法住居の掘っ立て小屋に移って行った。北ジャカルタ市の消防車十数台が到着して消火活動を行った結果いっときは手が着けられないほど強まった火勢も徐々に下火になり、11時ごろ鎮火したときには数百軒の不法住居が灰になっていた。その間火はおよそ140メートルにわたって高架道路の下を焼き続け、プルイッ〜アンチョル間の上り下り線の双方で橋桁18本と橋脚4本ならびにジュンバタンティガ料金所一ヶ所がその火を浴びた。
5月22日の火災でプルイッインターチェンジの立体交差を経由するグロゴル〜アンチョル区間の高架道路が崩れやすい状態になってしまっているにもかかわらず、その構造を強化するための工事はまだ着手されていない。そこへきて前回の火災に近い場所で発生した今回の火災のために高架道路の強度は大幅に低下しており、8月1日にミネアポリスで起こった橋の崩壊事故も他人事ではなくなっている。そのため道路管理会社CMNP社は当面その区間の交通規制を実施する予定で、その間に強度の確認と強度回復工事の内容を検討することにしている。アンチョル〜プルイッ間の道路規制は、大型・重量車両の通行を禁止してグドンパンジャンに迂回させ、4車線のうち1車線だけを開いて軽い車だけを走らせる。また逆方向のプルイッ〜アンチョル間も大型・重量車両は通行を禁止し、4車線中低速2車線だけを開いて軽い車の通行を許すという方針を取るかまえ。


「崩壊が懸念される高架道路の措置は45日後に決まる」(2007年8月14日)
8月7日午前9時45分ごろから北ジャカルタのプルイッインターチェンジに近いジュンバタンティガエリアのKM24.8地点周辺で発生した火災のためにプルイッインター立体交差を経由するグロゴル〜アンチョル区間の高架道路が崩壊する可能性を公共事業相が懸念している。ジョコ・キルマント公共事業相は、火災のために破損した150メートルにわたる道路挿げ替え工事の費用は3〜4百億ルピアが見込まれ工期は4〜5ヶ月かかるだろう、と語った。「公共事業省R&D庁の調査が終わっていないため技術的な面からの把握がまだできないでいるが、使用に適さないのはほぼ決まりだろう。その調査が終わって報告書が提出されればただちに改修方法と工事開始時期を決定する。」大臣はそう述べている。
公共事業省R&D庁長官は、火災で損害を蒙った高架道路の状態調査は道路管理会社が指名した建設コンサルタント会社と共同で実施し、期間はおよそ45日かかる予定である、と言う。状態調査は高熱で焼かれたコンクリート内部の状態を確認した上でその強度を決めるもので、火災の様子から強度は20%ほど低下しているだろうと推測される。改修工事の可能性はふたつあり、道路破損が25%を超えていなければセメント注入といった工事で済ませられるかもしれないが、25%を超えていれば橋桁と道路を撤去して新しいものを作ることになるだろう、とのこと。道路管理会社は調査結果が報告されるまで安全のためにその区間は1車線しか通さないことにしており、道路利用者に理解と協力を呼びかけている。
ところで自動車専用道路という公共施設に重大な損害をもたらした火災の原因を作った高架道路下の不法住居に対して公共事業相は、即刻すべての住居を撤去して住民を別の場所に移すよう都庁と北ジャカルタ市庁に協力を求めた。高架道路下の場所を住居に利用することは当初公共事業省も了承したとはいえ、その許可は2005年に期限を迎えてその後は許可なし居住という形になっていた。公共事業省は不法居住者の移転先として北ジャカルタ市マルンダの低所得層向け集合住宅9ブロック9百軒を押さえたが、同省の支援はそこまでで住民はそのアパートを自力で買うなり借りるなりしなければ住むことはできない。高架道路下の居住は北ジャカルタ市がもっとも多く、スガイバンブ、パパンゴ、ワラカス、ロダンラヤ、プルイッ、カリジョドなどの地区で多く見受けられる。


「ドゥクアタス駅のデザイン一般公募を」(2007年8月14日)
首都統合交通計画によって都内スディルマン通りとタムリン通りの接点にあるドゥクアタスが、5つの交通手段が集中するハブとされることになった。そのためこのドゥクアタス地区には効果的なトランジット機能が与えられなければならない。このエリアは同時に二輪車というもうひとつの交通手段も取り込んで6つの輸送モードの間で容易な乗り換えを可能にしなければならない。その地区にはまた広大な駐車場やショッピングセンターなども建設される必要がある。このような機能重視のエリア開発ではそのデザインを一般から公募して最善のものが建設されるべきだ。MRTアドバイザー委員会はそのように表明した。同委員会は首都圏最大のジャンクションとして建設されるドゥクアタスの最善のデザインが2014年に運行を開始するルバッブルス〜ドゥクアタス間MRTの一日40万人という利用者ターゲットの実現を可能にするものと見ており、このデザインコンペティションからマストランスポートコンセプトのターミナル駅がジャカルタの他の陸上水上運送機関と効果的に連結されるためのデザインが生み出されることが期待されている。
二輪車についてはMRTの運行開始時に1千万トリップが行われているものと予測されているため、ジャカルタの将来の交通環境については公共ヒヤリングが継続的に必要と見られている。しかしドゥクアタス地区は面積がたいへん限られているため、川の一部を覆うなどして利用できる面積を広げなければならない。それですら6つの輸送モードを効率よく連結させるのは難問であるにちがいない。


「空港トイレの格付け評価実施」(2007年8月14日)
国内航空会社の評価と格付けを運通省が行って物議をかもしたが、こんどは国内諸空港のトイレに対する評価と格付けが行われる。トイレの評価と格付けを行うのは運通省でなく観光文化省。国内の12国際空港のトイレが汚いという不評が以前から聞こえてきているため、観光文化省がこのプログラムの実施に踏み切った。同省観光規格化局長は「当方が12国際空港のトイレ管理状況を審査して順位をつける」と述べている。トイレのサービス状況や美観についていま評価チームが各空港を回っているところなので結論はまだ出されていないが、すべてのひとのための公衆トイレ建設の企画・管理・利用面をカバーする規準が今回の評価結果から示されることになり、今後の公衆トイレ建設に大いに役立つだろう、との同局長の弁。トイレの採点基準は、機能・構造・美観など物理的側面に45%のウエイトが置かれ、一方衛生状態や管理状態などの管理面に40%のウエイトが置かれることになっている。


「2007年8月17日首都の交通規制」(2007年8月15日)
今年第62回目を迎えるインドネシア共和国独立記念日の国旗掲揚式典に関連して式場となる大統領宮殿周辺の道路で交通規制が行われる。国旗掲揚式典が催される午前8時と掲げられた国旗を降ろす16時に一部の道路が閉鎖される。閉鎖されるのはJalan Medan Merdeka Barat, Jalan Medan Merdeka Utara, Jalan Veteran Raya, Jalan Museumで、催しの招待を受けた車とバスウエーだけが通行を許され、その他一般の車は別の道路に迂回を命じられる。タムリン通り北詰ロータリーでは、モナスへ向かって北進しようとする車は左折してJalan Budi Kemuliaanに入るか、あるいは右折してJalan Medan Merdeka Selatanに入る。ハルモニー交差点ではハヤムウルッ通りから南下してきた車は左折してJl Ir Juandaへ流される。バンテン広場から来た車はパサルバル方面のJalan Posに向かわせられる。プルウィラ通り三叉路ではJalan Medan Merdeka Timurから右折してJalan Perwiraに入る。規制は朝と夕方の二回実施されると首都警察業務局長が説明している。


「ジャゴラウィとチカンペッの二道路が外環状でつながる」(2007年8月16日)
ジャカルタ外環状道路チクニル〜ジャティアシ区間開通が目前に迫っている。この区間が開通すれば北はチリンチン(Cilincing)から西はポンドッカレン(Pondok Aren)までの45キロがやっと一本につながることになり、環状道路としてはチリンチンと都内環状道路、ポンドッカレンとスカルノハッタ空港自動車専用道路との連絡を残すばかりとなる。この開通によってジャゴラウィ(Jagorawi)自動車道とチカンペッ(Cikampek)自動車道が外環状道路で結び付けられることになるため、これまでボトルネックになっていたチャワン(Cawang)周辺の交通渋滞が大幅に緩和されることが期待されている。チクニル(Cikunir)〜ジャティアシ(Jatiasih)5キロ区間は2007年8月21日にSBY大統領が開通式典のテープを切る予定。
このジャカルタ外環状道路の料金システムは現在区間制が取られているが、チリンチン〜ポンドッカレン区間開通後は都内環状道路と同じように単一料金システムに変更する案が出されている。単一料金システムでは自動車道路から出るのにゲートを通る必要がなく、道路利用者は渋滞のない快適さを享受することができるし、道路運営会社もコスト削減をはかることができて一石二鳥となる。道路運営会社ジャサマルガは料金システム変更を公共事業相に申請しており、認可されれば8月中に実施したいと希望している。ジャサマルガは交通量がほぼ限界に達している都内環状道路から外環状へ利用者を分散させたい意向で、そのために外環状の利用アドバンテッジを都内環状と少なくとも同じレベルまで引上げるように努めている。しかし新単一料金についてはまだ検討中という理由で明らかにしていない。


「バスウエイ乗り換え者用駐車場の建設がはじまる」(2007年8月21日)
都内バスウエイのパークアンドライド(Park & Ride)構想がいよいよ着手される。パークアンドライドとは、バスウエイを利用するために運行ルートから離れた場所に住むひとが停留所に近いところまで自家用車で来て、車をそこに置いてバスウエイに乗り換えるという行動を指している。住民にそのような行動を取らせるためには安全で廉価な駐車場の存在が不可欠であり、都庁はまず西ジャカルタ市カリドラス(Kalideres)ターミナルに駐車場を建設することを決めた。西ジャカルタ市やタングランの住民に自家用車で都心に乗り入れないようにさせるためのこの駐車場は広さ3,820平米で、四輪車122台、二輪車36台、自転車20台を収容することができる。四輪車に最大のスペースを割いているのはその趣旨から言って当然のこと。
この駐車場建設の定礎式典は8月13日に行われ、出席したスティヨソ都知事はスピーチの中で「自動車オーナーが車を置き去りにすることに不安を抱かないような駐車場を用意し、都内に入るのに快適な交通手段に乗り換えてもらう。利用者が増えてくればバーティカルに層を重ねて収容能力を追加する。この駐車場には休憩所も用意され、食事場所10軒・ATM・ミニマーケット・公衆トイレなども設置される。今年11月にはこの駐車場の利用が開始される。」と語った。
この駐車場の支払いにはDKI銀行が発行しているジャッカル(JakCard)が使われ、ジャッカルはバスウエイの料金支払いにも利用できる。このようなパークアンドライド構想駐車場は年内にカンプンランブタン(Kampung Rambutan)とラグナン(Ragunan)にも作られ、2008年にはプロガドン(Pulogadung)でも建設されることになっている。ブロッケム(Blok M)やハルモニー(Harmoni)にも建設したいが、いかんせん土地がない、と都庁運通局長は述べている。
ところで都知事は都議会に対してバスウエイ料金を今の3千5百ルピアから5千ルピアに値上げしたいと申請しているものの、都議会からの承認はまだ得られていない。稼動バス台数が大幅に増えているため2007年予算内の2,030億ルピアの補助金ではまかないきれないことを都知事はその理由にあげているが、都議会はトランスジャカルタ事業団の詳しい会計報告が提出されていないため本当にどれほどの赤字かはっきりするまでは態度を決められないとして検討を延ばしている。


「スンダクラパ港」(2007年8月22日)
木材を運んできたブギスのフィニシ船が並ぶスンダクラパ港はジャカルタの著名な観光スポットでもあるが、ここは内国一般港としても機能している。実際には同港のゲートからもっとも奥のジャカルタ湾に面したところに、もっと大きい貨物船が接岸して荷役を行っている現代的な埠頭も完備されている。
「スンダクラパ港は木材運搬船だけが荷役する場所でなく、普通の貨物も荷役されている。そうではあっても民衆海運は国民経済力のシンボルであり、今後も伸ばして行かなければならないもののひとつであることを忘れてはならない。」国有港湾運営会社ペリンド?代表取締役はそう述べている。ペリンド?の計画によれば、スンダクラパ港の施設開発は370メートルの埠頭を持つ在来貨物ターミナルが作られることになっており、この在来貨物ターミナルではコンテナと一般貨物の荷役が行われる。また380メートルの埠頭を持つバルクカーゴターミナルもそれとは別に作られる予定。
2007年1〜7月スンダクラパ港の入船状況は、国内航路のインドネシア船籍船1,258コール(合計トン数52.8万GT)、外国船籍船5コール(合計トン数1,883GT)、民衆海運船737コール(合計トン数15.2万GT)となっている。


「首都圏自動車専用道路網がやっとつながる」(2007年8月30日)
通貨危機で建設工事が中断したためにばらばらの区間だけが稼動していたジャカルタアウターリングロード(外環状自動車専用道路)はE1区間第4セクションのジャティアシ(Jatiasih)〜チクニル(Cikunir)区間が開通すればウルジャミ(Ulujami)からチリンチン(Cilincing)まで一本につながる段階に2年以上前からなっていたが、その区間の住民立退き補償が難航して実現に長い月日がかかってしまった。その間、ルバラン期になるとルバラン帰省車両に便宜をはかるために工事未完のその区間をオープンするといったことも行われて開通の予感を抱かせたものの、「いつ通じる」「いついつ開通する」という国有自動車専用道路運営管理会社ジャサマルガの表明は毎回毎回裏切られてきた。2007年8月になって道路工事は完了し、8月21日に開通式が予定されたが料金と料金システムの最終決定が下されないままその日程も空しく過ぎ、そうしてついに2007年8月28日の公式オープン式典日がやってきた。
当初はSBY大統領によるテープカットが期待されていたが結局ブディオノ経済統括相がこの公式行事を主宰し、ジョコ・キルマント公共事業相、ユスマン・シャフィイ・ジャマル運通相、ソフィヤン・ジャリル国有事業体担当国務相らが立ち会った。今回のジャティアシ〜チクニル区間が開通したことで首都圏自動車専用道路網は縦横に連結されることになる。これまで都内と南郊のボゴール方面を結ぶジャゴラウィ自動車道およびタングランのブミスルポンダマイ(Bumi Serpong Damai)ニュータウンとが首都圏南部を横断する外環状道路タマンミニ(Taman Mini)〜ウルジャミ区間で結ばれていたのが、今度は都内と東方のチカンペッ(Cikampek)経由バンドンに至るチカンペック〜チプララン自動車道ならびに外環状のチリンチン〜チクニル区間とチクニルジャンクションで接続されるため道路交通は大幅な効率アップが実現される。
外環状自動車道ウルジャミ〜チリンチン貫通と時をあわせて政府はこれまで区間料金制を採用していた外環状自動車道を単一料金制に変更し、都内環状自動車道と同様の扱いをすることにした。ただし料金は異なっており、乗用車・ミニバス・ピックアップトラックなどの第1類は6千ルピア、二軸大型車両の第2類は7千ルピア、三軸以上の大型車両は8千5百ルピアと定められた。オープンシステムと呼ばれるこの単一料金制導入によって自動車道から一般道へ出る際には料金所が不要になることから、渋滞緩和や管理会社の合理化が推進される。
この新システムによって、これまで外環状の短い区間だけを利用していた車両は大幅な値上がりを蒙ることになる。たとえば東ジャカルタのビンタラからブカシ方面にこれまで外環状を利用していた車は1千5百ルピアでポンドッグデ(Pondok Gede)料金所まで行けたが、これからは一挙に4倍の負担となるわけだ。29日朝の通勤ラッシュ時には外環状自動車道の各入り口料金所で、この変更を知らなかったドライバーたちが驚きと憤懣を料金所職員にぶつけていたためひどい渋滞が発生した。ジャサマルガ側は「二三日すればみんな慣れてこれまでと同じようになるだろう」とコメントしている。料金所職員は忍耐強く、入ってくる車の一台一台にシステム変更を説明していたとのこと。
外環状自動車道はウルジャミから北にあがってスカルノハッタ空港自動車道に接続するW1区間のクブンジュルッ(Kebun Jeruk)〜プンジャリガン(Penjaringan)9.7キロ区間とW2北のウルジャミ〜クブンジュルッ区間が残されており、一方チリンチンからはタンジュンプリウッ(Tanjung Priok)に向かう区間も未完成になっている。それらの区間が完成するまで本当はまだ環状と呼べない状態だ。


「サリナ・タムリンで駐車場増設」(2007年8月30日)
都内タムリン通りにあるサリナデパートが駐車場増設工事を予定している。第一フェーズとしてまず5千6百億ルピアの工費で7千平米の駐車場を設ける計画で、そのための建設と運営オペレータの選択をいま行っている。その次にはサリナビル裏に第二フェーズとしての駐車場工事が計画されている。そのほか同社は自社所有の遊休地所を商業化させる計画を進めており、バンドン市ブラガ(Braga)地区にある土地はアコーホテルズに対して25年間のBOTシステムによる4プラス星級ホテルの建設と運営権を与えることで合意している。またジャカルタのジュアンダ(Juanda)通りにある土地での事業投資家選別も進められており、フードセンター事業を提案している事業者にその地所を貸す方向に傾いているとのこと。それらの地所賃貸はBOT方式による民間事業者との契約の形を取るが、基本的にはサリナの名前を冠した事業を行ってもらう意向だ、とPT Sarinah (Persero)取締役社長は述べている。
商業分野をミッションとする国有事業体サリナはいま全国に11店をオープンしているが、マルガハユとバリのスーパーマーケットおよびブラガのスペシャルティストアはまだ赤字。しかし無借金の健全経営を誇るサリナは昨年260億ルピアの納税と国への配当を行って国庫に貢献している。サリナの収益の8割は小売事業が占め、14%は土地建物の賃貸、4%は商品流通などとなっている。しかし今回進めている遊休不動産の商業化が軌道に乗れば、小売分野の収益は60%まで低下して賃貸が大幅にアップするだろうと取締役社長はこの経営強化案について説明している。


「バスウエイパーク&ライド構想第2弾」(2007年9月4日)
いまカリドラス(Kalideres)とカンプンランブタン(Kampung Rambutan)の二ターミナルに建設中の都内バスウエイパークアンドライド(Park & Ride)構想による自家用車駐車場とは別に、都庁はもっと効率の良いバスウエイへの乗換えアイデアに気付いたようだ。バスウエイルートまでのフィーダー整備に苦労している都庁は、次のプロジェクトとしてバスウエイ第6ルートのターミナルになっている南ジャカルタ市ラグナン(Ragunan)まで近隣住民に自転車で来てもらい、そこからバスウエイを利用してもらおうというアイデアを考え付いた。そのための第一条件としては、乗ってきた自分の自転車に乗ってまた自宅へ帰ることができるようにしなければならないわけで、この盗難防止が確保されなければこのアイデアはただの画餅に終わる。そのため都庁は保安確保を厳守するバスウエイ利用者用自転車預かり所を設け、バスウエイ利用者に対しては無料で自転車を預かるという計画を打ち出した。
バスウエイ第4〜第7ルートの各ターミナルでは既存の一般乗合い交通機関を使って利用者が集まってくるものの、それらの交通機関は住宅地区との連絡が悪くおまけにバスウエイよりも料金が高いためにフィーダーとして適正な状況とは呼べないものだった。この自転車フィーダー方式トライアルにラグナンが選ばれたのは、ラグナンターミナル利用者はラグナン地区、ジャガカルサ(Jagakarsa)地区やその周辺地区の住民が多く、距離的には近いが公共交通機関の便が悪いという事情が背景をなしている。住民の中には、これまでフィーダーの便が悪いために自家用車を使っていたが自転車のトライアルが始まればそれを試してみるつもりだ、と語る者が多数あった。
このトライアルが成功すれば、都庁はバスウエイの全ルート始発停留所と各ルートが連絡している乗換え停留所に自転車預かり所を設ける予定。


「思い込みの激しい飛行機乗務員」(2007年9月27日)
2007年8月8日付けコンパス紙への投書"Harga Diri di Lion Air"から
拝啓、編集部殿。わたしはライオンエアー乗務員のたいへん失礼な対応を蒙ったライオンエアー乗客です。2007年7月21日18時20分ジャカルタ発バリッパパン行きJT762便に乗ったわたしはとても不愉快な目にあいました。座席番号37Eと37Fに座ったわたしと友人はそこが快適でなかったために、たまたま空いていた前の席に移りました。
ところが飛行中しばらくしてからスチュワーデスがわたしたちのところに来て、座席番号36Dに座っている乗客が携帯電話を落としたらしいのだが何か心当たりはないかと尋ねたのです。わたしたちはもちろん正直に、「何も知らない」と答えました。着陸時に機内アナウンスがあり、「携帯電話を紛失した乗客があるので検査をする」と乗客全員に通知されましたが、その検査の対象にされたのはなんと大勢の乗客の中でわたしたちと携帯電話をなくした乗客の隣に座っていた紳士の三人だけだったのです。わたしたちは機内にいるすべての乗客からの好奇の視線を浴びて機内から下ろされ、空港警備員による身体検査を受けました。そしてわたしたちが持っていた携帯電話は電話機をなくした乗客のところに持っていかれて本人からチェックを受けるありさまでした。
わたしたちが座席の下に置き去りにした手荷物を取りに機内に戻ると、なんとその手荷物はわたしたちの了承もなく勝手に開けられて中がかきまわされていたのです。中味はごちゃごちゃになっていて位置も変わっていました。機内で紛失の届出があったからそれを行ったのだ、というのがスチュワーデスの説明でした。わたしと友人は大勢が見ている前でまるで携帯電話泥棒のように扱われたのです。それがわたしたちの自尊心を傷つけずに置くはずもありません。中でもわたしがもっとも不快を感じたのは、わたしたちの手荷物を了承もなく乗務員が勝手に引っ掻き回したことです。結局電話機を落としたと届け出たひとの携帯電話は発見されませんでした。わたしと友人の自尊心こそがライオンエアー機のキャビンの床のどこかに汚辱にまみれて落ちているのです。[ バリッパパン在住、フレダ・エンダン ]


「ティラン」(2007年9月27日)
道路上で交通違反を犯したときに警官は交通違反切符を切る。インドネシアではそれをティラン(tilang)と呼ぶ。tiket pelanggaran lalu lintasつまりti(ket) (pe)lang(garan)というわけだ。tilangは名詞としても動詞としても使われる。インドネシアの交通警官は業務インセンティブとしてtilangを一回行うと500ルピアがもらえる決まりになっている。しかしいまどきの5百ルピアでは奨励や動機付けの価値はないに等しく、かえって違反者が差し出す和解金(uang damai)の受け取りを促進する効果をもたらすものになってしまっている。交通違反取締りは「プリ〜ッ、ジゴ」と呼ばれ、プリ〜ッとホイッスルを一声鳴らせばジゴつまり二十五の収入になると何十年も昔から揶揄されてきた。二十五というの何十年も昔の25ルピアのことで、今ではゴバン(五萬)が相場だそうだが既に定着した言い回しはエバーグリーンになっている。
そんな状況だからその決まりは改定しなければならない、と首都警察交通局上層部が考えた。たとえば交通違反罰金の20%を現場の警察官に、30%を管理業務部門に、そして残りの50%を国庫に納めるようにしてはどうか。褒美があってこそ人間ははじめて行動を起こす。年々3万人が交通事故で生命を失い、物質的損失は34兆ルピアに達するインドネシアで、交通違反を厳しく取り締まることは社会の安全にたいへん重要なことだ。ドライバーの交通意識を高めることは交通事故の防止に大きい効果を及ぼすものであり、貧しい交通警官がその職務の遂行に励むよう仕向けるためにインセンティブ向上は不可欠だ。と首都警察交通局上層部はそのように表明した。人間の行動への動機付けは金銭的物質的利益であるという人間観が正直に吐露されている表明だ。
2007年6月2日午前9時半ごろ、アセップは西ジャワ州カラワン県とスバン県の県境をボックス車で走行中だった。車の中にはレストランに届ける肉が入っている。ところが街道の前方で警察が検問を行っているのを目にしてアセップは驚いた。しかしいまさら後戻りはできない。検問中の警官は当然のように、やってきたアセップの車に停止を命じた。そして紋切りの運転免許証(SIM)と自動車番号証明書(STNK)のチェックを行う。ケチのつけようがなかった警官は次に積荷を調べ、そして運送状の提示を求めた。アセップは運送状の提示ができなかった。「そりゃおまえ違反だぞ。罰金は70万ルピアでいいか?嫌なら車と積荷は差し押さえだな。」商品の肉が傷むのを心配したアセップはその悪徳警官の言うがままに応じた。
「でもそんな大金はいま持ってないよ。」とアセップは言う。
「じゃあ、取って来い。それまでおまえの携帯電話を預かる。」
しかたなく自分の携帯電話を悪徳警官の手に渡したアセップはチカンペッまで戻ってATMから必要な金を引き出してきた。そして街道の検問場所まで戻ってきたが、検問はもう終了したらしくそこには人っ子一人いなかった。「交通違反罰金を携帯電話で払うのか・・・・?」アセップは天を仰いで嘆息した。


「スカルノハッタ空港でまたディレイ傾向」(2007年10月1日)
2007年7月の学年末休みシーズンにスカルノハッタ空港で運行スケジュール遅れが大量に発生したのは「学年末休み最後の三日間、スカルノハッタで大量ディレイ」(2007年8月3日)で報道された通り。9月最初の週末にふたたびディレイ増加傾向を感じた国有空港運営会社PTアンカサプラ?スカルノハッタ支社が「いまどきこんな状況ではルバラン帰省が始まったらどうなるかわからない。」との懸念を抱いて警告を発した。アンカサプラが呈示しているのは9月2日(日曜)と9月9日(日曜)のふたつのケースで、データでは次のようになっている。
8月31日(金) 総便数787便  ディレイ380便  オンタイム407便
9月1日(土)  総便数773便  ディレイ284便  オンタイム489便
9月2日(日)  総便数792便  ディレイ402便  オンタイム390便

9月7日(金)  総便数778便  ディレイ250便  オンタイム528便
9月8日(土)  総便数771便  ディレイ290便  オンタイム481便
9月9日(日)  総便数783便  ディレイ416便  オンタイム367便
第一週の週末に30分から60分以上のディレイを起こしたフライトは45%の1,066便にのぼり、その内訳は国内線978便国際線88便だった。第二週の週末は少し減って41%の956便となり、国内線882便国際線74便という内容だった。空運業界者はその原因について、出発時間遅れはさまざまな要因が関与しているが空港へのアクセス路における道路状況がもたらす影響を特に感じている、と語っている。
ルバラン帰省時には各社が増便を重ねるために国内線運行がたいへん混雑し、出発時間遅れは玉突き的に全体の運行スケジュールを混乱させることになるし、またルバラン帰省者が大量に集まってくる空港ターミナルでも乗客の回転がうまく行かなければ大量の人間がターミナルを埋めて身動きが困難になる事態も懸念され、空港運営会社や空港管理当局はそのような事態を防ぐための処方の検討に頭を悩ませている。
ところでインドネシア消費者保護財団(YLKI)は、2007年7月〜9月の間にバリのグラライ(Ngurah Rai)空港、スラバヤのジュアンダ(Juanda)空港、マナドのサムラトゥラギ(Sam Ratulangi)空港の三ヶ所で行ったサーベイ結果を公表した。それによれば、回答者5百人中の72%が不満を感じているのは航空機運行時間が正確に守られていないことで、おまけに時間変更アナウンスも確実に行われていないことが指摘されている。それに次いで多い不満はチェックイン時に預けたバゲージがなくなってしまうこと。また空港保安の観点からは、グラライ空港がもっとも優れているとの印象を回答者たちは述べている。


「ルバラン後のバスウエイ特別運行」(2007年10月17日)
都内バスウエイを運営している公共サービス団体トランスジャカルタは10月18日から21日までの四日間、帰省逆流受入れバスターミナルでの運行を平常の22時から24時まで延長すると表明した。州間長距離バスのターミナルでバスウエイも乗り入れているプロガドン・カリドラス・カンプンランブタンの三つのターミナルでは平常の最終便が発車したあともそれぞれ5台のバスを待機させて24時まで運行させる。プロガドンはハルモニー行き第2ルート、カリドラスもハルモニー行き第3ルート、カンプンランブタンはカンプンムラユ行き第8ルートの始発駅。それらの特別バスはルート途中の停留所で乗客の下車を許すものの乗車をさせてはいけないことになっている
。 またこの10月15日から21日までの一週間、チリリタン卸センターからアンチョルドリームランドまでの直行バス(往復)とカンプンムラユからラグナン動物園行き直行バス(往復)の運行を実験的に行っている。チリリタンからのバスウエイ第7ルートはカンプンムラユで第5ルートに乗り換えアンチョルドリームランドに達するのだが、第7ルートのバスをそのままアンチョルまで走らせようというのがこのアイデア。ラグナン動物園行きも同じで、カンプンムラユからのバスはハリムン乗り換え駅を超えて第6ルートに入り、一路動物園を目指すという運行を行っている。


「有料自動車道路料金値上げ」(2007年10月19日)
当初8月中の値上げが予定されていた全国の有料自動車道路通行料金は2007年9月4日0時を期して新料金が適用された。2年ごとにその間のインフレ率を反映させて改定されることになっているこの料金改定は各地区のインフレ状況に応じて変更率が異なっており、値上がり幅は最低500ルピアから最高4,500ルピアまでさまざま。単純に従来の料金にあるパーセントを掛けて算出される新料金ではあるが、500ルピア単位が原則になっているため計算結果は500ルピアもしくは1,000ルピアに丸められ、この要因も値上げ率が一定しない現象を招いている。今回料金改定がなされたのは全国13の有料自動車道路で、それぞれの値上がり状況は次のようになっている。
路線            全長(Km)  旧料金(ルピア) 新料金(ルピア) インフレ率(%)
Jagorawi 50.0 4,500 5,500         20.8
Jakarta-Tangerang 33.0 3,000 3,500 20.8
Dalam Kota Jakarta 55.6 4,500 5,500 20.8
Padalarang-Cileunyi 64.4 4,500 5,500 21.8
Cipularang 58.5 20,000 24,500 21.8
Semarang Seksi A,B,C, 24.8 1,500 1,500 21.6
Surabaya-Gempol 37.0 3,000 3,500 19.4
Palimanan-Plumbon-Kanci 26.3 6,000 7,000 23.3
Belmera 42.7 3,500 4,500 24.3
Serpong-Pondok Aren 7.3 3,000 3,500 20.8
Tangerang-Merak 73.0 15,000 18,000 19.7
Surabaya-Gresik 20.7 6,000 7,000 19.4
Ujung Pandang Tahap I 6.1 1,500 2,000 23.3
今回の料金改定ではまた、従来三つに区分されていた車両カテゴリーが五つの分類に増やされた。これまで行われていた分類は?、?、?の三つの大区分に対して小区分を設けて細分化する方式だったが、今回からは?、?、?、?、?の五つに分類され、第?類は二軸トラック、第?類は三軸トラック、第?類は四軸トラック、第?類は5軸以上のトラックと定義付けられ、第?類はそれら以外の車両となるためバスも今後は第?類の料金を支払えばよいことになる。


「続・有料自動車道路料金値上げ」(2007年10月23日)
この料金改定によって公共陸上運送機関も値上げの意思表示を行った。首都圏のアンコッは500〜1,000ルピアを値上げすると主張したが、公共運送料金は行政が上限を定めているためそれを超えるのは困難で、しかも業者間競争があるため一部事業者の望むがままに値上げが実現することはあまりない。もちろん突発的ゲリラ的なふっかけ料金が発生するのはまた別の話だ。
ところが今回の料金改定の中で従来三つに区分されていた車両カテゴリーが五つの分類に増やされたことからきわめて大きな影響を蒙るようになった業界がある。タンジュンプリウッ港をハブにして首都圏周辺一帯の工業団地や倉庫街との間を往復する貨物運送業界がそれだ。これまで行われていた分類は?、?、?の三つの大区分に対して小区分を設けて細分化する方式だったが、今回からは?、?、?、?、?の五つに分類され、第?類は二軸トラック、第?類は三軸トラック、第?類は四軸トラック、第?類は5軸以上のトラックと定義付けられた。第?類はそれら以外の車両となるためにこれまでは大型車両として高い料金を支払っていたバスも今後は第?類の料金を支払えばよいことになった。
政府の発表によれば、料金値上げ幅は概して20%前後でありそれは前回の料金改定から2年間のインフレ分を調整しただけのものでしかないとしているが、第?〜?類より上の第?・?類が新設されて累進的に高い料金が設定されたために、昔の第?類に区分されていた車種が第?類に移れば20%どころの値上がりではなくなる。オルガンダ(陸運機構)タンジュンプリウッ港湾特殊運送部事務局長によれば、ジャカルタ〜ムラッ(Merak)間通行料金は20FTコンテナ運搬車両で従来の33,500ルピアから50,500ルピアに51%アップ、40FTコンテナ運搬車両ともなるとは33,500ルピアから60,500ルピアへと81%もアップしているとのこと。貨物陸運業界にとっては平均60%という自動車専用道路通行料金値上がりでタンジュンプリウッ港を往復している業者は収益性の低下を余儀なくされており、貨物運送発注者に運送料金値上げを要請しているがこの時期鷹揚にコストアップを了承する事業者はまずいない。
プリウッ港湾特殊運送部はオルガンダ本部に書面で窮状を訴え、9月4日からの新料金体系を定めた公共事業大臣令第370号が貨物・コンテナ陸運業界に大きい衝撃をもたらしており長期の事業継続の土台を蝕んでいるため、その内容の見直しを求める声を政府に伝えてほしいと要請している。しかしここにきて道路損耗に影響の大きい車両により大きい費用負担をしてもらうというコンセプトに方向転換した行政側は、その陳情を当然来るものとして予測していたようだ。
さまざまな局面で古いパラダイムからより合理的なものへとばらばらに出現してくるレフォルマシ期のこのような変化が産業界の足元を揺さぶるタネであることも疑いのないところだろう。


「続々・有料自動車道路料金値上げ」(2007年10月24日)
今年の有料自動車道路料金改定では、ジャカルタ外環状道路(JORR)のチクニル(Cikunir)〜ジャティアシ(Jatiasih)区間が開通して北はチリンチン(Cilincing)から西はポンドッカレン(Pondok Aren)までの45キロがつながり、政府がこの機会にJORRの料金システムを区間制から単一料金制に変更したことで大きな社会問題が巻き起こった。それまでJORRはタマンミニ〜ポンドッキンダ〜ジャティアシというルートとチクニル〜チリンチンというふたつのルートがフィーダー的性格で使われていたため、多くの利用者が近距離を低料金で走っていた。たとえばレンテンアグンバラッ(Lenteng Agung Barat)料金所から入ってポンドッラブ(Pondok Labu)に向う人はそれまで1千ルピアで済んでいたのに、8月28日からはそれが一気に6千ルピアに上がってしまったのである。一回往復するのに2千ルピアで済んでいたひとが、いきなり1万2千ルピアの支出を抱えなければならなくなったわけで、それが毎日のことだから目の玉が飛び出ないひとはまずいない。値上がりを知らずに8月29日朝いつものようにやってきたひとびとは、カードを渡さずにすぐ金を払えという料金所係員の要求に驚き、6千ルピアという金額を言われて目と口を全開にした。今更逆戻りもできず、言われた金額を払って道路内に乗り入れたが、ショックがおさまってくると腹の底からふつふつたる怒りが湧いてきた。「おのれ〜、あの料金所を爆破してやる。」と瞬間的に大量のテロリスト予備軍が誕生したにちがいない。
翌8月30日からはかれらの大半がJORRのボイコットを始めたため、JORRをはさむ一般道シマトゥパン通りとそこから北の都内へ向かうアンタサリ通りなど数本の幹線道路で大渋滞の毎日となった。実際にはやはり単一料金制になっている都内環状道路の5千5百ルピアとそれほど大きい料金差があるわけではないのだが、ひとびとはそれまで自分が払っていた金額を規準にして変化を計り、その大小に感情を塗りこむようだ。ジャサマルガ代表取締役によれば、6千ルピアの算出方法はJORR利用者の平均走行距離が12〜15キロでありそれにJORRのキロ当たり430ルピアという基本タリフをかけて得られたものだそうだ。もし区間制を継続すれば最遠区間は1万9千ルピアとなり、都内環状道路に多くの車が集中する現状は変わらないだろう。
ブカシの住宅地区に住むJORR利用者はこの値上がりのために自動車道路料金が倍増すると言う。かれはこれまで毎月35〜50万ルピアを払っていたが、今後ともJORRを使うとなるとひと月70〜100万ルピア必要だそうだ。ブカシの別の住宅地に住む男性は、これまでのひと月12万ルピアは50万ルピアに跳ね上がると語る。インドネシア消費者保護財団は、生計費の中で交通費は12%が適正値でありそれを超えると他の生活需要に不足が出る、と言う。しかし2002年の調査でジャカルタ住民の交通費支出は既に15%に達している。


「再・有料自動車道路料金値上げ」(2007年10月25日)
今年の有料自動車道路料金改定では、ジャカルタ外環状道路(JORR)が北はチリンチン(Cilincing)から西はポンドッカレン(Pondok Aren)までの45キロ区間が開通したのに時をあわせて、政府がこの機会にJORRの料金システムを区間制から単一料金制に変更したことで大きな社会問題を巻き起こしたのがその前哨戦。この前哨戦は続いて行われた13自動車道路の料金改定とは別の話だったのだが、しかし国民はそれをひとからげにし、クラスアクションに向かって突っ走った。そして本題の料金改定については、改定案を各道路管理者が政府公共事業省に申請し、政府はそれをひともみしたあと国会に提出して支持を求めた。そのような過程の中で大多数国民が知らなかった事実がまたひとつこぼれ出てきた。国会議員の一部が有料自動車道路通行無料パスを持っているということが。
有料自動車道管理国有事業体PT Jasa Marga は全国すべての有料自動車道路の元締めとなっている。ジャサマルガが自力で建設・維持・運営を行っているルートもあれば民間資本を使ったものもあり、民間オペレータにとって国側の立場に立っているのがこのジャサマルガになる。無料パスを発行しているのはジャサマルガで、そのパスを手に入れているのは国会第5委員会議員、警察自動車専用道担当部門、運通省高官など。パスはさまざまな色のカード型でオーナーの名前が記されており、有効期限は6ヶ月となっている。ジャサマルガの上級職員によれば、そのパスは会社が妥当で有意義と判断した相手に発行しているとのことで、本人以外の親族などがそのパスを使っても問題にされることもなく、また有効期限も繰り返し延長されている。
行政監視民間団体がさっそくこの問題に舌鋒を浴びせた。国有事業体の行為を監視しているBUMNウオッチ理事長はジャサマルガが料金決定を審議する国会第5委員会議員に無料パスを与えているのはKKN行為であり、少なくともGCG倫理に違反している、と批判した。KKNとはKolusi(癒着)、Korupsi(腐敗)、Nepotisme(縁故主義)のことで、GCGはグッドコーポレートガバナンス。「国有事業体はクリーンな事業を行って民間企業にお手本を示さなければならない立場にあるというのにそのような贈賄もどきの行為を行っており、また国会議員も握っている権力を濫用して私服を肥やすようなことを行っている。国会議員はそのような賄賂じみたものを受け取ってはならず、国民の代表として民衆寄りの政策を政府に行わせるような働きをどうしてしないのか。腐敗行為撲滅コミッションはこの無料パス提供が国庫に損失をもたらすKKN行為かどうかを調査するべきだ。」しかしこの程度の問題は国民の一般常識からすれば目をむくようなことではないらしく、どうやらそのあたりで沙汰止みになったようだ。


「再々・有料自動車道路料金値上げ」(2007年10月26・29日)
インドネシアは東南アジア諸国に先駆けて自動車専用道路を建設した国だ。ジャカルタから南部のボゴールとチアウィに至る自動車専用道路は1974年に着工されて1978年に開通した。Ja(karta)〜(Bo)gor〜(Ci)awiの名を取ってジャゴラウィと命名されたインドネシア初のこの有料自動車専用道路では、集落と水田を道路で分断された農民たちの飼っている動物たちが道路を横断中に車にはねられる事故が多発した。当時その道路を通るにつけて、憐れな家畜たちが路肩に遺骸をさらしている姿をよく目にしたものだ。
オルバ期の国家開発ポリシーのもとに先頭を切ったインドネシアもその後の29年間の中で息切れを起こしてしまったようだ。現在インドネシアの自動車専用道路総延長は650キロしかなく、1986年に遅れて出発した隣国マレーシアにあっという間に追い抜かれてしまった。マレーシアはいまや国内南北端を縦貫させて総延長6千キロを誇っている。インドネシアの道路インフラは劣悪だ。国道は34,628キロメートル、州道は37,164キロ、県道市道は266,564キロに上るが、最善の状態が期待される国道ですら良好な状態が維持されているのは28%にすぎない。経済危機〜オルバ体制崩壊〜地方自治と玉突き的に政治経済状況が変化する中で、国の補助と干渉の影響がいきなり弱まった貧しい地方自治体が道路インフラ整備の優先順位を引き下げるということを主体的に行った結果が、われわれが今目にしている貧困な道路インフラという現状の一要因でもある。
インドネシアの有料自動車道路通行料金は他の国に比べて安い、とインドネシア有料自動車道路協会会長は言う。インドネシアでもっとも安いのはチカンペッ(Cikampek)自動車道のキロ当たり120ルピアという料金で、それに比べてマレーシアは平均キロ当たり950ルピア、中国は1,200ルピアだそうだ。これにはいくつかの要因がある。料金改定がごく稀にしか行われなかったオルバ期のあと、道路に関する2004年法令第38号で2年に一度インフレ率に応じて料金を改定することが定められた。しかし遠い昔に比較的低めの料金から始まった通行料金が長期に据え置かれ、最近になってやっとインフレ率分の補償がなされるようになっただけというその状況は事業者に比較的厳しい現実をもたらしている。そんなメカニズムであるならイニシャル料金が大きい意味合いを持ってくるが、そこでは国民購買力を土台にオーナードライバーを誘致するための料金設定がなされたわけで、それでも都内環状道路はオープン当初大半のドライバーが一般道の通行を選んだために近距離利用者は数少なく、都心部でスリーインワン制度を開始したのは有料自動車道に四輪ドライバーを追い込むためだという陰口すら叩かれた。
イニシャルタリフ設定は、総工費・車線追加や新インターチェンジ建設費用・再舗装・機材購入・コンセッション期間・インフレ見込み・交通量・投資回収見込みなどの要素を織り込んで計算され、さらに道路利用者の支払い能力や自動車通行コスト利益、投資妥当性などもそこに影響を及ぼす。このようにして各道路開通時のイニシャル料金算出ベースとなるイニシャルタリフが決められる。ちなみにジャゴラウィはキロ当たり110ルピア、タングラン(Tangerang)〜ムラッ(Merak)は247ルピア、スルポン(Serpong)〜ポンドッカレン(Pondok Aren)483ルピア、都内環状道路433ルピアといったように。
道路建設にもいくつかの難しい条件が付随する。自動車専用道路建設工事のための土地収用はインベスターの責任となっている。それが不動産開発と違っているのは、不動産インベスターが用地買収を終えればその土地は自分の資産として資金調達の抵当に使えるというのに、自動車専用道路の場合はその土地が政府のものになってしまう点だ、と自動車道路統制庁長官は言う。にもかかわらず土地建物税は自動車専用道路インベスターに課税される。おまけに用地買収資金は銀行界から調達できず、基本的に自己資金を使わなければならない。銀行界が建設工事融資を開始してよいタイミングは道路の最初の一区間の買収が完了してからとなる。住民の所有地買収が道路建設の最大の難関であり、JORRのジャティアシ〜チクニル区間がすぐにも開通しそうな話でありながら数年間停滞したのは住民の立退き交渉がその原因だった。住民の立退き補償問題には地元行政府が介入してくる。通常地元行政府は住民の側に立って補償金額をまとめようとし、多くのケースでは住民を裏で操作する土地マフィアがそこにからんで泥沼の様相を呈するようになる。中央政府はオルバ期の二の舞を懸念してそんな場に乗り出してくることをほとんどしない。結局は法確定不在という印象の強い中でごね得が横行し、公共料金設定と収入運用の場に影を落とすことになる。
ムラッから首都圏を通ってバンドンとチカンペッまで自動車専用道路はつながった。チレボン・スマラン・スラバヤ周辺で既に開通している道路をつないでムラッからバニュワギ(Banyuwangi)までのジャワ島横断道路が計画されている。首都圏から自家用車で楽にバリを訪れることができるようになるのはいつの日だろうか?


「ポンドッキンダのバスウエイ工事再開」(2007年10月30日)
南ジャカルタ市の高級住宅地区ポンドッキンダ(Pondok Indah)の目抜き通りであるメトロポンドッキンダ通り(Jl Metro Pondok Indah)を貫通するバスウエー第8ルートの建設計画はポンドッキンダ住民から強い反対を浴びせかけられてきた。しかし都庁はルバッブルス(Lebak Bulus)〜ハルモニー(Harmoni)間2.55キロを結ぶこの第8ルート建設は既に決定事項であるとして工事業者PT Yasa Patria Perkasa社に対し10月29日から工事を再開するよう命じた。同社は建設工事の初期段階としてメトロポンドッキンダ通りのおよそ百メートル区間でコンクリート枠撤去を行ったところ10月13日にポンドッキンダ住民に工事継続を阻止されて今日に至っている。
ポンドッキンダ住民はメトロポンドッキンダ通りのバスウエー工事が道路中央緑地帯と植栽を損なうばかりか雨水浸透井用地を消滅させる懸念が大きいとしてその工事に反対しており、都庁に対して環境破壊調査の分析が完了するまで工事に着手しないよう求めていた。そして都議会が住民の利益を保護する立場から都庁に対して第8〜第10ルートの工事延期を勧告した。都内の交通渋滞を煽るばかりだという都議会の主張はうなずけないものでもないが、自家用車族を減らして公共運送機関の確立を図るのが最終目的であればその難渋は産みの苦しみとも言える。官界民間の名士分限者が数多く住むポンドッキンダの工事反対運動に伴って動き出した都議会の工事延期勧告はポンドッキンダ住民が持っているコネとカネの力の反映であることを思わせるものであると同時に、最終目的意識が内面に確固として位置付けられていない印象をも与えてくれる。
工事業者はその工事内容について、今道路幅が7.4メートルのメトロポンドッキンダ通りは2.4メートル拡張されて9.8メートルとなり、バスウエー専用車線とセパレータのために3.65メートルが確保されることから一般車両用には6.15メートルが残される、と述べている。都庁高官によれば、その拡張に際しては都有地が使われので都民の土地が削られることはないとのこと。バスウエー建設は中低所得層に対するマス交通機関の確立という首都の交通政策の一環であり、都内の交通渋滞対策として大きい意味を有している。ポンドッキンダ住民がすべてこの工事に反対しているのでなく、反対している住民はそのうちの一部であり、エゴイズムを捨てて公共の利益に協力するよう要請する、と都庁公共事業局道路次局長は述べている。


「自動車専用道路にスタバ」(2007年10月30日)
ここ一年ほどの間に、首都圏から地方部に延びている自動車専用道路にレストエリアが増えた。チカンペッ(Cikampek)道、タングラン〜ムラッ(Merak)道、ジャゴラウィ(Jagorawi)道などに超モダンな店舗が並ぶレストエリアが誕生している。6ヶ所が既に完成し、もうひとつが建設中。ゆったりと緑あふれるエリアには噴水や像が置かれ、冷房の効いた店舗は快適そのもの。昔作られた暑い建物と水浸しのトイレに埃高い駐車エリアというあのレストエリアとは大違い。おかげで多くの若者たちがわざわざ有料自動車道路料金を払いそんなモダンレストエリアに集まって夜明かしをする。そのようなウイークエンドの日々が新たなライフスタイルとして生まれている。
レストエリアに不可欠な給油施設ではタイヤの空気圧からラジエータの水量まで世話する今インドネシアで最先端のサービスを享受することができ、おまけにモダンなトイレ、マンディ場、礼拝所、レストラン、ミニマーケットからファクトリーアウトレットまでが完備されている。ジャカルタ〜ムラッ道KM14Bレストエリアでは、ガソリンスタンドの後ろにThe Real Factory Outletという看板が出ており、バンドンやボゴールのFOに遜色のない品揃えで買い物客を集めている。ここには他にも自動車修理場、ミニマーケット、ケンタッキーフライドチキンまで開店しており、近い将来はインターネットサービスも提供できるビジネスセンターがオープンする予定になっている。チカンペッ道KM39−40レストエリアにはKFC、ホランドベーカリー、ダンキンドーナツ、アルファマートミニマーケットなどが開店し、建物にはさまれたエリアは公園になっていて椅子やテーブル、ぶらんこなどが置かれている。このオープンエアー公園の居心地よさのために、夜は星空とほのかなランプの明かりの下でのんびり時間を過ごすカップルやグループが絶えない。チカンペック道KM57レストエリアにはさらに加えて、指圧マッサージやお湯の出るマンディ場が用意されている。やはりチカンペッ道KM19レストエリアにはスターバクス、A&W、Solariaなどがあってまるで都内のモールにいるようだ。スターバクスは言うまでもなくドライブスルーカウンターを備えており、これは東南アジアで最初のものだそうだ。
スタバが自動車専用道路サービスエリアに出店したのはそれなりの計算の結果だった。一日10万台以上の車が通行し、そのうちの6割が自家用車という統計にスタバは大きなビジネスの臭いを嗅いだ。案の定、スターバクスチカンペッKM19店はプラザスナヤン・プラザインドネシア・チトスなどの有力店に劣らない売上を計上している。首都一帯から郊外へと都民の移動性が高まるに連れて自動車専用道路を通行する自動車数はうなぎのぼり。自動車道運営国有事業体ジャサマルガのデータでは、チカンペッ自動車道を一日28.8万台の車両が通っている。


「空港内で道路拡張工事」(2007年11月1日)
スカルノハッタ空港構内の道路幅が拡張される予定。空港利用者の増加によって空港構内に進入する自動車の数が増えているため、空港運営国有事業体PTアンカサプラ?が80億ルピアの経費を投じて第1ターミナルと第2ターミナルへのアクセス路を現在の12メートルから16メートルに拡張する。この計画は社内で既に承認されており、2008年度予算内に計上されることになっている。現在は工事計画の最終固めを行っており、着工は2008年7月になる予定。それとは別にアンカサプラ?はスカルノハッタ空港施設拡充計画の中で駐車場の新設や統合ビジネス地区を設けることも企画している。新設される駐車場は収容能力2千台という大規模のもので、空港入場ゲート付近に3Haの広さで造成されることになる。今ある駐車場は第1ターミナルが2,200台、第2ターミナルは1千8百台の収容能力。


「日中の大型貨物車両通行規制」(2007年11月6日)
北ジャカルタ市タンジュンプリウッ(Tanjung Priok)港に毎日コンテナ6千本の出入りを行っているコンテナトレーラーをはじめとする大型貨物運搬車両の同港メインゲート前での通行を夜だけに制限する計画が進められている。これは首都バスウエー第10ルート(チリリタン〜タンジュンプリウッ)建設工事に同期するもので、このバスウエールートは北ジャカルタ市のヨッスダルソ(Yos Sudaruso)、スラウェシ(Sulawesi)、エンガノ(Enggano)の三つの通りを通過することになっており、中でもタンジュンプリウッ港前の一般道で普段でも激しい渋滞が発生していることから工事期間中はその三つの通りにおける大型車両通行を制限して交通渋滞の更なる悪化をふせぎたいという意向をエフェンディ・アナス北ジャカルタ市長が既に表明している。
そのエリアではバスウエー専用車線路面舗装とセパレータ設置、停留所と陸橋建設などの工事が12月中の第10ルート全線開通を目指して実施されており、市長は工事の進捗と市民生活への影響に考慮して大型車両の通行を22時〜翌朝5時までのみに制限することを希望している。他の時間帯に大型車両はほかのルートを経てプリウッ港に入るよう指導することにしているが、タンジュンプリウッ港運営者との事前の話し合いはほとんど行われておらずコンテナ運送業界や通関業者は北ジャカルタ市のその方針に強く反対している。港湾活動は24時間行われており、貨物の搬出入時間が制限されれば港湾での運営ならびに産業界の操業に大きな不効率がもたらされるというのがその反対理由。
北ジャカルタ市長は「その方針がいま運通省内で検討されているため、検討結果が示される前に通行規制が実施されることはない。」と語っている。


「都内環状道路の混雑が緩和傾向」(2007年11月8日)
ジャカルタ外環状自動車道(JORR)の通行料金システム変更で近距離利用者の猛反発が起こったもののこの道路の利用状況は向上しており、その一方で都内環状道路のすし詰め状態に緩和がもたらされはじめていることから、首都圏道路行政に関する政府の目論見は成功を収めたように見える。JORRを通行する自動車台数はここ2ヶ月間で一日25万台から30万台に増加した。中でもスルポン(Serpong)方面からJORRに入ってくる車両が一日1万5千台増加しており、去る8月28日にJORRからチカンペッ(Cikampek)自動車道への連結が実現されたことによってスマトラ島やバンテン州からジャカルタの東側に向かう車が都内環状道路を避けてJORRを通るように変わったことをその統計が示唆している。それらの車は都内環状道路の激しい渋滞を避けるためにタングラン料金所で一旦外に降り、スルポン街道(Jalan Raya Serpong)を経てスルポン〜ジャカルタ自動車道に入ってからJORRに向かい、ジャゴラウィ道とのインターチェンジやチカンペッ道とのインターチェンジで南向きあるいは東向きに方向を変えている。その状況はチャワン(Cawang)〜ジャティブニン(Jatibening)を通る交通量が従来の8万5千台から7万台程度に減少していることが裏付けを与えている。
交通の流れがこのように変化したためにスルポン街道では交通混雑が激しさを増しており、タングラン県スルポン地区の広大な敷地に開発中のニュータウンAlam Sutera住宅地区デベロッパーが工事を始めたスルポン街道とジャカルタ〜タングラン自動車道を結ぶランプウエーの完成が待ち望まれている。8ヶ月後に完成が予定されているこのオンーオフランプで、スルポン街道を通る都内向けの車をタングラン自動車道に流してスルポン〜ジャカルタ自動車道に向かう車と二分させようというのがこの工事の狙いであり、また同デベロッパーにとっては入居者への公約を果たすことでもある。交通の流れの変化はタングラン料金所にも影響を及ぼしており、同料金所では一日の通行車両が4万台から4万5千台に増加している。料金所周辺の交通渋滞が激しくなってきたために自動車専用道路運営会社PTジャサマルガはタングラン料金所の位置を早急にインターチェンジ下のKM19地点に移す予定にしている。


「航空券払い戻しは難業」(2007年11月15日)
2007年8月22日付けコンパス紙への投書"Ketentuan AirAsia Sepihak"から
拝啓、編集部殿。2007年7月1日午前10時40分発のエアエイシア航空券8人分をわたしは2007年4月16日に買いました。ジャカルタ〜デンパサル往復切符です。当日午前9時にわたしたちはスカルノハッタ空港に着きましたが、わたしたちが乗る予定のQZ7510便がモニターに見当たりません。エアエイシアのチェックインカウンターに行ったところ、その便は出発が14時50分に延期されたことがわかりました。エアエイシアのスタッフによれば、エアエイシア側は昨夜24時にわたしの携帯電話に連絡したそうです。そのときわたしは、あちこちの目的地に向かおうとしている乗客が出発時間の延期に怒りまくっている姿を目にしています。待ち時間があまりにも長いのでわたしはそのフライトをキャンセルし、料金を上乗せして別の航空会社を使うことにしました。
エアエイシア側の説明では、キャンセルした航空券料金は支払いをしたクレジットカードの口座に払い戻されるとのことでした。2007年7月12日にクレジットカード発行者に問い合わせたところ、キャンセル航空券のリファンドはまだないと言われたのでわたしはエアエイシアのコールセンターに連絡しました。まったく驚いたことに、キャンセル航空券のリファンドは30日から60日かかるとコールセンター担当者は言うのです。そのようなことはわたしがキャンセルしたときにエアエイシア担当者が知らせるべきものではありませんか。本日現在に至るまで、わたしはいまだにそのリファンドを入手していません。
消費者の要求を避けるとき、エアエイシアはいつも決まりや条件の陰に隠れようとします。その反対にエアエイシアが出発時間延期の通知やリファンドにたいへんな日数がかかるということを消費者に教えるのを怠って損失を与えたとき、かれらは消費者の権利に関する決まりや条件に違反しているという感覚を持っていないようです。エアエイシアが犯したあらゆるミスは「有効な決まりや条件」という言葉を楯に消費者に受け入れられなければならず、エアエイシア側に発生した損失はエアエイシア側にそれを軽減させる義務など一切なしに消費者がそのすべてを立て替えなければならないことになっています。わたしはリファンドの件を確認するために何度もエアエイシアにコンタクトしていますが、エアエイシアは何の反応も示しません。[ ジャカルタ在住、フランシスクス・エフェンディ ]


「バスウエーはいずこへ」(2007年11月16・19日)
もともと公共輸送機関が劣悪クオリティであるために普通のひとはあまり利用したがらず、勢い自分(必ずしも所有者という意味ではない)の車で移動したがるという習慣が長年にわたって培われてきたジャカルタで、政府が自動車生産を国の基幹製造産業のひとつに位置付けたこと、金融界の融資が製造産業とミスマッチを起こしていたために消費向け融資にドライブがかかったこと、そして太古の昔から今日まで国内のヒト・モノ・カネのすべてがジャカルタの一極集中を起こしており必然的に政治・経済・文化活動もジャカルタが図抜けてハイレベルにあること、等々の要因が重なってジャカルタを自動車の大洪水が襲う結果をもたらした。都民が持っている車を全部路上に並べたら都内の道路は百%車で埋まってしまい、マイカーをガレージから路上に乗り入れたとたんに身動きが取れなくなる時が早晩やってくるというカリカチュアがマスメディアを彩った。
そんな状況に変革をもたらそうとしてバスウエーを企画し、ブーブーたる不評もものかわとそれを実施させたのはスティヨソ前都知事だ。ブロッケム(Blok M)からコタ駅までの第1ルート建設の際も、首都の一級目抜き通りを行き交う変革嫌いのドライバーたちから交通渋滞を煽るだけだという怨嗟の声が都庁に向けられたもののスティヨソ元中将はそれを押し切ってトランスジャカルタバス運行を実現させ、マイカードライバーの何パーセントがバスウエーに乗り換えたといった統計が報道されて首都交通政策のサクセス譚が語られた。バスウエーは続いて第2〜3ルートが建設されてジャカルタの中央を通る南北と東西の単線がクロスし、さらに第4〜7ルートが南北方向を主体により広い面をカバーするために建設された。そしていまは東西方向のカバーを広げるために第8〜10ルートの建設工事が年内完成を目指して進められている。
バスウエーが作られる前から都内の主な道路は時間によってひどい交通渋滞を起こしていたところにバスウエープロジェクトが実施されたわけで、トランスジャカルタバス専用に車線がひとつ奪われるのだから交通渋滞に拍車がかかることは目に見えている。だからバスウエーなど作るな、と言ったところで上述のカリカチュアが現実のものになる日がそのうちやってくるわけだから、そのときの難渋をいまのうちに体験してマイカーから早くバスウエーに乗換えろ、というのが前都知事の腹のうちだったのではないだろうか。
しかし生活共同体としての社会の秩序統制よりも自分の便宜都合を優先する傾向の強い文化にとってスティヨソ式バスウエー交通政策は悪政だったようだ。第8〜10ルート建設工事、既存のバスウエー専用車線補修工事、そして交通ビヘイビヤを変えようとしない国民性と更なる自動車販売台数の増加などがあいまって、バスウエーが走っても交通渋滞は解消されないではないか、という声が高まってきた。おまけに雨季に入ってあちこちに水溜りができればほんの数キロを踏破するのに数時間もかかるという現象が増え、報道界が一転して首都の交通渋滞をなんとかせよとキャンペーンを張ったことに加えてSBY大統領までが都知事に状況改善を図れと命じたために、ファウジ・ボウォ新都知事は就任早々のっぴきならぬ立場に追い込まれてしまった。こうして首都ジャカルタの交通大作戦が2007年11月12日から開始されたのである。
都庁は首都警察と対策を協議し、渋滞発生時間帯に112ヶ所の定常渋滞発生場所で交通をスムースに流させるために首都警察は5千人を動員して配備することにし、Operasi Jalan Lancar Jakarta Raya (Jala Jaya = 首都網作戦)と命名されたこの交通大作戦は11月12日朝モナス広場での関係者全員を集めたキックオフでスタートした。首都警察が動員した5千人はもちろん交通局職員だけでなく、捜査局員や機動旅団員も混じっている。都庁も警察だけに任せてはおらず、交通局員4百名、秩序安寧局員110名、住民保護局員168名を現場に投入した。
この交通大作戦ではいかに臨機応変に現場の状況に応じて交通の流れを止めずに流して行くかというのが究極の命題であり、当然ながらトランスジャカルタバス専用車線もその方針の中に織り込まれた。ただしバス専用車線については一般車両乗り入れ禁止という原則は維持され、現場で交通整理を行う担当官が必要に応じて一般車両をその車線に誘導するという決まりが首都網作戦の一要項として指令された。ところがこの交通大作戦開始前にマスメディアが「バスウエー車線が一般車両に開放される」という言い方で報道を行ったために、12日朝は現場の警官の指示もないうちから一般車両が続々とバスウエー車線に入って行くという珍事が発生した。それがかれらドライバーにとって本当にまじめな理解だったのかそれとも自己便宜を優先して故意に歪めた理解だったのかは知るべくもないのだが、どうもこのあたりの経緯はプロボカトルが横行したレフォルマシ初期の諸事件に一脈通じているような気がしてしかたない。
ともあれ、12日通勤時間帯のバスウエー乗客はとんだとばっちりを蒙ることになった。普段は10〜15分間隔でやってくるトランスジャカルタバスがこの日は30分以上してやっとやってくるありさまで、おかげでバス内はぎゅうぎゅう詰めとなり停留所もひとであふれかえる状況になった。おまけにぎゅうぎゅう詰めのバスが交通渋滞のおすそ分けに預かったことからのろのろ運転が続き、バスウエーのメリットがすべて雲散霧消してしまったのである。
一方マイカードライバーは12日の首都警察の働きをおおむね高く評価しており、いつもは渋滞でのろのろと動いた後また止まるということが繰り返されていたのに12日はのろのろ進行は同じであるものの止まることがなく、目的地に信じられないほど早く到着した、と警察に賛辞を呈していた。首都警察は交通渋滞発生要因を十分に分析しており、客待ち公共バスや道路左端に駐車している自動車あるいは地形などでボトルネックが作られている場所が渋滞発生要因であることから普段客待ちで道路左端を占領しているバスやアンコッも駐停車が許されず、全体ののろのろ進行に合わせて追い立てられていた。公共バスやアンコッの普段の行動が今後どのように変化していくのか、それともお祭り騒ぎが終われば元の木阿弥となるのか、実に興味津々というところ。
首都網作戦は都内の交通渋滞が緩和されるまで一週間単位で実績をリビューしながら数週間続けていくということになっているが、マイカードライバーが自分の車に乗り続けるならこの問題の根本的解決に至るかどうかは大きな疑問だ。渋滞時間帯のバスウエー運行にどれだけの影響が出るのかということもバスウエープロジェクトの将来に一石を投じるものではないだろうか。


「中部ロンボッ県に新空港と大型リゾート建設」(2007年11月20日)
ロンボッ(Lombok)新国際空港が中部ロンボッ県に建設される計画になっている。大型機の離着陸が可能な滑走路を持つモダンなデザインの空港が2009年の稼動開始予定で建設されるのだが、それと時をあわせて中部ロンボッ県に大型リゾート施設がオープンする予定になっている。6億ドルをかけて開発される中東資本のこのリゾートは2008年1月に着工されて第一フェーズ完成は2009年末が予定されている。アラブ首長国連邦の企業エマアルと政府との間で相互覚書締結は既になされており、今はその両者がリゾート建設と運営を行う合弁会社を設立するための合意書の準備が進められている。このリゾートには数軒のホテルとゴルフコースがまず建設され、それが完了すれば観光客の受入れが開始される。リゾート建設の最終フェーズが完了するのは2014年で、エマアルは1百万人の観光客誘致を約束している。中東からの観光客誘致はカタール航空・エミレーツ・エティハッドの三航空会社がバックアップするという話し合いが既についているとのこと。


「ポルタル」(2007年11月21・23日)
首都圏の住宅地区に大通りから入って行くと、住宅地区への入り口の道路は必ずと言っていいほど道幅いっぱいに横木が差し渡されていて外来者の自由な往来をさせないような措置が施されていることにたいていのひとは気付くにちがいない。昼間の交通繁華な時間帯はその横木が鉄道踏み切りの遮断機よろしく上がっているのだが、深夜になると必ず横木が下ろされてバリケードに変わり、そこにいる見張り人に横木を上げてもらわなければ自動車で住宅地区の中に入って行くことができない。見張り人は夜中にどのような人間が中に入ってきたかをそこで確認できるわけで、一種の検問システムが行われているのである。
ちなみにわたしの住んでいる町内は、大通りから車で入ってこれる場所は一ヶ所でそこに遮断機が設置されており、その横には見張り人詰所が建てられている。日中は遮断機が上がっており、見張り人もいないときの方が多く、誰でも自由に往来している。しかし夜9時ごろになると見張り人や暇な住人がそこに集まってきて茶飲み話に花が咲く。遮断機が下ろされるのは深夜0時で、その時間を過ぎて家に帰ってくる場合は遮断機の手前で一旦停止し、それを上げてもらわなければならない。検問といったいかめしいことは何も行われず、見張り人は住人であろうがなかろうがだれが来ても遮断機を上げているようだが車の中にいる人間の顔はしっかり見ているらしい。見張り人はふたり以上がチームで詰めており、かれらは一時間ごとに町内を巡回して見回る役目も負っている。1時・2時・3時・4時と町内を回り、特定の場所で鉄製電柱などを木っ端でその時間の数だけ叩く。カンカンカンと3度鳴らされたら3時の見回りが行われているということだ。これは中世ヨーロッパの習慣にならったものではないかとわたしは思うが、独立闘争期以後の大変動の中でよくも今日まで続けられてきたものである。わたしが感嘆しているのは夜間定時の巡回警備のことでなく、その時間の数だけ鐘を打ち鳴らす習慣のことだ。巡回警備は必要だから行われているわけで、歴代の首都警察長官が「自分の居住地の保安を警察任せにせず自分の生命財産は住民共同体が自分たちで守るようにしなければならない」という発言を行っていることからもそれが明らかだ。
話がそれてしまったが、インドネシアではその横木あるいは遮断機のことをポルタル(portal)と呼んでいる。ポルタルはオランダ語源のportaalからきているようだ。オランダ語のportaalにせよ英語のportalにせよもともとの意味は豪壮華麗に作られた入り口のことであり、インドネシア語ではgapuraがそれに該当している。その結果豪壮華麗に作られた入り口を現代インドネシア人はガプラと呼び、ポルタルという言葉は道路に差し渡した横木やバリケードに用いるという転用がなされたようにわたしには思える。バライプスタカ発行のKBBI(インドネシア語大辞典)第三版ではオランダ語の原意がトップに出てくるものの、日常生活ではどうも上のような用法になっているような気がしてならないのである。
このポルタルが住宅地区に住む住人たちのエゴに使われだすとどうなるかという例をわれわれはあちこちの高級住宅地に見出すことができる。都内ではクラパガディン(Kelapa Gading)やポンドッキンダ(Pondok Indah)などがその典型例と言えよう。外の大通りに直接つながっているエリア内への進入路をかれらはほんの数ヶ所だけ残してすべて横木やバリケードを置いて閉鎖してしまう。おかげでそんなエリア内に住む知人をはじめて訪れたわれわれは、帰宅しようとしてエリア内をどこへ向かって車を走らせても行き着くところはすべてバリケードになっており、長時間エリア内をうろうろしてからやっと抜け穴にたどり着いて外の世界へ復帰できるという憂き目にあわされる。エリア内住民がすべてそんな状況に賛同しているわけではないのだが、ムシャワラ・ムファカッの世界は社会的尊敬度の高い人間の声がよく通るようだ。おかげで急病人・怪我人や妊婦あるいは火事といった緊急事態に直面して閉鎖社会に引きこもってしまった住民自身が損をするということも起こりうる。なにしろ外界との接点を自ら塞いでしまったのだから。 確かに住人たちの言い分や行動にも一理はある。住宅地の中で自由に見知らぬ人間を往来させることで増大する犯罪リスクは言うまでもない。高級住宅地であればあるほど高額所得者が居住しており、それを標的にしようというこそ泥から侵入盗、路上でのカツ上げや誘拐などの犯罪者を首都圏全域から吸い寄せては安心して生活が営めない。ましてや犯罪予防を住民の行う領域と警察自身が位置付けていたなら、上部階層に属す住民たちが下の階層の者のアクセスを遮断しようとするオリエンテーションが生じるのも無理ないことだと言えるだろう。もうひとつの問題は道路交通問題で、エリア内幹線道路でのバスウエイ建設工事に徹底的に反対しているポンドッキンダを例に取れば、ただでさえ大渋滞の幹線道路に接している住宅エリア内への進入路をもし開放したなら大量の車が住宅エリアを通り抜けようとするのは火を見るより明らかであり、閑静な暮らしを営むことを望む住民たちの門前にその大量の車が数珠繋ぎになったときの喧騒・大気汚染や歩行者に対する交通安全にかれらが不安を抱くのも無理からぬことであると言える。
トリサクティ大学都市問題専門家は、首都圏の住宅地が外部との接点を極力減らして居住地区内の安全感を高めようと努める姿勢は1998年5月暴動を境に高まった、と語る。国あるいは政府機関がその安全感を与えてくれないため自助努力に訴えざるを得ないという社会的状況が前提になっているわけだ。しかしながら公共秩序に関する1998年都条例第11号では、道路に設置されるポルタルは都知事の許可が必要とされている。だから公共利益を無視して道路の通行を阻むポルタル設置は、都知事の許可を得ていない場合は違反行為となるので即座に撤去し道路は開放されなければならない。しかしこれは国民生活の安寧に関わってくる問題であり、ポルタルの撤去を強制する場合に地元政府は住民に十分な安全感を与えることができなければならない。政府は本当にそれを請け負えるのか、とかれはそう問い返している。
都庁がメトロポンドッキンダ通りにバスウエイ第8ルートを通すことを決定してからポンドッキンダ住民からの反対の声が高まり、道路工事の実力阻止という事態にまで発展した。そして住民が出してきた主張は、メトロポンドッキンダ通りは都民一般のための公共道路ではなく住民のための公共施設として作られたものだというロジックだった。もちろんメトロポンドッキンダ通りはポンドッキンダ地区を開発したデベロッパーが公共施設として作った道路だ。この問題に関して上述の都市問題専門家は、開発地区内のすべての道路は公共施設のひとつとしてデベロッパーが地元政府に提供する性質のものであり、その道路の管理運営権は地元政府が持っている、と説明している。もし住宅エリア内住民が道路の維持保全を自分たちの費用で行っていたとしても、だからその道路を外部者から遮蔽してよいというものではなく道路営繕費用は当然地元政府が負担するべきものなのだ、と同専門家は強調している。


「ジャカルタにも環状線電車」(2007年11月23日)
2007年12月から都内で電車の環状ルート運行が開始される。都内道路交通の激しい渋滞を緩和するための対策のひとつとして運通相と都知事が都内環状線の運行実施を合意した。首都近郊電車は首都の東郊・西郊・南郊と都内を結ぶジャボデタベッの中距離交通の重要な幹線をなしており、毎日60万人が利用している。しかしこれまで近郊電車は郊外と都内を結ぶコミューター旅客運送をコンセプトとしていたことから、都内での人の移動にあまり大きい貢献をしていなかった。
来月運行が開始される都内環状ルートは既存のレールを走って20の駅の間の旅客移動を可能にするものであり、路上の交通渋滞を避けてスムースな移動ができるというメリットを都民に与えて自動車利用を減少させる一助となることが期待されている。この環状線が通る主要駅は、将来ガンビルから首都中央駅機能が移されることになっているマンガライ(Manggarai)〜ドゥクアタス(Dukuh Atas)〜タナアバン(Tanah Abang)〜ドゥリ(Duri)〜カンプンバンダン(Kampung Bandan)〜パサルスネン(Pasar Senen)〜ジャティヌガラ(Jatinegara)〜マンガライと巡る。この中でタナアバン・マンガライ・ジャティヌガラ・カンプンバンダン・ドゥリは既存の近郊線と環状線の乗り換え駅としてさらに開発が加えられることになっている。一周29.7キロのこの環状線にはエアコン車両が投入される予定で、また将来的には内回りと外回りの両方向を運行させたいとの意向を国鉄当局は抱いている。この環状線が稼動を開始すれば近郊電車乗客は今の一日60万人から100万人に増加することも夢でなく、既存施設の利用による大幅な効率アップは国鉄に大きいメリットをもたらすにちがない。さらにこの環状線が停車する20の駅では周辺エリアとの間にフィーダー交通を運行させる必要があり、運通省はこの問題の解決をはかるよう都庁に要請している。


「首都の交通政策はどうなる?」(2007年11月24日)
SBY大統領の一喝で首都の交通政策に大車輪の動きが始まったようだ。国会第5委員会の公聴会に呼ばれたアダン・フィルマン首都警察長官は首都警察として計画しているいくつかの対策を披露した。生活基幹物資9品目(sembako)でない貨物を運ぶ運送車両の都内通行時間制限や交通量の少ない反対車線の一部を仕切って逆方向に交通を流すカウンターフローなどのアイデアを長官は提示したが、それらのテクニカルなことがらよりも交通量を減らすための思い切った政策を都庁は取らなければならない、と発言している。
ファウジ・ボウォ都知事は中央政府に対して、コミューター的性格の首都近郊電車にジャボデタベッ(Jabodetabek)一円を循環する路線を追加してルバッブルス(Lebak Bulus)〜ドゥクアタス(Dukuh Atas)間に建設される大量高速輸送鉄道と結びつけ、より幅広いエリアをカバーする鉄道輸送計画を進めてほしいと進言した。公共事業省道路整備総局長は2008年の首都道路整備工事計画について、Jalan Cut Mutiah, Cengkareng, Rawa Buayaで立体交差化工事が予定されておりまたボゴール街道・マルンダのアクセス路・ジャカルタ東ルート・チャクンチリンチンで7メートルから12〜14メートルまで路幅を広げる道路拡張工事が行われることを明らかにした。また首都バスウエーに車線が占有された国有一級道路についても、一般車両のための道路スペースは元の広さに戻されなければならないため路幅拡張工事を行う意向であることを表明している。ただし3.5メートルという標準車線幅を確保するのは難しいため、全体の車線幅が3メートルに減少する可能性が大であることにも言及している。
総局長は公共事業省が都庁と既に合意した都内自動車専用道路6ルートの建設計画について触れ、23兆ルピアをかけて都内に全線高架の自動車専用道路を作ると説明した。その6ルートは下の通り。
Kemayoran〜Kampung Melayu  9.66キロ
Duri Pulo〜Tomang〜Kampung Melayu  11.38キロ
Rawa Buaya〜Sunter  22.6キロ
Sunter〜Pulo Gebang  10.8キロ
Pasar Minggu〜Casablanca  9.55キロ
Ulujami〜Tanah Abang  8.26キロ
しかしこの新規道路建設について国会は、首都の交通問題対策は自動車交通量を減らすという方向性に向かっておりその方針は反生産的である、とのコメントを出している。この公聴会に出席した学術関係者も同じ意見で、交通量を減らして燃料消費を目指さなければならないときが今来ているというのに道路を増やすのは反生産的である、とその計画を批判している。


「怒れる乗客たちが旅客機を飛ばさせる」(2007年11月28日)
2007年11月15日20時30分スラバヤ発ライオンエアーJT648/IW8388便はロンボッ(Lombok)のスラパラン空港に向けて180人の乗客を乗せて出発するはずだった。しかし21時45分まで出発が遅れ、21時50分にボーディングがはじまった。出発準備が調い、機内でスチュワーデスが安全説明を行っているときにパイロットの機内アナウンスがあった。「スラパラン空港は閉鎖されたのでフライトは延期されます。」
しかし乗客の中にいた報道関係者や出稼ぎ者がその言葉をチェックしたところ、スラパラン空港は閉鎖などしておらずそれどころかライオンエアーの到着を待っているということが判明した。乗客の70人ほどはスラバヤのジュアンダ空港に泊まることにしてその場を後にしたが、残った乗客たちはライオンエアーに対して抗議行動を起こし、午前3時半に同機をロンボッに向けて出発させた。翌16日朝になって、スラバヤに残った乗客たちとライオンエアーとの間で交渉が開始され、ライオンエアースラバヤ支店、西ヌサトゥンガラ州官房局、マタラム大学教官らを交えた話し合いが決着してライオンエアーは午前10時に残った乗客を乗せ、スラパラン空港に向けてジュアンダ空港を出発した。
この事件に関連して、乗客たちはライオンエアーに対してサービス改善を求めるための告発状を同社に送りつけた。ライオンエアーが航空機運行時間をより正確に守り、乗客へのサービスをおろそかにしないことを告発の目的にしているが、乗客一人一人に対して航空券料金の10倍を損害賠償として支払うよう乗客はライオンエアーに要求している。また航空行政当局に対しても定期運行航空会社のルーズな運行を厳しく取り締まるよう求めている。


「スカルノハッタ空港への代替ルート」(2007年12月3日)
2007年11月26日16時半ごろジャカルタ湾の高潮のために海水が内陸に浸入してスカルノハッタ空港と都内を結ぶ自動車専用道路スディヤッモ通り(Jl Prof Sedyatmo)が一部冠水したことから、この空港と都内を結ぶ幹線道路の断絶によって空の足は大きい影響を蒙った。道路の冠水は22時ごろ復旧したものの、交通に大混雑がもたらされたためにその影響は深夜まで続いた。出発予定便のうち11便は乗務員や乗客の到着が遅れたことから出発を遅延させたがそれでも3割ほどの乗客が乗らないまま出発することを余儀なくされた。
この突発的事態が与えた社会的影響を考慮した関係当局は、予備の空港アクセス幹線路を用意する必要に迫られて新たにアクセス路の道路整備を行う方針を相次いで発表した。代替路案は下の通り。
1)西ジャカルタ市ダアンモゴッ(Daan Mogot)通り北側のバトゥジャヤ(Batu Jaya)地区からラワボコル(Rawabokor)に至る道路を代替路とし、ラワボコルとスディヤッモ通りをフライオーバーでつなぐ
2)カリドラス(Kalideres)地区のプタバラッ(Peta Barat)通りを経由してラワボコルに達するルート
一方政府公共事業省とタングラン市および空港運営会社アンカサプラ?は、都内からトマンを経てジャカルタ〜ムラッ(Merak)自動車専用道路のタングラン料金所を経由するルートを代替路として整備する方針を明らかにした。こちらの計画によれば代替路は次の二案となっている。
1)タングラン料金所からチココル(Cikokol)方面に向かい、タムリン通り〜スディルマン通りと進んでダアンモゴッ通りとの交差点では曲がらずそのまま直進してカランサリ(Karang Sari)橋を渡る。プンバグナン(Pembangunan)通りを延々と走ってからスルヤダルマ(Surya Darma)通りとの三叉路を右折して空港西裏口のM1ゲートから空港敷地内に進入する。M1ゲートは通行パスが必要とされているため平常時の通過は困難だが、スディヤッモ通りの通行に障害が出た場合は空港管理当局が一般者にこのゲートの通行を許可するのが慣例になっている。
2)カランサリ橋を渡ってプンバグナン通りまで入るのは同じだが、このルートは空港メインゲートのあるラワボコルに向かうもので、ジュアンダ(Juanda)通りで右折してからガルーダ(Garuda)通りに向かい、ハリムプルダナクスマ(Halim Perdanakusuma)通りで左折してからフセインサストラヌガラ(Husein Sastranegara)通りに右折する。この道路をどんどん走っていけばラワボコルに至ってスディヤッモ自動車専用道路に合流する。 ラワボコルに至る道路は概して破損がひどくまた路幅が狭いため、タングラン市はフセインサストラヌガラ通りをはじめとして今の14メートルという路幅を24メートルに広げることにしており、この路幅拡張工事は2009年に完了する予定。


「都内環状線電車はブルーライン」(2007年12月4日)
「ジャカルタにも環状線電車」(2007年11月23日)で報道された都内環状線電車のトライアル運行が2007年11月30日に行われた。この電車は既存のレールを走って既存の駅で止まる。運行時間は午前6時半・7時半・8時半・9時半と15時半・16時半・17時半・18時半・19時半の一日9便で、乗車券はひとり一回5千ルピアとなっている。
チリウンブルーラインと命名されたこの都内循環電車の11月30日の運行はあまりスムースとは言えず、多くの駅でさまざまな障害を抱えていることが判明した。カンプンバンダンは不法居住の掘っ立て小屋が多数あってスラムの様相を呈しており、カレッ駅は改修の必要があり、ドゥリとアンケには線路上にパサルができているなど、行政側による強制退去措置の執行が必要とされている所が少なくない。国鉄は都庁に対してその執行要請を既に提出した。チリウンブルーラインの本格運行は2007年12月5日から開始される。このブルーラインの通る駅は下の通り。
Manggarai ボゴール〜ジャカルタコタ線乗り換え
Mampang
Sudirman(Dukuh Atas)
Karet スルポン〜タナアバン線乗り換え
Tanah Abang スルポン〜タナアバン線乗り換え
Duri タングラン線乗り換え
Angke
Kampung Bandan タンジュンプリウッ(Tanjung Priok)〜ジャカルタコタ線乗り換え
Rajawali
Kemayoran
Pasar Senen パサルスネン〜ブカシ線乗り換え
Gang Sentiong パサルスネン〜ブカシ線乗り換え
Kramat パサルスネン〜ブカシ線乗り換え
Pondok Jati パサルスネン〜ブカシ線乗り換え
Jatinegara パサルスネン〜ブカシ線乗り換え
ところでこのブルーラインとバスとの複合モード輸送の早急な実現に関してファウジ・ボウォ都知事は、トランスジャカルタバスとの接点を主要駅に設け、さらにモノレール・ウオーターウエイ・MRTともつなげる方向性を持たせることを検討する考えであることを明らかにした。トランスジャカルタバスとの接点はドゥクアタスに既に設けられている。スネンではバス停と駅を結ぶ通路を建設し、マンガライは現在のターミナルをさらに延ばして駅前まで導く必要がある。観光客もこのブルーラインで首都のひと巡りを楽しむことができそうだ。


「スカルノハッタ空港にも火災のリスク」(2007年12月6日)
2007年12月1日20時半ごろ、メダンのポロニア空港国内線出発ロビー建物で出火しその2階建て建物が全焼した。目撃した警備員の話では、2階の送迎デッキで電気ヒューズボックスから火が出たらしい。ポロニア空港では2006年3月9日にも火事があり、国際線到着ターミナルが炎上している。
この事故を教訓にしてさっそくスカルノハッタ空港も火災発生予防のための調査を行った。第1第2両ターミナルで行われた調査によれば、多くの商人がプロパンガスボンベとコンロを持ち込んで食品の調理を行っていること、コンセントから3本以上のタコ足配線を行っていることなどが明らかになった。空港内で食べ物を売る商人がガスボンベとガスコンロを使って調理を行うことは禁止されており、空港運営当局はその対応をどのように取るか検討を始めている。民間航空保安を受け持っているPT Garuda Global Serviceは空港内の調理行為について、エプロン・待合室・チェックインカウンターエリアではガスであろうと電気であろうと調理行為は一切禁止されている、と述べている。


「怒れる乗客たちがスカルノハッタで騒動」(2007年12月11日)
2007年12月5日夕方、スカルノハッタ空港第1ターミナルA5待合室で群衆が騒いだ。A5待合室で抗議行動を起こしたのはライオンエアージャカルタ〜バタム線とジャカルタ〜デンパサル線の乗客で、かれらは理由を明らかにしないまま出発時間をただただ一方的に延期する航空会社に対して怒りをあらわにした。乗客の中には待合室の登場案内カウンターを素手で激しく叩いてやりきれない怒りを発散させる者もいた。乗客たちはライオンエアー職員に対して「経営者をここへ呼んで来い」と要求したが、職員たちはただ黙って何も反応を示さなかった。この待合室には他の出発便乗客もおり、かれらはA1待合室にいて出発延期となったためにA5に移されたが、やってきたらここの中はもう満員になっていた、と航空会社のサービスの悪さを苦情していた。この乗客たちはプカンバル〜ジャカルタ〜デンパサル便の利用者でジャカルタまで来たのはいいがここで足止めという不運に見舞われたようだ。A5待合室の中はいっとき統制が取れない状況になったことから、ライオンエアー経営者でなく空港警察職員がやってきて室内の警戒にあたった。
ジャカルタ〜バタム線は予定出発時刻午前11時がずるずると遅れて16時にやっと出発した。乗客の中にはシンガポール向けの便に乗り継ぐために既に切符を買っている者もおり、かれらの怒りが特に激しかったようだ。
ライオンエアー乗客の怒りが伝染したか、ムルパティ航空乗客も統制を破る行動を示した。ムルパティ航空はジャカルタ〜スラバヤ線を19時40分発のMZ342便と20時発のMZ850便という比較的接近した時間内で2便を飛ばす運行スケジュールにしており、12月5日もその運行がなされることになっていたが突然マカッサル向けフライトの機体を修理しなければならなくなり、同社オペレーション部門はMZ342便の機体を急遽マカッサル向けに転用することに決めた。このため飛行機がなくなったMZ342便は出発時間が22時にずらされ、一方MZ850便は定刻通りの出発準備が進められたことからMZ342便乗客が騒ぎ出すという結果を招いてしまった。乗客のロジックはどうして出発便を順送りにしていかないのかというシンプルなもので、MZ850便の搭乗案内が始まるとMZ342便乗客の一部はそのロジックに従って自分たちが先に出発する権利があるのだとばかり待合室からエプロンに降り、MZ850便乗客を駐機場まで運ぶバスに乗りこんでそのバスを出発させた。その目論見は航空会社と空港警備当局によって阻止されたが、珍しく大きい騒ぎの重なった一日だった。


「スカルノハッタ空港のお寒い警備」(2007年12月12・13日)
2007年12月4日、スカルノハッタ空港から南カリマンタン州バンジャルマシンに向けて出発する予定のライオンエアーJT320便の機内では搭乗してきた乗客たちがそれぞれ自分の席に着き、混雑と喧騒が静まりつつあった。ところがいつまでも席に着こうとしない男がひとりいるのにスチュワーデスのひとりが気付いた。スチュワーデスはその男に近寄って尋ねた。「座席番号は何番ですか?」男はうろたえてどぎまぎするばかりで、何も返事をしない。スチュワーデスはきびすを返すとライオンエアー警備担当者に報告し、機内にいた不審な男はすぐに捕まって飛行機の外へつまみ出された。その不審な男はSecurity PT Angkasa Pura IIと書かれた空港警備員の制服を着ており、そのまま空港警備員事務所に連行されて取調べが行われた。そして空港管理当局が抱いていたインドネシア随一の国際空港は十分な保安レベルに達しているという自信がガラガラと音を立てて崩壊する事態へと発展して行ったのである。
中部ジャワ州プルウォレジョ出身の通称ナノ28歳は無職の青年で、毎日特に何というあてもなくぶらぶらと過ごしている。その日かれはスカルノハッタ空港第1ターミナルにやってきた。これも何らかの目的を抱いてやってきたわけではない。ナノも自分の得になる何かのチャンスがあればそれをつかもうというaji mumpung[ ajiは王様、mumpungはたまたまそのチャンスがあるという意味で、わたしはそれを『棚ぼた大王』と訳す ]信奉者のひとりなのだ。
空港関係者エリアに入り込んだナノは誰もいない警備員事務所に侵入して警備員の制服を拝借し、現金30万ルピアを盗んで事務所を後にした。それを着ていれば空港内を徘徊するのに障害は少ないと思ったのだ。空港内をうろついて棚ぼた大王の恵みを捜し求めたが何も好いことは起こらない。そして最終的に『オレも飛行機に乗ってみよう』という思いを抱いたようだ。ナノは乗客たちのいる搭乗客待合室に入り込んだ。どうやら手荷物X線検査を行っている警備員たちも搭乗券をチェックする地上職員たちも、警備員姿のナノにまったく不審を抱かなかったようだ。搭乗案内が始まると一旦エプロンに下りたナノは駐機場へ行くバスに入り込み、そのあとは乗客たちの中に混じってタラップを上がり機内に入り込んだのだ。
スカルノハッタ空港管理官は今回起こったできごとを重く見て、スカルノハッタ空港運営会社PT Angkasa Pura IIに対し空港内保安標準業務手順が忠実に実行されるよう監督を強化せよと指示した。運通省の現場監督機構である空港管理官は自からアンカサプラの現場保安業務が規定に則しているかどうかを視察評価するためのチームを設けることにしている。
対人関係が濃い封建色に覆われていながら拡大家族主義を善としているインドネシア文化では、他人を誰何しその行動を細かに問いただすようなことをする社会慣習が薄い。たとえそれが業務だったとしてもである。社会通念の中でそのようなことを当然のごとくしてかまわないと見られているのは警察や検事など法執行者と呼ばれている職業に携わる者だけだ。一般市民が他人の前に立ちはだかってその者がしようとしている行動を尋ねそれを許したり禁じたりするようなことは、それを行う立場に立たされるほとんどの人間に強い心的圧迫を与えるようだ。ジャワ人がrikuh, ewuh, pakewuhなどと言いまたインドネシア語でtidak enakと表現する対人関係の中のそのようなぎこちなさや居心地の悪さは、かれら一般市民が対人関係の中に持っている軟弱さの現われでもある。
空港警備員の中にもそのような軟弱さはいまだに強く残っており、自分の知り合いや業務環境に関わっている空港内役職者などに対しては警備手順をいっさい行っていないことをスカルノハッタ空港管理官は指摘している。そのように相手を見てから業務を行ったりしなかったりしている姿勢は許されるものでなく、相手が誰であろうと同じ手順で業務を行わなければならないと管理官は叱咤しているものの、相手への対応に差をつけることが当たり前とされている封建的価値観との相克がそこに待ち受けているのは間違いないことだろう。


「バスウエイが交通事故の要因を増やしている」(2007年12月17日)
首都バスウエイ専用車線は原則的にトランスジャカルタバスしか入ってはいけない車線になっている。そしてその原則を物理的に確保しようとして一般車線と隔てるためのセパレータが路面に埋め込まれている。セパレータ自体は、バスウエイ初期ルートでは普通の車で乗り越えることができる程度の高さだったものの、その後設けられたルートにはタイヤ径に近い高さの頑丈なコンクリートブロックが使われており、これにぶつかれば四輪車はかなりの損傷を蒙るし二輪車は間違いなく大破して運転者は大怪我をする。このセパレータはバスウエイルートの端から端まで設置されているわけでなく、交差点やUターン場所あるいは路幅が狭い場所ではセパレータが置かれずトランスジャカルタバスと一般車両が混じるようになっている。そのような場所はかなりあり、そして道路や周辺環境の構造上、次のセパレータが出現する場所が近くまで来なければわかないような死角になっているところも存在する。そんな場所は言うまでもなく事故多発地点というありがたくない呼び名をたまわっていて、首都警察はその問題に関して都庁交通局に対応を求めているが都庁側はいまだに明確な反応を示さない。
ポンドッキンダ(Pondok Indah)を通り抜けるルートが設定されたことで住民との間に大きい騒ぎを引き起こしたバスウエイ第8ルートはルバッブルス(Lebak Bulus)〜ハルモニーを両ターミナルとするかなり長い路線で、現在建設工事のさなかにある。このルートが通るテウクニャアリフ(Teuku Nyak Arief)通りのビナヌサンタラ学園前にそんな死角があり、連日二輪車の横転事故があとを絶たない。11月にバスウエイセパレータ工事が施されて以来、アンダーパスから出てきた運転者が目の前に突然セパレータを見つけてそのまま衝突したり避けようとしてバランスを崩すといった事故が続出している。二輪車はまず横転確実で、ビナヌサンタラ学園警備員の話によれば一日の横転二輪車の数は十数台ではきかないとのこと。おりしも横転して警備員に助け起こされた35歳の二輪車運転者は「アンダーパスから出てきたら、ほんの10メートルほど先にセパレータがあるじゃないか。びっくりしたよ。この工事をした奴は何も考えていない。」と手足に擦り傷や打撲を蒙ってそう苦情した。この地区一帯は夜になると照明も乏しく、危険は増大する。先週は早朝にスズキエスクードがセパレータにぶつかり、飛び出して電柱に激突するという事故があったばかり。このような危険のある場所は標識等を置いて道路通行者の注意を喚起するのが道路管理者の務めだが、都庁はまだ何の対策も取っていない。
バスウエイ工事は通常、道路舗装とセパレータ設置、バス停・歩道橋建設そして最後に標識設置となるわけで、工事管理者は標識設置の計画を策定しているはずだがまだその実施段階にあらずとして何もしていないのではないかと思われる。それはともあれ、現実に発生している危険に対する安全対策が後回しにされている頭の固さは行政管理のお粗末さを浮き彫りにするものであろう。
バスウエイは首都の大量公共輸送にひとつの足がかりをもたらした。しかしバスウエイが作られたために都内の交通事故発生要因が増加していることを首都警察は報告している。首都警察によれば、都内19の道路でバスウエイがあるための事故が起こっている由。


「スカルノハッタ空港鉄道の運行開始は2009年8月」(2007年12月18日)
都内マンガライ駅とスカルノハッタ空港を結ぶ空港鉄道は全長27キロを30分で踏破する予定。国鉄とスカルノハッタ空港運営会社PTアンカサプラ?が合弁で作ったPTレイリンク(RaiLink)は技術コンサルタントが設定した30分という運行時間を実現させると表明した。この空港鉄道線建設工事は2.2兆ルピアの予算を呑みこむものと見積もられ、2008年1月に詳細技術デザインが完成すればすぐに工事入札にかかる予定になっている。この空港線はマンガライ駅をターミナルとし、ドゥリとアンケの二駅に停車してからスカルノハッタ空港駅に至る。空港までの線路は空港自動車専用道と並行して地上4〜5メートルの高架線路が走る予定。工事日程は2008年3月起工で2009年6月竣工、そして運行開始は2009年8月が見込まれている。


「年末長期休暇帰省者はあまりいない」(2007年12月24日)
2007年12月20日からまたまた始まった長期休暇で12月19日の都内ガンビル(Gambir)駅はたいへんな混雑となった。国鉄の発表によれば、ガンビルから中部ジャワ東ジャワに向かった帰省者は3万4千人に上ったとのこと。ところが20日のイドゥルアドハの日はガンビル駅からの鉄道乗客数が8千人に激減し、ピークは19日だけで終わってしまった観がある。帰省逆流の波は2008年1月3〜4日ごろが見込まれている。バス便も同様で、プロガドン(Pulogadung)ターミナル発の州間長距離バスは19日の利用者が5千人に達したものの、翌20日は2千5百人が150台のバスに乗って東へと向かった。バス乗客のメインはマドゥラ(Madura)行きで、他には中部ジャワ州パティ(Pati)やクドゥス(Kudus)、あるいは東ジャワの地方都市が多い。マドゥラ向けバスは普段一日7〜8台がプロガドンから出発しているが19日は16台が出たとプロガドン州間長距離バスターミナル管理官が述べている。
ところで空の足はルバラン帰省シーズンと打って変わって、この年末長期休暇は平常と同じ運行予定で飛行機を飛ばすだけだ、とアダムエアーもライオンエアーも表明している。増便予定はまったく立てられていない。スカルノハッタ空港運営会社PTアンカサプラ?も顕著な乗客増は見られない、と表明している。しかしムルパティ航空は大きな乗客数増があるため、この休暇シーズンは16万席を増やすことにしている。平常期ムルパティ航空の月間座席数は45万席。


「スカルノハッタ空港に第3ターミナル」(2007年12月26日)
スカルノハッタ空港第3ターミナルは2008年末に完成の予定。スカルノハッタ空港運営会社アンカサプラ?が公表したところによれば、空港西側およそ2キロの距離にあるスラパンジャン(Selapanjang)地区に建設中のTKI(海外出稼ぎ者)専用ターミナルは工事が最終段階に差し掛かっており、2008年2月中旬からの使用開始はほぼ間違いないと目されている。ターミナルビルは既に完成しており、ターミナルへのアクセス道路工事がいま進められている最中とのこと。このTKI新ターミナルが完成すれば現在使われているTKIターミナルはそちらに移転され、残った施設は第3ターミナルに建て替えられる。第3ターミナル建設工事入札は終わって工事請負業者が発表されており、基礎工事の着手が既に始まっている。第3ターミナル改装工事はアンカサプラ?が1兆ルピアの銀行融資を得て行うもので、2008年末の竣工日程が組まれており、稼動開始は2009年の予定。TKI専用ターミナルはハジ(メッカ巡礼)フライトにも使われることになっており、ハジシーズンには混雑が予想される。


「どこでも止まって客をひろう急行電車」(2007年12月26日)
2007年10月24日付けコンパス紙への投書"Penumpang Gelap di KRL Lewat Pintu Masinis"から
拝啓、編集部殿。わたしはビンタロ周辺地区とジャカルタを結ぶコミューター電車、スディルマンACやチウジュンエコノミーACの利用者です。国鉄がスルポン〜タナアバン間のスルポン線を開始しそのオープニングにSBY大統領が出席したことは、国鉄が本気で公共サービスを行おうとしていることを示していてたいへん誇らしく思います。
ところがスルポン〜ポンドッランジ〜タナアバン〜スディルマン〜マンガライだけに停車する急行電車スディルマンAC号でここ数週間、おかしなことを目にするようになりました。停車駅になっていないパルメラとクバヨランに非合法に停車して運転室の扉から違法乗客を車内に入れさせているのです。
その違法乗客の話によれば、かれらは悪徳運転士や車掌に3千ルピア払うだけでよく、車内に入れば合法的に料金を払った乗客と同じように扱われるのです。わたしはスディルマンACに乗る際には8千ルピア、チウジュンエコノミーACに乗る際には5千ルピアを払っており、その悪徳運転士や車掌の行為にたいへん損させられ、また侮蔑されているように感じています。特に損させられていると感じるのは時間的な面で、パルメラ駅とクバヨラン駅に非合法に停車するため運行時間が長くなっているのです。その結果帰宅時間が遅くなりますし、わたしたち合法的乗客の半額程度しか払っていない違法乗客のために車内の混雑も激しくなるのです。いかなる理由があれ、それら国鉄悪徳職員の行為は正当化できるものではありません。[ タングラン在住、フェリ・パサリブ ]
2007年10月31日付けコンパス紙に掲載された国鉄からの回答
拝啓、編集部殿。2007年10月24日付けコンパス紙に掲載されたフェリ・パサリブさんの投書に関して説明いたします。国鉄は基本的にそのような行為が行われることを望んでいません。運転席のドアは職員専用であり、乗客や他のひとが通るためのものではありません。これは運転士が絶対に守らなければならない規範です。しかしそのような問題まで監督するには国鉄マネージメントの能力はあまりにも限られています。現場を監督する資格のある職員の中にも、電車運行現場で行われる違反に鷹揚な者が少なくないのですから。国鉄経営陣は、違法乗客を乗せる職員に対する監督を強化し、違反者には厳しい措置を取るようマネージメントは職制を通じて指示しています。職員がそのような違反行為を行っているのを目にした方は、何日・何曜日・何時発の電車だったかというデータを当方にお知らせいただけるようお願いします。違反に関する詳細情報があれば、当方は実態を調査することができます。パサリブさんが目撃された出来事は国鉄にとってジレンマに満ちたものです。当方は一方で乗客に決まりを守るよう求め統制することに努めていますが、その一方で国鉄内部者自身があえて悪徳行為を行っているのです。その悪事と闘うための特効薬は、もちろん電車乗客コミュニティの社会風土によって決まるものなのです。[ 国鉄広報部長、ノール・ハミディ ]


「スカルノハッタ空港への代替ルート、そのニ」(2007年12月27日)
ジャカルタ湾の潮位上昇や連日の降雨などでスカルノハッタ空港自動車専用道路水没の不安が高まっており、2007年11月26日夕方から発生したスディヤッモ通り(Jl Prof Sedyatmo)不通の再発を恐れた空港運営会社アンカサプラ?はスディヤッモ通り閉鎖の際の代替路をあらためて公表した。これは先に「スカルノハッタ空港への代替ルート」(2007年12月3日)で報道されたものとまた少し内容が変わっている。先に発表されたいくつかの案はそのルートをテストしてみた市民から、道路案内標識がまったくないため異変時にはじめて通る運転者を迷わせる、との批判が投げかけられており、道路行政当局がこの批判にいつ応じてくれるのかはいまだに不明なため折に触れて空港に自家用車で行く用のある人間はテストドライブを行なう必要があるかもしれない。それは今回アンカサプラ?がリコメンドした代替路でも同じことが言えそうだ。アンカサプラ?の都内から空港への代替路最新案は次の通り。
1)トマンインターチェンジからジャカルタ〜タングラン〜ムラッ自動車専用道に入ってムルヤ(Meruya)料金所で一般道に降り、モールプリインダ(Mal Puri Indah)脇を通って北上する。ダアンモゴッ(Daan Mogot)通りで左折し、そのままカリドラス(Kalideres)バスターミナルを超えてプタスラタン(Peta Selatan)通りに右折。プタスラタンを北上してからプタバラッ(Peta Barat)通りに左折し、プタバラッ通りの端でフセインサストラヌガラ通りと合流する。フセインサストラヌガラ通りをそのまま北上していけばラワボコルのスディヤッモ通り(空港メインゲート)に至る。
2)この第2)案は先の「スカルノハッタ空港への代替ルート」(2007年12月3日)で紹介されたものとまったく同じもの。タングラン料金所からチココル(Cikokol)方面に向かい、タムリン通り〜スディルマン通りと進んでダアンモゴッ通りとの交差点では曲がらずそのまま直進してカランサリ(Karang Sari)橋を渡り・・・・・・・最終的に空港西裏口のM1ゲートから空港敷地内に進入するというルート。
3)これは途中までスディヤッモ空港自動車専用道を通り、プンジャリガン(Penjaringan)インターチェンジでJORR(ジャカルタ外環状自動車道)方面に曲がる。そのまま一路南下してダアンモゴッに達してからダアンモゴッを西進し、カリドラスバスターミナルを越えてプタスラタンに右折して・・・・・と1)案と類似のルートを経てラワボコルに達するというもの。
スカルノハッタ空港フリークエント利用者は前回のもの今回のものを取り混ぜてお試しあれ。


「1月からバスウエーは運行停止?!」(2007年12月27日)
2008年初からバスウエーの運行をストップする、とバスウエーオペレータ4社が表明している。バスウエーという名称が定着してしまった感のある首都バスラピッドトランジットは都庁が作った公共サービス機関BLU TransJakarta の監督下に四つのオペレータが毎日の運行業務を行なっている。この運行オペレータは従来その路線で都内バスを走らせていた民間バス会社がコンソーシアムを組んで興した会社で、トランスジャカルタ公共サービス機関の監督下にバス運営事業を行っている。第1ルート(ブロッケムBlok M〜コタKota間)はTransJakarta自身が行なっているが、第2ルート(プロガドンPulogadung〜ハルモニHarmoni間)と第3ルート(ハルモニHarmoni〜カリドラスKalideres間)はTransBatavia、第4ルート(プロガドンPulogadung〜ドゥクアタスDukuh Atas間)と第6ルート(ラグナンRagunan〜クニガンKuningan間)はTransMetropolitan、第5ルート(カンプンムラユKampung Melayu〜アンチョルAncol間)と第7ルート(カンプンムラユKampung Melayu〜カンプンランブタンKampung Rambutan間)はJakarta Mega Transというそれぞれ異なる会社がバスを運行させている。
それらオペレータ会社は公共機関であるトランスジャカルタ公共サービス機関(BLUT)の委託を受けてバスウエー運行を行なっており、運行実績に従って委託料金の支払がなされる。つまり各オペレータ会社はBLUT経由で都庁にその請求を出しているわけだ。
その都庁から各オペレータに支払われる委託料金に国税総局が付加価値税(PPN)を突然かけた。2007年10月11月期の請求は既にBLUTに上がっており、BLUTがその支払を起こそうとしたときにPPN課税の話が入ったことになる。これまで非課税で通ってきたものに突然10%納税の話が持ち上がったため、BLUTはのっぴきならぬ立場に立たされてしまった。公共料金はPPN免除と法令で定められているため、バスウエー乗客は税金を負担していない。乗客が支払う乗車料金がストレートにオペレータの金庫に入っていけばこのような問題は起こらないのだが、いかんせん乗車料金収入は別の金庫に入りオペレータには都庁補助金を含んだ委託料金が支払われる。その委託料金は公共料金ではないというのが国税側のロジックで、二次的な立替金の決済はすべてその一次決済に用いられている名目とは無関係であるという姿勢を国税総局は取っており、似たような話は枚挙に暇がない。国際取引である輸出入海上運賃はPPN非課税だが、その立替払いを行なうフレートフォワーダーが荷主に請求する運賃にはPPNが課税されるという話もそのひとつだろう。
BLUTは全バスウエーオペレータを交えて国税総局と話し合いを持ったものの、「納税せよ」「無税だ」というふたつの主張が平行線をたどって暗礁に乗り上げてしまうという結末に至った。BLUTは国税総局長に対して、この問題の最終判断を早急に下してほしいと要請しているが進展はまだ見られない。バスウエーオペレータは銀行借入で当座しのぎの資金繰りを続けてきているが、その対応は12月いっぱいで打ち切るとの決断をかれらはくだしており、10月11月期支払が下りなければ2008年1月には事業運転資金がなくなって開店休業になると表明している。


「サウスライン電車の運行が始まる」(2008年1月12日)
国鉄第一操車区は首都圏近郊電車サウスラインの運行を2008年1月3日から開始した。このサウスラインは既に運行が始まっている都内環状線チリウン・ブルーラインに接続するためのもので、デポッ(Depok)〜マンガライ(Manggarai)間サウスライン乗車料金6千ルピアでそのままブルーラインに乗車することができる。
元東急電鉄車両を買い取って走らせているこのエアコン車10両編成のサウスラインは750人の運送能力を持ち、デポッ駅での予定発車時間は午前5時45分と7時3分。途中の停車駅はデポッバル(Depok Baru)・ポンドッチナ(Pondok Cina)・インドネシア大学(UI)・パンチャシラ大学(Universitas Pancasila)・レンテンアグン(Lenteng Agung)・タンジュンバラッ(Tanjung Barat)・パサルミング(Pasar Minggu)・カリバタ(Kalibata)・チャワン(Cawang)・トゥベッ(Tebet)そして終点マンガライ。サウスラインの戻り便運行はマンガライ駅発が16時10分と17時20分となっている。
サウスラインは通常のエコノミー電車より料金が高く、正しい切符を持たない乗客が車内に入ることを防ぐために各車両には警備員が配備されて切符のチェックを行なう。切符は当面チキニ〜ボゴール間パクアンエクスプレス用のものを代用するが、将来的には黄色の切符に変えて不正乗車がすぐに判別できるようにする計画。


「コルプシ文化メンタリティ」(2008年1月30日)
2007年10月31日付けコンパス紙への投書"Mental Korupsi Tingkat Bawah"から
拝啓、編集部殿。2007年10月12日12時20分ごろ、わたしは東ジャカルタ市プロガドンバスターミナルでジャワ行きのバスを探していました。わたしはその場所にあまりなじみがなかったので、プラットフォームにいる運通局職員に尋ねてみました。するとその職員はわたしに助力を与えてくれるどころか、搾取したのです。その搾取職員によれば、プラットフォームを通る場合は1千ルピアの課金を納めなければならないのだそうです。わたしが知っているかぎりでは、そこを通る場合の課金は領収書に記されているように2百ルピアのはずです。終わりのない水掛け論のあと、その不良職員は気の利いたことを思いついたのでしょう、1千ルピアと記された課金証憑を出して見せましたが、それは赤十字東ジャカルタ支社の募金月間のためのクーポンでした。
そのあたりをゴロツキ猛者連中がうろついていたので、かれらのリンチを受ける前に切り上げようと考えてわたしは5万ルピアを出しました。不良職員はおつりを全部1千ルピアでくれましたが、これが次の搾取でした。もし全部1千ルピアのつりなら、49枚なければなりません。しかしわたしの手には39枚しかなかったのです。わたしがそのことを指摘すると職員は怒りながらもう1万ルピアをくれました。わたしはさらにプラットフォーム通行課金の領収書をくれと言うと、かれはもっと怒りました。
わたしはこの金額の高低を問題にしているのではなく、コルプシ文化に染まったインドネシアの役人メンタリティを問題にしているのです。コルプシ文化メンタリティは上から下まで伝統文化になってしまっているのです。[ 東カリマンタン在住、レドノフ・タンプボロン ]


「また有料自動車道通行料金値上げ」(2008年1月31日)
2007年9月4日に実施された全国13の有料自動車道路通行料金値上げが、首都外環状自動車道の料金システム変更による特定区間の大幅な値上がりによって国民感情が刺激されたために激しい消費者の怒りを招いてクラスアクションにまで発展した。前回の値上げに含まれなかったチカンペッとスディヤッモのニ有料自動車道は2008年3月が値上げ時期になっているものの、前回の轍を踏むことを恐れた公共事業大臣はそのニ道路の値上げを一年延期して2009年の13有料道路値上げ時期にタイミングを合わせたいと表明した。しかし長期間に渡ってほとんど値上げらしい値上げが行なわれず、道路開発民間投資者が投資回収に苦慮したあげくやっと獲得した2005年政令第15号の中の「二年に一度の値上げ実施」という規定をそう簡単に無視されてはたまらないと思ったのだろう、自動車道路統制庁は2006年3月に料金改定が行なわれたジャカルタ〜チカンペッ自動車道83キロと都内〜スカルノハッタ空港を結ぶスディヤッモ自動車道14.3キロの料金改定を2008年3月に行なえと勧告した。値上げ幅として過去2年間のインフレ率である12.43%を自動車道路統制庁は示唆しているが、新料金の決定権はあくまでも公共事業大臣の手の中にある。
チカンペッ自動車道の最遠区間通行料金は現在、第1類1万ルピア、第2類1万7千ルピア、第3類2万ルピア、第4類2万5千ルピア、第5類3万ルピアで、またスディヤッモ自動車道は第1類5千ルピア、第2類6千ルピア、第3類7千ルピア、第4類9千ルピア、第5類1万1千ルピアとなっているものの、トラック以外の乗用大型車両の区分変更が行なわれれば料金が低下する可能性も高い。ジョコ・キルマント公共事業相は先に発言した延期案の撤回表明を一言も出しておらず、政府が値上げ一年延期を実施する可能性がまだ消えたわけではない。


「交通渋滞緩和政策を都知事が提案」(2008年2月1日)
首都の道路交通渋滞緩和策としてファウジ・ボウォ都知事が公立学校と行政機関で時差通勤の実施を検討するよう指示したことが明らかにされた。都内の渋滞ピーク時間は午前7〜9時と17〜19時であり、その時間帯は都内のほとんどすべての道路がのろのろ運転する自動車で埋められる。
都庁のアイデアは学校の始業時間を午前7時以前の6時半あるいは6時45分としてはどうかというもので、親が子供を自家用車で送り迎えする学校は特に時間を早めることで親の負担も軽減されるのではないか、と提言している。公務員の出勤時間についても同じ原理を適用すれば、9万人ほどいる公務員の出勤がピーク時間帯をはずれるために交通量に与える影響は小さくないものと見られている。いまの公務員の就業時間は午前8時から16時まで。
都庁のこの提案に対する都民からの反応はさまざまだが、学術界は学校生徒の送り迎えがピーク時間帯をはずれることによっていくつかの場所でその時間帯における道路交通量が12%減少するだろうとのコメントを出している。都庁基礎教育局長はこの方針について、既に公立学校のいくつかは午前6時15分始業というところも出現しており、始業時間の前倒しは学校側にとってそれほど困難なことではないように思える、と表明した。より早い時間に登校してより早く帰宅するようになることは、生徒たちが自分の生活している社会環境になじむ時間を増やすことにつながり、若い世代に対する社会教育の機会の増加は有益であるとの意見を同局長は述べている。しかし学校始業時間の前倒しは学校と生徒父兄間の問題に限定されるものでなく、公共輸送機関の能力や交通整理に当たる首都警察側の対応も検討される必要があり、都知事はこの提案が実施される場合は次の新学期からという日程目標を立てている。
この方針にあわせて都庁側は現在都のサービスで行なわれているスクールバス運行体制をもっと充実させるよう計画した。黄色に塗られた中型のスクールバス(bis sekolah)はいま34台が都内数ヶ所のバスターミナル間を結んで通学時間帯だけ運行している。都庁はそれを1百台まで増やす計画で、学校始業時間前倒しが実施されれば都内の学生生徒に対するサービスが向上するのは疑いない。しかし数万人いる学生生徒の足をそれだけで確保できるわけでもなく、都バス運行業者がその方針を十分にサポートできなければ新たな問題が発生する懸念も否定できない。


「スカルノハッタ空港への代替ルート、その三」(2008年2月5日)
2008年1月にタングラン市がスカルノハッタ空港への代替路建設計画をまとめた。そして2月1日にあのスカルノハッタ空港がほとんど機能を停止する日がやってきたのは起こるべくして起こる必然のひとつでしかなかったにちがいない。スカルノハッタ空港のメインアクセス路であるスディヤッモ(Jl Prof Sedyatmo)自動車専用道路の弱点は建設当初からわかっていたことであり、定期的道路かさ上げ工事という対策は結局のところ、何十年もの間同一政治体制と同一政治思想が維持されることはないという発展途上国の本質的不安定さを前にして風化してしまったことが歴然としている。
昨年12月以来スカルノハッタ空港代替路の話題が盛り上がってきた中で、タングラン市がバンテン州庁のバックアップを得て表明したこの計画は多分もっとも現実性の高いものとなるだろう。なぜならこれは従来からタングラン市民が批判してきた「タングラン市民がタングランにあるスカルノハッタ空港との往来にジャカルタを経由して大回りすることの不合理性」に対する行政側の回答でもあるからだ。
この新道路はチルドゥッ(Ciledug)を起点としてジャカルタ〜ムラッ自動車専用道路を11キロ地点で横切り、そのまま北上していくつかの住宅地の大通りを抜ける。通過の予定されている開発住宅地にはPuri Metropolitan、Dasana Puri、Poris Indah、Duta Gardeniaなどがあげられており、中にはまだほとんど建設工事が行われていないところもいくつかある。道路はポリスインダ住宅地を抜けてから鉄道線路を渡り、ダアンモゴッ(Daan Mogot)通りの手前で迂回路に入り、ダアンモゴッを超えてから農業用潅漑水路に沿って一路まっすぐ北上してフセインサストラヌガラ(Husein Sastranegara)通りに合流する。フセインサストラヌガラ通りをそのまま北上していけばラワボコル(Rawa Bokor)のスディヤッモ通り(空港メインゲート)に至るというもの。この全長7キロ、路幅18メートルの道路建設をタングラン市は可及的速やかに着工する意向。
この計画の長所として、ルートがほとんど住民居住区の外にあるため立退き問題の発生がなく土地収用が行ないやすいこと、宅地デベロッパーが建設する住宅地区内メイン道路をそのルートに取り込むことで民間開発住宅地区に付加価値を付けることが最近下降気味の住宅用不動産ビジネスにメリットをもたらす可能性を持っていることなどがあげられている。この道路はタングラン市の一次動脈路に位置付けられる予定になっている。


「空港乗客サービス料金値上げ申請」(2008年2月5日)
空港で乗客がチェックインする際に徴収されているパッセンジャーサービスチャージの値上げを空港運営会社PTアンカサプラが要請している。この徴収金は一般にエアポートタックスと呼ばれているが、インドネシアでもPelayanan Jasa Penumpang Pesawat Udara (PJP2U)と称しているようにこれは税金と明確に区別されている。
スカルノハッタ空港を含む12ヶ所の空港を運営しているPTアンカサプラ?は国際線国内線の双方を50%値上げしたいと表明した。PTアンカサプラ?とは別に13ヶ所の空港を運営しているPTアンカサプラ?も値上げを求めているが、こちらは30%の上げ幅。たとえば第一級国際空港であるスカルノハッタは2005年8月12日付けのPTアンカサプラ?取締役会決定書によって現在国際線10万ルピア、国内線3万ルピアというタリフが用いられている。50%値上がりすれば国際線15万ルピア、国内線4万5千ルピアというのが新タリフになる。一方ジャカルタのハリムプルダナクスマ空港、メダンのポロニア空港、ポンティアナッのスパディオ空港、プカンバルのスルタンシャリフカシム?空港、パレンバンのスルタンマフムッバダルディン?空港など第二級空港は2万5千ルピア、バンドンのフセインサストラヌガラ空港、バンダアチェのスルタンイスカンダルムダ空港、タンジュンピナンのキジャン空港など第三級空港は1万5千ルピアとなっている。この値上げ申請は2008年1月末に運通省に提出される予定で、値上げ実施はその検討結果次第。値上げの意向はアンカサプラによって国会第5委員会公聴会の中でも既に表明されている。
ところがPTアンカサプラが運通省に公式申請を提出する前にユスマン・シャフィイ・ジャマル運通相は値上げを認めないという声明を出した。「パッセンジャーサービスチャージ値上げは国民の負担を増すものであるためにまだそれを了承することができない。空港サービスが向上すれば乗客は進んで値上げを受け入れるだろう。アンカサプラが運営している国際空港のほとんどはまだ多くの不備を抱えている。たとえばスカルノハッタ空港では駐車場エリアにトイレや衛生設備がない。おまけにこのチャージの使途をアンカサプラは明確にしていない。その資金を何のために使うのか?まず公共ファシリティ改善から行なってもらいたい。国際空港ファシリティスタンダードは既に作ってあるのだから。改善が実施された上でその申請を検討したい。」
大臣のこの表明を読むかぎり、空港の乗客ファシリティ工事が2〜3ヶ月間行なわれてから値上げがなされるように思われるため、2008年5月ごろがその時期となる可能性が高い。


「都内のアブナイ駐車ビル」(2008年2月21日)
ジャカルタでは、高層駐車ビルから自動車が墜落する事故が時おり発生する。もっとも最近の出来事は2008年1月22日に都内ガトッスブロト(Gatot Soebroto)通りに面したムナラジャムソステック(Menara Jamsostek)の駐車ビル8階から乗用車が墜落した事件だ。この事件を重く見た都庁は、都内で駐車ビルを抱えている建物に対する状況調査を実施してその結果を公表した。都庁建築物整備監督局が問題ありとの評価を下したビルは次の通り。
ITC Cempaka Mas, Menteng Prada, Pasar Inpres Senen, Jakarta Realty, ITC Mangga Dua, Pasaraya Grande, Senayan City, Plaza Semanggi
この8つの駐車ビルは仕切りフェンスが鉄筋コンクリートになっておらず建築物構造計算規準を満たしていないことから都庁から改善命令が出されており、命令に服さない場合は建物の使用を禁ずると都庁は表明している。次の3ビルに対しては、改善命令ではないものの厳しい監視が実施されることになっている。
Gedung Muzatek, Mall Taman Anggrek, ITC Kuningan
次の11ビルは安全であるとのお墨付きが出ているが、新たに出された二次構造規定に合わせて細かい改善を行なうように勧告されている。
Mal Ciputra, Blok M Plaza, ITC Permata Hijau, ITC Roxy Mas, Apartemen Amanda Sentosa Graha, Apartemen Putra Surya Perkasa, Metro Pasar Baru, Gedung Bank Permata, WTC Mangga Dua, Mega Glodok Kemayoran, Grand Indonesia


「首都バスウエーで乗客離れ」(2008年2月26日)
都内第一級道路を通っているトランスジャカルタバス第1ルート(Blok M-Kota)だけはバスウエイ専用車線への一般車両の進入が厳しく防がれているものの、それ以外のルートはすべて一般車両が気ままにバス専用車線に入り込んでおり、交通整理を行なっている警官や都庁運通局職員がそれをほとんど取り締まっていないために専用車線とは名ばかりの状態になっている。結局セパレータを設けてあるというのにトランスジャカルタバスは交通渋滞時間帯になると一般車両と一緒に走る結果となり、バスウエイが持っているはずのメリットが消失してしまっている。公私に明確な線引きがなく、連帯感のある社会生活は拡大家族主義共同体の中に限定されて公共秩序に相応のウエイトが置かれず、社交性は豊かだが社会性は貧弱で、狭い生活共同体の外にいる他人は相手に容赦なく爪を立ててくる狼だというホモホミニルプス原理に覆われた社会の示す様相のひとつをわれわれはそこで目にしているわけだ。
トランスジャカルタバスの運行サービスは運行間隔3〜5分が全ルートで想定されているものの、第1ルート以外では平均20〜40分間隔というのが実態になっている。たとえばラグナン(Ragunan)動物園前と都心のドゥクアタス(Duku Atas)を結ぶ第6ルートではワルンブンチッ(Warung Buncit)通りUターン場所からドゥレンティガ(Duren Tiga)〜マンパンプラパタン(Mampang Prapatan)に至る区間ではまるで一般車両と一緒に渋滞の中を進んでいるようなありさまで、ラグナンの農業省からラスナサイッ(Rasuna Said)通りのパトラ(Patra)まで2時間近くかかって到達した。非渋滞時間帯であればその区間は20分程度で走破できる。そのような状況のために、2007年の一日平均利用者数は21万人あったものが最近のバスウエイ利用者数は一日18万人に減少している。
副都知事はその対策として、トランスジャカルタバス公共サービス機関と運通局にバス専用車線に進入する一般車両の取り締まりを強化するとともにバスの運行間隔を短くすることで乗客へのサービスを回復させるよう指示した。しかし2008年度都庁予算の中でトランスジャカルタ公共サービス機関の事業経費予算は半分にカットされており、副都知事の指令とそれを裏付けるための予算の関係はまだ闇の中だ。バス一台ごとの走行時間が長くなっているのに運行間隔を短くするというのは投入するバスの台数を増やすことを意味しており、これは事業経費を大きく膨らませることになる。公共性に欠ける社会で行なわれる公共事業はその行く末が容易に推察される。
トランスジャカルタバス公共サービス機関もただ手をこまねいているだけではない。交通渋滞時間帯に渋滞の激しいいくつかの区間でカウンターフローシステムを導入するトライアルが進められている。カウンターフローとは対向車線の一部を使って車両を逆走させるというもの。このトライアルは第3ルートのチデン(Cideng)〜ビアッ(Biak)区間、第4ルートのマトラマン(Matraman)〜タンバッ(Tambak)区間、第6ルートのドゥレンティガ〜クニガン(Kuningan)区間などで既に実施されている。都庁はまた、トランスジャカルタバス329台を新規購入するための入札手続に入っている。都民ドライバーに対しても都庁は、渋滞時にバス専用車線に入らないよう忍耐心を涵養するための啓蒙指導活動も実施しているが、果たしてどれだけ効果があるものやら・・・・・?


「駐車場に預けた車が盗まれる」(2008年2月29日)
2007年11月30日付けコンパス紙への投書"Mobil Keluar Tanpa Karcis"から
拝啓、編集部殿。2007年11月10日土曜日、わたしは西ジャカルタ市パサルグロゴルで買物するため、自動車をパサルグロゴル内駐車場のアポロ薬局の前に止めました。駐車場に入ったのは午前8時半で、およそ40分ほど買物をし、9時20分ごろに駐車した場所に戻りました。ところがそこにわたしが止めたメタリックグレーの1994年製キジャングランドエクストラ、プレート番号B1727SBの姿が消えていたのです。
駐車券(番号39264)はわたしの手元にありましたから、駐車券のない自動車を駐車場職員がSTNK(自動車番号証明書)の呈示も求めずに駐車場の外に出るのをどうして許したのか、まったく理解できません。職員のひとりが欠勤していたので駐車場での車の出入りを十分に監視することができなかったのだ、という理由などとても受け入れられるものではありません。週末にはパサルへの来訪者が増加するので、駐車場運営者もパサル運営者も担当者の投入を増やすのは当たり前のことではありませんか。
これまでも駐車中の自動車が盗まれた話を何度も耳にしており、わたしはこのパサル運営者の駐車場管理は素人並のものでしかないにちがいないと思います。都内のパサルを管理している都営PDパサルジャヤとパサルグロゴル運営者は駐車場出口担当者(ドディ氏)と駐車場コーディネータ(ウジャン氏)に警告を与えると共に、わたしの損害に対する責任を果たすように希望します。この事件では、自動車泥棒シンジケートと駐車場職員の間に協力関係が結ばれているにちがいありませんので。[ ジャカルタ在住、ディアン・アグスティナ ]


「心理の虚を衝く達人たち」(2008年3月10日)
2007年11月16日付けコンパス紙への投書"Uang Kembalian Tiket KRL"から
拝啓、編集部殿。首都近郊電車をいつも利用しているわたしは、ずるいことをするボゴール駅切符売り場職員にとても失望しています。かれらは切符を買った乗客に返す5百ルピアのつり銭を詐取しようとするのです。かれらのそのごまかし手口はとても整然と行われるので、自分が間違えたのかなと乗客がつい思ってしまうほどの巧妙さです。
電車がプラットフォームに来たので急いで切符を買おうとする乗客がいた場合、その乗客がたとえばボジョングデまでの1千5百ルピアの切符を買うのに5千ルピアを出したとすると、窓口職員はまず切符を乗客に差出し、そのあとで1千ルピア紙幣を3枚差し出します。そうしてから最後に5百ルピアを出してきます。もしあまり電車に乗ったことがない乗客だったら、切符の料金は2千ルピアだと思って1千ルピア3枚を受け取るとそのまま行ってしまうでしょう。もう5百ルピアおつりがあるのだということにそこでは気付かないと思います。たいていの乗客は切符売り場を離れてから切符に記された金額を見て、そこではじめておつりが不足していたことを知るのですが、窓口からもう離れてしまっているためにつり銭不足分をもらうために窓口に戻るのを多くの人は面倒がり、そのつり銭を諦めるにちがいありません。切符の金額が1千5百ルピアであることを知っている乗客は、1千ルピア3枚を出した後でもう5百ルピアをさっさと出そうとしない窓口職員にそれを要求するはずです。窓口職員は乗客の要求するつり銭5百ルピアを何の感情も示さずに出してきます。窓口職員はそのようなことをもちろん故意に行っているのです。もし窓口職員が正直な方法で乗客にサービスしようとするなら、1千ルピア3枚と5百ルピアコイン1個のつり銭を一緒に出してきていいはずです。1千ルピア3枚だけ受け取ってさっさと行こうとする乗客に窓口職員はどうして「まだつり銭があるよ」と知らせないのでしょうか?
わたしはそのような状況に実に頻繁に直面します。窓口職員がそんなごまかしを行おうとするとわたしはかれらによく怒るのですが、かれらはただ黙っているばかりです。このようにずるい行為がボゴール駅切符売り場窓口でいったいどのくらい前から行われていたのでしょうか?そしてかれらが不当に得たお金はいったいいくらなのでしょうか?これと同じようなごまかし行為はボゴール駅だけでなくほかの駅でも行われていることをわたしは知っていますが、ボゴール駅ほどの激しさではないようです。[ デポッ在住、リーフヤニ ]


「あらゆるものごとが勝手に変えられてしまう文化」(2008年3月12日)
2007年11月23日付けコンパス紙への投書"Boarding Pass Garuda Indonesia"から
拝啓、編集部殿。2007年10月21日、わたしは家族連れでジャカルタからバンジャルマシンへガルーダ航空GA526便で飛ぼうとしました。わたしの娘はまだ6ヶ月だったのでわたしはシティチェックインを使い、なるべく飛行機の前のほうに座ることにし、娘にも座席をひとつ確保しました。わたしが前のほうの座席を求めたのは、飛行機の乗り降りが早く行えること、そして飛行機後部の座席での騒音を避けるのが目的だったのです。わたしと妻と子供は座席番号8A、8B、8Cの搭乗券をもらいました。
ところがスカルノハッタ空港2Fターミナルチェックインカウンターでコンファームの届出をしたところ、わたしたちがシティチェックインでもらった搭乗券が別の搭乗券に取り替えられたのです。チェックインは一度行われて搭乗券まで出されているというのに、どうして搭乗券を再発行しなければならないのでしょうか?不思議に思って空港カウンター職員に尋ねたところその職員は、「座席番号は変えていませんよ。」という返事をするので、不思議さは更に増します。取り替えられた搭乗券を調べたところ、座席番号は10D、10E、10Fに変更されていました。わたしは「8列から10列に変えられているじゃないか。この変更は受け入れられない。」と抗議するとその職員はびっくりしたようにシティチェックインの搭乗券と自分がプリントアウトした搭乗券を見比べ、そうしてわたしに返事しました。「シティチェックインの担当者がお客様に連絡無しに座席を変更したようです。わたしにはどうしようもありません。」[ バンジャルバル在住、ディッキー・スマルソノ ]


「交通事故保険金が引き上げられる」(2008年3月19日)
政府が国有保険会社ジャサラハルジャを通して実施している公共旅客運送機関事故の被害者保障プログラムで、被害者が受け取る保険金額が150%アップする。政府は大蔵大臣規則第36/PMK.010/2008号と第37/PMK.010/2008号で保険金額ならびに保険料の変更を行った。この変更は2008年3月27日から有効となる。大蔵大臣規則第36/PMK.010/2008号は路上交通事故の保険金と強制寄金、第37/PMK.010/2008号は陸上・湖沼河川・フェリー・空運・海運の乗客に対する強制付保とその掛金を定めている。
今回引き上げられたのは空運を除くすべての公共運送機関乗客に対する保険金で、陸上・海上での事故の場合は次のようになる。単位はルピア。
種別 / 新金額 / 旧金額
死亡 / 2千5百万 / 1千万
後遺障害(上限) / 2千5百万 / 1千万
治療(上限) / 1千万 / 5百万
葬儀 / 2百万 / 1百万  (葬儀は航空機事故も対象に含む)
ちなみに今回変更されなかった航空機事故は次の通り。単位はルピア。
種別 / 金額 
死亡 / 5千万
後遺障害(上限) / 5千万
治療(上限) / 2千5百万

上にある強制寄金とは道路交通機関のオーナーもしくは運営者が納める保険料であり、強制掛金とは公共交通機関の利用者(乗客)が納める保険料である。強制寄金は今回、排気量50cc未満の二輪車・救急車・霊柩車・消防車を除いて89%引き上げられた。一方強制掛金のほうは、公共陸上運送機関と空運を除いて110%アップする。


「都内リングロード修復工事がはじまる」(2008年3月25日)
2007年8月に起こった高架道路下の不法住居群での火災で激しい損傷を蒙った都内リングロードのジュンバタンティガ(Jembatan Tiga)エリア改修工事が2008年3月19日から開始された。この工事に対して自動車道路統制庁は道路の一部使用を継続しながら工事を行うよう命じたため、アンチョル(Ancol)〜プルイッ(Pluit)の東行きと西行き各三車線の両方でそれぞれ一車線だけの通行が継続されることになる。工事はその両方向で同時に進められ、工期は4ヶ月が見込まれている。工事期間中はセダン・ミニバス・ボックストラックなどの小型車両以外、バスやトラックなど大型車両は工事区間を避けて一旦一般道路に降りなければならない。タンジュンプリウッ(Tanjung Priok)〜アンチョル方面からプルイッへ向かうバスやトラックはグドンメネン(Gedong Meneng)あるいはジュンバタンティガの料金所で一般道に降り、ジュンバタンティガ?からまたリングロードに入って良い。逆にプルイッ側からアンチョル〜タンジュンプリウッに向かうバスやトラックはジュンバタンティガ料金所で一般道に降り、ジュンバタンティガ?から再たびリングロードに入ることができる。いずれの場合も運転手は特別のチケットを渡されるので、再度リングロードに入る際にまた料金を徴収されるということはない。改修工事が行われるのは150メートルで、最初は道路中央の一車線を残して道路端から中央車線までを工事し、それが完了した後中央分離帯と両方向の高速車線が修理されることになっている。


「キャンセル切符を別の乗客に使わせようとする駅員」(2008年3月31日)
2007年12月8日付けコンパス紙への投書"Karcis Kereta Bekas di Loket"から
拝啓、編集部殿。2007年11月5日、わたしはデポッへの帰途を急いでいました。エクスプレス電車が都内ジュアンダ駅を通るのは16時29分なのです。駅舎のエスカレータはひとで一杯だったので、わたしは階段を駆け上がりました。切符売り場まで来たとき、もうその電車には間に合わないことがはっきりしました。次の電車は17時19分です。
切符売り場の女性から切符を買い、わたしは改札口を通って構内に入りました。改札口の駅員は切符にはさみを入れません。普通エクスプレス電車の場合は車内で切符にはさみを入れることになっているようです。構内に入ったわたしは落ち着いたので自分が買った切符を調べてみました。するとどうでしょう、この切符は折りたたまれているばかりか検札のパンチ穴がもうあいているではありませんか。わたしは急いで切符売り場に戻り、窓口女性に使用済み切符を売ったことを苦情しました。すると戻ってきたのは罵声です。その切符は電車に乗るのをキャンセルした乗客が持ってきたものだ、と言うのです。しかしわたしはあくまでも未使用切符を出すよう要求しました。結局窓口女性は、閻魔顔とわたしへの悪態とともに未使用切符を出してきました。[ デポッ在住、デニ・イスカンダル ]


「空港自動車道水没の裏に」(2008年4月2日)
ジャカルタの空の玄関スカルノハッタ空港へのアクセス路であるスディヤッモ(Sediyatmo)自動車道が2008年2月1日に80センチまで冠水したため一般車両が通行不能となり、インドネシア最大の空港が陸の孤島と化した。チュンカレンがスカルノハッタ国際空港建設用地に指定されたとき、首都と空港を結ぶアクセス路建設に問題がなかったわけではない。つまりこの道路は最初からそのような弱点を抱えて建設されたと言うことができる。
新国際空港建設に当たっては、泥土が堆積しているだけという海岸沿いの沼地エリアにどのように自動車専用道路を建設するのかという技術的な問題を解決する必要があった。その切り札として用意されたのが軟弱地に柱を浮かせて土台を作るチャカルアヤム(cakar ayam =鶏の爪)基礎工法だ。このチャカルアヤム工法は1961年にスディヤッモ工学士が考案したもので、1962年のアジア大会に備えてムアラカランに造られた火力発電所からスナヤンまで電気を引くための電柱をやはり沼地エリアのアンチョルに建てなければならない必然性から生まれた。土台はまず長いコンクリートパイプを何本も地中に埋め、その上にコンクリートを流してプレートを作る。こうすることでコンクリートパイプがそのプレートによって連結される。このプレートがその上に構築される建築物の土台となる。この土台はアンチョルの電柱建設に用いられた後、スラバヤのジュアンダ空港滑走路建設に使われ、更にスカルノハッタ空港とそのアクセス路である空港自動車道に用いられることになった。スカルノハッタ空港自体も沼地を埋め立てて造られており、埋め立て資材としてプラウスリブの砂が採取された。
この工法はその後改良チャカルアヤムシステムとして完成度を高めており、たとえばオリジナルシステムはコンクリートパイプが1トンに達していたが今では35キロという軽量なもので済むようになっている。しかし耐荷重能力は決して低下していない。ともあれ、軟弱な泥土の中に浮いている土台だから時間の経過と共に沈降するのは言うまでもなく、それはこの道路の宿命だと言うことができそうだ。スカルノハッタ空港がオープンした1984年から25年近く経過した現在、スディヤッモ自動車道の路面は最初の建設時から1メートルほど下がっている。もうひとつこの道路の冠水を激化させている要因として上げられるのは周辺地域の土地利用が大きな変化を遂げていることで、1982年ごろ道路の左右は沼地と椰子林しかなかったものが今では倉庫や工場あるいは住宅地に変わっており、土地造成で沼地を埋め立てたために残った沼地の貯水能力に大幅な低下をきたし、ひとたび出水が起これば陸地の冠水が激しくなるのは当然の成り行きというありさまになってしまった。
スカルノハッタ空港もスディヤッモ自動車道も、100年という存続期間を想定して建設された。道路沈下は最初から判っていたことであり、それに備えて高架道路にしておけば今年の80センチという過去最大のものを含めて毎年発生するようになった冠水は避けられていたはずだ。自動車道運営国有会社ジャサマルガはスディヤッモ自動車道のかさ上げと車線拡張の工事を行うことを決めたが、過去に予測できなかった周辺エリアの土地利用という要因の影響から免れることはできず、この道路周辺がさらに住宅地や商工業用地のために埋め立てられるなら道路かさ上げとのいたちごっこが続くかもしれない。


「パイロットへの道はここにもある」(2008年4月22日)
まるでゲームセンターのようだが実はそうではない。なんとオフィスの中で、かれはモニター画面を前にしてフライトシミュレーションに打ち込んでいるのだ。そう、ここへやってくる人たちは限りない大空への憧れを抱き、自分の能力とチャンスがフィットするならという期待を胸に秘めて、パイロットとしての技能と知識を吸収しようと励んでいる。たとえパイロットになることが夢で終わったとしても、かれらはこの環境の中で歓びを感じているのだ。
税務コンサルタントの仕事を日々こなしているウィジャヤはテーブルに置かれたモニター画面を見ながら、両手で操縦桿を握り、足はペダルに置いて、B737−300をスカルノハッタ空港に着陸させようとしている。画面の下半分を覆っているコックピットの計器類の針が動き、遠景のスカルノハッタ空港がどんどん接近してくる。そばでそれを見ていたコーチがウィジャヤにアドバイスを与える。このコーチはIndoflyerの会員でフライトシミュレータディビジョンのスタッフでもある。隣で操縦桿を握っているのはIT会社に勤めるユリアヌスで、かれはプロペラ機を飛ばしている最中だ。プロペラ機の修了証書をもらったら、次はB737に取り掛かることにしている。
このインドフライヤーは空を飛びたい憧れを抱いて集まったひとびとが作った組織で、最初の発端は趣味の集いでしかなかった。しかしそれがよりシリアスなものへと発展していったのは2004年のこと。最初は5つのディビジョンだけで始めたインドフライヤーは発展拡大の末にいまや11のディビジョンを擁する大型組織になった。その中にはジョブディビジョンもあって航空関係企業の求人も紹介されている。運がよければパイロットへの道を歩む仲間が出る可能性だってある。求人はパイロットだけに限らず、客室乗務員やメカニックなどさまざま。
インドフライヤー会員になるには、http://www.indoflyer.net/から入会申込みができる。操縦桿とペダルは各自が購入するわけで、最低3百万ルピアで手に入るが多少とも完璧に手許を固めようとするなら6百万ルピアの支出は覚悟しなければならないそうだ。いやそれでも航空学校に入るよりははるかに安い、とユリアヌスは言う。会員になれば必要な知識は先輩たちやファイルからどんどん吸収することができる。「航空学校に入るなら3億5千万ルピアは用意しなくちゃいけない。もの凄く高いんだから。」


「プルタミナの必ずぴったしプログラム」(2008年4月23日)
2007年12月24日付けコンパス紙への投書"Bensin di SPBU Pertamina"から
拝啓、編集部殿。プルタミナが制作したPertamina On The Moveと題するマスメディア広告がしばらく前に流されていました。その広告の中には、給油の際にお客は自動車から降りないで済むもっと優れたサービスを提供します、という説明がありました。「それはいい」と消費者であるわたしは思いましたが、現実にわたしが体験したのは宣伝とは大違いの実態でした。2007年11月25日15時ごろ、わたしがスカルノハッタ空港自動車道に向かう外環状自動車道のカマル地区ガソリンスタンドSPBU 34-11707で給油したときのことです。
わたしは車を止め、燃料タンクのふたを開き、窓ガラスを半分だけ下ろして係員に10万ルピアを渡しました。ところがわたしは係員の感情的な声に迎えられたのです。「マス、窓は全部開けられないのか?車から降りてくれ。」そしてその係員は不愉快さを全身で示しながら給油をはじめ、終わったあと燃料タンクのふたをたたきつけるようにして閉めました。わたしが車の中から渡した金を受け取るために近寄ってくるのが面倒なだけで、なんでそこまで感情的に振舞わなければいけないのでしょうか?わたしはまず最初、自分からその係員に挨拶し、金を渡す際にも丁寧に振舞ったというのに。残念なことにわたしはその係員の名前をよく見ていませんでした。わたしの記憶にあるのは、その係員が太めの身体で、ジャワ語訛りで話していたということくらいです。
ともあれ、「Pertamina On The Move」っていったい何のつもりなのでしょうか?プルタミナは大衆にサービスするために従業員をあんな風に育成しているのですか?わたしはプルタミナでないガソリンスタンドで給油をしたこともあります。そこでは係員の方からドライバーに、「どうぞ車の中にいるままで、外に出ないで結構です」と奨めるのです。ところがプルタミナで給油すると「On The Move」だと言いながら係員に怒られるのですから。北ジャカルタのクラパガディンにあるガソリンスタンドでもわたしは既に同じような体験をしており、今回でもう二度目です。プルタミナは利益優先で消費者は二の次というような考えをしてはいけません。もっと真剣に考えてください。[ 西ジャカルタ市在住、ユリウス ]
2008年1月3日付けコンパス紙に掲載されたプルタミナからの回答
拝啓、編集部殿。ユリウスさんからの2007年12月24日付けコンパス紙に掲載された投書に関して、まずご不満に謝罪いたします。プルタミナのセールスレップはその問題のガソリンスタンドについてチェックしました。判明したのは、そのガソリンスタンドがプルタミナの新しいガソリンスタンド標準化プログラムであるPertamina Wayプログラムにまだ参加していなかったということです。そのガソリンスタンドは外部オーディターが監査をして証明書を出している『必ずぴったし(Pasti Pas)』ガソリンスタンド認定をまだ得ていないのです。『必ずぴったし』とは「給与量必ずぴったし、品質必ずぴったし、サービス必ずぴったし」をモットーにした消費者サービス基準で、この認定を受けたガソリンスタンドはhttp://pastipas.pertamina.comにリストアップされています。Pertamina Wayプログラムは段階的に全国すべてのプルタミナガソリンスタンドをカバーして行きますが、全国には3,598ヶ所のプルタミナガソリンスタンドがあるため、その点のご理解をお願いしたいと存じます。[ プルタミナコミュニケーション担当副社長代行、アディアッマ・サルジト ]


「都内9ヶ所のアブナイ駐車ビル」(2008年4月24日)
駐車ビルから車両が転落して運転者が死亡するという事故が数回発生したことから、都庁は2008年3月に都内にある194ヶ所の駐車ビルに対する安全基準検査を実施した。都庁建築物監督整備局はその検査結果から、9ヶ所の駐車ビルに対して安全対策が不備であるとの判定を下した。その9ビルは6軒が民間会社、2軒が地方自治体所有事業体、1軒が財団法人の所有するもので下のような明細になっている。
PD Pasar Jaya Blok A, Tanah Abang
PD Pasar Jaya Blok B,D,E,F
Plaza Senayan
PT Setyabhakti Mayapersada
PT Duta Pertiwi
PT Ravindo Bangun Persada
Prasada Sasana Karya
PT Wisata Citra Legian
Yayasan Pesantren Islam Al-Azhar
建築物監督整備局がコンサルタントに調査させたそれらの9駐車ビルで発見された安全不備ポイントの中には、危険表示や方向案内がはっきりしていないもの、90〜140センチという駐車場壁の高さが基準に満たないもの、車輪ストッパーが設置されていないもの、壁がコンクリート製でなくレンガが使われているものなどがあがっている。
建築物の建築基準違反に対する措置は、4回の警告書、建物封印、取り壊し命令書、そして取り壊し実施という段階に分かれている。今回公にされた9ヶ所の駐車ビルに関しては、建物オーナー自身の調査と対応計画を報告させることにしており、処罰措置はその結果如何になる、と建築物監督整備局長は語っている。
プラザスナヤンの駐車ビルが危険と判定されたことについてインドネシアショッピングセンター運営者協会会長は、考えにくいことである、と次のようにコメントした。「プラザスナヤンは駐車ビルを含めて国際的な建築コンサルタントを起用しており、面食らっている。プラザスナヤン運営者から詳細の話を聞く必要がある。建築物監督整備局はどのコンサルタントを使ってその判定を出したのかも明らかにされる必要がある。」
PDパサルジャヤ代表取締役は、パサルタナアバン駐車ビルはABDEFの5ブロックが危険と判定されたが、使われているのはAとFだけだ、と語っている。


「ポンドッチャベにLCC専用空港を」(2008年5月2日)
プルタミナが所有しているバンテン州タングラン県のポンドッチャベ(Pondok Cabe)空港は現在Pelita Airなどチャーター会社の発着便、飛行機修理施設、エアロモデリングなどに使われているだけで、その活用度は低い。運通省空運総局データによれば、このポンドッチャベ空港はプルタミナの専用空港でプリタエアー航空機メンテナンスと航空警察や国軍の格納庫に使われている。この空港をローコストキャリヤー(LCC)専用空港として大改装しようという企画が今持ち上がっており、それを実現させるためには専用空港から一般空港にステータス変更しなければならない。この企画の主はオーストラリアのシドニーを本拠地とする空港開発会社Aviation Agencies Australia Pty Ltdで、1.5億米ドルを投資して滑走路延長・駐車場拡張・ケータリングセンターやホテルの建設・パイロット養成学校などの施設充実を図る考え。滑走路延長は現在の1,986メートルを2千3百から2千5百メートル程度に伸ばしてB737やA320が利用できるようにする構想。
スカルノハッタ空港には徹底的に維持費節減を図ったLCC専用ターミナルを設ける予定がなく、LCCコンセプトターミナルがタングランに誕生すれば廉価航空会社にとって大きい福音となるのは間違いない。国内線に限らず域内国際航路を飛ぶLCCをタングラン県に誘致できれば、タングラン県の経済活性化にもたらされるメリットも大きい。AAA社はプルタミナおよびタングラン県庁と共同でポンドッチャベ空港建設準備を進めており、2009年初から大改装工事が開始される予定になっている。ただし運通省はその一般空港化に関連してスカルノハッタ空港とハリムプルダナクスマ空港の両国際空港にはさまれた位置にあるポンドッチャベ空港の空域特性検討を、申請が出されればすぐに実施する所存だと表明している。


「モールチプトラ駐車場月極め利用料金は15万ルピア」(2008年5月5日)
都内の交通渋滞を悪化させている路上駐車取締に5月1日から本腰を入れるとファウジ・ボウォ都知事は既に表明している。それは別にして、首都ジャカルタの陸上交通コンセプトが有機的なシナジーに欠けていることを西ジャカルタ市グロゴルにあるモールチプトラ(Mal Ciputra)のジェネラルマネージャーが指摘した。「シンガポールや香港の公共輸送はモールのような人が集まる場所を中心に置いて構築されているが、ジャカルタはそうなっていない。そのようなコンセプトがジャカルタに適用されるなら、自家用車で都内に乗り入れてきた人たちはモールの駐車場に車を置いて公共輸送機関に乗り換えることができる。これは違法路上駐車に代替案を提供することにつながる。モールチプトラは一日1千4百台の自動車駐車能力を持っているものの、月曜から金曜というウイークデーの稼動効率は50%程度しかない。この状況は都内のほかのモールでも似たようなものだ。モールチプトラはグロゴルという交通の要衝に位置して、西ジャカルタ・中央ジャカルタ・北ジャカルタそしてタングランという諸方面との間を結ぶ交通が集まってくる場所にあり、隣にあるモールタマンアングレッ(Mal Taman Anggrek)と共に大学・ホテル・オフィスなどに囲まれた地の利を得ている。おかげでその二つのモールは毎日6〜7万人というファンタスティックな集客力を誇っている。このような状況下でモールチプトラは従来から来店客に対する駐車場利用サービスを提供しており、やってきた客は駐車場に車を置いて公共輸送機関に乗換え、都内各所に移動している。継続利用者には月極めで毎日朝から夜まで使っても月間15万ルピアというお得な料金を提供している。」
モールの駐車場利用をそのようなコンセプトで見直し、都庁の交通政策の中に組み入れることで都内の渋滞地獄は多少とも緩和できるのではないかという提案がそれだ。しかし都庁の対応を待つまでもなく、民間交通サービス機関は既にバンドン行き乗合いバスやスルポンやカラワチといった住宅地を結ぶ乗合いバスのダイレクト運行をモールを起点にして実施している。


「空運業界が燃油サーチャージを引上げ」(2008年5月9日)
政府の次の航空機燃料価格値上げに時をあわせて燃油サーチャージを引き上げるべく、空運業界はその準備を進めている。ガルーダインドネシア航空業務担当取締役によれば、燃油コストは空運会社の事業経費の中で50〜60%を占めるきわめて重要な構成要素であるとのこと。ガルーダ航空は2008年4月24日の原油国際相場高騰に応じて国内線の燃油サーチャージを1万5千ルピア以上アップした。飛行時間1時間未満の航路は16万から17万5千ルピアに、1時間以上2時間未満は17万5千から20万ルピアに、2時間以上の航路は20万から22万5千ルピアに引き上げられている。一方国際線はワンテンポ遅らせて2008年5月に引き上げる予定で、飛行時間平均1時間当たり1.5米ドルのアップが予定されている。この燃油サーチャージ値上げはバレルあたり120米ドルという国際相場を想定して行われており、このあとプルタミナが航空機燃料価格を更に引き上げれば再度の燃油サーチャージ調整もやむをえない、とガルーダ航空収入マネージメント担当副社長は語っている。副社長によれば、燃油サーチャージアップでカバーできるのは燃料コストアップの70%でしかなく、残る30%は会社の事業効率を高めることで対処しているとのこと。
ムルパティヌサンタラ航空も燃油サーチャージの引上げを計画している。現行サーチャージはバレルあたり105米ドルを想定したもので飛行時間1時間で20万ルピア、2時間は22.5万ルピアとなっているが、航空機燃料価格がバレルあたり115米ドルに達するなら10%ほどの燃油サーチャージ引上げは避けられないとしている。


「ジャカルタMRT構想」(2008年5月10日)
最新の都庁計画では、ジャカルタの地下鉄建設工事は2009年に開始され、2014年に開業という日程が組まれている。地下鉄とは言っても第一フェーズのルバッブルス〜ドゥクアタス14.3キロ区間は地下にもぐるのが全体の四分の一ほどであり、都心部の外にある南ジャカルタ市を通る線路はすべて高架となるので、誤った印象を避けるためにシンガポールにならってMRTと呼ぶほうが無難なようだ。この建設プロジェクトの推進監督から開業後の事業運営までを管掌するために都庁は都営会社MRTコーポレーションを設立しており、そのトップから中堅にいたるマネージメントの人選をいま行っている最中であるため会社としての実態はまだない。
ルバッブルス〜ドゥクアタス間には8ヶ所の高架鉄道駅と4ヶ所の地下鉄駅が設けられることになっている。鉄道列車はその両ターミナル間を時速32キロで運行し、首都南縁のルバッブルスと都内中心部に近いドゥクアタスを26分で結ぶ。この鉄道は企画書によれば、上り下りの各方向に毎時2万3千人、一日のトータルで40万人という乗客輸送能力を持つ。事業計画では2020年に一日の利用乗客数が31.5万人に達すると見込まれている。
第一フェーズの北端ターミナルとなるドゥクアタス(Dukuh Atas)は、スティヨソ前都知事が作成した首都公共輸送計画によれば、首都近郊電車・バスウエイ・モノレール・ウオーターウエイそして在来型都バスとタクシーという諸交通機関の集まるハブ機能を持つことになっている。ドゥクアタスから南向きにスティアブディ(Setiabudi)駅〜ブンドゥガンヒリル(Bendungan Hilir)駅〜イストラ(Istora)駅と続き、ここまでは地下駅が建設される。ブンドゥガンヒリルはモノレールとの接続、イストラもモノレールとの接続ならびに周辺商業地区へのアクセス路が設けられる。イストラ駅を越えると地上に出て高架線路となり、スナヤン(Senayan)駅に至る。スナヤンを出るとシシガマガラジャ(Sisingamangaraja)駅を経てブロッケム(Blok M)駅に至る。ブロッケムは言うまでもなく昔から南ジャカルタの中心的商業地区として繁栄してきたエリアで、ここからはバスウエーおよび都バスが集散するバスターミナルとの連絡が計画されている。更にブロッカー(Blok A)駅〜ハジナウィ(Haji Nawi)駅〜チプテラヤ(Cipete Raya)駅〜ファッマワティ(Fatmawati)駅と続く高架線路は最後にルバッブルス(Lebak Bulus)終点に達する。ジャカルタ外環状自動車道に近いファッマワティ駅には、パークアンドライド構想にもとづく大型駐車場が設けられる予定で、南ジャカルタ市周辺エリアはもとよりタングランからスルポンに至る地域の住民に都心部への公共運送機関の便を提供する予定。ファッマワティ駅からはまた南ジャカルタエリアで人気のチランダッタウンスクエア(Cilandak Town Square)通称チトスへの連絡通路も設けられることになっている。終点ルバッブルス駅はやはりバスターミナルとの連絡、そしてMRT車両用の車庫が作られる。
このジャカルタMRT構想は更に第2フェーズでドゥクアタスからモナスまで地下鉄3駅、その後第2段階プロジェクトとしてモナスからグロドッを経てコタ鉄道駅まで地下線路を伸ばして長距離鉄道との連結を実現させるという企画になっている。


「整備不良のシルバーバード車」(2008年5月14日)
2008年1月9日付けコンパス紙への投書"Taksi Silver Bird Mogok"から
拝啓、編集部殿。2007年12月17日午前6時21分、スカルノハッタ空港へ行くためわたしは電話でシルバーバードタクシーを呼びました。午前7時半ごろにシルバーバードタクシーがやってきましたが、わたしが頼んだベンツ車でなくニッサンセドリックがやってきたのです。がっかりしましたが、わたしはその車を使うことにしました。ところがいざ出発するときになったというのに、エンジンがかかりません。タクシー運転手に「どうしてこんなことになるのか?」と尋ねると運転手は、「これはいつもわたしが使っている車ではなく、代行車なのだ。」と言うのです。そして別の車が来るのを待つか、それともこの車を押し掛けするか、と反対にわたしに尋ねました。この車が出庫するときに、こんなトラブルが起こることは予測できなかったのでしょうか?「時間を無駄にしたくないので、わたしが手伝うからあなたは車を押してくれ。」とわたしは運転手に言いました。エンジンは掛かり、タクシーは空港に向けて出発しました。ところが一難去ってまた一難。今度は料金メーターが点滅したかと思うと消えてしまい、一分ほどしてからまた点きました。路上が渋滞していたのでのろのろ運転が続き、そうこうしているうちにエアコンから冷風が来なくなり、そしてエアコンは完璧な死を迎えたのです。
飛行機の出発時間に追われているわたしに運転手は、プールに電話して救援を求めてくれ、と言います。わたしは代わりのタクシーを、渋滞を避けて都内自動車道を通り、西ジャカルタ市スリピ地区まで送るようタクシー会社に頼みました。そして運転手に自動車道に入るよう命じましたが、この車両はふたたび災難に襲われたのです。料金所で運転手は窓を開いて支払をしたあと、今度はその窓が閉まりません。シルバーバードタクシーはまるで重度で慢性の病を患う瀕死の重病人ではありませんか。
都内自動車道の路肩に車を止めて、わたしは仕方なく救援車が来るのを待ちました。エアコンはなく、開いた窓からは容赦なく強風が排ガスやほこりを車内に吹き付けてきます。時間は無駄に過ぎて行き、わたしのため息も長さを増していきました。運転手は誠意を交えて状況を説明してくれ、わたしはかれがいろいろと対策を考えてくれたことに感謝の意を表明しました。そんなかれが今日はきっと、会社が適切な車両の整備点検を行っていないために自宅で待つ家族に十分な稼ぎを持ち帰れないのではないかと思い、その運転手が気の毒になりました。[ ジャカルタ在住、イクバル・ファラビ ]
2008年1月18日付けコンパス紙に掲載されたブルーバード社からの回答
拝啓、編集部殿。2008年1月9日付けコンパス紙に掲載されたイクバル・ファラビさんからの投書に関してお伝えします。2007年12月17日にイクバルさんが乗ったタクシーに技術的な問題が発生した際、イクバルさんからの連絡に応じて当方はすぐに代わりの車を現場に送り、イクバルさんが目的地に到着できるよう手を尽くしました。ブルーバードグループ所属の全車両は定期点検を必ず受けており、イクバルさんが乗った車も例外ではありません。技術的な問題は時に避けがたく発生するものであり、その車に対しても当方は十分な改善を行ないました。今回の出来事は当方点検整備部門にとって有益な情報であります。[ ブルーバードグループカスタマーサービス課長、バユ・クリスティアディ ]


「ガス燃料型バジャイは乗客に人気」(2008年5月16日)
都庁が三輪バジャイ250台を廃棄処分にした。これは旧型ガソリンバジャイを新型ガス燃料バジャイに入れ替えるための措置で、旧型バジャイは東ジャカルタ市プログバンの貨物自動車ターミナルでボディを切断分解され、金属は圧縮機で押し固められた。都庁は2009年末までに5千台の旧型バジャイをガス燃料タイプに入れ替える計画を組んでおり、大気汚染を減らして環境に優しいものに替えるためガス燃料バジャイの導入台数分だけ旧型バジャイを廃棄しなければならない、とファウジ・ボウォ都知事は語っている。
ガス燃料型バジャイは既に5百台が都内を走っている。都庁はバジャイの入替えで年間63億ルピアの補助金削減が可能になると見ているが、都庁が運行許可を与えたバジャイは1万5千台あり、過去2年間でやっと5百台の入替えではこの先、気の遠くなるような時間が必要とされることから、都知事は入替えのスピードアップを叱咤している。都庁運通局長によれば、そのスピードが緩慢なのは都庁労働局がガスボンベの承認を与えるのに時間がかかっているためで、ボンベ一個に3ヶ月も時間がかかっている、と評している。バジャイ運転手の間でガス燃料タイプは好評裡に受け止められており、一日の燃料費がガソリンは3万ルピア、ガスは2万ルピアで経費節減が可能だと語っているが、ガス燃料補給スタンドが少なすぎることを問題視している。ガス燃料バジャイ運転手の中には、タンクがふたつあるのでガスとガソリンの両方を積んでいる、と言う者もある。
ジャカルタバジャイ協会会長は、「ガス燃料型バジャイの3,890万ルピアという価格は旧型バジャイの1,700万ルピアに比べてあまりにも高く、旧型バジャイからガス燃料型への移行に際して旧型バジャイの買取補償がまったくないためバジャイオーナーにとって経済負担が大きい。そんな高額の投資にもかかわらず旧型バジャイオーナー2千人がガス燃料タイプへの入替えに応じる意志を固めているというのに、新型の用意は遅々として進んでいない。」と苦情を表明している。旧型バジャイが騒音・振動・排ガスによる大気汚染などの欠点を持っているのにくらべ、それらのポイントがガス燃料型バジャイは優れているため乗客から人気を博している。需要が高まりコストが低下するのであれば、バジャイオーナーは初期投資が高くても早くガス燃料型に乗り換えたいと思うのが人情というものだ。


「空港自動車道の高架化工事がはじまる」(2008年5月23日)
2008年5月8日、スカルノハッタ空港と都内を結ぶスディヤッモ(Sedyatmo)自動車道がまた冠水して通行不能になった。今回の事故は雨による洪水でなく高潮が引き起こしたもので、決壊した防潮堤を修理しポンプで水を汲み出して5月9日には復旧した。しかしスディヤッモ自動車道KM26からKM28の区間は冠水常習地区であり、ジャカルタ湾の次の高潮が2008年6月6日と予報されていることから自動車道運営会社ジャサマルガはそれまでにもっと高い防潮堤を建設することを決めた。新しい防潮堤は道路端から17メートル沖に海底8メートルの深さまでコンクリート壁を埋め、上は4メートルの高さを持たせるため海水がその高さを越えるまでは安全という設計で、現在の防潮堤は海底からの高さが3メートルであるため、安全範囲が1メートル追加されることになる。この防潮堤はプンジャリガン(Penjaringan)インターチェンジの東側KM26.2地点からKM26.8地点までの6百メートルをカバーする。ジャサマルガは道路をはさんで海側にこの防潮堤、内陸側にも防水提を同じように造って内陸側から流れてきた雨水等の浸入を阻むことにしている。
それとは別にジャサマルガはスディヤッモ自動車道の高架化工事を開始した。カプッ(Kapuk)〜プンジャリガン6キロ区間とプンジャリガン〜カマル(Kamal)4キロ区間の二段階に分けて行われるこの工事では、現在の道路の北側海面上に11メートル幅の新しい道路が建設される計画で、4本のパイルスラブを海底深度8メートルまで埋め込み、現在の道路から4メートル上がった高架道路となる予定。


「燃油サーチャージがアップ」(2008年6月4日)
ガルーダインドネシア航空が2008年5月26日にまた国内線の燃油サーチャージを引き上げた。引き上げ幅は最低1万5千ルピア最高4万5千ルピアで、その結果飛行時間1時間の距離では従来の17万5千ルピアが19万ルピアに、2時間までの距離は20万ルピアが23万ルピアに、3時間までの距離は22万5千から27万ルピアに、3時間を超える距離は27万から31万ルピアにアップする。このため航空券料金はたとえばジョクジャ〜ジャカルタ間でエコノミークラスは51万9千〜81万6千ルピア、ビジネスクラスは147万ルピアとなり、またジョクジャ〜デンパサル間はエコノミークラスが58万4千〜100万ルピア、ビジネスクラスは136万ルピアとなる。
国際線は6月1日からのアップで、値上げ幅は5ドルから15ドルの間。


「電車が増便される」(2008年6月17日)
首都近郊電車スルポン線とボゴール線は2008年6月9日から夜間の運行時間延長を開始した。この運行時間延長は石油燃料値上げ以来鉄道利用者の間で高まっている要請に国有鉄道が応じたもの。ジャカルタ〜スルポン線は2便、ジャカルタ〜ボゴール線は1便が追加され、それぞれ8両編成の列車は各駅停車で警備員が4人乗務する。乗車料金はひとり6千ルピアとなっている。
ジャカルタ〜スルポン線はマンガライ(Manggarai)駅を20時50分と22時50分に発車してスディルマン(Sudirman)(ドゥクアタス(Dukuh Atas))〜タナアバン(Tanah Abang)〜パルメラ(Palmerah)〜クバヨラン(Kebayoran)〜ポンドッランジ(Pondok Ranji)〜スディマラ(Sudimara)〜ラワブントゥ(Rawa Buntu)と停車して終着駅のスルポン(Serpong)には21時36分と23時36分に到着する。反対方向のスルポン発は20時と22時に発車してマンガライに20時48分と22時48分に到着する。
ジャカルタ〜ボゴール線はコタ駅発が22時33分で、ジャカルタコタ(Jakarta Kota)〜ジャヤカルタ(Jayakarta)〜マンガブサール(Mangga Besar)〜サワブサール(Sawah Besar)〜ジュアンダ(Juanda)〜ガンビル(Gambir)〜ゴンダンディア(Gondangdia)〜チキニ(Cikini)〜マンガライ(Manggarai)〜トゥベッ(Tebet)〜チャワン(Cawang)〜カリバタ(Kalibata)〜パサルミングバル(Pasar Minggu Baru)〜パサルミング(Pasar Minggu)〜タンジュンバラッ(Tanjung Barat)〜パンチャシラ大学(Universitas Pancasila)〜インドネシア大学(Universitas Indonesia)〜ポンドッチナ(Pondokcina)〜デポッバル(Depok Baru)〜デポッラマ(Depok Lama)〜チタヤム(Citayam)〜ボジョングデ(Bojonggede)〜チルブッ(Cilebut)と停車し、終点ボゴール(Bogor)到着は24時ちょうど。反対のボゴール発最終便は20時55分発で、ジャカルタコタには22時22分に到着する。


「首都のバス料金が改定される」(2008年6月18日)
石油燃料値上げの結果、都民の足である首都の公共運送料金値上げが決定された。当初20%と言われていたアップ率は、都庁運通局・ジャカルタ都市交通評議会・陸運機構が都議会第B委員会と協議した結果現行料金から38%の値上がりという線に落ち着き、2008年6月4日に都議会がそれを承認したその結論をファウジ・ボウォ都知事も了承して新料金が確定した。従来から公共運送料金改定ではアップ率をかけて算出された計算結果が10ルピアの単位でそのまま用いられ、貨幣価値の変化を反映しないものが公的に定められるという現実性のない行政が行われてきた。10ルピアコインは市民生活の中で今やほとんど見つけることの困難な貨幣であり、そのため実際には運送機関乗務員が適宜金額を高く切り上げて請求するという対応が取られ、市民生活にハイコストを招くばかりか一般市民のリーガルコンプライアンス実践が通用しにくい環境を醸成するのに一役買っていた。今回は500ルピア単位に丸めるという配慮がなされたことを都知事は実用的実際的な内容になっていると高く評価している。この決定は数日以内に都知事決定書の形で制定される予定。
首都のバス料金は次のようになる。
Mikrolet/Angkot等小型バス 2,400ルピアから3,000ルピアに
Metromini等中型バス 2,000ルピアから2,500ルピアに
大型バスReguler 1,900ルピアから2,500ルピアに
大型バスPatas 2,000ルピアから2,500ルピアに
学生料金 700ルピアから1,000ルピアに
上にあるPatasバスというのはcepat terbatasを縮めたもので、乗客は全員座席に座らせて立ち乗りを認めないという乗客の快適さを優先させる条件のバスとして設けられたものだが、バス運行者は例外なく経済性を優先させることからそのような条件は現実性を持っていなかった。今回の改定で小型乗合い以外すべて2,500ルピアという同一料金になったことは利用者に問題を与えるよりもむしろ今の実態に近付くものであるとの見方を都議会は取っており、消費者は抵抗なくそれを受け入れるだろうと都議会第B委員会議長は述べている。
石油燃料値上げ以後運送機関乗務員が徴収していた新料金は今回決定されたものと同じであるため、この公式決定によって乗務員と乗客間の料金に関するいざこざはほとんど解消するだろう、とジャカルタ都市交通評議会議長は語っている。


「ジャカルタのタクシー料金値上げ」(2008年6月19日)
首都のタクシー料金が2008年6月16日から改定された。タクシーメーターの調整は順次行われていくため、メーターがまだ新料金システムに変更されていないものは運転手が換算表にもとづいて乗客に請求する方式が採られ、メーターに表示されている料金とは異なる請求をする運転手が出ることになる。タクシー料金改定は2008年6月11日付けで出されたタリフ調整承認に関する都知事決定書番号第1065/-1.811.1号にもとづいて陸運機構首都支部が関係者向けに配布した2008年6月13日付け決定書第SKEP-011/DPD-OGD/VI/2008号に従うもの。
都庁が決定した公共料金は上限と下限を示しており、事業者はその間で自由に料金を決めることができるものの、業界団体である陸運機構はその中間料金の選択を会員会社に禁止している。今回の値上げでは、上限料金は初乗り5,000ルピアから6,000ルピアに、キロ当たり料金は2,500ルピアから3,000ルピアに、またスタンバイ料金は1時間当たり25,000ルピアから30,000ルピアにアップした。下限料金も初乗りが4,000から5,000ルピアに、キロ当たり料金は1,800から2,500ルピアに、スタンバイ料金は1時間当たり18,000ルピアから25,000ルピアにアップしている。今回の値上げはレギュラータクシーだけのもので、エグゼキュティブタクシーはこれまで通り、初乗り6,9000ルピア、キロ当たり3,700ルピア、スタンバイ料金1時間当たり55,000ルピアというタリフは変更されない。エグゼキュティブタクシー料金が据え置かれることについて陸運機構は、公定上限料金の初乗り10,000ルピア、キロ当たり5,000ルピア、スタンバイ1時間当たり80,000ルピアよりはるかに低い実勢になっているため、と説明している。
陸運機構はまたタクシー会社に対し、運転手の会社に対する水揚げ金額を今後3ヶ月間凍結することを命じた。またすべてのタクシーは新料金を適用しなければならず、従来あったTarif Lama(旧料金)表示の初乗り4,000ルピアのタクシーも値上げを怠れば都庁運通局から処罰されることになる。
首都のレギュラータクシー認可は2003年から交付が停止されており、認可を得ているのは41の会社もしくは組合で基本認可では25,019台までタクシーの稼動が認められるものの実際には23,435台でストップしている。そのうち実稼動しているのは15,230台に過ぎず、その差は若返りを待って車庫に眠っているのが実態だ。エグゼキュティブタクシーについては2社が815台を稼動させている。一方、デポッ・タングラン・ブカシの首都周辺地区は地元政府が73会社12組合に基本認可を交付しており、認められている総台数は16,653台となっている。首都周辺地区は各行政府が個別の料金政策を行うためにそれらのタクシーは首都のものと異なるタリフを使っているものの、都内での運行が認められているために路上でひろったタクシーが異なる料金という事態に遭遇することも稀ではない。


「サービスとはご無理ごもっとものこと?!」(2008年6月30日)
2008年2月19日付けコンパス紙への投書"Kesalahan Cetak Tiket Kereta"から
拝啓、編集部殿。わたしは国鉄のビジネスクラスやエグゼキュティブクラスの愛用者です。2008年2月9日に国鉄を利用したとき、二度と忘れることのできない目にあいました。本来なら2月9日と表示されていなければならないにもかかわらず、切符の乗車日は2月8日になっていたのです。検札の車掌はわたしを辱めました。事情がどうなっているかを確かめもしないで、わたしの切符を周囲の乗客に示して見せたのです。その後の道中の不快感は消すことができませんでした。その車掌の振る舞いは、わたしがあたかも期限切れの切符を使って乗っている無賃乗客でもあるかのような印象を他の乗客に与えたのですから。
わたしはその切符を2008年2月7日に注文し、料金も支払っていたのです。切符発注者に手伝ってもらって、すべては完了していました。ところが列車内でわたしが受けた車掌の振る舞いはまったく失礼なものでした。わたしがその車掌の名前を尋ねるとかれは、「わたしの名前はスバイディ、善良な従業員です。」と胸を張って答えたではありませんか。問題が起これば最善の方法で解決するのが当たり前ではないでしょうか?2008年2月1日の料金値上げ以来、国鉄の乗客サービスはそんなものに変わったのですか?サービスを提供する会社はベストサービスを与えるべきものではないのですか?
わたしが受けた扱いがほかの乗客に対して繰り返されないように祈ります。またこの問題は国鉄経営陣にも関心を払ってほしいと思います。料金値上げをしたばかりの国鉄が乗客により良いサービスを提供できるように。[ デポッ在住、ゲスティ・ニンルム ]