インドネシア交通情報2010〜11年


「スカルノハッタ空港の乗車拒否タクシー」(2010年1月5日)
2009年4月30日付けコンパス紙への投書"Taksi Express di Bandara"から
拝啓、編集部殿。2009年4月8日17時10分、わたしはパダンからチュンカレンのスカルノハッタ空港ターミナル1Aに到着しました。ターミナル1A出口には、通常客待ちタクシーが停まっている位置にエクスプレスタクシーが2台あったので、わたしはそちらのほうへ歩み寄りました。エクスプレスタクシーを選んだのは、そのタクシー会社の評判がこれまで悪くないものだったからです。最初のタクシー運転手はわたしがまだ乗車する前から行先を尋ねてきましたので、わたしはタングランのポンドッカレン(Pondok Aren)まで、と答えました。するとその運転手は別の客との約束があるから行けないと言い、しばらくしてから車を残してどこかへ行ってしまいました。
もう一台のエクスプレスタクシーに近寄って「ポンドッカレンまで行ってほしい」とわたしが言ったところ、そのタクシーの運転手も行けない、と言うのです。その理由がなんと、車体左後部を指差して「車がへこんでいるからだ」と言ったときには、驚きと腹立たしさと怒りの感情がわたしを包みました。
客を乗せる気がないのなら、かれらはなんで通常客待ちタクシーが停まる場所に車を停めているのですか?わたしはポンドッカレンに行ってくれる別のタクシーを探して乗りましたが、エクスプレスタクシー運転手は黙ったままでした。[ パダン在住、ヌハン・スナルヨ ]
2009年5月5日付けコンパス紙に掲載されたエクスプレスグループからの回答
拝啓、編集部殿。ヌルハン・スナルヨさんからの2009年4月30日付けコンパス紙に掲載された投書に関して、不快なできごとにお詫び申し上げます。エクスプレスグループマネージメントは、すべてのエクスプレスタクシーは公共運送サービスを求める客を拒んではならないというSOPを定めています。当方は今回のできごとをフォローし、タクシー乗務員が乗客へのサービスをいかなる理由にせよ拒んだことが明らかになった場合は処罰を与える所存です。
顧客が不快なできごとに遭遇された場合、電話(021)26509000あるいはEメールでcare@expressgroup.co.idのカスタマーケア部門あてにお知らせください。[ エクスプレスグループカスタマーケアマネージャー、ラッナ・タヌブラタ ]


「自動車排気ガス取締がはじまる」(2010年1月9日)
都庁地方生活環境運営庁が都内の道路を通行する車両に対して排気ガスチェック検問を実施している。この検問の対象となるのは排気ガスチェック合格ステッカーを貼っていない自家用車で、実際にはそのような自家用車の中でランダムに停止を命じた車に対して排ガス測定を行なっている。ステッカーを貼ってある自家用車はもちろん、公共交通機関も年次車検の際に排ガス規制チェックが行われていることを理由にして対象から除外されている。
2009年12月14日に南ジャカルタ市カリバタモール前で行われた検問では127台がチェックされて不合格が27台見つかり、15日の中央ジャカルタ市メダンムルデカティムル通りでは205台がチェックされて27台が不合格となった。また12月21日に行われた北ジャカルタ市ヨッスダルソ(Yos Sudarso)通りでの検問は174台がチェックされて16台の不合格車が見つかっている。
不合格判定をもらった車には一週間以内に排ガス規制対応自動車サービス業者でサービスを受けるようにという警告書が与えられ、車の所有者はその実施報告を都庁地方生活環境運営庁住所Jl Casablanca Kav 1, Kuningan, Jakarta Selatanに届け出なければならない。さらにそれ以降も6ヶ月ごとに排ガス規制対応業者での自動車メンテサービスを受けることが義務付けられる。
排ガスチェックメソードは2007年以降に生産された車両とそれ以前の生産車両との間で違いがあり、2007年以降はメーカーが排ガス規制対応を施しているのでチェック方法が異なっている、と地方生活環境運営庁職員は説明している。


「人間性可燃物には近寄らないのが無難」(2010年1月9日)
2008年4月20日付けコンパス紙への投書"Balapan Liar Sepeda Motor Dekat Kantor Polisi"から
拝啓、編集部殿。2009年4月5日深夜1時過ぎ、わたしは中央ジャカルタ市プラムカ通りをプムダ通り方面に向かった車を走らせていました。ホテルセントラルに近付いたのでわたしは車のスピードを緩めました。夜中には大勢の若者が道路脇や車線分離帯で群れているのを知っていたからです。ところがそのときはじめて知ったこともありました。プラムカ通りの低速車線も高速車線も、そんな若者たちが繰り広げる無法オートバイレース場と化していたことです。
道路は上下方向共にそんなありさまになっていました。その道路にいるすべてのひとにとって、それはとても危険な状態です。オートバイ運転者は道路の全車線を好き勝手に使い、高速車線を横切ったりするのです。おまけにかれらはヘルメットをかぶらず無灯火でオートバイをぶっ飛ばします。わたしがクラクションを鳴らすと、かれらは笑いながらわたしのほうに振り向き、そしてオートバイのスピードを上げました。
深夜の路上が走り回るオートバイと見物人でごった返しているというのに、警察がその状況を取り締まろうとしないのは実に不思議です。プラムカ通りとプムダ通りの交差点には警察署があり、無法レースはホテルセントラルからその交差点までの間で繰り広げられているのですから、警察がそれを知らないはずがありません。警察は事故が発生する前に措置を取って、その無法状態に秩序を回復させるようにしてください。またそのエリアを通る四輪二輪の車両や歩行者は警戒を怠らないようにしてください。[ 東ジャカルタ市プロガドン在住、タシア・シパフタル ]


「都庁が新たな駐車料金徴収方法を企画」(2010年1月12日)
ジャカルタの路上駐車は昔から駐車番の料金横領と常に背中合わせできた。都庁の公認路上駐車エリアはおよそ4百ヶ所しかないものの、決まりに則して行動する習慣の薄いひとびとは、金を取るほうも金を払うほうも、車を止める場所が公認路上駐車エリアかどうかなどという斟酌をしない。要はそこに車を止める必要があるから駐車するわけで、金を取ってその車を番してやろうという人間がいればむしろ車を止める人間にとっても好都合というわけだ。おかげで駐車禁止標識の真下に車を止めるようなことも日常茶飯事になっている。
そのような無法駐車はむしろ地回りゴロツキの世界に属すわけだが、公認路上駐車エリアは都庁職員の制服を着た駐車番が駐車切符を切って駐車料金支払の領収証としている。元々はその日切られた駐車切符の枚数をチェックしてそれに見合う金額をその日の駐車料金収入とするというコンセプトで始まったものの、わずか数千ルピアの支払にいちいち切符を切ってもらってもゴミになるだけ、と考える自動車運転者は少なくない。かれらは駐車番に金を払っても切符をくれとは言わないから、上のコンセプトから逸脱し、こうして業務システム上で管理しきれないそのような金は現場のひとたちのポケットにおさまってしまう。性善説をベースにしたコンセプトは必然的にブラックホールを作ってしまうようだ。
その対応策として副都知事が駐車料金水漏れ防止の新企画を披露した。駐車のつど現金の受け渡しを行なっている今のシステムをやめて一年分を一括支払させようというのがその骨子。企画によれば、四輪車は7万5千ルピア、二輪車は3万5千ルピアを毎年の自動車税納税時に一緒に納めさせる。そして都内の公認路上駐車場4百ヶ所では一年間無料で駐車を認める。この方式を採用すれば年間2,240億ルピアの駐車料金収入があがり、都庁にとってはいまの190億と桁違いの収入が実現することになる。都庁はこの企画についてのサーベイを実施する考えで、サーベイ結果がポジティブであれば実施に移したい意向。


「プラウスリブの飛行場」(2010年1月14日)
プラウスリブ(Pulau Seribu)観光は過去何年にも渡って閑古鳥が鳴いているありさまだ。観光スポットは多々あるのだが集客力が欠けているため、利用客が少ないことを理由にして島々の宿泊施設が営業日を減らし、それにあわせて船が運航便数をまた減らし、その結果観光客が更に減少するという悪循環に陥っている。
オルバ政権華やかりし時代のプラウスリブ観光は盛況で、飛行機で島々に入ることすら可能だった。パンジャン島(Pulau Panjang)にあった飛行場が1986年に観光開発のため再開され、プリタエアサービスのカッサ212型機が本土との間を往復した。パンジャン島飛行場は1990年に年間着陸機数延べ8百機を記録している。しかしプリタエアーはその後運航エリアをインドネシア東部地方に移したためパンジャン島を利用する飛行機が激減し、1997年の着陸機数はゼロとなってしまった。
海運だけに頼っていては海面が荒れた際に本土との連絡が不通になることから地元自治体は飛行場の存続を強く求めており、プラウスリブ再開発を目的にパンジャン島飛行場滑走路を1.4キロに延長するグレードアップ工事が2006年にスタートした。ところが2008年にその工事は未完のまま中止されてしまった。1千6百億ルピアの公費が既に支出されたにもかかわらず中止になったこの工事についてファウジ・ボウォ都知事は、定期運航の目途も立たない飛行場にこれ以上予算を注ぎ込むのは無駄遣いだとコメントしている。


「都民の目的別移動明細」(2010年2月4日)
都民の日々の交通移動に関する都庁とPTパミントリチプタが行なった調査によれば、全都民は一日に2,070万トリップを行っているという結果が出た。そのうちの半分近い48%は通勤のためのもので、民間会社員が44%、公務員が4%という内訳になっている。
カテゴリーごとの詳細は次の通り。
家から職場に 734,604件 48%
私用 279,079件 18%
家から学校に 221,788件 14%
買物 181,754件 12%
商用 127,637件 8%


「シルバーバードに7人用タクシーがお目見え」(2010年2月16日)
エクスプレスタクシーがトヨタアルファードを使って開始した5〜7人乗りプレミアムタクシーTiara Expressに対抗してブルーバードグループも2009年11月1日から同じ分野に参入した。ブルーバードグループのプレミアムタクシーは従来からシルバーバードという名称を冠して営業していたもので、トヨタクラウンをメイン車種としていたがその後メルセデスベンツEクラスコンプレッサーが追加され、そして今回トヨタアルファード/ベルファイアというバリエーションが新たに加わるという形になった。
LCDモニター2基を中部座席に装備し、エアバッグも6ヶ所に備えられた特別仕様のベルファイアは第一陣として20台が用意される。
シルバーバードはどの車種も同じ料金になっており、フラッグダウンが9,000ルピア、走行キロあたり5,500ルピアというのがその料金システム。


「ジョクジャの交通も荒っぽい」(2010年2月17日)
2009年5月30日付けコンパス紙への投書"Yogyakarta Makin Tergesa, Tidak Sabaran"から
拝啓、編集部殿。最近ジョクジャの大通りでオートバイを運転している際に、道路通行者特に二輪車ドライバーの荒っぽい運転をよく目にするようになりました。昔はそのようなことはなかったのです。「快適な心のジョクジャ」でした。でもいまは「せっかちトツゲキのジョクジャ」です。多くのひとたちが忍耐心を失い、他人に譲る心をも失っています。
ジョクジャの通りは、ジャカルタほどではありませんが二輪車であふれるようになりました。ドライバーはスピードを上げて荒っぽい運転をするので、事故も多発しています。道路が詰まっているというのに、二輪運転者は高速で突っ走ります。エンジンの空ぶかしも日常茶飯事。
右折左折をサインも出さないで行ないますから、突然方向転換されて後のドライバーはびっくりです。赤信号でも交差点を突っ切るドライバーの姿はいまではビアサ。おまけに信号待ちの車列の後で、信号が赤から緑に変わったとたんにプップーとクラクションを鳴らすドライバーが必ずいます。今信号が変わったばかりじゃありませんか?どうしてみんな、少しの時間も惜しみ、『待つ』ということができなくなってしまったのでしょうか? わたしがやはりよく目にするのは、どんな状況であろうと自分の方が先に通ろうとして他の車の前を塞ぐドライバーばかり。他の車に道を譲ろうとするドライバーを見かけることはほんとうになくなりました。おかげで道路交通は支離滅裂状態です。そして二輪車ドライバーだけでなく、市バス・タクシー・自家用車までもが頻繁にその支離滅裂に加わるのです。[ ジョクジャ在住、マリア・アドリアナ ]


「乗車券の座席指定番号にあったのはトイレ」(2010年2月20日)
2009年5月27日付けコンパス紙への投書"Nomor Kursi Kereta di Toilet"から
拝啓、編集部殿。2009年4月5日、中部ジャワ州ゴンボン駅で4月12日のジャカルタ行きビジネスクラス乗車券を買うよう、わたしは弟に頼みました。弟が駅の切符売場へ行くと窓口係員は、4月12日のジャカルタ行き切符はもう売切れたと言います。ところが売場周辺にいるチャロから12万ルピアでその日の切符を買うことができました。公式料金は8万ルピアなのですが、弟は車両番号3座席番号1Aとプリンターで印字されているその切符に12万ルピアを支払ったのです。
2009年4月12日、わたしは切符に記された車両に入りました。ところが車両番号3座席番号1Aの場所にあったのはトイレでした。この車両の座席は1C・1D・2A・2B・2C・2D・3A・・・・というようになっているのです。もっと腹立たしいことには、わたしのものとまったく同じ切符を持っているひとがもうひとり現れたのです。それはともあれ、とどのつまりわたしは臭いトイレに座ってジャカルタへ行くために4万ルピアも余分に支払ったことになります。
まともな座席に座っているひとたちもみんな切符を13万ルピアで買ったそうです。そしてプルウォクルトから乗った人たちもチャロから13万ルピアで切符を買ったと言っていました。[ ゴンボン在住、トリヨノ ]
2009年6月5日付けコンパス紙に掲載された国鉄からの回答
拝啓、編集部殿。トリヨノさんからの2009年5月27日付けコンパス紙に掲載された投書に関して次の通りお知らせします。当方は2009年4月12日運行のサウンガリウタマ号の座席番号システムと乗車券にプリントされた内容の不一致について調査しました。乗客へのサービス向上という国鉄のモットーに即して、サウンガリウタマ号の座席番号とプルウォクルト国鉄第5操車区の切符販売内容の整合性は既に取られています。
乗客に不快な旅を強いたことを当方はお詫び申し上げます。国鉄の乗車券は運行の30日前から発売されており、郵便局・マンディリ銀行ATM・BII銀行ATM・乗車券販売代理店・チケットオンラインなどを通して注文することができます。消費者はチャロや国鉄公認乗車券販売代理店でない場所での乗車券購入を避けるようお奨めします。[ 国鉄プルウォクルト第5操車区PRマネージャー、ダダン・プリヨノ ]


「バジャイ泥棒」(2010年2月24日)
三輪タクシーのあのバジャイさえもがそれを専門にする窃盗グループに狙われている。2010年2月7日、首都警察スンダクラパ港保安警察署は北ジャカルタ市ムアラカラン港でバジャイを専門に盗んでいた一味を逮捕した。警察が逮捕した容疑者は4人で、一味が持っていたバジャイ4台、バジャイ用ナンバープレート12対、STNK(自動車番号証明書)6枚を警察は証拠品として押収している。逮捕された4人のうちふたりは車を盗む役割、もうふたりは盗品を処理して売り払うのを担当にしていた。一味の犯行は2009年4月までさかのぼる。
ムアラカラン地区で営業しているバジャイのオーナーは4回も盗難に遭ったと物語る。運転手が客探しに車から離れたら盗まれ、運転手が寝ていたらバジャイを盗まれ、運転手が乗客に奨められて飲物を飲んだら麻酔薬が入っていて盗まれ、そして一番最近の手口は乗客に買物荷物を運ぶのを手伝ってくれと頼まれ、運転手が魚市場の中に入って行ったときにバジャイが盗まれた。オーナーは盗まれるたびに1千8百万から2千万ルピアで新たにバジャイを購入している。


「都内環状自動車道が稼ぎ頭」(2010年3月2日)
自動車専用道路運営国有会社PTジャサマルガが管理している全国13自動車道を2009年に利用した車は9億1千8百万台にのぼった。その中のナンバーワンは都内環状自動車道の2億5千2百万台。続いてチカンペッ自動車道が1億2千8百万台で第二位、ジャゴラウィとジャカルタ〜タングラン自動車道もそれぞれ1億1千9百万台を超えた。最大の収益をあげたのは、やはり都内環状自動車道。


「バスウエーの事故は減らない」(2010年3月4日)
首都トランスジャカルタバス通称バスウエイでの事故は増加の一途。都庁交通局データでは、2005年以降のバスウエイ事故の状況が次のように示されている。
年: 死者/怪我人/物損件数
2005: 0/8/4
2006: 8/15/5
2007: 7/28 /37
2008: 13/42/112
2009: 12/41/167
(ただし2009年は12月中旬現在のもの)
2010年は第9ルート(ピナンランティPinang Ranti〜プルイッPluit)と第10ルート(チリリタンCililitan〜タンジュンプリウッTanjun Priok)の運行がはじまる予定になっているが、交通網拡大はよいとしても事故の拡大はご免こうむりたいもの。


「飛行機がいちばん安全な乗り物」(2010年3月5日)
公共交通機関の事故補償を行なっている国有事業体PTジャサラハルジャが定期航空会社15社とその乗務員を表彰した。2009年の航空機事故クレームが少なくなることに貢献したというのが表彰の理由。表彰を受けた航空会社はバタビアエアー・ガルーダ航空・ライオンエアー・インドネシアエアエイシア・カルスター・インドネシアエアトランスポート・スリウィジャヤエアー・マンダラ航空など。
ジャサラハルジャ代表取締役は、航空機事故クレームの補償金額が全交通機関のうちで一番小さく、航空機はもっとも安全な公共輸送機関である、と語っている。


「衝突回避に急ハンドルを切る飛行機?!」(2010年3月5日)
2009年5月7日付けコンパス紙への投書"Penumpang AirAsia Panik Terguncang"から
拝啓、編集部殿。去る4月4日土曜日、わたしたち4人はジャカルタからシンガポール行きのエアエイシアに乗りました。飛行機が離陸したのは午前8時ごろです。それから一時間後、晴天の下を飛行中の機体は突然大きく揺れたかと思うと数十秒間急降下を続けました。乗客はみんなパニックに陥り、手を取り合い、祈りました。恐怖の叫び声をあげたひとたちもいます。
しばらくしてから飛行機は平常に戻りましたが、それも長く続きませんでした。いぜんとしてよく晴れた天候下で、またまた飛行機は急降下したのです。乗客の恐怖の叫び声がふたたびこだましました。何秒か後に飛行機はまた平常に戻りましたが、乗客の中には目を開こうとしないひとがいましたし、同行の家族を抱きしめているひともいました。
気象の障害があったためにエアトラフィックコントローラーからの連絡を受け洩らしました、というアナウンスが機内に流れました。しかしわたしが見ていたかぎりでは天気は快晴であり、そしてもしその操縦が衝突回避のためだったとしても、接近してくる他の飛行機もありませんでした。わたしたちには本当の理由がはっきりと理解できません。
着陸はスムースに行なわれました。全員が無事にシンガポールに着いたのです。空港に着いてもほとんどの乗客はすぐ飛行機から降りようとしませんでした。それぞれのグループが集まって無事到着したことの祝福を祈っていたのです。わたしはあの血の凍るような操縦に関する説明をエアエイシアに求めます。[ ジャカルタ在住、アジ・ベクティ ]


「超高速弾丸鉄道計画」(2010年3月6日)
ジャカルタのスカルノハッタ空港からバンドンを経てチレボンに至る357キロを1時間で走破する超高速弾丸鉄道建設の企画が進められている。200人乗り車両を時速400キロで走らせる水素を使った高速鉄道構想Hydrogen Hi-Speed Rail Superhighway通称HyRailがそれ。
この鉄道はチュンカレンのスカルノハッタ空港からジャカルタ市内を経てデポッ(Depok)〜ボゴール(Bogor)〜スカブミ(Sukabumi)〜チアンジュル(Cianjur)〜バンドン(Bandung)〜スムダン(Sumedang)〜クルタジャティ(Kertajati)(マジャレンカMajalengka)〜チレボンというルートを走る。現在のフセイン・サストラヌガラバンドン国際空港がマジャレンカのクルタジャティに移転するという計画を先取りして、この鉄道の停車駅にはクルタジャティも含まれている。これまで5時間かかっていたジャカルタ〜チレボン間が1時間に短縮されるというのは国内公共輸送にとって大きな福音だ。
この構想はアメリカ・ドイツ・マレーシアの15社がコンソーシアムを組んで進めているもので、運通省鉄道総局長さえ今年に入ってはじめて知ったものである由。全国商工会議所シンガポール委員会委員長は、その構想は2009年半ばにシンガポールで湧き起こった、と経緯を物語る。その構想を実現に持っていくために外国企業11社が2009年12月1日にクアラルンプルで相互覚書を交わし、更に4社がそのコンソーシアムに加わって2010年1月4日に相互覚書に調印した。このコンソーシアムを構成する15社とは、Aon Risk Service Inc., Aqua-PhyD Inc., Aruna Solutions, Asian Energy Limited, Tricap Group, Copernicus International, eCompass Group, Fidelity National Financial, Global Green Management, McGladry Pullen, Modularthtegrated Technologies, Overmeyer Planen+Beraten, Pembinaan Aktif Gemalang, The Interstate Traveller Company, TUM Geotechnical Research。 鉄道総局長によれば、政府はスカルノハッタ空港と都内鉄道網を結ぶ空港鉄道建設ならびにジャカルタ〜スラバヤ超高速列車の企画を持っており、それらはハイレールによるルートとほぼ同じところを通る。ともあれ、インフラ充実整備を進めているインドネシア政府はその民間投資による弾丸鉄道を歓迎するものであり、西ジャワ州を中心にジャカルタとバンテン州の地域開発に貢献するものであることから、各州政府と企画を十分に練り上げて投資申請が出されるよう希望する、とコメントした。
投資予算30億ドルで完成予定2012年というこの超高速弾丸鉄道は、わずか2年で本当にできるのかと危ぶむ声もあるとはいえ、建設単価は通常の鉄道建設より廉価であり、昔から政府が基本方針としてきた公共サービス料金の超廉価方針と折り合いがつくならこれがインドネシア最初の公共鉄道輸送民間事業として実現するかもしれない。


「床に寝る贈賄乗客」(2010年3月8日)
2009年5月6日付けコンパス紙への投書"Angkatan di Kereta Api Kelas Eksekutif"から
拝啓、編集部殿。2009年4月19日夜7時、わたしが中部ジャワ州クトアルジョから乗ったジャカルタのパサルスネン行きサウンガリウタマ号でたいへん不愉快な体験をしました。
わたしは自分が買った乗車券に従って、エグゼキュティブクラス車両の座席に座りました。最初車内は整然としていました。徘徊する物売りもおらず、車内で立っている乗客や通路にござを敷いて寝転がる乗客もいません。夜半1時ごろ、列車はチレボン駅に停まりました。すると突然十数人が前部扉から車内に入ってきたのです。わたしが乗っている車両は列車の最前部で機関車のすぐ後でした。かれらは挨拶もなく、失礼とも言わず、許可も求めず、遠慮会釈なしに通路やイスの下に新聞を敷いて横になりました。エグゼキュティブ車両とは名ばかりの、まるで難民列車に早変わりです。正規の料金を払って乗っている者にとってこれはまったく不愉快な光景です。
列車がチレボン駅を発車して数分してから、国鉄職員の制服を着たひとが前部扉から入ってきて床に寝ているひとびとを起こしてまわりました。するとかれらは迅速に反応して国鉄職員に何かを渡したのです。そこで授受されたものが何だったのかわたしにははっきりわかりませんでした。その職員がわたしの傍に来たとき、わたしは即座に質問しました。「エグゼキュティブ車両内にあんな乗客がいていいんですか?」
すると職員はわたしの耳元にささやきました。「マス、われわれもたいへんなんだよ。かれらは軍人だから。」[ ジャカルタ在住、ムシャファ ]
2009年5月14日付けコンパス紙に掲載された国鉄からの回答
拝啓、編集部殿。チレボン〜ジャカルタ間でサウンガリウタマ号エグゼキュティブ車両を利用されたさいに国軍軍人と思われる不良乗客がござを敷いて床に寝ていたために他の乗客が不愉快な思いをされたというムシャファさんからの投書について、その出来事に関してまずお詫び申し上げます。当方は今後国軍や他の関連機関と調整をはかり、類似の事件が将来再発しないようにする所存です。当方は快適さ・安全さ・時間厳守といった面で鉄道利用者によりよいサービスを提供するよう、常にこころがけております。[ 国鉄チレボン第?操車区広報担当、ルディ・エフェンディ ]


「スカルノハッタ第3ターミナルにはポーターがいない」(2010年3月11日)
2009年5月16日付けコンパス紙への投書"Terminal 3 Tanpa Portir"から
拝啓、編集部殿。2009年4月23日、わたしは娘と2歳の孫がスラバヤへ行くのを送ってスカルノハッタ空港第3ターミナルを訪れました。幼児を連れてたくさん荷物を持った乗客にとってとても不便なことがあるのがそのときにわかりました。それはつまり、第3ターミナルにポーターがいないということです。見送り人がチェックインエリアに入れてもらえないのは第1第2ターミナルと同じですが、しかし第1第2ターミナルにはポーターがいるという点が大違いなのです。
乗客が荷物のある高齢者だったり、あるいは幼児を抱えた女性だったりしたなら、たいへんな苦行を強いられることになるのは明らかです。空港運営会社アンカサプラはどうして外国の空港を見習おうとしないのでしょうか?たとえばシンガポールのチャンギ空港では、見送り人がチェックインカウンターまで入って行けます。この問題についてわたしは第3ターミナルの使用が始まる以前から、第1第2ターミナルの問題点ということでアンカサプラに苦情していますが、利用者のそんな苦情は一顧だにされません。
ところが特定政府機関のシンボルを身に帯びてサファリを着用し、怖そうな態度で押しかけてくる人間が長い待ち行列を無視して中に割って入ってきたなら、係員はまるで見て見ぬふりです。高官職者は旅を行なうさいに直面する困難事を体験したことなどないでしょう。すべて配下のプロトコル担当者がアレンジし、本人はただ身体をそこに持っていくだけなのですから。[ ボゴール在住、スサント ]


「お客のわがまま通りさせるのが最高のサービス」(2010年3月12日)
2009年11月9日付けコンパス紙への投書"Menggunakan Ponsel di Lion Air"から
拝啓、編集部殿。2009年10月18日にわたしははじめてジャカルタからパレンバンにライオンエアーで飛びました。とても楽しい体験など期待できないことは最初から予測していましたが、安全性については妥協することができません。
わたしがこれまで利用した航空会社ではフライトのたびに乗務員がキャビンで携帯電話を使用している乗客に注意を与えていましたが、ライオンエアーの機内では違っていました。乗客が携帯電話を使っていても、乗務員は我関せずです。テークオフ前の機内アナウンスでは座席の背もたれを元の位置に戻すよう指示を出しますが、おかしなことにわたしの隣の乗客が背もたれを倒すのを手伝ってくれと乗務員に言うと、乗務員は言われたとおりそれを手伝うのです。これからテークオフだというときに。
パレンバンに着陸する直前、乗客は座席ベルトを締めたまま機体が完全に停止するまで座席にすわっていてくださいという指示が機内アナウンスされますが、おかしなことには着陸後機体が最終停止位置まで移動しているときに小さい子供がイスからおりて通路に立っているのに対して、6メートルほど離れた場所で乗客と向かい合ってすわっている乗務員は何もしようとしないのです。安全をもっと重視することをわれわれは学びたいものです。[ ジャカルタ在住、アプリアントン・シマトゥパン ]


「ガルーダ航空スペシャルオファー」(2010年3月15日)
ガルーダ航空が春(あるいは秋)の良い旅行シーズンにあわせて、ジャカルタ発アジア・オーストラリア諸都市行きの格安航空券をオファーしている。予約と利用期間はともに2010年1月14日から2010年6月14日までで、ひとり分エコノミークラス往復航空券が下の料金で購入できる。注文は旅行代理店あるいはガルーダ航空チケット販売窓口で。
Singapore/USD170-から
Kuala Lumpur/ USD195-から
Bangkok/ USD245-から
TokyoNagoyaOsaka/ USD620-から
Beijing/ USD579-から
Shanghai/ USD560-から
HongkongGuangzhou/ USD375-から
Seoul/ USD590-から
Perth/ USD399-から
SydneyMelbourne/ USD610-から


「駐車場は盗まれた車の賠償を支払え」(2010年3月19日)
中央ジャカルタ市ウィスマヌサンタラの駐車場に置いたホンダCRVが姿を消した事件で、駐車場管理者セキュアパーキングとビル管理者PTウィスマヌサンタラを相手取って損害賠償を要求する民事訴訟を起こした市民に中央ジャカルタ地方裁判所は勝訴判決をくだし、要求金額より低い賠償額を支払うよう被告二社に命じた。
原告アンディ・チャンドラはまだローン返済の終わっていない自分の車が紛失したのは駐車場管理者が預けられた自動車の保全をはかる義務を怠ったからだとして、物質的損害1億1,927万ルピアと精神的損害1億ルピアの賠償を被告に要求した。自動車購入代金は1億8,200万ルピアで、ローン返済途中だったため9,393万ルピアの保険金がおりたものの、差額の8,806万ルピアは原告の損害となる。
この訴訟を裁いた判事団は判決文の中で、駐車場に車を置いた原告は法的に物品預託契約の当事者と見なされ、預託された物品の紛失は駐車場管理者とビル管理者の双方に責任があると表明し、セキュアパーキングに2,400万ルピア、ウィスマヌサンタラに2,200万ルピアの損害賠償支払いを命じた。原告側法律代理人ダフィッMLトビン弁護士はその判決について、「勝訴する確信はなかった。これは今後の類似の事件にとって先例となるものだ。」と述べている。


「太鼓腹には救いのない飛行機」(2010年3月22日)
2009年6月20日付けコンパス紙への投書"Kursi Dekat Pintu Darurat Lion"から
拝啓、編集部殿。2009年6月11日13時半ジャカルタ発バタム行きライオンエアーJT378便を利用したさい、わたしは29Dの座席を与えられました。わたしが29Dの座席に座ると、その背もたれは少し前に傾いていて、普通に座ると身体がうつむき加減になるのです。アームについているリクライニングボタンを押しても背もたれは直立しません。それをまっすぐに立てようとしてわたしはスチュワーデスに手伝うよう依頼しましたが、後が非常扉の通路になっているのでその状態が当たり前なのだという返事が返ってきました。だったらフライトの間中わたしは前かがみで座っていなければなりませんが、そんなことはできません。それで席を換えてほしいと頼みました。後に移って29番シートの並びを観察すると、非常扉のボックスが出っ張っているのに無理してそこに座席が設置されており、座席はふたつしかないのです。前の座席との距離も他の座席より少し狭い感じで、また非常扉への通路に15〜20センチ食い込んでおり、後の座席番号30D−E−Fの列もその通路に20〜25センチ張り出しています。その結果、通路の幅は非常扉自体の幅にくらべて格段に狭くなっています。
わたしが理解しているかぎりでは、旅客機の座席の背もたれは直立できるほかに前にも後にも倒せなければなりません。離陸時と着陸時には背もたれを直立させるようにアナウンスがなされ、スチュワーデスがそれをひとつひとつチェックしていくのが定常プロセスであり、また非常扉に向かう通路には邪魔になるものが置かれてはなりません。
機内のあのような座席の配置は、緊急事態が発生して非常扉が使われる際の安全基準をクリヤーしているのでしょうか?航空行政監督官庁はその機体を正式に承認したのでしょうか?[ バタム在住、ハロモアン・パンジャイタン ]


「電車ドアの近くはアブナイ」(2010年3月26日)
2009年6月14日付けコンパス紙への投書"Penjambret Leluasa di KRL"から
拝啓、編集部殿。2009年5月28日、わたしは妻と南ジャカルタのトゥブッ(Tebet)駅からデポッ(Depok)のデポッバル駅まで近郊鉄道のノンエアコンエコノミー電車を利用しました。ところがわたしたちの乗った車両はドアが閉まらず開きっぱなしです。南ジャカルタのカリバタ駅を電車が発車したとき、乗っていたご婦人のひとりが叫び声をあげました。ひとりの若い男がその婦人の装身具をひったくって、まだゆっくり動いている車両のドアから駅のプラットフォームに飛び降りたのです。電車のスピードは徐々に上がっていくので、その引ったくりを捕えるためにプラットフォームに下りようとするひとはいません。おまけにどの駅のプラットフォームにも警備員の姿がまったく見当たらないのです。その結果、一仕事終えたひったくりは悠々と歩いて駅の外へと去って行きました。
ノンエアコンエコノミー電車に乗る際には身に付けている装身具をはずし、そしてドアの近くに立たないよう特にご婦人方に注意したいと思います。鉄道当局に対しても、検札係員のほかに警備員も乗務させるようにしてほしいと要望します。[ デポッ在住、スプリヨ・スバギオ ]


「兵隊警官は避けるべし」(2010年3月30日)
2009年6月10日付けコンパス紙への投書"Perilaku Aparat Pengemudi Mobil Dinas Memprihatinkan"から
拝啓、編集部殿。2009年5月24日15時45分ごろ、わたしは会社の同僚と一緒に東ジャカルタ市パサルボ(Pasar Rebo)のメトロ前からエクスプレスタクシーに乗りました。わたしは助手席に座り、友人ふたりは後部座席に座ります。行く先はデポッ(Depok)市シンパガン(Simpangan)で、道路の交通は順調に流れているのでタクシーも快速で走ります。
ところが16時5分ごろチマンギス地区で警察機動旅団のトラックが左側車線を追い上げてきてタクシーを追い抜こうとしました。トラックには制服を着た機動旅団員が何人か乗っています。トラックは右側車線を走っているタクシーの前に出ようとしているのでわたしはタクシー運転手に、先に行かせてあげましょうと言いました。そのトラックは右側車線に入って走り去りました。そしてしばらくしてから、クラクションも鳴らさないで機動旅団のトラックがもう一台、突然タクシーの左側に迫ってきたのにわたしは驚きました。トラックはタクシーの左側にほとんど距離を開けず、タクシーは右側の中央分離帯に阻まれてトラックから距離を取ることができません。このトラックもタクシーの前に出ようとして、ついにタクシーの左側に接触し左のサイドミラーを折りました。トラックとタクシーは停車し、タクシー運転手が車から降りて機動旅団のトラックのほうに向かいます。わたしと後に座っていた友人のひとりが運転手の後につきました。機動旅団トラック運転手はタクシーがコンボイの通過を邪魔したと言いましたが、わたしにはそれがコンボイでないことが明らかです。コンボイであれば先導車がサイレンを鳴らして一般通行車に道をあけるよう促します。そのトラックは後方から追い上げてきてタクシーに警告も与えず追い抜きをかけただけなのです。トラック運転手の行為はタクシーに損傷を与えただけでなく、タクシー乗客の安全を脅かす危険な行為だと、わたしはトラック運転手を非難しました。ところがそのトラックに乗っていた機動旅団のひとりがこう返事しました。「もういいでしょう。状況をかきまぜないように。あなたは無事だったんだからそれでいいでしょう。」[ デポッ在住、フリダ・エルフィナ ]


「バンドン〜ジャカルタ2時間半、ゴキブリとの旅」(2010年4月1日)
2009年6月13日付けコンパス紙への投書"Mobil Cipaganti Tidak Higienis"
拝啓、編集部殿。2009年5月24日14時、わたしはバンドンBTCプールから中央ジャカルタのチキニプールまでチパガンティシャトルサービスを利用しました。ところが車(KIAトラベロ、プレート番号D7533DG)に乗り込んだとき、車内がゴキブリだらけなのに驚きました。わたしは運転手にも乗客をチェックする係員にもそのことを苦情しましたが、キモチ悪いゴキブリをなくしてくれるような対応がなされません。かれらが行なったのは車内に殺虫スプレーを噴霧しただけで、車内を清掃するようなことは何もしないのです。その結果バンドンBTCからチキニまでの2時間半、わたしは車内を這い回るゴキブリとの旅を我慢しなければなりませんでした。わたしはチパガンティの常連客ですが、顧客が乗る車をゴキブリだらけにして放置しているチパガンティのサービスにはまったく失望しました。運転手はその車が予備車両であって急遽レギュラー車の代わりに出されてきたので清掃する時間がなかったのだと説明しましたが、予備車両だから乗客はゴキブリと一緒に旅してください、という言い訳は通りません。乗客を乗せる前にその車は清掃がなされるのが当たり前であり、清潔であるかどうかのチェックもしないで使うようなことがあってはなりません。[ バンドン在住、ジョイス ]


「国際ターミナル荷物ピックアップ場にスリ」(2010年4月3日)
2009年7月1日付けコンパス紙への投書"Copet di Lokasi Bagasi Bandara"から
拝啓、編集部殿。2009年6月22日、わたしはドゥバイからエミレーツEK356便でスカルノハッタ空港に到着しました。乗客の三分の一は中東地方への海外出稼ぎ女性たちだったようです。バゲージがコンベヤで出てくるのを待っているとき、わたしは自分の財布を取り出そうとしてそれがポケットにないことに気付きました。わたしは空港サービスに届け出て、機内の私が座っていた座席もしくはその周辺に財布が落ちていないかどうか調べて欲しいと依頼しました。しばらくしてから連絡があり、わたしの座席とその周りに財布は見当たらないという返事でした。
そのとき、わたしが財布を取り出そうとした少し前にバゲージを取ろうとするひとたちがわたしの周りで押し合いしたことに思い至ったのです。同じ飛行機の乗客同士がしたこととそのとき思っていたのですが、よくよく思い返してみるとそれはポーターの制服を着た者や海外出稼ぎ女性送迎会社の者たちで、かれらが帰国した出稼ぎ女性のバゲージを取ろうとして押し合ったような印象でした。
わたしのその財布にはかなりのドルとユーロそしていささかのルピアが入っていました。スカルノハッタ空港でバゲージを待っている乗客はそんな場所にもスリがいるということを忘れないでください。そして空港保安当局は、われわれの誇る国内随一の国際空港からスリを完全に排除するようにしてください。[ タングラン在住、ジョハン・ブラタ ]


「シリアスな伝言ゲーム」(2010年4月8日)
2009年7月31日付けコンパス紙への投書"Penumpang Garuda Tidak Terdaftar"から
拝啓、編集部殿。わたしはガルーダ航空乗客で、7月17日にバリッパパンからジャカルタ経由ポンティアナッに友人とふたりで向かいました。バリッパパン13時55分発GA517便は15時ちょうどのジャカルタ着で、15時40分ジャカルタ発ポンティアナッ行きGA504便に接続するというスケジュールです。たまたまバリッパパンからはA330−200型機がはじめて使用されるフライトでした。
ところが機内に入ってから1時間近い出発遅れが発生したのです。それは機体整備上の問題でもなんでもなく、乗客名簿に名前のない者がふたり搭乗券を持って機内にいることが判明し、そのふたりの人間とかれらが預けたバゲージを機外に出すために探すのに手間取ったからでした。
接続機に乗り遅れるのを心配したわたしたちはスチュワーデスに、すぐに機長に連絡して機長からガルーダ航空にポンティアナッ行きGA504便の出発を5分ほど遅らせるよう頼んで欲しい、と依頼しました。GA517便の到着予定時刻がGA504便の出発予定時刻と同じになってしまったからです。スチュワーデスも乗務員も、「もう連絡したので心配いりません。ジャカルタに着いたらすぐポンティアナッ行きに乗り換えますから。」とわたしたちを慰めました。
確かにわたしたちはスカルノハッタ空港ですぐに空港職員に迎えられ、他の乗客より先に機外に出てGA504便に向かって走りました。ところがわたしたちの目の前でGA504便は、トランジット客の到着を待たずに扉を閉め、滑走路に向かう態勢を取ったのです。GA517便の機長がGA504便の機長に連絡してくれるという口約束はどこへ蒸発してしまったのでしょうか?それともあれは機内乗務員たちのお芝居だったのでしょうか?[ 西カリマンタン州ポンティアナッ在住、リアディ・マスダヤ ]


「ガルーダのアムス向け半額オファー」(2010年4月18日)
ガルーダ航空が2010年6月からのジャカルタ〜アムステルダム線再開を記念してBuy 1 Get 1 Free特別販売をオファーしている。料金はひとりエコノミークラス1,450ドル、エグゼキュテイブクラス4,620ドルから。このオファーは2010年4月8日から5月15日までの航空券購入に対して有効で、またトリップ期間は2010年6月2日から30日までとなっている。上の航空券料金には、燃油サーチャージ・保険料・タックスが含まれてない。
ジャカルタ〜アムステルダム線のフライトスケジュールは次の通り。
GA88 ジャカルタ21.10〜ドゥバイ02.00 デイリー
     ドゥバイ03.15〜アムステルダム08.00+1 デイリー
GA89 アムステルダム11.00〜ドゥバイ19.30 デイリー
     ドゥバイ20.30 〜 ジャカルタ07.55+1 デイリー
使用機種はA330−200でエギゼキュティブクラス36席、エコノミークラス186席、エグゼキュティブクラスシートは180度フラットベッドタイプとのこと
ガルーダ航空24時間コールセンターは電話0 804 1 807 807 または(021)2351−9999。


「スカルノハッタ空港着陸時にあわや・・・・」(2010年4月18日)
2009年7月13日付けコンパス紙への投書"Pengawas Lalu Lintas Udara Bandara Bermasalah"から
拝啓、編集部殿。2009年7月6日、わたしと妻はバタムのハンナディム空港からエアエイシアのB737型機でスカルノハッタ空港へ飛びました。QZ7557便はバタムを17時15分に飛び立ち、18時30分ごろ機長が間もなく着陸するとアナウンスしました。定例の着陸態勢を取った機は機内の明かりを暗くし、機体の速度は低下し、ターボファンの響きはほとんど聞こえなくなり、機体はどんどん高度を下げていきます。外は真っ暗で地上の灯りがちらほら見え、それらの灯りが徐々に近付いてきました。すると突然ターボファンの音が高まってうなりを上げたのです。54年前に空軍ダコタC−47機を皮切りに数百回の飛行を経験してきたわたしは妻に、着陸とりやめだ、と言いました。
その言葉どおり機体はターボファンのうなりと共に上昇を開始し、数秒後に機長がインドネシア語で「別の飛行機が滑走路にいるため着陸が撤回された」とアナウンスし、続いて英語でのアナウンスを繰り返し「アボーティッド」という言葉を使いました。これはわたしたちの乗った飛行機がきわめて危険な状況にあったことを意味しています。わたしの知識では、空港に着陸するためにやってきた飛行機は空港から50キロ圏内に入ると百パーセント航空管制官のコントロール下に入ることになっています。航空管制官が着陸を指示すると、機長は着陸操作を行なうだけなのです。つまりエアエイシアQZ7557便の着陸誘導についてスカルノハッタ空港航空管制官は、滑走路に他の飛行機がいるにもかかわらずエアエイシア機に着陸を指示したことが疑われます。別の見方をするなら、QZ7557便に着陸指示を与えておきながら、どうして別の飛行機に滑走路内への進入を許したのかという言い方もできるでしょう。
空港では到着機が優先されるというルールになっていたのではありませんか?QZ7557便はおよそ20分間上空で旋回を続けたのです。[ ジャカルタ在住、スヨノ・エンドロプトロ ]
2009年7月18日付けコンパス紙に掲載された空港運営会社からの回答
拝啓、編集部殿。2009年7月13日付けコンパス紙に掲載されたスヨノ・エンドロプトロさんからの、滑走路に別の飛行機がいるにもかかわらずスカルノハッタ空港航空管制官がQZ7557機に着陸指示を与えたのは糾明されなければならないという内容の投書に関して、次の通り説明申し上げます。
到着機が着陸しようとしている滑走路に別の飛行機がいたという事態は、定められたSOPに従って航空管制官が行なったプロセスによるものです。すべて規定どおりのプロセスが踏まれ、航空安全を優先的に配慮する航空管制官の指示によってQZ7557便は着陸を急遽取り止めて上空待機となりました。
SOPに従えば、テイクオフ指示を出発機に出した場合、次の着陸機との間に7NML以上の距離をあけることが定められています。QZ7557機はそのとき8NMLの距離にあったので着陸指示が出されました。ところがテイクオフ指示を受けた航空機がすぐに離陸しなかったのです。そのため航空管制官は滑走路上の航空機に対するテイクオフ指示を取り消し、さらにQZ7557便に対しても着陸不可の指示を与えました。
滑走路との間隔が7NMLを切ってしまい、そして着陸不可指示を受けたためにQZ7557機は上空旋回に戻りました。それらの経緯は航空安全を優先するSOPの規定に即したものです。今回起こったようなできごとは近年稀なものになりました。そのとき離陸しようとしていたのはA319型機であり、最近の航空機は離陸態勢に入るとすぐに飛び立って行きます。[ PTアンカサプラ?企業秘書、スダルヤント ]


「電車のドア近くに座るのは危険」(2010年4月21日)
2009年8月22日付けコンパス紙への投書"Penjambret Kalung Penumpang Kereta Api"から
拝啓、編集部殿。わたしはジャカルタのコタ駅からタングランまではじめて鉄道を使いました。2009年6月1日(土)13時15分に三歳の甥とその母親と一緒にはじめて鉄道に乗ったのです。駅構内にいた鉄道職員にわたしたちの乗るべき列車を確かめたところ、2番線だと教えてくれました。そしてドアの近くには決して座らないよう気をつけろ、とも。
2番線の列車が出発まぎわだったので、わたしたちは走りました。みんなはじめての体験に心弾ませています。列車はコタ駅を出てバンダン駅に入りました。三人でふざけあって夢中になっていると、突然わたしの黄金製ネックレスがひったくられたのです。わたしは「ひったくり、ひったくり・・・」と叫びましたがだれも手を貸そうとしません。そうして検札係員が4人やってきたのでわたしが被害を届け出ると、「さっき扉の近くに座るなと注意したでしょうが・・・」と言っただけで、ショックと悲しみで手足がこわばっているわたしを残して去っていきました。でもわたしは他の乗客の中に混じっていたのです。
3分ほどしてから別の鉄道職員が通りかかったので被害を届け出、その職員はすぐにバンダン駅に電話して事件を連絡してくれました。タングランに着くまでその職員はわたしたちに付き添い、他の乗客にひったくり犯人の特徴を尋ねたりしました。タングラン駅に着いて警備係に事件を届け出ると、コタ駅に届け出てくれと言われてがっかりしました。車内の物売りたちはその犯人がバンダン駅周辺に住んでいることを知っており、鉄道職員が真剣にこの問題に対処したなら犯人はすぐ捕まえることができたはずです。[ タングラン在住、ソフィ・アンドリアニ ]


「違反者を作り出すシステム」(2010年4月23日)
2009年8月22日付けコンパス紙への投書"Naik Kereta Api Argo Sindoro"から
拝啓、編集部殿。2009年8月9日夕刻、わたしはジャカルタのガンビル駅からスマランのタワン(Tawang)へ行くためにエグゼキュティブ列車アルゴシンドロに乗りました。いつもどおり発車前にアナウンスがあり、アルゴシンドロはトゥガル(Tegal)・プカロガン(Pekalongan)・タワンでしか降車できないことが案内されました。ダイヤ通りアルゴシンドロはトゥガルで乗客を降ろしました。ところが列車が動き出すと大人4人のグループがいそいで荷物を手にし、2号車に移ろうとしたのです。列車乗務員とかれらの間で対話がはじまり、ほかの乗客の興味をそそりました。
「どこへ行くんですか?」と乗務員。
「プマラン(Pemalang)で下りるんだ。」グループのひとりが答えます。
「アルゴシンドロはプマランに停まりません。次の停車駅はプカロガンです。座席に戻ってください。」
グループは一瞬沈黙しますが、ひとりがこう言いました。
「われわれはプマランで降りる常連なんだけど。」
常連という言葉を聞いて乗務員は言いました。
「だったら食堂車で待っててください。」
わたしはエグゼキュティブ列車アルゴシンドロがどこでも停まって客をおろすと批判しているのではありません。しかしアルゴシンドロがプマランでおよそ1分間停車するのが1号車と2号車のステップからはっきりとわかります。そのときプマラン駅には逆方向にスマラン発ジャカルタスネン行きエコノミー列車タワンジャヤが停車しているのです。
奇妙なのは、ジャカルタからの列車を長い間待っていたタワンジャヤより先にアルゴシンドロが発車したことでした。多数の列車が動く時間帯では、その中のひとつが停まれば他の列車がすぐに動くというのが理屈ではないでしょうか?アルゴシンドロはそのとき予定よりおよそ1時間も遅れて到着したのですから。[ クドゥス在住、ブリット・スギタ ]


「死に急ぐ民族?!」(2010年4月27日)
首都警察管区に入るジャカルタ・デポッ・タングラン・ブカシでの交通事故死亡者は過去4年間1千人のレベルにある。2006年1,028人、2007年999人、2008年1,169人、2009年1,071人で、1千人台が続いていると言っても過言であるまい。
交通事故死亡者の低下傾向はまったく見当たらず、二輪車ドライバーの傍若無人でエゴイスチックなビヘイビヤは変化のきざしもなく継続している。交通事故発生の元凶が社会性を持たない人間のビヘイビヤによるものであることが実証されている。


「航空会社は強い」(2010年4月27日)
2009年7月6日付けコンパス紙への投書"Lion Air Pingpong Penumpang"から
拝啓、編集部殿。2009年6月21日、わたしはジャカルタからライオンエアーでマナドへ行く予定でした。出発時間は18時35分で、わたしは17時10分にスカルノハッタ空港に着き、チェックイン窓口9番に並びました。ところが窓口係員はわたしに24番窓口へ行くように言い、24番窓口で並ぶと次は12番窓口へ行くように言われました。マナド行きのチェックインは12番だと言うのです。あっちへ行けそっちへ行けとピンポン玉にされてくたびれた挙句、12番窓口で今度はチケット販売窓口へ行くように言われました。時間はもう18時25分になっています。
チケット販売窓口係員は軽い口調で、飛行機はもう出発したと言いました。わたしがビックリしてドギマギしているとライオンエアーの現場マネージャーに会うよう言われました。ハフィスというその現場マネージャーはわたしのミスだと怒るように言うのです。わたしは75分間もチェックイン係員にピンポン玉にされたのだと言いました。するとかれは命令口調で三つのうちのひとつを選べとわたしに言いました。ひとつは航空券料金の50%を払って6月22日午前5時発のフライトの空席待ち乗客となること、もうひとつは110万ルピアを払って新しい航空券を買うこと、そして三つ目はどこか他の航空会社を探せ!ライオンエアーは乗客で一杯だからとでも言うのでしょうか?[ マナド在住、触れんキー T ]


「ガルーダがジャカルタ〜成田直行便」(2010年4月28日)
日本航空が運航していた成田〜ジャカルタ線直行便をガルーダ航空が引き継ぐ構え。ガルーダ航空はこれまでジャカルタ〜成田間をデンパサル経由で運航していたが、それに加えてジャカルタ〜成田ダイレクトフライトを2010年11月から飛ばす意向であることを明らかにした。ジャカルタ〜成田直行便は当初週三便とする考えで、直行便開設はインドネシア政府運通省から既に許可を得ており、今は日本政府からの許可を待っているところだとガルーダ航空広報ヘッドは語っている。直行便は座席数およそ3百のエアバスA330−200型機が使われることになっている。
ガルーダはさらに成田〜デンパサル線も便数を増やす考えで、現在デイリーの週7便をどのように増やすかの検討に入っている。


「乗客に怪我させるバスの運転」(2010年4月29日)
2009年8月10日付けコンパス紙への投書"Ulah Sopir Bus, Tulang Pinggul Perempuan Patah"から
拝啓、編集部殿。2009年7月22日(水)18時半ごろ、51歳の妻はチャワンから都バスでパンチョランに向かいました。乗ったのはPPDルート番号46(カンプンランブタン〜グロゴル線)です。MTハルヨノ通りのグラエル向かい側パンチョラン交差点手前で妻はバスを降りようとしました。そのときバスの進路前方には別の都バスが停まっていました。
妻の乗ったバスはその別のバスの後に停まるべきでしたが、先に止まっているバスの前に出ようとしたのでしょう、バスはその後に停まらず横に並びました。妻が降りるとき、車掌は左足から先に路面に着けるよう言いました。妻が左足を降ろして路面を踏もうとしたとき、そのバスは停まろうともせず、それどころか加速したのです。その結果妻は路面に投げ出されて横転し、道路中ほどの路上に座り込んで立ち上がれなくなりました。
周囲にいたひとたちが運転手に責任を取らせるためにそのバスを止め、妻をまた車内に運び上げました。バスはグロゴルに向かって動き出します。パンチョランからどんどん離れて行くので妻は降ろしてくれと頼み、クニガン交差点前でふたりのひとに抱え降ろしてもらいました。右足がまったく動かないのです。降ろしてくれたひとのひとりは親切にもタクシーを拾い、パンチョランに戻って夫のわたしまで届けるよう運転手に指示してくれました。わたしは妻を迎えてから、トゥブッ病院へ向かいました。
タクシー料金を払おうとすると運転手は、バスの運転手がもう払った、と言いました。乗客を怪我させたバス運転手の責任はそれだけなのですか?X線検査の結果、右側坐骨結節部が折れており、人工結節に付け替える手術をしました。妻は終生その身体で生きていくわけです。妻はそのバスのプレート番号を知りませんし、運転手の名前も知りません。そのときひとりでバスに乗っていたし、痛みでそんなことに気を配る余裕もなかったのです。[ ブカシ在住、フマラ・シトンプル ]


「スカルノハッタ空港駐車場はアブナイ(その1)」(2010年5月3日)
2009年11月6日付けコンパス紙への投書"Parkir Bandara Soekarno-Hatta Tidak Aman"から
拝啓、編集部殿。弊社の運転手が2009年10月11日に海外出張から戻ってきた弊社の外国人マネージメントを迎えにスカルノハッタ空港へ行きました。運転手がバゲージを車まで運んでいるとき、その手伝いをするようなかっこうで男たちが5人ほど運転手の後をついて駐車場に置いてある車のところまで行きました。運転手はかれらを拒みましたが、それで素直に言うことを聞くようなものではありません。
車に着くとかれらは車のドアを開いてマネージメントにどうぞお入りくださいというしぐさをします。運転手はバゲージを車のトランクルームに入れましたが、かれらのひとりはわざと頭の一部をトランクの中に差し込んで運転手が扉を閉められないように妨害し、別の者はマネージメントに面と向かって金をくれと要求しました。マネージメントはきっぱりそれを拒否しました。
一国の首都の国際空港で、世界に向けて開かれている国の表玄関で、そんな行為が繰り広げられているなんて、実に怖ろしいことではありませんか。車に何かわるさをされるのではないかという不安を抱きながらも、運転手もかれらにはっきりと拒否を表明しました。
会社の運転手が10月20日に日本から来た出張者を迎えに行ったときも類似のことが繰り返されました。やはり数人の男たちが、手伝うようなかっこうをして金を要求したのです。スカルノハッタ空港到着ターミナル付近の駐車場で獲物を狙っているかれらを空港当局は排除してください。かれらは夕方から夜中にまで徘徊しています。[ ジャカルタ在住、ジュリア・レッナデウィ ]


「スカルノハッタ空港駐車場はアブナイ(その2)」(2010年5月4日)
2009年8月30日付けコンパス紙への投書"Parkir di Bandara Soekarno-Hatta"から
拝啓、編集部殿。2009年7月16日、わたしは妻と三歳未満の幼児ふたりを連れてパレンバンへガルーダ航空で出発するため、スカルノハッタ空港2Fターミナルへ行きました。
子供たちのためのものもあって、荷物はたいへんな量です。ブルーの制服を着たポーターが何人かトローリーを押しながら近寄ってきて、チェックインが終わるまで荷物の世話をするとオファーしてきたので、わたしは疑念を抱かずにふたりのポーターに荷物を頼みました。チェックインが終わってわたしが5万ルピアをふたりに報酬として渡したところ、かれらは追加を要求しました。ストランのためだと言うのです。いつまでもかかずらわっているのが嫌だったので、わたしはふたりに追加を渡しました。
一週間後、わたしたちはスカルノハッタ空港2Fターミナルに戻ってきました。今度は駐車場の車のところまで自分でトローリーを押していこうと決めました。迎えに来た運転手は、到着ゲート出口や道路を渡った自家用車乗り場にはポーターが大勢いると言います。ともあれ運転手と妻と三人でトローリーを三つ押してわたしたちは駐車場へと向かいました。車に着くまで何人もがトローリーを押してあげようとオファーしてきましたが、わたしたちはすべて無視しました。車に着いてトローリーから荷物を移そうとしたとき、突然見知らぬ男たち数人がトローリーを取り囲んで荷物を車に入れようとしたのです。かれらはターミナルポーターのような制服を着ていません。
わたしはかれらの振舞いを拒み、手伝いはいらないと言いましたが、かれらはやってあげるとしつこくサービスをオファーし続け、荷物を持ち上げて見せたりしました。わたしたちはかれらを無視し、荷物を急いで車に移し、かれらが腹立ち紛れにわるさすることをおそれてかれらのひとりに5千ルピアを渡し、トローリーを元に戻すよう頼みました。[ ボゴール在住、プリマ・ディアンシャ ]


「また日本から中古電車の輸入」(2010年5月5日)
国鉄の首都圏コミューター電車は輸送能力を高めるために現在行なわれている8分間隔の列車運行を5分以下に短縮する計画で、そのために車両台数をもう2百台追加することにしている。その一環で国鉄は2010年に日本から中古電車90両を輸入することにした。その第一陣として2010年4月21日夜に10両が北ジャカルタ市タンジュンプリウッ港に到着し、国鉄はその受入を行なった。今年輸入される90両は1980年に日本で作られたもの。
今走っている首都圏コミューター電車は1列車が平均8両で、そのうちの2両は運転用車両になっている。今年90両がすべて到着すれば列車は11両編成となるが、5分以下の運転間隔にするためには25両編成にする必要があり、今年はまだ8分間隔での運行が継続される予定。


「互いに相手に迷惑を与え合うわがまま社会」(2010年5月8日)
2010年2月16日付けコンパス紙への投書"Polisi Tidur Bertambah Menuju Pasar Pulogadung"から
拝啓、編集部殿。北ジャカルタ市クラパガデインティムル住民のわたしは食材を買いに頻繁にプロガドン市場に往復していますが、プロガドゥン市場からメディロス病院に向かう道路にポリシテイドゥル(スピードトラップ)がどんどん増やされているのに悩まされています。2009年12月にその道路が開通して以来、ポリシテイドゥルは増加の一途をたどっているのです。2010年1月末に数えたらポリシテイドゥルは19本あり、それぞれが10〜15メートル間隔で並んでいました。
おまけにポリシテイドゥルの高さは標準から外れたもので、二輪車にとってそれを通過するのは容易なことではありません。その犠牲者のひとりがわたしです。高速でぶっ飛ばす大勢の二輪ライダーに周辺住民が腹を立てて対抗策を講じているのがわからないわけではありませんが、住民が好き勝手にしかも非常に接近してポリシテイドゥルを設けるべきではありません。[ ジャカルタ在住、アグン・スセノ ]


「通勤が交通渋滞の最大要因」(2010年5月10日)
都庁とPTパミトリチプタ社がジャボデタベッ地区で行なった交通状況調査で、職場への通勤が一日734,604トリップで群を抜いて高く、首都圏の交通渋滞は通勤が最大の要因であることが実証された。首都圏住民の目的別トリップ数は次のようになっている。
自宅から職場へ 734,604トリップ
私用 279,079トリップ
通学 221,788トリップ
買物 181,754トリップ
仕事上の用件 127,637トリップ


「小鹿の次は蜂」(2010年5月12日)
流産してしまったカンチル車の記憶はかなり薄れてきているが、今度はタウォン(Tawon)という名のマイクロカーが名乗りをあげた。2010年7月発売が予定されているタウォンは650ccエンジン搭載のマニュアル四輪車で最高時速100キロを出すことができ、ローカルコンテンツは90%に達する。タウォンの生産者PT Super Gasindoはバンテン州ルバッ県ランカスビトゥンに工場を持ち、月産150台の生産能力を持っている。2007年から開発が始められたタウォンはガソリン・圧縮天然ガス方式エンジンを搭載し、ユーロ3排ガス規制をクリヤーする性能で環境汚染に配慮したものになっている。
7月に発売されるのは2機種あり、ハッチバック型はジャカルタのオンザロード価格が4千8百万ルピア、ピックアップ車は4千万ルピアとのこと。PTスプルガシンドはタウォンのターゲット市場として公共運送用三輪バジャイのマーケットに照準を当てているものの、カンチルの先例があるだけに一筋縄では難しいかもしれない。スプルガシンド車は1960年代に農園用や鉱山用トラックを製造して人気を博していた長い歴史を持つ国民系自動車製造会社で、ヌサンタラ自動車産業協会の主要メンバーでもある。
ヌサンタラ自動車産業協会はさまざまなマイクロカー生産者が加盟しており、Arina, Fin Komodo, GEA, ITM, Wakaba, Boneoなどの小型車両を世に送り出しているが、事業活動は局地的なものだ。


「首都バスウエー乗車料金値上げは間近い」(2010年5月12日)
都庁と公共サービス機関トランスジャカルタバスウエイは乗車料金値上げを行なう前にもっと高品質で安定した公共サービスの提供をはかり、ただ補助金を減らしたいがために値上げを行なうようなことはやめよ、と都市交通評議会議長が発言した。都庁は年間2,500億ルピアの補助金が負担になっているとして事業の独立採算を促進させるために乗車料金値上げを計画しており、都議会も値上げに関して賛成という基本姿勢を明らかにしている。
都庁はバスウエイが使っているガス燃料が2010年4月1日から値上がりしたため、乗車料金値上げを早急に行ないたい意向だが、大勢の都民からは自動車関連の税課金収入5.5兆ルピアに対してバスウエイ補助金は問題にならない金額であり、世界中のどの都市でも公共運送に地元自治体が補助金を出しているのは当たり前のことなので、補助金を都民の出費に付け替えることはやめるように、というのが評議会議長の批判だ。バスウエイ乗車料金は午前7時以前の乗車がひとり2千ルピア、7時を過ぎるとひとり3千5百ルピアになる。しかし評議会議長によれば、バスウエーを利用している都民はバスウエールートに至るまでの支出を加えると平均して一日に交通費2万ルピアを負担しているとのこと。
乗車券販売システム・バスウエー専用ルートからの一般車両の排除・燃料用ガス安定供給確保などバス運行事業の確立をはかるために行うべきことはたくさんあり、乗車料金値上げはそれから行なうべきだと都民は料金値上げに反対の姿勢をとっている。


「バスウエーに女性専用車」(2010年5月12日)
バスウエイに女性専用車を走らせるという議論が活発化している。それに関連して交通スタディ学院が1,291人の女性を対象に行ったサーベイで、71人の無回答者を除いて全員が賛成を表明した。521人は安全のため、453人は快適さのため、137人は自由でリラックスできるため、109人は秩序整然となるため、とそれぞれ支持する理由をあげている。


「ひとつしかない扉の出入りはジャングルルール」(2010年5月12日)
2010年2月20日付けコンパス紙への投書"Keselamatan Penumpang di Transjakarta"から
拝啓、編集部殿。2010年2月4日わたしはトランスジャカルタバスに乗ってホテルインドネシアロータリー停留所まで行きました。バスから降りようとしたとき、停留所側の扉はバスに乗り込もうとする乗客でいっぱいになっており、バスを降りる乗客は外へ出るのにたいへんな困難に直面したのです。
バスから降りる乗客はわたしの前にふたりおり、かれらが乗り込もうとしているひとの列をかいくぐって外へ出ていくときわたしもその後に続いていたのですが、わたしの前にいたひとが押されて後ろに下がったため、わたしは停留所の扉とバスの扉の間の隙間に落ちてしまいました。その結果わたしは身体中に擦り傷や打撲を蒙ったのです。
バスには扉がふたつあるのに開閉するのはひとつだけで、その結果バスに入るひととバスから出るひとが衝突してわたしのような事故が起こるのです。わたしは停留所窓口の職員に、どうして扉をふたつ使って入り口と出口を分けないのか、と尋ねてみましたが、明快な答えは得られませんでした。もしそのようになっていれば、わたしの蒙ったような事故は避けられたはずです。バスウエー運営者は乗客の安全にもっと配慮するようお願いします。[ ブカシ在住、クララ・メティ ]


「都内バスの乱脈交通はだれのせい?」(2010年5月13・14日)
首都の街中をわがもの顔で好き勝手に走り、好き勝手な場所で客を乗降させ、混雑している道路状況などお構いなしに好き勝手に客待ち駐車し、他のバスと乗客を奪い合って公道でバスレースを展開し、昼日中に今日の仕事はやめたと言ってルート途中で乗客を放り出す都内バス。ジャカルタのバス乗客にとって都内バス運行クルーのそんなサービスレベルは常識になっている。
都内バス運転手たちは都庁が決めた廉いバス乗車料金を乗客から集めるために暑く排気ガス臭いジャカルタの路上を定められたルートに従ってバスを走らせる。かれらはバスのオーナーにストランと呼ばれる金を毎日納め、残った収入の中からガソリン代その他の経費を差し引いたものが運転手と車掌のその日の収入となる。そんなかれらにからむ地回りごろつきやら交通局不良役人に渡す不法徴収金もその他の経費に含まれる。都庁はバス料金を公共料金として定めるもののバス運行者の経費にまでは口を差し挟まないから、搾取型資本主義にどっぷり浸かっているインドネシアの経済構造はストラン金額をはじめとしてさまざまなハイコストを招き、バス運行クルーの生活にいささかの保障も与えない。その結果、バス運行クルーは交通法規も交通道徳も二の次にして収入増に全精力を注ぎ込む。運行ルートの両端にあるバスターミナル間を一日に何回往復するかということがかれらの収入を支えるベースになっているわけだ。だから乗客をひとりでも増やすためにノロノロ運転する区間があり、往復回数をキープするために標識を無視して突っ走る区間がある。他の車に礼儀や道徳で道を譲っていれば、その日の収入はすぐにおかしなことになる。だからそんな構造をそのままにしていくら都内バスの運行クルーを非難したところで、何の改善を期待することもできない、というのが一般的な有識者の見解なのである。
都庁交通局は2010年4月中旬から首都交通シンパティック作戦を実施して路上での交通法規遵守キャンペーンを行なった。二週間でのキャンペーン成果は総違反件数37,607件の違反摘発であり、そのうち27,495件の違反は公共運送機関によるものだった。二位のオートバイ運転者、三位の自家用車運転者とは数倍の差がついている。
違反の最大は定められた乗降場所でないところで乗客を乗り降りさせたこと、次いで好き勝手な場所で路上に停車して客が集まるのを待っていたこと、第三位は交通標識の無視となっている。運転手に言わせると、客が好き勝手な場所でバスの乗降を望むから、乗車料金を得るために客のわがままに従っているだけだという論理をかれらは主張する。それはバス運行クルーが生活保障のために行なっている必然的行為であり、客がバス停でのみ乗降するならバス運転手にとっては交差点の中で客を乗降させるような違反行為を犯す必要がなくなるのである。だからバスの交通マナーを改善させようというのなら、乗客の社会的なマナーも一緒に向上させなければならない、というのがかれらの言い分となる。
同じことは公共運送機関の車内禁煙問題にも当てはまる。都庁は禁煙条例に従って医療施設・宗教施設・教育施設・児童遊戯施設・公共エリア・職場そして公共運送機関の7ヶ所を禁煙エリアに指定した。そして禁煙を徹底させるためにそれらの場所の管理運営者にも違反の責任を負わせたのである。たとえば病院内に喫煙者がいれば、それが内部者であろうと外来の来訪者であろうと、喫煙者および院長に咎が及ぶことを意味している。同じことは公共運送機関である都内バスにもあてはまり、バス運行クルーが乗務中に喫煙するのはもとより、乗客がひとりでも車内で喫煙すれば、それを許したバス運行クルーにも責任が及ぶということだ。ところが喫煙する乗客にバス運行クルーが喫煙を禁止すると、乗客はそれを無視するばかりか怒り出す乗客までおり、運行クルーはそれ以上どうすることもできず、ましてや飯のタネの乗客と諍いを起こすのは愚の骨頂であるため、クルーは「言うことは言った」として引込むという結末に至る。
2009年8月に行なわれたサーベイでは、都内バスの89%で禁煙違反が発見されている。都庁は2009年12月から都下の都内バスターミナルで車内禁煙キャンペーンを開始し、機が熟せば違反摘発作戦に移る構えでいるものの、この問題もバス運転手が客のわがままの責任に連座させられる構図になっており、運転手たちはそれを単なる職業上のリスクとしてしか見ていない。自分の利益に背く行為をいくら強制しても、その者は絶対に本腰を入れてそれを行なうはずがない、ということは心理学を学ばなくともわかることであるというのに、インドネシアでそのような構図を頻繁に目にするのはいったい何が原因なのだろうか?


「やくざなバス運転手」(2010年5月13日)
2010年2月8日付けコンパス紙への投書"Pengemudi Metromini Membahayakan Penumpang"から
拝啓、編集部殿。プロガドン〜カンプンムラユ路線番号46とプロガドン〜マンガライ路線番号49のメトロミニバスの利用者であるわたしは、その路線を運行しているバスクルーの取締りを行うよう当局に要請します。かれらのバス運行は違反だらけです。
運転手はとても荒っぽい運転をし、車内の乗客をまるでぶつけ合ってもかまわない積荷のように扱う非人道的なことが行なわれています。同じルートのバスの間で乗客を頻繁に乗り換えさせ、乗客のバス乗り降りが困難で危険なことに対する配慮はかけらもありません。バスは完全に停車しないまま、混雑している路上で乗客に乗り降りさせています。
バス運行クルーは乗客の迷惑などどこ吹く風とばかり好き放題にタバコをふかし、乗客であるわたしはバス運転手に怒鳴り散らされたことさえあるのです。フロントガラスにMaranathaと書かれたメトロミニ49はプロガドンバスターミナルまで行かなければならないはずなのに、そのときラワマグンターミナルで乗客を全員下ろしました。わたしの目的地はもった先だったから、わたしは降りるのを拒みました。すると運転手が喧嘩腰で怒鳴りつけてきたのです。
それらの路線でバスは乗客の安全などまったく意に介さず、頻繁に仲間のバスと超接近しますし、ウタンカユからラワマグンまでの道では互いに車の鼻先を奪い合う競争をし、運転手は互いに熱くなっています。そのため乗客がバスから降りるさいにも車を完全に停止させることがありません。それは乗客にとってたいへん危険な行為です。[ 東ジャカルタ市プロガドン在住、アノム・パリクシッ ]


「タクシーの8割はトヨタリモ」(2010年5月18日)
2010年第1四半期タクシー用セダン車国内販売台数は1,659台にのぼり、前年同期実績の237台から7倍という絶好調の売行きを示した。2009年は年間を通して5,749台が販売されたが、そのうちの8割はタイで生産されたトヨタLimoが占めている。
ジャカルタにはいまタクシー会社が44社あり、合計2万4千台の稼動許可が与えられている。その2万4千台は5年に一度新車と入替えしなければならない。シボレー社総代理店であるPT GMオートワールドインドネシアはシボレーカロスをタクシー用車両として7〜8百台今年販売するべく意欲に燃えている。PTニッサンモトルインドネシアもタクシー業界への販売強化を計画しており、小売価格一台2億1千万ルピアのニッサンLatioで切り込むかまえ。ほかにもプロトンとKIAがタクシー業界への拡売を狙っている。


「マレーシア航空スペシャル料金」(2010年5月24日)
マレーシア航空がジャカルタ発の格安往復料金をオファーしている。予約期間は2010年5月31日まで、フライト利用期間は2010年10月31日までで、もちろん今すぐその両方を行なうことも可能。
行先別金額は次の通り。
クアラルンプル US$128から
バンコック・プーケット US$273から
広州 US$343から
香港 US$371から
ホーチミンシティ US$393から
上海 US$493から
昆明・厦門 US$504から
東京 US$633から
ロンドン US$928から


「スカルノハッタ空港バス」(2010年5月27日)
国有公社ダムリがスカルノハッタ空港バス料金の値上げを検討している。現在ダムリバスがスカルノハッタ空港との間でバスを往復運行させているのは、都内で8路線、都外で5路線あり、値上げされるのは都外だけ。都外線は概して乗車率が高く、ボゴール発などは午前3時半の始発から30分おきに発車する便はすべて満席に近い状態。チカラン線だけが乗車率が悪い。 現在行なわれているスカルノハッタ空港ダムリバスサービスは次のようになっている。
都内線 : 発車地Gambir, Rawamangun, Blok M, Tanjung Priok, Kemayoran, Kampung Rambutan, Pasar Minggu, Lebak Bulus 料金片道ひとりあたり2万ルピア
都外線 : 発車地Bogor, Cikarang, Merak 料金片道ひとりあたり3万ルピア
       発車地Bekasi, Serang 料金片道ひとりあたり2万8千ルピア


「機内でボケ〜のライオン航空」(2010年5月29日)
2010年3月12日付けコンパス紙への投書"Penerbangan Jarak Jauh Lion"から
拝啓、編集部殿。わたしはライオンエアーの新型機B737−900ERに興味をひかれて頻繁にライオンエアーの国内線を利用しています。2010年2月15日、わたしはライオンエアーの長距離フライトを体験してみたかったので、スラバヤ〜ジャヤプラ線に乗ってみました。そのフライトはジャカルタとマカッサルを経由するのです。
長距離フライトは長時間飛行機に乗るので、近距離フライトとは異なるサービスを楽しめるだろうと思ったのですが、乗客は7時間40分の飛行時間中とても退屈な状態に置かれました。食事もキャンディも飲物も音楽も新聞も、なにひとつありません。ジャカルタ〜東京間フライトと同じくらいの時間を乗客はただボケ〜と過ごすことにいざなわれたのです。唯一あったのはライオンエアーの機内誌でしたが、それすら各座席のポケットにあるというものでもありません。ライオンエアーができるかぎり経費を切り詰めて一般大衆の手が届く運賃を提供しようとしているのはわかります。でも本当にそこまでしなきゃいけないのでしょうか?座席に座った乗客はただ眠り、目覚めてボケ〜っとし、再び眠るということを繰り返すだけ?
ライオンエアー経営者は乗客、特に遠距離フライトの乗客の快適さに配慮するよう希望します。機内に新聞を置くとか、キャビン内に音楽を流すといったことだけでも、乗客の無聊を慰める一助にはなるでしょう。パプアから出発する乗客にとって、全国紙に目を通す機会が与えられることは特別の意味を持っています。なぜならパプアでは、全国紙を手に入れるのはたいへん困難で、とても高いコストをかけなければならないのですから。[ ジョクジャ在住、ティヤス・イン・カルブ ]


「スティアブディで自動車を停めるとアブナイ」(2010年5月31日)
ボックス車を狙う自動車泥棒がいる。ボックス車はたいてい品物のデリバリーに走り回っているわけで、商店の納入口などにボックス車が来るとそれを待っていた連中が近寄ってきて車の駐車を手伝ったり、品物の積降を手伝ったり、中にはもっと高い給料をもらえるから移らないかといった話をして運転手の警戒心をほぐす。そして運転手が車を置いてどこかへ行ったり、あるいは油断した隙に車を発進させて行方をくらます。
西ジャワ州カラワン県レンガスデンクロッ出身の男たちがジャカルタへ自動車泥棒の出稼ぎに来ている。かれらは二輪車であろうと四輪車であろうと、そしてボックス車でさえも盗めるものは盗む。タマンラスナアパルトメンタワー5の前で2004年製スズキST150を盗んだ容疑者としてヘルマンは2010年5月3日にスティアブディ署捜査員に逮捕されたが、取調べに対する自供の中でヘルマンは既に三回ボックス車を盗んだことを明らかにした。最初は2010年3月ITCチュンパカプティで2007年製三菱コルトジーゼルを盗み、中部ジャワ州トゥガルに持って行った。二度目は4月にITCクニガンのカルフルでボックス車を盗み、やはりトゥガルに持ち込んで750万ルピアで売り払った。
他にも大勢のレンガスデンクロッ出身自動車泥棒が南ジャカルタ市スティアブディで暗躍しており、オートバイ泥棒も数多い。おかげでスティアブディ署管区は南ジャカルタ市警でもっとも自動車盗難件数の多い場所という記録を得ている。2009年の自動車盗難は199件で二輪車173件四輪車26件というのがその不名誉な記録だ。


「不公平不平等は世の習い(その二)」(2010年6月2日)
2010年3月5日付けコンパス紙への投書"Pegawai Negeri Sipil, Polisi, dan Lampu Lalu Lintas"から
拝啓、編集部殿。2010年2月9日(火)夕方、わたしはオートバイを運転してタングランのガディンスルポンに向かっていました。カラワチ交差点で進路が赤信号だったので停車しました。タングラン市公務員の制服を着たひとのオートバイがわたしの後ろにいましたが、そのひとはその交差点で停まらず、そのまま交差点を突っ切って行きました。交差点には交通整理中の警官がふたりいましたが、オートバイに乗った公務員に停止を命じることもせず、そのまま通り過ぎるのを放置したので、その交差点の赤信号には従わなくていいのだという理解をわたしは持ったのです。
わたしが発信してほんの数メートル動いたとき、警官がわたしに停止を命じました。そしてわたしに信号無視の違反だ、と言ったのです。ならばわたしの前にそこを通り抜けた制服姿の公務員も違反を犯したことになりますが、警官はそれを放置したのです。わたしがそのことを警官に言うと、S・・・という名の警官はわたしの言葉を否定し、わたしに違反を犯したことを認めるよう強制しました。そしてわたしに対して交通違反切符を切ったのです。これは不公平な仕打ちです。[ タングラン市在住、アデ・ワンドラ ]


「恐喝レッカー車(その一)」(2010年6月8日)
2010年2月5日付けコンパス紙への投書"Pemerasan oleh Awak Derek Liar di Jalan Tol"から 拝啓、編集部殿。2010年1月5日正午頃、わたしは小型トラックを運転してブカシのポンドッグデ(Pondok Gede)自動車道を走行中タイヤがパンクしたので、路肩に車を寄せてタイヤ交換していました。ところがほんの数分後にレッカー車がやってきて、そこから近いKopaderのプールにわたしの車を曳いて行ったのです。わたしが拒否したにもかかわらず、かれらは問答無用でわたしの車を運びました。プールへ着くとかれらはレッカー費用として150万ルピアを請求し、パンク修理を手伝うことを約束しました。
しつこく金額をネゴした結果、150万ルピアは130万ルピアに下がりましたが、今度は言うことが変わって、払わなければわたしの車はそのプールから絶対出られないし、積荷の安全も保証できないとかれらは言います。車と積荷の安全を優先したわたしは、130万ルピアを運転手仲間から借りてかれらに払いました。
自動車道を通るとき良く注意して見ると、不法レッカー車はいつもいて獲物を待ち構えています。車には4〜5人のコワイ顔をした男たちが乗っていて、通行中の車が走れなくなるとかれらはすぐにやってきて車を無理やり運んで行きます。同じことをわたしはタングランのプシン〜ダアンモゴッでも体験しています。当局はKopaderのバックにいる悪徳高官を洗い出してください。[ タングラン在住、ラセジョ・ビン・ダフラン ]


「恐喝レッカー車(その二)」(2010年6月9日)
2010年3月10日付けコンパス紙への投書"Derek Liar Beroperasi di Tol, Pengemudi Diperas"から
拝啓、編集部殿。2010年2月17日19時20分ごろ、東ジャカルタ市チリリタンの自動車専用道を通過しているとき、わたしの車が突然動かなくなりました。しばらくするとKopaderレッカー車と業務車がやってきて、凄みをきかせた顔と威嚇的な声でかれらのプールにわたしの車を移動させなければならない、と言いました。
わたしの同意も承認もなしにかれらはワイヤーロープをわたしの車のバンパーに架け、そのままかれらのプールまで引いていきました。驚いたのは、ほんの5キロ程度離れたプールまで車を引いただけで、なんと95万ルピアの牽引サービス料を請求してきたことです。東ジャカルタ市チリリタンのストヨ少将通り21Bのプールには、わたしと同じ運命に陥ったボックス車が数台既にそこにありました。
他の運転者も不合理な金額を請求されており、それを満たさなければ車は差し押さえられるとかれらは言います。わたしは会社に電話して会社の人間に金を持ってきてもらい、なんとか最悪の事態を切り抜けました。自動車専用道運営者であるジャサマルガは自社以外のレッカー車が自動車道で営業しているのを防止できないのですか?そtれとも提携関係にあるのでしょうか?
こんな事件は一日に何十回も起こっており、運転者からの苦情も頻繁に聞こえているというのに、現実の対応は何もありません。自動車専用道運営者はこんなことを知らないはずがないと思います。[ ジャカルタ在住、アグス・サリム ]
2010年3月31日付けコンパス紙に掲載されたジャサマルガからの回答
拝啓、編集部殿。アグス・サリムさんからの2010年3月10日付けコンパス紙に掲載された投書に関して、アグスさんが自動車専用道で不法レッカー車の被害に会われた不快な体験にお詫び申し上げます。当方は首都警察と共同で道路上での不法行為撲滅作戦を実施しており、不法レッカー車の活動地域に対する監視も向上させておりますので、不法レッカー車の活動エリアは減少しているものと考えています。2010年2月、当方は不法レッカー車13台を捕らえて首都警察に引渡しました。自動車専用道路利用者は路上で救援が必要になった場合、あるいは不法レッカー車の被害を避ける場合も、ジャワマルガコールセンター(021)80880123に電話してください。[ PTジャサマルガ広報課長、スフディ・サラギ ]


「自動車道料金支払カードで二重引き落とし」(2010年6月14日)
2010年4月19日付けコンパス紙への投書"E-toll Mandiri Debet Dua Kali"から
拝啓、編集部殿。わたしは一年ほど前からマンディリ銀行Eトールカードを使っています。自動車専用道料金所自動ゲートでカードから2回料金が引き落とされるという目にもう4回もあいました。最初のできごとはスカルノハッタ空港自動車専用道チュンカレン料金所で起こり、わたしは職員に文句を言いましたが知らん顔をされました。二度目は都内チリリタン料金所に自動ゲートが設けられて早々のことでした。そのときわたしは、ゲートバーが上がる前にカードを読み取り機から放し、バーがまだ上がらないためもう一度読み取り機に接触させたためにそれが起こったのだろうと考えました。
三度目は都内環状道クニガン(Kuningan)第一料金所でした。そのときわたしは職員に苦情したので職員が一回分のお金を返してくれました。四回目のできごとはクニガン第二料金所で発生し、わたしはオフィスでミーティングがあるため急いでいたので職員に苦情していません。
利用者に損害を与えるこのようなことがらをマンディリ銀行は改善するようお願いします。Eトールカードはたいへん実用的であり、わたしはこのシステムがたいへん気に入っています。ジャカルタがこのようなシステムを持ち、同じようなシステムを実施している世界の大都市と肩を並べたことをわたしは誇りに思います。しかし、利用者がそれで損を蒙るのであれば、消費者はこのシステムを利用することに躊躇するかもしれません。[ ブカシ在住、プラウィデワ ]
2010年5月14日付けコンパス紙に掲載されたマンディリ銀行からの回答
拝啓、編集部殿。プラウィデワさんからの2010年4月19日付けコンパス紙に掲載された投書について次の通りお知らせします。当方の調査結果によれば、プラウィデワさんのEトールカードに引き落としの失敗がありました。当方はその説明のためにプラウィデワさんにコンタクトし、その問題の解決を行ないました。プラウィデワさんは当方の説明を了解してくださいました。
当方へのご連絡は、電話番号14000の24時間マンディリコールあるいはウエッブサイトwww.bankmandiri.co.id内メニューの「当方へのコンタクト」またはEメールcustomer.care@bankmandiri.co.idにどうぞ。[ マンディリ銀行企業秘書、スコリヤント・サプトロ ]


「バスウエー停留所で性別の整列」(2010年6月15日)
都内バスウエーの停留所で2010年6月10日に変化が起こった。現在都内8ルートで運行しているバスウエイ内での痴漢行為は、一般の都内バスでと同じように絶えたためしがない。環境が変われば人間の精神性が変化することもあるが、どうやら痴漢行為についてはその影響が見られないようで、場所がどこであろうとチャンスが到来すれば行動に走る。インドネシア消費者財団がジャカルタのバスウエイ利用者を対象に2010年3月4月に行ったサーベイで、バス内で痴漢行為の被害を受けた回答者は3千人中1.24パーセントにのぼった。
トランスジャカルタ公共サービス機関はこれまでも乗客がバスに乗り込む際に順番を乱してわれがちに入っていくジャングル論理を放任して弱者保護に欠けているとの批判を受けており、今回バス乗車に関する性別整理を行うことにした。これは都内全140ヶ所のバス停で乗車待ちをしている乗客を男性と女性に分けて整列させる新ルールで、バス停の乗降車扉にはlaki-laki(男性)perempuan(女性)と書いた紙が貼られ、停留所の整理係員は性別に従って乗客を整列させることに努めるようになった。老人・身障者・子供は性別とは関係なく女性の列に並ぶよう奨められている。
今回の新ルールは停留所内での乗車待ち整列を対象にしており、車内での厳格な線引きをするところまで至っていないが、バス内整理員の中には車内でも片側を男性、反対サイドは女性という分け方をした車両もある。しかし一般的に車内では再び男女が混じりあうことを容認する車両が大半で、痴漢対応とは名ばかりだと批判する乗客もいた。
バスウエー側は、痴漢対応と弱者保護の両方を今回の新ルールの理由にあげている。しかし首都圏近郊電車で試みられた女性専用車両のトライアルと同じで、女性専用ということを認めない男性が少なくなく、ルールを決めてそれを守らせようとする係員がいてさえそれに従わない男性が必ず出現し、ひとりが決まりを破るのを認められれば他の者もそれに追従するという文化特性のために女性保護という大義名分の実施はスムースに実現できないようだ。


「機内でネズミが乗客のズボンの中に侵入」(2010年6月18日)
2010年5月8日付けコンパス紙への投書"Tikus di Kabin Pesawat Batavia"から
拝啓、編集部殿。2010年4月7日、わたしはスマランからバタビア航空の機体番号7P−316でジャカルタへ行きました。フライト中に座席で本を読んでいたわたしは、突然長ズボンの裾から何か動物が中に入ってきたのに驚いて声をあげ、立ち上がってその動物をズボンから外に出すよう努めました。それが外に出たのを見ると、なんと一匹のネズミだったのです。近くの乗客もそれを見ています。
どうしてネズミが旅客機lのキャビンに入り込んでいるのか、わたしは大きな落胆を感じました。ネズミが航空機内のケーブルを切断したり重要な設備を壊したりすれば、航空安全は維持できません。わたしはすぐにバタビア航空に手紙を書きました。
バタビア航空はわたしの手紙に対応を取り、4月8日にキャビンメンテナンス部門が機内の燻蒸処理を行って6時間機内を密封し、そのあと殺虫剤を噴霧して機内の動物や虫の駆除を行ないました。航空監督機関はバタビア航空の航空機編隊に対して機内の衛生レベルをチェックし標準化を行なってください。事故や異状の発生を防ぐために、客室の清潔さと機体に対する安全飛行とメンテナンスの標準化が必要です。[ ジャカルタ在住、マクシミリアン・スバギオ ]


「7機で乗客が機内に缶詰め」(2010年6月21日)
2010年6月15日15時45分ごろ、スカルノハッタ空港を襲った悪天候を避けて国内線7機が別の空港に避難した。悪天候下のスカルノハッタ空港は視界が2百メートルまで狭まったとのこと。
ジョクジャ発とスラバヤ発のガルーダ航空機はハリムプルダナクスマ(Halim Perdana Kusuma)空港に、デンパサル発のライオンエアー・マカッサル発エクスプレスエアー・スラバヤ発のスリウィジャヤ航空はパレンバンのスルタンマフムッバダルディンII(Sultan Mahmud Badaruddin II)空港に、ポンティアナッ発バタビア航空とスラバヤ発ライオンエアーはスマランのアフマディヤニ(Ahmad Yani)空港に一時避難着陸した。しかし悪天候をついてスカルノハッタ空港に着陸した航空機もあり、シンガポール発のシンガポール航空とプカンバル発ライオンエアーはオーバーシュートで着陸した。
天候は17時5分に回復したので、各地に一時避難していた7機はすべてジャカルタへの飛行を再開した。避難着陸中の航空機では、乗客はすべて機内待機だった。


「ジャカルタ〜サンパウロ往復が1,400ドルから」(2010年6月21日)
カタール航空(Qatar Airways)が2010年6月24日からのドハ〜サンパウロ〜ブエノスアイレス航路就航を記念して、乗り入れ先各国から南米向けのスペシャル料金をオファーしている。 ジャカルタからはドハ経由サンパウロ〜ブエノスアイレスのエコノミークラス往復航空券がひとり1,400ドルから、ビジネスクラス往復航空券は4,400ドルから。販売期間は2010年6月1日から30日までで、トラベル期間は2010年6月24日から2010年8月31日までとなっている。タックスと燃油サーチャージは含まれていない。またドハ発ブエノスアイレス行きはデイリーで、すべてのフライトがサンパウロ経由となる。


「自動車登録料金が値上がり」(2010年7月5日)
北ジャカルタと中央ジャカルタの交通警察統合管理事務所は2010年6月26日に自動車登録手続料金を値上げした。登録して自動車番号をもらうと、ナンバープレートならびに登録番号を証明するSTNK(自動車番号証明書)が発行される。ナンバープレートとSTNKは5年間有効で、5年経てば延長しなければならない。その手続費用が2010年政令第50号に従って改定されたということだ。
二輪・三輪・公共運送機関のSTNK発行費用はこれまでの25,000ルピアから50,000ルピアに、四輪以上の自動車は50,000ルピアから75,000ルピアにアップした。またナンバープレート発行費用は二輪・三輪自動車がこれまでの15,000ルピアから30,000ルピアに、四輪以上の自動車は20,000ルピアから50,000ルピアに上がっている。
これらの費用は国庫に直接納められる税外国庫収入で、全国一律に適用されるからジャカルタ首都特別区の他市や国内地方部でも近々値上げが行なわれることになりそう。 一方、地元自治体のローカル税収になる自動車税と自動車名義変更税は既に引上げが確定しているようだが、都条例がまだ出されていないために当面はこれまで通り2003年都条例第4号で定められている税額が徴収される。


「赤字のキングオブザロード」(2010年7月5日)
ジャワの街道を車で往来すると、大型バスが真正面から突進してきてあわやという目にあうことが必ず起こる。対向車線で長い車列がノロノロ走っているときに起こりがちな現象だ。大型バスはその長い車列を追い越そうとして反対車線を逆走する。そしてその反対車線をまともに走ってきたキジャンなどには遠慮会釈なしに追い越しを続けるから、キジャンは路肩に降りて正面衝突を避けなければならない。キジャンが道交法で正しい行動をしているのは明らかだが、自分が正しいことを主張して路肩に下りなければ鬼籍入りは間違いないだろうから、権利や正しさも自分の生命には代えがたいところ。そういう意味で街道を走る大型長距離バスはキングオブザロードと呼ばれている。力がものごとの決着をつける最終要因となるジャングル文化の中で、最高のパワーを持つ王様の振る舞いがそれであるからだ。
だからそんな大型長距離バスは数百キロ離れたジャワの主要都市間を平均時速70〜80キロで踏破する。キジャンを運転しているこちらはせいぜい40〜50キロがいいところだというのに。
そんな長距離バスもローコストエアキャリヤーの時代が到来して料金差が狭まったことから、客を奪われるようになった。今や飛行機・長距離鉄道列車・州間長距離バスは三つ巴の競争状態に入っている。長距離バスのロードファクターは40〜60%に低下してしまい、オートバイを積んでくれという客の依頼にも応じているという話だ。
ジャカルタ〜スラバヤ間はバスオペレータ各社がひとり18万〜22万ルピアという料金をオファーしているが、一回の運行がロードファクター50%程度では3%程度しかマージンが取れない。最低5%ないと投資回収すらおぼつかないそうだから、長距離バスもいまや赤字ビジネスになりつつある。オペレータが多すぎることが過当競争を招き、ロードファクターを互いに小さくしあっていることは確かで、そのあたりの整理がむつかしいところだろう。ちなみに2005年から2009年までの長距離バスオペレータ数と登録バス台数は次のように変遷している。
年: オペレータ数 / バス台数
2005: 765 / 19,253
2006: 772 / 19,197
2007: 790 / 19,428
2008: 822 / 19,970
2009: 846 / 18,911
キングオブザロードの走りは快調だが、事業経営はそのようにはいかないようだ。


「運転免許証交付費用が値上がり」(2010年7月6日)
2010年政令第50号で税外国庫収入の改定が行なわれた。その中で国家警察交通局関連の有料諸手続料金が改定されているが、これまで無料だった手続が有料になったり、これまで行なわれていなかった新サービスが開始されたりという変化も混じっている。
STNKとナンバープレートについては「自動車登録料金が値上がり」(2010年7月5日)で報道済みであり、その他については次のような内容になっている。
1)SIM(運転免許証)交付 (数字はルピア)
  A) SIM A (新規): 75,000 ⇒ 120,000
          (延長): 60,000 ⇒ 80,000
  B) SIM B I (新規): 75,000 ⇒ 120,000
            (延長): 60,000 ⇒ 80,000
  C) SIM B ? (新規): 75,000 ⇒ 120,000
            (延長): 60,000 ⇒ 80,000
  D) SIM C (新規): 75,000 ⇒ 100,000
           (延長): 60,000 ⇒ 75,000
  E) SIM D (新規):  −  ⇒ 50,000
           (延長):  −  ⇒ 30,000
  F) 国際免許証 (新規): − ⇒ 250,000
             (延長): − ⇒ 225,000
*SIM Dは身障者対象のもので、国際免許証と共に今回新たに設けられた。
2)シミュレータを使った運転技能試験: 50,000 ⇒ 50,000
3)仮ナンバープレート発行: 17,500 ⇒ 25,000
4)BPKB(自動車所有証明書)交付
  A) 二輪・三輪自動車 (新規): 70,000 ⇒ 80,000
            (所有者変更): − ⇒ 80,000
  B) 四輪以上の自動車 (新規): 80,000 ⇒ 100,000
            (所有者変更): − ⇒ 100,000
5)登録先移転添状発行: − ⇒ 75,000


「航空券料金上限が改定される」(2010年7月6日)
政府は2010年運通相規則第26号で国内線エコノミークラス航空券上限料金に関する規定を変更した。これまで航空券料金と別建てで請求されていた燃油サーチャージは航空券料金の中に含めることが定められたため、サーチャージの別請求は禁止された。ルート別片道上限料金は次のようになっている。
ルート : ひとりあたり料金(ルピア)
Jakarta-Jambi 1,194,000
Jakarta-Jayapura 5,253,000
Jakarta-Kendari 2,083,000
Jakarta-Ketapang 1,133,000
Jakarta-Kupang 2,624,000
Jakarta-Makassar 1,846,000
Jakarta-Malang 1,209,000
Jakarta-Manado 3,010,000
Jakarta-Matak 1,455,000
Jakarta-Mataram 1,440,000
Jakarta-Medan 1,847,000
Jakarta-Padang 1,434,000
Jakarta-Palangkaraya 1,359,000
Jakarta-Palembang 967,000
Jakarta-Palu 2,226,000
Jakarta-Pangkal Pinang 958,000
Jakarta-Pangkalan Bun 1,162,000
Jakarta-Pekanbaru 1,440,000
Jakarta-Pontianak 1,223,000
Jakarta-Semarang 898,000
Jakarta-Solo 1,039,000
Jakarta-Sorong 3,383,000
Jakarta-Surabaya 1,206,000
Jakarta-Tanjung Pandan 866,000
Jakarta-Tanjung Pinang 1,283,000
Jakarta-Tarakan 2,100,000
Jakarta-Ternate 3,218,000
Jakarta-Timika 4,438,000
Jakarta-Yogyakarta 967,000
注1)フルサービスフライトエコノミー料金は上の100%を上限とする。対象航空会社はGaruda Indonesia。
注2)メディアムサービスフライトエコノミー料金は上の90%を上限とする。対象航空会社はExpress Air, Riau Airlines, Indonesia Air Transport, Mandala, Merpati Nusantara Airlines, Batavia Air, Kalstar Aviation, Kartika Airlines, Sriwijaya Airr, Trigana Air Service.
注3)ミニマムサービスフライトエコノミー料金は上の85%を上限とする。対象航空会社はCitilink, Lion Air, Wings Air, Indonesia AirAsia, Dirgantara Air Services, Travira Air.


「ジャカルタ在住外国人SIM延長の手引き」(2010年7月7〜9日)
運転免許証の更新手続はきわめて簡潔で短時間に終了する。ジャカルタ在住外国人にとってこの手続は珍しく簡単で安上がりな公的プロセスではあるまいか。エージェントに大枚払ってアレンジしてもらえば本人は指紋とサインそして顔写真撮影のために免許証発行管理事務所へ行くだけで済み、そのプロセスはせいぜい10分程度で終わるから速いには速いのだが、自分でやれば小一時間で終わり、おまけにはるかに廉あがりだ。
インドネシア国籍者は5年間有効の運転免許証を持てるが、外国人は1年間しかもらえない。だから毎年更新手続を行なわなければならない。N氏は2010年4月のある日、もう何回も行なっているSIM Aの更新手続をしに西ジャカルタ市ダアンモゴッ通りKM14にある首都警察交通局の西ジャカルタ市統合管理事務所へ出かけた。SIM Aというのは日本で言う普通運転免許に対応するもので、インドネシアではこの免許証で3.5トンまでの乗用車貨物車を運転することができる。
2002年9月30日までは都内5市住民の運転免許証をすべてダアンモゴッの交通局統合管理事務所一ヶ所で取り扱っていたが、10月1日からは5市それぞれの市警本部にその手続が移管され、交通局統合管理事務所は西ジャカルタ市統合管理事務所にポジションが変わって西ジャカルタ市住民だけを取り扱うようになった。ところが外国人は5市のどこに住んでいようと依然として旧交通局統合管理事務所で管理されている。
さて、外国人のSIM更新手続を受け付ける西ジャカルタ市統合管理事務所での手続はたいへんシンプルだと言える。業務時間はウイークデーが午前8時から15時まで、土曜日は午前8時から12時までとなっているが、手続の最初に控えている健康テスト(Tes Kesehatan)は正午で閉まるので、必ず午前中に行かなければ手ぶらで帰ることになる。金曜日はもっと要注意だ。
それではその健康テストから始めよう。
1)健康テスト:名称は健康テストとなっているが、なんのことはないただの視力検査で、メガネを作るときの視力検査と同じ設備が使われる。目的は視認能力の有無を調べるだけだから、眼鏡使用者はメガネをかけたまま、しかも両目でボードの文字を読む。このテストは1分もかからない。何年も前から色盲検査を開始するような話が出されていたが、いまやもう忘却のかなたのようだ。
この健康テスト場所は統合管理事務所の敷地に入って駐車料金ブースを越えたすぐのキャンティンの一角にある。車を駐車場に入れてからそこまで戻るよりも本人はそこで車から降り、運転手ひとりで駐車場へ行かせるほうが楽だろう。
受付ブースは月〜木が午前8時から12時まで、金・土は午前8時から11時までの受付となっている。
受付ブース係員にKITASオリジナルと2万ルピアを渡すと、検査フォームにKITASをステープラーでバシリ。その検査フォームを視力検査場の受付に渡して視力検査を受け、なにやら印の書かれた検査フォームを返してもらって、そこを出る。そして徒歩で少々離れた事務所本館へと向かう。
2)申請料金支払:本館に入ると正面にインフォメーションがあり、その左右に流れるようになっている。左側を奥へ入っていくと右側のブースの並びのひとつが銀行で、そこでSIM延長公定料金6万ルピアを支払う。いまは「運転免許証交付費用が値上がり」(2010年7月6日)で報道されているように8万ルピアになっているはず。支払をすると、領収票(レシ=resi)をくれる。レシにはいろいろと記入欄があるが、自分の名前だけ書いておけば十分なようだ。
3)申請書請求:そのあと申請書をもらいにそこと背中合わせになっている反対側のブースへ向かう。つまりさっきは正面のインフォメーションから左に来たが、こんどは戻って右のほうに進む。申請書窓口で銀行でもらったレシを見せると申請書フォームをくれる。年によってはそこで金を要求されたこともあるが、今回は要求されなかった。申請書フォームへの記入は自分が持っているSIMに表示されているデータを書き込んでおけばよい。欄を全部埋める必要はない。
4)申請窓口:ふたたび銀行のあった側に戻り、その一番奥のゲートを超えて中に入る。するとまた右側と左側に背中合わせで窓口が並んでおり、外国人は左側のSIM ASINGと書かれた19番窓口へ行く。そこでさまざまな書類を提出することになる。
−これまで使っていた運転免許証オリジナル
−パスポートオリジナルと本人データページおよび現行ITASページのコピー各1部
−KITASコピー1部
−視力検査のピンクの紙(KITASオリジナルはまだそこに添付されている)
窓口の尾根遺産は半ばおどおどしながら「費用がかかるんですよ」と言って9万ルピアを要求した。全部を渡すとパスポートとKITASの現物を返してくれ、さらに領収票にメモの切れ端をステープラーで止めたものをくれる。これは最終的にできあがった運転免許証と交換するので、これをなくすとたいへんだ。
5)写真撮影・指紋・サイン:19番窓口から更に奥のほうにある24・25・26番ブースへ写真撮影・指紋・サインを撮りに行く。「外で待たないで、どこでも好きなところに入れ。」と19番窓口の尾根遺産にアドバイスされていたから、一番手前のブースに入る。殺風景なブース内にはコンピュータの載っている机と待合のベンチ、そして決められた背景色の垂れ幕の前に置かれたスツール。さっき渡された領収票とメモのセットをコンピュータが載っている机の上に置く。コンピュータの前に座っている担当官は、机に置かれた領収票とメモのセットを下から順番に処理して行く。N氏の番が来たが、担当官は名前を呼んだだけで椅子の背もたれに身体を預けた。データがまだコンピュータに入力されていない、と言う。19番窓口では受付をしたあと申請者のデータ入力をするのだが、たいていその作業が終わる前にこちらは写真ブースに入ってしまうのだ。しばらく待たされ、データが上がってきたのでスツールにすわって顔写真の撮影。そして親指の指紋とサインをコンピュータで撮る。すべて終わるとさっきの領収票とメモのセットを返してくれる。
6)SIM完成品ピックアップ:写真ブースを出てさらに奥へ進むとそこと背中合わせになっている反対側窓口の並びに回っていく。そこの最初の窓口がSIMピックアップの場所だ。窓口の向かいに待合室があり、そこへ入って自分の名前が呼ばれるのを待つ。そうこうしているうちに名前がアナウンスされ、待合室を出て向かいの窓口で領収票とメモのセットを差し出すと、できたての運転免許証をくれる。ところが窓口担当官は5千ルピアだと言う。「また金を取るのか」とN氏が大仰に愚痴ると担当官は免許証入れを示して、「これの代金だ」と応じる。
時計を見ると、30分程度ですべてのプロセスが終わっていた。今年の総費用は17万5千ルピアだった。2009年は16万ルピア、2008年は15万ルピアだったから年々の値上がりは避けられない。来年は20万ルピアの大台に乗るだろうか?


「これがインドネシアドライバー!」(2010年7月15日)
2010年5月29日付けコンパス紙への投書"Aksi Brutal Pengendara Bermotor Merajalela"から
拝啓、編集部殿。数年前から、徒歩にせよオートバイでにせよ家を一歩出ると、たいへんなリスクにさらされていることをひしひしと感じるようになりました。歩道を歩いていると安全などというのは今や夢物語で、二輪車ライダーは歩道にいる歩行者にすら襲い掛かってきます。だから用心のために、オートバイが走ってくる方向に向かって歩くことで危険を察知するのです。
車を運転している場合は、突然オートバイが自分の車の直前を横切る可能性を予想しておかなければなりませんし、左右に曲がるときはウインカーを点灯したところで何の役にも立ちません。周りにいる四輪二輪自動車はだれもブレーキを踏もうとしないのですから。
交通信号が緑であっても、左右からだれも突っ込んでこないと思ってはいけません。左右の側は赤信号だからほかの四輪二輪自動車が突然交差点に入ってくることはないなんて、まったく保証のかぎりではないのです。混雑や渋滞でノロノロやイザリ運転を強いられているとき、それが他の車からの脅威がなくなることを意味しているわけでもありません。自車ボディの前後左右に擦り傷やへこみが生じるリスクは依然として満ち満ちています。並んでいる車の間に少しでも入っていけそうな隙間があれば、二輪車ライダーは疑いなくそこへ入り込もうとします。だから前後左右の車間距離を中途半端に開いてはなりません。もし二輪車を入れてやろうと思うなら十分広いスペースを開けてやり、入ってほしくない場合にはオートバイが入れないくらいのスペースに前と横の車間距離を詰めなければなりません。
警察は路上の蛮行をいまだに放置しており、蛮行はエスカレートし続けています。[ デポッ在住、クン・スリスティヨ ]


「たった13ドルの航空券払い戻し」(2010年7月21日)
2010年5月26日付けコンパス紙への投書"Refund Tiket SQ di Vayatour"から
拝啓、編集部殿。わたしはクリスフライヤー会員で番号は8087885447です。2009年9月11日にシンガポール行き往復航空券をチュンカレンのウィスマスワルナにあるヴァヤトゥルで購入しました。シンガポールへ治療に行く親に同行するためのもので、ジャカルタ〜シンガポールは2009年9月12日のSQ957便、戻りは2009年10月5日のSQ960便を予約し、UOBブアナ銀行クレジットカードで3,769,000ルピアを支払いました。
ジャカルタ〜シンガポールは当初の予定通りでしたが、急用ができたので戻りの航空券は未使用のままジャカルタへ戻りました。2009年9月28日、わたしはその未使用航空券の払い戻しをウィスマスワルナのヴァヤトゥルに申請しました。担当のプルワトモさんは、払い戻し手続は三ヶ月だと言いました。しかしヴァヤトゥルからわたしのクレジットカード口座への払い戻しはいつまでたっても実現しません。
2010年3月19日、ヴァヤトゥルから電話連絡があり、シンガポール航空が払い戻し金を100米ドル差し引いたのでわたしへの返金は13米ドルだけであり、現金をウィスマスワルナのヴァヤトゥル事務所に取りに来るようにとの話でした。
2009年9月11日にわたしは別の旅行代理店で親のための航空券を購入しており、やはりシンガポール航空をブッキングしています。親の分の未使用航空券もわたしはそれを購入した旅行代理店に申請していました。こちらのほうは2010年2月5日に全額が払い戻しされ、シンガポール航空がカットしたという100米ドルのロスは起こっていません。[ ジャカルタ在住、ハリー・アンキリワン ]
2010年6月10日付けコンパス紙に掲載されたヴァヤトゥルからの回答
拝啓、編集部殿。ハリー・アンキリワンさんの2010年5月26日付けコンパス紙に掲載された投書について次の通りお知らせします。当方はハリーさんにお会いして、ヴァヤトゥルと他の旅行代理店の払い戻しプロセスと費用の違いを説明し、ご本人はそれを了解され、誤解はこれにて解決いたしました。[ ヴァヤトゥルスワルナブランチマネージャー、リチャルド・シトルス ]


「オーストラリア線就航航空会社が増加する見込み」(2010年7月24日)
インドネシア=オーストラリア航空協定改定でインドネシアからの旅客輸送枠が週4千席増やされて14,800シートとなった。現在乗り入れているガルーダとインドネシアエアエイシアの2航空会社に加えてバタビア、スリウィジャヤ、ライオン、マンダラの4航空会社が就航希望を表明しており、6社が毎週14,800人の乗客争奪競争を開始すれば航空運賃は顕著に低下するのではないか、と期待されている。
オーストラリアへの乗り入れを希望する航空会社はまず国際規定である民間航空安全規定をクリヤーしなければならず、その上で政府運通省に届け出なければならない。可能性は現在乗り入れているガルーダやエアエイシアにもあり、乗り入れ先空港の増加もしくは便数の増加も起こりうるシナリオだ。


「ホワイトホースプレミアムキャブ」(2010年7月31日)
観光陸運事業を行っているWhite Horseが観光タクシーを始めた。題してWhite Horse Premium Cab。スカルノハッタ空港2Dと2Eターミナルでスタンバイしているこの観光タクシーは初乗り7千5百ルピアでキロごとに4千4百ルピアの料金。この料金はジャカルタ発の日中のもので、観光地への遠出などで夜走る場合は運転手の交替要員が同乗するので一晩ごとに10万ルピアの追加料金がかかる。
ホワイトホースの観光バス・レンタカー・シャトルバス・観光タクシーを運営しているPT Panorama Transportasiのコールセンター電話番号は021−63855005で勤務時間帯は06:00−22:00。URLはwww.whitehorse.co.id。


「ガス燃料バジャイはスグレモノ?!」(2010年8月3日)
ガス燃料使用バジャイが安全快適と評判がよいことから都庁はこの排気ガス汚染軽減型バジャイへの切り替えを強く唱導し、2010年1千台2011年1千台の切り替え計画を組んだ。 首都のバジャイ移行計画は2006年に開始された。しかしガス燃料型バジャイは一台が5千5百万ルピアという価格になっており、当時のバジャイオーナー投資家や運転手は高すぎるとして冷ややかな反応を示した。その後都庁の説得や一部関係者の協力で細々ながらガス燃料バジャイへの切り替えは進められ、2009年には750台のガス燃料バジャイが都内を走るようになっていた。ガス燃料型バジャイの価格が高いのは税法に従って奢侈品税が課されていることもひとつの原因になっている。
それはどうあれ、現実に街中にガス燃料バジャイが登場し、現在あるガソリン燃料バジャイより安全快適という認識を大勢の関係者が持つに至って、ガス燃料バジャイの評価が高まり、人気が盛り上がってきた。そこをとらえて切り替えにドライブをかけようと都庁が意欲的な計画を組んだのがこれまでの経緯。
ジャカルタで稼動しているバジャイ総数は14,500台あり、2010年6月時点のガス燃料バジャイ964台では排ガス軽減に「焼け石に水」。しかし今度は、バジャイ生産者に障害があることが明らかになってきた。ジャカルタバジャイ協会会長は、バジャイ生産者の生産能力はどう頑張ってもひと月100台前後がいいところで、今年既に納入された分を含めてあと半年ほどの生産では年間1千台は難しく、今年は800台がいいところだ、と語っている。ともあれ、排ガスと騒音を撒き散らし、乗客は震動で舌をかむとまで言われている在来型バジャイよりはスグレモノのこのガス燃料バジャイが都内にあふれるようになるのはいつだろう?


「キジャンからグランマックスへ」(2010年8月7日)
昔、小型乗り合いバスはオプレッと呼ばれていた。英国製のオースティンやモリスあるいはドイツ製オペル車を改造したもので、オプレッはopeletあるいはopletと綴られるようにその名はどうやらオペルに由来しているようだが、オースティンやモリスの乗合い仕様車もオプレッと呼ばれた。それが都内の道路や郊外の街道を走って庶民の重要な中距離交通機関になっていたが、その後Bemoと呼ばれるダイハツ三輪車ミゼットに取って代わられ、さらに1977年から生産が開始されたトヨタキジャンに移り変わり、アジアカーのキジャンはMikroletという名で小型乗り合いバスを一色に塗り替えた。
自家用車としてのキジャンも大衆車としてインドネシアの路上を長年にわたって埋め尽くしたが、従来のミニバスコンセプトから脱却したキジャンイノバに進化していったことで、ミニバス需要家たちはその後継機種を探し出す必要に迫られるようになった。そんな背景の中でスポットライトを浴び始めたのがダイハツグランマックスだ。最近都内では、ミクロレッキジャンの中に混じってグランマックスの姿が目立つようになってきた。
ミクロレッもそうだが、ビジネス業務用小型車両としてのピックアップトラックも購入者にとってはきわめてコストオリエンテーションの高いものだ。要は、一日中走り回ってくれてあまり金を食わない車種という条件が最優先される分野なのである。この分野でもグランマックスの人気が高まっている。ピックアップトラックというのは今やインドネシア語化されてpikapと呼ばれているが、そのピカップ車の売行き状況を2009年の一年間と2010年上半期の半年間で比較対照したのが次の表だ。この分野ではスズキキャリーが昔から圧倒的な人気を誇っているが、二位につけていた三菱とグランマックスの間で今やしのぎをけずる争いが展開されている。
モデル: 2009年販売台数 / 2010年上半期販売台数
スズキキャリー: 16,799 / 14,719
三菱L−300:  12,451 /  8,947
ダイハツグランマックス: 9,499 / 9,376
三菱T−120SS: 7,700 / 7,910
三菱L−200: 4,803 / 3,061
トヨタハイラックス: 4,746 / 4,195
フォードレンジャー: 4,057 / 1,841
いすゞパンサー: 3,640 / 2,607
ミニバスタイプ車のグランマックスも売行き好調で、ダイハツはゼニアとグランマックスというふたりのエースを擁することになった。メーカー別販売台数で三菱との二位争いは一層白熱化するにちがいない。


「ガルーダは遅延がビアサ?」(2010年8月7日)
2010年6月4日付けコンパス紙への投書"Turun Pesawat Garuda Naik Bus"から
拝啓、編集部殿。わたしはGFFカード保有者です。2010年4月10日、わたしはガルーダ航空878便のエアバスA330−200で韓国へ飛びました。ジャカルタへの戻りは4月14日のGA879便でした。ところがスカルノハッタ空港に到着したところ、飛行機からタラップで下ろされ、バスに乗せられたのです。わたしの隣にいた韓国人は、「ガルーダってこんなのか!」と不満を洩らしていました。
スチュワーデスの話だと、パーキングロケーションがいっぱいになっているから、ということでしたが、国際線のフライトに優先権が与えられるべきです。おまけにガルーダ航空国内線は頻繁にディレイします。わたしはガルーダ航空をよく利用しますが、ボーディングカードに書かれた搭乗時間が守られたことはありません。たとえば2010年4月15日と22日のGA216便は、ボーディングカードに記載された搭乗時間が16:40となっているというのに、搭乗してテイクオフしたのは17:45でした。なぜならその飛行機が着陸したのは16:30だったのですから。同様にジョクジャ発GA203便もボーディングカードに07:35と記載されていますが、その飛行機が着陸したのは07:30で、結局テイクオフは08:25でした。時間が守られるのはジョクジャ発GA201のような早朝便だけです。
ディレイするのはその飛行機の到着が遅れるからです。737−800機では乗客が降りてから機内清掃が行なわれるのに30分かかります。搭乗は、満席の場合扉が閉まるまでに25分程度かかります。飛行機が到着してからふたたび離陸するまでに1時間から1.5時間の時間が必要でしょう。ところがスチュワーデスから聞いた話だと、飛行機の地上待機時間は40分だそうで、どこかの空港でディレイが発生すればそれ以後のすべての空港ではディレイ続きが疑いありません。[ ウォノソボ在住、ユダ・ウィジャヤ ]


「SQがスペシャルオファー」(2010年8月9日)
シンガポール航空がジャカルタから二人以上で一緒に飛ぶひとに特別料金をオファーしている。
パース USD538−
バンガロール・チェンナイ・コロンボ・ダッカ・福岡・ムンバイ・ソウル USD668−
ブリスベン・メルボルン・シドニー USD688−
アムステルダム・コペンハーゲン・フランクフルト・ミュンヘン・チューリッヒ USD1,098−
ロンドン・マンチェスター USD1,188ー
上の料金はエコノミークラス往復のひとり分で税金と燃油サーチャージは含まれているが、ジャカルタの空港税とその他の旅行費用は含まれていない。この特別料金はふたり以上で一緒に同じ往復のフライトに搭乗する場合に限られ、予約したフライトの変更はできない。訪問国のビザが取得できなかった場合に限って払い戻し可能。このオファーは2010年7月22日から8月24日までの購入で、出発フライトは2010年10月1日から11月30日までのものに限定される。
他の目的地についてはsingaporeair.comをご覧くださいとのこと。


「バタビア航空がローマ線就航に意欲」(2010年8月10日)
一部のインドネシア航空会社に対してEU乗り入れが解禁となり、ガルーダ航空はアムステルダム線を復活させた。次の乗り入れ先として焦点が当たっているのがローマ空港で、バタビア航空はこの路線就航に熱い意欲をたぎらせている。先に話の上がっていた日本への直行航路開設よりもローマ線を優先する意向らしい。
ローマ線はバンコックを経由する計画が既に本決まりだが、発地をジャカルタにするかデンパサルにするかがまだ検討のまな板に乗っている。もちろんジャカルタ〜デンパサル〜バンコック〜ローマという折衷案も候補のひとつになっている由。使用機種は222席のA330−200型が決まっており、バタビア航空は2011年からローマ線の運航を開始したい由。


「マンダラ航空がLCCに変身」(2010年8月11日)
「航空券料金上限が改定される」(2010年7月6日)で報道されている三段階グレード別の対象航空会社リストに変更が出てきた。
次のリストが最新版になる。
フルサービスフライトはガルーダ航空だけ。
メデイアムサービスフライトは、Merpati Nusantara Air, Batavia Air, Sriwijaya Air, Kartika Air, Kalstar Aviation, Trigana Air Service, Riau Air, Indnesia Air Transport, Express Air。
ミニマムサービスフライトは、Lion Air, Wings Air, Indonesia AirAsia, Dirgantara Air Service, Travia Air, Mandala Airlines。
マカオと香港向け国際航路に乗り出したマンダラ航空は、ノンフリルエアライン(low cost carrier)に徹することを決意したようだ。


「二路線で運航サービス廃止」(2010年8月12日)
インドネシアエアエイシアが2010年10月1日からジャカルタ〜スラバヤとジャカルタ〜メダンの二つの航路で運航を停止すると発表したため、一部メディアはすわ経営危機という憶測を流した。しかし弊社の経営状況は上々だ、と同社広報マネージャーがその事情に関する記者発表を行なった。
2010年第2四半期同社のロードファクターは75%で乗客数は947,786人に達し、対前年同期比9.8%の上昇を示している。同社はメダンとスラバヤ発の国際線開設を予定しており、そのため国内線を閉じて機体を国際線に回すことを決めた。上の二つの航路の廃止はそのためだ、と広報マネージャーは説明している。スラバヤ発の国際線開設はシンガポール・バンコック・クアラルンプル向け、メダン発はシンガポール・クアラルンプル・香港/マカオという航路がそれぞれ計画されている。
10月1日以降の運航停止航路航空券を既に購入している顧客に対しては払い戻しが行なわれる。クレジットカードによる購入はクレジットカード口座への返金、デビットカードはデビットカード口座への返金、現金購入は現金での返金となるが、顧客がその金を別の航空券購入に引き当てたい場合も希望に応じた取扱が行なわれるとのこと。


「都内駐車料金が値上がりする?!」(2010年8月18日)
駐車場に預けた自動車が紛失した事件で車のオーナーが駐車場運営者に損害賠償を求め、一審二審に敗れた駐車場側が上訴した最高裁でも判決を覆すことができなかったことから、インドネシアの駐車場における自動車盗難の駐車場運営者責任がやっと確立された。言うまでもなく駐車場側は預かった車のリスク回避を目的に保険を利用することになり、新たな経費負担が発生する。しかし駐車料金を定めているのは都庁であり、勝手に値上げすると都庁から大目玉を食らうのは今年年初に実証されている。
ということで業界は都知事に陳情して駐車料金の値上げを求めた。都内の交通事情改善に頭を悩ましていた都知事は、駐車料金を高くして都内に乗り入れる車両台数を減らすというアイデアを実行に移すチャンスが回ってきた、とこの事態を見た。
ファウジ・ボウォ都知事は、駐車に関する1999年都条例第5号と駐車料金に関する2004年都知事規則第48号の改定を行なう意思を表明している。都知事の考えは、都内をいくつかのゾーンに分けてゾーンごとに異なる料金を設定するというもので、交通密度の高いゾーンは駐車料金を高くすることでやってくる車両の数を減らせる効果が出せるのではないかと都知事は期待している。この新構想に関して都知事は、決して都庁収入を増やそうという理由でなく、交通状況改善を目的にするものだ、と都民に理解を呼びかけている。


「鉄道列車スリ」(2010年8月18日)
2010年6月27日付けコンパス紙への投書"Copet di Kereta Api Prameks"から
拝啓、編集部殿。わたしの娘は最近プルウォレジョからジョクジャの大学へ通うとき、スリの被害を受けました。そのとき娘は携帯電話をズボンのポケットに入れていましたが、到着した列車に乗るときの押し合いの中で何者かがその携帯電話器をスリ取ったのにまったく気付きませんでした。列車が動き出してからポケットの携帯電話器がなくなっているのに気付いたのですが、そのときはもう何の手を打つこともできませんでした。
その次の日は、わが家の向かいにあるお宅のお子さんが、やはりパラメクス号の列車内でスリに携帯電話器を盗まれました。それらのできごとを見ると、犯人は警戒心がまだ十分に育っていない若者たちを狙って犯行を繰り返しているように思えます。わたしはパラメクス号の別の乗客が同じ被害に会わないことを願っています。同じような被害を受けた被害者はきっとたくさんいるに違いありませんが、きっと届出はなされていないと思います。
関係当局に対し、列車乗客の安全と快適を守るよう要請します。そしてパラメクス号を利用している同胞のみなさん、仲間に危害を及ぼそうと狙っている悪人を互いに監視しあうようにしようではありませんか。[ プルウォレジョ在住、エティ・ギマヤンティ ]


「5空港で拡張が必要」(2010年8月20日)
スカルノハッタ空港の年間乗客収容能力はせいぜい2千2百万人なのに、2009年の同空港利用者数は3千7百万人を記録した。芋の子を洗うような同空港ターミナルビル内の様子がそれを裏書している。その緩和に向けて空港第3ターミナルの建設計画が進行中であり、また最近国内線ターミナル1Cの改装が終わって能力拡張も徐々に進められつつある。1Cの次は1Aそして1Bの改装が予定されているとのこと。
しかしスカルノハッタ空港での芋の子洗いの苦情は年中耳にしているのだが、スカルノハッタだけが混雑しているはずがない。スカルノハッタの混雑を送りつけられている空港があるに違いないのだが、これまでその話はあまり公にされていなかった。
空港運営会社PTアンカサプラ?は管下の5つの空港が収容能力オーバーになりかかっていることを明らかにした。その5空港とは、バリのグラライ(Ngurah Rai)、スラバヤのジュアンダ(Juanda)、マカッサルのハサヌディン(Hasanuddin)、ジョクジャのアディスチプト(Adisutjipto)、バリッパパンのスピンガン(Sepinggan)。
中でもアンカサプラ?の稼ぎ頭であるグラライ空港は国内線ターミナルの年間収容能力が150万人でしかないのに、現実には460万人がそこを通っている。国内線ターミナル面積は1万4千平米で、国際線ターミナルの6万8千平米の5分の1に満たない。現在の計画によれば、空港ターミナルの総面積を12万6千平米に拡張して年間乗客収容能力を1千2〜3百万人にもっていくことになっている。


「鉄道の狡猾な罠」(2010年8月30日)
2010年6月27日付けコンパス紙への投書"Petugas Satgas Kereta Api Progo"から
拝啓、編集部殿。ジャカルタのパサルスネンとジョクジャのルンプユガンを往復するプロゴ号は最近パサルスネン駅を21時10分に発車しています。満席になると座席番号がブランクの立ち席切符が販売されるのですが、それでも料金は3万5千ルピアで、座席に座れるひとと同じ料金なのです。
ところが列車内に入るとまだ空席があり、その座席番号が記載された切符を持っているひとがまったくやって来ないのです。結果は明らかで、立ち席切符を持った人がそこに座ることになります。するとおかしなことが起こります。列車は進行途中でしばらく停車し、そしてブカシ駅へと向かいます。
すると突然タスクフォースの制服を着た職員とシャツ姿でタスクフォースの帽子だけかぶった職員のふたりが車内に現れ、空席に座った立ち席切符の乗客に金を払うよう要求するのです。金を払わないなら座るな、と言って。かれらのそんな好き勝手な行動はいったいどんな規則に合致したものなのでしょうか?[ ジャカルタ在住、ヘンドラ・ラフディヤント ]


「スマンギ立体交差の渋滞対策」(2010年8月31日)
都内の交通渋滞が激しさを増している中、交通の流れに障害を及ぼしている要因を取り除くことに努めている首都警察と都庁運通局が、スマンギ立体交差の西から東への流れが特に悪いことに着目した。ガトッスブロト通り東行きとスディルマン通り南行きという高密度のふたつの流れがそこで合流するが、合流した直後にプラザスマンギに入ろうとする車列が道路の左側車線に、スマンギ?ゲートから都内環状自動車道に入ろうとする車列が道路の右端車線に形成されてボトルネックが発生する。
そのため首都警察は自動車道管理会社の協力を得て2010年8月20日からラッシュアワー時間帯にスマンギ?ゲートを閉鎖するトライアルを開始した。いつものようにスマンギ?から自動車道に入ろうとする車は、ゲートが閉まっており「スマンギ?ゲートから入れ」と記された看板が置かれ、交通警官が流れるよう誘導しているため、そのままゲート前を流れて行かざるを得ない。こうしてガトッスブロト右端車線の流れはスムースになった。
その成果に気を良くした首都警察は今後その一帯の渋滞状況に応じてスマンギ?ゲートを開閉することにしたが、副都知事はスマンギ?ゲートを恒久的に閉鎖しスマンギ?ゲートの支払ブースを増やして増加する車の自動車道進入能率を高めることを提案している。この対策はトゥブッ(Tebet)?ゲートやスリピ(Slipi)ゲートなどやはり渋滞の原因になっている場所にも応用することを副都知事は表明している。
スマンギ立体交差の渋滞解消策で道路右側のネックが平らにされたあとは左側も滑らかにさせる対応が残されており、都庁はプラザスマンギのガトッスブロト側入り口を閉鎖してスディルマン通り側入り口だけにするようプラザスマンギ運営者に要請している。


「ブカシ市でパンク強盗が増加」(2010年9月3日)
2010年8月20日朝、ブカシ市マルガハユのカルティニ通りを通行中だったキジャンイノバの後輪が左右とも空気抜けになった。走れなくなったため、ひとりで車を運転していた韓国人パク・スンヒュン52歳は車を道路脇に停めると同僚に電話して交換用タイヤを持ってきてくれと頼んだ。
車をロックし、車外の木陰で同僚が来るのを待っていたパクは、イノバのアラームが突然鳴り出したのに驚いて車を調べに近寄った。そして助手席側の窓ガラスが割られており、車内に置いてあったコンピュータと現金2千5百万ルピアを入れておいたバッグの姿が消えていることを発見して力が抜けた。
盗難届けを受けて現場検証に赴いたブカシ市警は、現場周辺にたむろしているベチャ曳き数人に聞き込みを行なったが、犯行を目撃した者はひとりもおらず、犯人に関する情報は何も得られていない。ブカシ市では8月に入って類似の事件が既に2回発生しており、被害者はコンピュータや証明書等を奪われている。ブカシ市警はイドゥルフィトリに向けて市内パトロールを強化しているが、自動車運転者は運転中路上にもっと注意を払い、何らかの理由で道路脇に停車する場合にも常に警戒を怠らないように、と市民に注意を呼びかけている。


「なりすまし強盗」(2010年9月14日)
許可を得ていない黒ナンバープレートの乗り合い運送車両はオンプレガン(omprengan)と呼ばれる。つまりは非合法だが、需要があるからこのビジネスが興るのであって、非合法だから乗らないというインドネシア人は滅多にいない。これも国民総犯罪者化社会の一特徴だと言えよう。
2010年9月1日朝、女性会社員デスネリ37歳はジャカルタの会社に出勤するため、ジャカルタへ行くというオンプレガンに乗った。オンプレガンが客待ちしていたのはブカシ市チカンペッ自動車道東ブカシ料金所の前。マイクロバスには運転手と助手がいて、車内には男の客がひとりいた。普通、客がふたりでは発車しないオンプレガンがすぐに動き出して自動車道に入ったから、デスネリは運が良かったと思った。しかしそれも束の間、その男の客が刃物を突きつけたからデスネリは驚いて運転手と助手に助けを求めたが、言うまでもなくかれらは全員が一味だったのだ。
現金、指輪、ネックレス、携帯電話、ATMカードを奪った一味は次の料金所から一般道に出てATMブースに向かった。デスネリからPIN番号を聞きだした一味はデスネリの口座から540万ルピアをも奪った。
解放されたデスネリはすぐにブカシ市警南ブカシ署に駆け込んだ。警察は27歳・23歳・20歳の三人を逮捕した。主犯は乗客を装って車内にいた27歳の男で、子供が病気で金が必要だったので他のふたりを誘い、レンタカーを借りてオンプレガンになりすました、と取調べに自供している。


「エアエイシアの罠」(2010年9月14日)
2010年7月13日付けコンパス紙への投書"Trik AirAsia"から
拝啓、編集部殿。わたしは国内線国際線ともに古くからのエアエイシア利用者です。おかげでひとびとは空の足の利用がたいへん容易になりました。お金もかからなくなり、切符の注文もオンラインブッキングで容易に行なえます。ところが最近利用者が困難を味わう事態が出現するようになりました。さまざまなトリックのために。
バゲージ申込みでは、メデイアムバゲージオーダー(20キロまで)がデフォルトになっており、バゲージなしがデフォルトにされていません。わたしは重い荷物を持って飛行機に乗ろうとしたことがほとんどないので、バゲージファシリティを使ったことがありません。罠はここから始まるのです。切符購入者はよくよく気をつけていないと、バゲージオーダーなどしていないというのに、知らないうちにバゲージ料金が上乗せされてしまいます。わたしは切符の注文を急いで行なったためにこの罠に引っ掛かったことがあります。
保険申込みでは、デフォルトは自動発注となっており、それを取り消したい注文者には更なるトラブルが待ち構えているのです。「キャンセル」をクリックしても、次の「OK]は取消承認を意味しておらず、ふたたびオーダー画面に導かれるのです。同じことは座席予約にも起こります。
もっとうんざりさせられるのは、予約変更です。わたしはオンラインでそれを行ったことがありますが、支払画面に到達する前にわたしはプロセスを取り止めて画面を閉じました。その場合、イニシャル画面に戻るのが当たり前だと思いますが、事実は違っていました。エアエイシアのコンピュータはわたしの変更が完了したとして、そのチャージを請求したのです。
苦情はもっともっとありますが、とりあえずくのくらいにしておきましょう。みなさん、エアエイシアの罠には気をつけてください。[ ボゴール在住、アブドゥル・ワヒッ ]


「大多数が望むからそうなる」(2010年9月20日)
2010年7月3日付けコンパス紙への投書"Tertibkan Hari Bebas Kendaraan di Jakarta!"から
拝啓、編集部殿。ジャカルタのタムリン〜スディルマン通りで毎週末にカーフリーデイが実現して以来、わたしも自転車でその賑わいに加わっています。カーフリーデイの最初の目的は大気汚染と騒音を減らすことでした。カーフリーデイを賑わしているのは、自転車・歩行者そしてフットサル・バドミントン・バレーボールなどの運動を行なっているひとたちです。最初、そこの雰囲気は安全、快適、整然、静か、それでいて明るく親しみのもてるものでした。物売りはおらず、道路は秩安職員がしっかり監視していました。
そのうちに物売りが紛れ込むようになり、最初は秩安職員と鬼ごっこの態でしたが、物売りの人数が増加したため秩安職員の手に負えなくなりました。前は即席野外ステージなどひとつもなかったのに、今ではタムリン通りにステージが何十もひしめいています。
ここ三ヶ月ほど、タムリン〜スディルマン通りのカーフリーデイは無秩序と喧騒の渦の中です。ソト売りや揚げ物売りから生野菜商人までが道路の真ん中で店開き、テントが並んで仮説市場の態をなしています。
以前はBike to Workコミュニティのボランティアが車線のひとつをケアし、他の車線は歩行者用とされ、秩序正しく整然としていました。最近は自転車乗りと歩行者が入り乱れ、製品販促ステージは道路の真ん中に進出。ジャカルタの都市運営の乱雑さは完璧です。[ タングラン在住、アルデイヤント ]


「ピッ・ジェンキ・ジュパン」(2010年9月25日)
バティックで有名なプカロガンにもうひとつ有名なものがある。かれらの言うpit jengki Jepangなるものがそれだ。pitはオランダ語のfietsがインドネシア語化されたもの、jengkiは英語のyankeeに由来し、Jepangは言わずもがなの日本。さて、そりゃいったい何のこと?
スマランからジャカルタに向かってジャワ島北岸街道を西進すると、険峻なアラスロバン(Alas Lobang)を超えてから長い降り道を延々と走る。巨大なドリアンの像などを目の端にとらえながらしばらく行くと街並みが始まる。そこはまだバタン(Batang)の町なのだが、いつの間にか道路沿いの看板に書かれた住所がプカロガンに変わっていて驚くという趣向だ。バタンの街中はたくさんの自転車が走っており、その光景はプカロガンの街を抜けるまで続く。
市民の大半が自転車に乗っている街はインドネシア広しと言えどもここしかないそうだ。そう、プカロガン市民の足は自転車なのである。そのプカロガンの市民が「これがサイコー」と言って愛用しているのが、なんと日本製の中古自転車。フレームの上管がサドル側に向かって斜めに下降している女性用自転車で、ハンドルの前には必ずかごが備え付けられている。プカロガンでは中高生からバティック生産者、一般市民から肉体労働者までがその日本製中古自転車を愛用している。男も女も青年から大人まで、みんなその女性用自転車に乗っている。
念のためにピッ・ジェンキ・ジュパンの説明をするなら、ピッは二輪車、ジェンキは斜めフレーム上管デザインで、ジュパンは日本製のものということになる。インドネシアの西洋建築デザインの中にジェンキ様式屋根というものがあり、そのイメージを自転車のデザインに当てはめて名付けたのではないかという気がするのだが、真相はどうだろうか?


「スカルノハッタ空港駐車場は混乱の極」(2010年9月25日)
2010年8月28日付けコンパス紙への投書"Tersesat di Lapangan Parkir Bandara Soekarno-Hatta"から
拝啓、編集部殿。バンテン州タングランのスカルノハッタ空港へ行くとき、わたしは過去数年間常にバスを使っていましたので最近の空港駐車場がどのようになっているのかについてまったく知識を持っていませんでした。去る7月23日にわたし自身がメダンとリアウからの来訪者グループを迎えに行くことになりました。自動車駐車場から外へ出るのに通り道が皆目わからず、わたしはどんなに困惑したことか。おまけに違反通行までしてしまったのですから。
わたしが思うに、問題の根は二輪車がたくさん四輪車の駐車スペースを奪っていることにあるようです。もうひとつの問題は駐車場にある表示と標識が混乱の極みで、そのため駐車場から出たい四輪車運転者に駐車場内を堂々めぐりさせることを強いています。
国際空港としてスカルノハッタは、公共サービスがどれほど運営者の筆頭責務であるかということを理解するひとびとによって運営されてしかるべきです。駐車場のあり方を再整備してください!二輪車駐車場を出発ロビーと到着ロビーからあまり遠くない場所に用意し、かれらが四輪車の駐車スペースに割り込むのを禁止してください。
二輪車用駐車場にオートバイを停めないライダーには容赦ない措置を取らなければなりません。定められた駐車場所を守らないライダーに対してオートバイに駐車違反ロックもはめないで慈悲たっぷりの担当者ばかりのようにわたしには見えます。[ 南ジャカルタ市在住、ウィディヤ・パルワンドノ ]


「補助金付きガソリン購入は古い車だけ」(2010年9月27日)
自動車用燃料の補助金支出削減をどのように実施しようかと検討していた政府は、製造年が2005年以降の四輪自動車をすべて補助金付きガソリン使用対象外とする新たな方策に行き着いた。インドネシア大学が提出した調査研究報告書がその案のベースになっている、とハッタ・ラジャサ経済統括相が明らかにしている。
その報告書によれば、2005年以降に生産された四輪車のオーナーはほとんどが中上級経済層であり、国の補助金が付いた燃料を使うのにふさわしくない階層であるとのこと。その製造年を規準にして線引きした場合、一年間に補助金付きプレミウムガソリン85万キロリットルの消費がセーブされることになり、2兆ルピアの補助金が削減できることになる。
この政府案に対して業界経営者のひとりは、実行段階の細かい条件を考慮して対策を決めておかなければ期待された効果は出ないため、実施の際にはよくよく練り上げられたものが打ち出されなければならない、と政府に警告した。「ガソリンスタンド従業員に車の製造年をどうやって判別させるのか?ステッカーのようなものを車に貼付する場合、贋造ステッカーが必ず出回ることへの対応を考えておかなければならない。また明らかに違反とわかっていても、客がプレミウムガソリンの購入を言い張ったときスタンド従業員がそれを拒めるかどうかということも考慮されなければならない。それら実行段階での問題は別にして、2005年以降のユーロ2適合車はエンジンのメンテナンスや排気ガスといった面でプルタマックスを使うほうがより適しており、技術面から見てその方向性は間違っていない。」
これはまだ政府方針として確定されたものではない、と前置きしながら経済統括相は、実施される場合は首都圏から段階的に全国に拡大して行くようになるだろう、とのアイデアを開陳した。「首都圏内だけでもクラスターを決めて段階的に開始される。これまで流通ルートの中で相当な水漏れが起こっていたから、その対策を行なう必要もある。補助金付き燃料はまずデポに出されるが、そこで水漏れが起こっていた。だから今後は直接ガソリンスタンドに出されることになるだろう。」
石油天然ガス下流事業活動統制庁とプルタミナはその方針案を首都圏で実施する際の地区割りを検討し始めている。取っ掛かりとしてはこれまでプレミウムガソリンの販売量が目立って大きいガソリンスタンドを中心にした地区割りになる見込み。実施地区内にあるすべてのガソリンスタンドではプレミウムのストックを減らしてプルタマックスを増やし、給油ポンプのノズルをプレミウムは大きいものにプルタマックスは小さいものに変更する計画。この地区割り方式はかえって未実施地区のプレミウムガソリン販売を暴騰させるかもしれない、とかれら自身が懸念を表明している。現在のプルタマックスの全国消費量は一日2千キロリッターでストックは10万キロリッター、プルタマックスプラスは一日2百キロリッターでストックは3万キロリッター。


「プルタミナがプレミウムの市場供給削減」(2010年9月30日)
石油燃料に対する政府の補助金支出が膨張しすぎないようにとの判断で、PTプルタミナは補助金付きガソリンの供給を制限する計画。
ジャワ・バリ地区のプルタミナガソリンスタンドは補助金付きガソリン「プレミウム」の販売量を減らして補助金の付かないプルタマックスを増やす方針で、2010年10月1日からプレミウムの供給量はジャワ・バリ地区で月間10万5千キロリットル削減される。首都ジャカルタと西ジャワ州は10月1日から、中部東部ジャワとジョクジャ並びにバリは10月中旬からこの方針が開始される。そのため各地でプレミウムの売り切れが続発することが予想される。
プレミウムガソリンが無くなれば、消費者はプルタマックスと非プルタミナ系ガソリンスタンドの標準ガソリンのいずれかを選択するという立場に投げ出されるわけで、自動的にプレミウムからプルタマックスに移動するという保証はなにもない。しかし消費者をプルタマックスの購入に誘導するため、これまでプルタマックスを販売していなかったガソリンスタンドにもプルタマックス用貯蔵タンクとキャノピーが設置される。地方部ではその設置に15〜20億ルピア、都市部では50億ルピアの新設投資が必要になる。首都圏の1,336プルタミナガソリンスタンドのうち7百スタンドは現在既にプレミウムとプルタマックスの並行販売を行なっており、ジャワ島全域では2千7百あるガソリンスタンドの85%が並行販売になっている。 この方向性は悪徳ガソリンスタンド業者が自分の手の内でプレミウムとプルタマックを混合してプルタマックスとして販売する機会をプルタミナ自身が提供することを意味しており、その悪徳行為に対する十分な監視機能を持たないプルタミナはアンビバレンツな立場に立たざるを得ない。あちらを立てればこちらが立たなくなり、消費者はその双方で発生する損害に苦しむことになりそう。


「走行中にタイヤが破裂」(2010年10月4日)
2010年8月5日付けコンパス紙への投書"Ban Mobil Bridgestone Meledak"から
拝啓、編集部殿。わたしは2008年製トヨタキジャンイノバを運転しており、タイヤはブリジストン製です。わたしがこの体験をしたのは2010年7月3日で、チカンペッ〜パダララン自動車道をバンドンに向かって走っているときでした。走行中に左後部のタイヤがはっきりした原因もないのにいきなり破裂しました。そのとき道路は混雑していたので、時速は50〜60キロ程度であり、かつまたわたしは中央車線を走っていたのです。わたしはすぐに車を左に寄せて停車し、タイヤの様子を調べました。タイヤは一面に表層部がめくれており、見るも無残なありさまでした。破裂の原因をチェックしましたが、硬い鋭利なものを踏んだ様子はありません。
わたしはオート2000で定期的にこの車のサービスを受けており、破裂事故が起こったほんの数日前に定期点検を受けたばかりでした。こんなことが起こったら、ほかの三本のタイヤが心配でなりません。もっと危険な状況で同じことが再発しない保証はないではありませんか。[ ジャカルタ在住、スギノ・マルジョハン ]


「スカルノハッタ空港は国の実相を映す鏡」(2010年10月8日)
ニセモノ商品や小物必需品などを売り歩く物売りが徘徊し、シロタクが客引きをし、荷物を運ぶふりをして金を強要するニセポーターが駐車場で待ち構え、出発ロビーでは航空券チャロが横行し、大きなズダ袋を引きずるくず拾いが右往左往して、靴磨きが声をかけてくる。ひとひとひとであふれかえるスカルノハッタ空港ターミナルロビーの姿がそれだ。首都ジャカルタの、いやインドネシアという国家の表玄関はそんな顔を見せている。
スカルノハッタ空港管理会社PTアンカサプラ?はそんな状況に少しでも秩序の回復を持ち込もうとして2010年ルバラン祝祭日の一週間前から9月20日まで、空港へ金を稼ぎにやってくる不法行為者に対する摘発作戦を空港警察の協力を得て実施した。その成果は1,112人の逮捕で、物売り355人、航空券チャロ73人、シロタク500台、ニセポーター21人、空港タクシーの認可なしに客をひろったタクシー18台、くずひろい67人、靴磨き48人、その他空港内で定められている公共秩序を乱した者30人というのがその内訳。かれらが捕まった場所はターミナル1・2・3とそれぞれの駐車場。
ちゃんとした仕事をして金を稼ぐのでなく、公序良俗からはずれたことをして金を稼ぐ人間は社会福祉障害者と呼ばれている。空港という公共施設に金を求めて潜入してくる社会福祉障害者をアンカサプラ?は公共秩序維持のために排除しなければならず、今回はルバランというシーズンをとらえて大規模作戦を実施したが、普段からも折に触れて発見された社会福祉障害者は当局にしょっ引かれている。2010年は1〜7月間に3,266人が捕まっており、今回の成果を含めると5千人近くになる。2009年は年間で1,300人だったから、食い詰めた人間がそれだけ増加しているということをそれは意味しているのかもしれない。
スカルノハッタ空港で捕まった社会福祉障害者は空港警察にしょっ引かれて身元データを記録され、およそ4時間の尋問を受けてから放免される。ケースによっては社会更生施設に送り込まれる者もあるが、たいていの場合は「二度と空港でこんなことはしません。」と約束させられて放免というシナリオのようだ。しかし生活のかかっているかれらが果たして言行一致を示してくれるのかどうか・・・・?


「国の実相はここにも」(2010年10月8日)
2010年9月28日付けコンパス紙への投書"Pemulung dan Penjaja Parfum di Bandara Soekarno-Hatta"から
拝啓、編集部殿。今年の独立記念日の二日後、わたしはプカンバルからガルーダ航空機でスカルノハッタ空港に到着しました。2−Fターミナルから出てバンドン行きの乗り合いバスを待っているとき、わたしの目に驚くべき光景が映ったのです。
ターミナル出口の真向かいに大統領夫妻が「インドネシアへようこそ」と語りかけている大看板の手前を、大きなビニール袋を引きずったくず拾いがゴミを拾いながら自由に歩いているのです。しばらくすると香水売りが数人やってきて、無理やりわたしに商品を売りつけて行きました。
わたしが乗った乗り合いバスは他の乗客を乗せるためにそこから1−Aターミナルへ移動しました。そこでは、タクシーが停まってはいけない場所で数台のタクシーが客を乗せていました。タクシー運転手たちはブルーの制服に白のベルトを締めた空港警備員に何かを渡してそこに停まることを許されていました。
わたしが目にしたそれらすべては、きっとスカルノハッタ空港当局管理者の目にとまらない物事にちがいありません。[ クパン在住、SJMンダオマヌ ]


「女性用自転車は生活スタイルに合う」(2010年10月16日)
1985年以来、三人の自転車商人は共同でタンジュンプリウッ(Tanjung Priok)の輸入商に日本から中古自転車を輸入してもらい、それを再塗装再手入れしてプカロガン市内で販売した。ほとんど毎月、自転車4百台の入ったコンテナ1ボックスがプカロガンに送られて来た。日本で様々に試みられた新機軸の応用された製品も中に混じっていた。組込み式変速ギヤ、光センサー方式の前照灯と発電機、ゴム素材チェーン、ファイバーグラス製タイヤスポーク・・・・ 「日本人は自国の消費者のために良いものを作る。だから素晴らしい品質のものができる。珍しいアイデアの付加されたものでもプカロガンの消費者は決して拒まないし、むしろ人気がある。日本製のものは中古でも割高だ。それでもみんなが買うのは乗り心地や耐久性が優れているからで、そのために使う金を惜しまないのはプカロガン人の合理性だ。再再販する場合でも値段があまり落ちないメリットもあるから。」日本製中古自転車輸入販売ビジネス草分けのひとりはそう語っている。
プカロガンのひとびとは、ジェンキタイプの自転車ボディが自分たちの生活習慣に適していると見なした。サントリやキアイたちは普段サロンを穿いて暮らしている。スカートのようなサロンで自転車に乗れるのは、ジェンキタイプならではのことだ。再塗装再手入れされたピッ・ジェンキ・ジュパンは一番廉くて1台95万ルピア、高いのは200万ルピアにのぼる。中国製のものは新品で75万ルピアから、そして国産品だと新品で100万ルピアからという値段だから、日本製中古品がどれほど高いかというのがよくわかる。


「かごがなければ値が下がる」(2010年10月23日)
日本製自転車のハンドルの前にはかならずかごが着いている。プカロガン市民にとってそれはもう常識。本当は日本製なのにかごが着いていないというだけで値段はガタ落ちする。中高生たちの通学にかごは絶対欠かせない。プカロガンの、そしてバタンの生徒たちはほとんどみんな自転車で学校に来る。5キロ程度の距離はへっちゃらだ。自転車で来ないのは距離が遠すぎるか、あるいは近すぎるかのいずれかで、遠すぎる生徒は乗り合いバスでやってくるし、近すぎる生徒は徒歩でやってくる。だからたいていの学校では生徒数の90%程度が自転車通学族になる。
そんな生徒たちにとって自転車のかごは威力抜群。重い教科書を詰め込んだリュックを背負って自転車を漕ぐのはたいへんだ。生徒たちは重い荷物をかごに置いて身軽にペダルを漕ぐ。
ところが5年ほど前から、日本から輸入される中古自転車にかごが着かなくなるという困った事態が始まった。輸入者は自転車をできるだけたくさんコンテナに入れようとして、かごを外すように方針を変えたのだ。かごがなければ販売価格に影響が出る。自転車商たちはすぐに対策を講じた。中国に新品のかごを発注し、再塗装再手入れの終わった日本製自転車にそれを取り付けた。スラバヤで国産のかごを調達する業者もいる。こうしてプカロガンの消費者はかごだけ新品が取り付けられた日本製中古自転車を百パーセント日本製だと信じて今日もペダルを漕いでいる。


「航空券スペシャルオファー」(2010年10月23日)
シンガポール航空からジャカルタ発のスペシャルオファー。
ジャカルタ⇔シンガポール  US$198−
ジャカルタ⇔バンコック  US$298−
ジャカルタ⇔香港  US$398−
ジャカルタ⇔ソウル・大阪・東京・メルボルン・シドニー  US$698−
ジャカルタ⇔欧州・ケープタウン・ヨハネスブルグ  US$998−
欧州はアムステルダム・アテネ・コペンハーゲン・フランクフルト・モスクワ・ミュンヘン・パリ・チューリッヒ。その他の都市への料金はsingaporeair.comをご覧くださいとのこと。
料金はジャカルタと各都市間エコノミークラス往復料金のひとり分で、2010年10月11日現在のタックスと燃油サーチャージを含んでいるが、ジャカルタの空港パッセンジャーサービス料金(通称空港税)と他のサービス料金は含んでいない。
このオファーは2010年11月15日まで有効で、2010年12月16日出発分まで適用される。
二人以上が同一のフライトを利用するのが必須条件になっており、フライトの変更は不可。ビザが降りなかった場合に限って払い戻し可。
その他の条件あり。座席数限定。料金は通知なく変更されることがある。


「今年の東南アジア最優秀航空会社はガルーダ」(2010年10月25日)
2010年4月にスカイトラックスから改善顕著な航空会社として表彰を受けたのに続いてガルーダ航空が、今度は東南アジア最優秀航空会社という評価をアジア太平洋航空センターから与えられた。シドニーに本拠を置く独立空運リサーチ機関のアジア太平洋航空センターはガルーダに5星級の評価を呈した。
スカイトラックスの評価では、ガルーダはシンガポール航空・マレーシア航空・キャセイパシフィック航空・アシアナ航空・キングフィッシャーと同等の5星級となっていたが、アジア太平洋航空センターの評価では、ガルーダは8.48ポイントの最高点をマークし、バンコック航空の8.4、シンガポール航空の7.68、タイ航空の7.32、キャセイの7.12、マレーシア航空の7.0などを引き離してトップの座に就いた。ガルーダのサービスで高く評価されたのは、座席クラス・機内食・飛行中のサービス・地上でのサービスそして乗客の快適度といったポイント。
エミルシャ・サタル、ガルーダ航空代表取締役はこの栄冠獲得について、5星級の評価を得る可能性は予感されていたが、会社のロードマップでは2014年が目標となっており、これからは2014年まで5星級の評価を維持し続けなければならない、と語っている。「基礎固めが終わらないうちに高い評価を得て、土台構築がおろそかになってはならない。4星級レベルで中味を本当に強化し、その結果5星級にのぼるというのがシナリオだったのだが・・・」
ガルーダ航空は航空機編隊の若返りを進めており、B737-800NGを50機とB777ジャンボを10機既にオーダーしてある。B737は23機が納入されており、B777は2012年からスカルノハッタ空港を発着するようになる。


「国内線をハリムに移せ」(2010年10月26日)
東ジャカルタ市のハリムプルダナクスマ(Halim Perdana Kusuma)空港を国内線用空港として広く活用し、スカルノハッタ空港の過密状態を緩和させる即効方針を副大統領府が計画している。ハリム空港は元来空軍基地だったが、スカルノハッタ空港が建設される前にジャカルタの表玄関として使われていた時期がある。現在は空軍基地としての軍事用飛行場というメイン機能のほかに、大統領機の発着基地、商業用としてチャーター便およびジャカルタ〜バンドン近距離国内線に使われている。
スカルノハッタ空港は年間利用者キャパシティ2千2百万人に対して実情は3千万人に達しており、2011年には更に増加して4千万人にのぼると予測されている。政府はスカルノハッタ空港拡張のためのグランドデザインを作成中で、その実現は2013〜2015年が予定されており、現在の過密状態を軽減させる対策の必要性が叫ばれていた。


「機械のせい、それとも人間のせい?」(2010年10月26日)
2010年9月19日付けコンパス紙への投書"Transaksi Kartu E-toll Mandiri"から
拝啓、編集部殿。マンディリ銀行E−トールカードの使用後の残高が減りすぎているという疑惑を実証しようとして、わたしはジャゴラウィ自動車道のカード利用明細を保管するようにしました。そんなことはこれまでしたこともありません。
残高は4万3千ルピアありました。2010年8月7日9時21分54秒、わたしはジャカルタ方面行きチリリタン料金所Eトールゲートでマンディリ銀行Eトールカードを使用しました。先行車が通り過ぎたあと、遮断機が完全に降りたのを確認してからわたしはカードを機械に当てました。ところが機械は反応せず、ディスプレーには何も表示されず、遮断機も上がりません。わたしはカードを機械から引き離し、もう一度同じ動作を行ないました。すると今度は機械が反応し、遮断機が上がったのです。わたしは機械から出たカード利用明細を取って残高を調べました。そこに記載されていたのは3万ルピアで、つまり道路利用料金が二回分引き落とされたわけです。
わたしのような目にあった消費者はこのような問題の責任をマンディリ銀行もしくはジャサマルガに期待できるのでしょうか?わたしのように不当にお金を損したにもかかわらず、そのことにまったく気付かない消費者はいったい何人いることでしょうか。[ ボゴール県在住、アルベル・プリヨノ ]


「2012年に保険料がアップする」(2010年10月27日)
交通事故強制保険を主管している国有保険会社PTアスランシジャサラハルジャは2012年に保険料を現在のものから倍増させる意向。現在公共運送機関が支払っている保険料は陸上運送で乗客一人当たり60ルピア、航空運送で乗客一人当たり5,000ルピアとなっており、海上運送はその中間。
ジャサラハルジャ代表取締役は、現在の保険料は支払われている保険金額や行なわれているサービスと釣りあいが取れなくなってきている、と値上げの事情を説明している。総体としてまだ赤字になっているわけではないものの、地方部では赤字が発生しているところもある由。


「ジュアンダ空港もオーバーロード」(2010年11月10日)
スラバヤのジュアンダ空港新ターミナルの年間旅客キャパシティは650万人だが、2009年の利用者数実績は1,063万人、2010年は1,113万人に達するものと予測されており、東ジャワ州政府はその対策を進めている。
利用者数にあわせての待合室拡張がその対策であるのは言うまでもないが、即効性のある対策としてジュアンダ空港旧ターミナルを再開させるとの案が取り上げられている。
東ジャワ州知事は「PTアンカサプラ?と海軍との協議で旧ターミナルの再開が了承されたので、2011年初から旧ターミナルが使われるようになる。目下のところライオンエアーが旧ターミナル施設を使うことになりそうだ。」と語っている。


「暴力チャロ」(2010年11月10日)
2010年9月16日付けコンパス紙への投書"Arogansi Calo di Terminal Bus"から
拝啓、編集部殿。2010年8月7日、わたしと妻は中部ジャワ向け急行バスで帰省しようとしていました。タクシーから降りたわたしたちをひとりのチャロが迎えて、概して車両の状態が良いヌサンタラバスに乗るよう勧めました。わたしたちはそれに従いましたが、チャロはヌサンタラバスの切符売場を通り過ぎてバスターミナル出口に近いマワルバスの売場にわたしたちを連れて行ったのです。
マワルバス切符売場の前でそのチャロは異常な料金で切符を買うよう強制しました。正規料金はひとり6万5千ルピアですが、なんとひとり16万5千ルピアを支払うよう強要したのです。二人分で33万ルピアです。わたしと妻はそれを拒否し、他のバスを探すと言い張りましたが、無理やりその切符を買うよう脅かされました。わたしがそれに逆らうと、わたしより体の大きいチャロ三人が狭い場所にわたしを押さえつけたので、わたしは身動きできなくなりました。
妻はとてもおびえましたが、助けを呼ぼうとするのをかれらは邪魔し続けたのです。これは恐喝であると同時に搾取行為でもあります。警察はこのような恐喝や搾取を行なうチャロを取り締まらなければなりません。都庁行政府、特にファウジ・ボウォ都知事はターミナルからチャロ行為やゴロツキ行為を排除する権限を持っています。
わたしが1984年に都民になって以来、現在に至るまで、わたしはチャロ行為を目にしており、それはますます傍若無人で倣岸な顔を見せています。バスの中でわたしの前の席に座った乗客もわたした同じような体験をしたことがわかりました。[ ブカシ在住、プラモド・ウィダグド ]


「不確定性がいっぱい」(2010年11月13日)
2010年9月8日付けコンパス紙への投書"Asuransi Simas Ingkar Keputusan"から
拝啓、編集部殿。わたしの車はPTアスランシシナルマスのマナド支店で保険に入りました。2010年5月1日に事故に遭ったので保険会社に届出を出し、5月3日にクレームを提出しました。事故の顛末書はあるがままに正直に作りました。だから保険会社はわたしのクレームを承認するか、それとも却下するかのいずれかを選択するばかりです。5月6日、保険会社は指定修理工場に作業オーダー書を出す形でわたしのクレームを承認しました。そして修理工場はわたしの車の修理を行なったのです。
車がまだ修理中の6月22日、保険会社側は一方的に、顛末書の内容は保険会社の責任外であるという理由でクレーム却下を表明する手紙を出してきました。わたしの車が修理作業の最中であるというのに、どうして50日もあとになってクレームを却下するのでしょうか?
利用者としてわたしは、最初の決定を覆した保険会社にもてあそばれているように感じました。マナド支店はこのクレームに積極的な対応をまったく示さないために、わたしがジャカルタの本店に自主的にコンタクトしなければなりません。マナド支店はこの問題を解決させようとせず、何ひとつ決めようとしないのですから。[ 北スラウェシ州在住、ハンリー・タカセンセラン ]


「弱者保護思想はジャングルにあるか?」(2010年11月17日)
2010年9月24日付けコンパス紙への投書"Nasib Lansia Menggunakan Alat Bantu di Bandara"から
拝啓、編集部殿。わたしと母は2010年8月7日にガルーダ航空機でソロからジャカルタ経由マタラムに向かいました。スカルノハッタ空港では飛行機がターミナルビルから離れた場所に止まり、老齢の母は歩行補助具を使っているためわたしは空港管理会社職員に小型車を用意してほしいと頼みました。ターミナルまで大勢の乗客とバスに乗るのは難しいから、と。
やってきた車はダイハツグランマックスでデッキが高く、老齢身障者にふさわしい車ではありません。空港管理会社は老齢身障者に何らの配慮もしなかったようです。母が苦労して車内に乗り降りするのを管理会社職員はただ見物しているだけでした。
マタラムからソロへの戻りフライトもジャカルタを経由しました。8月10日にGA433便とGA224便を使ったのです。わたしはスカルノハッタ空港に依頼書を出し、母に車椅子を用意するよう頼みました。ところが搭乗時間になったとき、車椅子の母を優先的に搭乗させることもせず、ターミナル係員は他の乗客と一緒に機内に入るように放置したのです。
ソロに着いたとき、車椅子は用意されていませんでした。関係当局は空港管理者が老齢者身障者の安全と保護をどのように行なっているのかについてもっと厳重な監督を行なってください。[ ジャカルタ在住、グロリウス・エドウィン ]
2010年10月2日付けコンパス紙に掲載された空港管理会社からの回答
拝啓、編集部殿。グロリウス・エドウィンさんの9月24日付けコンパス紙への投書に記されたグロリウスさんの母親の不快な体験に関してお詫び申し上げます。お伝えいただいた提案やご指摘を当方はしっかりフォローいたします。当方は航空会社と空港オーソリティとの間で調整をはかり、常に最善のサービスを提供できるよう努める所存です。[ PTガプラアンカサ広報担当、ヘンラワン ]


「恐怖のレッカー車がまた」(2010年11月18日)
2010年9月4日付けコンパス紙への投書"Mobil Penderek di Jalan Tol Jagorawi"から
拝啓、編集部殿。2010年8月3日14時半ごろ、乗っている車がエンストしたという子供からのSMSを受信しました。わたしは子供に電話して、子供が今いる場所と車の状態を尋ねました。ところが子供が最初に言った言葉は「母さん、怖いよ。」というものです。なんと車はレッカー車に引かれているさ中だったのです。
わたしが運転手と話しをしようとすると、荒っぽい口調で別のひとが電話に出ました。そのひとはわたしの車を引いているレッカー車のクルーのひとりでした。わたしの車は無理やり東ジャカルタ市のアサブリ事務所向かいにあるレッカー車のプールに運ばれているところで、そのひとは都庁協同組合公認レッカー車の者だと名乗りましたが、本当の自動車道管理会社職員ではありませんでした。
子供が控えたレッカー車事務所の電話番号は021−70377950と021−70689772で、わたしの車はまだ自力走行できるのでレッカー車で牽引される必要はまったくないことを電話して伝えましたが、レッカー車側は怒鳴り散らして牽引サービスを強制しました。「助けてもらっときながら、嫌だって?!要するに、アサブリ向かいのこっちの事務所に来ればいいんだよ。」
わたしの運転手は何もできません。わたしが電話するたびに携帯電話器はレッカー車のそのクルーがひったくるのですから。わたしの子供と運転手は圧迫と強制と搾取の牙を向けられて、たいへんな緊張下に置かれ、ふたりは無理やりレッカー車事務所に連れて行かれたのです。
この出来事はジャゴラウィ自動車道チリリタン料金所出口近くで起こったことなので、わたしは自動車道管理会社に電話しました。ところが結局運転手から連絡があり、求めもしなかった牽引費用に45万ルピアを払わされたのがその結末でした。[ デポッ市在住、アメリア・ウィディヤサリ ]
2010年9月18日付けコンパス紙に掲載されたジャサマルガからの回答
拝啓、編集部殿。ジャゴラウィ自動車道で非公認ビジネスを行なっている私設レッカー車からの不快な仕打ちを受けたアメリア・ウィディヤサリさんからの2010年9月4日付けコンパス紙に掲載された投書に関して、お詫び申し上げます。当方は自動車専用道利用者に対するサービス向上に努めており、24時間稼動の道路パトロールや公認レッカーサービス、そしてジャサマルガの24時間コールセンター(021)80880123などの利用者に対するサービスを行なっております。[ PTジャサマルガ広報責任者、ズフディ・サラギ ]


「LCCの有料追加ファシリティは空手形?!」(2010年11月19日)
2010年9月8日付けコンパス紙への投書"Fasilitas Tambahan AirAsia"から
拝啓、編集部殿。2010年7月11日、わたしはメダンからクアラルンプルへエアエイシアAK457便で飛びました。予約コードはR55EPで、プリパーチェスコンフォートキットという追加ファシリティをあわせてオーダーしました。ところが搭乗時点でわたしがチケットに記載されている追加ファシリティを要求したにもかかわらず、そのファシリティは用意されていなかったのです。そのファシリティが提供されなかったというステートメントを作るから、それを添えて直接エアエイシアに払い戻しを請求するようにと機内乗務員は勧めました。不満で不愉快でしたが、わたしはその対応を納得できるものとして受け入れました。
クアラルンプルから戻ってすぐ、わたしはコールセンターにその払い戻しをクレームしました。ところがEメールでなければ受け付けられないと言います。それでわたしは2010年7月25日にindonesia-support@airasia.comにEメールを送り、わたしの携帯電話番号も知らせました。ところが今日にいたるまで、エアエイシアからの問題解決のアプローチはまったくありません。皮肉にも国際航空会社たるエアエイシアはこんなやり方で利益をがっぽり稼いでいるのですね。エアエイシア利用者は、同社がオファーしているまったく無意味な追加ファシリティに警戒するようにしてください。[ メダン在住、ダフィッ・シアギアン ]
2010年9月18日付けコンパス紙に掲載されたエアエイシアからの回答
拝啓、編集部殿。2010年9月8日付けコンパス紙に掲載されたダフィッ・シアギアンさんからの投書内容について、当方は問題の再チェックを行ないました。2010年7月15日に技術上のミスが発生したことから、弊社インフライトサービスはダフィッさんが事前に注文されたコンフォートキットを用意することができませんでした。その出来事についてお詫び申し上げます。
弊社は既に7万5千ルピア二人分の合計15万ルピアをダフィッさんに払い戻す手続を行ないました。その金額はダフィッさんのビザクレジットカード口座に30日以内に入金されます。払い戻し期限が来たら、口座入金をお調べの上、ご確認くださるようお願い申し上げます。[ PTインドネシアエアエイシア企業広報課長、オードリー・プロガスタマ・ペトリニ ]


「航空会社の淘汰が起こるか?!」(2010年11月24・25日)
2009年法律第1号「航空法」は2012年1月12日までにすべての国内定期旅客航空会社に対し、(1)10機以上を運航させること、(2)そのうち最低5機は自社所有機であること、を義務付けた。しかし世界的に大型旅客機の余剰がタイトになっており、加えて航空機購入に対する金融界からの融資がつきにくくなっている昨今、国内定期旅客航空会社16社の中にその条件をクリヤーするのが困難なところが出る可能性は高い、とインドネシア空運会社協会事務局長が表明した。
現在ライセンスを得て稼動している定期旅客航空会社とその航空機戦力は次のようになっている。
航空会社 : 稼動機数 / 自社所有機数
Garuda Indonesia : 81 / 26
Merpati Nusantara : 17 / 9
Mandala : 5 / 不明
Lion Mentari Airlines : 60 / 30 (自称)
Indonesia AirAsia : 15 / − (購入オプション)
Metro Batavia : 37 / 15
Wings Abadi Airlines : 17 : 9 (自称)
Sriwijaya Air : 27 / 7
Indonesia Air Transport : 15 / 15
Riau Airlines : 5 / 3
KAL Star Aviation : 2 / 不明
Pelita Air Service : 3 / 不明
Travira Air : 2 / 不明
Trigana Air Service : 12 / 不明
Travel Express : 不明 / 不明
Dirgantara Air Service : 不明 / 不明
上のデータを見る限り、現在既に条件をクリヤーしているところは7社しかない。残る9社は15ヶ月間で上の条件をクリヤーさせなければ、これまで行なってきた事業を継続することができない。インドネシアの航空会社に人気の高いのはB737型機とA320型機で、B737シリーズの中で一番廉価なのは新造機1機5,150万ドルのB737−600だが、それを5機そろえるためにはおよそ2.6億ドルの資金が必要になる。それが無理なら廃業かそれとも合併吸収かという方策に向かうが、もし外資を導入する場合は国民系資本比率最低51%が適用される。同業他社との合併は特に条件がないものの、人間の対等な協力関係をベースにした活動行為の実践に慣れていない文化では、二頭立てリーダーシップが嫌われる傾向はたいへん強い。
上のリストの中で気になるのはマンダラ航空とインドネシアエアエイシアで、マンダラは業容縮小の動きに入っていたから二年前の11機から今では5機に稼動機数が減ってしまった。しかし同社の計画によれば、2012年までにエアバス10機を入手して運航させることになっている由。
インドネシアエアエイシアはA320を11機、B737を4機という現在の戦力にA320がもう5機追加される計画で、2012年1月にはエアバスだけで20機を運航させているようになるだろう、と企業広報担当者は語っている。


「ガルーダがグローバルスカイチームに加盟」(2010年11月26日)
ガルーダ航空が2010年11月25日に航空会社アライアンスのひとつグローバルスカイチームに加盟する。その関連でスカルノハッタ空港第2ターミナルの2Eと2Fはガルーダ専用ターミナルとなり、スカイチーム加盟航空会社もそこを利用するようになる。
2Eと2Fターミナルは従来からガルーダ航空専用ターミナルの赴きが強かったとはいえ、2Eはさまざまな外国系航空会社に加えてライオンエアーとバタビアエアーの国際線も使っており、また2Fはムルパティ航空の国内線も入っている。空港運営会社アンカサプラ?は将来的に、2Eと2Fをエアフランス=KLM、アエロフロート、大韓航空、中国南方航空などスカイチーム加盟航空会社とガルーダの専用ターミナルとし、他の航空会社は2Dなどほかのターミナルに移す方針。
これは現在進められているスカルノハッタ空港グランドデザインの中に盛り込まれるが、グランドデザインでは滑走路がもう一本建設されることになっている。


「自動車道レストエリアで車上荒らし」(2010年11月26日)
2010年9月26日付けコンパス紙への投書"Mobil Dibobol di Rest Area Tol"から
拝啓、編集部殿。2010年8月11日、西ジャワ州チカンペッ(Cikampek)へ向かう途上で東カラワン地区のKM57にあるチカンペッ自動車道レストエリアに入りました。礼拝と休憩のためです。わたしは駐車場監視所の向かいに車を止めてアルファマートとBNI銀行ATMへ向かいました。車の周辺には警備員がおり、また人通りもあったので、そこは安全だという印象を受けました。昼食と礼拝を終えて13時ごろ、チカンペッへのドライブを続けるために車に戻りました。ところが右後部座席の窓ガラスが粉々に砕けており、後部座席左寄りに置いてあったバッグとラップトップが泥棒に盗まれていたのです。そのとき警備員はその周辺におらず、警備員を見つけたときには、職務を最大限に果たしているという理由で警備員は責任を拒否しました。
レストエリア利用者に対するサービスはこんなレベルでしかないのですか?被害届を書いているとき、このような盗難はこのKM57レストエリアで頻繁に起こっているという話を聞きました。わたしはこのレストエリアでほとんど毎日給油していましたが、こんなアブナイレストエリアはもう二度と利用しないつもりです。[ カラワン在住、ウジャン・ソパンディ ]


「駐車料金を強請るゴロツキ」(2010年11月27日)
2010年9月26日付けコンパス紙への投書"Lahan Parkir Kendaraan Bermotor JCC Dikuasai Preman"から
拝啓、編集部殿。中央ジャカルタ市スナヤンのジャカルタコンベンションセンター駐車場でのゴロツキによる駐車料金強請り徴収は何年も前からやむことがありません。ましてや催し物がある日になると、駐車場は全面的にゴロツキの支配下に落ちて、かれらの濡れ手で粟の金儲けの舞台と化すのです。かれらは怖そうな雰囲気を出して四輪車から5千ルピア、二輪車から2千ルピアを徴収します。かれらの要求を拒んだらあとで車に何をされるかわかりませんので、結局かれらの強請りに応じるほかないのです。このような状況はわたしたちをたいへん不快にします。都庁駐車管理局はその料金が規定に従ったものかどうかを明確に判定し、取り締まってください。スナヤンのエリア内に入るときにもう料金が徴収されているので、ゴロツキたちが自分で決めた料金を入場客に支払わせるのは非合法ではないでしょうか。このような行為を取り締まってもらうためにどこへ訴え出ればいいのでしょうか。ゴロツキの被害に遭っているのはわたしだけでなく、来訪者のすべてが蒙っているにちがいありません。[ ジャカルタ在住、ラディッ ]


「国鉄運賃値上げ」(2010年11月30日)
国鉄は2010年11月17日から従来の区間距離制料金区分を5つから3つに減らした。そのため上位区分に引き上げられた区間料金は実質的に値上がりが起こっている。
2010年10月1日、エコノミー長距離列車運賃の値上げ申請を政府に蹴られた国鉄は、2010年10月22日付けで取締役会決定書第209号を出し、これまで行なわれていた1〜210km、211〜310km、311〜350km、351〜400km、401〜450kmという5種の区間料金を1〜350km、351〜400km、401〜450kmという三種類にまとめることにした。
この変更でパスンダン号(バンドン〜スラバヤ)、カフリパン号(バンドン〜クディリ)、スラユ号(ジャカルタ〜バンドンクロヤ)などの近距離区間は従来の19,500ルピアから24,000ルピアにアップする。国鉄側はこの変更について、切符制作と管理の費用削減に効果があると強調している。


「カンタスの特別料金」(2010年12月6日)
カンタス航空が創業90周年を記念してジャカルタ発オーストラリア・ニュージーランド行きエコノミークラス往復航空券料金特別オファーを実施。
シドニー 470
メルボルン 470
ブリスベン 470
アデレード 470
オークランド 690
ウエリントン 690
クライストチャーチ 690
(数字はUSドル)
搭乗日は2011年1月1日から6月30日まで
販売期間は2010年11月20日から12月7日まで
料金にはタックス・燃油サーチャージ・保険が含まれていない。
発券は搭乗予約を行なった日から三日後。
取消・再有効化・再発行は手数料がかかる。
このオファーは2010年12月7日23時59分(インドネシア西部時間)に終了する。
予約はジャカルタ(021)25556300、スラバヤ(031)5452322、バリ(0361)288331もしくは旅行代理店で。


「国内線エアポートタックス値上げ」(2010年12月8日)
空港運営国有会社アンカサプラ?は所轄空港の国内線パッセンジャーサービスチャージ(pelayanan jasa penumpang pesawat udara)料金を12月1日から改定した。パッセンジャーサービスチャージ通称エアポートタックスは2年ごとに見直されることになっており、2005年の改定が最後になっていたため2008年に改定が計画されたものの実現せずに現在に至った、とアンカサプラ?コーポレートセクレタリーは説明している。今回の改定でたいていの空港が1万ルピアの値上がりとなった。電力料金値上げや人件費上昇などを含めたサービスレベルの向上と空港運営経費のための値上げである由。
スラバヤJuanda空港 30,000ルピア ⇒ 40,000ルピア
バリNgurah Rai空港 30,000ルピア ⇒ 40,000ルピア
バリッパパンSepingan空港 30,000ルピア ⇒ 40,000ルピア
マカッサルSt Hasanuddin空港 30,000ルピア ⇒ 40,000ルピア
マナドSam Ratulangi空港 30,000ルピア ⇒ 40,000ルピア
ジョクジャAdi Sutjipto空港 25,000ルピア ⇒ 35,000ルピア
スマランAhmad Yani空港 20,000ルピア ⇒ 30,000ルピア
ソロAdi Sumarmo空港 20,000ルピア ⇒ 30,000ルピア
アンボンPattimura空港 20,000ルピア ⇒ 30,000ルピア
マタラムSelaparang空港 20,000ルピア ⇒ 25,000ルピア
バンジャルマシンSyamsuddin Noor空港 20,000ルピア ⇒ 25,000ルピア


「都内で高架道路建設」(2010年12月13日)
都内一般道路の交通渋滞緩和に向けて都庁は2ヶ所に高架道路を建設する予定。都庁公共事業局長は、その2本の非有料高架道路は630日の工期で2011年1月に着工される、と計画内容を公表した。特に現在渋滞の激しい道路でその緩和対策が行なわれるため、工事完成までの、特に基礎工事段階で渋滞が一層激しくなるのは自明のことであり、市民は特にその点にご理解とご協力をお願いしたいとの談。基礎工事は8ヶ月間が見込まれている。
新たに建設される高架道路のひとつは南ジャカルタ市のアンタサリ通り(Jl. Antasari)からブロッケム(Blok M)までの4.8キロ区間で、現在ある道路の10メートル上を通るものになる。道路幅は片側8.75メートル、双方向で17.5メートルになる計画。外環状自動車道方面から北行きに上ってきた車はアンタサリ通りから高架道に入り、ブラウィジャヤ〜プラパンチャを超えてウィジャヤ?通り近くの南ジャカルタ市庁前で地上に降りる。一方南行きはブロッケム北側の国家警察本部(Mabak)広場から高架道に入り、イスカンダルシャ〜プラパンチャ〜ブラウィジャヤを越えてアンタサリ通りに下りる形になる。
もう一本はカサブランカ通りに作られる。全長2.3キロはふたつのフェーズに分けられ、1.8キロのサトリオ通りとマスマンシュル通りを結ぶ高架工事が第一フェーズに入る。カサブランカ通りの高架道路はクニガン(Kuningan)のモノレールをまたぐ必要があるため、地上の高さは12メートルになるとのこと。


「これは陰謀なのだろうか?」(2010年12月13日)
2010年10月19日付けコンパス紙への投書"Check In Garuda Ditolak"から
拝啓、編集部殿。2010年10月2日土曜日、わたしはジャカルタからパレンバンに午前7時55分発ガルーダGA112便で出張しました。パレンバンに到着後わたしはその日の帰り便フライトのチェックインを早々に行なおうとしましたが、チェックインは出発時間の2時間前にオープンするという理由で拒否されました。
わたしがこれまで出張してきた経験では、バリッパパン、スラバヤ、ジョクジャその他の空港で戻り便のチェックインを到着後すぐに行なっています。ところがパレンバン空港のガルーダ職員は、規則に従った手続はそうなっているという理由で拒否したのです。
戻り便に乗るためわたしはパレンバン空港に14時35分に到着しました。バゲージはありません。ところがチェックインが拒否されました。わたしは仕方なく、追加料金を払ってその次の便に乗ることにしました。ところが18時15分発のそのフライトは18時50分にやっと飛び立ちました。ガルーダ航空からの補償は何もありませんでした。[ セラン市在住、ディディッ・ドゥイヤント ]


「国鉄が大型荷物持込を有料化」(2010年12月15日)
首都圏近郊電車が2010年11月23日から大型荷物を電車内に持ち込む乗客に切符を2枚購入するよう求めるようになった。自宅から自転車で駅へ行き、自転車を車内に持ち込んで会社近くの駅で降り、ふたたび自転車で会社へ、という通勤方法をもう2年間も実践している乗客は、「今まで折りたたみ自転車を車内に持ち込んで何も言われなかったのに、突然自転車のための切符をもう一枚買えと言われておどろいた。国鉄の規則はいったいどうなっているのか?規則がはっきりしないので、切符を二枚買うのは拒絶した。」と語っている。
しかし通勤時間帯の混雑の中で自転車や大きな荷物を持って電車に乗り込む乗客に対し、同乗者は批判的な目を向けている。今回国鉄が他の乗客の迷惑になることがらを有料化という対応で公平感ある解決案を出したことに批判層は拒絶反応を示していない。
国鉄ジャボデタベッコミューターセクレタリーは、運行している電車は乗客輸送用であるため、人間が乗るスペースを占領するような大きな荷物の持込は原則禁止となる、と語っている。 国鉄は、しかしこの問題について確定方針をまだ決めたわけでなく、さまざまな電車利用層グループから話を聞きながら最終方針を模索している。大型荷物を持ち込む乗客専用車両が用意できれば他の一般乗客からのクレーム対策になるが、車両総数が不足しているいま、そのような対応は理想論だ、と同セクレタリーは述べている。


「欧米向航空券特別料金」(2010年12月21日)
カタル航空がヨーロッパとアメリカ向けの往復航空券特別料金をオファーしている。
ヨーロッパ向け
エコノミークラス往復料金 823米ドルから
ビジネスクラス往復料金 2,798米ドルから
アメリカ向け
エコノミークラス往復料金 1,267米ドルから
ビジネスクラス往復料金 3,619米ドルから
料金はひとり分の往復で、税と燃油サーチャージを含んでいる。予約はqatarairways.com/idにて行なわなければならず、このプログラムは2010年12月8日に開始されて2011年1月15日に締め切られる。搭乗期間は2011年1月11日から3月31日まで。


「プレミウム販売制限方針は2011年3月末から」(2010年12月22日)
ガソリン補助金大幅削減方針に従って、政府は補助金付きのプレミウム(Premium)ガソリンが購入できる車両を制限することにした。二輪車と運送事業用車両はこれまで通りプレミウムガソリンを購入できるが、黒ナンバープレートの自家用車はすべてプレミウムガソリンが購入できなくなる。
この方針の実施はまず首都圏(ジャボデタベッ)の特定地区で2011年1月15日から開始され、首都圏のその他地区へは2011年7月に拡大される。同時にジャワ〜バリの一部地方でもこの方針がスタートし、2011年10月にはジャワ〜バリの残った地方に拡大されてジャワ〜バリ全島でこの方針が全面施行される。
ジャワ〜バリの外については、2012年1月からスマトラの都市部で実施が始まり、2012年7月からスマトラ島全域に拡大され、時を合わせてカリマンタンの都市部での実施が始められる。
カリマンタン全域に拡大するのは2013年1月で、そのとき同時にスラウェシの都市部で実施がスタートし、2013年7月にスラウェシ全島が実施対象となる。
政府とプルタミナはそのようなスケジュールで黒ナンバー四輪車に対するプレミウムガソリン販売禁止方針を実施する考えだったが、国会にそれを諮ったところ野党の強い反対を受けた。しかし与党をはじめ大半の会派が補助金削減は絶対方針という姿勢を示したことから国会は政府に対し、それまでにその補助金削減政策に関する包括的で詳細な立案書を作って提出することを条件に2011年3月末からの実施スタートを承認した。経済統括相はそのスケジュールがファイナルであり、それ以上の延期はありえない、とコメントしている。


「都内有料自動車道建設は2011年から」(2010年12月24日)
都内環状有料自動車道に加えて高架自動車専用道をもっと増やさなければ路上の交通渋滞軽減は不可能であるとのコンセプトに依拠して、都庁は2011年から都内有料自動車道の建設に取り掛かる。自動車専用道は中央政府が監督するものであるため、この道路建設は都庁が自動車道路統制庁に申請して承認を得、自動車道路統制庁から都がその運営管理を委託された形を取ることになる。工事請負い業者入札は2011年に行なわれる予定。また都内有料自動車道建設予定は次のようなものになっている。
区間 : 距離(キロメートル)
Kemayoran - Kampung Melayu : 9.65
Duri Pulo - Kampung Melayu : 11.38
Sunter - Semanan : 17.88
Sunter - Bekasi : 11
Pasar Minggu - Casablanca : 9.56
Ulujami - Tanah Abang : 8.27
総距離 : 67.74キロ


「歩道」(2010年12月30日)
「歩道の上ではみんな平等だ」とインドネシア人は言う。街中を歩く人間の間では経済力や社会的身分など上下の差があまり目立たないということなのだろう。大財閥総帥や大臣閣下も歩道に下りれば一般庶民と肩を並べる立場に立つのだが、現実に大財閥総帥や大臣閣下は特別のことでもないかぎり、歩道を自分の足で歩くことはしない。歩道や車道を含めたインドネシアの道路が快適に作られ維持されていないのは、エライさんたちが自分で歩道を歩かず、そして自分で車を運転しないからだ。走りづらい穴ぼこだらけの道路を苦労して車を走らせるのは運転手であってエライさん本人でない、というこの習慣が道路のクオリティをどれほどおとしめていることか。
エライさんでなくとも、一般庶民もあまり歩道を歩こうとしない。それはもちろん場所にもよりけりなのだが、そもそも2キロ3キロの道のりを徒歩で移動する習慣は社会的にあまり一般性がないようだ。いや、これはジャカルタの話。地方部でも昔はいざしらず、今や簡単にオートバイが手に入る時代になっているため、老若男女こぞってオートバイで動く。ほんの百メートル離れたワルンへ買物に行くのでもオートバイだ。
ものごとは普通、作る者と使う者の間での意思疎通によってクオリティが向上する。歩道が作られても使う者がいなければクオリティの向上は期待できまい。歩道というものは、歩く人間の快適さや他の乗り物に対する安全性などが備えられなければならないはずだが、ジャカルタで歩道はカキリマ商人や洗車あるいは自動車メンテサービス事業などに占拠され、そうでない場所では二輪車の走行車線に使われて、歩行者の寄り付ける場所でなくなっている。
コンパス紙R&Dが2010年12月15〜17日に全国747人に電話インタビューして集めたデータによれば、自分の住んでいる街の歩道を歩いて快適さを覚えないひとが50.6%もいた。かれらは不可避な状況に陥らないかぎり、歩道を歩こうとはしないだろう。
質問1.) あなたの街の歩道について、あなたはどう感じていますか?
回答) たいへん良い/15.0%、 良い/53.1%、 そこそこ良い/1.1%、 悪い/9.8%、たいへん悪い/21.0%
質問2.) あなたが街の歩道を歩くとき、その快適さを邪魔する最大の要素は何ですか?
回答) オートバイ/36.0%、 歩道の損壊等/30.3%、 カキリマ商人/8.4%、 歩道幅が狭い/6.6%、 暑い/3.2%、 乞食が多い/2.7%、 その他/12.9%


「規模が三倍増するスカルノハッタ空港拡張計画」(2010年12月30日)
スカルノハッタ空港開発マスタープランでは、現在の年間乗客2千2百万人というキャパシティを2016年までに6千5百万人に引き上げるが、同空港はそれ以上のキャパシティ拡大の余地がないため、2016年以降のキャパシティ増加には補完空港を設けて対処するしか方法がない。
だから早急に補完空港を指定して、今からその対応に取り掛かるべきである、とスカルノハッタ空港運営国有事業体PTアンカサプラ?代表取締役が政府に警告した。
過去5年間のスカルノハッタ空港年間利用乗客数は現在同空港が持っているキャパシティをどんどん引き離している。
2005年 2,795万人
2006年 3,058万人
2007年 3,246万人
2008年 3,234万人
2009年 3,714万人
2010年見込み 4千万人
そして年率15〜20%で今後も増加が続くとする場合、2016年には6千万人を超えるという予測が立てられている。一方空港キャパシティ拡張計画は、まず現在のターミナル1と2で年間1千8百万人、そして第3ターミナルの一部が稼動を開始しているため合計で2千2百万人となっているものを、ターミナル1と2の改装を行いチェックインカウンターを一ヶ所に集めるなどして年間2千5百万人に引き上げる。次いで第3ターミナルを完成させて年間2千万人というキャパシティを追加する。更に2012年から、これも2千万人というキャパシティの第4ターミナル建設を開始し、2016年には合計で6千5百万人というキャパシティまで拡張する。滑走路も現在の2本に更に1本追加される計画になっている。


「マラン行きフライトは運航中」(2010年12月31日)
ブロモ山噴火の影響で東ジャワ州マラン行きフライトは全便が他の空港に行き先を変更するという措置が採られた。そして現在、ブロモの火山活動警戒ステータスはまだシアガのまま低下しておらず、火山活動は一層活発化する様相を呈している。ところがクリスマス〜新年のホリデイシーズンになって、ジャカルタ〜マラン間のフライトが再開された。ジャカルタ発08:35、13:10,14:15とマラン行きを一日三便運航させているスリウィジャヤ航空は、2010年12月22日から2011日1月4日までの予約状況はすべての便で1〜3席を残してフルブッキングという状況。
平常はひとり50万〜80万ルピアという運賃がこの繁忙期には70万〜90万ルピアという公定上限料金にアップするため、航空会社としてもむざむざ見過ごすことはできない。
空の足同様、鉄道でもジャカルタ〜マラン間の旅客は大幅増で、ジャカルタ発マラン行きエグゼキュティブ長距離列車ガジャヤナ号の切符は2011年1月2日の便まで既に売切れ。国鉄もこのハイシーズンを利してひとり40万ルピアという平常期より2割増し料金を設定している。


「バスウエー第9ルートで変則運行」(2011年1月12日)
2010年12月31日から運行を開始した首都バスウエイ第9・第10ルートは、運行バスの台数が不足していること、バス専用レーンにいつまでも一般車両が進入してくるためすぐ渋滞に巻き込まれることなどの結果、利用者の評判はいまひとつ。そのため第9ルート(ピナンランティ(Pinang Ranti〜プルィッPluit)では投入されている単体バスと連結バスの運行にバリエーションをもたせて効率アップをはかることにした。
連結バスは乗客が圧倒的に多いUKI〜グロゴル(Grogol)間だけを往復運行し、単体バスだけが両終点間を往復するようになる。単体バスはタマンミニ停留所を出ると自動車専用道に入りBKN停留所の前で自動車道から出る。その間にあるクラマッジャティ(Kramat Jati)停留所で第9ルートに乗りたいひとは第7ルートバスに乗ってBKNで乗り継ぐ。BKNからグロゴルまでは連結バスも単体バスも同じように運行するが、グロゴル停留所から連結バスはBKN停留所に戻り、プルィッ停留所まで行くのは単体バスだけになる。これはグロゴルからプルィッへ行く乗客が少ないことに対応してのもの。
第9第10ルートではバスの数がまだ少ないために一般車両がバス専用レーンに侵入する誘惑に駆られることから、都庁運通局と首都警察は一般車両進入禁止標識に違反してバス専用レーンに侵入する一般車両に対し、1月7日から取締りを開始している。


「都庁の交通渋滞緩和戦略」(2011年1月13日)
都内の交通渋滞緩和対策として都庁は三つの基本戦略を掲げた。マス輸送交通機関の建設・道路建設・自家用車の通行制限がその三つ。都庁建設分野担当秘書補佐がその詳細を次のように説明している。
その三つは同時進行的に進めていかなければならず、ひとつだけを行なっても効果は期待できない。個々の戦略は異なる効果を生むものであり、三つが合体してはじめて都内の交通状況に改善がもたらされることになる。オブザーバーの多くが新道路建設は無駄なステップだとコメントしているが、新道路建設はアクセス増・交通フローの円滑化・渋滞の分散といった効果を生む。自動車の増加に対しても道路の延長キロ数を増やすことでバランスが取られなければならない。外環状自動車道建設についても、都内を通る交通量を郊外に分散させるためになくてはならないものだ。都内の新道路建設は、道路面積比率がまったく小さいためにもっと増やす必要がある。
そこにマス輸送交通機関の開発が付加される。トランスジャカルタバス網の拡張とMRTは実施計画段階に入っている。ジャカルタでは、新道路建設が車両台数増加に追いつかないため、マス輸送交通機関設置が対策のバックボーンとなる。このマス輸送交通機関充実と裏腹の関係にあるのが自家用車使用制限で、現在行なわれているのはスリーインワン方式によるものだ。加えてこれから進められる予定の新駐車システムでは、都心部の渋滞が激しいエリアで高額の駐車料金を徴収し、トランスジャカルタバスルートで路肩駐車を全廃し、スリーインワンの代わりにトランスジャカルタバスルートでERPを実施する。それらのさまざまな自家用車使用制限方針によって都内の路上で自家用車の使用が減少し、マス輸送交通機関使用にシフトしていくよう期待されている。都庁の秘書補佐はそのように方針を説明している。


「国民総犯罪者化社会(1)」(2011年1月13日)
2010年11月28日付けコンパス紙への投書"Rambu Lalu Lintas Obyekan Polisi"から
拝啓、編集部殿。交通信号や道路標識が警官の小遣い稼ぎに悪用されています。中央ジャカルタ市サガジ通り交差点では、ハルモニーからトマン方面に曲がることがウイークデーの特定時間帯に禁止されていますが、休日にはそれが適用されません。土曜日はジャカルタの行政機構内で休日とされているにもかかわらず、その交差点では休日扱いされていないのです。土曜日のその交差点での交通状況は、混雑していません。
警官はその禁止標識を悪用して自分の稼ぎのタネにしています。土曜日にその交差点にいる警官は、四輪であろうと二輪であろうと、その標識を違反する者を待ち受けており、違反車をうまく停車させることができれば結末は和解金に終わるのです。[ ジャカルタ在住、ヘンドラ ]


「都内にも白骨街道」(2011年1月14日)
首都圏に居住するひとびとにとって、交通事故による死亡はきわめて当たり前のハプニングだと考えられている。交通事故が常に死をもたらすわけでもない。生み出される結果は千差万別であり、そこで自分が死神に捕えられるのならそれも運命だ、という諦観がそこに流れているようだ。だから交通事故の抑止が行政の形式倒れのものにしかならず、そして乗り物を運転して路上を走るひとびとも、ひとつ間違えば命懸けという行動を恐れ気もなく繰り広げる。その中に混じっているわれわれはそのような行動を目の当たりにして、「死ぬのはお前だけ。わたしを巻き込むなよ。」という祈祷文を唱える毎日なのである。首都圏の交通事故死者は毎年1千人を超えている。
首都警察交通局データによれば、首都圏の交通事故件数と被害者総数は次のようになっている。
明細 ; 2005年/2006年/2007年/2008年/2009年/2010年(10月まで)
事故件数: 4,156/4,407/5,154/6,393/7,329/6,786
死亡者: 1,118/1,128/999/1,169/1,071/854
重傷者: 2,402/2,372/2,345/2,597/3,388/2,956
軽傷者: 1,943/2,188/3,398/4,317/5,165/4,776
被害者総数: 5,463/5,688/6,742/8,083/9,624/8,586
物損金額(億ルピア): 95/77/113/122/124/142
都内5市はそれぞれ交通事故多発地区を抱えている。そのリストは次の通り。
北ジャカルタ市 : Jl Raya Cilincing, Jl Raya Cacing, Jl Raya Plumpang, Jl RE Martadinata, Jl Yos Sudarso, Jl Pelabuhan, Jl Pegangsaan Dua Kelapa Gading, Jembatan Tiga, Jl Mangga Dua, Jl Pluit, Simpang Semper
東ジャカルタ市 : Jl Perintis Kemerdekaan, Jl Pramuka, Jl Matraman Raya, Jl Raya Kalimalang, Jl Dewi Sartika, Jl Raya Pondok Gede, Jl Bina Marga, Jl Raya Bogor, Jl I Gusti Ngurah Rai, Jl Kolonel Sugiono, Jl Raya Bekasi, Jl Letjen Sutoyo, Tol Wiyoto Wiyono, Tol Jagorawi
西ジャカルタ市 : Jl Daan Mogot, Jl Panjang, Jembatan Tiga, Jembatan Dua, Pos Pengumben, Jl S Parman, Jl Tubagus Angke, Jl Latumeten, Jl Kiyai Tapa, Jl Gajah Mada
中央ジャカルタ市 : Jl Letjen Suprapto, Jl Benyamin Sueb, Jl KH Fachrudin, Jl Cideng Barat, Jl Kramat Raya, Jl Gunung Sahari, Jl Garuda, Jl MH Thamrin, Jl Jend Sudirman, Jl Mangga Dua, Jl KH Mas Mansyur, Jl Salemba Raya, Jl Senen Raya, Jl Cokroaminoto, Jl Abdul Muis
南ジャカルタ市 : Jl Raya Lenteng Agung, Jl Ciputat Raya, Jl Pondok Cabe, Jl TB Simatupang, Menteng Pulo, Jl Jend Sudirman, Jl Raya Fatmawati, Ragunan, Jl HR Rasuna Said, Jl MT Haryono, Jl Casablanca
これはあたかも首都の大通りを網羅したリストになっているように見える。つまり六輪四輪三輪二輪自動車がたくさん集まってくる大通りが事故多発地区になっており、これを見る限りわれわれは、他の国々に輪をかけて「人間が自動車を運転して集まってくるところに事故がある=交通事故人為論」に傾くのもやむを得ない気になってくるのである。元来、事故というのは、それが交通事故であれ会社業務におけるミスであれ、複数のネガティブ要素が絡み合って発生するものであり、単一要因で発生するものはすぐに手直しのきく軽微なトラブルにしかならない。だからもちろん交通事故は人間が起こすものではあるのだが、インドネシアの場合は人的要因がきわめて高いウエイトを占めているのではないだろうか、というのがわたしの感想だ。
中でも北ジャカルタ市にはタンジュンプリウッ港やプルンプン石油基地などコンテナトレーラーやタンクロリーのような大型輸送車両が集まってくる場所がたくさんあり、もっとも事故を多発させている二輪車とそんな大型車両が事故を起こせば人命は即座に昇天する。始末に悪いのは、そんな大型車両にすれすれに脇を抜けて前へ出ようとする二輪車ライダーがうようよとおり、折に触れては接触して転倒し巨大なタイヤに踏み潰されて死ぬ。そんな事故を大型車両運転手が気付かずに走り去ろうとする事件が少なくないことだ。普通乗用車で事故に気付かずに走り去ろうとすると二輪車の大群に行く手を阻まれてリンチに会うこと請け合いだが、どうやらトラック運転手へのリンチは少ないように思える。
そのためタンジュンプリウッ周辺を通る大通り、Jl Raya Cakung-Cilincing, Jl Raya Cilincing, Jl Raya Plumpung-Semper, Jl Raya Arteri Marundaの四つは白骨街道の異名をとっているそうだ。


「国民総犯罪者化社会(2)」(2011年1月14日)
2010年8月31日付けコンパス紙への投書"Korban Kejahatan dan Berbagai Biaya"から
拝啓、編集部殿。2010年5月2日、わたしの息子はアンコッに乗っているとき催眠術強盗にやられ、携帯電話2個・現金10万ルピア・ホンダオートバイのSTNK(自動車番号証明書D3491DW)を失いました。2010年5月8日、わたしは事件をバンドン市警本部に届け出ましたが、わたしはバンドン県住民なのでソレアン署にも届けるよう命ぜられました。
2010年5月11日、友人に手伝ってもらってソレアン署への届出を行ないました。奪われたSTNKの手続のために自動車現品チェックが必要で、3万ルピアの費用がかかりました。紛失届調書作成に15万ルピア、そしてマスメディアへの広告掲載に4万5千ルピアの出費が発生しました。
あちらこちらと走り回って必要事項を片付けるのに、ガソリン代・食費・その他出費に20万ルピア以上のお金がかかりました。およそ2ヶ月後、7月15日を過ぎてから、STNKの延長がランチャエカッ運転免許証統合サービス事務所でやっと行なわれました。西ジャワ州警察長官の視察があるというので、それ以前の手続をソレアン署は受け付けてくれなかったのです。ランチャエカッの手続でも、わたしは75,500ルピアの罰金が科され、おまけにナンバープレートもD3705YZに変えられてしまいました。
二ヶ月間オートバイが使用できず、そしてバンドン〜ソレアン〜ランチャエカッを行ったり来たりしなければならなかったのです。犯罪の被害者というのも、犯罪者と同類に扱われるのですか?[ バンドン県チルンクラン在住、ヤヒヤ・アルウィヤ ]


「駐車場は土地賃貸ビジネス?!」(2011年1月20日)
駐車場に置いた車が盗まれた場合、駐車場運営者が責任逃れに使うロジックはこうなっている。
駐車場というのは管理している土地を自動車オーナーに賃貸しているだけであり、車の保管委託ではないので損害賠償責任はない。実際に、駐車に関する1999年都条例第5号には、駐車場運営会社は自動車盗難に対して賠償しなくとも良いという規定が記されており、そして駐車場が自動車運転者に渡す駐車券にも、駐車中の車両の保全責任は負わないという免責条項がプリンドされている。
しかしその一方で、自動車を盗まれた消費者が駐車場運営者を告訴した裁判で、消費者側が勝訴し駐車場運営者に賠償を命ずる判決が既に出されている。とはいえ、判例が作られたからといって、すぐそれが世の中の規準になるようなインドネシア社会ではない。
2009年3月、南ジャカルタ市にあるカルフルビンタロ店駐車場でキジャンを盗まれたファリッは消費者係争調停庁の仲介でカルフル側と交渉を行なっているが、カルフル側は慰謝料としての心づけをファリッに渡し、係争は解決したと主張している。しかしファリッは、そんな少額の心づけで引き下がれるはずがない、と述べている。このケースは互いの主張が平行線をたどっているため、消費者係争調停庁はファリッに対し、裁判所に告訴するよう勧めている。
消費者保護財団は駐車場業界のロジックが裁判で否定されていることを指摘し、そのロジックを肯定している1999年都条例第5号を早急に改定するよう訴えている。


「バスウエー運転手にも替え玉?!」(2011年1月25日)
2010年11月23日付けコンパス紙への投書"Sopir Transjakarta Sibuk Kirim SMS dan Menelepon"から
拝啓、編集部殿。わたしは2010年10月26日16時25分ごろ、ドゥクアタス停留所からラグナン〜ドゥクアタスルートのバスウエイに乗りました。バスの中でわたしは運転手の行動に興味惹かれました。トランスジャカルタバスがドゥクアタス停留所を出てほんの数メートル走った途端、運転手はSMS発進に大忙しの態です。
マンパンプラパタン停留所でも、運転手はまたSMS発進を繰り返しました。それどころかかれは携帯電話にかかってきた電話を受けて、「後でまた。客を全部降ろしてからだ。」と話し、電話器を運転席の自分の腿の間に置きました。わたしが何度も運転手のほうを見てその動きに関心を払っていた様子に気付き、バスがブンチッラヤ通りからプジャテン通りを目指しているとき運転手はやっとSMSと通話をやめました。わたしはその運転手に何も言いませんでしたが、バスのフロントに掲示されている運転手のアイデンティティに注目しました。そのアイデンティティカードの顔写真とそのときバスを運転していた運転手の顔は別人でした。写真の顔は中年男性のもので、40歳を超えているように見えました。一方運転席に座っているひとはもっと若く色白で、25歳くらいのように思えました。[ 中央ジャカルタ市メンテン在住、ユリアンティ M ]
2010年12月28日付けコンパス紙に掲載されたトランスジャカルタバスウエーからの回答
拝啓、編集部殿。ユリアンティさんが2010年11月23日付けコンパス紙への投書で訴えられた不愉快な体験に対して、お詫び申し上げます。規則により、運転手は勤務中の飲食・喫煙・携帯電話使用・イヤフォンで音楽を聴くといった行為が禁止されています。ユリアンティさんはまた、運転手の顔がアイデンティティカードの写真と違っていたと指摘されています。しかしバスの車両番号すらわからないので、当方はクレームのフォローができません。[ 公共サービス機関トランスジャカルタバスウエー長官、ダリニ ]


「途中で乗客を放り出す電車は都バスにそっくり」(2011年1月28日)
2010年11月13日付けコンパス紙への投書"Cisadane Express Turunkan Penumpang Sembarangan"から
拝啓、編集部殿。2010年10月22日、それはわたしが首都近郊電車のサービスに生涯最大の怒りを覚えた日でした。タングラン駅とジャカルタのタナアバン駅の間で進行途上の電車、中でもチサダネエクスプレスから途中で降ろされたのはそれで何度目だったでしょうか?22日のケースは、ドゥリ駅で火災が発生しているというのが理由でした。
たしかにその日午前6時25分、ドゥリ駅とタナアバン駅の間のロキシーマス踏切周辺で火災が発生していました。そんな状況でありながら、午前6時45分に電車はタングラン駅を発車したのです。タングラン駅職員は火災のために電車が通れなくなるのを予測して、乗客が他の交通手段を取れるよう、タングラン発の列車の運行をキャンセルするべきだったのです。ところがチサダネエクスプレスは予定通り発車し、あげくのはてにプシン駅近くで乗客を降ろしました。このような、乗換え電車も用意しないで乗客を線路上に降ろしてしまう出来事は昔から何度も起こっています。代替交通機関は乗客が自分で探さなければなりません。ジャボデタベッコミューター電車のサービスって、このようなものなのですか?
首都近郊電車運営者はもっと人間的になってください。乗客の権利を思い出し、代替交通機関を用意してください![ タングラン市在住、ルリ・ファフルル ]


「バリ初の有料自動車道建設計画」(2011年1月31日)
公共事業省と有料道路統制庁が計画しているバリ州最初の有料自動車道路はスラガン(Serangan)島とタンジュンブノア(Tanjung Benoa)をつなぐ渡洋ブリッジになる。しかしこのルートは西側のブノア港そしてもっと西側のグラライ空港を控えているため、相反する条件を克服する必要がある。ブノア港に入る船はその渡洋ブリッジの下をくぐらなければならず、そのためブリッジは海面から少なくとも45メートルの高さを持たなければならない。一方グラライ空港は滑走路の東側を離着陸のために通る航空機のために、背の高い構造物の存在を受け入れることができない。
この道路建設は有料自動車道運営国有会社PTジャサマルガ、港湾運営国有会社PTプラブハンインドネシア?、空港運営国有会社PTアンカサプラ?、そしてバリ州観光開発事業体バリツーリズムデベロップメントセンターがコンソーシアムを組んで行うことになっている。そして計画では、四輪車専用道路にはせず、スラマドゥ(Suramadu)有料自動車道の先例にならって二輪車も通行を認めることにされており、通行車両からの収入が投資回収に見合うよう配慮されている。公共事業省によれば、この計画は2008年に一度公表されたものの、投資回収が期待できないとの印象が強かったためプロジェクトを引き受けようとする会社が現れなかった。それは上で挙げたような二律背反の条件を克服して巨大な橋を建設するコストに関わっている。
公共事業省はこの有料自動車道建設計画に関して四つのオプションを組んでおり、そのそれぞれについて現在、環境インパクト分析が進められているところだ。最終的には環境インパクト分析を織り込んでルート決定がなされるわけだが、公共事業省が既にまな板に乗せた四つのオプションは次のようになっている。
第一案: スラガン〜タンジュンプノアを結ぶ技術的に最短距離の洋上ブリッジで全長7.5キロ、最大高45メートル超、工費1.5兆ルピア。
第二案: スラガン〜タンジュンプノアを結ぶ全長7.5キロの海底トンネル、工費5.1兆ルピア。
第三案: 経路を更に東側に張り出した全長9.6キロ、最大高45メートル超の洋上ブリッジで、グラライ空港に発着する航空機への影響は小さい、工費2.9兆ルピア。
第四案: 経路をもっと海上に出してブノア海峡とバドゥン海峡をまたぐ全長11.5キロの洋上ブリッジで、空港や港から更に遠ざかる、工費はもっとも小さい1.3兆ルピア。
この第四案は工費が一番小さいばかりか、ブノア湾に連なっているマングローブ林の破壊も全然発生しないため、有料道路統制庁長官は環境インパクト分析が誘導的であればこの案が最右翼だろう、とコメントしている。


「豊かになれば、交通渋滞は激化する?!」(2011年2月1日)
自家用の乗り物が持てるなら、公共運送機関に乗ることはない。それが何十年もの昔から連綿と続けられてきたインドネシア市民の感覚である。しかし街中を走る公共運送機関、特に乗合いバスがなくなれば困るひとがたくさん出るのも確かだ。
コンパス紙R&Dが2011年1月5〜7日に721人の回答者に対して行なった調査によれば、毎日公共運送機関を使っているひとは21%しかいなかった。
質問1)日常活動の中でどのくらい頻繁に公共運送機関を利用していますか?(数字はパーセント)
回答)毎日/21.2、週に数回/20.7、月に数回/10.1、ほとんど使わない・使ったことがない/44.7、不明/3.3
質問2)家の外での活動のために交通機関は何を使っていますか?(数字はパーセント)
回答)学生・生徒: 自家用乗り物/70.3、公共運送機関/28.2、不明・無回答/1.6
主婦: 自家用乗り物/61.0、公共運送機関/38.4、不明・無回答/0.6
無職: 自家用乗り物/50.0、公共運送機関/45.5、不明・無回答/4.5
年金生活者: 自家用乗り物/63.8、公共運送機関/34.0、不明・無回答/2.2
公務員・国有事業体職員: 自家用乗り物/78.6、公共運送機関/21.4、不明・無回答/0.0
軍人・警察: 自家用乗り物/75.0、公共運送機関/25.0、不明・無回答/0.0
民間会社員; 自家用乗り物/79.7、公共運送機関/19.3、不明・無回答/1.0
自営業・事業主: 自家用乗り物/78.7、公共運送機関/18.3、不明・無回答/3.0
質問3)公共運送機関を使う場合、その理由は何ですか?(数字はパーセント)
回答)距離・時間・費用の効率/43.1、自家用乗り物を持っていない/29.2、快適さ/7.3、保安/4.9、その他/8.5、不明・無回答/7.0
公共運送機関を最も利用しているひとは、1)無職、2)主婦、3)年金生活者で、自家用乗り物を持っていない階層の代表者であるように思われる。もしもかれらが自家用乗り物を持てるようになったとき、かれらは公共運送機関の利用を継続するだろうか、という疑問が湧く。
2008年中央統計庁調査によれば、全国で6千5百万台の乗り物が、二輪自動車を主体にして、路上を走っていた。オートバイが更に持ちやすくなり、貧困層の購買力が向上した場合、かれらは一斉に公共運送機関に乗るのをやめてオートバイでの移動を始めるにちがいない。その傾向は2010年に既に証明されているように思えてならない。


「ジャカルタに自転車道を作れ」(2011年2月2日)
首都ジャカルタ2010〜2030年地域レイアウト計画の中に歩行者道と自転車道を織り込むよう、都議会が都庁に指示した。過去から連綿と作成されてきた地域レイアウト計画の中にそのふたつのファクターが盛り込まれたことは一度もなく、この先20年間の都市建設と整備のグランドデザインとなるそのレイアウト計画にも最初それらのファクターは盛り込まれていなかった。いま都内で自転車で公道を通ろうとすると交通事故の危険につきまとわれ、また歩行者用のスペースはカキリマ商人や物売りたちに占拠されている。
都議会立法院議長は議会のその意向について、環境に優しく交通渋滞をやわらげることのできるそれらのファクターは重視されなければならない、と説明した。都内のすべての一級道路には歩行者道と自転車道が必ず設けられ、その保安と快適さを都庁は確保しなければならない。
NGO「トラフィックオンデマンド」連合のメンバーは都議会のその決定に対して快哉を叫んだ。「ジャカルタの道路は人間性の失われた場所だ。自動車の通行ばかりが優先され、歩行者や自転車は二の次にされている。その結果交通渋滞は悪化の一途をたどり、排気ガス汚染も激化するばかりだ。反対に歩行者道や自転車道を設けることは公共運送機関の利用向上に寄与するだろう。公共運送機関の拡充による交通渋滞緩和方針を都庁が進めるのなら、歩行者道や自転車道を設けることはその方針をサポートするものになる。」NGO活動家はその重要性をそう語っている。


「グラライ空港で緊急事態」(2011年2月2日)
2010年12月20日付けコンパス紙への投書"Pengaturan Terbang di Ngurah Rai Tidak Profesional"から
拝啓、編集部殿。わたしはデンパサルからジョクジャに向かうガルーダ航空乗客のひとりでした。2010年11月6日、ジョクジャ空港はムラピ山噴火の影響で閉鎖されたため、わたしの乗るGA345便はスラバヤ空港に行き先が変更されました。しかしそのとき、ほとんど同じタイミングで別の飛行機が着陸しようとしていたにもかかわらず、バリのグラライ空港管制官はGA345便にテークオフの許可を与えたのです。
GA345便は全乗客が搭乗したあと、徐々に滑走路に入って行きました。飛行機が高速で走り出したと思う間もなく、ほんの数秒後に急ブレーキがかかり、機体はすぐに滑走路から横へはずれて滑走路の外へ出たのです。乗客は全員驚き、ヒステリックな叫び声が機内に満ちました。
間もなく機内アナウンスがあり、他の飛行機が着陸するので本便は駐機位置に戻らなければなりません、と説明されました。ガルーダ側は恐怖と困惑の中にいる乗客たち鎮めることに努力を払いました。他の飛行機が着陸しようとしているときに空港管制官がガルーダ機にテイクオフを指示するなんて、そんなことが起こりうるのでしょうか?離陸や着陸をしようとしている飛行機は常に空港管制官と連絡を取り合っているはずなのに、このような飛行機のコントロールはいったいどうなっているのでしょうか?飛行機に離陸や着陸の許可を与えるのは空港管制官でしょう。しばらくしてからガルーダGA345便は無事にテークオフしましたが、その出来事は航空管制の一層の向上が不可欠であることを示す事例だったと思います。[ ソロ在住、ロサナ・デウィ ]
2010年12月28日付けコンパス紙に掲載されたグラライ空港からの回答
拝啓、編集部殿。ロサナ・デウィさんからの2010年12月20日付けコンパス紙に掲載された投書について、つぎのように回答します。2010年11月6日インドネシア中部時間19.25にデンパサル発スラバヤ行きガルーダ航空GA−345便、B737−800機、機体コードPK−GEMはテークオフ許可を求め、グラライ空港航空管制官はそれに許可を与えました。
丁度そのとき、着陸最終ポジションに入ったカタル航空QTR−638便から連絡が入りました。高度1千1百フィートにあるカタル航空機はスタビライザーが不調になっており、滑走路27から3海里手前で有視界飛行に入ると言ってきました。管制官はその状況を判断し、滑走路上でオーバーシューティングで着陸するようカタル航空パイロットに指示し、一方ガルーダ航空機に対しては、航空機事故を避けるために、離陸の取消を指示しました。ガルーダ航空機は滑走路上で速度を緩めて駐機位置に戻り、カタル航空機に滑走路使用の優先権を与えたのです。
緊急事態になればまず安全が最優先課題となります。もしそのときガルーダ航空が離陸を行なっていれば、航空機間で保たれなければならない最低距離は航空規準を下回ってしまい、両機の安全が脅かされることになったでしょう。それがゆえに航空管制官はガルーダ航空機に離陸取消を命じ、不調を起こしたカタル航空機の着陸を優先させたのです。
そのときガルーダ航空GA345便に搭乗されていた乗客のみなさんにはお詫び申し上げます。航空管制官の決定はただ航空安全を貫くための配慮に従って行なわれたのです。[ PTアンカサプラ?グラライ国際空港支所人事総務課長、リスマン・トリー ]


「Eトールカードの全国使用を推進」(2011年2月5日)
自動車専用道路管理会社である国有事業体PT Jasa Margaが、道路利用料金支払用プリペイドカードであるe−Toll Cardを2011年中に全国で使えるようにする、と表明した。同社が運営管理している自動車道は全国に13ルートあり、総延長は530kmに上って全国自動車道の76%を占めている。その13ルートは次の通り。
北スマトラ州 Belmera (Belawan-Medan-Tanjung Morawa)
首都圏Jakarta-Tangerang
首都圏Jakarta-Serpong
首都圏都内環状自動車道Tol Dalam Kota
首都圏空港自動車道Sedyatmo
首都圏Jagorawi (Jakarta-Bogor-Ciawi)
首都圏Jakarta-Cikampek
首都圏外環状自動車道(Jakarta Outer Ring Road)
西ジャワ州Padalarang-Cileunyi
西ジャワ州Cipularang (Cikamkpek-Purwakarta-Padalarang)
西ジャワ州Palikanci (Palimanan-Kanci)
中部ジャワ州Semarang
東ジャワ州Surabaya-Gempol
マンディリ銀行が発行しているe−Toll Cardは都内環状自動車道と空港自動車道および民間会社が運営しているTangerang-Merakルートで2010年7月に使用が開始され、2010年末時点では更に外環状自動車道、Jagorawi、Surabaya-Gempolまで拡大している。都内環状自動車道と空港自動車道では一日当たり2万4千台の車両がこのカードを使って料金支払いを行なっているとのこと。


「近年まれなドライブスルー式役所手続」(2011年2月10日)
ジャカルタ首都特別州を構成している5市の交通警察統合事務所が、都民が毎年納めなければならない自動車税とその納税を証明するSTNK(自動車番号証明書)発行手続にドライブスルー方式を取り入れた。このドライブスルーはSTNK新規作成を取り扱わず、更新と再発行のみ受け付ける。納税する自動車オーナーはKTP(住民証明書)と期限の切れるSTNK、そしてBPKB(自動車所有者謄本)をすべて原本のまま持参する。それらの原本はドライブスルーの事務所内でスキャンされる。役所手続では昔から大量のフォトコピーが求められてきたが、やっとフォトコピー添付不要という公共手続がインドネシアにも誕生した。わたしの知る限り、これは初の快挙だ。
このドライブスルーでは、あたかもファーストフードドライブスルーのように、手続者は車から降りる必要がまったくない。まず第一の窓口に車で乗りつけ、そこでデータ入力が行なわれる。それが終われば乗車したまま次の窓口に向かい、納税額を知らされて支払いを行なう。金額はモニター表示されるため、悪徳職員のひっかけ徴収は起こらない、と警察側は言う。支払いが終わると受領証憑が渡され、最終的にSTNKが発行されて手続が完了する。
2011年1月28日にオープンしたのは中央ジャカルタ市と東ジャカルタ市および北ジャカルタ市で、他のところも追々スタートし、各市が一ヶ所で手に余るようになってくれば統合事務所ドライブスルーキオスを順次増やして対応する計画。当面取扱い対象は四輪車と二輪車のいずれかを基本とするようで、西ジャカルタ市はその両方を同時に開始するが、それ以外は南ジャカルタ・中央ジャカルタ・北ジャカルタの各市は四輪車のみ、東ジャカルタ市は二輪車のみが対象となる。このプロセスは5分間を標準時間としており、迅速なサービスが期待されている。


「自転車道はまずブロッケムに」(2011年2月15日)
首都ジャカルタ2010〜2030年地域レイアウト計画の中に歩行者道と自転車道を織り込むよう、都議会が都庁に指示した。それに従ってファウジ・ボウォ都知事は、ジャカルタ初の自転車道建設を公式に指示した。都民960万人のうちで自転車に乗っているひとは10万人前後だ、と都知事は言う。「しかしそのすべてが通勤に使ったり日常活動に使っているというものでもない。そんな状況だから、都内の路面はまだ自動車の利用のために提供されなければならない。しかし短距離なら自転車の優先ができないこともない。」
だからその第一弾として南ジャカルタ市ムラワイ通りとバリト通りの角地にあるアヨディヤ公園(Taman Ayodya)とブロッケム(Blok M)間1.9キロに自転車道路を建設することを決めたとのこと。2011年中旬の完成が予定されている。
しかし都知事の姿勢を自転車通勤実践コミュニティ「B2W(バイクトゥワーク)」メンバーで都市交通専門家のひとりは批判する。「自転車用道路を作って自転車利用者を増やすようにするのがあるべき姿であり、自転車利用者が少ないから道路は少しだけ作るというのは本末転倒だ。」との弁。
B2Wが設定している都内のメインルートは次のようになっている。
南ジャカルタ市: Lebak Bulus-Jl Pondok Indah Raya-Jl Pakubuwono-Plaza Senayan-Mal FX
西ジャカルタ市: Mookervart川沿道とKalideres-Indosiarバス停間
中央ジャカルタ市: Taman Suropati-Jl Teuku Umar-Tugu Tani-Jl Medan Merdeka Selatan
北ジャカルタ市: Jl Harmoni, Jl Juanda, Jl Gunung Sahari, Jl Benyamin Sueb-Ancol
東ジャカルタ市: Pulogadung-Jl Pemuda-Jl Pramuka-Manggarai-Dukuh Atas, Bajir Kanal Timur 両岸沿道
ともあれ、自転車道に二輪自動車が入れないようにしなければ、自転車がそこから駆逐される可能性は高いにちがいない。この対応はどのようになされるのだろうか?


「ソロ市内を路面電車が走る」(2011年2月28日)
ソロ市内の目抜き通りスラムッリヤディ(Slamet Riyadi)通りの端に線路が引かれている。ジャカルタにも昔は路面電車が走っており、戦後も何十年間か使われていたが、時代の流れによって廃止され、線路は取り外されてくず鉄にされた。しかしソロでは線路が残された。
2011年2月20日、ソロ市創設266周年を記念する盛大なお祭りが市内を賑わし、市庁が自信を持って打ち出したレールバスと観光二階建てバスがお目見えした。当面は1台だけのこの観光二階建てバスは二階がオープンになっており、観光客はそこに上ってソロ市内を高みの見物としゃれ込むことができる。同時に登場したPT INKA製国産レールバスは市内の道路をはしる電車で、ソロ〜ウォノギリ間をフィーダー電車として走り、ソロ市内プルウォサリ(Purwosari)駅で長距離列車に接続する。つまりこのルートを利用すれば、ジャカルタやスラバヤからソロの市内中心部まで容易に移動できるという便宜が生み出されたわけだ。
ソロ市はさらにこのレールバスコンセプトを延長して市内路面電車の運行を計画している。グラダッ(Gladak)〜パサルグデ(Pasar Gede)〜ジュブレス(Jebres)駅ルートが第一ステップで、さらにプルウォサリ〜スラムッリヤディ〜グラダッ〜パサルグデ〜ジュブレス駅〜バラパン(Balapan)駅とまわる周遊ルートがその次のステップに上げられている。


「トランスジャカルタバスのドアにはさまれないように」(2011年3月4日)
2011年1月4日付けコンパス紙への投書"Transjakarta Mengabaikan Keselamatan Penumpang"から
拝啓、編集部殿。わたしはトランスジャカルタバス第6ルート(ドゥクアタス〜ラグナン)稼動開始以来の利用者です。わたしはジャカルタの公害を減らす都庁のプログラムを支援し、同時に時間の短縮と節約のために意識的に自家用車での通勤をやめました。
2010年11月8日17時45分ごろ、わたしはカレックニガン(Karet Kuningan)停留所からラグナン行きのバスに乗りました。車内に入ったのは男性乗客用の後部扉からです。次の停留所で乗客がふたり乗ってきました。わたしは押されて無意識のうちにドアの端につかまったのです。
ドアが閉められたとき、わたしの右手の親指がドアにはさまれてちぎれてしまいました。近くにいた乗客は親切にも、出血を減らすようにとマスクを貸してくれました。バスがパトラ停留所に停まったので、わたしはすぐにバスを降りてオジェッで最寄の病院へ急ぎました。バスの車掌にはわたしの携帯電話番号をメモしてもらいました。
病院の医師はわたしの持参したちぎれた指を調べ、バスのドアにはさまれて砕けているのでつなぎ合わせるのは無理だと結論をくだしました。バスの車掌ムリヤントさんはSMSで、できごとの詫びとスーパーバイザーに報告したことを連絡してきました。
その後現在に至るまで、トランスジャカルタ側からわたしへの公式なコンタクトは何もありません。わたしが体験したできごとは悲しむべき公共サービスの実態を示すものです。病院で聞いた話によると、乗客がトランスジャカルタバスのドアにはさまれる事故は頻繁に起こっているそうです。[ ジャカルタ在住、エコ・ヌグロホ ]


「航空会社が乗客を見捨てる」(2011年3月22日)
2011年1月11日付けコンパス紙への投書"Penumpang AirAsia Ditelantarkan"から
拝啓、編集部殿。わたしども一家四人はバリのデンパサルからジャカルタへ2010年11月6日19時55分発エアエイシアQZ7519便で戻るはずでした。ところが何の予告もなく、エアエイシア側は一方的にそのフライトをキャンセルしたのです。かなり大勢の乗客が激しく抗議していました。
23時ごろ、乗客は自分で各自宿泊するようにとアナウンスされました。待っている乗客にも食事のサービスなどありません。他の航空会社のチケットを買って移ったのはほんの一部のひとたちでした。バリにもう一泊しなければならなくなったわたしどもにとっては、予想外の大きい出費を強いられ、翌日のバリ〜スラバヤとスラバヤ〜ジャカルタのチケットを買いなおすのにまた出費がかさみました。
キャンセルされたフライトのリファンドはたったの10%で、おまけに翌日のジャカルタ行きフライトは全席満員だとコンピュータのチェックもしないで気楽に言い張るエアエイシア職員のプロにあるまじき対応も、わたしどもに経済的な負担を追加することになったのです。
オンタイムギャランティという公約はどうなったのですか?エアエイシアは無責任に、大多数の乗客を投げ出したのです。[ 北ジャカルタ市プンジャリガン在住、ヘンドラワン ]


「交通違反と警官のノルマ」(2011年3月24日)
2011年1月19日付けコンパス紙への投書"Kerja dengan Target 30 Tilang"から
拝啓、編集部殿。2010年12月18日、わたしはオートバイで西ジャカルタからボゴールに向かっていました。MTハルヨノ通りのチャワン=UKI交差点で、わたしはチリリタン方面に右折しようとしました。交通標識を見て、右折してよいのだと判断したのです。信号が緑に変わるのを待つ間、わたしは右のウインカーを点灯しました。前方に交通整理をしている交通警官がいます。警官はわたしの様子を目にしていますが、何も言いません。わたしの後ろにはピックアップトラックがいて、信号が変わるのを待っています。そのとき交通の流れは比較的閑散としていました。
信号が緑に変わり、わたしが右折しようとしたとき、交通警官がストップをかけたのにわたしは驚きました。その東ジャカルタ市警交通課の警官は、そこで直接チリリタン方面に右折するのは禁止されている、と言うのです。わたしの後ろのピックアップも違反切符を切られました。わたしが右折禁止標識が設置されていないと抗議すると、その信号機はトランスジャカルタバス専用なのだ、と警官は言い訳しました。見ると確かにトランスジャカルタバス用のマークがあります。しかし信号機が高い位置にあったので、わたしの場所からよく見えなかったのです。わたしは右折待ちをしているときに教えてくれなかったと言って不服を表明しました。しかしその警官は素朴な軽い口調でこう言ったのです。「マス、教えてばかりいちゃ疲れるよ。そしたら違反切符も切れないから。わたしは違反切符30枚のターゲットを持たされてるんだ。」
その交通警官の言葉を聞いてわたしはビックリしました。なんと、違反切符を切るのにターゲットが与えられていたとは。警官が予防でなく捕えることを原則にしていたなんて。警察のモットーは「市民を保護し奉仕する」だったはずなのに。[ ボゴール在住、バグス・サラギ ]


「9月から自動車道料金値上げ」(2011年3月30日)
政府は2年に一度、国内の自動車専用道料金改定を行なうことにしており、2年間のその地域でのインフレ率に従って5百ルピア単位に丸めた値上げが実施される。2011年9月には、国内の13自動車道で10〜12%の値上げになりそうだ、と公共事業省が表明した。その13自動車道とは次の通り。
Belmera 北スマトラ
Jagorawi  ジャカルタ
Jakarta-Tangerang ジャカルタ
Tol dalam kota Jakarta ジャカルタ
Pondok Aren-Ulujami ジャカルタ
Padalarang-Cileuny 西ジャワ
Cipularang 西ジャワ
Padalarang-Cileuny 西ジャワ
Palimanan-Kanci 西ジャワ
Semarang 中部ジャワ
Surabaya-Gempol 東部ジャワ
Jakarta outer Ring Road ジャカルタ
Tangerang-Merak バンテン
Bogor Ring Road 西ジャワ


「喧嘩っ早いのは世の習い」(2011年3月31日)
2010年12月27日付けコンパス紙への投書"Aniaya ala Awak Transjakarta"から
拝啓、編集部殿。去る11月6日土曜日15時ごろ、わたしがジャカルタのロキシーのハシムアスハリ通り陸橋をオートバイで渡っているとき、わたしの右側をトランスジャカルタバスが2台前後に並んで走っていました。後のバスが前のバスを追い越そうとしましたが、わたしのオートバイに阻まれてできません。
バスの運転手は大音量のクラクションを鳴らせ続け、あまりにもうるさいのでわたしはわざと道を譲らず、スピードを緩めたあとダッシュしてバスから離れました。
それからほどなく、ビアク通りとマンシュル通りの交差点で赤信号停止しているとき、突然わたしは左腕をつかまれて左わき腹にパンチを受けました。トランスジャカルタバス乗務員がわたしを何度も殴ったのです。さらにバス内警備員がふたりわたしのほうに近付いてきたので、リンチを怖れたわたしはとっさにエンジンをふかしました。ところがかれらのひとりがわたしのジャケットの襟首をつかんだためわたしは横転して転がったオートバイに足をはさまれたのです。
わたしが動けないのを見た三人は一斉にわたしのからだに殴る蹴るの暴行を加えました。他のオートバイ運転者や住民がそれを止めなかったら、わたしの怪我はもっとひどいものになっていたでしょう。かれらはすぐにわたしを残してバスに戻るとそこから去って行きました。わたしは中央ジャカルタ市警ガンビル署にその事件を届け出ました。[ バンテン州カラワチ在住、リオ ]


「限りなく詐欺に近い」(2011年4月6日)
2011年1月27日付けコンパス紙への投書"Sistem Daring Garuda Indonesia Menjebak"から
拝啓、編集部殿。わたしはガルーダインドネシア航空会社オンラインシステムの罠に落ちました。オンラインで航空券を注文した際、『アイデンティティカード上の名前は次の乗客名と一致しなければならない』という文言と乗客の名前がはっきりと示されたのです。
わたしはwww.garuda-indonesia.comのサイトからジャカルタ〜スマランの航空券を注文したのでした。あらゆるデータは正確に記入しました。ところがEチケットをプリントしたところ、乗客名のところに記されていたのはクレジットカードの名義人でした。実際に搭乗するのはクレジットカード名義人ではないのです。これでは乗客名と別の人間が搭乗することになってしまいます。一方、クレジットカードからは航空券代金が引き落とされました。
結局わたしは乗客名の変更を求めるためにジャカルタのグヌンサハリ通りにあるガルーダ航空本社を訪れました。ところがカスタマーサービス職員のだれひとりとしてその手助けをして問題解決をはかってくれるひとがありません。かれらは、名前の変更はできないと言い張ります。
だったら、クレジットカード名義人の名前が乗客名として記載されるのだから、クレジットカードを持っていない者はこのシステムを使えないではありませんか。
それはおかしいでしょう。ガルーダのオンラインシステム内のミスのために乗客が犠牲にされるなんて。しかたなく、わたしはその購入をやめて払い戻しを要請しました。その後払い戻しされた金額は、なんと75%がカットされた上10万ルピアのキャンセル料が引かれ、残高はたったの1万ルピアが戻ってきただけでした。ガルーダのオンラインシステムはいったいどうなっているのですか?[ 北ジャカルタ市プンジャリガン在住、アデ・スザナ ]


「ジャゴラウィ自動車道料金はややこしい」(2011年4月14日)
2011年1月27日付けコンパス紙への投書"Tarif Jalan Tol"から
拝啓、編集部殿。2010年12月5日、わたしはチブブル料金所から自動車道に入りましたが、そのときチブブル〜ボゴール区間料金は4千5百ルピアとあるのを目にしました。11時35分ごろ、わたしはボゴール料金所を通り抜けるとき、1万5百ルピアを料金所職員に渡しました。6千ルピアのつり銭が返ってくると思ったにもかかわらず、4千ルピアしか戻ってこず、領収票も第?群・現金Rp.6,000と記載されています。
気になったので、ボゴールから戻るとき、わたしは自動車道料金所に掲げられている料金表をじっくり観察しました。14時半ごろチケットをもらい、料金表は4千5百ルピアと記されているのを確かめ、料金所職員に尋ねたところ、ボゴール〜チブブル間の料金は4千5百ルピアであって6千5百ルピアではない、との返事を得ました。料金変更はないということです。
わたしは訳がわからなくなりました。だったら、さっき料金所で起こった間違いはボゴール料金所のコンピュータシステムに問題があったのか、それとも料金所職員が不良行為を行なったためなのでしょうか?自動車道運営管理者であるPTジャサマルガに説明をお願いしたいと存じます。2千ルピア余分に支払ったのです。道路利用者としてわたしは当然料金変更に関する情報をオープンにしてもらう権利を持っています。
もしチブブル料金所で入りボゴール料金所で出た自動車ごとに2千ルピアを余分に徴収すれば料金所職員は一日にいったいどのくらいの追加収入を得るのでしょうか?[ 南ジャカルタ市ジャガカルサ在住、マデ・アディ・クリスナヤナ ]
2011年2月21日付けコンパス紙に掲載されたジャサマルガからの回答
拝啓、編集部殿。マデ・アディ・クリスナヤナさんからの2011年1月27日付けコンパス紙に掲載された投書に関して次の通り説明します。2009年公共事業大臣決定書第514/KPTS/M/2009号で定められている通り、チャワン/タマンミニ/パサルボから入った第一群(セダン・ミニバス・同種のもの)車両でチブブルメインゲートを通ったもののボゴールまでの通行料金は6千5百ルピアであり、チブブルキャンプ場方面からチブブル第3ゲートを通ってジャゴラウィ自動車道に入った第一群車両のチブブル〜ボゴール間通行料金は4千5百ルピアです。各料金所で通行料金を支払う車両は方向・行き先・料金がすべて探知されています。マデさんが通行料金をいくら支払うべきだったのかを確定させるためには、ご本人がどの料金所を通って通行券を入手したのかが判明しなければなりません。
ジャサマルガへのお問合せは電話021−80880123あるいはEメールjasmar@jasamarga.comへどうぞ。[ PTジャサマルガ企業広報室長、ズフディ・サラギ ]


「ガルーダが日本航路を減便」(2011年4月13日)
大規模災害後の日本向け航路で乗客が10%減少していることを理由に、ガルーダインドネシア航空は日本航路の便数を削減した。2011年4月5日からデンパサル〜成田便とジャカルタ〜成田便は一本にまとめられ、ジャカルタ〜デンパサル〜成田〜ジャカルタというループ航路になる。この変更は暫定的なもので、5月いっぱいまでとされている。日本航路はガルーダ航空総売上の10%を占めており、経営陣としては神経質にならざるを得ない。
この便数削減で浮いた機体をガルーダはジェッダ向けに回した。現在一日二便就航しているジャカルタ〜ジェッダ航路は2011年4月5日から5月末まで三便に増やされる。
ハジ巡礼のシーズン外に行なわれるメッカ巡礼はウムロと呼ばれる。2011年3月4月のウムロ出国者は前年同期の20万人から25%という目覚しい増加を示しており、ガルーダにとっては日本航路から回した機体でより大きな収入が期待できる。航空運賃ひとりあたり970米ドルで一機4百人、2便で8百人を運ぶから、これまでの一日当たり収入は77万6千ドル、もう1便増やせば全体で116万ドルの収入となる。
ガルーダ航空はまた、2011年第4四半期にジャカルタ〜マニラ航路を開設する計画を組んでいる。


「忘れ物が戻って感激」(2011年4月13日)
2011年1月30日付けコンパス紙への投書"Kebaikan Petugas KRL Bogor-Jakarta"から
拝啓、編集部殿。しばらく前、わたしはボゴールからジャカルタ行きのエアコン付きエコノミークラス近郊電車に乗りました。電車が着いたとき、わたしは座っていた場所の網棚に置いたジャケットを持たずに降りてしまいました。それを思い出したわたしは、降りた駅に電話をかけて職員に尋ねました。するとその職員はわたしに、ジャカルタコタ駅にコンタクトするように言うのです。
翌日私はジャカルタコタ駅を訪れました。するとわたしのジャケットはそこで安全に保管されていたではありませんか。腐敗行為者に満ち、自分さえよければそれでよし、という今の世の中に、他人のことに注意を払ってくれる鉄道職員がいるということにわたしは感銘を受けました。インドネシア人の中にいまだに高潔な道徳を実践するひとがいるのです。きっと給料はとても小さいのでしょうけれど。[ ボゴール在住、サレ・ドディ ]


「満員列車の床で寝るひとびと」(2011年4月15日)
2011年1月30日付けコンパス紙への投書"Karcis Kereta Tanpa Tempat Duduk"から
拝啓、編集部殿。2010年11月25日夜、わたしは通例のとおりふたりの友人と一緒にチレボンに列車で帰郷しました。わたしたちが乗ったのは20時発のエコノミー列車ブガワン号です。そのときの車内は座席なし乗車券を持った乗客でぎゅうぎゅう詰めになりました。
エコノミー列車で、こんな光景は頻繁に起こります。こんな状態が起こると、車内の移動すら困難になるばかりか、車内の通路に座り込んだり椅子の下に入って横になるひとまで現れて、快適さが失われるだけでなく、そんな光景に惨めな気持ちが湧き起こってくるのです。
おまけにもっと嫌なことが最後に待ち受けています。目的地に着いた列車から降りようとするとき、車両の扉に到達するだけで一苦労なのに加えて、通路や椅子の下に寝ているひとたちの頭をまたぎ超えて行かなければならないのですから。到着時間にはたいてい大勢のひとが床に座ったり椅子の下に横になって眠っているのです。[ マジャレンカ在住、リカ・ファッマワティ ]


「座れる保証のない座席指定(その一)」(2011年4月16日)
2011年1月30日付けコンパス紙への投書"Tiket Fiktif Kereta Api"から
拝啓、編集部殿。2010年12月10日、妻はスマラン発ジャカルタ行きアルゴアングレッ号の乗車券を買いました。発車予定は2010年12月12日24時です。購入はマンディリ銀行ATMを使ったオンラインフォーンを通したもので、予約コードはBB5774(6773/101210143352)でした。乗車券には車両番号6、座席番号6Aと記されています。
12月12日の出発日にわたしは妻を送ってスマランのタワン駅へ行きました。予定では24時発なのに、0時40分にやっと列車がやってきました。それでわたしは乗車券にある6号車を探しましたが、見つかりません。4号車の外に立っている女性職員に尋ねたところ、この列車は5両編成で6号車はない、という返事です。
そのためわたしはタワン駅職員に尋ねに行きました。その職員も困惑し、わたしを駅の操車室に誘いました。そこにはアルゴアングレッ号の機関士がいました。わたしが乗車券に書かれた6号車がないことを指摘すると機関士は即座に、「自分はスラバヤから5両編成で運転してきただけで、その問題に責任はない。」と言うのです。乗車券販売はジャカルタで行なっているのだ、と。タワン駅職員も異口同音に、自分たちに落ち度はないと主張しました。かれらは国鉄のオンラインシステムに責任があるのだと言います。そうまで簡単に他人事にしてしまえるものですね。国鉄のオンラインシステムはいったいどういうものなのでしょうか?国鉄は他の駅で同じ乗車券を同時に売ることができるのでしょうか?国鉄の各支店間での協働体制はどうなっているのですか?
結局かなり時間が経ってから、妻は5号車の座席番号6Bに座ってその夜のうちに出発することができました。もしこの列車が5両編成なのなら、国鉄はどうして6号車の乗車券を販売したのですか?[ スマラン在住、ゼンドリ・ドヴィラ ]


「座れる保証のない座席指定(その二)」(2011年4月18日)
2011年1月30日付けコンパス紙への投書"Kereta Argo Bromo Anggrek Kacau"から
拝啓、編集部殿。わたしはエグゼキュティブ列車アルゴブロモアングレッパギ号でスラバヤへ行く妻を送って2011年11月23日にガンビル駅へ行きました。料金の一番高いこの列車で混乱が起こりました。まず乗車券に書かれた出発時間午前9時半は実際に11時5分の出発でした。加えて車両番号と座席番号に混乱があったのです。4号車と記載されているのは本当は3号車であり、5号車というのは4号車のことで・・・・といった誤りがありました。そのおかげで大勢の乗客が車両を出たり入ったりし、自分の本当の座席を探すことになりました。本当の座席へ行けば他の人が座っており、自分の乗車券を示して間違っているのはどっちだ、という話になります。この乗客の右往左往で車両の扉にボトルネックができ、混乱はいやが上にも倍化されました。当局はこの事件について、職員のイセン行為によるものか、それとも国有事業体に混乱を与えようとする不穏分子のサボタージュによるものか、捜査して糾明されるべきものでしょう。
プラットフォームでひとりの婦人が国鉄ガンビル駅職員に対して激怒し、「みっともない」という言葉を連発していました。わたしはこの事件がガンビル駅職員のミスでなく、列車を用意したマンガライ操車場職員の責任であることを説明してその職員を弁護しました。三両目の車両は扉が壊れていて閉まらず、エアコンの冷気は外に流出し、外のタバコの煙が車内に流れ込んで来ました。トイレは水が出ず、清掃員はほかの車両から水を汲んできて掃除するありさまです。一時間半も出発が遅れたためにアルゴブロモアングレッパギ号はスムースなダイヤ運行ができず、頻繁に停車して他の列車の通過を待たなければなりませんでした。その結果スラバヤのパサルトゥリ駅到着は22時になってしまいました。[ 東ジャカルタ市在住、スワルノ・ムリヨ ]


「めんどくせーことはしない、命懸け人生」(2011年4月20日)
2011年2月1日付けコンパス紙への投書"Anak-anak dan Helm"から
拝啓、編集部殿。親や常連オジェッのオートバイに乗って学校に往復する幼稚園児・小学生・中学生の子供たちがヘルメットをかぶっていない姿をわたしはよく目にします。わたしの質問は、オートバイ運転者と同乗者にヘルメットをかぶることを義務付けた道路交通と運送に関する2009年法律第22号は子供を例外扱いしているのかということです。もしその答えが「ティダッ」であるなら、いくつかの質問を提起する必要があります。警察はどうしてその条項を子供たちにも一貫して適用しないのでしょうか?ヘルメット生産者はどうして子供用サイズのヘルメットを市場に出さないのでしょうか?
オートバイで送られる子供たちがヘルメットをかぶらないのを放置することは、幼い時期から自己の安全を無視し且つ決まりを守らないことを子供たちに教育していることと変わらないのだということを、政府は自覚しているのでしょうか?わが国有数の子供問題専門家であるカ・セトさん、この問題に関するあなたの声はどこにあるのでしょう?ティムール・プラドポ国家警察長官、このことがらに関するあなたの意見はどうでしょう?
子供たちの親御のみなさん、ヘルメットなしにわが子をオートバイに同乗させて、あなたがたは愛しいわが子の安全と未来をいちかぱちかのリスクの中に投げ込んでいるのだということを自覚しているのですか?最後に、国家の交通行政を担当している最高責任者にこのシニカルな言葉を呈上しておきましょう。願わくば、インドネシアの子供たちの頭が激突により高い抵抗力を持ちますように。[ 東ジャカルタ市在住、カポン・オッピラス ]


「地方で補助金なし燃料はあまりない」(2011年4月21日)
2011年2月17日付けコンパス紙への投書"Pertamina Dex di Jawa"から
拝啓、編集部殿。最近の休日にわたしども一家は自家用車でジャカルタからマランへジャワ島ドライブの旅をしました。ルートはジャカルタ〜チレボン(Cirebon)、スマラン(Semarang)〜サラガン(Sarangan)、そしてマグタン(Mageta)〜クディリ(Kediri)〜マラン(Malang)という道程でした。ジャカルタで高品質軽油プルタミナデックスを入手するのは容易ですが、わたしどもはチレボンを越えたあたりからプルタミナデックスの入手に困難をきたすようになりました。
わたしどもが最初に立ち寄ったプルタミナのパスティパス給油所はプルタミナデックスを取り扱っていませんでした。次の給与所には10リッター入りが一缶しか残っていません。その給油所は残った一缶を売ろうか売るまいかと逡巡していました。プルタミナが抜打ち監査に来るのを怖れているのです。結局11万ルピアでその一缶を売ってくれました。
翌日、わたしどもはまたプルタミナデックスを探し、ジャイアンチレボン店の隣の給油所で二缶見つけました。一缶は10万7千ルピアです。スマランまではまだそれほどの困難ではありませんでしが、スマランを越えてからの街道筋の町々では、たいへんな苦労を味わいました。
マディウン(Madiun)の給油所はたいへん親切で、プルタミナデックスを売っている給油所がどこなのかを教えてくれました。そのおかげでわたしどもはマランまでたどり着くことができたのです。ところがマランで唯一プルタミナデックスを取り扱っている給油所がもう二週間もプルタミナからの供給がないということで、わたしどもはまたたいへんな目に遭いました。
政府の石油燃料補助金削減政策に協力しているわたしどもの努力も、本当に報いられませんね。なにしろ補助金なし燃料が出回っていないのですから。[ マラン在住、ダルワティ・プルボリニ ]
2011年3月21日付けコンパス紙に掲載されたプルタミナからの回答
拝啓、編集部殿。2011年2月7日付けコンパス紙に掲載されたダルワティ・プルボリニさんからの投書について、お答えします。消費者へのサービス向上をはかって、当方はプルタミナデックスの缶入りとバラ売りのストックと取扱い給油所を積極的に増やす計画です。
現在ジャワ島でのプルタミナデックスバラ売り価格はリッター当たり8,750ルピアで、ジャワ島には缶入りプルタミナデックス取扱い給油所が335ヶ所あります。その給油所のリストはプルタミナ連絡窓口500000番で入手することができます。[ プルタミナ企業広報担当副社長、モハマッ・ハルン ]


「サリナ交差点の信号停止に要注意」(2011年4月26日)
ジャカルタ都民の交通道徳改善に努めている警察は鋭意違反摘発を行なっているものの違反者のほとんどがそれに不公平感と贈収賄の罠を感じており、一般都民に対する教育効果はなかなか上がらないのが実情のようだ。
ともあれ、その一環として首都警察は中央ジャカルタ市タムリン通りのサリナデパート交差点にカメラを2011年4月初から設置して、その交差点における標識違反車両を摘発する方針を開始した。4月一杯はトライアル期間とし、4月末日から本格稼動が開始される。
その交差点における違反摘発は道路に引かれた線に関するもので、信号手前の停止線及び車線を分ける白の実線、黄色の実線の三つから成り、赤信号一旦停止時にそれらの線を車両が覆ったかどうかがカメラで判定される。このメカニズムについて言うと、赤信号になるとレーザーカメラが作動して信号待ち車両の写真を撮る。違反車があった場合はその写真が抽出され、その写真と交通違反切符が違反車両の登録名義人宛てに送られて、罰金をBRI銀行に納入するよう命じられる。罰金支払が遅くなると裁判所への出頭が命じられて、裁判所で簡易裁判を受けて罰金はそこで納入することになるが、それを更に無視すると、次回のSTNK更新時に手続ができなくなる、という筋書き。
その三種の違反はそれぞれが罰金50万ルピアなので、奇しくもその三種の線すべてに引っ掛かる停まり方をすると罰金総額150万ルピアとなる。この罰金額はちょっと高いようだが、都内一級道路(プロトコル道路と呼ばれる)で犯した交通違反に対しては他の場所よりも高めに設定されている。
この宣伝が功を奏したと見えて、毎週4〜5百件ある違反が4月第一週には163件に激減した。情報によれば、ブルーバードタクシーもそれに引っ掛かって違反車リストに名を連ねたとのこと。4月末日からは上のメカニズムが稼動するようになるが、4月25日からはその交差点で違反者に対するお仕置きが始まる。カメラのモニターはその交差点の警官詰所に置かれており、モニター監視官が違反車を見つけるとその車に近い交通監視警官に指図する。監視警官は違反車を道路脇に停車させ、運転者を詰所に連行してその写真を見せ、油を絞るという寸法。
電子式交通違反切符方式と呼ばれるこのシステムは次に重点的な四つの交差点に拡大され、最終的には全都がカバーされるという計画になっている。


「納税前に課税金額の内容検証を」(2011年4月27日)
2011年1月から所有四輪車二輪車台数による累進システムに変更された自動車税の納税にあたって、税金を納める前に金額内容を確かめるように、と首都警察交通局が呼びかけた。この対象となったのは自家用車だけで、所有者の名前と住所が同一であることが条件となっている。
一台目は税率1.5%、二台目2%、三台目2.5%、四台目以降は4%の税率がその車種の生産年に従って定められた課税標準金額にかけられる。今年の課税額が昨年に比べて大幅に増えたと思われる場合、税額計算根拠を問い合わせたほうがよい。
四輪車二輪車オーナーはかつて別の車を持っており、それを中古車として売却した可能性がある。もしかれが売却した車を買った者がまだ名義変更していなければ、現在かれが持っている自動車は当局のデータベースの中で二台目三台目という位置付けに置かれることになるからだ。


「生きている母を死体扱い」(2011年4月27日)
2011年2月4日付けコンパス紙への投書"Penumpang Sepuh Dilalaikan di Bandara Soekarno-Hatta"から
拝啓、編集部殿。2010年12月19日12時、わたしども一家8人はシンガポールからガルーダ航空GA827便でスカルノハッタ空港に到着しました。わたしの母は老齢で歩くことはおろか立っていることすらできないので、車椅子を使っています。飛行機はバンテン州タングランのスカルノハッタ空港第3ターミナルに着き、タラップの階段を下りなければなりません。
一家の感情が爆発し、母が泣き出したので、やっと空港職員数人が母の座っている車椅子を持ってタラップの階段を下りるのを手伝ってくれました。客室乗務員のひとりが、ターミナルビルの搭乗ブリッジが全部使われているので、このガルーダ便はタラップを使っているのだ、と弁解しました。確かにこの事態は空港管理者が招いたことに違いありません。
地上に降りると、その便の乗客はみんなバスとガルーダの業務用車両で第2ターミナルに運ばれるのです。そこで次の問題が起こりました。こんどは業務用車両に母と車椅子を乗せなければなりません。母はまるで荷物のように、あっちに置かれたりこっちに移されたりしてターミナルから出て行くのです。
わたしは最終的に、空港職員にこう提案してみました。遺体を飛行機からターミナルに移す方法を使ってもらえないだろうか、と。母を遺体として扱ってもらえないだろうか、というわけです。空港職員は救急車を呼び、母を乗せてターミナルに運びました。ガルーダ航空・地上サービス会社PTガプラアンカサ・空港管理会社PTアンカサプラ?は車椅子を使う乗客に人間的なサービスを与えていません。[ 南ジャカルタ市スティアブディ在住、サフルディン ]


「バスウエイ利用は腕力がモノを言う」(2011年4月29日)
2011年2月27日付けコンパス紙への投書"Masuk Transjakarta Adu Otot"から
拝啓、編集部殿。長年のトランスジャカルタバス利用者としてわたしは乗客サービスにまだまだ改善の余地のあることを確信しています。特に第2第3ルートはクオリティが低く、不満を覚えます。安全面は確かに向上していますが、快適さはまだまだです。
東ジャカルタ市プロガドンターミナルから毎日16時ごろ帰宅する途上において、第2ルートバス内に入るとき、そして第2ルートから第3ルートに乗り換えるとき、必ずバス利用車同士の押し合いを経なければなりません。男だけでなく女性や老若子供を問わず、力較べの関門を通らなければならないのです。
それはバス利用車の数が多すぎること、バス扉が一ヶ所しかないこと、そしてバス稼動台数が少なすぎることが原因です。加えて2010年9月以来プロガドンターミナルの改装工事が行なわれているためターミナルバス停が使われていない状況が事態をさらに悪化させています。第2ルートバス利用者はそのためにプロガドンターミナル第4ルート(プロガドン〜ドゥクアタス)ターミナルでバスに乗降しなければなりません。改装工事はもう3ヶ月以上たっているというのに、いまだに完成しません。
この状況を見るにつけ、「トランスジャカルタのエリート経営者は故意にその状況を作り出してバスを利用する下層民衆が力較べとばかり押し合いへし合いするのを見て愉しんでいるのではないか?」という気になってしまいます。プロガドンから第2ルートバスに乗り、第3ルートに乗り換えるトランスジャカルタバス利用者の快適さを維持するために、早急にプロガドン第2ルートターミナル工事を完成させて利用再開がなされるよう希望します。
別の代案として、ハルモニーまでの乗客と乗り換えてカリドゥルスまで行く乗客の乗降口を別にするよう提案します。バスの運行時間設定は完璧ですか?乗客の乗っていない空っぽバスが、燃料補給だと言ってターミナルバス停を出て行くことのないようにしてほしいと思います。必要に応じてラッシュアワーにはバスの台数を増やすようにしてください。[ 西ジャカルタ市在住、ダルウォコ ]


「国民総犯罪者化社会の法執行」(2011年4月30日)
2011年2月2日付けコンパス紙への投書"Sidang Tilang dan Cari Uang"から
拝啓、編集部殿。最近わたしはREマルタディナタ通りにあるバンドン地方裁判所に交通違反簡易裁判のために出頭しました。その二週間前、わたしは高速車線を通ったという理由で交通違反に問われ、運転免許証を取り上げられたのです。
交通違反簡易裁判の法廷を探しているとき、実に大勢の人が運転免許証や自動車番号証明書を返してもらいに来ているのをわたしは目の当たりにしました。そこには法廷に出席するという雰囲気などさらさらなく、まるで現金直接援助をもらうために民衆が列を成して集まっているような姿でした。
いよいよわたしの番が来て名前を呼ばれました。
わたしは判事団議長に対面するよう言われました。議長は甲高い声ですぐわたしに言いました。「お前はどうしたんだ?」
わたしは一瞬驚いてから、気を落ち着かせて言いました。「わたしは高速車線を走ったんだそうです。」
わたしがそういう言い方をしたのは、わたしがオートバイを走らせた場所が高速車線だったのかどうかも知らないし、今でさえそれが本当に高速車線なのかどうかもよくわからないからです。
判事団議長はすぐ紙に何かを書き、それをメンバー判事に渡してから、メンバー判事にその紙をみせてもらうようわたしに言いました。なんとその紙にはRp.41.000と書かれてあり、わたしは罰金と思われるその金額を支払うよう命じられたのです。そのあと、わたしの免許証が返却されました。
交通違反の裁判というのはあのようなものが当たり前なのでしょうか?わたしは最初、適正な道路交通行動や、少なくとも違反者が犯した違反行為の内容についての説明が行なわれるものと思っていました。あれでは、交通違反裁判というのは違反者から金をかき集めるための場でしかないという印象です。被告への説明などなにもありません。ああ、わが国の法執行よ・・・・[ バンドン在住、ラティ ]


「マレーシア航空格安航空券」(2011年5月9日)
マレーシア航空がジャカルタ・バンドン発の片道格安航空券をオファーしている。行き先と料金は次の通り。なお、ドルは米ドル。
クアラルンプル: エコノミークラス9ドルから、 ビジネスクラス94ドルから
ハノイ・ホーチミン・マニラ・ヤンゴン・プノンペン・シェムリアップ・バンコック・プーケット: エコノミークラス19ドルから、 ビジネスクラス202ドルから
ニューデリー・ムンバイ・バンガロール・ダッカ・ハイデラバード: エコノミークラス94ドルから、 ビジネスクラス417ドルから
ソウル: エコノミークラス94ドルから、 ビジネスクラス417ドルから
東京・大阪: エコノミークラス94ドルから
香港・北京・上海・広州・厦門: エコノミークラス94ドルから、 ビジネスクラス417ドルから
シドニー・メルボルン・ブリスペン・オークランド: エコノミークラス148ドルから、 ビジネスクラス417ドルから
ロンドン・ローマ・アムステルダム・フランクフルト・パリ: ビジネスクラス955ドルから
発注期間は2011年4月25日から2011年5月24日まで
搭乗期間は2011年5月2日から2012年3月31日まで(エコノミークラス)または2011年4月25日から2012年3月31日まで(ビジネスクラス)
上の料金は航空券のみで、燃油サーチャージ・保険・エアポートタックス・アドミニ料金は含まれていない。目的地によっては特定の便にしか適用されないものがある。料金は記載された日付のみ有効であり、別の日の料金は変更されることがある。戻り便の料金はいろいろ。上の料金はハイシーズンに適用されない。特別料金の適用される座席数は限られている。その他の条件もある。


「スカルノハッタ空港ターミナル施設改修」(2011年5月9日)
2011年2月5日付けコンパス紙への投書"Toilet Bandara Soekarno-Hatta Menhedihkan"から
拝啓、編集部殿。2010年12月28日、チュンカレンのスカルノハッタ空港に到着したわたしは、インドネシア国民として驚き・悲哀・口惜しさの入り混じった気持ちを味わいました。国際線到着ターミナルのトイレに小用に入ったわたしは、汚く、水浸しで、悪臭を放ち、あちこちが剥がれているありさまに、信じられない思いを抱きました。トイレの扉をロックするのすら、ハンドルが壊れているので棒を一本さしこむだけ。
スカルノハッタ空港は、景観を愉しみわが国に外貨をもたらしてくれる外国人観光客や、わが国の発展に参加しようとする外国人インベスター、そしてわが国の高潔さやプライドを実検分しようとする国賓たちにとってのわが国の表玄関です。
そればかりか、適正で妥当な公共サービスを得ることはインドネシア国民ひとりひとりの権利です。国が適正で妥当な公共サービスをトイレをはじめとして十分に与えることができないなら、わたしたちは民族の高潔さやプライドを諸外国の目にどうやって示せばいいのでしょう?わたしは、世界の目にわが民族のイメージを低下させないために、スカルノハッタ国際空港がトイレの補修や維持のための十分な予算を持っていないとはとても信じることができません。特にスカルノハッタ空港と公共サービスに関して、プロフェッショナルな責任をベースにした優先度の観念をわが国の行政管理者は持ち、また向上させなければなりません。[ 南ジャカルタ市在住、デイシ・スミナルティ ]
2011年2月24日付けコンパス紙に掲載されたPTアンカサプラ?からの回答
拝啓、編集部殿。デイシ・スミナルティさんからの2011年2月5日付けコンパス紙に掲載された投書について、ご不快を与えたことをお詫び申し上げます。今現在、空港内数ヶ所の公共サービス施設は補修と整備を必要としています。マネージメントは各ターミナルにおいて総合的な補修と整備を実施しております。そのプロジェクト進行は数多くのステップを経なければならないため、補修と整備が一部で遅れていることがあったとしても、ご理解と猶予をたまわるようお願い申し上げます。2011年下半期初めには、すべての補修と整備が完了する予定になっております。[ PTアンカサプラ?企業秘書、ハリ・チャヒヨノ ]


「タクシーが少なすぎる第3ターミナル」(2011年6月5日)
2011年3月2日付けコンパス紙への投書"Terminal 3 Soekarno-Hatta Lengang dan Sedikit Taksi"から
拝啓,編集部殿。去る1月2日16時ごろ、わたしはチュンカレンのスカルノハッタ空港第3ターミナルに到着しました。このターミナルは新築で豪壮できれいです。客引きや闇タクシーを相手にしないようにという呼びかけを記した大きな垂れ幕が張られていました。ところがこのターミナルを使っている航空会社はエアエイシアとマンダラの二社しかなく、おまけにマンダラは運航を休止しているためターミナル内は閑散としているのです。一方第1ターミナルはもう過密状態で、無秩序無統制のまるでバスターミナルのようなありさまです。
第3ターミナルから外へ出ると、タクシー乗り場に大勢の人が行列していました。ここに来るタクシーは少なすぎます。必要としている乗客数とまるで釣り合いが取れていません。空港運送協同組合だと名乗るひとが運送サービスをオファーしてきました。メーターのないアバンザで料金は頭ごなしです。空港管理会社PTアンカサプラは第3ターミナルで客引きや闇タクシーが活動しているのをわざと放置しているのですか?第1ターミナルを使っている航空会社を数社第3ターミナルに誘致して、利用効率を高めることをどうしてしないのでしょうか?[ 中部ジャワ州プカロガン在住、ハリスティヤニ ]


「Eトールカードの最低残高」(2011年6月6日)
2011年2月9日付けコンパス紙への投書"E-Toll Card Mandiri Tidak Praktis"から
拝啓、編集部殿。わたしはマンディリ銀行プイペイドEトールカードを買いました。額面5万ルピアで、番号は6032 9810 1229 6828です。2010年12月25日午前4時、わたしは西ポンドッグデ(Pondok Gede)料金所自動支払ゲートから入ってスカルノハッタ空港自動車道を往復しました。
午前10時36分、わたしはEトールカードに5万ルピアを追加しました。17時にわたしはスカルノハッタ空港側から料金所自動支払ゲートを通り、SMSでカードの残高を調べたところ38,500ルピアと表示されました。ところが戻り道の空港自動車道から都内環状道路に入るところで自動支払ゲートの遮断機は開かず、モニターにはカードエラーと表示されたのです。
2010年12月26日朝、わたしがマンディリ銀行14000番に電話したところ、残高をガソリンスタンドかインドマルッへ行って調べるように奨められました。そこでカードが反応しなければ、そのカードは壊れているというのです。
2010年12月27日、わたしはブカシのジャティアシ自動車道料金所でカードを使ってみましたが、またエラーでした。料金所係員が言うには、カードの残高が不足しているとのことです。
午前6時45分に残高をチェックしたところ、1万5千ルピアありました。マンディリ銀行Eトールカードは便利ですというマンディリ銀行の宣伝文句は本当にその通りです。残高がいくらあろうが、カードが壊れたら(エラー表示)すぐにそれを捨てて新しいのを買うのです。便利と言っている内容はきっとそんなことなのですね?実際のところマンディリ銀行Eトールカードは全然便利ではありませんよ。[ ブカシ在住、ニョト・プジョハルソヨ ]
2011年3月1日付けコンパス紙に掲載されたマンディリ銀行からの回答
拝啓、編集部殿。ニョト・プジョハルソヨさんからの2011年2月9日付けコンパス紙に掲載された投書について、当方はニョトさんにコンタクトして説明申し上げました。ご不快の段、重々お詫び申し上げます。ニョトさんは当方の説明を了承くださり、また当方の申し出た解決案に同意なさいました。
マンディリ銀行プイペイドEトールカードの最低残高は1万ルピアであり、これから通過しようとする有料道路の料金プラス1万ルピアが残高として残っていなければなりません。
ご質問やご提案はマンディリ24時間コールセンター電話14000番、弊社ホームページwww.bankmandiri.co.id内のContact Usメニュー、あるいはEメールcustomer.cara@bankmandiri.co.idまでどうぞ。[ PTバンクマンディリ企業秘書、スコリヤント・サプトロ ]


「24時間稼動の空港が増加する」(2011年6月8日)
政府運通省が全国の主要空港を24時間稼動させる方針を打ち出した。全国各州の州都にある空港に24時間オープン態勢をとらせるのがその目的で、その結果あらゆる商業航空会社はそれを前提にフライトスケジュールを計画することができるようになる。この方針は政府の全国経済開発6コリドー政策をサポートするためのもので、地方行政府にとってもメリットは大きい。もちろん具体的には航空会社からの深夜離発着要請を受けて24時間稼動が実施されるようになるわけで、フライトがないのに空港を24時間稼動させることはない。
現在すでに24時間稼動を行っている空港は7ヶ所あり、国有空港運営会社PTアンカサプラ?と?がそれぞれ次のように3空港ずつ分配している。もう1ヶ所はバタムのハンナディム空港で、ここだけは運通省が直接運営している。
PTアンカサプラ?: 所轄空港数13のうち、デンパサルのグラライ空港、スラバヤのジュアンダ空港、マカッサルのハサヌディン空港
PTアンカサプラ?: 所轄空港数12のうち、チュンカレンのスカルノハッタ空港、ジャカルタのハリムプルダナクスマ空港、メダンのポロニア空港


「自動車専用道を徒歩横断する老婆」(2011年6月13日)
2011年3月11日付けコンパス紙への投書"Pejalan Kaki di Jalan Tol"から
拝啓、編集部殿。2011年1月30日(日)、わたしはチカンペッ(Cikampek)自動車道をジャカルタに向かって走っていました。KM34のレストエリアに近づいたあたりで、道路を徒歩で横断しているひとりのお婆さんを突然発見したのです。そのときわたしは一番右側車線におり、左側車線は少し前方を別の車が走っていたので、お婆さんの姿はその陰になって見えませんでした。横断者の姿を発見したとき、わたしとの間隔は50メートルも残されていませんでした。たいへんな思いでなんとか車を制御し、歩行者をはねることは免れました。自動車道というのは特別な場所であり、歩行者はおろか、四輪以上の自動車でなければ入ってはいけないフリーウエーです。今回のようなできごとがインドネシア各地の自動車道で、中でもチカンペッ自動車道で一番頻繁に、繰り返し発生していることをたいへん残念に思います。
道路管理者PTジャサマルガは自動車道の周辺に居住する住民に対して、十分な啓蒙を行っていないように感じます。自動車道の中を歩いたり、あるいは横断するのを禁止する垂れ幕や標識を目にしたことがありません。それとは別に、わたしはまた自動車道内でバックしている自動車をしばしば目にしています。たぶん運転者は左に分岐する場所を通り越してしまい、そこまでバックして戻っているのでしょうが、たとえ路肩であってもそのような行動はたいへん危険です。これも自動車道利用者に対する標識や啓蒙の不足が原因だと思います。皮肉なことに、警察のパトカーさえもが自動車道をバックしているのを何度も目にしています。[ 南ジャカルタ市在住、ハサヌディン ]
2011年4月5日付けコンパス紙に掲載されたジャサマルガからの回答
拝啓、編集部殿。ハサヌディンさんからの3月11日付けコンパス紙に掲載された投書について、チカンペッ自動車道を歩行者が横断したことについてまずお詫び申し上げます。
自動車道建設に際し、PTジャサマルガは必ず歩行者や車両が横断するための陸橋や地下道を、建設前の状況に応じて設けていることをお知らせしたいと思います。これは自動車道が以前の共同体を分断してもその両側の住民が従来どおり行き来することができるようにするための対応措置なのです。
歩行者が自動車道を横断しないようにするため、ジャサマルガは自動車道を端から端までフェンスで囲っておりますが、場所によってはフェンスが壊されることがあり、歩行者が自動車道内に侵入することが起こります。ジャサマルガは定期的にフェンスの状況を見て回り、破損箇所は早急に修理を行っております。道路利用者の円滑さ・保安・快適さを確保するため、自動車道サービス職員(パトロール)と現場職員は道路施設の維持に邁進しております。違反を行った周辺居住民には、説得を主体にした対策を必ず行っております。[ PTジャサマルガ企業秘書、オッケ・メルリナ ]


「スピード違反のないインドネシア?!」(2011年6月14日)
2011年3月16日付けコンパス紙への投書"Batas Laju di Jalan Tol"から
拝啓、編集部殿。2011年1月29日22時ごろ、わたしはジャカルタ外環状自動車道KM7地点を越えた所で交通警察ハイウエイパトロールに交通違反切符を切られました。そのときわたしはジャカルタからスルポン方面に向かっており、左側車線を時速40〜60キロで走っていたのです。突然ハイウエイパトロール車9705号がわたしに停止を命じました。
パトロール車から交通警官が三人降りてきて、わたしの走行スピードが遅すぎて他の車に危険を与えており、法規に違反している、と言うのです。わたしは二車線の左側を走っており、他の車の迷惑になっていない、と言いました。時間も夜遅く、通行車両はあまり多くありません。しかし警官はあくまでもわたしが規則に違反していると言い張り、1142674Bという番号の違反切符を切りました。
わたしがポンドッカレン(Pondok Aren)料金所で窓口職員にそのことを訴えたところ、職員はビンタロ料金所にあるハイウエイパトロール本部事務所へ行くよう勧めましたが、わたしは80880123に電話し、ジャサマルガにその事件を報告しておきました。しかしいまだに何の反応もありません。
自動車道を60キロ以下あるいは80キロ以上で通行すると違反に問われるという規則は本当にあるのでしょうか?路上の掲示の中に、それに関する説明はありません。トラックの多くは自動車道を60キロ未満のスピードで走っていますし、多くの自家用車は80キロを超えるスピードで道路をすっ飛ばしています。[ 南ジャカルタ在住、バドッ・ルベン ]


「インドネシア初の自転車専用道路が誕生」(2011年6月20日)
南ジャカルタ市はブロッケム(Blok M)からムラワイ(Melawai)通りを通ってバリト(Barito)通りとの交差点にあるアヨディヤ(Ayodya)公園に至る全長1.4キロの公道の一部を幅1.5メートルの自転車専用路に定めて標識や表示の整備を行い、ファウジ・ボウォ都知事が出席して2011年5月22日に公式なオープニング式典が催された。公道に設けられた自転車専用路はインドネシアではじめて。
「自転車専用路の設置は社会啓蒙と法執行が伴われて実現する。この車線は自転車だけのためのものであり、他の車両がこの車線を占拠することは認められない。」南ジャカルタ市長はそうスピーチしている。
公道の一番左寄りの両サイドはところどころグリーンで塗装され、自転車のシンボルマークが路上に描かれ、また標識も立てられている。そしてアヨディヤ公園とブロッケムには保管施設として駐輪場も設けられた。南ジャカルタ市庁はこの自転車道に自動二輪や四輪車が進入したり、あるいはカキリマ商人が路上で店開きしないよう全力をあげて保全することにしており、当面は市交通局員が出張って監視を行うことになっている。
自転車愛好者コミュニティであるBike to Work(B2W)メンバーのひとりは都庁のこの努力に関して、自転車専用路をはじめて設けた都庁と南ジャカルタ市の熱意は高く評価するものの、自転車愛好者都民の希望に完全に合致するものではない、とコメントした。「今回の自転車専用路開設は初の公式路として大きな意味を持っているが、実用面から言えばピクニック程度の役割しか見出せない。われわれは日常生活の中で自転車が交通手段のひとつとして確立されることを望んでおり、たとえばルバッブルス(Lebak Bulus)からポンドッキンダ(Pondok Indah)幹線路を通りクバヨランラマやクバヨランバルを抜けてブロッケムに至るルートに自転車専用路が設けられることを切望している。」
そんな発言に、このインドネシア初の自転車専用路が前途多難であることを感じ取ったひとはどのくらいいただろうか。


「機能不全の飛行機に乗る」(2011年6月29日)
2011年3月23日付けコンパス紙への投書"Suara Awak Pesawat di Pengeras Suara Samar-samar"から
拝啓、編集部殿。2011年1月16日、わたしは友人たちとライオンエアーでクパンからジョクジャに飛びました。途中スラバヤのジュアンダ空港でトランジットしました。クパン〜スラバヤは定刻どおりでしたが、スラバヤ〜ジョクジャは1時間ほど遅れました。最初わたしは悪天候に不安を抱きました。前日同じルートを飛んだ知り合いからの情報では、アディスチプト空港での着陸はキャンセルになり、スラバヤに戻ったのだそうです。そして真夜中にやっとジョクジャに着きました。
わたしの乗ったJT569便でわたしの快適さを損ない、気持ちを乱したのは、スピーカーの故障でした。乗務員が乗客に伝えている言葉は遠くのほうでぼんやり聞こえてくるだけで、何を言っているのかよくわかりません。乗客たちはその状況に不安を感じていました。
予想外のことが発生したら、いったいどうなるのでしょうか?スピーカーがそんな状態であれば、乗務員は乗客全員にどうやって情報を伝達できるというのでしょうか?幸運にも、飛行機はジョクジャ空港に無事着陸しました。こんな問題は些細なことかもしれませんが、ライオンエアーはもっと注意を払ってください。[ ジョクジャ在住、トーマス・ソゲン ]


「レストエリアで車上荒らし」(2011年6月30日)
2011年3月31日付けコンパス紙への投書"Bobol Mobil di Peristirahatan Tol"から
拝啓、編集部殿。2011年2月19日(土)昼12時半ごろ、わたしはジャカルタ〜ムラッ(Merak)自動車道Km13のレストエリアに立ち寄りました。車はフードマートエクスプレス脇の小道に駐車し、わたしと妻は買い物をしに店内に入りました。
車を駐車してある場所が見えるほうの棚へ妻が行こうとすると、店員がその進行を邪魔するようなおかしな行動を採りました。妻はそっちへ行くのをあきらめて、飲み物を飲んでいるわたしのほうへ戻ってきました。店内にいたのはわずかに10分くらいで、わたしと妻はまっすぐ車に戻りました。そして左後部座席の窓ガラスが割られてバッグに入ったラップトップが盗まれているのを発見したのです。
さっきの店員がすぐに目撃証言を行いました。「犯人は白いセダンに乗ったひとで、すぐに逃げました。」
わたしはだれに嫌疑をかける気もありません。しかし引っかかることがたくさんあります。その店員は盗みを目撃したとき、どうしてひとことも叫ぼうとしなかったのでしょう?警備班長はどうして、そのレストエリア経営者が犯罪の届出をなくすことを決めたという理由だけで被害届出書の作成を拒んだのでしょうか?[ 東ジャカルタ市在住、バンバン ]
2011年5月3日付けコンパス紙に掲載されたレストエリア経営者側の回答
拝啓、編集部殿。バンバンさんからの2011年3月31日付けコンパス紙に掲載された投書について、次の通りお答えします。左後部座席窓ガラスが割れているバンバンさんの車の状況を調べた警備員に対してバンバンさんは、車の保険クレームのために投書にあるような被害届でなく紛失証明書を要請されたのです。
警備員は要請された書類を作成する資格がないのでバンバンさんに、警備員が付き添うから地元警察署に届け出るようにと勧めました。ところが被害者のバンバンさんがそれを拒んだのです。そのレストエリアから犯罪の届出がなされるのは不都合だとしたのはKm13レストエリアの経営者でなく被害者だったのです。
被害者の妻の進行を邪魔しておかしな行動をした店員については、フードマートエクスプレス側に説明を求めました。あのとき、その店員は棚に商品を並べる仕事を命じられていたので、店内を歩き回っていました。客の進行を妨害する意図はありませんでした。
バンバンさんにはお詫び申し上げます。車上荒らし犯罪が行われたとき、駐車された一帯を担当する警備員はそのとき発生していた渋滞の交通整理をしておりました。このような事件が繰り返されないよう、当方は警備の向上をはかる所存です。[ ジャカルタ〜タングラン自動車道Km13.5サービスエリア経営者広報担当、ドディ・ハルタント ]