「ISIS/ダエシュ特集」


「ISIS宣伝活動に警戒」(2014年8月12〜15日)
国家警察は2014年8月8日、サントソグループに属すISIS(インドネシア語はNIIS)シンパのテロリストふたりを東ジャワ州ガウィで逮捕した。そのひとりはグントゥル・パムンカスで、ガウィ県ウィドダレン郡グドゥンプラサン部落の居所にいるところを11時40分に警官隊が急襲し、続いて12時45分にもうひとりのカルディをウィドダレン郡グンディガン部落の自宅で逮捕した。
国家警察情報局長がジャカルタで発表した説明によれば、グントゥルはサントソとダエン・コロが率いるテロ組織「東インドネシアムジャヒディン」の資金サポートを行っていたと見られており、先に逮捕されたATなる者からピストルを購入していた。グントゥルの居所からはISISの旗が拳銃と弾薬などと一緒に押収されている。カルディも東インドネシアムジャヒディンの資金サポート者のひとりと見られ、その自宅からも拳銃一丁、弾倉二個、実弾21個とともにISISの旗が押収されている。
テロリズム抑止国家庁は先に、ISIS支持者が従来からテロリストを産んできた地区に出現していることを指摘し、かれらがインターネット経由で流すラディカルなプロパガンダを国民一般大衆は抑止するよう努めなければならない、と警告していた。
インドネシア政府と国内のイスラム宗教界はパンイスラミズムとその達成手段に武力を使うことを主張しているISISを拒否する立場を採っており、イスラム民間団体を通じて国民への指導と警告を進めている。その結果、インドネシア国内のISISシンパや協力者はISISの名前を水面下に隠して運動する方向に向かうのが確実視されており、国民大衆に働きかけてくるイスラム運動の中身を国内のムスリムは注意深く見極めなければならない状況に陥る可能性が高い。もちろん、その構図は今回初めてのものでなく、何十年も昔からダルルイスラムやイスラムインドネシア国家といった組織がリクルートや洗脳、そしてセルの増殖を行ってきており、その網にかかる人間は必ずあったが、決して大量ではなかった。しかし今回のISISは組織の規模や能力が桁違いのものであり、パンチャシラを国是とするインドネシア共和国の国家存続に大きい脅威を投げかけているため、政府は行政機構を総動員してその運動の封じ込めをはかろうとしている。
内務省は既に各地方自治体に対し、ISIS運動に関する一切の情報を県令/市長は知事に、知事は内務省に必ず報告するよう指令した。ISISの宣伝活動は活発化しており、ジャンビ州では州庁構内の国旗掲揚ポールにISISの旗が掲げられ、州官公庁地区と高等検察庁および国営ラジオ局にISISのポスターが貼られていたことが報告されている。州警察はその事件の捜査に乗り出している。一方、いくつかの大きい町では、地元大モスクでISIS反対集会が開催され、地元宗教界の有力者が地元民にISISのリスクを説明している。


「ISIS、カリフ制、インドネシア」(2014年8月13日)
Islamic State of Iraq and Sham/Syria (ISIS)はイラクとシリアの二国の存続にだけ脅威を投げかけているのではなく、ある特定の枠内でとはいえインドネシアも多分にその脅威を受けている。それは、イドゥルフィトリの後活発化したユーチューブでのISISに関するビデオの閲覧状況からも見ることができる。そのビデオでは、アブ・ムハンマッ・アリンドネシなる人物がインドネシアのムスリム国民に対してレヴァント(イラクとシリア)でのジハードに参加するよう烈火のごとく煽り立てている。かれを取巻くインドネシア人の顔をした完全武装の数人のひとびとの姿は、複数のインドネシア人ムスリムがISISの戦線に従軍していることを明らかに示すものだ。
一部インドネシア国民が外国の動乱に身を投じるのは、今回はじまったことではない。さまざまな情報ソースによれば、ISISの軍事攻勢に30人から50人くらいのインドネシア人が参加している。かれらは最初、シリアのバッシャール・アル=アサド大統領に対する武装叛乱勢力に加わっていたようだ。
外国における武力闘争へのインドネシア国民参加の前例は1985年代以来のアフガニスタン戦争とパキスタンの抗争に見ることができる。またリビアでの軍事訓練に参加したインドネシア国民も複数おり、かれらの中には帰国してから2000年以後活発化した暴力行為やテロ活動の主軸を担った者もいる。祖国インドネシアの宗教・社会・政治生活にかれらがもたらした影響は明らかに見て取れる。かれらの目的や行動を支援させるために多数のインドネシア人ムスリムをリクルートするのには失敗したものの、それらのグループはインドネシア社会に不寛容とラディカリズムを増殖させ、国内にテロリズムが容易に発生する方向へと導いたのである。
< 政治的不安定とISIS >
ISISの出現がアラブ諸国の政治と安全保障の不安定さに関わっていることは疑いがない。社会政治学理論に従えば、国が弱体化して政治と保安の維持能力が衰えるとき、国に服従しない人間や集団が勢力を強めて国家権力が空白になった地域を支配するようになる。アラブ世界つまり中東地域は総体的に、第二次大戦終結以来もっとも不安定なエリアのひとつとなった。そのときから現在に至るまで、そこはほとんど常に政治動乱と暴力の中心になっている。その主要因はパレスチナ=イスラエル抗争、アラブ諸国間での抗争と係争、そして国内に抱えている独裁体制とイフワヌルムスリミンやその分派グループあるいはサラフィ層などのイスラム運動との間の政治コンフリクトにある。
最新のアラブ世界における不安定のピークはサダム・フセイン大統領を追い落とすためにアメリカとその同盟国が2003年3月に開始した軍事攻撃にはじまる。それ以来、中東の最強国のひとつだったイラクはもっとも不安定な国となり、地域的政治的セクト間抗争の火種が消えなくなった。イラク新政府の編成(現在はヌリ・アルマリキ首相)に伴ってアメリカとその同盟国の軍隊が撤収したことで、イラクの状況はさらに悪化した。ほとんどが武装ラディカリズム集団である非国家勢力に出現する余地を与えたのである。
2011年はじめに民主化への移行が顕著にあらわれたとき、アラブ世界の不安定は急激に高まった。民主化への移行はエジプト・リビア・シリアなどアラブ世界の強国を没落させただけでなく、政治・社会・宗教の安定に不可欠な新しい秩序バランスを生み出すことに失敗したのである。
ISISは政治・社会・宗教の不安定によって生まれた。民主化の波がシリアに達したとき、さまざまな反政府グループが芽をふいた。一部は純粋な民主化指向集団だったが、宗教セクトの激しく燃え上がる意欲に満ちた急進的武装グループの方が多かった。武装グループは最初サウジアラビア・カタル・EUおまけにアメリカからさえ資金と武器の援助を受けた。ところがそれらのグループは分裂が激しく、加えて分派がアルカイダに近付いたことが明らかになるに及んで、援助はストップされた。その結果かれらは、へズボラ武装勢力に支援された強力なアサド体制をくつがえすのに失敗することになる。2013年初、ISISは変更した目標の実現を促すために、互いに抗争しあっていた諸ラディカルグループの統合に成功する。変更された目標というのは、ダマスカスとバグダッドの政府が効果的に統治できていないシリア東部からイラク西部にかけての地域を支配下におさめることだった。
< ユートピア"カリフ国” >
ISISはその地域を支配下に置いてから、新たな政治エンティティとしてみずからをカリフ国と称した。スンニーとシーアのセクト対立とグローバルイスラム社会統一の政治エンティティ感情を利用して、ISISは世界中のムスリム層(インドネシアも含む)に対し、かれらを支援しかれらと同盟するよう呼びかけたのである。
ISISの呼びかけは、アラブ世界のジオポリティクス理解、中でもイラクとシリアのそれ、の薄弱な素人ムスリム層に歓迎されるポテンシャリティを持っている。あるいは、カリフという概念自体も意味も帰結も理解しないまま単一政治エンティティであるカリフの下での全世界のイスラム社会統一というユートピア的理想主義を抱くイスラム者たちもそうだ。ISISが世界各地からひとにぎりのムスリムをリクルートできるポテンシャリティを持っているとしても、同時にイスラム社会のマジョリティから反対されるポテンシャリティをより多く持っている。それはワハブ派の観念よりはるかに超ピューリタン的なかれらの宗教観に関わっている。
超ピューリタン的観念を持つISISはかれらが占領した地域で、たくさんのモスクをトーヒッド原理に従わない邪教信仰の場であるという理由で破壊した。その超ピューリタン的宗教観で、ISISはメッカのカーバ神殿を破壊しようと考えている。かれらはカーバ神殿が邪教崇拝のセンターに堕落したと考えているのだ。
世界各地にカリフ国を夢見ているイスラム層がいることは認めなければならない。かれらにとってカリフ国は全世界のイスラム社会を統合できる唯一の政治エンティティあるいは統治機関なのだ。世界のイスラム社会の後進性・貧困・失業その他すべての形態の困苦をカリフ国だけが克服できるとかれらは思っている。カリフ国建設を運動の理想とするイスラム層集団が時に応じて出現するのはそのせいだ。その中には、その理想を平和的に求める者もあれば、ISISのように暴力的に行おうとする者もある。
ところが、カリフ国の概念自体がユートピア的であり疑問含みなのである。ジャマルディン・アラフガニ、アブドゥラフマン・アルカワキビ、アブ・アララル・マウドゥディからアキウディン・アルナブハニに至るカリフ国を構想したムスリム思想家の間でカリフ国の概念とその運用についての考え方が一致していない。
社会・文化・宗教の固有の伝統、地理的要因、異なる歴史体験といった民族的現実に基づいて諸地域のムスリム層が民族国家を採用したという現実の中にカリフ国ユートピア思想が置かれている。それがゆえに、ムスリム世界の全地域を単一政権のもとに統合することは夢物語でしかない。インドネシアのイスラム社会にとって、カリフ国構想は妥当性がない。「若きトルコ」層が1924年にトルコのカリフを廃絶したのに伴って、インドネシアのイスラム民間団体がカリフ委員会を結成したことがある。かれらはトルコのカリフが存続することを支持し、それが再興されることを要求した。その現象に対して偉大なる老人ハジ・アグス・サリムは、その委員会もカリフもインドネシアに妥当なものではないと表明した。かれによれば、トルコにあったカリフと呼ばれるものは支持する必要のない独裁的で腐敗した王国なのであり、ましてやインドネシアのイスラム層がそれに追従することなどまったく無用であると言うのだ。カリフ委員会以後、インドネシアのイスラム論議の中でカリフ思想はもうその影すらほとんど見せなくなっていた。ナフダトゥルウラマやムハマディヤなどのイスラム民間団体はカリフに関する話をほとんどしたことがなく、インドネシア民族国家の概念とその運用を受入れ、それを発展させていた。
< 対応ステップ >
カリフコンセプトがインドネシアにとって妥当性を持たないことが明白であっても、国内諸方面はISISの思想拡大とリクルートを注視し警戒しなければならない。かれらが成功する可能性が小さいとはいえ、ISISの構想や運用はインドネシアの政治・宗教・社会生活に深刻な問題を引き起こし得るのである。ISISとカリフの中心的支持者が国内でアクティブなラディカル派の人間あるいは小グループであることははっきりしている。ナフダトゥルウラマやムハマディヤあるいは全国に多数あるイスラム民間団体に所属するメインストリームイスラム層はカリフ思想も暴力も拒否するのが明らかだ。そうであっても、それらのイスラム団体は「宇宙善たるイスラム」の概念とその運用に関する啓発をさらに高めていく必要がある。インドネシアイスラム層にとっての真のジハードとは、闘争の最終形態としてのインドネシア民族国家へのコミットメントなのである。
それと同時に、治安機構や他の政府機関はISIS支援グループの成育や拡張をもっと積極的に抑止していかなければならない。ラディカリズム実践の記録を持っているグループに対する十分な監視と措置を国家警察は強化する必要がある。外務省にとっても、劣らず重要なことがらがある。ダマスカス・バグダッド・アンマン・ドハ・ィスタンブルなどの都市に置かれているインドネシア在外公館はインドネシア国民の入出国への監視を強めなければならない。それは、出先国のイミグレーションとの協力下に行なうのをはじめ、種々の方法で行うことができる。
ライター: ジャカルタ国立イスラム大学大学院理事、歴史学教授、福岡アジア文化賞ロリエート; アジュマルディ・アズラ
ソース: 2014年8月5日付けコンパス紙 "ISIS, Khilafah, dan Indonesia"


「インドネシアのISISと地球規模のテロ」(2014年8月20・21日)
去る2014年6月28日にイスラムカリフ国を宣言したISISのような世界のイスラム政治ダイナミズムに積極的に関与していく何百人ものインドネシア人という現象の出現は決して新しいものでなく、それは過度の恐怖を抱いて対峙するべきことがらではない。
それに関して、「カンダハルへの道:イスラム世界のコンフリクトを通る旅」と題するジェイソン・バークの2007年著作をその参考資料にすることができる。パキスタン・アフガニスタン・イラクを中心にイスラム世界で起こっているコンフリクトの実行者たちに行った直接インタビューにもとづいて、それらのコンフリクトはローカル政治エリート間のコンフリクトというようなローカルレベルの次元のものにイスラム世界が持っている友愛精神がからまってグローバル規模に拡大しているのだとジェイソンは結論付けた。
掘り下げて検討されるべき問題は、ISISへの支持はユニバーサルな傾向を持つウンマー感情(「イスラムのグローバル化:新たなウンマーを求めて」2004年オリバー・ロイ)によるものなのか、それとも失敗国家と失敗市民社会のゆえに暴力志向を代替論としてもたらすラディカル思想が芽生えることに依然として誘導的であるインドネシアの国内状況が引き起こしているものなのかということがらだ。あるいは、ローカルとグローバルの双方が同等に優勢なのだろうか?
国際スケールの視点で見るなら、シリアのコンフリクトの最初はバッシャール・アル=アサド政権打倒を目指すデモというローカルなものでしかなく、それが後になってサウジアラビア・イラク・イエーメン・チェチェン・トルコ・アメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・スエーデン・日本・マレーシア・インドネシアなど十数カ国を巻き込んだ数千人規模の武装衝突という国際コンフリクトに発展した。
このできごとは1979年7月にカブールで起こったことの、ある種のデジャビューである。当時のジミー・カーター米国大統領はソ連の力を殺ぐためにCIAを使って世界中からムジャヒディンの動員を行った。共産ソ連を打ち砕くためにオサマ・ビン・ラデンから350人を超えるインドネシア人までがそれに参加した。(「非聖戦:アフガニスタン・アメリカ・国際テロリズム」2002年ジョン・クーリー)
< 自分の武器に溺れる戦士 >
そのカーターの政策は「自分の武器に溺れる戦士」効果を現すことになった。調教を受けた獅子たちが調教師にさからうようになったことは、2001年のWTCアタックが証明している。アメリカはその報復としてアフガニスタンに侵攻した。対米テロアタックの裏にいると目されたアルカイダのリーダーであるオサマ・ビン・ラデンに当時のタリバン政権が支援を与えていたからだ。
インドネシアでは、パキスタンの暗号監視機関でオサマのファトワを支持したISIを通してCIAから軍事訓練を受けていたアフガン戦争従事者たちの一部が世界中のアメリカ権益を攻撃し、ジャマアイスラミヤメンバーの一部を指嗾して2002年の第一次バリ爆弾テロから2009年の第二次マリオットホテルに至る定期的な爆弾テロを行わせた。
自分が調教した獅子たちの逆襲を受けたにもかかわらず、アメリカはそこから何の教訓も得ようとせず、2003年にイラクを攻撃してサダム・フセイン政府を崩壊させ、数千人のイラク軍人を獄舎につないだ。当時サダムの諜報員のひとりだったスンニー派のアブ・バカル・アルバグダディも獄舎につながれた。2004年に釈放されてバグダッドの世の中を見渡したとき、かれは天地がひっくり返ったように感じた。イラクはアメリカに支配され、かれは軍人としての職を失い、シーア派のヌリ・アルマリキが首相の座に就いてスンニー派の利益をまったく容認しない現実を受け入れざるを得なかったのだ。そのかれが今、ISISのカリフとなったのである。
ISISが激しい反シーア運動を展開しているのはそんな背景があるためだ。ISIS兵士は捕らえた人間に四つの質問をするだけで、その者を殺すかどうかを決める。「名前はだれか?」「居所はどこか?」「礼拝をどのように行うのか?」「どんな音楽を聴いているのか?」それだけで、その者がシーア派とスンニー派のどちらであるのかが十分すぎるほど判明するのだ。
インドネシアには、ISISに魅力を感じてそれに合同しようと思い、さらには自分の選択の帰結が死であっても悔いない、とひとびとに思わせるローカルファクターが存在している。そのひとつは法治システムの弱さであり、中でも刑務所における状況は目を覆うべきものになっている。アラビア語のISISからのメッセージをテロ犯罪受刑者であるアマン・アブドゥラフマンがヌサカンバガン刑務所内で翻訳したものが面会者たちに伝えられ、それが大量にインターネットに載せられて国内に流れているのだ。2004年のチマンギス爆弾テロ事件と2010年アチェでの軍事訓練事件で二回の受刑歴を持つアマン・アブドゥラフマンは刑務所側との協調を拒み、また自分のグループ外の人間を背教徒扱いするイデオロギーに一貫的であるため、リーダー像を求めるイスラム運動者たちに独特の魅力を投げかけている。
アマンから配下たちへの、シリアへ赴いてISISに従軍せよという公的指令の有無は証明できないものの、アマンの翻訳・文書・説教から直接に、あるいはそれを受けた追随者たちがメディア・公開討論・路上宣伝・デモ・フェイスブックやツイッターあるいはユーチューブなどのソシアルメディアなどを経由して流す間接的な伝達を通して、民族国家コンセプトを凌駕するジハードのイメージが読者に届き、かれらを行動に駆り立てている。
興味深いのは、国内で静かに暮らしているアフガン戦争従軍者たちのマジョリティの反応で、かれらはISISへの支持を公に示すことにきわめて用心深い姿勢を採っている。なぜなら、かれらがISIS以上に忠誠心を置いているのは、現在アイマン・アルザワヒリが率いているアルカイダなのだから。アルザワヒリは2013年に、ISISはアルカイダの一部ではないことを宣言するファトワを出した。ISISはきわめて野蛮な行為を展開しており、シリアでのアルカイダのイメージが損なわれることから、アルカイダはISISと距離を置く方針を出したのである。アルカイダは子飼いの戦闘部隊ジャブハッ・アルヌスラを早々にシリアに送り込んでシリアの民衆を援護していた。
シリアでのジャブハッ・アルヌスラとISISの不和はインドネシアに持ち込まれた。いくつかの地方では、テロリスト受刑者を収容している刑務所内を含めて、ISIS支持者とジャブハッ・アルヌスラ支持者の間に激しい反目が渦巻いている。ジェイソン・バークが上の著作の中に記した結論は実に的確なものだ。「過激な暴力を用いる運動はかれら自身を一般大衆から分離させ、その運動を失敗に導くものである」と。
ライター: 平和の碑財団発起人、ノール・フダ・イスマイル
ソース: 2014年8月7日付けコンパス紙 "NIIS Indonesia dan Evolusi Teror Mondial"


「ISIS軍加入インドネシア人は53人」(2014年9月8日)
イラクの一部地域を軍事占領しているISIS軍の中にインドネシア国籍者が53人いることを、駐インドネシアイラク大使が明らかにした。これは先にテロリズム対策国家庁長官が報告した「ISIS軍に参加しているインドネシア人テロリストは31人いる」という表明よりも多い内容だ。その53人が生きて再び故国の土を踏むことは不可能だろうと見られている。大使はインドネシア国民に対し、イラクに渡航してISIS軍に加わるようなことは絶対にしないでほしい、と呼びかけた。
「インドネシアと全世界の青年たちに、イラクはひとつの国家であるということを再認識していただきたい。わが国家に銃口を向けている集団を支持するということは、イラクの崩壊を望んでいることを意味している。インドネシアから何十人ものひとびとがイラクに渡航し、ISISに加わってイラク軍に発砲している。大使館が得た情報とイラク本国政府から得た情報の分析結果から判明しているのは、イラクに入国して領内のISISに加わったインドネシア人は53人おり、そのうちの3人は既に死亡しているということだ。その人数を増やさないために、インドネシア国籍者に対するイラク入国査証を大使館は厳しく制限しており、政府高官とイラクで勤務している専門家を例外として、入国目的に不審な点がある者には査証を一切交付していない。
イラク領土内のISIS軍には世界の89カ国から戦争に参加するためにシンパが集まってきており、インドネシアもその中のひとつに含まれている。そのうちのラディカルなグループは西欧諸国から来た者たちで、なかでもイギリス国籍者が一番ラディカルだ。」
去る8月8日以来、ISIS軍に対する航空機攻撃を米軍が開始し、さらに米英仏独濠からのイラク政府軍とクルド軍に対する兵器の支援が確定したことから、イラク政府はより強力な国軍を再編成してISISへの大々的な反撃に移ることを計画している。インドネシアは反テロリズム活動で大きい成果をあげていることを国際世界は周知しており、インドネシア政府がテロリスト集団撲滅の姿勢を明白に世界に示すことで国際社会での大きな効果が期待できるため、国際外交面でのインドネシアの支援をイラク政府は強く期待している、とも大使は語っている。


「イスラム国は生き残るか?」(2014年9月15・16日)
ライター: 中東・イスラム界ウオッチャー、スナンカリジャガ国立イスラム大学教官、イブヌ・ブルダ
ソース: 2014年9月10日付けコンパス紙 "Apakah NI Akan Bertahan?"
イラクとシリアの一部地域を征服し、自信に満ちて建国宣言を行ったあと、イスラム国はイラクや域内諸勢力、更には西欧諸国やオーストラリアといった強大なパワーに直面する事態におちいった。
ここ数ヶ月というものイスラム国は、イラク国軍とイラクの動員するマジョリティ国民シーア派の民兵、クルド民兵組織ペシュメルガなどの戦力に直面しはじめている。イランもその手を深くからませはじめたようだ。過去三年間にわたってこの地域での一連の衝突に巻き込まれないよう自制していたアメリカも結局、イスラム国の進撃をせき止めるために介入することになった。イギリス・フランス・ドイツなど西欧数ヶ国とオーストラリアはイスラム国の動きを封じるためにアメリカと共同歩調をとった。クルドのペシュメルガに対する武装と訓練の支援は軽視できないものだ。
米軍の戦争参加はきわめて限定された部分でしかないとはいえ、その戦争マシーンは即座に力関係と戦場での戦闘プロセスを変化させた。イラクの諸都市では、いくつかの戦略的要衝がイスラム国の支配から解放され、それどころか「恐怖のカリフ王国」の首都モスルを含む他の占領地でも、イスラム国は追い込まれつつある。
およそ二ヶ月にわたってイスラム国は攻勢を続けて占領地を拡大した。ところが、アメリカと他の強大国が参戦してからイスラム国は守りの態勢に入り、北と西に向かって後退しはじめている。最新鋭戦争マシーンが登場したことで、かれらは守勢に立たされた。かれらはもはやかつてのように、重火器を伴って都市間の編隊移動を自由に行えなくなっている。
イスラム国の占領地がガザのように狭い人口密集地帯でないのは周知のことだ。かれらの占領地は広範囲に広がっており、人口密集地区はほんの一部でしかない。人口が密集する都市と都市の間隔は遠く離れ、広大な砂漠がその間に横たわっている。そんな状況下で重装備部隊をある都市から別の都市に移動させるようなことは、米空軍が参入してきた今となっては、きわめて困難になっている。
< 戦力 >
イスラム国はもちろん、高い戦意と数限りなく集まってくる志願兵に支えられている。シリアでの内戦から、そしてイラクでかれらが手に入れた戦争マシーンでは、強大国が持っている戦争マシーンと太刀打ちできないのが明らかだ。緒戦でのクルド民兵とシーア大衆に対しては、かれらの戦力は圧倒的に優れていたが、米空軍とではバランスが保てるわけがない。クルド民兵組織への西欧諸国からの兵器援助は、戦場での戦力バランスを変えてしまった。
自衛のために志願兵たちは理性を超えた戦術を編み出した。一連の集団自爆行動、殺戮、そして限度を超えた残虐行為。志願兵たちは死に対する感受性が希薄だ。かれらがカリフ国家と呼ぶ主権国を守るためにかれらはそのような行動を必ず取るにちがいない。かれらは昔から自爆行動を行ってきたのだ。シリアの過激派組織でアルカイダの支部でもあるジャブハッアルヌシュラはイスラム国があまりにも野蛮であるとの見解を表明している。
イスラム国構成グループは生き延びるためにあらゆる手段を講じ、どれほど残虐なことも辞さないだろう。広大なかれらの占領地は、かれらの支配下にある都市と住民を人質に取る機会を提供する。それは一世一代の大ばくちだ。決してお遊びではないのである。
< チャンスは望み薄 >
領土と政体および国民を完璧に保有する国家としてイスラム国が存続し続けるのは望み薄だ。その恐怖国家は早々に崩壊するだろう。イラクで、域内で、更には国際舞台で、イスラム国を包囲している戦力は、かれらの規模から見ればあまりにも強大なのだ。しかし、テロリストパワーとネットワークのひとつとしてなら、この集団は更に生き延び続けるにちがいない。イラクでの敗退はかれらをシリアに帰還させる。混乱こそがかれらの安心できる棲家なのだ。シリアで内乱が継続するかぎり、かれらはそこで生き永らえることができ、兵員募集から忠誠心涵養、兵器の充実などといった戦力強化に努めることになる。
イラクでかれらが米空軍の猛威に曝され始めてから、シリアでのかれらの活動は顕著さを増した。しかしシリアがかれらにとっていつまでも居心地良い場所であり続けることはないように思われる。というのは、米空軍がシリア領内のイスラム国を追撃する準備にかかっているようなのだ。イスラム国の将来はアルカイダの轍を踏むことになるだろう。つまり、常設テロリスト組織としてその存在を示し、中東やイスラム圏で起こる混乱に乗じて利を手に入れる集団になるのである。
一方、アメリカや他の西欧諸国がこの戦争に関与したことは、イラクとシリア以外の各国(もちろんインドネシアも)にいるイスラム国信奉者やシンパに新たなモラルを注入することになる。異教徒であるアメリカと西欧諸国への徹底抗戦が過激派グループらに至上のヒロイズムをもたらすのは疑いないだろう。それがかれらにとっての偉大なる誇りなのだから。
< 警戒 >
イスラム国を信奉する生き方は正しいという根拠を信奉者やシンパたちは持っている。その証拠に、神とイスラム社会の敵だとかれらが認識するアメリカがかれらを撃滅しようとして戦力を投入したのである。インドネシアにおけるテロリズムや暴力的諸活動をその状況は高めることになる。かれらのターゲットがあらゆるものであるのは言うまでもない。中でもインドネシアにあるアメリカ権益が筆頭だ。
国家としてのイスラム国がイラクで滅亡する場合、その構成員たちが大量にインドネシアに侵入してくる可能性は否定できない。これこそ、最大限の警戒を払うべきことがらなのである。
自己の利益のためでない何かを擁護してジハードを行い、激戦を戦い抜いてきたと感じているひとびとが世間から尊敬されず、また稼ぎの道も閉ざされるばかりか、警察のお尋ね者にさえなるなら、かれらが世間を敵にまわすようになるのは、ほぼ間違いあるまい。それはつまり、国民に対するテロや暴力行為を意味している。ましてや、かれらがインドネシアでまだ行ったことのない知識や新体験を持つフレッシュな人間であるのなら。


「文明のブラックホール」(2015年1月19〜21日)
ライター: アチェ、マリクッサレ大学人類学教官、インドネシア宗教間ネットワーク活動家、テウク・ケマル・ファシャ
ソース: 2015年1月14日付けコンパス紙 "Lubang Hitam Peradaban"
2015年1月7日、フランスの風刺タブロイド「シャルリーエブド」のオフィスで虐殺事件が起こった数日後に、インドネシアの民間テレビ局が2008年制作映画Takenを放映したのは、決して偶然ではない。フランスの優れた映画監督でもあるリュック・ベッソンの書き下ろしと制作になるその映画は、文明間、特に西洋とイスラム、の関係を思考の中に揺り起こすものだった。映画Taken、シャルリーエブド事件、ロスニダ・サリ事件の三つのスケッチがわたしの意識の中で交錯している。ロスニダ・サリはアチェのアラニリ国立イスラム大学教官で、現在、新たな不寛容現象の真っ只中に置かれている人物だ。
< ビジュアルとリテラルの歪 >
Taken が促した意識がまず最初にある。本当は、この映画は文化問題に満ちたスリラー映画なのである。アメリカのCIA諜報員を引退したブライアン・ミルズがパリの移民マフィアに誘拐された娘を救い出すというのが映画のストーリーだ。そのマフィアとは何者か?映画の中に描かれたのは、人売と売春をビジネスにするアルバニア北部トロポジャの出身者たちだ。トロポジャはコソヴォに近い地方で、文献をいくつか探ると、「トロポジャ住民のマジョリティはイスラム教徒だが、オスマン帝国時代から蛮行と残虐さで名を馳せていた」とある。リチャード・スラッタ著「Bandits and Social Rural History, 1991」によれば、かれらは法規と治安を蹂躙する賊徒(ハジュドゥッ)だった。
Taken は人種と宗教文化問題をあまり表に出していないが、第二作Taken 2 では、アイロニズムははるかに鮮明で多弁になる。Taken 2 の視覚化はアザーンの声を伴った埋葬儀式で幕を開ける。舞台セッティングはモスクやイスラムシンボルの豊富なトルコが使われた。この映画では、ブライアン・ミルズへの復讐行動が描かれる。トロポジャ社会、そしてそれ以外の多くの社会でも、復讐は一族の名誉を維持するための聖なる行為とされているのだ。
この映画は宗教間戦争を露骨に物語っているわけではないが、物語は明らかにあたかも宗教問題であるかのごとく二つの文明の衝突を指し示している。「この映画はふたつの陣営の宗教アイデンティティポリシーに対する感情を放出している。ムスリムであるトロポジャギャングの燃え上がる復讐欲と、キリスト教徒であるアメリカ人が身を守るために冷酷に敵を殺していく姿だ。」と映画のシノプシスのひとつは述べている。
ブライアン・ミルズ役を演じたリーアム・ニーソンがこの映画制作時にイスラム教に改宗したことについて、センチメンタルなコメントを付け加える気はわたしにない。事実、この映画は対立的メッセージを伝えており、訴求的なものでないのだから。基盤は、そこではないのだ。もっと注視しなければならないのは、ユニバーサルヒューマニズム・宗教合理性・その他のグローバル倫理に関する現代的知識と同等の成熟度でわれわれのグローバル文明が進行していないということだ。倫理知識の展開が進んで行かないことのリアクションとして現在、多くのグローバル犯罪が出現している。シャルリーエブド職員虐殺事件が蔑まれるべき事件だったことは間違いない。
しかしそれに劣らない下劣さのオンパレードが弁護も反駁もなしにわれわれの眼前を往来している。シャルリーエブドの悲劇は、パキスタンのペシャワールの学校で132人の生徒が虐殺されたことに比べて、それよりもっと下劣だというわけではないし、アフガニスタンとイラクでNATO連合軍兵士が占領期間中に市民に対して行なった多数の殺害やレイプ以下でもない。2001年のBlack Hawk Downや2014年のThe Interviewといったステレオタイプの映画制作は西洋、特にアメリカが自己を純粋に省みることを一層複雑にしていることを示している。
シャルリーエブドの虐殺はヒューマニズムの悲劇であるばかりか、誤った表現の自由に対するリアクションでもある。フランスはヨーロッパ諸国の中で、デモクラシー・リベルテ・エガリテ・フラテルニテなどの諸価値を強く支持し推進している国だ。しかし預言者ムハンマッのビジュアル化やイスラムを貶す文章も理想的なジャーナリズム仕事ではないのだ。表現の自由や意見の自由は、それが異なる集団の感情を傷つけるとき、事故を招く。
ただし、この事件をもっと詳細に見てみるなら、シャルリーエブドの虐殺者はアッラーの道を実践するジハード者だったのだろうかという疑問が浮かぶ。10年前のシェリフ・クアシに関する報道の中に、かれの実の姿が浮かび上がっている。かれには、自爆テロに関連する犯罪履歴がある。かれはアルジェリア系ムスリムの子孫で、世俗国家であるフランスで一生を送った。かれは飲酒癖・大麻吸引・ガールフレンドとの婚外セックスなどを常とし、ピザ配達人を仕事にしていた。(マーク・ハウザー「French Muslims Battle Internal, External Strife, 29 May 2005)
正しい教育を経て身に着けるイスラムの真の価値観をそのような人物が修得していたなどと、いったいだれが信じるだろうか?イラン系アメリカ人でデューク大学イスラム学教授のオミッ・サフィ氏は、シャルリーエブド事件は西洋の異文明に対する誤った理解を示している、と述べている。どうして誤った理解に至るのかと言えば、イスラム教の崇高な教えが西洋の耳目に届いていないためだ。西洋人はイスラムを含む非西洋文明を西洋諸国にいる少数民族の社会経済政治面に見られる現実から理解しているだけなのであり、そのような現実の中に見られるのは、善行に満ちたイスラム教義の規範が実践できていないムスリムコミュニティが往々にして示す、悪い劣った面なのである。
サフィ教授は、シャルリーエブド事件はマイノリティに対する差別が生んだフラストレーションの蓄積というコンテキストで見なければならない、と言う。もしフランス人が宗教風刺漫画を神への冒涜でなく表現の自由であると言うのなら、その「すっきりしない自由」というものの動機を理解するのが困難な者で大半が占められている移民マイノリティムスリムグループの心理的抵抗もその自由の中で酌量されるべきである。
異教徒だけでなく、撃たないでくれと懇願した警官アフメッ・メラベッ氏、そしてムストファウラッ誌編集者というふたりのムスリムをも殺害したクアシ兄弟の行為は西洋対イスラムという構図をかけらも示しておらず、ヨーロッパの一国で起こった住民問題でしかないのである。(オミッ・サフィ「9 Points to Ponder on the Paris Shooting and Charlie Hebdo, www.onbeing.org, 8 January 2015」)
< 思考の迷妄 >
ところがここ、アチェでは、この事件は状況の逆転を示している。今話題を集めているのは、アラニリ国立イスラム大学のロスニダ・サリ博士が学生をジェンダー理解のために教会に連れて行ったことがムスリム信仰への侮辱だとされ、追放や死罪の威嚇に直面する結果になった事件だ。それは同時にキリスト教に関する悪イメージをもたらしていることから、この現象はイスラム教に関する思考の迷妄の一部分をなしているのである。
ロスニダ・サリ教官の行為はアチェでマイノリティになっている非ムスリムコミュニティとの対話を寛容の精神をもって試みたという、世俗的目的以外のなにものでもない。残念なことに、かの女は異端で重罪であると徹底的に非難された。BBCインドネシアの2015年1月9日報道によれば、アチェイスラム法局長がロスニダの行為はイスラムに背くものではない、との声明を出している。ところが、社会制裁は既に行なわれてしまったのだ。かの女はオーセンティックなイスラム理解に欠けた大衆の思考によって裁かれてしまった。差異を理解することに未成熟な精神がかき混ぜた文明の渦巻きに、かの女は巻き込まれてしまったのである。
この状態を放置すれば、それは社会観念の中に寄生して成長し続け、大衆の深層意識に刷り込まれ、異文化間、異宗教間の健全な関係を破壊してしまうだろう。現実に、その現象は西洋が作り出したイスラム学習謀略の結果だという意見が追い討ちをかけており、またムスリム層に対する西洋学問の専横に対する反撃の一形態だという声もある。「アチェでは、お前たちの好き勝手なことはできないのだ!」
このような思考の混乱をどのように解きほぐせば良いのだろうか?差異というものに対して賢明で奥深い見透しを持つ対話と共存を打ち立てることを怠ってきたために、あまりにも長期に渡って思考の泥の中に埋もれてしまったわれわれの文明の暗いトンネルを明るく清くしていく以外に方法はないのである。


「ISISへのアンチテーゼ」(2015年3月11・12日)
ライター: マアリフ学院専務理事、ファジャル・リザ・ウル・ハク
ソース: 2015年3月6日付けコンパス紙 "Antitesis NIIS"
世界各国から何千人ものISIS支持者が中東の戦場に向かっていることがとてつもない不安を掻き立てている。アフガン戦争やイラク戦争に比べて、はるかに高いエスカレーションの脅威が潜在しているのだ。
現在までに、国外からISISに加わろうとしてやってきた戦闘員は20万人にのぼると見られている。その中にはインドネシア国籍者もいる。テロリズム対策国家庁によれば3百人、ダーウィン・ペレイラ・インドネシア・イニシアティブは2百人と見ている。
ヨーロッパ諸国・アメリカ・オーストラリア・アジア諸国はこの人的拡大に深刻な脅威を感じている。2015年2月23〜24日にワシントンDCで開かれたグローバル反テロフォーラム(GCTF)にその脅威が克明に映し出された。これまでそのフォーラムに参加する機会を二度得たわたしは、2013年のときの議題からトピックが明らかに変化したことに注目した。発言者が示したケースのすべてが、その行為をジハードと自認する個人やグループに起因する過激主義の挑戦とテロリズムの脅威に彩られている。特に懸念されるのは、ISIS支持者のマジョリティが24歳未満の若者で占められていることだ。
ロンドンの少女三人が密かに出国してISIS支配地域にトルコ経由で入ったことが報告された。先週はアメリカ当局がISISに参加するため出国しようとしていたと見られる三人を逮捕した。若い世代の将来に赤信号が灯っていることをそれは意味している。各国は独力でこの問題を克服することができないと表明し、それどころか自国民のISISに対する支持の波を予測することさえ十分できていなかった事態をGCTF参加国のすべてが認めているのだ。
ローカルレベルでセクターの枠を超えたキーパースンを巻き込むコミュニティベースのアプローチとシナジーが必要とされている。この種のローカル主導型運動は、憎悪と暴力を志向する言論を否定する説話を生み出す働きを持つ。
< 発端はアフガニスタン >
カリフ帝国建設のためにジハードを行なっていると主張する一部勢力を支援するために何千人もがシリアとイラクに向かったという現象は、新しいものではない。アフガニスタン戦争がその先例だ。インドネシアでのジュマアイスラミヤ初期世代の先鋒たちはアフガニスタンのムジャヒディン軍事アカデミー修業者だった。オルバ政権からの抑圧を逃れ、折からソ連に対抗するジハードを呼びかけていたアフガニスタンの戦乱に加わるために、かれらは故国を去った。
アフガニスタン戦争のあと、2000年から2005年の間、第一次・第二次バリ爆弾テロ事件を含めて、インドネシアの多くの町で爆弾テロが相次いだ。それらのテロ行動を主導したのが、ナシル・アバスが2005年に述べている通り、アフガン戦争帰還者たちだった。
数十万人の従軍志願者が紛争地域を目指すのは、ヒジュラとジハードというふたつのキーコンセプトを軸とするムジャハダ精神を具現させるためのものであるという理解は既に周知のことだ。ムジャハダとは英雄的行為をなす自己の正当性と存在価値への心的傾斜であり、ヒジュラは自己の英雄的闘いを実践するための最善最適な場への移動、ジハードは理想の実現のために身命を賭して闘うことを意味している。
ミクロレベルでは、ヒジュラは都市間あるいは島嶼間で行なわれた。2000年にアンボンで発生した抗争にヨグヤカルタからラスカルジハード(ジハード部隊)が派遣されたのはその一例だ。インドネシア人ムスリム志願者数百人がISISの戦争に参加するためインドネシアを去ったのは、マクロコンテキストでのヒジュラの例だ。2006年にロクサンヌ・ユーベンは前者をホームランドのムスリム動員、後者をジハーディスト動員と呼んでいる。
アフガニスタン戦争後の体験に学ぶなら、インドネシア人ムスリムのISISに対する連帯と支持は時限爆弾となりうるという意見は納得性の高いものだ。戦争参加者が続々と帰国してきたあと、かれらは国内治安の安定を脅かし、このパンチャシラ国家の多様性を引き裂くだろう。
予防と覚醒対策が急がれている。ISISの複雑性をスンニーとシーアのセクト間抗争の枠内に押し込む見方は蒙昧以外の何物でもない。ところがアンチシーア派グループはその見地だけを執拗にプロパガンダしている。最近活発化している宗教グループ間衝突への煽動に不安が高まっている。
< 多様性 >
ISISのイデオロギーと他の過激派グループの運動との間に見られる共通点のひとつは、イスラムの解釈を自分だけが正しいとして他者の考えを認めない点だ。そこには、法や政治システムに対する理解も含まれる。白か黒かの二極法による過激な裁断は、自分にくみしないと見られた者を異教徒視あるいは背教徒視することに向かう。伝統的に、イスラム法の解釈でさえ多様性があることをだれもが認めているというのに。イスラム発展史を通して、法と思想の違いを持つたくさんの宗派が出現している。フィキと呼ばれる、より実践的なイスラム法の問題を検討するに際して、通常はマジョリティの解釈とマイノリティの解釈の双方が盛り込まれる。そのあり方は、イスラム学の伝統の中にある、差異の存在を高く尊重している姿勢を示すものだ。
わたしの考えでは、多様性意識における宗教見解の実践はイスラム法のプルーラリズムの伝統に沿ったものであるばかりか、それ以上に、これまでISISや同類集団のイデオロギーの特徴として出現している独善的解釈と他者への背教断定に対するアンチテーゼとして機能するものと思われる。多様性の次元に配慮した宗教思想の再創造は、ヒジュラ、ジハード、指導性などといったキーコンセプトの妥当性を問い直させるのみならず、それらに新たな意味付けをもたらすだろう。
ISISはそれら三つのコンセプトを覇者のように、過激に、独善的に、たいへん荒々しく実践している。抱擁的な宗教説法を盛んにさせていくことは、覇権主義的な物の見方を否定しうる方法のひとつだ。去る2月24〜26日に開かれた多様性フィキの集いの中で、セクト主義・過激主義・マイノリティ差別を防ぐために多様性に配慮した宗教説法の盛り上げの重要性がテーマのひとつになった。その会合に出席したルッマン・ハキム・サイフディン宗教大臣は、抗争事件が容易に発生するインドネシアの多様性文化社会というコンテキストにおける多様性フィキの重要性を強調していた。
インドネシアは多様性を促進する宗教説法制作の最前線に立っていなければならないはずだ。ISISの行為に賛同しISISを支持する集団の存在は、民族の多様性を犯す悪質なガンになる。全世界のムスリム人口の六分の一がインドネシアに住んでいるという事実に想いを致すなら、インドネシアのムスリム社会はモラル上の責任と歴史上の要求をその背に担っていることが感じられるにちがいない。
この民族が果てしのない宗教政治コンフリクトの渦に巻き込まれ、ナショナリズムが浅薄化し、激しい経済格差の中に落ち込むなら、その要求に応えることは困難だろう。それが現在、わが民族の構造を蝕んでいる状況なのである。政府は往々にして手遅れの消防夫にしかなっていない現状を、いやそれどころか、予測することにすら失敗している状況を、もはや終わりにさせなければならないのだ。


「シリアの二の舞はありうるか?」(2015年3月16〜20日)
2011年1月にチュニジアで始まったアラブ諸国における国民の民主化要求の波は、その年3月にシリアの民衆を決起させた。3月10日から20日までの間に国内状況は過熱し、銃火器を手にした多数の反政府武装集団が生まれて政府軍・政府支持派集団・反政府集団が文化の差異と経済上の利害に従って四分五裂し、血で血を洗う抗争が全国に拡大した。
国民人口2千3百万人のうち74%はレヴァント人と呼ばれるアラブ系シリア人で、クルド人は9%、古代キリスト教系種族は2%、その他トルクメン人およそ百万人、さらに10万人単位でシロアッシアン、ギリシャ、ユダヤ、アルメニアなど諸種族が混在している。かつてこの国は、多種多様な人種と宗教が協調的に並存している許容度の高い平和な国として評価されていたというのに、国民間の殺し合いで4年間に22万人が死亡し、100万人が身体障害者となった。戦火を逃れて4百万人が近隣のトルコ・レバノン・ヨルダン・イラクその他世界のあちこちに避難し、国外に逃げ出せなかった780万人が国内の難民キャンプで暮らしている。難民キャンプに入っていないが、親や保護者を失った子供たちをはじめ、町の中で悲惨な生活を送っている国民が500万人いると言われている。そんな状況の中に出現したISISがシリア政府行政を排除してイスラム国の建国を宣言したことから、国内の悲惨な状況は定着の度合いを一層深めている。
現在のところインドネシアも、かつてのシリアのような国民諸勢力間の協調と相互尊重を是として他者の存在を受入れる許容度と調和の取れた社会生活国民生活が営まれている国という評価が一般的だ。ところが、そのような評価とは裏腹な社会抗争が国内のあちらこちらで起こっているのも事実なのだ。
国民文化開発統括省が主導している暴力監視国家システムには、過去一年間に全国で発生した暴力事件が187,051件あると報告されており、これはいわゆる治安を脅かす暴力という切り口からの把握が主体で、社会的暴力抗争から女性レイプ、あるいは武器を使っての衝突事件などがその内容を占めている。特に多発地域として採り上げられた州が15あり、その筆頭は東ジャワ州の28,227件、二位はジャボデタベッ地区の23,390件、次いでアチェ州、北スマトラ州、西カリマンタン州がトップ5を占めている。それらの暴力事件は女性や子供が最終的な犠牲者になるものが多く、また女性が男性と同じ地位を保証されていないことと相まって、女性の被害を一層深刻なものにしている。
それとは別に社会省が行なっている社会集団間のコンフリクトによる暴力衝突や攻撃についての情報収集がある。シリアのような国家崩壊をもたらす直接的要件はむしろこちらの方であり、その中に性格の異なるさまざまな暴力事件が混ざりこんでくることによって社会が細かく引きちぎられていくことになるのだろう。2013年に社会省が報告した社会抗争危険州リストによれば、パプア州と西ジャワ州が24件でトップ、ジャカルタ18件、北スマトラ州・中部スラウェシ州・中部ジャワ州各10件で、それらが全国のトップ6になっている。それを県市レベルまで絞り込んだものが社会コンフリクトハイリスク地区のリストであり、内容は次のようになっている。つまり、下にノミネートされている県市は、火種が転がり込むと容易に燃え上がる土地だという理解を可能にするものだ。
スマトラ: リアウ・パレンバン・ランプン・アチェ
西ヌサトゥンガラ: 西スンバワ・ビマ・ドンプ
スラウェシ: ポソ・シギ・パル・マカッサル・ポレワリ・マンダル
カリマンタン: バンジャルマシン・ポンティアナッ・パランカラヤ
パプア: アベプラ、ジャヤプラ、マノクワリ
ジャワ: バンテン・タングラン・ジャカルタ・スリイェッ・インドラマユ
プリミティブな精神性においては、自己のアイデンティティと所属コミュニティの囲い込みが行なわれ、閉鎖域内での同胞意識と域外のヨソモノつまり敵というディコトミーが形成されるのが普通だ。人類が野蛮であったころの環境にそれは根ざしている。世界がどんどん小さくなって接触する域外の人間が増加するようになれば、自己のアイデンティティや所属コミュニティも別の規準を設けて広がっていく。しかしそれが原因で閉鎖域が開放されることは滅多になく、単なる閉鎖域の規模が拡大するにとどまるのが一般的であり、それがディスクロージャーされるためには閉鎖域の変質が起こらなければならない。どこの民族はわが民族と親しみを抱いているのか、あるいは敵対性が強いのか、というような国際感覚は、精神性の変化を受けないまま居住世界がグローバルになっただけの民族に出現しがちな図式ではあるまいか。
域内と域外というディコトミーの中で自己中心性が独善性を生み、自己のアイデンティティや存在価値、そして正当性を訴求するようになれば、域外を敵と見る対立概念のゆえに自己繁栄あるいは自己防衛を目的とした力の保有とその使用に向かう。それは20世紀半ばごろまで世界中に存在していた図式だ。自己繁栄を目的にした力の指向は、暴力や武力の使用を正当化させ、帰結としての他者支配に向かう。侵略という言葉だけを観念の中で悪として排除しても、そういうレッテルの貼られていない事実を当然視するような愚かさからは早急に脱け出さなければなるまい。
マクロにおけるその種の姿はミクロにおける個々人の行動に影響を与えずにはおかない。というよりも、個々人の精神性の中にあるものが集合的にマクロの姿を現出させるのであり、形成されたマクロでの価値観が精神のまだニュートラルな構成員の内面をその色に染め上げていくという循環がそこに生じるのが普通だ。他者支配における究極の形態が対象となる相手の生殺与奪であるということが真理であるなら、他者の生計手段を奪うこと、生計の場からの追放、社会生活からの排除、殺戮あるいは奴隷化といった諸現象がかれらの活動領域に容易に散りばめられることになるだろう。
インドネシアで起こっている社会抗争の多くは、異宗教間あるいは同一宗教内の異宗派間、他にも同一宗教宗派でありながら宗教とは無関係に居住地域の違い、つまりは文化的人種的な差というコミュニティ基盤の上で起こるものなど、さまざまにある。そこに経済利権がからみ、土地や商権をめぐる抗争ともなればSARAというアイデンテンテイ原理が基盤に置かれることも少なくない。それにきわめて類似した構図を、われわれはISISの振舞いの中に見出すだろう。
インドネシアでそれらは係争でなく抗争になっているというのが、国家もしくは民族崩壊につながりかねない重大な要素であると言えるにちがいない。文明的に高い成熟度を持つ精神性の優れた社会では、人間個々人に対する尊重を基盤に置いた生活面でのルールが社会構成員の行動規範となっている。社会構成員の間ではフィジカルな力の差が必ずあるため、ルールはその要素を除外しているのが普通だ。話し合いや協調、平和共存などといった原理がそのルールを支えている。フィジカルな力の強い人間ばかりが勝ち残る社会は野蛮な社会なのである。人間の身体・精神・生命の保全は絶対的な善なのだ。いかなる争いも、係争にとどまらなければならないのである。暴力を使う抗争は社会を、ひいては社会を成立させ擁護している国家を崩壊させることになる。それがシリアに見られる姿ではないだろうか。人間の生命観に関してインドネシア社会が持っている精神の成熟度は、ナルコバ死刑囚の処刑を大統領から一般庶民までが叫び続けている姿に顕れているように思える。インドネシアでは生命の毀損に対する価値観がそういうものであるという一面が、暴力事件あるいは暴力犯罪事件の多発に重なってくる。
インドネシア国民16人がトルコへのグループツアーから姿を消すという最近発生した事件が政府上層部と保安機構を震撼させた。スマイリングツアーが組んだトルコへの団体旅行は2015年2月24日にイスタンブールに入り、それからトルコ国内の観光ツアーを開始したが、ツアー参加者の16人が独自行動をしたいと言ってツアーグループから別れた。インドネシアへの帰国フライトは3月4日発であり、その16人は帰国日にグループに戻ることを約束して別行動に入ったものの、帰国前に旅行社ツアーガイドがその16人の代表者に確認の連絡をしたところ、SMSが戻ってきた。「みなさんは先に帰国してください。We're fine.」というのがSMSの通信文だった。
その16人が消息を絶った事件は、かれらがトルコ南部国境を不法越境してシリアのダーイシュ(=ISIS=ISIL=イスラム国)支配地域に入り、インドネシア国民をやめてダーイシュ国民になることを選択したのではないか、との疑惑を政府に抱かせた。その16人の中には1歳と2歳の赤児、4,6,7,9歳の子供と17歳の青年が含まれており、残る9人は22歳から42歳の間に分散している。16人中の5人は中部ジャワ州スラカルタの、11人は東ジャワ州スラバヤの各イミグレーションが発行したパスポートを持っている。
インドネシア政府外務省はトルコ政府に対してその16人の捜索を依頼した。トルコ警察はダーイシュに参加する外国人が通過するルートにある監視カメラの調査を開始している。団体旅行参加者が別行動を採ってダーイシュ領土に密出国した先例はアメリカ人が既に作っている、とトルコ警察は語っている。
スラバヤイミグレーション事務所は、16人のうちの6人がスラバヤ在住の夫婦と子供4人の一家族であることを確認した。その家族の留守宅はすべての扉と窓が施錠されており、同居人はいない。また国家諜報庁・国家警察・テロリズム対策国家庁が持っているテロリスト容疑者リストの中に、16人中の数人の名前が見つかっているとのことだ。
しかしトルコで消息を絶ったからダーイシュに密入国したとは限らないとの声もある。というのは、昔から中東に向かう闇出稼ぎ者の扉もやはりトルコだったという事実があり、イデオロギーがらみでダーイシュへ入ったかどうかはいまだ闇の中だと言うのである。
スラカルタからツアーに参加して消息を絶った5人中のふたりは兄弟で、スラカルタに住むそのふたりの実兄はダーイシュ密入国説を否定した。イデオロギーがかった言動をかれらはしたことがない、と言うのが理由だ。2月27日に実兄は弟のひとりから電話をもらったが、オートバイを運転中だったために声がはっきりと聴き取れず、それが最期のコンタクトになったようだ。この失踪事件が表沙汰になってから弟たちにコンタクトしようと努めたものの、電話はオフ状態が続いていたとのこと。弟たちのトルコ旅行の目的は、観光と中東のハーバル商品を仕入れてくることだった、とその実兄は述べている。
ダーイシュの存在を身近に感じさせるニュースに国内が湧いているとき、シリアの国境に近いトルコ南部の町ガジアンテップで16人のインドネシア人が警察に拘留されているという情報が政府に入ってきた。それが団体旅行から抜けた16人の続報かと思われたが、そのあとで入ってきた情報によって、その予想は覆された。ガジアンテップの町はシリアに密出国する外国人がよく利用する土地であり、トルコ政府は不法出国防止を目的にしてその地区一帯を重点監視区域にしている。トルコ南部国境の鉄条網を抜けるのは、決して簡単なことではないということだ。
トルコ政府からインドネシア外務省に入ってきた情報によれば、ガジアンテップで警察に拘留されている16人は、2015年1月29日に不法出国しようとしていたために逮捕されたグループであることが明らかになった。かれらは1月27日にトルコに入国し、そのまま南部目指して移動したらしい。このグループは41歳男性ひとり、30歳台女性4人、男児8人、女児3人から成っており、子供たちの年齢は1歳から15歳までの間にある。この16人は数家族で構成されていると見られている。
トルコ政府からインドネシア政府への連絡が遅くなったのは、その16人中でパスポートを持っている者が5人しかおらず、トルコ側が残る11人の身元を確認するのに時間がかかっていたためだ、とトルコ政府は説明した。インドネシア政府はその16人を取り調べるために、外務省・国家警察・国家諜報庁・テロリズム対策国家庁の合同班を現地に派遣した。最終的にその16人はトルコ政府が強制出国させることになるだろうが、インドネシア側はかれらを間違いなく祖国に戻し、戻ったあとの措置をどうするのかということを確定させた上でトルコ政府とのコーディネーション下にその強制出国措置を行なう見込み。
既に80カ国から数万人という外国人がダーイシュの建国闘争に参加するためシリアとイラクのダーイシュ領土に入っているが、2014年半ば以前に多数あった進入路が今ではほとんど閉ざされて、トルコ南部の8百キロにわたるシリア国境がダーイシュに通じる表玄関となっている。
需要があるところに供給が起こるのは世の常だ。シリアへの不法出国を目論む人間は、バスで国境地帯の町に向かう。国境地帯の町々にはトルコ人の新ビジネスが雨後のたけのこのように出現して、お客さんたる不法出国者の便宜をはかっている。国境の鉄条網がある近くまで行くのに小型バスが使われ、乗客はひとり10トルコリラを支払う。およそ5万インドネシアルピア相当だ。トルコの国境警備部隊の目を盗める場所はいくつかあり、それらの場所は人間の闇輸送だけでなく、物資の闇輸送にも使われている。
ダーイシュ領土に入る人間が、着のみ着のままの身一つで越境するわけがない。かれらは空路トルコまで、いくつかの荷物を持ってきている。しかし、そういう荷物を持って国境突破するような愚劣な図はまず起こらない。人間は身一つで越境し、荷物はまた別にトルコ人が国境の向こうの人間と受け渡しを行なうのである。
現地でにわかビジネスを開始した地元ツアーガイドのアリ氏は、もちろん政府のガイドライセンスなど持っていない。かれは不法出国者への便宜提供で稼いでいる。あるときはフランス国籍の一家族を国境の向こうに渡してやったこともあるし、中には大きなトランクに米ドル紙幣をぎゅうぎゅう詰めにしたのを運んできた不法出国希望者もいた。持ち主はそれをダーイシュに献呈するのだとアリ氏に物語ったそうだ。武器弾薬を送り込む依頼もある。そういう荷物の輸送の世話をする場合は、トランクひとつあたり500トルコリラがかれへの謝礼となるそうだ。
ダーイシュを単なるテロリスト戦闘集団としてしか見ていないのは、象を長い鼻としてしか見ていないようなもので、その全体像が見えていない。首都ラッカをはじめとするかれらの支配地域では国家としての行政統治が行われており、かれらの思想やイデオロギーに賛同する一般市民が大勢その行政統治下にいることを忘れてはならない。もちろん全員が賛同しているかどうかは別問題なのだが・・・。
言うまでもなく、子供たちへの教育も行なわれており、そこではダーイシュ特有の過激思想が植えつけられている。国家の態をなしたこの組織を永続させるためには、それを維持継続させる次世代が必要なのであり、だからこそジハードの花嫁を諸外国から誘い込み、あるいは一家で移住してくるシンパたちを優遇する必要があるということなのだ。戦闘集団とは別に数百万人の住民と、かれらに使役されている奴隷がいるというのが通説であり、子供連れでダーイシュに参加する外国人がいておかしい訳がない。
2014年6月から開始されたダーイシュのイラク領土への電撃侵攻に際して、インドネシア国民の一部がその戦闘行動に従事していることを国家警察が8月ごろに公表した。56人というその人数はインドネシア国内のテロリストがメインを占めている。また多数の国内テロリストやイスラム国家建設思想の持ち主がダーイシュに忠誠を誓うことを国内メディアで公表した。
2014年12月17日にはマレーシアからシリアに向かおうとしていたインドネシア国籍者12人をマレーシア警察が逮捕したニュースが流れ、その中に刑期を終えたテロ犯罪者が含まれていることが明らかになった。
12月27日には少年を含むマカッサル住人6人がダーイシュへの参加を目論んでいるとして、スカルノハッタ空港で警察に逮捕された。かれらの送り出しに関わった者も数人、逮捕されている。
そして今回の16人という二件のニュースへと公表されたニュースは続くのだが、未遂で発見されたものがそれくらいあるのなら、成功例ははるかに多いに違いない。テロリズム対策国家庁が公表した最新の数字は3百人というものだ。
インドネシアは世俗国家であり、国民はインドネシア民族という属性を最優先させなければならない。人種・文化・宗教などという特定集団の属性はその下位に置かれて民族の一員であることよりも高い優先度を与えてはならない。それが「多様性の中の統一」という国是を実現させるテクニカルな側面だ。原理的にはそうであっても、民族と宗教を別物として対置させることは上策でないのが明らかで、民衆に持たせるための価値観としては、民族と宗教の一体意識を持たせることが有効な対策になる。ナフダトウルウラマはその思想をイスラムヌサンタラと命名して、ムスリム国民への教化を進めている。
だから、ダーイシュが謳う宗教イデオロギーに惹かれてインドネシア共和国を捨て、他の国や組織を栄えさせようとする国民というのは、インドネシア民族の一員たる資格がない、という見方が出現しておかしくはない。「信仰のためというダーイシュの謳い文句を信じ込み、かれらに忠誠を誓って自分の祖国を捨て去ろうとする国民は、インドネシアに限らずどの国であろうと、自分の祖国と自分の民族を侮辱するものだ。」前テロリズム対策国家庁長官はそうコメントを語った。それが政府の心中を代弁しているのは間違いないだろう。
もともとインドネシア共和国誕生の経緯の中に、イスラム国家問題は存在していた。それに敗れた勢力がダルルイスラム等の反政府武装闘争やアチェ問題などで共和国政府と衝突を繰り返していた長い歴史は、共和国史の一部をなしている。同じ思想は東南アジアのイスラム界の中にも横たわっており、大イスラム圏を志向するジャマアイスラミヤの目標もシャリアの完璧に施行されるイスラム国家の建設にあった。そんなイスラム国家がシリアとイラクにまたがる地域に誕生したのだから、その思想にはまった者たちが引きつけられるのは自然の摂理にちがいない。
ダーイシュの誕生で、かれらの精神は勃興した。理想実現のときが今熟したという考えは、かれらの行動を活発化させることになる。2014年に東ジャワ州マランに近いバトゥで、インドネシア国内のダーイシュ設立宣言がなされようとしたが、インドネシア共和国の国是に忠実なイスラム民間団体ナフダトウルウラマがその動きを封じた。表立った動きに対する官憲の風当たりがきついことに気付いたかれらは、地下に潜って一般国民への過激思想注入に励むようになる。ソロ(スラカルタ)・スラバヤ・マカッサルなどはいずれも、イスラム過激思想が根強い地域であり、過激派組織がラディカル化された一般国民をダーイシュ占領地に戦闘員として送り出す世話まで行なっているのである。
政府とイスラム穏健派が協力して一般ムスリムへの反ラディカル化を進めており、現状は水面下の闘いが静かに展開されている。その成果いかんが、インドネシアにシリアの二の舞をもたらすかどうかを決めるだろう。


「外人戦闘員イデオロギーの進化」(2015年3月17・18日)
ライター: 平和の碑文財団設立者、モナシュ大学国際関係政治学博士号コース在学中、ノール・フダ・イスマイル
ソース: 2015年3月10日付けコンパス紙 "Kebaruan Ideologi Kombatan Asing"
居並ぶインドネシア共和国軍上層部の面々を前にして、ジョコ・ウィドド大統領は断言した。ISISのイデオロギー広宣の危険に対して国軍は、その最前衛に挺身することで去就を明らかにしなければならない。なぜならISISのイデオロギーは現存する多様性を肯定するインドネシア民族統一理念に深刻な脅威をもたらすからだ。
問題は、250人超のインドネシア国籍者を含む世界中のイスラム活動家を総呼集して外人戦闘員とし、それどころかシリアやイラクで最近多発している自爆突撃員にさえするような事態が起こっていることをどう捉えるのかということなのだ。
その問いに対する答えのひとつは、1980年代にアフガニスタンに登場したパレスチナ出身のジハード運動イデオロギー唱導者であるアブドゥラ・アザムの論文や講義を再分析することだ。その時期、アフガニスタンに来て軍事訓練を受けるようアザムが呼びかけたジハードの誘いに3百人を超えるインドネシア人が応じた。その後、アザムの著作が数多くインドネシアで翻訳され、大勢に読まれ、自己の探求と世の中の変革を渇望する何百人もの若者にインスピレーションを与えたことは何ら不思議なことではない。
< イデオロギー化 >
アザムのものを含めて、イデオロギー化メッセージの中味を理解するために、三つのことがらに着目しなければならない。「診断(何が間違っているのか)」「予断(何がなされなければならないか)」「原理的根拠(誰がなぜ、それを行なわなければならないか)」。(ウイルソン、1973年)
アザムが診断として与えたものは、マジョリティ住民がムスリムであるアフガニスタンを侵略しているロシアという外部者の脅威に全ムスリムはさらされているのであって、女たちはレイプされ、老人や子供は殺され、礼拝所は破壊され、現地にある資源は外部者に搾取されているという事実を挙げた。次いでアザムが提示した予断は、その外部者の専横を覆すために全ムスリムは軍事力を持って反撃しなければならないとし、その根拠をふたつ示した。ひとつは、その反撃を命じる法的基盤をイスラムは持っていること、もうひとつは、敵の行為が人道の限界を超えており、かれらとの話し合いで事態を改善するのは濡れ糸を立てるに近いものであって、ムスリム界は緊急事態に陥っているのだということ。
こうしてアザムの原理が表明される。どこの国に住んでいようともすべてのムスリム男子にとっては、その国が圧制の下に置かれたとき所属する社会を守るために立ち上がるのが義務なのだ。その理由はふたつある。
ひとつは、民族国家を貫通するムスリムとしての一体感のゆえに、アザムはコンフリクトの犠牲者を常に「兄弟」あるいは「母と子」と呼んだ。そのようなやり方によって、あたかも犠牲者たちはムスリムとしての自分と切り離せないものとなるのである。第二の理由は、ジハードが共同義務であるファルドゥキファヤから個人個人の義務であるファルドゥアインに定義変更されていることだ。
ジハードに関するアザムのこの解釈はふたつの色彩をあらたにもたらす。まずイスラム外の敵に焦点を向けるというかれの診断であり、ローカルレジームへの抵抗運動をジハードと位置付けていたその時期の常識と異なるものだった。サイッ・クッブやムハンマッ・ファラジュら革命的イデオローグの著作からその当時の常識を明白に読み取ることができる。そのふたりのエジプト人イデオローグは、腐敗したアンワル・サダト政権を転覆させて世俗主義国家システムをイスラム国家に変えなければならない、と強調しているのだから。
< ジハードコンセプト >
次に、ジハードをファルドゥアインとするコンセプトは、自国が外国から攻撃されたときジハードが国民の義務となるという20世紀の古典派ウラマたちのマジョリティ見解と異なっていた。生活コミュニティの異なる外国人にとってジハードはファルドゥキファヤでしかないのである。
多分そのような要因によって、自国外で戦闘するためのムスリムの大量動員をイスラム世界で目にすることが1980年代までなかったのだろう。パンイスラミズム連帯運動はアザムよりはるか以前から存在していたが、軍事的形態におけるジハードの個人化は出現しなかった。アザムのようなイデオローグがいなかったことが、その原因だったのかもしれない。
アザムのこのドクトリンはアルカイダが提唱する予断と異なっていることに注目する必要がある。アザムは伝統的軍事方式での対決を強調したが、オサマ・ビン・ラデンは1998年にジハードの舞台を世界規模に拡大するファトワを出したのだ。
アザムのコンセプトの進化を示すもののひとつに、サルマン・アラウダ、サファル・アルファラウィ、ユスフ・コルドウィらイスラム著名人による、アフガニスタン人は反撃をしてよいし、またそうするべきだが、それは義務ではないという、アザム理論を否定する論調の出現がある。
1980年代末から1990年代初にかけて、外人戦闘員と革命派イスラム活動家の間でイデオロギー論争が起こった。反ローカルレジーム(それがムスリムであっても)かイスラム国家を侵略する外国か、そのどちらを敵として重視するのかという議論だ。1990年代から2000年代初にかけては、米国に対してテロキャンペーンを継続するのか、それともチェチェンやイラクでの伝統型対決なのか、そのどちらが重要なのかという議論が外人戦闘員たちとアルカイダの間で戦わされた。
1980年代にイスラムの政治表明が頂点を迎えたことから、アザムのコンセプトはモメンタムを得た。アラブ民族主義は、1967年のイスラエルとの戦争でアラブ側が敗北を喫したことから、魅力が色褪せてしまったが、それから10年もしないうちに、1979年に成就したイラン革命の成功でイスラムの革命パワーが夢物語でなかったことを世界は目の当たりにする。
それがゆえに、インドネシア人や世界80カ国の何千人というムスリムがISISに参加するのを理解するには、かれらが狂人であるという見方でなく、イスラムにおけるジハードイデオロギー進化の長い歴史からアプローチしなければならない。
ヤシディ族・キリスト教徒・シーア派そしてかれらの思想に従わないスンニー派ムスリムをもかれらは虐待し殺戮したことは事実だ。しかしかれらの行動はロジックを踏まえた計算づくのものなのである。かれらの収益源泉のひとつである油田を含む支配地域を管理するのに、正気の人間がいなければならないのだ。われわれを含めて世界をISISが恐怖に陥れている原因がそれなのである。


「ISIS、ハワリジュ、テロ」(2015年3月19・20日)
ライター: イスティクラルモスク大イマム、ニューヨーク「ダルルウローム」アドバイザー、アリ・ムスタファ・ヤクブ
ソース: 2015年3月14日付けコンパス紙 "NIIS, Khawarij, dan Terorisme"
ISISに加わったと見られるインドネシア国籍者16人のトルコでの失踪事件が再び世界の耳目を集めている。2013年に形成されたと言われるISISは、世界中から呪詛が集まっているというのに、いまだに燃え盛っている。その事実からISISは、もちろん自己完結的な存在でなく、特定勢力が何らかの利益を目的にして意図的に形成し、その維持をはかっているものであるとの疑いをわれわれに抱かせている。
イスラム史において、ラディカル思想は預言者ムハンマッの没後から出現した。遅くともヒジュラ暦4世紀のアミルルムクミニン・アリ・ビン・アビ・タリブ治世下には、ハワリジュ思想が出現した。語義論的にハワリジュというのはハリジャの複数形で、脱け出た者たちを意味している。アリ・ビン・アビ・タリブの時代に、その治世に従わず、外部者となって離れて行った者たちがハワリジュということだ。
現代コンテキストで言うなら、ハワリジュというのは合法政権を否定しそれに抵抗する思想を持った者たちということになる。国家指導者がアッラーの禁止事項を冒したとの判断から、かれらはそのレジームが大罪を作っていると考え、イスラム教の道に外れたのだからそのレジームに従う義務はないという論理に至る。更にロジックは次のステップへと展開され、国家指導者が冒している罪は戦闘によって正されなければならず、その者の生命を奪うのはハラルだという考えに進む。それがハワリジュの思想なのだ。
イスラム史によれば、ヒジュラ暦初世紀から遅くとも4世紀までの間に、ムクタジラという別のラディカル集団も出現した。政治分野に端を発して後に神学領域に拡大していったハワリジュ集団とは異なり、ムクタジラ集団はちょうどその逆向きで、神学領域からスタートして政治の舞台に乗り出して行った。ワスヒル・ビン・アタによって強力に推進されたムクタジラ思想は、かれの師イマム・アル・ハサン・アル・バスリ(ムハンマッの優れた直弟子のひとり)と正反対のものであり、後世の者たちにラディカル政治思想を植え付ける元となった。
ムクタジラによれば、アマルマッルフナヒムンカル(真理を奉じて違背を防ぐ)は国家と民族の指導者に向けられる闘いを本旨とするものなのである。こうしてハワリジュとムクタジラというふたつの思想がラディカリズムの思想と行動の中に溶け合うことになった。
< 宗教とは無関係 >
遅くともヒジュラ暦3世紀初期に、それらの思想は歴史の中で消滅したと見られていた。ハワリジュ思想に関わりを持っていると言われていたイバディヤと呼ばれる集団がアルジェリア南部やオマン王国に少数ながら存続しているとの情報を書物の中に見ることができただけだった。ところが突然、1991の湾岸戦争のあとに、それらふたつの思想が特にハワリジュを主体として水面上に姿を表し、世界中の各地へと広まって行ったのである。
ラディカリズムとテロリズムを捧持するグループの多くは、ハワリジュ思想に染まっている。かれらは合法政権を相手にせず、それどころかあらゆる手段での反政府闘争に向かう。アルカイダ、ジュマアイスラミヤ、ISISなどの国際的組織をはじめ、単なる国内スケールのものに至るまで、その種のグループは数多い。かれらが宗教を旗印に使ってはいるものの、テロリズムの本質はいかなる宗教とも関連性を持っていない。テロリズムというのは、宗教や民族とは無関係なものなのだ。いかなる宗教信徒も、いかなる民族の人間も、テロリズムを抱きテロリストになることが可能なのだから。
ジャカルタのイスティクラルモスクに4人の米国上院議員を迎えたとき、かれらはISISに関する意見をわれわれに尋ねた。ISISというのはイスラム運動でなく、ISISはイスラム社会から生まれたものでは決してない、という見解がわれわれの回答だった。ISISの性格や行為行動がイスラムの教えから大きく外れていることを見れば、それはきわめて明白だ。
それゆえに、ISISとイスラム教を結びつけると誤った結論に向かう。イスラムというのは、アルクルアンと預言者ムハンマッに関するハディスに記された内容にあるのであって、イスラムの教えから逸脱した悪徳不良のムスリムが行なっている行為の中にはないのである。
テロリズムとラディカリズムに即した行為行動は、その実行者がどの宗教信徒であろうとも、犯罪行為であるという理解がなされなければならない。その者がどの宗教信徒であっても、テロリズムとラディカリズムはその者の信仰する宗教の教えの中にはない。いかなる宗教の教えも、かれらが行なう行為を正当化せず、反対に呪詛を与えるのだから。
だから、2015年1月にフランスのシャルリーエブド誌オフィス襲撃事件が起こったとき、それを襲撃者の宗教に結びつける見解が散見されたのはたいへん遺憾なことだった。一方、2015年2月にアメリカで発生したムスリム学生三人の射殺事件をその犯人の宗教に関連付ける報道はほとんどなされなかった。その姿勢は優れたものと評価できる。
特定勢力が特定利益のためにテロリズムを不公正の中から生み出し、それをデザインし、飼育していくことは可能だ。宗教理解における愚昧さもテロリズムの誕生にひと役買っている。だとしても、テロリズムはいかなる宗教の内容とも関係を持たないものなのである。


「中部スラウェシ州ポソには近寄るな!」(2015年3月23日)
これまでも過激派テロ組織壊滅をはかって中部スラウェシ州ポソをターゲットにした警察の大型作戦が展開されているが、国軍も国内テロ組織網の押さえ込みを目的にその戦線に加わってきた。ポソは宗教戦争と呼ばれている地元民と外来者間の抗争の結果、過激派グループにとっての穴場と化しており、サントソグループがベース基地として根強い勢力を築いてきた地域だ。国軍が新たに反テロの動きを強化しはじめたのは、ジョコウィ政権からの要請に加えてISISが国軍総司令官を名指しで敵と表明し、対インドネシア戦略を深める動きを示し始めたこととも無関係ではないだろう。
ISISは以前から国軍とナフダトウルウラマを敵と表明してきたが、インドネシア人シンパをインドネシア国内に置いて国民のラディカル化とシリア・イラクへの送り出しに当たらせるような対応にとどまっていた。ここでISISと言っているのは、初期にISISに加わったインドネシア人テロリスクグループを指しており、ISISの軍略スタイルを見る限り、かれらがISIS首脳部から対インドネシア戦略を委ねられている印象が濃い。
インドネシア国民が、特に子供を主体にしてISIS支配地域に入ろうとした事例が多発し、インドネシア(あるいはマレーシア)の子供に対するISISのプロパガンダビデオが流されて子供たちの憧れをかきたてるような情報攻勢がかけられはじめていることを重視した現政権は、国家存亡の危機として国軍に対し、反ISIS戦略の発動を要請した。
ムルドコ国軍総司令官は、伝統的な外部からの侵略に備えた軍事態勢をこの新たな危機に適合させるための組織機構適正化を進めるとともに、ISISが着手するであろう対インドネシア共和国戦略の受け皿となる国内基地の最有力候補としてポソ地区を指定し、ポソ地区の完全掌握のための動きを開始したということのようだ。
インドネシアイスラムシャリア国家建設思想からジャマアイスラミヤに至る流れを代表する、現在のインドネシアにおける最有力テロリストグループがポソを拠点にするサントソグループであり、サントソは既にISISとそのカリフへの忠誠を誓う表明をネット上に流しているため、ISISにとってかれらがインドネシア共和国転覆の手がかりとしてもっとも使いやすい勢力であるのは間違いない。
テロリズム対策国家庁と国軍は、地元保安機構を巻き込んでの共同反テロ軍事訓練を行なう予定。それとは別に、ポソ県特にポソ市やポソプシシル郡などをメインに県内の全郡を対象にして、外部からそことの間を往き来する人間をひとりひとりマークする方針が立てられた。外部住民の中で、東ジャワ・中部ジャワ・西ヌサトゥンガラ(特にビマ)の各州とポソを頻繁に往復する者に対する監視を厳しくし、サントソグループにつながりを持っている者を洗い出して措置を採る方向性が打ち出されている。
ポソ県は他地域からの移住者が多く、複合種族地域であるため、在住民衆の行政管理は一筋縄ではいかない。必然的にその親族一族が国内の各地から訪問してくるのである。もうひとつ焦点を当てなければならないのは、ポソ県だけでなくトジョウナウナやモロワリといった隣接県も監視の気を抜くことができない地域であることだ。更には、中部スラウェシ州と境を接する南スラウェシ州の県郡にも、テロ組織のネットワークが伸びている可能性がある。
国軍スポークスマンはその方針に関して全国民に対し、国軍が監視する地域への訪問はできるかぎり避けるようにしてほしい、との声明を出した。これはもちろん禁止ではなく、国民の自由意思に委ねられることではあるが、不用意にそれらの地域を訪れれば国家諜報機構にマークされることになり、本人とその関係者も不愉快な体験をする可能性が高く、また諜報機構にも無駄な仕事をさせる結果になりかねないため、双方が損するようなことはやめようという呼びかけと見ることができる。


「首都圏でテロ警戒度アップ」(2015年3月26・27日)
インドネシア共和国保安機構がISISの宣戦布告を受けて立った。ISISカリフ帝国に忠誠を誓い、ムスリム国民への過激化洗脳を活発化させている過激派インドネシア国民に対する国家警察の逮捕作戦が2015年3月21日から22日にかけて首都圏で行なわれ、容疑者5人がそれぞれの居所で逮捕された。この作戦を遂行したのは、国家警察反テロ特殊タスクフォース、国家警察反テロ特殊部隊デンスス88、首都警察の三部門。
国家警察副長官によれば、逮捕された5人はISIS支援行動がきわめて顕著であり、ISISカリフ帝国思想をインドネシア国内で広め、共鳴者を集めて教育訓練を行い、また若年国民向けにシリアとイラクのISIS支配地域で少年たちがどのように訓練を受けているかを宣伝する動画をユーチューブにアップロードした。ちなみに、東南アジアでインターネットに流されたISIS宣伝ビデオ300件のうちの200件はインドネシアから発信されているとシンガポール南洋理工大学テロ政治暴力研究者は公表している。
副長官は続けて、容疑者5人はISISカリフ帝国にインドネシア国民37人を送り出し、16人はトルコ南部のガジアンテップでトルコ政府に逮捕されたが、21人はシリアに越境してISIS軍戦闘員になっていることを明らかにした。その送り出しに当たって、資金から渡航の手配、渡航先での行動のアレンジなどをかれらが世話していたとのこと。もちろんそのようなカリフ帝国民にするためのインドネシア国民送り出しは全国たくさんの場所で大勢の人間が行なっている。
その5人は、ISISカリフ帝国への渡航希望者徴募、渡航資金アレンジ、宣伝活動などの捜査を行なったデンスス88が割り出したもの。南タングラン市の居所で逮捕された47歳男性容疑者の家からは、ノート型コンピュータ5台やラディカリズム関連書籍十数冊が押収されている。隣人の話によれば、その男性は2年前から妻と5人の子供と一緒にその借家で暮らしていたそうだ。インターネットをメインにさまざまな手段で渡航希望者を集めることがかれの役割だったようで、自分のサイトwww.almustaqbal.netでは、カリフ帝国宣伝の写真や情報、インドネシア共和国に向けられた憎悪の煽動、カリフ帝国への参加の勧誘などが多数掲載され、また少年向けの勧誘ビデオもかれが制作してアップロードしたと見られている。
その過激派5人の逮捕作戦のあと、首都警察長官はジャカルタ・デポッ・ブカシ・タングランにある七ヶ所を重要警戒ポイントに指定し、治安要員750人をその7ヶ所に配備したことを明らかにした。その7ヶ所はどこで、そこで何が起こると予想されているのかについて、長官は言明を避けている。
反国家過激派メンバーに対する大規模な取締りを今後も継続することを表明した首都警察長官はまた、管下地域にある各市警本部の諜報部門および市民生活に深く密着している社会保安秩序育成担当警察官が不審な外来者を早め早めにマークするよう指令したことをも明らかにした。テロリストが潜入して社会秩序を撹乱するために行なう破壊暴力行為を事前に阻止することが重要である、と長官は強調している。
過激派のISIS宣伝がインターネット上で多数見られることで国民の過激化洗脳が活発化する可能性をミニマイズするため、テロリズム思想宣伝を行なっているウエッブページを見つけ次第閉鎖している、と情報通信大臣が表明した。ポルノサイトを見つけるのは、いくつかの単語で検索をかければ比較的容易に発見できるが、テロリズム思想宣伝サイトはそう簡単にはいかない。そのため大臣は国民に対し、その種のサイトに遭遇したら、すぐに情報通信省に報告して欲しい、と要請した。報告はaduankonten@mail.kominfo.go.id あるいは情報通信省ポータル内のpengaduan ページで行なえる。同省が発見したテロリズム宣伝サイトは70件にのぼり、その多くがブログ形式になっている由。
インドネシアの法体系では、テロリズムに対する法律はテロ撲滅に関する2003年法律第15号、テロ資金撲滅に関する2013年法律第9号、電子取引と情報に関する2011年法律第8号、そして国家転覆に関する法律などが使えるだけであり、準備行動に対する規制は不十分という印象を免れない。例をあげるなら、シリアとイラクの一部地域を占領しているISISカリフ帝国に向けてシンパを送り出すための資金供与を犯罪にすることは、現行法体系の中では難しい。西ジャワ州チアンジュールのムスリム著名人チェップ・ヘルナワン氏は、以前からインドネシアISISの総裁を名乗り、ISISに参加する渡航者に公然と費用を提供し且つ渡航の便宜をはかってきたが、チアンジュール市警が3月22日にかれを逮捕した。もちろん、逮捕の名目はISIS関連になっておらず、2010年にかれが行なった詐欺行為が名目であり、いわゆる別件逮捕のようだ。首都圏でのISIS宣伝者5人の逮捕に続いて3月25日には東ジャワ州マランで3人が類似の容疑で逮捕された。
国家警察は政府に対し、ISISカリフ帝国をインドネシア国内で非合法化して国民がその非合法組織に関わることを禁止する法律代用政令を出すよう求めているものの、国内法曹界の重鎮たちからはそれに反対の声が強い。ジョコウィ大統領は、まだ検討をはじめていないと表明して、その案に関する姿勢を灰色にしている。
だとしても、政府と国家保安機構が手をこまねいているわけでは決してない。国民への過激化洗脳に対抗して国民に対する反過激化の思想宣伝も活発化しているし、中東に向けて出国する国民のセキュリティチェックも厳しくなっている。インドネシアからトルコに向かう者は言うに及ばず、レバノンやUAEに向かう者あるいはマレーシア経由で中東に向かう者までその対象に含まれている。しかしウムロやイスラム聖跡詣でを隠れ蓑にしたり、あるいは無料ウムロで誘って本人にそう思わせておき、最終的にシリアのISIS支配地域に連れ込んで置き去りにする人売まがいの方式まで使われているのが実態で、テロリズム対策国家庁はそういった手口を阻止するために、旅行代理店・イミグレーション・外務省・法務人権省とのコーディネーションを進め、ウムロや聖跡詣でに出国する国民の経済状態が妥当なものかどうかのチェックまで行なっているとのこと。
ISISカリフ帝国は20億米ドルの資産を持ち、自前の戦闘部隊のほかに世界80カ国から2万人の戦闘員を動員し、またシャリア国家育成のために世界から若い女性をジハードの花嫁として呼び集めている。かの女たちはカリフ帝国国民として戦闘員の妻となり、子供を作って帝国の次世代を確保する使命を与えられることになる。しかしもっと手っ取り早いのは、カリフ帝国の軍事力に憧れる少年たちを呼び込むことだ。
そのようなカリフ帝国の国家構想とその推進を、世界中にいる同志がサポートしようと手ぐすね引いている。インドネシアでも、昔からインドネシアのシャリア国家化を指向するテロリストグループが共和国転覆を目指してテロ活動を行なっていた。その最右翼だったアブ・バカル・バアシル指揮下の西インドネシアムジャヒディンとサントソ率いる東インドネシアムジャヒディンはいずれもISISカリフへの忠誠を公表している。かれらにとっては、自分たちだけで共和国政府と対決するよりも、カリフ帝国のバックアップを得てその先鋒となり、インドネシアのシャリア国家化を実現させてカリフ帝国の一領土となるほうが、はるかに目的達成が楽になるにちがいない。
ISISの思想は従来からあったテロリズム運動と趣を異にしている、とテロリズム対策国家庁長官はコメントした。「ISISはきわめて過激でアナーキーだ。かれらは自己の思想に従わない者をすべて敵と見なし、殺してよいと考える。かれらはイスラム世界にあった施設や文化を打ち壊し、かれらを支持しないウラマを殺戮したことがそれを証明している。ISISは共同の敵であり、かれらを抑え込まなければならないとイスラム世界のどの国も認識しているものの、どの国も単独でそれを行なえる力を持っていない。」
イスラム世界が昔から続けてきた宗教と戦闘をからみあわせたジハード思想や清く美しく絶対的な善である完璧なシャリア社会のイメージなどを脳髄に染みこませた全世界のムスリムがISISに向ける憧憬の視線が、ISISカリフ帝国を下支えしている。このイスラム世界内部のイデオロギーと覇権の闘争をイスラム世界内部の問題として終わらせるためには、イスラムが西暦紀元7世紀以来保ち続けてきた思想の大変革が必要とされるにちがいない。大衆という人間ひとりひとりが集まった大集団の思想を変革するのに必要な時間は、いったいどれくらいなのだろうか?


「9割国民がISIS思想を否定」(2015年4月6〜8日)
2015年2月24日にイスタンブールに入ったグループツアーからインドネシア国民16人が姿を消すという事件が発端となり、続いてトルコからシリアに不法越境しようとしていた別の16人のグループがトルコ南部のガジアンテップで拘留されていたことが判明したが、最初の16人のグループは越境に成功したらしく、杳として消息が知れない。
拘留されていた16人のうち12人が第一陣としてトルコから強制出国させられ、インドネシア政府はかれらを護送して3月26日夜、スカルノハッタ空港に帰国させた。政府はこの16人の処遇について種々検討した結果、国籍剥奪という厳しい意見は最終的に却下され、政府の養護施設に入れて監視下に置き、脱過激思想の教導を行なって社会復帰させることを決めた。
それらの事実から、インドネシア国内でシリアのISIS(イスラム国=IS=ISIL=ダーイシュ)に向けてインドネシア国民を送り出しているシンパの存在に焦点が当てられ、明らかに反国家行動であるとの認識からシンパの割り出しと逮捕へとつながって行った。首都圏で5人、東ジャワ州マランで3人が国家警察反テロ特殊タスクフォース、国家警察反テロ特殊部隊デンスス88、地元警察の合同部隊に相次いで逮捕されている。
インドネシアISIS総裁を名乗り、ISISに参加する渡航者に公然と費用を提供し且つ渡航の便宜をはかってきたために「野放しにされている」と日本でコメントがつけられた西ジャワ州チアンジュールのムスリム著名人チェップ・ヘルナワン氏も別件逮捕されている。かれの行為は現行法規に抵触するものがなく、だからこそ逮捕できないために野放しにされていたのであり、同情心のような精神的癒着とは無縁のものだ。だからこそ反ISIS気運が盛り上がったいま、別件逮捕しかやりようがなかったということにちがいない。ともかく、インドネシア政府は例のごとく動きが遅い。やっとISISに関与する国民に対する犯罪化のための法規が準備されつつある。
テロリズム対策国家庁によれば、シリアとイラクのISIS領土に渡航しているインドネシア国民の数は514人まで数えられているが、そのすべてが過激思想を信じて戦闘員になるために渡航しているわけではない、とのことだ。ISIS領土に送り込むためにインドネシアで国民をリクルートし、過激思想で洗脳し、渡航の世話をしているISISシンパ(というよりISISメンバー)の中に、宗教がかった過激思想になびかない人間を「向こうでは良い暮らしが待ち受けている」と吹聴し、向こうに移住したら住む家と生活費に100〜500米ドルの金が与えられると説得している者がある。テロリズム対策国家庁長官は、実態はそんな言葉通りになっていない、と述べている。ともあれ、514人の中には、インドネシア国内で札付きテロリストでなく、貧困生活から逃れるためにISISに渡った者が混じっているということのようだ。ISISにしてみれば、そういう人間であっても別に違いはなく、必要に応じて過激思想洗脳と戦闘訓練を与え、戦闘部隊に入れて戦地に赴かせ、厭戦や戦闘拒否をすれば処刑するというだけのことであるにちがいない。
ISISの影が突然色濃くなったインドネシアのマジョリティ国民は過激思想やテロリズムを嫌悪している。国の方針もISIS非合法化に向かっており、国民のほとんどがその方針を支持している。2014年半ばごろから政府は、ISISの内容に関して反インドネシアであるとして否定する声明を出していた。政治法律治安統括相は2014年8月4日に、ISISの思想はインドネシアの多様性・インドネシア統一国家・パンチャシライデオロギーのいずれとも相容れないものであるとの政府見解を発表した。2015年3月にユスフ・カラ副大統領が発したコメントも、ISISはイスラムカリフ制度に沿った建国を目指しており、「復古」思想を根底としているので、現在われわれが生きているこの時代にそぐわないものであるのは明らかだ、と語ってISIS思想を否定した。インドネシアウラマ評議会(MUI)は39の民間イスラム団体を糾合して、「インドネシアのイスラム界はインドネシア共和国統一国家(NKRI)を支持するものであり、暴力と殺戮に満ちたISISの思想はNKRIを崩壊に導くためそれを拒否する」と全ムスリム国民に呼びかけている。
2015年3月25〜27日にコンパス紙R&Dが17歳以上の全国12都市住民500人に電話インタビューして集めた統計では、10人中9人がISIS思想をインドネシアのイスラムに合わないものだとして否定した。ISISがこれまで行なってきたさまざまな暴力や殺戮そして処刑行為は周知のものであり、自己の信仰にせよ確信にせよ、それを実現させるためにあのような行為をなすことは受け入れられないという声が大半を占め、更に宗教ラディカリズム運動に対しては、宗教の複合社会であるインドネシアで国民間の調和と協調を乱すものであるという評価が与えられている。
ところが現実に、インドネシア国民の中にISISメンバーが潜伏し、他の国民を過激化させ、ISIS領土に送り込む活動をしている者がいる。どうしてそのようなことになるのだろうか?統計結果は次のような内容を示した。
1)宗教理解が正しくなされていない 30.2%
2)貧富の差 19.2%
3)教育レベルが低く、就労機会が狭い 14.0%
4)法執行が弱い 8.6%
5)国是パンチャシラの理解が弱い 5.4%
6)異宗教国民間の対話が足りない 5.0%
7)政府行政への不満 4.0%
それに対して、国と国民はどうすればよいのか?国民の間にラディカリズムが密かに浸透して現在のような事態になっていることを政府の無策に帰す回答者も少なくなかった。宗教をからめたラディカリズム思想の宣伝を政府は放置してきたきらいがある。政府のみならず、宗教界著名人や宗教団体もこれまで明確な反対姿勢を明示しなかったのは同罪だ、とかれらは言う。ムスリム回答者の中にその声が強かったのは、興味深い事実だ。回答者のほとんどは、自分の生活環境内にラディカリズム思想の宣伝はほとんど感じられないとしながらも、自分の親族の中にラディカリズムの影響を受けて危険な行動に走る者が現れることを6割のひとが心配している。
テロリストグループが過激思想を洗脳してメンバーのリクルートを行なっている面に対する予防措置が積極的に行なわれてきたとは決して言えない。政府の姿勢はテロ行為を行なった人間を逮捕することに重点を置いてきたように見える。それは国民の間に過激思想の火種を温存させ、いつまたテロ行為が行なわれるかわからない状態に社会を置き、民主化や文民優位社会の実現に障害をもたらすことになる。
だから国家と国民が一丸となって行わなければならないのは、過激思想をヌサンタラの地から排除して、宗教の独善から離れた民族統一と一体感を国民の間に醸成し、異宗教に対して開かれた協調性を持つ穏健な宗教観を国民信徒に持たせることに努めることなのである。回答者たちは次のように答えている。
1)宗教教育は民族性に合致した内容でなされなければならない 51.0%
2)ラディカリズムに対して政府/国家はもっと厳しい姿勢で臨むべきだ 23.6%
3)国民に対するより強固な民族性涵養 17.2%
折りしも、西ジャワ州バンドンや東ジャワ州ジョンバンで高校の宗教倫理科目に使われている教本の中に過激思想が盛り込まれているという批判が数日前から報道されていた。教科書の中にワハブ派の思想が紹介されており、そこには「崇拝する対象はアッラーのみであり、ひとはアッラーを崇めなければならず、それをしない異教徒背教徒は殺してかまわない」と書かれている。イスラム史専門家に言わせれば、「それはイスラム思想史を説いているのであって、その内容に間違った点はない」ということなのだが、平和な現代世界の秩序維持とイスラム教が育んできた急進的な部分の衝突が今問われている問題の骨子であることを忘れてはなるまい。教育文化省と宗教省は合意のもとに、その教本の回収と流通禁止を決めた。
また通信情報省も、テロリズム対策国家庁からの要請に従って、過激思想宣伝が行なわれていると判断される19のネットサイトを強制閉鎖した。各サイトの管理者は一斉に抗議したが、過激思想を取り除かなければ再開させない、とかれらの抗議を却下している。
そういった過激思想宣伝への対策とは別に、もっと直接的に国民とISISの関係を断絶させるための法規制定を政府は検討している。ISISと関わりを持つことに対して刑事罰を与えること、紛争地域への渡航を禁止すること、そういう内容を盛り込んだ法律代用政令の制定が意図されている。
コンパス紙が5百人市民から集めた統計によれば、政府の法律代用政令制定に賛成する者が76.2%いた。反対者は21.0%。また、通信情報省が行なっている過激思想宣伝サイトのブロックに賛成する者は89.4%で、反対は6.4%しかいなかった。他にも、シリアへの渡航の隠れ蓑に使われている中東地域へのツアーやウムロを催行する旅行会社の管理統制をもっと厳しくするよう求める市民も多く、特にウムロ催行旅行会社は宗教省の認可で営業しているため、宗教省は隠れ蓑に使われた旅行会社の営業許可を没収せよという市民が85.8%いた。反対の声は11.4%だった。


「ジュナイディの独白」(2015年4月9・10日)
マランで2014年初めごろに開かれたアルクルアン読誦会で、アブ・ジャンダルという名を通称にしているサリム・ムバロッ・アッタミミに出会いました。かれの話を聞いて、自分もシリアへ行きたいという気持ちが湧いてきました。シリアがどんなことになっているかという話の中で、戦火の下で苦難な日々を送っている市民たちへの人道支援が求められており、現地でそれに参加すれば毎月何千米ドルもの報酬がもらえるし、インドネシアで夫の留守を守っている妻子にも生活に困らない支援が与えられるというようなことをかれは言ったのです。
毎日屋台でバソの作り売りをしているのに比べたら、報酬も大きいし、人道的な意義ももっと大きいと思い、自分も是非シリアへ行きたい、とかれに言いました。全員まだ小学生の子供4人と妻に「メッカにウムロに行く」と言い渡して、2014年3月23日にわたしは東ジャワ州から出発するグループの一員になりました。このグループはアブ・ジャンダルとその息子で10歳のアブ・バカルを含めた19人でした。グループはスラバヤ⇒ジャカルタ⇒クアラルンプル⇒ィスタンブルと飛び、陸路をトルコ南部のガジアンテップの町まで進みました。ガジアンテップの町で、ISIS兵士が全員をバスに乗せてトルコとシリアの国境線まで連れて行ってくれました。
シリアに入って最初に訪れた町はテルアビヤッです。その町で全員がAK47の操作の学習と訓練を24日間受け、その間も異端としか思えない宗教教義を教育されました。その教義の中では、自分たちが行なっている活動を邪魔する者は殺してかまわない、ということも教えられました。
24日間の訓練機関を終えると、わたしたちインドネシア人はトルコ・キルギスタン・タジキスタンそしてアフリカの諸国から来ているISISシンパたちと合流し、ムアスカルの町で20日間、また宗教教義の教育を受けました。その内容はテルアビヤッのときのものとたいした違いはありませんでしたが、そこではISISの最高指導者アブ・バカル・アル・バグダーディに忠誠を誓うバイアッの儀式が山場になりました。わたしはマランのプサントレン出身で、わたしが身に着けたイスラムと相容れない教義に従わせられることに対して拒絶感情が湧き起こるのを避けることができませんでした。
ムアスカルの町でのプログラムが終わると、わたしは他の諸国から来ている人たちと13人のチームを作り、ハラリア村の警備に就きました。ところが、もしシリア政府軍の攻撃があった場合は戦闘しないで塹壕に隠れるように言われたのです。政府軍が攻撃してきたら、それに応戦する別のひとたちがいて、かれらに武器を渡して13人は交戦が終わるまで隠れていればよいということでした。
戦闘は何回か起こりました。戦闘が起こるたびにわたしの心中には故国に帰りたいという念願が強さを増して行きました。しかしそれは、たいへん困難なことだったのです。ISISの地区部隊長にその希望を申し出ても、拒絶されるのです。二回拒絶され、勇気を鼓舞して三回目の申し出をしたとき、地区部隊長が承認しました。そのとき、条件が二つ、課されました。ひとつはアブ・バカル・アル・バグダーディへの誓いを破棄すること、もうひとつはシリアへ二度と戻ってこないこと。戻ってきたら、お前の生命はない、と言い渡されました。
シリアでISISの警備兵になって二ヵ月半過ごし、すべてをやめてインドネシアへ戻ってきたのは2014年9月です。アブ・ジャンダルが言った、シリアの民衆への人道支援など、ただの一度も起こりませんでした。アブ・ジャンダルが言った話を、わたしはパレスチナでのものと同じだと解釈していたのです。マランでのバソ屋台での稼ぎをはるかに超える報酬の話も、言葉だけでした。
毎月の手当てをもらったのは、ハラリア村で任務に就いてからのことで、ひと月8千シリアリラをもらいました。56万ルピア相当です。二ヵ月半しかいなかったから、二回もらっただけでした。イドゥルフィトリの祝祭のときは2万4千シリアリラ(160万ルピア相当)をもらいました。しかしその金はインドネシアに戻ってくる中で使い果たしてしまいました。
マランへ戻ってきてしばらくしたある日、アブ・ジャンダルがコンタクトしてきました。わたしのシリアへの渡航費用をかれがまかなったのだから、2千万ルピアを弁償しろと言うのです。しかし、かれが言った話は全部嘘っぱちだったのだから、わたしに弁償する責任なんかありません。だからわたしは、かれに1ルピアの金も渡さないで、かれを無視しています。
国民の皆さんも、どんなうまい話でシリアでの闘争に参加しようと誘われても、容易にそんな話に呑まれてはなりません。残した妻子がとんでもないことになって戸主の責任が果たせなくなるし、シリアでの過酷な暮らしは心身を蝕みます。インドネシアにいて、家族と一緒に正常な暮らしを営むことの素晴らしさはたとえようがありませんから。
2014年3月から9月までシリアのISISに参加し、その後帰国していたアフマッ・ジュナイディ別名アブ・サルマン34歳は東ジャワ州マランで2015年3月25日にデンスス88に逮捕された。かれの語ったISIS体験が上のようなものだ。ちなみにアブ・ジャンダルとは、去る2014年12月25日にアップされたユーチューブの中でインドネシア国軍ムルドコ総司令官と軍指導部及びナフダトウルウラマへの宣戦布告を表明した人物である。


「過激思想の防波堤」(2015年6月1日)
インドネシアを主体に東南アジアにおけるテロリズムのオブザーバーとして知られたシドニー・ジョーンズ氏は、「思想が過激化してラディカルグループに加わった人間からその思想を脱ぎ捨てさせて穏健化させることができた国はほとんどなく、インドネシアも例外ではないので、政府はテロリズム対策国家庁やデンスス88に依存するのをやめて、全政府機関・地方自治体・教育機関などが総出でこの問題に対処しなければならない」と強調した。ジャカルタ国立イスラム大学で2015年5月5日に開かれた『インドネシアにおけるISISの進展』と題する討論会の中でのこと。
たとえば、東部インドネシアムジャヒディンの頭目であるサントソはポソのあちこちで行なわれたテロ活動を率いたとして2011年から警察の指名手配がかけられているが、かつてかれに穏健化プログラムを試みたことがあった。ポソ県庁はかれに役職と資金を与えたが、サントソは自分のグループ内の部下への給料にその資金を使い、またラディカリズムの顕著な活動の資金にした、とジョーンズ氏は例を引く。国家警察データによれば、サントソは2011年にパルで警官三人を襲撃して殺害した事件の首謀者とされている。2012年に一味はふたたび警察を襲撃し、2013年のポソ県警に対する自爆テロに直接関与した。
ラディカリズムとテロリズムの拡大を食い止めるためには、小学校でのプログラムから開始されなければならない。とはいえ、学校でテロリズムの悪影響を啓蒙する際に、ターゲットを間違えてはならない。それらの思想に惹かれる年若い生徒たちというのは普通の学校のほうにたくさんいるのである。プサントレンではないのだ。
それとは別に、ラディカリズムやテロリズムの拡大抑止に社会のコミュニティを参加させる方法も採れる。ソーシャルメディアに登場するフォロワーの多いライターが書くISIS賛美のメッセージに対して、一般社会から反論させるように誘導するのだ。この方法は効果がある。ソーシャルメディアだけでなく、過激派の色を発散させているサイトをおとなしくさせることも期待できる。このやり方のほうが、現在政府が行っているラディカリズム宣伝サイトをブロックするよりも優れている。政府は先に、そのようなサイトを20件、ブロックした。
ジャカルタ国立イスラム大学社会政治学部国際関係学教官も、ラディカリズム宣伝サイトをブロックするだけでは十分な効果が得られない、と語る。そのような事態に対処するためには、社会教育を行なうことだ。そのような思想を持ち、それらのグループに参加すれば、最終的にどのような結果に立ち至るか、ということを国民に教えなければならない。有害サイトのブロックはかえって別の問題を引き起こすことになる。インドネシア放送コミッションがそれらのサイトを報道サイトとしての条件不足のために認定できないといくら説明しても、その閉鎖措置に同意しない声はかならず出てくる。それよりも、ニュース内容を正しく選択する方法を国民に教えることのほうが、効果が高い。
同学部の別の教官は、ラディカリズムやテロリズムに関する知識を学校の教員たちはもっと身に着けなければならない、と言う。政府がそのポイントにどれだけ関心を持っているかということになると、ISISの思想に多くのインドネシア人が染まっている事実を見る限り、きわめてお寒い状況であると言わざるを得ない。政府はインドネシアISISの人間を捕らえただけであって、それ以上の対策の手を打とうとしていない。国民が持っている陳腐なものの見方をもっと先進的なものに入れ替えて、危険思想を国内で広めようとしているグループに対抗することが重要なのだ。
インドネシアISISメンバーの逮捕に関してジョーンズ氏も、闇雲に大勢を捕らえるのでなく、核になっている人間を絞り込み、また確実に法廷で有罪判決が得られるレベルの者を逮捕するやり方が採られるべきだ、とコメントしている。


「教育とラディカリズム」(2015年6月8・9日)
ライター: パラマディナ大学教育改革学院専務理事、全国教員組合執行部R&D議長、 モハンマッ・アブドゥゼン、
ソース: 2015年5月2日付けコンパス紙 "Pendidikan dan Paham Radikal"
高校の宗教の教科書にワハブ派の教えが盛り込まれていたというしばらく前の事件は、インドネシアのラディカリズムイシューを盛り上げた。やはりワハブ派の傾向を強く滲ませているISIS軍に参加しようとしてシリアに渡航したインドネシア人グループのニュースと、タッフィリの色合い濃いその教えが見つかったという報道がほぼ同じタイミングで世に流れたため、騒ぎはますます大きくなった。こうして国内ではテロリストと疑われる者たちをデンスス88が逮捕し、次いで国軍がポソ地域で軍事訓練を行って、そこを根城にしているサントソグループの追い込みに加わった。政府がラディカル思想を広めていると判断した19のインターネットサイトをブロックしたことで、このドラマは一層盛り上がっている。
インドネシア人が問題に対処するやり方は昔から変化がない。反動的・大騒ぎ・そしてことが終われば記憶のかなたへ・・・。教科書に妥当でない、あるいは危険をもたらす文章が入ったことは過去にも繰り返し起こっている。小学校の教科書に「カリパシル住人バンママンのお妾さん」の話が掲載され、高校教員用手引書にパンチャシラに替わるイデオロギーとして共産主義が記載されたりというように、ワハブ派思想が教科書に書かれていた今回の事件は決して目新しいものではないのだ。今やわが国の教育機関で活発化しているのはイズムばかりでない。暴力と不寛容のさまざまな行為も繁茂しつつある。政府が本気になって講じている予防手段や解決策はこれまであったのだろうか?特に、教育現場に携わるひとびとに行なわせるような形態でのものが。
< 包括的で持続的 >
教育の中で、あるいは教育を通して、ラディカリズム、もっと的確にはエクストレミズム、や暴力ビヘイビアを取扱う方法が反動的・部分的・感情的であってはならない。その方法は国民教育ストラテジーに則して計画された包括的で持続的なものでなければならないのだが、そのストラテジーはレフォルマシ時代に入って以来、無視されてきた。われわれは国内で激しい変化が生み出した新たなチャレンジに直面している。たとえば地方自治や生活のあらゆる相に及ぶ公開と自由化などといったことだ。さらに国外に対しても、グローバリゼーションや情報テクノロジーの発展に追随しているわれわれの眼前には、大衆に容易に影響を及ぼす宗教宗派に関連付けられた政治観念のさまざまな暴力衝突や抗争が姿を見せている。
われらの祖国で宗教色をまとった抗争は、これまでの伝統派とモダン派という古いイシュー(その対立はもはやあまり顕著でないものになりつつある)からスンニー対シーアという新たなイシューの場へと移っていくだろう。この進展は大きな危険をはらんでいる。なぜなら、それは現在激突している宗教政治イデオロギーの力学構造に直接つながっていくことになるからだ。真に宗教的で平和を愛好するインドネシア国民はその怖ろしい世界の動きをできるかぎり早期に、また完璧な形で国内に入らないように跳ね除けなければならない。インドネシア民族は国民教育の新しいコンセプトを必要としている。その中には、きわめて多様に構成されている全国民の共同生活にパンチャシラが絶対不可欠であることを国民に説得し、認識させることがまずあげられる。パンチャシラの価値観を「パンチャシラと公民教育」の中で国家行政の基本観念として教えるだけではだめなのだ。パンチャシラの価値観は科学化がなされ、より細かく体系化され、すべての教科の中に組み込まれなければならない。
パンチャシラをイデオロギー化し、その解釈を強圧的に単一原理と「パンチャシラ精神と実践ガイド(P4)」の36項目を通してドクトリン化したオルデバルが崩壊して以来、パンチャシラはまるでシニシズムの壁にまとわりつかれたようだ。1947年以来国民教育原理に置かれてきたパンチャシラは、レフォルマシ期に入ってその科目としての姿を消した。国民教育システムに関する2003年法律第20号からパンチャシラ教育は削除され、その前の国民教育システに関する1989年法律第2号からの断絶が起こった。そのため、2004年の能力ベースカリキュラムと2006年の教育ユニットレベルカリキュラムの中で「パンチャシラと公民教育」はただの「公民教育」に変化している。
次に、国民教育は地理的宿命に対する認識や誇り、そして未来の文化や国家の命運に対する責任を盛り込んだものにならなければならないこと。インドネシアの地理的ポジションは、空と大地と水という自然の中にあるさまざまな恵みをその住民にもたらしてくれる。この大地はバラエティに満ちたフローラとファウナばかりか、さまざまな種族と文化をも育んだ。それは大いなる恵みであり、偉大さであると認識されるべきだ。ところが教育企画者たちは、基盤も性格も異なる外国先進諸民族に対する競争にばかり目を奪われている。
わが民族固有の自然や文化の長所を探査し内面化し、自由・恒久平和・社会公正を踏まえた協力の前提条件としてオファーできる誇りとパワーに化すことを教育は怠っている。国民教育は強い精神・責任感・多様性を恵みとする視点などを備えた国民を輩出するべきものであるというのに、それとは正反対な精神的小人や腐敗者、そして外国の産物や卒業証書をありがたがる劣等感人間をわれらの教育は生み出し続けているのだ。
< 建設的パワーと解答 >
三つ目、国民教育の構図の中で、宗教教育は宗教姿勢を穏健化させる方向に向けられなければならない。つまり国民を有用性のより高い、優れた社会構成員に育成する、という視点だ。宗教は生活を幸福にする建設的なパワーを持つ解答として公式化されなければならない。生活に負担をもたらして悲惨なものにする破壊的パワーの源泉にしてはならないのである。宗教関連で急進的あるいは過激的な姿勢が出現するのは、個人が家庭・学校・世間で接した教えによって植えつけられたネガティブな方向性を持つ宗教理解に起因することが多い。
ひとつ、神を峻厳なものというイメージで捉える。ドイツ人神学者ルドルフ・オットー(1869−1937)はその著「聖なるもの」の中で信仰者が持つ神の観念をこう結論付けた。「ミステリウム トレメンドゥム エ ファシノスム」つまり神秘であり荘厳で身の毛がよだつ存在であると同時に魅了するものでもある、という内容だ。宗教学習においては、往々にして神は怖ろしいものという印象を与えるケースが多く、宗教ビヘイビアはフォービア・萎縮・センシティブ・反動的な表現に傾きがちになる。そのような精神状態は憤怒やアモックに誘導されやすい。ふたつ、信仰心と知性というふたつの領域に強いディコトミーをあてはめる傾向。宗教とは人間の知性ではたどりつけない信仰心の領域なのだ、という説明をよく耳にする。この対立的な分離は、神や信仰の名において残虐性を発現させる不合理な振舞いやファナティズムに正当性を与えるものになる。
みっつ、エスカトロジーイズム(終末論)を重要視する結果、宗教とその勤めは死後の世界における幸福に重点が置かれる。この姿勢は現世における貧困・無力・抑圧の維持継続を助けるものになる。なぜなら、この地上に繁栄する生活を打ち立てることなど本気で行なわれないのだから。よっつ、全能の神と個人の宿命という観念に関する教えは、自分の身にふりかかるものごとを諦観視し、運命論者型姿勢を個々人の中に育てていく。人間は単なる将棋の駒で、その人生を通して自分では変えることのできない宿命を実践していくだけだというのだ。このような結論は努力の扉を閉ざしてしまうばかりか、犯罪にかれを導くものとなる。罪悪感も抱かずに汚職を行なう者のように。
宗教学習のアプローチとオリエンテーションは、現世における人間の必要性という視点を強調した、もっと人間中心主義的なものにされるべきだ。ひとつ、神の愛と慈しみに関するポジティブなイメージを形成すること。ふたつ、宗教心とはまず健全な知性を土台にすること。神が人間に宗教を与えたのは人間が叡智をもっていたからであり、教義のひとつひとつは人間の知性が澄んでいることを前提条件にしている。宗教ドクトリンのすべてが論理的経験的に検証できないものであるとしても、生徒たちには宗教の名を伴った情報のひとつひとつを知性の光で捉える習慣をつけさせて、迷妄の世界に引きずり込もうとする教えや勧誘を弁別できるようにしなければならない。
みっつ、宗教とはこの世における生活のための指示・決まり・コンセプト・処方箋であるということを教えること。神が語った終末論は、現世の営みを終えた人間に与えられる新たな役割と責任に関する神学的概略を知らせているのだ。だから、人間の諸パワーの上位でトータル的に神を担って運営する宗教というものが過激で破壊的なパワーと化してこの世の魅力を損なうことのないよう、くれぐれも警戒しなければならないのである。
よっつ、運命を改善させる努力を払う義務を確信させること。神の(代理者である)カリフとしての人間は、単にこの世に適応するよう運命付けられたのでなく、この世を変化させて文明を勃興させる務めも与えられた。人間は自分の運命を変化させる力があることをさまざまな文化が示している。人間がひとたびその努力を始めたなら、神は人間の運命を変えていくのである。最後に、宗教は全人類にとっての恵みだということ。もしそれが災いをもたらすなら、われわれが行なっている宗教の意味付けと実践のどこかに間違いがあるということなのだ。


「アラブ=イラン二極構造を超越する」(2015年6月10・11日)
ライター: マアリフ研究院専務理事、 ファジャル・リザ・ウル・ハク、
ソース: 2015年6月6日付けコンパス紙 "Pendidikan dan Paham Radikal"
アフガニスタンにとってインドネシアは興味深い研究対象だ。平和的な政治システムの移行を通してデモクラシーとイスラムの融合に成功している実績がその第一の理由だ。
アフガニスタンのデモクラシー活動家、カワ・アサハンガル氏のその言葉は、2015年5月5〜7日にコロンボで開かれた「イスラムとデモクラシーワークショップ」にゲストスピーカーとして訪れたわたしに直接かれが語ったものだ。カワ氏は、2001年9月にアルカイダに殺害されたアフガニスタンムジャヒディンの有力者、アフマッ・シャ・アソウッ氏のいとこにあたる。アソウッ氏は戦争司令官となってかれらが自称する「ムッラーの国」からソ連軍を追い払うのに成功した人物だ。かれがタリバンとアルカイダに敵視されたのは、かれがデモクラシーを信奉していたことも要因のひとつになっている。
選挙システムのための国際財団とサーチフォーコモングラウンド(SCG)が共催したそのワークショップには、モルディブとスリランカのイスラム界から総選挙とデモクラシーの活動家たちも参加した。イスラムを公式宗教としているモルディブでは、国民のほぼ百パーセントがムスリムだ。
スリランカでは、国民の82%がシンハラ種族、スリランカタミール4.3%、インディアタミール5.1%、スリランカモロ7.9%という種族構成になっている。マジョリティを占めるシンハラ族は種族的居住域が硬直的でなく、他種族と融合している。仏教徒がほとんどのこの国も、長期に渡る種族抗争が残した人権問題の決着と種族間の和解をいまだに模索し続けている。
ムスリム人口が国民の三分の二を超えているインドネシアにパンチャシラという国是が存在していることが、その二国のデモクラシー派のひとびとを感嘆させた。インドネシアの民主主義的国民生活の姿は、これまで中東地域外での理想の国とムスリム世界が位置付けてきたマレーシアとは別物である、とかれらは評価した。
スリランカとモルディブ地区SCGオフィス理事のムハマッ・ナワス氏は、シンハラ族=仏教徒がマジョリティを成しているにもかかわらず、地元のムスリムコミュニティは自分たちがイスラムの国に住んでいるように考えている、と述べている。他面、過激グループ『ボドゥバラセナ』のアンチイスラム感情は2014年6月の暴動を生み、種族=宗教関係に緊張をもたらしている。多様性と対等性を基盤に置く公民行政という構図の中で種族と宗教の違いを調整するインドネシアが行なってきた諸経験はスリランカのような国にとって、有益な参考資料となるにちがない。
< 新しい書物 >
ムスリムを抱える国々におけるイスラムとデモクラシーの研究は、オリバー・ロイとジル・ケペルの論説に見られるように、依然として中東や南アジアの歴史と地政学的影響が重きを占めている。しかし最近(2013年)アルフレッド・ステパンは、パブリック空間で宗教と国家の協働をサポートする政策を実施していると見られるインドネシア、セネガル、チュニジアにデモクラシーが出現している現象に目を向けた。ムスリムがマジョリティを占めている国で、シャリアを国の実定法に据えてイスラム教を国家の公式宗教にしているところはひとつもない、とステパンは述べている。
歴史的社会学的に、中東地域の外で発展したイスラムは、スリン・ピツワンの言を借りるなら、『裏庭』であって依然としてイスラム世界の歴史における脚注としてしか扱われていない。サウジアラビアのメッカとマディナというふたつの聖地の存在が宗教権威センターとして制度化され、それをサウジアラビア政府が政治の額縁にはめた。
アヤトラ・ホメイニ師の指揮下に起こった1979年のイラン革命は、中でもその革命精神の国際化という要素をもって、サウジアラビアを頂点とするイスラム政治体制に深刻な脅威をもたらした。サウジアラビアと米国の同盟は、イランの政治的影響力をカットすることだけでなく、サウジアラビア寄りのパワーを増強させる点でも、中東をはじめ南アジアのパキスタンのようにアラブ諸国の実権者に自由を与えた。
宗教的政治的二極間の緊張というコンテキストにおいて、インドネシアが中東における抗争の渦に巻き込まれないようにすることはきわめて重要である。それどころかインドネシアは、21世紀におけるイスラムの伝統的価値観である「あまねく愛」のお手本になるチャンスを秘めているのだ。インドネシアの政治社会資本がそれを約束している。ムスリム国民を擁する世界の各国は、インドネシアが政治危機を成功裏に乗り越えて、イスラムを否定することなく、民主的政治システムを打ち立てた実績を評価している。
今日そして明日のグローバルなイスラム像は、アジアとアフリカのイスラム諸国の発展がその姿の大部分を形作るものになるだろう。アジアとアフリカの両地域におけるイスラム人口の急激な増加はいささかも軽視を許さないものがあり、とりわけアジアには中国・インド・日本・韓国といったグローバルジオポリティクスに構造的バランスをもたらす地域戦略パワーが存在していることを忘れてはならないのだ。ピュー研究プロジェクトの調査は、2050年までイスラム教信徒の人口増は他の宗教信徒よりハイピッチであり、インドのムスリム人口はインドネシアを押しのけて世界最大になるであろうことを予測している。
サウジアラビアとイランの二極抗争が激化を煽っている中東地域の政治コンフリクトが長引けば、アラブとイランの敵対関係がインドネシアの宗教=社会集団に影響をもたらすため、インドネシアは深刻な脅威を蒙ることになる。アラブ半島からヌサンタラへのイスラム知識伝達の歴史的な流れは、今日に至るまでインドネシアでのイスラムの拡大発展に大きな貢献を及ぼしているのである。
< インドネシアのイスラム >
ムハマディヤとNUというインドネシアの二大穏健イスラム組織誕生のキーパーソンとなったアフマッ・ダフランとハシム・アシュアリは二十世紀初期に聖地メッカで研鑽を積んだ。一方、サウジアラビアのスンニーイスラム派とイランのシーアイスラム派の宣教活動はここ数十年間、インドネシアの諸イスラムグループとの間に活発な関係を築いている。
インドネシアムスリム社会が、セクト主義とヘイト宣伝の激化を伴うアラブとイランの二極政治対立によって互いを抹殺しあうに至る懸念が存在している。サウジとテヘランの両枢軸構造の罠の外に自らを置くという集合認識を持つのが、インドネシア民族にとっての賢明な選択であるのは明らかだ。セクト主義的過激主義政治思想に囚われない国益擁護というコンテキストに「自由闊達」という外交原理を織り込むことはきわめて重要なことなのである。
アフガニスタンのデモクラシー活動家が述べたような、ムスリム国民を抱える国々からの評価を得るだけにとどまらず、多極的な世界構造の中で筆頭書籍となる新たな書物を著述する大きなチャンスをインドネシアは持っているのだ。対等性・公正・差別の否定などを内容とするイスラム法原理に則したデモクラシーの価値観とツールをNGOグループとのシナジー下に制度化したインドネシアの経験を物語るために、政府外交のハードワークなくしては何も実現しない。
インドネシアはもはや、変化するグローバルジオポリティクスの中の『裏庭』などではなく、アジアでムスリム国民を擁する諸国のニューパワーを糾合する新枢軸となるのである。そのためには、はるか未来を見つめるビジョンを欠かさない真剣さが政府に要求されている。


「世界終末戦争の門口」(2015年11月23・24日)
2015年11月に花の都パリで規模を拡大して行われたテロ事件は、二週間ほどの間にISISが示し始めたかれらの戦略の変化を徹底的に印象付けるものだった、とのコメントが出されている。
エジプトの観光地から飛び立ったロシアのエアバス機を爆弾で墜落させ、レバノンで自爆テロを行わせ、そして今回のパリで同時多発テロを企画遂行した。それはもちろん、ISISが行ったものであるとの表明を肯定するのが前提になっているのだが、かれらが既に後ろ半分のISを脱ぎ捨ててしまったことをその一連の事件が示しているようだ。
つまりそのコメントによれば、かれらがこれまでシリアとイラクに限定して行ってきたテロ行為を、世界中のどこでも同じように行えるし、またそれを実行していくのだという意志を前面に押し出し始めたということらしい。ISISはシリアとイラクの領土を切り取って自分たちのカリフ国家を建設するという目的にこれまで邁進してきた。一方、アルカイダはそのような領土的意欲を持たず、地下にもぐって欧米を標的にするグローバルテロを継続している。ISISはこれまでせいぜい、敵対国に住むシンパにローンウルフ的テロ活動を奨励して打撃を与えるよう不特定で非組織的な指令を出していただけだ。
ISISが示し始めた変貌は、アルカイダとISISの間にあった差異が狭まりはじめたことを意味している。ハレーム・ガンビル氏は、その変貌は2014年6月ごろ既にはじまっていたと語っている。そのころ、ISISは三つの路線を採択した。シリアとイラクでの戦争を行いつつ、他のエリアで地域的な紛争を活発化させること。中東と北アフリカで軍事作戦を実行できるジハーディスト組織との関係を構築すること。ISISシンパに西洋世界への攻撃を実施させるべく鼓吹と支援を与えること。ガンビル氏はその目的を、グローバルな終末戦争に向かうためではないかと推測している。かれはそれをアポカリプティックウオーと表現した。
中東と北アフリカの諸国で各地のジハーディスト組織が新しい州を設立したとISISは公表している。かれらが挙げた国名はアフガニスタン・アルジェリア・エジプト・リビア・ナイジェリア・パキスタン・サウジアラビア・イエーメンであり、そこはISISに忠誠を誓う組織がISISと緊密な連絡を取りつつ支配しているのだ、と。ISISはもはやイラクとシリアのISではないのだ。
かれらがパリで示して見せたことはパリという舞台を使って示したモデル行動にすぎず、かれらは今や、それと同じことを世界のどの都市ででもできるのだと公言している、というように今回の事件を受け止めるべきなのかもしれない。
単にムスリムが国民のマジョリティであるからということでなく、ISISのリスクを慮ってジャカルタがそのような舞台に使われることを懸念する声が各国の駐ジャカルタ外交筋からあがった。ISISの基盤が完璧なイスラム文化に置かれていることは言うまでもないが、ISISの名前を掲げてテロを行ったムスリム移民の二世三世たちをファナティックなイスラム教徒であると誤解してはならないだろう。15年1月のシャルリー・エブド襲撃テロも、11月の同時多発テロも、実行犯たちは酒を飲み、婚外セックスを行い、礼拝などほとんどしない者たちだったことが指摘されている。
その実行犯のひとり、フレデリック・ジャン・サルヴィ通称アリ41歳が2015年に数回、西ジャワ州バンドンを訪れていたことが今インドネシア国内に不安を呼ぶ話題になっている。
その証言が出たのは、バンドン県チルニ郡チルニウエタン村にあるプサントレン「アルジャワミ」の指導者からで、アリは2015年に四回にわたって三週間ごとにそのプサントレンを訪問した。本人はフランス生まれのムスリムで、モロッコ人の妻とふたりの娘が毎回同行している。
一行がプサントレンを訪れるときはインドネシア人の青年が付き添って来たが、自己紹介もせずに一行をプサントレン側に預けるとすぐに帰って行ったそうだ。
プサントレンでは過激な言動は一切なく、サントリたちにも穏健なムスリムの務めを果たすように奨めていたため、プサントレン指導者はその男がテロ実行犯のひとりだったことに強いショックを受けたと話している。
だったら、アリが何のためにインドネシアへやってきたのか、という疑問が湧く。国家警察が持っている情報によれば、アリはかつてバンドンに在住して過激派グループの指導者の一人、アマン・アブドゥラフマンに師事したそうだ。アマンはアチェ特別州アチェブサール県ジャント地区ジャリン山地の山奥でテロリストの戦闘訓練を行っていたために逮捕され、2010年に入獄9年の判決を受けて中部ジャワ州チラチャップのヌサカンバガン刑務所で服役している。
今回のパリ同時多発襲撃テロ事件のあと、インドネシアサーベイサークルが6百人の回答者に対して11月15〜17日に行ったサーベイで、あの事件がインドネシアで再発することを深く心配している市民は84.6%に達した。その心配はインドネシア在留外国人のほうがもっと深いにちがいない。在留外国人の保護にあたるべき駐インドネシア外国公館がインドネシア政府の対応に関心を抱くのは言うまでもあるまい。
各国大使館から五月雨式にやってくる質問を受けて、首都警察長官は11月18日に各国外交筋を首都警察本部に招いてテロ対策治安説明会を開催した。この説明会にはテロ対策専門家シドニー・ジョーンズ氏も列席して最新状況に関するコメントを添えた。今のところ、パリで起こったようなテロ襲撃がジャカルタで起こる兆候はない、と長官は言う。
「ジャカルタは安全だ。しかし警察は高いレベルで警戒態勢を敷いている。テロが起こるのは、テロリストが実行の意志を持ち、それを行うチャンスがある、という要因だけでなく、テロリストにそれを行うキャパシティがなければならない。
インドネシアにもテロリストはおり、かれらはテロを行う意志を持っており、そして実行のチャンスもあるだろう。しかしキャパシティがない。だからと言って、警察がかれらを軽視しているわけではない。現場にいる諸機関の要員はみんなネットワークを把握しており、警戒を強めている。」首都警察長官はそう説明会で表明した。
ISISがインドネシアで行動を起こそうとした事件は既に起こっている。中部ジャワ州ソロのテロリスト細胞が去る8月、ISISに参加しているインドネシア人から行動の指令と資金を受けた。その動きは国家諜報部門と警察反テロ部隊が先手を打ったために事なきを得ている。
ISISに加わっているインドネシア人は祖国をカリフ国家にすることを夢見ており、それはISISの方針に則していることだ。そのために、現在のインドネシア政府に打撃を与えて政権を転覆させようとする動きを過激派インドネシア人が採るのはきわめて必然性の高いことがらであり、国家経済を観光収入の面から痛打しようとすれば、バリ島が標的のトップに上がるのはまちがいあるまい。バリ島が非イスラム圏だからとか、バリ島に来る外国人観光客を狙って、というような動機は、その構図の中で見るならほんの皮相な見方でしかない。
シドニー・ジョーンズ氏も首都警察長官の説明をバックアップした。
「警察は既に大勢の人間を逮捕しており、テロリスト側のキャパシティはない。しかしながら、テロリスト細胞やネットワークは徐々にプロに成育していく。なぜなら、そのメンバーの中にシリアでISISに加わって経験を積んだ者が既に帰国して混じっており、またこれからそういう者が増加していくのが確実だからだ。2009年以来これまで、かれらの能力はあまり高くなかったために続々と逮捕されてきた。しかしISIS内における実体験を経て高度に訓練された者たちが戻ってくることは、明らかに予想される。」
首都警察長官によれば、ISISに参加することを目的にしてシリアに入ったインドネシア国民は385人おり、54人が戦地で没し、47人が帰国した。そしてシリアへ行こうとしている国民が59人いるとのこと。「現実にISISに加わったインドネシア国民はもっとたくさんいるだろう。上の数字はわれわれがアイデンティティを把握している者の人数だ。テロリストのキャパシティが高まるのを防止するためには、テロを疑わせる不審な行動を見聞したとき、すべての市民が物怖じすることなく警察に通報してくれることが一番効果的なのであり、ダイヤル110番の警察への電話通報や、警察が用意している他のあらゆるソーシャルメディアを通して市民から通報が寄せられることを警察は期待している。」
反テロ国家コミッションの最新情報では、ISISに参加して帰国したインドネシア国籍者は149人で、その中にはISISの実態に失望した者もいれば、またシリアに戻りたいと言っている者もいる。インドネシアは反国家活動に関する法律を改定しなければ、ISIS帰りのテロリストを法律違反者として扱うことができない。
首都警察長官は続ける。「インドネシアは今現在、テロ襲撃危険地域に関してレッドゾーンにはなっていない。またISISを撲滅するための軍事連合にも直接的な参加を行っていない。「だからといって、警戒を緩めることは許されない。アフガニスタン戦争の際にも、インドネシアは連合軍に加わらなかったが、テロの被害を蒙っている。インドネシアにカリフ国家を樹立したい勢力は、違うイデオロギーで動いているのだから。」
ジャカルタの対テロ治安対策については、首都警察はパリの事件発生後、ジャカルタに厳戒態勢を敷き、各国大使館をはじめ、首都の重要施設に配備要員を増やして警戒レベルを高めている。また各国大使館に対しても、内部保安体制の強化を要請した。駐インドネシアフランス大使は首都警察の従来からの反テロ治安行動の成果と迅速な警戒態勢強化を高く評価していると表明した。


「インド洋を小船で渡る?」(2015年11月25日)
ナングロアチェダルッサラム特別州の北端サバン港から小さな漁船でインド洋を渡り、中東へ行こうとしていた8人のインドネシア人ムスリムが地元警察に逮捕された。その8人は南スラウェシ州ゴワ住民でジュマアアンナジルというイスラム教団に所属し、グループリーダーのスルタン・ロテン、スルタン・ダエン、ダルワニ・ダエン・ジネ、アブ・ヌール・アラソイフら大人の男4人女2人と子供ひとり、そして赤児ひとりから成っていた。
アチェ人の船がインド洋をわがものとし、インドの諸港から紅海に至る広範なインド洋北岸一帯を、コショウを運搬し他の交易品を持ち帰るために往来していたことは、アジアの香料貿易を奪い取ろうとして16世紀ごろそのエリアを蹂躙していたポルトガル人の記録に残されている。
ポルトガル人は昔から行われていたアジアからベネチアに至る香料ルートにふたをし、ヨーロッパ市場でベネチアが持っていたポジションをリスボンに移すために、東インド〜インド〜ペルシャ〜紅海〜地中海東岸というパイプラインに香料を流し込むべく動いているアジアの運送者をことごとく叩き潰そうとしていた。かれらは紅海でインドのグジャラートやスマトラのアチェの船を目にしている。ポルトガル軍船はグジャラート人やアチェ人を海の藻屑にしようと襲い掛かったが、アチェ人の操る船は実にすばやく動き回り、戦闘の巧みさも手伝って、ポルトガル船が戦果をあげるのは稀だったそうだ。だから、ゴワ人一行がアチェ人の海上航行に信頼をゆだねたことがわからないわけでもない。
インドネシアから中東に向けてムスリムがひそかに出国しようとしていると、すわISISシンパのテロリストか、と見るのが昨今の常識になっているが、警察がその一行を取り調べたところでは、どうやらISISもテロリストも関係のない、神秘主義に凝り固まったムスリムたちであるとの見方が強まっている。
一行のリーダーの供述では、子供の体内に宿っている聖霊が夢の中でお告げを与えたとのこと。その聖霊はパレスチナに連れて行くよう命じ、パレスチナでそのあと取るべき行動を教えると伝えたそうだ。
もちろん、その話を信じるかどうかはひとと立場による。デンスス88反テロ特殊分団はかれら8人をマカッサルに護送し、南スラウェシ州警察に引き渡した。州警察はかれらを取り調べることもなく、それぞれの自宅に帰しており、州警長官は「かれらはテロリストではない」と断言している。一方、その成り行きと警察の甘さを批判する声も小さくない。


「パリのテロ事件はダエシュの罠?」(2015年11月26日)
ソース: 2015年11月17日付けコンパス紙 "Bom Paris dan Ancaman Teror di Indonesia"
ライター: 財団法人「平和の碑」発起人、ノール・フダ・イスマイル
12人を殺害したシャルリー・エブド誌オフィス銃撃テロ事件からまだ一年も経過していないというのに、2015年11月13〜14日、パリは再びテロに揺さぶられた。今回はコスモポリタンなパリ民衆の自由のシンボルであるスポーツスタジアム・コンサートホール・レストランがコーディネートされたテロの標的になり、少なくとも129人が生命を落とした。このテロ攻撃はこれからのイスラム世界と西欧の関係にどのような影響を投げかけるのだろうか?類似のテロ行動がインドネシアをも襲いうるだろうか?
その疑問を提示するのは、ふたつのファクターから妥当性がある。ひとつ。テロ行動が発生するたびに、イスラム社会、西欧諸国に暮らしている者は特に、テロリズムはイスラム教が生んだものではないという、自らの宗教を弁護する負担を強いられてきた。テロリズムとは政治を目的として一般市民に振るわれる暴力行為だ。ダエシュ(イスラム国)を含めて、暴力行為者は頻繁に宗教の名を騙っている。カンボジアでクメールルージュを率いたポル・ポトのような反宗教レジームでさえ国民に対するテロを行い、170万人を殺した。
ふたつ。インドネシアは1950年代のダルルイスラム以来、パンチャシラを国家原理に置く政府に向けられた長い抵抗の歴史を持っている。今日までも、全国に散らばったダルルイスラムメンバーの一部の間で、イスラム国家の下に生きることのイメージは確固として維持されている。現在、イラクとシリアのダエシュに参加している4百人超のインドネシア国籍者がかつてダルルイスラムの拠点をなしていた地方の出身者であったことは驚くにあたらない。
実際、ダエシュが出現したのは、相互にからみあった三つの現象の混合物のゆえだ。まず、2003年にアメリカが行ったイラクに対する不法侵略。その侵略は世俗的なサダム・フセインレジームのくびきからイラクの民衆を「解放」した。次に、サダムに交代したシーア派のアメリカ製傀儡政権がスンニー派マジョリティに対するシステマチックな差別を行い、ISI(イラクのイスラム国)を生んで、アブ・ムスハブ・アザルカウィに率いられたアメリカの侵略に対するイラク民衆の局地的抵抗運動を興させた。ザルカウィは1980年代のアフガニスタン戦争の従軍者であり、きわめてアンチシーア派であるアルカイダと親交が深い。三つ目、シリアで内乱が勃発したとき、ISIはシリア国内に向けて拡張を行い、ISIS(イラクとシリアのイスラム国)に名を変えた。アルバグダーディが2014年6月に、イラクとシリアのダウライスラミヤ(ダエシュ)という新国家樹立を宣言した。
< 歴史のトラウマ >
上述の政治構図の複雑さから、イスラムは脅威をもたらし続ける異宗教であるという見解を西欧世界がイスラムに対して持ち続けるのは十分でない。イスラムは8世紀以来ヨーロッパの中に存在し、北米にはアフリカの奴隷と一緒に16世紀に入ってきた。イスラムはキリスト教やユダヤ教と共に、西欧文明のひとつの柱をなしている。
コロンビア大学の歴史家リチャーズ・ビュリーはイスラムを開かれた文明であると書いている。1300年代から1900年代までの時期に、南部ムスリム現象が起こったことがそれを示している。その時期、西欧地域・南アフリカ・北インド・東南アジア・中国にまでイスラム化の波が押し寄せた。西欧へのムスリム移住が異なる特徴を持っていたことをその現象は示しているとビュリーは見ている。皮肉なことに、イスラムに関してサウジアラビアのワハブ運動のような保守的でピューリタン的なイメージを持ち続けた西欧世界は移住者の声をあまり聞こうとしなかった。
< フリーランスジハード >
イスラム世界の一部ムスリムが西欧に対して常に疑ってかかる姿勢を持っていることは否定できない。その姿勢はイスラム諸国の外交政策に対する拒否の形で示される。しかしその拒否は因果関係のゆえでなく、歴史のトラウマとして読み取られなければならない。半世紀以上も前からイスラム諸国の王や大統領たちは、どんなに暴君であろうとも、西欧世界に利益があると思われるかぎり西欧諸国に支持されてきたのだ。
それがゆえに、パリのテロ襲撃の報復として西欧諸国連合がダエシュに対する大規模な軍事行動に入るなら、西欧はダエシュが描いている一大ストーリーの罠にはまることになる。そこには西欧諸国連合対イスラムというデザインが描かれており、もともとダエシュに対してシンパティックでなかったイスラムグループをかれらの側に引き寄せる作用がそこから期待されている。その一大ストーリーはダエシュがバーチャル世界でシステマチックに構築してきており、世界にジハード運動を起こすことを渇望している数百万人の若者たちへの呼びかけがツイッター・フェイスブック・インスタグラム・ユーチューブを使って行われている。言うまでもなく、インドネシアの若者たちもそのしぶきを浴びている。若者たちは常にオンラインで日々を過ごしているのだから。
パリのテロ事件がインドネシアで若者たちを類似の行動に向かわせる可能性を否定することはできない。ダエシュのスポークスマン、アラドナニは昨年ファトワを出し、どこにいようがそこにダエシュの敵がいるなら攻撃せよと命じている。ダエシュのストーリーを叩き潰そうとする国家政府と市民社会の対応はいまだにかすかなものでしかない。今インドネシアのジハードグループは親ダエシュと反ダエシュに分裂しており、先輩たちのその状況に怒りを向ける新人たちが既存グループに不信を抱き、シリアやイラクへ行って参戦できない立場を不満として、小グループによるフリーランスジハードを出現させる可能性が生じている。かれらは新しいリーダーを持ち、まったく新たなメンバーを集め、闘争のパターン・ターゲット・ロジスティック・防衛メソッドなど、既存の観念を覆すようなサプライズを起こしかねないのだ。


「若者とラディカリズム」(2015年11月27日)
ソース: 2015年11月4日付けコンパス紙 "Anak Muda dan Radikalisme"
ライター: インドネシア社会学政治学部社会学科教官、アンディ・ラフマン・アラムシャ
過去二十年間に、インドネシアを含む世界各地で、生活のあらゆる面で唯一の基盤に置かれるべき「純粋」な宗教教義への回帰を基本観念とする宗教ラディカリズムが強まった。興味深いのは、その現象に関わっている者たちの多くが17〜40歳という若い年代層であるということだ。
心理学上のアプローチからは、子供時代からおとなへの移行期に往々にしてさまざまな不安に見舞われる、若者に特徴的な精神上の問題だとそれを見ることができる。その問題に確定をもたらす解決策としてラディカルな教義が提示されたり、あるいはさまざまなソースから若者たちが得るラディカルな教義の捉え方が原因だという意見もある。
怒涛のような情報通信技術の発展で、かれらはますます容易にさまざまな解釈を手に入れることができ、さらにはまた、情報通信技術の発展と向上した交通インフラや交通機関のおかげで、ラディカルグループと若者たちとの接触が密度を増しているせいだとする意見もある。
若者の間で宗教ラディカリズムが拡大している現象にそれら三つのファクターが関与しているのは確かだが、この現象にとっての決定的要因ではない。その主要因は、プレカリアートを形成させる社会状況を生み出した工業化=モダン化なのである。
< 巻き込まれやすい >
スタンディングによれば、プレカリアートとは一般的に仕事や生活が安全・安定・確実さに欠け、心理は怒りに覆われる傾向が高く、確実な人生の手がかりを持たず、生活から疎外され、急進的な組織や活動に関与し勝ちなひとびとを指している。
インドネシアでプレカリアートの特徴は、フォーマル分野であれインフォーマル分野であれ、インフォーマル化(パートタイマー、契約社員等々)が起こったさまざまな職業の中に見出すことができる。正確なデータを得ることはきわめて困難だとしても、インフォーマルセクター就労者53.6%、非フルタイム勤労者31.2%という数値は、プレカリアート層の巨大さを示すものだ。インドネシア国民人口のマジョリティが、そして勤労者の大部分が、若年層で占められていることを思えば、プレカリアートのほとんどが若者であるのは推測に難くない。
ヤングプレカリアートは工業化=モダン化、特にオルデバル期のそれ、の産物だ。かれらは比較的教育があり、移動性を持ち、妥当な社会ネットワークを持っており、失業者や乞食たちよりも高い生活レベルと未来への夢を希求している。しかし、限られた求人市場で仕方なく選ばざるを得なかったかれらの職業は、かれらが暮らしの中に求める種々の欲求を満たす適切な保証を与えず、ましてや夢の実現など夢物語でしかない。おまけに、かれらに職を失う日が訪れたり、望む所得とは大違いな賃金を与えられることもある。かれらに保証を約束しようとして国が手を差し伸べることもない。この状況はヤングプレカリアートたちにさまざまな心理状態を出現させる。中でも、今現在と将来にわたっての生活の不確定に対する不安感だ。
そんな社会的心理的状況にラディカル教義が回答をもたらす。どうしてそれが起こりうるのかということの理由はいくつかある。聖書の言葉に対する神学上の白黒の解釈を踏まえて、ラディカルな教義はどうしてかれらが現在の立場に陥っているのかについての理解(純粋な宗教を遂行していない)、行わなければならない解決方針(純粋な教義に則した秩序)、それを実現させるために会得しなければならない種々のライフスキルと姿勢(純粋な教義に対する深いコミットメント、聖戦、等々)、をかれらに与えるのである。
更にその教義でも成功がもたらされない場合には、来世でよりよい褒賞が与えられるという観念を伴う深いコミットメントとしての、神聖さにおける失敗という解釈が与えられる。そのような白黒がはっきりした解釈は確定を必要とするヤングプレカリアートにとって必要であり、また魅力的なのだ。
宗教ラディカリズムの推進者は種々の宗教活動、社会奉仕、零細ビジネスネットワーク、人気のある言説、わかりやすい言葉、などを通して、ヤングプレカリアートの日常生活に密着している。穏健派宗教界自身はエリート臭ふんぷんたるエリート政治に忙しく、選挙のときだけ大衆に近づく政治家、忠誠と能力の問題と格闘する公職者、そして常に手続き問題で大忙しの大人たちで成っている。
宗教ラディカリズム問題は、ヤングプレカリアートを繁茂させている工業化=モダン化を再整理することでしか、解決することはできない。そのような整理が行われないなら、インドネシアにとって宗教ラディカリズムは今現在も将来も脅威であり続けるだろう。なぜなら、インドネシアの人口は大部分が若者で占められているのだから。


「イスラム的の定義とイスラム度の高さ」(2015年11月30日・12月1日)
ソース: 2015年6月29日付けコンパス紙 "Mengkaji Ulang konsep Negara Islami"
ライター: シャリフヒダヤトゥラ国立イスラム教大学社会学政治学部教官、文化とヒューマニティのためのマアリフ研究院リサーチダイレクター、アフマッ・フアッ・ファナニ
ISIS現象は昨今、ますます顕著に報道されている。グローバル現象となったISISはローカルレベルでも、国家レベルでも、大きな影響をもたらさずにはおかない。
多くの国々で大勢のラディカルなイスラム活動家たちは、アブ・バカル・アルバグダディを新たな英雄、いやそれどころか、新たなカリフに祭り上げた。ISISとそのリーダーへの関心は多くのラディカル活動家たちにISISへの忠誠を誓わせ、ISISをこれまでイスラム界が渇望してきたイスラムカリフ機構の出現と思わせた。その結果、大勢の者がジハードを望み、続々とシリアのISISに参加していった。
国家レベルで見るなら、ISISに参加するというこの新型ジハード現象は深刻な問題を惹き起こしている。シリアへ行ってISISに参加する者はパスポートを無効にすると政府が脅しても、ISIS信奉者たちはそれを恐れる姿勢をあまり示さなかったようだ。かれらはあくまでもシリアへ走ったのである。一部の者は経済的動機で、またミドルクラスの者たちは信仰心への試練(ソラフディン、2015年)として。いくつかの面でアルカイダを乗り越えているこのISIS現象は、イギリス・オーストラリア・フランスなど世界の他の地域でも起こっているようだ。一部の者はISISに参加するために、そしてまた一部の者は伴侶を得るために、シリアに渡った。
< 議論を呼ぶ定義 >
この現象は議論の場をたくさん開いた。1980年代にアフガニスタンに向かったジハード現象のようなISISに参加することへの大きなジハード意欲の波とは別に、今やISISに乗っ取られてしまった感のあるイスラム国家あるいはイスラム系国家のコンセプトに関する定義と意味付けに関しても。ISISによれば、かれらのグループこそが、これまで諸方面が渇望していたイスラムカリフ機構を真に体現するものであり、かれらはいまだ言説の域を出ないヒズブッタフリル型やスピリチュアルな性質の強いアフマディヤ型のカリフ機構を批判している。
ISISによれば、かれらはもはや言説でなくて現実に多数の国を従えたカリフ機構を設けたのであり、国家がいずれもそうであるように、軍隊を持ち、領土を持ち、国家行政を行っている。このイスラム系国家形態に関するISISの定義を大勢が肯定し、世界各国のイスラム活動家がそれに従っている。
しかし上述のイスラム国家あるいはイスラム系社会に関するISISの定義は強い疑問を誘う。それは容易に論破されうるものなのだ。ディンワダウラ(宗教と国家あるいは宗教と政治が切り離せないものであるという)コンセプトを多くのひとびとが肯定しているとはいえ、そのコンセプトが唯一のものであるという合意には至っておらず、たくさんの批判に包まれている。アルクルアンとハディスは国家形態やイスラム系政府をスペシフィックに示したり命じたりしていないことをナジブ・アユビは強調した。預言者ムハンマッも臨終に際して、後継者を定めなかった。(政治的イスラム、アラブ世界の宗教と政治、1991年)
アリ・アブドゥ・ラジクやタハ・フセインなど他の思想家も、イスラムはひとつの国家を建設するよう命じてはいない、と表明している。ムナウィル・シャザリも、預言者没後に友人たちが行った後継者選択モデルは、完全に純粋な人間のイニシアティブとイジュティハードのみが基盤に置かれた、と述べている。なぜなら、イスラムにおける政治形態がどのように執行されなければならないのかということについての預言者からの指示も、またアッラーからの指示もなかったからだ。つまり、ISIS自身がイスラム国家を代表するものであり、他のすべてはイスラム系でない、というISISの主張は大きな不審を呼ぶものなのである。
それに関連して、ジョージ・ワシントン大学のシェヘラザード・S・ラフマンとフセイン・アスカリが行った調査報告は注目に値する。そのリサーチでは、イスラム協力機構参加あるいは非参加の208カ国国民のイスラム度が測定された。
そのリサーチは、経済・財務・政治・法曹・文化・社会行動など生活の諸分野に対して宗教が与える影響とその関与の複雑さを描き出すようにデザインされたものだ。使われたパラメーターは2010年のグローバルエコノミックジャーナルに発表された「イスラム系諸国はどれほどイスラム的か?」と題するリサーチに使われたもので、アルクルアンとハディスに由来する宗教上のパラメーターであり、(1)経済上のイスラム度、(2)リーガルガバナンスのイスラム度、(3)人権と政治上の権利のイスラム度、(4)国際関係のイスラム度という四相に焦点が当てられている。
興味深いのは、イスラム度がもっとも高い国はニュージーランドで、それにルクセンブルグ、アイルランド、アイスランド、フィンランド、デンマーク、カナダ、イギリス、オーストラリア、オランダが続いた。米国は25位、日本は29位、シンガポール37位。ムスリム住民の多い、いわゆるイスラム系諸国の間では、マレーシアが38位、クエート48位、バーレイン64位、ブルネイ65位、インドネシアは140位、リビヤ196位、イエーメン198位、スーダン202位などとなっている。
< 新たなコンセプトを目指す >
イスラム系国家のコンセプトを自分で作ったパラメーターで単一的に定義付けるのが不可能であることを、そのリサーチは示している。何よりも、現代の民族国家時代にすべての国は相互に結びつき、それぞれが個々に関係を有している。民族国家において、それぞれの国はすべて主権を持ち、互いに承認しあい、他の諸国と協力関係を打ち立てることが期待されている。それゆえに、ある国やその国民のイスラム度がどうであるかを測定するのに用いられるパラメーターはよくよく熟考されたものでなければならない。
イスラム自体の中にも、すべての者に有益さをもたらすことを目的にしているマカシダルシャリア(シャリア優先)原理が存在する。そのように、ある国ある国民のイスラム的というコンセプトは、シャリア優先原理と学術的に責任の負える現代世界で使われるパラメーターにあわせたものにされるべきなのである。
現在のような多数の国と民族で構成されているグローバル時代に生きるわれわれにとって、イスラム的な国・社会・町のコンセプトは再分析される必要があるだろう。イスラム的というコンセプトの意味付けは、ある地域やグループのムスリムにとってという狭いものにせず、グローバルなディメンションを持つもの(グローバルウンマー)とされるべきだ。新たなマカシダルシャリア原理は、保持するという要素ばかりでなく、発展をも含んだ意味付けがなされなければならない、とアミン・アブドゥラは述べている。(2015年)
その新たな意味付けにしたがって、イスラム的な国・社会・町のコンセプトあるいは定義がイスラム民衆に役立つものになるだけでなく、ユニバーサルなヒューマニズムの守護という方向性をも持つものになってほしい。グローバルウンマーの中で、平和と繁栄を樹立するためにムスリム大衆は多方面に有益性を与えるべきだ。そこにこそ、分析研究とその新たなコンセプトを立ち上げてイスラム度を測定するために使われるパラメーターの存在が必要とされている。


「テロリズムと失敗国家」(2015年12月7・8日)
ソース: 2015年11月28日付けコンパス紙 "Terorisme dan Negara Gagal"
ライター: シャリフヒダヤトゥラ国立イスラム教大学教授、コマルディン・ヒダヤッ
最近行ったユスフ・カラ氏との会話の中で、内容を深めてみるのに面白いことがらがいくつか上った。その中のひとつに、失敗国家とテロリズムの関係がある。
アラブ世界は中世の時代に世界の文明センターとして知られ、その後石油資源の源泉となり、そして昨今は流血の紛争地域となっている。
民衆は悲惨にあえぎ、大勢がヨーロッパに避難先を求めた。イラクのサダム・フセイン、リビアのモアンマル・カダフィ、エジプトのホスニ・ムバラクら畏敬され且つ恐れられた時代の雄たちの政治生命は痛恨の中に幕を閉じた。アフガニスタン、シリア、その他いくつかのアラブ諸国で混乱は果てしなく続き、失敗国家の罠に落ちている。
それらの諸国は基本的に豊かなのだが、政府と国民は貧困に陥り、互いに殺しあっている。このような政治的・経済的・心理的状況の中から、憤怒と憎悪のオーラに包まれたラディカルな人物が続々と出現するのはロジカルであるように思われる。かれらは祖国を失敗国家にした政府とそれに協力する外国勢に憤怒の炎を燃やすのだ。
インドネシアの紛争解決の経験とグローバルテロリズムの状況を観察したユスフ・カラ氏は国内外の著名テロリストの名前をいくつかあげ、かれらは最初ごろつき集団に身を投じた者たちだったと語った。国内が混乱していれば、若者たちの暮らしも混乱するということだ。異教徒に対抗することで罪をつぐなうと同時に天国への道を与えるジハードを奨める宗教的コンセプトや思想にかれらが出会ったとき、不明瞭で無益な自分のポジションが天国という褒章を伴うウンマー守護の英雄に転換するという運命変革のチャンスをかれらはそこに見出すのである。
自分が宗教や国にとって有意義な人間であることをかれらは望んでいる。かれらは自分が確信している宗教思想に頭脳と生命を捧げた結果、国家と自分の人生に失敗と紛糾をもたらした敵に復習するためにテロリズムの道を選択しているのだ。
テロリスト集団とは、世界で起こった生活建設の失敗や弱点を変革して死と背中合わせの勝利を獲得しようとしている者たちなのである。死は勝利に至るもっとも近い扉であり、もともと失敗者だった社会的ポジションを英雄に一転させることのできる道だ。もちろん、敵というものの区分を検討する際に、不合理な理由付けが行われる。かれらが失敗した祖国を守護しようとするなら、かれらはその結果をもたらした他の国をターゲットに置くことになる。
かれらは個々にものを言うのでなく、敵国を代表するとかれらが見なす集団あるいはかれらが憎悪する集団をシンボル化して攻撃する。こうしてテロリズムは、悪くない人間を痛めつけたり殺すことを禁じている基本的人権原理や宗教教義に違背することになる。
< ホロコースト >
テロリスト集団のこの狂った思想は、第一次大戦でのドイツの失敗に落胆と怒りを向けたアドルフ・ヒトラーの脳裏にかつて宿った。国家と民族を守護するために、世界の優れた民族であるドイツ人の威厳を取り戻すことをスローガンにして、かれは世に出た。ドイツの優位を再現させるために、かれはすべてのナチス党員に忠誠と内容が何であるすべての命令に絶対服従することを誓わせた。
かれは部下を洗脳し、民族浄化がそのピークとなってユダヤ人殲滅に向かう。ポーランドのアウシュヴィッツを訪れたとき、高圧電線で囲まれたユダヤ人を収容する建物、ガス室、ガス缶が山と積まれた倉庫、靴・メガネ・台所道具等々の山などをわたしは間近に見た。ドキュメンタリー写真が壁を埋め尽くし、ナチズムの残虐さへのイメージをかきたてた。
ホロコーストという名称のヒトラー時代の民族浄化をテーマにするミュージアムはたくさんの訪問者を集めている。イスラエルの国旗を持った若者グループが涙を流しているのを、わたしは見た。アウシュヴィッツに参詣するユダヤ青年らにとって、権力という名のイデオロギーメッセージが脳裏に焼き付けられたことは、大いに想像できる。どんなに小さかろうとも一民族が、単に技術・経済・政治のパワーだけで他民族から侮蔑を受けることはありえない。
ユダヤ人若者世代にとって、アウシュヴィッツ参詣はきっとサバイバルモチベーションへのリチャージングであるにちがいない。さまざまな時代と場所で支配者から虐待の苦しみを味あわされたユダヤ民族が、今度はかれらが支配者となっているパレスチナ民族に対してエンパシーを示さないのは残念なことだ。
最終的にヒトラーは1945年4月30日、敵の包囲下に陥って自決した。かれが天国と天使の影を見たかどうか、わたしには確信がない。宗教シンボルを売り物にするテロリズム心理とは大違いだっただろう。テロリストは死の向こう側に、より美しく永遠な別の生が与えられることを信じている。理想とする生を組み立てることができなかったと感じている若者の心をそれは容易に惹きつける。
中世にイスラムをシンボルとして世界文明の中心地となった中東が今では互いに争いあい、支配権と石油をめぐってヘゲモニー争奪を展開してボロボロになっているのは周知のとおりだ。中東はあたかもチェス盤のようなものだ。王となり黒幕となっているのは外国勢と協働している国内エリートたちであり、犠牲者である歩は、間違いなく同じアラブ民族で同じムスリムである小市民だ。顛末のはっきりしないこの戦争はアラブ諸国を失敗国家の淵に誘い込み、国民を苦難にさらし、未来を不透明なものにしている。最初彼らが崇敬し且つ恐れた有力者たちは、ひとり、またひとりと倒れていった。その絶望の中で、ジハーディズムイデオロギーは魅力的な誘惑となる。自分たちの生活を失敗させて苦難をもたらしているとかれらが信じている敵を攻撃するのだ。
中東の内戦で戦いあっている集団は、自らが神の道を歩んでいると信じている。自分たちが対峙している敵は、たとえ社会学的民勢学的に同じムスリムであっても、神の敵なのだ。神の道における戦争は確実に将来を約束するものであり、国内が混乱状態にあるため職業上のインセンティブを獲得するなどほぼ不可能に近いことに比べるなら、戦死すれば即天国に召されるという明確な論理を伴っている。
こうして、ゴロツキ界から脱皮した者たちは、それが贖罪の道であり、それによって社会から畏敬される人物になれることを信じて、テロリストネットワークに参加する。最初はただの路上犯罪者で警察の敵だった者たちが、今やグローバルな戦場で聖戦の闘士に一変するのである。他人の生命も自分の生命も廉価品でしかなく、天国への切符である死と交換される。現世における失敗に対する報酬がそれだ。
もちろん、それは宗教教義からかけ離れている。しかしこの毒のある狂気のロジックをかれらがさまざまなルートを経由して売っており、世界の多くの国々では社会的政治的に辺縁部に置かれた諸集団が魅力を感じて買っているのだ。
< いつ終わるのか? >
特にアラブ諸国がコンフリクトに明け暮れて、繁栄・正義・民族アイデンティティ確保などを生み出すことができないかぎり、その問いに答えるのは容易でない。かれらを統一してアラブ世界の痛苦を終結させることのできるアラブ有力者の出現をわたし自身が想像できないのだ。血塗られたチェス盤のように、支配者の各々が他の支配者をつぶそうとしているのだから。
アラブ域内の政治パワーも外国パワーも、すべての勢力が内省しなければならない。経済的に満たされたアラブの国にとって、かれらの需要は非物質的なものにアップする。たとえば結社や意見陳述の自由だが、王制はそれを好まない。イランやトルコがスルタンたちに快く思われていないのは、スンニー対シーアや世俗主義の問題に歪められたデモクラシー宣伝を行っているためだ。
石油資源を自分の支配下に置こうとして中東の政治チェス盤上のゲームに関わった外国勢も同様だ。かれらも平和と繁栄の創造に協力することをコミットしなければならない。さもなくば、祖国の混乱を目の当たりにしてフラストレーションに包まれた若者たちは、弱くて打破することの容易な外国勢に怒りを向けてくるだろう。
だからインドネシアは、テロリズムを繁茂させる結果をもたらす失敗国家の罠に絶対に落ちてはならないのである。反対に、インドネシアのイスラムは平和と文明を支持するものであることを示すのが、イスラム教徒国民がマジョリティを占める複合社会としての義務であり、しかも与えられたチャンスなのである。


「テロリストの性格」(2015年12月9日)
ソース: 2015年11月22日付けコンパス紙 "Kepribadian Teroris?"
ライター: インドネシア大学心理学教官、クリステイ・プルワンダリ
パリ市内の数ヶ所で行われた銃撃と自爆テロのあと、疑問の答えを見出そうとする討論が果てしなく繰り広げられた。襲撃者とは何の関係もない一般市民に対して、ひとはどうしてあのように野蛮な襲撃と爆破を計画することができたのだろうか?
心理学は、そのなぜという問いへの答えを与えるのにもっとも深いかかわりと責任を負っている学問のひとつだ。テロ実行者の頭脳と精神の中に、いったい何があるのだろうか?
恐怖と威嚇を撒き散らすために憐憫と友愛のかけらもないさまざまな戦略を実行するテロリストの行為がきわめてスペシフィックであるため、われわれはテロリストを均質であるかのように見なしがちだ。冷血で感情を持たない姿に接して一般的に出てくる見解は、精神異常あるいはパラノイド的性格障害などを病んでいる精神障害者ではないかというものだ。
< 非均質的 >
2005年にヴィクトロフは個人やグループのテロリストに関するさまざまな調査と論評を行い、その最後に次のような結論を記した。「テロリストというのは、われわれの多くが仮定し、あるいは予断しているようなものとは正反対の、不均質で雑種的な集団なのではないだろうか?かれらは、これまでわれわれが認知していたようなカテゴリーの精神障害を病んでいるのでなく、非合理的な人間でもなく、反対に戦略を熟成させ、計画を練り上げ、それを実行することのできる者たちなのだ。」
グローバルレベルで名を知られる大きい運動を行っているグループは宗教関連のラディカリズム・ファンダメンタリズム型グループだ。しかし世界の各所で行われた研究で実際には、社会革命型・右翼型・ナショナリズム分離型・過激宗教型・特定テーマ型などさまざまなテログループが存在していることをポストは2004年に指摘した。特定テーマ型というのは、たとえば動物の権利を旗印に掲げるようなものだ。そのように多数のバリエーションがあることを目にするだけで、均質キャラクターという説を立てるのが困難になる。各々は多分個々に独自の社会的心理的ダイナミズムを抱いているにちがいない。
グループ内のヒエラルキーを見てみるなら、それが更に裏付けられるかもしれない。テロリストとわれわれが呼んでいるのは、自爆テロ実行者なのか、それとも舞台裏に隠れてかれらを操っている黒幕なのか?その黒幕はわれわれがこれまで想像もしなった人物であるかもしれない。黒幕の心理学的性格は、自爆テロ実行者とまるで共通性を持たないものであるかもしれない。かれは人間を洗脳したりその心理を操ることがきわめて巧みであるがゆえに多くの若者がかれの薫陶下に馳せ参じ、ロマンチックで夢あふれる理想主義に伴われた任務のために生命を捨てることも省みない。
黒幕自身は自己を犠牲にすることなど、爪の先ほども考えていないかもしれない。ましてや、自分の体に爆弾をくくりつけることなど。かれにとって自爆テロ実行者はただの道具でしかなく、その生命は襲撃の対象となるひとびとの生命と同様に、廉価品なのではあるまいか?
黒幕が世界の救世主という妄想を抱いて自分を理想主義者あるいは愛他主義者と想像していることは大いにありうる。別の黒幕はたぶん狂気にとりつかれており、あるいは復讐がかれの強迫観念となっているかもしれない。それとも、単に支配権力と金の野望が動機になっているだけなのかもしれない。
一方、現場の実行者はさまざまだろう。自己のアイデンティティを見失って途方にくれ、アイデンティティを安定させるために自分を包んでくれる仲間を求めている者、暴力のサブカルチャーと武器の魅惑に取り付かれて関わってきた者、神秘的思想に傾倒しているために他人に容易に操られる者、等々。
< グループの影響 >
多くの市民はテロリストを嫌い、また恐れているが、自分が所属するグループの中でテロリストは頻繁に、あるいは常に、闘士であり英雄であるとして扱われる。グループ内にいるかぎり、かれらは自分を社会の味方であり、他人のため世の中のために善を行う人間であると感じている。おまけに自分の死はアッラーへの奉仕となるのだ。
かれら現場テロリストにとっては、所属グループがたいへん重要な決定要因であるように見える。ポスト、スプリンザックとデニーが行った2003年の調査によれば、中東とパレスチナで若者たちがテログループに参加する最大の理由は、同年代の若者グループから影響されたためであるという事実が発見された。おまけに、テログループメンバーになった個人は社会的ポジションも上昇するのである。
そうなると個人は自分のアイデンティティをグループのアイデンティティとグループ全体の目標の中に溶け込ませる。グループもメンバーに社会学習を与えるため、暴力行為が善を実現させるために従わなければならないモラル上の義務であるという認識を持つようになる。監獄は個人がグループに対して尽くすためのコミットメントを強めるだけであるということも、ポストたちは見出している。
とりあえずは、テロリズムとはきわめて特殊なサブカルチャーを伴う、ある集団が直面する状況に反応するために結盟して集まったひとびとによる集団心理の産物であると結論付けることができる。(ヴィクトロフ、2005年)
さまざまに異なる性格のグループメンバーには明白な役割、善や高貴な目的、復讐の機会、アイデンティティ喪失や生からの疎外感に対する回答が与えられる。
はっきりしているのは、グループメンバーであることが外部者に対してなされた野蛮な行為や襲撃に対する個人的な責任から本人を解放するかのように認識されている点だ。グループの名でグループのために行ったことであるがゆえに、個人は恐怖心や罪悪感から解放されるのである。
規準に照らして測定することや直接的なデータの深部への掘り下げがたいへん困難であるがゆえに、テロリストのグループと個人の関係についての研究や結論は弱点を免れない。総合的且つ掘り下げられた科学的な解説とテロリズムその他の形態のヒューマニズム破壊に対する防止手段の確立が待ち望まれている。


「誰でもテロリストに成りうる」(2015年12月10・11日)
ソース: 2015年12月5日付けコンパス紙 "Semua Berpeluang Jadi Teroris"
ライター: コンパス紙記者、サイッ・ワヒユディ
11月半ば以来、いくつかの国で起こった一連のテロ襲撃事件は世界を驚かせた。卑しくも、犠牲者は多数に上った。それらの襲撃は世界の諸国に警戒を強めさせた。類似の行為に揺さぶられたインドネシアが警戒を強めたのは言うまでもない。呼び覚まされた恐怖は、テロの脅威は絶えることがなく、そして起こる場所を選ばない、ということをわれわれに悟らせた。
129人の生命を奪い349人を負傷させた11月13日のパリにおける同時多発テロから一週間後、マリのバマコにあるホテルでおよそ170人を人質にする事件が発生し、12月2日にはカリフォルニアのサンバナディノにある障害者社会施設で行われたテロで14人の死者と17人の負傷者が出た。
ジャカルタのシャリフヒダヤトゥラ国立イスラム教大学でテロ心理学を研究しているガジ・サローム氏は、テロ襲撃者は正常な精神の人間で、健全な思考ができ、精神病理学上の問題は持っていない、と語った。ただしかれらは、何か、あるいは誰かを失ったり、失敗の淵に沈むといった心理上のことがらに駆られて、アイデンティティクライシスに直面しているのだそうだ。
アイデンティティクライシスは誰にでも起こりうるものであり、人間ひとりひとりが直面する一般的な問題だ。それゆえ、すべての人間はテロリストになる可能性を秘めている。その可能性は、アイデンティティクライシスに陥っている者がテログループに出会ったときに発現する。テログループとは、理想の実現に精魂を傾けるアイデンティティクライシスに陥った者たちの集団だ。
問題は、テログループがネットワーク拡大にたいへんアグレッシブなことだ。かれらはアイデンティティクライシスに陥った人間に対して、確信を持たせ・希望を与え・崩壊した指針を再構築させるのがきわめて巧みだ。そのときに教化が行われるのだ、とサローム氏は言う。
< 教化 >
リアウ州スルタンシャリフカシム国立イスラム教大学のテロ心理学研究者ミラ・ノール・ミラ氏は、教化は常にリクルートされるテロリスト候補者のアイデンティティ転換によってスタートする、と付け加えた。宗教思想を基盤に置くテログループの場合、候補者の宗教アイデンティティはグループの宗教観に応じたものに変えられる。「アイデンティティクライシスに陥って生の意義を捜し求めている者は新しいアイデンティティを容易に注入することができる。」
本人特有のアイデンティティが消されて、グループのアイデンティティが形成される。その段階でかれが行うものは、個人の価値や利益から離れてグループのメリットを目指すものとなる。生の意義やその成就は本人のためでなく、グループのためなのだ。
続いてテロリスト候補者は、生の意義についての思考に沈潜するよう誘われる。リクルート係りはテロリスト候補者の生を意義がないものにしていく。宗教思想ベースのラディカル化の場合、テロリスト候補者は罪に満ちた弱者にされていくのだ。
その立場から脱け出してすばらしい人物に立ち返るために、候補者は身命を投げ出して神にゆだねなければならない。それらの変化のプロセスを経てテロリスト候補者は新たな自己の価値を与えられ、より有意義な生のモチベーションを獲得し、グループの栄光のために何でも行う意欲を持つようになる。
グループリーダーがテロリストたちの行動を正当化することによって、新たなアイデンティティはますます強化されていく。いちばんよく使われる手法は、他のテログループが別の場所で行ったことと自分たちの行動を比較したり、あるいは自分たちのグループが蒙った不当な扱いの中にスケープゴートを探すといったものだ。それらの正当化は、そのグループメンバーに卑劣な行為を行う意欲を与える。
教化はテロリストがもはや引き返すことができないポイントに至るまで続けられる、とサローム氏は付け加えた。「そこまで至ると、もはや生も死も違いがなくなる。それどころか、よりよい生を目指す道程として死を見なす傾向が強まる。」
< ハイリスクグループ >
テログループに容易に誘い込まれるかどうかの鍵は、本人が持っている自己の価値の認識と生への意義付けしだいになる。「自己の価値を低くしか認識していない者はテログループにリクルートされやすい。」とミラ氏は言う。
自己の価値の高低意識は人生体験に影響される。家族内や社会で何らかの重要な役割を担ったかどうか、家族内にトラブルがあるかどうか、そのようなことが脆い個性を作り上げる。かれらの信念が少しでも動揺したなら、テログループはかれを容易に懐柔していく。
人間の精神面の発達に関して、21〜28歳がもっともアイデンティティクライシスに陥りやすい年代だ。生物学的にはもう大人になっているが、精神はまだ成熟していない。「特に、インドネシア人は自立プロセスが遅いために、精神年齢成長は緩慢だ。」とミラ氏は言う。
インドネシアでは、子供は働き始めてから自立プロセスが開始されるという観念が一般的だ。それまでは、経済面だけでなく人生の指針まで親に依存するのが普通なのだ。だから、親は家族の中で子供に責任を分担させる必要がある。子供が失敗を冒せば・・・。学習プロセスの中にいる子供が失敗を冒すのは当たり前のことであり、子供に改善を指向させるよう親は指導していかなければならない。
それ以外にも、テロリズムに誘い込まれやすい性格がある。考え方が閉鎖的、認識パターンが硬直的、ものごとを正しい/悪いの二面からしか見ない姿勢、字面だけを追う逐語的理解。かれらは異なるものを見ることに不慣れであり、はっきりしない状態を容認するのが不得手で、結果を高く評価してプロセスは軽視する。「閉鎖的思考パターンを優先し、創造的思考を評価しない現在の教育パターンが、上のような精神面のありさまをいっそう悪化させている。」サローム氏はそれを強調した。
< 非ラディカル化 >
テロリストになりやすいかどうかは、その者の経済ステータス、知能レベル、職業ステータスなどに関係していない。テロリストに共通しているのは、かれらが明白な意義を必要としていることだ。
すべての人間がテロリストになりうるのだから、テログループが社会のマジョリティを占めることが難しいにせよ、テロは決してなくならないだろう、とミラ氏は続ける。「自分たちの理想が世の中で場を得られないグループから社会ステータスを上昇させることができないグループに至るまで、かれらは常に存在するだろう。」
それゆえに、ラディカルグループの発展を抑止し、教育・文化・宗教・社会・心理などのあらゆる面におけるトータルアクセス型の非ラディカル化を進めていかなければならない。非ラディカル化は治安機構や宗教団体だけの仕事なのでなく、各家庭から社会コミュニティに至るまで、共に責任を負うべきことがらだ。
テログループの存続は公衆からの支持が強く影響している。「各地域レベルで社会がテログループを拒否すれば、かれらの動きは大幅に制限される。地域社会の拒否は同時に、テログループメンバーの一部を覚醒させるだろう。自分たちがかれらのために闘っていると信じていたテロリストの一部が、その社会自身が自分たちを完璧に支持しているわけでないという事実を悟ることになる。おまけに、インドネシアではコミュニティベースの非ラディカル化がたいへん大きな効果を発揮する。」とサローム氏は続けた。
インドネシア社会が持っている価値観の中で、正誤に関する評価は規範や価値観に支配されているのでなく、世の中からどれだけ支持されているか、ということがその規準になっているのだから。


「高学歴失業者とラディカリズム」(2015年12月21・22日)
ソース: 2015年6月3日付けコンパス紙 "Pengangguran Terdidik dan Radikalisme"
ライター: ヨグヤカルタムハマディヤ大学社会学政治学部社会学者、マアリフ研究院上級調査員、ズリ・コディル
「学歴に基づいたインドネシアの完全失業率は相当危険なものだ。」ファスリ・ジャラル、2015年4月27日
2015年5月4日付けコンパス紙は、元家族計画民勢国家庁長官ファスリ・ジャラル博士教授の論評にもとづく高学歴失業者に関するデータを掲載した。
元国民教育副大臣でもあったファスリ教授は、インドネシア国民子弟が産業界に雇用されるために高等教育がどうあるべきかについて警告を発した。全国民子弟に4年間大学教育を受けさせる必要があるのか、それともあちこちの国で即仕事に就けるように6ヶ月間の職業訓練で国際レベルの職業能力証明書を与えるようにするのがよいのか、もう一度検討しなおせという提言だ。
2028〜2030年にデモグラフィボーナスの恩恵を蒙るインドネシアが6千5百万人の高学歴求職者で満たされる可能性を考えるなら、その提言に諸方面から真剣な反応が集まってよいだろう。
< 脅威となる >
高学歴失業者は年齢15〜29歳で、普通科高校卒17.8%、職業高校卒10.2%、短大卒3.2%、大学卒7.9%という失業者比率を占めている。この数値はインドネシアの失業率に関して高学歴失業者が真に脅威となっていることを明白に物語っている。かれらは国に大きい負担をもたらしているのだ。
この先10〜20年間の高学歴失業者数の大きさを、われわれは手をこまねいて見ているわけに行かない。2013年のデータを見るなら、今現在ですら高学歴者の就職率が労働人口に対してあまりにも低いことに気付くだろう。普通科高校卒9.6%、職業高校卒9.9%、短大卒6.2%、大学卒5.9%でしかないのだから。
失業者人口の大きさを見るかぎり、それをこのまま放置することは許されない。それは国家社会の重荷になるばかりか、家族にも負担をもたらすものだからだ。この高学歴者の洪水に対して、関心と実際的な対策が必要とされている。
< ラディカリズムの危険 >
青年期は生産的な年代であると同時に行動に迷いがつきまとう時期であり、あちこちから聞こえてくるささやきや唆(そそのか)しに容易に引きずられるものだ。その中には宗教ドクトリンや特定イデオロギーの教唆が含まれている。特定イデオロギーのひとつは宗教的ラディカル思想であり、若者たちは困苦を乗り越えるためにその教義を近道と見て飛びついて行く。
イスラム平和研究院(Lakip)が2012年にジャカルタで行った調査はかなり危惧される状況を映し出している。多数の若者が暴力闘争に参加する意志を持っており、その割合は48.9%にのぼった。ノールディンMトップの行動が正当化できるかという質問に対し、生徒たちの14.2%が正当化できる、と答えている。
Lakip のその調査から、2012年のラディカリズム運動はたいへん危惧されるレベルにまで急上昇したことがわかる。宗教の名を掲げたラディカルな行為が国内に満ちることを望まないなら、国はこの問題に真剣な関心を傾けなければならない。
それゆえに、上で見たような普通科/職業高校と短大の年代層が大部分を占める高学歴失業者への対策が必要とされている。なぜなら、今起こっているような宗教の名を掲げた暴力行為の一翼を担うことにかれらは臆さないからだ。中東でさまざまな暴力行為を行っているISISに参加している若者たちを見るがよい。インドネシアから自主的に渡航した若者たちがその一部になっているではないか。
< 家族の役割 >
わが国青年層の人格形成にもっとも影響を与えている社会構成要素のひとつとして、家族と地域コミュニティがあげられる。交流と社会化がそこで行われるのだ。家族と地域コミュニティにおける交流が開放的・楽観的・明るい未来をサポートするものであるなら、青年たちはあたかも確実さに固められているように思えるその場限りの誘惑に呑まれることはないだろう。
しかし家庭環境や地域社会での交流で、いつまで経ってもはっきりしない職業、自分の生活と同じくらい困難な収入、妥当な住居や衣類の即時入手を想像するのさえ難しい、といった困苦への脅威が先の見えない不安をもたらし続けるものであるなら、若者たちの脳裏には「この生を早急に終わらせるのにどうすればよいか」ということがらが浮かび上がってくる。
そのときに、「鉄槌となって神の道でジハードを行う意志があるなら苦難や悲惨に満ちた虐げられし者にも完璧な幸福が与えられる」という導きに出会ったなら、若者たちはどうするだろうか?もちろんそれは導きでなくて唆しだとわたしは見るのだが。
鉄槌(決死の闘士)となるのは、神の目から見て苦難に満ちた生を生きるよりも高貴なことだから、それが善なる道なのである。だから、そのような唆しドクトリンが注入された若者たちは神の教えとしてそれを信奉し、「自分の苦難に満ちた生はおまえたちのせいだ」というロジックを確信し、烏合の群衆に対する鉄槌になって続々と自爆テロを行うようになる。
ここにこそ、活力に満ちて激動する若い魂に対して家族や隣人との交流というしくみが持つきわめて重要な役割と影響力が存在する。たとえ今現在は社会的経済的にくすぶっていようとも、若い魂は将来の指導者なのだという意識を持ってそのことに関心を払わなければならない。家族は年若い子供たちを「未来の闘士」「未来を生きる闘士」に育て上げなければならない。鉄槌という「死の闘士」にしてはならないのだ。
われわれの若い世代は、「死ぬ勇気」とともに「生きる勇気」をも思想と行動に反映させる人物となるよう家族や社会機関から教導される必要がある。なぜなら、真のジハードとは自己を生かすと同時に他者をも生かすものなのだから。
< ヒューマニズムジハード >
真のジハードとはそれなのである。自分と同じ人類を殺す爆弾の伴侶となって一時の死の道に邁進するという理解がジハードなのではない。
生の勇気を持たせようとせずに死の勇気だけを目標に据える、単にラディカル化に向かうだけの変形された宗教ドクトリンの唆しに高学歴青年層が惑わされないよう、われわれはかれらにもっと関心を払う必要があるのだ。解釈の誤りは、アルクルアン読誦教室や聖句唱和会を含む家族や社会機関によって早急に正されなければならないのである。


「男一匹、テロリスト」(2016年1月21・22日)
ソース: 2016年1月7日付けコンパス紙 "Jihad Maskulin"
ライター: 財団法人「平和の碑」発起人、ノール・フダ・イスマイル
2002年のバリ爆弾テロから2015年クリスマス〜新年祝祭期の大量逮捕にいたるまで、テロリズム犯罪の実行者や容疑者のほぼ全員が男性で占められている。ところが、その暴力の根の論理構築をはかる中で、往々にして検討対象アスペクトから脱け落ちているものがある。そのひとつがジェンダーに関するものだ。
それゆえに、「どうして男性なのか?」ということが今問われるべきだろう。また、その集団にとって雄々しさの内容のメインがどのようなものであるのかということも、暴力実行者が絶えずリサイクルされてくるのを見るかぎり、軽んじることのできない問題だ。
ジェンダー研究におけるベーシックなアスペクトのひとつは、宗教教義の理解に性別が影響し、また優勢になりうるというポイントだ。たとえば、ジハードに関する教えは、男性と女性でその意義と影響が大きく異なっている。ジハード行為は常にスペシフィックな意味合いのニュアンスで形成され、特定民衆意識のコンテキストと広く受け入れられる文化の中で実践される。また解釈研究の中でジハードコンセプトはしばしば、「優れた男」カテゴリーと深く結びついている。言い換えれば、「優れた男」の立場に立つためにムスリム男性は戦闘能力を持ち、武器の扱いが巧みで、権力争奪態勢にあることが求められているわけだ。
そのような理解はジュマアイスラミヤやその分派のコミュニティ内で発展した。戦場でジハードを行うべく自己の態勢を整えた、あるいは整えつつある男は、コンネル(2005年)の言葉を借りるなら、宗教研究に従事しているだけの男よりも高い雄々しさにあると位置付けられる。
「優れた男」を主張する者たちは、ジハードに加わらない者たちをコイドゥンという言葉で蔑む。そのアラブ語の意味は、ただ座っているしか能のない男ということだ。イラクとシリアのイスラム国(ダエシュ)がソーシャルメディア、特にユーチューブ、を通して打ち出すプロパガンダの中に雄々しさという要素を強調したシンボルの使用を明らかに見出すことができる。たとえば、かれらが「ハッザ アルドゥル リジャル」という言葉を使って戦場の様子を説明する場合、そのアラブ語は「これは男の世界だ」という意味をあらわしている。その言葉は明白なメッセージを視聴者にもたらす。「この世界にいないなら、あなたは真の男ではない」というメッセージを。
真の男になれというメッセージがどうして16歳から26歳の男たちの感性をずばりと射抜き、ダエシュのような暴力集団に参加するようかれらを衝き動かしているのかということがらがきっとそれで説明できるにちがいない。自著「ガイランド、少年が男になる冒険世界(2008年)」の中でマイケル・キンメルは、アメリカ合衆国の4百人超の16歳から26歳の男児に対するインタビューを踏まえて、少年が成人男性に移行していくプロセスを説明している。男児たちはその時期、自己の雄々しさの本源に対する不安を抱いているということをかれは喝破したのだ。
そのキンメルのモデル構造に即して、たとえソーシャルメディアからにせよ、ダエシュに参加しなければ男でないという侮蔑を受けることはかれらに苦痛をもたらすものだ。親からの指導が与えられず、あるいは親とのコミュニケーションがうまく通じず、またソーシャルメディアからの怒涛のような情報にさらされて、かれらは自己の男性証明を行うためにダエシュに参加していくのである。
< ライバルアイデンティティ >
皮肉なことに、雄々しさのロジックは攻撃性が特徴だ。このジハードの意義が駆り立てる攻撃傾向が真理の主張に包まれた暴力行動の扉を開くのである。この観念におけるジハードは勇気・雄々しさ・自尊心を表現するための宗教的容器をオファーしている。
その上で、アメリカ合衆国・ユダヤ・資本主義が反攻するための現代トグッ(ヨソモノ)イデオロギーの単なる具現概念にとどまらず、ライバルアイデンティティ内の蓄積された覇権、もっとスペシフィックに言えば雄々しさのライバル、と意味付けられるのは自然なことだろう。そのゆえに、ジハードは宗教守護の規範的教義のみならず、宗教的に正当化される覇権争奪の歴史的活動にもなっている。
では、女性と子供たちの役割はどこにあるのか?
ダエシュに参加するためシリアに向かう大量動員現象の最新状況の中に、女性と子供たちが加わる傾向がたしかに見られる。それは1980年代半ばから2000年代にかけてダルルイスラムやジュマアイスラミヤが行ったアフガニスタンやフィリピン南部のモロへのイスラム活動家送り込みの際に見られなかった、新しい現象だ。2015年にトルコ政府はインドネシア国籍者187人を国外追放したが、そのうちの24%は女性と子供だった。その中に、7人の子供を連れたラモガンの主婦38歳が混じっている。かの女は先にダエシュに加わったラモガンのイスラム守護戦線活動家である夫43歳の後を追おうとしたのだ。
しかしこのコンテキストの中では、女性は雄々しさ構造の確立を支えるための従属者として、戦線のはるか後方に置かれている。かれらは勝利の野望・武器をふるう戦闘・聖なる死が渦巻くジハードが実践されている戦場から遠い位置に置かれ、主役を演じる機会はほとんど用意されていない。
その雄々しさ構造は男たちだけのプロジェクトでなく、女たちも関わっている。たとえばパレスチナでは、子供のひとりがイスラエル兵の蛮行に抵抗して聖なる死を迎えたとき、それは母親にとって大きな誇りになるのである。インドネシアでは、ダエシュの旗の下で死を迎えたおよそ52人のインドネシア国籍者の中に、2002年バリ爆弾テロ犯人イマム・サムドラの息子を含めて、アフガニスタン経験者の息子たちの名前が散見される。
シリアのコンフリクトの渦中に身を投じたかれらは、父親母親の姿を中心とする家族内での価値観の相伝から無縁ではなかったのだ。ならば、国家・宗教界指導層・社会指導層がかれらの将来に関わっていこうとしないとき、ダエシュに加わった夫の後を追うのに失敗した妻たちが子供にいったい何を教えるのだろうか?


「イスラムフォビアから学ぶ」(2016年1月25・26日)
ソース: 2016年1月9日付けコンパス紙 "Berpikir Melalui Islamfobia"
ライター: イギリスシェフィールド大学修士課程学生、アフマッ・リスキ・マルダティラ・ウマル

最近パリで起こった爆弾トラジェディの影響は何だろうか?
イギリス在住のインドネシア人大学生にとって顕著なものは、イスラムフォビアの強まりだ。パリのトラジェディからしばらくして、ブリストル、ロンドン、アバディーンなどイギリスのいくつかの都市でイスラムに向けられた嫌悪の波が出現した。
パリのトラジェディは否応なしに、イスラム教徒を容疑者台に載せるものだった。襲撃者たちはきわめて明白なメッセージと額縁を送りつけている。言うまでもなく、イスラム教にテロリズムは存在しないと言って、イスラム布教者たちはそれを否定している。しかし、その帰結を否定するわけにはいかない。イスラムを自己のアイデンティティとする者は、たとえどれほど寛容であっても、その犠牲者にされてしまうのだ。
< 誤解 >
ボビー・S・サイッとアブドゥルカリム・ヴァキルの2010年の共著はわれわれに、イスラムフォビアについてもっと深く考えるよう奨めている。ふたりはひとつの疑問を提示した。どうして人はムスリムを嫌悪するのか?ひとつのアイデンティティに対してわけもなく、かれ自身が行ってもいないことに関して、憎しみを振りかざそうとするのだろうか?
イスラムフォビアに対する論説の中でサイッとヴァキルは、イスラムフォビア問題は昔から受け継がれてきた単なる西洋人の嫌悪の肖像として出現しているのではない、と結論付けた。そのプロセスは複雑だ。ナインイレブン事件後のアフガニスタンとイラクに対するアメリカの攻撃からヨーロッパ社会に誤解が拡大するに至るまでの、ムスリムに関する思考形態の十字路の中に生まれたものがそれなのである。
しかしサイッとヴァキルが記した興味深いポイントのひとつに、イスラムフォビアは実際のところ、思考嫌いの者たちにとっての確定事項として出現したのだ、というものがある。イスラムとは暴力・テロ・専制と同義語なのだという理解の単純化がなされ、かれらにとってイスラムは「ヨソモノ」となり、誰でも行えるような事件が起こったときに非難を向けることのできる存在に祭り上げられたのである。
そのようなプロセスはわれわれにもっと複雑な思考を要求する。どうしてイスラムがそのようにヨソモノ化されてしまったのか?ナエム・イナヤトゥラが明瞭に述べているように、ヨソモノ化プロセスは、意識されているかどうかは別にして、植民地主義の遺産であり、いったいどうしたわけか、その遺産は世界の民衆のイメージの中に完璧な姿で未だに生き続けているのだ。
植民地主義は征服者のコロニーに対する優越性のイメージを生み出した。より広いスペクトルにおいてそのイメージは西洋の東洋に対する優越性となり、現在までさまざまな形態で再生産されている。ナエム・イナヤトゥラはそのことがらを「同じでないことの問題」という言葉で描写した。わたしが上で述べた問題は、皮肉なことに、誤解を通して表現された「違いを受け入れる」ことへの失敗の肖像となりうるものだ。
それはイスラムフォビアのコンテキストにおいてのみ起こるものではない。特定のアイデンティティ(往々にして上位を意味して設けられたもの)に属す人間が異なるものとしてイスラムを受け入れるのに失敗した場合に起こり、最終的にイスラムフォビアに体現されるような極端なポジションで、だれかがイスラムの名で行った行為の結果、イスラムを嫌悪し始めるのである。
言うまでもなく、イスラムはそのような行為を奨励したことなど決してない。それらのすべては、単なるラベルであり、包装紙なのである。アフメッという名のひとりのムスリムが自分で時計を作ったために師が警察に訴えたなら、かれがフェイスブックやグーグルでのナンバーワンアクセス対象にならないと誰が言いえるだろうか?
そうではあっても、テロ襲撃者が身に帯びているアイデンティティと額縁の結果、ひとびとはそれを間違って捉えているのだ。そしてあることがらが、それを更にひどいものにしている。異なるものとしてイスラムを受け入れることの失敗と、行われた行為の代わりにアイデンティティに対して悪を関係付けようとすることだ。
その種のことを掘り下げてみるなら、その根は違いを受け入れることへの失敗とかれらがわれわれと異なっていることへの嘲笑につながっている。皮肉にも、それがマルチカルチャー社会で起こっているのだ。違いを理解することの失敗は、本当はわれわれにとって有益なものに対する評価を妨げるのである。単なるラベルでしかないイスラムアイデンティティに対してヨーロッパ諸国に出現した嫌悪の波は、もっとひどいものだった。イスラムフォビアとそこで再生産されるロジックは、上位者の覇権を用いて同じでないことつまりヨソモノというラベル付け、すなわち烙印を捺すことに至ったのである。
< ロジック再生産 >
では、このことがらからわれわれは何を学べるだろうか?イスラムフォビアを考える中で、サイッとヴァキルはわれわれを反省に誘っている。われわれ自身も無意識のうちにイスラムフォビアを再生産していないだろうか、と。われわれ自身が担っている硬直的なアイデンティティで、われわれも違いを受け入れることを嫌っているのではないだろうか?
多分、保安を理由にして、われわれの一部も他者を嫌悪し、他者のすることなすことを悪いことだと見なしているかもしれない。知識人を自認するひとびとはその種のことがらを、過度の一般化であり、ミスコンセプションの一形態であると認識しているのではなかったろうか?この違いを理解するということの失敗がファシズムを生み出す源泉となりえたのだ。一民族が自己を最善であると正当化し、異民族や異集団を武力でマージナルなポジションに押しやったのである。
このイスラムフォビアロジックの再生産は、さまざまな形態に具現化される。独善的に他者を背教徒呼ばわりするダエシュのようなムスリム層、民族主義者のレーシズム、学校生徒のいじめ、公僕の劣悪な国民サービスなどに。具現化される形態は多岐にわたるが、その源はただひとつ、「同じでないことの問題」なのである。
そこに生み落とされるリスクは、このようなロジックが長期にわたって維持されるとき、われわれは徐々に圧制者になっていくということだ。われわれはマジョリティ集団となってマイノリティ集団に服従を要求するようになる。必要なら、暴力を使ってでもかれらを従わせる。われわれは覇権を握る支配者もどきになるが、弱者を救済して活性化させる真の支配が理解できない似非支配者にしかなれない。
もしこの種のロジックがビューロクラシーや青年層の日常生活の中に維持されたなら、未来のリーダーなどということは考えないほうがよい。なぜなら、われわれは専制者になる道を究めようとしているのであり、過去の暗い歴史を再現させる道を歩むことになるだろうから。
特に未来のリーダーというたわ言にどっぷり浸けられているひとびとにとって、それはたいへん重要なことなのだ。リーダーになることを学ぶ前に、青年たちはわが身を振り返って見てみるべきだ。あなたがたは、身に着けた知識をもって他人を支配することに向かおうとしているのかどうかを。
知識は諸刃の剣だ。弱者にとって解放のメディアともなれば、圧制のためのツールにもなる。ケン・スティアワンがある文章の中でそのことに触れている。ブル島にサヴァナジャヤの塔をデザインした技術者は、ただ建築物をデザインしただけではなかった。かれはブル島に流刑された政治犯に対する圧制のシンボルをそこにかぶせたのだ。
だからこそ、未来の知識人を自認するひとびとは、イスラムフォビアを通してわが身を振り返らなければならない。専制者にならないということを学ぼうではないか。シンプルなことからそれを開始することができる。人間を鋳型にはめる必要はなく、違いは拒否されるべきものでは決してないことを認知するのだ。
それは決して容易なことではないだろう。プラムディヤ・アナンタ・トゥルの言葉から始めるのがよいかもしれない。「知識人は思考の中で既に公平な姿勢を持たなければならない。少なくとも、弱者に対して公平であること、弱者を抑圧しないことを学ばなければならない。」


「デラディカリズムでは救えない」(2016年1月27・28日)
16年1月14日のジャカルタテロ事件で、テロ実行犯の中にテロ犯罪の前科者がいたことが、デラディカリズム推進現場に関わっているひとびとにショックを与えた。テロリストとして逮捕され、判決を受けて服役した青年たちに対する思想面での指導は行われており、硬直化した好戦的なラディカリズムを柔弱化させて社会復帰の際の障害を小さくする努力は払われている。ところが実際に政府のその指導は服役者に取引ツールとして使われるばかりで、かれらの核を成している急進的な思想は軟化するどころか、同じ刑務所内で他のテロリストから影響を受けて思想の先鋭化と頑強さが増し、刑務所内で反抗姿勢を示さずに穏やかに指導教育に応じていれば品行方正成績優秀として恩赦が推薦され、刑期を終えれば何の問題もなく出所することができるが、その真の中身はますます確信を強めたテロリストに成長しているというわけだ。
かれら前科者テロリストたちは、たとえ改悛して思想を改めても、世間が前科者の烙印を捺すために職業選択の自由はあまりなく、反対にジャカルタでのテロ資金としてシリアから10億ルピアが送られてきているように、テロ活動セルにつながっていることのほうが生活が安定することも疑いがない。
テロ対策国家庁のデータによれば、これまでに服役を終えて釈放されたテロ犯罪の前科者は584人おり、2015年に出所した者は56人だ。そして現在全国の47刑務所に服役中のテロ犯罪者は215人で、そのうちの25人は頑強なテロ思想に凝り固まっている。
政府は国内での反テロ活動として、ラディカル思想を封じ込め、国民にはイスラムヌサンタラ思想を普及広宣し、既にラディカル化した者にはデラディカリズム対策を講じるという方針で動いているが、1月14日のテロ事件を頂点として、あのテロ事件を舞台裏で支えた者たちを警察が続々と逮捕している事実はラディカル化する者が絶えることなく出現していることを示しており、政府方針が最大限の効果をあげていないと批判する声も随所からあがっている。
そんな中で、テロ犯罪前科者の社会復帰に手を貸しているひとがいる。財団法人「平和の碑」は2009年以来、服役を終えたテロリストを社会復帰させるために、インドネシア大学の協力を得て、普通の市民に戻りたいかれらにさまざまな手引きを与えている。その発起人ノール・フダ・イスマイル氏は、中部ジャワのスコハルジョにあるプサントレンでルームメイトだった友人が2002年のバリ爆弾テロ実行犯になったことに衝き動かされて、この社会復帰活動を開始した。
「宗教や思想のことを面と向かって取り上げるようなことはしない。人間を人間扱いするだけだ。われわれは政府がまだ着手できない分野で動いている。」
前科者がひとりで世の中に溶け込もうとしても、一度捺された烙印はかれの経済活動をさまざまに束縛する。職業生活が疎外されたら、昔の仲間を頼っていくしか生きるすべはない。昔から世界各地で無法者集団が形成されてきたのと同じストーリーがここでまた起こる。
だから「平和の碑」財団は、元テロリストたちを巻き込んでさまざまな経済活動を行うようになった。養魚池、自動車レンタル、レストラン、パン屋まで、種々の事業を進めている。
ソロにあるレストラン「ダプル ビスティッ」はタンステーキが売り物だ。この店のマネージメントを行っているのは、かつて南フィリピンの軍事訓練キャンプで戦闘術をきわめた元テロリストだ。フダ氏はこれまで行ってきたさまざまな事業の経験から、この活動の目的にもっとも適しているのはホスピタリティビジネスだろうという結論に達した。
他人に対して暴力を振るうことを辞さないテロリストにホスピタリティビジネスができるのだろうか?ホスピタリティビジネスの客は社会の広範な階層と性格の人間たちだ。そういう客のひとりひとりに満足を感じてもらうことがビジネスの成功を約束する。さまざまに異なる客に接し、かれらの要望を聞き、親しい態度でそれに応じる。そこから、他人を尊重するというホスピタリティの真髄が体得される。
あるとき、ダプル ビスティッを白人の客が訪れた。そして帰り際にウエイターに巨額のチップを手渡した。そのウエイターは元戦闘員だった。かれは驚き、また感動した。「白人にも良い人間がいるんだなあ。」
フダ氏は、デラディカリズムはしない、と語る。「前科者として出所してきたかれらは、昔の世界に戻るか、あるいは新たな世界に入るか、そのジレンマに陥る。昔の世界に戻れば、かれは英雄として扱われる。新たな世界では、かれは屑扱いだ。暴力志向の昔のハビタットと縁を切らせ、新たな世界で正常な一社会人としての生活に入らせるための条件作りを用意しなければならない。それがなければ、かれらは昔のハビタットに戻って行き、テロ活動に加わるだけだ。この流れの中に、かれらの思想やイデオロギーをどうこうしようというような部分はない。たとえ頑なな思想やイデオロギーに凝り固まっていようとも、それを変えなければならない必然性はない。デラディカリズムでなく、ディスエンゲージメントを行うことが、テロ活動との断絶と社会復帰をかれらに促すことになる。」
かれらが世の中のさまざまなひとびととヒューマンコンタクトを行うことで、かれらの世界観は変化していく。プルーラリズムやビンネカトゥンガルイカ、さらにパンチャシラについての講義を鵜呑みにする必要はどこにもない。
あるとき、アチェの戦闘訓練キャンプを警察が摘発して、多数の逮捕者が出たとき、フダ氏は元戦闘員に尋ねた。「どうしてあのキャンプに参加しなかったの?」
「昔の仲間たちがあのキャンプを準備していることは知っていた。でもオレは行かないことにしたよ。だって、レストランの仕事があまりにも忙しいんだから。」
デラディカリズムという述語は、脳構造に問題があるため、洗脳して正常化させなければならない人間という印象をテロリストたちに貼り付ける。普通の人間なら、そこに抵抗感が生じるはずだ。ましてや理論武装して自分が最高のイデオローグになったと思っている者はなおさらだろう。そんなかれらに世俗色の濃い思想を講義しても、面従腹背されるのが落ちだろう。宗教面からのアプローチでも、複雑に理論化された独善的な思想をかれらが低レベルと思っているものに入れ替えるかどうか?
しかし巷で行われる日常の社会生活・職業生活・金稼ぎ活動にそんな思想やイデオロギーを振り回すことなど誰もしない。だからフダ氏もかれらとそのような論争などしない。かれらの持っている思想やイデオロギーは、かれらが自由に考えていればそれでよい。必要なのはかれらに正常な社会生活を送らせることであり、宗教理解や世界観はひとそれぞれの見解の相違でしかないのだ。社会の一員として生きていくことの真の意味が理解されたとき、かれらはもはやテロリストではなくなっているにちがいない。


「ダーイシュが東南アジアに足場を構築」(2016年6月27日)
フィリピン共和国南部のミンダナオ島西端にあるザンボアンガからボルネオ島東北部(マレーシアのサバ州)につながっていく列島地域で勢力を振るっている武装ジハーディスト集団「アブサヤフ」グループは2016年に入ってから既に2回、カリマンタンから石炭をミンダナオ島に運ぶインドネシア船を乗っ取り、船員を人質にして身代金をインドネシア政府に要求する犯罪を行っている。
そのアブサヤフグループの頭目であるイスニロン・ハピロンは2014年7月にダーイシュ(IS=イスラム国)に忠誠を誓っていたが、?ついに東南アジア地区におけるダーイシュ支部の指名を受けたようだ。
ダーイシュが作ったと見られる20分間のビデオが最近ソーシャルメディア上で公開され、イスニロン・ハピロンが表明した忠誠への承認と、東南アジアにいるダーイシュシンパに対してシリアへ来ることが難しければフィリピンへ行けというアドバイスが発せられた。
シリアとイラクのみならず、北アフリカから中東一帯でこれまで活発な戦闘行動を行っていたダーイシュ信奉現地グループまでもが、そのほぼ全線にわたって敵軍から圧迫されて不利な形勢に陥っているいま、新たな戦線を開いて進退の余裕を生み出そうとするダーイシュ本部の戦略は大いに予測できることであるにちがいない。
東南アジアにおけるテロと治安の分析専門家シドニー・ジョーンズ氏はそのビデオについて、ダーイシュはフィリピンにだけ味方がいると見ているのでなく、マレーシアやインドネシアにも支持者が多数いることを認知しており、これからミンダナオ島に渡って行く人間が増加し、更にその送り出しを支援する組織が動き出すことを予想させるものだ、とコメントした。
マレーシアやインドネシアの政界からは、ミンダナオ島にジハーディストが集まって組織的な戦闘訓練を受け、周辺諸国への攻撃が激しくなっていくことが懸念されるとの表明が出されているが、フィリピン政府はそのビデオを、「ただの宣伝メディアだ」と述べただけで、それ以上のコメントをひかえている。


「ヨーロッパのダエシュ」(2016年10月26〜28日)
ライター: 中東研究院中東政策思想研究センター調査員、中道ムスリムソサエティ議長、ズハイリ・ミスラウィ
ソース: 2016年8月15日付けコンパス紙 "Dilema NIIS di Eropa"
ここ数か月間でISISは支配地域の25%を失った。"イラクとシリアでISIS占領地域は、アメリカ・ヨーロッパ・ロシア・イランなどの強国に攻められて、日ごとに弱まっている。ISISとそのネットワークは本当に敗北したのだろうか?
イランとシリアで敗北したと言われていても、ヨーロッパではますます脅威を深めている。フランス・ベルギー・ドイツで殺戮行動を行い、ヨーロッパの他地域へも自爆テロを拡大すると約束している。
正直に言って、今やわれわれはもはやグローバル化した組織とネットワークとしてのISISを打ち破るのが困難になっている。ISISはシリアとイラクを主要ベースとして支配する組織でなくなっているのだ。かれらは強固なバーチャル勢力と化し、容易に接触できなくなっている。われわれの隣人がISIS追従者かもしれず、それどころかわが家の中にシンパがいるかもしれないのである。
実態として、イラクとシリアのISISは遅かれ早かれ、ますます弱体化するだろう。しかしその両国でISISが行う殺戮行動は途絶えることがない。ほとんど毎日、ISISは決死的な自爆テロ攻撃を繰り広げている。イラクとシリアのみならず、その勢力をますますリビアに拡大させ、トルコ・バングラデシュ・サウジアラビアをも手中にしようと本気で取り掛かっている。
< ディアスポラ >
ICSR(ラディカル化と政治暴力研究国際センター)が2015年に発表した、ISISに参加してイラクとシリアのコンフリクトの渦中に入って行ったヨーロッパ各国からのジハーディストの人数は次のようになっている。ノルウエー17人、フィンランド70人、スエーデン180人、デンマーク150人、オランダ250人、アイルランド30人、イギリス600人、ベルギー440人、ドイツ600人、フランス1,200人、オーストリア150人、イタリア80人、スペイン100人、スイス40人、セルビア70人、トルコ600人、アルバニア90人。
スーファングループによれば、そのうちの20〜30%はヨーロッパに戻ってきており、深刻な治安上の脅威になりうるとのことだ。かれらはいつでも、フランスやベルギーで起こったような無差別テロ襲撃を行う態勢にある。
ムハンマッ・アブ・エル・ファディによれば、もしわれわれがISISを根絶させようと望むなら、真剣な回答を求められているジレンマが七つある。
1)ISIS問題は中東出身者だけに関わっているのでなく、西洋社会で生まれ成長した過激派グループにも関係している。ISIS戦闘員の5千人ほどが西洋諸国の出身者であることをわれわれは知っている。
かれらは西洋諸国の中東外交に失望したからISISに参加したのだ。米国やその同盟国に対するISISの抵抗精神に傾倒する心情と連帯感のゆえに、かれらはISISに同情的だ。だからシリアとイラクの根拠地を粉砕する方法でISISを打ち破るのでなく、西洋諸国は中東に対する方針を変更しなければならない。西洋諸国がISISの基盤を攻撃するためにあらゆる軍事資源を総動員しているが、かれらが中東とイスラム世界に公正さを持つ政策を行わないかぎり、何ら意味ある結果を生まないだろう。
2)ISISはもはや、イラク・シリア・リビアに基盤を置く組織網でなくなっている。かれらがヨーロッパにネットワークを持つ組織であることは、既に証明済みだ。ISISに加入した国民がもっとも多いのはフランスだ。もっとも世俗的な国でそのような現象が起こったことは、諸方面に驚ろきをもたらした。フランス型の極端な世俗主義がフランスのムスリム国民をISISに向けさせる促進剤になっている。
それゆえ、ヨーロッパ諸国はISIS増殖問題の克服に真剣に対処しなければならない。無視したり軽視したりすることは許されないのである。ヨーロッパの世俗主義は、ISISがネットワークを拡大させ、自爆テロ戦士をリクルートするための絶好な環境になっていることが実証されている。
3)過去一年間にISISがあちこちの国で、依然として活発な攻撃を継続していることを見ても、かれらがまだまだ十分な資金を持っていることがわかる。ある情報ソースによれば、2015年に行われた自爆テロのためにISISが費やした資金は7百万ユーロだったそうだ。つまり西洋諸国はISISに対する軍事攻撃だけを行っていてはだめなのであり、かれらの資金の出入りを真剣に抑え込んでいかなければならないのである。英国がサウジアラビアに対してISISへの援助を停止するよう呼号したことはきわめて重要なことだ。同じことは湾岸諸国からISISへ流れ込んでいる資金についても言える。
4)ISISは人道問題分野で活動している組織の中にネットワークを広げることに成功している。もちろんISISの旗を露骨に掲げることはしない。自由志願主義の旗の下で、ISISは過激思想を大衆に注入している。かれらは人道主義の旗印の下で、ISIS参加者をリクルートしているのである。
5)ISISはイスラエル=パレスチナ問題を手駒に使っている。このイシューは中東で西洋とその手先に反抗する民兵組織の同情を引くための容易な起爆剤になっているため、きわめて深刻な負担をもたらすものだ。かれらは反イスラエル戦争を、青年たちをISIS組織網へのシンパに引き寄せるためのツールにしている。
アメリカとヨーロッパ諸国がイスラエル=パレスチナ問題の解決に本気で取り組まないことは、過激主義とテロリズムを打ち砕くための躓石となるだろう。パレスチナの独立を実現させる代わりに、アメリカとヨーロッパ諸国は往々にしてイスラエル側に就き、資金や兵器の援助をイスラエルに与えている。
< 共同戦線 >
6)アラブ諸国と西洋諸国はこれまで、それぞれの地域的利害にとらわれて来た。反テロリズム闘争はそれぞれのジオポリティクス構図に分裂する傾向があった。サウジアラビア=イラン間コンフリクトは共同で解決しなければならない問題のひとつだ。ISISはそのイシューを巧みに利用し、シーア派という方針を共有しているイランとイラクの現政権に対する攻撃がISISのミッションであるという謳い文句でサウジアラビアの同情を引いている。
7)ISISはこの先数年間、ジオポリティクス構図に変化は起こらないと見ている。中東での影響力を強めるために競争し合っているアメリカとロシアという二大国間の争論は、石油とコンフリクトに満ちたその地域を不安定にし続けるだろう。その政治的不安定さがISISにとって、イラク・シリア・リビアの一部国内地域をその支配下に置く機会を与えている。その三国はいま、世界の大国が自分の系列下に置こうとしてしのぎを削っている標的なのだ。
それらの問題が、ISISを打破するのが容易でないことを示している。なぜなら、ISIS問題はリージョナルおよびグローバルな政治利害の世界に入ってしまっているためだ。ジオポリティクスの利害のもつれあった糸をほぐす努力が優先されなければならない。なぜなら、そこにこそ問題の根源が横たわっているからだ。ISIS討伐には、真剣で、大規模で、巧みに構築された、共同戦線が必要とされている。ヨーロッパはこのISIS問題に本気で取り組まなければならない。なぜなら明らかに、これはヨーロッパにとっての大きな脅威なのであり、同時に世界にとっての脅威でもあるのだから。


「シリアへの送出し活動に厳罰で対処」(2016年10月31日)
2016年9月22日にデンスス88はスカルノハッタ空港で、ダエシュに参加するためにシリアへ渡航しようとしていたインドネシア国籍者7人の出国を阻止した。その取調べから得られた情報によって、シリアへの渡航希望者を収容して必要な教育訓練や資金手当てを行っていたと見られる三人を容疑者として別途逮捕した。
そのひとり、西ジャワ州ブカシに居住するアブ・ファウザンは送り出し活動の専門家であり、渡航者に持たせなければならない教育訓練やモチベーションの高揚、そして官憲の質問にどのような虚偽の応答をすればよいかといったことまで、的確に教授する力を持っている。かれは2015年10〜11月、2016年1月と9月に総勢21人のインドネシア国籍者をシリアに向けて送り出していた。かれがダエシュの幹部となっているバフルン・ナイム、バフルムシャ、アブ・ジャンダルらとどのような関わりを持ち、どんなネットワークを構成しているのかをデンスス88はこれから詳細に調べ上げようとしている。
ところで出国しようとして逮捕された7人に対しても国家警察は厳罰で臨む方針を明らかにした。従来はかれらのような者に対して、過激思想に踊らされた被害者であり、逮捕し取調べて調書を取りデータを記録しただけで故郷に放免するという温情的な処置が取られるのが普通だったため、2015年には数百人のインドネシア国籍者がトルコから送還されてきたが、最終的に刑罰が与えられないまま故郷に返されている。2016年2月にも、トルコから207人が送還されてきた。
また、シリアに向かう出国者の送り出しに手を貸し、協力や指導を行い、あるいはその資金手当てをした者に対しても、厳罰に処すケースは従来なかった。ところが国家警察は9月22日に逮捕された7人の送り出しを幇助した四人に対して、「テロリズム刑事犯罪撲滅」に関する2003年法律第15号第7・9・15条を適用する姿勢を明らかにした。その刑罰は最長20年の入獄となっている。


「国内テロリスト界にウイグル人の影」(2016年11月1日)
バタム島から対岸のシンガポールへロケット砲攻撃を計画していたのが摘発されて、2016年8月上旬にソロのテロリスト集団カティバギギラフマッ別名キタバゴンゴンルブス(KGR)のメンバー6人がバタム島内で逮捕された。このグループはダエシュ幹部バフルン・ナイムに服属してイスラム国(IS)への忠誠を誓っている者たちだ。デンスス88はさらに24歳の男を9月上旬にバタム島内バトゥアジ地区で逮捕した。
国家警察広報官はその男の取調べ結果に関して、去る9月4日に次のような内容を公表した。それによれば、KGRは東トルキスタン・イスラム運動から資金供与を得てウイグル人テロリストのインドネシア潜入を援助しているとのこと。ドニとアリというふたりのウイグル人がKGRの援助で国内に入り、その後二人とも逮捕され、ドニは国外追放され、アリはテロ計画に加わっていたことで2015年12月にデンスス88が逮捕し、今は起訴の前段階にある。
KGRが東トルキスタン・イスラム運動から受けた資金は最初、ウイグル人の生活費に充てられていたが、その後はメンバーの戦闘訓練やテロ計画の資金、さらにはシリアのダエシュ支配地域にインドネシア人を送り出す活動にも使われた。
バタム島バトゥアジ地区のワルネッで逮捕されたその24歳の男は、タンジュンウンチャンのタマンカリナ住宅地の兄の家に一年前から同居し、ソーシャルメディアを通してラディカリズムを宣伝したり、他のジハーディストと積極的に連絡を取っていた。シリアへのインドネシア人送り出しでは、かれが関与した人数は数十人にのぼっている。
KGRはシリアに向かうダエシュ参加者に事前の戦闘訓練を与えており、バタム島内で空気銃とエアソフトガンを用いて模擬戦闘を行っていたらしい。
東トルキスタン・イスラム運動というのは、中国からウイグルを武力で分離独立させようとしている勢力で、中部スラウェシ州ポソでサントソが率いた東インドネシアムジャヒディンにもウイグル人が参加しており、インドネシア国内の過激派グループと深いつながりを既に築いていることをうかがわせるものだ。


「国内テロリストより優秀な外国人」(2016年11月2・3日)
ラディカリズム運動に外国人の影が見え隠れするのは、長い歴史の中で世界中に一般的なことだったにちがいない。現代イスラム宗教テロが活発化する以前から、さまざまな急進的イデオロギーの現実化を試みる者たちが異国の同志の起爆剤たらんとして祖国を去って行ったストーリーは多々語られている。その領域においてグローバル化は何世紀も前に扉が開かれていたと言えないだろうか。
インドネシアのテロリズムは2000年の初期に国内潜入したマレーシア人のドクトル・アザハリとノルディン M トップが火をつけた。かれらの記念碑的犯行は2002年のバリ爆弾テロ事件だろう。2010年代に入ってからは、国内のテロ活動にウイグル人の影が指すようになった。
中でも最も目を引いたのは中部スラウェシ州ポソに拠点を築いたMIT(東インドネシアムジャヒディン)に加わったウイグル人だちで、10人ものウイグル人がリーダーのサントソの片腕となって働いていた。軍と警察が大がかりな壊滅作戦を展開して、サントソを射殺し、ナンバー2を逮捕し、MIT組織は崩壊し、残った少数のメンバーたちの掃討・逮捕作戦が続けられている段階にはいっている。
ウイグル人は6人が死亡し、4人が逮捕されて裁判にかけられ、入獄6年が宣告された。MITリーダーのサントソはウイグル人の優れた能力を重宝し、あらゆる作戦にかれらを同行させた、と中部スラウェシ州警察長官は語る。
「サントソはウイグル人に高い信頼を寄せていた。食糧や武器弾薬などの資材を運ぶとき、ウイグル人たちはインドネシア人メンバーの二倍の量を運搬することができたため、サントソはかれらの能力にたいへん助けられたようだ。」
ウイグル人たちは銃器を携帯してMITの作戦行動に参加したが、かれら全員が最初から軍事戦闘技術を身に着けてやってきたわけではない。MITのナンバー2だったダエン・コロがかれらをゲリラ戦のこなせるテロリストに鍛え上げたのだ。
どういう経緯でウイグル人がインドネシアのテロリストと手を組んだのかという疑問が湧く。1949年に中華人民共和国が成立して以来、西辺の後進地域住民であるイスラム教徒が示す反発や抵抗に対して人民共和国も激しい差別と弾圧をもって臨んだ。2003年にはウイグル人の政治活動組織4団体とウイグルにかかわりを持つ11組織をテロリストとして非合法化している。
人民共和国政府という支配者への反抗は同時にイスラム世界への連帯をも模索させる。早い時期からオサマ・ビン・ラデンの組織に加わったウイグル人もおり、更にISISに参加するウイグル人も数多い。MITに加わったウイグル人の中にはISIS内ウイグル人組織からの指令に従ってインドネシアにやってきた者がいる。
ISIS内インドネシア人組織幹部であるバグス・マスクロン別名バガスがウイグル人組織幹部とシリアで協議し、ウイグル人戦闘員をシリアまで来させるための中継基地を中部スラウェシ州ポソに設けることで合意がなされ、何人かがイスタンブール⇒クアラルンプル⇒プカンバル⇒ジャカルタ⇒ボゴール⇒バンドン⇒マカッサル⇒パル⇒ポソというルートでMITに到達している。しかしMITの10人がすべてダエシュ戦闘員だったわけでないのは、上で述べられているとおりだ。ちなみに2014年9月にインドネシア国内で逮捕されたウイグル人4人は元々インドネシアに亡命を希望して密入国し、ボゴールの難民キャンプに収容されていた。ところがかれらをMITに誘う者があり、4人は同意してポソに向かう途中で逮捕されたという事件もある。その4人は裁判にかけられ、ポソにある行き先がテロリストグループであるとは知らなかった、と法廷で証言している。
2015年12月にはジャカルタで自爆テロを行うための準備をしていたウイグル人が逮捕され、2016年5月にはインドネシアのパスポートで入国しようとしたウイグル人が空港で逮捕されている。
ダエシュ戦闘員になるためのウイグル人をシリアへ送り出す基地機能をインドネシアが担い、そのための資金がインドネシアのテロリスト界に送り込まれているが、シリアとイラクでの状況が戦闘員の増員を必要としなくなる方向へ変化していくなら、ISISが次に狙う支配領域の世界分散を成功させるために、送り出し基地は収容基地へと変質する可能性が高い。インドネシア反テロ国家機構の活躍とサイレントマジョリティである平和と宥和志向一般国民の増加と強化が期待されるところだ。


「国家転覆/革命計画の裏に潜む者」(2016年11月23日)
ダエシュ/ISISのインドネシア人グループのリーダーのひとりであるバフルン・ナイムが持っているインドネシア国内ネットワークの一部を警察が暴いた。6人の一味のうち5人はブカシ県セトゥ郡ルバンブアヤ村、もうひとりは西ジャカルタ市ラワブアヤでデンスス88が逮捕している。
この6人は過激派組織ジャマア・アンサル・キラファ・ダウラ・ヌサンタラのメンバーと見られており、警察はその裏付けを取る動きに入っている。この組織はインドネシア国民をシリアとイラクのダエシュ/ISISに送り込む活動を行っており、バフルン・ナイムとの密接なつながりを警察は確信している。
その6人はダエシュ/ISISに戦闘員を送り込む活動だけでなく、首都圏でのテロ活動をも計画してきたとの疑いを警察は強く抱いており、中でも2016年11月4日のアホッ都知事宗教侮辱糾弾デモのあとで起こった暴動に関与したとの容疑がかけられている。首都警察によれば、そのときの暴動は1998年5月暴動のシナリオを真似たもので、都内全域を暴動の嵐に引きずり込むことを目指して扇動者・使嗾者が先駆し、一般ムスリム大衆を煽り立てて自陣営の戦力にしようとする目論見だったようだ。
警察はその情報を前もって嗅ぎつけており、都内要所で第一級警戒配備を行っていたため、11月4日夜の暴動は大統領宮殿前から北ジャカルタ市プンジャリガン地区に飛び火したところで治安部隊に抑え込まれ、「全都火の海」計画は失敗に終わっている。
98年5月暴動はスハルト大統領のオルバ体制を崩壊させる必殺の剣となったものだが、オルバ体制下に醸成された反政府感情の濃さと、現政権下に一般民衆が抱いている反政府感情を比較するなら、その違いは明白だろう。激動の時期を乗り越えて来た一般国民の精神の成熟度が試される舞台が今しつらえられつつあると言えるかもしれない。


「国家転覆革命は2020年に」(2016年11月28日)
国家警察デンスス88反テロ特殊分団が16年11月23日9時ごろ、西ジャワ州マジャレンカ県バンジャラン郡ギリムリア村に住む23歳の男をテロ犯罪容疑で逮捕した。
その家で一人暮らししていたこの男は村の住民とほとんど交わらず、ここへ買物にくるときでも即席めんを買うだけで、言葉を交わすこともめったになかった、と近隣の雑貨ワルンの店主は物語っている。
警察がこの男を逮捕したのは高性能爆弾を手製してテロ攻撃を行う計画を進めていることがはっきりしたからで、男の住んでいた家の中から爆弾を作るのに必要な種々の素材から、爆破テストのために家の中に設けた実験室まで、容疑を裏付けるたくさんの証拠が発見された。
警察が集めた情報によれば、この男は仲間をひとりも持たず、直接ダエシュ/ISISのインドネシア人グループリーダーのひとりバフルン・ナイムとインターネットを通して接触していた。これまでテロリストグループは3〜4人のセルを作って非合法活動を行うのが一般的だったが、今回の逮捕劇はそのあり方に変化が起こっていることを感じさせるものだ、と警察は指摘している。どうやら、インドネシアにおける活動をダエシュの戦略指導下にインドネシアの現地小グループにゆだねるのでなく、ダエシュが軸になってひとりひとりに指示しながら多数のローンウルフをひとつのオペレーションの中で動かすというスタイルへの変化がそれなのではあるまいか。そのように横のつながりを作らず、組織全員が指揮官と縦でつながっているだけの組織は、構成員が何人警察に捕まろうが、組織が打撃を受ける範囲はきわめて小さい。
警察は捜査で集めた情報やその男の取調べ供述を総合して、この容疑者がどのようなことをしようとしていたのかについて全貌を把握した。国家警察が11月25日に行った記者発表によれば、この男には国内の5つ、国外の3つの口座から合計3千2百万ルピアの資金が送りつけられていた。国内はアチェ・西ジャワ・東ジャワ・南スラウェシから5件の送金、国外はマレーシア・台湾・サウジアラビアから3件で、バフルン・ナイムもしくはダエシュがそれをアレンジしたようだ。警察の調べによれば、国外にいる送金者は海外出稼ぎプログラムで国外に働きに出た者である可能性が高いとのこと。
容疑者は第一次・第二次バリ爆弾テロ事件で使われた爆弾より2〜3倍強力な高性能爆弾を作り、それを使って国会議事堂・国家警察本部・警察機動旅団司令部・大使館・TV放送局・宗教施設・カフェなどに爆弾攻撃をかけ、インドネシアの現体制を崩壊させてイスラム教国家に変えてしまう革命を2020年に成就させる計画を描いていた。その夢がバフルン・ナイムによって導かれたものであることはきっと間違いないだろう。
テロリズムオブザーバーのアル・ハイダル氏は警察に対し、容疑者に資金を供与した者たちを徹底的に洗い出すようにしなければならない、と警告した。「インドネシアでテロリストが絶えることなく登場して来るのは、これまで資金供与者に対する捜査が十分に行われていなかったからだ。かれらの資金源を徹底的に抑え込むことで、状況が改善されていく余地はたっぷりある。」
国家警察は上述の8件の送金に関する捜査を続けることにしている。


「少年テロリスト」(2016年12月29日)
テロ組織が子供をメンバーに加えて現場でのテロ活動に使うという手法が、インドネシアでも盛んになりはじめている。国家警察デンスス88が2016年に取り扱った事件の中で、14歳の少年がひとり、16歳がふたり、17歳がふたり、合計5人の未成年者が事件簿に記載された。
14歳の少年は1月14日の中央ジャカルタ市タムリン通りでのテロ事件に関連して、自爆テロ者のひとりに関する情報を警察に秘匿しようとしたために逮捕され、もうひとり17歳の少年も、そのとき爆弾作製の手伝いをしたために逮捕された。
16歳のふたりは去る11月に起こった東カリマンタン州サマリンダのオイクメネ教会への爆弾テロ事件に関連して、ひとりは爆弾の材料を購入し、もうひとりは爆弾作製の手伝いをして協力した。そしてもうひとり17歳の少年は去る8月にメダンの聖ヨセフカトリック教会で司祭を襲撃したが、失敗して逮捕されている。
ダエシュ/ISISとそれにつながる世界中のネットワークは子供のリクルートに熱を入れている。かれらはカリフ王国を築き上げることを使命にしており、そのためには幹部候補者の分厚い層を形成する必要があり、さらには世代を超えてその王国組織を維持繁栄させるために子供が、そして赤児が不可欠とされているからだ。
テロリストグループの少年層リクルートの動きは真剣に対応しなければならない現実の脅威と化している、と平和の碑財団発起人ノール・フダ・イスマイル氏は語る。
「テロ組織が子供たちにラディカル化プログラムとリクルートを仕掛け、そして参加した子供たちをテロ活動に使う戦略の成否は、子供たちが属している社会環境とソーシャルメディアが大きな鍵を握っている。上述の5人の少年たちの中の4人は、社会環境がかれらのラディカル化を推進させた。家族・友人・学校が子供のラディカル化に影響をもたらす社会環境内の主要ファクターだ。
その年代の子供たちは自分というものを発見する精神的彷徨の中にいる。その子を取り巻く環境が、その子の物の見方に強く影響する。そういう状態の中で過激な思想や観念に同調してしまえば、インドネシア共和国統一国家を否定してダウライスラミヤを建設するジハードを自己の義務と考えるようになりかねない。この現象を決して軽視してはならない。」
政府はラディカルグループの動きとテロ行動の抑止ばかりに神経を集中していてはならない。テロリストネットワーク、特にダエシュ/ISISが子供をリクルートして若返りや世代交代を目指している動きに対抗する戦略を作り出し実践しなければならないのだ、とかれは力説している。
政治法曹保安統括大臣は政府の反テロ対策について、テロリズムを抑え込むために大きく分けて硬軟ふたつの対応が並行して執られている、と語る。説得的でソフトなアプローチと、捜査逮捕というハードなアプローチだ。
「テロリズム抑止対策としてソフトアプローチ型の方針が全国で広範に実施されることになっている。教育文化省を通じて、全国の教育者にテロリズムの危険を理解させるプログラムだ。テロリズムに対する抵抗力が強化されることが期待されている。」
テロリストの六法全書に児童保護法など存在しないのは疑いあるまい。テロリストのロジックを踏まえた上で、それを打破する対策がいま求められている。