「パンチャシラは宗教独裁への防波堤」


「パンチャシラは宗教独裁への防波堤」(2017年3月8・9日)
インドネシアのデモクラシーは、複合種族による統一民族国家という一体感と、その構成員はすべて平等公平であるという原理が支えている。昨今インドネシアで起こっている現象は、それらの原理が揺さぶられていることを示すものであり、その動きが激しさを増せば、デモクラシーを基盤に据える統一国家は存立し続けることが困難になっていくにちがいない。

インドネシア科学アカデミー会員ユディ・ラティフ氏はその一体感と公平感をインドネシアデモクラシーのふたつのウイングだと言う。そのウイングのひとつである公平感はインドネシアの社会格差が拡大の一途であるために、公平さを全国民に確信させることが困難になっている。この現象はインドネシアだけでなく、世界中の諸国で同じように進行しているものであり、インドネシアがグローバル経済の一環につながっているかぎり、その影響から免れるのは至難のわざだ。
ところがもうひとつのウイングである一体感も、ヌサンタラの基本的な精神価値である寛容性に向けられた攻撃によって、一体感を織り上げていた錦が裂け始めていると見られている。
しかしまだ火の手があがったわけではない。鍵を握っているのはインドネシアイズムの将来に変化をもたらす可能性を抱いているミドルクラスだ。アーバナイゼーションで村落部から都市部に移って来てインテリミドルクラスに昇格するひとびとがいるとはいえ、経済的政治的要因でその上昇が阻まれることもあれば、転落することも起こる。その停滞や転落の原因となったとかれらが考える者に対する怒りが生じる。政党は国民の意思を代表していないと見られているために、かれらは怒りの解決を政党に求めることをしない。現実に政党や国会議員は、国民の声を政治に反映させることよりも、政治プラグマティズムの実践にのめり込んでいる。

インドネシアで行われているデモクラシーは、今や資本主義的プラグマティックなエリートを次々に作り出していく、資金を持つ一部政治エリートを利しているだけであり、国民は既にそのデモクラシーを見放している、とアブドゥル・ムッティ、ムハマディヤ中央執行部事務局長は語る。
法的仕組みは政党がその本来的機能を果たすための余地と位置を与えているが、政党は自己修正に失敗しているため、その構図にブレークスルーは起こらない。
国民は不満の解決を政治に向けず、ソーシャルメディアに不満をたれ流している。「日常生活では礼節正しい人間が、ソーシャルメディアに中傷や讒訴を書き込む。まるでモラルの基準が違っているみたいだ。オフライン環境で他人を罵るのは罪であっても、ソーシャルメディアでは別なのだろう。」
インドネシアデモクラシーのもうひとつの柱である市民社会組織は、統一民族の価値観を守護するための政府のフルサポートを得ていない。ナフダトゥルウラマやムハマディヤを筆頭にする宗教民間団体は社会政治的問題が起った時だけ火消し役に使われている印象が強い。「宗教民間団体は国家生活の基盤をインドネシア共和国統一国家とパンチャシラであるとしているのだから、政府が国民の価値観を維持することに努めるとき、ナフダトウルウラマやムハマディヤに協力者としての役割をもっと強く求めるよう希望する。」ナフダトウルウラマ中央執行部事務局長はそう述べている。

国家警察広報部長はナフダトウルウラマやムハマディヤに対し、パンチャシラと寛容性という民族の基本価値観を守護するために、リーディングセクターとしての役割を期待していると語った。
「民間団体のメインストリームである大型組織がパンチャシラを全国民に対する最優先規範として盛り立てて行くことは大いに期待されているところであり、メインストリームが沈滞していれば、伝統ある民族イデオロギーはラディカルグループに破壊されてしまうだろう。」 全国民が有機的に融合し合ってデモクラシー国家であるインドネシアの国家原理を維持していくことが急務となっているこの時期に、国民の一体感は一部勢力の示威活動によって分裂の気配を深めている。その一部勢力の示威活動がもっと大きな謀略の中で動いている可能性を感じさせる現況は、更なる深刻化を可能にするかもしれない。諸宗教・諸種族・諸文化の統合体という世界に数少ない人類の理想のテスト場となったインドネシアが、その建国時の理想を継続できるのかどうか、今、その正念場に差し掛かっていると言えるにちがいない。


「パンチャシラよ、永遠なれ」(2017年2月27日〜3月7日)
国家イデオロギー「パンチャシラ」の存在に横車を押し、あるいはその内容をいじくろうとする集団の動きが顕著になりつつあるいま、そのようなグループが何者であろうと、政府は厳格な措置を行って国家の存立基盤を護持するように努めなければならない、と諸政党が政府の手ぬるい対応を批判した。

国会第一党であるPDI−P党事務局長は、国家生活と国民生活の根底を支えている国家原理は議論の余地を持たない最終決定である、と党の姿勢を強調した。「過日、党首が行ったスピーチの中で、インドネシア国民のマジョリティはサイレントマジョリティになっているとの警告がなされた。昨今、インドネシア国民の一体感や相互理解のための寛容性を破壊し、国民を離反・反目させてインドネシア統一国家を崩壊に導こうとする企みが激化している。わが党はパンチャシラ国家の護持をコミットしているのであり、そのためにマジョリティ国民がサイレントの状態を脱け出してインドネシア統一国家を守るために侵略者に反対する声を高めて行くべく、党活動の焦点のひとつに位置付けた。」
ゴルカル党とナスデム党も、全国民が一丸となってビンネカトゥンガルイカとパンチャシラの国是を護持しよう、と国民に呼びかけた。その二党党首の会談で双方は、パンチャシラに横車を押そうとする者は誰であれ、強硬な態度でそれに臨み、厳しい措置を採ることを掛け値なしに実行するよう、政府に申し入れを行うことで合意した。「パンチャシラ・統一・団結・強固たるインドネシア統一国家は妥協を許さない国家イデオロギーだ。われわれは昨今、国民の声を国会に上げて政治に反映させようとするデモクラシー方式よりも、街頭に多数の人間を集めて威勢を顕示しようとすることを選択するプレッシャーグループの台頭に直面している。そのような動きは断乎として排除し、建国以来の伝統を誇るデモクラシーを守って行かなければならない。」ナスデム党党首はそうコメントしている。


パンチャシラとは、約束したインドネシア独立の準備のために日本軍政期末に作られた独立準備調査会の中で、民族指導層が発案したいくつかの国家原理が最終的にまとめられたものであり、指導層の頂点にいたスカルノが1945年6月1日に表明したものが最終ベースとなって調査会に諮られ、それが練り上げられたものが現在のパンチャシラになっている。決してスカルノひとりがすべてを決めたわけではない。
まず5項目の国家原理が定められ、その内容に即して憲法が作られた。国家原理を逐語的観念的にしか理解できないひとびとにとっての国家の基本は憲法にあることになるのだが、より柔軟なひとびとにとっての国家構造のベースはパンチャシラなのであり、かれらにとっての憲法は副次的なものととらえられるにちがいない。そこの使い分けはケースバイケースだろうが、そのことがどういう帰結をもたらしてくるのかについて、わたしにはまだ先がよく見えていない。

そのパンチャシラについて、もう一度内容を確認しておこうと思う。パンチャシラとはサンスクリット語から取り込まれた古ジャワ語のパンチャ(5)とシラ(原理)という語から成っている。
一説では、パンチャシラより先にムハンマッ・ヤミンが新生インドネシア共和国が基盤に据えるべき5つの原理を次のように説いたとされている。
1.Peri Kebangsaan
2.Peri Kemanusiaan
3.Peri Ketuhanan
4.Peri Kerakyatan
5.Kesejahteraan Rakyat
要は、国家原理はそれらの5項目をカバーしなければならない、という意図だったようだ。

1945年6月1日にスカルノは国家原理を次の5項目にまとめてパンチャシラと称し、独立準備調査会で発表した。
1.Kebangsaan Indonesia
2.Internasionalisme atau Peri-Kemanusiaan
3.Mufakat atau Demokrasi, dasar perwakilan, dasar permusyawaratan
4.Kesejahteraan Sosial
5.Ketuhanan

それが調査会の中で練り上げられ、そして最終的に確定したのが次の内容だ。
1.Ketuhanan Yang Maha Esa
2.Kemanusiaan Yang Adil dan Beradab
3.Persatuan Indonesia
4.Kerakyatan Yang Dipimpin oleh Hikmat Kebijaksanaan, Dalam Permusyawaratan / Perwakilan
5.Keadilan Sosial bagi seluruh Rakyat Indonesia
上の5項目の順番を優先度と見るなら、それぞれの発案の中で項目別の優先度が転変していることがわかる。

中でもKetuhananをスカルノが他の項目より低い優先度で考えていたのは、インドネシアという国を日本のような西欧列強に伍す国に育て上げていくために、宗教まみれの国民ではそれがおぼつかない、ということを痛感していた結果だろうと思われるのだが、他の民族指導者の多くは現存する民族感情を肯定する姿勢を示したようだ。その民族感情の中味というのは、圧倒的マジョリティのイスラム教ならびに国家生活よりも宗教生活を上位に置く生活観であり、宗教対立を当然と見なす保守的感覚であり、科学の進歩よりも教典教義の盲目的追従を最善の姿勢とする先例主義だったということだろう。
ある意味で急進的なスカルノのその考え方はレジームの後半にかれを一種の独裁者的存在に押し上げ、Ketuhananを蔑視する共産党を政治体制のひとつの柱にしてしまうという失政へと向かわせた。冷戦構造の狭間における930事件の勃発というのがその帰結であるのは明白だ。


標準化された日本語訳ではこのKetuhananという語義を「信仰」としているが、それを奇妙に感じるのは、わたしだけではあるまい。名詞に付けられたke-anという接辞は、その名詞の性質を示すものなのである。神は信仰される対象概念なのであって、神が何かを信仰するという話は聞いたことがない。神が持っている性質の中に信仰が混入されることは、視点の混乱ではないかという気がする。つまり「信仰」というのは神に相対する人間の側が持つものであって、神の側に自出的に存在しているものではないということだ。人間が神を戴くときに出現するのが信仰なのではなかったろうか?だからこそ、一神教だというのに人間はその神をさまざまに描き出して、その異なる姿をひとりひとりが区別し、選択さえしているではないか。
ちなみに標準英語訳を並べてみると、Ketuhananがbeliefと訳されており、それが「信仰」という日本語を導き出しているように見える。つまり日本語訳はインドネシア語原文から直接導かれたのではないという可能性が浮上して来る。
Ketuhanan Yang Maha Esa : Belief in the absoluteness of God : 唯一神への信仰
KBBIにsifat keadaan tuhan, segala sesuatu yg berhubungan dng tuhanと説明されているketuhananに対応する英語はdeityであって、beliefではない。
オックスフォード辞典にはそれらの語義がこう説明されている。
belief : persuasion of the truth of anything, religious faith, the opinin or doctorine believed
deity : divinity, godhead, a god or goddess
Deity : the Supreme Being

日本語の信仰という言葉もそうだ。
信仰というのはもちろん、神に関連するあらゆるもののひとつではあるのだが、それは神に相対する人間の側に属しているものなのであり、神自体に付着しているものではないとわたしは考える。神は神として、それを神と定義付けるあらゆる性質を持ってただそこに存在しているだけであり、その神に相対する人間がそのものを神と認め、存在していることを信じ、それに服従しようとする。それが信仰という言葉が持っている意味合いではないのだろうか?
だからより適切な英語訳として、Deity in the absouteness of Godとされるのが本来的な意図を汲み取った表現になったのではあるまいか?結局のところKetuhanan Yang Maha Esaという語句が述べているのは、多神教でない一神教型の神性あるいは有神論を国家の基盤に据えるということなのであり、いわゆる一神教のカテゴリーに属するイスラム教・キリスト教・ユダヤ教を国民に信仰せよと命じているわけではないのである。

もし英語訳=日本語訳の語義通りの理解が国是となっているのなら、インドネシアは宗教国家になっているはずだ。国は国民に国是への服従と遂行を命じて、その国是を実現させなければならない義務を負っているはずではないか?
もし国家原理の筆頭項目が一神教への信仰を命じているのであれば、国民の間に宗教警察が幅をきかせ、国民は無神論的言動に戦々恐々とし、かつてアフガニスタンで行われたようなタリバン政権下のアマルマッルフナヒムンカル政策そのものが行われても不思議ではないだろう。しかし現実はそうなっていない。
「一神教以外の信仰者と無信仰者は非国民であり、国民としての権利は与えない」というような宗教国家でない現実が国家設立の最初から世界中の目にさらされてきた。もしそのようなことをすれば、人道主義や全国民にとっての福祉繁栄といった他の原理項目に違背することになる。教義や合議を重要視する人間集団が、たった5項目の国家原理の中に互いに矛盾しあうものを並べて平然としているようなことが、本当に起こりうるのだろうか?
人間集団の叡知は独裁者には持てないロジカルな合理性を生み出してきた。われわれが歴史を学ぶのは、そういう人間観がわれわれの内面に育つのを促進させるためでもある。

だから、インドネシア共和国国家原理の筆頭項目は国民に一神教の信徒になるように命じているのでなく、この共和国は一神教型の有神論を基盤に置くのだということを表明しているように思われる。言うまでもなく「信仰」というものが一神教型有神論の概念の中に含まれるものであるのは間違いない。ではあっても、そこに見出されるのは視点の高さの差異というものだ。有神論という原理が肯定される場においては、信仰という個人的な細かいものごとは二次的なものでしかない。国が国民ひとりひとりの信仰のあり方を追いかけまわすようなことをするかどうかということなのである。
このあと登場する第4代大統領アブドゥラフマン・ワヒッ氏の実弟、サラフディン・ワヒッ氏の2016年9月に公表された論説の中で、パンチャシラ筆頭項目に関連することがらの中に出現しているのは有神論型国家が描いてきた歴史の軌跡がもっぱらであり、個人的集団的な信仰という面はわずかに触れられているばかりだ。そこを見ただけでも、インドネシアの知識人はKetuhanan Yang Maha Esaの語句をどのように理解しているのかということが推測できるだろう。

日本語であれ英語であれ、上で見て来たような誤訳あるいは誤解が作られていることによって、一部外国人のインドネシアに対する間違った理解が促されているように思えてならない。いったい、何を目的にしてそのようなことが行われたのだろうか?
国是で一神教の信仰を国民に命じておきながら、国民生活は禁欲的清教徒的なイスラム色に覆われておらず、ミニスカギャルが舞台上で飛び跳ね、田舎のダンドゥッステージでは女体を浮き彫りにさせた衣装で歌手がセクシーに身をくねらせている実態を知るに及んで、インドネシア人はチャランポランだという意見が退きも切らない。
インドネシア人はチャランポランでないと言うつもりはわたしにない。ただ上のような意見を育ませているひとびとの思考法の中に、間違ったことがらが詰め込まれているのを指摘しているだけだ。間違ったパーツを組み上げて行けば、飛行機の形が出来上がっても、空を飛ぶことはできない。ものごとはニュートラル且つ正確に把握されるべきではないのだろうか?
あちこちで拾い上げた言葉を検証も肉付けもなく、ただ観念的に組み上げてひとつの概念を構築し、他者を見下し蔑視するべく使うという小児じみた性向が上のような誤訳によって助長されているようにわたしには思える。偏った情報の中で育まれた狭い人間観がもたらす弊害をわれわれはそこに見ているのである。


サラフディン・ワヒッ氏は2016年9月に公表した論説の中で、現代インドネシアにおけるパンチャシラの各項目について、次のように説明している。
(1)Ketuhanan Yang Maha Esa (一神教型の有神性)
この第一項目はイスラム性とインドネシア性のコンビネーションを示している。中東の多くの国は、いまだにイスラム性と民族性のコンビネーション構築をやりおおせていない。1946年1月にインドネシア政府内に宗教省が設けられ、イスラム性とインドネシア性のコンビネーション構築がスタートした。
憲法とこのパンチャシラ第一項目に関連する諸法令はパンチャシラ型国家の理想にほぼ沿ったものになっている。パンチャシラ型国家への道程は長く険しいものだ。婚姻に関する1974年法律第1号の制定プロセスがどんなものだったのかを覚えているひとは少ないだろう。独特のイスラム法をその中に融合させたはじめての法令だ。
婚姻法案を審議中の国会議事堂にさまざまな市民団体の青年たちがなだれ込んだために、審議が中断した。かれらは婚姻法の中でイスラム法が容認されることを要求した。一方、非ムスリム層はそれに反対した。特殊なイスラム法が婚姻法の中に融合されたなら、インドネシアはイスラム教国家になってしまう、と懸念したからだ。
最終的に法案は変更されて、特殊なイスラム法を中に含む、ユニバーサルでない初の法令となった。その結果、婚姻法は各宗教の決まりに従う結婚の実施と国法の統合を実現させるものになったのである。もちろん、その法律に関連して起こっている問題がないわけでもない。女性を虐げているニカシリ問題や宗教間婚姻の問題などがそれだ。
そのあと、法曹基本法の一部をなす宗教法廷法案の審議でも同じことが起こった。人種・種族・宗教で差別されることのない同一の法システムが全国民に適用されるのを望むひとびとがそれに反対した。最終的にその法律は国会が1989年に成立させた。
次いでシャリア銀行法・ワカフ法・ハジ法・ザカート法などのイスラム的な諸法令が制定された。レフォルマシ時代のユーフォリアが、問題を煽るシャリア関連の地方法規をたくさん出現させた。宗教関連の共同大臣規則にも問題があふれている。
憲法・法律・細則などにあまり問題がなくなったとしても、現場行政はなかなかそう行かない。多くの地方で、宗教施設建物を建設するのは、まだまだ困難だし、アフマディヤ派やシーア派の信徒は依然として差別を受けている。宗教不寛容は相変わらず出現している。

(2)Kemanusiaan Yang Adil dan Beradab (公正で文明的な人道主義)
改正憲法第28条で生存権・医療や教育を受ける権利・結社の自由・意見表明権・信教と宗教祭祀の自由・福祉的生活の権利・法の前の平等の権利・国民の保護される権利などを含む国民の基本的人権は保証されている。
憲法が保証している諸権利の一部は実現しているものの、まだ達成されていないものもある。医療サービスを受ける権利は2014年から開始されたので、その医療サービスにまだまだ足りない面があるのは当然だ。2014年の世界栄養報告によれば、栄養不良の国民がまだたくさんいる。
クオリティのある基礎教育中等教育を受ける権利も、まだ完璧に満たされてはいない。国民就学期間・施設の不適切な小学校数・教育方法を訓練されていない教員・教員の生活福祉が満たされていないことなどがそのファクターになっている。
法律の適用をだれもが同じように受ける権利も、一般国民は概して享受できていない。法は権力に負け、金に負け、群衆の圧力に負けている。法は下に向かって鋭利だが、上に向かっては鈍重だ。民衆は医薬品やジャムウのニセモノの害から保護されていない。アーチストはかれらの著作品への保護が与えられていない。

(3)Persatuan Indonesia (インドネシアの一体性)
この第三項目も標準日本語訳と英語訳では「インドネシアの統一」「The unity of Indonesia」となっている。ただ、この項目に関連してインドネシア人が通常述べるのはpersatuan dan kesatuanであり、そのふたつの概念のうちpersatuanが選択されたと見るのが妥当ではないかと思われる。つまり両者が持っているニュアンスの差がその結果を生んだということだろう。
ここで再びインドネシア語接辞の原則に立ち返ると、persatuanはber-動詞であるbersatuが名詞に変化したものであるという理解が出現する。つまり「一体化する」という動詞が「一体化すること」という名詞にされていることがわかる。インドネシア民族の一体性、つまりはビンネカトゥンガルイカがこの項目の柱になっていると見るべきではあるまいか。
多様性を持つインドネシアがひとつにまとまる、あるいは団結するというニュアンスがこのpersatuanという言葉から感じられることが、パンチャシラを定めた建国の父たちの意図を汲むことになるのではないかという気がわたしにはするのである。そのとき、「統一」あるいは「unity」という言葉が読者にそういうニュアンスをもたらしてくれるかどうか、というポイントが出現する。もちろん、「統一」という語が誤訳だと言っているのでなく、もっとそのニュアンスに肉迫する言葉はないのか、という疑問だ。
もうひとつのkesatuanについては、ひとつにまとまったものを一個として外から眺めている心象が出現する。kesatuanが使われる語のひとつにNKRI(Negara Kesatuan Republik Indonesia)がある。NKRIというのは既に統一された一個の存在なのであり、上のpersatuanがひとつにまとまろうとして中でうごめいている動的性質を言外に語っているのとは異なり、kesatuanは既にできあがったひとつの統一体を形態的に述べているようだ。
わたし個人の語感では、「統一」という語はkesatuanにより近く感じられ、persatuanに対しては動的ニュアンスのより強い「団結」や「一体化」という言葉をついつい選択したくなる。事の当否は読者におまかせするしかないのだが。

さて、サラフディン氏の論説に戻るとしよう。
インドネシアの一体性を損ない、分裂させようと挑んでくる、PRRI、プルメスタ、DI/TII、PKI、そしてGAMからOPMに至るまで数多くのできごとをわれわれは経験している。オルバレジームはインドネシアの一体性を維持するために治安型アプローチをメインにしたため、人権違犯がたくさん発生した。
ポストオルバ期に出現した分離主義グループは、部分的に市民や警察を標的にしてテロリズム戦略を用いるイスラムグループだ。かれらはイスラム教義やインドネシアの歴史を正しく理解していないムスリムたちなのだ。
他のイスラムグループは、イスラム教国家やカリフ制国家の実現を勝ち取ろうとする者たちで、かれらは独立宣言の理想を達成することにパンチャシラは失敗したと考えており、その誤った理解に国立イスラム教大学以外の国立大学教官たちを含めて大勢が共鳴している。

(4)Kerakyatan Yang Dipimpin oleh Hikmat Kebijaksanaan, Dalam Permusyawaratan / Perwakilan (英知に導かれる合議制と代議制方式の人民主権)
このタイトルは理想であり、現実にはしばしば悪用されている。ブンカルノは国会を解散してDPR-GR(ゴトンロヨン国会)とMPRS(暫定国民協議会)を作って自分が選んだ議員を送り込んだ。大政翼賛議会だ。スハルト時代は軍会派とFKP(公共諮問フォーラム)を通して議会が牛耳られた。
現在われわれが行っているデモクラシーは、代議制の中で英知に導かれた合議制になっていないようにわたしには思われる。われわれのデモクラシーの現状は、政党党首選挙から州・県本部の長に至るまで資金力が結果を出している。
大統領や地方首長選挙における直接選挙制度はわれわれの政治生活にたくさんの問題を持ち込んでおり、多数のひとびとはそのシステムがこのパンチャシラ第4項目に合致していないことを感じている。そうではあっても、現在のシステムは大変優れた業績を出す地方首長たちを輩出させている。大統領直接選挙からは、そのように顕著な業績を出す大統領がまだ出ていないものの、決して劣悪な大統領というわけでもない。

(5)Keadilan Sosial bagi seluruh Rakyat Indonesia (全インドネシア国民に対する社会的公正)
社会公正は最後に置かれているが、これは他の4項目の基盤を支えるたいへん重要なものである。にもかかわらず、この項目はこれまであまり重視されなかった。2000年のジニレーシオは30台だったというのに、今やそれは41にまでアップしている。中央統計庁が使っている国民貧困者数統計基準は世銀のものと異なっている。世銀の基準を使えば、わが国の貧困者は50%に近付いていくのだ。政府が言う12%などではない。
きわめて多数のインドネシア国民が陥っている貧困は、構造的なものだと言われている。国の政策の方向性が誤っているために起こっているとして、スリトゥア・アリフとアデイ・サソノが1980年代に使った術語だ。あれから30年経過したというのに、その現象はいまだに続いている。
われわれの経済政策は、経済上の公正さを実現させる国家政策の形で構造的転換が必要とされている。2007年から土地改革プログラムが叫ばれているにもかかわらず、何ひとつ変化は起こっていない。


総括としてサラフディン氏は、パンチャシラの各項目に関する現状の評価を行った。
筆頭項目:かなり良い
第2項目:国民医療サービスが良くなっているが、欠点の改善へのハードワークを忘れてはならない。
第3項目:数十年前に悪化したことがあるが、十分改善されてきている。
第4項目:まだまだ良いとは言えない。
第5項目:全体の中でもっとも劣っている。
これではインドネシアを、まだパンチャシラ国家とは言えないのだ、とサラフディン氏は批判しているのである。


「非テロリストもイスラム国家を望む」(2017年2月24日)
都知事選に全国政党の本部が咬みこんでそうそうたる対立候補を押し立て、都民から高い評価を得ている非ムスリム現職都知事の足をすくうためにイスラム勢力の威勢を誇示しようと動いたとき、イスラム界に神風が吹き始めた。
パンチャシラという国家原理によってマイノリティの非ムスリムと圧倒的マジョリティのムスリムが同等の位置に置かれている現実にフラストレーションを抱えているイスラム界指導者がいないわけでは決してないのだ。そのようなイスラム界指導層にしてみれば、パンチャシラはイスラム原理を抑圧していると見えているはずで、かれらはパンチャシラを総否定するのでなければ少なくともその中味を変容させることを政治目標に掲げているに違いなく、現政権をイスラム原理により近い勢力に入れ替えることは目標達成にかれらがたどる選択肢のひとつとなる。そこに現政権を倒壊させようとうごめいている者たちの姿が見え隠れしている。

イスラム原理主義の旗を振り、国家主権を尊重せず、自らがイスラム擁護の最前線に立つことを連綿と続けて来たもっとも戦闘的な民間組織FPI(イスラム守護戦線)もそのひとつだ。全国に7百万人の会員を持つと豪語するこの団体も、神風に煽られてイスラムパワー突出の動きを演じ始めた。
出る杭が打たれるのは人の世の常であり、以前から独善的攻撃的な原理主義の押し付けを行っていたかれらを嫌うムスリム中道派も数多い。ましてや、インドネシアムスリムの基本原理はイスラムヌサンタラなのであり、アラブ型原理主義に塗りつぶされることを決して善しとはしていないのである。
FPIリーダーの大イマムであるリジク・シハブが国是のパンチャシラを侮辱し、同時に建国の父スカルノの名誉を棄損したとして、パンチャシラ生みの親とされている初代大統領スカルノの娘ラフマワティ・スカルノプトリが警察に訴えたのをはじめ、東カリマンタン州バリッパパンでもリジク・シハブが民兵機構を侮辱しまたヘイトスピーチを行ったとして、地元宗教団体・青年団体・アダッ保護団体・民兵機構など28団体がかれを警察に告訴した。バリ州でも、FPI地元団体役員が警察に訴えられているし、バンドンではFPIと民間団体「低層社会運動」が立ち回りを演じている。

去る12月に発行された新紙幣のデザインが共産主義のシンボルマークである鎌とハンマーを含んでいることをリジク・シハブがネット上で追及している。インドネシア銀行は単なる贋札防止用のレクトヴェルソ印刷技術のひとつであり、鎌とハンマーのロゴではないと説明しているが、レクトヴェルソのモデルが複数ある中で、どうして鎌とハンマーに似たものが選択されたのか、とリジクは食い下がっている。 ジョコ・ウィドド現政権を倒壊させるための企みが顕著になりはじめたのは、都知事選にからめてイスラム平和大集会が行われた時期に重なる。現大統領は華人系である、中国寄りの政治が目に余る、このままではわが国は中国に呑み込まれてしまう。そういったネット上にあふれるホウクスを後押しするかのように、現政権は共産主義を容認しているというリジクの主張が上の紙幣デザインに関する議論から読み取れる。

パンチャシラの筆頭項目にあるのは有神性である。無神論者はインドネシア国民になれない。共産主義が無神論であることを知らないひとはいるまい。リジクの主張を推し進めて行けば、現政権は容共であり、国家原理に違背している国賊だということになる。
そこだけを見て、リジクが現在のパンチャシラを擁護している、と見るのは当たらないだろう。パンチャシラを死守しようとの一念に燃えている人物が、それにからめてヘイトスピーチなどする必要がないではあるまいか。


「孤児民族」(2017年4月10〜12日)
ライター: ジャマアマイヤ指導者、文化人、ムハンマッ・アイヌン・ナジブ
ソース: 2017年1月19日付けコンパス紙 "Bangsa Yatim Piatu"

インドネシア民族は間もなく兄弟である同じ構成員間の抗争エスカレーションのひとつのピークに到達するだろう。その結果の中には少なくとも憎悪や怨恨、そして将来もっと深い抗争をもたらす敵視といったものの蓄積がある。最大となると、考えるだけでもゾッとする。われわれは今、われわれの子孫の将来に災厄をもたらす地雷を増やして埋めているのだ。

相争っている者たちは、自分の側からだけ見た正義を確信している。あっちが悪いこっちが悪い、と語って問題や地雷を増やす者などいなくて良いのだ。少なくともここしばらくは、「誰が悪い」と言って非難する快楽を避けるのが賢明だ。というのは、正誤を主観に置けば、土俵の上は「誰に味方するのか」ということがらだけになり、すべてが主観の世界に滑り込んでいく。両者の一方に味方するのはその者が100パーセント正しいからであり、味方しないのはその者が100パーセント悪いからだ。われわれは成熟した精神からはるかに遠い所にいる。

その産物として、われわれはふたつのことがらに問題を抱えることになる。ひとつは、われわれの子孫は「正義と正義」「善と善」の対決という歴史に戸惑うことになるということ。もうひとつは、われわれの人間性の本質部分にある「あらやる人間やものごとには、正しい部分があり、悪い部分がある」という真理に逆らっているのだ。完璧な正もなければ、絶対の悪もないのだ。
苦いし不愉快でもあろうが、今なされなければならないことは「誰が悪い」という議論でなく、同じテーブルに着いて「何が悪い」のかを純心に探し出すことだ。そのためにはお互いに主観的な自尊心を犠牲にしなければなるまい。インドネシアの歴史を保全するためには、お互いに自分の間違いと他人の正しさを認め合う、正直さ・純心さ・ヒロイズムが必要とされているのだから。

< NKRI型の思考・姿勢・行動 >
わたしが「抗争エスカレーションのピーク」と述べた意味は、強者が弱者を倒すステージ上のシーンが間もなく出現するだろうということだ。誰かが法廷で、あるいは選挙で勝利するだろう。それ以前に、その勝利に対する非生産的と見られる諸要素が、水をかけられ、逮捕され、留置され、解散させられ、口枷をはめられ、去勢されるかもしれない。少なくとも軽減されるのかも。
起るのは小さい諍いの噴出でしかないかもしれない。しかしそれは、将来起こるであろう、より大きい抗争の水面下に潜った導火線なのだ。湧いてくる疑問は、「インドネシア人がインドネシア人を負かして、いったい何が凄いというのか」?われわれの世間に勝者と敗者が必ず出現するものであるにせよ、同じインドネシア民族を構成する者の間でも、それが適用されなければならないのだろうか?ビンネカとはそれを意味しているのだろうか?

ジャワ哲学をひもとけば、今起こっているのは「sopo siro sopo ingsun」(お前はだれだ、わしはだれだ?おまえは何者だと言うのか?)である。そこから導かれるもののひとつが、「adigang adigung adiguna」(お前はエラそうな奴だ。わしが踏みつぶしてやる!)である。
ディコトミー風タイプで言うなら、「カビルのハビル殺害」だ。白黒で言えば、白が黒を踏みつぶす。問題は、それぞれが言い分を持ち、それを確信していることだ。かれはハビルであり、カビルの脅威を前にして先にカビルに口枷をはめようとする。かれは白なのであり、黒の反逆を受けていると感じているため、黒を早急に討伐しなければならない。一方で、討伐される者も「自分はハビルに殺されるカビル」であり、黒に口枷をはめられる白だと確信している。父アダムはどこだ?母ハワはどこだ?ハビルもカビルも自分の息子たちなのだ。カビルが別の子供を脅かしているとはいえ、アダムもハワもカビルを敵だとは考えていない。脅かしている者も脅かされている者も、どちらも自分の子供なのである。アダムもハワも、辛抱強く子供たち交わる。ハビルが殺されないようにするためにどうすればよいのかを探求する。選びだされた方法はカビルがハビルを殺す前にカビルを殺すというものではなかった。アダムの立場は、NKRI(インドネシア統一国家)型の思考と姿勢以外の何者でもない。

< 比類なき孤児 >
インドネシア民族は孤児である。畏敬すべき父親もなければ、愛すべき母もいない。ふたつの術語を使って、その意味を説明したい。
誕生した当初、NKRIは「新しい何かを生み出す」ことをより強く考え、「それまであったものを継続する」ことをあまり考えなかった。われわれは「採用する歴史」を選択し、「維持継続する歴史」を営む必要はないと考えた。われわれは原理・運営機構・価値システム・ビューロクラシー・法を採用して国と共和国を建設した。われわれは確実な所有権の移管と共に、オランダマシーンの稼働を続けた。われわれはわれわれの祖先が培ったものの創造的継続となる民族独自のオーセンティックなフォーミュラの可能性を追求しなかった。独立以来われわれはあたかも、自分の親を故意に置き去りにしたかのようだ。ところがオランダ自身、そして他のヨーロッパ諸国も同様に、かれらの親である王国の歴史を踏まえているのである。その原理をわれわれは採用しなかったのだ。

同じように、たとえばマジャパヒッを学ぶことをしなかった。クンチャナウグ(Kencanawungu)やその後のハヤム・ウルッ(Hayam Wuruk)は国家元首であり、ガジャ・マダ(Gajah Mada)は首相である。国家元首は政策や監督システムを作り、首相が国家管理の執行者に位置付けられる。いま、われわれの政府のトップは国家元首でもある。憲法裁判所・法曹コミッション・汚職撲滅コミッション等々は国家機関であるが、実態は政府の一機関になっている。インドネシア民族は国家と政府を区別する必要があると思っていないからだ。
国家は父であり、国土が母である。国は一家一族であり、政府は家庭だ。家庭経営は一家一族の経営の一部である。国家公務員は国法に服従する国家のしもべであり、上位者に服従する政府のしもべではない、という意識に変化していない。自分は父親のものであり、また母親に支配されていると子供が感じていれば、現在と将来にわたってNKRIを不安に陥れる疑問が大量に出現する。

畏敬する父親がおらず愛する母親のいない子供たちは今、喧嘩を楽しんでいる。われわれの家族は脆くなっており、隣人たちは狙いを着け、潜入し、領土と精神の中に入り込み、われわれの所有権を蝕んでかれらのものに変えようとしている。
次に、インドネシア民族の中のジャワ人の父母はsandang pangan papan, keris pedang cangkul, gundul pacul, kawula gusti等々のメッセージを与え、スンダ・ミナン・ブギス・バタッ・ササッ・マドゥラなどその他数百種族の祖先もきっと同じことをしたというのに、独立以後われわれはそれを二次的なものにしてしまい、それどころかそれらを軽視し、忘れ去っている。民族精神という次元における、あるいは共同運営するシステム構成や憲法や法規の実践において、われわれが先祖伝来のものを失ってしまった理由がそれなのだ。

< 未知なるもの >
この論説の最初に書いた「抗争エスカレーションのピーク」というのは、国家の名前で行為する政府がing ngarsa sung kuwarsaであるということだ。つまり支配するための権力と打ち負かすためのパワーを持って最前線に立っているということである。人間の立場はngawulaつまりしもべになる。それゆえにパンチャシラの第一項はKetuhanan Yang Maha Esaとなり、全国民が神のしもべとなることを誓うのである。王国時代の文明においては、王は神の代理者と信じられた。だからkawula(民)は神のしもべとなるように、王のしもべになった。
インドネシア民族は従順なアッラーのしもべである。王や大統領を通して神に仕えることを決める関連性・弁別プロセス・資格などは、誤る可能性があるが、それは別の問題だ。そしてそれは正誤の問題でなくて善悪問題なのである。ただ明らかに、計算し直し、考え直す必要のあることがらが存在する。インドネシア民族の心身の健全さを運営するためのフォーミュラに関することがらだ。

将来の安全を必要としているわれわれは、見方・視点・方向・距離や明視度ばかりか、あらゆるハードとソフトを有するNKRIに対する賢明な視点をも問い直す。ビンネカはトゥンガルイカされなければならない。ビンネカの中で敵対関係が先鋭化しないようにしなければならないのである。
短期的に、わたし個人としては、日常的な表現を使うことをお許し願いたい。あなたが神との間に問題を抱えた場合ということだ。もし汝が神を自分の人生の第一主体者の位置に据えるのを怠った場合、汝の人生が災厄に見舞われなかったならば幸運だ。しかしNKRIをそのように扱ったなら、災厄は避けることができないのである。

汝は容易に諸機関を賂し、市民団体を征服して、NKRI運営者を支配下に置くことができる。しかしインドネシア政府とインドネシア民族は別物であり、インドネシア民族とインドネシア民衆は別物であり、インドネシア民衆とこの祖国に住む神のしもべたちはまた別物なのだ。ナフダトウルウラマはナフダトウリインと別物なのである。ムハマディヤはムハマディインと別物なのだ。たくさんのイスラム市民団体はムスリム一般大衆と別物であり、ムスリム一般大衆とイスラムそのものとはまた別物なのだ。
汝が打ち負かし、征服し、強奪し、抑圧し、侮蔑することができるものは何なのか、そしてできないものは?汝が征服できないものは次元とエネルギーなのであり、それは宇宙にあまねく存在し、そしてこのインドネシアと呼ばれる土地にも存在している。明日の夜明けに関して、われわれがまったく知らないものが存在するのである。


「イスラムはインドネシアの一部分」(2014年08月25日)
ライター: プサントレン「トゥブイレン」ケアテーカー、サラフディン・ワヒッ
ソース: 2014年8月16日付けコンパス紙 "Keindonesiaan dan Keislaman"

インドネシア共和国69年の歩みの中で、インドネシア性とイスラム性を融合させる試みがなされたことを振り返って見るのは興味深いことだ。1945年5月28日から8月22日まで行われたインドネシア独立準備調査会と独立準備委員会の諸会議の中で、宗教(イスラム)と国家(インドネシア)の関係は複雑な問題になった。独立準備調査会は憲法前文となるジャカルタ憲章をまとめた。憲法の草案は独立準備委員会会議の中で議決される予定だった。

ところが会議の前日にインドネシア東部地方のキリスト教徒を代表すると自称する青年グループがブンハッタを訪れ、ジャカルタ憲章に「その信徒にイスラム法を義務付ける有神性」という文章があるため、インドネシア共和国に加わるのをやめる、と表明したのである。翌日ブンハッタは、キ・バグス・ハディクスモ、KHAワヒッ・ハシム、ミステル・カスマン・シゴディメジョ、テウク・モハマッ・ハサンたちイスラム界首脳を集めて、その問題を話し合った。
広い心・責任感・民族のためというスピリットを所属階層の利益の上に位置付けたかれらは、ジャカルタ憲章からその7文字を削除した。その結果、現在の憲法前文ができあがったのである。

< 宗教省 >
ジャワの諸王国は政教一致の形態であったことを歴史が証明している。マタラム王国もその形態を引き継ぎ、王国中心部のみならず服属する各地方領主も同じ形態を採った。その伝統的なあり方の中で形成され受け継がれ、そしてオランダ植民地時代に隆盛になったのがプンフル制度だ。
プンフル制度は住民が婚姻・離婚・遺産相続をイスラム法に従って行うのを実施監督する役割を果たした。日本軍政時代には宗務部(宗教役所)が設けられた。1945年11月の中央インドネシア国民委員会総会で、バニュマス代表議員KHアブ・ダルディリのグループが宗教省の設立を提案し、総会で賛同を得たため議決され、初代宗教大臣にHMラシディが就任した。

この宗教省なるものをわたしは、インドネシア性とイスラム性の収斂あるいは合体と見る。最初宗教省下にあった宗教裁判所は最高裁の管理下に移された。宗教省はイスラム教育を監督し、一般教育は教育文化省が行っている。残念なことに宗教省は最近、腐敗に汚染されており、それを改善させることによって宗教省はたいへん戦略的な働きをなすことができる。その条件として、大臣が高潔で且つ省内の腐敗撲滅を行い、憲法内にある宗教の位置付けを踏まえて問題を理解し、勇気を持って対策を行うことがポイントだ。

< 発展 >
1983年のナフダトゥルウラマ全国大会で「イスラムとパンチャシラの関係」文書が公認され、1984年のナフダトゥルウラマコングレス決議で再確認された。ナフダトウルウラマは公式にパンチャシラを受け入れたのである。ナフダトウルウラマのその姿勢にPPPや他のほとんどすべてのイスラム民間団体が追随した。

イスラム民間団体を通じてイスラム社会がパンチャシラを受け入れたことによって問題がなくなったというわけでは決してない。パンチャシラの解釈に依然として不一致があるのだ。そのひとつは、基本的人権に関する理解の差だ。イスラム界のアフマディヤ派やシーア派に対する姿勢にも差異が見られる。ウラマたちの一部はイスラム教義だけを姿勢のベースに置いているが、他のウラマたちは憲法条文をベースに置いている。アフマディヤ派やシーア派の教徒に対して暴力行為を行なうグループに対する政府の対応は遅い。
そして今われわれは、たいへん異なる進展を目にしている。イスラム法施行への要求が出現しているのだが、意図されているイスラム法の内容がどんなものなのかが明白にされていない。さらにインドネシアをイスラム国家にしようと主張するグループも現れている。
インドネシア共和国の存立に危険をもたらすヒズブッタフリルインドネシアやISISの出現は、われわれに脅威をもたらす問題のポテンシャリティがまだまだ大きいことを思い出させてくれる。

パンチャシラの国家原理は法的且つ社会的にフェアな国家を生み出すことができず、いまだに大勢の貧困者や栄養不良者が国民の中にいる。学校教育を受けられない国民も数多い。われわれの天然資源の多くは、外国勢の手中に握られている。5百万人を超える労働力が国外へ出稼ぎに出ざるをえない。
パンチャシラというのはいまだに紙の上にしかなく、生活上の現実のものになっていない。それは行政機構と大勢の高官職者が権力を濫用していることで起こっている。法執行が不十分であるがゆえに、権力濫用が自由に行われているのだ。
イスラム政権あるいはカリフ制を実施すれば、すぐに法治国家が誕生し政府行政が改善されるという保証などない。現実生活の中で社会公正から超独在的有神性に至るパンチャシラの実践がいまだにできていない以上、国家原理をパンチャシラからイスラムに転換しなければならないと考えるグループにわれわれは絶えず直面しなければならないのである。


「インドネシアのイスラム」(2014年9月22〜24日)
インドネシアのイスラムがサウジアラビアのような宗教教義に凝り固まった価値観で営まれていないことについて、インドネシアは敬虔なイスラムではないという見方をする声があるが、敬虔さというのは内面性の強いものであり、外面的な形でそれをとやかく言うことはできない。インドネシアの国家原理であるパンチャシラの筆頭にあがっているKetuhanan yang maha esa(超独在的有神性)という言葉の意味は国民の個人生活のみならず社会生活にも対応しているものなのであり、日本語訳として一般に流布している「唯一神への信仰」という個人生活面だけを対象にする表現ではその社会面での含蓄が言い尽くされていない。つまり、社会生活が持つべきオリエンテーションが完璧なる独在性を有する神に集束するということをそれは言い表しており、神性を社会生活の中に実現させることこそがインドネシア国民の務めなのである。その思想を突き詰めれば、サウジアラビアの物真似をすることが最善のインドネシア国民の姿ではないということに行き当たるのだが、上であげた一部日本人のような偏ったものの見方をするインドネシア人も数多くいて、国民のパンチャシラに対する理解の浅薄さがそこに表出されている。

ものごとの本質が理解できないで形式ばかりに意識が集中する人間はいつの世にも数多くおり、イスラム界のアラブ至上主義者の言動に容易に呑まれてしまうインドネシア人は少なくない。言うまでもなく、イスラムというのは個人の内面的信仰と個人の社会生活における諸ビヘイビアの双方がウンマーと呼ばれるムスリム社会の中でひとつにされた原理を柱にしているため、その規範をサウジアラビアの習俗に求めることは自然なことにちがいないとはいえ、宗教を個人の内面的信仰から解析する場合、究極的にはその人間の精神面における救済がその本質だろうと思われるし、そうであるなら、社会生活における外面的なビヘイビアがアラブ人そっくりであっても、そこでの精神的救済という本質との関連性は希薄なものにしかならないにちがいない。イスラム風な雰囲気が強く漂えば敬虔な宗教の徒だというものの見方は、残念ながら宗教というものをただの装飾品にしかしていない人間の主張でしかないようにわたしには思える。


インドネシアがサウジアラビアの物真似にならない要因は、イスラム伝来がヒンドゥ=ブッダ社会の確立後に起こったためというのがその最大要因だろう。ヒンドゥ=ブッダ文化による社会形成と社会運営が、そう簡単に新来の異なる価値観に置き換えられるはずがない。対立する価値観は妥協と融合の中で変質され、原理は形が変わってしまう。更に、既存のヒンドゥ=ブッダ文化で営まれていたインドネシア社会に対するイスラム化において、政治的支配を背景にした強制という手段が用いられた可能性が高く、強制には面従腹背が起こるのが常であり、強制される原理に大勢としては従いながらもその中味を変えてしまうという庶民のしたたかさが原理の形を歪める結果をもたらしたことは想像に難くない。

続く要因としては、インドネシアという広範な地域が単一支配者によってイスラム化されたのではないということが挙げられる。ジャワのイスラム化を果たした支配者がスマトラやスラウェシでもイスラム化を行ったかというと、そうではない。各地にある王国の支配者がイスラム化し、領民をイスラム化させたのは疑いないものの、そのような形態は地域ごとの差異を生み出すことになる。だから上で述べた妥協と融合の結果としての線引きが、各地で異なって当然だろう。つまり同じイスラムとはいえ、地方ごとにその土地土地での風習が混じりこんだイスラムが各地でイスラムの名の元に営まれているのが実態だ。さらにはイスラム化しなかった領主もあり、そのような地域では、後の時代にやってきたポルトガルやスペインそしてオランダのキリスト教宣教師たちが行う刈り取り作業を捗らせる結果をもたらした。しかし中にはバリのように、ヒンドゥ=ブッダがそのまま維持されて今日に至っているところもある。


イスラム教徒が88%というマジョリティを占めているから、イスラムの国なのだという考えは、12%のマイノリティの主権を認めない全体主義的なものの見方だ。全体主義はあの最期の戦争で叩きのめされたはずなのに、いまだに国民の間に残っているのが日本という国の文化であり、これは民族性の一要素のように思われる。つまり日本は依然としていつ全体主義国家になってもおかしくない要素が持続的に維持されているということが言えるにちがいない。

もちろん現実に、イスラム教徒がマジョリティを占める国で、マイノリティである非ムスリムは圧迫され、マージナル化されて、その主権など認められていないという国がないわけではない。そういうイスラム全体主義国家とならず、マイノリティであっても有神性という一面で同類項である限りマイノリティも信教の自由を保証されている、というのがインドネシアなのである。インドネシアの国家原理はあくまでもパンチャシラであって、イスラム教ではない。どうしてそのような違いが起こるのか。


サウジアラビアと地理的に近いアラブ諸国で、もともと持っていた生活習慣における価値観は、似たような風土や似たような慣習のためにかなり近いものだったはずだ。サウジアラビア国民という、同じ文化を共有する国民にとってイスラム発足前の文化からイスラム文化への変容が起こったとき、イスラム文化がかれらの民族文化として結晶した。そしてイスラム文化が文明的な高みを持っていたがゆえに、イスラム文化はその周辺諸国へ広がって行った。基本的な類似性を持っている周辺諸民族へのイスラム文化流入は、イスラム原理で運営されるウンマーの形成をはるかに容易なものとしたにちがいない。

ところが、歴史的文化的に大きい差異を伴って歩んできたインドネシアにイスラム化が起こったとき、原理が歪められたことは上で述べた。さらに、ムスリムと非ムスリムが同じ土地の上で共存するということが起こった。その慣習は歴史的な経緯に由来するものであり、ヒンドゥ=ブッダ時代からヒンドゥ教徒と仏教徒そして原始信仰の徒が宗教を軸にして互いを滅ぼしあうのでなく、宗教は各個のライフスタイルの中に置かれて更にそれより上位にある価値観のもとにかれらは共存し協力し合うことを続けてきたのである。イスラム化の後もその伝統は生き永らえた。つまり、支配者層は別にして、一般庶民の生活ホライゾンには常に異教徒が同居していたということが言える。異教徒を排除せず、同居し、そして必要なケースでは協力し合うという伝統こそが、インドネシア建国に際してパンチャシラを国家原理の位置に置くことを実現させた立役者だったと言えよう。


インドネシア共和国の国家体制において、宗教は決して最高規範になっておらず、ましてや特定宗教を国家社会が依拠するべき原理と定めているわけでもない。国民生活がコミュニティとその構成員たる個人の両面で有神性に集束することこそが国是なのであり、国民の88%を占めるイスラム教徒にとっての宗教は国家としてのものとされず、さらには国民自身も憲法が定めるその国家原理を民族文化を踏まえた理想のものと理解している。インドネシアのイスラムというものの本質がそこにある。つまりインドネシアのイスラムは、サウジアラビアを本家とする中東アラブ圏のイスラムとは異なるものなのである。

2014年9月第2週にインドネシアを公式訪問したトニー・ブレア元英国首相がインドネシアのイスラムを高く評価する発言を行った。SBY大統領およびルッマン・ハキム・サイフディン宗教相と会見したトニー・ブレア氏は、寛容性に満ち、他者のウエルビーイングを尊重し、平和を愛好するインドネシアのイスラムはたいへん優れたモデルであり、そのあり方を他の諸民族も見習うのが望ましいことだ、と語った由。宗教面での人類の共存をテーマにした財団活動を行っているトニー・ブレア氏は、インドネシアのイスラム塾生とイギリスの学生生徒との交換留学計画をSBY大統領と意見交換したことが報道されている。


「宗教は信徒を寛容にできるか?」(2015年2月9〜11日)
宗教というのは閉鎖的なものだ。自分の信徒とそうでない者を区別し、非信徒を自分の信徒になるように勧誘し、その宗教が作り上げた価値観の宇宙の中に共同体社会を作らせ、同じ社会構成員は兄弟でそうでない人間はヨソモノだというような閉鎖性を、宗教は基盤に据えている。あとは自分のウチ世界とソト世界の間でどのような関係に入っていくか、ということになる。宗教が価値体系を築き、その価値体系に従ったコミュニティ生活を構成員に強いることの帰結が、ウチとソトの境界線で発生する対立や差別となる。それが利害を異にする宗教間で起こる場合、対立が生み出す人間のコンフリクトは、宗教の教義戒律をはるかに超えた人間のアイデンティティ意識やコミュニティにとっての生活基盤の問題へと拡大していくがために、歴史の中に宗教戦争と呼ばれるものを多数出現させてきた。だから、宗教戦争という言葉を宗教上の問題と単純にとらえると、本質が見えなくなっていく。そういうミスリーディングな言葉の用法は、改められるべきだろう。

宗教というものを優位に置き、国家が行なう国民統治行政を宗教が築いた価値体系に従って行なうのが政教一致という言葉の中味であり、国民のマジョリティがイスラム教徒だからという理由で国家をイスラム教徒のものにしてしまうと、宗教マイノリティ国民は国家発展への参加意欲を失ってしまう。更には、西暦紀元7世紀ごろに人類が持っていた価値観で構築されたイスラム教の教義戒律に従っていたのでは、現代という世俗主義を基盤にすえた時代における常識と太刀打ちできず、国家が国民に対して果たすべき経済や文化の発展を指導推進するという役割の実践を国家に期待するのは困難になるだろう。現代西欧文明の視点からとらえた先進国後進国という区分の中でイスラム系諸国がどのような位置を占めているのかということを見た場合、そういう要素が深く現状を支配している事実が眼前に見えてくるのではあるまいか?経済発展の先進あるいは途上などということがらは決して経済問題なのでなく、人間の中味の問題なのだということがそこに明白に投影されていると思うのはわたしだけだろうか?

サウジアラビアのように、国内に非ムスリムの存在を認めず、国民がすべてムスリムであるという国にしなければ、効果的な政教一致方針は実施できない。マジョリティ国民がマイノリティ国民を抑えこんで支配しているような国が先進国になるのは、決して容易なことではないだろうとわたしは思う。既成先進国は国民のマジョリティ宗教を社会運営の場から遠ざけることで進歩発展を遂げたように見える。宗教を形骸化させ、経済や文化あるいはその他の国家にとって必要な要素を非宗教的な合理性に移し変え、宗教実践は社会あるいは国家運営の場から引き離したからこそ先進国になれたのだ、という見方は間違っているだろうか?現代西欧文明の中で先進国になるための条件は非宗教化であるという見解は、うがちすぎなのだろうか?

インドネシアの独立と建国はそういう概念に則してなされたものであり、必然的に国民人口の88%を占めるイスラム教徒のための国にはされなかった。残る12%の非イスラム教徒をマジョリティ宗徒と同格に扱うためには、国家行政の基盤を宗教に置いてはならないのであり、国法は宗教から離れた世俗的現世的なものにして、あらゆる宗徒に平等であるものにしなければならない。インドネシアが世俗国家であるということはそれを意味しているのである。
イスラム教徒がマジョリティだからイスラム教が国内を支配しているというものの見方は、インドネシアに当てはまらない。インドネシア国民はまず民族国家の国民なのであり、国家の進歩発展のために宗教が持つ閉鎖性は捨てて異宗徒同士が平和共存し、力を合わせて国家民族の進歩発展に貢献することが求められている。特定宗教の徒であるという属性は国民であることよりも下位に置かれ、国民としての善が宗徒としての善に優先し、宗教エゴは放擲され、さまざまな宗徒が手を携えて国家と民族のために尽くすのが政治的に正しいインドネシア人の姿とされている。それをシンボライズしたものがパンチャシラなのだが、国民がそういう思想を正しく理解しているかということになると、そううまくは進まない。

ムスリム国民の日常生活は、言うまでもなくイスラム教の教義戒律に支配されている。宗教というものの根本的な性質がそうなのだから、それは言うに及ばないことだ。日常生活におけるさまざまなビヘイビアは、宗教が教えた規範に従って営まれる。それがその宗徒にとっての善なのであり、かれは善をなすことによってコミュニティから称揚され、自己の正しさを自分のアイデンティティの中に刻み込むのである。そういう宗教が持っている方向性とは別に、国家の住民統治行政の中にある「宗教は第二優先」というコンセプトを自分の基本思想として持てる人間がどれほどいるのかという問題がそこに生じる。
国家政治に民間宗教団体が加わることで、その要因への緩衝機能がもたらされる。あとは個々のムスリム国民が、国是にもとづいて自分の日常生活環境内で流通している異宗徒間の平和共存と協働協力というコンセプトをどこまで自分の内面に肉化できるかということになってくる。そのコンセプトを否定し、イスラム至上主義を唱える反国家主義・反政府主義の徒がテロリストとなって社会の中に巣くっているのも事実なら、欧米諸国がインドネシアの国家方針をイスラム世界の見習うべきお手本であると賞賛し、そのコンセプトを中東イスラム諸国に普及させるべく協力してほしいとインドネシアの政府と宗教界に働きかけているのも事実なのだ。

ムスリムテロリストがクリスマスに教会を爆弾攻撃するという事件はかつて起こったし、今でも世界の常識に従ってキリスト教を敵視するムスリムテロリストは存在しているため、毎年クリスマスには国家治安要員が教会をガードし、キリスト教徒はクリスマスにふさわしからぬ雰囲気の中でミサを行なっている。この種の異宗教間対立は国内に存在しているのだが、とはいえ、それが激しく先鋭化することはインドネシア共和国現代史の中であまり起こらず、ポソやマルクなどの限定された地域での事件という印象が強い。あるいはバタック人プロテスタントの大きい組織であるHKBPをはじめとして、突然出現する神がかり教祖に集まる新興宗教信者まで、かれらがイスラムマジョリティの社会で宗教儀式を行なうことに反対する住民の抑圧や抗議あるいは襲撃も起こっているが、その種の騒乱の規模が拡大することも滅多にない。またイスラム教内部での異端や背教抗争もあり、マイノリティであるシーア派やアフマディヤ派の信徒が基本的人権を妨害される事件も起こっている。

それらの事件に見られるのは、毛色の異なる仲間との共存を拒否する姿勢であり、毛色の異なるマイノリティを自分たちの生活環境から追い出せば、そこでのコンフリクトは幕を閉じる。国是に反するそのような人間の本性を矯正することが国民の文明化なのであると政府は考え、異分子と共存できない不寛容は悪であり、寛容な宗徒にならなければならないとして政府は国民への啓蒙教育を施しているものの、時には政府がその抗争に絡みこんでマイノリティを抹殺することに手を貸したケースも存在しており、閣僚の中にさえ国是が理解できずに宗教生活を優先している者が混じっていることを思えば、この国を建国の理想にまで高めて行くことの困難さは容易に想像がつこうというものだ。
国民人口のイスラム教徒比率が高いため、全国的にムスリムがマジョリティを占めており、マイノリティを排斥し抑圧するのはスンニー派イスラム教徒のひとり舞台だという見解も、実は正しくない。歴史的にインドネシアはヒンドゥブッダ化・イスラム化・キリスト教化という三つの流れが地域別に異なる様相で起こっているため、ムスリムがマジョリティになっていない地域があちらこちらに存在している。つまりマジョリティという言葉は、その内容が地域によって異なるのである。

イスラム化が成功せず、そのあとでオランダ人がキリスト教化に成功した地域は、マジョリティがムスリムでなく、ムスリムはマイノリティになる。そして、ムスリムがマジョリティの地域で抑圧されている非イスラム宗徒は、自分たちがマジョリティを占める地域でムスリムを抑圧するのである。インドネシア国内でムスリムがキリスト教徒からの抑圧を受けているということがすぐに納得できるひとは、インドネシアの事情に明るいと言えるにちがいない。

東ヌサトゥンガラ州は住民人口470万人中でクリスチャンが35%、カソリックが54%を占め、ムスリムは10%に満たない。西ヌサトゥンガラ州のムスリム人口が96%を占めているのに比較するなら、まさに対照的だと言える。東ヌサトゥンガラ州クパン市に居住しているイスラム教徒がモスクの建設を計画したが、非イスラム系住民の反対が強くて実現できない。2003年から計画が立てられ、正規の行政手続きを踏んで2011年6月には市庁から建築許可を得たにもかかわらず、建築予定地の地元民がその建設に反対をし続けており、市庁にまでデモをかけてモスクを作らせないようにしている。
現地にはもちろん在住ムスリムたちが設けた小さい礼拝所があるのだが、48平米の礼拝所は増加するムスリム居住者を収容しきれなくなっている状況だ。そのために礼拝所のイマムは人権国家コミッションにこの問題を届け出た。コミッションは行政や現地住民有力者たちとの話し合いや調整を進めていくことになるのだが、インドネシアのマジョリティを占めるイスラム国民諸階層に対しても、宗教に対する寛容性がいかに重要であるかということを、この出来事を鏡にして心に刻んでほしい、と呼びかけた。コミッションはさまざまな宗徒である国民の間に相互尊重と共存の精神をもっと向上させるべく、寛容性の重要さについて教育啓蒙と意識向上を進めていく所存である、とコメントしている。


「宗教愛よりも祖国愛を」(2015年5月25・26日)
ライター: ナフダトウルウラマ最高指導部会長、サイッ・アキル・シロジュ
ソース: 2015年4月11日付けコンパス紙 "Mendahulukan Cinta Tanah Air"

インドネシア国民がISISに参加するためにシリアへ脱出したり、過激思想を流布するネットサイトを政府がブロックするといった騒ぎを見るにつけ、はっきりさせておかなければならないことがある。明確な方針と、的確なものの見方だ。
われわれは、NKRI(インドネシア共和国統一国家)への帰属心を失ってしまった人間を相手にしているのである。われらの国に間借りしている人間がかれらなのである。かれらにとって大切なのは「宗教愛」なのであり、「祖国愛」ははるかかなたに投げ捨てられてしまっている。

< 祖国の大切さ >
ウクワ(兄弟愛)に関して三つのコンセプトがある。ムスリム同士の間のイスラミア兄弟愛(ウクワイスラミヤ)、同一民族構成員間のワタニヤ兄弟愛(ウクワワタニヤ)、同じ人類として相互を認め合うバシャリヤ兄弟愛(ウクワバシャリヤ)がそれだ。わたしはここで、ワタニヤ兄弟愛の重要性を強調したい。ワタニヤ兄弟愛はイスラミア兄弟愛よりも優先されなければならないのだ。なぜなら、たとえムスリムであっても、国なくしてどのように宗教活動が行なえると言うのだろうか?

祖国の重要性は、預言者ムハンマッが行なったメッカからマディナへのヒジュラ行に見ることができる。預言者が祖国(自分の国)を持つことを望んだがゆえに、イスラム布教は正しい発展を遂げたのである。アルクルアンがファラオや他の預言者たちの話をよく引き合いに出すのも、それがためだ。というのは、古代の王たちが政治を司り、預言者たちがその務めを果たす中で、祖国あるいは郷土に関する歴史がその基盤として存在していたことをそれらの話が示しているからだ。
アラブの格言は「祖国を持たない人間には歴史がなく、歴史を持たない人間は忘れ去られてしまう」と語っている。その一例が祖国を持たないクルド族だ。かれらはトルコ・イラク・シリアに別れ別れになって住んでいる。

奇妙なのは、宗教世界の中にナショナリズムと宗教を対立的に見る観点が出現していることだ。対立どころか、多くの宗教グループはナショナリズムを否定し、さらにはそれをカーフィルやタグートであると決め付けている。
だから、ムスリムがマジョリティを占める国々で頻繁に流血の惨事が起こるのは不思議でも何でもない。アフガニスタン・ソマリア・イラク・イエーメン・シリアなどを見るがいい。それらイスラム系の国々に起こっているコンフリクトは、もはやヒューマニズムの限界点に達しているようだ。おまけにISISの出現がある。
中東の状況は、宗教を同じくするということがいまだに世の中を統一する能力に欠けていることを示している。中東のイスラムは許容度を外れた誤った解釈の結果、抗争を生み出す可能性を持っていたのだ。たとえば、ソマリアやアフガニスタンはムスリム国民が100%を占めている。ところが内戦が発生し、支配権力や圧制の機会を奪い合っている。

それはインドネシアで起こっていることと正反対だ。ずっと昔から、ヌサンタラのイスラムは賢明で平和な様相を示してきた。闘争が起こらなかったわけではないが、局地的地域的なものにしかならず、今日イラクやシリアに見られるような国家的悲劇に立ち至ったことはない。そして、このヌサンタラの地で行なわれたイスラム布教の歩みに見られるように、ヌサンタラでかつて起こった種々の抗争はむしろ、一層の成熟に向かう姿勢を育んできたのだ。
昔からイスラム布教者は、はるか以前からこのヌサンタラの地のあちこちに存在していたローカルの知恵を、簡単に消滅させることはしなかった。つまりかれらは、ヌサンタラの地に培われてきた民族の遺産を破壊して、それと対立するかのごとく、直解的なイスラムシンボルにすぐさま取って替えようとはしなかったということだ。ISIS、ボコハラム、アルシャハブなどとはそこがまるで違っている。かれらはある地域を支配下に置いたとき、その地にある歴史遺産を破壊し、それどころか墳墓さえも粉砕のターゲットにしているのだから。

ヌサンタラの地で行なわれたイスラム布教の道程は、ナショナリズムとイスラム教義の間に対立が存在しないことを証明している。イスラムへの教化を行なうためには支えてくれる祖国が必要であることを、かれらは真に理解していたのだ。
ヌサンタラのウラマたちは、視野の広い知識人、創造性豊かで生産的な文筆家、そして社会・政治・文化・精神といった生活面の諸相に自ら関わっていく能動性で知られている。かれらは変化をもたらす触媒なのだ。たとえば、ハムザ・ファンスリ、ブハリ・アルジャウハ、シャムスディン・アルスマトラニ、ヌルッディン・アラニリ、アブドゥ・ラウフ・アルシンキリ。かれらは中道的なイスラム教化の礎石を敷いただけでなく、ヌサンタラにおけるイスラム布教の歴史プロセスの中に、ラディカルな姿勢や行いから程遠いイスラムの姿という具体的な実体をもたらすことができた。

その成果は、今日に至るもいまだに、われわれの眼前に見えている。たとえば、プサントレンの名称はその村や地域の地名で人口に膾炙している。プサントレントゥブイレン、プサントレンクラピヤッ、プサントレントゥルマス、プサントレンラギタン、プサントレンブンテッ、プサントレンスララヤ、プサントレンチパスン・・・。その様相は、ラディカルでピューリタンな諸集団がアラブ風の名称を看板に掲げて設けた俄仕立てのプサントレンが随所に出現しているのとまるで趣を異にするものだ。俄仕立ての諸集団は村や地域の名称など歯牙にもかけていない。なぜなら、かれらにとってはイスラム風の印象を与える名称だけが最重要なのだから。かれらが足を踏みしめて立っている場所は重要でないのだ。そのようなラディカル集団に見られるものは突出したウクワイスラミヤのみであり、ウクワワタニヤは影も形もない。
インドネシアのイスラムがラディカルの根を持っていないのは明白な事実だ。ラディカリズムやテロリズムの出現は、外から入ってきた宗教文化が取り込まれた結果なのである。言うなれば、ラディカルなイスラムはむしろ、外国から輸入されて国内で販売される製品と同様の「輸入品」なのである。昨今のグローバル通信の流れがひとをして容易に外国の思想を取り込むことを可能にし、イスラム教義の異なる意味づけとその実践という「新製品」の売り出し現象と化しているのである。ラディカルなインターネットサイトの閉鎖は、破壊的な情報の侵入から祖国を守るための決意を示すものなのだ。

< 役割の強化 >
インドネシアのイスラムが持っている穏健な姿勢は、世界各国、特に中東諸国、に輸出する時期が来ている。中東では、ウラマが持っている学問知識が大衆に安寧を導く役割との間でアンバランスになっている姿をわれわれは目にしている。その結果、大衆の間に抗争が発生したとき、ウラマが貢献を果たす姿があまり顕著でない。中東のウラマたちはみんな能力の優れたひとたちだが、かれらが社会生活の中で果たしている成果はごくありきたりのものでしかない。説教や著作の力はたいへんなものだが、現場に降りたら、まるで張子の虎のように力が出ないのだ。

わが国のウラマはもっと実際的だ。われわれはそれを諸外国に広めたい。わが国のウラマたちは、サンパンやジュンブルでの抗争事件のような、その地域で発生した住民間コンフリクトを治める力を持っている。わが国のキアイたちが持っている奉仕の意欲はたいへんに高い。学問知識が豊富になくとも、国民と国家が十分に効用を感じ取れるレベルのプサントレンを建てている。
インドネシアのイスラムはこれからの世界のコミュニティ生活に希望をもたらすものだ。インドネシアムスリムの穏健なポジションのゆえに、その潜在性はきわめて高い。だからこそ、インドネシアと世界の文明のためにイスラムヌサンタラをふたたび強化するときが今来ているのである。


「イスラムヌサンタラと国民」(2015年5月27・28日)
ライター: ヨグヤカルタムハマディヤ大学社会学者、マアリフ研究院上級調査員:ズリ・コディル
ソース: 2015年4月6日付けコンパス紙 "Islam Nusantara dan Kewarganegaraan"

「イスラムヌサンタラは「あまねき愛」となりうるイスラムの形態である。イスラムヌサンタラの実践は世界のモデルケースとなるだろう。なぜなら、いま世界は宗教のゆえに燃え上がっているのだから。」(マスダル・F・マスウディ、2015年3月10日)

友好的で、許容度が高く、包容力のあるイスラムがヌサンタラで興隆するのは可能なのだろうか?
その回答は言うまでもなく、この島嶼国家に住む信仰者のマジョリティをなしているインドネシアイスラム社会がそれを受け入れる用意があるのかどうかという点に置かれている。イスラム社会が多文化や多様な宗教を受け入れるかどうかということの明白な回答のひとつは、32年間オルバ体制下に人質にとられていたSARA(種族・宗教・人種・階層)が構成するインドネシアの国民的多様性がイスラム社会を満たしているという事実だ。
かつて独裁体制が支配していた時代の体験では、本当はヌサンタラの財産となるべきSARAがインドネシア民族にとっての真の妖怪と化した。独裁体制を維持せんがために、少数派集団と多数派集団が対立抗争と竹割り政治に翻弄された。それがために、国民内の少数派対多数派に関する過去の体験をいま議論の的にするべきではない。なぜなら、インドネシア国民というのは、事実、本当に多様なのだから。

< 少数派の権利を認める >
多文化思想と政治学の専門家であるウィル・キムリッカは、公民行政での最重要事項は国家と多数派国民が少数派の諸権利を承認することである、と表明した。(キムリッカ、2009年)
その関連において、ヌサンタラ居住者の多数派であるインドネシアムスリム層が少数派に対して評価と尊重と共感を抱くことを認めるというのは、宗教上の意味合いにおいてなされるものなのだ。

多数派であるイスラム社会が少数派を認めず、尊重せず、共感を持とうとせず、それどころかヨソモノだと見なすなら、多文化政治の中でインドネシアムスリム層は問題視されることになる。さらに、標榜されている「イスラムの『あまねき愛』」に疑問が投げかけられるだろう。イスラム社会が少数派を認め、尊重し、共感を抱くことは不可欠なのである。なぜなら、少数派が多数派を尊重し、評価し、共感を持つ場合、それは多文化パースペクティブの中での服従政治あるいは多数派による覇権支配なのだから。
一方、イスラム社会の方が他の少数派宗教信徒への評価、尊重、共感を始めたなら、それは開放性、民主的政治姿勢、包容力などを示すものとなり、少数派が感じる恐れは霧消する。宗教上の少数派という立場に関連して多数派が恐れをかれらに感じさせたいくつかの事件は、本当はヌサンタラのムスリム層にとって深刻な問題なのである。

多数派のムスリム層は少数派に恐れを感じるだろうか?もしそのようなことが起こったなら、それはただちに解決されなければならない重大な問題ではないか。なぜなら、インドネシアは世俗国家でなく有神的国家であることを明言しているのだから。もちろんイスラム教にもとづく有神性でなく、ムスリムソサエティを踏まえてのものだ。
しかし、イスラム教を基盤に据えていないとはいえ、イスラム教の諸価値、さらにはイスラム文化がインドネシアを構成する一部分になっているのを否定することはできない。イスラムが公共スペースで自らを押し出す姿はインドネシアで顕著に見られる。イスラム(原理)を基盤に置く政党が総選挙に出てくるのを禁止されたことはない。イスラムの祝祭はいつも国家と大統領府から格別の場を与えられている。つまり、インドネシアはイスラム教国家ではないものの、イスラムの諸価値は実際に、この国から切り離すことのできない一部分になっているのだ。

それゆえに、民主主義を骨組みのひとつに構えたモダン政治システムを行使する国家とイスラムとを対立させるような時代ではもうなくなっているのである。パンチャシラ国家原理を別のものと入れ替えようなどと考えたり、ましてやそれを理想にするようなことは、もはや必要がない。そしてまた、NKRI(インドネシア共和国統一国家)を現在イスラム教の名のもとに激動に襲われている中東にかつて存在したようなカリフ国家に変えようなどという夢を見る必要もない。インドネシアはパンチャシラを原理に持ち、民主主義を政治システムとしている現在の状態で十分なのだ。まだ最大限に機能していないシステムをどう改善し、フル回転させるか、というのがわれわれの直面している問題なのである。

< 社会資本の多様性 >
ヌサンタラはさまざまな種族・宗教・人種・階層を擁している。それは統一国家および独立した文明民族としてインドネシアを発展させるべき社会資本なのだ。宗教について言うなら、われわれはヌサンタラの全域に散らばるローカル宗教(土着信仰)に加えて種々の公式宗教を持っている。
インドネシアに存在する種族や人種もきわめて雑多だ。どの島をとってみても、単一の種族や人種だけが住民になっているところはない。1万3千を超える種族がインドネシアの大自然の中で暮らしている。ヌサンタラにいる人種や種族の多様性が大きな問題を引き起こしたことはない。
人種や種族の多様性が問題を引き起こすのは、かれらの後進性や局地性を短期的性格の政治や経済利益のために利用しようとする者たちが出現したときだ。ヌサンタラの奥地にいる雑多な種族や人種を利用しようとする者がいないかぎり、これまでかれら自身が生き方の一部と確信してきた伝統・自然・文化の中でかれらは穏やかに暮らしている。

それゆえにヌサンタラの多様性は、イスラム真理に背かない文明的・先進的・民主的なインドネシアにヌサンタラを発展させようと望むすべてのひとのための足場とされなければならない。われわれとヌサンタラはもちろん、神によって均質でない雑多な混合であるべく運命付けられたのだ。そしてその雑多な混合の中で、われわれは相互に評価し、尊重し、共感を共にできなければならないのである。
その多様性というコンテキストにおいて、イスラムヌサンタラと公民行政に関する構想が諸方面から迎え入れられる思想とならなければならない。だから、それがだれであろうと国民ひとりひとりをインドネシアの公民構成員のひとりとして存立させるために、イスラムヌサンタラは機能しなければならないのである。イスラムヌサンタラは決して種族・宗教・人種の違いを差別に向けさせることをせず、宗教を同じくする者にだけ評価や賞賛を与えることもさせず、異教徒をヅィンミや二級国民扱いにしない。

インドネシアで多数派であるイスラム社会が本当にイスラムヌサンタラ構想を実践できるなら、インドネシアは優れた文明を持つ大国にして偉大な歴史を刻む国家となりうるだろうと楽観できる。
しかしながら、多数派としてのイスラム社会がインドネシアで「あまねく愛」の実現をなそうとしないなら、暴力・抗争・殺し合いに彩られた中東のような宗教の名における戦闘と戦争態勢がインドネシアにも発生するだろう。われわれが野蛮で残虐なイスラムだという非難を望まないのは、言うまでもないことだ。


「イスラムヌサンタラとナフダトウルウラマ」(2015年6月2・3日)
ライター: ナフダトウルウラマイスラム教大学イスラムヌサンタラ修士課程教官、シャイフル・アリフ
ソース: 2015年4月13日付けコンパス紙 "NU dan Islam Nusantara"
東ジャワ州ジョンバンで8月1〜5日に開催されるナフダトウルウラマ第33回コングレスが掲げる重要なテーマは「インドネシアと世界の文明に貢献するイスラムヌサンタラの強化」だ。
インドネシアのイスラムアイデンティティが投げ捨てられて一部ムスリム層がラディカリズムの道に引き込まれている現在、このテーマはたいへん重要なものだ。ナフダトウルウラマ(NU)信奉者たちにとってイスラムヌサンタラというテーマはNU思想の最新展開を示すものだ。かつてアブドゥラフマン・ワヒッ(グス・ドゥル)の時代にわれわれはイスラムのプリブミ化という考えを見出した。ユニバーサル宗教であるイスラムはローカル文化の中に地盤を持たなければならない、というのがその要点だ。インドネシアのムスリムがインドネシア文化に即した宗教を持てるよう、そうしなければならないのである。
「われわれはイスラムの価値観を採り、アラブ文化はふるいにかける」。
グス・ドゥルはそう明言した。

< インドネシアのイスラム >
インドネシアのイスラムという用語がそこに生まれた。インドネシア文化に即したイスラムというのがその意味であることは言うまでもない。おおまかな処遇としては、インドネシアのイスラムは、民族国家であり、パンチャシラ原理を持ち、民主主義的である、現代インドネシアの風土に適合させるべきものだ。NU信奉者はそれを思想の興隆と社会運動を支えるベーシックな規範として用いる。1990年代末にNUの「知的爆発」が起こったとき、インドネシアのイスラム構想は世俗化・リベラル化・プルーラル化という枠組みで急進化を見た。
それはポストイスラム伝統主義というリアクション形態を生んだ。この構想はシンプルなもので、グス・ドゥルとヌルホリス・マジッ(チャッ・ヌル)の拠って立つところの違いを示している。ポスト伝統主義から見ると、グス・ドゥルは伝統派であり、一方、チャッ・ヌルはヨーロッパモダニズムだ。こうして、NUの思想に逆流が起こった。リベラリズムから伝統主義へと。
その思想の衝突はもちろん、パラダイムのレベルでとどまった。なぜなら、リベラル派にとってもポスト伝統主義派にとっても、認識論と方法論を公式化するのは正しくないからだ。すべてが風船のようなただの轟音でしかなかった。破裂するとき、それは粉々になったが空っぽだった。

そんな状況の中で、イスラムヌサンタラがNUの思想的勃興の最新展開となった。イスラムヌサンタラが優れている理由はいくつかある。まず、イスラムのプリブミ化を方法論に据えたこと。グス・ドゥル時代は純然たるプリブミ化を飲み込んだが、現在、プリブミ化はイスラムヌサンタラを公式化するための方法論となっている。
イスラムのプリブミ化はローカル文化(の形)を通してイスラムの諸価値観を実現させるプロセスであるとグス・ドゥルが強調したことで、それは可能になった。「アダッ(慣習)は法となりうる」というフィキの原則からも、ナシュを発展させたものからも、それを行なうのは間違っていないことが明らかだ。この方法で一層学術的な思想研究が、NUに所属するアカデミーに設けられたイスラムヌサンタラ学科において成立することになる。

次に、リサーチ本位の環境に向かう考え方の習慣だ。それが欠かせないのは、イスラムヌサンタラが歴史・人類学・考古学の研究になるためだ。この分野、特に他のイスラムとは異なるイスラムヌサンタラの「オントロジーステータス」分析、におけるNUの役割はまだまだ広範囲だ。既にこれまで、特に九聖人時代におけるイスラムヌサンタラの「文化形態」と「文化的メカニズム」の研究で進展が起こっている。
第三に、その中にスンニーの伝統を含んでいるプサントレンからイスラムヌサンタラにもたらされた伝統の根を解明すること。これまでNUがただプサントレンを足場にしてきただけであることを考えれば、それはたいへんに重要なことだ。一方、プサントレンというのは、ヌサンタラのイスラム化におけるスーフィズムとシャリア化のフェーズに続く第三の波がもたらしたものなのだ。プサントレンだけを足場にすることは、その伝統的教育機関を生み出したイスラム文化の礎石を無視することになる。

< いくつかのステップ >
予定されているコングレスでイスラムヌサンタラを、研究面ばかりでなく、思想運動も含めて、発展させるためになされなければならないのは、まずイスラムヌサンタラに対するNUの根拠をコンセンサスに高めることだ。それは、さまざまな相にあるためらいに対する解答を求めることで実現する。たとえば、ヌサンタラの産物であるイスラム芸術という相で、NUはどのような姿勢を持つのかということだ。ワヤンのような芸術形態をハラムとしている「フィキ志向のキアイ」型見解はいまだに存在している。

次に、明確なヌサンタラ文化の抽出である。問題は、文化研究の世界で人類学式「文化の研究」は社会研究(社会学)の分野へとシフトしていることだ。NU信奉者層がヌサンタラ文化をある特定の枠の中に収め込もうとするなら、ポスト構造主義が批判したとおりの柔軟性に欠ける構造主義の罠に落ちることになる。「文化の命名」が理論上の決まりにからみつかれた知識(の利害)を常にともなっていることを思えば、それはたいへん重要なことなのである。それゆえにイスラムヌサンタラにもとづくヌサンタラ文化の定義付けは、たとえ一般原則に対するものであっても、そこに内包されている多元性をカバーしなければならない。

< 最新のインドネシア >
第三、イスラムヌサンタラの位置づけは最新のインドネシアの状況というコンテキストの中で行なわれる。「伝統は過去を通して未来を規定するメカニズムである」(ギッデンス、2009:137)ということを思い出すなら、それは緊要事項なのである。
そのコンテキストにおいて、イスラムヌサンタラとインドネシアのイスラムとの間の理論的連続性がコングレスの中で説明されなければならない。なぜなら、その二者は互いに相手がなければ成り立たないものだからだ。つまり、イスラムヌサンタラの様相が形成する文化的イスラムは、インドネシアのイスラムにとっての一流派たる民族的イスラムパターンのための絶対条件なのである。
上述の三項目なしには、イスラムヌサンタラ思想はNUがかつて興隆させた諸思想と同じ運命をたどるだろう。なぜなら、厳密な方法論並びに経験論的現実との関連性だけが、生み出された構想に歯ごたえと試練に耐える力をもたらすものなのだから。コングレスを祝す!


「宗教と国民」(2015年6月4・5日)
ライター: アチェ、マリクッサレ大学人類学教官、インドネシア宗教間ネットワーク活動家、テウク・ケマル・ファシャ
ソース: 2014年11月15日付けコンパス紙 "Agama dan Warga Negara"

インドネシアには宗教がいくつあるか?6という回答をあなたがしたなら、インドネシア民族に関するあなたの知識は問い直されなければならないだろう。インドネシアは一万数千の島々と数百の人種に包まれた国というだけでなく、きわめて多数で種々色とりどりの宗教や信仰にも飾られている国なのだ。その数多い宗教や信仰は歴史の流れの中で各地元の種族や文化と共に成育し、協調的なヌサンタラ文明のオアシスを設けた。
相互に尊重し合い親和し合う姿は、歴史の一頁を飾り立てるための伝説などではない。地元支配王国宮廷の捧持する主流派宗教と少数派宗教は公式非公式な関係の中で壁に隔てられることもなく、互いを必要とし、互いを見守る関係の中に置かれた。

< 公式宗教の政治利用 >
アチェ王国支配下におけるヒンドゥ教徒や儒教信徒の存在、あるいはバリ島内のムスリムコミュニティとの関係は宥和に満ちたものだ。平定・差別・廃絶などという歴史上の瑕疵が起こったことはほとんどない。アチェ王国では17世紀以来カンプンチナ(Tjina)やカンプンクリン(Keling)の存在が知られており、それらのカンプンは文化と通商のセンターをなしていた。
バリでは、ロンボッのササッ族ムスリムコミュニティからラトゥ・マデ・ブンクルをカランガスム王国の高官職貴族としてバギンダ・アリに叙し、インドネシア共和国連邦時代の小スンダ州知事となったマデ・ブンクルの子イ・グスティ・バグス・オカをバギンダ・ウスマンに叙した。それらの昇叙はかれらがロンボッ島で果たした功績に負うところが大きく、更にはウスマンやアリという名称が採られたのも、イスラム史の中で優れた改革を行なったことで有名な四大カリフにちなんでのものだった。

皮肉なことに、インドネシアの国家がモダン化し、行政の力が向上してから、緊張が起こるようになった。歴史的原初的宗教の多様性は失敗国家に結びつけられている。オルバレジームは、国家の公式宗教を5つに限定した。他のものは教育文化省の指導のもとに、母体となるものの中にグループ化され、あるいは公式宗教外の「信仰」と呼ばれるものの中に一括りにされた。
1999年10月20日から2001年7月23日まで政権を握ったアブドゥラフマン・ワヒッ大統領の時代に、儒教は宗教省の監督下で第六の公式宗教となった。ところが、市民の宗教ステータスの変化に国内の社会政治システムが即応せず、緊張がこぼれ出す事態が生じた。それら六つの公式宗教以外のものに対して、法的・文化的・社会的な暴力が振るわれることは依然として起こっている。公式宗教に採り上げられなかった宗教や信仰も、今では公式宗教にグループ化されるサブセクトや分派という位置付けから離れた独立主権を持つものになっているにもかかわらず、オルバレジームの精神は一部国民の中に執拗に維持されているのである。

最も顕著な例は、アフマディヤ派やシーア派ムスリムの宗教行為に対する拒否運動が根強いことだ。イスラムという大家族の一部としてさえ、かれらは排除されている。イスラム史の中でのそれら宗派の存在、そしてまた、インドネシアにどうしてかれらが存在しているのか、といったことに対する無理解の結果がそれらの排斥行為を生んでいる。アフマディヤという組織の歴史は、実際にはインドネシアでのナフダトウルウラマやムハマディヤなどの歴史よりも古い。記録によれば、アフマディヤカディアンは1925年10月2日にアチェのタパットゥアンに入り、そのあと西スマトラ州をはじめ、インドネシアの各地に広まった。

他のマイノリティ宗派に関する理解も不足している。オルバ期にカハリガン(Kaharingan)教はヒンドゥ教の中にグループ化された。去る5月にパプア州スンタニで開かれたインドネシア宗教間ネットワーク全国会議のおりにムラトゥスダヤッ族の貴顕アヤル氏との会話の中で、カハリガン教をヒンドゥの中にグループ化したのはたいへん拙劣なことだったとの意見を聞いた。カハリガン教はアブラハム系諸教典と同様に、アダムを神聖なる人間と位置付けている、とアヤル氏は物語ったのである。
儒教高等評議会指導者のひとり、オンコ・ウィジャヤ氏は、儒教の歴史は中国仏教史よりはるかに古く、5千年の歴史を持っているとわたしを啓発してくれた。そんなに古い宗教がインドネシアではどうしてごく最近まで等閑に付されていたのだろうか?マイノリティ宗教に対する国民一般の無知は社会メディアにおける陳腐な誤解と融合し、それがマイノリティ人種グループのエンティティの中に一体化されて歪に満ちた見解を流通させ、最終的にマイノリティ宗教の非合法化に向かうのだろう。
ヘイトコミュニケーションは、言語と行為の双方における憎悪の正当化、暴力の露出、迷妄への道程だ。(「エスニックアイデンティティとマイノリティ保護」トーマス・サイモン 2012:269)

< 緊急避難路 >
現在の問題は、特に公式宗教と非公式宗教間の議論に出現する緊張の持続問題だ。国民というロジックで見るなら、公式宗教信徒は国民としての権利を得て当然だという見解が出現する。反対に、非公式宗教信徒は国家の国民に対する義務が断絶するがゆえに、国民生活が悲惨なものになって当たり前ということになる。公式宗教信徒であるわたしは、そこに発生するジレンマを感じたことはないが、もし非公式宗教信徒であった場合、そこでの見解がもたらすストレスは一体何トンの負担を頭脳と背中にもたらすことになるだろうか?
婚姻・宗教行為・不動産購入・社会生活などが単なる個人的経済的なプロセスで終わらず、犯罪化の色合いをにじませるようになるかもしれない。非公式宗教信徒というステータスは自動的にKTP(住民証明書)作成といった住民管理システムにおける登録を困難にし、法的・社会的・文化的なトラブルを生涯抱え続けけることを強いる。KTPの宗教欄への記入を強制しないという政府の意向は、その問題の解決への指向を目的にしているのである。

政府内務省のその方針は、決して即断即決を目指すものではない。それは、これまでになされていなければならなかった、憲法の意図に対する結論なのである。KTPの宗教欄を空白にしてよいという決定は、住民管理に関する2006年法律第23号第64条に記されている。2013年法律第24号でそれが改定されたときも、第64条(5)項に文章が少し変えられただけで本質は元通りの条文が維持された。SBY内閣がそれを実行しなかったという理解は正しくない。
その選択は、非公式宗教を尊重しなかったかつての政府の姿勢がもたらした国民生活末端への影響をどう取扱うかという戦術的なステップとして見られるべきだ。ルッマン・ハキム・サイフディン宗教相がSBY政権の最終段階でBahai教の認定というブレークスルーを行なった。それによって非公式宗教は国の公式宗教として認定される緊急避難路を得たことになる。ルッマン宗教相がジョコウィ=JK内閣で宗教相を続投する機会を得たのは好運だった。かれはマイノリティ化された諸宗教の保護と権利の回復に継続して邁進することができる。
本当は、チョイスは単純なのだ。インドネシア民族の諸文化と神性の脈拍の中から生まれた歴史を持つすべての宗教と信仰を、それぞれが尊厳の中で存続できるようにするのにどうすればよいのか、ということだけが問題なのである。インドネシアという国、このわれわれ全員の家の中で。


「シャリアベースの地方法令が増加」(2015年9月22日)
1998年にレフォルマシレジームが始まってから、イスラム法(シャリア)が盛り込まれた国法や地方条例などが443件出現した。そのうちの9割は県市レベルのものであり、アチェ・西スマトラ・西ジャワ・南カリマンタン・南スラウェシ・東ジャワの諸州にそれら県市のほとんどが散らばっている。
宗教法が国法の一部として国内に拡大されつつあるのは宗教団体や宗教ベースの政党がそれを支えているということだが、イスラム系政党の勢力が伸張しているのかというと、選出議員数を見る限りそのような印象はない。オルラ期もオルバ期も、そして現在のレフォルマシ期でさえ、議席獲得数でイスラム系政党が政治的に大きな勢力になったことは一度もない。イスラム系政党のエレクタビリティは1999年が14.6%、2004年18.9%、2009年15.0%、2014年14.8%というレベルであり、2004年以降低下の一途をたどっている。その選挙戦で票を集めるために民生の中にシャリアを強く反映させることを公約したなら、公約を果たすためにかれらが何に力を注ぐかということが見えてくるにちがいない。

ムスリム社会でほとんど覆い尽くされている地方では、地方条例や地方首長規則がシャリアに色濃く染まっていても、おかしくはない。コミュニティでの生活規範を行政法規のポジションに高めることは、その執行をより厳格なものにすることにつながる。しかしインドネシア共和国は複数の宗教コミュニティを包含した民族国家なのであり、特定宗教に偏重することは国是に反するのである。異なる宗教コミュニティがそれぞれ他者の違いを認め、手を携えて民族国家の発展に努めることが国民の義務として求められている。国民ひとりひとりが自分の背負っている文化や歴史的背景を最善と位置付けて異コミュニティの者に押し付けや排除を行なうのは、国民としての義務に違反しているのである。インドネシア人は、宗教信徒であることよりもっと高い位置でインドネシア民族の一員なのである。ナフダトウルウラマもムハマディヤも、ムスリム国民に対してそのことを強調している。


「宗教と国家の統合」(2015年12月2・3日)
ソース: 2015年7月27日付けコンパス紙 "Integrasi Agama dan Negara"
ライター: スナンアンペル国立イスラム教大学大学院副理事、アカデミー会員、マスダル・ヒルミ

インドネシアは国家と宗教の関係について統合的な思想にしたがっているわけではないにせよ、われわれの国家行政構造はその両者の統合にとってきわめて広範囲な実験の余地を用意している。
そのコンテキストにおいて宗教と国家の統合に向かう入り口のひとつは、法規や行政手続きの中に宗教ドクトリンに根ざす法的語法をしのびこませるのを可能にする立法プロセスにある。
1974年法律第1号、特に第7条第1・2項の婚姻年齢やアチェの女性に対する夜間外出禁止の条例に関する議論は、実験とわたしが呼んでいる実例のひとつだ。宗教=国家の統合は、注入された宗教語法が公共の文明に沿ったユニバーサルな価値を有する場合にポジティブな意義を持ちうるのであり、反対に注入された宗教アスペクトが文脈にそぐわない単なるコピペでしかないなら、その統合は反生産的になる。

< 公共空間の腐朽 >
立法プロセスにおける、行き当たりばったりでバランス感覚不在の、更に文脈に沿わない宗教論の濫用は、エーリッヒ・フロムが言うところの「衰退(腐朽)のシンドローム」(悪について、1964;23)の発生を促す。すなわち、生活クオリティと公共文明の劣化を指向するのである。それを受容する立場にある大衆がそこに公共的合理性を見出せないなら、宗教ドクトリンのすべてが生々しい姿でわれわれの国家行政の中に植えつけられるようなことは起こりえないのだということをそれは意味している。

ひとつの法的語法は、それを取り巻く特定の時間と空間のコンテキストに、間違いなく結びついている。女性16歳男性19歳という婚姻制限年齢は特定の時間空間における肯定的理由付けを持つ宗教論議だ。往時、その規準はたいへん合理的だった。それどころか、われわれの祖父母は上述の制限年齢よりもっと若くして結婚させられた。ではあっても、時代というコンテキストの変化によって、その年齢は維持されるにふさわしくないものになっている。だから、上述の婚姻制限年齢は絶対的な規準にならないのだ。
女性に夜間外出禁止を命ずる規則にも、同じ論理が適用できる。この種の規則は、公共空間におけるジェンダー差別を反映しているだけでなく、法律の紛糾をも映し出している。女性に対する夜間外出禁止令は、それが制定されたときの特定時間空間コンテキストにおいて妥当性を有しているものの、国家行政の下部構造と上部構造が国民ひとりひとりに安全を保証するなら(もちろんそうでなければならないのだが)、その条例は非生産的になるのである。

もちろん、国家構造の中に宗教を統合することは、適正な公共合理性が存在しているかぎり、決してタブーではない。西欧諸国でも、聖書の教えをにじませた現行法規がたくさん存在している。(デビッド・ホーレンバッハ、2002年)
この場合、国家構造の中に取り入れられうる宗教上の価値観とは、正義・正直・対等・ヒューマニズムなどのような「生長のシンドローム」(衰退のシンドロームの逆の相)をプッシュしうる倫理上の要素なのである。
イスラム思想用語では、法規は公共の利益を生み出す価値観「アルマスラハ アランマー」を含んでいなければならない法的産物だとしている。スペイン生まれのムスリム法律家アルシャティビ(回暦790年西暦1355年没)は法規の柱をなす5項目を理路整然と提示した。1)道理を守る、2)生命を守る、3)子孫を守る、4)財産を守る、5)宗教を守る。要するに、宗教ドクトリンを公共空間に注入させるのは、それを受容する立場にある公共の合理性がそれを正当化する限り、決して間違ったことではないということなのである。

< ソフトインテグレーション >
宗教=国家関係のコンテキストにおいて、宗教ドクトリンを逐語的・不均衡的・非文脈的に国家行政構造の中に注入することはハードインテグレーションに区分される。イスラム政治史の中では、宗教(ディン)と統治(ダウラ)の一体化したイスラムドクトリンにハードインテグレーションが反映されている。パキスタンのムスリム思想家アブ・イ・アッラ・アルマウドゥディがこのハードインテグレーションドクトリン提唱者のひとりだ。
極端な状況下では、ハードインテグレーションパターンはセオクラシー国家の誕生に向かう。すなわち、あるひとつの宗教だけを基盤に据える国家だ。そのようなあり方は、わが国の憲法構造に対して反生産的であるのに加えて、多様的なわが民族の必要性にフィットしない。宗教ドクトリンに対して衰退(腐朽)のシンドロームに向かう社会的発酵作用の傾向がこの種のモデルにはある。セオクラシーレジームはデモクラシーを禁忌とする。なぜなら、それは神の絶対権に対する反逆と見なされるためだ。

その反対のソフトインテグレーションでは、宗教ドクトリンは国家行政構造の中に実質的・均衡的・合文脈的に注入される。この種の国家構造においては、それが衰退のシンドロームでなくて生長のシンドロームをサポートする限り、宗教ドクトリンは行政システムの中に位置することができる。そこに置かれる宗教ドクトリンのすべては、パルテイザン的でない公共的善事/美徳によって測定可能で客観化された公共合理性を持たなければならない。
選択するのであれば、非世俗国家ー非宗教国家という「ノンーノン」国家理念を奉じるインドネシアにとってソフトインテグレーションがもっとも現実的なオプションだ。世俗国家構造は、公共空間での宗教の役割が否定され、同時に国家行政構造における両者の融合の歴史的由来も無視されるため、大勢が拒否していることが判明している。一方でセオクラシー(宗教国家)も、種々の宗教・慣習・伝統で構成されているわが民族の多様性が無視されるために、拒否されている。

もはや古典の書となった著作「イスラム宗教思想の再構成」(2004;15)の中でサー・ムハンマッ・イクバルは、イスラムの灰でなくイスラムの火を手にすることの重要性を力説した。火とは、どのような状況下に置かれても信徒の間に生長のシンドロームの生成を促すべく燃え続ける解放と変化への意欲をたとえたものであり、イスラムの灰というのは、時代の息吹のコンテキストにそぐわない、過去の思想が生んだ産物を指している。つまり国家行政構造の中に注入されるべきものは宗教上の解放と変化の精神なのだ。
ソフトインテグレーション国家構造が望む生長のシンドロームは最終的にあらゆる形態のステートオブウエルビーイング(SOWB=安寧で幸福な物質的精神的状態)を指向する。
宗教=国家の統合は上述の5つの価値観に留意しなければならない。その実地面においては、平均余命、人間開発指数、デモクラシー指数、自由度指数などの向上と同時に栄養不良、出産死亡、腐敗度指数等々の低下といった、あらゆる形態のSOWBの向上を目指さなければならないのである。


「世界の期待を担うインドネシア」(2016年5月2日)
中道的で寛容なイスラムが実践され、デモクラシーの価値観で社会生活が統御されているインドネシアに、世界の眼がますます集まっている。世界中に蔓延する過激思想とテロリズムを鎮静化させ、原理の異なる集団との共存協働を盛んにさせるための寛容性を広めていく鍵をインドネシアは握っているにちがいない。世界各国はいま、その期待の眼をインドネシアに振り向けている。
今回ジョコ・ウィドド大統領が行った欧州諸国歴訪の際、世界最大のムスリム人口を擁するデモクラシー国家としてのインドネシアの経験を世界中にオープンにしてほしい、と各国指導者はジョコウィ大統領に要請した。

現代世界では非排他性つまり寛容性がきわめて重要なものになっている。イスラム教義の本質を素直に発展させ、歪んだ方向にそれることを極力防ぎ、国民社会が寛容性をもって異教徒異宗派を受け入れながら共存していくことを大筋において実現させてきたインドネシア民族が、現代世界が陥っている混乱に対して果たせる役割は決して小さいものでなく、世界中がその期待を込めてインドネシア民族の貢献を待ち受けている、と大統領に随行した外務大臣は記者団に語っている。
特にアンゲラ・メルケル首相とベルリンで、デーヴィッド・キャメロン首相とロンドンで会見した際、両国指導者はいずれもインドネシアが寛容なイスラムを発展させつつデモクラシーの諸価値を国民生活の中に実現させている状況を称賛し、イスラム諸国にその経験を開示する活動をもっと盛んに行ってほしいと要請した。国民の間にラディカリズムやテロリズムが跋扈してその対応に汲々としているイスラム諸国にとって、参考になることがらはきっとたくさん見つかるにちがいない、というのがその要請の主旨。