インドネシアイスラム情報2014〜16年


「インドネシアのバレンタインデー」(2014年2月17日)
ある文化の祝祭をその文化のひとたちが楽しんでいるとき、同じようなことをして楽しもうという別文化のひとたちの行動を「祝っている」と表現するために、文化的な衝突を招く原因を作っている。これもマスコミの愚かさのひとつにちがいない。
キリスト教とイスラム教が水と油の仲だから、キリスト教文化に由来する祝祭をイスラム教徒が真似することに目くじら立てるひとがいるのも事実だが、真似するひとたちの心中に「異文化の祝祭を一緒になって祝う」という気持ちが存在しているかどうかは、少し想像力を働かせれば判るのではないかという思いを抱くのはわたしだけではあるまい。
それが愉しそうだから真似しようと思うひとたちは、その祝祭の故事来歴や祝祭の対象になっている異文化の人物のことなど、まるで関係がないのである。年末にボーナスが出るから、普段なら怖気づく高額品に手を出そうとし、売る側もお祭り騒ぎにして大安売りの看板を出せば消費者はみんな浮かれて財布の紐を緩めるだろうという商業主義が、キリスト教文化とどんな関わりを持っているというのか?そんな商業主義の看板に使われたイエス・キリストこそ良い迷惑かもしれない。そんな世間の姿を見て、「キリスト生誕を祝っている」という思考がいったいどこから湧いてくるのだろうか?
当今は、クリスマスだけでなくバレンタインデーまでがそういうトラブル含みで世に躍り出てきた。どこかの国では軟派ムスリムと硬派ムスリムがそんなことで衝突までしているようだが、かれらの一部は衝突を自分の男を上げる機会に使っているだけなので、ホンネは信仰の問題にあるのではないというのに、ナイーブなひとたちは常に看板だけを見てさえずることが多く、人間の心を読む習慣が足りないために本質を見落としてしまうようだ。
ヘピヘピ主義のインドネシア人も、こういう愉しいお祭り騒ぎが大好きなのである。もともと依存性文化をたっぷりと身に着けて育ってきているから人間大好き人間であり、そういう人間が大勢集まって遊んでいる場所には自分も加わりたくてしかたがないようにわたしには見える。ともかく人間が大勢集まっていると、かれらは浮かれ出すのである。
インドネシア人にとってのバレンタインデーは、親しい人間との間の愛情を確かめ合うための日という欧米風な理解になっており、チョコレートの日ではない。「花もて愛を告げる」のがファッションになっているインドネシア人だから、2月14日には切花がやたらと売れる。
タングラン市パサルラマの花屋さんは、12日ごろから売行きが倍増したと語る。需要が一番多いのは赤・白・ピンクのバラの花で、いつもは一本4千ルピアなのに、シーズンに入ると1万1千から1万5千ルピアくらいに値段が跳ね上がる。男性が自分の愛するひとのために花を買う。その花をもらうのは、親や妻あるいは子供、恋人や親しい友人そして時には仕事仲間の手に渡ることもある。この花屋さんは12日13日とかきいれどきの大盛況で、一日1千5百万ルピアの売上に達したそうだ。
プレゼントされる品物は花だけでなく、チョコレートもあればぬいぐるみもあり、あるいはちょっとした小物もよく売れる。だが、プレゼントは必ずしも品物だけに限らない。カフェやレストランもロマンチックな飾り付けを施して、ディナーを楽しもうとするカップルの来店を待つ。すると今度はカフェやレストランの間で誘店競争が始まる。多くの店がプレゼントを用意して来店を誘う。そのプレゼントにはバレンタインデーのプレゼントとして使えるものを用意するというのがこの企画の知恵比べ。そのプレゼントをもらった客は、別のだれかにそれをプレゼントできるという、お得指向のしゃれたアイデアがそれだ。


「間もなくルバラン帰省開始」(2014年7月21日)
全国の都市部から地方部に流れる2千8百万人というルバラン帰省の統制と安全確保のために、国家警察は各関連州警察との協力下に全国で8万人という大部隊を動員するクトウパッ作戦をルバラン帰省交通期間に実施する。一方、420万人という帰省者が去ったあとのジャカルタで、首都警察はクトウパッ作戦に何をするのだろうか?
首都警察が行なう作戦の内容は、空き巣防止、繁華街や行楽地での防犯警戒、帰省ターミナルにおける防犯、そして重要施設の保安が主要項目になる。首都のクトウパッ作戦は2014年7月22日から8月5日まで行われる。動員される警察官は7,276人で、国軍と都庁からも応援の人員が加えられる。
首都警察が把握している都内事業所の行うルバラン帰省援助は、16社がバス1,790台を用意して12万8千人を国内地方部各地に送り出す計画。さらに、かれらが帰省先で使えるようオートバイもトラックに積まれてバスに同行する。一方、西ジャカルタ市カリドゥルスバスターミナル長によれば、7月22日から24日までスナヤン・モナス・首都警察本部から17社が延べ3万3千台のバスと二輪車を積んだトラック190台を仕立てて無料帰省サービスを行うとのこと。また有料の長距離バスを利用する帰省者は昨年の48万人から40.4万人に減少する見込みである由。
ルバラン帰省は7月21日から顕著な伸びが始まる見込みで、ピークは7月25〜26日になる。カリドゥルスバスターミナルから有料の長距離バスに乗る帰省者は年々減少している、とターミナル長は明らかにした。2012年6.5万人、2013年6.1万人、今年は5.5万人と見込まれている。
帰省長距離バスの出発ターミナルは都下三つのターミナルに集められた。スマトラ行きはカリドゥルスターミナル、中部ジャワと東ジャワはプロガドンターミナル、中部ジャワと西ジャワはカンプンランブタンターミナルに分けられている。
東ジャワ州の州都でインドネシア第二の都市と定評のあるスラバヤからは、今年のルバラン帰省で577万人が田舎に帰ると目されている。2013年は544万人だったから、6.2%の増加になる。利用する交通機関別の対前年比較では、鉄道8.5%増、航空機15%増、海路5%増、そして渡海フェリー8.5%増で、陸上道路を行く者は5%増と見込まれている。昨年海路を利用した者は対前年比で4割近くも激減したが、ことしはまた盛り返しを見せている。東ジャワ州警察は、帰省の統制と保安のために1万人の警察官を投入するかまえ。
一方、バリではジュンブラナ県ギリマヌッ港から対岸のバニュワギ県クタパン港に渡る帰省者と、パダンバイ港から東に向けてロンボッ以東に帰省する者に分かれる。2014年ルバラン帰省のピークは7月25日(金)と想定されており、ギリマヌッ港港務長によればピークの日にフェリーでジャワ島に渡るオートバイは1万7千台、四輪車8千台、そして人間の数は8万4千人と見込まれている由。パダンバイ港からの帰省者はそれほど多くなく、オートバイ2千6百台、四輪車555台で、人間の数は8千人との読みだそうだ。


「7月23日から全国一斉に休暇突入か?!」(2014年7月21日)
2014年のルバランは7月28日(月)−29日(火)、そして30日(水)、8月1日(木)2日(金)の三日間が公務員一斉休暇に指定されていてその週一週間はフルの長期休みになっている。
このため、ルバラン帰省は7月25日(金)夕方から始まり、2千8百万人が(金)(土)(日)の三日間にわたって全国の交通路に溢れかえることになりそうで、その三日間に凝集される大混雑は古今未曾有のものになりかねないことを西ジャワ州警察と州知事が心配している。
最大の帰省者数を擁するジャボデタベッ地区から西ジャワ・中部ジャワ・ヨグヤカルタ・東ジャワに陸路で向かうすべての車両と人間が西ジャワを通過するのだから、地元を管理するひとびとにとっては大仕事になる。都内から東に向かう車両はチカンペッまで自動車専用道でやってきて、チコポにある終点ゲートを出たとたんに大渋滞の渦に巻き込まれることになるのが確実。チコポからスバン〜インドラマユ〜チレボンを経て西ジャワと中部ジャワの州境まで2百数十キロの距離を進むのに、昨年は12時間かかった。しかし2012年のルバラン帰省は大混雑だったために24時間かかっている。2013年のルバランは(木)(金)だったために帰省ラッシュは6日間に分散されたことから、一日あたりの混雑は低いものになったが、2012年はルバランが(日)(月)になっていて2014年と類似の状況であり、あのときの大混雑を繰り返すのは賢明でない、という考えが西ジャワ州知事と州警察長官の意識の中にある。
州知事と州警長官は先に帰省休暇を7月23日からスタートさせるよう提案して諸方面に呼びかけたが、それを確定させることのできるのは中央政府であるため、州知事は中央政府に対してそのアイデアの実現を迫りたい意向。中央政府がその意見を採り上げた場合、22日あるいは23日にいきなり「今日から民間企業は従業員を帰省させよ」という政府通達が降りてこないともかぎらないということになる。


「イドゥルフィトリのホテル暮らし」(2014年7月22日)
女中や運転手のいなくなるルバラン帰省シーズンに、ジャカルタ在住のトアンとニョニャの多くはホテル暮らしを余儀なくされる。イドゥルフィトリ当日の一週間前くらいから、都内ホテルの客室予約はうなぎのぼりに上昇し、イドゥルフィトリを超えて数日後まで、ホテル暮らしをするひとびとで満ち溢れる。
客室数123の東ジャカルタ市タマンミニにあるホテルサンティカの2014年7月27日予約状況は56%、28日は70%に達した。そのあと一週間はこれからどんどん予約が入ってくるだろう、とのこと。このホテルがオープンしたのは2012年のイドゥルフィトリシーズンで、いきなり70%を超える客室稼動から始まった。宿泊客は予約の電話すら入れずに、新規オープンホテルに直接やってきたとのこと。
427客室を擁するタムリン通りのホテルプルマンは、プアサが始まってから客室稼働率は8割台を維持し、イドゥルフィトリ日の一週間前は客室予約がフルになっている。
客室数661のホテルシャングリラは宿泊料が一泊150万ルピア。イドゥルフィトリの10日前で客室稼働率は6割に上る。毎年イドゥルフィトリ日には、都内住民の多くがこのホテルにやってくる。客室稼動はさらにアップして7割に達するのが例年の状況だそうだ。
イドゥルフィトリ日の需要の高騰に星級ホテル業界は宿泊利用者獲得を競い合う。一泊150万ルピアで朝食付き、そしてお子様向けはお楽しみ集会や催しもの、奥様にはスパのサービスが付けられる。朝食はカフェテリアでなく、日本レストランやイタリアレストランという豪華版。
ルバラン休暇はその一週間継続するのだが、果たして腰が落ち着くだろうか・・・・?


「ルバランの季節、犯罪の季節」(2014年7月25日)
2014年7月22日は総選挙コミッションが次期大統領選挙国民投票の結果を発表する日であり、それを待って多数国民がテレビにかじりついていたようだ。その一方でルバラン帰省者の動きも始まり、首都ジャカルタの州間長距離バスターミナルは荷物を抱えた帰省者であふれ、また首都から東に向かう街道も通過車両が増加した。おかげで、22日都内の道路交通状況は、ふだんの混雑と渋滞が嘘のような閑散とした状況になり、まるでもうルバラン当日がやってきたかのような印象を与える場所すら出現した。
都内の人口が激減するルバランは、空き巣犯罪のハイシーズン。道路交通統制にエネルギーを割かなくてよくなった首都警察のこのシーズンの取締り筆頭ターゲットのひとつは、その空き巣犯罪防止対応である。それだけ犯罪者が旺盛なエネルギーをかけて都内の空き家を破り、財物を奪い去ることに熱中するシーズンであるということを警察の方針が物語っている。
タングラン市警本部は22日、空き巣専門窃盗グループの構成員三人を逮捕した。もうひとりは追跡中。38歳と51歳の男は逮捕時に抵抗したため刑事に脚を銃撃され、41歳のもうひとりは観念して縄に着いた。
ただし粗暴犯罪者にとっては、空き家に入れば空き巣であり、住人がいれば強盗になるということの境界線は髪の毛ひと筋ほどの違いもなく、犯行目的はただひとつなのであって、住人がいれば邪魔が増えるというだけの話でしかないようだ。この時期は空き家が激増するために空き巣のシーズンと言われるものの、だからと言って空き家にしなければよいというものでも決してない。
犯罪という無法界はジャングルの世界なのであり、ともかく強いことがその世界の必須条件になっている。そういう物理的な力の対決で、自分が敗れて死ぬのは当然起こるべき帰結のひとつだという日本の剣豪のような悟りをかれらは抱いているのかもしれない。そういう命知らずがインドネシアには限りなく多いような印象をわたしは抱いている。
7月22日午前5時半、南ジャカルタ市ガトッスブロト通りパンチョランの像から5百メートルほどしか離れていないトゥブッ地区メンテンダラムのジャヤマンダラ?通りにある住宅の表に一台のキジャンが停まり、5人の男たちが車から降りた。42歳の警備員がかれらに来意を問うと、男たちはいきなりピストルを突きつけて警備員を縛り上げ、口を塞いだ。そこは、オーストラリア人ふたりが建築デザイン事務所を開いている家屋で、ふたりはその建物を住居にしている。中に侵入した賊はその家の住人、57歳と53歳のオーストラリア人を襲い、金品を出すよう要求した。被害者のひとりは右脚を痛めつけられ、もうひとりはピストルで右のこめかみを殴打されている。賊は現金4百万ルピア、携帯電話3個、指輪、種々の書類が入ったカバン2個を奪って逃走した。
事件の捜査を開始したトゥブッ地区警察署犯罪捜査ユニット長は、普段からその事務所では20人もの人間が使われており、捜査は身近な人間から着手されることになる、と語っている。


「中流層ムスリムへの商戦が活発化」(2014年7月29日)
ムスリムミドルクラスの経済発展はインドネシアでますます顕著になっている。その市場をターゲットにしたビジネスの強まりが、その事実を裏書しているようだ。シャリア銀行の事業発展、ハラルラベルのついた化粧品の登場、イスラムをテーマにする小説や映画の増加、イスラム理解の深化を促す宣教、ムスリム衣服のネット販売、ファッション性の高いイスラム衣服デザインなどの顕在化がそれを証明している。それらは新規のビジネスエリアを作り出すとともに、各分野におっけるクリエーティブな商品生産をも押し進めることになる。ムスリム衣服のネット販売を行うアントレプルヌールはヒジャプルヌールという名がつけられて社会的な新現象としてもてはやされている。バティック産業界も、バティックデザインを使ったサジャダ、ムクナ、クルドゥンなどを市場に出し始めた。
PPMスクールオブビジネスが出版した「ミドルクラスムスリムへのマーケティング」と題する書籍の著者は、インドネシアでミドルクラスムスリム層市場はたいへん優勢になっている、と語る。インドネシア人口の87%がムスリムであることを考えれば、増加しているミドルクラスにムスリムが占めているウエイトは想像がつくとのこと。その裏側には、インドネシアのミドルクラスムスリム消費者が示している興味深い現象が貼りついている。「かれらはますます経済的に豊かになり、知性が向上し、宗教心も深まっている。かれらは自分が消費する製品に機能的情緒的な効用を求めるだけでなく、スピリチャルな効用をも求めているのだ。それはすなわち、かれらが諸製品の生産者に対してイスラム教義の内容を製品に盛り込むことを要求しているということなのである。それは各事業主にとって、自社製品はそのような要求を満たすことができているのかどうかというポイントを見直すためのチャレンジをもたらしているわけだ。かつて消費者は、ハラルマークの有無をあまり気にせずに商品を購入していたが、いまマーケットを見渡せば、ハラルマークのつけられた商品が大幅に増加していることがわかる。飲食品のみならず、化粧品にもその動きが及んできている。化粧品を購入するムスリムの95%がハラルマークをチェックしているというサーベイ結果が出されているのだ。シャリア銀行の急激な増加も忘れてならない現象だ。1991年から2013年までの間に、シャリア銀行は全国に年率4割というペースで増加した。2013年現在、インドネシアにはシャリア一般銀行が11、一般銀行が持つシャリア部門が23、シャリア形態の国民貸付銀行が160あり、全国に支店網が2,925店、顧客1千2百万人、第三者資金175兆ルピアという業績をあげている。かつて消費者は宗教上でハラムとされている利子を、取り立てて気にしないまま享受していた。今やかれらは利子を避ける方向へと動いている。」
イスラム衣服ネット販売サイトのひとつHijUp.comのオーナーは、そのサイトを通してムスリム消費者に対する衣服とアクセサリー類をオファーしている。このビジネスに入って二年目だというのに、今や年商は5〜10億ルピアに達している。そこでオファーされている商品には、中小事業者たちのクリエーティブな製品が多数含まれている。事業資金に不足しているかれら中小事業者は、自力のマーケティング、生産量の確保、自己ブランドのイメージアップといったことがなかなかできないでいた。そういったことがらへのサポートが、このネットサイトの活用で改善されつつある、とオーナーは語っている。
ムスリム衣服やアクセサリー類の生産に乗り出した中部ジャワ州クドゥスのバティック業者は、ミドルクラスムスリム市場はとても大きいと主張している。アラビア文字のカリグラフィ、クドゥスの塔、スナンムリアの物語などを描いたデザインのバティック布の生産と衣服作成、またサジャダ、ムクナ、クルドゥンなどの生産もそこで行われている。


「イスラムはインドネシアの一部分」(2014年8月25日)
インドネシア共和国69年の歩みの中で、インドネシア性とイスラム性を融合させる試みがなされたことを振り返って見るのは興味深いことだ。1945年5月28日から8月22日まで行われたインドネシア独立準備調査会と独立準備委員会の諸会議の中で、宗教(イスラム)と国家(インドネシア)の関係は複雑な問題になった。独立準備調査会は憲法前文となるジャカルタ憲章をまとめた。憲法の草案は独立準備委員会会議の中で議決される予定だった。ところが会議の前日にインドネシア東部地方のキリスト教徒を代表すると自称する青年グループがブンハッタを訪れ、ジャカルタ憲章に「その信徒にイスラム法を義務付ける有神性」という文章があるため、インドネシア共和国に加わるのをやめる、と表明したのである。翌日ブンハッタは、キ・バグス・ハディクスモ、KHAワヒッ・ハシム、ミステル・カスマン・シゴディメジョ、テウク・モハマッ・ハサンたちイスラム界首脳を集めて、その問題を話し合った。
広い心・責任感・民族のためというスピリットを所属階層の利益の上に位置付けたかれらは、ジャカルタ憲章からその7文字を削除した。その結果、現在の憲法前文ができあがったのである。
< 宗教省 >
ジャワの諸王国は政教一致の形態であったことを歴史が証明している。マタラム王国もその形態を引き継ぎ、王国中心部のみならず服属する各地方領主も同じ形態を採った。その伝統的なあり方の中で形成され受け継がれ、そしてオランダ植民地時代に隆盛になったのがプンフル制度だ。プンフル制度は住民が婚姻・離婚・遺産相続をイスラム法に従って行うのを実施監督する役割を果たした。日本軍政時代には宗務部(宗教役所)が設けられた。1945年11月の中央インドネシア国民委員会総会で、バニュマス代表議員KHアブ・ダルディリのグループが宗教省の設立を提案し、総会で賛同を得たため議決され、初代宗教大臣にHMラシディが就任した。この宗教省なるものをわたしは、インドネシア性とイスラム性の収斂あるいは合体と見る。最初宗教省下にあった宗教裁判所は最高裁の管理下に移された。宗教省はイスラム教育を監督し、一般教育は教育文化省が行っている。残念なことに宗教省は最近、腐敗に汚染されており、それを改善させることによって宗教省はたいへん戦略的な働きをなすことができる。その条件として、大臣が高潔で且つ省内の腐敗撲滅を行い、憲法内にある宗教の位置付けを踏まえて問題を理解し、勇気を持って対策を行うことがポイントだ。
< 発展 >
1983年のナフダトゥルウラマ全国大会で「イスラムとパンチャシラの関係」文書が公認され、1984年のナフダトゥルウラマコングレス決議で再確認された。ナフダトウルウラマは公式にパンチャシラを受け入れたのである。ナフダトウルウラマのその姿勢にPPPや他のほとんどすべてのイスラム民間団体が追随した。イスラム民間団体を通じてイスラム社会がパンチャシラを受け入れたことによって問題がなくなったというわけでは決してない。パンチャシラの解釈に依然として不一致があるのだ。そのひとつは、基本的人権に関する理解の差だ。イスラム界のアフマディヤ派やシーア派に対する姿勢にも差異が見られる。ウラマたちの一部はイスラム教義だけを姿勢のベースに置いているが、他のウラマたちは憲法条文をベースに置いている。アフマディヤ派やシーア派の教徒に対して暴力行為を行なうグループに対する政府の対応は遅い。
そして今われわれは、たいへん異なる進展を目にしている。イスラム法施行への要求が出現しているのだが、意図されているイスラム法の内容がどんなものなのかが明白にされていない。さらにインドネシアをイスラム国家にしようと主張するグループも現れている。インドネシア共和国の存立に危険をもたらすヒズブッタフリルインドネシアやISISの出現は、われわれに脅威をもたらす問題のポテンシャリティがまだまだ大きいことを思い出させてくれる。
パンチャシラの国家原理は法的且つ社会的にフェアな国家を生み出すことができず、いまだに大勢の貧困者や栄養不良者が国民の中にいる。学校教育を受けられない国民も数多い。われわれの天然資源の多くは、外国勢の手中に握られている。5百万人を超える労働力が国外へ出稼ぎに出ざるをえない。
パンチャシラというのはいまだに紙の上にしかなく、生活上の現実のものになっていない。それは行政機構と大勢の高官職者が権力を濫用していることで起こっている。法執行が不十分であるがゆえに、権力濫用が自由に行われているのだ。
イスラム政権あるいはカリフ制を実施すれば、すぐに法治国家が誕生し政府行政が改善されるという保証などない。現実生活の中で社会公正から超独在的有神性に至るパンチャシラの実践がいまだにできていない以上、国家原理をパンチャシラからイスラムに転換しなければならないと考えるグループにわれわれは絶えず直面しなければならないのである。
ライター: プサントレン「トゥブイレン」ケアテーカー、サラフディン・ワヒッ
ソース: 2014年8月16日付けコンパス紙 "Keindonesiaan dan Keislaman"


「アチェ州の公開鞭打ち刑」(2014年10月13・14日)
共和国の中に王国があり、世俗国家であるというのに宗教法で運営されている州がある。それをあってならないことと見なす精神がまともなのか、あるいはそのような矛盾を併呑できる精神が優れているのか?
インドネシア共和国は、その領土を支配していた諸王国を打ち倒して出来上がった共和国ではない。諸王国を征服して各個支配していた異民族の植民地主義を打倒するために反植民地主義活動家たちが提唱した民族主義に賛同し、ホリゾンタルな提携を行なって民族主義を支え、王国システムが持っていた地域性を超越する共和国思想を受け入れて共和国に参加したというのが、この共和国誕生の歴史なのである。スカルノが率いる対オランダ独立戦争で多くの戦費が必要になったとき、各地方で富を集めていた王国宮廷がその費用を援助した事実はあまり語られていない。
独立戦争の中でジャカルタを追われた共和国政府がヨグヤカルタに首府を移したのも、マタラム王国ハムンクブウォノ王家が示した共和国への忠誠があったからであり、名実共に独立したあとでヨグヤカルタ王家直轄領を特別州とする待遇を共和国政府が与えたことに、いかにその功績が重んじられたかということの証明を見ることができるだろう。必然的に、ヨグヤカルタ特別州は王国の姿を残す共和国の一州となった。とは言っても、共和国の主権下にあるのは他州と同じで、王国として独立しているということでは決してない。州内自治の趣が違っているというだけのことなのだが、それが不平等であるとしてこの特別州を他州と同じように民主化せよという声が国内にあるのも事実だし、反対にスラカルタの王家が、中部ジャワ州に呑み込まれている王家の直轄旧領をヨグヤカルタのようにせよ、という声も出されている。
スマトラ島北端にあるアチェ王国は、メッカのベランダと称するようにファナティックな宗教国家であり、国民はイスラム原理をアイデンティティとする社会を営んできた。インドネシア共和国の対オランダ闘争の中で、アチェは共和国政府が約束するイスラム法による自治州というステータスを信じて多大な軍事的経済的協力を行なったものの、いつまでたってもその約束が実現する気配がないために、1953年インドネシア共和国をイスラム国家にしたい勢力に加わって共和国政府と袂を分かった。つまり自らを独立国家としたわけだ。
インドネシアイスラム国を称する勢力を叛乱分子として粛清行動をしていた共和国政府にアチェのその行動を容認できるはずがなく、共和国政府はアチェに対する軍事支配の対応を始めたのである。すると、その軍事支配を容認できない一派が自由アチェ運動を興して1976年からゲリラ闘争を開始した。こうしてアチェは戦争状態が続き、自由アチェ運動と共和国政府の間で停戦合意が結ばれる2005年まで、その地域はDOM(軍事作戦地域)として外界から遮断されていたのである。
アチェ州をインドネシア共和国の一州とするために共和国政府は初期の約束を果さなければならない。こうしてアチェはナングロアチェ特別州として、インドネシア共和国の国法でなくイスラム法で住民統治の行なわれる自治体となったわけだ。
そんな経緯があるため、アチェ州ではいまだに宗教法違反者に対する公開鞭打ち刑が行なわれている。アチェ州法に定められている公開鞭打ち刑の対象は賭博・飲酒・売春や不貞あるいは強姦など男女の性的乱れといったもので、これまでも州内のあちこちで頻繁に処刑が行なわれている。人権団体からさまざまな批判を浴びているこの処刑に対して州内行政やイスラム宗教界は、本質的にそれは刑罰なのでなく、過ちを犯した人間を更正させるために与える仕置きなのだ、と説明している。
2014年10月3日(金)にバンダアチェ市ランプリッ大モスクで、公開の鞭打ち刑が執行された。この日、金曜日の礼拝が終わってから大モスクの表に引き出された四人の男は、2014年8月初旬にバンダアチェ市プナヨン地区でポーカー賭博を行なっていたところを警察に現行犯逮捕された。警察はポーカーカード一式と現金93.3万ルピアを証拠品として押収している。
32歳・34歳・39歳・43歳のかれらは、大モスクの表にしつらえられた3x4メートルの処刑舞台に立たされて鞭打ち刑執行人からひとりずつそれぞれ5回、長さ1メートルの籐棒で背中を打たれた。刑執行前に検察官が舞台に上がって判決を声高らかに読み上げたが、その中でかれらには7回の鞭打ち刑が与えられるのだが、既に2ヶ月間入獄しているため、回数は2回減じられる、と説明している。この公開処刑の舞台は大モスクで礼拝に集まった数百人のムスリムが取巻き、刑の進行を実見聞したが、普段は見物人から「もっと強く打て!」と叫ぶ声が響き渡るのが普通なのに、この日の見物人はおとなしく刑の執行を見物し、携帯電話機でそのシーンを撮影していたそうだ。
バンダアチェ市では10月2日にも賭博者8人に対する公開鞭打ち処刑を市内パフラワン大モスクで執行している。特に金曜日の礼拝にからめて処刑が行なわれるのは、2005年以来バンダアチェ市では9回目のことであるとのこと。
一方、10月2日3日に行われる鞭打ち刑に関連してバンダアチェ市長は市民に対し、刑の執行は子供に対する見世物ではないため、17歳未満の子供はそれを見物してはならない、との決定を表明した。それは処刑執行管理者に対する指示でもあり、処刑執行時に舞台周辺にいる子供はその場所から遠ざけるように処刑監督者に義務付けたものである。


「コンビニ等でのビール販売禁止」(2015年2月3日)
政府商業省は2015年1月16日付けで出した商業大臣規則第06/M-DAG/PER/1/2015号で、ミニマーケットや小規模商店におけるA類アルコール飲料の小売販売を全面的に禁止し、スーパーマーケットおよびハイパーマーケットのみに限定することを定めた。
インドネシアのアルコール飲料に関する法規は、生産・輸入・流通・販売・蔵置の統制と監視に関して商業大臣規則が設けられており、その中でアルコール飲料はA・B・Cの三類に分けて分類されている。A類はアルコール濃度が5%までのビール類、B類はアルコール濃度が20%までのワイン類、C類は20%を超える火酒類という規準が使われ、各類に対して流通量や徴税のポリシーが立てられる。生産・輸入・蔵置・流通・小売の各段階に対して専用の認可が与えられ、この形式に則らないものはすべて闇物資として非合法品扱いになり、官憲が没収した非合法品は貯まったところで広場に並べて大型ロードローラーで引き潰して一面をアルコールの海に変えるという廃棄処分方法が採られている。
これは全国レベルの規則であり、州によっては地方条例でアルコール摂取完全禁止を定めているところも多く、そういう自治体ではアルコール飲料ビジネスの認可を絶対におろさないため、その州内にある品物はすべて非合法品というロジックになり、州内に運び込むだけでも犯罪扱いされる。そういう州に外国人が自分用のボトルを持ち込む場合、地元の人間にはボトルを決して見せないようにするのがトラブルを免れるコツだ。その点に関しては、中東の多くの国と大差ない。だからジャカルタではスーパーなどでアルコール飲料が販売されているというのに、すぐ隣のタングランではどの店に行ってもアルコール飲料が置かれていないということが起こっていた。
外国人消費者という立場から商業大臣規則を見てみるなら、さまざまに細かい規制がかけられており、監視の行ないやすさを狙った意図がよくわかる。
ボトルに入ったまま小売販売してよいのはA類に限られ、B・C類はデューティフリーショップを除いてコップ販売のみを原則にする。
小売販売してよいものは180ml入りより大きくなければならず、3〜5星級ホテルのルームバーのみ178ml以下のサイズが認められるが、ホテルルームから外への持出しは禁止されている。
バー・レストラン・ナイトクラブなどの酒席業者は、客に店内で飲ませることしか認められない。つまり、コップ販売のみということだが、もちろんボトルが店内にキープされるかぎり、ボトル売りは問題ない。
小売にせよ酒席業にせよ、販売対象者は21歳以上でなければならない。
結論的に言うなら、B・C類のボトル入りはデューティフリーショップでしか買えないということになるのだが、デューティフリーショップは客の資格を条件に持っているため、誰もが買えるわけではないということになってしまう。
といったところが法的規則の内容なのだが、現実がそうなっていないのは読者のよくご存知なところだ。
さて、今回の商業大臣規則で、大規模小売販売業以外の商店でのA類取扱い認可が反故になった。禁止された商店は4月16日までにアルコール飲料の一切存在しない事業形態に変身しなければならない。それに違反した場合は小売事業の許可が取消されるので、多くの人間が路頭に迷うことになる。
またスーパーマーケットやハイパーマーケットなど大規模小売業者も、アルコール飲料は来店客の手の届かない場所に移し、その売場の店員に注文して商品を手渡してもらうというスタイルに変えなければならないということを、商業相が語っている。


「洋酒の9割が密輸品」(2015年3月2日)
インドネシア国内で流通しているアルコール濃度が5%を超える洋酒の9割が密輸入品であると国際スピリッツ&ワイン協会役員がインドネシア政府に警告した。アルコール飲料の統制と監視に関する2013年大統領規則第74号では、アルコール濃度5%までをA類、5〜20%をB類、20〜55%をC類とし、55%を超えるものは製造も輸入も禁止されている。B類とC類のアルコール飲料は、免税店とホテル客室のルームバーを例外としてボトル入り販売が禁止されており、酒席業者が来店客にコップに入れてその場で飲ませるという販売方式に限定されている。ルームバーも、ミニチュア瓶を部屋の外に持ち出すのは禁止されていて、室内で飲まなければならない。
B類C類の国内生産者は数少なく、ほとんどが政府の定めるクオータに従って輸入されている。ところが現実には密輸入品があり、更に偽造品や混ぜものが存在している。政府が承認するクオータが需要を十分満たしておらず、おまけに高額な税金のために正規輸入品の市場価格は高いものになっている。それらが密輸入品を市場にはびこらせている原因であり、政府は市場対策及び輸入監視を強めて市場の正常化をはからなければならない、というのが国際スピリッツ&ワイン協会からの提言だ。
その正常化のために必要なのは、まずクオータを見直して正規輸入品の市場供給を増やすこと。現在のクオータはA・B・C類合わせて40万リッターとなっており、ヨーロッパ・オーストラリア・アメリカからの輸入がほとんどを占める。また、国内市場価格がきわめて割高であるために税金を納めない密輸入品との価格ギャップが大きく、それが密輸入を煽る結果をもたらしている。輸入関税はリッター当たり12万ルピア、そしてチュカイがリッター当たり18万ルピアかけられ、国内市場価格は国外の価格から4〜5割高めになっている。
しかしアルコール飲料をハラムとしているムスリム国民が大多数を占めるインドネシアで国内状況がそのようになっているのは文化的宗教的な要素を意図的に反映させた結果であり、政府方針の変更を国会が承認するには大きい困難が予想される。落ち着く先は輸入監視強化ということになりそうで、つまりは現状が維持されるだけという結末になる可能性が高いように思われる。


「ムスリマが戸主の家庭」(2015年3月13日)
イスラム文化では、女性は常に男性の庇護下に置かれて庇護者に仕える立場に立たされるのが原則になっているが、例外は常に存在するものなのである。イスラムのタテマエから行けば、女性が戸主、つまり一家の主人になることはありえない。一家のあるじは男性が務めるように社会制度が設けられている。ところがインドネシアではその常識を破って、ムスリマが戸主になっている家庭が少なからずある。原因は男性がその責任を果たさない点にあり、無責任な男性の放埓な行為を男優女劣の社会的価値観が後押ししているために男優女劣が形成した「戸主は男性オンリー」という社会制度が覆されるという、まことに皮肉な現象が生じているのである。
女性は劣位に置かれているために、女性の教育はなおざりにされ、身体発育も栄養摂取が制限されて発育不全や健康的に問題のある肉体ができあがる。女性存在の目的は出産と育児に置かれ、少女期には食事の主要部分を男性に与えて女子は残り物をあてがわれるために栄養が不足し、いざ妊娠すると健全な子供を産むためにこんどは過剰なほどの栄養摂取を強制される。インドネシアの女性が妊娠するとぶくぶくと太ってしまう理由はそこにある。
女性がそうやって天然の摂理でもある出産と育児に取り掛かると、夫たる男性が何らかの理由でその家庭を顧みなくなることがたまに起こる。死別はしかたがないとしても、よくあるケースは、地方部の家庭で戸主が稼ぎを得るために大都市に単身で移り住み、そこで女を作って最初の家庭を見捨てるというものだが、他にも経済観念なしに何人も別の女を囲って食べさせようとするから、古い順に生計費の配給がなおざりになるというものもある。男の女に対するそういう態度の一端が男優女劣の社会的価値観にあるのは言うまでもなかろう。女が人形であるのをベストとし、夫のあらゆる行為に耐えてそれを見守るのが女の務めという社会で、女の立場や意志を尊重するような男は傑物と愚物という両極端のいずれかだろう。
女も自己防衛をする。無責任な夫を離婚し、別の頼れる男にすがって生きようとする女もいれば、愚物だらけの男に愛想をつかしてひとりで生きていこうと考える女もいる。離婚して実家に戻れるのは裕福な家庭であり、そういう家庭でも出戻り娘を遊ばせて食わせる親のほうが少ない。出戻り娘も自分でなにがしかの稼ぎをするのがエチケットであり、それならもっと真面目な夫を持つほうがまっとうな生き方だという考えに向かうほうが自然であるにちがいない。実家に余裕がなければ、女は最初から独立して、別の男を探すかそれともひとりで生きていくかという選択に入る。そういうプロセスの果てに女性戸主が出現するのである。
イスラム家庭は概して貧困層が多く、また娘への教育に価値を置かないため、財産も教育もない女がひとりで生きていくために就ける職業は限られてしまう。高い報酬は非合法な行為でしか期待することができず、おのずと貧困な母子家庭が再現されるようになり、貧困家庭の悪循環が避けようもなく発生している。極端な女性戸主の場合は、小学校すら出ておらず、文章さえ読めない者もいる。
2012年の社会経済全国サーベイで、女性戸主の家庭は国民総家庭数の14.4%もあったことが明らかになった。扶養者数が6人いる家庭がマジョリティを占め、農業労働者や物売りその他のインフォーマル就労者がメインで、一日当たりの収入は1米ドルを下回っている。家庭内暴力や婚姻ステータスがもたらした虐待のトラウマを抱えている女性戸主も少なくない。
化粧品メーカーのロレアルインドネシアが人権活動団体「女性戸主」と協力して2014年から開始した女性戸主活性化プログラムでは、西ジャワ州カラワン・チアンジュル・スカブミの女性戸主に対する美容師育成教育が無料で行なわれている。このプログラムは、西ヌサトゥンガラ州ロンボッ島マタラム市、北スマトラ州タンジュンバライ市、西カリマンタン州ポンティアナッ市でも実施中だ。その活動を通して女性戸主たちが技能を持ち、社会ステータスを確立させ、より美しい未来を獲得するための自信を身に着けることを主催者は期待している。


「飲酒運転禁止の条文がない!?」(2015年3月24日)
道路運送と交通に関するインドネシア共和国2009年法律第22号(現行法律)の中に、飲酒運転を禁止すると明言している条文が見当たらない。あるのは、第106条(1)項のこのような記載であり、その条文の説明書きの中にはじめて飲酒や薬物という具体的な言葉が出てくる。
*条文:路上で自動車を運転する者はすべて、適正且つ集中力に満ちて自動車を運転しなければならない。
*条文の説明書き:「集中力に満ちて」という意味は、自動車運転者は注意を集中させ、その注意が病気・疲労・眠気・電話での通話・自動車に設置されたテレビやビデオの鑑賞・アルコール飲料や薬物の摂取などの原因で妨害され、自動車運転能力に影響がもたらされることがないということ。
その文章からは、説明書きに列挙されたようなことがらを自動車運転者が行なっても、運転能力に影響がもたらされないなら、それらの行為が即違反となるわけではないという理解が成り立つ。つまり、インドネシアの法律は飲酒運転を禁止していない、という見解が成立するのである。
結局のところ、飲酒しても事故さえ起こさなければだれにもとがめだてはできず、事故を起こせばはじめて責任が問われるというあり方を、その条文は示していると見てよいだろう。
現実にインドネシアでは、ジャカルタでもバリでも、あるいは地方のどこのエリアでも、自家用車運転者に対してアルコールや薬物チェックをするための検問が行なわれたことは一度もない。もちろん、公共運送機関運転手についてはまったく別の話であり、それはここで取り上げない。
ましてや、血中アルコール濃度の違反境界値というものも一切定められておらず、検問やチェックをするための基準が何もないのだから、それがなされないのも当然のことにはちがいない。
2015年3月4日、東ジャカルタ市ジャティヌガラのバスラアパートメント前を通っているバスキラフマッ通りで、自損事故があった。コンクリート製中央分離帯に一台のダイハツロッキーが衝突してコンクリートの破片をはじき飛ばした。破片に直撃された女性歩行者ネネン・ハサナさん39歳が怪我をした。
ロッキー運転者は焦ったようで、車から降りようともせずに急いで車を後退させたから、後ろを通過中だった二輪車に激突して二輪運転者に怪我を負わせた。その二輪車に乗っていたのはスヘンディさん43歳と10歳の子息のふたり。
ロッキーはそのまま現場から立ち去ろうとしたため、往来にいた住民たちが車を取り囲んで運転者をリンチしようとしたが壮年者らにたしなめられて暴力事件には発展しなかった。怪我人三人は病院に担ぎこまれ、ロッキー運転者はやってきた警察に引き渡された。
警察の取調べで、ロッキー運転者はジョニー・パネ51歳と判明。ジョニー氏は酒臭い匂いを全身から発散させており、酔っ払い運転をしていたことはすぐに明らかになった。警察がロッキー車内を調べたところ、飲み残しのアルコール飲料(洋酒)一瓶とエアーソフトガン一丁が見つかった。洋酒のB・C類はビン売りが禁止されており、それをビンで持っていたのは明らかに違反行為に該当する。
さらに、銃器による犯罪が多発しているインドネシアでは、エアーソフトガンと空気銃も警察の許可が必要とされ、銃器は資格を有するオーナーが射撃クラブに保管しなければならず、持ち運ぶ場合には警察から移動許可を得なければならないことになっている。実態は、本物の銃火器ですら許認可を無視した状態で大量に市民生活の中に流れ込んでおり、エアーソフトガンや空気銃は言わずもがなという状態になっている。ともあれ、ジョニー氏は一度にさまざまな違反行為を犯しているため、警察はそれぞれの違反に関して裏付け捜査を進めている。もちろん、飲酒運転の罪状はそこに含まれていないにちがいない。


「ルバラン帰省がまたやってくる」(2015年4月17日)
ヒジュラ暦1436年(西暦2015年)イドゥルフィトリ祝祭は7月17〜18日。その一週間前にあたる7月10日の国鉄長距離列車乗車券が4月11日深夜0時に発売されると、およそ8時間後には売り切れになった。
国鉄の鉄道乗車券は乗車日から90日前に発売される。西ジャワ州バンドンの国鉄オペレーションセンターがネットワークに載せて発売した7月10日運行予定の7列車の座席5,536シートは、4月11日深夜にもかかわらず注文が殺到し、1時には注文件数が1万件に達した。注文して購入の権利を得たなら、3時間以内に支払いを行なって注文を確定させなければならない。3時間以内に確定させなければ、別の希望者に購入権利が移される。支払いによる入金はどんどんと増加し、午前8時には予定されたシートが完売した由。
7列車とは、エコノミー列車Progo号、Tawang Jaya 号、Brantas 号、Matarmaja 号、Gaya Baru Malam Selatan 号、Bengawan 号およびビジネス列車Fajar Utama Solo 号。国鉄はルバラン交通期の総座席数を2014年から11%アップする88,676シート用意することにしており、注文数いかんで、追加便を出す計画。ただし、8万8千席にローカル便は含まれていない。国鉄側は、2015年ルバラン交通期の鉄道利用者数が2014年実績の5割増しになることを期待している由。


「ニカシリは非合法」(2015年4月20日)
インドネシアでは、イスラム教徒の間に「シリ結婚(nikah siri)」という婚姻法式が存在する。インドネシア語ではまたnikah di bawah tangan という言葉も使われるが、それらは同じことを指している。アラビア語のsirri あるいはsiri というのは「秘密」を意味する言葉であるため、シリ結婚というのは秘密結婚ということになる。
まず秘密結婚の本来の意味をとらえるなら、一対の男女が神の前で結婚を誓うことでそれは成立する。秘密なのだから、親兄弟親族から世間一般に至るまで、その結婚を知らせず、公にしないということだ。そこには社会性という要素が欠如しているため、その男女の夫婦関係というものをどう評価するか、というのも人次第になる。
インドネシアでのムスリムの正式婚姻は、父親が娘をその夫になる男性に与える形を採り、モディンやプンフルが証人立会いのもとに娶わせ、その婚姻をKUA(宗教役所)が記録して婚姻を証明する書類を発行するというのが定められたプロセスであり、公的な登録が伴われることが必要条件になっている。
そのプロセス中の公的な登録を行なわないものは、国家行政として認められない婚姻ということになるのだが、イスラム式の婚姻という部分だけに焦点を当てるなら、宗教で定められた要件は満たされているため、その結婚は成り立つという理解が出現する。インドネシアではそれもシリ結婚と呼ばれている。
インドネシアが世俗国家であるがゆえに、国民は宗教が何であるかを問わず、正式婚姻というステータスを政府への登録というプロセスを通して与えられるという法的な形態が設けられた。それがために上のような国家レベルと生活共同体レベルでの分離が発生していると見ることも可能だろう。国法でなく宗教を最上位に置くムスリムであるなら、国が認めなくてもウンマーで認められたらそれでよいという判断が起こりうるだろうし、そういう国民に対して国は法的にそれは非合法だと言うしかないにちがいない。この場合のシリ結婚というのは、そういう意味合いが持たされているように思われる。
そして今はやりのインターネットビジネスの中に、シリ結婚サービス業が出現した。宗教省の調べによると、二ヶ月ほど前からインターネットにそのサイトが続出し、二百ほどがバーチャル世界で妍を競っている。宗教省イスラム社会育成総局イスラム宗教手続シャリア育成局長はそれについて、「婚姻証書や婚姻手帳の公式発行者はKUAと住民管理市民登録局だけであり、インターネットのそのようなサービスを使っても与えられる婚姻証書は非合法なので正式婚姻にならない。さらにKUAでの婚姻は原則無料であり、婚姻プロセスをKUA外で行なうためにプンフルに出張してもらう場合には、国に60万ルピアを納めるだけでよい。ところが、それらの非合法シリ結婚サービスは200万ルピアもチャージする。もちろん、それらのサービスでは婚姻に必要な公式書類をあれこれ要求しないので簡便ではあるが、非合法な結婚をしても意味がないので、善良なムスリムはそれらの詐欺に騙されないようにしなければならない。」と説明している。宗教省は情報通信省の協力を求めて、それらのサイトをインターネットからブロックする対応を始めている。またジャカルタやチレボンのKUAも、それらのサイトを警察に告発したため、警察の捜査が開始されている。
インドネシアウラマ評議会は既にシリ結婚が非合法であるとのファトワを出しており、正式婚姻はKUAに届け出て行なうように、とインドネシアのムスリムに呼びかけている。ファトワ委員会事務局長はシリ結婚について、KUAが近くにない遠隔地のムスリムが行なうようなケースもあって、シリ結婚が必ずしもネガティブな動機でなされているとも言えない。それを合法なものにするために、政府は遠隔地居住者への便宜をはかる体制を作らなければならない。」と語っている。
女性問題国家コミッショナーは、シリ結婚は売春の隠れ蓑に使われるケースが多いため、女性は警戒が必要だ、と呼びかけた。男性が女性にシリ結婚を誘い、性関係を結び、そして相手を替えたくなったら離婚するということが頻繁に行なわれているそうだ。ジャカルタ郊外のプンチャッに遊びに来て長逗留する中東人がインドネシア女性と行っている契約結婚は、たいていシリ結婚のプロセスを踏んでいる。そのような意図とは関係のない女性が男性からシリ結婚を誘われたら、必ず政府に届け出て登録が行なわれる正式婚姻を行い、女性の権利が保護されるようにしてほしい。合法的な婚姻でなければ妻というステータスが持つ権利が女性の側に与えられないので、夫の財産の中で夫婦の共同財産となるものや、夫から妻がもらう権利のある財産、あるいは子供の権利などを確保するように努めなければならない。シリ結婚した妻には法的な保護が与えられないのだから、その機会を無駄にしないように、とコミッショナーは国民にアドバイスしている。


「危険なブカプアサ」(2015年6月12日)
ムスリムにとっての聖なる月「ラマダン」が近付いてきた。ムスリムはラマダン月に断食の行をなすことが義務付けられている。この断食は他の宗教で行なわれているような、完全に食を断つというものでなく、太陽が出ている間に飲料食物を断つことを意味しているのだが、実はこの種の理解には欠落したものがついて回っているのが普通だ。
ラマダン月に義務付けられているその断食の行は、実はアラブ語ではシャウムと言い、その語意は飲食・放言・性交・行楽などの人間が快楽を感じる諸行を抑制して自我コントロールの訓練をし、忍耐心を向上させるためのものであることを示している。つまり、ラマダン月イコール断食という理解から入っていく多くの異文化人が把握する理解が冒頭で掲げたものであり、ひとつ間違えばその本質を永遠に理解しないままこのシャウムの教義を誤認して、イスラムに対する誤解と誤断の根源の泉の中に投げ込んでいるということになっていないだろうか。
ともあれ、一日果たした断食の行を終えるに際して、まず飲食物の摂取が行なわれる。インドネシアではそれをブカプアサと呼ぶ。そしてブカプアサを行なうことをインドネシア語ではberbuka puasa と言い、buka という主に他動詞として使われる単語にber-が添えられる。それはbuka puasa という熟語にber-が付いているからであって、berbuka という形式はこのケースにしか出現しないようだ。だからインドネシア人がberbuka と言えば、それはberbuka puasa を明白に意図していると見ることができる。このブカプアサと英語の朝食「ブレックファースト」という語の形成プロセスの類似性は、わたしにはたいへん興味深いものがある。
で、しばらく昔から、ブカプアサのために摂取する「おつまみ」食物をインドネシアではタッジル(ta'jil/takjil)と呼ぶようになった。アラビア語のタッジルは意味が異なっているので、この言葉はインドネシアでしか通用しないものとして扱うのが、他のイスラム文化圏を訪れるひとには無難だろう。
さて、インドネシアでラマダン月にタッジルを購入するひとは、発がん性の着色剤や防腐剤が使われたものが大量に市販されるおそれが高いため、警戒するように、と食品安全に携わる諸機関や有識者オブザーバーたちが発言している。例によって繊維用染料やフォルマリンあるいはボラックスなどの防腐剤の使用は、政府機関が摘発すればするほど末端現場で増加しているありさまであり、政府監督機関の手に負えない状態になっているようだ。それらの有害物質を摂取していれば、ガンだけでなく腎不全や肝臓障害などの致命的な症状に至る確率が高い。
食品安全と栄養の啓蒙に携わっているNGOの役員は、ラマダン月になるとインドネシア人の食べ物消費意欲が普段の数倍に上昇する、と語っている。どうやら、日中抑圧してきた欲求を夜間に解き放つのだろうか、普通のインドネシア人はありとあらゆる物を旺盛に食べるようになる。インドネシア人の間ではその心理状態がbalas dendam (復讐)と表現されている。勢い、タッジルも豪勢な装いをまとうようになり、見た目や量がほどほどという限度を超え勝ちになって、自分の肉体の健康ということが置き去りにされる。そこに、色鮮やかで調味料と防腐剤がたっぷり使われた食品が混じりこむのは、可能性が高いにちがいない。
ブカプアサにはコップ一杯の水とナツメヤシの実数個、そして栄養バランスの取れたおかずとご飯を食べるのが一番よい、とNGO役員は勧めている。
ブカプアサを町中で摂らなければならない勤め人たちは、道端屋台を利用する場合は特にそこの衛生管理状態を見るように、とインドネシア薬剤師ユニオン役員は述べている。屋台の多くはバケツの汲み置き水で食材から客が使った皿やスプーン・フォークなど一切合財を洗うし、包丁やまな板はあらゆる食材の処理をひとつのもので行なう。おまけに使った後で洗うこともしないし、たとえ洗ったとしても同じバケツの汲み置き水だから、効果はないのも同然だ。そういう場所で清潔さを求めるのは困難であるため、選択するかどうかの中にそういうポイントも加えなければならない、と役員はアドバイスしている。


「アチェで女性夜間外出禁止令」(2015年6月22日)
ナングロアチェダルッサラム特別州のバンダアチェ市が、2015年6月4日から女性の夜間外出禁止令を施行した。それによれば、女性従業員の夜間就労を行なっているナイトスポット・カフェや類似施設・インターネットサービス・スポーツ施設などに対して就業の限界を23時とし、またそれらの場所を利用する未成年女子を含む女性一般は22時以降利用してはならない、という規定になっている。もちろん夫に付き添われた妻や、家族ぐるみで外出している未成年子女などは規定適用外となる。
このバンダアチェ市長指令は2014年2月28日から開始された州知事指示書を踏まえたもので、州知事指示書では州内全地域にわたってインターネットサービス施設やカフェ等における女性従業員の就業を21時まで、またそれらの施設を利用する一般婦女子もムフリム男性の付き添いがない場合は21時を利用時間の限界とするよう求めている。
バンダアチェ市長は州知事指示書との違いについて、市民の活動は地方部よりはるかに密度の高いものになっているため、地方部の限界時間をそのまま適用するのは適切でないことから時間の調整が行なわれた、と説明している。市内のそれら事業者がこの市庁指令に違反した場合、警告措置が採られて最終的には事業閉鎖が強制されることになる。
バンダアチェ市がこの禁止令に特に期待をかけている背景には、2014年に州内で発生した性的虐待事件で同市が地区別のトップを占め、また2015年の途中経過では全国最高のポジションに就いたことが挙げられる。
アチェ州バライシュラウルンイノンとアチェ監視ネットワークが出した2013〜14年レポートで州内の性暴力事件発生件数は231、バンダアチェ市アラニリ国立イスラム教大学女性研究センターが報告している女性レイプ事件は2013年が42件で被害者は6〜18歳、2014年は52件で被害者は26〜40歳とのこと。またアチェ州女性活性化児童保護庁のデータでは、女子に対する性的暴行事件は2009年に278件、2010年311件、2011〜2012年は468件となっている。市長は今回出した指令を、あくまでも婦女子保護の見地から出したものである、と強調している。
しかし、このような一般市民に対する施設利用規制が現場では拡大解釈され濫用されるケースが続出するのがインドネシアだ。バンダアチェ市内で22時以降に町中をひとりで歩いている婦女子は、理論上では冒頭の施設を利用しないかぎり自由なはずだが、取締り官にそれを証明することなど不可能に近い。
そういう実態を知らないはずのない市民の間で、今回出された市長指令への批判が湧き起こっている。市内シアクアラ大学ジェンダー研究センター主事は、その規則は女性の行動範囲を束縛するものであり、市長指令の対象となっている施設とはまるで関係のない用事のために外出する女性の行動を拘束して女性の権利を損なうものとなる、との批判を開陳した。アチェにも女性戸主や独身の母、あるいはコスで一人暮らししている女性が大勢いる。すべての女性が夫を持ち、家族の中で生活しているわけでないのに、観念的な一般化がなされるためにそれに合致しない個人の利益が損なわれることになる。
婦女子の保護をするのであれば、そのような規制ではなくて、行政がたとえばナイトスポット就労女性のために送迎交通機関を設けたり、女性に対する性暴行が行いにくい環境作りを行い、また暴行犯への法的措置を厳格なものにして心理的抑止バリヤーを高めるといった形でなされるのがあるべき姿だ、と同センター主事は主張している。


「ルバラン帰省の足」(2015年7月2・3日)
西暦2015年・ヒジュラ暦1436年のルバラン帰省交通は昨年より増加するものと政府運輸省は見ている。カレンダー上では超大型連休の出現が可能になることから、あとは国民がそれをどのように選択するかということへの予測となるのだが、マスでの移動が開始されるのはイドゥルフィトリ初日の15日前、そして逆流はイドゥルフィトリ二日目から9日後まで起こるという予測を政府は立てた。つまり国民大移動は26日間に渡って繰り広げられるという予測だ。その間に2014年実績から2%増加するであろう2千7百万人が帰省者となって全国の都市部から地方部へと移動し、ふたたび都市部へ逆流してくるというのが政府の描いているシナリオで、帰省者がどのような交通機関を利用するか、ということが政府のルバラン帰省交通管理と支援の内容を決めることになる。
バスや自家用四輪あるいは二輪といった路上交通機関利用者は昨年から6%減少するだろう、と政府は予測した。というのも、低コスト化した空運やサービス体制が目覚しく改善された鉄道という変化が一般消費者の長距離バス離れを起させている事実は、国民周知のものになっているからだ。しかし自家用車族はむしろ増加すると見込まれている。四輪車は159.4万台から168.6万台に5.8%増え、二輪車は187.6万台から202.2万台に7.7%アップする。
他の輸送モードはすべて増加し、フェリー渡海航路は3.58%、鉄道8.54%、長距離海運3.05%、空運2%というのが2014年実績に対する今年の伸び率であるとの予測になっている。そして公共運送機関としてバスは44,871台、フェリー187隻、客船1,264隻、旅客航空機450機がルバラン帰省と逆流のために動員される。
国有客船会社ペルニ(PT PELNI)はジャカルタからスラバヤ・グルシッ・ラモガン・シドアルジョ・マラン等への帰省者のために、ジャカルタ〜スラバヤ航路でチルマイ号・シナブン号・ティダル号・ウンシニ号を運航させることを発表した。総座席数(寝台数)は5千席。帰省者は各船のタンジュンプリウッ港出港日にあわせた選択ができる。
ところで、上では自家用車と表現されているものの、その中にはレンタカーが含まれており、レンタカービジネスもこの時期、飛ぶような売行きをエンジョイすることになる。なにしろ需要があふれるのだから、レンタカー会社が自前で持っている台数ではまったく足りない。おかげで庶民が自家用に持っている車も金稼ぎに使われることになる。このビジネススタイルは普段からも一般的に行なわれており、バリ島のある村の村役は自分の車を期間次第で賃貸ししているし、レンタカー会社に自分の車を委託する習慣も定着しており、それを目的に新車を投資物件として購入するひとも少なくない。
ルバラン帰省のためのレンタルとなれば、数日間連続となる。だから料金は日数次第のパッケージとなることが多い。クバヨランバルのレンタカー業者は普段一日35万ルピアが料金だが、10日間の帰省パッケージは500万ルピアになる、と語っている。毎年ルバラン帰省時期には手持ちの25台がすべて出払うので、今年は需要があるならもう7台くらい増やせるように手当てをしている、との談。客はたいていがなじみの商店主や会社員だそうだ。一見客は車両盗難リスクがあるため、業者はなじみになった相手のほうを喜ぶ傾向がある。
別のレンタカー業者は、ルバラン帰省時期の商売は6割増になると言う。手持ちの6台は普段一日レンタルがもっぱらで、一週間連続というのは二三台あるかないかというところだが、ルバラン帰省では全部が長期レンタルになるそうだ。このレンタカービジネスでの収入は普段ひと月1千2百万ルピアだが、イドゥルフィトリの月はそれが2千1百万ルピアに跳ね上がる。しかし、今年のラマダンは昨年を下回るおそれがある、とその業者は言う。昨年はラマダンに入るころから毎日引き合いが続いたというのに、今年はラマダン月に入っても予約がひとつも入らず、景気の悪化が感じられるとのこと。
一方、自家用車帰省族は長距離を走ることに備えて事前の整備を行なおうとするから、ベンケル(自動車整備業者)もかきいれ時となる。南ジャカルタのBMW車専門ベンケルでも、整備の注文が激増している。「車両オーナーはBMW車で帰省するひとが多いので、注文の増加は当然だ。ヨーロッパ車のほうが乗り心地がよいから、渋滞続きの帰省路もそれだけ楽になる。オーナーがBMWを使いたがるのは当然だよ。」とベンケル責任者は語っている。
クバヨランラマのトヨタサービスセンターでは、普段の一日当たり取扱台数30〜35台が帰省前には60台に激増するそうだ。イドゥルフィトリの直前にやってきても、今日は能力オーバーなので何もできません、と言われるかもしれない。「だから、できるだけ前倒しで整備の注文をするように心がけてください。ラマダン月前半の二週間に持ち込んでくだされば、料金は25%引きに致します。」
なんと残念なことに、その二週間はもう過ぎてしまった・・・・。


「聖なる月、消費の月」(2015年7月3日)
一年中で国内経済がもっとも沸き立つラマダン月が半ばに差し掛かった。特に今年のラマダン月では6月末に月給をもらい、それから一週間ほどの間にルバランボーナスをまたもらうことになる。ラマダン月中盤のこの時期には国民の多くが普段に倍する金を手にするわけだ。
高所得層は言うまでもなく、末端低所得層までもが普段に数倍する支出を行なうのがこのラマダン月であり、おかげで国内の消費経済はいやが上にも盛り上がる。一方で、イドゥルフィトリの長期休暇がその直後にやってくるため国内生産はどん底に陥る、というのが通年のパターンになっている。
ラマダン月には、普段は商売などに無縁の一般庶民までもがタナアバン繊維衣料品市場などに出かけて廉価販売品を仕入れて帰り、隣近所の住民や会社の同僚たちに利益を乗せて再販するため、タナアバン市場は人間の波でもみくちゃにされる。
グーグルインドネシアの報告するところでは、この時期にインターネット利用者の情報アクセス度も大幅に上昇し、オンライン販売のみならずオフラインの商品売り込み情報にもネティズンの関心が集まってくる。関心の的そして購買の的は、ムスリム衣装のファッション動向、食品、ルバラン帰省の切符料金や帰省移動関連情報、ガジェット商品などで、ラマダン月の30日間にネット販売セクターは取引件数が96%、売上高で84%のアップをエンジョイしている。2014年ラマダン月のオンライン販売サイトへのアクセスは普段の四倍増になった。
断食月というムスリムの生活パターンをがらりと変えさせる風習のために、インターネット利用パターンも変化する。日中に飲食を断つために夜中の2〜3時ごろに食事を摂らなければならない。サウルと呼ばれるその時間を待つ間に寝過ごすのを心配するひとは無理やりにでも起きていなければならず、その間TVを見るか、あるいはインターネットでも開くかということになって、インターネットアクセスが激増するという成り行きだ。
ラマダン月の二週間くらい前からネットトラフィック量は増加し始め、ラマダン月に入るとしばらくは大きく跳ね上がり、それがおさまってきてイドゥルフィトリ前に暴落する、というのがこの時期のパターンになっている、とグーグルインドネシアは解説している。


「ラマダン月のテレビ」(2015年7月6日)
1998年にオルバレジームが崩壊したとき、インドネシアに全国放送TV局は5つしかなかった。それがいまや17に増加している。ローカルTV局もどんどん増えており、その数は既に200を超えた。州別では西ジャワ州と東ジャワ州がそれぞれ30局を数えており、国内のトップの座に着いている。
国民の9割近くがムスリムであるインドネシアでは、ラマダン月になると昼と夜の生活が逆転するひとが多く、TV局もそれにあわせて人気の高い番組の放送時間を深夜に繰り下げる傾向が出現する。2013年にはYKSという番組の中でTVスタジオに集まった大勢の視聴者がジョゲッチェィサルという振り付けの踊りをみんなして踊り狂い、家庭の視聴者も一緒になって自宅で踊るという一大ブームを巻き起こした。厳粛にして聖なるラマダン月にふさわしくないこの大ブームを批判する知識人や宗教界からの声は強く、結局YKSはその年かぎりで姿を消した。
ラマダン月には、全国ネットもローカルもたいていのTV局がイスラム教に関わる放送番組を増やす。もちろん、住民の大多数が非ムスリムの地方にあるローカル局はその限りでないのだが、それですらムスリム視聴者に対するサービスは忘れない。ともあれ国内のどこにいようが、TVをつければどのチャンネルからもイスラム教の匂いが立ち上ってくるという寸法だ。普段はミニスカートの女性たちが唄い踊るバラエティショーにもヒジャブ姿の女性歌手が登場し、あるいはインドネシア製のアラブ風宗教賛歌をウスタツがエレキバンドを従えて唄う。そしてアルクルアンを素材にした説教もほとんど毎日いずれかのチャンネルで見ることができる。
コンパス紙R&Dが15年6月17〜19日に全国12都市の電話帳からランダム抽出した17歳以上の住民639人から集めた統計で、視聴者が好むラマダン月のTV番組が明らかにされた。そのトップは説教で、平均的インドネシア人がいかに心に染みこむ良い話、善悪を印象付ける故事や寓話、人間としてのあるべき姿を教える教養談、などを聞くことを好んでいるかをその一事が裏付けている。そういう話をしたり聞いたりするのが大好きなかれらが、その教えの内容を細かく実践していないというきわめて残念な印象がそこに付随してくるのだが、それは置いておこう。
「ラマダン月のTV番組の中であなたの興味をもっとも惹くカテゴリーは何ですか?」という質問への回答は次のようになった。
1.宗教講義/説教 39.4%
2.ニュース 16.7%
3.コメディ 10.8%
4.シネトロン 7.2%
5.映画 5.2%
6.リアリティショー 5%
7.音楽 2.5%
8.スポーツ 2.0%
9.その他 1.9%
10.不明・無回答 9.3% 


「プアサの意義」(2015年7月9・10日)
ライター: 文学者、クルニアJR
ソース: 2015年6月30日付けコンパス紙 "Memaknai Puasa"
「マルハバン ヤ ラマダン」ラマダンがまたやってきた。アルクルアンを皆で唱え、施しを与え、モスクで瞑想し、さまざまな勤めや善行で満たされるべき、神の恵みに満ちた神聖なる月だ。月の終わりに喜捨を行なって、ラマダン月は完結する。
現実に、この神聖なる月の意義を無駄にしているひとびとがたくさんいる。徹夜して、一晩中テレビでコメディアンを見ながらプアサ月を送っているひとがいる。ムスリム界がプアサ月を迎えるときに、いちばん熱心にテレビやプラザ、商店街、歩道橋などに宣伝広告やポスターあるいはネオンサインなどを企画し展開しているのがビジネス界であるのは明らかだ。ただの祝辞だけでなく、店内やフードコートで宗教賛歌を流し続ける。ラマダンは賑やかさや喧騒あるいは音楽で満たされる。
「アア」や「ママ」たちは、心を洗うTV番組や「一緒にブカプアサを」のプログラムのために、大忙しで走り回る。企業はルバラン在庫目標を達成させるために大車輪だ。従業員はボーナスのために一層のハードワーク。労働者たちはハリラヤボーナスへの期待と事業主が時おり行なう遅配や支給取りやめの不安で顔色が定まらない。オジェッ運転手、手間賃狙いの遊び人、失業者までもが、世の中に轟き渡るルバラン事情に避けようもなく追い立てられている。
経済問題の圧迫を受けている者にとって、ルバランは恐怖をもたらす化け物以外の何物でもない。大勢がプアサ月の意義を間違ってとらえているのだ。
物資流通と配送のシステムが価格を膨張させる悪弊は、低所得層都市住民から辺境の地の住民に至る大勢のひとびとを心労漬けにする。プアサ月というこの特別な月は、他の11ヶ月以上に金稼ぎに精出さなければならないのだ。心にニュピを導く暇など、どこを探してもないのである。
一方、都市部ミドルクラスは独特の儀式を執り行う。人気絶頂の宗教師を招いて説教を拝し、そのあとあふれんばかりの美食を満喫して終わるホテルでの「一緒にブカプアサを」の催しだ。昼間の空腹は甘い軽食と目を見張らんばかりの料理で報復される。神への愛を唱えた中世のスーフィイズム思想を支えるものとしてぴったりの光景だ。
スーフィイズムが欲望の完璧な制御と振舞いであるという実態認識はない。愉悦は愛に酔った詩想ばかりであり、神との合一への希求が自己の内にいかに容易に湧き起こってくるかに驚嘆し、一瞬のうちに自己は聖者のレベルに飛翔する。
しかし、プアサはメロドラマではないのだ。話では、預言者の娘ファティマは夫とふたりの息子と一緒にブカプアサの時を待っていた。各自の前には一切れのパンと一椀のミルクが置かれている。だれかがドアをノックした。ドアを開くと、その男は空腹を訴えた。すると全員が自分のパンとミルクをその物乞いに差し出した。一家四人はただ水を飲んでブカプアサを過ごした。こうして三日目には、ふたりの息子は顔色が蒼白になったという。
<プアサの本質>
ラマダンはもちろんありふれたものではない。ウスタツは口角泡を飛ばしてモスクでの瞑想の重要性を説く。ところがラマダンは夜明けまでテレビでの音楽とお笑いの喧騒に満たされているのだ。夜な夜な真冬の夜を神への祈りで過ごしたために涙とあごひげが凍りついたジャラルディン・ルミの話が、それが作り話でなく、スーフィー道士が歩んだ道に続くためには同じ痛みを自ら引き受けなければならないのだという悟りにわれわれを導くことはない。
数年前、伝統的なクバティナンクジャウェン信仰者であるジャワ人男性と行を共にしたことがある。しかも別の人物と二回にわたって。一回目は東ジャワのひとで、二回目は中部ジャワのひとだった。かれらからわたしは古代のジャワの宗教を学んだ。霊界に住むジャワの地の庇護者との霊的コンタクトはラマダン月中はできないという理解をふたりとも持っていた。なぜなら、ラマダン月に霊的存在は唯一絶対神に向けて知覚・感覚・意識を集中させるために、現世との接点から身を引くのだそうだ。バリヒンドゥ教徒はニュピ祝祭日を、真理と神聖と調和を基盤とする人間の暮らしにおける心身の幸福と繁栄のためのマクロコスモスとミクロコスモスの清浄化と意義付けている。その本質に即して、かれらは世俗を離れてヨガと瞑想を行ない、欲望を鎮め、霊的な清浄化を行い、自己を反省し、快楽の追求をせず、思念をイダ・サンヒヤン・ウィディに向けて集中する。
われわれがラマダンの意義と本質を深めるために、それらのことがらが参考にされるべきだ。わたしは西ジャワ州のある村で、自宅の地下に穴を掘り、祖先の教えを実践しているムスリムに出会ったことがある。かれによれば、その地下室の機能は、完璧なプアサを達成するための仕組みだそうだ。われわれも承知の通り、プアサとは単に飲食を我慢することにとどまらず、神が定めた法に背く不埒なさまざまな欲望をも制御することを含んでいる。東ジャワ州ラモガンのスナン・ドラジャッの遺跡を訪れれば、自己を鍛えるためにかれも地下室を使ったことがわかる。
<目的からの迷走>
自分の空腹をもかまわず三日間連続して貧困者に施しを与えた者を蔑むのはいと易しい。異なる宗教の信徒に対してわれわれはどれほどの許容度と懐の深さを持っているだろうか?祖先がヌサンタラで組み上げた宗教コンセプトに対してわれわれは、その本質すら理解しないままに、たいへん軽々しくシニシズムを投げかけていないだろうか?われわれ自身が持っている人間観の諸相の本質を深めることさえしないで、九聖人はイスラムの教えをおとぎ話とごちゃ混ぜにしたと非難してはいないだろうか?
そのシニシズムや高慢さは他でもなく、愚かさに発しているのだ。われわれは人間的な弱点を否定しようとして、その弱点を克服する方法を卑しめている。われわれは宗教があたかも、人間とその人間性というあらゆる問題含みの側面に対してでなく、天使たちに下されたものであると考えている。
時にわれわれはプアサの義務をオーバーにとらえてしまう。われわれは傲慢にも、食事ワルンやレストランに昼間は営業するなと要求する。その時われわれは傲慢さによって、他人の権利を侵害していることを忘れてしまう。プアサの名において、われわれはプアサを破壊しているのだ。
われわれの兄弟が生計の資を得ることの権利を阻害し、非イスラム教徒が昼間レストランで食事する権利を奪っている。その一方でプアサの期間中、われわれの頭と心の中にはさまざまな飲食品が忙しく去来している。昼間はプアサをし、夜にはその飢餓感を癒す。道程の途上に信念が欠けていれば、目的地に至る前に迷子になってしまう。そのようなプアサから、まともなものが得られると誰が期待できようか・・・・


「プアサの倫理」(2015年7月13・14日)
ライター: ナフダトウルウラマプサントレン協会中央部役員、アグス・ムハンマッ
ソース: 2015年6月26日付けコンパス紙 "Etika Puasa"
「完璧な人間はいない」と西洋人は言う。昔タイプのムスリム層はそれとよく似たニュアンスで「人間は過失と過誤の容器だ」と言う。
それらの警句はわれわれ全員に対して、絶えず完璧さに向けて努力するよう注意を促しているのであり、その反対の過ちを犯すことを肯定しているのではない。人間は不完全であるがゆえに、過ちの落とし穴にいつまでもとどまっていないよう、真剣な努力が払われなければならないのだ。プアサは完璧さに向かうためのファシリティなのである。ラマダン月のプアサは、個人として且つまた社会的存在としての質的向上が常に実行されるよう、神が人間を訓練するための手段なのである。
まるまるひと月間、規律を身に着けることを通して、ムスリムはアッラーが望む人間としての最高位、つまりタッワ(敬虔)のレベルに達することが期待されている。「プアサの義務はタッワを目指す道程である。(クルアン‐アルバカラ章183)」「そしてアッラーの近くに侍るもっとも高貴な人間が一番タッワなる者である。(クルアン‐アルフジュラート章13)」
<完璧さの階段>
完璧さに向かうファシリティとしてプアサは、言うまでもなく、いい加減に行なうことが許されない。プアサの遂行は社会生活と同じ様に倫理がある。それがゆえにイマム・ガザリはイリヤウルマディンの書の中で、プアサを三つのレベルに区分した。一般者サウム、会得者サウム、超絶会得者サウムの三レベルだ。(訳注:アラブ語のサウムはラマダン月に行なうべく義務付けられた行のことで、サンスクリット語源のプアサの元々の意味は断食つまり禁食。)
第一レベルの者はただ飲食とセックスの欲望を耐え忍ぶだけ。第二レベルでは、飢渇と性欲を耐え忍ぶほかに、目・口・手・足その他身体全般にわたって姦淫をなさないように努めるべく心する。第三レベルでは、人間をアッラーから遠ざける世俗思考や快楽に対する心のプアサが行なわれる。
アルガザリはそのコンテキストにおいて、実は社会行動としてのプアサを説いているのではない。イマム・ガザリはスーフィーの師として、完璧さに向かう段階について述べているのである。プアサは人格の改善を目指す訓練なのだ。
ムスリムのプアサは年々向上していくように、というモラルメッセージをイマム・ガザリは言外に語っているのである。なぜなら、プアサのレベルが第一段階からいつまでたっても向上しないのであれば、その者は損失カテゴリーに区分されるからだ。
「預言者はのたまわった。今日の善行が昨日より劣っている者はだれであれ、その者は値打ちがない。今日の善行が昨日と同じ者はだれであれ、その者は損失である。今日の善行が昨日より優っている者はだれであれ、幸いなる者に区分される。(HRブハリ)」
イマム・アフマッやイブヌ・マジャの言を記した別のハディスでは、第一レベルのプアサしか行なっていない者は飢えと渇き以外の何をも得ることがない、と述べられている。訓練に例えられているように、年々レベルが向上していかないプアサはまるまるひと月間、まったく無意味なことをしているということなのだ。訓練とは、目に見える向上が生じたときにはじめて成し遂げたと言えるのだから。
<社会倫理>
プアサとは、身体的規律訓練、モラル上の規律訓練、精神的規律訓練のコンビネーションだ。身体的規律訓練をいくら行なったところで、モラル面の規律が、それどころか精神的な規律が高まる保証などどこにもない。それら三つの組み合わせがプアサなのである。
身体面での規律訓練としてわれわれは、飲食の時間とその内容を特定パターンに従うことの習慣化を求められる。身体面での規律訓練を成就させるべく、われわれは身体全域にわたって悪しき行為とされていることを避けるよう、自己統制を行なう。そこでの習慣化がモラル面の規律を生み出すように期待されているのだ。
そこから更にわれわれは、プアサが精神的な規律を訓練するよう教えられる。プアサ月には、さまざまな宗教戒律の励行が強く推奨されている。アルクルアンを読むことにはじまって、スンナーの礼拝、特にタラウィ、モスクでの瞑想、インファッ・スドゥカ・ザカートなどの社会的な宗教上の善行に至るいろいろな行を。それらの善行はとても大きな報償を伴って、強く勧められているのだ。クドゥシのハディスでは、「各善行に対して、プアサそのものとは別に、10倍から700倍の報償が与えられる。それはわがためなのであり、われはそれに報いるであろう。(HRアルブホリとマリク)」
<プアサの成就>
プアサの成就は、身体・モラル・精神の規律訓練がどれだけ社会倫理と化したかによって決まる。イマム・アフマッとイマム・タブラニが述べた「人間のもっとも優れた面は他人に有益さをもたらす点にある」という言葉を示すハディスの意図するところがそれなのだ。
それがゆえに、プアサとは根本的に社会的な感受性と思いやりを基盤にすえているものなのである。このモラル上の呼びかけは低経済層へのエンパシー表現である禁食の行に見られるだけでなく、プアサが終わる前に行なわれるザカートの義務にも示されている。そのザカートを受ける権利を有する者のトップに最貧困者層が置かれているのだ。
イスラムは社会倫理を強調する。異なる社会集団、特に経済・文化・社会・宗教・人種的にマージナルなひとびとに対するエンパシーを持つよう、プアサはわれわれを訓練する。アルクルアンの中に、直喩的あるいは隠喩的に美徳の善行を奨める章はいっぱいある。
簡単に言うなら、美徳の善行とは自分自身および他人にとっての有益さ・正しさ・有用さを生じさせる良き行為を意味している。それはまた同時に自分自身および他人に対して、悪しき行為や禁じられたこと、困難・破壊・損失をもたらす行為などを防ぎ、またそれらを遠ざけることをも意味している。
興味深いことに、アルクルアンの中で「神への篤信」と「美徳の善行」という二語が連なって用いられている個所が71もある。その中の4個所には「神への帰依」という語が付加されている。アマヌ(神への篤信を抱く)という語はアルクルアンの中に単独で258回登場し、アミルスシャリアッ(美徳の善行)は53回繰り返されている。
アルクルアンは「神への篤信」と「美徳の善行」をたいへん強調しているため、美徳の善行に欠けた神への篤信は無意味であることを、それは暗に物語っているように思える。イッザ・ロフマン・ナフロイが2008年に引用した井筒俊彦氏の1983年の文章では、神への篤信と美徳の善行の関係が「陰が形に添うように」と表現されている。
全霊をこめて行なわれたプアサはモラル面精神面での成熟をその者個人にもたらすだけでなく、社会的な感受性と思いやりをも育む。身体面・モラル面・精神面の規律を統合することは社会倫理の確立にとって重要な前提条件なのである。


「ムディッする、ゆえに我あり」(2015年7月15・16日)
ライター: 文学者、ダムフリ・ムハンマッ
ソース: 2015年7月11日付けコンパス紙 "Kami mudik, maka Kami Ada"
「mudik」の言語系統図は「udik」という語根から始まっている。日常表現での「mudik」は普通、上流を目指す行程と理解されている。上流というのは草深い奥地や遠い丘陵地帯の麓にあるがゆえに、「udik」という語は田舎の村落部を連想させる。
ムラユ文学研究者ママンSマハヤナ氏は数年前にインドネシア大学での会議でそう説明した。そこでの「udik」の意味は安定的・中立的であり、侮蔑ニュアンスはない。わたしが「orang udik」を自称しても、単に内陸部の村や遠い辺地の出身者であることを意味するだけだ。ところがいくつかの地域で都市が急激な成育を示し、ジャカルタが進歩の物差しに固定されたことに伴って、「udik」という語に負荷が加えられるようになった。まだ文明の波に洗われていない地域という意味に変化したのである。「田舎臭い」「後進的」という意味が「udik」という語に付着してしまったために、それはアーバン社会にある進歩・成長・教養などとは正反対のものという意味を表すようになった。
毎年、イドゥルフィトリの前後には、「pulang mudik(ルバラン帰省)」というモメンタムの中でその両極がクロスする。数百万の人間が続々と故郷を目指すのだ。一家の経済がいかに苦しかろうが、ルバランは必ず生まれ故郷で過ごす。帰省費用がどれほど値上がりしようとも、ルバランの日に親兄弟親族一同が集まることの価値より高くなることは決してない。
白昼の焦熱の陽射しの下で小さいカブ型オートバイにまたがって他のライダーたちと一緒に何時間も交通渋滞の渦中に巻き込まれることを苦にもせず、あるいは帰省交通機関の切符を買うのに長蛇の列にもまれることを喜んで行なう。詩人レオン・アグスタは2012年作品「放浪者の太鼓」の中でその様子を風刺的に描いている。
13日間の死亡者総数は/596人
この詩のタイトルはメイン記事のタイトルだ/首都の一新聞の/われわれは幸福ではないのか?(ジャワ人のルバラン帰省の詩)
<都会人の闘争>
昔は、両親や大家族のみんなと生まれ故郷で再会するのに物理的な移動を行なう以外に方法はなかったにちがいないし、そのためにルバランというモメンタムが選ばれた。しかしながら、携帯電話が大普及したいま、毎朝故郷のみんなと会話することだってできないわけではない。ジャワからスマトラ・カリマンタン・スラウェシへの往復航空路も利用できるから、ムディッを毎週末に行なうことだってできるのだ。しかし事情はそれほど単純なものではない。ムディッというのは、都会に移住してアーバン人間になった者が、単に両親に拝礼したり、生まれ育った土地の文化と自然へのノスタルジックな憧憬を満たすといったことだけを目的としているのではないのである。それはあらゆる問題を抱えた都会の喧騒から逃避するためのものでもあるのだ。都会人に付き物と絶対視されていた進歩・成長・教養が、実際にはそうなっていなかった。たとえばジャカルタでの生活を死守するための闘争に次ぐ闘争が、故郷で育んだ友好的な人間関係とコミュニティ生活の根を維持することを不可能にした。
日常性が都会人を自宅の塀の裏側に沈潜するのを好む個人主義者にした。交友したり、ましてや同じ都会人同士で融合しあう暇などあまりない。顧客やビジネス仲間と会うことのほうを喜び、熱中し、隣組のアリサン会合や同郷者コミュニティの例会を避けるための理由をあれこれと探すようになる。コミュニティ基盤は社会感覚の乏しい個人主義メンタリティに形を変える。
大都会にいても、種々の問題に圧迫されて、自分を一個の人間であると規定するのがほとんど困難になっている。歩道をカキリマ商人がぎゅうぎゅう詰めに占拠しているために歩行者はふうふう言いながら歩かなければならず、それですら、折に触れて歩道を走行するオートバイにぶつけられることもある。ジャカルタが激しい交通渋滞に見舞われる時間帯には、歩道がオートバイ車線に早変わりだ。もしあなたが二輪車ライダーなら、通行している歩行者に、たまには停まって道を譲ってやってはどうだろうか?ぐずぐずしていると、鼓膜をつんざきかねないクラクションの連続射撃と動物図鑑に出てくる単語だらけの罵声をあなたは浴びることになる。
そのポイントにおいては、都会人というのはいつでも道路の支配者に踏み潰されかねないアリ以上の存在ではない。パサルからあふれて路上にまで広がり、わざと公道をリヤカーでふさいで商売している野菜売りに文句をつけようなどとはしないことだ。いったい何者か不明だが、ともかくその場所を使うために賃料を払ったと思っているから、野菜売りははるかに獰猛になる。大都会は法が腕っ節に巻きついているだけの巨大なジャングルなのである。強い者は生き残る。もっと強い者が出現するまでは。一方弱者は、いつでも踏み潰せるノミとなって辺縁の辺縁部に押しやられる。
<実質的=先験的>
大都会住民は職業や社会ステータスが何であれ、巨大な都市機構の小さい歯車にすぎない。自己実現の場を見出すのは容易でなく、ましてや存在を認知されようなどとは。天上にはまだまだたくさんの天が層をなしているのだ。金持ちの頭上には大金持ちがいる。成功者の上にはもっと華やかな成功者がいるのだ。猛々しい者の上にははるかに獰猛な奴が。個人的存在・職業・地位・教養に対する評価を暑く非人間的な都会砂漠で求めるのは困難だ。
「udik 的なもの」への憧憬はそこにこそ、燃え続けるのである。故郷の村であなたはひとかどの商売人として賞賛を受けることができる。村を去ることを躊躇している都会への移住希望者にとっての模範者とされることも起こりうる。しかし不幸なことに、現代の村人はもはや、われわれが思っているほどウディッな存在ではない。毎日、クオリティのないシネトロン番組を通してテレビが華やかさを撒き散らし、ガジェットの最新テクノロジーのおかげで情報は洪水のように流れ込み、マネーポリティクスに塗りつぶされたローカル政治ヒステリーを含めて、村人たちのメンタリティを真の都会人以上にアーバンで享楽主義的なものに変貌させたのだ。
だから、認知を得ることはますます高価になっている。感嘆は、溢れんばかりの種々の贅沢を携えての帰郷に対してのみ用意されている。最新型の高級乗用車が穴だらけの道路を徐行して回らなければならない。朽ち果てた村役場の建物を修復する約束を含めて、施しや寄付が全方位にばら撒かれる。その条件が満たせなくても、多少のカモフラージュを使えば何とかなる。運転手付きレンタカーを借りて、それが自分のものであるかのように振舞うのだ。運がよければ、村人は親指を立ててくれる。これが水を油にする術だ。本質は水なのだが、油に見えるように仕組むのである。
「昔の帰省者は有意義な知識やサクセスストーリーを持ち帰ってきたが、昨今われわれは財物を見せびらかすだけに終わっている」あるネティズンはそう皮肉る。ムディッを止めることは不可能だ。自己実現を示すためのニセモノ作りはますますクリエーティブになっていく。しかしもっと有望なムディッビヘイビヤもある。空間的=暫定的な帰郷を毎年繰り返すのでなく、もっと本質的=先験的な帰郷を行なうことだ。道の発端、つまり根元に回帰し、穢れに染まらないよう自分を維持することである。・・・・・


「ルバラン帰省がピークに」(2015年7月15日)
ルバラン休日の6日前にあたる2015年7月11日(土)に、首都圏から地方部に向かう自動車の量が顕著に増加した。いよいよ本格的なムディッのスタートだ。各地で、一日中シャッターを下ろしている商店の数も増加している。
コンパス紙R&Dが2015年5月18〜19日に首都ジャカルタの最新電話帳からランダム抽出した17歳以上の回答者484人から集めたルバラン帰省に関する統計が公表されている。
質問1.あなたは故郷にルバラン帰省する習慣ですか?
回答1.はい36.8%、いいえ63.2%
質問2.ルバラン帰省のための貯金をしていますか?
回答2.はい43.8%、いいえ55.6%
質問3.ルバラン帰省するひとの理由を、あなたは何と考えますか?
回答3.家族親族が集まる90.1%、長期休暇の活用4.5%、墓参り・レクレーション等々2.7%
質問4.ルバラン帰省シーズン到来で喜ばしいことは何ですか?
回答4.ジャカルタが閑散とする73.2%、家族が集まる11.6%、土産物など品々の買物7.4%
質問5.ルバラン帰省シーズン到来でうれしくないことは何ですか?
回答5.店やワルンが閉まる37.1%、女中がいなくなる22.1%、交通渋滞や交通機関の遅延20.6%
都庁データによれば、ルバラン帰省する都民の数は年々増加している。2013年の380万人は2014年に580万人に激増し、2015年は更に650万人になると予想されている。仕事あるいは収入を求めて上京したひとびとの大半は帰省するらしく、それが家族持ちになっても帰省の欲求は持続するようだ。もちろん故郷での状況も帰省するかどうかの判断に影響を与えるため、本人の事情だけが動因になるわけではない。
帰省者増加の理由の一つとして、政府や民間企業で無料帰省バスを仕立てることが年々盛んになっていることがあげられる。都民の所得増や道路網拡充も理由の一つにあがっている。
帰省者の半分以上が帰省費用の貯金をしていないのは、商売をしている場合、ラマダン月に入ると売上が増加するので、その利益から帰省費用が捻出できるためであるようだ。また、勤め人にはハリラヤボーナスが支給されるため、それを使って帰省費用をまかなうひとも少なくない。
ルバラン帰省シーズンが到来して都内道路ががらがらに空くという特異な現象は帰省ピークに合わせて発生するが、ほんの数日間しか続かない。イドゥルフィトリ当日の朝は大通りまで使って都内全域で礼拝が行なわれ、自宅から遠いモスクに出かけるひとも多いため交通量が増加する。そのあと多くのひとが親族や職場関連、あるいは知己・友人の家を挨拶に訪問するので、交通渋滞が発生する場所もできる。
ルバラン帰省で困ることのトップは、女中などの使用人を使っている家庭で、使用人が帰省することだ。そのために一家でホテル暮らしするか、あるいは短期で代用の女中を雇うことになる。代用の女中に対する報酬は一日20〜30万ルピアが相場とのことで、普段の女中の給料に比べたら高いには高い。ホテル暮らしするよりは廉いのだが、そのあたりの決断は人によって異なってくるにちがいない。


「犠牲祭は9月24日」(2015年9月21・22日)
2015年9月13日の日没時に全国でヒラル観測が行なわれ、その観測結果を集めて宗教省ではイスバッ判定会議が開かれてズルヒジャ月1日の確定がなされた。ズルヒジャ月1日は9月15日と決定され、イドゥルアドハ祝祭日であるズルヒジャ月10日は9月24日になることがこれではっきりした。既に定められているインドネシア国民の休日2015年版の内容に変化が起こらなかったことをそれは意味している。
インドネシアの二大イスラム民間団体のひとつナフダトウルウラマは暦の決定をルキヤッと呼ばれるヒラル目視で行なうことを原則としており、宗教省と一体となって月替わりの確定プロセスに現場で参加しているが、もうひとつのムハマディヤはヒサブと呼ばれる天文学計算を主体にした暦の決定方法を採っており、それによればズルヒジャ月10日のイドゥルアドハ祝祭日は2015年9月23日と前から公表しているため、ひとによってイドゥルアドハの祝祭を祝う日が違ってくる。宗教大臣はムスリム国民に対し、どちらの日に祝おうとも相互尊重を欠かさないように、と注意を与えている。
イドゥルアドハは日本語で犠牲祭と呼ばれるように、生贄を屠って神に捧げる儀式を行なう宗教祭祀であり、生贄に供される動物は5歳以上のラクダ・2歳以上の牛・1歳以上のヤギと定められている。牛は水牛を含み、ヤギは羊を含んでいる。それらの生贄動物がズルヒジャ月10日に世界中で一斉に屠られるのである。インドネシアではラクダがほとんど使われず、もっぱら牛かヤギになるわけだが、インドネシアだけでも、全国で億の単位の動物が屠られる。一日でやりおおせない量になる場所では、一部の処理が翌日に繰り越されることも起こる。
この生贄は、個人が自費で生きている牛かヤギのいずれかを購入し、当日生贄を処理する場所として定められたところに持って行って処理をするひとびとに委ねるのである。もちろん経済力はひとりひとり違っているため、高価な牛や水牛を買えないひとはヤギや羊を買う。それすら買えないひとは生贄をしないでもっぱら解体された肉をもらう側にまわる。つまりこの犠牲祭は、豊かな者が貧しい者に肉の現物を恵むという社会的な意義を持っているというわけだ。生贄を行う者は自分の豊かさの一部を削って貧しい同胞に寄付するというアッラーが命じた善行を行なうことになり、それだけ篤信であるという評価を社会から与えられる。
インドネシアで生贄の動物を屠る際、モスクや学校でそれが行なわれる。動物の屠殺を社会の中でコミュニティ構成員にありのまま見せるのが、インドネシアで伝統的に行なわれてきたスタイルだ。現代世界文明の価値観から言うなら、その宗教祭祀は野蛮な殺戮行為なのであり、それを幼い子供たちの目に直接さらすことにためらいも感じない暴力志向文化に染め上げられたものという見解が頭をよぎるに違いない。イスラム社会が持っている暴力性と生贄を結びつけて批判する声が、特に白人キリスト教社会から投げかけられているのは、不倶戴天の歴史がいまだ尾をひいている部分であるようにも思われる。
インドネシアで犠牲祭は、ムスリムの死生観・生命観の構築に影響を及ぼしている。ただし、ムスリムが暴力志向であるかどうかは個人差がある。犠牲祭などまったく無縁の西欧型現代文明社会ですら、暴力志向の個人が生活コミュニティの中に混じって世の中を徘徊しているのだから、「イスラム=暴力と破壊」という見方は偏見でしかないだろう。イスラム社会に暴力礼賛派が存在しているのは事実だが、非イスラム社会に暴力礼賛人間がいないわけではないのだから、宗教をその規準にすることが本当に妥当なのかどうか?ムスリムのマジョリティが暴力を否定している事実は、イスラム界の声をつまびらかに探ればよくわかる。ものごとの実態を正しくフェアにとらえようとしないでイスラモフォビアをはびこらせているのは、いったい誰が何を目的にした情報操作なのだろうか?
2014年にジャカルタ都知事は、学校がイドゥルアドハの生贄屠殺場所に使われることを禁止した。バスキ・チャハヤ・プルナマ都知事は非ムスリムだ。それが問題を増幅させた。戦闘的ムスリムはそれを非ムスリムのイスラム教に対する攻撃だとして態度を硬化させた。だが、都知事の意図はまず第一に衛生問題にあったのだ。学校の校庭に何百頭もの生贄の血を吸わせたあと、翌日は子供たちが登校してくるのだから。さらには、殺戮行為とそれが学校で行なわれるということへの倫理観がそこに付随している。
インドネシアで生贄屠殺場所はモスクと学校がメインを占める。畜産屠殺場は大勢の人間が見物できるようにはなっていない。この祭祀遂行は神の命じた義務を果たしているという意識につながっているため、イスラム宗教界はその殺戮活動をむしろ誇示しようとしてきた。そこに感受性の差が出現する。
生贄の屠殺を学校で行なうのは、イスラム宗教教育の実践にたいへんよいことであるというのが、イスラム宗教界の見解だ。しかし都知事は2015年も学校での生贄屠殺を禁止しようとした。それどころか、今年はモスクでの生贄屠殺も禁止する意志を表明した。そしてすべての生贄屠殺は畜産屠殺場で行なうようにとの指示を出したのである。畜産の屠殺・収容・統制に関する2015年都知事指令第168号が一旦は作成された。
イスラムの総本山であるサウジアラビアでさえ、モスクや学校での生贄屠殺などまったく行なわれていない。サウジでは、生贄屠殺が畜産屠殺場で行なわれている。インドネシアのイスラム界は、モスクや学校での生贄屠殺がイスラム法の実践に当たるのであり、いくら都知事でもムスリムの宗教祭祀実践を禁止することはできない、と都知事に反論した。街中の、人が容易に集まることのできるモスクや学校でその場所を血まみれにする必要はないという都知事の見解と、宗教祭祀の実践を邪魔建てするな、という宗教界の反発が対立した。都知事はイスラム法の実践を禁止しているのでなく、場所の変更を命じているだけだと説明したが、都知事が命じる畜産屠殺場での実施はできないとして平行線をたどる。
結局、宗教界は都議会を動かし、最終的に都知事が折れて出て、モスクや学校での生贄屠殺禁止は取消され、2015年都知事指令第168号から抹消された。無意味な論争と、真意を歪めて疑心暗鬼を撒き散らし、社会不安と軽挙を世の中に招こうとする一部不穏分子に根拠を与えるだけの対立を避けるのが都知事の真意であり、今回のできごとは保守的なインドネシア文化の体質をさらけ出して見せてくれた事件であった。


「宗教と経済活動」(2015年12月23・24日)
ソース: 2015年12月5日付けコンパス紙 "Agama dan Aktivitas Ekonomi"
ライター: シャリフヒダヤトゥラ国立イスラム教大学ビジネス経済学部教官、イスラム経済専門家ユニオン中央執行部役員、アリ・ラマ
イアンナッコーネの宗教と経済活動に関する1998年の研究は少なくとも三つのことがらをカバーしている。ひとつ、経済パースペクティブに基づく宗教ビヘイビアの解釈、つまり個人・集団・文化間の宗教ビヘイビアのパターンを経済理論と技術を使って説明すること。ふたつ、経済に対する宗教の影響の研究。みっつ、神学的パースペクティブを用いて、経済政策を支持あるいは批判すること。
宗教と経済の関係についての研究は西洋世界で「宗教経済学」とされている。この研究は宗教を、経済変数を含むさまざまな変数との間に因果性を持つひとつの変数と見なす。宗教は、宗教的ビヘイビアを通して調査し、測定することができる。レーマンとアスカリによれば、調査パターンもふたつある。宗教を独立変数(影響を受けるもの)に位置付けるものと従属変数(影響を与えるもの)に位置付けるものだ。
< イスラム的経済指標 >
シャリア経済コンテキストの中で影響を与えるファクターとして、たとえばベイクは2009年に、ザカートは経験的に貧困を軽減するものであることを見出した。ラマも同様に、シャリア銀行のようなイスラム経済機関は経済成長にポジティブな影響を与えていることを見出している。
このパラダイムコンテキストの中でレーマンとアスカリは、世界のムスリム諸国や非ムスリム諸国の経済分野におけるイスラム的目標達成レベルを測定しようとして、イスラム的経済指標モデルを発展させた。この研究はその前に行われた「イスラミック諸国はどれほどイスラム的か?」と題する研究の一部分をなすものだ。
その研究成果で問題があると見られているのは、もっともイスラム的な国としてのトップにニュージーランドが登場したことだ。一方、経済面ではアイルランドがイスラム経済システムの目標達成度指数ナンバーワンとなっている。ムスリム人口がマジョリティを占める国の中ではマレーシアがやっと33位に登場し、他のイスラミック諸国はもっと下位にいる。この調査対象とされた208ヵ国中でインドネシアは104位だ。
本当は、イスラム的経済指標モデルというのは、イスラム経済システムが達成しようとしている三つの目標から導かれる指標モデルなのである。ひとつ、公平な経済と持続的経済成長の達成。ふたつ、福祉と労働の場の創造。みっつ、シャリア財務システムの実施。この三主要目標はさらにいくつかのイスラム経済原理を導き出す。妥当で測定可能ないくつかの経済インジケータが、それらの経済原理を表すものとなる。
その指標モデルに合わせて筆者は、インドネシア各州のイスラム度指数を測定してみた。すべての経済インジケータには、2014年基礎データがイスラム経済原理のプロキシに使われた。その結果、南カリマンタン州が54ポイントでイスラム的経済指標ナンバーワンを獲得し、東カリマンタンとジャンビが53ポイントで同率二位となった。反対に最下位はパプアが32ポイント、そしてマルクが35ポイントだ。国の首都で経済中心地であるジャカルタは51ポイントしかなかった。
南カリマンタンは経済安定度(インフレ率・失業率・犯罪発生率)と所得・資源分配(ジニレーシオ)の二面が優れている。同時に、教育開発・貧困軽減・基礎需要の充足という面もまさっている。シャリア銀行資産レーシオも比較的高い。一方、貯蓄と投資およびインフラと社会サービスが劣っている。
指数が最低だったパプア州は教育・インフラ・社会サービス・経済福祉の諸面が劣っていた。パプア州が直面している深刻な問題は公平な経済と所得分配であり、特にジニレーシオが示す資源と所得の分配は大きい較差の存在を表している。マルク州については、貯蓄と投資のレベルおよび通商レベルに問題がある。しかし教育・貧困・経済需要の充足・経済福祉などの諸面が、マルクはパプアよりも優れている。
< 低い実績 >
概論としては、33州を対象にして行ったこの調査で、50ポイントを超える指数を得た州は11しかなかった。それはつまり、平均的に見て、インドネシアの各州はイスラム経済システムの目標達成度が比較的低いことを意味している。言い換えるならそれは、インドネシアのほとんどすべての州でムスリム人口がマジョリティを占めているというファクターが経済目標達成度の重要ファクターでないことを意味しているのである。
地域別の業績では、スマトラ島とカリマンタン島でイスラム的経済指標実績は平均的に他のエリアに比べて比較的高いものだった。ジャワ・スラウェシ・マルク・パプアなどの地域ではイスラム的経済指数が平均して50ポイントを下回る低いものだった。パプアとマルクはほとんどすべてのインデックスが劣っており、その結果総合評価でも低いものになっている。
更に、イスラム経済システムが達成しようとしている三つの目標を見てみるなら、経済福祉と労働の場の創造という面が平均的にどの州も劣っている。50ポイントを超える指数を獲得したのは四州だけだった。低い実績はシャリア財務システムの実施という面にも見られた。各州のシャリア銀行界保有資産の小ささがそれを示している。その様相は全国レベルにも反映されており、シャリア銀行界の資産シェアは国内銀行界総資産の5%に満たない。
上で見てきたすべての現象から、この調査のプロキシとされたインジケータは意図されているイスラム性を十分に映し出すものになっていないことがわかる。しかし少なくともこれは、宗教性というアプローチを踏まえた経済実績測定の第一歩なのである。レーマンとアスカリが述べているように、イスラム的レベルというものが常に有形で測定可能なものでないために、イスラム的あるいはイスラム度の測定は容易でない。たとえ有形で測定可能であっても、用意されているデータが意図されているイスラム性に応じたものであるとはかぎらない。そのために、独自の測定規準とメソードを作る必要があるのである。


「宗教不寛容イシュー」(2016年1月15日)
宗教上の信仰の不一致を背景にする敵対や排斥行動の届出を、基本的人権国家コミッションは2015年中に95件受けた。2014年の74件から大幅に増加したと言える。
95件の内容については、宗教祭礼場や礼拝場の建築阻止が37件でもっとも多く、次いで宗教祭礼活動への妨害24件、信仰の内容が違うことにもとづいた差別8件などがメインを占め、州別では西ジャワ州が20件、ジャカルタ首都特別区17件、東ジャワ州7件など、ジャワ島内の頻度が高い。
最近大きな話題となったのは、東ヌサトゥンガラ州バトゥプラでのモスク建設阻止、アチェ州シンキル県での19ヶ所の教会への襲撃(宗教祭祀活動への妨害)などのケースで、バトゥプラでは行政の仲介で関係者の和解が成立し、モスク建設工事は現在進行しているが、シンキル県の問題は関係者間の和解が進展せず、治安機構による力での抑止にとどまっている。
異教徒あるいは異端派に対する排撃という宗教不寛容姿勢は、単に信仰上の不一致に由来する反応と見るべきでなく、また社会的な正誤善悪を暴力による力の強弱で断定しようとする暴力志向主義の現れとして限定的に見るべきものでもない、と宗教民間団体ムハマディヤの中央指導部委員長は警告する。
たとえばモスク建設反対問題にしても、その裏側に経済搾取が混じりこんでおり、同時に宗教対立という不寛容イシューがたいへんセンシティブであるために政治家としての地位が揺らぐのを怖れる要因が行政の動きを封じる傾向を持っていることが、不寛容問題の迅速な解決を難しいものにしている。加えて治安要員も地方法規に従おうとする者が多く、被害者の位置に置かれたマイノリティ集団の基本的権利が無視される傾向を生んでいる、とムハマディヤ中央指導部委員長は述べている。
正しいか間違っているかということを力の勝負で決めようとするのがインドネシア社会の特徴であり、不寛容精神はたいていの場合、メインストリームに就いたマジョリティ集団がマージナルなマイノリティグループの存在を容認できず、この世の中でかれらとの共存を抹消しようと考えたマジョリティグループが数を頼って襲撃や排撃を行うという形態で実現されるのが一般的だ。そして、古い過去からそういう方式が当たり前のこととされている常識を依然として抱えている国民・行政・治安機構要員が、そういう事件が起こるたびに成り行きに任せて放置し、マイノリティ集団の基本的人権がないがしろにされるという反文明的な社会構造を維持してきた。宗教不寛容問題とは、宗教上の問題というよりも人間の文明化の問題であると言えるにちがいない。


「独立と統一」(2016年1月28日)
ソース: 2015年8月18日付けコンパス紙 "Kemerdekaan dan Persatuan"
ライター: シャリフヒダヤトゥラ国立イスラム教大学教授、2014年MIPIアワード受賞者、アジュマルディ・アズラ

西洋のインドネシア観察者、いわゆるインドネシアニストの目には、インドネシアがミラクルであるように映っている。かれらの多くはインドネシアを、(存続し続けることが)ありえない国だと述べた。インドネシアの複合性が統一と統合を不可能にするとかれらは見たのだ。
たとえばイギリス人専門家で行政官だったJSファーニバルはその著「蘭領東インド;複合経済の研究、1944年」の中で、インドネシアの複合経済コンセプトが驚異的なサンプルのひとつであることを紹介している。かれによれば、複合社会というのはふたつあるいはそれ以上の社会構造がひとつの政治体制下に融合しないまま並存しているというものだ。
蘭領東インドのその姿は第二次大戦前に悪化したとかれは言う。種族宗教グループによるカーストの職業分配が異なる経済的役割を演じたからだ。「これがもっとも解決困難な政治キャラクター、つまり共同政治意欲の欠如、を生む社会分離なのである。」とかれは記述した。
「そのような状態の中で連邦型政治形態の確立に失敗したなら、インドネシアの複合性は背筋を凍らせるアナーキーに向かうことになる」とかれは述べたが、しかしファーニバルのその破滅のシナリオは実現しなかった。第二次大戦後、蘭領東インドはインドネシアとして独立したのだ。折にふれて勃興した種族宗教感情はインドネシアを分裂させえないでいる。
ファーニバルはあまりにも悲観的すぎ、そしてこの国の複合性の真っ只中にあるいくつかの統一要素に気付かなかったかのようだ。とは言うものの、インドネシアの統一と統合を脅かす問題はその時々で出現し続けている。
インドネシアは多大な困難・不可能・障害・妨害などに抗して、70年間の独立の道を歩んできた。しかし経済・政治・社会・文化面における問題の高まりに接して、複合性の中の団結インドネシアの将来に対する不安は各界オブザーバーや多数国民の間に抱え続けられている。
そのコンテキストにおいて、ジョコ・ウィドド大統領がインドネシア共和国独立70周年記念を祝う年次国政スピーチの中で表明したいくつかのポイントに意義深いものが見られる。たとえば大統領は、それらの問題を解決する鍵は統一である、と表明した。「それらの問題を解決する鍵が統一であることを、歴史はわれわれに教えている。・・・・」
大統領は残念ながら、その統一を強化するためのコンセプト・ビジョン・行動について触れなかった。このインドネシアという民族国家の団結を維持する基礎ファクターについて、ほとんど語らなかったのだ。
共和国独立70周年記念を前にして大統領が行った三つのスピーチに登場した語句は、「1945年憲法」二回、「インドネシア共和国統一国家」と「パンチャシラ」が各一回だけであり、複合性多様性をインドネシアの統一と結合に結びつけるビンネカトゥンガルイカの国是は一言も述べられなかった。
大統領が多くを語ったのは、公衆の文明的後退に関してであり、世間一般から法曹機関・NGO・マスメディア・政党などの公的機関に至るまで、相互尊重と友愛感情が低落し続けていることを訴えた。
その状況はインドネシアを各自のエゴの悪循環に巻き込み、最後には開発・勤労エトス・民族性を損なう結果に至ると大統領は述べている。「礼節に欠ける政治・法秩序・国家制度と規律に欠ける経済はわれわれからオプティミズムを奪い、経済面でのチャレンジ等を含む他の問題の解決を遅らせる。
三つのスピーチの中で大統領は、いまだ確固たるインドネシア民族の経済的社会的基盤に立ち返り、オプティミズムを立て直していこうと国民に呼びかけたのだ。
ジョコ大統領のオプティミズムは賞賛に値する。だが問題は、オプティミズムがどれだけ強い基盤と根拠を持っているかということだ。それが煙のようなものであってはならないのである。
その危惧は、大統領のオプティミズムは過剰であるという各界専門家やオブザーバーのコメントにも反映されている。それは政府省庁の開発実施のための予算執行が緩慢であるという事実を踏まえたものだ。2015年7月末時点で、年度予算の32.8%しかまだ消化されていないのだから。
大統領が三つのスピーチを行った時点でも、インドネシア経済改善の促進をプッシュする政府省庁の予算執行スピードアップの目途は立っていない。大統領は年末に経済改善のモメンタムに出会うと言っているのだが。
それゆえに、大統領のオプティミズムのようにインドネシアの状況がトータル的に改善するようハードワークと祈りを念じながら、国民は公共生活における文明上の価値観の実現を強化していかなければならない。礼節・倫理・連帯感といった価値とそれに基づくビヘイビアが、ファーニバルのような外国人オブザーバーが懸念している破滅のシナリオからインドネシアを救うことになるのだ。


「女子割礼の商業化」(2016年4月7・8日)
ライター: 民間団体ルマキタブルサマ理事、リース・マルクス
ソース: 2016年2月18日付けコンパス紙 "Sunat Perempuan Indonesia"

国連の児童福祉機関ユニセフが女子割礼問題調査結果を発表したとき、驚かない者があっただろうか?その内容によれば、世界の女子割礼件数の中でインドネシアは第三位を占めているというのだ。
2016年ユニセフデータは、世界中で2億人の女性と女児が割礼を体験したことを明らかにしている。世界の女子割礼が1億4千万件であると記録した2014年データから6千万人も増加している。その調査によれば、インドネシアでは11歳以下の女児の半数が割礼を受けている。
右を見ても左を向いても、われわれの目にはそのようなことが映じないのだから、驚くのはあたりまえだ。長い観察を踏まえてこのイシューを理解するためのコンテキストを与えるべく論じようと思う。
フランス人研究者アンドレ・フェイリャールと共同で、われわれは1998年にインドネシアの女子割礼問題に関する論説をアーキペル誌(1998年第56号)に発表した。その論説は、割礼が慣習と自発プロセスもしくはイスラム性の象徴の融合物としてヌサンタラの諸地方で営まれていることを示している。
調査が行われたとき、女子割礼は単に共同体における伝統でしかなかった。割礼はドゥクンがシンボリックな形で行った。赤児/女児のクリトリスの端をウコンや小刀・はさみ・針など道具の先で触れるだけ。南スラウェシをはじめ、いくつかの地方で、この儀式は一家をあげての慣習的祝祭事であったから、女児の割礼が行われたことが世間にすぐ知れ渡った。しかし多くの地方では、その儀式は赤児の母親と割礼を行ったドゥクンだけが知っているできごとでしかなかった。フェイリャールはそのあり方を「女性間の小さい秘密」スタイルだと評した。
北アフリカ地方、ただしメインはエジプト・スーダン・ソマリア・エチオピア、で起こっているような過酷な状況が明らかになるにつれて、世界がその風習を問題にし始めたとき、それがイスラム系国家で一般的な慣習であることを考えた多くの保健問題オブザーバーがインドネシアに注目した。ファタヤッ福祉財団などの諸機関が調査を行い、女子割礼を行っているのは産婆やドゥクンだけでなく、助産婦や保健医療従事者もが行っていることが明らかにされた。また女子割礼がもたらす影響も、きわめて小さい比率で感染症が起こる以外、アフリカで行われているような女性の生殖保健への悪影響は一般的にないことが確認された。
< 賛成と反対 >
もっとベーシックな問題が神学レベルでの論争に存在している。インドネシアウラマ評議会は、女子割礼は善事であり、奨められるべきことがらである、というファッワを出した。しかし女権活動家や女性生殖保健の権利振興支持者たちは、その論の理由付けが女性を卑下し抑圧するものだと受け止めた。女子割礼は女性の性感と性欲リビドーを統御するためのものだというのがその理由付けだったのだから。明らかに、それが問題なのだ。女性のセックスはワイルドで従順でないから、統御されなければならない、と言うのである。
賛成反対論議は、2010年保健大臣規則第1636号で女子割礼プロセスが保健面のスタンダードを満たすよう政府が統制を加えたとき、さらに燃え上がった。この規則は、女子割礼をコミュニティレベルで産婆が行っているだけでなく、家族からの要請に応じる医療サービスの形で保健医療サービス従事者も行っているケースが増加傾向にあることに反応して設けられたものだ。
「要請」の発生は社会的に、完璧な宗教生活への欲求の強まりと並行している。それはつまり、女子割礼が単なる文化的慣習でなく、宗教教義の一部であるという理解が強まっていることを意味している。
言うまでもなく、全宗派がその理解を信奉しているわけではない。よりピューリタン(純粋)的な宗教思想の伝統において女子割礼は宗教教義の一部と見られておらず、伝統的慣習の一部とされている。それゆえに、ムハマディヤは女子割礼を否定している。
元々は女子割礼プロセスが医学的問題を引き起こさないよう統制し監督する意図から出発した保健大臣規則は、その展開の中で関係諸方面がそれを異なる意味に結び付けた。たとえばインドネシアウラマ評議会は、国家が女性割礼に祝福を与えている証拠がそれだ、と受け止めた。医療行為としての女子割礼が拡大していく中で、保健大臣規則はこうして論争の火種となった。
消費者の需要を満たすという理由付けで、産院の多くは、そこが宗教関係の産院であればまず例外なく、出産と女子割礼およびピアスをパッケージにしたサービス商品を売り出した。女子割礼が病院や助産婦などの保健サービス提供機関の手に移っていくと、その帰結として手術行為が発生する。人体を傷つける処置というのは、それがどのような内容であれ、手術なのだ。つまり、女子割礼はもはやシンボリックな形で行われる伝統的風習でなくなり、医療行為となったのである。
保健省を通して行った女子割礼の医療化が誤った介入であったことを、政府はすでに悟っている。保健大臣は2014年大臣規則第6号で先の2010年保健大臣規則第1636号を廃止した。しかしそれが女子割礼行為を自動的に廃絶させることにはならないのだ。
2014年にCNN記者サルマ・モッシンはバンドンから、とある産院が創設記念を祝して一日のうちに数百人の女児を割礼したことをレポートした。そしてそのような行為が保健サービスパッケージに組み込まれて常識化している、ということも。女子割礼がインドネシアに存在し、しかも拡大している事実は、首をかしげる余地のないものになっているのだ。しかしフェイリャールが評したように、このような女子割礼行為は当たり前のことと考えられているため、大勢のひとびとの関知しないことがらになっている。女性たちの間で何の不思議もない当たり前の行為であるがゆえに、父親は自分の娘が割礼を受けているのかいないのかさえ知らない。医療サービスの商業化に市場が反応すれば、女子割礼はますます盛んになるだろう。
このポイントに即して、ユニセフのレポートは明白な社会的事実を示しており、われわれはそれに対する姿勢を明らかにする必要がある。女子割礼が単なる風習であることをやめ、コストをかける医療サービスの一部となり、サービス提供機関に利益をもたらすものになったとき、インドネシアは世界第三位の女子割礼実施国になったのである。
同時に社会は元々風習でしかなかったものごとを、この女子割礼のように、意欲を持って宗教行為の座に祭り上げている。だからもっとも賢明な姿勢はその事実を羅針盤とし、北京会議で合意されたように、国は女児と女性の生殖権を尊重するためにどのように対処していくのかを検討することなのである。


「不寛容拡大は政府の対応が生んでいる」(2016年5月25日)
2016年2月24日付けコンパス紙への投書"Penyebab Intoleransi Marak"から
拝啓、編集部殿。インドネシアで不寛容が拡大している理由はいくつかあります。まず、政府と治安機構が自らを国民ひとりひとりの保護者たるポジションに完璧に位置付けていないこと。政府は国民のすべての集団に対して保護者とならなければなりません。特定集団をえこひいきしたり、ある集団が別の集団を踏みにじるのを放置してはならないのです。
たとえばバンカ島では最近、特定グループがアフマディヤグループに対する拒否姿勢を示しています。政府と治安機構は国民への統制権を行使しようとしないため、反アフマディヤ集団は大っぴらにアフマディヤグループへの抑圧行動を行っています。
二つ目、政府は不寛容行動を行った者に対して、厳格な対応措置を取っていません。マドゥラ島サンパンでのシーア派住民に対する追放行動がその明白な例です。国民としてのシーア派住民の権利が別の集団にはく奪されているというのに、政府はただ沈黙しているのです。信教の自由と居住の自由は憲法が保障しているのではないのでしょうか?
三つ目、中央にしろ地方にしろ、政府はマイノリティ集団に対して公平な姿勢を持たなければなりません。特定集団の考え方に従っていてはいけないのです。もしA信徒集団をB信徒集団が異端だと考えて、B集団がA集団を罰する権利を持っていると考えたとしても、A集団が国民生活の公共秩序に障害をもたらさないかぎり、政府はA集団の国民としての権利を保護し、他の集団に対する扱いと同じ扱いをかれらに与えなければなりません。異端云々は、かれら信徒たちと神との間の問題でしかないのですから。[ 中央ジャカルタ市在住、M セデッ ]


「国会で禁酒法案審議中」(2016年5月30日)
2015年1月に出されたアルコール飲料の小売形態に対する規制強化を定めた商業大臣規則のために、経済停滞と相まって2015年の国内アルコール飲料販売は前年実績に対して大幅の低下がもたらされた。
アンカービールを生産しているPTデルタジャカルタの15年販売高は14年実績から24%も減少している。同社の15年総収入も1.57兆ルピアで、14年実績の2.11兆から大きくダウンした。特に15年Q1の低下は40%に達し、政府の規制強化が販売現場にもたらした衝撃の大きさを物語っている。その時期を乗り越えたQ2以降は販売の回復を示したものの、前年実績レベルには至らなかった。
一方、ビンタンビール生産者であるPTマルチビンタン社の戦略は、ゼロアルコール飲料のラインナップ充実を指向している。1931年にインドネシアで生産を開始したこのビール生産者はゼロアルコール炭酸飲料として昔から持っていたGreen Sandに加えてBintang Zeroを市場に送り出し、更にBintang Radlerそして最近はFayrouzを発売して商品ラインを増やしている。
今現在、国会は禁酒法の制定を目指して「LARANGAN MINUMAN BERALKOHOL」をタイトルとする法律の条文検討を進めている。その法案では、あらゆるアルコール飲料の製造・貯蔵・流通・販売をすべて禁止するだけでなく、その摂取まで禁止する内容になっている。
もしもこの法案が成立すれば、PTデルタジャカルタ社もPTマルチビンタン社も非アルコール飲料を製造しない限り廃業となるわけで、マルチビンタン社の戦略はその方向性に備えたものと見ることができる。
マルチビンタン社の歴史はインドネシアのビール史とオーバーラップするものだ。1921年に北スマトラ州メダンでNV Nederlandsch Indisch Bierbrouwerijenが設立されたあと、東ジャワ州スラバヤでJava Beerブランドビールの商業生産が1931年に開始された。1972年に社名がPT Perseroan Bir Indonesiaと変更され、更に1981年にはPT Multi Bintang Indonesiaに社名変更してジャカルタとスラバヤの株式市場に上場した。
同社は2014年にスラバヤ工場と系列を異にするノンアルコール炭酸飲料専門工場を東ジャワ州モジョクルト県サンパンアグンにオープンしてBintang Redlerの製造販売を開始している。


「ルバランにはバジュバルを着る」(2016年5月31日)
2016年の断食月(ラマダン)1日は6月6日が予定されている。もちろん、インドネシア政府とナフダトゥルウラマは新月の目視観測(ルキヤッ)を用いて月の変わり目を確定させるため、確実なところは前日の夜中に行われるイスバッ会議の結果を待たなければならない。
しかしその結果によってラマダン月が6日に始まろうが7日になろうが、イドゥルフィトリ大祭に向けてのビジネス準備には関係がない。イドゥルフィトリ祭日に新しい衣服を着ることはインドネシアで幾世代にも渡って続けられてきた。つまり新しい衣服の販売は、ラマダン月に一年のピークを迎えることになる。
中央ジャカルタ市タナアバン市場は東南アジア最大の繊維衣料品マーケットとして国際的にも名を馳せている。オルバ期にインドネシアの繊維衣料品産業が急激な成長を示したころ、先進諸国への輸出が増加したばかりか、近隣諸国から中東アフリカに至る諸国から買付人がタナアバン市場に集まって来る時代が始まった。その時代の後遺症として今も残っているのがナイジェリア人を中心にするアフリカ人のコミュニティで、その時代からも詐欺行為は盛んに行われていたが、タナアバン市場が栄華のピークを越えたあと、タナアバン一帯に住み着いたアフリカ人たちはビジネスを繊維衣料品からナルコバに切り替えて行った。
タナアバン市場が栄華のピークを越えたと言っても、国内市場におけるナンバーワン卸売り市場の地位は揺るがない。かつては国内製造業界からの製品が大半を占めていた商品ラインナップは中国産品に蚕食されて往年の威勢は見る影もないものの、国内消費者にとっては抱えている需要が満たされることが先決問題だ。
だから、この販売シーズンに商品を仕入れて売り尽そうとする地方部の商人たちが、ラマダン月の始まるおよそひと月前からタナアバン市場に集まって来る。おかげで、市場に入っているテナント商人たちの売上が伸び、仕入れた大量の商品を故郷のマーケットに送るための輸送需要が貨物発送業者の売上を引き上げる。マーケットが遠いところほど、仕入れは早くスタートする。マーケットが一番近い都内では、イドゥルフィトリ祭日に近付けば近づくほど物価上昇が激しくなっていくため、仕入れのタイミングに頭を悩ませることも起こる。
そして、やはり祭日に近付けば近づくほど需要も高騰していくから、日常生活で衣料品ビジネスなどには縁遠かった庶民の中に、この時期だけ俄か商人に変身するひとびとが続出する。タナアバン市場の道端や駐車場で空いているスペースのショバ代を払って再販小売者になり、あるいは荷を担いでオフィス街や住宅地区を売り歩く。社員の中にもそういう人間が出現し、仕事の片手間に他の部署やビル内の他の事務所へ商品を持ち込んで売り込みをかける。
16年5月第4週のタナアバン市場は、たいへんな人出で混雑している。市場の商品をメインに扱っている貨物発送業者は、発送注文が既に平常期の二倍に達している、と語る。普段は6台のトラックを使っているコブラエクスプレス社タナアバン支店は、ここ2週間トラックを10〜11台に増やしており、一日の売上は3〜4千万ルピアから8千万ルピアに上昇した。この業者は東ジャワ州に強い配送ネットワークを持っており、スラバヤ、マラン、ジュンブルなどへの発送量が多い。ジャワ島外ではランプン州のバンダルランプンや東カリマンタン州バリッパパンやサマリンダ向けの注文も少なくない。
別の業者ペガサスロジスティック社はラマダン月のおよそひと月くらい前から、売上が大幅増になる、と言う。「毎年、その期間は売上が7割増しになるのが普通だよ。地方からジャカルタに買付に来た客が、商品を送るために輸送業者を使うからだ。」
カーゴ会社ダマイインティアバディはスラウェシとカリマンタン向けの貨物輸送に強い。この会社も5月第2週以来、一日の売上が平常期の4百万ルピアから7百万ルピアに跳ね上がった。タナアバン市場やもっと南にあるタムリンシティで繊維衣料品を買付けた客は、その足で貨物発送業者に品物を運び込んでくる。
かれら貨物発送業者は遠距離輸送に航空会社やクーリエ会社を使う。ところが、ラマダン月に入ると航空会社やクーリエ会社は引き受け貨物量に制限を加えるのが普通であるため、そういう事情を知っている買付人はラマダン月の前に発送を終えてしまおうと努める。
これから更に過熱していく衣料品マーケットで、ビジネス従事者たちは毎日てんてこ舞いの仕事に追い回されるにちがいない。


「ラマダン〜イドゥルフィトリ期の暴力犯罪」(2016年6月30日)
経済が熱を帯びて金が世の中にあふれかえるのだから、粗野な方法でその金を手に入れようとする人間が続出する。空き巣・窃盗・強盗・ひったくり・強奪・恐喝など、さまざまな犯罪が激増するのも、ラマダン〜イドゥルフィトリ期の特徴だ。
そもそもラマダン月あるいは断食というイスラムの宗教行事は、ムスリムがより良き人間になるために身を慎み、悪事を断ち、アッラーの教えを遵守することをしつけるものだ。そのため、ムスリムの多くはその期間善人になり、多少アタマにくることがあっても、怒りを抑えておとなしい反応を示す。
西洋文明は人間が常にそうなるべく、セルフコントロールを欠かさないように命じているのだが、現実問題としてそれができる人間ばかりではない。インドネシアでムスリムは、一年の12分の1であるラマダン月だけがその期間であり、残る11カ月はそこまで要求されていないように見える。できる人間は残る11カ月も善人になり、アッラーに愛されるようになればよいという、社会としての要求度という意味合いは低いあり方になっているように思われる。
どのような人間にとって、どちらのあり方が優しいのか、生き易いのか、その差はたいへん大きいようにわたしは感じるのだが、果たしてどうだろうか?ただしそれは善人にとっての話であり、善人になろうとしないムスリム、つまりムスリムとして生まれたものの、六信五行などそっちのけで飲酒し、断食にも従わず、ナルコバや賭博を行い、兄弟であるはずの同胞ムスリムを痛めつけ搾取したりして、不良ムスリムとして生きているかれらにとっては、自分の核をなしているアイデンティティの中にイスラム要素がたいへん薄いのだから、自分自身に対して罪悪感や劣等感を抱くこともないにちがいない。
金銭目当ての粗野な犯罪だけでなく、暴力を振るうこと、物理的パワーを使った闘争で勝つこと、といった文明初期段階に作られた「男の値打」思想を金科玉条にしている連中も、ラマダン月とはおかまいなしに普段と同様の行動を示す。タウラン(集団喧嘩)・街中オートバイレース・オートバイギャング暴行といった行動がそれだ。時期がラマダン月だからこそ、それが起こりやすくなるのである。
そういう事件が頻発するコミュニティやエリアでは、地元地区の郡役場や町役場がラマダンに入ると同時に住民の悪事抑え込み宣言を、関連諸機関や住民機構を集めて謳いあげる。住民監視を意欲的に行おうというわけだ。
タングラン県トゥルッナガ郡では、深夜に街中でオートバイレースを行っていた若者40人をオートバイと一緒に拘留した。そのうちの39人は未成年だったそうだ。
西ジャワ州スムダン県パムリハン郡チプタサリ村では、敵対するふたつのオートバイギャング団が武装衝突を起こし、23歳の男が刃物で生命を奪われている。
西ジャカルタ市パルメラ郡ジャティプロ町パサルギリ部落C通りではふたつの若者グループがタウランを行い、道路脇に駐車してあった乗用車4台の窓ガラスが割られた。未明の時間帯にGeng Gaplekと称するグループとGeng Kamusを名乗るグループの若者たちが少し離れた場所で別々にかたまっていた。gengというのは英語のgangをそのままインドネシア語化したもので、英語の/a/というスペルをインドネシア人は[エ]と発音するため、発音に合わせてスペルが/e/に変化させられている。
断食月にムスリムは、夜明の3〜4時間ほど前にサウルという名の食事を摂ることになっている。そのため食後、若者の多くは表に出て仲間たちとつるむことを好む。そのときも、夜明け前にタウランが始まった。
双方のグループの中に刃物を持って来た者がおり、最初から激突する意志があったのは明らかだ。何が衝突の引き金になったのかよくわからないうちに、双方で投石が始まり、石つぶてを食らって血を流す者が出て、流血する仲間を見た者たちの興奮がピークに達し、そうして刃物や鈍器を使った肉弾戦へとエスカレートしていった。
警察はその事件の前にカリドゥルス地区で、武器を持った?数人の混じっている若者グループ31人を補導している。武器は鎌1丁、長剣1本、鎖のついたバイク用ギヤ1個。補導された若者のほとんどは17歳未満。タウランが始まる前には普通、相互に侮蔑や兆発を投げ合い、互いに熱くなってから戦闘が開始される。 警察はサウルの時間から夜明まで、警戒とパトロールを高める対策を採っている。


「ラマダン経済を正す」(2016年7月4・5日)
ライター: ボゴール農大経済経営学部教官、アリ・ムタソウィフィン
ソース: 2016年6月11日付けコンパス紙 "Meluruskan Ekonomi Ramadhan"

最近開かれた限定閣僚会議でジョコ・ウィドド大統領は、ルバランが近付くといつも生活基幹物資価格が値上がりするのを今年はひっくり返して、価格が低下するようにせよ、と命じた。大統領の希望が実現しうるだろうかといぶかしむひとは多かった。
毎年ルバランが近づくと決まって繰り返される現象を思い起こすなら、だれもが不審の念を抱くのも当然だ。それどころか、ラマダン月が始まる前から、さまざまな食糧物資の価格がじわじわと上昇していくのが常であり、イドゥルフィトリ大祭が終わるまで値上がりが続くのである。
その現象はインドネシア銀行がインフレパターン研究の中に記している。インフレはラマダン月中からイドゥルフィトリそしてその一か月後の間に激しさを増して行く、と。国民消費の上昇も、ラマダン〜イドゥルフィトリ期に対応する銀行界の手配がそれを示している。中央銀行を含む銀行界は毎年その時期に、それまでの月々よりもはるかに大量の現金を用意する。
国民経済活動の上昇は質公社にもチャンスをもたらす。ラマダン〜イドゥルフィトリ期の貸出は他の月々よりも大きい。質公社が融通する貸出金は、衣服・食べ物や菓子・食品などの販売といった季節性ビジネスのための資金に使われるのが普通だ。イドゥルフィトリが終わると、質入れされた品物は請け出される。
ACニールセンは一般論として、ラマダン月には食品を含む国内消費物資販売が9.2%アップすると結論付けた。国民消費はそれだけ増加するのである。
< セルフコントロールの失敗 >
一日の半分が飲食を禁じられるラマダン月期間中に国民消費が上昇するというのは、不思議なパラドックスだ。あたかも、より短時間である夜中の食事時間が復讐に使われているように見える。日中の飢えと渇きに対する償いを与えようとして、夜中にもっとたくさん飲食するという癒しが行われているのではないだろうか?
ラマダン月の断食の意義のひとつは、セルフコントロール能力を涵養することにある。文字通りそれがなされているなら、国民消費は低下するか、あるいは少なくとも平常月の線が維持されるはずだ。ところがその反対に上昇しているのであれば、ラマダン月におけるセルフコントロールの実践は失敗しているにちがない。経済が大きく伸び上がる実態はイドゥルフィトリ大祭を迎えるために行われている国民活動にも反映されている。ラマダン月が始まったとたん、モダンショッピングセンターや在来パサルがルバランのためのさまざまな品物を購入しようとする消費者であふれかえるようになる。上昇する国民の購買意欲をキャッチしようとして、ショッピングセンターの中に閉店時間を遅らせるところも出てくる。その時間には、ムスリムはさまざまな信仰の業を励行して、宗教信徒としての質的向上をはかるように?呼びかけられているというのに。
他にも、ショッピング三昧や会食の宴、あるいは似たような諸活動など多彩なプログラムは、同じコミュニティの一員たる経済弱者たちにより深い連帯意識を向けるという教訓に即していないように思われる。イドゥルフィトリを迎える民衆のどよめきは、さまざまな禁止に縛られたひと月間からの解放の祝賀のように聞こえてくるのである。
< 試練としての誘惑 >
ラマダン〜イドゥルフィトリ期を迎えるのがうれしくないのは、カラオケ・ダンドゥッスタジオ・音楽生演奏・レストラン/カフェ・ビリヤード・スピードボールのような遊戯施設・テレビゲーム・賭博色の濃い遊戯場・マッサージパーラーなどであろう。たくさんの地方政府がラマダン月中の遊興施設の営業を禁止するからだ。そういう業界で働く者は、仕事場が閉まるためにひと月間の生計費を別の場所で手に入れなければならない。売春隔離地区も、ラマダン月には休業が命じられる。
遊興施設が命令に従っているかどうかを監視することに、地方政府の役人だけでなく市民団体までもが参加する。かれらはそんな権限を与えられていないにもかかわらず頻繁にスイーピングを行い、同じ市民の中の他のひとびとと角突き合わせてホリゾンタルコンフリクトを引き起こす。
本当は、ラマダン月中の遊興施設休業命令のロジックには理解しがたいものがあると思われる。もしもラマダンひと月間の断食が種々の誘惑に抗する能力を涵養してより高い人格に至るためのトレーニングだと考えるのであれば、断食業の厳粛さを妨害するとして遊興施設を休業させるのは、ボクシングのトレーニングパートナーを後ろ手に縛りあげて練習するのとたいして変わらない。そんなトレーニングをいくらやったところで、トレーニング期間終了後に行われる実戦に勝利を収めるための実力がどれほど見に着くだろうか?
おまけに、遊興施設・マッサージパーラー・売春隔離地区などがラマダン月中は営業するのがよろしくないと言うのであれば、ラマダン月を過ぎたらそれらの営業は悪くないというように姿勢が変化する根拠はいったい何なのか?それらの場所はラマダン月中だけハラムであり、ラマダン月でなければハラルだと法が定めているのだろうか?
筆者は数年間、断食業の開始と終了を知らせるアザーンの声などまったくしない、昼間は乾季の暑熱に長時間さらされ、ひとびとは肌もあらわにして行き交い、売られている美味な飲食品が飢えと渇きに誘惑をもたらす国で断食を行った経験を持っている。そんな環境下に行う断食こそ、はるかに心身を引き締めるものなのだ。誘惑は滔々とわが身を取り巻き、訓練は一層完璧なものとなるのである。


「女子割礼は性暴力」(2016年8月18日)
政府保健省は2010年大臣規則第1636号で女子割礼に関する規則を制定した。この規則は女子割礼を医学面から規制することを目的に出されたものだったが、女権活動家や女性保護団体から反対の声が上がった。その大臣規則が出されたことで、政府が国民に女子割礼を命じているという理解が生じる結果になるというのが批判のポイントだ。そして当時の保健大臣は、熟考のあげくその規則を取り消した。
インドネシアをイスラム原理色で塗りつぶしたい勢力にとっては、その大臣規則があってもなくても、ムスリム国民にイスラムの教えを実践させることに違いがなく、従来からイスラムの美風としての女子割礼を勧めていたが、大臣規則が取り消されたことで規制がなくなり、かえってやりやすい状況が出現した。
大臣規則第1636号は、医学教育を受けた者でなければ割礼執刀者になれない、という規制を定めたのだが、それが取り消されたことで、だれでも女子割礼を行える状況になったのである。
ユニセフのデータはインドネシア国民女性で11歳未満の51%が女子割礼を受けていることを示している。方法は主に、針や小刀で少女のクリトリスをひっかくやり方が行われているそうだ。その結果、その部位の神経が死ぬことになる。医学の素養をまったく持たない人間がそれを行えば化膿するかもしれず、神経だけでなく本人が死亡することも起こりうる。
女子差別撤廃条約では、女子割礼は性暴力のカテゴリーに入っている。そしてインドネシアは2014年にその条約を批准しているのだ。
女子割礼というのは女性の性欲を抑えるために古代から行われてきた風習であり、イスラム教成立以前から中東域内で実施されていたものだ。エジプトでは女子割礼を禁止するファトワが出されているが、インドネシアではウラマ層の中に科学的な理解が行き渡っておらず、反対にイスラム性を高めるという理解のもとに民衆に対してまるで義務であるかのようにそれを勧める者もいる。
医学的には、女性にとって何の有用性もないどころか、痛みとトラウマを本人の記憶に刻み付けるだけでしかない、との声もある。
インドネシアがエジプトの先例に倣おうとするなら、政府はまず草の根レベルに対する啓蒙運動から入らなければならない。そうして女子割礼の危険や無意味さが民衆の常識になった時点でウラマ評議会がファトワを出す。そうしなければ、必ず摩擦が起こるだろう、と女性保護団体役員は述べている。


「インテリ層に広がるラディカリズム」(2016年10月21日)
インドネシアでラディカリズムは教育レベルの低い階層だけに広まっているのではない。ラディカル思想は国内の一流キャンパスをも支配する勢いを示している。学術研究者のひとりはガジャマダ大学で調査を行い、学内でラディカリズムが支持されていることを発見した。更にその傾向を確かめるためにガジャマダ大学だけでなく、バンドン工大、11月10日工大、ブラウィジャヤ大学、アイルランガ大学、ボゴール農大、ディポヌゴロ大学で行った調査からも、それが一大学だけの特殊事情でないことが明らかになっている。その結果、かれはムスリム大学生がインドネシアの民主主義の将来にどのような影響を与えるだろうかという予測の中で、バラ色の未来が描き切れないことに懸念を抱いた。その対策としてかれは、政府のより包括的な対策が緊急課題になっていることを説いている。
「一時、学生運動の主流を占めていたチパユングループは、レフォルマシレジームの最初の十年間にシステマチックに傍流に追いやられてしまった。インドネシア国民学生運動、インドネシアキリスト教大学生運動、イスラム大学生会もマージナルなポジションに移っている。」学生運動の社会変革に対する関心の形が異なる様相を帯び、従来型の闘争が別の色合いで染め上げられるようになってきている現状にかれは警鐘を鳴らしているのだ。
「イスラムと平和」研究院が行った中等教育レベルへのラディカリズム浸透状況の調査結果によれば、教員の76.2%、生徒の84%がイスラム法の施行を望んでおり、同一教徒間の連帯を保つために暴力が使われることに52.3%が賛成し、爆弾テロ行動を14%が正当化している。
更に教員の25%と生徒の21%が、国是としてのパンチャシラはもはやインドネシア民族にとって妥当性のないものになっていると述べた。この調査はジャボデタベッ地区の教員と生徒5百人に対して行われたもの。
それはまだ観念の中の状況であるとはいえ、それを放置すればそのうちにテロリストが続々と登場して来る可能性が高い。内務省一般政策総局長は、国民にパンチャシラ意識を徹底させ、統一民族が形成する国家の護持の重要性を植え付けるために、民族統一政策推進を町役場レベルまで活発化させるよう指令が出されている、と述べている。


「知識層のラディカル化対策」(2016年10月24・25日)
ライター: シャリフヒダヤトゥライスラム教大学教授、パンチャシラ大学コミュニケーション学部長、全国ムスリム知識人同盟高等教育部門役員、アンディ・ファイサル・バクティ
ソース: 2016年3月23日付けコンパス紙 "Tangkal Radikalisme Kaum Intelektual"
「インドネシアでラディカリズムは教育レベルの低い階層だけに広まっているのではない。ラディカル思想は国内の一流キャンパスをも支配する勢いを示している」とコンパス紙が報じたように、学術と人材を発展させ国家国民建設の一翼を担うべき使命を負う大学が、その領分の一部を機能転換させて国家の一体性を揺るがす思想の温床と化している現状は、実に嘆かわしいかぎりだ。
< ラディカリズムの根 >
宗教の名を掲げるさまざまな形態のラディカリズムがその思想を注入するのにもっとも容易な対象は、自己のアイデンティティ探求の渦中にある若者層だ。キャンパスにおけるラディカル運動を観察するなら、種々の誘因を抽出することができる。ここでは、筆者の関心を強く引いているふたつの誘因を示すことにする。
そのひとつは、最小限且つ誤った宗教理解だ。逐語的で断片的な宗教理解によって、世俗型(非宗教型)キャンパスの知識層は宗教ファンダメンタリズムと排他主義の罠に容易に落ち込んでしまう。
これまでラディカル組織のリクルートターゲットが非宗教系大学の科学系学生に主に向けられていたことは、マスメディアの報告や種々の学術調査から明らかになっている。どうしてそうなるのか?かれらの宗教理解が的確でない傾向が高いために、思想注入と教化を容易に行うことができるという要因を指摘するまでもあるまい。インドネシアという国家が非神性で暴虐な支配を行っている政体であり、その支配に服従する必要はなく、それどころか抗戦するべき相手であるという思想を用いて、かれらは構造的且つシステマチックに洗脳される。
そのことはインドネシア科学院が行った調査で裏付けられている。ガジャマダ大学、バンドン工大、11月10日工大、ブラウィジャヤ大学、アイルランガ大学、ボゴール農大、ディポヌゴロ大学などの非宗教系一流大学でラディカル思想が浸透しているのだ。そのトレンドは拡大途上にある。国立宗教大学のような宗教系大学でさえ学生の一部が、非宗教系ほど多数ではないにせよ、ラディカル運動に関わっている事件が何度も起こっている。宗教系大学不良学生の関与は、一般的な学科の方向性と進展の変化によるものだ。
二つ目、依然として社会に深く根を下ろしている社会的政治的経済的な不公平とアンバランスという要素だ。草の根層と知識階級を問わず、さまざまな社会階層に広がった政治的社会的細分化が水面下の広範囲なホリゾンタルコンフリクトを発生させる可能性、いやそれは既に現実になりはじめている、を無視することはできない。次いで日常生活必需品値上がりに煽られた経済アンバランスが国民にますます重いくびきを課していること。その結果、生活苦に陥った個人や集団は容易にラディカルグループに支配され、アナーキーな行動に走り、法を冒す。
< 対策ステップ >
若い世代の知識層に発生したラディカリズムは、閉鎖的な拡散方法と不寛容でアナ―キーな行動をもたらすために、放置できない深刻な問題である。この問題への姿勢を明確にするために、筆者はいくつかのステップを提案したい。
まず一つは、政府は高等教育総局長経由で、国立私立を問わず各大学と協力してキャンパスでの宗教平和育成プログラムを実施する。そのプログラムでは、たとえば、寛容性・協調性・異文化併存・ラディカリズム思想の危険といった内容の理解を学内に広めていく。必要であれば、テロリズム対策専門機関であるテロリズム対策国家庁をその中に巻き込む。この活動は学科紹介オリエンテーションと並行して実施するのがよい。そうすることで、学生たちがキャンパス活動に深く没入する前に予防的な知識を持たせることができる。
二つ目、パンチャシラ・公民・宗教などのイデオロギーに関わる各学科を主体にして、学期ごとのカリキュラムの再活性化と教育見直しを行う。これまでそれらの学科教育は知識偏重の傾向が強く、心的傾向や姿勢に対しては放任状態であった。
三つ目、キャンパス管理者は比較的中庸なHMI、PMII、IMM、PMKRI、GMNIなどのキャンパス外学生組織に協力を求めてキャンパス内におけるラディカル思想の激化を中和させるように努める。従来、キャンパス内にラディカル思想が広がるのは、キャンパス内の排他的宗教普及組織が旺盛に繁茂するためだった。
キャンパス内宗教普及組織のやり口に関する分析はたくさんなされている。たとえば幹部養成プログラムやイスラム教義指導といったことがアングラ活動として行われ、あるいはキャンパス内モスクを独善的且つ排他的に自らの支配下に置くといった方法だ。
かつて起こった実例として、NIIやISISの追従者になるよう学生たちに対する説得活動が行われた。その対象者にされた学生たちから、たくさんの証言が得られている。洗脳プロセスを通してラディカル思想や反国家的姿勢に満ち満ちた種々のロジックが注入された。暴力や窃盗強奪は目的のために許されることである、宗教の勤行は無視してかまわない、社会生活の規範から逸脱する行為を怖れる必要はない、等々。
以上が知識層対する、特に昨今のインドネシアのいくつかの大学キャンパスにおいての、宗教ラディカリズムを抑え込む方法として行われるにふさわしいいくつかのステップである。


「宗教テロはイスラムへの冒とく」(2016年11月4日)
イスラム教に関連付けたテロ行為が国内外でますます盛んになっている。このまま放置すれば、イスラム界とインドネシア国家に脅威をもたらす怖れが高い。そのため、31か国のウラマがインドネシアに集り、インドネシアのウラマ層と一緒に決議した。「テロリズムは共通の敵である。」
ウラマというのはイスラム宗教学者のことで、ウンマーの中で大きい発言力を持っている。2016年7月27〜29日に中部ジャワ州プカロガンでウラマタリカ国際会議が開かれた。インドネシアからは1千2百人が参加し、外国はスペイン・シンガポール・マレーシア・アメリカ・イギリス・シリア・インド・イエーメン・バングラデシュ・パレスチナ・スーダン・チュニジアなど31か国から代表者が集まった。
この会議は「イスラムにおける国防、そのコンセプトと緊急性」がテーマで、これは先だってエジプト・アメリカ・シリア・ヨルダン・スーダン・トルコなど7カ国が1月15日に開いた会議の拡大版に当たる。
インドネシア共和国国防大臣が行った基調演説では、テロリズムとラディカリズムという共通の敵を前にして、われわれは一致団結して立ち向かいましょうという呼びかけにはじまり、続いて「テロの脅威は生命や建物といった物理的な対象への破壊だけでなく、イデオロギーに対する攻撃でもある。それは人間の思考パターンに影響を及ぼすため、危険さははるかに大きい。反テロ部隊を精一杯活動させても、民衆の思考パターンがターゲットにされたなら、大した効果は上がらない。つまり、国を護る任務は軍や警察が担うだけでは足りないのであり、国民のすべての階層が国を護ることに参加しなければならない。ウラマがその中に含まれていて当然だ。」という内容が述べられた。
テロリズムとラディカリズムに国家存立を脅かされている国がいくつか存在している。テロリズムというのは宗教への冒とくであり、ISISネットワークのようなテロ集団が宗教の名のもとにテロ行為を行っているが、それは大きな間違いだ、と国防大臣は続ける。
「テロ行為は平和を教義としているイスラムの名を汚すものだ。聖なる書物やハディスの中に、他人を殺すことの教えなどないし、ましてや自殺を奨めるものもない。」
この国際会議の発案者のひとりであるモハンマッ・ルッフィ・ビン・ヤヒヤは、国を護るということは、必ずしも武器を手にすることではない、と言う。
「路上で秩序正しい自動車運転をすることも、国を護る形のひとつだ。軍と警察そしてウラマは国防という問題に関してひとつの統一体をなしている。その結びつきはムスリム民衆が参加することで一層強くなる。その各ファクターが正しく交流することで平和が推進されていく。平和というのは、背広を着たりターバンを巻いて路上で叫ぶようなものではなく、教育やビジネスにおける協力を通して作られるものだ。」
スーダン代表者は、インドネシアの宗教のバラエティに憧れを感じたと語った。「そのバラエティがテロリズムの脅威への挑戦になる。インドネシアがその大きな挑戦に立ち向かうことを、われわれは支持することで一致した。インドネシア国民の多様性は他のイスラム諸国への教訓となる。」
スペイン代表者も、インドネシアの諸宗教信徒間の寛容性に強く惹かれた、と印象を述べている。「国に戻ったら、そのような姿をこれからの目標のひとつにしたい。」とのこと。


「宗教の本質と表皮を区別せよ」(2016年11月7〜9日)
ライター: シャリフ・ヒダヤトゥラ国立イスラム大学教授、コマルディン・ヒダヤッ
ソース: 2015年6月26日付けコンパス紙 "Bahasa, Agama, dan Budaya"
わたしがイスラム教徒であることは、名前からだけで推察できる。家庭とモスクという環境の中で、わたしは幼い頃からイスラムを学んできた。プサントレンを卒業した後、わたしは1974年にジャカルタのシャリフ・ヒダヤトゥラ国立イスラム宗教学院に入って学業を続けた。その学院はいまや国立宗教大学に発展している。
父母の嫡出子であることに加えて、文化がわたしを産み、育てた。文化が養育した産物であるということは、ジャワ語とインドネシア語というわたしの言語に明白に見ることができる。「言語は文化を映す鏡である」という格言がある。言語は文化を含有しているのだ。伝統という形で世代から世代へと受け継がれ、実践されていく価値観が、言語の中に納められている。
だから、わたしの内面には、ジャワとインドネシアとイスラムの伝統に根ざす価値観が記憶され、植えつけられているのである。ジャワ的およびインドネシア的伝統は融合しあっていて、分離するのは困難だ。中東でもきっと、イスラム的およびアラブ的なものは融合しあっているにちがいない。
< 文化に養育されて >
わたしのイスラム性を想像するなら、ジャワ的・インドネシア的・アラブ的な諸価値が混じりあっているにちがいない。加えて、非アラブ系の外国に暮らした経験と修学の影響も混じっているだろう。それがゆえに、わたしは純粋イスラム信仰者であると自称することに憚りを感じるのである。
純粋イスラムという言葉とその定義に関する議論がわたしを誘惑する。コンセプトが不明瞭なのだ。わたしはジャワ人として生まれたものの、わたしは純粋ジャワと称されるものの存在を知らない。人間は宗教の要素を伴った文化の中で養育される。とりわけ、われわれは現在、さまざまな社会集団の全般にわたって遮りようのない情報の洪水をもたらした情報化時代の中に生きており、ましてや画像言語の中に盛られた情報は世界を一層狭くそして多様的にしている。文化と宗教の出会いはコンフリクトをもたらすと同時に、絶えず持続する豊かさをももたらしているのだ。
わたし自身のイスラム性を解析するとき、ジャワ的伝統・インドネシア的コミットメント・イスラムへの忠実さなどの影響ばかりか、わたしがこれまで修得した西洋哲学文献からの影響などとの間に対話と対立が発生することを感じるのである。バリエーションに富む各地方の豊かさと種族のアイデンティティを尊重し維持しながら、インドネシア民族を作り上げてその足跡を築いた1928年世代の青年たちのことを思うとき、わたしの心は往々にして憧憬と感動に打ち震える。
「オランダ帝国主義ばかりか、植民地支配者と手を結んで支配権を享受していた地元支配者に対するチャレンジにかれらは直面した。民族コンセプトの成熟は今でもまだ続いているとはいえ、かれらの理想と熱意は1945年8月17日に主権国家という大きな家となって公式に実現した。
ジャワの伝統とインドネシアの理想に対するわたしの結びつきは、パンチャシラという名のイデオロギー的エピステモロジー的容器の中で、わたしのイスラム性のコミットメントに邂逅した。もし有神性という項目を中心点に据えるなら、その意図するところは、インドネシアの民衆に公正さと繁栄をもたらすヒューマズムコミットメントを成育させる有神性なのである。その代わりにヒューマニズムを中心点に置くなら、望まれるのは民族の公正さと繁栄のアジェンダを意識した有神的なヒューマニズム行為なのである。
こうしてわたしは、わたしのジャワ的伝統とインドネシア的イスラム的精神を対峙させないようにしている。それ以上に、個々の宗教の教えは成育する場所として常に家と領域を必要とする。単一の言語・種族・文化・宗教で満たされる世界など想像することもできないし、そんなところには住みたいとも思わない。
不完全は承知の上で、わたしはイスラム宗教学を主にアラビア語と英語で学んだ。アルクルアンが神の啓示であることを信じているとはいえ、メディア言語は口語のアラビア語であり、文化コンセプトと歴史がそれに深くからみついている。
だから、アルクルアンの奇跡は言語の素晴らしさと美しさにあると言われても、正直言って、アラブ文学専門家でないわたしがそれを肉化してそこに沈潜するのは容易でない。アラビア語専門家の意見を信じるだけでわたしは十分だ。アラビア語で祈りを唱えるとき、わたしの頭脳と心はインドネシア語やジャワ語で神に語りかけている。わたしの唇はアルクルアンのアラビア語を唱えていても、心はインドネシア語を使っているのだ。わたしはそのようにして、多重言語で礼拝している。礼拝の厳粛さが心を満たすとき、わたしの心は母語で礼拝しているではないか。宗教と文化がわたしの礼拝を相互補完しているのである。
聖なる書物が文化の土壌の中に誕生して確立された場合、その出生地の言語と文化を知らないなら、たくさんの教えを自分の血肉とすることはむつかしい。インドネシアで生まれ育ったわたしにとって、聖なるアルクルアンの書物に盛り込まれた教えを理解するのに、多くの深刻な障害がある。第一にあるのが言葉の障害だ。わたしはアルクルアンの教えを理解し、インドネシア語を用いて脳裏にそれを描き出すことができる。しかしながら、アラビア語とインドネシア語間の特徴には大きな差異がある。アラビア語の語彙はインドネシア語よりはるかに豊かであるため、アルクルアンの中の単語に対応するインドネシア語が見つからないことは稀でない。その結果、意味の歪みや狭まりが起こる。そのため、インドネシア語への翻訳を行おうとすると、アルクルアンには概念的な語法が多いことから、長文の説明が必要になって来る。
< ユニバーサル性とローカル性 >
宗教とヒューマニズムのベーシックな教義を把握する際にもっともわたしを助けてくれるものは、合理精神に支えられたユニバーサルなコンセプトの存在だ。言語・宗教・文化が何であろうと、異民族間の交流や振舞いには共同で維持し確立させられるべきユニバーサルな価値が存在していることにひとは同意する。たとえば、公正さ・正直さ・平和・相互尊重のコンセプトとその確立への希求だ。
モラル心理研究において、すべてのひとは幸福で正しく良い生活というウエルビーイングを欲していると言われている。それを得るために満たさなければならない必須条件のひとつは周囲の人々と良い人間関係を築く能力であり、それを重視する姿勢だ。それは他人との差異を尊重し、違いを受け入れ、その違いを祝福する姿勢を絶対要件にする。だから平和な暮らしを望むなら、多様性を尊重するのは不可欠なのだ。
歴史の中でコンフリクト・戦争・悪事があったのは避けられない事実である。人間は欲望を持って生まれ、利己主義的傾向を持ち、他人を犠牲にすることに臆しない。しかし、良識は告げている。、真善美や平和・公正さは理想とされる現実であり、歴史の中でひとは常にそれに憧れてきた、と。宗教の教えもそれとそっくり同じであり、戦争や悪事は宗教のベーシックな教えと文明に背くことだと考えられている。
すべての宗教が人間を創造した神に由来していると信じられていることから、たとえ宗教がローカル的文化と言語の中に生れてその衣をまとっていたとしても、宗教が示す基本価値はユニバーサルヒューマニズムの諸項目を含んだものになっている。それゆえ、宗教のユニバーサルな教えは言語と文化のローカル型フォーマットの中に収められているものなのだ。ただ、地上に人間がますます増加して宗教が誕生した時代とは大幅に異なってしまったとき、異宗教徒間の出会いは一層緊密大量となり、宗教のユニバーサルな価値はしばしばローカル性の表皮に包み隠されてしまうのである。
最初は世俗的なローカル文化だった表皮は神聖化される。文化の護持が宗教の護持と同一視される。アラブイズムとイスラミズムの区別が消滅する。一方、やはり中東に生れたキリスト教は、いまや西洋化されている。
このヌサンタラの多様性はさまざまなアスペクトにおいてより本質的実質的なものになることができるのだが、一部のひとは薄っぺらでマージナルなものだと見ている。多分インドネシアのイスラム教徒は宗教の勤めを果たすことにより意欲的であるにちがいない。宗教ジャーゴンを振り回して喧嘩や戦争騒ぎを好むアラブ人よりは、寛容で治安を守ることを好む。
たとえばスンニー:シーア対立というのは、予言者没後のアラブイスラム社会の政権争奪が遺した遺産でしかない。一方インドネシアでは、インドネシア共和国統一国家成立のために、スルタンたちは自分の王国を解放した。
だから、中東の政権争奪の遺産に宗教の衣をかぶせてインドネシアに持ち込むのはいったい何のためなのだろうか?われわれはイスラムのユニバーサル性とその媒体となっている言語や文化といったローカル性を区別しなけれならないのである。


「正しい者はひとりもいない」(2016年11月10・11日)
ライター: インドネシア科学アカデミー会員、ユディ・ラティフ
ソース: 2016年11月8日付けコンパス紙 "Tak Ada yang Bisa Dibela"
11月4日のデモは質的にも量的にもたいへんファンタスティックなものだった。あれに参加した大衆の数は、1998年事件のときに示された民衆パワーに引けを取らないほどのものだった。あのデモはまた、誇るべき公衆の文明度を垣間見せるものでもあった。整然さ、清潔さ、そして統制。
時間外に多少の暴動はあったが、そのようなできごとは、正当化することはできないにしても、デモにつきものだろう。治安部隊がデモ隊を強制的に追い払うツール類に頼らず、説得的な対応を続けていたなら話しは違ってきただろうし、野蛮な行動の指揮者たちが大衆に、アモックスタイルで大暴れしろと指示していたら、話しはまた違ったものになっていたかもしれない。現実には、その状況は早々に克服され、大衆は平穏に帰宅した。その暴動は政治家が関与したものだと非難するジョコ・ウィドド大統領の表明は、たとえその通りだったとしても、賢明さを欠くものだった。そのような生半可な政治コミュニケーションは、暴動を弱める力などなく、反対に政府に対する反抗の火に油を注ぐだけのものでしかないのだから。
あの厖大な大衆動員で、デモの矢先はどこへ、何のために向けられたのか、という問題が残った。あの巨大な人間の海を動かした目的は、単に宗教侮辱の嫌疑でバスキ・チャハヤ・プルナマ(アホッ)というひとりの人間を制裁し、その結果次期都知事選候補者の間からかれを脱落させることにあったのか?あのデモの姿が語り尽していないことがらはたくさんある。
最初に、宗教侮辱イシューが出現したことはわれわれの公共スペースにおける傾向である、ジュリアン・ベンダ言うところの「知的裏切り」現象を思い出させてくれる。
プラグマティックな利害と見境のないパルチザン精神の流れに呑まれた結果、民族の安全を賭ける行動を起こすときに良心のゆとりと感受性を失っている知識人は数多い。科学の法則に従順で知的責任を忘れない科学者のようなひとびとであれば、このような問題は決して起こりえないだろう。
宗教侮辱イシュー自体、本当はその嫌疑にまだ議論の余地がある。アルマイダの章第51節に言及するアホッの言葉をかれのトータル発言のコンテキストから見るなら、アホッが侮辱を行ったという単一の結論を引き出すには無理がある。言い換えるなら、裁判所がストリート法廷の意見に服従しない場合、アホッが確実に有罪になるとは言えないのだ。
その宗教侮辱の嫌疑というのは、民族精神の闇の中にうごめく分厚い層をなした不安についての厖大な解説の中の記述のひとつでしかないことを、われわれは正直に認めなければならない。その関連においてアホッは単一個人なのでなく、ムスリム「プリブミ」層が外部者の脅威として想像しているコミュニティを代表する存在なのだ。ステレオタイプ的に華人は、大型実業家で、尊大で、閉鎖的である、と見なされている。アホッの自信過剰の印象を与える話し方、粗野な口ぶり、非合法占有地域から貧困者を強制退去させるのに物怖じせず、またデベロッパーたちと交際しているなどといった姿が、上述の不安の影にぴったりと一致する。
他面、十数年間のレフォルマシレジームはネガティブ権利(あらゆる抑圧と制限からの自由)としての自由を過剰なものにした。グローバル化の流れとともに、昔からの宗教運動で耕された土地に植え付けるべき新しい思想が流れ込んで来た。エスタブリッシュされた民間宗教団体がマーケットから投げ出された貧困民衆の庇護者擁護者たることに失敗したとき、戦闘的宗教活動家たちがかれらのリーダーシップを奪いさらった。公共スペース開放のモメンタムを利して、都市貧困者層はヘイトクライムの意欲を爆発させた。
そこでは、政治コミュニティのポジティブ権利(より良い生活を得るための自由)としての自由の実践は失敗した。政界は政治家が過剰になり、ヌガラワンに不足する。ヌガラワンとは国に奉仕する位置に自らを置く政治家だ。一方政治家というのは、国を自分に奉仕させる位置に置く政治家のことだ。政治家になる意欲はそれほど強く、ましてや王座から降りたあと修道者になる気もない。そんなオポチュニスト政治家の手で、民衆は互いに争い合い、国家と民族の安全はその場限りの利益のために犠牲にされる。
大勢の政治家や政治リーダーがポピュリズムレトリックで舞台にのぼるが、権力維持のためにネオリベラリズムを礼拝する。登場するリーダーは短期間の利益を優先し、家族的でフェアな国家コンセプトを強化する方法でわれわれの国家システムの基盤を整備することにコミットしない。デモクラシーはマーケット論理で動かされ、国は資本の使用人となる。その結果、社会格差は広がるばかりで社会嫉視は膨れ上がる。
このアホッ事件では、すべての者が間違っているのは明白だ。弁護できる者はだれひとりいない。この闇のトンネルからわれわれを連れ出すことができるのは、真理を奉じる以外にない。正直になるなら、健全な政治生活の諸原理をわれわれが確立できていないがために、アホッはわれわれの不安の犠牲者でしかないのだ。人種‐宗教感情だけのゆえに、国民ひとりひとりの政治権利が間違って阻害されているのだ。
国民ひとりひとりは、法的主体者として見るなら、社会のルーツから切り離された抽象的な個人なのではないことを忘れではならない。その社会ルーツでの交わりの中で、特定集団の優位性や排他性の焼印はより良い社会宥和の努力で対応しなければならない。ヌガラワンの任務は、われわれの国家システムとデモクラシーの再整備実践の中で団結と公正に努めることで、すべての集団より上位に確立されなければならないのである。


「体制崩壊に向かう次の一撃」(2016年12月23・26日)
世界的にクリスマスというのはセールスシーズンになっている。それは非キリスト教徒が国民の大部分を占めている国でも変わりがない。コマーシャリズムというイデオロギーに呑み込まれてしまったその商業活動は、過去何十年にもわたってキリスト教を超越した催しと化していたはずだ。
中東の地中海沿岸諸国やペルシャ湾西岸の小国などは、非(反?)キリスト教社会の典型でありながらも、かなり以前からそのような路線を歩んできた。巨大なクリスマスツリーを立てて電飾でかざり、サンタクロースの衣装に身を包んだ人間が商業センターの中で雰囲気を盛り上げる。店員も赤いサンタ帽子をかぶって買物客のサービスにつとめる。

ところが、閉塞的排他的で敵対感情の存在を好む精神の持ち主たちが「キリスト教の催しであるクリスマスセールの中でキリスト教のシンボルであるサンタクロースの衣装を着るのは、イスラム教徒にとって背教に当たる。」ということを言い出した。サンタクロースの衣装が果たしてキリスト教のシンボルのひとつなのかどうかわたしは知らないが、このロジックは「坊主憎けりゃ袈裟まで・・・」と同じもののようにわたしには見えてくる。
ともあれ、坊主を憎む者の目にはそう見えているのであり、その当否を議論しても水掛け論にしかならないだろう。問題はそれが社会的な対立と混乱を煽る方向に作用するケースである。
中東のある国では白人資本の小売企業がその点について自粛することを表明して、今年突然激しくなった非難に対処する姿勢を示した。そしてインドネシアでも同じことが始まった。

MUI(インドネシアウラマ評議会)がファトワ2016年第56号を定めて、「ムスリムがクリスマスのシンボルを身に着けることは信仰の基本に関わる問題であるためにハラムである」と宣したのである。
その見方に従うなら、サンタの衣装を着たり、赤い帽子をかぶるイスラム教徒は背教の徒となる。勤めている店でクリスマスセールを盛り上げるためにこれまで毎年赤い帽子をかぶるよう店長に命じられて従っていたムスリム従業員は、店長の指示に従うことができなくなってしまう。一般的ムスリムは、赤いサンタ帽子をかぶったとたんに信仰心が揺らいでしまうようなひとたちなのだろうか?

ところがそういうことを個人の考え方や信念の問題にしようとしないのがインドネシア文化、ひいてはアジア的文化というものだ。指導支配階層が定めた決まりを大衆に従わせることを使命と考え、そこに自己の優秀さと存在価値を見出そうとする原理主義グループが世の中で暴力的なうごめきを開始した。ファトワという錦の御旗を振りかざして個人の自由と権利を抑圧する者たちの専横な行動だ。
FPI(イスラム守護宣戦)はさっそくスラバヤ・バンドン・ソロなどで、モールをはじめ商業中心地区に繰り出し、クリスマスセールに相応しい衣装を着ているムスリム店員やその商店に対する強制行動を開始したのである。問答無用でサンタ帽子をむしり取り、反攻する者には暴力を振るう。
ファトワを持ち出して「お前は背教の徒であり、処刑と地獄がお前を待っている」などと咎められたなら、ムスリム従業員も自己弁護せざるを得ない。「雇い主がそう命じるのだから、それに従わなければクビになるではないか。クビになったらあんたたちが責任を取ってくれるのか?」

労働者雇用問題の臭いが立ち上るようになったことから、今度はバンドン市長が市内小売業者に対して注意を呼びかける回状を出した。店側は従業員に対して一律にサンタ帽子をかぶるよう命じるのでなく、それを行う意志があるかどうかを尋ねなければならない。宗教上の理由でそれを行う意志を持たない従業員に強制してはならない。ムスリム従業員であってもそれを行う意志を持つ者は自由に行えばよい。
今回起こっている問題は両刃の剣であり、このようなことをすれば次回のルバランセールには非ムスリムを同じように扱えという行政からの警告が出されることになる。このような動きを推進しているイスラム界上層部への反動は必ずやってくる、とバンドン市長はコメントしている。だがしかし、今回の仕掛け人はムスリム事業者ではないのだ。ルバランセールにムスリム事業者たちが困ろうが、仕掛け人たちには痛くも痒くもないだろう。

MUIが上述のファトワを出したことの知らせがジョコ・ウィドド大統領の耳に入ったとき、大統領はこれまで見せたことのない激怒の表情を露わにしたそうだ。かれ自身がひとりのムスリムでありながら、世俗複合国家の維持発展を目指してプライモーディアル感情に由来する国民間の分裂敵対を抑え込むことに心血を注いでいるとき、反対にその方向に社会状況を押しやろうとしているイスラム宗教界上層部の動きがアホッ事件に次ぐ二つ目のボディブローを繰り出してきたのだから、その気持ちは当然すぎるほど当然のことのように思える。

イスラム宗教界のこのような動きは、イスラム原理主義化と呼ばれるべきものだろう。単に西欧文明を排斥してイスラムの純化をはかることだけでなく、世界のムスリム層を浸しつつある世俗化への反撃でもあるにちがいない。
それはダエシュ/ISISが振っている旗印でもあり、サウジアラビアのイスラム宗教界頂点に昔から巣くっている一派の念願でもあり、更には同じ心理がインドネシアのイスラム宗教界最上層部に存在し、昔日のカリフ大帝国の再生を自己のアイデンティティの中に刷り込んでしまった世界中にいる暴力革命志向イスラム教徒が握りしめている価値観でもある。それらの集団が容易に同盟していくありさまは、一昔前のアルカイダ、そして現在はダエシュ/ISIS、というダイナミズムセンターを注目していれば見えてくる。そのオブセッションを正義と確信して行動しているかれらがこの世界にもたらしている困難さは決して一筋縄で行くものではないだろう。


「ますます近づくテロの脅威」(2016年12月27・28日)
ライター: プリタハラパン大学国際政治学教授、アレクシウス・ジュマドゥ
ソース: 2016年12月15日付けコンパス紙 "Ancaman Terorisme Kian NYata"
イスラムとデモクラシーを両立させているとしてインドネシアが国際世界から賞賛されているとはいえ、国家的重要ターゲットや一般市民を狙っていつでも致命的な攻撃を繰り出し得る宗教の旗印を掲げたラディカリズムやテロリズムの成育に関する不安は依然として存在している。
それゆえに、2016年12月10日にカリマランとブカシでバフルン・ナイムネットワークメンバー数名を逮捕するという予防措置に成功した保安部隊の成果は、警察機構への国内外の信頼性を高めるものとして賞賛に値する。
ジョコ・ウィドド大統領政府はテロリズムが国家保安への深刻な脅威であることを深く理解している。少なくともその事実は、テロリズム対策国家庁が他の政府機関と共同で行っている脱ラディカリズムプログラムや、現在国会で審議されているテロリズム法案などに示されていると言える。
デンスス88のプロフェッショナリズムと機材を強化するための国内外からの資金付けも継続的に行われている。疑問は、テロリズムの脅威がどうしてますます強まり、更には国家的主要シンボルが重要ターゲットにされているのかということだ。
< 全国的な次元 >
インドネシアで生育するテロリズムは世界各地における国際政治上の動きと常に関連性を持ってきた。インドネシアのテロリストグループの攻撃性を高める可能性を秘めているがゆえに、われわれが注意を向けるべき重要現象が少なくとも四つある。
第一、イスラム世界に非友好的なレトリックを用いてドナルド・トランプが新大統領に選出されたことは、テロリストグループ、中でもダエシュ/ISISにとって、全世界におけるアメリカのヘゲモニーとそれを支持している同盟国政府に対する闘争を続けるという自己正当化の理由に使われやすい。
ましてやドナルド・トランプは、テロ対策に保安型アプローチをより優先するジェームズ・ケリーのようなタカ派退役将軍を国内治安責任者に、またジェームズ・マティスを国防大臣に予定しているのだから。グローバルテロリズムに対抗するためにドナルド・トランプはソフトパワーを使おうとしているのかとひとは戸惑いはじめている。
第二、中東の安全と安定の展望はますます悪化している。イエーメン・シリア・イラク・ソマリア・リビアでの長期に渡るコンフリクトは、追従者を募るためのテロリストグループの闘争基地となる失敗国家を一層増加させている。加えて、石油価格低下がアラブ諸国での失業者の増加を生み、未来への希望を失わせて若年層に社会的フラストレーションを与えている。
デモクラシーと基本的人権を軽視する傾向を発生させる経済クライシスと権力主義のコンビネーションは合法政権に対して叛乱を頻発させる効果的な定則になっている。デモクラシーの種が撒かれることを期待させたアラブの春が失敗したのは、それが既存レジームを強化させて国民のコントロールと抑圧を厳しくさせる方向に向かったためだ。
第三、モスルでダエシュ/ISISがイラク軍の攻勢に追い詰められ、シリア軍によってアレッポの反政府軍防衛基盤が弱体化している現状が、ダエシュ/ISIS指導者アブ・バカル・アルバグダーディをして総司令部を中東外の土地に移すことを検討させている。インドネシアを含む東南アジアで攻勢に立つための戦略的ポジションとして、既に南フィリピンが選ばれている。
第四、ミャンマー軍がラヒネで行っているマイノリティムスリムのロヒンヤ族への弾圧はこれまでも、ミャンマー政府だけでなくロヒンヤ族の運命に関心を持たないと見られる東南アジア諸国政府に対して、テロリストグループが東南アジアに活動を拡大する理由にされてきた。
< デンスス88の限界 >
インドネシアのテロリズム対策を政府がただ反テロ特殊分団デンスス88のみに頼ろうとしているのであれば、それはあまりにもナイーブに過ぎる。この保安を使命とする一機関の持続的なプロフェッショナリズム向上の必要性は疑いないにせよ、テロリズムの動機の核心部分は実行者の思考パターンと内面的素因の中で成育発展することを忘れてはならない。
テロリズム対策国家庁のコーディネート下に脱ラディカリズムプログラムが遂行されているのは事実であり、宗教系民間団体からの支持さえ集まっている。しかし現実にテロリストグループのリクルートは進展し続けており、脱ラディカリズムが十分な成果をあげていないことをそれが示している。だから、これまで行われてきた脱ラディカリズム活動が的を射たものであり、リクルートのターゲットにされている階層の姿勢や思考パターンを変えるという目的が達成されているのかどうかについて、外部グループによる批判的な見直しが必要とされている。
テロリズム対策国家庁自身がそのプログラムの達成度インジケータを検討しているのかどうか、それともアウトプットの測定などしないまま実践マニュアルに沿ってただ行っているだけなのだろうか?更には、リクルートターゲット階層に他の信仰者グループとの対話機会を与え、相互尊重の基盤に載った正直な意見交換をさせてイデオロギーの中庸化を図るような努力は計画されていないのだろうか?
最後に、インドネシアの若い世代が暴力イデオロギー注入キャンペーンのターゲットにされてしまっていることにわれわれみんなが同意するのであれば、コルプシに関してわれわれが既に行っているように、脱ラディカリズムプログラムを全レベルの学校教育カリキュラムに加えるべく検討する時がいま来ているということだ。われわれの直面しているチャレンジは決して軽いものでないし、また軽く見てはならないものだ。民族の叡知に反するイデオロギーのソーシャルメディアを使った宣伝はますます勢いを増し、都市部と村落部の別なく青少年の思考の中に注入されつつある。
民族の結合と保安に対する脅威を防ごうとするのであれば、政党・宗教系民間団体・教育機関は民族を賢明にするプロセスに参加して役割を担わなければならない。ソフトパワーアプローチはどのようなものであっても、力による制圧よりはるかにマシだ。社会・政治・ヒューマニズムに関わるコストが段違いに小さいからである。力を用いれば結末のない力の循環が生まれるだけだということを、過去の経験が示しているではないか。