インドネシア住民管理制度情報2003〜08年


「差別は出生証明書から始まる」(2003年8月14日)
1985年、5つの宗教だけを認めるという内務大臣令が出され、それ以外の信仰を持つ国民は宗教の記載が必要とされる制度の対象から除外されることになった。個々人のそして共同体にとってのたいへん重要な行事である結婚も、各宗教の定めるところに従ってなされた婚姻を公式のものとすると結婚法に定められているが、その後宗教は5つだけと決められたことから、それ以外の信仰を持つ国民は自分の宗教の中では公式婚姻とされても、国が設けた制度の中には収まらないことになってしまった。つまり国はかれらの婚姻を認めなくなったということだ。結婚を、そして夫婦であることを証明する公式文書は発行されず、おまけにその間に生まれた子供は、未婚女性が生んだ子供と同じように扱われることになる。これは男女関係が宗教と家族主義で強く規制されているインドネシアではたいへんな苦痛を招き寄せる事態なのだ。
デウィ・カンティは結婚してもう何年にもなるというのに、かの女のKTP(住民証明書)はいまだに未婚となっている。かの女は非合法政党党員になったこともなければ、この国でたいへんな差別を受けてきた華僑系でもなく、純然たるプリブミでただ単に親の信仰に従って今日まできただけなのに。その信仰も造物主を崇拝するものであるというのに、このマイノリティ宗派は本流から非公認されたために、5つの宗教から除外されてしまっている。
1983年に結婚したトゥティは好運だったかもしれない。市民登録事務所(Kantor Catatan Sipil)に登記できたために結婚証明書(Akta Perkawinan)も持っている。おかげで子供たちの出生証明書(Akta Kelahiran)には両親の名前が記されている。しかしデウィの子供はどうなるだろう?出生証明書は言うまでもなく作成されるが、そこには母親の名前しか書かれない。父親がだれであるかを証明する公式文書が存在しないのだから。不倫の子供というステータスは子供の精神的成長に暗い影を投げ掛ける。入学、就職、後見人、遺産相続、子供が将来直面するであろうさまざまな事態に出現する困難は、実態を否認する国のために避けようもない。
夫婦にも差別は襲い掛かる。独立記念日実行委員会やRT・RW役員の選挙といった町内行事に招かれることがない。
1990年7月15日付内務相通達で当時のルディ二内務大臣は、法務大臣・宗教大臣・文化教育大臣および全国の州知事に対し、5つの公認宗教以外を信仰するカップルの婚姻はその居住地を管轄する国家法定の承諾を得て地元市民登録事務所に登記できると表明したが、行政現場の対応はそれを無視するものだった。そして1995年10月19日、スミトロ・マスクン一般行政地方自治総局長が内務大臣名で出した通達が一縷の希望すら闇の中に突き落とした。ルディ二内相の1990年7月15日付通達が取り消されたのである。宛先ジャカルタ都知事、CC全国州知事で出された総局長の通達は、5つの宗教以外を信仰するカップルは、国家法定の承諾を得ても、市民登録事務所で結婚登記はできない、というものだった。
一片の紙切れにどれほどの意味があるというのか?しかし国民管理制度の枠の中で、国のヘゲモニーが端的に現れるのもそこであり、それが生む差別に振り回され、社会生活に苦痛を背負いながら人生を紡ぐことを余儀なくされている国民がいることも厳然たる事実なのである。


「出生登録行政はジャングルの中」(2003年8月14日)
オルバ期が幕を閉じると共に、民主的で、公正で、多民族複合を尊び、人権を尊重する、新たなインドネシアを建設しようとの声が全国にこだました。そのモットーはスナヤンの議事堂にも満ち満ちた。
専制政体から他の政治形態、たとえば民主的な、への移行期には、さまざまな法令の修正が行われる。差別的で人権を尊重しない法令は改善される。そんなプロセスの進展を推進させるために、民主的リーダーの存在は不可欠だ。インドネシアのような複合社会では、ソーシャルトラストを回復させ、共同体の結び付きを強め、社会統合を向上させるための法令が、今現在進行中の行方知れない不確定な移行プロセスの中で一層重要性を増す。国民を分裂させ、差別をあおり、集団間の不信と抗争を引き出すようなものであってはならないのだ。
ところがスハルト専制政治が終わったというのに、いまだに植民地政庁期のパラダイムを引きずっているものがある。インドネシア民族は独立と共に、インドネシア共和国の新たなパラダイムに基づく共和国の主体者になるはずではなかったのだろうか?分割統治の概念に沿って植民地政庁が制定し施行してきた差別的法制度の遺物は、レフォルマシ時代に入っても依然として守り継がれている。対立階層の和解といったことは大声で叫ばれていても、肝心の階層対立を抜本的に解消するための溶解と融合に向かう顕著な努力はまだ見えてこない。もう80年にもなる差別的パラダイムを一変させようという動きは現れてこない。
オランダ植民地政庁が定めたオランダ領東インドにおける住民管理は人種的要因に基づいて分けられ、住民ステータスという面で差別が付けられた。どの階層に属すのかは出生登録に基づき、ヨーロッパ人は1849年法令、中国人は1917年法令、上級非キリスト教系プリブミは1920年法令、キリスト教系プリブミは1923年法令がその根拠を与えている。新生インドネシア共和国は1966年の内閣大統領府令第31/U/In/2号で法務大臣に対し、出生登録は植民地政庁の制度を使用することなく、そして市民登録事務所があらゆる国民の出生登録事務を取り扱うように命じている。ところが根拠となる法令の一新がなされておらず、結果的に支配者の利益を優先する植民地の法令が引き継がれていて、差別は温存されている。こうして一つの国民となるべきインドネシア民族は、依然プリブミとノンプリに、更にはプリブミもクリステンとノンクリステンに分割されている。独立後58年を数えるインドネシア政府はなんと、植民地政庁が行っていた人種と宗教による色分けをいまだに続けているのだ。スハルト期にその制度を一新しようとの声が上がったことも確かにあるが、ただの意思表明に過ぎなかった。
レフォルマシ時代に時代の潮流は変化したが、出生証明書への宗教記載は必須事項であり、そして中華系国民にはもうひとつ、インドネシア国籍証明書(SBKRI)の添付が義務付けられたまま。普通、法の世界では、出生証明書を持つ者が本当に国民であるかどうか疑わしい場合、それを疑う者がその真偽を証明するのではなかったろうか?出生証明書だけでは国民であるということが証明されず、SBKRIが添付されなければ国家行政における住民管理事務の対象とされないという現実は、証明するということの法的規準を混乱させている一方で、インドネシアの国内行政基盤が単一の論理で運営されておらず、まるでジャングルの中にいるようなものだと言われてもしかたのないことだろう。
実態としての出生登録は、地方政府の地元収入もしくは行政不法収入の源泉と化している。おまけに地方自治法が制定されたために、地方政府はそのお家事情に応じてさまざまな機関に登録管理事務を行わせるようになっており、出生証明書発行者が国際基準からはずれているケースでは問題が出現している。カリマンタンでは住民社会管理局が行っているが、中部ジャワのある県ではその業務を労働トランスミグラシ局が行っており、また別の州では市民登録事務所が住民管理事務所や家族計画統括庁に包含されている。オーストラリアに居住しているインドネシア人が家族手当を申請したところ、中部ジャワに住む子供が送ってきた出生証明書はオーストラリア政府の規定にある市民登録事務所発行の出生証明書という条件に食い違っていたために正式の証明書ではないとされ、申請は却下されている。
出生登録には四つの原則がある。継続的であること、永久に続けられなければならないこと、普遍的であること、そして強制を伴う義務であること。インドネシアではそのいくつかがおろそかにされている。すべての子供にとってそれは国家に対する権利であり、国が国民を保護する際のすべての基盤となることがらだというのに、宗教や人種的背景によって差別が行われている。そのような状況が続く限り、新たなインドネシアの建設は前進のない足踏みを続けるのではあるまいか。


「KTPと出生証明書、鶏と卵?」(2003年8月 )
インドネシア国民の日常生活において、KTP(住民証明書)はたいへん重要な役割を果たしている。KTPを持っていなければ銀行で何の手続を行うこともできず、都庁秩序安寧局職員の検問にあえば拘留されてしまう。ジャカルタでKTPを持たないで暮らすなら、落ち着いた生活などできはしない。
インドネシアでは個人のアイデンティティがKTPをベースにしており、それが個人の公的存在とその居住を認めてくれるものとして機能している。ところがそのKTPを作成するさいのベースとなるはずの出生証明書が、KTPほど重い位置付けを得ていないのは奇妙としか言いようがない。法曹や行政に携わっているひとびとが出生証明書を単に住民管理上のテクニカルな一手続としか見ておらず、全国民がそれを持とうが持つまいが当人の必要性に委ねているという状況は、明らかに上で述べたKTP中心主義と表裏一体をなすものかもしれない。
いくつかの地方では、おかしなことが行われている。出生証明書をまだ作っていなかった大人がなんらかの必要性から出生証明書作成手続をはじめたとき、絶対必須な条件はKTPを提示することなのだ。国民としての法的地位は、かれが生まれたときに出生証明書を作ることで確定され、適正年齢に達したときにそれに基づいてKTPが作られるというのがものの順序ではないだろうか。これはつまり、国家行政機構自身が『国民としての法的地位』というものを十分に理解していないのではないかと見られても仕方ないことを意味しており、そして現実に、このヌサンタラと呼ばれる地域に居住しているインドネシア国民たちが政府から国民として十分な保護と支援を得ているとは思えない実態を目にすることも稀ではないのだから。
出生時の根拠なしでKTP中心主義が成立しうるための条件は何だろう?証明書など一切なしでも、つまり誰であっても、KTPを得ることができる、というのは公然の秘密になっている。そこでは年齢、居所、そして名前までも偽ることが可能なのだ。腐敗した行政機構では、KTPも含めてあらゆる住民管理のための証明書を買うことができる。個人のアイデンティティを証明するための第一優先書類が容易に偽造されうるのだ。あなたはいつでも他人になりおおせることができる。
どうしてそのようなことが起こり得るのだろうか?出生証明書の軽い位置付けは、それが行政管理の一事務手続きでしかないとされている社会常識によっていることは確かだ。本質論はなおざりにされ、世の中でその提示を求められるシーンがあまりにも少ないために、その効用が軽んじられる。KTPも行政管理の一事務手続きでしかないが、社会生活のいたるところでその提示が求められる制度が確立されてしまったいま、KTPの重みは疑うべくもない。
すべての国民は誕生したとき、国家によってその法的地位が認められなければならない。国家がそれを認めるのは義務であって、本人の恣意に委ねられるようなことがらではないはずだ。なぜならその本人は自ら望んでそこに生まれ出てきたのでもなく、また親を選んで生まれたわけでもないのであり、まして子供がその親の恣意によって自分の将来の法的位置付けが左右されるようなことがあってもならないのだ。生まれたばかりの赤児が自ら出生登録手続を行う意思を持つはずもない。本人意思優先主義はこのケースでは悪弊にしかならない。
2001年センサスでは、5歳未満幼児10人中4人しか出生証明書を持っていないことが明らかにされている。その理由の第一は登録費用が高いこと。行政末端にある各地の市民登録機関では、その登録費用収入が地元行政の財源のひとつに位置付けられており、国家の義務という認識は見られない。第二の理由は登録機関が遠隔地にあるためとなっている。続いて手続が煩雑、あっても役に立たない、必要性がない、出生登録自体を知らない、等々。効用論を離れた本質論の教育啓蒙が必要であるのは言うまでもないが、これも難しいことには違いない。国民の教育水準を引き上げることは掛け声だけでは進まない。そのような現状の影に身分証明を持たない子供たちがおり、必要に応じて身分証明が偽造される。国民としての法的地位が不明なため、国からの保護や生存の権利がないがしろにされ、政治参加権利すら奪われている。こうして人身売買、少年労働、不法養子縁組などといった基本的人権侵犯がいくつもいくつも発生している。


「 イスラム式結婚の際のKUAへの支払い 」(2004年4月27日)
庶民のイスラム式結婚の際、各郡役所に所属する宗教役所KUAが司る婚姻実施を主宰するプンフルが徴収する金額に大勢が不満を述べている。昨年12月に結婚したセリー27歳は、75万ルピアと言われて否応なしに払ったし、ジャガカルサに住むヤンティは昨年8月にKUAの費用一切込みで60万ルピアをプンフルに支払っている。ところが2000年度第51号政令で、KUAが徴収する金額は時と所によって3万5千から8万5千ルピアと定められており、プンフルが支払わせたそれらの金は不法徴収金に他ならない。規定によれば、KUAで行えば結婚登録費用3万ルピアと結婚登録補助職員への謝礼5千ルピアだけで済む。別の場所で行われる場合は出張費として5万ルピアが追加される。また公務員就業時間外の場合は補助職員に対する追加費用が別に上乗せになる。ともあれ、通常の公務員たるプンフルのソフト不法徴収金行為は違法であることから宗教省は、プンフルが新郎新婦側から謝礼を受け取るのはかまわないが金額を指定してはいけない、との判断を下している。


「 インドネシア国籍取得の七つの方法 」(2004年6月28日)
国籍に関する1958年法令第62号の改定作業が進められている。たとえば外国人がインドネシア国籍取得を申請したい場合、現行法令では連続して5年間あるいは不連続で10年間インドネシアに居住することが条件にされていたが、今回の改定作業の中で国会はその条件を連続で15年、不連続で20年と変更するよう提案している。原案の第8条にその提案が収められている。条件はそれにとどまらず、インドネシア国籍取得を望む外国人はインドネシア語が流暢に話せること、インドネシア憲法と歴史に関する十分な知識を持っていること、入獄1年を超えるレベルの犯罪を犯したことがなく、更には恒久的な職業と収入があること、などとなっている。髪結いの亭主では、インドネシア国籍取得条件は満たせない。
申請手続きについても、現行法では地方裁判所を経由して法務大臣が決裁するというものだったのに、改定案では法務大臣を通して大統領が決裁するようになっている。大統領は3ヶ月以内に申請を認めるか却下するかを決めなければならない。
国際法の中で、国籍取得原則が二つある。血統主義ius sanguinisと出生地主義ius solidがそれだ。また個人の国籍保有にもいくつかの原理があり、無国籍、単一国籍、二重国籍などがそれに当たる。インドネシアは無国籍apatrideと二重国籍bipatrideを排除しており、二重国籍は認めないが特異なケースを除いて無国籍にもしない。
現行法は生まれた子供の国籍は父親と同じと規定されているが、昨年制定された結婚法で父親が外国人、母親がインドネシア人の場合、両親が希望すればインドネシア国籍が取得できるように変わった。この規定は改定国籍法にも導入されるが、上のようなケースでは二重国籍にならないことが条件にされている。海外に居住しているインドネシア人夫婦の場合、両親の要請で生まれた子供はインドネシア国籍を取得できるが、生後三ヶ月以内に在留国インドネシア大使館に申請を出さなければならない。インドネシア人の養子となった外国人は21歳未満で未婚である場合、インドネシアへの帰化申請ができる。インドネシアに貢献があったり、あるいは特定の理由があれば、大統領が国会の承認を得て外国人にインドネシア国籍を与えることが可能。しかし上のいずれの場合でも、二重国籍になることは認められない。
またインドネシア人が国籍を失うケースも規定されており、外国で軍隊に入ったり、あるいは5年間連続して外国に居住しながらその間インドネシア大使館に届け出ず、国籍維持の意思表示をしないようなケースがそれに該当する。また外国人女性と結婚した際に自動的に夫の国籍が付与される国の男性と結婚すれば、妻となった時点でその女性のインドネシア国籍は失われることになる。
この改定法案では、インドネシア国籍が与えられるのに七つの方法があることになっている。
1) インドネシア国籍者夫婦の間で生まれた子供
2) インドネシア国籍の夫と外国籍の妻の間で生まれた子供、ただし二重国籍となる場合を除く
3) 外国籍の夫とインドネシア国籍の妻の間で生まれた子供で、両親が子供にインドネシア国籍を望む場合、ただし二重国籍となる場合を除く
4) 未婚のインドネシア国籍女性が生んだ子供、ただし二重国籍となる場合を除く
5) インドネシア領土内で生まれた子供で親との関連による国籍取得ができない
6) インドネシア領土内で生まれた子供で両親が不明
7) インドネシア領土内で生まれた子供で両親が国籍を持たない


「 ジャカルタ風心地よ(くな)い死 」(2004年6月29日)
ジャカルタで死ぬのは心地よくて楽だなどといったい誰が言ったのか?いまではみんな、死ぬのはジャカルタの外にしろ、と勧めている。ジャカルタでの埋葬手続きがどんなに乱雑でひとをうんざりさせるものであるか、その言葉が図星を射ている。おまけにジャカルタの墓地が強制移転の対象にならない保証などどこにもない。たった一枚の紙がないために公共墓地に埋葬してもらえないということは大いにありうるのだ。ではどうすればいいのか?
故人の相続人はまず隣組長(RT)と字役(RW)に届け出る。次に保健所(Puskesmas)に行って遺体検査証明書(Surat Keterangan Pemeriksaan Mayat Model A)の手続きをする。そのあと町役場(Kantor Kelurahan)に出向いて死亡証明書(Surat Keterangan Kematian)を手に入れる。故人の家族登録書(Kartu Keluarga)と住民証明書(Kartu Tanda Penduduk)を持参することを忘れてはいけない。
それらの書類手続きを終えれば、居住地区内の最寄の公共墓地(Tempat Pemakaman Umum)に行って希望する場所を選び(もうそんな余裕のあるところは稀だ)、事務手続きを行い、課金(これはもうネゴ価格、公定料金など忘れたほうが良い)を納めて三年間有効の墓地使用許可書(Surat Izin Penggunaan Tanah Makam)を手に入れる。この許可書は、三年毎の延長手続きを忘れてはならない。さもなくばその墓地は移されて、そこは他人の墓になる。墓地使用許可期限がどうして三年なのか、明白な理由は示されていない。
墓地の広さには限りがあるので、一部都民の中には血族関係のある者の墓に抱き合わせ埋葬を希望する人が増えている。費用も25%から50%安上がり。
あるいは、うんざりさせられる役所手続きの些事の面倒さから逃れたい都民には、料金はいろいろだが葬式のフルパッケージサービスが得られる葬儀財団に頼む方法もある。遺体の沐浴から、ムスリムにはカファン布を巻き、あるいは非ムスリムだと死化粧、そして礼拝、棺おけ、野辺の送り、墓の用意、各宗教スタイルの埋葬儀式まで。要するに、遺体となってやっと人間的に扱ってもらえるというわけだ。
埋葬(土葬)か、それとも火葬か?文化的背景、保健衛生上の利害得失、環境問題、そして言うまでもなく費用の問題といった面が火葬の人気に影響を与えている。バリのヒンドゥ教徒や中国系のひとびとにとって、火葬は目新しいものではない。だが土葬しか認められていない宗教では、限りある墓地をうまく利用していかなければならない。
首都ジャカルタの全公共墓地面積は575.19ヘクタールしかなく、そして都民の死亡率は1997年の一日80人から2003年は一日100人へと増加している。都内の主な公共墓地は次の通り。
中央ジャカルタ市:TPU Karet Bivak (16.2ha)
西ジャカルタ市:TPU Tegal Alur (62.8ha), TPU Pegadungan (65.9ha)
南ジャカルタ市:TPU Tanah Kusir (52.7ha), TPU Menteng Pulo (32.4ha)
北ジャカルタ市:TPU Semper (57.1ha)
東ジャカルタ市:TPU Pondok Ranggon (56.6ha), TPU Pondok Kelapa-Malaka (41.2ha)
だがついに、インドネシアにも墓地開発分譲をおこなう民間会社が出現した。今年のジャカルタフェアに出店して話題を撒いたこの会社は、カラワン丘陵部200ヘクタールの土地にTaman Memorial Graha Sentosaと名付けた墓苑を用意している。


「 出生登録制度改革 」(2004年7月15日)
14日、インドネシアの出生登録制度改革を政府とともに進めているユニセフに対し、日本政府が80万ドルの支援を行うことを合意したメモランダムの締結が行われた。その催しのあとロハディ・ハルヤント内務省人口管理総局長は、新しい住民管理制度に関する法令をいま準備中であり、出生登録の励行は全国的に普及させていく考えである、と表明した。日本政府からの支援金は新法令施行、出生届けの重要さに対する国民の認識高揚、そして東西ヌサトゥンガラ、パプア、南スラウェシ、ジャワの10地域におけるパイロットプロジェクト展開に使われる。
従来国民が子供の出生を届け出ていなかった原因が、手続きが有料、届け出る役所が地元にない、といったものであることから、新法令では完全な無料にし、地元役所で受付がなされるように改定されている。また住民証明書作成に出生証明書の提出が義務付けられることになるが、女性活力化担当国務省は「インドネシア人勤労者の63.8%は就職するために偽造住民証明書を作っている」と表明しているし、9千万人の子供たちの26%が出生証明書を持っていない事実は、将来起こるであろう住民証明書偽造の火種を宿している。ユニセフはこれまでインドネシアが世界で出生届履行の最悪国のひとつであった要因が、理解の欠如、意識の欠如、法的支援の欠如、高い費用などであったと分析しており、2003年の5歳未満幼児の半数以上は登録されておらず、親の28%は費用が高いために登録を行わなかったことを調査データが示している。内務省調べでは、出生届出率の最悪は東ヌサトゥンガラ州の4.6%、最高はジョクジャの97.7%とのこと。


「 妻からの離婚請求が増加している 」(2004年8月5日)
タングラン県ティガラクサの同県宗教法廷が2003年に取扱った離婚訴訟は6百件で、これは2002年の507件から18%増加している。同法廷のバエハキ法務初級書記官は、取扱い件数は年々増加しており、今年は既に341件を処理した、と語る。離婚訴訟の原因は主に不健全なポリガミー、倫理崩壊、経済的圧迫などだが、それ以外にも責任感の欠如、虐待、第三者の介入、夫婦関係の不調和などが上がっている。たとえば倫理崩壊が夫婦別衾を引き起こして離婚に至った件数は2002年の27件から2003年は60件に増えている。今年はそれが更に増加しており、離婚請求の原因の中に宗教規範に相手方が背いているという理由は明らかに増えている。経済的圧迫も2002年の57件が2003年は120件に増えている。他の要因については、責任感欠如が187件、夫婦関係不調和が103件といったところ。
世間で発生している離婚の中で、法廷に持ち込まれるのはほんの一部に過ぎない、と前置きしながら同書記官は、最近の顕著な傾向として、夫からの三くだり半離婚訴訟よりも、妻からの離婚請求の増加が上げられる、と語る。2003年の訴訟件数6百のうち、妻からの離婚請求は401件で、夫からの離婚請求はわずか199件とのこと。


「タングラン県で出生証明書を取得しているのは三人に二人」(2004年9月2日)
タングラン県の26郡に住む320万人のなかで、128万人が出生証明書を持っていない、とタングラン県市民登録住民管理局が公表した。
「住民の40%が出生証明書を持っておらず、学校へ上がったり、就職したりといったそれが必要になるときにはじめて、取得手続きのために出生届を行っている住民が多い。出生届は国に国民としての権利を認めてもらうために必要なものである、ということがまだ住民に理解されていない結果、このような状況になっているため、当方は告知社会化の強化徹底を努力していく。」とナニ・リスヤニ局長は述べている。同局はこれまでも、おりにふれて出生証明書作成を住民に呼びかけ、一定期間無料で作成するといった住民サービスを行っており、また作成作業も短時間でなされるような体制を整えている。
局長はまた住民証明書KTPについて触れ、KTPも所有者は2百万人しかおらず、残る120万人は非保持者だとのこと。そのため住民すべてがアイデンティティを証明するものを持つよう、戸別訪問方式でその実現を推進していく、との方針を語っている。


「都知事が新来者へのチェック強化を指示」(2004年9月11日)
スティヨソ都知事は、都民の生活環境内保安警戒度を高めるため、全地区の隣組と字役が地区内に居住してまだ日の浅い住民、下宿や借家人、あるいは昼夜を問わず地区内にやってくる来客の届出をただ待つだけでなく、積極的にアプローチして把握するように、と指示を出した。
「原則は1x24時間ごとに外来者は届出をしなければならない、となっている。中でも地区内での新来者が不審な、あるいは閉鎖的な集会などを行う場合は特に監視を強めなければならない。都民は居住区域内の保安を維持するために積極的に行動しなければならない。」と語っている。


「警察記録証明書」(2004年11月4日)
メガワティ政権期に大統領令で新規公務員採用が決定されたため、各地方自治体でも募集が始まった。「チャロ」の話題にあるブカシ市もそのひとつ。公務員募集要項に警察記録証明書の添付が要求されており、募集の始まった地区の警察署は突然大忙しのありさまとなっている。
南ジャカルタ市警察本部にも1日は朝から夕方まで数百人の外来者が訪れて、Surat Keterangan Catatan Kepolisian(警察記録証明書)の作成手続きのために朝10時から午後3時までごったがえした。狭い場所に大勢の人間が詰め掛けると卒倒者が出るのが常で、気の毒な女性被害者が何人か静かな場所に担ぎ出されている姿が見られた。手続きにやってきたある男性は、役所によってSKCK発行者のレベルに違いがあり、学歴S1は一様に市警本部のものが要求されているが、高卒は地区警察発行でよいのもあるし市警本部のものが必要とされるところもある、と語っている。その物知りは、自分は既にSKCKを取っているので、期限延長をするだけで良い、と述べていた。訪問者の中にはあっちへうろうろ、こっちへうろうろしている若者もおり、どうやら世間慣れしていない新卒者にそんな者が多く、どこで何を聞けば良いのかわからず右往左往しているという雰囲気。先ほどの物知りによれば、南ジャカルタ市警でSKCKを作る場合に必要なのは、町役場Kantor Kelurahanからの認定書Surat Keterangan、写真4x6センチ6枚、KTPのフォトコピー1枚を持参し、申込書に記入し、指紋を取り、手続き料1万2千ルピアを納めれば良いそうだ。また既存のコピーに認証legalisasiを受けるのは4千ルピアでよい、と教えてくれた。


「国籍法の内容を改善するべきときは今」(2004年11月8日)
国籍に関する1958年度第62号法令はジェンダーバイアスの強い法令のひとつだ。インドネシア国籍者WNIの定義についてこの法令では、第一条(b)項に、出生時にインドネシア国籍者である父との間に法的家族関係を有する者がインドネシア国籍者である、と記されており、この原理は子供が18歳になるまで継続する。ただし18歳以前で結婚した場合は、その時点まで。(d)項にはまた、インドネシア国籍者の母と法的家族関係を有しない父から生まれた者、(e)項では、父親が無国籍者あるいは国籍不明の場合、子供は母親の国籍に従う、となっている。
一方第三条(1)項は、インドネシア国籍者の母が正式婚姻外で生んだ子供、あるいは正式婚姻で生まれたが離婚した場合、子供の養育は判事によってインドネシア国籍者の母に委ねられ、外国籍のその子供は法務大臣に対してインドネシア国籍取得を申請できるが、その申請は子供が18歳になってから行うことができ、また18歳になった日から1年以内に申請がなされなければならない、と定めている。この条項によって、外国人の夫と離婚したインドネシア人女性が子供を引き取った場合、外国籍者WNAのわが子のために毎年、暫定居住許可証KITASの更新手続のために時間と費用をついやさなければならない。
さまざまな個人・グループ・組織・機関などが集まったAliansi Pelangi Antar-Bangsa(国際プラギ連合)は、国籍、外国人管理、養育権、遺産相続権に関して男女同権を勝ち取ることを使命として2002年9月にスリカンディ(Srikandi)とインドMC(Indo-MC)が発足させたもので、いまではC-4(Cross Cultural Couples Club)、Diana(Dialog Antar Bangsa)、LBH-Apik、Soroptimist Internatinal of South West Pacificなどの組織も加わっており、会員数は国内外に4,420人を数えている。かれらはインドネシアの制度内に存在する、さまざまな性差別問題を取り上げている。同機関のウエッブサイトwww.aliansipab.comにあげられているように、外国人と結婚したインドネシア人女性の第一の問題は、外国籍の実子に対する養育権の問題であり、WNIの母親は未成年の子供の養育許可を関連官庁から得なければならず、その許可を得たうえで滞在ビザを在外インドネシア公館で取得しなければならない。
KITASは1年しか有効でなく、それ以外にも毎年、警察、町役場、郡役場、県庁から州の住民管理事務所まで届を出さなければならず、ついやす費用と時間はばかにならない。そして外国にいる子供がインドネシアに帰省するたびにリエントリービザが必要となる。
WNI女性は、成人した子供や夫がインドネシアに居住するためのスポンサーになることができない。夫がインドネシアでの職を失えば会社からのKITASがなくなるため、夫と子供はインドネシアを去らなければならない。インドネシアでの居住を望んでも、ツーリストビザもしくは二ヶ月間の滞在が許される文化社会訪問ビザ(Visa Kunjungan Sosial Budaya)でしか滞在はできない。子供も高校あるいは大学を終えたあと、インドネシアに住んで働くということができない。WNIの母親が居住スポンサーになれないため、子供を雇ってくれる会社にスポンサーになってもらわなければならないが、仕事の経験があり、即戦力になる人間を雇わなければ高額な滞在許可・労働許可と釣り合わないため、雇ってくれる会社を見出すのは難しい。こうして子供たちは外国で働くことになり、インドネシアにとっての人材は失われてゆく。
母親が亡くなれば、母親名義の土地建物を夫や子供に相続させることができない。外国人の土地所有にはさまざまな制限があり、土地所有権(Hak Milik)は土地使用権(Hak Pakai)に変えなければならない。反対に父親が亡くなれば、子供養育のために母親は許可を取得し、在外インドネシア公館でビザを取得しなければならず、費用はかさむ。WNA男性と結婚したWNI女性は政府機関で働くことができず、政治活動は禁止され、国会議員などにもなれない。
WNI男性と結婚したWNA女性はインドネシアで働くことが許されない。その結果、夫の死亡、障害、離婚などが起こると、自立して生計を得ることができず、これは母親がインドネシアで子供を育てることへの別の障害となる。
WNA女性は土地建物を所有する権利がないため、夫が亡くなると妻と子供に残された土地建物の遺産相続が行えず、それら不動産は1年以内に売却しなければならないため、WNIである子供でも未成年であればその遺産を相続することができない。WNIの夫とWNAの妻が住宅取得ローンを得ようとしても、そんな事情のせいでローンが与えられるのは容易なことでなく、たとえローンが与えられたとしても、相続権もなく、また労働も許されないのに返済契約にサインさせられ、夫が亡くなれば妻がその返済を引き受けなければならなくなる。WNAの妻が国外に出かける場合、出国し再びインドネシアに入国する許可を得なければならない。夫からの許可がそれらのベースとなる。
国際プラギ連合APABは2003年に、それらの問題に関する提訴を国会立法院(Badan Legislatif DPR)に対して行い、その解決案としてインドネシアが二重国籍を認めるよう提案した。国会側が懸念しているのは、二重国籍者が地方部に赴いて農村部の娘たちに虚偽婚姻を働きかけたり、居住するために女性が便宜結婚を行うといった地位悪用の発生で、それを防ぐためには婚姻後三年してからあるいは子供ができてから二重国籍を許可するようにすればどうか、とも提案している。
現実に世界の諸国すべてが二重国籍制度を行っているわけでないものの、二重国籍を認めない国は少なくともパーマネントレジデンス制度を設けて当該者の基本的な権利を保護している。二重国籍が困難であれば、便宜結婚を極力排除できる条件を設けて、まずパーマネントレジデンス制度実施を検討してはどうか、とAPABは考えている。


「外国人との婚姻を祝福しない現行法令の見直しを」(2004年11月8日)
男女の性別には関係なく、国民は外国へ留学しそして就職する。あるいは経済の開放によって外国人が仕事をするために入国し、滞在する。そんな状況は否応なしに国際結婚の機会を広げている。
国際結婚者にとって文化の違いとは別に、国籍や外国人管理など個人の基本的人権に関わるもっと大きい問題が、インドネシア国籍者、特に女性の国民としての権利を低めている。
34歳のティナは同年齢のイギリス人と結婚し、二児をもうけた。「規則で子供たちは父親に従うことになっているため、インドネシアで生まれ育っているのに、外国人として滞在許可手続を毎年しなきゃいけないんですよ。」KITASを延長するために、ティナは毎年子供たちをシンガポールに連れて行かなければならない。ところがティナはラッキーだった。夫の専門技術をある役所が必要としたため政府からオフィシャルビザが与えられ、今では毎年の滞在許可更新を行う必要がなくなった。しかし西洋人の妻になるのは精神的に厳しいものだ、とかの女はもらす。インドネシア大学を卒業したティナなのに、いまだに自分をふしだら女という目で見る人がいる。
有名な歌手ティティDJも、アメリカ人アンドリュー・ホリス・ドハティとの結婚で生まれた末娘ステファニーの滞在許可更新手続で、毎年国外に出なければならない。インドネシアの法令は、外国人と結婚したインドネシア女性に対して不公平ではないか、とティティは感じている。もし外国人の夫と離婚したり、死別したりすれば、子供の滞在許可手続はたいへんな障害に会うことになる。子供はインドネシアで生まれ、母親はインドネシア人だというのに。おまけに離婚のさいの財産分配はまた別の困難が待ち受けている。
かの女たち外国人と結婚したインドネシア女性は、2000年10月にスリカンディ(Srikandi)という名の団体を発足させた。会員間の懇親、教育活動、情報や体験の交換あるいは国際結婚、外国人管理、土地建物所有などに関連するセミナーの開催などを編成の目的としている。「今やグローバル時代だというのに、インドネシアの法令はインドネシア女性と外国人男性との結婚をいまだに容認していません。」スリカンディ第二会長アマリヤ・レリゴはそう語る。アメリカ人と結婚して四児をもうけ、長子は外国で大学を出て外国で働いているラハユ・コースマン・モリスは、子供が親に会いに来るのにビザを取らなければならず、まるで血のつながりがないみたいだ、と言う。かの女が、同じ境遇の三人の女性とともに、スリカンディを立ち上げた。「子供がインドネシアで職を探すためのスポンサーに母親である自分はなれないのです。それは会社でなければなりません。またインドネシア国籍者の母親は夫や子供がインドネシアに居住するためのスポンサーにもなれません。ところが夫がインドネシア国籍者の場合は、外国人である妻のスポンサーになれるんです。」
パレスチナ人男性と結婚したマヤ・ミランダ・アンバルサリは、結婚に関する1974年度第1号法令による手続に従った体験を物語る。妻子が不当な扱いを受けないようにするのを目的に、夫の本国に正式な婚姻として登記されるよう、ふたりは次のような手続を行った。まず夫はパスポートのコピー、KITAS、出生証明書、STMD(警察登録証)、住民管理局の証明書、大使館からの証明書、大使館を通して手続がなされる夫の婚姻ステータスを証明する書類(独身証明書あるいは結婚歴があれば離婚証明書もしくは妻の死亡証明書)を用意し、宣誓翻訳者を使ってインドネシア語に訳し、大使館で裏書をもらう。イスラム者ならKUA(宗教役所)、非イスラム者なら市民登録事務所(Kantor Catatan Sipil)に登記し、そこで作られた結婚証明書は法務省と外務省で裏書をもらい、その上で夫の本国の在インドネシア大使館に届け出る。こうしてその国際結婚がはじめて公式のものとして認められる。子供が生まれると、14日以内に外国人登録を行い、60日以内に1年間有効なKITASの手続をし、STMDを得るために警察に届け出る。その後KITASは2年間有効のKITAPに切り替えることができる。「それらの規則をわたしたちは全部知っていなければなりません。なぜなら移民局は知らなかったという理由を聞いてくれないからです。子供の登録が遅れれば、1日当たり20ドルの罰金を科されるんですよ。」スリカンディの第一会長を勤めているマヤはそう物語る。
スリカンディのメンバーたちは、既に時代に合わなくなっているインドネシアの法令が変わることを強く望んでいるが、それより先にWNI男性と女性とで異なっている、外国人である夫や子供がインドネシアに滞在するためのスポンサーになることに関して、男女に同じ権利が認められるよう要求している。子供たちにも、外国での教育と多言語能力という点から、外国人と見なさないでインドネシアで働けるようにしてほしいと願っている。なぜならかれらは、インドネシアにとって重要な人材なのだから。
言うまでもなく子供たちに帰化のチャンスは開かれているが、裁判所、法務省、内務省などあちこちの役所に対する手続が必要で、しかもそのすべてにわたって金を用意しなければならない。外国人は金持ちだとインドネシア人は見ているが、すべての外国人がそうであるとはかぎらない。1958年の国籍法はグローバリゼーションから遠く離れた時代のものであり、ジェンダーバイアスのかかっているオランダの法令の影響を受けている。時代の流れに即して、法令の見直しが行われることをスリカンディのメンバーたちは切に望んでいる。


「結婚相手紹介所でインドネシア人女性が大もて」(2004年11月16日)
シンガポールの結婚相手紹介所で中国系インドネシア女性が高い需要を見せている。
「総体的に中国語ができることが、ベトナム女性より人気が高い要因のひとつだ。」と語るのは、メイビー結婚相手紹介所のマネージャー、サイモン・シム。特にカリマンタン出身の中国系女性は中国方言が話せ、中国料理ができ、シンガポールでの生活にもすぐ適応できるのでとても好評とのこと。このビジネスを始めた経営仲間のひとりはベトナム人女性を妻にしたが、コミュニケーション問題を克服するのに苦労している、とシムは実例を話す。紹介所に登録されている女性はたいてい、カリマンタンの内陸部で農業を営んでいる家庭の娘で20代。登録される女性は、間違いなく処女であることを含めて健康であることをチェックされ、また親族的背景も調査されるとのこと。顧客は花嫁を手に入れるために1万2千シンガポールドルをメイビー紹介所に支払う。この中にはカリマンタンに出かけて20人の花嫁候補者とお見合いし、決めた相手の親にマスカウィン(結納)を渡し、結婚パーティを行い、新郎新婦の衣装代や写真撮影料金などの費用も含まれている。花嫁の親へのマスカウィンは1千から2千シンガポールドルの範囲で、紹介所は総経費として1万ドル弱を使うそうだ。
シンガポールの統計によれば、結婚適齢期男性の未婚者は6万7千人おり、その90%は中国系とのこと。メイビー紹介所を訪れる顧客の多くは40代の事務職男性が多い。「シンガポール女性は夫の選択に際して希望が高い。あまり人にあれこれ要求しない、素朴に夫に仕えてくれる娘を妻にしたい。」紹介所にきていたある会社の警備員をしている41歳の男性は、そのようにコメントしていた。


「新規上京者に対する都庁の検問作戦は12月から」(2004年11月29日)
今年のルバラン帰省で首都から出た人数は2,213,812人、帰省逆流で入ってきたのは2,404,168人であり、新規上京者19万人に対する検問作戦を12月初めから実施すると都庁市民登録住民管理局が表明した。2002年は帰省者264.3万人、逆流者287.5万人で、新規上京者は23万人、2003年は帰省者281.6万人、逆流者302.1万人で、新規上京者は20万人、となっており、首都への新来者は減少傾向にある。
とはいえ、既に過密状態の首都ジャカルタに無為の人間が増加するのを野放図に許すことはできないが、国内の金の7割が首都にある、と語られている状況は地方部の労働人口を引き付けずにはおかない誘蛾灯になっており、都庁ではいかに上京者を食い止めるかがインドネシア共和国設立以来の重大テーマになってきた。かつてある時期、ジャカルタは封鎖都市宣言を行ってあらゆる上京者を強制帰郷させる措置を取ったものの、居所選択の自由に真っ向から反対する政策は長続きせず、より納得できる条件を付された都条例による規制に今では変更されている。
新規上京者が増加するのは、帰郷した先輩上京者に連れられて、というルバラン帰省逆流時期がもっとも多く、かれらの溜まりになっているのは、北ジャカルタ市のワラカス地区とパドマガン地区、東ジャカルタ市パルムリアム地区、南ジャカルタ市トゥベッ地区、中央ジャカルタ市ジョハルバル地区、西ジャカルタ市カリアニャル地区など。中央ジャカルタ市市民登録住民管理事務所は12月2日からサワブサール、スネン、クマヨラン地区で住居の訪問検問を行う予定にしている。今年の同市内での新規上京者は29,238人と見込まれており、この数は2003年の3万7千人より少ない。
首都に居住するに当たっては、1.専門技能を持っていること、2.住民管理書類を完備しており、RT/RWにすぐ届け出ていること、3.仕事が与えられる保証があること、4.居所が保証されていること、の四つの条件をクリアーしなければならず、また正式に都民になるためには首都に180日間以上居住しなければならない。この都条例に対する違反者は最高三ヶ月の入獄あるいは最高5百万ルピアの罰金となっている。


「 混交結婚での女性は法的弱者 」(2004年11月24日)
アメリカ人男性と結婚したそのインドネシア人女性は、生まれた娘にインドネシア国籍を取得させるため、父なし子として届出た。「夫はインドネシア国籍を取る決心をしているが、まだ成功していません。私たち夫婦はインドネシアに住み、子供をインドネシアで育てたいのです。だからそれで…・・」1995年にアメリカで結婚した夫婦は、その事実をインドネシアの役所に届け出ていない。
血統主義を取るインドネシアの1958年第68号法令によって、外国人と結婚したインドネシア人女性の産んだ子供は自動的に父親の国籍となる。母親の国籍であるインドネシア人になれるのは、正式な婚姻外の関係から生まれた子供、あるいは父親が無国籍者である場合の救済措置でしかない。インドネシア大法学部のズルファ・バスキ教官は、インドネシア政府はあらゆる形態の女性差別撤廃に関する国連協定を1984年に批准しており、その年の第7号法令として制定されている、と説く。「その第9条には、子供の国籍に関して国は男性と女性に同等の権利を認めると記されています。子供を私生児であると女性が表明することは、外国人の夫が持つべき子供に対する法的義務を解除し、子供が有する父親からの遺産相続権を放棄していることにほかなりません。ましてや、1992年度第9号法令にある、外国人夫や外国籍実子のKITAS・KITAP作成延長違反でインドネシア人女性が逮捕されるという法規はナンセンス以外の何ものでもありません。そんなことで妻であり母である女性が監獄に入れられるなんて……」
インドネシア人夫は外国籍妻の居住ビザのスポンサーになれるが、インドネシア人妻は外国籍実子の居住ビザスポンサーになれても、夫にはせいぜい2ヶ月しかインドネシアに滞在できないソシアルビザのスポンサーにしかなれない。インドネシア人女性の外国籍夫は、インドネシアでの就職活動にツーリストビザあるいはソシアルビザで入国することはできる。一年間有効のKITASは取得に1百万ルピア必要で、5年間有効のKITAPの費用は2百万ルピア。いずれも取得にはほぼ6週間かかる。


「ジャカルタの外での埋葬に都庁が補助金」(2005年3月17日)
死者を埋葬する余地などなくなってしまったジャカルタにも、まだ墓地はある。墓地として用地指定がなされているのは578.2ヘクタールほどあるが、墓地として使用できるようになっていない面積は198ヘクタールもあり、使用可能面積は380.2ヘクタールしかない。だがそれも323ヘクタールが満室状態で、新しい利用者を受け入れられるのはわずか57ヘクタール。一方首都では年間37,980人が鬼籍に入り、30,249人が都内埋葬され、1,375人が火葬され、6,356人が首都外に埋葬場所を求めている、という統計がある。
そのため都庁は首都外に遺体を埋葬する都民に対して補助金を与えることにし、2005年会計予算内にその補助金支出項目を設けた。補助金は墓穴ひとつにつき15万ルピアで、都庁埋葬局がその補助金手続を取扱う。同時に従来都内の墓地では、墓穴を掘って都有墓地を利用することに対して課金を徴収していたが、今回の補助金交付を機にIIIAクラス以下(貧困層)に対する課金も廃止することを決めた。墓地利用に関する課金はすべて廃止したいが、ボデタベッ地区住民がただでさえ余裕のない都有墓地での埋葬をしにきてもらっては困るので、一部の課金は継続する、と都庁側は述べている。
ところで、埋葬課金の一部廃止に関連して、これまでも不法徴収金の温床になっていた公共サービス課金の見直しが進められており、48種の課金項目は公共サービス、事業サービス、特定許認可の三カテゴリーに分類して存廃の検討が行なわれている。駐車課金や海砂採掘課金は検討チームが廃止しないことを決めたが、埋葬課金の一部、貧困層への輸血血液供給課金、サッカーコート使用課金などは廃止される方向。


「ダブルKTP防止に、住民マスターファイルと指紋管理」
KTPを作る都民のデータは今後マスターファイルに記録され、新規発行KTPには本人の指紋が表示されることになる、とアブドゥル・カディル都庁市民登録住民管理局長が語った。マスターファイルは同局が管理し、都内の各役所でKTP手続きがなされる際にコンピュータによるコントロールを行ってダブル発行を防止していく。同名であれ別名であれ、一人の人間が複数枚のKTPを持つのは本来できないことになっているが、実態はその通りになっておらず、最近はかえって複数枚発行が増加しており、そしてそれを利用した犯罪が増える傾向にある。期限の切れたKTPの延長手続きを面倒がる者は、悪徳職員に金を渡す通称テンパッ(tembak)を行って新たなKTPを入手するが、犯罪の意図を持たなくともこれはKTPの二重発行にあたる。都庁はそのような二重発行ができないシステムを構築して今後は運営していこうとしている。
最近、東ジャカルタ市ラワマグン地区で不法KTP作成を商売にするグループが摘発されたが、かれらは役所と無関係にKTPを偽造するのでなく、現行のKTP発行システムを弄んで二重KTPを作るということを行っていた。[ 2005年3月31日 ]


「結婚・宗教・国家」
結婚は神聖なることがらであり、加えてムスリムはさらにそれを宗教上の勤めと位置付けている。結婚は宗教生活を含めたわれわれの生活の中でたいへん重要なものだ。それゆえインドネシアのムスリムは結婚に際して、宗教的にも正当、国法に対しても正当、となることを望んでいる。そのため1950年代末からイスラム政党は、結婚問題に関してイスラム法に則った法令を制定するよう闘って来たが、成功していない。
1973年、国会開発職能会派はイスラム法をまったく無視した結婚法案を提出したが、イスラム政党やイスラム民間団体はそれに反対し、諸イスラム有力者のスハルト大統領に対する説得で、イスラム法に矛盾する条項は削除されて、結婚に関する1974年第1号法令が日の目を見ることになった。その後イスラム法集成(KHI)の告知普及に関する1991年第1号大統領指令が出された。このKHIは結婚・遺産・公共物の三分野に区分され、宗教判官が問題を裁き、またムスリム一般がイスラム法の励行をするための手引きとされた。1990年代末以来、KHIはジェンダーパースペクティブ、プルーラリズム、デモクラシーなどにそぐわない決まりがたくさん含まれているとの批判が多くのイスラム知識人から出された。ここ数年、KHIを大統領指令から法令に引き上げることが提案されており、その関連で宗教省ジェンダーメインストリーム作業グループがKHIのカウンターリーガルドラフティング(CLD−KHI)を検討しているが、CLD−KHIが提案したことがらに対してインドネシアウラマ評議会は宗教大臣に対し拒否する書状を提出しており、激しい議論が闘わされている。問題のCLD−KHI提案中の16か条に対して、ムスリマ科学者国際評議会に所属する知識人たちは宗教大臣にその提案を撤回させるよう要請し、次に女性への暴力反対国家コミッションは宗教相に対して、その撤回書を取り消すよう迫っている。ここでは宗教法の中での見解の相違について述べるのでなく、結婚問題に関する宗教の領分と国家の領分を比べて見てみたい。


異宗教間結婚
CLD−KHI提案の中で議論を呼んでいるもののひとつは異宗教間結婚の許可だ。この問題はイスラムの歴史の中で古くからひとつのテーマを成していた。基本的にウラマ層の見解は三つに分かれている。ひとつは、ムスリムと非ムスリム間の結婚は、唯一神を信仰しない者であろうと一神教の系統にあるアフルルキタブの者であろうと、絶対禁止というもので、これは男女を問わない。二つ目は条件付で認めようとするもので、ムスリム男性とアフルルキタブの非ムスリム女性の結婚だけは認めるが、ムスリマはアフルルキタブであっても非ムスリム男性との婚姻を認めないというもの。三つ目は男女ともにムスリムと非ムスリムの結婚をすべて認めようというものだ。インドネシアでは二番目の考え方が有力になっている。
ムスリマと非ムスリム男性との婚姻を頻繁に目にするが、かれらはKUAや市民登録事務所で結婚することが出来ないし、役所側も決して受け付けようとしない。その結果、かれら(お金のある者だけだが)は外国で結婚し、そのあとで市民登録事務所に登録する。だからムスリマに対する異宗教間結婚の禁止は女性を欄外の位置に置き、貧富の差による差別を政府は行っているとの批判が投げ掛けられている。この問題に関してわれわれはその中身を吟味して態度を決めなければならない。ほとんどのウラマやイスラム教徒は、ムスリマと非ムスリム男性との結婚は禁じられていると考えているが、容認する人も一部に居る。ムスリマの中には、非ムスリム男性との結婚は本人の基本的人権の問題に関わっており、他人が禁止できることではない、との意見を表明する者もいる。だが基本的人権を尊重し、差別を拒否するわれわれも、異宗教間結婚を許可する法律を作ることは出来ない。1974年第1号法令には、結婚は宗教の決まりに則しているかぎり、それは合法であると記載されている。そのためにKUAでの結婚ができないのだ。異宗教間結婚を許す法令を作ることは、その種の結婚を否定するムスリム大半が信ずる宗教の決まりに対する国家の干渉となる。宗教法の見地からの可否見解は本人の個人的な権利となるものであり、それがもたらす家族問題、罪等々の結果は国の問題でなく個人の問題なのだ。それを尊重する方法は、そんな異宗教間結婚の登録が市民登録事務所で行えるようにすることである。今それが行えないのは、1974年第1号法令にそれが違反していると見られているからだ。やはり市民登録事務所で登録ができない結婚とは、儒教、スンダ教、信心他宗派など政府公認宗教外のひとたちの結婚だ。
市民登録に関する法令のドラフトがいま煮詰められているが、そこでは異宗教間であれ政府非公認宗教であれ、インドネシア国内が行ったすべての結婚の登録を許可しようとしている。この法案が国会で早急に審議されることをわれわれは期待している。結婚登録に関する条項に関して、激しい論争が展開されるにちがいない。基本的人権を謳う層はこの法案に賛成するだろうが、宗教(イスラム)法を優先するひとびとは反対するだろうから。

ポリガミ
CLD−KHIの他の提案のひとつはポリガミの禁止だ。アルクルアンの文章では結婚原理がモノガミであることが意図されており、それゆえポリガミは禁止されなければならない、というのがその理由だ。現実にもポリガミの悪い結果があまりにもたくさん世間で実証されており、だからポリガミは法令で禁止されなければならないとの主張なのである。
わたし自身はポリガミ信奉者でないが、その提案には賛成できない。確かにイスラム教はポリガミを命じていないが、禁止もしていない。もっとも優先されるべきなのはポリガミを行わないということだ。実際、ポリガミが悪い結果を示している実例は多いが、夫にポリガミを許し、妻たちも仲良く暮らしているポリガミファミリーが、数は決して多くないにせよ、存在することも事実なのだ。
ポリガミは本当は、それを満たすのがたいへん重く、困難な条件が付けられて許されている。つまりポリガミとは、ある緊急事態からの解決の道であるとも言える。ところがあまりにも多くの男たちが、緊急事態でないというのにポリガミを行っているのを目にする。だから必要なのは、ポリガミを行う男に厳しい条件を課すことだ。そして違反への罰も厳しいもの、多分体刑が必要だろう、にしてそれを厳格に必然性を持って実施することだ。
もしポリガミ禁止を法令化するなら、これもイスラム法で禁じていないことを国家が禁止するという、国家の介入をもたらすことになる。そのようなことはCLD−KHI作業グループメンバー自身が反対していることではなかったろうか。ポリガミを拒否する効果的な方法は、イスラムは基本的に結婚はモノガミを指向しているのだという認識をムスリム層に周知させ、道徳観を高めることによって行われるべきではないだろうか。−ICMI中央執行部議長サラフディン・ワヒッド[ 2005年4月 ]


「異宗教間結婚」
サラフディン・ワヒッドの論説には、異宗教間結婚に関してウラマ層は三つの見解を示していると記されている。その三つ目は、ムスリムと非ムスリムとの婚姻はムスリムの男女双方に対して許されているというものだが、それは正しくない。女性ムスリムが非ムスリム男性と結婚することを許すウラマはいるのだろうか?今現在に至るまで、それを許すウラマはひとりとしていない。わたしがここで言うウラマとは、正しい方法論に基づいてイスラム法を判断する際に考証能力を持つ本当のウラマを意味している。フィキスンナ内のサイッサビッは、ムスリマと非ムスリム男性との結婚をハラムなものだとすべてのウラマが合意したことを断言している。イスラムの歴史において、その点に関して異なる意見は存在しない。男がイスラム教を信仰しない限り、ムスリマとの婚姻はハラムなのである。
アルムハラ第7巻の中でイマム・イブヌ・ハズムが物語っている。あるとき、ハンザラビンビシュルが自分の娘をまだクリスチャンである甥に娶わせようとしていることをカリフのウマルビンハタブが耳にした。カリフはハンザラに要請した。その男がイスラムに入信するならその結婚は進めてよいが、男が入信を嫌がるなら、その二人は別れさせろ、と。男がイスラムに入信を拒んだので、ふたりの結婚は取り止めになった。サイディナ・ウマルビンハタブの厳格な姿勢はアルクルアン、ムンタハナの書第10章に基づくものだ。「さあ、信仰心を抱く者たちよ。信仰心を抱く女たちが汝のもとへやってきたとき、汝はその信仰心を試すのがよい。アラーにはそれがよくわかる。だから女たちが本当に信仰心を持っているかどうかが汝にわかったら、汝は女たちを非ムスリム(の夫)のもとに返してはならない。その女たちは非ムスリムにとってハラムなものであり、また非ムスリムにとってその女たちは同じようにハラムなものなのだ。」
イスラム界はその点に関して一致した見解を抱いている。イスラム会議機構は世界人権宣言第16条1項にある「成人した男女は、人種・国籍・宗教に制限されることなく結婚し家庭を築く権利を有する。結婚に関する同じ権利、結婚している間、結婚を取り消したあとも男女は同じ権利を有する」との条文を拒否する覚書を公表している。その覚書には「ムスリムとしての固いアラーへの信仰とイスラム教徒としての宗教的団結を伴った両者の合意にもとづくもの以外の結婚は公正とされない」と謳われている。ハムカ博士はこの問題に関して、「自分がムスリムである限り、その人権宣言条文は受け入れることができず、それを受け入れるためにはイスラム法に従わないか、もしくはイスラム法を凍結するしか方法がない」とかつて書き記している。だから女性ムスリムと非ムスリム男性の結婚を容認する意見を持つウラマがいるという見解は、宗教上の決まりを破る者が共同体の中に必ずいるということがらをごちゃ混ぜにしたものだ。賭博、不倫、豚肉を食べる、といったことがハラムであるのをみんな知っているし、過ちのない人間を殺すのは大きい罪であることも誰でも知っている。しかしそれでも多くの人間が禁を犯している。大勢がハラムを犯しているからと言って、それがハラルになると言うのだろうか?

魔のサイクル
もし世俗的、多宗教的、男女同権的な基本的人権論理が、ムスリム女性と非ムスリム男性間の結婚を公認するために使われるなら、ホモセックス問題のようなリベラリズム悪循環に陥ることになる。西洋諸国でホモセックス問題は社会を揺さぶるモラル問題になっている。キリスト教会においてさえ、ホモセックスのモラルの限界を定めるのに一大論争が繰り広げられている。ホモセックスはどの宗教も何百年もの間、穢れた破戒行為であるとの刻印を押してきたのに、いまやそれは基本的人権として尊重されるべき人間的行為であるとして容認されるようになっている。西洋諸国でのホモセックス問題の展開は興味深いものがある。いまやキリスト教界の著名人や知識人もその考え方を支持する方向に変わっており、教会指導部はその圧力に押されている。
聖書の中では、ソドムとゴモラの民に神が与えた罰が物語られている。キリスト教徒は、その民を神が滅ぼしたのはホモセックスが原因であることを知っている。教会指導部は長期に渡ってホモセックスの否定を続けてきたが、それに反対する知識人たちもさまざまな新説を打ち出してホモセックス行為を公認させようと努めてきた。西洋社会の生活の中でひとつの新しい実態が進展してくると、宗教保持を好まない世俗派はそれを時代の流れとして肯定するために、さまざまな理由を付けて宗教の教えを読み替えている。ホモセックスがモダンライフスタイルとして認知されつつあるがために、教会はキリスト教が固陋であるとの焼印を押されないように、そして現代社会に受け入れられるようにと、その教えを変えて行く。

方法論
イスラム法問題は、イスラム法(ウスフル・フィキ)を定めた際の方法論を用いてアプローチされなければならない。新たなフィキを作る努力は、最初に科学的分析を用いて行ったイマム・シャフィイの方法論を破ることから始められることになる。だから、ムスリム層はイマム・シャフィイが作ったフィキ思想に縛られ、その檻の中のゆりかごで気持ちよくしているという意見はイマム・シャフィイを賤しめるものだ。イマム・シャフィイはもっとも聡明なウスフル・フィキ構築者ではあるが、そのゆえにおよそ12世紀の間、フィキの思想は発展を妨げられてきたということをわれわれは忘れている。シャフィイがウスフル・フィキの枠組みを築いて以来、ムスリムフィキ思想家はかれの方法論に金縛りにされてきた、とヌルホリス・マジッは書いている。
誰でも新しいウスフル・フィキの書を構想してかまわない。シャフィイ以後の偉大なイスラム思想家たちはさまざまにフィキの書を著したが、イマム・シャフィイのウスフル・フィキの権威をすべてが認めている。家庭という分野のイスラム法を、ウスフル・フィキの構想として誰でも提出してほしい。そして能力ある専門家やウラマを招いてその内容を吟味しよう。そのような科学的風土と方法論が伝統として育てられないなら、出てくる意見はろくなものにならないだろう。あらゆる分野にわたるイスラムの学術的伝統はクオリティの高い科学的討議で満ちている。誤解あるいは無理解でそんな伝統が棄てられてしまうのは残念だ。 = ISTAC−IIUM博士過程アドリアン・フサイニ[ 2005年4月 ]


「KTP作成手続き」
KTP(住民証明書)は17歳以上のすべての国民に所有が義務付けられている。その作成に必要な条件と作成手続きは下のようになっている。
KTPの作成は居住地を管轄する町役場(Kantor Kelurahan)に申請する。その際に必要な資料は;
1)RT(隣組長)とRW(字長)からの案内状
2)KK(家族登録書)のフォトコピー
3)2x3センチサイズの白黒顔写真2枚
4)Akta Kelahiran(出生証明書)
5)SBKRI(インドネシア共和国国籍証明書)
6)前の居住地からのSKPPB(転居報告証明書)
7)外国人の場合はSKPPT(定住者登録証明書)
手続きは下の通り。
a)新規KTP作成者は、町役場の定める書類を持参する。
b)町役場は書類をチェックする。
c)申請者はKTP申請書に記入する。
d)町役場の担当職員がKTP原簿に記帳する。
e)申請者はKTP申請書にサインする。
f)申請者は県・市が定めた作成料を支払う。
g)地元住民管理局が、KTP申請を受領し、チェックする。
h)住民管理局がKTPを発行する。
i)申請者がKTPにサインする。
j)申請者は6〜10日後にKTPを受け取る。[ 2005年4月 ]


「国籍法とイミグレ法の改訂を」
Aliansi Pelangi Antar-Bangsa(国際プラギ連合)をはじめいくつかの民間団体は、去る5月11日に国会立法院で開かれた公聴会で結婚法、国籍法、証人保護法などに関する提案を開陳した。その中で国際プラギ連合(APAB)は、結婚に関する1958年第62号法令とイミグレーションに関する1998年第9号法令が45年憲法、1984年第7号法令、基本的人権に関する国連宣言に違反しており、同時に時代の変化に適応していないとしてその早期改訂の必要性を訴えた。
APABが求めているのは、国籍・イミグレーション・遺産相続人・遺産の四ポイントにおける男女同権を実現することであり、また女性差別的法令の解消と混交結婚の外国籍夫・妻・子供へのインドネシアでの労働権確立だ。二重国籍をまったく認めず、子供の国籍に父系主義を取る国籍法と、インドネシア人の母から生まれた子供を外国からやってきた外国人と同じように扱うイミグレーション法のために、実に多数の混交結婚家庭に難しい問題が課されてきた。母親は外国籍の子供に対する養育権を自動的に持つことができず、子供は国立学校に入学できず、インドネシアで働くこともできない。しかし国籍が違うということが、母親が子供を養護しない理由になるわけもなく、そのために故意でない法律違反がいくつも発生している。
APABは、二重国籍を認めること、婚姻関係もしくは血縁関係をインドネシア人と持つ外国人に永住権を与えることでそれらすべての問題は解決する、と提案している。国籍法とイミグレーション法がその内容を包含すれば、参政権は得られなくとも混交結婚家庭は安定した生活を営むことができる。永住権を持っていれば、離婚や死別でインドネシア人伴侶との関係が切れても、訪問ビザから居住許可に切り替える手続きを行うといったことから解放され、あるいは少なくとも居住手続きの困難が減少し、また企業スポンサーを持たずとも居住し、働くことができ、労働法で規定されている外国人勤労者としてのさまざまな義務から解放される。
インドネシア人の外国籍夫・妻・子供がインドネシアで居住するために必要な手続きは10件あり、一方インドネシアで働く外国人が居住に必要な手続きは14件あるそうだ。APABの調査では、世界198ヶ国が二重国籍に関する法令を持っており、その中で53ヶ国は無条件で承認し、15ヶ国ではさまざまな条件が付されている。37ヶ国は二重国籍を認めていないが混交結婚の外国籍夫・妻・子供に対する永住に便宜をはかっており、15ヶ国は無条件で二重国籍を禁止している。[2005年5月16日]


「結婚するには、たいまい払って役人をセリ落とし」
KUA(宗教役所)は宗教省の下部組織であり、地方自治体の中に置かれていて末端行政における宗教関連事項を取り扱う。といっても、ここで宗教と言っているのは、国民大多数が信仰するイスラムのこと。非イスラム者にとっては、KUAとの接点はないに等しい。そんなKUAの存在がもっともイスラム者国民にクローズアップされるのが、結婚のときであるにちがいない。イスラム者の結婚はKUA職員列席のもとに行われなければならず、そうしなければ結婚証明書(buku nikah)が発行されない。KUA事務所で行えばその問題はたいした困難をもたらさないが、実際には自宅やモスクで行うケースが大多数だから、プンフルと呼ばれるKUA職員は出張訪問の方が多くなる。
中央ジャカルタ市に住むジャックとカルティは、結婚証明書を出してもらうための費用は8万5千ルピアのはずなのに、50万ルピアの寄付金を要求された、と不満を述べる。同じ日に何組ものカップルが同じ地区で結婚するときは、その寄付金が100万ルピアに跳ね上がるそうだ。KUA職員の数に限りがあり、そして一人が一日に回れる場所が限られているため、高い金額でセリ落としたカップルが優先される。そんなKUA職員とのネゴが時間の浪費と精神的にやりきれない鬱屈をもたらすため、多くのカップルはそんな手続き込みの結婚式パッケージをオーダーするようになっている。結婚式パッケージサービス業者は雨後のたけのこのように増えており、不能率汚職行政が仲介サービスビジネスを生み出すというこの経済効果は決して小さいものではないようだ。
結婚申請に家族登録書(KK)や住民証明書(KTP)などの書類は不可欠だ。ドニは中華系の女性と結婚するにあたって、それらの書類を調えるのにたいへんな努力を余儀なくされた、と物語る。郡役所では中華系の人々の行政手続きが差別されており、公定課金の10倍を要求される。ドニは結局ふつうの人よりたくさんの金を使って愛するかの女とゴールインしたが、必要とされる書類を調えるのに、チャロと呼ばれる仲介者のサービスを利用した。市民が直接自分で行政手続きを完了させるのがたいへん困難で、役人があえてその困難を作っている状況であるがゆえに、市民と行政との間に立って手続きを行う仲介者の存在意義が出現するのだ。いま都内には数百軒の仲介サービス業者がおり、かれらは役人との間になんらかのコネクションを持っていて、市民が仲介サービス業者に支払う料金は業者と役人との間でシェアされている。[2005年5月]


「出生証明書」
首都ジャカルタ都民の出生証明書は、都庁住民管理市民登録局市民登録次局(Suku Dinas Catatan Sipil, Dinas Kependudukan dan Catatan Sipil DKI)つまり市民登録事務所(Kantor Catatan Sipil)が行政事務を扱っている。そしてそこで証明書を発行してもらうための公定費用はわずか5千ルピア。国民がその権利を国から保障してもらうための出生登録に金を払わなければならないのかという本質的議論は別にして、いまのジャカルタで5千ルピアというのはそうたいへんな金額ではないと言える。今都内の多くの病院や産院では、出産費用の中に出生登録を含めているところが多い。だがそこで請求される金額は10万から15万ルピア。たいていの人が、公費は5千ルピアと聞いて驚く。
出生証明書(Akta Kelahiran)は、学校への入学、勤労者が扶養手当を求めるとき、就職、遺産相続権手続き、奨学金を受けるとき、恩給・年金手続き、パスポート発給、KTP発行から生命保険手続きまで、さまざまな手続きに必要とされる。現行の出生登録手続きの基礎となっているのはオランダ時代の法令で、1849年第25号法令、1917年第130号法令、1920年第751号法令、1933年第75号法令に従っている。出生証明書には三種類あり、一般証明書(Akta Kelahiran Umum)は誕生してから60労働日以内に作成されなければならないとされている。外国人の場合は厳しくて、その期限が10労働日以内となっている。出生登録は親の居住地で行われる必要はなく、子供が出生した場所の県庁もしくは市庁にある市民登録事務所に届け出ればよい。その届出に必要な書類は、病院、クリニック、保健所、助産婦、保健師、お産ドゥクン、船長、航空機長、列車機関士などが発行した誕生証明書、両親のKTPとKK、結婚証明書(surat nikah/akta perkawinan)のフォトコピー。外国人であればパスポートやイミグレ関連の書類ということになる。届け出がなされてから7労働日以内に出生証明書が支給される。誤解してならないのは、両親に渡される出生証明書というのは原本の抄本であり、原本は登録を行った県・市の役所、もしくは州レベルの役所に保管されること。抄本が失われても、登録された市民登録事務所で発行の申請ができるが、その際には警察の紛失証明などが必要となる。この再発行された証明書には再発行であること、先に発行済みの書類は無効であることなどが記載される。
名前の変更も出生登録に関連して手続きがなされる。名前の変更を求める場合、市民登録事務所に申請し、それが受理されれば既に発給されている出生証明書に名前変更の内容が追記されることになる。
出生届の遅延は、特に非プリブミや外国人にとって出生証明書発行手続きが大変厄介なものとなる。その際なされるのが特殊出生証明書(Akta Kelahiran Istimewa)手続きで、両親の居住地を管轄する国家法廷(pengadilan negeri)に訴えを起こし、民事法廷の判決を得なければならない。それを済ませた上で州レベルの市民登録事務所に一般出生証明書に必要な書類をそろえて申請することになる。
プリブミで届け出の遅延があった場合は、特免出生証明書(Akta Kelahiran Dispensasi)手続きに入ることになる。必要書類は一般出生証明書の場合とほぼ同じだが、もしそれらの書類が調えられない場合でも、その子供がどこで生まれ、両親は誰であるということを声明する文書に居住地を管轄する町長(lurah)のサインをもらったものを提出すればよい。[2005年5月]


「財産に対する夫と妻の権利(上)」
人気あるTVプレゼンターのデウィ・マデ・フグスが夫のアフィンとの離婚訴訟を南ジャカルタ宗教法廷で起こした。その中で、ふたりが結婚関係にあった期間に蓄えられた共有財産の分配が問題になった。宗教法廷が出したフィフティ・フィフティの判決にデウィは不服を示した。アフィンが共有財産と見なしているものは、自分の稼ぎで得られたものだ、とデウィは主張した。結婚生活中も自分の方がはるかに多く働いており、夫は結婚後しばらくの間自分のマネージャーを勤めたが、そのうち止めてしまったともデウィは言う。決まりによれば、マネージャーはクライエントへの謝礼の10%を受け取る権利があることになっている。
しかしデウィの抗弁は判事団に受け入れられず、判事団は1991年イスラム法集成第97条にもとづいて、結婚生活中に蓄えられた共有財産の権利は半々であるとの判決を下した。「生別した寡夫婦は、結婚の協定内に合意されている場合を除いて、それぞれが共有財産に対し二分の一の権利を有する。」とその条にはうたわれているのだ。
国法では夫婦の財産に関して、婚姻関係が始まった後からその継続期間中に得られた財産は夫婦共有のものとし、一方、婚姻前に得て結婚生活内に持ち込まれたもの、および結婚生活解消後に取得されたものは持参財産(harta bawaan)と定義付け、その権利は本人にのみ帰属するとしている。また結婚期間中でも、遺産や贈与で夫婦の一方に与えられた財産はそれを得た本人の管理下に置かれるものとされている。もちろん、夫婦間でそれと異なる約束が合意された場合は、夫婦間の決め事が優先される。しかしイスラム法では家庭内財産に関して、フィキは所有権と使用権を区別しているという意見がある。それによれば、持参財産だけが夫婦の一方の所有に帰すだけでなく、結婚期間中に得たものも、それを入手したり買った側に所有権がある、と見なされる。その一方で、家庭内の資産は家族のそれぞれが使用する権利を持っているという使用権の概念が持ち込まれる結果、使用権の実行は所有権保持者の承認が必要と言う帰結が生まれる。たとえば家族の生活費として渡された金を別の目的に流用するのは、渡した者の同意を得なければならないといったことだ。しかしこのコンセプトは専業主婦にたいへん過酷な状況をもたらすことになる。外に働きに出られない家庭内執事では、何の財産も持つことができない。その補正としてイスラム法では、夫が家族を養う義務を負い、また妻は夫の収入の一部を要求する権利があると認められている。夫が生活費として妻に渡した金は妻の所有物となり、妻にはそれを自由に使う権利が生じるのである。エジプトやサウジアラビアでは、婚姻時に協定を交わす習慣になっており、そこでは夫はどれだけの生計費を妻に与え、また夫の収入のどれだけが妻の取り分になるのかが合意される。ただしそのおかげで、それらの国の男性は結婚しづらくなっているそうだ。
結婚に関する1974年第1号法令はイスラム法集成と同様、夫婦の共有財産に対する双方の権利は1対1と規定している。この決まりに従えば、夫に死に別れた妻は共有財産の半分をまず自分のものとし、さらに夫の取り分は遺産として分配されるので、妻はその8分の1も自分の所有物として得ることになる。生別の場合はデウィのケースとなり、また一方が行方不明になれば、その死亡が法律上で決まるまで財産分配は行えない。
男性優位の父権主義社会であるがゆえに、女性が経済的に損をするケースは数知れない。そのためにも、インドネシアの女性は婚姻前に財産に関する協定を作っておくべきだと女権活動家たちは口をそろえる。持参財産はどうなっていて、何が共有財産になるのか、生計費の義務はどうなるのか、それ以外に夫は妻にどんな財産を与えるのか、またそれらの財産の抵当権はどちらが持つのかなどといった事柄を文書にし、証人のサインを添えて作っておくべきだと言う。最近のように夫婦共稼ぎが多い場合、それでも妻はあくまで生計費を夫に出させ、自分が家事をしないことの代償として、自分の稼ぎで女中などの費用を負担する形が望ましいとのこと。また婚姻前の協定を作らなかった妻は、遠慮することなく夫に財産の一部を自分に贈るよう要求すればよい、ともアドバイスする。家や道具や、その他資産価値のあるものの一部を「わたしにプレゼントして。」とねだるのだ。これももちろん、文書化と証人が必要だろう。
結婚を至高の愛のゴールとしか見ていない青年たちにとって、実はそれが熾烈な経済の戦場に踏み込むことなのだという実態の想像すらむつかしいにちがいない。離婚の日を想像しながら結婚する者がいないのもまた同じことだろうが、しかし至高の愛に酔うだけでなく、醒めた意識で未来のあらゆる可能性に備えて置くのも大切なことだ、と女権活動家たちは弱い立場の女性たちに忠告している。[ 2005年6月 ]


「住民管理法案ただいま審議中」
住民証明書(KTP)の二重取得に対する罰則規定が住民管理に関する法案に盛り込まれ、内務省から国会に提出されようとしている。罰則はかなり重いもので、入獄2年罰金2千5百万ルピア。その罰則はKTPもしくはKK(ファミリーカード)を二つ以上作った者に適用される、と内務省地域間内住民移動次局長は説明する。住民管理法は近々制定され、2006年には施行にうつされることが期待されている。この新法令は住民管理書類のダブル作成を防止すること以外にも、住民の権利と義務、地方自治体の住民管理権限、市民登録事務所の職務などを網羅している。市民登録事務所では、国籍変更、養子、住所変更などの住民登録事務が扱われる。
政府は2003年度第94号大臣令で、KTP、KK、公証人証書登録簿、市民登録記録抄本などの書式を制定しているが、その全国展開は進んでおらず、全国440県の中でKTP全国フォームを使用しているのはやっと10県であり、29県市が最近になって導入を表明している。KTP全国版はオンライン方式で発行されるもので、中央政府はその推進を図るだけであり、地方自治体がハードウエアをそろえてその運用を行っていくことになっている。証書発行は全国を受け持つ印刷業者がひとつ指定され、その業者はデータ秘密保持からアスパルが作られない様にブランクフォームの管理を行わなければならない。
全国版KTPプログラムでは住民データの秘密保持のために何層ものコントロールがかけられる予定。一方、貯えられたデータは総選挙投票者登録、国税総局の徴税基礎データ、移民局や警察などの国家機関によって利用される予定になっている。[2005年6月]


「コンパス紙への投書から」(2005年6月27日)
拝啓、編集部殿。去る5月の出生登録費用が5千ルピアとの記事に興味を持ち、わたしはまだ生後一ヶ月の子供の出生証明書を作るべく、ブカシ市市民登録事務所に出かけました。病院からの誕生証明書、両親のKTPとKK、結婚証明書、そして手続き費用、とすべての条件をそろえて出かけたのです。
わたしを受け付けてくれたのは薄茶色の制服を着た職員(胸に名前はついていません)で、部屋に入るよう進められました。その部屋の表示は「結婚」となっていたので、ちょっと変に思いましたが、その職員は満面に笑みをたたえて愛想良く、そこが出生登録手続きの仕事場であることを信じさせようと努めるのです。そして手続き費用は7万ルピアだと10労働日かかるが、10万ルピア払えばその日の午後2時には証明書ができると言いました。プリントするだけだから、と。
最初その悪徳職員は、いくらでもいいから手付金を出すよう要求しましたが、わたしは2万ルピアでやってもらえないかと交渉しました。すると費用は7万か10万で、今すぐ現金でもらいたいと言うのです。タワルムナワルの折り合いがつかず、結局その職員はわたしが持参した書類を返して、よく考えなさいと言い残して去りました。
もちろんわたしはよくよく考えました。役所で自ら書類手続きをするよりも、あの腐った欺瞞だらけの愛想笑いを目にするよりも、病院の仲介サービスを利用するほうがマシであることを。もしわたしにそれだけのお金がなかったら、私の子供は国民としてのアイデンティティが持てないまま一生を送ることになるのでしょうか?
ただプリントするだけなのにプンリの金額に3万ルピアの差をつけて10日も先延ばしするのはいったいどういうことなのでしょう?悪徳職員はただ座ってタバコをふかしているだけなのに、ただプリントするだけの仕事すらできないのでしょうか?安く出生証明書を発給すると宣伝している政府の企画は、どうやら不可能なようですね。[ ブカシ在住、テニーG ]


「固定化された夫婦の地位と役割を突き崩す」
インドネシアでは、夫と妻の地位が法律で定められている。婚姻に関する1974年度法令第1号第31条で夫は戸主であると定められており、そして妻は第34条に従って家庭を最上の状態に調える義務を負っている。そのことの帰結は、夫は生計の糧を手に入れて妻子を養う義務があり、そして妻は家庭を置いて外に働きに出ることは許されないといったことがらだ。妻を家庭内の執事にしておくためにも夫は働かなければならないのだが、現実はそれほど単純なものではない。働きたくても働き口のない夫は数知れず、さらに自分は働く気のまったくない夫も決して少なくない。そのため仕方なく外で働く妻は夫のアシスタントとしてそうしているのだから、一人前の勤労者とは見なされず、勤労者としての正当な扱いが受けられないケースが多い。
男優位の父権主義社会だから、女の仕事とされていることがらには決して手を出そうとしない夫たち。男優位の父権主義社会だから、女は男に仕えるものだとして、妻を常に下風に位置付け、酷使し、虐げる夫たち。それが嵩じて、自分は働こうとせず、妻が家庭を置いて稼ぐために外に出るのを当たり前とする夫もいる。
テレビのゴシップ番組でも夫と妻の問題が次から次へと登場する。あるテレビ女優は夫との離婚を法廷に訴えた。もう一緒に暮らすのはいやだという。別の女性シンガーは、夫の粗野な対応のせいで離婚を訴えたし、別の女性アーテイストは夫との同居を拒んで実家へ戻った。夫婦間問題の多くは、古典的な理由が原因をなしている。夫が働いていないか働いていても妻の収入の方がはるかに多く、言ってみれば妻の働きで養われているのに、自分は妻より上のポジションに居座ろうとする。中には自分の稼ぎで買ったものをすべて夫の名義にして夫を立てる思慮深い妻もいる。かの女は定められた夫と妻の地位に従って、妻の稼ぎは夫を手助けするだけのものという姿勢を示しているのだが、夫婦の関係が行き詰まって離婚に向かったとき、それまでの善意が裏目に出てたいへん厄介な問題に発展するケースもある。
強度の父権主義文化を持つジャワでは、妻が夫に完璧な奉仕を行わなければならない。それが優れた妻であり、世間で賞賛される妻の値打ちとなる。何も悪いことはしていないというのに、夫が妻を突然離縁することも起こりうる。妻は自分の夫への奉仕が足りなかったことをかみしめ、黙り、黙りこくり、自分が夫の望むように仕える能力に欠けていることを全身全霊で受け止める。このような社会で夫と妻が家庭内の仕事を対等に行おうとすれば、夫は『おかま』『男じゃない』といったレッテルを貼られるのを覚悟しなければならない。そんなレッテルはかれらを共同体内の異端分子であり低級な人間という位置に置くため、他の共同体メンバーから侮蔑や蹂躙を受けることを余儀なくされる。女の仕事である家政と男の仕事である公の場における稼ぎとの間には深い優劣が刻み込まれ、大きいウエイトの差が生じている、と法律家で女権活動家でもあるヌルシャハバニ・カチャスンカナは論じる。それに従ってパブリックとドメスティックの間にも大きな価値の差が生み出され、そこに男女対等、男女同権の意識と理解を持ち込むのは、たいへんな大仕事だ、とかの女は言う。
自分で働かず、あるいは妻の何分の一にも収入が満たない夫たちに、妻に対する家庭内暴力の傾向が高いのは、そのような社会的観点が背景をなしているためだ。男は女より優れていなければならないのに、そして戸主として妻子を養うことで共同体内でまともな男としての評価が与えられるものなのに、現実は妻が稼ぎ妻に養われている。そんな夫の心理の底では、筋肉と暴力を使ってでも自分が妻より優位に立たねばならないという強迫観念が渦巻いているのだ。
夫の妻への愛情によって、夫が妻の行う家庭内の仕事を手伝うということが起こりうる。それが男女対等のひとつのモメンタムだ。男女対等が確立されることによって父権主義が突き崩されて行き、そして女性を束縛し、虐げてきたさまざまな価値観が覆される日が間近いことを、女性たちは期待している。[ 2005年7月 ]


「お腹にいる子を養子に」(2005年7月5日)
19歳のスシ・ルスティオワテイにお産の日が近づいている。そんなある日、スシにかなりの出血があったため、かの女はカンプンランブタン・バスターミナル近くの自宅からチプトマグンクスモ病院に運びこまれた。産科医師の診断では、へその緒が産道をふさいでおり、手術しなければ母子ともに危険だという。病院側は手術の準備に入っているが、手術費がどうなるのかはっきりしない。病院側はスシの夫、エファン・スティアディ25歳に貧困家庭証明手続きを行うよう奨めているが、手術予定日の7月6日を前にして夫はいまだにその証明書を病院側に提出してこない。その証明書があったとしても、帝王切開手術の申し込み手続きに1百から2百万ルピアの保証金が必要とされている。しかし定職がなく、公共交通機関のソピルテンバッ(正規運転手に代わって運転する闇ドライバー)で毎日をしのいでいる夫のエファンにそんな金はない。病院側は証明手続きのためにスシのKTP(住民証明書)をプマランからジャカルタに移すよう奨めているが、エファンはそれだけのために12万5千ルピアを用意しなければならない。仲介屋に払う金だ。
何をするにも金なしでは済まないジャカルタにあふれかえっている定職を持たない人々にとっては、日々の糊口をしのぐのに精一杯。低所得層の日常生活は、わずかな収入でもあれば回っていくようになっている。ジャカルタにはそんな二重三重の経済構造が存在しているのだ。しかし病院のような中から上の所得層を対象とする機関と関係を持たなければならなくなった下層のひとびとにはなすすべもない。スシの夫も、その資金繰りに手を上げてしまったのかもしれない。
スシは自分の出産にこんな問題がからもうとは思ってもいなかった。結婚前に女中をして貯めた60万ルピアという金をスシは持っていたが、夫の親が田舎で病院に入ったためにそれに回した。いまスシの貯えはなく、そして夫が持ち帰る金は日々の暮らしの中に消えていく。スシは決意した。このお腹の子供は元気で生まれてきてほしい。この子が生まれるための費用を負担してくれたら、この子をその人の養子にしてもいい。自分の最初の子供だけれど、自分が育てなくてもかまわない。入院後、スシのそんな事情を病院で耳にした子供のいない婦人がひとり、養子にしてもよいと申し出た。ところがスシの手術等にかかる費用を確認したあと、戸惑いが生まれた。生まれた子供を見てからにしたい、と言い出したのだ。
チプトマグンクスモ病院の副看護婦長は、7月6日で胎児が36週間になるから帝王切開手術ができる、と語る。同病院の患者で貧困家庭の場合は、都庁が定めた保健カードもしくはAskes(健康保険)を持っている必要があり、それがない場合は貧困家庭証明手続きを行うことが条件とされている。通常の帝王切開手術だと350万ルピアかかるが、その手続きを行えば病院側の配慮で費用は大きく軽減される、とのこと。いまだに費用がどうなるかわからないスシは、それを考えると夜も眠れない、と語っている。


「財産に対する夫と妻の権利(下)」
結婚生活における夫婦の共有財産に関連する法規は、1974年第一号法令「婚姻法」と1991年に編成されたイスラム法集成(Kompilasi Hukum Islam)がベースになっている。
婚姻法では第7章で結婚内での財産について触れられており、共有財産関連の条項は次のように記載されている。
第35条
1)結婚内で入手した財産は共有財産(harta bersama)である。
2)夫婦間で特に取り決めをしていない場合、夫と妻それぞれの持参財産(harta bawaan)および遺産や贈与でそれぞれが入手した財産は、その本人(個人)の支配下にある。
第36条
1)共有財産は、夫または妻が両者の合意にもとづいて処理することができる。
2)それぞれの持参財産について、夫と妻は自分の財産に対する法律行為を行うための完全な権利を有する。
第37条
離婚のために結婚関係が終了したとき、共有財産は夫婦それぞれの法に従って処理される。
一方、イスラム法集成では結婚内の財産について第13章でまとめられており、共有財産関連の条項は下のようになっている。
第85条
結婚内共有財産の中に、夫または妻個人が所有権を持つものが存在する可能性がある。
第86条
1)基本的に、夫の財産と妻の財産は結婚ゆえに混合されるものではない。
2)妻の財産が妻の権利であり、妻がそれを完全に支配することは変わらず、そして夫の場合についても同様である。
第94条
1)ふたり以上の妻を持つひとりの夫の結婚内共有財産は、各夫婦で独立しており、それぞれが個別のものである。
2)上の第1)項で述べた夫について、それぞれの夫婦の共有財産は第二、第三、第四の結婚儀式が行われているときに計算される。
第96条
1)結婚が死別となったとき、共有財産の半分は残された者の権利となる。
2)伴侶が行方不明になった夫または妻の共有財産分割は、行方不明になった者の実質的死亡あるいは宗教法廷の判決にもとづく法律上の死が確定されるまで保留されなければならない。
第97条
生別の離婚となった夫と妻は、結婚の協定で別の合意がなされていない限り、共有財産に対してそれぞれが二分の一の権利を有する。
[ 2005年8月 ]


「ジャカルタでの埋葬」
首都ジャカルタでは、一日平均100人から110人が死亡している。そして住民のマジョリティを占めるムスリムは、教えに従って土葬される。土葬には広い墓地が必要だ。首都では条例によって、都が管理する公共墓地以外での埋葬が禁止されている。だから都内には民間の墓苑など存在しないし、ましてや家の裏庭に埋めることもご法度なのだ。
都内には公共墓地が95ヶ所あり、575ヘクタールの土地を占有しているものの、絶対量が不足している。そのため都庁埋葬サービス事務所(Kantor Pelayanan Pemakaman)はいろいろな対策を行っている。用地取得や造成、抱き合わせ埋葬、埋葬用地使用許可(izin penggunaan tanah makam)の延長抑制、そしてタングランやブカシへの協力要請などといったものだが、いずれも決め手に欠ける。首都外では民間業者が墓地を用意して販売や賃貸を行っている。たとえば西カラワンのトゥルッジャンベにあるTaman Memorial Graha Sentosa。東ジャワのパスルアンでは地主が自分の土地を中国人墓地用に販売している。しかし首都では公共墓地を三年間借地するという方法でしか、遺体を埋葬することができない。
抱き合わせ埋葬は、限られた墓地の利用効率アップだが、それが受け入れられる文化と受け入れられない文化がある。墓穴は長さ2.5メートル、幅1.5メートル、深さ1.5メートルを超えないこととされているが、借地者が了承すれば、その墓穴にもうひとつの遺体を埋める、というものだ。借地者は、そのもう一体がファミリーである限り、同じ穴にもうひとりが入ることを了承している。その場合は、既に埋まっていた遺体を掘り起こし、まだ残っている骨をカファン布で包み直して、別の遺体と一緒にもう一度埋めるという作業が行われる。しかしこの抱き合わせは、膨大な数にのぼる墓穴の10%に満たない。埋葬用地使用許可の延長がなされなければ、その墓穴は明渡されて別の遺体がそこへ入ることになる。しかし埋葬サービス事務所の話では、半分以上の借地者がその延長を行っているそうだ。埋葬用地使用許可は三年間の期限で、それが切れるとすぐに延長しなければならない。1999年第三号条例で、墓穴は9つのブロックに区分され、AA1ブロックは最高級で使用許可に10万ルピア支払わねばならない。一番安いA6ブロックは4千ルピアだ。そして貧困階層向けにはA7ブロックが用意されており、その使用許可は無料となっている。貧困者はそのための証明書を町役場で作ってもらわなければならない。無料ではあっても、霊柩車をはじめとするサービスは有料の者と変わらない。また、抱き合わせ埋葬の場合は、使用許可が25%引きになる。
埋葬の際の手続きは、下のようになっている。
1)死亡届をRT、RWそして地元Puskesmas(保健所)に提出して、遺体検査証明書(Surat Keterangan Pemeriksaan Jenazah Model A)を発行してもらう。
2)遺体検査証明書を地元町役場(Kantor Kelurahan)に提出して、死亡証明書(Surat Keterangan Kematian)を発行してもらう。
3)死亡証明書を提示して、最寄の公共墓地(Tempat Pemakaman Umum)に埋葬場所を要請する。
4)もし公共墓地側が受け付けるなら、墓穴の場所を選ぶことができる。
5)公共墓地で埋葬用地使用許可発行手続きを行い、三年間の用地借地料金を納めたら、埋葬用地使用許可証を入手できる。しかし用地借地料金は、公定金額とは大違いのものになっている。埋葬用地使用許可証は三年後にまた三年間の延長をすることができる。
都内でまだ余裕のある公共墓地は下の通り。
1. TPU Pondok Rangon (56.5ha) Tel 8447546 Jl Pondok Rangon, Cipayung, Jaktim
2. TPU Pondok Kelapa (41.2ha) Tel 8643334 Jl II, Naman Pondok Kopi, Duren Sawit
3. TPU Kampung Kandang (21.6ha) Tel 7889161 Jl Raya Ciganjur, Jagakarsa, Jaksel
4. TPU Semper (57.5ha) Tel 4400707 Jl Budi Darma, Semper Timur, Cilincing
5. TPU Tegal Alur (64.2ha) Tel 5550912 Jl Kamal Raya 1A Tegal Alur, Kalideres, Jakbar
民間墓地
1. Taman MemorialGraha Sentosa, Jl Raya Teluk Jambe, Wanajaya, Teluk Jambe, Karawang Barat
2. Pemakaman Gunugn Gadung, Near Perumahan Rancamaya, Gunung Gadung, Cipaku, Bogor Selatan
3. Pemakaman Giritama, Desa Tonjong, Bojong Gede, Parung KM35, Kabupaten Bogor
葬儀社
1) Yayasan Budhi Dharma Bhakti, Jl Agung Tengah 7 No 1 Blok I-6 Sunter Agung, Jakut
2) Yayasan Santo Yusuf, Tel 6248238 Jl Mangga Besar VIII, Jakut
3) Yayasan Bunga Kamboja, Tel 7940212 Jl Pasar Minggu 19, Jaksel
4) Yayasan Tabita, Tel 4530971 Jl Gading Indah III NF-1/20 Kelapa Gading Permai, Jakut
5) Yayasan Amal Penguburan Elim, Tel 5480490 Jl Aipda KS Tubun II/39, Jakbar
6) Yayasan Cendana Bhakti, Tel 3580716 Jl Tanah Abang 1, Jakpus
7) Yayasan Naga Sakti, Tel 6683338 Jl Pluit Raya 2, Jakut
8) Yayasan Palang Hitam, Tel 3850251 Jl Tanah Abang 1, Jakpus
9) Yayasan Jabar Agung, Tel 5664436 Jl Tubagus Angke 49, Jakut
10) Yayasan Rumah Duka Pemakaman Pluit, Tel 6693392 Jl Gedong panjang 47, Jakut
[ 2005年8月 ]


「混交結婚と国籍問題」
いまや混交結婚は国内のさまざまな場所や階層にまで行きわたっている。情報・経済・教育・移動など広範なグローバリゼーションの結果、混交結婚とは金持ち外国人とインドネシア人との結婚だという固定観念は崩れつつある。
Indonesian Mixed-Couple Clubが2002年に行ったオンラインサーベイ結果は、回答者574人中の95.2%が外国人男性と結婚したインドネシア国籍女性だった。相手との出会いの最大多数はインターネット、次いで仕事やビジネス仲間、休日の出会い、学校友達、ペンフレンドなどというのがカップルのなれそめ。中には海外出稼ぎ者が別の国から出稼ぎに来た異性と、と言うケースもある。
首都の市民登録事務所資料では、2002年から2004年までの間に878件の混交結婚婚姻登録がなされており、94.4%が外国籍男性と結婚したインドネシア国籍女性になっている。これは全国の数字でもなく、またKUAでなされた混交結婚も含まれていないが、ともあれ、インドネシア国籍女性が混交結婚の主役になっていることが、それらの数字からわかる。ところがインドネシアの法規は、決してインドネシア国籍女性にとって優しいものにはなっていない。国籍に関する1958年第62号法令の第8条(1)では、女性は混交結婚の結果国籍を失い、子孫にも自分の国籍を継がせることができない。これまでも、混交結婚した母親と実子の間で国籍が異なるために、さまざまな困難をインドネシア国籍女性は忍んできた。母親は子供の社会文化訪問ビザ(visa kunjungan sosial/budaya)手続きを行わなければ、実子とインドネシアで暮らすことができない。このビザ取得手続きのために、発給申請費用、在外インドネシア公館でのビザ取得のための交通宿泊費(申請から取得まで2稼働日)、帰国してからの入国届出、毎月のビザ延長手続き、外国人居留届出、そうして6ヵ月後に新規滞在許可申請、そして再びビザ取得のために三日間の出国などの費用と時間を費やさなければならない。それらの手続きを知らず、あるいは怠った場合、子供はオーバーステイの違反に問われ、子供の強制出国措置や母親に対する不法滞在外国人を隠匿したという刑事上の罪がかぶされることにもなる。
そのためにもし夫の国に住む場合、子供との国籍の違いから仕方なく子供の国籍に帰化することをインドネシア国籍女性は余儀なくされる。夫との生別死別が起こっても、その方が母親のステータスが保証され、子供と共に暮らすための法的保護が受けられるからだ。口さがない世間では、「外国籍が取れるって良いじゃない?」と軽く言うが、生まれ育った国籍を捨てるということは、そう単純なものではないだろう。
今検討が進められている国籍法改正法案の中で、混交結婚で生まれた子供の国籍に多少の変化が生じようとしている。婚前契約で定めた父もしくは母の国籍が子供に与えられることになるという条文だが、この婚前契約というものを持ち出してくるのはいったいどういう意図なのだろう?公証人と法律行政者が新たに関与する道を開くこの内容は、まず情報の社会告知問題にさらされるだろうし、意図を持っていても時期を失すればもう取り返しがつかない事態を招くかもしれない。大半の先進国で取り入れられている未成年二重国籍方式がどうして行えないのか、夫がそれを実施している国から来ている多くのカップルは、自国政府の固陋さに歯がゆい思いを向けている。[ 2005年9月 ]


「住民管理行政はまだまだ低レベル」
インドネシアでは2.2億国民の8割が無国籍者であり、杜撰な国の住民管理のおかげでアジアの19位に位置付けられている、とユニセフ児童保護コンサルタントが語った。コンサルタントが言っているのは、国民としてのベースとなる出生証明書を持っている個人がそれだけしかいないという意味。マレーシアでは国民の98%が出生証明書を持っているという事実と比べれば、まるで正反対だ。いくつかの理由がインドネシアをそのような状況にしている。手続き内容と役所のサービスが複雑であること、費用に割高感があること、管理が中央集権的であること、そして国民にそれが重要なことだという意識があまりないこと。
費用に関しては、全国一律でなく地方ごとで違っており、地方自治体課金収入の一項目とされていることから、行政が負っている住民管理義務と見なすよりも公的収入としてフォローされる傾向が強い。これまで市民登録に関する法令がなく、全国的な住民管理行政が希薄だったために、いま住民管理法案が準備されつつあり、内務省内での煮詰めが進められている。
インドネシア国民は市民登録に関する理解が他の国と違っている、とコンサルタント氏は言及する。インドネシア国民一般は、市民登録行政が国民の行動をオーソライズするものと見る傾向にある。一方他国では、冠婚葬祭といった市民個人の履歴を届け出て公的に記録するという見方の方が強い。たとえば結婚は、市民登録事務所に届け出れば記録される。インドネシア人はたいてい、政府に記録されたということはオーソライズされたことだと考える。その考え方は宗教省が取り扱う結婚にまるごと当てはまるが、市民登録事務所に関してもその延長線上でとらえている。しかし本質は単に届を記録するというものであり、承認云々は別問題だ。
出生届についても、10種類ものさまざまなサポート書類が要求され、その中には隣組長の手紙をはじめ、結婚証明書といったセンシティブなものまで要求されている。結婚証明書を持たない夫婦の間にできた子供、あるいは結婚していない両親から生まれた子供は、出生証明書に「私生児」あるいは「婚外出生児」などという言葉が記載される。社会的にそれらの言葉が意味するものは、インドネシアであまりにもネガティブな烙印であり、あえてそのような恥辱を身にまとってまで出生証明書を持ちたいと思う親子がいるとは考えにくい。国民は出生証明書を持つことおよびそのプロセスから得られるメリットとそれを持たないことでのデメリットを天秤にかけて、結局それを作らないことのメリットを追求しているのが実態で、そこに住民管理行政が杜撰であるということの意味が置かれている。[ 2005年9月 ]


「2006年2月からKTP発行メカニズムが変わる」
内務省は、2006年2月から国民のKTP(住民証明書)とKK(家族登録書)の発行は各県市の住民管理市民登録局が行うようになる、と公表した。ジャカルタについては、住民管理市民登録次局長が市長名で発行することになる。
実際の運用について内務省住民管理総局長は、ジャカルタ以外の県市では郡長(camat)が県市住民管理市民局長の合意署名のもとに署名し発行することになり、またジャカルタは町長(lurah)が住民管理市民登録次局長の合意署名のもとに署名発行する、と語った。しかし古いKTPやKKから新しいものへの切り替えは、一斉に行われるのでなく、古いものの期限が来たときに順次新しい手続きで発行されるようになる。二重三重にKTPを持っている人は、その中の一種類だけが延長され、その他のものは期限がきても延長されない。ダブル・トリプルKTP保持者は、全国住民データベースが整備された時点で違反者として処罰対象になる。
インドネシアには6千ヶ所のKTP・KK発行窓口があり、情報一元化ができていなかったときはその監督がほとんど不可能だったために、二重・三重KTPが可能になっていたが、そんな状況はいつまでも続かない。犯罪者が複数のKTPを持って巧みに官憲の捜索から逃げおおせていた時代は過去のものになる、と同総局長は述べている。
これまで、国民のKTP所有率は65%、市民登録登記書は15%に過ぎなかったが、全国民をデータベース化する中で、その比率が大きく向上することが期待されている。[ 2005年9月 ]


「国籍法改定案」
政府と国会が国籍法の改定を検討している。現行の1958年第62号法令は国籍を父系血統システムに結び付けており、妻と母親の側に様々な不合理が生じている。男女同権が実現していないこの法制度の下で、外国人男性と結婚したインドネシア人女性は夫の立場が変化することによって自分の家族生活に大きい影響を受けることを余儀なくされる。一方インドネシア人男性と結婚した外国人女性も、インドネシア国籍となった子供と引き離されるのを怖れて、家庭内暴力を甘んじて受けているケースが少なくない。
改定法案検討委員会に対する意見提案を目的にした女性の権利擁護活動家や団体が、弱い女性の立場から国籍に関する法制度が本来どうあるべきかについて声を発している。女性を守る国家立法プログラム活動網(JKP3)が問題視し、その変更提案を掲げている条項は下のようなものだ。
第2条(d)「双方が婚姻契約の中で子供の国籍選択を二重国籍を生じないでイ_アとする旨表明している外国籍の父とイ_ア国籍の母から生まれた子供は」という条文は「イ_ア領土内に5年以上継続して居住しあるいは断続的に10年居住している外交官でない外国籍の親からイ_ア領土内で生まれた子供は、その子供が親の国籍に従うことを親が表明しない場合」と変更されるべきで、国籍原理を出生地主義とするコンセプトから国は子供の権利に対する保護姿勢を強めることになる。不法滞在者の増加を抑えるために、この原理はイ_アで働き収入を得ている外国人の親から生まれた子供に限定される。外交官は外交特権を持っているため、その子供の出生地国籍取得を求める権利がない。
第19条(1)「イ_ア国籍の母と外国籍の父が離婚した場合、そのふたりの間に生まれた子供の養育を母親に委ねる判決を判事が下せば、母親は大臣を通じてイ_ア共和国大統領に対し、子供のイ_ア国籍取得を申請できる。」という条文は取り消されるべきで、その理由として離婚が個人の国籍に影響を及ぼしてはならない。婚姻の中で得られた国籍は本人が自分の意思で放棄する場合を除いて、状況が変わっても維持されなければならない、と説明している。
第26条(1)「外国籍の男性と結婚したイ_ア国籍女性は、男性側の国法が婚姻によって妻が夫の国籍に入ることを規定している場合、その女性はイ_ア国籍を失う。」(2)「上記(1)項の女性がイ_ア国籍を維持したい場合、大臣あるいはその代理者もしくは女性の居所を管轄するイ_ア共和国在外公館経由で大統領宛にその意思を表明する文書を提出することができる。」という条項も廃止されるべきで、これはインドネシアの司法権から外れたものであり、個々人の法的独立性にそぐわないからだ、との説明。
また第8条には外国人のイ_ア国籍取得条件が規定されているが、その内容は実態とあまりにもかけ離れたもので、自己矛盾を含んでおり、できないことをしろと言っているようなものである、とのコメントが出されている。条文には「外国人は15年間継続的にあるいは20年間断続してイ_アに居住し、定収入と職業を持っていなければならない」と記されているが、現行の労働関連、イミグレ関連の法規によれば、イ_アで働く外国人は専門家でなければならず、会社に雇用されるのが普通。会社は3年から5年でその雇用者から技術を移転させなければならない。イ_アへやってくるとき、かれは既に専門家になっているのだからきっと三十代だ。そしてイ_ア人女性と恋に落ち、結婚する。時期が来ればかれは会社との関係が終了し、国へ帰るかイ_アに残って別の雇い主を探すかの選択に迫られる。職が得られず、でも妻子と一緒に暮らしたいとなると、訪問ビザでの滞在延長を繰り返すことになるが、経済的にはたいへんだ。よしんばそうしたとしても、訪問ビザでの滞在が居住年数に数えられることはなく、継続的に15年間居住するという条件を満たすのは至難のわざとなる。すると断続的に20年というチョイスしか残されていない。そのようにして20年を送れば、かれの年齢は50代に入っており、定収入と職を持つという条件を満たせる者は減少する。これでは、与えると言いながら受けられる者はほとんどいない、という規定を定めているようなものだ。
インドネシア政府法務省は二重国籍について、原則反対ではないものの、外国人の不正利用を容易にする点に考慮しなければならないとコメントしたが、JKP3側は、今現在そうなっていないというのに、外国人がたくさんインドネシアを不正なことがらに利用しているではないか、と切り替えしている。[ 2005年10月 ]


「訪問客宿泊届出制度が復活」
テロリスト都内潜入対策として、従来から定められている外部者宿泊訪問届出制度を励行するよう、首都警察長官が新たな規則として制定しなおした。首都警察長官規則2005年第1号として出されたこの規則は、都民の生活環境保安を目的とするもので、11月16日から施行されている。フィルマン・ガニ首都警察長官は17日から首都警察組織内の政治社会部長と住民秩序治安育成庁へのオリエンテーションを開始し、そのあと、この住民管理行政の遂行について警察支所長、警察分署長へと段階的にオリエンテーションが進められていく計画になっている。
住民の家庭を訪問して宿泊する外部者に関して、宿泊させる家庭と宿泊する外部者に関するアイデンティティを届け出るというのがこの規則の主旨。届出のタイミングは外部者の来訪から24時間内だが、14日間のトレランスが与えられる。また外部者の訪問同居は90日間が限度とされている。届け出データは、名前、出生地と生年月日、性別、結婚ステータス、宗教、学歴、職業、住所、国籍、血液型、指紋など。訪問客自身も末端住民行政管理者に対して顔を見せなければならない。首都警察長官がこの規則を出す必要を感じたのは、バトゥに潜伏していたドクトル・アザハリのデータを末端管理者が少しも把握していなかったことが明らかになったためで、ましてやアザハリは外国人であることから、ホテルなどの宿泊施設であれ、それ以外の場所であれ、居所を明らかにするために外国人管理手続き上、Aモデルフォームによる届出が必要とされている。つまり地元の住民行政管理者はその職務を怠っていたことになる。
この規定は、実は何十年も前からインドネシアに存在していたもので、実施が十分になされておらず、むしろ忘れ去られる傾向にあったことから、首都警察はあえて新たな規則として復活させた、と首都警察広報部長は説明している。届出を怠った住民は、宿泊させる家庭と末端管理者の双方に罰則が適用されることになる。この罰則は、1946年第1号法令第515条516条、2004年都条例第4号第51条、そして外国人に対してはイミグレーションに関する1992年第9号法令第60条(1)項などの規定にもとづいて、下されることになる。[ 2005年11月 ]


「住民手続遵法作戦」(2005年12月7日)
南ジャカルタ市市民登録住民管理課が行っている住民遵法作戦で、住民手続を正しく行っていない者が今年既に2,853人摘発された。この作戦では、同課が首都警察、行政警察、裁判所、検察局と共同で住宅密集地区を戸別訪問し、住民ひとりひとりに書類提示を求めるという取調べ活動が展開されている。摘発された者はその違反内容によって軽犯罪告訴がなされ、裁判所の判決で34,203,500ルピアの罰金が徴収されている。ムハンマッ・ハッタ同課長によれば、この作戦は下宿や借家だけを対象にしているのでなく、もっとも最新の作戦ターゲットにはパンチョラン郡カリバタ町字05番が選定され、一斉戸別調査する形で作戦が繰り広げられた。この地区はさまざまな業種のホームインダストリー中心エリアになっており、大勢の雇用者がその地区に滞在している。中でも最も外来者が多く滞在していたのはRT13で、縫製業に雇われている上京者が一番多かった。この地区には年間6百から8百人の上京者が居住しているものと見られている。同じように上京者を雇用しているホームインダストリー密集地区は、南ジャカルタではスティアブディ、西ジャカルタはパルメラ、ジュランバル、クブンジュルッ、北ジャカルタはワラカスなど各所に点在しており、市当局の作戦ターゲットの上位に置かれている。
他にも南ジャカルタでは北チプテ地区で行われた地元民に対する指導育成の際に、問題のある外国人がひとり摘発されている。この者は恒久居住許可証(KITAP)に居住地がチネレとなっているものの、暫定居住許可証(KITAS)ではカリバタに居住していることになっている。


「抱き合わせ埋葬に関する都庁広報」
1.遺族はRTとRWに報告した後、保健所(Puskesmas)に届け出て遺体検査証明書(Surat Keterangan Pemeriksaan Jenazah Model A)を発行してもらう。
2.遺体検査証明書を町役場(Kantor Kelurahan)に提出して、死亡証明書(Surat Keterangan Kematian)を発行してもらう。
3.親族でない場合は、遺体を同葬する墳墓の遺族もしくは責任者からの許可状とまだ有効な埋葬用地使用許可(izin penggunaan tanah makam)を添付する。
4.事務手続きを終え、正規課金の25%を支払うと、遺族は抱き合わせ埋葬用地使用許可(IPTM Tumpangan)を入手できる。
埋葬用地使用課金(3年分)−都条例1999年第3号
ブロックAA1: 10万ルピア、 ブロックAA2: 8万ルピア、 ブロックA1: 6万ルピア、 ブロックA2: 4万ルピア、 ブロックA3: 2万ルピア、 ブロックA4: 1万ルピア、 ブロックA5: 6千ルピア、 ブロックA6: 4千ルピア、ブロックA7: 無料
[ 2005年12月 ]


「コンパス紙への投書から」
拝啓、編集部殿。2005年9月20日、わたしは西ジャワ州インドラマユの宗教法廷に、夫に対する離婚の訴えを提出しました。法廷書記官は申請費として75万ルピアを納めるよう命じました。領収書がもらえないのでわたしはその支払いを拒否し、出納係りに直接払いたいと言うと、書記官は怒ってわたしを二時間ほどほったらかしにしました。そのあとわたしは勇気をふるって出納係りのところに行き、窓口で支払うので書類を通してくださいと頼み、58万3千ルピアほどを支払ってそのプロセスを通りました。
11月13日、法廷で初公判の日、わたしは領収書のない費用4万ルピアをS書記官に納めました。S書記官は次回公判に20万ルピアを持ってくるようわたしに命じました。11月28日、わたしがS書記官に対面すると、奇妙なことにその人はいくら持って来いとわたしに命じたのか覚えておらず、金額をわたしに尋ねるのです。
わたしは忘れたふりをし、その人はわたしの書類をあれこれひっくり返してから、わたしに14万ルピアを払わせました。わたしが出納窓口でそれを納めると言うと、S書記官はわたしの書類が判事に渡らないと脅かすのです。わたしはそれに負けないで意思を通し、待合室でほかにだれもいなくなるまで待ち、最後に法廷に入って判決を受けました。判事はわたしに夫への賠償金1万ルピアと名目のよくわからない金24万3千ルピアを納めるよう命じましたので、わたしはまた領収書のもらえない金の支払いを拒否しました。その結果わたしはふたたびほったらかしにされ、そのまま現在にいたっています。インドラマユ宗教法廷の行政手続にはたいへん失望しています。
インドラマユ宗教法廷に申請する前、わたしはKUA(宗教役所)の悪徳職員に二度もだまされました。毎回80万ルピアも騙し取られたのです。インドラマユ宗教法廷では、わたしは一度も費用の総額についてはっきりした金額を聞くことができませんでした。毎回尋ねるたびに、次回の費用はいくらいくら、と言うだけなのです。それが本来のシステムなのですか?あといくら納めればわたしのケースは終了するのでしょうか?
わたしははっきりした支払い証憑が出されるなら、費用がいくらかかろうとそれを惜しむ気持ちはありません。夫に何年も置き去りにされ、身も心も暮らしの糧を与えられていない妻であるわたしと同じ運命の人たちは、いったいどうなのでしょうか?こんなふうに手続で搾り取られるどころか、日々の糧にさえ困っているのではありませんか?[ インドラマユ在住、タントリアニ ][ 2006年1月 ]


「公共サービスは依然劣悪」(2006年1月16日)
都庁の住民管理行政は国民サービスの条件をまったく満たしていないというサーベイ結果が報告された。シビルソサエティのためのインドネシアインスティチュート(INCIS)によれば、町役場で行われている住民サービスはプロフェッショナル性に欠け、貧困者に対して差別的であり、すべての国民が国・政府から優れたサービスを同じように受ける権利を持っているという原理が無視されている、とのこと。町役場でのKTP(住民証明書)、出生届、死亡届など住民管理のためのサービスに、たばこ銭を渡さなければ手続が進まない。金額は1万から10万ルピアの間だが、富裕層にとってはした金のそんな金額でも、貧困者にとってみればその日の糧が奪われることになりかねない。住民行政の末端に位置する町役場でそんな情況であれば、国が正しい公共サービスを行っているとは言い難い、とのINCISのコメント。公共サービス改善が急務であるのは、そのような貧困者に対する差別的な扱いが貧富間の階層格差に対する反発を煽り、ハイコスト経済を招き、手続を仲介者に頼ろうとする傾向を育むからで、とりわけ国民の政府に対する不信と緊張を育て、インドネシア国民としての誇りを蝕む結果になるためだとINCISは力説している。国会は政府と共同で公共サービス法案審議に入るが、この法令で、公共サービス提供義務の保証、サービスの標準化(時間、手続、費用の確定)、サービス提供の中で国民が権利を阻害されたときの告訴メカニズムなどが定められることになっている。
行政機構効用改善担当国務省公共サービス担当デピュティは公共サービス改善に関して、組織機構、人材クオリティ、業務手順、監督などの面で改善を行わなければならないが、公共サービスが低劣なまま32年間放置されてきたためにドラスチックな改善は困難であり、時間をかけて推進していかなければならない、と述べている。


「子供に二重国籍を認める方向性」
国籍法改定案の国会と政府間での検討が進められているが、国籍の異なる夫婦の間に生まれた子供に二重国籍を認める方向性が強まっている。二重国籍を認める場合、血統主義だけでなく出生地主義をも平等に取り込まなければならないため、子供の二重国籍が法律で認められるようになれば、インドネシア国籍者夫婦から出生地主義国で生まれた子供に対しても二重国籍が認められるようになる。国会改定国籍法案審議特別委員会の中で政府と委員会が協議してきた内容では、その二重国籍容認の色が強まっているが、最終的にその通りの内容で成立するかどうかは、国会総会を経るまでまだわからない。
同委員会のスラメッ・ユスフ・エフェンディ議長は、8日に行われた政府人権法務省との作業会議の冒頭で、この法案の精神は既存法規が持っている差別を解消させることにある、と語った。国籍問題に関連してもっとも差別的な状況を作り出しているのが在住華人問題であり、オランダ植民地時代からインドネシアに代々住み着いてきた華人がインドネシア独立以後受けてきた政府からの処遇がいまだに尾を引いている部分がある。華人系イ_ア人は従来からSBKRI(インドネシア共和国国籍証明書)の提示がさまざまな行政手続きの場で要求されてきたが、華人系イ_ア人がすべてその取得手続きをクリヤーしているわけでもなく、インドネシア語しか話せず、インドネシア文化しか知らない華人系イ_ア人でありながら、SBKRIがないために出生証明書もKTPも作れず、結婚証明書すら持たない人々が少なからず存在している。そんな状況に終止符を打とうとしてグスドゥル大統領時代に行政手続きにおけるSBKRI提示の義務付けを解除する指示が出されているものの、現場段階ではいまだに多くの役所がその指示を無視している。
今進められている国会特別委員会での検討の中で、インドネシア国籍を取得する帰化手続きのプロセスが煮詰められており、華人系無国籍者も含めて今後は従来あった帰化手続きを踏む必要はなく、人権法務省への帰化申請手続きが通れば、大統領からの決定書を得てインドネシア国籍者と認定されるプロセスが提案されている。その場合、申請が承認されるか却下されるかは三ヶ月以内に確定することになる。[ 2006年2月 ]


「ロンボッの結婚・離婚」(2006年2月2日)
中央ロンボッ県クテ村のバスリは妻サレハと離婚した。サレハは東ロンボッ県クラユ村の実家に戻り、そして再婚した。それから十数年がたち、バスリとの間にできた娘ルスナも年頃になってきたある日、バスリの親族が家にやってきてサレハの夫に娘のルスナを妻に申し受けたいと申し入れたのにまず驚いた。更にルスナの夫になるのは誰か、との問いの返事がバスリだと聞いて、サレハは肝をつぶした。前夫が自分の娘を妻に望んでいる!だがそれは、バスリが知らないために起こったことだ。バスリとサレハは離婚したあと、完全に音信が途絶えた。前の妻が連れ帰った自分の娘のことは、バスリの記憶の中にうっすらとしか残されていない。幼児のイメージしか残されていないわが娘と、いまや女として花開いているルスナが同一人物であるということは、バスリの想像を絶することだったにちがいない。夫婦が離婚すると、夫が妻に財産を分け与えないことも頻繁で、それどころか妻が実家に連れ帰ったわが子の養育費用すら出さないケースの方が多いロンボッで、ルスナが体験したようなことはときおり発生する。離婚すれば妻子の生計への責任も消滅する、と考えられているため、離婚したあとの夫婦が子供を仲介要素として連絡を保ち続けるケースは稀にしかないことから、父親はたいてい成人した自分の娘のことを知らない。娘も出生証明書を持っておらず、自分の周囲の人間から父親が誰かということを聞かされていなければ、父と娘の婚姻は起こりうる。そして実際に起こっているのだ。
現代の慣習から見れば、ロンボッの婚姻風習はとてもルーズなものと映る。男に20万ルピアの金があれば、妻を得ようと簡単に考える。ロンボッでは、結婚の意志を持ったカップルはラリッ(rarik)を行う。イスラム法で律せられているロンボッの生活慣習の中で婚姻は、基本的にイスラム式のコンセプトと形式が確立されているが、その中に慣習法も生き残っている。ラリッとは駆落ち結婚のことで、夜中に他家の娘をその自宅から逃げ出させたあと、社会的にその二人を夫婦として認めさせる手続を踏んだ上で、新しい世帯の誕生を祝う風習がいまだに残されている。本来ラリッとは、他家の娘を妻に要望するブラコッ(belakok)、婚約を申し入れるヌナリ(nenari)という手続を踏んだあと、ふたりの結婚の意志実現に障害が発生したときの最後の手段として認められているものだが、最近ではラリッが安易に使われている、と村の乙名たちは語る。学校に行っている娘、パサルに買い物に行っている娘が、まるでかどわかされるかのようにラリッされるということが実際に起こっているのだ。ある若者は、結婚相手の候補者が四人いる。そのうちのだれと結婚するかは、まだはっきりしない。ただ、四人の相手と約束しているのは、ラリッに成功したら妻にする、ということだけ。しかし、この若者は両親と同居していて固定収入などなく、結婚費用の用意すらできていない。
イスラム法に則った婚姻手続では宗教役所が関与し、プンフルが娶わせる儀式が終われば結婚証明書が出される。本来はラリッであっても、最終的に宗教上の婚姻手続が踏まれるべきなのだが、最近はブラコッやヌナリの途中で手続が中断し、いつまでも時間がかかって待ちきれない、あるいは途中で取りやめになるのではないか、などと不安になったカップルがラリッで夫婦になった場合、役所で用意した結婚証明書が引き取られないことが起こる。ある役所には、引き取られないまま放置されている証明書が15通もある。住民管理制度啓蒙に努めている民間団体コーディネータは、ロンボッの夫婦の7割が結婚証明書を作っていない、と推定している。夫婦が結婚証明書を持っていなければ、その子供たちは自動的に出生証明書を持たないことになる。それらの法的管理を受けていなければ、離婚が起こったときに妻子にしわ寄せが行くことになる。法廷が財産分与命令を出すこともありえず、子供への扶養命令も出ない。そして海外出稼ぎや海外実習の機会を得ても、子供たちはパスポートを作ることすらできない。もちろん、出生証明書のない者に対する救済措置はあり、証人が宣誓して作る出生認知証明書がその代用を果たせることになっているとはいえ、それらの書類の完備は、住民が国民としての権利を保護されることに関わっているために、国民の国に対する権利保護要求の意識の低さのバロメーターであるとも言える。
ロンボッでは、そのように簡単に婚姻ができ、そして容易に離婚が行われている。置き去り再婚(現代インドネシアの覗き窓ロンボクの置き去り再婚 参照)という言葉が示すように、今いる妻子を置き去りにして、夫であり父親である男が別の女を妻にして所帯を持つことが社会的に認められているのだ。そのため、ある村では125人、別の村には197人というふうに膨大な数の離婚された寡婦がおり、20歳から40歳という生産的な世代の寡婦がほぼ半分を占めている。男性優位の面が強い宗教によって、夫からの三行半で離婚が容易に成立するという制度面での特徴とともに、容易に結婚できる風習のために夫婦の精神的成熟が高まらず、家庭内の問題対応が情緒的反応に終始し、最終的に家庭が崩壊するという精神面での弱点とがあいまって、ロンボッの結婚・離婚シーンを性格付けている。


「国籍法案国会審議で前向きの進展」
国会特別委員会と政府人権法務省が知識人や民間団体を交えて検討を進めている国籍法案の中に、何点かの前向きな提案が盛り込まれそうだ、とその審議会に参加している民間団体関係者が語った。そのひとつは、国籍の異なる夫婦から生まれた子供に、限定的に二重国籍を認めること。年齢制限についての検討はこれから行われることになるが、民間団体や人権活動家は年齢制限なしを提案している。また外国人のインドネシア国籍取得に関しても、今持っている国籍を放棄することなくインドネシア国籍が取得できる可能性について検討が加えられる。この二重国籍問題はインドネシア国籍者と結婚した相手方の外国人に対しても適用されるべきで、婚姻関係が持続している限り、外国籍者はインドネシア国籍も持てるようになるのがあるべき姿だ。ただし、国籍取得のための偽装結婚を防止するために、インドネシアに居住しなければならない最低年数や婚姻関係が継続している年数を、たとえば5年間というように設定する必要がある。
それらとは別にインドネシア国籍者が国外に出てから5年間連続して在外インドネシア公館に届出を行わない場合は国籍が失われるという法規に従って国籍を喪失しているインドネシア人の問題があり、この問題解決ならびに代々インドネシアに住み着いている華僑系住民問題とあわせてこの法案の中に盛り込まれるよう、国会特別委員会は審議を続けている。[ 2006年2月 ]


「ロンボッのラリッ」(2006年2月3日)
ロンボッ先住民ササッ族が今日まで伝えている駆落ち婚ラリッ。ラリッ(rarik)とはarik に由来する言葉で、arik はadik を意味している。日本の古代に置き換えれば、『妹子』に該当するものだろう。現代語に直せば妻となる。このラリッは、風習としての作法を持っていて、ササッ族のアダッに従えば、ラリッは単純にある家の娘をその家から連れ出すというだけのことではない。まず、その娘を娶りたい男がその娘を家から連れ出すのではなく、それは第三者が行わなければならないことになっている。その第三者は男に限らず女が行うことも稀でなく、女の場合はラリッのプロセスが終了するまでその娘の付添い役になる。次に、連れ出された娘をすぐに、その娘を妻に望む男の家に連れて行ってはならない。行く先は別の者の家で、できる限り社会的地位のある名士の家に預けることが好まれる。村長や村役、あるいは部落長などの家だ。ササッ族の風習では、思春期に達した男女は、異性を眺めたり、ましてや身体に触れるのはタブーとされており、年頃になって男女交際が始まっても、仲介者を置く習慣がある。そのため、ラリッされた娘を預ける場所が必要になってくるのだ。
娘をその自宅から連れ出して三日後に、男の親族から女の親族に対する交渉がはじまる。この交渉は、男の住んでいる村の村役から女の側の村役に対する調整が取られて、円滑さが図られる。まず男の一族がいつ訪問してよいかという日取りの相談が女の家族に投げ掛けられる。次に、男の一族から、娘の父親に婚姻の要請が出される。婚姻主宰者が決まると、結婚の誓いが行われ、続いてアダッに則った結婚の祝宴についての約束が取り交わされる。ソロンスラアジクラマと呼ばれる儀式に続いて、新郎新婦と新郎側のファミリーが新婦の実家を訪問するプログラムが行われ、その一行にはガムランやルバナの楽隊が随行して華やかなパレードを展開する。新郎新婦はたいてい、人が担ぐ輿に乗る。
この嫁取りの風習は最終的に、社会的に公認された形式を取る形で終了するため、ファミリー間の結びつきである婚姻という社会的性格が、その後の夫婦関係の維持と家庭環境の保護育成に強い影響を与えていた。ところが最近ではササッ族も物質主義や個人主義の影響を強く蒙っており、ファミリーベースの社会基盤が変質しはじめていて、安易な結婚と離婚、子供の養育を怠って子供労働者・ストリートチルドレン・義務教育ドロップアウトなどの現象を生む事態となっている。


「住民登録行政差別の撤廃を」
これまで国が認める宗教はイスラム、プロテスタント、カソリック、仏教、ヒンドゥだけであり、国民の婚姻はその宗教が正式と認めたものを国も認めるという姿勢が取られてきたために、印華人の多くが信仰する儒教は国が行う住民管理行政の外に押しやられていた。儒教者同士が結婚し、儒教司祭がそれを認めても、宗教という部分での前提条件が満たされていないため、行政はそれを否認してきたというのが実情だ。かれらの婚姻は認知されないために婚姻証明が行われず、その夫婦が生んだ子供の出生届をしても私生児とされるだけであり、それも母親が住民管理登録をしていたことが前提となるのであって、行政が国民として管理していない者が生んだ子供が登記される余地はどこにもない。
行政が行ってきたこの残虐な住民差別の撤廃を早急にはかるため、SBY大統領は今年2月4日の中国正月祝祭の日に、住民登録事務所に対して儒教信仰者の結婚登記を行うようにオーダーした。それを受けて内務大臣は2月24日付大臣回状第470/336/SJ号で各地方自治体首長に対し、住民管理書類の宗教項目に儒教の欄を増やし、儒教信仰者に対して住民管理行政サービスを行うよう要請した。
内務大臣は、法令第1/PNPS/1965号でインドネシア国民が信仰する宗教はイスラム、プロテスタント、カソリック、仏教、ヒンドゥ、儒教であることを宗教大臣が書状第MA/12/2006号で確認し、また宗教省は儒教司祭が執り行った婚姻は公認されると表明しているという二点をその回状の根拠として示している。
しかしインドネシア儒教高等評議会指導部は、いくつかの地方自治体で内務大臣の指示を行おうとしないところがあり、きわめて遺憾である、と発言した。バタムやポンティアナッでは大臣の指示に即した動きが始まっているが、スラバヤ、タングラン、西ジャカルタの市民登録事務所は儒教者の住民管理登録を行おうとしない、と同指導部は述べている。[ 2006年3月 ]


「ある混交結婚のケース(上)」
リアウ州ビンタン島のタンジュンピナンを故郷にするデシ31歳は、二十代のなかばにベルギー人のパスカルと結婚した。店員をしていたデシを西洋人の男がみそめ、デートが始まり、互いに相手を自分の伴侶にぴったりと思って結婚を決断したという、よく聞く話。甘い蜜月の時が流れ、パスカルはデシを連れて故郷に戻り、そして長男エドワードが生まれた。ところが数年して、パスカルはまたバタムにやってきた。言うまでもなくデシとエドワードを連れて。ところがパスカルの身辺に別の女が現れた。デシの知らないところで、パスカルは独身と偽って別のインドネシア女性と結婚したのだ。それを知ったデシは夫を警察に訴えた。警察はパスカルを四日間拘留し、パスカルが警察に妻子の生計を支えることを約束したため、デシは訴えを取り下げた。夫は釈放されたが、家庭崩壊・・・・・
混交結婚したインドネシア国籍女性には、そのとき担わなければならないもうひとつの重荷が肩に載る。離婚しても夫が生計の面倒を見、子供を引き取るのなら問題は何もないだろうが、そんなうまい話は何人にひとりだろうか?その後、パスカルのデシに対する対抗行動がはじまった。パスカルは、パスポート期限が切れそうな4歳のエドワードの新規パスポート申請を拒否したのだ。パスカルは帰国し、デシとの離婚手続きを進めた。しかしエドワードのパスポートを作ろうとはしない。このままでは愛しいわが子がインドネシアの不法滞在者となり、ベルギーに強制送還されてしまう。ベルギーの法律では、未成年の子供のパスポート申請には両親のサインが必要で、もし片親の場合は裁判所の許可がなければならない。デシは家も車も売り払い、ジャカルタに出てベルギー大使館に日参した。しかし法をまげることはできない。ベルギー大使館の好意は6ヶ月間の暫定パスポート発行までだった。
デシも離婚手続きを進め、同時に国家法廷にエドワードのインドネシアにおける養育権を申請した。そして避けることのできない余分な費用を使って、かの女は目的を達成した。だがエドワードが5年間有効な正規のパスポートを得るためには、ベルギーのブリュッセルにいる夫の側からの養育権承認が必要だ。ところがついに、デシの怖れていた事態がやってきた。滞在許可期限が切れて数日後、役人がやってきてエドワードの本国送還を言い渡した。デシはどうすればよいか途方に暮れ、あらゆる伝手を求めて走り回った。そして諸方面からの援助を得て、ベルギーまで行く代わりに、マレーシアのジョホールにあるインドネシア領事館で6ヶ月期限の文化社会ビザを得ることに成功した。更にブリュッセルの裁判所からも、デシにエドワードの養育権を認める承認が届いた。今エドワードはベルギー国籍パスポートとKITASを持って、母親のデシとタンジュンピナンに暮らしている。デシは言う。
「早くインドネシア国籍の母親から生まれた子供がインドネシア国籍を持てるようにしてください。親子でここで落ち着いて暮らしたいのです。外国籍だとあらゆることに期限があり、そしてさまざまな障害のためにいつ国外追放されるかと気が気ではありません。国籍法改定案で子供は両親の国籍が持てるようになると聞いています。わたしと同じような目にあっているインドネシア女性のために、一日も早く法律が改定されるよう望んでいます。もうひとつ政府にお願いしたいのは、インドネシア女性が生んだ外国籍の夫の子供に対する養育費用の責任を父親が怠りなく取るよう、厳格に対応してほしいと思います。外国籍の子供の滞在許可を得るだけでもたいへん費用がかかるのに、生計の援助さえないのでは母親はたいへんなことになりますから。」[ 2006年4月 ]


「ある混交結婚のケース(下)」
ララはアメリカ合衆国に行き、しばらくしてからその地で結婚した。相手はアメリカ人の男性で、一歳違いの子供をふたり作った。数年間その夫と一緒に暮らすうちに、夫が家庭をかえりみない人間であることがはっきりしてきた。夫婦喧嘩が頻発するようになり、心は離れ離れになってその間隙を憎しみが埋めた。家庭は安らぎのない氷原となる。赤児を連れて家を出たララは、女性保護シェルターに助けを求めた。望郷の念が何度もララを襲い、なかば破れかぶれになってかの女は決心した。暖かい家族愛に満ちたインドネシアに帰ろう。
夫がララの帰国に協力するはずもなく、この話を出せば反対するのは確実だ。ララはシェルターの役員に助けを求めた。赤児のための臨時旅券取得にシェルターは協力を惜しまなかった。ふたりの赤児の臨時パスポートは「ヒューマニズムのため」に発行された。夫には一言も計画を漏らさず、ララはふたりの赤児を抱えて空港へ向かった。
ジャカルタへ、そして家族の下へ帰ったララは、子供たちのインドネシア在住をアメリカ大使館に届け出ようとしなかった。なぜなら、夫に無断で子供を連れて国外に逃げ出したララの行動は、アメリカの法律に従えば誘拐犯罪に該当する可能性が高いのだから。しかし臨時パスポートの期限が切れ、子供たちの将来を考えたララは考えを変えた。ところがアメリカ大使館に子供たちのパスポート申請のために出かけたララを待ち受けていたのは失望だった。父親のサインのない、母親だけの申請では、パスポート発行は認められない。こうして今3歳と4歳になるララの子供たちはインドネシアで不法居住者となった。
ララには夫と離婚する意思はない。しかし夫の側がいつ子供を取り上げる手続きを起こさないとも限らない。ララはインドネシアに住むことを条件に、夫との関係を修復することにした。夫にEメールを送り、現状をすべて明らかにした上で自分がインドネシアで子供を育てることの承認を夫に求めた。夫はララに子供の養育状況を報告するよう義務付けた。ララは子供の近況報告を数ヶ月に一度、写真まで添えて夫にEメールで送っている。
しかし夫は子供たちのパスポート取得に協力しようとしない。パスポートがなければインドネシアにおける外国人滞在手続きがなにひとつできないのだ。不法居住者になっている子供たちに対するインドネシア政府の強制送還措置がララの次の不安になった。自分のようなケースに喘いでいるインドネシア女性を救済するための民間団体はインドネシアにないのだろうか?こうしてララがたどり着いたのはKPC Melati (母の手による混交結婚家庭)。この団体は、デシやララのようなケースを救済するための連絡活動を行っているが、今国会審議の最終段階に入っている国籍法改定プロセスでも、困っている女性たちの声を吸い上げて大きく膨らませる役割を果たした。他の類似の団体や女性保護団体などと協働して今年の2月には、混交結婚で生まれた子供たちが18歳になるまで両親双方の国籍を持てる二重国籍制度を容認する方針を国会に持たせることに成功している。[ 2006年4月 ]


「KUAの不法徴収金撲滅は掛け声ばかり」
都民が結婚するにあたって、ムスリムの新郎新婦はKUA(宗教役所)がらみで結婚式を挙げる。インドネシアの行政機構に例外のない不法徴収金がおめでたい結婚式の場にも顔を出す。都庁が決めた結婚に関するKUAの公式費用は13万ルピアだが、公式収入にならない闇の金が50万から60万ルピアも発生する。折に触れて宗教省高官がそのような闇の金を撲滅せよと発言するが、たいてい三日坊主で終わっている。中央ジャカルタ市サワブサール町RW04区内でRT(隣組長)を務めているコマルディン38歳は、隣組住民が結婚するときKUA職員を呼ぶと全部まとめて70万ルピアくらい金を取られる、と言う。今年6月に結婚を予定しているサムスディン25歳は、KUAに結婚手続き申請に行ったら、家で行うなら50万、KUA事務所で行うなら40万ルピアの費用が13万ルピアの他にかかると職員に言われたそうだ。サワブサール町役場のKUA職員は、結婚費用は一回60万から70万ルピアかかり、それは誰でも普通に支払っている金だと語っている。結婚手続きについては、カップルがまずRTとRWに届を出して町役場宛の案内状をもらう。それらの書状にKTPとKKのフォトコピーおよび2X3センチの顔写真を新郎新婦3枚ずつ用意して町役場のKUAに申請をする。この届は結婚式の15日以前に行わなければならず、その15日間に新郎新婦は予防接種や避妊注射など保健関連手続きを受けなければならない。KUA職員への結婚費用は結婚式を家で行う場合は50万ルピア、KUA事務所で行うなら40万ルピアを払うのが決まりになっているそうだ。[ 2006年5月 ]


「首都の埋葬。本来10万ルピアがなんと150万」
あらゆる行政機構で不法徴収金が取られているのは公共墓地でも例外でない。しかし建て前と実態があまりにもかけ離れているために、都民から都議会への苦情申入れが急増している。都条例1999年第3号に示された埋葬用地使用課金(3年分)は最高で10万ルピアなのだが、都内のあちこちにある公共墓地に最近埋葬した都民たちは125万から150万ルピア払わされたと苦情している。いやそれどころか、用地使用課金の他に、墓穴掘りの費用だとして一穴40万ルピアも取られている。東ジャカルタ市ラワマグン(Rawamangun)のクミリ(Kemiri)公共墓地では150万ルピア、南ジャカルタ市メンテンプロ(Menteng Pulo)では125〜150万、東ジャカルタのポンドッラゴン(Pondok Rangon)では100万だったとそれぞれ体験者が語っている。ポンドッラゴンではVIPサービスということで、場所を墓地の表の方に選び、埋葬時にテントを借り、墓穴掘りと墓標立て、そして管理上の手続き一切を行ってくれて、注文主はただ金を払うだけという待遇を得たとその体験者は述べている。
都議会議員は、墓穴掘りの費用は都庁が一穴15万ルピアの補助金を出し、都民に対しては無料にしてあるというのに、40万ルピアも金を取るとは何事か、と半ば怒り半ばあきれた表情。都庁埋葬サービス事務所(Kantor Pelayanan Pemakaman)はただちにきちがいじみた金額を都民から徴収するのは止めるようにと都議会は警告している。公共墓地の現場における管理運営はほとんどが埋葬サービス事務所の許可を得た財団によって営まれており、都民の言う費用が埋葬サービス事務所の指示なのか財団の単独行為なのかが判然としないが、もし財団が一存でそのようなことを行っているのなら、財団は解散させてしまえ、と一部議員は発言している。
ところで、都庁埋葬サービス事務所は29台の遺体運搬車を持っており、一回の使用課金は5万ルピアとなっている。これは民間の救急車型遺体運搬車よりはるかに安いので、都民の福利のためにもっとPRされるべきだ、と都議会は表明している。[ 2006年5月 ]


「ジャカルタの離婚は増加傾向」
ジャカルタの離婚は多い。宗教省ジャカルタ地方事務所のデータによれば、2004年の首都の離婚件数は4,167件。一方最高裁判所のデータでは、2004年の全国離婚件数は141,240件とのこと。最高裁のデータは全国民対照と考えてよいだろうが、宗教省データはムスリムが対象なので直接比較するのは無理があるとしても、アフマッ・ファウザン事務所長は首都の離婚は増加傾向にある、と語った。ムスリム住民が離婚申請をKUAに提出すると、宗教省の結婚維持育成指導庁が離婚の悪影響を説明して思いとどまるよう夫婦を説得する。『離婚手続きを進めたら子供がその犠牲になる。両親からの愛情が得られなくなるのは、子供に対する暴力の一種である。』などと夫婦を諭すのだが、それで思いとどまるカップルは先に身近なひとに意見されて思いとどまっているから、その説諭はそれほど効果を示すものでもない。都内サワブサール郡宗教役所(KUA)長は、5月は所轄地区で結婚が30組あったが離婚は一件もなかった、と述べている。離婚申請もtalak satuやtalak duaもすべて一件もなかったとのこと。talak satuやduaは夫から妻への離縁申し渡しで、二回目までは妻を呼び戻すことができるが三回目は完全な離婚として終結する。[ 2006年6月 ]


「デポッでも離婚が増加」
デポッ市(Kota Depok)住民の離婚件数が増加していることを宗教裁判所が公表した。デポッ市宗教裁判所のワヒユ・アビクスナ裁判所事務官補によれば、記録では2003年の離婚件数は413件、2004年は926件、そして2005年は1,065件に増えているとのこと。2006年5月末時点では428件となっている。ただしデポッ市宗教裁判所は2003年8月に設立され、それ以前はボゴールの宗教裁判所がデポッ市も管轄していたので、2003年から2004年で一気に倍増したということではないようだ。ボゴール宗教裁判所書記官は2003年のデポッ市の離婚件数は5百件に満たなかったと述べているので、年間では9百件を切る程度ではないかと推測される。デポッ市におけるそのような離婚件数の増加はスプロール現象による住民人口の増加に由来している面が強いのではないかと見られている。今デポッ市の人口は130万人だ。
離婚原因については、離婚訴訟(gugatan cerai)理由の第一は家庭生活の不和不一致で、経済問題かそうでなければ夫婦の一方に別の愛人ができるという三角関係がメインを占める。しかしそれとは別に、夫婦生活に親・舅・親族など第三者が干渉して起こる離婚訴訟もないわけではない。比率から見れば、妻の側から離婚を要求するcerai gugatが夫の側から妻を離縁するcerai talakより圧倒的に多いが、これはどの地方でも同じようなものだ、と同事務官補は述べている。たとえば今年5月までの実績では、cerai gugat 259件に対しcerai talak は138件で半分ほどしかない。平均を取れば、デポッ市で一日3組の夫婦が離婚をしている勘定になる。[ 2006年6月 ]


「埋葬費用は無料に、と都議会」
先に「首都の埋葬。本来10万ルピアがなんと150万」の記事で報道されている都民の埋葬費用が異常な金額になっている実態を重視した都議会は、2007年から本来の趣旨に戻って埋葬用地使用課金以外に費用は一切徴収しないようにする、と表明した。そのためにたとえば墓穴掘り費用はいま一穴15万ルピアが都から補助金の形で支給されているが、それがまだ妥当な金額なのかどうか、さらには他に補助金を増やすべきことがらがあるのかどうかといった調査と検討を加えている。
埋葬に関する都条例は先の1999年第3号都条例から2006年第1号都条例に変更されており、公的徴収金は埋葬用地使用課金だけだがそれさえ無料ブロックが第4ブロックのみから第3第4ブロックへと拡大されている。しかしそれらの変更も都民にあまり知らされておらず、おまけに墓地管理者が無料ブロックがどこからどこまでという表示を一切していないために不法徴収金がまかり通る源泉にもなっている。都議会はそのような実態に関しても、都民への通知や墓地での表示を徹底するよう指導して行くかまえ。[ 2006年6月 ]


「副大統領のセクハラ発言」(2006年7月3日)
「インドネシア女性はとても魅力的だ。中近東からツーリストが西ジャワ州プンチャッにたくさんやってきて後家さんを探し、短期結婚をする。その後ツーリストが妻と子供を残して帰国しても大丈夫だ。残された子供は優れた遺伝子を受け継ぎ、シネトロンスターになれる。」
6月28日にユスフ・カラ副大統領が中近東向けツーリズムプロモーションセミナーのオープニングで語ったその言葉は女権活動家たちから猛反発を受けることになった。超党派で構成されている『人権のための議会女性コーカス』は6月30日に記者発表を行い、副大統領の言葉は西ジャワやバタムの寡婦を商品化しており、インドネシア女性の地位と尊厳を卑しめるものである、と副大統領の謝罪を要求した。それと歩を合わせて7つの人権や女権活動民間団体も反発の声をあげた。女権活動家たちは一様に、副大統領の言葉は女性の人権を卑しめて秘密結婚によるその場限りのセックス取引のための商品にしているだけであるが、秘密結婚行為は結婚に関する1974年第1号法令で禁止されていることを副大統領は認識していない。副大統領の言葉は利益だけを追求する商人バイアスがかかったものであって、未亡人が背負うことになる子供の養育や社会的烙印などの長期的リスクへの感性を持っていない。インドネシアは今や国際社会から世界最悪の女性と子供人身売買国と目され、国会では女性人身売買撲滅に関する法令の編成中であるというのに、女性の性を商品化しようとする副大統領の発言は単なるジョークを超えたセクハラ行為であり、その言葉によって担当省である文化観光省がそのような姿勢に傾倒することを国会は厳重に監視していく。といった批判が続出している。


「プンチャッで契約結婚」(2006年7月20日)
「副大統領のセクハラ発言」(2006年7月3日)で報道された問題は、副大統領がすぐに陳謝して一旦火は消えた。しかし、一国の副大統領ともあろう者が違法婚姻を認めるのか、という声も「あれはジョークだよ」という副大統領の姿勢に対して向けられている。だが実際に、社会共同体の中の制度である婚姻を親族や共同体に対して秘密にし、男女二人が神の前で婚姻を誓うというnikah di bawah tangan あるいはアラブ語でnikah sirri と呼ばれるものが社会の中で正当なものという位置付けを得ているのも確かなことなのである。
さて、プンチャッ(Puncak)を舞台に中東のひとびとが後家さんのスンダ美女たちを相手にして短期の契約結婚を行っているという副大統領が述べたジョークの実態はどうなっているのか、コンパス紙に掲載されたルポからその実態をかいつまんでご紹介しよう。
ジャゴラウィ自動車専用道のチアウィ(Ciawi)出口を出てからプンチャッ街道を上っていくと、ときどきアラビア文字の看板が目に入ってくる。特にタマンサファリ(Taman Safari)の三叉路を超えた辺りから、ワルテル、マネーチェンジャー、ミニマーケット、レストラン、ホテルなどの看板にアラビア文字が必ずと言っていいほど書かれているのに気付くはずだ。それはとりもなおさず、中東のひとびとがその辺りに多いということを意味している。そのミニマーケットの中では、暗い肌の色をした巨躯のアラブ人がレジにいるイ_ア人の若者と会話している。使われているのはアラブ語だ。商品陳列棚の間にいたまだ年若いイ_ア人女性がそのアラブ人を呼んだ。「バシール!」女性は棚の菓子を指差し、バシールと呼ばれた男はうなずいた。レジで支払いを済ませると、胸の線をくっきり浮き出させたシャツにショートパンツ姿のその女性はバシールと一緒に店を出て行った。そのあと、中東人とおぼしき男が三人、店内に入ってきた。
この店には中東のひとびとが消費する生活必需品がたくさん置かれている。オリーブオイル、アラブヨーグルト、アラブのパン・・・。プンチャッに形成された中東系社会へのケータリングサービスもこの店は注文を受け付ける。今はすべてが閉鎖されてしまったが、昔ディスコが街道のあちこちに店開きしていた時代には、行き交うアラブ人ははるかに賑やかだった。今でも大勢がやってきて契約結婚してるから、店は繁盛してるよ。レジの若者はそう物語る。
プンチャッにやってくる中東系の男たちは契約結婚を求める。需要があればそれを供給しようとするブローカーが出現するのはマーケットの本質だ。ブローカーのひとりママンは、妻になりたい女と直接ネゴできるし、あるいはその子のマミ(養母)とネゴしてもよい、と語る。そしてその夜、深夜を過ぎてから、記者はママンの伝手で契約結婚供給市場の商品である女たちと会うことができた。まだ十代から上は25歳くらいまでの年若いかの女たちは結婚経験者であり、そして離婚している。つまり後家さんなのだ。みんな例外なくセクシーな装いを誇示している。スカブミ(Sukabumi)出身の若後家さんは、値段さえ折り合えばいつでもいいわよ、と言う。「以前アラブ人を二週間相手したけど、バツグンだったわ。一日のお手当ては50万ルピア。でもそれはマミといろいろ世話をしてくれるアバン(abang)に分けなきゃいけない。結婚費用とひと月に何回やってくるのかを計算して値段を決めるのよ。あたしゃ少なくともひと月1千万ルピアもらえなきゃ。あたし自身が手にするのはその半分だけ。他はマミとアバンに分けるんだから。もしもっと安上がりをお望みなら、マミやアバンの世話がついてないフリーランスを探すことね。あたしに知り合いがいるから紹介してあげようか?直接交渉すればひと月5〜6百万ルピア程度よ。婚姻証書や必要書類、宗教婚姻をつかさどるプンフル(Penghulu)、立会人の用意もバッチリよ。」
その女性の家からチパナス(Cipanas)方面に向かって5キロほど行ったところに、契約結婚実施の世話をしてくれる人物に会わせてあげるとオファーするオジェッ引きがいた。「本物の結婚式そっくりに全部うまくやれるよ。立会人からプンフルまでパッケージになってる。あとはお互い満足いくように話し合いだ。うちの近所にも契約結婚ビジネスに関わってるのがいるようだよ。大勢が契約結婚ビジネスからの収入で助かってる。契約結婚ったって、みんなが捨てられて「はいさよなら」ってわけじゃあない。サウジアラビアに連れて行かれて公式に結婚するハッピーエンドのケースを何人もオレは知ってるよ。」
契約結婚は婚姻法に違反している。ましてや外国人が関与しているために生まれた子供には国籍問題が関わってくる。今回の国籍法改定でその問題は解決される方向に向かうが、まさか契約結婚を助長させることを意図しての改定でもあるまい。韓国、フィリピン、タイと売春ツアーの舞台は巡ってプンチャッとバタム・ビンタンがいまやその表舞台となっているが、そんな実態に結婚という名前をかぶせて合法的なイメージを作り出しているこの習慣の本質が抉り出されるときはいつやってくるのだろうか?


「国籍法案審議はまだまとまらず」
国会作業委員会段階で審議が進められている国籍法案に憲法に違反しまた国民を保護しない条文があるため、法律制定前にその条文は抹消されなければならない、と40のNGOを糾合したJKP3(女性のための国民立法プログラム作業ネットワーク)が主張している。その主張によれば法案第23条(i)と第26条(1)項に問題があり、それらの条文は抹消されなければならない。
第23条(i)には「国の業務外で海外に居住するイ_ア国籍者が正当な理由なく5年間連続してイ_ア国籍者でありたいとの表明を行わなかった場合はイ_ア国籍を失う。」と記されており、また第26条(1)項は「外国籍男性と結婚したイ_ア国籍女性は、その婚姻によって妻は夫の国籍に従わねばならないと夫の国法が定めている場合、イ_ア国籍を失う。」となっている。JKP3はそれらの条文について、第23条(i)は多くの海外出稼ぎ女性に単なる管理的なことがらによって国籍喪失のリスクを負わせるものであり、また第26条(1)項は、たとえ第(2)項に外国籍女性と結婚したイ_ア国籍男性にも同じ内容が適用されていたとしても、世界124ヶ国の法律を調査した結果では妻の国籍を男性に強制する国はひとつもなかったという事実から、その条文は社会的事実に反するものであるとしてその双方の抹消を主張している。
作業委員会メンバーであるヌルシャハバニ・カチャスンカナ議員は、委員会メンバーの中にパスポート有効期限の5年に関連してパスポート失効と国籍喪失をごちゃ混ぜにしている者があるが、管理上の問題で国籍が剥奪されるなどもってのほかである、とコメントしている。この法律は国民に保護を与え無国籍者を作らないようにするのが精神であるというのにそれらの条文はその精神に反しており、また5年毎にイ_ア国籍者でいたい、と表明するのはナショナリズムを示すことだと主張する委員会メンバーもいるが、海外に出た国民はそうしなければ愛国心を失うとでも言うのか、と政府の真意に疑問を呈している。[ 2006年7月 ]


「国籍法成立は7月11日の総会で」
国籍に関する1958年第62号法令改定案を審議していた国会特別委員会と政府は、審議が完了したとして7月7日国会プレスルームで記者会見を行い、7月11日の国会総会でこの法案が成立することを希望している旨表明した。これまで国籍に関してインドネシア政府の原理になっていたオランダ植民地政庁期の考え方を大幅に転換させたこの改定法案を国会特別委員会議長は『革命的だ』と述べている。管理行政現場でいまだに続けられている種族差別に対してこの法案では、オリジナルインドネシア民族(bangsa Indonesia asli)を第2条の中で「出生以来イ_ア国籍者であり、本人の意志でそれ以外の国籍を受けたことのない者」と規定した。この規定によって華人、アラブ、インドなど非ムラユ系の親から生まれた子供は親がイ_ア国籍者であればオリジナルインドネシア者とされるため、いまだに華人系イ_ア国籍者に強制されているインドネシア国籍証明書の必要性は消滅することになる。一方国籍関連手続を遅らせたり妨げたりした公務員への罰則規定も盛り込まれ、不心得な公務員には単なる行政上の制裁だけでなく刑法罰が適用されることになる。
これまでジェンダー差別の典型とされていたイ_ア女性の国籍についても、外国籍男性と結婚したイ_ア女性はイ_ア国籍を失って夫の国籍に入らなければならないという条文が抹消され、イ_ア国籍のままでいたい場合は婚姻日から三年間のうちにそれを表明する文書を提出することでイ_ア国籍を維持することが可能になった。またイ_ア国籍女性と外国籍男性の夫婦の間に生まれた子供の国籍は本人が18歳になったときに選択することを条件にイ_ア国籍者として扱われることになった。ただし18歳以前に結婚した場合はその時点で資格が消滅するが、それまでの間は二重国籍が持てることになる。また国籍選択も18歳になってから3年以内に行えばよい。外国籍男性にも国籍変更の便宜が与えられ、イ_ア国籍の妻がスポンサーになることでイ_ア国籍の取得が可能となり、必ずしも帰化手続を踏まないでもよい道が開かれた。また外国籍の夫がイ_アの永住権を取得する道も同時に開かれている。
一方人権団体が主張していた国籍喪失問題は、条文がそのまま生かされることになった。外国に在住するイ_ア国籍者が5年間連続して自分の居所を届け出ない場合、その者のイ_ア国籍は消滅することになる。これは海外逃亡した汚職者への措置をにらんだものだが、そのためについうっかり滞在国の在外公館におけるパスポート更新を忘れたイ_ア国籍者はとんでもない情況に置かれるかもしれない。国籍喪失はそれだけでなく、イ_ア国籍者が自らの意志で外国籍を取得した場合、あるいは与えられた外国籍を拒否しなかった場合、あるいは外国籍を放棄しなかった場合、その者のイ_ア国籍は消失する。大統領の承認を得ないで外国の軍隊に参加した場合や、外国の役務に自らの意志で参加した場合、外国に忠誠を尽くすという宣誓を行った場合、イ_ア国籍者に義務付けられていないにもかかわらず外国の国事に関わる選挙に加わった場合、本人の名前で作られた有効期限内の外国パスポートや国籍を証明する書類を持っている場合などについてもイ_ア国籍喪失の対象になる。
この法案が成立すれば政府は、その実施運用規定として6ヶ月以内に政令を、またその後3ヶ月以内に大臣令を制定することになっている。[ 2006年7月 ]


「新国籍法実施規定編成作業が開始される」
オカ・マヘンドラ人権法務省法令総局長は、2006年7月11日に国会承認を得た国籍法の実施規定編成作業が始まったことを明らかにした。実施規定は政令と人権法務相令のふたつが制定される方針。政令は制定までに6ヶ月を要すると見られており、大臣令の方は早急に出さなければならない規定を3ヶ月以内に制定する予定。この総局長発言は民間団体であるKPC Melati(母の手による混交結婚家庭)が7月20日にジャカルタで主催した「混交結婚実施における国籍法運用」と題する討論会の中でのもの。総局長によれば、国籍法の中に早急に詳細規定が必要とされているものがいくつかある。第41条では新国籍法制定以前に生まれあるいは養子となった18歳未満で未婚の子供に対する国籍ステータスが規定されており、それに該当する子供は新国籍法が施行されてから4年以内に大臣あるいは指定公職者あるいは在外公館に届け出ることでインドネシア国籍が与えられる。人権法務省はその実施に関する詳細規定を早急に定めなくてはならない。[ 2006年7月 ]


「パラダイムが変わった」
「わたしたち」と「かれら」の間に一線を画する見方はいまや過去の中に埋没し、新たな確定性が出現した。今われわれみんなが乗っている船はただひとつ、インドネシアという名の船だ。それが1958年第62号法令国籍法を代替する新しい国籍法なのだ。古い法律の中に定められていた種族とジェンダーに対する差別は民族にとって過去のものとならなければならないことを国会と政府が合意したのである。
新しい国籍法は単に、だれがどのような方法で国籍者になりあるいは国籍を失うのか、といったことを規定しているだけでなく、パラダイムとビヘイビヤを変化させる記念碑的性格のものである。オリジナルインドネシア民族という観念は、生まれながらにしてイ_ア国籍者となるイ_ア人で、本人の意思で他国の国籍を得たことのない者と定義された。その観念から、ひとの国籍というものは人種種族によらず法的ステータスによって決まるものだというパラダイムが導かれる。こうして、「土着だ」「外来だ」といった対立的差別的な議論は消滅する。この国で特定種族に対する疎外はなくなり、すべての種族とコミュニティが法的に同じ土俵に乗る。
この新法令によって、単に法的ステータスのゆえに血縁者から引き裂かれる子供はいなくなる。この法令は、イ_ア人の母と外国人の父から生まれた子供が自動的に父の国籍に入らなくともよいことを確定している。それどころか、子供が18歳になるまで父親の国籍を持つと同時にインドネシア国籍も同時に持てる道を開いた。その年齢を過ぎると、その子供は自分の国籍を選択しなければならない。
両親がイ_ア国籍者であっても、アメリカのように出生地国籍主義を取る国で生まれた場合の二重国籍もこの法令は容認している。生まれた国が与える国籍とイ_ア国籍を18歳になるまで同時に持つことができるが、その年齢を過ぎれば国籍を選択しなければならない。このパースペクティブからインドネシアは限定二重国籍を原理とした持ったと言うことができる。
そこに見られるのは、国会と政府がわが民族の子供たちを尊重しようとする意思を持った事実である。国籍ステータスによって翻弄される子供たちの人生がどれほど苦いものであるのかをこの法令作成者たちは理解している。心痛む数多くのケースにわれわれのヒューマニズムは揺さぶられてきた。国法の身勝手さのゆえに、多くの子供たちが母親と引き裂かれイ_アから去ることを強いられた。外国人を父親とする混交結婚の子供たちが、父親の国籍に従っているがために両親の離婚によってネガティブな結末を強いられ、父の国へと去って行ったのだ。
またこれまでの法令で規定されていたような、外国人の夫を持ったイ_ア国籍女性が自動的にその夫の国籍に入る必要もなくなった。かの女は依然としてイ_ア国籍者であり続けることができる。それどころか、かの女は外国人の夫がパーマネントレジデンスステータスを得たりイ_ア国籍を取得するためのスポンサーになることもできる。何らか特定の理由で仕方なくイ_ア国籍を捨てて外国籍者になったわが同胞がイ_ア国籍に戻りたい場合も、その扉は広く開かれている。
壮大なブレークスルーが起こった。国と民族の名を高めるのに功績のあった外国人は帰化手続きを経ないでイ_ア国籍者になることができる。その功績のカテゴリーは思想、芸術、スポーツなどが対象にされている。トーマスカップや世界チャンピオンとなってイ_アの名前を高揚させたというのに閉鎖的でアンフェアな法規のせいで苦い思いを味わったヘンドラワンの嘆きは二度と繰り返されないだろう。
われわれは偉大でオープンな民族であるということを自覚しなければならない。だから国と民族の名を高めた者はそれが誰であろうとオープンに賞揚するのがその帰結なのである。
人種や種族という線引きでわが民族が分裂するのをわれわれは望まない。ジェンダー評価が不在であるがために民族が引き裂かれるのもわれわれは望まない。それらの悪夢はいまや過去のものとなったのだ。(人権法務大臣ハミッ・アワルディン)[ 2006年7月 ]


「婚姻法の改定はいつ?」
個人のプライバシーに関与する国の法規に関する国民の関心は深い。ジョクジャカルタのスナンカリジャガ大学女性研究センターが催したセミナーと討論会で1974年第1号法令婚姻法への改定要求が多くの女性から出されたのは当然の帰結と言える。婚姻分野での宗教法廷における法執行に関連してその討論会には判事やKUA(宗教役所)からの出席もあった。
社会における見方考え方は過去二十年間に変化がもたらされている。三十年前の観念が現状に合わなくなっているのは当然だと言えよう。だからこそ法律改定を求める声が上がっているのだ。異宗教間結婚の差別性を取り上げる声も増加している。しかし議論の内容はムスリム男性がアフルルキタブの女性を妻とする問題の周辺にとどまっており、ムスリマがムスリム男性でない者を夫とする問題については焦点がまだそこまで伸びていない。アフルルキタブとはイスラムと同じ唯一絶対神を信仰する宗教を意味しており、ユダヤ、キリスト、サビアの三つがそれに該当するという考えが一般的だが、最近の解析によればインド・中国・日本にあるものを含めて10の宗教がそれに該当するという説も立てられている。
妻からの離婚告訴が増加しているという実態についても多くの議論が交わされている。夫に対して離婚告訴を行う妻という問題の見方にジェンダー差別に彩られたものが多いのもひとつの現実だ。しかしそれを打破して、離婚告訴を通して成立した離婚では元夫から元妻への生計支持がなければならないという考え方に議論が集束して行った。現行婚姻法では、離婚告訴が成立させた離婚の際に元妻は生計の資を元夫に要求する権利を持っていない。社会の実態は、より多くの女性が離婚告訴を行う度胸を強めているのでなく、より多くの男性がその法令の条文の影で妻を従属的な位置におとしめる傾向を強めている、と専門家は発言している。いくつかの地方では、夫からの離縁申し渡し(talak)よりも妻からの離婚告訴(gugat cerai)の方が圧倒的に多い。ジョクジャ特別州グヌンキドゥル県やタングランの実態を見る限り、gugat ceraiがtalakの3〜4倍に上っている。討論会の中で、夫を離婚告訴する妻の増加は社会モラルの崩壊とか乱れであるといった発言も出されたが、女権活動家たちはその差別的見解を否定し、離婚後の元妻の生計をサポートする義務が夫にあることを言明している。経済面で妻が夫に百パーセント隷属している実態がイ_アにあるのは、良き妻は家庭内にいて夫と子供たちの世話をする主婦であるという文化的・宗教的ドグマのゆえだ。
ポリガミーについても、宗教界の中にはそれが推奨されていることがらではないという意見を示す発言も出されたが、社会の実態としてはさまざまな理由でそれが正当なものであることを主張する声が強い。イスラム法集成に対するカウンタードラフト編成の中でポリガミーについても相反する意見が出されており、さらに時間をかけて議論が尽くされる必要のあることが共通見解として合意された。[ 2006年7月 ]


「新国籍法の見せかけ平等」
国籍法案が国会で可決成立したとき、外国人男性と結婚したイ_ア国籍女性の喜びの声がマスメディアにあふれた。新国籍法はかれらに対し、その子供が18歳になるまで父親の国籍を失うことなくイ_ア国籍も持てるという機会を提供したのだ。二重国籍の年齢制限に対する不満の声も多いが、わたしは多くの混交結婚家庭とその子供たちを救うことができるという意味で新国籍法は十分評価できるものだと考える。また国が国籍コンセプトに関して父系主義から親権主義へと原理を転換させたことは、単一国籍主義をもっと開かれたものへと段階的に移行していく進路を予見させるものだ。限定的であっても新国籍法は国民に男女同じ機会を与えようとの姿勢を示しているが、ざんねんなことにそれはいまだに家族を単一の法で規制しようとする面を残している。第26条(1)にはそれが明白に表れており、もし夫の国法が妻の国籍を同一にすることを望んでいる場合はイ_ア国籍女性がイ_ア国籍を捨てなければならない。そして第26条(2)にはその反対に、もし妻の国法が夫の国籍を同一にすることを望んでいるという逆の場合にはその逆が規定されて、一見男女同権ジェンダー平等を尊重しているように構成されている。しかし外国人男性と結婚したイ_ア国籍女性の場合と外国人女性と結婚したイ_ア国籍男性の場合とでは、そのような平等などどこにも現れてこない。この条文が適用されるのは外国籍男性と結婚したイ_ア国籍女性に対する(1)だけしかありえないのだ。世界の多くの国では男性を戸主とする原理を取っているが、混交結婚を行った男性に対して妻の国籍に移れと求めるような国はひとつもない。もうひとつこの見かけだけのジェンダー平等を支えるものがある。それはつまり、混交結婚したイ_ア国籍女性たちが「自分の問題は自分の子供の国籍問題である」という視点からしか新国籍法を見ていないためだ。こうしてそこに盛られた実質的なジェンダー差別に対する異議の声は出現せず、反対にその見せかけをジェンダー平等として評価する声が出現している。第26条(1)の適用を受ける女性は多分いまだに父系血統主義を厳格に行っている国の男性と結婚した者だけであろうから、マジョリティにはなりえない。そうであっても、結婚した女性の国籍の独立を保証しないこの法律はCEDAW(女性差別撤廃委員会)第9条に違反している。
外国人男性と結婚したイ_ア女性に、そうでないイ_ア国籍女性と同様の権利アクセスを新国籍法は保証できるのだろうか?家族の中に別国籍要素がありそしてその要素を戸主が持っているということで、イ_ア国籍女性が国民としての権利に制限を受けることは少なくない。端的なものは農地法に表れている。そのようなイ_ア人女性は不動産に対して使用権しか持つことができないことになっている。それ以外にも外国人男性と結婚したことで蒙らなければならない、市民としてのあるいは政治的社会的経済的な不利益はリストアップすれば長いものになるだろう。妻は国籍を失わないというのに、皮肉なことに妻の法的地位は夫のそれに合わせられる。家族のメンバーには同一の法的権利をという26条のコンセプトが混交結婚したイ_ア国籍女性に本当に適用されるようになるのはいつのことだろうか?
国民は国籍を与えられ、国籍者が持つ権利に百%アクセスできる権利を与えられなければならない。国は国民が簡単に国籍を失うことから保護する義務があり、さらに国民の婚姻ステータスがどうあれ、すべての国民に同じように資源にアクセスできる権利を与えなければならない。将来国籍法が改定されるとき、国籍に関する国民の権利と国の義務の保証に関して別条項が挿入されることを考えておかなければならないにちがいない。(インドネシア混交カップルクラブアジア地区委員長、ヌニン・ハレット)[ 2006年7月 ]


「警察が契約結婚者を摘発」(2006年8月7日)
プンチャッでの契約結婚に関するイシューが「プンチャッで契約結婚」(2006年7月20日)で報道されたように喧伝されているさ中、ボゴール警察が7月31日からボゴール県チサルア地区を対象に契約結婚者摘発検問を開始した。二日間のビラ訪問捜査で7組の契約結婚者が摘発され、捕まった男性7人はすべてサウジアラビアのパスポートを持つ外国人で女性7人はすべてがインドネシア国籍者だった。今回実施された契約結婚摘発検問は前代未聞の活動で、ボゴール地区警察、チサルア地元警察、ボゴール移民局、プンチャッ郡役所、地元宗教有力者で編成されたチームが主要なビラを訪問して取調べを行った。ボゴール地区警察署長は「契約結婚という言葉を認めている宗教も、また文化のひとつもイ_アには存在しないとわたしは理解している。宗教モラルにせよ文化モラルにせよ、これは社会の中で展開されているモラル上の価値ならびに公的法令に違反するものだ。」とこのオペレーションの主旨を述べている。
検問チームはチサルアのパルンカレンにある三ヶ所のビラを訪問し、そこに滞在している7組の男女カップルを違法行為現行犯として捕らえた。カップルの内容は下の通り。
21歳アラブ人男性と21歳のバンドン出身女性
24歳アラブ人男性と28歳のウォノソボ出身女性
28歳アラブ人男性と24歳のバンドン出身女性
31歳アラブ人男性と28歳のスマラン出身女性
38歳アラブ人男性と20歳のボゴール出身女性
40歳アラブ人男性と25歳のスカブミ出身女性
40歳アラブ人男性と24歳のスカブミ出身女性
県保安諜報部長によれば、7人のサウジアラビアパスポート保有者は全員がボゴールの移民局収容所に収容されており、移民法第42条違反で強制出国の措置を受けることになっている。この移民法第42条というのは下の通り。
(1)治安と社会秩序にとって危険なあるいは危険をもたらすにちがいないと見られたりもしくは現行法規を尊重・遵守しない活動を行うイ_ア領土内にいる外国人に対してはイミグレーション上の措置が取られる。
(2)イミグレーション上の措置とは次の通り。
a.滞在許可の制限・変更・取消
b.イ_ア領土内の特定の場所への立ち入り禁止
c.滞在場所をイ_ア領土内の特定の場所に限定する
d.イ_ア領土からの強制出国もしくはイ_ア領土内への入国拒否
しかし実際には移民局が拘留した7人のうちの4人だけが強制出国処分を受け、8月2日13時スカルノハッタ空港発のサウジエアーで出国した。ボゴール県移民局イミグレーション監督処分課長は、ほかの3人はまだ気に入った女性に関して価格交渉段階にあり、契約結婚を行っていたことが立証されなかったために釈放された、と述べている。例年、サウジアラビア人男性は本国が7月〜9月の長い休みに入るとボゴール県プンチャッ地区に大挙してやってきている。また在ジャカルタサウジアラビア大使館側は「サウジアラビアにも契約結婚という合法概念はなく、強制出国処分を受けた4人の国民は帰国するときついお仕置きを受けることになる。」と述べているらしい。


「行政機構が無視すれば、新国籍法はただの紙切れ」
2006年7月11日に国会承認を得た国籍法案は今年8月1日付けで大統領が署名し、2006年第12号法令として制定された。法令の内容は既に有効であり、少なくとも従来の法令で必要とされていたものが新法令で不要とされていれば即日それ無しの処理がなされて当然ではないだろうか。新規に設定された処理に対する管理プロセスをまず作らなければならないようなものではないはずなのだから。
新国籍法では、オリジナルインドネシア人の定義がかつてのものから書き換えられた。出生以来イ_ア国籍者であり、本人の意志でそれ以外の国籍を受けたことのない者であれば、民族種族の系統が違っていても平等に扱うという精神が確立されたが、これまで印華人に与えられてきた差別を現場官僚が自発的に変えようとする徴候はまだ見られないようだ。
ロニ―は8月14日にグロゴルにある都庁市民登録住民管理事務所を訪れた。待合室に貼りだされたボードにはプリブミと非プリブミに分けて異なる手続き内容が記されており、それをよりシンプルなプリブミ系に一本化しようとする気配は見られない。ロニ―は9月3日に結婚式を挙げる予定にしており、その申し込み手続きのためにその事務所を訪れたのだ。二階に上がって一室に入り、ロニ―は担当官に対面した。ロニ―はインドネシア人が結婚するに際して市民登録住民管理事務所で必要とされる書類をすべて揃えてきた。自分の出生証明書、母親のKK(家族登録書)とKTP(住民証明書)そして配偶者となる者の出生証明書、KKおよびKTPだ。ところがロニ―の母親はかつて中国名からミナルシに名前を変えた経緯があり、そのために書類上に一貫性がない。担当官はそれを問題にした。ロニ―の母親が改名したのであれば、その手続きに際して作られた書類のコピーを添付せよ、と言う。母親はカリマンタンに住んでおり、居所をあちこちと変えたためにそんな書類もどこかで散逸した可能性が高い。「それがもしなかったらどうなるんですか?」と尋ねるロニ―に担当官は「まず捜してきなさい。捜しもしないでないなどと言うな。」とにべもなく言った。ロニ―は自分の出生証明書の余白に書かれている、母親の新姓名ミナルシとの追記とそれを書いた役所の担当官サインおよび印章をその担当官に示したが、その担当官は単に『だからなんだね?』という顔をしただけだった。ロニ―は食い下がった。母親の身元を証明する書類はすべてミナルシになっている。ロニ―の出生証明書だけが母親の名前をふたつ示しているだけであり、結婚登録の条件は満たしているはずだ、と。ロニ―の親がイ_ア国籍であるかどうかでロニ―が結婚手続きを受ける資格を持っているかどうかが決まるということを担当官は気にしている。そう考えたロニ―は、新国籍法では出生証明書だけで本人のイ_ア国籍が証明できるようになったのだとその担当官に告げた。すると担当官は反対にロニーを罵った。「いったいどこからそんな話を仕入れてきた?そんなことを言ったのはインドネシアの大統領か、それとも中国の大統領か?話を仕入れるときにはちゃんと聞いておけ。そんな話なんかまだどこにもない。」ロニ―はもはや物を言う気力もなくその場を去った。
国会の国籍法案審議特別委員会議長を務めたスラメッ・エフェンディ・ユスフ議員は、「市民登録住民管理事務所職員は新法令に合わせて業務を変えていかなければならない。何も変わらないと考えて過去をいつまでも続けようとしている役人がこの国を細切れの分裂体にしていくのだ。」と語る。内務省国民登録次局長は、2006年第12号法令が施行されたことで旧法令はすべて無効になった、と言明している。新法令によって国籍の証明は、出生証明書、KTP、KKなど本人の国籍が記された公的書類だけで十分となった。現場レベルでまだそれに反した対応が出現するのは、公務員への社会告知と知識普及が不足しているためだ、と次局長は述べている。[ 2006年8月 ]


「ジャカルタ〜プンチャッ、ハネムーンコース」(2006年8月22日)
西ジャワ州プンチャッ(Puncak)のビラを長期に借りて新婚の蜜月を送っている契約結婚カップルの多くはその発端がジャカルタにあった。光きらめくジャカルタの夜がお見合いの舞台であり、そこで組まれたカップルがプンチャッに乗り込んで挙式するというコースがどうやら一般的なようだ。
中央ジャカルタ市パサルスネン(Pasar Senen)地区にある豪華ホテルAOには、中東系と見られる男たちが大勢宿泊している。朝から夕方まで男たちはアラブ風の独特の衣装を着てホテルロビーをうろついているが、夜が更けるとかれらは普通のジャカルタの若者姿に衣替えしてロビーに現れ、一方ロビーにはセクシーな衣装に派手な化粧をした若い女性の数が静かに増加して言葉もあまり通じ合わないようなカップルが作られていく。出来上がったカップルは、まずは互いの様子見とばかり夜のジャカルタの巷に繰り出していく。行き先は中東系のナイトクラブ。南ジャカルタのPJビルにあるクラブDは中東系クラブで、ディスコにテクノミュージックがガンガン轟き、アラブ語の歌詞がスピーカーから聞こえてくる。聞くところでは、パリにある中東系ナイトクラブと変わらないそうだ。
もうひとつお見合いの場として盛んなのはプラムカ(Pramuka)通りのホテルCだが、ここはAOより格がひとつ落ちていて、やってくる女の多くはプルンプン(Prumpung)当たりの娼婦だという話だ。AOに来る娘たちは都内のかなり遠い場所からもやってくるらしい。AOでカップルが出来上がると、スネンにあるショッピングセンターで女衒と落ち合い、契約条件が固められる。すべてが滞りなく捗れば、あとは新郎新婦がプンチャッへ行って挙式し、そうしてビラでハネムーンとなる。なにしろお見合いの場がジャカルタだから、このハネムーンコースの花嫁さんはプンチャッ一円に住むスンダ女性でない方が多い。どうやらこのあたりも、世間一般に考えられている常識と実態との間に乖離があるようだ。
ところで先般、警察と移民局が手入れを行ったビラでアラブ人客の料理と洗濯を仕事にしている中年女性は、結婚という名が付こうが付くまいが現実に行われているアラブ人とイ_ア人女性との同棲をまったく気にかけていない。「自分の知り合いでちゃんとした家庭の娘が騙されてそんな境遇につかされていれば話は違うが・・・」とそうコメントしている。女性の方も承知でそんな稼ぎ仕事を行っているのだから、という考えがどうやらそこにあるようだ。契約結婚についてかの女は、そんな結婚式が行われているのを見たことも聞いたこともない、と語る。同じ話はそのビラがある隣組長の口からも聞かされた。ビラの経営者から結婚式の証人に出てくれという話が来こそすれ、経営者は泊まっている外国人の届出すら何一つしない、と隣組長は語っている。


「植民地時代の住民管理法体系を廃す」
これまで、独立は果たしたが国内は植民地時代の法令で統治されているというパラドックスを抱えてきたインドネシア政府と国会は、その状況を一新させるべく重い腰を上げた。人種と宗教に基づいて異なる待遇を与えていたオランダ時代の住民管理基本方針は法体系のすみずみに根をおろしており、その多くがイ_ア共和国の法令に変わったとはいえ、いまだにオランダ時代の法令staatsblad が共和国の法令制定の場に顔を覗かせている。住民管理分野を見るなら、オランダ時代の住民管理法は市民登録行政分野で出生証明書や結婚証明書のベースとしていまだに使われている。国会は住民管理法案(RUU Administrasi Kependudukan)審査特別委員会を編成し、そのような差別のない民主的な住民管理法を制定するための作業を開始した。
印華人の場合、出生や結婚証明書にはStb 1917 No.130 と記載され、キリスト教徒ならStb 1933 No.175、ヒンドゥ教徒の場合はStb 1920 といったようにそれぞれ異なるコードが今でも記載されているが、それは人種や宗教で異なる管理がなされていることを証明するものだ。[ 2006年9月 ]


「混交結婚児童のイ_ア国籍取得手続規定公布は間近」
ハミッ・アワルディン法相は新国籍法(2006年第12号法令)に関連して、インドネシア共和国の国籍に関する権利を阻害した公務員は1年の入獄、更に故意でそれを行った公務員には3年の入獄という処罰を与えると表明した。イ_ア共和国国民というパラダイムは新国籍法制定を機会に歴史的転換が行われたために、種族や皮膚の色で差別する国民管理は全国民平等という原理に変質した。その現実を受け入れることができず、あるいはその流れに逆行する公務員には処罰が待ち受けていることを宣言したのが今回の法相の表明だ。
イ_ア国民になりたいと希望する者はこれまでのようにSBKRI(イ_ア共和国国籍証明書)をはじめとする面倒な行政管理手続を経る必要はもはやない。混交結婚で生まれた子供たちのための手続規定に関する大臣令を法相は近いうちに設ける予定にしている。同時に、外国に長期滞在して何らかの事情でイ_ア国籍を失ったひとたちへの国籍復帰手続に関する大臣令も制定される。大臣令と手続書式ができあがれば、申請フォームは早急に各国にある在外公館に送られることになる。[ 2006年9月 ]


「子供の国籍取得申請は地元法務局へ」
「18歳未満で未婚の、父親が外国人である混交結婚の子供たちの国籍問題解決に法務省は集中的に取り掛かってきた。9月末には国籍登録手続に関する規則を制定し、本日は全国の法務省地方事務所に登録フォームを発送することになっている。該当者の国籍登録は居住地を管轄する地元政府の法務局に申請し、法務局が人権法務大臣にその申請を提出することになる。」ハミッ・アワルディン人権法務相は10月6日、人権団体KPC Melati と共同で開いた新国籍法啓蒙のための説明会でそう語った。
インドネシアでは従来父親を外国人とする混交結婚の子供は父親の国籍のみが認められていたが、2006年7月11日に国会で成立した新国籍法によってイ_ア国籍の母親から自動的に同じ国籍をも受けることができるようになった。そのため、18歳になるまで、あるいは18歳以前で結婚するまで、父親が外国人、母親がイ_ア人の子供は二重国籍を持つことができる。


「住民管理手続きを行わない国民は処罰される」
各地方自治体の住民管理局あるいは市民登録局職員がKTPや出生証書の手続きを妨げた場合、行政罰もしくは刑事罰が下されることになる。その反対に国民が住民管理手続きを怠った場合も罰が与えられることになる。アブドゥ・ラシッ・サレ(Abdul Rasyid Saleh) 内務省住民管理総局長は10月30日、それらの条項は住民管理法案に盛り込まれており、国会審議が終われば早急に総会にかけられるだろう、と語った。行政罰刑事罰についてはまだ国会と政府の間で論議が続けられている。基本的にその条項は文民公務員の規律に関する1980年第30号法令の中にうたわれているが、政府は住民管理行政に関して特にそれを法案の中に徹底させようとしている。
住民管理行政窓口で不利益を蒙った国民は、地方自治体首長にそれを訴えることができる。住民管理担当職員に対して罰を下すのは地方自治体首長である。それとは別に今その法案に関連して国会と政府とで議論が尽くされているのは宗教データに関するもので、認知されている6宗教以外のものをどう扱うのかということがら。根拠が得られないために6宗教以外のものはブランクにせざるをえないという主張が優勢になっている。[ 2006年11月 ]


「ルバラン明けには首都人口が20万人増える」(2006年11月2日)
ジャカルタからのルバラン帰省者数と逆流者数を比べると、毎年逆流者数のほうが多いことに気が付く。1998年は285万3千人が帰省し320万1千人が戻ってきた。1999年は262.2万人が285.7万人に、2000年は215.9万人が241.6万人に、2001年は237.2万人が250.7万人に、2002年は264.3万人が287.4万人に、2003年は281.6万人が302.1万人に、2004年は202.3万人が221.3万人に、2005年は213.6万人が231.7万人にというように、毎年20万人前後の人数増加が示されている。
これは地方部から上京してジャカルタでの暮らしに落ち着いたひとびとがイドゥルフィトリ大祭を故郷で祝うために帰省したあと、故郷から親族や知り合いなどを連れてジャカルタへ戻って来ていることを意味している。故郷からひとを連れて戻ってくる者が成功者かというと必ずしもそうでなく、ジャカルタでの成功度合いという要因よりもむしろ、故郷にいる人間の上京意欲に左右されるほうが強いようだ。ジャカルタでの商売が上り調子になって手が足りないために故郷の親族を連れてきて手伝わせるといったケースも少なくないが、スラムに住んで日々かつかつの暮らしを送っているひとも故郷から親族を連れて戻ってくるのだ。後者の場合は連れられてやってきたひとたちに仕事が用意されているわけでなく、そのためかれらは首都での暮らしに自分を慣らしつつ仕事を探す努力も同時に行わなければならない。失業者があふれているジャカルタで田舎からぼっと出の人間にそう簡単に職が得られるわけでもなく、へたをするとそのまま失業者の層をただ分厚くするだけということになりかねない。そうなれば住民行政に負担を増やすことになるのは確実で、それを黙って赦しておけるほど懐の潤沢な都行政でないことも明らかだ。
そのため都庁は新来上京者に条件をつけ、その条件を満たさない者は故郷に送り返すという措置を取っている。その最優先条件はジャカルタで職を得ていることで、職を得た上で転居手続きを正しく行い、首都のKTP(住民証明書)を手に入れておけば言うことはない。都庁は今年もルバランが終わって15日後に都民の住居を戸別訪問して新来上京者を調査し、都内に居住する条件を満たしていない者をその故郷に送り返すというローリング作戦の実施を決めた。住民遵法作戦と名付けられたこのローリング作戦は都庁住民管理市民登録局が秩序安寧社会保護局の協力を得て行うもので、秩序安寧社会保護局は2千人の職員を動員する予定。


「住民検問作戦で摘発者から3万ルピアを徴収」(2006年12月6日)
都内住民検問作戦で摘発された住民管理要件不備の住民からひとり当たり3万ルピアが徴収されていたことに関して不法徴収金ではないかとの声があがっている。3万ルピアを納めさせられた上京者の話では、軽犯罪法違反の簡易裁判などなしに3万ルピアを徴収されたが、それが罰金なのか何なのか曖昧で、摘発した公職者は身分証明書を作る費用だと言ったとのこと。
東ジャカルタ市ジャティヌガラの下宿に住んでいた男性は、自分はジャカルタのKTP(住民証明書)を持っているがその住所が住んでいる下宿と異なっていたために捕らえられ、SKTT(居住地証明書)手続き費用として3万ルピアを払わせられた、と物語る。ほかの上京者たちも3万ルピアを払わせられたが、それが罰金なのか役所の手続き費用なのかまるでわからない、と述べている。
ジャティヌガラ地区では、借家・下宿屋にいる上京者をターゲットにして東ジャカルタ市が夜間に住民検問を行った。摘発された条件不備者はまず地元RW(字長)宅に連行された。
都庁市民登録住民管理局長は東ジャカルタ市が行っている検問作戦について、そこで行われているのは住民遵法作戦でなく住民指導作戦であり、簡易裁判は行われない、と説明している。同局長は、KIP(上京者身分証明カード)作成費用はひとり5千ルピア、SKTT手続き費用は各町役場に掲示されており、それら以外の金が徴収されればそれは不法徴収金だ、とコメントしている。


「カラワンの民間墓苑が分譲を開始」(2007年1月24日)
西ジャワ州カラワンに5百Haの墓苑が開発されている。このSan Diego Hills Memorial Park and Funeral Homes と名付けられた墓苑を開発しているのはPT Lippo Karawaci で、広大な丘陵に抱かれたこの墓苑が完成した暁には120万ヶ所の墓が用意されることになる。すでに250Haで建設工事が終わっており、ムスリム用、クリスチャン用、一般用の三種類のカテゴリーに分けられた墓地が用意されている。また墓苑内には礼拝場所やスポーツ施設など慰安と娯楽のための場所、8Haの人造湖、みやげ物店なども建設される。また火葬場、納骨堂、廟、そして国家に貢献した人のための墓地も用意される計画。10兆ルピアを投資して開発されたこの墓苑は、墓穴単位あるいは土地面積単位で売却される。墓穴はひとつ320万ルピアのものもあれば平米当たり3千万ルピアというものもある。丘の上に昇るにしたがって価格は高くなっていく。家族用にいくつかまとめて買うのも自由だし、あるいは斜面の12ユニットを平米3千万ルピアで買ってもよい。購入した墓地は購入者が所有権を持ち、墓地共同購入証書が発行される。墓地共同購入証書は第三者に転売することが可能だ。現行の都営共同墓地が3年ごとに手続きをしなければならないのに比べれば、一回の購入で所有権が維持される方式ははるかに楽だと言えよう。リッポカラワチ社は7年以内にこの墓苑を完売する計画を組んでいる。


「国籍関連行政サービス料金」
政府は2007年2月17日付けインドネシア共和国政令第19号(Peraturan Pemerintah Nomor 19 Tahun 2007)で人権法務省管轄業務に関連する国民サービス料金を改定した。その中にはイミグレーション関連の公定料金が次のようにあがっている。2006年第12号法令「国籍法」内の国籍取得に関連する項目は次のようになっている。この政令は制定日から30日後に施行される。
?.法務サービス
前略
7.外国人とインドネシア国籍者との婚姻通知・表明証明書(surat keretangan pemberitahuan/pernyataan perkawinan)に関する費用  書類一件につき50万ルピア
8.外国人とインドネシア国籍者との婚姻通知・表明に関する大臣決定書の写し作成費用  申請一件につき25万ルピア
9.インドネシア共和国国籍取得申請の官報での通知とその登録管理費用  申請一件につき50万ルピア
10.国籍取得・帰化の費用  申請一件につき最新SPPTにおける平均月収の25%
11.2006年第12号法令第41条にもとづくインドネシア国籍取得の届出  申請一件につき50万ルピア
12.2006年第12号法令第41条にもとづくインドネシア国籍取得に関する大臣決定書の写し作成費用  申請一件につき25万ルピア
13.18歳に達しもしくはそれ以前に結婚した二重国籍の子供の国籍選択表明の届出  申請一件につき50万ルピア
14.18歳に達しもしくはそれ以前に結婚した二重国籍の子供の国籍選択表明に関する大臣決定書の写し作成費用  申請一件につき25万ルピア
15.インドネシア共和国国籍再取得申請・届出  申請一件につき50万ルピア
16.インドネシア共和国国籍再取得に関する大臣決定書の写し作成費用  申請一件につき25万ルピア
後略


「墓にも税金が」(2007年3月5日)
全国でも稀な豪華墳墓への課税が北スマトラ州デリスルダン県で実施されている。2006年第26号県条例では4x16メートル以上のサイズの墓には一年間280万ルピアが課税されると定められており、県側はそれを更に改定する意向で、噂によれば年間課税額が4百万ルピアに引き上げられるとのこと。条例の中に人種種族の言及は何もないが大きな墳墓を作って祖先を祀り敬う習慣は華人に多く、北スマトラ州の印華人団体はこの条例に対して司法審査を求める予定にしている。中央政府が定めた地方自治体地元収入のための税課金リストの中にも豪華墳墓への課税という項目はない。同県にある印華人の墳墓はその土地を墓地管理財団から買った私有地であり、その土地には毎年土地建物税が課税されていて、財団もまた土地建物税を払いまた豪華墳墓税をも納めている。デリスルダン県議会副議長は、豪華墳墓課税条例はまだ最終のものでなく合法的な形で制定されるよう検討している、と述べている。


「混交結婚の子供3百人が既にインドネシア国籍を得た」
政府は既に混交結婚で生まれた子供たち3百人に対してインドネシア国籍を付与した、とハミッ・アワルディン人権法務相が語った。同相は2月28日にバタムで行われた混交結婚の子供に対するインドネシア国籍付与式典に出席し、5歳の男児と4歳と8ヶ月の女児の合計3人に対してインドネシア国籍を与えた。5歳の男児は父親がベルギー人で母親がインドネシア人、4歳と8ヶ月の女児は姉妹で、父親がシンガポール国籍で母親がインドネシア人という組み合わせ。
同相はその式典で、国籍に関する2006年第12号法令はそれ以前の法令から考え方を刷新したものである、と新国籍法の精神を強調した。旧法令では外見的なことがらを国籍に結び付け、考え方もステレオタイプであり、そんなマインドセットを新法令は覆した、と語る。「白い皮膚をしていたり目が細ければ、その者はインドネシア人ではない、という考えが先に立った。いまはそうでなく、生まれた時点でインドネシア人であるということが原理に置かれている。人種が何であろうと生まれながらにしてインドネシア人であればその者はオリジナルインドネシア民族なのだ。2006年第12号法令は外国人と結婚したインドネシア婦人に保護を与えるものだ。」大臣はそう述べている。[ 2007年3月 ]


「新国籍法は救済ツール」
2月28日にバタムで行われた混交結婚の子供に対するインドネシア国籍付与式典に出た5歳の男児は、2006年4月の「ある混交結婚のケース(上)」で紹介された母子だった。白い皮膚で鼻筋がとおり、茶色がかった頭髪を持つその少年の名はジャン・エドワール・レオポルド・ムティア・アルベール・ベルニエという。この子はベルギー人ベルニエ・パスカル・ルイ・レイモン・ギズレーンとインドネシア人デウィ・シンティアの間に2001年12月1日ベルギーで産まれた。ジャンは文化社会訪問ビザでインドネシアに滞在している。そのビザは60日期限で、それが切れたあとはひと月の滞在許可を毎月更新しているありさまだ。そしてついにパスポートの期限も切れた。ジャカルタのベルギー大使館にパスポートの更新を申請しても、規定は父親の承認を必要としている。そして父親はわが子のそんな事情を完全に無視している。デウィとパスカルは既に離婚しているのだ。
パスポートが無効になったら滞在許可の更新もできない。リアウ州移民局職員の訪問調査が行われ、ジャンはオーバーステイのため国外追放処分が下された。普通、国外追放は本国送還だが、母子は諸方面からの援助を得てマレーシアのジョホールに出た。ジョホールで文化社会ビザをもらい、ふたたびリアウに戻る。そしてデウィは息子の養育権をベルギーの法廷から入手し、それをもとにベルギー大使館からジャンの新規パスポート発行を認めてもらった。だが毎月の滞在許可更新は時間と費用を強いる。女手ひとつで子供を育てているデウィにとってそれはたいへんな重荷だった。そしてデウィはハミッ・アワルディン法相に苦衷を訴える手紙を送った。
法相は、既に3百人ほどの子供たちにインドネシア国籍を付与する証明書を与えたと語る。そのうちの90%は混交結婚した両親のために国籍の問題を抱えていた子供たちだ、と言う。新しい国籍法でその子供たちはインドネシア国籍を得ることができるようになった。子供たちは限定的に二重国籍を持つこともできる。ただし18歳になった時点でふたつの国籍のいずれかを選択しなければならない。2月28日にジャンと一緒にインドネシア国籍を得た4歳と8ヶ月の姉妹もジャンと類似の境遇だった。外国人男性と結婚したインドネシア人女性のわが子のステータスに関わる重荷が新国籍法で救済されるようになった。[ 2007年3月 ]


「混交結婚出産児への国籍付与手続き」
2007年3月13日付けコンパス紙への投書"Kewarganegaraan Si Buah Hati"から
拝啓、編集部殿。ハミッ・アワルディン(Hamid Awaludin)人権法務大臣が混交結婚、中でも特にインドネシア国籍女性と外国人男性の間に生まれた子供たちにインドネシア国籍決定書を与えたというニュースはもう何度も報道されています。わたしは甥のためにその書類の手続きを行う必要があるのですが、大臣はその申請手続きや方法あるいは条件について明確に公表していません。また当事者が納めなければならない費用についても、よくわかりません。
2006年第12号法令のことを聞いたわたしは都内のある移民局事務所を訪問しましたが、すべてがまだはっきりしていないと言うだけでその手続きの内容を説明してくれるひとはひとりもいませんでした。2007年3月2日付けコンパス紙の記事によれば、人権法務相は300人の子供たちのために300通の国籍決定書にサインしたと記されています。その手続きはいったいどのようにすれば良いのですか?費用はどのくらいかかるのですか?あるサービス代行業者は、費用はまだ決められないと言っています。
このような状況はコルプシや癒着やそんな類のものを生み出すことになるのではありませんか?もしすべての手続きがマスメディアに明白に告示され、条件や費用も明らかにされるなら、この国のコルプシは自然と減少して最後には消滅するでしょうに。あらゆることがはっきり知らされないなら、コルプシ撲滅はいつになったら実現することでしょう?チャンスは、有り余っているのではないですか?関連機関からの説明をお待ちします。きっと多くのひとがそれを必要としているにちがいありません。[ 都内チュンパカプティ在住、フランシスカ・スブラタ ]
2007年3月16日付けコンパス紙に掲載された法務省からの回答
3月13日付けコンパス紙でのフランシスカさんの投書に関して説明します。2006年第12号法令で定められた混交結婚からの出生児にインドネシア国籍を付与するための手続きに関する情報とサービスの提供は全国にある人権法務省地方事務所(kanwil Departemen Hukum dan HAM)が行っています。ジャカルタに居住しているひとは、人権法務省法律一般管理総局行政局(Direktorat Tata Negara Ditjen Administrasi Hukum dan Umum Departemen Hukum dan HAM)でも情報とサービスの提供を受けることができます。申請書類や必要とされるすべての条件が取り揃えられたなら、その受付は人権法務省地方事務所内の法サービス部(Divisi Pelayanan Hukum)職員が行います。受け付けられた書類は人権法務省本庁に送られて、大臣が国籍付与を行うための処理がなされます。手続き費用は2005年政令第75条の中に明白に定められています。申請者はその費用を国庫に納めるために指定口座に入金しなければなりません。納入金額と2007年政令第19号の内容ならびに指定口座番号は人権法務省地方事務所で閲覧することができます。
基本的に人権法務省の全職員は2006年第12号法令の趣旨に沿って、法的にその権利を持っているすべてのひとに対し国籍付与手続きの便宜と支援を図るのに吝かではありません。[ 人権法務省行政局長、アイディル・アミン・ダウッ ][ 2007年3月 ]


「出生登録はまだ三人にひとり」
インドネシア政府は1990年大統領令第36号で子供の権利条約を批准して児童の保護に対するコミットメントを表明したというのに、インドネシアの子供の60%はいまだに出生証書(Akta Kelahiran)を持っていない。それどころか、地方によっては証書作成に料金を徴収し、インドネシア共和国在外公館の中にも同じようなことをしているところがある。「子供にとって最善の、差別のない出生登録システムを構築する」と題された討論会の中で、インドネシア児童保護コミッション長官がこの問題の現状を解説した。同コミッションはまた、「Negara Wajib Memberikan Akta Kelahiran Anak : Bagaimana Kenyataannya?(国は子供に出生証書を与える義務がある:しかしその実態は?)」と題する書籍の出版をその討論会の中で紹介した。その書物は、インドネシア独立以来の出生届に関する差別問題に焦点をあて、また国がこの問題に十分な責任を果たしていないことを批判している。インドネシアでの出生登録届出の少なさは、簡素でない手続き、高い費用、国民全階層がアクセスしにくい、といったサービスシステムに起因していることがその書物の中で解剖されている。同コミッション、ワールドビジョンインドネシア、プランインドネシアが主催した今回の活動は、誕生したすべての子供にインドネシア国籍者としても権利を認め、国民のひとりとして統計の中に数えられるように出生登録システムの改革を推進させようというのがそのねらい。出生登録改革では、貧困家庭やマージナルな家庭に生まれた子供たちにも国家方針の決定や開発プログラムの中で考慮される国の一要素となる権利が与えられるよう指向されている。村や町、郡、県・市、州などの各行政レベルで子供の数が正確に把握され、常に正しいデータが用意されていることが政府の児童保護に関わる政策策定にとって軽視できない要素である、と同コミッション長官は強調している。[ 2007年4月 ]


「子供の国籍取得手続きにウンザリ」
2007年4月26日付けコンパス紙への投書"Mengurus WNI untuk Anak"から
拝啓、編集部殿。わたしはインドネシア国籍である自分と外国籍の夫との間で正式婚姻の結果生まれた子供の母親です。インドネシア共和国国籍に関する2006年第12号法令が2006年8月1日から施行されたことによって、わたしの子供はインドネシア国籍を持つ権利を得ました。この国籍申請手続きに関する人権法務大臣規則にしたがい、2006年12月28日にわたしは必要な書類をすべてそろえてジャカルタ地方事務所経由で人権法務省宛てに申請を行いました。大臣規則によれば、書類不備についての呼び出しが14日以内になければ28日以内にわたしの子供の国籍に関する大臣決定書をわたしは受け取れるはずなのです。わたしは焦らないで待ちました。ところが人権法務省ジャカルタ地方事務所から何の連絡もないので、2007年2月なかばにわたしはその件を問い合わせるために電話しました。
すると返事は実にさまざまなものでした。「大臣がメッカ巡礼に上った」にはじまり、「大臣決定書はまだ本庁にある」等々。ところが最終的に、地方事務所はこの手続きで徴収される税外国庫収入タリフが決まるのを待っていたことが判りました。わたしには、「焦らずに待つように」と。でもそれはわたしの問題じゃありません。規則によれば、わたしにはもう大臣決定書が手に入っていてしかるべきなのですから。
2007年3月15日、わたしはジャカルタ地方事務所からSMS連絡をもらいました。税外国庫収入が決まったので同地方事務所で50万ルピアを納めなさいという内容でした。わたしは翌日すぐにそこへ出向いて支払を済ませ、領収書をもらいました。わたしと同じ立場のひとが何人かそこにいて、だれもが大臣決定書をいつもらえるのかと尋ねます。だってもうひと月前には手に入っていてしかるべきものなのですから。地方事務所職員は「多分来週には」と言いましたので3月22日になってからわたしはまた問い合わせをかけました。するとだれが支払済みでだれが未払いかをチェックしているところだという返事です。「待て」「待て」「待て」という返事ばかり聞かされてわたしはもうウンザリです。[ 南ジャカルタ市在住、ディアン・サフェリナ ][ 2007年4月 ]


「搾取役人はチャンスを狙う」(2007年4月13日)
2007年1月26日付けコンパス紙への投書"Biaya Saksi untuk Akta Kelahiran"から
拝啓、編集部殿。わたしは中央ジャカルタ市役所で二人目の子供の出生証書を作るため、三年前の最初の子供のときの経験に従って書類の準備を行いました。それを持って市役所へ行き担当窓口にいたL夫人に提出したところ、かの女は書類を調べてから「完璧に揃っている」と言いました。そして「11万5千ルピアの費用がかかるんですよ。」とわたしに言うのです。しかし役所内に掲示されたさまざまな案内には出生証書作成は無料と書かれています。するとその女性は「もちろん手続き費用は無料だけど、あなたは中国系なので証人が必要なんです。」と言いました。わたしは言い争いをしたくなかったので、そのお金を払いました。
しかし2006年末にテレビで流された政府の社会サービス告知の中でSBY大統領が出生証書作成は無料だと言っていたのをだれもが知っています。さらに内務大臣が2007年はじめにそれを裏書する表明さえ行っています。なのにその政策遂行の中で悪徳役人たちがいまだに国民の手続きを自分たちの私腹を肥やすチャンスにしていることをわたしはたいへん残念に思います。不法徴収金は隠れた形のコルプシのはじまりなのです。[ 中央ジャカルタ市グロラ在住、アンドリ ]


「故人の遺産相続は公証人証書が必要」(2007年4月18日)
2007年1月16日付けコンパス紙への投書"BCA Mempersulit Ahli Waris"から
拝啓、編集部殿。わたしの妻、故ラッナ・デウィ・KはBCA銀行BSDシティにタハパン貯金口座を持っていました。妻は2006年8月に亡くなりました。わたしは夫として2006年12月28日に妻の貯金を解約しようとしました。わたしは妻の相続人であるという文書を持っているわけではありません。妻の死亡証明書、まだ有効期限内の妻のオリジナルKTP、町役場で裏書された家族登録書のフォトコピー、オリジナル結婚証書、わたしのオリジナルKTPなどすべての必要書類は揃っています。ところがカスタマーサービス担当者によれば、わたしは公証人が作成した相続権証明書を添えなければならないのだそうです。それは残高1千万ルピア以上の口座の手続きです。名義人が死亡したらその解約をするために相続権証明書が必要だという説明は口座を開くときに一言もありませんでした。わたしが銀行に提出した書類はわたしが故ラッナ・デウィ・Kの正式な夫であることを明らかにしているというのに、なんで相続権証明書が必要なのでしょうか?
相続権証明書を作成するには公証人への費用やさまざまな条件が必要になります。BCAのタハパン貯金口座を開くのはあんなに容易なのに、死亡した妻の口座を解約しようとするとどうしてこんなに難渋するのでしょう。わたしはもう妻のタハパン貯金解約を行う気がなくなりました。その口座のお金は大企業で大金持ちのBCA銀行に追加資金として差し上げましょう。[ ジャカルタ在住、G・スシロ ]


「警察記録証明書の有効期間は3ヶ月」(2007年05月02日)
東ジャカルタ市ピサガンバルに住むヘリは民間会社の求人募集に応募しようと思った。応募要項のなかに警察記録証明書(Surat Keterangan Catatan Kepolisian 略称SKCK) というものがある。日本で言えば無犯罪証明書にあたるものだろう。ヘリはまずカラーの顔写真を用意した。ネガを持っていたので4x6cmのものを4枚作った。費用は5千ルピアだった。次に居住者であることを証明してもらうためにRT(隣組長)に仲介状を作ってもらい、そこに更にRW(字長)の合署名をもらって町役場に持っていった。それらのプロセスが無料で済むはずもない。町役場では警察に提出するための書類を作ってくれたが、ここでも5千ルピアを徴収された。
ヘリはその足で東ジャカルタ市警察を訪れた。窓口で申請用紙をもらう。2枚の紙裏表に書かれたさまざまな質問項目の回答欄を埋めて窓口に出すと、管理費用だといってまた5千ルピア。おまけに十指の指紋採取で8千ルピアが徴収された。そうやって手間暇かけ、おまけに3万3千ルピアもの費用もかけて作った警察記録証明書の有効期限はたったの3ヶ月。3ヶ月以内に就職に成功すればいいが、3ヶ月を超えてしまえばまた証明書を作らなければならない。ただし一度作ったものは期限延長システムがあるので、最初のプロセスを一からやり直す必要はない。しかしヘリは結局採用されなかった。他の求人に応募していたりするうちに3ヶ月が過ぎてしまった。次の募集に応募するためには警察記録証明書を延長しなければならないが、そのためには1万5千ルピアの費用がかかる。定職のない身の上であるヘリにとって1万5千ルピアの負担は決して軽くない。


「墓地のミステリー」(2007年6月11日)
南ジャカルタ市クバヨランバルのプトゴガン町にあるブロックP墓地に埋葬されている遺体が掘り起こされている。掘り起こし作業は2006年末ごろから開始され、いまでは百ヶ所ほどの穴があいている状態だ。現場の観測に赴いた5月末に近いその日も掘り起こし作業は続けられており、警備のために警官が立ち会っていた。その掘り起こしは公式な社会告知が何もなされておらず、ある日突然遺族に電話がかかってきて墓地の移転が通告されるという形式のもので、噂が広まるにつれて遺族の間に不安が広がっている。
しかしこのブロックP墓地は都庁が管理する公共墓地のひとつであり、国有地が国民の埋葬の用に供されるために墓地として定められたものであることから転売や用途転換あるいは土地交換を行う場合は宗教省の許可が必要とされており、世間にわからないようにその土地をどうこうできるものではない。このブロックPにあるその土地が墓地として使われ始めたのは1935年のことで、1967年になって都庁が公共墓地としての正式登録を行った。
今回の墳墓掘り起こしでは埋葬者の遺族に遺体の移転が求められ、そのための費用としてある財団法人から1件につき2百万ルピアの費用補助が与えられることになっている。また遺体はラワバチャン、ジャティラハユ、ポンドッグデ、ブカシの墓地に移すようアドバイスされているとのこと。この不可解な状況にマスメディアは首をかしげている。


「続・墓地のミステリー」(2007年6月13日)
プラパンチャ通りに面した南ジャカルタ市庁舎の奥にあるプトゴガン地区ブロックP墓地に埋葬されている遺体を移転させようとしている者がいる。いま7,586平米というクバヨランバルで最大のブロックP墓地は1千ヶ所以上の墳墓を設けることのできる広さを持っており、それが果たしている雨水吸収と樹木による大気浄化はグリーンが急速に減少してきたジャカルタにとって最後の砦と言っても過言ではあるまい。この土地は1935年にハビブ・アブドゥラ・アライディが宗教奉納地として墓地の使用に供したことに端を発すると巷間の定説になっているが、財団法人アマリヤアロフィクラヒムワンシャリファがその奉納を行ったのは当方である、と名乗りをあげた。1993年3月にこの財団はクバヨランバル郡宗教役所に登記を行ったとしている。そしてこの財団法人がブカシ県ポンドッムラティのラワバチャン村にある1万6百平米の土地との交換を行うために墓地の明渡し作業を開始したということらしい。
財団の意向を推進している者たちと親族をその墓地に埋葬している遺族との間で直接の交渉が開始され、大半はやむを得ず了承するという形でおよそ半年前から墳墓の掘り起こし作業が進められてきた。遺族の間に不安が広がって社会問題化してきたために宗教省は声明を出した。いわく「その墓地の土地交換申請は確かに出されているが条件不備のために申請はまだ認められておらず、よって遺族は墳墓を移転させる必要がない」。
にもかかわらず墓移転手続きを行うために少なからぬ遺族が現場を訪れている。かれらにはきっとこのシナリオの結末が読めているにちがいない。墓地には受付デスクが置かれ、やってくる遺族の墓移転手続きや必要な情報を与えるサービスなどが行われており、そこには南ジャカルタ市埋葬サービス事務所職員も出張っている。墓地移転に携わっている者はブロックP墓地が適切さを失ったのでポンドッグデの土地と交換するのだと語り、また、「ここに高級アパートが建つのだろう。」という遺族の言葉に対してクルアン教育園を作るのだと答えている。
ところが財団理事長の話しはまた別のミステリーをつむぎだした。墳墓移転に関連して遺族に管理用紙を配布し記載された紙を回収するようなことを指示してはいない、と理事長は言うのだ。今ある墓地を土地整備の対象とし、土地交換やら墳墓移転などのお膳立てをしているのは南ジャカルタ市庁と指名されたデベロッパーだと言うのである。移転後のその土地をいったい何に使うのかは当の理事長にも知らされていない。墓地移転計画の実行に指名されたのはPT Multi Promo Mandiri というデベロッパーで、2006年7月24日に財団との間で土地交換契約を結び契約は公正証書化されている。
ブロックP墓地は都庁土地用途計画によれば墓地緑地用途と明記されている。遺族たちは今回降って湧いたようなこの墳墓移転の裏にある謀略の臭いをかぎつけており、一部は遺族組合を結成して反対と抗議を表明する姿勢を取っている。同時に首都警察に対して墓地移転問題を告訴することにしており、徹底抗戦の態度を明らかにしている。
都庁埋葬サービス事務所は2005年に墓地用地需要を785Haと算出しているが首都用地整備計画では2010年に745Haを設けるという目標になっている。2005年の墓地用地総面積578Haのうち使用可能用地は380Haでその85%が既に使われており、造成中が198Haということで現実には57Haの余裕しかない。一方公式データによれば、都民の死亡数は住民人口の増加とともに年々上昇してきており、1997年の一日平均80人は2003年に100人近くまで増え、2005年110人、2007年150人というカーブを描いている。都庁埋葬サービス事務所の取扱いデータを見ると、年間の死亡取扱件数は平均37,980で土葬が30,249、火葬1,375、地方への移送6,356となっている。


「混交結婚児童のインドネシア国籍取得手続き」
混交結婚者が組織したコミュニティKomunitas Perkawinan Campuran Melati (KPC Melati)がそのホームページで混交結婚で生まれた外国籍の子供のインドネシア国籍取得手続きについて紹介している。KPC Melati ホームページのURLは< http://www.kpcmelati.org/ >。

申請締切期限  2010年8月1日
費用  申請費50万ルピア
     大臣決定書の写し作成費用25万ルピア
インドネシア国籍取得申請の際に申請書に添付する書類
1. 本人の出生証書のフォトコピー
fotokopi akte kelahiran anak
2. 親または後見人からの本人が未婚であることの表明書
surat pernyataan dari orang tua atau wali bahwa anak belum kawin
3. 本人の外国パスポート(持っていれば)
fotocopy passport wna anak bagi yang punya
4. 親のKTPまたはパスポートのフォトコピー
fotokopi ktp atau passport orang tua anak
5. 親の婚姻証書抜粋書/婚姻証明書あるいは離婚証書抜粋書/離婚証明書のフォトコピー
fotokopi kutipan akte perkawinan/buku nikah atau kutipan akte perceraian/surat talak
6. 養子縁組に関する裁判所判決あるいは証言証書のフォトコピー
fotokopi akte pengakuan atau penetapan pengadilan tentang pengangkatan anak
7. 17歳以上でインドネシア共和国領土内に居住している場合、外国人KTPのフォトコピー
fotokopi kartu tanda penduduk warganegara asing bagi anak yang berusia 17 tahun dan bertempat di wilayah republik indonesia
8. KTP保有義務年齢に達しない子供でインドネシア共和国領土内に居住している場合、家族登録書のフォトコピー
Fotokopi kartu keluarga bagi anak yang belum wajib memiliki kartu tanda penduduk yang bertempat tinggal di wilayah negara republik indonesia.
9. 本人の最新のカラー写真サイズ4x6cmを6枚
pas foto anak terbaru berwarna ukuran 4 x 6 cm sebanyak 6 (enam) lembar.
10. 6千ルピアの収入印紙
materai seharga rp. 6000,
海外での申請先  その国のインドネシア大使館
注)2006年8月9日以降に生まれた子供は上の手続きなしにインドネシア大使館がパスポートを発給する。[ 2007年7月 ]


「ファミリーネームを勝手にいじくる役人」(2007年9月13日)
2007年9月5日付けコンパス紙への投書"Penghapusan Nama Keluarga oleh Pejabat Catatan Sipil"から
拝啓、編集部殿。わたしはジャカルタ南部に住んでいるインドネシア東部地域出身のインドネシア国籍者で終生KTPの保有者です。2007年7月17日、わたしは孫の結婚式に出席し、その婚姻は南ジャカルタ市市民登録職員が記録しました。証書が読み上げられ、職員は何か必要なことがあるかと尋ねました。次いで新婦についての番になりました。何十世代にもわたって使われ、誇りとされていたファミリーネームはそのとき全然異なる名前に変えられてしまったのです。その場にいたおよそ70人の親族から不服の抗議が起こりましたが、市民登録職員はその誤りに対する抗議に関心を示さずその手続きを「出生証書通り、最初の名前」という言葉で締め括りました。しかし出生証書にはいくつかのファミリーネームが記されているのです。常に男児に与えられ継承されてきたファミリーネームを持つインドネシア国籍者、特にインドネシア東部地域出身者がいるということを市民登録職員は知らないのでしょうか?それとも知ったことではないとでも?
個人のアイデンティティとしてのファミリーネームは守られ尊敬されてきたのに、あっさりと消し去られ、他の名前に替えられてしまいました。インドネシア共和国高官たちが作った支離滅裂な規則の内容によってファミリーネームは消滅していくのです。子供や孫の学校の成績表や卒業証書、KTP(住民証明書)、その他の重要書類にファミリーネームは記載されません。その理由は名前がたくさんすぎる、あるいは長すぎてコンピュータに入りきらない、etc. etc.。そんな問題は本人の名前+イニシャル+ファミリーネームという表記のしかたで解決できるはずです。当該機関は登録フォームのフォーマットを見直し、市民登録事務所の職員や出生証書作成者にはまず訓練を与えるようにしてほしいと思います。ファミリーネームを持つインドネシア国籍者としてわたしはこのことを問題にする権利を持っているのです。些細なことのように見えるかもしれませんがこの問題はファミリーネームを持つインドネシア国民に将来厄介で困難な事態をもたらすでしょう。
関係高官が関心も対応も払わないのであれば、これは実に悲しむべきことです。これが間違ったまま放置されれば、ファミリーネームを無くしたことで本人は国内外で多くの困難に出会うに違いありません。[ デポッ市チネレ在住、ジェ・ワラギタン ]


「ポリガミを認めている婚姻法の変更申請が違憲審査で却下される」(2007年10月12日)
婚姻に関する1974年法令第1号ではポリガミが認められている。その法令では、イスラム教徒は妻と裁判所の許可を得た上で新たに妻を娶ることができるとされているが、これは憲法違反であるとしてポリガミ擁護派から憲法裁判所に司法審査請求が出されていた。ポリガミ反対派でなく擁護派が違憲審査を求めたのは実にユニーク。誤解してならないのは、擁護派が求めたのは「ポリガミを廃止せよ」でなくその法令に定められた「ポリガミ実施に必要とされている条件を廃止せよ」というものだったのである。ポリガミはイスラム教で認められた行いであり神に対する勤めであるので、宗教上の自由を尊重するためには法令で定められたそのような条件があってはならない、というのが司法審査を求めた理由。
それに対する憲法裁判所の判決が2007年10月3日に公表された。ジムリ・アシディキ憲法裁判所長官が読み上げた判決文によれば、法令の中で用いられている婚姻原理はモノガミであり、ポリガミは特定の理由・条件・手続きを満たした場合にのみ認められ、それはイスラムの教義に反していない。1974年法令第1号「婚姻法」第4条1項には、妻をふたり以上持つことを望む夫は裁判所に申請しなければならない、と記されておりさらに、裁判所に申請するためには、夫は次の条件を完備しなければならないと第5条1項で述べられている。妻の承認を得ること、複数の妻と子供たちの生活需要を満たす能力が保証されていること、公平な姿勢を持つことを夫が保証すること、の三つがその条件だ。
婚姻法の司法審査を求めた告訴者は、法令内のその条件は神への勤めと考えられるポリガミを自由に行う国民の権利を阻害し、家庭を持つという個人の権利をないがしろにし、差別的で憲法で保証されている基本的権利を損なっている、とその理由を述べている。さらにポリガミの制限は不倫行為をあおり、離婚を盛んにさせ、コマーシャルセックスワーカーをより多く生み出すものだとしているが憲法裁判所長官は、それは告訴者の推測的仮定でしかなく証明不可能である、と告訴者の請求理由を否定した。また女性の数のほうが男性よりも多いとする告訴者の理由も同長官は否定し、中央統計庁2006年データでは、男性の人口比が50.2%であるという数値をあげて今のインドネシアには当てはまらない、と結論付けている。
インドネシアウラマ評議会ファッワ委員会議長は別の場で、現行婚姻法内にあるポリガミの条件規程はきわめて適切なものであり、宗教上の教えであるポリガミを行う権利を阻むものではない、とコメントした。もしポリガミ希望者が二人目以降の婚姻を妻の了承なしに行った場合、それはイスラム法的には正当なシリ婚姻と見なされるが国法では認められない。そのため生まれた子供は母および母方ファミリーとの関係だけが公式に認められることになる。婚姻法にしたがえばポリガミを実行する機会が狭められることになるが、それは同時にポリガミが悪用される機会を狭めることにもなる。ファッワ委員会議長はそうコメントしている。


「子供の国籍手続き、その後」
2006年8月1日に制定された新国籍法によって、混交結婚児童の待遇にいくつかの変化が出現した。出生登録についても、都庁市民登録住民管理局ではいま次のような決まりで手続きが行われている。
父親が外国人であっても、出生証書作成手続きは両親がインドネシア人の場合とまったく同じ扱いになっている。「必要書類がすべて整っていれば、証書は一週間で出来上がる。費用は無料だ。」同局出生死亡課長はそう語る。ただし出生届は誕生後60日以内に行われなければならない。もし61日を超えた場合、1年以内であれば地方裁判所のリコメンデーションが必要になる。また届出先についても60日以内であれば出生地の役所に届け出ればよいが、61日以降であれば親の居住地を管轄する役所への届出となる。この原則は外国で生まれた場合でも同じように適用される。出生後60日以内にその地を管轄する在外公館に届け出れば、外国での出生を証明する書類が作成される。
国籍についてはどうだろうか。2006年8月1日以降に誕生した混交結婚児童は自動的にインドネシア国籍者と認められるようになった。だから移民局事務所あるいは在外公館に申請すればインドネシアパスポートが交付される。2006年7月31日以前に生まれた子供には自動的にインドネシア国籍が与えられないため、印紙貼付の紙にインドネシア語で国籍取得の申請書を作成し、また申請フォームにデータを記載して提出しなければならない。提出先はその子供の居住地を所轄とする移民局事務所で、国外の場合は子供の居住地を所轄とする在外公館になる。子供のパスポートには移民局担当官の認証印が捺され、その子供が外国パスポートを持っている場合にはafidavid(宣誓のもとに説明を記載すること)での説明がパスポートに記載される。この手続きに費用は発生しない、と移民総局広報課長常任代行は述べている。
2006年7月31日以前に生まれた子供は所轄の人権法務省地方事務所長宛てに国籍取得申請を出すことになる。インドネシアに居住している場合、もしその子供が17歳に達してKTP(住民証明書)保有義務を負う年齢になっていた場合は、外国人KTPのフォトコピーに担当官の認証を得たものを添付しなければならない。KTP保有義務に達していない子供であれば、両親のKK(家族登録書)のフォトコピーに担当官の認証を受けたものを添付することになる。ただしこのインドネシア国籍取得申請は2010年8月1日で締め切られるので、それまでにすべての条件を満たす形で申請を出しておかなければこの機会は失われてしまう。また公的な手続き費用は50万ルピアとなっている。
移民総局広報課長常任代行はまた、外国パスポートだけを持っている混交結婚児童はインドネシア入国の際にビザ・イミグレーション許可・再入国許可が免除されるが、もし外国とインドネシアのパスポートを両方持っている子供は入出国の際に同じパスポートを使わなければならない、とも述べている。[ 2007年11月 ]


「離婚訴訟で稼ぐ宗教裁判所職員」(2007年12月10日)
2007年10月17日付けコンパス紙への投書"Biaya Sidang Cerai di Pengadilan Agama Batam"から
拝啓、編集部殿。わたしの妹サミリア・チタはジャカルタに居住する夫に対する離婚訴訟を起こしました。いくつかの理由によって妹の夫はバタム宗教裁判所に出廷できませんが、離婚に同意する書状を送ってきています。その同意書は印紙の上に本人がサインし、また証人のサインとKTP(住民証明書)のフォトコピーも添えられています。
妹は訴訟費80万ルピアを既に納めており、法廷審議が二度開かれました。2007年9月26日、判事団との合意の下に三回目の法廷が開かれることになりましたが、おかしなことに法定費用という名目で25万ルピアを納めるよう裁判所から求められています。それを納めなければ法廷は開かれないと威され、妹が判事と直接会おうとしてもバタム宗教裁判所の職員(D夫人)がそれを邪魔するのです。困っている人間につけこんで利益を得るのがバタム宗教裁判所の手続きプロセスなのですか?わたしの妹は一年以上夫に放置され、まだ学校に通っている子供を抱えて本人が働かなければならない境遇にいるのです。裁判所に行ったり来たりするだけでもたいへんなのに、もっと困難な目にあわせようとされているのですから。妹の夫は一年以上精神的物質的に生計の糧を妻に与えずに離れて暮らしており、イスラム法によれば妹は離婚訴訟を起こす権利を持っています。まるで自分が訴訟判決を下す権限を持っているかのように振舞う傲慢な不良職員をバタム宗教裁判所長官は粛清するよう要請します。そして公正さがわたしの妹を救ってくれますように。[ ジャカルタ在住、ルディ・ヘルランバン ]


「町役場への届出制度」
都民の登録義務は一戸建て住宅だけでなくアパートなどの積層集合住宅にも適用されることを都庁がリマインドした。2004年首都条例第4号では、都内で新住所に居住することを開始した者は14日以内に町役場(Kelurahan)に届け出るよう義務付けている。これは居住者およびその住居の所有者の双方に対する義務付けであるため、アパートのような積層集合住宅の場合は建物管理者と居住者の双方が届出を行わなければならないことになる。
この規定に違反した場合は3ヶ月の入獄もしくは5百万ルピアの罰金が科される。都内各市庁の市民登録住民管理局は管区のアパートに対する訪問調査を実施しており、もし未届けの居住者が入居してからまだ2週間たっていないと言い訳した場合は移転時の書類検査を行うので嘘をついてもすぐわかる、と都庁職員は述べている。またこの規定は施行されて数年を経ていることから、この規定を知らなかったという言い訳は一切斟酌しないとも都庁側は言明している。[ 2007年12月 ]


「都民の死亡は一日120人」(2008年2月28日)
都内の埋葬用地は2011年に使い果たされてしまうので、新規用地開発のために今年は100億ルピアの都庁予算を充当させる必要がある、とプリヤント副都知事が表明した。都内で新たに公共墓地用地を求めるのはたいへん難しく、あと3年後にはそんな状況に直面しなければならなくなるので、早急に手を打っていかなければならない、と副都知事は述べている。都内5市の中で埋葬用地がもっとも欠乏しているのは東ジャカルタ市で、あと1万7千区画しか残されていない。南ジャカルタ市は4万5千区画、北ジャカルタ市は3万区画が残っており、加えてその両地域は土地の余裕もまだあまり厳しいものになっていない。そのため副都知事は2008年の墓地対策として東ジャカルタ市に焦点を当てて新規の公共墓地開発を行なう方針を都議会に提示している。都民の死亡者数は一日当たり100〜120人にのぼっており、このペースだと年間に2ヘクタール以上の埋葬用地が必要になる、とのこと。

「そうまでして、出生届を誰がする?」(2008年5月19日)
都民の出生証書手続き遵守を目的に、都庁は2009年2月19日から取り締まり強化を開始すると公表した。これは2008年2月19日付けで定められた都知事規則第15号で出生証書手続き違反に対する特例免除措置が一年間にわたって都民に与えられるようになったことに関連しており、一年後にその期限が切れ次第本来定められている罰則を適用して法確立を図ることを都庁が宣言したもの。
出生証書作成はすべての国民に義務付けられているものの、あらゆる行政手続に腐敗役人の不法徴収金がからむインドネシアで役人を儲けさせるために法を守ってわざわざ行政手続を行う国民は数少なく、中低所得層庶民はそれをしないことによる罰金とそれをすることによる不法徴収金を天秤にかけてそれをおこなうかどうかを決めているのが普通だ。おまけに政府は法規を定めて国民にそれらの手続きを強制し、従わなければ罰金や刑罰を与えると嚇かすもののその実施は恣意的であり、おまけに偶々罰金や刑罰対象として網にかかっても下っ端捕吏に金をつかませれば無罪放免になるケースがほとんど常識化しているから、国民の法規に対する姿勢は「Siapa takut!」という合言葉でシンボライズされてしまう。「法規は破られるために存在している。」とうそぶく一般大衆の不服従姿勢はこうして長年にわたって培われてきた。おかげで出生者数や人口といった国民デモグラフィーの数値が本当に正しいのかどうか、神でない人間には不可知である、という統計不信にも関わっていくことになる。識者の弁によると、インドネシアにはあらゆる統計数値が完備されているが、唯一存在しないものは正確な統計数値だそうだ。
住民管理行政に関する2006年法令第23号が現在有効な国民の出生登録手続きに関する根拠をなす法規であり、それによれば国民は子供の出生に際して60日以内に地元所轄の市民登録住民管理局に届け出るよう義務付けられている。届出を行うと出生証書が交付される。60日を超えた場合、管理局長の推薦状を添付しなければ市民登録住民管理局は届出を受け付けない。更に1年を超えてしまうと、裁判所に届け出て判決状をもらってこなければ市民登録住民管理局は出生届を受け付けなくなる。その場合に裁判所は最高1百万ルピアの罰金を子供の保護者に科すことになる。
国民は17歳に達するとKTP(住民証明書)の所持が義務付けられるのと同じように、すべての国民は出生すると60日以内に出生証書を作らなければならない、と都庁市民登録住民管理局長は言うのだが、出生証書がないと社会生活に難渋するという状況が作られないかぎり全国民に出生証書が行き渡る時代は来ないに違いない。なにしろここは、他の人間に難渋を与える者は非人間的な悪人だという価値観に強く覆われたソフトで軟弱でひとに優しい社会なのだから。


「住民管理行政に宗教データは不要」(2008年8月22日)
2008年4月6日付けコンパス紙への投書"Kolom Agama di Dokumen Identitas Diri"から
拝啓、編集部殿。この世界のあらゆる国で、政府が発行する国民個人のアイデンティティを証明する公的書類に宗教が記載されているわけではありません。いかしインドネシアでは住民証明書(KTP)や家族登録書(KK)あるいは婚姻証書(Akta Pernikahan)など国が発行する書類には宗教が記載されています。この政策は奇異なものであり、また差別的です。
結果的に社会の中で、宗教を異にする人間間の関係はいつまでも調和を欠くありさまで、一見しては目に見えないのだけれどそれが高く厚い隔壁となっているのです。インドネシア国民なのに公認宗教のひとつを信仰していなければ、政府は住民行政サービスを与えてくれるのでしょうか?あるいは、インドネシア国民と結婚したり、インドネシア国籍を得ようとする外国人でインドネシア政府の公認宗教をいずれも信仰していないひとはどうなるのでしょうか?政府ははたしてそのようなひとに行政サービスを提供するのでしょうか?そのために国際関係に及ぼすインパクトや国連をはじめ国際社会の目に映るわが民族のイメージはどうなるのでしょう?
インドネシア全土で発行されている住民証明書・家族登録書・婚姻証書やその他の書類から宗教欄を抹消するよう政府に要請します。運転免許証(SIM)やパスポートなどのように宗教欄のないフォームに変更してください。[ 西ジャワ州チアミス在住、リム・ビアウ・ホッ ]