インドネシア住民管理制度情報2009〜16年


「行政のひとりずもう?」(2009年3月12日)
2008年8月5日付けコンパス紙への投書"Nama Marga Tidak Dicantumkan dalam Akta Kelahiran"から
拝啓、編集部殿。病院からもらった子供の出生通知書を持ってわたしは2002年に東ジャワ州スラバヤ市市民登録事務所に子供の出生届を出しました。後日出来上がった出生証書を見ると、『〜の男児名前サムエルの出生を証する』と記載されており、わたしが届け出たサムエル・グナワンという氏名になっていません。どうして届出たとおりに証書を作ってもらえないのかと尋ねると窓口職員は、すべての出生証書にはそのように子供の名前だけが記載されるのだと答えました。しかし最近わたしの子供と同年代の子を持つ会社の同僚たちに見せてもらったスラバヤ市市民登録事務所発行の出生証書には子供の氏名が書かれているのです。
あのとき市民登録事務所の窓口職員は、学校でも出生証書の読み方はそこに書かれた子供の名前の後に父親の姓を自動的につけて読むから、出生証書の子供の名に姓が書かれていなくとも問題ないと言ってわたしを信用させましたが、実際とは大違いだったのです。2008年にわたしは子供をスラバヤ市サントカロルス小学校に入学させました。ところが学校側は生徒管理に子供の名前をサムエルとしか表記せず父親の姓を付けてくれません。市民登録事務所窓口職員の言ったことと異なる扱いをされたので、わたしはそのことを小学校の生徒管理事務担当職員に質しました。するとその職員は、学校の生徒管理システムでは出生証書の表記にそのまま従わなければならないことになっている、と説明しました。わたしは学校側に対し、市民登録事務所職員が言ったように親の姓を自動的に子供の名前の後に付けてほしいと要請しました。すると担当職員は類似のケースの例を出してきて、出生証書とは別に市民登録事務所が出した証明者があればそれができる、と解決策を提示したのです。その証明書は2007年に出されたもので、出生証書の名前XXXXはその後に親の姓●●●●をつけて読む、と記されていました。
わたしはそのような証明書を発行してもらうためにスラバヤ市市民登録事務所を訪れましたが、出生証書は子供の名前に自動的に親の姓を付けて読むきまりになっているため、そのような証明書は出さないと言われました。わたしが学校での問題を説明して解決を求めましたが、市民登録事務所職員は政府の規則に従わない学校側が悪いの一点張りです。関係当局は全国民の規準となる規則を実施するようお願いします。[ シドアルジョ在住、アグス・ジャヤ・グナワン ]


「プンリのない行政手続はない」(2009年3月31日)
2008年8月24日付けコンパス紙への投書"Biaya Pencatatan Nikah di Kantor Urusan Agama"から
拝啓、編集部殿。2008年8月11日月曜日、わたしの隣人で中央ジャカルタ市タナアバン郡クブンムラティに住むバンバン・スティアワンが結婚式を挙げました。新郎新婦が連れ立って中央ジャカルタ市タナアバン郡KUA(宗教役所)に登録手続に赴いたところ、規定をはるかに超える70万ルピアを支払わせられました。宗教大臣決定書で定められた婚姻登録費用がいくらであるのかを国民は知っているというのに、全国にあるすべてのKUAの実態は、定められた金額よりはるかに高い金を徴収しています。中には100万ルピアも取られたひとがいます。 全国の郡KUA婚姻登録職員はほとんどすべて、常軌を逸した金額のプンリ(不法徴収金)をためらいもなく国民から搾っているのです。だから宗教省は監察総局や命令系統を通してそれらプンリ犯罪を行なっている職員を取締り厳罰を与えなければなりません。このようなことにまでKPK(汚職撲滅コミッション)に手を下してもらうようなことではいけません。婚姻登録にからむプンリはずっと昔から行なわれてきたことであり、宗教省の名を汚す元凶なのです。宗教省の最前衛にいる職員たちが負っている職務のひとつは、全インドネシア国民の倫理を向上させることではありませんか。ところがかれらは常軌を逸した金額のプンリを実に平然と行なって人倫を汚しているのです。[ ジャカルタ在住、アスマウィ ]


「行政手続にプンリはつきもの」(2009年4月2日)
2008年8月4日付けコンパス紙への投書"Urus Paspor di Pematang Siantar Tanpa Kuitansi"から
拝啓、編集部殿。2008年7月10日木曜日わたしは北スマトラ州プマタンシアンタルの移民局にパスポートを作成しに行きました。14時ごろ表門から入ろうとすると、ガラスの内側にいる職員が横の入り口から入れと言いました。中へ入ると、申請用紙と紙ばさみを1万ルピアで買うように言われましたが、領収書はくれません。申請用紙に記入して提出すると、翌日10時にまた来るように言われました。
写真と指紋の前にわたしはインタビューを受けることになっていると告げられ、そして7万ルピアを払うように言われました。領収書をもらえないのでそれを要求すると、領収書は用意されていないという返事です。それらのプロセスが終わって数時間待ち、13時17分にパスポートにサインするよう言われ、そして20万ルピアを払わされましたがこれも領収書はもらえません。そしてパスポートは翌日取りに来いと言われました。
わたしが不思議に思うのは、プマタンシアンタル移民局事務所に入るのにどうして玄関から入らず脇のドアから入らなければならなかったのか、どうして領収書のもらえない支払を三回も命じられたのか、わたしは結局インタビューを受けなかったのにどうして費用は払わせられたのか、パスポートを手に入れるまでどうして三日も必要とされるのか、といったことです。1万ルピア+7万ルピア+20万ルピアは本当に国庫に入ったのでしょうか?領収書はまったくないのですから。[ プマタンシアンタル在住、ロベール・パンガベアン ]
2008年8月9日付けコンパス紙に掲載されたプマタンシアンタル移民局事務所長からの回答
拝啓、編集部殿。ロベール・パンガベアンさんからの8月4日付けコンパス紙に掲載された投書についてお知らせします。投書に記された疑問はすべてプマタンシアンタル移民局事務所がロベール・パンガベアンさんに回答し、問題は解決されました。国民へのサービス向上のために当方は今後も改善を続けていく所存でおります。[ プマタンシアンタル移民局事務所長、スハディ・スハルトヨ ]


「婚姻届も役人のたかり場」(2009年5月21日)
2008年10月15日付けコンパス紙への投書"Biaya Pencatatan Nikah di KUA"から
拝啓、編集部殿。2008年7月9日、わたしは新郎ドゥディ・マウラナと新婦ラフマ・ウランダリの婚姻届を東ジャカルタ市クラマッジャティ/マカッサル郡KUA(宗教役所)で行い、領収書のない金を12万ルピアも徴収されました。領収書がないならどこかに金を受取ったことを書くようわたしが迫ったので、職員は婚姻希望通知(N−7フォーム)の裏に婚姻登録12万ルピアと書きました。
宗教省からの公文書による規定で公的費用は3万ルピアとなっているというのに、現場のKUA職員はその4倍もの金を徴収するのです。これは搾取と言ってよいものではないでしょうか?政府は国民の費用負担を軽くするために公定料金を定めているはずなのに、KUAは自分が欲しいだけの金を強要して国民を搾取しているのです。都庁宗教省地方事務所はその行為をまともなものに正してください。
そのようなことが放置されれば、宗教のイメージを損ない、貧困国民に悪影響をもたらします。無責任なKUA職員の不品行によってムスリム国民の多くは婚姻登録を怠るようになるでしょう。KUA職員はそのサービスを必要としている国民に奉仕するために公務員に採用されたはずなのに、どうしてかれらのサービスを必要とする国民がかれらに対してサービスするよう強制されるのでしょう。かれらは給料も職務手当ももらっているではありませんか。[ ブカシ在住、アフマッ・ジャジュリ・リファイ ]
2008年10月23日付けコンパス紙に掲載されたマカッサル郡宗教役所長からの回答
拝啓、編集部殿。アフマッ・ジャジュリ・リファイさんからの2008年10月15日付けコンパス紙に掲載された投書について説明申し上げます。当方は10月15日にアフマッさんにお会いして謝罪申し上げました。ご本人は当方の謝罪を受け入れてくださり、この問題は家族的に解決いたしました。[ 東ジャカルタ市マカッサル郡宗教役所長、Mスハルノ ]


「住民管理手続き費用は高い」2009年8月24日)
2009年1月4日付けコンパス紙への投書"Akta Kelahiran di Luar Negeri"から
拝啓、編集部殿。2008年11月12日、わたしはエジプトで1998年と1999年に生まれたふたりの子供の出生証書手続のために西ジャカルタ市Sパルマン通りの都庁市民登録住民管理局を訪れました。書類手続が終わると、料金30万ルピアと罰金10万ルピアを請求されました。
2006年条例第1号の外国で生まれた赤児の出生届手続料金は5万ルピアという規定について質問すると、担当職員はおどおどとあれこれ理由を説明し、そして結局は請求した金額を払えという主張に行き着きます。それでわたしが、結婚証書はカイロのインドネシア大使館で作成されたが市民登録住民管理局にまだ届出を行なっていないと言うと、それなら先に婚姻証明を80万ルピアで作るようにと担当職員は言いました。裁判所がらみで手続すると250万ルピアになるため、その金額は大幅な安さです。
このわたしの体験は実に奇妙で腑に落ちないものでした。婚姻証書や出生証書はそんなに費用がかかるものなのですか?[ 東ジャカルタ市在住、アセップ・デルマワン ]


「出生証書作成は無料」(2009年9月30日)
政府は国民ひとりひとりの重要なアイデンティティとして出生証書の作成を国民に奨めているが、特に貧困層国民にとって出生証書作成の扉はいまだに遠き門になっているようだ。国民に対する情報告知があまり活発に行なわれていないことに加えて、貧困層には高すぎる料金を行政側が徴収していることがその原因らしい。
北ジャカルタ市プンジャリガン郡(Kecamatan Penjaringan)に住むユリ31歳は、7人の子供の中で長子だけが出生証書を持っている、と語る。それも3年前に35万ルピアを払って作ったものだ。今度第二子が学校に上がる時期が来たため、入学手続に出生証書が要求されているので必ず作らなければならない。「出生証書がなかったら、うちの子は学校に入れないんです。うちは子供が生まれたときに出生証書を作ったことはありません。主人は道ばたの物売りだから、そんな大金を用立てることなんかできゃしません。出生証書どころか、お産だって医者やドゥクンの手をわずらわせないで自力で産むようにしてるんだから。」
ユリに限らず多くの貧困家庭は子供の出生時に出生証書を作らず、子供が学齢に達してからはじめてその作成を行なっている。都庁住民登録課長は出生証書を作ろうとしない都民がまだ少なくないことを認めている。「昔は出生証書作成に費用がかかったが、都庁はそれを無料にした。反対に出生証書を誕生後60日以内に作らないと1万ルピアの罰金、1年以上だと100万ルピアの罰金と定められている。ただし貧困家庭に対しては、所轄の役所から貧困家庭であることを証明する書類があれば罰金は免除される。」
都庁が出生証書作成手続を無料化してこのかた証書作成依頼は急増している。過去5年間の平均では出生件数16万件中で証書作成は13万件にのぼっており都民の81%がその手続にしたがっている。その結果今では出生証書を持つ子供の数は90%近くに達しているとのこと。


「タイでの結婚」(2010年4月20日)
2009年8月15日付けコンパス紙への投書"Birokrasi Pelayanan WNI di KBRI di Bangkok"から
拝啓、編集部殿。わたしの兄レイモンド・オンはバンコックでの婚姻に際してバンコック市ペチブリ通りの在バンコックインドネシア大使館で婚姻ステータス証明書手続に障害を受け、あわや結婚がご破算になりかかりました。
大使館員は兄に、印紙を貼付し住所を管轄する町役場で認証を受けた両親からの婚姻許諾書を提出するよう求めたからです。その大使館員はあっさりと、これは新しい規則であり在バンコックインドネシア大使館のホームページにはまだ載っていないものだと言いました。しかしインドネシア大使館のホームページでは両親からの婚姻許諾書について、20歳未満のインドネシア国籍者が行なう結婚に対してのみ適用されるとはっきり説明されているではありませんか。http://www.kbri-bangkok.com/about embassy/visa consular03.html#29のタイにおける婚姻条件に関するページの第7項に、20歳未満の者は本人が居住する町役場で認証を受けた両親からの許諾書、と記されています。
一方、兄は23歳です。インドネシアで生まれ育ったわたしは、バンコックのインドネシア大使館を恥ずかしく思います。イギリス国籍の兄嫁はバンコックのイギリス大使館で何ひとつ官僚主義に邪魔されることなく、容易にスムースに必要な手続を終えました。婚姻証書手続に必要な書類をバンコックのイギリス大使館は実に短時間に用意したのです。[ タングラン在住、レナルド・オン ]
2009年8月26日付けコンパス紙に掲載された在バンコックインドネシア大使館からの回答
拝啓、編集部殿。2009年8月15日付けコンパス紙に掲載されたレナルド・オンさんからの投書に関して、在バンコックインドネシア大使館がレイモンド・オンさん名義の婚姻ステータス証明書発行手続きの中で困難を与えたというのは正しくありません。大使館は迅速なサービスを提供し、求められた婚姻ステータス証明書をその日のうちに作成したのです。
2009年8月10日(月)レイモンド・オンさんは在バンコックインドネシア大使館を訪れて領事部スタッフと面会し、バンコック地方登録事務所で婚姻登録の条件のひとつになっている婚姻ステータス証明書を作成してほしいと要請しました。タイで結婚を行なう外国人はバンコックにある自国大使館が発行する婚姻ステータス証明書を提出しなければならないのです。レイモンド・オンさんはイギリス国籍の女性と結婚しようとしていました。
在バンコックインドネシア大使館はレイモンドさんのアイデンティティを本人持参書類ならびに本人が記入した申請フォームからチェックし、本人が23歳で大学生であることを知りました。大使館側がレイモンドさんの両親の婚姻許諾書を提出するよう求めたのは、後日両親からの抗議を受けるような望まざる事態を未然に防ぐために大使館が独自の判断で取った方針です。本人がインドネシアに居住している大学生であるというデータからレイモンドさんは依然として両親の後見下にあることが推察されました。そのために大使館側は両親から、子供が外国で結婚するというそのシチュエーションに対する許諾文書を取っておくべきだと考えたのです。 レイモンドさんの両親から許諾書がファックスで届いたあと、大使館側はすぐに求められている婚姻ステータス証明書の作成プロセスにかかりました。プロセスは迅速に行なわれ、レイモンドさんはそれ以上長時間待つこともなく証明書を入手し、バンコック地方登録事務所での婚姻手続を進めることができました。[ 在バンコックインドネシア大使館儀典領事機能職ヘッド、クリシュナ・ジェラニ ]


「コンピュータ化された都庁のKTP発行」(2010年5月14日)
首都の住民管理行政を主催している都庁市民登録住民管理局は、住民管理整備の一環としてKTP(住民証明書)発行に住民管理情報システムを使用し、巡回サービス車6台を街中に出して住民サービスを行なっている。2009年に同局はKTP25,658件、KK(家族登録書)22,854件を作成した。
従来からKTP発行手続はもっとも末端の行政機関である町役場で行なわれており、都庁市民登録住民管理局と町役場をオンラインで結んで一元的に住民管理情報システムを利用するため都内42郡の261町役場との間でLANを構築し、住民管理オンラインネットワークが既に機能している。その結果都民のKTPおよびKK保有率は上昇しており、2008年はKTPが95.7%KKは80%だったものが2009年には96.5%と85%にアップしている。


「2千2百万ルピアで埋葬用墓地が買える」(2010年6月1日)
カラワンのサンディエゴヒルズメモリアルパークはインドネシアではじめて民間会社が開発した大規模分譲墓地で、昨今は月間600〜700ユニットという好調な売行きだ。分譲墓地は総面積500Haあり、そのうちの墓地用地所2万6千ユニット面積60Haが販売済みとなっている。墓地ユニット価格は眺望や環境の良し悪しで千差万別だが、ローエンドクラスについては個人向けがユニットあたり2千2百万ルピア、グループ向けはユニットあたり9百万〜1千万ルピアとのこと。
売行き好調の原因についてサンディエゴヒルズ役員は、都内公共墓地の余裕がもうなくなってきているだめだろう、と語っている。


「年金受給資格喪失」(2010年6月11日)
2010年4月19日付けコンパス紙への投書"Janda Muda Penerima Pensiun Dicurigai Taspen"から
拝啓、編集部殿。公務員年金を取り扱う機関としてタスペンは年金者と直接接触します。まだ年若い者から老齢者まで。タスペン職員との接触体験の中で、かれらの年金者に対する態度は改善されるべきだと感じました。年金受給未亡人のわたしはそのとき33歳で、タスペン職員に対面したとき疑惑を抱かれることはありませんでしたが、38歳になったわたしがある必要からタスペンに手続に行ったさい、職員は疑惑を抱いたのです。「奥さんはまだ再婚しないのですか?」
現実に再婚などしていませんがそれを証明できるものがなく、わたしは不安に包まれたのです。『わたしの年金受給資格が取り消されたらどうしよう』。公務員の年若い妻が再婚しているのではないかと疑うのなら、タスペンはどうして結婚証書を発行する政府機関に問い合わせしないのですか?
92歳のわたしの祖母もタスペン職員に疑われました。祖母がタスペン職員に相対したとき職員はこんなことを言ったのです。「奥さん、まだ生きてたんですか?」 まだ生きていることをどうやって証明すればいいんですか?もし疑うのなら、タスペンは死亡証書を発行する機関に問い合わせればいいじゃありませんか。
年金受給者が再婚したのにそれを届け出ず、あるいは死亡していながら届け出ないことを大勢のひとが行なっているため、タスペンがそんな人たちに欺かれていることは承知しています。でもわたしは正直に生きているのに疑われるのは嫌いです。[ ジャカルタ在住、ラスミ・ヒマワンティ ]
2010年4月29日付けコンパス紙に掲載されたPTタスペンからの回答
拝啓、編集部殿。2010年4月19日付けコンパス紙に掲載されたラスミ・ヒマワンティさんからの投書について、当方の回答を次の通りお伝えします。タスペン職員が年金受給者の存在を尋ねるのは、特に老齢年金者の場合それが本人であろうとその扶養者であろうと行わなければならない手順のひとつとなっています。これは年金支給を正しく行なう責任を国に対して負っているタスペンの責務なのです。 タスペンがそう質問するのは、年金受給者が存命しているのかあるいは死亡したのかを確かめ、また受給資格を持つ扶養者が再婚したかどうかを知ることを目的にしています。もし年金受給者本人が死亡したり、あるいはその扶養伴侶が再婚していれば、当方は年金の支給を止めなければなりません。それは資格のないひとに年金を支給することで国庫の無駄な支出とそれを受取った遺族に返済するべき負債が生じるのを防ぐためです。この手順にご不満を感じている皆さんに対して当方はお詫び申し上げます。
もし年金受給者が死亡したり、その配偶者が再婚した場合は、所轄のPTタスペン宛てに通知くださるよう広く市民にお願い申し上げます。ありがとうございました。[ PTタスペン支所長、ダスリザル ]


「異宗教間結婚」(2010年6月14〜17日)
インドネシアでは異宗教間結婚が禁じられており、どちらかが相手の宗教に改宗しなければ結婚は不可能だという理解をしているひとがいるように見受けられるが、それは正しくない。国がそれを禁止していないのは、婚姻法を読めばわかる。現在有効な1974年婚姻法は、それぞれの宗教や信仰の決まりに則してなされた婚姻が正式なものであり、婚姻は現行法規に従って登録されなければならない、と定めているだけで、結婚する男女が同じ宗教でなければならないという条文はどこにも見当たらない。婚姻法で定められているのは、近親婚や重婚あるいは略奪婚の禁止、混交結婚の許諾判定に関するもの、あるいは結婚年齢などの規定だけ。
ならばどうして異宗教間結婚がインドネシアであれほど難しいのか、という疑問が生じるにちがいない。それは国が宗教婚を義務付け、さらに結婚を望むふたりにその許可を与えるか否かについてはそのふたりを取り巻くひとびとがそれを承認するかどうかという点に下駄を預けたことに関わっている。
そこだけを取り上げて見るなら、結婚を望むふたりを取り巻くソサエティがその結婚に祝福を与えるかどうかということが結婚の成立を決める最終要因とされており、住民自治に配慮したたいへん民主的な法律であるというようにも思えるが、本当にそうだろうか?
国としては個人の宗教的背景がどうあろうと宗教社会で認められる結婚がなされた場合にそれを公式とし、住民管理行政上で婚姻の届出を行なえばそれだけで十分であるという立場に立っていて、形式的にそうなっているなら国法に抵触することがらはなにひとつない、ということになるわけだ。であるなら、異宗教間結婚があれほどインドネシアで困難なのは国と無関係に社会がそうしているからであって、宗教アイデンティティソサエティが異教徒と親族関係を結ぶことを受け入れようとしないことがその原因になっている。もちろん宗教省KUA(宗教役所)はムスリム・ムスリマと異教徒の結婚を認めないが、それは国家法規の執行というよりもイスラムアイデンティティソサエティ内の宗教法執行という意味合いであるため、国家機関が行なっているから国がしているのだという論理はインドネシアで外れるケースが多々あることを追記しておこう。そもそもインドネシアという国はイスラム国家でなく神を尊ぶことを筆頭に掲げたパンチャシラ原理による世俗的国家であることが憲法に明示されており、にもかかわらず宗教省という政府機関がマジョリティ国民であるムスリムの国民生活指導管理機関として設けられていること自体、非インドネシア国民であるわれわれには常識的感覚にそぐわない異様なありさまとして目に映る。もちろん宗教省は国が公認した宗教の行政管理をすべて行なっているものの、大臣の椅子には必ずムスリムが座っている。
話を異宗教間結婚に戻そう。宗教の異なるふたりが結婚を望んだとき、結婚当事者にとってそれぞれの宗教アイデンティティソサエティにそれをどう受け入れさせるかということが最大の難関となる。異宗教間結婚の前に大きく立ちはだかっているのがその問題なのだ。
ある女権擁護民間団体は新聞の「結婚相手求む」広告を統計的に分析した。多数の異なる種族が異なる文化や生活習慣を持って隣接地域に居住しているインドネシアでは、昔からどの種族はああだこうだ、結婚相手にはどの種族がいいの悪いの、といった話題が大勢のひとの口の端にのぼった。いまはそれに加えてどの宗教信者だと結婚相手にどうとかこうとかということまで品定めの要素は広がっている。統計分析からは、結婚相手を求める際にどの種族が他のどの種族に対してオープンであるかということが明らかにされているものの、宗教についてはそんなオープンさがまったく見られず、各宗教は結婚相手を求める際にきわめて閉鎖的であるという結論が導かれている。
手っ取り早くそのハードルをクリヤーしたいカップルは、シンガポールなどの外国へ出かけて結婚登録証を手に入れてくる。既成事実を作ってしまえば、異宗教間結婚に反対していても諦めてしまう親族がいることは確かだ。しかしそれで感情的なしこりを作ると、将来の親戚付き合いに問題を招く恐れは強い。ファミリー社会であるインドネシアでは、ファミリー共同体の和を崩す人間が背負うべき精神的負担はきわめて大きく、異文化の人間に想像及ばない面がある。
だからアンディ40歳とワティ40歳は互いに結婚を約束してから10年間辛抱した。その間ふたりは互いに相手の家族親族の感情に最大限の気遣いを払った。まるで一番大切なはずの自分たちの結婚よりもそのほうが大切なことであるかのように。互いの行き来は、ふたりだけのデートはもちろんあるものの、相手の家族との接触や交際なしに済まないのがインドネシアだ。なぜなら、家族の一員の結婚はその一家にとって家族構成員が増えることをインドネシアでは意味しているのだから。結婚がふたりの自由意思だけで行なえる文化の国とはその点でかけ離れた違いがある。家族の一員の結婚希望に他の家族が強く反対すれば、それを無視して結婚するなどとんでもない話となる。あくまでも個人はファミリーの中に包含される構成要素であり、ファミリーあっての個人なのである。
アンディとワティの結婚に互いの家族は猛反対した。「わたしたちふたりの気持ちを理解しようとする者は互いのファミリーの中にひとりもいなかった。みんながわたしたちの気持ちをずたずたに引き裂くようなコメントばかり口にした。10年辛抱して、ついに結婚の日取りを決めた。市民登録事務所(Kantor Catatan Sipil)で婚姻登録手続してから、互いの宗教に則した結婚宣誓式を二回行うことを計画したら、『おまえは捨てられたロバの子供になりたいのか?』とわたしは言われたし、ワティは『おまえは背教徒だ。絶対に天国の扉はお前に開かれない。』と言われた。異宗教間結婚がふたりの自由意思で行なえるならややこしい問題はなにひとつないが、インドネシアで結婚はふたりの新しい人生の門出というだけでなく、ふたつのファミリーの結合であり、それまでふたりを取り巻いてきた親族・友人・知合いたちの融合でもあるため、意思決定をふたりだけで行なうことはたいへん難しい。」アンディはそう語っている。
アンディとワティのカップルは多分、結婚したいのに阻害されている幾千組もある異宗教カップルのひとつだろう。その阻害を乗り越えるために、カップルのいずれかが相手の宗教に改宗しなければならないように思われている。「しかしそんな改宗は宗教の本義から言えば欺瞞でしかない。異宗教間結婚の場合、もっとも重要なのは市民登録事務所での手続であり、それが終わればKUA・教会・寺・廟のどこで式を行なおうと自由だ。ただ現在の形態は異宗教間結婚者が負い目を感じながら行なっている雰囲気が強い。結婚は基本的人権のひとつであり、政府は異宗教間結婚がもっと自然に行なわれるように法整備を行なうべきだ。」反女性への暴力国家コミッション理事長はそう語っている。
女権活動家や民間団体から、現在政府が取っている国民の結婚に関する姿勢を批判する声が出されている。政府は婚姻法で国民の結婚を宗教という枠で括った住民自治に委ねているが、その姿勢は宗教アイデンティティに基盤を置く政治イデオロギーの継続を政府が意図しているためであり、宗教を軸に取ったマジョリティ対マイノリティという構図から生じるパワー関係で国民を統制するパターンを目指すものだ。そのためマジョリティ勢力はますますパワーを強め、反対にマイノリティ集団は逼塞を強いられるという状況が作り出されており、インドネシアが持っていた多様性を磨耗させてマジョリティが標準としている住民管理行政を国家方針に移し替えようと策謀している動きの現われだと見ることができる。憲法は国民の多様性を認め宗教選択の自由を認めているというのに、宗教アイデンティティによるマジョリティ支配を強化するそのような政府のあり方は憲法の精神をないがしろにするものである。
そんな見解が異宗教間結婚にからめて表明されることはひとつの驚きでもあるが、異宗教間結婚を婚姻法の中では禁止せず、それを受け入れようとしないことを知りつつ宗教アイデンティティソサエティの住民自治に委ねたことは、見方を変えればやはり行政が沈黙の中でそれを阻害しようとしていることのあらわれであるのかも知れない。


「出生証書が小学校入学受付の条件」(2010年6月23〜25日)
小学校入学受付シーズンのこの時期、都内5市の市民登録住民管理課で子供の出生証書作成申請が急増している。北ジャカルタ市庁市民登録住民管理課長は、子供の入学受付関連で一週間に1,315件の出生証書を作成した、と語る。「貧困者向け無料作成が161件で、申請遅れ特別裁量が1,154件ある。一日平均220件の申請があって、職員は夜中11時まで残業している。」
出生証書は出生届を行なったことの証憑として交付されるもので、出生届は出生後60日以内に行わなければならず、1年以上経てば罰金100万ルピアが科される。低所得層は子供の出産費用に有り金を使い果たしてしまい、出生証書は公定料金1万ルピアだが役人のプンリ(不法徴収金)が乗って15万ルピアというのが相場になっているからそんな大金は払えず、『金ができたら・・・』と思っているうちに60日を過ぎてしまい、もっと巨額の罰金がかかるから行きたくない、という三段論法で手続するのを先延ばししてしまう。
罰金を科せばそれが嫌さに出生届を励行するだろうと政府は考えているようだが、腐敗役人の狼行為を恐れる国民は別のロジックに従って行動している。この悪循環は国民総犯罪者化のすがたを明白に映し出していると言えよう。
こうしてこれまで子供の出生証書を作っていなかった家庭では、子供が小学校にあがる年齢になったので入学届けを出しに学校へ行くと、学校側に出生証書を持ってこないと受け付けられないと言われ、おかげで親はあわてふためくことになる。
『そんな話はこれまでどこからも聞いたことがない。』と陰で役所の広報告知活動の怠慢さを非難してみるものの、たとえ役所がその問題に関する広報告知活動を大々的に行っていたにせよ、自分がそれに関わりを持つ事態にならなければ関心を持たない庶民が大半だから、その問題はどっちもどっちだろうとわたしの目には見える。
北ジャカルタ市初等教育課長は、出生証書がないと小学校入学が絶対受け付けられないということでは決してない、と説明する。「国立小学校1年生に新入学する児童は2010年7月12日時点で6歳に達していなければならない。6歳未満の子供は情緒がまだ不安定なため、授業を受けることに問題が生じる。」
だから年齢条件をクリヤーしていることを証明する公的書類が必要になり、出生証書はその確認のために使われる。もし出生証書がなければ出生認知証明書でもよいし、それもない場合は町役場から子供の出生日を証明する種類をもらってきてもよい。ただし町役場に子供の出生日が記録されているわけでないため、隣組長(RT)と字長(RW)の添え状が不可欠になる。
北ジャカルタ市コジャに住むカルミニ45歳は、子供を小学校に入れるため地元ラワバダッ国立第9小学校へ手続に行った。学校側は子供の出生証書を持ってこいと言い、カルミニが「ない」と答えると、ないのなら町役場から証明書をもらってこい、とカルミニに命じた。カルミニがその証明書を作って学校へ持って行くと、手のひらを返したように出生証書がなければ入学は受け付けられない、と学校の職員は言い張った。同じような扱いを受けた父兄はほかにもいる。
町役場から証明書をもらってこいと言われてどんな証明書なのか見本を見せてくれと頼んだが学校職員に相手にしてもらえず、よくわからないまま町役場から証明書をもらってきたら内容が違うと言われた。さらに、出生証書を作成中だという表明書を市民登録住民管理課からもらってこい、と言われてわけがわからずに頭を痛めている父兄もいる。
小学校入学受付手続というひとつの行政サービスプロセスが決められ、そこに設けられた条件を確認するために参照書類として何を使うかということまで定められているというのに、現場段階でそのサービスを担当する人間が定められたことを定められた通りに実行しない。インドネシアでわれわれはそんな現象を頻繁に体験している。現場段階でそこに関与しているひとたちが独自の判断を盛り込むことはよく行なわれている。担当者が自分ひとりの判断でそのようにすることは稀で、たいていその同僚や上司など関係者が協議して決めていることが多い。依存性社会のひとびとが持っている行動原理はおのずからそのような形態を取ることになるようだ。インドネシアでは、決められたことを決められたように行なう傾向の高いのは女性であり、男性は往々にしてバリエーションをそこに注ぎ込む傾向を持っているため決められた通りのことが行なわれない。だから定型業務は女性に与えるほうが良い結果を享受できると言えるのだが、そのかわり状況が変化してもその変化に合わせて自分の行動を適応させることの難しい性向を持っているから、一長一短は避けられない。これがインドネシアだ。


「国民が生んだ混血児童を無国籍者にしたがる国があるのか?」(2010年7月14日)
2010年5月27日付けコンパス紙への投書"Warga Indonesia Terancam Tanpa Kewarganegaraan"から
拝啓、編集部殿。南フィリピンにいる数千人のインドネシア国民が無国籍者となるリスクに直面しているという2010年5月11日付けコンパス紙の記事はダバオ市にあるインドネシア領事館に再確認する必要があります。かの地に先祖代々住み着いている数千人のインドネシア国民が無国籍者になるようなことが本当に起こるのでしょうか?
かれらはインドネシア人とフィリピン人の間で行なわれた混交結婚から生まれた子供たちなのです。2006年法令第12号国籍法によれば、混交結婚から生まれた子供は18歳になったとき、あるいはそれより早い年齢で結婚したとき、自分の国籍を選択しなければなりません。南フィリピンのミンダナオ島に定住している者が国籍選択を申請する際には、ダバオ市にあるインドネシア共和国領事館に対して行なわれることになります。
問題は、18歳に達して国籍選択の届出を怠った場合、その者は無国籍者になるのでしょうか?国民が無国籍者になるのを望むような国籍法は世界中のどの国にもないと思います。混交結婚から生まれたフィリピン人の血を半分受け継いでいる子供たちをフィリピン政府が見捨てるようなことをするとは思えません。それともかれらは自分がこれまで住んでいた国で異邦人・無国籍者という扱いを受けるように、本当になるのでしょうか?
インドネシア政府はフィリピン政府との二国間協議フォーラムを通して混交結婚から生まれた子供たちの法的ステータスを確定するよう努め、ダバオ市のインドネシア領事館は早急にこの問題の解決をはからなければなりません。[ デポッ市在住、ハルソコ・スディロ ]


「誤認逮捕」(2010年9月15日)
都庁行政警察ユニットと中央ジャカルタ市社会課が実施したおもらい乞食と浮浪者に対する検問作戦で捕まった老婆は単なる一般市民だった。
そのときエルム68歳は雇い主から頼まれてブカプアサの食品を買いに外出した。エルムはその雇い主の家で洗濯とアイロン掛けの仕事をしている。食品を買って戻り道を歩いていたエルムは、大勢の行政警察官が交差点で多数の乞食を追いかけて捕まえているのを目にした。自分には関係ないことと思ってそこを通り過ぎようとしてエルムの手を行政警官の制服を着た男がつかんだ。「イブ、あんたはこっちへ来るんだ。」
仕方なく連行された先にはトラックが待ち構えており、エルムは嫌がったが制服の男たちは無理やりエルムを荷台に乗せた。乞食をしていた男女も何人か乗っている。「こりゃなんかの間違いだわ。わたしゃ乞食じゃありませんよ。」エルムの苦情を聞く耳を持つ人間はひとりもいなかった。
貧しいエルムは古臭く色あせた服を普段から着ている。たしかにかの女を乞食の群れの中に置けば、見分けがつかなくなったことだろう。だからと言って路上でおもらい乞食をしてもいない人間を同類と見なすのは誤認以外のなにものでもない。理論上、乞食浮浪者取締りは薄汚れた服を着ている人間が対象になっているわけではないのだが、取締り官たちがそれをひとつの目安にしていないと言えば嘘になるだろう。
エルムは西ジャカルタ市クドヤにあるビナインサニ第1社会更生院に送り込まれた。身柄引き渡し報告書には、乞食をしていて保護されたという内容の既述がなされている。エルムは仕方なく社会更生院で日々を送ることになってしまった。
一方雇い主は、いつまで待っても食品を持って帰ってこないエルムの失踪届を警察に出した。そして4日後にエルムは社会更生院に保護されていることが判明した。だからといって、エルムがすぐに解放されるわけではない。雇い主の身柄引き渡し要請は拒否された。社会更生院は社会福祉障害者の身柄引受手続を行なうようエルムの家族に求めたのである。町役場・郡役場・都庁社会局からの表明書がなければならない。それぞれの表明書を手に入れるために、さまざまな書類をそろえなければならない。手続は概ね進展しており、身柄引受は時間の問題になってきた。
そんな一家を食い物にしようとする人間も寄ってくる。エルムの夫ンディスはある日、エルムをすぐに社会更生院から出してあげよう、とオファーするチャロを迎えた。これまでその男に会ったことはない。男は謝礼50万ルピアを要求したが、ンディスの手には30万ルピアの金しかなかった。わらをもつかむ思いでンディスはなけなしの30万ルピアを男に渡し、それでなんとかしてくれ、と頼み込んだ。結局男はその金額で一肌脱ごうと約束して去ったが、それ以来二度とンディスの前に姿を現さなかった。
家族のだれかが官憲に捕まると、この手のチャロは必ずやってくる。かれらのたいていは詐欺師だ。


「KIPはKTP取得への切符」(2010年9月17日)
毎年ルバラン帰省したジャカルタ上京者が田舎の親族を連れて戻ってくる。都庁は昔からこの首都の人口膨張現象に頭を痛め、アリ・サディキン都知事時代はジャカルタ閉鎖都市宣言を出したりしたが、その執行には無理な部分がつきまとった。なにしろ憲法で国民の移住の権利は保証されているのだから。
しかし無制限な上京者の流入はスラム地区の増加、土地の不法占拠の増加、そして行き着くところは公共秩序の破壊と犯罪の増加となる。しかし全国の通貨の半分以上がジャカルタに集まっているのだから、地方の無職者失業者が生きるために上京してくるのを防ぐのは、そんな経済状況が変わらないかぎりきっと不可能にちがいない。
都庁はもう何年も前から、住民管理行政にからめて上京者を強制帰郷させる政策を取っている。つまりルバラン逆流上京者に検問をかけて、住民登録を済ませているかどうか、住民登録はジャカルタのKTP(住民証明書)への切り替えを意味しているのだが、ルバラン逆流上京者に対してだけは、ジャカルタで住むところがあることと職があることを条件にしてその切り替えを認めている。つまりジャカルタのKTPを持っていない人間は、その時期に捕まって身元保証人すらいなかった場合に強制帰郷の対象になる。
今年も北ジャカルタ市では、上京者検問をより透明なものにするために上京者管理を実施する。ルバラン帰省の前に上京者の多いエリアに届出窓口を設け、ルバラン前からジャカルタに住んで働いていることを報告させてまず記録しておく。そしてルバラン帰省逆流で戻ってきたとき、かれらに外来者証明書(Kartu Identitas Pendatang = KIP)が発行される。届出リストに名前が載っている者は無条件で、名前がない者は必要書類をそろえた上で上京者は1年期限のKIPを手に入れる。その必要書類とは、以前の居住地が発行した転出証明書、警察の素行証明書、そしてジャカルタで就職と居住場所があることを証明するものだ。
もしもKIPが入手できず、都内で行なわれる上京者検問に引っ掛かった場合、かれらは厚生施設に入れられて社会福祉障害者として名前が記録される。
KIPを手に入れた者はジャカルタのKTPへの切り替えが比較的容易に行なわれる。北ジャカルタ市には既に5,345人のKIP保有者がいる。


「出生証書電子化」(2010年10月7日)
都庁住民管理市民登録局は出生証書手続の電子化を2010年9月18日から開始した。この電子化方式によって作り上げられるデータベースは正確な住民管理データの基盤をなすもので、電子式出生証書には証書番号がふられるだけでなく国民基礎番号も与えられる。このデータベースに登録されればその国民が17歳になったとき自動的にKTP(住民証明書)が発行される。将来的にKTP手続は巡回サービス車両で行なわれるようになり、都民は巡回サービスのスケジュールに注意して、近い場所に車両がやってくる日にそこへ出向くだけで手続ができるようになる。 出生証書については、都民に届出の便宜をはかって保健所で受付がなされるようになり、登録プロセスから証書のプリントまでおよそ10分間で完了する。この手続は無料。届出に際しては、両親のKTPフォトコピー、婚姻証明書、出産医院あるいは助産婦の証明書を持参しなければならない。


「戸籍システムに変化」(2010年10月15日)
都庁住民管理市民登録局は家族登録書(Kartu Keluarga)の電子化を開始した。これは先に開始された出生証書(Akta Kelahiran)と住民証明書(Kartu Tanda Penduduk)の電子化を補完するもので、これによって従来個別に行なわれていた住民管理上の諸手続が住民登録データベースの上で一本化され、国民ひとりひとりがユニークなアイデンティティを持たされて管理されることになる。
電子化された国民家族登録書システムは従来のマニュアル方式によるものとは異なるコンセプトを持つことになった。従来の方式では、極論すれば親類縁者のだれでもが家族登録書の中に記入でき、そこに名前が入ることによって住民証明書を作成することが可能になっていた。しかし電子化された新システムでは、戸主・妻・子供という一親等の間柄だけがひとつの家族登録書に記載されることになり、それ以外の者は記載できなくなる。言うまでもなく、住民登録データベースは国民基礎番号がキーになるため、番号を交付されていない国民はこの電子化国民管理システムの管理対象外となる。
都庁はこの電子化されたデータベースを使って住民管理サービス向上をはかる計画で、巡回サービス車両を都内各所に走らせて住民管理手続の必要な都民に手続の実行を促すことにしている。これまでは町役場に自ら赴き金を払って行政手続を行なっていた都民にとって、これは画期的な進歩だと言えよう。また家族登録書が一親等の者だけを記載するという方向性を打ち出してきたことは、これまで優勢だった大家族主義精神から核家族への国民意識の変化を促すものになりそうだ。


「住民順法作戦が始まる」(2010年10月20・21日)
ルバラン帰省逆流の流れが終わってしばらく猶予期間を置いたあと、都庁の住民順法作戦が開始された。ルバラン帰省した都民が親類縁者を連れてジャカルタに戻ってくるのが逆流の特徴で、この順法作戦は昔から断絶されることなく毎年続けられている。
順法作戦の内容は住宅地区に住んでいる人間がジャカルタのKTP(住民証明書)を持っているかどうかを調査する形を取り、親類縁者に連れられて地方から上京してきた人間がジャカルタで暮らすに当たって住民管理上の届出を行なっているかどうかをチェックすることがその目的になっている。法規に従えば、ジャカルタに移住してきた者は前の居住地から転出通知書をもらい、ジャカルタで居住地を管轄する町役場に届出を行ない、ジャカルタのKTPを交付してもらうという手続をしなければならない。それをしていないのは不法居住者であり罰則適用の対象となる、というのがそこで使われるロジックで、だから不法居住者は元住んでいた地方に強制的に送り返されるという処置が可能になる。
都庁住民管理市民登録局が各市の住民管理市民登録課と共同で2010年9月30日に行なった住民順法作戦で、1,196人がジャカルタのKTPを持っていない不法居住者として捕えられた。西ジャカルタ市315人、東ジャカルタ市256人、中央ジャカルタ市238人、北ジャカルタ市170人、南ジャカルタ市119人、スリブ諸島98人というのがその内訳。それ以外に捕えられたジャカルタのKTPを持っていない79人は社会福祉障害者と判定されたため、かれらは社会更生施設に収容された。また9人の外国人も有効なパスポートを持っておらず、法務人権省移民総局に身柄を引渡された。外国人9人の内訳はエジプト人3人、ベトナム人2人、タイ人2人、ナイジェリアと台湾が各ひとり、となっている。
西ジャカルタ市はタンボラ郡ドゥリウタラ町の8字とドゥリスラタン町の1字で順法作戦の戸別訪問を実施した。その地区は住宅密集地区で、外来者が好んで住み着く場所であるのが実施地区選択の第一の理由であるとのこと。捕えられた不法居住者は中部ジャワ・西ジャワ・東ジャワ・カリマンタン・スマトラ出身者がほとんどで、中でも中部ジャワのプカロガン・プマラン・トゥガル出身者が多数を占める。捕えられた者の中でバンテン州セランから来た20歳の女性は、縫製工場の針子として雇われたので昨日ジャカルタに着いたばかりであり、ジャカルタのKTPを持っていないと処罰されるとは知らなかった、と語っている。
北ジャカルタ市も地方からの上京者が多く集まるパドゥマガン(Pademangan)郡のパドゥマガンバラッ町・パドゥマガンティムル町・アンチョル町の三町で順法作戦を実施した。不法居住者170人のほかに社会福祉障害者が8人捕まり、福祉障害者はクドヤの更生施設に送られた。
中央ジャカルタ市はスディルマンパーク・シティウオーク・ブンドゥガンヒリル1・ブンドゥガンヒリル2のアパートメント4ヶ所とタナアバンの家内工場で順法作戦を行なった。アパート住民の中には調査官の訪問に非協力的で、門前払いをするところもあったが、調査官はアパート管理者に対して住民に協力を口添えするよう依頼し、戸別訪問は例外なく行なわれた。
南ジャカルタ市はパサルミング郡のパサルミング・ジャティパダン・プジャテンティムル三町で順法作戦を実施し、ジャカルタのKTPを持たない者69人に即刻簡易裁判を行なって2万5千から5万ルピアの罰金支払を命じた。またジャカルタのKTPを持っていても、現在住んでいる場所と住所が異なる者が50人いた。


「夫の承認書がない妻の単独行為は認められない!?」(2011年1月6日)
2010年11月9日付けコンパス紙への投書"Oto Multiartha Memanipulasi Data"から
拝啓、編集部殿。2010年9月17日、オトマルチアルタ北ジャカルタ市クラパガディン支店から自動車のローン請求書が前触れもなく届いたのに驚かされました。請求書の中にはわが家の写真が抵当として出ています。しかしローン対象物件である濃紺の2003年製ボルボ(B1173NEP)をわたしは見てもいません。わたし自身もそんなローンを申請したことがありません。わたしはその日のうちにクラパガディンのブルヴァルラヤ通りにあるプラザパシフィック店舗ビル内のオトマルチアルタ事務所を訪れました。その車のローンを申請したのはラティ・スハルジョ、わたしの妻だったことがそのとき判明しました。
住友商事グループのファイナンシング会社であるオトマルチアルタの行為はまったくの素人としか思えません。抵当にされた家屋のオーナーであるわたしの承認も通知もなしにローンを与えることを承認したのですから。たとえローン申請者がわたしの妻だったとしても、戸主であり夫であるわたしはローンを拒否する権利を持っているのです。それどころか、オトマルチアルタ支店の職員プリヨさんもユディさんもこの出来事に当惑していました。標準手続によれば、夫の認知がなければならないことになっているのですから。すなわちオトマルチアルタはデータの操作を行なったのです。[ バンテン州タングラン在住、ブディ・ラハルジョ ]
2010年12月2日付けコンパス紙に掲載されたオトマルチアルタからの回答
拝啓、編集部殿。2010年11月9日付けコンパス紙に掲載されたブディ・ラハルジョさんからの投書について、次の通りお答えします。ブディ・ラハルジョさんの妻であるラティ・スハルジョさんが出されたローン申請内のデータに従ってローン手続は行なわれており、PTオトマルチアルタがデータ操作を行なったというのは正しくありません。また、バンテン州タングランのブミスルポンダマイ住宅地カスティラA3の家屋が抵当になっているということも正しくありません。抵当になっているのはPTオトマルチアルタがファイナンシングを行なったプレートナンバーB1173NEPのボルボS40−2.0CBUなのです。
ラティ・スハルジョさんとPTオトマルチアルタが結んだ消費者ローン契約は、ラティさんが夫の関与なしに個人で行なったものであったとしても、法的にはまったく合法なものなのです。これはラティ・スハルジョさんご自身の希望でもあり、そして法的に根拠があります。
PTオトマルチアルタクラパガディン支店がラティ・スハルジョさんに対する消費者ローン契約に関連して行なったすべてのことがらは標準業務手順に合致しており、且つ現行法規にも則しています。そしてまた、ラティ・スハルジョさんからの不服もありませんでした。そのことを当方は何度もブディ・ラハルジョさんに説明していますが、ブディさんはラティ・スハルジョさんのところにある自動車を引き上げるよう要求しています。当方はその要求に応じられません。というのは、これまでのところラティさんからのローン返済支払遅れはまったく発生していないからであり、ブディさんの要求のほうが法律に反するものだからです。当方はブディさんからのデータ操作という非難に対して法的な対応を取る所存です。[ PTオトマルチアルタ訴訟担当オフィサー、ジャネス・シリトガ ]


「最近のプンリはいじましい」(2011年2月15日)
2010年12月3日付けコンパス紙への投書"Pungli Urus Paspor di Jakarta Selatan"から
拝啓、編集部殿。2010年10月28日、わたしは移民総局南ジャカルタ事務所でパスポートの更新手続を行ないました。思いがけなく、その非常にモダンな事務所でモダン化に反する行為が行なわれていました。
順番待ち番号は電子式にプリントアウトされ、順番が来たひとへの呼び出しボードもまるで大手銀行のような掲示板が使われています。ところがそんなモダンな環境下にありながら、ほめられない行為がいまだに見られました。わたしはオンラインでダウンロードした申請フォームに必要データを記入して行きましたが、もう一度書き直しさせられました。申請フォームには無料のハンコが押されていますが、専用紙はさみを5千ルピアで買わなければなりません。出納で27万5千ルピアの費用を納めるように言われたのに、領収書は27万ルピアとしか記載されず、5千ルピアは何かと言えば赤十字寄付金クーポン2枚を渡されました。クーポンは一枚2千ルピアなので、あとの1千ルピアはいったいどこの幽霊のためなのでしょうかねえ。おまけに出納係はわたしに寄付の意図があるかどうかなど一言も尋ねませんでした。
公的書類更新手続に多大な忍耐心が必要なのは公然の秘密です。少なくとも一日は有休を会社からもらわなければなりません。わたしは朝9時にやってきて、写真撮影が終わったのは15時でした。それもわたしがオンラインで申込みしておいたからです。そうでなければ今日の手続では写真撮影までとてもたどり着けず、三日後もう一度やって来ることになったでしょう。
写真撮影場所には8台ほどのカメラがあり、それぞれに職員がついています。そこでわたしは写真撮影と指紋採取そしてサインを行ないましたが、すべてを終えるのに10分かかりませんでした。8台のカメラに8人の職員がついているのですから、1時間に48人分のパスポート申請が処理されてしかるべきです。実態は、13時から15時までの間、呼び出しボードが写真プロセスを受けるよう指示したのは15人を下回っていました。[ 南タングラン市北スルポン在住、リラ・クルニアワン ]


「最先端技術が入っても旧態然」(2011年3月10日)
2011年1月6日付けコンパス紙への投書"Kecewa Urus Paspor di Imigrasi Jakarta Selatan"から
拝啓、編集部殿。わたしは移民局南ジャカルタ事務所でパスポートを作成しようとした大勢の申請者のひとりです。そこでの無秩序なパスポート作成メカニズムのために、わたしの権利はたいへん損なわれました。
写真撮影は2010年12月17日に行われました。わたしのパスポートは2010年12月24日にピックアップできると担当官は言いました。12月24日に移民局事務所へ出向くと、公務員一斉休暇で事務所は閉まっていました。わたしは12月27日に出直しました。すると予期せぬことを言われました。「あなたのパスポートはまだプロセス中なので、明日来てください。」
気にかかったので、12月17日に写真撮影をした友人ふたりに状況を尋ねました。なんと、かれらはふたりとも12月22日にパスポートを入手しているではありませんか。12月28日に出直すのはやめて、わたしはわざと日数をあけ、12月31日に移民局事務所を訪れました。パスポート交付窓口は順番がでたらめで、12月22日に写真撮影をした申請者が先にパスポートをもらいました。わたしが抗議すると窓口職員はこう愚痴を言いました。「午前4時まで徹夜でパスポートの山を処理したのに、無駄骨じゃないか。」
それから同僚にわたしのパスポートを探すように頼み、しばらくしてから、わたしの作ったパスポートのページが汚損しているのでパスポートを作り直すようにとわたしに言ったのです。パスポートの汚損がわかるまでに二週間もかかるなんて並たいていなことじゃありません。おまけに口喧嘩までして、やっとのことで。結局わたしはそのパスポートにもう一度サインし、2011年1月4〜5日に来るようにと言われました。
この国で、まっすぐで正直な人間でいるのは実に心身をすり減らします。その移民局事務所には、あちらこちらにチャロの姿が散らばっていました。[ タングラン在住、シラユディン ]


「エクスパット向け住宅需給」(2011年3月28日)
外国人居住者(エクスパット)向け賃貸アパートメント需要が上昇するだろう、と不動産リサーチ会社プロコンが指摘している。特に大きな需要はアメリカやヨーロッパから来た駐在員たちで、かれらは少々高くとも平気で契約する、とプロコンのリサーチヘッドは語る。「インドネシア経済は活況を呈しており、エクスパットが大勢インドネシアに戻ってくる。かれらは自動的にサービス付きあるいはなしの賃貸アパートメント需要を10%前後引き上げるだろう。日本をはじめアジアからのエクスパットも少なからずインドネシアに戻ってくるだろうが、かれらは欧米の駐在員よりも低い家賃を求めるようだ。供給のほうは、2012年までにサービス付きあるいはなし、更に売却用アパートの賃貸を含めて4千6百ユニットが新規に加わる。」
サービス付きアパートは契約期間3ヶ月から12ヶ月のエクスパットが主なマーケットになり、平米当たり月額23.2米ドルという少し高めの家賃になる。サービスなしは1年以上の契約で、家賃は平米当たり月額12.9米ドルのレベル。そして賃貸に出される売却アパートはアジアからのエクスパットをメイン顧客にし、家賃はもっと廉い。
地理的には、まず職場に近いということから中央ジャカルタ、更に南ジャカルタはエクスパットコミュニティが既に形成されているという要素があるため、中央ジャカルタから南ジャカルタにかけてのアパートメントに人気が集まりそうだ。
コリエールズインドネシアは、多国籍企業が駐在員の増強を計画している、と述べている。


「パスポート作成者が急増」(2011年4月4日)
2011年1月28日付けコンパス紙への投書"Urus Paspor Tanpa Kepastian"から
拝啓、編集部殿。2011年1月6日、わたしは東ジャカルタ市イミグレーションオフィスへパスポート作成手続に行きました。申請書に記入し、必要な条件をすべて調えたあと、一階の職員から順番待ち番号を取るように指示されました。わたしの番号は149で、手続日は2011年1月24日となっています。18日も待たなければなりません。わたしは2月4日に業務でフィリピンに出張することになっているのです。
1月24日が来るのを待って、わたしは再度東ジャカルタ市イミグレーションオフィスに赴きました。午前9時に到着したというのに、イミグレーション職員はわたしに再度順番待ち番号を取るように言うのです。これでは今日はじめて来たひとと条件が同じになってしまいます。わたしが18日前に行なったことは無駄になってしまいました。
わたしが抗議すると、二階の案内係職員は、「トップが替わり、方針が変わった。ほかのひとと一緒に並んでください。」と言います。「もしまた並んだら、わたしのパスポートはいつできるんですか?」と尋ねると、職員の返事は「二週間後。規則の通りです。」でした。
友人のサジェスチョンに従い、翌25日わたしは西ジャワ州デポッイミグレーションオフィスに申請場所を変えました。しかしそこでも職員が、「申し訳ないが、2月4日までにパスポート作成を終えることはできません。」と言いました。
イミグレーションオフィスのサービスにはがっかりしました。わたしはジャカルタ〜マニラ間往復航空券をもう購入済みなのです。しかし不運な目にあったのはわたしひとりでなかったことが判明しました。1月6日に順番待ち番号を取ったおよそ2百人の申請者がわたしと同じ運命をたどったのでした。[ 東ジャカルタ市ジャティヌガラ在住、ウミ・ファリダ ]
2011年2月11日付けコンパス紙に掲載された東ジャカルタ市イミグレーションオフィスからの回答
拝啓、編集部殿。ウミ・ファリダさんからの2011年1月28日付けコンパス紙に掲載された投書について、次の通りお知らせします。東ジャカルタ市第一級イミグレーションオフィスでは2010年12月以来、申請者が激増したことから、順番待ち番号とウエイティングリスト方式による申請者数制限方針を実施しています。ウミさんが得た149番というのは、パスポート作成のための申請書類提出窓口に書類を出すための順番です。
そのとき指示された日にやってきたウミさんがもう一度順番待ち番号を取らされたのは、申請書類提出窓口にその日書類を提出する順番を決めるためのものであって、これは窓口での混乱を避けるために行なっています。
保安や法確定を優先させつつも、当方は市民に対するサービス向上のために業務の整備に努めております。当方はウミさんに直接事情を説明しようとしましたが、ウミさんの住所が明瞭でなかったためにまだお会いできておりません。[ 東ジャカルタ市第一級イミグレーション事務所長、ユディ・クルニアディ ]


「パスポート作成にまる一月」(2011年4月22日)
2011年2月14日付けコンパス紙への投書"Mengurus Paspor Online"から
拝啓、編集部殿。わたしは代行業者を使わず、中央ジャカルタイミグレーションオフィスでのパスポート作成を自力で行なうことにしました。わたしは子供たちを連れて2011年1月2日午前7時にイミグレーションオフィスを訪れ、オンライン番号順番札を取るよう指示されたので1番の札を得ました。そして午前8時に業務が開始されるのを待ったのです。
オンライン申請者の受付は料金支払が終わってからだというアナウンスがありました。わたしはその日のうちにパスポート作成が終わるだろうと思ってわたしの番が呼ばれるのを辛抱強く待つことにしました。ところが、支払が終わったというのに、わたしの提出した書類挟みを職員は一向に触ろうとしません。
わたしは二度も職員に抗議混じりでわたしの書類のことを尋ね、職員はやっとわたしの書類のチェックをはじめました。なんとその日は提出書類完備の確認をするだけで、写真撮影は別の日になることがそこでわかったのです。わたしは2011年1月5日に写真撮影と指紋採取にもう一度そこを訪れることになりました。
イミグレーションオフィスの順番待ち番号は本人申請のものと代行業者のものが別にされているのをわたしは目にしました。代行業者の従業員や多分その中に混じっているであろうチャロ(周旋屋)たちは実に自由にイミグレーション職員の執務エリアを出入りし、わがもの顔で往来していました。
一方、代行業者を使わない本人申請を行っている市民は忍耐強く自分の番が来るのを待つのです。
わたしの番が来たのは午前11時でした。しかし、パスポートが受取れるのはその日でなく、なんと2011年1月31日だったのです。これがパスポートオンライン申請という名のプロセスなのですか?[ 中央ジャカルタ市メンテン在住、SKナワンサリ ]
2011年3月12日付けコンパス紙に掲載された法務人権省からの回答
拝啓、編集部殿。ナワンサリさんの2011年2月14日付けコンパス紙に掲載された投書について、その情報に対しお礼申し上げます。そして中央ジャカルタ市第一級イミグレーションオフィスのサービスへのご不満に謝罪いたします。
2010年12月から2011年1月にかけて、パスポート交付申請が激増したことをまずお知らせします。年末の休暇シーズンという時期的な要因に加えて、パスポート作成料金が引き上げられるという噂がその増加に拍車をかけました。職員数と必要器材に限りがあるため、当方はその増加を処理するのに困難をきたし、サービスクオリティも期待されたレベルから低下してしまいました。当方はサービスシステムを整備してクオリティの回復に努めております。
代行業者従業員がイミグレーションオフィス職員執務室内にいたことについては、イミグレーション職員の業務の必要性によってかれらが室内に呼ばれていたためなのです。2011年2月からパスポート交付プロセスは平常の状態に戻りました。
オンラインパスポート申請について、申請者はインターネットサイトwww.imigrasi.go.idを通してまず申請を行うことができます。初日、パスポート申請者はオンラインパスポート窓口に来て申請の事実を確認し、必要書類の原本を担当官に提示して検証を受けます。次いで支払窓口の順番待ち番号を取り、支払いの後、写真撮影、指紋採取そしてインタビューというプロセスを経ます。パスポートの受取りは、写真撮影、指紋採取、インタビューというプロセスが完了してから4日以内になされます。
ご批判やご意見はkanim.jakpus@imigrasi.go.id宛てにお送りください。[ 法務人権省広報国際協力局長、マルトゥア・バトゥバラ ]


「権力の恵み」(2011年5月6日)
2011年2月6日付けコンパス紙への投書"Bangunan di Atas Kali Milik Pejabat"から
拝啓、編集部殿。「河川上にある建物は撤去しなければならない」というサブタイトルのついた都内バンジル(banjir =水害)に関する2011年1月3日のコンパス紙記事を読んで、わたしは笑ってしまいました。毎年毎年そんな計画が立てられていることをわたしは知っていますが、そんなことは実行されたためしがなく、いつも話だけで終わっているのですから。
南ジャカルタのポンドッキンダ(Pondok Indah)〜ラヂオダラム(Radio Dalam)〜コストラッ(Kostrad)からクバヨランラマ(Kebayoran Lama)に至るクルクッ(Krukut)川にはいまだに恒久建造物(住居)がたくさん並んでいます。そしてそれらの住居オーナーのほとんどは公職高官なのです。公共事業局担当職員はそれらの住居の撤去が怖いのか、それともそんなことはするなという注文のついた金をもらっているのでしょうか?
そのおかげで、かつてはバンジルのあったためしがないラヂオダラム地区が今現在でさえバンジルに水没しており、激しいバンジルの被害を蒙っているのです。公共事業局はそんなことなど先刻承知のように見えますが、問題解決をはかる行動が取られたことはありません。
バンジルからジャカルタはいつ解放されるのでしょう?、ジャカルタのバンジルは克服できると公共事業局高官がよく言っていますが、それは夢物語だとわたしは思います。排水に関する規則がインドネシア人ひとりひとりに同じように適用されるなら、わたしは正しいことを行います。しかしえこひいきが行なわれるかぎり、排水問題が解決することはないでしょう。[ 南ジャカルタ市ラディオダラム在住、ユディッ・アンディカ ]


「お嬢ちゃん、法規は破られるためのものなのよ」(2011年7月13日)
2011年4月30日付けコンパス紙への投書"Trotoar dan Kewarganegaraan"から
拝啓、編集部殿。大学生のわたしは、公民という教科の学習がどれほど大切であるかということを強く感じています。複雑でもはや当然と思われている市民生活に関わる問題はたいへんたくさんあるのです。わたしはわたしたちの生活環境にまず観察の目を注ぎました。カラワチのリッポビレッジ内イマムボンジョル通りの端、わたしたちがいつも通行する場所です。
そこでは、元々歩行者のために用意されたスペースで商売しているカキリマ商人の姿を目にします。その結果歩行者は路上に降りて通行しなければなりません。路上はさまざまな二輪四輪の車がひしめいています。わたしたちはその双方にインタビューしてみました。歩行者たちは、そこを通るとき安全さと快適さが犠牲になっている、と言いました。カキリマ商人たちは、その場所があるおかげで自分たちは得をしている、と言いました。
道路交通と輸送に関する2009年法律によれば、歩行者は歩道という施設を用意してもらう権利を持っており、そして歩行者のために用意された施設を使うか、または道路の端を使って通行する義務を負っている、とされています。しかし歩行者の大部分はその権利と義務を知らないように見えます。その結果カキリマ商人が歩行者の権利と義務とされている施設を占拠しても、それを許し気にしません。
その観察結果から思うに、良き市民であろうとするなら、法規というものは国を成り立たせるために紙の上に書かれた単なる言葉の集まりだと考えてはいけないのです。その反対に、わたしたちは定められている法規を知り、学び、そして順守するという積極的で敏感な姿勢を持たなければならないのです。[ スラバヤ在住、フェニー・ウィボウォ ]


「パスポート再発行はたいへん」(2011年7月18日)
2011年4月20日付けコンパス紙への投書"Petugas Imigrasi Yogya Minta Uang"から
拝啓、編集部殿。2011年3月初め、80歳の母がパスポートを作るので、わたしがその手続きのために付き添いました。前のパスポートは2006年のジョクジャ地震で紛失したのです。住民証明書・家族登録書・1952年の結婚証明書・紛失したパスポートの番号と日付という必要なものをすべてそろえて行きました。申請書にも記入しました。窓口の担当官は警察からパスポート紛失証明書をもらってくるようにと言いました。翌日またわたしどもは、昨日言われたものを用意してイミグレーション事務所を訪れました。窓口担当官は母の出生証書を尋ねます。母は1931年生まれなので、出生証書のない時代だったとわたしは説明しました。そうでなくとも、母の結婚証明書を添付しており、また以前にパスポートを作った実績があるのでイミグレーション側にデータが全部あるはずではありませんか。
窓口担当官はどうしても市民登録事務所で出生証書を作って来いと言い張ります。そうでなければ宗教役所で結婚証明書を更新してくるように、と。その日のうちにわたしどもは宗教役所を訪れて手続きを済ませ、またイミグレーション事務所に戻りました。するとまたまたピンポン玉にされます。
警察で取り調べ顛末書をもらってこいと言われました。わたしはうんざりして尋ねました。「顛末書なしでできないんですか?」。と。すると担当官は「できる」と答えたのです。公定料金の二倍を払ったらいいのだ、と。[ 東ジャワ州シドアルジョ在住、ヘルナワティ ]
2011年5月25日付けコンパス紙に掲載された移民総局からの回答
拝啓、編集部殿。ヘルナワティさんからの2011年4月20日付けコンパス紙に掲載された投書に関して、次の通りお知らせします。2011年3月初から4月までの間ジョクジャ移民局事務所を調べたかぎりでは、1931年生まれの方のパスポート申請は三件だけでした。その三人の中で窓口担当者のところへパスポート再発行の申請をしたひとはいません。ジョクジャ移民局事務所は四人の窓口担当者を調べましたが、申請を受けた者はいないということでした。移民局の規則では、紛失のためのパスポート再発行申請は警察の紛失証明書を添付した移民局の取り調べ顛末書が必要になります。
ヘルナワティさんの投書には、パスポート申請者の名前も窓口担当官の名前も明記されていませんので、ジョクジャ移民局事務所はフォローするのが困難です。ヘルナワティさんがお母さんのデータをはっきり示してくださるなら、当方は規定に従ってフォローします。[ 移民総局広報管理部長代理、バンバン・チャトゥル ]


「都内外人向け住宅賃貸料金が上昇」(2011年7月30日)
外国人滞在者の増加によるアパートメント需要の高まりで、2011年上半期のアパートメント賃貸料金が前半期から25%も上昇したとコリエールズインドネシアが報告した。これはユニット当たり米ドル建てでの上昇率とのこと。
上昇したのはサービスアパートメントセクターで、非サービスアパートメントはまだ安定している。メンテン地区のサービスアパートメントは6%、クニガン(Kuningan)〜ラスナサイッ(Rasuna Said)地区は10〜12%、ポンドッキンダ(Pondok Indah)地区も12%という上昇率となっている。サービスアパートメント需要は主にアメリカ・ヨーロッパ・オーストラリアからのエクスパットが生み出しているそうだ。一般的にエクスパットに人気のあるアパートメントは次のようなもの。
Dharmawangsa, Sailendra, Four Seasons, Plaza Senayan, The Plaza Residence, The Residence, Golf Pondok Indah, Bukit Golf, Ascott, Menteng Executive, Aston, Permata Berlian, Puri Casablanca, Casablanca, Taman Rasuna, Puri Imperium
コリエールズは今年中ごろまで、戸建て住宅とアパートメントの双方で外国人からの需要は上昇を続けるだろうと見ている。外国人向け戸建て住宅で人気の高いエリアは次の通り。
Kuningan, Menteng, Kebayoran Baru, Pondok Indah, Kemang, Cipete, Permata Hijau, Pejaten, Cilandak
それらのエリアにある外国人向け戸建て住宅は新築もしくは改装された住宅で、一般的に4ベッドルーム、総床面積400〜600平米という仕様になっている。
石油ガス産業・銀行・コンシューマーグッズなどが好調なために各企業はエクスパットを増やす戦略をとっており、駐在に訪れたかれらはごひいきのポンドッキンダやクバヨランバルに家を探そうとするため需給バランスが悪化して家賃が上昇傾向になっている。その両地区は地価が平米3千万ルピアに達しており、外国人向け住宅建設はほとんど行われておらず、住宅供給は頭打ちになっている。


「保守的な結末の外国人不動産所有イシュー」(2011年10月31日)
外国人の不動産所有に関する法規は政令で定められることになるが、土地使用権(Hak Pakai)ステータス用地に限定され、権利期間は30年間とし、期間延長が2回それぞれ20年間の期限で認められる。最初から一括70年間というのは現行農地基本法に違反するため、行うことができない。国会第5委員会副議長は審議結果についてそう公表した。農地基本法の改定がなされるまで、当面はその規定にもとづいて外国人の不動産購入が活発化するのを期待したい、という副議長のコメントだ。
不動産業界有力者のひとりは、外国人の不動産所有に関して不動産の種別・ロケーション・価格条件などに関する規定が定められなければならない、と言う。「外国人が自分の希望に応じた不動産を持つためにはそれが明確に打ち出される必要がある。インドネシア人は諸外国で不動産を購入しているというのに、外国人がインドネシアの不動産を購入できないというのは残念なことだ。現行規定によれば、外国人は賃貸権にもとづいて建てられたアパートメントを購入することができる。しかしデベロッパーが賃貸権ステータスのアパートメントを建てると、建築物使用権(HGB)ステータスを求める国内消費者への販売の扉が閉ざされてしまう。ひとつのアパートメントの中で、上層階は賃貸権・下層階はHGBというようなことはできないので、いずれかひとつを選択しなければならない。どちらかひとつを選べと言われたなら、国内消費者を失いたくないから、われわれはHGBステータスを選ぶことになる。はるかに大きい国内市場を失いたくないから。」
バンドン工科大学住宅住居問題専門家は、外国人の不動産所有問題は、延長手続きの際に起こる問題を処理する専門機関を設ければよいことであり、年数が問題なのではない、とコメントする。「外国人向け不動産市場は確かに大きい。だからもっと安定した居住パターンが必要になる。問題なのは土地使用権が25年間でそれが延長できる云々ということでなく、延長する際のプロセスがとても煩雑で長い時間を要しているのが問題なのだ。だから居住問題を包括的に管掌する機関を設けて、居住パターンや用途と対象などの監督を行い、その中で外国人の居住問題も取り扱うようにする。土地使用権延長手続きもそこで行うようにする。これは外国人のみならずインドネシア国民にとっても有益なことだ。」かれはそう提言している。


「出生証書後追い作成手続き」(2011年11月1日)
2011年8月26日付けコンパス紙への投書"Akta Kelahiran Anak dan Pengadilan Negeri"から
拝啓、編集部殿。いま3歳になる子供の出生証書を作るのに南ジャカルタ市のとても高い費用のせいで、収入の定まらない一市民であるわたしはその負担に押しつぶされかかっています。
隣組長・字長・町長・郡長の仲介状を持ってわたしは南ジャカルタ市住民管理局へ行きました。そこへ行って南ジャカルタ地方裁判所への仲介状を作ってもらうのに2万ルピアも払わせられました。
南ジャカルタ地裁職員は、わたしが持参した仲介状だけでは不十分で、子供に出生証書を出してもらうための申請書を作らなくてはならないと言います。子供が生まれたときにその手続きを怠ったので、わたしの怠慢だったからですって。
更に、住民証明書(KTP)、家族登録書(KK)、婚姻謄本(buku nikah)、すべての仲介状、そして子供が生まれたときの産科病院の証明書などを申請書添付しなければならず、コピーや原本のそれら書類は6千ルピアの収入印紙を貼り、南ジャカルタ市ファッマワティ郵便局で認証を受けなければならないのです。それらの手続きをすべて終えたわたしは、子供の出生証書作成の申請のためにまた南ジャカルタ地裁を訪れました。三歳のわたしの子供の出生証書作成手続きを行うに当たって、わたしは法廷費用31万6千ルピアを納めなければならないと言われ、驚いてしまいました。豊かでない市民であるわたしにとって、その費用はたいへんな負担です。
結局わたしは、子供の出生証書作成申請を取り下げました。この手続きに必要な添付書類を求めてあちこちの役所を駆け回った際に支出した交通費も加えてわたしが既に負担した費用は、わたしの経済能力にとっては膨大な金額にのぼります。どうか費用に関して小市民に特別待遇を与えてもらえないでしょうか?子供のための単なる一枚の出生証書のためにそんなに膨大なお金を支出しなければならないなんて、わたしはとても悲しく涙にくれています。[ 南ジャカルタ市在住、リザ・ブディマン ]


「お役所がやっつけ仕事?!」(2012年8月15日)
2012年5月18日付けコンパス紙への投書"Kesalahan Data pada Dinas Kependudukan Kota Depok"から
拝啓、編集部殿。西ジャワ州デポッ市住民管理局からの電子式KTP(住民証明書)データ採取呼出し状を受取る前、わたしはNIK(住民基本番号)の通知を受取っていました。NIKは一生使用されるものなのです。ところがそのNIK通知書には間違いがいくつかありました。わたしの子供の名前は、これまで持っていたKTPの記載と異なっています。わたしの生年月日も変わっていました。そしてわたしの住所の隣組番号も正しくありません。
同じような間違いはいっぱい起こっているという話を聞きました。コンピュータへの住民個人データ入力を職業訓練中の専門高校生徒にさせた結果だそうです。かれらの入力結果をチェックすることもなく、そのままプリントしたということでした。そしてプリントされたNIK通知状にデポッ市住民管理市民登録局長がサインしたというのです。
そのお粗末な仕事のために、わたしは電子式KTPの作成手続きができなくなってしまいました。それどころか、KTP、KK(家族登録書)、NIK、データ採取呼出し状のフォトコピーまで自分で取り揃えなければならなくなりました。それらのフォトコピーはデータ採取呼出し状を発行しなおすためにデポッ市住民管理局に提出するためなのです。電子式KTP作成プログラムは無料で実施されるとのことですが、わたしのようなトラブルにあった住民はどのくらいの出費が必要になるのでしょうか?[ デポッ市在住、ムスマンSK ]


「子供の名前はこの中から選べ、と市議会」(2013年1月22日)
スラバヤ地元民が子供の名前をつけるときに、「あっ、スラバヤだな」と誰もがわかるような名前をつけるよう市条例で定めたい、とスラバヤ市議会第D委員会議長が表明した。他の地方では部族名を名前につけているところがあり、名前を聞けばどこの種族かがわかる。バリでも、クトゥッ、プトゥ、ニョマン、マデといった名前がつけられているため、名前を聞けばすぐにバリ人だということがわかる。ところがジャワはそこまで特徴的なものがなく、ましてやグローバル化が浸透している昨今、西洋風な名前を組み合わせるようなことが流行しており、ジャワ人、特にスラバヤ人のアイデンティティがどんどん不鮮明になりつつある。だから次世代を担う子供たちに郷土愛を植え付け、スラバヤ人としての誇りを持ってもらうために、子供につけなければならない名前を条例で定めよう、というのが議長の考え。議長は2011年から事あるごとにそのアイデアをプロモートしてきた。
その目的に合致する名前としては、スラバヤ出身の英雄や偉人あるいはスラバヤ市内の地名などを想定しているが、適切で違和感のないものにするために文化人・学術関係者・著名人などに相談して意見をこれからもらう必要がある、と議長は語る。これはスラバヤ人の家族への義務付けであって、スラバヤ在住の非スラバヤ出身家族にはその義務は及ばない。
ところがスラバヤの文化人のひとりはすぐに反対した。「そのようなアイデアは浅慮で非常識であり、オーバーだ。子供の名付けというのは親のプライバシーに関わる権利であり、他人が子供の名前をああしろこうしろと言えるようなものではない。ましてや行政が市民の名前に干渉するなんて。子供の名前には親の祈りがこめられているのだから。地元文化の維持のために子供の名前を統制するような考えは視野が狭く、間違っている。」
スラバヤ人が名前の一部にスラやブアヤ(バヤ)という単語をつけるよう強制されても、みんな当惑するにちがいない。


「国章ガルーダの使用規制は憲法違反」(2013年2月4日)
国旗・用語・国章・国歌に関する2009年法律第24号は国家のシンボルであるそれらの正しい使い方を定めているが、その57条d項と69条c項に関して憲法裁判所が違憲の判決を下した。法律の中では、次のように定められている。国章はオフィス・ビル・教育クラス、官報、パスポート・証書やその他の公文書、金銭(紙幣と硬貨)、印紙に使用されなければならない。また公職官庁のレターヘッド、印章、英雄肩章、公職高官の標章その他に使うことが認められる。そしてそれに違反した場合は刑事罰として1億ルピアの罰金が科される。
しかし国民は昔から国章ガルーダの図案を衣服や頭を覆うキャップあるいは碑やモニュメントなどに使ってきている。その事実に関連して憲法裁判所は今回、2009年法律第24号が国民に国章の自由な使用を禁止し、しかも刑事罰を設けて国民の活動を拘束したのは不適当である、との見解を示した。国民を国章から遠ざけるのは国民のナショナリズムに瑕疵をもたらしかねず、それは憲法の意思に反することであるというのが憲法裁判所の判断。
クリエーティブ産業従事者、特に図案デザイナーたちはこれまで2009年法律第24号の規制に触れないよう努めてきたため、自由な発想が萎縮する傾向にあったが、今回の判決でそのくびきが外されたとして喜んでいる。


「その日のうちにパスポートができる」(2013年2月28日)
パスポートの有効期限が切れた国民の新規パスポート交付申請は一日で対応します、とイミグレーション一級中央ジャカルタ地方事務所が表明した。現在インドネシアのパスポート交付はどこで申請しても可能になっており、本人の居住地は問題にされない。そのため中央ジャカルタ地方事務所も、地方の居住者が手続きに来てもかまわない、と明言している。
同地方事務所管理責任者によれば、パスポート申請手続きにはKTP(住民証明書)、Kartu Keluarga(家族登録書)、Akta Lahir(出生証書)あるいは最終学歴を証明する卒業証書の原本を持参し、本人が出頭して顔写真の撮影とサインをコンピュータ内に登録することになる。既に一度パスポートが交付されている者はイミグレーション本部のデータベース内に本人の情報が入っているので、その情報を検証し、問題がなければ新規パスポートはすぐに発行されるとのこと。パスポート作成プロセスはオンライン通信がスムースであれば1時間で完了し、一日に296件の処理ができる由。つまり期限切れパスポートと上述の資料を持って本人が交付申請にやってくれば、その日のうちに296人が新しいパスポートを持ち帰ることができるということだ。
イミグレーション一級中央ジャカルタ地方事務所は2013年2月6日からこのサービスに特化したため、初めてパスポートを作る国民に対するサービスが行なわれなくなった。だから、中央ジャカルタ市に居住していても初めてパスポートを作るひとは別の土地のイミグレーションオフィスへ行かなければならない。
このサービスを利用した都民の評判は上々で、これまでは申請したら数日後に取りに来いと言われ、言われた日に行ったがまだできていなかったので出直しというようなことが少なくなく、おかげで何回も仕事を休まないとパスポートを手に入れることができなかった勤め人にとっては朗報だ、と賞賛する声もあがっている。イミグレーション西ジャカルタ地方事務所でもこのサービスが行われているとのこと。


「KTPのフォトコピー禁止令」(2013年5月13〜15日)
2013年4月11日付け内務大臣回状第471.13/1826/SJ号で全国地方行政首長に対し、電子住民証明書(e-KTP)の取扱いに関する警告が出された。主旨は電子住民証明書を複写機でコピーしたり、ステープラーで針を刺したり、その他カードに物理的な損傷を与える行為を禁止するという内容。これからは電子住民証明書に表示されている住民基本番号(NIK)と氏名を書き写すようにし、今後依然として行政部門や事業体が国民の電子住民証明書をフォトコピーするなどの行為が発見された場合、それは国民の電子住民証明書に損傷を与えていることを意味するため、現行法規に則して処罰するという厳しい文言になっている。この回状は、住民行政遂行のためにカードリーダーを早急に全行政部門に備えさせるように、との内務省の意志を促進させるものでもある。電子住民証明書用読取器であるカードリーダーを2013年中に全国すべての行政機関に完備させ、2014年1月からフォトコピーなしの新たな住民管理行政スタイルを確立させることを内務省は企図している。
電子住民証明書は数年がかりで従来の在来型管理手法から全国単一データベースによる管理への変更が進められてきたもので、在来型管理手法では同一人が各地の町役場にいる不良公務員との間で何枚も異なる名義の証明書を作ることができたため犯罪行為を促す温床になっていたが、単一データベースでの管理に切り換わったとたんに、同一人が異なる町役場から異なる名前で証明書の発行申請を出してきてもそれが弁別できるようになった。内務省のデータによれば、在来型から電子式への転換が行なわれる中で、全国で80万人が二回以上のアイデンティティデータ登録を行なったことが明らかになっている。
内務省は既に国民1億7千5百万人の個人アイデンティティデータを持っており、そのうち1億3千万人が電子住民証明書を受け取っている。インドネシア国民は17歳に達すると住民証明書の保有が義務付けられ、それに伴って選挙権を持つようになる。内務省は電子住民証明書保有義務を持つ国民があと1千6百万人いるものと見ており、爬行性のある全国地方行政機関の後押しを進めている。だが国民生活のメインは電子住民証明書が既に行き渡ったと観測され、住民証明書の電子化による今後の国民生活への変化がこれからその端緒につくことになりそうだ。
既出の4月11日付け内務大臣回状はその足取りのひとつと思われるが、電子住民証明書をフォトコピーすると証明書のカードに物理的損傷が起こるという理解を誘う文言に国民書階層から不審の声があがった。国民の間で話題になりはじめたのが5月に入ってからであり、行政通達が一般国民、特にメディア関係者の耳目に触れるまでの期間がインドネシアではそのくらいあるということをその事実は示しているにちがいない。なぜなら、内務大臣回状は全国行政機関(民間住民サービス機関を含む)にカード読取器を年内に購入せよと指示するための援護射撃として出されたものと理解でき、一般国民に対する指示として出されたものでないために当然ながら社会告知や記者発表などは行なわれていないからだ。
電子住民証明書のカードは何枚もの層が重ねられており、そのうちの一枚がRFIDチップになっている。8kbの容量を持つそのチップには、名義人のバイオデータ・サイン・顔写真・左手と右手の人差し指指紋が記憶されている。そのRFIDチップは複写機の強い光を当てられるとその熱で破損するのだというような説明がいずこからともなく世の中に出現したが、専門家は「そんなことはない」と否定した。
情テク専門家ルビ・アラムシャは、複写機によるフォトコピーでチップが壊れるということを述べている学術調査は何ひとつない、と語っている。「電子住民証明書に使われたカードに埋め込まれているチップは、摂氏マイナス25度からプラス70度で正常に機能することがスペックの中に謳われている。ただし、針を刺せばもちろんチップは壊れる。住民証明書カードそのものを業務の中でバシバシとステープラーでほかの紙にくっつけるやり方を取っている役所もいくつかある。自動車の納税手続きもそのひとつだ。」
回状のサイン者であるガマワン・ファウジ内務相も国民の間で起こった電子住民証明書のフォトコピー禁止令騒動に関して、あれは国民に向けたものでなくてあくまでも行政通達だとの説明を行い、国民がそういう理解をするのは勘違いだとのニュアンスを言外に匂わせたが、あの文言はだれが読んでもそういう理解を与えるにちがいないだろう。相手によって態度を変え、言うせりふの内容も変える、という国民性がここにも現れているような気がわたしにはするのだが・・・。
ともあれ、電子住民証明書をフォトコピーすれば証明書が壊れるという理解が国民一般に行き渡った以上、行政通達ではノーとしておきながら、国民にイエスと言うわけにもいかない。内務省は国民に対し、その解決策として「一回だけならよい」という譲歩を示した。つまり自分の電子住民証明書は一回フォトコピーしてそのコピーを保管しておき、コピーが必要な状況に直面したらそのコピーを原紙として再コピーせよ、という知恵をつけたわけだ。
住民行政サービスを見ても解るが、インドネシアの会社で事務業務に関わったひとならなおさらのこと、インドネシアの管理事務というのは各部門が紙の上に複写されたフォトコピーをファイルに詰めていくのがその大半をなしていることがお解かりだろう。事務所のフォトコピー機は終日大車輪の回転で、フォトコピー用紙があっという間に使い果たされてしまう。そうやって作り上げられたファイルはどんどんと書庫を埋めてゆき、規定年数が過ぎればまたどんどんと惜しげもなく捨てられていく。今から二〜三十年前、まだ決して豊かでないインドネシアでの暮らしの中に、このような浪費が堂々と営まれている面があることを知って、わたしは愕然としたものだ。だがこれは人間の行動文化に関わっているだけに、その部分だけを改善しようとしてもうまくいかないのも明白だ。もっと言えば、セントラルファイルをみんなが共有してその維持に協力し合うという行動パターンができるかできないかの問題へと進んで行き、そこで公共という観念がかれらの日常行動にどう影響しているかという要素にぶつかって、やっと答えが見つかることになる。今回のフォトコピー禁止令の話をインドネシアのフォトコピー文化への転機到来と見るのは期待過剰にすぎるだろうか?


「希薄な個人アイデンティティ」(2013年10月10日)
去る9月26日に総選挙コミッションが表明した、投票者データのおよそ30%が記録されていない、という報告にわれわれはたいへん驚かされた。その30%という数字は6千5百万という人数に相当している。そんなことが起こりうるなんて、とても信じられない思いだ。
もしも過去から総選挙のたびに確定投票者名簿が正しく作られてきたなら、そのようなことは起こるはずがない。もちろん総選挙は5年毎に行なわれるから、その5年間に新たに投票権を得るひともたくさん出るだろうし、また死去するひともたくさん出るだろう。しかし大半は一定しているはずである。ところが、ある町に住む一家が投票者名簿には夫婦と子供三人が書かれていたのに、それが突然夫だけとなり、妻と子供三人が名簿から消えるということも起こっている。
そのようなデータの混乱を前にしてまず最初に浮かぶ疑問は、前回の総選挙時に使われた投票者名簿は保存されていないのかということだ。もし保存されていないのなら、そのときのデータはどこへやられたのか?もしかしたら、特定政党が投票者名簿の混乱を利用するためにそれを故意に行なわせ、結果的に勝利を得たのではないかという疑いすら抱かせる。しかし、今その分析は行なわない。
今ここで指摘したいのは、本来きわめて重要であるはずの個人データに関する意識の低さである。この国でデータはほとんどの場合軽視されている。たとえば、われわれを取り巻く日常生活の中で、KTP(住民証明書)を複数持っている人間に実に頻?にお目にかかる。それは違法行為だというのに。
もしかれらが法規に忠実で秩序を重んじる人間であるならそんなことは起こらないだろうし、KTPを発行する町役場の職員も規則を忠実に守っていれば、複数のKTPを持ちたいと思っても実現させることはできないはずだ。
KTP発行のベースはKK(家族登録書)であり、KKに名前があることではじめてKTPを発行してもらえる。ところが、ある町役場でKTPを発行してもらった人間が、実はその管区内に居住していないということは頻?に起こっているのだ。ある管区に住んでいた者が別の管区に引っ越す場合、元の管区の町役場で転出証明の手続きを行い、それを引越先管区の町役場へ提出して新規にKKの作成手続きを行なうというのが所定の手続きなのである。新しい引越先でKKを作り、その上で新住所のKTPが給付され、そして前の住所のKTPは回収される。ところが多くの人間が、新しい住所のKTPをもらいながら、古いKTPを返そうとしない。こうして苦もなくかれはKTPをふたつ所有することになる。不思議なことに、前の住所のKTPを延長することも前の町役場のKKがないにもかかわらず、できるのだ。
なぜそんなことをするのだろうか?かれらの返事には、SIM(運転免許証)やSTNK(自動車番号証明書)あるいは銀行口座の届出住所の変更手続きが厄介だからとか、その他もろもろの理由があがってくる。問題は、手続きが厄介であるかどうかというようなことでなく、事実としての住所がどこなのかということであるはずなのに。
そのようなことをすることで、その人間は異なるふたつの町役場で住民として登録されることになるだろう。それどころか、ふたつの州で住民のひとりとしてカウントされることも起こりうるのだが、かれはそんなことを引き起こす自分の行為が不都合だという意識を露ほども持っていない。だから、そのようなことが普通に起こっていれば投票者名簿が混乱するのは当たり前だし、ひいては人口センサスに混乱が生じることも起こりうる。
もし居所を引っ越したら、その人間はただちにKTP、SIM、STNK、銀行口座などすべての個人データに変更を加えなければならない。すべての市民が法規に忠実であるなら、町役場職員も規則に違反する行為を行なおうとはしないだろう。そういう順法精神が重要なのである。
< 前所有者名義 >
同じように普通に行なわれていることがらに、個人間での自動車売買で、購入者が旧所有者の名義をそのままにしておくことがあげられる。つまり他人の車を買ったときに、すぐに名義変更を行なわないということだ。その結果、何らかの必要性から自動車のプレート番号を追って行ったとき、そのことがらの関係者として旧オーナーの名前にスポットが当たることになる。
もしこの問題を放置しておけば、政府が電子式道路通行料金システム(ERP)を開始したときにややこしい問題が発生する。すなわち、実際に支払い責任を負うべき自動車使用者ではなく、ナンバープレートから判別された名義人に請求書が送られることになるわけだ。最近は同一名義人が持っている自動車ごとに自動車税の累進課税が行なわれるようになったから、自分の自動車を売却したひとは相手に名義変更を要求することが習慣化する方向性が生じてはいるのだが。
それだけではない。われわれはみんな、インドネシアでKTPを作るのがたいへん容易であることを知っている。町役場でそれなりの金を渡せば、KTPが手に入る。外国人密入国者も大勢がKTPを持っている。2003年に米国の反テロ戦争に参加したとき、国民のアイデンティティカード保有に関してインドネシアは落第点であることをコンパス紙は知らされた。インドネシア政府が発行するパスポートをはじめとする公式書類を提示する人間に対する審査が格別厳重に行なわれるのは、それが原因なのである。われわれはそのような評価に対して赤面しなければならないはずではないか。
複数のKTP保有問題は、電子式KTPプログラムが正しく運営され、住民管理データが全国的に一元化されることで解決できる。一個人のデータが全国という枠の中で把握されることにより、ひとりが持てるKTPは一枚に限定されることになる。ところが残念なことに、電子式KTPはまだ期待されたレベルでの運営が実現していない。そのために、複数のKTPを持ちたい一部の人間が依然としてチャンスを得ているのが実態だ。
ライター: ジェームズ・ルフリマ
ソース: 2013年9月28日付けコンパス紙 "Rendahnya Kesadaran Akan Data"


「ブクニカ」(2013年11月18・19日)
buku nikah。ムスリム同士の婚姻を証明する文書で、パスポート型になっており、夫と妻に一冊ずつ与えられる。ムスリムと非ムスリム、あるいは非ムスリム同士の婚姻には、ブクニカは発行されない。その場合には一枚のKutipan Akta Perkawinan(婚姻証書抄本)が夫婦のペアに対して発行される。ブクニカにせよ、婚姻証書抄本にせよ、国が国民の婚姻登録を受け付けたことを証明するものだから、一対の男女が単なる同棲関係でなく、社会的に公認された夫婦になっていることをそれが証明してくれる。地方へ行くと、男女のペアが宿をとるときに結婚していることを証明するものを提示できない場合は宿泊させてくれない場合があるから、注意する必要がある。とは言ってもインドネシアのことだから、チップをはずめば・・・という手があるかもしれない。
さて、そのブクニカは中央政府宗教省が作成して各地方自治体の宗教省地方事務所に配給され、KUA(宗教役所)で住民の婚姻が行なわれる都度、消費されていくという仕組みになっているのだが、全国的にブクニカが品薄になっているため、結婚してもすぐに発行してもらえない状況が全国に広がりつつある。ブクニカは新しい戸籍(インドネシアではKartu Keluarga =家族登録書)を作るための必須要件なので、新郎新婦は戸籍を作ることもできず、更には自分たちが法的に夫婦関係にあるということすら証明できない状況がもたらされているわけだ。
その理由についてはさまざまなことが言われており、ひとつは昨今需要が激増していることから、需給バランスが崩れてしまっているためだというものだ。これは新婚さんが増えたということだけでなくそれ以上に、ハジ(メッカ巡礼)のためのパスポート並びに海外出稼ぎ者のパスポートの作成条件にブクニカが加えられたことから、これまでブクニカを持っていなかった既婚者の間にブクニカの需要が高まったという背景がある。同じように、これまで生まれた子供の出生証明書を作っていなかった家庭が政府の啓蒙政策で出生証明書を望むようになり、出生証明書は両親が結婚していることが証明されなければならないため、ここでもブクニカの需要が高まっている。
西ヌサトゥンガラ州では、2012年のブクニカ配給は4万5千冊だったが、需要は54,109冊に達し、万という人数がブクニカの到着を鶴首で待ち望んでいるそうだ。
ところが中部ジャワ州では、盗難が品薄の要因だと言われている。中部ジャワ州バンジャルヌガラ県宗教省地方事務所イスラム社会指導課長によれば、2013年8月半ばにブクニカの夫用妻用セットが3千組盗まれたとのこと。またバニュマス県のKUAでも45セットが盗難にあっている。盗難の結果、バンジャルヌガラ県では11月時点で在庫が5百セットまで減少してしまい、毎月およそ5百組の新婚さんが誕生している同県では年末までの需要に応じることができそうにない。そのために地方事務所は近隣の諸県から急遽ストックを借りることにした。いざ、新婚カップルに与えるブクニカが底をついたときには、臨時の証明書を発行して新たなストックが到着したらそれと交換するような措置をとる意向であることを同課長は明らかにしている。
その盗難について課長が説明したところによると、偽造ブクニカは大きい需要があるとのこと。ブクニカ偽造マフィアにとっては、公式なブランク用紙を盗むのがもっとも偽造品の作成に手っ取り早いわけで、用紙が手に入れば客が求めるデータを書き込み、署名と印判を偽造することで完成する。このような、用紙は本物だが署名や印判、そして内容が偽造であるものはインドネシアでアスパルと呼ばれている。インドネシア語辞典にあるアスパル(aspal)はアスファルトのことだが、ここで言うaspal とはASli tapi PALsu を縮めた言葉で、つまりかっこうは本物だが中身はニセモノということを意味している。このアスパルは用紙が本物であるだけに、実に見分けがつけにくく、そのため昔は公的手続きを代理店に依頼したらアスパルを作られたといった話は枚挙にいとまがなかったくらいだ。そういうアスパルはたいてい役所の不良職員がからんでおり、かれらは公式用紙をごまかして盗み、それを使って公的書類を作るが市民が支払った費用は自分のポケットに入れてしまうということを行っていた。アスパルかどうかは、普通その役所に台帳があって公式に発行されたものは台帳に書き込まれているので、公的書類と台帳を付きあわせてみれば一目瞭然にわかる。しかし市民は役所や代理店へ行って普通に手続きしただけだから本物だと思いこんでおり、何かの拍子にアスパルだと言われ、公文書偽造の犯人にされてしまうから、不条理の世界もいいところだ。
どの地方へ行っても偽造ブクニカの需要は大きく、主には法的な結婚可能年齢に達しない少年少女を結婚させるために作って、あたかも裁判所からの許可を得るプロセスを踏んだかのように偽装するものや、既に妻を持っている男が初婚と偽って別の女性を陥落させるために偽造ブクニカを作ってみせるというような使い方が多いらしい。
いずれの場合も、裁判所で許可を得るプロセスと出費が省けること、二重結婚三重結婚の場合はその事実を公にしないで済むことなどのメリットがあるため、偽造マフィアのビジネスチャンスが作られている。


「ブクニカ品薄問題」(2013年11月20日)
ここ数週間、ブクニカが姿を消している。アグン・ラクソノ大衆福祉統括相は、結婚するカップルが増加しているためだと答えた。スルヤダルマ・アリ宗教相は、白紙ブクニカの配送に関わっている問題だと語った。
それらの説明は明らかにただの放言でしかない。ブクニカ品薄のイシューは宗教省における新しい出来事ではなく、問題の山の中のひとつなのである。宗教省上層部からのメディア報道では、予算承認の遅れに端を発して結果的に印刷と配送の入札に遅れを生じているというのがこの問題の中身のようだ。こんな状況に至るまで宗教省は、問題の根は他の機関つまり7月にやっと予算を承認した国会にあるのだと言って、ただ肩をすぼめるばかりだった。政府の役人たちの間で、予算承認が遅れる要因のひとつを言い表す用語が知られている。『落下星』の質にとられるのだ。これは予算計画に星印が書かれることに引っ掛けたもので、計画の中にいろいろと疑問があり、修正される必要があることをそのサインは意味しているのである。
問題のある予算項目に星印が付けられるのは、本当は政府がクリーンな政府を実現させようと望んでいることの表れだ。ところが星がバラバラと落ちてくるプロセスは、内にKKN(汚職・癒着・縁故主義)を秘めた別のお話なのである。アルクルアン書籍印刷汚職に鑑みるなら、行政(宗教省)と立法(ゴルカル悪徳議員)の癒着の足跡をわれわれはそこに見出すことができる。その悪徳議員はアルクルアン印刷指定業者だったのだ。ブクニカの印刷と配送の入札にひとは同じロジックを当てはめるのではあるまいか。それがすべてを遅らせているのである。
どうであれ、この問題はありふれた管理ミスどころでなく、国民の権利を満たすことにおけるでたらめな国家行政の縮図なのだ。そんな中で『落下星』に関する駆け引きが行なわれているであろうことは、疑う余地もあるまい。国民が婚姻証書をもらえないという騒ぎを武器にして、予算計画をとやかく言わないで早急に承認せよと圧力をかけるような攻め方の一方で、見返りがないのに星が落ちるようなことはない、という圧力がかかるのである。『落下星』をめぐる闘争は国民の利益まで人質に取る段階に入っている。
< 影響 >
ブクニカ品薄はもちろん真新しい出来事ではない。それは宗教裁判所でのイスバッニカ(婚姻確定)申請統計数値を見ることでそれがわかる。イスバッニカというのはKHI(イスラム法集成)に定められているように、1974年の婚姻法が施行されるより前に行なわれた婚姻に関してだけでなく婚姻証書を紛失した場合にも行なわれる。婚姻証書がないことでの直接的影響は、結婚の合法性が失われること(KHI第七条)そして生まれた子供が実の父親との民事的関係の外にあると見なされることである。2010年全国社会経済サーベイは、出生証書のないインドネシアの子供が35%に上っていることを示している。それどころかPEKKA(戸主女性活性化)のサーベイによれば、東ヌサトゥンガラ州アドナラのような離島地区では婚姻証書・出生証書・離婚証書という法的書類のどれかひとつが欠けている住民が67%を占めている。
国家開発企画庁と最高裁判所が他の法曹関係機関と協力して巡回法廷を実施し、その問題の克服を進めている。婚姻の結果生まれた子供であることを確定して市民登録事務所が出生証書を発行できるようにするためだ。一年間の期限を超えた出生登録の集団登記確定要領に関する2012年最高裁回状第6号が出されたことで、国民は出生証書の入手が容易になった。その最高裁回状によって両親の婚姻を巡回法廷やイスバッニカで確定させることが不要になり、出生証書を申請する両親が、その子供が本当にその両親の間で生まれたことを証明するために求められている要件を満たすことで出生証書が与えられるようになった。
いくつかの地方でPEKKAが行なったサーベイ結果は、たくさんの夫婦が婚姻証書を持っていないのは、その婚姻が闇でなされたからということでなく、国家行政が不在だったからであることを示している。
たとえばアチェの動乱期には、宗教役所の担当官が不在のまま結婚式が行なわれた。ブクニカの費用を納めた新婚カップルは少なくなかったが、ブクニカはいつまでたっても届かなかった。あるいはまた、宗教役所担当官が新婚カップルにブクニカを役所に取りに来るように言い、いざ役所へ行くと臨時雇い職員の給料のためと称してたかられることは避けることができなかった。宗教省は政策レベルで宗教役所にブクニカを渡すよう指示しているが、地方でそれは稀な習慣だ。新婚カップルは役所事務所へそれを取りに行かなければならず、そのときに費用支払いばかりか贈賄まで強制されるのである。宗教省は2008年に予算が14.9兆ルピアだったものが2013年には45.4兆ルピアにまで膨張しており、そういう豊かな省の下部機関で貪欲な国民搾取が行なわれているのはありうべからざる問題だ。
2012年最高裁回状第6号が出される前、宗教裁判所庁総局長と一緒にわたしは何度も、郡役所・市民登録事務所・地方裁判所・NGOのPEKKAが催行する巡回法廷に同行した。国家企画庁の「貧困者向け正義プログラム」は貧困大衆が法確定を享受することを実に助けている。
子供たちは、出生証書がないという障害が克服されて小学校へ入学できるようになったし、海外出稼ぎ者になるためのパスポートも作れるようになった。中でもいちばん重要なのは、かれらの存在が国家に認知されたということだろう。
ブクニカ品薄は単なる普通の管理問題ではない。摘発の指先は宗教省だけを指すのでなく、他の政府機関をも指差している。貧困大衆寄りというパースペクティブを持たないクリーンガバナンス努力は、国民、中でも貧困国民、を質にとっているだけだということが、このブクニカ品薄問題に関する特記事項である。
ライター: リース・マルクス、イスラムジェンダー専門家
ソース: 2013年11月8日付けコンパス紙 "Kelangkaan Buku Nikah"


「クリックミス一発で致命傷」(2014年7月15日)
インドネシアでは、パスポートのオンライン申請が行なわれている。ところが、データの入力間違いに気付かずに入力画面を閉じると、たいへんなことになる。たった一発のクリック間違いで申請費用の78万ルピアがパーになったひとの苦情が2014年2月17日付けコンパス紙に掲載された。一度入力されたデータの修正は絶対にできないことになっているのだ。
西ジャワ州ブカシ在住のドモ・ジュハルドモさんは、2013年12月に本人と妻子のパスポート申請をオンラインで行った。イミグレーション事務所へ行けば全プロセスに何日もかかるので、このほうが時間効率ははるかによい。
オンライン申請が終わり、写真と指紋採取を南ジャカルタのイミグレーション事務所で12月30日に行なうことが決められ、かれの一家は当日を待った。
当日午前6時に現場に到着し、係員が持参書類をチェックしてOKを出し、順番待ち番号の書かれた札をもらう。午前8時になって窓口が開き、しばらくしていよいよかれの番が来た。書類を受け取った窓口係員が端末のデータと見比べていたが、問題があると言い出した。ドモさんが申請したパスポート種別は「新規ー通常」というコラムだったが、本当は「更新ー期限切れ」をクリックしなければならなかったのである。
画面に使われている用語の親切な説明があまりないお役所業務風土だから、この種の間違いは決して少なくないのだが、たいていはそういうレベルの国民性を考慮して救出策を設けているケースが多い。かれはそのインプットミスを修正してもらえないだろうかと係員に頼んだ。ところが係員は冷たく「ティダビサ」と拒否した。更に親切にも、この申請は取消されなければならず、既に銀行に納めた申請費用も返却されない、とかれに引導を渡したのである。
自分がミスを犯したのはともかく、その救済策が一切用意されておらず、おまけに支払った金も戻ってこないというのは、国民に対する搾取ではないか、と思ったドモさんは、全国紙に投書した。
その投書に対する南ジャカルタ第一級イミグレーション事務所長の回答が2月27日付けコンパス紙に掲載された。その解説によると、パスポートのオンライン申請アプリケーションシステムに一度入力されたデータは、虚偽・架空パスポート作成という悪用を防ぐため、データ修正は一切認められていないそうだ。それを認めれば、外部者内部者がどんなことをしてそれを闇市場に流すか知れたものではないというのがその理由なのである。それだけ、このパスポート作成という分野は不良分子から虎視眈々と狙われているということが言える。
まったく同じことが申請費用の返却にも当てはまる。パスポート作成費用は申請時に納入されていなければプロセスが始まらないから、申請時点で銀行に費用を納める。納められた費用は法務人権省の税外収入として国庫に入る。税外収入に関する規則では、法務人権省の管轄収入は納入者への返却が禁止されている。返却可能な項目を持っている省もあるが、不可の方が多い。これもまた、可能にしてあれば外部者と内部者がつるんで一度国庫に入れた金がずるずると引き出されて行くというインドネシア特有の事情に関わるものだ。
インドネシアで金はイージーカムイージーゴーだが、政府の金はまじめな国民にとってイージーゴーでしかなく、不良公務員だけがイージーカムを享楽しているということになるにちがいない


「遺体の埋葬場所は自由」(2014年7月30日)
2014年4月28日付けコンパス紙への投書"Pemakaman di Pekarangan"から
拝啓、編集部殿。わたしは西ジャカルタ市クンバガンの北メルヤ町RW010RT006DKI区画ブロック64Aに住んでいます。わたしの家はある一家が昔から持っている先住権の土地の隣です。2014年3月14日、その一家のひとりがお亡くなりになりました。そして、その家では近隣に了承も取らずに遺体を敷地内に土葬したのです。埋葬場所はわが家との境のへいから1メートルほどしか離れておらず、おまけにわが家が毎日の生活用水を得ている深層井戸からもあまり離れていません。
そこに墓穴が掘られているとき、わたしは隣組長に抗議を届出ましたが、相手にされませんでした。それでわたしは、北メルヤ町役場に届出ました。すると町長が視察にやってきましたが、その一家はまるで知らぬ顔でした。住宅地のど真ん中に墓を設けて都市レイアウトを損ない、おまけにわたしの井戸近くに遺体を埋めたわけですから、地下水を汚染して衛生的にもよくありません。都庁公園墓地局、西ジャカルタ市墓地局、都庁都市レイアウト局、西ジャカルタ市長、ジャカルタ都知事など関係諸方面にお願いします。不適切な場所での埋葬を取締ってください。[ 西ジャカルタ市在住、プジ・レスタリ ]


「二重国籍児童の手続きを社会告知」(2014年9月25日)
単一国籍を国民の基本条件にしているインドネシア共和国は子供の二重国籍を認めたものの、二重国籍の子供は十八歳に達してから二十一歳になるまでの間にいずれかの国籍を選択し、他の国籍は放棄しなければならない。世界のグローバル化が進展し、生涯重国籍を認める国が増加しており、またインドネシア国籍者が外国籍の者と混交結婚を行う傾向はいや増しに増えていくのが十分に想定されるため、国民の国籍に関する政府の姿勢が現在のままでは、将来的な問題を育んでいるのと変わらないことになる、とインドネシア混交結婚ソサエティ役員が発言した。
政府は2012年法務人権大臣規則第22号で、二重国籍児童の登録とイミグレーションファシリティ申請手続きに関する規則を定めてその広報告知を行っているが、上の発言はその広報告知の場でなされたもの。
「インドネシアの二重国籍に関するシステムとビューロクラシーも、まだまだ妥当なものになっていない。同じ省内の異なる局で、二重国籍ステータスに対する取扱いや処理プロセスにおける基本概念が異なっている。ましてや国外に居住しているインドネシア人二重国籍児童は、それに輪がかかった状態だ。外務省のこの問題に関する方針は法務省とまた違っているのだから。おまけに国民の一部は、いまだに外国籍者とインドネシア国籍者の婚姻を受け容れようとしない。」
そのインドネシア混交結婚ソサエティ役員の発言に、南ジャカルタ一級イミグレーション事務所長も同意を与えた。内務省住民登録局は法務人権省一般法制局と異なる方針で動いていることを事務所長は認める。しかし、それらの違いは現行国籍法である2006年法律第12号が施行されるようになる前に生まれた子供たちに対して起こっている差異であり、そのカテゴリーに入る子供たちは二重国籍ステータスの申請を行って決定書を取得していなければ依然として外国籍者と見なす方針を取っている役所と、すべて二重国籍者として扱う方針に切り替えた役所があり、それが差異を生んでいる原因である由。2006年法律第12号が施行されてからは、混交結婚で生まれた子供は二重国籍を持つという帰結で共通しているため、ビューロクラシーにおける異なる取扱いは起こらない、と南ジャカルタ一級イミグレーション事務所長は述べている。
なお、法務人権省在住許可イミグレーションステータス局長はそれに関連して、2006年法律第12号の施行以後に生まれた子供たちも、二重国籍者としての出生証書やイミグレーションカードの作成が必要とされていることを社会告知しており、混交結婚をしたインドネシア国籍の父親あるいは母親はそのことにもっと関心をもってほしい、と語っている。


「デンパサルに無届居住者」(2015年2月11日)
デンパサル市が市内の無届居住者摘発を行なった。デンパサル市スラガン(Serangan)町とはスラガン島のこと。デンパサル市秩序安寧住民管理課とスラガン町役場の合同チームが2015年2月6日、スラガン町内の貸室を中心にして居住者検問を行なった。成果は無届居住者76人の摘発。
違反者の大半はバリ島外から仕事を求めて移ってきた者で、島内他県からの移住者はわずかだった。移住者は町役場に届け出て暫定居住者カードの交付を受けなければならない規則になっているが、76人は全員がカードを持っていなかった。州内他県出身の違反者には罰金2万5千ルピア、州外から来た違反者には罰金10万ルピアが科された。
デンパサル市秩序安寧住民管理課長は、移住が禁止されているということでは決してなく、自由に移ってきてかまわないのだが、規則に従って移住者は居住者の届出をしなければならない、と語っている。


「オンラインパスポート申請の罠」(2015年6月19日)
2015年2月2日付けコンパス紙への投書"Uang Tertelan Saat Urus Paspor di Imigrasi"から
拝啓、編集部殿。イミグレーションのウエッブサイトでオンラインパスポート申請を行ったわたしの娘は、書類提出と作成手続きを行なう場所と日付を選択しました。すると、BNI銀行で手続き費用を納めるよう、オンラインシステムに命じられました。
翌日、娘はBNI銀行で費用を納めましたが、オンラインシステムで奇妙なことが起こったのです。前日選択した日付は消えており、オンラインシステムは再び日付を選択するよう求めてきました。娘は大学医学部で医師の実習に参加しなければならないため、別の日付を選択するのは不可能なのです。もっと残念なことに、娘がBNI銀行経由でイミグレーションに納めた費用を返してもらうことができませんでした。
わたしはこの苦情をイミグレーション総局長宛てに文書で提出していますが、いまだに反応はありません。[ 西ジャワ州ブカシ市在住、ロカジャヤ ]
2015年2月9日付けコンパス紙に掲載されたイミグレーション総局からの解答
拝啓、編集部殿。ロカジャヤさんからの2015年2月2日付けコンパス紙に掲載された投書について、説明いたします。
パスポート作成のオンライン申請では、必要データがオンラインフォームにすべて記載されたあと、申請者が申請承認ボタンをクリックすると銀行宛の支払い案内状が発行されます。そこには、銀行への費用支払い・eメールでの手続きプロセス確認に従うこと、そして確認ページには出頭日の選択義務が記されており、5労働日以内にそれらのことがらをすべて実行しなければ申請は自動的に消去され、銀行に支払った費用も返却されません。
2014年法務人権大臣規則第8号第21条には、一般パスポート申請に関連して国庫に納められた費用の一切は返却できない、と記されています。
大勢のパスポート作成希望者がその日その場所での発行を申請するので、申請に失敗するとまったく新規の申請として扱われるため、再度日付と場所を選択して費用を納めなければならなくなります。
銀行への費用支払いが遅くなればなるほど、希望する日付の選択の余地は狭まっていくでしょう。なぜなら、各地のイミグレーション事務所は能力に応じて申請数のクオータシステムを使用しているからです。[ イミグレーション総局官房、ヘリヤント ]


「インドネシア国籍離脱者に朗報」(2016年7月22日)
インドネシア共和国が成立したあと、インドネシアをかつての植民地に戻そうとして戻って来たオランダ東インド支配勢力との間で、血で血を洗う戦争が展開され、最終的にオランダ勢力は去って行ったのだが、オランダ人との間に係累の関係を築いていたインドネシア人の中に、去って行くオランダ人と行を共にしたひとびとがたくさんいる。
オランダ人と殺すか殺されるかという対決を続けてきたインドネシア人にとって、かれらは裏切り者となった。その気分は、オルバ期の終わりごろまで持続していたように、わたしには思える。レフォルマシ期に入っても、外国人を夫に持ったインドネシア女性の大半は、その伝統の矢面に立たされて惨めな思いをしていたにちがいない。インドネシアのイミグレーション制度ばかりか日常生活の中にまで、その種の差別は滲みこんでいたのだから。もっともはなはだしいのは、一度インドネシア国籍を離脱した者は、二度とインドネシア国籍に戻れないという現象があったことだ。このような裏切り者への報復がいまだに続けられているのかどうか、わたしは知らない。
政府人権法務省は16年7月15日、インドネシア国籍離脱者のインドネシア入国ビザ有効期間を従来の二年間から五年間に変更したと発表した。このビザはインドネシアへの入国と暫定滞在を承認するもので、滞在期間も一回の入国に対してこれまでは30日間が限度だったが、今回はそれが60日間に増やされている。ビザは二回まで延長することができるが、延長手続きは一度自分の国籍国に戻ってから再度インドネシアを訪れて手続きを行うことになる由。このビザは本人とその妻/夫および子供に対して適用される。


「外国人の住居所有は進展せず」(2016年11月7日)
政府はインドネシアにポジションを持つ外国人の住居所有に関する規則を、いくつかの規制緩和を伴って、2015年政令第103号で整備し、施行した。しかし期待された市場の活性化はいまだに感じられないことを指摘して、不動産デベロッパー業界は政府の対応が正鵠を射ていないことを指摘している。
外国人が関与できる土地ステータスが土地使用権であることは依然として変化がないものの、建築物使用権より下位にある土地使用権のデメリットを補正するために権利維持期間は建築物使用権の80年に合わせたものにされている。そのポイントに関連した正しい理解が十分に浸透しておらず、銀行界に対する抵当価値が過小評価されていることが外国人の住居取得意欲を沈滞させている原因ではないか、というデベロッパー業界のコメントも聞こえている。
外国人の不動産所有に対する国民のアレルギーは消滅したわけでなく、マーケットにその種のニュアンスがしみ込んでビジネスの足を引っ張る気分が漂う可能性は皆無でない。国民生活への悪影響を極小化するために、外国人の購入できる住居の下限価格が定められており、首都ジャカルタでは戸建て住宅100億ルピア以上、積層住宅の場合は30億ルピア以上となっている。
しかし外国人の不動産所有は、不動産に関わる面からのアプローチだけで事足れりとなるわけではない。所有する外国人のステータスに条件が課されているなら、それはイミグレーション分野の問題となる。インドネシアにポジションを持つという意味が不在家主を認めないことであるなら、不動産面での条件をいくら緩和させても、揚げピーナツのように右から左に買ってもらえるわけではあるまい。
インドネシアリアルエステート会社ユニオン会長は、外国人のステータスに関する規則が不動産ビジネス寄りに変わることが、このビジネスの活性化につながるものではないか、との考えを洩らしている。
法務人権省イミグレーション総局官房局長は、2015年政令第103号は居住許可を持つことを条件に外国人の不動産所有を認めており、今現在居住許可を得ている外国人は7〜8百万人いる、と述べている。
そのあたりの感覚のすれ違いが、不動産ビジネスの引き上げを難しくしているのではあるまいか?