インドネシア動植物情報


「リアウの象」[2001年9月]
企業であれ農民であれ、かれらの所有する農園への象の襲来はもうニュースにならない。それどころか、この長鼻の動物がプカンバル市街、正確にはルンバイ郡なのだが、に侵入したときでさえ、ひとびとの興味をかきたてた印象はなかった。象たちは、一年のうちで何回も住民の居住区域に侵入し、手当たり次第すべてをめちゃめちゃにしながら通り過ぎていくのである。
この記事を書いている間にも、数十ヘクタールの農園がめちゃめちゃにされているにちがいない。
数日前にカンパル県タプンヒリル郡にある、一千ヘクタールにわたるPT Bima Fitri Jaya社所有のパーム椰子園で起こった一群の凶暴な象による事件がもう終わったとは言えないからだ。その周辺にある農民所有の農園も五百ヘクタールが破壊された。1996年以来、ここでは象害のない月はないと言っても過言ではない。象の襲来があまりにも頻繁に起こるために、それが先祖代々の生業であるにもかかわらず、住民たちは農園を営む時代ではなくなったとまで思い始めている。
タプンヒリル郡コタガロ村ガジャサクティ協同組合役員のスヘルマンは、いまそこで農園を営むのは無駄働きだと認めている。農園の芽吹きの時期になると、決まって象の群れがそこを踏み荒らす。「象に踏みつけられた。」という言葉を聞けば、そのあとがどうなっているかは容易に想像がつくだろう。
スヘルマンの考えは、PT Bima Fitri Jaya社の姿勢と大差ない。後を絶たない象の襲来に耐えかねて、農園はついにはそのままにされる。こうしてその地の農園は文字通り「生きるのは面倒、死ぬのはいや。」となる。そんな状況にもかかわらず、象はそれでもまだ襲来し、こうして農園事業への希望は粉砕されてしまう。運不運が農園監視員の生命すら左右する。そんな象害はリアウ州全体のほんの小部分でしかない、とは決して言えないことを述べておこう。象害の被害面積と金額を調べると、決して生半可なものでないことがわかる。リアウ州で象に荒らされたエリアは二万ヘクタールにのぼっているのだから。
早い話が、リアウ州15県市のうち5県市だけが象の襲来から免れているが、それはその大半が島嶼部にあって、そこには象がいないからだ。スマトラの大地にある他の県市は象害から免れたためしがない。町村のレベルで見るなら、全939町村のうち342町村が象に襲われている。損害は農園の土地面積ばかりか、人命もかかわっているだけに巨額だ。橋や送電システムなど、施設や生活インフラの損害も忘れてはならない。また、象害予防措置や象が破壊したものに対するリハビリなども損害として計上されなければならない。
WWF Elephant Conservation Programプロジェクト担当員プルウォ・スサントによれば、過去に行われたサーベイで、一村の被害額は年間1千4百万ルピアから1億4千7百万ルピアの間にあり、合算すれば1千1百5十億ルピアに達するとのこと。過去数年まで遡れば、損害額は巨大なものに膨れ上がる。だがこの調査は農民に対して行われたものであり、もっと大きな被害を受けている企業農園の数字は含まれていない。
人命の被害もないわけではない。去る12月、ある農園会社の役員B・リトンガは、侵入してきた象を追い払おうとして踏みつけられ、一瞬のうちに絶命した。皮肉なことに、その現場の隣に農園を開拓していた北スマトラ州出身のM・マヌルンはその事件を目撃し、重度のノイローゼに陥って自殺した。かれはリアウで24ヘクタールのパーム椰子農園を開墾するために、全財産を売り払って故郷を後にしてきていたのだ。
農民や企業が象を追い払うために何もせず、ただ手をこまねいていたのでは決してないが、かれらが行ったことは、残念ながら何の成果ももたらしていない。たとえば、1980年代の終わりごろ、ベンカリス県マンダウ郡にあったPT Ivo Mas農園会社が農園地所を電線で囲ったことがある。
初日、二日と象の群れは確かに電線を避けた。ところがその後、象たちはその囲いを押し倒して農園内に侵入し、パーム椰子園をめちゃくちゃに荒らしまわったのだ。農民にそんな囲いを作る力はなかったが、焚き火や叫び声と共にありとあらゆる物を打ち鳴らして大きな音を出すことなど手軽で安上がりな方法も電線の囲いと大差なかったことは確かだ。しばらくの間は象たちが姿を見せなくなるが、また戻ってくる。象は学習能力を持っていることを忘れてはならないのだ。象の脳は、大勢のひとが考えているような石塊ではない。
象の生命も、一方では危機にさらされている。
2001年初、インドラギリヒリル県クリタン郡の農民たちが、かれらの栽培する植物を荒らす一頭の象を殺した。1996年にはPT Duta Palma社の農園敷地内に埋まっていた12頭の象が発見されている。年々リアウ州、そしてスマトラにいる象の頭数が減少しているのを不思議がるにはあたらない。1980年代にリアウ州にいたスマトラ象は1千5百頭を数えたが、いまではせいぜい8百頭しかいない。今、スマトラ象は全島内に1千5百〜2千5百頭いると推測されているが、リアウ州が最大で残りはほかの諸州に散らばっている。
スマトラ象の減少は狩猟によるものではなく、象の生活領域が狭められて食糧不足となり、希少動物である象の繁殖力が低下してしまったためだ。栽培植物の破壊という面を見るなら、人間はもうどうしてよいかわからず、うまい対策を考え出せないまま象を殺しているのが実態だ。
クリタン郡の事件について言うなら、はぐれ象が村へやってきて暴れ、村民が追い払うこともできずかえって人命が危険にさらされたときには、そうするのが昔から当たり前の行為だったのである。ルスリ・ザイナル、インドラギリ県令はその事件について、「生命や財産を守るための住民行動としてそれを受け入れる以外にできることはほとんどない。」と述べている。
法的解釈やその措置問題は別にして、PT Duta Palma社が象の群れを殺して自分の農園地所に埋めたという疑惑についても、自分の所有資産の保全に対する姿勢と無縁ではない。この会社は象の襲来を阻むためにさまざまなことを行ったが、結局何も成功しなかったと言われている。ついには、象たちは毒を与えられて悲惨な結末を迎えることになったようだが、まだそのような姿勢がリアウ住民一般のものとなっていないだけ幸運だ。やはりタプンキリ郡にあるランタウカシ村やシトゥガル村では、住民は象を保護すべき動物だと自覚している。一般的に住民たちは象を殺すことをきらう。しかし、かれらも象が自分たちの農園を襲わないことを欲している。人間と象のコミュニケーションは、当然ながら、無理だ。
企業や農民の所有する農園への象の襲来記録からは、人間がどのように象を襲って殺すのかということはよくわからない。あまり効果がないとはいえ、ひとびとはまだ伝統的な方法で象を追い払おうとする。それ以外には、象が栽培植物を襲わないようにとただ祈るばかりなのである。
象が特別な生き物だという神話は、住民の間でまだ根強い。ナトゥナでは、ムンドゥ神の話の中に、白象は若く美しい姫の化身として登場するし、カンパル県でも、満月の夜になると必ず、象の群れがムアラタクス寺院を取り巻いて神への信仰を示すと言われている。マンダウにあるサカイ族の伝統家屋では、住民はガジャモノグンと呼ばれるシンボルを置いて畏敬の対象としている。この話しは信じるかどうかはご随意だが、ロカンフル県のある村によそ者が来たとき、村民はその者に「象は決して殺すな。」と忠告した。悪いことが起こるから、というのだ。しかし、そのよそ者は忠告に従わなかった。そしてよそ者が起こした事件からほんの数時間後、村は70頭前後の象の群れに襲われ、村と農園は見るも無惨に踏み荒らされてしまったのだ。かつて一度もそんな経験をしたことがなかった村民たちは、それが象の復讐だったと信じている。
人間と象のコンフリクトを、リアウで起こっている大規模な土地開発に諸方面が関連付けるのは間違っていない。過去15年間に農園に転換されたリアウの森林は百万ヘクタールに達するが、象はそこでも生き物としての自分たちの暮らしを営んでいたのだ。土地開発のメインは言うまでもなく農園産業のためだが、トランスミグラシや工場用地も決して小さいとは言えない。
象の生活圏は年々狭まる一方だ。農園用地としてリアウ州が計画した面積だけで百二十万ヘクタールだが、実際に農園となったのはその半分に満たない。農園産業が数万ヘクタールの土地を必要としているのは間違いないにしても、リアウ州は、もうそれだけの土地を用意するのは無理だとして、扉を閉ざしてしまった。公式数字では見えない、開墾途上で放置されている土地の利用も検討されるべきだ。たとえば、1990年代初めにPT Torganda社は象の交通路を含む一万ヘクタールの土地を開墾したが、あれやこれやとさまざまな問題に打ち当たり、再検討の結果その事業は白紙に戻された。ところが、この白紙差し戻しで開墾面積が減ったわけではなく、反対に1万2千5百ヘクタール増えてしまったというのだから。


「ジャワ虎はもういない」(2001年9月 )
「ラウ山やスラメッ山でジャワ虎の足跡が見つかったという話はまだよく耳にするが、いまだに実在する証拠は手に入っていない。」元自然保存森林保護総局長ルビニ・アッマウィジャヤ教授はそう語る。インドネシア科学院生物調査センターのアリ・ブディマン主事は「足跡や糞でジャワ虎実在の決め手とするのはむつかしい。少なくとも虎の毛が発見されなければならず、それが得られればDNAテストでジャワ虎かどうかが確定できる。しかし絶滅宣言以来、ジャワで虎の毛は発見されていない。」と言う。
かつてアジアの山野を駆け巡っていた虎たちは、過去百年で絶滅に向けて大きく傾斜していった。世界で百年前に10万頭いたと言われた虎は、いまや5千から7千頭にまで減少して10%を切っている。インドネシアではバリ虎が1940年代に姿を消し、ジャワでも1980年代に絶滅が宣言された。その後もジャワでは折に触れて虎が出たとの話が語られるものの、話の域を出ないのが実情だ。開墾される森林が増え、人が奥地へ奥地へと入っていくジャワ島では、野生の虎にとって行動可能な場所は減少する一方であり、本当にいるのならその生活の一端が人間の目に触れてもおかしくはない。
その一方で、虎はいてほしいが世間一般には知られないのがありがたい、と思っている密猟者たちもいる。衣料品に加工される虎の毛皮は1万5千ドル、そしてアジア一円で伝統的医薬品に加工される虎の骨は2万5千ドルで売れる。保護されている野生動物を殺すのはインドネシアでも重罪であり、最高15年の入獄と最高15億ルピアの罰金とされているのだが、法執行が困難なのは街中での日常生活となんらかわらない。
インドネシアでまだ生き残っているのはスマトラ虎だが、これも個体数の減少は著しく、1978年には1千頭いたかれらも1992年にはせいぜい5百頭となっており、山野が開発されていくとともにハビタットが縮小し、生き難い世の中へと変化している。
過去10年間、スマトラ虎は年間少なくとも33頭が殺されているとの統計がある。経済的動機のために違法に保護動物を狩る密猟者はあとを絶たない。1970年から1993年までの間、東アジア地域で市場に流れた10トンの虎の骨のうち4トンはインドネシア原産であると言われている。そして今でも、希少動物の闇市場に商品を供給している最大の国がこのインドネシアだというのは、動物保護の世界では常識になっている。


「フクロウは農夫の味方」(2001年10月 )
2001年の水稲収穫期に、西ジャワ州北岸地方の農民はパニックに襲われた。あちらこちらでねずみの被害が出て、一夜にして実った稲が全滅するという事態となったのだ。その被害の凄まじさを目の当たりにしたひとびとは、数千匹のねずみが襲ったにちがいないと確信するのだった。
農民たちはしばしば、水田の稲を襲うねずみを、デウィスリポハチを煩わすことに努めるブドゥッバスの化身と考え、自分の水田に悪さをしないようにと田の畦道にお供え物を置いた。だがそれは昔のこと。今の農民はもうお供え物を置くことはしない。だがしかし、畦道にねずみの巣を見つけたときでも、農民たちはねずみを殺そうとはしない。自分の水田が襲われないようにするためだそうだ。ねずみを殺すと他のねずみの怒りを招き、仕返しに自分の水田が荒らされるから、と農民たちは言う。
自然環境の激変でねずみを捕食する動物が減少し、農民すらねずみを殺さないようにしているのだから、ねずみの数があっというまに数倍に膨れ上がるのは言うまでもない。そしてねずみたちのすぐそばに、たわわに実った水稲がかれらの食糧として穂を垂れている。ねずみ害は昔からインドネシア農民の頭を悩ませる災害になっていた。1970年には西スマトラ州で2万ヘクタールがねずみ害を受け、翌年は南スラウェシ州が3万5千ヘクタールの被害をこうむった。そのころ東南アチェ6万ヘクタール、続いて北スマトラ州で6千ヘクタールが被害を受けた。1972年の雨季には全国で3万1千ヘクタールの水田がねずみ害を受け、1993年は全ジャワ島で82万ヘクタールの水田が襲われ、総生産量の40%が失われた。
インドネシアには150種類のねずみが棲息しており、そのうち50種が水稲を襲うねずみ害の犯人だ。かられは水田、畦、生えている稲の群生の中などに生活し、巣は地中にトンネルを掘り、出口はしばしば土でふさぐ。
2001年、西ジャワ州は1,379ヘクタールがねずみ害を受けた。州庁はその対策費に8.9億ルピアを計上したが、その中には農民向けインセンティブとしてねずみ一匹あたり5百ルピアの退治報酬金予算が含まれている。ねずみ害対策として、言うまでもなく天敵の動員が候補にあげられたが、犬、猫、蛇、鷲や烏をはじめとする猛禽類などのねずみを捕食する動物をどう使えばよいのか、困難は続出する。蛇を放せば、人間が皮をむく可能性のほうが高い。なにしろ蛇皮は売れるのだ。猛禽類も同じような運命をたどる可能性が高い。そんな中で思いがけない名前があがった。フクロウだ。
西ジャワ州でただひとつのフクロウ養殖場がチレボンのパグラガン村にある。チレボン県農園局職員ムヒディンが1995年7月からはじめたその養殖場は、もともと水田のねずみ害対策ではなく、サトウキビのねずみ害対策として始まったものだ。北スマトラ州プマタンシアンタルにあるパーム椰子農園で捕まったつがいのフクロウが連れてこられ、一年近く経ってやっと産卵し、それは孵化した。1996年には14匹になり、1997年には26匹に増え、2000年には60匹になった。しかし成鳥を折に触れて放しているので、今養殖場には14匹しかいない。既に放鳥されたフクロウは86匹に上っている。フクロウの主食は生きたねずみで、一日四匹を食べる。死んだねずみは食べない。フクロウは満腹状態であっても、動いているねずみを見つければ襲いかかる。それは食べるためではない。
ムヒディンは農民に呼びかけている。フクロウを決して撃ったり殺したりしないようにしてほしい。なぜならフクロウは、共通の敵ねずみに決して容赦しない農夫の味方なのだから、と。


「ジャカルタのペットシェルター」(2002年11月 )
毎年ルバランが近づくと、ペット動物の世話で頭を悩ます人が増える。一家の大黒柱であるプンバントゥ(Pembantu:家庭ヘルパー)が帰郷するためだ。家族にとっても動物にとっても、頼りがいのあるプンバントゥがいなくなれば、一家の主のお父さんお母さんはてんてこまい。ルバランでさえなければプンバントゥが留守を守ってくれるから、一家で何日間旅行に出てもペット動物の世話は安心なのだが・・・。
年々増加しているそんな家庭の味方になってくれる施設も増えている。ジャカルタで昔から知られているのは、パサルミング(Pasar Minggu)地区にある動物シェルター(Pondok Pengayom Satwa)で、この施設はかつてオランダ植民地政庁がグヌンサハリ通りに設けていたものにならって1987年、当時のスプラプト都知事の提唱でパサルミングに造られた。この施設は非営利組織であり、個人からの寄付、動物保健クリニックサービス、動物ホテルサービスなどからの収入で運営がまかなわれている。この施設には犬用ルーム100室、猫用ルーム数十室、ペット墓地やペット火葬場などが備えられている。2002年のルバランから三週間ほど前の時点でこの施設では、譲渡された犬が124匹飼われており、それ以外に宿泊している犬が14匹、入院治療中の犬が3匹、そして譲渡された猫80匹、宿泊中の猫7匹、入院治療中の猫3匹を抱えている。
東ジャカルタ市チジャントゥン(Cijantung)にあるアニェリル動物サロン・クリニック(Klinik dan Salon Hewan Anyelir)はイダ・スナル・インダルティ獣医が経営する民間施設。ここでは犬や猫あるいはウサギなどの一般的なペット以外にも、サルや鹿、そして熊まで預かったことがあるそうだ。ルバランの5日前にはその施設が満員となる。収容能力は犬70匹で、2002年のルバランから三週間ほど前の時点では、既に予約が50%くらい入っている。
ジャカルタ以外にも、ボゴール、バンドン、スマランなどにこの種の施設はある。1999年にオープンしたスマランのシゴサリラヤ通り(Jalan Singosari Raya)にある動物保護の家(Griya Satwa Lestari)はもともと動物クリニックだったが、一週間に限って動物を預かるようになった。2002年のルバランから三週間ほど前の時点で、犬9匹と猫3匹の予約が入っており、動物たちはルバランの3日前にチェックインする予定だ。
ボゴール農大獣医学部教官を退職したウイリー・ルマワス獣医は1975年依頼ボゴールで開業していたが、1979年にジャカルタでも診療を開始した。ルバランやクリスマスになると、ボゴールでは5匹ほど、ジャカルタでは15匹前後の犬を預かるという。もちろん、猫もそれ以外にいる。
ペットホテルの宿泊料は概して一泊2万から5万ルピア。ウイリー医師の診療所では、小型犬が3万5千、大型犬は4万5千ルピア、猫は2万5千から3万5千ルピアという料金。診療が必要な場合は別料金がチャージされる。スマランの動物保護の家では一泊3万5千ルピア前後だが、食べ物とそのペットの習慣に応じて料金が変わる。西ジャカルタ市グロゴル(Grogol)にあるズー動物サロン・クリニック(Klinik dan Salon Hewan Zoo)は犬の一泊料金は3万ルピア。
パサルミングの動物シェルターでは、料金は体重に従う。5キログラム未満の犬だと、一泊は2万4千ルピアだが、45キロを超える大型犬の場合は5万4千ルピアになる。猫なら1万8千ルピアだけ。この料金はルバランのような特別シーズンのもので、普通のウイークデーではそれより20%安い。
ボゴール農大には、市の中心部からおよそ10キロ北東のダルマガ(Darmaga)地区に動物病院があり、そこもペットを預かってくれるが、体重25キロの犬は一泊4万5千ルピア、猫は一泊2万5千ルピアとなっている。
東ジャカルタ市のアニェリル動物サロン・クリニックでは一泊3万から5万ルピアの間で、動物の体重と食事内容で料金が異なる。ここは特別サービスとして、利用するお客に対してペットの送迎サービスを行っている。
それらのペットホテルに預けるためにペット動物は、健康な状態であり、また必要な予防注射がなされていることが条件になっている。しかし外見だけではわからない病気もあり、パサルミングの動物シェルターでは、もしホテル宿泊中の動物が死亡した場合は、解剖を行ってその死因を究明するよう、ペットのオーナーに奨めている。


「ムルパティ・スプリンターは時速150キロ超」(2002年12月)
午後四時。クマヨラン飛行場跡地にあるその場所には人が群れている。川近くの草地には、のんびり座り込んだ人たちや、中には子供連れでござを持ち込んでいる家族もちらほら。別の一角にはオートバイでやってきた人たちが、腰掛けたり、降り立ったりして三々五々時間をつぶしている。みんなどうやら何かを待っているようだ。
近くにある掘っ立て小屋には何段にも積み重なった木の箱が並んでおり、ABCのブロックに分けられ、各ブロックの箱には1から20まで番号がふられている。そしてその周辺を鳩が飛び交っている。それは疑いもなく鳩小屋だ。
数人が広場の中ほどで雌鳩を手に立っている。雌鳩はその手の中でゆっくりと羽ばたく。チャロ役の若者が人々の群れに近寄っていく。「C19にはらないか?」「C19はきのう負けた。オレはC10に5万はりたい。」中年の男が若者に答える。突然別の方角から声があがる。「よし、オレがC19に賭けよう。」「オーケー」ふたりは互いに拍手する。若者は茹でピーナツ売りの近くでピーナツを食べていた四人の男たちの方へ行く。そこでもこの賭けへの参加者が出たようだ。周辺の群衆の手前をひと渡り回った後、若者は鳩小屋へ戻ってオーナーと手続を行う。オーナーの声が響く。「できました。C10とC19!」
緑色の旗が降ろされ、赤色の旗がとってかわった。ゲームが開始されたのだ。鳩小屋の前にゆっくり羽ばたく雌鳩を持ったジョキ役の若者が立つ。
群衆から声にならない声があがった。誰の目も大空に吸いつけられている。誰もが大空めがけて翔け上ったふたつの点を、まばゆさを避けて細くした目で追っている。ほんの数秒後、ふたつの影が大空で交錯したと思うと矢のように地上に下りてきた。二羽の雄鳩が雌鳩の背に着地する。C19の箱から出た鳩の方がC10よりほんの数秒早かった。勝者を判定するオーナーの声。そして群衆のざわめき。C10にはった男たちの失望した顔は、どこの賭博場にもある敗者の顔。
インドネシアで鳩を使ったスピードレースはアンドカンと呼ばれる。アンドカンは1990年代にマドゥラ地方からヌサンタラの各地に広まり、盛んになっていった。競馬と同じように、ほとんどのレースに勝つ強い鳩がいる。ムルパティ・スプリンターと呼ばれるレース鳩はやはり血統が重視され、優秀な親が生んだ子供は高価で売買される。孵化後二ヶ月程度で50万ルピア、訓練開始適齢期の年齢三四ヶ月ものは2百万ルピア。レストランでブルンダラゴレンにされる鳩は一羽2万ルピア程度だから、値打ちの違いは歴然としている。競争鳩の世界で伝説となっているレンチョンは、もしまだ生きていれば5億ルピアだそうだ。ほかの有名スプリンターはレオナルドが3億5千万、タイガー2億2千5百万など十数羽が上げられる。
インドネシア・ムルパティバラッスプリント愛好者協会P2MBSIが鳩レース愛好者を糾合して地方や全国レベルの競技を開催している。競技に賭博はないのかという質問に協会役員があると言うわけはないが、地方で行われているレースは賭けがついて回るのが常識となっているようだ。地方のレースで優勝すれば、その鳩は2千数百万ルピアの賞品賞金を手に入れる。それが全国レベルだと1億5千万ルピアにはねあがる。レースでは、それぞれの出場鳩のために放鳥者とジョキが着く。プルパスと呼ばれる放鳥者は出発ラインで鳥を放すのが役目。ジョキはフィニッシュラインで鳥を捕まえるのが役目になっている。かれらの仕事はレースの当日と訓練のときだけだが、プルパスは日給2万ルピア、ジョキは5万ルピアで、それだけジョキに優れた技能が要求されている。


「タングランで象の化石が見つかる」(2004年5月25日)
タングラン県マウク郡カタパン村で紀元前5千年のものと見られる象の化石が見つかった。ムヒ・シャリフディン、タングラン県文化観光局長は、その化石はスマトラエンシス種のもので、ジャワ島で発見された最初のものだ、と言う。「実は、2001年にその化石は見つかっていた。カタパン村ブレンチェガン部落で土砂採取者が偶然それを見つけている。化石が埋まっている地層は15メートルの長さで、化石自体は長さ3メートルだろうと推測されている。住民がそれを取り出そうとして水を吹きかけたが、そんなことをしたら化石は崩れるのに、かれらは取り出し方を知らなかったようだ。結局いまは水面下10メートルのところにある。その周辺で貝や陶器など古代人類の生活が営まれていたことを示す遺物も見つかっている。当方は国立考古学センターに協力を仰いで、今年11月から12月にかけてその化石の発掘を計画している。」と同局長は述べている。


「ジャカルタのペットショップ」( 2004年7月 )
毎週末、ジャカルタのたいていのペットショップは、来店客でにぎわう。孤独を癒し、日々の暮らしに彩りを添えてくれる、そんな誠実な友を求める人が多いのだろう。
そのような来店客であふれる場所のひとつが、北ジャカルタのメガモールプルイッ(Mega Mal Pluit)内にあるペットショップセンター(Pet Shop Center)で、そこにはさまざまなペットを販売する店が六つある。
ブロッMプラザ(Blok M Plaza)にも流行っているペットショップがある。いや、モール以外の、住宅地エリアにある店の中にも、にぎわっている店がある。西ジャカルタ市クブンジュルッ(Kebun Jeruk)のクラパドゥア通り(Jl Kelapa Dua)にあるクラパドゥア・ペットショップもそのひとつ。
ペット用に売られている動物は、子犬、猫、魚、亀、鳥、ハムスター、ウサギ、蛇からはてはイグアナまでさまざま。とはいえ、ジャカルタのペットショップにとってのメイン商品は血統書付きの犬と猫。亀、蛇、ハムスター、ウサギたちは、店内のラインナップをにぎわすためとも言うことができそうだ。どこのペットショップへ行っても、犬がいない店はない。パピーズと通称される子犬が最大の売れ筋で、種類はゴールデンリトリーバー、チャウチャウ、獅子犬、ポメラ二アン、テリア、プードルそしてハーダーの子供。値段は種類、年齢、グレードで千差万別。生後1ヶ月のゴールデンリトリーバーだとおよそ2百万ルピア。猫でも似たようなもので、数百万ルピアになる。生後2週間のオランダウサギは、メガモールプルイッの店で、30万ルピアで売られていた。
ローカル種のペットなら中央ジャカルタのプラムカ市場(Pasar Pramuka)。そこは動物市場で、希少動物からありふれたものまで、何でもそろっている。保護動物まで売られていることがあり、何度も警察の手入れを受けているのも事実だ。
だから、安全さを優先したい人には、値段が高くてもペットショップでの買い物がおすすめ。違法合法の問題などまずないし、血統書も本物で、そして病気に対しても安心できる。
客が店の動物の口に触ることを、たいていのペットショップは禁じる。病気持ちペットに触ってきた客の手が、店の商品に病気を移す恐れがあるためだ。ペットショップはまた、ペットの世話に関する無料相談に乗ってくれる。
ペットの犬や猫を美容院に連れて行く飼い主もいる。ギャラクシーペットショップ(Galaxy Pet Shop)やグルーミングサロン(Glooming Salon)などでそんな用を果たすことができる。身体を洗い、シャンプーし、爪切り、耳掃除、そしていろいろなスタイルに毛を刈ってくれる。くしをかけ、ブローし、中にはヘアトニックやビタミンを塗り、香水までかける。国産香水は2万から3万ルピアだが、輸入品だとなんと9万5千ルピア!


「自宅で水族館」(2004年9月 )
大きな水槽の中に置かれた珊瑚や石が作る起伏とゆらめく水草。その間をぬって遊泳する色とりどり、形さまざまの観賞魚たち。透明な水の中に展開される別世界の光景は、いくら見ても見飽きないもの。ストレスに満ちた現代生活の中で、そんな別世界を見つめて心癒されるひとも決して少なくはないだろう。
観賞魚の飼育を趣味にするひとも多いが、水中の光景を見て楽しみたいだけのひとにも、そんな水族館の一角を切り取って自宅に置くことができる。いや、面倒なことは何もない。毎月数十万ルピアを支払うだけで、面倒なことは一切店側がやってくれる。
そんなサービスを行っている、タングラン(Tangerang)のチトラ住宅地区(Kawasan Perumahan Citra)にあるNature Tropis Aquariumの観賞魚飼育専門家ヨハネスは、重要なポイントを説明してくれる。まず水槽に設置するフィルターは水の汚れを濾過するためだけでなく、水中の毒性要素を水中生物にとって安全なものに変えるバクテリアを繁殖させるためにも使われている。水槽に入れられる水は淡水にせよ海水にせよ、中に魚や植物を入れる前に6週間以上にわたって準備される。明かりは水中の植物に光合成を行わせるために必要で、蛍光灯あるいはメタルハライドが使われる。水槽内に植物が多ければメタルハライドが、植物が少なければ蛍光灯が一般的。また水温は摂氏24度から26度に維持しなければならず、27度を超えないようにするために冷却器(chiller)を用意する必要がある。長さ1.5メートルの水槽に海水魚を入れて必要設備一式を加えると、費用は内容次第だが2千5百万から3千5百万ルピア程度。そしてこの水槽を世話してもらうには、月40万から60万ルピア払えば週二回係員が見回りにやってきて、必要なことを一切行ってくれる。病気にかかった魚や植物は治療し、死んだ魚は取り替えてくれる。それも無料で。
中央ジャカルタ市スムヌッ通り(Jl Sumenep)のジャカルタ観光園(Taman Pariwisata DKI Jakarta)にあるアクアンダ(Aquanda)も類似のサービスを行っている。こちらの店は、1メートルの水槽でサービス料月額20万ルピア。係員は月4回やってきて、餌をやり、水槽の掃除をしてくれるが、魚や植物の健康管理は別価格になっており、そちらの方は月70万から2百万ルピア。料金は高いが、それでも顧客はいま70軒あるという。海水魚を入れた水槽をマリンブルーにお望みの向きには、特別なライティングでそのように演出してくれるそうだ。


「チビノンに観賞魚飼育場がオープン」(2004年9月27日)
政府海洋漁業省は西ジャワ州ボゴール県チビノンに観賞魚飼育場をオープンする予定であることを明らかにした。アンディン・タルヨト同省官房局長は26日に都内スマンギのスディルマンCBD地区で開催されたインドネシアフィッシュ2004と題する海洋展示会でその計画を披露したが、それによると、インドネシアの水産資源の中で淡水産海水産観賞魚は世界の6割を占める8千種にのぼり、この分野の改良、飼育、販売ビジネスは大きい将来性を有していることから、輸出振興を目的に政府がリーダーシップをふるう必然性があるとのこと。
現在はシンガポールが世界市場への供給国の最大手となっているが、その供給量の8割はインドネシアから調達されたものであり、一方インドネシアは世界市場への供給国番付で11位でしかない。


「ルバランには、月下美人が好評」(2004年11月12日)
都下最大の生花市場は西ジャカルタ市ラワベロンの生花観葉植物販売プロモーションセンター。そこは毎週、木曜の夜から土曜の夜まで賑わうのだが、しかしラマダン月には需要が低下して売上が停滞する。ところがその埋め合わせをするかのように、イドゥルフィトリの日が近づくと、需要は反転急上昇となる。この時期、需要は特定の花に集中する。今売れているのは月下美人、インドネシア語名はスダッマラム。10本一束で普段5千ルピアの値段が、いまではなんと2万ルピアだ。それでも客は躊躇しない。イドゥルフィトリの前日が買い物客のピークになるが、当日でもまだ買いに来るひとがいる。
平常月のこの市場の売上は一日1億ルピア。プアサに入るとそれが7千万ルピアに下がる。結婚式、新築や開店祝い、パーティ、祝典などの催し物が行われないため、一部の需要が無くなるのが原因だ。平常月に需要が高いのは蘭、バラ、菊などだが、ラマダン月になると蘭は120束から100束に、バラは2千8百本から2千5百本に、一日の販売量が減少する。一方その時期に需要が増加するのが月下美人だそうだ。
ラワベロンの生花市場は170軒の販売店が軒を並べ、スカブミ、ボゴール、プンチャッ、カラワン、チプタッなどから送られてくる生花を販売している。


「保護動物違法ビジネスは巨大マーケット」(2004年12月23日)
「世界の保護動物違法売買は年間1,590億ドルに達しており、不法伐採や麻薬取引よりも巨額である。これは違法流通ルートに関与する者たちが怖れないくらい法的制裁が弱く軽いためだ。だからその違法行為に対してもっと重い罰則を用意しなければならない。」トランストト・ハンダダリ森林情報センター長はそう語った。
同センター長によれば、スマトラ虎の皮は国内で1頭分が3千万ルピア、虎の骨はキロ当たり12万ルピア、国外ではキロ当たり2千ドルの値が付いている由。違法狩猟のせいでスマトラ虎の棲息状況はいまや4百頭を割っているが、希少品になればなるほど価値があがるため、違法狩猟はますます活発になっている。1998年から2000年までの期間にスマトラ虎は116頭、スマトラ象は7頭がかれらの餌食になっている。タイにはインドネシア原産の保護動物が3千頭もおり、まず147匹のオランウータンが近々インドネシアに戻されようとしている。不法伐採と野生保護動物の違法捕獲は比較的近い関係にあって、カリマンタンのインドネシア領で不法伐採を行っているマレーシア人チュコンは保護動物を何頭もマレーシアに持ち出しているとの情報もある。
1999年第8号政令で野生動物に関する規則が定められているが、基礎データが不正確、動物を移送する際の運送状の偽造、法執行意識の低さ、罰則適用の困難さなどのために法規はあってなきがごとしであり、行政高官たちの多くが野生保護動物ビジネスから上前をはねているのが実態であるらしい。インドネシアの野生保護動物マーケットは世界に広汎に広がっており、バイヤーはシンガポール、香港、台湾、日本、中東、ヨーロッパ、アメリカなど各地からやってきている。
インドネシア政府は、インドネシアの保護動物を発見した国の政府は、動物たちを本来のハビタットに戻すようにして欲しい、と要請している。


メダン動物園でスマトラ虎が減少」(2005年4月15日)
メダン動物園で飼育されていたスマトラ虎のメス20歳が13日夜に死亡したが、14日にはやはりスマトラ虎の8歳のメスが檻の中で死んでいるのが発見された。市内にあったメダン動物園はメダンジョホル郡に移転されることになっており、4月7日から12日までの間、既に建設された新動物園の檻に前の場所から動物たちが移されてきたが、その移送期間中にも7頭の動物が死んでいる。13日から二日続けて起こったスマトラ虎の死について、動物園側は病死としている。4月16日に開園式が行われる予定になっているメダン動物園に、スマトラ虎はあと3頭しかいない。


「絶滅に瀕するスマトラ犀」
ランプン州東ランプン県ワイカンバスと言えばすぐに象の姿が脳裏をよぎるが、実はそこにはスマトラ犀保護区もある。森林省生物多様性保護局は、クリンチスブラッ国立公園に棲息しているスマトラ犀を捕獲してワイカンバスに移し、密猟者の魔手から保護することを決めた。
もともとクリンチスブラッ国立公園には75から100匹のスマトラ犀がいたとされているが、自然環境の変化と人間の生活領域の拡大に圧迫されて本来のハビタットから切り離され、今では二三匹しか残っていないだろうと見られている。かれらをワイカンバスのスマトラ犀保護区に移して犀の養殖に成功すれば、それはダブルの効果をもたらすことになる。
1996年に開設されたスマトラ犀養殖場には雌雄各一頭の犀がいるが、交尾の努力は続けられているものの残念なことにいまだにおめでたがない。その二頭は1985年にリアウとブンクルで捕獲された18頭の中の生き残りだが、その後の歳月の中で13頭は動物園で死んだ。どうやらスマトラ犀は動物園の檻の中で生きていくのが難しい動物だったようだ。かれらは強い家族の絆を持ち、広大な自然を放浪して移動する。残った5頭のうち3頭がスマトラ犀保護区に移された。雄一頭雌二頭がやってきたが、雌一頭は2001年に老齢で死んだ。今いる二頭のうち、雄の名前はトルガンバ、雌はビナ。だがこの二頭は姉さん女房カップルで、そして一番困ったことに、トルガンバは若いスマトラ犀の雄が示すノーマルな行動を取ろうとしない。交尾期外に雄と雌が出会えば喧嘩するのが普通だが、トルガンバはそんなそぶりを見せず、また交尾期の雌とのじゃれあいもどこか物足りない。専門家はそれに関して、トルガンバは5歳で犀のハビタットから切り離されたために、青年犀の行動を学ばないまま大人になってしまったのが原因ではないか、とコメントしている。
絶滅の危機に瀕しているスマトラ犀の世代継続への希望を一身に担うトルガンバだが、ビナより小柄で、交尾の際もビナがリーダーシップを取り、おまけにかれらの交尾を飼育係が手助けしてやらなければならない。そしてトルガンバの精液にはスペルマがほとんど見られないという検査結果も報告されている。ただでさえ、三四年に一頭しか出産せず繁殖力の旺盛でない犀は、密猟者に犀角を狙われている。かれらはその角を取るだけのために、犀の生命を奪うことを辞さない。[ 2005年4月 ]


「プラウプラムカのタイマイ養殖場」
プラウスリブ群島にあるプラウプラムカ。そこにはタイマイの養殖場がある。最初は群島の北部一帯の島々から卵が集められてきた。もうタイマイが本土に近い島に卵を産むことはほとんどない。プラウプラムカでは卵の孵化を自然の状態で行わせようと、海岸の海砂の中40〜50センチに100から150個の卵を入れたバケツを埋め、40〜60日間待った。殻を自力で破り、砂浜に這い出てきたタイマイの子供のうち半分はそのまま海に放ち、残りはこの島で養殖する。
タイマイの子供は最初の一週間、卵の殻を食べて過ごす。餌を与えるのはそれからだ。ほぐした魚の身が一日二回与えられる。そして亀は、言うまでもなく泳がせなければならない。1.5x2メーターのファイバーグラス製水槽が用意され、海水が注ぎ込まれて水槽間を循環する。ひとつの水槽におよそ百匹の小亀が泳ぐさまは見ていて見飽きないもの。それらの水槽は、一日一回清掃される。目、えら、性器が菌で汚染されないようにするためだ。こうして三ヶ月間生育したあと、かれらはタグをつけられて海に放される。タイマイのハビタットは広範な地域に渡るため、その行動範囲がまだよく解っていないのが現状だ。世界に7つあるタイマイのハビタットのうち5つはインドネシアにある。
プラウプラムカのタイマイ養殖場には、甲羅が内側にくぼんだタイマイがいた。有害廃棄物汚染によるものだと養殖場管理者は話す。その亀を捕らえた漁夫はタイマイが保護動物であることを知っていたため、養殖場に持ち込んできた。今インドネシアにある世界で5つのタイマイハビタットに海洋汚染の危機が忍び寄っていることを関係者は危惧している。[ 2005年5月 ]


「野生保護動物密売役人に法の手が・・・」
5月20日の最新ニュースでご紹介した通り、国家諜報庁贋造紙幣撲滅統括庁の職員が組織ぐるみで10万ルピアプラスチック紙幣を偽造していた事実があがっており、犯罪防止者がその犯罪をもてあそぶ実態が浮き上がっているが、こんどは保護動物を守るのが使命である林業省天然資源保護院職員が希少野生動物違法捕獲と売買に関与しているとの疑惑が表沙汰になっている。
この疑惑の焦点は東カリマンタン州天然資源保護院の悪徳職員ならびに森林警察の不良警官とマレーシア国籍のイニシャルALで、インドネシア側の両機関員が野生保護動物を捕らえてマレーシアのALに対し密輸出を行い、ALはそれを闇ルートに流して巨額の利益をあげていたというもの。この情報が森林大臣の耳に入ったため、大臣は至急調査チームを現地に派遣して実態の糾明を行おうとしている。マレーシア人ALは東カリマンタンの石炭開発事業家として地元では著名人であるほか、野生保護動物闇販売の世界でも名前が知られている。
森林省のトランストト・ハンダダリ森林情報センター長は、保護動物密売は国家レベルで見れば不法伐採などよりはるかに大きい犯罪で、麻薬密売の次に来る巨悪だ、と語る。「世界の希少動物取引は1千6百億ドルに達する。失われている生殖質はそこに含まれていない。闇ルートの国際相場でインドネシアの希少動物は巨額な値段に跳ね上がる。スマトラ虎の骨は国内でキロ当たり12万ルピアだが、国外に出せばそれが2千米ドルになるし、防腐処理された虎の皮は3千万ルピアになる。そのせいでスマトラ虎はいまや絶滅の危機に瀕している。最新調査ではハビタットに4百匹棲息しているが、1998年から2000年までの二年間で116匹が殺された。政府は真剣に対策を講じなければ、スマトラ虎は三年以内に絶滅するだろう。」と同センター長は述べている。[ 2005年6月6日 ]


「スマトラ象に密猟者の魔手」
ランプン州ワイカンバス国立公園で、過去四ヶ月間に三頭のスマトラ象が密猟者によって殺されている。密猟者は牙と歯が数百万ルピアで売れることから、それをメインターゲットにしており、2004年には象の屍骸が発見されたケースがないだけに、ここ数ヶ月の密猟の増加が不安を招いている。
今年4月に発見されたのはメス象の屍骸で、歯が一本も残されておらず、密猟者が抜き取ったものと推測されている。6月にも牙と歯のない別の象の屍骸が発見され、そして7月15日、17センチの牙を持つ三歳の象が弱って倒れているのをワイカンバス国立公園周辺住民が発見した。最初は病気だろうと見られていたが、手当てをする間もなく死亡した。ワイカンバス象訓練センターが死因究明のために屍骸を解剖したところ、象の歯茎に空気銃弾が打ち込まれているのが明らかになった。この象はその痛みのために食餌を好まなくなり、衰弱してしまったのではないかと推測される。
いまスマトラ象の棲息状況データは明確なものが得られないが、コンパス紙の推測するデータでは、棲息地と頭数は下のようになっている。
アチェ州レウセル山国立公園 頭数不明
西スマトラ州シベルット国立公園 頭数不明
リアウ/ジャンビ州ブキッティガプル国立公園 150〜180頭
ジャンビ州ベルバッ国立公園 頭数不明
西スマトラ/ジャンビ/ブンクル/南スマトラ州クリンチセブラッ国立公園 18〜20頭
ブンクル/ランプン州ブキッバリサンスラタン国立公園 500頭
ランプン州ワイカンバス国立公園 200頭
[ 2005年7月 ]


「自宅の庭にブンガバンカイ」(2005年7月23日)
ブンガバンカイ(屍骸花)と言えば、首都圏住民にとってなじみ深いのばボゴール植物園。2メートルを超える巨大なこの花に比べればまるで象とアリとはいえ、放つ死臭は劣らないという小型ブンガバンカイもある。ブンガバンカイミニと呼ばれるこの小型種のブンガバンカイ(学名Amorphophallus Paeoniifolius)は、ボゴール県チレンシのムカルサリ観光園で目にすることもできる。数年前に都内プロガドン工業団地内にある工場の建物横に咲いたというニュースもあったが、今度はデポッ市パンチョランマスの住宅地の中で花開いた。
プリBSIに住むフォード財団定年退職者のスカルノさん63歳は、数日前から腐敗臭が気になっていた。家のどこかでネズミが死んで、それが腐臭を放っているにちがいない、と思ったスカルノさんは、家中あちらこちらを調べまわったが、ネズミの屍骸は見つからない。かれは家の庭で薬用植物を栽培している。その菜園の手入れのさいにも、風に乗って腐臭が流れてくる。ふと目をやると、薬用植物の間に紫色のキャベツのような花がある。花には黒ハエが群がっているではないか。そして腐臭がそこから出ていることをかれはやっと突き止めた。
しばらくどうしようか迷った末、「ええい、この邪魔ものめが・・・」とかれはそれを掘り起こしてゴミ捨て場に捨てようとしたが、家族が思いとどまらせた。「この花はボゴール植物園にあるブンガバンカイそっくりじゃないの。こりゃきっと珍しいものよ。」ということで、スカルノさん、今は悪臭に鼻をつまみながら、「調査研究に必要な方に差し上げますので、どうぞ引き取ってください。」と呼びかけている。この花、やはりパンチョランマス地区の別の場所で、2004年12月に開花している。


「ウジュンクロンは西の果て」
スラマッダタン湾(Teluk Selamat Datang)の波はそこを通る船を大きく揺らす。きつい日射が肌を焦がす。岸辺は緑したたらせて船上の旅人を招く。あそこは、サイ、野牛、孔雀たちの楽園、ウジュンクロン(Ujung Kulon)。
ウジュンクロンの豊かなフローラとファウナを1846年に最初に紹介したのは、ドイツ人植物学者ユンフン。1992年に林業大臣はウジュンクロンを国立公園に指定し、その同じ年、ユネスコの世界遺産委員会は、ウジュンクロン半島部、パナイタン島(Pulau Panaitan)、プチャン島(Pulau Peucang)、ホンジェ山(Gunung Honje)およびハンドゥルム諸島(Kepulauan Handeuleum)を世界自然遺産に登録した。この120,551ヘクタールにのぼる広大な自然のアイデンティティコンセプトを国立公園管理者は今模索している。
これまでの売り物は既に50頭ほどに減少してしまったジャワサイ。この保護動物を絶滅から守ってやらなければならない使命を負っている一方で、人類の資産であるこの自然をどのように利用するのか、公園管理者はその計画策定に余念がない。エコツーリズムのアイデアはだれしも思い浮かべるが、大自然を損なうことなくそれを行うにはどうすれば良いのだろう?今でさえ、観光客は増加しているが、それと歩調をあわせて海側にも陸側にもゴミが増えている。プチャン島の鹿は、消化できないビニール袋やプラスチック製のものをしばしば腹におさめ、長尾猿はコーヒー、パン、酒を食することを覚えてしまった。猿たちはチョコレートの包装紙をなめるという新しい習慣を身に付けている。それらはじわじわとかれらの生命を奪っていくだろう。誤ってビニール袋を食べればどうなるか。従来の食生活になかったハイカロリーや糖度の高い食品を食べ始めれば、肥満や糖尿の懸念も生まれてくる。密猟だけが楽園にいる動物たちの敵ではないのだ。ビジネスを求めるあまり、肝心の動物たちを絶滅させては元も子もない。
クロンは「西」、ウジュンは「果て」。文字通りジャワ島西端のこの地を単なる人跡未踏の動物保護区として隔離するだけでは、人類の財産の持ち腐れかもしれない。この公園のアイデンティティコンセプトが、十分に練り尽くされた包括的なものとしてわたしたちの前に提示される日が来るのを期待したい。[ 2005年8月 ]


「バンティムルンで蝶の養殖計画」
南スラウェシ州マロス県にあるバンティムルン国立公園にはさまざまな蝶が生息しているが、それが売り物になることから周辺住民は何らの規制も受けずに、自由に蝶を捕獲している。既に長期にわたって行われてきた乱獲がたたって、蝶の個体数は数年前から大幅な減少を見せるようになっている。周辺部落の住民も蝶が減ったことを認めており、バンティムルンでは一日数十匹しか捕獲できなくなっているので、少し離れた別の部落まで捕獲に行くとの話。そこまで行けば一日3百匹ほどの収穫があるそうだ。
地元で蝶の剥製を作っている業者は、このままでは行き詰まる日がやってくると見て州政府に対し、蝶の養殖を進言している。地元民に捕獲を禁止するのは難しく、またそれは単純に地元民の収入減を意味しているため、さまざまな問題の源泉となることが予想され、そのような禁止措置よりも、広範に養殖事業を進めて国立公園内では捕獲をしないようにさせればどうだろうか、というのがそのアイデアで、南スラウェシ州政府もそれに同意している。その剥製業者は暫く前から5ヶ所で養殖を始めているが、小規模なものしかできないためにあまり効果があがっていない。そのため、政府がらみでもった大規模に行う必要があると判断して今回の進言になったもの。[ 2005年8月 ]


「マドゥラ猫」
マドゥラ猫という種類の猫がインドネシアにいる。顔の形や体形が豹や山猫に似ており、身体も猫一般に比べて大きめ。毛は青色がかった灰色で単色だが、稀にビルマ猫のような灰紫色もいる。尾は中くらいの長さで、端が折れ曲がっており、マドゥラ猫がアジア種であることを証明している。
この猫はその名の通り、マドゥラ島から舟で6時間離れたラアス島に棲息しており、インドネシア原産種ではないかとの推測が投げ掛けられている。地元に伝わる話によれば、この猫は特定社会階層のひとしか飼うことができず、また飼い主として適切でないひとがこの猫を島から持ち出そうとすると、乗っている船は必ず転覆するそうだ。飼い主でないひとに触られるのをたいそう嫌うとも言われている。ラアス島でこの猫の数は百頭を切っているが、それは死亡率がきわめて高いから。また島の外に持ち出されるオス猫は断種を施されるため、島の外で繁殖することがない。インドネシアの猫愛好界は、この猫がインドネシア原産種であるかどうかの判定を近々行う予定にしている。[ 2005年8月 ]


「インドネシアは保護動物の流出ゲート」
インドネシアから多くの保護動物が国際闇販売ルートに流出している。その最新状況を、クリス・シェパード東南アジアトラフィック・地域プログラムオフィサーが語った。
「インドネシアからの主な保護動物流出ゲートは、メダン、ジャカルタのスカルノハッタ、スラバヤ、バンジャルマシン、マナド、バリの6空港だ。2000年にはメダンのポロニア空港で一週間に25トンものスッポンが輸出されたことが明らかにされた。保護動物の違法輸出先は、マレーシア、シンガポール、タイ、中国、欧州からアメリカまで幅広いが、メインは中国で個人や動物園のコレクションから伝統医薬品原料などにされている。東南アジアでは、保護動物を越境させるのはかなり容易で、厳しい監視やチェックが行われていないため、トラフィッカーは安易にそこを利用している。空港海港も同じようなもので、トラフィッカーはコンテナ内に隠しスペースを作ったり、隠しながら手持ちで出国したり、手荷物の中にわからないように仕掛けをする。保護動物に外見が似ているが保護指定のなされていない動物の中に紛れ込ませたり、鯉の生簀と思わせて底にアロワナを隠すような二重パッキングを行ったりする。言うまでもなく、証明書や書類は偽造する。」同オフィサーはそのように実態を物語った。[ 2005年9月 ]


「オランウタンの違法売買は毎年5百匹」
毎年およそ5百匹のオランウタンがカリマンタンから連れ出されて売買されている、と動物保護民間団体とWWFインドネシアがその調査結果を公表した。取引段階に至るまでに死亡しているオランウタンはその数字に含まれておらず、カリマンタンのハビタットで捕らえられているオランウタンはもっと大きい数字ではないか、と観測されている。取引されるのはまだ若いオランウタンで、ペットとして飼育されるのが大半。取引価格はジャワで一匹4百米ドル前後。
カリマンタンのオランウタン人口は4万匹とされているが、年々一千匹も数が減少していけば、絶滅の日もそれほど遠いものではない。調査報告では、過去15年間カリマンタンからのオランウタン売買は同じレベルを維持しており、またカリマンタンでの違法売買摘発も10年間続けられているものの実行犯が裁かれたことは一度もない。バリで行われたこの調査報告では、政府に対して保護動物不法売買実施者への法執行措置を厳格に行うよう要請している。[ 2005年9月 ]


「カリマンタンは保護動物密売の宝庫」
自然環境保護団体グリーンイクエーターの活動家へルマンが、カリマンタンにおける希少保護動物の密売に関する最新情報を公表した。カリマンタンの各地で捕獲された保護動物は国境を越えて東マレーシアに持ち込まれ、ブラックマーケットで何倍もの価格がつけられて売られている、とのこと。西カリマンタン州バダウとバタンルパウで観察されたオランウタン密売は、インドネシア側で密猟者から45万〜50万ルピアで買われたオランウタンが木材輸送トラックに隠されてサラワクに送り込まれ、マレーシア側では3〜5千リンギットの値段で売られている。オランウタンだけでもひと月に15頭程度がマレーシアに送り込まれているとのこと。オワオワはインドネシアで25万ルピアで仕入れ、サラワクでは1千リンギット、鹿は30万ルピアで仕入れ、4百数十リンギットの値付けがなされる。トントン鷺はわずか2万5千ルピア、白頭鳶は10万ルピアなど、保護動物が信じられないような価格で売られている。保護動物を飼育している住民も数多く、学術者、実業家、行政官、治安従事者、一般市民などまでが保護動物密売の網の端につながっている。政府は1990年第5号法令と1999年第7号8号政令で法整備を行っているものの、保護動物の売買、飼育、捕獲などへの禁止と罰則をうたっているそれら法規の執行はほとんど何もなされていないと言って過言ではない、とヘルマンは述べている。
森林省の動物保護に関わっている高官のひとりは、政府は法規を定めているものの、その施行はまだ十分と言えず、カリマンタンからマレーシアへの密売はこれまで以上に盛んになっている、と打ち明けている。保護動物違法売買がインドネシアの国益を損なっているのは、木材不法伐採の比ではなく、麻薬に次ぐ第二の巨大犯罪に位置付けられている、とのこと。[ 2005年11月 ]


「地方部では狂犬病に要注意」(2005年11月4日)
今年は西カリマンタン州や中部カリマンタン州で狂犬病が異常発生したが、東ヌサトゥンガラ州マンガライ県もその潜在性を十分に秘めている。伝統的に犬を飼う習慣を持っているこの地方では、犬は家や農園の番犬あるいは狩猟の手伝いをさせる猟犬としてひとびとの生活の一部分になっている。ほとんどの家庭が犬を飼っており、集落の中を犬が走り回っているのはありきたりの光景だ。
そんな地方に突然災厄が訪れた。記憶の限りではそれまで狂犬病のなかったこの地方に、1988年狂犬病事件が起こった。スラウェシの漁師が連れてきた犬が狂犬病をこの地方にもたらしたのだ。それ以来、狂犬病は盛んになったり鎮静したりしながら、この地方に居着いてしまった。今年2005年だけでも狂犬病を持つ犬にかまれた事件は927件発生しており、そのうちの10人が死亡している。
2000年7月、マンガライ県で暴動が発生した。原因は狂犬病を素材にした煽動だった。いったい誰が誰を煽動しようとしたのか、民衆は精神が硬直するほどのパニックに陥り、暴れ始めた群衆が四輪二輪の自動車を破壊して火をつけ、マンガライ警察署を含む市内の建物を破壊した。民衆が乗ってしまった噂とは、この地方の住民を攻撃しようとして、狂犬病のウイルスが肉団子やパン、あるいは井戸水の中にばらまかれ、バナナの木にもウイルスが注射されているので、バナナの実を食べてもウイルスに冒されて神経を破壊される、というのである。
幸いにしてそのときの暴動は短時間で終結した。その後おかしな噂で煽動された暴動は発生していないが、狂犬病の継続的拡大には、県行政当局も苦慮している。県保健局は野犬粛清を進めており、また人をかんだ犬は撲殺される運命をたどることも間違いない。狂犬病予防注射もワクチンの用意も、財政難から犬の頭数の多さにバランスが取れていないのが実情だ。
地元民は、自分が飼っている可愛い犬が病気を移されて人をかんでも困るし、野犬狩りで射殺されるのもかわいそうなので、犬を家の中につないで飼っている。犬たちにとっては受難の季節だ。


「ロサ現象」
あの歌唱力あるスンダ美人歌手のことではない。場所はスンダでなくてスマトラ。かの女が住んでいるのはスマトラ島の背骨、ブキッバリサンの南端にある南ブキッバリサン国立公園。ロサが人間の目の前に現れたのは2003年のこと。ランプン州西ランプン県コタアグンから北西におよそ30キロ奥地に入ったスオ郡の農民たちは、野生の雌サイが一頭、怖れる風もなく人間集落の近くに出現したのを目の当たりにして驚いた。おまけに、姿が通常のサイとは少し違っていた。その顔は通常のサイよりも細長く、まるで馬面。そのおかげでこの若い雌サイは、人間から危害を加えられることを免れた。地元農民たちはこのサイを化生のものと見なし、そのサイが自由に振舞うのにまかせたのだ。その噂が南ブキッバリサン国立公園監視員の耳に入り、そうしてスマトラサイ保護監視体制の中に組み込まれた。ロサと名付けられたこの野生のスマトラサイは、およそ野生のサイにはありえないような振る舞いを示し、その特異な現象が世界の野生動物保護活動界の話題となった。それが「ロサ現象」。
野生のサイは通常、ヒトを含めて他の動物と出会うのを極度に怖れ、密林の奥深くに自分だけのハビタットを作ってひっそりと暮らす。群れを作らない孤独な生活を営み、スマトラでは島内に棲む象や虎、そして人間を避けてそれらの生き物から隠れようとする。ところがロサは、その人間との出会いが示すように、みずから人里近くに寄ってきて家畜と遊び、おまけに人間が差し出す食べ物をその手から食べるという実に、野生サイの習性を知る人にとっては、想像を絶する振る舞いを見せてくれた。凶暴さなど露ほども見せず、まるで飼い馴らされたように人間と触れ合うのを好み、人間が触っても嫌がるどころか、背中に乗っても平気な顔だ。臆病な野生サイは密林の奥深く、茂ったジャングルが天然のキャノピーを作っている薄暗い環境の中でやっと落ち着くというのに、ロサはスオ郡の村々をお天道様の下で臆することもなく徘徊する。
野生のサイは野生の棲息地に戻してやって、密猟者などの手から保護しながら繁殖を助けてやるのが保護プログラムの基本だが、普通の野生本能が失われているロサを密林に放すのはかえって危険。既に密猟者がロサを狙っているとの風評も耳に入っており、スマトラライノサンクチュアリは国際ライノファウンデーションなどの協力を得て、東ランプンのワイカンバスにあるスマトラサイ養殖場にロサを移すことにしている。スマトラサイ養殖場には既に三頭の野生サイが住んでおり、お年頃に入ってきたロサに繁殖の期待も生まれている。人里で暮らしたロサには、家畜の病菌が伝染している可能性があるため、血液サンプルがボゴールに送られて検査されている。問題なしとの結果が出れば、ロサのランプン州横断旅行が始まる。
南ブキッバリサン国立公園には40から70頭の野生スマトラサイが棲息していると見られている。そしてそのうちのロサを含む5頭がしばしば人里近くで目撃されている。この一帯は幸いなことに、野生サイがまだ多い。少し北のクリンチスブラッ国立公園などは140万ヘクタールという広大なエリアにたった二頭しか野生サイがいない。スマトラサイ保護活動は1980年から1997年まで活発に行われ、その間に18頭が繁殖促進のために捕獲された。しかし13頭は死に、残ったサイのうち三頭はアメリカの動物園に送られて子供を二頭生んでいる。もう二頭がいまスマトラサイ養殖場にいるトルガンバとビナだ。トルガンバはイギリスにいたが里帰りしてきた。ビナはタマンサファリにいたが、ワイカンバスに移った。もう一頭のラトゥはワイカンバスに近い農村に現れ、村民に追われて弱り果てていたところをスマトラサイ養殖場が助けて引き取った。村民たちはただサイを近くで見たかっただけなのだが・・・[ 2005年11月 ]


「野生虎の襲撃」
12月に入って以来、リアウ州ロカンフル県ロカン4コト郡にあるチパンキリフル、チパンキリヒリル、チパンカナンの三村では、村民が虎に襲われる事故が相次いでおり、虎の襲撃を怖れて村民は村から出ようとしないために、外界から隔絶された状態になっている。虎の出現は、12月2日に43歳の村民が遭難したのがはじまりで、その村民は死亡した。12月3日、こんどは別の村の35歳の村民が襲われたが、生命はとりとめた。12月7日、再び33歳の村民が虎の襲撃にあって死亡している。[ 2005年12月 ]


「アノアは絶滅したか?」
スラウェシ島固有種であるアノアがもうここ何年も住民の目に触れていない。南スラウェシ州のハビタットでもう長い間、アノアを見た者がいない。南スラウェシ州天然資源保存院長は、生存個体数に関するデータが何一つないが、通常はやぶの中にいることを好むこの動物が存在する可能性はきわめて薄いように思われる、と語った。「南スラウェシではもう絶滅したのではないだろうか?東南スラウェシ州には多分まだ生き残っていると思われるが・・・」との同院長の談。
ところが11月半ばに東南スラウェシ州環境破壊抑制庁長官は、アノアはもう絶滅してしまっている、と発言している。1970年代には、ニパニパ山森林地帯に行くと、まるで地域一帯の警護者といった態で、たくさんのアノアが徘徊している姿が見られたものだ、と年配者は語っている。アノアの減少は例に洩れず、人間による森林開拓と居住地の広がりで従来のハビタットが狭められたのが原因だが、それ以外にも皮・肉・角を取るために不法狩猟が行われたことがアノアの減少を加速させた。1960年以来、アノア絶滅の警告は頻繁に出されていたが、東南スラウェシ州のマスコットとされているアノアはもう絶滅している可能性が高いと関係者は見ている。[ 2005年12月 ]


「警察が虎の皮売りを逮捕」
北ブンクル県警察が、虎の皮の買い手を探していたふたりを逮捕した。逮捕されたのはUj40歳とAm45歳のふたりで、同県タンジュンラマンの住民Ujが、アルガマッムル住民Amの持っている虎の皮を売ろうとして買い手を求めているのを市民が警察に通報してきたため、この逮捕に至ったもの。警察がこのふたりを逮捕したとき、ふたりは乾燥させた虎の皮と熊の皮を持参していたため、嫌疑を否認することもできず、現行犯逮捕となった。Amは同県スバユルジャヤ地区でその皮を手に入れたと推定されているが、どのようにしてそれらの保護動物を捕らえて皮をはぐことができたのかについて、本人はまだ明らかにしていない。警察が没収した虎と熊の皮は年齢がまだ判明していないが、長さは1.5メートルもある。スマトラ虎は全スマトラで3百頭あまりに減少しており、アチェのグヌンレウセル国立公園からランプンの南ブキッバリサン国立公園までのスマトラ島山岳部に散在して棲息している。ブンクル州の密林地帯では動物の狩猟が今でも頻繁に行われており、特に虎の皮は高い値がつくことから、主要ターゲットのひとつとされていて、罠が仕掛けられることも稀でない。[ 2006年1月 ]


「バンテンはどこへ?」
西ジャワ州ガルッ県の南端、ルウンサンチャン自然保護地区から、野生バンテン(banteng)の姿が消えた。ジャワ島原産種の野牛バンテン(Bos javanicus)はジャワ島西部地域で、このルウンサンチャン自然保護区とウジュンクロン自然観光公園でだけ見ることができたが、それがついに一ヶ所だけになってしまったことになる。
「ここ数年間というもの、バンテンの足跡、毛、汚物などがまったく観測されなくなっており、ましてやバンテンの姿を目にした者もいない。ルウンサンチャン自然保護区には、もうバンテンはいなくなっているものと思われる。」ガルッ県天然資源保存院第二地区保存課長はそう表明した。
2,157ヘクタールのルウンサンチャン自然保護区はかつて、 バンテンの宝庫だった。1980年代初め頃は数百頭にまで繁殖したため、保護地区内を往来するバンテンの姿を苦もなく目にすることができたが、増えすぎたためにかえって保護地区周辺の農民の畑を荒らすことが度重なり、地元民に敵視される結果を招いた。ただでさえ、装飾品としての商業価値を持つ角、食料となる肉、などの要因が密猟を招くところに敵対感情が加わったから密猟は激しさを増した。地元民の密猟は、針金で作った罠を大きな木につなぎ、足を取られたバンテンが逃げられないような工夫がなされている。加えて1998年の経済危機以来、都市部の失業者が帰農して保護地区の開拓をはじめたために、ハビタットが急速に減少した。森林破壊、エコシステムの変化、水源の減少、食糧の不足などの影響から、同保護地区のバンテンは急激に減少し、残った少数も最終的に同保護地区を見捨てたものとガルッ県天然資源保存院では推測している。しかしどちらの方角に向かって移動して行ったのかはわかっていない。[ 2006年1月 ]


「ブルンサバルも絶滅に向かう」
中部カリマンタン州パランカラヤのカハヤン川流域には多くのブルンサバル(burung Sabaru) がいて、1970年代から80年代ごろまではたくさん目に触れたものだ、と地元民は語る。このサバル鳥はサギに似た身体をしており、成鳥の場合、地上に降り立てば背の高さは80センチあまり、白黒の翼を広げれば長さは1メートルに達する。くちばしは30センチほどの長さで、特徴的な長い首は50センチもある。
昔ブルンサバルがたくさんいた頃、子供たちはその首めがけて棒切れを投げつけて捕まえていたものだ、と地元民は語る。地元民がこの鳥を捕まえる目的はほとんどが食べるためであり、味は鶏に似ておいしい、とのこと。今ではパランカラヤ近辺でほとんど目にすることがなくなり、ムンダワイ郡ダマル島で時折その姿を目にする程度。ムンダワイの地元民も、サバル鳥がえさを漁るニッパの湿地に罠をしかけてこの鳥を捕らえている。目的はほとんどが食べるためで、捕まえた鳥を飼う人は滅多にいない。住民のひとりが捕らえた体重4キロの鳥を6万ルピアで売っていた、という話を地元民のひとりが物語っていた。
WWFの保存生物学オフィサーによれば、ブルンサバルはコウノトリの仲間で、保護鳥に指定されているとのこと。個体数の激減してしまったこの鳥はスバゴ国立公園(Taman Nasional Sebangau) にも生息しているが、この鳥を対象にした調査がまだ行われたことがないため、どのくらいいるのかわからないのが実情で、どうやらこの鳥も絶滅への道を歩んでいるようだ。[ 2006年2月 ]


「数十頭の象が行方を絶つ」
リアウ州カンパル県カンパルキリ郡ルブッカグン村郊外の森林地帯に巨大な象の死骸が横たわっており、腐敗臭は広大なエリアに漂い、死骸の周辺は蛆で足の踏み場もない。そしてその牡象の死骸は、牙が跡形もなく消え失せている。
プカンバル市から120キロも南に下ったルブッカグン村の村長の話はこうだ。だいぶ前からその地域一帯に野生象の群れがやってきた。そしておよそ40頭にのぼる群れは、村民の営んでいるゴム園やパームやし園を荒らし、さらに稲までもかれらの犠牲になった。いたたまれなくなった村長は、近隣四ヶ村の村長と地域のアダッ有力者たちと相談した結果、連名でカンパル郡森林局に象退治を要請した。野生象捕獲隊がおよそ四週間前に村にやってきて、村民の家に宿泊し、捕獲活動を行った。5頭を捕まえたので、かれらはこれで引き上げると村長に告げたが、たった5頭しか減らないのであれば、これまで通り荒らされるのは目に見えていると思った住民たちは、全部捕まえてくれ、と強く要請した。捕獲隊は仕方なく更に留まって象を捕まえ、結局30頭を捕獲して村から去った。その捕獲活動の中で、群れの中で一番大きい牡象が死んだと捕獲隊責任者は村長に告げた。それがことの顛末のようだが、リアウ州のWWF活動家は、森林局自然資源保存チームが取った行動は、手続きに違反があったのではないか、と語る。「捕獲行動中に象が死んだこと自体、プロセスが正しく行われなかったことを推測させ、ルブッカグン村での25日間にわたる象捕獲の結果死んだのは一頭でなく二頭で、もう一頭は象訓練センターに運ばれる途中、麻酔薬の与え過ぎで死んだと報告されている。象は30頭も捕獲する必要などまったくないのに。また死んだ象の牙が消失しているが、他の数十頭もやはり牙が失われている。また捕獲された象がどこへ運ばれたのかは、テッソニロ国立公園に来ていないために、不明だ。」とその活動家は述べている。[ 2006年3月 ]


「象が死んでいく」
リアウ州プカンバルのミナス象訓練センターで象の死骸がまたふたつ見つかった。過去四ヶ月間に死んだ象はすでに16頭にのぼっており、これほど多数の象が死んだ年は関係者の記憶にないそうだ。多数の象の死は、人間と象のコンフリクトに起因している。リアウ州WWFのデータでは、2002年以来16人が象に殺されているが、かれらのほとんどが、もともと象の餌場だったエリアを農園や住居に変えて作業や生活をしていたところ象の襲撃を受けたというもので、森林の無許可開拓がその背景にある。二週間前もベンカリス県バライラジャで象が暴れ、農園と十数軒の家屋が破壊された。象と人間のコンフリクトが従来以上に高まってきたため、住民からの象捕獲要請が増加し、州当局は2005年11月から象の捕獲と移転に力を注ぎ始めた。ミナス象訓練センターで死んだ二頭の象は、カンパルキリ郡で捕らえられた30頭の一部。テッソニロ国立公園に移された象は、新しいハビタットの地理をよく知らないために十分な餌を得ることができず、その多くが病気にかかっている。ミナスの象の死骸は、首に鎖の一部がまだ巻きついていた。やはり二週間前にはロカンフルとタパヌリスラタン間の州境で、四頭の象が死んでいる。
ワイカンバス国立公園事務所象訓練センターでは、移されてきた象62頭のための食費予算がいまだに下りない。下りるまで、象には毎晩椰子の葉軸を与えているとのこと。昼も、餌を求めて森のずっと奥まで入っていかなければならない。訓練センターにある象の檻と草地は3〜4キロほどしか離れていないが、草地は草がたいへん薄くなっているため、そこだけを餌場にしていては象の腹は満たされない。ワイカンバス周辺で椰子の葉軸は一本150ルピアで売られており、体重3トンの象は一日5〜6十本の葉軸を必要としている、と訓練センター所長は語っている。[ 2006年3月 ]


「象牙」
世界中から消滅していなければならない象牙の取引がいまだに行われている。象牙製の物産が、ブンクル州カウル県へ行けばひっそりと、しかし公然と売られている。ブンクル市から350キロも南に下ったカウル県の首府ビントゥハンへ行けば、外から来た訪問者たちに地元民が象牙をオファーしてくるのだ。自分は持ち主ではないが、オーナーと近い関係にあるのだ、とかれらは自己紹介する。生の象牙でも、土産品のタバコ用パイプでも、お好みのままだ、とかれらは言う。大人の人差し指大のタバコパイプで価格は20〜25万ルピア、手のひら大のカット象牙だと150万ルピア。南ブンクル森林局長は、ビントゥハンでの象牙売買は今に始まったことでない、と物語る。もちろん象牙売買はインドネシアでも違法行為だが、売買現場を押さえるのが大変難しいため、犯人検挙はほとんど実現していない。かれらは密猟や毒殺あるいは偶然捕獲された象から象牙を取る。カウル県周辺での象のハビタットはムアラサウンの森林や南ブキッバリサン国立公園の森林で、最近は頻繁に象が住民居住地区に姿をあらわし、住民の農園等を荒らすとの報告が増加している。[ 2006年3月 ]


「暴れるゾウ」
10頭前後のスマトラ象がリアウ州カンパル県プタパハンの椰子農園で暴れている。野生の象たちはすでに数百ヘクタールの農園を破壊し、住民の居住地区へ接近して来ているため、百世帯前後の農民たちは気が気でない。このエリアはもともと野生象のハビタットだったが、2002年以来産業用植物林と椰子農園への転換が進められたため象の暮らしに強い圧迫がかかっている模様。2002年以前は60頭近い象がいたが、2002年以降強制的に移転させられ、今では15頭ほどがそのエリアのジャングル内に棲息している。象たちは、食糧を得るために椰子農園に入って椰子の木を倒し、特に収穫期に入った木を倒して食べ物を漁っているため、象と人間のコンフリクトが強まっている。[ 2006年4月 ]


「サワガン地区は観賞魚養殖センター」(2006年4月4日)
熱帯魚養殖ビジネスがいま中小事業界で脚光を浴びている。石油燃料大幅値上げがもたらした購買力低下とコストアップでいずれの業界も青息吐息の昨今、熱帯魚ビジネス、中でも外国のバイヤーをつかんでいる輸出業者は、従来と変わらぬ余裕綽々とした涼しい顔で日常業務にいそしんでいる。熱帯魚養殖ビジネスは中小資本が大半で、この業界を統合して外国向け供給を安定的に育成してやれば、地元税収に貢献するのは疑いもない。そのために、中央ジャカルタ市ジョハルバルに熱帯魚中小事業開発センターが発足することになった。このセンターは来年の稼動を目指して準備に取り掛かっている。このセンターでは、養殖に関する職業訓練から市場開発まで、中小事業者が望む業界支援が行われることになっている。都庁中小事業コペラシ局長は、熱帯魚は1.4億ドルの潜在的輸出売上を持っている、と語る。熱帯魚養殖は比較的容易で、しかも事業者の収入増に大きく貢献するものであるとのこと。従来のビジネス方式では、養殖家一軒でひと月50〜100万ルピアの利益があがった。これは一軒がひと月1千匹売ると仮定してのものだが、一軒の養殖家が販売用に用意できるのは万の単位になる。そのため、商品在庫を蓄えることのできる施設があれば、養殖家は共同で熱帯魚のマーケティングを行うことができる。一軒の養殖家では対応できない大量の注文も、貯蓄施設から供給することができる。この貯蓄施設はそこで小売を行うためのものでなく、商品を貯蓄し、選別し、また養殖魚の医療も行うための場所だ。
貯蓄施設があれば商品の販売価格がより安定する。これまで養殖家は仲買人と取引を行ってきたが、小規模生産者の商品を受け入れて貯蓄するかれらはその売買の場で巧みに価格を抑え込むため、養殖家の収入が満足できるものになるケースはほとんどなかった。貯蓄施設が生産者の側に取込まれたら、生産者は売れ残りを心配して値引きに応じていた従来の売り方から解放される。また魚の選別もこれまで思うにまかせなかったが、今後はサイズ区分されたものに定価を持たせることができるので、これも販売時の強みとなる。ある養殖家は、趣味が嵩じてビジネスを始めたと語る。かれは4年前に1千万ルピアの資本金で、水槽50個、ネオンテトラとレッドノーズを各2千匹購入した。今では水槽が250個、魚は数万匹に上っている。これまでかれはブカシの仲買人に商品を売り渡していた。輸出先はシンガポール。養殖家組合は輸出業者からコンタクトを受けると、生産者を何軒も回って買い付けしていたが、貯蓄施設ができることによって、生産者は商品をそこへ持ち込み、輸出業者が調達に来ればそこにある商品をいくらでも供給することができるようになる。輸出業者と直接取引きするほうが価格の透明性ははるかに高い。魚の種類で需要が集中しているのはレッドノーズとネオンテトラ。輸出の需要が一番高いのはMサイズのものだそうだ。魚を稚魚から養殖して商品にするまでに3ヵ月半かかる。
デポッ市漁業課のデータでは、2005年の熱帯魚生産は3,055万匹で、そのうち2,201万匹はサワガン(Sawangan)郡で生産されたもの。サワガンはジャボタベッ地区における観賞魚養殖の中心地になっている。


「虎との遭遇」
リアウ地区WWFタイガープロテクションユニットの報告によれば、今年4月一杯から5月初めまでにスマトラ虎と人間の遭遇が4回報告され、一番最近の事件ではリアウ州インドラギリフル県スベリダ郡ルンバイラヤ村で虎が牙をむいて暴れ、住民のひとりが首と身体に重傷を負ったとのこと。その前の事件はやはりインドラギリフル県バタンガンサル郡クランパル村で起こった虎の襲撃で、そのときは住民の家畜がすべて虎の餌食となっている。一方、クアラカンパルとプララワンではそれぞれ一頭ずつ虎が住民の罠にかかっている。プララワン県で捕まった虎は罠を外すことができなかったため、数日間食を得ることができず、ストレスも加わって死亡したと報告されている。ブキッティガプル国立公園とテッソニロ国立公園のスマトラ虎は70頭を切ってしまったようだ。
虎とは別に、やはりインドラギリフル県で5月8日、象の腐乱死体が発見されており、象牙は切り取られ、頭には三発の弾痕が確認されている。先週はベンカリス県にある企業のコンセッション林区でも象牙を切り取られた象の死体が発見されており、象牙を狙った闇狩猟者の暗躍が激しくなっている模様。虎や象が産業用植林区や農園に侵入して植物を荒らす事件はここ5年間急増しており、それは動物のハビタットが産業用植林区や椰子油農園の拡大ならびに人間の生活エリアの拡大によって狭められていることを証明する以外の何ものでもない。インドネシア産の輸出産品に対してボイコットや値引きといった対応はまだ形を取ってあらわれていないが、自然と動物保護に関連する部分でインドネシアのイメージは国際社会でかなり悪いものになっている、とスマトラの農園産品業界者は語っている。[ 2006年5月 ]


「カリマンタンでも象が作物を荒らす」
東カリマンタン州ヌヌカン県スブク郡にある住民所有のパーム椰子農園が一群の象に襲われ、実を食べられている、とWWFインドネシアが報告した。スブクからスンバクンにかけての地域も野生象のハビタットだが、農園を荒らしている象はマレーシアのサバ州から下ってきたものと思われ、サバにおける象のハビタットで自然破壊が進んでいるのではないか、とWWFは推測している。スブク〜スンバクン地区は野生象個体数が極めて減少しているため、カリマンタン象保護地区に指定しようとのリコメンデーションが既に投げかけられている。カリマンタン象とスマトラ象はアジア象の中の異なる亜種に属しており、コロンビア大学のDNA調査でもそれが立証されている。カリマンタン象は30万年前にこの島に隔離され、その後の進化で身体は小さくなり、耳は大きくなり、鼻と象牙は長くなった。カリマンタン象は他地域の象と異なる進化を遂げているため、保護プログラムの優先度は高く置かれている。[ 2006年5月 ]


「西スマトラ州でオサガメ絶滅」
インドネシア原生の亀は6種類いるが、インドネシア西部地方にはそのうちの3種類、タイマイpenyu sisik、 アオウミガメpenyu hijau、 オサガメpenyu belimbingがいる。その中で最も絶滅の危機に瀕していたオサガメは保護養殖が行われることもなく既に西スマトラ州から姿を没してしまったようだ、と西スマトラ州パダンのブンハッタ大学調査チームが公表した。その絶滅は卵の乱獲と売買が引き起こしたもので、1999年以来既にオサガメは一匹も見つかっていない、とコメントしている。2001年の調査では、皮肉なことにチームが発見したオサガメはムアロパダン(Muaro Padang)海岸で売られていた卵だけだったそうだ。オサガメの卵はテニスボールくらいの大きさがあり、他の亀の卵より大きいので判別しやすい。「販売人はそれがオサガメの卵であることを認識していなかった。かれは10年来亀の卵を販売してきたが、今回はじめてその大型の卵60個をパダンパリアマン(Padang Pariaman)の流通業者から買った。そしてその後再び大きい卵は巡り合ったことがないそうだ。」同大学の亀専門家であるハルフィアンドリ工学士はそう語っている。
フィールド調査から、オサガメは同州パダンパリアマンのカシアッ(Kasiak)島地区にだけ棲息していたことがわかっている。しかし2001年に卵が発見されたあと母亀は一度も見つかっておらず、同大学では周辺地元民に啓蒙と法的側面を告知して協力を求めたが、今日にいたるまでだれひとり亀を見たとの報告をしてきた者はいない。ハルフィアンドリ工学士は既にタイマイとアオウミガメの養殖を行ってプシシルスラタン(Pesisir Selatan)県、パダン(Padang)市、パダンパリアマン県のハビタットに1万5千匹の小亀を放流している。同大学では箱の中で亀の卵を孵化させる技術を確立しており、その孵化成功率は95%に達している。[ 2006年6月 ]


「シーラカンスを食う?!」(2006年6月28日)
1999年10月29日付の新聞にこんな内容の記事が載った。
「生きた化石シーラカンスを求めてドイツインドネシア合同海洋学術調査チームが北ジャカルタのムアラバル漁港から5週間の航海の途に上った。建造1年のバルナジャヤ8号にはフルコンピュータによるリサーチとサーベイ用機器が搭載され、インドネシア科学院とドイツのマックスプランク学院ならびにその他地元関係者からの混成チーム20人が調査活動を行う。同調査隊はまずマナドに向かい、北部スラウェシ近海の調査を行うがさらにアンボン近海までをその探査海域に予定している。スラウェシの漁民にRaja Laut(海王)と呼ばれているこの魚はときおりマナドの魚市場に出されて1匹3万ルピアで売られていたそうだが、魚肉は美味でなくまた脂っこいため下痢を起させるらしい。そのためシーラカンスから作った魚油は地元で緩下剤として用いられているとのこと。アメリカの海洋保全学者マーク・アードマンが偶然マナドの市場でこの魚を目にしたことから俄然学会の注目を招き、そのためマナドの市場では価格が一気に100万ルピアに跳ね上がった。シーラカンスの化石は4億年から7千万年前に区分されるデボン期のものが発見されており、既に絶滅したとされていたが、1938年にマダカスカルで生きた魚が発見されて大きな話題を呼んだし、1952年にはコモロ諸島でも発見されている。今回の調査は魚を捕える事ではなく、個体分布を調査して種の実態を把握するのが目的だとハンス・フリッケ調査隊長は語っている。」
マーク・アードマンがマナド(Manado)の市場の一角でシーラカンスを目にしたのは1997年9月のことで、その後1998年7月30日にラメ・ソナタムが入手してアードマンに提供した生きているシーラカンスが、学者が手に入れたスラウェシ海域で初の生体。そのシーラカンスはいまやボゴール県チビノン(Cibinong)にあるインドネシア科学院生物学博物館(Museum Biologi LIPI)に保存されている。シーラカンスは野生動植物を保護するワシントン条約の第一種に指定されており、保護優先度がきわめて高いもの。ドイツのマックスプランク学院は2004年にもまたシーラカンス調査を行い、ブナケン海域を八方手を尽くして探し回ったが発見できず、三週間に渡る調査は失敗かと思われた矢先の調査期間が終わる一日前に、洞穴がたくさんある深さ145メートルのエリアで二匹を発見することができた。そして今回、福島県いわき市小名浜の海洋科学館「アクアマリンふくしま」がスラウェシ海域に調査隊を送り込み、5月30日に一匹、31日に二匹を発見したあと、6月4日のお昼前に異なる深さの場所で5匹を撮影するのに成功した。「アクアマリンふくしま」隊が今回シーラカンスを発見した場所は中部スラウェシ州ブオル市の北方海域で、深さ155〜183メートルのさんご礁付近の海中。
スラウェシ海域のシーラカンスはインド洋西部から南アフリカにかけての海域で発見されたものとはDNA検査の結果別の種であることが明らかになっている。体長最大2メートル、重さ100キロ、最長寿命22年で胎生であるこの海の王は海底の洞窟部に棲み、動きは緩慢で急流を乗り切って泳ぐことができないそうだ。


「アチェで保護林が消えて行く」
アチェ州で野生のスマトラ象やスマトラ虎が村を襲う事件が増えている。南西アチェ県では象が暴れて住民のひとりが踏み殺されたし、大アチェのモンタシッでは虎が村に入り込んで暴れ家畜を食い殺したために、村人がその虎を罠にかけて殺した。アチェ州天然資源保存庁のアンディ・バスルル長官は、州内ではほとんど全域に渡って不法伐採と開墾が進められており、その活動は軍、州政府諸官庁、民間団体など広範な階層の悪徳職員や関係者が関与して行われているため、それを阻むのはほとんど不可能に近い、と述べている。シンキル県では保護林が2千ヘクタールも形を変えてしまっている。そんな状況が野生動物のハビタットを狭め、生活環境と食糧確保が困難になった動物が人里まで下りてきて暴れるという事件につながっており、下りてきた動物は村に居座ってジャングルに戻る気配を見せないとの目撃者の話も伝わっているがそれはかれらが狭められたハビタットにすでに見切りをつけたことを意味している。スマトラ島全域では虎のハビタットが狭められた結果、個体数は40%にまで減少していると報告されている。[ 2006年7月 ]


「フローレス島に飼い犬禁止令」(2006年8月4日)
フローレス島の狂犬病禍はおさまる気配がない。1997年以来今年7月までの間に狂犬にかまれて生命を落とした人間は206人にのぼる。今年1月〜6月までの間に発生した狂犬被害は568件で、死者がふたり出ている。17歳と13歳の子供ふたりが生命を落としたのはかまれた後何ヶ月もそのままにしておいたからで、被害者はたいていみんなかまれるとすぐに病院に行ってワクチン注射を受けているために大事に至っていない。狂犬にかまれると犬の唾液の中にいるビールスが人体に入り、体内の重要な器官を破壊してひとを死に至らしめる。狂犬病ビールスは犬だけに限らず猿も猫もそれを媒介する可能性を持っているが、これまでフローレスでの狂犬病罹患者は飼い犬が原因をなしているケースが大半を占めている。
フローレスでは犬を飼う習慣があり、飼い犬はまるで家族なみの扱いを受ける。野犬であれ飼い犬であれ、人をかんだ犬がその場で殺されることになっているのは狂犬病を持っている可能性が高いためであり、狂犬病禍の激しくなったここ数年飼い主の多くは愛犬を家から外に出さないようにして異常なまでの神経を使ってきている。そのような犬と人間との関係がビールスを持った犬をすべて殺すという行動にブレーキをかける傾向を生んでいるため東ヌサトゥンガラ州保健局は、島内からビールスを完全に消滅させるために一旦フローレス島内から犬を一匹もいない状態にして2〜3年空白期間を置かなければならない、として島民に今後しばらくの間は犬を飼わないよう命じる措置を講じる予定にしている。また州保健局は島民に対し、ビールスを持っている惧れがあるため殺された犬の肉を食べてはいけない、と告知している。ビールスを持っていても調理されればビールスは死ぬが、犬の屍骸を処理するときに手や足にある傷からビールスが体内に侵入する可能性が高いためだ。フローレス島から近隣諸島へのビールス汚染は、北マルク州を除いてまだ発生していない。フローレス島と他の島を結ぶフェリーをはじめとする海上や航空の交通機関は動物を連れて搭乗することを禁止している。北マルク州には狂犬病が転移しているが、それはこうもりが媒介したのではないかと推測されている。


「密猟者たち」
リアウ州インドラギリフル警察署は手製の銃を製造して密猟者に販売していた三人を逮捕した。この三人はかなり昔から非合法の手製銃製作を行っていたと推測され、何丁ものレボルバーやライフル銃と一緒に430発もの銃弾も押収された。警察の調べによれば、それらの銃弾はアチェに駐留していた不良国軍兵士から横流しされたものだが、その兵士はアチェにおける軍事行動で死亡していたことが判明している。この三人の逮捕は去る5月7日にインドラギリフル県クラヤン郡パシルプティ村にあるPT リンバプラナップインダ社所有の産業植物林で発見された野生象の屍骸に関する警察の捜査によるもの。20人の参考人から事情聴取したあと、その三人が銃器の非合法製作を行っていたことが明らかになったために警察はかれらを逮捕したが、しかしかれらから銃器を買った密猟者はまだひとりも捕まっていない。密猟者を逮捕するまで手を緩めないと警察署長は述べている。
今年に入ってからリアウ州では16頭の野生象が殺されている。雄象の屍骸はほとんどが象牙を切り取られており、闇市場で一本3億ルピアと言われている象牙を手に入れるために密猟者が象を殺しているのは明らかだ。象が殺されている要因は他にもあり、最近多発している人間と象との間のコンフリクトがその原因をなしている。リアウ州では、ベンカリス、シアッ、カンパル、ロカンヒリル、ロカンフルなどで象が人間の居住区や農園を襲うという事件が発生した。ミナスの象訓練センター近くで二頭の象が住民に殺された。2005年11月には象が住民の生活を妨害しているとして、リアウ州天然資源保存院、州森林局、県庁が編成した合同チームが象30頭を捕らえて訓練センターに送った。その後、そのうちの3頭が死亡している。今年2月にはテッソニロ国立公園で首に鎖を巻き付けた状態の象2頭の屍骸が発見された。そしてもっとも最近の二週間ほど前、リアウ州と北スマトラ州の境にあるロカンフル〜南タパヌリ境界エリアでも象6頭の屍骸が発見されている。[ 2006年8月 ]


「ジャワでも野生動物が人里に接近」
ジョクジャ特別州グヌンキドゥル(Gunung Kidul)県でカルスト丘陵に住んでいる野獣の多くが人間の居住区に向かって移住している徴候が多く見つかっている。これは乾季のために野獣のハビタットである森林地区で食糧や水の欠乏が始まったためと見られており、人間の居住区域の他に川や池あるいは洞窟に向かう足跡が数多く発見されている。ポンジョン郡(Kecamatan Ponjong)のトゥラガ洞窟(Goa Telaga)周辺での観察では、グレムン(Gremeng)川に通じるその洞窟の中に入って行ったベンガル山猫と思われる獣の足跡がはっきりと残されている。地元民のひとりが言うには、山猫の移住は乾季の到来とともにもう一ヶ月くらい前から始まっているとのこと。森林地区で食糧や水が得られなくなったために人間の居住区域に近い方まで下りてきているようだ。最近は山猫だけでなくジャガーの姿も住民が目にする機会が増えており、ここ一ヶ月で村の鶏6羽がジャガーに食われているとの話もある。
森林の奥深くに生息している尾長猿も水を求めてラワ洞窟(Goa Lawa)に移住している。猿は時に住民が畑地に栽培している今が収穫時のシンコンを盗んでいる。先週はヒョウが人里近くまで下りてきたのをパリヤン郡タフナン村(Desa Tahunan Kecamatan Paliyan)の住民が目撃している。妊娠していたその一頭のヒョウは人間に害を加えることなくすぐに姿を隠した。グヌンキドゥル自然愛好会はセウ丘陵カルスト地区の森林にヒョウやジャガーが棲んでいることを認めている。雨季に獣たちは森林の奥深くに隠れているが、乾季になると水を求めてそこから出てくる。同愛好会メンバーの多くは最近、パリヤン郡ソドン(Sodong)の森林でジャワ虎の排泄物を発見している。激変している環境のせいで、今や希少動物となったヒョウ、ベンガル山猫、山猫、尾長猿などが乾季になると人里近くまで出てくることを余儀なくされている。[ 2006年8月 ]


「野生ジャワサイの赤ちゃん誕生」
ウジュンクロン国立公園で野生ジャワサイの赤ちゃんが生まれていたことを森林省自然保存森林保護総局とWWFが明らかにした。生まれたのは四頭だとのこと。野生ジャワサイの赤ちゃん誕生のニュースは過去三年間ではじめてのもの。赤ちゃんサイの存在の徴候は2006年7月24日に森林省自然保存森林保護総局とWWFおよび地元民が17センチほどの足跡を発見したことにはじまり、翌日は別の場所で異なる赤ちゃんサイの足跡を発見した。その日サーベイチームは母サイに付き添われている雌の赤ちゃんサイを見ており、また7月26日には別の場所で別の足跡が見つかっている。それらの発見場所が互いに遠く隔たっていることと足跡のサイズが同一でないことから、サーベイチームは四頭の赤ちゃんサイが生まれたものと確信しており、さらに隠し撮りカメラでその事実を捉えようと努めている。
スマトラサイ、インドサイ、黒サイ、白サイという世界で優勢な四種のサイに比べてジャワサイは希少種であり、絶滅の危機に瀕している動物のリストに載せられている。ジャワサイは今世界で個体数が60を超えないと見られている。ウジュンクロン国立公園で毎年行われているサーベイによれば、同国立公園内には50頭以上が棲息しているとされている。[ 2006年9月 ]


「住民がワニの餌食に」
リアウ州にあるロカン川周辺に居住する住民が8月末、ワニに襲われて食い殺された。2003年以来ワニが人間を襲う事件は増加しており、過去5年間では20人がワニの餌食にされている。
ロカン川のワニは元々その地域の原産種であり、ジャングルに近い湿地帯に好んで棲み、ジャングルから水を求めて出てくる動物を襲って食料にしていた。ロカンヒリル県森林局長は、ジャングルが開拓されてワニの餌となる動物が減少した結果、ワニが人間の生活区域に向かって餌を求めにやってきている、と推測している。ワニの襲撃を恐れる村人たちは、水汲み、水浴、洗濯、排泄など川を使って行う日常生活行動に不自由をきたしている。かれらが川へ行く際には少人数だけで行くことができず、必ず大勢が連れ立って行き、また曇天の日などは川へ行くのを避けるようにしている。川に行けば用事を早く切り上げて帰ろうとするし、漁も中途半端にしか行えない。川の水が引いた時など、ワニが水中でじっとしている姿がよく見受けられ、突然動き出すと付近にいる家畜や人間を追いかけはじめるそうだ。ワニが陸地の奥深くまで獲物を追いかけて餌食にしている実態を村人たちは自分の目で見ている。ただし一度食べ物を得れば数十日間は食べないでいられるので、ワニの襲撃が頻繁ということでは決してない。
ワニの餌食になった村人がもっとも多いのはロカン川に沿っているバンコ郡で、ワニの生息地はたいてい川岸の砂地であり、それは雌ワニが必ず砂地に卵を産むことに関連している。卵を抱いているワニはきわめて凶暴ですぐに他のものを襲おうとする。今バンコ郡内ではパリッシチン、バトゥハンパル、リンバムリンティンの三ヶ所がワニの生息地であることが確認されており、住民はそれらの場所に近付かないよう警告が出されている。[ 2006年9月 ]


「ティモール鹿の狩猟を抑制せよ」
乾季になるとティモール島住民は鹿狩りを行うため、毎年3月〜10月の間に二三百頭の鹿が殺されている。東ヌサトゥンガラ州に入るティモール島西側では乾季の旱魃によって食糧を得るのが困難になり、同時に人間も食糧難になるために人間は鹿を襲う。また人間は自然環境を破壊しているために鹿だけでなくほかの保護動物も存続の危機にさらされている。鹿は乾季になると、海岸部が暑いので山に移る。そして雨季が来ると海岸部の豊かな食糧を求めて下りてくる。
ティモール島にいるティモール鹿を住民が狩るのは角と肉を得るためで、島外に売るためではない。ティモール鹿は島の西側のヌサトゥンガラ州と東側のティモールレステ、更に南東南マルクからパプアのメラウケまで分布している。乾季に行われる住民の鹿狩りを抑制しなければ、ティモール鹿は絶滅する、とWWFは警告している。[ 2006年9月 ]


「トラが来る村」
リアウ州ロカンヒリル県カランオラン村スカジャディ部落。村民は自ら開拓したゴム園やパーム椰子園を営み、その収穫で生活している。二週間ほど前、住民の一人がゴム園でトラに襲われた。しばらくしてまたひとり。まだ18歳の娘が身体を引き裂かれて食い殺された。住民は、農園の世話をしに出るのに気が気ではなくなった。ところがそれだけではおさまらなかったのだ。トラは住民の居住区域にまで侵入してきた。朝起きると、飼っていた山羊がトラに食われたあとだった、ということも再三起こっている。部落は恐怖に包まれた。しかし住民はただ恐れおののいていただけではない。これまで営んできた普通の暮らしを邪魔するトラに怒りを向けた。そうして8月のある日、住民が捕まえた一頭のトラに向けて部落民たちの復讐心が噴出し、その小型のトラはなぶり殺しにされた。今度は、子供を殺された母トラの怒りがスカジャディ部落に向けられた。そして今、部落の中にまで侵入してくるトラは一頭どころか三頭になっている。
2006年にリアウ州で報告されているトラと人間のコンフリクトは9件にのぼり、人間は3人トラは5頭死亡している。WWFリアウ支部の話では、トラと人間のコンフリクトが発生した場合、トラが犠牲者になる傾向が高い。それは人間側が復讐しようとすること、密猟者がその機会を利用しようとすることなどトラを必ず仕留めようとする意志が強く働くためだ。トラの屍骸は隅々に至るまですべてが闇市場で高値で売買されている。
トラがハビタットから民衆農園に降りてくること、それどころか部落内にまで侵入してくることは、ハビタットの破壊と食糧難が深刻であることを意味している。トラと人間の棲み分けのためには環境バランスの取れた森林をトラと人間の双方のために確保してやることが最善の解決である、と自然保護活動家はコメントしている。[ 2006年9月 ]


「リアウ州で象牙の密猟」
2006年9月の第二週にリアウ州プララワン県ランガム郡スガティ村タシプルマイ部落で腐乱した象の死骸が見つかった。地元民から天然資源保存院へ出された報告によれば、象牙のあった部分に大穴が残されているだけだったとのこと。そこから近い場所で青酸カリとセメント、石鹸などが見つかっており、象牙密猟者が象を毒殺した可能性が高い。一週間以上経たものと見られるその象の死骸はパーム椰子農園労働者たちの居住区に近い場所で見つかっており、この象はそれ以前から住民の生活圏に侵入していたのではないかと推測される。象牙密猟は以前ランプン州ワイカンバス地区で盛んだったが、その後リアウ州へと移ってきている。今や象牙は闇市場で1本3億ルピアの値がつけられている。
ところでランプン州ワイカンバス国立公園にある象訓練センターでは十分な予算が与えられないために食糧難に陥っており、象たちは栄養不良と寄生虫に悩まされている。一年分として渡される象の食料費は8ヶ月しかもたない。2006年度予算は今年5月に下りたが、昨年一頭当たり一日12,500ルピアだった食料費は今年10,000ルピアに下がってしまった。朝は象を草地へ連れ出して餌を食べさせ、夜は椰子の葉脈を与えているが、乾季のいまほとんどの草地は草が枯れている。そんな状況のために子供を産んだ母象がその子供と一緒に栄養不全で重態になっている。また他に56頭の象が栄養不良と寄生虫で健康状態が良くない。[ 2006年9月 ]


「奇怪!吸血怪獣がジョクジャに出現」(2006年10月2日)
ヨグヤカルタ特別州スレマン県ブルバ郡トゥガルティルト村ソンピラン部落で9月23日午前5時ごろ、山羊8頭とあひる14羽が殺されているのが見つかった。奇妙なことに、殺された動物は首の部分に牙で刺された後が二つ開いており、血液が吸い取られていたが身体は完璧な状態で残されていて肉はどこもかじられていない。殺された山羊は4軒がそれぞれ飼っていたもので、飼い小屋が5月の地震で壊れたままになっていたために屋外に放されていた。
「牛に餌をやろうとして外を見ると、わしの山羊が三頭とも地面にのびてた。そばに寄って見るとみんな死んでる。山羊の首には獣の牙の跡みたいな穴が二つ開いてた。不思議でしようがないのは、そのあたりに血が一滴も落ちてないことだ。それに山羊の肉をなんで食べようとしなかったのだろうか?」山羊の持ち主のひとりはそう語っている。かれは地震で壊れた家の修復をするためにその山羊三頭を売却する予定にしていた。山羊一頭は30万ルピアで売れる。後は子牛一頭しかかれに残されたものはなく、計画がむなしく潰えたことに強い落胆を全身で表していた。
他の山羊も死骸のまわりに血は一滴も見つかっていない。14羽のあひるも同様の状態で、また別の場所でもガチョウの羽が地面に散らばっているのが見つかっているが、その周辺にガチョウの死骸も血も肉の切れ端も何もない。住民は普段見慣れない足跡を発見しており、その足跡は大人の手のひら大のサイズで指は開いておらず、また鋭い爪を持っている。足跡からその獣の去来した方角を割り出すことは住民にできなかった。これはその地域ではじめての出来事だ、と地元民は語っている。
ムラピ火山の爆発で山奥にいた未知の獣が降りてきたのではないかという推理も出されたが、この集落とムラピ山は30キロも離れているためその可能性は薄い。むしろ東側に広がるセウ山のカルスト丘陵から来た可能性の方が高いようだ。そこからカルスト丘陵は5キロと離れていないのだから。


「ブッシュ大統領がボゴール植物園に」(2006年11月10日)
11月20日に来訪が予定されているブッシュ米大統領のインドネシア官民要人との会見はボゴールの大統領宮殿で行われる。ブッシュ大統領はボゴールにヘリコプターで降りる予定になっており、その場所はなんとボゴール植物園。ボゴール植物園では臨時ヘリパッド敷設工事が既に始まっているが、植物園管理者は来訪と帰還の際にヘリのローターが巻き起こす風が園内の植物や施設に損傷を与えることを強く懸念している。園内でヘリパッド工事が行われているのはカフェ・デダウナンのある丘の下に設けられたハス園(Taman Teratai) 脇の比較的平坦な芝生で、この来訪が終わればまた元に戻すためコンクリートの基礎固めはせず、土中にコンクリートの柱を埋め、それを脚にして大型鋼板を敷くデザインで進められている。このヘリパッドのためにおよそ2百平米の芝生が掘り起こされているが、再植はなんら問題ない。管理者が心配しているのはヘリが巻き起こす風の影響がどの程度かということで、空軍の協力を得てピューマ型ヘリコプターによるトライを行ったところ、オオオニバスの葉が折りたたまれた。ブッシュ大統領一行はもっと大型のチヌークとブラックホークを使うとの情報が入っており、それだとカフェ・デダウナンの屋根瓦が吹き飛ばされるのではないか、と空軍ヘリのパイロットがコメントしたとのこと。
今回の決定は政府上層部のずっとずっと上の方から来ているために植物園はその指令を遂行するしかないが、園内の保全のためにいくつかの対応作業は避けられないと判断している。そのひとつは、ハス池のオオオニバスを11月19日にすべて別の場所に移すこと、また周辺にある植物園のコレクションで背の高い木や枝をヘリコプターの降下の邪魔にならないよう切り落とすことなどがその対応策として計画されている。


「野生オランウタンを虐待」
ジャンビ州ブキッティガプル国立公園から40キロ離れたテボ県テボトゥガイリル郡マグペ村で重傷のオランウタンが発見された。この5歳の牡オランウタンは激しい暴行が加えられたあとが明白で、頭は鈍器で殴られて腫れ上がり腿と脚部には傷が広く開いている。そしてもっと悲惨なのは全身に空気銃の弾丸が埋まっていることで、そのおかげで両眼は失明し、また肺の中にまで銃弾が達している。「レントゲンで調べた結果、空気銃弾は全部で62発がオランウタンの体内にあることが判明しました。」とスマトラオランウタン保護プログラムのエルニ・スヤンティ獣医は述べている。その62発の銃弾摘出手術をジャンビで行うのは医療設備の面から困難があるため、ジャカルタで行うよう手配が進められている。この虐待行為に関する情報はまだ何もない。
ところでこのジャンビ州ブキッティガプル国立公園はかつてオランウタンのハビタットだった場所で、その後ずっと昔にオランウタンはそこから姿を消していたがスマトラオランウタンを野生に戻す保護運動が活発になってからは最適保護エリアに選ばれてその運動のひとつのセンターになっている。スマトラオランウタン保護プログラムは既に72頭を自然の中に放ち、もう11頭はリハビリと自立訓練を受けていてそれが完了すれば広大なジャングルに還されることになる。既に野生生活に戻ったオランウタン72頭の中で2頭の子供が誕生しているのは微笑ましい話題だ。[ 2006年11月 ]


「日本から渡り鳥がインドネシアに」
東アジアの冬を避けて熱帯地方までやってくる渡り鳥はいまインドネシアの各地に飛来しており、大挙して大空の一角を埋める鳥の群れは各地で地元のひとびとに季節の移り変わりを感じさせる暦の役割を果たしている。日本・中国・台湾などから移動してくる渡り鳥の群れは各集団が3百から5百羽の規模で、今年も9月ごろからイ_アの領域に渡来をはじめた。10月から11月にかけて渡来する群れは数を増し、各地で羽を休めながら南下を続けていく群れもある。渡り鳥の群れはその長い道程を陸伝いにやってくる。食糧確保の便のためにかれらはタイからマレーシアの森林部の端を伝ってスマトラに入ってくる。スマトラを縦断するとスンダ海峡を越え、ムラッ〜ジャカルタ〜デポッ〜チビノン〜チサルア〜プンチャッ〜チパナス〜チアンジュルへと移動し、チアンジュルで二分されて一部はタンクバンプラフ山へ、一部は南チアンジュルからスカブミにかけての一帯に向かう。タンクバンプラフまで来た群れは、更にチレボン〜ジョクジャを経てバリに向かい、そこで留まらずに西ヌサトゥンガラを経て東ヌサトゥンガラまで渡るものもある。
渡り鳥の来訪は毎年必ず行われている年中行事で、2005年に調査されたところでは8千9百羽の個体数が数えられている。今年は11月初旬の時点で4千羽ほどが観測されており、今後まだまだ多数の群れがやってくることが予測されている。それらの鳥は1月から3月にかけて、イ_アの各地で雨季が激しくなると再び元来たルートを北上して帰って行くとのこと。[ 2006年11月 ]


「森林火災でオランウタンが大量死」
雨季への移行期が始まって森林火災はやっと沈静化の兆しが見えはじめたが、カリマンタンでは森林火災によって1千頭前後の野生オランウタンが焼死したのではないか、とボルネオオランウタンサバイバル財団が表明した。同財団は、森林火災エリアのサーベイはまだ一部しか行われていないものの、焼けたハビタットとそのエリアに住んでいた個体数から推測して1千匹前後が焼死した可能性が高い、と述べている。2004年に行われた最新サーベイによれば、カリマンタンの野生オランウタンは5万7千匹おり、中部カリマンタン州カプアス県の森林火災に関してはトゥアナンで3千匹、またマワス地区に移されたばかりのリハビリ中の148匹が被害を受けている可能性が高い。
森林火災によってオランウタンは脱水症や急性呼吸器系障害あるいは火傷、そして食料喪失などを蒙っており、死の淵に追いやられている。同財団は対応的な活動を行おうと考えているが、煙のために人間の活動さえ思うにまかせない情況だとクレームしている。中部カリマンタンには原生種の動物が他にも鳥類で116種、哺乳類35種、魚類36種が棲息している。[ 2006年11月 ]


「パルンにペットホテル」
ボゴール県パルン(Parung)にペットのためのリゾートホテルがある。広さ5千平米の土地にペット用宿泊施設からプールまで完備されており、料金もお手ごろ。その名もHappy Pets Hotel & Swimmingpool。敷地の2千平米は運動用の空地になっていてペットたちは心行くまで走りまわることができるし、広さ5百平米のペット用プールも用意されている。プールは一番深いところで4メートル。監視員と訓練士が6人その敷地内に住んでいて24時間体制が敷かれている。オーナーは自らペットが大好きというヘニー・パガジャヤさんで、かの女は自分の所有地をこのペットホテルにした。場所はサワガン(Sawangan)ゴルフ場の脇を南下してパルンで右折し、チュルッ(Curug)方面に折り返す。
犬でも猫でもウサギでも、愛するペットを預けたいひとはこのホテルを利用できる。自分で連れて行くのがたいへんな人には送迎サービスも用意されているが、このサービスはジャボデタベッ(Jakarta-Bogor-Depok-Tangerang-Bekasi)地域内に限られる。一泊料金は5万から8万ルピアで、食事、グルーミング、健康チェック、そして運動施設使用料もそこに含まれている。ただし訓練士の料金はそこに入っていない。ペットたちの宿泊スペースはエアコン付きとエアコンなしがある。ひなたぼっこの場所も余裕たっぷりの広さで、プールでは訓練士が付き添い、またグルーミングやスパのサービスも取り揃えられている。
ハッピーペットホテル&スイミングプールは、ペットのための訪問お手入れサービスも行っている。称してHappy Pets Doggie & Kitty mobile grooming。このサービスは電話で日時を予約するとペットホテルから出張してきてくれる。料金は通常のペットのお手入れで8万から10万ルピア、スパやマッサージなどの追加サービスを頼むと12万5千から15万ルピア。予約やお問い合わせは電話番号(021)558-5614あるいは(021)551-6029 に。[ 2006年11月 ]


「人間と虎の抗争」
2004年12月の津波後のアチェで、地元民7人が虎に襲われて死亡している。これは津波後、地元民の多くが森林の開墾や木材伐採を盛んに行うようになったことの結果だ。アチェ州天然資源保存庁の記録によれば、2006年8月にアチェジャヤのクルエンサベでひとり、2005年7月にピディのマネでひとり、2006年7月と8月に東南アチェのバブラフマッで4人、2006年6月に南アチェのラブハンハジでひとりがスマトラ虎の餌食になっている。これは津波以前の状況に比べて顕著な増加だ。津波前の記録では、1998年にアチェジャヤのサンポイニッで3人が死亡しているだけ。
また家畜の被害は森林に接するすべての県で報告されており、その数は数百頭にのぼる。アチェブサールのロオンでは、虎の襲撃が頻繁に繰り返され、津波被災者への援助として援助機関から与えられた家畜が虎の餌食になっているとのこと。虎は村まで降りてきて小屋に入れてあるヤギを襲っているそうだ。村民のひとりは、ヤギを11頭入れてあった小屋が襲われて11頭が皆殺しにされたが、虎がくわえ去ったのは2頭だけだった、と物語る。森林が不法伐採されて自然が破壊され、虎が村まで降りてくる。小農民が虎の被害を受ける。得をしているのはほんの一握りの闇ビジネス関係者だけだ。
一方村民たちは虎の仕打ちに怒りを向け、復讐をはかる。罠や毒を盛った餌を仕掛けて虎を狙う。14頭のスマトラ虎が人間に殺されている。[ 2006年11月 ]


「ジャカルタはシアマンの闇集散地」
インドネシアで保護動物の闇売買は止むことがない。たくさんのサルもその例に洩れず、ジャカルタで売買されあるいはジャカルタを経由して外国に送り出されて行く。ジャカルタで売買されるものの中には一般市民が自分のペットとして飼育しているものも数多い。スマトラからマレー半島一円にかけて棲息しているシアマン(フクロテナガザル)もジャカルタでペットとして飼われているものが3百匹は下らないだろうと言われている。のど袋を膨らませて鳴くこのシアマン(siamang)のような珍しいサルは中でも人気が高く、流通の回転スピードはかなり速いとのこと。保護動物霊長類ではシアマンのほかにスローロリス(kukang)やジャワテナガザル(owa jawa)などがよく売買されている。ジャカルタ住民の中にそれらの保護動物を飼育している者がいるわけで、かれらは珍しい生き物を持っていることを誇りにし、さらにその生き物が高価であることでその誇りを倍加させているナイーブな人間たちだと言うことができる。しかしジャカルタ都民が飼育しているシアマンはほとんどすべてが赤児のときに森から人間が連れ去ったものであり、サルの赤児は可愛いために数十万から数百万の値がつけられても購入者は金を惜しまない。ところがシアマンの赤児を手に入れるために密猟者はスマトラやカリマンタンの密林奥深く侵入し、赤児を守る母親や群れの大人サルを殺して赤児だけを連れ去ることをする。
ともあれ野生動物は人間にとって危険なばい菌やウイルスを持っていることが多く、結核・肝炎・狂犬病・鳥フルなどを人間に伝染させる危険がある。反対に人間界にあるばい菌やウイルスで野生動物が生命を落とすというリスクも存在しており、政府は野生動物を飼っている都民に対し、今すぐに動物を当局に委ねるよう勧告している。[ 2006年12月 ]


「インドネシアでネズミを捕るのはイヌ」(2006年12月18日)
日本では、ネズミを捕るのはネコだと一般に信じられている。わたしの幼いころは確かにネコがネズミを捕っていた。それをこの眼で目撃しているからあながち間違いとは言えないが、どうも最近はネズミを捕らえる働き者のネコが減っているように思える。日本では、イヌがネズミを捕らえるという話を聞いたことがなかったので、インドネシアに住んでその事実を目の当たりにしたときわたしの中でコパニカス的転回が起こった。イ_ア人に尋ねると、昔はネコもネズミを捕っていたそうなので、ネコは世界的なぐうたら期に入ったのかもしれない。イ_ア人の説明によれば、ネズミの体躯があまりにもどでかくなったためにネコはネズミとの対決を恐れるようになったのだというのだが、アフリカのサバンナでは豹が自分の身体よりも大きいシマウマやヌーを倒しているから、問題は身体の大きさよりも戦闘スピードにあるような気がわたしにはする。ともあれ人間に寄食するだけのそんなネコ族をげじげじのように厭うイ_アのイヌたちは、真面目に真剣にまるで聖職者の勤めのようにネズミを狩る。
わが家の黒犬タローもネズミ狩りをする。時おり深夜に庭で獣が黙したまま走り、突然キキキキキッと小動物の鳴き声が聞こえることがある。そんな夜の翌朝には、テラスに出るとたいていネズミの死骸がドアのまん前に転がっており、その近くにタローの自慢げな顔がある。インドネシアにいる原産種のイヌはバリのキンタマニ犬くらいしか耳にしたことがなく、ジャカルタ近辺にいるのは世界各国原産が複雑にまじりあった雑種がほとんどすべてのようで、だからイ_アでだけイヌがネズミを狩るとも思えない。最近読んだ新聞記事には、ヨーロッパ人がポルトガルを筆頭にして世界七つの海へ乗り出した大航海時代より数百年前に中国人が先に世界を一周しているという説が立てられ、その航海には馬や犬が連れて行かれたとある。そしてイヌは船内でネズミを狩るために、そしてまた航海中の人間の無聊を慰めるために船に乗せられたとあるので、どうやらはるか昔から各地でイヌのネズミ狩りは行われていたようだ。どうして日本にその常識が定着していないのだろうか?
最近ではイ_ア人もペット犬を飼うひとが増えている。ペットにする動物はどこの国でも多彩なものだが、イ_アでもイヌ・ネコや蛇・とかげから魚や鳥まで多彩をきわめている。法律では禁止されているオランウタンやサルあるいは希少動物までペット用に売買され、自宅で飼育しているひとまでいるから、ひょっとすればバラエティは世界のトップかもしれない。
ペットが増えればペットの保健や保育の需要が増加し、それを供給するビジネスも増える。ジャカルタとスラバヤにはこんなところがある。
ペットホテル
ジャカルタ Kennel k9 (canine) Jl RE Martadinata KM5 Ciputat Jakarta Selatan 0811-183892 (Endang Setiawati)
Pet Shop Jl Cipete Raya No 4 Jakarta Selatan (021)766-3614
スラバヤ  Rewwin II Jalan Merak TK No.7 Waru SDA (031)853-3537
Klinik Drh. Bhayu Jl Joyoboyo 28 (031)563-3798
動物クリニック
ジャカルタ Animal Clinic My Vets Jl Kemang Selatan 8 No 7a Jakarta Selatan (021)766-8241
Kelapa 2 Pets Jl Arteri Kelapa Dua No 2A Kebon Jeruk Jakarta Barat (021)536-70811
スラバヤ  Aneka Satwa Jl Darmo Permai Utara I/36 (031)731-7822
Veterinary Center Jl Jend A Yani 202 (031)824-0445, 829-2545
ラボラトリウム
ジャカルタ en to en Jl Kemang Selatan V111 No 67k Jakarta Selatan (021)719-2871


「コモド!」
コモド(Komodo)国立公園は陸地が4万Ha海域が13万Haで総面積17万Haという広さを持っている。大きな島はコモド島以外にリンチャ(Rinca)島があり、コモド島のローリアン(Loh Liang)とリンチャ島のローブアヤ(Loh Buaya)がこの国立公園の入口として機能している。コモドドラゴンはコモド島に1千2百頭、リンチャ島に1千1百頭、ギリモタン(Gili Motang)島に1百頭が生息している。
コモド国立公園が開かれたのは1980年、1986年には生態系保全地区、1991年にはユネスコが世界自然遺産に指定した。コモド島には住民が住んでおり、かつては狩猟生活を営んでいたが、いまでは陸上の狩りが禁止されたために海で漁をし、あるいは観光客相手の商売を営んでいる。みやげ物はロンボッ島のマタラムから取り寄せた真珠で村人が作った装身具やスラバヤで作らせたTシャツなどが売られている。コモド国立公園の観光事業はPT Putri Naga Komodo という民間会社がコンセッションを得ているが、1980年代に建てられたコテージやカフェテリアなどは老朽化が激しい。2007年にはそれらの改築を含めたインフラ再建設が予定されている。
コモド国立公園の島々は70%が暑くて乾燥したサバンナ平原で覆われている。その厳しい自然の中でコモドドラゴンたちと一緒に暮らしているレンジャーたちがいる。レンジャーとは外国人観光客がつけた名前で、本来は森林警官(polisi hutan)というのが正式名称だ。コモド国立公園内の治安をかれらがあずかっている。観光客のコモドドラゴン観察ツアーには必ずレンジャーの同行を得なければならず、レンジャーの警備がつかない島内歩きは禁止されている。レンジャーたちは野生コモドドラゴンの習性や弱点を熟知しており、獰猛な肉食獣であるコモドドラゴンの襲撃から観光客を守ってくれるのだ。レンジャーはいま60人おり、交替で10日間島内勤務に就く。家族はラブアンバジョ(Labuhan Bajo)に置いている。月給は1百万ルピアとのことだが、その職務は厳しい。荒れ果てた厳しい自然環境とその職務に耐えられず、転職していくレンジャーも少なくない。勤続の長いレンジャーたちはたいていみんなこの国立公園に魅せられ、そしてそれを守る職務に生きがいを見出しているひとびとだ。
恐竜コモドドラゴンと間近に接して緊張と恐怖を体験するコモドツアーには、コモド島周辺の海に広がる海中公園の美しさが付録として添えられている。コモド島の楽しみは幅広い。[ 2006年12月 ]


「世界最大の蘭が開花」(2007年1月31日)
ボゴール植物園でいま、世界でも珍しい大型ランのグラマトフィルム・スペキオスム(Grammatophyllum speciosum)が開花している。この花は60日間つぎつぎと開いてはしおれていくため3月はじめごろまでは花を楽しめそうだと植物園側は述べている。2年から4年に一度開化するこのランは1944年にボゴール植物園のコレクションに加えられたもので、今回は2007年1月の第二週ごろから開花の兆しが見えはじめてその後花開きはじめた。園内にはグラマトフィルム・スペキオスムが6株あり、Astrid通り北側のナンヨウスギの木に植え着けられているもののほかにも旧温室の表やラン温室の中に植えられている。前回の開花は2004年の12月だった。
グラマトフィルム・スペキオスムは世界最大のランで、茎の直径は25センチ、長さは3メートルにおよぶ。その茎の様子からこのランは別名anggrek tebu (anggrekはラン、tebuはさとうきび)とも呼ばれているし、また花びらが明るい黄色に赤茶色の斑点を持っていることからanggrek harimau (タイガーオーキッド)とも呼ばれている。巨木の幹に貼り付いて成長し、一本の茎に百個ちかい花が咲く。このランはインドネシア原生種で、マレー半島、スマトラ、ジャワ、カリマンタン、スラウェシ、パプアのジャングルで見つけることができる。しかし数が少なく、また栽培が困難なために、ラン愛好家の世界では超高価なものと位置付けられている。このanggrek raksasa を見学に、ボゴール植物園へお早めにどうぞ。


「アンダラスの帰郷」
アメリカ合衆国シンシナティの動物園で生まれたスマトラサイが親の故郷に里帰りしてくる。アンダラスと名付けられたこの5歳のオスサイは2007年2月20日17時にスカルノハッタ空港に到着し、それから陸路をランプン州ワイカンバス国立公園まで輸送される計画になっている。ワイカンバスにあるスマトラサイ養殖場にオスは20歳のトルガンバ1頭しかおらず、メスは15歳のビナと6歳のラトゥおよび5歳のロサがいる。ワイカンバスではスマトラサイの繁殖が試みられているが、オスが老齢のためにうまくいっていない。1985年ごろ野性のスマトラサイを捕獲して欧米の動物園で飼育する試みがなされ、18頭がアメリカとイギリスに送られたがその四分の三は死亡してしまった。しかしアメリカに送られたオスとメスから天然のハビタットでない環境ではじめての出産が実現し、そのゴールデンボーイとなったのがこのアンダラスだ。アンダラスには更に2003年に妹もでき、その第二子はスチと命名されている。
スマトラの地にやってきたアンダラスにはラトゥとロサを懐妊させるよう期待がこめられている。この天然のハビタット外での繁殖が成功すれば、スマトラサイの絶滅に待ったがかけられるのは言うまでもない。スマトラサイはいまスマトラ島に2百頭、世界中を合わせても3百頭前後しかいない。[ 2007年2月 ]


「象が人を食う?!」
ランプンの州都バンダルランプンから246キロ離れた西ランプン県スオ郡スオ村。およそ百世帯から成るこの農村に象の群れが襲撃を始めたのは3月7日のこと。南ブキッバリサン国立公園の自然林から来たと見られる6頭の野性の象の群れは食糧を求めて村に下りてきたようだ。そして50歳の農夫ひとりが死んだ。森林警官がその6頭の象の群れを南ブキッバリサン国立公園の自然林に連れ戻したが、かれらは12日になってふたたび人間界に姿をあらわした。
象たちは村民が栽培していた農園を荒らして食糧を奪ったが、しかしそれだけでは象の旺盛な食欲は満たされなかったに違いない。そして13日朝サラムン60歳の一家が悲劇の中に投げ込まれた。サラムンと妻のラティネム55歳はそのときまだ眠っていたが、家が揺れているのに気付いて目を覚ました。地震ではない。明らかに家の外に巨大な野獣がいて建物に体当たりをしているのだ。恐怖に包まれたふたりは家から逃げようとした。ところが行く手をふさがれているためふたりは離れ離れになってしまった。危地を脱して安全な場所に避難したサラムンは妻を捜したが見つからない。しばらくしてから隣人がサラムンを捜しに来た。そうして妻の痛々しい姿を目にしたとき、サラムンは「こんなことになるなんて、夢にも思わなかった。」と呆けたように立ち尽くした。三つにちぎられた妻の死体を隣人たちは崩れた家の近くで発見した。手と足はちぎれ、腹は引き裂かれて内臓がこぼれ出ており、頭は象にしゃぶられて髪の毛がなくなっていた。
象の群れは村民の農園を荒らし、また三軒の民家を破壊したため、村人たちは自分の妻子をより安全な他の村に避難させた。小学校が壊され、水車発電の給電線や上水パイプも破壊された。夕闇がせまると、南ブキッバリサン国立公園に隣り合っている一円の村々では闇とともに恐怖が舞い降りてくるようになった。スオ村では毎夜焚き火がたかれ、たいまつを持った男たちが音の出る物を手にして夜回りに精を出している。象を見つけたら大きな音を立てて追い払うためだ。
6頭の象は最初村民の農園を荒らしていたが、13日に村の中で凶暴さを振るい始めた。スマトラの農村は一軒一軒の家が散らばっており、襲撃されると弱い。スオ郡役場の記録を見ると、暴れる象の被害は毎年発生していて昨年は5歳の子供が象に踏み殺された。西ランプン県から南ブンクルまで広がっている南ブキッバリサン国立公園は35万9千Haの面積でスマトラでは三大国立公園のひとつとなっている。しかしここも開墾が進んでおり、5万7千Haが農地農園に転換されて1万6千世帯が住み、コーヒー園がジャングルの奥に向かって拡大している。[ 2007年3月 ]


「ビニール袋は亀の大敵」
ジャカルタ北部に広がるプラウスリブの島々を包むジャカルタ湾海域に棲息しているタイマイの数が減少している。これは人間に捕獲されるものもあるが、その多くは人間が捨てたゴミによる海域の汚染が大きく影響しているようだ。かつてプラウスリブの島々はほとんどすべての海岸が亀の産卵場所になっていた。しかし、いまそんな場所は5〜6島しか残されていない、とスリブ諸島海洋国立公園管理事務所長は語る。タイマイが産卵する場所はいまPeteloran Timur, Peteloran Barat, Penjaliran Barat, Penjaliran Timur, Gosong Rengat, Pulau Belanda の6ヶ所だけになっている。亀が減少しているのは管理事務所員が離れた場所で潜水調査を行った結果から容易に判断できる。かつてはそれぞれ離れた10ポイントに潜れば8匹の亀を観測することができたが、いまでは2匹しか目にすることができない。人間による亀の捕獲は管理事務所員の啓蒙でかなり減少したというのに、多くの亀がゴミや廃棄物のために死んでいる。中でもビニール袋が直接の死因になっているケースは少なくない。亀はビニール袋をくらげと思って食べてしまう。死んだ亀の腹を開いてみると中からビニール袋が出てくるケースはかなり多い。またビニール袋の中に頭を突っ込んでしまった亀はそこから逃れることができず、ついには死んでしまう。亀の保護に努めるひとびとの努力も、心無い人間の行為によってその効果が損なわれている。[ 2007年3月 ]


「狂犬病予防接種をしていない犬は野犬扱い」(2007年3月2日)
中央ジャカルタ市タナアバン郡カレッテンシン町の住民が、居住地の近辺をうろついている十匹以上の野犬を処理するように郡役場に要請した。郡長は市庁畜産海産次局にその要請を伝達し次局職員が野犬狩りを行って十数匹を捕獲していたところ、それらの犬の飼い主が出てきて職員に抗議した。職員が狂犬病予防接種の証明を求めると、飼い主は犬に予防接種を行っていなかったことが判明したため一転立場が逆転し、今後は放し飼いにせず檻につないで飼うという誓約書を作って放免してもらった。ところが次局職員が後日その地区の状況を調べたところ飼い主は誓約書の内容を守っておらず、依然として放し飼いを続けていたために次局職員は結局その11匹を捕獲した。この11匹は南ジャカルタ市ラグナンにある動物観察所に持ち込まれ、三日間の観察期間を置いたあと野犬として永眠させられることになっている。


「荷物の中味は爬虫類」(2007年3月22日)
ランプン州バコフニ港警察と同港動物検疫館は2007年3月8日、リアウ〜ジャカルタ長距離バスの託送貨物の中にニシキヘビ63匹、赤ニシキヘビ8匹、イシガメ11匹を入れた梱包箱を発見して押収した。この荷物はリアウのバガンバトゥから西ジャワ州ブカシ宛てに送られたもので、ランプン州天然資源保存館は、それらの動物は保護動物ではないのだが、正式な書類を添付しないでバスに託送したことが天然資源保存に関する1990年第5号法令第24条2項に違反しているために現品を押収した、と説明している。バコフニ港では3月14日にも動物が入ったバス託送品が押収されており、そのケースも同じ長距離バス会社が運んでいたものであるため州天然資源保存館は関係者に対して注意を促している。法規によれば、押収された動物類は自然の中に放すか、保存機関や動物園に提供するか、あるいは廃棄することになっている。州天然保存館はそれらの動物を自然の中に放すことにしており、近々タンガムスのバトゥトゥギでそれらを自然に返すことにしている。


「誰もが自分は超法規だと言いたがる」(2007年4月19日)
2007年1月17日付けコンパス紙への投書"Surat Membawa Anjing Peliharaan"から
拝啓、編集部殿。わたしはしばらく前に、都庁農林局で動物を移送するためのリコメンデーション取得手続きを行いました。これはジャカルタで予防注射を受けたあとバンカブリトゥン州に飼い犬を連れ帰るために検疫館から通行証を発行してもらうための手続きです。わたしは前もって担当者から、獣医発行の健康証明書やバンカブリトゥン州農業局からのリコメンデーションなど必要な条件をうかがっていました。ところがそれらの条件をすべて満たしたというのに、その担当者の上司だと名乗る女性の獣医がリコメンデーションにサインしてくれないのです。バンカブリトゥン州は狂犬病非汚染地区なので、地区外から犬を持ち込んだりあるいは狂犬病ワクチンを持ち込むのは厳禁なのだと言い張ります。わたしがそれを定めた法規がどこにあるのかと尋ねると、自分の説明に不満があるのなら自分で本局に問い合わせに行きなさいと倣岸な態度を示します。
その姿勢はまったく根拠に欠けているもので、首都も2004年以来狂犬病非汚染地区となっており、わたしの犬も非汚染地区から連れてきたものです。もしジャカルタからバンカブリトゥン州に犬やワクチンを送るのが禁止されているのが本当なら、州や州民は外国から直接動物を輸入することが許可されなければ不公平です。同じ国民なのに地方の住民はどうして権利が制限されることになるのでしょうか?
もっと不愉快なのは、バンカブリトゥン州に犬を持ち込むのは禁止されていると担当者が最初から言ってくれなかったことです。それどころか反対にいろんな条件を満たすように求め、それをすべてそろえたらこんどはお気楽にもサインするのを拒むのですから。もっと不思議なのは、鳥フルが猛威を増しているこのご時世に、鶏や鳥類を持ち込むためのリコメンデーションは簡単に発行されていることです。鳥フルウイルスの感染は狂犬病よりはるかに容易で危険だというのに。[ 東ブリトゥン在住、ダルマウィ ]


「インドネシアの花図鑑」(2007年05月02日)
インドネシアには動植物に関する学術的で総合的な図鑑が不足していることを残念に感じている方もきっと多数いらっしゃるにちがいない。ごくたまにかなり幅広く写真や図版を集めたものが書店の棚に見つかるときがあるものの、印刷部数が極度に限られているようで二三週間後に行ってみると店員から「売り切れです」と言われる。そんな中で、LIPI(インドネシア科学院)が見て楽しい花図鑑を発行してくれた。タイトルはFLORA PEGUNUNGAN JAWA という。
オランダ人植物学者C C G J van Steenis が1927年から1949年までジャワ島山岳部を調査してジャワ固有の花456種のデータを集めたものをオランダの出版者が1972年にThe Mountain Flora of Java というタイトルで出版した。FLORA PEGUNUNGAN JAWA はその翻訳版にあたる。翻訳者は雑誌フェミナの編集者だったジェニー・カルタウィナタだが、LIPIボゴール植物標本館前館長、LIPI植物分類学民俗植物学専門家、LIPI植物エコロジー専門家らが学術的なバックアップをしており、また写真は白黒だが図版は戦前のボゴール植物園職員が模写した水彩画も加えられている。動植物は地方ごとに呼び名が異なっており、この図鑑では地方の名称も採録されている。たとえばいま植物愛好家に人気急上昇中のkantong semar(うつぼかずら)はスンダ地方の名称がsorok raja mantri あるいはpaku soro と記されている。
花図鑑について言えば、今回インドネシア語版が出された「ジャワの山花」以外には、1939年発行のVarenflora voor Java、1963〜1968年発行のFlora for Java などがオランダで出されており、インドネシアではLIPIが1980年代にGulma di Persawahan、1992年にFlora of Gede Pangrango を出版している。FLORA PEGUNUNGAN JAWA に取り上げられているのは全体の6割弱とのことだが、いままだこの書物を凌駕するものはないそうだ。


「亀の密猟船」
2007年5月9日、税関パトロールチームが東カリマンタン州ベラウ海域で不審な中国船に対して臨検を行ったところ、保護動物であるタイマイとアオウミガメ378匹とオオシャコガイ3個が発見された。類似の事件は2003年からほぼ毎年発生しており、2003年に捕まった中国船には亀170匹、2004年は150匹、2005年は200匹が発見されている。それらの亀は、亀の産卵場所であるベラウ県海洋保存地区で盗獲されたものと見られており、毎回中国船が使われ、しかも地元漁民でなければよくわからないはずの亀の産卵場所近辺での捕獲が行われていることから、外国船と地元漁民の協力関係が作られているものと関係当局は推測している。捕まった中国船の乗組員23人はすべてが英語を理解しない様子を示しており、取調べは言葉の障害のために捗っていない。
WWF−TNC海洋協力プログラムのベラウ地区マネージャーは、その保護動物密猟船にあった亀はメスのタイマイが大多数を占めており、産卵後海に戻ったものが捕獲されているという印象を強めている。これはつまり亀の産卵場所を知っている地元民が捕獲船に猟の場所を教えていることを意味しており、同マネージャーはベラウ海域南部で密猟が行われている可能性が高いことを指摘している。その対応として同プログラムは南部海域に監視ポストを設けパトロールを励行して密猟を防ぐ計画を組んでおり、特に地元漁民をその活動に参加させて密猟船とのコンタクトを切断する考えを表明している。このような組織的行動の後には大きい資本を持った国際的シンジケートが糸を引いているのではないか、と同マネージャーは推測している。
タイマイは甲羅の模様が美しいために飾り物として海外で高い価値を持っている。アオウミガメはふつう食肉用に捕獲されるのだが、9日に捕まった密猟船はすべての亀をフォルマリン漬けにしており、置き物・飾り物として販売するためにそれらが捕獲されたことを物語っている。
120万Haの広さを持つベラウ海域はサンゴの種別の豊富さで世界第三位の場所であり、サンゴは507種、サンゴ礁に棲息する魚は872種が数えられている。そこはまた10種類のクジラとイルカが回遊してくる場所でもある。この海域には経済性の高い魚の保護地区となりうる場所が26ヶ所もあり、亀の繁殖場所としても東南アジア最大の海域となっている。[ 2007年5月 ]


「ご先祖はウナギ」(2007年05月23・24日)
インドネシアにもウナギがおり、調理されて地元民の口に入っている。ただしウナギの蒲焼はインドネシア料理にない。印華人の食堂に入るとウナギ料理を出してくれるところがあり、インドネシア人の中にも精をつけるためにウナギを求めるひとがいる。ウナギはインドネシア語でbelut ともsidat 別名moa とも呼ばれ、厳密にはbelut は淡水産でmoa (sidat) は汽水産であるとか、moa はbelut の耳のある種類だといった説明を聞かされる。どうやらモアが日本で言うウナギでありブルッはタウナギらしいのだが、混用しているひとがほとんどなのでどっちがどっちかいまひとつよくわからない。モアは中国語源の名称だそうだ。鰻という字は福建語でmua と発音するから、そのあたりに鍵があるのかもしれない。インドネシアで有名なエビせんべいのクルプッウダン(kerupuk udang)に準じたクルプッブルッ(kerupuk belut)もあって、ジャワではみんな遠慮会釈もなくそれを頬張るが、ウナギに触れるだけでも畏れ多く、ましてや食べるなど言語道断という種族もある。どうしてか?と尋ねると、なにしろわれらのご先祖様なのだから、という答えが返ってくる。
東ヌサトゥンガラ州フローレス島のエンデ県デトゥソコ郡ウォロトロ村のひとびとは、ウナギをご先祖様として畏敬している。ウナギを食べるなどもってのほかで、もしこの村の住民が他の地方へ行ってそれと知らずにウナギを食べると、ウォロトロ村にいるかれの親戚のだれかが呪いにかかる。呪いは病魔や事故あるいは他の災難の形で襲い掛かってくる。もしもそんな事態に至ったなら、ウナギを食べた者は村に戻って川や沼にいるウナギに餌を与えた上で赦しを請わなければならない。ウォロトロ村はエンデの町から20キロほど離れており、国道のエンデ〜マウメレ街道を通ってその村に至ることができる。
ウォロトロ村アエケウ部落を流れるロウォマモ川はたいへん神聖な場所で、そこに住むウナギたちに悪さをするような村人はいない。ウナギを捕まえることはたいして問題にされないが、その肉を食べるようなことは厳しく禁じられている。その川に住むウナギたちはいまやエンデ県の観光資源となっていて、ウォロトロの神聖ウナギと呼ばれている。神聖なるウナギたちを見物するにはウナギ使いの手を借りなければならない。ウナギ使いに指名されているのはアエケウの部落長だ。ウナギ使いにウナギを捕まえてもらってそれを見物するのだが、それをしてもらうのに条件がある。ただ見物するだけなら、鶏を屠りなにがしかの現金を手伝ってくれた者たちに謝礼として渡すくらいで十分だ。しかし難病の治癒やその他の重大な問題の解決といった願を掛ける場合には、羽根の赤い鶏を屠り伝統アダッの儀式を行わなければならない。エンデ県外から神聖ウナギのご利益を頼みに来るひとも少なからずいて、身体や心の病を治してほしいと願を掛ける。希望すれば、ウナギに餌を与えることもできる。
ウナギ使いはひよこを一羽持った少年を連れて川に向かう。ひよこの血を川に振りまいてウナギを呼び寄せるのだ。血が川面に散り、ウナギ使いはウナギを呼ぶ。「マイマモ〜、マイマモ〜」。ひよこの血を川に注いだあと、ひよこの肉をそいで竹の先につけ、川の大石の近くへ差し出す。そのまましばらく待ったが、ウナギは出現しない。「ウナギが出てこないのは運が悪いということだ。でもひょっとしたらウナギはご立腹なのかもしれない。場合によっては一匹だけ出てくることもあれば、二匹出ることもある。黒いのが出ることもあれば赤いのが出ることもある。やってきた人の運勢しだいだ。もし二匹出てくればそのひとはとても運がよい。」
およそ8メートルほど移動して別の大きな石まで来たところ、黒いウナギが二匹そこにいた。ウナギ使いがウナギに話し掛ける。ウナギ使い独自の言葉だから、ほかの者には何を言っているのかわからない。そしてひよこの肉のついた竹の先がウナギの口元に差し出された。体長およそ50センチほどのウナギはそれを食べようとせず、反対に尾で強く水を打った。ウナギ使いはショックを受けたようだ。「ウナギはお怒りのようだ。数日前に餌をやったところ、竹の棒が手から水上に落ちた。そのときウナギは怒った。」そう物語るウナギ使いは連れてきた少年に命じた。「ウナギの身体をなでてやれ。」少年は川に入ってウナギの身体を手でなでてやった。そしてふたたび餌をウナギの口の近くに差し出すと、なんとウナギはついにその餌に食いついた。
雨季になって増水し川の流れが速まるとウナギは川岸に上がってくる。そんな時期には竹が密生して生えている場所でウナギの姿を見ることができる。ウナギ使いは、ウナギにまつわる言い伝えを語ってくれた。それはこんな話だ。昔々、デトゥウィラ部落にサレ・ゴレという名の先祖がいた。サレ・ゴレはウナと呼ばれる奇病にかかった。皮膚がニつになる。醜い姿を恥じたサレ・ゴレは故郷を去ってシッカの洞窟に入り、瞑想三昧の日を送った。瞑想の日々の中でサレ・ゴレは黄金のネックレスを手に入れたので、故郷に戻ってその聖なる宝物を箱の中に入れておいた。するとある日、箱の中から「お〜い。お〜い。」と声がする。箱を開いたサレ・ゴレに黄金のネックレスが話しかけた。「暑い、暑い。水の中に置いてくれ。」
サレ・ゴレはそのネックレスをロウォマモ川の水流の中に置き、置き場所の目印として一本の竹を岸の地面に突き刺しておいた。翌日サレ・ゴレはその宝物を取りに川岸に行った。竹を突き刺した場所はそのままだ。ところが水流の中に置いた黄金のネックレスはなくなっており、そこにいたのは一匹のウナギだったそうだ。


「保護林で母娘が象に殺される」
南ブキッバリサン国立公園に棲息する野性スマトラ象の周遊地域を開墾して住み着いた農民が象に踏み殺されるという事件が発生した。西ランプン県タンガムスのウルセモン村で、プナンクラン部落の土地を開墾して住み着いた農民たちに対して行政職員は野性象の襲撃を避けるためにその地区での農園栽培は避けるようにと説いていたが、ムザリ47歳を家長とする夫婦と子供二人の一家が最後までその地区に残ってしまい、そして5月25日夕刻に悲劇を迎えることになった。
そのとき、住居の外で荒々しい音がするのにムザリが気付き、外を見たところ6頭の象がその小屋を取り囲んでいるのがわかった。ムザリは妻のバイネム40歳とまだ幼いふたりの娘にそこから5キロほど離れた部落まで走って逃げるように告げ、自分は長女と一緒に、妻は3歳の次女と一緒に逃げることにした。逃げるとき、ムザリは先頭を走ったが妻と次女は後になり、そうして6頭の象に取り囲まれて生命を絶たれた。バイネムの遺体はひどく破損した状態で発見されたが、次女の方は身体の破損が観測されていない。
この6頭の象の群れはリーダーがびっこの象で、ダフィッチャン(David Cang)と地元民から仇名をつけられている。ダフィッチャングループは南ブキッバリサン国立公園に棲息していて特定の周遊路を移動しているが、今回の事件はそこを開墾した農民と象との間のコンフリクトと考えられる。同エリアで2006年7月から2007年5月までに象によって生命を絶たれた人間は今回のものを含めて6人にのぼる。
国立公園側は象をもっと人間界から離れた場所に移動させたいと考えているものの、象の捕獲と移送の費用に一頭当たり6千万ルピアの予算が必要で、移転先場所の決定と予算の確保が実現するのを待ちながら当面は農民たちに象の周遊エリアの開墾を避けるよう教育啓蒙を進めていく方針だ。[ 2007年5月 ]


「9歳の少年がコモドに襲われて死亡」
東ヌサトゥンガラ州西マンガライ県のコモド島で6月2日、小学校2年生の少年がコモドドラゴンにかまれて死亡するという事件が発生した。コモド島の住民であるこの少年は朝8時ごろ家から出て90メートルほど離れた藪陰で大便をしていたところ、突然後から一頭のコモドが襲い掛かり、尻から大腿部のあたりに噛み付いた上で少年の身体をくわえて振り回した。コモド島の住民は排便を海岸を含めて適当な場所で行う習慣を続けており、住居には便所がない。
少年は大腿部から腹にかけて深い噛み傷のために大量の出血があり、またコモドドラゴンの唾液から出る毒が全身に回ったため、コモドに振り回されて身体がばらばらにならなくとも生命が助かる見込みは薄かった。少年は噛み付かれてから20分後に絶命したが、たとえコモドの口からすぐに助け出されたとしても医療施設のある本土側のラブアンバジョまでスピードボートで45分かかるため、その途中で死を迎えていたにちがいない。被害者の少年がコモドにくわえられているのを見つけた友人が少年を助けようとして近寄ったところ、少年はそれを制して親を呼んできてくれとその友人に頼んだと少年の友人は語っている。知らせを聞いて駆けつけてきた村人たちは少年の身体を取り戻そうとして石を投げてコモドを追い払った。遺体はすぐに回収されて村に運ばれたが、他のコモドが血や肉の臭いをかぎつけて集まってきたら回収はおぼつかなかっただろうと村人は述べている。コモドは血や肉の臭いをかぐと凶暴になり、争ってその臭いの元を餌食にしようとする習性を持っているため、少年の遺体は複数のコモドに食い尽くされてしまったかもしれない。
33,937Haあるコモド島はコモド国立公園で最大の島で最も多数のコモドドラゴンが棲息している。国立公園全体で3千頭いるコモドはコモド島に1千3百頭、19,627Haのリンチャ島に1千2百頭、残りは他の小さい島々に分散している。国立公園管理事務所コモド島分室責任者は今回の事件について、コモドはカメレオンのように身体の色を保護色に変えることができ、襲撃された被害者は思いがけないことだったにちがいない、とコメントする。被害者は襲われる前に出血していたわけではないが、人間の大便の臭いがコモドを刺激して引き寄せた可能性が高い。コモドの嗅覚はとても敏感で2キロ先の血や肉の臭いをかぎつけてくる。風向き次第ではもっと遠くてもそれを感じ取り、また舌もアンテナの役割を果たす。だからメンス中の女性はコモド島では危険だ。かれはそう語っている。[ 2007年6月 ]


「マフィアによる首都の希少動物売買」
ジャカルタにおける希少動物売買はマフィアに牛耳られている。マフィア組織ネットワークはたいへん広範に渡っており、それら動物の原産地であるカリマンタンやスマトラまでカバーしている。「売人が注文を受けるとき、かれらは注文主にご希望のものは数日以内に入手できる、と安心させる。プラムカ市場(Pasar Pramuka)、ジャティヌガラ市場(Pasar Jatinegara)、バリト市場(Pasar Barito)など都内の動物市を何回も巡視しているが、希少動物や保護動物がおおっぴらに売られていることはない。商売は家の奥深くで行われており、注文主がそんな動物をオーダーすると動物売り商人はカリマンタンやスマトラから注文品を取り寄せることができる。かれら商人はすでにマフィアのネットワークに組み込まれており、このマフィアは法執行者の手の届かないところにいる。」インターナショナルアニマルレスキューに所属するふたりのヨーロッパ人はそう語る。
ジャカルタで売買されている希少動物は主にシロガシラトビ・ウミワシ・リクワシ・オウム・オオトカゲ・センザンコウ・鹿・スローロリス・フクロテナガザル・オランウタン・サルなどで、動物保護運動家のかれらはインドネシア政府がそのような状況を放置して見て見ぬふりをしている、と厳しく批判する。ワシは動物市で一羽50万ルピア、フクロテナガザルやサルは最低でも70万ルピア、オランウタンは最低一頭5百万ルピアする。それらの希少動物や保護動物を買うのは金持ちに決まっている。
スリブ諸島海中国立公園管理館長は、ジャカルタの動物市で少なからぬシロガシラトビが売買されている事実を苦情する。「虎を飼うことのできる人間は誰か?毎週ヤギを2頭食べさせなければならないのだ。シロガシラトビはどうか?毎日魚を7匹与えなければならない。そのあたりの庶民にできることではない。都庁は天然資源とエコシステム保護に関する1990年法令第5号を厳格に実施しなければならない。」
一方、都庁天然資源保護館長は別の場で、職員は都内の動物市を定期的にパトロールしており希少動物や保護動物の売買は減少している、と語った。「しかしなくなったわけではなく、それは隠れて行われている。それを放置すれば希少動物や保護動物は絶滅してしまう。そうなればエコシステムが狂ってしまい、おかしな病弊が出現することになる。絶滅させてはならない。」館長はそう語っている。[ 2007年8月 ]


「昆虫にも絶滅の危機」
地球温暖化は熱帯産昆虫の世界にも災難をもたらそうとしている、と昆虫学界専門家が表明した。米国ワシントン大学の昆虫学専門家ジョシュア・テュークスベリー率いる研究者たちが行った調査結果が2008年5月6日にジャカルタで発表されたがそれによると、熱帯地域に生息する昆虫の大半は現在の気候にほぼ最高のレベルで適応しているため気候の変化はかれらの多くに破滅的な災厄をもたらす可能性が高いとのこと。2100年には1990年の温度から5.4℃もの上昇が起こると予測されており、その過程にある1950年から2000年までの半世紀に38種の昆虫が世界から姿を消している。一部昆虫の絶滅は世界の植物相に影響を及ぼし、植物性食糧の供給に変化を生じさせる懸念が強い。
インドネシア科学院(LIPI)生物学研究センターの昆虫学研究者は、多くの昆虫は軟らかい体を露出させていて固い殻や膜でそれを覆っている種は少ないため温度変化の影響に敏感であり、更に冷血性傾向が温度変化に耐える力を弱いものにしている、と説明する。蝶々を専門研究対象にしている同研究者はまた、インドネシアのような熱帯性気候は多種の昆虫の生成発展に理想的な環境を提供しており、一年のうちのある期間を仮眠状態で過ごさなければならない亜熱帯性気候に比べて雨季乾季はあっても温度変化の小さい熱帯ははるかに昆虫の活発な発展を可能にしているわけで、インドネシアに生息している蝶々が1千6百種に上っているのはそれを証明するものだ、と語っている。
テュークスベリー教授は、冷血性傾向の高い昆虫は環境変化に対応して毛を生やしたり外皮に膜を作ったりする適応力が弱いため、自分が変化して適応するという選択肢を持っていないように思える、と言う。「温度上昇によって多くの昆虫は新たな住みやすい環境を求めて移動し、気候変動の中で生き延びようとするだろう。中には環境に適応して進化するものも出るかもしれない。しかしそんな中で、やはり一部の種は変化に対応しきれずに死滅していくのを避けることはできないにちがいない。」
地球温暖化は世界のフローラとファウナの20%を死活の瀬戸際に追い詰めるだろうと言われており、それは人類にとっても同じことだ。鮮やかな色や奇抜な姿を持つ熱帯産昆虫の豊かなバラエティが標本でしか見られなくなる日はどうやらゆっくりとしかし確実にやってきそうだ。[ 2008年5月 ]


「乱獲されるセンザンコウ」
2008年7月30日に国家警察が南スマトラ州警察と共同でパレンバン市内にあるセンザンコウの闇加工場を急襲した。警察はこれまでも南カリマンタン・バリ・北スマトラなどでセンザンコウの闇取引シンジケートを摘発してきたが、今回摘発されたパレンバンを本拠地とするこの一味はかなり大規模なビジネスを行っており、マレーシア人がこの組織に関与していたことが明らかになっている。
パレンバン市内の闇加工場はPT Ikan Mas Jayaという水産加工工場に偽装されており、三年前から操業を続けてきた。周辺住民の話では、この工場はたいへん見張りが厳重で常に門をぴったり閉ざしており、タンク車が頻繁に中に入るのを目にするだけで外部者は一切中に入ることを許されなかったとのこと。
一味は南スマトラ・ジャンビ・ブンクルなどで不法捕獲されたセンザンコウを生きたままこの工場に送り込ませ、工場内で頭を殴って屠殺したあと茹で上げてから解体していた。茹でるのはセンザンコウのウロコを剥ぐ作業を容易にするためで、警察はこの工場内でコンテナ4本に入ったセンザンコウの冷凍肉13.5トン、冷凍スッポン478キロ、センザンコウの胆嚢85個とウロコ50キロを押収した。それらの商品はやはりこの工場で処理された魚肉の中に混ぜられてジャカルタに送られ、タンジュンプリウッ港から中国・ラオス・ベトナムなどに輸出されていた。
一味は密猟者からセンザンコウをキロ当たり25万ルピアで仕入れるが、国際市場に出せばキロ当たり112米ドルの値がつく。さらにレストランはその肉をキロ当たり210米ドルで仕入れている。ウロコは1枚1米ドルだそうだ。警察の取調べにこの一味は一回につき20トン程度を輸出していたと自供している。国家警察はこの一味がひと月に数千億ルピアを売り上げていたと見ており、大手を振って輸出活動を行っていた一味の犯行を関係行政諸機関がまったく知らなかったはずはない、として腐敗役人に対する捜査の網を広げていく意向であると表明している。[ 2008年8月 ]


「ペット預かり所は繁盛」
ルバラン長期休暇に向かって動物ペット委託施設は大繁盛の様相を呈している。南ジャカルタ市アルテリポンドッキンダ(Arteri Pondok Indah)通り地区にあるペッツホーム(Pet's Home)には9月半ばで既に数十件の予約が入っている。この店は一階二階をペット収容フロアにしており、普段から利用者は多くいてたくさんの動物でにぎわっている。預けられるペットは血統書付きの犬や猫がマジョリティを占めている。預かり料金は犬の場合身体の大きさで異なっており、大型犬は一日7万ルピア、小型犬6万、猫は5万ルピアとなっている。7日を超える連泊にはお風呂とサロンのお手入れサービスが付く。
ラグナン動物園へのアクセス路に当たるハルソノ(Harsono)RM通りの動物シェルターPondok Pengayom Satwaにも二十件を超える予約が入っている。このシェルターは捨てられた動物の世話をするのが設立目的であり、その費用補填のためにペット預かり業を行なっている。犬の場合預かり料金は一日3万6千ルピアから8万ルピアという幅があるが、猫の場合は一日3万6千ルピア。ノミのついている動物はノミ取り処置が行なわれて費用が徴収される。ここは大型犬でも比較的余裕のあるスペースが提供されている。
都内の動物預かり業者はルバラン日の7日前から7日後までの二週間がかきいれどきのようだ。都内には中央ジャカルタ市ガジャマダ通りのガジャマダプラザにあるたくさんのペットショップでもこの時期ペット預かりを受けてくれるところがあり、またビンタロジャヤ住宅地セクター9にも何軒か業者がある。[ 2008年9月 ]


「アンチョルの水生怪物」(2008年11月21日)
しばらく前からユーチューブでヒットしている動画がある。『Monster Air Ancol』(アンチョルの水生怪物)と題するこの動画は北ジャカルタ市アンチョルドリームランドで一般客が撮影したもので、海岸に投げ込んだ魚の死骸に数えきれないほどの小さな生き物がうじゃうじゃと集まってきて死骸を食い漁っているシーンを見せてくれる。白色楕円形のその小さな生き物が獲物にびっしりたかって食い漁っている姿はホラー映画顔負けのシーンであり、自分の身体がその獲物に入れ替わった場面を想像して総毛を逆立たせたひとも多かったにちがいない。
この動画がジャカルタの各所で話題となり、事務所の仕事そっちのけでユーチューブの画像に見入った会社員たちが続出したようだ。瞬く間にこの動画のヒット数が急上昇した。これはアンチョルドリームランドにとって願ってもない話題であり、「アンチョルの水生怪物」見物ツアーが入場客を増やす結果を期待させてくれるものではあるのだが、そこはそれ、海に足を浸けるとその水生怪物にたかられて足を食いちぎられるという恐れからアンチョル海岸に遊びに来るひとが減っても困るので、同社マネージメントはこの怪物の真相を探るために調査を開始した。
体長1センチ弱から1.5センチ程度のこの小さい生き物は決して最近アンチョル海岸に住み着いたものではなく、昔からインドネシアの海岸線のいたるところに棲息しており、北ジャカルタ一帯の漁師はそれをkutu airと呼んでいた。kutuとは羽のない吸血寄生虫を指す言葉で、ノミ・シラミの類を連想させるものだ。ところがこの生き物は中部ジャワの海岸部でルンペイエ(rempeyek)の具に使われており、人間の食べ物にされていたのである。ルンペイエというのは米粉を溶いたものに具を混ぜて油で揚げる一種のせんべいで、具は普通ピーナツが使われるが、このkutu airを具に使うとエビせんべいのような味になるらしい。
アンチョルドリームランド側が調べた結果、このkutu airは西アンチョル海岸と東アンチョル海岸およびプトリドゥユン(Putri Duyung)湖の三ヶ所で群生していることがわかったが、特にプトリドゥユン湖でもっとも大量に発見された。さらにドリームランド側はそのサンプルをインドネシア科学院(LIPI)に送って調べてもらったところ、LIPIから次のような調査報告が返ってきた。「この生き物はイソポーダ(等脚類)のcirolana(スナホリムシ)で、ゴミや腐肉を食するものであり、人体を襲うことはない。この生き物はインドネシアのすべての海岸に生息しており、人体にとっての危険性はクラゲ以下である。」
これで怪物の正体が判明したわけだが、今回起こったこのフィノメナはスナホリムシの異常発生によるものなのかどうか、さらにスナホリムシのアンチョル海岸での存在が地区一帯のエコシステムを崩すものなのかあるいは維持するものなのか、それらの問題を今後観察しながら対応を図っていく、とアンチョルドリームランド側は表明している。


「埋もれた財宝」(2008年12月9日)
中部ジャワ州ブローラ県では乾季になると農民たちが土掘りに精を出す。土掘り作業が行なわれるのは森の周辺やかつて森であった場所で、涸れ川も除外されない。最初に行なわれるのはまず探査だ。4〜7メートルあるらせん状の鋼鉄線を土中に突き刺し、手ごたえをさぐる。何か硬いものに突き当たったら、そこに何かが埋もれているのだ。農民たちは普通6〜7人のグループで土掘りを行なう。土中に埋もれたお宝がその姿の一部を見せ始めると、かれらの表情に笑みがこぼれ、心なしか作業の力強さも増してくる。お宝が地下でその全貌を現すと、かれらは穴の上にやぐらを組み、滑車とチェーンでそれを地上に引き上げる。地上に上がってきたかれらの求めている財宝とは、長年地中に埋まっていたチークの木だったのだ。もちろん木ではなくて本当の財宝に出くわすこともある。石造りの献納台や真ちゅう製の古銭が見つかったこともあるが、かれらのお目当てはチークの木なのである。
チークはインドネシア語でジャティ(jati)。土中に埋もれたチークを地元の農民たちはジャティプンダム(jati pendam)と呼ぶ。ジャティプンダムは何百年も昔に自然現象で倒れて土中に埋没したものから、1990年代に盛んに行なわれたジャティ林不法伐採のときに土中に隠されたものまでさまざまだ。たいてい地下4〜8メートルの深さに眠っているジャティプンダムは、小さいもので直径20センチ長さ5メートル、大物になると直径115センチ長さ25メートルに達するものもある。大物の場合、引上げ作業をやりやすくするためにかれらは下でそれをカットする。
ジャティプンダム発掘作業は10〜30日かけて6〜7人がかりで行なわれる。農民たちが引き上げたジャティプンダムは木材商が1本5百万から1千2百万ルピアで買い取る。だからジャティプンダムを1本引き上げればグループメンバーはひとり1百万ルピア前後の収入を得る。しかしせっかく引き上げたジャティプンダムが腐っていたり、あるいは大穴が開いていたりすれば、木材商は1百万以上の金を決して出さない。こうして木材商の売り物になったジャティプンダムはどこへ流されるのだろうか?
バリにいる仲介業者を経由してカナダ・フランス・スイスなどに送られ、テーブルやドアなどの家具になっているのだ。輸出価格は1本で1億から4億5千万ルピア。社会的な富の分配が一次産品生産者にきわめて薄いインドネシアの経済構造はここにも表れている。


「象牙の化石の価値はヤギ4頭」(2009年1月12日)
中部ジャワ州ブロラ県クラデナン郡ムダラム村(Desa Medalem, Kecamatan Kradenan, Kabupaten Blora)で長さ1.5メートルの古代象の牙が発見された。発見場所はブガワンソロ(Bengwan Solo)から100メートルほど離れた畑の中で、地表から20センチほど下に埋まっていた。発見者は村の道を補修するため砂を取りに来ていた農民三人で、鍬を打っていたところ何かに当たり、最初は石だと思って作業を続けたが象牙の化石であることがわかって作業をやめ、化石の全貌がわかるように土や小石を取り除いた。しかし既に時遅く、農民の鍬で化石は先端が割られたために残った120センチの本体といくつかの破片に分離している。この場所は2000年にやはり古代象の牙が発見された場所から15メートルほどしか離れていない。ステゴドンの象牙の化石は中部ジャワ州クドゥス県パティアヤム(Patiayam, Kabupaten Kudus)遺跡やスラゲン県サギラン(Sangiran, Kabupaten Sragen)遺跡と同時期に属すものと見られており、70万〜150万年前のものだろうとジョクジャ考古学院長は述べている。
化石が発見されたのは2008年12月終わりごろで発見者たちは特に行政機関に報告することをせず、口伝手の噂が広がると化石・遺物ハンターがそれを聞きつけて発見者にコンタクトし、買値5百万ルピアで一旦は商談がまとまった。ところがハンターが現物を見に来てそれを運び出すのが困難であると共にヤバイ事態を引き起こす可能性が大きいと判断したためにその商談はお流れになり、発見者も後難を恐れて役所に届け出た。化石の現物は破損しないようにかれらがバナナの葉で覆っていた。そのエリアでは古代生物の化石が頻繁に出土しており、そこは古代ブガワンソロの川床で後に土砂の堆積で埋まった場所であるとのこと。そのためにこのエリアからは象牙・角・亀甲・ワニの頭骨などの化石がよく出土し、住民はあまり熱心に出土物を保護しないために人間の手で破損することも少なくなく、また発見者が直接売却することも頻発していた。ワニの頭骨の化石は30万ルピアで売られ、ステゴドンの象牙の化石はヤギ4頭と交換されたという話は住民たちの間で知らない者がない。
120センチに縮小した象牙の化石は1月8日夕方、2時間をかけて現場からブロラのマハメル(Mahameru)博物館に移された。ジョクジャ考古学院長はブロラ県庁に対し、県庁は警察と共同で古代遺物や化石の出土場所を保護し、出土品を発見者から買い上げて国際市場に売り捌く全国ネットワークシンジケートの暗躍を防がなくてはならない、と警告している。


「国立公園でハンティング」(2009年4月17日)
2008年9月17日付けコンパス紙への投書"Kijang di Taman Nasional Diincar Pemburu Bersenjata"から
拝啓、編集部殿。2008年9月6日土曜日、わたしは友人たちと一緒にチボダス(Cibodas)登山口から西ジャワ州グデ・パンラゴ山国立公園(Taman Nasional Gunung Gede Pangrango)のグデ山に登りました。温水湧泉に達する手前で犬の鳴き声がしたので、わたしは狼がいるのかと思いました。ところが程なくしてただの村犬が2匹、近くを通り去ったのです。
カンダンバダッ(Kandang Badak)で一泊し、翌朝グデ山頂に登ってからわたしはアルナルンスルヤクンチャナ(Alun-alun Surya Kencana)に向かって山を下りました。そのときわたしは、十数匹の犬と十人ほどの長銃を持ったハンターがそこに集まっているのを目にしてびっくりしました。かれらはそこの北東の端から南西の端まで散開して、激しい犬の鳴き声に負けじと大きな叫び声をあげているのです。
10時ごろ、南東の森の中から鹿が一頭、犬に追われて飛び出してきました。ハンターたちは大声で叫びながら犬と一緒にその鹿を追います。犬の吠える声も激しく高まり、あたり一帯はとても緊迫した雰囲気に包まれました。しかしその鹿はなんとか窮地を脱してグデ山の尾根に続く藪の中へと身を隠すことができました。ハンターたちの悔しそうなわめき声が聞こえます。わたしは13時半ごろスルヤクンチャナを後にして麓に向かいましたが、そのハンターたちはそこにまだたむろしていました。互いに離れた4ヶ所に集まって、長銃をゆすっているのが見えました。かれらの持っていた銃が手製なのか、それともオーガニックなのか、わたしにはよくわかりません。国立公園周辺に住む地元民に尋ねたところ、そのようなハンティング行為は昔から続けられているようです。「ああ、あれはいつものことですよ。係官も承知のことみたいで、ぜんぜんお構いなしです。」住民のひとりはそう語っていました。[ デポッ在住、Fラハルディ ]
2008年9月24日付けコンパス紙に掲載された国立公園管理者からの回答
拝啓、編集部殿。Fラハルディさんからの9月17日付けコンパス紙に掲載された投書について次の通りお知らせします。
ご指摘のあった事件については現在調査と捜査が進められております。国立公園内の治安と保全について当方は定期的なパトロールや諜報活動を行って職務を遂行しています。とはいえ、密集した住民居住地区と境を接する、起伏の激しい21,975Haの広さを持つグデ・パンラゴ山系にその頂上を目指す闇ルートが時に応じて出没するという状況であることが、治安と保全の職務遂行で十分な成果をあげることを困難にしています。グデ・パンラゴ登山者や自然愛好者は当方の治安と保全を維持する活動に協力くださり、いつでも情報を電話あるいはファックス番号(0263)512776・519415またはEメールinfo@gedepangrango.orgのグデパンラゴ国立公園総館森林警察ユニット宛てにお寄せくださるようお願いします。[ チアンジュル県チパナス郡グデ・パンラゴ国立公園総館長、バンバン・スクマナント ]


「インドネシア原生種の竹に絶滅の危機」(2009年8月6日)
インドネシア原生種の竹が国内から姿を消しつつある。その原因は竹の生えていた土地が別の用途に転用されて竹が刈り取られ、あるいは伐採が過剰である一方植樹とのバランスが取られておらず、さらには無許可で海外に持ち出されるといったことがらによる、とインドネシア科学院専門家が語った。
国内には現在160種の竹が生育しており、原生種はそのうち88種あるものの30〜40%が絶滅の危機に直面している。このまま放置されれば10〜15年後には完全に姿を消すだろうとの懸念が専門家層にある。北スマトラ州のbambu buluh regem、ジャンビ州のbambu kuring、西スマトラ州のDendrochalamus Buar、マカッサルのFimbribambusa、ランプンのDendrochalamus Haitなどはその代表格だ。インドネシアで竹は古来から家屋建築資材や家具日用雑貨の素材に使われてきたが、市場での経済性が低いことから再植樹を指向する意識はほとんど生まれなかった。西ジャワ州バンドン市やバンドン県で昔は普通に見られたbambu eul-eulは今や滅多に目に触れない植物になっている。東ジャワ州のFimbribambusaや西カリマンタン州のSchizotachyumも地元民は自生種を刈り取って利用するだけで、それを植えようとはしない。
インドネシア原生種の竹が無許可で国外に持ち出されるということも頻繁に起こっており、たとえばジョクジャの原生種がアメリカに持ち出されて栽培され、今アメリカではその竹が1本1千ドルで売られている。国民は竹に対して経済的なメリットのあまりないものという理解を持っているために竹を植えて繁殖させようと考えないが、そのような竹に対する常識が原生種の絶滅を招くベースをなしている。しかし竹は利用できる量が減少しはじめている木材に取って代わることのできる素材であり、竹板、竹積層材、竹衣料品などは新技術をもって竹を加工すれば今でも実現するものだ、と同専門家は竹への保護を訴えている。


「怪獣グランドン」(2010年3月5日)
2010年2月に入ってからジョクジャ特別州グヌンキドゥル県でグランドン(grandong)の襲撃が活発化しており、住民は不安に陥っている。襲撃の対象は家畜、中でもヤギがメインで、襲撃方法はヤギなど家畜の首を咬んで殺し内臓だけを取って去って行くというもの。ランコップ郡の数ヶ村では今年25匹のヤギが殺されており、毎年グランドンの襲撃がない年はないが今年は特に激しい、と村役のひとりは語っている。
グランドンというのは野生の犬の一種で身体は狼より少し小型であり、ハビタットはグヌンキドゥル県南部のカルスト地帯で洞窟を棲家にしているようだ。グランドンの群れはいつも夜中に突然現れ、そしてまた突然去って行く。グヌンキドゥル県の村々は家畜を居住エリアから離れた場所に置いているのが習慣で、朝起きて家畜の世話をしに行くと屍骸が転がっている、ということが起こっていた。村人は夜回りを行なうものの居住エリアがメインになり、離れた家畜の置き場所までは手が回らない。居住エリアに近付くグランドンを目にすることはあっても動きがすばやいため、まだ一匹も生死に関わらず捕えた実績がない。
今年グランドンの襲撃が激しくなっているのは、かれらの生活環境の破壊が進んでいるためだろうと県庁は見ており、グヌンキドゥル県畜産局はまだ明らかになっていないグランドンの生態調査とともにかれらのハビタットの破壊状況をあわせて調査するためにチームを編成することにしている。


「ワイセラカの巨大ウナギ」(2010年3月19日)
中部マルク県サラフトゥ郡ワアイ(Waai, Kecamatan Salahutu, Kabupaten Maluku Tengah)にあるワイセラカ(Waiselaka)湧水は一部のひとたちに効験あらたかだと思われている。
何百年も昔、サラフトゥの山から投げられた聖なる槍がここに刺さった。その槍を抜いたら清い水が湧き出てきた。泉守のミングス・バカルベシはそう来歴を物語る。マルクの郷土史を記した書物には、サラフトゥの山地に住むひとびとが西洋人宣教師の勧めに従って暮らしやすい海岸部に移住したときにワイセラカ湧水の歴史が始まったと記されている。
この湧水は大きな池の姿にしつらえられ、ワアイ住民4,763人の生活用水源として使われている。ワイセラカは地元唯一の湧水で、住民たちはここまでやってきては湧水源の近くで水を汲み、池で水浴し、海に注ぐ川と池の間の水門付近で洗濯している。水源から住宅地区までパイプで水が送られているが、湧き水ほどきれいでないためにひとびとは直接水源に来て取水するほうを好む。
ワアイ住民にとってワイセラカは特別な場所だ。付近に木を植え、池の堤防は石で固め、池に住むウナギやコイを保護している。池の掃除も毎週日曜日に行なわれている。地元民がモレア(morea)と呼んでいるウナギは百匹以上棲息しており、中には体長1メートルを超す巨大なウナギもいるが、聖なる生き物として尊重されているためにそれを取って食おうという住民はいない。ワイセラカの水は効験あらかたで、それを飲めばたいていの病気は治るという噂が広まった。だから州内外の近隣住民たちはワイセラカまで水を飲むためにやってくる。
泉守のミングス・バカルベシは、毎日20人から50人くらいの観光客がワイセラカにやってくるとのこと。ときにはオランダやアメリカから来た外国人観光客も混じる。かれらは水を飲むためか、あるいは巨大なウナギを見物するためにやってくる。観光客にウナギのショーを見せるのがミングスの仕事だ。「モレアはよく馴れている。鶏卵を食べさせてやったあとは身体に触ることさえできるんだ。石の間から出てきたモレアの姿を観光客に見せてやれる。ショー一回は3万5千ルピアだ。池の水が病気に効くという話を信じているひとたちもかなりやってくる。でもわしはその話を信じないよ。だってわしはワイセラカの水を毎日飲んでるんだから。」


「タコ狩りはもうかる」(2010年5月11日)
バンテン州セラン県アニエル海岸で岩陰に何かを探す地元民の姿が増えた。かれらの探しものはタコ。朝や夕方の陽射しが柔らかい時間帯にかれらは海岸を歩く。ひとり一日に15〜30匹は手に入るとのこと。ましてや乾季になれば、比較的大型のタコも手に入る。
かれらはタコ釣りに小さいカニを使う。河口近くの茂みにいるカニがタコの餌に適しており、砂浜にいるカニは殻が柔らかいのですぐだめになるそうだ。かれらが捕まえたカニは集荷業者が回ってきて買い取ってくれる。一匹3千から5千ルピアになる。「昔は集荷業者もおらたちと同じように貧相ななりをしていたが、今では豪壮な屋敷を建てて車まで持っている。」と地元民は語る。集荷業者はチャリタやアニエルを回って集めたタコをジャカルタのクラパガディン(Kelapa Gading)やブロッケム(Blok M)、あるいはチカランCikarang)などのレストランに卸す。
アニエルでタコ獲りをしていた地元民のひとりは家がチャリタにあると言う。わざわざチャリタからアニエルまでアンコッに乗ってやってきたのは、チャリタには50人以上の競争者がいて一人当たりの収穫が小さくなっているからだそうだ。往復に1万5千ルピアの交通費をかけてもアニエルまでやってくる甲斐は十分にあるようだ。


「バンティムルンで蝶の種類が減少」(2010年5月21日)
ラッセル・ウオーレスが19世紀に世界最大の蝶の天国で数千匹の蝶が空中に雲をつくると絶賛した南スラウェシ州マロス(Maros)県バンティムルンブルサラウン(Bantimurung Bulusaraung)国立公園で蝶の種が減っている。1990年代に107種いた蝶はいまや89種しか見られず、18種がまだ残っているのかどうかについて同国立公園管理館は調査を続けている。
管理館長はその事態について、原因は三つ考えられる、と述べている。その第一は、国立公園内の自然観光施設増加によって蝶の産卵エリアが減少している可能性があり、蝶は幼虫が潤沢に餌を得られる場所を選んで卵を産むため、そのような場所を公園の外に探すようになったのではないかということ。第二は、蝶が好む湿った川沿いの場所にたくさんの蝶が集まっているのを観察するために訪れる観光客が蝶の棲息環境を乱している可能性があり、蝶はもっと安心して暮らせる別の湿った場所を求めて移住したのではないかということ。第三は、ここ二年ほど蝶の不法捕獲が増加しており、蝶の個体数が減少している可能性が高いことで、それらの要素が蝶の天国を失楽園に向かわせている原因ではないかと管理館側は分析している。


「オウム密売人が逮捕される」(2010年5月29日)
東ジャワ州天然資源保存総館はスラバヤのタンジュンぺラッ港付近に保護動物不法受入場があるという情報を入手し、5日間港の監視を続けた。そして不法受入場に18羽のオウムが集まったのでそのオーナーがジャカルタへ送るためジュアンダ空港に持ち込んだところを逮捕した。逮捕されたのはマドゥラ人のJ32歳で、Jが2010年5月2日午前5時にオウム18羽をジュアンダ空港出発ターミナル駐車場に車で運んできたところを警察と資源保存総館担当官の混成部隊が御用にした。Jのその不法行為は二回目とのこと。
Jの逮捕時に証拠品として押収された保護鳥はキバタン(kakaktua jambul kuning)14羽、ヤシオウム(kakaktua raja)3羽、コバタン(kakaktua kecil jambul kuning)1羽の合計18羽で、パプアとマルクから船でスラバヤのJの不法受入場に送られてきたもの。キバタンはジャカルタへ持って行けば一羽75万から100万ルピア、ヤシオウムは一羽150万から200万ルピアで売れるとJは取調べに対して供述している。警察はJが保護動物密売シンジケートに関係しているものと見て更に捜査を拡大する意向。


「ボゴール植物園でラフレシアが開花」(2010年6月9日)
2010年6月2日、ラフレシアがボゴール植物園内の育苗園(kebun pembibitan)で開花した。これはラフレシアが固有ハビタットの外で開花に成功した貴重な例で、マレーシアではラフレシアの人工増殖に成功しているがそれはカリマンタンの国境線に近い固有ハビタットの中でのこと。ハビタット外での可能性が今回の成功で現実のものになった。
残念ながら今回ボゴール植物園で開花したラフレシアは人気の高いラフレシア・アーノルディ(Rafflesia arnoldi)でなく、ラフレシア・パトマ(Rafflesia patma)。ラフレシアの種は15ほどあることが知られている。ボゴール植物園の記録によると、1929年にラフレシア・プスパ(Rafflesia puspa)、ラフレシア・ロチュセニ(Rafflesia Rochussenii)、ラフレシア・アーノルディの三種が園内で開花したと伝えられているものの、それはオランダ人学者の観察旅行記と新聞記事だけで学術記録が作られていないことから、植物学界はそれを公式な客観的事実として取り上げていない。ラフレシア・プスパは西ジャワ州パガンダラン(Pangandaran)〜ヌサカンバガン(Nusa Kambangan)地方の原生種、アーノルディとロチュセニはスマトラの原生種だ。
育苗園でのラフレシア・パトマの開花は6月2日午前9時ごろ判明した。そのとき5枚の包皮のうち3枚は既に開き始めていたとのこと。包皮の重なり方はキャベツのようなかっこうをしているが、色と硬さはヤシの殻に似ている。ラフレシア・パトマのつぼみが見つかったのは2009年9月のことで、それ以来植物園の研究員は大きな期待を抱いてその成長を記録し、見守っていた。
ラフレシアは寄生植物であり、宿主を必要とする。育苗園ではジャワ・スマトラ・カリマンタンの森林で自生している木をいくつか取り寄せてラフレシアの宿主に使った。今回開花したものは西ジャワ州パガンダランから取り寄せたテトラスティグマに宿ったもの。開花期間は2〜3日だそうだが、他にまだつぼみが10個ほどあり観察対象には不足していない。その10個のつぼみはウジュンクロン(Ujung Kulon)から取り寄せた木に宿ったものもある。その木はボゴール植物園に移す前にパガンダランの森に3ヶ月間移植され、適応がなされている。
ラフレシアは幹も葉も持たず、花の底部にある毛根が宿主の幹に食い込んで養分を吸い取る、純然たる寄生植物だ。今回のボゴール植物園での快挙で、いまだたくさんの謎に包まれているラフレシアの生態が解明されることが期待されている。


「インドネシア産食用ガエルにグリーンピースが抗議」(2010年6月25日)
民間環境保護団体グリーンピースがインドネシアから輸出される食用ガエルの殺解体処理方法について、動物福祉法規に即していない方法で行なわれている、とインドネシア政府に抗議した。インドネシア海産物加工販売事業者協会ではその抗議を重く見て、ヨーロッパの市民にボイコット運動が広まれば輸入者はインドネシア産食用ガエルの輸入をストップせざるを得ない状況に立ち至るだろうから早急に実態に関する釈明をヨーロッパの関係当局に対して行なうよう政府に要請した。EUは2000年から動物福祉に関する法令の適用を開始しており、段階的に実施が強化されている。
インドネシアで生産されている食用ガエルの腿肉は、食用ガエル養殖場専用殺解体場で処理されたものが輸出のほとんどを占め、一方一般農民収集者が捕獲したカエルはほとんどが国内消費にあてられているのが実態で、輸出されている製品は一般農民が処理したものではないことを主張する必要があると協会会長は指摘している。「海洋漁業省は食用ガエル養殖業者に対して専用の殺解体場を設けること、一方一般農民が生産した食用ガエルの腿肉は輸出せずに国内市場で消費すること、という指導方針を実行している。」
インドネシアの食用ガエル輸出者は12社あり、年間2〜3千トンが輸出されている。輸出先は特にフランス向けが多く、年間1千トンに上っているとのこと。


「オランウタン密売人逮捕」(2010年6月30日)
西カリマンタン州急速対応森林警察ユニットがオランウタン密売人ふたりを逮捕した。これは密売人の存在を警察に通報した市民がみずから囮購買者を買って出て警察に協力し、オランウタン一頭を前にして取引している場に警察が踏み込んで売人ふたりを逮捕したもの。
そのふたりがオランウタンの注文に応じることが出来るという情報をその市民が警察に寄せてきたのは一ヶ月ほど前のことで、それ以来警察諜報員とその市民は協力してふたりの挙動を監視していた。準備が整ったところでその市民はふたりにオランウタンを一頭買いたいという注文を出し、オランウタンを見せろと要求したがふたりは取引の日に取引場所でしか見せられないと言い、客の要求に対してはMMSでビデオを見せるという手法で応じている。価格交渉の結果両者の間で一頭3百万ルピアで折り合いがつけられた。
警察の取調べに対してふたりは、オランウタンを持っている男から1百万ルピアで仕入れただけで、その男の身元もどのようにオランウタンを入手したかもまったく知らないと答えているが、警察はかれらの取引手法がしろうとらしくないと見ており、かれらは希少保護動物密売組織の末端に連なっている者である可能性が高いとしてさらに情報追求に努めている。


「肉食をするメス」(2010年7月1日)
オランウタンは肉食をしないように思われているが、東南アチェのクタンベ研究ステーションにいる研究者たちはオランウタンがスローロリスを食べている姿を目にしている。
クタンベ研究ステーションでスローロリスを食べるオランウタンはイェッ(Yet)という名前で呼ばれている40歳のメスで、これまでその習性はあまり観察されていなかったがここ数ヶ月前から研究者たちの広く知るところとなっている。イェッはずっと前からその習性を持っていたように思われるとクタンベ研究所長は述べている。
同ステーションの植物学専門家は、イェッのその習性は1985年に目撃されていると主張しているが、イェッが生きているスローロリスを捕獲しているのかどうかはまだよくわかっていない。かれの見解では、弱っているスローロリスを捕まえているのではないかとのこと。
しかしイェッがスローロリスを捕食するはじめてのメスではない。クタンベ研究ステーションの記録によれば、ゲッ(Get)と呼ばれているメスもスローロリスを食べていたことが報告されている。しかしゲッは既に他界しており、今いるオランウタンの中ではイェッだけが肉食をするメスであるようだ。肉食の習性は親から子に代々伝えられているように推測される、と研究所長は語っている。


「鯨の子供三頭が網にかかる」(2010年7月2日)
東ヌサトゥンガラ州フローレス島エンデの沖でトロール漁をしていた漁船の網にマッコウクジラの子供三頭がかかり、三頭とも死んでしまった。二頭は体長1メートルほど、もう一頭は2メートルほどで、漁師はその三頭をエンデのボガワニ市場で売った。2010年6月21日午前7時ごろ漁師から小さいのは各20万ルピア、大きいのは50万ルピア、合計90万ルピアで買った魚売りはそのまま浜辺にその三頭を運んでさばき、売り物にして台に載せた。
その事実を耳に挟んだ記者が魚売りにインタビューして尋ねた。「クジラは保護されている希少動物であることを知らないのか?」
魚売りは答えた。「知らない。漁師が捕まえてきたものを仕入れただけだ。」
今回の事件はフローレスの地元行政と大学関係者に衝撃をもたらした。捕獲漁のエリア制限をしなければならないのではないか?関係者の声はそんな方向に傾いている。しかしフローレス周辺の海域でクジラがどのような行動を取っているのか、エサを追ってどの時期にどこにいるのかということについての情報は皆無。当面できることは、漁民に対してクジラの捕獲禁止に関する啓蒙告知を行なうことしかないようだ。


「世界最高の蘭が絶滅」2010年9月18日)
カリマンタンは野生蘭の宝庫。そのカリマンタン原生で世界最高の折り紙をつけられていたファレノプシスアマビリスのローカル種が絶滅したとインドネシア蘭ユニオン南カリマンタン支部長が報告した。インドネシアでanggrek bulanと呼ばれているこの種の蘭のうち南カリマンタン州タナラウッ(Tanah Laut)県パライハリ(Palaihari)を中心に自生しているものはフィリピンに一ヶ所インドネシアはボゴールとパライハリの二ヶ所にしかなく、自生花がパライハリを含めたタナラウッ県一帯で見つからなくなったため、ユニオン支部長が絶滅宣言を出した。
アングレッブランのパライハリ原生種は開花するとき複数の枝を出してそれぞれの枝に25から50のつぼみができる。そのため開花期間は3ヶ月から6ヶ月と長く、しかも多数の花が咲きこぼれるため実に華やかだ。フィリピンやボゴールのものは枝が一本でそこに10から15のつぼみができるため、開花してから1ヶ月後には散ってしまう。パライハリ原生種は交配母種としてもよく使われていた。
やはり南カリマンタンの野生蘭デンドロビウムロウィ(Dendrobium Lowii)とデンドロビウムへパティクム(Dendrobium Hepatikum)も同じ道をたどっている。インドネシアオーキッド会南カリマンタン支部長は、そのふたつのデンドロビウムが昔はバンジャルマシンを含めてあちらこちらに自生していたのに、今はムラトゥス(Meratus)山系に入らなければ見つけることができず、しかもそれを見つけるのになみたいていの努力では発見すらできない、と表明した。ムラトゥス山系は多彩な植物相の宝庫であり、南カリマンタン州にある1千種の蘭は8割がムラトゥス山系で花開いている。


「ジャカルタの街路樹が倒れる!」(2010年10月12日)
ジャカルタの街路樹倒木は市民生活と道路交通を脅かす小さな自然災害だ。成長が早いという理由で倒れやすい木を植えまくった都市整備政策の帰結だとすれば、それは人災であるとも言える。都庁公園墓地局は倒木が懸念される6千本の街路樹を調べた結果、1千8百本をハイリスクであると判定した。芯が腐っているもの、根が切れているもの、傾いているもの、病気にかかっているもの、枯死したものが1千8百本あり、その大部分がアンサナだ、と局長が公表した。
全都の街路樹5百万本中の30〜40%に倒れる可能性があり、10〜15%は強い風雨にさらされると可能性がたいへん高まるというのが2009年調査結果として報告された内容。乾季から雨季への移行期は突風を伴う雨が増える時期でもあり、枝が折れたり木が倒れるのを防止するために枝をはらう作業がにわかに活発化するのが年中行事となっている。2010年は1月から枝はらいが継続的に行なわれており、その成果はいまや7千本に達している。倒木の危険が高まった街路樹はマホガニー・タンジュン・グロドガン・トレンブシなど倒れにくい樹種に植え替えられることになっている。
南ジャカルタ市と中央ジャカルタ市には倒木の可能性が高いと推定されている街路樹が7千3百本あり、その大部分にあたる6,195本は中央ジャカルタ市にある。中央ジャカルタ市公園課長によれば、それらのハイリスク街路樹は樹齢20年を超えるもので、幹の直径が比較的大きいものであるとのこと。2010年10月4日にメンテン郡のジャランスラバヤで倒れた木は直径が60センチ近くあった。中央ジャカルタ市で倒木リスクの高い場所は市内各所に散在しており、対象があまりにもたくさんあって倒木対策の焦点がしぼりにくい、と課長は対策の難しさを訴えている。市内にはガンビル郡を含めた4郡が倒木リスクの高い地区とされており、ガンビルだけでも82ヶ所が倒木重点警戒ポイントになっている。


「カンガルー肉はキロ当たり4万ルピア」(2010年10月27日)
パプア州メラウケ県ワスル(Wasur)国立公園で保護されている野生のカンガルーと鹿が狩猟のために残り少なくなっている。1980年代はカンガルーも鹿も国立公園の外でたくさん目にすることができたし、折に触れてメラウケ市内にまで迷い込んできた。ところが大勢の人間に狩られていまやその数は激減し、遠く離れた森に入っていかないかぎり目にすることは無理になり、また森の中に分け入ったからとて必ず目にすることができるともかぎらない状況に陥っている。
そんなカンガルーと鹿の肉がメラウケ市内の市場パサルバルで売られている。カンガルー肉はキロ当たり3万から4万ルピア、鹿肉はキロ当たり3万ルピア。カンガルー肉が鹿肉より高いのは、カンガルー肉があまり入荷しなくなっているためだそうだ。ところがそのカンガルー肉は一旦店頭に並ぶと飛ぶように売れて2時間くらいで売り切れる、とパサルバルの肉売場の店員は語っている。売場の経営者はジャワ出身者だが、それら保護動物の肉の仕入はパプア地元民が国立公園内で狩ったものを持ち込んでくるとのこと。
パサルでそれらの肉を買った者はたいてい自宅で消費しているが、中にはサテにしてカキリマ屋台で販売する者もいる。カンガルーも鹿も狩猟の獲物としては大幅に減少して見つかりにくくなっているが、特にカンガルーは鹿よりも繁殖が遅く、絶対的な個体数では鹿よりも格段に少ないようだ。ともあれ、食肉としての需給関係は供給が低下の一途をたどっていることから市場での値上がり傾向は強く、肉が高く売れるために狩猟者たちの熱意を煽り、ますます個体数が減っていくという悪循環が発生している。
ワスル国立公園管理館長は、国立公園内でのカンガルーや鹿の狩猟はたしかに行なわれており、パプア地元民だけでなく外来種族も同じように行なっていると語っている。カンガルーと鹿は保護動物であるため狩猟の対象にしてはならないと啓蒙に努めているそうだが、効果はあまりあがっていないようだ。


「ヒトに食われるオランウタン」(2010年11月27日)
西カリマンタン州カプアスフル県では48頭、クタパン県では49頭、次いでシンタン県は24頭が過去5年間に狩猟で殺されているとWWFプロジェクトリーダーが公表した。これはWWF西カリマンタン支部がオランウタンの保護状況に関する調査を行った中で明らかになったことがらで、オランウタンハビタットになっている11県の238ヶ村住民2,537人から集めた情報を分析した結果入手されたデータ。過去5年間の状況調査になっているものの、回答者の中には20年〜30年前の見聞を物語るひとがいて、証言は逐一検証プロセスを経る必要が生じたもよう。
今回の調査で人間が行なうオランウタン狩りの最大の目的が明らかにされた。オランウタン狩りが行なわれていると答えた回答者のうち64%が狩りの目的を「オランウタンを食うため」と答え、「オランウタンの子供を売るため」と答えたひとは4%しかいなかった。
西カリマンタン州では、クタパンとカヨンウタラの二県に2千5百頭、カプアスフル県で2千頭のオランウタンが棲息しており、オランウタンを見た場所は前者で240地点、後者は130地点、その他の県での遭遇場所数はそれよりはるかに小さい数字になっている。


「サンダーソニアを日本へ輸出」(2011年3月17日)
東ジャワ州マラン(Malang)県隣のバトゥ(Batu)市から日本向けにサンダーソニアの切花が輸出されている。オーダーは年間1千本入り5キロ箱で400箱とのことで、このオーダーの分納を受けた園芸農家は8ヶ月に一度の出荷を行なっている。一箱は100万ルピアとのこと。
日本からのオーダーは切花だけでなく紫芋もある。しかしバトゥ市近辺の農家で紫芋を栽培しているところは多くないため、年間輸出能力はコンテナ4ボックスほどしかなく、金額は10億ルピア程度。そのため輸出者は県内他地方ばかりか、東ジャワ州内のパスルアン(Pasuruan)県やモジョクルト(Mojokerto)県など他県の農家にも集荷注文を出している。紫芋はパスタ状にしてマイナス18度に凍らせたものを沖縄向けに船積しており、沖縄では菓子製造原料として使われているとのこと。
バトゥ市近辺での生産量向上に期待がかけられているものの、紫芋栽培はまだ近辺の農家に一般的でなく、加えて低温保存の設備があまりないことから、バトゥ市商工会議所は市庁にその支援を要請している。


「ラフレシアが開花」(2011年3月23日)
ブンクル州クパヒアン県ブキッダウン保護林(Hutan Lindung Bukit Daun, Kabupaten Kepahiang, Bengkulu)でラフレシアが4月中旬頃までに三つ開花するだろうとクパヒアンの希少植物愛好団体が表明した。
そのうちのひとつは保護林第5レジスターで3月13日に既に開花しはじめており、正確な場所はブンクル〜クパヒアン街道から3百メートルほど離れているため、街道に"Si Cantik Mekar! Rafflesia Arnoldii"と書かれた垂れ幕と緑の旗が立てられている。ピンク色の花は直径68センチに達している。街道を通りかかる車の多くは垂れ幕につられて車を止め、森林の奥に徒歩で分け入って世界に希少な花の開花を堪能しているとのこと。昼間から雨が多く、現場への踏み分け道はぬかるみ、且つ滑りやすい状態になっているにも関わらず、それを苦にして途中で引き返すひとはほとんどいないそうだ。
その花から30メートルほど離れた場所にもうふたつラフレシアのつぼみがあり、ひとつは既に直径40センチほどまで成長している。もうひとつは15センチほどの大きさでまだ黒い包皮に包まれている。成長しているほうの花が開花するのはもう二週間ほどかかる見込。
それらの花のある場所から半径1キロ以内にラフレシアが生えている場所が11地点見つかっているが、花になると見込まれるものは今のところ4つだけらしい。


「保護動物を闇商人が毎月乗合いバスで輸送」(2011年4月6日)
東ジャワ州ルマジャン(Lumajang)からジャカルタに毎月1千匹の希少動物が闇取引で送られており、この違法行為を取り締まっていかなければジャワ島の自然生態系に悪影響がもたらされる、と自然保護民間団体プロファウナ理事がマランで警告した。
希少動物のメインはサイ鳥(rangkong)・ジャワ鷲(elang Jawa)・シルバールトン(lutung)・くじゃく(merak)・センザンコウ(trenggiling) などで、更に鳴き声を鑑賞するための鳥などを加えれば1千匹ではおさまらない。ルマジャンが希少動物の集散地になっている実態は最近になっておぼろげながら判明したことで、プロファウナが東ジャワ州天然資源保存館と協力して逮捕した保護動物闇商人からの情報がベースになっている。この商人はジャワ鷲をバリに持ち込み、そこから日本向けに輸出しようとして行動しているときに逮捕された。その闇商人の自供に検証を加えたところ、ジャワ鷲商人はルマジャン出身者で占められていることが明らかになった。加えてルマジャンからジャカルタに、二週間おきに一般長距離バスを利用して保護動物を送付する闇取引システムが行なわれていることが突き止められた。そこまで判明してきたものの、その闇の組織を倒して犯罪活動をストップさせることがまだできないのはその組織活動の指揮者がまだ突き止められていないからで、プロファウナは少しでも犯罪活動の弱体化をはかろうと一般長距離バスオペレータに対し、運転手に野生動物をジャカルタへ搬送する注文を受けさせないよう説得する活動を行なっている。
ガウィ(Ngawi)の山中を抜ける街道を通ると、檻に入れられたルトゥンやスローロリス(kukang)が道路沿いに並べられて自由に販売されている。2009年に東ジャワ州警察はその手入れを行なって数十匹の野生保護動物を解放させたことがあるが、その街道をいま通ればふたたび野生動物が檻に入って売られており、住民たちへの懲罰はその場かぎりで終わっていることが明らかだ。「ルトンを食べると精力絶倫になるといった迷信がいまだに信じられていることも影響を与えており、そのような迷信をなくしていく必要がある。」とプロファウナ理事は強調している。


「コモドの赤ちゃん産まれたよ」(2011年4月13〜18日)
かつて運営者の内紛で飼育動物の連続死亡が発生したため運営者の交代に至ったスラバヤ動物園で、今度はコモドドラゴンの子供三匹が行方不明になるという事件が起こった。
スラバヤ動物園は昔からコモドドラゴンを飼育展示しており、ここで孵化され成長した個体も数多い。今では成獣45頭幼獣21頭という大所帯になっていたが、2011年3月1日に幼獣一頭、3月5日にふたたび幼獣二頭が飼育場から姿を消していたことが判明した。幼獣とはいえ、生後1年くらいのコモドの子供は体長0.9〜1.2メートルになっている。幼獣21頭は2010年3月に相次いで孵化したもので、昨年12月には母獣から引き離してオープン飼育スペースに移された。オープン飼育スペースは15メートルx20メートルの広さで、その周囲は1.5〜2メートルの壁で囲まれている。壁の表面は滑らかであるため、木に登れるコモドでもその壁を登るのは不可能。
動物園側は、(1)その三頭が自分で飼育場から逃げ出した、(2)コモドの成獣を含めて他の肉食獣の餌食になった、(3)人間に盗まれた、の三つの可能性を調査していたが、調査結果が(1)(2)の可能性をほとんど否定したことから盗難容疑が濃厚となったためスラバヤ市警本部に届け出た。スラバヤ市警は、それが盗難とすれば内部者の共犯がなければ難しいとしてその線を中心に捜査を進めている。
飼育動物を次々に死なせ、今度はコモド幼獣の盗難事件まで発生するのだから、スラバヤ動物園の綱紀粛正はなっていないではないか、ということではどうもないようだ。スラバヤ動物園暫定運営理事会理事長の話によれば、昔の動物園運営陣は飼育動物の飼育日誌や記録など一切何も作っていなかったそうで、そのような資料が存在していないことからそう推測できる。だからコモドドラゴンの幼獣が姿を消すようなことは決して稀でなかったはずだがその実態は靄に覆われている。今の暫定運営陣は園内に克明な記録を残す習慣をもたらしたため、今回起こったコモドの子供の行方不明事件はすぐに状況が明らかになった。「たとえ一頭であれ、園内飼育動物としてデータベースに登録されたなら、檻からいなくなればすぐにわかる。」理事長はそう語っている。
動物園側はこれ以上被害を増やさないために残った18頭を検疫隔離檻に移動させ、マイクロチップを埋め込む作業を行なった。またオープン飼育スペース内の立ち木も、壁に近いものは切るなどして姿を消す子供が増えるのをミニマイズしようと努めている。
コモドの幼獣が盗まれた場合、その闇マーケットはどうなっているのだろうか?希少動物保護団体プロファウナが2007年に中央ジャカルタ市プラムカ通りのパサルプラムカで行なった調査によれば、コモドの子供は一頭2千万から3千万ルピアの価格で取引されていた。だから今では一頭3千万ルピアは確実と見られ、三頭を盗んだ一味はそれを売り捌けばほぼ1億ルピアが手に入ることになる。
盗んだ一味は希少動物を取り扱うシンジケートである公算が高く、闇ルートを詳細につかんでいることから盗んだあと闇マーケットにその三頭を放出するまでにそれほど時間をかけていないのではないかと見られている。つまり三頭は既に保護動物の闇販売ルートに乗っている可能性が小さくないということだ。
スラバヤ動物園暫定運営理事会の理事長は、「犯人がだれでどこにいるかという当たりがほぼ着いていたのだが、マスメディアの報道が賑やかになってしまったために犯人の警戒を招いてしまい、コモドの幼獣は人知れないところに隠され、犯人もしっぽをつかまれないようすべてを隠蔽した。捜査はまた闇の中に取り残された。」と語っている。
希少動物保護団体プロファウナ理事長ロセッ・ヌルサヒッはスラバヤ動物園で起こった今回の事件に関連して、インドネシアには爬虫類愛好家のコミュニティがたくさんあり、希少動物の大きい市場を形成している、とコメントした。「インターネット上で、あるいは実際の会合で、爬虫類愛好家コミュニティは珍しいコレクションを互いに売買しあっている。コモドの幼獣もそのマーケットに送り込まれるにちがいない。一般市民が行なっているそのような行動が問題なのだ。かれら愛好家は珍しい動物のコレクションを持ち、それを同好仲間に誇ろうとする。その動物が高価であればあるほど誇りは高まり、そして転売時の利益も大きくなる。
このようなコミュニティが政府の動物保護方針を腰砕けにしている。かれらが持っている保護動物が自分で養殖したものか、自然の中から捕獲してきたものか、それとも闇マーケットで購入したものかがはっきりしないから、愛好家コミュニティの実態を政府は洗い出さなければならない。今のインドネシアにその分野を取り締まる機関が設けられていないのだから。」
プロファウナは2011年第1四半期が終わっていない3月下旬までに、インターネット上でイリーガルと見られる爬虫類の売りオファーを50件記録している。国内の愛好家コミュニティだけでなく、国外のコレクターにとってもコモドの幼獣は垂涎ものだ。インドネシア原産の希少動物に対する需要は大きいものがあり、コモドの子供をパーソナルズーのコレクションに加えたい者は少なくないだろう、とプロファウナ理事長は述べている。
そんなスラバヤ動物園のコモド飼育班から、また卵が孵化したことを知らせる明るいニュースが届いた。今回孵化した卵は12個。それが元気に成長してくれれば、スラバヤ動物園のコモドドラゴンは成獣45頭幼獣30頭になる。母獣が産んだ卵は16個あったのだが、そのうちの2個はどうやら孵化の過程で死に、もう2個も孵卵器の中でいつまでたっても孵化する気配がない。よちよち歩きの12頭は孵卵器から出されて専用の飼育檻に移された。その孵卵器は2003年からスラバヤ動物園で使われはじめたもので、およそ8〜9ヶ月でたいていの卵は孵化している。


「タイマイの赤ちゃんが遭難」(2011年6月22日)
スマトラ島南端のランプン州バンダルランプン市パンジャン海岸に数百匹のタイマイの赤ちゃんが大量のごみにまみれて漂着した。たまたま今は西風の季節から南風に移り変わる移行期で海流の方向も乱れており、ランプン湾から50〜70キロほど離れたルグンディ島やその近辺の白砂の浜を持つ小島から海に出てきた赤ちゃんタイマイがこの悲運に遭遇したものとバンダルランプン市の自然保護NGOは推測している。
多数の赤ちゃんタイマイは波に押されて北上し、ランプン海岸に近い海中で多量の家庭ゴミや工場廃棄ゴミにもみくちゃにされてから死骸となって海岸に打ち上げられた模様。もちろん生きているのもたくさんおり、NGOはそのニュースにさっそく保護のために海岸を訪れたものの、浜には生きている赤ちゃんタイマイはもう見つからなかった。
赤ちゃんタイマイが打ち上げられた浜は漁村からほど近く、NGOメンバーはその村の住民が生きている亀をたくさん捕まえたという話を聞いて村を訪れたが、漁民が捕まえた赤ちゃんタイマイは既に一匹5千ルピアで売られたあとだった。それでもメンバーはまだ残っている亀を一匹5千ルピアで買い取ったが、入手できたのはわずか25匹に過ぎなかった。「漁民たちはタイマイが保護動物であることを知らず、生きて打ち上げられた赤ちゃんタイマイのほとんどを拾って売り払った。保護できたのはたった25匹だ。」NGOメンバーはそう語っている。
ランプン湾北海岸部はもう何年も前から工場廃棄物と家庭ゴミによる汚染問題が深刻化しており、季節風の交代する時期になると養殖魚などに被害が出ていた。


「他人の不幸はわが悦び」(2011年9月9日)
2011年6月11日付けコンパス紙への投書"Melepas Hewan di Jalan Tol"から
拝啓、編集部殿。最近都内や郊外の自動車専用道に入ってくる犬や猫が増加しているように感じます。そして動物たちは高速走行中の自動車にはねられて死んでいます。西ジャカルタ市グロゴル地区から北ジャカルタ市アンチョル方面行き自動車道で、犬が車にはね飛ばされるのを目の前で見ました。その道路は長距離にわたって高架になっており、犬が自主的にそこへ入って来れるような進入路はありません。自動車道の中まで犬を連れて入り、そこで犬を放している人間がいるとしか思えないのです。
自動車道運営者ならびに監視者はこの問題にもっと関心を払い、そのような無責任な行為を行う者を厳罰に処してください。その種の行為は自動車道を通行する他の運転者や同乗者に大きな危険と致命的な結末をもたらすものです。高速で通行中の車の前にパニックになった動物が突然現れたら、人間のほうもパニックになるのは確実ですから。
そんな場所に動物を放す人間は野蛮人です。動物を他人の手で殺させ、おまけにその他人にも事故の大きなリスクを与えるのです。動物をもう飼いたくないというひとには、その動物を連れて行くべきもっと安全な場所があります。インターネットで動物愛好者を探したり、南ジャカルタ市ラグナンの動物保護院に委ねることもできるのです。[ 南ジャカルタ市在住、ダニエル・ハリム ]


「エライクタイ」(2012年2月18日)
東カリマンタン特産の果実がある。その名はエライ(elai)で学名をDurio kutejensisと言う。それを見てもわかるようにDurio zibenthinus つまりドリアンの仲間だ。この産地は東カリマンタン州でもクタイカルタヌガラ(Kutai Kartanegara)地方一帯がメインになっており、その地方へ行かなければなかなかお目にかかれない。
ご多聞にもれず品種改良は農業国インドネシアのお得意で、優良種としてエライバトゥア(elai Batuah)とエライクタイ(elai Kutai)が評判を得ている。
外見はドリアンのような固いとげとげに覆われているが、ドリアンよりは小ぶりだ。ドリアンとの違いは殻を開いてみるとよくわかる。ドリアンのような黄色みがかった白色でなく、果肉は鮮やかなオレンジ色をしており、舌触りもドリアンのようなクリーミーさはなく、むしろ乾燥した粗い舌触りを感じる。ドリアンの口当たりをエライに期待するなら、エライマハカム(elai Mahakam)を探せばよい。地元民はそれをエライドリアンと呼んでおり、その名の通りドリアンっぽい口当たりが得られる。
エライの収穫期になると、ドリアンと同じように道路脇に積み重ねて商売人が出現する。サマリンダ〜バリッパパン街道に出没するエライ/ドリアン売りは、一日100〜200万ルピアを売り上げるそうだ。エライはドリアンのほぼ半値で売られており、街道を走るドライバーたちの小腹を満たすのに最適。試みに買ってみようと停まって品定めをし、ドリアン3個にエライ2個を買う。サービスにちょっと食べていきしゃんせ、と売り手のおばさんが言うのに誘われて、売り物のドリアンとエライの味見を楽しむ。お代はしめて10万ルピア。なるほど、そりゃあすぐに売上100万ルピアを超えるわけだ。


「メガララガルーダ発見を独占するな!」(2012年5月8日)
カリフォルニア大学デービス校の昆虫学研究者がズーキーズに発表した新発見の巨大蜂メガララガルーダはインドネシア科学院研究者と共同で行った成果であり、その発表の中にインドネシア科学院研究者の名前がひとりも出てこず、あたかもアメリカ人研究者リン・キムゼーの業績であるかのようになっているのはきわめて不愉快なことであり、当方はそれを赦すことができない、とインドネシア科学院長官が表明した。その行為は既に合意のなされている協定への違反であり、インドネシア科学院と所属研究者そしてインドネシア民族の存在と権利を無視したものであると長官は抗議している。6千件の昆虫標本をアメリカに持ち帰ることを許可してまで協力したインドネシア科学院の失望と怒りは大きいようだ。
そして長官は、リン・キムゼーを協力チームから外すこと、本人の謝罪が公表されること、巨大蜂メガララガルーダ発見時の調査研究パートナーだったインドネシア人ロシホン・ウバイディラの名前を一言も述べないで発表した論文の内容修正をズーキーズに要請することの三点を行うようアメリカ側に求めている。
メガララガルーダは2009年に東南スラウェシ州メコンガでカリフォルニア大学デービス校ならびにいくつかの研究機関とインドネシア科学院が共同で行ったフィールド調査の中で発見されたもの。


「予知能力を失った現代人」(2012年6月2日)
地震発生や火山噴火の兆候を動物は事前に察知して現場から逃げ出す行動を取ることは広く知られている。人間も昔はそのような能力を持っていたが、今ではほとんど使われなくなってしまったために退化しているそうだ。インドネシアの各地で頻発している火山の噴火活動に関連しても、大きい噴火の前に山から鳥や獣が大量に下りてきたという話は枚挙にいとまがない。
2004年12月26日午前8時前、マグニチュード9.2の大地震によってアチェ州シムルエ島が津波に襲われる直前に、ふだんはのんびりと海に注ぎ込む川口で水浴びしている水牛たちが狂ったように高台めがけて道路や空地を走るのを目にした地元民たちは最初、その異変にあんぐりと口を開いて呆然と眺めていた。ところが浜辺の海水が沖合い目指してどんどん引いていくのを目にしてスモンの昔語りを思い出した者たちが一斉に「山へ逃げろ」と叫びだし、ひとびとは水牛たちと一緒になって高台へ、丘へと力の限り走った。一千頭を超える水牛と数千人ものひとびとが渾然一体となって海を背に山へ向かって走ったのを記録したビデオはないが、さぞかし壮観だったことだろう。おかげでそのときの津波による死者は全島人口7万8千人中でわずか7人だったそうだ。
バンダアチェの西海岸に住むムフタル57歳は、その日の朝たくさんの海鳥が海から離れるようにして空を飛んでいるのを目にして奇妙に感じた。『何かがおかしい』そう感じたムフタルは海に何があるのだろうかと思って確かめるために海岸に向かった。家から出て1キロほどの距離を15分くらいの間に進んだが、はるか前方の海岸のほうから轟々たる地響きをたてて山のように盛り上がった海水がこちら目がけて進んでくるのを目にしたムフタルはいきなり強烈なショックに打たれ、すぐさまきびすを返して今来た道を全速で引き返した。
やはりその日の津波に襲われたスリランカ東部の海岸線でも、パタナガラ海岸に棲息している多数の象が雄叫びを上げながら高台目がけて走ったことが報告されている。インドのポイントカリメル海岸でも、フラミンゴが一斉に巣を捨てて内陸部へと飛び去った。カダロール海岸一体に津波に襲われて死んだり瀕死状態になっている水牛・ヤギ・犬などの動物はひとつも目にしなかったと地元の通信社は伝えている。
スリランカ南部の町ではそのとき、家人が犬を散歩に連れ出そうとしたが、犬たちは申し合わせたかのように外へ出るのを嫌がるそぶりを示した。動物園でも飼育されている動物たちはみんな檻から外へ出るのを嫌がり、どう誘導しても従わないため、飼育係はさじを投げたそうだ。
パタナガラ海岸をカバーしているヤラ国立公園でも野生動物が一斉に高台の方へ移動した。そしておよそ一時間後にパタナガラ海岸は津波に襲われ、60人ほどの人間が命を落としたのである。


「アチェのタコ漁」(2012年6月4〜6日)
アチェでも魚市場にタコが出る。しかし、地元民に人気のある食材でもないため、数も少なく、そして値段も廉い。2004年12月26日にアチェ西岸を襲った津波がアチェ人のそんなタコ観を覆すきっかけをもたらすことになろうとは、だれひとり想像もしなかったにちがいない。
津波で大きな被害を出したシムルエ島。今この島の漁師たちは昔ながらのエビの捕獲に加えてタコの捕獲にも励んでいる。かれらはタコをアンリ(anglit)と呼ぶ。
アンスイル45歳はその日、やっとアンリを2匹捕まえた。しかしどちらも小型で重量は1キロに満たない。「今日はダメだ。こんなにちいせえんじゃあ1万ルピアにもならねえ。今は値が上がってるというのによ。」
仲買人は今、キロ当たり2万6千ルピアで買い取ってくれる。津波がもたらした好運のひとつがこれだ。津波に襲われる前、このシムルエ島に目を向ける外国人など皆無だったと言っても言いすぎではないだろう。津波に見舞われて世界各国から支援の手が差し伸べられたとき、シムルエ島の名は世界に広まった。その援助で東シムルエに水産物コールドストレッジが作られ、島で取れる海産物の流通が拡大し、輸出までなされるようになった。かつて地元の魚市場でキロ当たり2千ルピアでしか売れなかったアンリは、今キロあたり2万6千ルピアに上昇し、台湾や韓国に輸出されている。
海に潜ってタコを獲る漁師たちは、生命の危機と隣り合わせだ。強い波にさらわれるリスク、タコにまとわりつかれて泳げなくなるリスク。サムスイルは水中銃で仕損じたタコが逆襲してきたとき、あわや一命を落としそうになった、と物語る。触手にからみつかれたサムスイルは大声で仲間を呼んだ。気付いた仲間がやってきてタコの触手をはずしてくれた。仲間が付近にいなかったら、今自分はここにいない、とかれは言う。そしてまた、サメの群れに襲われるリスクもある。
マフミサル30歳がいつものように岩の隙間にタコを探していたとき、突然サメが一匹現われて頭の上で遊弋した。「オレは運よくジュルッニピス(jeruk nipis =シキキツ)を持っていたから、手で揉んで汁を出した。するとサメはすぐに逃げ出したよ。」
シムルエ島の漁師たちは、先祖代々言い伝えられてきたジュルッニピスを持って海に入る。すると大型の魚は近寄って来なくなる。どうして、ということは説明できないまでも、かれらは先祖の知恵が間違っていないことを確信しているのだ。
シムルエ島西岸はインド洋の東端だ。突然海流が変化することもある。そしてインド洋の荒い波も潜水漁師たちの生命を狙っている。最近ふたつの生命が、荒波によって失われた。かれらの身体が激流にもてあそばれ、岩に打ちつけられて死んだのである。タコを獲る漁師たちはたいてい津波の犠牲者だ。津波がかれらの生業を変えた。素朴な手作りのシュノーケルパイプと、鉄の矢を撃つために自転車のタイヤチューブで作られた投石器の原理を応用している水中銃がかれらのツールだ。
それらの生命にかかわるリスクを恐れることもなく、かれらは海底に向かう。かれらが恐れているのは、アンリの買取価格が暴落することだ。2004年12月の津波はかれらの日常生活を大きく変えた。今タコ漁で成り立っている生計は、もしアンリの価格が暴落すれば、かれらはその暮らしを支えるためにふたたび今の日常生活を構築しなおさなければならないのだ。
地震のあと、海水が突然引いたら、すぐに村の後ろにある丘に逃げろ、という古来からの教えに従って、シムルエ島のひとびとは津波を避けることができた。かれらがスモンと呼んでいるその現象での死者は、7万8千人という住民人口中のわずか7人だった。しかし、死を免れたからよいということも言えない。家屋も家財も根こそぎ波に奪われたのだから。素もぐりのタコ漁には、たいした資本はいらない。船と燃料を持たなければならない漁師よりは、元手いらずなのだ。「アンリ獲りは度胸だけが元手だ。」サムスイルもマフミサルも、その資本には事欠かない。


「絶滅の道を歩むセンザンコウ」(2012年6月29日)
保護動物であるセンザンコウを解体してその肉やウロコを不法輸出する犯行はいまだに絶える気配がない。森林省は2011年から2012年にかけて国内で没収した肉12,677kgとウロコ95.9kgを2012年6月15日にジャカルタで焼却廃棄処分した。それらの不法物品は総額120億ルピアと見積もられている。昨年から今年にかけて森林省に届けられた不法肉とウロコは三回あり、2011年5月にジャカルタのタンジュンプリウッ港税関が発見した不法輸出肉7,453キロとウロコ64.6キロ、2011年7月にスカルノハッタ空港税関が発見したシンガポール向け不法輸出肉500キロ、さらにバンテン州チレゴン二級検疫館が摘発した不法肉4,124キロとウロコ31.3キロがそれで、チレゴンでは渡海フェリー駐車場に放置された冷凍車の中から見つかっている。
センザンコウの輸出者は通常、魚の輸出に偽装して虚偽申告しているため、観賞魚など魚の輸出という申告に対しては厳重な検査を行う必要があると森林大臣は述べている。センザンコウの肉は高たんぱく質を含有しているため諸外国での需要が高騰しており、密猟者から密輸出者までが高収入の恩恵を享受している。肉の国際相場はキロ当たり300米ドルを超え、4〜5年前の210米ドルから大きく値上がりした。ウロコに至っては国際市場でキロ当たり6米ドルの価格で取引されており、こちらはなんと6倍のアップだ。シャブに混ぜて使用すると特別な効果があるという話が麻薬愛好者の間に広がっているため闇需要はさらに高まり、供給量が追いつかないため闇価格はうなぎ登りになっている。
このままではそのうちインドネシア国内でセンザンコウは絶滅しかねないありさまだが、既に解体されたものを発見することに注力している現在の対策では、絶滅を食い止めるには無理があるにちがいない。


「TOKEKとCECAK」(2012年7月3〜17日)
標題を見て頭の片隅に「辞書を調べなきゃ・・・・」という思いが湧いてきた方をインドネシア語はまだ初心者だと決め付ける気はさらさらないが、反対にそれを即座に「トッケとチチャ」と看破された読者のインドネシア語能力には脱帽します。
「チチャはcicak と綴るのではないのか?」と不審を覚えた方もいらっしゃるだろうが、cecak のほうが由緒正しいそうで、元々はチュチャッと呼んでいたようだ。だが最近はたしかにcicak という綴りを目にすることのほうが多い。
このふたつ、いずれも動物の名前なのだが、その鳴き声に由来して名前がつけられたのは明白だ。チチャはあのチチチと舌打ちするような音を出し、トッケはトッケ・トッケ・トッケと奇怪な響きで鳴く。どちらも体に不釣合いなほど大きな音を出す。
1970年代前半、わたしがはじめてジャカルタにやってきてクバヨランバルにある会社のメスに住むようになったとき、わたしの部屋の外で毎朝トッケ・トッケと大きな声がして、その声に夢破られていた。メスの使用人に「あれは何?」と尋ねると、「あれはトッケだよ、トアン。」との返事。最初から鳥だと思い込んでいたわたしは、トッケという名の鳥がいるものと早呑み込みしてしまった。あるとき同じメスの先輩と話している中で実態が明らかになり、大笑いの中で恥をかきながら勉強させてもらった記憶がある。
このトッケの鳴き声はインドネシア人がトッケだと言うからわたしたちの耳にもそう響くのだが、「いやあれはゲッコと鳴いているのだ。」と言われたら、そう聞こえるひともいるに違いない。イギリス人はこのトッケをゲッコと呼ぶが、英語辞典を調べてみると、その名はマレー語源でその動物の鳴き声から来たものだと説明されている。
イギリス人にこの動物の名前を教えたマレー人の耳にはあの鳴き声がゲッコと聞こえていたということなのだろう。どちらが正解というようなものでもあるまいが、英語に取り込まれたのがゲッコだったためだろうか、われらがトッケ君の学名はGekko gecko とされてしまったが、日本の動物学会はいったいどうしたことかトッケイやもりという名称をかれに与えている。いまでもわたしの書斎の天井裏あたりで耳をつんざくようなトッケ・トッケの鳴き声を聞かせてくれるのだが、既に現地化してしまったわたしの耳には、どう逆立ちしてもゲッコという音には聞こえない。
ともあれ、日本語名称の通りトッケはやもりの仲間であってとかげではない。日本の常識からすればとてもやもりとは思えないあの巨体が示すとおり、トッケはやもりの中の最大種のひとつであり、アジアの南部や東南部一帯に分布している。人家などに住み、昆虫や他のやもりからはては小型の鳥まで捕食する。気は荒く、攻撃的で、あごの力がたいへん強く、うかつに手を出すと手の肉や指を食いちぎられるおそれがあるため、よくよく警戒しなければならない。
このトッケが7回鳴いたら、その直後に願い事を唱えると叶うという民間伝承がある。7回というのはちょうどその数でなければならず、少なくても多くても駄目なのだそうだ。つまり7回目が終わったのですぐに願いを唱えても、8回目が鳴れば願いはパーになるということらしい。
今やタルマナガラ大学第三キャンパスとなっているラグナンのジャランチランダッKKOの角地にジャカルタ日本人学校があったころ、小学部のある教室で授業中に窓の外からトッケ・トッケと鳴き声が聞こえてきたとき、授業を放り出してみんなで声をそろえてその回数を数え始めたという話を耳にはさんだことがある。そのときは残念ながら7回に満たなかったらしいが、ほほえましい情景にはちがいない。日本にいてはまず手に入れようもない体験だろうとわたしは思うが、そのときの子供たちも今や立派な青年男女になって活躍していることだろう。
トッケは卵からかえって日々成長し、体躯もだんだん大きくなっていく。幼い時期から威勢よくトッケ・トッケと十数回も大きな鳴き声を響かせることができるわけではない。何度も何度も訓練を積み重ね、大きな体躯を持つようになってはじめて失敗もなしにあの鳴き声を近隣一円にとどろかせるようになる。訓練中のトッケはときどき不発音を出し、トッケ・トッケ・ケーと最後を不発で終わらせる者もあれば、そのあと再びトッケ・トッケと再開する者もある。注意して鳴き声を聞いていると、やはり個体別にくせがあるようで、鳴き声パターンから「ああ、あいつだな。」と想定できるようになり、不発がなくなるようになったら「おお、上手になったじゃないか。」と頭を撫でてやりたいような気になってくる。
トッケが鳴く前はギギギギギギと息を体内に蓄える吸気音が聞こえる。これも十分成長したトッケほど吸気時間が長く、おかげで鳴き声は十数回も持続する。
やはりトッケの鳴く回数に関連したトッケのご託宣というのもある。何かを決めるとき、考えあぐねてそのときたまたま鳴き出したトッケの声にあわせ、「する」「しない」「する」「しない」と繰り返し、最後の鳴き声のときにどちらだったかというのを結論にする方法で、トッケに決めてもらうためにkeputusan tokek と呼ばれている。日本で言えば、花びらや葉っぱを一枚ずつむしって「ジローはあたしを愛してる。愛してない。愛してる。・・・・」とやるあの花占いのたぐいだと思えばよいだろう。
リナちゃんがふたりのボーイフレンドにデートに誘われ、ルディにしようかトミーにしようかと決めかねていると突然トッケが鳴き出したので、「あっ、トッケに決めてもらおうっと」と鳴き声にあわせて「ルディ。トミー。ルディ。トミー。・・・・」。トッケが鳴きやんだときトミーだったから、「じゃルディは断ろう。」というのがこのやり方。
娘っこがデートの相手を決めるのにトッケに頼んでも大のおとなが騒ぎ出すことはないが、族長が宗教祭事について決めたり、企業の重役連が事業提携先を決めたりするときにいい加減な結論を出すと、「こりゃあkeputusan tokek じゃないか?」と馬鹿にした反論が返ってきて紛糾したりするのである。
一方、やもりそのものと言えるチチャも人家に住み、主に昆虫を捕食している。ときどきあれを「いもり」と呼ぶ方がいらっしゃるが、いもりは両生類やもりは爬虫類で、生態はまるで異なっている。特にやもりの指は吸盤状で平たく、細かい毛のはえた多くのひだがついており、そのおかげで垂直な壁を昇降し、天上をさかさで這い回ることができるのである。
チチャは学名をHemidactylus frenatus と言うが、これは日本で言うホオグロヤモリにあたり、琉球列島・小笠原諸島から東南アジア・インド・マダガスカル・アフリカ東部・オーストラリア北部・メキシコ・オセアニアなどに幅広く分布している。チッチッとかなり大きな声で鳴くので、なきやもりとも呼ばれている。
このチチャ君、インドネシアのどこへ行こうと必ずお目にかかれるほどポピュラーな動物だ。日本に永く住んだインドネシア人から聞かされた話がある。
東京での駐在を終えてジャカルタへ戻った最初の夜、引越し荷物を片付けていると子供に割り当てた部屋から「パパ、パパ」と悲鳴に近い叫び声が聞こえてきた。かれがあわてて子供部屋に駆けつけると、日本生まれでまだ小学校前の一番末のお嬢さんが壁を見つめながらあとずさっている。「どうしたの?」とパパが尋ねると「家の中にワニがいる」という返事。お嬢さんの視線を追うと、壁の上を走り回るチチャの姿。事態がはっきりしたところで大笑いとなったそうだ。
「こんなに小さくてか弱いチチャをワニだとは、なんということを・・・」と抗議されそうだが、可憐で愛くるしい姿に点のような目を持つこのチチャ君にハートをギュッとつかまれた方も多いように聞いている。
「どうも爬虫類は生理的になじめなくて・・・・」とおっしゃる方でも、「チチャは蚊をはじめとして人間に害を与える虫を捕らえて食べてくれる益獣なんだよ。」と懐柔されて、なにやら愛情に包まれた視線をかれらに送るようになるようだ。
しかし忍者もどきに垂直な壁を運動場代わりにし、天井を逆さではい回るのはよいとして、天井から大や小の便を降らしてくれるのには閉口する。家の中にいて突然頭のてっぺんに何やら冷たいものを感じたら大当たりというものだ。人間は顔を上に向けるとき、たいていあごをそのまま残すため口が開いてしまうものだが、家の中で天井を見上げるときはよくよく注意したほうがよさそうだ。
だがチチャが降らすのはそればかりではない。かれらはわれとわが身を降らしてくれるので始末に悪い。わが家の天井は高いのだが、その十数メートルはあろうという天井から垂直ダイビングを行ってくれるのである。ダイニングホールでときどきぺターンと大きな音がするのを最初はいぶかしんだものだが、それがダイビングの際の床に着地した音だと知って、よく身体がつぶれないものと感心してしまった。
1950年代の前半にインドネシアを訪れてジャカルタのコタ周辺部のホテルに泊まったときの思い出をハロルド・フォースター教授は次のように記している。
インドネシアのたいていのホテルと同様客室にはオープンテラスがついており、そこでは餌をたっぷり摂り、消化プロセスまであからさまに見せてくれるやもりが壁や電球の上をはうのをいつまでも眺めていることができたが、ついには蚊の大群と降ってくるやもりのためにわたしたちは室内へ追い戻されてしまった。
ちなみにcecak terbangというのもいるが、こいつは降って来るチチャとはだいぶちがう。ふだんから木の上に住んでおり、幹をはい登っては体側にある膜を羽根のように広げて木の葉のように滑空して降りて来る。わが家の裏庭にあるジャンブの木にも住んでおり、頭をひょこひょこさせながら木を登っては落下してくるその姿はかわいいものだ。こいつはチチャと名付けられているものの、どうやらやもりでなくトカゲの仲間らしい。
ところでトッケは皮膚病に効くと言われており、トッケを獲って食う人間がいることをその言葉は明らかに示している。いや、そればかりではない。飢えに襲われた人間は鬼になるそうで、だれかの食欲を満たすためにも食われているにちがいない。だがトッケの住み着く家は善き家であり、幸運が舞い込むとも言われている。ジャガやプンバントゥたちがトッケを捕食しているのを放置しておくと不幸の館になるおそれがあるので、そんな行動を目にしたら少々脅かしておいたほうがよいかもしれない。
トカゲもやはり皮膚病に効くとされている。でんぷ状にされた肉が皮膚病や夜尿症に良いなどという効能書きを添えられてスーパーで売られており、牛肉や魚のでんぷと同じようにご飯にまぶして食べる。わたしは別に何の病に苦しんでいたわけでもないが、ただの好奇心に駆られて食べてみたものの、決して美味と呼べるものでなかったのは残念だった。
一方チチャの黒焼きはホレ薬だそうで、粉にしたものをお目当てのかれやかの女に気付かれないように食べさせると夢中になってくれるという話だが、真偽のほどはわからない。「どうも最近口の中が気色悪いが、ひょっとしてわたしに夢中になってもらいたい女がいるのかもしれない」などと言っているあなた、別の薬を飲んだほうがよさそうですぞ。
さて、意外に日本人に人気のあるチチャを見るインドネシア人の視線はことのほか冷たい。夜になると天井や壁の灯りに集まってくる蚊・蛾・羽虫などを餌にするチチャは虫嫌いのひとにとって頼りがいのある味方にちがいないが、果たしてかれらは本当にひとの役に立つ益獣なのだろうか?
食事の用意の真最中に、何匹ものチチャがテーブルに置かれた料理の皿目がけてテーブルの脚を這い上がり、隙あらばご主人様などさしおいてその味を賞味しようと寄り集まってくる図々しい姿は、餌にされた羊目がけて集まってくるコモドドラゴンを思い出させて慄然とするものがある。
食卓や台所で片付け忘れた皿の上の料理や食べ物の残りを、ひとの目を盗んでつまみ食いにくるチチャの姿はあまりなじみのないものかもしれないが、ひとの姿が見えなくなると戸棚のかげや冷蔵庫のうらからちょろちょろと這い出してくる丸々と太ったチチャたちは、虫なんかを食べるよりも人間さまの食物の寄生しているように思えてしかたない。
コップや皿の並べられた食卓の上を走り回るチチャの四本の足の裏はどれほど衛生的なのだろうか。ふだんめったに開けたことのない整理棚の戸袋を開くと、大きな豆くらいのチチャの卵にお目にかかることがある。ふだん見も触りもしないようなところを覗くと思いもよらずそんな卵を発見するのはよくあることだ。埃のたっぷり積もったそんな場所の汚さ・不衛生さがあのチチャ君たちの足の裏(いやきっと腹の下もそうにちがいないと思うが)とイコールなのだとわたしは思いを新たにするのである。
そんなチチャ君たちが台所中を這い回っていても、ごきぶりには決して許さないそのような行動をついついわたしたちは許してしまっているようだ。
インドネシアの台所で発生する怪奇現象の中に、輪ゴムの怪というものがある。パサルで買物し、その包装をしばるために使われた輪ゴムがいつの間にか台所にたまる。再利用するために食器棚に長釘を打ちつけてそこに輪ゴムをつりさげてあったのに、いつの間にかそれがなくなっている、というのがこの怪異現象だ。台所に出入りする他の家族に尋ねても、みんな知らないと言う。そして別の折に掃除したら、炊飯器の後ろやら調度品の隙間などから輪ゴムが何本も見つかって呆気にとられるのである。置いてあった場所と発見された場所の間に、風のような自然現象によって起こりうる可能性が全然感じられないのがこの現象の怪異なところだ。
そしてある日、ついにこの怪異現象の謎が解かれたのである。なんとチチャが輪ゴムの丸い輪の一部を口にくわえて運んでいたのである。チチャがいったい何でそんな遊びに熱中するのか、その動機を解説してくれるひとにいまだに巡り会わない。
チチャの奇妙な生態はもうひとつある。わたしは生来ズボラ菌に冒されている人間なので、濃い目のコーヒーを大量に作り、それをお湯割りして数日かけて飲む。そのコーヒーポットにチチャが入水自殺するのである。いや、それは言葉のあやで、自分が中に侵入して溺死できる程度の量にコーヒーポットの中身がなったときを見計らって自殺志願のチチャがわざわざポットとふたの間を潜り抜けて飛び込み自殺するなどと本気で思っているわけではない。
ポットのコーヒーが半分くらい減ってきたある日、ポットのコーヒーをマグに注いだらポット内のコーヒーの色になんとなく不自然な陰影ができるのを感じたわたしは、ポットを傾けて中を調べてみた。するとその中にチチャの屍骸が出てきたではないか。では、最後に飲んだコーヒーはチチャミックスコーヒーだったのだろうか?その可能性はあるが、チチャの入水自殺はそのときまだ行われていなかった可能性もある。事実の突き止めようがないことをくよくよ思い煩ってもしかたないので、諦めざるをえない。まあ、そのあとわたしの健康が急変したわけでもないから、ここは楽天一途で行こうではないか。
ともあれ、コーヒーポットの中にチチャの屍骸を見出したことはもう三回も体験しているから、チチャのこのような事故死は決して偶然のできごととは思えない。ということは、チチャはコーヒーに惹かれる性向を持っているということかもしれず、さらにコーヒーをなめたチチャがその神経に異変をきたし、コーヒーの中に転落死してその生涯を閉じるということかもしれない。この謎もいつの日か解明されることをわたしは願っている。
天井にさかさにへばりついて、下にいるだれかれかまわず大小の便を降らしてくれる愛すべきチチャ君。ベッドで仰向けになって口を開け、安らかな眠りをむさぼっている読者の皆さん。その口のど真ん中に降ってきたなにものかを、高級レストランでの夢とともに腹の中へ収めてしまった経験などわたしには決してないと、はたしてあなたは絶対の確信を持って言い切ることができるだろうか?


「サルも食うマナド人」(2012年8月6日)
スラウェシ島原生種のクロザル(Macaca nigra)は過去30年間で個体数が大きく減少しており、絶滅が危惧されている。それは地元民がクロザルを狩の対象にしており、クロザルを狩るのは食用が目的になっている、とクロザルの保護を目指すマカカニグラプロジェクトのマネージャーが報告した。ミナハサとトモホンの市場ではクロザルが売買されており、地元民のクロザル狩りは統制のしようがないほど広範に行われているとのこと。
サムラトゥラギ(Sam Ratulangi)大学教官はクロザルの個体数が激減している理由について、住民の狩猟とともにボラアンモゴンドウ(Bolaan Mongondow)・ミナハサ(Minahasa)・ビトゥン(Bitung)の森林が縮小しているために起こっていることだ、と説明している。「クロザル狩りは法の規制など何もないかのように自由に行われている。かつて警察が狩猟者を逮捕したことがあるが、結局釈放してしまった。クロザル狩りは世の中で普通の、当たり前のことになっているというのがその理由だった。」
1980年の調査では、ボラアンモゴンドウとミナハサの森林地区で平方キロ当たり3百匹のクロザルが観測されたが、その9年後には76匹に低下し、1998年には26匹になっている。ビトゥンのタンココ(Tangkoko)保護林ではかつて3千匹を数えたクロザルが今や1千9百匹に減少している。


「コモドドラゴンは無事か?」(2012年9月19日)
この長引く乾季に、各地で山火事・野火事が多発しており、そして林野の火災はコモドドラゴンをも襲った。
コモド国立公園の島々に接するフローレス本島側の西マンガライ県ワエウウル(Wae Wuul)自然保護区で2011年9月11日午前9時から17時まで火災が発生し、ワエランカス(Wae Rangkas)からグロバカン(Globakang)までのおよそ3百Haを焼いた。この地方はサバンナ性気候の丘陵地帯で、植生は天然乾燥林となっている。ワエウウル自然保護区は約1千5百Haの広さを持ち、1996年8月にコモド国立公園の補完地区として設けられた。ラブアンバジョ(Labuan Bajo)からおよそ50キロ離れている。
この保護区にもコモドドラゴンのハビタットがあり、保護区管理館のデータによれば、オス7頭メス5頭の合計12頭が棲息しているとのこと。幸いにしてコモドドラゴンの棲息拠点は火に蹂躙されることを免れたが、煙が流れ込んだためにドラゴンたちはストレスで落ち着きを失っていた由。
火災の中でティモール鹿2頭が逃げ場を失っているのが発見され、保護区職員たちはその救出に成功した。同じような状況に陥ったコモドドラゴンがあって火災の犠牲者になったかどうかを、職員たちは火災の跡を見回って調査している。


「クラゲ漁はいま最盛期」(2012年9月19日)
インド洋に面した中部ジャワ州クブメンやチラチャップの沿岸部漁民は、いまクラゲの大収穫期。乾季には海産物がよく獲れるが、魚だとかなり沖合いに出なければならない。ところが沖合いは風が強く波が高い。しかしクラゲは海岸線から1キロほど離れれば巨大な群れに出会う。おかげでこの時期漁民たちはクラゲ漁に転向して、ひとりあたりおよそ5クインタルの水揚げをする。水揚げがそれだけあれば、漁民の手には130万ルピアが転がり込んでくる。
漁民の水揚げしたクラゲは仲買人が買い取り、それを輸出業者に売る。チラチャップで商売している仲買人は、この時期の取扱い量は20トンにのぼる、と語る。輸出業者は仲買人が持ち込んだクラゲをそのまま、あるいは塩漬けにしたりして、日本・韓国・中国に輸出している。輸出先でクラゲは主に化粧品製造のための添加素材として使われのがマジョリティを占めているそうだ。


「スマトラトラが空輸中に死亡」(2012年10月15日)
ガルーダ航空が空輸した動物が輸送中に死亡するという事故が起こった。ガルーダ航空はアチェから東ジャワ州スラバヤまで生きたスマトラトラのオス7歳を運ぶため、2012年10月2日に貨物専用機でまずメダンまで空輸した。このトラはバトゥにあるジャティムパークに置かれるもので、空輸経路は万全を期してメダンとジャカルタを経由してスラバヤまで運び、ジュアンダ空港からマランのバトゥまで陸路を運送する計画になっていた。ところがそのトラがメダンに到着したとき、既に死亡していたのである。そのためトラの屍骸はアチェに送り返され、アチェで死因調査が開始されている。
ガルーダ航空が空輸した生きた動物が輸送中に死亡した事件は過去に二回起こっており、今回で三度目になる。2008年に成田空港に向けて送り出されたオランウータンが死亡した事件、そして2010年9月にジョクジャからパダンに送られたスマトラトラの死亡事件がこれまでに起こっているものだ。
アチェで既に行われた検死解剖では、トラの頭部に心的外傷症状が見られ、口からは吐血した痕があり、右前足は骨が外れていた。森林省は今回の事件を重視し、調査が終わり次第ガルーダ航空に対する刑事訴訟を起こす考えでいる。


「コモドがひとを噛む」(2012年10月17日)
2012年10月11日、東ヌサトゥンガラ州西マンガライ県リンチャ島でコモドドラゴンが住民を襲った。被害者はパシルパンジャン村住民ティマ・ビンティ・ハムソ72歳で、この老女が村からおよそ50メートル離れた農園に家畜飼料を採りに出たときに一頭のコモドドラゴンがかの女のふくらはぎに噛み付いた。老女の悲鳴を聞きつけた村民がかの女を救出し、ラブアンバジョの保健所に連絡するとともに地元漁船でラブアンバジョに向けて送り出した。漁船は海上で被害者を迎えに来たコモド国立公園管理館の高速艇と出会い、高速艇はおよそ20分で老女をラブアンバジョに送り届けた。国立公園管理館は、被害者の医療費はすべて管理館が負担し、保健所から緊急要請があれば被害者をデンパサルの病院まで輸送するべくスタンバイしている、と述べている。コモドドラゴンが持っている人体に有毒な細菌を中和させる薬品がデンパサルから取り寄せられ、迅速な医療措置が採られたために被害者の状態は快方に向かっている由。
体重およそ50キロのコモドドラゴンに噛まれたふくらはぎは深く裂け、大量の血が流れた。その血のにおいに引かれて別のコモドドラゴン三頭が、老女が救出されたあとの現場にやってきている。国立公園管理館職員と村民は協力してそれら四頭のコモドドラゴンを捕らえることに成功しており、それ以上の被害が出ることは免れている。
国立公園管理館データによれば、1987年から2012年までの間にコモド島とリンチャ島でひとがコモドドラゴンに噛まれた事件は17件発生しており、被害者5人が死亡している。


「いまはマンゴの最盛期」(2012年12月7日)
インドネシアにはマンゴが250種もある。有名で特に人気の高い種はgadung, arumanis, manalagiなどだが、他にもgarifta, roti, beruk, sidenok, beluk, endog asin, bangalora, kidang daging, delimaなど書き出していくときりがない。garifta種は外見が紫色をしており、形も滑らかな楕円形で魅力的だし、味もフレッシュな甘さがある。この種はパスルアンで栽培が始められており、生産量が増えればジャカルタでも味わえるかもしれない。一方、bangalora種は見た目がクトゥパッのようなひし形でかっこよいが、味は酸っぱく、好まれない。
それほど多くの種を持ちながら、インドネシア国民がそのどれだけを手にし味わったことがあるかということを思えば、だれもがきわめて狭い世界に住んでいるだけだという事実を思い知らされることになる。その理由はいくつかあげられるが、国産果実の国内流通は全国をカバーするものになっておらず、産地を中心に狭い地域での流通に終わっているということ、また品種改良など実験農園での研究成果が、果実生産農民と密接な交流を持っていないためにほとんど実生産で利用されていないことなどが主な理由になっている。
インドネシアのマンゴ生産は2011年が212.96万トンで世界5大生産国のひとつであり、輸出は1,485トンが中東・シンガポール・香港などに送られている。それだけ膨大な量が国内で消費されているということになるのだが、マンゴのみならず国民ひとり当たりの年間果実消費は27キログラムで、輸入果実もそこに含まれている。
熱帯という環境にあるため、果実の中には傷みの速いものも少なくなく、遠距離流通はコールドストレッジなど技術面の投資と整備が必要になる。外国産果実は最初からその条件がついてきているから、それを国内の遠隔地方まで伸ばすのは比較的容易だと言えよう。だから国産果実の大半は産地周辺でしか流通せず、しかも収穫期には限られた市場で供給量が激増するため価格が下がるという宿命を抱えており、農民の収入はなかなか増えない構図になっている。


「象とたわむれよう」(2012年12月14・15日)
海抜3,381メートルのレウセル(Leuser)山はアチェ州内にあって北スマトラ州との州境から離れているが、レウセル山国立公園は北スマトラ州まで広がっている。この山岳地帯国立公園の北スマトラ州側の端にタンカハン(Tangkahan)がある。タンカハンへは、メダン(Medan)からバスで3〜4時間かけて行くか、あるいはレンタカーを借りる。バスならひとり3万5千ルピア、レンタカーなら一日25万ルピア。
タンカハンにはナモシアラン(Namo Sialang)とセイスルダン(Sei Serdang)のふたつの村があり、村民は1,950世帯。かれらは元々山地農業を営んでいたが、1980年代から1990年代半ばにかけて、伐採が禁止されている国立公園内の樹木を切り売りするようになった。一世帯が一週間に二〜三本の木を切り倒していた。山がどうなっていったかは想像に余りある。
その状況を懸念した学生たちが村を訪れて村民の説得をはじめた。1999年のことだ。持ち込んだのは観光開発のアイデアだ。山の木の盗伐はいつまでも続けられるものではないし、そのうちに報いがくる。その通り2003年11月には近隣のバホロッ(Bahorok)が鉄砲水に見舞われて大きな被害を出している。
2001年、村民はタンカハン観光組合を設立し、村民の不法伐採を禁止し、観光産業を興すことに励み始めた。その目玉は象だ。スマトラ象は居住区に何らかの問題が発生すると、人間の生活区域にやってきて人間との間にコンフリクトを起こす。問題発生の原因は往々にして人間の行為にあるにもかかわらず、人間はやってきた象を邪魔者扱いする。農園を荒らされ、さまざまな生活のための施設を踏み潰されるため、象を追い払おうとし、それでも言うことを聞かなければ殺してしまう。そんな野生の象を馴らして観光の目玉にすることを村民たちは始めた。
マハウトと呼ばれる象使いやレンジャーと呼ばれる森林案内人が、やってきた観光客を楽しませてくれる。マハウトは先頭の象の背に乗り、数頭の象を一列縦隊で歩ませる。後ろの象は前の象の尾に自分の鼻をからませ、そんなかっこうで三〜四頭の象を河に向かわせるのも絵になる光景だ。河に着くと、象たちは水浴びをする。観光客はおっかなびっくりでそれを遠巻きにして眺める。そのうちマハウトに命じられて、象たちは水辺にその3.5トンの巨体をごろりと横にする。観光客には衣服洗濯用のブラシが配られ、「さあ、象の身体を洗ってやりましょう」と言われておそるおそる象に近付く。度胸のあるひとが足でも腹でもこすりはじめると、ほかのひとたちもそれに倣う。こうして「群衆象をこする」の図が展開され、象はうっとりと目を細めて鼻だけを動かしている。象はそのうちに立ち上がり、河に入って鼻からビューと放水する。びしょびしょになるひと、しぶきがかかって逃げ惑うひと。そして象と触れ合うこの体験を観光客のほとんど全員がとても喜んでいる。
レウセル山国立公園の入園料金はインドネシア人がひとり2千5百ルピア、外国人は2万ルピア。そして象観光は内容次第でひとり5万ルピアから最高は60万ルピアまでさまざま。象の水浴びを見るだけ、象の身体洗い、像に乗る、そして極めつけが象に乗っての森林遊弋。一時間半の間、象の背に乗ったまま国立公園内の森林を抜け、セイバタンスラガン(Sei Batang Serangan)河を渡る。まるで昔の王侯貴族が狩りに出るときの気分だ。運がよければ、森の中でオランウータンや他の野生の象に遭遇することもある。少なくとも、鳥や虫の声には事欠かない。
水遊びをしたければ、滝つぼで泳ぐこともできるし、浮き輪につかまって河下りを楽しむこともできる。二人用から四人用までさまざまなサイズの浮き輪が用意されており、清流で遊ぶのもまた楽しい。
タンカハンの宿泊施設は一泊7万5千ルピアから25万ルピアまでのものがある。食事はワルンでミーやナシゴレンが一皿1万ルピアから1万5千ルピア程度。ただしワルンの数が少ないので、多少とも食べ物を持参するのが無難なようだ。


「ブガバンカイを生体保存」(2013年4月1日)
スマトラオオコンニャク(bunga bangkai)の生体保存を韓国と共同で行なっていたインドネシア科学院は、その企画が成功裏に進んでいることを明らかにした。高さ2.2メートルのスマトラオオコンニャクは開花が終われば二日しかもたず、そのあとは腐敗して崩れてしまう。しかし今回行なわれた方式によって開花状態の姿は5年間維持させることができるとのこと。
植物の生体保存はいろいろな方法があるが、過マンガン酸カリウムを使って植物を腐敗させるエチレンを生成する酵素の働きを低下させる方式を韓国の科学者チームは行なったようだ、とインドネシア科学院バイオテクノロジーセンター長は説明している。スマトラオオコンニャクの生体保存は四年前から計画されていたが、費用があまりにも高額になるため予算化されたことがない。今回韓国科学者チームが行なった作業では、一週間くらい前に開花の始まったスマトラオオコンニャクを三つに切り分け、トータルで2千キログラムにのぼるシリカゲルの中に納められた。
このスマトラオオコンニャクは2013年4月27日から5月12日まで韓国の諸都市で展示されるために既に韓国に発送されている。韓国での展示が終わればまたインドネシアに戻されてくるが、保存処理から韓国に送られまた戻される輸送費にいたるすべての費用は韓国側が負担しているとのこと。


「コモドドラゴンが人間を襲う」(2013年4月22日)
2013年4月9日、コモドドラゴンがまた人間を襲った。被害者はリンチャ島住民のハイサさん70歳で、隣人たちの迅速な救援のおかげで手のひらの裂傷だけで事なきを得、フローレス島本土のラブアンバジョ保健所に移送されて治療を受けた。過去2ヶ月間でコモドドラゴンが人間を襲った事件はこれが四度目。
コモド国立公園のコモド島とリンチャ島はコモドドラゴンのメイン棲息地になっているがそこには昔からの住民居住区があり、住民はコモドドラゴンに襲撃されるリスクと隣り合わせに暮らしている。
コモド国立公園管理館長は、コモドドラゴンの人間襲撃事件は雨季に多く発生している、と語る。肉食性のコモドドラゴンは野生の鹿を主な食糧源にしているが、鹿は雨季になると生存に欠かせない草や水がいたるところで手に入るし、またコモドドラゴンが鹿を狩るときにも生い茂った草や藪に邪魔されるため、コモドドラゴンにとっては食糧難の時期となる。しかし乾季になれば、コモド島やリンチャ島のほとんどの場所は地面が露出し、水のある場所や藪の茂った場所が限られてくる。そんな限られた場所で待ち伏せしていれば、水を飲むためあるいは草を食べにやってきた鹿を狩ることは容易だ。
そんなコモドドラゴンが食糧難の雨季にどうするか?人間が飼っているヤギをはじめ種々の動物を餌食にしようとして住民居住区に近付いてくるのである。腹を空かしたコモドドラゴンのターゲットが家畜だったとしても、攻撃性が高まっているためにそこに人間がいれば攻撃性は人間にも向けられる。だから雨季にはコモドドラゴンへの警戒を乾季以上に高めなければならない、と館長は語る。
一方、東ヌサトゥンガラ州天然資源保存総館長は最近のコモドドラゴンの人間襲撃事件の頻度の高まりについて、雨季にコモドドラゴンが鹿狩りをする困難さよりもむしろ棲息地における鹿をはじめとする食糧の減少の影響が大きいのではないか、とその調査の必要性に言及している。


「マナドでも狂犬病の死者」(2013年09月26日)
北スラウェシ州は狂犬病非汚染地区となっているが、2012年は3,529人が犬に噛まれ、そのうちで35人が狂犬病のために死亡した。2013年は上半期だけで16人が死亡している。狂犬病に対する州民の知識が不十分で、おまけに犬に噛まれることを深刻にとらえていない風潮があり、それが上のような数字になって現われている、と州保健局長は述べている。
農業畜産局長によれば、州内にいる犬は60万匹と推測されているが、狂犬病予防接種の義務が実行されているのはその一部でしかなく、現場で予防接種を行なう職員がカバーしきれない状況である由。しかし、人が噛まれた場合のワクチンは一人分40万ルピアするのに対して、犬への予防接種は一匹分が2万5千ルピアでしかなく、経済性は大違いなのでもっと予防接種に力を入れるべきだ、と保健局長は強調している。


「絶滅の危機迫るマレー熊」(2014年3月7日)
マレー熊は性質がおとなしく、ひとを襲ったりしないし、大きな声で鳴くこともない。そんなエキゾチックなマレー熊を自分の家で飼いたいと思うインドネシア人は少なくない。マレー熊は子供の遊び相手にもできるし、動作が愛くるしいので愛玩用としてもふさわしいということもあるだろうが、みんなが持っていないものを自分が持つという優越感もその根源にあるようだ。その証拠に、鉄格子の檻に入れてほとんど外に出さないオーナーもいる。ともあれ、野生動物を無許可で飼育するのは法律違反なのである。
法律違反行為が見つかるたびに、野生動物は没収されて訓練センターに送られ、自然の中での生活能力が高まれば野生に戻されるというプロセスを経る。東カリマンタン州バリッパパンの生活環境教育観光地区生活環境教育部が運営している訓練センターには2006年以来7頭のマレー熊が預けられている。また、ボルネオオランウタンサバイバル財団には2002年以来47頭のマレー熊が預けられている。
財団側はそれらのマレー熊を保護・訓練し、野生に放てるようになったものを自然の中に戻しているが、繁殖させることは使命の中に入っていないため、むしろそうさせないように警戒しているようだ。
一方、生活環境教育部のほうはそういう制限がないことから、マレー熊を自由に行動させているが、オス5頭メス2頭の間でまったく発情が見られないとのこと。多数のマレー熊が密かに一般家庭で飼育され、政府の啓蒙努力にもかかわらず自発的に飼育していた熊を政府に引き渡す家庭はあまり多くなく、しかもおとなしい性質のゆえに家の外からその家に動物が飼われていることを知るのも難しいため、実際にははるかに多くのマレー熊が飼われているにちがいない、と生活環境教育部長は述べている。
マレー熊は東南アジア原産の、世界の8種類の熊の中でもっとも身体が小さいもので、カリマンタンやスマトラを含む東南アジアの森林の中で棲息している。しかし森林の伐採や破壊あるいは火災や狩猟などのために個体数は過去30年間で急速に減少しており、既に2万5千頭を下回っているものと見られ、国際自然保護連合が絶滅危惧種に指定している。


「西スマトラ州は小鳥捕獲禁止」(2014年3月13日)
西スマトラ州ミナンカバウ空港で、空輸するためにカーゴターミナルに持ち込まれた小鳥457羽を検問の空港警察係官が発見し、小鳥はすべて没収された。2014年3月6日午前4時半ごろ、空港内カーゴエリアに入ってきた自動車一台がゲートで停車を命じられ、ナルコバの摘発を主目的にしている警官の検問が行なわれた。もちろんナルコバ以外にも不審な貨物があれば検査が行なわれる。
車内にはダンボール箱がふたつあり、その中に大量の小鳥が入っていた。係官がそれを持ち込んできたノフィ47歳と名乗る女性に関連書類の提示を求めたところ、検疫証明書だけが示された。それらの小鳥を採取する許可や小鳥を市場に流通させるための許可を州天然資源保護館から得ているかどうかを係官が尋ねたが、それらの許可証が提示されないために係官はふたつのダンボールごと小鳥を没収した。
空港警察が内容物を調べたところ、ダンボールの中からシキチョウ20羽、メジロ30羽、オオコノハドリ140羽、アオバネコノハドリ22羽、タイカンチョウ220羽、カンムリカケス5羽、ハイガシラカンムリヒヨドリ15羽の生鳥が見つかった。それらの小鳥は天然資源保護に関する1990年法律第5号に定められた保護動物ではないものの、エコシステム維持の見地からその採取や市場流通を認めることはできないとの見解を州天然資源保護館は表明している。同館は過去三年間、州内から州外に原生動植物を持ち出すことを一切認めておらず、許可が得られないものを密かに持ち出すのは違反行為にあたるとして、違反者に対しては行政処分が与えられることになっている。
没収された小鳥はすべて、その日夕刻にパダン市ルブッミントゥルン保護林に放たれた。


「動物保護のファッワが出される」(2014年3月20日)
インドネシアウラマ評議会が動物保護のファッワを出した。エコシステム均衡維持のための希少動物保護に関する2014年ファッワ第4号がそれで、繁殖場・動物園・個人飼育における動物保護までがその中にカバーされている。
「ウラマ評議会は自然保存責任を分掌する。ファッワ委員会は国民と政府からの動物保護に関するファッワ要請に応えた。」ディン・シャムスディンウラマ評議会会長は2014年3月12日に南ジャカルタ市ラグナン動物園でそう表明した。このファッワは、WWFインドネシア、多様生物保存局、国立大学、国際フローラ&ファウナ、インドネシアハリマウフォーラムがインドネシアウラマ評議会と協議を行なったあとで出されたもの。
ウラマ評議会が今回出したファッワは生物天然資源とエコシステムの保存に関する1990年法律第5号を支持するもので、政府・国会・地方自治体・実業界・宗教界・社会全般に対してイスラム宗教指導部からの判断を明示するものだ。
人類の安寧や保全のためといった理由がない限り、動物を殺し、傷つけ、虐待し、狩猟し、希少動物を絶滅にいたらしめる行為などの一切が、ましてや非合法の狩猟や売買は言うに及ばず、ハラムである、ということがそのファッワの中に謳われている。
人間は生活環境が完璧に充足されていることに注意し、動物とのコンフリクトを防ぎ、また十分な食糧と棲家と繁殖場を与え、動物にその能力を超える負担を与えてはならない。人間は環境に優しい暮らしを生み出すために、地元伝来の知恵をその暮らしの中により深く反映させなければならない。
動物保護は人間の倫理精神の奥深いところに基盤を置かなければならないものであり、動物を保護しない行為はムスリムにとってハラムであるという理解が国民の間に行き渡ることが期待されている。


「ジンベイザメの生態」(2014年4月18日)
体長18メートルに達するジンベイザメはプロボリンゴ、スラバヤ、パガンダラン、タラカン、アチェなどの海に、毎年一定の時期に出現するのだが、パプアのチュンドラワシ国立公園海域にはほとんど毎日その姿を見せる。
米国カリフォルニア州サンディエゴのハッブズ=シーワールドリサーチインスティチュートとWWFインドネシアが共同で行なっている研究調査で、チュンドラワシ海域に住むジンベイザメの生態の一部が明らかになった。
2011年5月に開始された追跡調査は、まず一頭の背びれの左下にポップアップ式衛星通信型タグが取り付けられ、その年11月に更に5頭、2013年4月には更に8頭と対象個体が増やされた。そしてそのうちの6頭の行動記録が分析された結果、かれらは1千8百キロ離れたパラオ共和国海域まで4ヶ月間で往復してくることが判明した。またサテライトに採取されたデータによれば、かれらは水面下100〜200メートルの海中に棲息しているが、時には1千メートルを超える深さにまで潜ることもある。
ジンベイザメの生態についてはまだ不明な面が多く、繁殖が行なわれている場所についてはまったく判っていない。パプア国立大学の研究者によれば、チュンドラワシ海域に棲んでいるジンベイザメ31頭の遺伝子研究の結果、かれらはインドパシフィック、オーストラリア、大西洋などに棲んでいる仲間と系統的に近い関係にあることが判明しているとのこと。歴史的に、かれらはどこかの時点で枝分かれし、異なる海域に散ったことを想像させる、と同研究者は説明している。


「猫大爆発」(2014年5月13日)
飼主に飼われていない猫は野良猫と呼ばれる。日本では普通、野良猫にだれも餌をやらないので、野良猫は生きるために自助努力を払い、泥棒猫と化すことが多い。インドネシア人はどうしたことか、自分の飼い猫でない猫が自宅付近をうろついていると、餌を与えるひとがかなりいる。もちろんそういうひとばかりではないから、インドネシアの野良猫もやはり自助努力を払っており、半泥猫暮らしを送っているのが普通だ。工場内の食堂に野良猫が棲み付くこともよくあり、工員たちに可愛がられ、残飯をめぐまれ、いつの間にか腹ボテになり、気がついたら子猫が3〜4匹ミャアミャア鳴いている風景に変っている。そうなるとまた工員たちが子猫を可愛がり、いつの間にやら猫たちが工場内の作業場通路をのっそり歩いている光景が普通になってしまう。
インドネシアの一般庶民が猫を飼うスタイルは、鶏を飼うのと同様に放牧的だ。住環境がいたって開放的であり、住民の生活共同体が相互依存的であるため、猫も鶏も飼主の家から出てあちこちで餌を漁る。隣近所もその猫や鶏の飼主がだれかということを認識しており、気分次第で餌を与えている。オーナーがいるのだけれど共同体のみんなが好き勝手にそれを利用する、という原始共同体精神がどうもそこに流れているように思われる。家族主義社会の面目躍如というところだろう。
ジャカルタで、猫が増加しすぎている、という声がある。猫は一年に10〜12匹子供を産むから、猫もネズミ算式に増えていくのは疑いない。北ジャカルタ市には野良猫が4万7千匹いるそうだ。2010年センサスで北ジャカルタ市の世帯数は43万7千となっているから、その比率は相当なものにちがいない。
野良猫はたいてい、生ものや残飯を求めてパサルやカキリマ商人の食べ物屋台がある場所に集まってくる。食べ物を作り売りしているカキリマ商人は残飯をドブに捨てるので、野良猫にとっては食事場だ。加えて北ジャカルタ市には魚市場があり、漁村があり漁港がある。ムアラバルとムアラアンケの魚市場と漁港、そしてその周辺にある漁民部落。漁村では干し魚や塩魚を作るために天日干しをするから、泥棒猫には格好のシチュエーションが整えられている。
それらの場所を訪れると、必ず野良猫(ひょっとして飼い猫が混じっているかもしれないが)の姿を目にし、運がよければかれらの泥棒現場を目撃することができるかもしれない。働いているひとたちも、「最近、猫が増えた」という感想を例外なくもらしている。
都庁が野犬と野良猫対策を行なっていないわけではない。猫については、間引き措置でなく、捕らえたオスメスに不妊対策を行なっている。ただし、北ジャカルタ市の今年の目標は150匹で、昨今の状況をどうこうできるような内容からはほど遠い。


「これからはヘリコニアのブーム」(2014年9月12日)
ヘリコニア(heliconia)がいま、観賞用植物として人気急上昇中。ヘリコニアは日本名をオウムバナと言い、アメリカ大陸熱帯地域から太平洋島嶼部、そして西端はインドネシアに達する地域に原生分布している。艶やかな色と興味を引く形をしているので、愛好者は多い。
国際市場にヘリコニアを供給しているのは、パナマ・ブラジル・ベトナム・インドネシアそしてニューカレドニアやソロモンなど太平洋島嶼部のいくつかの国。一方、需要国はヨーロッパ大陸から中東、アジアまで広範で、シンガポール・韓国・日本などは需要の大きい国だ。
2009年以来、インドネシアからのヘリコニア輸出は年々着実な伸びを示しており、2012年には総輸出量1,850トンで897万ドルの外貨を稼ぎ出した。一方、国内市場も2013年から需要が上伸しはじめ、国内生産者が輸出を減らして国内市場にまわすようになったことから、2013年の輸出は423トン76万ドルに低下している。国内での需要家は、ホテルや結婚式場などのパーティ会場オーガナイザーや室内デコレーション業者、そして切花店などがメインを占めている。
ヘリコニアは海抜9百メートルを超える土地でよく成育するため、農業省生鮮植物総局は国内業界に対し、ヘリコニアの取扱を奨めている。ヘクタール当たりの初期投資は1億8千万ルピアで、6〜8ヵ月後に収穫が開始でき、3〜4年間活発な生産期が続く。販売価格は茎一本当たり6千から1万ルピアになる。
バリ州ギアニャルでヘリコニアの生産を行っているスカルブミ農業グループは18Haのヘリコニア農園を設け、収穫期が訪れるたびに9千万から1億5千万ルピアの収入を記録しているとのこと。スカルブミ農業グループリーダーは、第一回目の収穫で得られたものはホテルに受け入れてもらえなかった、と物語る。しかし今ではバリやジャカルタのたくさんのホテルに供給されている。ヘリコニア属だけでもたくさんの種があり、スカルブミ農業グループが栽培しているものは百種にのぼっている由。


「クジラを救え」(2014年11月3日)
シロナガスクジラ5頭が東ヌサトゥンガラ州レンバタ県イレアペ郡キマカマッ村の沖合いで、深さ24メートルの海溝に入り込んで脱出できなくなった。3頭は地元行政機関が救出したが、もう1頭は10月27日現在、救出活動の最中であり、別の1頭は死亡した。海溝の中で動けなくなったまま長時間が経過したのが原因と見られている。
救出作業の指揮を取っている海洋漁業省海洋海岸小島総局海洋海岸資源経営館職員によれば、その5頭は2014年10月16日に海流に押されてその海溝に入ってきたと推測されている由。海溝の中で動きが自由に行なえなくなったために海溝からの脱出が困難になり、そのうちの1頭で体重50トン超、年齢10歳超のクジラが死亡してしまった。
レンバタの沖合いはクジラの回遊ルートにあたっており、ラマレラ村ではクジラ漁が遠い昔からの伝統漁業として営まれている。漁師たちはクジラが沖合いを通るときに小型ボートでクジラを追い、狩猟して陸地に運び上げる。2014年は9月までに31頭が捕獲されており、史上かつてない大漁の年になっているとのこと。


「食い尽くされる保護動物」(2014年11月14日)
ヤキの肉はそんなにうまいのかね?北スラウェシ州トモホンでリゾートホテルを経営しているラトゥラギ氏にヨーロッパ人宿泊客が尋ねた。その客に何度も尋ねられるものだから、ラトゥラギ氏は言葉少なく、渋い表情で60歳のその男性客をトモホン市場に案内した。客は市場の様子に目をみはり、表情をこわばらせた。
マナド住民のラウン氏51歳は、ヤキの肉は赤身の水牛の肉といっしょだよ、と言う。サリオコタバル住民のルウッ氏は、ヤキの肉を食べると身体がほてってくる、と語る。ヤキの肉がほしければ、ラゴワンやカワンコアンあるいはトモホンの在来パサルへ行けば必ず手に入る、とかれは言う。特に土曜日がその売買で賑わう日だそうだ。体重12キロくらいのヤキで一頭40〜50万ルピア。市場で売買されているものは、最大でも体重20キロくらい。もし肉だけを買いたければ、キログラム当たり3.5〜4万ルピアで売られている。
ヤキを食用に飼育している者などいない。市場で売られているヤキはすべて森で捕獲されたものだ。ヤキの捕獲方法は、まず幅3メートル高さ2メートルくらいのかごを作る。森の奥深くにそれを据付け、かごの中にバナナとトウモロコシを置き、かごの入口の落下扉をいつでも落とせるようにセットする。ヤキは大好物のバナナとトウモロコシに目が眩み、かごの中へと入っていく。そして狩猟者はあっと言う間もなく落下扉を閉じるのである。
そうやってボラアンモゴンドウからボガニナニワタボネ国立公園一帯にかけての森林の中で捕獲されたヤキの市がコタモバグ市内にあるとラウン氏は明かす。鉄格子の檻に入れられたヤキを仲買人は見比べて選定し、価格交渉して買い取っていくのだそうだ。そうやって在来市場に運ばれたヤキが、人間に食われるために消費者に売られる。
1999年政令第7号で政府はMacaca nigra を含むインドネシア原生希少動物を保護動物に指定した。だが、先祖代々続けられてきたその食習慣の禁止を強制力の伴われない言葉のみで聞かされても、住民たちの多くはそれに従う姿勢を示さない。ヤキは北スラウェシ州の原生種であり、過去30年間で8割がたが人間に食い尽くされてきた、とマナド市サムラトゥラギ大学専門家は警告する。スラウェシ島北部地域の原生動物には他にもアノアやバビルサがあるが、北スラウェシ州にかぎって言えば、1990年代を最後にしてそれらの希少動物は既に絶滅してしまい、州内でその姿を見ることがない。ゴロンタロ州や中部スラウェシ州に赴いて、やっとそれらの生きている姿を見るしかないのである。絶滅の原因が人間の食欲にあったのは言うまでもあるまい。そのあとをヤキが追っているという図式が北スラウェシ州で展開されている。
北スラウェシ州の森林にしか棲息していないヤキはいま5千頭くらいに減っている。かれらの寿命は25〜30年で、5年に一度しか出産しない。「ストップ!マカン(makan =食べる)ヤキ」キャンペーンが今、州行政と動物保護団体の高らかな声で呼びかけられている。ヤキとはMacaca nigra つまりクロザルのことだ。マナド市の動物愛護団体に所属するイギリス人は「ヤキの肉はそれほど口をおごらせるものなのだろうか?まるで共食いだ。そんなことがよくできるものだ。」と嘆息している。


「ワニとのコンフリクト」(2015年10月29日)
中部ジャワ州クブメン県アヤ郡のボド川河口に棲息しているイリエワニ(Crocodylus porosus)の群れが上流へ移動した。地元民の生活領域に接近しており、また日常生活に重大な役割を占めているその川の利用が従来のように自由に行なえなくなっているため、地元民が地方政府にワニをどこかに移すよう要請している。
アヤ郡チャンディレンゴ村の村長によれば、住民はワニの接近におよそひと月前くらいから気付いたとのこと。もともとはボド川主流の河口で目にしていたワニが支流にまでさかのぼり、住民の生活領域に近付いている。村長が視察したときは、体長2メートルあまりのワニが三匹いて、一番大型のものはテバ部落の川岸近くにいたそうだ。
テバ部落の漁師たちは、ワニが支流に棲みついて以来、ワニのそばを通らなければ海へ漁に出られないため、仕事ができなくなっている。ボド川の魚釣り漁師のひとりが釣り仕事をしているとき、釣り針が川底に引っかかったためにそれをはずそうとして川に入ったところ、ワニが近寄ってきてかれを襲おうとしたので急いで岸に戻って逃げた話は地元一円で人口に膾炙している。
その話をした魚釣り漁師は、漁師の中にワニをいたぶった者がいて、そういうことがあって以来、ワニが人間に対して攻撃的になった、と語っている。何人かの漁師が川岸のワニに釣り針を引っ掛けて数メートル引きずったことがあった。ワニは結局釣り針を外して川に逃れたのだが、それ以来、人間を襲ってくるようになったそうだ。「そのワニの身体には傷痕がはっきり見える。前はそんなことをしなかったのに、今では人間が川に入ると、そのワニはすぐに近寄ってくる。」
自然愛好者グループ顧問は村民に対し、ワニに何かを仕掛けるようなことをしてはいけない、と諭している。「放っておけば、ワニも人間を襲ってくることはない。ワニが住み着くのは、その土地の自然環境のバランスが良好であることを証明するものだ。」
中部ジャワ州天然資源保存庁第二地区保存課長は村民からの訴えに対し、まず十分な調査と対応措置の検討を行なわなければならず、すぐにワニの群れをどこかへ移動させるようなことはできない、と述べている。「ワニの数しだいで、ワニを移動させるか、あるいはその地区を保存地区に指定するか、という対応が変わってくる。移動させる場合は理想的な移動先を探さなければならず、保存地区指定の場合は地元民との合意が不可欠だ。イリエワニは自然生態系保存に関する1990年法律第5号で保護動物に指定されており、違反すれば罰金と入獄刑が課される。ボド川河口のワニについては、自然愛好者が保存地区指定を望んでいる一方、その土地を生活基盤にしているひとびとはワニの追放を頑なに望んでいて、いまだに方針が明確に定まらない。そこにきてワニが人間の生活領域に入ってくる事態になってきた。この問題の決着が迫られている。その点を考慮して、対策決定タスクフォースを編成し、問題の完全解決のための調査と検討に入る。」
南海岸自然愛好者グループ顧問は、ボド川河口は昔からイリエワニのハビタットとして知られており、保存地区指定がなされておかしくない背景にあるし、保存地区に指定して観光資源として地元民の生活に貢献する方法もある、と述べているが、村民はワニに生活環境を脅かされていると感じており、特に漁民は従来通り出漁できるようワニをどこかへ移動させてほしいと強く要望している、とチャンディレンゴ村長は地元民の声を伝えている。


「鳥猟師」(2016年3月15日)
インドネシアには鳥市場があり、鳥の飼育を趣味にするひとびとが集まってくる。市場があって需要があるのだから、供給があるに決まっている。供給メカニズムはどうなっているのだろうか?
鳥の捕獲を職業にしているひとびとがいる。西ヌサトゥンガラ州スンバワ群島のひとつラキッ島に5人の男たちがいた。16年2月のある夕方、サレ湾にあるその島の岬でコンパス紙記者が出会った男たちは、浜辺に薪を集めて火を燃やし、夕食を調理し、そこにテントを張って眠るのだ。
かれらは、そのベースキャンプ周辺に、罠をいくつか設けた。4〜5本の鉄の棒をまとめて端を開き、そこにねばねばするゴムの樹液を塗りつける。おとりの鳥を一羽、竹の棒に結んでそばに置き、仲間の鳥が寄ってきて鳥もちに引っかかるのを待つ。罠は木の枝にぶら下げたり、あるいは2メートルほどの長い鉄棒の先に装着して鉄棒を地面に突き立てる。
それだけで、あとはただ待つだけなのか?そんなことはない。捕獲人のひとりが携帯電話機を取り出して見せてくれた。かれがスイッチを押すと、鳥のさえずり声がほとばしり出たのだ。「これを罠の近くに置いておき、あとは待つだけだ。」
そんな手段で、かれらは一日に十数羽から数十羽の小鳥を捕獲し、ロンボッ島の集荷人に売り渡す。売値は一羽2千ルピア前後だ。かれらはひとつの島で一週間前後、鳥を狩る。収穫が良くないと、一旦別の島に移り、しばらくしてまた戻ってくる。鳥は頭がよいそうだ。兄弟が捕まると、すぐに警戒して近寄らなくなるから、警戒心をほぐすためにしばらく開ける。また戻ってくると、収穫量が増えるのだそうだ。
そうやって、かれらは州内を渡り歩く。東ヌサトゥンガラの島々の中で、鳥の豊かな場所をかれらはほとんど踏破しているのだ。


「ワニが観光開発の障害」(2016年3月31日)
これから海洋観光開発に力を入れようとしている東ヌサトゥンガラ州に、ワニの脅威が忍び寄っている。ティモール海に生息しているワニの個体数が十分把握されていない状況下に、州内の多くの海岸ではこれまで住民が危険なしに利用できていた場所にワニが出没することが増えており、2011年から2016年2月までの間にワニに襲われて死亡した住民の数は24人を数えている。被害者の多くは海岸や河口で水浴や水遊びなどをしていてワニに襲われており、今では地元民の大半が海岸や河口へ出かけることをせず、子供たちにも遊びに行くのを禁じているありさまだ。
ヌサトゥンガラ州天然資源保存総館は住民の生活に侵入してきたワニを適宜捕獲して飼育場に入れているが、費用もかかるし、いつまでもできることではないので、民間の養殖事業希望者に譲渡したい、と総館長は述べている。今は16年1月から3月までの間に捕獲したワニが7頭いるとのこと。養殖してから三世代経過すれば、皮や肉の利用が許されるので、このビジネスチャンスをつかみたい投資家がいれば協力する、と総館長は語っている。
ワニに襲われて死亡した人数は24人という行政データではあるが、届け出がなされなかった死亡や咬まれた事件ははるかに多いはずで、ワニ問題は観光開発計画以前の住民管理上の大問題になっている。
クパン市に住む観光問題オブザーバーは州庁に対し、海岸や河口などの住民の生活領域をまず金網で囲い、ワニと人間の接触を避ける措置を取ること、またワニ使いをたくさん雇用してワニと人間の接触が起こったときに対応できる体制を作るように、と提案している。


「保護鳥密輸者を逮捕」(2016年11月14日)
ヨグヤカルタ州アディスチプト国際空港で16年11月8日朝、珍しい鳥を生きたままトランクに入れて国外に持ち出そうとしていた香港人が逮捕された。
10時15分発のフライトでシンガポールに出るために空港に来た東洋系外国人の持っているトランクがX線透視機に通された。ところが画面には何も映らない。不審を抱いた係員がそのトランクを移動させ、持ち主に開錠するよう命じた。開かれたトランクの中にあったのは、アルミフォイルに包まれた容器が多数。フォイルを除去したところ、たくさんのカートン箱や飲用水プラボトルが生きた鳥34羽とともに姿を現した。そこには保護鳥に指定されていると見られる鳥の姿も混じっている。
係員は持ち主のパスポートを調べ、そして尋ねた。「キン・フー・ルイス・ウォンさん、この生き物についての検疫証明書と管理当局からの許可証を見せてください。」
一切、何の届出もなされていないことを持ち主が認めたから、トランクと55歳のウォン氏はすぐ大勢の警備員に囲まれて取調べのために別室へ向かうことになった。
検疫係官が34羽の鳥を調べてリストアップする。
luntur jawa 9羽
kakatua tanimbar 4羽
srindit 10羽
penthet albino 2羽
kutilang mas 4羽
pleci 1羽
rio rio 1羽
decu 1羽
kolibri 2羽
リストトップの2種はCITESアペンディックスIに指定されている保護鳥で、捕獲には許可が必要であり、売買が全面的に禁止されている。外国人旅行者が持っていること自体、強い疑惑を招くものだ。上のリストの日本語と学名はこうなる。
キノドキヌバネドリ(Apalharpactes reinwardtii)
シロビタイムジオウム(Cacatua goffiniana)
サトウチョウ(Loriculus)
タカサゴモズ(Lanius schach)
シロガシラ属(Pycnonotus Melanicterus)
メジロ科(Zosterops)
シュウダンムクドリ (Scissirostrum dubium )
クロノビタキ (Saxicola caprata)
ハチドリ (colibri)
ヨグヤカルタ州天然資源保存館長官は、マルク原産の保護鳥であるシロビタイムジオウムがソロの鳥市で売買されている事実を早急に捜査しなければならないとコメントした。国内の法確立が法規通りに実践されていないインドネシアで、法治文化の国から来た外国人は市場にあるものをすべて合法と思い込んでしまうのは当たり前のことだ。これはアブナイ罠となるにちがいない。もちろんウォン氏の事件は別で、かれは非合法と知っていたからアルミフォイルで小細工を弄したわけだ。
ウォン氏は取調べに対し、それらの鳥を買うためにインドネシアへ観光訪問に来たと語った。鳥のコレクターを自称するかれは、香港の自宅で使っているインドネシア人の家政婦から、ソロの鳥市へ行けば珍しい鳥がいっぱい売られている、という話を聞き、今回のインドネシア訪問を思い立ったそうだ。
11月6日にスカルノハッタ空港で入国し、そのままソロに向かった。そして女中の話通りに熱帯産の珍しい鳥であふれかえっているソロの鳥市で、これぞと思う鳥を買い漁った。出国対策も準備万端整えてアディスチプト空港へやって来たのだが、インドネシアの出国警備はかれの思っていたような生易しさではなかったということのようだ。
警察はかれの供述が本当なのか、それとも国際シンジケートに関わっていることを隠しているのか、その裏を取るために捜査を継続することにしている。