インドネシア「バリ特集」2004〜10年


「バリで到着時ビザ制度に関するアンケート」(2004年7月8日)
バリ・ツーリズムボードはバリ・ホテル協会と協力して外国人観光客からのアンケート調査を進めている。
インドネシア政府は2004年2月から、それまでの短期訪問ビザフリー恩典供与国を11カ国に減らし、それまでビザフリーだった国の中で21カ国国民に対しては入国時ビザ恩典を与える、という政策転換を行った。この政策転換は観光業界を中心に強い反対表明が出されたが、政府は『観光客が激減する事態が出現すれば、政策の見直しをする』という約束のもとに新政策を開始したというのが、これまでの成り行き。
前年との比較では入国観光客は決して減少しておらず、当局側はそれを政策転換が受け入れられている証拠にあげている一方、観光業界はもっと来ていいものが足かせをはめられている、として互いに譲らない。そこで、想像の中で議論してもしかたないと考えたツーリズムボードが、現実の動かぬ証拠を求めるためにこのアンケート調査を企画した。バリ・ホテル協会所属のホテルにチェックインした外国人観光客に協力を仰ぎ、簡単なアンケートに答えてもらおうというのがその趣旨で、そこには到着時ビザ制度に関することがらのほかに、国籍、到着日時、ビザ取得方法(自国で、旅行中に、インドネシア到着時に)、ビザの種類と費用、入国手続きにかかった時間やパスポートチェックに要した時間などのデータが求められている。ツーリズムボードの予定では、1万人からのアンケートを集計し、その結果を8月に公表することになっている。


「バリがビールクオータの追加を要請」(2004年7月16日)
アルコール飲料流通者協会(APMB)バリ支部が、今年のビール割当量が不足するだろうとの予測から、昨年決められたクオータへの追加を要請している。
アノム・マスタ同支部長によれば、ことしのクオータはバリ爆弾テロ事件によって昨年冷え込んだ入国観光客数状況をベースにしたものであり、今年に入ってからの予想外の観光客増加のおかげで、ビールクオータの6割が既に消化されている、とのこと。毎年下半期は11月12月のピークシーズンにビールをはじめアルコール飲料消費が激増するため、残った割当量で乗り切れないことは明白だ。合法アルコール飲料供給が潤沢にあってすら、現状バリで流通しているアルコール飲料の30%は公的認可を逃れたノンラベル品であり、それらはジャワ島や海外から密輸されて入ってくる。そんな状況に供給量不足の兆候が明らかになれば、非合法品が大量に流れ込み、同時に価格が跳ね上がる。
バリ州は国内地域別アルコール飲料消費番付の上位を占めており、60%が輸入品、40%が国産品という内訳。現行州法によれば、すべてのアルコール飲料は州政府収入局が発行した流通許可ラベルが貼られなければならず、さらに州政府商工局がその流通を管理している。許可ラベルは三種類あり、アルコール含有量が5%未満のA類(主にビール)には200ルピアの承認費、20%未満のB類(主にワイン)は500ルピア、45%までのC類(ウイスキー、ウオッカ等)は700ルピアの承認費を納めなければならない。ラベル貼付を行えるのはバリ州内を住所とするディストリビュータもしくはサブディストリビュータのみ。
今年バリ州知事が定めたクオータは、A類19,286,400本(ビンまたは缶)、B類2,088,600本、C類819,600本という内容だが、6月末時点での発行済みラベル数は11,670,200枚に達しており、バリ州収入局へは29億ルピアが納められている。


「エアーエイシアが8月5日からデンパサル線サービスを開始」(2004年8月2日)
マレーシアの廉価航空会社エアーエイシア(Air Asia)が8月5日からクアラルンプル〜デンパサル線のサービスを開始する。同社が既に就航しているジャカルタ、バンドン、スラバヤ路線でのサービス利用者は65%がマレーシア人観光旅行者とのことで、バリ行きサービスが始まればその率は更にアップするかもしれない。
8月からは一日一便でサービスを開始するが、年末ホリデーシーズンにはそれを2便にする計画だ。料金は99.99マレーシアリンギットあるいは248,999ルピアとのこと。8月のフライトは全便既にフルブッキング状態で、9月も55%が既に埋まっている由。同航空は、インドネシアの出国フィスカルが高額であるため、インドネシア人観光客の誘致を難しくしている、と批判している。


「キンタマニ犬」[(2004年9月 )
バリには犬が多い。いわゆるアンジン・カンプン(anjing kampung)、たいてい雑種だ。だがすべて野良犬と決め付けては間違いを犯す。中にはご主人様を持つ犬もいるようだが、きちんきちんと餌をくれるでもなく、犬のほうが気ままに食べ物をどこかであさっている。
そんなオープンな関係は、ジャワで猫と人間が結んでいる関係を思い出させるものがある。バリ人にとっては、ノラであろうが飼い犬だろうが、自分たちの日常生活の中に犬が群れをなして存在していることをほとんど気にかけていないフシがある。
ところがジャワやほかの島からバリに犬や猫を連れて入ろうとすると、拒否される。1983年に出されたバリ州知事令で、狂犬病を媒介する動物をバリ島内に持ち込むことが禁止されているのだ。バリ島はまだ狂犬病非汚染地区なのである。
そんなバリの犬の中で、世界的に人気の高まっているのがキンタマニ犬(anjing Kintamani)。
その名のとおり、バリ島中央部にある有名な高原観光スポット、キンタマニの山岳地区をハビタットにする特徴的な犬で、見栄えがよく、飼い主やその家族への忠誠心が厚いため、ファンは増加の一途だと言われている。キンタマニ犬の繁殖環境が示すように、かれらはマウンテンドッグであり、アンジン・カンプンとは異なっている。母犬は、岩山の石の隙間に小さい洞穴を作り、そこでお産する。小犬たちは乳離れするまで洞穴暮らしだ。バリの原産種だと言う人もいるが、長めの白い毛、耳や尾は赤みがさし、頭部は広がり、額から頬にかけて平板で、太い首にがっしりとした骨格はチャウチャウを思い出させる。頭高は40から55センチ、頭頂から尾までたてがみがつながり、尾は45度の角度で前方に傾いている。厚みがあって均整の取れた身体つきは、チャンティッと賞賛されるのにふさわしい。
キンタマニ犬の由来には諸説あり、この謎はいまだに解かれていない。ひとつは李姓の中国商人が12世紀から16世紀の間のどこかでバリのシンガラジャにたどり着き、キンタマニ地方に住み着いたが、
商人が連れてきたチャウチャウ犬が地元の狼や山犬と交じり合ったのがその源だというもの。ウルンダナウバトゥル寺院(Pura Ulun Danau Batur)には、その商人の系譜が建てた廟がまだ残されている。
ほかにも、別の島の商人が持ち込んだ犬がキンタマニの山犬と交わったという説や、1343年マジャパヒッ王国のバリ征服の時という説、あるいはイスラム王国によるマジャパヒッ王国崩壊でテンゲル(Tengger)とバリに逃れた王族が連れて行った犬が発祥だという説もある。
キンタマニ犬の性質は、忠誠心が強くて主人やその家族によく仕える一方、警戒心が強くて自分のテリトリーに侵入してくるものに対しては攻撃的。動きは敏捷で軽快。異常を感じると吼えるし、知っている人間にもよく吼える。特にオスは走っているオートバイを追いかけるという妙な性質を持っている。
嫉妬心が強く、主人と自分の関係を壊すものへの攻撃はすさまじいものがある。
キンタマニ犬のハビタットの中心はキンタマニ郡スカワナ村(Desa Sukawana)。村の入り口に近づくと、道路脇をキンタマニ犬が徘徊しており、そこで育った子犬がデンパサルの町まで送られてくる。1980年代までキンタマニ犬は山岳部の大自然の中で暮らしていたが、世間に知られるにつれて商品と化していった。
キンタマニ犬を手に入れたい人は、バリのたいていのペットショップで買うことができる。それでもデンパサルのフェテラン通り(Jalan Veteran)にあるサトリア動物市場(pasar hewan Satria)がもっとも品揃えが豊富。
年々人気を高めているキンタマニ犬はほかの州だと一匹50万から100万ルピアもするが、いまではキンタマニ犬小路(Gang anjing Kintamani)と俗称されるようになったこのフェテラン通りの入り口では、スカワナ村産地直送の子犬一匹が20万ルピアで手に入るそうだ。


「バリでにせ札が激増」(2004年11月9日)
イ_ア銀行バリ支店が、にせ札発見量が激増していると公表した。
今年11月5日までにバリ支店管区で発見されたにせ札は555枚、4,393万ルピア相当で、金種は10万ルピア札が339枚、5万札193枚、2万札15枚、1万札8枚という内訳。発見されたものよりはるかに大量のにせ札が市場で流通しているものと同支店では見ている。2003年の実績は34枚235万ルピア相当だったのに比べて今年の状況は目を見張るような実態になっており、イ_ア銀行では急遽対応を取るべく準備にかかっている。
この激増に関して同支店は、バリ島外からの外来者が増加しているため、にせ札が持ち込まれる経路がわかりにくいこともあるが、ともあれ州民に対するにせ札増加の告知とその見分け方の指導を進めるとともに、両替商への分別訓練を強化する計画だと表明している。
バリで発見されているにせ札はすべてルピア紙幣であり、外国紙幣のにせ札はない。


「到着時ビザ制度に物申す」(2004年11月15日)
今年7月にバリ・ツーリズムボードがバリ・ホテル協会と共同で外国人観光客から集めた到着時ビザ制度に関するアンケート調査結果が明らかにされた。7月のニュース内にある関連記事をご参照ください。「バリで到着時ビザ制度に関するアンケート」(2004年7月8日)
バリにある55のスター級ホテル宿泊客を中心に配布された1万枚のアンケート用紙から2,119枚の回答が回収された。回答者の99.6%は今年2月の変更で入国ビザが必要になった国の人々。メインは日本、台湾、中国、韓国など東アジアが中心だが、イラン、インド、サウジアラビア、トルコ、中南米、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカそしてアセアン加盟国民からの回答もあった。オランダ人回答者は不便を感じており、三分の一はビザ取得手続が不明瞭で、非能率的だ、とコメントしている。日本人回答者の60%は歓迎されていないと感じ、もう一度バリに来たいと思っている人は回答者全体の5%しかおらず、95%が次回はほかの観光地に行くと答えている。
今回のアンケートで得られた問題点はまず、空港にせよ自国のインドネシア大使館にせよ、ビザ発行手続が遅いということで、中でも自国のインドネシア大使館でビザ手続を強いられるようになった国民はそのことに関して強い不満を表明している。また到着時ビザ制度適用国民が入国時の手続で待たされた時間は、制度開始時に目標とされた10分が実現されていないことを示しており、グループツアー客は、もっと効率のよい方法が何かあるのではないか?との率直な疑問を表明している。滞在日数限度30日も不評で、それ以上インドネシアにいたければ一度出国してまた来なさいという姿勢は政府が強調している観光振興とは裏腹な印象を与えており、特にインドネシアで昔から長期滞在観光を行っていたヨーロッパ国民からそんな姿勢に批判が集中している。制度普及のための情報告知もおざなりで、インドネシア共和国外務省ウエッブサイトには入国ビザ制度変更の情報がなく、いまだに過去の60日間ビザフリー短期滞在制度が説明されている。
最近のバリの入国観光客数統計では、ヨーロッパ人観光客が2001年から三割減となり、また平均滞在日数も短期化しているといった状況が示されている一方、その停滞ぶりにタイミングを合わせるかのようにタイの観光客数が増加している事実は、バリ観光業界の未来を象徴していると言えそうだ。
到着時ビザ制度開始前の2003年5月に行われたアンケートでは、バリ訪問者の62%がその制度を始めたら二度とバリには来ないと表明し、それでも来ると答えたのは35%だった。旅行業界を対象に行われたサーベイでは、54%が有料ビザは観光客の予約に直接的影響を与えており、また57%がその制度開始のせいで機嫌の悪いクライエントと商談しなければならなくなっていると述べている。つまりは、今年7月のアンケート回答者は、新制度実施にもかかわらずバリに来たかった人たちであることを意味しており、そこからあれらの意見がどのような意味合いを持っているのかを十分にかみしめなければならないだろう。タイにしろマレーシアにしろ、入国に際しての不便などほとんどないに等しく、明らかに自分は歓迎されていると旅行者たちが感じる状況に比べてインドネシアは反対方向を向いており、2003年のマレーシアやタイの入国観光客数がそれぞれ1千万人、シンガポールでさえ6百万人というのに対し、インドネシアにはわずか420万人しか来ず、来ても滞在日数は短期化の傾向で、さらにビザ制度強化でますます観光客から相手にされなくなれば、国内観光業界はお先真っ暗とならざるを得ない。
観光客が一日当たりで使う金額は、1994年にはひとり平均123.66ドルだったが、2001年には73.38ドル、2003年には60.95ドルと低下の一途。一方ひとりあたり平均滞在日数も1994年の10.97日から2001年は9.48日、そして2003年は6日へと下降している。オーストラリアの旅行業界が販売しているパッケージツアーの金額は、いまやバリが経済的な旅行先でなくなっていることを示している。四日間のパッケージツアーは1,299オーストラリアドルで、宿泊は安宿でありビザ費用やその他の追加費用は本人負担となっている。ところがフィージーの四日間パッケージだと、デラックスビーチリゾートに泊まって919オーストドルだ。タイのプーケットは999オーストドル、マレーシアのリゾートも899オーストドルで、自分のポケットマネーで入国ビザの金を払うようなところはどこもない。
バリはもはや、自分の持っているお金の値打ちを感じさせてくれる経済的な旅行先ではなくなっており、加えて非能率ですっきりしない入国手続や追加費用を強いられる、あまり魅力的でない観光旅行先に変貌しつつある。加えてテロやセキュリティ問題への不安がこの国全体の上空に垂れ込めていれば、観光客の足は遠のくことが目に見えている。バリのツーリズム産業が新政府と手を携えて観光客を呼び戻すための効果的な努力を払い、かつてのバリの姿を早急に回復してもらいたいものだ。


「バリでHIV/AIDS罹患者が増加」(2004年11月26日)
23日にジャカルタで催されたWHOのHIV/AIDSに関する報告会で、女性罹患者の増加がインドネシアを含めて世界的傾向にあることが明らかにされたが、その状況を助長しているのは単なる罹患者の無知だけでなく、女性が社会的経済的弱者のポジションにあることが生み出しているジェンダーバイアスがそれに手を貸しているという面が今年の報告の中で強調された。
その女性の増加という点に関してバリ州HIV/AIDS防止コミッションのマンク・カルマヤ職員は、2004年8月時点でポジティブ罹患者数496人中男二人に対し女一人という比率ではあるが、女性の増加率は高い、と裏書する。同コミッションの推測ではバリ州に罹患者は3千人おり、1千9百人は性行為、1千1百人は不法薬品の注射から、と見られている。「中でも世の中に非科学的な神話が存在しており、『外を出歩きまわる不良女でない、いつも家にいる素行の良い女は、絶対エイズに罹らない』とか、『年若い少女は決してエイズに罹らない』などということを信じている人もたくさんいる。」との談。
最近の顕著な現象は15歳から29歳という年齢層で罹患者が増加していることで、若年層の性行動の乱れが原因であると見られることから、対象をしぼってのHIV/AIDS予防普及を同コミッションは計画している。


「ガルーダ航空が福岡便を再開予定」(2004年12月16日)
ガルーダ航空は、経済危機で閉鎖していた航路の再開を計画している。その筆頭はデンパサル〜福岡便で、1998年以来閉鎖していたこの航路を来年三月頃には再開する予定。またジャカルタ〜大阪便も同じ時期に今の週三便から週五便に増やす予定。日本向けとは別に、全く閉じられていた欧州航路も再開を計画している。従来はさまざまな要因から、ジャカルタ〜アムステルダム線が欧州航路の基本とされていたが、今度の再開に当たっては完全に営業的見地から飛行先都市の選択を行う考えで、ロンドンになるかフランクフルトになるか、それともアムステルダムになるかは市場の状況次第とのこと。もともと欧州線再開は2005年冬が計画されていたが、予定は早められて来年4月から6月のどこかで再開にこぎつけるらしい。また使用機種は必ずしも大型機が使われるとは限らず、一回り小さい機種で便数を増やすということも検討されている。
ところで来年政府が予定している石油燃料小売価格引き上げに関連して、航空機燃料も当然アップすることになるはずであり、総コストの三割を占める燃料費の値上がりは航空券料金に影響を及ぼさないはずがなく、それが今の航空機利用者数にどう影響するかまだ予断を許さない、ともコメントしている。


「バリ州知事が海岸では高波に警戒するよう市民と観光客に呼びかけ」(2004年12月29日)
26日に発生したインド洋津波災害で、大きい被害を受けたインド洋沿岸沿いの観光スポットへの訪問を予定していた観光客が急遽訪問先を変更しており、その一部はバリを主体にインドネシアへ流れてきていて、地元観光業界では政府に対して入国に便宜を図るよう要請している。しかしインド洋海底にあるプレート境界面のひずみがこれで落ち着いたという保証もなく、また季節的な気象が大波を引き起こす可能性もあることから、デワ・ブラタ、バリ州知事が28日、海岸にいる地元民や観光客は警戒を怠らないように、と警告を発した。
デンパサルの地学気象庁第三地方室長ワヤン・スアルダナは、ヌサトゥンガラ諸島南方の海面が摂氏1度高くなっており、蒸発活動が活発化して雨雲の発生が盛んになっている、と語る。この悪天候による強風の発生と、南シナ海で頻発する風速60キロの強風が北から吹き付けてくるために、ジャワ・バリ・ヌサトゥンガラ一円の気象状況はこの時期悪化する。1月のバリは雨季のピークで、降雨量は3百から5百ミリに達し、ヌサトゥンガラ海域で熱帯暴風が発生するとバリは風速30から50キロの暴風雨に見舞われ、海岸は高さ4メートルほどの大波に洗われる。そのために、海岸にいる人は突然の大波に警戒するよう、また外国人観光客に対しても注意を要請するようにバリ州政府は呼びかけている。
一方、ジャカルタから近いバンテン州アニエル海岸は、毎年年越しを海岸に並ぶホテルやバンガローで送るジャカルタ都民でにぎわうのだが、年末を直前にして起こった今回の津波大災害のために宿泊予約の取り消しが相次いでいる。「例年大晦日の四日前にはフルブッキングになるのに、今年はまだ大晦日の宿泊予約は半分程度で、おまけに予約済み客は宿泊日を先延ばしし始めている。前金を払っている客でさえそんな調子だ。スンダ海峡にも波が来る可能性がある、というニュースを気にしているのではないだろうか。」ホテルレストラン会セラン県支部長アスホッ・クマルはそう推測する。セランの地学気象庁支部は、スンダプレートの境界がジャワ島西から南をおよそ2〜3百キロ離れて走っており、そこで今回のような地震が起これば津波がスンダ海峡を襲うのは言うまでもない、とコメントしている。
中部ジャワ州インド洋岸の観光地であるチラチャッでは、年末年始の宿泊予約はフルブッキング状態であり、取り消しはまったく起こっていない。


「ガルーダがデンパサル〜福岡線を再開」(2005年2月24日)
ガルーダ航空はバリ爆弾テロやSARSなどで乗客数が減少したために2002年11月から中断していたデンパサル〜福岡線を今年3月3日から再開する、と公表した。プジョブロト同社スポークスマンによれば、同路線の運航スケジュールは火木日の週三便で福岡発GA−887便が正午12時の出発、デンパサル到着は夕方6時。戻りのGA‐886便はやはり火木日のデンパサル0時40分発で福岡着も火木日午前8時となっている(すべて現地時間)。使用機種は293席のA−330になるとのこと。ガルーダはデンパサル〜大阪線も週三便から五便への増便を予定しており、こちらはGA‐883便で大阪発が午前11時、デンパサル着が夕方5時10分となっている。この路線の増便は3月4日から開始される。
ところで、スカルノハッタ空港ターミナル内にスパが誕生した。Taman Sari Royal Heritage Spaという看板を掲げたこのスパは第2Fターミナル内に設けられ、ジャワ王宮風インテリアで人目を引いている。4百平米のスペースには1VIPルーム、1エグゼキュテイブルーム、8スタンダードルーム、8指圧チェア、ハイドロバス、サロン、カフェ、スパブティックが完備され、営業時間は午前9時から夜11時までで、トランジット客を含めた空港利用客を対象にしている。


「プリペイド式電力メーターがバリで始まる」(2005年4月7日)
国有電力会社PLNが、プリペイド方式電力メーターシステムを開始する。非恒久居住者向けに発案されたこの新サービスは電力利用者にとって選択の幅を広げるものであり、これによってPLNと利用者の双方にメリットが生じることが期待されている。このシステムの立ち上げは季節居住用住居が多いバリで4月8日に行われることになっている。
このシステムでは300kWh、400kWh、500kWhの三種類の電力量が用意され、有効期限はつけられていない。電子メーターの使用量がなくなる前にバウチャーを買って買い足しを行えば継続的に使用することができる。季節居住者にとってもこの電子メーターを持っていれば、別の土地に移って数ヶ月間暮らすといった場合でも電気の心配がいらない。また電力利用契約に付いて回る保証金も不要だし、毎月の請求書にのってくる固定金額も支払う必要がない。PLN側にとってもこのシステムは、毎月請求のためにメーターの数字を調査する手間がなくなり、請求間違いも防ぐことができるというメリットがある。このメーターは購入者の制限を一切設けないので、一般家庭や事業所でも購入できる。
今回の新方式立ち上げはバリのクタ、ギアニャル、デンパサルの三PLNサービスエリアで口火が切られる。バリではジンバラン、クタ、サヌル、ウブッなどの住宅地区で、自己所有住宅をオーナーが季節的に使うという家屋が少なくなく、新方式サービスに対する需要の下地は十分にあるとPLNは見ている。


「ヌサドゥアにリゾートコンド建設計画」(2005年4月18日)
バリのヌサドゥア地区でリゾートコンドミニアム建設が6月から開始される。PT Metafora Internasionalが行うこのプロジェクトは4.8ヘクタールの土地にコンドテル6棟と個人所有向けアパートメント4棟を建設するというもので、投資総額は1千9百万ドルが計上されている。ホテルサービスを備えた賃貸用コンドミニアムであるコンドテルのオペレーションをPT Metafore社はノボテルに委ねることにしている。
PT Metafora Internasionalオーナーのハルヤント・アディクスモは、2007年からオペレーション開始という計画のコンドテルは購入希望が殺到しており、17ユニットを持つ一棟は既にオーストラリアアコールが買い取った、と述べている。アコールはその一棟を自社経営する予定とのこと。残る5棟108ユニットも4百件の引き合いが入っており、そのうち6割は海外からのものだそうだ。ユニットの床面積は最大で370平米、ユニット価格は14万米ドルから30万米ドルというレンジ。コンドテルは投資対象物件で、オーナーはノボテルにその経営と管理を委託することになる。オーナーはまた購入価格の8%を年間保証金として受け取れるほか、一年のうち21日自分のコンドに無料宿泊できる。
同時に建てられているアパートメントも、これまでバリに、いやインドネシア全土にすらなかった新しい趣向が凝らされている。一棟は4階建てで各階には2から4ユニットの住居しかない。各階は専用リフトを持ち、床は木製フローリング。もっとユニークなのは、1階の各ユニットにはプライベートプールとガゼボが設置されること。


「潜水艇でバリ海中観光」
バリ島の海底を潜水艦が往く。平和そのもののバリ島に潜水艦?魚雷などもちろん積んではいないから、潜水艇と呼んでおこう。この潜水艇は海面下およそ35メートルの海中に観光客を案内しようというのだ。さんご礁や、そして色とりどりの熱帯魚や群れをなす周遊魚を窓から覗くこのツアーは2004年11月からはじまったもので、いまや人気急上昇中。
バリ島東端カランアサム県(Kabupaten Karangasem)のアムッ湾(Teluk Amuk)はデンパサルから車でおよそ70分。
オデュッセイサブマリン(Odyssey Submarine)号は波静かなアムッ湾に浮かぶ母船の上に鎮座している。母船は海岸から4百メートルほど沖にいて、客の到着を待っている。その日、観光客たちは午前9時半に海岸に着いた。潜航時間は10時半なので、それまでに腹ごしらえとトイレの用をしっかり済ませておくように、とガイドが言う。艇内は飲食禁止、そしてトイレもない。10時半にあと15分くらいという頃合に、潜水艇乗務員たちが陸上にやってきた。切符の販売、救命胴衣の着用、そして艇に関する説明をする。すべてが終わるとスピードボートに乗り込んで潜水艇に向かう。いつのまにか、艇は母船から離れて自力で浮かんでいる。艦橋から中に入ると、中央に椅子が並んでおり、客は背中合わせに座って壁に作られた大きな窓から外を眺める。普段めったに目にすることのない海底の美が窓の外に展開する。
この潜水艇はカナダで造られた電動式のもので、自然保護への配慮から燃焼方式動力を使っていない。おかげで振動もなく、海中の生態系に影響を及ぼすこともない。この種の観光プログラムは東南アジア最初で、世界でもナンバーツーだ、とガイドは言う。類似のものはハワイにあるきりだそうだ。海底をゆっくり潜航していて艇のパイロットが「もうすぐ面白い見ものがはじまりますよ。」と客に話し掛ける。「何だろうか?」と待つうちに始まったのは、艇外にふたりのダイバーがいて、魚たちをあやし、いっしょに遊んでいる姿。その楽しいショーの終わりと共に、海底散歩の珍奇な体験も時間切れとなった。[ 2005年6月 ]


「観光パラダイス・バリの芳名いまだ衰えず」(2005年7月25日)
アメリカの雑誌Travel and Leisureが行なったサーベイで、バリが世界観光地の最優秀賞を得た。審査は、自然、アクティビティ、料理・レストラン、社会、好評ポイントの5カテゴリーで行なわれ、バリが総合でトップになったとのこと。同誌が贈った表彰状の授与式が22日バリ州庁で行なわれ、ジェロ・ワチッ文化観光相から治療中のバリ州知事を代理した秘書室長に手渡された。
今年6月までのバリ入国観光者数は13万6千人。今年8月からインドや中国国民に対する到着時ビザ制度適用が始まるため、バリへの観光客数大幅増が期待されている。


「バリにレンタル携帯電話」(2005年8月15日)
平均一日三千人の外国人観光客が訪れるバリで、PTテルコムが観光客向けにレンタル携帯電話サービスを開始する。Rent Mobile Phone Flexi(RentFlexi)とFlexiCabというのがそのサービスの二本立て。レンタル携帯電話RentFlexiは空港や主要ホテル、旅行代理店などで受け付けられる。レンタル開始時に60万ルピアのデポジットと一日3万ルピアで最低7日間のレンタルフィーを納めると、電話番号とプリペイドの度数が与えられる。一方FlexiCabはタクシー内に通信設備を備えたもので、動くワルテルとも言うことができる。
テルコム側は一ヶ月間の反響を見た上で、観光客がこのサービスを得られる接点を増やしていく計画にしている。


「バリ空港で警備の強化」(2005年10月22日)
ルバラン期間中、バリのグラライ空港における警備が強化される。ルバラン期間中は空港での人の出入りが激増するが、テロリストだけでなく入出国を禁止されている者がその混雑に紛れて行動する可能性があり、失態を起こしてはならないとして同空港移民局が入出国管理を厳重に行うよう予定している。今現在移民局が持っている出国禁止者リストは6千人近く、また入国禁止者リストも5千人にのぼっており、不審な者を発見したら入出国カウンター職員はただちに禁止者リストデータと突合せを行うよう指導が行われている。
グラライ空港事務所長は、警備グレードアップは入出国管理手続きだけでなく、空港施設も細かく保安対策を講じ、犬猫一匹通れないようにする、と述べている。


「ルバラン長期休みは観光業界への福音」(2005年11月14日)
イドゥルフィトリの長期休みに、全国各地の主な観光地行楽地は多数の人出を迎えて、沈滞しているビジネスの重荷から解き放たれた時期を謳歌した。文化観光省マーケティング総局のデータによると、バリ島ヌサドゥア地区の四星級ホテルは10月28日から11月4日まで客室稼働率は90%に達し、宿泊客の60%が国内観光客だったとのこと。同地区の五星級ホテルの客室稼動は60%で、こちらも過半数は国内客だった。タンジュンベノア地区は四星級が100%、五星級は90%の客室稼動で、国内客がメインを占めた。クタ地区では三星級が100%、五星級は80%の客室稼動。10月1日の爆弾テロに反発した国内観光客のバリ訪問で、バリ観光業界とバリ州は懸念された経済停滞を吹き飛ばす状況を享受することができたことになる。国内観光客爆発状況はバンドンやジョクジャ、そしてバンテン州のアニェルやチャリタにも起こっている。
行楽地も大きな人出に恵まれた所が多く、都内のタマンミニは5日間に首都圏外からの訪問客をメインに31万5千人が来園し、昨年実績を18%上回った。アンチョルも11月3日から13日までの間、2百万人入場をターゲットとしており、11月10にはすでに16万人の大台に乗っている。文化観光省は今年9月に開始した「祖国を知ろう、祖国を愛そう」プログラム推進を更に推し進め、国内観光客による国内観光地訪問を通して観光産業振興を進めていく考えにしている。観光業界は国内労働力の10%を吸収する大型産業で、直接従事者730万人、間接従事者5百万人の生計を支えている、とタムリン・バクリ、マーケティング総局長は述べている。


「チンタバリ」
ガルーダ航空が観光文化省協力の下にチンタバリキャンペーンを行っている。このキャンペーンはガルーダ航空乗客1万人にバリへの往復航空券を無料提供しようという内容。提供される航空券は5千枚が国内線、5千枚が国際線に二分されている。
国内線無料航空券の抽選に参加する人は、ガルーダ機に乗らなければならない。このキャンペーンの第一部は11月10日から既に始まっており、12月10日でいったん打ち切られるが、チャンスはもう一回あって、2006年1月10日から2月10日までの間、第二部が行われる予定。ジャカルタ以外の都市からジャカルタへの航空券を買った人はその期間、チェックインの際にガルーダが用意するフォームに必要事項を記入して提出する。集められたフォームは搭乗員に渡され、飛行機が飛び立ったあと機内で抽選が行われて、すぐに当選者ひとりが発表される。その往復航空券の使用期限は2006年4月まで。
国際線無料航空券の方は、ジェッダ、ダンマン、リヤドを除くガルーダ航空の定期運行都市に居住する外国人が対象で、ガルーダ航空公式ウエッブサイトwww.garudaindonesia.comにて参加申し込みを行う。当選者発表は2006年1月にガルーダ航空が行い、無料航空券の有効期限は1月8日から5月31日までのフライトとなっている。
第二次バリ爆弾テロ事件のあと、多くの国民がバリで休日を過ごすという連帯感を示したが、11月にはそれも下火になってバリ島内ホテル客室稼動は20%以下に落ちてしまっている。1万人が友人恋人家族を誘ってバリを訪れてくれれば、このキャンペーンは誘い水として立派な効果をあげることになる。バリに魅され、バリを愛する人たちの、チンタバリ。[ 2005年12月 ]


「バリで引ったくり犯罪」(2005年12月12日)
バリ島クタ地区で外国人観光客を狙ってバッグ類を引っ手繰る犯行を繰り返していたグループを、バリ警察が網にかけた。警察に逮捕されたのは7人の青少年たちで、15歳ひとり、16歳ふたり、17歳ひとり、18歳ひとり、21歳と23歳ひとりずつ、という年齢。このグループは、オートバイに乗った二人組みの形で犯行を行い、たいていは深夜、カフェからホテルに戻る途中の外国人観光客のバッグなどを引っ手繰っていた。
今回の逮捕の発端は、12月1日午前2時15分ごろに被害を受けたフランス人女性の所有になる携帯電話を犯人グループのひとりが使用したためで、6人が警察に逮捕され、ひとりは遊び仲間の逮捕の話を聞いた親が子供を自首させたもの。このグループは総勢12人と警察側は把握しており、残る5人の追跡を続けている。一味が主に犯行を重ねていた場所はダブルシックス、ポピーズ1と2、エンバルゴなどの通りで、いずれもクタ地区内で外国人観光客が集まるエリア。かれらから盗品を買い取っていたと見られる女性、エルナ22歳に対しても、警察は常に居所を届け出るよう義務付けている。クタ警察署のデータによれば、過去三ヶ月で同署が受け取った観光客からの強盗・ひったくり被害届は15件。


「外人観光客滞在日数が減少」(2006年2月8日)
第二次バリ爆弾テロ事件以来、バリ島を訪れる外国人観光客の平均滞在日数が12日から9日に短かくなった、とバリツーリズムボード事務局長が明らかにした。グラライ空港での入国観光客数は一日あたり2千人まで減少し、往時の半分しかない。しかも滞在日数まで短縮したために、ホテルの客室稼動は30%程度しかなく、またかつてはひとり当たり支出が1千ドルあったというのに、今では8百ドルまで減少し、バリ島の経済状況も落ちこんでいる。
そんな状況の中で、観光振興の一環として企画されていたガルーダウィスヌクンチャナでの年越しの催しや、バリファッションフェスティバルも中止の憂き目を見ている。不景気で手元不如意となればプロモーション支出も減少せざるをえず、そのため催事も小規模になり、華麗な催しが姿を消すという悪循環に陥ってしまう。バリツーリズムボードはそんな悪循環を打破して、バリの名前を再び世界の観光業界に轟かせるべく活動を進めている。中でも2月14日〜17日にギアニャル県ウブッのデサマスでピースアンドラブフロムバリと題する文化芸能フェスティバルが企画されており、バリ観光への元気付けが期待されている。


「バリで外国人に強制出国措置」(2006年3月9日)
バリ州グラライ空港特殊一級移民局事務所が、入国管理規定違反で四人の外国人を逮捕した。そのうち二人はベルギー人の夫婦エディ・フェルメールとナディヌ・デレスティンで、ふたりは業務訪問ビザ(Visa kunjungan usaha) で入国していたが、インドネシア国内で事業を行っていたために規定違反に問われた。このふたりは2001年から地元民の名義を借りて家具販売店を経営しており、またクロボカン地区でもビラ・アレファという名の貸しビラ事業を行っていた。このふたりは3月6日午後のフライトで強制出国させられた。
またそれとは別に、キャセイパシフィック機でグラライ空港に到着した中国人ふたりが、偽造パスポートで入国しようとして入管職員に発見され、逮捕された。このふたりは入出国検疫所に収容されており、航空券が用意されしだい強制出国措置が取られることになっている。移民局はそれら4人を出入国禁止措置対象者リストに1年間の期限で登録したが、期限は延長が可能とのこと。


「バリでアルコール飲料一斉手入れ」(2006年3月13日)
観光地から片田舎まで含めたバリ州全域で、アルコール飲料の一斉手入れが行われた。2002年バリ州条例第9号では、州内で販売されるアルコール飲料は課金を納め、合法であることを証明するラベルをビンや缶に貼らなければならないことになっている。州警察、州商業工業局および行政警察からなる合同チームが行ったこの一斉手入れでは、カランアサム県でラベルの貼られていないビン入りA群アルコール飲料2,006本が発見された。A群とはアルコール含有が5%までのもので、課金は1本250ルピアとなっている。発見されたアルコール飲料は条例違反として押収された。
インドネシア国内でアルコール飲料販売は政府が行っている商業統制の対象となっており、1997年商工大臣令第359/MPP/Kep/10/1997号にもとづいて生産者・輸入者・流通業者は特別認可をもって規制され、また6ヶ月ごとの取り扱い量もクオータ制によって上限が定められている。ちなみに2006年1月〜6月の全国クオータはA群(アルコール度5%まで)109,851カートン(98.8万リッター)、B群(アルコール度5%超〜20%)68,283カートン(61.4万リッター)、C群(アルコール度20%超〜55%)6,905カートン(6.2万リッター)となっている。特にバリでは外国人観光客によるアルコール飲料消費量が大きく、観光客数が予想外に多くなるとクオータ追加の必要が起こり、その手続き期間中にアルコール飲料の品薄と価格上昇が起こることがある。またアルコール飲料に地方自治体が課金を課している州はあまりない。


「バリに大型投資スイート・ビラ」(2006年3月14日)
PTバリリージェンシー21が2千9百億ルピアを投じてバドン郡タマンムンブルに建設中の観光客向け宿泊施設は今年9月からその一部が稼動を開始する予定。スイスベルホテル・ベイビューレジデンス・スイーツ&ビラと名付けられたこの施設は、シンプルミニマリスト建築コンセプトでデザインされた快適な居住空間を持つもので、5階建てホテルには二部屋(床面積115〜150m2)もしくは三部屋(床面積150〜200m2)から成るスイートルーム78ユニットが今年9月から稼動を開始する。一方、58ユニットのビラは2007年の完成が予定されている。バリ様式の特徴を持つそれら施設は、丘を中心に3.5Haの地区を埋め、高所から見る海と湾そして山を視界に含めたトロピカル風景が特別な付加価値をもたらすものとなる。
この施設への投資はインドネシア国内からばかりか、国外からも引き合いが絶えない。購入者は二年間9%のリターンが保証され、稼動利益の分配、年間数日のオーナー利用恩典、不動産の値上がりといったメリットが享受できる。この施設を運営するPTホームランドインドネシアは2004年からマーケティングを開始しており、市場からのレスポンスはきわめて良好とのこと。販売価格はスイートが12〜28億ルピア、ビラは20〜30億ルピアとなっている。


「バリはビラ建設ブーム」(2006年3月31日)
バリに建売ビラを建設しようというデベロッパーの意欲はここのところ沸騰しているようだ。バリ島内の人気ロケーション数ヶ所における土地開発需要の盛んさがその沸騰状況を示している、と不動産コンサルタントのジョーンズラングラサールがコメントしている。過去三年間の販売用ビラ供給は経済危機前の状況を凌駕している。現在24の建設プロジェクトが進行中で、6百ユニットのビラが売りに出されている。それらプロジェクトの多くはブキッと呼ばれるジンバラン〜ウルワトゥ〜ウガサン地区に集中している。全体の71%を占めるブキッ地区以外には、スミニャッに21%、ヌサドゥアに7%、そしてほんの1%がウブッという分散状況。それらのビラは米ドル建てで販売されており、ミドルクラスクオリティで35万ドルから高級ビラになると100万ドルの価格がつけられている。建売ビラ需要のメインはライフスタイルと投資目的であり、あふれんばかりの老齢年金貯蓄を持つ引退生活世代が旺盛な需要の源だそうだ。出身はアメリカ、ヨーロッパ、日本、オーストラリアなどで、かれらは寒い冬を避けるために熱帯のバリを選んでいる、とのこと。
投資目的での購入に多大の関心を示しているのは、インドネシアの国内外に住んでいる事業家や国際ビジネスエグゼキュティブたち。需要は今年から来年にかけて更に盛り上がるだろう、と関係筋は見ている。特にヌサドゥアのセントレジスやウルワトゥのアリラなど、国際市場でエスタブリッシュされた名前が見られることも、バリのビラビジネスに安心感を与えている。しかし、不安要因がないわけでもない。特に大きい問題は所有権に関するもので、現行農地法に従えば、外国人が持てる権利は使用権しかない。使用権は保証能力が低いとされており、またその権利を許可された者はインドネシアに居住していることを証明できなければならないことになっている。


「バリの闇ビラビジネス」(2006年4月4日)
バリで外国人が行っている闇ビジネスに光を当てろ、との声が地元で強まっている。中でもいま地元行政府の関心を呼んでいるのは、宿泊用ビラのレンタル。実際にビジネスを行っているのに個人住宅の風を装って事業認可も受けず、税金を納めていない。そんな闇ビジネスビラがバリ島内に4百軒はある、とバリツーリズムボードのバグス・スディビヤ長官は語る。それらのビラは大半が外国人の所有だが、公的書類はすべて地元民の名前で作られている。ビラが建てられるのは、水田地区の端や真中、渓谷の縁、海岸、農園の狭間など静かで自然あふれる環境の中で、それに加えて優れた眺望をも備えており、建物もトロピカル風ミニマリスト様式にエキゾチックな伝統的バリデザインが加味されたものになっている。落ち着き、快適さ、プライバシーなどを求める外国人観光客の気持ちをたくみにつかみ、宿泊客に満足を与えるサービスを提供していて、四星級ホテルでの宿泊とあまり遜色がない。料金はサービスのレベルによって一泊2百ドルから1千ドルまでバラエティに富み、ロワーミドル層対象のものの中には、2〜3室のビラ一軒で一晩50万ルピアしないところもある。そのようなビラは所有者である外国人がみずから経営しており、インターネットで宿泊をオファーし、支払いもインターネットで行われるため、インドネシア国内で当局が調査しようとしても何も発見することができない。外国人旅行者が泊まっているときに調査を行っても、「オーナーの友人やファミリーが遊びに来て、泊まっているだけだ。」とビラの関係者が言えば、当局はそれ以上何もできない。
バリ爆弾テロ事件以来、衰退激しいバリ観光業界の足を引っ張っているのがこの闇ビラビジネスだ、と業界と行政府が手を携えて非難の声を強めている。その実態に焦点が当たったのが、2005年10月1日に起こった第二次バリ爆弾テロ事件のあと。インドネシアホテルレストラン会に加盟しているホテルの客には、10月2日以降もそそくさとチェックアウトして帰国するエクソダス現象が見られなかった。ところがその時期、グラライ空港から出国した乗客数は7千人に達した。その現象から業界は、2002年の第一次バリ爆弾テロ事件のあとで増加しだした宿泊用貸しビラがそこまで拡大していたことを思い知らされたのである。
バリでは、合法的宿泊施設が4万2千室を擁しており、年間5千億ルピアを納税している。非合法の闇ビラ4百軒が1万室分に相当すると仮定するなら、その闇ビジネスが脱税している金額は年間1千5百億ルピア相当とみてもあまり外れていないだろう、とバグス・スディビヤ長官は推測している。その巨大な金額にバリ州の各県が目をつぶるはずがない。この際、闇ビラだけでなく、バリで外国人が地元民の名前を借りて行っている不法ビジネスを徹底的に洗え、という声が行政官僚の間から出始めている。バリにやってきて隠れみのを操りながらビジネスを行っている外国人は天才的な頭脳を持つ経営の猛者であり、強固なビジネスネットワークを持っている。そのような闇ビジネスがさまざまなセクターで拡大すれば、地元ビジネス界は大きい影響を蒙るにちがいない。だから、かれらを摘発し、排除はせずに抱え込もうという案を同長官は提案している。これまでの未納税分については帳消しにし、今後は前納を行わせる。10室のビラ一軒が年収50億ルピアだとすれば、1億ルピアをすぐに納めさせるのである。
ホテルレストランセクターからの納税が州内で最大のバドゥン県では、郡役所から村役、そして行政警察まで動員して県内の闇ビラ摘発を3月から開始した。地方税であるホテルレストラン税を納税している合法的宿泊施設に泊まる観光客が減少すれば、地元行政府の収入が減少する。納税を逃れている闇宿泊施設に観光客がたくさん泊まれば、業界にとっても行政府にとっても、闇ビラは粛清しなければならない共通の敵となる。バリはいま、闇ビジネス摘発の戦鼓が鳴り響いている。


「バリ空港売店で買ったチョコ〜コンパス紙への投書から」(2006年5月15日)
拝啓、編集部殿。わたしはしばらく前にグラライ空港のお店トコクリスでリントブランドのリキュール入り輸入チョコを買いました。わたしが食べるためと、それから外国人の同僚へのお土産としても何本か買いましたが、価格は1本3万から7万ルピアで結構なお値段です。
ジャカルタに帰ってから、わたしがそれを食べようと包装紙を取って口に入れたところ、なんとリキュールが入っていないのです。どうやら抜き取られたように感じるのですが、トコクリスのような有名店がそんな詐欺まがいのことをするとも思えません。もしこれが政府のアルコール飲料規制の一環として行われているのなら、それは消費者に告知して、それでも買うかどうかという選択権を消費者に与えるべきではありませんか?わたし自身、別の折にスーパーマーケットで同じものを買いましたが、リキュールはちゃんと入っており、何も問題ありませんでした。今回の事件では消費者が損失を蒙っただけでなく、著名チョコレートメーカーのブランド不信を招くことにもつながります。それをお土産にもらったわたしの同僚たちは、包装紙に書かれてあることと中味との違いにきっと目を丸くして驚いていることでしょう。[ デポッ在住、ルスヤント・エフェンディ ]


「インドネシア版プレイボーイがバリに移転」(2006年6月9日)
インドネシア民族の倫理崩壊を煽るものだとして宗教団体を中心にした猛烈な反対運動の標的となり、ついには南ジャカルタ市チランダッの事務所が群衆に襲撃されるという騒動の果てに行方をくらましていたインドネシア版プレイボーイ出版社が忽然とバリに現れた。デンパサル市レノン地区の民家に新たに事務所を開設し、社員たちは家族を伴ってバリに移り、その民家で編集と出版活動の一切を行っている、と同誌編集長エルウィン・アルナダが続く第2号を世に送り出すにあたって公表した。しかし、印刷はジャカルタの印刷会社が継続起用されている。この第2号のカバーガールはフランス娘になっているが、グラビアページにはイ_ア人歌手のフラやジョアナ・アレクサンドラの魅力的なポーズが登場する。同誌編集長によれば第2号の発行部数も10万部でその半分はバリで販売するとのこと。しかし6月7日時点でバリ島内ではまだどこの売店にもお目見えしていないようだ。反対にかれらが追い立てをくらったジャカルタで早くも路上商人たちが行き交う車に向かってそれをオファーしている。
同誌編集長はバリに事務所を移したと表明したが、どうやらそれはオフィシャルな会社登記上の住所を移したにすぎず、実際の出版活動はそのダミー民家とは無関係のところで密かに進められているようだ。このJl Tukad Citarum No.99 Denpasar の民家はバリ教育界の著名者グラ・アルタの所有するもので、同氏の家族や外国人数人がその家に起居しているが、そこで雑誌の出版活動が行われている気配はさらさらない。
反ポルノ法制定に絡んで賛否両派が綱引きをしている中に巻き込まれた感のあるインドネシア版プレイボーイの発行は、たちまち制定推進派の格好の標的となって国民の倫理堕落を嘆く階層から集中砲火を浴びることになった。ポルノのシンボルと化したプレイボーイ誌をインドネシアの地から追い払えと一部国民階層が警察や政府に対して訴えたが、違法行為が立証されなければいかんともしがたいと煮え切らない姿勢が示されたために、群衆による事務所襲撃へと発展してしたのがこの移転に関わる経緯だ。首都警察長官は反対運動があまりにも強硬であるため、プレイボーイ誌に対して発行時期を見合わせるよう提案したが、同誌は初志を貫徹した後で石もて逐われたかっこうだ。
インドネシア版プレイボーイ第1号は、大量に没収されて焼却されたために将来希少価値が付いて高額で売買される可能性が高く、多くの書籍コレクターが残念な思いをしているようだ。


「運ばれなかった荷物は二度と出てこない」(2006年6月28日)
2006年6月6日付けコンパス紙への投書"Bagasi Hilang, Garuda Lepas Tangan"から
拝啓、編集部殿。2006年5月7日、わたしと夫はデンパサルからジャカルタへガルーダ機で戻りました。グラライ(Ngurah Rai)空港に16時50分に到着してすぐにチェックインすると、搭乗券とバゲージタッグをもらいました。GA415便は17時50分にデンパサルを出発しました。スカルノハッタ空港でバゲージをピックアップしようとしたところ、わたしどものバゲージがないのです。ガルーダの遺失物窓口に届け出ると、次のデンパサルからの便を待ってみたらどうか、と勧められたのでそうしましたが、やはりわたしどものトランクはありません。ガルーダの担当者は遺失物届を提出するように言いながら、「14日後にクレームを出せばいいですよ。」と簡単に言うのです。その言葉にわたしは、ガルーダ航空は紛失した乗客の荷物を真剣に探す意思をもっていないのだという印象を強く感じました。
24時間待ってからわたしは自分からスカルノハッタ空港のガルーダ遺失物係りに問い合わせましたが、担当者の返事は「まだ探しており、もうテレックスを打ったので返事のテレックスを待っているところだ。」というものでした。5月9日、わたしはまた空港のガルーダ遺失物係りに問い合わせましたが、前日と同じ返事でしたので、ガルーダ本社に電話してみました。するとその担当者もあっさりとこう言うのです。「14日後にクレームを出してください。キロ当たり10万ルピアが弁償されますから。」わたしたちの荷物が見つかる希望は潰えました。遺失物のことを問い合わせるたびに、ガルーダ職員はあっさりと「請求しなさい」と言うだけなのですから。
電話では埒があかないと考えた夫は5月10日にスカルノハッタ空港のガルーダ航空遺失物係りを訪れました。トランクが見つかるかもしれないとの期待と、そして請求するように言うばかりでなく、紛失した乗客の荷物をよく探すようガルーダ職員に頼むためでした。5月23日までわたしは折々ガルーダ航空に問い合わせしましたが、トランクはやはり出てきません。そしてガルーダ側からも何の連絡もありません。ガルーダ航空は乗客の荷物がなくなったことに対して何の責任も感じないのでしょうか?これは些細な問題だとでも?
キロ当たり10万ルピアの金を渡せば一件落着。でもそのトランクの中には、乗客にとってお金には替えがたいものが入っているのです。そしてトランクそのものすらガルーダ航空の無責任な業務のおかげで無くなってしまったのです。[ 東ジャカルタ市在住、エリザベッ・フタウルッ ]


「バリの不動産開発は前途洋洋」(2006年7月14日)
バリはまだまだ不動産業界の隆盛が期待できる。特に外国人観光客向けのホテル、ビラ、リゾート、レストラン、レクレーション施設などを主体にした不動産開発はまだ供給面でたっぷりと余裕があり、観光産業の回復に伴って活発化しようとしている。地域建設リサーチ機関であるBCI Asiaがバリの不動産産業に関して出した報告はきわめてポジティブな期待に溢れている。PT Bali Tourism Development Corporation が開発した3百HaのBTDCヌサドゥア(Nusa Dua)地区は国際級ホテルの建設が集中している地区のひとつだが、そこに近々もう四つのホテルが参入して稼動を開始する。Bali Griya Shanti Wellness Village & Retirement Homes, Novotel Nusa Dua Golf Resort, Renaissance Resort Villas & Spa, St. Regis Residences Hotel & Villas がそれだ。更にこの地区ではムリアグループがMulia Resort Baliの建設を計画しており、またHotel Bualuも改装計画を立てている。他の地区ではレギアン(Legian)とウブッ(Ubud)で多数のホテル建設プロジェクトが進められている。Legian Nirwana Resort, Ubud Payangan Hotel, Bali Forever Hotel, Bayan Tree Resort, Sea Suite, Ungaran Nusa Dua Resort, Ngurah Rai Hotelなどがそれで、それらの大型宿泊施設とは別により小規模のビラやリゾートなども観光地の周辺に数多く出現している。タナロットバイパス(Bypass Tanah Lot)のGreenlot Sambandha Villasもそのひとつで、バリとスラバヤの開発業者が共同で進めているこのビラ建設は住宅クラスターに160ユニット、ビラクラスターに36ユニットの建物が建設されている。
活発な宿泊施設の建設状況とは打って変わって、小売施設の建設はあまり勢いがない。ショッピングセンターの多くは市の中心部に位置しており、観光地区寄りにオープンしているのはカルティカプラザ通りのDiscovery Shopping Mall。またBTDCヌサドゥア地区に今年年初にオープンしたBali Collection はGalleria Nusa Duaの新装開店版で売場面積2万平米の偉容を誇っている。ここにはそごうデパートがアンカーテナントとして入居することになっている。他にもクタとデンパサルに三つのショッピングセンター建設プロジェクトが計画されている。


「バリの3ホテルが世界トップ10に入る」(2006年8月8日)
ニューヨークに本拠を置くグローバル観光雑誌Travel and Leisure が例年行っている観光地人気投票の島の部でバリが再び首位の栄冠を受けたのは報道されているとおり。この人気投票は島・都市・ホテル・航空会社・クルーズ会社・レンタカー・ツアーオペレータ・スパなどの部門に分かれている。そのホテル部門でもバリの3ホテルがトップ10に登場した。第二位にサヤンのThe Hotel Four Season Resort 、第五位がジンバランのThe Four Season Hotel 、そして第七位にRitz-Carlton Bali Resort and Spa というのがバリの人気ホテルになっているようだ。


「バリの無許可カーゴ会社を取り締まれ」(2006年9月12日)
バリのカーゴ業界は公認や無許可の会社が入り乱れて少量の貨物を奪い合っており、健全経営から程遠い状況にある、と業界者が洩らした。ガフェクシ(フォワーダー運送業連盟)バリ支部の話では、会員会社は202社だがバリ州政府運輸通信局に登録されている業者は253社あり、さらに事業認可を得ないで不法ビジネスを行っている会社が80から100あるとのこと。一方貨物量は月間で2千から2千5百TEUSの海上貨物と2千トン程度の航空貨物しかなく、それを多過ぎる会社が奪い合っているため健全な事業経営が難しく、75%は経営が思わしくないどころか中には存続が危ぶまれているところも少なくない。
航空貨物だけをとっても、グラライ空港管理会社アンカサプラ?は航空貨物が年々それほどの増加を見せているわけではない、と言う。2001年の国内・国際貨物量は55,761トンで、2002年は57,814トン、2003年は53,464トンに落ち込んだが2004年は56,235トン、2005年57,116トンと小幅の回復傾向を示しているにすぎない。
そのような海空貨物量に適正なカーゴ会社数は100から150社であるため、特に無許可営業を行っているカーゴ会社に対する統制措置を取るよう、ガフェクシは当局に要請している。当局のそのような措置に対し、ガフェクシは協力を惜しまないとのこと。ガフェクシは先にグラライ空港倉庫で徴収されているサービスチャージに関して苦情を申し立てていたが、アンカサプラ?グラライ空港ジェネラルマネージャーは、5セントというサービスチャージは長期間にわたって徴収が行われてきたもので、まだ一度も変更されたことがない、と述べている。


「バリで外国人事業者と名義貸し地元民間の係争が増加」(2006年10月9日)
外国人が行うイ_ア国内事業の中でアリババ方式がいつまでもなくならないのは、事業を始めるに際しての条件や手続、あるいは外国人の権利に関する法規がそう仕向けている面があるからだ、と西ヌサトゥンガラ州BKPM許認可課長が語った。アリババ方式というのは地元民のアリさん(回教徒に一般的な名前)が表面上は事業主になっているが、実は華人金持ち(ババと呼ばれる)が実質上のビジネスをすべて取り仕切っているというイ_アに伝統的な名義貸し方式のこと。
「現行の投資許認可規定は外国人にとって合理的で簡便というものでなく、そのためにかれらの多くは法規に反した手続を行っている。地元でビジネスを展開するに際して多くの外国人事業家が地元民の名前を借りて事業許認可手続をクリヤーしようとするのは、その方が容易だからだ。中でも農地法は外国人の土地所有を禁じているため、外国人が事業活動のために土地を所有あるいは購入しようとするなら地元民の名義を借りざるをえない。中には地元の娘を妻にするという戦術を使うことも起こる。そのようなことはロンボッだけでなくバリの観光地区でも頻繁に行われていることだ。それ自体は地元民にとって突然収入が向上することであるために経済的な恩恵はあると言えるが、将来的に法律問題が絡む可能性が高いために地元社会にとって決してポジティブとは言えない。中には自分の名義になった土地を後日、自分のものだと主張する者もいる。これまで長い間協力関係を続けてきたのに、一転してそのような土地係争がバリで流行の兆しを見せ始めているため、外国人事業者の中には早めに事業をPMAに換えてしまおうと考える者も出てきた。バリで増加しているそのような係争がロンボッに広がる前に、政府は外国人の事業許認可法規について内容の改善を行う必要がある。いまやスンギギリゾートにある観光事業は地元民の名前を借りた外国人の手中に握られているのだから。」ニョマン・スカッニャナ同課長はそのようにコメントしている。


「バリは世界のベストアイランド」(2006年10月13日)
シンガポールで出版されている雑誌アジア版「タイム」が読者人気投票結果としてバリにThe Best Island Destination の栄冠を授けた。同誌の観光人気投票では、ベストホテル、ベストサービス、ベストエアラインなどにイ_アの企業が名前を連ねている。それに関して観光文化省マーケティング総局長は「イ_アの観光資源は諸外国にひけを取らないものであるが、問題はインフラや施設、サービスクオリティなどの補完要素が不十分なことだ。」と語っている。バリが観光先として栄冠を獲得したのはこれがはじめてでなく、2005年7月には雑誌「トラベル&レジャー」がバリの三ホテルを世界トップ10ホテルの中に入れているし、世界のベスト2006でもバリが世界のベストアイランドに指名されている。


「バリへの直行ルートは廃止しない、とガルーダ航空」(2006年11月17日)
「海外からバリに直接入っていたフライトをやめてしまうという噂が最近流されているが、その情報は正しくない。今ガルーダは航路網の最適化を検討しており、できるだけ乗客にたくせんの選択肢を与えることを考慮している。ジャカルタにビジネスに来たいひとはジャカルタに、バリに観光に来たいひとはバリに海外から直接到着できるようにすることを目標にしている。」ガルーダ航空のエミルシャ・サタル代表取締役はそう語った。バリ発バリ帰着の国際線ガルーダ便は今年110万席以上が用意される計画。これはガルーダ航空国際線が輸送する乗客数の30%を占める。この部分を減らすどころか、更に他の外国都市からバリへの直行ルート増設も検討していると同代表取締役は述べている。またジャカルタとバリに入国した外国人旅行者の移動の便を図るために、ジャカルタ〜バリ国内線航路は一日10便を運行させている。バリを含めて国内各地の観光産業振興にガルーダが表明しているコミットメントは今後も維持継続していく所存であることを同代表取締役は強調している。


「ガルーダが大阪〜バリ線を増便」(2006年11月21日)
二度にわたるバリ爆弾テロ事件で半減した日本人のバリ観光がかつての状況に戻りつつある。「大阪発デンパサル行きのガルーダ便はいま月間7千人を運んでいる。日本からインドネシア向けのガルーダ航空利用者は、東京〜ジャカルタ線、大阪〜デンパサル線、福岡〜デンパサル線全体で月2万2千人で、これは爆弾テロ事件以前の状況に対して77%になっている。爆弾テロ直後は48%まで落ちていたから、かなり回復してきたと言える。大阪〜デンパサル線乗客の80%は観光客で残りはビジネス客、東京〜ジャカルタ線も75%は観光客だ。」ガルーダインドネシア航空大阪名古屋担当ジェネラルマネージャーはそう語る。ガルーダは大阪〜デンパサル線の乗客数増を目指して2007年3月から今の週3便を週5便に増便する計画で、またそれをサポートするためにいくつかの企画を用意している。その中には大阪発デンパサル行き無料チケット1千枚プレゼントや、バリ州警察長官を大阪に招いてバリの治安に関する説明会を開くことなどが企画されている。
バリ爆弾テロ後の状況について同ジェネラルマネージャーは、老齢者の長期滞在型訪問がなくなってしまったと語る。このセグメントの復活はまだ時間がかかりそうだが、若者と独身キャリアウーマン層に対するプロモーションを盛んにすることでその穴埋めは可能なようだ。日本の若者たちは爆弾テロイシューに対してあまり過敏に反応していないように見受けられる、との由。


「バリに新たな大型海岸リゾート開発案」(2006年11月27日)
バリ島の西北に位置するブレレン(Buleleng)県に一大観光リゾート建設の企画が持ち上がっている。グロガッ(Grokgak)郡バトゥアンパル(Batuampar)の14,124Haの土地にヌサドゥアに匹敵する総合観光地区を作るというのがそのアイデアで、投資総額は11兆ルピアが見込まれている。この開発事業は民間会社PT Istana Mega Singaraja が企画したもので、海岸リゾートとしての売り物はダイビングやイルカ見物、あるいは海に沈む夕日といったところだが、30キロにわたる万里の長城風の城壁を造ってレストラン・カフェ・休憩所などを設けるという案も本決まりになっている。この地区にはホテルやレストラン、そしてこの地区で働くひとびとのための住宅地区や学校あるいは病院なども建設される予定であり、観光リゾートのための地域総合開発の趣をなしている。県内にあるウィスヌ中佐(Letkol Wisnu)飛行場も滑走路を3千メートルに延長することになっている。イスタナメガシガラジャ社は2007年半ばごろから用地買収にかかり、工事は段階的に行われて5年後には全体が完成するという計画になっている。


「バリパラドックス」(2007年1月4日)
「バリは強烈なエネルギーを放射している。こんな場所は世界にふたつしかない。もうひとつはペルーのチチカカ湖だ。ほかにもまだ三ヶ所あるが、強烈さでは比べ物にならない。」バンクーバーから来たというボブ・シュプルノーはそう語った。かれはメディテーショントレーナーだ。いま世界中でひとびとはヨガやメディテーションなどを実践して内面への回帰を強めている。これは時代の潮流に乗ったビジネスであり、この種の産業は2004年に40億ドル市場に達したと言われている。スピリチュアル志向が増大し、業界者がそして消費者がバリを会議や活動や、そして消費の場にしようとしてやってくる。バリで二度起こった爆弾テロがそこにユニークな色彩を添えているようだ。スピリチュアリズムが血肉と化しているバリ人も、グローバルキャピタリズムが掘り出したスピリチュアリズムの商業化に直面している。トラディショナルという形容詞が冠されているジャムゥ・ハーブ・薬・マッサージ・スパそして冥想・ヨガ・精神修養・・・。欲求があり、需要が形成され、供給が行われる。タバナンのプヌブル村には16Haの土地を開いて世界スピリチュアルビレッジを建設するという構想が進められている。これも外資による開発だ。そこでは12のセンターが活動し、そのうちのひとつはインドネシアのものだという。
ウブッでアロマセラピー「ボディワークス」を経営しているクトゥッ・アルサナは外国人客に一時間50米ドルでカウンセリングを施す。そしてカウンセリング予約は三ヶ月先まで一杯だ。インドのヨガ行者の装束に長いひげをたくわえた40代と見えるアルサナは、アメリカで同じことをすれば1時間150から200ドル、ハリウッドでやれば5百ドルにもなる、と言う。「師から何かを学ぶ。それに対して謝礼がなければならない。マテリアルに対して払うものではない。」アルサナはそう言うが、ウブッの北にかれが建てたアシュラム・ムニヴァラでは、無料で地元民にメディテーションをトレーニングし、また祭祀を行っている。
バリでは恐怖や不安からの解放、ストレスのコントロール、精神集中、直観力や創造性の研磨、オーラの純化などといったさまざまなトレーニングのオファーが増加している。アーナンド・クリシュナやブラフマ・クマリスらの支部もバリで活動している。ウブッのバリスピリットでは精神・肉体・魂のバランスを図るためのいろいろなトレーニングが用意されている。アメリカ人ミーガン・パッペンハイムがバリ人カデッ・グナルタと結婚して1998年にオープンしたバリスピリットでは、著名なヨガ導師がやってくるとトレーニングの場を提供している。参加者は寄付金だけを求められ、外国人は9万ルピアイ_ア人は7万ルピアを納める。カナダ人リンダ・マダニはもう12年ウブッに住んでいる。かの女はあちこちのホテルでヨガトレーニングを行っており、参加者は一回5万ルピアを払うだけでよい。ウマ・ウブッは年に数回外国人を対象に世界的に著名なグルを招いて大会を開く。外国からの参加者はひとり1,540ドルから1,890ドルで21%の税金がかかる。インドネシア在住者は宿泊別で760ドルプラス税金とのこと。
外国人がバリに持ち込んできたそんなコマーシャリズムに対する地元のひとたちの反応はさまざまだ。自分の内面を掘り下げていって真の自分と一体化すること。それは自分自身と神との共同作業であり、無心への帰依が求められる。売り買いできるものではない、と多くのバリ人は言う。コマーシャリズムに乗っているバリ人もいるが、かれらもどこかで地元のそんな考え方とのバランスを取っているようだ。ひとは誰しも幸福を願う。スピリチュアルな成熟を図ることがそれに至る道のひとつであることは疑いもない。その手ほどきをしようというビジネスがそんなビジネスを必要としないバリで興隆しているのも面白い現実であるにちがいない。


「バリにもルピア紙幣の贋札が」(2007年1月15日)
バリ島内で2006年第三四半期に発見されたルピア贋札は711枚で、第二四半期の465枚から大幅に増加した。1月8日にインドネシア銀行バリ支店が報告したデータによれば、昨年第三四半期に市中銀行もしくは一般市民から届出のあった贋札は10万ルピア紙幣が390枚、5万ルピア紙幣が316枚という内容になっている。第三四半期だけを過去と比べてみると、2004年は126枚、2005年は375枚そして2006年が711枚と年々倍増していることがわかる。


「バリのカンムリシロムク」
バリ州西バリ国立公園にいる野生のカンムリシロムク(curik Bali)はいま15羽しかいない。違法捕獲と人間の活動によってハビタットの破壊が進んだことがその原因と見られている。バリの原生種であるこのカンムリシロムクは保護動物に指定されているというのに、2000年に観察された85羽は8割方いなくなってしまった。2006年だけで違法捕獲行為が6件摘発されている。しかし2万Haもあるこの国立公園に131人の監視員ではまだ十分に目が行き届いていないようだ。闇市場では数千万ルピアの値がついているカンムリシロムク以外にも、西バリ国立公園一帯における観賞魚や珊瑚などの違法捕獲はあとを絶たない。
国立公園管理事務所は2月14日にカンムリシロムクをブルンブンで10羽放鳥した。ブルンブンとタンジュンパシルがカンムリシロムクのハビタットに適していると考えられているためだ。この国立公園の一部をなしている4千Haの生産用林地区は大勢の人間がさまざまな活動を行っているため、もはや保護鳥のハビタットとして適当とは言えない。管理事務所長は、この国立公園をコア地区と自然林だけにして人間の活動をシャットアウトするのが鳥のためには理想的だ、と語る。鳥のハビタット地区をフェンスで囲えばどうかという意見も出されている。
横浜市カンムリシロムク繁殖センターとの協力下に、国立公園管理事務所は自然に戻す鳥の体にトランスミッターを取り付ける計画を立てている。そうすることで6ヶ月間、鳥の位置を追跡することができる。野生ハビタットにおけるカンムリシロムクの行動がこの方法でより詳しくわかるようになれば将来の方策がもっと的確なものにできるだろう。。市川典良横浜市繁殖センター所長はカンムリシロムクの繁殖を継続して行っていくと約束している。いま横浜には繁殖させた鳥が120羽いる。昨年は50羽が横浜から西バリ国立公園に寄贈された。2月14日にブルンブンで放鳥されたものの一部は横浜産だ。[ 2007年2月 ]


「バリで失業者が増加」(2007年2月16日)
バリの失業者が増加した。中央統計庁バリ州支所が公表したところによると、2006年のバリ州における完全失業者数は103,830人でこれは総労働人口1,950,654人の5.3%にあたる。2年前の完全失業者数89,640人というデータと比べると、二年間で14,190人の増加が見られまた失業率も4.6%からアップしている。バリ州労働局長によれば、低学歴者が完全失業者の大部分を占めていることから失業者減らし対策が難しいのに加えて全国的に停滞している経済状況と2002年と2005年のバリ爆弾テロ事件後遺症があいまって州内の産業に打撃を与えており、観光産業とは別のセクターで特別な対策を講じる必要がある、とコメントしている。ちなみに中央統計庁公表の2006年2月時点での全国完全失業者数は11,104,693人で、学歴別には高卒者が405万人、小学校卒あるいはドロップアウトが352万人、中学卒286万人、大卒38万人、短大卒30万人という内訳になっている。


「ブドゥグル植物園」
バリに植物園がある。Kebun Raya Eka Karya という名のこの植物園はインドネシア科学院が運営するもので、1959年7月15日に設立された。Eka Karya というのは最初の作品という意味で、これはインドネシア人がはじめて造った植物園という由緒にもとづいている。この植物園はブドゥグル(Bedugul)にあるためKebun Raya Bedugul とも呼ばれ、それを略せばKRBでKebun Raya Bogor と一緒になる。ここには174科、753属、1,604種の標本13,584体が集められており、系統分類、用途あるいはテーマに分けて植えられている。ここにあるランのコレクションの中には他の植物園で見られないものが含まれているので、ラン愛好家には必見の価値あり、と同園管理者は強調している。
ここは植物園として造られたものではあるが、あまりアカデミックさを強調するよりも市民がレクレーションのために訪れる中で植物に親しんでもらうことを目指しており、緑の中での保養を市民に勧めている。園内には食事のできる場所もあり、ブドゥグル地方の名物、ウサギのサテやグライを賞味することもできる。そして最近オープンしたのがバリツリートップアドベンチャーパーク(Bali Treetop Adventure park)で、ターザンよろしく木の高いところから隣の木に綱にぶら下がって飛び移るというアドレナリンの沸騰しそうな娯楽が楽しめるようになった。もちろんハードラバーの命綱が身体に巻きついているから落ちても大丈夫だが、ついでにバンジーも楽しもうと余計な考えを起こしてわざと落ちるのはやめておいた方がよさそうだ。
デンパサルから45キロほど離れたブドゥグル地方は標高1,250メーターの高原に位置し、バリ島南部の観光地区にくらべて観光客が少ないためたいへん静かで穏やかな環境を楽しむことができる。バリを訪れる観光客の中でこの地方までやってくるのは2割に満たず、ましてや宿泊する観光客はもっと少ない。だから緑の中で静かに保養したいという客にとってここは穴場かもしれない。景観の優れたブラタン、タンブリガン、ブヤンの三つの湖があり、湖畔のレストランでサテクリンチを食べながら旅情に身をひたすのも一興。さらにはサンゲェ(Sangeh)の野猿の森、タマンアユン寺院(Pura Taman Ayun)、あるいはギッギッの滝(air terjun Gitgit)など近場の観光スポットへも便利だ。宿泊施設も少なくない。一泊4万ルピアというロスメンもあれば、寝室二つにリビングとキッチンがついたビラを一泊30万ルピアで借りることもできる。食事も安い。ヌサドゥアの何分の一かで一日を過ごすことができるこのブドゥグルには往時のバリの楽しみが残されているようだ。[ 2007年2月 ]


「古い財宝をバリに流すフローレスの故買屋が逮捕される」(2007年2月21日)
先祖伝来の宝物として種族に伝えられてきたアダッ財宝を泥棒から買い取ってバリのデンパサルに売り払っていたフローレス島の住民が東ヌサトゥンガラ州ガダ県警察に逮捕された。ガダ県警察が2月15日にバジャワア村のアダッ長老から受けた届出によってエンデ県イッピ港地区に住むサイフル・サニの家を家宅捜索したところ、いくつかのアダッ財宝が見つかった。発見されたのは直径が3メーター近くある巨大な水牛の角ひとつと普通サイズの水牛の角5本、ヤシの殻4個、ショール3枚などで、巨大な水牛の角は古代水牛の頭から取られたものと思われ、数百年を経ているのではないかと推測されている。サイフルは最初、それらの品物はミハエル・アソ40歳とクレリウス・レセ27歳から預かっただけだと主張していたが、警察がそのふたりを取り調べたところそれらの品物はバジャワア村のアダッ倉に保管されているアダッ財宝をふたりが盗んだものであり、サイフルは古く珍しい高価な品物を泥棒から買い取ってバリに流す故買屋であることが判明した。そのためガダ県警察は16日朝サイフルを逮捕した。警察はサイフルが地方にある古い品物やアダッ財宝などを入手して闇市場に流すシンジケートの一員ではないかと見ている。
サイフルの逮捕に関連して事件の全貌をガダ警察とエンデ警察は明らかにしようとしているが、バジャワア村のアダッ倉はここ5年間開かれたことがなく何が盗まれたのかはっきりしないため、警察捜査に協力するためアダッ役たちはアダッ祭礼儀式を行った上で倉を開いてアダッ財宝の何が盗まれたのかを確認することにしている。


「バリは悪天候」(2007年3月6日)
バリ〜ロンボッからヌサトゥンガラ一円は3月中旬頃まで悪天候が続きそうだ、と地学気象庁第三地区総館が警告した。地上と海上で強風を伴う雷雨に見舞われ、また波浪も高くなるとのこと。これはオーストラリア北部のカーペンタリア湾にふたつの大型低気圧が発生しているためで、発達して暴風雨になる可能性を持っている。この気象は12月から3月にかけて例年起こるパターンであり、今ある大型低気圧は2月から3月への変わり目に発生したもので2週間ほどはその勢力が衰えないだろうと同総館長は述べている。低気圧は大気団を生み、ランプンからヌサトゥンガラ南方までの地域に悪天候をもたらす。悪天候はその広いエリアの中できわめて散発的に起こるが、バリ〜ヌサトゥンガラ一円は低気圧から近い位置にあるため影響がもっとも大きいだろうとのこと。特に海上で荒れが強くなるため、小さい船舶は警戒を強めるよう呼びかけている。


「バリで海外出稼ぎ就職詐欺が増加」(2007年3月9日)
第二次爆弾テロ事件の痛手からまだ立ち直れないバリは依然として不景気が続いており、失業者が増加している。そんな状況を利用して就職詐欺がバリ州内で横行している。州内のマスメディアには海外出稼ぎ者紹介所の広告が増加し、そして獲物を狙う詐欺師たちは地方部、中でもクルンクンやカランアサムを主に徘徊している。バリ州労働局は過去三ヶ月で20を超える違法あるいは架空の海外出稼ぎ者紹介所を摘発した。州労働局の事業承認を得ていないものは違法であり、また広告の住所を調べたところそのような事業所が存在していなかったというのは架空に当たる。あまりにも急激なこの詐欺ビジネスの増加に州労働局はなかばさじを投げた雰囲気を漂わせている。
被害者からの届出によると、詐欺師たちは失業者に外国の観光関連産業での仕事口を世話すると誘いかけ、被害者に数千万ルピアの金を用意するよう命じるとのこと。バリ州住民の失業者の多くは観光産業に従事していたひとたちであり、またかれらの多くはバリで仕事するよりも外国で同じ仕事に就く方が収入がはるかに大きいことを知っているため、この種の話に釣られやすい。就職先にあがるのは観光客船の乗務員というのがメインのようだ。これまでも実際に海外出稼ぎ者となったバリ州民の就業セクターはほとんど百パーセントが観光産業で、かれらは観光客船やホテルでの仕事に就いている。2006年バリ州の海外出稼ぎ者総数は2,156人。


「バリで外国人が逮捕される」(2007年3月13日)
バリ州警察はレギアンにあるホテルムカルジャヤの5B号室に宿泊していたアメリカ人58歳を麻薬所持現行犯で逮捕した。カリフォルニア出身のこのアメリカ人の部屋を捜索した警察はハッシーシュ256.4グラム、電子はかり、透明ビニール袋3巻、ルピア現金10万札263枚、5万ルピア札218枚、1,073ドル相当の米ドル紙幣、1,320バーツ、150リンギットなどを押収した。このアメリカ人は1994年から警察の不審人物のリストにあげられており、警察は麻薬販売シンジケートの一員で売人に商品を卸す役割を果たしていたのではないかと見ている。警察はシンジケートの全貌を明らかにしようと意気込んでいるが、容疑者は弁護士の立会いを要求していて取調べはまだ進んでいない。
それとは別に州警察はやはりアメリカ国籍の44歳の男を逮捕した。こちらの事件はイミグレーション法規違反の疑いで、このアメリカ人はコンサルタントビザで入国していながらクタにあるKホテルの監査役の仕事に就いていた。法令では入獄5年罰金2千5百万ルピアの刑罰が与えられることになっている。


「バリで鳥フル保菌生鳥を水際阻止」(2007年4月3日)
バリでは鳥フル予防を目的に、2005年に州知事令第44号で島外から島内への生きた家禽類の移入を禁止した。ところでグラライ第一級動物検疫館は、3月27日から二回にわたって深夜に東ジャワのクタパン港からギリマヌッ経由でバリに入ろうとしたトラックの積荷が生きた家禽類だったことからそれらを押収し、簡易テストで検査したところ鳥フルウイルスを保菌していたことが明らかになった。差し押さえられた鶏や家鴨は3千1百匹で、それ以外にもウサギが7匹混じっている。同検疫館は29日、そのすべてに対してジュンブラナの動物検疫施設で焼却処分を実施した。
バリ州動物保健課長は今回の事件に関し、バリ州の鶏肉需要は一日10万羽にのぼっており、需給変動による価格高騰に乗じて州外から生鳥を送り込もうとする策動は絶えず存在していると語る。中でもバリ島北西部の四ヶ村はその受け入れルートになっているものと見られている。生鳥不法移入者は小さい木造船でそれらの村の海岸に荷を運びあげることを行っており、バリ州政府はそれら四ヶ村住民に対して鳥フルの危険を警告し、そのような不法移入者の上陸を許してはならないと指導している。
ギリマヌッで捕まった東ジャワ州プロボリンゴのナンバープレートをつけてているトラックとコルト車の乗員はギリマヌッ港湾保安実施ユニットの取調べを受けている。発送者の身元を明らかにすることと、生鳥をバリに運び込むシンジケートが使っているルートを解明するべく当局は捜査に乗り出している。


「バリへの鳥フル保菌生鳥密輸は衰えを見せない」(2007年4月18日)
3月末にバリ州ギリマヌッで生きた家禽類を州内に運び込もうとしていたトラックが検挙され、鳥フルウイルス陽性と判定された積荷は焼却処置が施された。州外、特に東ジャワからバリへ食用の生きた家禽類を運び込もうとする策動は絶える気配がない。これは州内の鳥フル汚染防止策として州知事令で生きた家禽類の州内搬入が禁止されたために需給関係がきわめてアンバランスになり、食用鳥肉の価格が大幅にアップしているのが原因だ。家鴨の相場はバリで一羽3.5〜4万ルピアにアップしているがジャワでの相場は一羽8千ルピアであり、ジャワからバリに鳥を持ち込めば濡れ手で粟の大儲けが待ち受けている。鳥フル保菌と言われようともジャワではみんなこれを食っているのにどこが悪い、という論理が根底にあるのかもしれない。あるいは防腐剤入り食品製造と同じメンタリティがそこに根差しているようにも思える。
州外からの不法持込はさまざまな手口が使われている。小さい木造船でバリ島の北部・西部・南西部海岸に陸揚げするスタイルもあれば、用心深い手口として数百羽の家鴨を海上で放して陸に追い上げたりあるいは河口で鳥を放すといった方法も用いられ、あたかもそれらの鳥がバリに住み着いているものであるかのように偽装することすら行なわれている。バリ州検疫館はその対応におおわらわで、職員の人数が少ないために広範囲な監視を行うことができず、特に海岸部住民に対して鳥フルの危険を啓蒙告知して州外からの生きた家禽の上陸を許さないよう指導している。


「バリにゴージャスビラKayanaがオープン」(2007年05月3日)
コンパス・グラメディアグループもホテルを持っている。いまやインドネシアでリベラル知識層から最大の信頼を得ている新聞コンパスを発行しているのがこのグループだがその事業の先駆けとなったのは小型雑誌月刊Intisariで、この雑誌はいまだに長命を保っている。インティサリの第一回発行は1963年で、その2年後の1965年6月28日にコンパス紙第1号が出版された。インドネシアカトリック学士組合の世話役に就いていたヤコブ・ウタマとPKオヨンのふたりが組んで始めたこの出版事業はその後印刷メディアだけでなくオーディオビジュアルメディアへも発展していくが、80年代にスタートした事業多様化でこの組織はホテル業にまで手を広げた。いま同グループは全国で1万2千人を雇用している。
そのグループ内企業の一つでホテルビジネスを統轄しているPT Graha Wita Santika の子会社PT Santika Mitra Samaya が運営するビラがバリ州スミニャッにオープンした。スミニャッとデンパサルを結ぶプティトゥンゲ街道の1Haの土地に建てられたモダンバリ様式のビラがThe Kayana。2006年1月から建設が開始されたカヤナは2007年3月30日に公式オープンを迎えた。ここにはそれぞれが水泳プールを持ちワイドスクリーンプラズマテレビと優れたオーディオ設備が完備された23軒のビラが並び、またホテルにはアユールスパと名付けられたスパが開店して来客を待っている。


「バリで土地建物税額決定通知書返却運動」(2007年5月15日)
今年の土地建物税は値上がりが激しすぎるとしてバリ州バドゥン県クタ地区住民が続々と土地建物税額決定通知書を返却している。バドゥン土地建物税税務サービス事務所に戻された通知書は2,182通にのぼる。土地建物税は町役場からRW(字長)・RT(隣組長)を経由して住民に渡されるもので、住民は税務署から直接それを受け取らない。「課税対象が何も変わらないのに、去年20万ルピアだった土地建物税が一気に2百万ルピア近くになった。」と語る住民もいる。住民からの苦情を受けたクタ町役場では町長が率先して通知書を税務サービス事務所に戻す運動を開始し、隣町のレギアンやスミニャッ住民もその動きに支援を送っている。バドゥン県議会はこの問題を受け止めて税務サービス事務所と住民間の話し合いを斡旋することにしている。


「デンパサル市の住民管理手続き」
2007年6月11日、デンパサル市議会は市庁行政機構の中に許認可局(Dinas Perizinan)が設置されることを承認した。この許認可局は市民の事業開始や変更に関する管理行政を取り扱う部門であり、これまで行われていた統合サービスユニットという許認可行政単一窓口を通して市民からの申請を受け付ける一方許認可交付は個々の担当局が行うというシステムは今後その許認可局が直接それらの交付まで行うという方式へと進化する。これによってより効率的な管理行政と費用の合理化が実現されてデンパサルでの新規事業投資誘致が促進されることを諸方面は期待している。
ところでデンパサル市は住民管理行政においてもいくつかの改革を進めている。住民の出生・婚姻・離婚・死亡などの管理は許認可局ではなくてこれまで通り市民登録住民管理局(Dinas Kependudukan dan Catatan Sipil) が継続して取り扱う。住民証明書(KTP)や家族登録書(KK)の発行手続きも同じだ。市民登録住民管理局が6ヶ月間にわたって取り組んできた迅速・簡便・廉価をモットーとする改革のおかげで、デンパサル市民のKTP延長手続きはたいへん簡単なものになった。ジャワのRW(字)に相当するクリアンバンジャル(Kelian banjar)と郡役所(Kecamatan)を経由しないで直接市民登録住民管理局にKTPを申請することができるようになったのである。同局内に置かれた住民データベース内にその本人のデータがあるかぎり、前駆的な手続きは不要であると決定された。それはKKについても同様であり、さらに市民の順番待ちを軽減させるためにSMSによる窓口予約サービスも開始された。そしてKTPやKKの手続きに来た市民はまず今持っている原本を返却し、費用を支払い、KTPの場合は写真を取り、できあがったKTPにラミネートカバーをかける。その手続き時間はひとりおよそ10分程度で、費用は6千ルピアで済む。同局には一日6百人分のKTP発行能力があり、それとは別に出生・婚姻・離婚・死亡あるいは養子縁組などに関する証書発行については一日50人分の処理能力を持っている。53万人の住民人口を擁するデンパサル市の住民管理行政も進化している。[ 2007年6月 ]


「バリの観光産業でビジネス秩序に混乱」(2007年9月5日)
バリの旅行代理店業界は過当競争に陥っており、業界を盛り立てて行こうと努力するどころか互いに相手を蹴落とそうとする不健全競争が充満している、とインドネシア旅行代理店協会バリ支部長が発言した。許認可行政が二層三層で行われていること、認可交付者による業界統制や規制が機能していないこと、ホテルが自分でローカルツアー販売を行っていること、航空会社が消費者に直接航空券販売を行っていることなどの問題がいまバリの旅行代理店ビジネスの前に大きな障害として立ちはだかっている。加えて行政機関がばらばらに事業認可を与えているために増えすぎた事業者間での過当競争が顕著になってきている。
旅行代理店事業認可はこれまでバリ州政府観光局とバリ州投資調整庁が交付していたが、県庁でも事業認可を出すようになったために旅行代理店が増えすぎており、ビジネス競争はたいへん厳しい状況になっている。「事業認可を交付したならその帰結として事業者の監督がなされるべきものであるというのに、現状は交付の垂れ流し状態になっている。おまけに州政府観光局はバリ州投資調整庁が何件の認可を出したのかすら把握していない。結局代理店はそれぞれ自分が生き残るためにビジネス倫理など忘れて競争相手を蹴落とそうと努めている。最終的には投売り競争となってサービスクオリティが無視され、外国人観光客は低レベルのサービスに苦情してバリ全体の評判を悪化させる結果をもたらす。州政府はこの事業分野について特に許認可窓口を一本化し、業界の適正なあり方をコントロールすることで観光客に対するサービスレベルの維持を業界に徹底させなければならないはずだ。政府の業界指導がないに等しいため、業界各社はバリの観光産業推進を考えるどころか、他者をどうやって蹴落とすかで頭がいっぱいになっている。
旅行代理店業界自身のそんな状況をもっと締め付けるかのように、ホテルの中には自分でツアーを催すところがあり、さらには宿泊販売を直接行って旅行代理店にあまり卸さない傾向が生じている。もっと言うなら外国の卸し会社に対して州内旅行代理店向けよりはるかに安い料金がオファーされている。ホテル業界と旅行代理店業界は持ちつ持たれつのビジネス関係にあったというのに、それはいったいどこへ消えてしまったのだろうか。」インドネシア旅行代理店協会バリ支部長はそのように述べている。


「バリで非合法観光オペレータが増加」(2007年9月18日)
「無許可オペレータが目に余るほど跋扈しており、中には外国人がビジネスを率いているものすらある。秩序統制不在で不健全ビジネスの態をなしているばかりか、安全面に不安を感じさせることも問題だ。おかげで合法ビジネスまでもが不審の目で見られている。インドネシア海洋観光事業者協会バリ支部は120を超えるオペレータを擁しているが、かれら無許可オペレータの数は数十軒まで増えており、安全基準がきちんと守られておらず半額割引といった投売りまで行っている。政府は監督をしっかり行い、業界を指導統制していかなければならない。」インドネシア海洋観光事業者協会バリ支部長はバリ州サヌールで開かれたラフティングとダイビングの観光事業に関するビジネスワークショップでそう発言した。
バリのラフティングとダイビング観光は20年の歴史を持っているが、安全基準に関しては政府がまだその法規を作っていないために国際的な基準を取り入れて実施しているのが実情だ。ラフティングはSungai Ayung, Bakas, Tukad Undaがメインで、ダイビングはTulamben, Menjangan, Nusa Penida, Nusa Dua, Sanur, Amed, Lovinaが主体を占めている。観光事業として行っているダイビングはスポーツとは趣が異なっており、安全性への配慮はより強く求められている。そのためのガイドはいま50人ほどいて、かれらはダイビングインストラクターのサーティフィケートを持っている。また保険について同協会はひとり1百米ドルの保険金を確保しようと保険業界と話し合いを続けているが、いまのところ保険会社はひとり50米ドルしかカバーできない状況であるとのこと。


「バリのあぶないパラセーリング」(2007年12月3日)
2007年10月29日付けコンパス紙への投書"Maut Mengancam Pemain Parasailing di Bali"から
拝啓、編集部殿。バリに家族旅行したわたしは2007年10月17日15時ごろふたりの子供(どちらも男児)と三人、PTタマンサリウィサタバハリ社が運営している南クタのタンジュンブノアビーチリゾートでパラセーリングをして遊びました。12歳の下の子供は係員に付き添ってもらって一緒に飛びましたが、パラシュートは上空に昇らず海面に墜落してモーターボートに引きずられました。陸上にいる係員たちはみんなパニックに陥り、さまざまな指示が飛び交ったのです。「モーターボートは走り続けろ」という指示や、反対に「モーターボートは止まれ」という指示など好き勝手にばらばらな指示が出されていました。結局下の子はパラセーリングを続けるのを嫌がり、もう飛ぼうとしません。14歳の上の子はひとりで飛びました。パラシュートは30メートルほどの高さまで上昇しました。ところが突然、モーターボートが引っ張っているパラシュートのロープが切れたのです。パラシュートはゆらゆらと落ちていきます。恐怖に満ちた子供の叫び声が聞こえました。そのパラシュートはどこに落ちるのかわからないのですから。パラシュートが流されて行く方角には数隻の木造船が繋留されている防波堤があります。運良く子供はその防波堤から5メートルほど先の海面に落ちました。子供はひざに擦り傷と打撲のあざを作り、海水をたくさん飲んでしまったようです。
この出来事に対する係員の動きを見る限り、かれらはまったくプロフェッショナリズムに欠けている印象です。特にモーターボートの運転者はひどいと思いました。わたしの子供たちの身にふりかかったこの予期しない状況に対して係員たちがどうしなければならないのかという訓練がまったくなされていないようです。トラブルが起こったときの標準的な対応行動のマニュアル化ができていないのではないかと思います。またロープの状態をはじめ、設備の安全基準も用意されていないのではありませんか?[ ジャカルタ在住、ヘンダルソ ]


「バリでオーストラリア人が逮捕される」(2008年1月23日)
バリ州警察はオーストラリア人一名を大麻所持現行犯で逮捕した。イニシャルHDB38歳は観光目的で入国しており、1月末までの滞在許可を持っている。州警察がデンパサル市クタ地区に容疑者が借りている家で当人を逮捕した際、容疑者は3.8グラムの大麻を持っていた。警察の取調べに容疑者はそれが自分のものであることを認め、借家に来たふたりの男から入手したと自供している。容疑者は11年前から大麻常習者となり、そのころから頻繁にバリに出入りしていることから、警察はバリに大麻流通シンジケートが根を張っていると見てそのふたりの男を追跡している。
バリでは麻薬禁制薬物所持で逮捕された外国人が少なからずおり、2007年はオーストラリア・イタリー・ベルギー・日本・イギリス人合計5人が逮捕されている。麻薬関連で大きい話題を撒いたのは2005年4月にオーストラリア人ヘロイン運び屋9人が逮捕されたバリナイン事件で、かれらはバリからオーストラリアにヘロインを運び込むためにバリに来ているところを逮捕されている。


「マンボウとの遭遇」
バリ州クルンクン県ヌサペニダ島。この島とバリ島本島を隔てるバドゥン海峡にマンボウがやってくる。英語でOceanic Sunfish、ラテン名はMola-molaという名のこの魚は巨大なものになると体長3.3メートル、体重2.5トンというとてつもないサイズになるそうだ。バドゥン海峡にやってくるマンボウにお目にかかれるのは7月から11月の間。本当は一年中バリ周辺海域を泳いでおり、どこか遠く離れた場所へ回遊しているわけではないのだが、マンボウに会いたい場合は次のような日付にバドゥン海峡に潜っていればそれが叶う可能性が高い由。
2008年7月26日〜8月2日、8月13日〜21日、8月27日〜9月4日、9月11日〜19日、9月25日〜10月3日、10月11日〜19日、10月25日〜31日、11月6日〜15日。
それら乾季の日々にはバドゥン海峡の海底から海面に向けて冷水が上昇してくるので、冷水を好むマンボウがその辺りを遊泳するということらしい。つまり、そんな海に潜るわけだから、ウエットスーツは厚手のものを着こんで行くほうがよい。ちなみにインドネシア周辺海域の水温はだいたい28〜30℃だが、ここだけはなんと16℃まで低下する。
マンボウに会うために潜水しようという人にとって、難関がもうひとつある。バドゥン海峡は海水の流れがたいへん強いため船酔いにご注意ということだ。もしヌサペニダ周辺で二三回潜るつもりなら、サーフェスインターバルの際にボートは陸地に戻らないので揺れる船上で時間を送らなければならない。船酔いに弱いひとにとっては苦行となるだろう。
マンボウに会いたいダイバーたちはみんな7月から11月までの間に好機を求めてバドゥン海峡に集まってくるから、魚を見るどころか人の群れを見ることになるのは間違いない。そうしてだれかひとりがマンボウを見つけると、仲間に合図するためボンベを打ち鳴らす。大勢の人の群れがみんなボンベを打ち鳴らすためにおとなしいマンボウ君は怖がってウロウロ。ダイバーの中にはマンボウに近付いてひれを引っ張ったりする輩もいるそうで、そうやって怖がらせてしまえばマンボウはバドゥン海峡に来なくなるかもしれない。だからマンボウ見物ダイビングオペレータは人数制限を行い、またダイバーにマンボウとの触れ合いを禁止するといった規制を行うべきだ。バリの海洋観光関係者はそう提案している。[ 2008年2月 ]


「バリ島東端はカランアスム」
グラライ(Ngurah Rai)バリ国際空港はバリ島南部に位置しており、インドネシア政府がバリ島観光開発の優先地区に指定したサヌル(Sanur)、クタ(Kuta)、ヌサドゥア(Nusa Dua)はすべてそこから至近距離にある。それに内陸部のウブッ(Ubud)とキンタマニ(Kintamani)の二大観光先を加えると、バリの有力観光産業はデンパサル(Denpasar)市とバドゥン(Badung)、ギアニャル(Gianyar)、バンリ(Bangli)の三県に集約されてしまう。しかしバリ州は1市8県で構成されているのだ。
バリを訪れる年間500万人もの国内外観光客がクタ周辺を中心にしてバリ島南部で休日を過ごし、島内の他の地域にほとんど足を向けようとしない。南部に追いつけ、追い越せ、とばかり観光施設は島の南部から東に向かって増殖しているとはいえ、観光客で埋め尽くされるクタ海岸や周辺部商業地区の賑わいには遠く及ばない。
バリ島東端はカランアスム(Karangasem)県。ここにはヒンズー教の総本山グヌンアグンを従えた島内最大のブサキ(Besakih)寺院があり、またカランアスム王家が1919年に建てたとされる三つの水上宮もある。海とビーチを求めるならチャンディダサ(Candidasa)だろう。クタやヌサドゥアほどの広大な開放感には及ばないものの、したたるような自然の中で落ち着いたたたずまいをチャンディダサは見せてくれる。チャンディダサ海岸を擁するカランアスム県マンギス(Manggis)郡にはスター級ホテル3百室、ムラティ級宿泊施設4百室があって観光客の宿泊の用に応じてくれる。ロンボッ(Lombok)海峡に面したこの海岸からはヌサぺニダ(Nusa Penida)とバリ本島間にある小島の群れが遠望でき、その海域からバリ島東端のアメッ(Amed)やトゥランべン(Tulamben)に至る海洋観光の広大な舞台が広がっている。ところが、デンパサルから海岸沿いに延びるイダ・バグス・マントラ(Ida Bagus Mantra)バイバスが作られて走破時間が3時間から半減したにもかかわらず、チャンディダサ海岸まで足を延ばす観光客はまだまだ少ない。2007年のホテル客室稼動率を見ても、バリ島南部地域は年間で90%に達しているというのにチャンディダサ周辺は50%前後しかない。
そんな状況に活を入れようとカランアスム県庁はチャンディダサ海岸から5キロ西のラブアンアムッ(Labuhan Amuk)に観光客船用埠頭設備の建設を決めて工事を開始した。この港はパダンバイ(Padang Bai)の対岸に当たり、デンパサルからはおよそ60キロ離れている。県庁のこの判断は、これまでバリ島を訪れた観光客船が妥当な繋留場所を得られないためパダンバイ港が緊急避難的にその用に供され、それらの船はおのずから長逗留をしないで出航してしまうためにバリ東部の観光産業がみすみす果実を取りこぼしているという実態を目の当たりにしてきたことにもとづいている。2009年前半にラブアンアムッに2本の客船繋留バースが完成すれば、年間2百隻の客船が1隻当たり平均1千人の観光客を運びこみ、そこをベースにしてロンボッ島や東ヌサトゥンガラの島々まで観光の足が延びていくであろうという構想を県庁は描いている。「バリ島南部がエネルギッシュで賑やかな雰囲気を観光客にオファーするのなら、バリ東部はゆったりと落ち着いたムードを観光客に提供できる。東部にも南部に劣らない自然美はたくさんある。観光客船誘致で東部地域のそんな長所が変質しないよう、海洋活動を求める観光客にもスピリチュアルな体験を求める観光客にもぴったりフィットしたものがオファーできるよう特に留意する所存だ。」カランアスム県令はそう表明している。[ 2008年3月 ]

「バリの高級ビラビジネス」(2008年3月12日)
バリ州バドン県を中心に急増している高級ビラの建設と販売は、一ユニット数十万ドルという高価なものであることから地元住民の手には届かず国外にいる外国人が購入するケースが多く見られ、さらにそれらのビラがオーナーとは別の外国人観光客の宿泊に利用されて外国人同士のビジネスの場にされている。そしてこのようなビジネスの中で地元民はそんな建物の管理運営のために雇われるという恩恵しか受けることができない。
そのような高級ビラの建設はタナロットからクタにかけての一帯でたいへん顕著で、ビラは川に沿った急な渓谷や生産性の高い農業用地に主に建てられており、環境保全や食糧生産の将来性に不安をもたらすものでもある。中でも州行政当局は、ビラオーナーとバリ観光訪問者という外国人同士の間で行われる宿舎賃貸ビジネスが国外で行われるために地元経済に何ら恩恵がなく、そこからの税収増を求めるのも困難であることから、現在盛んになりつつあるそのような形態のビジネスへの対応措置を検討している。そのために現状把握が必要とされており、既に7百軒を超えている高級ビラの実態把握を進めるためにバリ州知事は全県令市長に対し、2006年8月に地元観光宿泊施設の実態把握を命ずる回状を送っている。これは2005年に定められたバリ州地域レイアウト計画に関する州条例第3号に関連しているもので、基本的には地域ごとに定められた土地利用計画に則した用途での利用しか認められないことになっており、また観光宿泊施設の建設は生活環境へのインパクトを検討した上で実施されなければならない。
州観光局長はこの問題に関して、各県市からの調査結果報告はまだひとつも届いておらず、高級ビラはさらに建設がどんどん増加しているありさまで、おまけにビラ賃貸ビジネス許可を申請してくるビラオーナーもおらず、この分野に対する政府の統制はまったく行き届いていない状態だ、と語っている。


「ブノア港を観光船目的先港に」(2008年3月17日)
インドネシアへの観光客船誘致のために観光文化省はバリ州ブノア港をその目的先港として開発することを決めた。インドネシアへの観光客船入港は2000年2001年がそれぞれ49隻だったが2002年は19隻に激減し、その後は年を追って上昇カーブを描いて2006年86隻、2007年74隻と活発になっている。ブノアを観光先港として開発するこの構想では、同港周辺にホテルやナイトスポットをそろえ、また港の施設や航路の整備なども行われることになっている。
2007年のバリ入国外国人観光客は170万人でバリを訪問する観光船も増加しており、ブノア港の開発は2008年中に行って2009年から積極的に外国観光客船誘致を図りたい考え。政府はその構想に並行してクパン、アロール、マカッサル、ビトゥンも目的先港として開発する計画を立てているものの、第一優先としてブノアの開発に力を注ぐことにしている。


「わたしのバリを返せ」(2008年4月21日)
クンバリカンバリク。きっと、こう書くほうが判りやすいだろう。Kembalikan Baliku。
1987年10月31日、東京の日本武道館大ホールで開かれた(財)ヤマハ音楽振興会主催の第18回世界歌謡祭で、インドネシア代表として舞台に上がったのがこの曲だ。ムハンマッ・グル・イリアント・スカルノプトラの作詞作曲になるこの曲は、印象的な出だしとバリの伝統音楽を混ぜ込んだ現代ポップス、そして華やかなコレオグラフィーが聴衆の人気を集めてオーディエンス賞と審査委員長が与える川上賞を獲得した。この作詞作曲者はインドネシア初代大統領スカルノとファッマワティの間の5番目の子供で、通常グル・スカルノプトラという名で知られている。
今から20年も前、当時34歳だったグルが予言したバリの姿が、年々実現の度を深めている。バリがバリ島民の手から遠いものになりつつあるのだ。耕して天に至る、という趣を目の当たりにさせてくれるバリの水田。棚田が丘の麓から頂上まで連なり、あぜ道に植えられたバナナと椰子の木さえなければ、どこかで見た日本の風景かという思いが観光客の郷愁をかき立てる。バリは米どころなのである。
粘り気のあるおいしい米として人気のあるクロボカン(Kerobokan)米。クロボカン米を産するバリ州バドゥン県クタ郡クロボカン村はいま、あちこちに豪奢なビラが建っている。インターネットに数十万ドルという価格で登場するそれらのビラに目をやったワヤン・トガ75歳は「外国人か、そうでなければジャカルタの金持ちしかあれを買うことはできない。わたしらに手の届くものじゃないよ。」と言う。かれはそんなビラの裏手で草を刈り集めている。ビラが建っている土地は昔、かれのものだったのだ。
クロボカンにはいま、続々とそんな高級ビラが建設されている。ビラの住人は村人にそのビラの面倒を見させながら、自分たちは自分たちの住んでいる世界の習慣をここにまで持ち込んできた。美容サロン・スパ・高級品ショッピング・同じ階層の仲間を集めてパーティ・・・・。子供も同じだ。この村には既にインターナショナルスクールが作られている。窓を開けばのどかな田園風景が広がり、農民たちが水田や畑仕事に打ち込んでいる姿がそこにある。盛り場が懐かしくなればオートバイで10分ほど走ればクタの海岸地区に出る。ショッピング、レストラン、カフェ、砂浜と潮騒・・・・・。クロボカンの豪邸に住む外来者は、その巨大な財力に物を言わせて運転手・女中・庭師などの使用人を抱える。外来者に仕えるのはたいてい村人で、外来者は他の国では考えにくいような安い報酬を払って使用人にかしづかれている。
クロボカン村役場の役職者は、この村でビラのオーナーになって居住している外国人は9家族ある、と語る。「イミグレーション手続きについてかれらがどのようにしているのかはわたしの職権外だ。それはそれとして、かれらが日常活動で何をしているのかがよくわからない。村人はみんな互いに交流しており、寄り合いには集まってくる。しかしかれら外来者は閉鎖的で、村人と交わろうとしないし村の集まりにも出てこない。もちろんかれらはヒンズー教徒じゃないから、われわれもかれらを村の集まりに招くこともない。」
1973年からバリに住んでいるオーストラリア人のマイケル・ホワイトは、経済危機を境にしてバリに来る外国人のオリエンテーションが変わった、と言う。エキゾチックな美をふんだんに持つバリの自然や文化に触れるためにやって来るひとは減っており、自分の国では得られない贅沢を求めてバリにやってくるという傾向が強まっている。「運転手・女中・庭師・・・。個人でかれらを雇い、使用人のサービスを受ける、なんてことが自分の国でできるひとはめったにいない。でもここではそれができる。いまはみんな贅沢をしにバリにやってくる。」
インドネシアの農地法は外国人が土地を占有することを禁じている。しかしそれは机上の理屈でしかない、とたいていのひとが言う。「その規則にもやりようがあるんだ。」ある不動産投資斡旋会社の株主のひとりはそう語る。かれはその会社でただひとりのインドネシア人株主だ。高級ビラを買う外国人は、地元民からKTP(住民証明書)を借りる。言うまでもなくKTPの持ち主には謝礼が支払われる。相場は5%前後だが、最終的には相互の合意金額になる。KTPの持ち主は外国人から数十万ドルの金を預けられて高級ビラを買う形を取るものの、当然その金額の借用証書を作らされる。抵当はその不動産だ。こうしておけば名義人がそれを転売するのはむつかしい。別のやり方はバリ女性を妻にするという方法で、土地建物の購入は妻の名義でなされる。自分の妻に不動産購入の謝礼を払う者はいないだろう。長続きする夫婦がないわけではないものの、必要なものを手に入れた夫から離縁されたバリ女性も少なくない。
さまざまな分野で活躍している著名なインドネシア人が外国人の友人にKTPを貸すという例も多い。国際的にも名の知られたバリの著名な建築家は、外国の友人とのお付き合いでやっていることだ、と打ち明ける。「税務署からそんな高額のビラを購入した金はどこにあったのかと調べられたら大損するリスクを背負っている。しかし付き合いは大切にしなければならない。」
バリはいま、外国人不動産投資家の間でプリマドンナになっているそうだ。シンガポールや香港ではバリの土地・住居・ビラなどの販売が定期的に行われている。知らぬはバリ人ばかりなり、というのが実情らしい。バリで三ヶ月ごとに発行されている不動産情報誌には、下は10万ドルから上は200万ドルに至る不動産販売広告が満載されている。最近では、日本人とロシア人が大量の現金を持ってやってくる、と不動産投資会社の株主は語る。目の前に大枚の現金を積まれて土地を売れと言われれば、それを拒める人間は少ない。だが伝統的な暮らしの中にいるバリ人も父祖相伝の地を売り渡すほどあっさりと金に目がくらむのだろうか?
バリの民俗学者スマルタは、バリ人のアダッ(慣習)の中で水と土地はバリの生命だった、と言う。「土地と水を売り渡せば、バリ人は自分自身を失ってしまう。しかしコンシューマリズムがバリ人の心にしのびこんでおり、今ではバリの伝統哲学であるセルフコントロールがあまり効かなくなっている。元々アダッの中では、土地を売るというような大きな問題は必ず長老・村役を交えて決定を下すのが普通だった。村の共同体の中でだれかの土地が用途転換される場合、他の者の水田に影響が生じることになるからだ。しかし政府がアダッから国法に、アダッ方式の決定からビューロクラシーによる決定へと国民生活に変更を持ち込んだ。おかげでアダッは機能不全に陥っている。」
ウマラスカウ部落ではスマルタの言葉が現実のものと化している。2百Haあった水田の半分が不動産投資家に買い取られているのだ。かつては村が行う水利の水で潤っていた水田の中に、水路の一部が高級ビラの敷地に入ってしまってふさがれたために水が得られなくなったところが増えている。場所によっては周囲がすべて不動産業者に買い取られてビラに包囲された水田もある。そこにはもう水がこない。だがその水田の所有者は先祖伝来の田んぼを手放すのを拒んでいる。いつまで持ちこたえられるのか、それはその所有者にもわからないことだ。
1910年代半ば、オランダ東インド植民地政庁はバリを観光資源にすることを考えついた。伝統アジアの生きた博物館バリをツーリズムの目玉商品にしようというのだ。そのためのさまざまな対策を検討し実施するためにバリインスティチュートが設けられてGP・ロウフェルがその長官に就任した。ロウフェルがまとめた政庁への提言には、可能なかぎりバリに西洋最新文明の香りがするものを持ち込まない、という方針が強調されている。鉄道を引かないこと、西洋式コーヒー農園を作らないこと、砂糖工場はバリに作らないこと・・・。「希少価値を持つ宝石のように、バリの処女性は完璧な状態で保護されなければならない。」ロウフェルは提言書の中でそう述べている。
1920年代に世界中にばら撒かれたバリ観光のプロモーションポスターには、乳房をあらわにしたバリ娘のシルエットが描かれている。何世紀も前から維持されてきた男も女も上半身を隠さない習慣が、バリツーリズムの売りのトップに位置付けられた。風光明媚なアジアの田園風景とそれが相まって、西洋人はバリに「最後の楽園」という献辞をたてまつった。バリの伝統的な生活習慣は、そんなオランダ政庁の方針によって外来文化の侵入から保護されてきたのだ。しかし独立から半世紀を超えている今、バリを昔ながらの生きた博物館に保とうという政治的な意思はもうどこにもない。そのよしあしはさておいて、バリはすでにグローバルマーケットの波間に漂っているのである。
1970年代、政府はバリの経済開発に着手した。企画の筆頭に置かれたのは言うまでもなく観光開発で、クタ・サヌール・ヌサドゥアの三地域がその目的のために選ばれた。最初、クタは農村観光地区の企画を与えられたものの、民宿やロスメンと呼ばれる簡易宿泊施設を設けるという当初計画はいつの間にかその路線から外れて行き、スター級ホテルや現代風の二階三階建て建物が海岸に並ぶようになった。クタから住民の寄合所が姿を消したとき、クタは完全に農村でなくなった。ヒンズー寺院が取り壊されることはないものの、建物群の中に埋もれてその存在はほとんど感じられない。そのような変化はクタ海岸から北へと触手を伸ばし、かつて米どころだったクロボカンやレノンも農村から観光住宅地への道を歩んでいる。
1970年代から80年代にかけて、サヌールやクタなどに建てられるビラは農業が行われている場所を避けて非農業地区に開放的なバリ風家屋が作られるのが普通だった。そうすることで家屋はバリの風土の中に溶け込み、名実共に環境に対立しないものとなっていた。ところが今バリのあちらこちらに建てられているビラや家屋は、バリの風土と文化を一顧だにせず、モダンなデザインと素材を用いた二階建て三階建ての姿で水田のど真ん中に鎮座して周囲を睥睨している。それら建築家の感性はいったいどうなってしまったのか?1973年以来バリに住んでその歴史を目の当たりにしてきたオーストラリア人マイケル・ホワイトはその変わりようを嘆息する。かれはいまサヌールに住んで、イ・マデ・ウィジャヤというバリ名を名乗っている。 インドネシア銀行デンパサル支店のデータによれば、バリの農業用地面積は年々2〜3%の減少を示している。バリ州の地元収入は観光セクターが32%を占めているが、農業は20%に上っている。農業用地の減少はバリ人が町に出て観光セクターに就業できている場合はよいとして、テロ事件などで観光セクターにかげりが出たとき、失業したかれらが故郷に戻るのを受け入れることができていた受け皿がやせ細っていくことを意味している。町で失業したとき故郷に帰っても失業者のままという状況は州民の貧困化につながるものだ。
バリの民俗学者スマルタは、バリ人のものの見方が変化したと言う。「宗教祭事はますます豪華絢爛になっているが、魂はやせ衰えている。世の中の方向性が変化しているからだ。水はバリ人にとって湧き出す源泉から流れ去っていく果てまで大切なものだった。宗教儀式に水が使われ、大勢のひとが経済活動の中で水を使う。だからアダッは水の重要性を守る役割を強く持っていた。かつてバリ人にとっては山の水源がたいへん神聖なものだったが、いまのバリ人は意識が海岸に向いている。水源から出た水が池に溜められて田の水利に用いられ、最後に海に流れ去っていく。その道程に変化を及ぼすようなことはアダッ指導者の許しを得ない限り、実行できなかった。ところが意識が川下に向いてしまった今のバリ人は、水の通過する道程を配慮しなくなり、その一方でアダッ指導者の住民に対する統制も弱くなっている。バリ人社会の伝統的生活コンセプトはプリ(Puri)・プラ(Pura)・パサル(Pasar)だった。プリは支配権を持つ王との関係、プラは神との関係、パサルは庶民同士が交流する場であり、つまり農業社会における社会生活を意味している。ところが現代バリ人にとってプリは政党が取って代わり、プラは慰安娯楽に変化し、パサルは巨大資本に姿を変えた。」
世界中のあらゆる場所が、伝統的生活からモダンな暮らしへと変化している。バリに観光旅行にやってくる外国人の多くも、バリのモダン化は避けられないことと見ているようだ。かれらは商業化された海岸通りでショッピングし、マックやスタバに入り、夜はバーやディスコに集まってくる。バリのひとびとに、この先何世代にもわたって「生きた博物館」でいろと外部者が言うことはできない。だがいまバリを襲っているモダン化がバリ人自身の選択ではないとしたなら・・・・・。


「バリの貨物業界は3ヵ月後がアブナイ」(2008年6月6日)
「もし3ヶ月間経営状態が維持できればなんとか乗り越えることができるだろう。だが3ヶ月後に経営があぶない状態になっていれば人員合理化を行うしかない。結果はこの先数ヶ月間であらわれてくる。」ガフェクシ(Gafeksi インドネシアフォワーダー貨物配送業者連盟)バリ支部長はそう語った。補助金付き石油燃料値上げの重圧が貨物配送業界にもたらす影響について、うまく乗り切れれば問題ないがうまく行かない会社が沢山出れば大量解雇が発生するかもしれない、と業界者は予測している。
バリのカーゴ会社は230ほどあり、各社平均50人前後の従業員を抱えている。それらカーゴ業者の90%以上はバリで生産されている工芸品の運送委託を受けてビジネスを行っている。生産者の注文に応じて商品を詰めたコンテナを目的地まで送るのがかれらの仕事であり、その事業経費の増加は平均15%ほどになる。そのコストアップは陸上運賃海上運賃の値上がりがもたらすものだ。ブノア(Benoa)港からスラバヤのタンジュンぺラッ(Tanjung Perak)港までの海上運賃は20ftコンテナで400万ルピアから460万ルピアに、40ftコンテナは600万ルピアから690万ルピアに値上がりした。一方この業界は激しい競争のためにマージン10%がせいぜいだ、と業界者は語っている。


「エキゾチック・バリ」(2008年6月9・10日)
新進マーケティングアドバイザーのカフィ・クルニアがバリにぞっこんの友人に尋ねた。「いったい、バリのどこがそんなに素晴らしいのかね?」毎月バリに出かけることを欠かさないその友人は言った。「バリの空気を吸うだけでもまるっきり違うんだぜ。」カフィがバリに行ったとき、空港から出て最初に何をしたかと言えば、深く深く深呼吸をした。そしてかれは長い間忘れていたほど大きな抱擁感を感じた。
バリに活気が戻り始めている。来訪観光客数は増加している。バリ爆弾テロ事件が心に残した爪あとは少しずつ薄れかかっている。クタを通ると閉まっている店が目に付くものの、改装中の店も少なくない。ビジネスの車輪が回っているところなら、それはありふれた光景だと言えよう。バリはいま変身しつつあるのだ。たとえばビラビジネス。不動産エージェントがあちこちに開業してビラを売り出している。ジャカルタ住民にとってプンチャッ(Puncak)にビラを持つのはもう時代遅れ。今の最先端はバリにリゾートビラを持つこと。バリのビラに血道をあげているのは国内投資家だけでなく、世界各国からも同じような視線がバリに向けられている。中でも、定年退職後の年金生活をバリで送ろうと考えている外国人がバリに殺到しているのだ。日本の商品を販売しているスーパーマーケット店主は、バリに住んでいる日本人年金生活者がかなりいるのでビジネスは上り調子だ、と語っている。フランスのパリに35年住んでいたインドネシア人も老後をバリで過ごそうと考えてインドネシアに戻ってきた。かれはサヌールでインドネシアレストランを開いてつつましく暮らしている。
バリのその人気はいったいどこから来ているのだろう?バリのマーケティング戦略にとって、的を射たポジショニングを行うためにそれはきわめて重要なポイントになる。カフィはバリのツアーガイドたちからそれについての直感を得ようとした。しかしほとんどのガイドたちはありきたりの、スタンダードな言葉を言うばかり。自然の美、ビーチ、空気、文化・・・。
バリにやってくる外国人が求めているのは、ガイドたちによれば千差万別だ。あるガイドはこんな話をした。日本のやくざがバリに来て、一番エキゾチックな料理を食べたいから案内してくれ、と言ったそうだ。
一番エキゾチックな料理を食べさせてくれと言われてガイドは困ってしまった。何を食べさせてやればいいんだろう?そのやくざは言う。「オレは世界のあちこちを回っていろんなものを食ってきた。毒蛇やサルの脳みそ、鹿のペニス、虎の掌・・・・。」
窮したガイドの頭にひらめいたものがある。かれはやくざ氏をシーフード店に連れて行き、石カエルのバター炒めを注文した。厨房に入って蛙をさばくところを見せ、できあがった料理をテーブルに持ってこさせて一緒に食べた。どうやらやくざ氏はこれまで蛙のバター炒めを食べたことがなかったらしい。その夜の食事は大いに盛り上がったそうだ。蛙のバター炒めをたいそう気に入ったやくざ氏は何度も賞賛の言葉を口にした。「こりゃあエキゾチックだ。」そう、エキゾチックがバリのキーワードだったのだ。
夜、カフィは著名な建築家シンドゥ・ハディプラナに招かれてバリ伝統音楽のコラボレーションを鑑賞した。スマルプグリガン(Semar Pegulingan)ガムランオーケストラとジュンブラナのジュゴッ(jegok)バンブーオーケストラの共演だ。ジュンブラナという地域が形成されたのは1千4百年代のことだそうで、その領域はギリマヌッ(Gilimanuk)からムデウィ(Medewi)海岸までをカバーし、ヌガラ(Negara)が中心都市になった。ジュンブラナを重要と見なした王国はひとつもなかったらしく、この地域を征服しようという動きは起こったことがない。それどころか、スラウェシの王族がこの領域を支配したこともあったようだ。だからなのだろうか、ジュゴッという名のコリンタン(kolintang)のように竹を使ったガムランオーケストラがジュンブラナに出現したのは。
ウブッ(Ubud)のスマルプグリガンガムランオーケストラは1千7百年代以来の歴史を持っている。これは派手でエネルギッシュなゴンクビヤル(Gong Kebyar)ガムランオーケストラよりも穏やかで上品な音楽を奏でてくれる。スマルプグリガンは複数のスリン(suling)奏者を加えたガンブ(Gambuh)ガムランオーケストラにヒントを得たらしく、普通は6人のスリン奏者がオーケストラに入っている。そのふたつのオーケストラのコラボレーションをシンドゥ・ハディプラナがプロモートしているのだ。スマルプグリガンは金属製音板の華やかでダイナミックな響きを奏で、ジュゴッは優しい神秘的な竹の響きを漂わせて、まるで陰と陽のからみあう世界が現出された。これを表現するのにエキゾチックという言葉以外で形容するすべを知らない、とカフィは語った。


「バリの不法ビラに地元政府が最後通牒」(2008年8月27日)
バリ州バドゥン(Badung)県に増加している無届営業ビラに対して断固たる法的措置を取ることをバドゥン県庁が表明した。所轄地元行政府に届け出て事業許可を取得し、監督官庁の指導下に事業を行い納税を実施するというコンプライアンスをそれらのビラは行っておらず、国庫収入に損失をもたらしているとともに麻薬パーティや売春など非合法行為の場所を提供する役割を果たしてバリのイメージを傷つけているため、県はそれらの不法ビラオーナー及び経営者に2008年8月29日まで最後の遵法チャンスを与え、その日を過ぎれば容赦なく処罰する、と県観光局長が語った。「この期限の延長はありえない。観光局は処罰権限を持っていないが、県法務局、行政警察ユニット、収入局と共同でこの政策を実施する。もっとも重い処罰は強制閉鎖になるだろう。」
毎日二チームが地区現場調査を実施しており、今はバドゥン県クタウタラ(Kuta Utara)郡とムンウィ(Mengwi)郡で集中調査が行われている。ここ数年バリでは不法ビラの営業が活発化しており、バリ州公認宿泊事業者からの苦情は喧しさを増している。これは2002年の第一次バリ爆弾テロ事件と2005年の第二次バリ爆弾テロ事件でバリへの観光客数が減少する中、プライベートビラやブティックホテルなどが多数出現してプライベート観光トレンドが出現し、従来からの観光宿泊業界客室稼動が大幅な低下を見せたことに関係している。
バリビラ協会2006年12月データによれば、バリ州内には635軒の貸しビラがあって3千9百室が供給され、その7割がウガサン(Ungasan)、ジンバラン(Jimbaran)、スミニャッ(Seminyak)、チャング(Canggu)などをメインにバドゥン県内に散在しているとのこと。一方、バドゥン県観光局調べでは、2007年初現在で県内のビラは711軒あり、そのうち229軒はムラティ級ホテル(いわゆるロスメン)もしくは観光宿舎の事業認可を得ており、また他の182軒は賃貸住居として届出がなされている。県はいま、一切何の届出もしていないビラが不法営業を行っているとの疑いを強く抱いており、それらのビラに対する現場調査を行って違法行為を撲滅させる意思を固めている。
というものの現場調査に難関がないわけでもない、と県庁側は洩らしている。貸しビラがオーナーも経営者もバリに居住していない外国人名義になっているものが多く、また土地は外国人がバリ人から賃貸したりあるいはバリ人や他州在住インドネシア人の名前を借りて購入しているようなものが少なくない。そのような状況にも踏み込んで行くだけの意志を県庁が固めないかぎり、今回の動きも徹底を欠くものになるのではないだろうか。


「バリ、公共運送のエアポケット」(2008年9月4日)
ジャワでもスマトラでも、庶民が利用する公共運送機関はたいてい乗合い自動車だ。1台買うだけでもたいへん巨額な投資になるバスよりも、スズキキャリーやトヨタキジャンあるいは三菱コルトを改造した乗合い自動車のほうが事業経営者にははるかに効率的であるにちがいない。だから地方部はどこでも、そんな小型乗合い自動車アンコッが路線を大量に走っている。
バリはと言えば、ここもその例にもれないのだが、ただバリで特徴的なのはアンコッの路線が地域内を十分カバーしておらず、また運行距離がきわめて短いことだ。サヌルからデンパサル市内へ行くだけでも数回乗り換えなければならない。そのような不便さを客に押し付けていればビジネス競争の中で敗退せざるを得ないわけで、案の定バリのアンコッビジネスは青息吐息のありさまになっている。デンパサルからシガラジャ(Singaraja)まで100キロの行程を走る乗合いバスは、経費に見合うだけの客を乗せなければ発車しない。つまりngetemを行う。そしてなんと、当初の予定から4日遅れてバスはやっとデンパサルのタ−ミナルを出発した。それだけ乗客が少ないということなのである。これはバリ人の移動性が低いということを意味するものでは決してない。
バリの特殊事情は島民のほとんどがオートバイを持っていることで、四輪車二輪車登録台数合計と州民人口の比は1対2になっているそうだ。いまやオートバイ購入がきわめて容易になっており、頭金30万ルピアですぐに二輪車を乗り回すことができる。マルチファイナンス業界も過当競争に入っており、頭金不要という業者も出現している。デンパサル〜シガラジャ間を乗合いバスは2時間で走るが、自家用オートバイを飛ばせば所要時間はほぼ半減する。だから乗合い自動車の需要が縮小するのも避けられない。
次に特徴的なのは、主に観光客を対象にしたレンタカービジネスがたいへん盛んであり、競争原理が料金レベルを他州よりも低いものにしている点だ。これは島内の観光先を公共運送機関網が十分カバーしていないことの帰結でもあり、観光見物をしていざホテルに帰ろうとするとタクシー以外に交通機関がないという観光地はあまりにも多い。レンタカー料金はスズキAPVだと12時間でわずか15万ルピア、トヨタアルファードでも12時間で120万ルピアだ。オートバイは一日借りても5万ルピア、自転車だと12時間で1万ルピア。上述のレンタカー料金は借りた者が自分で運転する場合のもの。その昔、外国人を含むレンタカー泥棒シンジケートが警察に摘発されたが、一味はそのときバリでレンタカーを借りまくり、ジャワに運び去って売り払っていた。バリのレンタカー業界はその前例にも懲りなかったようだ。レンタカー盗難の保証はインドネシア人だとKTP(住民証明書)、外国人はパスポートを預けさせるようだが、公文書が簡単に偽造できるインドネシアでその方式がどこまで有効性を持ちうるのかは大きい疑問でもある。


「ポルノ法施行をバリ州が拒否」(2008年11月4日)
2008年10月30日の国会総会でその推進派が念願のゴールキックを果たしたポルノ法に対して、バリ州知事とバリ州議会議長が共同で拒否宣言を発した。ポルノ法の背景については既に報道されている「再び、ポルノ!」(2008年9月23日)が参照いただける。
マデ・マンク・パスティカ州知事とイダ・バグス・プトゥ・ウェスナワ州議会議長は10月31日デンパサルの州議会議場で、国会総会が可決したポルノ法のバリ州内における施行を拒否する公式発言を行なった。「バリ州民の名において、10月30日に国会が可決したポルノ法案は実施できないことを宣言する。」
ポルノ法はバリ州民の持っている思想や社会原理に相容れないものであるというのがその理由。州知事と州議会議長が発したバリ州民意思表明はまた州民に対する警告をも含んでいた。「州民は平静かつ慎重に行動し、インドネシア統一国家を維持する誘導的な情況を保持して容易に扇動されないように。」
バリ州政府と州議会は中央からのいかなる圧力や干渉にも決して屈服しない。バリ州民のこの動きは中央政府に対する叛乱などではなく、バリ州民はその法令を実施できないということを主張しているだけである。州指導部はその姿勢表明についてそのように説明した。
国会内部でもポルノ法の成立に反対する会派がふたつ出現したこと、また非イスラム系住民がマジョリティを占める州での反対が強いこと、さらに女性に対するジェンダー抑圧原理を持つ法令であるとの理解から女権・人権保護団体の反対が強いことなど国民諸階層からの強い抵抗を前にしてユスフ・カラ副大統領は、実施細則法規の原理をなす法令が定められただけで、これからその実施に関する政令等が作られるわけであり、まだ国民生活に直接どのような影響をもたらして行くものであるか確定したわけではないため、国民は過度な不安を抱かないように、とのコメントを出した。また反対する各層は司法審査という道があるので、法制度的に確立している道を通って改善を図るように、とも国民にアドバイスしている。
社会改革と人権保護を目指す民間機関の役員は、ポルノ法が成立した以上それに反対する国民は地元行政府の動きに監視を怠らないように、と呼びかけた。中でも一部の民間政治グループが既に成立したポルノ法に名を借りて法の執行や確立を名目にストリートジャスティス行動を活発化させる可能性が高いこと、さらにポルノ法成立を待ち構えていた各地方自治体の地元政治エリートがポルノ条例作りに精を出し始めることなどが予見され、男女平等や人権保護の確立を求める国民はそれらに対して早め早めに反対の声を上げていかなければならない、と語っている。


「小スンダ列島のシャングリラ」(2008年12月22日)
バリ州バドゥン県はバリ島南部の二大観光地クタとヌサドゥアを擁し、州内で最高の観光収入をあげている。県の南端は州の最南端でもあるバドゥン丘(Bukit Badung)で卵のように膨らんだ半島の形をなし、そこから北に向かってジンバラン〜グラライ(Ngurah Rai)空港〜クタ〜クロボカン(Kerobokan)〜ムンウィ(Mengwi)〜アビアンスマル(Abian Semal)〜サンエ(Sangeh)と内陸部に入り、北端は2千メートル級のマグ(Mangu)山に至る南北に細長い県だ。クタ〜クロボカンの東はデンパサル市、ムンウィ〜アビアンスマル〜サンエの東はウブッ(Ubud)を抱えるギアニャル(Gianyar)県、西はタナロッ(Tanah Lot)のあるタバナン(Tabanan)県、そして県北部はタバナン・ブレレン・バンリ・ギアニャルの4県に接するという実に異様な形をしている。総面積は418平方キロ、人口は36万人と報告されている。
このバドゥン県でいま11件のリゾートホテル建設プロジェクトが目白押しに並んでおり、総額8千8百万ドルという巨額の投資がこの県にもたらされようとしている。既に建設が始まっているもの、来年開始を予定しているもの、あるいは既存施設を拡張するものなどそのプロジェクト進行ステータスはさまざまだが、おおむね2009年から2010年にかけて完成稼動開始という日程になっており、近々またまた豪華絢爛たる殿堂が林立することだろう。11件のプロジェクトの名前は次の通り。
Holiday Inn, Tongtong Villas & Condotel, Permata Graha Pecatu, Liv Bali Villas, Pelangi Bali Hotel, Karthi Hotel, La Vie Vulla, Raffles Amartha Resort, Ungasan Villa, Dinapura 88 Suites Hotel, De Ramachandra Villas.
タバナンにも新規プロジェクトが計画されているようで、バドゥン以外の他県にも追々観光施設は増加して行くのだろうが、一頭他を抜きんでたバドゥンはどうやら小スンダ列島のシャングリラになりつつあるようだ。


「バリの銀細工に破産の危機」(2008年2月27日)
銀素材の30%もの値上がりで、バリの銀細工産業が貧血状態に陥っている。過去三ヶ月間に国内の銀素材価格はキロ当たり530万ルピアに達し、90%が小規模零細事業者で成っているバリの銀細工は生産活動ができなくなってしまったためにおよそ1万人が今や失業の危機に直面しているありさまだ。バリ銀協会副会長によれば、ギアニャル県スコワティのチュルッ銀工芸センターで生産活動を行っている協会所属の百軒ほどの銀細工事業者や職人は、従来から銀素材のストックを持つだけの資金繰りすら不如意であり、大きく値上がりした素材の仕入れをあらたに起こすことができないまま日数を重ねる状況になっているとのこと。海外から多くの注文を抱えながらも急激にコストが上がった銀素材をいま購入すれば、旧コストをベースに結ばれている契約では大きい赤字が発生するのは目に見えている。銀素材価格は年に一回値上がりが起こっていたが、これまで今回のような大幅値上がりが起こったことはなかったそうだ。たとえ何らかの方法で現存オーダーの供給を終えたとしても、現在のコストをベースに結ぶことになる次の契約が成立する可能性はきわめて薄い。
バリの銀細工はヨーロッパ・アメリカ・日本などで人気が高く、バリの輸出産業の中では大手の位置を占めてきた。2007年の輸出実績は3千万ドル1,960万個で、それぞれ前年から20%、35%の上昇を示している。ところがこのような状況に陥ったことから、海外バイヤーは買付先をバリからタイ・インド・メキシコなどに移す可能性が高まっており、業界者は国有採鉱会社PTアネカタンバン経由で銀素材コストの引下げを行なうよう政府に要請している。


「バリ空港で旅客への事故補償制度」(2008年7月31日)
空港運営国有事業体PT Angkasa Pura I が空港利用者に対する事故補償を開始した。アンカサプラ?が運営しているのはNgurah Rai (Bali), Juanda (Surabaya), Sepinggan (Balikpapan), Hasanuddin (Makassar), Sam Ratulangi (Manado), Adisumarmo (Surakarta), Frans Kaisiepo (Biak), Selaparang (Lombok), Ahmad Yani (Semarang), Pattimura (Ambon), Adisutjipto (Yogyakarta), Syamsuddin Noor (Banjarmasin), El Tari (Kupang)の13空港で、首都ジャカルタやメダンの空港は別会社のアンカサプラ?が運営している。
この事故補償制度が開始されたのは2008年7月からで、空港エリア内で事故にあった航空券を持っている旅客がその対象になっている。チェックインを済ませてターミナルビル内にいる者という狭い条件になっていないため、空港まで来て車から降りたときに事故にあったという人でもこの補償は適用される。ただしトランジット旅客の場合はターミナルビル内での事故のみが対象となり、また他空港からの到着旅客は空港到着ターミナル入り口から出迎え者ホールまでの区間が対象となる。
補償の内容は、死亡が7千5百万ルピア、恒久的後遺障害はその程度によって異なるパーセンテージが7千5百万ルピアにかけられる。負傷の場合は身体部位によって金額が異なる。この補償の対象に入らないのは、商業航空機を使わない者、放射線被ばく、暴動や内戦の場合。また航空会社から何らかの補償が与えられる場合も空港からの補償は適用されない。
この保険はアンカサプラ?がPT Jasindoを使って行うもので、保険料はアンカサプラの経費が使われることになっており、アンカサプラが旅客にこの保険に関する料金を請求することはない。アンカサプラ?の管掌下にある13空港の2007年年間利用者数は3千万人だった。ちなみにスカルノハッタ空港は一空港だけで年間3千7百万人が利用している。


「大臣閣下も現代の殿様」(2008年8月13日)
2008年4月11日付けコンパス紙への投書"Menteri Marah Diperiksa Alat Detektor, Ajudan Panik"から
拝啓、編集部殿。バリでロングウイークエンドの休暇を楽しんだわたしども一家はジャカルタへ戻るため、3月23日インドネシア中部時間13時ごろグラライ国際空港で飛行機に乗ろうとしていました。搭乗ゲートへの入り口はまだあまり混みあっておらず、わたしどもはそこに子供を連れて並んでいたのです。すると突然その行列の左側にワイシャツを着た男性がやってきて、係員に小声で何か言いました。どうやらその男性は大臣の副官らしく、列の後ろのほうから歩いてくる別の男性を指差して「大臣閣下が同行されている」と係員に言ったのが聞こえました。大臣閣下を列に並ばせて面倒をかける必要はない、というのがその副官の意図だったのでしょう。4歳の子供の手を引きながら4枚の切符を係員に示している妻の後ろから別の乗客が「失礼!失礼!」と言いながら進んできて妻が提げているバッグを押しのけたので、妻は端によって道を明けざるをえませんでした。その乗客がさっき副官の示した大臣閣下だったのです。
どこの空港にせよ、乗客は例外なく手荷物をX線透視機に通してから本人も金属探知機の下を通らなければなりません。もし探知機が音を出せば係員が手提げ探知機で、その乗客が危険物を持ち込もうとしていないかどうかをチェックすることになります。こうして搭乗口ゲート前で大臣閣下と女性係員との間にひと悶着持ち上がったのでした。
大臣閣下が通ったとき金属探知機が鳴ったために女性係員が大臣に手提げ探知機を当てようとしたのが大臣のお気に召さなかったようです。後からさっきの副官が人の列をかきわけて進んできたかと思うとその女性係員に近寄って「それが大臣閣下なんだよ・・・・」と教えたのですが、知ってか知らずかその女性係員はあくまでも大臣閣下に向かって手提げ探知機を当てようとします。かの女はきっと職務を果たすことを優先しているだけなのでしょうが、大臣はたいそうお怒りになって係員に怒鳴りつけ、その係員の名前を尋ねていました。副官はパニックになって、どうしてよいやらうろたえるばかり。このシーンは空港での面白い見世物になっていました。[ ジャカルタ在住、アリフ・バハルサン ]


「バリのモータータクシー」(2008年10月6日)
バリでは一家に必ずオートバイが一台ある、とバリ人が言う。実際に路上を見てみると、四輪車が数少なく、二輪車は圧倒的なマジョリティだ。表通りから裏通りの奥まで入っていくと、道路は四輪車1台がやっと通れるような狭さになり、身動きがままならない事態に陥る。そんなところでも二輪車ならすいすい通れるということがその一因になっているのかもしれない。
そういう便利でしかも廉価なオートバイをタクシーとして使わない手はない、とデ・アスタワ34歳が考えた。法務省への会社登記を2008年2月に行なったかれは、さっそくMotortaxiの社名でオートバイタクシー事業を開始した。最初は25台を購入し、運転手を雇ってデンパサル(Denpasar)市とクタや空港のあるバドゥン(Badung)県で走らせた。ところがそれから半年後の8月、かれは更に台数を増やして保有車両を117台にし、今ではギアニャル(Gianyar)県ウブッ(Ubud)までを営業テリトリーにしてしまった。
デ・アスタワがデンパサル市パダンガラッ(Padanggalak)の店舗住宅を借りて設けたコールセンターには毎日平均150件のオーダーが入ってくる。「あいにく空車がなくて、今そちらへ送れません。」と注文を断るケースもしばしば。注文主は会社勤めから家庭の主婦までさまざまで、運転手たちの話では8割がたが家庭の主婦と学校の子供たちだとのこと。中には外国人ツーリストが注文してくることもあるそうだ。外人ツーリストはいったいどこからここの電話番号を知ったのだろうか、とデ・アスタワは首をかしげる。ちなみにコールセンターの電話番号は796−7575だそうだ。
運転手はライトグリーンのベストを着用し、ヘルメットと靴は欠かさない。乗客には常に礼儀正しく接し、安全運転を怠らない。乗客のヘルメットも欠かさないのは法規遵守のためだ。名前はタクシーだがメーターはついていない。モータータクシーは地点システムを使っており、一地点間は片道で1万ルピア。運転手は一日3万ルピアを水揚げとして会社に納める。ガソリン代は運転手負担。運転手のひとりは、一日30万ルピアの収入になると語っている。


「プラの宝物荒らしがまた活発化」(2008年10月7日)
バリの伝統的社会生活コンセプトはプリ(Puri)・プラ(Pura)・パサル(Pasar)だと言われているが、その中で神と人との交流の場であるプラ(ヒンドゥ寺院)に置かれている宝物の盗難がまた増加している。もちろんこれまでにプラの宝物が盗まれるという事件はほとんど全島にわたって発生しており、中でも番人のいないところや番人が頻繁に務めを外すようなプラはまず例外なく盗難禍に遭っている。盗まれるのは高値で売買できる品物であり、盗難が経済上の動機で行なわれているのは疑いもない。泥棒は単に秘蔵されている宝物を盗むだけでなく、中へ入るのが困難である場合には建物の一部を破壊してまで犯意を遂げており、古い遺跡の一部が破壊されることさえ起こっている。
最新の盗難事件はギアニャル(Gianyar)県スカワティ(Sukawati)のランカン部落(Banjar Rangkan)にあるプラ・ジュロカギン(Jero Kangin)から報告されたもので、2008年10月1日早朝にプラ・ジュロカギンとその対面にあるプラ・ジュロアン(Jeroan)に何者かが侵入して祖先伝来の宝物を盗んで逃走した。犯行は数人で行なわれたと見られており、警察はあちこちのプラを荒らすシンジケートの存在をほぼ確信している。プラ・ジュロカギンから盗まれた宝物は金貨3千枚、木彫りのガルーダ像1体、ビャクダンに黄金をかぶせた聖器4品などで、時価数千万ルピアと見積もられている。
その前日にはやはりギアニャルのプラ・プンチャッブキッサクティ(Puncak Bukit Sakti)から盗難被害届が出されており、犯行が行なわれたのは10月28日とされている。こちらの被害はビャクダンを素材にした木彫りの牛8体と神像1体。このプラは6年前に泥棒の被害を蒙った後見張りを厳重にしてここに至ったが、番人が油断した隙にふたたび被害を受けた。
バリ州警察の記録では、2008年5月から9月初までの間に9件の被害届が出されており、届はデンパサル(Denpasar)やカランガスム(Karangasem)からも来ている。州警察は特別捜査班を編成して宝物泥棒を追及するかまえ。警察は一族のプラはその一族が、村のプラはその村が、そしてもっと高位のプラは諸方面が交代で厳重な見張りを行うよう州民に警告している。


「クンバンジュプン」(2008年12月1〜4日)
kembang jepunつまり日本の花。花は華でもあり、「日本の華」であるならひと昔前の言葉「大和なでしこ」に通じる気がする。スラバヤの花街クンバンジュプンはそういう意味で名付けられたものかもしれない。
日本という国名を最初に認識した外国人は中国人だろうと思うが、マルコポーロがヨーロッパに伝えたジパングはCipanguあるいはChipanguと書かれ、三国志の時代に華南にあった呉で「日本国」という言葉がそう発音されていたという話になっている。福建地方がその呉の中央部に当たるわけだが、現代福建語ではjit-pun-kokという発音になるから、昔のチパングという音がジプンコに変化したということかもしれない。似ていることは確かだ。「日本」はだから、福建語でジプンという音になる。マレーシア語で日本はJepunとなっており、これは福建語のJit-punにきわめて近い。インドネシア語ではJepunとJepangのふたつがあり、Jepunは古語と説明されている。マレーシア・シンガポール・インドネシアの一帯に福建語源の言葉がたくさん取り入れられている事実を思えば、ジュプンもそのひとつではないかというように思えてならない。ではインドネシア語のJepangというのはいったいどこから来た言葉なのだろうか?
振り返って見ると、わたしの知っている限りの外国語で「日本」に対応する言葉はすべて語尾が[n]で終わっている。北京語、広東語、福建語、韓国語、英語、フランス語、イタリア語あるいはその他のヨーロッパ語は一様に最後のスペルが[n]だ。インドネシア語のJepangだけが例外的に[ng]で終わっているのである。これはいったいどうしたことなのだろうか?まさか語尾の[n]の発音が苦手な日本人が英語をJapangと発音したのに迎合したわけでもあるまいが・・・・・
インドネシアでクンバンジュプンという語はふたつの意味がある。ひとつは上であげたスラバヤの花街の地名であり、もうひとつは植物の名前だ。日本ではプルメリアという名前で知られている花木で、インドネシアでは一般的にbunga kembojaと呼ばれているものがそれである。kembojaはマレーシア語で国名のカンボジャをも意味しているようで、インドネシアでも古い辞書を見ると同じようになっているが、その後国名はKamboja、プルメリアはkembojaと使い分けられるようになった印象がある。ともあれ、日本の華「クンバンジュプン」とカンボジャの花「ブンガクンボジャ」が同じものの異称であるというのも面白い現象だ。このクンバンジュプンは、バリになくてはならない花木なのである。
一般にバリ人はジュプンの木を二種類に大別している。ひとつはジュプンジャワで、この種は花が白く葉は広幅だ。ジャワでこの木は墓地の周辺によく植えられていることからクンボジャクブラン(クブランは墓地)の異名を取っている。もうひとつはジュプンバリで数多くの別種があり、その中にはチュンダナ(白檀)、コロンビア、プトリサルジュ(白雪姫)、マチャン(虎)、マルン(栗色)、トリコロル(三色)、インディア、ペングイン(ペンギン)、ビンタン(星)あるいはアングレッ(蘭)などと名付けられたそれぞれに異なる特徴のものが数十種類ある。
バリの花はバリ人の暮らしと密接に関わっている。ヒンドゥ教徒が9割以上を占めるバリ人にとって花びらは宗教祭事に欠かせないものだからだ。大きい祭日は言うにおよばず、かれらは毎日供え物を手ずから用意して住居内の決まった場所に置く。たいていの家庭では、椰子の葉で作った小さな入れ物に花・果実・サトウキビ・菓子などを置いたバントゥン(banten)と呼ばれる供え物を15ほど作り、家の各部屋や仕事道具、玄関前や表の四つ角に毎日供える。だから毎日花びらが欠かせない。ましてや宗教祭事の日ともなればはるかに大規模な花の需要が湧き起こる。バリ人が花木を自宅に植えるのはその需要を満たすためであり、またヒンドゥ寺院や邸内の祭壇の神聖さを高めるためである。多くのバリ人がジュプンバリを神聖な木だと信じている。
バリ郷土文化研究家クトゥッ・スマルタは、ジュプンバリがバリ人の日常生活に密接に関わっていることを認めるものの、多くのバリ人が思っている宗教的な神聖さは根拠がない、と語る。「ジュプンバリがヒンドゥの祭事にきわめて近い位置に置かれているのは、一年中花をつけること、育てやすいこと、姿の見映えがよいこと、花が宗教祭事にたいへん役立つことなどのためではないだろうか。ヒンドゥ寺院や邸内の祭壇近くにジュプンの木があれば神への拝礼献納のときにたいへん便利だ。」
バリのヒンドゥ教徒は宗教儀式に花をたいへん好んで使う。花は芳しい香りをもたらすとともに神聖さをかれらに感じさせるからであり、花がバリ人の心に呼び起こす神聖さというのは大自然に抱かれた人間が持つべき調和と畏敬の念につながるものであると言われている。
バリ州デンパサル市北部トーパティ(Tohpati)地区。バリ島の経済中心部をなす南部から東部に向かうIBマントラバイパスの道路沿いに何軒もの観賞用植物販売業者の店が並ぶ。店とは言っても商品が樹木草花だから、売り物は屋外の空地に陳列されて庭園の態をなす。デンパサル市の観賞用植物販売センターはハントゥア(Hang Tua)通りやスダッマラム(Sedap Malam)通りなどいくつもあるが、トーパティ地区を特徴付けている現象がひとつある。それは80軒ほどある観賞用植物販売業者がみんなジュプンの木を扱っているということだ。もちろんプラソッ・ピナン・ロモサン・パルム・チュマラなどさまざまな樹木や花そして芝生までが売られているのだが、その中でクンバンジュプンを売場のどこかで必ず目にすることができる。ジュプンの木はバリの村落部から供給されているが、中には西ヌサトゥンガラから取り寄せられたものもある。
この地区で22アールもの広い売場を構えている大手業者のひとつ「ジュプンバリ」は、その屋号が示すようにジュプンの花木をまるで百貨店のように多種取り揃えているので有名だ。株から成木、おまけに盆栽風鉢植えまで豊富に取り揃えられており、そしてもっと驚かされることに、この店には57ものジュプンの別種が集められている。バリのジュプンの花はそれだけ色や形あるいは模様が多様性に富んでいるということだろう。中でも希少種で人気の高いのはビンタン(星)あるいはアングレッ(蘭)と呼ばれるもので、花の形が星型をしており色は蘭の花に似ているところからそう命名された。1千数百本ある「ジュプンバリ」店のジュプンの木の中でこの種はわずか2本しかない。他の種が豊かに葉を茂らせ清楚な花を咲かせている中でこの2本は一見貧相に見える。2本のうちの1本はまだ若木で背はまだ1メートルほどしか伸びておらず、花はない。もう1本は根元近くの直径が10センチほどになっており、高さは3.5メートルあって花が咲いている。こちらの木は何人ものコレクターが食指を誘われて買い求めにやって来たが値段が折り合わないのでまだここにある、と「ジュパンバリ」の店主イ・ワヤン・スパルジャ58歳は物語る。
「国内外のコレクターが値踏みをするが、今ひとつ値段が折り合わない。先週来た客からは1千4百万ルピアという値がついた。普通のジュプンはこの大きさだと最高でも2百万ルピアくらいだから、そりゃあけっこうな値段だ。売ろうか売るまいかと思案して、こっちの腹の底が熱くなったね。でもジュプンアングレッはほんとうに希少種になっているから、わしは思いとどまったよ。1千8百万ルピアなら手を打とうってね。バリの農村部を回ってもこの種のジュプンはもう全然見つからないんだから」観賞用植物販売店「ジュパンバリ」の店主イ・ワヤン・スパルジャはそう語る。
トーパティ地区の観賞用植物販売業者の中でジュプンジャワを扱っている店はない。というよりも、バリのどこへ行こうがジュプンジャワは売られていないのだ。それはバリ人自身を含めてバリでジュプンを買い求めるひとはみんなジュプンバリがお目当てだからである。ジャカルタをはじめ国内の大都市からジュプンバリを求めてコレクターや販売業者がバリにやってくる。それどころか、シンガポール・マレーシア・タイ・台湾などからも買付業者がバリにやってくる。スパルジャの店はかつてシンガポールにジュプンの木をコンテナ4本分輸出したことがあるし、今もジュプンの成木3本とバリのパンダン1本をマレーシアに送り出そうとしている。
ジュプンは種類と大きさで値段が決まる。株だと1本20万から25万ルピア、成木で葉と花のよく茂ったものは店での売値が1百万から最高で3千7百万ルピア。幹の直径が60センチから1メートルほどの年経た鉢植えは何千万ルピアもする。ジュプンバリがバリ人の間で商品となってからもうどのくらい経つのだろうか?いやジュプンだけでなく、バリの山野を彩っていた様々な花もそうだ。昔はバリのいたるところで様々な花や花木が植えられ、宗教祭事の需要を手近に満たしていた。ところが街に人口が増えて狭く密集した住環境になるにつれて植物を植える場所が減少し、その一方で増加した人口が花の需要を増大させる。毎日の供え物に用いる花や椰子の葉を市場で買い求める以外に手に入れる術を持たない人口がバリ島全体で増加している。都市化現象と商業化は手をたずさえて進行するものであるにちがいない。


「トミー・スハルトの復活」(2009年2月17・18日)
2001年7月26日に起こった最高裁判事シャイフディン・カルタサスミタ射殺事件の主犯としてその年11月29日に逃亡中の身柄を南ジャカルタ市ビンタロで発見逮捕された元スハルト大統領の息子フトモ・マンダラ・プトラ通称トミーは、中央ジャカルタ地裁で殺人と銃器爆薬不法所持ならびに逃亡の罪で入獄15年の判決を受けて2002年8月16日からヌサカンバガンのバトゥ刑務所に入った。しかし最高裁への再審請求で服役期間10年という減刑を2005年6月に獲得したトミーは、さらに服役期間中6回にわたって与えられた恩赦で刑期が20ヶ月短縮されたことから、2006年10月30日に仮出獄を果たして社会復帰の緒についた。これは刑期の三分の二を終えた服役者に社会復帰の訓練を与えるため、刑期が満了するまで刑務所の監督下に暫定的に出獄させるという制度が適用されたもの。そして2008年10月、トミーは刑期を満了して晴れて世の中に戻ってきたのである。
バリ州バドゥン県クタ南方に石灰岩の隆起した広大な丘がある。鳥の型をしたバリ島の足がつかんでいる卵型のその半島は丘になっており、地元ではブキッ(bukit=丘)と呼ばれている。バドゥン県の丘だからbukit Badungと呼ぶ人もあれば、ジンバランに隣接しているためにbukit Jimbaranと呼ぶ人もいる。ウダヤナ大学キャンパス、Garuda Wisnu Kencanaパーク、ヌサドゥア観光地区、ウルワトゥ寺院などを擁するこの丘は最近開発が急ピッチで進められているが、その卵型半島の北西海岸にあるドリームランドと命名された場所は長い間開発途中で放棄された状態にあった。
ドリームランド海岸から丘の上へあがっていくと壮大な一大観光地区が開発途上にある。リッツカールトンホテルから1.5キロほど南西に離れた場所だが、直接その間を結ぶ道路はない。Pecatu Indah Resortという名のこの一大観光地区開発は最初トミーが自分のプロジェクトとして手がけたものだったが、1998年クライシスで建設が頓挫してしまった。借入金返済の目途が立たなくなったこのプロジェクトは債権者の手からBPPNに移管されて第三者に売却されたものの、プロジェクトの進行はまったく着手されることなく放置されてきた。世の中に復帰したトミーがそのプロジェクトを再び自分の手でつかんだのである。
プチャトゥインダリゾートの運営会社PT Bali Pecatu Grahaはおよそ4百ヘクタールのこのリゾートにスター級ホテル12軒、New Kuta condotel、商業センターKlapa New Kuta Beach、ビジネスセンターと展示会場を持つNew Kuta Village、ゴルフ場New Kuta Golfなどを配置する青写真を実現させるべく建設を進めている。クラパニュークタビーチは2千平米の駐車場を持ち、メインビルディングには地中海様式のレストラン2軒、クラブ2軒、カラオケ1軒が入ることになっている。さらにラウンジ、ビーチクラブ、プラザエリア、水泳プール、ワインショップ、そしてウエディングチャペルも設けられ、どの場所からもインド洋のブルーを目にすることができる設計になっている。このクラパニュークタビーチはさまざまなエンターテイメント施設が国際レベルのサービスを一ヶ所で提供するというバリ島にも稀なワンストップエンターテイメント施設となる。トミーはこのリゾートを1億ドルかけて完成させ、ヌサドゥアに劣らないクタ南部の新観光センターに育てたいと意気込みを語っている。
尚、New Kuta Golf場では2009年2月26日にインドネシアオープンゴルフトーナメントが開催される予定。またリゾート内では120室と278室を擁するLe GrandeとBest Westernの二ホテルがソフトオープンしており、客室の一部は既に稼動している。


「今年のニュピはオゴオゴなしか?!」(2009年3月11日)
2009年3月26日はサカ暦1931年新年にあたり、ヒンドゥ教徒はニュピの四業を行なう。ニュピの四業とは、火を使わないアマティグニ(amati geni)、働かないアマティカルヤ(amati karya)、出かけないアマティルルガン(amati lelungan)、娯楽をしないアマティルラグアン(amati lelanguan)を24時間行なうことだ。そのニュピの日が今年は2009年総選挙日程で選挙キャンペーン期間の中にあり、アルコールを引っ掛けて練り歩くオゴオゴ担ぎの若い衆が御ひいき政党の競争意識をあらわにし、意趣を含んで別のバンジャルの若い衆と鞘当てをするようなことが起こってはならない、との理由からデンパサル市伝統デサユニオン(Paruman Bendesa Pekraman)が今年に限ってオゴオゴ廃止を決めた。というよりも、2004年に行なわれた前回の総選挙でもオゴオゴは行なわれなかったから、5年に一度のお休みを再確認したという見方のほうが実態に近いのかもしれない。デンパサル市庁と総選挙コミッションは伝統デサユニオンの決定に賛同を表明し、市側はさっそく市民行政を通じて各伝統デサ役員にその徹底を図ることにしている。血気盛んなバリの若い衆はオゴオゴの祭りに酔い、引っ掛けたアルコールにも酔って、オゴオゴを喧嘩祭りにする事件が絶えない。昨年のオゴオゴでもクルンクンとタバナンで衝突事件が起こっており、今年は総選挙がらみの衝突がオゴオゴの衝突に形を変えて発生する可能性は高いと言える。
オゴオゴは古来からのニュピの儀式の中にはなかったもので、悪霊を祓う意味合いを視覚化して新規に付け加えられたものであるため、オゴオゴとニュピ祭礼とは本質的な関連性を持っていないとヒンドゥ教評議会は説明している。竹・紙・布その他素朴な素材で作られるオゴオゴはヒンドゥ教徒が祝祭を華やかなものにしようと純真な思いと創造性を傾けて造るシンボルであり、儀式の一部をなしていないために基本的な儀式が終了したあと治安と秩序を乱さないことを前提にしてオゴオゴの練り歩きが行なわれる。オゴオゴは最後に燃やされて悪の象徴であるブタカラは浄化される。


「バリでも投資詐欺」(2009年3月16日)
バリ州で指折りの貧困県であるカランアスムで住民7万2千人がなけなしの金を失いそうな雲行きだ。詐欺被害者たちは3月18日に近付いたガルガン(Galungan)祝祭のための資金をどう工面しようかと頭を痛めており、絶望した被害者の中から自殺者も出ている。
協同組合カランアスムムンバグン(membangun=建設する)は2006年3月26日に組合員間の相互金融機関として設立されたが、実際には組合員への融資を行なったことがなく、県内にスーパーマーケットを開店して小売事業を行ってきた。ところがいったいどこから啓示を得たものか、2007年11月以来組合経営陣は手持ち資金の投資運用を開始した。機関投資家になる場合は中銀と金融機関証券市場監督庁に届け出て認可を受け、その監督に服さなければならないのだが、カランアスムムンバグンは無届の闇ビジネスを続けた。そして2009年2月20日、バリ州警察の立入り捜査を受けることになる。組合理事長と代表取締役は拘置所に入る身となり、組合資産は押収された。現金・黄金装身具27キロ・銀行預金証書・自動車や土地証書など総額3,210億ルピア相当が押収資産の内容だが、これは全組合員7万2千人から預かった7千億ルピアの半分以下だ。州警察は押収資産を州内の銀行保管金庫に預けたものの、保管料月額5百万ルピアの捻出に頭を痛めている。
協同組合カランアスムムンバグンは派手な資金集め方法を考え出した。「3ヶ月寝かせておくと1.5倍になって戻ってくる」という宣伝文句がそれで、実際に50万ルピアを預けた組合員に2ヵ月後に100万ルピアを払い戻すといったスタンドプレーを実演して世間の信用をかきたてたために、教員・農民・商人などが争って金を持ち込んできた。ところが組合の謳い文句は州警察の摘発によって詐欺であったことが明白になり、被害者たちはガルガン祝祭の前に自分の金が戻ってくるよう県庁や州庁に陳情したものの、だれがどう見てもそんな短期間に処理ができるはずのものではない。州知事は「ガルガン前に被害者に金を戻すのは不可能だ」とのコメントを既に出している。そんな状況に絶望した高額預金者のひとりは借金を苦にして自殺した。高額といっても8千万ルピアなのだが、家庭の主婦であるこの預金者は3ヵ月後に1.5倍になるという宣伝文句を信じて8千万ルピアを市井の金貸しから借金し、そして結局高利の借金だけが残されたことを知った主婦は自ら生命を絶った。
ガルガンを前にして必死になっている被害者たちの「金をなんとかしてくれ」という要請に色よい返事を返せなかったカランアスム県令は、怒り狂った被害者たちに私邸を破壊されるという被害を蒙った。「気持ちはわかるが、アナーキーな破壊行動はやめてくれ。」と県令は県民に訴えている。


「バリ国際航空学院」(2009年3月23日)
2009年2月末にバリ州ブレレンでBali International Flight Academyがオープンした。この航空学院はセスナ172型を10機用意し、1機当たり8人の生徒を割り当てて1年未満で80人のパイロットを世に送り出そうとの計画を掲げている。折りしも、国内では年間4百人のパイロット需要に対して150人前後しか供給がなく慢性的なパイロット不足に陥っているため、この学院のオープンを航空産業界は期待をこめて見守っている。この学院では商業航空パイロットライセンス取得までの費用がひとり5万米ドルほどでまかなえることから、今世界の相場になっている8万米ドルよりはるかに経済的であると同学院理事長は語っている。ここではチュルッ(Curug)にあるインドネシア航空高等学校と同程度のファシリティを備え、また航空運送事業許可(AOC:Air Operator Certificate)も取得しており、国際スタンダードは保証されている、との由。


「プリのプラ」(2009年4月1・2日)
プリ(puri)、プラ(pura)、パサル(pasar)がバリ人の社会を構成する三本の軸だと言われている。古来からバリ人の形而上形而下双方の日常生活はその三要素を軸にして営まれてきた。プリは王宮でつまり指導者と民衆の政治的なつながり、プラは寺院で民衆全体の宗教上の一体性をまとめるもの、パサルは市場で民衆の経済活動の中心であり同時に庶民生活の交流の場という機能を持っている。
日常生活の隅々にまでヒンドゥの宗教儀式が根を張っているバリではプラが依然として大きい存在意義を持っており、そしてパサルも庶民生活の中に強固な地位を確保している。しかし王と民という政治的なつながりは政府と国民というモダン行政機構の中に変貌を遂げてしまったいま、プリの維持はそこに住むひとびとの手に余るものになってきている。バンリ(Bangli)のプリアグン(Puri Agung)に住むドゥサッ・マデ・アンダリヤニはプリアグンの一部をなしているプラプナタランアグンの維持補修に手が回らず、古い文化遺産が悲しむべき状態に陥っていることを訴えている。このプラは12世紀に建てられたもので、現代人はこのような文化遺産から古代の思想や技術あるいは現代生活の中に含まれている伝統や慣習、更には自己のアイデンティティなどを学び取ることが出来るのだが、ひとびとはそれを享受するのは好むものの遺産を守って次世代に伝えていこうとする意欲が薄い、とドゥサッは語る。
プリの中にあるプラは基本的に王家のためのものであり、庶民は自分たちのためにその生活環境の中でプラを持っている。王家と庶民が対等の位置に就いたとき、王家のプラは必然的に王家が維持するべきものとなってしまうのはある意味で当然と言うことができるのだが、王家のプラには文化の粋が集まっているのも事実なのである。
「プラプナタランアグンの維持補修を支援しようと言う声は政府からも民間事業者からも、そして文化団体のどこからも聞こえてこない。ジャワやスマトラでも王宮が持っている古いモスクで似たような状況にあるところは少なくなく、この問題は特にバリだけに限られたものというわけではない。それどころか同じバリの中でも、クルンクン(Klungkung)、ギアニャル(Gianyar)、ウブッ(Ubud)、バドゥン(Badung)、シガラジャ(Singaraja)、カランアスム(Karang Asem)などにあるプラは建物の状態もあまり悪化しておらず、頻繁に観光客が訪れるところもあって維持補修がうまく行なわれているプラも少なくない。バリ島内にプリはたくさんある。ムンウィ(Mengwi)は10ヶ所、タバナン(Tabanan)16ヶ所、ギアニャル10ヶ所、カランアスム8ヶ所、クルンクン2ヶ所、ブレレン(Buleleng)8ヶ所、ジュンブラナ(Jembrana)2ヶ所。しかしバンリはプリアグン1ヶ所だけだ。」バンリの王宮プリアグンに住むドゥサッ・マデ・アンダリヤニはそう語る。
カランアスム王家最後の王アナアグンアンルラクトゥッの孫のひとり、アナアグンアユミラによれば、プリの維持に毎月1千5百万ルピアの支出を必要とするそうだ。これまでのところ、その費用はプリで暮らしている一族が自己負担しており、歴史的な文化遺産を後世に残さなければならないという義務感でそうしている、とアユミラは述べている。ソロ・ジョクジャのマタラム王家と血族関係にあるかの女の祖父はジャワからさまざまな進物を贈られており、それらの貴重な文化財はプリの中に保管されている。王宮の建物もヨーロッパ・中国そしてバリ固有のデザインが融合したユニークな様式を誇っている。
ジェロ・ワチッ文化観光相はこの問題について、「各県庁は地元の文化遺産の保護と維持をおろそかにしてはならず、プリとプラは重要な文化遺産であるため適宜十分な関心と費用を用いて適正な保存がなされるようにしなければならない。県令はプリとプラが自分の行政地区においてどんな意味を持っているのかということを理解できなければならない。」とコメントし、地元県庁がその解決に尽力するよう指導している。


「バリでホテル・ビラ新設許可停止」(2009年4月17日)
バリ州政府が新規ホテル・ホームスティ・ビラ建設許可交付を全州で停止すると発表した。バリ州政府地方開発企画庁が4月8日に発表したこの方針は「本日以降許可をおろさない」という表現になっているものの、2009年に入る前に許可を得た者は建設が禁止されないという追加説明が添えられていることから、2009年1月1日から4月7日までに許可を得た者への対応がどうなるのかこの発表からではよくわからない。
州政府のこの規制方針は野放図な観光産業振興がバリの自然環境とバリ州民の伝統的な生活慣習を破壊しているとの諸方面からの批判を吟味した上で取られたもので、この規制方針に期限はつけられておらず、停止措置がいつまで続けられるのかはだれにも予測不能であると州地方開発企画庁長官は語っている。
バリ州にはホテルから合法非合法のビラに至るまで、判っているところで客室数は5万を数え、需給バランスから言えば2万5千室が妥当な線であるとされているため、これ以上に客室数を増加させる建設プロジェクトはかえってさまざまなトラブルを招き寄せるだけだと州政府は判断した模様。
中央統計庁バリ支所のデータによれば、バリには星級ホテルが145軒あり、その80%はバドゥン県に集まっている。バリ州政府は例年行政方針の諸項目にウエイトを割り当てており、生活環境という項目はこれまで毎年最下位に置かれていた。ところが2010年の行政方針決定では、その生活環境が貧困・福祉・保健・教育に次いで第5位に浮上している。ところで従来から大きく問題視されていた非合法ビラの戸別調査による洗い出しをバドゥン県庁は精力的に続けているとのこと。


「グラライ空港にゴロツキが・・?」(2009年5月12日)
2008年10月19日付けコンパス紙への投書"Premanisme di Bandara Ngurah Rai"から
拝啓、編集部殿。大人5人子供1人赤児1人合計7人のわたしの一家は、2008年10月4日のデンパサル発ジョクジャ行きガルーダ航空GA255便に乗るため、18時ごろ出発ターミナルに行きました。ターミナル内に入ろうとしてわたしは人数分7枚のEチケットを担当職員に示しましたが、長身のまだ若い職員はわたしを見送り人と思ったのでしょう、わたしが中に入るのを禁じました。自分の名前が書かれているEチケットをわたしがその職員に示したところその職員はわたしのKTP(住民証明書)を見せるように言い、更にKTPが交付されているべき者全員のKTPを示すよう要求したのです。KTPチェックは機内に入る際に航空会社が行うことではありませんか。わたしの息子はその不良職員と口論になりました。わたしは親としてその諍いを鎮めようとしましたが、そのとき髪を刈上げた身体の小柄な別の職員がゴロツキのようにその場に割り込んできたではありませんか。右手は息子を殴るためにゲンコを造り、左手で60歳の年老いたわたしを押したので、身体の弱っているわたしはあわや倒れそうになりました。そんなことにお構いなくその職員はこう啖呵を切ったのです。「さあ、度胸があるならターミナルの外で勝負しようじゃないか。」
わたしは公式の航空券を持ち、徴収金支払の義務も果たしている乗客です。空港で徴収されるパッセンジャーサービスチャージはその二人の職員にとって生活の糧の一部ではありませんか。なのにそれを支払ったわたしがこんな扱いをされるなんて。運良く、警備に就いていた警官がその場をおさめ、わたしとわたしの一家の安全をその獰猛な不良職員ふたりから守ってくれました。そして責任感あふれる態度でわたしの一家をチェックインカウンターまで送ってくれました。こうして殴り合いの喧嘩は避けられたのですが、その事件のトラウマはいまだにわたしを解放してくれません。[ ソロ在住、フレディ・リファ ]
2008年10月29日付けコンパス紙に掲載された空港運営会社アンカサプラ?からの回答
拝啓、編集部殿。2008年10月19日付けコンパス紙に掲載された投書について、リファさんとそのご一家が体験した不快なできごとにお詫び申し上げます。バリのグラライ空港にゴロツキはおりません。職員が行なっているのは、航空券を持っているひとが本当に乗客と同一人であるかどうかのチェックなのです。アイデンティティカードのチェックは、民間航空機が輸送する乗客・荷物・カーゴの統制に関する運通相決定書の指示を遂行するよう命じる空運総局長規則に従ってなされなければならない標準手続のひとつなのです。その空運総局長規則は、民間航空機が輸送する乗客・荷物・カーゴの統制と空港内にいる人間の行動を監督することについて定めています。
当方経営者はプロフェッショナルな業務遂行を怠った職員に厳しい制裁を与えました。当方は空港職員に対し、保安及び空港サービス業務の両面で定められたレベルと手順による一貫した教育訓練を施しています。空港利用者の皆さんは、保安に関して行なわれている標準プロセスが国の定めた規準と国際規準の双方に従っていることを十分にご理解ください。[ PT アンカサプラ?企業秘書、ヘニ・デワント ]


「バリでダイハツルクシオが人気」(2009年5月20日)
2009年2月末にダイハツは新型コンパクトMPVのルクシオ(LUXIO)を発表し、3月から発売を開始した。そしてこの車がバリで大ヒットしている。
バリの四輪車市場は2008年実績を見ると月平均1,334台となっている。2008年の販売動向は1月が1,313台、2月1,397台、3月1,027台といったペースだ。メーカー別はやはりトヨタが筆頭で、二位はスズキそしてダイハツは第三位だが、このルクシオの人気好調に意を強くしたバリのダイハツ販売責任者はスズキを押しのけたい、と気炎をあげている。バリでのルクシオ販売状況は発売後二ヶ月で50台を記録し、購入者の大半は観光業界の事業用だった。ところが事業用の伸びが思わしくない一方で個人客の購入が増加傾向にあり、中でもバリ在住外国人の間で引き合いが増加している。デラックスタイプのオートマチック車に特に人気が集まっており、車内の広さ、バゲージスペースの広さ、そして出入りアクセスが容易であることがメリット感を与えているようだ。
昨今の経済状況のために事業用新車購入を会社は先延ばしする傾向にあるものの、収入の安定したヤングファミリー層にその傾向は見られず、この階層を各社は新車販売ターゲットとして狙いを定めている。ルクシオに対してダイハツは向こう一年間分割払い金利率2%を与えると公表しており、それが効果的な販促手段のひとつになっているようだ。バリにおけるダイハツ販売はエース車種ゼニアが月平均140台、日本ではトヨタ・タウンエース/ライトエースとして販売されているグランマックスはピックアップが30台ミニバス15台でその後に続いている。ルクシオが毎月30台前後の売上を継続できるなら、バリの四輪車市場におけるダイハツのシェアは向上することだろう。


「第1四半期はヌサドゥアのホテルで料金ダウン」(2009年5月28日)
コリエールズインターナショナルインドネシアが報告したところによれば、2009年第1四半期バリ州ヌサドゥアの星級ホテル業界ビジネス状況は、ハイシーズンのピークを通り過ぎたローシーズンともあって、客室稼働率は前四半期から4〜5%低下し、宿泊料金も6〜11ドル安くなった。サヌール地区の客室稼動低下はもっと激しくて4〜7%とのこと。
2012年までにオープンが予定されている星級ホテルは次の通り。
クタ地区 : Sahid Meritus, Aryaduta Resort
ヌサドゥア地区 : Renaissance Bali Resort & Spa, Jumeirah Resort
サヌール地区 : Intercontinental Sanur, The Regent
レギアン地区 : Kamakila
スミニャッ地区 : W Retreat & Spa Bali
プチャトゥ地区 : Raffles Amartha Resort
タンジュンブノア地区 : Peninsula


「バリにも空港バスを」(2009年7月27日)
全国8都市で空港バスを運行させている国有バス会社DAMRIが古くなったバスを新型車両に変更する。首都ジャカルタのスカルノハッタ空港と都内要所を結んでいるダムリバスは今年20台が新型車と取り替えられ、旧車両はダムリ社の州間長距離ルートに投入されるための改造が行なわれることになっている。
ダムリ社が空港バスを運行させているのは、ジャカルタのスカルノハッタ(Soekarno-Hatta)空港で140台、スラバヤのジュアンダ(Juanda)空港で20台、バタムのハンナディム(Hang Nadim)空港5台、マカッサルのスルタンハサヌディン(Sultan Hasanuddin)空港2台、パダンのミナンカバウ(Minangkabau)空港2台、パレンバンのスルタンマフムッバダルディン(Sultan Mahmud Badaruddin)?世空港2台、ジャンビのスルタンタハ(Sultan Thaha)空港2台という内容。ジャンビでは道路が狭いためにミニバスL−300が使用されており、年内に台数を7台に増強する計画。
ダムリ社はさらにジョクジャのアディスチプト(Adi Sutjipto)空港(10台)、メダンのクアラナム(Kuala Namu)空港(10台)、バリのグラライ(Ngurah Rai)空港(5台)でも空港バスを運行させる計画を立てており、バリでは空港バスの要請が強いので近々運行を開始したい、とダムリ社は表明している。


「罪を憎んで人を憎まず?」(2009年8月12日)
2008年10月から2009年5月までの間にバリのグラライ空港で支払われた到着時ビザ料金の一部を同空港移民局職員が着服していた。着服金額は30億ルピアにのぼる。バリに到着した外国人観光客のうち到着時ビザ発給対象国国民は空港で料金を支払ってビザの発給を受けるのだが、移民局職員はそのときに得た25ドルのうち10ドルだけを国庫に納めて差額の15ドルを着服するという手口で組織ぐるみの腐敗行為を行なっていた。
最初この腐敗行為の徴候をかぎつけたのは人権法務省監察総局で、会計監査庁にバリ州グラライ空港移民局の会計監査依頼が出され、その監査の結果としてこの事件が明るみに出た。人権法務省はこの事件を刑事犯罪にしない方向で会計監査庁と協議し、着服を行った者44人に対して規律と管理の違反処罰として降格や訓告が与えられ、またそれぞれが着服した金額を国庫に返済するよう命じられた。返済金額はひとりあたり7千万から1億ルピアであるとのこと。
「この処分は人権法務大臣の支援のおかげだ。お前たち全員を子供あるいは弟のように見てくださっている。あやまちはかならず正すことができるものだ。」バリ州人権法務省地方事務所で7月31日に行われた処罰決定書下げ渡し式の場で、移民総局長は44人の部下に対しそうスピーチした。


「オーストラリア人が最大シェア」(2009年8月27日)
2009年6月にバリを訪れた外国人観光客数は200,566人で、国籍別はオーストラリア人が最大ポーションを占めたと中央統計庁バリ支所長が公表した。国別明細は次の通り。パーセンテージはシェア。
オーストラリア 43,668人 21.8%
日本 21,949人 10.9%
マレーシア 15,661人 7.8%
中国 12,102人 6.0%
韓国 10,734人 5.4%
また、200,566人中の200,503人は空路バリに到着したひとたち、残る63人は海港に上陸したひとたちであるとのこと。


「バリの人気投資先がカランガスムとブレレンにシフト」(2009年8月28日)
ジャカルタで爆弾テロが繰り返されたが、バリは今のところ安全であると確信しており、訪問観光客もビジネス投資希望者もこれから更に増加する可能性は高い、とバリ州デンパサルを訪問中のEU投資家協会スポークスマンが表明した。
バリ州の中で高い将来性を秘めた地域としてカランガスム県とブレレン県が投資家の目に止まっており、中でもカランガスム県のアメッ(Amed)、トゥランベン(Tulamben)、クブ(Kubu)などの海中観光資源の豊かさにかれらは目を見張っている。
EU投資家協会スポークスマンは自らカランガスムの観光開発事業に投資を行なっており、上述の地区におけるダイビングスポット開発はまだそれほど手がつけられていないことから、確実に黄金の卵になるだろうと語っている。かれによれば、バドゥンやギアニャルをはじめとする既存観光地に加えてカランガスムやブレレンの観光開発が進展すれば、年間1万5千人のドイツ・スイス・オーストリア人観光客誘致は確実に可能になる、とのこと。
バリ州投資庁データによれば、2009年1〜7月の投資案件は109件で前年同期の145件から低下しているものの、金額ベースでは2008年の8.7兆ルピアに対して2009年上半期は12.8兆ルピアとほぼ5割増しの盛況になっている。2008年の投資先はバドゥン県が大半だったが2009年はバドゥン県への投資が減少傾向にあり、外資はバドゥン県41%、ブレレン県25%、デンパサル市13%といった配分である一方、内資についてはブレレン県56%、カランアスム県19%、バドゥン県14%という内訳になっている。それについてバリ州投資庁長官は、内資の投資先は将来性を十分見極めたものになっている、とコメントしている。


「公認証明書のあるホテルに宿泊するように」(2009年10月9日)
2009年9月25日にバリ州バドゥン県クタのデウィスリ通りで女性の日本人観光客(30歳)を殺害した犯人がバリ州警察に逮捕された。犯人は26歳の男で、犯行後州外に逃亡したが10月1日にその故郷である東ジャワ州マランのパサルクパンジェンで逮捕された。
この男は殺害した女性の直前に同行していた別の女性日本人観光客を襲っており、それ以前にも半年間で4人のインドネシア人女性を襲っていたが殺人ははじめてだった。いつもはクタ地区で深夜にオジェッ(オートバイタクシー)に扮して女性を誘い、デウィスリ通りで女性をレープしてから金や持ち物を奪うという手口を繰り返していたが、日本人女性のときは宿泊していたレギアンのホテルプラニへ警官を装って訪れ、麻薬容疑で取り調べるという理由で深夜1時ごろホテル外に連れ出していた。犯人が着ていた警官のチョッキと肩章は本当の警官だった義父のものを使ったらしい。その義父はずっと前に亡くなっている。
ホテルプラニは宿泊客のセキュリティ管理がおざなりだったようで、警備員は夜間にやってきた偽警官の言う言葉をそのまま信じて犯人が宿泊客と接触するのを放置した。バリ州知事は犯人逮捕に関連してコメントを述べ、バリ州への観光客、中でも不夜城のクタで遊ぶ国内外の観光客は必ず公認サーティフィケートのあるホテルに宿泊するように、と奨めた。公認されているホテルはセキュリティ面での標準対応ができるはずだというのがその発言の根拠のようだ。州警察長官は、ホテルは外来客が宿泊客に会いに来た場合まず宿泊客に面会するかどうかを確認するのが常道であり、ホテルプラニはそのような訓練がまったくできておらず、おまけに少ない従業員に多くの職務を与えていたために警備面がおざなりになっていた、と語っている。今回のような事件は観光で成り立っているバリ州の経済を揺るがすものになりかねないことから州知事はまた、クタ地区の夜間パトロールをより頻繁に行なうよう州警察に指示している。


「航空券の二重払い」(2009年10月13日)
2009年2月16日付けコンパス紙への投書"Kursi di Pesawat Merpati"から
拝啓、編集部殿。わが家の一家4人は2009年1月4日、バリからジャカルタへムルパティ航空で戻る予定でした。バリ空港でチェックインのとき、4人の中のひとりが航空券のクーポン綴りを持っていなかったためにチェックイン係員がムルパティ航空カウンターへ行くように言いました。なんだかよくわからないままムルパティ航空カウンターへ行ったところムルパティ航空職員は、その航空券の名義人であるヘリ・グルトムはそこで航空券を買わなければ予定されているフライトに乗れないと言ったのです。料金は92万1千ルピアでした。ジャカルタで4人分の航空券の支払を全部済ませてきたわたしは抗議しましたが、ムルパティ職員はジャカルタで払い戻し請求が必ずできると約束したので、わたしはそれに従いました。
2009年1月6日、わたしは中央ジャカルタ市クマヨランのムルパティ航空本社を訪れて払い戻し請求を行ないました。わたしの苦情を受け付けた担当者も払い戻し請求はできると言ったのです。1月15日にわたしは航空券料金払い戻しはいつできるのか問い合わせました。すると理由をはっきり説明もしないで払い戻しはできないと言うのです。結局同一のフライトの同一の座席に対して同一の人間が二度支払いをしたことになったわけで、ムルパティ航空は消費者に損害を与えたのです。ムルパティ航空利用者はデンパサル空港でチェックインするとき、よくよく用心してください。わたしが体験したできごとがくりかえされるかもしれませんから。[ ジャカルタ在住、ルスラン ]
2009年3月2日付けコンパス紙に掲載されたムルパティヌサンタラ航空からの回答
拝啓、編集部殿。2009年2月16日付けコンパス紙に掲載されたルスランさんの投書に関して、当方のサービスが至らなかったためにご不興を与えたことをお詫び申し上げます。
フライトクーポンはフライトを利用できる消費者の権利を証明する有価証券であり、フライトクーポンを失くされたヘリー・グルトムさんはそのとき一行と一緒にフライトを利用することができない状態でした。ヘリ・グルトムさんの苦境をやわらげるため、そのとき再購入しなければならなかったデンパサル〜ジャカルタ航空券料金はジャカルタで払い戻しができると当方は約束したのでした。それはフライトクーポンがまだ使用されていないことを確認し、あるいは第三者による不正使用を防ぐためのものだったのです。
2009年2月16日からムルパティはEチケットシステムを開始しました。このシステムによってフライトクーポンの紛失はその場で解決されるようになり、チェックインのさいに搭乗を拒否されるリスクは大幅に低下します。このシステムでフライトクーポンのステータスが早く正確にわかるようになったためです。このサービスの詳細はwww.merpati.co.idをごらんください。
ムルパティ職員はルスランのお宅を訪問して航空券とチェックインに関する決まりやシステムを説明申し上げ、ルスランさんはお客様に対する当方の問題解決方法に賛同し、よろこんでくださいました。[ PTムルパティヌサンタラエアライン企業秘書GM、スカンディ ]


「バリで最後のホテル建設」(2009年10月24日)
デワ・ブラタ、バリ州知事がウダヤナ大学観光調査センターの進言に従ってバリの新規ホテル建設に休止期間を設ける方針を採用して以来、現職のマデ・マンク・パスティカ知事も新規許可をおろさないとの宣言を出している。過去3年間、バリ州政府は新規ホテル建設許可を凍結したままの状況だ。
一方で、ウルワトゥ地区ドリームランド内の20Haの地所に5星級リゾートプロジェクトの建設工事が進められており、それが当面バリでの最後のホテル建設になるだろうとの見方が一般的だ。この建設工事はスラバヤのデベロッパーPT Suryainti Permataが初のジャワ島外プロジェクトとして進めているもので、今は基礎工事段階にある。そこに建設されるリゾートThe Rich Pradaは9百の客室を持つ5階建てホテルにスパ施設も完備されたもので、建物施設は5千平米の広さになる。このリゾートはトミー・スハルトのプロジェクトであるドリームランドの運営会社PT Pecatu Grahaとの提携下にドリームランド地区内に設けられ、完成したあかつきには国際ホテルマネージメント会社ザリッチプラダがその運営を行なうという構想になっているとのこと。
しかしホテルレストランの業界団体であるバリ州ホテルレストラン会事務局長は、ドリームランドで進められているホテル建設が同会の知らないうちに行われていると物語る。「新規ホテルがユニークな施設を備えて新しい客層の開発に注力するなら、業界は大いに歓迎する。しかし従来からあるのと同じようなコンセプトで似たような客層を狙って開業するなら、結局は地元民から拒絶されるにちがいない。当方は工費1兆ルピアと言われているその新規ホテル開発の話をまったく聞いていない。地元行政はこれまでも新規ホテルプロジェクトについて必ず業界の声を求めているが、そのメカニズムに即さないホテル建設が行われてきたことも事実だ。中央政府・バリ州政府・地元県庁のこの問題に関する姿勢は決して完全に一致しているわけでないのだから。」バリ州政府が新規許可を凍結しているにもかかわらず、依然として新規ホテルが開業する。はたしてこれがバリ州最後のホテルになるのだろうか?


「バリは安全という落とし穴」(2009年11月5日)
パンク強盗がバリでふたたび盛んになりはじめている。バリ州警察の活躍でここ数ヶ月パンク強盗の話題が巷から疎遠になっていたが、ふたたび被害者が増加しはじめており、外国人もその被害に会っている。
2009年10月20日の事件で被害者になったのは日本人54歳とその妻40歳のカップルで、ふたりはDK1350AVというナンバーのグランマックスに乗っているところをパンク強盗の餌食にされた。事件現場はバイパスグラライ6X番地の真珠店バリムティアラショップの前で、そこへ来るまでに犯人一味は車のタイヤに釘を刺し、結局グランマックスのタイヤの空気がそこで抜けてしまったようだ。パンク強盗はタイヤ交換している被害者の虚を衝いて車内の貴重品を盗むか、あるいはホールドアップさせて貴重品を奪う。
クタ警察犯罪捜査ユニット長は、被害者がマネーチェンジャーで両替したのを見た犯人一味がふたりをターゲットとしてマークし、タイヤの空気を抜いて動けなくした上で犯行におよんだと思われる、と語っている。被害者は車の中に宝飾装身具数億ルピア相当と現金1億3千万ルピアを置いていたが、ホンダの二輪車に二人乗りで襲来した犯人は現金1億3千万ルピアと装身具の一部3千万ルピア相当を奪うとまた二輪車で逃走した。
この事件の前にはオーストラリア人がやはりバイパスグラライで似たような手口の強盗被害者になっており、サヌールからヌサドゥアに至るこのバイパスを車で走行する場合は警戒が必要だ。また犯人一味は銀行やマネーチェンジャーで大金を両替する人間をモニターしているようで、このような場面での警戒も必要だろう。警察は被害者や目撃者などから犯人の特徴を聞きだしてモンタージュを作り、犯人追跡を進めている。一方、バリ州議会は先だっての日本人女性観光客強盗殺害事件に続いて日本人が被害者になった今回のパンク強盗事件を重く見て、観光客誘致に暗雲をもたらすバリの治安劣化を早急に食い止めよ、と州警察に檄を飛ばした。
多くの国々に比べて「治安が良い・犯罪が少ない」ということがきわめて貴重な社会資産になっているインドネシアでは、バリはその社会資産をかなり多量に持っているわけでそのおかげでバリはインドネシア最大の観光目的地の地位に就いているのだが、それがもたらす外国人観光客誘致というポジティブ面と「治安が悪い・犯罪が多い」地方の犯罪者を招き寄せるというネガティブ面は車の両輪をなしているように思える。安全であればあるほどひとは暮らしの中での警戒心をレベルダウンさせるだろうし、そのような状況は犯罪者にとってきわめて犯行に好都合なものとなるにちがいない。
どれほどバリの治安がよいと謳われていようとも結局それは相対的なものでしかない。インドネシア国内のトータルな治安情勢のレベルを知っている人間にとってその謳い文句ははじめて納得できるものであり、外国人観光客が耳にするその言葉ははなはだアブナイ心理的陥穽をもたらすものではないだろうか。


「バリのゲペン」
インドネシアにはゲペン(gepeng)と呼ばれるひとたちがいる。お手元の辞書でgepengを調べていただくと「平べったい」という意味が出てくる。「はて、平べったいひとびととは・・・・?」とご不審を抱くには及ばない。GElandangan dan PENGemis あるいはGEmbel dan PENGemisを略してGEPENGと言っているのがそれであり、つまりは浮浪者・貧民・乞食というような社会福祉から疎外されている最下層生活者を指す言葉だ。
ジャカルタは、ルバラン(Lebaran)・イムレッ(Imlek)・クリスマス〜正月などの宗教大祭の前後やホリデーシーズンになるとそのゲペンが季節労働者として上京し、都内のほとんどの交差点を埋め尽くす。かれらの行動はおもらい乞食が主体だが、道端や商店の軒下で寝泊りし、チャンスを見出せば盗みも辞さない。国際観光地のバリはそんな光景と無縁であると思っていたのだが、というよりも最初からそんな想像と結びつかなかったと言うほうが正確なのだが、バリも例外ではなかったのである。とはいえ、ジャカルタの光景にくらべたら人数はまったく比較にならないほど少数であり、それがかえってバリの路上のありさまに違和感を強める効果を発揮しているようにも思えてならない。
言うまでもなくバリはインドネシアの一部であり、国民にはどの地方で生まれ育ったかには関係なく国内のどこへ行ってどこに住もうが自由だという権利は与えられている。そうして国内の貧困地域から金が回っているスポットに生活レベルの向上を求めてひとが移住してくるのは語り尽くされた都市化現象だ。
インドネシアは多種族多文化国家であり、種族ごとに生活上の価値観はかなり異なっている。移住してきたひとびとが自分の生まれ育った文化の価値観をそのまま持ってくるのは当たり前のことであり、そのようなひとびとの取る行動原理が移住先の文化と異なるのは大いにありうることだ。そんな内容の話を「バリは安全という落とし穴」と題する拙文に書いたことがある。
ともあれ、バリのゲペンは交通の流れの大きいサンセットロードや観光客の集まるクタ海岸に出没する。クタ海岸に建てられた巨大なガプラが子供ゲペンの雨風をしのぐ避難所に利用されている、と批判するバリ市民がいる。その子供たちはおもらい乞食商売のために組織化されている子供労働者であり、かれらは少年院に収容して技能教育を施すようにし、観光スポットの環境を乱さないようにさせろ、という提言もある。またサンセットロードとグラライ(Ngurah Rai)バイパスの分岐するシンパンシウル(Simpang Siur)交差点にいるおもらい乞食は一年以上前から同じ人間で、やはり裏にいる組織に操られているという意見も出されている。
バリが国内の他地方に繰り広げられている状況からまったく無縁でいられることはありえないだろう。


「バリの精神異常者は9千人」(2010年1月6日)
マデ・マンク・パスティカ、バリ州知事が、州内の精神異常者は9千人にのぼる、との爆弾発言を行なった。精神が平常状態からそれてしまったひとびとに対する公的対応はまったく不十分なもので、たとえばバンリの精神病院は3百人しか収容能力を持っていない。そのために患者の多くは自宅で療養しているものの、大半は家族が外聞を慮って家の中に閉じ込めているようなありさまだ。いっぽう入院できた患者はどうかと言えば、状態が回復して自宅へ戻れるようになっても事情をよく理解しない近隣住民が戻ってくるのに反対するケースが多く、しかたなく病院の終身居住者になってしまう例が少なくないとのこと。
そのような状況は往々にして既往者の自殺で幕を閉じることに向かい、州内の自殺者は年々3百人を数えるありさまになっている。州知事はこの精神障害者の増加について、検証チームを編成してその内容糾明を進めている、と語っている。知事はその原因について、バリ州民の社会活動があまりにも密であるためなのか、それともモダンライフスタイルとの間の相克が過剰な精神負担を一部住民にもたらしているのか、いくつかの要因を想像することはできるものの検証チームの報告を待って公式発表を行ないたい、と軽挙した発言を差し控える意向を表明している。


「いつまでもクタを清潔に」(2010年1月8日)
クタビーチ。バリ島でもっとも観光客の集まるこの海岸は毎朝多数の地元民が清掃する。嵐の吹いた翌朝などはたくさんな魚の死骸、流木や海藻、そして言わずと知れた人間の作り出す生活ゴミで汚れた砂浜を総出できれいにしている。このバリ島ナンバーワン観光資源は常にタバコの吸殻ひとつ落ちていないように最大限のアテンションをかけて維持管理されており、インドネシア国内を通ってクタまでやってきたひとは、「ほんとうにここがインドネシアの一部なのか?」と頬をつねりたくなるような違いを前にして瞠目する。国内の他の場所ではほとんど期待できないような整然たる秩序をわれわれはクタで楽しむことができるのである。
ところが地元民のその努力を踏みにじる者もいる。クタに集まってくる観光客、そして集まってくる観光客を目当てにして集まってくる物売りたちの中に、平気でゴミを撒き散らす者がいるのだ。自分が平常暮らしている生活環境の中で行なっている習慣的行為がそれであるなら、クタへ来ようが、オーチャードロードへ来ようが、はたまた東京タワーに来ようが、自分の生活習慣はなかなか止められるものではない。それを抑圧しようと特別な自制を自分に課せば、それがストレスになる。人間とはそのようなものだ。
観光資源であるクタビーチの管理と運営をバドゥン(Badung)県はクタ村の自治に委ねてきた。ところがバドゥン県令がクタ村長に物言いをつけた。「クタに集まる物売りたちが砂浜を汚しており、クタビーチの美観は年々損なわれている。クタの清潔さと秩序を維持できないのならその管理運営を返上せよ。」と発言したのがそれだ。土産物や飲物ばかりかバソやナシパダンなどの食べ物までが砂浜で売られており、物売りたちはその商売から出るゴミをあたり一面に撒き散らしたうえ自分は掃除もしないと苦情し、物売りたちが密集すれば清掃も困難になるし景観が醜くなるため美観維持に必要な対策を講じなければならない、と県令が村長に警告したのである。
しかしクタ村長は、物売りに関する対策は行なっている、と反論した。飲食品販売者にはビーチに調理器具を持ち込むことを厳禁し、調理された食品を持ってきて販売するだけにさせるよう義務付けてあるし、物売りに対する許可交付も最初は1千3百人に膨れ上がったものの今では1千人に落ち着いていると述べ、県令はだれの話を真に受けているのか知らないが自分の足で現場を見にきたらどうか、と県令に反撃している。


「クタビーチのイワシ」(2010年1月12・13日)
バリの海にもイワシがたくさんいる。インドネシア海域ではジャワ島周辺に特に多いようで、従ってバリ一円でもイワシ群の周遊は活発だ。このイワシはマラバールイワシあるいはオイルサーディンと呼ばれる種で、ikan lemuruというのがインドネシアの名称だがバリではikan kucingが通称になっている。どうやらインドネシア人はイワシを人間が食する魚の中で低級なものと位置付けてきたらしく、猫に食わせる魚という蔑称をイワシに与えたのがその名前の由来だという説があるが、真偽のほどはよくわからない。
そのイカンルムルは過去数年にわたって大量の死骸がクタビーチに打ち寄せられて州最高の観光資源を汚してきた。累積で数百万尾というのがその災害の公称ボリュームになっており、それだけのイワシがゴミになって陸地に押し寄せてくれば猫もきっとへどを吐いたにちがいない。
その汚染災害について州水産畜産局は海中の荒れが原因だろうと推測しているものの、関係者の中には有毒の海藻で魚が死んでいるのではないかという憶測を語る者もあり、原因は依然ミステリーのもやに包まれていた。ところがその災害が人間のしわざであったことを地元自治体が突き止めたのである。
2009年の暮れも押し迫った12月27日、数日前からイカンルムルの大量の死骸がクタ海岸からおよそ1海里沖合いの海面を漂っており、それがクタビーチに流れ着くのは時間の問題と見られることからクタ郡長・クタ町長・クタ村長はその対策を協議するとともに、これまで明確な原因究明がなされていなかったその現象にメスを入れるため大量の死骸が漂う海面を訪れた。その一帯では何隻もの小型漁船が操業中で、魚を捕獲するためにそれぞれが網を海中に投じている。
お役人と地元有識者のご一行は現場の状況を視察するとともに、海面でもだえ苦しんでいるまだ生きた魚を数尾、検査サンプルとして持ち帰った。そして診断分析結果を見ておどろいたのである。魚は漁師の網から逃れようとしたために身体が網によって傷つけられており、魚の死はその結果だというのが報告書の内容だった。クタの地元自治体は大量の魚の死骸が自然環境との調和をはからない漁民の行為の結果であるとの結論をくだした。海中の荒れといった自然現象でなかったことをそれは物語っている。
原因が明らかになれば効果的な対策が打てる。漁労海域を無制限に許すのでなく制限を与え、同時に許可海域では漁船が密集して漁労を行なわないよう規制して漁船同士の間に距離を持たせること、船の漁獲収容能力に達したらすぐに網を引き上げさせること、などの方針が合意された。ただし漁労海域規制標識は以前から既に設置されているにもかかわらず、その標識は漁民の眼中にほとんどなく、その意味合いすら理解されていないだろうことは想像に難くない。その結果役所側はまたまた告知啓蒙活動を展開する破目に陥ることになるのだが、しかしもうひとつ別の問題がそこには横たわっており、地元漁業関係者の証言によればクタ沖に出漁していた漁船は地元漁船でなく州外から来たものであるとのこと。そこにこの問題の別のネックが潜んでいるようだ。
ともあれ、地元自治体は広範に海面を覆っているイカンルムルがクタビーチに接近する前に処理することを決め、海面掃除に動き出した。


「バリの犯罪者たち」(2010年1月18日)
バリの繁華地区で起こる犯罪の多くが州外からの出稼ぎ者によるものであるということは半ば常識化している。もちろんバリ人に犯罪者がいないということでは決してないが、バリにやってくる外国人観光客(あるいは長期滞在者)が非バリ人の被害者になるという事件は数多い。昨年バリで殺害された日本人女性ふたりも、ひとりは東ジャワ州マラン出身者、もうひとりはロンボッと東ジャワ州ジュンブル出身者によって生命を奪われている。
ちなみにバリポスト紙2010年1月4日版を見ると、報道されている事件の中にそのような州外からの出稼ぎ者による犯罪事件が数多い。たとえばヌサドゥアのホテルにあるレストランで起こったデジカメ盗難事件。東ジャワ州ジョンバン出身のスリアナ40歳は普段ルジャッ(rujak=細切りにした果物や野菜をタマリンド・黒砂糖・とうがらしなどで和えたもの)の屋台販売を行なっているが、その日バンドの一員である夫がヌサドゥアのホテル内レストランで出演するというので、1月1日に夫に誘われてレストランに来た。スリアナはテーブルのひとつに着いていたが、隣のテーブルにいたヨーロッパ人観光客がステージ前に出て踊っているとき、そのテーブルに置かれたままのデジカメを盗んで自分のバッグに入れた。持主のイギリス人アリソン・クルター43歳はその盗難をレストラン責任者に訴え、警察の調べでスリアナが逮捕されたというもの。
次いでジョクジャ出身のアントン22歳が2009年12月末にクタのディスコ「スカイガーデン」前でオートバイを盗もうとしているとき警察のパトロールに見つかって御用となった事件。スカイガーデンにレンタルオートバイで来たレギアン通りガンサムアン?を住所とするスペイン人クルティラス・ナファロ27歳が店内に入ったのを見すましてアントンはキャブレターはずしに取り掛かったが、キャブレターにつながっているケーブルを外すのに手間取っていたところをパトロール警官に発見されて現行犯逮捕となった。
サンセットロードのCV Roda Glasでアルミニウム切断機が盗まれた事件は従業員で東ジャワ州プロボリンゴ出身のリアントンが犯人であることが判明。リアントンが店にもどってくると店内に人の気配がないため、重い切断機を盗んでオートバイに乗せ、自宅に持ち帰った。警察の調べでリアントンの自宅に盗まれた切断機があったことから、クタ警察はリアントンを犯人と断定した。
クタビーチ周辺で財布がなくなった、との訴えを受けたクタ警察はその持主のクレジットカードが悪用されるだろうと見てさっそく銀行界に手配をかけた。するとほどなくクタスクエアのポールスミス&アディダス靴店でそのカードが使われたという情報が入った。そして捜査員がその店に急行し、カードを持っていたふたりを逮捕した。ひとりはマカッサル出身のシャフリル37歳、もうひとりは東ジャワ州マラン出身のヘリ・アグス38歳で、ふたりはクレジットカード破りの常習犯だった。しかしふたりの証言から、このふたりを使っていたボスがいたことが明らかになり、警察はそのボスの行方を追及している。一味は既にそのカードから現金を引き出しており、警察はかれらの手元に残っていた920万ルピアの現金を押収した。
最後の記事はギアニャル県スカワティ住民のイ・プトゥ・ディアルタ20歳がデンパサルのレンタルプレイステーション店からプレステ3を盗んだ事件で、この日の犯罪事件記事の中でこれが唯一バリ人の犯した犯罪となっている。この事件では例によって現行犯を捕らえたのは付近にいた地元民たちで、ここでもひとつ間違えばストリートリンチが展開されるところだったようだ。


「バリの恋人たち」(2010年2月1日)
およそ一年前、ヌサドゥアのホテルで働くプトゥ・アンディ・ウダヤナ20歳はクタのレストランで働くニ・カデッ・メガ・プスピタサリ20歳と知合い、恋に落ち、そしてよくある話のように若い男女が行き着くところまで踏み込んだ。その結果メガが妊娠するのも避けられない出来事だったにちがいない。アンディはタバナン県クディリ郡住民で、メガはバドゥン県ムンウィ郡に実家がある。その両郡は県が異なるが互いに境界を接しており、ふたりは地縁的に近い者同士だった。
2010年1月2日昼11時ごろ、クディリ郡タナロッ(Tanah Lot)の北方およそ3キロほど離れたイェガンガ海岸で黒色ビニール袋に入った体長14センチほどの胎児の死骸が発見されて騒ぎとなった。住民からの通報を受けたタバナン県警はすぐに捜査を開始し、犯罪捜査課刑事が産婆・病院・クリニックを回って最近行なわれた妊娠中絶の有無を調べた。そして若い男女のカップルに該当者があることが判明したのである。
メガがアンディに妊娠を告げたとき、アンディは苦しい決断を迫られた。結婚して家庭を持つのはもっとずっと先、と思っていたふたりにその胎児を受け入れる心の余裕はなかったようだ。2009年12月27日、アンディがひとつ3万ルピアで手に入れた堕胎用ピルを3個、メガはヌサドゥアにあるアンディの借室で飲んだ。そのあとメガはずっと腹具合の異常を訴えていた。そうして2010年1月2日早朝4時半ごろ、メガに激しい出血があった。
メガの状態を心配したアンディはメガをクディリ郡パンティ部落の産婆に連れて行ったがまだ開いていなかったためドロップリ部落の産婆宅に回った。しかしその産婆はメガの出血がひどいため何の手当もせず、クディリバイパス通りにあるカスタグマニ出産クリニックに行くよう紹介状を書いた。5ヶ月未満の胎児はそのクリニックで取り出された。メガはその胎児が男であったことを知っているが、取り出されたとき生きていたのかどうかを知らない。アンディは費用の120万ルピアを支払うと、胎児とメガを連れてクリニックを立ち去った。
午前9時ごろ、アンディは黒色ビニール袋に胎児を入れ、チャナンと一緒にイェガンガ海岸に流した。チャナンはジャヌルで作ったヒンドゥ教のお供え物を置く器だ。そしてそのおよそ2時間後に胎児投棄事件の騒ぎが始まったのである。
タバナン県警はメガを故意の妊娠中絶罪、アンディを妊娠中絶使嗾罪で起訴する予定。


「バリの巡回停電」(2010年2月5日)
バリも全国的な電力危機から無縁でない。2009年後半から行なわれていた巡回停電がそれを明示している。バリの電力需要はピーク時最大負荷が500MWで平均年間8%の上昇率になっており、これはジャワ島の上昇率より大きい。バリの電力供給能力は570MWで、ギリマヌッ(Gilimanuk)・プマロン(Pemaron)・プサンガラン(Pesanggaran)の発電所およびジャワ島からの海底送電に頼っている。
巡回停電の直接の原因はギリマヌッ発電所の補修工事のために130MWの供給ストップが起こったことにあり、供給が需要を下回ったために給電不足が発生した。しかし電力負荷ピーク時間帯の対応措置だから、一晩中停電するのは理屈が通らない。巡回停電は19時から22時の電力負荷ピーク時間帯にのみ行なわれるはずだが、時には翌朝まで続くこともある。補修工事は2010年1月15日完了という日程になっており、それが予定通り完了すれば当面停電は影をひそめるだろうと見られていた。そんな電力不足のさ中に2009年末〜2010年新年という観光客ピークシーズンを乗り越えたことについてPLNジャワバリ業務担当取締役は、実業界観光業界の協力を得て自家発電を行なってもらったおかげだ、と語っている。
ところが2010年1月22日にギリマヌッ発電所でふたたびトラブルが発生し、発電機の停止を余儀なくされたことから、バリ島の広範なエリアでまた停電が発生した。「22日16時43分に異常な温度上昇が起こったため発電機を停止した。絶縁部のチェックを行なっており、トラブル個所の発見と対応が48時間以内に完了することを期待している。」PLNバリ事務所広報担当はそう述べている。
2009年10月から2010年1月までギリマヌッ発電所補修工事のために巡回停電に耐えて来たものが、ここにきてまたギリマヌッでのトラブルで巡回停電に襲われることになり、PLNはいったい何をしているのか、との批判の声が州民の間から高まっている。PLNはバリの発電能力増強を目指して、プマロンで20MW、プサンガランで80MWの供給量アップ計画を進めており、2010年半ばにはそれが実現する予定になっている。


「イダ・バグス・マントラ・バイパス」(2010年2月11日)
ヌサドゥア〜クタ〜サヌルを経てサヌル北方のトーパティ(Tohpati)に至るイグスティグラライ(I Gusti Ngurah Rai)バイパスはトーパティ地区で東に向かう道路に枝分かれする。それがイダバグスマントラ(Ida Bagus Mantra)バイパスだ。
IBマントラバイパスはバリ島南部地区からバリ島東端のカランガスム(Karangasem)県にあるパダンバイ港そして観光地チャンディダサ、更にはグヌンアグンやブサキ寺院へのアクセスに高い便宜を供給するものであり、またギアニャル県ウブッ(Ubud)への交通時間もこの道路のおかげで短縮されている。
ところがIBマントラバイパスはバリ州内で人命事故が最も多い道路だと言われている。2008年州警察データでは、IBマントラバイパスでの交通事故件数46、死者25人、重傷29人、軽傷31人で、2007年実績の事故件数38、死者12人、重傷39人、軽傷27人に比べて死亡者が倍増した。この道路は開通当初から交通事故が多発しており、関係者の言によると平均してひと月にふたりが落命しているとのこと。
そのため地元宗教界は人間の現世における平安を祈願するため、2009年9月29日にヒンドゥ教の儀式を行なった。儀式の行なわれたのはギアニャル県サバ村の十字路で、ここはIBマントラバイパスのほぼ中央に当たり、また交通事故も繰り返し発生している場所だ。ナワグンパン(Nawa Gempang)と呼ばれるこの儀式は古文書ロガ・スガラ・ブミに記されたもので、人間界の平安を祈願することを目的にしている。バリでこの儀式はこれまで一般的でなく、バリ爆弾テロ事件のあと一度行われたきりで、IBマントラバイパスでの催しが二回目にあたる。


「サマヤはトップリゾートホテル」(2010年2月17日)
バリのスミニャッ(Seminyak)にあるザサマヤ(The Samaya)がインドネシアのベストリゾートホテルとして2009年のワールドトラベルアワードを獲得した。このワールドトラベルアワードというのは世界の観光業界が毎年投票で人気の高い業者や施設を選出するイベントで、第一回は1993年に催されている。2009年の投票には世界中から18万3千の旅行代理店や観光関連業者が参加して過去最高の盛況を示した。
スミニャッの4ヘクタールの土地を占める46軒のビラに51室を擁しているザサマヤはホテルサンティカグループのPT Grahawisata Santikaがオーナーとして運営している高級リゾートホテル。


「バリの観光ビジネスはだれのため?」(2010年2月18・19日)
バリは国内で金回りのよい地方のひとつに入る。そのため近隣諸州から出稼ぎ者が引き寄せられてくる。ショッピングセンターでは従業員の間にヌサトゥンガラ系種族の容貌をよく目にするし、家を建てるとやってくる大工や職人はたいていジャワ人かヌサトゥンガラ出身者のようだ。人間でさえそうなのだから、ビジネス資金も州外からやってくる。ルピアが集中的に集まっているジャカルタがその総本山だ。
インドネシア事業者協会(Apindo)バリ支部長によれば、バリ実業界の投資総額のうちで地場資本は3割しかないとのこと。その結果バリ州内に蓄積される資本は微々たるものとなり、大部分は州外にいる投資者の手元に還流する。マデ・マンク・パスティカ州知事はそれに関連して、州内の資金は半分以上が州外に流出しており、バリ州民はその資金のサイクルから取り残されている、と語る。「何千人もいるバリの地元中小零細事業者は事業資金を喉から手が出るほど渇望しており、借入がもっと潤沢にできるのであればはるかに活発に事業拡大が行なえる。しかし銀行界からの借入は容易でなく、事業意欲が手薄な資金に阻まれているのが実態だ。そんな状態にもかかわらず、州内にある資金の50%以上が州外に流出しているのは実に嘆かわしいイロニーである。」
州知事は銀行界に対して中小零細事業者の資金アクセスに便宜をはかるよう求めたものの、大手一般銀行はすべて本店がジャカルタにあり、バリの銀行責任者たちは本店にお伺いを立てることしかできない。そもそも貸付枠の大部分はジャカルタに握られており、地方支店は与えられた貸付枠内でのローン業務が主流になっているため急激な変化を起こさせるのは難しいというのがバリ銀行界の本音であるようだ。実際に地方部の事業家もジャカルタで融資を求めるほうがよい成果を得られるようで、その面からもジャカルタに伝手を持たない地方部の中小零細事業者は不利な立場に置かれている。
バリ経済の脆弱さはそればかりではない。バリ産の手工芸品は州内観光地へ行けばあらゆる商店で売られているし、輸出される物も少なくない。ところがそれら手工芸品生産のための素材でバリで作られているものはきわめて少ない。木彫りの材料となる木材ですら、いまではほとんどが州外から入ってくる。いわんや銀細工にしろ布製品にしろである。
バリは蘭印政庁時代から観光地政策が取られてきたため、バリには近代工業が誘致されなかった。茶葉の加工工場すら許されなかったから、国内でいたるところに見受けられる大規模な茶畑がバリにはない。必然的にあらゆる工業製品、中でも素材工業製品はすべて州外あるいは国外からバリに入ってくる。そして金回りのよいバリへの販売価格はなかなか廉いものにならないという現実がそこにからまってくる。ところが実際にそんな素材を仕入れて加工している大多数は中小零細事業者であり、かれらの経済レベルが取り立てて高いというわけでは決してないのである。
品質のよい素材を使えばよい製品ができるが価格が問題になる。価格を意識して廉い素材を使えば品質が買い手の規準にあわない。こうしてバリ人の作る手工芸品は市場競争力をかげらせ、バリの名を謳った類似の製品が中部ジャワや西部ジャワからバリに送られてきて店頭に並ぶ。バリの土産物産業ではそんな侵食作用が既にはじまっているのだ。バリ観光に来てバリと書かれた土産物を買って帰国する外国人観光客はそれがバリの産物と思うに違いないが、実際にはジャワでジャワ人が作ったものだという時代はもう始まっている。バリに設けられた観光ビジネス舞台の主役はどうやらバリ人ではないようだ。


「西バリ国立公園で女性の全裸死体」(2010年2月20日)
ジュンブラナ県ギリマヌッ(Gilimanuk)の西バリ国立公園の森はずれにあるバレブゴン(bale bengong)で中年女性の全裸死体が発見された。死体の首には絞殺と思われるあとがついており、舌が口から突き出されている。死体の発見者は近くに住む地元民の50歳の男性で、ブレレン県ラブアンラランへ仕事に行く途中で全裸女性の姿をバレに見出し、不審を抱いて近寄ったところ死体であることがわかったので国立公園監視員に届け出た。それより前にやはり地元民のひとりが朝のジョギングでバレブゴンに横になっている全裸女性の姿を見ているものの狂人が寝ているだけだと思って近付こうともしなかった由。
強盗殺人事件の被害者と見られる太り肉の身体の女性は左腕が頭の上に置かれて死んでおり、片方の耳にはピアスがまだ残されていた。
警察は現場付近を捜索したが女性の衣服は発見されず一対のゴムぞうりが見つかっただけだった。県警ギリマヌッ署はこの事件について、地元民でない女性が他の場所で絞殺され、そのバレブゴンまで運ばれて遺棄されたのではないかと推測している。ギリマヌッ保健所職員による死体検証では、死体は首のタイヤチューブによる絞殺の痕以外に暴力を受けた部分はなく、死後二日が経過していると思われる、という報告が出されている。アイデンティティのまったく不明なこの死体を警察はミセスエックスと呼んでおり、県警犯罪捜査ユニットはミセスエックスの死体検死解剖を行ってもっと詳細な情報を得るまで予断は控える姿勢を取っている。


「観光客を狙う犯罪シンジケート」(2010年2月22日)
国内外観光客の来訪が盛んになるとともに犯罪も増加しているとバリ州警察長官が州議会第1委員会で報告した。2009年にバリ州で起こった犯罪事件は一日平均28〜29件で、これは2008年実績から22.5%の増加になっている。
2009年に発生した犯罪事件総数は10,437件でそのうちの4,499件はデンパサル市で起こっており、県別別発生件数ではブレレンとギアニャルがそれに続く。長官は2009年の犯罪増加について、観光活動の興隆が犯罪を誘発しており、更に2009年に行なわれた州内5県市での首長選挙が犯罪発生件数を増加させた、と2009年の概要を説明した。州議会議員のひとりは特に2009年の外国人観光客に対する犯罪事件を重視し、クタでの日本人女性に対する強盗殺人事件やムンウィで起こったオランダ人に対する強盗事件に触れて、犯罪予防のための防犯カメラがクタやサヌールに設置してあるのではないのか、と州警察に防犯体制に関する疑問を述べている。
デンパサル市警長官は外国人観光客をターゲットにする犯罪事件が過去三年間増加傾向にあることを認め、観光客をメインのターゲットにしているいくつかの主要犯罪シンジケートを警察はつかんでおり、現在それらシンジケートの捜査に注力しているところだ、と議会で表明している。


「バリで観光施設検問」(2010年2月25日)
ジュンブラナ県警観光警察ユニットと社会保安ユニットは犯罪発生防止を目的にホテルやカフェなどの観光施設検問を実施した。この検問作戦ではヌガラ(Negara)とムンドヨ(Mendoyo)の観光施設が対象とされ、各所のホテルに立入り捜査を行なったがほとんどのホテルはすべて空室状態。ただヌガラ市バンジャルトゥガ(Banjar Tengah)の一軒のホテルで不倫カップルと見られる男女が二組発見され、取調べが行なわれた。一組はトゥガルバドゥン在住の38歳の男性とバニュビル在住の29歳の女性で、男は相手の女性が妻ではないと表明している。もう一組はホテル近くの建設現場で働いていると自称する44歳の男性とムンドヨ在住の33歳の女性で、男は住民証明書を提示できなかった。かれらは仕事をいっしょにしたあとそこで休息を取っていたと語り、男は相手を第二妻だと述べている。警察はその二組のカップルを署に連行して更なる取調べを行なうことにした。
警察はまたカフェにも立入り捜査を行い、あるカフェの従業員寮で住民証明書を持っていない5人の女性を警察署に連行した。この女性たちは22歳・23歳・24歳・30歳・31歳という年齢で、東ジャワ州バニュワギ(Banyuwangi)からバリに出稼ぎに来た者たちと推測されている。この5人は軽犯罪法違反で罰金が科され、処理が終わったあとで釈放された。


「アジアの一番人気観光先はウブッ」(2010年3月8〜10日)
ウブド、ウブドゥ、ウブッ・・・。どう表記しようともUbudの音を正確に再現することは難しい。日本語の音韻表記は50音と言われるようにアルファベット26文字の二倍近くあるのだが、アルファベットが組み合わせで膨大な数の音を表記できるのに比べれば50音などはものの数に入らないにちがいない。
ところでそのウブッがアメリカの旅行雑誌Conde Nast Travellerの読者投票でアジアのナンバーワン観光先に選ばれた。フレンドリーな住民、環境のよさ、文化物遺跡物、ホテル、レストラン、ショッピングなどの面でアジアでもっとも優れていると評価されたわけだ。その結果バンコック、香港、チェンマイ、京都を抑えての堂々ナンバーワン。
バリ州ギアニャル(Gianyar)県ウブッはデンパサル(Denpasar)から25キロの距離。グラライ(Ngurah Rai)バイパスとイダバグスマントラ(Ida Bagus Mantera)バイパスを経由して1時間とかからない。外国からの観光客はクタ(Kuta)に南接するスバン(Subang)のグラライ空港に降りた後、バリ島南部地域にあるあちこちの宿に泊まる。一泊数百ドルから数十ドルまでクラスは千差万別。そして島内あちこちにある観光スポットへと向かう。
ウブッにはいったい何があるのだろうか?ウブッの中心部にあるプリウブッ(Puri Ubud)周辺はいまや混雑と渋滞が当たり前のクタと見紛うばかり。交通量の増加による交通渋滞と駐車場不足は深刻になってきている。そしてパサルの整備や海岸部とパクリサン(Pakerisan)川流域の秩序確立と保安の問題などアジアのトップ観光地にはふさわしくない問題がないわけではない。
しかし滴るような緑に包まれた昔ながらのバリの伝統風土に触れたいひとは、ウブッ一帯の水田に繰り広げられている農民の営みを傍らに見て平安静謐の中に浸る。それにはウブッに泊まってみることだ。アユン(Ayung)川流域の丘には豪華ホテルやビラが建っており、棚田と起伏に満ちた大自然の景観を堪能させてくれる。一方、エコノミートラベラーたちはプリウブッ周辺の廉価なホテルやビラに泊まればよい。そこにはフレンドリーな地元民たちとの接触の機会がふんだんにある。
朝起きたら、自転車を借りて街の外へ出てみよう。5キロほど北にあるトゥガララン(Tegallalang)村はそんなサイクリングの目的地にぴったりだ。この村は木彫りの村で、村人たちの作業を目の当たりにすることができるし、棚田を抱く自然の景観を愉しむこともできる。トゥガラランから更にパクドゥイ(Pakudui)村へと向かう。パクドゥイはガルーダウィスヌクンチャナ(Garuda Wisnu Kencana)の木像作りに特化した村だ。パクドゥイから東に400メートルほど進むとグヌンカウィ寺院(Pura Gunung Kawi)があるので、このサイクリングルートに加えておけばよい。拝観料は大人7千ルピア子供3千ルピア。寺院の中では布を腰に巻かなければならないが、その借り賃は拝観料の中に含まれている。プラグヌンカウィはバリ島内に三つあり、タンパッシリン(Tampak Siring)、ビトラ(Bitra)そしてこのスバトゥ(Sebatu)の三ヶ所。偶然か必然か、それらはすべてギアニャル県内にある。
サイクリングでお腹を空かせたら、ウブッの街中に戻ってウマイものを探索しよう。バビグリン(babi guling)、ベベブギル(bebek bengil)、アヤムブトゥトゥ(ayam betutu)からナシチャンプル(nasi campur)あるいはナシバリ(nasi Bali)までさまざま。辛いサンバルをたっぷり賞味して汗をかいたら、宿での午睡が待っている。
さてそんなバリのウブッで2010年2月4日から日本式交番システムのトライアルが開始された。インドネシア国家警察がJICAの仲介で日本国警察の支援を得て日本式の地域保安秩序管理システムを最初に行なったのは首都ジャカルタの東郊ブカシ市で、この試みは2003年に開始された。ブカシは工業地帯という環境における住民に密着した地域保安コンセプトが進められているが、今回のウブッは観光地という異なった性格の環境を備えており、インドネシア政府にとってはそのいずれの分野も国政上きわめて重要な位置に置かれている。
バリ島内ではじめての住民を巻き込んだ地域保安構想の本部はウブッ町役場に隣接する警察住民連帯館別名チャトゥスパタ(Catus Patha)警察詰所となる。バリ州警察長官は「法確立を怠ることなく住民と密接な社会的連帯を打ち立てることは国家警察のプログラムに即したものであり、ウブッのような観光分野での保安は警察と住民の共同責任となる。」とそのオープニング式典でスピーチしている。


「ニュピ破り」(2010年3月22〜26日)
2010年3月16日はサカ暦1932年元日で、ヒンドゥ教徒は元日を瞑想と禁欲の中で過ごす。ニュピと称されるその元日はヒンドゥ教徒にとって四つの戒を守り、世事を忘れて自己の内面に沈潜し、この世に生を受けたことの意味を探る日だ。
サカ暦は西暦79年3月21日に始まる。当時サカ族がインド南部を平定してクサナ王朝を興した。その開祖カニスカ1世が治世一周年を記念してサカ暦元日としたのがその日であり、その夜は満月に月蝕が起こったそうだ。インドネシアで一番古いサカ年はスリウィジャヤ王朝時代のタラントゥア碑文の中に606年(西暦784年)と記されている。
ニュピの日は太陽が南半球から北半球へ移る境目の日にあたり、また太陽と月が地球に対して一線に並ぶ、月のない夜となる。この日一日24時間、ヒンドゥ教徒は四つの戒をわが身に課さなければならない。チャトゥルブラタ(Catur Brata)と呼ばれるそのいましめとは火を使わない・出かけない・娯楽をしない・働かないの四つで、料理をせず、明かりをつけず、仕事せず、家から外に出ず、慰安娯楽の外的な刺激を遠ざけて、終日自分の精神と向かい合う。その結果、バリ島全域が治安警備要員を除いてひとの姿の絶えたゴーストタウンと化し、夜もごく一部の、安全維持のためにどうしても消してはならない明かりを除いて照明は一切消され、星明りの下でバリ島は漆黒の闇の中に沈む、というのがニュピの謳い文句だったが、ところがどっこい、ニュピ破りは年年歳歳なくなったためしがない。
今年バリでははじめての試みとして、島内のテレビラジオ放送をすべて停止した。バリのローカル放送だけでなく全国ネットの放送まで止まった。建前として慰安娯楽が排除されているため、篤実なヒンドゥ教徒はテレビラジオを点けないだろうから放送しても無駄だろうし、むしろ意志の弱いひとびとにとってはかえって誘惑になるため放送は止めるほうが良いというロジックだったにちがいない。しかし有線無線の電話は働いていたから、インターネットはつながった。普段よりもスピードが速かったところを見ると、やはり利用者は少なかったようだ。もしも上のロジックをインターネットまで下ろしてくれば・・・・という一抹の不安がないわけではないが、来年ははたしてどうなることか?篤信のヒンドゥ教徒がニュピの四戒に浸っているとき、コンピュータを点けてインターネットにふけっているわたしもきっとニュピ破りのひとりだろう。
2010年3月16日午前11時ごろ、ギアニャル県パクラマンクシアン村を徘徊しているBaliSafariと書かれた一台のゴルフカートを村落自治警防団員(プチャラン)が停めた。何をしに外へ出てきたのかとプチャランが尋ねたところ、乗っていたふたりはEmergencyと書かれた書状を示した。どんな緊急な用向きなのかと更に尋ねたところバリサファリ従業員ふたりは昼飯を買いに出てきたと正直に答えたからプチャランは怒り、その車を追い帰した。飯が食えないのはバリサファリパークの従業員たちにとって緊急事態だったにちがいない。 2010年3月16日正午頃バドゥン県クタウタラ村バンジャルプティガン(Banjar Petingan)の川で4人の青年男女が遊んでいるのをデンパサル警察署員が発見して署に連行した。この4人は21歳と20歳の男、20歳と16歳の女で、ひと月ほど前に東ジャワ州マランからデンパサルに移って来て借家暮らしをはじめた。4人はニュピの意味を知らず、語感から孤独に浸ることと理解したようで、だから借家近くの川で魚釣りをしていた、と警察の取調べに答えている。この4人を家に帰らせるとまた外をウロつく可能性が高いと見て警察はニュピが明けるまでかれらを署内に留置した。
2010年3月16日夜、クルンクン県バンジャルタッムン(Takmung)にあるカフェウエイトレスの借室に女と一緒にいたカランガスム(Karangasem出身の29歳の男がプチャランに発見され、バンジャル役場に連行されてお目玉をくらい、25万ルピアの科金支払と役場ならびに借室でいけにえ奉納を行なうよう命じられた。プチャランは普段から借家借室の住人に対する監督を励行しており、住人の身元詳細の把握に努めている。ニュピ当日も昼間イマムボンジョル通りの借家借室を回って住人の調査を行った。カフェウエイトレスに部屋を貸している家主は、住人の増加はない、とその調査に対して返事したが、プチャランは思うところがあって夜もう一度その借室を訪れた。そしてカランアスムの男がウエイトレスとコーヒーをお愉しみ中であるのを発見し、無届滞在を理由に男を捕まえたというのがこの事件のあらすじ。
2010年3月16日午後、デンパサル市警本部にオートバイで駆け込んできた者がある。血相を変えてやってきたのはデンパサル市ブアナアユ住宅地住民バユ35歳で、息子のダニエル12歳が消息を絶った訴え出た。しかし警察は届出を受け付けただけで、今日はニュピであるから捜索は明日の朝開始するとバユに返事して帰らせた。ダニエルは遊び仲間のマルクスとエファン(それぞれ12歳)と一緒にスミニャッ(Seminyak)の祖母の家に遊びに行くと親に言って家を出たまま、ニュピの日になっても帰宅しなかった。ブアナアユ住宅地からスミニャッまではおよそ7キロある。祖母の家に問い合わせても、ダニエルは来ていないという返事。ダニエルの持っている携帯電話に電話しても応答がない。両親は心配して息子の行方を探したが手がかりは何もなく、親類中に電話したがダニエルを探しに家の外へ出ようという者はひとりもいない。思い余ってバユは警察署にオートバイを走らせたというのが事の一部始終。17日に警察はダニエルの捜索を開始し、一緒にスミニャッへ行ったことになっているマルクスの家で遊んでいるダニエルを発見した。三人は結局スミニャッへ行かず、マルクスの家で遊んでいてニュピになり、そのまま同じところに居続けたようだ。ダニエルが親に電話しなかったことがこの騒動の原因で、念入りなことにダニエルは自分の携帯電話の電源を切っていた。 今年はじめて行なわれたニュピ破りもある。16日夜、クタ海岸沖で漁船の灯火が水平線を飾ったことだ。バリ島外の漁船が5海里沖合いで漁労活動を行った。距離が遠すぎたためその行動を制止することができなかった、とクタのプチャランは表明している。漆黒の闇の中に沈まなければならないバリ島の沖で煌々と明かりが灯され、陸地までもその明かりが届いているありさまにヒンドゥ教徒たちは外的な刺激を受けて迷惑を感じたにちがいない。
クタ沖だけでなくバリ島最南端のブキッバドゥン(Bukit Badung)南方沖合いでも、クタやデンパサルから見えにくい半島中央部で多数の漁船が煌々と灯火を点けて漁をした。それまでウルワトゥ方面の水平線上に並んでいた漁火がニュピの日が近付くに連れて半島中央部へ移動して行ったのは、漁果とは無関係な理由のあることだったようだ。もっと皮肉なことに、17日夜に出漁した漁船はほとんどいない。ジャワ・マドゥラをメインとするバリ島沖で夜間漁をする漁船はニュピ前の一週間、毎夜出漁していた。かれらの多くはバリの魚市場にも水揚げしているから、当局がまったく把握できていないということもあるまい。このような不祥事を放置してはならないとクタ村役のひとりは語っているから、来年のお手並み拝見が今から待ち遠しいくらいだ。
ニュピのしきたりは宗教上の勤行であり、生活共同体が同じ宗教という軸で貫かれているかぎり、共同体構成員がしきたりを破ることは考えにくい。それを破るのは非共同体員であり、異宗教徒である。伝統的村落のないところに設けられた新開地区住宅エリアはバリ島外からの住民が多く、同一文化同一宗教に根ざす一体感が薄い。加えて、同じバリ人でもカランガスムからバリ島南部に出稼ぎに来た者の中にはクリスチャンが少なからずおり、かれらの日常生活はヒンドゥ文化に即していない。新開地区住宅エリアでは、16日の夜一晩中灯りのついている家があり、そしてまた地元民の家でも夜半を過ぎると屋外の灯火を点けた家もあった。かれらもニュピ破りのひとりだ。
バリのニュピは、しかし国内外の外来者たちの多くも路上に出ず、夜も気を遣って灯りをつけず、また観光客はかれらの泊まっているホテルやビラが最低限の照明しかつけないことを容認し、ヒンドゥのしきたりに従った。見方を変えればこれは地元文化の異文化人に対する強制ではあるものの、バリにいるほとんどの異文化人もそれを異文化交流ととらえて地元文化への尊重姿勢を示しており、ニュピ破りはほんの数えるほどのケースしか起こっていない。今年のニュピは非ヒンドゥ教徒の協力的尊重姿勢が強く感じられたと各県がコメントしていることがそれを照明しているようだ。
しかし強制されて従うのか相手を尊重して従うのかは、本人の意思と姿勢に関わっている。たとえばイスラムには断食というものがあり、その期間に中東を訪れれば、ホテル内にいないかぎり断食を強制される。異文化人に対する地元文化の強制は、その深さに違いはあれ、世界中にあるのではあるまいか。だが世界は広い。 宗教にしろ、文化にしろ、政治にしろ、そのような強制を好まない種族が地球上にいる。かれらは自分をしばりつけようとするさまざまな強制をかいくぐり、自分の欲求、良く言えば自由意志悪く言えばわがまま、に最上級の優先度を与える。敬虔な宗教の徒だという姿を見せながらも宗教上の本質的な戒律は二の次にするという多面的な価値観を持つかれらであればこそ、地元文化の強制に沖合いから後足で砂をかけたニュピ破り集団の行為は、人間の生き方に関する強烈な自己主張であるのかもしれない。


「キンタマニで外国人観光客が死亡」(2010年4月7日)
バリ州バンリ県キンタマニ観光地区にあるバトゥル火山で外国人観光客で転落死する事故があった。死亡したのはスエーデン人ダニエル・エリック・ペテルソン25歳で、かれは2010年3月31日スエーデン人の友人ふたりと地元のガイドに付き添われて標高1771メートルのバトゥル山に登頂した。一行が登頂を開始したのは午前3時半で、バトゥル山南縁のプラジャティルートをとって山頂に達し、日の出を楽しんでから山を下り始めた。ところが天候が急変したため下山を急ぎ、午前7時半ごろダニエルが150メートル下の火口に転落してしまった。バトゥル山は活火山で、火山活動は警戒レベル4段階の下から二番目とされている。
州捜索救難隊が、現場の天候がおさまるのを待って12時35分ごろダニエルの遺体を涸れている火口から収容したが、そのときも天候はまだ多少荒れていたとのこと。ダニエルの遺体はデンパサルのサンラ病院に検死のため送られた。


「バリの高級ホテル宿泊は廉いエージェントを使え」(2010年4月10日)
国営通信社アンタラの報道によれば、ヌサドゥアの高級ホテルの一部は宿泊料一泊25〜30米ドルで代理店と契約しており、中国や台湾からの観光客はたいへんお買い得な料金でバリの休日を楽しんでいるとのこと。
ヌサドゥア・クタ・サヌルの4〜5星級ホテルの中には超廉価な料金で代理店と契約しているところがあり、そのような代理店に行き当たれば破格の料金を享受できる。ヌサドゥアのホテルは国内観光客向けに一泊55〜65万ルピアの料金をオファーしているものの、中国や台湾からの観光客向けに出されている料金の2倍だ。高級ホテルが一泊60万ルピア程度で廉いと思ったら、もっと下があったということのよう。


「バリの新居に電気はいつ点くの?」(2010年4月13日)
「新規の電力供給申請が5万件あり、増量申請が8千9百件ある。それらの需要を満たすためには電力供給量を200メガワット以上増やさなければならない。現在の情勢下でそんなことは不可能としか言えない。」国有電力会社PLNバリ支社広報担当はそう表明した。これはつまりバリにある5万軒の新築建物に電気が流れていないことを意味しており、いつになったらそれが可能になるのかというはっきりしたスケジュールも立てられていないようだ。
新規申請の内の3万1千件と増量申請5千8百件は家庭消費用であり、その中の新規申請2万7千件はデンパサル市とバドゥン県に分布している。新規申請中の2万1千件はいわゆるR−1カテゴリーのもので、申請容量は900〜1,300KVAだ。新規の電力供給申請を2009年6月に行った申請者のひとりは、もう一年近くになるというのに電気がいつ点くのか見当がつかない、と苦情を語る。「デンパサルのPLNに申請を出してあるが、電気の引込み工事がなされる気配はまったくない。どうなっているのか尋ねに行くたびに空約束を聞かされるだけだ。」
供給量に見合う分だけしか電力利用者を増やすことができないため、PLNはプサンガラン発電所に発電機を増設して80メガワットの供給量増を行い、またバリの全電力利用者74万軒に100ワット節電プロジェクトへの協力を求めて74メガワットを捻出し、それを新規と増量申請に対する原資として待ち行列を短くしようと考えている。しかしいざ電力引込み作業が開始されたあかつきに、作業員が申請場所の建物を訪問したさいに申請者側の人間がいなければその建物は後回しにされるそうだから、一年近く待っていた申請者がたまたま留守だと次のチャンスまでまた待つことになるのかもしれない。


「バリの激安宿泊料金は中国人向け」(2010年4月19日)
中国の旅行代理店に宿泊料金の安売りをするのはやめろ、とインドネシア旅行代理店協会(Asita)会長が発言した。「アセアン=中国自由貿易協定は中国人ツーリスト誘致のチャンスであり、それによる観光収入増のチャンスだ。でありながら、故意に安売りを行なって適正な利益を獲得する機会を投げ捨て、加えて国庫への外貨収入増に障害をもたらしている。アセアン=中国自由貿易協定が国内産業界を厳しい競争状態に投げ込んでいる対極として、観光業界はプラス面でバランスを取るべきポジションに位置付けられているというのに。インドネシアの旅行代理店が中国の旅行代理店に安売りをかければ得をするのは中国側だけであり、インドネシア側は国を含めて得をする者はだれもいない。標準料金ひとり一泊50米ドルという相場を崩して28米ドルという安売り料金のオファーを中国側に出しているのが中国人ツーリストの憧れの的であるバリだというのも皮肉の極みだ。インドネシアを訪れる中国人ツーリストの8割近くがバリを訪問先に選んでいる。しかし年間1千5百万人の中国人海外旅行者のうちでインドネシアへやってくるのが30万人しかいないというのは残念だ。中国人ツーリストは平均して7日間滞在し、一日当たり100米ドルを支出しているのだから。」Asita会長はそう語って、バリのヌサドゥアにある一部高級ホテルが行なっている中国人ツーリストに向けられた極端な値引きを批判した。


「バリにまた新規ホテル」(2010年4月19日)
バリの4星5星級ホテル業界には2011年中盤までに17軒の新設ホテルが参入し、客室数2千が新たに追加される。その17軒の高級ホテルはサヌルに4軒、クタバルに3軒そしてクタレギアンに4軒といった分布図になっている。
現在バリの4〜5星級ホテル業界は104軒が乱立してしのぎを削っており、16,500の客室は平均稼動状況が60〜70%となっている。このクラスは2002年爆弾テロ事件で大打撃をこうむったが、そのとき暴落した客室稼働率はその後年々力強い回復状況を示し、ホテル事業投資家の関心をこのセグメントにひきつける強い魅力を放射している。
とはいえ現在の客室総数と稼働率をかけあわせれば毎日5〜6千の空室が出ているわけで、そこに客室が新規に2千加われば集客競争の激化を疑う余地はない。すでに表明されているように、バリのホテル業界はすべてのセグメントを過当競争の波が襲っており、業界内部の競争にとどまらず闇貸しビラまでが混じりこんで不健全な競争を煽っている。高級ホテルの中に特定宿泊客に対して1〜2星級レベルの宿泊料金がオファーされているのも、その不健全さを表すものであるにちがいない。


「パラダイスのカウボーイたち」(2010年5月5日)
シンガポール在住の作家で映画監督でもあるインド人アミット・ビルマニがひとりで制作したドキュメンタリー映画がインドネシアで大きな反響を呼んでいる。映画のタイトルはCowboys in Paradiseで、言うまでもなく世界のパラダイスであるバリ島はクタビーチにいるビーチボーイたちの生態をとらえたドキュメンタリーもの。この映画は2009年10月22日から韓国で開催されたDMZ韓国国際ドキュメンタリーフェスティバルで初公開された。この映画がユーチューブで流されるようになったためにインドネシア人の多くがそれを見て反インドネシア映画だととらえ、続々と制作者宛てに威嚇的なEメールを送りつけるようになったことからビルマニはかえって驚いているそうだ。
この映画の反響は地元のバリでも、観光地バリの名を傷つけるものというネガティブな見解に満たされており、マデ・マンク・パスティカ州知事が地元クタ住民に対して、感情的になって不法行為を行なうことのないように、という呼びかけを行なっている。というのは4月26日にクタ海岸でビーチガードタスクフォースが海岸にいるインドネシア人に対して検問を実施し、アイデンティティを証明できない28人を連行するという事件が発生しており、州知事はクタ地元民の気持ちはよく理解できるが必ず法規を遵守してことを行なうようにと警告を与えている。 このような映画が作られたのはきわめて遺憾なことで、観光地バリのイメージを間違った方向に導く可能性が懸念されると州知事はコメントし、その映画制作が政府の認可を得た合法的なものかどうかを調査すると語っているが、最終的に非合法であると判断されたようだ。
一方制作者のビルマニは、誰でも知っている、そこに存在している事象を映画にしただけだと語っており、今更インドネシアの国論が自分を敵視するとは思ってもみなかった、とコメントしている。少し汚れた内容ではあるものの公然の秘密であるバリの生活の一部がそれであり、しかも同じようなことは世界中のどこにでも見出すことができる。インドネシアで育ったビルマニにとってクタのカウボーイの存在はスクープでもなんでもないものだそうだ。ガイドブックさえもがそれに触れているというのにインドネシア人がそれを否定するのはまったく信じられないことであり、この映画はインド人映画制作者が作ったアンチインドネシア映画だというレッテル貼りがほぼ確立しかかっているのはきわめて危険な状況をしつらえるものだ、とかれは語っている。
かれはクタのカウボーイをジゴロとも男娼とも呼んでいない。かれが採り上げたのはジゴロでも男娼でもない男たちであり、性的なアバンチュールを目的のひとつに携えてクタを訪れる外国人女性にその目的を満たさせてやるための行動を取るかれらをビルマニはカウボーイと呼んだ。カウボーイたちは必ずしも金を目当てに女性観光客と遊ぶのではない、とビルマニは主張している。しかしクタにはそんなカウボーイだけでなく、アバンチュールを求める外国人女性を金づるにしようと待ち構えているジゴロや男娼がいることも否定できない事実だ。
クタの男娼の存在は公然の秘密であり、それは決して新しい事実でなく20年も前からあったことだ、とクタ村長も述べている。しかもかれらはビーチにいるだけでなく、クタのナイトスポットにもいる。ただしそれはほんの一握りの人間であり、すべての男がそうだということでは決してない。村長はそうホンネを語っているが、行政、中でも観光行政に携わっている公職者の多くはカーペットの下に隠してしまいたい汚濁を暴くインド人に怒りを向けることを優先しているようだ。 なお、バリ警察はその映画にカウボーイとして登場した男たちを連行して取調べを行なっているが事情聴取だけに終わっている。かれらの中にバリ出身者はひとりもいなかったことを追記しておこう。


「バリのホテルに星級格付けを」(2010年5月8日)
バリのホテルは星級格付けを持っていないところが多い。星級というのはホテルの施設やサービスレベルが定められた規準のどのレベルに当てはまるのかという審査を通して認定されるホテルの格付けであり、その評価は施設・設備に30%、事業管理に20%、サービス実施レベルに50%というウエイトが置かれて審査される。星級のグレードは?から?まであり、更に?の下にはジャスミン(melati)級というクラスも設けられている。
バリでこの格付けがあまり行われていないのはインドネシアホテルレストラン会が資格認定を与えたアセッサーの数が少ないためで、その数少ないアセッサーが鋭意ホテルの星級審査を行なっているもののホテルの数が多すぎて進捗具合はまるで蝸牛の歩みに似ている。ちなみに2010年4月19日から始まる一週間に行なわれた審査は次のような分布状況だ。
バドゥン県 12ホテル
ギアニャル県 4ホテル
ブレレン県 4ホテル
デンパサル市 1ホテル
タバナン県 1ホテル
カランガスム県 1ホテル
インドネシアホテルレストラン会バリ支部は星級格付け審査のできるアセッサーを増やしてできるだけ短期間に星級格付けを持つホテルを増やしたい意向であり、ホテルレストラン会本部の協力を仰いで公認アセッサーを養成するためのワークショップを開催している。


「バリで日本人観光客が激減」(2010年5月19日)
日本・マレーシア・韓国からのバリ訪問観光客が2010年第1四半期は減少した。統計では日本65,059人、韓国28,396人、マレーシア27,548人が減少しており、日本人の減少がもっとも目立つ。
一方もっとも顕著に増加したのはオーストラリア人で、今年は120,328人がバリを訪問し、前年同期の72,004人から67%も増えた。人数が増加した国は次の通り。
オーストラリア 67.1%
オランダ 59.8%
ドイツ 24.0%
台湾 20.1%
フランス 8.2%
ロシア 4.1%
中国 3.9%


「グラライ空港で入国審査の簡素化」(2010年6月3日)
バリのグラライ空港でイミグレーションが行なっている入国審査時の顔写真と指紋の採取が一時棚上げされることになった。インドネシア政府法務省移民総局は、入国者の個人認証情報を取得して外国人の国内での不法行為や入国時の不法物品持込行為への対応を容易にすることを目的のひとつとする国境統制管理システムを国内22の海空港で2010年4月22日から開始した。主要空港の中にはそれ以前からトライアルが開始されたところもある。
ところがどの空港もそのプロセスを実施したことで入国審査エリアに入国者の長蛇の列ができるようになった。このシステムは入国者ひとり当たり1.4分の処理時間を標準としており、移民総局では入国審査官がそれだけの時間をかけて入国者をさまざまな角度から審査する必要があるという規準を設けている。ところが外国人入国者が一日5〜6千人に達するグラライ空港では特定の時間帯に到着便が集中するために入国審査場はたいへんな混雑となり、入国者は長蛇の列を作って順番をひたすら待つという苦行を強いられることになった。極端なケースでは飛行機から降りて到着ターミナル出口に達するまで数時間かかったという事例も報告されており、観光業界の強い抗議や外国人観光客の不平が高まっていることに配慮して移民局デンパサル事務所は当面新手続を休止することを決めた。
空港運営会社PTアンカサプラ?グラライ空港支所GMは、入国審査に時間がかかるようになってから、到着客の出迎え人たちは待ち人の出てくるのが遅いため大勢が不安を感じるようになっており、忍耐心を尽き果たすとヒステリックに叫び到着ターミナル内に押し入ろうとする者まで出るようになった、と語っている。
移民局デンパサル事務所側は、休止期間中にプロセス改善を行なうことにしており、多分年内一杯は改善作業に費やされるだろう、と述べている。特に入国審査場をもっと広くすることは絶対条件であるらしい。ともあれ、その改善対策が終われば写真撮影と指紋採取が再開されるのは間違いなく、再開後はプロセス改善が効果を発揮するよう州内観光業界は期待している。


「バリで島内警戒態勢アップ」(2010年6月4日)
オバマ米国大統領のバリ訪問に備えて、州外の人間がバリ島に入る通過ポイントの警備がレベルアップされた。州外からバリに入ってくる際の通過ゲートはグラライ(Ngurah Rai)空港とギリマヌッ(Gilimanuk)・パダンバイ(Padangbai)・ブノア(Benoa)・チュルカンバワン(Celukan Bawang)の4海港で、州警察はそのすべてで24時間監視態勢を取る。またそれ以外の小さな港も監視が洩れることはない、と州警察長官は語っている。この監視態勢強化は米国大統領に対するテロの抑止を主目的にするもので、国内テロリストグループは従来の自爆テロから銃火器による集団襲撃にテロ戦術を拡大していることから、国家治安機構もそれに対する対応の切り替えが求められている。
一方、バリ駐屯ウダヤナ第9陸軍行政管区司令官は、4千5百人近い要員を投入してオバマ大統領の宿泊場所・訪問場所とその移動ルートの警戒に当たることを明らかにした。その警備支援のためにいくつかの友好国から保安用機器や車両などが送られてくることになっている。具体的な警備内容はまだ確定されておらず、オバマ大統領の行動アジェンダがはっきりする6月9日の米国シークレットサービスチームのバリ訪問時に組み上げられる予定。前回延期された際のバリでの訪問予定先は、プラウルワトゥ・モンキーフォレスト・ウダヤナ大学などだった。


「第二回タナロッアートフェスティバル」(2010年6月22日)
2010年7月26日から8月1日まで、バリのタナロッ(Tanah Lot)でタナロッアートフェスティバルが開催される。このフェスティバルでは地元タバナン(Tabanan)県の文化遺産が勢ぞろいする予定。このフェスティバルには地元から3千人が参加する。
オープニングでは1千人の参加するパレードのあと県下10郡の代表者が伝統舞踊を披露する。またふだんあまり演じられない古典舞踊もこの機会にステージに載せられる予定で、barong rentet, baris memedi, joged bumbung, mebarung, arja klasik, baris gede kombinasi tektekan, tari leko, bebarongan, prembon, tari telekなどを鑑賞できる稀な機会になりそうだ。
今年二回目のタナロッアートフェスティバルでは、タナロッ名物のクルポン(klepon)を採り上げてクルポンフェスティバルも実施される。クルポンというのは米の粉を茹でて団子にし、中にパームシュガーを入れ外側に刻みココナツをまぶしたもの。主催者はクルポン団子に新たなアイデアが加えられて新種が登場するのを期待しているとのこと。
大凧ショーも7月30日と8月1日に催される。バリ男児は凧揚げが大好きで、アートの粋をまぶした大型の凧を作って空中高く飛ばせるのを競う。放っておくと何人も何人も集まってきて際限がないため、今年は7百個集まれば打ち切ることになっている。他にも音楽パレード、絵画や工芸品その他クリエーテイブ作品の展示も期間中を通して行なわれる。


「バリ全島は狂犬病汚染」(2010年7月13日)
バリの狂犬病禍は全島に定着した観がある。2008年11月にバドゥン県を皮切りにして狂犬病患者は島内の7県1市で隈なく発生し、唯一ジュンブラナ県での罹患報告がまだなかったために同県は狂犬病から免れているただひとつの県と言われていたが、同県ムンドヨ郡在住の小学三年生児童が2010年7月3日に危篤状態となり、ヌガラのジュンブラナ県地方総合病院からデンパサルのサンラ病院におよそ100キロの距離を移送された後、到着して1時間後に死亡した。患者はおよそひと月前に犬にかまれており、死亡時には口から泡をふいていたと報告されている。狂犬病患者に一般的な水や光をこわがる症状はなく、40度の発熱と流涎が観察されているだけだが、サンラ病院側は狂犬病の可能性を強く疑っており、ラボ検査で死因を確定させることにしている。
7月4日にはやはりカランガスム在住の50歳の女性がサンラ病院に移送されてきたが、これも到着してから数時間後に死亡した。これでバリ州内の狂犬病によると見られる死者は74人に達し、ラボ検査で狂犬病が確認された死者は36人になっている。
デンパサル獣医学調査館の元調査員はジュンブラナの小学生のケースに関して、医療従事者の判断が甘くまた対応措置があまりにも緩慢だ、と批判した。「子供が犬にかまれたとき、子供に狂犬病ワクチンを投与していない。ジュンブラナは狂犬病から免れているからというのがその理由だった。バリ島内はすべて陸続きで、伝染病は行政境界など関係なく伝播していく。境界になりうるのは地形的に地域を隔てる海のようなものだけだ。ジュンブラナには狂犬病がない、という考えで子供にそんな対処を行なったことはまったく理解に苦しむ。」
しかし今現在州内の多くの県保健局は狂犬病ワクチンの在庫切れ状態にある。州内ではギアニャル県とサンラ病院におよそ2千人分のワクチンがストックされているだけであるとのこと。


「住民人口が急増しているバリ」(2010年8月27日)
中央統計庁の2010年センサス国民人口統計暫定結果によればバリ州の人口は389万人になっており、2000年センサス時の315万人から大幅に上昇していることが判明した。中央統計庁バリ地方事務所長はそれに関して、10年間で平均年率2.15%の伸びというのは速過ぎるピッチであり、妥当なペースは1%未満だ、とコメントしている。
マデ・マンク・パスティカ州知事はこの急激な人口増加について、最大の要因は州外からの移住者だろうと思われる、との推測を語った。「州外から移住してくる者をシャットアウトすることはできない。バリは世界有数の観光地であり、バリに立ち寄って暮らしてみることはたいへん魅力的だ。おまけにバリには生活を成り立たせるための仕事がある。われわれは移住者を悪者にする気はないし、無神経に移住を禁止するわけにもいかない。問題は人口の増加があまりにも急ピッチであるということで、その勢いを緩めるための解決策を注意深く検討しなければならない。」
バリ州ではバリに職を求めてやってくる外来移住者の居住登録に季節移住者証明書システムを用いており、移住してきた者にはその暫定居住届に関するカードを発行して住民証明書(KTP)への切り替えをすぐ行なわないようにしている。移住者の最も多いのはバリ州南部のバドゥン県とデンパサル市で、この両県市は州民人口の25%が集中している。2000年センサスによれば、デンパサル市人口55万人、バドゥン県人口40万人となっている。


「バリのホテル業界に受難」(2010年9月2日)
バリでホテルが使用している地下水にかけられている地下水利用税の大幅アップを州政府は実施に移す意向。それに対してバリ州のホテル業界は断固納税拒否を宣言している。
「少なくない利益が上がっているのだから、ホテル業界には支払能力があるはずだ。それでも能力不足だと言うのなら、客室料金を値上げしてはどうか?ホテル業界が消費している地下水の量は膨大なものであり、利用税の引上げはそれに歯止めをかけるのを目的にしている。だから値上げは早急に実行に移される必要がある。ホテル業界は地下水の安易な使用をやめ、使用済みの水を植木の水遣りに使うなどしてリサイクルに心がけてほしい。」マデ・マンク・パスティカ州知事はそのように表明している。
バリ州庁の地下水利用税引上げ方針は2009年7月の州知事規則第16号で10倍増が定められ、即日実施となった。そして2009年12月から現在まで、規定の半額という軽減措置が与えられている。ところがホテルの大半はその州知事規則に反発して7月以来納税を行っておらず、半額軽減措置も業界の反発姿勢を解きほぐすことができないでいる。
バリ州ホテル業界は、水道会社による上水供給が需要を十分に満たせるようになった上での地下水使用制限でなければ受け入れることはできないとの理由で、問題の州知事規則を見直すよう州庁に求めている。
地下水利用税引上げで5星級ホテルは月に11.2億ルピア、ジャスミン級ホテルで月に1千2百万ルピアを納めなければならなくなっており、負担があまりにも大きい、と業界者は訴えている。


「バリ国際航空学院で事故」(2010年9月8日)
2010年9月1日午前8時ごろ、東ジャワ州バニュワギ(Banyuwangi)県カバッ郡バドゥアン村の水田にセスナ練習機が仰向けに墜落した。乗っていたのは三人で、死者はなかったが全員が怪我をした。バニュワギはバリ島と海峡をはさんで対岸にある。
墜落したセスナ機はバリ州ブレレン県にあるバリインターナショナルフライトアカデミー(BIFA)所有のもので、乗っていたのはアメリカ人教官ひとりと飛行訓練中の学生ふたり。BIFAのフライト訓練はバリ州ブレレン県シガラジャ(Singaraja)にあるウィスヌ中佐(Letkol Wisnu)飛行場とバニュワギ県のブリンビンサリ(Blimbingsari)飛行場間を往復するものだった。墜落現場付近で事故を目撃した住民の証言によると、やってきたセスナ機はしばらく上空を旋回したあげく水田に落下した由。カバッ警察署は、ブリンビンサリ飛行場に向かっていたセスナ機がエンジン不調になったため不時着場所を探して水田地区までやってきたが、エンジンが停止してしまったので水田に墜落した、と説明している。
BIFAは2010年8月7日に第二期生13人が卒業したばかり。BIFAでの教育課程は13ヶ月間で、卒業すればガルーダインドネシア航空にパイロットとして就職できる道が開かれている。BIFAで入手できるパイロット資格はPrivate Pilot Licenseが理論300時間飛行訓練55時間、Commercial Pilot Licenseだと理論550時間に飛行訓練140時間で取得できる。
飛行訓練はBIFA所有のセスナ172型機11機が使われ、オーストラリア・アメリカ・カナダ・イタリー・イギリスなどから来た外国人教官の指導を受ける。ガルーダ航空のパイロットになるためにはBIFA卒業後ガルーダのインストラクターによる指導を3ヶ月間受けて、ボーイングやエアバスなど大型機の操縦を学ぶ。BIFAの学費総額は5万8千ドルだが、入学時に払い込むのは半分でよく、残りは就職してから分割で納める便宜が与えられている。


「バリの電力不足は解消するか?」(2010年9月20日)
ジャワ=バリ送電系のバリ向け電力供給追加案をバリ州政府は拒否していたが、マデ・マンク・パスティカ州知事は最終的にそれを受け入れる姿勢を固めた。拒否理由は送電線と鉄塔が聖域を侵すことに反対する地元感情を尊重してのもの。自然保護林に送電施設を建設することに関する公式文書はバリ州議会の承認を得た後で森林大臣宛てに送られる予定。
500キロボルトの高圧送電線2本はバリ海峡を越えてバリ島南西部から州内に引込まれる計画で、PLNは西バリ国立公園のジュンブラナ県側自然保護林にバリクロッシング送電鉄塔を建設することになる。この3.7億ドルをかけて造られる鉄塔は370メートルの高さが予定されており、完成した暁には日本の330メートルをしのぐアジア最高の鉄塔となる見込み。
この新電力供給設備を通過するケーブル2本がそれぞれ800MWの送電量を確保することから、これまで電力危機にあえいできたバリには1,600MWの電力量追加が可能になる。現在バリの電力事情はジャワから海底送電線経由で200MW、州内発電所で367.6MWの合計567.6MWが供給されており、需要が満たせないための巡回停電や新規給電申請あるいは増量申請のウエイティングリストに6万軒が名を連ねるといったことが起こっていた。
工事請負い業者を選定する入札は今年10月に行なわれる予定。鉄塔が完成すれば当初は150キロボルトで300MWが送られてくるようになる。500キロボルトで1,600MWを送るという能力フル稼働はジャワ島側に同じレベルの送電施設が作られなければ不可能で、バリ側の電力需要上昇を眺めながらの動きになりそう。


「バリで恐いのは、バリ島外からきたこのふたつ」(2010年10月6日)
狂犬病の死者が93人にのぼっているバリ州で、外国人観光客がこの問題を不安視していることが日本・オーストラリア・アメリカなど各国領事館からの情報で明らかになった。外国人被害者はまだひとりも出ていないというのに狂犬病問題は外国人観光客の間で第二位のウエイトを占めている。第一位は言うまでもなく、多くの外国人が被害者になっている犯罪多発問題。
バリ州政府は狂犬病ワクチン購入に2009年は106億ルピアを支出した。2010年は9月までで49億ルピアにのぼる。そんな状況にNGOバリアニマルウエルフェアが州政府に対して協力を申し出た。協力の内容は37万人分のワクチン供与と野犬の処理に関する6ヶ月間の専門家派遣で、100万米ドル相当と見積もられている。
マデ・マンク・パスティカ州知事はこの申し出を歓迎し、協力覚書に各県令とともに名を連ねた。州保健局のデータによれば、2010年8月までに届出のあった、ひとが犬にかまれた事件は41,172件で毎日165人が犬にかまれていることになる。2009年は2万4千件だった。


「バリに古着の密輸」(2010年10月21日)
2010年10月13日、税関パトロール艇が南シナ海で不審な機帆船を検問したところ、マレーシアのクアンタン港から大量の古着を積んでバリに向かっていたことが明らかになった。折りしも天候が悪化しているタイミングを狙って広大な南シナ海を航行していたのは官憲のパトロールを避けるのが目的だったと税関総局リアウ特殊地方事務所長はコメントしている。
正当な貿易に必要な書類が一切提示できないことから、税関はその船と積荷を密輸容疑で差押さえ、リアウ州カリムンの税関地方事務所まで曳航した。曳航が完了するまでに50時間を要したとのこと。
船が運んでいたのは1千5百袋の古着で、コンテナ15ボックスに相当する。ひと袋には衣服が250着詰められ、100キログラムの重さがある。税関は積荷の評価額を30億ルピアと判定した。
船の船長45歳が容疑者として逮捕され、1年以上10年未満の入獄と最低5千万ルピア最高50億ルピアの罰金刑が科されることになる。船主と荷受人は今後の捜査によって処遇が決まる由。
この船はマレーシアのクアンタンで貨物を積込んだとのことだが、古着の原産地がマレーシアということではなく、多くのケースではマレーシアは単なるトランジットポイントの役割を果たしているだけ。最近の密輸古着の送り先はスラウェシのクンダリやスラヤル、東西ヌサトゥンガラ、バリ、スラバヤ、ランプンなどが主流を占めている。


「州民にうけないバリ産果実」(2010年11月15日)
バリに陸揚げされる輸入果実が2010年は8月までで5千4百億ドルに達しており、前年同期実績から3倍増になっている。一方バリからの果実輸出は20億ルピアしかなく、バリ州政府は州内産果実に関する州民の意識改革をはかろうとしている。
輸入果実の需要を高めているのは州内のホテル業界ではないか、とバリ州商工局長は推論する。かつて商工局がヌサドゥアの星級ホテルに対して行なったサーベイから、ホテル業界は外国産果実を優先していることが明らかになっている。「外国産のものは見た目がローカル果実より魅力的だ。とはいえ、味覚は甲乙つけがたい。観光業界にローカル果実をもっと取り上げるよう呼びかけているものの、業界は国産果実が国際スタンダードに達しておらず外国人客の口に合わない、という理由を示して地元果実を優先させようとしない。」
そのため商工局はホテルレストラン会バリ支部を通してローカル果実普及の相互覚書を結び、また地方条例を制定して地元産果実の州内普及振興をはかる考えでいる。バリ州民もローカル果実より輸入果実のほうを好む傾向を持っており、宗教祭事の供え物に輸入果実が使われることは一般化している。
ホテルレストラン会バリ支部事務局長はホテル業界で輸入果実への指向が強いことを認める。「ローカル産果実は生産が不安定で品質が保証されないことがその原因をなしているが、その普及には努力する。」事務局長はそう語っている。


「バリの水産物輸出先は日本がトップ」(2010年12月2日)
2010年1−8月期バリのマグロ/カツオ輸出は14,041トン6,300万ドルで前年同期実績の13,925トン5,750万ドルから10%上昇している。これはバリの総輸出高3.58億ドルの18%シェアに当たる。バリからの水産物輸出はマグロ・カツオ・エビ・カニ・ハタなど11種がメインを占めているとはいえ、マグロ・カツオが圧倒的に多くて他の種類は軒並み100万ドルを下回っている。
輸出先は日本がもっとも多くて68.5%のシェアを占め、次いで香港8.6%、アメリカ7.2%、台湾6.9%と日本偏重の状態になっている。バリから輸出される水産物はインドネシア東部地方での漁労の成果がメインを占めている。
バリからの水産物輸出はグローバルクライシス期にも低下せず、安定した成長を見せた。どうやら日本人のさかな嗜好は不景気の影響をはねのけたようだ。


「三年目に入ったバリの狂犬病禍」(2010年12月6日)
バリ州バドゥン県クタスラタン(Kuta Selatan)郡で狂犬病が発見されてから丁度2年が経過した。その間に狂犬病による死者は107人、ひとが狂犬にかまれた事件は7万1千件にのぼり、沈静化の兆しはまだ見えない。
狂犬病罹患者はバリ州全722ヶ村中239ヶ村で発生し、州内8県1市のうちジュンブラナ(Jembrana)県を除いてすべて汚染地区に指定されている。44ヶ村が新規に狂犬病汚染地区となり、おまけにワクチン対策を行なった36ヶ村でふたたび罹患者が出ている。その状況は、これまで行なわれてきたワクチン投与と野犬処理が徹底されておらず、対策の間隙を縫って狂犬病キャリヤーがこれまで非汚染地区だったエリアに移動して汚染を広めていることを示していると州保健局長が指摘した。
バリでは犬を飼い主がたいてい放し飼いにしており、島内50万匹の犬に対するワクチン投与は64.4パーセントしか行なえていない。州民の狂犬病に対する反応も緩慢で、犬にかまれても初期治療を施さず、時間がたって発病したときには手遅れというケースがいまだに散見されている。「犬にかまれる事件は一日平均124件にのぼっているが、狂犬病の惧れをまったく意識していない州民がいまだに見られる。」と保健局長は語っている。


「ガルガン祭日に殺人事件」(2010年12月21日)
2010年12月8日はガルガン(Galungan)だった。ガルガンは210日をサイクルとするバリヒンドゥカレンダー(ウク暦)の祭日で、210日は30のウク(uku)に分けられており、ウクのひとつであるドゥグラン(dungulan)の水曜日がガルガンに当たる。この日は10日間地上を訪れる神々を迎えて自然界を創造した神の悪に対する勝利を祝福する祭事であり、最終日であるクニガン(Kuningan)の日には地上から去る神々を送る行事が行なわれる、とインドネシア版ウィキペディアでは説明されているが、英語版だと地上にやってくるのは祖霊・死者の霊であり、あたかも日本のお盆の習俗のような説明になっている。
ともあれ、ガルガンでは霊界から地上にやってくる者たちを祀り慰撫するために豚が屠られ、お供えされて最終的に人間の腹に納まる。今回のガルガンでも一日前から当日にかけて、全島で大量の豚が屠られた。ギアニャル県だけでも1万5千頭を超えたそうだ。同県では豚のストックが34,700頭あるとのことで、クニガンまで十分に持つと県畜産局長は保証している由。この行事はムスリムがイドゥルアドハの祭事で行なうことにたいへん類似している気がするのだが、果たしてその間になんらかのつながりがあるのだろうか?
そんな神聖なガルガンの日にバリで殺人事件が発生した。12月8日15時ごろ、カランガスム(Karangasem)県アバン郡ダタ村に住むヌガ・ソマ70歳男性が自宅で隣部落の男二人の襲撃を受けて殺害されたのである。
その日ニョマン・ドゥリヤサ29歳はグデ・オカ30歳の家で酒盛りをしていた。泥酔したニョマンは一度その家で寝たが、しばらくして目覚めるとたっぷり酔いの残った頭でグデと一緒に外出し、ソマ爺さんの家に向かった。そのとき二人の間でいったいどんな会話がなされたのかはよくわからない。
挨拶もなしにソマ爺さんの家に上がりこんだふたりは、そのまま爺さんの部屋に入って行った。その日朝からガルガンの祭事に忙しかったソマ爺さんは夕方の午睡のさ中だった。ソマ爺さんの妻ニ・ル・ススン60歳と爺さんの娘ニ・ル・ムリアニ45歳は、険悪な雰囲気のふたりの酔っ払いが家宅内に侵入してきたことに驚き、恐怖を感じて家から逃げ出した。そのふたりの目当てがソマ爺さんに暴力を振るうことであったのは事件が起こったあとではじめてわかったのだが、家の中に侵入してきて寝ていた家長に暴力を振るい始めたのを見たときにはふたりの女にもうなす術はなかったようだ。
ふたりはソマ爺さんの足を持って寝台から引きずり下ろし、家の中には他にだれもいないことを気配で覚ってから殴る蹴るの暴行をはたらいた。爺さんにはもはや抵抗する力が残されていなかった。暴力を振るうことで興奮度がいや増しに高まっていたグデは部屋の中に金てこがあるのに気付き、それを手にして床に横たわっている爺さんを打ちのめした。頭が割られ、鮮血が飛び散り、そして爺さんは絶命した。その結果に満足したふたりはすぐにその家から立ち去った。
一方、女ふたりは近隣住民に暴漢が侵入して爺さんに暴行していることを告げ、助けてほしい、と嘆願した。住民たちは数が集まったところでソマ爺さんの家に向かった。しかしかれらが目にしたのは、暴漢ふたりが去ったあとの惨憺たる姿で絶命している爺さんの遺体だった。通報によってカランガスム県警アバン署はすぐに現場検証等を行って殺人の証拠固めを行なっている。一方、ニョマンとグデはアバン署に自首して出た。爺さんの居所バンジャルクロダン住民のリンチを怖れての自首だった。住民たちの噂によれば、亡くなったグデ・オカの兄にブラックマジックをかけたのがソマ爺さんだったため、ふたりはその復讐を行なったのだとの話。
いったいどういう経緯でグデ・オカの兄の死とその死因がブラックマジックでブラックマジックを使って兄を殺したのがヌガ・ソマ爺さんだったということが結び付けられたのか不明だが、バンジャルの他の住民がそんな理解を持っているということは、かれらの間で公然たる情報になっていたに違いない。インドネシア語でサンテッ(santet)と呼ばれるブラックマジックはインドネシア文化の中に確固として存在しており、常識として信じられている。なにしろ、サンテッ殺人を刑法の中に織り込むひとびとなのだから。


「バリを見てから死ね」(2010年12月27日)
バリで売られている土産品小物に"Jangan Mati Sebelum Melihat Bali"という警句の書かれているものがあった。ナポリやベニスあるいはローマの亜流だろうが、世界中の観光地で自己宣伝に使われやすい文句にはちがいない。
イタリア語で"Vedi Napoli, e poi muori"は英語で"See Naples and then die"だそうで、観光客がナポリ見物をしたあと続々と死んだらナポリ当局も困るような表現だが、ナポリを見ることと見たひとが死ぬことの間には長い年月が置かれるものという前提があるようだ。
バリに死処を求めてやってくるひとがいるという話を聞いたことがある。そんなひとたちは既にバリを前もって見ているようだから、バリを見てから(バリで)死ぬことの実践者なのだろう。もちろん、ナポリについての警句はナポリで死ねという意味を含んだものでは決してないのだが。
「一生に一度はバリへ」というフィーバーがインドネシア全土を覆っているような雰囲気がいま国内にある。だからルバランや新年あるいは学年末などの長期休みになると国中から観光客がバリに押し寄せて、バリ島南部の道路は大渋滞し、クタビーチは芋の子を洗う様相を呈するようになる。空路は各航空会社が増便を繰り返し、海路はクタパン〜ギリマヌッ渡海フェリー船着場に車両があふれかえる。
クリスマス〜新年の長期休み真っ盛りのいま、国民はその休みにどこへ行こうとしているのだろうか?
コンパス紙R&Dが2010年12月1〜3日全国主要都市電話帳からランダム抽出して行なった705人に対する電話インタビューで、インドネシア国民にとっての観光旅行先人気番付が作られた。なんと回答者のふたりにひとりがバリを憧れの旅行先としているのである。
問い1) あなたが訪れたい国内観光地はどこですか?
回答) バリ/51.2%、ジョクジャ/10.1%、マナド/4.4%、ロンボッ/4.3%、ジャカルタ/4.0%、メダン/3.0%、トラジャ/2.0%、その他19.6%
問い2) あなたの一家が年間に費やす行楽/観光のための費用はいくらですか?
回答)
100万ルピア未満 5.8%
100〜500万ルピア 22.7%
600〜1,000万ルピア 6.6%
1,000万ルピア超 4.6%
予算決めしない 31.6%
不明 28.7%