インドネシア「バリ特集」2011〜14年


「バリ島の道路拡張計画」(2011年2月2日)
公共事業省は2010年から2014年までの間にバリ州国道140キロの路幅拡張工事を実施する。バリ州の国道は島の北海岸部を通っている北岸路と南海岸部を通っている南岸路に別れており、この拡張計画では北岸路で全長60キロを路幅4.5メートル以上、南岸路で全長80キロを路幅6メートル以上拡張するのが目標。
年度別計画は次の通り。
2010年  北岸路20キロ、南岸路なし
2011年  北岸路30キロ、南岸路5キロ
2012年  北岸路5キロ、南岸路28キロ
2013年  北岸路5キロ、南岸路27キロ
2014年  北岸路なし、南岸路20キロ


「2月末からバリの電力供給が増加」(2011年2月3日)
バリ州デンパサルの海岸寄りプサンガラン(Pesanggaran)地区にある発電所で50MWの発電能力を持つ国内最大のジーゼル発電機が稼動を開始しようとしている。このマリンフュエルオイル(MFO)を燃料とするジーゼル発電機は最終的にPLNの子会社PTインドネシアパワーの所有に帰すもので、このプロジェクト総工費は5千5百億ルピアとのこと。
このプサンガラン発電所能力増強プロジェクトは2010年1月末に着手され、新発電機は2010年11月初に設置されて試運転を既に終えており、2011年2月28日の商業運転開始日程にあわせるべく最終準備が進められている。この給電能力増強によってバリ島内の電力事情は大きく改善されることが期待されている。
プロジェクトを請け負ったのは公共事業省傘下の国有事業体ウィジャヤカルヤで、PTミルリンドパククンチャナをパートナーに8年間のBOT契約がインドネシアパワーとの間で締結された。その8年間、ウィジャヤカルヤ側は生産された電力をインドネシアパワーに売り、8年間の設備メンテナンスを請負い、契約期限が満了すれば全資産をインドネシアパワーに引き渡すことになっている。
ミルリンド業務担当取締役によれば、ドイツのMAN製最新型ジーゼル発電機は世界各国で使用されその性能が実証されているもので、これまで国内で使われていた同種のものの中では最大であるとのこと。この発電機はMFOを燃料に想定して設置されているが、必要に応じてバイオ燃料やガスへの転換も可能。ただし燃料を転換する場合は相応の手直しが必要とされ、追加投資が発生する、と同取締役は語っている。


「ウルワトゥ寺院周辺の建物は取り壊せ」(2011年2月18日)
バリ州にはあちらこちらにヒンドゥの聖域がある。山・丘・湖・泉・海・海岸などヒンドゥ教徒によって神聖な場所と認識されているエリアは少なくない。ヒンドゥ寺院周辺エリアも寺院の格によって聖域とされ、ウルワトゥ寺院もそのひとつに入っている。
しかし住民の居住の自由や稼業の自由といった基本的人権との境界線が必要で、そのためバリ州が2009年に定めたバリ州地域レイアウト計画に関する条例第16号で、寺院中心から半径5キロ以内は聖域とされ、人間の手が加えられることに制限が与えており、ましてや居住したり事業を行うことは認められない。
ところが現実にウルワトゥ寺院周辺にはその決まりが守られていない実例が多数散見されている。マデ・マンク・パスティカ州知事は聖域に関する制限条項に違反している建築物に対して取締りを行うことにし、それを実行に移した。25軒のホテル・ビラ・レストランに対して措置を取るようバドゥン県令に命令書を与えたのである。
州知事は今回のものを手始めにしてこれから他の各県市にも命令書を出していく、と語っている。「諸方面から抗議が来るだろう。しかし、これは守られなければならない規則を確立させるための執行命令だ。最初は事業所を対象にするが、住居も違反しているのは明らかで、住居はかまわないということでは決してない。」
執行命令の出された25軒の事業所の中にはバドン県から建築許可を得ているところが7軒、中央政府から許可を得ているもの1軒、無許可のもの7軒などが含まれている。バドゥン県広報課長は知事からの命令書が届いていることは認めたものの、データを集めているところだ、と述べており、いつどのような措置が取られるのかはまだ靄の中だ。


「不法外国人に握られているバリの広告市場」(2011年2月21日)
2010年全国広告市場は60兆ルピアにのぼり、前年から20%の上昇を示した。バリの広告市場も年々20%の伸びを示している。ところがバリの市場は70%が無許可広告会社に牛耳られており、それら無許可無登録広告会社を所有し運営しているのは観光ビザで入国している外国人だ、とインドネシア広告会社ユニオン会長が表明した。
「垂れ幕やビルボードなど屋外広告を設置しているのはちゃんとした地元広告会社だ。ところがホテル・ビラ・レストランその他観光関連事業を主体とする広告主に食い込んでビジネスの7割を手中にしているのは、事業許可から労働許可、はては納税すら行なっていない外国人だ。その中には大型プロジェクトにからむフリーランサーもいる。広告主の多くはオーナーが地元民と組んだ外国人であり、かれらは非合法であろうがなかろうが、同じ外国人でデザイン・写真・サイト・コンサルテーションその他あらゆる活動をコーディネートするフルサービスを提供してくれる者を使ってメリットを享受している。そのためバリの広告業界は、合法的な地元業界にとって、きわめて不健全な様相を呈している。地元政府ならびに中央政府はこの状態を早急に是正しなければならない。」
地元業界者のひとりは、「不法ビジネス外国人が投売りをしているというわけではないので、料金は正常なレベルにある。かれらは観光ビザで入国した外国人を仕事に使い、やはり外国人である広告主に対する快適なサービスに努めている。別に地元広告クリエーターが品質的に劣っているというわけではない。現状をどう説明すれば行政が取り締まりに乗り出してくれるのか、そのあたりのことがらに確信が持てない。」と心情を吐露している。


「バリ州知事が孤立無援」(2011年3月22日)
過去5年近く、デワ・ブラタ前知事そしてマデ・マンク・パスティカ現知事が新規ホテル建設の凍結を命じているにもかかわらず、バリでのホテル・コンドテル・賃貸ビラ等の建設は一向にやむ気配がない。
凍結命令はバリ島南部地域での客室過剰供給がホテル業界の経営を不健全なものにすることを防ぐのが目的であると同時に、南部地域に集中している観光産業をバリ島北部地域にも広げるよう誘導することがもうひとつの狙いとなっているのだが、事業許認可の実務を執っているのは県庁であり、バリの大半の県令は知事の意向に反対で地元産業振興の実を更に増やしたいと考えている。その結果、県令が知事の考えに同調するまで、バリのホテル建設はやみそうにない。
加えてバリ島の空港は南部にあり、南部から北部への交通が3時間もかかるという現在の道路インフラや北部地域の生活インフラ建設の遅れのために北部での観光開発投資があまり魅力的でないことから、その弱点を改善しなければ南部を閉めて北部への投資を進めようとしてもついて来る事業者は少ないにちがいない。
そんな状況に関連してジョーンズラングラサールが状況分析と提案を表明している。それによれば、知事の凍結命令は実効性が感じられず、南部地区をそのような形で閉鎖しようとするのでなく、もっと内容を吟味した選択的な建設を振興させるほうがよいとのこと。南部地区もまだ飽和状態と呼ぶまでには至っておらず、開発の余地は依然ある。たとえばサヌール地区に老齢者向けリゾートコンプレックスを設けるといったことは十分に可能性がある。さらに北部の開発について言うなら、サンセットロードをバリ島北部に向けて伸ばすプロジェクトを早急に着手し、グラライ空港と北部地域をもっと近いものにすれば、何をしなくとも北部地域への観光投資は自然と湧き起こるだろう、というのがその骨子。
ホテルレストラン会バリ支部はホテル過剰と客室過剰供給問題について、新規開設ホテルはターゲット顧客とビジネス形態について既存業界とバッティングしないことを条件に認可をおろすようにすれば、知事の心配していることはかなり緩和されるとの代案を出している。しかしホテル過剰問題は業界保全問題とは別に、地元政府に電力や水など生活インフラ問題を背負わせる面を持っており、そこまで単純なことがらでもないと言える。
ホテルレストラン会バリ支部の地域別客室供給状況データは次のようになっている。
地域 : 総客室数 (3星級/4星級/5星級=パーセンテージ)
Nusa Dua : 5,100 (17/13/70)
Tanjung Benoa : 1,785 (15/20/65)
Sanur : 2,589 (17/30/53)
Kuta : 7,057 (27/50/23)
Seminyak&Canggu : 918 (25/13/62)
Ubud : 795 (17/40/43)
その他 : 1,446 (55/40/5)


「2013年末、バリの交通が変わる」(2011年6月13日)
バリのグラライ空港拡張工事の一環で、2011年7月1日から現在の国内線ターミナルの段階的閉鎖が始まる。グラライ空港は年間利用者収容能力800万人が想定されているが、2010年の利用者総数は1,110万人を数えた。グラライ空港運営会社PTアンカサプラ?は1,800万人の能力を2013年までに持たせようと、現在同空港の拡張工事を進めている。その拡張計画は現在使われている国際線ターミナルを国内線用にし、新たに国際線ターミナルを設けるという構想で、現在の国内線ターミナル1万3千平米は一躍6万6千平米の面積に広がり、年間乗降客500万人の能力を持つようになる。一方新国際線ターミナルは12万9千平米の広さを持ち、キャパシティは1,300万人に膨れ上がる。
アンカサプラ?はまず国内線の乗降車場と出迎えギャラリーを閉鎖し、国内線用駐車場をターミナルから遠い場所に引き離す。これまで50メートルほどしか離れていなかったターミナルと駐車場は400メートルも離れることになり、その間を結ぶ通路が建てられ、またシャトルバスの運行も計画されている。新たに建設される国際線ターミナルは空港の北側に位置する計画で、その土地に建てられていたさまざまな政府機関の官舎143軒は既に取り壊されて整地が行われている。
空港の新装オープンは2013年11月にバリで開催されるAPECサミットを日程目標にしており、同じタイミングで南デンパサル〜空港〜ヌサドゥア有料自動車道およびデワルチ像交差点(シンパンシウル交差点)の立体交差地下道開通も予定されている。


「バリも中国に砂を輸出するか?」(2011年6月25日)
西ジャワ州のいくつかの県では、鉄分の豊富な砂鉄採取用の砂を採掘して中国に輸出する事業を、既に許可しあるいは許可を与えることを検討している。西ジャワ州南海岸部のタシッマラヤ(Tasikmalaya)とチアンジュル(Cianjur)は既に海岸の砂が掘り取られており、スカブミ(Sukabumi)・チアミス(Ciamis)ではタシッマラヤに続けとばかり採掘許可を出す方向で検討が進められている。中でもタシッマラヤは9採掘会社に対して総面積614.6Haの採掘権を与えており、この事業に関しては最先端を走っている。同質の砂は西ジャワ州南海岸部一体に分布しているため、そのうちにゴールドラッシュならぬサンドラッシュが起こり、砂は掘りつくされて陸地の海蝕がますます深刻化する可能性は高い。ましてやタシッマラヤの砂にウラニウム含有の話まで出てきており、中国側はインドネシアの砂からダブルメリットを享受できるかもしれない。
バリのタバナン県でも同じ話が起こっている。去る5月中旬にニ・プトゥ・エカ・ウィリヤストウティ、タバナン県令が中国を訪れた際、タバナン県南西部海岸の黒い砂が40%の鉄分を含んでいることから中国側業界者がその輸入に強い興味を示した。その砂の貿易に関して協議が行われ、中国側は黒い砂を採掘してそのあとに白い砂を置けば観光スポットとしてプロモートでき、一石二鳥だというアイデアを披露した。県側はそのアイデアを持ち帰ってさらに検討しており、環境に対する悪影響がなければ実行に移したい考え。しかし生活環境ソサエティバリ支部長は、海砂採取は陸地の海蝕を促進させるだけだ、とコメントして反対の姿勢を示している。


「バリの人気ホテルはこれ!」(2011年6月29日)
インドネシアで2011年4月にインターネットのヤフー検索に入力されたキーワードの中のホリデーに関連するものはバリのハードロックホテルとやはりバリのチューン(Tune)ホテルがトップ2に輝いた。三番目もバリでアゴダホテル(Agoda)ホテル、そしてバンドンのヒルトンホテルとジャカルタのアレクシス(Alexis)ホテルがトップファイブに名を連ねている、とヤフーの東南アジア地域編集サーチプラットフォームマネージャーが明らかにした。
インターネット利用者がホリデー旅行を計画するとき、宿泊関連の情報を集めようとしていることがそこからわかる。2010年4月のときは、検索内容に違いが見られた。一年前は具体的なホテル名を入力するひとが少なく、訪問地のさまざまな情報をホテルを含めて検索する傾向が高かった。具体的にはバリのホテル、ブロモ山のホテル、ジョクジャのホテルというキーワードが上位三傑だったとのこと。
また東南アジア全体でホリデー関連のキーワードは前年同月から121%増加しており、休日を観光旅行に宛てて旅行関連情報を収集するひとが増えているようだ。


「バリの泊まりはホテルK?!」(2011年7月6日)
爆弾テロリストからバリナイン、そして麻薬をメインにさまざまな犯罪を犯した多国籍のひとびと。オーストラリア・アメリカ・ドイツ・ブラジル・フランス・イギリス・スコットランド・メキシコ・イタリア・・・と国際色豊かな雰囲気のみなぎる、バリでもっともノートリアスな場所。それがクロボカン監獄別名ホテルK。それは、バリだから外国人服役者の比率が高いというだけのことであって、もちろんバリ人や島外からやってきたやくざも麻薬売人も人殺しもぬすっともそこに入っている。
2011年6月25日、そのクロボカン監獄内で暴動が起こった。深夜にそこを訪れた一群の男たちの行動がその事件の発端となったのである。クロボカン監獄を訪れた男たちはジャカルタの国家麻薬庁から来たと名乗り、服役者のひとりリヤディの連行を命じられている、と夜間管理責任者に語った。服役者を監獄の外に連行するのであれば、法務省からの命令書がなければならない。しかし男たちはそれを持っていなかった。おまけにジャカルタの報道関係者がその一行の中に混じっている。監獄での公務執行に部外者が立ち会うことは認められていない。それは明らかに規則違反だ。ともあれ、管理責任者は男たちに、看守に連れて来させるから待合室で待っていてください、と要請した。ところが男たちのリーダーは、自分たちでやる、と言い、配下の男たちと共に一斉にリヤディのセルに向かったのである。
リヤディが連行されるのは、服役中でありながら外での麻薬売買のコントロールを監獄内から行っている疑いが濃厚で、その取調べのためだ、と男たちのリーダーが説明した。リヤディは2010年に5年の刑期で入獄した元反テロ88特殊分団員で、麻薬事件に絡んで逮捕されている。
セルに男たちが入って寝ていたリヤディを起こし、セルの外へ連れ出そうとしたところ、リヤディは「嫌だ」と言って抵抗した。怒号が獄舎内にこだまし、物音に目を覚ましたほかの服役者たちも暴れだした。険悪な雰囲気に、管理責任者は国家麻薬庁捜査チームにすぐ獄舎から出るよう求め、来訪者たちはただちにそこを立ち去った。残っていたのは管理責任者と看守ひとり、そして国家麻薬庁捜査チームの刑事がひとり。
服役者らはその三人に襲い掛かって暴行を加え、また獄舎内の一部・食堂・集会場・事務所などを破壊した。投石してあちらこちらのガラスを割り、また事務所内に乱入して服役者に関する書類を燃やしている。急遽バドン県警から警官隊が出動して暴動は鎮まった。翌日クロボカン監獄は閉鎖され、面会者はすべて門前払いをくわされている。


「スパはバリの大黒柱」(2011年7月16日)
デンパサル市クボイワ通りにあるイ・ワヤン・スカナとマデ・ユリアニ夫妻の家にはそれほど広くない庭がある。壁と屋根に包まれたその庭にはさまざまな植物が植えられている。kemangi, bluntas, cincau, pare, keladi, kumis kucing, kacang hijau, temulawak, temukunci, kunirそしてさまざまな芋類。
ここはただの家庭菜園ではない。バリに来てスパを楽しむひとが必ずお世話になるスパ用品を作るためにそれらの植物が使われているのである。およそ9年前、バリでスパブームが頂点を迎えたころ、夫婦はバリタギ(Bali Tangi)というブランドのスパ用品生産を手がけるようになった。最初はまだまだ知名度も低かったが、2004年ごろからスパハウスが猛然たる勢いで増えていくようになると、バリタギの売り上げも増加していった。いまバリタギはルルール・ボレ・スクラブ・石鹸そしてアロマセラピー用品など150種類のスパ用品を生産しており、バリのスパの6割に製品を供給しているとスカナは言う。
スパ経営者たちはこの家に直接やってきて、作って欲しいものを注文する。するとスカナはどういうテーマで店を運営しているのか、と尋ねる。スカナのイメージがはっきりしたところで、かれは注文の品を製造する。納入した後、それぞれの店はバリタギの製品にさらに自店の特色を出そうとして何かを付け足すのだそうだ。
バリタギ製品はシンガポール・マレーシア・モルディブ・トルコ・アメリカに輸出されている。もちろんジャカルタでも販売されており、ブンドゥガンヒリル(Bendungan Hilir)、パシフィックプレース(Pacific Place)、ダルマワンサスクエア(Darmawangsa Square)、モールアンバサドル(Mal Ambassador)、サベロハウス(Sabero House)などで販売されている。ひと月の生産量は800〜1,500トンでキロ当たりの平均価格は7〜8万ルピア。
バリタギ製品はすべて植物だけで作られており、動物性素材や化学薬品を混ぜるようなことは一切していない。バリタギの成功はバリの園芸農家にも希望の火をともした。バリタギは園芸農家から毎月1.5トンの素材を調達してスパ用品を生産している。それと平行して同業者が大勢誕生した。バリで似たようなビジネスを行っている事業者は数十人いる。
バリの観光地区にたくさん看板を並べているスパハウスは、バリで生産されるスパ用品の盛大な消費スポットになっている。加えてそのほとんどがバリ人のセラピストを抱えている。バリのスパ産業はどうやらバリ人にとって力強い経済基盤になっているようだ。低コスト版から超高級店にいたるまで、バリ人男女のセラピストに人気があるのは、かれらの接客マナーがきわめてフレンドリーで営業臭を感じさせないからだ、とセラピーコンサルタントのひとりは説明する。バリのスパで働いた経験を持つセラピストはシンガポール・マレーシアに引く手あまたで、数年間出稼ぎに出た後ふたたびバリに戻ってくる。バリ人セラピストの中にシンガポール・マレーシア訛りの英語を話す者が多いのは、そういう事情なのだ、とコンサルタントは語る。
スパを楽しむためにバリを訪れる外国人観光客は多い。大勢の外国人客に接していると各国の国民性が見えてくるようになる。「日本人客は口うるさくて、なにごとも完璧になっていなきゃ気がすまないんですよ。一方、ロシア人は自分がまだなじみがなくて聞きかじっているだけの、人気や権威のあるものごとを一生懸命追い求めるんですね。」
経験豊かなセラビストのその国民性評ははたして当たっているだろうか?


「列車でバリ島周遊」(2011年7月20日)
国鉄はまだ鉄道のないバリ島に観光用周遊鉄道を走らせる企画を組み、運通省・文化観光省・バリ州政府との間で覚書を交わした。報道によれば東西線と南北線を組み合わせる形とのことで、州運通局がその詳細な計画作成に当たっているが、経路の詳細はまだ公表されていない。基本的には現存する街道の脇に線路を敷設して各県を結ぶという構想になっている。
最初国鉄側は列車運行を時速80キロで行う意向だったが、マデ・マンク・パスティカ州知事が40〜60キロを提案しており、その希望に沿う形になりそう。州知事はこの鉄道が観光鉄道であり、国内外の観光客がバリの風物を楽しみながら島内を移動するための交通機関であることを最優先にしたいと考えており、大量高速輸送のための交通機関とは異なるコンセプトを持たせるよう国鉄に要請している。
国鉄側は全長6百キロメートルの線路敷設予算として18兆ルピアを見積もっており、それはキロ当たり300億ルピアを意味している。運通省鉄道総局長は敷設工事計画について、バリの地形は総体的になだらかな形になっているため、スマトラやカリマンタンのように山や渓谷が多い地方よりも鉄道建設は楽だ、と語っている。線路敷設とは別に車両・駅舎・送電系などの予算が必要になるが、その詳細についてはもっと後になりそう。
今の計画では、観光客がこの鉄道を利用するのに5日間有効な切符を購入でき、5日間の中であればどの駅で下車してどこに泊まろうが、別の日にまた乗車するのに切符を買う必要がないというサービスを提供することになっている。列車の運行開始は2014年とのこと。


「クタのサンセットロードにホテル建設」(2011年7月30日)
バリ州クタのサンセットロードに3,835平米の四星級ホテルが建つ。PT Edsuko Cipta Primaが1千2百億ルピアを投じて建設するそのホテルはThe Rainforest。2012年の開業が予定されており、スイスベルホテルと提携してホテル運営が行われるとのこと。2009年以来サンセットロードにオープンした100 Sunset Boutique Hotelの運営を通して見極めているサンセットロード地区の立地条件のよさは、その新四星級ホテルの成功を同社に確信させている。サンセットロードのそのブティックホテルは年間客室稼働率が87%に達しているとのこと。


「バリが医療観光目的地になる?!」(2001年8月13日)
2013年11月のAPECサミット開催に向けてバリ州ではさまざまなプロジェクトが進められている。グラライ空港拡張、デンパサル市南部からヌサドゥアと空港への海上自動車専用道、デワルチ像交差点での地下立体交差、宿泊施設としてのバリ国際パークなどの建設に加えて、国際級のツーリズム病院をグラライバイパス沿いの3Haの土地に建設するプロジェクトもある。州庁広報責任者はツーリズム病院建設プロジェクトについて現在フィーシビリティスタディ中であるとしながらも、その病院はAPECのためと言うよりも、APEC後のバリの観光客誘致のひとつの柱に位置付けられるものとなる、と説明した。「バリに国際級の病院ができることで、外国人観光客のバリ訪問の目的がひとつ増える。またインドネシア国民でこれまでシンガポールやマレーシアに医療観光に出ていたひとたちもバリに誘致することが可能になる。バリに滞在している外国人もこれまで医療のために国外に出ていたが、バリの中にいてそれが可能になるのは、大きいメリットだ。国際観光地のバリにもうひとつ医療観光というメニューが追加されることになるのだから。」
しかしウダヤナ大学医学部長は、バリに国際級病院を設けるのは困難なので、州庁はより現実的な計画を進めるほうが良いのではないか、と疑問を呈する。「最大の問題は各専門分野の力量を持つ人材をどう確保するのかということだ。それも分野ごとに複数必要であり、ひとりだけでは足りない。そのような国際病院構想はやめて、現実にいま稼動している州内の病院をレベルアップしていくほうがよい。たとえばサンラ中央総合病院だ。これは膨大な需要のある病院のキャパシティを州内で高めていくという方向性を持っている。ウダヤナ大学も伝染性疾患医療と観光客を対象にしたツーリスト医療に焦点を当てた医学病院をジンバラン丘地区に建設中であり、2012年に完成の予定になっている。」
しかし州庁側は国際級病院の建設を自力で行うわけではなく、民間パートナーとの協力下に実施するのであって、それらの問題は考慮の上だと応じている。


「バリのホテルが海水浄水化を目指す」(2011年8月20日)
2015年にバリ島で上水危機が起こると言われている。人口増加とホテルなど観光施設の急速な開発が引き起こす上水需要が供給能力を上回るためで、このクライシスは人口増とホテル開発が他県よりはるかに激しいバドゥン県とデンパサル市でもっとも過激になりそうだ。
州庁は地下水利用に制限を設けているものの、水道会社の供給が質量ともに需要家の必要を満たせないため、その制限効果は薄く、場所によっては海水浸透の問題に直面している地域もある。その問題を解決するためには海水の浄水化がもっとも理想的であると考えたバリホテル協会が、上水供給源を海水に求めて地下水採取を減らすことを会員相互間で合意した。この方針はその技術を持った事業投資家をバリに誘致するという結論に向かうわけだが、国際ネットワークに強みを持つホテル業界は既にアメリカとシンガポールでその事業に関心のある投資家候補者を見出している。いざ事業開始ともなれば投資許認可問題が待ち構えているため、協会は州庁に対して協力的な対応を要請しており、州生活環境庁長官は地下水を汲みあげようとさえしなければ全面的な支援を惜しまないと表明している。
バリホテル協会は105会員を擁し、一日の上水需要は5万リッターであるとのこと。業界は諸外国のホテルが実現している水道から飲める水が出るホテルを指向しており、今のミネラルウオーターを客に供給するあり方からできるだけ早く転向したいとの希望を表明している。


「バリからのルバラン帰省がはじまる」(2011年8月25日)
イドゥルフィトリ大祭があと10日となった2011年8月20日土曜日、バリ島ギリマヌッ(Gilimanuk)とジャワ島クタパン(Ketapang)を結ぶ連絡フェリーに乗客が殺到した。言うまでもなく、ギリマヌッ港での話し。
平常期は街道を貨物を積んで往来する長距離トラックに長距離バス、自家用車・観光バスそして二輪車というのが普段着の姿で、もちろん徒歩乗船者もいる。休暇シーズンでもないかぎりフェリーが満杯になって港の乗船待機場所も車で埋まるということはまずない。
8月20日は徒歩乗船者1千5百人で平常期8百人からほぼ倍増、そして二輪車も3千台近い台数になって平常期1千3百台の二倍を超えた。翌日曜日も同じ傾向が続き、バリからのルバラン帰省が始まったことをフェリー運営会社に確信させている。
このフェリー航路を運営しているPT河川湖沼渡海輸送会社はラマダン月最終週の帰省爆発に備えて対応を準備しており、27隻の船をフル回転させて輸送にあたることに加えて、ピークとなることが予想される8月27〜28日には更に30隻まで船を増やす手配も済ませている。同社の予測によれば、27〜28日ギリマヌッ港からの乗船は徒歩者5千人、二輪車1万4千台、四輪車5千台が見込まれている。ルバラン帰省に備えて同港は細かい部分の改修を既に行い、切符売り場も5ブース追加した。昨年のルバラン帰省時に気付いた改善案が反映されているとのこと。


「古代日本の石焼調理をバリで」(2011年8月27日)
バリ島。スミニャッ(Seminyak)のプティトゥグッ(Peti Tenget)通りを奥まで入っていくと、スターウッドホテルズグループが経営するWホテルズのひとつ、Wリトリート&スパがある。ここは2011年3月1日にオープンしたばかりで、ただいま人気急上昇中。
潮風と戯れながら癒しの海を眺めてのお食事も一興という方へのお奨めが、ここにあるレストランStarfish Bloo。そしてこの西向きの海岸からは、海のかなたに落ちていく夕陽と焼け残った空が刻一刻と単色にうつろい行く変化をこころゆくまで堪能できるという二重の楽しみもかなえてくれる場所。
昼食メニューは決してチョイスがいっぱいというわけではなかった。しかしユニークなものとして愉しめそうなのは、ジャパニーズホットロック。肉や魚の生の食材を自分の目の前で焼いて食べるというのがこのメニューで、オーストラリア産和牛、ニュージーランド産鹿肉、オーストラリア産羊肉そしてタスマニア産のサーモンからお好みを選ぶ。焼けた石が石の鉢に入ってやってくると、スライスされた肉片をそこに載せて焼く。わずか6秒でウエルダンになるから、のんびりしてなぞいられない。肉は全般に高品質のもので、乾きすぎず、石に貼りつかず、砕けることもなく、良い口当たりで美味。タレも各素材に合わされてあり、サーモンにはなんとトマトサンバルが添えられていた。そしてなんと、この石焼は日本古代の調理法だという話だった。
肉に添えるカーボには、ご飯あるいはポテト。それだけじゃあ治まらないひとにはスシにサシミに天ぷら。バリっぽくいきたいひとには、ココナツミルクを使ったロブスターカリーやダック料理なども、お好み次第。


「バリの中学生暴走族」(2011年9月15日)
2011年6月12日付けコンパス紙への投書"Kecelakaan Lalu Lintas dan Transportasi Umum"から
拝啓、編集部殿。タブロイド版オトモティフ2011年5月26日号04:XXIによれば、インドネシアで自動車事故被害者の7割が二輪ライダーだそうです。そのデータは国家警察交通局からのものです。インドネシアの各地域における公共運送が妥当なものでないのがその原因だろうとわたしは思います。中央政府も地方政府も、公共運送を公共施設開発の優先アジェンダにするべきではありませんか?
公道利用者が増えれば増えるほど、交通事故リスクは高まるというのがわたしの持論です。たとえば二輪ライダー50人を一台の快適なバスに乗せたら、どれほど道路はゆったりすることでしょう。その50人中の20人が暴走狂だったり運転下手だったりしてごらんなさい、各地域における公共運送充実方針によってどれだけ交通事故の発生を回避できることか。
わたしはバリに住んでおり、生命が失われるような二輪車事故をもう何度も目撃しています。バリには公共運送機関が乏しく、あるのはタクシーとルートがはっきりしない乗合無許可バスだけです。そんな状況のために、住民の多くは毎日の活動の必要性から二輪車を持つことを選択しています。
おまけに、まだ未成年の中学生たちの多くが、自分で二輪車を運転している姿をよく目にします。たぶん親が四輪車を持っていないために子供を学校に送ることができないのか、それともその時間がないのかのいずれかでしょう。そして下校時に子供たちは列を成して田舎道を驀進しています。国民のひとりとしてわたしは、安全・快適・経済的な公共運送機関が用意されることを切望しています。[ バリ在住、アンギ・ウィチャクソノ ]


「ブレレン新空港は2014年オープン」(2011年9月16日)
バリ島北部のブレレン県に新空港を建設する計画は2014年の完成が見込まれている、とジェロ・ワチッ文化観光相が表明した。今はすでにロケーション確定段階に入っており、近々に結論が出されることになっている由。バリ州の経済発展についてはバドゥン県とデンパサル市を中心にその周辺一帯という南部地区の偏重があまりにも強く、現在の地域格差をならして平均化をはかり、一極集中の現状を是正していこうとの構想に向けて大臣も州知事も意欲的な動きを示している。バリ島南部地域での新規ホテル建設許可凍結もその一環ではあるが、知事のその意向は各県令の反対によって実現していない。
ブレレン県の空港建設計画はバリ島北部の経済発展にドライブをかける重要な要素であるだけに、一日でも早い実現が期待されている。この空港建設はSBY大統領がインド政府に投資勧誘を行って引き出してきたものであり、インド企業がインド資本を使って建設する内容が本決まりになっている。総投資高は10億ドルが見込まれている。
ブレレン県の県都であるシガラジャ(Singaraja)はバリ島南部がまだ寒村でしかなかった時代のバリの中心地だったが、南部の観光開発が進んだ結果今では経済的に置き去りにされている。そのためにバリ島北部の観光開発と南部からのひとの移動を活発化させることがシガラジャ一帯の再興の鍵とされている。


「バリのコンドテル」(2011年9月30日)
バリは他の大都市に比べてコンドミニアム市場に特徴がある。観光客の宿泊需要が高いためにコンドミニアムとホテルの機能を合体させたコンドテルが他の大都市に比べて圧倒的に多い。
不動産コンサルタントのナイトフランクインドネシアが持っているデータによれば、2011年バリのコンドミニアム供給は21プロジェクト2,713ユニットにのぼり、そのうちの11プロジェクトは今年第1四半期に完売済み、そして全体の受注状況は2,578ユニットに達し、あとわずか5%を残すのみとなっている由。地域的な分布状況を見ると、クタ地区が68.4%を占め、ヌサドゥア16.3%、ウルワトゥ13.3%、その他2%という配分だ。ところが売行きでは、ヌサドゥアがほとんど売切れの99.8%、クタは95.7%、ウルワトゥ89.8%となっている。コンドテルの販売状況に関しては、ビーチ・ショッピングセンター・レストランが近いこと、更に定評のあるオペレータがマネージメントを司ること、といった要素が売行きの緩急に関わっている。クタ地区のコンドテルが今後も中心市場として発展を続けるのは疑いなく、価格も2011年末に向けて10%ほど上昇していくものとナイトフランクは予測している。
価格は立地条件や建築クオリティの影響から免れることはできないが、ハイエンドレベルを比較すると、クタ地区だと平米当たり2,418万ルピア、ヌサドゥアは2,205万ルピア、ウルワトゥは1,749万ルピアである由。


「バリにも有害化粧品が多数流通」(2011年10月8日)
デンパサル市食品薬品監督総館が人体に有害な不法医薬品・化粧品14,458パッケージを流通業者倉庫と販売代理店から押収した。総館長によれば、総館捜査官は不法医薬品や飲食品を保管していると見られる倉庫の監視を続け、機が熟したところで現場に乗り込み、それらの危険物を押収したとのこと。この摘発オペレーションは食品薬品監督庁が全国一斉に行ったものの一環で、デンパサル市とバドゥン県でそれぞれの地区警察の協力を得て実施された。
監視対象とされたのは9ヶ所の倉庫で、摘発の成果があがったのはデンパサル市内にあった4ヶ所だけ。他の5ヶ所では違法物品が見つからなかった。警察は倉庫オーナー三人を逮捕したが、もうひとりは取り調べだけで釈放されている。2ヶ所の倉庫からは数千パッケージの有害成分を含んだ医薬品と化粧品が押収された。他の押収物品はほとんどが国内流通許可番号を得ていない無届商品で、その大半が販売代理店で押収されている。
「有害な医薬品・化粧品はバリ州内でまだたくさん流通している。需要が続く限り、流通業者がそれら商品の卸を手控えることは決してない。バリ州民が有害な医薬品・化粧品に関する認識を十分持っているとは言えない。有害な医薬品・化粧品を用いるとどんな危険があるかということを知っている州民がいないわけではないが、それと有害商品を使わないようにするということが連動していない。当総館は取締り活動の成果がまだ不十分であることを認める。州内での流通量はまだ多く、それを減らすことがやりおおせていない。それは州内での需要が高いために起こっていることでもある。取締り活動のための予算は決して潤沢ではない。」総館長はそう説明している。
デンパサル市食品薬品監督総館が2011年に国から与えられている費用は150億ルピアだが、予算の大半は職員支出と給与および建物維持補修費にあてられており、分析検査を行うための市場でのサンプル購入や取締り捜査に引き当てられる予算は12億ルピアしかない。


「バリで強い地震」(2011年10月17日)
2011年10月13日(木)午前11時16分、バリ島ヌサドゥア南西沖合い143キロ地点の海面下10キロを震源とするM6.8の強い地震が発生し、激しい揺れが比較的長時間継続した。揺れはバリ島南部地域から西ヌサトゥンガラ、そして東ジャワ州で感じられた。
各地で報告された揺れの具合は、バリ島のクタ(Kuta)で4〜5、ロンボッ島マタラム(Mataram)4〜5、マドゥラ島3〜4、東ジャワ州ジュンブル(Jember)3〜4、ブリタル(Blitar)3〜4、スラバヤ(Surabaya)3〜4、マラン(Malang)3〜4、カランカテス(Karangkates)3〜4、ウォノギリ(Wonogiri)2〜3だった。数字はMMI(メルカリ震度スケールが使われている。
この地震のショックで、ヌサドゥアで開催されていたアセアンと東アジアのサミット合同準備会議がそれどころでなくなり、会議参加者は続々と帰国したとのこと。バリ島では建物に被害が出たところも三十数軒報告されており、けが人も62人にのぼっているが、人命の被害はなかった。
最初の地震から5時間ほど経過した15時52分にやはりヌサドゥアの南西131キロ海面下10キロを震源とするM5.6の余震が発生した。そのときの揺れは第一回ほど強くなく、また時間も短かった。
東ジャワ州ルマジャン(Lumajang)では、スムル(Semeru)山が第一回地震の数秒後におよそ1百メートルほどの高さまで赤茶色の噴煙を吐き出したとのこと。
バリでは地震発生直後から通信トラフィックが急増し、平常時の4割増になってつながりにくい状況になったが、10分後に問題は克服されたとテルコムセル本社GMは語っている。テルコムセルはバリヌサトゥンガラ地区に2,291のBTSを設置しており、通信トラフィックの急増は短時間でカバーできたとGMは語っているが、実際にヌサドゥア地区では接続回線状況の悪化が午後まで継続している。XLも類似の状況に陥り、回復も短時間で終わった、とXL社東部地区サービスマネージャーは語っている。XLはバリに1,100のBTSを設けており、2百万顧客プラス観光客へのサービスに努めているとのこと。


「バリの地相観」(2011年10月18・19日)
バリ人の大半は暦や方角占い、そして家相や地相に運勢を託す。良き日・良き時に良き方角へ赴き、良き場所で自分がなすべき活動を行えば、運勢は開けて活動の成果はすばらしいものになる。まだ若いバリ人ですらそれを自分の行動の手がかり足がかりにしているひとは多い。地相の悪い場所で商売をしていただれそれは、だんだん不運が重なり、家族が病気になったりしてついには破産してしまった、というような話を聞かせてもらうケースも少なからずある。だったらそんな場所で店を貸している大家はどうなるの、という疑問が浮かぶのだが、借り手がよりつかなくなるということもないようだ。
そんなバリ人が持っている地相に関する知識には次のようなものがある。それぞれに名前がついており、バリ人はその名前で話をするから、その話についていける外国人はたいへんなバリ通と言えるにちがいない。
1.マニムリアManikmulia。東に向かって傾斜している土地。あらゆる病魔が溶け合って影響を与えており、糧に欠けることなく、安全で平穏。悪い影響を防ぐために、西の隅にセイロンベンケイ(cocor bebek)を植えるのがよい。
2.スリスダナSri Sedana。西に向かって傾斜している土地。争いや病を引き起こすことがある。悪影響を中和させるため、東の隅にバナナ(pisang batu)を植えるのがよい。
3.グラガGelagah。南に向かって傾斜している土地。財を失いがちで危険。悪影響を中和させるために、中央にバラを植えるのがよい。
4.インドラプラスタIndraprastha。北に向かって傾斜している土地。良い影響をもたらす。あらゆる望みがかなう。金持ちになることを望めば、子々孫々の代まで富裕。
5.ダルマルギDharmalungid。丘状で東と西が傾斜している土地。良い影響をもたらし、豊かな財を築ける。
6.スカルシノムSekarsinom。南側の湿地に向って傾斜している土地。財にポジティブな影響を持っているが、財を失うことも頻繁だ。そのため悪影響を中和させる努力を怠ってはならない。そのためにタマリンドや石榴の木を植えること。
7.ダナラサDanarasa。西が高く北が低い土地。そのような土地を築く者は多くの妻と豊かな財を得る。
8.スリヌグラハSrinugraha。西が高く東が低い土地。そのような土地を築く者は神から偉大な褒章を得る。
9.カラウィサKalawisa。東が高く西が低い土地。そのような土地を築く者は絶えず病に冒されて死にそうな目に遭う。
10.ウィスヌマニティスWisnumanitis。北側が平坦な土地。そのような土地を築く者は糧に欠けることがない。それどころか、豊かな糧は子々孫々まで伝えられる。
11.シワボジャSiwabhoja。南側が平坦な土地。そのような土地を築く者は常に誘惑と困難に直面する。
12.ブラフマパダムBrahmapadam。黄色味を帯びた赤土の平坦な土地。それは怪異な土地であり、所有者に頻繁に危難をもたらす。
13.インドラガナIndragana。緑がかった土の平坦な土地。好影響をもたらす。そのような土地を利用する者は危難を免れる。
14.カウラカトゥビンバラKawula Katubing Bala。丘や高い土地に囲まれた場所。好影響をもたらす。そのような土地を築く者は富裕に恵まれる。
15.シガルプニャリンSigarpenyalin。水に囲まれた土地。悪影響をもたらす。そのような土地を築く者は争いが絶えない。されども地所の中央に水を溜めることで悪影響を中和させることができる。
16.アスガラAsungalak。西側に山がある土地。そのような土地は利用者に悪影響をもたらす。あらゆる所有物を他人が壊す。しかし乾いた粘土を撒き散らすことで中和させることができる。
17.シガムタSinghameta。水が湧き出る土地。悪影響をもたらす。そのような土地を築く者は病気がちになる。しかし庭の中央に石を埋めることで中和させることができる。
18.スニャラユSunyalayu。崖に囲まれた土地。そのような土地を築く者は子宝に恵まれる。
19.スリマグプルSrimangepel。水と崖に囲まれた土地。そのような土地を築く者は豊かな稲と米に満たされて栄える。
20.ルウルワンケLuwurwangke。山に挟まれた土地。そのような土地は牛や水牛に好まれる。
21.アルジュナArjuna。南北を山に挟まれて東に傾斜している土地。そのような土地を築く者は誇り高い心を持つので、多くのひとびとから畏敬される。
22.ティガワルナTigawarna。山に囲まれた山陰の土地。そのような土地は平穏安寧の地であり、瞑想の場によい。
23.舌に甘く香りの良い白土の場所。たくさんの財をもたらすため、たいへんに素晴らしい場所。
24.舌に甘辛くかび臭い緑色がかった土の場所。財と平安をもたらすため、もっと素晴らしい場所。
25.舌に甘く香りの辛い赤土の場所。牧畜にたいへん良い場所。
26.舌に苦く香りの生臭い黒土の場所。悪霊の棲む土地であるため、きわめて良くない。


「完成の急がれているバリのリッチプラダ」(2011年10月18日)
ドリームランドに開発されているプチャトゥインダリゾートにトップクラスのコンドテルがオープンする。およそ1兆ルピアを投じて建設されている5星級のThe Rich Prada は7階建て5百室のコンドミニアムホテルで、2011年10月末にはそのうちの2百室が完成し、11月にプレオープニングが行われる予定。ロビー・レストラン4軒・セラピー水泳プールなどの施設は12月までに完成させる、とデベロッパーのPTガラブムプルカサ代表取締役はスケジュールを説明している。既に完成しているおよそ百五十室は顧客の利用が既に開始されているとのこと。顧客とはつまり、そのユニットに投資したオーナーを意味している。
客室ユニットや補助施設の仕上げはたいへん念入りに行われており、必要に応じて外国から技術者を呼び寄せて工事を行うといった力の入れようで、イタリアに特注した2トンもある7階ボールルーム用シャンデリアの設置にはタイから技術者を招いて完成させた由。そのボールルームからの眺望はこのコンドテル内で最高のもので、インド洋の水平線・海岸の崖・グラライ飛行場などが一望のもとだそうだ。
プチャトゥインダリゾートは南クタのジンバラン丘に開発されている高級リゾートで、完成の暁には5星級ビーチフロントホテル・豪華ビレッジ・18ホール国際標準ゴルフコース・クラパエンターテイメントセンター・グリーンパークウオーターパラダイス・自然鳥園・ショッピングセンター・国際級病院・植物園・文化ビレッジ・ミュージアム・インターナショナルスクールなどがインテグレートされた一大リゾートとなる計画。


「新交通管制システムがバリで2012年から稼動」(2011年10月28日)
バリ州南部のデンパサル市とバドゥン県の大通りは交通渋滞がますます悪化しており、州政府はその軽減対策として180億ルピアの予算をかけて交通管制システムを構築し、2012年から稼動させる計画。バリ州運輸情報通信局陸運安全統制課長は、19ヶ所の交差点にモニターカメラを設置して交通管制センターに情報を集めるようにすることに加えて、トランスサルバギタバス輸送網にBRTシステムを設けてバスの動静を監視し、バスが交通渋滞の原因にならないようにしていく、とそのシステムのコンセプトを紹介した。この交通管制システムでは、路上の交通量の実態にあわせて交差点での信号機のゴーストップが臨機応変に操作される。このシステムでトランスサルバギタバスの運行が優先されるようになるが、加えて国賓・救急車・消防車の走行も優先されるようになる。
州運輸情報通信局は運通省に予算支給を要請し、2011年分として60億ルピアが既に支給された。その予算は交通管制センター建設とモニターカメラ購入に充当されることになっている。このシステムのトライアルは2011年9月23日に州知事が開始を宣言してからもうかなりの日数が過ぎており、各交差点での交通渋滞軽減に効果が現れている、と州庁関係者は主張している。交通管制センターはデンパサル市内に設けられるが、19ヶ所のモニターカメラ設置ポイントはバドゥン県とギアニャル県を結ぶ街道にある、デンパサル市外の交差点となる。
しかし概ね効果が出ているとはいえ、バリ最大の渋滞スポットになっているデワルチ交差点、別名シンパンシウルの交通渋滞は相変わらずだ。ここはヌサドゥア・グラライ空港・クタ・スミニャッ・デンパサル市内の各所へ向かう交通が集まってくるところで、四輪二輪の登録車両が増加すれば、デワルチ交差点に集まってくる車両はおのずと増える。バリ州の2010年登録車両台数は196万台あり、151万台の二輪車、132,814台の四輪乗用車、その他貨物運送車両などが州内総延長6,644キロの一般道路を走行している。自動車の年間増加率は10.9%にのぼっている。


「バリ地震の被害求償総額は50億ルピア?」(2011年11月28日)
2011年10月13日(木)午前11時16分、バリ島ヌサドゥア南西沖合い143キロ地点の海面下10キロを震源とするM6.8の強い地震が発生し、激しい揺れが比較的長時間継続した。最近も10月29日深夜午前2時49分にM3.3の地震がバリ島南部地方を揺さぶっている。
13日の大型地震で発生した被害の保険求償総額は30〜50億ルピアにのぼるだろうと、自然災害一般保険会社プールメンバーのマイパークインドネシア保険会社取締役社長が表明した。10月末時点で8保険会社が保険求償を顧客から受けていることを報告してきており、その総額は1.5億ルピアにのぼっている。バリで地震保険に加入しているのは30件ほどあるとのこと。そのうち地震の被害を受けた建物19軒がクレームを出している。銀行建物やカルフルのような小売店舗など商業施設のオーナーからのクレームがこれまでのところはすべてであり、政府機関・病院・民家などからのクレームはまだ出されていない。マイパークインドネシアへのクレーム金額は全体の10%だろうと見積もられ、3億から5億ルピアが最終的な総額と推測されることから、全体は30〜50億ルピアに達するだろうと取締役社長は述べている。


「バリにも新デザイン紙幣」(2011年12月2日)
贋造防止対策としてセキュリティのアップグレードされた2万・5万・10万ルピア新紙幣は年内に1,160万枚がバリに供給される。
インドネシア銀行からの情報によれば、2011年10月31日から市場流通の開始された新デザイン紙幣は、開始時点の初期在庫が2万ルピア札は760万枚、5万ルピア札1.035億枚、10万ルピア札1.258億枚あって、徐々に全国のインドネシア銀行支店に配布され市場流通ルートに乗せられる。一方、インドネシア銀行デンパサル支店に2011年中に供給される新デザイン紙幣は次のように計画されている。
2万ルピア札 300万枚 総額600億ルピア
5万ルピア札 690万枚 総額3,450億ルピア
10万ルピア札 170万枚 総額1,700億ルピア
中央銀行デンパサル支店はバリ州と東西ヌサトゥンガラ州を所轄にしており、上の割り当てはその三州の需要をまかなうためのもの。
デンパサル支店によれば、新デザイン紙幣は通常の通貨供給活動の中に混ぜられて市場に出されることになっており、この紙幣を意図的に入手したいという希望には一切応じないとのこと。2011年9月までにデンパサル支店が回収した贋造ルピア紙幣は2.29憶ルピア相当に上っており、2010年の年間実績2.25億ルピアを上回っている。


「バリの食肉市場は安定的」(2011年12月30日)
2011年の年末〜新年休暇で、バリの食肉供給は十分に余裕があるとバリ州畜産局長が表明した。バリの鶏肉供給能力は一日12万羽あり、11万羽の需要をまかなうのにまったく問題ない。牛肉需要も年間4万2千頭で、あまり高いとは言えない。農業省と中央統計庁のデータによれば、バリ・ヌサトゥンガラ州で飼育されている肉牛は210万頭おり、全国の14.2%シェアを持っている。
12月中旬の市場価格は鶏肉がキログラム当たり2.4〜2.7万ルピア、牛肉はキログラム当たり5.3〜5.5万ルピアで、休暇期間中も価格は安定的だろうと見られている。
ところで、12月にバリを訪れる外国人観光客は増加するのが年中行事で、2010年12月は11月から13.7%増加した。しかもクリスマスから新年にかけて激増するのが通例で、6月から8月にかけてのハイシーズンとはまた異なる様相を呈する、と観光産業連盟会長は語っている。


「バリパラドックス」(2011年12月31日)
クトゥッ・スマディ49歳。バリの知識層の家庭に生まれ、新聞記者となり、ウダヤナ大学で、バリ文化研究で博士号を得た。今かれはウダヤナ大学で、蓬髪に長い鼻髭とあごひげを蓄え、白装束で講義の教壇に立っている。学生たちはきっと、寛げない教官だと思っているだろう、とかれは笑う。
2008年のある日、少し熱があるように感じたかれは、ギアニャル県スカワティの自宅の客間で休息していた。それがかれの人生を根底から変えてしまうはじまりになるとも知らずに。
妻の二・クトゥッ・ティルタワティ40歳が夫の様子を見に来て愕然とした。夫は完全に意識を失っていたのだから。スマディはデンパサルのサンラ病院に運ばれて治療を受けた。二日後にかれは意識を回復したが、医師のほうが完全に困惑していた。鼻から出血があったために最初に疑われたのはストロークだが、決め手が見つからない。脳も、可能性のありそうな臓器も、詳しく調べられ、何度もスキャンにかけられたものの、異常は何ひとつ発見されなかった。退院して9日後、思い余った医師がスマディに尋ねた。「あなたの病気は、本当は何なんですか?」
自宅に戻ってから、かれの耳の奥底にさまざまなささやき声が聞こえるようになった。これは精神分裂病の徴候だ。自分はキチガイになるのではあるまいか。自分の家系がそれとまったく無縁ではないのだから・・・・
しかしインテリのかれには、その何千ものささやきの中に神性を帯びたものと、破壊に向かわせようとするものが混在していることを観察する余裕があった。「精神分裂病の場合、ささやきは全部テロだ。ささやきの主は聞き手をボロクソに言い、悪事を行うようけしかける。そして最後にはアモックに至る。」
スマディは神性を帯びたささやきを書き出して書物にまとめた。サドゥダルマ(Sadhu Dharma)と題する書籍がそれだ。

?あなたが二日間意識を失っていたとき、どこへ行っていたのですか?
「どこへも行っていない。自分はずっと客間に座っていると感じていた。」
?そんなささやきが聞こえるようになったとき、あなたの合理性はどうなっていたのですか?
「理性で納得できない現象を自分は常に分析した。それに抵抗してみるということも含めて。一年間あれこれやっているうちに、頭髪と鼻髭とあごひげが伸びるにまかせるようになってしまった。信じるかどうかはご随意だが、たとえば鼻髭を剃ると、そのたびに全然口がきけなくなってしまう。なぜそうなるのか、理解できない。それが学問知識の限界なのだろう。」
?あなたはヒーリングを行うようになったということですが・・・
「いろんなひとが突然わたしのところにやってきて、自分を見失ってしまった、と困惑を語る。中には半狂人になっているひともいる。わたしはただ神に祈るだけだ。どうかこの者に導きを与えたまえと。」
?かれらはそれによって治癒したと認めていますか?
「わたしのところに戻ってくるひとはほとんどいない。多分かれらは平安な暮らしを得たのだろう。」
?あなたは善行を施すようにという神からの啓示を得たのでしょうか?
「啓示などと言われると、まるでわたしが善行を施す預言者か聖者にでもなったみたいな雰囲気だが、わたしはこれまでのように愚かな人間で、何もわかっていない。わたしの行為・言葉・考えはすべて神の指図に従っているだけだ。」

バリ人の生活空間の中に、マテリアリズムが深く根をおろしてしまった。観光産業がバリに経済の波しぶきをかけるかわりに、バリにあったあらゆる儀式が観光客のために商品化された。バリ人のスピリチュアルは浅薄になってきている、とスマディは言う。「大勢がこれまでのようにプラを訪れているが、プラへ行くということが宗教心の深さの指標にはならない。大勢がプラへ行くのをファッションにしている。新しい服や装身具を見せびらかしにプラへ参るのが昨今のトレンドだ。」
しかしバリで生活のバランスを見出す者も少なくない。マテリアリズムのしみこんだ生活原理を形だけにせよスピリチュアリズムが覆っており、それを支える柱の中には依然として本物が息づいている。それがバリのパラドックスだ。ジャズやロックミュージシャン、スチュワーデス、カフェオーナー、果てはプレマンまでもが、学習プロセスを経ることなく自分の生活の中にそれを取りこんでいる。ギタリストのイ・クトゥッ・リウィンや歌手のアユ・ラスミらがその実例だ。かれらはヒーラーになり、同時に自分の職業生活も従来通り続けている。


「バリ農村部が新たな観光スポットに」(2012年1月4日)
バリを訪れる外国人観光客のトレンドに変化が起こっている。いまやバリを訪れる外国人観光客の大半はリピーターであり、はじめてきたというひとは少数派になっている。
インドネシア銀行が調べた2011年第1四半期の平均滞在日数はスター級ホテルにせよジャスミン級にせよ、3日程度になっている。前年同期の記録では5日ほどだったから、観光客はバリで長居をしなくなったということなのだろうか?
ホテルレストラン会事務局長は、外国人観光客が農村部に向ける関心が高まっており、立ち寄るべきところ、さらには滞在すべきところ、という位置付けに置く観光客が増えている、と最近の状況を指摘する。これはつまり、外国人観光客はひとつのホテルに滞在して、そこを拠点にバリ島内をあちこち周遊するというスタイルから、複数の宿泊施設に滞在することでもっと広範に各地の観光スポットをより深く体験する方式に変化しているということであり、おのずとひとつひとつのホテルにとって滞在日数は短くなる傾向を生む。
同時に、外国人観光客は島内のあちこちを巡ってすごすことになるため、クタ地区がこれまで誇っていた最重要観光スポットというポジションが薄らぎはじめている。この観光活動の拡散化は、バリ島南部での経済集中一極化を和らげる結果をもたらすにちがいない。この外国人観光客の思いがけないトレンドは、これまで経済平準化を叫んでいたマデ・マンク・パスティカ州知事の目標を側面から支援するものになりそうだ。


「バリで1日15件の犯罪発生」(2012年1月18日)
バリ州警察は4,227件の未解決事件を抱えて2011年の年を超えた。その内訳は2011年発生分が2,031件、2010年からの繰り越し分が2,196件となっている。
解決できたのは2011年発生事件のうち3,249件、2010年からの繰り越し分は3,671件とのこと。バリで発生する事件で一番多いのは侵入盗で728件の届出があり、306件が解決されている。次に多いのが強盗で、届出は73件あり29件が解決されている。自動車盗難は届出が304件で解決は80件、次いで重暴行が届出16件で解決8件。殺人は10件あり8件が解決されている。


「バリの税収は目標を達成」(2012年1月31日)
国税総局バリ地方事務所が、2011年の収税状況を報告した。それによれば、税収総額は4.089兆ルピアで目標の4.07兆ルピアをかろうじてクリヤーしている。このためバリの収税実績ランキングは全国第9位を獲得した。
税収別内訳は、PPhが2.6兆ルピア、PPNは1.07兆ルピア、土地建物税0.34兆ルピア、その他税0.67兆ルピアとなっている。納税者コンプライアンスは63%で、これも全国目標の62.5%を超えている。2010年バリのNPWP保有者数は42万3千人。コンプライアンスが63%ということは、NPWPを与えられているひとの三人にひとりが税務署と何の接触もしていないことを意味している。つまりバリで事業を行っているひとのうちでNPWPをもらっていないひとと、もらっている内の三人にひとりが未納税者だということになる。国税総局バリ地方事務所は、そんな未納税者のうちであまりにも目に余る会社5社に罰則を与える予定。


「バリの貧困者が増加」(2012年2月1日)
2011年3月の中央統計庁サーベイでバリ州の貧困者は州人口389万人中の4.2%と報告されたが、2011年9月の調査でそれが4.6%に増加した。3月の貧困ラインはひとり当たり月間支出233,172ルピアだったが、9月のサーベイでは240,543ルピアに上昇しており、それが貧困層の増加を招いた原因と見られている。
9月の貧困住民数183,100人のうち100,800人は都市部居住者で、82,300人は村落部居住者という内訳。また貧困ラインの3月から9月への金額アップは都市部が3.1%、村落部は3.4%となっている。貧困ラインの中に占める食品食材とそれ以外のものの比率は7対3とのこと。
マデ・マンク・パスティカ州知事は州内貧困者数の増加に関連して、州政府予算の支出と開発成果の均等分配に注力するよう関係諸部門に指示を出した。また実業界に呼びかけて貧困者救済のための企業社会責任を活性化させる意向をも表明している。
貧困者対策として州民の住居をより人間的な住居に改装するための援助を州庁は行っており、その政策に「住居手術」という名称を付けている。州社会福祉局によれば、州内1万3千軒の劣悪な住居を2010年は945軒改築し、2011年は2,263軒が「手術」を終えた。しかしこの政策の恩恵をまだ受けていない住民は大勢残っている。
バリ商工会議所会頭はバリの6%を超える経済成長から地元民のほとんどは取り残されており、恩恵を受けるどころかその悪影響を蒙って生活が苦しさを増している、と語る。「経済発展の恩恵を受けているバリ地元民はほんのわずかであり、大部分は地価の暴騰とそれに正比例する諸税負担の重圧に苦しんでいる。バリの経済発展のロードマップは測定可能なものでなければならず、その成果は均等分配されなければならない。高度な人材育成と運用は経済成果の維持を目指して加速が進むだろう。」
地場資本がほとんど育っておらず、勤労者構成も州外者が大きな比率を占めているバリの経済発展がだれに利益をもたらしているのかは、おのずと明らかであるにちがいない。


「バリの住居手術」(2012年2月8日)
公共事業を食い物にして私腹を肥やそうとする精神は、神々の島バリでも変わらない。バリ州政府は貧困者対策として貧困州民の住居をより人間的なものに改装するための援助を2010年から行っており、その政策に「住居手術」という名称を付けている。予算は一軒当たり2千6百万ルピアで、セメント床に日干しレンガの壁、屋根はアスベストあるいは瓦を葺いて60平米の耐久性の高い家屋を作ってプレゼントするという政策だ。
州社会福祉局によれば、2010年から開始された州内1万3千軒の劣悪な住居の建て替えは、2011年1月時点で2,954軒が「手術」を終えているが、この政策の恩恵をまだ受けていない住民はたくさん残っており、完結に至る道はまだ遠い。言うまでもなくこの政策には建築を請け負う施行業者が必要で、9社が指名されて契約を結んでいるものの、そのうちの4社は既に姿を消した。この政策遂行が円滑に進まない原因が施工業者の選択にあったことは否めない。ある業者はデンパサル・バドゥン・ギアニャルに143軒を建てることになっているにも関わらず、57軒まで終えてから契約を放棄した。新しい家を建ててくれるということで、それまで住んでいた陋屋を取り壊したのはいいが、いつまでたっても建築がはじまらないという住民の苦情に加えて、工事作業者からの労賃未払いクレームまでそこに加わって、監督当局は二進も三進もいかなくなっている。ましてや既に建てられた57軒も標準クオリティからはるかに劣ったものが作られており、計画されている耐久性にまったく及ばないものだと判定されている。
州政府は貧困者への救済政策に手を貸してくれる州民の参加を求めており、民間の中で協力したいひとは届け出てほしいと呼び掛ける一方、それとは別に村長が貧困村民の住居改築に協力し、村の自助努力で改築する方式も奨励している。ところが村長たちは予算2千6百万ルピアの10%を報酬として要求しており、マデ・マンク・パスティカ州知事は、2千6百万ルピアという最低限の金額をたとえ10%でもカットされたら、ますます建てられる住居のクオリティがひどいものになる、と語って渋い顔をしている。
貧困者への就労機会あるいは技能教育を行ってかれらに収入の道を与えることこそ重要であり、この住居手術政策は真の貧困者救済対策にはならないという批判も出されているが、貧困者に人間的な生活を営める場を提供するのがこの政策であり、殖産に関する政策を別に用意することは言われるまでもないことだ、と州知事は語っている。


「バリで巡回停電のおそれ」(2012年2月17日)
2012年2月27日から4月7日までギリマヌッ発電所で発電機のオーバーホールを実施するため、その期間電力供給が130MW減少する、とPLNバリ支社が公表した。
その発電機は最後のメンテナンスから2万4千時間の規定サイクルを経過しているため、オーバーホールは必ず行われなければならない。PLNバリ支社は他の発電機のメンテナンスも2012年中に行う計画を立てている。
PLNバリ支社はPTインドネシアパワーを通して60MW発電機を借り受け、その期間の発電量低下をカバーする予定だが、大口消費者であるホテル業界や83.9万世帯の電力利用者に対し、節電の協力を呼びかけた。
昨今バリの電力需要は平均585MWに達しており、ピーク時最大負荷は600.3MWで、住民の節電が不十分であれば巡回停電が行われることになりそう。


「バリのツアー料金が値上がりする?」(2012年2月22日)
バリで人気のある観光先になっている一部プラ(寺院)の入場料金が2012年は激増しそう。バリ島南部のプラウルワトゥ(Pura Uluwatu)は2012年1月から従来の3千ルピアが外国人観光客は2万ルピア、インドネシア人観光客は1万5千ルピアに5倍以上跳ね上がった。バドゥン(Badung)県ではその他にも、プラサゲ(Pura Sangeh)、プラタマナユン(Pura Taman Ayun)、ヌンヌン(Nungnung)の滝で値上げが行われている。
タバナン(Tabanan)県のプラタナロッ(Pura Tanah Lot)は、2012年4月1日から外国人観光客はこれまでのひとり1万ルピアから3万ルピアに三倍増で、インドネシア人観光客は7千5百ルピアから1万ルピアに微増?!の予定。やはりタバナン県は北部山岳地区にあるブラタン(Beratan)湖のプラウルンダヌ(Pura Ulun Danu)も値上げが予定されている。
バドゥン県広報課長はその大幅な値上げに関して、「それら人気のある観光目的地は施設の維持と美化に努めなければ観光客から見放されてしまう。維持と美化に努めるためには原資が必要であり、値上げはその原資確保が目的だ。ましてや1995年以来料金は据え置かれてきたのだから。」と説明している。
そうやって観光目的地への観光客誘致が盛んになれば、観光客の地元での滞在日数も長期化し、地元経済活性化を促進することができる。バドゥン県には星級ホテルが98軒、ジャスミン級ホテルと観光宿泊施設は1千軒を超す。ホテル業界から納められる税課金を含む観光セクターからの県地元収入はバドゥン県総地元収入の8割を占めている。同県には文化自然観光地が20ヶ所あるが、特に歴史観光目的地を優先して維持と美化に力を入れている、とのこと。
プラウルワトゥの管理を委託されている地元民組織サダルウィサタウルワトゥの代表者は、プラウルワトゥの呼び物のひとつである野猿4百匹の餌代に1日70万ルピアかける必要があるものの、資金が足りないために30万ルピア分の餌しか与えられていない、と語っている。餌はピーナツとシンコンなどを購入しているそうだ。プラウルワトゥの訪問客は1日約2千人というのが公表データ。
しかしバリ観光業界はこの突然の値上げに困惑している。パッケージツアーの構成要素の一部が突然値上がりしたわけで、既にツアーを購入した客に追加料金を要求するわけにもいかない。中には一年近く前に販売したものもあるのだ。
業界はツアー料金の値上げに動きつつあるようだが、今後の新規受注はよいとしても、旧料金で売った客がいざやってきたらどうするか?業者の中には、ツアースケジュールの中に予定していたウルワトゥ寺院でのサンセットを急きょ以前と同じコストで済ませられる別の場所に変更しようとする動きも出ている由。


「グラライ空港内の違法マネーチェンジャー」(2012年2月27日)
海外の国際空港にマネーチェンジャーは2軒だけとか、多くてもせいぜい6軒だが、バリのグラライ空港国際線到着ホールでは度を越している、とインドネシア旅行代理店協会バリ支部長が批評している。ざっと数えても33を超えるほどのマネーチェンジャーが間口2メートルのカウンターを構えてひしめきあっている有様だ。バリ空港を管掌している空港運営会社PTアンカサプラ?は、グラライ空港改装工事が終わったら空港内で営業しているマネーチェンジャーの整理をする、と表明している。マネーチェンジャーたちは年間5千万ルピアを払って営業権を得ているとのこと。
外貨両替商協会事務局長はバリのマネーチェンジャーについて、事業を営んでいる両替商は146社あるが外貨両替事業の公認ライセンスを得ているのはそのうちの4割りに満たないと述べている。中央銀行から認可証を得ているのは45社程度であり、ほかは公式認可手続きを踏んでいない。協会はその状況について通貨オーソリティに状況報告を出しているものの、オーソリティからの対応措置はまだ何も取られていない。「違法両替商は何年も前から事業を行っている。かれらはそのビジネスの中で交換レートを操作して客に損をさせるようなことを行ったり、マネーロンダリングに便宜をはかるなど、公認両替商が行っている正しいビジネスを悪印象に染めかねないことを行っており、正当な公認両替商からはかれらを早く排除してほしいという声もあがっている。」
インドネシアで外国人がもっとも大勢訪れる土地であるバリに無許可両替商が雨後のたけのこのように増加している実態は、バリの両替ビジネス市場がまだまだ広大で巨利を生む場であることを証明している。
インドネシア銀行データによれば、2011年第4四半期の到着時ビザ収入は1,433万米ドルにのぼり、2010年第4四半期から18%アップしたとのこと。


「常識破りの刑務所暴動」(2012年3月1・2日)
2012年2月21日夜半ごろ、インドネシア最大の国際観光地であるバリ島の観光中心地域からそれほど離れていないクロボカン刑務所で暴動が発生した。2011年6月25日にも暴動が発生しており、一年もたたないうちにまた暴動が発生したわけで、バリのクロボカン刑務所は相当に危険な火薬庫であることが想像される。
報道によれば、受刑者が刑務所内を占拠し、刑務所事務所建物に火をかけ、刑務所側が管理している武器弾薬庫を荒らし、出動してきた州警察機動旅団と暴動統制部隊が現場を遠巻きにする中で所内に突入しようとする警察部隊に発砲・投石・火焔瓶投てきなどを行って応酬したとのこと。
22日朝に火災は鎮火し、警察部隊が所内のけが人を収容し、受刑者たちが使っていた火器を没収するなどの措置が取られたものの、刑務所内の受刑者占拠状態は継続し、州警察長官や州行政高官らが出張って受刑者代表者たちの要求を聴き事態を復旧させようとしたが、受刑者代表者たちは刑務所内での待遇改善を強く訴え、高官たちが帰途についたあとふたたび受刑者たちの投石が再開されて警察側の所内鎮圧を阻止しようとする動きが始まった。報道陣の車両近くにも火炎瓶が落ちたようだが、被害は報告されていない。
結局22日夕方には暴動もあらかたおさまり、定員323人の収容能力に対して1,056人が収容されているクロボカン刑務所内にこもっている熱をさまそうとして受刑者を各地の刑務所に移送する対策が始められた。しかし全国にある刑務所で定員に満たない場所など探すほうが難しく、これは定員問題というよりもむしろ燃え上がりやすい受刑者をグループから隔離するための対応という印象のほうが強い。ちなみに全国どこの刑務所もたいてい定員の1.5倍から3倍といった収容者数になっているから、この定員超過問題をクロボカン刑務所内暴動の直接原因と見るのは適切でないように思われる。もしそうなら、全国各地の刑務所で暴動が続発し、政府はその対策として定員超過を起こさないような配慮を以前からしていて当然なのだから。
そうではなく、大きく報道されなかったクロボカン刑務所内での細かい事件は連続的に発生している。たとえば2012年1月11日に入所したスレ29歳が12日に獄舎内で死体で発見された事件がある。スレは受刑者のひとりの親族といざこざを起こしており、かれが入所した日の真昼間にその受刑者が仲間数人を誘ってスレを痛めつけた。アルミパイプやこん棒で何回も頭を殴られたスレはほどなく絶命した。
さらに2月19日には、バリ人受刑者がジャワ人受刑者に借金の返済を迫り、両者の間で険悪な雰囲気になった。バリ人受刑者には数人の仲間がついていたため、ジャワ人受刑者は衝突を避けてその場から逃げ、自分の兄弟とその仲間に救いを求めた。その結果逃げたジャワ人の仲間が借金返済を要求したバリ人受刑者を刃物で刺すという展開に至り、バリ人受刑者は病院に送られた。
バリ人受刑者たちはジャワ人受刑者が仲間を刺すのに使った刃物を証拠品として保管するよう看守長に要求したが、ジャワ出身の看守長はそれが見つからないと言って曖昧な姿勢を示したため、バリ人受刑者たちは刑務所側がその事件をもみ消そうとしているとの疑惑を抱いた。
そして刺されたバリ人受刑者が刑務所に戻ってきてから、今回の暴動が発生したのである。
だから2月21日に発生した暴動には、複数の要素がからんでいる。借金を巡って刃傷沙汰に至った少人数グループ間の遺恨問題、バリ人とジャワ人の種族別対立とそれを煽る看守側のえこひいき、さらに受刑者から金を搾取する刑務所内での徴収金問題、そして刑務所内での生活に腐った水を使わせるような待遇問題に至るまで。それらが絡み合って複雑な対立関係を所内に築いており、クロボカン刑務所はそれが特に激しかったのではないか、というのが一連の報道が明らかにしている内容だ。
ここ数年、麻薬犯罪で入獄する受刑者が激増しており、そしてかれらの大半は刑務所内でシャバの麻薬ビジネスをコントロールしている。刑務所内はナルコバ(麻薬禁制薬物)の一大消費市場と化し、いったいどこから入ってくるのかわからないと刑務所管理者が言う以上の量が流通しているのが実態だ。これは経済を活性化させれば納入される金が増えるという経済原理そのものが刑務所内で実践されていることを意味している。おまけに高額納税者である大物麻薬犯罪者は刑務所内で何不自由もない生活をエンジョイしている。ガユス・タンブナンの国税マフィア事件でも明らかになっているように、かれらはいつでも出たいときに刑務所の扉を開かせることができるのである。
もっと低いレベルの受刑者にしても、金であるいは心情的に看守の歓心を手に入れたら、日々の定刻活動を延長してもらえる。たとえば6時に屋外活動が終わる場合、一般受刑者は6時になると早々に房内に追い返されるが、特別待遇を得た受刑者たちはそんな連中を尻目に6時10分まで外でのんびりと空気を吸っていらるというようなことだ。そして受刑者たちにとってその特別待遇は言いようもない誇りになるのである。そのようなことも、一般受刑者と特待受刑者のグループ間対立が生まれる元になる。州警察長官たちに受刑者グループの代表者たちが訴えたのは、刑務所側のそのような差別待遇をなくせ、ということが最大の眼目だったのだ。
刑務所内で暴動が発生した際には、大量の脱獄囚が出てシャバの社会秩序を大きく乱すことが懸念されるのが普通だ。ところが今回のクロボカン刑務所内暴動はそんな常識を覆してくれた。原因が何であれ、刑務所内で暴動が発生した場合は、刑務所側が抑えきれないと判断した時点で警察さらには軍の出動を要請することにる。刑務所管理責任者がそれを自力で抑えきれないと判断するまでには多少の時間がある。脱獄囚が狙うのはその時間だ。なぜなら警察や軍までもが出動して刑務所を遠巻きにすれば、脱獄のチャンスは大きく遠ざかってしまうからだ。
今回のクロボカン刑務所暴動で、脱獄を狙う受刑者にはその機会があったと思われるが、受刑者たちは看守への暴行や所内の破壊放火などに熱中してだれひとりその貴重な時間を脱獄のために利用しようと試みかった。
実際には22日未明になって、脱獄しようとの試みが出現した。一部受刑者が屋根を壊して建物から外に出ようとしたが、その時点で刑務所は警官隊の完全な包囲下におちいっており、警官隊がその場所に照明をあてて警告射撃を行っただけでその試みはつぶされている。
インドネシアの刑務所にはわれわれの常識の範疇を超えた風が流れているにちがいない。


「カヤガンエステートはゴージャスな隠れ家」(2012年3月3日)
インド洋に面するバリ島最南端の海岸線は切り立った断崖絶壁が続く。ジンバラン丘と呼ばれるこの半島部分の西寄りはプチャトゥ村で、最西端はウルワトゥ寺院になっている。
プチャトゥ村からほど近い海岸に建つブルガリリゾートの西側にあるのが、カヤガンエステート(Khayangan Estate)だ。
海面から170メートルせりあがった絶壁上の1.5ヘクタールの土地に10軒のジャワ風ジョグロ様式のビラが半円状に並び、インド洋を180度のパノラマで眺望させてくれる。花咲き乱れる庭園にヤシの木が緑陰を作り、行き届いた従業員のサービスはそこが並のリゾートビラでないことをしのばせている。
喧騒のクタから遠く離れ、おまけにウルワトゥ街道からも隠れた場所にあるこのビラは特にエクスクルーシブな雰囲気を濃く漂わせており、ひとときのプライバシーを求める各国のセラブリティに対して至上の隠れ家を提供している。
このビラを借りきれば、百人の招待客を招いて泊りがけの結婚パーティを開くことも可能だ。バリで遊びたい世界各国のハイクラス観光客やセラブリティがおしのびで泊まることも少なくない、とカヤガンエステートのオーナーは語っている。
このビラは環境保全に強くコミットしており、オーガニックを基調にするガーデニング、温水は太陽熱、ごみの再利用や肥料化、電灯はセンサーやタイマーを使った省電方式、そしてビラ建物はジャワの旧家を解体して運んできた古木チークを使い、さらにゴージャスな彫刻が施されている。


「バリに41軒のホテル新設」(2012年3月12日)
この先2013年末までのほぼ2年間で、バリ島には41軒のホテルが新規オープンし、客室数7,109が新規に供給される予定。そのうちの60%を超える4,508室は2012年中に稼働が開始される。ホテルの等級別で見れば、4,508室の36%は5星級、32%は4星級、31%は3星級という内訳だ、と国際不動産コンサルタントのナイトフランクが報告した。
しかし2013年いっぱいまでの総供給について言うなら、最大ポーションは4星級で41.1%、3星級は31%、5星級は27.8%となっている。地区別ではクタが最大で1,542室、ヌサドゥア1,033室、サヌール725室、レギアン326室というのが上位の内訳。クタは3星級ホテルの客室供給が48.8%で最大、ヌサドゥアは5星級ホテルの供給が66.1%を占め、サヌールとレギアンは4星級が最大ポーションを占めている。


「バリのニュピパッケージ」(2012年3月14日)
2012年3月23日のニュピ祝祭日を前にして、バリのホテル業界はニュピパッケージ商戦の火花を散らしている。今年はサカ暦1934年のニュピに当たるが、このヒンドゥの祝祭ではバリ島内にいる者すべてがヒンドゥの教えに従ってチャトゥルブラタ(catur brata)と呼ばれる戒めを守るよう求められる。アマティルルガン(amati lelungan)は外出しないこと、アマティグニ(amati geni)は火を使わないこと、アマティルラグアン(amati lelanguan)は慰安娯楽から遠ざかること、アマティカルヤ(amati karya)は仕事をしないことで、それらの禁止項目に従うために終日家の中にこもり、火はもとより電気も使わず、必然的にテレビもラジオもなしで、読書や瞑想にふけるしかすることはなくなる。仕事をしないというのは家事労働も含まれているから、料理も皿洗いもしてはならないわけだ。ニュピの行事はバリ時間の2012年3月23日(金)午前6時に開始され、翌日24日の午前6時まで続く。その間、バリ島への出入り口であるグラライ空港やギリマヌッ(Gilimanuk)・パダンバイ(Padangbai)・ブノア(Benoa)・チュルカンバワン(Celukan Bawang)・ブレレン(Buleleng)・アムッ(Amuk)の六海港は完全閉鎖される。
原則は上のとおりだが、今年のニュピは金曜日になっており、これまでもこのようなケースではムスリムの礼拝の務めを尊重して、昼の時間帯にムスリムがモスクに集まることを許している。しかしヒンドゥ教徒へのお返しということでもないだろうが、互いに相手を尊重しあうという意味合いから、ムスリムは家からモスクへの移動だけが許され、その移動は徒歩で行い、乗り物を使用することは一切不可で、またスピーカーを通して流されるアザーンの声も音量を小さくするよう定められている。
ヒンドゥ教徒は宗教上の務めだからニュピの行を避けることはできないが、非ヒンドゥ教徒の中には負担の大きいひともいるに違いない。そのようなひとに対して、ニュピの期間中窮屈な自宅での暮らしから解放されるためにどうぞホテルへ逃れてください、というオファーをホテル業界が行っている。それがニュピパッケージだ。
クタに近いサンセットロード沿いのハリスホテル&レジデンスは、22〜24日の二泊三日をニュピ当日のビュッフェランチ込みで特別オファーしている。ハリスルームは160万ルピア、ハリスレジデンス1寝室は170万ルピア、2寝室は270万ルピアとのこと。特に子供連れファミリーに対して子供向けの催しが用意されており、ピエロがお相手するバルーンツイスト・ファンゲーム・母と子の料理教室・マジック実演・夜の映画上映などの多彩なプログラムはすべて入場無料との由。
グランドクタ&レジデンスも二泊三日のニュピパッケージはスタディオルームが190万ルピアから、となっている。その料金にはニュピ当日の三食が含まれているとのこと。


「スミニャッのビラが人気」(2012年3月16日)
2011年バリの賃貸ビラ客室稼働率はスミニャッ地区がトップを占めた。ナイトフランクによれば、スミニャッ(Seminyak)地区の稼働率は74.7%、次いでチャング(Canggu)65.6%、サヌール(Sanur)58.5%、ウブッ(Ubud)58.1%というのが地区別の番付。なお、バリの賃貸ビラの一泊平均料金は寝室数別に次のようになっている。(数字は米ドル)
7室 ハイシーズン 2,590− ローシーズン 1,755−
6室 ハイシーズン 1,916− ローシーズン 1,272−
5室 ハイシーズン 1.700− ローシーズン 1,102−
4室 ハイシーズン 1,103− ローシーズン   770−
3室 ハイシーズン   700− ローシーズン   519−
2室 ハイシーズン   492− ローシーズン   387−
1室 ハイシーズン   368− ローシーズン   276−


「バリで骨董品競売」(2012年3月17日)
2012年3月11日(日)バリ州デンパサル市ヌサインダ通りにあるバリアートセンターで、「Tempo Doeloe」と銘打った骨董品競売が開催された。開催したのはシダルタオークショニアで、いす・机・たんす・彫像・書籍など過去の優雅な時代をしのばせる骨董品243ロットが3月9〜10日にバリアートセンターで展示されたあと、11日に競売にふされた。
主催者側の説明によれば、ジャワ風クラシック家具・中国風あるいは西洋風タッチの彫刻・古書籍・1950年代60年代インテリアグッズなど多彩な品物が競売されたとのこと。


「安全ワルン」(2012年4月9・10日)
バリに安全ワルン(Warung Aman)が設けられた。ワルンというのはお店を意味しており、飲食品や日用雑貨などを売っているところを指すのが一般的で、店構えは小規模で在来風という印象が強いが、要するにお店だと考えればよい。
で、その安全ワルンというのは、そこで売られている品物が安全という意味では決してなく、警察が地域内保安に協力してくれる店にその名称を与えたということで、これはバリ警察が最近打ち出した新機軸。その意味からいけば、保安ワルンという訳のほうがよりその内容に接近していると思われるが、かえってその言葉から別のイメージが生まれる懸念があるため、曖昧模糊とした安全ワルンで通そうと思う。
インドネシアの一般庶民は、一般論として、警察がけむたい。なるべく関係を持たないようにして、避けて通ろうとするのが一般的な態度だ。警察とは無関係の一般庶民と警察についての話をすれば、警察の人間が一般庶民に対して行っている悪事の数々が口をついて出てくるから、そんなことからだけでもその根の深さを思い知らされることになる。
知り合いの元国家警察長官が警察病院に入院したのでその見舞いに行った友人の話では、「気をつけろよ。ここは警官だらけだからな。」とその元長官は冗談を言ったそうだ。犯罪を犯していなければ警官を怖がる必然性がない、という幸福な国で育ったひとたちには理解しがたい国民総犯罪者化という社会の姿が投げかけている影をわれわれはそこに感じ取るのである。
要するに一般庶民は、何か犯罪が居住地区内で起こったり、さらには自分がその犯罪の被害者になった場合ですら、被害金額の軽重という斟酌要因は当然あるものの、警察に届け出ることを厭う姿勢が強い。オートバイが盗まれたために警察に盗難届けを出したところ、何週間かに一度警官がやってきて捜査費を要求したため出費がかさみ、結局盗まれたオートバイは戻ってこずに泣きっ面に蜂のことわざを思い知らされたひともいる。
もしもWarung Amanという名称が、一般庶民に対して警察を怖がらなくてもよい安全な場所なのだという意味で命名されたのであるなら、そのひねりにひねりを加えた精神が持つおかしさは元国警長官の冗談どころではないという気がする。
ともあれ、一般国民が警察を敬遠している実態は、警察が把握している事件発生件数の何倍も実際に事件が起こっていることを推測させるに十分なものだ。警察が現実をいっそう正確に把握するためには市民に事件をもっと積極的に届け出てもらう必要があるのは疑いもなく、こうして一般市民が足を向けたがらない警察署でなく市民の居住環境内にあるワルンを仲介役に仕立てて、そこで市民と警官の接触を行わせるようにしようというアイデアからこの安全ワルン構想が生まれた。
安全ワルン制度はパイロットプロジェクトがはじめられたばかりであり、バリ島観光産業の中心地バドゥン県がその先陣を切った。指定済みの安全ワルンはプティトゥグッ通りにあるカフェレストランBale Dahar、クロボカン町の米穀店Pande、ダルン町の食堂Pesinggahanの三つ。警察に用のある市民はそれらの安全ワルンにやってきて、店の者に警察を呼んでくれと頼むだけでよい。店側も電話で警察を呼ぶだけであり、その市民が抱えている問題への関与や警察側の対応に関わることはしない。警官が来るまで市民がその店で何かを買おうが買うまいが、店側は関知しない。店は地元民への奉仕行為と割り切っており、求められていることもただ警官を呼ぶだけだから、それほどの負担になることもないにちがいない。やってきた警官は市民から話を聞き、必要であれば所轄の警察署に案内してその市民の問題を引き継ぐところまで世話をする。
この安全ワルン制度は、ボランティアの店が現われれば今後どんどん拡張していく方針になっている。また安全ワルンと平行して安全ホテル/ビラや安全ハウスの制度も進められている。北クタ地区には既に安全ホテルと安全ビラがそれぞれ一軒既に警察の指定を受けている。安全ハウスについては個人の住宅が対象になり、これも北クタ地区で国家警察職員が自宅を安全ハウスにして住民と警察の橋渡しを行う努力を開始した。安全ワルンの店頭にはWarung Amanと表示された看板が立てられており、警察の電話番号も大書されている。
バドゥン県警データによれば、2011年の犯罪発生件数は480件でそのうち132件が盗難であり、侵入盗や強盗もそこに含まれている。


「バリで冠白椋観察ツアー」(2012年4月12日)
バリ州クルンクン県ヌサプニダ(Nusa Penida)島をバリ島特産の小鳥カンムリシロムク(現地名Jalak Bali)の繁殖地にし、将来この島をカンムリシロムク観察ツアー旅行先にしようというアイデアが着々と進められている。
ヌサプニダはヌサプニダ島・レンボガン(Lembongan)島・チュニガン(Ceningan)島の三つの島からなり、総面積202.8平方キロの土地に4万7千人が居住している。バリ島本土からはおよそ20キロ離れており、デンパサル市サヌル(Sanur)海岸から高速艇で半時間の航海だ。いまヌサプニダにはカンムリシロムクが100羽ほどおり、バリ全州にいる300羽の三分の一を占めている。
島内で野鳥観察に適当な場所は12ポイントあり、観光地の要衝として整備が必要とされている。地元民のひとりは、カンムリシロムクが百羽に増えているので、朝夕住宅の周りにやってきてさえずる姿を頻繁に見かけるようになった、と語っている。
2014年には観察ツアーの売り出しを開始しようとしているこの島で、住民がカンムリシロムクを捕獲したり殺したりすることの絶対ないようにと各村の自治組織はその対策を講じており、村ごとに罰の軽重は異なっていても一様に保護することを村民に義務付けている。


「バリ空港工事は遅れそう」(2012年4月23日)
今、年間の利用者収容能力8百万人のバリ島グラライ(Ngurah Rai)空港を1千1百万人が利用しており、能力を1千8百万人に拡張するための工事が同空港で行われている。工事日程は2013年5月完成が予定されており、13年の年末にバリで開催されるAPEC2013に出席する各国要人に改装されたバリの表玄関を顕示することが政府にとっても重要事項となっている。加えてバリの道路交通渋滞緩和のための自動車専用道路がブノア湾をまたいで建設され、空港とヌサドゥアが直結されるほか、ヌサドゥアとサヌル間も近くなる。また現在バリ島内でもっとも交通渋滞が激しいグラライバイパスのシンパンシウルロータリーも立体交差化がなされて2013年中には道路交通が改善されることになっている。
バリ空港は規模が拡張されて、国際線は搭乗ブリッジが11本、国内線は5本設置され、待合室から機内に向かうコリドーは32本設けられる。3階建てのターミナルビルは国際線と国内線が離されてその間に駐車ビルとショッピング街になるプロムナードが設けられるというのが概略の完成図だ。拡張された建物内にはバリ風のオーナメントをたっぷり使って、この新しい表玄関に着けば「ああ、バリに着いた」という実感を味わってもらおうという計画になっているものの、そのオーナメント作成納入者がまだ決まっていない。全体の進捗状況も、国際ターミナルビル建設は進んでいるものの、プロムナードもまだ手が着けられておらず、エプロンや駐機場の工事もいまだしだ。工事関係者の中からも、13年5月完成は無理だという声が出されている。APEC前の完成は死守されるとしても、完成は半年ほど遅れるかもしれない。


「バリに第二の自動車道建設案」(2012年5月4日)
バリ州初の自動車専用道路は2013年のAPEC開催前の完成を目指してすでに建設工事が開始されている。南側のヌサドゥア・タンジュンブノア地区と北側のプサンガラン・ブノア地区の双方で用地収容が進められているこの道路の通行料金は、四輪車両の最低が第一種の一台1万ルピアで、最高は第四種の一台3万ルピア、また二輪車レーンも設けられて二輪車は一台4千ルピアとなる見込み。四輪車の種別は第一種がセダン・ジープ・ピックアップ・小型トラック・バスで、第二種からはトラックが車軸数によって区分されている。
一方、その洋上有料自動車道に先鞭をつけられたバドン県は、クタ〜タナロッ(Tanah Lot)〜ソカ(Soka)総延長26キロの有料自動車道開発スタディを開始した。県と民間資本で建設運営されることになるこの自動車道が生まれれば、バリ島南部地区とジャワ島間フェリーが発着するギリマヌッ(Gilimanuk)が現在よりはるかに近くなりそうだ。


「いつまでバリらしいバリが保たれるか?」(2012年5月9日)
2011年バリに入国した外国人観光客数は282万人で、2010年から25万人増加した。訪問者を国別に見ると、オーストラリア人が断トツの29.1%、次いで中国人8.2%、マレーシア人6.8%、日本人5.7%、シンガポール人4.97%と続いている。
外国人のみならず、国内観光客もバリを訪れたら宿を取る。観光客の星級ホテル平均滞在日数は全国でバリが最長で、客室稼働率も高率だ。2011年12月の稼働率は61.6%で、2012年は65〜70%にアップするのではないかと業界者は見ている。
バリの州内経済が南部における観光産業偏重になっていることを改善しようとしてマデ・マンク・パスティカ州知事がホテル建設にモラトリアムを設けようとしたものの、ホテル建設許可禁止の通達は県令市長レベルで無視されてしまい、ホテル・コンドテル・ビラの新設は随所で続けられている。
スミニャッに建設されているコンドテル「ホテルホリゾンスミニャッ」は2,250平米の地所に4階建て153ユニットのコンドミニアムで、売り出された123ユニットは完売しており、2012年12月12日のオープニングを待つばかりとなっている。タバナン県に建設中のイートンラグゼは2Haの地所に178室のコンドで、2013年末からの稼動が計画されている。価格は1ユニット18億ルピアから最高は60億ルピアとのこと。ナイトフランクの報告によれば、2012〜2013年にバリには41ホテル7,109室が新たに供給されるそうだ。4星級ホテルはそのうちの41%を供給し、3星級が31%、5星級は28%というシェアになっている。一方、2010年データでは、インドネシアでジャスミン級と呼ばれている無星級ホテル・宿泊施設の部屋数合計は1,536室で、このクラスの客室数はここ数年間あまり変動していない。1,536室の50%は一軒あたり10室未満の宿屋に占められており、10〜24室の宿屋は35%を占めている。
大量の客室数供給が需給関係を偏らせれば、星級ホテルの割引や投売りが活発化する恐れは大きく、低星級ホテルやジャスミン級宿屋がそのあおりを受ける可能性は高い。弱小資本のかれらに経営悪化が訪れたら、州知事の懸念が現実のものとなるのは火を見るより明らかだ。もうひとつベーシックな問題として、コンクリート造りの巨大な建物が林立するようになると、バリの伝統的な自然景観が失われていくことが起こる。砂浜とヤシの木と広がる青空と豊かな緑というリゾート風景の一角にコンクリート構造物が常に姿を見せるようになったとき、バリらしいバリを愛していた観光客たちがリピーターを続けてくれるかどうか、それはわからない。


「ヌサプニダのイカット織りが復活」(2012年5月10日)
バリ州クルンクン県ヌサプニダ(Nusa Penida)島で伝統的方式によるカインイカット(kain ikat)作りが活発化している。市場に需要が高まっており、有利な価格になっていることから、ここ数十年間下火になってめったに行われていなかったヌサプニダ住民の機織仕事が復活しはじめた。伝統的製法では、まず糸をよることからはじまって天然植物から取った染料に浸して着色することまで一切を自分で行っていたが、今は買取業者が用意した糸を使い、染料も化学系繊維染料が使われている。住民たちは家に残っていた織機を持ち出して点検したが、多くは朽ちて使えない状態にあり、数年前に商工省が援助した8台も修理してやっと3台が使えるようなありさま。プジュクタン村ではもう5台を修理して村民女性が仕事できるようにしたい、と準備を進めている。ヌサプニダ島の女性たちは大半がバリ島本土側に移ってホテルや商店で働いており、機織を含めて島で連綿と女性たちが伝えてきた仕事を続けているひとは少ない。
200x80センチのカインチュプッ(kain cepuk)は20年前に一枚1万6千ルピアの値段であり、今は15万ルピアの市場での値付けになっている。買取業者は80センチ幅で37メートルの布に対し50万ルピアを支払ってくれるが、それだけ織るには一ヶ月かかる、と織り手のひとりは物語っている。
手工芸評議会バリ支部長は、各織り手の家庭に染料のための植物を植えさせて、染色も伝統的な製法で行うように指導しており、昔ながらの染料用植物を探し出すことに協力を惜しまない、と述べている。
ヌサプニダ島はバリ島バドゥン海峡を隔てて東南部に横たわる島で、在来型ボートで横切るのに2時間ほどの距離にある。


「バリでハシーシュが増加」(2012年5月17日)
バリへのハシーシュ密輸入が増えている。2012年3月、インドから到着した32歳のイタリア人男性が持ち込もうとしたトランクの壁の中から1.43kgのハシーシュ8.6億ルピア相当が発見され、そのイタリア人運び屋は逮捕された。取調べに対して運び屋は持って回った自供をして3時間も時間を稼ぎ、ハシーシュを受け取りに来ていた仲間を逃亡させるのに成功している。最高20年の入獄刑あるいは10億ルピアの罰金刑がこの運び屋を待ち受けているとのこと。どうやら昨今の麻薬運び屋は死刑にならないようだ。
そのほんの一週間前、54歳のオーストラリア人男性がやはり1.1kgのハシーシュをインドから持ち込もうとして発見されている。この運び屋はハシーシュをカプセルに入れて呑み込んでいた。そのときも、空港に来ていたはずのバリ島側密売組織員はだれひとり捕まっていない。
2012年グラライ空港での麻薬運び屋逮捕は今回で三人目で、初回はシャブ169グラムを持ち込もうとしたマレーシア人が逮捕されている。
ハシーシュはインド周辺でケシの葉から作られ、価格が廉いために人気がある。ちなみにシャブはグラムあたり250万ルピアだが、ハシーシュは60万ルピアだ。麻薬国家庁バリ支所長は、インドネシアへ密輸入される麻薬はこれまでシャブがトップを占めていたが、ハシーシュがそれに取って代わろうとする新傾向が見られる、と述べている。
バリのグラライ空港は、これまで直接外国から持ち込まれる麻薬に対応するため国際線到着ターミナルに最新鋭機器を投入し、麻薬発見のための強力な体勢を整えているが、麻薬運び屋がどこか警備の手薄な他の国際空港から入国し、国内線でバリにやってくれば国内線の対策は手薄なため容易にバリ島内市場に麻薬が供給されることが可能であり、国内線の麻薬発見体勢を整えていくのが今の課題となっている。


「バリでバイオガス利用運動」(2012年5月19日)
これまで調理用ガスとして一般的に使われているボンベ入りLPGから自家で発生する汚物ゴミを使って作られるバイオガスへの移行がバリの農民の間で進展しつつある。バイオガスの原料は農家が飼っている牛や豚の排泄物で、ガス発生後に残った残存物はさらに堆肥に加工して野菜やキノコの栽培に利用できるため、ほとんどコストがかからずにたくさんの効用が得られると農民たちは喜んでいる。
そのひとり、バドゥン県マンバル村のクトゥッ・ライ・ウィジャヤさんは、ガス発生装置から台所までパイプを引き込んで調理に使えるようにできたことに胸を張る。その装置を作り上げるために、かれはバイオガス用コンロをはじめ諸装置とパイプを5百万ルピアでそろえ、システムを組み上げた。おかげで、飼っている豚の排泄物を使って毎日4時間ノンストップで台所にガスが供給できるようになり、毎月消費していたボンベ入りLPG1本7万5千ルピアの支出が削減できるようになったし、野ざらしになりがちだった動物の排泄物の処理も行えて一石二鳥だ。「最初は慣れているやりかたを変えてもらうのに困難があったが、変えてしまえば何も難しくはない。それよりも、今はもっと健康的で倹約できる生活が可能になったことのほうが意味が大きい。村ではもう15軒が豚の排泄物から取ったバイオガスを利用している。」
州内でこのバイオガス利用運動を推進しているバリオーガニックアソシエーションの発起人ニ・ル・カルティ二さんは、村々の寄合グループに確信を持ってもらうまでに時間がかかる、と言う。だいたい二年間説得を続けてやっと動き始める、と辛抱強い活動が不可欠であることを強調する。しかしあちこちで成功している例が増えれば、普及はもっと容易になるにちがいない。
マデ・マンク・パスティカ州知事は、家畜を飼育している家庭にそこからさらに効用を増やしてゼロウエイストに向かうことを呼びかけるのはたいへんなことだ、と語る。州知事は4年前から統合的農業システムを提唱しているのだ。その一環でもあるバイオガス利用運動に今では農村の3百グループおよそ3千世帯が参加している。


「飢えるモンキーフォレストのサル」(2012年6月15日)
クタとサヌルを目指して年間数百万人の外国人観光客がやってくるバリは、そんな状況にあぐらをかいて新規観光スポット開発もおざなりになっており、州政府は気を抜いているのではないか、という批判が地元の関係者から上がっている。
現実にいくつかの観光スポットは観光客に見放されつつある。観光施設不足、清潔美化管理が不十分、駐車スペースが狭い、観光スポットの管理が不行届き、といったことがその原因だ。中でも注目を集めているのは、昔から有名な観光スポットだったバドン県サゲ(Sangeh)のモンキーフォレストで、森に住む多数のサルが重要な観光資源になっていたが、最近は来訪する観光客の数がめっきり減少している。観光客がやってくれば、サルに餌を与えてくれるが、観光客が減れば正比例して餌も減る。結果的に腹を空かしたサルたちが近隣の売店を荒らすようになる。売店の商品に手を出し、食べ物を盗んでいく事件が増加している。
州政府は特定の観光スポットばかりに焦点を当てて運営しているが、他の観光スポット開発はおざなりでほとんど力が入っていない印象が強い。古い観光スポットの維持や、新たな観光資源を開発してバリへのリピーターを増やさなければならないはずだが、州政府は何をしているのか、との批判の声が出されている。


「ジャワ〜バリ陸路の往来がスピードアップする」(2012年7月3日)
ジャワとバリを結ぶクタパン(Ketapang)〜ギリマヌッ(Gilimanuk)渡海フェリーは、これまでわずか3海里をほとんど1時間かけて航行していた。海峡を直接横断しようとせず、ぐるっと大回りをして時間を稼ぎ、最終的に港に近付いたあたりで埠頭への接岸順番待ちでまた時間を費やすという航海が定例だった。そのような方式のために各船の一日当たりの往復航海数は6回どまりだったが、この渡海航路を管掌している国有事業体「河川湖沼渡海輸送株式会社インドネシアフェリー」がその合理化を開始することを2012年6月23日に明らかにした。
これは過去二ヶ月に渡って行われていたその航路での渡海に従事している船舶の機関若返り作業が終了したことによるもので、航海時間は片道30分となり、船の一日当たり往復航海数は8回に増加するほか、一日の出航便数が増えるために輸送能力も大きく向上することになる。その出航便数増をサポートするために河川湖沼渡海輸送株式会社はこれまでの埠頭三本をもうひとつ追加することにした。クタパン港の一番東寄りで埠頭増設工事がこれから開始される。
このクタパン〜ギリマヌッ渡海フェリー輸送能力増強は、スラバヤ〜バニュワギ(Banyuwangi)間とジュンブラナ(Jembrana)〜デンパサル間での自動車専用道建設計画に呼応するもので、トランスジャワ自動車道がジャワ島西端のムラッ(Merak)から東端のバニュワギまで開通すれば、ジャカルタとバリ島南部地区との陸路の往来はこれまでよりはるかに短時間で行えるようになる。


「バリの観光運送業界は先細り」(2012年7月7日)
バリを訪れる観光客が旅行代理店をあまり利用しなくなり、バリでの観光の足を観光客がダイレクトにオーダーする傾向が強まっているため、観光運送業界の8割が事業発展を期待できない状況に追い込まれている、と業界者のひとりが表明している。
「旅行代理店を通してバリでの観光ツアーをオーダーするのが一般的な欧米観光客が減少している。かれらの旅行先が多様化しているため、バリを訪れる人数が減っているということだ。一方、中国・台湾・韓国などアジア諸国からの観光客は、一般的に旅行代理店をあまり利用しない。概してかれらはミドルクラスのひとたちであり、インターネットで妥当な運送業者を選択・発注してからバリにやってくる。バリの旅行代理店の受注状況はうすら寒いありさまだ。おまけに今後はアセアン域内市場開放で、観光運送セクターにもアセアン資本が入ってくることは疑いもない。それに備えてバリ州政府は地元観光運送業界が健全な形で外資と競合できるよう、業界対策を進めて行かなければならない。使われている車両は古くなったものが多く、若返りが必要なのだが銀行界は低金利融資に協力的でなく、融資の扉を開いてもらうだけでも四苦八苦している。おかげで業界は銀行界より高い金利でリースを利用せざるを得ないため、若返りの進展も思わしくない。」全国陸運機構バリ支部役員をしているかれは、地元観光運送業界の将来に強い不安を抱いている。
陸運機構の2012年3月最新データでは、バリ州の運送サービス会社は130社で保有車両は1,028台となっている。バリ州運輸局2011年末データによれば、州内観光運送車両は1,239台で、2010年の1,232台から微増した。ただしその増加は州間長距離バスが171台から178台に増えたことの結果であり、州内観光用車両には変化が見られない。州間長距離バス会社は13、州内観光バス会社は130ある。


「スバッが世界文化遺産に」(2012年7月9日)
バリの農業文化を支える水利システムであるスバッ(Subak)が2012年6月29日にユネスコの審議会で世界文化遺産に選ばれた。インドネシアのオリジナル文化として認定されたスバッはバリで11世紀に確立され、以後連綿と維持されてきた水利システムで、東南アジアで他に例を見ないものであり、地元社会の一原理をなし、地元民の豊かな暮らしを支えてきた。
スバッが世界文化遺産に申請されたのは2000年で、スバッのある景観として次の5ヶ所が推薦された。
Pura Subak Danau Batur
Danau Batur
Subak Pakerisan
Subak Catur Angga Batukaru
Pura Taman Ayun
しかし12年かけてやっと選ばれたこのスバッは、バリの観光地化の深化にともなって、いま存続の危機に立たされている。スバッを維持することは昔ながらの伝統的なバリ社会の維持にその基盤を求めなければならないわけだが、スバッに立脚した社会システムと価値観そして土地利用と水質ならびに水量がひとつのものとして取扱われなければならないというのに、バリ地元民の観念の変化は避けようもなく起こっている。
バリ島南部地区からスバッの影は消えうせ、山地の寒村と観光スポットとして飾り立てられた上の5ヶ所だけに残された伝統文化となるかどうかは、これからバリ人自身が決めていくことになるだろう。


「バリでも大量のニセモノブランド品が横行」(2012年7月26日)
バリ州警察特殊犯罪捜査局は著名ブランドのつけられた衣料品やアクセサリー類をデンパサル市やバドゥン県クタの多数の商店から没収した。没収された偽造品は腕時計・ベルト・帽子・バッグ・トランク・サンダル・自動車用スペアパーツなど多岐にわたり、ビラボン、リップカール、ポールスミス、トヨタなどのブランドが使われている。
国内の各ブランド権保有者はそれらのニセモノに対する告発状を2012年2月から7月までの間に警察に提出しており、バリ州警察はそれに応じて没収捜査を実施した。それらブランド権保有者が蒙った損害は数億ルピアにのぼると見込まれている。その捜査で偽造品を販売していた商店の店主が逮捕され、24人が警察の取調べを受けているが、商標に関する2001年法律第15号では商標権違反犯罪の刑罰は最長1年の入獄あるいは最高2億ルピアの罰金となっており、罰が5年未満の入獄になっている犯罪の場合は容疑者を留置しないことになっているため、取調べが終われば帰宅させることになると特殊犯罪捜査局第一次局長は述べている。
取調べに対して商店主たちは非協力的であるため捜査の網を広げるのが困難な状況にあり、州警察は各ブランド権保有者の協力をあおいで捜査網の拡大に努めるかまえでいる。また、もっと高額の商品が偽造されてバリで販売されている可能性も小さくないと警察は見ており、各ブランド権保有者にバリの状況をもっと仔細に観察するよう呼びかけている。
ビラボンブランド権保有者のバリにおける法律代理人は、バリで低品質廉価のビラボン製品ニセモノがたくさん販売されており、小さく見積もっても億ルピア単位の損害を蒙っていると語っている。ビラボンブランドオリジナル製品はたとえば長ズボンが一着70〜100万ルピアの価格帯なのに、ニセモノは一着20万ルピアで販売されており、ホンモノの販売機会が奪われている、とのこと。
国内ブランド権保有者たちは2011年からバリでニセモノ調査を開始し、購入した品物を詳しくチェックした結果、ニセモノの特徴が今では詳細に把握されている。ニセモノは品質が顕著に劣っているだけでなく、ブランドを示す包装上の表示もお粗末で、粗雑な作りになっているとのこと。


「ルバランホリデーはバリで」(2012年8月10日)
2012年8月16日から23日までのルバラン休日の予約状況はほとんど満室に近いことをバリのホテル業界が明らかにした。
クタビーチエリアやヌサドゥアのホテルは国内観光客の予約が大量に入っており、宿泊日数も三連泊を超えるものが大半だ。日本人に人気の高いヌサドゥアのグランドハイヤットバリも、ジャカルタを中心に国内の観光客がメインを占めることになりそう。
ジャカルタから大挙してデンパサルに押し寄せてくる国内観光客の足を用意するために、ガルーダ航空は普段の一日13便を倍増させて26便に増発する計画。一方、デンパサル〜ジョクジャ間は増便なしの一日3フライトのまま。ガルーダ航空は予約客に対し、バリ空港は改装工事中であるため乗り遅れることのないよう、早めにチェックインしてください、と呼びかけている。


「バリの観光需要に変化」(2012年8月11日)
デンパサル〜バドゥン〜ギアニャルに集中していたバリの観光経済活動が、北部や東部に分散する兆しを見せはじめた。外国人観光客の北部や東部での宿泊需要が上昇傾向を示しており、その傾向を受けてビジネスを掌中にしようとする事業投資家の動きが始まったようだ。バリ州商工会議所不動産サービス部会委員はそれに関して、外国人観光客の中にバリの農村部の生活に興味を抱き、自然の中での暮らしを愉しみたいという希望が強まっていることから、その需要を受けるための宿泊ビジネスを計画する事業家も増加している、と最近の変化を説明した。「伝統的なバリの村落生活に触れたいと望み、地元民の家に民宿して地元民と触れ合うことを希望する外国人観光客が増加傾向にある。農作業を手伝ってみたり、村の市場で買物をしたり、そのような活動をすることで、バリ人のように自然の中に包まれて生きる体験をしてみたいひとが増えているということだ。そんな観光客をブレレンやカランガスムに誘致しようと宿泊ビジネス計画者は考えている。ブレレンの場合はプンリプラン(Penglipuran)村が筆頭格だ。地元民の家屋が星級ホテルのように改築されているが、伝統的なバリ風の特徴と自然を取り込んだ雰囲気は色濃く残されている。」
バリホテル協会専務理事は、バリ島北部や東部に宿泊施設を増やそうという動きは、南部地区のクタやジンバランで地価が異常な急上昇を示しているためだ、と説明する。外国人観光客の農村生活体験需要についても、ブレレンやカランガスムをはじめとする7ヶ村を観光村として育成する活動が進められている。「それは単に観光客のトレンドの受け皿を設けるということだけでなく、企業社会責任という面からのアプローチも強く織り込まれている。協会が考えているのは、村民が主体者であるというコンセプトであり、事業投資家がその村に何を建てようが自由ではあるものの、村の活性化のために村民をどう巻き込んで行くのか、ということが必須条件になる。」
しかし州外からの投資が地元の意向にどう沿うような姿勢を示すかは、これから見守って行かなければならない問題であるにちがいない。


「バリの洋酒はメチャ高い?!」(2012年8月22〜24日)
インドネシア政府はアルコール飲料に対して厳しい規制をかけている。製造・輸入・流通・販売の各段階におけるライセンスや監督、そして流通量のクオータ制、おまけに高率の課税を行って一般国民の手にできるだけ入らないようにしようというのが政策の基本になっており、小売販売を監督する地方自治体の中にはその管轄域内における小売販売を全面禁止にしているところも少なくない。そういう地方でアルコール飲料が欲しくなったら、ホテルの客室のミニバーにある小瓶や缶ビールでチビチビやるか、あるいはホテル内外のバーに出向いてグラス買いするしかない。ミニバーのアルコール飲料は原則として部屋から持ち出しが禁止されており、またバーでもボトルを買って持ち帰ることは認めてくれない。要するに、いくら非ムスリムであっても、街中でアルコール飲料が入った瓶を持ち歩くのは許されない行為だということなのだ。じゃあ、まるで禁酒法国家みたいだと思うかもしれないが、中東のイスラム国へ行けばそれと同じことが行われている。とまれ、インドネシアでは酒瓶をこれ見よがしに持って街中をうろつくと、因縁をつけられる可能性がなきにしもあらずなので、用心するに越したことはない。何も法律違反を犯しているわけじゃないのだから、説明すればわかってもらえる、と考えているひとはインドネシアが解っていない。話せば解るインドネシア人は最初から因縁をつけてこないのだ。
政府のそんなムスリム教導政策にもかかわらず、禁酒法時代のアメリカと同様に不法アルコール飲料は国内のいたるところにたっぷりと出回っている。インドネシア人は謹厳なイスラム教徒だからだれも酒類を飲まない、とだれが貼ったかわからないレッテルを信じている外国人もいるようだが、ジャカルタのイスラム教徒だらけの下層庶民住宅地区を夜中に回ると、あちらこちらに酔っ払った男たちが多数たむろしているから、そんなレッテルはあてにならないことがわかる。不法のきわみは有害アルコール飲料で、工業用あるいは非飲用アルコールにあれこれ奇妙なものを混ぜ、着色までして雰囲気を作っているものが折々出回り、飲んだが最後、病院に担ぎ込まれて生死の境をさまよう者が毎年多数にのぼる。バリ島でも外国人観光客が時折そんなものを飲んで昇天している事実がある。
なぜそんなことになるのかと言えば、まともな酒類の値段があまりにも高いからだ。政府が激しい高率の課税を行っているために、生産者の出荷価格は製品が消費者の口に入る時点で400%ものアップになっている、とインドネシア観光産業連盟会長は批判する。「中央政府のそのような政策のために、アルコール飲料の消費者価格はきわめて高額になっており、バリを訪れる外国人観光客の不評を買っている。外国人観光客にとってアルコール飲料は日常的に消費されるものであり、不十分な供給量や高すぎる価格はMICEに誘致された団体観光客をリピーターにする際の障害になりかねない。政府はアルコール飲料政策を全国一律に実施するべきではない。観光目的地としてのバリの国際競争力はその問題でこれまでも不利な立場に立たされてきた。外国人観光客の需要を満たすためにバリのホテル・レストランは公認ディストリビュータからアルコールを購入しているが、十分なストックがないことは頻繁で、供給不足が起これば価格がつり上がっていく。これは経済原理だから仕方がない。だからバリについては、政府が取っている規制方針をもっと緩めてほしいと希望している。ただし、それは国家方針だから、ある州だけ特別扱いということも難しいだろう。少なくとも既存方針による価格がそれより高くならないようにするために、供給量についてだけでも配慮してほしい。」
政府のアルコール飲料政策によれば、アルコール含有量5%未満のA類、5〜15%のB類、15〜20%のC類に区分され、それぞれに異なる税率がかけられている。インドネシアには、国民の消費をコントロールするための一種の物品税であるチュカイという税種があり、また輸入品には言うまでもなく輸入関税がかけられる。ビール等のA類はチュカイがリッター当たり1万1千ルピアで輸入関税は1万4千ルピア、ワイン等のB類はチュカイがリッター当たり4万ルピアで輸入関税5万5千ルピア、スピリットなどのC類はチュカイがリッター当たり13万ルピアで輸入関税12万5千ルピアとなっている。
さらに輸入飲食品の国内流通認可を交付する食品薬品監督庁に輸入者は認定費用として1品目3百万ルピアを納めなければならない。それら物品輸入の場で発生している費用とは別に、バリ州政府は州内で流通するアルコール飲料の容器ごとにラベルの添付を義務付けており、そのラベルのために州内のディストリビュータは費用を支出しなければならない。A類は容器ひとつあたり750ルピア、B類は1千ルピア、C類は1千5百ルピアかかる。更に、新商品発売の前にはラボでの成分検査が必要になり、それにも費用がかかる。
ヨーロッパ産ワインの一番廉いものは3ユーロで輸入されるが、それを国内市場にリッター当たり13万ルピア以下流せば赤字になる。だから、市場でそんな価格で小売販売されているものは、プロセスのどれかに違法行為が行われている可能性が高い、とアルコール飲料輸入流通業者協会の会員会社重役はそう語っている。


「的確な統計データを」(2012年8月23日)
バリ州観光局の公表する観光関連統計データが中央統計庁のものと往々にして異なっていることから、その両者の間でデータの定義や採取方法の統一をはかるように、とインドネシア銀行デンパサル支店が提言している。観光が州最大の産業であるバリ州では、観光関連データは州政府の政策から業界の事業方針に至るまできわめて重要な指針を提供するものであるにもかかわらず、公表されるデータの間で異なるものが並存している状態は産業関係者に迷いを与え、採られるべき対応が後手後手にまわるリスクをはらんでいる。そのために公表されるデータはできるかぎり産業開発関係者にとって明快なものであることが望ましい。インドネシア銀行デンパサル支店長はそう公表データの重要性を指摘した。
たとえば、2010年バリ入国外国人観光客数データを、中央統計庁は257万人、州観光局は249万人としている。外国人観光客の定義付けが両者の間でどうなっているのだろうか?中央統計庁のほうが多いということは、航空機や客船外国人乗務員中の入国者数をカウントしているのではないのだろうか?あるいは2010年星級ホテル数を中央統計庁は155、観光局は158としているが、観光局はホテル事業許認可の状況をとらえ、一方中央統計庁は5〜6月のホテルレストラン税納付状況から導き出しているようなことになっているのではないのか?
両者の統計データで違いがあるのはそれだけにとどまらず、国内観光客数、レストラン数、観光客滞在中の支出額、宿泊日数、ホテル客室稼働率など、あらゆる項目についても起こっている。
インドネシア銀行が用いている定義付けは、たとえば外国人観光客の場合、国境地帯で働いている者・移住者・難民・軍人の入国者は除外することになっている。そのような内容を参考にしながら、的確な内容の統計データが公表されるよう見直しを行ってほしい、とデンパサル支店長は述べている。


「ガルガンの豚需要は3千匹」(2012年8月29日)
2012年8月29日、バリに今年二度目のガルガン(Galungan)が訪れた。ヒンドゥの大祭であるこのガルガンに豚肉は欠かせない。バリの養豚業者は今回のガルガンのために3千匹の豚を用意した。バリ島民の需要は必ず地元生産者が満たすので、州政府は島外産の豚を移入させるようなことは絶対しないようにして欲しい、とインドネシア養豚事業連盟バリ支部長は表明している。
ラマダン〜ルバラン需要のために牛肉その他の食材が大きく値上がりするイスラム教徒の場合と同様、バリでもガルガン前には豚肉価格が高騰する。しかしラマダン〜ルバランでの値上がりは数十パーセントにも達するが、バリの豚肉は生産者価格が普段のキロ当たり1万7千ルピアからせいぜい1万8千ルピアあるいは激しく上がっても2万ルピアを切るくらいのものでとどまりそう。流通価格は2万から2万数千ルピアあたりで収まることが期待されている。
バリ州内にある大規模養豚業者はバリ州内に卸販売をしないことになっている。これは州内の小規模養豚業者の経営を守るためになされていることで、大規模業者が州内に豚肉を卸販売すると州内の市価は暴落するのが確実であり、小規模業者は事業を続けることができなくなるため、大規模業者は必ず販売先を州外にしなければならない決まりになっている。


「バリの伝統地方芸術」(2012年8月30・31日)
ジュゴッ(jegog)は竹で作られた打楽器だ。スカア(sekaa)と呼ばれるジュゴッ楽団が奏でる躍動的な音楽は、聞く者の心をそのエネルギーで満たし、魅了して放さない。
ジュゴッはバリ州ジュンブラナ県の伝統芸能のひとつ。水牛車競争のマクプンと共に地元民が誇る二大伝統として今も隆盛を誇っている。
ジュゴッを創造した者がだれであったのかはわからないが、現在のような形態にまとめたのはジュンブラナ県ダギントゥカダヤ村の農民キヤン・グリドゥだったと言い伝えられている。それは1912年のことだ。それから百年が経過したいま、2012年8月4日夕刻にジュンブラナ県ヌガラ市でジュゴッフェスティバルが開催された。フェスティバルの頂点は地元民がジュゴッムバルンと呼ぶ対戦型競技。二つあるいは三つのスカアが同時に演奏を行って優劣を競う。県下の73スカアが一同に会しての大合奏は会場の上空にこだまして県下一円を覆ったにちがいない。女性だけで構成されたスカアもある。女性スカアの登場はフェスティバルにあでやかな彩を添えて、満場の喝采を浴びた。
「バリのいろいろな伝統芸能の例にもれず、ジュゴッの故事来歴はよくわからないが、農民の日常生活の中ではぐくまれてきたものであることは間違いない。「竹はバリの農民の日常生活に密接に関わっている。日用道具に使われ、宗教祭事にも使われ、地元農民はやはり竹を裂いて作った小型のティンクリッと称する楽器をももてあそぶ。」地元民のひとりはそう解説する。
ジュゴッとバリの他地区のガムランとの大きな違いは、調律が異なっていること。ガムランはスレンドロとペロッの二音階に調律されているが、ジュゴッの音階はその中間に位置している。ジュゴッはンダインという音名の音を音階に含んでおり、その音があるおかげでどこの国の音楽とも共演できるそうだ。
このジュゴッフェスティバルには日本からの観光客が何人も観客の中に混じっていた。かれらは、バリの観光中心地から遠く離れたヌガラまでジュゴッを鑑賞するために足を伸ばしてきた愛好者たちだ。このジュゴッフェスティバルは政府観光クリエーティブ経済省と共同でジュンブラナ県が開催した2012年ジュンブラナアートフェスティバルのプログラムのひとつだった。県庁はいま、ジュゴッを国連文化遺産のひとつに認定してもらおうとその準備を進めている。


「バリウエディングはますます盛況」(2012年9月6日)
国内外の観光客がバリでウエディングを行う傾向は高まる一方。婚姻儀式から始まって一切を網羅するフルコースもあれば、結婚披露宴レセプションだけというものまで内容はさまざまだ。そんなウエディングパッケージを取扱っているバリの旅行代理店は三店にひとつというレベルに近付いている。
旅行代理店会社協会バリ副支部長は、ビーチから高原までさまざまなパノラマに恵まれている上、その種の催事を行うための施設が豊富にあり、おまけに企画演出に至るまで催事をサポートする陣容がそろっていることがバリの強みだ、と言い切る。
バリウエディングの需要が高いことを鋭敏に嗅ぎ取ったビジネスマンたちは、バリ島外は言うに及ばず海外からもフロリストからイベントオーガナイザーまで種々の事業分野に進出してきている。二年前にバリに進出してきたフラワーデコレーション業者は結婚式やパーティの飾りつけをもう数え切れないくらいこなしている、と語っている。
バリホテルレストラン会バドン県支部長は、バドン県にはウエディング催事を野外でも屋内でもお好みのままに開催できるホテルやビラがたくさんあり、かれらはウエディングパッケージを熱心にオファーしている、と語っている。


「バリを変化させているもの、それは・・?」(2012年9月22日)
ユネスコの世界遺産に指定されたバリのスバッ(subak)は地元で古来からはぐくまれてきた水田農民の生活原理をなすものだ。水利システムが中心に据えられているとはいえ、バリ人の生活原理がそこに色濃く投影されている。バリ人の種族的一体性が今日まで維持されてきたのもそのおかげだと言うことができる。
バリの村落水利構造であるスバッが定めるシステムがバリを米どころにした。昨今の旺盛な宅地開発が水田を削り、スバッを骨抜きにしつつある、との警鐘が鳴らされているのは、バリの米自給への脅威であると同時に直接間接にバリ人の共同体生活に影響を与えてきた社会制度や家族制度に変化がもたらされることへの不安の故だろう。
バリ島を巡ると、バリ人の日常生活を色濃く彩っている芸能・丘に刻み込まれた棚田に青々と茂る稲の美しい風景、そしてそこを満たしている豊かな水がわれわれを堪能させてくれる。それらのすべてがスバッの賜物なのだ。
スバッはバリで農業共同体がその構成員全員に対して公平に水を享受できるよう取り計らう「水利委員会」のようなものだ。水は構成員全員の資産であり恩恵であると見なされている。構成員はだれであろうと、その水を享受する権利を持ち、その権利が平等に分け与えられていることによって構成員間の平等性が確保される。零細農民も富裕農民も水の利用は平等なのである。そのために水路は効果的に監視され、共同体外の者が水を盗んだり横領したりすることが防がれている。
そんなバリの閉鎖的農業共同体は自給自足の共和国にたとえられる。古代ギリシャ人の共和政体をバリの村に見出すことができるとひとは言うのである。問題だらけのインドネシア共和国とは比べ物にならないほど、バリの素朴な村落共同体がはるかに共和国らしい姿をしているのは、たいへん皮肉なことにちがいない。
バリの農村社会で家庭を持った男性は全員が村の自治会の構成員となり、平等に一票の投票権を与えられる。満月の夜に、村役場の集会場であるバレアグンに集まった構成員はさまざまな村の問題を討議し、票決する。ひとりひとりがバレアグンに座所を決められ、欠席した者の座は空席にされる。バレアグンにはまた一段と高くなった木製の座が設けられ、祖霊たちが招かれてそこに着座する。祖霊たちが同席している前で不遜なことができるわけがない。会食という親睦を伴う村の会合は真摯な形で進められていく。
共同体構成員が集まって、共同体の決まりを維持運営していくために平等な一票を手にして会議が進められる。報酬などないこの直接的民主主義が古代共和国の姿を彷彿とさせている。共同体員の中で掟を破った者には成敗が加えられる。その者は村の中で、死者と同列に置かれるのだ。目の前にその者がやってきても、その人間はもういなくなった者だとして扱われるのである。盗みをはたらいたら、ひとびとは盗品と一緒に盗人を担ぎ、にぎやかな音楽を伴奏にして一帯を練り歩く。にぎやかな音楽に付き添われるから、否が応でも住民の関心がそこにひき寄せられることになる。
しかしそれらの成敗もインドネシア共和国独立以後、徐々に希薄になっていった。村の閉鎖性が弱まるに連れて、昔ながらの生活習慣に変化がもたらされている。スバッ制度とそれがはぐくんできた生活原理の構成要素の中にも、色あせはじめたものがある。伝統的なバリの生活原理の変化を、あながち観光開発だけのせいにはできないのかもしれない。


「バリの交通渋滞対策をどうする?」(2012年10月1・2日)
全国的な四輪二輪自動車登録台数の増加にともなって、国内各地で交通渋滞の悪化が顕著になっている。世界の観光目的地バリも例外ではない。陸運機構バリ支部データによれば、バリの四輪自動車は35万台、二輪車は220万台に達しており、車両の増加ピッチに道路の増加が追いつかない状況になっている。特に観光経済の中心地であるバリ島南部のデンパサル市とバドゥン県では、交通渋滞の激しさが高まる一方だ。その交通渋滞がバリ島観光産業の振興をつまずかせることになりうる、とインドネシアホテルレストラン会バドゥン県支部長は語る。「16歳から運転免許が持てること、国民購買力の上昇と自動車購入ローンのファイナンシングが活発に行われていることなどから、自動車の増加は今後ますます激化するだろう。そんな交通事情を悪化させていることがらのひとつに駐車問題がある。観光センター地区のど真ん中で歩道を駐車可にしているような場所がいくつもあり、地元政府の駐車政策はまだ明確な方向性が出されていない。ホテルもそうだ。部屋数などホテルの規模と駐車スペースのバランスが取れていないところは数多いし、中には駐車場を持たないところもある。」
バドゥン県の宿泊施設は2011年末で星級ホテルが98軒客室数16,360、ジャスミン級ホテル642軒19,248室、ゲストハウス599軒2,696室、コンドテル15軒1,793室で合計40,097室とのこと。州知事が主張しているように、これは既に供給過剰状態だという意見もあるが、2013年APEC需要にはまだ足りないとの見方が一般的で、市場はそれにあわせて動いているのが実態だ。
バリ島南部地区がジャカルタのような交通渋滞エリアになることを怖れる声は大きい。路上の交通の流れがジャカルタ並みの時速15キロ程度になるような状況は場所と時間によって実際に出現している。
バリ州商工会議所会頭は、バリ州民の自動車保有が年率10%成長しており、加えてホリデーシーズンになるとジャワ島を筆頭に国内観光客が自家用車で島内を訪れるために路上の混雑は急激に悪化することを指摘している。その対策として商工会議所はサンセットロード、西ガトッスブロト通りなど5つの通りの拡張計画を提言した。それらの通りは観光中心地区と住宅地区をデンパサル中心部と結びつける交通ネットワークを構成するものだ。加えて乗合いバスをメインにした公共運送の強化と、貨物輸送トラックのためのターミナルを郊外部に置くことで交通稠密地区の渋滞を緩和させる計画も組まれている。貨物輸送の幹線道路はギリマヌッ(Gilimanuk)からタバナン(Tabanan)を経たあとムンウィ(Mengwi)からバリ島南部地区に入ってくるルートになっており、ムンウィ地区の交通渋滞対策も不可欠なものと商工会議所は見ている。


「西バリ国立公園」(2012年10月4・5日) バリ島西端はギリマヌッ(Gilimanuk)。ジャワ島クタパン(Ketapang)港からバリ海峡を越えてフェリーがやってくるところ。ジャワ島側から陸路バリ島に渡ろうとするひとは、みんなこのフェリーに乗る。1時間半の航海は、乗船料金ひとり6千ルピア。四輪車1台9万5千ルピア、二輪車1台3万1千ルピア。もしデンパサルからギリマヌッへ行こうとするのなら、ウブン(Ubung)バスターミナルから3時間かけて直行バスが運んでくれる。料金は3万から5万ルピアというところ。
ギリマヌッのうまいものはブトゥトゥ(betutu)が有名。ブトゥトゥというのは鶏やあひるに薬草を詰めて丸焼きにする料理方法で、熾き火でじっくりとあぶるのが特徴だ。ギリマヌッのブトゥトゥは薬草たっぷりで、辛味もよそのものよりたっぷり。
ギリマヌッは西バリ国立公園を支える6ヶ村のひとつ。マングローブの茂るギリマヌッ湾の海岸線に沿って海を渉猟してみよう。15万ルピアで地元漁船を2時間チャーターし、ガドン(Pulau Gadung)、ブルン(Pulau Burung)、カロン(Pulau Kalong)の島々を巡るツアーも楽しいもの。あるいは陸地側をプラパッアグン(Prapat Agung)山に登り、ギリマヌッ湾を遠景にして緑豊かな草原に遊ぼうか?
ギリマヌッの向かい側にスンブルクランポッ(Sumberklampok)村があり、ここはバリのマスコット鳥『カンムリシロムク』のいる村として有名だ。自らマヌッジュグッ(Manuk Jegeg)と名付けたカンムリシロムク飼育グループが繁殖させている白い小鳥たちを目にすると、心が洗われるような気持ちになる。つがいは2千万から3千万ルピアで売ってくれるという話だ。
西バリで目にすることのできる生き物は小鳥だけではない。ひとり2万5千ルピアの入園料を払って国立公園内に入れば、鹿・野牛・ジャワマメジカなど120種類の珍しい動植物にお目にかかることもできる。国立公園内にはパラパッアグン、バニュウェダン(Banyuwedang)、クラタカン(Klatakan)、サンイヤン(Sangiang)の四山があり、サバンナ型草原になっている。
この国立公園でアトラクションセンターになっているムンジャガン(Menjangan)島へ渡ってみよう。島の周辺は豊かなさんご礁と色とりどりの熱帯魚に満ち、ダイビングやシュノーケリングを心行くまで楽しめる。島を巡ればバリ島最古のプラのひとつプラギリクンチャナ(Pura Gili Kencana)にお目にかかることもできる。ムンジャガン島に渡るのはトゥリマ(Terima)湾北側のラブアンララン(Labuan Lalang)で船をチャーターする。4時間チャーターで45万ルピア。ムンジャガン島への航海はおよそ30分。飲食品は自分で用意しておかないと、島で苦労することになる。
変わった建築物に興味があるなら、ブリンビンサリ(Blimbingsari)村を訪ねてみるとよい。1939年に拓かれたこの村はキリスト教徒の約束の地だそうだ。村の中心部、ブリンビンサリ村役場と向かい合ってプニエル(Pniel)教会が建っている。バリ風装飾に満ち満ちた三層の屋根の頂上には巨大な十字架が下界を圧するかのように見下ろしている。住民たちがそこに集まって宗教儀式を営むとき、バリの伝統衣装を着た信徒たちがバリ語で神を讃え祈りを捧げ、パイプオルガンの代わりにガムランが会堂の中に響き渡る。プンジョールと呼ばれるやしの葉で飾り付けた長い竹が、教会の周囲に賑わいを添えるのも、バリならではのものだそうだ。
そうこうしているうちに夕日が沈むが、慌ててホテルを探す必要はない。一泊7万5千から15万ルピアという価格帯で利用できる民宿はたくさんあるのだから。


「バリでコーヒーフェスティバル」(2012年10月6日)
2012年9月16日、バリ州ウブッ(Ubud)でインドネシアコーヒーフェスティバルが開かれた。これは外国人観光客にインドネシアのコーヒーをもっと味わってもらおうというのが目的で、観光クリエーティブ経済省と農業省がそのバックアップを務めた。
会場になったプリルキサンミュージアム(Museum Puri Lukisan)にしつらえられた、全国に散らばる著名なコーヒー生産地を代表する30のスタンドには大勢の外国人観光客が集まって、粋なコーヒーの味と香りに舌鼓を打っていた。世界にコーヒーの種類と産地は星の数ほどあるが、コーヒーを一日に何度もたしなむ人たちの大半はそのコーヒーがどこの産なのかということに意識をはらっていない。
世界のコーヒー輸出国のナンバーワンは2012年上半期に120万トンを輸出したベトナムがブラジルからお株を奪ってしまった。インドネシアはといえば、世界の4番目であまりパッとしない。しかしインドネシアには固有で独特のコーヒーがある。既に国際的貴重品の地位を獲得したコピルワッ(kopi luwak)、そして伝統的なコーヒーの淹れ方であるコピトゥブルッ(kopi tubruk)だ。
コピルワッはご存知の通り、ルワッという名前の獣が食ったコーヒー豆を用いたもの。コピトゥブルッは中東で泥コーヒーと呼ばれている淹れ方で、きわめてコクのあるコーヒーが愉しめるので病みつきになるファンも多い。インドネシアではジャワとバリでコピトゥブルッが一般的だ。
コピルワッは今や世界中で一番高価で一番おいしいコーヒーとして評価が定着しているが、ブラジルは政府がかりでヒクイドリコーヒーを開発してコピルワッに対抗させようとの目論見を進めているそうだ。加えてニセモノ作りで世界に冠たるインドネシアはニセモノコピルワッの輸出も盛んであり、政府は自らの首をしめる国民の不法行為をなんとかしなければならないと苦慮している。
インドネシアのコーヒー生産はかつてオランダ植民地時代に行われていた小規模農民による生産形態が続けられており、総生産の96%が膨大な数の農民によるものだ。おまけにコーヒー生産農民はコメなど販売価格の高いものの生産量と品質に優先的に意を注ぐため、政府のコーヒー品質向上指導はなかなか浸透していかないという難しさを抱えている。政府は既にこの問題について、なすすべがないとの意向を公にしており、政府がコーヒー政策の対象にしているのは大型農園や工場など商業化された相手に限定されている。おかげで生産量と品質の安定しにくいインドネシアのコーヒーはなかなかトップスリーに食い込めないでいるようだ。


「プラタマンアユン」(2012年10月12・13日)
デンパサルから北へおよそ18キロの場所にプラタマンアユン(Pura Taman Ayun)がある。バリ人社会の伝統的生活コンセプトはプリ(Puri)・プラ(Pura)・パサル(Pasar)だった。バリの一般民衆にとって、プリは支配権を持つ王との関係、プラは神との関係、パサルは庶民同士が交流する場であり、つまり農業社会における社会生活を象徴する場所なのだ。
一辺が100メートルと250メートルの矩形の土地に設けられたプラタマンアユンは1634年ごろ、ムンウィ(Mengwi)の王チョコルダ・サクティ・ブランバガン(Tjokorda Sakti Blambangan)別名イ・グスティ・グラ・アグン(I Gusti Agung Ngurah Agung)が中国人建築家カン・チュウに命じて作らせたとされている。彫刻にジャワ=バリ様式を持つタマンアユンはウタママンダラ、マディアマンダラ、ニスタマンダラの三つのエリアに分割され、ウタママンダラはヒンドゥ教徒の礼拝の場と定められており、一般の者は立ち入り禁止になっている。ただしムンウィ王家のひとびとは別格だ。もともとムンウィ王がこのプラを作らせたのは、領民が遠く離れたヒンドゥの聖地ブサキ寺院(Pura Besakih)まで詣でて苦労している状況を憐れに思い、その代用ができるプラを近くに設けて楽をさせてやろうという領民への親心に発していたそうだ。そのため、このプラ域内のウタマエリアはその目的を維持するために閉鎖的な使われ方をしている。
このプラのユニークな構造として、プラの周囲を水路が囲んでいることがあげられる。湖や海に囲まれたプラはあっても、水路でプラの周囲を囲うコンセプトを持つ場所はここしかないそうだ。もうひとつの池はウタママンダラの中にある。
プラを周回する水路は水田地区に流れ出てバリの伝統的な農業水利システムであるスバッを形成し、周辺40ヶ村の稲作を支えている。バリのスバッ(subak)がユネスコの世界遺産に指定されたとき、指定ロケーションとして四ヶ所が選ばれたが、バドゥン(Badung)県のプラタマンアユンがそのひとつとなったのはそういう経緯があるためだ。ちなみに他の三ヶ所はバンリ(Bangli)県バトゥル(Batur)湖とプラウルンダヌ(Pura Ulun Danu)、ギアニャル(Gianyar)県パクリサン(Pakerisan)村、タバナン(Tabanan)県チャトゥルアンガバトゥカラ(Catur Angga Batukara)だ。
ムンウィ王家の血統を引くバドゥン県令のアナアグングデアグン(Anak Agung Gede Agung)はタマンアユンの設計について、上空から見ると横たわる白鳥の形をしている、と解説する。アピッスラン(apit surang)と呼ばれるゲートは白鳥の頭部にあたり、ゲートから域内に導く小道は白鳥のくびを表している。白鳥の胴体にあたる場所にはメル(meru)が整然と並んでその階層屋根のエキゾチックな風情を堪能させてくれる。メルとは上から下にだんだんと広くなっていくリマス(limas)と呼ばれる階層構造の屋根を持つ木製建築物で、屋根は黒い棕櫚の繊維で葺かれており、屋根の積み重ねはトゥンパン(tumpang)と呼ばれている。ここに並ぶメルは一番低いトゥンパンが三つ、最大は十一トゥンパンで、われわれにリズミカルな躍動感を感じされてくれている。


「夕日のタナロッ寺院」(2012年10月18〜20日)
バリでサンセットを愉しもうとするひとたちがまず思い浮かべるのはクタビーチだが、そこから北西に向かって伸びている海岸線の先にあるタナロッ(Tanah Lot)もクタに劣らない人気スポットだ。もちろん海岸道路があるわけではないので、一度北上してから内陸部を進んでタナロッに移動することになるのだが・・・。
タナロッは海中から屹立する大岩に設けられたプラタナロッ(Pura Tanah Lot)がそのシンボルで、潮が引けば海底が露出するため徒歩でその大岩まで歩いて渡れるが、満潮のときは地元のヒンドゥ教徒たちが礼拝のために舟を使って渡っている。
タナロッの広大な敷地には、6つのプラがある。一番南にあるのがプラタナロッで、そこから北にプランジュンガル(Pura Enjung Galuh)、プラジュロカンダン(Pura Jro Kandang)、プラバトゥボロン(Pura Batu Bolong)、プラバトゥムジャン(Pura Batu Mejan)、プラプクドゥガン(Pura Pekedungan)と並んでいる。その中でプラバトゥボロンは海に向かって張り出した長い大岩の先にあり、その大岩の下部は穴が開いてトンネル状になっていて、海水がその間を往き来している。この断崖絶壁の上から眺める海の広さも印象的だ。
このタナロッの縁起話は15世紀にさかのぼる。ダンヒヤンドゥィジュンドラ(Dang Hyang Dwi Jendra)と言う名の高僧がこの地を訪れてヒンドゥの教えを広めようとしたが、地元民の一部がかれの神通力を疑い、高僧が他の地元民に教えを広めることに反対して、力ずくで高僧を追い払おうとした。高僧は仕方なく海岸の大岩を海上に移して蛇を放ち、不埒者からの危害を防ぎつつ自分は大岩の上で瞑想に入った。
かれを疑っていた地元民たちもその神通力を目の当たりにして疑惑を晴らし、結局高僧を受け入れてヒンドゥの深い教えを学んだ。高僧がこの地を去るとき、持っていたキバルガジャ(Ki Baru Gajah)という名のクリスをそこに残して立ち去ったため、地元民はそれをプラに納めて聖物とし、クニガン(Kuningan)の祝祭日になると今でも欠かさずキバルガジャのための祭りを行っている。キバルガジャを納めているプラはプラプクドゥガンで、プラタナロッから3百メートルほど離れている。
広大なタナロッの敷地に入るには、入場券を買わなければならない。入場券売場は午前7時に開き、夕方は19時に閉じられる。タバナン県ブラバン村のタナロッ運営団は開場時間を22時まで延長する計画を立てており、従業員の稼動に問題なければその計画を開始したい意向だ。それが実現すれば、夜のタナロッを愉しむことができるようになる。
入場料は外国人観光客がおとな3万ルピア、こども1万5千ルピア、国内観光客はおとな1万ルピア、こども7千5百ルピアとなっている。このタナロッには毎日1千人を超える入場者がある。ピークシーズンになるとその数が1万人に達する。2011年は2百万人の入場者から170億ルピアの収入が得られた。タナロッの運営は村が作っているタナロッ運営団の完全自治によっており、入場料収入の6割がタバナン県の会計に入金されている。
タナロッではサンセットに組み合わせたケチャッダンスが毎日17時半から演じられている。その鑑賞料は外国人も国内観光客も区別なしのひとり5万ルピア。サンセットを愉しむだけでは物足りないひとにはこれがお奨め。


「カランガスム王家の庭園」(2012年10月26・27日)
バリ島東端のカランガスム(Karangasem)県はカランガスム王家の領地だった。最後の王アナ・アグン・アグン・アンルラ・クトゥッ・カランガスム(Anak Agung Agung Anglurah Ketut Karangasem) (1909-1945) 別名イ・グスティ・バグス・ジュランティッ (I Gusti Bagus Jelantik)は王宮から近い場所に王家の庭園を建設した。1922年ごろ王都アムラプラ(Amlapura)からおよそ7キロ北に離れたアバン郡アバビ村に作られたタマンティルタガンガ(Taman Tirtagangga)はそのひとつだ。
もともとそこには巨大な泉があり、領民たちは飲用をはじめ生活のために上水として、且つまた宗教祭事における聖水としてその水を昔から使ってきた。そこは地元民にとって聖泉だったのである。王はそこに高原の清涼な空気と澄んだ湧き水を主役にして1.8ヘクタールの庭園を設けようと考え、バリの伝統様式にヨーロッパと中国の風味を加えた水園を設計させた。王はもちろん領民たちがこれまで利用してきたその泉をもっと利用しやすい形に整備することをこの庭園建設の目的のひとつに置いていたから、領民がその庭園から排除されるようなことは決してなかった。
タマンティルタガンガの中はさまざまな建造物が置かれ、バリエーションに満ちた庭園の姿を見せている。聖域・水源地・水源を保護する建造物・水塔・大小の池・噴水・観賞魚飼育域・花や植栽に満ちた庭、そのすべてが人と自然そして文化との調和を巧みに示している。大別するなら、一番下の層は大きい池と噴水で特徴付けられており、中層には水浴プールが中心をなし、最上層は王の保養場所とされている。
王が設けたもうひとつの庭園は王都アムラプラから5キロ離れたカランガスム郡トゥンブ村にあるタマンスカサダウジュン(Taman Soekasada Ujung)。この庭園は1921年に完成している。こちらの庭園はバリとヨーロッパの折衷スタイルで設計され、近くの丘に湧く泉水が引き込まれた大きな三つの池を持つ広壮な庭園を成している。
池の周囲にはさまざまな形態の建物が作られてこの庭園の中心部を形成しているが、中心部から離れて一番西の丘の上にあるギリシャ遺跡と見まがうばかりのバレカパル(Bale Kapal)と呼ばれている骨組みだけの建物は、そこからロンボッ(Lombok)海峡を見下ろす素晴らしい景観を提供してくれる。ここは元々ロンボッ海峡を通航する船を見張るための監視所に使われていたそうで、それがバレカパルという名前の由来らしい。北の丘に向かう97段の階段は両側が棚田になっており、登った先にもバレがある。丘の向こうにそびえる霊峰グヌンアグン(Gunung Agung)と逆方向には青い海原を背景に持つこのタマンスカサダウジュンも印象深い庭園のひとつだと言える。


「バリのホテルに保安規準合格認証制度」(2012年10月26日)
バリのホテルは個別にセキュリティ体制を構築して保安対策を実施しているが、国際級ホテルチェーンは問題ないとしても地元ホテル業界の中には国際スタンダードに沿っていないところも見られることから、外国人観光客に安心感を与えるべく一律に国際スタンダードを適用しようとの動きが起こっている。
そのためホテルレストラン会バリ支部は州警察の協力を仰いで州内の星級ホテル111軒の現状監査をまず実施することを決め、国営サーベイ会社スコフィンドにその実行を要請した。スコフィンドはまず3星から5星までのホテルの保安警備システムと体制について監査を行うことになる。
スコフィンドにそれが発注されたのは、国家警察本部がホテル業界の宿泊客に対する保安警備の監査ならびに指導を行うよう選抜指名したためで、監査を受けてパスした星級ホテルには保安規準合格認証が与えられることになる。まず3星から上のホテルを優先的に扱うことにした理由をホテルレストラン会バリ支部長は、国内外観光客のマジョリティが宿泊している現状に沿ったものであり、いつ起こるかしれない宿泊客の保安問題への対策を優先的に着手させるためだ、と述べている。
保安に関する安心感が高まったのはいいが、宿泊客が居心地の悪い思いをするのでは、ホテル業界にとって痛し痒しとなってしまうわけで、その双方で宿泊客が満足できるような保安警備パターンが実現されなければならない、とバリ支部長は力説している。今後の新規ホテル・レストランの開店に際しては、営業認可と同時に保安規準合格取得も条件とされるような方向性を支部長は睨んでいるが、実際にどれくらいの投資額になるのかは今後進められる動きの中で追々明らかになってくるものであるため、開店の条件に織り込まれるかどうかはもっと先の決定になりそうだ。


「バリ島全土にカンムリシロムクを」(2012年11月10・12日)
2005年に西バリ国立公園のカンムリシロムクが6羽にまで減少したときが絶滅の一歩手前だった。カンムリシロムクの場合、絶滅は他ならず人間がもたらすものなのだ。自然の中で生きているこの保護鳥が闇捕獲されること、それが絶滅をもたらす最大要因なのである。
1911年にバリ島西部のブブナン(Bubunan)でイギリス人鳥類学者バロン・ストレスマン博士が発見して記録を残したこの鳥は、やはりイギリスの動物学者ウォルター・ロスチャイルドの名前を学名にもらっている。バロン・ストレスマン博士の奨めでカンムリシロムクの調査を行ったバロン・ヴィクター・フォン・プレッセン博士は、ブブナンからギリマヌッ(Gilimanuk)までの320平方キロのエリアがカンムリシロムクの原生地であると結論付けた。博士は数百羽の個体をそのエリアで数えている。
その数が急激に減少したのは、観賞用としての価値と希少性があいまって大勢の人間に捕獲されたからだ。絶滅を防ぐために野生生物保存フォーラム、森林省、野生動物愛好者コミュニティ、タマンサファリインドネシアが2005年にカンムリシロムク保存者協会を設立した。この協会が案出したカンムリシロムク種の保存方法は、一般人の常識を覆すものだった。絶滅に瀕している保護動物に対して採られるべきでない方法とだれもが考えそうなもの、つまり一般地元民を誘って繁殖させ、育てた成果は販売してよい、というものだったのである。
その勧誘に応じた地元民13グループが協会から30羽の親鳥を借りた。貸借保証に繁殖者が差し出したのは現金から牛までさまざま。協会には親鳥と子鳥10%を借りた元手として返済するという契約で、それ以上の生産があれば繁殖者の財産になる。
この方式は成功し、2010年には西バリ国立公園の野生カンムリシロムクが67羽になっている。おかげで闇市場での価格は一羽1千5百万から2千5百万ルピアだったものが6百万ルピアにまで下がった。いま繁殖者の手元で1千2百羽のカンムリシロムクが育てられている。
しかし盗難や闇捕獲がなくなったわけではない。2012年半ばには鳥かごごと12羽が盗まれた。市場価格が一羽6百万ルピアというのは、底辺経済層にとって魅力のある品物だ。故買屋に持っていっても1百万ルピアもらえるかどうかという携帯電話があれほど頻繁に盗まれているのを見れば想像がつくだろう。西ジャワ州のあるダークな鑑賞鳥販売者は、野生カンムリシロムクを一羽1千5百万ルピアでいつでも用意できると高言している。養殖カンムリシロムクは一羽6百万ルピアだそうだ。
協会はいま、ウブッ(Ubud)での放鳥を計画している。ヌサプニダ(Nusa Penida)・ヌサチュニガン(Nusa Ceningan)・ヌサルンボガン(Nusa Lembongan)の三島での放鳥が成功していることが、カンムリシロムクの原生地はバリ島全土であって西バリに限定されるものではないとの説をバックアップしており、今回のウブッでの試みを力付けている。天然の世界に放されるのはボゴールのタマンサファリインドネシア、スラバヤ動物園、横浜市繁殖センターで育てられた165羽。西バリ国立公園とウブッの自然環境はよく似ており、西バリは闇捕獲者の暗躍が盛んだということもあって、ウブッでの放鳥が企画された。
バンドンのパジャジャラン大学鳥類学者はその企画について、自然の中に放される鳥は各個体を厳選してすぐに放すものとしばらく檻の中で馴らせるべきものを分け、また地元民に対してこの企画の社会告知とカンムリシロムクの捕獲が厳禁されていることを徹底させ、更に鳥の保護が十分に実施されるような治安警備の態勢を前もって整えておかなければならない、とアドバイスしている。ウブッ王はカンムリシロムクの保護に関する慣習規則を王宮から地元民に対して出すことに同意しており、その規則に従わない者に治安警備体制がどうきめ細かく対処していくかというのが公的管理者にとってのポイントになるにちがいない。


「画龍点晴を欠くか?バリ自動車道!」(2012年11月21日)
バリ島グラライ(Ngurah Rai)空港を出て東に向かう道路を進むとグラライバイパスに突き当たる。三叉交差点の東側は高いフェンスに阻まれて中が見えないが、マングローブの海があったその場所は土で埋められ、橋脚のためのコンクリートパイルを打ち込む工事が真っ盛りだ。ヌサドゥア(Nusa Dua)〜グラライ〜ブノア(Benoa)をT字型で連結する自動車専用道がそれだ。この海上自動車道は全長12.5キロで、東南アジアで最長のものとなる。その高架部分8.1キロを支えるためのコンクリートパイルは4,913本にのぼる。道路開通目標は2013年7月で、2012年10月時点の工事進捗度は40.9%とのこと。
当初は海中にパイルを打ち込む方式を採っていたが、その一帯の水深は平均3メートルほどで、潮が引くとはしけが座礁してしまい仕事にならない。そのころ工事関係者はみんなタイドチャートを常に持ち歩き、まるでサーファーもどきのようなことをしていたらしい。最終的に、柱を立てる場所を土で埋めることで潮の干満の影響を排除し、安定的な工事進捗が可能になった。埋めた土は橋が出来上がってからまた掘り出して、海を元の状態に戻すことになっている。
スラガン(Serangan)島とタンジュンブノア(Tanjung Benoa)を結ぶ海上道路建設のアイデアは10年前からあった。泣き所はその橋の高さを決める点にあり、ブノア港にこれまでのように船が入ることを可能にするためには45メートル以上の高さが必要だと要求され、一方東側から飛行機が着陸する場合に高い橋があると障害になるとの反論を受け、収拾がつかないまま時が経過していった。
グラライ空港に向かう橋の部分は、飛行機着陸の際の誤認を防ぐために、いろいろ工夫が凝らされる予定だ。ホンモノの滑走路の手前に一直線の道路があると、何が起こるかわからない。そのため橋はうねりを持たせたものにする。道路照明はすべての光が下向きになるようにして、夜間はホンモノ滑走路の一直線の照明とつながらないようにする。
航空機事故という大惨事を未然に防ぐための工夫は大歓迎なのだが、この海上自動車専用道は陸地側の既存の道路との接続が三ヶ所すべて平面でなされるようになっているらしい。立体交差させれば渋滞個所は増えないが、平面交差だと信号待ち渋滞は避けられないだろう。しかし自動車専用道管理国有会社PTジャサマルガは、サーベイ結果として立体交差が必要になるのは2028年だとして平面交差を推し進める意向らしい。海上自動車道が完成すれば、冒頭にあげた三叉交差点は四叉交差点となり、肝心のグラライ空港に向かう車は信号待ちで待たされることになるだろう。この海上自動車道は空港とヌサドゥア、あるいは空港とサヌールやデンパサル市内を結ぶ便宜が謳われていたのではなかったろうか?


「国内線が仮ターミナルに移動」(2012年12月3日)
バリのグラライ(Ngurah Rai)空港改装工事で新たに建設される国際線ターミナルと国内線ターミナルへの移転は、2012年12月にまず現在の国内線ターミナルが一旦仮ターミナルに移ることから始まる。そして新国内線ターミナルは2013年9月から使用が開始される。
国際線ターミナルのほうは、そのようなワンステップを置かないで、2013年4月に新ターミナルに直接移行する。
現在のグラライ空港両ターミナルの年間収容能力は8百万人でしかないというのに、今は1千1百万人が利用しており、空港内では芋の子を洗うような状態になっている。今回の改装拡張工事によって年間収容能力は1千8百万人まで増加する予定だが、長期見通しによれば2025年には2,460万人が同空港を利用するという数字が出されており、バリ北部での新空港建設の必要性に関する強い根拠をなしている。
グラライ空港改装工事は?空港敷地内のアクセス路建設、?駐車ビル・ケータリングビル・プロムナード建設、?国際線ターミナルと駐機場、?ゲートハンドリングシステムという四つのパッケージに分けられており、それぞれの進捗状況は?が87%、?45%、?33%、そして?は???完成後の工事開始という計画になっている由。トータルでのグラライ空港改装工事の進捗状況は現在35%とのこと。グラライ空港にはいま搭乗ブリッジが5つしかないが、新空港が完成すればそれが16本に増える予定。


「バリのサラッワイン」(2013年1月5日)
2012年1〜8月期バリ産飲食品の輸出高は1,820万米ドルで、対前年同期比13%の増加。このカテゴリーの中には、インドネシアから輸出される産品としては珍しい、アルコール飲料が含まれている。バリ産アルコール飲料の代表格はコメから作られるアラッ(arak)やブルム(Brem)、そして葡萄から作られるワインがあるが、その中にはサラッ(salak)椰子の実を発行させて作ったサラッワインもある。それらのアルコール飲料はオーストラリア・米国・ヨーロッパなどから観光に訪れたひとたちがバリで味わい、気に入ったひとたちが口コミで人気を高めたもので、おかげでバリの業者に輸出のオーダーが入るようになった。バリでは他にもイチゴ・しょうが・カシューナッツ・バナナなどを原料にしたアルコール飲料も造られている。
1970年代、バリを観光旅行に訪れるインドネシア人が極めて少なかった時代、わたしがバリ旅行に行くとき会社のインドネシア人同僚たちが求めるお土産がサラッだった。その当時、サラッはバリの名産品だったのだ。今バリでサラッの主産地になっているのはカランガスム県シブタン村。2010年以来、シブタン村ドゥク部落でサラッを発酵させたワインが作られるようになった。インドネシア人にとっての口当たりのよさを考慮して砂糖が混入される。コメを素材とする発酵飲料であるブルムや発酵食品であるタペなどもみな甘味が強く、甘味を好むインドネシア人の口にあうものになっている。なおバリでブルムと言えば普通は飲料だが、中部ジャワでは固形ブルムが作られているので、ブルムというものは必ずしも液体でないことをお断りしておこう。なにしろインドネシアは広いのだ。
サラッワインのアルコール濃度は13.05%あり、インドネシア政府のアルコール飲料管理規定ではB種に該当する。B種のチュカイ税率はリッターあたり3万ルピアで、生産にかかる前にチュカイを納め、納税済みシールをもらってビンに貼り、こうしてやっと市場におろすことができる。このチュカイの制度が価格的にもビジネス上も、サラッワインの流通販売を難しくしている。このチュカイに関する説明は「これがインドネシア」>ビジネス経済環境>税労働2011〜13年「チュカイ課税を拡大?」(2013年1月4日)を参照ください。


「着服されるバリのホテルレストラン税」(2013年3月1日)
バリ島南部で最大の観光地区を擁するバドゥン県の地方税収入が不足しているのは多くの納税者が利用客から徴収したホテルレストラン税を県に納めていないためであるとして調査を行なっていた県地方収入局が、調査結果として526の納税延滞企業リストをデンパサル地方検察局に提出した。バドゥン県地方収入局のデータによれば、それら526社の滞納金額は1,140億ルピア、延滞金利額は1,010億ルピアと計算されている。バドゥン県が持っているホテルレストラン税納税者リストには1,313社の名前があがっており、787社は納税を励行しているとのこと。
デンパサル地方検察局もしばらく前から州内の星級ホテルに対する税金着服行為の調査を行なっており、検察局が明らかにしたデータによれば、ラマダリゾートブノアが60億ルピア、サンディパラホテル40億ルピア、バリインターコンチネンタルリゾート30億ルピア、オーシャンブルー100億ルピアといった金額が着服されているとの容疑になっている。デンパサル地方検察局長はこの動きについて、まず大型ホテルに焦点を当てており、小規模納税者は後回しにしている、とコメントしている。検察局は疑惑のあるホテルの納税担当者および県庁地方収入局職員を召喚して取調べを続けている。
ホテルレストランの売上の10%は地方税として地元自治体に納められることが義務付けられているが、自治体収入として記録されていないそれらの大手ホテルの税金がいったいどこで姿を消したのか、そのポイントが取調べの焦点になっている。ホテルレストランが利用客から徴収して納税することになっているホテルレストラン税がそのプロセスの中のどこかで横領着服されている現象はバリ州のホテルレストラン業界で一般的に行なわれている犯罪行為であり、バリ州議会はジャカルタで実施が進められているオンライン方式をバリでも実施することが効果的な解決策になると提案している。


「バリからの国際線は空ビン機内持込禁止?!」(2013年3月20日)
2012年11月25日付けコンパス紙への投書"Arogansi Petugas Bandara Ngurah Rai Bali"から
拝啓、編集部殿。2012年9月29日、わたしはスラバヤからオーストラリアのシドニーへ向かいました。この便はいま改装工事中のバリ島グラライ空港でトランジットします。快適さの欠如している状況は、特に搭乗口待合室で強く感じられました。ベンチはほんの気持ちばかりしか置かれていないため、同じ時間帯に出発する複数の飛行機の乗客は群れをなして床に座るありさまです。各フライトの搭乗がいつ開始されるのかという予定時間の表示もないため、待合室にいるひとたちはみんなが不確定性の中に投げ込まれます。
搭乗口の番をしている職員もフレンドリーでなく、ゲートの開く時間を質問しても「Wait!」の一言だけ。自分の職権を顕示する姿勢がありありと見られました。その傲慢な姿勢は、わたしがガルーダ航空機内でもらった330ml飲用水容器3本を空の状態で機内に持ち込もうとしたときにふたたび演じられました。わたしは旅行の際、飲用水を持ち運ぶのにいつもその小瓶を愛用しているのです。口論が起こったのも当然の成り行きです。
わたしは掲示されている液体持込制限の説明文を指し示し、禁止されているのはliquidなのであって、containerではないのだ、と主張しました。わたしは毎年シンガポールのチャンギ空港を経由してシェンゲン諸国に旅行します。そして飲用水の空き瓶をどれだけたくさん機内に持ち込もうが、いまだかつてそれが問題にされたことはありません。そこにいた空港女性職員Wさんは傲慢さの極まった態度で、「100ml以上の空き瓶を機内に持ち込むことは、わたしが禁止する」とのたまわったではありませんか。
メルボルン空港からインドネシアに戻るときの搭乗客に対するチェックはまるで異なるものでした。空港職員は厳格機敏に手続きを行ないますが、傲慢さはかけらもありません。わたしはガルーダ航空の機内でもらった330ml飲用水容器3本を空の状態で機内に持ち込もうとしましたが、それを見た空港職員は何の関心も払いませんでした。それどころか、まだ中味の入っていた飲用水容器を持ち込もうとした乗客に対し、空港職員はその中味を捨ててくるようにフレンドリーに言い渡し、その乗客が戻ってくるのを不愉快な顔も見せずに待っているのです。1.5リッターサイズの空き瓶を持ち込んだ乗客も、フリーパスでした。
わが国の法執行の無秩序無統制は国民生活に深く根をおろしており、上層部から下層部まであらゆる法執行者たちは法規を自分の好き勝手に解釈するに至っています。法執行者たちの教育と知識レベルの低さに加えてかれらが取扱う対象者に対する友愛感情の欠如に国政上層部はもっと関心を寄せる必要があります。わが国の観光産業の発展を持続させようと思うのであれば。[ 東ジャワ州スラバヤ在住、ステファヌス・ラウヤン ]


「大型客船が寄港するブノア港」(2013年3月23日)
クルージング会社の大型客船クルーズはバリ島にもやってくる。政府はパダンバイ(Padang Bai)港を大型化してクルーズ船が入港できるようなインフラ整備を行ないたい意向だが、今のところはバリのメインポートであるブノア(Benoa)港がクルーズ船の寄港地になっている。ところがブノア港が面しているブノア湾は水深が浅く、埠頭の深さもあまりないために大型客船の接岸は不可能で、そのために大型クルーズ船は近付けるだけ陸地に近付いて海上で碇泊し、自船に搭載している小型舟艇かあるいは地元の小型船をチャーターして乗客を港に送り込む手配を採るのだが、1千人を超える乗客がバリ島の土を踏みたいとなると上陸手配は大仕事になる。
米国フロリダ州マイアミが根拠地のクルージング会社ロイヤルカリビアンがインドネシア政府に対し、ブノア港で早急に浚渫作業を行い、大型クルーズ船が着岸できるようにしてほしい、との要請を行なった。実はこの要請はもう数年来続けられているのだが、インドネシア政府はいまだにその要請を実現させていない。大型クルーズ船が着岸するためには水深12メートルが確保されなければならないが、ブノア港は6〜9メートルの深さしかないのだ。
ロイヤルカリビアン側の要望はそれだけではない。直接の接岸ができないために海上で小型船に移して希望者を全員バリに上陸させるまでにたいへんな時間がかかる。やっとバリの土を踏んだはいいが、今度は入国審査に時間がかかってなかなか島内に遊びに行くことができず、限られた時間が浪費されて十分にバリを堪能できないまま航海スケジュールに従ってバリを去って行く乗客が少なくない。だから入国審査のスピードアップをはかってほしい、というのがもうひとつの要請だ。膨大な数の入国者をたった4人の入国審査官が取扱うとなると、係官も入国者も疲れ切ってしまう。
2013年には40隻の国際クルーズ船がバリを訪れる予定だ。運輸省港湾浚渫局長はブノア港水深問題に関して、2013年に水深10メートル、2014年に更に水深12メートルまで掘り下げる計画だ、と述べている。ブノア港がマーケットからの要望に即応できないのは、類似の問題が国内の大半の港にあり、コンテナ船大型化と歩調を合わせて水深を深くしなければならない事情があるのだが限られた予算で対応しなければならないためであると局長は説明している。


「ガルガンの豚肉需要は大幅アップ」(2013年3月26日)
2013年3月27日はバリのガルガン(Galungan)、そして4月6日はクニガン(Kuningan)の祝祭日。それらの祝祭日の間、バリでは豚肉と鶏肉の消費が平常期から25%ほど上昇する。ガルガンの前日にはカランガスム県ブサキ寺院でヒンドゥの宗教行事が行なわれる。
バリ州庁畜産保健局長によれば、平常期の全島豚肉需要は一日あたり3万5千頭、鶏肉は15万羽だが、この祝祭期間中は豚肉需要が一日5万頭、鶏肉は20万羽にのぼるとのこと。その期間中でもっとも需要が高まるのは各祝祭日の前日である由。しかし島内の生産量はそんな需要の高騰をしのぐのに十分であるため、島外から豚や鶏を移し入れる必要性はまったくない、と局長は述べている。
需要が高騰すれば価格が上昇するのがインドネシアの通例だが、残念ながら価格が上昇しても養豚農民はその恩恵にあずからないだろう、とインドネシア豚畜産業連合会長は語る。生豚価格はキログラム当たり1万2千ルピアだが、豚肉生産コストはキログラム当たり2万2千ルピアになっており、この需要期に小売価格上昇はあっても生産者価格までその影響は及ばない、と会長は説明している。


「ブノア港はクルーズ船寄港地でない」(2013年3月30日)
米国のクルージング会社からの要請に応じて政府はバリのブノア港を大型クルーズ船が接岸できるよう、政府予算を使って改修する計画を組んだ。それに関連して港湾管理運営をつかさどっている国有事業体のプリンド?が1千6百億ルピアをかけてブノア港の大改装を計画したが、マデ・マンク・パスティカ、バリ州知事は中央政府のその動きに対して「ノーサンキュー」を唱えている。
バリ州は2009年州条例第16号でクルーズ船が寄港する港はカランガスム県パダンバイ港から10キロほど離れたタナアンポ港と定め、そのためのインフラ建設を行ってきた。一方のブノア港は海運貨物港としての機能のほかに渡海客船のための港と規定されており、大型クルーズ船の接岸は想定されていない。
州知事は中央政府の動きに関して、どうして地元自治体に何の話もなくものごとを決めていくのか、わけがわからない、と批判した。またプリンド?に対しても、2009年州条例第16号の内容をまず読んでからにしてほしい、と述べている。
タナアンポ港はパダンバイ港と同じラブハンアムッ湾に面した場所にあり、大型クルーズ船の受入れが想定された規模のものになっている。ただし実際にはまだほとんど活用されておらず、外国クルーズ船も乗客の便宜をはかって繁華地区に近いブノア港に上陸するのを好んでおり、バリ州の意向は実現しにくい状況になっている。一方プリンド?はブノア港大改装のための図面を引き、着工の準備を着々と進めているとのこと。


「バリの丘」(2013年6月6〜8日)
バリ島を鳥の姿にたとえるなら、あたかも鳥の足が踏まえている卵型の半島がバリ島南部でブキッ(bukit = 丘)と呼ばれている地区だ。クタやデンパサルでブキッと言えば、地元民はみんなその言葉がどこを指しているのかを知っている。どうやら正確にはバドゥン(Badung)県の最南端にあたるためにブキッバドゥンと言うのが公式なのだろうが、ジンバラン(Jimbaran)地区の丘陵部という意味でブキッジンバランと呼ばれるのを耳にしたこともある。そればかりか、ジンバラン村に南接するウガサン(Ungasan)村もブキッウガサンと呼ばれているようなので、ひょっとすると、このブキッにある土地のそれぞれがブキッの言葉を冠して呼ばれているのかもしれないが・・・・
このブキッ地区はもともとバリ島本土側と狭い地峡でつながっているだけの半島だったように思われる。今ではグラライバイパスによって幹線道路が大量の交通を流す動脈になっているのだが、それが作られるまではクタ南部のクドガナン(Kedonganan)地区をまっすぐ下ってくる狭い道しかなかったのではないだろうか。ここは石灰岩の隆起した丘陵の形をしており、南の海岸線はほとんどが断崖絶壁になっている。地元民の話によれば、このブキッは水の便が悪く荒れ果てた土地で、昔は犯罪者の流刑地にされていたそうだ。時代が変わって流刑という制度が廃止され、一般人にこの地区への入植が奨励されたが、二束三文の地価で開放されてもめったにそれに応じる者がいなかったらしい。ここ三四年激しく狂奔しているバリ島の地価上昇はこのブキッにも及んでおり、バリ島民のプロパティブローカーの中には、「親父がここの土地を買っておけば、今ごろは御殿に住んでいるのに・・・・」と愚痴る者もいる。
このブキッ地区には高級ホテルエリアであるヌサドゥア、ヌサドゥアの北側の海に突き出して伸びているタンジュンブノア、西端のウルワトゥ寺院、北部のドリームランドそして東西南北の海岸線を包んでいる高級中級のヴィラなど、観光施設に事欠かない。中でも、この地区の目玉は中央に位置するガルーダ・ウィスヌ・クンチャナ文化パークだろう。
ガルーダ・ウィスヌ・クンチャナ文化パークの名の由来は、ガルーダにまたがるウィスヌ神の像が、ニューヨークのシンボルになっている自由の女神像にあやかって、バリではブキッの高台に佇立するという計画にもとづくものだったそうだが、今あるのはトルソーに頭のついた巨大なウィスヌの像がパーク内に鎮座しているだけ。最初の計画は、どうやら予算不足で身体の他の部位が完成しないまま現在に至っているということのようだ。ブキッ中央部の丘の中腹で北向きに立ってクタやデンパサルを見下ろすウィスヌ像がいったいいつ完成するのか、その話題はバリでももう寡聞になっていると思われる。
そんな文化パークのシンボルが未完成であっても、パーク自体の活動の障害にはならない。ここには数種のアートホールがあって頻?に催し物が開催されており、加えてインドネシアのTV映画「シネトロン」の撮影もよく行なわれている。パーク内はよく整備されており、そしてこの高台から見下ろす下界の光景も抜群。4千平米のパーク内にはプラザガルーダ(Plaza Garuda)とプラザウィスヌ(Plaza Wisnu)があって来訪者を散策に誘ってくれる。ここで使われているプラザの語はもともとの語義である広場を意味しており、ショッピングセンターでないことをお断りしておこう。プラザガルーダでは電動立ち乗り二輪車セグウェイがレンタルできるので、それで遊んでみるのも楽しい。レンタル料金は10分間5万ルピア。
しかしもっと本格的に遊びたいひとにお誂え向きなのが、タンジュンブノア(Tanjung Benoa)地区。余計なことかもしれないが、タンジュンブノア地区を明らかに指している内容なのに、地名をブノア(実際にはべノアとカタカナ表記)と省略して書いてあるサイトがたくさん見つかる。現実に、ある業界はそのような表記を定常化しているようだ。しかし、タンジュンブノアというのはその名の通りヌサドゥアから北側に向かって突き出している岬の部分であり、タンジュンを除いたブノアという地名はその対岸にある港の名称なのである。つまりブノア岬をブノアと呼ぶと対岸の港エリアとの混同が起こるため、そのような省略はするべきでない、とわたしは考える。
嫌われついでにもうひとつ言うなら、Benoaをインドネシア人、中でも地元のバリ人はべノアでなくブノアと発音しているので、表音文字であるカタカナの本来の機能をもっと正確に使うように日本人は何故努めないのだろうかという疑問が湧いてくる。残念ながらグーグルを調べてもブノアはマイノリティであり、べノアと書かれている記事のほうがはるかに多いのだ。実態を知らないままに、日本人の間でのみ通じる発音に変えてしまう日本人のこの習慣は、日本人から国際感覚の研ぎ澄まし努力を奪っている悪習だとしかわたしには思えない。これはブノアに限ったことでなく、バリの他の地名でも、ジャカルタ一帯の地名でも、似たような事例は枚挙にいとまがない。閑話休題。
狭いタンジュンブノアの東岸部は外洋に面するビーチが連なる。そこに多数のホテルやヴィラが並んでおり、そして海遊びを満喫させてくれるさまざまなメニューの用意されたパブリックビーチがある。ジェットスキー・バナナボート・フライフィッシュ・パラセイリング・シーウォーカー・スキューバダイビング・シュノーケリング・・・・
今更海遊びはちょっと、という向きには、海ガメの島ツアーというメニューもある。ボートで島に渡り、なぎさでカメと戯れるのがそのツアー。
ここのマリンスポーツで遊ぶのは、一番廉価なバナナボートが8万ルピア、一番高いのは潜水服を着て海底を歩くシーウォーカーの60万ルピア。休日シーズンになるとこの狭いビーチが行楽客で埋まり、各お遊びメニューには長蛇の列ができる。下手をすると、一日の何分の一かがその待ち時間に費やされるということも起こる。客でごったがえす日は来訪者が5百人を超えるそうだ。台湾とオーストラリアからの観光客が多いとのこと。
マリンスポーツを満喫したいひとには、その種のパッケージサービスをオファーしている業者をインターネットで探し、そこにオーダーしておくのが効率的だ、と国内のメディアは奨めている。


「ロヴィナはインドネシアへの愛」(2013年6月28・29日)
Ngiring lunga ka Lovina yukti asri apik muah sutrepti,
Lovina ngulangunin ombake ring pesisir makidung ....
さあ、簡素で麗しいロヴィナへ行こう
寄せ返す波はなぎさで歌うようだ

イ・グデ・ダルナ作のバリポップス「ロヴィナ」はただのポップス曲ではない。バリ島北岸のロヴィナ地区は、穏やかな海岸美と丘陵の景観、そして海中公園のあでやかさを併せ持つ観光地なのだ。
バリ島北岸の西半分を占めるブレレン(Buleleng)県はバリ島にふたつとないツーリズムアイコンを有している。いるかの群れがカリブッブッ(Kalibukbuk)村ビナリア(Binaria)海岸の沖に毎朝決まって現われるのである。
バリがその現象をツーリズムの売り物にしたのは比較的最近の1998年12月24日のこと。時のイダ・バグス・オカ、バリ州知事がいるかの像を除幕してそれをアピールした。十数匹のいるかは毎朝午前6時ごろからおよそ二時間、その黒い姿を現して海域のあちらこちらに出没し、愛らしいふるまいを人間たちに十分に堪能させてくれたあと、いずこともなく去って行く。
いるか見物を目的にした観光客であれ、バリ島北岸のあまり観光ずれしていない情緒を愉しみにきた観光客であれ、ロヴィナを訪れる観光客が増えたころから、いるか見物が朝のアトラクションになった。漁民たちは船を出して間近にいるかを見たいかれらを沖合いに連れ出す。漁師の操る船はいるかを目指して進むが、いるかはいったいどこにいる?期待と不満の入り混じる乗船客の眼前に突然いるかがジャンプしてみせると、乗船客の口から歓声が洩れ、さっきまでとは打って変わった笑顔がその面貌を飾る。いるかはこうも人間をしあわせにしてくれるものなのか。
いるかの存在が知られるようになったのは、1980年代の初期だ。漁師たちの知識が観光産業に伝わったことから、ロヴィナはひとつの転機を迎えることになった。ロヴィナ一円の星級ホテルからジャスミン級宿泊施設まで、この毎朝のアトラクションを宿泊客にオファーしないところはない。午前5時に起こされた客が海岸へ行けば、ずらりと並んだ漁船が待ち受けている。ホテルに予約を頼んでおけば、ひとり12万ルピアで船の手配をしてくれる。しかし予約なしに直接海岸へ行っても拒まれることはない。そしてもっと廉い料金で船に乗せてもらうことができる。
漁師たちはいるかが現われる場所をよく知っている。沖へ向かったバリ風小型漁船は、30分ほどしてお目当ての場所に着くと船外機のエンジンを切って待つ。そうして、明るくなった海面にいるかが登場するというシナリオだ。
いるか見物が終わる午前8時ごろ、船頭は次のアトラクションをオファーしてくる。海中公園へ行きませんか?そのお値段は船一艘につき15万ルピア。海中公園に着くと、船頭は持ってきたパンくずを細切れにして海面に散らす。しばらくすると、色とりどりの熱帯魚がさんご礁の周りから海面に続々と上がってくる。バリ島北岸の海をこうして満喫してから、午前9時ごろに船は海岸へ戻ってくる。
バリ語にもインドネシア語にも[v]の発音は存在しない。だからロヴィナという名称は古来固有のものではないということだ。一説によれば、ブレレン王で文学者でもあるアナ・アグン・パンジ・ティスナが1950年にインドを訪問したあと、当時バリ州の州都だったシガラジャ(Singaraja)がますます栄えるようにとの願いをこめて、1953年にその海岸地区と新たに建設した別荘に同一のロヴィナという名称を与えたということらしい。
やはり文学者で作曲家でもあるイ・グデ・ダルナもその説を肯定する。当時、ロヴィナ地区のいるかの話はまだ一般に知られていなかったが、パンジ・ティスナ王はロヴィナ海岸の観光資産としての価値をプロモートして観光客を誘致しようとの考えから、その売出しをはかった。ロヴィナという名称は英語のlove+inaから作られたもので、inaとはIndonesiaの略称だ。
シガラジャがバリの州都であり続けていれば、ロヴィナはいまのクタ海岸のような地位を得ていたかもしれない。しかし1960年代に州都がデンパサルに移されたことで、バリ島北岸部はそれまで築き上げた繁栄が色褪せていくという皮肉な運命をたどることになった。
さらにイダ・バグス・マントラ州知事の時代、[v]という文字は地元固有の地名に存在しないものであるため、そんな文字を使った地名を公的なものと認めるわけにはいかないという論陣が張られ、ロヴィナは観光促進候補地のリストから姿を消した。ブレレン県はブレレンやシガラジャを観光の売り物にしようと努めたものの、既に海外に知られるようになっていたロヴィナの名称が使えないことの痛手は大きく、その要因もバリ北岸部が観光過疎地に陥っていくのに力を貸したようだ。
1980年代に至って政府はロヴィナの名称を観光誘致対象地のリストに加えることを承認し、パンジ・ティスナ王の悲願はやっと日の目を見ることになった。イ・グデ・ダルナ氏がロヴィナなるご当地ポップス曲を作ったのも、そんな気運の盛り上がりの中でのことだった。
2012年にロヴィナを訪れた観光客は10,504人で、7,651人が外国人、2,853人が国内観光客という内訳だ。「クタを知らずしてバリへ行ったと言うな」という固定観念は国内観光客をいまだに強く支配しているようだ。


「バリに深まる経済爬行性」(2013年7月12日)
バリ州グラライ空港へ到着する外国人観光客は一日5千人。一方バリ州全域にあるホテル客室数は5万室。平均的な客室稼動率が実現しているホテルの数は全体の6割しかなく、3割は慢性的な空室過多の状況をかこっている。そんな状況でありながら、バリの各地では依然として地価上昇が続いており、それにもめげず、というよりそれを煽りながら個人用あるいは営業用のヴィラ建設が進められ、おまけにバジェットホテルやビジネスホテルが繁華街の中に続々と出現している。
観光業やサービス業をメインとするバリのビジネスは爬行性が目立ち始めているにもかかわらず、島外からの投資は依然として衰えを見せていない、という不思議な状況が現出されている。州投資調整庁のデータによると、2012年の投資総額は13.5兆ルピアで、外資と内資の比率はほぼ半々、そして傾向は増加の方向性を示している。過去三年間に内国投資は激増して外国投資と匹敵するに至っているということだ。商業・メンテサービス・ホテル・レストランなどの伝統型セクターに加えて、最近では運輸・倉庫・通信などのセクターも賑わいを増している。特に過去一年間ではバリ最初の海上自動車専用道建設工事に関連する補助分野への投資が顕著に活発化した。
しかしバリ州9県市の経済力は依然としてデンパサル・バドゥン・タバナン・ギアニャルの南部地域に集中している。このエリアは全州GDPの67%、クルンクン・バンリ・カランガスムの東部地域は15%、北部のブレレンが12%、西部のジュンブラナは6%というシェアになっている。州投資調整庁は経済の一極集中を改めて全島に分散するよう心がけているものの、投資者の選択は南部地域から外へ広がる気配がない。「われわれは州内の他の地域も検討対象に加えて欲しいと投資者を説得するのだが、観光産業では南部地域に圧倒的な魅力があり、そして他の地域はインフラが弱点になっているため、流れの方向性を変えるのはきわめて難しい。」と州投資調整庁長官は語っている。
グラライ空港が南部地域にあるため、その玄関口から離れた場所で事業を行なうことは大きなデメリットを抱えることになるし、おまけに交通インフラもそのデメリットを軽減するどころか、むしろ増幅させるものになりかねない。南部と北部を結ぶ山越えの道路は良好な状態が維持されているものの、対向二車線道路に大量の車両が入ってくるため走行効率はあまりよくないのが実態だ。
先に州知事が提唱した南部地域のホテル建設モラトリアム、あるいは北部地域での第二空港建設や周遊鉄道のような公共輸送機関実現などの大きなモメンタムが伴われなければ、州内全域の経済力均一化は目立った成果があがらないにちがいない。


「バリのサイクリングツアーはこちらへ」(2013年7月13日)
バリ島ギアニャル県ウブッ(Ubud)地区ラプラパン(Laplapan)村のBali Bike-Baik Toursは高原地域のサイクリングツアーをオファーしている。オファーコースはいくつかあるが、まずウブッ農村部の棚田風景を巡るもの、バトゥル山を目指す山岳トレックコース、そしてムンウィ地区の厳しいコース。いずれも上り下りのあるくねくねした道を自転車で踏破するツアーだ。しかしそれだけではない。コースの途中にアトラクションが待ち受けている。
農民たちが採り入れに精出している刈田へ来ると、一緒に稲刈りをしましょう、と誘ってくれる。伝統的なバリの家屋にやってくると、中に誘って建物を見せてくれる。学校があると、中に誘って生徒たちに紹介し、かれらの英会話の相手になってもらう。そうやって外国人観光客にバリというものをより身近に感じてもらおうとしているのだ。
このツアーには朝食と昼食がついている。食事はその事業主の奥さんが手ずから用意してくれる。献立はバリ料理を主体にトーストやパンケーキ、そして紅茶・バリコーヒーにピサンゴレン・・・・
午前11時ごろに出発したツアーは途中いくつかの場所に立ち寄り、そのあと昼食のために事業主の自宅に立ち寄る。そうして再び行程24キロのトレックを愉しみに出る。
その事業主ワヤン・スジャナ氏38歳は、1994年にデンパサルの観光専門学校を卒業してから、オーナーが外国人のサイクリングツアー会社に雇われた。そこで働いているうちに、かれはその状況が不都合であることに気付いた。利益をあげたあといつかバリから去っていく外国人の手にバリの観光ビジネスの大きな部分が握られている状況は、どう見たって不都合だ。
2005年にかれはその会社を去り、バリ人がバリのために事業を行なうという自分の理想の実現のために立ち上がったのである。最初の事業資産は自転車4台だった。そのひとつに乗って、かれは風景の良いトレックコースを探して回った。しかしそれだけでは駄目だ。客が安全にコースを回り終えるための配慮も忘れてはならない。どんなに感動的な風景を臨める場所であっても、危険と隣り合わせでは何にもならない。そうやって安全なコースを選択した上、かれはサイクリング中に事故が起こったときに備えて保険の手配もした。
今やかれは14人の従業員を雇用しており、資産の自転車は百台を数える。従業員たちはサイクリングツアー開始前に十分なブリーフィングを客に与えてから、引率ガイドになって同行する。毎日10人ほどの外国人がバイクバイクツアーへやってくる。料金はひとり30万ルピア。事業主の気配りは客の信頼をたっぷりと勝ち得ているようだ。ここへやってくる外国人観光客の中にリピーターも少なくないし、かれらがブログに書くバリ旅行体験談の中にもバリバイクバイクツアーの名前が高評価を伴って登場している。
グループツアーでも、家族連れでも、あるいは個人でも、どうぞご遠慮なくお越しくださいと、ワヤン・スジャナ氏は呼びかけている。


「バイキーズがバリに進出?」(2013年7月19・20日)
インドネシアニストのエイドリアン・ヴィッカーズ著Bali, A Paradise Created(邦訳タイトル「演出された「楽園」」)によれば、今あるバリの姿は西洋人によるクリエーションの成果だそうだ。かれらの抱いているファンタジー精神がエキゾチックと感じるものを、かれらがこの南海の島に根付かせていったのだと著者は物語る。南海の楽園バリの発端は、オランダ植民地政庁によるバリ諸王国の征服からはじまる。
バドゥン、タバナン、クルンクンの諸王国で展開されたププタンから10年ほどして、オランダ人によるバリツーリズムが始まった。フレンドリー・エキゾチック・乳房を露出している女たち・自由の溢れる癒しの島・堅苦しい文明にがんじがらめにされている西洋人に生命の洗濯を味わわせてくれる開放的なトロピック。この地上最後の楽園としての観光地を構築するために、オランダ政庁はこの地に機械文明が持ち込まれることを禁じた。
1920年代に始まったバリツーリズムは世界の金持ちたちを呼び込むのに成功し、1940年代にはオーストラリアの金持ちたちも欧米の金持ちに混じってバリを訪れるようになった。
インドネシア共和国独立後も、オルバ期にバリツーリズムが再燃してオーストラリアからヒッピーの若者たちがサーフボードを抱えてクタの漁村へやってくるようになると、来訪観光客のマジョリティを占めるようになったオーストラリア人の快適さを深めるというオリエンテーションがそこに生まれた。オーストラリアフィケーションと呼ばれるものが生まれるのは必然の成り行きだったと言えよう。
オーストラリア風ポップ文化に沿ったバーやクラブそしてホテルが建てられ、それにあわせてオーストラリアのロワーミドル層が廉価でエキゾチックなバリ旅行を愉しみに大勢やってくるようになる。普段から親しんでいるオーストラリアの日常生活とあまり違和感がなく、おまけにエキゾチシズムの味付けがなされているのだから、こんなに愉しい場所をオーストラリアで見出すことはできない相談となる。こうしてバリはオーストラリアの延長線上に囲い込まれてしまった。
今や毎年90万人のオーストラリア人がバリでホリデーを愉しんでいる。それはオーストラリア総人口の3.8%であり、バリにやってくる外国人観光客の三分の二を占めている。
ところが、その90万人のすべてが善良な小市民ばかりではないのだ。オーストラリアで悪名をとどろかせているオートバイギャング団いわゆるバイキーたちがバリに取り付き始めたのである。オーストラリア連邦警察は2009年に、バイキーが国外に拠点を設ける動きを進めているとの懸念を既に表明している。
バイキーはオートバイクラブの体裁を示しているが、自らすすんではみ出している無法者集団であり、百人にひとりの悪党という意味で1%ersとう別称を用いている。バイキーの歴史は1960年代にさかのぼり、今では40ほどの組織が活動しているそうだ。1%ersと自称するオーストラリア人は3千から5千人いると見られている。バイキーズは犯罪組織であり、日本のやくざやイタリアのマフィオソと変わらない。組織間抗争も行なえば、堅気の人間に対する殺傷行為もためらわない。
そんなかれらにとっても、バリは楽園のようだ。バイキーズ組織の中には、バリで年次総会を開くようになったところもある。バイキーズによる犯罪事件はまだ起こっていないとバリ州警察は表明しているが、悪魔の住み着く楽園に天使はいつかないことを肝に銘じてほしいと願うひとはきっと多いにちがいない。


「バリ海上自動車道は8月末から通れる?」(2013年8月14日)
「建設工事はすべて完了しており、今は自動車専用道路として定められているあらゆる条件を確実に満たしているかどうかの検査が行なわれている。検査が順調に終わって合格が下りれば、2013年8月末から通行できるようになる。」自動車道運営国有会社PTジャサマルガの企業秘書は、バリ自動車道のオープン時期についてそう語った。
検査を行なって稼動開始の判断を下すのは自動車専用道路統制庁で、同庁長官によれば、道路のハード面と管理システムなどのソフト面の全般にわたる検査が行なわれており、一般国民の用に供せられるべきレベルが備えられてはじめて使用が開始できる、とのこと。そのため、路面の状況、表示や標識、料金所、パトロールなどあらゆるファシリティがチェックされている。
ブノア港〜グラライバイパス空港三叉路〜ヌサドゥアの三点を結ぶ全長12.7キロのバリ自動車専用道はほぼ全域が海上を通る橋になっており、二輪車専用車線が設けられていてオートバイで海を渡ることもできる。


「バリで新車販売禁止政策」(2013年11月21日)
バリの交通渋滞は激しさを増している。海上自動車専用道が作られたが、そこが混雑することは滅多になく、多くの車は依然としてグラライバイパスを埋め、あるいはクタ海岸通りをノロノロと進んで平和な島の様相を映し出しているかのようだ。登録車両が既に3百万台を数えている一方、道路拡張はほとんど期待できず、特にデンパサルやクタの町中は家屋が建て込んで道路が狭いため、道路拡張は不可能と言ってよいように思われる。そういう物理的状況と大衆公共運送機関がきわめて弱いバリの体質は、オートバイが花形になれる舞台を提供しており、いたるところでオートバイが団子になって走り回っている。こうして、バリを訪れる外国人までがその流れに身を浸すことになる。外国人観光客の二輪車運転を許しているのは、全国でバリだけだ。二輪車は3百万台中の6割を超える。
マデ・マンク・パスティカ州知事は、新車モラトリアムを実施するアイデアを披露した。これは、この先5年間バリ島内で新車販売を禁止するという政策で、そうなればメーカーは販売用の四輪車二輪車をバリに送り込むことが不可能になる。そしてその5年間に、現在バリで使われている車両の内容を徹底的に調査して実体を詳しく把握しようというのがこのモラトリアム政策の内容だ。
地元自動車販売業界がそれにどう対処してくるのか、余談を許さないところだが、かつてバリ島南部地域でのホテル過剰状態を予防しようとしてホテル建設モラトリアム方針を出し、島内のほとんど全県令から総スカンを食って州知事方針を無視された前例を持つ現知事の新車販売モラトリアムは、二匹目のどじょうにならないだろうか?


「黄金に匹敵するバリ牛」(2013年12月18日)
身体全体が明るい茶色をしており、尻と四本の足の下部だけがまるで靴下を履いたように白いバリ牛は、バリ島に棲息していた野牛の子孫だ。バリ牛は住んでいる環境や気候への適応力が豊かで、何でも食べまたあまり水を飲まなくても生き延びることができる。体毛が明るい茶色をしているのはたいてい牝で、牡牛は色がもっと暗い。おまけに鳴き声も普通の牛のような腹の底から響くモ〜〜という声でなく、かすれてシャリシャリした声で鳴く。その声だけを聞いて牛の声だと言われても、信じないひとが出るにちがいないとわたしは思う。バリ牛は1800年代に北部オーストラリアにも棲息していたらしいが、その豊かな適応能力のおかげで個体数が増えすぎ、自然環境の劣化を促したために為政者が処分したそうだ。
バリ島の農村部で頻?に目にすることができるこのバリ牛は牛舎に入れて飼う必要がないため、田や畑、空地や道路脇などに綱をつけて放置されており、おかげで観光客も実に容易にその姿を目にすることができる。バリのひとびとはこのバリ牛に投資し、子牛を飼って育て、また牝牛に種付けをして子供を産ませ、個体数を増やして資産にする。放牧スタイルで育てることができるため飼育は容易であり、必要に応じて売却して現金を手に入れ、また資金を作って子牛を買うといったことを繰り返す。まるで黄金への投資とそっくりであり、バリ人にとって牛はきっと黄金と同じ意味を有しているにちがいない。
バリ牛は骨が細くて肉の部分が豊かであり、肉は柔らかくて美味であるため、国内牛肉市場でたいへん人気がある。体重3百キロのバリ牛一頭の値段は1千2百万ルピアを超えることもある。1960年代、バリ牛は香港やシンガポールに盛んに輸出された。当時の記録がまったく残されておらず、州畜産動物保健局でもその規模がわからない。ともあれ、バリ島内で農地がビラやホテルあるいは住宅や商業施設への転換が進むのと歩をあわせて、バリ牛の個体数も減少して行った。最近では、2011年の統計で637,473頭、2010年は683,800頭、2009年は633,789頭といった数字が報告されている。州政府は州民の牛肉消費をまず確保し、さらにストックを維持しなければならず、必然的に国内他地方市場へ出す数はクオータ制で統制をかけており、年間出荷数は6万8千頭とされている。
東ジャワ州バニュワギで牛の売買を行なっている商人はひと月平均50頭のバリ牛をジャカルタをはじめいくつかの都市に送り出している。それがルバラン期になると2百頭に跳ね上がる。どの市場からもバリ牛の注文は多く、一方バリ州庁のクオータ制のおかげで供給は限られており、バリはどうしてもっと牛の増産をはからないのか、と疑問の声をあげている。実際にバリ州庁は優良遺伝子のバリ母牛を20〜25万頭そろえ、それを3百の農家グループに分担させて増産体制を作る方向で動いており、数年後にはクオータ数の増加が期待されている。また州内消費の一部として外国人観光客にバリ牛の肉を使ったメニューを増やす方向性も検討されているが、現実に外国人観光客の多いホテルではまだあまりそれが進められておらず、せいぜいサテなどのローカルメニューに使われているだけというのが実態だ。


「バリでデラックス車をチャーター」(2014年2月4日)
2013年末から、派手な塗装のオープンカー型ローバーミニがバリ島に姿を現すようになった。バリのレンタカービジネスの戦列に加わってきたのだ。バリで贅沢を楽しみたい旅行者たちにとって、この種のサービスはありがたいものにちがいない。行動派はハーレーダビッドソンを自分で運転するのだろうが、運転手付きのレンタル高級車というのもまたよいものだ。もちろん、運転手を付けないレンタカーの利用も可能ではあるが、旅行者だけで車を運転するのはむつかしい。バリ州警察は旅行者に対して二輪の利用を勧めているだけで四輪は対象外にしており、居住者でなければインドネシアの四輪運転免許証は取れないため、合法的に路上で四輪車を運転する資格を持つことはできない。
日本の国際免許証がバリ島では通用するということも一部のひとの間では言われているものの、それ自体についての法的バックアップ(法令規則や地方条例など)はなにもないので、実際にそのようなケースに直面した地元警察官の判断と対応いかんになるため、旅行者側がリスクを背負うことになるのは間違いないだろう。
ちなみに、バリ島の四輪二輪レンタルサービスでは、その車を運転するのがだれでその者は適切な運転免許証を持っているかどうかをほとんど尋ねないから、ある意味で無免許運転を奨励しているような面がある。インドネシア人にとっての「法とはなにか?」ということがらに帰せられる現象であるのは言わずもがなだ。
このローバーミニは2011年末にインドネシアで販売が開始され、オフザロードで一台6.5億ルピアだったから、今ではいくらになっているのだろうか?そんなミニのカブリオが二台、バリでのレンタカー用におろされたのである。インドネシア側代理店PTマクシンドがバリで旅行者向けにそんなことをした理由も容易に想像がつこうというものだ。バリではブルーバードタクシーが対消費者の窓口になるから、ミニのオープンカーに乗りたいひとはブルーバードにオーダーすればよい。
これまでスタイル追及派に人気のあったVWサファリは運転手付きで8時間40万ルピア程度だそうだが、さすがにローバーミニは桁違いで、10時間で390万ルピア++とのこと。普通の量産車種で10時間40〜60万ルピアだから、この贅沢は堂に入ったものにちがいあるまい。今や贅沢を楽しみにくる場所になったバリでのこの贅沢の王様、さあ、あなたはどれを選びますか?


「バリに集まる非合法品」(2014年2月20日)
2014年2月7日、東ジャワ州マラン県バントゥル郡スリゴンチョ村の街道を走っていた小型乗合いバスが県警の取調べを受け、車内からビニール袋に個装されている長さ20cm前後の軟質サンゴ3百袋が発見された。バス運転手は警察の取調べに答えて、マラン市内アルジョサリバスターミナルまでの運送を30万ルピアで引き受けたことを自供し、その荷物のオーナーはスリゴンチョ村民のサトゥイン33歳とファウジ25歳およびシドアルジョ県住民のブラム31歳であることを明らかにした。
サトゥインとファウジはマラン県南部海岸のあちこちで海から軟質サンゴを採取するのを仕事にしており、かれらが採取したサンゴは個装袋入り一個を2千ルピアでブラムに売り、ブラムはバニュワギやバリに一個7千ルピアで卸販売をしている。
海岸と小島の地域運営に関する2007年法律第27号第73条第1項はサンゴ礁のエコシステムを破壊してサンゴを採取することを禁じており、違反者には2年から10年の入獄と20億から100億ルピアの罰金刑が科されることになっている。警察が違法物品を運んでいる小型乗合いバスを検問したのは、スリゴンチョ村民からのタレこみ情報を得た上でのことだった。その前の週にも警察はスリゴンチョ村住民ポニディ40歳の自宅を急襲し、ポニディは逃走したがその家の中でプラスチック袋に個装されて送り出されるばかりになっていたサンゴ3百袋を発見している。警察が押収したそれらの軟質サンゴは2年未満の若いもので、ほとんど死にかかっている状態だった。
バリに集まってくる旅行者を対象にするみやげ物の中に、このような非合法品がいろいろと含まれているようだ。


「バリでのダイビングに欠かせないもの」(2014年2月24・25日)
2014年2月19日のコンパス紙に今回起こった日本人女性ダイバーグループの遭難原因を探る記事が掲載された。それが真の原因であったのかどうかは別にして、バリでダイビングを楽しもうとするひとに対する警告として受け止めることができるのは言うまでもないだろう。記事の要約は次の通り。
2014年2月14日にクルンクン県ヌサプニダ郡ヌサレンボガンのサクナン海域でダイビングを楽しんでいた日本人観光客7人が行方不明となり、そのうちの5人は2月17日に20km以上離れているマンタポイント近くで発見された。もうひとりは2月18日に遺体で発見され、最後のひとりの捜索が続けられている。全員が女性のこのグループは50回を超えるダイビング歴を持ち、中のふたりはダイブマスターとインストラクターのライセンスまで持っていた。
それほど経験豊富なかれらがどうして遭難したのだろうか?事故の発生を促した要素がいくつかある。まず、天候が急変しやすい状態だったこと。そして、ダイビングの場所と時刻が計算しつくされていなかったこと。
潮流の強いことで有名な場所をダイビングに選択する場合、ダイビングをうまくやりおおすためには的確な計算が重要な鍵をにぎる。かれらがダイビングを行なったヌサプニダ海域は、潮流がころころと変化するので有名な海だ。
ヌサレンボガンでダイビング事業を行なっている「オクトパスダイブ」経営者は、同島海域で観光客のダイビングに最適な時間は4〜6時間しかない、と言う。その限られた時間は、一日に三回ものダイビングを行なうことを困難にする。事故が起こった日、7人の女性ダイバーたちは三ヶ所を訪れていた。最初にマンタポイント、次いでクリスタルベイ、そして三ヶ所目のマングローブサクナンポイントで遭難したのである。
地学気候気象庁の記録によると、その日は潮流が強く、また激しい雨が降り、波の高さは1.5mを超えた。7人は13時ごろ、チャーター船オーシャンエクスプレスから海中に下りた。ところがその後何時間経っても、船長と助手はダイバーたちの吐き出す泡を見つけることができなかった。
<海中の潮の流れ>
www.indosurf.comでタイドチャートを見ると、2月14日は満月の直前で13時から14時までの間に潮位は1.62m〜1.30m〜0.78mと下がって行った。その潮位の変化が海中に潮の流れを起こした。そんな状況下にダイバーが行なえるのはドリフトダイブしかない。
インストラクターレベルあるいは少なくともマスターレベルのグループリーダーは、エントリーポイントと終了ポイントを全メンバーおよび船長に教えておかなければならない。計画性の欠けたダイビングを行なえば、マングローブサクナンポイントでエントリーしても、4kmほど離れたブルーコーナーポイントへ潮がダイバーを運んで行ってしまうかもしれない。
ヌサプニダで、ブルーコーナーはジュラシックパークと綽名されている場所だ。潮流の変化を予測するのが困難で、海底の地形は谷や崖に満ち、マグロ・マダラエイ・アカエイ・トビエイ・イトマキエイやサメなどの大型魚をたくさん目にすることができる。
千葉大学のジョサパッ・スリ・スマントリ教授によれば、合成開口レーダー分析はヌサプニダ海域に海中の潮流があることを示しており、その発生はジャワ海とインド洋の潮位差が原因で、ある季節だけ流れは南に向かうが、その季節を外せば流れは北に向かうとのことだ。
それらすべての自然現象は、地元のダイバーならたいてい熟知している。だから、ダイビングの楽しみを実現させ同時に事故や遭難を免れるために、地元海域の潮流の性質を把握している能力のある地元ダイバーの付き添いを求めるのがなされるべき対応なのである。


「バリのニュピは一週間後」(2014年3月24・25日)
2014年3月31日はサカ暦1936年新年ニュピ祝祭日で国民の休日になっているが、バリ島ではヒンドゥ教徒の務めであるニュピの行が行なわれる。
宗教というのは社会のしきたりを生み出した源泉であり、同胞としての一体感を体得するために同じ信徒は同一のしきたり(社会行動)を行なうように社会から仕向けられる。つまり宗教の祭りというのは、その社会を全面的にカバーするものであり、異教徒であってもその社会の中にそのとき居る人間に対してその社会のしきたりを尊重して従うよう求めるのが通常のあり方だ。宗教というものを個人の信仰という面でしかとらえないようになってしまった日本人には、かれらが自分たちの社会習慣を異教徒に強制するように見えるために、心情としては受入れにくいことであるに違いない。
日常生活におけるさまざまなしきたりは宗教がもたらしたものだが、宗教との関わりを意識の外に押しやって、やれ文化だ、慣習だ、といった言葉に置き換え、異なる宗教に由来するしきたりを同列に並べて自由に選択し、宗教はすなわち信仰であり個人の内面のための食餌であるという限定的な定義付けに切り替えて、内面の救済を求めて帰依するようなことをしないから無宗教だと言っているあり方は、世界を眺め渡して見るなら宗教というものに対するきわめて特異な姿勢だと言える。実は同じ定義あるいは分析法を当てはめるなら、ヒンドゥにもムスリムにも同様な無宗教者はいっぱい出現するのだ。かれらは宗教がもたらした社会的なしきたりを宗教として実行し、それがゆえに自分はその宗教の信徒であると考え且つ自称しているために、信仰心が水のように薄くてもかれらの意識はその宗教の信徒であり続けるのである。そのポイントが見えてこなければ、永遠にヒンドゥやムスリムの実の姿を理解することができないだろうという気がわたしにはする。
ヒンドゥ教徒が行なわなければならないニュピの四行とは、火を使わないアマティグニ(amati geni)、働かないアマティカルヤ(amati karya)、出かけないアマティルルガン(amati lelungan)、娯楽をしないアマティルラグアン(amati lelanguan)を24時間行なうこと。基本的に、普段行なっている活動を一切しないで、屋内でひっそりと時間を送るだけだから静寂の24時間となり、ニュピ(nyepi)なる言葉の意味がなんとなく納得できるように思われてくる。ニュピの行が開始されるのは2014年3月31日午前6時で、この静寂の行は4月1日午前6時まで続けられる。
社会の静寂を乱す者があってはならないのだから、その24時間内に街中をうろついている人間はプチャランと呼ばれる自治取締員の措置の対象になる。外国人であろうが非ヒンドゥ教徒であろうが、おかまいなしだ。また島内と外部を結ぶ交通はすべて遮断され、グラライ(Ngurah Rai)空港、ギリマヌッ(Gilimanuk)やパダンバイ(Padang Bai)、ブノア(Benoa)、チュルカンバワン(Celukan Bawang)などの海港、あるいは島内のバスターミナルなどもすべて閉鎖される。
またラジオとテレビも放送がストップする。バリ州庁とインドネシア放送コミッションとの間で相互覚書が交わされ、放送コミッションは監督下にあるすべてのラジオ局テレビ局に対して、ニュピの期間中バリ島内に放送電波を送らないか、もしくは中継しないようにさせることを諒承した。
例年なら、ニュピの前日に各バンジャル(部落)が腕によりをかけて作ったオゴオゴの大フェスティバルが各県市中心部で行われ、夜になると今度はデサ(村)のレベルでオゴオゴに灯をともして幻想的な雰囲気の中をバンジャルのひとびとがガムランに伴奏されながら踊りとパフォーマンスの巧拙を競い合う楽しみがあるのだが、この2014年は総選挙の年で且つ又総選挙キャンペーンの期間中であるため、オゴオゴが選挙宣伝に利用されないように、また同時にただでさえバンジャル間のタウラン(集団喧嘩)を招く可能性を秘めている祭りの夜に、今年は選挙の競い合いという別の闘争要素が加わることから不測の事態を避ける必要が高まるため、バリ州9県市は県市レベルでのオゴオゴフェスティバルは実施しないことを決めた。しかし部落や村単位でのオゴオゴパフォーマンスは、絶対に選挙宣伝をそこにからめないという条件付きで行なってかまわないという指示が出されている。
バリ島内ホテル業界によれば、ニュピ前日からニュピ明けまでの期間、ニュピ体験を求めて国内や海外各地からやってくる観光客の予約で客室稼動が増加しており、せっかくニュピを楽しみにやってくる観光客に失望を味あわせないような配慮が示されたと言えるだろう。


「バリでは既に水不足」(2014年3月28日)
開発の進むバリ島南部地域は上水需要がうなぎのぼりに増大している。JICAの分析によれば、バリ島全土で2015年に上水の需給関係は毎秒1,538リッターの不足、2020年には2,642リッターに不足が増大し、2025年には3,743リッターに不足が膨れ上がる。
住民人口の増加に加えて観光産業の拡大も上水需要を押し上げており、原水が潜在的に少ないバリ島が困難を抱えるのは言うまでもないことだ。SARBAGITAKU と呼ばれているバリ島南部地域では、地区によって上水供給に激しい較差がついてまわっている。SARBAGITAKU とはdenpaSAR, BAdung, GIanyar, TAbanan, klungKUng の大文字部分を集めたものだ。観光産業の発展著しいそれらの地域が更なる観光産業の維持発展をはかるために、上水の確保は必須条件と言えるだろう。
現在、政府公共事業省が国有事業体チプタカルヤと共に進めている原水確保対策はプタヌ(Petanu)水源地とプヌッ(Penet)水源地の建設で、プタヌは毎秒300リッターを南部地域の東半分に、プヌッは同量を西半分に供給できる体制を確立させ、そのあとは2025年の需要を満たすことをにらんで毎秒1,800リッターのアユン(Ayung)水源地と毎秒1,000リッターのウンダ水源地の建設に取り組む計画になっている。
しかし、バリでもジャカルタと同様、水道パイプ破損による水漏れが頻発し、また日中の断水と夜間供給というインドネシアで一般的な習慣が乾季末になると週単位での断水に切り替えられ、そういう時期に地方部でよく起こる水売りトラックが何台も住宅地を走り回る光景や、普段からでさえ送水ポンプの稼動を減らして電気代節約をはかる水道会社の体質など、単に原水確保だけで国民サービスがどれほどレベルアップするかということを考えるなら、悲観的にならざるを得ない気がする。上水道事業が使用する電力料金に一般消費者向けタリフが使われていることからして、国民生活インフラとしての位置付けに歪があり、国民が地下水の過剰使用を行なって土地沈降や内陸への海水浸透を誘発させているありさまがそういう基本観念の中に重なり合ってくるのも無理はないように思える。


「6〜7月のバリは大混雑」(2014年6月30日)
全国的に学校の学年末休みに入ったインドネシアで、国民にとっての最大観光地であるバリにジャワ島から向かうフェリーが大混雑を呈した。バリのホテル客室稼働率が膨れ上がるのは一年で6〜7月がピークになるので、静かなバリを楽しみたいひとはこのシーズンを避けるのが賢明だ。
学校休みが始まって最初の月曜日の2014年6月23日、ジャワ島東端のバニュワギ(Banyuwangi)県クタパン(Ketapang)港から対岸のバリ島ギリマヌッ(Gilimanuk)港に向かう渡海フェリーでは、観光バスが顕著に増加し、船のデッキも乗客であふれかえった。平常期の週末は乗船する車両が大幅に増加するが、この日はそれからさらに5割増しになっている、と港湾職員は語っている。一日で2百台に迫る数の観光バスがバリに渡るのは、限られたシーズン特有のものだ。観光バスの大半は学校が生徒たちにバリでの休日を楽しませるために仕立てたもので占められていた。自家用車も大幅な増加を見せ、平常の混雑日で一日4〜5百台のところ、この日は6〜7百台に膨れ上がり、乗船待機駐車場は満杯になって順番が来るのを待たされることになった。乗船者数も同様で、一日の利用者2千人が4千人近くまでアップした。クタパン港管理責任者によれば、バリに向かう人と車の流れは21日(土)から伸びが感じられ始め、この日の爆発的な増加につながっていったとのこと。
このような利用者の急激な増加が起こると、港の外にまで車列が数珠繋ぎになるのが普通の光景だが、クタパン港の外の道路にはそんな光景が起こらず、バリへの渡航車両は概して円滑でスピーディな回転を見せていた。港湾管理責任者はそれに関して、対岸のギリマヌッ港での滞留時間を通常の20分から10分程度短縮させ、船の回転を高めて対応した結果だ、と説明した。ギリマヌッ側から戻る便は空いており、船を増やすよりも便数を増やすほうがはるかに有効であるとの判断にもとづいてのことである由。


「バリの高級ビラ客室に泥棒」(2014年7月2日)
2014年1月18日付けコンパス紙への投書"Pencuri Memasuki Vila di Bali Saat Tamu Tidur"から
拝啓、編集部殿。わたしの一家がビラで深い眠りに落ちているとき、泥棒が金目のものをあらいざらい盗んで行きました。2013年10月23日にバリ島ウガサン(Ungasan)のカルマカンダラ第28号ビラでその事件は起こったのです。わたしどもの家族のひとりが午前4時15分ごろ、用足しに起きて、はじめてその被害をわたしどもは知りました。
寝室のテーブルの上に置いてから眠りに落ちたわたしども一家の携帯電話やその他の貴重品がすべて姿を消していることを知って、わたしどもは驚きました。それどころか、ふたをしめてあったトランクの中に入っている貴重品までもがなくなっていたのです。
ビラの中は正常なままで、何ひとつ壊されていませんでした。わたしどもはすぐにリセプションに連絡して最寄の警察署に届けてもらうよう求めました。するとホテル警備員がやってきて、警察に届出を出すためにはマネージャーの承諾がいると言います。
わたしの仕事関係者が届けを出してくれたので、午前10時ごろ警察がやってきました。ところがホテルのジェネラルマネージャーは正午ごろにやっと出勤してきたのです。日常業務とリゾートの写真撮影のために手が放せなかったそうです。警察の現場捜査の結果、このホテルには公共施設のみならず外の一般道路との境界にあるフェンス等を監視するためのカメラが設置されていないことが判明しました。この事件のフォローがどうなっているのか、わたし宛にはいまだに何の連絡もありません。[ 中央ジャカルタ市ガンビル在住、スリプト ]


「バリの四大湖」(2014年7月4日)
バリ島の四大湖はバトゥル(Batur)、ブラタン(Beratan)、ブヤン(Buyan)、タンブリガン(Tamblingan)の四つで、バトゥル湖は標高1,712メートルのバトゥル山の東麓、他の三つは標高1,909メートルのタパッ(Tapak)山の麓を取り囲むようにしてたたずんでいる。すべてが高地にあり、また緯度が似通っているのもおもしろい事実だ。最大のバトゥル湖は4Haで水深15.9メートル、次いでブヤン湖の3.9Ha水深69メートル、ブラタン湖3.8Ha水深40.5メートル、タンブリガン湖1.3Ha水深40.5メートルというのが各湖のサイズ。隣接しているブヤン湖とタンブリガン湖を含むタパッ山北西部一帯の1,703Haは1996年に観光公園地区に指定されたが、観光開発はいまだに手付かずの状態になっており、開発の基礎であるインフラ建設もまだなしのつぶて。バトゥル湖そしてブラタン湖は主要道路のアクセス性が良好なために多数の観光客が訪れているが、ムンウィ(Mengwi)とシガラジャ(Singaraja)を結ぶバリ島縦断街道の峠にあたるブドゥグル(Bedugul)行楽地の賑わいからちょっとはずれたブヤン湖を訪れる観光客はあまりいない。ブレレン県はブヤン湖フェスティバルを最近開催したことがあるが、インフラ未整備がかえって一部のひとの印象を損なったおそれがある。
そのブヤン湖の水位が低下していることを、ブレレン県生活環境事務所が報告した。平常水深69メートルが場所によって4から7メートル下がっているとのこと。また湖水の分析検査で、化学物質汚染が進行していることが発見された。BOD(生物化学的酸素要求量)は基準値2mg/Lに対して1.12から1.89になっているのだが、硫黄分については0.16〜0.81mg/Lとバラつきが大きく、しかも基準値0.2mg/Lをはるかに超える所があるため、部分的にではあれ汚染が進行していることをうかがわせている。
ブレレン県生活環境事務所長は、ブヤン湖周辺住民は農業だけが生計の基盤をなしており、それらの農家が野菜やイチゴの栽培に化学肥料や化学農薬を使っていることが汚染の原因と推測されると語った。その対策として有機肥料への転換を農家に奨めているところであるとのこと。また湖面でホテイアオイが旺盛に繁茂しており、化学農薬の影響が顕著に見られる由。県庁は農家に対し、水質汚染と水位低下を防ぐために、有機農法に転換するよう農家への指導を強めている。


「ヌサペニーダに潮流発電」(2014年7月11日)
バリ州クルンクン県の海岸から13キロ沖合いに浮かぶ島々、ヌサペニーダ(Nusa Penida)。ヌサレンボガン(Nusa Lembongan)とヌサチュニガン(Nusa Ceningan)のふたつの小島を従えたヌサペニーダ島では、住民の多くは海草養殖を主産業にしている。
このヌサペニーダ島の海岸線が数ヶ月前から、夜毎、煌々たる明かりに照らされるようになった。海岸から島内に入っていく道路がおよそ1キロに渡って25個の道路照明灯に照らし出されているのだ。おかげで、ヌサレンボガンとヌサチュニガンの明かりは印象のないものになってしまった。
夜も明るくなったおかげで、これまでは日没前までしか働けなかった海草養殖作業が深夜0時まで可能になったと住民たちはたいそう喜んでいる。また、死者の遺体埋葬は深夜に行なうという伝統的慣習を島民たちが実践する際、明るい夜ばかりではないため時にたいへんな苦労を強いられることがあったが、それも問題は解消した、と住民世話役のひとりは語っている。
この電気をもたらしたのは、ヌラナ・インダ・パラミタさんを核とする13人のTファイルチーム。島周辺の速い海流に着目したチームは発電能力10KVAの潮流発電施設を設置したのだ。発電機はシンプルな構造で組立てもメンテナンスも容易にできる。だがチームがそのアイデアを島民にオファーしたとき、島民は良い反応を示さなかった。かつて、風力発電・太陽光発電・バイオガス発電などさまざまなトライアルが国家プロジェクトとして大々的な宣伝文句とともに始められ、数ヶ月は電気が来たが、いつの間にか先細りになり、そのまま放置されるということが繰り返されてきた。狼少年はこりごりだというのが島民の本音だったにちがいない。
しかし、チームの意志は固かった。かれらは自分たちだけで電気を作り出すことに没頭した。島民の協力が得られない以上、力仕事を島民に頼んだり島の施設を利用する際には出費が発生する。手弁当で力を尽くすチームの姿は、島民の心の中の暖かい感情に触れることができたようだ。そのうちに島民たちが協力してくれるようになった。
発電機は、6メートルの鉄パイプを鉄枠にはめて海中に直立させ、その下につけられたプロペラが潮流で回転する仕組みになっており、海上にある1.5x1メートルの発電タービンに連結されている。そこからケーブルが陸上に引かれ、海岸道路に立てられた照明灯につながっている。たいへん小型で、シンプルな形態だ。潮流発電機は概して大型で、組立て上がったものを船で運び、建機を使って設置するという大掛かりな工事を必要としているが、これはそんな大掛かりなことをしないで、簡単に持ち運びができ、容易に組み立てられ、そして工業高校を出ているだけの者でもメンテナンスができるように考案した、とチームメンバーのひとりは述べている。大掛かりな潮流発電機は水流が毎秒2.5m以上ないと発電できないが、これは毎秒0.5mで電気が起こる、とのこと。
トヤパケ村とニュウ部落を給電対象に想定しているチームは、電力需要が700世帯に各450Wとして5〜6MWの供給が必要だろうと考えている。一般家庭に給電する場合、電線を引いて送電する工事が必要になり、そのためのさまざまな許可を取らなければならない。許可手続きにおよそ一年という期間が必要だ。許可を申請するたびに、必要書類をそろえたものが11セットも要求される。しかしそんなことが問題なのではなく、このプロジェクトが当局側の感情を傷つけないように工夫することに一番気を遣った、とパラミタさんは語っている。その許可は既に取得できたため、次の目標は発電能力のアップだとチームは張り切っている。


「コオロギ探しに副業あり」(2014年7月23・24日)
インドネシア人はコオロギを喧嘩させるゲームが好きだ。これは中国人が「闘蟋」と呼んでいるオスのコオロギを競わせる遊びで、中国人がインドネシアの各地に渡ってきたとき、このゲームをインドネシアに紹介した。インドネシア語ではadu jangkrikと称する。
バリでもアドゥジャンクリッが好まれている。バリは闘鶏のほうが盛んで、闘鶏が開催されると数百人という大観衆が集まってきて闘いの一挙手一投足に声をあげて興奮する。どうして興奮するのか?金を賭けているからだ。アドゥジャンクリッも同じだ。大のおとなが鶏やコオロギの喧嘩を見るだけで興奮して騒ぐはずがない。自分の金がかかっているという賭博であるがゆえの興奮なのである。ただし、アドゥジャンクリッは闘鶏のように大勢が集まってするものではない。あんなに小さいコオロギの喧嘩を数百人が取り囲んで見物しても見えるひとは限られているのだから、大勢が集まってきて興奮するようなことにはならないのである。
ところでバリでは、交通事故が起こったときにしばしばアドゥジャンクリッという単語が登場する。コオロギの喧嘩に負けて金をすったから、無謀運転して事故になったというようなものではなく、アドゥジャンクリッということばは正面衝突を意味しているのだ。正面衝突の形がコオロギの喧嘩を連想させたということなのだろう。この表現はバリのニュースメディアによく登場するものであり、ジャワではあまり目にしないから、バリ独特のものなのかもしれない。
バリ人はアドゥジャンクリッの闘士にするため、強いコオロギを村はずれの林野に探しに行く。探しに行くとき、何か特別のお供え物をしてから出かけると姿かたちがよくて強いのが手に入るとかれらは信じているそうだ。そのお供え物が何なのかはよくわからないのだが・・・・
バリ州ジュンブラナ県ムンドヨ郡バレアグン村住人ブディヤサ34歳はその夜、準備万端整えてから妻のクトゥッに「ちょっくら仲間と一緒にコオロギを探してくらあ。」と言って家を出た。男どもがそういう趣味を持っているのはバリ女にとって常識であり、生活費をちゃんと家に入れてくれるかぎり、余剰の金を何に使おうが女が差し出口をするべきものではないというけじめは持っている。ところが、そんな金が別の女の手に渡されていたことが分かると、女を囲うのは男の甲斐性という男の論理と、嫉妬に加えて正妻という自分のステータスが足元から揺らいでくることへの怒りがそれこそアドゥジャンクリッのように真正面から衝突し、夫婦の間でひと悶着起こるのが普通だ。しっかり者のバリ女が泣き喚いて暴れたら、なかなか生半可な男の手に負えるものではない。そんな状況は、またジャワとは異なるもののように見える。女性が卑下されていることは違わないものの、イスラム風土とバリの伝統的な風土(ヒンドゥ文化の役割がわたしにはまだよく見えていないのだが)が女性に与えている影響は違っていて当然だろう。
ブディヤサと仲間ふたりは、村はずれの林の中でコオロギを探していた。すると道からほとんど見えない藪影で、まだ若い男女が乳繰り合っているではないか。ブディヤサは懐中電灯の光をそのふたりに向けた。仲間ふたりも遅れじとそれにならう。びっくりしたのは、突然ライトを浴びた若い恋人ふたり。あられもない姿の娘はうつむいて身を硬くする。かれら三人はそのふたりと交わりはないものの、どこの家の息子と娘かということは知っている。ブディヤサは脱ぎ捨てられていた娘のブラウスを取り上げ、そして色男のオートバイのキーを抜き取った。ブディヤサの仲間ふたりが色男を左右から押さえて動きを封じる。
「オメーら、とんでもねえことをしてやがるなあ。オメーらの親が聞いたら、世間にあわせる顔がねえだろう。こりゃあひとつ、耳に入れてやらにゃあなるめえ。どうでい、そうして欲しいか?いやだったら、オメーの携帯電話を寄こしな。」
村の倫理道徳に外れた行為の説教かと思ったら、なんと恐喝ではないか。色男はしかたなく携帯電話をブディヤサに渡し、オートバイのキーを返してもらってそそくさとふたりで現場を後にした。
ブディヤサはその夜、コオロギを持って家に帰り、妻にはその出来事を一言も話さなかった。翌日ブディヤサはいつものように仕事に出た。かれが手に入れた携帯電話はそれでなんと七個目だったのである。金が必要になると、コオロギ探しの副業で得たコレクションのひとつを携帯ショップに持ち込んでは金に換えていた。
ところが、泣き寝入りする気のない昨夜のふたりの恋人たちは、翌日連れ立ってジュンブラナ県警に恐喝被害を届け出たのだ。恐喝犯がだれかというのは判りきっているのだから、警察はただブディヤサの家に行くだけだ。
ブディヤサが仕事から帰ってくる時間を見計らって、県警犯罪捜査課の刑事が家を訪れ、ブディヤサに一喝食らわせたから、ブディヤサは前科を吐いた。それを聞いて妻がびっくりした。「仕事をちゃんとやる人だから安心してたんで、夜にコオロギを探しに行くとか、仲間とバレーボールを見物するとか言って出歩いてたけど、なんとまあ、こんなことをする人とは思いもしなかったわあ。」
ブディヤサの自供で他の六人の被害者が判明し、警察は被害者から電話番号を聞いて奪われた携帯電話を探した。そのうちのいくつかは、携帯ショップのガラス棚の中から見つかったそうだ。ブディヤサはこれまでに重ねた恐喝犯罪の主犯としてジュンブラナ県警の拘置所に収容されている。神々の島バリ島に住む男たちの中にも、どうもこの種の人間が散見されるようだ。


「誤配郵便多発のバリ島」(2014年8月7日)
2014年4月30日付けコンパス紙への投書"Paket Pos Salah Kirim"から
拝啓、編集部殿。2014年3月15日、わたしはデンパサルのアンディ・ウィバワさん宛てに参照番号13340689117で小包みを発送しました。宛先は間違っていないのに、いまだに名宛人はそれを受け取っていません。郵便局からの情報に寄れば、小包みはウィンダルナさんというひとが同僚/使用人として受け取ったことになっていますが、宛先はオフィスでなく個人宅です。名宛人のアンディ・ウィバワさんは、ウィンダルナさんという人は同居しておらず、隣人にもいないと言っています。小包み発送人としてわたしは161番にこの問題を届け出ましたが、満足の行く回答が得られません。名宛人もデンパサル側でフォローしていますが十分な反応が得られません。[ 西ジャワ州デポッ市在住、ボビー・ウィビソノ ]
2014年5月7日付けコンパス紙に掲載されたインドネシア郵便会社からの回答
拝啓、編集部殿。ボビー・ウィビソノさんからの2014年4月30日付けコンパス紙に掲載された投書についてお知らせします。誤配された小包みは既に回収され、すぐにアンディ・ウィバワさんの住所に配達されて、名宛人の保護者として財団役員のムリヤディさんが受領されました。当方職員は事務所でアンディ・ウィバワさんとお会いし、小包みの経路を説明申し上げました。ご本人はそれを受け入れてくださり、問題は解決したとのご理解をいただきました。
提案や批判はインドネシア郵便会社コンタクトセンター161/021161の郵便コール、もしくはeメールアドレスcare@posindonesia.co.id経由でどうぞ。[ インドネシア郵便会社広報マネージャー、Aソフィアン ]


「トゥランベンの危機」(2014年9月12日)
バリ島東海岸で今たいへん人気を集めているダイビング行楽地がカランガスム(Karangasem)県トゥランベン(Tulamben)だ。ところが、現地ではダイビング客とダイビングオペレータが統制なく、自由に、言い換えれば自分の好き勝手に、海中に潜っており、地元行政からのコントロールもまったく見られないことから、外国人エコロジー専門家が見かねて警告を発した。
朝になると近在の宿から大勢のひとびとが海岸に集まってくる。そのありさまが朝になるとパサルに大勢が集まってくる姿に似ていることから、地元ではパサルパギ(朝市)と呼ばれている。一日にこの海に潜るダイバーの数は2百から4百人。オーストラリア海洋科学学院のサンゴ礁専門家は、トゥランベンの海は一スポットに年間2千人が限度だと語る。「ダイバーたちの能力も知識も千差万別だ。結局自分が楽しむことしか念頭になく、サンゴ礁や海中の生物のことは頭から抜けてしまう。まったく気にせずにフィンでサンゴを踏んだり、潜水具で傷つける。浮揚制御能力が身に付いていないから、故意でなくてもそういうことが起こる。あるいはサンゴや他の生物に触るようなことをするから、生物の側にストレスが起こる。今はダイバーがたくさんやってくるので金がどんどん入ってくるだろうが、5〜10年後にはエコシステムがおかしくなって魅力を失い、観光客は激減するだろう。捕獲漁にすら影響が出るにちがいない。」
トゥランベンの海がダイビング客をひきつけているのは、全長120メートルの沈没船、米国軍艦リバティ号が横たわっており、そのために海中12〜30メートルの深さに特異なサンゴ礁が形成されているためだ。沈没船の周辺以外にも、コーラルガーデンやドロップオフ、クブなどダイビングを楽しめるスポットはいくつかある。
オーストラリアのジェームス・クック大学教官は、5年くらい前からトゥランベンの海中の魅力がどんどん低下している、と言う。「昔はすばらしいサンゴをたくさん見ることができたが、今はその影もない。やってくるダイビング客の大半は沈没船を目当てにしている。この前の金曜日に潜ったら、沈没船の周囲に5グループが群れていた。あんなにたくさんいたら、狭い場所ですれ違うときに、潜水具が何かに触れるのを避けることはできない。沈没船の船壁にもサンゴはいっぱいなのだが・・・・」
かれら専門家たちによれば、トゥランベンのダイビングを早急に統制のとれた形にしなければならない。その海域の中で新しいスポットを用意するか、あるいは別の海域にダイビング客を分散させなければならない。さもなければ人数制限が必要になるだろう、と専門家はアドバイスしている。


「バリ空港で麻薬犯逮捕」(2014年10月2日)
バリ州グラライ空港税関が、2014年9月27日にバンコックから到着したドイツ人入国者を逮捕した。そのドイツ人H48歳はコカインを密輸入しようとして発見され、逮捕されたもの。
Hはグラライ空港到着ターミナルに入ってからトイレに行き、長時間出て来なかったことで、まず空港職員の不審を招いた。税関検査場で担当官が詳しく荷物を調べたが、怪しい物品は見つからない。担当官がHにイオンスキャンを当てたところ、陽性反応が検出されたため、確信を得た税関チームはHの身体検査を行なった。Hのパンツの中から白い粉末の詰め込まれたカプセル11個が発見されたことで、担当官の勘が的中したことが証明された。だが、税関チームはそれがすべてだと思わなかった。『この男はもっと隠している。他に隠せる場所は腹の中だ。』
Hは病院に移送されて徹底的に検査され、Hの腹の中に楕円形の不審な物体が多数あることが判明した。病院ではその一部である6個の物体を排出させるのに成功した。その6個に入っていた白い粉末も、パンツの中から発見されたものと同じコカインだった。Hが呑み込んだ物体は全部で17個あり、残る11個は自然に排出されるのを待つことになった。17個の物体にはコカイン239グラムが入っていた。
警察の取調べに対してHが自供した内容はこうだった。Hはバンコックで知り合った男から、バリ島にコカインを持ち込むよう奨められた。それを持ち込んでバリで待っている人間に渡せば5千米ドルの報酬がもらえるという約束だったとかれは語っている。
警察はHを麻薬に関する2009年法律第35号第113条2項の違反容疑で送検する意向。この条項の最高刑は死刑となっている。


「バリへの宅配便の中にナルコバが」(2014年10月20日)
バリ州グラライ空港税関が、外国から送られてきた宅配便貨物の中からナルコバ(麻薬・違法薬物)を発見した。2014年9月28・30日と10月2日に貨物輸入通関検査の中で発見されたナルコバは1,178グラムに達する。
9月28日のX線による検査で中国から送られてきたバックパック2梱包に納められていた十数個のバッグの中のひとつに、透明の結晶状の物質が入っているのが見つかった。物質は548グラムあり、シャブだと見られている。9月30日にも中国から送られてきた同じ内容の梱包の中から、またシャブと見られる透明な結晶状の物質586グラムが発見された。中国から宅配便で送られてきたその二回の送付物はいずれも届け先が南デンパサルの同じ住所で、受取人も同じだ。
この受取人がシンジケートの一員である可能性はあるが、そうでない可能性もある。シンジケートはまったく無関係の人間の住所氏名を勝手に使い、送付物が送り先国に着いたあと宅配業者に配達日時を指定し、業者がやってくる時間にその住所の家の表で待ち、宛先者になりすまして送付物を受取ると、そのままドロンするという手口は頻繁に使われている。
10月2日に見つかったものは、アメリカから宅配便で送られてきたビデオゲーム用CDソフトの中に隠されていた透明な結晶状の物質44グラムで、これもシャブと見られている。宛先は西ヌサトゥンガラ州ロンボッ島マタラム市内になっていた。
2014年1月から10月初旬までにグラライ空港税関が発見した宅配便送付物内のナルコバは11件、乗客が持ち込もうとしたものは6件摘発されている。


「グラライ空港で麻薬持込犯人逮捕」(2014年12月22日)
2014年12月7日夕刻、バリ州グラライ空港税関がシャブおよそ2.1キログラムをトランクの隙間に隠して国内に持ち込もうとしたロシア人ひとりを逮捕した。香港発デンパサル行き国際線航空機が到着し、X線透視機にかけたトランクを乗客が続々と取り上げて外に出ようとしている中で、透視機の画面を見守っていた税関担当官がいきなりトランクのひとつを指差した。そのトランクのオーナーと見られるまだ若い西洋人の表情が変わる。税関職員数名が西洋人の周りを固め、西洋人とトランクは別室に案内された。
取調室でそのトランクは細かいチェックを受け、外からは見えないトランクの隙間に、ビニール袋10個に納められた透明なシャブの結晶が隠されているのが発見された。若い西洋人は26歳のロシア国籍人だった。
去る12月1日にも、やはり香港発デンパサル行き航空機乗客が持ち込もうとしたトランクに不審が見られたので取調べが行なわれ、トランクの隙間に隠されていたシャブの結晶およそ1.7キログラムが発見されている。2014年1月から数えると、航空機乗客がバリ島に持ち込もうとした麻薬禁制薬物の摘発は21回目にあたる。26歳のロシア人を取り調べたバリ州警察麻薬捜査局第二課長は、そのロシア人は単なる運び屋でしかなく、かれにバリ島への持込指示を与えたPというイニシャルの麻薬元締めは所在がどこなのかがはっきりせず、多分インドネシアの国外で運び屋を操っている可能性が高い、と説明している。