「バリ島のミュリエル」


1932年11月のある曇り空の朝、ミュリエルはニューヨークからアジアへ向かう小さい貨物船に乗った。乗客はかの女ひとりだけだったようだ。船はアフリカ〜インド〜中国を経由してからマレー半島に戻り、スマトラを経てバタヴィアに到着した。何ヶ月も洋上を旅して、ミュリエルはやっと目的地に到着したのだ。いや、それは船旅の目的地であって、かの女自身の目的地ではない。ミュリエルは二年間バリ島で暮らすために単調な船旅を耐えしのんでやってきた。すべての金とキャンバスと画筆と絵の具を持って。

ミュリエルはニューヨークに住んでいる画家ではない。第一次大戦が終わるまで、かの女は母親と一緒にスコットランドに住んでいた。そしてその母と娘はアメリカに向かう移民船に乗ったのだ。ふたりはカリフォルニアに居を定め、娘は1930年からハリウッドの映画ジャーナリストとして働いていた。絵画は副業だ。


ミュリエル・スチュアート・ウォーカーは1898年にスコットランドのグラスゴーで生まれた。両親は共にマン島を故郷としていた。考古学者の父親は妊婦の妻を置いてアフリカに旅立ち、熱帯性熱病のためにその地で果てた。つまりミュリエルと実の父親との間にはまったく接触が無かったということになる。ミュリエルの母はスコットランド人と再婚し、ミュリエルが14歳になるまでマン島で暮らしたあとグラスゴーに移った。そして第一次大戦が勃発し、ミュリエルの義父は戦場に送られて戦死した。
ミュリエルはカリフォルニアで暮らし、ハリウッドで働いていた。そして運命の日がやってくる。1932年のある日、ハリウッドブルヴァールを歩いていたかの女の目は小さい映画館に掲げられているポスターに引き寄せられた。それは外国製の映画で、遠い太平洋のパラダイス、バリ島の姿を描いたものだった。これまでまったく知らなかったバリ島の住民たちの暮らしを目の当たりにしたかの女は、自分が抱えていた精神的な疎外感の核心を突き止めたと思った。アメリカンライフは自分のためのものではない。異郷の地への憧れが心の奥にわだかまり、そしてすべてをなげうって夢と希望に突進する日が最終的にやってきた。
娘の計画を聞かされた母親は少しも驚かずに言った。「歴史は繰り返す。最初からこうなることは判ってたわ。あの父親にしてこの娘よ。きっとこうなる日が来るってね。あなたたちは奇妙な原住民たちをどうしてそんなに好むのかしら・・・」
しかしミュリエルの心に浮かんだのは、こんな言葉だった。「あら、マン島人よりもっと奇妙な原住民がこの世界のどこにいるのかしら?」ただ、かの女はそれを口に出すことを避けた。ただひとりの肉親と長い別れをする前に感情的なしこりを残して旅立つのは大人気ない。


< バタヴィアから一路、バリ島へ >
三ヶ月を超える船旅を経て、貨物船はバタヴィア市街からおよそ10キロほど離れたタンジュンプリウッ港に入った。日焼けした小柄な港湾荷役人足たちが意外にきびきびと動いているのを目にして、ミュリエルはそれを思いがけなく感じた。上海や香港の港で目にしたクーリーたちの緩慢な動きとはまるで違う。少し離れた場所にいるオランダ人や他の西洋人たちは、糊の利いた真っ白な上下服に身を包んで、傲慢な姿で人足に指図している。そして用を終えたかれらは、タクシーに乗って港から去って行った。タクシーはきらめくようなアメリカ製のセダン車だ。

バタヴィアのウエルトフレーデンはミュリエルの抱いていた想像をくつがえした。コニングスプレインの周囲には緑濃い芝生に包まれた壮大な建物が並び、蘭領東インド総督官邸が広場の北側から睥睨している。そして壮麗なデスインデス、快適なデスガレリース、往年の雰囲気を漂わせるデルネーデルランデンなど超一級の素晴らしいホテルが周囲一帯に目白押しだ。

ミュリエルはバタヴィアからバリへの移動のために自動車の購入を計画していた。ジャワ島を海岸沿いに走ってからバリ島を対岸に望むバニュワギまで行き、そこから現地人の小船に自動車を乗せてバリ海峡を渡ろうというアイデアだ。英語の流暢なオランダ人が意欲的にミュリエルを助けてくれた。米ドルをフルデンに両替して自動車を買う。ところがいざ自動車を購入したあとで、ミュリエルが自分で運転してバリへ行こうとしているのを知ってかれは顔色を曇らせた。「ジャワでは、自動車のオーナーは必ずプリブミの運転手を雇っている。白人が自分で運転などするべきではない。ましてやその白人が女性だなんて・・・。ありえない話だ。あなたのその考えは不可能だ。ぜひとも考え直してください。それよりも、KPMの客船に車を積んで、船でバリ島まで行くほうが、はるかに快適ですよ。」
ミュリエルは真面目な表情でオランダ人の話を聞いていたが、自分の考えを変えるつもりはまるでなかった。アメリカ大陸を自分で運転して何度も横断した経験を持つかの女は必要な注意事項だけを心に刻み、あとは忘れてしまった。そして小型車を一台購入した日の夜中、かの女はホテルを出立してバリ島に向かった。

怖れは少しも感じなかったとかの女は書き残している。しかし、ジャワ島はアメリカでなかったことを思い知らされた。現地語を知らず、品物の現地価格が体得できておらず、何よりもこれまで経験したことのない問題が道路上にあふれていた。カーブだらけの夜道、明かりも点けずに夜道を通行する牛車。自動車のヘッドライトの光は弱く、光線は漆黒の闇の中に吸い込まれて行った。バタヴィアで知り合ったオランダ人があれほど強く反対した理由を、かの女はそのときはじめて悟った。たとえそうであっても、湿った土の匂いと名も知らぬ花の香りに満ちたジャワ島の夜の旅をかの女は存分に楽しんでいたのだ。

道に迷って土地の人間に尋ねても、必要な情報は得られない。身振り手振りは役に立たず、時間が空費される。食べ物やガソリンを買うとき、米ドルを現地通貨に十分交換してこなかったかの女は、ふたたび苦労を味わった。

闇夜を走っていたミュリエルは、突然ブレーキを踏むはめになった。道路の中ほどに浮浪児がひとり立っている。村から離れた寂れた場所で、そこがどこなのかまるでわからない。そんなところに浮浪児が車に乗せてもらおうとして出現した。ぼろくずのような衣服に長い黒髪、腕白そうな顔。年齢は9歳くらいだろうか。おどろいたことに、その子は国籍不明な英語をしゃべり、「ぼくの名前はピト」だと自己紹介した。英語はあちこちのホテルで宿泊客から習ったそうだ。
ミュリエルは最初、これは罠ではないかと疑った。道案内をするふりをして盗賊団のアジトに連れ込まれるか、それとも子供を誘拐したと言って土地の者たちが罰金を要求してくるか?
「レディ、ぼくはあなたの目となり、舌となる。あなたが行きたいところへ案内し、またあなたのお金を損しないように交換してあげる。夜は邪悪な霊から守ってあげる。ぼくは英語が話せるから、あなたの役に立つ。」

それがピトとの運命的な出会いだった。ピトの父親は官憲に捕らえられてパプアの流刑地に流され、母親はそれを悲しんで没した。両親を失ったピトはジャワ島のいたるところにいる浮浪児のひとりになった。


ミュリエルは8日かけてやっとジャワ島東端のバニュワギに到達したが、その間ピトからさまざまなことを学んだ。品物の値段がどれくらいであるとか、買物をする祭に必要なジャワ語会話等々を。ミュリエルは旅路を急ぐ必要がなく、むしろピトを連れにして旅を楽しみながらあれこれ学ぶことのほうが楽しかったようだ。夜はオランダ植民地政庁が設けた官営の宿泊所に泊まったが、ミュリエルは宿泊を許されても相棒のピトは常に拒否された。ピトは埃だらけの車の中で寝た。

ミュリエルはピトの保護者になろうと考え、バリで一緒に暮らそうと誘った。やせ細った身体に栄養を与え、学校へも行かせよう。だがピトは拒絶した。ジャワ人にとってバリは異界であり、身の毛のよだつ恐怖の島だったようだ。「バリにはレアッ(悪霊)がたくさんいて、ぼくは殺されてしまう。ジャワの子は学校なんかいらない。ジャワの子はジャワにいるのが一番しあわせなんだ。」
ミュリエルは策略を考えた。ピトが車内で寝ている間にバリ海峡を渡ろう。船着場で小船を雇い、浜の男たちに車を静かに押させて小船に積み込んだ。船は帆をあげて海に乗り出し、波にもまれて上下した。狭い小船に収まった車はドアを開くことができない。
バニュワギから一番近いバリ島の西端はギリマヌッだ。ギリマヌッのどこかわからない砂浜に船が乗り上げた。ミュリエルは船から飛び降りると、感動にうち震えた。ついに憧れの地をその足が踏んだのだ。自分の新しい人生がここから始まる。ところが、車を船から降ろしているときにピトが目を覚ました。ミュリエルはピトに教えた。「わたしたち、バリ島に着いたのよ。ジャワ島はこの海峡の向こう側・・・」

ピトはミュリエルと並んで砂浜に立ち、海峡の向こうを眺め、そして目をみはり、悲鳴をあげた。それから小船を操ってきた大人の船頭たちを睨みつけ、腰にさしている鉈を抜いて手に持った。船頭たちは一歩後ろに下がる。ピトは叫んだ。「ぼくを連れて帰れ。連れて戻るんだ。ここにはレアッがいっぱいいる。ぼくはここで殺されてしまう・・・。」ピトは砂の上に崩れ落ちて、しゃくりあげながら泣いた。
船頭たちは顔を見合わせながら、小さい声で言葉を交わし合っている。ミュリエルはピトを落ち着かせ、そして尋ねた。
「船頭さんたちは何を言っているの?」
「ぼくの言ったことはもっともだ、って。それから、ここの周りは30キロくらいジャングルに覆われていて、住民はいない。ここへやってくるのはオランダ人のハンターくらいで、かれらはここで虎狩をする。そう、虎が隠れ住んでるんだよ。あなたはよくよく警戒しないといけない。でも、ぼくはジャワへ帰るんだ!」ピトの決心は変わらない。ミュリエルは決めた。ピトを故郷まで帰してやろう。


ピトの意見で、車はそこへ置いておき、ふたりは再び小船に乗った。バニュワギの鉄道駅でピトの故郷に一番近い駅までの切符を買い、多少の小遣いを与え、汽車に乗っている間に必要な食べ物と新しい衣服を買い与え、「もし気持ちが変わったらバリにおいで」と言ってミュリエルは自分の名前とデンパサルのアメリカ領事館の住所を紙に書いて渡した。
汽車の発車時間が近付いたとき、ピトは身に着けていた小さい木彫りの像を取り出すと、このお守りを肌身離さず身に着けていてください、とミュリエルに渡した。そのお守りが何度もピトを災厄から救ったそうだ。新しいお守りをまたドゥクンから買うから自分はまったく問題ないが、これからバリで暮らすあなたはレアッの禍を防ぐために絶対にお守りが必要だ、とピトは主張した。

ピトを乗せた汽車が去ったあと、ミュリエルはバニュワギの船着場に戻った。もう一度バリ海峡を渡らなければならない。しかし太陽はもう西に沈みかかっており、船着場は閑散としている。先に海峡を渡るときに雇った船頭たちの姿はどこにも見当たらない。不運なことに、風が強まり、海が荒れはじめた。船着場にいる男たちはだれひとり、ミュリエルの依頼を受け付けなかった。

疲れと失望を背負って、ミュリエルは近くのコーヒーワルンに入った。そこは船の出港を待つ船員らの溜まり場だった。小さな灯油ランプがおぼろな光を放ち、アジア人の男たち十数人が、質素な食べ物の並んだテーブルを囲んでいる。褐色の肌のプリブミ、黄色い肌の中国人、ターバンを巻いたインド人にアラブ人と、さながら人種の見本市のようだ。
暗がりの中にいる男たちは感情の高ぶった雰囲気など少しもなく、ただ黙してクールに座っていた。ミュリエルはふと気付いた。かれらのような階層の人間が十数人、全員ひと言も発せずに沈黙の中で座っているのは、何かおかしい。その原因はすぐに思い当たった。こんな場所に西洋人がただひとりで入り込んできたのだから、かれらが警戒しないはずがない。

ミュリエルはジャワ島横断ドライブの間、コットンの長ズボンとジャケットで身を装い、赤い髪の毛をベレー帽の中に押し込んでいた。男装して女性の一人旅というリスクをかわそうとしたのでなく、ドライブ旅行の間の身の動きを楽にするための単純な理由だったのだが、かの女の背が白人の割りにあまり高くなく、地元民の中に混じっても目立たないという要素も重なって、プリブミからは白人男子青年のドライブ旅行という認識を受けていた。ミュリエルの肌も日ごとに日焼けし、かの女が偶然ながら作り出したイメージを助長する働きをした。こうして、そのほうが人目をあまり引かないためより安全であるという、かの女にとっては都合のよい状況を招きよせる結果になっていたのだ。

ミュリエルは男たちのテーブルから少し離れた場所に座り、ワルンの亭主にコーヒーをオーダーして小銭をテーブルの上に投げ出した。このような場所にお似合いの振舞いだ。熱く甘いコピートゥブルッをすすっていると、かの女から一番近い場所にいたインド人が英語で話しかけてきた。
「あんたは今荷役してる外国船に乗ってるのかね?」
ミュリエルは首を横に振り、自分はバリ島に渡る方法を探しているところだ、と答えた。インド人は仲間の十数人にミュリエルの言葉を翻訳して伝えた。俄然、男たちの口から言葉がほとばしり出た。かの女がそこへやってきたときの緊張した対立的空気が一度に溶解し、雰囲気は熱を帯びた。何人かがかの女に微笑を向け、男たちがかの女の役に立とうとしてその気持ちをさらけ出していることがかの女にも伝わってきた。

かれらの間でしばらく議論が続き、一段落したところでさっきのインド人がまた話しかけてきた。「できる、できる。大丈夫だ。十二時過ぎにバリ島に渡る船がある。魚とヤギと、ボンベイ商人ふたりとチナ人ひとりがそれに乗る。みんなバリ島へ行くんだ。あんたもそれに乗ることができる。もちろん金を払って。」
ミュリエルはその船がバリ島のどこに着くのか尋ねた。インド人は指でバリ島の絵を描き、この辺に着くんだ、と説明した。「チナ人のバスがみんなを迎えに来て、そこから7キロほど離れたジュンブラナの村に運ぶことになってる。」
ミュリエルの頭の中には、バリ島の地図がくっきりと描かれている。ジュンブラナからバリ島西端のギリマヌッまでは30キロも離れている。かの女は苦い顔をした。ピトと一緒に一度上陸したときに下ろした車は、ギリマヌッのどこかの砂浜に置き去りにされているのだ。

ミュリエルの苦い顔に気付いたインド人は、「ギリマヌッへ行きたいのに・・」というかの女の言葉に光明を与えようと努めた。
「ジュンブラナには善良なタクシーがいっぱいいて、金さえ払えば島内のどこへでも送ってくれる。全然心配はいらないよ。船賃とジュンブラナまでのバス代で、まとめて2フルデンだ。」

『えっ、そんなに廉いの?』という驚喜と共に「よし、商談成立!」という口に出かかった言葉を心の奥底に押さえ込んで、ミュリエルは渋い顔を作った。口から出たのは「高いよ」という言葉だ。
ジャワ島の道中にピトが口を酸っぱくしてかの女に教えた売買倫理をミュリエルは思い出していた。売り手のオファー金額がどんなに廉く思えても、すぐにそれを受け入れてはいけない。タワルムナワルは売買の場で欠かすことのできないヒューマンコンタクトの形式なのであり、それを行なうことで売り手と買い手の間に互いに相手の人格を認め合う意識が生じる。タワルムナワルをしない人間は、売り手から侮蔑されるだけだ。
ミュリエルはインド人に言った。「1フルデンでどう?」
「無理だ。少なすぎる。」インド人は首を横に振りながら答えた。
インド人は1.5フルデンをオファーし、ミュリエルは計算している風を装ってちょっとの間、時間をかせいでから、最終的に首を縦に振った。これでお互いに面目が立つ。友好的に商談が成立したので、ミュリエルはそこにいる十数人にコーヒーを振舞った。暖かい雰囲気がその場を覆った。

俄か作りの仲間たちと時間をつぶしてから、船が出るという時間の前にミュリエルは船着場に戻った。あまりひと気のない船着場には年寄りの中国人とトルコ帽をかぶったアラブ人がふたりいた。ボンベイ商人とはどうやらかれらのことらしい。
マドゥラ人が3人、船の世話をしていた。荷物の積み込みが終わると、船は出帆した。風はますます強まり、海上は荒れている。甲板に敷かれた小さいゴザが乗客の席だ。かの女は3人の相客と離れて座り、黙って海上を眺めていた。そのときになって、恐怖がかの女の心臓を鷲づかみにした。白人女性の自分がたったひとりで、文化のまるで異なるアジアの諸民族の男たちの中にいる。ベルトに縫い付けてある金を奪われ、自分がこの世から姿を消しても、世界中のだれひとりとしてそのことに心を向ける者はいないだろう。誰にも知られずに自分の存在がこの地上から消えて無くなる。ネガティブな想念が頭を離れず、船旅を楽しむどころではない。
いや、もちろんこんな船旅を楽しめる人間などいないだろう。甲板は硬く居心地は悪い。そして強風に煽られた波が帆船をもみくちゃにし、風は冷たく、骨の髄まで沁みこんだ。


< 荒海を越えて >
ふたりのトルコ帽の男は、包みを取り出して中から干し肉やバナナの葉に包まれた食べ物を取り出し、相客に勧めた。ミュリエルは最初断ったが、執拗に勧められるので、ふたりが持っている食べ物がたっぷりあることを目で確かめてからひとつ受け取った。バナナの葉の中味はアレマレムだった。サンバルゴレンを巻き寿司のように飯でくるみ、バナナの葉で巻いて蒸したものだ。ミュリエルはあまりの辛さに涙を流した。

沖へ出るほど船は木の葉のように波にもまれ、アラブ人は船酔いに苦しんでいたが、ミュリエルがまるで平気だったのは、アメリカからの長い航海で鍛えられたせいだろう。かの女は甲板の上に身体を横たえて眠った。

不安にまとわりつかれた浅い眠りから、ミュリエルは突然目覚めた。半時間ほどが経過していた。全身が海水を浴びて濡れており、船は強い風に押されながら波間を上下している。数メートルの高さに持ち上げられたかと思うと、波間の谷底へとまっさかさまに落ちていく。波しぶきは絶え間なく甲板を洗う。
この船はもう船頭たちの手に負えなくなっているにちがいない。そのうちに横転するか沈没して、全員が海のもくずと消えるにちがいない。パニックがミュリエルを襲った。二人連れのアラブ人も同じ考えだったようだ。ふたりは身体を寄せ合い、恐怖に身をこわばらせて甲板に座っていた。ときどき、かれらの口から悲痛な声がマドゥラ人たちに向かって発せられたが、われを忘れて操船に精出しているマドゥラ人にかれらの相手をする余裕などまったくなかった。嵐はますます荒れ狂う。
アラブ人はひざまずくと、神に祈り始めた。そして時おり、ミュリエルに鋭い視線を向け、おまけにその口から「アメリカ」という言葉が発せられているのを耳にして、かの女は動揺した。アメリカ人がこの船に乗ったからこんなことになったのだ、とかれらは思っているのではないだろうか?災厄の元凶であるアメリカ人をこの船から追い出せば、嵐はおさまるとでも・・・・?ミュリエルの心中をまた別の不安が駆け巡った。

中国人の年寄りも同じ考えなのだろうか?ところが、アラブ人とアメリカ人がパニックに陥っているとき、中国人は涼しい顔でタバコを吸っていた。こんな程度の嵐など、ものの数ではない、という表情だ。ミュリエルはその年寄りに近寄った。中国人は穏やかな表情のまま、近寄ってきたミュリエルに言った。「若者よ、怖がらなくてよい。この嵐はもうじきおさまる。」
「アラブ人はわたしを狙っているようだ。」とミュリエルが言うと、中国人は破顔してミュリエルに説明した。「かれらはもう生命が危ういと思ってアッラーに助けを求めているのだ。無事に陸地に着くことができたら、山のようにお供えをすると言ってな。そして、この船にいるのは自分たちだけでなく、金持ちのアメリカ人も乗っているんだとアッラーに訴えているのだよ。」
「わたしはそんな金持ちじゃないよ。」
「かれらのことは心配しなくてよい。かれらが神に誓うことなど、空手形だ。無事に陸地を踏めたらそれでよい。道中で何を誓おうが、忘れてしまう。」

年寄りが言った通り、強風は徐々に弱まっていった。しかし波は依然として高い。操船のために神経を張り詰めていたマドゥラ人は少し気を緩め、安心感が船内に流れた。しかし向かい風のために船はなかなか前進できず、一晩中同じ海域を進退していたようだ。ただし、少なくとも、危険はもう過ぎ去っていた。ミュリエルは眠ろうとして甲板に横になった。中国人年寄りもそれに倣った。アラブ人の祈りの声が聞こえている中で、ミュリエルは眠りに落ちた。


朝日の中でミュリエルが目を覚ましたとき、船は陸地に接近しつつあった。団塊のようなバリ島の山々が青く遠望され、山の上部は赤色に染まっていた。希望に満ちた一日がまた始まる。
そのとき、船上にいる全員がかの女に不審な目を向けていることにミュリエルは気付いた。ベレー帽の中に包んでいた赤毛の髪が肩に垂れ下がっている。眠っているときに、ベレー帽が外れたのだ。近くに転がっていたベレー帽を拾うと、かの女は急いで髪の毛をその中に押し込んだ。しかし、もう手遅れだった。

「おはよう、フレンズ。」
みんなは、かしこまった挨拶を返してきた。
「よく眠ったね、マダム。あなたはツーリストかね?」中国人の年寄りが言う。
「ツーリストじゃありません。」
それ以上、だれもミュリエルに声をかけてこなかったが、全員が借りてきた猫のように振る舞いを変えていた。丁寧で紳士的な態度に。前夜、さまざまな妄想でかれらを疑った自分を、ミュリエルは恥じた。

船が陸地に着いて積荷を下ろし始めた。陸地にはボロボロになったバスが一台止まっており、中にプリブミが何人か座っていた。かれらは船で運ばれてきた魚を持ち帰るためにジュンブラナからやってきた者たちだそうだ。船の貨物が移され、船客たちもプリブミと一緒にバスに乗る。車体はオンボロだが、そのバスはちゃんと走った。

7キロほど離れたジュンブラナの村に着いて他の船客たちと別れたあと、ミュリエルはギリマヌッに向かうためにタクシーを探した。バニュワギのワルンでインド人が言った通り、タクシーはよりどりみどりだ。ジュンブラナとギリマヌッを結ぶ街道は、深い森の中を通る。道の両側にたくさんの猿が徘徊し、瞬く間に樹上に登ってわめき声をあげる。ときどき鹿が道路を横切る。藪の間から野鶏が飛び出してくる。人間が住んでいるしるしを見出すことは、本当に稀だ。
バリ島西部地域を訪れる人間はめったにいない、とタクシーの運転手は物語る。やってくるのは虎狩りのオランダ人ハンターくらいのものだ。この密林の奥深いどこかに虎が棲息している。
しかし、虎の恐怖など何も感じないまま、ミュリエルはバリ島の大自然が見せている穏やかな美に心を震わせていた。『想像していたのより、はるかに素晴らしいところだわ。』

ギリマヌッの寂れた砂浜に、ミュリエルは自分の車を見つけた。車内後部に押し込まれている、アメリカから運んできたトランクや函は、誰の手にも触れられないまま、そこにあった。先にギリマヌッに来ているハンターのグループに加わるためだろうと思っていたタクシー運転手はまるで思いがけない成り行きに、半ば呆然としていた。そんなひと気のない場所に自動車が置かれているなどと、容易に信じられるものではない。おまけに、その車を白人が自分で運転して運んでいくなんて・・・。さらにその白人が女性であることを運転手が知ったなら、かれは自分の気が狂ったと思ったかもしれない。

ミュリエルはタクシー代を支払ってから、自分の車の運転席に入り、エンジンをかけた。エンジンは快調なうなりをあげた。自分が運んできた白人の一挙手一投足を興味津々眺めていたタクシー運転手の呆然とした表情に輪がかかっている。ミュリエルは自分の車を発進させ、運転手に手を振ると、さっき来た道をジュンブラナに向かって走り出した。まるで信じられないものを目撃した人間が示す奇妙な表情を浮かべているタクシー運転手の顔をバックミラーで目にしつつ、ミュリエルは満足この上もない笑顔を浮かべた。


ギリマヌッからジュンブラナに向かって、ミュリエルは一路、自動車を駆る。深い森の中を抜け、今にも壊れそうな小さい木の橋をいくつもいくつも渡り、やっとひとの姿を目にするようになってきた。男も女も小柄で痩せた身体を黄金色に輝かせ、そして男も女も同じように上半身は裸だ。道路脇を歩いている女性、水田で働いている女性、みんなが乳房をあらわにしている。そんな姿で頭に大きな荷物を載せたまま、何人もの女性が道路を一列になって歩いている。

ジュンブラナを過ぎてデンパサルに向かう間も、いたるところで同じ姿のバリ人男女を目にした。多くの場所で、道路は曲がりくねった川に沿って作られている。バリ人はその川で水浴し、排泄し、水牛を洗う。しかしかれらは決して全裸にならない。幼児の年齢を過ぎたなら。
水浴するひとはまずサルンをはいたまま水中に入り、そしてサルンをはずすと同時に腰を水中に浸す。たいへんな早業だ。昔から続けられてきた伝統が、いたるところに残されている。ところがデンパサルの市域に入ったとたん、風景は一変してしまった。中国人やアラブ人の店、西洋風の住宅。バリの農村で目にした風景はそこになく、世界中のどこにでもあるような風景が広がっている。

ミュリエルはバリホテルに車を乗り入れて部屋を取った。ホテルの中は、ロビーも食堂も白人であふれている。これではハリウッドにいるのと変わらない。白人のマジョリティは植民地政庁の役人をしているオランダ人で、アメリカ人旅行者もちらほらいた。プリブミの宿泊客はひとりもいなかった。ホテルにいるプリブミはすべて従業員なのだ。
それもそのはずで、バリホテルはバリ島の歴史始まって以来、はじめて作られた西洋式高級ホテルだ。開業は1930年で、ヨーロッパ人がマネージメントをしている国際級のホテルはバリ島でそれひとつしかなく、ヨーロッパスタンダードのサービスを受けたい人間がそこに集まってくるのは当然だったと言える。デンパサルの中心地にあるバリホテルとキンタマニにある素朴な宿泊施設が、一般の外国人観光客が利用する場所だった。


オランダ人は概して、見知らぬ他人にフレンドリーでない。食堂で夕食のテーブルに着いたとき、単身のミュリエルに話しかけてくる者はひとりもいなかった。翌日の夕食も同じようになるかと思ったが、縮れ毛で青い目をした冷淡な態度の青年が近付いてきて、自己紹介した。自分はデンパサル地区の副監視官だと言う。「あなたは最近ここへやってきたのですね?」
ミュリエルがうなずくと、副監視官はバリの美しさや気候のよさを物語り、そして尋ねた。「バリにはどのくらい滞在するご予定ですか?」
「まだわかりません。状況次第で・・・。でも永くなるかもしれません。」
「ここで規定の期間を超えて滞在する外国人は、オランダ政府が求める手続きをしなければなりません。」
「オランダ?ここはバリでしょうに。」

「ここはバリでなく、小規模なオランダなのであり、あなたを含めてここにいるすべての者はオランダの法律に従う義務を負っているのです。バリはオランダ王国植民地の一部です。多分あなたはご存知ないでしょうが、ここで6ヶ月を超えて滞在するのであれば、あなたは150フルデンの税金を納めなければなりません。」
「バタヴィアに到着したとき、わたしはもうそれを納めています。」
「教えてくれませんか?あなたはバリに何をしに来たのですか?若いアメリカ女性がひとりでこんな遠いところにまで・・・。」
「わたしは絵を描きたいのです。」

副監視官の顔がほころぶ。「オー、あなたは芸術家だったのですか。だったら、決してバリに長居はしないでしょう。外来者はしばらくここに住むと、みんな退屈してしまうのです。わたし自身、バリでもう二年になりますが、うんざりして反吐が出そうです。陽射しの暑さ、不潔さ。オランダに帰れる日をわたしは待ち望んでいるのです。しかしわたしは政府の役人であり、任務に尽くさなければなりません。だから心を強くしてここに住んでいるのです。芸術家は大勢ここにやってきますが、すぐここにうんざりして、また帰っていくのです。」
「全部じゃないでしょう?監視官さん。」
「そう、ほとんどが、と言っておきましょう。ここには少々イカれた人間がまだ残っているので。」
監視官はミュリエルを見つめ、声を落とした。「で、あなたの詳しい計画はどうなっているのですか?」

ミュリエルは黙って副監視官の目を見つめ返し、そして話し出した。
「わたしがバリへ来たのは、バリ人の暮らしを自分で体験するためです。デンパサルにはプリブミとしてのバリ人の暮らしがありません。デンパサルでわたしが見たのは、オランダ人・ホテル・オフィス・銀行・中国人商店だけ。だから、わたしは農村部へ行って、プリブミに混じってかれらの暮らしを体験しようと考えています。わたしはかれらの文化を学び、バリの真髄に触れたいのです。」
「不可能だ!そんなことができるわけがない。バリには女性の芸術家などいないし、プリブミ社会の中で暮らす白人女性もありえない。あなたはホテルで暮らすべきだ。」
「お言葉ですけど、わたしはもう決意しているのです。あなたはさっきわたしに言いましたね。うんざりしてバリから去らなかった芸術家はどこにいるんですか?かれらはホテル暮らしなどしていないでしょう。デンパサルに住むことさえしていない。わたしも同じようにするつもりです。プリブミと一緒に、かれらの村に住みます。」

「あなたはもっと熟考してから口を開いたほうがよい。オランダ領東インドでそんなことは許されないのです。男性芸術家ですら、そんなことはしていません。かれらはカンプンの中で暮らしているのでなく、自分の家を建てて住んでいるのです。たとえそうであっても、オランダ政府に面倒をかけているのは変わりありません。かれらはモラルを放棄している。たとえば、かれらのひとりであるベルギー人はバリ女性と一緒に暮らし、ミニパラダイスを作っている。スイス人の男もそうだ。あなたはかれらに近寄らないように。かれらの描く絵は全部イカれている。かれらはジェントルマンではないのだ。他にもイカれている人間がいる。オランダ人がふたり。ひとりはサヌール海岸に住んでいる。アメリカ人は変わっているから、わからないわけでもないが、オランダ人があれでは・・・。許されないことだ。もうひとりはウブッで、ドイツ人芸術家と一緒に暮らしている。そのドイツ人は音楽も著作もするし、蝶の収集もしているようだ。しかし、われわれはプリブミと親しくする白人を好まない。白人の威厳が崩壊してしまうから。もしあなたがバリ人のような暮らしをするなら、それはプリブミに悪影響を及ぼします。かれらの白人に対する尊敬の念もおかしなことになる。植民地政府はそんなことを許しません。もしよろしければ、デンパサル市内で小さな借家をあなたに世話してあげましょう。」

ミュリエルはホテルのオランダ人マネージャーに自分の計画の一部を話していた。それが監視官の耳に入って、こんなことになっている。ミュリエルの反抗心がメラメラと燃え上がった。
「ご忠告に感謝します。でも申し上げておきますが、快適な現代生活をわたしが望んでいるのであれば、それを求めてこんな所までやってくるはずが無いでしょう。アメリカを離れるわけがありませんもの。もうひとつ言っておきますが、もしわたしがオランダ人の中で暮らしたいと思ったなら、わたしはオランダへ行きます。こんなところにそれを求めてやってくるはずがありません。」
副監視官は立ち上がってから言った。「あなたにチャンスをあげましょう。あなたはここでまだ日が浅いし、おまけにアメリカ人なのだから。今あなたは気持ちが熱中しているが、すぐに退屈するでしょう。あなたはかれらの生活が不潔で不衛生であるのを実体験して、吐き気を感じるようになるでしょう。清潔さのない暮らしをしてみれば、すぐにアメリカが恋しくなりますよ。」
「監視官さん、あなたは不潔や不衛生について、そしてこの土地の清潔でないカンプンについて声高らかに語っていらっしゃいますが、この東インドを何世紀にも渡って統治してきたオランダにとって、それは名誉ある宣伝にならないのじゃありませんこと?」
監視官は微笑むと、きびすを返して立ち去った。


バリホテルで過ごす日々、ミュリエルの心中には後悔の火種がチロチロと燃え始めていた。ハリウッドの暮らしを全部投げ捨てて、がむしゃらにここへやってきたのは間違いではなかったろうか?一度、短期間の下見を行なった上で、結論を出すべきだったのではあるまいか?わたしはここで、平穏で落ち着いた暮らしを、幸福を、得ることができるのだろうか?植民地政府がわたしを嫌悪し、あれこれと横槍を入れてくるだろうことはもう明らかだ。そしてもっと重要なのは、プリブミたちがわたしを受け入れてくれるだろうか、という問題だ。本質的な疑惑がかの女の頭の中をかけ巡り始めた。不安一色に心を塗りつぶしていくそんな疑惑の中に、かの女がデンパサルに到着するまでの旅路の中で接した大勢のプリブミたちの優しさや親切さの記憶が光明を投げかけた。そうだ、わたしは行動しなければいけないんだ。きっとそれが疑念への答えを出してくれる。


ミュリエルは監視官事務所を訪れて、外来者の居住手続きを行なった。既にかの女の意図を知っている監視官は忠告した。
「白人女性が単身で、プリブミの運転手や案内人も雇わずに町から出て行くのは、妥当なことではありませんな。おまけにあなたはデンパサルの町の外で借家をなさりたいそうだ。それは不可能です。カンプンには他人に貸すための住居などありませんから。」
ミュリエルは監視官事務所で必要な手続きを行い、自分の計画に関わることを一言も話さずに辞去した。バリホテルに戻ってチェックアウトする。オランダ人のホテルマネージャーがかの女を面と向かって批判した。「ミス、あなたの考えは狂気の沙汰だ。農村部にはホテルもないし、借家もない。せいぜいあるのは、集落から離れた場所に設けられている、オランダ人行政巡視官のための宿泊施設だ。」
「わたしがここへ来たのは、デラックスホテルで暮らして植民地支配者たちが酒を飲んだりテニスするのを見るためじゃないのよ。バリを知りたいから来たんです。」
「あなたは絶対また戻ってくる。あなたのために部屋をひとつ取っておきましょうね。」


< 運命の糸に導かれて >
ミュリエルは自分の自動車を満タンにすると、翌早朝にデンパサルを後にして遠くに見える山々の方角に車を走らせた。ギリマヌッから来るときに通った道とは反対の方角だ。そんな早朝に出発したのは、自分の意図を妨害する人間が出現するのを避けるためだ。バリホテルに戻る気などもうない。ガソリンの続く限り車を走らせ、動けなくなった場所でそれからの行動を探ろう。水田の脇で寝ることになったとしても、後悔しない。

早朝の平和な村々のたたずまいと村人たちの微笑みを脇に見ながら、車は前進する。丘を超え、水田を抜け、森林を通り過ぎる。見晴らしのよい丘の道を進んでいるとき、ワルンで椰子の実を買い、ココナツジュースを飲んで渇きを癒した。食べ物はホテルから持ってきたパンを食べた。

朝のまだ爽やかな空気の下で数時間のドライブを続けたあと、車はついに動かなくなった。丘陵地帯の中のかなり大きな村に入ってからのことだ。すぐ近くに市場があり、山びとたちが農産物や林産物を地面に並べている。多くの村人たちが半裸の姿で往来し、この村がこの地方で有力な土地であることを示している。白人女性が単身でやってきたのを見て、パサルのひとびとはミュリエルを取巻いた。好奇心と人懐っこさのなせるわざだ。

パサルのある広場の奥に赤レンガの塀があり、その中には立ち木の葉かげに豪壮な建物の存在が感じられる。その大きな建物の表門はバリ風のデザインで作られ、石造りのバリの神々の像四体が門の両側を守っていて、そして門は開け放たれている。その建物の中から、この世のものとは思えない響きの音楽が聞こえてくるのにミュリエルは気付いた。その耳慣れない異様な響きはかの女の心に天上界のイメージをかきたてた。好奇心がかの女を駆る。

ミュリエルはパサルのひとびとの輪を潜り抜けると、表門に近寄った。かの女を追ってくる者はひとりもいなかった。『異邦人のわたしが中に入ってトラブルが起こるようなことはないだろうか?ヒンドゥ寺院であれば、バリのひとびとは無関係な人間が入ってきてもそれを問題にはしないはずだ。』かの女はバリについて蓄えてきた知識の一頁を思い出していた。ためらっていた足運びに確信がしのびこんできた。


門内に足を踏み入れると、神秘な音楽の響きが強まった。それと同時にこれまで西洋人が見たことも、あるいは想像したことすらなかったであろう東洋の華麗な宴のシーンがかの女の視野を埋めた。

グンタが鳴り響き、ガムラン楽団は柔和で魅力的な古代の調べを奏でる。プダンダたちは地面から2メートルほどの高さに組まれた竹やぐらの上にあぐらで座り、積上げられた果実や花をさまざまな形に作られたロンタル葉が飾っているパジュガンがかれらの周囲をところせましと取り囲んでいる。プダンダひとりひとりの後ろには女性がひとり付いて、聖水を整えるために必要な種々の花をプダンダに手渡している。村人がプダンダの前に来てひざまずくと、プダンダはその頭上に聖水を散らすのだ。

別の竹やぐらにはパンダンのござが敷かれ、王侯貴族たちが座っている。もちろんミュリエルがそのはじめての体験の中で、そこに集まっている人間が何者で何をしているのかを理解できたわけではない。プダンダはかなり想像がついたにせよ、王侯貴族たちはヒンドゥ寺院に集まった金持ち階層のひとびとだとそのときかの女は思った。上半身は裸だが、腰から下は色とりどりの錦織の布を巻き、背にはクリスを挿している。黄金や宝石の使われているかれらのクリスを見るだけで、その持ち主が一般庶民でないことはすぐにわかる。

別の場所に集まって絹の敷物の上に座っている女性たちは多くが乳房をあらわにしているが、中には上着を着ている人もいる。銅のきらめきに似た肌と美しい体型と、そして黄金や銀に宝石をちりばめた装飾品がかの女たちの肌を飾っている姿に、まるでおとぎ話のプリンセスがそこに集まっているかのようにミュリエルは感じた。

座っているひとびとは互いのおしゃべりに余念がない。それら賓客へのサービスに務める何人もの女性が右往左往している。バナナの葉に包まれたさまざまな菓子とココナツミルクから作られた色とりどりの飲み物が、この宴を盛り上げているかのようだ。塀の近くにしゃがんでいる年寄りたちは大きい軍鶏の身体を撫でさすっている。夕方になれば、闘鶏が始まるにちがいない。

と、そのとき、その宴に集まっているひとびとの目が一斉に自分に注がれているのに気付いて、ミュリエルはどぎまぎした。かの女が全身に浴びている数百の視線は、だれが何をしに来たのだろうか、という疑念に包まれている。ミュリエルは全神経を注いで友好的なスマイルを顔に浮かべ、その庭園のあちこちに置かれている石像や供え物を鑑賞するような風情でゆっくりと歩を運んだ。心はもうこの建物の表門に飛んでいる。

すべての出席者の疑念が宴の会場を覆い、沈黙の時が流れ、突然数人の女性がはじけたような笑い声をあげた。ミュリエルはゆっくりと動きながら、表門を目指す。表門に向かう方角に子供のグループが遊んでいたが、ミュリエルがかれらのそばまで来ると、子供たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。

表門まで、あともう少し。ところが、宴のひとびとの間から見映えの良い男性がひとり、ミュリエルに近付いてきた。年齢は三十歳くらいだろうか。かれはミュリエルに声をかけてきた。しかも英語で。
「何かお手伝いできることがあるでしょうか?あなたはだれかをお探しですか?」
ミュリエルはかれを見つめた。かれが高い社会階層の人間であることを、その衣装が物語っている。ミュリエルは微笑んで言った。
「オー、あなたは英語が話せるのですね。」
かれの目におどけた光が宿った。「はい。・・・英語が話せたら、何か変でしょうか?」
われわれの中には、外国に留学した者が何人もいます、とかれは話し出した。かれ自身もオランダのレイデン大学とドイツのハイデルベルク大学で学び、ヨーロッパの諸言語に造詣が深い。
「教えてくれませんか?あなたはどのようにしてこの村にやってきて、この王宮に入ったのですか?」
「王宮?鈴の音が聞こえたので、ここで宗教催事が行なわれていると思って中に入ったのです。バリの人は寺院に異邦人が入っても拒否しないと聞いています。素敵な音楽が聞こえたので、もっとよく聞きたいと思って中に入りました。ここの光景は、これまでわたしが想像したこともない、美しいものでした。まるでおとぎ話の世界か、それとも天上の世界のような。」
かれは天を仰いでほがらかに笑った。
「この王宮を天上の世界にたとえてくださって、わたしはとてもうれしい。あなたがいるのは、わたしの父の宮殿なのです。もちろん外国人のあなたには、宮殿と寺院の違いがなかなかわからないでしょう。どちらもよく似ていますからね。自己紹介します。わたしはアナアグン・ヌラ。父アナアグン・グデの唯一の息子です。この王宮によくお越しくださいました。あなたがここでご覧になっているのは、わたしの従兄弟アナアグン・アノムの結婚式なのです。」
ミュリエルは慌てて自己紹介を返した。自分はハリウッドの画家であり、無断で父王の宮殿に入り込んだ失礼をお詫びする、と言って。

「それは構いません。われわれはあなたを歓迎します。ただ、若いマダムが友人も連れずに単身でこんな辺鄙な村を訪れるのは、少々変わっていますよ。アメリカ人ツーリストがどうしてこのようなことをするのか、実に好奇心をくすぐられます。事情を話していただけませんか?」
「わたしはツーリストじゃありません。あなたの島にいつまでも住みたいと思ってやってきたのです。ここで絵を描き、穏やかで平和なバリ人の暮らしをわたしも見習って暮らしたいのです。」
オランダ人経営のホテルで大勢の白人に囲まれて日々を送ることに耐えられなくなり、バリ人の中に混じって暮らすことを夢見て、自分の運命の地を探すドライブに出たこれまでの経緯をミュリエルはヌラに語った。自動車を満タンにして走れるところまで走り、自動車が動かなくなった場所で自分の新しい人生をスタートさせるのだと誓ってデンパサルを後にした。そして車はこの王宮の前まで来てガス欠になった。

失礼にならないようにしてこの王宮からどうやって立ち去ろうか、とミュリエルは頭を回転させていた。しかしミュリエルが切り出す前にヌラが言い出した。
「あなたは自分の運命をバリの神々に委ねた。その結果がきっとこれなのでしょう。そう、あなたはここで新しい人生をスタートさせるのです。」
「だめ、だめ。あなたのご家族を煩わせる気はわたしにありません。でもわたしはこの魅力的な村が気に入っています。この村に住めたらどんなに幸せだろうか、と。この村の旅人小屋がどこにあるのか教えてください。今夜はそこに泊まり、これからどうするかを明日考えます。もし旅人小屋がないのなら、カンプンの中でもかまいません。」
「いけません。カンプンの中がどのようなものかを、あなたは全然ご存知ないようですね。とても原始的なのです。あなたがそんな場所に滞在するのは不可能です。そればかりか、カンプンの人間もあなたを見て怖がります。あなたの赤毛の髪は、かれらに迷信を思い起こさせますから。第一、神々がお膳立てをしたというのに、それに従わなくてどうしますか?もしあなたをカンプンに住まわせたいのであれば、カンプンの中でガス欠になるはずでしょう?王宮の表門でガス欠になったことを軽視してはなりません。われわれバリ人は、運命の定めと輪廻を強く確信しています。あなたがバリ娘の生まれ変わりで、何千月もの間他所でさまよい、そうして今やっと故郷へ戻ってきた。そうでないと誰が断言できるでしょうか。さあ、あなたをわたしの父に紹介しましょう。わたしの父はもっとすごい運命論者です。夢のハリウッドの話を父にしてください。きっと喜ぶことでしょう。」

ヌラはミュリエルを連れて王侯貴族の集まっている場所に上り、全員にかの女を紹介した。そして白人女性が単身でどうしてここまでやってきたのかを物語った。オランダ人行政官への反抗、バリホテルを未明に脱け出しての冒険行。思いがけない話に王侯貴族たちは声をあげて笑った。最初はミュリエルに対して慈愛に満ちた微笑を向けていたグデ王は、ヌラの物語りが終わるころにはかの女を見つめなおしていた。一呼吸置いてから、グデ王は語った。「天に記されたものは神々の意思だが、人間が常にそれを正しく解釈しているかどうかはわからない。しかしひとたびそれが理解されれば、いかなる愚か者でも神々の意思を無視することはできない。あなたがわたしの宮殿に来たのは、偶然ではないとわたしは思う。それはあなたが生まれるずっと以前から天に記されていたものだ。よくぞ来てくれた。わが娘よ。」

バリ人の暮らしを学ぼうとしてやってきたミュリエルなのだから、グデ王をはじめ、バリ人たちがみんな言う「運命」なるものの中に飛び込んでいかなければ、自己矛盾を犯してしまう。王の娘として王宮の中で暮らすことが自分の新しい人生のスタートになったのは、これまで夢想だにしなかった幸運であるにちがいない。ミュリエルは感謝の言葉を何度も繰り返し、グデ王の提案を受けることにした。

グデ王はすぐに立ち上がると、ミュリエルと息子のヌラを連れて宮殿の奥の建物に向かった。ミュリエルはそこで、王の第一妻とそこにいたまだ十代のふたりの王女たちに紹介された。人柄のよい第一妻はミュリエルを優しく迎えてくれた。ただ、第一妻はたいへんな恥ずかしがりやで、表で催されている宴の席にも出ようとしない。ふたりの王女たちも気立てがよく愛くるしい少女たちで、母親に似て恥ずかしがりやだった。
グデ王は言った。「今や、わたしは息子をひとり、娘を三人持った。おまえは四番目の子供だから、クトゥッになる。おまえにバリの名前を与えなければならない。おまえの運命を表す名前をプダンダに付けてもらう命名の儀式を準備させよう。」
それからおよそひと月後、ミュリエルが主役の祝祭が催された。かの女に用意された名前はタントリであり、それ以来ミュリエルは自分の名をクトゥッ・タントリと称し続けた。

さて、グデ王の家族になった初日、王はミュリエルを王家の一族に紹介して回ってから、また宴の席に戻った。ヌラがミュリエルの世話をした。ヌラは王宮内のバンガローのひとつにミュリエルを伴い、そこがかの女の住居になることを告げた。扉をはじめ主だった柱や天上を支えている梁、そして天蓋付きベッドの柱に至るまで、細かい彫刻がびっしりと刻まれており、黄金や赤や青で塗られている。素晴らしい彫刻を鑑賞しているミュリエルにヌラは教えた。それらの彫刻は父王がすべて自分ひとりで彫ったものであり、自分の世代はそのようなことができる人間がもうほとんどいないのだ、と。

ふたりは王宮の使用人を伴って王宮の外へ出た。ミュリエルの車から荷物を新しい居所に移すためだ。小さい車体は汚れ、車内にも埃が満ちている。バタヴィアで車内に積み込んで以来、一度も下ろしていないトランクや函が、やっとその旅路を終えた。1千数百キロの距離を女性が単身その車を運転してやってきた話はヌラを十二分に驚かせたようだ。
居所が定まったミュリエルは、その日早朝から動き始めたことの疲れが出てきたため、早めに休むことにした。ヌラは去り、バンガローの表のテーブルに食事が用意され、ミュリエルは早々にベッドに入って熟睡した。


< バリ人に生まれ変わる >
ミュリエルの新しい住まいに朝日が差し込んでいる。昨日の宴がいつ終わりになったのか、かの女はまるで知らない。バリでの新しい人生の第一日目がこれから始まるのだ。バンガローの浴場で水浴してから、新しい衣服に着替えた。ふと気付くと、バンガローの表のテーブルに朝食が置かれている。水浴する前にはまだなかったのに。朝食を終えると、使用人が食器を下げに来た。そして入れ替わるようにヌラとふたりの妹がやってきた。アラ王女とクシティ王女だ。

楽しい会話がはずみ、いつの間にか午前9時が近付いてきた。ふたりの王女は突然慌てて居所に戻って行った。ふたりは王宮前広場の向かいにある学校へ毎日出かけるのだ、とヌラが説明した。そこでは村の子供たちを対象にしたムラユ語の勉強が行なわれており、王女も村の子供たちと椅子を並べてムラユ語を学んでいる。
「ムラユ語はとても簡単だ。ムラユ語はオランダ領東インドの諸種族間で交流語になっている。あなたもすぐにマスターできるでしょう。でもその前に、あなたはバリ語をマスターしなければならない。バリ語のレッスンを受けなければなりません。で、あなたが賛同してくださるのであれば、わたしが先生を務めます。」


グデ王はオランダ植民地行政機構の一端に就いているため、公務で多忙な毎日を送っている。植民地政庁が征服した王国の王侯貴族をレヘントに任命して領民管理行政を行なわせているのだ。レヘントは今で言うなら県令に当たる。グデ王の公務をこれまで手伝っていたヌラは、新しく家族の一員になったミュリエルの世話をする破目に陥ったが、父王はそれを当然のこととし、むしろ独力で公務に精を出す姿勢を強めている。ミュリエルはそれを見るにつけ、申し訳ない気持ちが湧いてくるのを避けられなかったが、できるだけ早く名実ともにバリ娘になることがかれらの好意に報いる方法だとかの女は自分に言い聞かせた。

王宮での暮らしをはじめてから数日後、ミュリエルが村の様子と村人の生活を実見しながらヌラの講釈を聞いているとき、王宮の使用人が手紙を持ってやってきた。ヌラがその手紙を見て、「これはあなた宛のものだ。」と言った。意外の念がヌラの声に漂っている。ミュリエルは手紙を開いて一瞥し、「これはオランダ語で書かれているから、読んでください。」と言ってヌラに手渡した。
ヌラはそれを読んでから、驚いたように言った。「なんというスピードでニュースが伝わるんだろうか?クルンクンの監視官はあなたがここにいることをもう知っている。パスポートを持って監視官事務所に出頭せよという、あなたへの命令だ。」
「わたしはデンパサルを発つ前にあそこの監視官事務所で必要な手続きを済ませています。こんな暴虐な命令に従う気はありません。クルンクン監視官のところへは行かないわ。」
「そう簡単には行きませんよ。」
「どういうこと?」
「つまり、ここではオランダ人がものごとを決めるのだということです。かれらを無視することはできません。わたしも父王も、オランダ人に対しては外交的に付き合っていくのが最善のあり方だと確信しています。かれらは、相手がだれであろうと、好きなように振り回すことができるのです。そんな立場に追いやられたら、ありとあらゆる煩わしさに責め立てられ、解決はどこにもない状態になってしまいますよ。特に、白人女性がプリブミと親しくすることをオランダ人は目の仇にしていますから。」
「そのことはもう耳にしています。」
「そうでしょう。正直申し上げて、だれもあなたにこれまでくちばしを入れてこなかったことを、わたしは奇跡のように感じているのです。父王も同じことを言っていました。そしてそれが今ついにやってきたということです。あなたはクルンクン監視官事務所へ行かないわけにはいきません。」
「わたしが行くのは、あなたにそうするよう言われたからです。」
ヌラはほほえみながら、しかし自分を無理強いするかのように言った。
「そう、ぜひ行ってください。」
「一緒に来てくれますか?」
「あなたがひとりで行くほうがよい。もしふたりで監視官の前に出れば、われわれにどんな無理難題が降りかかってくるかわかりません。白人女性とプリブミ男性が一緒にやってくれば、監視官がどんな目で見るか・・・・。」


ミュリエルは自分の車にガソリンを満たすと、単身で監視官事務所に向かった。クルンクンの監視官はミュリエルの案件がたいそう気になっていたようだ。呼びつけた相手を待たせて勿体をつけようともせず、到着したミュリエルをすぐに執務室に呼び入れた。
初対面の挨拶の社交辞令もそこそこに、監視官はすぐに本題に入った。「あなたに来ていただいたのは、デンパサルの監視官からの連絡があったからです。この島の内陸部でプリブミ住民階層に交じって暮らすためにあなたがデンパサルを密かに脱け出した行為を、オランダ植民地政府はきわめて深刻にとらえています。われわれオランダ民族はプリブミの統治にあたってかれらのランクを定めているだけであり、かれらの日常生活は自由にさせています。そこにかれらのランクはわたしと同じだという白人がやってきてその考えをかれらに吹き込んだら、いったい何が起こるとあなたはお考えでしょうか?」
「わたしが見る限り、王様とその家族はたいへん教養があり、文明化されていると思います。だから、かれらと交際し、その好意を受けても、それでわたしのランクが低下したり、白人の威厳を損ねるようなことになるわけがありません。」
「バリの王たちは、妻を何人も持ち、おまけに側室ももっとたくさん持っていることを、あなたは知らないのですか?カランガスム王をご覧なさい。妻だけで40人以上いる。無理やり側室にされるかもしれないのに、怖くないのですか?」
「わたしのホストになってくださっている王様は、確か、奥様はふたりだけ。おふたりとも魅力的な方たちです。あそこでわたしは子供のひとりとして待遇されています。」
「それは運がよかった。あなたはグナグナの話を聞いたことがあるでしょう?」 「魔術ですね。知っています。」
「プリブミの女があなたに嫉妬心を抱けば、あなたはすぐに生命を奪われるでしょう。方法はたくさんある。悪魔的な方法だから、あなたには決して理解できない。白人がそのようなことがらの犠牲になるのを防がなければならないので、われわれ公務に就いている者はそういう可能性をあなたに認識してもらおうとしているのです。王宮に滞在するということはそういう危険の真っ只中に身を置いているのにほかなりません。そこの女たちはみんなグナグナの達人なのです。あなたにはかれらの風習や言葉がわからないから、なかなか理解できないでしょうが・・・・。」
「勉強するつもりです。」
「すぐマスターできるわけじゃない。」
「わたしはバリ女性のだれひとりに対しても、その心に嫉妬心をかき立たせるようなことは決して行いません。自分の身をわきまえることを知っていますから。」
「アメリカでなら、そうかもしれない。でもここは違う。自分の競争相手と思われる人間をかれらがどのように崩壊させていくか、あなたはまだそれを知らない。あなたは病気になり、活力がなくなり、記憶が失われていき、苦悶の谷底に転落し、そこから脱け出せないまま死んでいく。そして、一切が闇から闇。妾にした女の夫に毒を盛られたイギリス人将校の話がありましたなあ。」
一生懸命自分を怖がらせようとしている監視官の内面の底が見えたように、ミュリエルには思われた。美食と酒と安穏な仕事で毎日を送ってきたこの監視官が、自分がやってきたことで突然難題を抱え込む破目になった。どうやったらこの女を自分の所轄地区から追い払えるか、それがかれの脳中で渦を巻いている。ミュリエルの心に影響を与えうるような手ごたえが何ひとつ得られなかったことが、かれに敗北感をもたらしているはずだ。

「プリブミ階層があなたと同じランクであるのなら、かれらにあなたを尊敬させることが、いったいどうやって行なえるとお考えですか?」
ミュリエルはそのとき、監視官にプリブミの血が混じっていることに勘付いた。純血オランダ人ではない。かれは混血児として生まれ、父親がオランダ文化の中で育てあげた植民地政庁の中間官僚であるにちがいない。
「監視官さん、どうしてあなたがプリブミをそれほどまでに劣等人種として決め付けているのか、わたしにはわけがわかりません。あなたは自分自身の中を流れているプリブミの血をまったく評価していないのですね?誇りにこそすれ、それは決して恥辱ではないのですよ。」
東インドのプリブミの血が混じっているオランダ人は決して少なくないのだが、それを平常心で認めることのできるオランダ人は滅多にいない。かれらはその事実を突きつけられると、怒り心頭に発するのが普通だ。ミュリエルの言葉に監視官の顔色が激変した。ミュリエルは「しまった」と後悔した。たいへんな災厄を招いてしまったかもしれない。しかし監視官はすぐに自分を抑制した。激怒を抑えこんで穏やかな雰囲気に戻った監視官は、話題を変えた。
「あなたはあの王宮で、王の子供として遇されている、とさっきおっしゃいましたね。だったら、もう王の息子にお会いになったでしょう。気ぐらいの高い若者に。レイデン大学に行ったというだけで、もう自分はオランダ人と対等だと思っている。わたしはこれまで何回も、身の程をわきまえるようにかれに諭している。きっとあなたにもそういう態度を示しているのでしょうな。」
「かれはナイスガイですわ。礼節をわきまえており、わたしがバリで出会ったすべての人の中で、もっとも文明化された人格の持ち主だと思います。もちろん王家のひとたちはみんな気持ちのよいひとたちばかりです。わたしは王宮で、あのようなひとたちに囲まれて日々を過ごすことを、とても愉しんでいます。そこから立ち去ろうなんて、爪の先ほども考えていません。わたしが貧しいカンプンで教養のないプリブミに交じって暮らしているのでないという事実を踏まえて、わたしが白人社会の面汚しなどしていないということは十二分に認識していただけましたね?」
「デモクラシーについてのアメリカ人の奇妙な観念をわれわれは知っています。オランダでは、あのような姿勢はものごとを狂わせます。あなたには、まず良識を持っていただきたい。そしてここから立ち去ってください。今なら、まだ・・・、まだ・・・。」
「好ましくない外国人として追放処分がなされないうちに・・・?」

監視官は話題を切り替えた。
「ひとつ教えていただきたいことがあります。あなたはいったいどのようにしてあの王宮に入ることができたのですか?あなたはバリにひとりも知り合いを持っていないはずだ。唯一の可能性は、王の息子とヨーロッパのどこかで出会ったかもしれないという点だが・・・。」
「ヌラ王子とはここではじめて会いました。」
「だったら、いったいどうやって?」
「バリの神々に導かれたのですわ。」
「バリの神々?あなたは何を言っているのかね?ふざけないで。」
ミュリエルは再び、デンパサルを発ってから王宮の前でガス欠になり、そのあと起こった一部始終を物語った。注意深く話を聞き終えた監視官は椅子から立ち上がって声を高めた。
「そんなきちがいじみた夢物語は生まれてはじめて聞いた。ただ、門からすたすたと入って行っただって?外国人が、白人女性が単身で?あなた自身は知らないだろうが、王も王子も決まりごとは心得ている。そんな話を信じることはできない。」
「わたしのランクは王宮に滞在するには高すぎるとあなたはおっしゃりたいのですね。わたしが白人だから。わたしがそんなことをすると、すべての白色人種の威信と栄誉を傷つけることになると・・・?」
「あなたはそのきちがいじみたプランに執着するのですか?」
「もちろん。」
「この島にいるすべてのオランダ人があなたを相手にしなくなることはわかっているのでしょうね?数人の変わり者芸術家は別にして。そして、あなたがさっきおっしゃったようなことになる・・・。」
「わたしが何を言いました?」
「好ましくない外国人として追放処分がなされる、と。」

ミュリエルは監視官との対決に打ち勝った感触を得ていた。言いたいことは全部言っておこう。
「わたしは今後も王宮に滞在します。決して白人の威信と栄誉を損なうような振舞いはしませんし、おかしなことも言いません。だから、監視官さん、あなたはわたしにも、またわたしのホストファミリーにも、困難を与えるようなことをしないでください。もしそんなことが起これば、わたしはスラバヤのアメリカ領事に面会に出かけるでしょう。領事はあなたにきっとこう言うでしょう。わたしを追放するためには、それなりの理由が必要なのだ、と。わたしは、あなたが使えるような理由を決してあなたに与えません。」

押し黙った監視官に辞去の挨拶を残し、ミュリエルは冷淡な風情で執務室を出た。窓の開け放されている隣の部屋にいた、監視官の書記役と思われるバリ人青年がすぐに立ち上がってミュリエルに丁重な辞儀をし、満面に笑みを浮かべて玄関へ向かうミュリエルに付き添った。監視官執務室で行なわれたすべてのやりとりがかれの耳に入ったにちがいない。その話はほどなく全島に広まるだろう。噂が噂を呼んで尾ひれのついた話を僻地のバリ人が話している姿を思い浮かべ、ミュリエルは心の奥底をくすぐられた。


監視官との対決に勝った負けたということよりも、オランダ植民地統治機構と対立することが明確な現実となったことにミュリエルは不安を覚えていた。ことはもはや、自分ひとりの去就だけでなく、グデ王やヌラ王子にも深く関わるものとなったのだ。バリ島という異文化の地を求めて、ただがむしゃらにやって来たことが、自分を受け入れてくれたバリのひとびとに思わぬ災禍をもたらすかもしれない。もしそんなことになれば、自分はハリウッドに戻るだけで済むかもしれないが、バリのひとびとにそんな場所はないのだ。少なくとも自分の去就を決めるために、グデ王とヌラ王子の意見を聞かなければならない。ミュリエルは沈んだ気持ちで王宮に向かって車を駆った。

グデ王とヌラ王子はミュリエルが帰ってくるのを王宮で待っていた。ミュリエルは監視官とのやりとりをすべて物語り、自分を憎んでいる監視官がどんな言いがかりをつけてくるかわからない、という不安をふたりに告げた。

「わたし、オランダ人なんか大嫌い。」というミュリエルの言葉に、ヌラが反論した。東インド植民地にいるオランダ人と本国にいるオランダ人は大違いだ、とかれは言う。植民地行政機構の官僚は植民地主義者の鋳型にはめられてしまうので、あのようにならざるを得ないというのがかれの見解だ。それにさからえば、免職や左遷が待ち受けている。最近も、ある地区の監視官が更迭された。原因は、かれがプリブミと自由に交際していたからだ。それがバリとロンボッを統括するレシデンの耳に入り、レシデンが総督に報告してかれのキャリヤーはばっさり・・・。かれは階級をひとつ引き上げられた上でバリ島からできるだけ離れた辺鄙な島の行政官に任命され、バリを去った。他にもいくつかの罰が狡猾なやり方で与えられている。植民地統治行政に携わる者がプリブミを人間らしく扱うと、そういうことになるのが落ちなのだ。

グデ王はミュリエルを安心させるべく、確信を込めて言った。ミュリエルがここで暮らすことを王家の全員が望んでいる。オランダ人の嚇しを恐れてここを去る必要はまったくない。監視官がでっちあげた罪状でミュリエルを追放するよう動くことは考えられる。しかし、もしそんなことが起これば、わたしが総督に掛け合おう、と。
「もちろん、オランダの統治下に落ちて以来、プリブミは王侯貴族であっても白人コミュニティに受け入れてもらえない。白人の家やクラブで、客人として遇されることはなくなった。バリ島に住み着いた白人芸術家だけを例外として、通常の白人はバリ人を対等の人間として扱うことをまったくしない。しかし、わたしはレヘントとして総督に話をすることができる。だから、おまえは監視官を怖がる必要など少しもないのだ。」
ヌラが言い添えた。「あなたは同じ白人仲間と絶縁することになる。寂しくなるかも知れませんよ。」
バリ人になりたいミュリエルにとって、白人との交際などとっくの昔にどこかにうち捨てて来ていた。


王宮で暮らす日々、ヌラはミュリエルを連れて領内のすみずみまで案内した。村を見て回って村人の暮らしを説明し、また風光明媚な丘や山地へピクニックにも行った。バリの文化や言語を学び、真のバリ娘になろうとしているミュリエルに、常にバリの衣装を着て暮らすよう提案したのは、長女のアラ王女だ。ミュリエルは即座に承諾した。

アラとクシティがミュリエルのために用意したのはカイン・スタゲン・サンダルだけで、ミュリエルはクバヤも用意して欲しいと懇請しなければならなかった。あなたは他の人たちと同じように女性なのだから、自分の身体を恥じることなど何もないのだ、とアラは主張したが、ミュリエルが心を動かされることはなかった。王女たちは、ミュリエルがどうして乳房を隠そうとするのか、理解できなかったようだ。

ふたりはまず、ミュリエルにカインを着せた。次いで、スタゲンだ。4〜5メートルはある厚手の絹布を、上端を少しずつ上にあげながら身体に巻きつけていく。身体が強く締め付けられた。
ミュリエルが音を上げた。「これはきつすぎるわ。息ができない。コルセットより大変。布を巻かれたミイラになった気分よ。」
ふたりの少女は笑い声をもらしながら言う。「そのうちに慣れますよ。」
アラが解説した。「女の身体を平らにしなけりゃいけないので、きつく巻くの。上臀部が出っ張ったらいけないのよ。直線にならなきゃ。わたしたちの背からお尻は平らだけど、あなたは膨らんでるからたいへんね。」
そう言い終わらないうちに、アラの声がはずんだ。
「でも、それって素敵なのよ。どんなにきつく巻いても、まだ膨らんで見える。バリの男はその姿にとても憧れるの。わたしたちの歩く姿は男の気をそそらないけれど、白人女性は違うわ。」
屈託も無くそんな話をする少女たちに、ミュリエルは唖然とした。ただし、不潔感は感じられなかった。

アラとクシティはミュリエルの周囲を回りながら、仕事の成果を観察する。ふたりの瞳に歓喜の色が表れた。「きれいよ、とてもきれい。あなたの肌の色はとても素敵。真っ白で、滑らかで。」
生まれてから一度もだれかから「きれいだ」と言われたことのないミュリエルに素朴にそう言ってくれる少女たちから、かの女は言いようのない居心地よさを感じていた。

鏡の中にいるバリ女性の衣装を着たミュリエルは、確かに自分自身ですら素敵に見えた。憧れのバリ娘に一歩一歩なりつつある自分が、思いがけなく愛しく感じられた。そのときからバリにいる間中、避けられない理由でガウンやハイヒールあるいは帽子などを着用せざるを得ないときを除いて、ミュリエルは毎日バリ衣装を着て通した。

王はミュリエルの赤毛を黒色に染めるよう勧めた。バリで赤毛はセタン、魔法使い、ランダだけが持っており、赤毛であるがゆえにミュリエルをバリ人たちが完璧な仲間として受け入れることが困難になる。ミュリエルがはじめて王宮に足を踏み入れたとき、かの女が遊んでいた子供たちのほうへ近寄っていくと、子供たちが蜘蛛の子を散らすように走って逃げたのはそのせいだ。普通のバリ人は黒髪であり、せっかくバリ衣装を着ているのだから髪もバリ人のようにするほうがよい、というのが王の考えだった。ミュリエルはそれに従った。瞳もこげ茶色になればよいのだが、ミュリエルの緑がかった灰色の瞳だけはどうしようもなかった。


ある日、王家の家族がデンパサルへ買物に行こうとしてミュリエルを誘った。王宮での生活で消費されるものの中に、バリの一般庶民が使わない商品がある。庶民生活に密着したワルンや商店では売られていないものなので、白人が買物をするデンパサルの商店へ行かなければ手に入らないのだ。

ヌラもふたりの王女もうきうきとして王家の車に乗り込む。ヌラには王宮の使用人が、王女たちには世話係の中年女性が付き添った。
道中、いたるところでバリ衣装のミュリエルにひとびとの視線と憧憬の念が集まった。感嘆の声を漏らす路傍のひとびとからミュリエルは何ひとつネガティブな感情を嗅ぎ取らなかったが、デンパサルの街中に来てから様相はがらりと変わった。白人のご婦人方一行が買物をしている商店に王家のひとびとが入っていったとき、プリブミがやってきたことに顔をしかめたご婦人たちがミュリエルに気付いたのだ。

最初、その婦人は目と口を丸くし、そして吐き捨てるような語調で言った。「なんとまあ、恥知らずな・・・・!」
婦人たちは一斉に揶揄と蔑みの言葉を撒き散らし、そして鼻を天井に向けて突き上げながら、そろって店から出て行った。店の表に集まって興味津々と中の様子を眺めていたプリブミの群衆は、ご婦人方の隊列が近付くと潮が引くように道をあけた。
「早く、早く。ここから出ましょうよ。」ミュリエルが弱音を吐く。ヌラが諭した。「かれらのことを気にしてはいけない。何を言われようが、どんな態度をされようが、無視するのだ。」
王女たちもミュリエルを慰める。「あなたはもう、白人たちの中で暮らしているひとじゃないのよ。白人がわたしたちに向ける差別的態度や侮蔑をわたしたちはいつも心の中に入れないようにしているんです。」

続いてオランダ人夫婦が二組やってきて、店に入るや否や、ミュリエルの姿に驚いた。その四人がミュリエルに関する辛らつな言葉を並べ立てているのを、ミュリエルは無視した。あたかも、現実にそのような言葉は存在せず、さらにはその四人すらそこにはいないかのように振舞った。


王家の一員となったミュリエルは、王家のひとびととの親密さを深めていった。ヌラや王女たちとはもう本当の兄妹のようになっている。その母である王の第一妻、つまり王妃をかの女はもっとよく知るようになった。
王妃も王宮の公的活動に熱心に関わっていることを、ミュリエルははじめて知った。最初にその王宮へやって来た日、王妃が表で催されている祝祭に顔も出さないことをいぶかっていたミュリエルは、夫が他の王たちと同席する場に妻は出席しないのが昔からのしきたりであることを王妃から教わった。そうでない場合には、王夫妻はいつもそろって催事に顔を出している。
王妃がバラモン階層出身であるのは明らかだが、王の第二妻はもっと低い階層の女性だった。年齢は王妃よりずっと若い。まだ子供がない第二妻は、王宮内の家政の一切を取り仕切る仕事を委ねられていた。王宮が雇用している数百人にのぼる使用人に下されるあらゆる命令の根源がかの女なのである。その権限たるや、たいへんなものだ。そして、かの女はそれをやってのけるだけの才覚を持っていた。考え方は実際的であり、合理的だ。だれもが、かの女の才覚を信頼し、かの女に親愛の情を抱いている。第一妻ですらそうだ。同じ宮殿内で同居している第一妻と第二妻の間に感情的な対立や嫌悪感は存在せず、ふたりはまるで姉妹のように慈しみあい、王妃も往々にしてものごとの最終決定を第二妻の考えにあわせる姿勢を示した。それがふたりの関係を明白に物語っている。

ミュリエルはヌラと王宮の使用人に付き添われて、バリ島内の他の王宮を訪れた。グデ王の第四子となったミュリエルを王家の新構成員として他の王家に紹介するためだ。
父はあなたを自分の子供として他の王家に紹介するのが自慢でたまらないのだ、とヌラはミュリエルに語っている。時には王自身がミュリエルを誘って他の王家に赴いたこともある。さまざまな催事に王はできるかぎりミュリエルを出席させるようにし、出席した女性はミュリエルただひとり、というような催事も少なくなかった。そういう催事の席で、グデ王は必ずミュリエルを「わたしの第四子だ」と全員に紹介した。
バリ島内の他の王家に赴くと、いずこの王もほとんど例外なくミュリエルに「わが王宮に住んでみないか?」と誘う。自慢の娘を取られてなるものか、とグデ王が思うのは当然だ。だから、自分が行ける場合は息子でなく自分自身が付き添うようになっていったようだ。


< バリ娘、クトゥッ・タントリ >
クトゥッ・タントリの名前を得てから、かの女はミュリエル・スチュアート・ウォーカーであることをやめた。もちろん国籍にからんだアイデンティティとしてそれをやめることは不可能だが、かの女の意識の中ではバリ娘のクトゥッ・タントリが完璧にその内面を支配するようになっていった。
バラモン階層のひとりとなったタントリは、ヒンドゥ教をマスターするために、英語の達者な村のプダンダのもとに通うことになった。プダンダはバラモン階層のための宗教司祭であり、一般庶民のための宗教司祭はプンデタと呼ばれる。
タントリはあちこちで催されるヒンドゥ祭事に精力的に出席した。そしてキリスト教世界で催される宗教祭事とバリの祭事がまるで正反対であることに気付いたのだ。明るい陽光の下でガムランが打ち鳴らされ、ひとびとは笑いさんざめき、プダンダはマントラを唱えながら聖水を用意し、集まった善男善女の頭に振り散らす。若い男女は、そんな人の群れの中でデートする。

ミュリエルが持っていたプライバシーは、クトゥッ・タントリのものではなかった。タントリとしての暮らしの中で、自分がひとりきりになる時間はほとんど存在しなかった。毎日が忙しく、そして常にだれかがかの女のそばにおり、かの女はひとびとの中にいた。
「ひとりぼっちになること」「ひとりだけの時間を持つこと」それはまともな人間が行なうべきことでないのだ、というバリ文化の中の定理をかの女はそういった体験から見出していた。

バリの宗教祭事の中に、いけにえが登場する場面がある。バリ娘「クトゥッ・タントリ」となったかの女も、血が流され生命が毀損される催しには、いつまでたってもなじめなかった。
そんな祭事の中で、十年に一度催されるものを見ることのできる機会がかの女に与えられた。それは霧に包まれた高峰が取り囲んでいる死火山の火口湖で行なわれるものだ。
当日、キンタマニ村で車から降りたヌラとタントリは、湖岸に向かって滑りやすい急坂の踏み分け道を下った。招待客である他の王や貴顕たちは前日夕方に湖を横断して対岸の村に入っている。まだ到着していない招待客である自分たちを向こう岸まで運ぶ小船が岸辺で待っているだろうとのふたりの予測は、見事に外れた。
バリ島で最古の文化を継承しているその村はヒンドゥの渡来に始まる歴史の変遷を拒否し、近代化の波にも扉を閉じて、塀を囲って村を閉ざし、無断で入ってくる者を排除している。そんな村に招かれることは、めったに体験できるものでない。「あそこをまだ見ないうちは、バリを知ったことにならない」とヌラはタントリに言っていたのだ。

タントリをひとり残して、ヌラは湖畔の集落へ船の手配をしに行った。曇っていた空から、雨が落ち始めた。タントリは濡れそびれるしかない。しばらくして、太ったバリ人の男性がタントリに近寄ってきた。かれも全身びしょ濡れだ。その男性は流暢な英語で自己紹介した。なんと、その男性はタントリがまだ訪れていない王国の王様だったのである。バリ人の中でタントリのことを知らない人間はいないから、その王様もかの女を一目見てそれがタントリであることを見て取ったにちがいない。
かれも対岸へ渡ろうとしており、わたしの船で一緒に行こう、とタントリを誘った。使用人のひとりをそこに残しておくから、ヌラが戻ってきたら事情がわかるようにしておく、とタントリを熱心に誘う。船には大きな傘が持ち込まれており、今のタントリにはその魅力にあらがう気がなかった。かの女はその誘いを承諾した。

湖上を走る船の上から、対岸にある小さい寺や住居らしい小屋が集まっている姿がどんどん近付いてくるのを、タントリは興味深げに見守った。小屋の集まっている脇に集会所らしい建物があり、そこに置かれた長い机の上にはさまざまな料理や飲み物が並べられている。そして、それらの祭事が行なわれる場所の奥に、塀に囲まれたバリアガの村があるのだ。祭事の一切は塀の外の岸辺で行なわれ、客人が村の中に入るのは原則的に許されない。
岸辺に着くと王はタントリを誘って浜辺に降り、バリアガの村人たちの出迎えを受けた。村人のひとりが王に何事かを告げると、王の顔色が変わった。王は「急用ができたので失礼する」と言ってタントリをひとりその場に残し、少し離れた小屋に向かって去って行った。
雨は降り続いており、全身びしょ濡れのタントリは雨宿りの場所を求めて集会所のような建物を目指した。ところが、そこへ近付いたとき、そこに集まっているバリ人の王侯貴顕に混じって白人男性が数人いることにかの女は気付いた。それどころか、その中にクルンクンの監視官とデンパサルの監視官の顔を見出して、タントリはその場に棒立ちになった。タントリに気付いた監視官たちも、嫌悪の情を込めた目をむいてかの女をにらみつけている。かの女は即座に回れ右をすると、浜辺に向かってその場を後にした。浜辺には、到着したばかりのヌラがいた。ヌラはオランダ人たちを決してタントリに近づけないと約束し、タントリを石造りの建物に案内してびしょ濡れの衣服を着替えさせた。

雨が止んで太陽が顔を出し、プダンダたちがおのおの大型のグンタを鳴らしながらマントラを唱えはじめた。儀式が始まったのだ。いけにえの動物を乗せた小船が何艘も沖へ漕ぎ出す。生きたガチョウ、ヤギ、ニワトリ、そして水牛。いけにえはその体重と同じ重さのケペン銭を身体に結び付けられて湖底に沈められる。果物や米も湖に投じられる。湖の神々を十年に一度慰撫するための祭りがそれだ。大量の銭貨がバトゥル湖の底に沈んでいく。
儀式が終わり、宴も幕を閉じ、早い夕闇が山あいの湖畔を覆いつくす。バリアガの村から対岸の世界に戻る時間だ。ただし、その闇の時間帯に湖に漕ぎ出すのは危険なのだ。月が出るのを待たなければならない。
月が出るまで、タントリはヌラと一緒に村の中へ入れてもらった。その特別のはからいのおかげで、かの女はバリアガの村をその目で見た数少ない西洋人のひとりになった。


あるとき、一隻のアメリカ海軍艦艇が王国領の海岸沖に錨を下ろした。「あの船に乗ってみたい」とグデ王がタントリに言うので、タントリは艦長宛に手紙を書いて直接届けさせた。その結果、グデ王を昼食に招待するという艦長からの好意的な返書が来た。王は四人の子供を連れて、その招待に応じた。王妃がそのような催しに参加できないのは、古くからのしきたりの故だ。
海は深くないため、軍艦は海岸に接近することができない。船からボートが下ろされ、招待客一行を迎えにやってきた。最高の盛装に身を包んで王宮の使用人たちを従えた王はボートに乗り込み、そして艦上のひととなった。士官たちを従えた艦長が自ら招待客一行を案内した。まるで、はじめてサーカスを見た子供のように、グデ王は大喜びではしゃいだ。甲板には飛行機とボートがもう一艘置かれていた。王は艦上に装備された大砲に強い関心を抱いた。「わが王国が攻められたときにこのような兵器があったなら、オランダ人は決してわれわれを征服することができなかっただろう。」

その言葉をタントリが艦長に通訳すると、艦長は愉快そうに笑った。「さしあげてよいだけの兵器があるにはあるのだが、時期を失しているにちがいない。おまけに、国際問題になりかねないので。」

昼食のとき、王とふたりの王女が伸ばしている長い爪が士官たちの興味の的になった。食事が始まると、王も王女たちもナイフとフォークを巧みに、しかも西洋式テーブルマナーに則して使っている。それを目の当たりにして士官たちは関心したが、実は、王宮では毎日それが当たり前のように行なわれているのだ。
デザートに出たアイスクリームに、王は惚れこんだ。グデ王はそのときまで、アイスクリームというものを口にしたことがなかった。あまりにも気に入ったため、王は四回もお代わりをした。見かねたヌラと王女たちが父王に意見した。「お腹を壊しますよ。」王女たちが父王に意見することなど、王宮内ではめったに見られない光景だ。
案の定、帰途陸地を目指すボートの中で揺られながら、「腹の調子がおかしい。気持ち悪い。」と王が言い出した。

王は米国海軍艦艇からの好意に対する返礼を考え、艦長と士官たちを王宮に招待した。そのために大規模なパーティが準備された。そのパーティには近隣諸王国の王家も招かれた。タントリがはじめてそこへやってきたときのように宮殿の表を飾り立て、貴賓席の前でバビグリンを焼き、亀肉のサテを作らせる。

当日、バリ人の客にはバリのしきたりが適用された。やってきた女性たちは男性から引き離されて、女性用の場所に案内される。アラとクシティと、そしてタントリがその案内役を務めた。案内された場所にはグデ王の第一夫人と第二夫人が控えており、来客のお相手をする。一方、バリ人の男性客とアメリカ海軍軍人たちは表のパーティ会場で愉しむ。タントリはそのパーティ会場にいる唯一の女性だ。かの女はそのほうがはるかに性に合っていた。女性ばかりがいる中で女性だけのお相手をするのは、正直言ってどうやら苦痛だったようだ。
グデ王もヌラ王子も、普段はあまりアルコールを飲まないのだが、しかし王宮には多種多彩なアルコール飲料が貯蔵されている。それらのボトルに加えてアラッとブルムも用意され、客人たちに振舞われた。このパーティは翌朝まで続いた。

艦長と士官たちが王宮を辞去するとき、艦長がグデ王に尋ねた。「アメリカから何をもらいたいですか?」王は答えた。「アイスクリーム製造器」
数ヵ月後、ワシントンから送られてきた大きな電気冷蔵庫が王宮に届いた。「アメリカ海軍艦艇一同からのご挨拶」と書かれたカードとアイスクリームの作り方の詳しい解説が中にはいっていた。グデ王は感動した。
ただし、重大な問題があった。王宮には電気がないのだ。タントリは王に提案した。「この冷蔵庫は王宮で使うことができないので、デンパサルへ持って行ってホテルか個人に売りましょう。そのお金でガスで動く冷蔵庫を買い、アイスクリームを作ったらどうでしょうか。」
「何だって?」思いがけない提案に王は顔をしかめた。
「アメリカ海軍からのプレゼントを売るだって?何を言っているんだ。これはアメリカからはじめてもらった記念すべきプレゼントだ。これは絶対に手放さない。この品物はわが家の家宝として子供たちに受け継がせる。」
王はその冷蔵庫を自分の個室に置いて、高価な衣服をそこにしまっているらしい。王はそのお返しのプレゼントをワシントンに送るため、タントリに品物の選択を手伝わせた。律儀な王様だ。


< 時代は変わる >
王家のひとびとはみんな仲睦まじく、家族の間で荒れたり乱れたりするようなことはなかった。長幼の序が重んじられ、常に秩序正しく、統制のとれた生活が営まれていた。そんな中に問題の火種がひとつあった。ヌラ王子の結婚問題だ。ヌラは妻を持つべき年齢をとっくの昔に通り過ぎてしまっている。
ヨーロッパに留学して先進文明の何たるかを肌に感じてきたかれは、因習を頑なに守っている故郷のあり方を変えて行かなければならないと決意していたようだ。だから、父王が勧める婚姻にすんなり従う気にはならなかった。こうして、伝統と慣習を伝承して行こうとする父王と時代の変化に適応しようと考える王子の間に意見の不一致が起こり、父親の方針に従わない息子という、いつの時代にも出現するパターンが王宮内に不調和を出現させたのである。

ある日グデ王は、ヌラの妻を選択した、と表明した。美しいアナアグン・ラティがおまえの妻になる、と王はヌラに言う。どうやら、根回しは済んでいるようだ。ヌラは驚いた。「ラティはわたしのいとこだし、まだ16歳にもなっていない。それはありえない話ですよ。」
しかしそれは親子が合意するかどうかという領域を超えた、王宮というコミュニティ全体に関わる問題だったのである。グデ王の後継者であるヌラ王子も、王宮を維持するために王宮に関わっている何百人というひとびとの身を立たせなければならない。そしてヌラを除く全員が、伝統と慣習を守ることで王宮の秩序統制が成り立つと考えている。グデ王の臣下である宿老たちも、王子を説得しようとしてあの手この手を使った。しかしヌラの決意は固かった。
息子の指導すらできない父王という体裁がバリ島中に広まる。自分の王宮内だけでなく、バリ島の諸王家に対しても恥をかいた、とグデ王は王子を責めたが、息子にとってそれは父親の愚痴でしかなかった。もっと悲惨だったのはラティだ。ある男性と夫婦になって親密な関係を築くことを決意したというのに、その男性に拒絶されたら女性は立つ瀬がないであろう。これは社会的な一個人の値打ちの問題であって、ラティがヌラに愛や恋情を抱いていたということでは決してない。

因習を拒否することが大切なひとびとを悲劇の中に陥れる結果になることを怖れたヌラは、最終的にラティとの結婚に同意した。「ただし・・・」とかれは条件を付けた。
結婚式は挙行するが、あくまでも形式上であって、ラティと夫婦関係に入るわけではない。ラティに王子の妻という地位を与えることをそれは意味している。そして、ヌラとラティの関係はそれだけだ、とかれは言うのである。更に、結婚した新郎新婦の間で行なわれるブカスルブンはしない、とヌラは断言した。

ブカスルブンというのは、何メートルもある長い白布で新婦をぐるぐる巻きにし、新郎にそれをほどかせるゲームだ。それをほどかなければ新婦の肉体が手に入らないのだから、新郎は必死になる。白布の端が見つかれば、あとは時間の問題になるのだが、巻いた布の隙間にその端を実に巧みに隠すため、新郎が長い白布のかたまりをみんなに見せるために現われるまで何時間もかかることがある。ともかく、そうやって新郎新婦の初夜がつつがなく終わったことを客たちに報告するのが、そのブカスルブンという、実に性に大らかな風習なのである。

婚姻の儀式が終わると、新婦はまるでミイラのように長い白布で全身をぐるぐる巻きにされて新郎新婦の寝室に運ばれる。新郎はそれをほどいたことを宴会中の客人たちに示さなければならない。つまり、ほどいてから新妻をわがものにしたことを世間に公開するようなものだ。初のお床入りを結婚式に招かれた客人たちに示す風習は世界中にあるらしい。
新郎が白布をほどくプロセスをクリヤーするのに何時間もかかるケースはもちろんあるだろうし、そんなことになれば「何回攻めたの?」という野次を客人たちから浴びるのは必定だ。新婦の本意でない結婚ともなると、長い白布のかたまりを持って宴会場に現われた新郎の肌は、新婦の長い爪で作られた引っかき傷だらけ、というケースもあるそうだ。新郎が白布のかたまりを持って宴会場に現われれば、生々しい言葉と大笑いがその場に満ち溢れることになる。

ヌラは王位継承者であり、ラティはヌラの第一妻になるのだから、ブカスルブンは行なわれなければならない、というのがしきたりだ。第二妻以降で、低いカーストの女性と結婚する場合は、ブカスルブンを省いても問題はない。しかしヌラとラティのケースでは、ブカスルブンが結婚式の一部という位置付けになる。
またまた、ヌラの意向が抵抗を受ける。ヌラはタントリに支援を要請した。西洋文明世界における恋愛観と結婚観を父王に説明して欲しい、と。

タントリは機会を見てグデ王に対し、ヌラの弁護を試みた。女が口をはさむべきでない問題をタントリが言い出したことに、王はまず驚いた。タントリは言う。
「ヌラに西洋文明を学んで来させたというのに、それにそぐわない古い慣習をヌラに押し付けるのは矛盾ではないでしょうか?」
「慣習のどこがおかしいと言うのかね?」
「結婚というのは、互いに愛し合う男女が行なうのが基本なのです。だから、ヌラもラティも、自分が愛して伴侶にしたいと思う相手を自由に選択させるべきなのです。」
「愛・・・。愛とはいったい何なのかね?愛と結婚は関係のないものだ。高いカーストの女は、愛などというものを知る必要などない。西洋人は愛だ、愛だ、と言うが、それですべてがうまく行くのかね?おまえの言う愛のゆえに妻にした女を、今度は離婚するために法廷に出たり入ったり・・・。いいかね・・・、ここには離婚などというものは存在しないのだ。」
「でも、人間が行なうべき高貴なものごとは、すべて愛に裏打ちされているのですよ。」

シリアスな雰囲気にさせないよう互いに気を配っていたふたりの議論が熱を帯びるはずもなかったが、王はタントリの気持ちを汲んだ。しかし、バリ女性としてのわきまえを持たせようと王は思ったにちがいない。王はタントリに意見した。
「クトゥッ、この問題について、お前は黙っているほうがよい。さもなければ、何メートルもある長い白布でお前をぐるぐる巻きにし。隣人のだれかに差し上げるかもしれないぞ。バリの王たちの中に、おまえを自分のものにしたがっている者が何人かいるのを、わたしは知っているのだから。」
「でも、あなたが本気でそうしようと考えていないことを、わたしも知っています。」

しばらく時間がかかったが、最終的に王は王子の意向を受け入れた。形だけの結婚式が挙行され、そしてヌラもラティもそれまでの生活に戻って行った。ラティがもっと大人になれば、ヌラも気を変えてラティと家庭を営むだろうと期待していた父王は肩透かしをくわされた。


王宮内の不調和が癒される日がなかなか来ないのはグデ王にとってたいへん残念なことだったが、王宮内の空気は更に悪化した。不祥事が起こったのだ。

親の勧める結婚を頑なに拒む長男に続いて、今度は長女が親に内緒で結婚したのである。アラ王女が華人青年の妻になった。その青年は北京の由緒ある一族の人間で、バリで商売を行なって成功していた。かれはヌラの友人でもあり、ヌラが間を取り持ったのだ。ふたりは深く愛し合い、ヌラをして「嫉妬を感じる」と言わしめたほど睦みあった。

高い地位にある最高のカーストの娘が、外国人の妻になる。おまけに夫は平民だ。宗教も文化・習慣も異なり、一家一族が親戚の交わりをするには違和感が大きすぎる。王宮のプライドは深く傷ついた。

「娘が親に無断で結婚するとは何事か!」とグデ王は怒ったが、「打明けたところで許されるわけがない。妹のアラは利発な娘で、宮殿の中に閉じ込められて一生を送るような人間ではない。愛を知り、世界を知ることで、アラの人生は価値あるものになる。」ヌラはそう反論した。
「愛だの、世界を知るだの、そういうことと結婚と何の関係がある?相手の男が金持ちで、この島の北の方に豪邸を持ち、北京でも羽振りが良いというのがそんなに値打ちなのか?その男を知っているぞ。一度、別の華人と一緒に宮殿に来たのを覚えている。敬意を払ってやったのに、娘を盗むようなことをする。」

グデ王は再び、世間に向ける顔をなくすほど恥をかかされた。世間体を保つためには、不良娘を勘当するしかない。「親子の縁はこれまでだ。アラはもう王女でもないのだから、わが王家の宮殿に住むことも、顔を出すことも許されない。王家のすべての施設も、王族としての諸権利も、アラが利用することは許されないのだ。」


アラは宮殿を去り、二度と顔を見せることはなかった。だがヌラは密かに連絡を保っていたようだ。タントリも王宮の外でヌラと一緒にアラに会ったことがある。幸福の真っ只中にいる姿を示すアラを目にして、父王には申し訳ないが、これでよかったのだ、とタントリは思った。

ところが、不祥事は重なるものだ。王領の中で異例な現象が起こった。またまた災厄だ。伝統と慣習に従おうとしない王家の子供たちに怒った神々が、王領に災禍を与えようとしている、とひとびとは噂した。ある村で双子が生まれたのだ。しかも、性別の異なる双子が。
血を分けた人間の間の性行為である近親相姦は、人倫にもとる行為であるために絶対的な悪行とされ、厳しく否定されている。迷信に支配されている民衆は、性別の異なる双子が母親の腹の中でまぐわい、人道倫理を踏みにじったと考える。そのような現象を起させて、神々は人間を罰するのである。
閉ざされた空間の中に男と女がふたりだけでいると何が起こるか、という人間観あるいはセックス観がその思考ロジックの中に明瞭に見て取れる。バリだけでなくインドネシア全土が今日に至るまで、そのようなセックス観を文化の根底に敷いているのを、われわれは折に触れて見聞する。インドネシア人を伴侶に持った外国人は、どれほどその伴侶を愛していようとも、インドネシア特有のセックス観をプライバシーの中に当て込められて切歯扼腕することがあるはずだ。

神々の怒りを鎮めるために、王宮は鎮撫の催しを挙行した。高価な供物を、交差点・広場・街道が村々に入ってくる場所のすべてに祭る。穢れた母親と双子の赤児は家を出て、プラダラムに四十昼夜こもらなければならない。それが終わると清めの儀式が行なわれて、やっと自宅に戻ることが許される。戻ってきた母子を迎えて、村人たちは盛大な祝祭を挙行する。闘鶏賭博に男たちは熱中する。
性別の異なる双子は既に男女の営みを終えているのだから、ふたりは夫婦にならなければならない、というロジックがそこに持ち込まれる。そして思春期に入れば、ふたりは結婚させられるのである。


< 宮殿から底辺へ >
タントリが最初、王宮の住人としてバリ島の生活を始めることができたのは、たいへんな幸運だったと言えよう。教育の不足と貧困のゆえに開明度のたいへん遅れた村の住民たちに混じって暮らすことは、精神活動面での激しい落差ばかりか、衛生面でのリスクも抱え込むことになり、運が悪ければ生命に別状をきたすことにもなりかねないのだから。

スタートはそれでよかったのだが、王宮の中という特異な立脚点に拠って得たバリ文化に対する理解が本当に核心を射たものであるのだろうか、という疑念がタントリの心の中に強まっていった。
自分の存在するべき場所がこのバリ島であることは髪の毛一筋ほどの疑念もない。だったら、バリ島の民衆が営んでいる日常生活に肌で触れたことがないままでは、バリ島の文化を真に把握したとは言えない。自分ひとりで王宮を出て、村々の民衆の中での暮らしを体験しなければならない。
タントリはそう決意すると、グデ王の許しを得るため、自分の考えを王に打ち明けた。まるで信じられないような表情で王はタントリを見つめた。「現実の民の暮らしを知るために、宮殿を去る必要はまったくないのだよ、クトゥッ。おまえはもっとも後進的な村までその目で見たではないか。たくさんのカンプンに行ったし、さまざまなウパチャラも経験した。いろいろなことがらの仕組みを詳しく知りたいのなら、このわたしが何でも説明してあげよう。信じなさい、わたしは何でも知っているのだよ。」
「問題はそこなんです。説明を聞くだけでは足りません。自分でそれを見なければ・・・。民衆の中にいて、かれらの食べるものを食べ、かれらが行うことをわたしも行ってみることが必要なんです。」
「おまえはヌラと話したようだな。あいつは民衆を解放するなどという正気とは思えない考えを持っている。だが、民は決してひどい状況にあるわけではない。われわれバリの諸王がそれを保証する。それよりも、西洋から来た若い女性であるおまえにあのような暮らしをできるわけがない。快適で文化的な暮らしは期待できないのだよ。不潔で不衛生なカンプンのありさまに、おまえは吐き気を催すにちがいない。かれら農民はまったく教育を受けておらず、かれらとおまえとの間に共通点はひとつもない。
そう、わたしはヌラの考えを知っている。あいつは民衆に、最下層の民衆にすら、浴室を与え、学校を与えたいと考えている。そしておまえを同志にした。外国人の植民地支配に陥ったこの国を救うための孤独な闘いの同志に。しかし、自由に向かう道は閉ざされているのだ。まるで奇跡を待つようなものだ。」
「わたしは奇跡を信じるわ。」
議論の果てに、グデ王は折れた。「おまえの決意は固いようだな。おまえはわが民族をとても愛しているにちがいない。もうおまえの考えに反対はしない。だがおまえは、わたしが思っているよりもずっと早く王宮に戻ってくるだろう。おまえがいま考えているような暮らしに、おまえはきっと耐えられなくなるにちがいない。」

グデ王の許しを得たなら、次はヌラの賛成を得ること。もちろんヌラが反対するはずもないのだが。
ヌラはタントリの計画を喜んだが、真顔になって忠告を与えた。「民衆のやり方で調理された食べ物を食べたら、あなたは病気になるかもしれない。衛生観念はまったくレベルが違っているのだから。赤痢に罹ったり、あるいはマラリアにやられるかもしれない。沸騰させていない水を絶対に飲んではいけない。かれらの飲み水は川から汲んでくるものだし、川はかれらの排泄場所だ。夜眠るときは、蚊帳を忘れないように。」


王宮を出る日、グデ王はお手製の黄金のブローチをタントリにプレゼントした。その裏にはサンスクリット語で「クトゥッ・タントリ、汝を決して忘れはしない」という言葉が彫り込まれている。一方、ヌラは黄金のチェーンに古代の銅貨が付けられたものをタントリにプレゼントした。この種のネックレスは『アルジュナの愛のお守り』と呼ばれるもので、特別な霊力を持ち、それを身に着けている者をあらゆる危難から守ってくれると言われている。
「このネックレスを身に着けていれば、あなたの心の中に棲んでいるわれわれを追い出すことがだれにもできないし、またあなたが自分からそうしたいと思わないかぎり、誰もあなたをこの島から連れ出すことができない。」
タントリはそのようなお守りを信じることに慣れはじめていた。それがバリ娘になるということなのかもしれない。タントリはピトからもらった小箱を腰に着けていたが、すぐにネックレスを首にかけた。

バリ島で噂はすぐに広まる。白人バリ娘のクトゥッ・タントリを知らないバリ人はまずいない。これまで、村々で行われる民衆の祭りにヌラは頻繁にタントリを連れて行き、地元のひとびとに紹介してきた。クトゥッ・タントリは善良な白人だと村人たちは確信している。タントリがひとりで村々に入って行くための道はすでに開かれていたのだ。どこかの村を訪れて「何日間この村に滞在したい」とひとびとに言えば、それを拒否する村人はひとりも、そしてどこにもいなかった。村人たちはタントリを迎えて、思った以上に喜んでくれた。

そのようにして二ヶ月が過ぎた。極貧の村を訪れて、窓もなく空気のよどんだ小屋の床にゴザを敷いて寝たこともある。女たちが汚れたままの手で作った食べ物を食べ、川から汲んできた水をそのまま入れてある甕から煮沸もしないでその水を飲んだ。蚊の屍骸が浮いている汚れたコップや割れ茶碗でトゥアッを飲むこともした。川でマンディをするのはいつも村の女たちと一緒だ。年の行った女たちがシリの葉で黒くなった口で食べ物をかみ、それを口移しで歯のない子供に食べさせている光景も見た。
その間、タントリは赤痢にもマラリアにも罹らずに過ごすことができた。赤痢もマラリアも、病人はあちこちにいたというのに。タントリは、何を目にしようが、驚いた姿をかけらも示さなかったし、自分は村人たちより上だという姿勢もまったく示さなかった。村人たちは愛情をもってタントリに接し、タントリはそのお返しとして医薬品や衣料を自分の金でかれらに買い与えた。
タントリは別の王国の領地をも巡った。そんなとき、その地の王や下級領主に挨拶することを忘れなかった。自分が何をしているのかを説明すると、王や下級領主たちは一様に驚きを示した。かれらはみんな、客人としてわが家に滞在してください、とタントリに勧めたが、それはかの女の放浪の旅の目的からまったくかけ離れたものだったのだ。


タントリが王宮に住んでいる間、オランダ植民地行政機構は現地住民管理行政のかなめになっているグデ王との対立を避け、タントリをいわば野放しにしてきた。しかしかれらにとって、王宮を出たタントリへの遠慮は無用だ。わずか一週間後に、タントリは監視官からの召喚状をそのとき滞在していた村で受け取った。オランダ語で書かれたその公文書は簡単明瞭。「監視官は早急にあなたとの会見を希望する」。
タントリはそのとき自分が着ていた衣装のままクルンクン監視官事務所に向かった。宮殿に戻らなければ西洋式の盛装などできないし、そんなことのために、わずか一週間後に宮殿に戻るようなことをするタントリでもなかった。

カインクバヤ姿で現れたタントリに、監視官事務所の書記役らしいバリ人青年が微笑みを浮かべて応対した。「今、監視官にあなたが来たことを知らせますから、ちょっとそこでお待ちください。」
そしてそのまま振り向くと、監視官執務室の壁に向かって声を張った。「クトゥッ・タントリが来ています。カインクバヤ姿です。」
「サルンを着用した白人女性に面会する気はない。礼儀をわきまえていない。」監視官はムラユ語で壁の向こうから半ば怒鳴るような声を返した。
「監視官はあなたが洋装していなければ会わないと言っています。」青年はタントリに言う。
「でもわたしはいま、この衣装しか持っていません。監視官がわたしに会いたいとおっしゃるから、こうしてわたしはここに来ているのです。」

青年はひとりで監視官執務室に入っていき、室内での小さい声でのやり取りのあと、また出てきてタントリを室内にいざなった。監視官は書記役青年が出て行くまで、目を丸くしてタントリをにらみつけていた。
「あなたはますます病こうもうですな。王宮はあなたにとって高級すぎましたか?それでカンプンレベルにまで堕ちていく。あなたの衣服ですが、あなたが日々何を着ようがそれはあなたの自由でしょう。しかし監視官に会うときまで、そんな姿でやってくるなんて・・・・。ほんとうにどうかしています。・・・・」
沸騰した感情が怒りに任せて口にする言葉を慎みのないものにしていくことに、われを忘れた監視官は気付かない。口にする言葉を吟味する習慣が打ち捨てられている。「犬畜生民族の仲間に堕して・・・・」
監視官がそんな下卑た言葉を口から発するのに接して、タントリは驚いた。タントリも言葉を返す。「あなたはまたわたしを侮辱しましたね。アメリカ領事に手紙でそのことを報告します。わたしがカンプンに滞在しようがしまいが、法規の違反などなにひとつ冒していませんから。」
しかし監視官も負けてはいない。
「もし、あなたがすぐに王宮に戻るのであれば、今回のことはおおめに見ましょう。しかしわたしの忠告を無視して今のような暮らしを続けるのであれば、あなたをこの土地から追放する手続きにかからなければなりません。」
タントリは監視官がそうする機会を待ち続けていることを知っている。監視官は本当にそうするにちがいない、とタントリは思った。だが、自分は屈服しない。
「わたしに会いたいとおっしゃったのは、それが目的だったのですね?さあ、あなたはわたしをもうご覧になった。プリブミ衣装のわたしをまるごと。じゃあ、わたしはこれで帰ります。」

タントリは執務室を出ると、しっかりした足取りで事務所建物から出て行った。事務所従業員の中に、タントリに向かってサムアップする者もいた。従業員たちはみんな、タントリに好意的だ。かの女が監視官事務所に呼びつけられたのは、その一回だけではない。同じようなことが何回が繰り返され、そして結末も毎回似たようなものになった。監視官が言うほど強硬な措置が採られることはなかった。


タントリは村に戻る。村人たちの中にいて、タントリが卑しめられ、辱められ、不快な思いをしたことは一度もない。タントリが滞在している間、その村ではだれひとりとして、喧嘩をし、叫び声をあげ、怒鳴り散らすようなことをしなかった。大人が子供を無体に扱うことすら起こらなかった。泣き声もほとんど耳にせず、鬱憤を晴らすために愚痴話をする声すら聞こえなかった。

しかしそんな中でタントリが気付いたことがある。貧困に覆われたかれらの暮らしと、まるで天地ほど開きのある王侯貴族の暮らしを天秤にかけ、それを不公平だと感じてそんな社会の有様を批判する声が村のどこを探しても、かけらも見つからなかったことだ。農民たちは、そんな世の中が当たり前すぎるほど当たり前なことであり、その一部分をなしている自分たちがいてこそ世の中が成り立っているのだ、という思いで世間を見ていたにちがいない。
村人たちに混じっての暮らしは、食べ物が潤沢にあるわけでなく、不潔で不衛生な日常だった。タントリも村人たちと同様に、いつも空腹感を抱えていた。そうではあっても、かの女の半生で一度も感じたことのない極上の平和がそこにあった。その極上の平和は、バリ島の王宮で暮らしていたときにタントリが感じたものをはるかにしのいでいた。


村々を巡るタントリの放浪の旅は、デンパサルの南西に位置するクタにまで達した。クタの砂浜は美しく、そして周辺には住居も、掘立小屋すら見当たらない。数ヶ所に寺が祀られ、そして浜辺には漁師の細長い小船が列を成していた。ここに自分の家を建てて住むことができたら、どんなにすばらしいだろう。タントリはクタに滞在している間、何度も砂浜に足を運んだ。
タントリの頭を、さまざまな思いが横切る。ここにホテルを建て、会員制にしてビジネスを行えば、すばらしいものになるかもしれない。しかし資本金など自分にはないし、そんなビジネスを求めてバリ島までやってきたわけでもない。自分の家を建てるにせよ、土地が持てるのだろうか?オランダ植民地政庁は、バリ島で白人が土地を私有することを禁止している。

浜の土地を所有しているクタの村人と話をした。すると、土地の税金を払ってくれるならその土地を貸してあげる、と所有者はタントリに言う。植民地政庁に納める地税は驚くほど廉い。浜のほぼ全域を所有している地元民二家族から、タントリは同じ条件で土地を借りた。浜辺に小さい自分の家を持つタントリの夢は、こうしてその基盤が固まった。

タントリは放浪の旅に出てから、バリ島内に住んで活動している画家や文筆家など西洋人芸術家とも交際するようになった。かれらはたいてい、自分の家を建てて住んでいる。かれらの家を訪問すると、タントリはいつも歓迎された。オランダ植民地行政機構から目の仇にされていることを、タントリはかれら自身の口から聞いた。かれらもタントリと同じ船に乗っているのだ。


ある日、タントリが滞在している村にヌラがやってきた。そのときタントリは比較的裕福な村に滞在しており、村の優れたガムラン奏者の家に泊まっていた。食べ物は他の貧村より豊かであり、毎日、飯には一切れの塩魚がついた。家の中には竹製の家具がひとつふたつ置かれている。他の貧村では、家の中に家具などひとつもなかったのだ。
カンプンで生き生きとしているタントリを目の当たりにして、ヌラは信じられないものを見たような顔をした。ヌラがやってくると、村人たちはヌラの前に出てひざまずき、拝礼する。そんな状況の中で、ヌラとタントリはあまり打ち解けて話をすることもできない。クタの浜辺に自分の家を持つ夢をヌラに話すのはひかえた。それを実現させるには、この先まだ何年もかかるだろう。それまで、村々を巡る旅を続けるわけにもいかないが、かといって、また王宮内の人間に戻ることも、今のタントリにとっては本意でない。

< バリ島に世界をつなぎたい >
クタに住むまでの何年間か、自分が住むのに適切な場所として、タントリの脳裏に一軒の空家の姿が浮かんでいる。王宮の塀の外に着かず離れずといった距離で建てられている一軒の空家の姿だ。西洋風スタイルでしっかりと造られた建物で、かつて植民地政庁が村落部に行政官を置く政策を建てたとき、その必要性から建てられたものだが、その政策は長続きせず、行政官が去ったあとは空家のままになっている。
タントリはヌラに尋ねた。「あの空家の所有者はだれ?」
「奇妙だ・・・」ヌラが答える。
「どうして?」
「今日、父もあの家のことを話した。あなたに関連しての話だ。父は、われわれ一家のみんなも、あなたが帰ってくることを強く望んでいる。しかし、われわれにも判っている。王宮の中では、あなたが望む生き方を自由に行うことが難しい。だから、あの家に住むことであなたはもっと自由に行動できるようになる。ひとりこもって絵を描くことも、友人の芸術家たちを招いて歓談することも・・・」
「わたしの質問にあなたはまだ答えていないわ。あの家の所有者は誰なの?」
「わたしの従姉妹のアナアグン・クシティ。あなたの仲良しだ。」
タントリの口から歓声が洩れる。
「わたしにしばらくの間、貸してくれるかしら?」
「自分で尋ねてごらん。難しい話じゃない。」

翌日、タントリはアナアグン・クシティを訪問した。あの空家に住みたいと言うと、クシティは大喜びした。家賃の話をクシティはぴしゃりと遮り、それからふたり一緒に空家を見に出かけた。
ひとが住んでいない家の常で、造作はかなり傷んでいるが、家の間取りはたいそう優れたものだ。タントリは少なくとも二部屋を客室として使えると見た。自分がそこに住み、ホテルとして客を宿泊させる。だが、ツーリストを誰でも泊めるというわけではない。デンパサルのオランダ式ホテルに宿泊してバリの表層だけ撫でて帰っていくツーリストたちに加わりたくない、バリ島の本質的な部分に迫りたい芸術家たちだけに対象をしぼり、そしてかの女自身がそれらの客に自分の体得したバリ文化を紹介するガイドになる。タントリなら、一般のツーリストたちがとても入っていけないローカルな場所にでも、自分の客を連れて行くことができる。そして、その家で描いた絵画を希望する客に販売する。残り少なくなった自己資金を回復させるために、そんなビジネスで得た金を銀行に貯え、夢見るクタの浜辺の家の実現を目指すのだ。


タントリがグデ王にそんな計画の全貌を打ち明けると、王は手放しで賛成し、たいへんに喜んだ。王が示した歓喜の中に、タントリがまた自分の庇護下に戻ってくることがその一部分を占めていたのは言うまでもあるまい。

いつの間にやら職人が大勢集まってきて、その家の修復作業が始められた。タントリは宮殿に寝泊りし、毎日その家に行って修復作業を監督した。建築資材が運び込まれ、修復が終わった部屋に家具が運び込まれてくる。、タントリがそれらの金を払おうとしても、金を受け取ろうとする者はひとりもいない。王は毎日付き人を連れてその家の修復作業を見回り、気に入らない部分をあれこれ指摘して直させた。王宮中がタントリの新しい家を建て直すために舞い上がっている。
「おまえが白人の客を泊めることをオランダ人は快く思わないはずだ。」
「わたしの家に泊まるひとは白人だけとは限りません。そんな肌の色の違いなんて、わたしの家には関係のないことです。」
「おまえも知っているとおり、外国人がカンプンに滞在することをオランダ行政官は好まない。問題は、おまえがデンパサルのオランダ人ホテル界と競い合うことだけでなく、おまえの客になる外国人への監視も強められるということなのだ。」
「わたしはもうカンプンに滞在することもしないし、王宮からも出ました。これからは西洋風の自分の家に住むんです。かれらが望んでいるのはそれだったでしょう?だから、かれらも一安心するのじゃないかしら?」
「いや、それはちょっと違う。おまえがバリ島のこの地にいることをかれらは嫌悪しているのだ。」

王はその家の修復作業をおおむね気に入ったが、浴室の壁はまったく気に入らなかった。華やかさがなくて、まったく貧相だ、と言う。「あそこをもっと良くするのに、わたしに考えがある。わたしに任せなさい。あっという間に、すばらしいものにしてあげよう。明日、牢獄から何人か囚人を選んでここに送る。何をさせるかはわたしから伝えておく。きっと、良い仕事をしてくれることだろう。」
「囚人?それはいったいどういうこと?」
「そう、囚人だ。囚人の中にもすばらしい腕を持つ職人や芸術家がいる。新しいタイルを貼り、壁にはバリの絵画を描かせる。」
「そんな芸術家たちがどうして牢獄に?どんな悪事を犯したのですか?」
犯罪者が自分の家の中に入るということを考えるだけでも、タントリの神経は波立った。
「たいていは盗みを働いて牢獄に入っているが、中には人殺しもいる。明日の早朝にかれらをここへ来させよう。」


翌朝、タントリは夜明け前に起きて家を見に行った。そして庭に出て待っていると、制服の役人に伴われた男たちが一列縦隊でやってきた。
「この者たちは、あなたの家の浴室を修理する命令を受けています。わたしはかれらをここに残して行きますが、夕方5時にまた迎えに上がります。」制服の役人はタントリにそう言うと、すぐに来た道を引き返して行った。
囚人たちをどう扱ってよいのか判らず、タントリは途方にくれたが、まずその男たちを浴室に案内した。修復に必要な資材類はすでにそこに置かれていた。囚人たちは礼儀正しく、粗野な振る舞いは片鱗も見せないで、かえってタントリに微笑みを投げかけた。タントリは自分がそこにいないほうがよい、と考えて宮殿に戻り、ヌラの居所を訪れた。
タントリが囚人の話をすると、ヌラは笑って「心配いらない。」と言った。
「ほんの一日でも牢獄から外に出られて、かれらは喜んでいるよ。」
「でも、監視人もいないのだから、どこかへ逃げていったりしないかしら。」
「逃げるって、いったいどこへ?どこへ逃げようと、このバリ島の中では、必ずすぐまた捕まってしまう。それは囚人たちもよく知っている。」
「でも、人殺しもいるって・・・・」
「父もオーバーなことを言ったものだなあ。父も役人たちも、本当に危険な囚人を外へ出すようなことは絶対にしない。外へ出して、監視人もつけないで放って置くのは、そうしても害が起こらないのをみんな確信しているからだ。」
「でも、囚人が壁に絵を描くなんて・・・・」
「バリの民衆は、どれほどの一般庶民でも、すべて芸術家であることを忘れてはいけません。市井にいる普通のひとでも、芸術への造詣は芸術家に劣らないのです。」

その日、浴室で行われている作業をタントリは見に行く気がしなかった。しかし、役人が囚人を迎えに来る夕方5時には、家にいなければならない。タントリとヌラが家に行くと、囚人たちは庭にしゃがんで役人が来るのを待っていた。王宮の厨房から昼食が配給されたことについて、かれらはヌラに感謝の言葉を次々に述べた。
ふたりは浴室に向かう。囚人にどんな作業ができるものか、と疑っていたタントリは、浴室の中を見渡して感動した。床には一分の狂いもなく整然とタイルが貼られ、壁は床から天井の高さまでさまざまな地獄のシーンを題材にしたバリ絵画で埋められていた。色使いの巧みさと仕上がりの美しさに、口は声も洩らさないまま半開きになっている。

クルンクンの裁判所の天井に描かれた有名な絵画とほとんど遜色のないものが、わが家の浴室をいま飾っている。しかしその壁画を仔細に見ていけば、西洋倫理の常識から外れたものがあることに気付くにちがいない。バリ人にとって男女間の性行為は人間が生きることの一部分でしかなく、呼吸することと同じように当たり前のものなのであり、日陰に置き、カーペットの下に隠されるべきものではまったくない。それを不潔だと見なす西洋の観念は、バリ人にまるで無縁のものだ。タントリは村々を巡る旅の中で、そのことをいやというほど思い知らされた。
このホテルに泊まる西洋人がこれを見てどう感じるか。タントリは最初、困惑を抱いた。しかし、これが嘘偽りのないバリ文化なのだ。ヌラが笑い声を上げた。そしてタントリも、その声につられていつの間にか笑っていた。


タントリの新居の修復が完了し、かの女は王宮からそこへ引っ越した。二部屋だけのホテルだ。しかしクルンクンの監視官はタントリの行動をつまはじきしようと努めた。バリ島の観光ビジネスはオランダ植民地政庁の独占事業なのであり、デンパサルに作ったオランダ資本のホテルに競り合ってアメリカ人がホテル事業に割り込んでくるのを、放置することはできない。
白人がバリの村落部に入って行かないようにしてきたオランダ政庁の方針をひとりのアメリカ女性が引っ掻き回し、さらには観光ビジネスにまで首を突っ込んでくる。そんなことはやめさせなければならないのだが、その女性はバリ人王族界からあふれんばかりの親愛を得ており、道理の立たない扱いをすれば植民地政庁の利権を現場で代行させている王族界がどのような反抗姿勢を見せるようになるかわからない。その天秤のはざまで、タントリはこれまでオランダ行政官からの過酷な扱いを免れてきているのだ。
クトゥッ・タントリと名乗る白人女性は性的に乱れた、倫理をわきまえないふしだらな女だという噂が流れた。さらにタクシー運転手たちに対して、クトゥッ・タントリのビラに白人を運んではならない、という禁令が与えられた。だがタクシー運転手たちはあちこちの村にいる親族からクトゥッ・タントリの人物像をたっぷりと聞かされており、植民地行政機構が命じたその禁令は完璧に無視された。タクシー運転手たちは、タントリのビラへ行くよう命ずる乗客がアメリカ人・イギリス人・オーストラリア人など非オランダ人であるなら、何のためらいもなく客の言う通りにした。

バリ島のあちこちから、タントリの友人がそのビラに泊まりに来た。白人もいれば、アジア人もいる。タントリのビラでは、肌の色による差別が存在しなかった。かれらは自宅に帰ると、それぞれが自分の友人たちにそのビラを宣伝してくれた。地元の友人ばかりか、故国の友人親戚がバリ島へ遊びに来るなら、クトゥッ・タントリのビラに泊まるように、と。だから二部屋の客室の稼働率はかなり高かったものの、かの女は友人から金を受取ることに抵抗を感じ、ホテル代の清算は二の次にすることが頻繁だったし、反対に客へのもてなしには出費を惜しまなかった。そのビラでホテル仕事をしているプリブミたちはみんな王宮の使用人だったが、タントリはかれらにも賃金と食事を与えていた。だから、そのホテル事業は華やかで社交性の高いものとして十分に成功していたものの、事業経営という面から見ると採算を無視したまるで素人の仕事になっていた。

日々の充実感はほかにたとえようのないものだったが、金の問題に思いが至ると、かの女は絶望感に襲われた。自分への絶望がこうじて、何もかも放り出してどこか別の国へ去って行きたいと思うようになり、父親代わりのグデ王に悩みを打ち明けると、王はタントリを引き止めた。
「おまえがここへ来たのは神の導きに引かれてのものだ。神がおまえから何を望んでいるのか、その神の望みを体現させるまでおまえがどれだけ苦しまなければならないのか、すべてはまだ明らかになっていない。おまえはここにいなければならないのだよ、クトゥッ。」


オランダ植民地行政が目の仇にしているバリ島在住の白人芸術家たちのほとんどと、タントリは交際するようになった。バリの民衆ときわめて親しく暮らしているドイツ人画家ヴァルター・シュピースや人当たりのソフトなベルギー人ル・マユール。サヌールに住んでいるル・マユールはとても美しいバリ人踊り子を妻にしている。その隣人に、アメリカ人マーション夫妻がいる。夫人は小さい保健クリニックを開いてバリ人に医療奉仕を行っている。オランダ人芸術家のポール夫妻もサヌール海岸に住んでいる。植民地行政官たちと同じオランダ人とはとても思えないカップルだ。やはりオランダ国籍のキャロル・デークはオランダ植民地機構と終わりのない抗争に入っている。そしてアグン山麓に住んでいるスイス人画家のテオ・マイヤー。かれはふたりのバリ女性を妻にし、子供をひとりずつもうけた。タントリはテオの家をしばしば訪問した。夫人たちが作るバリ料理がたいそう口に合ったのだ。テオ自身も料理が好きだった。
それらの友人たちばかりか、イギリス・オランダ・中国・インドなどの著名な画家や文芸家、そしてシャムの王子もビラの客になった。また近隣のバリ諸王国の王子たちも、妻を伴って泊まりに来た。バリ島で、このような場所はほかになかった。しかし宿泊客は著名人や貴顕ばかりではない。タントリの生き方に共鳴する善良なひとびともいたのである。そのひとりがダアン氏だ。

トアン・ダアンはオランダ人だが、ケンブリッジ大学を卒業したことも手伝って、まるでイギリス人を想像させるオランダ人だった。父親から譲られた砂糖きび農園をジャワ島で経営している。オランダで名を知られた貴族の家系で、そのため人脈は常人の及びもつかない幅広さだ。そしてかれは、バリを愛するひとびとのひとりだった。
トアン・ダアンがはじめてタントリのビラにやってきたとき、かれはひとと荷物を満載した自動車に乗ってジャワからやってきた。妻と赤児を連れて。かれの妻はイギリス美人だったが、残念なことに夫ほどバリが好きでなかった。
その最初の訪問は短期間だった。ジャワで急用ができたためトアンはジャワに戻り、用が片付いたら戻ってくるからと家族をタントリに預けたが、妻は待つのを嫌ってタントリのビラから去った。トアン・ダアンがビラに戻ってきたとき、かれの妻子はもうそこにいなかった。
トアン・ダアンが何度かバリを訪れているうちに、タントリとの親密さが増した。かれは大金持ちであり、そしてプリブミへの援助を頻繁に行う有徳の人物であり、バリに住んでいるタントリの友人たちのほとんどすべてとも面識があった。そしてトアン・ダアンとタントリが親しいことを知ったバリ島植民地行政機構は、タントリへの攻撃を控えるようになった。


< ホテルがクタに >
そのころ、フランス人男性客が宿泊し、バリ島観光のガイドをタントリに依頼した。毎日島内を巡る中で、タントリはまだひと気のないクタの美しい海岸にかれを案内した。そして、そこにホテルを持つという計画をかれに話したところ、かれは翌朝、タントリにビジネス提携の提案をしてきた。タントリが土地を用意し、かれが小さいホテルを建てる資金を用意するという内容だ。そして利益を自己資金にしてホテルを拡張していく。タントリは即座にその提案に乗った。
タントリは自分が借りている土地を二分し、そのひとつの使用権をフランス人が持ち、もうひとつはタントリが持つ。ふたつの土地の間にクタ村に達する道路を作り、フランス人は自分の土地に居所とホテルを建て、タントリも自分の側の土地に居所を設ける。
ところがホテルが稼動を始めたとき、タントリは大きな間違いを犯したことに気付いた。フランス人もデンパサルにあるオランダ資本ホテルと同じ方針を採用したのだ。つまり人種差別がホテル内を覆ったのである。共同経営者であるタントリが黙っているわけがない。ふたりはさまざまな問題で対立するようになった。
そのフランス人はバリ島でオランダ人が採っている姿勢と方針を好み、オランダ人コミュニティに密着していた。共同経営者だとはいえ、タントリには事業経営の知識も経験もないため、事業方針や資金問題はフランス人の独り舞台になっていた。ホテル事業に関する合意覚書にサインしたものの、そのコピーすらもらっていない。タントリはまるで置物扱いされている。


そんなころ、ホテルの宿泊客のひとりと親しくなった。ハワイの数ヶ所にパイナップル農園を持つ裕福なアメリカ人のテニー氏だ。テニー氏もバリが気に入り、今後毎年バリ島に数ヶ月滞在したいと言う。バリ島のプリブミに対する感情もタントリとあまり違わなかった。
テニー氏はタントリと共同経営者のフランス人に対し、土地の権利と建物を自分に売り渡さないかと尋ねた。タントリもフランス人もその申し出をのんだ。ところが、テニー氏は相変わらずホテルに滞在し、タントリもフランス人もこれまでと同じ場所に住んでいる。

ある日、テニー氏はタントリに会いに来て、自分の考えを物語った。「拝見していると、あなたと事業パートナーの関係はうまく行っていないし、むしろひどくなる一方だ。あなたを見ていると、気の毒でしかたない。急用ができたのでわたしはアメリカに戻らなければならないが、その前に土地の使用権とあなたの居所をお返ししておきたい。これはあなただけにお返しするのだ。そして、わたしの自動車をあなたにプレゼントしよう。」
数日後、テニー氏はバリ島を去り、フランス人も契約の打ち切りを表明して去って行った。ひとりだけ残されたタントリは、今後、何をどうすればよいのかわからない。ホテルへ行くと従業員たちが暇を願い出たから、かれらを引き止めた。タントリはこれまでも、自分が雇い主で従業員はただの使用人だというような態度を示したことがない。かの女にとって従業員たちはあくまでも友人であり、仲間なのだ。特に、従業員の中の核になっている三人は、かの女自身がカンプンから連れてきた者たちだった。かれらにまで去られて自分ひとりだけになったら、クタでのホテル事業の夢は完全に崩壊してしまう。その三人というのは、バリ舞踊の名手ニョマン、ガムラン奏者で有能な作曲家でもあるマデ、そして頭脳明晰でやはり優秀なバリ舞踊家でもあるワヤンだ。かれらは文盲だが、すばらしい芸術家だった。

事業パートナーのフランス人はプリブミを使用人としか見なさず、タントリがかれらを友人扱いするたびに不愉快そうな反応を示していた。だから従業員たちのタントリに対する感情は、単なる労使関係を超えたところにある。タントリがかれらを愛するのと同様に、かれらもタントリを愛していた。

タントリはかれらと一緒にクタの浜辺に出てサンセットを眺めた。三人はタントリに、代わる代わるバリの昔話を聞かせた。バリ人の常で、三人とも将来のことを思い煩うようなことはしない。タントリだけが、これからどうなるのかという悩みを抱え込んでいた。
タントリは三人に尋ねた。「これから一体どうなるのかしら?わたしのお金はもうほとんど底をついているのよ。」
ワヤンが落ち着いた声で語り始めた。
「われわれがこれから何をするのか、わたしは知っている。ここにもうひとつホテルを建てるんだ。このクタの海岸に、あんたが夢に見てきたあんたの望むホテルを。バリ建築の粋を集めた、まるで王宮のようなホテルを。このホテルは人気を集め、世界中の観光客が泊まりにやってくるにちがいない。そうしてあんたは大金持ちになる。ホテルの名前はバリ語で海の音(あるいは海の声)を意味する『スワラスガラ』。われわれは自分で稲を脱穀し、バリの娘たちが機織した布を売る。自前のガムラン楽団を持ち、このマデがその世話をする。そしてニョマンがほかの踊り手たちと一緒に舞う。ホテルの従業員は全員が芸術家だ。さんご礁の上には寺院を建てて、司祭たちから祝福の祈りを与えてもらい、ホテルの礎石の土中には金と銀の供え物を埋める。古来からのしきたりを忠実に守っていれば、あらゆるものごとはすべて順調に進む。われわれはきっと繁栄する。」
ニョマンとマデはその話を聞きながら、時に感嘆の声をあげ、また全身で賛同を示した。ふたりが付け加えた。
豚やあひるや鶏などの家畜も自分たちで飼う。ココ椰子もパーム椰子も切り倒さない。ホテルの建物は木々の間に建てる。木々の神にお供えもしないで切り倒せば、決して良いことは起こらない。椰子の実は売り、また自分たちで利用する。椰子の実の用途は数え切れないほどある。そうやってわれわれは自立するのだ。タントリはかれらの言葉を聞いて感動したが、意欲だけではどうにもならない。

「あなたたちの夢はとても美しいけど、ホテルを建てるのには巨額のお金がかかる。意欲だけでは実現しないのよ。」
沈黙がその場を包む。タントリは提案した。「テニーさんがプレゼントしてくれた自動車を売りましょう。いま自動車の値段はとても高くなっているし、チナかアラブの商店主が買ってくれるかもしれない。わたしができるのは、それくらいしかないわ。」
「だめ、だめ、クトゥッ。自動車はだめだ。われわれは決して自動車を売らない。ホテルができたら、客の観光地めぐりに使えるだけじゃなくて、物資の買出しにも使わなきゃならない。ここからデンパサルまでは18キロもあるんだよ。」
ワヤンの返事にニョマンもマデも賛成した。
「きっと方法が見つかる。神にすべてを委ねよう。」

しかしタントリはかれらのように悠長に構えていられなかった。かの女は翌朝早く起きると、デンパサルへ向かった。自動車の買い手を捜すためだ。自動車はクタに置いて行った。タントリの考えでは、自動車を持って買い手のところへ行けば高い値はつかないが、買いたい者が自動車を見にやってくるなら、もっと高い値がつくにちがいない。だから、タントリは馬車に乗ってクタ海岸からデンパサルの街中まで行った。そしてとあるアラブ人商店主の関心を引くのに成功した。かれは翌朝、自動車を見にクタ海岸へ行くと約束した。


タントリがクタに戻って仲間の三人にそのことを報告すると、三人は喜ぶどころか、とても渋い顔をした。自分たちの意見を尊重しなかったタントリに対する失望と、自分たちの考えを諦めなければならなくなった残念さがそこに示されている。
翌朝になり、自動車の買い手が来るのでその準備をしようとしてタントリは三人を呼んだが、だれも顔を出さない。何度呼んでも反応がない。辺り一帯を探して回ったが、どこにも姿がないのだ。自分がかれらの言葉を聞き入れなかったために、かれらに見放されたのだろうか?どうやら三人は故郷へ帰ったようだ。慙愧の念がタントリを襲った。
デンパサルのアラブ人商店主がやってきた。タントリがコーヒーを供すると、アラブ人はそれを急いで飲み干し、車を見せてくれ、と言う。自動車のガレージは、塩害を少しでも軽減させようとして、浜辺から少し離れた場所に設けられている。ガレージに近づくと、ガレージの姿が変わっていた。まるで要塞のようだ。ガレージの周囲は竹で覆われて、中へ入れないようになっている。つまり自動車もガレージの外へ出すことができないというわけだ。そして誰に書かせたのか、「売ってはならない」と大書された札が吊り下げられている。

タントリが呆気に取られる一方で、この遠方まで時間をかけ、苦労をしのんでやってきたアラブ人は怒り出した。タントリの詫びにも耳を貸さず、商店主はぶつくさと苦情を言いながらクタの村の方角へ歩き去った。
タントリはがっくりして地面にひざまづく。この出来事を嘆くべきか、笑うべきか?タントリの口から笑いが爆発した。そんな大笑いをしたのは、実に久しぶりだった。

タントリは力なく自分の住居に戻り、ひとりで考え事をしながら時を過ごした。浜辺にサンセットを見に行く気にもならない。そうして夜の闇が深まってくるころ、椰子林の中に人影が現れた。ひとり、ふたり、三人。三人はタントリの住居にやってきた。「ごきげんよう、大奥様。」
仲間の三人が戻ってきたのだ。しかし三人はタントリにそんな呼びかけかたをしたことがない。どうやら、タントリがしたことを皮肉っているにちがいない。なぜなら、三人は明るい顔を見せているのだ。

「あなたたち、今日はどこにいたの?」
「村に行って来た。用事があったんだ。」
「自動車を売る絶好のチャンスを、あなたたちはぶち壊したのよ。どうしてあんなことをするの?」
三人は答える代わりに担いできた大きな布袋を床に下ろし、中身を出した。米・卵・コーヒー・鶏・その他もろもろの食材。そして最後に小さい袋を開いて中身をタントリに見せた。たくさんのコインと紙幣がその中に入っていた。プリブミの暮らしでは決して目にすることのない大金だ。
「そんなにたくさんのお金をどこから持ってきたの?悪いことをして手に入れたお金なら、わたしはいらないわ。」
「そうじゃないよ、クトゥッ。われわれは悪事を犯していない。これはあんたがホテルを建てるための資金だ。村のみんなが、水田を質にしてチナ人から借金してくれた。」
朝、腹の底から大笑いしたタントリは、この夜、大声をあげて泣いた。


三人が持ってきた村人からの浄財は一千フルデンを少し超えていた。その金はあくまでもホテル立ち上げの借金だと考え、事業から得た利益で返済していくことにした。援けたり援けられたりすることとは別のことがらだ。
その資金を使って、ホテル建設がスタートした。もちろん、その程度の金額ではバンガローひとつすら建てるのに十分でない。しかしワヤンの壮大な計画は着々と進展する。
「わたしはバリ一番の優れた建築親方を知っている。名前はバグス。ここからあまり遠くないカンプンに住んでいるから、あんたをかれに紹介したい。」
「でも、かれに支払うのに十分なお金はまだないのよ。」
「もちろん。でも、いまバグスに金を支払う必要はない。われわれは建築資材を用意する。かれは優秀な職人を集めて建築を開始する。かれの仕事の分はかれからの借金にする。かれの指図下に付く職人はかれの村にたくさんいる。ほかの雑役はこの近辺の村人を使う。われわれのホテルは王宮もどきのデザインだ。バグスはたっぷりと腕がふるえて、きっと誇りに思うだろう。
ホテルの営業が始まったら、その利益から借金の返済をしていく。バリ人は金のやり取りの決着を急いで行うようなことをしない。ゴトンロヨンもわれわれのたいせつな伝統のひとつなのだから。」

数日後、タントリはワヤンに誘われてバグスに会いに出かけた。バグスはもちろんタントリのことを知っていたが、一般のバリ人が噂から得ている情報以上にタントリのことに詳しい。なぜなら、バグスはアナアグン・ヌラの親しい友人だったのだ。
ワヤンはバグスにホテルの構想を物語った。個別のビラ・厨房・食堂・そして小高い岩の上に寺院を建てる。寺院は他の建物よりも高くする。蓮池も必要だ。サンガもあちこちに配置する。ワヤンの話を聞き終えたバグスは数日後にデザインを持って説明にうかがうと言い、建築資材は何と何をどのくらい、という指示をワヤンに与えた。

ワヤンは翌朝、自転車に乗って建築資材の買い付けに出かけた。自動車で送ってあげるというタントリの申し出を、あんたがいないほうがタワルムナワルはうまく行くから、と言って断った。
数日後、バグスがやってきた。かれのデザインは西洋人建築家の作品に決してひけを取らない。
いっしょにやってきた大勢の職人たちは、すぐに飯場を建て始めた。こうして、タントリの夢のホテル「スワラスガラ」の建設が開始された。


バグスはビラの扉を、宮殿で使われている彫刻の施された古いものにしたい、と言う。タントリはヌラの助力を得て王族界から必要な数だけ扉を集めることができた。新たに作られたものとは貫禄がまるで違う。反対にウブッの王からは、ビラをひとつプレゼントしようとの申し出を得た。彫刻と色彩に飾られたベッドやタンスなどの家具つきでだ。バグスがそのビラを建て終えると、王自身が最初の泊り客になった。「もし波の音が聞こえなければ、自分の宮殿でない場所にいることが信じられないくらいだ。」王はそうコメントした。


しばらくして、まだ完成していない「スワラスガラ」にトアン・ダアンがたくさんの友人を連れてヨットでやってきた。ひとびとは泊まれるだけの場所に寝て、残りのひとたちはヨットで寝た。食事は浜辺でホテルの厨房が用意する料理を食べた。果物はクタの村人がたくさん持ってきたし、浜の漁師が持ってくる魚も無尽蔵だった。そして夜はホテル従業員のガムラン楽団とやはり従業員たちの舞が披露され、客たちはバリ島観光を堪能した。

トアン・ダアンは王宮もどきの建築デザインをたいそう気に入り、バグスとあれこれ話をしていた。トアン・ダアンも建築物に造詣が深く、建築技術に関する知識をバグスから仕入れていたようだ。そしてヨットがクタ海岸から去ったあと、スワラスガラのバグスに対する借金の大半が支払われており、またいくつか他の借金も支払いが終わっていることを知って、タントリは驚いてしまった。ホテルが完成した後、宿泊したトアン・ダアンやかれの親族・友人たちからタントリは決して代金を受取らなかった。


ホテル「スワラスガラ」が営業を開始すると、宿泊客が続々とやってきた。このホテルは西洋人が強いエキゾチシズムを感じる、まるでおとぎの国のような雰囲気に覆われていたのだから。当時、デンパサルにもこのようなホテルはまだなかった。利益は順調にあがり、建設時の借金はすべて完済することができた。カンプンのひとびとが集めてくれた資金も含めて。
バリ島に来る観光客がデンパサルのオランダ系ホテルよりもクタのスワラスガラを選ぶ傾向を強め、客の減ったオランダ系ホテルからプリブミ従業員たちまでもがスワラスガラへ移りはじめると、植民地行政機構の危機感は最高潮に達した。例によって倫理感覚を刺激する根も葉もない中傷が世の中に流され、その中にはフリーセックス乱痴気パーティが開かれている、などというものが混じったが、今度はスワラスガラを愛顧する貴顕著名人が怒りを示した。その中傷はかれらへの侮辱だというのである。その結果、オランダ本国政府から植民地政庁に雷が落ちることになった。だが植民地行政機構はかれらが問題視しているトラブルの根を断つことを決意していたようだ。

ある日、その日もホテルは客でいっぱいだったが、警官隊がやってきて従業員を全員逮捕して連れ去った。取調べのためだ、と警察は言う。タントリはすぐにスラバヤのアメリカ領事館に電報を送った。すると24時間もしないうちに、全従業員が釈放されてホテルに戻って来た。ところが、警察で何があったのかを従業員がタントリに報告すると、タントリの不安は高まった。警察は従業員たちに、ホテル内で売春が行われていることを証言するよう強要していたのだ。
そして、オランダ領東インド総督が男色者追放令を発するに及んで、一大政治疑獄が地上を走った。それを利用して、政権に逆らう姿勢を持つ者に男色者の容疑をかけて粛清することが行政機構にできるようになる。女性ホテル経営者であっても、そんな場所を用意したという嫌疑がかかれば、それに連座することになる。
しかし結局、そのイシューによってタントリの身の上に何かが起こることはなかった。警察はそのような摘発に使えそうな事実を何も手に入れることができなかったし、植民地行政機構も沈黙した。少なくとも、タントリはそう思った。ところが、奇妙なことが起こり始めたのだ。


以前から、バリ島の諸王はよくスワラスガラを利用した。食事会を催したり、パーティを開いたり、あるいは小人数で水泳に来たりした。クトゥッ・タントリは王族界のひとりなのであり、かの女と親しく交際しない王家などない。
ところが王たちはタントリがひとりでいるとき、タントリのそばへ来て、「わたしの妻にならないか?」と正式結婚を申し込むようになった。王たちはみんな王妃を持っているが、何番目の妻であろうと正妻であり、決して妾ではない。
「あなたの心はもうバリ人になっているのだから、王の妻になることで名実共にバリ人になる。あなたは全バリ人の心をとりこにした。われわれはあなたを失いたくないのだ。」王のひとりはそう言った。
タントリは王たちの対面を傷つけないように苦心して断っていたが、どうやら王たちはタントリを自分のものにしたいという動機からプロポーズしているのではないような印象をかの女は感じた。これはいったいどういうことなのかしら?

ある日、ひとりのオランダ人警察官がホテルを訪れて、大型の封筒をタントリに手渡した。この種の公式文書は何度も受取っている。デンパサルの監視官がまた自分を召喚しているのだろう、とタントリは思った。ところがその想像はまったく外れていた。手紙には、「オランダ領東インドから追放処分が与えられたので、早急に退去せよ。一週間以内に退去しない場合は、逮捕されて直近のアメリカに向かう船に強制的に乗せられることになる。」と記されていた。タントリはすぐにデンパサルの監視官事務所を訪れた。
「わたしを追放する理由は何なのでしょうか?」
「オランダ政府は逐一理由を提示する義務を負っていない。あなたは外国人なのだ。この地の主権は当方にあるのだ。」
「じゃあ、やってごらんなさい。妥当な理由がないかぎり、わたしに自分からこの地を去る意思は、爪の先ほどもありません。これは権力者の暴虐行為です。わたしをアメリカ行きの船に乗せるよう強制してみればいいわ。あなたのほうが後悔することになるでしょう。結果はすぐにわかります。」


翌朝、タントリはスラバヤへ飛び、アメリカ領事に面会した。
「もし、あなたのホテルで公序良俗を冒すことが行われているか、それとも共産主義を宣伝しているか、そういったことがらの証拠が得られないかぎり、あなたの追放は合法性がありません。しかしこうなった以上、あなたは弁護士を雇ってジャカルタの東インド総督にこの問題を訴えなければならない。早く動くのに越したことはありません。」領事はそう忠告した。
タントリはプリブミの弁護士を使いたいと思ったが、「オランダ人の法廷にプリブミの弁護士では最初から勝ち目はない」というヌラの意見に従うことにした。弁護士はトアン・ダアンに紹介してもらうのがよいというヌラの忠告で、タントリはまたジャワに渡る。弁護士はすぐに総督への訴えの手続きを開始し、総督の決裁が出されるまで、だれもタントリの身柄に指一本触れることはできない、と断言した。

一週間が経ち、二週間が過ぎたが、総督の決裁はなかなか降りない。その間、スワラスガラに宿泊したことのある世界中のひとびとから、手紙が続々と総督宛に送られてきた。ウィルヘルミナ女王と親しい関係にあるオランダ女性は手紙にこう書いた。「もしアメリカ人女性のミス・クトゥッ・タントリがバリ島から追放されるようなことにでもなったなら、われわれはかの女をオランダに招いて、この問題に関して発言する機会を与えるでしょう。」


植民地行政機構はスワラスガラの営業を封鎖したためホテルに客はひとりもいないが、タントリの行動の自由は認め、訪問客が会いに来ることまでは禁止しなかった。あるとき、ヌラがホテルにやってきた。そのときタントリは数人の来客と一緒にいたが、タントリだけを誘って浜辺に出ると、ヌラは小声でタントリに言った。「わたしの妻になる気はないか、クトゥッ・タントリ?」
そのとき、諸王がそれぞれ自分にプロポーズしてきた奇妙なできごとの記憶がよみがえった。
「あなたはもう妻がいるのよ。そんなことができるわけがないわ。」
「バリでは、妻を複数持つことが許されている。そして、わたしとラティとの関係も、あなたは十分知っている。もちろん、この申し出がわれわれお互いにとって、デメリットを含んでいることは判っている。だが、そうすることであなたはバリ人になれる。オランダ人はあなたをどうすることもできなくなる。わたしはこの問題を父と相談してきた。そして父はこの結論に賛成した。父はもっと凄いことを言ったよ。ほかに方法がひとつもなくなってしまったら、自分がクトゥッを妻にしてもよい、と。」
「そうね、お父様は本当にそうするでしょうね。」
「じゃあ・・・?」
タントリは首を横に振った。
「だめだわ、ヌラ。そこまであなたに犠牲を強いることはできないわ。あなたがわたしをそうやってまで保護すれば、今度はオランダ人があなたを許さない。民族解放という理想を目指してあなたが動いていることがかれらの付け目になる。かれらの目から隠れながら動くのは容易でないし、逮捕されるリスクも高まる。最終的にあなたは自分の理想の実現を諦めなければならないでしょう。それはできません。わたしの闘いはわたしが決着させなければならない。今でさえ、あなたは反植民地運動のからみで逮捕される可能性がある。あなたの立場のほうが、わたしより危険なのよ。自分の安全を得るためにあなたをもっと危険な立場に押しやることは、わたしにはできません。わたしがバリに来たのは自分が自由になるため。愛するひとたちの自由を奪うためじゃないの。」

ふたりがクタの浜辺で話し合っているとき、ホテルに朗報が届いた。東インド総督閣下はバリ島のアメリカ人女性に対する追放措置を取り消すよう命じたという知らせが。クタの浜辺に歓声があがった。


< たちこめる戦雲 >
タントリは自由になり、ホテルの営業が再開された。だが観光シーズンが過ぎているため、スワラスガラに泊まる客は数えるほどしかいない。嵐が吹き、浜の砂が舞上って樹々に打ち当たる。そんなときに浜を歩けば、砂粒が肌を容赦なく打って痛いし、衣服が砂だらけになる。夜、風雨はさらに激しくなり、バグスが屋根をワイヤーで地面に縛り付けていなければ、ビラの屋根は吹き飛ばされていただろう。

そして季節はまた移り変わったが、ヨーロッパは戦雲に覆われていた。近隣諸国を侵略してきたヒットラーがポーランドに攻め込み、ヨーロッパのひとびとの暮らしに変化が起こった。だが、咲き乱れる花と燦燦たる陽光に恵まれて大自然に抱かれたバリ島の暮らしには変化がなかった。戦争は本当に、どこか遠い場所で起こっているできごととしか感じられず、バリ島に戦争の影響が及ぼうとは思われず、だれもがこの島の平和を満喫していた。
しかし、ジャワ島やバリ島にいたたくさんのイギリス人は、本国へ帰るために去った。特に目に付いた変化はそんな程度だ。東インドのオランダ人はまるで何も起こっていないかのように、従来どおりに振舞っていた。そしてオランダ本国がヒットラーの支配下に落ち、ウィルヘルミナ女王と閣僚はイギリスに亡命した。

そんなころ、老齢のイギリス人将軍がスワラスガラに宿を取った。かれはスコットランド人で、早急に本国に戻らなければならないと言ったが、その割には慌しさを見せず、ビラで何日も編み物をして過ごした。タントリはニットに没頭している男性をそのとき生まれてはじめて見た、と書いている。
「行動を起こす前には、いつもこうしている。神経を集中させ、精神を統一するのに、これはたいそう役に立つ。」
その老将軍は世界情勢を語り、ヨーロッパの情勢がバリ島とは関係のないものだと思っているタントリの考えを覆した。これまで読んだたくさんの本から得た知識よりも、老将軍がタントリに教えたことのほうが、はるかに幅広く深いものだったようだ。


本国がナチスドイツの支配下に陥ったことで、オランダ領東インドのオランダ人も臨戦態勢に入らざるを得なくなった。だが、どちらかと言えば、緊迫した空気よりもこれまでの安穏な雰囲気がまだまだたくさん残っていたようだ。むしろ、プリブミ知識人のほうが、世界情勢を苦慮していた。プリブミはこの戦争に連合国寄りの姿勢を示し、プリブミ住民の一部に戦備と訓練を与えて植民地軍を強化するよう政庁に提案したが、政庁は受け入れなかった。現実に、オランダ人の中にもナチス寄りのひとびとがおり、ジャワ島ではかれらの声が相当な強さを持っていたのだ。

スワラスガラの宿泊客の間に軍人が増加した。ヨーロッパからやってくる客は激減し、東インドの他の島々あるいはシンガポールからの客が大半を占めた。中でも、クタ海岸から近いトゥバン海岸に設けられた飛行場は既にオランダ空軍の管理下に置かれており、連日、航空兵の訓練が行われていた。航空兵たちは近くにあるスワラスガラの常連客になった。と言っても、宿泊することはあまりなく、ホテル前の砂浜で海に入り、ホテルの食堂で飲食するのが普通だったのだが。かれらの多くはジャワ島に家族を持っており、タントリをその自宅に招いた者もいる。


そんなある日、タントリはシンガポールからの電報を受取った。イギリス植民地政庁の閣僚ノーウィック卿が、夫人を同行してオーストラリアへ向かう途中にスワラスガラで数日の滞在を希望しており、飛行場に出迎えてもらうのは可能だろうか、という内容だ。ダフ・クーパーという名前で通っているノーウィック卿は熱血的愛国者として知られており、その夫人は社交界で名の通った美女レディ・ダイアナ・マナーズだ。すぐに「歓迎」の返信をシンガポールに送ったタントリは、雲上人の来訪に緊張した。
その噂はすぐに広まり、オランダ植民地政庁から横槍が入った。イギリス王家の中心部に位置する皇族が一介の民間ホテルに泊まるのは、格式から見て許されないことだ。そういう高い身分の賓客はバリ島のレシデン公邸にお泊りいただかなければならないので、公式儀典班が飛行場にお迎えにあがることになる。「おかしな状況だが、やりようはある。伝統の格式は重んじられなければならない。」レシデン庁高官は、卿のバリ島での周遊の中でスワラスガラに立ち寄るようなことをほのめかしたのだろうが、タントリはきっぱりと拒絶した。
「それはダフ・クーパーが決めることです。わたしも飛行場へ出迎えに上がりますから。」

タントリは賓客のもてなしの準備を進めた。王宮で暮らした経験を生かして、バリの慣習に則したやり方を採る。バリ風の豪華な宴を実現させ、アトラクションにガムランとバリ舞踊の名手を集めてバリの伝統芸術を上演させる。その宴を賑やかなものにするため、近隣の村人を招いてバリの日常の雰囲気をかもし出させる。ヨーロッパ人はサヌールに住むオランダ人ポール夫妻だけを招待する。
ワヤン、ニョマン、マデの三人が仕事を分担し、クタをあげての準備が進められた。そしていよいよ、当日となった。

飛行場への出迎えに使う車は花一杯に飾り立て、ワヤンがイギリスの小旗を立てた。「オランダの旗は立てないの?」とタントリが尋ねると、ワヤンは「必要ない」と言った。ワヤンが運転し、ニョマンがドアマンになる。ふたりはバリの王子のような盛装をした。上半身は裸だ。

飛行場に着くと、植民地行政機構の高官たちが全員そろっていた。輝くばかりの黒色リムジンが何台も列をなしている。華やかな姿のタントリたちがやってくると、オランダ人はそろって呆れ顔をした。飛行機が着陸して、乗客が降りてくる。
オランダ人はタラップを取り囲んで挨拶をした。「これから総督宮殿にお連れします。当地での滞在プログラムはレシデン閣下が既に万全の準備を整えております。」
ダフ・クーパーは笑顔を絶やさずに答えた。「この表敬に謝意を述べます。しかしわたしは今休暇中なのであり、わたしのスケジュールは自分で組んだものを使います。わたしとレディ・ダイアナはクタ海岸のミス・クトゥッ・タントリの客になりますので、ミス・クトゥッ・タントリを呼んでいただければ幸いです。」
「閣下。あのホテルは人民大衆向けのものであり、あそこにお泊りになっても失望されるでしょう。」
「わたしがこれまでに聞いたさまざまな話から、わたしは大いなる満足を味わうことができそうです。わたしも原住民の近くで似たような暮らしをすることが嫌いではない。」

そのとき、タントリはタラップを取り巻いているオランダ人高官たちの輪の後ろにいた。輪の中にいたKLM航空会社の現地代表者がタントリの方を向いて不満足そうにうなずいた。「これがクトゥッ・タントリです。」
挨拶してからタントリがダフ・クーパー夫妻を車の方に案内すると、ワヤンとニョマンが芝居気たっぷりに車のドアを開き、発車の態勢にかかった。


スワラスガラでポール夫妻を交えて懇談する中で、ダフ・クーパーは緊迫した情勢を物語り、バリ島も安全でないことを強調した。しばらくして食事の用意が整ったことを知らせるゴングが鳴り、みんなは食堂へ移る。
会食が始まった。客たちはバリ料理の珍味を堪能する。ところが給仕人のひとりが、今夜演じるバリ舞踊グループの村の若者がタントリに会いたいと言っている、と伝えてきた。タントリは座をはずす。
外へ出ると、若者がタントリに訴えた。デンパサルのバリホテルのマネージャーとオランダ客船会社KPMの役職者がかれらに、今回のスワラスガラでの仕事を受けたら、ホテルでも客船上でも、もう二度と仕事はもらえない、と言っているのだそうだ。
タントリはすぐに車に乗ると、副レシデンの事務所に向かった。副レシデンは監視官の上司に当たる。副レシデンの態度は冷たかったが、タントリは起こっている事態を説明し、舞踊グループに対するホテルと客船会社の脅迫をすぐに取り消させるよう求めた。もし撤回がなされないなら、起こったことをイギリスの報道界に洗いざらいぶちまける、とタントリは言う。「ノーウィック卿がそれを読めば、自分が侮辱されたことに腹を立てるでしょう。オランダがどんな報復を受けるか、想像してごらんなさい。そんなことにならないよう、わたしはバタヴィアの総督閣下にも電報を入れておきますから。」

スワラスガラに戻ったタントリは、午後、車で一行を観光巡りに誘った。夕方ホテルに戻ったが、新たな知らせは何もない。そして夕食のゴングが鳴るのを待っているとき、オランダ人役職者がやってきて、舞踊グループは今夜必ず来ることを知らせた。ホテルとKPMが勝手に行ったことであり、レシデン閣下はまったくそれを知らなかった、とかれは強調した。そしてタントリが奨めた飲み物を辞退して、そそくさと立ち去った。
ノーウィック卿が満足してバリ島を去ってから、オランダ行政機構のタントリに対する態度は軟化した。しかし、タントリの精神的な負担を軽減させるその変化の恩恵は長続きしなかった。次の災厄がタントリに迫っていたのだ。


< バリ島占領 >
11月の終わりごろ、トアン・ダアンがスワラスガラを訪れ、クリスマスから新年にかけての期間、スワラスガラを借り切った。ヨーロッパの情勢はますます重苦しいものになり、そんな雰囲気を振り払おうとして、まだジャワに残っている親族友人たちに愉しいクリスマスプレゼントをしようと考えたようだ。
11月が過ぎて12月に入ったある日の早朝、タントリの住居の扉を叩く者があった。タントリが窓から表を見ると、そこには知り合いの航空兵が立っている。「クトゥッ、ドアを開けてくれ。あなたに重要なニュースがある。」
タントリは手早く着替えて扉を開いた。しかし航空兵は外に立ったままだ。
「あなたはアメリカ人だったね?」
「ええ、そう。あなたもご存知の通りです。」
「アメリカ艦隊がパールハーバーで日本軍に沈められた。あなたの国は戦争状態に入った。あなたにそのことを伝えるよう大佐に命じられたので、わたしが来た。ダアンさんとキルケニー大尉がここにいるなら、あなたからかれらに伝えて欲しい。」
その航空兵はそう言い終えると、足早にトゥバン飛行場の方角に歩き去った。ホテルと飛行場の間はおよそ3キロ離れている。かれは徒歩で、あるいは駆け足でやってきたようだ。
トアン・ダアンもアメリカ海軍のキルケニー大尉も、もうそのニュースをつかんでいたらしく、ふたりは慌しくビラから出てきた。トアン・ダアンはその夜のうちにジャワ島に戻り、予備役軍人としての務めに服した。退役海軍大尉も翌日、アメリカへの帰国の途についた。大尉はタントリに、「あなたも一緒に帰国しよう」と誘ったが、タントリは断った。

数日後、ジャワへ頻繁に往復している航空兵がヌラの手紙を届けてきた。ヌラはタントリに日本軍がバリ島を占領する可能性を説き、そのときタントリが王宮の奥にこもっているのがもっとも安全性が高い、と忠告した。「そのホテルを閉めて、父王の王宮にできるだけ早く戻るのです。日本軍もバリの諸王を敵に回すことは避けようとするでしょう。だから王宮の中で暮らすのがもっとも安全なのです。・・・・」


ジャワ島から航空部隊が毎週、トゥバン飛行場にやってきた。タントリはスワラスガラを航空兵に開放した。トゥバンから至近距離にあるスワラスガラは、一蓮托生なのだ。タントリはちょっとした遊び心で航空兵たちにマスコットを作った。オレンジ色の布を三角に切り、三つの角に黒いDの文字を書いたものだ。三つのDは「Darling, Daring Devils 」を表している。それがたいへん評判になり、航空兵たちは自分が乗る機体にその小旗をつけたし、中には自動車につける者もいた。

ところが、また奇妙なことを考えるオランダ軍高官があらわれた。クトゥッ・タントリはオランダ軍の内情を探っているスパイではないか、という見解だ。戦争が激化しはじめたというのに、女の身でありながら帰国もせず、空軍基地に密着している、というのがスパイ疑惑の原因なのだろう。航空兵たちはスワラスガラ訪問を禁止された。兵士たちは抗議した。すると軍の調査部隊がやってきて、ホテル内を捜索した。
タントリは調査部隊の将校たちにその疑惑がまったくナンセンスであることを説明し、軍上層部は最終的にその疑いを解いた。実際、タントリが知り得ることは飛行場周辺にいる者ならだれでも知り得ることしかなかったのだから。

そうこうしているうちにシンガポールが陥落し、ジャワ島が日本軍の照準内に入った。トゥバン飛行場からスワラスガラに遊びに来る航空兵はもういなかった。かれらは各地で日本軍との戦闘に従事しているのだ。ジャワ島侵攻が開始されるのは時間の問題になった。日本軍はジャワ島を占領するだろうが、バリ島は軍事的要衝でないからバリ島が占領されることはないだろうとタントリは思っていた。タントリの不安はイギリス・オーストラリア・オランダの軍用機が集まっているトゥバン飛行場への空爆だけであり、スワラスガラはきっとその巻き添えを食うにちがいないと考えていた。
オランダ軍はサヌールとクタの浜辺に防衛線を敷き、鉄条網が三重に張られ、砲台や銃座があちこちに作られた。スワラスガラはまるで要塞のようになった。ホテルの裏手に避難のための壕が掘られたが、あまり役に立ちそうになかったため、中途で作業は停止した。


タントリは多分、バリ島にいる唯一のアメリカ人だったにちがいない。会う人ごとに、早く東インドから去るように奨められたが、心が既にバリ人になってしまったタントリは、身の安全をはかってアメリカへ、あるいは連合軍が優勢な場所へ、逃れて暮らそうという気にならなかった。あれだけオランダ植民地行政機構に排斥されながら、結局かれらは自分を追放することができなかった。自分とバリ島の絆は両者を分かつことができないくらい強く、固く、深い。タントリはむしろ、そういう信念に傾く気分に浸っていたようだ。
日本軍が攻め込んできても、バリ人はどこへも逃げることができないのだ。バリ人の有志がオランダ植民地機構に対し、「オランダ防衛軍に協力するので、何か仕事を言いつけてほしい。更に植民地軍を強化するために、銃を持ち、戦闘訓練を与えてほしい。」と申し出たが、あっさりと拒否された。そこにきて、日本軍が捕虜や原住民を虐待しているという噂が広まってくると、バリ人の不安は高まった。

タントリがクタを離れようとしないのを知ったヌラは、再度手紙を送って父王の王宮へ避難するように忠告を繰り返したが、タントリは従わなかった。スワラスガラが自分の城壁であり、要塞だった。ここにいれば絶対に安全だという気分が、最悪の事態に備えようとする防衛本能を弱めていた。そしてついに、日本軍機がトゥバン飛行場に爆弾の雨を降らせにやってきたときも、タントリは自分が何をしてよいのかわからず、ただ右往左往するばかりだったが、その身には怪我ひとつ起こらなかった。スワラスガラも完璧な姿のままで残った。


ある日、ワヤンがニュースを持ってきた。日本軍がサヌール海岸に上陸中だ、と言う。クタまでわずか12キロの距離だ。「みんなパニックになっている。あんたもすぐに避難しなきゃ。オランダ人は逃げ出し始めた。逃げていく姿がもうじきここでも見える。」
日本軍に攻略された場合でも、オランダ人行政官吏は日本軍に業務を引き渡すよう厳命されていたから、職務を放棄して逃げ出すことはなかった。逃げていくオランダ人のほとんどは民間事業者や会社従業員だった。しかし、軍人も逃げていくのを見て、タントリは驚いた。軍服を脱ぎ捨て、原住民の装束をし、顔を茶色に塗った白人が走り去って行った。更にオランダ人は、軍事施設・コメ倉庫・貯油タンクなどを敵に渡さないために、あらゆる場所に火を放った。
わたしの愛するバリ島が燃えている。タントリは愕然とした。そしてやっと、自分の身に危険が迫っていることを思い出し、避難を決意した。だがバリ島を去る前に、大恩のあるグデ王に別れの挨拶をしたい。王宮へどのようにして行けばよいか・・・?

街道は危険が満ちている。ワヤンが車で王宮まで送ってあげると申し出たのを、タントリは断った。そんなことをすれば、ワヤンも危険に巻き込まれる。結局タントリは、裏道を行く方法を選んだ。丘や小川を徒歩で踏破するのだから、時間がかかり、体力を消耗するが、それが一番安全だ。
たびたび後ろを振り向き、周囲を注意深く見渡しながら、タントリは密やかに歩を進めた。デンパサルで燃えている火と煙が遠目に見えた。長い道程を経て、グデ王の宮殿が目に映ったとき、その姿が涙でかすんだ。


「とうとう帰ってきてくれたな、クトゥッ。」
グデ王は涙を流して喜んでくれた。別れを告げに来たのだと王に言うのがつらい。思い切って本心を告げると、それを心配していたのだ、と王は言う。
「ヌラからおまえ宛の手紙が来ている。ヌラには、おまえがこうしてやってくることが判っていたようだ。」と王は一通の封書を出してきた。

手紙には、ギリマヌッへ行ってマドゥラ人の漁師に会い、ジャワ島に渡れ、という指示が書かれている。自分はバニュワギに近い場所に隠れており、そのマドゥラ人漁師がタントリをそこへ案内してくれる。自分がいつまでこの隠れ場所にいられるかわからないから、なるべく早く出発してくれ、と。
手紙の内容をグデ王に知らせ、「わたしはもう出発しなければなりません。」とタントリが言うと、「しなければならない、と誰が言っているのか?おまえはここにいても安全なのだよ。おまえはいつからわたしの息子の命令に従うようになったのかね。妻になるのを拒んだというのに。」と王が抗弁した。
「いいえ、わたしはかれとは結婚しません。」
そう言うタントリをグデ王は凝視した。
「クトゥッ、わたしはおまえをとても愛している。しかし、わたしはおまえが理解できない。」
「ときどき、わたしも自分が理解できなくなることがあります。でも、わたしはもう行かなければなりません。しなければならないことがまだあるのです。ホテルを持ち運ぶことはできませんから。」

王はタントリの出発に祝福を与え、そして王宮の使用人をひとり付けてくれた。使用人はたくさんの食べ物を持ってきた。
タントリと使用人がクタの浜辺に着いたとき、スワラスガラにはまだ何の変化も起こっていなかった。日本軍はサヌール海岸での上陸にかかりきりになっているようだ。

その夜、タントリはワヤン、ニョマン、マデの三人と話し込んだ。「日本人がこのホテルを使いにきたら、あなたたちはこれまでのお客と同じようなサービスをしなさい。決して敵対するようなことはしないで。あなたたちの生命も、このホテルの施設も、決して壊されることのないようにしてね。そうそう、これは大切な書類です。ここには、もしわたしの身に何か起こったら、このホテルはあなたたち三人のものになる、と書かれています。わたしには遺産相続人がほかにいないから。」
三人は感激した。「クトゥッ、あんたは必ず無事な姿でまた戻ってくる。われわれは必ず再会することができる。日本軍がここに長居することはできない。オランダでなければ、アメリカとイギリスが必ずかれらを駆逐するから。」
たいていのバリ人が日本軍の侵攻をそのように見ていることを、タントリは知っていた。しかし今はバリ島を去ってジャワ島に渡らなければならない。


< スラバヤへ >
ギリマヌッまで歩いて行くことはとてもできない。自動車を使って街道を走らなければならないのだが、制空権を握った日本軍の飛行機が頻繁に空に現れる。ワヤンが自動車を運転すると言い張り、ふたりは夜明け前にスワラスガラを出発した。タントリは車の中で眠っていたが、車の上を低空飛行した戦闘機の爆音に目をさまされた。

ギリマヌッに着くと、ワヤンはその自動車を対岸のジャワ島へ運ぶための手配を地元の漁師と行い、クタに向かって徒歩で立ち去った。
タントリがマドゥラ人漁師の船に乗ったのは、夕方になってからだった。小船の床に腹ばいになり、その上に魚網がかけられた。こうしておけば、飛行機にも見つからない、と漁師は言う。魚くさい臭いが衣服にしみつき、船の側面を打つ波の音しか聞こえない。漁船がバリ海峡の中ほどまで出ると、漁師たちは魚を獲った。本当に獲っていたのか、それとも獲るふりをしていただけなのか、タントリには判らなかった。まだ明るいうちは、ときどき頭の上で飛行機の爆音がした。夜がとっぷりと更けたころ、船はジャワ島の海岸にのしあげた。
「わしはこれからアナアグン・ヌラを探しに行きます。わしの兄弟がここにいて、あんたの身柄を保護します。」漁師のひとりがそう言って立ち去った。

しばらくして、そこへ男がひとりやってきた。クーリーのかっこうをしているヌラだった。
「来たね、クトゥッ。」
「もちろんよ。」
交わした挨拶はそれだけ。タントリの隣で砂の上に腰をおろしたヌラは言う。 「海峡の向こうを見てごらん。バリは火の海だ。あの一部はオランダ人自身がやったことだ。日本軍はまだジャワ島に上陸していない。先にバリを攻略するとは、だれも思っていなかった。『アジアのためのアジア』というモットーはアジアの民衆への子守唄だ。しかし本意は『日本のためのアジア』なのだ。民衆の多くは、まだそこがよく判っていない。」

「こうしてあなたをここまで来させたのは間違いだったかもしれない。父の王宮にいるほうがもっと安全だったかもしれない。」ヌラは自分の判断に確信が持てず、そう語って迷いを示した。

タントリの自動車がギリマヌッから運ばれてきた。ふたりはすぐにスラバヤを目指して出発した。街道を避け、狭い村道を時間をかけて走る。情勢は時々刻々と変化している。日本軍はジャワ島に上陸したのだろうか?最新情報はどこからも得られない。次の曲がり角を曲がったら、日本軍兵士が銃を突きつけて自動車の進行を封じるかもしれない。不安の亡霊にまとわりつかれながらも慎重に走った。スラバヤまでの道程に、結局、障害はなにひとつ起こらなかった。
スラバヤ市内は大混乱だ。兵員を満載した列車やトラックが続々と市内から出て行く。行く先はバンドンの植民地軍本営だそうだ。スラバヤに爆弾が何度か落とされたし、スマトラやボルネオの主要都市は日本軍の前に陥落したという噂が流れている。バリッパパン、サバン、メダン、パレンバンなどの町が日本軍に占領された。ジャワ島にはまだ上陸していないが、それは時間の問題だと誰もが言う。

日本人がバリ人を敵とは見なさないだろうが、白人でアメリカ国籍のタントリが見逃されることはまずあるまい。ヌラの不安は増大した。熟慮のあげく、ヌラはタントリをソロへ連れて行くことを考え、ソロの王宮にタントリの避難場所を用意するためソロへ発った。


スラバヤでタントリは有名なオラニェホテルに滞在した。女性の泊り客仲間はドイツ人とオランダ人がほとんどで、オランダ人女性たちは何らかの理由でまだ東インドを去ることができないひとたちだった。アメリカ領事館は既に閉鎖されたが、アメリカの軍事コミッションメンバーが残っていた。タントリはコミッションの仕事を手伝うことを申し出て、快諾された。スラバヤの街を知っており、車の運転ができ、ムラユ語が堪能な女性など鳴り物入りで探してもおいそれとは見つからない。ましてや、こんなご時勢だ。

タントリは「ヤンキー・チュカカン」という仇名の大佐の運転手兼通訳の仕事を与えられた。カラカラと豪傑笑いをするのがその大佐の癖だったのだ。この大佐は空襲があっても、防空壕に入るのを拒んだ。「黄色い悪魔どもの照準など、へなちょこだ。ウィルヘルミナ女王の倉庫脇さえ、当てられはしまいよ。」
大佐の豪傑ぶりを好むプリブミができて、大佐が街中に姿を見せると、そのあとをぞろぞろ付いてくるようになった。

「ニッポン人はオラニェホテルに爆弾を落とさないだろう。自分たちがあとで使いたいだろうから。」
空襲があると大佐はすぐにオラニェホテルに向かい、最上階に走りあがってカメラを回した。カメラは爆弾が落とされた場所や飛行機に向けられ、大佐が撮影に熱中しているときタントリはウイスキーソーダを作るよう命じられた。
大佐はタントリに言った。「恐れてはいけない。日本の爆弾で死ぬのがあなたの運命なら、どこへ隠れようがいつか必ずそうなる。」
あるとき、爆弾が防空壕に落ち、中の者が全滅した。それ以来、どこへ逃げ隠れすれば安全だろうか、と思い煩うことをタントリはやめてしまった。

大佐の仕事の中に、スラバヤ港のドックに入っている2隻のアメリカ海軍船舶との連絡がある。黒塗りのその船には、食糧・弾薬・キニーネが満載されており、太平洋のある島にそれを隠す任務が与えられているそうだ。ある日、日本軍の爆撃が行われたとき、爆弾がその2隻の近くに落ちた。そのときほど深刻な顔をした大佐を、タントリは見たことがなかった。
船はバタヴィアにいる司令官からの命令がなければ出港できない。そして命令はいまだに来ない。一方、日本軍はどうやらドックに入っている2隻の船を攻撃ターゲットに据えたように思われる。大佐は2隻の船を避難させることを決めた。地図を取り出すと、パスルアンにある小さな湾を指差し、「今夜半に船はこの港へ移動する。夜明け前にそこへ到着させるから、車でわたしを迎えに来てくれ。」とタントリに命じた。計画は順調に運び、翌朝タントリは大佐を迎えに行ってから9時にはスラバヤに戻っていた。
そして10時に空襲警報のサイレンがうなり、これまでより大きな編隊がスラバヤ港に集中爆撃を行った。空襲のあと、港は瓦礫の山になっていた。


1942年3月1日、日本軍がジャワ島に上陸した。チレボン港で、オランダ、アメリカ、オーストラリア、イギリスの全軍人に、速やかに街から退避せよ、との命令が出された。ほとんどの者が指定された行く先はオーストラリアだった。
大佐はシドニーへ同行するようタントリを誘った。「飛行機の座席はまだ余裕がある。あなたはアメリカ人だし、かれらが捕虜を虐待している話はラジオで聞いたとおりだ。特にアメリカ人捕虜に対する仕打ちははなはだしいものがある。日本人は国際法を無視して戦争している。」
しかしこのときもタントリは、どこへも逃げられないひとびとを残して自分だけが安全な場所へ逃げることを潔しとしなかった。おまけに、オランダ人高官が表明した楽観的な意見にすがろうとするひとびとも少なからずおり、タントリもそれを信じようとした。日本という国の能力から見て、戦線拡大は既にその能力を超えたものになっており、もう三ヶ月もすれば日本は力尽きてこの戦争は終結する、というのがその楽観論だ。
日本が力尽きてしまえば、東インドのプリブミに独立するチャンスが訪れる。ヌラが待っていた奇跡がこれなのかもしれない。東インドが独立するとき、自分にその手伝いが何かできるにちがいない。第二の祖国になったこの地とそのひとびとが外国人による支配のくびきをはずして自由になるのだ。自分がその出来事に立ち会うのは、この第二の祖国に対する義務だし、ヌラと共にそれを喜び、祝いたい。
オランダ人もその楽観論に迷って国外への避難を後回しにする者が少なからずいた。そして結局かれらが歩んだのは、抑留所という悲惨な運命への道だったのである。日本が戦争に力尽きたのは、三ヶ月後でなく三年後だった。

タントリは大佐に「グッバイ」を告げてスラバヤの街中に戻り、オラニェホテルを出て近くに見つけた借家に移った。タントリはその家から、スラバヤを支配するためにやってきた日本軍の姿を覗き見た。想像していたのとまるで異なり、日本軍の秩序は整然としていた。各部隊はオランダ人が使っていた住居や建物に入って、そこを宿舎にした。
占領軍が一般市民に暴力をふるい、物品を略奪し、子女をレープすることが世界の常識になっているにもかかわらず、スラバヤの街でそのようなできごとが起こったという噂さえ、タントリはついぞ耳にしなかった。一般市民に対する日本軍の態度はたいへん規律正しいものであり、プリブミはそんな有様を目の当たりにして大いに喜び、歓迎の声を高くし、インドネシアの民衆をオランダの支配から解放する救世主としてもてはやした。日本人が現れればどこでも、インドネシアの民衆は賞賛し、謝意を表した。オランダ人が禁止した紅白旗はいたるところに翻り、日章旗が隣に並べられることもあった。日本人の到来を、ジャヤバヤの予言が実現したのだと考える者は多かった。北からやってきた矮小民族がジャワ島を解放するのだ。


ジャワ島西部は混乱が渦巻いている、とソロから戻って来たヌラが教えた。スラバヤが無血占領されて一週間後、ジャワ島での抵抗戦は終結したという公式アナウンスをラジオで聞いた。連合軍司令官であるオランダ王国軍テル・ポールテン中将が、オランダと他の連合国の名のもとに降伏を表明した。しかしイギリス軍とアメリカ軍の司令官がその降伏に賛成したのではなかったようだ。8千人から1万人を擁している連合軍がそんなに早くあっさりと降伏してしまったことはプリブミを驚かせた。

スラバヤ地区の日本軍司令官はすべての西洋人が司令部を訪れて名前を届け出るよう命じた。ヌラはタントリに付き添って司令部を訪れ、王家の養女となって王宮に永く暮らしていた妹なので、抑留所には入れないでほしいと司令官に訴え、またジャワとバリを自由に往復するための通行証を与えてくれるよう依頼した。
タントリの衣服と着こなしが完璧にバリ人のものであり、頭髪を黒く染め、バリ語とムラユ語がプリブミと遜色のないものであることが、ヌラの説明を裏書した。「白人のバリ人か・・・」と司令官はとまどった声でつぶやいた。ヌラが説明した兄妹の関係を疑っているように思われたが、結局、ヌラの説明通りに備考欄に書き込み、抑留所免除・バリ〜ジャワ間通行証発行と書き添えた。

タントリが画家であることをヌラが話すと、「日本軍は芸術家と戦争しない」と司令官は言う。そしてそのうちにあなたの絵を一度見せてほしい、とタントリに話しかけた。
「わたしのコレクションも是非見てほしい。」
タントリは驚いた。戦争に出征してきた軍人が、戦場の中にまで絵画コレクションを持ち運ぶのだろうか?その疑問をぶつけると、司令官は「もちろんだ」と言う。 「終日、軍人としての務めを果たせば、夜には慰安が必要になる。わたしに慰めを与えてくれるのがそれだ。
歴史を学べばそれがわかる。たとえばイギリス人だ。十字軍遠征で戦場に赴いたイギリス人はやっかいな楽器を携えて行った。戦闘が終結すると、その楽器を一日中弾いていたそうだ。イギリス人というのは、理解しにくい民族だ。」
タントリは、新たな支配者となった日本人将校にその後何人も出会ったが、ほとんどが傲岸で粗野で、暴力を振るうことにいささかのためらいも示さない者たちだった。最初に接触したそのスラバヤの司令官がかなり異色な人物であったことを、タントリはもっとあとになって悟った。

バリ島とジャワ島間の交通は断絶しており、これまであったルートは自由な通行が遮断された。バリ島は日本海軍が掌握し、ジャワ島を占領したのは日本陸軍だ。そして、その両者の間で嫉妬と敵視と対立が渦巻いていることを、ほどなくインドネシアの民衆は知ることになる。
ヌラは父王の王宮へひとりで様子を見に戻ることにした。そして、タントリにとって王宮にいるほうがより安全なのかどうか、まずそれを判断し、その結論がイエスであるなら、タントリをバリに戻す方法を探そうと考えたのだ。
ヌラはタントリに、スラバヤにいてできるかぎり外を出歩かないようにし、日本人は徹底的に避けるようにせよ、と口を酸っぱくして説いた。向こう見ずなタントリの性格をかれは知り抜いていたようだ。幸いにして、司令官にも敵視されていない。


< 冒険行 >
そのころ、オーストラリアやイギリスの民間人が山奥や街から離れたカンプンに隠れ住んでおり、プリブミ住民たちは概してかれらに友好的だった。しかし、ひとり、またひとりと、日本軍はかれらを捕らえていった。潜伏している白人を通報した者には膨大な褒美を与えるという日本軍の宣伝が流れている。

ある日の真夜中、タントリの住まいを訪れた者がある。イギリス人の古い知り合いだった。かれは日本軍の捕縛の手が身辺に迫っているのを感じ、自分が委託されている重要な物品をどう保全しようかと考えあぐねていたのだ。バリ〜ジャワ間の往来を許されている通行証をクトゥッ・タントリが持っていることをかれは風の便りに聞き、スラバヤからバリ島にその物品を移すことにひとはだ脱いでほしい、と頼み込んだ。
オランダ領東インドの代理権をかれに与えたイギリスの数社から数台の自動車や重要書類が委託されており、それをタントリの心置けない王家の王宮内に隠して欲しい、とかれは言う。

「旧友の頼みは断れないわ。でも、わたしの通行証では、自動車を運転してバリ島へ渡ることはできません。そもそも自動車の通行禁止令が出されているし、日本軍はいたるところにバリケードを築いている。そしてパトロールも厳重に行われているのよ。」
「わたしの親しい華人グループは、その通行証にそっくりの偽物を作ることができる。そこに自動車をバリ島に運ぶことを書き込めばよい。日本語の漢字は中国文字と同じなんだ。問題は司令官の署名だ。それが難しい。」
そのニセ署名は自分が書く、とイギリス人は言った。そして、何日もかけてかれは司令官の署名を真似る練習をし、三日後に本物としか思えない通行証をタントリに差し出した。

タントリがその依頼を引き受けたのは、侵略者に対する反抗の気持ちとともに、久しぶりに愛するバリ島に戻るチャンスがやってきたこと、ヌラとグデ王に会える楽しみ、そして自分が知り尽くしている道中の旅路を愉しめるといった、さまざまな楽しみを満喫できる要素のほうが強かったようだ。その旅に危険がないとは思わないが、道中の随所を警備している日本人兵士がその通行証を偽物と見破ることなどできるわけがない、というかの女の楽観的な性格がまた顔を出したようだ。そもそも、スラバヤでの屋内に閉じ込められた生活にタントリが飽き飽きしていたのも事実だった。


バリ海峡に臨むジャワ島東海岸に向かうドライブで、タントリの運転する自動車は何度も日本兵に止められ、調べられた。検問所を通過するたびに調べられ、パトロール隊に出会うたびに調べられた。かれらは通行証と車内を調べ、そして最終的にタントリを解放し、微笑みとお辞儀をかの女に進呈した。中には、タントリをドイツ系だと勘違いした者もいた。かの女が去るとき、「ハイル ヒットラー!」と叫ぶ声が聞こえたことがある。

バリ海峡はいつもの方法で渡った。そしてバリ島の南岸街道を走っているとき、自分の親しい別の王家に立ち寄ることにした。その王家はフランス人女性を妻にした者がおり、自動車と重要書類を隠しても強い疑惑を呼ばないだろうと考えたのだ。もしもタントリが捕らえられたとき、グデ王の王宮が捜索される可能性はきわめて高い。そんな場所に何かを隠せば、芋づる式になってしまう。
タントリはウブッの王宮にすべてを預けた。重要書類はふたつに分けて別々の場所に隠す。そうやってイギリス人との約束を果たしてから、タントリは懐かしいグデ王の王宮に徒歩で向かった。


思いがけなく現れたタントリにヌラは肝をつぶし、タントリの冒険談をグデ王と一緒に聞いてから、ふたりは満面に不安を湛えてタントリに忠告した。運命にチャレンジするようなことはせず、安全に生き延びることを考えてほしい、とふたりはタントリに懇請する。しかし、約束した以上、それは果たされなければならないとタントリは主張し、長居しないままスラバヤに向けて出発した。
その冒険行でスラバヤを留守にしたのは、わずか四日間だった。成功に気をよくしたタントリは、イギリス人も賛成したため、もう一回同じことをする決意をした。しかしイギリス人はそれが最期だと釘を刺した。二度も同じことが行われたという報告を日本軍上層部が聞けば、警戒を強めるに決まっている。三度目は自殺行為だ。

二度目の冒険行は、一回目よりも棘があった。だがタントリはそれも乗り切って、自動車と重要書類を預け、また徒歩でグデ王の王宮へ向かった。グデ王とヌラの安堵した顔に迎えられたタントリは、ふたりに与えた不安と心配の大きさを悟り、もうかれらを心配させることはやめにしなければ、と反省するのだった。
この二度目の冒険行でタントリはスワラスガラが消滅したことを知った。ワヤン、ニョマン、マデの三人は、それぞれがカンプンの中に隠れて無事に暮らしているらしい。


翌朝、タントリが王宮でヌラと父王の三人で話をしているとき、グデ王がまた結婚の話を言い出した。タントリの身に危険があると思うと、いてもたってもいられないにちがいない。
「クトゥッ、おまえがヌラと結婚してこの王家の嫁になるのがもっとも良い解決案ではないかとわたしは思う。そうすればおまえは完璧なインドネシア人となり、おまえの身の安全は保証され、ヌラも気持ちを落ち着かせて毎日が送れるようになる。日本人はおまえに指一本触れることもできない。」
ヌラの視線がタントリの顔に貼り付いている。タントリはその視線をはずしながら、首を横に振った。
「わたしにとって、とても名誉なお話です。でも、ヌラにはもう妻がいるのです。」
「それがどう関係していると言うのか?その話はもうたっぷりとしたではないか。バリの慣習をおまえは知っているはずだ。女の生活を成り立たせてやることができるかぎり、バリの男は何人でも妻を持てる。しかも、ヌラはラティと一緒に暮らしておらず、性的な関係もまだ始めていない。どうやら、この先ずっと、その形が続けられるようだ。わたしの息子は祖先から伝えられてきた伝統に従った。今度は本人が望む女性を妻にする番だ。」
グデ王は少し言葉を切ってから、また話を続けた。
「ウブッの王を見てごらん。かれはバリ女性をふたり妻にし、それぞれの妻とたくさん子供をつくった。そうした上で、今度はパリでフランス人女性と結婚した。そしてすべての関係者がみんな幸福に暮らしている。少なくとも、わたしの目にはそう見えている。おまえもわたしの息子を愛しているのだろう?」
「ええ、わたしはヌラをとても愛しています。妹が兄を愛するように。でも、ラティがヌラの妻であるかぎり、わたしはヌラの妻になることができません。バリの慣習には、離婚というものが存在しないことをわたしも理解しています。だから、ラティを離婚しろと言っているのではないのです。ラティとの結婚を取消すことも、わたしは賛成できません。ラティは世間への面目を失い、心は深く傷つくでしょうから。結婚というのは、互いに愛し合うがゆえに行われるものだとわたしは信じています。それ以外の理由で行われるべきものではない、と。わたしが日本人の手から守られるために結婚するのは、わたしの確信することではありません。」
ヌラが口を開いた。「わたしはあなたと結婚したいのだ、タントリ。あなたを日本人の手から保護するためということだけではない。わたしはあなたを愛してしまった。あなたのいないわたしの人生など、もう想像することさえできない。ラティのことは、ウブッ王がフランス女性と結婚する前に妻にしていたバリ女性に対して行ったような方法で処理することが可能だ。そのようにして、みんなが幸福に暮らすことができている。」
その結婚話について、三人の会話は行きつ戻りつしていたが、最終的にタントリは「もっと考えさせてください。」と言って打ち切った。スラバヤに戻って、イギリス人に成果を報告しなければならないのだ。

そのイギリス人は日本軍に捕まってバンドン近くの抑留所に送られたことを、タントリはスラバヤに戻ったとき知った。即座にタントリはそのイギリス人からもらった偽の書類を燃やし、灰をトイレに捨てた。それらをかれが作ったことが判明すれば、かれは銃殺されるだろう。しかし、タントリがかれに会うことは二度となかった。かれは二年後に抑留所で死んだ。


「アジア人のためのアジア」というモットーは、アジアの諸民族を支配する非アジア人、つまり白人の排斥を意味している。しかしその白人がアジアの現地女性と家庭を持ち、欧亜混血の子供を設けたとき、その一家全員を敵と見なすのか、という問題が生じる。白人の正式な妻となって夫の国籍を得たとしても、アジアの血統の中にいる人間をあえて排斥することにメリットがあるのかという斟酌がそこに生じるにちがいない。
軍政監部は純潔白人だけを抑留所に入れ、アジア人の妻と欧亜混血の子供は通常の民生を送ることを許した。欧亜混血者にアジア人としての意識を持たせるための計算があったのは言うまでもあるまい。

見るからにヨーロッパ人の姿かたちをしている欧亜混血者は最初、次々に抑留所に送られたが、かれらが混血者であることを証明できた場合は抑留所から出されて社会復帰した。欧亜混血者の定義が、自分の血統をさかのぼってどこかにアジア人が混じっていればよいというゆるいものだったため、混血者たちはそれを証明することに大わらわになった。居住地を管轄する役所にそれを証明して届け出れば、純潔白人ではないことを証明するアサルウスル証明書が発行されたようだ。その届出内容が真実だったのか虚偽だったのかは、役所側に調べようの無いケースがきっと多かったにちがいない。

植民地時代に支配者としてプリブミを虐げていたオランダ人たちの多くがその政策に飛びついてどんどん世の中に舞い戻って来るのを見て、タントリもプリブミの友人たちも、まず呆れ、そして烈火のように腹を立てた。
日本軍に降伏する前、かれらがどれほどプリブミを蔑視していたのか、それを知らない者はいない。、自分にプリブミの血が混じっていることを指摘されれば、それを恥じてかれらのほうが烈火のように怒っていたのだから。

ジャワ島全土が日本軍政下に落ちると、日本軍はジャワ島経営への協力を白人民間人に求めた。協力すれば昔からの地位と立場が維持され、牢獄の扉は閉ざされる。オランダ人農園主や事業家の8割がその要請に応じたらしい。数週間後、抑留所の外に出たかれらは日の丸の腕章を巻いて街中を闊歩した。
農園や企業活動の細部が日本人に明らかになり、日本人が昔のレベルを落とさないで生産活動の主導権を握れるようになったとき、それまでおよそ一年間に渡って協力してきたオランダ人たちは、再び抑留所に戻された。
一年間の自由を楽しんだ仲間たちが抑留所に戻って来て旧友たちと再会したとき、さまざまな人間ドラマが展開されたそうだ。


< 独立運動に傾斜する心 >
進攻してきたときはまるで救世主のようにもてはやされた日本軍だったが、その栄光はほんのしばらくの間に色あせていった。プリブミたちは日本軍が救世主ではなく、新しい支配者だったことを思い知らされる。
日本人への敬意を示す方法が強制された。知人であろうが、街中で出会った見知らぬひとであろうが、相手がだれであれ日本人に出会えばそれをしなければならない。腰を深くかがめてお辞儀をせよ。頭にかぶっているコピアを脱げ。
それを行わない者、あるいはノロノロとしかしようとしない者にまで、いきなりビンタが飛んだ。オランダ人はどうして仕置きを受けるのかという理由をくどくどと説明した上で殴ったが、日本人はものも言わずに手が走る、という比較論がプリブミ世界の常識になった。
続いて、プリブミが持っている資産の供出が命じられ、国内生産の多くが軍需物資として召し上げられ、食品食糧が世の中に出回らなくなった。プリブミの生活は少量の物資がとてつもない価格に値上がりして行き、国民経済は自給自足に向かう。布も衣服も買うことができず、ゴムで作ったシートを着る者さえ現れた。

日本人に使われるようになったプリブミは、ほんの些細なことを理由にして解雇され、また同じやり方で裁判なしに牢獄に投じられた。日本がオランダを駆逐したことで、インドネシア独立への転機が訪れたように最初感じていたタントリは、自分の考えがまったくの思い違いであったことを悟る。

オランダ植民地政庁が政治犯として捕らえていたスカルノ、モハンマッ・ハッタ、スタン・シャフリルたちを日本軍は解放し、プリブミ文民政府を作らせて日本軍政に協力させた。
日本を支持するスカルノの演説が頻繁にラジオで流されたが、本心は別のところにあるのだ、とヌラがタントリに教えた。日本の支配から脱して民族独立を達成するための地下運動がアミール・シャリフディンの統率下に推進されており、スカルノはその運動に力を貸している。アミール・シャリフディンはオランダが置いて行った資金を使って運動を繰り広げ、スカルノとの連絡はスタン・シャフリルを仲介している。
ヌラは既にその地下運動の中核となり、バリとジャワの諸都市を行ったり来たりしている。運動組織の本部はジャカルタにあるが、地方都市にその運動を拡大して支部を設けることが、今その組織の優先活動になっている。地方都市間の通信はきわめて困難であり、人間が足を運ぶことでしか連絡が伝わらない。その結果、同志を集めて連絡員網を構築していくことも組織の急務だ。

ヌラはジャカルタとバンドンで開かれる秘密会議に出席するためスラバヤを発った。そのあと、ヨグヤとソロを回ってくる予定だ。タントリはヌラに、その間できるだけ危険を避けておとなしくしている、と約束した。
その数日後、ひとりの日本人がタントリの住居を訪れた。既に夕日は沈んでいる。「ちょっと話をしたいのですが。」と文民姿のその男は英語でタントリに話しかけた。
英語を使うことが禁止されているこの時期だ。これは日本軍秘密警察の罠だろうとタントリは考えた。タントリはもう永い間、ヌラとの会話はバリ語、使用人との会話は、かつてムラユ語と呼ばれていたインドネシア語を使っている。
タントリはその男を屋内に入れた。男は自己紹介した。日本人だが、アメリカのサンフランシスコで生まれ、アメリカ国籍を持っている、と語る。自分はアメリカに対して同情的だと言い、インドネシアでは日本軍が接収した工場の運営を手伝っている、と述べた。今かれは日本軍に抵抗するひとびとの組織化を行っており、クトゥッ・タントリは多分参加するだろうから勧誘してみてはどうかというアドバイスを聞いたので、話しをしに来たのだ、と来意を語った。
かれはクトゥッ・タントリの来歴から人物像について十分に把握しており、ヌラのことも知っている。タントリが持っている日本軍スラバヤ地区司令官や司令部要職者との関係、更にはインドネシア人大衆との良好な関係、が必ずかれらの組織に大きく貢献するにちがいないし、日本と戦争している連合国の味方をするのはアメリカ国民としての義務でもある、とかれは熱心に説いた。

「あなたは相手を間違えています。わたしは大日本を応援します。ニッポンを百パーセント支持しているのです。あなたは今すぐここから出て行かないと、司令官に連絡しますよ。」これは罠にちがいない、と考えたタントリは、そういう姿勢を示した。
「なあに、日本人はあなたの言うことよりもわたしの言うことのほうを信用しますよ。」とその男は一向に動じず、アメリカの出生証明書などいくつかの書類をタントリに示した。
「書類の偽造など、いくらでもできますよ。」抑留所に送られてしまった旧知のイギリス人のことがタントリの頭をよぎる。
「組織の一員になったひとたちと、一度会ってみませんか?華人、インドネシア人、アラブ人、オランダ混血者と多彩な顔ぶれです。」
タントリは執拗に主張した。「わたしはニッポンに協力するのです。」
その男はまた出直すことに決めたようだ。笑いながら、「また会いにきますよ。」と言って帰って行った。

そのできごとはタントリにショックを与えた。自分の身辺に魔手がしのびよっている。ヌラが戻るまで、うかつにだれとも話ができない。使用人たちにも怪しい手が伸びていないだろうか?タントリは使用人たちに、見知らぬ人間と立ち入った話をしてはいけない、と釘を刺した。

それからしばらくして、タントリは家の前の道路を往き来している華人商人の姿を何度か見た。サロン売りの男だ。「サロン、サロン。高級品だ。廉いよ。」と声を張り上げて往来するそのサロン売りは、タントリの家の前で必ず立ち止まり、ひときわ大きい声で叫ぶ。それに気付いたタントリはある日、サロン売りが家の表で叫んだのにあわせて扉を開いた。
「わたしの商売ものを見ませんか?女中さんに一枚買ってあげたらどうですか?」
そのときちょうど、女中のひとりがタントリのそばにいた。タントリはしかたなく、サロン売りを家の中に入れた。
サロン売りは商売ものを広げると、女中に見せてタワルムナワルをし、そして常識はずれの廉い値段に落ち着いた。女中は気に入ったサロンを二枚持って、さっそく使用人仲間に見せびらかすため、大喜びで奥に入った。
普通の華人商売人は、できるだけ利益を得ようとして高く売るのが普通なのに、このひとはそうじゃない。タントリは不審の目を向ける。
サロン売りは商売ものをまた包みながら、タントリの方を盗み見た。自分を凝視しているタントリと目が合うと、かれは立ち上がり、穏やかな調子で語りはじめた。
「ミス・クトゥッ・タントリ、こんな芝居を打って、失礼しました。わたしはアナアグン・ヌラの友人です。二日前にソロでかれに会い、この手紙を託されました。」
その手紙はバリ語で書かれ、ヌラの特徴ある手書き文字が踊っている。手紙の内容は紹介状だった。この手紙を持ってきた者は、中国大陸で日本軍に占領された町にある大学の日本語の教授であり、地下運動組織のメンバーで、信用できる人間であるということ。そして、近いうちにヌラもスラバヤに戻ってくるということ。おまけに、タントリの気が変わって自分との結婚を承諾するよう希望しているということ。

タントリはその中国人教授に手紙の礼を述べ、更にしばらく前にやってきた日本人について話した。教授は微笑みながら、「その男の言ったことは本当であり、決して罠ではない。」とタントリに教えた。
「あなたがかれを信用しなかったのは、そのほうが良かったのです。われわれの間であなたへの信頼はますます厚いものになっています。わたしはかれの下で働いており、かれはフリスコ・フリップという名前で呼ばれています。」

翌日の真夜中、使用人たちがすべて寝静まった中で、表の窓ガラスを密やかに叩く音がした。タントリが外を見ると、クーリーがふたり立っている。扉を開くと、そのふたりは教授とフリスコ・フリップだった。
フリスコ・フリップは「あなたとあなたの大日本のために」と言いながらタントリと握手した。「あなたがあれだけ演技しても、わたしの目をくらますことはできなかった。あなたがわたしを警察に引き渡すと脅かしたところで、あなたはそんなことをしないのがわかっていたからだ。アナアグン・ヌラには、あなたのことが底の底までわかっている。」


ヌラがスラバヤに戻ってきてから、教授とタントリとフリスコ・フリップの四人で最新情勢と地下運動の方針についてのミーティングが持たれた。アミール・シャリフディンに率いられた組織はスカルノとハッタの密かなバックアップを得てよく整備された運動に成長し、またネットワークも広がっている。ジャワ島だけでなく、他の島々にも支部が生まれた。日本軍政の力が弱まったとき、号令一下、全国の組織が立ち上がり、インドネシアの主権を奪取して独立を宣言する、というのが描かれているシナリオだ。
そのためにスラバヤのグループは何をしていくのか?教授はサロン売りに扮装して街中をあちこち移動し、日本人の動きを観察する。山岳地区に置かれている秘密ラジオ放送局との連絡係にもなる。フリスコ・フリップは資金集めと工場の仕事を通して得られる情報の収集。ヌラはバリ島に戻って地下組織の支部を養成し、それを近隣の諸島にも広げていく。
タントリはフリスコ・フリップの恋人役を演じて日本人社会に足を踏み入れ、情報収集を行う。そのためにバリ娘の絵を描いて日本人に廉く販売し、日本人社会から親しみを向けられるように努める。


タントリは胸を隠さないバリ娘の絵を描き、日本人社会からたくさんの注文を得た。そして夜はナイトスポットに出没し、日本人たちと遊んだ。フリスコ・フリップが常にタントリの近くにいたのは言うまでもない。戦時下であるというのに、スラバヤのナイトライフは豊かで華やかだった。
戦争はポートモレスビーやラバウル、あるいはソロモン諸島での死力を尽くす闘いとなり、インドネシアは戦場から遠い場所になっていた。ナイトスポットを訪れる客のメインはもちろん日本人だったが、ドイツ・スイス・スエーデンそしてナチスシンパのNSBに所属するオランダ人ら白人の姿も少なからず見られた。それら白人は当然、対日協力者であり、そこに出没するタントリに対日協力者の烙印が押されるのを避けることはできなかった。
スラバヤのアルコール飲料はどんどん消耗していき、とうとうビールしかなくなってしまった。そうなると、ナイトスポットにも日本酒が出回るようになり、白人たちも日本酒とビールというメニューに従わざるをえなくなった。


< スラバヤの著名人になる >
東京から芸者と役者の一行が東南アジアの軍隊慰問に派遣されてきた。現地で祖国のために力を尽くしている兵士に慰安を与えるのが目的だ。タントリが大勢の日本娘を直接目にしたのはそれがはじめてで、粗野で下品な女たちを想像していたタントリはその大半が知的で魅力的な娘であることを知って驚いた。
日本国内の状況、東南アジア各地の状況、自分の目でそれらを見てきた娘たちと話す中で、タントリはたくさんの貴重な情報を手に入れた。役者の一行も、親切で優しいひとびとだった。かれらと戦争がいったいどう関わっているのか、タントリにはまるで理解できないことだったようだ。


ジャワ島全土が日本軍に占領された当初、スラバヤで捕らえられたオランダ女性は週に一度2時間だけ、抑留所から出て食糧を探しに行くことを許された。数千人の抑留者に与える食糧の手配が日本側にまだできていなかったためだ。飢餓が蔓延した。
抑留所から出てきた、やせて目の落ち窪んだ不運な女性たちが抑留されなかった白人に街中で出会うたびに、かの女たちの目の中に憎しみの火が宿った。餓えと無縁の血色の良い顔色と肉付きの良い身体を目にするとき、嫉妬の油が憎しみの火に振り掛けられた。かの女たちにとって、抑留されなかった白人はすべからく対日協力者であり、裏切り者だった。

あるとき、バリで知り合いだったオランダ女性ふたりがクトゥッの住居を訪ねてきた。もともと親しみを感じる間柄ではなかったのだが、スラバヤでこうして再会してもその雰囲気に変化はなかった。
ふたりのオランダ女性は抑留所での生活を物語った。悲惨な暮らしだが、子供たちにははるかに過酷な生活だ。ミルクや卵、その他の子供の成長に必要な食べ物が手に入らない。「あなたはバリ人の名前のおかげで抑留所に入れられなかったと聞いています。あなたの日常生活のことも、わたしたちの耳に入っています。抑留所の子供たちのために、そして金もなく、売り払うべき装身具も持っていない大人たちのために、お金を工面してもらうことは可能でしょうか?わたしたちは靴下や多くの日本人が使っている腹巻を編むことができます。それをあなたが日本人に売り、得た金をわたしたちに還元してもらう方法はどうでしょうか?あるいは絵を描ける女性もいるので、それを芸術を好む日本人に売ってもらうこともできます。」

心痛む話に接したタントリは、手元にあるだけの金をふたりに渡し、できるかぎり金を工面するので、今日はこのまま帰り、ここへは二度と来ないように、と諭して帰した。オランダ人抑留者と頻繁に接触していれば、どんな嫌疑がかかってくるかわからない。しかも抑留者が作った品物の販売者になるということも、いらぬ疑惑を招く元だ。

その夜、フリスコ・フリップにその話をすると、金はわたしが工面しよう、とかれが言った。そして、抑留所のひと気のない場所にタントリの旧知の抑留者を待たせておくから、タントリは犬を連れてそこへ散歩に行き、鉄条網の向こうにいる抑留者に一束にした現金を投げて渡すというシナリオをかれが作り、タントリはそのシナリオを演じた。その金を用意したのは日本人だということを、タントリは抑留所のオランダ人に決して言わなかった。日本人はかれらに骨の髄まで嫌われているのだから。


ヌラからの連絡が何週間も来なかった。タントリの不安が高まり始めたとき、ヌラの手紙を持ってクーリエがやってきた。この若者は見覚えがある。しかしかれはバリ人ではない。
「わたしたち、どこかで会ったことがあるよね?」
若者は最初キョトンとしたが、しばらくタントリの顔をじっと見つめ、そして微笑みを浮かべた。
「親切なアメリカのレディ、スピーディな道案内をお望みですか?ぼくが道案内をしてあげます。」
「ピトー!」
はじめてジャワ島を自ら自動車を運転して旅行中、真夜中に道端で拾った9歳の生意気な少年がもうこんなに立派な若者に成長したのだ。ピトもタントリに再会したのがうれしいようだ。ピトが覚えていたのはミュリエル・スチュアート・ウォーカーという名前であり、ピトが手紙を届けるように言われたクトゥッ・タントリはまったく知らない人間だ。そしていま、そのふたつの名前が同じ人物の上でクロスした。ピトも地下組織に加わってヌラとつながっていた。
「ピト、パプアの流刑地に送られたあなたのお父さんとは再会できたの?」
「日本軍がやってきたとき、タナメラの流刑地は解放され、父は西ジャワに帰ってきた。父はインドネシア独立運動のためにオランダ人に捕らえられて流刑されていたので、今でもその意志は変わっておらず、アミール・シャリフディンと一緒に新しい組織を作って活動している。ぼくもそれに参加して連絡員になった。国中、あちこちを往き来している。」
別れるとき、スラバヤを通るときは必ずここに立ち寄るとピトは約束したが、タントリが再びピトに会ったのは三年後だった。

ヌラからの手紙には、現金と銃をバリ島に送るようフリスコ・フリップに依頼してくれ、と書かれている。バリ島では銀行活動がすべて凍結され、預貯金がオランダ資産であるのかどうかについての調査が進められているので、明らかにプリブミの金であっても引き出すことができない。
フリスコ・フリップは自分が働いている工場で二重底の函を作った。一番下に小型の銃火器と弾薬を入れてふたをし、その上に書籍を大量に積み重ねた。あとはその函をどうやってバリ島内に運び入れるのかという問題だ。
イギリス人の依頼でバリ島に自動車と重要書類を運んだときの記憶がよみがえる。タントリはもう一度それをやってみようかと考えたが、フリスコ・フリップは拒否した。「だめだ。あまりも危険が大きい。まず、民間の自動車はほとんど日本軍に供出させられたため、自動車を手に入れるだけで一苦労だ。道路上がそんなありさまでは、自動車が走っていればすぐに疑惑を招いて取調べを受ける。バリ海峡を渡るのも、自由な往来は許されておらず、軍のパトロール艇で運んでもらわなければならない。この函の送り方はもっと考えなければならない。」

スラバヤを慰問巡業中だった役者と芸者の一行が、スラバヤでのプログラムを終えて、次はバリ島の海軍兵員への慰問に向かうというニュースを、タントリは数日後に耳にはさんだ。バニュワギまで特別仕立ての列車で行き、軍のパトロール艇でバリ海峡を渡る。
タントリは親しくなった一行に別れの挨拶をするため、一行が泊まっているホテルを訪れた。ホテルに着くと、一行の大道具小道具が函に入れられて、山にように積まれている。タントリは「これだ!」と思った。フリスコ・フリップの函をこの中に紛れ込ませれば、バリ島内に運び込むことができる。
タントリはすぐにホテルから引き返してフリスコ・フリップに会った。そして、最終目的地までの詳細な計画が練られ、そのアイデアが実行されることになった。


タントリは再びホテルに引き返して一行の引率者に同行したいと願い出た。
「おお、それは願ってもないことだ。バリ語に堪能で、島内の地理に明るいひとがいれば、大助かりですよ。向こうへ着いたら、ぜひ名所旧跡に案内していただきたいものです。」引率者は大喜びで了承した。
次はスラバヤ地区司令官からの許可をもらわなければならない。


「バリの家族に会いに行きたいのです。」と理由を告げると司令官は意味深な微笑を浮かべた。
「バリの家族?家族の中のひとりという意味でしょうな。それはあなたの義理のお兄さんでしょうかな?家族に会いたいから、日本の慰問部隊の娘たち一行に加わりたい。実に感動的なお話だ。」
司令官は通行証にサインし、更にバリ島南部地区海軍司令官宛の紹介状まで書いてくれた。そのお礼として、タントリは自分が描いたバリ舞踊の踊り子の絵の中で一番大型のものを司令官にプレゼントした。自分に優しくしてくれるその司令官を欺いている自分の心中のひけ目を、そのプレゼントに破顔するかれの歓喜がいくぶんなりとも打ち消してくれたと信じながら。
「あまり永くスラバヤを留守にしてはいけません。ここにはあなたを知っているニッポン人がたくさんいる。あなたがいなくなったら、みんな寂しがりますからな。」


フリスコ・フリップはタントリさんの荷物だと言って、一行の道具係り責任者に函を渡した。責任者はその函を函の山の中に混ぜた。
白人でカインクバヤを着た女性がひとり、東京から来た娘たちのグループに混じって、ふざけたり、歌を唄ったりして楽しんでいる。スラバヤからバニュワギまでの道程は長い時間がかかったが、列車の中に退屈という風は少しも吹かなかった。日本の娘たちはみんな明るく朗らかで、自分が置かれている境遇を楽しむことが巧みだった。
バニュワギの駅には、一団の日本軍将校が出迎えに来ていた。かれらは日本の娘たちの中に現地人姿の白人がひとり混じっていることに驚き、タントリが示す通行証を読み、一行の引率者が「タントリさんはスラバヤ地区司令官のお友達です。」と言うのを聞いて、疑念が微笑みに替わり、顔を見合わせてうなずきあった。
そのころ、日本軍高級将校の多くが白人女性を妾にしていることは公然の秘密になっており、オランダ女性が大半を占めたかの女たちは抑留所の悲惨な生活と妾になることを天秤にかけた上でそれを選択したにちがいない。


日が暮れてから、日本海軍のパトロール艇が一行をギリマヌッに運んだ。一行がデンパサルに着いたのはもう真夜中。タントリは自分の函を馬車に積み込ませ、一行と別れてそのまま旅路を続けた。この書籍は山に住んでいる友人のスイス人が必要としているので、まず友人に書籍を渡し、そのあとで家族に会いに行くのだ、とタントリは一行の引率者に話した。

だがその前に、ヌラが指定した銃火器の隠し場所に立ち寄らなければならない。タントリがその場所に着くと、見張りの者が急いで奥に走った。奥から出てきた者たちの中に、なんとヌラがいた。ヌラはタントリを見て呆然としていた。
すぐに函が下ろされて奥に運び込まれ、しばらくしてまた運び出されて馬車に積まれた。函はだいぶ軽くなったようだ。ヌラは再びタントリの冒険行の話を聞かされ、珍しく怒りを含んだ声を出した。「フリスコ・フリップはどうしてあなたにこのようなことをさせたのか?実に危険極まりない行動だ。日本の軍人があなたをどこかに拉致しても、だれにも止めることができない。おまけにあの函を徹底的に調べられたら、あなたはいったいどうなる・・・?」
「実際には、そんな危険な状況は少しもなかったのよ。汽車の旅も、海峡を渡るのも、安全で朗らかな雰囲気でした。スラバヤの司令官からもらった通行証があるから、わたしは大丈夫。それよりも、函をここまで運ぶ方法がこれ以外に見つからなかったの。」 タントリはそう反論する。するとヌラはタントリに、このあとすぐ王宮に行って、グデ王の保護下に入るよう奨めた。少なくとも数日間、バリ島の日本軍がタントリに疑惑を抱いていないかどうかを探る間、タントリは王宮に隠れているほうがよい、とヌラは主張する。
しかしタントリの考えは違っていた。自分が書いて日本人一行に語った筋書き通りの行動をしなければ、かえって疑われることになるし、自分が王宮に隠れたら、その疑惑にヌラとグデ王を引きずり込むことになる。ヌラはタントリの主張に従うことにした。

タントリは再び馬車に乗ると、軽くなった函と一緒にスイス人の住居に向かった。馬車は夜明け前にスイス人の住居に着いた。スイス人はジャワへ行っていると使用人がタントリに告げた。数日ここに滞在したいとタントリが言うと、何度もその家を訪問して顔なじみになっている使用人は拒否しなかった。

しばらくここに隠れているのがもっとも安全だとタントリの理性は告げている。しかし、今バリ島の状況がどのようになっているのか、バリの地元民にいろいろ話を聞きたいという気持ちを抑えることがタントリにはできなかった。
夜になるのを待ちわびて、タントリは月明かりの下を徒歩で山を下った。レストランを営んでいる華人の古い知り合いをタントリは訪問した。一般的にバリ人は子供のように好奇心が旺盛で、しかも自分が知ったことを誰に対しても安易に口にする。一方、華人は口数が少なく、何を考えているのかわかりにくい。そういう民族性の違いをタントリは経験の中から把握していた。今自分が置かれている状況を考慮するなら、だれに会うのがより妥当なのかは言うまでもあるまい。


やってきたタントリを目にしたその華人は、抑えた声で驚きを表明した。「あなたはジャワで日本人に殺されたという話を聞いています。生きているあなたにまた会えて、こんなにうれしいことはない。しかも元気溌剌だ。」
裏の部屋に案内すると、かれはタントリが発する質問に答えた。「日本人?ほんのしばらくの間に、日本人はたいそうな嫌われ者になりましたよ。植民地時代のオランダ人より何倍も憎まれている。日本人は態度があまりにも傲慢で粗野なのです。バリでもジャワでも、村々から何千人もの男女を集めてロームシャにした。ロームシャはマラヤ半島やビルマに送られている。食糧もそうだ。日本人はあらゆる所で民衆の収穫した食糧を取り上げ、軍隊用の食糧として東南アジアの各地に送り出している。それを作ったインドネシアの民衆は空腹を抱えている。日本人はまた、インドネシア人に対してすべての高級ホテルの門を閉ざした。高い地位に就いているインドネシア人ですら、まるでかれらの召使だ。日本人に対する抵抗運動はますます広範囲に、ますます強固になりつつある。ジャワで、スマトラで、カリマンタンで、反乱が起こっている。いちばん激しかったのは、東ジャワのブリタルで起こったものだ。インドネシア人知識層が何千人も逮捕され、銃殺刑に処せられているという噂が流れている。・・・・・」
その夜、タントリはその華人の家に泊めてもらおうと考えていたが、タントリが華人と接触していることが日本人にわかれば危険が高まる、とかれに言われて諦めた。深夜、ふたたび長い道のりをかの女はスイス人の住居まで歩いた。


タントリの気にかかっていたもうひとつのことがらは、クタの浜辺に建てたスワラスガラのありさまだった。ヌラはあのホテルが「消滅」したと語ったが、それがどんな風に消滅しているのか、タントリは自分の目で見たいと思っていた。翌朝、馬車を雇うとタントリはクタに向かった。

白くまばゆいクタの砂浜が見えてきた。懐かしい潮騒の音が耳に心地よい。一列に並んで塀を成している椰子の樹は昔のままだが、わたしのホテルはどこにあるのだろう?バグスが腕を振るったバリの宮殿様式の建物はすべてが瓦礫と化していた。しかし庭園はそのままの姿を残している。
タントリの悲痛な表情を目にした馬車の御者は、顔をそむけた。「あんたはもうこのことを知っていると思ってたよ。」
タントリは馬車を降りると、自分の住居だった建物に向かって走った。建物を作り上げていた竹の一本、石の一個として、元通りの形をとどめているものはなかった。タントリはその場に膝をつき、草の上にくずおれて泣いた。遠いところにある国が戦争を計画し、宣戦布告して戦争を始めた。それが平和なバリ島に押し寄せてきて、無残にも平和を粉々にした。

一番近くにあるプリブミ部落をタントリは訪れ、昔なじみの部落長から話を聞いた。日本軍がサヌールに上陸した日の夜、かれらはトゥバン飛行場に爆弾の雨を降らせた。
すると山から山賊たちが下りてきて、オランダ人が置いて行った資産を根こそぎ略奪した。かれらはデンパサルの街中を徘徊してまわった。スワラスガラを占領した日本軍の隊長はかれらに向かって、白人が作った建物は徹底的に破壊しろ、と命じた。建物のかけらも残してはならぬ。
スワラスガラを破壊したのはバリ人でなく、遠くからやってきた連中だ。「好きなだけ持って行け」、と日本人に言われて、かれらは狂ったように破壊と略奪を行った。

タントリはクタの住居に自分が描いた絵を貯えていた。ニューヨークで開かれる絵画展覧会に出品しようと考え、8年間にわたってさまざまなモチーフを描いてきたのだ。あの膨大はコレクションはどうなったのだろうか?日本軍はクタの浜辺に船を一隻来させ、スワラスガラにあったタントリの絵画、バリの伝統芸術コレクション、タントリの蔵書など一切合財をすべて積み込んでどこかに運び去ったと部落長は説明した。


心に深い痛手を負ったタントリはその日、またスイス人の住居に戻った。すると、夕方になって、日本人憲兵がふたり、その家にやってきた。日本から来た慰問部隊がデンパサルに運んできた函のひとつをタントリが持ち去ったという報告を出した者がいたようだ。もちろん、慰問部隊のひとびとはそんなことをしない。憲兵はその函を見せろ、と言う。
函を置いてある場所に案内すると、ふたりは函をこじあけた。中にあったのは、日本語学習書・日本の歴史・日本の童話などの書籍だった。ふたりは顔を見合わせる。つぎにタントリが持っている証明書類を見せるよう言われたので、タントリはスラバヤ司令官のお墨付きをふたりに示した。ジャワからバリへ渡るこの通行証の持ち主に関係者は随時、適切な便宜をはかるように、と要請する文章が記されている。それを読んだふたりは、身の置き所を失ったような戸惑いを示した。ふたりの態度ががらりと変わり、傲岸な雰囲気は霧消して、タントリに真剣な声で謝罪した。あなたがたが大日本のために尽くす任務がそれなのだから、仕方のないことです、とタントリは理解ある態度を示し、最終的に洋酒をふるまってその場をお開きにした。「天皇陛下のために乾杯を」と誘うふたりに、タントリは気楽に応じた。

その事件では事なきを得たにせよ、タントリに自分が置かれている状況を自覚させた。バリ島が自分にとって安全な土地でないことはもう明らかだ。自分にとってより安全な土地スラバヤに早急に戻らなければならない。
その話をヌラにするため、タントリはグデ王の王宮に向かった。ところがヌラはタントリの話を聞いても、いつものような危機感を示さない。銃火器と弾薬はだれにもわからない場所に隠したから、タントリのバリ島訪問とプリブミの対日反抗を結びつける疑惑のタネはどこにもない、とかれは言う。タントリの危機感は頭の中に生じている根拠のない不安が原因なのだから、もうしばらくバリ島にいればその不安はおさまるだろう、と言ってタントリのスラバヤ行きに賛成しようとしない。タントリは結局、スイス人の住居にまた戻った。

するとタントリ宛にバリ島南部地区司令官からの、日本からの慰問部隊歓迎パーティへの招待状が届いていた。招待状を持ってきたのは司令官直属の部下で、タントリをパーティに連れて行くため、そこで待っていたのだ。タントリは体調を理由に招待を断ろうとしたが、どうやらそれは招待とは名ばかりの、強制的な連行だったようだ。
パーティでは、慰問部隊の一行と再会して盛り上がった。司令官もタントリに親切丁寧な態度を示した。司令官がタントリに尋ねる。
「このバリホテルは実にすばらしいホテルだ。あなたはホテル経営の経験があると聞いているが、このバリホテルを運営してもらえないだろうか?高級将校や東京からの客を泊めるのに、すばらしいサービスは欠かせないのだから。」
スラバヤの司令官が自分の戻りを待っているので、このままバリ島に居続けることはできません、とタントリは司令官に説明した。司令官はその問題をくどくどと言い続けることはしなかったが、その代わりにグデ王やヌラ王子とタントリの関係をくどくどと尋ね始めた。まるで尋問されているようだ。パーティが終わり、タントリは解放されて帰宅した。


< バリ島から危機一髪の脱出 >
翌朝、ふたたびタントリにお迎えがきた。司令部になっているバリホテルで司令官はタントリに、身柄の保護についてのオファーを始めた。「あなたはわたしの家に住めばよい。あなたは完璧に保護される。」
その意図をすぐに覚ったタントリは、それを断った。前夜と同じように、スラバヤの司令官との約束を理由にあげた。するとこの司令官は態度を荒げた。「陸軍のどこがそんなに良いと言うのか?われわれ海軍のほうが陸軍よりはるかにマシだ。スラバヤの司令官のことはもう気にしなくても良い。かれはマカッサルに移される。あんたがスラバヤに戻っても、保護者はもうすぐいなくなるのだ。戦争はまだ始まったばかりだ。この先何年続くかわからない。保護者がいなければ身の安全は保証されない。」
「いいえ、スラバヤの司令官はわたしの保護者でなく、わたしの友達なんです。あの方はわたしの描く絵が気に入ったので・・・」
「たわ言だ。どうであれ、おまえは海軍からの許可なしにバリ島から出て行くことはできない。おまえにバリ島から出る許可を与えないよう、わたしが指示を出しておく。更に、グデ王と王子との接触も禁止するよう指示しておこう。」
そしてバリ島にやってきてからのタントリの半生を司令官は尋ねた。トゥバン飛行場のすぐ近くにホテルを建てて住んでいたことに関して、飛行場が危険な場所であることがわからなかったのか、と尋ねられてタントリは、わたしが飛行場の近くにホテルを建てたのでなく、オランダ人がホテルの近くに飛行場を作ったのだ、と答えた。そのホテルも住居も、もはや消滅した。そこへ戻って住むことも日本軍は許可しない。「旅行者も来ないのだから、おまえの描いた絵を売ることもできない。だれにも保護されないで、おまえはこのバリ島でどうやって生きていくつもりなのか?」
「わたしは籠や茣蓙を編みます。バナナをパサルで売って暮らしを立てます。バリ島のプリブミの暮らしができるなら、たくさんのお金は必要ありません。」
「白人が地べたにしゃがんでバナナを売るだと?みっともない姿だ。絶対に許可はおりない。」
「おまえはもう行ってよろしい。だがそのうちにきっと、わたしの家に住むことになり、そしてその暮らしを楽しむようになるだろう。」
日本人が女性にわいせつ行為を始めるとき、決して暴力をふるわない、ということを知っていたタントリは、司令官のそのときの態度にぞっとした、と書き記している。


タントリは再びスイス人の住居に戻った。食べ物はもともとわずかしかなかったところに、口がひとつ増えたのだ。タントリは何とかしようと考えたが、その時期、金を得る手段はあまりにも限られていた。以前、アートショップを経営していたバリ女性の友人に再会したとき、友人がタントリにアイデアを披露した。日本軍がやってきて以来、かの女もアートショップはもう閉めており、何か事業を行わなければ、と考えた末に試みていたアイデアだ。
「日本人がキモノを着るときには帯を締めるでしょう。その帯を織って日本人に売るのはどうかしら。帯一本が1フルデンなら買ってくれるのよ。一本売れれば利益は30センになる。生活費としては十分よ。」

そのころ、鶏卵1個2セン、バナナ半房1セン、野菜や果実はもっと廉かった。タントリはその友人とウールの糸をパサルで買い、紅白の帯を織った。紅白はインドネシアの旗であり、日本人はそうと知らずにインドネシアの独立を応援することに利用されたわけだ。機織の腕が上がったとき、タントリはMERDEKAという文字を青い糸で織り込んでみた。友人は「駄目よ」と言った。「それを買った日本人がだれかインドネシア人にそれを見せて、そのインドネシア人が意味を教えたら、どんなことになるか。絶対に駄目よ。」
と言うその友人も、織り上げた帯にチクチクする粉をすりこんで日本人に売っている。その帯を巻いた日本人は、腹の肌がチクチクするからいったい何がいるのかと帯を仔細に調べるが原因はわからず、買った帯をすぐに洗濯にまわしているはずだ。


タントリは自転車で街中をしばしば走り回った。あちこちで情報を集めるためだ。オランダ人はタントリがプリブミと交わることを禁止したが、日本人はそれを放任した。日本人がタントリを束縛したのは、逃亡しないこと、そしてグデ王の王宮へ行かないことだった。

そんな暮らしをしている間、タントリはある話を耳にした。バリ島南部地区の司令官がタントリに対して実力行使に出るようだ、という噂だ。いつまでも自分になびこうとせず、生活に困って頼ってくることもなく、毎日さっそうと暮らしているタントリのありさまを知って、自分の方針が間違っていたことを悟った司令官は、ついに怒り心頭に発したということらしい。タントリを拉致して自分の家に幽閉するのか、それとも監獄に放り込むのか、何が行われるかまだわからないものの、タントリはバリ島からの逃亡を決意した。

たまたま、タントリの知り合いの華人が翌日結婚式をあげる。かれは両家の親族およそ二十人を引き連れてジャワ島に渡り、ハネムーンをジャワで愉しむ計画だ。そのためにオンボロバスを一台借り、そのバスでバリ海峡を渡る許可も既に得ている。出発は明朝6時だ。タントリはそのチャンスをつかもうと考えた。そもそも、心の奥底に日本人への憎悪を秘めていない華人がめったにいないことを、タントリは熟知している。


その夜、華人の家では結婚の祝宴が開かれていた。タントリは花嫁花婿に祝福を述べるため、その家に入った。そして花婿に密かに話した。
「ここの日本軍司令官がわたしを捕らえようとしていて、わたしはたいへんな危難に直面しています。早々にバリ島から脱出したいので、あなたのハネムーン旅行のグループの中にわたしを混ぜてもらえたら、わたしはたいへん助かるのですが・・・。」
「あなたを助けてあげたいのはやまやまですが、このバス旅行の許可証を見てごらんなさい。バスに乗る者の名前がひとりひとり明記されている。バスに乗るとき、そのひとりひとりが点呼されるそうです。バスに乗ってよいのは名前が明記されている者だけで、ほかの人間は乗せてもらえません。ギリマヌッまでの道程でも、いくつもの検問所で止められて点呼が繰り返されるでしょう。そして海峡を越えるときも、人間と荷物がまた調べられるはずです。」
だったら、密航するしかない。バスが出発する前にタントリはバス内に潜入して椅子の下に隠れることにした。もし見つかれば、タントリが勝手に潜り込んだことにして花婿はシラを切ればよい。花婿がそれを了承すると、タントリは夜明け前に夜陰にまぎれてバス内に入った。マットレスやさまざまな荷物が既に積み込まれている。タントリは荷物の山の中に潜り込んだ。


夜が明けると、バスのエンジンがかかった。日本人が華人の名前をひとりひとり読み上げる声が聞こえ、そしてハネムーンツアーのひとびとがにぎやかに入ってきた。既に積み込まれている荷物を再度チェックすることはなされなかった。
バリ島西端に至る道程は永かった。その間に二度、バスは検問を受けた。乗っていた者は全員バスから下ろされてチェックされた。道路はいたるところ穴だらけで、車体は頻繁に飛び跳ね、タントリは身体をあちこちにぶつけてあざだらけになった。暑さとよどんだ空気、そして排気ガスがタントリを容赦なく襲い、活力を奪った。

ギリマヌッに近い、ものさびしい場所でバスが止まった。花婿がタントリをおろすために止めてくれたのだ。ぐったりしたタントリが荷物の山の中から起き上がると、バス内のひとびとは驚いたが、花婿の説明で全員が納得した。みんなはお金を取り出して、タントリの手に無理やり持たせた。ハネムーンツアーが終わってみんながまたバリ島に戻ったあとで、タントリの脱出行の話をヌラにする、と花婿は約束した。

バスは去り、タントリは海岸に向かって歩いた。そこから1マイルほどの距離にタントリの知り合いになったマドゥラ人漁師の兄弟ふたりが住む小屋がある。夜がふけてから、マドゥラ人はジャワ島の海岸にタントリを運んでくれた。そこはバニュワギの町からかなり離れた辺鄙な場所で、日本人は一度もそこへ来たことがないという話だった。しかしジャワ島へ渡った以上、タントリが持っているスラバヤの司令官からもらった通行証のおかげで、タントリの身の安全は保証されている。タントリは危機を脱したのだ。タントリはそれを喜んだが、ジャワ島でかの女を待ち受けている運命がそのときに判っていたら、喜びが後悔に替わっていたかもしれない。


タントリは一路、スラバヤに向かって歩いた。そして自宅に戻ったとき、神経は張り詰め、心身ともにヨレヨレになっていた。そんな状態で夜が更けるのを待ち、闇の中で自宅に滑り込んだのだ。そしてすぐにフリスコ・フリップに電話し、教授と一緒に自宅に来るよう求めた。
ふたりはタントリの状態に驚き、タントリの話を聞いてもっと驚いた。だがともかく、艱難辛苦の果てにタントリのミッションは成功を収めたのだ。三人は祝杯をあげた。
タントリはふたりから、スラバヤの司令官がマカッサルに更迭されたことを聞いた。噂では、かれの姿勢が軟弱すぎるためジャワの主要拠点の抑えが効かないという理由だそうで、司令官が交代してから、確かにスラバヤの警備は手のひらを返すように厳しくなった。
教授は状況を探りにジャカルタへ行く計画を話し、フリスコ・フリップは当面秘密の会合を手控え、みんなおとなしくしているよう忠告した。

その後、教授はジャカルタに去り、フリスコ・フリップは本業の仕事を続け、タントリには新たな情報が何も入って来なくなった。そして数週間が経過してから、フリスコ・フリップが夜陰の下をタントリの住居に慌てた姿でやってきた。
「教授がチレボンで憲兵隊に捕まった。容疑は敵のスパイということだ。あなたはすぐにここから逃げるのだ。いつ憲兵隊がやってくるかわからないから。」
タントリはソロへ逃げるつもりだとフリスコ・フリップに告げた。ヌラの知り合いの貴族の家にかくまってもらうつもりだ。しかしこんな時間にソロ行きの列車はもうない。出発は明日になる。
フリスコ・フリップは、自分にまだ追っ手がかかってこないのは、自分がまだ疑われていないからだろうと見ていた。だから、姿を隠せばかえって疑われることになる。憲兵隊がどこまで知っているのかを探るのが先決だ。かれは自分の去就をそう語ると、また夜のスラバヤの街へ忍び出て行った。


< スパイ容疑 >
タントリはソロへ持っていく荷物の荷造りをし、運動の証拠になるものを処分し、そうして夜明け近くに眠りに就いた。ところがまだ暗い時間に、家の表を叩く音で目を覚まされた。まだ完全に目覚めていない状態で、タントリは声をかけた。「だれなの?」
男の鋭い声が答えた。「ここを開けろ。憲兵隊だ!」
タントリは震え上がった。すぐに着替えをし、出発時に持っていくことにしてあった証明書や通行証などの書類を机の上からかき集めてベッドのマットレスの下に押し込んだ。その中にアメリカのパスポートもある。表の扉を叩く音は激しさを増していた。

タントリが扉を開くと、日本人将校がふたり、家の中に入ってきた。そして何の説明もしないまま家捜しを始めた。タントリは寝室に戻って化粧をはじめる。すると一分も経たないうちに将校のひとりが寝室に入ってきて、室内の捜索をはじめた。そしてベッドに近寄るとマットレスの下に手を入れ、タントリが隠した書類を引きずり出した。
「外に出て、車に乗れ。」
「どこへ行くの?」
「行けば判る。」
タントリは前司令官の通行証をふたりに示した。しかし反応は冷ややかだった。
「そんなものはもう役に立たない。おまえはアメリカ人だ。このパスポートが証拠品だ。」
「わたしの罪状は何なの?」
「あとで判る。」

状況がまったく判然としないままタントリはふたりに引っ立てられ、家の表に待っている自動車に乗せられた。自動車はすぐに発車した。3時間か、あるいは4時間も経っただろうか、自動車は序々にスピードを下げた。タントリはそこがどこか、すぐにわかった。「ここはクディリだわ。」

自動車はある建物の前で止まった。そこは監獄だ。看守が出てきて、タントリを中に連れ込むと、鉄格子の入った囚人房に入れた。囚人房が並んでいる前の通路を日本兵が数人、行きつ戻りつしている。房の中には汚れた茣蓙が一枚置かれているだけだ。一束のわらを茣蓙で巻いたものが枕だろう。トイレは土間に作られた小さい穴がひとつ。傍らには汚れたバケツに入った濁り水。日本軍に捕らわれた者の運命がそれだった。最初の一週間は、特に何も起こらなかった。食事はバナナの葉に盛られた飯が一日二回与えられる。そんなもので食欲を満たせるわけがない。最初の一週間で5キロは体重が減っただろうとタントリは感じていた。

すべての囚人房にひとがいた。満員だ。毎朝、日が昇ると看守が房を見回る。午前6時から夜9時まで正座して両手を腹の前で組むよう命じられる。正座しないと、看守は手にした長い棒で囚人を突く。普通に座ることは許されない。ときどき、他の房の囚人がその棒で頭を叩かれている音がした。
食事は一握りの飯と塩が午前11時に与えられ、二回目は夜だ。飯が終わると、囚人は即座に横になる。わらの枕にはノミが湧いており、たいていの囚人は手枕で寝た。

囚人たちは全員、マンディのない暮らしを強いられた。顔を洗うことすらできない。水がないのだ。髪の毛を梳くこともなく、着ている衣服を着替えることもない。排便する姿は衆人の目にさらされる。汚れ、不衛生、空腹、自尊心を奪い去る・・・。人間を絶望に追い込む手段がそれだった。鉄格子の向こうから、看守や兵隊が排泄する姿を覗きこんでくる。いまだかつて体験したことのない恥辱にタントリは甘んじた。


公式な罪状が何もないまま、タントリはそのおぞましい境遇に落とされた。そして、囚人生活が何日も経過してから、尋問の日がやってきた。尋問室には日本人将校が何人も座っていた。最初の数分間、かれらは次々に質問を浴びせかけてきた。質問の内容は、家宅捜索に来た憲兵が奪った書類に関係するものばかりだ。ダフ・クーパー夫妻からの電報、セルビー・ウオーカーからの手紙、ロイター東アジア地区理事からの手紙。どうしてそのようなものをタントリが持っているのか?
「自分のホテルの客だったから。」
「なんでおまえのホテルの客になったのか?それらの要人とおまえの関係は、ホテルの客というだけではあるまい。」
タントリの言うことをかれらはたわ言としか思わない。
「わたしの罪はいったい何なのですか?どうしてわたしはこんな場所に入れられなければならないのですか?」
「おまえはアメリカのスパイだ。認識番号を言え。」
タントリはうっかり、吹き出しそうになった。わたしがスパイだなんて・・・・。

タントリを取り巻いて座っている日本軍将校たちは、もう待ちきれないという風情を見せた。尋問班のリーダーの目に残虐な光が宿ったのにタントリは気付いた。
「衣服を脱げ。」
恐怖がタントリを金縛りにした。待ちきれなくなった若い将校がタントリの衣服を引きむしった。布が破れる音がした。

「片足で立て。」
「次に、もうひとつの足をあげて、折り曲げろ。」タントリが戸惑っていると、ビンタが飛んだ。
「ちがう、そうじゃない。横に曲げるんだ。」
その辱めに深く傷ついたタントリは、すぐに要領を呑みこむと自分の精神を恥知らずの棘で覆った。尋問に呼ばれるたびに、尋問室に入って扉が閉まるとすぐに衣服を脱ぎ捨てた。

「われわれはたいへんな危険分子を捕らえた。布製品売りに扮してスラバヤをあちこち立ち回り、情報を探っていた支那人だ。おまえの家にも何回か訪れている。あまえはやつの仲間だ。」
「スラバヤの街中を物売りしながら徘徊している華人は大勢います。その中には、布製品売りもたくさんいます。わたしの家に来たら、自分で使うためにせよ、女中に買ってあげるためにせよ、何か買うでしょう。かれらはただの物売りですよ。そんな大それた連中じゃありません。」
返事が気に入らないと、タントリは竹刀で殴られた。背中に長い青あざができた。

尋問が終わると囚人房に戻される。翌日になると、また尋問室に入る。質問が出され、答えるたびに竹刀で打ち据えられる。そんな日が何日も続いた。
日本軍は教授を捕らえたが、教授の活動の詳細や周辺環境に関する正しい情報は得られていないことが、タントリには推測できた。タントリへの尋問の中に、実際に行っている活動内容にずばりと切り込んでくる質問はひとつもなく、誘導尋問でタントリに自分がスパイであることを自供させようとすることに没頭しているありさまがあからさまに示されていたのである。

ある日、尋問班のリーダーが一枚の紙をタントリに示した。「支那人はすべてを吐いたぞ。おまえに関することがすべてここに書かれている。」
タントリはそれを覗き込んだ。紙面に漢字が敷き詰められている。漢字の署名がなされているが、かつて教授とフリスコ・フリップと三人で示し合わせた暗号はどこにも見えない。

別のときは、いかにもアメリカ軍諜報機関の公的文書のように見える書類を持ってきた。「おまえがスパイであることをおまえの本部が認めたぞ。やつらがアメリカで捕らえた日本人スパイとおまえを交換したいという申し入れがきた。」
タントリにとって、その文書がニセモノであるのは疑いない事実だ。誘導尋問にはこんな浅薄な芝居まで使われるのか、と思ったタントリはもう少しで吹き出すところだった。

次に尋問班が出してきたのは、タントリが日本軍進攻前にスラバヤでアメリカ軍大佐の運転手兼通訳の仕事をしていた事実だ。「おまえはオーストラリアへ逃れず、スラバヤに残って諜報活動を続けていた。われわれ日本軍の動きを知ると、それを逐一、スラバヤの山岳部に隠されているラジオ発信基地から報告していた。中でも、バリ島の海軍の動向に関する情報mが詳細に送られている。おまえがそれをしていたことは疑う余地がない。おまえの立場はそれを行うのに最適なものだからな。その活動のことを詳しく話せ。どんなルートで情報を得ていたのか、そしてその情報で何をしようとしていたのか、もっと痛めつけられるのがいやなら、正直に白状しろ!」

更には、バリ島南部地区司令官が島内から出ることを禁止したにもかかわらず、タントリの姿が突然消えてなくなったことの質問が出た。「バリ島司令官からスラバヤの新司令官に、おまえを探し出すよう、依頼が来ている。島外に出ることを禁止したにもかかわらず、おまえは逃亡した。おまえの逃亡を援助したのはだれだ?」
「バリ島南部地区司令官が無理やりわたしに同棲するよう命じたので、怖くなったのです。わたしは歩いてギリマヌッまで行き、浜の漁師に頼んで海峡を渡りました。夜だったから、今そのひとを探し出せと言われても、はっきり顔を覚えていません。」
「おまえとあの司令官との関係はどんなものだったのか、それを言え!」
「わたしがスラバヤへ戻りたいと言うと、司令官はこう言いました。『陸軍のどこがそんなに良いと言うのか?われわれ海軍のほうが陸軍よりはるかにマシだ。』」
その海軍司令官のせりふは尋問班一同に大いに受けたようだ。かれらの間で笑い声があがった。


自分がスパイであることをいつまでも認めようとしないタントリに、尋問班は言った。「いつまでも強情を張るのであれば、おまえに今のような丸裸でクディリの町中を歩かせる。さらし者になり、クディリ中の人間がおまえを笑いものにする。おまえの親しいプリブミたちにその裸の姿を見せてやれ。

それは、ただの脅かしではなかった。タントリは一糸まとわぬ素裸にされ、髪に「アメリカのスパイ」と大書された大きめの紙をピンで留められ、銃剣を構えた兵隊に押されて町中を巡った。ひとだかりができて、大勢のプリブミがタントリを笑いものにすると思っていた日本人は、クディリの路上がゴーストタウンに変わったことに驚いた。
タントリの一行を遠目に見たインドネシア人たちは最初、何事が起こったのかと注目したが、その一行が何であるのかがわかったとたん、全員が家の中に駆け込んで扉を閉めたのだ。路上にいるのは日本人だけとなり、全身があざだらけの汚い裸の白人女性を引っ立てている構図がかえって恥さらしと思ったのだろう、タントリは早々に監獄に連れ戻され、腹いせの暴力がタントリの身体に向けられた。


しかし自分をそんな目に会わせた日本人の性格が理解し難いほど複雑であることも、タントリは書き残している。
あるときタントリは、夜中に囚人房から引き出されて尋問室に入った。日本軍が捕らえた支那人物売りに関する質問が浴びせられ、気に入らない答えを聞くたびにタントリの肩や背に竹刀が飛んだ。あまりの痛みにタントリは床にくず折れた。尋問が終わると、尋問班のひとりがタントリに優しさを示した。
「麺を食べるか?」と勧める。
さんざんに打ちのめされた後のタントリに、それを素直に受け入れる気持ちの余裕はなかった。ふてくされているタントリにかれらは無理強いした。タントリは一口だけ口に入れ、そしてそれを吐き出し、泣いた。するとひとりが憐れみの表情を見せて立ち上がり、タントリに近づくと、手づから麺をタントリの口に運び、頭を撫でた。「可哀想に。よしよし、泣くんじゃない。」と言いながら。

ある夜、タントリが囚人房の隅で膝を抱えて座っていると、看守が鉄格子の外から話しかけてきた。「タントリ、おまえ病気か?」
「もう死にそうよ。」
「じゃあ、俺が歌を唄ってやろうか?将校はみんなパーティにお出かけだ。おまえのために、いい歌があるんだよ。」
日本人看守の誠意を感じたタントリは、悲惨な境遇に押しつぶされているにもかかわらず、まだ微笑むことができた。歌を愛でるだけの心の余裕などどこにもないタントリだが、この背の低い日本人看守の誠意をかの女はうれしいと感じた。
「日本の母親がよく歌う子守唄がいいわ。」
「いやいや、そんな歌じゃない。Love in the wilderness というアメリカの素敵な歌だ。おまえ、知ってる?」
「いいえ、聞いたことがないわ。」
看守は鉄格子の近くに立ったまま、英語の歌を唄った。今アメリカではやっているダンス音楽のようだ。唄い終えた看守にタントリは素直な気持ちで「ありがとう」を述べた。
「今度同じような機会があったら、アメリカの歌をもっといろいろ唄ってあげるよ。」看守はそう言ってタントリの房から離れた。


およそ三週間、毎日尋問が続けられたあと、ふたたび何の理由も明らかにされずにタントリは釈放された。ひとりの若い将校がタントリをクディリの鉄道駅へ連れて行き、スラバヤ行きの列車にふたりで乗った。スラバヤまで護送するよう命令されているのだ。
将校は車内に入って、自分でふたりの席を確保し、タントリに座らせた。破れてぼろぼろの衣服はピンで留めて、なんとか形を保っているが、その下の肉体は青あざだらけでもっとぼろぼろになっている。同じ車内に乗ったインドネシア人はタントリに侮蔑的な視線を投げかけてきた。日本人の囲い者になった白人女だと思ったにちがいない。

列車が動き出し、赤レンガの壁の家並みがどんどん後ろに流れて、そのうちに広大な水田地区に入る。列車の車輪が伝えてくるリズムが消耗しきったタントリの精神に少しずつ活力を滲ませはじめた。付き添いの日本人将校はタントリの精神の変化に気付いたのだろう、突然口を開いた。
「ジャワはいい。とても気に入っています。海外に出たのははじめてです。外国へ出ていろんな民族と交際することが昔からの念願でした。戦争の中でその機会を得たのは残念なことです。」
かれは車窓から外の風景を眺めている。しばらくして、また口を開いた。

「本当は、われわれは敵対して憎み会うようなことをしなくてもよいのです。仲良く交際して何が悪いのでしょうか?日本人はアメリカ国民を決して憎んでいるわけではありません。
わたしはこの戦争があるポジティブな結果をもたらすと考えています。何百年も前から、白人は日本人を見下してきました。黄禍というスローガンを叫びたてて、サルよりちょっとましな地位に格付けしてきたのです。。しかしわが国の知識層は、文明的な民族はすべて対等な格付けにあることを知っています。
この戦争が始まってから東南アジアのいたるところで、白人は日本人の前で腰をかがめて尊敬を表明するようになったではありませんか。この戦争がどのような終わり方をするのか、わたしには想像もできません。しかし既に明らかになっているのは、日本人が自民族を卑下するようなことはもうなくなるのです。」

スラバヤに着いてから、その将校はタントリを自宅まで送り、握手の手を差し伸べた。


< 一難去って、また一難 >
タントリがスラバヤの自宅で、自由で安全で健康な暮らしを満喫したのもつかの間、三日後に家の前で自動車が止まった。やってきたのはふたりの将校で、市庁舎へ連行すると言う。行き先は警察諜報隊であり、悪名高い憲兵隊でなかったことにタントリはほっとした。


市庁舎では、スラバヤ在住の白人が居住の届けを出すために長蛇の列をなしている。タントリ一行はその間を抜けてビルの最上階に上がった。最上階の事務所には、硬い表情をした小柄な男が座っていた。鋭い目付きのその男が警察諜報隊長だ。
タントリが大きいテーブルの前の椅子に座ると、将校が数人室内に入ってきて、まるで奇妙な生き物でも眺めるような目で見た。「こいつがヤンキーのスパイか・・・」とかれらは言う。かれらはタントリの傍を通るとき、故意に身体をぶつけ、あるいはタバコの灰を飛ばしてきた。

と、突然、サイレンの甲高いうなりが何回も続いた。諜報隊長は椅子から跳ね起き、将校たちと一緒に悠然と部屋から出て行った。急いている心をそうやって覆い隠しているようにタントリには見えた。
しかし隊長は警備兵をひとり連れてすぐに戻って来た。「銃をそいつに向けろ。逃げようとしたら撃て。」そう警備兵に命じると、隊長はまたそそくさと出て行った。静かになった建物内の通路を足音が早いリズムで遠ざかって行った。

市庁舎は飛行場の向かいにある。その最上階にタントリと警備兵が向かい合っている。道路上からも建物内からも人間の姿は消えうせ、まるで世界中でタントリとその警備兵のふたりだけが生き残っているかのようだ。その沈黙を破って、空中で飛行機の急降下音が響いた。爆弾が破裂し、地響きが建物を揺らす。


自分たちが置かれている場所はもっとも天国に近い。そのことを自分と、この警備兵のどちらが怖れているだろうか、とタントリは思った。警備兵の顔色は蒼白で、銃の引き金にかかっている指は小刻みに震えている。爆弾より先に、銃の暴発で自分が死ぬのではないか、とタントリは悪い想像をした。
市庁舎建物は激しく揺さぶられ、壁や天井の一部が崩れてセメントのかけらを床に撒き散らしたが、爆弾は一発の建物に落ちなかった。およそ一時間続いたアメリカ軍用機の空襲は終わり、静かになったスラバヤの街の上にまたサイレンが響いた。路上にも建物内にも、また喧騒が戻って来た。
警察諜報隊長と将校たちが室内に入ってきた。将校のひとりがタントリに近づくといきなりビンタを張り、憎しみのこもった口調で言った。「どうだ、うれしかったか?あれが米軍機だったことはおまえにも判ってるだろう?」
「ひとが爆弾で死ぬのを見て、何がうれしいって言うのですか?死ぬのが何人であろうと、同じ人間じゃありませんか。わたしは戦争が嫌いです。」


将校たちはタントリを立たせると、建物の外に連行した。手続きに来ている大勢の白人の間を抜けて、その先に止まっている自動車に向かう。白人の中にはタントリの知り合いも少なくなかった。かれらはタントリに軽蔑の視線を向けた。
将校が自動車の後部扉を開いてタントリを乗り込ませ、扉を閉めるとお辞儀した。それがタントリの知り合いの白人たちに何を想像させたかは言うまでもない。そんな小細工を弄されたタントリは、自分の身の潔白を白人の群れに向かって叫びたい衝動に襲われたが、かの女には何もできなかった。

タントリはスラバヤ憲兵隊本部前で自動車から下ろされ、建物の地下にある囚人房に入れられた。並んでいる他の房に住人がいるのかどうかははっきりしないが、ときどきだれかの独り言が聞こえた。


8日間、房の中で放置されたあと、尋問が開始された。つれて行かれたのは尋問室とは名ばかりの、実質的には拷問室だった。天井には大型のフックが取り付けられ、その下に机が置かれている。
ふたりの尋問者はタントリに、日本軍の中にいる連合軍シンパの名前を言うよう迫った。日本人の間に裏切り者がいる。裏切り者は粛清されなければならない。クディリの憲兵隊は、タントリが最後までシラを切り続けて仲間の名前を白状しなかったことを連絡してきている。スラバヤ憲兵隊を相手にして、クディリと同じようにやれると思ったら大間違いだ。そのことをおまえは思い知ることになる。

尋問者は最初、ソフトに出てきた。「おまえのグループにいた日本人の名前を明かせば、おまえは放免されて二度と罪を問われることはない。さあ、そいつの名前を言え。おまえは何のためにそいつを匿おうとするのか?」
タントリはここでも、憲兵隊は確証を持たずに誘導尋問を行っている、と感じた。タントリは方針を決めた。自分の知っている日本人はみんな、芸術や文化をテーマにして交際していた人たちであり、連合軍のスパイというような関連で接触したひとはいない。
すると尋問者の態度が硬化した。質問のたびにビンタが張られ、タントリは脳震盪を起こして意識が半分遠のいていた。もうろうとした意識の中で、尋問者の言葉が聞こえた。「われわれはおまえの仲間を逮捕した。おまえがシラを切りとおそうとするなら、そいつをここへ連れてきておまえに対面させ、おまえたちを素裸に引き剥いて向かい合わせに宙吊りにしてやる。白状するのが先か、死ぬのが先か・・・・。」

そして、タントリを机の上に立たせると、ひじをあわせて後ろ手に縛り、腕を引き上げて天井のフックにかけた。そして机を一歩一歩移動させはじめた。一歩動かすたびに恫喝の声が響いた。「おまえがこれまでに得たのはどんな情報だ?それをおまえに知らせたのはだれだ?」
ひねられている腕の関節に耐え難い苦痛が走り、タントリの身体はのたうちまわる。こめかみの動脈がはじけそうだ。滝のような汗が頭から全身まであふれる。タントリは歯を食いしばった。人間味豊かなフリスコ・フリップの顔が脳裏を駆け抜ける。かれの声が耳の中にこだます。「抑留所で腹をすかしているオランダ人の子供たちに、わたしの給料の半分を使ってミルクを買ってやろう」

体重を支えていた机が足の裏からはずされた。体重の支点は腕の関節に移る。口から悲鳴がもれた。タントリは心の中で神に祈る。「わたしの口に何も言わせないで。わたしの舌の先に出掛かっている言葉を引きとめてください。」
タントリの舌が動いて何かを言おうとしている。そして口が動き、言葉が音になる。その直前にタントリは気を失った。

タントリの意識が戻ったとき、かの女は床に転がっていた。尋問者がタントリの口を開いて冷茶を流し込んだ。それからタントリは尋問室から担ぎ出されて房に戻された。
数日間、タントリは房の中で不潔なござの上に横たわっているだけだった。身体が発熱しており、激しい寒けが全身を襲った。食べ物は喉を通らなかった。何週間もたってから、かの女はやっと自分の腕を上げることができるようになった。


< 女囚仲間 >
ある日、タントリの房に女性がひとり入れられた。自分を引きずってきた看守にわめきちらし、足で蹴り続け、反抗姿勢をあからさまに示している。その女性は既にさんざんに殴られたあとのようだ。
タントリはそのとき、座ることもできずにただ横たわっているだけだった。看守が去ると、その女性はタントリをじっと見つめ、そして話しかけてきた。
「あなたはもうどのくらいここにいるの?あいつらに何をされたの?まるで女性版モンテ・クリストみたいだわ。」
タントリは最初、その女性を相手にしないでいた。日本人に手なずけられたスパイかもしれないと思ったのだ。しかし注意深く観察すると、その女性に対する拷問が手心の加えられたものでないことが判ったので、タントリは疑いを解いた。

その女性はある病院の医師長だった。かの女は本当はポーランド人だったが、ドイツ人であると偽って社会生活を続けた。かの女は密かにBBCラジオ放送を聞いたり戦場からのニュースを聞いて戦争の状況を把握し、その情報を医師たちに教えていた。
かの女の下にいた欧亜混血医師が、かの女を地位を奪うためにそれを日本軍憲兵隊に通報した。憲兵隊はかの女をとらえて暴力をふるい、まだ小さい子供ふたりをどこかに連れ去った。暴力の苦痛と心の痛手で、かの女は精神的に深くダウンしていた。
タントリがその女医にしてあげられることは、肉体の痛みを和らげることしかない。「アスピリンをあげましょうか?」とタントリは女医に尋ねた。女医は欲しいと言った。タントリは秘密の隠し場所から箱に入ったアスピリンを出してきて、女医に渡した。女医は箱の説明書きを読んで不思議さを満面に浮かべ、タントリに尋ねた。「この薬はどこから手に入れたの?」

タントリは経緯を物語った。かつてその房で身体も動かせずに横たわっていたとき、自分に同情した若い看守が密かにくれたものだ。毎回、尋問のたびに半死半生で房に担ぎ込まれて来るタントリに畏敬の念を抱いたようだ。あるとき看守がタントリに、「アスピリンを欲しいか?」と尋ねた。「もしアスピリンをくれるなら、あんたの同胞がわたしにしている非道な行いの償いだと考えてあげる。」とタントリは答えた。
ある夜、その看守は救急医薬品置場からアスピリンを一箱盗み出してきた。「タンちゃん、俺はチレボンの監獄に転勤になるから、もうあんたのためにアスピリンを取ってくることはできない。だから、この一箱だけを大切に使ってくれ。一日一錠だけだ。そして絶対に見つからない場所に隠すんだ。もしも見つかったら、自分で隠して持ってきたと言うんだぞ。もし俺がこんなことをしたことが判ったら、俺は首をはねられる。」

ポーランド人の女医は腹を抱えて笑い出した。そして咳き込みながら言った。「この薬が何か教えてあげましょうか?これは老齢男性向けの性欲亢進薬よ。サルの分泌腺から作られるの。あなたの具合が悪いのは無理もないわ。その日本人はわざとこんなことをしたのかしら?」


タントリのへ尋問は続いた。尋問者が交代し、もっと冷血でサディスチックな男に替わった。男はタントリの身体を痛めつけることを愉しんでいるようだ。

看守の中に、兵隊に取られる前は新聞記者を職業にしていた男がいる。かれはアメリカに大いなる憧れを抱いていたようだ。あるとき、アメリカ風な名前をつけてくれ、とタントリに頼んだ。タントリは角砂糖一個とコップ半分のお湯を報酬に求めた。かれは砂糖を二個あげよう、とタントリの機嫌を取った。

翌日、かれは砂糖二個とコップを手にしてやってきた。「いい名前が見つかったかね、タンちゃん。」
それまで何も考えていなかったタントリは、その報酬欲しさに思いついた名前を言った。「シュガー・ダディはどう?」
かれは何度かその名前を口にして味わっているようだった。「シュガ・デディ、シュガ・デディ。うん、いい名前だ。オペラ歌手みたいだなあ。」
それ以来、かれは自分のことをシュガ・デディと呼ぶようになった。


シュガ・デディの囚人に対する扱いは他の看守たちより人間味の濃いものだったため、かれは囚人たちの間で人気があった。とは言っても、それは将校のいないときに限られていたのだが。
囚人は服を二着持つことが許されていた。しかしタントリの服は二着とも、あちこちが引きちぎられ、裂かれて、まともな衣服ではなくなっている。シュガ・デディはそれを気にかけていた。

囚人の中に、美人の欧亜混血娘がいる。尋問が終わると、いつも自分の足で歩いて房にもどってくる。全身のどこにも青あざひとつない。顔には微笑が浮かんでいる。ほかの囚人がその娘のありさまをよしとするはずがなかった。囚人仲間から嫉妬と嫌悪を向けられているその娘は、衣服を三着持っている。
シュガ・デディはその娘の房に近寄ると「おまえの服を見せろ」と命じた。娘はいやいやながら格子の間から服を二着差し出した。その服を調べてから、かれはタントリに向かって言った。「タンちゃん、ちょっとこっちに来てごらん。」
タントリが格子の近くに立つと、シュガ・デディは娘の服をタントリの身体に当ててみた。「うん、サイズは悪くない。裾がちょっと長すぎるけど。タンちゃん、着てみな?」
タントリには怒りと口惜しさに焙られている娘の顔が想像できた。しかし、この成り行きの筋書きを壊す気にもならなかった。タントリがその服を着ると、シュガ・デディが喜んだ。娘のうなる声がしたが、だれひとり娘の肩を持つ囚人はいなかった。
「うん、いいよ。ぴったりだ。ちょっと長すぎるのが難点だけどな。」

シュガ・デディはタントリがごひいきだった。高級将校がタントリの房に会いにくると、かれのプライドは高まった。かれはタントリをヤンキースパイの大物と思っていたにちがいない。ほかの看守も同じように思っていたのだろうが、対応がちがっていた。ほかの看守たちは「連合国のスパイ」と書いた紙をタントリの耳にくくりつけたり、「サル」だの何だのという侮蔑言葉を大声でタントリに向かって怒鳴った。囚人房の中でそういういたずらを仕掛けられるのは、タントリが一番多かった。
房までやってくる高級将校もタントリにいたずらを仕掛けてきた。かれらは軍刀を抜くとタントリに突きつけ、そして掛け声とともに刀を一閃させた。タントリは何度「自分の命はこれまでか・・・」と思ったか知れない。しかし目を開くと、自分はまだ生きており、首と胴はつながっているが、髪の毛の一部が床に散っていた。そのうちに、タントリの髪の毛は不ぞろいでおかしな形になっていった。


囚人房にいる女性たちの中で、政治犯はタントリひとりだけだった。ほかの女囚はみんな規則違反で収容されている者ばかりだ。そして政治犯に与えられる拷問と政治犯でない者に与えられる仕置きは厳しさが大きく異なっていることを、タントリはしばらくしてから知った。中でも死刑芝居は、囚人の精神を激しく揺さぶるものだった。

ある夜中、数人の将校がタントリの房にやってきて、低く抑えた声で言った。「いつまでもこんなことを続けていても、意味がない。おまえが正直に話そうとしないので、取調べは一向に進展しない。おまえがスパイであるのは、間違いないことだ。明朝、夜明けと同時におまえを銃殺刑に処する。」
腕を縛られて宙吊りにされる拷問をタントリはもう三回も味わっていた。毎回、失神で尋問は終わる。宙吊りされなくとも、尋問の間中、身体のどこかを殴られる苦痛。自由の身になれる希望などどこにもなく、ただただ苦痛の中で生きている日々がそれで終わるのなら、という気持ちでタントリはその死刑宣告を聞いた。

将校たちはタントリの反応を観察している。そして言った。
「おまえに最後のチャンスを与えよう。おまえがすべてを正直に自白するなら、おまえは治療を受けてから、バリの王のところに送り届けられる。おまえはそこで平和な暮らしを満喫できるのだ。」
「自分の身に覚えのないことを、正直に自白できるわけがありません。」

翌朝まだ暗いうちに、将校たちがタントリを迎えに来た。タントリはもはや自力で立つことができない状態だ。囚人房の庭に担ぎ出されたタントリは、後ろ手に両手を縛られ、目隠しをされ、ブリギンの樹にもたれさせられた。
「おまえにはまだチャンスがある。三つ数える間におまえが自白を始めれば、処刑は中止される。黙り続けていれば、三つ数えたあと、おまえの命はなくなり、おまえのご先祖様のところへ飛んで行くことになる。」
そして、数え始めた。
サトゥ、ドゥア、ティガ、
銃の射撃音がして、何か硬いものが胸に当たったのを感じ、タントリの意識は遠のいていった。


「このひと、死んでしまうわ。何とかしなさいよっ!見たら判るでしょう?すごいショックを受けたのよ。早く、早く、だれかを呼んできて。」
女の声が遠くからかすかに聞こえてくる。だれかが手首を握っている。タントリの意識が戻って来た。しかり体は動かない。
目を開くと、ポーランド人女医が自分のそばにしゃがみこんで、看守に向かって叫んでいる。女医は房内の自分の場所へ走ると、自分の大切な毛布、自宅から持ってきた上等な毛布をタントリの身体にかぶせた。看守が房の扉を開き、中に入ったくる。その看守はシュガ・デディとは違う、別の酷薄な男だ。看守は女医の身体をつかんで房の外に引きずり出すと、いつも格子の外から房内の囚人を突くのに使っている棒で女医の身体を叩いた。女医の悲鳴がバシッ、バシッという衝撃音に混じって聞こえ、タントリの意識はまた遠のいて行った。


< 死を耐え忍ぶ >
タントリが再び目を開いたとき、病室のベッドに自分が寝ていることが判った。インドネシア人の医師や看護婦たちの優しい微笑を浮かべた顔が、自分をのぞきこんでいる。
タントリがそこへ運び込まれたのはもう何日も前だ。病院のひとびとはみんな、タントリはもう永くないと見た。数日間眠り続け、頻繁に苦痛に彩られた寝言を言った。
日本軍憲兵隊の死刑芝居は、囚人に自白を強要するための手口だったのだ。銃殺刑そのままの芝居が演じられたが、最後の銃撃は空に向けて発射され、同時にパチンコで小石を胸に当てたのだ。
「あなたはポーランド人女医に命を救われたのです。今すぐ病院へ運んで手当てしないとあなたは囚人房で死んでしまう、とかの女は日本人を説得したのです。しかし、そのあと女医がどんな仕置きを受けたのか、われわれにはわかりません。あなたをここへ運んできた日本人は、あなたを三等病室に入れて特別扱いなどしないように、と言っただけでした。憲兵隊はまだあなたに用があるのだ、と言って帰りました。しかし、われわれはできるかぎりのことをしなければなりません。」

そこはスラバヤのシンパン病院だった。両腕は依然としてまったく動かせないが、インドネシア人の微笑みに囲まれているタントリは生きている幸福を感じることができた。
眠ると悪夢にうなされる日々、タントリは見知らぬ人間が近寄ってくるたびにパニックに陥った。近寄ってくるのが日本人なら尚更のことだった。三等病室に日本人が入ってくると、タントリは悲鳴をあげて身体を波打たせた。結局、医師たちはタントリのベッドの周囲にカーテンを引いて、タントリを落ち着かせなければならなかった。
ある日、医師がタントリに言った。「あなたは治ることをもっと強く希求しなければなりません。生きていこうという意志を強く持つのです。闘うのです。多分、わたしたちが聞いている情報をあなたにも分けてあげれば、あなたの闘争心も強まるでしょう。」
そう言って医師は戦況についての最新情報をタントリにささやいた。ニューギニア周辺や太平洋の諸島における陸上海上の激しい戦闘はアメリカ軍が勝利し、優勢に立っている。ヨーロッパではイギリス軍が諸所でドイツ軍の攻勢を跳ね除けて反撃に移っており、ロシアでも攻め込んできたドイツ軍が撃退されている。この戦争が連合国の勝利に終わる可能性がきわめて高くなっている。これまでタントリが耳にしていた赫赫たる日本軍の連戦連勝のニュースとはうって変わったその情報に、タントリの絶望感が緩み始めた。


憲兵隊がタントリを療養させるためにシンパン病院に預けたのは、もちろん期限付きだった。その日を前にして病院側は、タントリを憲兵隊の囚人房に戻すことは「死」を意味していると言い張り、タントリをスラバヤ監獄に移すよう提案した。そして憲兵隊はその提案を呑んだようだ。
タントリはスラバヤ監獄の独房に入れられた。タントリは最初、もう自分を痛めつけても成果がないことを認めて憲兵隊は諦めたのだろうと思ったが、どうやら憲兵隊はタントリに孤独という仕置きを与えて自白させようと考えたための方策だったらしい。しかし、タントリにとって孤独は苦痛でなかった。タントリはその齟齬を幸運だと思った。スラバヤ監獄の独房は裏に小さい庭があり、タントリは毎日十分間その庭に出ることが許された。日光を浴び、天然の風の息吹を感じることができるのは、すばらしいものだ。


排泄のために、房の床に小さい穴があり、汚れた水で満たされたバケツが置かれているのは、かの女がこれまで体験してきた他の場所と変わらない。夜になると、その穴からゴキブリが何匹も何匹も這い出してくる。中には子ねずみくらい大きなものもいる。それらが夜の間中、房内をところかまわず動き回る。タントリは最初、それらを皆殺しにしようと考えた。しかし、その数はあまりにも多い。ゴキブリを踏み潰し、あるいはつかんで壁に打ち付けるのも、あまりにも気持ち悪い。結局、それらと共生するのが最善だとタントリは考えた。それらに場所を与え、自分の場所には来ないようにさせるのだ。
タントリは毎日与えられる飯の一部を取り分けて、自分の生活場所からもっとも遠い隅にそれを置くようにした。チチャの屍骸など、ゴキブリの餌にできるようなものはすべてそこに集めた。ゴキブリは徐々に、穴から出てくるとまっすぐ餌場を目指すようになり、夜の闇の中で房内を這い回るようなことをしなくなった。

何週間か過ぎたある日、隣の房に新しい囚人が来た。その女囚はタントリの知らない言葉で叫び、ブリキの食器を鉄格子に打ち付け、わめきちらした。タントリにはその女囚の姿を見ることができない。
食事の世話をするインドネシア人バブが隣の女囚について、タントリに世間話をした。
「隣のひとは本当にキチガイなんですよ。そのひとはポーランド人の医者でね、憲兵隊本部からここへ移されたんです。何も食べないし、何を命じられても従わない。大声でわめきちらすのが毎日の仕事。なんでも、子供の名前を呼んでるって話ですがねえ。」
何ということだ。わたしの命の恩人があのようになってしまった。

ポーランド人女医の様子は日に日に異常さを増した。憲兵隊は女医が鎮静すると思ったのだろう、女医のふたりの息子をその房に連れてきて、今夜は三人で寝てよい、と言って立ち去った。そして悲劇が起こった。

夜が白み始めたとき、ふたりの息子が上げる恐怖の悲鳴が監獄内を走った。監獄の管理運営に携わっているたくさんの日本人が悲鳴の音源を捜して駆けつけてきた。
女医は既に自分の最愛の息子たちを認識できない状態になっていたのだ。それがおまえの息子たちだと言われたとき、これまで自分を支えてきたものが音を立てて崩壊したにちがいない。子供たちの寝息を聞きながら、女医は洗濯物を干す針金のハンガーの形を崩し、壁の上部の風穴に掛け、針金の中に頭を入れた。

その事件からしばらくして、ポーランド人女医を鎮静させるために息子に会わせることを提案した憲兵が責任を感じて自決したという噂が、タントリの耳にも入った。


その事件のあと、憲兵隊の拷問でオランダ人女性が精神に異常をきたし、また欧亜混血女性が安全ピンで手首を切るという自殺未遂事件が相次いだため、タントリに対する監視が厳しくなった。洗濯物やタオルを干すために房内に張っておいた針金は取り上げられ、看守の見回りも頻度を増した。

ある日、日本人将校がタントリの房を訪れた。
「うるさく騒がない囚人はおまえだけだ。鉄格子を叩きまくったり、看守に罵声を浴びせようともしない。おまえがもっとも悲惨な目に遭わされているというのに。もちろん精神が崩壊していくのは男のほうが速く、女は遅い。女のほうが耐久力は優れている。それにしても、他の女囚たちの中では、おまえがもっとも穏やかに生きている。その秘密はいったい何だ?」
タントリはスラバヤ監獄に預けられた憲兵隊の囚人だから、時折、憲兵隊がタントリの独房を訪れるのは当然のことだ。そして会話はいつも「早く正直にすべてを自白せよ」という言葉で終わる。


別の夜にも、ひとりの将校とプリブミ女性看守がタントリの房の前を通った。定例の見回りだ。そのとき、煌々と明るい月の光をタントリは格子に顔を寄せて眺めていた。
「何を見ているのかね?」
「月を見たいけれど、ここからは見えないの。」
「うん、月か。月はいいなあ。おまえが自白すれば、いつでも月を見ることができる。」
タントリは「またか」とうんざりして顔をそむけた。ふたりはすぐに通り過ぎて行った。
そのあとで、タントリはござの上に横たわって眠った。ところが、房棟の鉄の扉が開かれる音を耳にして、タントリは跳ね起きた。もう真夜中だ。何が起こるのだろうか?

闇の中を人影がタントリの独房に向かってくる。軍刀を吊っている金具の音がするので、将校だ。ところがその将校はひとりだけでやってきた。かれは小声で命令する。
「声を立てるな!」
そして独房の扉を開こうとしたから、タントリはそうさせまいと扉を押さえた。
「おまえに危害は加えない。怖がらなくてよい。おまえに月を見せてやりたくて、また来たのだ。」
さっき、月の話しをした将校の声だ。
タントリは扉が開くのにまかせた。将校は房内に入ると庭に出る扉を開き、タントリを連れて庭に出た。そして白い神秘な光に包まれている夜をタントリと一緒に眺め、「15分後に戻って来るから、ゆっくり月を眺めていてよい。」と言ってから房内に入ると、庭へ出る扉を中から施錠して立ち去った。
タントリは地面に寝転がり、顔をまっすぐ天に向けて月を眺めた。クタの浜辺の波濤が耳の奥で聞こえた。バリで平和に暮らしていた時期の思い出が次々と浮かび上がってくる。

15分後に戻って来た将校はタントリを房内に入れて施錠し、房の鉄格子扉を外から閉めた。タントリの感無量の面持ちに将校は微笑み、「Selamat tidur.」と言って立ち去った。


別のある日、日本軍大尉がタントリの独房を訪れて尋問した。あれこれと細かい質問をしたあと、「おまえはこの独房の中で何を今まで考えていたのか、言ってみろ。」と言う。
「あなたには理解できないことです。」
「何を根拠に理解できないなどと言うのか?言ってみるがいい。」
「どうしてもとおっしゃるのなら、わたしが毎日考えているのは、マンディ・マンディ・マンディ・・・・。わたしはもう何ヶ月も身体を洗っていないのです。庭の水槽の水は不潔でぼうふらや苔だらけ。悪臭がひどく、とても使えません。熱い湯に身を浸して、香りの良い石鹸でマンディすることを、わたしは毎日夢見ているのです。自分が清潔で、良い香りがし、フレッシュになること、わたしの今現在の希望はそれなのです。」
大尉は奇妙な表情でタントリの顔を見つめた。
「それほどまでにマンディを熱望しているのなら、どうして憲兵隊に自白しないのか?おまえがどんなに強情を張って隠し通そうとしても、大日本の勝利は揺るがない。だから、いくら隠したところで何の意味もない、ということがどうしてわからないのか?おまえが自白すれば、憲兵隊はおまえの熱望を必ずかなえてくれるというのに。
そうやっていつまでも強情を張れば、おまえは憲兵隊に痛めつけられ、その白い肌はおまえが愛するプリブミの肌の色に変わり、おまえは永遠にマンディすることもなく、この不潔な独房の中で腐敗し、死んでいくことになるのだ!」
タントリの意思が変わりそうもないことを見て取った大尉は、硬い表情でその場をあとにした。ところが、奇妙なことが起こった。

およそ一週間ほどが過ぎたある日の真夜中、その大尉がふたたびタントリの独房にやってきたのだ。プリブミの監獄役人が同行している。将校が監獄を真夜中に訪れるのは珍しい。聞いた話によれば、囚人を憲兵隊本部に連れて行く際、真夜中に行えば囚人は一日の疲れであまり元気がなく、抵抗しても程度は知れているが、朝行うと囚人は元気が回復しているため、抵抗されると難渋する、という理論を日本人たちは信じているそうだ。つまり、自分はまた憲兵隊本部に戻されるのだ、とタントリは考えた。恐怖で全身が震えた。
「起きろ、腐った女スパイ!さあ、憲兵隊がまたおまえの取調べをするのだ。」
恐怖で身体をこわばらせて滑らかな動きができないタントリは独房から引き出され、押され押されて房棟の外に出た。中にだれもいない自動車が一台、そこにある。大尉はドアを開いてタントリを中に座らせ、自分が運転席に座って発車させた。監獄役人が表門を開くと、自動車は外の道路にすべり出た。表門はまた閉じられ、さっきの役人が施錠した。

自動車は憲兵隊本部と違う方角に向かっている。自分の死体が運河に浮かんでいるシーンがタントリの脳裏をよぎった。憲兵隊の囚人がそのような目に会うと、憲兵隊はこれ以上ないほど簡単な声明を出した。「あれはインドネシア人に殺されたんだ。」
タントリの口から悲鳴が洩れた。「大尉さん、囚人をこんなやり方で連れ去るのは規則違反です。車を止めて!今すぐ、監獄にもどってください。」
しかし大尉は知らぬ顔で自動車を走らせる。タントリが泣きながらお願いしても、何の反応も得られなかった。
殺されて死体が運河に浮かぶことにならないとしたら、自分は売春地区に連れて行かれて身体をもてあそばれるのだろうか?脳裏に浮かんでくるのは悪い想像ばかりだ。自動車から飛び降りようかとタントリは考えたが、路上のあちこちに日本兵がいる。決心がつかないうちに、自動車はダルモ地区の豪壮な邸宅の表に止まった。その邸宅がオランダ人医師のものだったことをタントリは知っている。

大尉はタントリを自動車から引きずりおろすと玄関に連れて行き、扉を開いて家の中に押し込んだ。自分も中に入ると扉を閉めて施錠し、中の明かりをつけた。
快適そうな居間のようすが目に入る。大尉は玄関扉を背にしてもたれると、満面に笑みを浮かべた。「怖がらなくてよい。おまえはマンデイを熱望していたんだよな?おまえには、もちろんマンデイが必要だ。確かに、おまえはとても汚い。
おまえは自分の身に何か悪いことが起こると思っていたにちがいないが、大間違いだ。普通の囚人は、復讐したいとか自由の身になりたいということを望むのに、おまえの望みはマンデイだった。わたしは感心したよ。さあ、ここの浴室で、たっぷりお湯に身を浸して、心行くまでマンデイしなさい。」

大尉が部屋に備え付けの呼び鈴を鳴らすと、初老のバブがやってきた。大尉がバブに命じる。
「このご婦人を浴室に案内し、できるだけ熱い湯でマンデイさせなさい。頭をきれいに洗い、おまえのカインを一枚貸してあげなさい。今着ているものは洗濯し、火で乾かしなさい。一時間後には乾いているように。」


タントリは念願のマンデイを満喫した。身だしなみを整えてから居間に戻ると、大尉がソファーから跳ね起きた。「おお、きれいだ。見違えるようになった。着ていたものが乾くまで、少しゆっくりすればよい。」

タントリを座らせるとコーヒーとケーキを奨め、ショスタコービッチを聞こう、と誘った。「質のよい音楽は精神によい。わたしはショスタコービッチのファンだ。」
女囚を誘拐して自宅に連れてくるようなことをなぜしたのか、とタントリが尋ねると、大尉は説明した。「今夜はスラバヤの全市をあげて東条閣下のための祝賀が行われている。佐官級以上の将校は全員、その祝賀に出ている。さっきはあなたに乱暴な態度をしたが、あれはプリブミ役人をごまかすためだ。このあと、また監獄に戻るが、また同じ態度を示さなければならない。こんど戻ったときは、うつむいて顔や髪の毛をあまり見せないようにしなさいよ。房棟に入るときは暗いから、あなたの衣服が洗濯されていることはわからないだろう。本当は、今あなたが着ているものをさし上げたいのだが、そうもいかない。」
確かにそうだ。監獄の囚人たちが着ているサロンは、濃い青地に白の線が入ったユニフォームになっているのだから。大尉の話は続く。

「戦争前、わたしは作家だった。画家でもあると思っている。そして音楽が趣味だ。政治のことなど、わたしには無縁だった。政治好きな連中がこの大混乱を引き起こしたのだ。かれらがアメリカ人だからという理由でアメリカ人を憎悪するように言われているが、そんなことで人間を憎めるわけがない。
世界中の国家元首が芸術家でなかったのが悲劇の元だ。芸術家であれば、こんな戦争は起こらなかっただろう。大統領・国王・皇帝・独裁者・政治家たちが死んで墓に入れば、かれらを懐かしむ者はほとんどいない。しかし偉大な芸術家はいつまでもひとびとの記憶に残り、かれらの傑作は何世代にもわたってひとびとに幸福をもたらすことができる。
あなたの熱望をかなえてあげたいと思ったのは、あなたが芸術家だったからだ。芸術家を敵視するのは、正しいことではない。日本人はあらゆる芸術が理解できる民族だ。戦争が終われば、われわれはまた異なった状況下で再会できるだろう。ともあれ、今は祝賀行事が終わる前に、急いで監獄に戻らなければならない。さもなければ、わたしは問題を抱えることになる。」

監獄に戻ったふたりは、独房に向かう間、大尉がタントリに毒づき、突き飛ばす芝居を演じた。それを見ながら、監獄の役人はうすら笑いを浮かべていた。そうする以外に、支配者に見せる顔をかれらは持っていないからだ。
その夜のできごとで、タントリの日本人に対する理解はまた深いものになっていった。


スラバヤ監獄での二年間の独房生活はタントリにとって、憲兵隊本部地下の収監房よりはるかに楽な暮らしだった。それでも、栄養不良と両腕の障害が回復するわけでもなく、ただ独房の床に横たわってじっとしているだけという日が何日もあった。そのために、日本人医師が一日二回やってくるようになった。
医師の治療を受けても、タントリの活力は日一日と衰えた。医師はある日、ついに危篤の診断を下した。24時間以内に生命の火は消えるだろうと言う。オランダ人女囚数人がタントリの独房に連れて来られ、去り行く生命に別れの言葉を添えてあげるように、と医師は女囚たちに依頼した。
女囚のひとりは生きる意志をタントリの心にかきたてようとして、タントリを抱きかかえるとその耳にささやいた。「わたしたちはあなたが必要なのよ。あなたの生きようとする意欲がわたしたちに生きる希望を与えているの。わたしたちみんなが希望の火をともし続けるために、あなたはまだ生きていなきゃいけないの。死んではだめよ。」
タントリはその女囚に返事した。「ありがとう。でも、わたしは穏やかに死んでいきたい。このまま死なせて。」
そして、タントリの意識が消えた。そのまま24時間が経過し、医師は死亡診断書を作るとともに、タントリの足の親指に番号札をくくりつけた。埋葬の順番を示す札だ。埋葬は翌朝、日の出とともに行われる。

朝になろうとするころ、タントリは目覚めた。全身が氷のように冷たい。身体を動かすこともできず、声すら出せない。独房の扉が開かれてプリブミの男たちが数人しゃべりながら入ってきた。タントリはただ目を開いて、まっすぐ上を見ているだけだ。男たちのひとりが驚いたように言った。「まだ生きてるぞ。目を開いている。」


ところが日本人たちは「まだ生きてるぞ」と言わずに「生き返ったぞ」と言って、監獄内で大騒ぎを演じた。実態は新米医師の誤診だったのだが、それを口にする者はいなかった。監獄中の日本人がタントリの周りを取り囲み、奇跡が起こったような話をした。憲兵も呼ばれてその状況を実見した。タントリは憲兵隊が監獄に預けた虜囚なのだから。
タントリにとっては何がどうなったのかよくわからないまま、タントリの身体に毛布がかけられ、おまけに毎日温めた牛乳と卵を一個与えるように命令が出された。

一方、タントリ自身は、失神している間に起こったできごとを違う意味に取った。足の親指にくくりつけられた番号札が何を意味しているかは明白だ。自分が死んだとはまったく思っていないタントリは、日本人が自分を生きたまま土中に埋めようとしていたのだと解釈したのだ。

恐怖と憤りで、タントリの感情は高ぶり、振舞いは粗暴に乱れた。憲兵隊は生き返ったタントリがその影響で発狂したと考え、ポロンにある精神病院にタントリを移そうと考えたが、新米医師はタントリの精神が落ち着くまで、少し様子を見るよう憲兵隊を説得した。
何日間も、意識が戻ってはまた消失して死んだように床に横たわることを繰り返しながら、牛乳と卵の栄養はかの女の肉体の回復を促し、それが精神の安定を誘う結果をもたらした。動かなかった腕も、少しずつ動かせるようになってきた。


< 解放の日が訪れた >
死からよみがえった女スパイの噂は、日本軍の間に広まったようだ。ときどき、初対面の日本軍将校がタントリの独房を訪れ、死後の世界の話やこの戦争の行く末がどうなるのかについてタントリに尋ねた。

数週間後、タントリが中部ジャワにある抑留所の中の病院に移されることになったという話を憲兵が持ってきた。また何か裏があるにちがいないとタントリは考えたが、今回にかぎってそれは正直な話だった。1945年7月はじめ、タントリは担架に載せられ、アンバラワ行きの汽車でスラバヤを後にした。
どうやら日本軍は敗戦を察知しており、拷問を受けて肉体を損傷させられた上、飢餓にまみれて悲惨な獄中生活をしているアメリカ人の存在が敗戦時に明るみに出ることを怖れたにちがいない。タントリをそのような目にあわせた日本軍責任者が戦犯裁判にかけられる可能性はきわめて高いはずだ。

その後8月15日まで、タントリはアンバラワ病院で人間味のある扱いを受けた。まったく何年ぶりのことだったろうか。憲兵隊の恐怖はもう完全に過去のものと化した。そして戦争の恐怖さえもが、過去のものになったのだ。
8月15日、プリブミの男たちが大勢で抑留所を襲った。タントリのいる病院も例外でない。その病院は抑留所の所轄内にあるのだから。大勢のプリブミは口々に「大日本は降伏した」と叫びながら、日本人を一人残らず武装解除していった。たくさんの武器がプリブミの手に渡った。

抑留されていた白人たちは、苦難の日々がやっと終焉したことをそのとき悟った。みんなは抱き合い、涙を流してその瞬間の幸福を分かち合った。だが、そのあとにやってくるものがオランダ人たちとタントリとはまるで正反対だったことを、法悦境の中にいるかれらは知る由もなかったのである。

病院を襲撃したプリブミたちの中に、クトゥッ・タントリがそこにいることを知って驚いた者が何人もいた。かれらはすぐにトラックを仕立てると、タントリをスラバヤの民間病院に移し、そこで治療を受けさせてから、山岳部にある著名なインドネシア人医師の別荘に運んで療養させた。ほとんどすべての人間が空腹と栄養不良に陥っている困難な時期だというのに、いったいどこから手に入れてくるのかわからない栄養価の高い食材のおかげで、30キロまでやせ細っていたタントリの肉体は徐々に健康を取り戻していった。


プリブミの復讐が全国的な規模でうねりはじめた。憎悪の焦点は憲兵に向けられた。情容赦もなくプリブミや印華人を拷問し、死んでいくのにまかせ、あるいは射殺してきたかれらに、親族を殺された者たちが復讐の牙をむいた。他者を許容しようとする傾向の高いプリブミたちであるにもかかわらず、このときばかりは様子が違っていた。
国内各地の鉱山労働や道路あるいは軍事施設建設のために徴用され、飢餓と過労で死んでいったロームシャたちのための復讐も、同じように行われた。
敗戦でインドネシア国内の統治権を失った日本軍政は、戦勝軍がやってくるまでインドネシアの治安維持責任を負わされたが、独立を宣言したプリブミたちは戦勝軍がやってくる以前にすべてを日本軍政から奪取しはじめたのだ。命じられた戦勝軍への責任を全うしようとした何百人もの日本人の生命が失われた。もちろん、復讐の槍玉に上がった者も含めての話だ。


タントリの同志だった中国人教授は、憲兵隊の拷問で死亡した。フリスコ・フリップは姿を消した。その消息を知る者はだれもいない。かれは船でマカッサルに向かったが、航海中にオランダ軍機の爆撃を受けて沈没し、乗っていた者は全滅したという噂をタントリは耳にした。だがその真偽を裏付ける情報は何もない。

タントリの兄であり同志でもあるアナアグン・ヌラ、そして父王の消息もわからない。ジャワ島とバリ島間の渡海航路は依然として閉鎖されたままであり、人間の往来がほとんどないために情報もまったく入ってこないのだ。
それでもタントリは、東ジャワの山岳部にある別荘で着々と体力を回復させていた。これから起こる大きな激動の舞台に登場することを、歴史がかの女に求めていたのだが、本人を含めてそれを知っている人間は、そのときだれひとりいなかった。