「名前に関する小論(後)」(2017年05月19日) それとは別にスハルト大統領に関わる話がある。1980年代末からスハルトはイスラム 勢力を抱きかかえる方針を開始し、それは公共スペースにおけるイスラムアイデンティテ ィの高揚と文化的意欲の発露を呼び覚ました。スハルト一家がメッカ巡礼を行ってハジの 称号を用いる資格を得たとき、ただ一語だったスハルトという名前がハジ・ムハンマッ・ スハルト(H.M.スハルトと表記)と変わった。スハルト信奉者や行政高官たちがこぞ って自分の名前の前にH.M.を付けるようになるのに、たいして時間はかからなかった。 1991年のマレー、2012年のアリエル・ヘルヤントの言葉を借りるなら、それはイ スラミックシーク現象であり、公共スペースにおけるイスラムアイデンティティ顕示傾向 を示すものだったのである。 オルバレジームが崩壊したとき、世の中の文化アイデンティティを強引に規定する反動勢 力はもういなかった。文化アイデンティティの固有化プロセスはより多様的で流動的にな り、この文化領域における変化が、現代インドネシアの親たちが子供に名前を付ける方法 に変化をもたらした。 ジャワ、ブギス、マドゥラなどの諸族の親は子供の命名に、ローカル名にしばられず、よ りコスモポリタンでトレンドに沿った名前を選択するようになった。ムスリムの親も同様 で、従来イスラムの名前と見なされていたアラブ風の名前にしばられなくなった。 かれらの多くはさまざまな言語要素を拾い集めて組み合わせ、それを子供の名前にした。 こうして、多彩な言語の組み合わせで作られたもっとも魅力的な名前が、ユニークで個性 的な名前と見られるようになったのである。ユニークな子供の名前を提案するサービス業 が勃興して来た理由がそれだった。 その傾向にユニークな対策を講じようとしたのが、スラバヤ市議会第D委員会のバクティ オノ議長だ。かれは議論を呼ぶ条例案を提起した。親が子供にスラバヤに因んだ名前を付 けるように命じる条例を施行制定しようというのだ。親が子供に西洋風の、あるいはアラ ブ風の名前を付ける現象は、スラバヤ市民の地元文化に対する意識が衰退していることを 示すものであるため、その意識を復活させなければならないというのが議長の考えだった。 問題は条例が法的強制力を持つ点にあり、子供に付けた名前がスラバヤに因んだものでな いと判定されたなら、その親は犯罪者にされてしまうことになる。 1990年のジャン・ボードリヤールの論によれば、ひとの名前は商品化の対象にされて いるそうだ。元来の機能だった利用価値(祈りとしての名前)を超えて、名前はシンボル 価値(アイデンティティとしての名前/社会的シンボル)を持つようになった。ユニーク であればあるほど、子供の名前は一層モダンだと見られ、社会文化面でその子が得るアイ デンティティ/シンボルの価値もますます高まる。 名前というものは親の子供に対する祈りでなくなり、子供の社会アイデンティティに対す る社会文化的シンボル化のプロセスになった。人名を通してローカル文化の再活性化を図 るために、既に開催されたAA会議を補足して将来、ジャワでJJ会議(ジョコ=ジョコ 会議)やバリでPP会議(プトゥ=プトゥ会議)が開催されても、決しておかしくはない のである。[ 完 ]