「カワダウンコーヒー(前)」(2018年08月13日) 西スマトラ州内陸部へ行くと、カワダウンコーヒーを飲むことができる。いや、ジャカル タにもカワダウンコーヒーを飲ませてくれる店ができており、ミナンの地に行くまでもな く、チョバできるという話だ。この情報化時代、どこかの地方に珍しい飲食品があるとい う話が流れると、たちまちにして多くのひとびとがそれを試してみたいという欲求に駆ら れる。するとそれを狙って商売を始めるアントレプルヌールが出現するという循環が出来 上がっている。 カワ(kawa)というのはコーヒーのことで、ダウン(daun)は葉を意味するインドネシア語 だ。つまりコーヒー豆を使わず、コーヒーの葉を煎じた飲料というのがこのカワダウンコ ーヒーというものなのである。 カワというのはミナンカバウ語ではない。それは明らかにコーヒーのアラブ語であるカフ ワ(qahua)あるいはカッワ(qahwah)に由来しており、オランダ人がヌサンタラの地にコー ヒーを持ち込む前に、アラブ人が既にそれをミナンのひとびとに紹介していたことを示す ものだとわたしは思う。 16世紀初めごろにはティク(Tiku)、パリアマン(Pariaman)、バルス(Barus)などの商港 がインド洋北部を渡るアラブ・ペルシャ・インドなどの商船の訪れる国際港になっていた ことを、トメ・ピレスが書き残している。ヨーロッパ船がインド洋の征服に取り掛かるま で、インド洋北部沿岸地域はアジアの重要な通商路になっていたことを忘れてはならない。 コーヒーの木は元々実・種・葉などが薬用として利用されており、その種を嗜好性飲料に 使うようになってから、世界的に猛然と普及した。カワダウンコーヒーの不可解な点は、 火で焙った葉を煎じて飲むという薬用のような作り方をしながらも、ひとびとは実際に嗜 好品のような飲み方をしており、ひょっとしたらそこに、元々薬用スタイルだったものが そのままの形で嗜好性飲料に進化したという歴史の流れがあったのかもしれない。もしそ うなら、どうして葉から国際標準の種に移行せずに葉のままのスタイルを頑なに続けてい るのかという疑問が次に湧いてくる。 それはこういうわけだ、と説明するひとがいる。17世紀以来ジャワ島を蚕食し始めたオ ランダVOCは早い時期からコーヒー栽培を行わせる動きを開始した。ジャワ島が最初の ターゲットになり、外島部の支配地域が広がるにつれてターゲットは拡大して行った。そ してその総まとめとばかり、ファン・デン・ボッシュの強制栽培制度がジャワ島での成功 から10年あとの1840年、ミナンカバウにやってきた。[ 続く ]