「マゼラン世界周航五百年(3)」(2018年10月31日) マゼランとセハウンはセケイラ船隊のマラッカ訪問に参加し、危機一髪のところをゴアに 戻ることができた。お礼参りとばかりの副王アルフォンソ・ダ’アルブケルケが自ら指揮 したマラッカ攻略戦に従事した後、マゼランは帰国の途に就き、1512年にポルトガル に戻っている。 1511年11月にマラッカは香料諸島を目指す初の探査船隊を送り出した。デ・アブレ ウ率いる3隻の船隊の中の一隻を、フランシスコ・セハウンは船長として指揮した。マラ ッカで雇った水先案内人に導かれてデ・アブレウ船隊はジャワ海を東航し、東ジャワのグ ルシッ(Gresik)に立ち寄った。セハウンはそのとき地元の女を妻にし、香料諸島へ伴って いる。船隊はそこからマルクのバンダ島に進路を定めた。 バンダ島は当時マルク諸島におけるスパイス集散地であり、ポルトガル船隊はバンダで交 易を行なって望む積荷を手に入れた。ところが、帰途セハウンの船は暴風雨のために難破 してアンボン島のヒトゥ王国に漂着したのである。ヒトゥで優遇されたポルトガル人はヒ トゥとセラムの戦争でヒトゥ側を助け、ヒトゥ人から大いに感謝された。 ジャワ島から北マルクの諸王国まで幅広く交流していたヒトゥ王国は、掌中の珠となった ポルトガル人をテルナーテ王国に譲った。ポルトガル人が示した武器や戦闘能力の優秀さ がかれらを引く手あまたにしたことは疑いあるまい。ポルトガル人と引き換えにヒトゥ王 国が何を手に入れたのかはよくわからないが、きっと損のない取引だったことだろう。 当時のモルッカ諸島はテルナーテ、ティドーレ、ハルマヘラ島西岸のジャイロロという三 王国が三つ巴で争っていた時代であり、特にテルナーテとティドーレは不倶戴天の敵とい う間柄にあったため、テルナーテのスルタンはセハウンとその部下たちを手に入れると共 に、ポルトガル人に軍事支援を求めて難攻不落の要塞建設を依頼した。ポルトガル人がふ たつ返事で引き受けたのも当然だ。 こうしてセハウンはテルナーテのスルタンの政治軍事顧問となり、テルナーテに住み着く。 セハウンはスルタンの信頼を得て、スルタンの娘のひとりを妻にしたという話もある。 [ 続く ]