「インドネシアの度量衡(後)」(2018年11月16日)

オランダ人は植民地時代に、もちろんメートル法をインドネシアに持ち込んだのとは別に、
道標や行政区画標識として地面に打ち込む杭をパアルpaalと呼び、1.5キロごとに道標
を置いて1パアルという距離の呼称にした。

だが実態は純粋な統一指標でなかったことが明らかになっている。たとえばジャワ島で1
パアルは1,507メートルなのに、スマトラでは1,852メートルになった。スマト
ラの諸スルタンから農園地所を借地するとき、自分が得をする手段にそれが使われたこと
を推測させるものだ。だが少なくとも、統一指標など何もないその時代の背景を思うなら、
オランダ人だけを狡猾な悪人と呼ぶわけにも行くまい。

たとえばジャワにもバウbauという面積の単位はあったものの、現代の解説で7,096
平米と定義されている1バウが、ジャワ島内のあらゆる場所で同一の面積であったなどと
だれが信じることができようか。

もっと面白いのは、タバコを一本吸い終わるまでに進める距離をサロコカンsak-rokokan
という単位にして表したものもある。その何分の一かの距離はsak-surupと呼ばれた。ム
ラユ語にもsepelembaran batuやseplembaran lembingなどという距離の呼称がある。石
を投げて届くくらいの距離ということだ。


フローレスでは、遠近の表現がどうも異なっていたらしい。どのくらい遠いか近いかとい
う表現は、その地方の生活様式に関係している。日本にも似たような話があって、地方の
過疎地域を訪れたひとがその日泊まった宿で翌日訪問予定の村への距離を尋ね、「ああ、
あそこは近えよ。歩いてすぐに行けるだよ。」と言われ、翌日教えられた方角に歩いたが、
行けども行けども行き当たらず、くたくたになってからやっとその村が見えてきたという
話がある。

フローレス島である地元民に「パサルはここから遠いかね?」と尋ねたら、思いもよらぬ
返事が戻って来たそうだ。「そりゃあ、あんた次第だよ。歩いてはかるかね、それとも走
ってはかるかね?」
[ 完 ]