「ドゥイッ(終)」(2019年08月23日)

ウアンの同義語を調べてみると、duit, doku, kepeng, fulusなどが顔を出す。その中で
は、もっとも多用されているのがduitだろう。これは「berapa duit?」という表現で日常
生活に頻繁に登場する。

バハサプロケムで金銭・お金を意味するdokuはduitが語源になっている。バハサプロケム
の造語法のひとつである挿入辞-ok-をduitの最初の音節に置くことで、d-ok-u-itが出来
上がる。プロケムもpr-ok-em-anという同様の作り方がなされたものだ。プロケムをブロ
ッケム(Blok M)と混同するのは、繁華街とやくざ者というイメージが導き出した結果なの
だろうが、ブロッケムをそこまでプレマンのメッカのように扱うと機嫌を悪くするひとが
出るかもしれないから、やめていただきたいものだ。

他のものについては、アラブの通貨システムdinar金貨 dirham銀貨の小単位であるfulus
がuangの意味で使われるケースがあり、kepengの場合は中国の穴あき古銭を呼ぶ際に使わ
れるイメージがわたしには強いのだが、uangを代替する語としても使われているというこ
とらしい。

それらはたいてい、名詞としてのuangを代替するのとは別に、「いくらの金銭なのか?」
と表現するときの「金銭」に当たる部分にも使うことができるように思われる。「いくら
の値段か?」という場合のBerapa harganya?や「いくらの金銭か?」というときのBerapa 
uangnya?あるいはBerapa Rupiah?という世界中のどこにもある表現に加えて、Berapaの次
に別の同義語が置かれるということをそれは意味しているにちがいない。


しかしわたしが体験したことがらの中に、どうも例外的なものがあるようにも思えるので
ある。それはperak。上のリストにも見られるようにぺラッもドゥイッやウアンと同じ出
自になっている。

わたしがジャカルタで暮らし始めたころ、ブタウィ人社会ではperakという助数詞が頻繁
に使われていた。「Lu dikasi berapa perak?」「Ini harganya seribu perak.」という
ような使い方だ。もちろん実際はすべてルピアになるのだが。

その現象に接した若輩のわたしは、スペイン人がメキシコを領有して以来、豊富な銀山か
ら採り出した良質の銀を用いて鋳造したメキシコ銀貨がアカプルコ〜マニラ航路を経由し
て行われたスペイン人のアジア物産買付につぎ込まれた結果、東南アジア一帯の諸港でメ
キシコ銀貨が基軸通貨の位置付けを得ていたという話に結び付け、これはその影響なのか
もしれないと考えたこともあったが、事の真偽はちょっと違っていたようだ。

ちなみにブタウィ語辞典ではperakがuangの同義語となっていて、berapa uang? とberapa 
perak? の互換性はよくわかるのだが、Gue kagak punya uang. というような用法での
perakへの置き換えに接した記憶がわたしにはない。ひょっとすると、これはわたしの注
意力の問題なのかもしれない。

perakをそのまま置き換えたときのGue kagak punya perak. がもたらすであろう多義性が
受け入れられるかどうかの問題に収束するようにわたしには思えるのである。もしそこに
数字が入ることによってGue kagak punya satu perak pun. となれば多義性は消滅するだ
ろうからわたしの印象の説明はつくのだが、 それがその時代の実態と合致していたのか
どうかは、足で調査してみなければ分からないことかもしれない。[ 完 ]