「ジョグジャにヨシロ運河(前)」(2019年10月23日)

プロゴ川Sungai Progoとオパッ川Sungai Opakがひとつに合わさったとき、ヨグヤカルタ
は大いなる繁栄を迎えるであろう。スナン・カリジャガSunan Kalijagaはそう述べたと伝
えられている。

その二つの川は30キロ以上離れており、その間の低地は貧農地になっていて、雨季には
食用植物の栽培が可能だが、乾季になると何を植えることもできない。スナン・カリジャ
ガの言葉はヨグヤの民衆に代々伝えられてきたものの、現実感を伴わないおとぎ話の域を
出ないものだったにちがいあるまい。その地域は現在のバントゥル県、スレマン県とヨグ
ヤカルタ市の一部をカバーしている。

オランダ人がそのエリアの灌漑を何もしなかったかと言えばそうでもなくて、1909年
にバントゥル県マドゥキスモの製糖工場の支援を図るために全長17キロのファンデルウ
ェイク灌漑水路を建設してはいるが、それはスナン・カリジャガの構想に沿ったものでは
なかった。


1942年3月にヨグヤカルタにやって来た日本軍はアジア解放のプロパガンダの旗をふ
り、オランダ人行政官や軍人を地元民衆の眼前で処刑したことなどから、地元民のユーフ
ォリアを引出すことに成功したが、それは長続きしなかった。

日本軍政はスラカルタとヨグヤカルタの両スルタン国を侯国と認めて州と同格の位置に置
いた。ヨグヤカルタの公式行政区分名称は軍政監部の中でジョクジャカルタ候国となって
いる。


名称が錯綜気味だから注釈を加えておこう。ジャワ語の正しい発音はヨグヤカルタであり、
非オランダ人が始めたジョクジャカルタという発音は/g/音が軽く聞こえることから、昔
の日本人はそのようにカタカナ書きしていた。だから軍政監部のカタカナ表記はジョクジ
ャカルタになっている。

文字に引きずられてローマ字音韻体系に当てはめようとする動きを日本人が強めたときに、
ジョグジャカルタという表記が日本語カタカナ表記に出現して、その語が元来持っていた
音が変質してしまったということだ。

もちろんインドネシア人の中にも非ジャワ語のJogjakartaの/g/音を強く発音するひとがい
るから、正誤という二者択一でこの問題を論じることは難しい。


ジャワの日本軍政が行ったロームシャ徴用方針の強まりに、ジョクジャカルタ候スルタン
ハムンクブウォノ9世の不安は強まった。領民の減少は領主にとって大問題であるはずだ
からだ。ロームシャに徴用されてよその土地に送られ、故郷に戻って来れるかどうかわか
らないのでは不安になって当然だろう。

日本軍政期における労務者の話は、下のような記事の中にその様相を垣間見ることができ
ます。
「ジョグジャにつながるクワイ河の橋(1〜3)」(2019年6月17〜19日) 
「ジョグジャのゴアジュパン(前・後)」(2019年6月20・21日) 
「スマトラ死の鉄路(1〜6)」(2019年6月25〜7月2日) 
「ジャワにも死の鉄路(1〜4)」(2019年7月3〜8日) 
「ロムサ(1〜4)」(2019年7月9〜12日) 

州長官は上、すなわち中央政府を見て仕事をするから、州民のことは国家への貢献を第一
義としているが、領主は下、つまり領民を見て仕事をしており、領国への貢献を領民にと
っての第一義に置いているはずだ。そこに両者の大きな違いがある。[ 続く ]