「インドネシアの翻訳者」(2019年12月09日) ライター: インドネシア大学文化科学部名誉教授、インドネシア翻訳者会会長、ベニー ・フッ ソース: 2006年1月20日付けコンパス紙 "Tentang Penerjemah" ある言語の文章が伝えているものごとを別の言語に移し替えて、その両者を結び合わせる 架け橋の役割を担う翻訳者の能力と機能について、われわれの間に依然として無理解が存 在している。翻訳者はたいへん重要な位置にいるのだ。誤訳を犯せば、読者は悪影響を被 ることになる。 外国語に堪能であるということだけで翻訳ができるわけではない。翻訳先の言語をマスタ ーしていることは基本的な条件であり、そのベースに経験・才能・博識が上乗せされる。 知識あるいは知性(認識力)、語感(情緒性)、言語を操る技能(修辞力)が必要とされ ている。 ひとりの翻訳家があらゆる分野の論文を翻訳できるわけではない。翻訳者は生活の場で必 要とされる社会・政治・経済・文化・技術・科学などに関する該博な知識を持つとともに、 法律・工学・医学など自分が専門にする分野に関わる内容も十分理解して翻訳を行わなけ ればならないのである。 ひとりの翻訳者があらゆる内容の原文の翻訳を強いられることは頻繁に起こっている。翻 訳家というのは職業なのであって、翻訳家に仕事を与えるとき、その人物の専門分野が斟 酌されなければならない。だれかの紹介、どこかのコメント、だけで発注がなされるべき ものではないのだ。その人物の能力が測定できないなら、原文のどこか一ページを翻訳し てもらう必要があるだろう。 ちゃんとインドネシア語になっていて、出版できて売れるものになるのでありさえすれば、 翻訳のクオリティにまで神経を使わない出版社の編集者がまだまだ多い。翻訳書の出版で は誤訳を避けるために、翻訳される原文の言語と翻訳先の言語の両方をマスターしている 人間による、リバイザーと呼ばれる内容のクオリティチェックが不可欠だ。映画字幕がお 粗末な翻訳になっているのは、翻訳者のクリテリアを斟酌しないで翻訳依頼をしているか らだ。要するに、翻訳のクオリティが最重要視されなければならないのである。 翻訳業というのは実用的職業であり、思考・語感・修辞などの能力で測定されるアカデミ ックなものでない。翻訳書の評論家や批評家はアカデミックあるいはセミアカデミックな 職業だ。かれらは作品の評価を行うひとびとであって、みずから翻訳はしない。 翻訳分野の学士・修士・博士教育は、もしカリキュラムが翻訳家養成のためのものであれ ば別だが、実用的な翻訳でなくてアカデミックな翻訳能力を涵養している。 翻訳者のクオリティは翻訳文のクオリティを左右する。クオリティの低い翻訳者はクオリ ティの低い翻訳文を作る。そのような事態をどうやって防ぐかが問題なのである。 まず第一に倫理問題だ。インドネシア翻訳者会倫理規定の中に次の一項がある。翻訳者は 自己の能力に合わない翻訳注文を受けてはならない。それはあくまでもクオリティの尊重 を意図してのものである。 第二に、自己の能力向上だ。翻訳者は常に自分の知識を向上させ、拡大させ、リフレッシ ュさせること。 第三は、大学は修士課程以降のフォーマル教育プログラム(専門家養成)に加えて、研修 プログラム開発機関の役割を持たなければならない。 第四、インドネシア翻訳者会は翻訳者のクオリティ向上を目指して、非フォーマルな翻訳 者養成教育を行っている。 第五、翻訳作品の評論家・批評家はクオリティ向上のための鞭打ち役に徹するべきだ。 第六、翻訳者のキャリア開発は翻訳サービスを利用する業界からの理解と支援が与えられ るべきだ。ビューロクラシー内の翻訳者にはライン業務としての役職に就かせることで継 続的な職歴の形成が図られるべきだ。(現在、国家官房と官僚効用改善担当国務省がその 実現を検討している) 第七、能力検定を通してクオリティ標準化が構築されるべきだ。(1968年以来、イン ドネシア大学が翻訳能力検定を実施している) インドネシアにおける翻訳家という職業に関する素描はこのようなものだ。クオリティの 低い翻訳が世の中から減少することを願ってやまない。だが、その日はそうやすやすとは 訪れないかもしれない。