「イ_アのインテリゲンチャー(終)」(2020年01月28日) ロマン派時代に出現したインテリゲンチャー層は脆弱な経済状況の中でロマン主義的世界 観と共に生きた。知性的には、かれらは社会状況に関して整然と構築されたシステマチッ クな知識を優先させず、新しい異なる社会構造を夢見てひとびとにそれをプロモートした。 ロマン主義的姿勢はかれらにとって、ひとつのパワーになった。18世紀末に生きてロマ ン主義精神をその作品に注ぎ込んだドイツの詩人ノヴァリスNovalisをマンハイムは引用 している。ノヴァリスは語る。「ロマン主義的態度と行動はその者の質的向上に他ならな い。この姿勢の中では、低い自己というものがより優れた自己と見なされる。・・・平凡 なものの中に高い価値を見出し、些細なものごとに対して秘密に満ちた権威を与え、既知 のものごとの中のまだ知らないものから太陽を発見し、無常なるものをあたかも不滅と見 なすがゆえに、わたしはロマン主義者としてふるまう。」 インテリゲンチャーの役割を担う知識層は現在という時に拘束されず、未来への先駆者と なる。哲学者エルンスト・ブロッホを引用するなら、かれらは今あるものを楽しみ維持し ようとする人間でなく、まだないものを実現させるリスクを負う人間である。それは空想 的な理想では決してない。スカルノは建築業者のオフィスを作らず、ネーションビルディ ングという別の建設に身を投じた。天才的多重言語者のアグッ・サリムは外国語学校を作 ったり高レベルの通訳にならず、種々の文筆活動を通して民衆を開明させる闘士になった。 ハッタは経済コンサルタントや銀行家になって自分の力を振るうことをせず、民衆に協同 組合についての教育を与え、またシャッリルと共に政界中堅幹部たちを育成した。サム・ ラトゥラギは数学教授の職を求めようとせず、地方部で政治闘争を率いた。 それらは民族の進歩のためのプロフェッショナリズム・技術的能力・スペシャリストの専 門性などが持つ重要性の否定を意味しているのでなく、ある重要な時代にもっとも高度な 教育を受けた者たちが、かれらが身に着けた専門性によってもたらされるであろう自己の 進歩と経済社会ベースの安定を重視する代わりに、社会学者マンハイムが言うところの浮 動するインテリゲンチャーとなることを選択し、狭いいくつかの可能性の間を浮遊するイ ンテリゲンチャーになろうと努めた。民族と国家に関する新しいアイデアを広めなければ インドネシアが一つの民族一つの国家として立ち上がることはありえなかった事実を忘れ てはならないのである。 インドネシア現代史の道程における20世紀初頭のインテリゲンチャーというのは、ナシ ョナリズムと独立の可能性の推進者になって政治闘争に関与したひとびとである。独立達 成後の初めの数年間、かれらはステーツマンとなって民族と国家を統率し、民衆と共にど ん底経済の中に暮らして一民族として確固たる立ち姿を保持するための自信を民衆に植え 付けた。指導された民主主義の時代以降、自らのイデオロギーがインドネシアを進歩させ るのにもっとも適したものであることを確信して、かれらは政党政治の中で覇を競う諸グ ループに分かれた。 オルデバル期にスハルト政権の行政機構は知識人の必要性を大いに感じたために、知識人 は行政組織の中に吸収された。イデオロギーは経済開発を妨げる魑魅魍魎と見なされた。 開発は、あたかも各部門が専門のサーティフィケートを持つエンジニアによって動かされ る一個の機械のようなテクノクラシーと解釈された。レフォルマシ時代に知識層は既に用 意されている、政府行政機構の一角に座す、政党内の特定政治勢力の一員となる、高額の 報酬を得る専門家やコンサルタントとして産業経済界の中に社会基盤を求めるという三つ の選択肢の中で選択を行った。インテリゲンチャーは一つの民族一つの国家が誕生した歴 史の中の一部分である。自分自身の生活内の快適ゾーンになっている社会経済基盤を損な うリスクを背負って生きるのをひとは敬遠するだろうが、だからと言ってその役割が失わ れてはならないのである。第二次大戦で敗れたドイツ民族の嘆きと叫びをわれわれが繰り 返さないように、その役割は背負い続けられて当たり前のものなのだ。ドイツ民族が祖国 のために唄ったエレジーがインドネシアのために唄われてはならない。 noch ist Indonesien nicht verloren. インドネシアはまだ失われてはいないのだ。 [ 完 ]