「言葉のニュアンス」(2020年06月02日)

ライター: 語義探究者、サムスディン・ブルリアン
ソース: 2010年3月26日付けコンパス紙 "Nuansa Makna"

seluruhとsemuaは同じ意味だが、seluruhは単数でありsemuaは複数だ。seluruh rumahku
というのは、ぐらつく土台に始まり、壁は腐り、扉はきしみ、窓はシロアリの巣で、屋根
は雨が漏り、外回りは汚らしく、家の中はがらんどうであり、表の姿はボロ家で裏は泥庭
という、かけがえのない一軒の我が家を指している。semua rumahkuというのは、あちこ
ちに散在していてそれぞれに妻や婿や義父が住んでいる、例外なくわたしの所有になる家
々のことだ。

seluruh Indonesiaという表現が当たり前になっているのは、それが理由だ。めったに業
績を示さないPersatuan Sepakbola Seluruh Indonesiaや、たいして威光を感じさせない
Serikat Pekerja Seluruh Indonesiaなどもある。あなたがIkatan Pemuda Klemar Klemer 
Seluruh Nusantaraなるものを激論や騒動なしに作ることも可能だ。semua Indonesiaとい
う表現など、どこにも出て来ないだろう?


cemburuとiriは同じような敵対的心情に関わる言葉だが、対象が正反対だ。Anda cemburu
と言えば、あなたが自分の所有物を維持したい面を述べている。ところがAnda iriあるい
はdengkiと言う場合はあなたが持っていないものを欲しがっているのである。それがゆえ
に、あなたより十歳年下の若妻を道端のプレマンが目を見開いて見つめたときにあなたは
cemburuになり、反対にあなたがわたしの美しく上品で洗練されて金に困らず、貞淑で勤
勉なわたしの妻を見るとき、あなたはiriになるのである。seseorang mencemburui is-
teri orang lainという表現はないはずだ。もしあなたが自分の妻に対してiriになる場合、
それはカッコいい男があなたの妻を誘惑しているからでなく、妻が上司の秘書に昇格した
からだ。だってあなたはいまだにコーヒーを淹れてみんなの机に持っていくような仕事し
かさせてもらえないのだから。


hampirとnyarisはどちらも、あとわずかの時間を意味している。その違いは、hampirがほ
とんどあらゆる状態に対して用いることができるのに対して、nyarisはその状態が危険で
あるという選択をする。おまけにhampirは起こるであろうことだけでなく起こらないであ
ろうことにも使えるが、nyarisは起こらなかったことにしか使えない。

Dia sudah hampir lulus sarjana dengan predikat Cuma Paspasan.やDanu hampir mati 
dipukuli suami pacar gelapnya.などのように、ほとんどあらゆる状況の表現にhampirを
使うことができるが、nyarisとなると、Mantan bintang film guram itu nyaris gagal 
menjadi wakil rakyat.というような文にしか使えず、Fathuddin nyaris mendapatkan 
warisan harta karun.とは言えないのである。Hampirが平坦でニュートラルな情緒を含ん
でいる一方、nyarisは危険の脅威から免れようとする追い詰められた情況を暗示するため
に緊迫感が生まれる。


本稿のタイトルがどうしてNuansa Maknaになっているのか?nusansaとは上述のseluruhと
semua、iriとcemburu、nyarisとhampirに見られるような繊細な差異を意味する言葉だ。

1970年代末の音楽界に衝撃を与えたキーナン・ナスティオンのNuansa Beningという
ヒット曲のおかげでnuansaの語が流行した。nuansaの意味を知らないまま、みんなが恰好
を付けてその言葉を使いたがった。こうして辞書敬遠者たちの典型的な語義マジックが
nuansaの語義をsuasanaにしてしまったのである。この馬鹿げた現象を15年以上たって
もまだあちこちで続けているひとびとがいる。それに気付いたなら、上出来だ。