「コニングスプレイン(15)」(2020年06月04日) NIS社は現在のBNI銀行駐車場のある辺りにバタヴィア中央駅Batavia Hoofdstation を設けた。現在の国鉄コタ駅ではない。クレイネボーム駅とヴェルテフレーデン駅間の列 車運行開始は1871年9月15日だった。 NIS社は更にヴェルテフレーデン駅からメステルコルネリスまで線路を延長させて18 72年6月16日から運行を開始する。そして最終目的地であるバイテンゾルフまで線路 をつなげる工事が完成したのは1873年1月で、クレイネボームからバイテンゾルフま での一貫運行は73年1月31日からスタートした。 NIS社の線路はコニングスプレイン東側を通ってマンガライManggaraiに達してから、 トゥブッTebet〜チャワンCawang〜パサルミングPasar Minggu〜デポッDepokそしてバイテ ンゾルフに向かうものだった。 クレイネボームで乗降するのは貨物が圧倒的に多かった。輸出向け国内物産や他地方から 船で運ばれてくる巨木の丸太などの建築資材が鉄道を使ってバタヴィア⇔バイテンゾルフ 間にある駅や貨物集積場で積み込まれたり下ろされた。 1885年にタンジュンプリオッTanjung Priok港が開かれるとバタヴィア港は瞬く間に 寂れて行った。バタヴィア港の歴史はこちらでどうぞ。 http://indojoho.ciao.jp/koreg/hlabuvia.html 政府系鉄道会社Staatsspoorwegen(SS)が1877年にクレイネボームからプリオッ港埠 頭までの線路敷設工事を受注し、1885年11月3日には工事を完了させて埠頭の脇に タンジュンプリオッ駅をオープンさせ、列車運行の権利をもNIS社から入手した。その ときの埠頭脇の駅舎は現在のタンジュンプリオッ駅舎ではない。タンジュンプリオッとバ タヴィア中央駅がつながると、バタヴィア中央⇔クレイネボーム間の線路とクレイネボー ム駅は廃止された。 一方、別の民間会社であるバタヴィア東部鉄道会社Bataviasche Ooster Spoorweg Maats- chappij(BOS)が現在の国鉄コタ駅の場所に駅舎を建てて南バタヴィアBatavia Zuid駅 と命名した。そのためにNIS社のバタヴィア中央駅は北バタヴィアBatavia Noord駅と 呼ばれるようになる。世間一般は南バタヴィア駅を、会社名のBOSにちなんでBベー OSオス、つまりBEOSと呼んだ。今でも国鉄コタ駅は通称べオスBeos駅と呼ばれている。 BOS社は南バタヴィア駅とブカシ〜カラワン方面を結ぶ路線を運行した。南バタヴィア 駅から東向きにカンプンバンダンKampung Bandanまで出てからクマヨランKemayoranに向 けて南下し、NIS社の線路を西に見ながら並行してパサルスネン経由ジャティヌガラ (当時はメステルコルネリス)に達すると、そこから東に向きを変えてブカシ〜カラワン を目指すルートだ。 1897年、SS社はBOS社から南バタヴィア駅とブカシ〜カラワン方面の列車運行権 利を買い取った。更に1913年、SS社はNIS社のビジネスをも買い取ってしまう。 鉄道事業が国有化に向かって動き出したことを象徴しているような出来事だ。 1915年、SS社は北バタヴィア駅と南バタヴィア駅の統合を決意する。南バタヴィア 駅が取り壊され、1929年10月8日、現在の国鉄コタ駅建物が完成して北バタヴィア 駅は廃止された。タンジュンプリオッ⇔べオスの路線は現在の姿になった。[ 続く ]