「ヌサンタラのポルトガル人(11)」(2020年08月08日)

フローレス島東端に位置するララントゥカの東側に連なるアドナラ島。
マラッカがオランダに征服されたためにマカッサルに落ちのびたポルトガル人やムラユ人
らが、オランダが更にマカッサルを支配下に置いたために再びララントゥカへと落ちのび
て行ったことは先に触れた。

既にポルトガルのコロニーになっていたララントゥカが突発的な人口増を受け入れきれな
かったのは明白で、かれらは周辺諸地域を開拓してコロニーを増やして行った。そのひと
つがアドナラ島のウレWure村だ。だからこの村はアドナラ島原住民の村と違っている。

住民の中には、ダ・コスタ、フェルナンデス、ドゥ・ロサリなどポルトガルの姓を持つ人
たちがいる。たいていはポルトガル人がマラッカで地元民女性に産ませた子供の子孫であ
り、かれらはポルトガル人とムラユ人の遺伝子を受け継いでいる。いや、もっと複雑であ
るのかもしれない。

かれらとフローレス人を自称する地元アドナラの人々との外見的な違いはほとんど見つけ
ることができない。黒っぽい肌の色、黒い直毛や縮れ毛の頭髪。かれらがポルトガル人と
呼んでいるマラッカ住民だった先祖が既に、アフリカやインドやムラユとの混血者であっ
た可能性はきわめて高い。オランダ人はかれらを純血ポルトガル人と区別してブラックポ
ルトガルZwart Portugezenと呼んだ。

ポルトガル人が政治的宗教的な目的を遂げるために航海で訪れた先の各地でメスティ−ソ
作りに精を出したことは、セックスもしくは生殖がそれらの目的達成のための効果的な手
段であるとかれらが見なしていたことを赤裸々に示すものと考えることができる。

自分と家庭を作った女、そして自分の子供たち。かれらにポルトガルの国益へのオリエン
テーションを注入することで、それらの土地におけるポルトガルへの傾倒が促進されて行
く。これはまるでSF並みの構想ではあるまいか。


「わたしらはこの島の住民ですが、アドナラの地元民じゃありません。わたしらはアドナ
ラ語を使わず、ムラユ語で生活してます。わたしらの先祖はマラッカのポルトガル人で、
17世紀にここへ移って来たのです。だからアドナラやフローレスの慣習であるブリス
belisをわれわれは行いません。わたしらの婚姻プロセスはもっと簡素で、西洋人のやり
方のほうに近いですよ。」東フローレス県西アドナラ郡ウレ村の村長ヨセフ・フェルナン
デス氏はそう述べた。

ブリスとは結納のことで、婚姻儀式の前に果たされなければならないことがらだ。東ヌサ
トゥンガラでは一般的に、女性の側が男性の側にブリスの内容を決めて要求する。果たせ
なければ婚姻はお流れになる。アロル島ではモコと呼ばれる銅鼓、マウメレでは巨大な象
牙、スンバではマモリ/マムリと呼ばれる装身具などがブリスとして使われる。


ウレ村の長老のひとりが物語ったかれらの祖先の縁起譚はゴンザレス王に関わる伝説だっ
た。17世紀はじめごろ、ポルトガルのコロニーだったマラッカがオランダ人の侵攻で陥
落し、ゴンザレス王とそれに従う1千人の民衆がオランダ人の捕虜になるまいとしてシン
ガポールに逃れた。その1千人は軍人・宗教者・商人をはじめさまざまな階層と職業から
成っていた。

10隻の帆船とコラコラと呼ばれる櫂漕ぎ木製ロングボート5隻でシンガポールまで達し
たものの、オランダ人の追跡が続いたために再びマカッサル、そしてアンボンへと逃れた。
しかしそれらの地も安泰でなく、最終的にフローレス島までやってきた。そしてひとびと
は1603年にアドナラ島西海岸部にあるウレに定住した。

ウレを見出したゴンザレス王とひとびとはその地を気に入り、そこに自分たちの生活基盤
を建設した。村を作り、教会を建て、生きて行くための活動に便宜をはかった。何世代も
経過したあとの今日、この村の住民はウレ族と呼ばれてアドナラ人と区別されている。現
在のウレ族はたいていが漁民であり、また一部はコプラ・コーヒー・カシューナッツ農民
になっている。


この話は史的事実と合致しない部分がある。ポルトガルマラッカの陥落はもっと後なので
あり、17世紀はじめにゴンザレス王がマラッカを逃げ出す必要はまるでない。更にポル
トガルマラッカの最高執政官はカピトゥンであり、マラッカカピトゥン名簿の中にゴンザ
レスという名前の人物は見当たらない。ましてやカピトゥンを王と表現する神経がマラッ
カ生活者たちの間にあったのかどうか?

住民の姿を目にするかぎり、ウレ族がフローレス人と違っている印象は特にない。違いが
顕著に見受けられるのは、宗教上の慣習だ。ポルトガル人が行ったセマナサンタの儀式は
ララントゥカで継続的に行われている一方、ウレでも同じ儀式が独自に行われている。ウ
レの教会や礼拝所の名称も、カペルセニョール、カペルクルスコスタ、グレジャサンドミ
ンゴのようにポルトガル語が使われている。

だがウレ族の日常生活からポルトガル風生活習慣の香りは希薄になっている。ウレ村長の
話によれば、19世紀に大幅に減退したのだそうだ。ポルトガル系の子孫だと自認するひ
とも、今では7百人ほどしかいない。[ 続く ]