「アチェスルタンの食糧政策(終)」(2020年09月04日) アチェに残っている古文書によれば、スルタン・イスカンダル・ムダの治政下に王国庶民 は飢餓の経験をすることがなくなり、民衆は腹いっぱいの飯を満喫したことが述べられて いる。ランカヨの食糧取扱いはかなり削減されたようだ。 アチェへの食糧供給は陸続きのペディール王国やダヤ王国が輸出元だったが、足りないと きはマラヤ半島の諸王国から海送された。西スマトラのミナンカバウ族は米生産が豊かな 種族であり、アチェは黄金を支払ってミナンカバウから米を買った。 スマトラ島内だけでなく、マラヤ半島の諸王国もアチェとの覇権競争の中にいた。パハン、 ジョホール、ぺラッなどの競争相手に対して、食糧確保で後手に回るようなことが決して アチェに起こってはならない、という命題は歴代のアチェ王が肝に銘じていたことだ。 スルタン・イスカンダル・ムダは食糧確保という基本方針の中で、歴代の王があまり関心 を払わなかった自力による食糧生産拡大を試みている。通商と海洋覇権に関する海洋政策 に対してかれの行った農業拡大方針は内陸政策と呼ばれている。奴隷を奥地に送り込んで 水田を作らせ、王国への供出が確保された上で余剰分が奴隷の取り分にされた。 だがアチェの奴隷だけではたいした生産量にならない。そのため征服地の人間がアチェの 農業生産のための労働力として連れ去られた。おまけにアチェに征服された王国がアチェ に食糧を献納するのは、スルタン・イスカンダル・ムダにとって当たり前のことだった。 アチェの外征が隣接諸国を武力征服して支配地を拡大する目的だったのは疑いないが、被 征服地が食糧と労働力をアチェに献じればその地の既存の統治体制を覆して直接支配シス テムに変えるようなことには至らなかった、とメダン国立大学歴史と社会科学研究センタ ー長は述べている。食糧確保がいかにアチェにとっての重要問題だったかをその事実が示 しているかのようだ。 アチェが隣接諸国への征服戦を開始すると、アチェの軍船団はいつも陸上のアチェ軍を支 援するために海上でそれに付き添った。軍船団の存在は戦闘力としてよりも、食糧を含む 軍需品補給用途の意味合いがはるかに強かった。船には三か月分の食糧が積まれていたの だ。 強い男(残酷という言葉で評されることも少なくないのだが)イスカンダル・ムダは王位 に就いた初めから、食糧が治政における基軸のひとつであることを確信していた。かれは 米の供給を厳格な規律を設けてコントロールした。食糧の失政が国王と国家国民の間に溝 を生み、国王の地位が、あるいは独立国家としての存在が危険にさらされることをかれは 熟知していた。国家統治者が国民の困窮を座視することは許されないのである。 その原理は共和国になっても変わらない。食糧危機のさなかにコメの、肥料の、コメの苗 の投機行動が行われ、あるいは詐欺行為が頻発し、政府がその粛清に手が届かないありさ まは国家統治が正しく行われていないことを示している。スルタン・イスカンダル・ムダ の治政であれば、かれら統治行政者たちは既に手や足を切り落とされているかもしれない。 [ 完 ]