「マタラム王国の米政策(前)」(2020年09月17日)

民を腹いっぱい食えるようにしてやらなければ、為政者の値打ちはない。それが人類の長
い歴史を通じて、世界中に存在していた真理だろう。アジアの稲作文化は米をその真理に
とっての対象物にした。日本も中国もジャワも、どこも違わない。民が食えなくなると領
国統治に問題が起こり、統治者の権威がないがしろにされ、統治者を倒そうとする反乱さ
え起こった。だから優れた為政者統治者は米政策を重要視した。それが自分の立場を安泰
にするかどうかという、死命を制するものであることを熟知していたからだ。

ジャワ年代記Babad Tanah Jawiには、富Harta女Wanita権力Takhtaが男児の生涯に最重要
なものであると徹頭徹尾描かれている。たとえマタラム王国の規範がそうであったとして
も、米政策の重要性が否定されているわけではない。

ジャワ年代記はラデン・ガベイ・ヨソディプロRaden Ngabehi Yasadipuraが編纂したもの
で、節をつけて謡われるtembang macapat形式の詩編がジャワ文字で記されている。その
内容の解釈に関しては、伝説や神話のたぐいに満ちているという批判の一方で、オランダ
の歴史学者デ・フラフHJ de Grafは盛り込まれている話の中の1600年代から1800
年代にかけて起こった事件は史的事実としての信頼性が高いと述べている。


マタラム王国設立の当初から、米は政治アイテムとされた。米供給の確保はマタラム王国
開祖であるキ・アグン・プマナハンKi Ageng Pemanahanの権力を支える節のひとつである
と位置付けられた。最初プマナハンは、他の豊穣の地に比べてまったくのジャングルであ
るマタラムの地を与えられたとき、自分の心を抑制した。かれの統率力のおかげでジャン
グルは農耕地帯に変化した。衣料食糧が安く手に入る、広大な水田を擁するマタラムにた
くさんの人間が移住して来た。マタラムは繁栄する地になった。

現代政治で経済指標が用いられるように、昔の統治支配者は米を経済と政治を安定させる
ための指標に使い、また領地繁栄の業績をそれで示した。反対にレジーム崩壊のシンボル
としてたいてい食糧供給の混乱が物語られた。

マドゥラのトルノジョヨTrunajayaの軍勢がマタラム王国を攻撃し、王国は大混乱に陥っ
た。アマンクラッAmangkurat一世は王都から逃れ、旅先で死去する。そのときの状況は、
多くの役人が食糧に事欠いたと表現されている。マタラム王国はたいへんに憐れな国にな
ってしまった。

米問題は続くレジームにも権威を蝕む問題をもたらした。アマンクラッ二世が王都をカル
トスロKartasuraに移した初期のころ、米を廉価に供給できなかったため王の権威は民衆
の反感によって地に落ちた。ジャワ年代記はそのときの状況を、末端兵士の多くが熱病に
臥せって王は苦難に陥ったと語っている。米価が高騰を続けたために、苦難はさらに深ま
った。高い米価は民をして王への蔑視を煽っている。この状況が改善されなければこの王
国は軽蔑されるべき国と国内外から見られるだろう。

アマンクラッ二世の弟、プグルPuger王子が今で言うところの市場視察を行った。かれは
宮廷での衣服を一般庶民の衣服にあらため、イスラム学生の風をよそおってあちこちのパ
サルに出入りし、米を恵んでくれと求めた。かれはまた、米の代わりに芋やガドゥン
gadungの根しか食べられない軍隊も覗いてみた。たいへんな努力をしている農民も観察し
た。農民たちは努力の成果を享受していなかった。

王子は神に祈った。そして米価を昔のように安くするための方法をかれは悟った。かれは
国中のパサルを回って、民衆の手に届く価格で米を販売するよう命じたのである。それか
ら40日後、米価は昔のレベルに戻った。農民は安心した。カルタスラの王都は平静に戻
った。衣料と食糧の安い国になったのである。


米の機能は、政治上の安定というコンテキストのほかに、新権力パワー出現の前兆として
も使われる。マンクヌガラMangkunegara一世となるラデン・マッ・サイッRaden Mas Said
の登場をジャワ年代記は、かれが統治者にならなければジャワの地は糧が不足し、米がな
くなるためジャワ人は食べることができなくなる、と語っている。

王国の都の場所選定にも米供給のファクターは考慮されている。VOCがファン・ホーエ
ンドーフJAB van Hohendorff大佐を通して王都をカルトスロからソロSala村に移すよう勧
めたとき、その場所選定は米供給の安定も考慮されていた。

大佐はこう述べた。そこに王都が築かれたなら、稲や米が高くなることはもう起こらない。
その地の水田で収穫がなかったとしても、ポノロゴPonorogoの収穫が必ずその地に流れ込
んでくるから。

ソロ村に王都が築かれると、そこはスロカルトハディニンラSurakarta Hadiningratと命
名された。[ 続く ]